東方幻影人 (藍薔薇)
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第1話

この世界は『幻想郷』というそうだ。十年ほど前に誕生したわたし、鏡宮(かがのみや)幻香(まどか)のもとにスキマから上半身だけ出した妖怪さん――これからはスキマ妖怪と呼ぼうかな――が「ようこそ幻想郷へ」と言っていたから、間違いないだろう。

わたしはドッペルゲンガーという妖怪だ。スキマ妖怪がわたしの姿を見て――少し驚いた表情をしていた――そう言っていたからそうなのだろう。

わたしがいるところは『魔法の森』と呼ばれるところらしい。数年前に通った『人間の里』にいた妖怪がそう言っていたのを覚えている。昔創った木材を使って、家のようなものを建て、茸や木の実を採集し、川を優々と泳ぐ魚や暴走した猪、ぐっすりと眠っている蛇などを捕獲、その後ちゃんと調理して食べ、のんびりと暮らしている。

 

 

 

 

 

 

窓から白い光がわたしの顔に差し込んでくる。眩しい…。

ゆっくりと体を持ち上げ、軽く伸びをする。布団から出て、干しておいた猪の肉と乾燥茸、昨日採っておいた木の実をお湯に入れて食べる。塩を入れようと思ったけれど、既に底を突いてしまっていたことを思い出す。今度貰いに行こうかなあ。

洋服入れを開けると、かなりぼろくなってきた服が4着ほどある。その中で、半年くらい前に創った服に着替える。これは人間の里で先生をしている彼女と同じ服だ。これもそろそろ創り変えたほうがいいかも…。

家を出て、近くにある泉で顔を洗い、眠気を飛ばす。わたしの顔が泉の水面に映る。病的なまでに白い肌、腰のあたりまで伸びた絹のように白い透き通った髪の毛、薄いアメジスト色の瞳。もっと食べないとこんな不健康な顔を見せてしまうことになるだろう。しかし、この顔を見たことがある人はわたし以外には多分いない。わたしはそういう妖怪なのだ。

顔を洗い終えると、遠くのほうで爆発音が響いてくる。きっと、弾幕ごっこをしている妖怪か妖精がいるのだろう。

数年前に『吸血鬼異変』が終結した。その結果『命名決闘法案』――通称『スペルカードルール』――というものが、博麗霊夢の名と共に発布された。なんでも『妖怪同士の決闘は小さな幻想郷の崩壊の恐れがある。だが、決闘の無い生活は妖怪の力を失ってしまう』という理由があるとのこと。これはお互いに得意技を見せ合い、その美しさで競う決闘ルールだそうで、いわゆる蹴鞠などのスポーツのようなものだそうだ。

この決闘で重要なものはスペルカード。これは自分の得意技に名前を付けたもので、決闘前に枚数を提示しなければならない。また、使用するときには宣言してから使用する。基本的には、華麗で美しいものや派手で豪快なものが好まれているらしい。

しかし、わたしは一度も決闘なんかしたことがない。このルールが発布される前を含めてもだ。

理由ならすぐに答えられる。『人間妖精妖怪とほとんど話さない』からだ。今まで話した人数は、下手したら両手で足りるかもしれない。最後に話したのはこの魔法の森を教えてくれた優しい獣人だろう。

なので、わたしは妖力をどのぐらいの力で撃てばいいのか分からない。弱すぎたら意味がないし、強すぎたら大怪我、最悪の場合死んでしまうだろう。これからのことを考えると、妖力の力加減を教えてくれる優しい人を探す必要があるかも。

決闘をしないのだから、スペルカードも持っていない。これもいつか考えなくちゃいけないかなあ…。

思い立ったが吉日、という言葉がある。これからあの優しい獣人に会いに行こう。力加減とかスペルカード、スペルカードルールについて詳しく教えてもらおう。ついでに、そろそろ底を突きそうな日用品や調味料を貰えたら嬉しいなあ…。

 

 

 

 

 

 

「こんにちはー」

「ん?ああ、幻香か。こんにちは」

 

というわけで、会いに来ました。挨拶をしないと彼女にお説教を食らうので、ちゃんとあいさつをする。

彼女の名前は上白沢慧音。人間の里で寺子屋の先生をしている獣人さん。話している内容がたまによく分からなくなることを除けば、とてもいい人だとわたしは思っている。だから、彼女には出来るだけ敬語で話すことにしている。今までいろいろお世話になったしね。

挨拶もそこそこに、軽く部屋を見渡す。あ、あの箪笥いいなあ、あとで貰うことにしよう。

 

「で、いきなり何の用だ?」

「あー。えーっとですね、スペルカードルールについて少し」

「ふむ、じゃあ説明しよう。スペルカードルールとは――」

 

 

 

 

 

 

「――というものだ。分かったか?」

「はい、大体は」

 

知っている内容のほうが多かったが、とても分かりやすい説明だったよ。最後のほうを除けばね。これで目的の一つは達成した。

あとは妖力の力加減とスペルカード、日用品補充だけど、どれを先にやろうか…。

少し考えて、日用品補充を後に回す。時間のかかりそうなものは早めに片づけたほうがいい。

 

「あと、妖力の力加減を教えてくれると嬉しいです」

「どういうことだ?」

「弱すぎると意味ないし、強すぎたら怪我させちゃうじゃないですか」

「よし分かった。ちょっと外に行こうか」

 

そう言って慧音は勢いよく立ち上がり、外へ出ていった。慌てて追いかけると『臨時休業』と書かれた立札を入り口に立てていた。何処からそんな立札が出てきたのだろうか…。

そのまま人間の里を出ていくので、とりあえず付いて行く。一体何処に行くのだろう…。

 

 

 

 

 

 

到着したところは、見渡す限り竹でいっぱいだった。周りには人の気配はほとんどない。ここならちょっとくらい強くてもあまり問題なくて済みそうね。

 

「さて、妖力の力加減だったな。とりあえずあの竹にでも撃ってみてくれ」

 

慧音がビシィッと指を一本の竹に向ける。あの竹に撃て、ということだろう。とりあえず、猪狩りのときと同じぐらいの威力でいいかな。

右手を軽く握ってから、人差し指を出す。そして、体を循環する妖力をその指先に集める。すると、薄紫色の発光する小さな丸い弾が浮かび上がった。そのまま指先を竹に向け、弾を指先から切り離す。

すると、弾は勢いよく進み、竹に被弾した。竹がメキメキと音を立てながら倒れる。ちょっと強かったかも?

おそるおそる慧音のほうを向き「ど、どうかな?」と聞いてみる。すると慧音は、少し考えてから口を開いた。

 

「ふむ、普通に妖怪とやるにはもう少し弱いほうがいいが、この強さでいいだろう。だが、一部の人間を除いて、この強さだと怪我してしまうな。さっきの半分より少し弱いくらいがちょうどいい」

「分かりました。やってみます」

 

何度か挑戦し、力加減は大体分かった。まあ、最悪怪我をさせてしまっても問題ないのだけれどね。ルールにも『不慮の事故は覚悟しておく』みたいなことが書かれているみたいだし。

 

その後すぐに弾の大量展開、通称『弾幕』を練習した。威力はそのままに大きさや形を変え、真っ直ぐ飛ぶ弾や標的を追う追尾弾、爆発して小さな弾に分裂する炸裂弾などを学んだ。また、展開しておくことで勝手に弾を発射し続けるという、とても便利な妖力の使い方も教えてもらった。これは弾幕を張る際に使われるものだと言っていた。

 

「うん、呑み込みが早くて結構。さて、次はスペルカードだが、何かアイデアはあるか?」

「…全く考えてません」

「そ、そうか。スペルカードは大抵自分の能力や得意技を使う。今度会う時までに考えておくといい」

「はい、分かりました。今日はわざわざ付き合っていただきありがとうございました」

 

慧音のほうを向き、ペコリとお辞儀をする。少しおかしい敬語になってしまったかもしれないが気にしない。

さて、あとは日用品と調味料の補充をしなくては。

 

「あ、そうだ」

「ん?何か思いついたか」

「いえ、そうではないですが、調味料が少々欲しいです」

「あー、いいぞ」

「あと、家の箪笥を貰ってもいいですか?」

「いちいち言わなくてもいいだろうに…。良いぞ、貰ってけ」

 

 

 

 

 

 

慧音の家に戻ると、既に太陽が沈みきっていた。家に入れてもらい、慧音に貰ってもいい調味料の量を聞く。塩と砂糖は一袋、胡椒は小瓶二本、醤油は半分ほど使った残り物を貰った。ありがたい。貰った調味料はとりあえず机の上に置いておく。

 

「さて、では箪笥貰いますね」

 

そう言いながら箪笥を隅々まで見回す。一つ一つ引出しを開けて内部も確認する。

全ての確認を終えたので、左手を添える。そして右手は開いて空いた空間のほうへ向けておく。視線は箪笥に向け、妖力を流し込む。

突然、右手から左手と同じような感触が伝わる。右手のほうを向くと、ほとんど同じ箪笥が出来ていた。出来上がった箪笥をちゃんと確認する。引出しもちゃんと動くかとか引出しはちゃんとものが入れられるかとか。…うん、問題なし。

これがわたしの能力。『ものを複製する程度の能力』だ。視界に入れたものを複製することが出来、手で触れた状態で複製したほうが精巧な複製が出来る。

 

「いつ見ても不思議な光景だな」

 

慧音も少し驚いている。彼女の服は何度か創らせてもらったから見慣れていると思っていたけれど、まだ慣れていないのかな?ついでに慧音の着ている服を左手でつかみ、3着創らせて貰う。

そうして箪笥の中に貰った調味料と新しい服を入れて魔法の森へ帰ることにする。

 

「それでは、ありがとうございました。さようならー」

「またな」

 

慧音が笑顔で手を振っていたので、わたしも笑顔を返した。

 



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第2話

目が覚めると、視界が紅い霧でいっぱいになっていた。こんな天候は初めて経験する。連日で悪いけれど、慧音に聞いてみよう。結構物知りだったし。

ベッドから這い出て、干しておいた蛇の肉と魚を焼いて食べてから洋服入れを開ける。新しい服3着と古くなった服4着ほどが並んでいる。

古くなった服を掴んで、分解する。複製して創られたものはわたしの妖力の塊だ。だから、任意のタイミングで分解出来る。そのとき、触れていれば自分に妖力が還元し、触れていなければ空間に霧散する。

残った新しい服に着替えて泉へ歩いて行く。日光が当たらないので、少し肌寒い。あと、体に少し違和感を覚えるが、もしかしてこの謎の紅い霧のせいだろうか?

 

 

 

 

 

 

人間の里に着いたが、普段は人間が多数歩いているはずなのだが、誰一人いない。里にわたししかいないと錯覚してしまうほど静かだ。耳鳴りもする。

歩いて数分、慧音の家に着いたので扉を叩く。奥から「どうぞー」と聞こえたので、中に入る。お邪魔します。

 

「こんにちは」

「ああ、こんにちは。どうした?この紅い霧のことか?私は知らないぞ」

「あ、そうなんですか…」

 

先手を打たれた。これは少し悔しい。

慧音が知らないとなると、何処かで調べたほうがいいかも。

 

「じゃ、じゃあ何か調べるのにいい場所ってないですか?」

「んー、紅魔館っていうところに図書館があったはずだが…少し遠いぞ?」

「とりあえずそこで構いません。どの方角に行けばいいですか?」

 

わたし達妖怪は、空を飛ぶことが出来る。鳥のように羽ばたくのではなく、フワフワと浮遊するのだ。だから、道順は聞かずに方角だけ聞けば済む。

慧音が頭を軽く掻いて思案顔になり、空いている手で空を指差す。

 

「この方角を行けばいい。行く途中には『霧の湖』があったはずだから、そこで休憩しながら行くといい」

「はい、分かりました」

「気をつけろよ。そこには吸血鬼がいるからな」

「…そ、そうなんですか…」

 

吸血鬼。数年前の『吸血鬼異変』の首謀者。たしか名前はレミリア・スカーレットといったか?とても強力な妖怪で、数多の妖怪達を部下にし、この幻想郷を乗っ取ろうとしたらしい。幸い、彼女より力のある妖怪の力業によって無理矢理解決したらしい。

そんな吸血鬼もスペルカードルールを守っているはずなので、死んでしまうことはない、と信じたい。不慮の事故って怖い。

 

「分かりました。気を付けて行きますね」

「うん、怯えるくらいがちょうどいいかもな」

「怯えるくらいが…、はい、分かりました。わざわざありがとうございます」

 

ちゃんとお辞儀をしてから「それでは、さようなら」と言い家を出て飛んでいく。わざわざ玄関を出て見送ってくれる慧音はやっぱりいい人だ。

 

 

 

 

 

 

人間の里を出て1時間くらい経っただろうか、やっと湖が見えてきた。湖の上には妖精が二人いて、健気に遊んでいるように見える。ん?弾幕が見えるから、スペルカード戦をしているのかな?いや、妖精がやっていると弾幕ごっこって言ったほうがしっくりくる。

湖の岸に降り立つ。持ってきておいた乾燥木の実を頬張り、湖の水を口に含む。休んでいる間は、妖精たちの弾幕ごっこでも見ていようかな。

今戦っているのは、水色の髪の毛で水色の服を着た妖精――水色妖精と呼ぼう――と、緑色の髪の毛で青い服を着た妖精――緑髪妖精と呼ぼう――。水色妖精は、羽が氷のような見た目をしているから、冬とか氷の妖精かな?もう片方は、鳥のような羽をしている。何の妖精だろう?

水色妖精は氷のように透き通り、尖った弾の弾幕を張り、緑髪妖精は羽根のような弾の弾幕を張っている。水色妖精がかなり余裕そうな顔をしていて、緑髪妖精はかなり苦しい表情を浮かべている。どうやら、水色妖精が優勢のようだ。

 

「―符!『パー――クト―――ズ』ッ!」

 

遠くのほうだからよく聞こえないが、突然水色妖精が何か叫んだようだ。スペルカードだろう。使用時には宣言する、と慧音が言ってたし。

水色妖精を中心に、放射状にカラフルな弾を大量に展開した。すると突然、カラフルな弾が真っ白になり、空中で静止したではないか。これは初めて見たら少し驚くかも、なんて考えたが、相手の緑髪妖精はさして驚いた様子もなくスイスイ動いて、開けた空間に移動している。きっと何度も勝負している仲なのだろう。

停止していた弾が一斉に動き出す。動きは追尾弾ではなく、ランダムな方向に動く直進弾のようだ。しかし、運が悪く緑髪妖精を囲むように弾が動き、被弾してしまった。それと同時に弾幕も止まったので、勝負が着いたようだ。水色妖精の勝利のようである。

水色妖精が緑髪妖精に近づいて、心配そうな顔を浮かべている。いいなあ、ああいう関係…。残念ながら、慧音とはそういう関係ではない。先生と生徒という感じの関係だ。実際、慧音は先生だし。わたしもいつかああいった、お互いを尊重し合って、心配しあうような友達が出来るだろうか。

今まで見てきた人間は、わたしの顔を見るとすぐ逃げ出してしまう。妖精は覗くことはあっても、話しかけることはない。わたしがそちらを見ると、驚いた顔をしてピューッとどこかへ飛んで行ってしまう。妖怪はそもそもほとんど会ったことがない。しかし、出会った妖怪たちは皆、最初は驚愕の表情を浮かべる。

そんなことを考えていたら、妖精たちがわたしに気付いたようで、こちらに飛んでくる。

かなり近づいてきたので、妖精たちの会話もよく聞こえるようになった。

 

「見て見て!あそこにアタイにそっくりなのがいるよ!」

「え?何処ですか?私にそっくりなのならいますけれど…」

 

そう、皆がわたしを見て驚く理由は『自分と同じ顔に見える』らしいからだ。慧音とその友人と言っていた人と一緒に話していたときの会話で分かった。目や鼻などの顔のパーツ、髪の毛・肌・瞳の色、傷痕なんかがそっくりそのままに見えるのだとか。身長や胸囲といった体型、髪の長さ、服装や髪留めなどの装飾品、声はわたしのままだが。

また、慧音には慧音そっくりに、友人さんには友人さんそっくりに見えたそうで。なんとも不思議な妖怪である。だからだろうか、あのスキマ妖怪がわたしがドッペルゲンガーだと分かったのは。

 

「いいや!あれはアタイにそっくりだね!」

「いいえ、私にですよ」

「何をー!やるか!?」

「いいえ、さっきやったので遠慮しておきます」

 

何時の間にか喧嘩してしまっている。とりあえず怖がっていないようだし、話しかけてみようかな。

 

「あのー」

「ねえ!アタイにそっくりだよね!?」

「私にですよね!?」

 

おおう、こっちに飛び火してしまった。誤解を解くには、素性を言ったほうがいいよね。

 

「似ていると言われるのには慣れてるわ。わたしは妖怪、ドッペルゲンガーよ」

「どっぺる…?」

「チルノちゃん!ドッペルゲンガーっていうのは自分とそっくりの姿をした分身みたいな存在のことだよ!」

「そ、そんなの知ってたもんねー!」

 

どうやらドッペルゲンガーという言葉を知らなかったようである。この妖精、たしかチルノと呼ばれていたかな。あまり頭がよくないのかもしれない。

 

「ところで、あなた達は?」

「アタイはチルノ!氷の妖精で最強なんだ!」

「あわわ、チルノちゃん何言ってるの!?わ、私は大妖精。気軽に大ちゃんとでも呼んでください」

「うん、わたしは鏡宮幻香。よろしくチルノちゃん、大ちゃん」

 

よし、挨拶も済んだし、ちょっと雑談でも。

 

「さっきの弾幕ごっこ、凄かったですね」

「おー!分かるかー?アタイの強さが!」

「ええ、わたしは一度もやったことがないですが見たことはあるので」

 

さっきのを含めて僅か4回しか見たことがないのだけれどね。

 

「じゃあアタイとやってみるか?」

「いえ、実はまだスペルカードを考えていないので…」

「そっかー…。じゃあ、また会ったときに遊ぼう!」

「はい、いいですよ」

 

チルノちゃんとの弾幕ごっこ。楽しめるかな?スペルカードは美しいのか派手なのがいいみたいだけど、わたしは未だにいいアイデアが思いつかない。紅魔館に行くまでに少し考えてみようかな…。

 

 

 

 

 

 

雑談をして十数分、疲れも大分取れた。そろそろ出発しよう。

 

「さて、わたしはそろそろ行かなくちゃ。じゃあね」

「うん!バイバーイ!まどかー!」

「はい、さようなら。まどかさん」

 

チルノは元気いっぱいの笑顔で両腕を大きく振り、大妖精は微笑みながら小さく手を振ってくれた。わたしも笑顔を浮かべ、軽く手を降ってから紅魔館の方角を向き、飛んで行った。彼女との約束を守るためにも、スペルカードを考えないと。

 



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第3話

湖の向こうに目を凝らすと、紅い霧に同化して非常に見難いが、真っ赤な城のようなものが遠くのほうに見えてきた。城の周りには森が鬱蒼としている。きっとあの城が慧音の言っていた『紅魔館』なのだろう。あの中の何処かに図書館があるはずだ。

飛び続けている間の数十分間ずっと考えていたら、一つだけスペルカードのアイデアが思いついた。あとで試してみようかな。

そして、ようやく門の目の前に降り立った。門番をしているだろう女性が門の横で目を閉じている。瞑想でもしているのだろうか…。

普通に歩いて近づいてみる。こちらは突然の来訪者だ。挨拶はちゃんとしたほうがいい。

ある程度近づいたので「こんにちは」と言おうとしたその時。

 

「――グフゥッ!?」

 

門番の目がカッと開かれ、わたしの顔に高速の回し蹴りをぶち当ててきた。相当痛い…。

蹴られた頬をさすりながら、ちょっと様子を窺ってみると、門番さんはかなり緊張していて、空気が張り詰めるようだった。

そんな彼女がかなり怖い顔でこちらを向き、口を開く。

 

「あなた、私に変装してまでしてこの紅魔館に何か用ですか」

 

…なんという『来るんじゃねえ』オーラ!彼女の後ろになんだか黒い靄みたいなのが見える気がするよ!とりあえず笑顔で挨拶と要件の説明をしなければ。

 

「はい、少し調へたいことがございまして…。わたしは鏡宮幻香と申ひます、妖怪ドッペルゲンガーでふ。この紅魔館にあると聞いた図書館で調べごとをしたいのでふが、よろひいですか?」

 

蹴られた頬が痛くてちょっと言葉が変になってしまったが、ちゃんと伝わっただろうか?

すると、急に顎に手を当て、思案顔になる門番さん。中に入れてもいいのかどうか考えているのかな?

いざとなったらスペルカード戦を挑んで勝利し、無理矢理入れさせてもらうか?いや、そもそもスペルカードが一つしかないし、初めてのわたしに勝てるとは思えない。そもそも、そんなことをしたらわたしは侵入者扱いだ。落ちついて調べることも出来ない。

 

「…まあ、多分いいでしょう。中にいるメイド長に許可をもらってくださいね。もらえなかった場合、即帰ってもらいます」

「はひ、分かりました」

 

良かった。中には入れさせてもらえそう。しかし、メイド長にどうやって会えばいいんだろう?

 

 

 

 

 

 

中に入れてもらってすぐ目の前にメイドさんがいた。この人がメイド長なのかな?

 

「ようこそいらっしゃいました」

「あ、はい、どうもありがとうございまふ」

 

お互いにお辞儀をする。しかし、あちらのほうがとても綺麗な姿勢でしているので、とても見劣りがするだろう。

とりあえず、メイド長がいるかどうかの確認をする。もしいないとなると…いや、門番が中にいると言っていたのだから、ちゃんといるはずだ。

 

「あの、メイド長はいらっしゃいますか?」

「メイド長は私ですが、何か御用でしょうか?」

「あ、そうでしたか。えーと、図書館を使いたいのですが…、よろしいですか?」

「少々お待ちくださいね」

 

そう言ってメイド長さんは忽然と消えてしまった。瞬間移動!?

そういえば、あのメイド長、わたしを見ても驚きもしなかったなー。わたしが今まで見てきた人間妖精妖怪達はごく一部で、世界にはわたしを見ても驚かずに普通に対応してくれる人が溢れているのかも知れない。そう思うと、とても気持ちが楽になった。

 

5分ほど経ち、頬の痛みが引いたなー、なんて考えていたら、突然メイド長さんが目の前に現れた。予兆もなく現れるものだから、心臓に悪い。

 

「お嬢様から使用許可を得られました。どうぞ、ご自由にお使いください」

「あ、ありがとうございます!」

 

メイド長さんが歩き出したので、慌てて追いかける。図書館の場所を聞かなくては。

 

「あの、すいません。図書館はどこにあるのでしょうか?」

「では、ご案内しますね」

 

とても綺麗な微笑みと共に答えてくれた。わたしもこんな笑顔を自然と出来るようになれば、友達出来るかな?

 

 

 

 

 

 

かなり歩いた。そういえば、明らかに外見より広い空間が広がっている。どういうことなの?

 

「あのー、ここ、外見からは想像もつかないほど広いんですが…」

「それは、わたしの能力の応用で空間を広げています。さて、着きましたよ」

 

そう言われて見てみると、目の前にとても大きな扉があった。わたしの身長の3倍から4倍はあるんじゃない?これ。

そのまま扉をゆっくりと開けてくれるメイド長さん。ありがとうございます。

 

「中には司書をしていらっしゃる、パチュリー様がいらっしゃいます。詳しくはそちらへお伺いください」

 

そう言うと、また消え去ってしまう。そういえばメイド長さんと門番さんの名前聞いてない!聞いておけばよかったかも…。

ちょっと後悔しつつ、音を立てないよう図書室へ入る。お邪魔します。すると、後ろの扉がひとりでに閉まる。ギギギ…と軋む音が後ろから聞こえてきたから、ビクッとしてしまった。かなり怖い。

入ってみて、まず圧倒的蔵書量に驚いた。これは調べるのにとても苦労しそうだ。目的の本を探すのだけでも一苦労だろう。気合を入れておかなくては。頑張るぞ、おー!

本棚を軽く見回しながら歩いていると、紫色の髪の毛の女性が、ロッキングチェアに座って本を読んでいた。彼女がパチュリーという司書さんだろうか。

 

「こんにちは」

「ん…私…?」

「いいえ、違います」

 

紅魔館にいる人達は、わたしを見ても誰も驚かないなあ…。驚かないのは、わたしなんかよりもっと凄いものがあるのかも。あ、レミリアさんか。もしかしたら、ここなら友達になってくれる人と会えるかもしれない。

 

「ああ、こんにちは。珍しいわね、私にそっくりな人なんて」

「そういう妖怪ですから」

「あらそう。で、この大図書館に何の用?」

「えーっと、紅い霧について調べたいのですが…」

「あー、それならわざわざ調べなくていいわ」

 

何ですと。さっき気合い入れた意味ないじゃないですか…。

 

「え?知ってるんですか?」

「知ってるも何も、レミィがやったんだもの」

「レミィ…?誰ですか?その人」

「あー、レミリアのことよ。レミリア・スカーレット」

「へー、レミリアさんがー……って!あのレミリアさんがやったんですか!?」

「ええ」

 

軽い!言っている内容が凄いことなのに、口調が軽い!ていうか、レミリアさんってそんなこと出来るの!?

 

「そんなことも出来たんですね…。でも、何のために?」

 

人為的にやったことなら、何か理由があるはずだ。愉快犯でもなければ。

すると、何故が「それは…」と言いかけて、続きが話しづらいのか言いよどむ。

 

「昼間でも騒げるから、らしいわよ」

「はい?」

 

やっと教えてくれたと思ったら、想像よりかなり幼稚な答えが返ってきた。確かに、吸血鬼は日光に弱い。太陽が隠れてしまうほど濃い紅い霧が覆っていれば、確かに昼間でも外に出られるだろう。だけど、もっと壮大な理由があったと思ったのに…。

何だか微妙な空気になってしまった…。空気を変えるためにとりあえず、知りたかったことを聞くことにした。

 

「あ、あの!メイド長さんと門番さんはなんというのですか?聞き忘れてしまって…」

「メイド長は十六夜咲夜。で、門番は紅美鈴よ。私はパチュリー・ノーレッジよ」

「教えてくれてありがとうございます。わたしは鏡宮幻香。妖怪、ドッペルゲンガーです」

「そう、だから私にそっくりなのね」

 

ドッペルだし、とパチュリーは付け加えて言った。二人の名前が分かってスッキリした。もし帰りに会えたら、わたしの自己紹介をしておこうかな。

さて、知りたかった紅い霧の真相は分かったから、帰ってもいいのだけれど、どうせなら何か調べごとをしておきたい。何か知りたいことってあったっけ?んー、魔法の森の食用になる茸とか木の実、野草なんかを調べようかな。

 

「それではパチュリーさん、魔法の森で採れる、食べられる茸や木の実、野草なんかが載っている本はないですか?」

「えーと、確か向こうの側の左から3番目の本棚の上から2段目、真ん中あたりに『サバイバルin魔法の森』って本があったはずよ」

「あ、はい。ありがとうございます」

 

何そのタイトル…。

 

 

 

 

 

 

ホントにあったよ。誰だよこんなタイトルにしたの。軽く見てみたが、著者は書かれていなかった。

探すのには少し手間を取った。上から2段目の真ん中あたりと言われても、横幅がとても長い。真ん中と言っても、わたし5人が腕を広げても足りないくらいだった。

とりあえず、ゆっくり読み進めていく。あ、この茸って毒性だったんだ。頭痛、吐き気、嘔吐、手足の痺れなど。あの茸食べたときにおなか痛くなったのはそのせいか。

 

30分ほどで読み切った。何時でも閲覧できるように、複製しておこう。左手に持ち替え、右手を開く。そして、右手に新たな重み。

複製するときは、ちゃんと細部まで見ておかないとおかしなものが出来ることがある。それは、知らない部分は予想想像空想で補うからだ。例えば、板の片面のみを見て複製すると、たとえ裏に何か書かれていたとしても、それが複製されることはない。読んだことのない本を複製すると、表紙などの表面だけを複製し、中身が真っ白かつページ数が全く違う自由帳みたいなものが出来る。だから、こういう複雑なものはよく確認してからじゃないと複製することはあまりない。

また、家に帰ってからでもいいではないか、と思ったかもしれないが、複製するときには複製したいものを視界に入れておく必要がある。好きな時に出せて好きな時に消せるほど便利ではない。

一応、本物と複製を1ページずつ捲って、間違いがないか確認をする。…よし、問題なし。

本物を本棚に戻してから、複製した本を手に持ちパチュリーの元へ戻る。

 

「これ、とても為になりました。だからこの本、貰っていきますね」

「ちょっと待ちなさい」

 

止められた。何故。

 

「ここの本は持出禁止よ」

「そう言われても、これはわたしのものですよ?」

 

わたしが創ったのだ。文句を言われても困る。

 

「駄目なものは駄目よ。さあ、返してきなさい」

「本物はもう返して…あ、そっか、パチュリーさん知らないのか」

 

普段は慧音にしか見せていない『ものを複製する程度の能力』。最近は慧音とばかり話していたから、その調子で話してしまった。失敗失敗。

わたしはこの能力について説明する。一応、本棚から本物を持ってくる。二つになった『サバイバルin魔法の森』を見て、かなり驚いた顔をした。そして、すべてのページを細かく確認してから口を開く。

 

「…これ、本当に複製品なの?私が掛けた魔術結界がなかったら分からなかったわよ。こっちがあなたの創った複製品ね」

「はい、そうです。とりあえず、信じてもらえて何よりです」

「ちょっと見てみたいわね、その能力」

 

興味を持たれたようだ。うーん、何がいいかな…。

 

「じゃあ、今座ってるロッキングチェアを創りましょう!えいっ!」

「あら、さっきほど精巧な出来じゃないみたいだけど」

 

パチュリーさんが座っている隣に新しく創られたそれはあまり見ていないし、対象に触れずにやったから。見えていなかった部分――例えば台座とか――の模様なんかはわたしの想像だ。一度見せてもらえば、その模様でしか創れなくなるけど。

 

「へえ、改めて見せてもらうとなかなか便利そうね」

 

お気に召してもらえたようで何よりです。

他には何かあったかな…。あ、そうだ。こんなに大きな図書館の司書をしているのだ。きっと知識豊富で頭脳明晰に違いない。わたしのスペルカードについて一緒に考えてもらえないかな。

 



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第4話

「パチュリーさん、突然で悪いのですが、少しお願いがあるんです…」

「何かしら?」

「わたし、今スペルカードを考えていて…。だけど、アイデアが一つしか思いつかないから、一緒に考えてくれたら嬉しいなって」

「ええ、いいわよ」

 

とりあえず、了解を得られて嬉しいです。

 

「まず、貴女の能力はどこまで複製できるのかよね。実物しか出来ないなら使えないわよ」

 

盲点だった。出来ると思って考えていたけれど、もし出来なかったらせっかく考えたのも出来ないじゃん。

 

「や、やってみます」

「待ちなさい。誤魔化しが効かないように私が準備するわ。ついでに、複製がどの程度まで出来るのかも知りたいし」

 

そう言って、近くを飛んでいた妖精メイドさんに何か伝え始めた。あ、あのメイド服いいな…。後で見せてもらおうかな。用件を伝え終え「頼んだわよ」と言うと、大慌てで行ってしまった。何を頼んだんだろう…。

パチュリーさんがこちらに向き直り、7色の弾を作り、空中に静止させた。

 

「さあ、やってみなさい」

「は、はい」

 

うわあ、出来なかったらどうしよう…。いや!出来る!出来ると思えば出来るんだ!

視界にある7つ全てに意識を向け、複製を試みる。すると、それぞれの弾の隣に似たようなものが一つずつ現れた。

 

「…出来た。良かったー…」

「7個同時に複製出来るのね」

 

複数個の同時複製が出来るなら、あのアイデアを実現出来るということ。後は練習あるのみ。

 

「これなら唯一あるアイデアを実現出来そうです!」

「そう、それは良かったわね」

 

そう言って微笑んだ。うわ、パチュリーさん可愛すぎ!わたしもこんな風に笑えるようになりたい!…なんかさっきも同じようなこと考えたような。まあ、それだけ自分が求めているということなんでしょう。

 

「他に何か思いついたかしら?」

「いえ、全く…」

「そう。じゃあ残りは一緒に考えましょう。最低でも3つは欲しいわね。普通のスペルカード戦なら、スペルカードは3枚使うもの」

 

同じスペルカードを使ってはいけない、とは書かれていないが、同じスペルカードを同じ試合では使わないのは暗黙の了解というやつだ。

 

「そうですねー…、うーん…」

「あ、そうだわ。低速弾を幾つか撃って、それを2倍,4倍,8倍,16倍…って増やしていくのはどうかしら?」

「あー、それは出来ないんです」

「どうして?」

「複製は複製出来ないんです」

「そう。それは残念ね」

 

複製を複製出来ないから、昨日慧音の服を一度に3着創ったのだ。複製を複製出来るなら、1着を使わずにとっておけばいいのだが、そうはいかないのが現実だ。

 

「じゃあ――」

「他には――」

「それとも――」

 

パチュリーさんのアイデアは全く尽きる気配を見せない。この調子で出来そうなものを集めれば、3つくらいはすぐに集まってしまいそうだ。

 

 

 

 

 

 

「ふぅ…。少し話しすぎたわね…コホッ」

「大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫よ。ただの喘息だから」

 

なんと、喘息持ちだったとは。無理をさせてしまって申し訳なくなる。しかし「気にしないで」と言われたので、少しだけ気が楽になった。

スペルカードのアイデアは十分に得られた。アイデアだけなら、両手で足りないほどだ。あとは、実現出来るかどうかだけれど、今までの経験から出来るだろうものが多かったので、いかに美しく、もしくは派手に魅せることが出来るかが重要だ。

どうやって魅せようか考えていたら、妖精メイドさんが色々持って帰ってきた。紅茶やクッキー、果物などがあるから貰えるなら貰いたいな。

よし、メイド服を見せてもらおう、と意気込んだが、すぐに帰ってしまった。ああ、メイド服…。

 

「さて、私が知りたいことに少し付き合ってもらっていい?」

「あ、いいですよ!こんなにしてもらってお返しが出来るなら」

 

そう言うと、林檎を渡してくれた。貰っていいのかな?

 

「食べ物を複製したら、それを食べられるのかしらと思ってね」

「あー、食べてみます?あまりお勧めしませんが…」

「なら止めておくわ」

 

即拒否。危険回避能力は相当高いと見た。

 

「まあ、複製は出来ますよ。食べられます。だけどあくまで見た目を複製しているんです。知らない部分は予想想像なんかで創るんですが、この林檎の味が分からないので味がしません。なら、一口食べれば味付きのが出来るのかと思えば、そうでもなかったですし」

 

そもそも複製したものはわたしの妖力の塊なのだ。触感はわたしの記憶から創られるのだが、味がしないのはとても寂しい。空腹を紛らわすことは出来ても、お腹に溜まることがない。食べたそばから、妖力として還元されてしまうからだ。

 

「そう、それは残念。食糧問題解決の糸口を見つけられたかもしれないのに」

「仮に解決出来たとしても、わたし一人じゃ無理があるでしょう…」

「それもそうね」

 

しかし、魔力回復薬の複製を出来るか聞かれたが、複製品はわたしの妖力の塊だから妖力回復薬になると思うと伝えたら、妖力と魔力はほとんど同じだから問題ないと言われてしまった。そして、わたしが複製した回復薬を普通に飲んでいたから、単に味がない林檎を食べたくなかっただけなのかもしれない。ついでに、妖力と魔力の違いが気になったので聞いてみたら、妖精や妖怪が生み出す天然物が妖力で、魔法使いが外的要因で作り出す人工物が魔力なんだそうだ。あと、神様は神力、人間や霊的存在は霊力を扱うらしい。

 

「ふう、これなかなかいいわね…。幾つか欲しいわ」

「見た目で創っているので水にしか見えないんですけどね…」

「飲み込んだらすぐ分解されて、すぐ吸収出来るから使いやすいわ」

「あの林檎食べます?それも同じ感じに吸収出来ますよ、きっと」

「いいえ、遠慮するわ」

 

回復薬は良くて林檎は駄目なのは何故だろう…。

 

 

 

 

 

 

パチュリーさんとのお話はとても楽しく、随分話し込んでしまった。例えば能力のこと、私の見た目に関すること、魔術関連、最近あった出来事、普段の生活など、色々とだ。そうしたら、何時の間にか窓から見える空が真っ暗…ではなく、紅みが混じった黒一色になっている。紅く輝く月がいつもより大きく見えるのは何故だろうか。あ、吸血鬼は月光が好きだからかな。

こんなに暗くなってしまうまで長居するつもりはなかったのに。こんなに長く話していたのは初めてだ。

 

「どうしよう…。今から帰るのはちょっとなあ…」

「そうねえ、なら泊まってく?」

「え、いいんですか?」

「多分ね。ちょっと聞いてみるわ」

 

そう言うと真紅色の電話で誰かに掛け始めた。ちょっと悪いとは思うけれど、聞いてみよう。

 

「レミィ?私よ。―――――ええ、何処か泊まれる部屋はあるかしら―――――うん、分かったわ。それじゃあ」

 

どうやらレミリアさんに掛けていたようだ。泊まれる部屋を聞いてくれたらしい。優しいなあ。パチュリーさんは慧音と同じくらいいい人って感じがする。

 

「もう少ししたらメイド達が布団を持ってきてくれるから、その辺に広げて寝ていいって言ってたわ」

「その辺に…、良いんですか?本当に」

「レミィなりの気遣い、らしいわよ。私もこんなに長く話したのは久しぶりで楽しかったし」

「そうですか。楽しかったなら嬉しいです」

 

もしかしたらこんなに長く話して迷惑だったかも、と頭の隅で考えていたから気が楽になった。お互いに楽しめたようで良かった。

ほんの1分くらいで、妖精メイドさんが布団を持ってきてくれた。うわ、凄くフカフカだ。これ貰いたいけど、持ち帰るのが辛いかも…。そんなことを考えていたら、妖精メイドさんは帰ってしまった。あ、またメイド服見せてもらえなかった…。

ちょっとしょんぼりしつつ、空いているスペースに布団を敷いて、横になる。

 

「それじゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ…」

 

いつ以来だろう、誰かにおやすみなんて言われるのは。最後に言われたのはやっぱり慧音かな。いや、あとその友人さんにも言われたっけ。

そんなことを考えていたら、深い眠りの海へと沈んでいった。

 



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第5話

バギャアァッ!という爆砕音で目が覚めた。目に飛び込む景色が普段と違って、本棚だらけで驚いたが、大図書館に泊まらせてもらったことを思い出す。

それにしても、何なんだろうさっきの轟音?近くにいたパチュリーさんに聞いてみようかな。

 

「おはようございます」

「ええ、おはよう。申し訳ないけれど、朝食はちょっと出せそうにないわ」

 

昨日とは違って、息が詰まるような雰囲気を放っている。

 

「何があったんですか?」

「…どうやら、襲撃者が現れたそうよ。美鈴がやられたわ」

「え?あの凄い蹴りを放った門番さんが?」

 

あれだけの体術が出来るなら、負けるとは思えないんだけど…。

 

「スペルカード戦を挑まれたみたい。彼女、あんまり得意ではなかったはずだから」

「そうなんですか…」

「とりあえずここで待機していたほうがいいわ。単独で出会ったら何をされるか分からない」

 

どうやら、かなり面倒なことに巻き込まれてしまったようです。とりあえず布団をたたんで、複製を創る。昨日は諦めかけたけど、頑張ってお持ち帰りするんだ。凄い寝心地良かったし。

少し落ち着いてから、詳しく聞いてみると、紅い霧を止めようと各所を探して回っている人が襲撃してきたそうだ。おそらく、ここにいる誰かが原因ではないかと当たりを付けているだろうとのこと。その襲撃者との応戦に妖精メイドさんのほとんどが使われていると言っていた。だから、朝食を準備することは難しいと。襲撃者に攻撃されないようにこの大図書館から出ないようにしてほしい、と最後に言われた。

大体事情が分かったので、大人しく待機していることにするが、昨日と同じ服を着続けているのは、あまり好ましい状況ではない。やはり妖精メイドさんのメイド服を頂戴するしかないな…。しかし、周りには見当たらない。残念…。

少し待ったら、相当慌てた様子の妖精メイドさんが軽食を持ってきた。クッキーのような調理をせずに済むものだったので、その時間すら惜しいのだろう。パチュリーさんと軽食を分け合いながら、妖精メイドさんをちょっと呼び止め、メイド服を掴み複製する。うん、なかなか上手く出来てる。外見に違いはほとんどない。妖精メイドさんに「ありがと」といったら「いえいえ」と笑って返された。こんな非常事態でも、笑顔を絶やさない妖精メイドさんに少しほっこりした。

メイド服を手に、本棚の陰に隠れて着替えることにする。着方が分からなかったけれど、無理矢理着た。さっきまで着ていた服は、妖力として回収した。襲撃者に会ってしまった時のために、妖力は少しでも多いほうがいい。

本棚の陰からから出てパチュリーさんに現状を聞こうとしたら、突然出入口の扉が爆発した。煙の中から、二人の人が歩いて入ってくる。一人は紅白の巫女服を着た女性――紅白巫女と呼ぼう――、もう片方は黒の三角帽に黒の服、その上に白いエプロンを着ている女性で、いかにも魔法使いらしい服装だ――白黒魔女と呼ぼう――。

 

「扉はちゃんと開けるものですよ…」

「ちゃんとノックしたじゃない」

 

あれはノックとは言わないよ、紅白巫女さん…。

 

「お、いい本がたくさんあるな!後で貰ってくか」

「持ってかないでー」

「持ってくぜ」

 

司書であるパチュリーさんの前で堂々と泥棒宣言。勇気あるなあ…、あ、わたしも言ってたわ。

視線をキョロキョロと動かし、わたしに気付いた白黒魔女さんが、少し驚いた顔を浮かべた。そして、わたしに人差し指を向ける。

 

「あー!魔法の森でたまに見るそっくりヤロー!」

「は?何言ってんの、どこがアンタにそっくりなのよ」

 

事情を知らなければ確実に混乱するだろう襲撃者二人の会話。このまま喧嘩で同士討ちしないかなー…、しないな。

気にせず話を進めることにしよう。笑顔を浮かべて話しかけることを心がける。

 

「ここに何の用ですか?」

「紅い霧の首謀者退治よ。さっさと出しなさい」

「ここにはいないわよ」

「なら、アンタらから聞き出すまでだな!」

 

そう言ってすぐ白黒魔女がわたしに話しかけてきた。

 

「アンタ、こんなところで働いてたんだな。知らなかったぜ」

「いえ、違いますよ?」

「その服、ここのメイド服だろ?誤魔化すならもうちょっとマシな言葉にしたほうがいいぜ?」

「あ」

 

しまった。着替えたことが余計な誤解を生むことに…。

すると、パチュリーさんが白黒魔女を睨みつつ口を開いた。

 

「彼女はお客さんよ。あなた達と違ってね」

「おー、アンタも誤魔化すつもりか?」

「そんなメイドなんかどうでもいいじゃない、スペルカードでまとめてぶっ潰してやるわ!」

 

やはり出してきたか、スペルカード戦…。門番をそれで突破した、と聞いた時から出会ったらやることになるだろうと思っていたけれど、実際やるとなると手足が震えてくる。武者震いではないほうで。

そんな私をパチュリーさんが一瞥して、わたしを庇うように腕を出した。

 

「彼女はあくまでお客さんよ。やるなら私が二人ともやってやるわ」

「ふうん、庇うぐらいなんだしソイツが首謀者かもしれないわね。見逃すわけにはいかないわ」

 

どうしよう!このままだと襲撃者二人とパチュリーさんが戦うことになる。パチュリーさんは喘息持ちだから激しい運動は得意ではないだろうし、相手はあの門番さんも倒すほどの実力者。一人では明らかに荷が重いと思う。

なら、私のやるべきことは一つだけだ。パチュリーさんの腕を除けて前に出る。

 

「いえ、パチュリーさん。白黒魔女はわたしがやりますよ」

「貴女まだ…」

「百も承知です。わたしはパチュリーさんに無茶させたくないだけですから」

 

そう言うと、パチュリーさんは納得したようで紅白巫女に視線を向けた。わたしは白黒魔女に歩を進める。ついでに、ちょっとした挑発のつもりで彼女の三角帽を複製して被る。遠目で見たから再現度は低いが、気にしない。今着ているメイド服は、黒ベースで白エプロン。つまり、白黒魔女さんと色合いが似ている。そっくりヤローというくらいだから、似ている姿があまり好きではないだろうと思う。

 

「おまっ!そんなことして私の親戚と思われたら迷惑なんだよ!」

 

うん、似ているのがあんまり好きではなさそうだ。よし、挑発をしよう。する理由は十分にあるのだから。

 

「そう思うのはあなただけですよ襲撃者2号」

「私は襲撃者じゃない。霧雨魔理沙、ただの魔法使いだぜ」

「そうですか。ならわたしは五月雨魔理奈としましょうか」

「だー!そんないかにも『今決めました』って名前名乗るんじゃねーよ!しかも私そっくりの!」

「そうカリカリしないでくださいよ、カリウム採りましょ」

「カルシウムだろ!あーっ、私と同じ顔して落ち着かねーっ、さっさと始めるぞ!」

「被弾3回、スペルカード3枚でいいですね?」

「あー、いいよ!瞬殺してやるからな!そっくりヤローッ!」

「その言葉!そのまま返してやるわ!泥棒魔女!」

 

挑発の目的は、意識をパチュリーさんから外すことと、相手の集中力を欠くこと。これは成功したと見ていいだろう。

霧雨さんは竹箒に跨り、宙に浮かぶ。私を見る目には、明確に怒気が含まれているのを感じる。ヤバい、勢いに任せて挑発しすぎたかも?

わたしは慄きつつ、戦闘用妖力塊――わたしはこれを『幻』と呼んでいる――を周りに創りだす。相手の現在位置の近くを通ることで移動を妨害する、阻害弾用を4個、追尾弾用、直進弾用、炸裂弾用を各2個ずつの計10個だ。まだまだ増やせるけれど、少しずつ増やしたほうがいいだろう。

さあ、初めてのスペルカード戦。最初から勝てるとは思っていない。が、最初から勝てるようなのもいないと思う。ならば、勝てないくらいが丁度いい。だけど、それなりの悪あがきはさせてもらいましょうか!

 



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第6話

霧雨さんが竹箒に跨りながら、星型の弾幕を放つ。追加で薄緑色のミサイル型の直進弾と青白いレーザーを2本放ってくる。こんなに濃い弾幕を放ってくるなんて想像していなかったよ!わたしの今の弾幕の2倍から3倍はあるよ!そんなわたしの薄い弾幕はほとんど動かず、体を掠めるようにして避けられてしまっている。しかし、わたしはそんな簡単に避けることが出来ない。出来るだけ弾幕の薄い場所に大きく動くように心がける。

 

「はっ!隙だらけだぜ!」

 

すると、高速の星型弾が顔面に向かって飛んでくる。しかし、避ける余裕がない。わたしは反射的に左手で顔を守る。そして――、

 

「なにい!?」

「そんなに急がないで下さいよ。勝負はまだ始まったばかりですよ?」

 

左手に視界に映っていた本棚の本を創りだして――背表紙しか見えなかったので表紙が何も書かれていない――防御する。悪あがき作戦その1だ。幸い、貫通力は低かったので、左手に当たることもなかった。体に当たらなければ被弾にはならなかったはずだから、問題ないよね?

だけどこれは相当分が悪い賭けだった。貫通力が高かったら被弾していたし、そもそもわたしが複製したものが現れる場所は、掌の上か複製しようとしたものの隣だけだ。咄嗟に左手を当たる場所に動かせたからよかったが、間に合わなければ被弾することになったのだ。

真ん中あたりまで抉れた本を妖力として回収してから『幻』を倍に増やす。こんなのは気休めにしかならないと思うけどね。

さっきの防御で霧雨さんが何を思ったのかは知らないが、弾速が速くなった。体感では2倍速ぐらい。もしかしたら、速度を上げれば防御しづらくなると考えたのかもしれない。

そろそろ回避が難しくなってきた。ならば、悪あがき作戦その2!

 

「さらばっ!」

「あっ!てめ!逃げんじゃねー!」

 

逃走!本棚の間の通路に全力で駆け込む。通路が細いから、左右からの攻撃はほとんどなくなり、ほぼ直進系の弾幕しか張れなくなったと言っていいだろう。しかし、細くなった分避けづらいだろうし、頭上からの攻撃には注意しないといけないけどね。

通路の幅は、腕いっぱいに広げたわたし二人分より少し細いくらい。だが、正面にほとんど集中出来るからか、さっきより避けやすい。

 

「面倒くせえ!魔符『スターダストレヴァリエ』!」

 

霧雨さんの1枚目。そのスペルカードは、大型の星型弾を大量展開するというとても分かりやすいものだった。しかし、この細い通路で大型はつらい!通路のほとんどを埋め尽くしてるよ、これ!

たまらず上方に飛んで回避、本棚の上に着地する。しかし、まだスペルカードは続いてるため、間を抜けるように回避をしようとする。が、抜けた先に別の星型弾が迫っていた。咄嗟に飛んで避ける。だが、避けた先にも別のが。これ、この場で避けるの無理そうだな…。避けることを早々に諦めて、遠くへ離れることで広くなった星型弾の間を抜ける。基本的に、スペルカードの時間は30秒らしい。私の感覚では、まだ10秒くらいしか経っていない。しかも、どんどん量が多くなっているような…、うん、多くなってる。しかし、この状況はわたしのスペルカードが生きる状況だ!

 

「鏡符『幽体離脱・静』!」

「うおっ!なんだ!?」

 

瞬間、わたしの視界に映る弾幕が倍になる。私の弾幕も霧雨さんの弾幕もまとめてだ。増えたのは全てわたしの複製で、創られた場所――元の弾の隣――で静止している。そして、相手の弾と複製がぶつかり合って相殺され、こちらに来る弾をかなり消すことにに成功した。相殺されずに残って静止しているものは、回避の邪魔になってくれるだろう、多分。

こっちに弾が来ないうちに追尾弾用『幻』を5個増やす。これで計25個。どこまで出せるかは試したことがないから分からないけれど、あと5個ぐらいで限界だろう。

そしたら、大型星型弾の嵐が止んだ。どうやら時間切れになったようだ。チラッと霧雨さんを確認すると、表情がかなり凄いことになっている。あ、これまずいやつじゃない?

 

「お遊びはここまでだぜ、そっくりヤロー…」

 

霧雨さんの口から、1オクターブ低い言葉が漏れる。その予想を裏切ることなく、弾幕の量は増え――星型弾幕は2倍くらい、ミサイル弾は4倍くらい、レーザーは8本に増えた――、速度はさっきまでのはお遊びだったと言わんばかりに加速している。

すぐに本棚の上から、通路に降りる。すると、霧雨さんは通路の上からドバドバ撃ってくる。咄嗟に本棚から本を引き抜き、頭上を動かしながら複製を繰り返すことで壁を創る。

 

「痛っ!」

 

が、ミサイル弾が呆気なく本を貫通し、わたしの左腕に被弾する。相当痛い。

 

「へっ、被弾1っと!」

 

霧雨さんが何か喋った気がするが、本の回収もせずに急いで通路から抜け出す。ここまで弾幕が濃くなったら、通路より空中のほうが被弾率は低そうだ。

 

 

 

 

 

 

「ふう、勝負ありね」

「コホッ、まいったわ」

 

私と霊夢のスペルカード戦は、お互い被弾はしなかったが、私のスペルカードを全て避けきられたことで勝敗が着いた。しかし、そんなことよりも幻香が心配だ。彼女のほうはどうなっているのだろう?

 

「大丈夫かしら、あの子…」

「ん?あっちまだ終わってないの?」

 

どうやらまだ勝負かついていないようだ。遠くの本棚の上に座り、様子を窺う。

 

「痛っ!」

「へっ!被弾1っと!」

 

どうやら被弾してしまったようだ。相手の白黒魔法使い――霧雨魔理沙と言っていた気がする――の攻撃はかなり激しい。実際、彼女は攻撃を完全に『幻』に任せて、彼女自身は一切攻撃していない。

何時の間にか私の横に霊夢が腰かけ、呟く。

 

「んー?アイツ、避け方が雑ね。まるで素人みたい」

「ええ、実際素人ですもの」

 

返事をされると思っていなかったのか、少し驚いたようだ。

 

「初陣があれじゃあ幻香も大変ね…。氷の妖精と遊ぶ約束をしたって昨日言ってたのに」

「氷の妖精?あー、霧の湖のやつが言ってた約束ってアイツのことだったの」

 

さっきまで勝負をしていたのに、普通に会話をしているこの状況は少し不思議な感じだ。まあ、あちらにとっては、相方の終了を待つ暇潰しかもしれないけど。

 

「それより、さっき言った初陣って本当なの?」

「ええ、そうよ。ついでに、妖力弾の威力と種類、弾幕を一昨日、スペルカードは昨日私と考えたばかり」

「冗談でしょう?さすがに」

「私は嘘はついてないわ。弾幕のほうは知らないけれど、スペルカードは本当よ。一緒に考えて、明日練習しようって約束したの。けど、練習する前に貴女達が来たからアイデアが形になる前ね。もし、スペルカードを使っているならぶっつけ本番というやつね」

 

霊夢は相当驚いたようだ。目は見開かれて、口は軽く開いたままになっている。

会話が少し止まったので、幻香のスペルカード戦のほうを向く。幻香は、本棚の上で出来るだけ弾幕の薄いところを探しながら大きく動いている。しかし、避ける場所が見当たらなくなったのか、相手から遠ざかるように逃げ始めた。

 

「あのくらい避けれないの?普通」

「貴女を基準に考えないの」

 

 

 

 

 

 

まずい。こっちの攻撃全然当たんないよ…。霧雨さんの弾幕はどんどん激しくなってきているから、わたしは避けるのでいっぱいいっぱいだ。悪あがき作戦その3で、25個の『幻』は、撃つ弾の種類を全部炸裂弾に変えた。炸裂すれば、十数個の細かい弾に分裂するから、弾の数だけ見れば、今までで最も多い。だが、誘導弾がないから当たりにくくなっているかもしれない。だけど、どうせ避けられるのだ。しかし、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。量が多ければ、偶然当たる可能性は高くなるだろう。

 

「どうした?真似れるのは顔だけか?」

 

霧雨さんから挑発が飛んできたが、気にしない。ていうか、気にしてられない。こっちは返事をする余裕があったら、避けるのに集中しなきゃいけない。が、避けた先に高速の星型弾が飛んできた。そして三角帽に穴を開け、通路に落ちていった。体に当たってないから被弾ではない。しかし、霧雨さんは発射したであろう指先をわたしに向けつつ、ニヤついているから、挑発のつもりだろう。だけどそんな挑発に乗ってる暇あったらわたしは避けるのに集中しますよ!

近づいて来れば、逃げるように遠ざかることを繰り返す。そうして時間を稼いでいたら、霧雨さんが苛立った顔を浮かべながら、なにやら正八角形のものを取り出した。道具を使ったスペルカードかな?そのまま竹箒の穂に押し付け、口を開く。

 

「彗星『ブレイジングスター』!」

 

すると、竹箒の穂から膨大な魔力が放出され、霧雨さんが白い光を放ちながら急加速してこちらに突撃してくる。咄嗟に横へ跳ぶが、髪の毛が数本持ってかれた。なにあの速度!ていうかあの魔力で壁にとても大きな穴が開いてしまっている。隣の部屋が丸見えだ。修理大変そう…。

そんなのんきなことを考えていたら再びこちらに向かってくる。妖力弾を放ってみるが、すべて弾かれてしまった。このスペルカードの間無敵ってこと?

 

「なら、止めるしかないかな?」

 

私はその場でしゃがみこむ。左手を地面、つまり本棚に置く。そして、霧雨さんがこちらに3度目の突撃をしてきた。その彼女に右手を向ける。

 

「くらえッ!」

 

目の前に腕いっぱいに広げたわたし20人分くらいの幅がある本棚が創り出される。これだけ幅があれば、彼女の突撃が停止して、スペルカードが強制終了になるだろう。

 

「はっ!甘いな!」

「え?」

 

威勢のいい声が本棚の向こうから聞こえてくる。そして、すぐにバギッと木材が粉砕される音が響いた。その音は、止まることなくこちらに近づいてくる。本棚の回収もせずに逃げ出す。複製を創るのは一瞬だが、妖力として還元するのは大きさによって時間が変わる。この大きさだと、2秒か3秒はかかる。そんな悠長なことをしていたら、あの突撃をくらってしまう。

隣の本棚に着地してから見てみると、創った本棚は既に上下に分断されていた。霧雨さんは見当たらない。やばい、見失っちゃった。何処にいっ――

 

「ガハッ!」

 

突然、背中に衝撃が走り、宙を舞う。一瞬、何が起こったのか理解出来なかったが、視界に急停止した霧雨魔理沙の姿が映り、彼女の突進をくらったと理解する。そのまま吹き飛び、3つくらい隣の本棚に落下する。

 

「ふうー、ギリギリだったが、当てれてよかったぜ。被弾2だぜ、もう後はないぞ?」

 

足元がふらつくが、無理矢理立ち上がる。視界が揺れてぼやけているが、知ったことではない。『幻』を限界であろう30個に増やす。すべてを炸裂弾にするのは止めて、阻害とか直進とか追尾とか関係なく、完全なランダムにした。弾速はかなり早めにする。急に弾幕の性質が変われば、少しは動揺して被弾するかもしれないし。

 

 

 

 

 

 

お互いに弾幕を撃ち合い、避け続けて1分ほど経っただろうか、

 

「あっ…!」

 

いきなり私の脚から力が抜ける。それと同時に、全ての『幻』が溶けるように消え去ってしまう。その場で膝を突いてしまうが、このままでは被弾してしまう。動く両手で体をずらし、本棚から落下することで回避する。しかし、着地すらまともに出来なかった。

 

「ハァ…、ハァ…」

 

急いで息を整える。脚が動かなくなった原因はもう分かっている。さっきから弾幕を回避するために大きく動き回っていたし、避けきれないと思えば後方へ移動することを繰り返した。さっきのスペルカードのダメージも脚に来ているだろう。『幻』が消えた原因は、単純に妖力切れだ。妖力弾は撃ち続けていたし、スペルカードでは相当量の弾を複製した。防御のために複製した本は一部回収しなかったし、本棚も回収出来なかった。残された妖力は、生命を維持するためのを除けば、2つか3つ弾が撃てる程度しか残っていない。

動かない脚を鞭打ち、本棚を支えにして無理矢理立ち上がる。すると、前方に彼女が下りてきた。顔にはかなり余裕が浮かんでいる。そらそうだよね。この状況で反撃が来るとは思わないだろうし、実際反撃出来ない。

 

「さて、終わりだな。恋符『マスター――」

 

そういいながら、さっきの正八角形のものをわたしに向けた。おそらく、さっき推進力になっていた膨大な魔力を打ち出すスペルカードなのだろう。

だが、あれだけの攻撃だ。視界は当然狭くなるだろう。右手に一つだけ妖力弾を作る。形は貫通力に特化させるために、可能な限り細く、鋭くする。3-0で終わるよりも、3-1のほうがいいと思うよね?

 

「――スパーク』ッ!」

 

瞬間、視界が白一色に染まる。わたしは右腕を真っ直ぐ伸ばし、針状の妖力弾を撃ち出す。その弾は、魔力の濁流に飲まれることなく進んでくれるだろう。

 

世界が光で埋め尽くされる。そして、スイッチを切り替えるように、わたしは闇に沈んでいった。

 



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第7話

勝負は付いた。私の勝利だ。緊張を解くように、ゆっくりと長く息を吐く。目だけを動かしてアイツを見てみると、眠るように気絶している。服もかなりボロボロだ。

 

「幻香っ!」

 

声がしたほうを向くと、紫色の魔法使い――たしかアイツはパチュリーと呼んでいたか?――が飛んできた。表情だけで相当心配していることが分かる。そして、アイツの元へ駆け寄った。

アイツとのスペルカード戦は、なんとも言えない感じがした。弾幕の間を縫うような回避が出来ずに、大きく避けていた。隙が生まれたと思い攻撃すれば、どうせ被弾になるのに左手で顔を防御しようとした。このあたりで「ああ、コイツ初心者だわ」と分かった。だが、アイツは何処からともなく本を出し、防御して見せた。

1枚目のスペルカード、魔符「スターダストレヴァリエ」を放ったときは、この弾幕ならどんなに大きく避けても当たるだろ、と軽く考えていた。しかし、避ける際に有利な遠距離への移動を素早く判断してみせた。それを見てすぐに弾幕の量を増やしたが、アイツはスペルカードを使って、一瞬でほとんど全てを掻き消して見せた。今まで数多のスペルカードを見てきたが、あんなスペルカードは見たことがない。結局時間切れになり、被弾させることは出来なかった。

「初心者なのに被弾しない」。咄嗟の防御、被弾しないための判断力、スペルカード。アイツから『才能』を感じるには、これだけで十分だった。だが、私は才能で自然と上がっている奴に、努力で勝利したい。これは霊夢を見ていつも思っていることだ。ついでに、私と同じ顔をしている奴が才能を持っているのは相当腹が立つ。だから、アイツを本気で叩きのめした。

すると、霊夢がこちらに飛んできた。顔がニヤついているが、何か面白い事でもあったのか?

 

「遅いじゃないの」

「あー、悪かったな」

「結構本気出しちゃった感じ?」

「…そーだな」

 

正直に言いたくないがそう言うと、霊夢は腹を抱えて笑い出した。こんなに笑うのは珍しい。

 

「アイツ、幻香だっけ?あれで初めてなんだってさー。そんなのに本気とか」

「……そうかよ」

 

どうやら私の見立ては正しかったようだが、初めてのスペルカード戦であれだけ健闘して見せたアイツは、やはり私と違って才能ってやつを持っているんだろう。少し、嫉妬してしまう。

 

「しかも最後に油断して一発くらっちゃって」

 

霊夢が私の右肩を指さしながら言う。指差すところは、最後の最後に、恋符「マスタースパーク」の中を通ってきた1発の弾が被弾した場所だ。服の布を少し破り、肌がわずかに露出してしまっている。

正直、本気を出してからは一発の被弾もせずに終わると思っていた。実際、アイツの弾幕は直進追尾妨害炸裂とバリエーション豊かな弾幕を張っていたと思ったら、いきなり全部が炸裂弾に変わり、また元に戻った。そんな弾幕は全部避けきり、妖力スタミナ共に尽きたと思ったアイツに、止めを刺すつもりで放ったスペルカード。大抵の弾幕ならかき消してしまうほどの魔力の濁流。それを難なく突破した妖力弾に被弾してしまったのだ。悔しさで歯噛みしてしまう。が、力を抜いてゆっくりと口を動かす。

 

「勝てば英雄さ」

「そうかもね」

 

霊夢はそう返して、アイツを護るように抱きかかえているパチュリーのほうを向く。

 

「さて、貴女、紅い霧の首謀者を知ってるかしら?」

「ええ、知ってるわ」

 

チラリと意識を喪失しているアイツを見てから続きを語る。

 

「レミィ。レミリア・スカーレットよ」

「そう」

「分かったならさっさとここから出てって」

「そう怒るなって」

 

こちらを睨んできたパチュリーを落ち着けようと少しだけ思い放った言葉は、ものの見事に無視され、言ったときには顔がこちらに向いていなかった。既に意識はアイツにしか向いていない。

気づいたら、霊夢はもう大図書館から出て行ってしまった。慌てて後を追いかける。

 

「生きてるわよね、幻香?」

 

そんな囁くような声が背中から聞こえた。

 

 

 

 

 

 

とりあえず生存しているか、軽く検査する。

 

「脈拍は――ある。呼吸は――してる。体温は――少し低いかしら?」

 

生存確認。安静させるためには、横にしなくてはいけない。スペルカード戦後で、普段使わない筋肉が悲鳴を上げているが、何とか抱きかかえて布団のある位置へ移動する。そして律儀に畳んであった布団を広げて、そこに寝かせる。横に全く同じと言いたくなる布団が畳んであったが、どちらが本物かは分からなかった。だが、今はそんなことはどうでもいい。

 

「確かあのあたりに意識の覚醒を促す魔導書があったはず…」

 

記憶を頼りに本棚を探し、1分も経たずに目的の本を見つけ出す。その場でページをめくり、目的の呪文を見つけてから幻香の元へ戻る。そして横に座り、呪文を唱える。

 

「――――――――――」

 

声ではない音が大図書館中に響く。どうか、早く目覚めて欲しい。そして、あのコロコロと変わる表情をまた見せてほしい。

 

 

 

 

 

 

暗転した世界に一筋の光が漏れ、意識が浮上し始める。温かくてフワフワとした感触を全身に感じながら、ゆっくりと体を起こした。ロッキングチェアに座って本を読んでいるパチュリーさんが目に入る。

 

「おはようございます…?」

 

すると、パチュリーさんの顔がこちらに向き、手に持っていた本を机に置き、こちらに駆け寄ってきた。

 

「よかった、目覚めたのね?」

 

そう言っているパチュリーさんの眼元が少し光っている。心配させてしまったかな…。けれど、パチュリーさんが元気そうで何よりだ。

 

「私のためにあんな無茶して…」

「それは、ごめんなさい…」

 

確かに、妖力スタミナ共に枯渇し切ってしまったのは事実だ。その後、気を失ってしまったのも。ん?そういえばどのくらい眠っていたのだろう?

 

「あのー、そういえば、今っていつなんですか?」

「今日は――月――日よ」

 

うわあ、あれから二日も経ってるじゃないですか。さっきまで気にしていなかったけれど、窓から見える空がとても明るい。紅い霧はすでに晴れている。つまり、レミリア・スカーレットが退治されたということだろう。

 

「あの、レミリアさんは…?」

「レミィなら咲夜を連れて博麗神社へ宴会に行ってるわ。霊夢のことが気に入ったみたいね」

「誰ですか、その霊夢って」

「あの巫女のことよ。博麗の巫女」

「パチュリーさんは行かないんですか?」

「わたしはあんまり外に出たくないし、貴女が心配だったから断ったわ」

「わざわざありがとうございます…」

 

霊夢って、あの紅白巫女のことか。つまり、既に和解しているということだろう。

その宴会は霊夢さんや霧雨さん、十六夜さんにレミリアさんが仲良くお酒を飲み交わしていることだろう。

霧雨さんに挑発したのは、パチュリーさんのためだ。わたしとしては仲良くしたい。同じ魔法の森に棲んでいるわけだし。

あ、そうだ。

 

「あの、わたしのスペルカード戦、どうなりました?3-0なのか3-1なのか、気になるんですけど!」

「3-1よ。あの魔法使い、結構悔しがってたわよ?」

「最後の弾、当たったんだ…。嬉しいなあ」

 

そのまま談笑をしていたら、妖精メイドさんが食事を持ってきてくれた。布団から這い出て、畳んである複製した布団を妖力として回収する。正直、まともに動くための妖力が少し足りなかったから仕方ない。服装を見てみると、相当ボロボロになってしまったメイド服だった。新しい服が欲しい…。

食事をしてから、複製したままほっといていた多数の本と上下に分断された本棚を回収した。うん、もう十分な量の妖力を得られた。妖力もあるし、新しい服を創ろうかな。妖精メイドを呼び止めようと思ったが、パチュリーさんの服にしようかな。わたしはパチュリーさんと友達になりたい。友好を示したいけれど、今出来るのはこれくらいしか思いつかない。

パチュリーさんの元に戻ってからお願いをする。

 

「パチュリーさん。その服、貰ってもいいですか?」

「え?ええ、いいわよ」

 

一瞬驚いたが、意味が分かるとすぐに表情を戻して笑顔を浮かべた。裾のあたりを掴んで何枚も重ね着しているだろう服をまとめて複製する。ついでに髪を留めているリボンも創り、最後に、三日月の飾りの付いた帽子を創る。

それら全てを持って本棚の裏へ行く。ボロボロのメイド服は妖力として回収した。そして、一枚ずつ重ね着をして、髪を結ぶ。最後に帽子を被れば完成だ。メイド服より遥かに着やすかった。

本棚から出てから、腕を広げて見せびらかす。

 

「じゃーん。どうですか?」

「ええ、良く似合ってるわよ。服まで同じだと、鏡から飛び出てきたみたい」

 

私は少し嬉しくなって、頬が緩む。

そういえば、かれこれ何日くらいお世話になったんだろう?えーっと、眠っていた時も含めれば、3泊4日。うわ、結構長く泊まらせてもらってしまった。これ以上長居するのは悪いかもしれない。

 

「あ、そろそろわたしは帰りますね」

「大丈夫?さっきまで倒れてたのに」

「妖力は十分回収しましたので、多分大丈夫ですよ」

「そう…。無理はしないでね」

「はい、分かりました」

 

歩いて出入口の扉の前に立つ。壊されていたと思ったが、もう修理されているようだ。

扉に手を触れたときに、一つ思いついた。友達になるために出来ること。これだけでもいいんだ。

わたしはパチュリーのほうを振り向いて口を開く。

 

「また、遊びに来てもいいですか?パチュリー」

「――!ええ、いいわよ幻香。またね」

 

そう言ってお互いに微笑む。パチュリー自身が鏡写しのようだと言っていたんだ。今、全く同じように微笑むことが出来ていると疑わなかった。

 



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第8話

「ここ何処…?」

 

わたしは現在進行形で紅魔館という迷宮を彷徨っている。どうしてこうなった…。

あの大図書館に行くときは、咲夜さんに付いて行ったのだが、帰りはわたし一人だけだ。しかし、道順は覚えていたのだけど…。

そもそも、大図書館から出たときに見える壁が記憶とは全く違っていたのだ。きっと、襲撃によって破壊されたのを修理する際に、周りの壁もまとめて改修したからだと思うけれど。だけど、あまり気にせずに記憶にある道順を沿って歩いていた。

その結果、目の前に壁が現れた。つまり、壁ごと改修したついでに、通路を改築したのだろう。

なので、記憶を頼りにするのを諦めて、思いつくままに歩き続けた。右へ曲がり左へ曲がり階段を上りまっすぐ進み左側に見えた階段を降りて――。

かれこれ3時間は歩いていると思う。何だか薄暗いところに着いてしまった。少し寒気がする。目の前には左右に分かれた通路。とりあえず、通路を左に曲がる。

 

「鉄格子…いや、扉だ。これ」

 

目の前にかなり陰湿な扉があった。扉には、錆びついて少しこげ茶色に変色した鉄格子まで付いている。何が入っているんだろう…。

すると、扉の向こうからガサガサと音が聞こえた。つまり、中に動くものがあるということだろう。

もし喋れる人ならば、ここから出る道を知ってるかも…、いやないかな?改築されてたし。けど、地下道からの脱出口とかがあるかもしれないし…。

わたしは扉に近づく。鉄格子に付いている南京錠は、掛け金が錆び、朽ち果てて取れてしまっている。他に施錠されているものは見当たらない。

とりあえず2回ノックをする。かなり低くて曇った音が通路に響く。

 

「………だぁれ?」

 

中から幼い女の子の声が聞こえてきた。え?幼い女の子?どういう事だろう…。何だか猛烈に嫌な予感がする。

恐る恐る扉を開ける。お、重い…。

開けた瞬間、腐った肉のような臭いが鼻に入る。鼻をつまみつつ、部屋に入ることにする。お邪魔します…。

内装は、まともなものは赤黒いカーペットだけ。他にあるものはどれもこれも壊れてしまっている。お腹から爆発したようなぬいぐるみ、脚の折れた椅子、天板が破裂した机、粉砕された壺――。

そんな中、破裂したぬいぐるみに抱き着いている小柄な少女がいた。その少女は、真紅を基調とした半袖とミニスカートを着ている。濃い目の黄色い髪をサイドテールに纏め、ナイトキャップを被っている。病的なまでに白い肌。血を流し込んだような真紅の瞳。背中には、七色の結晶のようなものがぶら下がっている不思議なもの。

そして、歪なまでに歪みきった、狂気しか感じさせない笑み。

ヤバい。見ただけで分かる圧倒的なプレッシャー。体が委縮して、脚が震える。頭の中にある警報がガンガン鳴っている。

 

「生きた餌を見るのは初めてだなあ…。しかも私そっくり」

「え、餌…?」

 

声まで震えきっている。対して、あちらはかなり嬉しそうだ。言葉をそのまま受け取れば、わたしはあの幼い少女に食べられてしまう、ということだろう。もしかしてこの少女…、

 

「…吸血鬼……」

「あ、知ってるの?おねーさん。そうだよ。私、吸血鬼」

 

拝啓、信愛なる慧音先生。わたしは本当に吸血鬼に会ってしまったようです。

絶望感しかない。事実を認めたくない。このまま死にたくない。なら、何とか生きる道を探さないと…。逃げる…、は無理。吸血鬼の身体能力から逃げ切れるとは思えない。

とりあえず、友好的に挨拶でも。時間を稼がないと。考えるための時間を。

 

「こんばんは。わたしは鏡宮幻香と言います。あなたは?」

「え?私、フランって言うの。フランドール・スカーレット」

「そうですか、よろしくお願いしますね、フランさん」

「うん、美味しくいただくよ、幻香」

 

駄目だ。時間稼ぎにもなりそうにない。

すると、フランさんが突然腕を組んで、口を開いた。

 

「このままじゃ大きくて食べにくいなあ…。どうしよう…」

 

どうやら、私の食べ方を考えてるみたいです。この隙に生き抜く道を模索し――。

 

「そうだ!とりあえず解体(ばら)そうかな!」

 

そう言って開いていた右手を勢いよく閉じた。瞬間、わたしの右腕が爆散した。痛みは感じない。

 

「へ?――ァァァアアアアアア!」

 

しかしすぐに、これ以上の痛みがこの世に存在するのか?と疑うほどの激痛が全身を走り、床にのた打ち回る。咄嗟に左手で右腕を抑えようとするが、その右腕があるべき場所になかった。何処かに吹き飛んだのかと思い、涙で歪んだ視界で辺りを見回すが、何処にも見当たらない。

 

「あー、ちょっと強すぎた。これじゃあ肉塊も残らないや」

 

そんな呑気な声が部屋に響く。とりあえず右腕を探さないと…。いや、それより創ったほうが早そうだ。

迸る涙を左腕で拭う。腕に付いていた血で顔が赤く染まったが、気にしていられない。目を見開き、目の前で笑っているフランさんを見詰める。

 

「そんなに見詰めてどうしたのー?――へ?私?」

 

そして、創る。わたしは生き物の複製は出来ない。しかし、似たようなものなら創れる。人間なら、凄く似ている人形みたいなもの。花なら、瓜二つの造花になる。今回もその例から外れることなく、生きていない人形のようなフランさんが出来る。

当然現れた自分自身にそっくりなものに驚いたようだ。目が真ん丸。しかし、そんなことはどうでもいい。創り出した彼女の右腕を切断する。切断面は、筋肉や血管などなく、肌と同じ色をしている。切り取った右腕は、長さ重さ共にわたしのものに足りていない。が、知ったことではない。失われた右腕の代わりに、血が流れて続けている右肩に無理矢理ねじ込みつつ、妖力で止血。相当痛いが我慢し、右腕に妖力を流して、動くか確認。よし、動く。痛みも大分引いた。残った彼女は妖力として回収する。

フランさんが、何やらはしゃぎだした。興味深いものを見る目でこちらを見る。

 

「うわー!腕治したよ、おねーさん!凄いなー!これならおねーさんずっと食べられそう!」

「残念ですが食糧問題解決は出来ませんよ」

 

そう返すと、露骨に残念そうな顔を浮かべる。口を尖らせても「つまんないー」って言われても、無限食料は出来ないんです…。

とりあえず、原理は分からないけれど、右腕が爆発したのは、フランさんの能力だろう。ものを爆発させる程度の能力とか、ものを破壊する程度の能力とか、そんな感じだと思う。右手を握ったら爆発したから、その行動が発動条件だろう。確実ではないけれど。

けど、相手能力なんか今はどうでもいい!とにかく今は生き抜く方法、せめてわたしが死なないようにする方法――。

 

「あ…」

 

思わず声が漏れる。あるじゃん。最近やったばっかりじゃん。なんで忘れてたんだろう。

死なない決闘。スペルカードルール。

これに賭けるしかない。あとは運に任せるのみ!

 

「あ、あのですね?実は餌になるために来たわけじゃないんです」

「えー、そうなのー!?」

「ええ、そうです。今日は貴女に新しい遊びを教えるために来たのです」

 

フランさんは、今まで話した感じだと精神年齢は相当低い。年齢は知らないけど。なら、遊びという言葉に少しは反応があると思うけど…。

 

「え?新しい遊び!?本当?」

 

かかった。後は、長所を強く見せて短所はうまく隠すか、長所のように聞こえさせる。ついでに、自分に都合のいいように少しだけルールを言い換える。

 

「はい。今、幻想郷で大流行の遊びです。その名はスペルカードルール」

「どんな遊び?」

「基本は1対1の決闘。お互いの得意技などを使ったスペルカードを見せ合う美しさを重視した決闘です」

 

フランさんは黙って聞いている。早く続きを、と目が言っている。

 

「ですが、相手を怪我させないというのがルールにあります」

 

本当は、不慮の事故は考慮しないみたいなことが書いてあるけれど、基本は怪我させないものだ。なら、このぐらいの言い換えは問題ないだろう。

チラリとフランさんを見る。少し不満そうな表情を浮かべる。部屋の内装や彼女の能力と思われるものから予想するに、かなりの破壊魔だと思う。このルールはやっぱり不満だったかな。

 

「えー!つまんないよそんなの!」

「ですが、何度も遊べるってことですよ?」

「ん…うーん……」

 

フランさんが腕を組んで考え始める。たぶん、スペルカードルールがいいのかどうかを考えているんだろう。

破壊出来ないから、何度も遊べると言い換えることで、短所を長所にすり替える。何度も食べれるかもということに興味があったみたいだし、長く使えることに興味を持つと思った。

長い間考えていたフランさんだけど、結果が出たみたいだ。

 

「うん、面白そうだね!その遊び!」

「ええ、とても面白いですよ。じゃあ、詳しいルールを説明しますね」

 

 

 

 

 

 

「うん、大体分かった!じゃあ、今からやろう!」

 

説明が終わったらすぐにそう言った。だけど、それは無理。そもそも弾幕の威力調整が出来ると思えないし…。

 

「それは、また今度にしましょう。相手が傷つかない弾を撃てないといけませんし。わたし、この右腕は応急処置で完全に治ったわけではないですし」

「うーん…、こうなるならしなきゃよかったかも」

「一ヶ月あればちゃんと治ると思うので、そうしたらまた来ますよ」

 

まあ、治せる人を知っている人を知っているだけだけどね。

 

「うん、分かった!約束だよ!」

「はい」

 

ふぅー……。助かった。

フランさんは早速弾の威力の練習をしている。的にされている破裂したぬいぐるみがかわいそうだ。スペルカードも考えているのか、何やら炎を纏ったごつい剣を取り出したり、四人に分裂したりもしている。ていうか、フランさん、わたしみたいな能力もあるの?けれど、わたしと違って生きている複製。一個体ごとに意思があるように見える。少し、羨ましいな…。

とりあえず、ここから出よう。

 

「それでは、また来ます」

「あ!またね、おねーさん!」

 

無邪気な笑顔を浮かべて大きく腕を振っている。わたしは軽く微笑んで扉を開けた。

 

 

 

 

 

 

さて、生きて出てこれたことはいいけれど、帰り道が分からない。

そう思っていたら、近くから足音が聞こえてきた。おそらく一人。誰だろう。

 

「あ、そっくりヤロ……ん?お前右腕縮んだ?あとその血痕」

「名誉の負傷ですよ」

 

霧雨魔理沙さんだった。右手にはとても長い縄を持っていて、後ろの通路に続いている。どうしたんだろう。この奥にはフランさんしかいないと思うけれど。

今のわたしの右腕は、フランさんの複製だ。左腕より明らかに短いし、肌の色が違うように見えるだろう。霧雨さんの肌は健康的な肌色だが、この右腕は病的なまでに白い。違和感もあるだろう。

すると、霧雨さんが口を開いた。

 

「そういや、このあたりでフランドール・スカーレットってのを見なかったか?」

「ええ、会いましたよ。そっちの通路の左側の扉の向こうです」

 

そう言うと、すごく嫌そうな顔を浮かべた。

 

「まさかその血痕、フランドールに?」

「大丈夫ですよ。貴女は怪我しませんって」

 

さっきスペルカードルールを教えたばかりだ。そして、すぐに遊びたがっているフランさんなら、怪我をする要素はほとんどない。と、思う。

 

「そうか…?ならいいんだが」

「それより、ここから安全に出たいんですが…」

「あー、十六夜が全部改築したって言ってたしなあ…。ならこの縄辿ってけ」

 

そう言って縄を渡してくれた。そして「持ってくなよ?」と釘を刺される。大丈夫ですよ、持っていきません。

 

「ありがとうございます。霧雨さん」

「ああ、それじゃあな」

 

霧雨さんと別れて、縄の横を歩き続けること一時間。やっと玄関が見えてきた。良かった…。

そのまま紅魔館を出て、宙に浮く。早めに慧音に会いにいかないと…。

 



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第9話

チルノちゃんたちの上を飛んでいたら、こちらに手を振ってきた。手を振り返すけれど、弾幕ごっこはまた後で。悪いけれど、今は急いでいるんだよ。ごめんね。

途中で本とか布団を置いてきたことを思い出して少し悲しくなりつつ飛び続けること1時間、人間の里に到着した。もうかなり暗くなってきたけれど、非常事態だ。慧音の家の扉を乱暴に叩く。

 

「慧音ー!今いるー!?」

 

…返事がない。いつもならすぐ返事が返ってくるのに、どうしたんだろう…。

里の中を走り回って探し出す。片腕が軽くなっていてすごく走りにくい。里には人間がちらほら歩いていた。普段なら話しかけたりなんかしないけど、すれ違う人全員に慧音を見たかを聞く。ほとんどの人に逃げられたが、二人の少年が、迷いの竹林へ行ったのを見た、と言った。気づいたら、既に太陽は沈みきり、月明かりが里を照らし始めた。

とても美しい、満月だった。

 

 

 

 

 

 

迷いの竹林を走り続ける。少し慣れてきたのか、里で走っていた時よりも速度が出ている気がする。

 

「慧音ー!どこいるのー!」

 

走りながら叫び続けること数十分、未だに返事がない。もしかして、あの少年達嘘ついた?

そんなことを考えていたら、視界に人影が写る。あちらもこちらに気付いたようで、わたしに歩み寄ってきた。

 

「おお、幻香じゃないか。どうした?」

「妹紅さん!」

 

藤原妹紅。慧音の友人だ。その彼女がわたしの右腕の異常に気付いたのか、怪訝な顔を浮かべる。

 

「どうした、その腕?」

「そのことで慧音を探してるんです。確か、何でも治せる医者を知っているって言ってたから」

 

そう言うと、露骨に嫌そうな顔をして、頭を掻き始めた。何か嫌なことでもあるのかな…。

 

「あー、私も知ってるが…」

「ほんとですか!?何処なんです!?」

「………まあ、仕方ないか…。慧音は今忙しいからなー…」

 

なんと。今、慧音は忙しいらしい。けど、代わりに妹紅さんがそこに連れて行ってくれるみたいだ。優しいなあ…。けど、そこにあんまり行きたくないのかな?かなり嫌そうな顔浮かべてるし。

 

「ほら、こっちだ」

 

迷いなく竹林を歩き出す。相当早い。

 

「ま、待ってくださいよー!」

 

 

 

 

 

 

凄く古そうな屋敷の門の前に着いた。けどこの屋敷、まるでさっき建てたばかりみたいに綺麗。なんとも不思議な外観だなあ…。

 

「ほら、着いたぞ。じゃあ、私はこれで」

「あ、はい。ありがとうございました」

 

妹紅さんは、着いてすぐに帰ってしまった。ここまでの道のりがなかなか複雑で、ちゃんと帰れるか不安だけど、屋敷の人の誰かに帰り道を案内してもらおうかな。

とりあえず、中に入らせてもらう。お邪魔します。

庭に、妖怪兎が少しいた。こちらを見てすぐに何処かに行ってしまう。おおう、動物にも嫌われるわたし。まあ、妖怪ですけどね。

そのまま館の敷居を跨ぐ。目の前には長い長い廊下。向こうの壁が見えない…。とりあえず長い廊下を歩く。すると、近くから足音が聞こえた。とりあえず、中には誰かがいるようだ。その足音のほうに近づくように廊下を歩く。

少し歩くと、その足音の正体の背中が見えた。その髪の毛は明るい紫色で、頭には長い兎の耳がある。多分、妖怪兎だと思う。とりあえず声をかけよう。

 

「こんばんは」

「うわっ!誰ですか!いきなり」

「すみません、ここに医者がいると聞いて来たのですが…」

「医者?あー、お師匠様のことね。付いてきて」

 

そう言うとすぐに歩き出してしまう。このままだんまり付いて行くのもつまらない。何か話すことってあるかな…。あ、自己紹介してないや。

 

「わたしは、鏡宮幻香です。あなたは?」

「え?私は鈴仙・優曇華院・イナバ。鈴仙でもうどんげでも好きなように呼んで」

 

凄い長い名前だ。うどんげさんって言いやすそうだし、そう呼ぶことにしようかな。

 

「そういえば幻香さん。私とそっくりですね」

「あー、そういう妖怪ってだけです」

 

そのまま容姿について軽く説明をする。すると「面白いですね」と笑われてしまった。笑い事じゃないよ。見られるたびに逃げていく人間が多いからこっちはかなり困るんだ。

そんなことを考えていたら、いきなりうどんげさんが私をジロジロ見始めた。

 

「うーん…、何処を怪我しているんですか?右腕が短いようですが…」

「その右腕ですよ。ホラ」

 

そう言って、右腕を妖力として回収する。すると、ギョッと目を見開いて、右肩を凝視した。でしょうねー。急に右腕が消失したら誰でも驚くだろうし。まあ、どうせ医者さんの前で消すつもりだったんだ。それが少しだけ早くなった、それだけ。

 

「右腕の欠損…」

「はい、おかげで動きづらくて」

 

呟くような言葉に、出来るだけ明るく返す。しかし、うどんげさんの表情はかなり深刻だ。そして、口早に質問を重ねた。

 

「まず、いつ欠損しましたか?場所は?原因は?傷口はどのようになっていましたか?既に止血してあるみたいですが、止血作業はどのように?後――」

「うわー!ちょっと多いですよ!少しずつ話してくださいうどんげさん!」

「あ、すみません…。つい」

 

そんなに一気に質問されても答えられない。けれど、とりあえず聞かれたのは答えることにする。

 

「まず、右腕爆破から1日経ってないです。場所は紅魔館の地下で、原因は多分フランさんの能力。傷口は…見てません。止血は妖力で無理矢理」

「え、爆破?」

「はい、内側からボンッ!って」

 

急にうどんげさんの顔色がサーッと青くなる。想像でもしたのだろうか。あれ、凄く痛かったなあ…。

 

「まあ、次。その時の衛生環境は?」

「さあ。その場ですぐにやったので」

「多分、あんまり良くないわね…」

 

あの状況で消毒できる人はすごいと思うけど…。わたしには出来ないね!

その後も幾つか質問されながら歩き続けた。

 

 

 

 

 

 

うどんげさんが急に立ち止まった。

 

「と、着いたわよ。お師匠様の診療室」

「ここに医者さんが?」

「ええ、お師匠様ー!患者さんですよー!」

 

そう言いつつ扉を開ける。中には一人の女性がいた。真っ白な髪の毛に青色の帽子に赤い十字架が描かれた帽子、左右で赤と青にキッチリ分かれたかなり特徴的な服を着ている。この人が医者さん?

 

「どうしたの優曇華?…それが患者?」

「はい、お師匠様」

「そう。じゃあ、こちらに座って頂戴」

「あ、はい」

 

医者さんの前の丸い椅子に座るように促されたので、座らせてもらう。不思議な触感だ。どんな素材なんだろう…。

 

「さて、怪我はその右腕の欠損?」

「はい、そうです」

「じゃあ、軽く触診するわね」

 

そう言って右腕に触れる。かなりむず痒い。医者さんが眉をしかめる。

 

「…かなり乱雑な処置ね」

「あー、その時は殺されかけていたので」

「そう。大変だったわね」

 

そんな会話をしながらも、診察が続く。よく分からない道具を使うこともあった。

 

「ふう、大体分かったわ」

「この腕、治りますか?」

 

すると、医者さんの表情が変わった。

 

「…治すわ。私の医者としてのプライドをかけて」

 

そう言う医者さんの表情は真剣そのもの。すぐにうどんげさんに何やら指示を出した。「はいー!」と言いながら、慌てて部屋を飛び出していった。そして医者さんはわたしのほうに向き、何処からか棘の付いた透明の筒状のものを取り出た。そのままその筒状のものをわたしの首筋に突き刺した。

 

「痛ッ!…あれ?視界が…」

 

しかいがぼやける。まるできりがかかったみたいだ。なんだかあたまもはたらかない。それに、とっても、ねむくなってきた。なんで、だろ、う………。

 

「目覚めたときには、ちゃんと治して見せるわ。安心して眠りなさい」

 



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第10話

………眩しい。

そう思いながら少しだるい体を起こす。腕に何か引っかかりを感じたので、軽く目を向けると、透明な管が数本刺さっているように見える。その管の中には、何やら液体が流れている。何なんだろう、これ?

ふと、窓を見上げると、太陽が直接目に刺さる。咄嗟に、目に当たる日光を右手で遮る。こちらの腕にも透明な管が刺さっているようだ。……ん?右手?

 

「おお、治ってる…」

 

眠っている間に治っていた右腕をまじまじと見つめる。軽く握ったり、触ったりするが、違和感はない。透明な管が抜けない程度に動かしてみても、特に問題は見当たらない。

突然、閉まっていた扉が開いた。

 

「あら、起きてたのね。幻香さん」

「ありがとうございます。医者さん」

 

あれ?何でわたしの名前知ってるんだろ。寝ている間にうどんげさんに聞いたのかな?それより、どうやって治ったかがとても気になる。

 

「この腕、どうやって治したんですか?」

「それは貴女の再生能力よ。私はそれを援助しただけ」

 

再生能力?つまり、ほっといてもこの腕って治ったの?

 

「普通の妖怪なら腕一本ぐらいは大体一,二ヶ月あれば治るものよ。妖力の扱いに長けていると、自発的に治せるのだけれど。今回は、再生能力を促進させる薬をチューブから注入しただけ。あと、鎮痛剤や栄養剤もね」

 

わたしはもちろん腕の生やし方なんて知らない。腕の複製なら創れるけど。ただし、視界に腕がないと駄目だし、色々と付属品が付く。

 

「調子はどう?何か違和感とかは?」

「いえ、特には」

「そう。ならよかったわ。けれど、明日まで安静にしていること」

 

そう言われたので、布団に横になる。敷布団の感触が少し変な感じだ。何だか弾力というか抵抗力みたいなものを感じる。

しかし、横になっているのも暇だ。幸い、医者さんは部屋から出ないで机の前に座って何かを書いている。きっと、話し相手くらいにはなってくれるだろう。なってくれるといいな。

 

「あの」

「何かしら?」

「暇なのでお話なんか…」

「ええ、いいわよ」

 

快く受け入れてくれる医者さん。あっちはわたしの名前を知っているみたいだけど、ちゃんと自己紹介をしておこう。これからお話をするのに、名前を知らないのはなんだか寂しい。

 

「わたしは鏡宮幻香。妖怪、ドッペルゲンガーです」

「そう。私は八意永琳よ。よろしく。幻香さん」

 

永琳さんはそう言ってから、いつも言われる話題を出した。

 

「貴女が私に似ているのはそういう理由なのね」

「みたいですねえ。このせいで人間はみんなして逃げちゃって」

「確かに同じ顔した人…いや、妖怪だったわね。同じ顔の妖怪が話しかけてきたら驚くわね」

「けど、永琳さんは驚かないんですね。最近会うのはみんなそうだなあ…。見てきた世界が狭かったからかも」

「ふふふ、同じような顔くらいじゃ私は驚かないわよ」

「じゃあ、どんなので驚くんですか?」

「さあ?何でしょうね」

 

そう言って妖しく微笑む。詳しく聞いてみたいけれど、相手の深い部分に触れちゃうかもしれないし、止めておこうかな。

話を変えるために、別の少し気になったことを聞いてみる。

 

「そういえば、わたしってどのくらい寝ていたんですか?」

「え?えーっと、貴女が来たのが一昨日の十時過ぎで、今が七時くらいだから、大体三十五時間くらいかしら」

「え?そんなに?」

 

つまり、通常一、二ヶ月かかるのが三十五時間で治ったということになる。だから、再生能力を20~40倍にしたということに…。いや、寝ている途中で治った可能性のほうが高そう。だからもっと凄いことになってるんじゃないの?

 

「この右腕、そんな急ごしらえで再生して大丈夫なんですかね?」

「ええ、大丈夫よ。きっと」

「きっと!?本当に大丈夫なんですか!?」

 

しかし、返ってきたのは曖昧な微笑み。口はしっかりと閉じられていて、私の欲しい「本当に大丈夫」とか「冗談よ」みたいな言葉が出てくることはなかった。何だか猛烈に心配になってきたんだけど…。

そんな不安そうなわたしの顔を見て、永琳さんは吹きだした。

 

「ふふっ、本気にした?」

「じ、冗談なら先に言ってくださいよー!」

「まあ、確実に大丈夫とは言えないわ」

「え?」

 

自然と目が見開かれる。何で?

 

「世の中は、極稀にとてもじゃないけど理解出来ないことを起こす。それがいい事か悪い事かは置いておいてね。私は大丈夫だと思っていても、どんなことが起こるかは最後まで分からないものなのよ。生きているものは、ね」

 

わたしから視線を外しながら語る永琳さんの言葉に、少しだけ違和感を感じた。何でわざわざ『生きているもの』なんて付けたんだろう。人間でも妖精でも妖怪でも良かったのに。その言い方だと、まるで生きていないものがいるような言い方じゃないか。あ、幽霊がいたか。

 

「あの、知り合いに幽霊でもいるんですか?」

「え?いないわよ?どうしたのいきなり」

「いえ、何となく…」

 

そう誤魔化しつつ笑う。もしかしたら、わたしの知らない超常生物がいるのかもしれない。けど、そんなものは今は知らなくてもいいことだと思った。

 

 

 

 

 

 

お昼頃までお話を続けていたら、腹の虫が鳴った。これをきっかけにお話は切り上げられ、食事を持ってきてくれた。お粥にすまし汁という質素なものだったが、久しぶりにお腹に入れる分にはこのくらいがいいのかもしれない。

食べ終わって、ホッと一息ついていたら、永琳さんが立ち上がりつつ口を開いた。

 

「さて、私は別の仕事があるから。貴女との話、楽しかったわ」

「あ、はい。わたしも楽しかったです」

「それじゃあね」

 

机に置いてあった紙束を持ちつつ、手を軽く振って部屋から出ていく。これで部屋の中はわたし一人だけ。かなり寂しくなってしまった。

そう感じていたら、窓から侵入者が飛び込んできた。その侵入者は黒髪の幼い少女で白い兎の耳と尻尾が付いているから、妖怪兎だろう。薄桃色の涼しげな服を着ていて、人参型のネックレスを首に掛けていた。その妖怪兎が、わたしの寝ている布団の中に潜り込んだ。何事?中からくぐもった声がした。なんと言っているか分かりにくかったけど「誰にも言うなウサ」って言っていた気がする。

すると、すぐにうどんげさんが同じように窓から入ってきた。

 

「幻香さんっ!てゐを見ませんでしたか!?」

「てゐ?誰ですか?」

「あ、妖怪兎の一人なんですが…。薄めの桃色の服を着ているんですが」

 

それを聞いて、わたしは脚を思い切り振り上げて、掛布団を吹き飛ばす。中に隠れていた妖怪兎が、突然のことにギョッと目を見開いて、わたしを恨みがましく睨んできた。だが、わたしは一言もあなたのことを喋っていないのだから、そんなに怒らないでほしい。

 

「コラッ!てゐ!悪戯だけじゃ飽き足らず、患者さんに迷惑かけて!」

 

そう言って、うどんげさんはてゐと呼ばれた妖怪兎の首根っこを掴む。ジタバタともがくが、そのまま持ち上げて部屋から出ていく。

 

「ご迷惑をおかけしました…」

「いえ、あまり気にしなくていいですよ」

 

うどんげさんとてゐさんがいなくなって、今度こそ一人きりになってしまった。暇だなあ…。

そのまま夕食が運ばれるまで、誰も来ることはなく、ボーっとして過ごしていた。夕食は、昼食と似たような質素なものだった。

そのまま夜になり、静かに眠りについた。

 

 

 

 

 

 

翌日。朝日の温かさを肌に感じて目が覚めた。何時の間にか、腕に刺さっていた透明な管は全て抜かれていた。近くの椅子には、永琳さんが座っている。

 

「おはよう。幻香さん」

「おはようございます。永琳さん」

「さて、もう退院しても構わないわよ」

 

退院。知らない言葉だが、きっともう病院から出て行ってもいいということだろう。だけど、わたしはこの迷いの竹林からちゃんと出られるとは思えない。何とかして案内人をもらえないだろうか。

 

「あ、わたし、ちゃんと人間の里に戻れるでしょうか…?」

「そうね、じゃあ優曇華に案内してもらうわね」

 

そう言うと、永琳さんはうどんげさんを呼ぶ。少しして、やってきたうどんげさんに指示を出している。そして、指示を受けたうどんげさんがこちらを向いた。

 

「幻香さん。私が里までお送りしますね」

「あ、ありがとうございます」

 

そう言ってわたしは布団から這い出る。永琳さんに深くお辞儀をしてから部屋を出た。

 



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第11話

屋敷から出て、うどんげさんの後ろに付いて歩く。迷いなく歩いて行くのを見ると、迷いの竹林に住んでいると道が分かるようになるのかな、と考えてしまう。わたしには何処も同じようにしか見えない。

 

「あの、いつか――」

 

突然、視界がぶれた。そして、すぐに真っ暗になる。

 

「何これー!?」

 

いや、よく見たら真っ暗ではない。ただ、目の前にいきなり壁が現れただけ……否、突然のことで困惑していた頭が落ち着いてきたことで、ようやく分かった。

わたしは今、落下している。

上を見上げると、丸い穴から光が差し込んできている。下を見てみれば、竹槍が十数本。わたしはどうやら落とし穴にかかったらしい。理由は分からないが、思考が加速し落下がとてもゆっくりに感じる。とても不思議だなー。

……ん?竹槍?

 

「ちょっ!?死ぬ死ぬ死ぬ!?」

 

これはかなりヤバい。飛べばいいじゃんと言う人もいるだろう。しかし、わたしは残念ながらそんなにすぐに飛行体勢になることが出来ない。この感じだと、飛び上がる前にあの竹槍に刺さってしまい、良くて永琳さんとの再会、悪くて亡き者だ。

 

「どうにかして落下を止めなきゃ…!」

 

両腕を広げても、壁に届きそうもない。なら、届かないなら伸ばせばいいじゃない!

視線を下に逸らす。映り込むものは無数の竹槍。その中で最も長そうなものを選んで右手に創り出す。そしてすぐに壁に向かって思い切り突き刺す。

右肩が外れるんじゃないかと思うような衝撃。片腕で私の体重を支えられるか少し心配だったけれど、そちらは問題なかった。しかし、竹槍のほうの耐久力がかなり危ない。今にも折れそうにメキメキ言ってるし!

咄嗟に下を向いて空いている左手に新たな竹槍を創り、隣に突き刺す。そして、両腕で二本の竹槍にぶら下がる。ふう、助かった…。

 

「…ふう」

「あのー、大丈夫ですかー?」

 

心配そうなうどんげさんの声が上から聞こえてきた。見上げてみると、こちらを見下ろすうどんげさんがいた。

 

「大丈夫ですよー」

「それならよかったですー」

 

返事をしてから、落ち着いて飛行体勢を取る。そして、二本の竹槍を回収する。にしても、こんな落とし穴誰が仕掛けたんだろう?そんなことを考えながら浮き上がり、落とし穴から脱出する。

無事出てきた私を見て安心した顔を浮かべるうどんげさん。しかし、すぐに険しい顔を浮かべる。

 

「てゐ…」

 

少しだけ怒気の含まれた声が漏れてきた。どうやら、あの妖怪兎が仕掛けたみたいだ。少し警戒したほうがいいかも。

 

 

 

 

 

 

うどんげさんが突然止まったと思ったら、不自然に曲がっていく。どうしたんだろう?

 

「念のため、私の足跡を外さずに付いてきてください」

 

振り向いて言ううどんげさんに従い、僅かに残された足跡にわたしの足を重ねながら歩く。付いて行きながら避けた地面をよく見てみると、不自然に整地されていた。もしかしたら、落とし穴があるのかも。

気を付けながら歩くこと数分。うどんげさんは大きく一歩踏み出した。同じように踏み出すが、脛のあたりに一瞬だけ違和感を感じた。何だろ、蚊でも触ったかな?

 

「ッ!危ないっ!」

「へ?――ぐへっ!?」

 

突然うどんげさんが振り向きつつ、わたしの脇腹に回し蹴りを繰り出した。数瞬宙を舞い、三歩分くらい横に蹴飛ばされた。幸い、落とし穴にかかることなく無事着地、但し肩から。蹴られたとこと肩がとても痛い。

 

「いきなり何するんですかー!」

「すみません、咄嗟に出来たのはこのくらいでして…」

 

そう言いながら、さっきまで私がいた地面に数本突き刺さっている腕の長さくらいの棒を引き抜く。そして、わたしにゆっくりと近づいてから手に持ったものを見せてくる。

 

「竹矢です。弾道から予想すると、狙っていたのは脚みたいですね」

「え、それって大丈夫なやつなの?」

「あまり大丈夫じゃないですよ。下手したら貫通します」

 

平然と返答しているうどんげさんが何だか怖いです。それと、こんな罠を仕掛けるてゐとかいう妖怪兎。貴女は今度会ったときに霧雨さんのマスタースパークみたいな凄いスペルカード考えて目の前でブチかます。

とりあえず、助けてくれたことのお礼はちゃんとしないと。

 

「助けてくれてありがとうございます」

「いえいえ、無事に里へ送るよう言われていますので」

 

そう言いながら手を差し伸べるうどんげさん。その手を取りつつ、脇腹蹴っといて無事って考えるのかー、と少しだけ考えた。

 

 

 

 

 

 

その後、罠にかからないように気を付けながら歩くこと数十分。ようやく迷いの竹林を抜け、人間の里に到着した。

 

「ふう、着きましたよ」

「案内、ありがとうございました」

「いえ、里で仕事をするついでなので大丈夫ですよ」

 

へー、里で仕事。怪我した人を治したり、薬を売ったりするんだろうか?医者である永琳さんが師匠って言ってたし。

 

「そうですか。頑張ってください」

「ええ、それじゃあね」

 

そう言って、うどんげさんと別れた。さて、どうしようかなー。魔法の森に帰るにはまだ早いし、慧音にでも会いに行こうかな。わたしの用はもう済んだよ、って伝えたいし。

人間の里を歩いていたら、わたしを見るや否や逃げ出してしまった。迷いの竹林に行く前も逃げ出していく人は多かったけれど、普段よりも逃げるまでの判断が速い。わたしに何かあったのかな?そう思って、顔を触れたり各部位を動かしたりして、軽く確認をするが、すぐに気づいた。

 

「あ、服血塗れ…」

 

そう言えば、フランさんにやられてから服を着替えた覚えがない。寝ている間に着替えさせられていたものだと思っていたけれど、そんなことはなく、あの時創ったパチュリーの服のまま。その服が悲惨なまでに赤黒く染まっている。こりゃ逃げるわ。

しかし、今着替えは持っていない。しょうがないから早く慧音に会いに行って、新しい服に着替えよう。

 

 

 

 

 

歩くこと数分。慧音の家の扉を叩く。

 

「慧音ー?居るー?」

「ああ、その声は幻香か。入ってこい」

 

すぐ返事が返ってきた。やっぱり慧音はこうじゃないと違和感がある。

言われた通り、敷居を跨ぐ。お邪魔します。

机の前で果物を食べながらわたしを見て、手に持っていた食べかけの果物を落とした。もったいない。しかも、目は見開いているし、口は開きっぱなし。そんなに驚くこと……あったね。うん。

かなり大股で歩み寄り、わたしの肩を掴む。かなり強い。痛いです…。

 

「お前どうした!?その血!」

「一昨日、このことで会いに行こうとしたんですよ」

「……そういえば妹紅がそんなこと言ってたな」

「それです。ちょっと怪我しちゃって。前に、何でも治せる医者を知ってるって言ってたのを思い出して、そのことを聞こうと思ったんですよ」

「で、妹紅も知っているから案内してもらった、と?」

「はい、そうです」

 

そう言うと、肩から手を離して、思案顔になる。どうしたんだろう?

 

「その医者を聞きに来るということは、相当大きな怪我を負ったんじゃないか?」

「あー、そうですね。右腕がちょっと爆発して…」

 

正直に答えたら、またもや目を見開いて私の右腕を見詰める。ちゃんと治ってますから、安心してください。

 

「右腕爆発!?見た感じちゃんと治ったみたいだが、一体誰に?」

「フランドール・スカーレットっていう吸血鬼」

「………本当に会ったのか、吸血鬼に。調べ物をするだけじゃなかったのか?」

「帰り道に迷っちゃってですね…。紅魔館って広いですよねー」

 

慧音は呆れたように額に手を当てて上を見上げる。「記憶力は良かった覚えがあるんだがな…」と呟く声が聞こえてきた。流石に丸ごと改装されちゃ迷いますよ…。

 

「まあ、無事で何よりだ。その服洗っといてやるから、着替えろ」

「はーい」

 

そう言って、慧音の服に触れ、新しい服を創る。血塗れの服を脱いで、新しい服に着替え始める。慧音が来ている服は、着やすくていい。慧音は、脱ぎ散らかした血塗れの服を持って部屋から出て行った。

着替えながら、気になったことを聞くことにした。声くらいなら届くと思うし。

 

「そういえば満月の日、妹紅さんが慧音は忙しいって言ってましたけど、何をしていたんですか―?」

「ん?それはな、歴史書を書いていたんだ。ちゃんとした、な」

「へー、それは大変ですね」

「ああ、間違った歴史を学ぶことで人間と妖怪が不要な争いを起こすのは嫌だからな」

 

どうやら慧音はそんな大変な仕事もしていたらしい。寺子屋だけでも大変だろうに。

着替え終えて、少し暇になったわたしは、勝手に落ちている食べかけの果物を頬張る。うん、美味しい。食べ終わる頃に、慧音が戻ってきた。すると、わたしの手にあるものを見て言った。

 

「落ちてる食べ物を拾って食べるのは止めたほうがいいぞ」

「えー、もったいないじゃないですか。まだ食べれるのに」

「いや、これを食べて腹を下すほうがよっぽど怖い」

「そうですか。けど、食べちゃったから遅いですよ?」

「これからは止めておけ、ってことだ」

「はーい」

 

久しぶりに軽いお説教を受けて、何だかむず痒い気分になる。とりあえず、伝えたいことは伝えたから、もう帰ろうかな。服も着替えられたし。

 

「それでは、帰りますね」

「ああ、服は、明日には乾いてると思うから」

「分かりました。それでは、また明日」

「ああ、じゃあな」

 



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第12話

久しぶりに自分の家に帰ってきた。特にやることがなかったので、寝ることにした。まだ明るいけど、明日やりたいことはたくさんある。慧音の家に行って服を返してもらったり、チルノちゃんとのスペルカード戦の約束を果たしたい。後、紅魔館に行って、大図書館に置いてきてしまった『サバイバルin魔法の森』と布団を持ち帰りたいし、フランさんとのスペルカード戦もある。明日だけで終わるかな?

 

 

 

 

 

 

太陽が地平線から薄っすらと見えてきたころに目覚めた。軽く伸びをしてから布団から出て、いつもの慧音の服に着替える。そして、台所へ行き干しておいた鹿の肉と茸をお湯にぶち込んで、醤油と塩で味付けをする。そろそろ食糧が底を突きそうだ。今日は予定があるから、明日以降に採集しようかな。

スープの味はお世辞にも人に出せるような味じゃなかった。慧音の家や永琳さんの病院で食べた料理は美味しかったな…。あのくらい美味しいのはどうやって作るんだろう。何か特別なものを入れているのかな。

そんなことを考えながら家を出て、真っ直ぐ霧の湖へ向かう。まだ朝早いから、慧音の家には帰ってから寄ろう。

 

 

 

 

 

 

飛び続けること一時間ほど。霧の湖に到着した。さて、チルノちゃんと大ちゃんはいるかなー?

軽く見回すと、湖のど真ん中で弾幕ごっこをしていた。ん?なんか知らない妖精が三人いる。どうやらチルノちゃんとその三人の妖精が勝負しているようだ。大ちゃんは近くで観戦をしているみたい。

一人目は、橙色に近い金髪が肩のあたりまで伸びていて、その両側を赤いリボンで括っている。そして、頭の上には白のフワフワした布。あの布、紅魔館で見た妖精メイドさんが付けてたのに似ているから、もしかしたらその一人なのかも。瞳は青色。服装は、赤や黄色と言った暖色系で統一されている。羽は四枚で笹の葉に似た形。服装から、暖色妖精と呼ぼうかな。

二人目は、くるくるとした亜麻色に近い金髪に、黒いリボンと白い帽子を被っている。瞳は赤く、なんだかジットリとした目をしている。服装は真っ白で、ところどころに小さな黒いリボンが付いている。羽は上方に反り返った三日月のような形。何となく、髪の毛の色と羽根の形が月を連想させるから、月光妖精と呼ぼう。

三人目は、黒髪が腰まで真っ直ぐ伸びている。そして、大きな青いリボンが頭頂部に結ばれている。瞳は黒色。服装は、青色のドレスを身に纏っている。羽は真っ白な蝶のような形で、他の二人に比べると少し大きく見える。服装とリボンから、青色妖精と呼ぼう。

1対3で大丈夫かな、チルノちゃん。スペルカードの枚数と被弾の回数のルールの変更点も気になるけど。近づいて見ようかな。大ちゃんと一緒に観戦をしよう。

湖の上を飛ぶこと十数秒。飛んでいる途中で大ちゃんはわたしに気付いて微笑んでくれている。

 

「お久しぶりですね。まどかさん」

「うん、久しぶり。大ちゃん」

 

一週間も経ってないから、久しぶりって感じはしないけどね。軽く挨拶を済ませて、今の戦況を聞いてみることにする。

 

「ねえ、今どんな感じ?」

「え、嬉しい気分です。まどかさんに会えて」

「それは嬉しいけど、戦況を知りたいな」

「あっ、すみません…。えーっと、チルノちゃんがスペルカードを一回使って、一回被弾。サニーちゃん達はスペルカード二回使って、一回被弾してる。あ、ルールはチルノちゃんはスペルカードは三回、被弾も三回までで、サニーちゃん達はスペルカードは一人一回で、被弾は三人が合わせて三回まで。だから、もうサニーちゃんしかスペルカードが使えないって感じ」

「うん。ありがと。とっても分かりやすかったよ」

 

感謝を伝えてから、スペルカード戦のほうを見る。あの三妖精の内の誰かがサニーというらしい。雰囲気からして、暖色妖精のことだと思う。サニーって太陽とか日光みたいな意味だったはずだし。

 

「雪符『ダイアモンドブリザード』!」

 

チルノちゃんがスペルカードを宣言した。すると、チルノちゃんの周りから氷のような弾幕が弾けるように飛び散り、三人に襲い掛かる。暖色妖精の動きはかなり機敏で、スイスイと避けている。青色妖精は広めのところを選んで動いている。しかし、残念ながら月光妖怪はあまり避けるのが得意ではないようで、反応が少し鈍い。こんな速度じゃあ霧雨さん相手だと一瞬で終わっちゃいそう。そう考えた矢先に、月光妖精の眉間に被弾した。試合終了。結果はチルノちゃんの勝利。1対3で勝てるってことは、相当強いんだろうな。

暖色妖精が慌てて月光妖怪に近寄る。

 

「大丈夫?ルナ!」

「うぅー、なんとか…」

「まあ、私達の被弾はぜーんぶルナなんだけどねー」

 

どうやら、ルナと呼ばれた月光妖精が三回全部被弾しているらしい。もうちょっと練習したほうがいいかも、なんて考えていたら、チルノちゃんが私に気が付いた。

 

「あ!まどかじゃん!」

「チルノちゃん、おはようございます」

「アタイが勝ったとこ見たかー?」

「ええ、見ましたよ。とてもいい勝負でしたね」

「アタイは最強だからなー!」

 

そう言って胸を張るチルノちゃんはとっても可愛らしかったです。三人の妖精もわたしに気付いたようで、何やら顔を近づけてヒソヒソと話し始めた。

 

「ねえサニー、あの私そっくりなの知ってる?」

「え?何処から見ても黒髪で私そっくりじゃない」

「えー!スター何言ってるの!?あの太陽みたいに可愛らしい顔は私に似てると思うけどー?」

「どこがよ!あの落ち着いた顔!金色の髪に赤い瞳!どう見てもあなた達には似てないわ!」

「ルナもサニーも似てるとこなんて全然ないじゃない!」

「何をー!この私の姉妹と言ってもいいほど似てるのに!アンタ等の目は節穴か!?」

 

訂正。丸聞こえでした。暖色妖精はサニー、月光妖精はルナ、青色妖精はスターと呼ばれていたが、その三人はわたしの見た目で口喧嘩を始めてしまった。三人とも正しいことを言っているのがなんとも悲しいことだ。わたしは見た人と同じ顔になる妖怪なのだから。さて、どう説明しようか…。

 

「ねえ!あなたもそう思うでしょう!?」

「私と同じような顔してますよね!?」

「お姉さん私そっくりだよね!?」

 

突然三人がこちらを向いて言い放つ。三人が同時に言うものだから、なんて言ったんだか分かりにくい。しかも、わたしの返事を待たずにまた口喧嘩が始まってしまった。ああ、どうすればいいの?まあ、気にせず話せばいいよね、うん。

わたしは手を叩いてこちらに意識を向かせる。ハイ注目。

 

「サニーちゃんもルナちゃんもスターちゃんも静かに!わたしの話を聞いて!」

「あれ?何で私達の名前を?」

「サニー、自分で言ってたじゃない」

「サニーが言ってたわよ」

「アンタ等も言ってたでしょー!」

「はい喧嘩しない!わたしは鏡宮幻香。ドッペルゲンガーっていう妖怪よ」

「ドッペルゲンガー?」

「えーと、確か自分そっくりの分身とか魂が二つに分かれた存在とかだっけ」

「見たら近いうちに死ぬなんて噂もあるわねー」

「ええ!?私達死んじゃうの!?」

「死にませんから安心してください」

 

おおう、そんな噂があったのですか…。道理でわたしのことを避けまくるわけだ。昨日の血塗れもわたしの悪い噂を広める要因になりそうで怖いです。

 

「わたしは見ている人と同じ顔になるから、三人とも正しいことを言ってたの。だから喧嘩しないで」

「へー、面白い妖怪ね」

「ふふ、まるで鏡を見てるみたい」

「うーん、私が髪を伸ばすとこんな感じになるのか…。今度伸ばそうかな…」

 

三者三様の反応。サニーちゃんは髪の毛伸ばさないほうが可愛いと思うけどね。

まあ、この三人のことはこのぐらいでいい。ここに来た理由はチルノちゃんとのスペルカード戦の約束を果たすためだ。スペルカードも考えたしね。

 

「さて、チルノちゃん。わたしとスペルカード戦をしましょう?この前、約束したでしょう?」

「お!まどか、スペルカード考えてきたのか?」

「ええ、ちゃんと」

「よーし!じゃあアタイと勝負だ!」

 

そう言ってビシィッとわたしを指差す。やる気は十分見たい。すると、大ちゃんが私達に確認を取ってきた。

 

「じゃあ、スペルカード三回、被弾三回でいいですか?」

「うん!いいぞ!」

「ええ、大丈夫ですよ」

 

審判は大ちゃんがやってくれるみたいだ。優しいなあ…。

 

「私達ともやってくれるかな?」

「サニー、そういうのは聞かないと分からないわよ」

「ええ…、私もうやりたくないんだけど…」

「ふふ、チルノちゃんとのスペルカード戦が終わったらやってあげますよ?」

「本当!?ルナ!スター!頑張ろう!」

「そうね。頑張りましょ?」

「はあ…。しょうがないわね…」

 

相手がやりたいと言っているのだし、しっかりとやってあげよう。まあ、今は目の前の相手であるチルノちゃんに集中しよう。

わたしは『幻』を十五個展開する。直進弾用の高速と低速を各三個、追尾弾用、阻害弾用、炸裂弾用も各三個だ。準備は万端だ。

 

「さあ、チルノちゃん対まどかさん。よーい……、始めっ!」

 



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第13話

うーん…。チルノちゃんの弾幕がとても薄く感じる…。

紅い霧の主犯である、レミリアさんを退治しようとしてきた霧雨さんと比べちゃいけないのかもしれないけれど、二割以下って感じだ。その結果、わたし自身が攻撃する余裕がある。『幻』の半自動攻撃ではなく、私が相手の動きを予想して撃てるというのは、かなり勝ちやすくなっていると思う。実際、開始数秒で一回当てることが出来た。

 

「むーっ!氷符『アイシクルフォール』ッ!」

 

顔を真っ赤にしたチルノちゃんが、わたしの上方に飛翔しながらスペルカードを宣言した。アイシクルは『氷柱』で、フォールは『落下』『降雨』『降雪』『滝』『秋』なんかの意味があるって慧音が言ってた。つまり、このスペルカードは『氷柱の落下』をモチーフにしているはず。さて、どうかな?

チルノちゃんが相当高い位置で静止し、彼女の腕くらいの長さと太さはあるだろう氷の弾を、大量にわたしの周辺に落としてきた。その氷の弾は先端が鋭く尖っている。当たったら、痛いじゃすまなさそうなんですけど…。

けど、この程度の弾幕は避けやすく感じる。上からしか来ないなんて単純すぎるからね。まあ、名前の通りの技だった、と言ったところかな。けれど、こちらの攻撃はちゃんと避けながら撃っている。当てようと思ったんだけど、開始数秒の被弾は相手をやる気にさせてしまったようで、わたしの弾幕を掠めるようにして回避している。

三十秒避け続けてスペルカード終了。もしかして、チルノちゃんってあんまり強くない…?いや、まだ分からない。物事は最後まで気を抜かないことが重要だ。霧雨さんを基準に考えると、価値観が歪むかもしれないし。

けれど、表情には余裕が僅かに浮かんでいるのが伝わる。せっかくの勝負だ。相手の実力を引き出すには、どうすればいいか。

 

「チルノちゃん。まだまだこんなものじゃないでしょう?」

「ムッ!へへーん!じゃあ本気出してやるからな!泣いたって許さないぞ!」

「泣きませんから安心してください」

 

ちょっと挑発すればいい。戦況は現在わたしが有利だ。この状況で挑発をすれば、大抵の人は乗ってくると思う。舐められている、って思われるのは悔しいもんね。

チルノちゃんの本気は、最初に比べてみれば劇的に変わった。弾幕の密度はさっきの二倍にはなっているだろうし、弾の速度も低速と高速の差がかなり大きくなっている。それに、追尾弾の性能も高い。わたしは掠めるように避けるような技術はないから、空いている場所を探すために意識を使い、攻撃をする余裕がさっきより減ってしまった。

まあ、それでも霧雨さんより弱っちいかな。

 

「攻撃出来る…。これじゃ駄目だよチルノちゃん」

 

自然と口から漏れ出てしまうわたしの本音。その言葉はあまりにも小さく、誰にも聞かれることはなかっただろう。

わたしは右手の人差し指をチルノちゃんに向ける。妖力を指先に集めて、直進弾を作りだす。けれど、普通に撃っても避けられてしまうだろう。なら、避けにくいタイミングで放てばいい。

狙うは、瞬きをした瞬間だ。その瞬間に、最速の攻撃を放つ。

 

「――ッ!」

「えっ…、痛ッ!」

 

ヒット。わたしの撃った直進弾は、吸い込まれるように眉間に被弾した。あと一回当てるか、スペルカードを二回避けきれば私の勝ちだ。それに、あのスペルカードを使ってくれれば、多分わたしはチルノちゃんに勝つことが出来るだろう。

チルノちゃんの目つきが変わった。心なしか弾速が上がっているように感じる。いや、確実に速くなってる。さらに、弾幕の密度まで濃くなってきた。

 

「こうなったら本気の本気だー!」

 

自分が攻撃をする余裕がなくなってきた。だけど、たくさん撃てば撃つほど、わたしのスペルカードは脅威になるよ?

 

「鏡符『幽体離脱・乱』」

 

視界にあるすべての弾幕が複製され、あらゆる方向に直進する。チルノちゃんに直撃する動きもあれば、全く当たらなさそうな方向に進むものも。わたしに向かってくるものもあるし、大ちゃんやサニーちゃん達に向かっていくものもある。関係ない子に当たらないことをちょっとだけ祈っておく。相手に向かう弾幕が少ないけれど、規則がないっていうのは扱いづらい、って慧音が言ってた。つまり、規則がない弾幕は避けづらいってこと、だよね?

 

「ちょっとー!危ないじゃないですかー!」

「ごめんごめん」

 

チルノちゃんは普通に避けきっている。周りを軽く見回した結果、大ちゃん、サニーちゃん、スターちゃんは被弾していない。ルナちゃんは頭を押さえてうずくまっているから、多分当たった。ほんとごめん。このスペルカード、もうちょっといい使い方見つけとかないとなあ…。

 

「くらえッ!凍符『パーフェクトフリーズ』!」

 

そのスペルカードを待っていた!

 

「鏡符『幽体離脱・集』!」

 

チルノちゃんを中心に大量に出てきた弾幕が複製され、その全てがチルノちゃんへ向かって飛んでいく。避けるのは多分出来ないから、何らかの方法で相殺すればいいだろうけれど、これら全部は無理でしょう!

 

「えっ、ちょっ」

 

あ、一個も相殺出来ずに全部被弾した。まあ、一回被弾してから三秒間は被弾してもカウントしないっていうルールもあるから、これでも一回分だ。まあ、これでチルノちゃんは被弾三回。

 

「この勝負、被弾三回でまどかさんの勝ちです!」

「ふぅ…。勝った勝った」

 

軽く伸びをしながら呟く。ちょっと疲れたから、あの三人とスペルカード戦をするのは軽く休憩してからがいいな。

それより、チルノちゃん大丈夫かな?ダメージはほとんどないような妖力弾でも、あれだけの数受けたらヤバいかも…。チルノちゃんグッタリしてるし!

 

「いてて…、あー!負けたー!くーやーしーいー!」

 

急に起き上がって四肢をブンブン振り回し始めた。良かった、大丈夫そう。

さて、あの三人にちょっと休憩してからにしよう、と提案しようと顔を動かしてみると、少し遠くのほうで、何やら顔を寄せ合って相談をしているように見える。まあ、気にせず話しかけますかな。

 

「ちょっとサニー!私達が勝てなかったチルノに勝った相手に勝てるの!?」

「ふふふ、勝てるの?じゃないわ!私達は勝つのよ!」

「でも、どうやって?何かいい案でもあるの?」

「ある!ほら耳貸してー、…………………………って感じで!」

「ふーん、それなら勝てるかも。よし、やるわよ!」

「「オーッ!」」

 

何か作戦があるらしい。けど、今はそんなことよりも休憩だ。わたしに休憩をください。

 

「あのー」

「ヒッ!ま、幻香さん?」

「ちょっと、まさか聞かれてたんじゃないの?」

「いえ、作戦は絶対に聞かれてないはず。私がそこだけはちゃんと消したから」

「ルナ、ナイス!なら大丈夫そうね!」

 

なんと、ルナちゃんは音を消す能力があるらしい。しかも、三人には聞こえて周りには聞こえないようにするなんて技術もあるみたい。それって結構便利じゃない?悪戯し放題、いや、この能力を知っていたら、逆に音がないところに彼女がいるってことになるから、一発物の能力になりかねない。うーん、難しい能力だなあ…。

 

「その作戦のことじゃなくて、ちょっと休憩したいなって」

「え?どうぞどうぞー」

「どのくらい休みますか?」

「えーと、五分くらい?」

「そうですか、分かりました」

「ありがとう。じゃあ、ちょっと待っててね」

 

私は岸に降り立ち、軽く横になる。さて、ちゃんと休もうかな。

さて、一対三のスペルカード戦が五分後に始まる。どうやって戦おうかな。

 



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第14話

さて、三人の妖精との勝負。そのうちの一人は音を消せる。つまり、後ろからの奇襲なんかも簡単に出来てしまうだろう。だから『幻』を正面だけではなく、全体に放つようにしたほうがいいかな。

 

「まどかさーん!そろそろ時間ですよー!」

 

大ちゃんからのお呼ばれだ。軽く伸びをしてから、三人の妖精の元に移動する。その顔が自信に満ち溢れているから、相当いい作戦なんだろうな。さて、他二人の能力も未知数。一体どんな作戦で来るのか。

 

「ルナ!サニー!やるわよ!」

「ええ!私達、光の三妖精の力!」

「見せてあげましょう!」

 

気合も十分なようです。あと、光の三妖精なんだ。サニーは太陽、ルナは月、スターは星か。いいセンスしてるよ、ホント。

戦闘準備。『幻』を展開するが、その中に追尾弾用はない。何故なら、わたしの放つ追尾弾は視認したものに飛んでいくからだ。後頭部や背中に眼はないので、後ろにはなった追尾弾は急カーブをして、前方の相手に飛んでいくことになる。それじゃあ意味がない。だから、直進弾用を高速のみで、前後左右上下に各三個ずつ。炸裂弾用も、前後左右上下に一個ずつ。合計二十四個だ。後六個しか増やせないから、これで十分であってほしいなあ…。

 

「さて、まどかさんは、スペルカード三回で被弾三回の通常のルールで、サニーちゃん達のスペルカードは一人一回ずつで、被弾は三人の合計で三回。それでいい?」

「うん!」

「ええ!」

「いいわよー」

「大丈夫です」

 

私にとっては的が増えることを喜ぶべきなのか、弾幕が発生するところが増えることを悲しむべきなのか…。まあ、困ったらスペルカード戦が苦手そうなルナちゃんを狙おうかな。

 

「さあ、サニーちゃん達対まどかさん。よーい……、始めっ!」

 

瞬間、三人が忽然と消えた。

 

()()()()()()()!?」

 

あれ?声が出ない。いや、声を出しているって感覚はあるのに、全く聞こえない。これがルナちゃんの能力か。うーん、今三人はどこにいるんだろう?前方から弾幕が来ているけれど、チルノちゃんとの勝負から予想すると、多分一人しかいない。つまり、他二人は視界に入っていない方向から攻撃してくるということになる。

上を見て弾幕がない事を確認してから、弾幕の範囲から大きく外れるように飛び上がる。下を見て、弾幕の発生位置を確認してみると、どうやら後方に二人がいるみたいだ。前方にいた方向を十二時とすると、四時と八時の方向にいると思う。とりあえず勘で撃ち込むかな。

両手を開いてから指先に妖力を込め、十の弾を作りだす。とりあえず四時の位置にいるだろう一人に射出する。大きさは小さめにして、速度は最大。さて、当たるかな?

その小さな弾幕は目標の位置へ真っ直ぐと降り注ぎ、湖に九つの小さな水柱が立った。どうやら当たったみたい。

あ、思い付いた。突然だけどスペルカードを思い付いた。上から下に落とすのを見て思いついた。確か、武器の使用もありで、例えば刀みたいな刃物で相手を斬り付けても被弾になるはずだから、これもルールの範囲内のはず。

 

()()()()()()()()()()()

 

しかし、これだとスペルカードの宣言が出来ない。いや、ルールではスペルカードの使用は原則宣言をするであって、必ず宣言するわけじゃない。これは明らかにスペルカードだ、って分かるような感じにすればいいでしょう!

視点を遠くに合わせる。目に映るものは、薄っすらと見える紅魔館とそれを囲む鬱蒼とした森。よし、あれにしよう。

右腕を上に伸ばし、右手を大きく開く。そして、視界に映る最も大きいと思われる大樹を複製する。うっ、結構妖力使うなあ…。創った大樹だけど、正直かなり重い。腕がプルプルしてきた。早く下ろしたほうがいいね。

 

()()()()()()()()!」

 

勢いよく右手を振り下して、大樹を投げつける。もちろん、面積が広い葉っぱがなっているほうを下向きに。この大きさなら、三人同時撃破も出来るかも。スペルカードの名前がそのまんま過ぎるけど、大丈夫!どうせ聞こえていないだろうし!

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

かなりの速度で落下していく大樹を見下ろして高笑いするわたし。こんな大きなもの投げたせいか、テンションがかなりハイになってきた。

大樹が湖に着水して、バッシャァアーーーンといった感じの轟音が響き、わたしの肌に僅かな空気の流れを感じさせた。ん?音が聞こえる?

そんなことを考えていたら、大ちゃんが大きく腕を振って、こちらに注目を促している。

 

「まどかさーん!あの三人を助けてあげてくださーい!もう勝負は着いたので安心していいですよー!」

 

勝ったみたいだけど、三人はあの大樹の枝に絡まったらしい。チルノちゃんはもう湖に潜っているみたいだし、私も急ぎましょうか。

 

 

 

 

 

 

「うぅー、酷い目にあったー…」

「あの作戦、全然意味なかったじゃない…。瞬殺よ、瞬殺」

「あんな大きな木を投げつけてくるなんて驚いたわー」

 

三人は水を含んで随分重くなった服を絞りながら、私にジットリとした目を向けて愚痴っている。わたしは、服を絞りつつ近くの木にもたれかかって休むことにした。愚痴は聞き流す。

救出はとても簡単に終了した。水面から飛び出ている大樹に触れて、妖力として回収したら、あとは中に沈んでいる三人を岸に上げるだけ。まあ、服が水を含んでとても泳ぎにくかったし、同じように水を含んだ三人も重かったけど。

 

「まどかさん、あんなこと出来たんですね…。木を出したり消したり」

「あー、まあね。そういう能力だから」

 

さっきのスペルカード、使いどころが難しい技だよなあ…。視界に映るものしか複製できないから、いつでもあんな感じの大きくて広範囲を攻撃できそうなものが近くにないと駄目だ。しかも、わたしの腕力だと、横や上には投げられない。したがって、相手より上に上がらないといけない。しかも、弾幕を避けながら。避けながら上に行く自信はあまりないから、最悪、被弾覚悟で行けばいいかな。

まあ、いいか。使えるときに使えばいいか。複製するものによって名前を毎回考えないといけないのがちょっと面倒だけど。

 

「さて、もう少し休んだら紅魔館に行かないと」

「え?まどかはこーまかんに行くのか?アタイも行きたい!」

「え?まどかさん、紅魔館に行くんですか?私、ちょっと大図書館というところに行ってみたかったんです。付いて行ってもいいですか?」

「幻香さんが紅魔館に行くってさ!ルナ、スター、どうする?」

「うーん、紅魔館にいる吸血鬼っていうのは月が輝く夜の妖怪なんでしょう?一回会ってみたいわね」

「ふふ、じゃあ付いて行きましょう?」

 

あれ?何だか一人旅のつもりが急に増えちゃったよ?まあ、付いて行くのは個人の自由だし、放って置こうかな。

 

「付いて行くのはいいけど、休んでからね」

「やたー!」

「ふふ、色々知りたいことがあったんですよ」

「よし!目標は美味しいもの!」

「会えるかしら、吸血鬼」

「みんな楽しそうね。私はどうしようかしら?」

 

うーん、騒がしい…。紅魔館の皆に迷惑がかからないようにちょっと注意したほうがいいかも。

 



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第15話

休憩を終えたわたしは、真っ直ぐ紅魔館へ飛んでいく。後ろにはチルノちゃん、大ちゃん、サニーちゃん、ルナちゃん、スターちゃんの五人の妖精達。

後ろに振り向きながら、彼女達に注意をしておく。

 

「いい?紅魔館の人達に迷惑かけないでね!」

「分かったー」

「ええ、もちろん」

「うっ…。だ、大丈夫ですよー」

「迷惑かけないでね、サニー」

「一番騒がしいのはサニーなんだから」

「うがー!そういう二人だっていつもうるさいのにー!」

「それはないわ」

 

ホントに大丈夫かな、これ…。特にサニーちゃん。

 

 

 

 

 

 

さて、到着。門の前に美鈴さんがいて、わたしに気付いて手を振ってくれた。

 

「ん?ああ、幻香さんですか。パチュリーさんから貴女のことは聞きましたよ」

「あ、そうなんですか」

「それで、後ろの妖精達は?」

 

わたしの後ろには、ガヤガヤ騒がしく話している五人の妖精。私とこの子達はどんな関係だろうか…。

 

「あぁー…。と、友達…かなぁ…。うーん、いやちょっと違うかな。えーと、知り合い?」

「え?まどかさんと私達はもう友達だと思ってたのですが…」

「え?大ちゃんはもうそう思ってた?」

 

友達と言えるほど相手のことを知っているわけでもないのだけれど、大ちゃんはわたしのことを友達と言ってくれるらしい。噂の中には、わたしを見たら近いうちに死ぬなんて物騒なものまであったのに。その優しさがわたしの心に染みる。

 

「とりあえず、知り合いならそれでいいです。どうぞ、後のことは咲夜さんにでも聞いてください」

 

そう言って、ギギ…と音を立てながら美鈴さんが門を開けてくた。

 

「お先ー!」

「行くよっ!ルナ!スター!」

「そうね。行きましょう!」

「え?待ってー!――キャッ!」

 

瞬間、大ちゃんを除く妖精達が勢いよく走って行ってしまった。ただし、ルナちゃんは一回こけた。

 

「あ、大丈夫かな…」

「大丈夫かなチルノちゃん…。迷惑かけちゃったりしないよね」

「さあ、貴女達もどうぞ」

 

美鈴さんに促されて門を通る。先に行ってしまった彼女たちの面倒はきっと館中にいる妖精メイドさん達がやってくれるだろう。そうであってほしい。

庭を歩いていき、紅魔館に入ると、メイド長である十六夜咲夜さんがいた。

 

「こんにちはー。咲夜さん」

「あら、こんにちは幻香さん。今日は何の御用で?」

「友達と大図書館に」

「そうですか。では、ご案内しますね」

 

そう言って先行していく咲夜さんに付いて行く。後ろにピッタリくっついている大ちゃんのほうを見てみると、ソワソワと落ち着かない表情をしている。

 

「どうしたの?」

「えっ!?いや、あの、その、とっても楽しみだなーって…!」

 

無邪気な笑顔を浮かべながら、腕をパタパタさせて慌てて返す仕草がとても愛らしいです。

 

「そっか。どんなものを調べたいの?」

「えと、ちょっと霧の湖のお魚について」

「へえ、霧の湖には美味しい魚がいるの?」

「はい!銀色の小魚なんかはとてもおいしいです!」

「へー。今度釣りでもしようかな…。他に何かいるの?」

「えーっと…。あ、そうだ!食べたことはないですがこーんなくらいの大きさの…」

 

そう言いながら腕いっぱいに広げる大ちゃん。帰る途中で見てみようかな…。それとも、また今度の楽しみにとっておこうかな…。

詳しく聞いてみると、その大きな魚は霧の湖のヌシと呼ばれているそうで、新月の夜になると見ることが出来るとか何とか。満天の星空を移す湖面に浮かぶその影はとても幻想的だとか。しかし、最近満月になったばかりの今では見ることは出来なさそうだ。ちょっと残念。

 

「まどかさんは何を調べるんですか?」

「んー…、わたしは置いてきちゃったものを持ち帰ることが目的だからなあ…。まあ、食べられるものでも調べようかな」

「それじゃあ、私の知りたいことが調べ終わったら、手伝ってあげますね!」

「え?本当?ありがとう!」

 

霧の湖の魚について調べる大ちゃんと、食物全般を調べるわたしでは、圧倒的にわたしのほうが調べる量が多いだろうから、その大ちゃんの提案はとても嬉しい。

話が一区切りついたので、チラリと咲夜さんのほうを見てみる。すると、何やら妖精メイドさんと何か話していた。妖精メイドさんはかなり慌てた様子で話している。

 

「ええ、分かったわ」

「どうしたんですか?咲夜さん」

「野暮用よ。代わりの案内役はこの子に任せるから。さあ、このお客様を大図書館に案内しておいてね」

「あの、何があったんです?」

「盗難よ」

 

え?何だか嫌な予感がするんですけど…。

 

「どうやら調理場の料理が多少消えたそうよ。近くでは見知らぬ二人の妖精がいたって。橙に近い金髪に赤い服を着たのと、水色の髪に氷のような羽」

「サニーちゃんとチルノちゃんだ…」

 

震える声で呟く大ちゃんと同じ意見だ。そういえば、サニーちゃん美味しいもの食べたいみたいなこと言ってたような…。チルノちゃんは…何でだろ。お腹空いたのかな?

咲夜さんの目が大ちゃんに向いていることに気付いた。かなり小さい声だったから聞こえていなかったと思ったけれど、聞こえていたのか。どうやら咲夜さんの耳はかなりいいみたい。

 

「貴女、何か知ってるの?」

 

そのまま大ちゃんに近づきながら聞いてくる咲夜さん。真顔で迫ってくる咲夜さんからは、さっきまでは感じなかった圧迫感を感じる。そのせいで萎縮してしまっている大ちゃんから聞き出すのは難しいだろう。

 

「咲夜さん」

「何かしら?」

 

視線がこちらに移る。その目つきは、鋭利なナイフのようだ。邪魔すんなって眼が言っているけれど、言えなさそうな大ちゃんの代わりに答えるために発言したんだ。

 

「その二人はわたしの友達です。迷惑をかけてしまってすみません」

「あら、そうだったの?じゃあ、ちゃんと注意しておきますからね」

 

さっきまでの鋭い目つきと圧力は霧散し、いつもと同じ微笑みを浮かべた。そして「それでは」と言って文字通り消えてしまう咲夜さん。

パチュリー曰く、咲夜さんは時間を操る程度の能力があるのだそうだ。時間を止めたり、早めたり、遅くしたり、圧縮したり出来るらしい。今回は時間を止めて、その止まった世界の中を自分だけが移動しているのだろう。…いや、もうしていたと言うべきか。

 

「あ、あのっ…。だだだ大図書館へ案内しますぅ…」

「あ、ありがとう」

 

代わりの妖精メイドさんは緊張しているのか、体がガチガチに固まっている。歩き方も関節を蝋で固めてしまったような、油を差していないブリキのおもちゃのような、とにかく違和感しかない動きだ。大丈夫かなあ…。

 

 

 

 

 

 

問題なかった。無事、見たことのあるとても大きな扉、つまり大図書館の入り口に到着した。

 

「こ、ここが大図書館の入り口ですぅ…」

「ここまでありがとね」

「あっ、わざわざありがとうございますっ」

 

ちゃんと頭を下げてお礼を言う。大ちゃんもわたしに倣って慌てて頭を下げた。案内をしてくれた妖精メイドさんは「こ、これが仕事ですから…」と返しながら照れくさそうに笑った。

 

「そ、それでは、私はこれで…」

 

そう言って何処かへ行ってしまった。きっと、新しい仕事があるんだろうな。

 

「さて、入ろうか。大図書館に」

「はいっ!」

 

元気のいい返事を聞いて、わたしは勢いよく扉を開けようとした。しかし、少ししか動かせない。え?この扉、凄く重い…。これを一人で開けていた咲夜さん力ありすぎ。結局、大ちゃんと力を合わせて二人で開けました。

 



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第16話

扉を開けた瞬間、古くなった紙とインクの独特の香りが鼻腔をくすぐった。うーん…、ここに来るのは僅か二回目だけれど、大図書館はこの香りが似合うと思う。

 

「うわぁ…!本がたくさん…!」

 

目を輝かせながら中に入っていく大ちゃんに付いて行く。二人が中に入ったのを確認したように、後ろの扉が勝手に閉まる。しかし、わたしも大ちゃんも気にしない。結構大きな音を立てていると思うけれど、大ちゃんはそんな音なんかより目の前の本に夢中だ。

そんな大ちゃんの肩を叩いて、本からわたしに意識を向けてもらう。よっぽど本に集中していたのか、こちらを見る目がちょっと痛い。

 

「むー…。何ですか?」

「とりあえず、司書さんに挨拶しよ?」

「あ、それもそうですね」

 

大ちゃんを司書であるパチュリーに会わせるため、パチュリーさんがいつも座っているところへ移動する。わたしの後ろを付いてくる大ちゃんは、周りにあるたくさんの本棚に目を移していた。霧の湖の魚について書かれている本を探しているのかもしれない。

パチュリーはいつものロッキングチェアに座って紅茶を飲みながら本を読んでいた。僅かに見える表紙には魔法陣のようなものが見えるから、きっと魔導書みたいなものを読んでいると思う。

もう既に目の前と言ってもいいほど近づいている。それなのに気付いてくれないとは…。それだけ読書に集中しているのだろう。しかし、挨拶もなしに大図書館を利用するのは失礼だろうし、何処に本があるかを聞きたいから、ちゃんと声をかけておこう。まあ、普通に声をかけてもつまらないし、ちょっと驚かせてもいいよね?

パチュリーの耳元にフ…と息を吹きかける。

 

「わひゃあっ!?」

「パチュリー、遊びに来たよ」

「い、いちいち脅かさないで…。ようこそ大図書館へ。で、今あなたの後ろにいる妖精は?」

 

パチュリーは大ちゃんを見ながら言った。目を向けられた大ちゃんは、ちょっと驚いてわたしの背中に隠れてしまった。

 

「この子は大妖精で、大ちゃんと呼ばれてるんですよ」

 

そう言いながら、後ろに隠れてわたしの服に引っ付いている大ちゃんを引っ張り出す。

 

「ほら、挨拶挨拶」

「あ、あの大妖精って言います!まどかさんとは友達で…、今日は霧の湖のお魚について調べに来ました!」

「そう。なら、あっちの方の右から二番目の本棚、下から四段目の左端の方に『霧の湖全集』がまとめて置いてあるはずだから、その中の『霧の湖全集~魚編~』を読めばいいわ」

「そうですか!ありがとうございます!」

 

なんだそれ。そんなに分けなきゃいけないほどたくさんのものが霧の湖にあるの?大ちゃんの方は気にせずパチュリーが指差した本棚へ走って行った。さて、私が前に複製した奴は何処にあるんだろ?

 

「何を探しているの?」

「いえ、前に創った『サバイバルin魔法の森』を…」

「ちょっと待ってね…」

 

そう言って近くにいた妖精メイドさんに何かを伝えた。すると、妖精メイドさんが飛んでいき、すぐに戻ってきた。その手には『サバイバルin魔法の森』がある。

 

「ほら、どうぞ」

「わあ…、ちゃんと保存してたんですか?」

「ええ、数日経っても消えないから驚いたわ」

 

魔法の森にあるあの簡素な家の壁の木材はわたしが創ったものだ。中にある硬い布団も調理器具も箪笥も服もわたしの複製で、長いものは既に数年経っている。それでも消えないみたいだし、結構便利だ。

 

「とりあえずここに来た目的はこの本ですから…」

 

あの時、布団を回収してしまったのが悔やまれる。そうっすればここであのフカフカな布団を得られたのに!うわー!もったいない!…けど、あの時はとりあえず何でもいいから妖力が欲しかったから仕方なかったかなあ…。

いや、今日はチルノちゃんと光の三妖精とのスペルカード戦でちょっと疲れたし、フランさんとのスペルカード戦は明日にしよう。だから、今日ここで泊ってもいいか聞こう。そうすれば布団出してもらえそうだし。

 

「そうだ、パチュリー」

「何かしら?」

「今日ここで泊っていってもいい?」

「え?いいわよ?」

 

よし、許可は得られた。そういえば、本棚の前で霧の湖の魚について調べているだろう大ちゃんと、ここにいないチルノりゃん、サニーちゃん、ルナちゃん、スターちゃんも泊まっていくのかな?もし、泊まっていくときのためにちゃんと伝えといたほうがいいかな?

 

「あ、もしかしたらもっと布団が必要になるかも」

「どうしてかしら?」

「わたしの他に五人の妖精が来てるんです。その子達も泊まっていくかも」

「そう。分かったわ」

 

パチュリーは真紅色の電話で誰かに掛け始めた。誰に掛けてるんだろ?前みたいにレミリアさんに掛けるのかな?

 

「もしもし?―――ええ、泊まるための準備を。人数は最小一人で最大六人―――――――ええ、よろしく。―――――え?幻香に?――ええ、分かったわ。……幻香、出て」

 

右手に持った受話器を私に突きだしてきた。とりあえず受け取って、耳に当てる。

 

「はい、鏡宮幻香です。どなたですか?」

『咲夜よ』

 

なんと、咲夜さんでしたか。一体わたしなんかに何の用があるのだろう?

 

「何の用ですか?」

『あなた達の友達の妖精二人を捕まえたわ。チルノとサニー』

「あ、そうですか…」

『その二人を確保したとき、ルナとスターという妖精が出てきたからついでに捕まえたのだけれど、知っているかしら?』

「あー、その子達もわたしの友達です。さっきパチュリーが最大六人って言ってたと思いますけれど、わたしと大ちゃん、そこにいる四人の妖精で六人なんです。だから、その子達にここに泊まるかどうか聞いておいてくれると助かります」

『そう、分かったわ。それじゃあ、パチュリーに代わってくれるかしら?』

「分かりました。……パチュリー、咲夜さんが代わってって」

 

持っている受話器をパチュリーに返す。

 

「今代わったわ。――――ええ―――――――そうよ。それじゃあよろしくね」

 

そう言って電話を切った。そしてパチュリーがわたしのほうを向いて言った。

 

「泊まれる部屋はとりあえず六部屋全部あるそうよ」

「それならよかった」

「けれどその六部屋全てが隣接しているわけじゃないみたい」

「え?それはちょっと困るんですが…」

 

部屋が遠かったりするとちょっと面倒だ。しかしどの程度固まっているんだろうか。

 

「大図書館の近くには二つあるわ。後は入り口の近くとかレミィの部屋の隣とかゲストルームとか場所は様々ね」

「どうしましょうか…」

 

ちょっと考える。上手く固まってもらう方法…。あ、そうだ。

 

「わたし、ここで寝ますから、ここの近くの部屋にあと五人を泊めましょう。チルノちゃんと大ちゃんを一部屋に、残った三人は余った部屋に」

「大丈夫なの?それで」

「基本的にそのグループでいることが多いので大丈夫だと思う」

 

まあ、会った回数なんか片手で足りるほどしかないけどね。光の三妖精なんかは一回しか会ってない。だけど、あの雰囲気からして大丈夫だろう。

 

「とりあえず、部屋は大丈夫そうね」

「部屋の問題も解決したし、わたしは調べたいことを調べますね。何か食物に就いて載っているものってないですか?美味しい調理法とか」

「うーん…、そうねえ…。今、大妖精のいる本棚の一番上の段の左端のほうに『主婦のお供に!これでアナタも一流料理人!』って言うのがあったと思うわ」

 

どうしてわたしが求める本のタイトルは変なものになるんだろう?

 

 

 

 

 

 

言われた所にちゃんとあった『主婦のお供に!これでアナタも一流料理人!』を読破した。

書いてあった内容には、スープにはちゃんとした味付けをするといいとあった。魔法の森で採れるものだと、茸や動物の肉や骨なんかがいい旨味を出すらしい。しかし、灰汁が出る場合もあるからちゃんと取らないといけないと書いてあった。

他にもいいところがたくさん書かれていたので、とりあえず貰うことにする。ちゃんと新しく創り、本物を本棚に返した。

さて、次は何しようかな…。

 



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第17話

何をしようか考えながら下を見てみると、大ちゃんはまだ同じ本を読んでいるようだ。ちょっと声をかけようかな?

そう思ったら、突然肩を叩かれた。誰だろ?

 

「誰ですか?」

「えへへー!私だよ!」

 

なんと、フランさんだった。しかし、初めて会った時のようなプレッシャーは感じない。とても無邪気な笑顔を浮かべている。

 

「咲夜がねー、おねーさんがここに来たって言ってたから来たんだ!」

「ふふ、そうなんですか」

「治るの早かったね!一月かかるって言ってなかった?その傷」

「あー、お医者さんが優秀で予想より早く治りました」

「それはよかったねえ!」

 

そう言いながら、突然フランさんは体全体を使って大きく息を吸い込んだ。そして大きく息を吐く。そして笑顔を浮かべて言った。

 

「外ってこんなに気持ちいいんだね!」

 

なんだその言い方。まるで外を知らなかったような言い方じゃないか。ん?そういえば、フランさんってあの鉄格子のある部屋にいなかったっけ?鉄格子ってたしか罪人が入れられるとこなんかにあるんじゃなかったっけ?しかも初めて会ったとき『生きている餌は初めて見た』みたいなことを言っていた。つまり、生き物を見たことがない事になる。つまり――、

ここまで考えていると、フランさんの表情が変わっていることに気付いた。何だかとても悲しい笑顔だ。

 

「おねーさんが考えていること、なんとなく分かるよ。私は495年間あの部屋にいたの」

「え?わたしの考えていることが分かるのも不思議で仕方ないんですが、495年もあの部屋に?どうして?」

「さあ?まあ、今は紅魔館から出なければ部屋から出てもいいってお姉様に言われたし」

 

肩を竦めながら明るく話すフランさん。

お姉様。つまり、レミリア・スカーレット。この紅魔館の当主。その人が妹であるフランさんを約五百年も部屋に閉じ込めた。だけど、何か理由があって外に出てもいい許可が出たことになる。何かきっかけになるもの…。あ。

―――霧雨魔理沙。

そういえば、彼女がフランさんに会いに来ていた。そこで何かがあったんだろう。わたしの知らない何かが。その結果、フランさんかレミリアさんか、もしくは両方が変わった。多分、そういうことだろう。

 

「まあ、そんなことどうでもいいじゃん!ここに来たんだから、私とスペルカード戦やろうよ!」

「え?ちょっと疲れているから明日とか…」

 

そう言うと、頬を膨らませていかにも不機嫌ですと言いたげな表情になる。

 

「えー!いいじゃん!」

「よくないですよ…。ここに来る前に二回スペルカード戦やって疲れてるんです…」

「えー…。じゃあどうしようかなー…」

 

そう言いながら腕を組んで考え始めた。今のうちに大ちゃんに話しかけようかと考えたけれど、そんなことをしたらフランさんの機嫌を損ねるかもしれない。それでもし怒ったりでもしたら、嫌な予感しかしない。また腕が吹き飛ぶなんて嫌だよ、わたし。

なので、フランさんから離れていないところの本棚からよさそうな本を探す。『精霊魔法指南書』『簡単!綺麗なお部屋!』『妖怪大全集~其之一~』『The Book of the offices of the spirits』『さくらさくころに』『聖女の分身』――。うーん…、よさそうな本が見当たらない。ていうかこの本棚の中身に規則はないのか?

本が見つからなかったので、フランさんのほうを見てみると、眉間に軽くしわを寄せてうんうんうなっていた。どうやら、まだ考え中のようだ。

仕方ない。私も何か考えるとしましょうかな。考えること何かあるかなあ…。あ、スペルカードでも考えようかな。フランさんとスペルカード戦をやるんだし。

とりあえず、今までにやったスペルカードは『幽体離脱』と『大きいものを創って振り下ろすやつ』の二つだ。その中の『幽体離脱』は『静』『乱』『散』『集』の四種類に分割出来る。

『静』は複製した弾幕をその場に留まらせるものだ。移動の阻害か弾幕の相殺をするのが基本の使い方になると思う。

『乱』は複製した弾幕を様々な方向に直進させる。正直、やってみるまで分からなかったけれど使い勝手が悪い気がする。

『散』は複製した弾幕をわたしを中心として外側に直進させるものだ。広範囲の弾幕を作ることが出来るから、使いやすいと思いたい。

『集』は複製した弾幕の全てが相手に向かっていくものだ。だけど、このスペルカードって一発物だと思う。知っていれば、ちょっと大き目に動ければ簡単に避けることが出来てしまう。

結論。どれも癖のあるスペルカードだ。しかも、他の皆の使っているスペルカードと違って耐久時間が圧倒的に短くなりやすい。一回しか複製できないと思うしね。

さて、もう一つのスペルカードは制限がある。近くに大きいものがある。相手よりも上にいる。この二つだけだが、かなり辛い。前者は試合場所の縛りで、後者は位置関係の縛り。両方を満たすときはとても少ないと思う。

しかし、まだやっていないスペルカードのアイデアはある。これがぶっつけ本番で出来るかどうかは分からないから、いつか試し打ちをしないといけないかな。

 

「そうだっ!」

 

そこまで考えていたら、フランさんがいきなり叫んだ。何事?ああ、スペルカード戦のことか。

 

「じゃあさあ、今お昼頃だし夜にやろうよ!」

「夜…ですか?」

 

普段は暗くなってきたら夕食を食べてすぐ寝ている。このままだと睡魔と闘いながらスペルカード戦をすることになってしまう。それは避けたい。

 

「その頃は普段寝ているんですが…」

「大丈夫!今からお昼寝すれば夜でも起きてられるって!それに、夜のほうが私が戦いやすいし」

「戦いやすい…?ああ、吸血鬼って日光に弱いんでしたっけ」

「うん。日光に当たるとそこが火傷しちゃう」

 

まあ、フランさんが楽しみにしていたスペルカード戦なんだ。解決案も出ているのだし、ここで折れましょうか。

 

「分かりました。じゃあ、夜にでも」

「やった!じゃあ日付が変わる頃に門の前のお庭で待ってるからー!」

 

そう言ってすぐにフランさんの体が崩れていく。

 

「ひぃっ…」

 

思わず変な声が出てしまった。良く見てみると、崩れたそばから真紅の蝙蝠へと変化していた。吸血鬼ってこんなことも出来るんだ…。

フランさんが跡形もなくなくなるのを見守ってから、読書をしているパチュリーの元へ一直線に向かう。

 

「パチュリー!」

「何かしら、そんなに慌てて」

「布団ちょうだい!布団!」

「いきなり言われても意味が分からないわ。ちゃんと説明して」

「えと、フランさんとのスペルカード戦を夜にやるから昼寝しておきたいので布団をください」

「そう、分かったわ。今妖精メイドに頼むから。ちょっと待っててね」

 

そう言って、パチュリーが机の上のベルを鳴らす。すると、何処からともなく妖精メイドさんが現れた。そして、パチュリーはその妖精メイドさんに指示をして、また読書に戻った。

待ち時間を利用して、少し気掛かりなことを聞いておくことにした。

 

「わたしの友達の妖精達の寝る部屋については、パチュリーに頼んでもいいですか?」

「ええ、いいわよ。ついでに貴女もちゃんと起こしてあげるから安心して眠りなさい」

「ありがとうございます!ええと、日付が変わる頃に門の前の庭って言っていたので、一時間くらい前に起こしてくれると助かります」

「任せなさい。ほら、布団が来たわよ」

 

そう言って指差すところには、布団を持った妖精メイドさんが飛んでいた。ちょっと重そうな顔をしている。そのままわたしの前に降り立ち、きちんと畳んで置いてくれた。ちゃんとお礼を言わないとね。

 

「ありがとうございます」

「いえ、これが仕事ですので」

 

…素っ気ない。ちょっとさみしいです。

すぐに飛び去ってしまった妖精メイドさんに軽く手を振ってから、パチュリーに布団を広げてもいい場所を聞く。そして、言われた場所に広げてから布団一式を複製する。うん、かなり重い。魔法の森までは一時間は飛ばないといけないから、持ち続けるのは辛そうだ。

よし、悩んだら訊くのが一番。

 

「この創った布団を持ち帰りたいんですけど、重くて耐えられそうもありません」

「え?それ持ち帰るつもりなの?そうねえ…、咲夜に頼んで妖精メイドを一人か二人くらい用意してもらうわ」

「そうですか!じゃあ、この布団はここに置いておきますね」

 

パチュリーの隣に複製した布団を畳んで置く。そして「ありがとう」とちゃんと礼を言ってから、敷いてある布団の中に潜り込む。昼食を抜いているけれど、夜になったら軽いものを食べれたらいいな。

そんなことを考えながら、わたしは微睡みの中へ落ちていった。

 



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第18話

頬が少し痛い…。誰?わたしの睡眠を邪魔するのは?もうちょっと寝かせてください…。

 

「ほら、起きなさい」

「あといちじかん…」

「それだと約束した時間に間に合わないわよ」

 

誰かがわたしに何か言っているような気がする。適当に返事をしておく。この眠気に逆らう気にはなれない。さて、おやすみなさーい…。

 

「しょうがないわねえ…。『フラッシュオブスプリング』」

「ぶぎゃあ!」

 

突然、わたしは布団ごと吹っ飛んだ。ついでに眠気も吹っ飛んだ。いや、洒落を言っているわけじゃなくて本当に吹き飛ばされた。そして、そのまま床に落下。ちょうどよく布団がクッションの代わりになってくれたのであまり痛くなかった。

 

「目、覚めたかしら?」

「ええ…もうパッチリですよ…。次はもっと優しく起こしてください…」

「優しくやって起きないからよ」

 

なんと。全く気がつかな――ん?そんなこともあったような?まあいいか。

目が覚めて少し経ったからか、お腹空いてきた。昼食を抜いたことが悪かったかな…。

 

「あの、何か食べられるものは…?」

「あるわよ。ほら」

 

そう言って出された皿には、親指の爪くらいの大きさで薄っぺらい小麦色のものがたっぷりと入っていた。右隣の白い陶器の中には牛乳が入っているようだ。左隣にはイチゴ、バナナ、リンゴ、ブルーベリーなどの果物が置いてある。

知らない食物があると、ちょっと不安になる。とりあえず、小麦色のものを指差して聞いてみる。

 

「これ、何ですか?」

「シリアルよ」

「しりある…?」

「穀物を加工したものよ」

 

なんと、穀物からこんなものが出来るとは。とりあえず皿の前に置かれていたスプーンを掴み、シリアルと呼ばれたものを食べようとすると、何故か止められた。

 

「待って。そこにあるミルクをかけて食べるものよ」

「へえ、そうなんですか」

 

飲み物だと思っていた牛乳をかけて食べるものとは。言われた通り、牛乳をかける。うーん、意外と美味しそう。

 

「いただきます」

「そこにある果物も合わせて食べるといいわよ」

 

 

 

 

 

 

ふう…、美味しかった。時間を聞いてみると、約束の時間まであと三十分。体を軽く伸ばしながら、大図書館から玄関までのルートを思い出す。うん、ちゃんと覚えてる。多分。

よし、体は少し温まった。空腹感も眠気も既にない。わたしはパチュリーのほうを向く。

 

「それじゃあ、いってきます」

「ええ、行ってらっしゃい」

 

大図書館の扉を力いっぱい押す。来たときは動かなかったけれど、今回は何とか開くことが出来た。扉が閉まる前に、パチュリーのほうを向いて手を振った。閉まる直前に、手を振りかえしてくれたのが見えた。

そういえば、大図書館の近くの部屋に五人の妖精達が泊まっているはずだ。帰っていなければだけど。一応確認しておこうかな。

近くにある扉を片っ端から開く。一つ目は関係ない部屋――なんか壺や花瓶などが乱雑に置かれていた。多分物置だと思う――だったが、二つ目にチルノちゃんと大ちゃん、三つ目にサニーちゃんとスターちゃんがぐっすりと眠っていた。その後、七つくらい開けたけれど、ルナちゃんは見つからなかった。帰っちゃったのかな?

とりあえず、ルナちゃんのことは置いといて玄関を目指す。軽く走っていけば余裕を持って間に合うだろう。正直、わたしは飛んで移動するよりも走って移動したほうが速い。飛んで移動するのって疲れるしね。だけど、スペルカード戦は基本的に空中戦。飛ぶことにも慣れないといけないなあ…。

大体五分くらい走った頃、視界に人影が見えた。その人影は、そっと扉を開けているようだ。誰だろ?

 

「……うーん…、ここにもいないかあ…」

「あ、ルナちゃんじゃん」

「うひゃあっ!」

 

そんなに驚かないでよ…。ちょっと傷つくから。まあ、どうやら帰ったわけではないようだ。だけど、もう日付が変わろうとしている頃だ。サニーちゃんとスターちゃんは寝ていることだし、ルナちゃんも寝たほうがいいだろう。

 

「子供はもう寝る時間だから部屋に戻ったら?」

「…私は、吸血鬼に会いに来たんです。だから――」

「じゃあ、会いに行こうか。今から」

「――え?」

 

おお、ちょうどよく目的が一致している。呆然としているルナちゃんの手を掴んで飛び上がる。走ると相手への負荷が大きそうだからね。あと、走るとルナちゃん転んじゃいそうだし。

 

「うわっ!うわわっ!」

「これからその吸血鬼とスペルカード戦するんだー」

「えっ!?そ、そうなの?」

 

ルナちゃんがわたしに並走するように飛行体勢に入ったので、手を離す。

 

「そうだよ。だからちょっとくらいならお話し出来るんじゃない?」

「ほ、本当に会えるんだ…」

 

軽く横を見ると、顔を軽く紅潮させていた。そう言えば、なんで吸血鬼に会いたいなんて考えたんだろう?まあ、今はいいや。

 

「ちょっと急ごうかな。早く会いたいでしょう?」

「うん!」

 

ルナちゃんが付いてこれる速度を見極めるために、少しずつ加速していく。うん、この速度がギリギリかな。

 

 

 

 

 

 

玄関を扉を開けて庭に出る。風が少し強い。すると、私が開けた扉と門のちょうど真ん中あたりにフランさんが座っていた。

 

「こんばんは、フランさん」

「あっ!おねーさん!…と、誰?」

「彼女は貴女に会いたいと言っていた子ですから、優しくしてくださいね。ほら、挨拶挨拶」

「あっ!あのっ、ルナ・チャイルド、です。こ…こんばんは」

「ふーん、こんばんは。私はフランドール・スカーレットっていうの」

 

とりあえず、挨拶は済ませた。余裕を持って行動したつもりだけど、時間には間に合ったかな?

そんなことを考えていたら、フランさんがポケットから金色の懐中時計を取り出した。

 

「うーんと、十一時四十五分くらいか。ちょっと早いけど、始める?」

「そうですね。やりましょうか」

「が、頑張って。幻香さん」

「うん。…ごめんね、お話し出来るのはもうちょっと後になりそう」

「あ、大丈夫です」

「それならよかった。まあ、とりあえず危ないから離れててね」

 

そう言うと、紅魔館のほうへ飛んでいき、扉の前に座った。うん、あの距離なら危険はないだろう。

周りを軽く見渡す。この庭はかなり広い。紅魔館の庭の向こう側には樹木が生い茂っている。一応『大きいものを創って振り下ろすやつ』は使えそうだ。

フランさんのほうに向き直ると、フランさんは懐中時計をポケットに仕舞ってからわたしを見て微笑んだ。

 

「私、すっごく楽しみにしてたんだ!おねーさんとスペルカード戦をするの!」

「そうですか。それは嬉しいですねえ」

「この前来た魔理沙って言う魔法使いと遊んだ時も楽しかったから、おねーさんも楽しませてくれるよね?」

「…ええ、楽しみましょうか。一緒に」

 

……わたし実はその魔法使いより弱いんですよね。…大丈夫かなあ?「つまんないっ!」とか言われてまた右腕爆発とかやだよ?まあ、外出許可が出ているってことはそんなことない、と信じたい。

そんなことを考えていたら、懐中時計が仕舞ってあるポケットとは別のところから何かを取り出した。

 

「今からこれを上に投げるから、これが地面に落ちたら開始ね」

「分かりました」

 

よく目を凝らしてみると、何かの金属片のようだ。地面は石を削ったと思われるものなので、とても良い音が響くだろう。

フランさんが腕を振り上げ、金属片を投げた。かなり高い位置まで上がっていき、月明かりを受けてキラリと光った。

そのまま上昇を続けるが、やがて失速し、落下し始めた。意識を金属片からフランさんに向ける。瞬間、世界から音が消えたように感じる――ルナちゃんの能力ではない――。少し騒がしかった葉擦れが聞こえなくなり、あと少しで響くだろう金属音を待つ。

待つこと数瞬、キンという音が鼓膜に響いた。

 



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第19話

わたしは『幻』をすぐに作り出す。直進弾と阻害弾は高速と低速の四種類を各六個ずつ、追尾弾は七個、炸裂弾は四個。現状最大数である三十五個だ。フランさんは、自分自身を中心として球体となるような弾幕を放っている。放つタイミングはズレることなく正確で、弾と弾の間隔も綺麗に揃っている。わたしとは大違いだ。

始まってからから気づいたけれど、スペルカード使用回数と被弾回数を決めてない。一応聞いとかないと駄目だよね。

弾幕の間を縫うように避けながら声を張り上げる。

 

「スペルカードと被弾はどうしますかー!?」

「両方とも三回でー!」

 

どうやら基本的なルールでやるようだ。まあ、何も言わなかったからこうなるのでは、とちょっとは考えたけれど、ちゃんと聞かないと駄目だよね。確かルールに『事前に使用回数を宣言する』っていうものがあったはずだし。

弾の間隔は遠くに行くほど広くなるので、避けることが容易な距離を保つ。避けるのが簡単ならば『幻』任せの弾幕ではなく、自分自身が攻撃することが出来る。自分自身の攻撃は『幻』と違って撃つ場所を自分で決めることが出来るから、避けにくい位置に狙撃したり、阻害弾用『幻』よりも明確な特定方向への移動の阻害が出来る。

ちょっと余裕出てきたし、ちょっと会話をしようかな。このスペルカード戦はお遊びのためのものだ。お話をしながら楽しくやったほうがいいと思う。あと、会話に意識が少しでも向けば当てやすくなりそうだし。とりあえず、会話で時間を稼いで瞬きの瞬間を狙って当てやすそうな胴体に一発撃ってみようかな…。

 

「どうです?私とのスペルカード戦は」

「うーん、おねーさんの弾幕ってあんまり綺麗じゃないなー」

「うっ…、そんなこと言われてもこれがわたしのやり方ですので…」

「おっと…。まあ、その分避けづらいかなー。」

 

右頬に向かって進んでいた弾を、首を曲げて避けつつ会話が続く。うーん、ここまで瞬き一度もしてない…。もしかして、吸血鬼って瞬きしないでも大丈夫だったりするのかな…。もしそうなら、別の隙を見つけないと当てられそうにない。

 

「でも、このままお互い避け続けてもつまんないなあ」

「なら、一発大きいのやりましょうか?」

「え?そんなの出来るの?」

 

一応ね。ただし、美しいとは言ってない。きっと派手なものに分類される……はず。

その場でも大丈夫だと思うけれど、念のためフランさんから少し離れてから垂直方向に急上昇する。視点をフランさんから、紅魔館の庭の外側にある森林に向ける。うーん、どの木が一番葉が生い茂っているかなあ、あっ、あれがいいかな。

複製するものがあまりにも大きいので一応『幻』を全て解除してから右腕を上げて、さっき決めた木を複製する。うっ…、やっぱり重い。妖力もごっそり持ってかれた。この木が回収できなかったら『幻』の数減らさないとなあ…。とりあえず、この木はとっとと振り下したほうがいいだろう。私の右腕のために。

 

「行きますよー!」

「おねーさんって私だけじゃなくて木も出せるんだねー」

「複製『巨木の鉄槌』ッ!」

 

勢いよく右腕を振り下ろして、木をフランさんに向かって投げ飛ばす。フランさんの弾幕は木の葉や枝に阻まれてこちらに飛んでくることはなかった。それに、フランさんは避けることなくその場で止まっている。このままなら被弾一になるだろう。

ん?止まっているということは何か対抗手段があるということなのでは?そんなことを考えたら、木が真っ二つに切断され、切断面からは炎が上がってきた。そのまま炎は木を包み込み、豪快に燃え盛る。ムワッとした熱気が押し寄せ、火の粉がわずかに頬を掠めていく。な、何事?

 

「禁忌『レーヴァテイン』」

 

燃え盛る炎の中から、フランさんの身長の軽く二倍はありそうな炎を纏った剣を持ったフランさんが見えた。わたしの投げた木はフランさんに当たる前に燃え尽きて消え去ってしまったようで、あの剣の凶悪さがよく分かる。あんな剣に僅かでも当たれば『鏡宮幻香の丸焼き~ウェルダン~』が出来上がっちゃいそう。

 

「ちょっ!なんですかその見るからにヤバそうな剣は!?」

「え?レーヴァテインだよ?見たことあるでしょ?」

 

そういえば、前に何処からか取り出していたような気がする。いや、そんなことはどうでもいい!

 

「そんなの当たったら死んじゃいますって!サクッて!こんがりと!」

「当たんなければ大丈夫だから!ほらっ!」

 

そう言って私に向かって飛んできて、そのレーヴァテインを振り下ろす。斬られたら丸焼き確定なので、大きめに避ける。しかし、剣が纏っている炎が刀身から広がり、皮膚のすぐ近くを通ってかなり熱いし痛い。当たらなくても熱気が凄くて汗が噴き出てくる。

 

「熱ッ!わたしまだ死にたくないんですけど!?」

「もし死んじゃったら食べてあげるから。美味しく」

「それが嫌だから言ってるんですよ!くっ、このっ!」

 

フランさんが近づいたことを利用して最速の攻撃を試みるが、レーヴァテインの刀身で防御されてしまった。

その隙を突いて、素早く振り下ろしてきた。まずい!避けれない!

目を閉じることも出来ず、本能的に右手を差し出して防御をしようとする。何か…、何か創らないと…!

 

「へぇ?これも出せるなんて驚いたよ」

 

金属同士が当たったとき特有の甲高い音が紅魔館に響く。咄嗟に目の前のあるものを創って防御を試みた結果、わたしの右手にはあの炎を纏った剣、つまりレーヴァテインが握られ、フランさんのレーヴァテインと鍔迫り合いをしていた。まずい、押されてる!

すぐに左手でも柄を握る。うぎゃあ、熱っつう!しかし、今は手の火傷なんて気にしていられない。なんとか押し返そうとするが、振り下ろしと振り上げの差は大きく、押し返せずにどんどん押し込まれていく。

すぐに鍔迫り合いを諦めて急降下。地面に着地する。フランさんは勢い余って僅かにふらついていた。

 

「ふぅ…。死ぬかと思いましたよ…。今更宣言するのはあんまり良くないかもしれませんけれど一応しておきますか。複製『レーヴァテイン』」

 

とりあえず、両手に妖力を流して無理矢理治癒を試みる。が、すぐに火傷になってしまったので諦めた。次に、妖力を使って耐熱が出来ないか試す。…うん、出来ない。やり方誰か知ってる人いないかなあ…。真っ赤になった鉄の棒を握っている気分。

 

「そうだっ!ちゃんばらやろ!ちゃんばら!」

「えっ、こんな物騒なものでやりたくないんですけどー…」

 

私の言葉はフランさんに届かなかったらしく、急降下しながら振り下ろしてきた。勢いよく横っ飛びして避けるが、すぐに横薙ぎの斬撃が飛んできたので、レーヴァテインで防御する。この剣、振るたびに炎が広がって非常に危なっかしい。服とか髪の毛が燃えないか心配になってきた。

 

「フフフ、アハッ!楽しくなってきた!」

 

フランさんはあの時のような狂気をそのまま表現した顔でレーヴァテインを振り回す。咄嗟に避けたり防御したりとなんとか当たらないようにするが、結構ギリギリだ。防御するたびに私の剣からはミシリと嫌な音が聞こえる気がする。スペルカードの時間は三十秒のはず。あと何秒防げばいいの?折れる前に終わってくださいお願いします…!

ギィンギィ(パシャッ)ガァンという音が紅魔館に響き渡る。

 

「あっ、時間切れ…」

「た、助かった…?」

 

防御すること数十合、フランさんのレーヴァテインはその手から消えていった。わたしの複製「レーヴァテイン」もあと五秒くらいで終わってしまうだろう。まあ、自分で消すんだけどね。

けれど、一発くらいは当てときたいっ!自分が出せる最大の速度で左肩を狙って突き出す。しかし、当たる直前に左肩から先が真っ紅な蝙蝠になって空振りした。そ、そんなことも出来るなんて、ちょっとずるい…。

 

「今のはちょっと危なかったかなー」

 

そう言いながら、左腕を再構築している。もう一回、と思ったが時間切れ。急いで回収する。

さて、不味い状況になってきました。お互い被弾はしてないけれど、わたしはスペルカードを既に二回使ってしまった。あと一回使い切ればその瞬間負けが決まってしまう。しかし、今確実に出来るスペルカードは最長時間の三十秒続くようなものは鏡符「幽体離脱・静」だけだ。しかし、このスペルカードは相手に被弾させるためのものじゃない。

焦りが自然と表情に浮かび、頬が引きつるのを感じる。不思議と乾いた笑いが零れ出てきた。

とりあえずフランさんから離れつつ『幻』を新しく作る。複製した木が回収できずに燃やされてしまったのが痛い。一発でも被弾させたいので、すべて炸裂弾にする。作った数は二十個。これで何とかなるかな…?

 

「さて、どんどんいくよー!禁忌『フォーオブアカインド』!」

 

そう言うと、何処からか三人のフランさんが現れた。

 

「さあ」「いくよ」「おねーさん」「避けれるかな?」

 

それぞれの口から全く同じ声色の言葉が響く。そして、四人からそれぞれ違った弾幕が飛んでくる。同心円状だけならまだ避けやすいのだが、たびたび扇状の速度大きさ共に違った弾幕を放ってくるので、非常に避けづらい。

 

「くっ、こうなったら遠くへ逃げ――」

「アハッ」「逃がさないよ?」

 

逃げようとした方向には、既に二人のフランさんがいた。別の方向に行こうともたついているうちに囲まれてしまった。

この状況は辛い。わたしは背中や後頭部に眼が付いていないので、後ろからの弾幕を避けるために首を各方向に動かさないといけない。なので、動きがどうしても鈍くなる。被弾も時間の問題だろう。

……しょうがない、勝利はもう諦めよう。

 

「鏡符『幽体離脱・静』」

 

だけど、被弾するとは言ってないっ!一番弾幕が濃かった方向を見て、スペルカードを発動させる。瞬間、視界に移る弾幕の九割五分ほどが消え去った。フランさんの驚愕した顔がハッキリと見える。

動揺は、動きを止める。

最速の妖力弾を放ち、フランさんの右肩に当てた。その瞬間、残ったわたしの妖力弾が、視界の外から飛んできた弾幕を相殺して全てが消えた。

 

試合終了。被弾、(幻香)(フラン)。スペルカードを全て使用したことによって、フランの勝利。

 



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第20話

「勝ったけど勝った気がしないー!」

 

フランさんは地団太を踏んで悔しがっている。ちょっ!綺麗に整えられている地面が陥没してる!

けれど、そう言われても仕方ない。フランさんのスペルカードの禁忌「レーヴァテイン」は被弾、というより被斬したら死んじゃいそうだし、禁忌「フォーオブアカインド」もあの弾幕の弾自体の威力が相当高かったと思う。複製するときに使った妖力量が相当多かったし。下手に被弾したら、体が千切れちゃったり抉れちゃったりしそうだったし。

 

「今度やるときは完封してやるんだからねー!」

 

顔を真っ赤にして興奮しているフランさんが私にビシィ!と指差して宣言した。やめてください下手したら死んじゃいます。わたしにとって右腕爆破の原因である彼女はちょっとした精神的外傷(トラウマ)なのだ。再戦はちょっと遠慮したい。

しかし、断るのも悪い。そもそもスペルカード戦を教えたのはわたしなのだから。責任は、ちゃんと取らなきゃいけない。

 

「そうですね、いつか暇があったら…」

 

ここは当たり障りのない曖昧な返事でその場を紛らわすしかなかった。

後ろの方から僅かに音が聞こえてきたので振り向いてみると、ルナちゃんが慌てて近づいてきていた。

 

「だっ、大丈夫ですか?」

「一応ねー」

 

本当は精神的に大丈夫じゃないけれど、無駄に心配させたくない。

 

「ほら、話たがってた吸血鬼がいるんだから、ゆっくり話してくれば?…フランさん、この子、夜の妖怪である吸血鬼に興味があるそうなので。あとはよろしくお願いします」

「うん、何話せばいいか分かんないけどいいよ」

「それでは。…ルナちゃん、一人で部屋に戻れる?」

「はいっ!大丈夫です!」

 

それならよかった。わたしは早く休みたい。だから、とっとと大図書館に戻りたいのだ。そしてあのフカフカの布団で横になりたい。

 

 

大図書館に戻ってすぐに布団に横になった。そして、目覚めた。夢なんて見なかった。というより、時間が吹き飛んだのではないか?と疑ったほどだ。ふと、近くにあった時計を見てみると、六時を指している。どうやらちゃんと眠っていたらしい。にわかに信じがたい。

横にいたパチュリーさんは、いつもの椅子に座って読書をしていた。

 

「おはようございます…」

「おはよう、幻香」

 

もそもそと布団から這い出る。顔を洗おうと思ったけれど、面倒だからいいや。それよりも朝食を食べたい。何かないかな?

 

「朝食ってありますか?」

「今はないわ。あと一時間くらいしたら来ると思う」

 

一時間…。仕方ない、創った本でも読んでようかな。二回三回と読み重ねても損はないだろうからね。

 

 

 

 

 

 

うん、やっぱり読み直して正解だった。スープを作る際には乾燥昆布と乾燥茸を一緒に入れると旨味の相乗効果なるものが起こって美味しくなるらしい。他にも、白菜なんかと肉も相性がいいとか。昆布は里に売っていると思いたい。

 

「朝食来たわよ。食べたいなら早く来なさい」

 

そんなことを考えていたら、もう一時間たったらしい。細部まで読み込めば意外と時間は過ぎていくものらしい。

本を閉じて、パチュリーの元へ行くと、そこには焦げ目の付いた黄色いパンに黄金色のソースがかかったものが置かれていた。香ばしい香りと甘い香りが鼻腔をくすぐる。うん、美味しそう。

 

「いただきます」

「そういえば、いつここを出ていく予定なの?」

 

横に添えられているナイフとフォークを使ってパンを切る。うわ、柔らかい。何かに浸したのかな?

 

「そうですねー、午後になって昼食を食べたら帰ろうかなーと」

「そう。そういえば、レミィがあなたに興味を持っていたわよ。ちょっと会いに行ってみたら?」

「はい?私みたいな産まれたてほやほやの妖怪なんかに興味を?冗談でしょう?」

 

これでも幻想郷に生誕してから十年くらいしか経ってない。妖怪は年を重ねるほど強いものだと慧音が言っていた。そんな弱小妖怪に何の用があるというのだろう。

ちょうどいい大きさに切ってから口に含む。この味は、卵と牛乳かな?黄金色のソースは、かなり甘い。けれど、砂糖とは違う甘味だ。何だろ、これ。

 

「フランとのスペルカード戦を観たって言ってたわ。面白い娘だとも言ってたわよ」

()()()()()()()()()()()()()はえ()()()()()()()()

「そう、それならレミィも喜ぶわ。多分。…あと、口にものを入れながら話さないで。分かりづらいし」

「んっく、はーい」

 

これってなんて料理なんだろう?まあ、普段パンなんて食べてないから作ることはないだろうけど。

 

「フランとのスペルカード戦はどうだったの?レミィは教えてくれなかったのよ。貴女から聞いた方がいいって言って」

「あー、わたしの負けですよ。スペルカード三回使い切って」

「そう、残念だったわね」

「いやー、あんなデカい剣振り回してきて危なかったですよー」

 

あれは今思い出しても、少し手が震える。死にかけるのはもうコリゴリだ。…ん?わたしが死にかけるのって、フランさんが原因ばっかなような…?

 

「それはどう対処したの?」

「それは同じものが咄嗟に創れたから防御に徹して何とか」

「そう。あれも創れるのね、貴女」

 

そう言えば、フランさんにも同じようなこと言われたなあ。確か『へぇ?これも出せるなんて驚いたよ』だっけ。まあ、自分の持っているものと同じようなものが突然出てきたら驚くよね。

 

「私も創れて驚いてますよー。パチュリーは、わたしのスペルカード戦を聞いて面白いですか?」

「ええ、知らないことだらけでとても興味があるわ。貴女の能力はちょっと特殊な部類に入ると思うし。あと、勝負事は思い返して良いところと悪いところをまとめることも重要よ。今後の教訓にもなると思うわ」

「ほう、相手がヤバそうなもの取り出したら同じもの創って対処すればいい、と」

「すべてそうとは限らないけれど、一つの対処法と思ったほうがいいわ」

 

たしかに、自分には扱えなさそうなもの――凄く重そうなものとか凄く大きくて持てなさそうなものとか――を複製しても意味はなさそうだ。そんなことをするなら逃げたほうがよさそう。

 

「そういえば、被弾回数は?」

「それは、わたしは零でフランさんが一です。フランさんのスペルカードはどれもこれも危なっかしいものばかりで…」

 

まあ、二つしか見てないけれどね。禁忌「レーヴァテイン」は見るからにヤバいけれど、もう一つの禁忌「フォーオブアカインド」は弾幕の威力さえ抑えられれば危険度は減るだろう。そのへんはフランさん次第だ。

 

「一度も被弾してないの?それは良かったじゃない。あの魔理沙はスペルカード被弾共に十回のルールでやったらしいけれど、八回被弾したらしいわよ」

「まあ、わたしは勝負を投げた感じですし、比較にならないような気もしますがね…」

 

そんなことを話している間に、朝食は綺麗に食べ終わってしまった。うーん、昼食もこれが出てきたらいいのに。

 

「ごちそう様です。このパン、とっても美味しかったです」

「そう。料理人にその言葉をちゃんと伝えておくわ。きっと喜んでくれる」

「あの、本と布団を持って帰りたいんですがどうすればいいですか?」

 

複製した『サバイバルin魔法の森』と『主婦のお供に!これでアナタも一流料理人!』とフカフカの布団一式のことだ。

 

「前にも言ったと思うけれど、妖精メイドに頼んだわ。既に待機しているから、あそこにいる子に渡せばいいわ」

 

そう言って大図書館出入り口の扉の横に立っている妖精メイドさんを指差した。え、あの子一人で布団持てるの?結構小さい子に見えるんだけど…。

まあ、いっか。きっと手伝ってくれる人が出てくるだろう。

 

「そうですか。ありがとパチュリー」

「礼には及ばないわ」

 

さて、複製された布団を畳んで、その上に本を二冊置いてから持ち上げようとするが、凄く重い。五分以上持ち続けたくない重さだ。

妖精メイドさんに頼んだら「では、玄関でお待ちしていますね」と言って持って行ってしまった。凄く重そうに顔を真っ赤にしながらフラフラと持って行ったので、少し心配になった。

 



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第21話

さて、レミリアさんの部屋の前に到着した。場所は、何処からともなく現れた咲夜さんに聞いた。必要な時に現れてくれる咲夜さんは本当にありがたい。

とりあえず、扉を叩く。

 

「んー?誰ー?」

 

幼い少女特有の高い声で、気の抜けた返事が返ってきた。

 

「呼ばれてきました、鏡宮幻香です」

「ふーん、入っていいよー」

 

そう言われたので、扉を押す。この扉は軽かったので、簡単に開いた。

中に入ると、凄く高級そうな椅子にふんぞり返って座っているだらけきった少女がいた。青みがかった銀髪に薄い桃色のナイトキャップを被り、髪の毛の間から真紅の瞳が見える。帽子と同じ色で襟にレースがついた服を着ている。そして、正面からでも見えるほど大きな羽根が背中にあるようだ。

多分、この人がレミリア・スカーレットだろう。しかし、こんな顔してていいの…?これじゃあ、咲夜さんのほうがしっかりしてるよ。

 

「その辺に座ってて」

「あっはい」

 

促されたまま机の向かいにある椅子に座る。何で呼ばれたんだろう?やっぱり、フランさんとのスペルカード戦かな?

そんなことを考えていたら、さっきまでの表情とは全く違う、真剣な顔つきで口を開いた。

 

「まず、貴女に礼を言うわ。ありがとう」

「え?」

 

突然頭を下げられた。わたし、礼を言われるようなことをした覚えないんですけど…。

 

「あの子が『外に出たい』なんて私に言ってきたのは貴女が原因でしょう?」

「あの子…?あー、フランさんのことですか?違いますよ。その礼は霧雨さんに言うべきです」

「ふふ、そうかしら?『おねーさんと一緒に遊びたい』とか『約束したから』とか言ってたわよ?」

「確かに遊ぼうと約束しましたけれど、外に出ようとしたのはフランさんの意思です」

 

あの時のわたしは紅魔館を迷った結果、不幸にもフランさんに会ってしまい、生きて出るためにスペルカードルールを教えただけだ。礼を言われるようなことでもない。全部、自分のためだったのだから。

 

「それに、あの子の破壊衝動がかなり収まっている。そう感じたわ」

「はあ…」

 

確かに、あの部屋はそこら中に壊れたものがあったし、出会い頭に右腕爆発させられたけれど、昨日会ったときはそんなことしなかった。まあ、スペルカード戦で死にかけたけれど。だけど、破壊衝動の原因はあんな狭苦しいところに隔離した貴女なのでは…?

まあ、そんなこと面と向かって言うわけにはいかない。目の前にいるのは慧音曰く、最強格の生物、吸血鬼なのだから。機嫌を損ねそうなことは言いにくい。

そんなことを考えていたら、突然レミリアさんが天井を見つめながら口を開いた。

 

「雨が降っていて博麗神社から帰れなかったから、魔理沙にあの子の様子を見に行くように頼んだのだけれど、見送った後でしまったと思った。あの子は初めて見る()()に飛びついて、きっと彼女を殺してしまう、そう思った。けれど、もう彼女は行ってしまった。もう間に合わないし声も届かない。彼女が死んでしまう映像(ヴィジョン)が何度も脳裏をよぎった」

 

一息。

 

「だけど、結果は違った。魔理沙はほぼ無傷で帰ってきた。そして、スペルカード戦をして遊んだと言った。なかなか激しいスペルカードを使ってきたとも。すぐにおかしいと思ったわ。だって、あの子はスペルカードルールなんて知らないはずだし、スペルカードなんて持っていないはずだもの。それを聞いてすぐに紅魔館へ戻ったわ」

 

さらに一息。

 

「そのままあの子の部屋に行ってあの子に会った。まず、驚いたわ。あれ程あった破壊騒動をほとんど感じなかったから。そのことは置いておいて、どうしてスペルカードルールを知っているのかって聞いた。そうしたら、こう言われたわ。『おねーさんが新しい遊びを教えてくれた』って。あの子の姉は私だけれど、私は教えていない。つまり、誰かがここに来たとすぐに分かった。だから、誰に教えてもらったか聞いた」

 

レミリアさんが天井からわたしに視点を変えた。その眼はさっきよりもかなり鋭い。ていうか、怖い。

 

「そうしたら、言われたわ。『幻香おねーさん』って。貴女でしょう?」

「はい、そうですね…」

「ここまで言われて分からない?あの子が外に出ようと思い始めた訳は貴女に会ったからよ。破壊衝動も収まっていたから、紅魔館内の外出許可を出した。正直言えば、あと五百年くらい入れておかないと収まることはないと思っていたわ。だけど、貴女に会ったことで、早く出すことが出来た」

「……そうみたいですね。わたしがスペルカードルールを教えたから、みたいですね…」

 

つまり、わたしがスペルカードルールを教えていなかったら霧雨さんは死んでいたかもしれない。そして、フランさんの破壊衝動はそのままだったかもしれなかったということらしい。

それでも、偶然だ。自分が生き延びるためにやったことだ。礼を言われるのは少し違う気がする。

 

「それでも、それは偶然の産物ですよ。わたしは教えたくて教えた訳じゃないですから」

「それでもよ。魔理沙は死ななかった。あの子の危険性が減った。あの子が外に出ようと考えた。これらは、貴女の言う偶然がもたらしたものよ」

「それでも――」

「この私、レミリア・スカーレットがわざわざ礼を言っているのよ?黙って受け取りなさい」

「あっはい分かりましたー」

 

滅茶苦茶怖かった……。何あの威圧感。

 

「あ、あのー『まず』ってことは、何か他にあるってことですか?」

「ええ、そうね。貴女とあの子のスペルカード戦、観させてもらったわ」

 

それはパチュリーも言ってた。『面白い子』とも言っていたと思う。吸血鬼の目に留まるほどのスペルカード戦だったかな?

 

「貴女のスペルカードはとっても不思議だもの。例えば――」

 

瞬間、レミリアさんが右腕を上げ、その手に真紅の槍を握る。わたしは咄嗟にその槍を複製し右手に握り、椅子を蹴飛ばしながら左側へ跳ぶ。そして、左手にもう一本同じように複製し、地面に刺して移動を無理矢理止める。いつでも投げられるように、右腕に力を軽く入れて、体を捻る。さあ、いつ来る…?

すると、レミリアさんは右腕を下した。

 

「ふふふ、そこまで過剰に反応しなくてもいいじゃない」

「……わたし、まだ死にたくないんです」

「あっそう。まあ、私は貴女のその『同じものを創る能力』にとても興味があるの。あの時、大樹を創って投げ飛ばしたし、あの子のレーヴァテインも炎ごと創った。それに弾幕、つまり妖力みたいな曖昧なものまで。貴女がどこまで出来るのか」

 

興味を持たれても困る。使ってみると分かるけれど、この能力は不便だ。せめて、一度見たものくらいいつでも創れればいいのに…。

そんなことを考えていたら、突然レミリアさんが溶けるようにいなくなった。と、思ったら首筋にヒヤリとした何かが触れた。驚いて、目だけを動かして辺りを見渡すと、左後ろに左手を私の首に伸ばしたレミリアさんがいた。背筋が凍る。わたしの生命はレミリアさんの左手に握られてしまった。

 

「最後に、私のお願いを聞いてほしいんだけど」

「……脅迫の間違いじゃないですか?さっき言ったと思うんですがわたし、まだ死にたくないんですよ」

「そんなのはどうでもいいわ。……これからも、あの子と仲良くしてくれる?」

「…………どういう事です?」

「あの子の破壊衝動は、貴女に会うことで抑えられた。だから、これからもあの子と仲良くし続けて欲しいと言っているの。そうすれば、あの子の破壊衝動はなくなるのではないかと踏んでいるのよ」

「…とりあえず、わたしなんかでいいのなら。そんなことでなくなるとは思えませんけど」

「今はそれでもいい。……話はそれだけよ。もう、帰っていいわ」

 

そう言うと、首から手を離し、またどこかへ消えてしまった。とりあえず、両手の槍を回収してから部屋を出る。これからもフランさんと仲良く…ね。わざわざお願い(脅迫)までして頼んできたことだ。お友達としてこれからも遊んであげようかな。

 



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第22話

「ここまででいいですよ。わざわざありがとうございました」

「いえいえ、これが私達の仕事ですので」

 

布団を魔法の森のわたしの家まで運んでくれた妖精メイドさん三人は、フワリと浮かび上がり、帰って行った。紅魔館からここまではかなり遠いから、相当疲れただろう。腕が。

レミリアさんとのお話が終わり、大図書館に戻ってから昼食――朝食と同じものが出た。フレンチトーストという料理だそうだ――を頂いてから五人の妖精達と布団を持った妖精メイドさん三人を引き連れて紅魔館を出た。五人の妖精達は、それぞれ充実した時間を過ごせたようで、その表情はかなり明るかった。特にルナちゃん。彼女がフランさんとどんなお話をしたのか聞いてみたが「私とフランとの秘密ですっ」と言われてしまった。フランさんのこと呼び捨て出来るくらい仲良くなるなんて、わたし、凄く気になります。レミリアさんのお願い(脅迫)があるからこれからも仲良くしていきたいからね。そして、霧の湖でその妖精達と別れて、わたしは妖精メイドさん達と帰宅したところだ。

とりあえず、布団を中に入れよう。今まで使っていた布団は、昔、人間の里で干してあった誰かの布団を勝手に複製したものなので、回収出来る。

さて、布団も替えたし、慧音のところに行って洗濯してもらった服を返してもらおう。血、ちゃんと落ちてるかなあ…。

そういえば、食糧はもうすぐ無くなりそうだった。慧音から少し貰えたら嬉しいけれど、少なかったら採集しないと。

 

 

 

 

 

 

「幻香か…。とりあえず中に入ってこれを読んでろ」

 

扉を開けた慧音が開口一番に言った。言われた通りに中に入って渡された紙を目に通す。えーと、何々…?

 

 

【文々。新聞】

【紅魔館にて吸血鬼が決闘か!?】

『紅霧異変』解決から間もない幻想郷。その黒幕レミリア・スカーレットさん(吸血鬼)の妹であるフランドール・スカーレットさん(吸血鬼)が妖怪と決闘を行っていることを発見した。

決闘の内容は、幻想郷で広まっているスペルカードルール。しかし、その中身は我々が想像するスペルカード戦とは違った内容であった。但し、ここで明記しておくが、記者である私はこの決闘を始めから見ていたわけではなく、決闘をしている途中から発見したことを承知してほしい。

私が最初に見たものは、妖怪が何処からともなく巨大な木を召喚したところである。その大きさは、樹齢二百年はありそうなほど。その巨木をフランドール・スカーレットさんへと放り投げたのだ。それに対し、フランドール・スカーレットさんは炎を纏う剣を召喚し、その巨木を一瞬で燃やし尽くした。その剣で妖怪に斬りかかったが、全く同じ剣を妖怪も召喚し、互いの剣を百数十合もの数を打ち付け合うほどの激戦を繰り広げた。

しかし、スペルカードルールの制限により互いのスペルカードの制限時間が迫り、別の行動へと移った。フランドール・スカーレットさんが四人に分裂し、妖怪に襲い掛かった。それに対し、妖怪は一瞬で弾幕を全て消し去って見せた。その隙を突いて攻撃をし、この決闘は終了した。

終了して少し経ったのちに、まずは勝者であるフランドール・スカーレットさんに今回の決闘に付いて聞いてみたところ、こう言った。

「勝ったには勝ったんだけどさー、勝ったって感じがしないんだよねー。一回も当てられなかったし。だから、また今度再戦したいかな。今度は勝つよ、私」

どうやら、相手はスペルカードを全て使い切って敗北したが被弾はしなかったようだ。

次に、決闘終了後すぐに去っていった妖怪にも話を聞くことが出来た。

「いやいや、あんなに強いとは思いませんでしたよ。今度やるときは私も負けていられませんね。アッハッハッ」

そう高笑いしながら月夜の輝く星空の中に消えていった。

互いに闘争心を燃やしている模様。今後の展開が気になるところである。(射命丸文)

 

 

ナンダコレ?ちょっと待て。事実と食い違いがあるぞこの新聞。

まず大きなところは、わたしはこの新聞記者さんなんか知らないし、話をしたこともない。しかも、わたし普段こんな口調で話さない…。そもそも誰よ、射命丸文って。

次に、わたしは紅魔館に戻った。何で帰らないといけないのよ。布団も本も置いて帰るわけないでしょう。…まあ、この新聞記者さんが知っているはずないか。

他には、巨木もレーヴァテインも召喚したわけじゃないし、百数十合も打ち合ってない。

ていうか、そもそも決闘じゃない。何で決闘になってるの?約束したから一緒に遊んだだけなのに…。どうしてこうなった。

あと、フランさんに取材したのも嘘っぽい。取材したなら、多分ルナちゃんが見ているはずだから。……もしかしたら、ルナちゃんとフランさんの秘密がこの新聞記者さんに会った事かもしれないけど。

あと、この記事と一緒に掲載されている白黒写真を見て気付いた。わたしとフランさんのレーヴァテインが丁度鍔迫り合いしているように見える写真。上方から撮られているこの写真だが、フランさんは背中が写っていて、わたしの顔が少しだが見える方向から撮られている。真っ白な肌、腰のあたりまである真っ白な髪の毛、白色と言われてもいいんじゃないかと思うほど薄い灰色の瞳。白黒だから分かりにくいが、わたしが知っているわたし本来の姿が写っていると思う。つまり、わたしを撮れば今まで誰も見たことがないと思っていたわたしの素顔が見れるということだろう。しかし、残念ながらこの写真は白黒。色が付けばいいのに。

そんなことを考えていたら、隣に服が置かれた。パッと見、血はちゃんと落ちているようだ。そのまま、上を軽く見上げると、笑顔の慧音がいた。しかし、雰囲気が怖い。

 

「まず、幻香は何で吸血鬼とスペルカードなんかやってるんだ?わたしじゃない別の妖怪、なんて誤魔化しはナシだ。大体、巨木も炎を纏った剣も近くにあったものだからな。この妖怪はお前の能力と同じだ」

「あー、えーと…確かにこの記事の妖怪はわたしです。えと、フランさんとは…、出会ったら仲良くなっちゃってですね、今度来たら一緒に遊ぼうってなって」

「あーそうか、まあ大体分かった。決闘っていうところは嘘なんだな。小癪にも『!?』を付けて誤魔化してるし。この新聞はたまに嘘しかない記事を書くが、この記事からは事実と虚構が入り混じっているように感じるな…。幻香、どれが本当でどれが嘘なんだ?」

「取材は受けてません。夜空に消えないで紅魔館に戻りました。わたしは召喚じゃなくて複製をした。百十数合も打ち合ってない。さっき慧音も言ったけど、決闘じゃなくて一緒に遊ぼうっていう約束。あとは、多分フランさんも取材を受けてない。このくらいかな」

「つまり、このスペルカード戦の内容は大体合ってるんだな?」

「んー…、そうとも言い切れませんけれど、外側から見たらこう見えていたのかも…」

 

わたし自身は、フランさんのスペルカードに対して心臓が縮み上がるような気分でやったのだ。禁忌「レーヴァテイン」は、複製が間に合わなかったら一刀両断、死んでいただろう。もう一つの禁忌「フォーオブアカインド」はそんなすぐに鏡符「幽体離脱・静」をしたわけじゃない。まあ、細かい差だけど。

 

「とりあえず、その炎を纏った剣で何合か打ち合ったんだろう?吸血鬼相手によく生きてられたな。吸血鬼の力は出鱈目だからな」

「一応手加減はしてくれてましたよ。多分。そもそも、一緒に遊ぶ約束なのに、怪我したら駄目じゃないですか」

 

まあ「当たらなければ大丈夫」とか言って振り回してきたけれどね…。

 

「まあ、吸血鬼と友達になったんだったら気を付けて仲良くしろよ。しかも、相手はあのレミリアの妹だろう?」

「そうですねえ…。レミリアさんからもフランさんを頼まれましたし」

「そうか。まあ、無茶だけはしないでくれよ」

「はい、分かってますよ。まあ、慧音に言われてちょっと落ち着きました」

 

そう言いながら、横に置かれた服を手に取り立ち上がる。そろそろ、お暇しようかな。あ、そうだ。

 

「慧音、出来れば余った食糧を貰えたら嬉しいんだけど」

「ん?ちょうど今日中に片付けようと思っていた野菜が一人では食べきれないと考えていたところだ。どうせだし食べていくといい」

「え?いいんですか?」

「もちろんだ。まあ、少し手伝ってもらうがな」

 

そう言われて、二人で調理台に立つことになった。

その調理中にこんなことを言われた。

 

「そういえば、幻香は夏祭りに参加するか?」

「夏祭り?なんですか、それ?」

「人間の里の住民が各所で屋台を開くんだ。そこでは、色々なものが売られる。他にも、射的や輪投げなんかも楽しめる。まあ、屋台を開くのは人間だけじゃない。例えば、夜雀が八目鰻屋台を開くぞ。同様に客も人間が多いが、妖精妖怪もいる」

 

ふむ、それは楽しそうだ。売られるものの中には何かいいものがあるかもしれない。

 

「面白そうですね。それはいつやるんですか?」

「明日、日が降りてからだ。で、参加するか?」

「参加したいですねえ。何か必要なものはあるんですか?」

「屋台を開くなら売り物だが、開かないだろう?ならお金だ、が…」

「え?お金?」

 

わたし、お金なんて一度も持ったことないです。一文無しです。

 

「どうしましょう…?」

「うーん、しょうがない。明日、祭りが始まる頃にここに来てくれ。少額だがあげよう。大事に使えよ?」

「分っかりました!」

 

その後、調理を終えて、一緒に食べる夕食は美味しかった。家に帰るためにここを出ようとしたら、胡瓜と玉蜀黍を数本貰った。感謝しかない。

明日の夏祭り、楽しみだなあ…。

 



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第23話

遂にやってきました夏祭りー!……まあ、まだ日は落ち切ってないんですけどね。ちょっと早いけれど、慧音の家に着いちゃったし、中に入らせてもらいましょうか。

扉を叩くと、すぐに「入っていいぞ」と言われたので、お邪魔する。

 

「おお、幻香か。いいところに来た」

「いいところ?ちょうど仕事でも終わったんですか?」

「いや、違う。………言いにくいが、お前のことだ。とりあえず、鍵を閉めてくれ」

 

指示通り鍵を閉める。それにしても、わたしのことか。何かあったかな?

 

「さて、先に謝罪をしておこう。もしかしたら、この夏祭りはお前に不快な思いをさせるかもしれない」

「え?…あー、そういうことですか。いいですよそれくらい。分かってましたし」

 

わたしは里の嫌われ者だ。同じ顔っていうものは不吉なものだと思われているらしい。スターちゃんも言ってたじゃないか。『見たら死ぬ』って。……もしかしたら、慧音もわたしのせいで死んじゃうのかな…。いや、そんなわけない。そんなのは里の人の勝手な思い込みだ。

 

「まず、お前を不吉だ(わざわい)の元だと言っているのは大人、特に年を食っている老人達だ」

「はあ…、そうなんですか」

 

屋台って大人がやるものだと思うから、わたし何も買えないような…?それとも子供が開いているところもあるのかな?

 

「そして、子供達は大体三つに分かれる。親を信じてる子達。親を信じない子達。そして、私の寺子屋に通っている子達」

「寺子屋に…?何の関係があるんです?」

「まあ待て。順を追って説明する。まず一つ目はそのまんまだ。親同様にお前を恐れている」

「…ですよねー」

 

大人から教えられたことはそのまま鵜呑みにしているんだろうなー…。それはそれでいいのかもしれないけれど。

 

「二つ目は、まあ反抗期ってやつかな。信じてはいないけれどちょっと怖い。…うーん、ちょっと高いところから飛び降りるのは怖いって感じに似ているかもな」

「わたしには縁のない怖さですね」

 

一応飛べるし。言ってから気づいたけど、咄嗟に飛べないからちょっと分かるかもしれない…。

 

「最後の三つ目は、私とお前が会っているのをよく見ているから『私の知り合いあるいは友達』と思っている。ただし、親を信じているかどうかにもよるな」

「それだと、ほとんど駄目じゃないですか…。知ってたけど」

 

じゃあ、前に慧音の場所を教えてくれた二人の少年は寺子屋に通っていたのかな?あの時話しかけた子供は結構いたんだけど、少年以外全部逃げられたからなあ…。多分、二十人くらい話しかけたような…。あ、服が血塗れだから逃げたのかも。

 

「だからな、これを付けていくといい。視界は少し悪くなると思うが、我慢してくれ」

 

そう言って取り出したのは、白が基本で、ところどころに赤い模様が入っている狐のお面。目の部分は綺麗に刳り貫かれているから、一応前は見えそうだ。

 

「顔が見えなければ多分大丈夫だろう。それに、今日は夏祭りだからこんなお面はそこらへんで売っている。違和感はほとんどないだろう」

「分かりました。とりあえず付けてみますね」

 

顔がちゃんと隠れるように付ける。紐がちょっときついと思ったけれど、まあいいだろう。

 

「これでいいですか、慧音?」

「うーむ、まあ、大丈夫だろう。里の人間は若ければ黒髪、年寄りなら白髪。若い者は若い者で集まり、年寄りは年寄りで集まることが多い。そこを気を付ければ大丈夫だろう」

「分かりました。髪の色に注意、ですね」

「そうだ。お、もう日が落ちてるな。夏祭りの始まりだ」

 

そう言われて窓を見ると、確かに空は濃い藍色に染まっている。星が夜空を飾ってとても美しい。しかし、里はとても明るい。普段はここまで明るくないのに。何でだろう?

 

「慧音、どうして里はこんなに明るいんです?」

「それは、提灯だな。祭りのときはそこら中に飾られているんだ。中には蝋燭が入っている。あと、火は神聖なものと信じられているからな。火を目印に神霊を招きつつ、火の浄化力によって悪霊を払うという意味がある。まあ、妖怪が普通に屋台を開いているが、その妖怪のほとんどが害意が低い。意外と効果あるかもな」

「わたし大丈夫ですかねえ…。里の人達にとって害意ある存在と思われてますよ?」

「なに、心配ないさ。人間を傷つけようなんて考えてないだろう?」

 

当たり前だ。そんな無駄なことをしてる暇があったら、食糧の確保をしたい。……結局、朝のうちに集めようと思ったけれど、めぼしい食糧がなかったからなあ。

 

「なら大丈夫だろ。さあ、行こうか。…おっと、忘れていた。ほら」

 

慧音が手を出したので、わたしも右手を出す。そして、何か硬いものを幾つか渡された。

見てみると、銅色の硬貨が六枚ある。片面に『一銭』と書かれ、その裏面には竜の模様がある。何これ?

 

「一銭銅貨だ。まあ、これだけあれば少しは何か買えるだろう」

「一銭、銅貨…?」

「まずはそこからか…」

 

慧音はわたしが呟いた言葉を聞いて、呆れたような顔をして頭を押さえた。

 

 

 

 

 

 

ふむ、一円が百銭になって、一銭が十厘になるのか。つまり、千厘あれば一円になる、と。この前貰った箪笥は、二円五十銭くらいしたらしい。正直よく分からないと伝えたら、夜雀の屋台で売っている八目鰻は一本五厘、三本で割引の一銭とのこと。もしかしたら、凄く高いものを貰ってしまったのかもしれない。…まあ、慧音に実害はないけど。複製だし。

里の中を適当にぶらつく。ちなみに、慧音とはすでに別れて一人だ。別れるときに「いいか、お金は複製するなよ?」と言われたので、創らないことにする。後で怒られたくない。

里は普段とは打って変わって、活気に満ち溢れている。人の流れに逆らわずに歩く。周りにいる人は全員黒髪。問題ない。

歩きながら、道の脇に建っている屋台を見る。『おでん』『金魚すくい』『お面』『わたがし』『焼き鳥』などなど。うーん、金魚ってなんだろう?金色の魚?それにしては一回一銭なんて安いような…。それとも、里では金色の魚なんて珍しくもなんともないのかな?まあ、魚は興味ない。たとえ金色でも、食べれるとは限らないし。

何となく、焼き鳥の屋台に入る。お客さんがいなかったから選んだ。

 

「らっしゃい」

 

聞いたことある声だ。というか、妹紅さんだった。焼き鳥なんか作ってるのか…。知らなかった。慧音も教えてくれたらいいのに。

 

「こんばんは」

「おう、こんばんは。最近の若いやつは挨拶できないのが多くてねえ。嬢ちゃんはしっかりしてるなあ」

 

おおう、妹紅さんわたしだって気付いてない。お面凄いです。

 

「しっかし、嬢ちゃんは私の知り合いに似てるなあ…。白髪に真っ赤な瞳。本当に似てる」

「はあ、そうですか…」

「ははは、その返し方までそっくりだ」

 

もしかして、分かっててからかってるのかも…。まあ、いいか。どうせならそのまま突き通そうかな。これからの練習になるだろうし。

 

「お姉さん、品書はありますか?」

「ん?おーそうだった、忘れてた忘れてた。えーと、どこだっけ…あったあった。ほらよ」

 

渡された品書には、一本三厘と書かれている。種類は『もも』『はらみ』『つくね』『かわ』『はつ』『肝臓』『砂肝』『白子』とある。あと一本一銭五厘のお酒。普段、鳥は食べていない――飛んでいるから面倒なのだ。おまけに速いし、すぐ逃げる――から、知らない名前が多い。『もも』はもも肉だろう。『はらみ』はお腹の肉かな?『つくね』は、分からない。『かわ』は皮だろう。『はつ』は初めって意味で、産まれたばかりの鳥の肉かな?『肝臓』はそのまま。『砂肝』は内臓の何かだろう。『白子』は、白い鳥の肉だろうか。

うん、とりあえず一本ずつ買おうかな。えーと、三厘が八本だから二銭四厘かな。お酒は買わない。飲んだことないからね。

 

「お姉さん、とりあえず八種類全部を一本ずつ」

「はいよっ」

 

注文すると、すぐに皿を目の前に置かれ、その皿の上に八本の串焼きが置かれた。忘れないうちにお金を渡しておく。お釣りも貰ったので、残り三銭六厘。

さて、食べようかな。これで美味しかったらちょっとくらい無茶してでも鳥を捕まえに行くのもいいかもしれない。

 

「いただきます」

「おう、食べてくれ。嬢ちゃんから見て右から順番に品書順に並んでる」

「そうですか。ありがとうございます」

 

さて、まずは『もも』から食べようかな。と、思ったらお面が思いのほか邪魔だ。うーん、上にずらすと前が見えないし、外すのは何となく嫌だ。よし、口の方をちょっとだけ顔から離して食べようかな。これなら顔は見えないだろう。

『もも』を口に含む。少し熱いが、問題ない。味付けは塩だけのようだ。さっぱりしている。うん、猪とは違う食感だ。

 

「うん、美味しい」

「そうか、それは良かった」

「鳥って普段食べないからちょっと楽しみだったんですよ」

「ん?鳥くらいその辺の肉屋で売ってるだろう?」

「普段は猪とか蛇の肉を食べてるんですよ」

「へー、珍しいな。猪は高いぞ?蛇なんかはほとんど売ってない」

 

知らなかった…。蛇って里じゃほとんど食べられていないんだ。話題選び、ちょっと失敗したかも。

 

「そうだなー、鳥を食べてないならどれがどの部位か知らないだろ」

「そうですねえ。良かったら、教えてくれませんか?」

「いいぞ。さっき食べた『もも』はそのまんまもも肉だ。足の付け根から先の部分の肉だ。『はらみ』は横隔膜の背中側の肉だな。横隔膜ってのは、肺の下にあるやつだな。…まあ、知らなくてもいい事かな、これは。ここの『つくね』は鳥の挽肉と葱を纏めたやつだ。『かわ』は首の皮を使ってる。『はつ』は心臓。『肝臓』は名前通り。『砂肝』も名前通りだが、確か蛇にもある部位だ。『白子』は精巣…って、嬢ちゃんにはまだ早いかな」

 

砂肝って蛇にもある部位らしい。うーん、蛇の肉とかいつも素手で無理矢理開いて干してたからなあ…。残った内臓は洗ってその日のうちにスープの具材。砂肝がどれだかさっぱりだ。

あと、精巣くらい知ってますよ。慧音が人体構造について教えてくれた時があったから。

 

「へえ、どれも美味しそうですねえ」

「美味しくなかったら店は出してないからな。安心していいぞ」

 

『はらみ』を食べる。うん、柔らかい。旨味が滲み出てくる。続けて『つくね』を食べる。普段、肉をこんな感じに加工することがないからちょっと不思議な感じだ。あと、鳥は葱と合うと思った。

 

「それにしても、全然人が来ませんねえ」

「あー、なんでだろうなあ…」

 

まあ、人が来なくて好都合だ。もし来たら、その人は多分黒髪だ。瞳の色は気にしないだろうけれど、それも違う色に映るだろう。わたしだけならまだいいが、妹紅さんの屋台にまで影響が出そうだ。それは避けたい。

 

「まあ、わたしはお姉さんと話しながら食べれるので、いいんですけどね」

「嬉しいこと言ってくれるじゃないか。ほら、酒飲むか?私の奢りだ」

「いいえ、まだ成人してないので…」

「成人してなくても飲んでるやつは飲んでるぞ。ほらほら」

「実はまだお酒飲んだことないんですよ。ここで飲んで変なことしたら困るので」

「そうか…。じゃあ代わりに五本奢ってやるよ」

「わざわざありがとうございます」

 

ここで断っても引き下がらないことは知っている。せっかくだし受け取っておこう。奢ってもらった焼き鳥は『もも』三本と『はらみ』二本。先にまだ食べてないのを食べようかな。

『かわ』は噛み切るのに少し苦労したが、いい味をしている。うーん、鳥って美味しいなあ…。面倒だけど今度から捕まえようかなあ。続いて『はつ』を食べる。これは独特の食感だ。まあ、猪の心臓も食べているから似たような食感だと思った。さて、次の『肝臓』だが、ねっとりとしている。のどとか舌に張り付いている感じ。味もちょっと苦手かな…。

 

「水、ありますか?」

「ほれ」

 

一気飲み。冷たくて気持ちいい。のどに詰まった感じはなくなった。

『砂肝』は、コリコリとしている。そう言われると、蛇の内臓にもこんな食感のがあった気がする。内臓はいつも纏めてスープにブチ込んでるから、どこがどの部位とか考えてないからなあ…。最後の『白子』はトロリとしたものが出てきて不思議な感じだ。

 

「どれも美味しかったです」

「そうか。それは良かった」

 

お面越しだが、笑みを浮かべる。妹紅さんに伝わったかどうかは知らないけれど、伝わっていると思う。

 

「にしても嬢ちゃん、お面付けたまんま食べるなんて行儀悪いぜ。取ったらどうだい?」

「ふふ、秘密は少女を乙女にするんですよ?」

「ははっ!そうかいそうかい。いや悪かった。ちょっと気になったもんだからさ」

 

まあ、この言葉はパチュリーが言ってた言葉だ。「どんな魔法が使えるの?」と聞いた時に言われたことだ。まあ、その後、冗談だと言って教えてくれたけど。

残された『もも』『はらみ』を交互に食べる。うん、決めた。今度、鳥を捕まえよう。これだけ美味しいのだし、苦労するだけの味はあると思う。

 

「ごちそうさまです」

「おう、追加するか?」

「いえ、やめておきます。もっと色んなところに行きたいので」

「そうかい。また来なよ、嬢ちゃん」

「ええ、また来ますよ妹紅さん」

 

わたしは右手でお面を掴み、少し下にずらして視界に収めてから複製する。もうネタバラシしてもいいでしょう?

わたしの顔と右手に全く同じお面があることに眼を見開いている。ふふ、驚いてる驚いてる。

 

「あれ…?私、妹紅なんて…。それにそのお面、まさかっ!」

「アハッ、そのまさかですよ」

「幻香!お前なあ…、言ってくれてもいいじゃないかよ」

「実は今、わたしだとバレないように夏祭りに参加してるんです。ごめんなさいね」

「そうかい、事情があるんだろ?誰かに聞かれてもお前がここに来たこと、黙っといてやる」

「すみませんね、ありがとうございます」

 

右手のお面は回収し、屋台から出る。さて、次はどこに行こうかな。

 



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第24話

うーん、どの屋台に入ろうかなあ…。今度は人間がやっているところに入りたいなあ、なんとなく。まだ満腹というわけではないから、軽く食べられるものがいいかな。それか、何か利用価値があるものが欲しい。

そんなことを考えながら歩くこと数分。『りんご飴』と書かれた屋台を見つけた。飴なら知っている。あの、丸くて甘いやつ。それと林檎が合わさったもの…。うん、美味しそう。

ちょうど近くにいる人間は全員黒髪で、似たような色の肌色をしている。あそこなら問題ないだろう。

 

「いらっしゃい!ウチの自慢のりんご飴を買ってくかい、狐のお嬢ちゃん!」

「幾らですか、おじさん?」

「おう!今年は林檎が豊作だったからなあ!一本一銭だっ!」

 

ふむ、私が知っている林檎の半分くらいの大きさだ。凄く早めに収穫したのか、それともそういう種類なのか。その小さな林檎を包むように赤い飴が薄く付いている。うーん、買ってもいいかな。美味しそうだし。だけど、気になることは聞いておこう。

 

「この林檎って、どういう林檎なんですか?」

「ん?狐のお嬢ちゃん、気になるかい?じゃあ教えてあげよう!これはなあ、姫りんごっていう品種でな!普通の林檎より一回りも二回りも小さいやつなんだ!味は食べてからのお楽しみってやつだな!さあ、買ってくかい!?」

「そうですか。じゃあおじさん、一本くださいな」

「おうっ!ありがとよっ!」

 

一銭銅貨を手渡し、代わりにりんご飴を受け取る。そしてそのままりんご飴を片手に屋台を出る。後ろから「また来いよー!」と聞こえてきた。なかなか情熱的な人だなあ。とりあえず、軽く振り向いて手を振っておいた。残りは二銭六厘、少なくなってきちゃった。

…ふぅ、よかった。わたしのことは分からなかったみたいだ。いやー、顔が見えないっていうのは結構いいことだなー。大人の人間はわたしの声は知らず、体型も覚えず、全く同じ顔という部分しか気にしていない。まあ、そこさえ覚えておけば判別がつくからということだろう。

人間に危害を加えるつもりは全くないんだけれどなー、なんで人間はわたしを毛嫌いするんだろう?勝手に災いだーなんだーって。まあ、いいや。どうでも。魔法の森のわたしの家にまで侵攻してこなければ、わたしとわたしの友達に被害が来なければ。

まあ、今は祭りを楽しもう。こんな暗いこと考えててもつまらないから。

 

 

 

 

 

 

人間の間を縫って歩きながら、お面を軽く浮かしてりんご飴を食べる。んー、飴はとっても甘い。好みの味だ。中の林檎は皮の近くは香ばしく軟らかい。きっと、熱いドロッとした砂糖水に入れたからだろう。その後で冷まして売っているのだと思う。あと、姫りんごは普通の林檎よりも酸味が強かった。これはこれで好きだなー。飴の甘さとよく合っている。

りんご飴を食べ終わって、残った割り箸を何処に捨てようか考えていたら、突然肩を掴まれた。誰だろう、いきなり?

 

「お面のお嬢ちゃーん、俺らと一緒に遊ばなァーい?」

「兄貴と一緒に楽しい思い出作ろうぜぇ!」

 

振り向いたら、成人していないと思う全く知らない男性二人組がいた。とりあえず二人を軽く比べる。黒髪に日に当たって少し濃くなった肌の色をしている。二人とも髪色肌色にほぼ差はない。身長はわたしより高く、体型はそれなりに細い。これも二人とも似たような見た目だ。さて、わたしにいきなり何を言っているのだろうか…。

多分、この二人はわたしに何かをしたいのだろう。ただ一緒に歩きたいだけなのかもしれないが、その先にある何かをしたいと考えていると思う。暴行とか、強盗とか、脅迫とか、性行為とか。

うん、この人たちと付き合う必要はないかな。

 

「すみませんね、これから友達のところに行くんです」

「ンー?ならさァー、その友達も一緒に遊ぼうぜェ?」

「そうだな!数は多いほうがいい!」

 

思わず苦笑い。まあ、見えていないだろうけれど。ここであきらめてくれたら楽だったのに…。

さて、何とかしてここから逃げたいのだけれど、妖怪らしさは出してはいけない。わざわざ顔を隠して人間らしく夏祭りに参加したのに、そんなことをしたら意味がないと思う。まあ、顔を見せるのは最後の手段だ。そうすれば、勝手に逃げてくれる……と思う。その瞬間、わたしはこの夏祭りに参加出来なくなるけれど。

さて、周りを見渡す。何か使えそうなものは…。

 

「――か楽しいだろう?霊夢?」

「そうねえ、アンタに言われてわざわざ降りてき――」

 

いた。紅魔館に襲撃してきた二人組。あまり関わりたくないんだけど、まあ仕方ないかな。あの二人ならこんな男性二人くらい軽く仕留めてくれるだろう。なにせ、片方はパチュリーに勝ってたし、もう片方はフランさんに勝ったそうではないか。

 

「あっ!見つけました!それでは!」

「オイオイ待ってくれよォー」

「そうだそうだ!」

 

博麗の巫女――確かパチュリーが霊夢と言っていた覚えがある――と霧雨さんのもとへ全力で走る。予想はしていたが、あの男性二人は追ってきている。あちらの方が少し足が早かったが、追いつかれずに済んだ。

うーんと、ここはこんな性格をすればいいかな?まずは霊夢さんの服を思い切り掴む。お面から見える眼に涙を軽く浮かばせて、と。

 

「助けてくださいっ!霊夢さん!魔理沙さん!」

「うおっ!なんだいきなり!」

「私達に何か用なの?」

「あの二人が突然言い寄ってきてっ!怖くて怖くて…っ!」

 

次に、声を震わせながら追ってきている男性二人を指差す。さらに、博麗の巫女と霧雨さんの後ろに隠れます。

追いついてきた男性達は二人を見て僅かだが狼狽えていた。

 

「ゲッ…博麗の巫女…」

「もう片方は魔法使いだぜ?どうするよ兄貴ぃ」

 

よし、何とかなりそう。この男性達はこの二人を知っているようだし。このままどっか行ってくれれば最良、博麗の巫女と魔理沙さんがやっつけてくれるのが次点。

そんなことを考えていたら、博麗の巫女が前に出た。

 

「よく分からないけれど、彼女怖がってるじゃない。さっさと何処か行ってくれるかしら?」

「しっ、失礼しましたー!」

「すみませぇーん!」

 

こちらからは見えないけれど、博麗の巫女からはなんかヤバい雰囲気が出ている。きっと顔も怖いことになっているだろう。とてもじゃないけど普段なら近づきたくないです。

 

「ふう、興醒めね…。で、アンタ大丈夫?」

「あっ、ありがとうございます…」

「どうする霊夢?家まで送ってやるか?」

「いえ、大丈夫ですよ魔理沙さん。わたし、まだ行きたいところがあるんです」

「また言い寄られたらどうするの?都合よく助けてくれる人なんて少ないわよ?」

「それは…」

 

し、しまった。こんな展開になるとは。しかも、霧雨さんは金髪だ。それが言葉に出てきたら、一瞬でばれる。しかも、二人とは紅魔館で会っているから知らないじゃ済まされない。どどど、どうしよう……。

 

「しょうがないわね…。一緒に回ってあげましょうか?」

「おっ!霊夢もたまには良いこと言うじゃねえか!」

「たまにはとは何よ、ぶっ飛ばすわよ」

 

不味い方向に話が進んでいる…。何とかして別れる方法を――、

 

「まどろっこしいわね、ほら行くわよ」

 

突然腕を掴まれて引きずるように歩いていく。ちょっと待って!危ない危ない!

 

「待ってください!自分で歩けますから!分かりました一緒に回りましょう!」

「最初からそう言えばいいのよ」

「おう!大丈夫だ、ちゃんと守ってやるからよ」

 

こうなったら仕方がない。わたしとばれないように気を付けて行かないと…。行動、会話、雰囲気。これらを限りなく人間らしくしてみせようではないか。

 



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第25話

「そういえばアンタ、名前は?」

「え、えーっと…、け、慧香(けいか)です」

 

とりあえず偽名を言う。ここで幻香と言ったら、そこから「同じ名前の妖怪を知ってる」みたいな話題が出てくるだろう。そうしたら、わたしの見た目の話に派生する可能性がある。咄嗟に思いつかなかったから、慧音とわたしの名前混ぜただけになってしまったが、多分問題ないだろう。

 

「ふーん、慧香か。よろしくな!」

「はい、よろしくお願いします」

「で、慧香は何処に行きたかったの?」

「えと、八目鰻が美味しいと聞いたので、食べてみたいなと」

 

まあ、慧音が例に言っていただけだが、鰻は食べたことがない。一体どんな味がするのか興味がある。まあ、美味しいとは言われていないけど。

 

「鰻は美味いぞ!霊夢、慧香、早く行こうぜ!」

「魔理沙!ちょっと待ちなさい!」

 

そう言って霧雨さんは駈け出してしまった。わたしと一緒にいる話は何処へ行ってしまったのでしょうか?

 

「慧香!早くしないと置いてくぞー!」

「はあ、しょうがないわね…。走るわよ、慧香」

「そうですね霊夢さん…。魔理沙さん、待ってくださいよー!」

 

 

 

 

 

 

「ハァ…、ハァ…」

「おいおい、こんなんで息乱すなよ。普段から運動してるか?」

「いいえ、あんまりしてないですね…」

 

走ること数分、少し息が乱れてしまったようだ。スペルカード戦してる時はこんな程度じゃ疲れないんだけどなあ…。

目の前には「八目鰻」と書かれた屋台がある。そこには慧音が言ったとおり、夜雀の妖怪がいた。彼女はくすんだ茶色の服を着ている。その服は、曲線のラインがあり、その曲線に沿って紫色のリボンが多数あしらわれている。そして、同じくすんだ茶色をした羽根飾りの帽子。異形の翼と爪と羽の耳を持つ特徴のある容姿をしている。

とりあえず、席に座らせてもらおうかな。疲れたし。

 

「お邪魔しますね」

「あ、いらっしゃーい!三名様かな?」

「おう、そうだぜ!」

「へえ、妖怪が屋台をねぇ…。ま、危害を加えてないならいいか」

 

そう言いながら、二人がわたしを挟むように座る。品書を受け取り、見てみると一本五厘、二本買ったら一本オマケ!と書かれている。うん、話に聞いた通りだ。お酒は一銭五厘と書かれていた。まあ、飲むつもりはない。

注文をしようと品書から夜雀さんに目を向けると、何やら首を傾げてわたし達を見回している。

 

「およ?お客さん達、何処かで聞いたような、見たような…?」

「ん?私のことか?そこまで有名だったかなー」

「アンタ、一応紅霧異変解決の新聞に載ってたのよ?…私もだけど」

「あっ、そう言われるとそうですね!博麗霊夢さんに霧雨魔理沙さんじゃないですか!」

 

へー、新聞になってたんだ、あの紅い霧のこと。ただの異常気象だと思って調べに言ったら、その首謀者の本拠地だった…。うん、笑えない。

まあ、その紅霧異変の話で盛り上がるかもしれないけれど、わたしのことが話に出てこないといいなあ…。

 

「大将さん、わたし鰻三本食べたいです」

「えっ!?大将さんだなんてそんな…。わ、私のことはミスティアとでも呼んでください」

「ミスティア!私も鰻三本!あと酒一つな!」

「私も魔理沙と同じのを」

 

一銭銅貨を手渡して八目鰻の串焼きを受け取る。さて、残り一銭六厘か…。左右の二人もお金を払って八目鰻の串焼きとお酒――かなり小さめの徳利とそれに合った大きさのお猪口――を受け取っている。

 

「さて、乾杯するか!」

「そうね、乾杯」

 

そう言って、わたしの目の前でお酒を入れたお猪口を軽く当てる。ちょっ、お酒がわたしの鰻にかかったんですけど。ちょっとだけだけど。

 

「なあ、慧香は飲まねえのか?」

「わたしまだ成人してないので」

「ははっ、私だってしてないぜ?お前も飲め飲め!」

「嫌ですよ、お母さんに怒られます」

 

まあ、お母さんなんていないけどね。代わりに慧音に怒られると思う。

 

「ま、無理強いはよくないわね。私達だけでも楽しみましょうか」

「そうか残念。ま、飲まないならそれでいいけどな!」

 

そう言って、二人はお酒を一気飲み。実に美味しそうに飲んでいるけれど、私は飲まないと決めたのだ。気にせず鰻食べようかな。

 

「あっ、美味しい…」

「でしょう?ふふ、嬉しいこと言ってくれるじゃないですか」

 

うん、普段食べてる魚とは全く違う味だ。とっても美味しい。こういう美味しいものを食べれるのは嬉しいなあ…。

 

「そういえば、ミスティアさんはなんで八目鰻の屋台を始めたんですか?」

「ふふん、よくぞ聞いてくれました!それはねえ、焼き鳥屋さんを撲滅させるためなんだよ!」

 

……すいません、その焼き鳥屋さんでたくさん食べてきちゃいました。

 

「こんなに美味しい八目鰻がこんなに安価で食べれると知ったら焼き鳥なんか食べないよね!それで焼き鳥屋さんを商売上がったりにするんだー!」

「そ、そうですか…。が、頑張ってください…」

 

知り合いが焼き鳥屋さんやってるからやめてください、とは言えないよなあ。人間は妖怪相手に喧嘩を売ることは少ないのだ。人間らしく人間らしく。

 

「ふーん、鰻がこんなに安く食べれるなんてねえ」

「普通、どのくらいなんですか?」

「まあ個の串焼きだと一本一銭五厘くらいかしら」

「ん?そんなするのか?普段鰻なんか食わないから知らなかったぜ」

 

まあ、何らかの方法で安くしているんだろう。簡単に大量に捕れる方法を知っているか、安物の似た物の偽物を売っているのか…。まあ、博麗の巫女は鰻くらい食べたことあるだろうし、その違いくらい分かるだろう。

 

「紅霧異変のときはなかなか大変だったぜ。何せ視界が悪い!」

「そうだったわねえ…。紅魔館に行く途中で闇の妖怪と氷の妖精に邪魔されたし」

「ルーミアちゃんとチルノちゃんが?ルーミアちゃんは遊び大好きだし、チルノちゃんは喧嘩っ早いところがあるからなあ…」

 

チルノちゃんは知ってるけど、ルーミアっていう妖怪は知らない。きっと、仲がいいのだろう。もしかしたら、大ちゃん、チルノちゃん、ルーミアちゃん、ミスティアさんの四人組で遊んでいるのかもしれない。ちょっと聞いてみようかな。

 

「へー、そのチルノちゃんとルーミアちゃんと普段遊んでるんですか?」

「うーん、私はこの屋台があるから遊べる日は少ないけれど、遊べるときは遊んでるよ。大ちゃんとリグルちゃんとも遊んでるなー」

 

リグルちゃんという新しい子が出てきてしまった。今度会えたらいいなー。

会ったらどんなことをして遊ぼうか考えていたら、突然ミスティアさんが目を見開いてわたしを指差した。

 

「あっ、そうだ思い出した!」

「ん?何をだ?ミスティア」

「チルノちゃんと大ちゃんが言ってたの!新しいお友達が出来たって!お友達って貴女でしょう?」

「へえ、あの氷の妖精とお友達だったのね、慧香」

「え?そうなんですよアハハー」

 

何故だろう、猛烈に嫌な予感がする。

 

「けど、慧香なんて名前じゃなかったし…。けど、前教えてくれた特徴はそのまんま…。うーん…」

「へえ、似てる人なんていくらでもいるからな。たまたまじゃないか?」

「そうね、狐のお面で隠してて分かるってことは、体型と髪の毛なんかが特徴なんでしょう?このくらいなら探せば結構いるわよ?」

「いいえ、チルノちゃんが言ってたんです!『このくらいの大きさで――』」

 

そう言いながら、大体わたしの身長と同じくらいの高さに右手を上げる。

 

「『――自分そっくりだったら、まどかっていうアタイの友達だ』って!」

 

ハイ終わったー。バレましたー。左右の目線が尋常じゃないほど痛い。

 

「私の桃色の髪の毛なんてほとんど見かけないし、多分そうだと思ったんだけど…」

「おい霊夢、私には金髪に見えるぞ」

「私には黒に見えるわ。たしか、紅魔館でこんな奴いたわね」

「アハ、アハハハ…」

 

もう笑うしかない。まさかこんなことでバレちゃうとは…。まあ、いいか。諦めよう。

 

「ちょっとそのお面外しなさいよ」

「い、嫌ですよ。わたしは人間として参加してるんです。顔見せると碌なことにならないし」

「へえ、慧香…いや、幻香って呼んだ方がいいか?」

「もういいですよそれで…。ハァ…、せっかく楽しんでたのに…」

 

思わずため息をついてしまう。その隙に、狐のお面は剥ぎ取られてしまった。わたしの顔が公衆の面前に晒される。瞬間、わたし達のいざこざを見ていた人間の大人達の雰囲気が急変する。明確な殺意を感じて、霧雨さんは少し驚いているが、今はどうでもいい。

そんな中、一人の目を瞑った年寄りが前に出てきた。

 

「ちょいとすまないか、博麗の巫女よ」

「何?」

「そいつをこっちに渡してくれんか?黙って渡してくれればそなたらには何もせんよ」

 

わたしのことを向きながらそう言い放った。まずいことになった…。普段はここまで殺気立たない。嫌そうな目で見てくるくらいだ。なのに、今日に限ってどうしてこうなったんだ…。

 

「ふーん、理由は?」

「先日、コイツを見た隣の家の男が腕を怪我した!ウチの母がコイツを見てちょっとしたら死んだ!全部全部、コイツという禍がもたらしたものじゃ!コイツを見ると、魂を削られ、生気が削がれる…。だから、コイツを断罪する。そう昨日決めたんじゃ」

「ねえ幻香、アンタってそういう妖怪?」

「いいえ、自分は最低でもそうだとは思ってないんですけれど…。見ただけで死んじゃったら、あなた達も死んでると思いません?慧音も、妹紅さんも、パチュリーも、チルノちゃんも、大ちゃんも、サニーちゃんも、ルナちゃんも、スターちゃんも、フランさんも、レミリアさんも、咲夜さんも、美鈴さんも、ミスティアさんも。けれど死んでない。これでいいですか?」

「……まあ、知らないやつばっかだけど、咲夜もレミリアも死んでないわね。特に人間である咲夜が」

「美鈴とパチュリーも死んでなかったぜ?この前大図書館に行ったときに会った」

 

しかし、周りの雰囲気は悪くなるばかり。どうしたものか…。

すると突然、子供が飛び出してきた。そして、私の腹部に向かって何かを突きだす。

 

「――がっ!」

「お前のせいで、ウチの曾婆ちゃんが死んだんだ!お前のせいでっ!お前のっ!」

 

熱い。痛い。なのに冷たいようにも感じる。不思議な感覚だ。何時の間にか地面に倒れていたようで、地面の冷たい感触が伝わってくる。痛みを感じる場所を見てみると、どうやら包丁が刺さっているようだ。服が血に塗れていき、地面に流れ、そして吸われていく。

 

「よくやったっ!お主は今日から英雄じゃ!」

「へ、へへっ!どうだ化け物!参ったか!」

 

そう言いながら、わたしの顔を蹴っている子供がいるようだ。感覚はほとんどしないが、視界がとにかく揺れる。お腹がとても痛い。が、無理して立ち上がる。

 

「ぬっ!まだ起き上がるか!皆の者、コイツを殺せえ!」

 

周りにいた人間たちが一斉に声を張り上げる。逃げなきゃ駄目かな…。けれど、このままだと、後ろにいる三人が…。

そんなことを考えていたら、博麗の巫女と霧雨さんが前に出た。いきなりどうしたんだろう…?

 

「ちょっと、勝手に何してんのよ、アンタら」

「そうだぜ!一緒に食ってた奴をいきなり刺されちゃあ黙ってられないなあ!」

 

嬉しいことを言ってくれる。紅霧異変のときに戦い合った仲なのに。けれど、二人は関係ない。わたしの問題だ。

 

「…二人とも黙っててください。コフッ、これは、わたしの、問題、ですから…」

 

口から血が少し出てきた。さっきまで痛かった腹部は、何故か熱を感じるのみで痛くなくなった。不思議な感じだ。今なら大抵のことが出来る気がする。

目的、目の前にいる人間たちの無力化。その際、怪我はさせないほうがいい。条件、わたしが意識を失う前に完了させること。

 

「本当に、どうしてこうなったんだろうなあ…」

 

わたしの呟きは、集団で向かってくる大人達の音に掻き消された。

 



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第26話

まず、刺さっている包丁を勢いよく引き抜く。血濡れの包丁は地面に刺して置き、傷口に妖力を流して無理矢理治癒。うん、多分塞がった。

向かってきている大人は三人。捕まったら面倒だ。残った人間共に袋叩きにされるだろう。それは避けたい。

先頭を走る男を足払いし、下がった後頭部を掴み地面に思い切り叩きつける。さっき怪我はあまりさせないと考えたが、ごめんね、ありゃ嘘だった。こんな状況で怪我させないなんて考える余裕なんてない。そして、その昏倒した男を残った二人に投げつける。後頭部を強打したようで、白目を向いている。三人は無力化した。

手加減っていうものは実力差が大きいからこそ出来るものだ。わたしはそこまで強くないから思い切りやらせてもらおう。

 

「ぐっ…!抵抗してくるぞ!ヤツは手負いじゃ!なんとしても確保するのじゃ!」

 

これで逃げてくれれば楽なのに、あの年寄りは奥に逃げ込んで、大人共に紛れながら士気を高めてくる。が、さっき「殺せ」とか言ってたのに確保になってるあたり、無意識で諦めているのかもしれない。しかし、士気を上げてくるのは面倒だ。その年寄りを無力化したいが、あの年寄りは見るからに貧弱。攻撃したら後遺症、下手したら死んでしまう。それは駄目だろう。

 

「ちょっと!一人で何とかするって言ったのにそんな方法とるの?危ないじゃないの、人間が」

「わたし、意識を刈り取る方法これくらいしか知らないんです」

 

背中から屋台の椅子に座って待機している博麗の巫女の声がしたが、思ったことをそのまま返す。今は、考える時間も惜しい。

何やら長い棒を持った男がわたしに向かってきた。棒の長さは、わたしの二倍くらいの長さで、物干し竿みたいな見た目をしている。その後ろには三人付いてきている。振り下ろしてきた棒を軽く体をずらして回避し、地面に叩きつけられた棒を踏みつける。そして、右手にその長い棒を創り、相手ののど元へ突く。思わず棒を離した男はそのまま倒れて喉を押さえてジタバタしている。何か言っているようだが言葉にならない呻き声で、何と言っているのか分からない。後ろの三人はチラリともがいている男を一瞥してから向かってきたが、一人は鳩尾に突き当て、残り二人は片方のこめかみに向けて振り当て、もう一人を巻き込んで地面に倒れ込んだ。

棒を回収し、残った人間共を見る。さっきわたしに包丁を突き刺した子供と大人が五人、そしてあの年寄りだけ。その表情は、畏怖そのもの。もう逃げてくれればいいのに…。

そう考えていたら、さっきの四人が起き上がった。ああ、気絶してなかったのか。

 

「もう、容赦せんぞ…。ヤツはここで処刑じゃ!者ども!恐れるな!」

 

しわがれた声を張り上げ、指揮する年寄り。するとどうだろう。さっきまで恐れていた大人共が目つきを鋭くしてわたしを睨みつけてくるではないか。ああ、やっぱりこの年寄りが一番厄介だな…。攻撃出来ないのに士気を上げてくる。大人共に囲まれて攻撃しにくい。そして何より、攻撃したら軽く死んでしまいそうなほど貧弱。

それにしても、断罪、殺すから確保になり、処刑とコロコロ変わるわたしへの対応に何故か少しだけ笑いが零れてしまう。

 

「霊夢、私達も加勢したほうがいいんじゃないか?」

「駄目よ。アイツが自分一人でやるって言ってるんだから。それに、人間が人間に攻撃なんてよくない。スペルカード戦じゃないのよ、これは」

 

後ろから話し声が聞こえる。確かに、これはスペルカード戦じゃない。ああ、処刑じゃなくてスペルカード戦ならどれほど楽だっただろうか…。しかし、もしもの話はどうでもいい。今は目の前に集中しないと。

突然、年寄りの視線がわたしを通り越して、後ろに向いた。

 

「おい博麗の巫女!そなたも儂らに加勢せんか!その禍を処刑するんじゃよ!」

 

よくそんなこと言えるなあ…。さっきわたしの前に出てきたのを見ていなかったのだろうか…、痛っ。刺された所が今更痛みが戻ってきた。まずい、早く終わらせないと…。

 

「はぁ?アンタらがこの妖怪に手出ししたのが始まりでしょう?力無き人間は妖怪に手を出さない。これは幻想郷の常識よ?」

「なっ!力有る者がこの禍を殺さぬと言うのか!?それにヤツがこの里に来るから――」

「それに、コイツはやってないって言ったのよ。それを私は信じた」

 

それを聞いて年寄りがなんて言っているのかよく分からない言葉を発した。顔を皺くちゃに歪ませ、真っ赤にしている。年寄りは興奮すると血管が切れてしまうって慧音が言ってた覚えがある。下手したら、それでこの年寄りが倒れたらわたしのせいになってしまうだろう。

 

「あの年寄りが死なずに後遺症を残さずに意識を刈り取る方法…」

 

そんなことを呟いていたら、大人二人がこちらに向かってきた。右脚を勢いよく振り上げ、こめかみにブチ込む。勢いをそのままに回転し、左のかかとをもう一人に当てる。倒れた二人の意識を刈り取るために、二人の頭を軽く持ち上げて地面に振り下ろす。白目を向いてくれたので完了だ。

さて、残りは子供一人と年寄り、大人が――あれ?六人?一人減ってる…。

 

「なっ!何者じゃ!」

「アイツの友人だよっ!」

 

さらに最後尾にいた大人が二人吹き飛ぶ。この声は…。

人間共の上を飛び越えて、わたしの横に着地した。

 

「よっ、騒ぎがあって来てみりゃあなんか凄いことになってるじゃないか」

「も、妹紅さん…」

「まあ、普段は人間を守る側だ。だがなあ、友人が殺されるって聞いたら流石にそっちに付く気にはなれないね」

「なっ!そなたまでそう言うのか!この人でなし共が!」

「人でなしで結構。生憎既に人間とは言えないようなもんでね!」

 

そう言いながら飛び出し、大人の鳩尾に一発ブチ込んだ。わたしもそれに続いて別の大人の脇腹を蹴飛ばす。妹紅さんはさっき殴って気絶させた大人を持ち上げて、残った二人の大人に投げ飛ばした。どうやら当たった二人も気絶してしまったようだ。

さて、残りは子供と年寄りだけ。ハッキリ言って逃げて欲しい。もうそろそろ限界だ。

 

「くっ、くっそぉお!」

「じ、爺ちゃん!俺に任せろ!」

 

そう言って無謀にも突撃してくる子供。その手にはさっきの包丁があるはずもなく、素手だ。

 

「無駄よ、諦めなさいって」

 

足払いをして顔面から落ちたところで、無防備の背中を軽く踏みつける。踏んでいる間はこの子供は無力だ。ああ、視界が霞む…。

 

「くそっ!離せよ!化け物!」

「…離しません。そっちから攻撃してきたのが悪い」

 

さて、一人残った年寄りの判断次第だ。逃げてくれれば楽なんだけど…。

 

「……さて、そこの爺さん。どうします?」

「わ、儂はっ!人間は!禍を里から排除する義務があるっ!ク、クケケケケケーーッ!」

 

奇声を発しながら突撃してくる哀れな年寄り。ああ、どうして逃げなかったんだろう…。

そう思いながら、その頭に拳を振り下ろした。後遺症にならないことを願う。不味いな…。意識が、朦朧とする…。

 

 

 

 

 

 

幻香が足を離したら、子供は年寄りを重そうに背負って逃げていった。あの感じはただの脳震盪による気絶だろうから、明日の朝になる頃に目覚めるだろう。後遺症は残らないと思う。しかし、気絶している大人達は私達が後処理しないといけないのか…?

 

「さて、騒ぎに、なっちゃいました、ね、ぇ……」

「幻香、どうしてこんな――ってオイッ!幻香!?」

 

突然、幻香が倒れた。血塗れということは、その近くの皮膚が斬られる刺される破れるなどしたのだろう。血塗れの服を破き、傷口を探す。……あった。かなり深い刺し傷。地面に刺さっている包丁は少し気になっていたが、あの包丁が刺さっていたのだろう。一度無理矢理治した感じがするが、また開いたようだ。血が止まることなく流れ続けている。

 

「まずいな…」

 

急いで幻香を背負う。事は一刻を争うだろう。が、突然肩を掴まれる。

 

「ちょっと!」

「なんだ?紅白」

「ソイツをどうするつもりよ!」

「医者に連れてくんだよ!邪魔だから後処理でもしてろ!」

 

後ろでなんか言われた気がするが、知ったことではない。あんまり行きたくないが、永遠亭に行かなくてはならない。そこなら大抵の怪我を治せるはずだから。

 



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第27話

「息子が病気になった!」「昨日まで元気だったのに!」「アンタを見てから急に!」「ああ、かわいそうに…」

 

――関係ない。

 

「お前のせいで祖母が死んだ!」「お前が里に来なければ!」「婆ちゃんは死ぬことはなかった!」「お前さえ来なければっ!」

 

――わたしは、関係ない。

 

「ウチの赤ん坊を返して!」「なんで殺したの!?」「ねえどうして!?」「何とか言いなさいよ!」

 

――そんな子は、知らない。

 

「お前のせいだ!」「殺せ!」「禍が!」「来るな!」「お前が!」「父さんを!」「殺した!」「全部お前の!」「病に伏した!」「返して!」「苦しんだ!」「不幸に」「気味が悪い…」「アンタがいなければ!」「お前さえ!」「お前のせいで!」「息子が!」「殺せ!」「来るな!」「殺した!」「禍が!」「娘を!」「お前が!」「近寄るな!」「殺せ!」「化け物!」「禍が!」「お前が!」「父さんを!」「化け物!」「死ね!」「全部お前の!」「爺ちゃんが!」「殺せ!」「化け物!」「死ね!」「全部お前の!」「病に伏した!」「返して!」「娘が!」「不幸に」「病に伏した!」「返して!」「不幸に」「気味が悪い…」「来るな!」「苦しんだ!」「殺した!」「禍が!」「お前が!」「アンタがいなければ!」「お前さえ!」「アンタがいなければ!」「お前さえ!」「父さんを!」「お前のせいで!」「爺ちゃんが!」「殺せ!」「お前のせいで!」「苦しんだ!」「お前のせいで!」「禍が!」「苦しんだ!」「殺せ!」「来るな!」「殺した!」「禍が!」「お前が!」「娘が!」「苦しんだ!」「殺せ!」「返して!」「近寄るな!」「殺した!」「化け物!」「アンタがいなければ!」「爺ちゃんが!」「お前さえ!」「お前のせいで!」「殺せ!」「婆ちゃんが!」「苦しんだ!」「全部お前の!」「病に伏した!」「母さんが!」「不幸に」「殺せ!」「息子に!」「近寄るな!」「父ちゃんを!」「殺した!」「全部お前の!」「娘が!」「不幸に」「気味が悪い…」「殺した!」「禍が!」「お前が!」「殺せ!」「化け物!」「禍が!」「お前が!」「処刑の準備を!」「返せ!」「消えろ!」「禍が!」「近寄るな!」「お前が!」「殺せ!」「化け物!」「禍が!」「気味が悪い…」「アンタがいなければ!」「殺せ!」「父さんを!」「化け物!」「殺せ!」「お前が!」「息子が!」「苦しんだ!」「母さんが!」「化け物!」「死ね!」「全部お前の!」「病に伏した!」「返して!」「不幸に」「気味が悪い…」「アンタがいなければ!」「お前さえ!」「殺せ!」「来るな!」「殺した!」「禍が!」「お前が!」「殺せ!」「爺ちゃんが!」「化け物!」「娘が!」「近寄るな!」「病に伏した!」「返して!」「父さんを!」「お前が!」「殺せ!」「化け物!」「死ね!」「全部お前の!」「母さんが!」「病に伏した!」「返して!」「娘が!」「苦しんだ!」「不幸に」「気味が悪い…」「化け物!」「苦しんだ!」「殺せ!」「処刑の準備を!」「返せ!」「消えろ!」「禍が!」「お前が!」「殺せ!」「化け物!」「殺せ!」「化け物!」「死ね!」「母さんが!」「全部お前の!」「爺ちゃんが!」「病に伏した!」「母さんを!」「返して!」「息子が!」「不幸に」「気味が悪い…」「アンタがいなければ!」「お前さえ!」「お前のせいで!」「殺せ!」「処刑の準備を!」

 

――うるさい!知らない!関係ないっ!

 

 

 

 

 

 

「――ハッ!………うっ、くぅう………」

 

嫌な夢だ。背筋が凍える。吐き気も凄い。

里の人間の他愛のない雑談。その中によくわたしの話題が出てきたものだ。生気を奪うだの、不運を呼び込むだの、魂を削るだの。わたしが近くを通れば、白い目で見られたものだ。

ああ、何時の間にかあれほどまで嫌われているとは…。

わたしは仮にも妖怪。大抵の人間は、口に出しても攻撃することはない。それは、仕返しされて死にたくないからだ。しかし、それでも攻撃してくるほどになっていたとは。

そういえば、ここは何処だろう?笹の音が僅かに聞こえる。

 

「おっ、やっと起きたか…」

「ん?おー、起きた起きた」

「おはよう、幻香さん」

「慧音…、妹紅さん…、医者さん…?」

 

声がしたほうを向くと、三人がいた。慧音の目の下には薄っすらと隈が出来ている。医者さんがいるってことは、ここは永遠亭かな?

 

「全く、心配させる…」

「え…、わたし、どのくらい…?」

「三日だ、三日」

「み、三日!?そんなに倒れてたんですか!?」

「そうよ。貴女は血液をかなり失っていたわ。正直言って人間なら死んでいたと思う」

 

そこまでヤバい状況になっていたとは…。運んでくれたのは近くにいた妹紅さんかな?ちゃんとお礼を言っとかないと。

 

「妹紅さん、ありがとうございます」

「ん?私は運んだだけだからな…。礼はこっちの永琳に言ったほうがいいだろ」

「あっ、そうですか…。永琳さん、どうも、ありがとうございました」

「ふふ、姫様を見ても気にしないほどだったからねえ」

「ケッ、輝夜とはいつでも出来るが幻香は時間がなかったんだ」

 

私が死にかけている間に何かいざこざがあったらしい。まあ、今はどうでもいい。

それよりも、里の状況だ。

 

「慧音」

「ん?なんだ?――あー、里のことだろう?」

「うっ…、なんで分かるんですか…」

「お前は顔にすぐ出るからな。まあ、演技し始めると分かりにくくなるけど。――まあ、そんなことはどうでもいいか」

 

慧音の目が突然鋭くなる。雰囲気も急に張り詰め、息を呑む。笹の揺れる音が消え、慧音の声しか聞こえなくなったようだ。

 

「里は全体的にお前の排除、処刑を目指している感じだな。大人、老人はほぼ全員、子供は八割くらいか?目撃しだい確保、のちに処刑するって言ってるくらいだ」

「………そう、ですか……」

「ついでに、私に協力依頼が来た。当たり前だがそれらしい理由を言って断った」

 

もう、里には入れないと考えていいだろう。顔を隠しても、わたしの情報はほとんど割れていると言ってもいい。身長、体型、声色は誰が見ても変わらない。複数人いれば、肌色や髪色で判別されるだろう。人目に付かないで里に入るのはほぼ不可能だ。よって、即行確保されるということだ。そして処刑。

そんな暗いことを考えていたら、妹紅さんが口を挟んできた。

 

「そういやさ、なんで幻香は里のやつらにあそこまで嫌われてるんだ?」

「ん?幻香から聞いてないのか?」

「…言ってませんよ。慧音が話してくれると思いましたから」

「あら?アナタ、知らないの?」

「オイオイ、三人とも知ってるのかよ!ていうか永琳!なんでお前まで知ってるんだよ!」

「優曇華が言ってたわ」

 

話が逸れてきている…。無理矢理だが戻させてもらおう。

 

「妹紅さん、わたしが嫌われている理由は『運が悪かった』だけですよ」

「運だぁ?」

「そうだな。あれは確かに運が悪かった」

「オイ慧音、説明してくれよ。流石に分からない」

「そうだな。例え話をしよう。『ある少年がいた。その少年は四日に転んで怪我をした。十四日にも転んで怪我をした。二十四日にも転んで怪我をした。その少年はこう考えた。『四の付く日は不吉だ』と。だから、その少年は四の付く日には家から出なくなった。――」

「は?それがなんだってんだよ?」

「――だが、その少年は二日にも、十八日にも、二十日にも、二十七日にも、三十一日にも転んでいた。しかし、その少年は四の付く日しか見ていなかった。他の日は目を向けることはなかった』」

「だからなんだっていうんだよ?」

「さて、説明しよう。幻香が引いた貧乏くじについて」

 

 

 

 

 

 

数年前、里は大規模感染症が蔓延した。まあ、最初は「何だか風邪を引く人が多いなー」と考えるくらいだったがな。まあ、私もそう考えた。寺子屋に来る子供がちょっと少ないな、と。

そんなときに里にノロノロと入ってきた妖怪がいた。分かるだろう?鏡宮幻香だ。確か言ってきたな。「里には優しい半人半獣の妖怪がいるって聞いたので」だったか?そう言えば、誰から聞いたんだ?

ふむ、天狗に聞いたか。多分その天狗はあの新聞記者だぞ。…おい幻香、何変な顔をしているんだ。…おっと、話が逸れた。

まあ、そのころの里の人間は驚きながらも対応したと聞く。そして、私のところに来たわけだな。とりあえず、何日か泊めてやることにした。

何日か経って、病が里中に蔓延したと誰でも分かる程になった。寺子屋に来る子供は二人か三人くらいになったから、私も分かった。里に出ても、外を歩いている人間はほとんどいない。そんな中、幻香は普通に外を歩きに出た。「ここに定住するなら、どこに何があるかくらい知っておいた方がいいから」と私に言って。

里の中は二つのことでいっぱいになったね。『大規模感染症』『瓜二つの顔を持つ妖怪』の二つだ。お、妹紅、もう分かったって感じだな。しかし、最後まで語らせてもらおうか。

ある日、幻香はその里の偉い人間がいるところに行った。まあ、偶然だろうな。目的地は決めずに歩いたって言ってたし。そして、その偉い人間に顔を合わせた。理由は「定住してもいいか聞こうかと思った」だったか?

まあ、結果を先に言えば、駄目だったわけだ。しかも、ただ反対されるよりも悲惨なことになった。

確か、話し始めたと思ったら、急に胸を押さえながら苦しみだしたんだよな?そう言ってたよな、幻香?…そんな嫌な顔をするな。ただの確認だ。まあ、嫌なことを思い出させたのは悪いと思っている。何?だったら聞くな?…うん、分かった。このことはもう聞かないでおこう。

その偉い人間はその場で倒れた。あわただしくその人間の家族が現れて介抱したが、まあ間に合わなかった。まあ、多分寿命だろうな。あの爺さんはかなり年を食っていたし。しかし、その家族はそう思わなかった。「こいつに会ったから死んだ」。そう考えた。

そして、その噂は里中に広がった。「瓜二つの顔を持つ妖怪に会った爺さんが亡くなった」と。そして、ちょうどよくあった二つの話題がその噂に合わせて変化した。「大規模感染症は瓜二つの顔を持つ妖怪によってもたらされた」というふうに。

つまり、さっきの例えで言うなら『四の付く日』は『鏡宮幻香の侵入』。『転んだ、もしくは不吉なこと』は『大規模感染症、もしくは爺さんの死』。『目を向けられなかった日』は『大規模感染症は鏡宮幻香が来る前に始まっていたこと、爺さんの寿命』あたりかな。

まあ、その妖怪のせいだと信じたわけだ。人間っていうのは理由を求めたがる生き物だ。「これほどの災いをもたらした原因があるはずだ」と。その結果「あの妖怪が原因だ」となったわけだ。

一人の人間が『黒』と言い、九十九人の人間が『白』と言ったら、それは『白』になる。例え、それが本当は『黒』だとしても。

そのことを知った鏡宮幻香は、私に聞いた。「人間がまず来ない場所はありませんか」とな。そして私は言った。魔法の森の場所をな。

まあ、人間は今でも信じている。「大規模感染症は瓜二つの顔を持つ妖怪によってもたらされた」とな。そして、その噂も時と共に変化した。祭りの前は、そうだな…。「瓜二つの顔を持つ妖怪は不幸を呼び込む」とかになっているのかな?

まあ、人間は妖怪に攻撃することはまずない。だから、今まで我慢していたんだろう。世間話とか言い訳の中に使われることはあっただろうけど。

え?言い訳に使うとはどういうことかだって?妹紅、そのくらい分かるだろう?「転んだのはあの妖怪のせいだ」「食べ物が腐ってしまった。あの妖怪のせいに違いない」「息子が病気になった。あの妖怪に会ったからだ」って感じだ。…おいおい、聞いてきてその顔はなんだ。私だって言いたくない。

ん?幻香、どうした?何か聞きたいことでもあるのか?……年寄りが「魂を削る」「生気を削ぐ」と言っていた?

それは多分、こう考えたんじゃないか?「同じ顔になるのには理由があるはずだ。それはきっと、相手の魂の一部を削っているからだ」とか。それに『大規模感染症』が少し混ざれば「魂を削られたから病に伏した」と考えたのかもな。病気になる理由に、精神の落ち込みというものがある。「病は気から」と言うだろう?魂とは人間の根源だと考えられる。その魂を削られれば、生気だって削られると思うだろう?…納得したか。まあ、これは私の勝手な想像だ。妄言と言ってもいい。

ま、大体こんな感じだな。



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第28話

「そうか…」

「優曇華も大体同じこと言ってたわね。…まあ、抜けているところもあったけれど」

 

慧音が言っていることは大体わたしの経験だ。だから、私は知っていることばかりだ。しかし、慧音に改めて言われると、やっぱりそうなんだなって再認識される。

今回の騒動で、里の人間はわたしを排除すると言っている。やっぱり、もう――

 

「――里には、入れないですよね?」

「そうだな。残念だが…」

「はは、やっぱそうですよねー…。はは、は…」

 

不思議と口からは乾いた笑いが零れてくる。

元から里に行く理由なんて慧音に会う以外なかったんだから、里に行くこと自体は問題ない。だけど、好き勝手に慧音と会えないのは結構辛いなあ…。

 

「まあ、仕方ないですよ。ああ、そうだ。里の人間はわざわざ魔法の森に入ってわたしを排除しようとしますか?」

「しないな。普通の人間は魔法の森に入ったら即効で御陀仏だ。なにせ、あそこに群生する茸は大半が有害だ」

 

え、なにそれ初耳なんですけど…。確かに『サバイバルin魔法の森』にも幾つか有害なものは書かれていたけれど、大半とは書かれてなかったですよ…?しかも、茸だけなんて。

 

「胞子を吸い込むだけで頭痛、眩暈、吐き気などの体調不良、前後不覚や虚脱感、不眠症に催眠作用、幻覚作用などを起こす。種類によっては即死級だ。そんなところに行く人間はよっぽどの命知らずか、よっぽどの自信家。まあ、まともな人間はまず入ろうともしない」

「ちょっと待ってください!慧音、わたしにそんな危ないところ教えたんですか!?」

「あの時はまさかそこに住もうなんて思うとは思わなかったからな…。『人間の来ない場所』なんてそうそうないし、真っ先に思いついたのがそこだと言うのもあるが…」

「ここ、迷いの竹林だってほとんど人間は来ないわよ?入ったらまず出られないから」

「確かにそうだな…。稀に餓死寸前の人間が倒れているときがある」

 

人間の里はすごく安全な場所だということがよく分かった。まあ、わたしにとっては危険度最高級なんですけれど…。

突然、永琳さんが立ち上がった。

 

「ちょっと長く話しすぎたわね。何か軽く食べる?」

 

そう言われると、不思議と感じていなかった空腹感を意識してしまい、一瞬で意識が持って行かれそうになる。ありがたく頂くことにした。

 

 

 

 

 

 

前に来たときに頂いたものと同じ、お粥とすまし汁を頂く。慧音達はもっとしっかりしたものを食べているが、文句は特にない。いきなりあんなに食べれる気がしない。

 

「これ食べたら今後のことでも何でも話してなさい。私は仕事の続きをするわ」

 

永琳さんは一足早く食べ終わり、そう言ってすぐに部屋から出ていった。

食事を終えてすぐに、慧音がわたしに向かって口を開いた。

 

「さて、幻香。お前はどうする?」

「どうする…とは?」

「このまま魔法の森に籠るかどうか、ということだ」

「……まあ、たまに紅魔館に遊びに行ったりするので、籠るつもりはないですね」

「じゃあ、言い方を変えよう。何とかして里に入る方法を考えないのか?まあ、私はあまりお勧めしたくないんだが…」

 

正直、里に行く理由は慧音以外特にない。あとは、迷いの竹林に行くとき通り道になるくらい。それに、方法なんて思いつくものは全部失敗する未来しか見えない。

 

「考えませんね。入る理由がほとんどない」

「そうか。まあ、お前はそういうと思ってたよ」

「オイオイ!なに勝手に諦めてんだよ!」

 

妹紅さん…?

 

「方法くらい考えれば出てくるだろ!」

「え…?」

「そうだな、例えば一人ずつ説得するとか…」

「………無理ですよ。そもそも、誰がやるんですか?やってくれる人なんかまずいませんよ。もしやってくれたとしても、その人が『わたしの仲間』とか『反逆者』とかに思われて排除されるだけですよ」

「じゃ、じゃあ第二勢力を作るとか…」

「じゃあ例えば、第二勢力なんてどうやって作るんですか?」

「お前も友達くらいいるだろう?そいつら集めれば」

「…確かにいますよ。ですが、わたしはあの人たちを巻き込みたくない。それに、外から引っ張って来ても、里から見たら新参者。昔から居る人間共の影響力に勝つことは難しいんじゃないですか?」

 

一息。一気に喋るのはあまり得意じゃない。

 

「それに、わたしの友達はほとんど妖精か妖怪。里に妖精、妖怪が入ってくることはあまり好かれていなかったはずなんで、この里の状況を考えると『とりあえず排除』になりかねません」

「そう、か。なら、仕方ないか…」

「そう落ち込まないで下さいよ」

 

慧音がうなだれた妹紅さんにそっと手を乗せる。

 

「妹紅。幻香はこれでも考えて決めたんだよ。その意思を尊重してやってもいいんじゃないか?」

「そうだな…。確かにそうだ」

 

妹紅さんは顔を上げこちらを見た。

 

「幻香。里に行けないのは少しくらいは寂しいだろう?だから、気が向いたらそっちに行ってやるよ。魔法の森だろう?家の場所は知らないから、慧音に付いてくか教えてもらうかするさ」

「わざわざありがとうございます」

「私は定期的にそっちに行こうと思っていたしな。まあ週一くらいでな」

「そうですか。ありがとう、ございます…」

 

二人とも優しいなあ…。目頭が熱くなる。人間の悪意に触れたからか、二人の善意がとても心地よい。

落ち着いてきたら、少し聞きたいことが浮かんできた。

 

「そうだ、妹紅さん」

「ん?場所教えてくれるのか?」

「それはあとで教えられたら。今聞きたいのは、わたしが倒れていた三日間です」

「あー、私はずっとここにいたから里のことは知らないなあ…。慧音、何か知ってるか?」

「幻香。つまり、人間達がどうしたかってことを聞きたいのか?それはもう伝えただろう」

「ええと、あのわたしに襲撃してきた人間達とか、霊夢さん達とかのことが聞きたいですよ」

「霊夢と言うと、博麗の巫女のことか?それは知らんな。襲撃してきた人間達なら今は普通に生活していたぞ。お前に対してかなりの悪意を持っていたみたいだがな…。特に、あの爺さんはお前の排除を里中に押し広めている一人だな。昔は妖怪退治の専門家だったそうだが、引退した身らしい」

 

元専門家。昔の栄光に引っ張られたのかもしれないし、未だに残る正義感からやっているのかもしれない。しかし、やっていることは『疑わしきは罰せよ』だ。もしかして、専門家ってそんなものなのかな?……そういえば、霊夢さん達が紅魔館に現れたとき、関係ないわたしも退治しようとしてた…。いや、あの時は庇おうとしていたではないか。しかも、わたしの言った根拠のあまりない言葉を信じてくれた。場合によるのかも。

 

「ま、このくらいだな。……もう、里に入らないお前にはあまり関係ない話になるかな」

「まあ、そうですねえ。里から変な噂が広がらなければ、わたしは変な目で見られることはほとんどないって知りましたし」

 

慧音も、妹紅さんも、霧の湖で会った妖精達も、紅魔館の住人達も、永遠亭の住人達も、博麗の巫女も、白黒の魔法使いも。彼女達は、里の人間共のような目で見てこなかったのだから。

 

「だから、わたしは大丈夫ですよ?」

「そうか。いいやつらに会ったんだな」

「ええ、とってもいい方たちですよ」

「そうか、それじゃあな」

「早く出てこいよ」

 

本当に、いい人達だ。私にはもったいないくらいに、とってもとっても、いい人達だ。

言いたいことは言い終わったとばかりに、慧音と妹紅さんが部屋から出ていった。振り向くことはなかったが、足音が聞こえなくなるまで、手を振り続けた。

 



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第29話

蒸し暑かった夏はすでに過ぎ去り、少し肌寒くなってきた。魔法の森は変わらず緑が生い茂っているが、森を出れば、葉は赤や黄色に染まっているものもある。幻想郷はもう秋になって半ばだ。わたしが里に入らないと決めてからもう二ヶ月くらい経っただろうか…?時間の感覚が曖昧だ。慧音が家に訪れたのは、確か八回だから合っていると思う。

今では、魔法の森でのんびり過ごし、近くに生っている果実を採ったり飛んでいる鳥を撃ち落として食べたり、一週間に一度来る慧音や気まぐれで来る妹紅さんと話したりしている。たまに、紅魔館に行くと昼間はパチュリーとボードゲームをし――チェスと言うらしい。戦歴は五戦五敗となっている。悔しい――、夜にはフランさんとスペルカード戦で遊んだり――これも五戦五敗。だが、完封はされていない――した。霧の湖では妖精達とスペルカード戦や鬼ごっこなどで遊んだりした。やること特にないかなーと考えたら、スペルカードのアイデアを形に出来るかどうかを試している。しかし、なかなか上手くいくものは見つからない。

この前、新月を見て急に霧の湖のヌシの話を思い出して霧の湖に飛んで行った。あの光景は、今でも鮮明に思い出せるほど幻想的だった。あのヌシは今でも霧の湖の何処かを悠々と泳いでいるのだろうか?

今日もいつものようにのんびりと時間が過ぎるのを待っていたら、扉を叩く音が響いてきた。慧音が来る日は明後日の予定だし、妹紅さんは扉を叩かない。一体誰だろう…?

 

「どなたです?」

「こんにちは」

 

丁寧にお辞儀をされた。どうやら、紅魔館で働く妖精メイドさんのようだ。その手には何枚かの封筒がある。

 

「レミリアお嬢様主催のパーティーの招待状を届けに来ました」

「パーティー…?何の?そもそもどうして?」

「外の世界には十月三十一日にハロウィンと呼ばれる祭りがあるそうで、それを知ったお嬢様が突然やると言い出したため急遽開催することになりました」

 

レミリアさん…、外の世界の祭りをどうやって知ったかは知らないけれど、三十一日なんてもう一週間もないよ…。

 

「詳細についてはその招待状に書かれていますので、よく確認しておいてください。また、開催日まで紅魔館への立ち入りを原則禁止するとのことです。ご注意ください」

「わざわざありがとね。お邪魔させてもらうから」

「ぜひ、来てください。それでは」

 

そう言って急いで帰って行った。中に戻って封筒を開き、招待状に書かれていることを確認する。

ふむ、開催日はやっぱり十月三十一日。時間は日が沈んでから。場所は紅魔館で、入館するときにこの招待状を門番、つまり紅美鈴さんに見せる、と。服装は仮装…?仮装って何だろう…。同行者は二人まで可。下の方に二か所名前を書く欄があり、そこに同行者の名前を書くよう書かれていた。二人なら、慧音と妹紅さんがいいかな。

…あ、別の紙に仮装について説明がある。えーと、仮装とは別のものに成りきること。例えば、人間が背中に作り物の翼を付けて鳥人や、それらしい服装を着て魔術師や呪術師など。頭部に付け耳を付けるのもよい。その他、様々な仮装の例が絵と共に載っている。最後には『可愛らしいものから本格的なものまでどんなものでもOK!アッと驚くものを期待しています!』と書かれていた。ふむ、どんなのがいいだろうか…。

 

 

 

 

 

 

太陽が頂点を過ぎ、僅かに降りてきた頃、扉の叩く音が聞こえてきた。今日は慧音が来る日だ。

 

「こんにちは」

「おう、こんにちは。元気にしてたか?」

「いつものように元気ですよ。あ、そうだ。今日は聞きたいことがあるんですよ。ささ、中に入ってください」

 

とりあえず中に入れて、この前渡された招待状を見せる。

 

「慧音は三十一日の夜って空いてます?」

「ん?寺子屋の授業は日が沈む前には終わるから空いてるぞ?」

「じゃあ、一緒に紅魔館に行きましょうよ!ほらほら、これ読んで!」

「分かったから近すぎだ、読めない」

 

おっといけない。あと少しで顔に思い切り付いちゃうところだった。これは複製じゃないんだから、大切に扱わないと。

慧音に手渡すと、すぐに目を通し始めた。するとすぐに、服装のところを指差して見せてきた。

 

「この仮装ってなんだ?具体的にどんなのをすればいいか分からないんだが」

「あっ、ちょっと待ってください」

 

もう一枚の紙も手渡すと、それを読んですぐに得心がいったようだ。そして、何処からか取り出した鉛筆で同行者の空欄に『上白沢慧音』と記した。

 

「ふむ、大体分かった。同行者のもう一人はどうするんだ?妹紅でも呼ぶか?」

「そのつもりです」

「そうか。じゃあ帰ったら妹紅にこの話をしておくから」

「分かりました。ちょっと紙返してください」

 

慧音から招待状と仮装説明の紙を受け取り、二枚ずつ複製する。

 

「慧音と妹紅さんの分です。渡しておいてください」

「こういう時お前の能力は便利だと思うよ」

「…もうちょっといい使い方ないですかねえ?」

「さあな。それくらい自分で考えろ」

 

厳しい。しかし、わたしの能力なんだから自分で考えないといけないのも事実だろう。

 

「さて、この話はこのくらいにしておくとして、何か無くなりそうな調味料はないか?」

「あー、たしか醤油が残り少なかったですね」

「よし、じゃあ来週…じゃないか。三十一日に持ってくるな」

 

そう言って慧音は出ていった。さて、わたしはどんな仮装をするか考えないと…。

 

 

 

 

 

 

残念ながらわたしは裁縫がほとんど出来ない。具体的に言うと、慧音に「仮縫いか?それにしては曲がりすぎだぞ?」と言われたくらいだ。ちゃんと縫ってたつもりなのに…。まあ、服装なんて誰かのを複製すればいいし、古くなったりぼろくなったら回収して、またいつか再複製してきたからしょうがない。だから、簡単そうな被り物にすることにした。仮装の例にもカボチャをくり貫いたものを被っていた絵があったので、それらしいものを被ったらいいかなと思う。

というわけで、汚れてもいい服に着替えてから被り物にする予定のやつを今探している。保険のために仕留めてから複製したい。やり直しが利いた方がいい。

地表ギリギリを滑るように飛んで探すこと数分。

 

「…見つけた」

 

生えている茸を貪り食っている。どうやらこちらには気づいていないようだ。しかし、あの茸って有害じゃなかったっけ…?耐性でもあるのだろうか。

焦げ茶色の丸っこい胴体に短めの四本脚。しかし、あの短さからは想像も出来ないほどの速度で突進してくる。牙が生えているから、きっと雄だろう。探し物である猪だ。大きさもちょうど良さそうだ。

人差し指の先に妖力弾を作る。着弾したら破裂する性質がいいだろうか?

普段は脳の部分を撃ち抜くのだが、その脳がある頭部を被り物に使うのだ。頭部に傷は付けたくない。というか、普段通りだと頭部の大半が吹き飛ぶ。なので、狙うのは胴体。即死するかどうかは微妙だが…。いっそのこと、頭部を残して全部吹き飛ばすか…?いや、妖力をどのくらい込めればいいか分からないからやめておこう。まあ、全部とは言わないけれど、大半吹き飛べばいいや。

いつもより多めに込めて発射。プギー、と情けない断末魔を上げながら胴体の右半分が吹き飛び、絶命した。

 

「よし、まあ成功かな?」

 

近づいてから猪の状態を見てみて、頭部が吹き飛んでいないのでホッとした。さて、家に帰ってから被り物を作ろう。誰かに盗られたら悲しいからね。

 

 

 

 

 

 

さて、家に持っていく間に勝手に血抜きも完了したし、早速作ろうかな。

とりあえず、猪を複製する。猪の被り物を作るわけだが、右手の表面に意識を集中する。今は、右手に触れた部分だけを回収する状態だ。わざわざ意識しないと出来ない還元法なんかを使うくらいなら、意識せずに全部還元できる方がいいから普段使うことはない。

まずは、頭を入れるための穴を顎の下に作る。そして、内側に顔が入るような空間を作る。一度頭を入れて確かめる。うーん、ちょっと狭い。鼻が痛い…。

細部を含めて上手く回収していき、視界を確保するための小さな穴を作る。が、穴が非常に目立つ。しょうがないから、残った胴体の複製から毛を拝借し、上手く隠す。

最後に後頭部の切断面を隠すために、胴体の皮膚で覆う。そして、下手くそなりに気を付けて縫い合わせる。

よし、完成だ。さて、パーティーが楽しみだなあ…。慧音と妹紅さんはどんな仮装をしてくるだろう。気になる。

 



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第30話

十月三十一日。つまり、レミリアさんが主催するハロウィンパーティーなるものが紅魔館で行われる日だ。日没にはまだ早いが、そろそろ来てもいい頃だと思う。

そんなことを考えていたら、扉を叩く音が響いた。

 

「こんにちは。ちょっと仕事が残ってしまってな、遅くなった」

「よう、元気そうだな」

「こんにちは、慧音、妹紅さん」

 

扉を開くと予想通り、慧音と妹紅さんがいた。

 

「慧音はちゃんと仮装してますね」

「ああ、これはな、この前里で見かけた魔法使いの服を参考にしてみたんだ。まあ、こんな時くらいしか着る気にはなれんがな」

「似合ってますよ、ちゃんと」

 

慧音の仮装は、黒いドレスに白いエプロンを着て、頭には大きな黒い三角帽が乗っている。うん、どう見ても霧雨さんだ。里で見た魔法使いって霧雨さんでしょ。

対して妹紅さんは仮装をしていない。いつもの服装だ。何でだろう?

 

「妹紅さん、仮装しないんですか?」

「いちいち作るの面倒だったからな、代わりになりそうなの考えてきた。紙に『驚くものを期待』って書かれてたし大丈夫だろ」

「何をやるんですか…?」

「ん?秘密だ秘密」

 

そう言いながら招待状に名前を記した。それを見てから招待状をポケットにしまい、猪の被り物を抱えて飛び上がる。

 

「さあ、行きましょうか」

「おい、なんだその猪は…」

「まさかそれ被るつもりなのか…?」

 

いいじゃん、これしか思いつかなかったんだから。

 

 

 

 

 

 

「こんばんは、美鈴さん」

「幻香さんですか。今日ここに来たということは招待状を受け取っているはずでしょう?見せてくださいな」

「はいどうぞー」

 

額にお札のようなものを張り付けた美鈴さんに招待状を手渡し、一読してから後ろにいる二人に目を向けた。

 

「えーと、同行者は上白沢慧音さんと藤原妹紅さんでよろしいですか?」

「うむ。私が上白沢慧音だ」

「妹紅だ。よろしく」

「…妹紅さん、仮装することがパーティーの参加条件なんですが、どのような仮装を?」

 

まあ、慧音は仮装説明の紙にもあった魔女として見られているのだろうし、わたしは猪の頭を抱えているから大丈夫と判断されたのだろう。しかし、妹紅さんは仮装していないと判断されたようだ。まあ、そりゃそうだよね。

 

「ん?ああそうだったそうだった。ほれ」

「ちょっ!熱い熱い!」

 

軽い一言と共に妹紅さんが真っ赤に燃え上がった。慧音はやることが分かっていたかのように、既に離れていた。確かに驚いたけれど、大丈夫なのかな…?

 

「どうだ?狐火とか人間松明とかで」

「紅魔館が火事になってしまいそうなのでやめていただきたいのですが…」

「えー、これしか考えてなかったんだが…」

 

炎を消しつつ思案顔になった妹紅さん。ここままだと参加できなかったりするのかも…。なら、今から仮装させればいいじゃない。

えーと、何かいいのは…。お、紅魔館の庭を飛んでいる白髪の妖精メイドさんが丁度良く頭に猫の白い付け耳を付けてる。これなら多分上手くいくはず。…うん、出来た。

 

「妹紅さん、代わりにこれでも」

「ん?おー、これなら化け猫で通りそうだな」

「それならいいですよ。ハロウィンパーティーへようこそ!」

 

そう言いながら美鈴さんが門を開けてくれた。ふう、何とかなったかな。猪の頭を被りながら門をくぐる。

 

「幻香、本当に被るのか…。視界はちゃんと確保してあるのか?」

「え?ちゃんと穴空いてますから大丈夫ですよ。どうです慧音、猪突猛進乙女とかよさそうじゃないですか?」

「……それは流石にやめておけ」

 

 

 

 

 

 

「うわー、いっぱいだなー」

 

紅魔館には既に何十人と集まっていた。軽く見渡してみるが、ほとんど知らない人だった。

あ、霊夢さんと霧雨さんだ。あれ?霧雨さんはそのまんま魔女でいいとして、霊夢さん仮装してない…。仮装しなくてもよかったんだ…。その二人は犬の耳を付けた咲夜さんとワイングラスを片手にお話をしているようだ。どんな話をしているんだろう?まあいいや、どうでも。

部屋には多くのお菓子や料理が並べられてあるが、正直言って知らないものばかりだ。今見えるもので分かるものだと、飴、ケーキ、クッキー、果物、パン、薄切りの肉、鳥の丸焼き、サラダくらいかな?もしかしたら他にも知ってるのがあるかもしれないけれど。

 

「ふむ、なかなか面白そうじゃないか」

「おい慧音、どれもこれも美味そうな料理じゃないか?それに洋酒が置いてあったぞ。一緒に飲もうや」

「はぁ、明日は仕事だからあまり飲ませるなよ?…悪いな幻香。ちょっと付き合ってくるから一人で回っててくれ」

「はーい」

 

妹紅さんが慧音を引っ張って行き、一緒にお酒を飲みに行ってしまった。慧音はわたしがお酒は飲んだことないので遠慮することを知っているので、すぐに別行動を提案してくれた。感謝しています。

とりあえず、歩き回ることにした。顔や腕などに包帯を巻いていたり、顔を白く塗っていたり、つけ耳を付けていたり、特徴的な服装をしている人達がわたし、というよりも猪の被り物を見てギョッとしていた。まあ、気にしない。しかし、わたしのように被り物をしている人がほとんどいない。見た限り、カボチャを被ってる人が一人だけだ。

そのまま歩いていると、見たことのある氷のような羽が見えた。チルノちゃんだ。近くには大ちゃんとミスティアさん、黒いロングスカートに赤いリボンを付けた金髪の子とマントを付けた緑色の髪の毛の蛍みたいな子がいた。知らない子が二人いるが、きっとこの子達がルーミアとリグルという子だろう。全員頭にそれぞれの服の色に合った三角帽をかぶっている。

 

「おーい、チルノちゃん達ー!」

「誰…、ぎゃあ!」

「だ、大丈夫チルノちゃん!?」

「うわー、猪女だよー」

「アレ、チルノの知り合いなのか?」

「この声何処かで聞いたような?」

 

あ、猪の頭のまま話しかけないほうが良かったかも。チルノちゃん、大ちゃんの背中に隠れちゃったし。しかし、蛍の子。人を指差しちゃいけませんよ。わたし妖怪ですが。とりあえず、顔が見える程度まで被り物を上げる。

 

「ん…?おー!まどかじゃんか!」

「ちょっとチルノちゃん!落ち着いて!こんばんはまどかさん」

「へー、この人が幻香って言うのかー」

「前言ってたチルノの友達か。よろしく」

「あ、幻香さんじゃないですか」

「こんばんは、チルノちゃん、大ちゃん、ミスティアさん。そして初めまして、ルーミアちゃん、リグルちゃん」

 

そう言いながら二人と握手をする。

 

「うーん、本当にそっくりだねー」

「なんか鏡に向かって話してるみたいで落ち着かないなあ…」

「ふふ、よく言われますよ」

 

そう言えば、どっちがルーミアちゃんでどっちがリグルちゃんか知らない。霧の湖で遊んだ時にいつも会えなかったのが不思議でならない。が、霊夢さんが闇の妖怪と呼んでいたほうがルーミアちゃんのはずだ。黒い服を着ているのだし、間の抜けた声で喋っているほうがルーミアちゃんだろう。もう片方は闇というより蛍って感じだ。

それにしても、五人来ているということは、わたしと同じ種類なら招待状を二枚以上受け取っていることになる。誰が貰ったんだろう?

 

「そういえば、招待状は誰が貰ったんです?チルノちゃんと大ちゃんかな?」

「いえ、チルノちゃんじゃなくてミスティアちゃんが」

「そうそう!あー、えっとねー、あの騒動の前に咲夜っていう人が屋台に来てね、八目鰻をまとめ買いしてお持ち帰りしたんだよ。それが美味しかったからってお礼で呼ばれたの」

「へえ、咲夜さんがねえ」

 

もう二ヶ月くらい前のことだが、そのことを覚えていて招待状を受け取ったらしい。紅魔館から出かけていくのはほとんどが咲夜さんだから、咲夜さんの持ち帰ったものがレミリアさんを喜ばせたのだろう。その持ち帰ったものの関係者が呼ばれているのだろう。もしかしたら、そういう些細な感謝も全部込めてこのパーティーを行っているのかもしれない。

ん?ということは八目鰻ってあの里の夏祭りで買ったってことだよね?八目鰻だけ買うなんてことはないだろうから、他の里の人が呼ばれている可能性があるのではないか?まあ、紅魔館という吸血鬼の住処に行く人はあまりいないだろうから、あまり考えなくてもいいかもしれないが、一応頭の隅にでも置いておこう。

 

「けどさあ、呼ばれたのはいいけれど、あれはちょっと許せないなあ!」

 

そう言いながらミスティアさんが指さしたのは鳥の丸焼き。うん、焼き鳥屋撲滅とかいうくらいだし、鳥肉嫌いなのかな?いや、夜雀という種族だからか。

 

「あの七面鳥だって健気に生きてたのに――」

「ねえねえ」

「はい?」

「ミスティアのお話長くなりそうだからさー、幻香のこと聞かせてよー」

「え?あ、はいルーミアちゃん」

「お、どうせだから私にも聞かせてよ」

 

突然肩を叩かれたと思ったら、わたしのお話を求められた。名前呼んだけれど、間違っていると指摘されなかったから合っていたのだろう。つまり、残った蛍の子はリグルちゃんということだ。

といっても、わたしのお話なんて特に面白い事なんかない。目指していることもなければ生きている目的もなく、ただただその場の考えで流されているようなそうでないような曖昧な生活をしているだけの妖怪だ。唯一話せそうなものは、里の人間共に見つかったら処刑されそうだということくらいだ。こんなことを話しても面白くないだろう。

 

「うーん、わたしのお話って特に面白い事ないよ?」

「へー、そーなのかー」

「そっか。なら今度弾幕ごっこで遊ぼうよ。チルノが言ってたよ?全然勝てないから目標にしてるって」

「ハハハ、いいですよ。わたし、負けませんから」

 

リグルちゃんとのスペルカード戦の約束が出来た。ついでだし、ルーミアちゃんにも聞いてみたら「やるやるー」と言われた。

 

「――ってことなんだよ!分かった!?」

「あっはい分かりましたー。さ、皆でお菓子でも料理でも食べに行こ?」

 

ごめんね、全く聞いてなかった。

 



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第31話

「そろそろ別のとこ回るね。それじゃ、またね」

「またなー!まどかー!」

「また今度会いましょう」

「それじゃーなー幻香ー」

「今度遊ぼうねー」

「また食べに来てもいいんだよー!」

 

ふう、お喋りしながら食べてたら結構食べ過ぎちゃったかも…。普段は面倒だからスープと干し肉で済ましちゃってるしなあ…。言われた通り、八目鰻を食べに行くのもいいかもしれない。お金を何とかして手に入れないといけないけれどね。

そういえば、フランさんがいない。まだこんなに多くの人前に出るのは許可されていないのかな?気になるし、レミリアさんに聞いてみようかな。一番目立つ、部屋全体の見渡せるところに座って優雅にワインを飲んでるし。主催者だからか、仮装はしていないようだ。もしかしたら、吸血鬼の仮装であると言い張るつもりかもしれないが。

ん?よく見ると、誰かと話しながら飲んでるようだ。……もの凄く嫌そうな表情を浮かべながら。その飲み相手は何もない空間から上半身のみを出して、非常に愉快そうな表情を浮かべながら洋酒を口にしている。その近くには尻尾がたくさんある人と猫の耳が生えている人がいる。あの二人の尻尾も猫耳も本物のようだ。装飾する必要なく仮装されているように見えるので、このパーティーでは楽だろう。ん?なんだかあの上半身の人、何処かで見たことがあるような…?まあ、いいや。近づく間とか話してる間に思い出すでしょ。

 

「こんばんは、レミリアさん」

「…うん?なんだその頭は?そもそも誰だ?」

「吸血鬼さんはこんなヘンテコな人ともお友達なのかしら?」

 

レミリアさん気付いてないのか…。まあ、面白そうだから正体隠してみようかな。

しれっとヘンテコ扱いした上半身の人の方を向くと、わたしの猪頭がツボにでも入ったのか、大笑いし始める始末。ん?上半身が出てきているあのスキマ、見たことがある。…あー、思い出した。スキマ妖怪だ。「幻想郷へようこそ」って言ってた人。

まあ、いいや。今はコイツはどうでもいい。

 

「フランさんは何処にいるか知ってますか?会いに行きたいんですけど」

「ふん、お前みたいなやつに我が妹を会わせるか」

「そう言わないで下さいよ。わざわざ貴女にお願いされてフランさんと友達になったのに会えないなんて酷いじゃないですか」

「は?誰がそんなこと――ん?もしかして幻香か?」

「あー、ちょっとバレるの早かったなー。ヒント出しすぎたかなー」

 

そう言いながら被り物を外す。見えにくかった視界が晴れ、レミリアさんの方を見ると、やっぱりねーと言わんばかりの顔をされた。

 

「まあ、フランは来ないわよ」

「はあ、そうですか…」

 

まあ、破壊衝動がどうとか餌がどうとかが理由なんだろうなあ…。

 

「それよりも私のためにアレの話し相手にでもなって頂戴」

「え?何でわたしが?」

 

アレと呼ばれたのは、やっと笑いが収まってきたスキマ妖怪。その人は目尻に浮かんだ涙を軽く拭いながらこちらに視線を移した。

 

「あら、人のことをアレ呼ばわりなんて随分じゃない?」

「人のことヘンテコなんて言う人にはちょうどいいと思いますけど?…で、レミリアさん。何でスキマの相手をしないといけないんですか?」

「アレの相手はもうウンザリだからよ。…咲夜」

「何でしょうお嬢様」

「私は部屋に戻るから、後のことは頼んだわよ」

「承知いたしました」

 

レミリアさんが咲夜さんを呼んだと思ったら一瞬で現れ、そして消えてしまった。ついでにレミリアさんも霧のようになって消えてしまった。

さて、残されたわたしはレミリアさんに言われた通り、あのスキマ妖怪の話し相手にならないと…。だが、レミリアさんが話しててウンザリする人なんだから、わたしも長話するつもりはない。

呑気に洋酒を注いでいるスキマ妖怪は既にかなり飲んでいるようで、頬が赤く染まっている。妙に絡まれないといいんだけれど…。

 

「というわけで、レミリアさんの代わりに貴女の話し相手になりました、五月雨魔理奈です」

「そんな分かりやすい嘘は良くないわよ?ドッペルゲンガーの幻香さん?」

「あー、覚えてたんですか。つまんないの」

「私は見たもの聞いたもの感じたもの、全て忘れることはないわ」

「そうですか。ついでにその忘れない頭にわたしの名前、鏡宮幻香も入れといてくださいな」

「だから貴女が私をスキマと呼んだこともしっかりと」

「随分つまらないことに使いますね…。まあ、ヘンテコ呼ばわりしたしいいじゃないですか」

「そんなこと覚えてないわ」

「さっきまでの言葉は何だったんだ…」

 

きっとヘンテコ呼ばわりしたことを見も聞きも感じもしなかったんだろう。随分都合のいい頭をしている。自分で言ってたことなのに…。

そんなことは気にも留めていないようで、いかにも高そうな未開栓の洋酒の瓶を持ってわたしに見せつけてきた。

 

「貴女は飲まないのかしら?」

「わたしは飲まないことにしているんですよ」

「あらそう?もったいないわねえ…」

 

そういう割に嬉しそうな顔をしながらコルクを引っこ抜き、自分のワイングラスに注ぎ始める。きっと、自分が飲める分が増えたからだろう。

 

「そういえば貴女、あの吸血鬼とはどんな関係?」

「友達の姉」

「へえ、あの子の友達ねー。ふーん」

 

そんなに不思議かなあ?スペルカードルールを知ってからは、やたらめったらものを壊したという話は聞いていないし、話していて少しズレているところはあるけれど、普通に楽しい。

あ、そうだ。名前くらい聞いておこうかな。

 

「あの――」

「それにしてもよくこんな催しやろうと思ったわねえ」

「あー、それは後日レミリアさんに聞いてください」

「あら?貴女知らないのー?」

「ただの招待客が主催者の意図を考えないのは普通でしょう?」

「考えないのが異常なのよー」

 

駄目だ、聞けそうもない。

そんなわたしのことを尻目に、新しい洋酒をスキマの中から取り出した。ていうか、もう飲み干したの…?かなり量あったような気がするんだけど…。

まあ、キリが悪いけれど、新しいお酒を取り出したという区切りで帰らせてもらおう。このスキマ妖怪、かなり酔っているようだし、わたしは話し相手というよりは聞き相手にしかなっていないような気がする。

席を立ち、別れの言葉を告げる。

 

「それでは、わたしは別のところへ行くのでさようなら」

「あら?本当にお酒の一杯も飲まないで行っちゃうの?せっかく高いの持ってきたのにー」

「…はあ。じゃあ、このワイングラスに注がれた分くらいなら」

 

溜息をつきながら、嫌そうな顔を浮かべつつ席に座る。

しょうがないので、机に置かれている未使用のワイングラスを左手で軽く触れながら、机の下に隠した右手に複製する。そしてそのまま右手に持った複製を机に置く。

飲め飲めー、と言いながら注がれていく洋酒を見ながら溜息をつく。これからやることはレミリアさんと咲夜さんに迷惑がかかることだ。

 

「ささ、早く飲みなさいなー」

 

催促するスキマ妖怪。ワイングラスになみなみと注がれた洋酒よ、すまないが生贄になってくれ…。

洋酒の入ったワイングラスを掴み、即回収する。支えを失った洋酒はそのままわたしの手に落ち、テーブルクロスに赤い染みを広げた。

 

「え?あれ?」

「残念ながら、ワイングラスは消えてしまったようですね。わたしに飲まれたくなかったのかしら?やっぱり私はお酒を飲まないほうがよさそうですね。…咲夜さん、いますか?」

「どうしました幻香さん?」

「すみませんが汚してしまいました。何か代わりにしたほうがいいですか?」

「いえ、気にせず楽しんでください」

「ていうわけでさようなら」

「ちょっと!あのお酒かなり高いのよ!もったいないじゃない!」

 

そんなことを背中で聞きつつ早足で去っていく。とっととあのスキマ妖怪から離れたかった。だって面倒くさいんだもん。

 



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第32話

歩きながらお酒で濡れてしまった手を軽く振りつつ周りを見渡す。うーん、知ってる人は霊夢さんと霧雨さんくらいかー。…まあ、聞いておきたいこともあるような気がするし、話しかけてみようかな。

 

「こんばんは、お二方。随分美味しそうに召し上がっていますね」

「ん?メイドにしちゃあ頭が邪魔じゃないか?」

「違うわよ。声で分かるでしょう?えーと、誰だっけ?」

「おい分かってねーじゃないか」

「わたしですよ、わたし」

 

猪頭を軽くずらして顔を覗かせてみせるとどうやら思い出したようで、二人は食事の手を止めた。

 

「あら、里の手配妖怪がわざわざ私に挨拶なんて」

「あー、一応聞きたいことがー………うん、あるんですよ」

「何だよその間は」

 

うん、聞きたいことあったわ。ざっと三つくらい。

 

「まず、一応確認ですが、あの騒動の後で何か不幸とか不運とか怪我とか疲弊とか病気とかそんなことはありましたか…?」

 

家にいれば週に一回慧音が来て、話し相手になってくれたりスペルカードについて話したり日用品の補充をしてくれたり。暇なときに来る妹紅さんは何故か体術を軽く教えてくれた。

紅魔館に行けば、美鈴さんはいつものように目を軽く瞑りながら門番していたし、咲夜さんも忙しそうに給仕をしていた。パチュリーは喘息気味なのは仕方ないがそれ以外は健康で、フランさんはいつでもどこでもはしゃぎながら話しかけたりスペルカード戦したりしたし、レミリアさんは優雅に紅茶を飲んでいた。

霧の湖に行けば、チルノちゃんの暴走を大ちゃんがいつものように止めて、光の三妖精は悪戯を仕掛けようと必死になっていたことのも微笑ましい。たまにミスティアさんが来て一緒に遊んだこともあった。

わたしが会った人達はこの二ヶ月の間、いつものように過ごし、妙な怪我や不幸は見られなかったと思う。

けれど、もしも里の人間共の言うことが本当に起こることがあれば?と、ふとした時に考えてしまう。その都度自分自身は否定しているが、人間はそうなるかもしれないとか確率がどうとか色々思いついてしまう。まあ、人間だからというのは咲夜さんが健康体だから関係ないといつも否定している。

しかし、もしもこの二人にそんなことがあったら?そう考えてしまう要因である二人に聞いておいて、僅かでも不安は取り除いておきたいのだ。

 

「…ないわ。まあ、お賽銭がものすごく少ないのがアンタのせいだったら今即行でブッ飛ばすけどね」

「博麗神社でしたっけ?場所知らないんで流石に…」

「ま、あそこの賽銭はいっつも空っぽだけどなー。パチュリーのとこの本借りようとしたら捕まったのはお前のせいでいいのか?」

「……よくないですし、そもそも貸出禁止ですよ」

「そう硬いこと言うなって。私が死ぬまで借りるだけだ」

「……それってもう盗むと同じなんじゃ…」

「妖怪の寿命は私よりずっと長いからなー。六十年くらい大丈夫だろ」

 

いいのかそれ…。今度パチュリーに一応伝えておこう。もう知っているとは思うけど。

 

「まあ、里の人間達が言うように本当に魂が削られている可能性を考えて調べたんだけどね」

「調べた…?誰が?誰の?何を?どうやって?」

「私が私の魂、というより霊力をちょっとね。まあ、削られてる感じは一切しなかったから問題ないと判断したわ」

「あの、どうやって?」

「秘密」

 

方法はいいとして、二人とも見た感じは健康そのもののようだし、本人が問題なさそうなことを言っている。どうやら里の人間共の妄言ということでよさそうだ。この認識が里に広がることは…ないだろうな。

 

「もうこの辺でいいでしょう。さて、次にしましょうか。里って今どんな感じですか?」

 

普段は慧音から聞いているけれど、他の人の視点というのも聞いておきたい。何か新しいものがあるかもしれないから。

 

「普段は里に下りることはないからねー…。一ヶ月くらい前に下りたときはアンタの捕縛依頼、討伐依頼、封印依頼が幾つか来たわねえ。まあ面倒だから断ったけど」

「私にも捕縛、討伐依頼来たな。後は、最近里に現れないから外に出て探し出すかって話が一時期持ち上がってた。けどすぐに立ち消えになったな。中に入って来ないならそれでいいとか我らに恐れをなしただか何だか言って」

「はあ、やっぱり出てるんですね。討伐依頼…」

 

妖怪があまりに度が過ぎたことをすると専門家や博麗の巫女に、この妖怪を倒してくれとか、この異変を解決してくれみたいなことを言われる。里の中では大罪人になっているわたしは討伐、つまり殺されろと言われる程らしい。捕縛なんかは絶対後で処刑行きだろうし。

もしかしたら言ってないだけで、慧音にもあったのかも。…いや、前に協力依頼が来たと言っていたから、それが討伐依頼だったのかも。

 

「まあ、大体予想通りですねえ…。封印とかちょっと怖いんですけど」

「かなり強力なのだと千年単位でいけるわよ。もしかしたら万年も」

「やめてくださいお願いします」

 

封印とかされるほど悪いことしてないとは思うけれど、もしされたらどうなるか分かったものじゃない。千年後とか想像出来ないし。

いや、今はそんなことどうでもいい。それよりも里のこと。

 

「えと、他には何か…?」

「ないわ」

「特にないぜ」

 

なら、このことはもう切り上げよう。

 

「そうですか、ありがとうございます。さて、話はガラリと変わりますが霧雨さん」

「ん?私か?」

「ええ、貴女です。実は前に受けたスペルカードのマスタースパークでしたっけ?あれに感銘を受けましてねえ」

「へえ、なかなか嬉しいこと言ってくれるねえ」

「それであれのやり方をご教授願いたいと思ってたんですよねー」

 

あの悪戯兎、てゐとかいうやつにぶっ放すために。あの危険極まりない罠の恨みは忘れない…。

 

「ほう、じゃあ教えてやろうじゃないか。付いてこれるか?」

「おー!やってやりますよー!」

「よし!いい返事だ!いいか!?弾幕はパワーだぜ!」

「パワーだよー!」

「うっさいわねぇ…。そういうのは外でやってなさい」

「あっ、すみません」

 

何だかおかしなテンションになってしまったが、霊夢さんの言葉で落ち着いた。

霧雨さんも落ち着いたようで、ポケットからあの正八角形のものを取り出した。

 

「これがミニ八卦炉だ。実験に使う弱火から戦闘に使う膨大な火力まで何でも御座れだ。本気出せば山火事くらい引き起こせるんじゃないか?」

「へえ、それは凄いですねえ…」

 

そう言いながら軽く手を伸ばすと、その手は叩き落とされてしまった。

 

「おっと、勝手に人のものは盗らないほうがいいぜ?後で返すとか言われても嘘だって分かってるからな」

「……パチュリーが貴女に言うべき台詞なんだろうなあ」

 

とりあえず、叩き落とされた手をさすりながら背中に隠し、そのミニ八卦炉を複製してみる。が、そんな膨大な火力が出るとは思えなかったし、ためしに魔力が出るかやってみたが出ることはなかった。きっと見た目は複製出来たが、中身(性能)が複製出来なかったのだろう。触れてやれば出来るかもしれないが、内側までちゃんと見せてもらわないと駄目かもしれない。

 

「これ使わないと生活成り立たないくらい頼り切ってるからな。盗られたら困る」

「大図書館の本は?」

「盗ってない。借りてるだけだからな」

「それって屁理屈ってやつじゃないですか?」

「屁理屈だって立派な理屈さ。…話が逸れたな。私のマスタースパークはこのミニ八卦路を通して魔力を放っているだけだ。お前はこういう道具ないだろう?だから妖力を溜めてから撃ちだせばいいんじゃないか?」

「それで出来たらいいんですけどねえ…」

 

正直言って、わたしは妖力総量が少ない。あんな膨大な魔力を再現するとなるとどれほど使わないといけないか…。

 

「ま、練習あるのみだな!何事も繰り返し試行錯誤だ」

「…よし、今度練習しますか」

 

もし出来たならば、より少ない妖力で放てるようにするとか、溜めて撃ち出すのならば、その溜め時間を短縮出来るようにするとか。

 

「…そんなの何となくで出来るんじゃない?」

「だー!何でもかんでもお前と一緒にすんな!」

「えー、霊夢さんって何となくで出来ちゃうんだ…」

 

才能ってのは恐ろしい。

 



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第33話

ハロウィンパーティーはお酒に酔った高揚感に包まれながら夜明けまで続き、わたしは美味しそうなお菓子や料理をたまに食べては、慧音と妹紅さんの様子を見ることを繰り返してた。まあ、猪の被り物を被っているような人に話しかけてくる物好きはいなかったわけだ。そして、そろそろ太陽の姿が完全に見える頃に自然と解散になった。

頭を押さえた慧音と非常に元気そうな妹紅さんと共に紅魔館を出た。

 

「うぅ…飲みすぎた…」

「大丈夫です?」

「…大丈夫じゃない、うっぷ」

 

反射的に口元を押さえ、吐き気をどうにかして堪えた慧音はフラフラと里へ向かって浮かび上がった。お酒を飲んでもなんともなさそうな妹紅さんが付いているので大丈夫だろう。

里からは見えなさそうなところで二人と別れた。帰ったら早速試してみよう。あと、今あるスペルカードのアイデアを形にするのはちょっと休憩して、自分自身の能力もちょっと片っ端から試してみようかな。もしかしたら、新しい発見とか、今まで出来なかったことが出来るようになっているかもしれないし。

 

 

 

 

 

 

魔法の森の上空、もっと限定的に言えばわたしの家の真上。さて、まずはマスタースパークの真似事をしてみようかな。

あんな膨大な妖力を溜めて撃ち出すなんてしたことないので、ちゃんと出来るか不安だが、やってみよう。

まず右手を軽く開き、その上に妖力を溜めてみる。すると、右手が薄ぼんやりと紫色に光り始め、さらに熱を帯び始めた。が、まだ足りないような気がする。もうちょっと溜めてみよう。

だんだん右手が明るくなってきた。うーん、こんなに光ったらすぐにバレちゃうなあ…。まあ、今はいいや。そろそろ右手に十分溜まってきたと思うし。

体を思い切り右側に捻り、一呼吸入れてから勢いよく体を戻しつつ右腕を前方へ突き出す。そして右手に溜められた妖力を解放する。

 

「うーん、微妙…」

 

結果はあまりよくなかった。霧雨さんのと比べると圧倒的に細い。半分以下、もしかしたら三分の一くらいか?これじゃあ駄目だ。

妖力量を多くしたり、イメージを固めてからやったりしながら何度か繰り返してみるが、何とか半分くらいまでが限界だった。うーん、これから練習しないとなあ…。明日から頑張ろう。

次は自分の能力。地上に降り立ち、落ちている石を幾つか拾いながらどんなことを試そうか考える。

まずは複製の精度。石を一つ地面に投げ捨て、それを右手に複製してみる。そして投げ捨てた石と見比べてみる。うーん、本物より僅かに小さいような気がする。それに、ちょっとした凹みが再現出来てしないし、僅かに角ばってしまっている部分があるかな。ていうか、違いを見つけようと思わないと見つからないくらいになっているように見える。もしかしたら触れなくても見た目だけならほとんど同じに出来るようになったかもしれない。次に複製を割ってみる。硬さはわたしの予想した通りの石らしい硬さだ。うん、やっぱり内側は酷い。一色塗りつぶしって感じ。

次に触れた場合。右手に別の石を置き、石に妖力を流し複製してみる。見比べてみるが、わたしには違いが見当たらない。もっと目のいい人に見てもらったらあるのかもしれないが、十分だろう。同じように割ってみるが、硬さは予想通り、内側も同じように塗りつぶし。

いつか触れることなく完全複製出来るようになるだろうか…?内部も含め、寸分の狂いもないものを。

次に試したいのは複製出来る場所。今までは『複製するものの隣』『掌の上』に出来た。他の場所にも出来るようになっているかもしれない。

まずは『複製するものの隣』。隣と言っても上下左右前後とあるし、距離もある。普段は気にしていなかったが、どこまで出来るのか調べてみようかな。

石を一つ投げ捨て、わたしから見て右側に複製を試みる。

 

「お、出来た」

 

成功した。次は左側、成功。前方、成功。後方、成功。上部、成功。うん、出来そうだ。複数個でも試してみたが、一つは右側、もう一つは左側というような、一つずつ別々な方向にも出来た。さらに、石を五つ投げ上げて『投げ上げた石とその複製同士がぶつかり合う』という曖昧なものまで出来た。逆に『投げ上げた石とその複製同士がぶつからない』というものも出来た。これはスペルカードに応用出来そう。

新しく石を地面に置き、距離を試してみる。隣、と言われると触れ合うほどのものを想像しがちだが、思えばそうとも限らない。隣の椅子、と言われて見れば少しは離れているものを想像すると思う。同じように、複製するも少しくらい離れた場所に出来ると思う。

何十回と繰り返し試した結果、零距離から大体握りこぶし三つ分――七寸くらい。かなり前パチュリーに教えてもらった単位だと二十センチくらいかな?――まで出来た。また、わざと重なるように複製すると、お互いがぶつかり合ったかのように弾かれた。さらに、石を木の幹のすぐ隣に置き、その木の幹の内部に複製を試みると、残念ながら木の中に複製されることなく木の幹の内側から飛び出るように――その木には全く傷はついていなかった――弾かれた。逆に、石が中に入ってしまうように木を複製すると、複製した瞬間、石が弾かれて飛んで行ってしまった。どうやら軽いほうが弾かれてしまうようで、同じくらいならお互いに弾き合うようだ。

次に『掌の上』。しかし、何故掌の上だけなのだろう?ちょっと考えてみると、理由はすぐに分かった。必要なかったからだ。掌の上に創れば、すぐに掴めるし使うことが出来る。だから頭の上や足の裏、背中なんかに創ろうとも思わなかったんだ。なら、試してみないとね。

そこら中に石の複製の山が出来るほど試した。結果は、全身何処でも出来たし、同じように握りこぶし三つ分くらい離れた距離まで出来た――髪の毛の先に出来たときは驚いたが、頭から握りこぶし三つ分という複製出来る圏内に入っているだけかもしれない――。が、正直使い方なんてあんまり思いつかない。咄嗟に思いついたのは踵落としするときに、振り下ろす踵に石の複製作って相手に与えるダメージを増やすものだが、自分の踵にもダメージが入りそうなのでやめておこう。

さて、次は還元だ。普段は手で掴んでやっているが、複製を全身で出来たのだから、回収だって全身で出来るだろう。もしかしたら少しくらい離れていても回収出来るかもしれない。丁度良く複製の山があるんだから、たくさん調べないと。

さっきまでの調査で創り続けた複製は全て使い切った。結果はあまりよろしくなかったが…。部位問わず触れれば問題なく回収出来た。が、少しでも離れてしまったり何か間に挟むと空気と共に霧散してしまった。あと、髪の毛で回収は出来なかった。だから、複製も髪の毛では出来ないのかも。

他にも様々なことを調べた。一つのものから一度に複製出来る個数は一つだけだった。まあ、次々と流れるように複製し続けることは出来たけど。

投げ上げたものを複製したときに、その複製の運動はどうなるかは『その速度のまま』か『停止』の二択。止まったものの複製は『停止』一択。

複製の複製は相変わらず不可能で、自分自身の複製も出来なかった。髪の毛を一本抜いてから、その髪の毛を複製しようと思ったがこれも出来なかった。多分、腕なんかが千切れたとしてもその腕の複製は出来ないだろう。

自分の妖力弾は複製出来たし、複製した妖力弾を自分自身の意思でちゃんと操れた。まあ、鏡符「幽体離脱」で動かせたから知っていたけど。ついでに、妖力弾の複製の複製もやっぱり出来なかった。

その辺を走っていた猪や飛んでいた鳥の複製をしたが、その複製に生命はなく、全く動かなかった。ついでにその複製した猪と鳥を少し食べてみたが、味は全くしなかったし、喉を通り過ぎたあたりから妖力として還元されて消えてしまった。噛むことで空腹感は紛れても、お腹に溜まることはやはりなさそうだ。

目を瞑って手探りで五分ほど歩き、目を瞑ったまま足元に生えていた茸を掴みとり複製をしてみたら、なんとも不思議なものが出来た。なんと、形はそのままで色が薄紫色一色というものだ。もしかしたら、触れて複製するときにいつも流していた妖力は形を調べるためだったのかもしれない。一応食べてみたが、味はしなかった。

複製を回収する時間は大きさによって変わる。石ころや『レーヴァテイン』、人間くらいまでなら一瞬だが、大図書館の本棚や大木になると二、三秒はかかる。もし、紅魔館全部を複製出来たとして、それをまとめて回収しようと思ったら一分じゃ足りないだろう。けれど、複製は一瞬で出来るんだから、回収だって一瞬で出来るはずだ。そう思いたい。そのためには練習したほうがいいかなあ…。

 

 

 

 

 

 

ふと視界が悪くなったような気がすると思ったら、日が沈みかけていた。最後に食べたのは、日の出前に紅魔館で食べた名前の知らないお菓子だ。なので、朝食らしいものも食べていないし、昼食も摂っていない。そう考えたらお腹が空いてきた。まあ、調べたいことは大体終わったし、今日はこのくらいにしておこう。

明日からはマスタースパーク――別の名前を考えないといけないかも――と複製の回収の練習をしようかなー。あと、リグルちゃんとルーミアちゃんとのスペルカード戦の約束もある。今回調べたことを利用できたらいいな。

 



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第34話

朝食食べたらマスタースパーク。今日から始めたばかりなので、まだ大して変わっているようには感じないが、いつかこの努力が実を結ぶことを願う。

さて、今日は霧の湖に行ってリグルちゃんとルーミアちゃんに会えたら一緒に遊ぼうかな。会えるかな?会えたらいいな。

あと、もう少しで冬になる頃だ。防寒具を貰えたら貰いたいけれど、慧音に頼めば貰えるかな?それかいっそのこと自分で炎を起こせるようになってしまおうか。そのためには妖力の使い方を知らないと。パチュリー曰く、妖力と魔力はほとんど同じものらしいから、光や熱をバカスカ放っていた霧雨さんのように熱を起こして物を燃やせるようになるのもいいし、パチュリーが使ってる精霊魔法の基礎なんかを教えてもらって熱を起こせるようになるのもいいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

霧の湖に行ってみるとチルノちゃん、大ちゃん、リグルちゃんがいた。ルーミアちゃんがいないのはちょっと残念だが、いないものをねだってもしょうがない。

どうやらチルノちゃんとリグルちゃんが弾幕ごっこをしている途中なので、大ちゃんの隣に行き、挨拶しておくことにした。

 

「おはようございます」

「あ、まどかさん。おはようございます」

「今、どんな感じ?」

「もうすぐ終わりますよ。チルノちゃんは被弾一でスペルカード二。リグルちゃんは被弾二のスペルカード一ですね」

 

ふむ、リグルちゃんはスペルカードを一枚ノーリスクで使えるわけだ。それなら、戦況はまだまだ分からないかな。

まだまだ長引きそうだと考え、大ちゃんと雑談でもすることにした。

 

「今日はミスティアさんとルーミアちゃん来ないんですか?」

「うーん…、ミスティアちゃんは夜まで屋台のほうを頑張るそうです。ルーミアちゃんはいつも夜に遊ぶから、今は来ないと思います」

「ふーん、夜ねえ…。ミスティアさんの屋台って普段は何処で?」

「場所は決まってないですよ。移動式の屋台でやってますから。――あ、リグルちゃんスペルカード使った。これであと一枚ですね。そう言えば、まどかさんは普段は何をしていますか?」

「んー、家でのんびりとしているかな。あと、たまに紅魔館に行ってパチュリーやフランさんと遊んだり、ここにきて皆と遊んだり。そういう大ちゃんは?」

「私はチルノちゃん達と遊ぶことが多いですね。他には、たくさんいる妖精達をまとめたりしてます」

「妖精をまとめる…?」

「はい。これでも大妖精ですから」

 

きりがいいので、二人の弾幕ごっこを横目で見てみると、チルノちゃんが丁度被弾したところだった。これでお互い被弾二スペルカード二。これからは通常弾幕で持久戦になるか、スペルカードを使って勝負に出るかといったところか。わたしならスペルカード使っちゃうね。

 

「大ちゃんはこの勝負、どう見ます?」

「え?私は長引きそうだと思いますね。スペルカードは後出しのほうが有利ですので、お互い使い辛いでしょうから」

「うーん、わたしなら今すぐスペルカード使って勝負に出るんですけどねえ」

「ふふふ、まどかさんらしいですねえ」

「え?わたしらしい?」

「逆境なほど強力になるスペルカードとあんなに大きな樹を投げ飛ばすスペルカードがあるんですから、かなり豪快な考え方をしていると思っていますから」

 

そう言われるとそうかもしれない…。樹木ブン投げたりレーヴァテイン振り回したりマスタースパーク使えるようになろうとしたりと、自分でも気づかないうちに大技を使おうとする傾向があったようだ。そう考えると、弾幕はパワーという言葉を信じて突き進んだ方がいい気がしてきた。

 

「そうですねえ、いっそのことこのまま派手なスペルカードを揃えていこうかしら」

「派手なのもいいですけれど、私は綺麗なのも見てみたいです」

「そう?じゃあ、今度考えてみるよ」

 

大ちゃんにそう言われたら考えてあげないといけない気になってくる。といっても、綺麗なスペルカードねえ…。全くいいものが思いつかない。今度、精霊魔法の基礎を聞くついでにパチュリーに相談してみようかな。

 

「そういえば大ちゃんがスペルカード戦してるのってほとんど見ないんですけど、苦手なの?」

「いえ、苦手というほどではないんですけれど…。実はスペルカードがまだ一枚しかなくて…」

「それは辛い…。その一枚を派生させるか、新しいのを考えないといけませんね」

「そうなんですけれど、私の能力はスペルカードに生かしにくいものでして…」

 

大ちゃんの能力って何なんだろう…?『妖精をまとめる程度の能力』とか?違うと思うけれど。

 

「ああもうっ!埒が空かないねっ!蝶符『バタフライストーム』!」

 

あ、リグルちゃんが先に使った。その表情はかなり引き締まっているように見える。きっと勝てると信じているのだろう。蝶符「バタフライストーム」と呼ばれたスペルカードは、彼女の周りを広がる弾幕と蝶のような形をした弾幕によって構成されたとても綺麗なものだった。ああいうのを考えないといけないのかと思うと、ちょっと気が滅入る。

 

「リグルちゃんが先に使いましたねえ」

「チルノちゃん大丈夫かなあ…?」

「え、大丈夫じゃないんですか?」

「あのスペルカード、チルノちゃん苦手なんですよ…。今までまともに避けきれたことないんです」

「へー、まともじゃないのは?」

「リグルちゃんが被弾して試合が終わっちゃったのと、スペルカードをぶつけて打ち消したのかな?」

「じゃあ、勝ちに行くなら今すぐスペルカード使った方がいいのでは?」

「そうです――あ、多分使いますよ」

 

チルノちゃんが弾幕が薄くなったタイミングでリグルちゃんに向かって突撃しながら腕を大きく振り上げた。

 

「氷塊『グレートクラッシャー』ッ!」

 

振り下ろした手にはチルノちゃんの体の数倍はありそうなほど大きな氷で作られたハンマーが握られており、そのままリグルちゃんの頭に叩き込まれた。そして、頭に叩き込まれたリグルちゃんは霧の湖に真っ逆さまに落ちていった。うわ、痛そう…。

 

「そこまで!被弾三回でチルノちゃんの勝ち!」

「へへーん!どうだ!」

「まどかさん、一緒にリグルちゃんを助けてくれませんか?」

「ん?いいよ」

 

幸い、リグルちゃんは沈むことなく浮かび上がってきたので救出は容易だった。

 

 

 

 

 

 

「大丈夫です?」

「大丈夫じゃない…」

 

そう言うとすぐに横になってしまった。濡れたままだとよくないよ…。

 

「着替える?」

「どうやって…?」

「こうやって」

 

大ちゃんの服を掴み、複製する。リグルちゃんは見るの初めてだっけ?目を軽く見開いて驚いているようだ。この服、ちょっと大きい気もするが、濡れているよりはマシだろう。

 

「とりあえず着替えるからあっち向いてて…」

「はいよー」

 

後ろを向き、その間に服を干せる場所を準備することにした。ちょっとチルノちゃんと大ちゃんに退いてもらい、ちょうどよさそうな枝が生っている樹を複製する。そして、その枝を折り、残った部分は回収する。それを繰り返し、二股に分かれた枝二本と真っ直ぐな枝一本を準備した。

 

「とりあえず着替えた…」

「濡れた服は干しておくので、乾いてから持ち帰ってくださいな。ところでスペルカード戦はどうします?」

「休んでからで…。とりあえず、お昼になってからにして…」

「分かりました」

 

濡れた服を受け取り、二股に分かれた枝を地面に突き刺し、高さを揃える。そして、真っ直ぐな枝に濡れた服の袖を通し、風で飛ばないようにしてから干した。うん、これでいいでしょう。

 

「あ、そうだ。頭冷やします?腫れてたら冷やした方がいいと思いますよ?」

「腫れてないだろうし、冷えすぎたくらいだからいい…」

 



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第35話

待っている間は二人と雑談しながら、大きめの樹を複製して回収するという、複製回収の特訓を続けた。その結果、心なしか早くなったような気がする。この調子で一瞬で回収出来るようになったらいいな。

お腹が空いて来たかなー、と思ったら大ちゃんが果物を持ってきてくれた。大分楽になったというリグルちゃんも一緒になって食べたが、わたしも何か持ってくれば良かったかなとちょっと考えてしまった。干し肉とか。

食べ終わるとすぐにリグルちゃんは霧の湖の上へと飛んでいき、大きく手を振りながらわたしを呼んできたので、軽く伸びをしてからそちらへ向かった。到着するまでのわずかな間に、周りを確認。複製するのにちょうどよさそうなものを探しておくことも忘れない。

 

「もう大丈夫なんですか?頭思い切りぶつけたのに」

「大丈夫大丈夫!さっ、始めようか!」

 

本当に大丈夫だろうか、と考えたが本人が大丈夫だと言っているのなら信じてあげよう。途中でふらついたりしたら無理矢理でも中止すればいいし。

大ちゃん曰く、リグルちゃんはチルノちゃんと大体同じくらいの強さだそうだ。勝率もほぼ五分五分。なら、勝つのは意外と簡単かもしれないと考えてしまうのはチルノちゃん相手に被弾したことがないからだろう。

そんなことを考えていたら、チルノちゃんと大ちゃんが来たので、いつものように大ちゃんに審判をしてもらおう。

 

「大ちゃん、始めていいってさ。被弾三回スペルカード三枚でお願い」

「分かりました。リグルちゃん対まどかさん。よーい……、始めっ!」

 

『幻』展開。直進弾用の高速低速を各四個に追尾弾用七個の計十五個。チルノちゃんはこの数で十分だったし、とりあえずはこれでいいでしょう。

 

「先手必勝!灯符『ファイヤフライフェノメノン』!」

 

そう言い放つと、緑色の弾幕がリグルちゃんの周りを旋回し、広がってきた。弾幕の間が意外と狭い。チルノちゃんはわたしより小さいからこの隙間を普通に避けられるんだろうけれど、わたしにはちょっと難しそうだ。ちょっと離れつつ安全に避けることにしたが、これ、やっちゃっていいのかなあ…?いいか。

 

「鏡符『幽体離脱・集』」

「ん?うわっ!ぎゃあ!」

 

自分を囲むように弾幕を放つと逃げ場がなくなるんだよなあ、このスペルカード。ある程度の実力者になればきっとどこかを相殺させて打ち消し、出来た隙間を抜けて見せるんだろうけれど、リグルちゃんには出来なかったようだ。チルノちゃんは大丈夫そうだったから使ったのだけど、ほぼ全ての複製を受けたリグルちゃんは無事だろうか…?

 

「痛ってて…。何だよアレ!」

「わたしの自慢のスペルカードです」

「……ちょっとまずいかも…」

「何がまずいんですー?――おっと」

「私のスペルカードに対してそのスペルカードを毎回やられたら私負けちゃうよー」

「分かりました、このスペルカード、鏡符『幽体離脱』はこの試合ではもう使わないと宣言しましょう」

 

今回限定ルール、鏡符「幽体離脱」系使用不可を追加。まあ、鏡符「幽体離脱」の他に使えるスペルカードは二枚あるので問題ないからいいけどね。

それにしても、会話しながら避けるって難しい。つい、意識が会話のほうに向いちゃって弾幕に当たってしまいそうになる。もうちょっと余裕持って避けられるように離れようかな。

 

「なら勝てそうだな!よーし、やるぞー!」

「頑張ってくださいなー」

 

会話終了と同時にリグルちゃんのスペルカードも終了。お互い一枚ずつ使ったが、わたしは被弾していないので有利だ。

右手の人差し指の先端に妖力を溜め、一つの妖力弾を作る。性質は直進弾で速度は自分が出せる最速。チルノちゃんは毎回当たっているこの攻撃。リグルちゃんは避けることが出来るかな?狙うタイミングは瞬きした瞬間。弾幕を避けつつ、機会をうかがう。

 

「――ッ!」

「っ!うわっとぉ!」

 

おー、回避して出来ましたか。眉間に向かって進んで行った直進弾は勢いよく体を右側に反らしたことでリグルちゃんに当たることなく、後ろに生っていた木に着弾。遠くて見辛いが、いい感じの弾痕が出来ているように見える。

 

「リグルちゃん凄い凄い!チルノちゃん、いつもこれに被弾しちゃうんですよねー」

「そうなの?ふ、ふふーん!どうだチルノ!」

「むぅ!このくらい本気出せばアタイだって避けれるしー!いつもはわざと当たってるだけだしー!」

「見栄っ張りは止めようよチルノちゃん…」

 

リグルちゃんとチルノちゃんがお互いに睨み合ってしまった。勝負中なのに観客(チルノちゃん)と言い争いが始まっちゃいそうな雰囲気。どうしよう、止めた方がいいかな…?

 

「おっと、今はチルノなんかに構ってたら負けちゃうな!」

「なんだとー!」

「チルノちゃん抑えて抑えて!」

 

そう言ってリグルちゃんはこちらに意識を向けたが、チルノちゃんは顔を真っ赤にしてリグルちゃんを睨み続けている。どうやら先延ばしになったようです。わたし、この勝負が終わったら始まるだろうあの二人の喧嘩を止めるんだ…。

 

「どんどん行くぞ!蠢符『リトルバグストーム』!」

「本当に囲みますねえ…。見た目が凄く綺麗だけど、わたしにはこういうの思い付きそうもないなあ…。動かすのも大変そう」

 

円を描くように弾幕を放ったと思ったら、リグルちゃんを囲むように停止し、順番に二つに分裂して襲い掛かってきた。こんな感じに統一感とか見た目の美しさを考えないといけないんだろうけれど、わたしは効率を真っ先に考えちゃう悲しい頭してるからなあ…。

だから弾幕が薄い間に急上昇し、右手に見える範囲で最も大きな樹を複製して即行でブン投げてしまう。

 

「複製『巨木の鉄槌』ッ!」

「えぇ!?また落ち――ガボガボっ!」

 

スペルカード強制終了。悪いけれど、勝ちに来ているのだからこのくらいは許してほしい。すぐに複製した樹に降り立ち、回収する。するとすぐに霧の湖からリグルちゃんが飛んで出てきて、頭を思い切り振り水を飛ばした。スィーッと滑るように動いて飛んできた水を避ける。

 

「あー!また濡れたー!」

「ごめんね、悪いけれどこんな感じのスペルカードしか残ってないの。この勝負が終わったら新しい服創ってあげるから」

「…新しい服もいいけど甘いものが欲しい」

「じゃあ今度持ってきてあげますから。さて、続けます?」

「もちろん!」

 

お互いにスペルカードは二枚使用。しかし、被弾はリグルちゃん二回のみなのでリグルちゃんはスペルカードを使いにくい状況だろう。勝つためには、スペルカードを使って三回被弾させるよりも相手のスペルカードを避けきったほうがいいからだ。

そこでわたしは『幻』を変更することにした。十五個全てを超低速の阻害弾用にすることで、相手の移動範囲を狭めようという腹積もりだ。これから使う予定のスペルカードは相手が移動できる範囲が狭ければ確実に当たるだろうからね。

 

「うっ、避け辛い…」

「そういう弾幕ですから、頑張ってくださいね」

 

超低速の弾幕。つまり、密度が圧倒的に高くなるということだ。視界に映る弾幕が多くなると自然に動きが遅くなり、避ける方に意識が向きやすくなる…と思う。わたしはとにかく弾幕が薄いところに逃げようと考えるので違うけれど。

攻撃が疎かになり、リグルちゃんの弾幕が薄くなってきたので、右手に妖力を溜め始める。僅かに光っているが、リグルちゃんは今、わたしの『幻』が放つ弾幕に気を取られて気付いていないようだ。

しかし、このスペルカードの名前決めてなかったなあ…。まあ、名前はあとでちゃんと決めるとして、今はこれでいいかな。

 

「模倣『マスタースパーク』ッ!」

 

体を思い切り右側に捻り、一呼吸入れてから勢いよく体を戻しつつ右腕を前方へ突き出し溜められた妖力を一気に解放する。霧雨さんと比べたらまだ弱々しく見えるが、今は十分だ。

 

「嘘!?避けれな――」

 

高密度の弾幕を掻き消しながら妖力の濁流がリグルちゃんを襲い、そのまま岸辺に無造作に生えていた木々を薙ぎ倒した。そして光が収束したら、霧の湖に浮かぶリグルちゃんがいた。

あ、やり過ぎたかも…。

 



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第36話

リグルちゃんはしっかりと救出し、また新しい服を創って渡そうとしたら、リグルちゃんとチルノちゃんが殴り合いを始めてしまった。オロオロしている大ちゃんを尻目に二人に向かって樹を複製。見事二人は樹に弾かれて地面を跳ねた。

 

「ほーら、喧嘩は止めなさーい」

「何すんだまどかー!」

「何するんだ幻香!」

「殴り合いなんて野蛮なことしないの。こういうときは――」

「「弾幕ごっこ!」」

「そう、だからこんなことしない。ね?」

 

二人の返事はなかったが、そのまま霧の湖の上へと飛んで行ってしまった。リグルちゃん、服濡れてるままなんだけど大丈夫かな…。とりあえず樹は回収しておく。

 

「あの、喧嘩を止めてくれてありがとうございます…」

「ふふ、気にしなくていいよ」

 

さて、夜にルーミアちゃんが来るかどうか聞いたら紅魔館に行こう。パチュリーに相談したいことがたくさんあるんだ。

 

「あ、そうだ。夜になったらルーミアちゃん来るかな?」

「よっぽどのことがなければ来ると思いますよ?今日の夜に遊ぼうって誘われましたし。あと、ミスティアさんも来るそうですよ」

「へえ、それはいいこと聞いた。じゃ、夜になったらまた来るからチルノちゃんとリグルちゃんにも伝えといて。ほら、二人が呼んでるよ?」

 

霧の湖の上で二人が何やら叫んでいるようだが、残念ながらよく聞こえない。しかし、審判として大ちゃんを呼んでいるということは何となく分かった。

 

「はい。それではまた会いましょう、まどかさん」

 

そう言うと大ちゃんは一瞬僅かな光を放ったかと思うと消えてしまった。何処にいるのかと思い、慌てて探してみると既に二人の近くにいた。もしかして、大ちゃんの能力って咲夜さんと同じ『時間を操る程度の能力』だったりするの…?

 

 

 

 

 

 

門番をしている美鈴さんに挨拶をしてから紅魔館に入り、そのまま大図書館へと向かう。その道中で妖精メイドさんに「暗くなったら帰るから、その前に夕食が食べたい」と伝えておいた。何処で食べるかは言わなかったが、きっと大丈夫だろう。

到着してすぐにパチュリーの挨拶し、椅子に座ってから大きく伸びをする。

 

「いやー、スペルカード戦も大変ですよねー。あ、そうそう色々聞いてほしいことがあるんですよパチュリー」

「とりあえず紅茶でも飲む?」

「あ、いただきます」

 

うん、美味しい。

 

「さて、まずはスペルカードについてです」

「結構前にたくさんアイデアを出し合ったと思うけれど…?」

「それとは別です。ちょっと友達に綺麗なの作ったら?と言われたんですよ」

「そうねえ…、まずは弾の形を変えるとか?」

「そう言われてもわたし球体しか作ったことないんですけれど…」

「複製は様々な形になるんだからそのくらい出来ていいと思うけれど」

「じゃあちょっとやってみますねー」

 

星型とか出来るかな?と思って何度かやってみたが、なかなか難しい。角が非常に丸っこくなってしまった。どうせ出来るならキッチリ角ばってほしい。

 

「うーん…、すぐには出来なさそうですねえ」

「でしょうねえ。あとは色を変えるとか?貴女の弾幕って薄紫色ばっかりだし」

「色ですか…」

 

赤色出ないかなー、と思ったが出なかった。青色、黄色、緑色、白色、黒色――と様々な色を試したが出来ず、結局、紫色からはみ出した色は出来なかった。紫から少しでも離れようと思っても赤紫や青紫くらいしか出来ず、その赤紫も「赤と紫どっちに見える?」と聞いたら十人中九人が紫と答えそうなほど紫に近い。当然ながら青紫も同様だ。

 

「わたしには出来なさそうです…」

「ちょっと難しそうね。まあ、努力するしかないと思うわ」

「頑張りまーす」

「それと美しい弾幕というのも考えないといけないわね。シンメトリーなものが簡単だと思うけれど、自然的風景の再現や自己表現なんかもいいと思うわよ」

「シンメトリーって?」

「対称のことよ」

 

普段の弾幕って『幻』任せの乱雑弾幕だからなあ…。避けにくいんだろうけれどあんまり美しくないってことだよねー。『幻』から出る弾幕の画一化も考えた方がいいかも。

 

「スペルカードは家帰ったら考えてみます…」

「何にせよ、嵩張らないんだから多くて損はないと思うわよ。私は精霊魔法を使ったスペルカードを二十は持ってるから」

「あ、そうだそうだ。パチュリー、わたしって精霊魔法使えると思いますか?」

「思いつきで物を言うのはあまり感心しないわよ?」

「いやー、使えたら暖を取るのも簡単だなーって」

「それなら炎を出せばいいんじゃないの?妖力でも何でも使って」

「妖力使って炎出せないんですよねー、悔しいですよ本当に。だから、炎の出し方を知っている人に聞いて行こうかと思ったんです」

「まあ、もし本当に精霊魔法を使おうって考えているなら正直お勧めしないわ。まともに使えるようになるまでに時間がかかりすぎる」

「いえ、最悪蝋燭程度の炎を起せればあとはどうとでもなります」

 

連続で複製していけば最終的には大火事だ。ある程度増やした後で何か燃やせそうなものを創って火をつけてもいい。昔試したが、複製の炎は複製出来なくても、複製の炎で燃やしてついた炎は複製出来るのだ。何とも不思議な感じである。

 

「そうねえ…。最弱クラスの精霊くらいなら何とかなるかも…?けれど、精霊魔法は才能に左右されやすいところがあるし…。やってみないと分からないわねえ…」

「何とか簡単なものでいいからやってみたいんですが、今から出来ませんか!?」

「いきなり大声出さないで…。しょうがないわねえ…、とりあえずやってみましょうか。失敗したら酷い目に遭うんだけど…、それでもいいの?」

「多少の失敗は気にしませんよ」

「全身丸焼けになっても?」

「……………な、何とかなりますよ」

「はあ、忠告はしたわよ?復唱してみて『жечь』」

「ズェ…?すみません、なんて言ったんです…?」

 

パチュリーの指先から蝋燭のような小さな火が出ているのだが、その時に発した言葉が分からなかった。

 

「もう一度言うわよ?『жечь』」

「ズ、ズェイツィ…」

 

駄目だ、上手く発音出来ない…。

 

「…無理そうね」

「そもそもその言葉って何の意味があるんです?」

「精霊に『燃やす』って言ったのよ。いえ、言ったというよりお願いかしら?」

「もしかして、その言葉を言えないと駄目なんですか…?」

「いえ、一番簡単な方法を試しただけよ」

 

他の方法があるならもしかしたら出来るようになるかもしれない。そう期待したが、現実は甘かった。

 

「そもそも精霊との対話の才能があればこの言葉を使わなくても出来るのよ。ほら『僅かな炎を指先に』」

 

そう言うと、先程と同じような火が人差し指の先に点った。

 

「さらに簡単なことなら考えただけでも」

 

さらに隣の中指に火が点る。うん、無理。

 

「精霊魔法は諦めます…。わたし、そんな才能これっぽっちもなさそうですし…」

「そうね、今すぐには無理そう。何十年と訓練すれば出来るかも」

「余裕があればそれもいいかもしれませんねえ…。けれど今はすぐに炎が出せるようになりたいです…」

「それなら私よりも彼女の方がいいんじゃないかしら?」

「誰です…?」

「霧雨魔理沙」

 

霧雨さんは主に熱とか光を使う魔法を使っている。しかし、どういう方法で使っているのかさっぱり分からなかったし、訊こうと思っても魔法の森に住んでいると予想するくらいしか家の情報がない。だから訊こうにも訊けないのだ。

 

「あ、そうだ。霧雨さんがここの本勝手に借りてるらしいですよ」

「…知ってるわよ。それで、彼女は何て言っているの?」

「『私が死ぬまで借りるだけだ』」

「ハァ…、何とかしないといけないわね…」

 

軽く頭を抱えたパチュリーはもう冷めてしまったであろう紅茶を一気に飲み干し、話を戻した。

 

「彼女の魔法は基本的に媒体から魔法を使っているわ。良く使われているのはミニ八卦炉。あれ自体にも強大な魔力が込められているし、少量の魔力で膨大なエネルギーを作り出すことが出来る」

「へー、それは凄い…」

 

宝物って言うだけあって物凄く便利なものだったようだ。盗られたり壊れたりしたら致命的だろう。

 

「それと、様々な薬品を使っているわね。材料は知らないけれど、研究に研究を重ねて魔法に成り得るものを作っている。並大抵の努力じゃないわね」

「その薬品があれば私も?」

「それらしいのは出来るんじゃない?」

 

と、言っても「ください」と言ってくれるようなものじゃないだろうから、自分で同じように研究して見つけるしかなさそうだ。それも非常に時間がかかりそうである。

 

「魔法は諦めた方がいいでしょうか…」

「今すぐに、と思うなら火打石と木屑を準備すれば暖を取れるわよ」

「それはもう魔法じゃないですよ…」

 



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第37話

「また負けたー」

「そろそろ定跡を覚えたら…?」

 

わたしの軍隊である黒い駒達はほとんど盤上から消え去り、パチュリーが操る二人の白い歩兵は姫様に昇格し、塔やら僧正やら騎士やら姫様やらがわたしの黒き王様をいざ討たんと囲んでいる。黒き王様は動いても動かなくても討たれてしまう状態、つまりチェックメイトという状態になってしまった。つまり、わたしはチェスと呼ばれているボードゲームでまた負けてしまった。

それにしてもあの騎士、変な動き方してくるし、他の駒飛び越えられるとかどんな跳躍力なの…?塔すら飛び越える跳躍力、恐ろしい…。

 

「いやー、定跡とか覚えれるわけないじゃないですか。まだ十回もやってないんですよ?」

「人の、つまり私の打ち方を見て覚えるとか、そこら辺の本棚から探してみるとかしたらいいと思うわよ」

「本棚多すぎて何処に何があるんだか分かりませんよ…」

「そうね…、チェスについての本は何処に置いたか忘れちゃったわ。今度探しておくわね」

「わざわざありがとうございます」

 

どうにかして勝つ方法ないかなー…。その定跡を覚えるのが一番確実なんだろうけれど、何か簡単に出来そうなもの。…あ、そうだ。

 

「次は何でもありにしませんかー?」

「どういうこと?流石に何でもだとその場でポーンが全員クイーンにプロモーションとかになるわよ?もしかしたらキング討たれてもポーンがキングにプロモーション…なんてことしちゃうかも。まあ、キングにプロモーションは出来ないんだけど何でもありだし」

「んー、じゃあチェスのルールはほとんどそのままに能力使ってもいいってことで」

「どうかしらねえ…。何かしらの制限付けないとそれはちょっと」

「そうですか…、じゃあ回数制限でどうです?一ゲーム中に何回とか、何手打つ間に何回まで見たいなの――ん?おー、もうこんな時間ですか」

 

大図書館の扉が開く音がしたと思ったら、妖精メイドさんが料理を持ってきてくれたようだ。つまり、そろそろ暗くなってくるということ。

 

「これを食べたらわたし帰りますね。夜に友達と約束があるんですよ」

「ふぅん、何をするの?」

「スペルカード戦。いや、どちらかというと弾幕ごっこ?」

「どっちでもほとんど同じよ。頑張ってね」

「ええ、ちゃんと勝利をもぎ取りますよ。出来れば魔法でも使えるようになっておきたかったんですが…」

「それについては今は諦めなさい」

 

パチュリーの精霊魔法を使ったスペルカードは見た事ないけれど、きっととても美しいんだろうなあ…。今度見せてもらってもいいかもしれない。参考になりそうだし。

 

 

 

 

 

 

紅魔館を出たころには既に夜になっていた。急いで霧の湖へと向かい、星明りを頼りにチルノちゃん達を探す。

 

「え…?」

 

突然世界が暗転した。どういう事だろう、と考えていたら突然背中を押された感覚がし、危うく湖に落ちそうになった…と思う。

 

「えへー、驚いたー?」

「その声はルーミアさん?」

「そうだよー」

 

未だに視界は闇の中だが、わたしの背中に思いっきり飛び付いたようで、服越しに体温が伝わってくる。しかし、どうして真っ暗なんだろう…?

あ、そうだ。霊夢さんがルーミアちゃんのことを「闇の妖怪」と言っていたではないか。つまり、これは彼女の能力なのだろう。『視界を失わせる程度の能力』なのか『真っ暗にする程度の能力』なのかは分からないが、そんな感じだと思う。

 

「すみませんが闇の中だと流石に何処にチルノちゃん達がいるのか分からないので止めていただきたいんですけど…」

「んー?おー、そうかそうかー」

 

そう言うと視界が晴れた。後ろを振り向くと、やはりルーミアさんがわたしの背中に思い切り抱き着くようにしていた。ちょっと動きにくいが、問題ない。

 

「とりあえず一緒にチルノちゃんを探しましょう」

「んー?チルノならそこにいるぞー?」

 

そう言って指差した方向には、寝そべって星を眺めているチルノちゃん、大ちゃん、リグルちゃん、ミスティアさんがいた。待たせてしまっている身なので、出来るだけ急いでそこへ飛んだ。

 

「すみません、遅れました」

「こんばんはー、みんなー」

「こんばんは、まどかさん、ルーミアちゃん。気にしないでいいですよ?」

「ん?やっと来たのか、遅いぞ」

「ルーミアも幻香さんもこんばんはー」

 

チルノちゃんの返事がない、と思って見てみたら、既に眠っていた。遊ぶんじゃなかったのか…?そう考えて起こそうと思ったら、大ちゃんに止められた。

 

「チルノちゃん、リグルちゃんと暗くなるまでずーっと弾幕ごっこやり続けて疲れちゃってるんだと思いますから、このまま寝かせてあげてください」

「いいの?遊べなかったー、って後で言われない?」

「チルノちゃんは夜遊ぼうって言っても途中で眠っちゃうことはよくあるんで大丈夫ですよ」

「そう?大ちゃんがそう言うならそっとしておこうかな」

 

しかし、このままというのも悪いので五人の服を複製し、隙間が出来ないように上手く体に掛けておいた。これで寒くないだろう。…まあ、氷の妖精なので寒くても問題ないかもしれないが。

 

「しかし、リグルちゃんは起きてるんですね。疲れてないですか?」

「いや、結構ヘトヘト…。今日はちょっと休もうかなって思ってる」

「そう?お昼は悪かったですね。乾してた服はもう乾いたみたいでよかったですが、わたしが渡した服を出来れば返してほしいんですがいいですか?」

「ああ、それならちょっと待ってて」

 

そう言うとリグルちゃんはわたしが創った物干し場へ飛んで行った。

肩を叩かれたので振り返ってみると、ミスティアさんが軽く頬を膨らませて言った。

 

「リグルに聞いたよー?二人で弾幕ごっこするんだって?」

「ええ、ちょっと準備してからやろうと思ってるんです」

「いいなー、私もやりたいなー」

「そこまで言うなら二人くらいなら一緒に相手しますよ?」

「お?本当?よし、やるよルーミア!」

「頑張るぞー、おー!」

 

光の三妖精相手に一対三でもやれたのだ。ルーミアちゃんとミスティアさんの二人相手でも出来る、と思いたい。

リグルちゃんが持ってきてくれた服を回収し、体を大きく伸ばして準備運動をしながら、これから始まるスペルカード戦のことを考える。ミスティアさんの能力については全く知らないが、ルーミアちゃんの能力は、わたしの天敵とも言える能力だ。わたしの能力は『視界に収める』か『触れている』ことが必要だが、その視界が真っ暗になればまず複製出来ない。何とかして何かに触れれば出来るだろうけれど、何処にあるか分からないんじゃ移動もかなり危険だ。

それに一対二ということは、単純に考えて弾幕の量が二倍。光の三妖精とやったときは一度にまとめて倒したから簡単だったのだ。わたしに避けきれるだろうか…。

 

「大ちゃん、ルールどうするの?」

「まどかさんは被弾三回スペルカード三枚でいいですか?」

「それが普通でしょう?わたしの場合、多くなっても正直使えるスペルカードが少ないからそれで問題ないよ」

「分かりました。ルーミアちゃんとミスティアちゃんは二人合わせて被弾三回スペルカード三枚でいいかな?」

「つまりどーいうことなんだー?」

「例えば、私が二回被弾して次にルーミアが被弾したら負けになっちゃうってことよ。同じようにルーミアちゃんが二枚スペルカードを使ったら私はスペルカードを一枚しか使えなくなっちゃう。お互いにスペルカードを使いたいときに使ってもいいけれど、お互いに使ってもいい枚数を決めておくのも――」

「そーなのかー。分かったからもういいやー」

「まだ話の途中!…本当に分かったの?」

「大丈夫ー」

「二人はそれでいいですか?」

「いいよー」

「ちょっと不安だなあ…。まあ、大丈夫」

 

さて、ルールは決まった。二人を促して霧の湖の上へ行く。

 

「二人ともいいですか?」

「大丈夫だよー?」

「うん、大丈夫。…大丈夫」

「じゃあ始めますね。ルーミアちゃん、ミスティアちゃんチーム対まどかさん。よーい……、始めっ!」

 

何で二回言ったんだろう…?

 



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第38話

『幻』展開。相手の一人は視界を塞いでくるので追尾弾と阻害弾は使い物にならない。なので、計二十四個にしておく。二人相手だし、このくらいでいいよね?

って、あれ…?二人は何処に行ったんだろう?いつの間にか消えてしまったようだ。きっと視覚外に――、

 

「――っとぉっ!?」

 

突然目の前に赤い妖力弾が現れた。あ、危なぁ…。一体どういうこと…?いや、今はそれよりも二人が消えたことの方が重要だ。対象が見当たらないと今の弾幕じゃ意味をなさなくなる。左右を確認するが、二人は見当たらない。後ろを振り向いてもいなかった。なら、上かと思ったが、墨でも流し込んだような真っ黒な空を背景に色とりどりの妖力弾が僅かに見えるだけ…!?

待て、何か明らかにおかしい。なんで真っ黒な空になっているんだ?さっきまであれ程星が見えていたじゃないか。

一応下を見ても二人は見当たらず、普段なら見えるはずの水面はなくなっており、闇が広がっていた。左脚に向かって急に現れた妖力弾を折り曲げて回避しつつ考える。

突然現れる妖力弾、真っ暗な空、消失する水面…。わたしがおかしくなったのか、ここら一体がおかしくなったのか…。一体何が起こっているんだ?

とりあえず二人の位置が分からないので『幻』を変更。直進弾用の最速、高速、低速、超低速を各六個ずつに増やし、炸裂弾用を六個に削減。それぞれ一個ずつを前後左右上下に放たれるように位置を固定させる。

 

「ルーミアちゃーん、ミスティアさーん」

「んー、どうしたー?」

「急になぁに、幻香さん?」

 

声は始まったときに二人がいた方向から聞こえてきた。しかし、どうして見えないんだろう?あ、そうか。ルーミアちゃんの能力か。わたしの視界を程よく暗くしているんだろう。

まあ、分からないことは聞いておこうかな。間違っていたら後で恥ずかしいし。

 

「何だか――おっと、二人が見当たらないんですがー」

「ふふーん、どうだい、私の力は!」

 

避けながら聞いてみると、ミスティアさんの自慢げな声が響いてきた。あれ、ルーミアちゃんの能力じゃない?

まあいいや。とりあえず聞こえてきた方向に一発狙撃。

 

「おっとぉ!いきなり攻撃とは酷いことするねえ!」

「見えないから声のする方にやるしかないんですよ。まあ、見当違いな方向じゃなさそうでよかったです」

「声しか頼りにしてないってことは結構効いてるみたいだねえ!」

「どういうことです?」

「私は人を鳥目に出来るんだよ!幻香はバッチリ見えなくなるみたいでよかったよ!」

 

鳥目。たしか、夜目が利かなくなることだっけ?

 

「よくないです。これって治るんですか?」

「治るから大丈夫!」

 

どうやら一時的なものらしいので一安心。しかし、このままだと非常に動き辛い。いつもみたいに避けられそうになかったら離れるようにすると、見えていなかった弾幕に当たってしまいそうで怖いし、二人の方向を見失ってしまいそうでもある。

それに、ルーミアちゃんの能力もミスティアさんの能力もわたしの視界を制限できる能力のようなので、わたしの能力がちゃんと機能するとは思えない。

…決めた。わたしはこの勝負、避けることに神経を集中させてもらおう。相手のスペルカードを全て避けきることでも勝利出来るのだから。

 

「けどチルノは治らなかったみたいだぞー?」

「それも大丈夫!私の八目鰻を食べれば鳥目も解消!チルノももうちゃんと見えるようになってるし」

「それってちょっとズルくないですか…?」

 

ミスティアさんの能力で鳥目にして、近くにあるだろう八目鰻の屋台で買ってもらって鳥目を解消。完全に自作自演である。

 

「気にしない気にしない!よーし、じゃあ最初のスペルカードは私から!夜盲『夜雀の歌』!」

 

そう宣言した途端、さらに視界が制限されたように感じる。腕を思い切り伸ばしたら、指先が僅かに見え辛くなるほどだ。と、考えていたら目の前にかなり大きめの妖力弾が出現し、その場で停止している。移動制限系のスペルカードなのかな…?

 

「うわっ!?」

 

突然その妖力弾が炸裂し、赤く鋭い弾幕に変貌した。咄嗟に後ろへ下がってしまったが、後ろに弾幕がなくてホッとした。

 

「うぅ、避け辛い…!」

「だろうね!いやー、最近スペルカード戦とかやってなかったから勝ちたいんだよねー!ルーミアも結構強いんだけどちょっと抜けてるとこが――」

「私も私もー!夜符『ミッドナイトバード』!」

「って!話してる途中!しかも私のスペルカード中だし!」

「大ちゃん問題ないって顔してるし大丈夫大丈夫ー」

 

わたしの狭苦しい視界には、炸裂する妖力弾とかなり弾速のある緑色の弾幕が映る。半分くらい勘で避けるが、普段とは違って弾幕の隙間を縫うように避けなければならない。頬を掠めていく妖力弾が非常に怖い。今、鏡を見たらかなりひきつった顔をしているか、ただでさえ白い肌がさらに蒼白とした顔が見れるだろう。

 

「ッ!鏡符『幽体離脱・滅』!」

 

そのまま掠めていくだろうと思った妖力弾が僅かに曲がり、被弾しかけたので咄嗟にスペルカードを使用。『妖力弾とその複製同士がぶつかり合う』という意思のもとで行う、鏡符「幽体離脱・静」の派生スペルカード。

結果として、わたしの視界に映る弾幕は全て消え去ったが、また新しい弾幕がやってきた。やっぱり複製出来る範囲が狭い。これじゃ消してもすぐに新しいのがやってきて使い物にならない、というほどでもないが使い勝手が悪い。

 

「あれ?こんな小規模なスペルカードでしたっけ…?」

「あー、わたしの能力はっと、基本的に視界に映らない、と使えないんです、よっと」

 

戸惑いの色を含んだ大ちゃんの言葉に軽く返事をしつつ、弾幕を何とか避ける。

一度どころか何度も鏡符「幽体離脱」を見ている大ちゃんから見ると、これほどまでに地味な結果は違和感があったようだ。わたしだってそうだとは思っていたが、実際に見せられると精神的に来るものがある。避けれなくても消せばいい、と考えていたのだがこの勝負では使えないのだから。

 

「ありゃ、時間切れ」

 

炸裂する妖力弾が消え、視界が元に戻った。未だ鳥目であるが、残り僅かのルーミアちゃんのスペルカードが避けやすくなった。どうよら、左右に大きく広がった弾幕のようなので、上下に移動することで避けるのは楽になりそうだ。しかし、そこを埋めるようにミスティアさんが弾幕を張ってきたので、結局心臓に悪い弾幕の隙間避けをすることになってしまった。結果は被弾せずに時間切れ。スペルカード一枚で済んだのはかなり運が良かっただろう。

互いに被弾はないが、スペルカードの残りに差がある。わたしは二枚で、相手は一枚。ならば、一枚派手に使っちゃいましょう。なので、右手に妖力を溜め始める。

 

「いやー、もしかしてっ、避けれないんじゃないか、っとヒヤヒヤしました、よっと」

「残念だなー、悔しいなー」

「そうだねえ、顔凄いことになってたよ?」

「え?そこまでですか…?」

 

会話しながら弾幕を避けつつ右手に妖力を溜める。三つも同時に行うなんて我ながら辛いことをしている…。しかし、会話することで相手の位置が何となくだが分かるので、必要なことなのだ。

 

「ミスティアー、幻香の手がさっきから光ってて気になるー」

「うん?そう言われれば光ってるような?」

「派手なのを撃つっ、ために必要なんですよっ」

「そーかー、そーかー、そーなのかー」

「へえ、じゃあ見せてもらおうか!」

「見たいならっ、それなりの実力をっと、見せてみなさいな!」

 

遠回しに「スペルカード使ってみろ」と言ってみたが、どうだろうか?挑発に乗って使ってくるか、挑発に乗らずそのままでいるのか。…もしかすると挑発に気付かずに続いちゃうなんてこともあり得る?

よし、十分溜まったかな。あとは霧散しないように注意しておくだけ。

 

「ぐぬぬ…、どうしよ」

「どうしたミスティアー?」

「勝ちたいんだけどこのままだとジリ貧だなって」

「そうだねえ、幻香は弾幕を危なっかしいけどちゃんと避けられてるし、スペルカードも余裕ある。もういっそのこと華々しく散っちゃうかー?」

「…いや、華々しく勝利する!次のスペルカードで三回被弾させればいい!」

「おー、ミスティア気合十分だねー!」

「いくよっ!夜雀『真夜中のコーラスマスター』!」

 

瞬間、世界が暗転した。突然の変化に呆然としてしまったが、頭を振って意識を戻す。ルーミアちゃんの能力を使われたわけじゃなさそうだから、鳥目が重症化したのだろう。何処まで見えなくなっているか確認するために周囲を見渡すが、わたしの周りを浮遊しているはずの『幻』が一切見えない。腕を思い切り伸ばしてみると、肘のあたりからもう見えなくなってしまっている。これって相当ヤバいんじゃ…!

しかも、呆然としてしまったからか右手に溜めていたはずの妖力がなくなっている。ああ、さっき注意しておくって自分で言ったのに。もう一度溜めないと…!

そんなことを考えていたら、緑色の妖力弾が目と鼻の先に現れた。条件反射で真っ先に後ろに飛ぶ。って、これじゃ駄目なんだって!…まあ、被弾しなかったからいいや。

さらに、わたしを囲むように大きめの妖力弾が出現。これも炸裂するかもしれないので遠くに避けたいのだが、素早く移動すれば見えていなかった弾幕に被弾してしまう。ソロリソロリと移動したら、また緑色の弾幕が現れた。え、これ避けれな――、

 

「あうっ!」

「お!被弾した!これならいける!」

「頑張れミスティアー!」

「って!ルーミアも手伝う!ほら弾幕放って放って!」

 

残り時間二十五秒くらいか…?このままだと負けてしまいそうだ…。こうなったらあと一発の被弾はしょうがないと割り切って右手に妖力を溜める。避けれないなら消せばいい。鏡符「幽体離脱」が使えなくても問題ない方法で。

 

「まっさかこんな、隠し玉が、っあると、は、思わなかったですよ…」

 

再び現れた緑色の弾幕を咄嗟に右側に半身ずらすことで回避。僅かに視界端に映る弾幕を見ると、どうやら緑色の弾幕は妖力弾五つが連なっている直進弾のようで、これだけならちょっと横にずれれば避けることが出来そうだが、その後に来る阻害弾が厄介だ。炸裂しないだけよかったと思ったが、それでも避けることが困難になることには変わりない。

あと八秒くらい欲しい…。そうすれば放てるはずだから。

 

「おりゃりゃー!あははー!楽しいねー!」

 

突然映った黄色い妖力弾。さっきまでは見えなかった弾幕。おそらくルーミアちゃんの弾幕だろうけれど、首を捻って回避、したと思ったら左足に痛みが走る。

 

「痛っ!」

「流石ルーミア!」

「足元がお留守だよー?」

「足元が見えないんですよ!」

 

阻害弾が現れたので、その隙間を通り抜けると次の緑色の弾幕。少し横にずれて回避、と思ったら追い打ちを仕掛けるように黄色い弾幕が。緑色と黄色では、黄色のほうが遅かったので、黄色の妖力弾の弾速とほぼ同じ速度で後退し、緑色の弾幕が五つ通り過ぎたことを確認してから左へ僅かにずれる。

…よし、溜まった。残り約十七秒。わたしのマスタースパークは大体十秒間放ち続けることが出来るが、今回は無理してでも時間切れまで放ち続ける!

 

「模倣!『マスタースパーク』!」

 

右手を突き出し、その手から放たれる膨大な妖力はきっとミスティアさんやルーミアちゃんの放つ弾幕を飲み込んでくれる。出来れば被弾してくれると助かるんだけど、高望みはしない。

 

「え――きゃあ!」

「うわっと!ル、ルーミア!?大丈夫!?」

 

どうやらルーミアちゃんが被弾したようだ。湖に何かが落ちた音が聞こえたので、きっと被弾した後墜落してしまったのだろう。

 

「うぅうー、大丈夫じゃなーい…」

「よくも!ルーミアの仇!――嘘ぉ!全部飲み込まれる!」

「声は大体こっちからかな…?」

 

声の聞こえた方向に手をゆっくり動かす。放っている右腕が鉛にでもなったかのように重いので、素早く動かせないからしょうがない。

 

「うわ!こっち来てる!」

「うひゃー!逃げろー!」

 

マスタースパークを放って十秒経過。ここからが正念場だ。妖力が底を突くなんてことがない事を心の底から祈る。

 

「くっ、大きく旋回して横から攻撃すれば!」

「駄目だよー!幻香の弾幕、ほぼ最初から全体を覆ってる!」

「それでもやるしかないの!スペルカード放ちながらだと動き辛いけどなんとかなる!」

 

まずい、このまま横から攻撃されたら被弾しちゃっておしまいだ。『幻』展開。残りの五個を直進弾の最速を三個と高速二個にして追加。声のした方へ放つ。

 

「なんでこっちにいるのバレてるの!?」

「さっき『声は大体こっちから』って言ってたー!」

「ええ!?音で判断してるの!?」

 

あと三秒、耐えきれば勝利だ。頭が朦朧とするけれどまだ何とかなるはず…!

 

「うわまずい!もう使い切っちゃう!」

「三回被弾は出来なさそうだねー」

「あーもう!悔しいー!」

 

三秒経過。お互いにスペルカード時間切れ。しかし、わたしはまだ一枚残っている。つまり、

 

「そこまで!この勝負、スペルカード全使用でまどかさんの勝ちです!」

 

おおう、体が重い…。ちょっと妖力使い過ぎたかも…。

 



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第39話

重い体を引きずるように移動し、岸に着地する。気を抜くと倒れてしまいそうだが、倒れるなら家に帰ってからにしたい。

 

「だー!負けたー!」

「いやー、幻香って強いんだねー」

「アハハ…、これでもかなり無茶してますから。今度やるときはもうちょっと気楽に遊びたいですね…」

 

地団太踏んでるミスティアさんにそう言うと「勝ちたかったから仕方ない」と言われてしまった。わたしだって勝ちたいと思うことで、段々エスカレートしていっちゃったからしょうがないね。

それにしても、視界を塞がれると能力が使い物にならなくなってしまうことが実感出来たこの勝負は無駄ではなかったと思う。この弱点の補強はまた後で考えるとして、追尾弾が使えないのも辛かったと思う。それに関しては妹紅さんが「気配で場所と人数が分かる」って言っていたから、それを習うことが出来れば何とかなると思うかな。

 

「大丈夫ですか?顔色がかなり悪いようですが…」

「ちょっと妖力使いすぎちゃった…。今すぐにでも家に帰って寝ちゃいたいかな…」

「家まで送りましょうか?」

「じゃあ肩貸してくれる?」

 

そう言ってみたら、大ちゃんはすぐにわたしの横に立ってくれた。「どうぞ」と言ってくれたので、その言葉に甘えて肩に腕をかける。

 

「ミスティアちゃん、ルーミアちゃん、リグルちゃん。悪いけれど私はちょっと抜けるね?」

「今度やるときは負けないからね!勝ち逃げは許さないんだから!」

「元気でなー!幻香ー!」

「うん、分かった。チルノはちゃんと見ておくから」

「ごめんね、じゃあまた今度」

 

 

 

 

 

 

家に付くまで倒れてはいけないと思い、何か会話でもしようと考えた。

 

「大ちゃん、家に付くまで何か話してたいんだ」

「あ、はい。えーっと、まどかさんは鳥目はもう大丈夫ですか?」

「え…?あー、そうだなー…。大分治ってきたかな。一応今度ミスティアさんの屋台に行っておこうかな」

 

星明りが僅かに見える程度には治った。しかし、完全とは言えない。八目鰻買うお金って残ってたっけ?確か一銭六銭が箪笥の隅に入ってたような…。

 

「そうですね、今度屋台を開く場所を聞いておきましょうか?」

「そうしてくれると非常に助かるよ」

「あ、そういえばまどかさん、今日使ったスペルカードの鏡符『幽体離脱・滅』は初めて使いましたね。どういうものですか?」

「あれはね、鏡符『幽体離脱・静』をちょっとだけ改良した派生スペルカードだよ。視界に映った弾幕全部を消すためのスペルカード」

「…?それって鏡符『幽体離脱・静』と特に変わったように思えないんですが」

「そうかもね。だけど、もう一つに派生したから、差別化するために名前を変えたの。それに鏡符『幽体離脱・静』は全部消せるわけでもなかったし」

 

大体八割は消せていた鏡符「幽体離脱・静」は、十割消せそうな鏡符「幽体離脱・滅」が出来たときに「もう使うことはないだろう」と考えている。完全劣化版と言えるからね。

 

「そのもう一つってどんなスペルカードなんですか?」

「鏡符『幽体離脱・妨』ってやつ」

「妨?邪魔でもするんですか?」

「そうだよ。具体的に言うと、視界に映る弾幕を静止弾としてその場に留めておくスペルカード。移動の妨害にもなるだろうし、通常弾幕くらいなら打ち消してくれると思う。」

「防御寄りのスペルカードですね」

「まあ、その静止弾の元の弾幕はそのままだから避けないといけないんだけどね。それに、防御寄りのスペルカードならもう一枚あるし」

「それはどういう?」

「これも『幽体離脱』の内の一つなんだけどね。鏡符『幽体離脱・纏』って言うのを考えた」

「纏ですか」

「名前の通り、視界に映る弾幕を身に纏うスペルカード。自分の周りをグルグル回り続けてもらおうかなって思ってる」

「あまり使い勝手がいいとは思えないんですが…」

「まあね、わたしもそう思う。けれど、もしかしたら使う時が来るかもしれないからね。考えておくのはいいと思うんだ」

 

自分の周りを漂う複製。当たってしまいそうな相手の弾幕を打ち消してくれるだろうから、突撃してもいいかもしれない。まあ、避けるよりも消したほうが楽だから使い道を探すのに苦労しそうだ。鏡符「幽体離脱・乱」「幽体離脱・静」と一緒に使われないスペルカード一覧に入ってしまうかもしれない。

 

「そういえば大ちゃんって今朝、時間止めてたよね?」

「え?時間を?いやいや何を言ってるんですか幻香さん!私にそんな大それた能力があるわけないじゃないですか!」

「あれ?じゃああの瞬間移動は?」

「ただの座標移動ですよ。あの場所に行こうって考えると行けるんです。まあ、目に映っているところだけですけれど」

「へえー、それってわたしも一緒に移動出来るの?そうすれば移動が楽になりそうなんだけど」

「残念ですが、誰かと一緒に移動出来たことはないですね…。服とかコップみたいな軽い物くらいなら持てば出来るんですが…」

 

残念。もし出来たら今遠くに微かに見える魔法の森に移動出来るのに。

 

「そうだ。大ちゃんスペルカード一枚だけって言ってたよね?」

「え?はい、そうですね。とても綺麗なものを出来たと思います」

「低速の弾幕をちょっと放ってすぐに相手の周り、前でも後ろでも上でも下でも横でもいいから瞬間移動してさ、また低速の弾幕を放つ。これを繰り返して相手の移動を阻害しつつ相手の弾幕を回避する攻防一体のスペルカードとかどう?」

「うーん、ちょっと大変かもしれませんが練習してもいいかもしれませんね」

「まあ、相手の弾幕がない場所を見極めて移動しないと駄目だし、低速の弾幕に囲まれる前に広い場所へ移動されちゃうかもしれませんから、何らかの対策は必要かもしれませんね」

「そうやって弱点をすぐに考えられるのもまどかさんらしいですよね」

「そう?そこまで深く考えてないんだけど」

「それに、ミスティアちゃんの夜雀『真夜中のコーラスマスター』を避けれるのは凄いことなんですよ?」

「いやいや、被弾しちゃってるから」

「私達は何回も被弾しちゃってるんですよ。三回被弾することもあったくらいで…。慣れてきたのは五、六回くらいやった頃だったかな。それを被弾一に抑えて避けれるのが凄いんです」

「いやいや、スペルカード使って打ち消しちゃってるからまともに避けてないし」

「けれど、次やるときはきっと避けれるだろうって思っていませんか?途中で避け方が分かったような顔してましたし」

「…どうでしょう。半分くらいは勘で避けていたようなものですから」

「私は勘っていうものを信じているんです。勘というものは今までの情報とか経験から即座に最もよいと思うものを出しているんだと思うんですよ。だから、勘に任せて行動するって言うのも馬鹿に出来ないんですよ?」

「へえ、大ちゃんはそういう考えなんだ。わたしは勘がどういうものかなんて考えたこともなかったですよ。けれど、大ちゃんがそう言うならわたしも信じていいかもしれませんね」

「自分を信じることは大事ですよ。だけどその自分を大切にしないと駄目ですよ、まどかさん」

「はい、すみません…」

 

反省。妖力の使い過ぎに気を付けること。倒れてからじゃ遅いからね…。妖力を外部に保存出来るから、非常用の妖力塊を常備しておくことも考えた方がいいかも。それか、妖力を回復出来る薬とか。

 

「チルノちゃんはまどかさんに憧れを持っているように感じるんですよ。だから、無茶はあんまりしないでください。私達は友達が無茶するところを黙って見ていられるほど大人じゃないんですから」

「憧れ…?わたしのどこに?」

「今日使った氷塊『グレートクラッシャー』はまどかさんの複製『巨木の鉄槌』を参考にしたそうですよ?」

「へえ、チルノちゃんにしてはちょっとずれたスペルカードだと思ったんだけど、そういうことだったの。わたしのスペルカードなんか参考にしちゃって…」

 

あんな穴だらけのスペルカードを参考にされてもなあ…。自分がまともに扱えていないのに。

 

「けれど、チルノちゃんって避けるのがあまり得意じゃないんですよ。スペルカードで無理矢理突破しちゃうことが多くて…。多分、相手のスペルカードを強制終了させることが出来ると思ったから参考にしたんだと思うの」

「…まあ、確かにあの大きさの氷塊がまともに当たれば下手したら意識が飛んじゃいそうですしね」

「何かいい方法ってないですかね?避けるコツとか」

「コツ?んー、周りをよく見る以外だと…。あ、そうだ。もしかしたらチルノちゃんなら出来るかも」

「あるんですか?」

「うん、出来るかどうかは知らないけれど。まあ、練習し続けていればいつか出来るようになるかも」

「それは?」

「『避けれないなら止めればいい』」

 

 

 

 

 

 

家に付いたらすぐに大ちゃんに別れを告げる。大ちゃん、驚いてたな…。まさかこんなことを考えるとは思わなかったのかもしれない。

扉を開け、布団に潜り込む。するとすぐに眠気がわたしを包み込み、わたしを眠りの世界へと誘った。

いい夢を見れるといいな…。

 



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第40話

扉が勢いよく開く音が家に響き、一瞬で意識が覚醒する。侵入者だ。里から来た人間と決めつけ、扉の方向へ被っていた布団を投げつけてから妖力弾を放つ。

 

「うおっ!危ねえな!」

 

ボジュゥと何かが燃える音と共に聞いたことのある声が聞こえた。ん、妹紅さんか。ビックリした…。それにしても、自分がやったこととはいえあの布団が燃えてしまった。もったいない…。

 

「ったく、いきなり攻撃はないだろ?」

「すみません。襲撃者かと思ってしまって」

「襲撃者ならまずこんな音立てないだろ、多分」

 

そう言われればそうかもしれない…。

 

「まあいい。そんなことより遊びに来たぜ」

「じゃあ、そこの椅子にでも座っててくださいな。今から朝食作るんです」

「はぁ?もう昼過ぎてるぞ?」

「え!?もうそんな時間なんですか!?」

 

窓から顔を出して太陽を確認してみると、既に頂点を過ぎていた。あと二、三時間くらいすれば日は沈んでしまうだろう。こんなに寝続けていたとは…。もしかして日付を跨いで寝続けていたなんてことはないでしょうね…?

 

「妹紅さん、今日って何日です…?」

「何言ってんだお前、三日だ」

「よかった…」

「ま、今日の日付なんかどうでもいいだろ?遅すぎる朝食でも作ったらどうだ?」

「最早昼食ですけどね」

 

茸を数個水にブチ込み、干し猪肉も入れる。醤油と塩を少量加えてから火打石を使って温めたら完成。

 

「…相変わらずだな」

「食べれればいいんですよ。美味しいもの作っても食べてくれる人がいないほうが多いですから」

「お前なあ…」

 

美味しく調理する方法が記された本は読んだけれど、残念ながらその技術を使うことはほとんどない。良質な材料やら下処理やら順序立てやら適切な温度や時間やら面倒くさいからね。

 

「あ、妹紅さんも食べます?」

「いや、私はいい…」

 

 

 

 

 

 

鼻先に向かって掌底打ちを仕掛けるが、難なく躱されてしまう。軸足に力を入れ回し蹴りを追加で放つが既に射程外。

 

「それにしても何でわたしは体術を学んでいるんでしょう…」

「ん?考えなかったのか?私が教えることにした理由」

「全く。何となくやっているのかと」

「ひっでえなあ…。これでも色々考えてるんだぞ?」

「それでどんな理由が?」

「んー、対妖怪退治専門家用とかにな」

 

専門家。どうしてここでそいつらが出てくるんだろう。

 

「例えばな、呪術とか装飾品を使って妖力無力化みたいな離れ業が出来る奴がいる。まあ、そういうやつは大抵その能力に値するだけの対価を払っているものだ。片目を捧げたり、五感の一部を失っていたりな。そういうやつに当たったときの為にと思ってな」

「妖力、無効化…」

「そういうやつに向かって魔術を放って対処するのも一つだ。妖力と魔力はほとんど同じものだが、妖力による超常現象と魔力による超常現象では結果が同じでも工程がまるで違うからな。詳細は分からんが魔術なら効く。だけど、お前は魔術使えないだろ?だから代わりに体術で対処すればいいと思ってな」

「いつか魔法使いたいですねえ」

「時間かかるだろうけどな。妖力を使って魔術だって出来るはずだし。魔術って言うのは所謂数式なんだよ。…っと、まあ魔術はその辺にしといて、体術極めれば身体能力も上がるし持久力もつくと思う。それに、最適化された動きは自分への負荷は最も小さく、相手に与える威力は最も大きくなる。歩き方、走り方、飛び方、しゃがみ方なんかの些細なところにも変化が起こるものだ」

「最適化された動きで負担が小さくなると」

「そうだ。ただ走るよりも最適化された走りをする方がずっと長く、速く走り続けられる。ちょっとずつでもいいからよくしていった方がいいと思ったんだ」

「本当に色々考えてたんですねえ。正直言って意外ですよ」

「失礼な」

 

そう言われればいつもより疲れにくくなったかなー、と感じてはいたがそんな理由があったとは。

 

「さて、話が長くなっちまったな。このまま終わるか?」

「そうですね。あ、そうだそうだ。妹紅さんに聞いておきたかったことがあるんですよ」

「ん?なんだ?」

「炎の出し方ですよ」

「ん?あんなのは妖術の一種だからなあ」

「あれ?妹紅さんって人間でしたよね?何で妖術なんて」

「昔は妖怪退治を生業にしてたからな。妖術なんてのは妖怪が使う術全般であって、必ずしも妖力を使わないといけないわけじゃないから」

「じゃあ、霊力ってやつを使って?」

「そうだなあ…。そう言われるとそうかも」

 

人間の使う力は基本霊力か魔力だとパチュリーが言っていた。だからきっと妹紅さんは霊力を使っているはずだ。「実は妖怪でした」なんてことがなければ。

 

「要はイメージだ。想像すればいいんだよ。創造なら得意だろ?」

「複製ですけどね。見てみます?わたしの炎とは思えない悲惨な代物を」

 

炎。赤かったり青かったりと様々な色があるが、共通しているのはユラユラと揺らめき、熱いことだ。しかし、わたしがそう考えて出てきたものはというと…。

 

「………なにこれ」

「炎、のハズなんですけどねえ…」

「うわ、熱くねえ。水が沸騰しなさそうなくらいだぞ、この炎みたいの。それよりもこの見た目おかしいだろ。確かに揺れてるけど、なんていうか、紙か布でも使って炎みたいのを作ったような」

「…仰る通りで」

 

しかも薄紫色。このまま放てば摩訶不思議な妖力弾の完成だ。この炎モドキはその位しか使い道がないと思う。

 

「こりゃあ基礎から出来てなさそうな感じだなあ…」

「基礎?」

「お前、妖力の性質って考えてるか?」

「性質…?」

「考えてないな」

 

何故ばれた。それよりも性質ってなんだ。妖力は妖力でしょう?

 

「スペルカード戦なんかで使う弾幕なんかは何も考えずに放ってるだろうよ。性質は破壊か?」

「破壊って言っても色々ありますよ?炎だって水だって破壊出来ます」

「それは使い方次第ってやつだ。妖力弾なんて破壊以外に使い道あるか?」

 

そう言われればないかも。当たっても破壊出来ない理由は威力を弱くしているからだ。それでも当たれば痛い。

 

「妖力の性質の変化は意外と難しいんだよなあ…。得意不得意もあるし、出来ないやつは一生かけても出来ない」

「わたしは出来ますかね?」

「出来るはずだ。お前の複製は妖力塊なんだろ?なら、同じ妖力を使って出来ないほうがおかしい」

「だけどさっきの見たでしょう?出来ないんですよ」

「んー…、そうなんだよなあ…」

 

何かが足りないのかもしれない。実力かもしれないし、慣れかもしれないし、わたしの知らないものかもしれない何かが。

 

「お前の複製って何が必要なんだっけ?」

「え?突然なんですか?」

「いいから答えろって」

「えーっと、複製したいものを視界に収めるか触れていること」

「それだ。多分、お前は認識が必要なんだ」

「認識?」

「私が炎を使う時に、一瞬とはいえ頭の中に明確な炎を浮かべてる。だけど、お前は炎って言われてどんなものを想像する?」

「赤かったり青かったりする。揺らめく。熱い。水をかけると消える」

「その時細部までくっきりとした映像を思い浮かべることは?」

「…なんていうか、靄がかかったような曖昧な感じですよ。それが普通でしょう?」

「そうかもしれないが、使えるようになるには多分そんな曖昧のものじゃ駄目なんだろ。だからお前の場合は視覚によって補う」

「そんな単純なものですかねえ、わたしの能力って」

 

これでも五年くらい前には複製なしで何かを創ろうとした。しかし、出来たものはさっきの炎みたいな欠陥品。鉄を創ろうとすれば硬いと言えば硬いし、光沢もあると言えばあるのだがやっぱり鉄とは言えない代物になったし、刃物を創ろうとしたら斬れそうな斬れなさそうな変なものが出来た。だから、複製しようと思わなければ妖力を使って何かを創ろうなんて思わなくなったのだ。

 

「単純なわけあるか。だけど、出来ると思わなきゃ出来るものも出来ない」

「そうですね。努力すれば出来る、といいなあ」

「そうだな、努力は大切だ」

 

そう言った妹紅さんは急に思案顔になった。

 

「にしても不思議だよなあ…。普通、妖力塊と言われても実物になることはまずないんだが」

「妖力弾って実物じゃないですか?」

「あれとは違ってな、なんていうか妖力が鉄に変質するなんてほぼ有り得ないんだよ。妖力を使ってそこら中の鉄をかき集めて鉄を作るのが普通だ」

「わたしって意外と不思議な能力だったんですね…」

「しかし、何にでもなれるくせしてそれが目の前にないと駄目とかおかしいだろ」

「さっき認識が足りないって言ってたのは妹紅さんですよ?」

「確かにそうなんだが…。なんていうかお前は出来るはずのことが出来なくなってるように感じるんだよなあ」

「ええ?今まで複製は出来ても創造は出来た事ないですよ?」

「まあ、ただの勘だ。気にしなくていいぞ」

 

勘か。大ちゃんの考えを信じるなら、妹紅さんは正しいことを言っていることになる。つまり、わたしは何処かで能力を喪失していた?何故?どうして?考えても全く分からない。思いつかない。想像もつかない。

 

「おい、もう暗くなってきたな。そろそろ帰るわ」

「え、あ、はい。さようなら妹紅さん」

「おう、じゃあな」

 

幻想郷に生まれたころから使えたわたしの能力。この前改めて調べて出来ることが増えたばかりなのに、新たに知りたいことが出来てしまった。しかし、これはそんな簡単に分かることではないし、全くの見当違いなんてこともあり得る。

まあ、いいや。こんなことを深く考えても意味はない。今考えて分からないことは考え続けても分からないものだから。いつか分かるときが来るまで放っておこう。

今はそんなことよりも炎だ。このままだと防寒具が必要になってしまう。

 



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第41話

春。あるところでは桜の花びらが美しく幻想郷を彩り、またあるところでは冬眠から目覚めた妖怪や動物が活動を始め、またあるところでは新緑が萌え出ずる季節。

残念ながら、わたしの能力については花開くことも目覚めることも芽吹くことも燃え上がることもなかったが…。

春。暖かな日差しを浴びながら花見をする人間共や妖怪達が探そうと思えば簡単に見つかり、場合によっては酔いに身を任せて弾幕ごっこが始まったりもする。

残念ながら、わたしは花見をすることはあってもお酒を飲むことはないのだが…。

 

「くしゅっ!」

 

しかし、今年の幻想郷の春はあまりにも遅い。遅すぎる。もう五月になっているというのに、未だに雪が降り積もる。一面銀世界だ。

防寒具である赤茶色のマフラー――結局諦めて慧音に編んでもらった――を首に巻き、真っ白な息を吐く。今日もチルノちゃんは嬉しそうに活動しているに違いない。それに付き合わされる大ちゃんは非常に辛そうな顔を浮かべていることだろう。リグルちゃんも嫌そうな顔をしながら付き合っているかも。

今日は紅魔館へ行ってフランさんと遊ぼうと考えているが、この寒さだと「外出たくない!」と言われてしまいそうである。前回行ったときも言われたからね。

 

 

 

 

 

 

「お嬢様、そろそろ燃料が尽きてしまいそうです」

「それなら買ってくればいいでしょう?」

「……承知いたしました」

 

フランさんを探して紅魔館内を歩いていたら、部屋の中からレミリアさんと咲夜さんの会話が聞こえた。どうやら薪や油が切れそうだとのこと。春が来ないなんて予想外だったに違いない。

最近のフランさんは紅魔館内を徘徊していることが多い。「動いてないと凍え死ぬ」とのことだが、一種のジョークだろう。吸血鬼が寒さ程度で死んでたまるか。

案の定、肩を震わせながら歯を鳴らして歩くフランさんを見つけた。歯を鳴らすのは止めてほしいとちょっと考えてしまった。牙がチラチラ見えて怖い。

 

「大丈夫ですか、フランさん?」

「……大丈夫じゃない」

「炎、出せませんでしたっけ?」

「あれはレーヴァテイン。炎じゃない…」

 

紅魔館内でのレーヴァテインの使用を禁止したのは咲夜さんだ。流石に床にブッ刺して暖を取るのは駄目だったようで、あとでフランさんと一緒に咲夜さんに怒られてしまった。実際、床に敷かれていたいかにも高そうなカーペットが燃えてしまったしね。

お詫びとして、わたしは別の場所に敷かれていた同じ模様のカーペットを複製して咲夜さんに献上しておいた。「縫い直す必要がなくなって助かった」とのこと。フランさんは咲夜さんの手伝いをしたらしい。「危なっかしくていつ失敗をしてしまうか見ていて心配だった」とのこと。

 

「ねえ、おねーさん。何とかならないの?」

「はい?」

「この冬。流石におかしいよ」

「まあ、わたしもそう思いますが…」

 

ここまで来ると流石に何か原因があるのではないかと考えてしまう。紅霧異変という前例があるので、異常気象が起きたらまず人為的な原因を疑ってしまうが。まあ、勘だけど。

 

「さっきお姉様も寒い寒いって言ってたし」

「咲夜さんの前ではあんなに余裕そうな感じだったのに…」

 

見栄を張りたいお年頃なのだろうか…。五百歳なのに。

 

「だから、遊ぶのはまた今度にしてこの冬を何とか出来ないかな?」

「うーん…。まあ、解決出来そうな人を知ってますから、その人に相談してみますよ」

「本当!?ありがと、おねーさん!」

 

博麗神社って何処にあるんだろう…。そんなことを考えながらフランさんと別れ、紅魔館の出口に向かって歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

紅魔館を出ようと扉に触れようとしたら、咲夜さんが後ろから近付いてきた。防寒具らしいものを一切していないが、寒くないのだろうか…。

 

「咲夜さん、買い物ですか?」

「違いますよ幻香さん」

「あれ?燃料を買うんじゃ…?」

「燃料を買うよりも簡単な方法を思い付きましたので」

 

…何故だろう。猛烈に嫌な予感がする。

 

「この冬を終わらせれば燃料なんか必要なくなります」

「そーですかー…」

 

しかし、都合がいい。わたしもそのつもりなのだから。

 

「咲夜さん、わたしも付き合いますよ」

「どうしてです?」

「フランさんに頼まれたんですよ。『この冬を何とか出来ないかな?』って」

「ふふ、じゃあ一緒に行きましょうか」

 

わたしは相談すると言ったけれど、出来ればそれに付いて行きたい。誰が何のためにやったのか非常に気になる。

紅魔館を出て一緒に飛び上がる。とりあえず咲夜さんに付いて行こうかなとか考えたが、一応意見しておこう。

 

「とりあえず博麗神社にでも行きませんか?」

「…そうですね。行く当てもなく動くよりはいいでしょう」

 

そう言って方向転換した咲夜さんに付いて行く。おっと、言っておきたいことがあったんだ。

 

「先に言っておきますけれど、わたしは弱っちいのでまともに戦えません」

「…?妹様と十分張り合っていませんでしたか?」

「あれはフランさんが必要以上に力を抜いてくれているんですよ。わたしが言った『相手を怪我させてはいけない』を律儀に守るために。…まあ、たまに力加減間違えますが」

 

わたしがフランさんと初めてやったスペルカード戦では、スペルカードのときは気合が入ってかどうかは知らないけれど、腕が吹っ飛びそうな威力だった。しかし、今では当たっても痛いで済む威力である。ただし禁忌「レーヴァテイン」。これだけは当たったらヤバいじゃ済まないので出来るだけ使わないように頼み込んだ。

 

「そう言うならそうなのでしょうね。それで、幻香さんは何を言いたいんです?」

「基本的にわたしはサポーターとして付いて行こうかなーと」

 

わたしは正直言って弱い。霧の湖で会う五人には一応勝ってはいるけれど、フランさんには毎回負けているし、霧雨さんには勝てる気もしない。しかし、味方の弾幕を増やすのも敵の弾幕を消し去るのも出来る。補助役としては有能な方だと思いたい。

まあ、ちょっとはやってもいいかなーとは思うけれど。

 

「分かったわ。――さて、もう着いたわよ」

「ん?おー、あそこが博麗神社」

 

寂びれた神社が遠くのほうに見えてきた。ん?よく見たら二人いるな。えーっと、紅白が目立っているからあれは霊夢さん。あと一人は黒い三角帽をかぶっているから霧雨さんかな?

 

「さて、急ぎましょう」

「あっ、待ってくださいよー!」

 

 

 

 

 

 

「で?ここに何の用なの?私は早く行きたいんだけど」

「それに付いて行きたいって言っているんですよ、わたしは」

「これは人間が解決するもんだ。妖怪は大人しく引っ込んでな」

「いいじゃないですか、わたしだって友達の為に何とかしたいんですよ」

 

咲夜さんはわたしの後ろのほうで黙って立っている。ここで争い事が起こったらきっと止めてはくれるだろうけれど、この口論には参加しないつもりのようである。

 

「アンタの友達ってあの氷の妖精でしょう?」

「いえ、また別の友達ですよ。フランさん、フランドール・スカーレットさんのお願いなんですよ」

「ウゲッ、アイツの?」

「あーあ、このまま断られたらどうなるんだろうなー。霊夢さんと魔理沙さんのせいだって言っちゃうかもなー」

「安い挑発ね」

「他力本願かよ」

「安っぽくても他力本願でも結構。どうせ付いて行くことには変わりないので」

 

頼まれたのにおめおめと帰るつもりなど毛頭ない。それに、こんなことをしている奴に興味がある。何とかして同行出来ないものだろうか…。

 

「それにわたしはただ付いて行ってちょっと手伝うつもりなだけですので。あとはそちらで勝手に解決してくれればいいんですよ」

「…そう。勝手にしなさい」

「ケッ、せいぜい邪魔すんなよな」

「ありがとうございますね。あ、マフラー要ります?あと、咲夜さんも」

「…貰えるものは貰っとくわ」

「この程度の寒さで音を上げるかっての」

「そうね。いただくわ」

 

首元のマフラーを掴み、二枚複製する。二人に手渡したら早速巻いてくれた。複製したところを見た霊夢さんと霧雨さんが軽く驚いていたが、霧雨さんは三角帽やら本やら本棚やらを複製しているところを見ているはずだし、霊夢さんも霧雨さんと一緒に棒を複製しているところを見ているはずなのだ。

 

「…召喚魔術?いや、創造魔術か…?」

「そんな立派なものじゃないですよ。そもそも魔法じゃないですし」

「じゃあ何なんだよ」

「こんなもの、特に気にしないでいいようなつまらないものですよ。そういう能力なだけです」

 

わざわざ説明するのも面倒くさいので説明を省く。そもそも、わたし自身がちゃんと理解しているとは言えないのだから。

 

「これ、結構暖かいですね」

「そう?編んでくれた人に喜んでたことを伝えときますね」

「関係ない話はその辺でいいでしょう?さあ、行くわよ!」

 

霊夢さんが飛び上がり、それに付いて行くように二人も飛び上がった。さて、誰が何のために冬を長引かせたのか。気になってしょうがないね。

 



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第42話

霊夢さんに付いて行くことにしたが、一体何処へ向かっているのだろうか。

 

「霊夢さん、何処に行くんです?」

「えーっと、霧の湖?」

 

まさかチルノちゃんを疑ってるなんてことないよね…?

 

「どうしてですか?」

「勘よ、勘」

「勘ですか…」

「何よ、悪いの?」

「いえ全く。わたし、勘は結構信じてるほうなんです」

 

勘は最善を導き出していると最近は信じている。外れたときは情報不足か経験不足といったものだと思う。まあ、大ちゃんの受け売りだけど。

 

「ならいいでしょう?ほら、着いたわよ」

「あらま、もう着いちゃいましたか」

 

どうしてこの異常気象を解決しに行こうと思ったか聞こうと思ったのに。まあ、後でいいや。

 

「むっ!また邪魔しに来たのか!――って、まどか!?どうしてそこに!?」

「あ、チルノちゃんに大ちゃん。こんにちは、元気にしてた?」

「うん元気にしてた――って違う!そうじゃない!どうしてまどかがそいつらと一緒にいるのか聞いてるんだ!」

「わたしね、この長い冬を終わらせて春にしたいんだ」

「えー、いいじゃん冬」

「春になったら皆と一緒に花見でもしようかなって思うの」

「花見!?じゃあ約束だ!春になったら一緒に楽しもう!」

「そうですね」

 

話は逸らすもの。普段はしないけれど、チルノちゃん相手には非常に有効である。大ちゃんも春が来てほしいと思っているようで、チルノちゃんの後ろで体を震わせながらも首を縦に振っている。

 

「さて、霊夢さん、霧雨さん、咲夜さん。この子達は関係なさそうなので別の怪しいのを探しましょう?」

「そうね。それにしても、本当に友達だったのねえ…」

「オイ霊夢、勘外れてんじゃねえか」

「まだ分からないわよ」

「幻香さん、何か考えてますね?」

 

流石咲夜さん。わたしの考えてる事なんかは大体分かっているようだ。それに、まだ外れているとは限らない。この辺のことについて非常に詳しい大ちゃんがいることは幸運だ。

 

「ねえ、霧の湖の近くで『冬』とか『冷気』とか『寒さ』に関係する妖怪って知らない?」

「そうですね…。チルノちゃん以外だと…、そうだ。レティ・ホワイトロックさんがそういう妖怪ですよ」

「レティさんね。何処にいるか知ってる?」

「えっと、普段は行くことはあまりないですが、あちらのほうに」

 

そう言って指差した方向は、確かに普段は行かない場所だ。いつもの場所のほぼ対岸に位置している。

 

「ありがとね」

「いえいえ、お気になさらず。ほらチルノちゃん、今まどかさんは忙しいみたいだからあっちで遊ぼう?」

「じゃあなーまどかー!」

「はい、またいつか。――どうやら勘は合っていたみたいですよ?」

「そうね、じゃあ行きましょう」

「あっ、オイ!ちょっと待てよ!」

「せっかちねえ。さ、行きましょ?」

 

付いて行こうと飛び上がる瞬間、足元に落ちていた火打石と思われるものが目に入ったので拾っておく。この寒い中で火を起こせるのはかなり嬉しい。

 

「咲夜さん、後でナイフ貰っていいですか?」

「え?ああ、そういうこと。いいわよ」

「おーい、何話してんだー!さっさとしないと置いてくぞー!」

「せっかちさんがうるさいんで急ぎましょうか」

「ふふ、そうね」

 

自分が出せる限界の速度で追いかける。が、周りはわたしより余裕を持って飛んでいるように見える。ああ、こうなるんだったら慧音でも妹紅さんでもフランさんでもいいから高速飛行方法を学んどくんだった…。

そんなことを考えながら追随していると、霧雨さんがわたしの横を並走し出した。

 

「おい幻香」

「何です?」

「付いて行くってことはそれなりの実力ってもんがあるんだよな?」

「どうでしょう。この四人の中だったら最弱を自称出来ますが、世間から見たわたしってどうなんでしょうね。人間の里では最悪の存在と言えるんでしょうけど」

「そこでだ。そのレディだったか?ソイツ、お前一人でやってみろよ」

「レディじゃなくてレティですよ。それにわたしはサポーターとして付いて来てるんですよ。それに異変解決は人間の仕事なんでしょう?」

「サポーターだぁ?お前に何が出来るってんだよ」

「大抵の弾幕なら消し飛ばして見せますよ」

「ならそれを見せてみろってことだ」

「前に見たでしょう?その時の驚いた顔は今でも思い出せます」

「ケッ、どういうカラクリか知らねえが今はどうでもいい。とにかくレティとかいうやつをやればいいんだよ」

「どうしてあなた達がやらないんです?」

「…お前が戦う気がないやつならここでサヨナラってことだ。妖怪は出しゃばらずに引っ込んでるのが普通なんだからな。ただ付いてくるだけのお荷物なら邪魔だから帰れってことだ」

「それならわたしは異常ってことにしていてくださいな。まあ、分かりましたよ。ついでに被弾零宣言も付けましょうか?」

「お、言うねえ。楽しみにしてるぜ」

 

どうやらレティさんとスペルカード戦をすることになってしまったようです。まあ、安全に付いて行くためには、それなりの実力者であることを示す必要があると思ったので、一つ宣言しておいた。多分大丈夫だと思うけれど、緊張してきた。

霧雨さんが加速してわたしを置いて行き、それと入れ替わるように咲夜さんが並走してきた。

 

「大丈夫ですか?被弾零なんて」

「それくらいしないと切って捨てられるかもしれないじゃないですか」

「そうですか?」

「勘ですよ」

「捨てられることはあっても切られることはないと思いますよ?私以外、誰も刃物は持ってなさそうですし」

「そういう意味じゃないんですけどね」

「ふふ、知ってるわ。それで、緊張は解れた?」

「…咲夜さんっていい人ですね」

「今更気づいたの?」

「いえ、前から知ってましたよ」

 

咲夜さんの軽い冗談で肩の力が抜けた。わたしはいつものようにやっていつものように勝利する。そうすればいいだけだ。勝てなさそうならどうするか?そんなのも決まってる。相手の常識の外側を突き進め。予想外なことに即座に対応できる人はまずいないって慧音も言ってたから。この文章の後にはこう続く。だから、一つの予想に固執するな。それ以外の可能性を羅列していけ。わたしはその言葉を信じて、出来る限り実行出来るように意識し続けている。

 

「それじゃあ頑張ってください。――もう着いたみたいですね」

「え?もう?」

 

霊夢さんと霧雨さんは既に岸に降り立ち、わたし達を待ってくれているようだ。

 

「…遅いわよ」

「すみません…。それにしてもこのあたり、やたらと寒くないですか?」

「そうね。つまり近くにそのレティ・ホワイトロックって言うのがいるってことでしょう?魔理沙から聞いたと思うけれど、ソイツはアンタに任せるから」

「早速黒幕だったらどうします?異変解決は人間の役目って」

「ソイツは黒幕じゃないわね。けれど手がかりくらいならありそう」

「霊夢の勘は馬鹿にならないからなあ。信用していいと思うぜ」

「知ってますよ…。くしゅっ!」

 

それにしても寒い。寒すぎる。吹雪いてるわけでも他と比べて降雪量が多いわけでもないのに、非常に寒い。

 

「咲夜さん、ナイフ」

「どうぞ」

 

何処からともなく取り出されたナイフに左手の指先で触れる。そして左掌に複製。すぐに掴みとり、さっき拾った火打石をポケットから取り出しつつマフラーを複製する。火打石をマフラーで包み、ナイフを思い切りぶつけること数回。焦げ臭い匂いがしてきたので思い切り振ると、マフラーが燃え盛った。よし、上手くいった。

 

「熱っち、乾いた枝ないですか?太めのやつ」

「拾っておきましたよ?」

 

どう見てもそこら辺の枯れ木から頂戴したようにしか見えないんですけど…。切断面があまりにも綺麗だし。

まあそんなことは気にせず枝にマフラーを無理矢理巻き付け、枝がちゃんと燃えていることを確認すると、しっかりと火が移っていたので燃え残ったマフラーを回収。少しでも妖力は保持しておいた方がいい。

 

「ふう、とりあえずこれでいいかな?」

 

振ったときに落とした火打石は積もっている雪を溶かしたことですっかり冷めていたので安心して拾った。ついでにナイフも回収しておく。

 

「なんだ?松明なんか焚いて」

「だって寒いじゃないですか。さて、行きましょう霊夢さん」

「松明って一応神聖なものなんだけどねえ…。まあいっか」

 

霊夢さんに付いて歩くが、三人がわたしの持っている松明のほうに自然と近づいてしまうのは、やはりこの辺りがそれだけ寒いということなのだろう。

 

「ん?前方に人影が」

「そうね。多分アレが」

「くろまく~」

「…黒幕自称してますよ?」

 

前から現れたのは薄紫色の髪を持ち、寒色系の服を着た雪女のような妖怪だった。

 

「貴女が黒幕ね。では、幻香さんどうぞ」

「はいはい任されました」

「ちょっと待って!」

「ん?なんだ?命乞いか?」

「違う!私は黒幕だけど普通よ!」

 

何を言っているのか分からず、思わず首を傾げてしまう。どういう意味なんだか…。

 

「とりあえず今は普通じゃないんですよ。特にこの辺りは」

「例年の大体三倍くらい雪の結晶が大きいとか?頭のおかしな巫女と魔法使いとメイドと私そっくりな松明持ちがいること?そんなことより私は早く春眠したいんだけど」

「幻香、アイツ永眠させなさい」

「寝たら殺すってことを教えてやれ」

「さ、早く黒幕さんを倒してきてくださいな」

「皆して物騒ですね…」

 

松明を咲夜さんに手渡し、一歩前に出る。

 

「レティ・ホワイトロックさん。わたしは貴女にスペルカード戦を要求します」

「んー、いいけどどうして?」

「そうですねえ…。後ろの人達が貴女を倒せとうるさいからでいいですかね?それに、この辺りが寒くてわたしが困ってるんですよ」

「そう?私はただ普段より長い冬を楽しんでるだけなんだけどなあ」

「そうですか。とりあえず被弾回数とスペルカード枚数はどうします?」

「うーん、両方とも三で」

「じゃあ始めますか」

 

そう言った瞬間、レティさんの雰囲気が僅かに変わったように感じた。そして彼女の周りに現れる色鮮やかな弾幕。

わたしとレティさんのスペルカード戦が始まった。

 



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第43話

少し出遅れたけれど『幻』展開。直進弾と追尾弾を最速で各十個。

それと、真っ白な靄に隠れているレティさんに言っておかないといけないことがあったんだ。

 

「そうそう、わたしはこの勝負で被弾するつもりないんですよ」

「ふーん、で?」

「だからわたしは被弾したらそのまま『まいった』って言って降参しますよ」

「おー、言うねえ。震え上がっても知らないよ?」

「寒さで?」

「恐怖で」

 

白い靄が弾け、寒色系の弾幕が広がる。が、そんなもの気にせずレティさんに向かって突貫する。

 

「おーい、それは無茶じゃないかい?」

 

連なった青い妖力弾に加え、レティさんを中心に拡散する弾幕。さて、ちゃんと出来るってことの証明をしないとねえ。

 

「霧雨さん、ちゃんと見てなさいな!鏡符『幽体離脱・滅』」

 

瞬間、消滅する弾幕。驚愕からか目を見開いたレティさんがよく見える。まったく、隙だらけだよ?そんなことしてたら妹紅さんに一発どころか三発くらい持ってかれちゃう。

左腕をレティさんに向けてしっかりと伸ばし、軽く体を捻りながら右手を引き絞る。掌底打ちにしようと思ったけれど、内部に損傷を与えるよりも外部に与えたほうが治りが早そうだと思い、軽く握る。

危機的状況になっていることに今更気付いてももう遅い。既に射程圏内だ。

 

「ッ!」

「痛ッ!ンンーッ!」

 

鼻先に当たった瞬間、無理矢理腕を引き戻して、その勢いに合わせて体全体を回転させる。追加でこめかみに裏拳を叩きこもうかと思ったが、スペルカードルールから見てもわたしから見ても意味がないと思ったので途中で止まり、レティさんから距離を取る。

どうせ一回被弾してから三秒経たないと次の被弾の扱いにならないし、旋回裏拳って当て辛いし自分の手を痛めやすいからね。

未だに鼻を押さえて悶えているレティさんに向かって弾幕を放つのは良くないかなと思い、待機している三人のほうを向く。それにしても、当たった瞬間に引き戻したからほとんど痛くないはずなんだけどなあ…。

 

「ね?大抵の弾幕は消し飛ばして見せますよ」

「オイオイ、相手が怯んでるからってこっちに視線向けててもいいのかよ?」

「この距離なら後ろから近づかれても分かりますよ」

 

気配を感じる方法は様々だ。光源が後ろにあれば影が出来ることで、足音や服の擦れる音を聞くことで、体から発せられる僅かな熱を感じることで、一部の相手に対しては匂いを嗅ぐことで気配を感じる。わたしは出来ないが霊力妖力魔力神力を感じることでとか、動くことによって生まれる僅かな空気の流れでも分かるらしい。

この程度の距離なら背中から不意打ちされても背中側に壁になりそうな複製を創って対処出来る。

 

「弾幕ごっこで普通相手を殴る?」

「言ったでしょう?わたしは異常ってことにして――あ、霊夢さんには言ってませんでしたね。それに、必ずしも弾幕じゃなきゃいけないわけじゃないですし」

「…誰が殴ってくると考えるのよ」

「わたしから見れば『考えない方が悪い』って感じですけどね」

 

ルールにもちゃんと殴る蹴るなどの体術、刀やナイフなどによる剣術、投石や弓などによる射撃などでも可であると書かれている。まあ、わざわざそんなもので挑む物好きがいないから勝手に無視されているだけなのだ。

…一部では、何処からともなくナイフを大量展開して弾幕と遜色ないものにしてしまう超越者がいるとか。一体何処のメイドさんなんだろうなー。

 

「幻香さん?」

「…はいすみません」

 

笑顔が物凄く怖いです。しかし、本当に何処からナイフを取り出しているんだか。太腿に吊るされている数本のナイフしか見当たらない。もしかして、袖の中とかスカートの内側に隠しているのかも。けれど、それだとかなり重くなるよね…。咲夜さん凄いです。

後ろから弾幕が放たれる感覚がしたので、振り向きつつ『幻』の弾幕を再開させる。

 

「痛たた…。勝負中に背中を向けるなんていい度胸してるじゃない…」

「鼻を押さえながら脚をバタバタさせて悶えているのを見ていた方が良かったですか?申し訳ないですが、わたしはそれを温かい目で眺めるような趣味はないんです…」

「私もない!寒符『リンガリングコールド』!」

 

何だか、温度がさらに下がったような気がする。後ろの三人を見てみると、浅めに降り積もっている雪を除けていた。咲夜さんが枯れ枝と濡れていなさそうな枯葉を集めていたので焚火でも作るつもりなのだろう。呑気だなあ…。

 

「またそっぽ向くー!こっち見なさいよ!」

「え?ああすみませんね、っと」

 

水色の妖力弾から鳥が翼を広げるように弾幕が広がったが、少し横にずれるだけで避けることが出来る。周囲に現れた白い靄が弾けて弾幕をばら撒くのに注意すればそれほど脅威でもない。

突然弾幕が変わったりしなければこの避け方で何とかなるだろうと思い、余裕が出来たので『幻』任せにせず、数発だが妖力弾をレティさんに向けて放つ。

的が大きいので当たりやすそうな胴体に向けて放ったが、残念ながら避けられてしまった。『幻』の弾幕も普通に避けているようなので、相手が油断しなければ被弾はしなさそうだ。さて、どうしましょうか…。

 

「あー寒い…。あっちは焚火にして温まってるし…。いいなあ」

「それにしてもさあ…、貴女って妖怪でしょう?」

「え?分かるんですか?…おっと」

「分かるわよ。それで、何で妖怪が人間なんかと手を組んでるの?」

「手を組む?わたしはただ付いて来てるだけなんですけど」

「妖怪は人間を驚かせて生きるものでしょう?貴女がどんな妖怪かは知らないけれど、そうしないと生きていけない種族もいるのに」

 

………驚かせて、ねえ…。

 

「勝手に驚いて、勝手にこじつけて、勝手に嫌って、勝手に悪意を向けて、勝手に迫害して、勝手に刺して、勝手に襲って、勝手に処刑しようとする人間なんかにはもう会いたくもないですよ」

「…ならどうして」

「それでも付き合ってくれる物好きな人がいるんですよ。その人達に付いて行って何が悪いんですか?わたしはしたいことをして生きているんですよ。それが驚かせることじゃなかったってだけです」

「…そう」

 

そう言うとスペルカードの時間が切れた。

 

「ふぅ…。何か嫌なこと思い出して不愉快ですよ…。だから――」

 

一瞬の隙に三人のほうを向いて箒を複製し、その穂に焚火の炎を複製する。そして、燃え盛る箒をレティさんに真っ直ぐと向ける。

 

「――ちょっと痛い目見てもらっていいですか?」

「痛いだけじゃ済まなさそうなんだけど」

「熱い目見てもらっていいですか?」

「言い直さなくてもいいよ!」

 

勢いよく飛び出し、その顔に向かって箒を突き出す。寒気を操る妖怪としては炎には触れたくもないようで慌てて飛び退ったが『幻』を利用して追撃を行う。が、体制を低くして上手く避けられてしまった。

 

「貰った!」

 

そう言ってわたしの足元に向かって放たれる弾幕を静かに見つめて――

 

「複製『身代人形』」

 

足元にドサリと落ちるそれに弾幕が全て被弾する。貫通はすることなく、抉られたような弾痕が幾つも出来てしまった。まあ、わたしに被弾していないので問題はない。

 

「…え?わ、私?」

「そうですよ?まあ、正確には違いますけど」

 

身代人形をレティさんに思い切り蹴飛ばす。無理な体勢でいたからか避けることも出来ずに巻き込まれて三間ほど――大体六メートル――吹っ飛んだ。

 

「さて、被弾は既に二回ですね。弾幕で被弾していないのが寂しいですけれど、貴女はこうして油断してないと当てることも出来なさそうなので仕方ないですね」

「もう!何なのよ!弾幕は消えるし!私みたいなのから私が出てくるし!」

「何も不思議なことじゃないですよ。ドッペルゲンガーってそういうものなんです」

「ええ…、ドッペルゲンガーってそういう妖怪じゃないと思うんだけど…」

「…?何か非常に興味深いことを言いましたけれど、後で詳しく」

「お断り!冬符『フラワーウィザラウェイ』!」

 

レティさんの周りをレーザーが旋回している。懐かしいなあ…。あんな感じの妖力弾は霧雨さんの恋符「マスタースパーク」を潜り抜けるために使って以来だ。

そのレーザーから小粒の弾幕が飛んでくるのでかなり密度は高いが、弾速はかなり遅いので避けるのは簡単だ。しかし、どうせ創ったのならばこの燃え盛る箒を思い切り振り下ろして勝利したい。

 

「このくらいのスペルカードならミスティアさんのほうが避け辛かったかな」

 

口の中で呟きながら無理なく弾幕の隙間を縫うように避ける。たまに被弾しそうな妖力弾は箒の炎を当てると溶けるように消えてしまう。寒気を操るこの妖怪の妖力弾はきっと熱に極端に弱いのだろう。

危なげなくスペルカードの時間が来て、一気に距離を詰める。箒の炎は妖力弾を打ち消し続けた影響か、もうすぐ消えてしまいそうだ。

 

「うわっ!待って待って!」

「待たない!」

「分かった!降参!降参するからやめて~」

 

そう言われて、振り下ろしていた箒を回収した。頭を押さえてうずくまっているレティさんは箒が当たらなくてホッとしているようだ。

 

「ふぅ…。当てれなくて残念ですが、わたしの勝ちですね」

 



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第44話

「うぅ~、弾幕ごっこなのに殴ったり私をぶつけたり箒振り回したり…」

「いいじゃないですか、個性的で。それに、もう終わったことですから引っ張らないでくださいな。それよりわたし、訊きたいことがあるんですよ」

「……何?」

「まずは、最近あったおかしなこととかないですか?冬が長引く理由になりそうなもの」

「一応言っておくけれど、私は冬を楽しんでいただけだよ?」

「知ってますよ。自分で言ってましたからね」

「あとは…、特にないかな」

 

うーん、霊夢さんの勘を信じるなら手がかりになるものがここら辺にあるんだけどなあ…。

 

「じゃあ言い換えようかな。春が来ない理由とか知ってる?」

「さあ?春告精が来ないからじゃない?」

「春告精?」

「春が来ることを教えてくれる妖精。この子を見たら私は春眠を始めるの。――あ、そうだ。そういえば変なの拾ったんだよね」

「え?ちょっと見せてもらっても?」

「私には必要ないしあげるわよ」

 

そう言われて手渡されたものは、瑞々しい花びらだった。こんな寒いところに花びらだけが萎れることなく残っているのは何とも不思議である。

 

「ありがとうございます。次、というより最後になりますね。貴女はわたし以外のドッペルゲンガーについて知っていそうですね。些細なことでもいいから教えてくれると嬉しいんですが」

 

もし、本当にいるとすると、そのドッペルゲンガーが人間の里に行ってしまったらわたしと勘違いされて処刑されてしまう。もし、そのことを知ってしまうことがあったら目覚めが悪い。

 

「ええー、あんまり覚えてないし教えたくなーい」

「お断りって言ったことを引き摺ってるならそんな荷物捨ててくださいよ。どんな僅かなことでもいいんですから」

「どうしてそんな必死なんだか…。まあちょっとだけなら。私の知ってるドッペルゲンガーはもっと大人しいって言うか無口でフラフラしてるんだけど」

「無口?フラフラ?」

「探そうと思うなら苦労すると思うわよ?」

「…?はあ、そうなんですか?」

 

苦労するとは思えないんだけどなあ…。自分と同じ顔をしている妖怪を探すだけなのに。けれど、そのドッペルゲンガーをわたしが見たときはどのような顔に見えるのだろうか。わたしの素の顔が映るのか、それとも鏡を挟んだように互い違いに映しあってしまっておかしなことになってしまうのか…。

 

「それじゃあ、冬を終わらせるのならさっさと終わらせてね~」

「あ、はい。それでは」

 

そう言うと何処かへ飛んで行ってしまった。手渡された不思議な花びらを眺めていたら、いきなり背中を叩かれた。

 

「宣言通りだな」

「ええ、宣言通りです」

 

弾幕を消し飛ばすのと被弾零。しっかりと宣言した通りだ。多少は実力を認めてくれたようで、その表情から嫌悪は感じなかった。

 

「何の宣言か知らないけど、さっき何か渡されたでしょ?見せなさい」

「え?ああ、これですか?萎れていない不思議な花びらですよ」

「…萎れない花びら、ね。何か関係はありそうだけど、今は何も分からないわね。返すけれど、無くさないでね」

「はい、分かりました」

 

うーん、この花びらが手がかりになるのかな…?持っていると不思議と温かくなってきたような気がする。

 

「おい幻香、ちょっと私にも見せてくれよ」

「どうぞー」

「……やっぱり似てるな」

「…?何にです?」

「いや、家の前にこれと同じようなやつが落ちてたんだ。この異変と関係あると思って一応持って来てるんだが。ほれ、返すぜ」

「うーん…。これを五枚集めれば春になると思いますか?」

「そもそも桜の花びらは五枚ってわけでもないぜ?種類によっちゃあ十枚超えるやつもある」

「じゃあたくさん集めれば?」

「さあな。おっと、もう霊夢がイラついてるぜ。こりゃとっとと切り上げたほうがよさそうだ」

 

焚火に雪を被せてしっかりと鎮火しておく。その辺の木に燃え移ったりしたら大変だからね。

 

「松明として持っていかなくてよかったのですか?」

「レティさんが行っちゃったから耐えれないほどでもないかなと。それに火打石はあるから枝さえあればいつでも作れますし」

「そうですね。それでは行きましょうか」

 

 

 

 

 

 

「で、次は何処に?」

「そうねえ…、何処に――あれ?こんなところに里なんかあったっけ?」

「え…?さ、里…!?」

 

そう言われて周りを見渡してみると家、家、家。中から生活音が全くしないので、どうやらこの辺りに人間はいないようだ。つまり、人間の里ではない、と思う。

 

「おいおい、ここは人間みたいなのが棲みそうだなあ」

「みたいの、ですか?」

「ああ、猫とか犬とか狐とかな。空き家があったら我が物顔で棲みつくぜ」

「わたしの家って結構開けていることが多いですが、そういう動物は来ませんねえ」

「魔法の森にそんな棲みつくような動物居ねえよ。それに、動物は完全に気配だとか匂いだとかが抜けてないとまず棲みつかない」

「なら安心ですね」

 

家に置かれている食料を盗られることはなさそうでよかった。まあ、盗られても問題なさそうな量しかないときのほうが多いような気がするけど。

真っ直ぐ飛び続けること十数分。人間の里ならこの速度で進み続ければ端から端へ飛べるほどだろうか。この里が特別広いのか、それとも――。

 

「おかしいですね?そろそろ里を抜けてもいいと思うんですが」

「…もしかして迷ったかしら?」

「えぇー……」

「ここに迷い込んだら最後!」

「あ、何か知ってそうな人が――ん?何処かで見たような?」

 

まあいいや。化け猫の類は里に入れた頃にたまに見ていたから、それの誰かに似ていたのだろう。

 

「それはともかく迷い家へようこそ」

「霊夢さん、迷い家って何です?」

「迷い込んだら偶然見つけることがある廃屋」

「つまり?」

「迷い込んだら最後、二度と戻れないわ!」

 

真っ直ぐ飛んでいたつもりなんだけれどなあ…。

 

「どうして迷ったんでしょうね?」

「吹雪で視界悪いからだろ」

「風が強いのでふらついて方向がいつの間にかずれてしまったのでは?風向きも大分変わっていますし」

「まあ、霊夢さんに付いて行ったのでわたし達が迷った理由は霊夢さんになるんでしょうけれど」

「ちょっと聞き捨てならないこと言うじゃない。確かに迷ったけれど、迷い家に着くのは幸運なのよ?」

 

迷ったのに幸運?迷い家に何かあるのかな?

 

「迷い家に何があるかは知りませんがあの化け猫、どうします?」

「私がやりましょう」

「お、前やった時より出来るようになってるのか?」

「さあ?どうでしょうね」

 

咲夜さんが何処からともなくナイフを取り出し、化け猫に対峙する。霊夢さんは既に近くの空き家の屋根に座って観戦する気満々のようである。

 

「これだけ寒いなら猫は大人しく炬燵に丸くなっていればいいのに」

「そんな迷信信じちゃ駄目だよ!」

 

炬燵か…。今年の冬は寒かったから、次の冬が来るまでに慧音と妹紅さんに相談して炬燵を作ってもいいかもしれない。実物があれば楽だけど。

 

「大体野良猫はどうするのよ」

「大人しく保健所に駆逐されればいいんじゃないかしら?浄土の世界は暖かそうだし」

「人間が?私達を?無理無理、絶対無理。あんなのが私達に盾突こうなんて」

「そう、なら試してみる?スペルカード戦を申し込むわ。被弾三回、スペルカードは三枚でいいかしら?」

「かまわないよ?人間なんかが勝てるわけないんだし」

 

ここにいては邪魔になると思い、霊夢さんの隣に腰を下ろした。魔理沙さんも同じように待機する。

鋭く三本のナイフを投げ、化け猫がそれを避けつつ真っ赤な弾幕が花開く。さて、咲夜さんはどんなスペルカードを使うのだろう?楽しみだなあ…。

 



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第45話

「霧雨さん、霊夢さん。咲夜さんはこの勝負勝てると思いますか?」

「んー、あの化け猫がどの程度の妖怪かによると思うけれど、下手に実力が下がってなければあの時の咲夜でも勝てるでしょうね」

「そうか?アイツは私達と違って弾幕が実物であるナイフだからな。いちいち投げないといけないなんて隙だらけだろ?」

「その隙を完全に潰すことが出来る能力持ちだからねえ…。ただの人間が何であんな大それた能力を持ってるんだか」

「貴女達も人間でしょうに…」

 

話題になっている咲夜さんはというと、人間離れした速度でナイフを投げたり移動したりを繰り返している。「時間を操る程度の能力」を利用して自分以外の時間の流れを遅くしているのだろう。スペルカード戦が始まってすぐに風が弱くなったからね。

 

「まあ私は魔法使いだからな。まだ人間だが、いつか不老不死になるのもいいかもな」

「不老不死?じゃあパチュリーって死なないんですか?」

「いや、多分不老長寿だろ。捨虫・捨食の魔法を使ったか元から魔法使いかは知らないがな」

「それなら言ってましたよ?産まれたときから魔法使いだって。まあ、捨虫・捨食の魔法がどんなものかは知りませんが」

 

それにしても咲夜さんの投げたナイフが既に百を超えているような気がする。壁やら地面やらに突き刺さっているナイフの数がおびただしいなあ、と思って見ていた壁のナイフが突如消えた。ああ、手持ちのナイフが無くなったから時間を止めて回収したのか。使い捨てナイフというわけではないようだ。

 

「お、パチュリーについてかなり詳しそうじゃんか。どうせならあそこの警備についても教えてくれよ」

「えーと、出入口の扉を開けると光って反応するものが――って、下手に言うと貴女に盗られそうですね」

「チッ。いいじゃないか、借りるくらい」

「あそこはそもそも貸出禁止です…」

 

本が大図書館から出た瞬間にも反応するなんていちいち言わなくてもいいことだろう。

咲夜さんはかなり余裕を持って避けているようだが、相手の化け猫は、もう少し反応が遅れていたら右腕に刺さりそうになっていた。あの表情から思うに、そろそろ――。

 

「どんなに速くたって人間には追い付かない領域があるんだよ!翔符『飛翔韋駄天』!」

「お、先に使ったのは化け猫か」

「台詞からして高速移動かなー」

「だと思うわよ?両手を地面に付けて脚に力を込めている」

 

瞬間、化け猫が急加速した。そして次々と花開くように広がる弾幕。しかし、開くときには既に化け猫の姿はなく、咲夜さんの周りを縦横無尽に駆け巡る。

 

「うわ、速…」

「そうか?まだ私の世界には届いてないなあ」

「アンタ、見えないの?」

「ここからなら分かりますよ?けれど、今咲夜さんのいる位置からだとちょっと」

「まあそうね。ただ走り回っているわけでもなさそうだし」

「どういうことです?」

「咲夜の目の前を通るときに急に逆方向に方向を変えていたわ。そのまま進むと思っていたらまず見失う」

「へー、そう言われると…」

 

確かにそう見える。規則性はないようだが、咲夜さんの前を通るときに急に方向を変えていることがある。あの化け猫はただ速いだけじゃなくて、そういう技術も使っているようだ。

 

「だけど咲夜さんより遅いですね」

「そうね…。そもそもアイツより速い存在がいるなら見てみたいわ」

「いたらいたで困ったもんだけどな」

 

瞬間、咲夜さんは両手に持てるだけのナイフを持ち、高らかに宣言した。

 

「どんなに貴女が速くても追い付けない世界を。幻世『ザ・ワールド』」

 

瞬間、時間が止まった…のだろう。いつの間にか化け猫を覆うように現れたナイフが化け猫の至る所に突き刺さったのだから。だけどあれって、死んでしまわないのだろうか…。実際、ハリネズミのようになった化け猫はピクリとも動いていないように見える。

 

「南無~。きっと極楽浄土は、暖かくて幸せに違いないでしょう」

「ちょっ、ちょっと咲夜さん!何殺しちゃってるんですか!」

「え?大丈夫よ、多分。急所は外しているし」

 

そう言われて見ていると、頭部、首、背骨、心臓辺りにはナイフが刺さっていないように見える。それに、ナイフはあまり深く刺さっていないようだ。

 

「そ、それでも流石に…」

「なら手当でもしておく?どうせもうこの子の負けでしょうし」

 

確かに、これはどこからどう見ても化け猫は戦闘不能であるから咲夜さんの勝利だろう。

 

「咲夜さん、手当手伝ってください」

「何をすればいいかしら?」

「とりあえず布は創るんで、止血を」

 

一番丈夫そうな布、というより服は咲夜さんの服だと思ったので、手に取って複製。化け猫に刺さっていたナイフを抜いて――抜いた瞬間、血が少し流れ出てしまったが、流れ出たということはまだ心臓は動いていると思う――複製した服を包帯のように細く切る。

包帯の代わりを大量に作ってからナイフを全て抜き取り、ボロボロで血みどろになった服も全部脱がせて咲夜さんに止血、というよりきつく包帯を締めることで無理矢理血を止めてもらった。

赤黒く染められたこの服については諦めてもらおう。だけど、代わりの服くらいは創って置いてもいいかなと思ったので、色が似ている霊夢さんの服にしようと霊夢さんを探してみると、何やら一つの家の中に入っていくのが見えた。

 

「ちょっと!こっちが頑張ってるときに何してるんですか!」

「え?何ってちょっと略奪を」

「霧雨さんの真似事ですか!?」

「んー、そう言われると物凄く罪悪感が」

「おい、さっきまで意気揚々とここに置いてあった鞄にここに置いてあった日用品を詰め込んでたじゃないか」

「幻香さん。とりあえず血はほぼ止まったようです。流石妖怪、と言ったところですね」

「わたしそんなに早く治らないんだけどなあ」

 

命に別状はない、と勝手に決めつけて霊夢さんのところへ走る。

 

「それで?何で略奪なんかを?」

「迷い家にあるものは持ち帰ると幸運になれるのよ」

「はあ、幸運?」

「だから言ったでしょう?『迷い家に着くのは幸運』だって」

「人のもの奪って得られる幸運なんてたかが知れてますよ」

「…………それもそうね」

「とか言いながら今握っているそれはなんだよ?」

「鞄」

「持ち帰る気満々じゃないですか…」

 

結局、この迷い家にある家財は大体無くなってしまった。代わりにわたしの複製を置いておいたが、あの二人が大きいものは持ち帰ろうとしなくてよかった、としみじみ思った。

 

 

 

 

 

 

あの化け猫を倒したからか、少し飛んだら迷い家のある里から脱出することが出来た。

次は何処に行くのか霊夢さんに聞こうと思ったら、霧雨さんに呼び止められた。

 

「お前の能力って何なんだよ」

「はい?いきなりなんですか霧雨さん」

「あとその『霧雨さん』もやめろ。私だけ苗字なんて何だか仲間外れみたいじゃないか」

「あー、分かりましたよ魔理沙さん。それで、わたしの能力ですか?」

「そうだ。だっておかしいだろ?私達が持って行ったもの全部取り出すなんて」

 

確かに、そう思うのはしょうがないかもしれない。わたしの能力『ものを複製する程度の能力』について知らなければ当然の反応とも言える。

 

「取り出してませんよ」

「はあ?」

「創ったんです」

「創った…だと?」

「ええ、わたしの能力で創りました。『ものを複製する程度の能力』。これがわたしの能力です。原理なんてわたしも知りません。というより、わたしが知りたいので、これから調べるなり知っている人を探すなりする予定です」

「待てよ。私の帽子、本、本棚、棒、マフラー、あそこの家財は分かった。だけど弾幕を消し飛ばすのはどういうことだよ」

「はあ、分かるでしょう?複製したんですよ。弾幕全部を」

「何だよその能力…」

「使ってみると使い勝手の悪さに悲しくなりますよ」

 

まず第一に妖力消費が激しい。小さいものならいいのだが、本棚を何個も創れるわけではない。回収出来ればいいのだが、今回の家財は代わりのものとしてあげたつもりなので、妖力を大分使ってしまった。それに視界に映るか触れていないと駄目だし、複製出来る場所もかなり狭い。

 

「誰にでも言っているわけじゃないんですから、あんまり言いふらさないでくださいね?特に、人間の里に住んでる人間共には」

「…はいよ。私だって守るべきか否かの判断くらいつく。これは前者のほうだ」

「分かってくれて嬉しいですよ」

 

里の人間に知れ渡れば、この能力の対策を考え出されてしまい、わたしの生命線の一つが消え失せる。それじゃなくても、この能力は悪用すれば好きなだけ出来る。例えば、お金を好きなだけ増やしたりとか。他にも、わたしには想像もつかないような使い方があると思うけど。

魔理沙さんにお礼を軽く言ってから霊夢さんに何処に行くか尋ねてみたら、どうやら魔法の森に行くそうだ。

 

「霊夢さん。ちょっとお腹も空いていましたし、休憩でもしませんか?」

 

それ以上に妖力が非常に少なくなってしまっているから、ちょっと要らなそうなものを回収して少しでも回復しておきたい。

 

「それもそうねえ。けど、何処で?」

「近くにわたしの家がありますからそこでいいですか?」

 



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第46話

「こんなとこにあったとはな…」

「今時掘っ立て小屋なんて里にもないわよ」

「いいじゃないですか。住めば都、という言葉もありますし」

「住まば都、なんてのもあるけどね」

「まあ確かに好きで住み始めたわけじゃないですが、今では結構気に入ってるんですよ」

 

里の人間が来なさそうなところ、という理由でこの魔法の森に住み始めたが、そこら中に食料があるので、意外と生きていける。ただし、毒茸に中らなければ。

 

「ちょっと軽くスープでも作りますので、そこら辺に座っててください」

「じゃあ遠慮なく――ん?おー!この茸は!」

「…?どうしました?」

「この茸!ちょうど欲しかったやつなんだよ!貰っていいか?」

「それはスープにブチ込む予定なんですけど」

「……もったいねえな」

 

確かに『サバイバルin魔法の森』に正しく処理すれば魔力増強薬の素材になる、と書かれていたが、普通に食べて美味しいのだから料理の材料行きだ。そもそも、わたしは魔力持ってないし魔法も魔術も使えないからね。

乾燥茸と干してある蛇肉を鍋に入れていると、咲夜さんに待ったをかけられた。

 

「幻香さん、流石に…」

「…?何かまずかった?」

「いえ、幻香さんは休んでいてください。私が作りますので」

「あっはい」

 

目が滅茶苦茶怖かった。

 

 

 

 

 

 

普段の料理とは段違いのスープを見せつけられ、なんだか悲しくなった。わたしだってやればこのくらい……出来ませんね。

 

「はぁ…。同じ材料なのにここまで変わるものですか」

「そもそもまともに切らないでスープに丸ごと入れるのはおかしいですよ」

 

そりゃ切るときは切るよ?けどね、一人で作って一人で食べているとね、そういうことが段々面倒になってくるんだよ。切らなくても噛み切ればいいやってね。

 

「素材はいいんですから…」

「うん、美味しいわね」

「これからまだまだ動かないといけないからそんなに多く食べれないのが悔しいぜ…」

 

四人に分けたらちょうど無くなったので、鍋を軽く洗っておこうと思ったら、咲夜さんが「洗ってきますね」と言って、四人分の食器と共に川のほうへ行ってしまった。

 

「さて、少し休みますか。食べてすぐ動くのは良くないでしょう?」

「まあ元から少し休むために来たんだし」

 

本棚から一冊の本を取り出して読み込んでいく。

 

「…ズ、ズェイツィ。……うーん、駄目だなあ」

「お、何読んでんだ?」

「『精霊魔法指南書』。精霊魔法について書かれているんですよ」

「ん?確かそれってあそこにあるやつじゃなかったか?貸出禁止だろう?」

「もちろん複製ですし、パチュリーに許可貰ってますから」

 

許可を取る際に課されたことは、他の誰にも貸さないこと。それなら問題ないので、二つ返事で承諾した。

 

「なあ、これ私に貸してくれないか?」

「持ち帰ってもいいですよ?ただし、持ち帰れるならね」

「お、そうか?じゃあとりあえず『サバイバルin魔法の森』とか――ってうわっ!?き、消えた!?」

「あーあ、消えちゃったー。わたし以外が触ると時間かかる時もあるけれど消滅するようにしたの忘れてたわー」

 

まあ、妖力として空気中に霧散させただけなんだけどね。わたしの複製は、わたしがどの複製か覚えていれば、たとえ見えないところでも消滅させることが出来る。

 

「…貸すつもりないじゃないか」

「そんな恨みがましい目で見ないでくださいよ。貴女が悪いんですよ。他の人に貸さないと約束したのに持って行こうとする貴女が悪いんです。だから、わたしは全く悪くない。悪いのは貴女だ。貴女なんですよ魔理沙さん」

「事前に言わなかったアンタはどうなのよ?」

「おお、痛いとこ突きますねえ。まあ冗談ですよ。一応持っていくことは出来ないっていうことの証明のためだけにやったことですし。そこ以外はノリで」

「ちぇっ、どっちも面倒だな」

 

この後、何回か精霊に対して簡単な願いを伝える言葉を言ってみたが、うんともすんとも言わなかった。

 

「ああ、魔法への道のりは遠いですねえ…」

「ん?お前も魔法使いになるつもりなのか?」

「いえ、専門家対策用に手段は出来るだけ多い方がいいので」

「ふーん…。そう言われると本棚にある本はそういう系ばっかりね」

 

『精霊魔法指南書』『自然から作れる罠一覧』『毒性植物図鑑』『基礎から学ぶ!正しい武術』『お手軽爆発物』『一対多で生き抜く方法』『敵を惑わす移動術』『魔法使い御用達道具の製法』『誰でも簡単!調合方法』『抽出の利点と危険性』『医術教本』『逃走のススメ』などなど。統一性はほとんどないが、これらはわたしが出来そうなことが載っている本ばかりだ。そして、これらの全てが妖怪退治専門家対策のために創った本だ。

 

「ちょっと読んでもいい?」

「消えちゃいますよ?」

「嘘おっしゃい」

「何だ、バレてるんですか」

「オイオイ、私のは消えたぞ?」

「まあ、ちょっと細工してあるのは本当ですがね」

 

嘘だけどね。細工なんて全くしてない。正真正銘ただの複製だ。

 

「んー、簡単そうね。私でも出来そう」

「そりゃ簡単なものばかり集めてますから。とりあえず、手段を多く持っておくことにしてるんですよ」

「こんな小手先効かないんじゃない?」

「全部試せば一つはいけると思いません?それに、妖力を使わないで退治出来れば長期戦にも有利ですし」

 

妖力の回復は容易ではない。魔力増強剤は妖力増強剤になりそうだが、やはり効率が非常に悪い。自分に合わないからほとんど使えないって感じだと思う。それ以外だと、自然回復が基本だ。気合いを入れれば早く出来るような気がするけれど、疲れる。わたしの場合は複製の回収でもいいのだけれど。

 

「おい幻香、この瓶詰の中の液体は何だ?」

「ああ、それですか?それは魔力回復薬ですよ。その隣はわたしの複製ですね」

「……おい霊夢、違い分かるか?」

「いえ、全く」

「まあ、効果は大分変わっちゃいましたけどね」

 

何故か分からないけれど、複製かどうかは見れば分かる。どう違うかって聞かれても、ただ何となく、としか答えられないが。それに、少しくらい遠くても「あ、近くに複製がある」って感覚もするのだ。

それと、見て分かる効果じゃないと複製に再現出来ないらしい。だから魔理沙さんのミニ八卦炉を複製してもただの八角形の塊だったのだろう。パチュリーが持っていた「魔力を多く保有している物質」を触れた状態で複製しても「見た目が全く同じの妖力塊」になったのだから。

 

「一本貰っていいか?」

「いいですよ?今、右手に持ってるほうは本物ですのでそちらをどうぞ」

「ありがたく貰っとくぜ」

 

すると、扉を軽く叩く音が聞こえ、すぐに扉が開いた。

 

「ただいま戻りました」

「わざわざありがとうございます、咲夜さん」

「いえ、お気になさらず」

「さて、咲夜には申し訳ないけれど十分休んだからもう行くわよ」

 

そう言って立ち上がる霊夢さんに付いて行き、暗くなった魔法の森の中を進んでいった。

 

 

 

 

 

 

「幻香さん」

「何ですか、咲夜さん」

「あの化け猫の止血をし終えたときにこのようなものが近くに落ちていたので拾っておきました」

 

そう言って見せてきたものは、わたしの持っているあの不思議な花びらと酷似していた。一体何なのだろうか、この花びらは。

 

「とりあえず持っていていればいいんじゃないですか?霊夢さんも無くすなって言ってましたし」

「そうしますね」

「二人で何話してんだ。霊夢が怪しい家見つけたって騒ぎだしそうだぜ」

 

そう言われて見ると、開けた場所に着き、そこにはポツンと洋式の家が一軒あった。しかし、不思議なことにその家の周りには人形がたくさん置かれていた。屋根の上にも何体か置かれており、窓から見える家の中にも人形があるように見える。

 

「……人形屋敷ですかね?」

「人形趣味なのでは?」

「怪しいわね、行くわよ」

 

そう言っていたら、屋根の上の人形の一つが起き上がったではないか。――いや、よく見たらこの家のどの人形よりも人形らしい見た目をしているが、生きている人間のようだ。胸が僅かに動いているので呼吸をしているのが分かる。

 

「そっちから動いてくれて助かるわ」

「貴女達のことは里の人間の話や新聞で知ってるわ。紅霧異変解決の博麗霊夢に霧雨魔理沙。紅魔館の主の従者の十六夜咲夜。そして――」

 

何故か彼女はわたしを射抜くような鋭い目で見た。

 

「――里の災厄の権化。…名前は知らないわね」

「そっちが一方的に知ってるなんてズルくないか?」

「そう言われてもねえ。まあいいわ。私はアリス・マーガトロイド。魔法使いよ。それで、貴女は?『禍』さん」

「………鏡宮幻香。ドッペルゲンガーですよ」

 

そう言うと、アリスさんは怪訝そうな目つきをした。しかし、それも一瞬のこと。気付いたときには落ち着いたような表情に戻っていた。

 

「それで、こんなにも冷えた夜に何の用?」

「この辺りで春を奪ったか冬をばら撒いたやつを探してるのよ」

「心当たりならあるわよ?まあ教えてあげてもいいけれど」

「お、なら――」

「だけど、ちょっと付き合ってくれない?最近、新しい魔法を考えたのよ」

「それで付き合ったら教えてくれるのか?」

「ええ」

 

そう言うと、家の周りに置かれていた人形たちが一斉に動き出した。そして、アリスさんの周りを囲むように構え出す。

 

「ひえっ、う…動いた…?」

「さて、誰が付き合ってくれるのかしら?」

「じゃあ同じ魔法使いとして私が行くぜ。どんな魔法かも気になるしな」

 

箒に勢いよく跨って、ゆっくりと浮遊する。霊夢さんはすれ違いざま「任せたわよ」と一言魔理沙さんに言ってから邪魔にならなさそうなところに移動した。

 

「スペルカード戦でいいか?」

「ええ、構わないわよ?詳細も貴女が決めていいわ」

「じゃあ普通に被弾三回のスペルカード三枚だな」

 

しかし、わたしは動いている人形を呆然と眺め続けていた。

 

「幻香さん?」

「え!?あ、咲夜さん?」

「行きますよ。ここだと二人の邪魔になりますから」

 

そう言われて、慌てて移動するが、わたしの頭の中は人形のことでいっぱいだった。

 



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第47話

早い。

魔理沙さんのスペルカード戦の感想はその一言に尽きた。わたしとやったときは大図書館という室内だったからかその速さを活かせなかったようだが、今回は存分に活かせているようだ。

 

「化け猫のときに私のほうが速いみたいなこと言ってましたけれど、納得です」

「そうですね。人間の中では屈指の速度かと」

「そうね。まあ見えないほどではないけど」

「何でもかんでも貴女基準に考えないでくださいよ…」

 

霊夢さんは出来て当然みたいな考え方をすることが多い気がする。こういう考え方をしていると苦労とか悩みとかは少なそうである。わたしに思いつく霊夢さんの悩みは博麗神社の参拝客の少なさくらいだ。

 

「それにしても、アリスさんの人形って何で動くんでしょうね?」

 

アリスさんを護衛するように動いている十数体の人形達。弾幕を放っているものもいれば、その手には槍のように鋭く尖ったものを持ち、突進するものもいる。また、大きめの盾のようなものを構えてアリスさんに降りかかる弾幕を防いでいるものも。

何で、生命無き人形がこんなにも生き生きと動いているのだろうか…。わたしの複製(にんぎょう)とは、大違いだ。

 

「どうなのでしょうか?魔法を使って、だと思いますが」

「見えないの?アイツの指先から伸びる糸が」

「い、糸…?」

 

そう言われて目を凝らしてみるが、アリスさんの指が時折動くくらいで、その先に糸らしきものは見当たらない。

 

「ええ、ありますね」

「え!?咲夜さん見えるんですか!?」

「このくらい出来ないとお嬢様に叱られてしまいますわ」

「レミリアさんって咲夜さんに何を求めているの…?」

 

指先から伸びているだろう糸を見逃さないなんて、一体何処で使うのやら…。

 

「あの糸がアイツの魔法ね。あの糸を通して魔力を流していると思う。その際に軽く命令を下しているんじゃないかしら?」

「全ての人形に糸を付けてたら絡まりそうですけれど…」

「絡まることはなさそうですよ?どうやら糸同士が触れ合っても透過するようです」

「へえ…」

 

魔力を流して動かす、か。

 

「ふふっ」

「どうしました?」

「いえ、何でもないですよ。ただ、アリスさんに後でお礼を言っておこうかなって思っただけですよ」

「?」

 

もしかしたら、出来るかもしれない。アリスさんの真似事が。

 

「そんなお人形遊びで私を止められるか?魔符『スターダストレヴァリエ』」

 

魔理沙さんを中心に広がる大型の星型弾幕。あの大きさならアリスさんの人形の盾を壊して被弾させることも出来そうだ。

 

「静かな夜にそんなのは無粋よ。魔操『リターンイナニメトネス』」

 

一体の人形が星型魔力弾へ突貫した。これじゃ人形とはいえ自殺行為――。

 

「おわっ!?」

「……じ、自爆…?」

 

魔力弾にぶつかった瞬間、内側から弾けるように弾幕が広がる。魔理沙さんはどうにか回避したようだが、その顔には驚愕の色が浮かんでいる。

そんなことは気にせず次々と突貫してくる人形達。魔理沙さんの放つ弾幕にぶつかるか、ある程度近づけば自爆するようで、傍から見る分には相当派手である。食らっている側から見れば相当辛そうではあるが。

 

「そっちの方が無粋なような…」

「花火みたいで綺麗ですね」

「人形が自爆する花火なんて嫌ですよ!?」

 

確かに花火みたいだけど…。買ったのか自分で作ったのかは知らないけれど、自爆させてしまうなんてもったいない…。地面には僅かに残った布地や綿が散乱しており、再利用は不可能だと物語っている。

お互いのスペルカードの時間も切れ、一人は落ち着きを取り戻すように深呼吸をし、もう一人は新たな人形達を呼び寄せる。

 

「まさか自爆特攻とはな…」

「あら、お気に召さなかったかしら?」

「いや、気に入った。そういう派手なやつが私は好きだからな」

 

そう言って不敵に笑う。そして取り出すミニ八卦炉。

 

「派手でなければ魔法じゃない。そう思うだろ?」

「そうかしら?見た目だけの魔法なんてつまらないでしょう?」

「見た目も派手で、火力も抜群!これこそ魔法だぜ!恋符『マスタースパーク』!」

 

流石本物。わたしの真似事とは範囲も威力も段違いだ。それに、溜めているような時間はまるで感じなかった。わたしもこれくらい出来るようになれるだろうか…。

一方のアリスさんはというと、六体の盾持ち人形をアリスさんを護るように構えさせるが、一瞬も持たずに盾ごと破壊されてその膨大な魔力をもろに食らってしまった。

 

「あれ、大丈夫ですかね…?」

「さあ?」

「死にはしないのでは?」

「もし死んじゃったら情報訊けないじゃないですか…」

「それもそうね」

 

ようやく収まったと思ったら、アリスさんは服が多少ボロボロになりながらも両脚でしっかりと立っていた。目には生気も感じるので、生きているはずだ。

 

「痛たた、驚いたわ」

「ふぅ、そんな守りじゃ足りねえなあ。あと百は必要じゃないか?」

 

その言葉に返事を返さず、何故か人形達が白いハンカチを持って手を振り始めた。

 

「このままやっても私には勝てそうもないわ。降参よ」

「おいおい、それはないんじゃないか?後ろにはまだまだたくさんあるじゃないか」

「これ以上無駄にはしたくないのよ。それに、もう新しい魔法については分かったからね」

 

うーん、勝ったには勝ったんだけど、まだ何か隠してる感じだなあ。実力の半分も出してないように見える。

あと、新しい魔法ってあの人形爆弾のこと…?かなり物騒なこと考えるなあ…。

 

「まあ降参するならそれでいいか。それで春を奪ったか冬をばら撒いたかした奴のこと、教えてくれよ」

「それならあっちの方にいるわよ。飛んでいけば朝日が昇る頃には見つかると思うわよ」

「うげ、見つけにくいのか遠いのかどっちだ?」

「両方よ」

 

そう言うと、何故かわたしのほうに目を向けた。

 

「それにしても、どうして彼女がここにいるのかしら?」

「付いて来たいって言われたから」

「こうしてる間にも運気だとか生気だとかが奪われているかもしれないのに?」

「あー、それはもう調べたから」

「でしょうね。知らないで連れて行くわけないもの」

 

里の人間から聞いた情報ってことは、里の外から来た人達にも言っているってことだよね。つまり、もしかしたら今から捕獲とか討伐とかしちゃったりするのだろうか?

右手をこっそり背中に回して、咲夜さんのナイフを複製しておく。射程範囲内に入ってきたら斬る。狙うのは致命傷にならないと思う腕辺りで。

 

「それにしても驚いた。だって、里の人間達から聞いた時は『自分と全く同じ顔をした妖怪』って言ってたけれど本当にそっくりだもの。それに加えて『一方的に里の人間を蹂躙した』とか『感染症をばら撒いた』とか『見たら不幸になる』とか『近寄ったら寿命が削られる』とか『目を付けられたら殺される』とか言われてるのに、普通に人間と行動を共にして災厄の権化って言われたら不快な表情を浮かべて…」

「うわあ…。里の人間共ってそこまで言ってるんですか…」

 

一方的に蹂躙とかいつのことよ?もしかして夏祭りの時のこと?あれってあっちが『処刑するから渡せ』って言って攻撃してきたからやり返しただけだったような…。それにやったのわたし一人じゃないし。

 

「里の人間達から貴女を捕獲、討伐してほしいみたいなことを頼まれたけれど、まあ私には無害そうだし、わざわざ後ろに武器を構えて近づいて来たら攻撃するって意思出してるのを捕まえようなんて思わないわよ」

「え!?あ、な、何のことですかー?武器なんて持ってないですよ。アハハ…」

 

即回収して右手を出してヒラヒラと降る。胡散臭そうな目で見られたが、どうでもいいと判断したようだ。

 

「まあいいわ。それにしてもドッペルゲンガーねえ…。初めて見るかも」

「そんなに珍しいんですかね?他にもいるらしいですけれど」

「私は見た事ないわよ、あなた以外に同じ顔の人なんて」

 

うーん、仮面でもつけて顔を隠してるのかな?それとも、ほとんど人が来ないような辺境にいるとか?

 

「長話はこのくらいでいいかしら?私は静かに星でも見てたいのよ」

「そう。情報、感謝するわ」

「この度はありがとうございました、アリスさん」

「ありがとね、アリスさん」

 

色々な意味でね。

 

「今度会ったときはちゃんとした実力を見せてくれないか?」

「ふふ、どうしようかしらね?」

「楽しみにしてるぜ。期待してるからな」

「紅茶でも入れて待ってるわよ」

「お、いいねえ」

 

そう言って飛び上がる。目指すは教えてもらった方向。凄く遠いらしいけれど、一体何処に着くのだろうか?そろそろこの異変の黒幕に会えてもいい頃かなー、なんて考えながら先を急いだ。

 



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第48話

飛び始めて既に一時間は経っただろうか?何だか少し暖かくなってきたような気がする。飛び続けたから、というわけではなくここら辺の気温が他のところより高く感じるのだ。

しかし、そんなことを感じてもやることがない。暇なのでレティさん、化け猫、アリスさんとのスペルカード戦を思い返して、何か工夫出来そうなこととか活用出来そうなところを探してみる。……うん?

 

「霊夢さん」

「何よ」

「そういえば、道中で霊夢さん何もしてないような」

「……アンタ達が勝手にやるからでしょう?」

 

確かにそうかもしれない。だけどねえ、わたしがやったときは霊夢さんと魔理沙さんが勝手に決めた事なんだよ?それに――。

 

「流石に何もしないで黒幕だけー、なぁーんて虫がいいと思いません?」

「…分かったわよ。次邪魔する奴が出たら即行でブッ倒すから」

「いやー、霊夢さんのスペルカード見てみたかったんですよねー。楽しみだなー」

「よく言うわ」

「おい、ちょうどいい奴が来てるぜ。春だ春だって連呼してる奴」

 

そう言って魔理沙さんが指差すほうを見てみると、確かに「春ですよー!」と言いながらフヨフヨと飛んでいる妖精がいた。あれってもしかして春告精?

 

「霊夢さん、きっとあの子何か知ってますよ」

「何故かしら?」

「春が来ることを教えてくれる妖精、だと思うからです」

「アンタ、妖精の人脈が広いの?」

「いいえ、全く。だけど、これまで聞いてきた話を纏めるとそうなるんですよ。ささ、霊夢さん。あの子から何か訊き出すんですよ」

「うるさいわねえ、分かったわよ」

 

袖口に手を突っ込んだかと思ったら数枚の札を取り出し、そのまま妖精の元へ飛んで行った。

 

「ちょっとそこの妖精!」

「ん?誰?」

「悪いけれどアンタがこの異変の情報を知ってそうだからね!」

「異変?どんな?」

「春を奪うか冬をばら撒く異変よ!この辺りだけが僅かに春になってるからその近くを飛んでいるアンタは何か知ってるでしょう!」

 

確かにこの辺りは暖かいけれど、春になっているとは?

 

「幻香さん、あれを」

「え?あ…」

 

ちょっと考えていたら、咲夜さんがすぐに察したようで、耳打ちをしつつ一本の木を指差した。そこを見てみると、一つだけだが今にも花開きそうな蕾がある桜の木があった。よく気が付くなあ…。

 

「えー?この辺りに春が来たから来ただけなんだけどなあ。まあいいや。邪魔されるのはあんまり好きじゃないの。これ以上邪魔するなら――」

「スペルカード戦、ね」

「なぁんだ。分かってるじゃん。時間かけたくないから被弾一回、スペルカード一枚でいいでしょ?」

「そんなのじゃ本当に即行よ?」

「そっちがねっ!春符『シャワーブロッサム』!」

 

霊夢さんから距離を取るように勢いよく後退しながら舞い散る桜吹雪のような弾幕を放つ。うーん、普段一緒になって遊んでいる子達よりも弾幕が圧倒的に濃く感じる。

 

「妖精ってあんなに強かったっけ?」

「さあ?春だからじゃないか?」

「じゃあ冬の時がチルノちゃん一番強い時ってことかな」

「氷の妖精だろ?そうかもな」

 

風に揺れる花びらのように不規則に揺れる弾幕を軽々しく避けている霊夢さんは流石だとしか言えない。時折札を投げつけているが、どういう原理か知らないが春告精に向かって飛翔している。それを見て春告精は慌てて避けているが、今にも当たりそうである。

 

「あの札、便利ですね」

「妖怪は触れたら滅茶苦茶痛いって話だぜ」

「うわ、わたし使えないじゃないですか」

「使うつもりだったのかよ…」

 

札に書かれている模様や文字に意味があるのか、紙自体に意味があるのか、書くために使っているものに意味があるか、もしかしたらそれら全部に意味があるのか。

わたしの複製だとどうなるのだろうか?ただの紙切れと同じようなものになるのか、それともちゃんと飛ばすことが出来るのか。…まあ、多分紙切れになるかな。

 

「もうっ!さっさと散ればいいのに!」

「そう?ならそうするわ。霊符『夢想封印・散』」

 

そう宣言した霊夢さんからかなり大きめで色とりどりの光弾が複数個浮き出て、桜吹雪を散らしながら春告精へと襲い掛かった。

 

「うきゃあ!」

「ふう。私の勝ちね。さあ、喋ってもらうわよ」

「痛ったた、乱暴だなあ…。春を奪っているのも冬をばら撒いてるのも知らないよ」

「ちょっとアンタ。知らないって言ってるわよ?」

「えー…。『きっと』って言ったじゃないですか。わたしのせいにしないでくださいよ」

「アンタが行けって言ったんでしょうが」

「それを信じたのは霊夢さん、貴女ですよ」

「アンタねぇ…」

 

おおう、そんな目でわたしを見ないで!袖口から取り出したその札を今すぐ仕舞って!そしてその投げつけようとしている姿勢を止めて!

戦々恐々としていると、春告精が何故かわたしを見詰め始めた。

 

「うん?貴女ってまどか…?」

「はい?確かにそうですけど…」

「あー!やっぱり!大ちゃんが言ってた通り!」

 

大ちゃん…。妖精を纏めているって話は聞いたけれど、どうしてわたしの名前が出てくるんです?最近新しい友達が出来たって自慢でもしてたの?それならわたしも少し嬉しいけど。

 

「ねえ、アンタの妖精の人脈って狭いんじゃなかったの?」

「知らない間に有名人になってた気分です…」

「里じゃ知らない奴はいない有名人だろ?」

「そんな不名誉な名で知られたくないですよ…」

「紅魔館でも知らない人はいませんよ?」

「そうですか…」

 

紅魔館で働いている妖精メイドさん達も皆知ってるんだ…。そんなに会ってないような気もするんだけど、知らないところで話題に上がっているのかもしれない。

 

「『今日もパチュリー様に負けたみたい』って」

「チェスの話で盛り上がってるんですか…?」

「それと妹様とのスペルカード戦はいつも楽しみにしているそうですよ?私もお嬢様も窓から鑑賞させてもらってます」

「いつの間にか見世物になってる…」

 

夜になったら庭でやっているスペルカード戦。一度も勝ったことがないのを見ていて楽しいのだろうか?それとも無謀な挑戦と笑っているのか?…何だか不安になってきた。

そんなわたしをよそに春告精が霊夢さんを押し退けてわたしの元へ飛んできた。

 

「いつか会えたらと思ってたけれど、こんなとこで会えるなんて嬉しいなぁ!」

「どういう紹介かは知りませんが、わたしも嬉しいですよ」

「よろしくね、まどかさん!私はリリーホワイトって言うの!春が来たらまた会いに来るね!」

「よろしくお願いしますね」

「うん?あれ?…なぁんだ!もう来てるじゃん!」

「はい?」

 

わたしのどこに春が来ていると言うんだろう?

 

「頭じゃないか?」

「魔理沙さんは黙っててください」

「そこの二人にもちゃんと来てるよ!」

 

どうやら魔理沙さんと咲夜さんにも来ているらしい。三人の共通点。あ、もしかして――。

 

「ちょっと、私は?」

「来てないみたい。あ、そうだ!まどかと一緒にいるってことは友達でしょう?だったら私の春を分けてあげる!」

「え…これって…!」

 

そう言ってリリーさんがポケットから出したのは、やはりあの花びらだった。そして霊夢さんに無理矢理渡す。

 

「あ、そうだ。この先にもっと春が集まってるんだよ!私はそこに行くから!じゃあねー!」

「あ、さようなら」

 

手を振って別れを告げていたら、背後から僅かに威圧感を感じ、振り返ってみると霊夢さんが花びらを強く握りしめていた。

 

「どうやら本当にこの先に春を奪った黒幕がいるみたいね」

「ああ。誰がどうしてこんなことをしてるか知らんが奪い返してやるぜ」

「お嬢様も待っていますし、さっさと片付けましょうか」

 

そう言ってわたし達はリリーさんが飛んで行った方向、雲の上へと目を向けた。

 



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第49話

四人揃って、遥か上空へと飛翔する。霧の中を進む気分で雲を突き抜けると、空に不自然な何かがあった。あのスキマ妖怪が作るスキマに似ているような気がする穴のようなものが。

 

「うわぁ…。何あの穴…」

「おい、なんか凄い結界があるぜ。解き方はさっぱりだが」

「んー、なんか弱くなってるからわざわざ壊さなくてもいけそうよ」

 

どうやら、あの穴は弱くなってしまった結界の綻びのようなものらしい。

うん?よく見たら、その結界の穴に向かって突進している妖精、リリーホワイトがいるではないか。頭を押さえて蹲っているけれど、妖精は通れないのかな?それと、黒色と白色と赤色の服を着ている三人の子達がいるようだが、あの子達もこの穴の向こうに行きたいのかな?

 

「どうやら春はあの向こうにあるみたいですね」

「こんな雲の上にまで桜が舞っているのだし、そうだと思うわよ」

「一体何処に繋がってるんだろうな?めぼしいものがあればいいんだが」

「上空のほうが暖かいなんて素敵すぎて涙が出るわ」

 

咲夜さんがご丁寧にハンカチを取り出して目元を拭いているが、そのハンカチは一切濡れていないようである。どうしてここでそんな演技をするんだ…。

そんなことを話していたら、白色の子がこちらに気が付いたようで、こちらに向かってきた。

 

「誰か来ましたよ?」

「そうね。誰か知ってる?」

「知らねえな」

「同じく」

「わたしも知りませんよ?」

 

どうやら誰も知らない子のようだ。まあ、あの穴の先のことでも訊いてみようかな。もしかしたら教えてくれるかも。

 

「おーい、そこの人ー」

「ん?あんた等誰?」

「春を求めてやってきたのよ」

「この先に隠されたお宝でも貰いにな」

「さっさと冬を終わらせようとして来たの」

「友達の頼みでここまで来ました」

「宴にはまだ早い」

 

急に知らない声が聞こえたから驚いた。が、すぐに発言者は分かった。さっきまであの穴の前にいた黒色の人だ。ついでに、赤色の人も隣についている。その雰囲気はあまりよくなく、どうやらあの穴の先のことは訊けそうもなさそうだ。

 

「はい?」

「宴の時間~」

「まあ、プチ宴にはなるかな?」

 

宴…?この三人は一体何を言っているんだろう?もしかして、あの穴の先で宴でもするというのか?幻想郷中の春を集めて行う宴。それってもしかして――。

 

「花見でもするの?」

「花見か?どうせやるなら私も混ぜろよ」

「これからお花見でもしましょうかって言うの?」

「春の宴と言ったらやっぱり花見ですよね」

 

チルノちゃん達と約束したけれど、何処に行くか全く分からないあの穴の向こうじゃなくていつものところでゆっくり楽しみたいんだけど。

そんなことは気にもせず、霊夢さんが口を開いた。

 

「で、アンタら何者?」

「私は長女、ルナサ・プリズムリバー」

「私は次女、メルラン・プリズムリバー」

「私は三女、リリカ・プリズムリバー」

「三人揃って騒霊演奏隊よ」

 

黒色の子はルナサさん、白色の子はメルランさん、赤色の子はリリカさんと言うらしい。しかし、演奏隊というくせに、楽器らしきものは持ち合わせていないようである。もしかして、手拍子で演奏でもするのだろうか?

 

「これからお屋敷でお花見なのよ。私達は音楽で盛り上げるの」

「でも、貴女達は演奏出来ない」

「私もお花見したいわ」

「数は多い方がいいだろ?」

「その前に宴のネタが手に入りそうだから」

「お花見前夜祭ね」

「ネタ?一発芸でも披露するんですか?」

「貴女は食料役よ」

 

そんな笑顔で怖いこと言わないでくださいよ…。それに食料ってわたしがなるの?一体何肉になるのやら…、ってどうでもいいか。

すると、ふと思い出したかのようにルナサさんが宣言した。

 

「あ、そうだ。こういう時はスペルカード戦で決めるんだったかしら?」

「わたし達が食料になるかどうかをスペルカード戦で…?」

 

スペルカード戦って基本的に死なない決闘だったような…。うん?フランさんとのスペルカード戦では失敗したら死にそうになるなんてことよくあるような?…いや、あれは飽くまで不慮の事故。だから、これとは違うはず。

 

「私に務まるかしら」

「咲夜さん、流石に冗談ですよね?」

「冗談よ」

「冗談じゃないわよ。どうして私達がアンタ等の餌にならないといけないのよ」

 

しかし、こっちの言うことは聞いてもいないようで、さっきから手の甲に顎を乗せて考え続けている。

 

「けれど、私達は三人でそっちは四人…。ズルくないかな?」

「そうだそうだー!何かいい案はないかなー?」

「そんなの、一人抜けてもらえば解決じゃないの?」

「それだメルラン!」

 

どうやらスペルカード戦のルールを考えていたようです。そして、三対三でやるつもりだそうです。

 

「私達、騒霊演奏隊は貴女達にスペルカード戦を要求する」

 

そう言って、あちらが勝手に考えたルールを説明してくれた。

三対三で行い、被弾は一人二回までで、スペルカードは一人二枚。二回被弾したら負けとして脱落。ただし、二回被弾するまでスペルカードを使い切っても負けではない。残っている人のスペルカードを全て使い切ったら全員負け。

つまり、被弾さえしなければスペルカードを使いまくっていいってことかな?だけど、誰か一人の一枚は使わないでおかないといけないけれど。

 

「ルールはあっちが決めてくれたみたいですけど、どうします?あっちの要求を飲みますか?」

「…すぐにブッ潰してやるわよ」

「お花見前夜祭にはちょうどいいんじゃないか?」

「そうねえ。けれど、誰が休むの?」

「そりゃもちろん人間が解決すべきですしわたしが――」

 

抜けます。と、言おうとしたら後頭部を思い切り掴まれた。

 

「サポーターを自称するくらいだ。当然出るよなあ?」

「………今からサポーター廃業します」

「起業すらしてないのにか?」

 

確かに、ここまでの道中で補助らしいことは殆どしていないような気がする。はぁ、しょうがないか…。

 

「分かりましたよ。わたし出ますから後二人、勝手に決めてくださいよ」

「…どうするの?」

「…さあ?」

「…考えてなかったわ」

「おい人間三人」

 

しょうがない…。代わりに公平そうな感じに決める方法をしてあげよう。

ナイフとマフラーを複製して、マフラーを輪切りにでもするように二か所切る。そして、片方の切り口を三人に向けた。

 

「決めれないなら運に任せて一本引いてくださいな」

「一番長いのを引けた人が休みね?」

「うげっ、こういうのの運悪いんだよ」

「では引きますね」

 

結果は、魔理沙さんは途中で千切れたのかやたらと短く、霊夢さんと咲夜さんは殆ど同じ長さだったが、僅かに咲夜さんのほうが長かった。

 

「では、頑張ってくださいね」

「はあ、面倒だわ…」

「さっき景気よく『ブッ潰す』とか言ってたじゃないですか…」

「ま、どうせやることには変わらないんだ。諦めろ」

「その三人でいいのか?」

 

問題ないと伝えると、三人は何処からともなく楽器――ルナサさんはヴァイオリン、メルランさんはトランペット、リリカさんはキーボード――を取り出した。どうやら手拍子演奏家ではないようで、少しだけホッとしてしまった。

 

「私達の演奏を聴いて無事だった食料は無いわ」

「アンタ達の世界って随分狭いのね」

「花見前で悪いが、無残に散らせてやるぜ」

「無事でありたいなぁ…」

「いぬにく、いぬにく~」

「誰が犬よ。そこは人肉でしょう?」

 

ふと、さっきどうでもいいと思ったことがまた気になってしまった。

 

「ところで、わたしって何肉になると思いますか?」

「…ドッペルゲンガー肉?」

「ですよねー」

 



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第50話

三対三だが、自然と三つの一対一に分かれ、わたしの目の前にはメルランさんがいる状態になった。『幻』展開。追尾弾を最速、高速、低速、超低速を各五個、阻害弾を最速と超低速で各三個、直進弾を最速、高速、低速を各三個の計三十五個。最初から全開だ。

 

「それでは前奏。神弦『ストラディヴァリウス』」

 

霊夢さんと対峙しているルナサさんがいきなりそう宣言し、ヴァイオリンを奏で始める。とても美しい音色なんだろうけれど、何故だか非常に嫌な気分になる音楽だ…。やる気というか気力というか、そう言ったものが削がれていくような感じがする…。

 

「それじゃあ姉さんに続けて。冥管『ゴーストクリフォード』」

 

そう宣言したメルランさんは、同じようにトランペットを奏で始めた。これも美しい音色なんだろうけれど、さっきまでの嫌な感じが一気に吹き飛び、何だかテンションがおかしくなってきた。今なら何でも出来るような気がしてくる。

 

「じゃあ私も私も!鍵霊『ベーゼンドルファー神奏』!」

 

魔理沙さんと対峙しているリリカさんも二人と同じように宣言し、キーボードを奏で始めた。すると、おかしくなったテンションが急に冷め、急に無かったことになったように落ち着きだした。何だろう、さっきから変な感じだ…。

三人のスペルカードはただ音楽を奏でるだけではないようで、三者三様の弾幕が放たれた。

 

「ならこっちも!魔符『スターダストレヴァリエ』!」

 

魔理沙さんはこのおかしな音楽を全く気にしていないご様子である。チラリと霊夢さんのほうも見てみるが、特に気にしていないようである。わたしの感性が悪いのかな…?

メルランさんを旋回するレーザーが突然炸裂し、赤い弾幕と青白い弾幕が広がる。この程度なら簡単そうかな――。

 

「ッ!危なぁ…」

 

急に青白い弾幕が私に向かって飛んできたため、緊急回避。しかし、次の弾幕が広がり、どんどん回避できる場所が狭くなっていく。

対して、メルランさんはこっちの『幻』が放つ弾幕を危なげなく避けている。じっと見つめていると、わたしを煽っているような嫌らしい笑顔を浮かべてきたので、少しだけイラッときた。もっと大きく動けば楽に避けれるだろうに、その場をほとんど動かないように弾幕を掠めて避けているので、挑発しているのがよく分かる。

……決めた。その挑発、買いましょう。

後方へ急加速。その行動は予想外だったようで、僅かに目を見開いているようだが気にしない。

この位置なら全体が見渡せる。色とりどりに広がる大型星型弾幕を放つ魔理沙さんも、鋭く相手に飛翔する針状弾幕を撃っている霊夢さんも、空中で扇形に広がり自身からも全体に広がる非常に規則性のある弾幕を奏でるルナサさんも、レーザーから炸裂する赤と青白の弾幕を奏でるメルランさんも、蛇のごとくうねりそして広がる弾幕を奏でるリリカさんも、全てが見える。

自然と一対一の状態になったが、誰が他の相手に攻撃してはいけないと決めた?否、誰も言っていない!挑発は買うが、そのとばっちりは三人で受けろ!

 

「鏡符『二重存在』!」

 

『幻』を全て撤去しつつ高らかに宣言したと同時に、視界に映る騒霊演奏隊の目の前に複製(にんぎょう)が出現し、わたしの隣に魔理沙さんと霊夢さんの複製が現れる。

騒霊演奏隊の前の複製は今にも拳を撃ち出さんと振りかぶっている状態だが、昔のわたしならこの複製が動くことはなかっただろう。しかし、今なら動かせる。生命無き人形だろうと動くことが出来ると知った、今なら。

道中で考えた。『どうやったらアリスさんのように動かせるだろうか?』と。そもそも『わたしの複製は動かせるのか?』と。しかし、あまり思い出したくない過去にその答えはあったのだ。右腕を失ったときにフランさんに複製から得た右腕をねじ込み、妖力を流して動くことを確認していたではないか。なら、複製に妖力が流れればいい。しかし、流すためにはどうすればいいのか。アリスさんのように糸を出すことは出来ないし、複製に触れ続けるのも馬鹿らしい。ならどうすればいい?わたしが考えた結果は、最初から妖力を過剰に入れればいいという単純なものだ。複製はたとえ見えないところでも分解出来る。ならば、見えないところでもわたしから離れた妖力を操作出来るということになるのではないか?それならば、複製に過剰に入っている妖力を使って動かすことぐらい出来るだろう、と。

 

「ッ!」

「くっ!」

「キャッ!痛っ!」

 

結果は成功だ。三人の複製はその拳を本人に振り下ろし、二人は躱したがリリカさんの頬に当てることが出来たではないか。わたしは満足気な気分に浸ろうとした。

 

「――ッ!!?」

 

が、その瞬間、わたしの頭は六つに割れた。

頭は脳を直接荒縄で締め付けられたかのような強烈な激痛が走り、頭を押さえようとするがそのための手がまともに動かせないほど震えている。心臓は早鐘を鳴らし、視界が明滅し始める。さらには、体中から嫌な汗が噴き出始めた。

………アリスさんは、この苦痛を食らい続けていたのか?わたしが五体の複製を動かすのにこんなに痛くて苦しいのに、平然とした顔で十数体もの人形を操作していたのか…?

もしそうならあの人は、異常だ。

 

「ッ!まず…!」

 

目の前に弾幕が飛来する。が、とても体を動かせそうもない。意識を無理矢理魔理沙さんの複製へ持っていき、わたしの前へ動かして壁にする。複製からくぐもった音が響くが、どうやら貫通せずに済んだようだ。

痛いけど、苦しいけれど…、残っている時間いっぱいちゃんと操作し続けないと…。

ルナサさんの放つ弾幕を食らいつつも気にせず右拳を引き絞らせておき、メルランさんに向かって飛び蹴りを放たせ、リリカさんに回し蹴りからの旋回裏拳を放たせる。残念ながらメルランさんとリリカさんが避けたことを確認したので、ルナサさんに拳を放とうと指示したが、いつの間にか引き絞っていた腕の肘の先が損失していた。なので、失った射程距離を埋めるように前進しながら無い腕で打撃を繰り出してからその勢いに乗せて右膝で攻撃させておく。

それにしても、その複製の動きがぎこちない。関節ががっちりと固まっているとか皮膚がほとんど伸びないとかそういうわけではないのだが、三体の複製を同時操作、というのは無理があったようだ。

 

「ええい、演奏者の妨害は許さんぞ!」

 

そう言いながらルナサさんが複製に向かってさっきまでとは威力が段違いの弾幕を放った。頭部を貫き、左腕と両脚は吹き飛び、腹部にも幾つか穴が開くほどの弾幕。しかし、それでも複製は動きを止めない。何故なら生きていないのだから。わたしが無理矢理動かしているものなのだから。

しかし、これじゃあまともに攻撃出来ないのも事実。というわけで、あの複製は処分だ。中に残っている妖力を全て炸裂弾に変化。そして、それを同時に破裂させれば。

 

「…!?うわぁ!」

 

アリスさんと同じような複製爆弾の完成だ。しかし、規模は半分どころか五分の一にも満たなそうなほどである。その結果は、ルナサさんはすぐに異常を察したようで複製から思い切り離れてしまったので被弾させることは出来なかったという残念なものだったが。

一つ減ったことで少し頭が楽になった。が、残った二人もルナサさんの対応を見て学習したようで、破壊するつもりの弾幕を放ってきた。けれどね、同じ対応なら対処方法は簡単だよ?

どれだけ食らってもいいから本人に向かって突貫させる。腕がもげようと脚が吹き飛ぼうとお腹に風穴が開こうと頭が消し飛ぼうと構わずに。

 

「嘘!?」

「気持ち悪ーい…!」

 

そして破裂。メルランさんは破壊出来る自信があったのか避けようともしなかったのが災いして被弾。リリカさんは後退しながら放ったので被弾させることは出来なかった。

ふう、大分楽になった。騒霊演奏隊の三人のスペルカードは時間切れになったのを確認してから、後退した分だけ前進する。隣にいる二人の複製は残り十秒ほどで回収すればいい。それまでは壁になってもらうか、そのまま突撃させてしまおうか。

 

「おい幻香!この状況で横槍入れるか普通!」

「言ったでしょう…?わたしは異常なんですよ」

「異常?どこがよ。妖怪なんて誰でも好き放題じゃない」

「…人間だって好き放題ですよ?妖怪限定じゃないですよ」

 

好き勝手に人を禍扱いするし。

ようやくまともに動くようになった自分の腕で、軋むような痛みが響く頭と未だに落ち着かない心臓の辺りを押さえる。よし、少しは落ち着いた。

 

「まあいい。このまま押し切るか!」

「騒がしいのはあんまり好きじゃないし、早めに片づけましょうか」

 

二人のやる気は衰え知らず。わたしもこのくらいの苦痛は我慢しますか。呼吸を整えながら、霊夢さんの言ったことを実現出来そうな言葉を放つ。

 

「演奏隊とかいうくせに一人ずつ演奏とかおかしくないですかあ?三人一緒に奏でられないとか――」

「私達、騒音演奏隊は三人で一つだッ!」

「そこまで言うなら聴かせてあげるよ!」

「聴いて慄けー!」

「「「大合葬『霊車コンチェルトグロッソ』!」」」

 

ほらね、簡単に釣れた。たったこれだけで美しく、派手で、それで激しい弾幕を奏でてくれる。それに、三人同時に使うであろうスペルカードを。

 

「霊夢さん。これで早く終わると思いませんか?」

「…まあそうね…。最後に騒がしくなりそうだけど」

「そのくらい我慢してくださいよ。わたしだってしてるんですから」

 

とりあえず、時間が来てしまったので二人の複製を回収しておく。しかし、まだ頭には痛みが響いている。それに、動きも完全とはいかなそうだ。だが知ったことか。あのスペルカードの時間、三十秒間を生き延びてやる。

騒霊演奏隊の三人が三角形の頂点となり、円を描くように回り始める。そして三人の演奏が始まると同時にその中心から色とりどりの弾幕が溢れだした。とても素晴らしい音楽なのだろうが、これは予想以上に弾幕が濃い。

 

「…大丈夫かな?避けきれるかな…?」

「そんときは消し飛ばせばいいだろ?」

「ふふ、そうですね。避けられないなら消し飛ばせばいいじゃない」

 

わたし達三人はそれぞれ避けやすそうな方向へ分かれる。

撤去していた『幻』を再展開。性能も同じものにする。当てれなくても、集中力を乱すくらいなら出来ると信じて。

僅かにある弾幕の隙間を通るが、すぐ目の前に弾幕が現れたので、後退。弾速の差から新たに生まれた隙間を抜けると、やはり新たな弾幕が。急いで安置を探すが、既に周りは弾幕だらけ。まずっ、いつの間に目の前に妖力弾が!避けれない!

 

「ッ!痛ったぁ!ちょっと強くない!?」

 

咄嗟に右手で顔を庇うが、かなり痛い。さっと右手を確認してみると僅かだが血が出ていたので、左手で右手を押さえながら妖力を流して治癒を試みる。…うん、痛みも大分引いたし止血出来たかな。

 

「ああ、鬱陶しいな!」

 

下のほうが少し薄そうなので下降していたら、近くにいる魔理沙さんが悪態を吐いた。どうやらこの弾幕は魔理沙さんにとっても辛いようである。

 

「得意のマスタースパークで蹴散らせばいいのでは…?」

「…多分相殺されて無駄撃ちだ」

「ふーん…」

 

あのマスタースパークが相殺されてしまうのか…。どんなに強くても数の暴力に勝るものはないのか…。

 

「ソレ、撃つのにどのくらい時間かかりますか?」

「大体五秒か?」

「なら五秒後によろしくお願いしますね」

「は?おい!ちゃんと説明しろよ!」

 

説明したいけれど、こっちは避ける方に集中しないと被弾して脱落になってしまいそうなのでなしだ。

廃業したサポーターはここで再開を宣言しよう。口には出さないけどね。

わたしがやるべきことは被弾しないこととスペルカードを使用しないこと。五秒間避けて魔理沙さんが予想通りの行動をしてくれればいける…はず。

ここに来て演奏が佳境に入り、弾幕も一層激しくなってきた。それでも、避けなきゃ意味がない。根性見せろ、わたし。

呼吸を止め、意識を集中させる。すると、世界が遅くなってくるのを感じた。妹紅さんが教えてくれた方法だが、あまり使うなと言われたことだ。理由は単純。呼吸を止めて活動出来るのはせいぜい八秒程度、らしいからだ。しかし、今なら十分だ。

さっきまでなら通ろうとも思わなかっただろう弾幕の僅かな隙間を抜ける。目の前を飛翔する弾幕を首を曲げて回避し、続けてやってきた弾幕を『幻』から放つ妖力弾で相殺。前方と左右から弾幕が飛来してきたが、体勢を整えつつ左右の弾幕を僅かに前進することで避け、前方からの弾幕は空間が開いている左側に半身ずらす。よし、この場所なら一秒にも満たないだろう時間だが弾幕はやって来ない。

約束の時間だ。魔理沙さんと騒霊演奏隊の中間を視界の中心に収め、魔理沙さんにわたしの意図が伝わることを祈りつつスペルカードを使用する。

 

「鏡符『幽体離脱・滅』」

 

瞬間、魔理沙さんの目の前にある弾幕は全て消え去った。そしてすぐに被弾。これで脱落だが、わたしの仕事は既に終わった。

 

「そういうことか…。ありがとよ」

 

ミニ八卦炉を手に、腕を真っ直ぐ伸ばしたまま言った言葉を聞き、安心する。あとは、魔理沙さんに任せればそれで終わる。

もう、彼女を邪魔するものは存在しないのだから。

 

「恋符『マスタースパーク』ッ!」

 

圧倒的な魔力が迸り、騒霊演奏隊を襲う。弾幕が消滅したことで驚いていたようだが、その後すぐに襲いかかってきたそれを見て避ける、という選択肢を見失う程度には落ち着きを失ったようだ。

 

「きゃあ!」

「うわぁ!」

「ぎゃあ!」

「え?――!夢符『二重結界』!」

 

あ。マスタースパークの射線上、騒霊演奏隊のその奥に霊夢さんがいた。どうやら自分を護るスペルカードを咄嗟に使ってくれたようで、無傷で済んだようだ。

 

「ふぅ…。さて、大合奏を一人で続けられるのか?」

 

そう言い放つ魔理沙さんを見て悔しそうに歯噛みしたルナサさんだが、三人で使うスペルカードでその内の二人が抜けてしまえば続行不可能だろう。

演奏は止まり、騒霊を相手にしたにしてはあまりにも静かな終演だった。

 



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第51話

「あぁー、痛たた…」

「大丈夫ですか?幻香さん」

「ん?治癒っぽいことは出来るから大丈夫、かな?」

 

被弾した個所に手を添えて妖力を流す。被弾した場所の痛みは引いたが、未だに頭痛が引かない。このスペルカードは要検討かな?自分の意識が端のほうへ押し込まれて別の何かが詰め込まれたような感覚。自分の体を動かそうとして別の何かが動き出すような違和感。もし次使う時が来るなら、二体までにしておきたい。

 

「それに、顔色が悪いようですが…」

「あー…、妖力使い過ぎたからかも」

 

咲夜さんから見て顔色が悪いってことは、わたしの顔色の悪さ加減が咲夜さんの顔に反映されているのか、咲夜さん本人の顔色が悪いのか…。うん、前者ですね。咲夜さんは何処からどう見ても健康そのものだし。

複製を創る際に過剰な妖力を入れる。正直、これだけで動かせるとは自分でも驚きだったのだが、今考えてみれば一体に対する妖力使用量が多すぎた。もう少し減らしてもよかった気がする。この辺りの調整も把握しないと損しかしなさそうだ。

この辺りは暖かいので、肩から先の袖を回収する。ほんの僅かかもしれないが、気分的にはマシになった。

突然後ろから肩を掴まれた。驚きつつも振り返ると破顔した魔理沙さんがいた。

 

「よっ!なかなかいい作戦だったぜ!」

「そうですか?もうちょっと考える時間があればもっといいのが思いつくと思いますけど…」

「私がいい作戦だって言ってるんだからそれでいいんだよ!」

 

無茶苦茶な…、と思いながら話をしていたら、霊夢さんもこっちにやってきた。…うん?なんか顔が…。

 

「ちょっと魔理沙ァ!」

「ウゲッ!何すんだ霊夢!」

 

物凄い形相の霊夢さんが即行で魔理沙さんの胸倉を掴みあげる。おおう、これが噂の般若ってやつか…?これは、近づいたら駄目なやつだ…。

 

「私がいたのに放つか普通!」

「霊夢なら大丈夫だって信じてたぜっ!」

 

確かにそうかもしれないけれど、本人の前で言うか普通。それに思い切り右手の親指を立てているし、とてもいい笑顔だ。当然、悪い意味で。

 

「アンタねぇ…!」

「痛っ!おまっ、霊夢!分かった!私が悪かった!」

「分かればいいのよ、分かれば…ね?」

 

そう言って手を離すと、魔理沙さんは咳き込んだ。どれだけ力込めたのよ霊夢さん…。

 

「おいお前達…」

 

突然、ルナサさんがこちらへフラフラと近づいてきた。正直言って、今にも倒れてしまいそうな感じだ。他二人は、と思ったらどうやら気絶しているようである。

 

「何かしら?」

「私達を倒して、何をするつもりだ…?」

「あ?聞いてなかったのか?」

 

確か、魔理沙さんはお宝探しだっけ?

 

「花見しに行くんだよ。これからは人様の話を聞き逃さないようにな?」

「そうね。お花見楽しみですもの」

「肴は準備出来るかしら?」

「出来るんじゃないですか?お花見、楽しみですね」

 

ルナサさんの横を通り過ぎながらそう語りかける。三人はそのまま穴のほうへと向かったが、わたしは隣で一度止まった。

 

「ま、こっち側のだけど…ね?」

 

そう言ってすぐにこめかみに向かって最速の裏拳を放つ。グゥ…、と言った呻き声と共にルナサさんは倒れた。

 

「何してんの!早く行くわよ!」

「あっ、すみませーん!」

「残党狩りなんかしなくていいだろ?」

「いやー『邪魔者は放置するな』って言われてるものでして」

「…邪魔者か?」

「わたしにとっては」

 

まあ言われたことなんかないんですけどね。けれど、起き上がって穴に入ってきて挟み撃ち、なんてことにはなりたくない。

 

「嘘はいけませんよ、幻香さん?」

「…何で分かるんですか咲夜さん…」

 

 

 

 

 

 

穴の向こう側は薄暗く、何故だか長居してはいけないような気がする場所だった。目の前には向こう側が見えないほど長い階段があり、この先に黒幕がいるはずだと歩き出す。

 

「霊夢さん、これ何ですか?」

 

白くて細長く実体がなさそうな何かを指差す。さっきから近くを通り過ぎる度にヒヤリとして鬱陶しい。

 

「幽霊」

「幽霊?つまりここって」

「そうね。多分冥界」

 

冥界って死者が来る場所だったはず…。わたし達大丈夫かな?

 

「多分生きてるから大丈夫だろ」

「多分…」

「間違いなく生きてるから大丈夫よ」

「証拠は?」

「さあ?」

「ないんですか…」

 

とりあえず、生きているってことにしておこう。そう自分に言い聞かせながら階段を上ること数分。ようやく開けた場所に着いた。

そこには、白髪の少女が一人いた。近くには幽霊が浮かんでいて、腰に二本帯刀している。その少女がわたし達を見て嫌そうな顔を浮かべながら口を開いた。

 

「皆が騒がしいと思ったら生きた人間達だったのね」

「生きた、ってことは本当に冥界なのね」

 

どうやら本当に冥界らしい。そう考えていたら、いきなり居合いの構えを取り出した。

 

「ちょうどいい。貴女達のなけなしの春を全て頂くわ!」

「あっ、いいですよ?」

「え?」

 

まさか本当に貰える、なんて考えてなかったのだろう。素っ頓狂な声を上げて呆けている。

 

「おい幻香!本当に――もがっ」

「ちょっと静かにしててくださいな」

「ナイス咲夜さん」

 

咲夜さんの速やかな対応に感謝しつつ、春と呼ばれる花びらをつまみながら少女へ歩み寄る。

 

「はいどうぞ」

「え、あ、ありがとう…?」

 

そして少女の斜め前で止まり、春を手渡した。よし。

 

「春符『炸裂花吹雪』」

「きゃあ!」

 

わたしが宣言した瞬間、少女の手にある春が炸裂する。当然だ。何故ならその春はわたしの複製なのだから。過剰に含んだ妖力をさっきと同じように炸裂弾に全て変化させた。近くにいるわたしにも被害が出ると思ったが、複製、つまり妖力塊を触れれば回収出来るわたしは、自分の放つ弾幕も触れたものから回収することが出来るので無傷だった。

 

「せいっ!」

「痛ッ!」

 

突然春が炸裂したこととそれと同時に現れた弾幕によって少女が驚いている隙に、少女の後頭部に手を添えてから両脛に思い切り蹴りを放った。

 

「ブガッ!?」

 

そして、そのまま後ろに倒れ込む。わたしは空いている手で受け身を取ったのでほとんど被害はないが、少女は勢いよく顔面を地面に叩きつけられた。非常に痛そうである。

後頭部を押さえながら急いで立ち上がり、背中を踏みつける。そして、もう片方の足で右手も踏みつけておく。ただし、動きを封じるためなので必要以上に力は込めない。

 

「さて、三人とも奥へどうぞ」

「そう。行くわよ」

「ええ。頼むわね幻香さん」

「おい!お前はどうすんだよ!」

「決まってるじゃないですか。足止めですよ、足止め」

 

あの騒霊演奏隊とのスペルカード戦で分かった。正直言って、わたしはあまりにも弱い。わたしは脱落したのに対し、二人は全く被弾していないのだから。黒幕に会っても邪魔にしかならなさそうである。

 

「それに、異変は人間が解決するのでしょう?帰りに武勇伝でも聞かせてくださいな。面白いものを期待してますよ?」

「…分かった。負けんなよ?」

 

三人が奥へ行ったことを確認してから、踏んづけている少女に話しかける。

 

「さて、名前は?わたしは鏡宮幻香と言います」

「…魂魄、妖夢」

「目的は?」

「…春を集めて西行妖を満開にすること」

「ふーん…。まあ、このままにしておいてもいいんだけどね。ちょっと賭け事をしよう」

「賭け…?」

 

そう言って魂魄さんの顔の横に春の複製を十枚ほど落とす。

 

「わたしの春を賭けて勝負しましょう」

「……どうせ偽物だろう?」

「けれど、もし持っていたら、を考える貴女は受けざるを得ない」

「くっ…!」

 

歯噛みした嫌な音が聞こえたが、気にせず話を続ける。

 

「まあ受けないならそれなりのことを貴女にしてからこの冥界から出て行こうかと思ってるんですよ。もちろん、今持っているかもしれない春と一緒に。さて、どうします?」

「………分かった」

 

やっぱりね。受ければ確率で春を手に入れることが出来るが、受けなければ確定で手に入らないのだから。

背中と右手から足を離してあげてから賭け事、スペルカード戦を申し込む。

 

「当然賭け事はスペルカード戦。貴女が勝てば春を持ってれば渡しますよ。貴女が調べてもいいです」

「貴女が勝ったら?」

「考えてませんでした。その時決めますよ」

 

正直言って、このスペルカード戦は足止めのためのスペルカード戦。もちろん勝利してもいいのだが、勝負中にあの三人が黒幕を倒してくれてもわたしの勝ちなのだから。

 

「スペルカードは三枚で被弾は三回、至って普通なルールです」

「さっきは油断したが瞬殺してくれる!」

「瞬殺ですか。怖いですねえ…」

「…妖怪が鍛えたこの楼観剣に斬れぬものなど、あんまり無い!」

 



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第52話

瞬殺する。そう発言した魂魄さんを信じるならば、それが出来る方法があると見た方がいいだろう。高速移動、瞬間移動、高密度の弾幕、不可視の攻撃、視覚外からの狙撃、飛ぶ斬撃、移動範囲の制限など、思い付くものはたくさんある。

しかし、彼女には腰に引っ提げている二本の刀がある。それを使わないのは無用の長物なので、使ってくるだろう。居合いの構えも取ってたしね。

そこから思い付く行動は――。

 

「はぁっ!」

 

――居合いの構えからの高速接近。間合いに入ったら即抜刀して斬りかかるだろう。予想が的中したことに安堵しつつ、突進してくる魂魄さんを見る。

右肩を前にし、右手でやたらと長い刀の柄を握っている。視線の先にあるのはもちろんわたしの胴体。スペルカード戦で殺しは無しなのでは?と、一瞬考えてしまったがそんなことないと思い返した。

妹紅さん曰く『構えから軌道が大体予想出来る』とのこと。わたしはまだ複雑なものは分からないが、この程度なら分かると思う。今回はわたしから見て右下のほうにある鞘を始点に水平から左上の範囲に斬撃が飛ぶだろう。一応、飛ぶ斬撃の可能性も考えて大きめに右側へ飛ぶ。

 

「おっと」

「ちぃっ!」

 

ふぅ、予想から漏れてなくてよかった。さっきまでわたしがいた場所をサッと一瞥したが、飛翔する斬撃は見当たらなかった。飛ぶ斬撃は使わない、とは言わないがいつでも使えるというわけではないと考えておこう。

こちらに向きを変えた魂魄さんの構えを見て、左上から右下にかけての振り下ろしと予想。そのまま後方へ大きく飛び退る。

空振りしたことを確認してから『幻』展開。とりあえず最速の追尾弾を五個だけで様子見。前のスペルカード戦で妖力を使い過ぎたから少し抑え目しておいた。

 

「その程度の弾幕!」

「げ、面倒な…」

 

うわぁ…、妖力弾全部斬ったよあの子…。あの接触範囲がほとんどなくて当たらないと駄目な刀で斬っちゃったよ…。刃毀れなんかは一切していないようで、さっき言っていた『斬れぬものなどあんまり無い』とは本当なんだなあ、と頭の片隅に浮かび上がる。

しかも避けるのではなく斬ってしまうというのも面倒だ。近づいたら即斬りかかってくることは考えるまでもなく思い浮かんでしまう。しかも、あれ程の技術があるなら並大抵の方法じゃ打撃系の攻撃は出来なそうだ。つまり、近づけば被弾どころか命の危機、遠くで弾幕を放っても斬り飛ばす。…うーん、勝ち筋が見当たらない…。

それでも諦めるわけにはいかない。このスペルカード戦は、相手に被弾させるよりも自分が被弾しないように意識して行動することが重要だろう。

ということで、接近せずに接近戦をしよう。

 

「鏡符『多重存在』」

「わ、私!?」

 

五個の『幻』を回収してからスペルカードを使用する。すると、魂魄さんの目の前に複製(にんぎょう)が現れた。瞬間、頭が二つに割れたかのような違和感が訪れるが気にせず二人目を自分の隣に複製。さらに自分の意識が奥に追いやられた気分だが、何とかまともに動けそうだ。

 

「こんなものっ!」

 

目の前の複製が殴りかかる構えを取った瞬間に、魂魄さんの水平斬りによって胴体から綺麗に二つに分かれてしまった。切断面に妖力を寄せたら接着しないかなー、なんて考えたが出来なかった。今は出来ないのかこれからも出来ないのか。要検証かな。ということで外れそうになりながら複製の上半身は切断などお構いなしに殴りかかる。

が、その腕をスッパリ切り落とされてしまった。仕方ない。あんまりしたくないけれど処分しよう。そう判断しつつ隣の複製を走らせておく。

複製が僅かに膨らみ、内側から弾けて弾幕をばら撒く。今回の複製は過剰に入れる妖力量を少なめにしている。なので、全部を炸裂弾にしても規模は小さいだろう。だけど、あれだけ至近距離なら…!

 

「同じ手が通用するか!」

「えぇー…」

 

全部斬り飛ばされました。走らせた複製にも動揺が伝わったようで、一瞬だが動きが止まる。その隙に複製が八つに切り刻まれた。…た、太刀筋が見えない…。とりあえず炸裂させておいたがやはり弾幕は全て斬り飛ばされる。

接近された分だけ後退しながら次々と複製を創るが、背中からの不意打ちをしても体制をかなり低くした体当たりをしても真上からの振り下ろしをしても二人で両側から攻撃しても全て対応される。その全てを炸裂させるが案の定当たることはない。そのまま時間切れである。

僅かに痛みの残る頭を押さえて唸る。

 

「うぅー…。こりゃまずいなぁ…」

 

あと二、三歩で来るときに上ってきた階段だ。このまま下がって階段で勝負するか、空中戦に持ち込むか、何とかしてこの広間で勝負するか…。階段で勝負となると、上方からの攻撃って面倒なんだよなあ。けれど、空中戦はあまり得意じゃない。咄嗟の判断で移動するときに、地上と比べて方向が増えるから移動するまでの時間がほんの少しだけど長くなってしまっている、らしい。妹紅さんが言ってた。なら広間で勝負をするしかないか。

 

「このままじゃ埒が明きませんね…」

 

そんなことを考えていたら、魂魄さんが納刀し、また居合いの構えを取る。その表情は今までとは違い真剣そのもので、その構えからは先程までとは全く違う気迫のようなものを感じた。

 

「…もう、手加減はしません」

 

まるで、今までは手を抜いていたかのような発言に少しだけ憤りを感じたが、その声色から得体の知れないものを感じて嫌に緊張してしまい、呼吸を止めたときのように時間の流れが遅くなるのを感じた。…何か、来る。

 

「人符『現世斬』」

 

その言葉を聞く直前、わたしの直感が「この場から離れろ」と言っていた。だから、広間の端のほうに数本生っている枯れ木の一本を横向きに自分自身に重ねて複製していた。

視界が一瞬にして真っ黒になり、それと同時に外側へ、前方のほうへと押し出されようとしているのを感じた。それは不味いと感じて、何とか横方向へ行こうと体を動かしたと思ったら、いつの間にか複製から弾き出されていた。どうやら自分が望んだ方向へ弾き出されたようで、その視界に魂魄さんはいない。

 

「えっ?」

 

しかし、さっきまで魂魄さんのいた場所に視点を移しても既に誰も居なくて、視界端に映るわたしの複製した枯れ木の中心、さっきまでわたしが居たあたりが粉微塵に切り刻まれていた。

階段のほうから足音が響く。それを聞いてすぐに、わたしのすぐ傍にある枯れ木の残骸を回収してから出来るだけ階段から遠くに離れた。その足音の主、おそらく魂魄さんが上り切る前に体勢を整え、呼吸を落ち着かせる。

呼吸が落ち着く前に魂魄さんが階段から姿を現した。気のせいかもしれないが、その表情は僅かに自責の色が浮かんでいるように見えた。

 

「…まさか、避けられるとは思っていませんでした。私もまだまだ修行が足りないようですね」

 

あれで修業が足りない?いやいや、冗談はよしてほしい。偶然湧いて出た直感を信じなかったら切り刻まれていたのはわたしだったんだぞ?それにあの速度。一瞬であれだけの距離を詰めるなんて、それこそ瞬間移動を疑いたくなる。だけど枯れ木が斬られているから高速移動であることになる。

正直言って、もう勝とうなんて考えられないし、時間稼ぎも出来そうにない。だってあれだけ卓越した剣術に加えてあの神速と言わざるを得ない速度。残された二枚のスペルカードを考えるが、逆転の手口は思いつかない。最初の不意打ちが何で出来たのかが不思議に思えてくる。

…もうわたしの負けは確定的だ。このまま続けても切り刻まれてお仕舞いだと思う。

決めた。この勝負、派手に散ることにしよう。心の中で魔理沙さんに謝る。ごめんね。貴女との約束は守れそうにないや。

頭の中を切り替える。今からやろうとするのに適した性格は何だ?華々しく最後を飾れる性格は。 …これだ。

 

「フフッ」

 

自然と笑いが込み上げてくる。危機的状況になると笑いたくなる奴だ、と遠くのほうから冷静に観察している自分がいるような気がしてなんだか不思議な気分だ。

 

「何かおかしいことでも?」

「アァハハ!いやね、これはもう勝てそうにないってね」

「…降参するの?」

「時間稼ぎくらいならー、なぁんて考えていたけれどそれももう無理そう」

 

だけど、このまま終わらせるなんて先に行かせた三人に申し訳が立たない。

 

「だから、最後に派手に咲き乱れることにした!」

 

魂魄さんに背中を向けて、その奥にある九分九厘咲きをしている西行妖を見詰める。誰かが黒幕と思われる人と戦っているのが見えた。

大きく腕を広げて声高らかに叫ぶ。

 

「アハッ!魂魄妖夢!貴女の勝ちだよ!だけどねえ!貴女達は負ける!霊夢さんに!魔理沙さんに!咲夜さんに!人間達に負けるんだ!」

「いきなり何を…!」

「目に焼き付けろ!心に刻め!これから起こる結末の先行上映だ!複製『西行妖――」

 

わたしの目の前にあの西行妖が現れる。今残っている妖力の全てを絞り尽くしたそれは最後を飾るのに相応しいと思う。が、まだ足りない。

意識が朦朧とする。足元がふらつく。手足の感覚がない。視界が霞む。次瞬きしたらそのまま開くことはなさそうだ。持ちこたえろ。あとちょっとだけでいい。

 

「――散華』!」

 

雄しべを、雌しべを、がく片を、がく筒を、小花柄を、苞を、花柄を、鱗片を全て消し飛ばす。一斉に舞い散る花びら。わたしの視界を桜色に染め上げる。

わたしの脚はもう限界のようで、受け身も取れずに背中から倒れ込む。しかし、その衝撃を感じることは出来ず、そのまま意識を手放した。

 



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第53話

「目に焼き付けろ!心に刻め!これから起こる結末の先行上映だ!複製『西行妖散華』!」

 

そう言って彼女、鏡宮幻香は目の前に西行妖を出現させ、咲き誇る花の全てを散らした。

その光景はあまりにも幻想的で、あまりにも悲劇的だった。

私はその舞い散る花びらを呆然と見詰めていた。その花びらの全てが落ち切り、酷くさびしくなってしまった西行妖を、ずっと。

 

「――ハッ」

 

…いけない。こんなところでボーっとしていたら幽々子様に叱られてしまう。

どういうわけか彼女は意識を失っているし、本人も負けを認めていたのだから私の勝ちなのだが…。拍子抜けというかまだ本気出していなかったかのような恥となる負けから逃げたような不思議な終わり方だ。不意打ちとはいえ私に攻撃をし、現状最速の一撃を避けて見せた彼女にちゃんと勝利すれば、私はもっと成長出来ると思っていたのに。

しかし、そんな感慨に浸るのはあとだ。今やるべきことは既に決まっている。彼女から春を奪い取ること。そして、西行妖にその春を捧げることだ。

眠るように倒れている彼女に近づき、服の中を探る。

 

「ん?」

 

何かに触れたので掴み取ってみると、それは五枚の春だった。しかも、服の中にはまだたくさんありそうである。一体何枚隠し持っているのか…。しかもそのうちのほとんど、もしくは全てが偽物の可能性大という始末。

 

「ええい、くそっ!」

 

服の中に手を入れてとることが面倒に思い、彼女の服を破ると、中から数十枚の春が弾け飛ぶ。今になって考えてみると、あのまま斬っていたら彼女の春ごと斬っていたことになる。そう考えると、自分が今までしていた行動にゾッとした。

しかし、そんなことで止まっている暇はない。今は弾けてしまった春の回収だ。しかし、色合いが似ている花びらが辺り一面にある中から探すのは一苦労だ。

二、三分かけて彼女の周りをしらみつぶしに探した結果、三十四枚の春が見つかった。また、破いた際に散らなかった春が六枚。合計四十枚が手元にある。…もしかしたら、否、もしかしなくても服を破かなかったほうが早かっただろう。

 

「…ふぅ。これで全部かな。……あ」

 

…そういえば、彼女に踏まれていた時――思い出すだけで腹が立つ――に十枚の春をばら撒いていた。あれの中に本物があったら?…いや、あるわけがない。本物をあの時に落としていたらそれこそ馬鹿のやることだ。…しかし、もしも、あの時に落としていたら…。

 

『けれど、もし持っていたら、を考える貴女は受けざる負えない』

 

ふと思い出した彼女の言葉。あの時と同じだ。あの時と同じように、もし落としていたら、を考えている。そして、これから自分が取る行動もそのままだった。

十枚の春を求めて、まずは不意打ちを食らってしまった場所へ行く。そこで落ちている花びらを退けてみるが、見つからない。どうやら、スペルカード戦をしている間にそこら中に散り散りになっていたようだ。

結局、落ち切った花びらを退けながら全体を歩き回って探すことになり、その十枚を探すのに数分の時間を取られてしまった。

合わせてみれば約十分。あのスペルカード戦よりも長い時間である。

 

『時間稼ぎくらいならー、なぁんて考えていたけれどそれももう無理そう』

 

……嘘吐き。時間稼ぎは十分にしているじゃないか。

 

「よし、これを幽々子様のところに持っていかないと…」

 

五十枚の春を持って、西行妖の元へ走る。幽々子様はあの三人の人間と戦闘中か、既に終わっているのか。もし戦闘中ならば助太刀せねば。

 

「!?」

 

西行妖までの道半ばで、見慣れない激しい光が目を貫いた。光源の場所は、西行妖近く。

 

『貴女達は負ける!霊夢さんに!魔理沙さんに!咲夜さんに!人間達に負けるんだ!』

 

それを見た私の心は、彼女の言っていた言葉によって締め付けた。

幽々子様、どうかご無事でっ…!

 

 

 

 

 

 

…さっきから黒幕、西行寺幽々子の様子が変だ。

 

「霊符『夢想封印・集』!」

「くぅっ…!」

 

騒霊演奏隊と戦ったときと同じようなルール――私達は被弾は一人三回までで、スペルカードは一人三枚。三回被弾するまでスペルカードを使い切っても負けではないが三回被弾したら脱落。残っている人のスペルカードを全て使い切ったら全員負け。あちらは被弾九回のスペルカード九枚だ。――で始まったスペルカード戦。いざ始まってみれば、こちらが圧倒的劣勢だった。

惜しげなく使われるスペルカード。激しくも美しい弾幕に次々と仲間が被弾。私達はまともに攻撃も出来ずにいた。魔理沙も咲夜も脱落し、私も一回被弾してしまったときに、柄にもなく異変解決の失敗の可能性が脳裏を過った。

しかし、数分経った頃だろうか?彼女は一瞬目を見開いたままその動きを止めた。その隙に放った針状弾幕も気にせずに。そしてそのまま被弾し、慌てて体勢を立て直していた。

そのときの視線はわたしのさらに向こう側を見ていたようだったが、私に後ろを見ている余裕はなかった。

それからは彼女の弾幕の激しさは目に見えて弱まり、さっきまでは避けれただろう弾幕に被弾する始末だ。

あのスペルカードで彼女の被弾は八回目。それに対して、私は二回。そして、残されたスペルカードはお互いに一枚のみ。まさしく一触即発。だが、緊張は一切ない。

…これで決める。弾幕の間をすり抜けて一気に接近する。

 

「宝具『陰陽鬼神玉』!」

「――ッ!桜符『完全なる墨染の桜』!」

 

苦し紛れのスペルカード、と言わざるを得ないような程弱々しい弾幕を打ち消して進む陰陽玉。そのまま西行寺幽々子を巻き込み、最後には爆発した。

 

「ふぅ…」

 

西行妖から桜が散り始める。これで幻想郷にも春が訪れるだろう。

西行寺幽々子は、西行妖の根元に力無く倒れている。つまり私の、否、人間側の勝利だ。

しかし、腑に落ちないことがある。

 

「ねえ」

「…なにかしら?」

「急に手加減とかどういう事よ」

「………見たくないもの、見ちゃったからかしらね」

 

そう言って、後ろを見るように促された。

そして振り返る。

 

「…は?」

 

遠くのほうに西行妖があった。ただし、花は一切咲いておらず、幹のみになっているが。

咄嗟に、本来ある方の西行妖を向く。そして、もう一度もう一方の西行妖を見る。明らかに一本増えている。…桜が全て散ったらあんな感じになってしまうのだろうか?

 

「幽々子様っ!」

「あら、妖夢…。そんな大きな声出してどうしたの?」

 

…確か、コイツはアイツが足止めすると言っていたはずではなかったか?ここに来ているということは失敗したというわけか。まあ、間に合っているからいいとするか。…しかし、あれだけの春を持ち歩いているのはどういうことだろうか…。四、五十くらいはあるような。

妖夢と呼ばれていた半人半霊が西行寺幽々子に駆け寄るのを傍目に、その辺に倒れている二人を起こす。

 

「ほら、起きなさい」

「うぅ…。悔しいぜ…」

「お嬢様に申し訳が立たないわ…」

「そんな愚痴はあとで聞いてやるわよ。さ、帰るわよ」

 

慌てて起き上がる二人をよそに、この不愉快な場所から早く出るために歩き出す。途中でアイツは拾ってこよう。…死んでなければ。

 

「ん?…なぁ!?」

「あら、いつの間に生えたのかしら?」

「そんなことどうでもいいでしょう?置いてくわよ」

「おい!待てよ!」

 

そういう魔理沙の言葉を無視して歩き続けるが、歩速は僅かに落とす。なんだかんだ言って自分は甘いな、と考えてしまう。

すぐに二人が追い付き、魔理沙は隣に、咲夜は一歩後ろを追随する。

アイツが足止めをする、と言っていた広間に着いた。しかし、そこは来た時とは全く様変わりしていた。花びらが一面に広がっていり、その中心にある西行妖。そして、その根元で花びらに埋もれながら眠る鏡宮幻香。…桜の木の下で眠るなんて不吉なことを…。

眠るアイツに咲夜が近寄り、頬を軽く叩きながら語りかける。

 

「幻香さん?こんなところで寝ていると死んでしまいますよ?」

「おいおい、ここは雪山か?」

「もっと死に近いところよ」

「はは、違いない」

 

…もしかして、本当に死んでしまったのだろうか?

そう考えていたら、咲夜が脈を測り始めた。そして、その顔色はすぐに悪くなる。

 

「……まずいわね…」

「どうかしたの?」

 

私の言葉に一切耳を傾けずに何処からともなく袋を取り出して、そこら中に落ちている花びらを詰め始めた。錯乱でもしたのか、コイツは。

 

「妖力枯渇で今にも死にそうよ」

「はぁ!?妖力枯渇!?」

 

妖力枯渇。妖力とは、妖怪にとっての生命線。摩訶不思議な現象を起こす際に使用されることが多いが、普段の生活をするだけでも僅かずつだが消耗されてゆくもの。それが枯渇するというのは、人間が血液の三分の一以上失うのと同じぐらい厄介…らしい。

つまり、死ぬ。

 

「…悔しいけれど、私には何も出来ない。二人は何か出来る…?」

「魔力回復薬で何とか…気休めにはなるか?」

「気を失っている人に液体は…」

「だよな」

 

二人がアイツを何とかしようとしているのを静かに見ながら、考える。私はアイツを助けられるのか、と。…いや、何を考えているのよ。アイツは妖怪で人間の里の手配妖怪で…。

しかし、悪いやつじゃない。

本来なら放っておくべきなのだろう。分かってる。分かっているけれど…やっぱり甘いなあ、私。

 

「ねえ」

「霊夢、貴女なら…」

「…ちょうど、コイツには聞きたいこともあるしね。仕方ないからやってみるわ」

「ありがとう…。ここでやるの?それとも別の場所?」

「博麗神社でやるわ。あそこなら準備もしやすい」

 

そう言うと、咲夜はアイツと一緒にその場から消え去った。きっと博麗神社に向かって走り出したのだろう。時間を止めてまで、早く。

 

「さて、私達も急ぎましょうか」

「霊夢」

「何よ」

 

呼ばれたのでそっちを向くと、魔理沙はやけに嬉しそうな顔で私の肩を叩いた。

 

「…何でもねえよっ!」

「…そう」

 



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第54話

冥界を出て一直線に、かつ最速で博麗神社へと向かう。

アイツが倒れてからどのくらいの時間が経っているのだろうか、そもそもアイツを復活させることは出来るのだろうか。そんな考えが頭に浮かぶがすぐに隅へと追いやる。そんなことを考えても意味はない。到着するまでの僅かな間に方法を考えなければ。

私が出来る覚醒の手段は人間用だ。妖怪に対しても問題なく出来るのだろうか。…おそらく出来ないだろう。効き目が弱すぎるか、害となってしまうと思う。前者ならばまだいいのだが、後者は良くない。多少の害ならば、健康体の妖怪に対してなら出来るだろう。しかし、今のアイツは死に片足を突っ込んでいる。そんな状態でやればたちまち御陀仏だ。

ならば、どうする?

人間用から妖怪用に無理矢理変える。変えてみせようではないか。

 

「…やってやろうじゃないの」

「意気込むのもいいが無理すんなよ」

「分かってるわよ」

 

博麗神社の境内に降り立ち、既に開いている障子をくぐる。中には布団の上で横になっている鏡宮幻香とその横で濡れタオルを彼女の額に乗せている咲夜がいた。その布団、私が普段使っているのなんだけれど…。まあいいか。

 

「脈は弱いですがありました。呼吸も一応。体温は問題ありません」

「そう。妖怪の意識の覚醒なんて初めてよ、全く…」

「方法は考えたのか?」

「…大丈夫よ。多分ね」

 

必須条件は妖力の回復、もしくは補給。外側から入れるか内側から生み出すか…。

確実なのは内側から生み出すこと。しかし、私が知っている方法は人間用。妖怪用に変えるのを勘でも何でもいいからしなければならない。

楽なのは外側から入れること。しかし、妖力とはその妖怪から自然に生まれるものだから、魔力と違って外部から作っても受け入れるかどうか分からない。

 

「二人共、コイツの妖力の代わりになりそうなものって持ってない?」

「魔力回復薬なら気休めになるだろうけど、どうだろうな…」

「ありますよ」

「そう咲夜。あるのね――ってあるの!?」

「ええ。どうぞ」

 

そう言って渡されたのはさっき袋に詰めていた花びら。

 

「これは幻香さんの妖力塊、のはずです」

「…コイツの複製って妖力から創られてるの…?」

「つまり、西行妖なんか創ったから枯渇したってことか…」

「恐らくは」

 

手に取って見てみるが、何処にでもある普通の桜の花びらにしか見えない。強いて言うならば、あの春のように萎れていないことくらいだろうか。

しかし、そんなことは今はどうでもいい。これでいちいち人間用の手段を妖怪用に変えずに済む。

 

「あとはこれをどうにかして飲ませれば…」

「口に詰め込んでおけばいいんじゃないか?」

「流石に駄目でしょ」

「無理があるかと思います」

「う…」

 

水と一緒に、は駄目だ。気管のほうを通って肺に入ってしまう。結果、溺れたわけでもないのに溺死体になってしまう。

しかし、考えている時間も惜しい。

 

「こうなったら力業よ」

「は?」

「無理矢理入れる」

「オイオイ!さっきしないって言っただろ!」

「正直上手くいくかどうかは知らないけれど…」

 

コイツが魔理沙の手から本の複製を消滅させたときに何かを感じた。そして、その感じた何かは空気に溶けるように薄まり、ほとんど何も感じなくなった。今思い返してみれば、それはコイツの妖力だったのだろう。

 

「夢符『二重結界』」

 

横になっているコイツを囲むように結界を張る。これで私が許可したもの以外は通ることはない。そして、袋詰めの花びらを結界の中に入れる。

 

「…何してんだ?」

「…そういう事」

 

私がやりたいことが魔理沙には分からないようだが、咲夜は分かったようだ。

 

「あとはこの複製を何とかすれば…」

「…液体なら蒸発させると妖力になって霧散する、と幻香さんは言っていたのですが…」

「…絞ればちょっとくらい出るかしら」

「どうでしょう…。石は割れましたし、金属は変形しましたから、これらと同じように花びらを絞れば多少は出るかもしれませんが…」

 

そういえば、騒霊演奏隊とのスペルカード戦のときの魔理沙の複製に抉れた様な弾痕がなかったか?それに、三人の複製が炸裂する前に腕やら脚やらが消し飛んでいたような…。他にもコイツのスペルカード、鏡符「幽体離脱・滅」は相手の弾幕、妖力弾を複製して打ち消しているのだろう。その際に消し飛んだ複製はどうなっているのだろうか?同じように空気に溶けて霧散しているのではないか?

あと、燃やしてみたらどうなるだろうか。灰になるものもあるだろうけれど、水分を含んでいるのだったら無理矢理蒸発させることになる。

確証はない。しかし、今思い付いた方法はそれしかない。

花びらの複製の一枚を紙に挟んですり潰す。すると、紙が僅かに桜色に染まりながら透けた。つまり、水分を含んでいるということ。

 

「…あとは運任せね」

 

残った大量の花びらの複製を半分に分ける。

片方には消し飛ばすほどの高威力の弾幕を放ち、もう片方は無理矢理燃やす。

すると、結界の中に妖力が溜まっていることを感じることが出来たので、上手くいっているはずだ。

 

「あとは呼吸すれば少しずつだろうけれど補給出来るはず…」

「どのくらいで目覚めるでしょうか…」

「明日には覚めるんじゃないかしら」

「何をしたんだかさっぱりだが何とかなったらしいな。じゃあ私は帰ることにするぜ。明日の朝にまた来る」

「それなら私も帰ることにするわ。お嬢様に謝らなければならないし」

「そう。それじゃあまた明日ね」

 

二人を見送ってから、結界が消えないように札を近くに貼る。これであとは起きるのを待つだけだ。

ついでに燃やしたから中がかなり暑そうなので大きめの容器に雪を入れ、結界の中に入れておいた。

 

 

 

 

 

 

…少し焦げ臭い…。

目は閉じたままで、今いるところの情報を確認する。体には何か重いものが乗っていて温かい。どうやら布団に寝かされているようだ。かなり蒸し暑い。近くで何かを燃やしていたような臭いを感じる。光はほとんど感じない。

…黒幕の本拠地にでも連れ去られたか…?え、そんなこと有り得る?あれだけ言っておけば放って置かれると思ってたのに。よし、この場から急いで脱出しよう。

布団を剥ぎ取り、勢いよく起き上がる。暗くて内装はよく分からないが、どうやら障子張りの部屋のようだ。

 

「へぶっ!?い、痛ったぁー…!」

 

障子を開けて外に出ようと思ったら何かに思い切りぶつかった。しかも顔面から。滅茶苦茶痛い…。

 

「何これ?え?え?本当に何これ!?」

 

どうやら透明な壁のようなもので囲まれているらしい。腕を上に伸ばしてみると天井もあるようだ。…下の畳を壊せば出れるかな?

畳をブチ抜こうと構えを取ったその時、障子が開き、誰かが現れた。

 

「てりゃっ――へぶっ!」

「何してんのよアンタ…」

 

咄嗟に迎撃しようと殴りかかったが、壁があったことを忘れてた…。

それに霊夢さんだったし。

 

「あれ?れ、霊夢さん?」

「見て分からないの?」

「いえ、黒幕に捕まったと思いましてね」

「残念だけどアンタは西行妖の根元でぶっ倒れてたわよ」

「そうですか、ならよかった」

「どこがよ。死にかけてたのよ?」

「え?嘘!?」

 

まさか生命の危機になる程だとは思わなかった。だって妖力枯渇は何回か経験しているこれど、そこまで危険な目にあったことないんだもん。

 

「ちょっと手違いだなあ…。まあいいや」

「わざわざ起こしてあげたんだから私の質問に答えなさい」

「ええー…。何か話すことってありましたっけ?」

「あるのよ」

 

何を訊かれるんだろうか?何か変なことしたっけ?…うーむ、思い付かない。

 

「まず、私達が行ったあとで何してたの?」

「あー、それですか。じゃあ話しますよ。どうせならそちらも…いや、やっぱいいです」

「悪いけれど魔理沙から武勇伝を訊こうなんて無理だからね。アイツ寝てたし」

「嘘!?じゃあお願いします!訊かせてください!」

「アンタが話し終わったらね」

 

さて、わたしがやったことが上手くいったのか心配だけど、その答え合わせでもしますか。

 

「春を賭けてスペルカード戦をしてました」

「アンタ馬鹿?」

「あのまま踏み続けてたら左手で抜刀からの足切断が怖かったんですよ」

 

一瞬、左手が刀のほうに動くのが見えたしね。そういうふうに腕が動くかどうかは置いておいて。

 

「まあ負けましたけどね」

「でしょうね。四、五十枚の春を抱えて来たわよ」

「それはよかった」

「どこがよ」

「あとで説明しようかと」

 

まあ、説明するかどうかは知らないけれどね。質問されたらするけど。

 

「次に西行妖についてよ。わざわざ出す理由なんてある?」

「あれは三つくらい理由がありますよ。一つは妖力枯渇」

「はぁ?」

「斬られる前に倒れてしまえば殺されることはないと思ったけれど、上手くいってよかったですよ」

「死にかけたくせに」

「うぐっ…。二つ目は春を隠すこと。本当は懐に創った四十枚もばらまく予定だったんだけど力尽きちゃって…」

 

服が破れているから、まとめて持っていかれたと思う。もしかしたら、強く引き裂いて弾け飛んだのではないか、と考えるが実際はどうなのかは彼女に聞かないと分からない。

 

「意味ないじゃない」

「ま、五十枚持ってたなら成功ですね」

「数えてないから知らないわ」

 

魂魄さんは『もしも』を考える人だと感じた。考えない人ならわたしの持っているかどうかも分からない春なんか放っておいて、黒幕さんのところにもがいてでも行こうとすると思ったから。だから、十枚だけでも隠すために散華させた。

そうすれば、スペルカード戦では出来ないだろうと考えた時間稼ぎが出来ると思ったから。

 

「最後に失敗の、敗北の絵を見せつけること」

「…『見たくないもの』ってそれのことね」

「満開にさせることが目的の人に散華を見せつけるのは効果的だと思ったんですよ」

 

例えば、曲芸師が二人いたとする。一人目が失敗してしまったら、二人目は『自分も失敗してしまうのではないか』と考えてしまう。そうすると、普段の実力は出せなくなってしまう。

それと同じだ。

 

「まあ、大体分かったわ」

「夜も深いですし、短めに説明しておきましたよ」

「じゃあ私達のほうを話すわよ」

 

霊夢さんの話をまとめると、黒幕の名前は西行寺幽々子。目的は西行妖を満開にすることでその下に封印されている何者かの復活。スペルカード戦はこちら側が圧倒的劣勢だったが途中で不調となり、逆転勝ち。

 

「じゃあ効果あったんですね」

「おそらくは、ね」

 

間接的だがサポーターとしての役目を果たせたことに満足。

 

「とりあえず今日はもう寝てなさい。朝になれば魔理沙と咲夜も来るらしいから」

「はーい。それはそうとこの壁、何とかなりませんか?」

「してもいいけど明日になったらね」

「ええー…」

 

明日には雪解けと共に幻想郷に春が訪れるだろう。楽しみだなあ。

 



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第55話

翌日の朝。

目が覚めたら壁は消えていた。障子を開けて外に出ると、心なしか暖かくなっているように感じ、春が来たことを実感した。安心していたらすぐに空腹を感じたので、霊夢さんに頼んで朝食は貰った。のだが「食った分は返しなさい」と言われてしまった。忘れなければ何か持ってこよう。

妖力量はまだ心もとないから何日か安静にしていようかなー、とボンヤリ考えながら縁側に座り、空を見上げる。今日はいい天気だ。鳥も一匹こっちに近付いてきて…ん?なんか大きくない?

 

「おっ!本当に起きてやがる」

「うわっ、魔理沙さんですか」

 

どうやら鳥じゃなくて魔理沙さんだったようです。黒っぽい服着てるから見間違えてもしょうがないね。…しょうがないよね?

 

「流石妖怪。しぶといな」

「流石人間。図太いですね」

「ま、生きてるみたいでよかったぜ。死んでたら寝覚めが悪い」

「霊夢さんには感謝してますよ。言ってませんがね」

「おいおい、言ってやったほうがいいぞ?」

「妖怪にお礼なんて言われても喜ばないと思いましたので」

 

「そうかい」と言いながら、箒から降りてわたしの隣に腰かける。

 

「さて、私に聞きたいことがあるんじゃないか?」

「えーなんだっけ忘れちゃったなアハハー」

「絶対覚えてるだろ」

「ええもちろん。面白いもの期待してますよ?」

 

さて、霊夢さん曰く早々に倒れてしまった魔理沙さんの武勇伝はどんなものなのかな?正直に話すことはないと思うから、どんな作り話になるかが楽しみで仕方がない。

オホン、とわざとらしい咳を一つしてから語り始めた。

 

「私達は春を奪った黒幕を探して冥界へと降り立った」

「あ、そこらへんはいいです」

「武勇伝の冒頭にはそれらしい言葉が必要不可欠だぜ。黙って聞いてな」

「そういうものなんですか」

「そういうもんだ」

 

そうなのか。いつかわたしの武勇伝が出来たときにはそれらしい言葉と共に始めよう。…出来るとは思えないけどね。

 

「階段を上った先に現れたのは魂魄妖夢と名乗る庭師兼剣士。そこで仲間の一人が私達のために犠牲となって――」

「待ったぁ!犠牲って!何勝手に殺してるんですか!」

「あ?死にかけてたし似たようなもんだろ。続けるぞ」

「はぁ…。分かりましたよ黙って聞いてます」

 

何か別の言い方があるでしょう…。身を挺してとか先を急ぐよう促されたとか…どちらにしろ駄目な気がしてきた。

 

「犠牲となってくれたので私達は先を急いだ。その先に待ち構えていたのは黒幕、西行寺幽々子。その目的は、春を集めることで今まで一度も満開になったことのない西行妖を咲き誇らせることだ」

「それだけの為に春を集めてたんですか?」

 

それらしい相槌を打ち、話の続きを促す。同じことでも、観測者が変われば中身も変わって見えるものだ。さて、魔理沙さんにはどんな風に見えていたのか…。

 

「いや、それだけってわけじゃないらしい。何でも、西行妖の下には何者かが封印されているらしい。満開になるとその封印が解けるってわけだ」

「へー。その西行寺幽々子さんにとってはどっちが重要だったんでしょうね」

「さぁな。封印を解くことのほうが重要っぽかったけど、満開にすることも楽しみにしてた感じだったし…」

「まあ両方同時に成功する予定だったからどっちでもよかったんでしょうね」

「違いない」

 

そう言って二人で笑い合う。

 

「西行寺幽々子は私達に言った。『なけなしの春を頂くわ』ってな。あとで聞いたんだが春三、四枚で満開するはずだったらしいぜ」

「わたし、足止めしててよかったかもしれません」

「はは、そうかもなあ」

 

三、四枚で満開ってことは、わたし、魔理沙さん、咲夜さんから一枚ずつ持ってかれて満開になっていた可能性もあったということだ。危なかった…。

 

「何処までも拡がる美しい弾幕、蝶のように舞うしなやかな佇まいは見てて惚れ惚れしたぜ」

「そうなんですか…。一度くらい見てみたかったかも」

「死んでたら見れたんじゃないか?」

「そんなことの為に死にたくないです」

 

さて、そろそろ楽しい作り話が始まるはずだ。

 

「私達はそれに対抗して個々のスペルカードを放った!私は当然マスタースパークをな!」

 

嘘だ。魔理沙さんはスペルカードを使えずに散ったらしい。

 

「そのド派手な魔法に撃ち抜かれた西行寺幽々子の顔は苦痛に歪み!」

 

嘘だ。そもそも魔理沙さんは被弾すらさせていないらしい。

 

「何処からともなく現れたナイフが西行寺幽々子に襲い掛かった!」

 

嘘だ。咲夜さんの放ったスペルカードは掠りもしなかったらしい。

 

「そして霊夢の夢想封印が炸裂!こうして黒幕は倒れ――痛だっ!」

「何言ってんのよ。嘘はそのくらいにしときなさい」

「あ、霊夢さんに咲夜さん。どうしたんです?」

「目覚めると聞いたのでちょっとした洋菓子を持ってきたんです」

 

そう言って持っていた袋からクッキーを取り出して皿に入れた。…ん?咲夜さん、ちょっと嫌なことでもあったかな?表情が暗いような気がしなくもない。

あと、最後に霊夢さんが放ったスペルカードは宝具「陰陽鬼神玉」というものらしい。夢想封印もしたらしいけど。

 

「なんか騒がしいと思って来てみたら作り話ばっかり…」

「話し手が納得しない武勇伝があっていいのか?否、いいわけない!」

「それを人はほら話って言うのよ」

 

そう言った霊夢さんに突っかかり、睨み合い出した。…止めた方がいいのかな?いや、面倒だからいいや。

 

「幻香さん、伝えておきたいことは二つほど」

「え?何かありましたっけ?」

「一つは妹様からお礼と言っておくよう頼まれました。『おね――」

「待って。その言葉は咲夜さんから聞きたくないかな」

 

他の人を挟むお礼なんか要らない。その人の為にやったんだから、ちゃんと本人から聞きたいんだ。

 

「失礼しました。では二つ目を。パチュリー様から伝言です。…これは聞きますか?」

「お礼じゃないなら」

「では伝えます。『妖力枯渇は一歩間違えれば死。その前に対策を』とのことです」

「あー…。必要なことだったんですけど心配させちゃったみたいですね。まあ、対策は考えてますから」

「では、お二人に伝えておきますね」

「ありがとね、咲夜さん」

「いえ、お気になさらず」

 

咲夜さんと話している間に、二人が境内でスペルカード戦を始めていた。幻想郷では諍い事の決着は大抵これで決めるものである。どうやら魔理沙さんのほうが劣勢のようで、少し顔を歪めている。

 

「それと咲夜さん。レミリアさんと何かありました?」

「…実は一つ」

 

咲夜さん浮かない顔をする理由なんて、今までも経験上レミリアさん関連がほとんどだ。無茶な要求を言われたり出来そうにない要求を言われたり不可能な要求を言われたり…あれ?レミリアさんが大抵悪いような気がしてきた。

 

「お嬢様に『貴女が行っても行かなくても運命は変わらなかった』と言われまして。つまり、仕事を蔑ろにしてしまったのと同じなのです」

 

ふむ。行っても行かなくても同じだったのに、仕事を放棄して行ったということを気にしているのかな?

よし。それっぽいこと言って励まそう。

 

「そんな後付けみたいなこと言われたんですか?たとえレミリアさんにそう言われてもわたしは咲夜さんの支持しますよ。行っても行かなくても同じだとしても、行動したほうがいいに決まってますからね」

「…お心遣い、ありがとうございます」

「そんなこと言わないでくださいよ。咲夜さんが正しいと思ったことをすればいいんです。それがレミリアさんにとっても最良なことだと思いますからね」

 

まあ、行っても行かなくても同じだとしたら行動しないことがあるわたしが言えたことじゃないけどね。それに、咲夜さんが考えるのはレミリアさんのことが第一だ。だから、そんなことを言わなくてもよかったのだけどね。

うーん、もうここにいる理由は無くなったかな。それに、妖怪であるわたしが博麗神社に長居しちゃいけないような気がする。

 

「さて、そろそろお暇しますか」

「あそこの二人に言わないでいいのですか?」

「んー、水を差すのは悪いでしょ」

 

やはり劣勢の魔理沙さんだが、高速移動を繰り返して撹乱し続けている。呼び止めるのは悪いだろう。

 

「それに、わざわざお別れを言わないといけないような仲でもないと思いますし」

「そうですか。それでは、またいつかお会い出来るのを楽しみにしてますね」

「うん。わたしも楽しみにしてる」

 

咲夜さんとは別れを告げて、二人の目に付かない裏のほうから出ていく。

さあ、冬も終わりになったことだし、約束通り花見の準備でもしますかな。

 



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第56話

時は流れてもう六月。ようやく幻想郷の桜が開花し始めた。

既にある程度の敷地があって桜の木が数本ある場所を探しておいたので、慧音やチルノちゃん達には「ある程度咲いたら花見をしよう」と伝えておいた。各自何か食べ物や飲み物なんかを持ってこれたら持って来てほしいと付け加えて。

その場所が七分咲きくらいになったので、集まってもらったのだが…。

 

「いただきまーす」

「あー!アタイの魚取ったー!」

「取られる方が悪い!」

「チ、チルノちゃん!まだ残ってるから抑えて!」

「じゃっ、じゃあ私も…」

「なー!それもアタイのー!」

「もうっ!抑えてったら!」

「あー、この果物美味しい」

「こっちのお肉もいいよ」

「おー、騒がしいねえ」

「ミスティア、一本貰っていー?」

「私にも頂戴!」

「今日は仕事じゃないから好きなだけ食べな!」

「じゃあ私も!」

「わっ、私もっ!」

「それじゃあ私はお酒でも…」

「いやどうしてさスター!そこは『私も一本!』でしょ!」

「いいじゃない。食べたい人が食べて飲みたい人が飲めば」

「八目鰻二本とお酒一本ね!」

「私達も貰っていい?」

「おっ、そっちもかい?どんどん食べな!」

「ふう…。ミスティアさん、私にも一本ください…」

「大ちゃんお疲れ様ー」

「私の食うかー?」

「ありがとね、気持ちだけ貰っておくよ」

「綺麗だねー」

「…うん。外ってこんなに素晴らしいところなんだね」

「あはは、変なこと言うね」

「桜なんか見てないで食べて飲んでまた食べようよ!」

「一応花見…」

「花なんかオマケだよ!」

「『花よりダンゴムシ』って言うじゃん!」

「『花より団子』ね」

「花より虫のほうがいいの?」

「そこー!虫だって頑張って生きてるんだぞー!」

「あははー、お酒美味しー」

「ほらもっと飲めー」

「これも食えー」

「これもー!」

「こっちも!」

「ちょっ、無理無理…」

「こらそこ!無理強いしない!」

 

少し離れた桜の木の陰に座ってその様子をのんびりと見る。そして、軽く頭を抱える。

 

「………どうしてこうなった」

「私は嫌いじゃないぞ。騒がしいのは」

「慧音は子供大好きですからね」

 

チルノちゃん、大ちゃん、リグルちゃん、ルーミアちゃん、ミスティアさん、サニーちゃん、ルナちゃん、スターちゃんが来ることは分かっていた。だけど、今日初めて会った全く知らない妖精が何人もいる。きっと大ちゃんが呼んだんだろう。

しかし、それよりももっと来ちゃいけなさそうな人達が来ている。

 

「何で貴女達がいるんですか、夜の支配者さん」

「あら、私がいたら何か悪いのかしら?」

「今は太陽が支配する真っ昼間ですよ」

「その程度で止まるとでも?」

「夜桜まで楽しむ予定だったんだから夜来ればいいのに…」

 

そもそも呼んだ覚えがない。隣にわざわざ持ってきた凄く高価そうな椅子に腰かけるレミリアさん。当然のように咲夜さんも付いて来ている。さらに、過剰なまでに大きな日傘を持っているフランさんが妖精達と一緒になって楽しんでいるご様子。

 

「フランさんは外に出さないのではなかったんですか?」

「あの子も大分落ち着いたからね。信頼出来そうな子となら外に出してもいいかなと思ったのよ。それに、あの子が貴女に会いたがっていたようだし」

「…そうですか。興味本位で聞きますが、その信頼出来る子っていうのは?」

「私はもちろん、咲夜と美鈴。パチェは外にほとんど出ないと思うけれど一応。それと霊夢と魔理沙ね。あとは貴女」

「わたしも入ってるんですか…」

「あの子が一番気に入ってるから。…この私よりも」

「そんな目で見ないでくださいよ…。滅茶苦茶怖いです」

 

そっか。フランさんもやっと外に出れるようになったんだ。事あるたびに「壊さない、傷つけない、殺さない」と言い続けた甲斐があったのかも。

未だに睨みつけてくるレミリアさんから視線を逸らしながら慧音に話しかける。

 

「そういえば妹紅さんは?」

「アイツなら筍掘ってるぞ」

「…筍」

「旬は逃したくないとさ」

「それは残念」

「誰よ、その妹紅ってのは」

「友達です」

 

うーん、妹紅さんが筍掘ってるのを想像すると何だかシュールだ。今度会いに来てくれるときに持って来てもらえたらいいなあ。

そんなことを考えていたら名も知らぬ妖精二人が近づいてきた。そしてそのままわたしの頬を引っ張る。

 

「うわ、本当にそっくり」

「大ちゃんの言った通り…」

「痛ひでふ」

「こら、その辺にしておけ」

 

そっか。わたしの説明って『そっくり』で済んじゃうんだ。知ってたけど何だか悲しい…。

さらにその二人がレミリアさんにまで話しかける。

 

「そんな椅子に座ってないでこっちきなよー」

「顔色白いよ?日光浴でもした方がいいんじゃない?」

「フ…、この私が太陽なんかを見上げるなんて馬鹿げて――」

「難しいこと言ってないで行こうよ!」

「ちょっ、待ちなさっ!」

 

おおう、妖精って怖いもの知らずだなあ…と感心していたが、それ以上は流石に駄目だ。日光を浴びてしまったらレミリアさんが燃え尽きてしまう。

 

「二人とも、ちょっとごめんね。今からこの人とお話があるんだ」

 

本当はそんなもの全くない。

 

「え、そうなの?」

「じゃあ後でねー!」

「…ほっ」

 

胸をなでおろして座りなおすのを見届けてから、咲夜さんはどうして止めなかったのかな、と思い咲夜さんを見ると、日傘を持って待機していた。けど、その日傘…。

 

「咲夜さん」

「何でしょう」

「その日傘小さくないですか?」

「日頃からそう考えておりました」

「………買い換えなくていいの?」

「お嬢様はこの日傘がお気に召しているようですので」

「けど、その大きさだと翼がはみ出るような…」

「咲夜、今度作り直して頂戴」

「かしこまりました」

 

咲夜さんの仕事が増えてしまったけれど、レミリアさんの翼が焼け落ちないで済むようになるなら安いだろう。…けれど、ここに来るときはどうしたんだろう。焼けて再生を繰り返していたのだろうか、それとも翼には耐性があるのだろうか…。

花見とは全く関係ない事を考えていたら、目の前にお猪口が現れた。

 

「はは、幻香。お前も飲むか?」

「知ってて言ってるでしょう。飲みませんよ、わたしは」

「洋酒もか?」

「飲みません」

「ふん、せっかくよさそうなのを選んで持ってきたのになあ…咲夜が」

「貴女が選んだんじゃないんですか…」

 

飲んだことのないものを飲む気にはなれない。それよりも、酔ったらどうなるか分からないので酔いたくないというのが正しいのだが。

軽く息を吐き、気持ちを落ち着かせる。あまり聞きたくないことだし、この場に相応しくないのだが、定期的に聞いていることだ。今のうちに聞いておこう。

 

「ところで慧音。里はどうですか?」

「今聞くのか?」

「忘れないうちに」

「そうか」

 

そう言うと手に持っていたお酒を地面に置いてこっちに向き直す。

 

「里はだな、現状維持が大半になってきた」

「はぁ…。やっとですか」

「何の話をしている?」

「レミリアさんとは関係ないだろう話です」

 

適当にあしらいつつ、続きを促す。

 

「しかし、ごく一部が遂に外に出てまで捕縛処刑を目論んでいた」

「……どのくらい?」

「私が知っているのは三人。しかし、途中で大多数に止められていた」

「魔法の森の奥のほうだけど大丈夫かなあ…」

「さぁな。普通ならお陀仏だが」

「ちょっと待ちなさい。誰を捕縛処刑するって?」

「わたしですよ。知らないんですか?」

 

わたしが返した言葉の返事が来ることはなかった。その沈黙は肯定と取っていいだろう。

 

「咲夜」

「何でしょうお嬢様」

「…知ってたの?」

「存じておりました」

「帰ったら詳しく教えて頂戴」

「かしこまりました。私が知っていることの全てをお伝えします」

 

咲夜さんは里へ買い出しによく来ているらしい。だったら、わたしの捕縛依頼、討伐依頼なんかを出されたり、わたしに対するかなり嫌な話も聞いているだろう。

何か嫌なことがあったら『今禍が鼻で嗤った』と言っていると慧音に聞いた時は本当に鼻で嗤いたくなった。

 

「ま、今は大丈夫そうですね」

「そうだな。過激派も縮小の一途を辿っている」

「余計な部分が飛んでいるともとれそうですけどね」

「より濃縮された悪意、か」

「見当違いもいいとこなんですけどね」

 

大体分かった。しかし、ちょっとこの辺りだけ空気が重くなってしまったかな。

 

「つまらない話を聞かせてしまいましたね。すみません」

「…紅魔館に来る?パチェも喜ぶわよ」

「候補の一つとして考えておきますね」

 

紅魔館も居心地がいいのだが、今はあの魔法の森から離れたくない。例え里から近くても、慧音や妹紅さんから離れたくないから。

 

「まどかー、何話してたんだー?」

「チルノちゃんには関係ない話」

「むぅ!仲間外れは許さないぞ!」

「…関わらない方がいい話だよ、チルノちゃん」

「…?何か言った?」

「いえ、何も」

 

いくら友達でもあまり聞かせたくない話だ。知っているかもしれないが、わたしからは言いたくない。

 

「話が終わったならこっちで一緒に食べようよ!」

「ええ、そうですね。――慧音、レミリアさん。それじゃあ行ってきますね」

「うむ、楽しんでこい」

 

ゆっくりと腰を浮かし、木陰から出る。すると、友達から次々と声を掛けられた。

 

「幻香も一本食べる?」

「ありがと。貰うよ」

「これも食うかー?」

「ありがとね。美味しく頂くから」

「幻香!これも美味しいから!」

「…蜂蜜ですか。出来るなら持ち帰りたいんですけど」

「まどかさん、この果物はどうですか?」

「うん、美味しそうだね」

「まどか!アタイの魚も食べろ!」

「見事なまでに氷漬け」

 

両手いっぱいの食べ物を受け取ったので、桜を鑑賞しながら食べていたら急に日光が遮られた。

 

「ねえ、おねーさん」

「はい何でしょうフランさん」

「私ね、おねーさんに言わなきゃいけないことがあるの」

 

そう言うとすぐに隣に腰かけた。その表情は日傘で隠れてしまって見えない。

 

「遅くなっちゃってごめんなさい…」

「気にしないでいいですよ。わたしはいつでも待ってますから」

「ううん、もう待つ必要はないよ」

 

日傘から顔を出し、わたしを見つめる。その表情は溢れんばかりの、花のような笑顔。

 

「…私の我儘聞いてくれてありがとね」

「ふふ、その言葉が聞けただけでわたしは動いた甲斐があったと思えますよ」

 

わたしの心がこんなにも暖かく感じられるのだから。

 



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第57話

「ふむ、もう夜か」

「明るい時とは違った風情がありますね…」

 

昼ごろから始まった花見は、気が付けば既に夜。酒に酔った妖精達のスペルカード戦が上で繰り広げられているくらいには盛り上がっている。この勢いはこのまま朝日を拝むまで続きそうである。

ついでに妖精がわたしの頬を引っ張るのも続きそうである。そんなに珍しいか?自分の顔なんて鏡とか水面でいつも見てるだろうに。

 

「アタイ、いきまーす!」

「おらー!飲め飲めー!」

「チッ、チルノちゃん!?飲み過ぎは…!」

「妖精根性見せてみろー!」

「おぅ、見事な飲みっぷり…」

 

あの五人は元気そうで何よりだけどね…。

 

「おねーさんは飲まないの?」

「わたしはお酒飲まないことにしてるんです」

「嫌いなの?」

「飲まず嫌い」

 

代わりになるかは知らないが、残り少なくなった食べ物を口に入れる。相当量あったような気がするのだが、もうこんなに食べてしまったのか。朝まで持つかな…。それとももうお開きにするか…?けど、楽しそうだし終わらせるのはなあ。

そんなことを考えていたら、突然フランさんに背中を叩かれた。そして擦られた。わたしの背中に何かついてるのかな?

 

「何かついてましたか?」

「…ううん、何も。おっかしいなあ…」

「…?」

 

そう言うと、次は虚空、わたしの肩甲骨の横あたりを掴み始めた。気になる虫でもいたのかなあ?

そう考えながら、周囲を見渡す。

 

「…?おねーさん、何か探してるの?」

「あ、いえ。賑やかだなあって」

「そうだねえ…。とっても楽しくて仕方ない」

 

本当は探していた。フランさんが手を握るのを見ると、何処かが爆発するのではないかと邪推してしまう。見つからなくてよかった、と安心する。

疑うのはよくないって分かっているけれど、わたしは怖いんだ。彼女は何処か無理をしているって分かってしまうから。ただ抑えているだけだって、我慢しているだけだって、分かってしまうから。

だから、わたしは定期的にその矛先を逸らす。

 

「フランさん」

「なぁに?」

「上の勝負が終わったら一緒に遊びましょう。新しいスペルカードをたくさん考えたんです。きっと驚きますよ」

「え!?本当!?楽しみにしてるよ!」

「ええ、楽しみにしていてください」

 

溜まっているものは外へ出さないといけない。膿にしろ、不満にしろ、悪意にしろ、破壊衝動にしろ。じゃないと、どうなるか分かったものじゃない。

 

「まどかー!アタイもアタイもー!」

「え?じゃあ私も!」

「それなら私もー」

「今度は負けないぞー!」

「この流れに乗るしかない!行くよ!ルナ!スター!」

「え!?行くの!?瞬殺されたのに!?」

「今度は勝ーつ!」

「何処からそんな自信が出てくるのかしら…」

「あはは…」

 

スペルカード戦の約束を聞いていた皆から再戦の申し込みが…。約束事が一気に増えてしまった。ま、いつもそうして遊んでいるからあんまり約束って感じしないんだけどね。

 

「楽しそうだな」

「ええ、楽しいですよ。一昔前では考えられないくらいには」

「そういえばおねーさんって昔何してたの?」

「昔…?」

 

人間の里に運悪く嫌われる前は何してたっけ?ただほっつき歩いてたような…?いや、その辺で座っていたような…?いやいや、ものを複製していたような…?うーん、記憶に靄がかかったように曖昧だ。思い出せない。

 

「何してたんでしょうね」

「えー?覚えてないの?」

「すみませんね。過去は振り返れない性質だったみたいです」

「振り返らないの間違いじゃないのか?」

「そんな格好いいこと言えません」

 

本当に不思議だ。わたしの記憶ってどうなってるんだろう…。覚える価値のあることがなかったからだろうか…。

 

「ま、気にしても仕方ないか」

 

 

 

 

 

 

「さて、楽しくやりましょうか」

「うんっ!」

 

ルールはいつものように三枚スペルカード三回被弾。

それにしても、スペルカード戦をしているときのフランさんは本当に楽しそうに嗤う。

あちらは押し殺していた狂気が少し見え隠れし、こちらは今まで気にしていなかった恐怖を押し殺す。

だから多少のことでは動作が強張らなくなってきたのはいいことなのか悪いことなのか…。きっと、恐怖に対して問題なく活動出来ると取ればいいこと、恐怖に対して鈍感になったと取れば悪いことだろう。

 

「禁忌『レーヴァテイン』!」

「ッ!複製『レーヴァテイン』!」

 

ああ、やっぱり。前にお願いしたことを忘れちゃうくらい溜まってたんだ。

横薙ぎに振り回されるレーヴァテインを受け止める。いつもよりも強い。押されてる。なので、その流れに合わせてわざと吹き飛ぶ。

体勢を整えながら、次の攻撃の動作を見る。突進しながらの斬り上げと予想。舞い散る炎の範囲も予想し、かなり大きめに回避する。

無防備に晒された背中に一突き。しかし、急速反転したフランさんの刀身に防がれる。

まあ、防がれることは分かっていたので、すぐに引き戻し、右側に振り回すような回転斬りで追撃。これも同じように防がれる。

傍から見れば、とても派手な殺陣が繰り広げられているように見えるに違いない。しかし、わたしにとっては死と隣り合わせの三十秒である。とにかく早く終わってほしい。

 

「アハッ!アハハ!アハハハハッ!」

「はは、ははは…」

 

狂ったように笑いながら、乱雑に振り回されるレーヴァテイン。乾いた笑いをあげながら、防ぎ、往なし、躱し、隙を見て攻撃を繰り返す。

 

「あっ、時間切れ…」

「ホッ、時間切れ…」

 

ふぅ、何とか乗り切った。両掌が火傷したけれど、この程度なら問題ない。妖力で無理矢理治癒出来る。

さて、このスペルカードはフランさんに大義名分を与えて、破壊衝動を発散するためのもの。だけど、わたしが壊れたらいけない。周りも壊しちゃいけない。ならどうするか?

 

「鏡符『多重存在』」

 

代わりに壊れてもいいものを創り出せばいい。わたしにはそれが出来るのだから。

今までなら複製「巨木の鉄槌」の樹木や複製「身代人形」の複製(にんぎょう)、鏡符「幽体離脱・静」もしくは鏡符「幽体離脱・妨」で創った妖力弾なんかを壊させていた。

だけど、本当は人型で動いているほうがいいに決まってる。ほら、フランさんも凄く嬉しそうな顔してる。今にも壊したそうな顔してる。

自分の意識が押し込められる感覚。しかし、適応能力が高いのか、あまり気にならない。二体より多く出す気にはなれないけれど。

とりあえず、一体目を突撃させる。

 

「ていっ!」

 

ぐちゃり、と一体目の頭が吹き飛ぶ。

一体目を爆破させ、二体目を突撃させる。そして再複製。

 

「とぅっ!」

 

バキリ、と二体目の胴体が変な方向に折れ曲がる。

二体目も爆破させ、三体目を突撃させる。そして再複製。

 

「はっ!きゅっ!たぁっ!アハッ!アハハッ!アハハハハ!」

 

みちり、と腕が吹き飛ぶ。爆破、突撃、再複製。パンッ、と胴体が空っぽになる。爆破、突撃、再複製。ドドド、と弾幕を食らい穴だらけ。爆破、突撃、再複製。スパッ、と手刀で頭から二等分。爆破、突撃、再複製。ブチッ、と足刀で首切断。爆破、突撃、再複製。ぐちゃっ、と頭が蹴り飛ぶ。爆破、突撃、再複製。バキッ、と四肢がおかしな方向へ曲がる。爆破、突撃、再複製。ぶぉん、と思い切り投げ飛ばされる。爆破、突撃、再複製。ボンッ、と突然破裂。突撃、再複製。バババ、と弾幕で四肢が引き飛ぶ。爆破、突撃、再複製。

そして時間切れ。ちょっと妖力使い過ぎたかも…。

 

「おねーさん!今のとっても驚いた!」

「それは、何より、です、ね…」

「それでね!とっても面白かった!」

「でしょうね…」

 

わたしの複製を壊すたびに顔が破顔していくのを見れば誰でも分かると思う。

 

「じゃあ次は私!禁弾『スターボウブレイク』!」

 

突如現れる虹を模したかのような七色の弾幕。しかし、その形はすぐに崩れ、矢の如く降り注ぐ。…まずい。密度がかなり濃い。

深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。落ち着いたところで『幻』展開。視界に映る弾幕に向かって進み、打ち消すのを目的とした相殺弾用を十個。

これは、自分の意思で撃って相殺させることが出来て、相手に向かって追尾する妖力弾が放てるなら、勝手に撃って相殺させることも出来るだろうと考えて編み出したものだ。避けるのではなく打ち消すことで被弾を避けるのはいかにもわたしらしい。一応、出来るかどうかは確認済み。

相殺させて無理矢理作った隙間を抜ける。それでも少し楽になる程度で、気合いを入れないとすぐに被弾してしまいそうである。頬を掠める妖力弾に冷や汗が出るのを感じながら意識を集中させる。

 

「むぅ…、前はボコボコ当たったのに…」

「ふふ、わたしだって成長するんですよ。若いですから」

「私だってまだまだ若いんだからー!」

「四百九十五年以上生きててどこが若いんですか!?」

 

吸血鬼にとっては幼子の部類に入るような年齢なのかもしれないけれど…。

それと、この言葉で分かった。もう十分発散されている。当分は大丈夫だろう。そして、いつかは溜めることなく、抑えることなく、我慢することなく、発散することなく、生きていけるようになってほしい。

さて、幕引きだ。

 

「鏡符『幽体離脱・集』!」

「ッ!きゅっ!」

 

密度が濃い分、襲い掛かる複製も多くなる。これなら被弾させれるかなー、と思ったけれど駄目でした。全部まとめて破裂されてしまった。

 

「あー、負けちゃったなー…」

「うぅー、おねーさんにいつもスペルカード使い切りで勝ってる…」

 

しょげているところ悪いけれど、わたしはとにかく被弾しないことばかり考えているんだ。相手に勝つよりも自分が満足いく勝負、というのも少しだけ考えている。まあ、勝てそうなら勝ちに行くけどね。

 

「使えるものは使わないともったいないですからね」

「使い切ったら負けるのに?」

「使わずに終わる方が嫌ですから」

「そっか…。そうだよね!やれることは徹底的に、だよね!」

「それはちょっと違う」

 

 

 

 

 

 

「次はアタイ!」

「いや、私だー!」

「ミスティアー、私と一緒にやるー?」

「いいよ?今度は勝つよー!」

「行くよ!ルナ!スター!」

「お、おー!」

「ええ!」

「…何してるんだか」

 

フランさんとの勝負が終わって降りてみたら、チルノちゃんとリグルちゃんは喧嘩、ルーミアさんとミスティアさんは手を組み、サニーちゃんとルナちゃんとスターちゃんは円陣を組んでいた。

 

「ねえおねーさん」

「何でしょうフランさん」

「次は誰とやるの?」

「…全員?」

「え!?一対七!?本当!?」

 

…言い方間違えた。訂正しようにも、期待に満ちた目で見られたらそれはしにくい。というより、出来ない。機嫌は損ねたくないから。

 

「え、あ、そ、そうですね…」

 

やる気に満ちた七人の元へ歩く途中で「幻香」と慧音に呼び止められた。声音と表情から心配していることが分かる。

 

「…大丈夫か?」

 

フランさんに聞こえないようにするためか、声を潜めて聞いてきた。

 

「さっきのスペルカード戦が?これからのスペルカード戦が?」

「さっきのだ。かなり危うく見えたぞ?」

「ええ、暑いのに寒気を感じるくらいには」

「…いつもあんな感じなのか?それなら――」

「いつもはあれ程じゃないんですよ…。心配してくれてありがとうございます」

「…付き合い方には気を付けろよ」

 

そして、声を元に戻して「ほら、行って来い」と言いながら、七人のほうへ背中を軽く押された。

さて、全員まとめて相手するために的確なセリフは、と。

 

「はい皆さん!一人ずつで来てもわたしがいつも勝ってるんですから、わたしに勝ちたいなら全員まとめてかかってきなさい!」

 

さあ、どうなることやら。

 



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第58話

「頑張るぞー!」

「「「「「「おー!!」」」」」」

「いい!?アタイ達は最強だー!」

「「「「「「「最強だー!」」」」」」」

 

七人が円陣を組んでいるのを見ていると、とても楽しみにしていることが伝わってくる。勝ちとか負けとかにこだわっていない感じが。しかし、そのメンバーを考えてちょっと危機感が芽生えた。

だってさ、ミスティアさんで鳥目、ルーミアちゃんで暗黒、ルナちゃんで無音。これってかなりヤバい状況じゃない?勝てる気がしなくなってきた。

 

「だ、大丈夫ですか?七人も一斉に相手するなんて…」

「大丈夫大丈夫全員に勝ったことあるからいけるいける大丈夫さアハハー」

「全然大丈夫じゃないみたいですね…」

 

大ちゃんに心配されながら、ルールを思い返す。こっちはスペルカード三枚被弾三回。あっちはスペルカード一枚被弾一回。ただし、あっちは被弾しなければ負けじゃない。負けたら弾幕使用禁止、妨害禁止、能力解除。

うーん…、広範囲かつ高威力の一撃を叩きこんで、本人の前で言ったら怒られそうだけど鈍臭いルナちゃんを真っ先に落とせれば勝てるかも。それが駄目なら何とか視認出来る範囲まで接近して殴り飛ばすか…。

けど、これは確実ってわけじゃない。何か、対策が必要かな…。

 

 

 

 

 

 

案の定、開始と共に視界は不明瞭で、音の無い世界へと変貌した。しかし、八目鰻を食べていたからか、そこまで不明瞭というわけではない。月も星も見えないし、七人の姿は見当たらないけれど。

今見える範囲で安全な位置に移動してから『幻』展開。相殺弾用を十五個と撃ちたいときにすぐ放てるように二十個待機させる。相殺弾用からも放てるのだが、わたしの『幻』は一度はなってから少し経たないと次の妖力弾を放てないので、保険にというわけだ。

弾幕を『幻』に任せ、両手に妖力を溜める。それと同時に両腕が淡い紫色に発光し始める。この動作も大分慣れてきたかな…。最初の頃と比べると段違いに速い。

 

()()()()()()()()()()()()!」

 

広範囲と急接近、どっちを選ぶか迷ったわたしは、欲張りにも両方選ぶことにした。

左手に溜めた妖力を後方へ解放する。その妖力はマスタースパークのように勢いよく、しかし必要以上に消費しないように細めに。普段なら自分がその場から動かないようにするのだが、今回は違う。体を妖力の推進力に乗せ、その速度は普段の飛行速度の何倍にも加速する。

迫る弾幕は避けようともせず『幻』の相殺弾に頼る。それでも消し損じたものは待機している『幻』でカバーする。

 

「…()()()!」

「……!?」

 

視界に人影が映った、と思ったときにはその姿が視認出来るほどに接近していた。その表情から感じることは驚愕、そして歓喜。口が動く。多分、スペルカード宣言。

 

「……『……………』!」

 

突如、黄色く輝く妖力弾が現れた。その大きさはかなり大きい。このまま突撃すれば被弾してしまう。障害になるのはリグルちゃんの右側。そこにあるのは邪魔だ。待機している『幻』を使用し、普段は放たないだろう大きさの妖力弾を放つ。『幻』から再度放てるようになるのに少し時間がかかりそうだが、相殺出来たので問題ない。

この勢いのままに蹴りでも放ったら怪我では済まなそうなので、その横を通り過ぎる瞬間に相殺用の『幻』の一つから最速の一撃を放つ。被弾したかは見ることが出来なかったが、ちゃんと当たっているはずだ。…そう思いたい。

二秒ほどそのまま進むが、人影も弾幕も来なくなった。なので左手からの妖力を止め、右手の妖力を解放し、無理矢理方向転換する。体にかかる負荷が凄い。魔理沙さんはよくもまあ平然とこんなことが出来るなぁ、と感心してしまう。

 

()()()()()!」

「……!?」

「………!」

 

目の前に現れたサニーちゃんとスターちゃんに『幻』からの一撃を加える。

 

「…()()()!?」

 

が、妖力弾は二人の姿を何の抵抗も無く貫通し、煙のように消えてしまった。…多分、二人のどちらかの能力を使ったんだろう。前にも突然消えたことがあるし。

仕方ない。二人は放って置こう。また別の機会に撃てばいい。

ある程度進んで見当たらなかったら、妖力を止めて、もう片方の手に溜めた妖力を解放し方向転換。そうすることで場を縦横無尽に駆け回る。

 

()()()!」

「………?」

 

ルーミアちゃんの背中を視認し、即狙撃。被弾したことを何とか視認出来たので、暗黒を使われる心配がなくなった。

しかし、その後はなかなか見つけることが出来なかった。飛んできた弾幕の方向に方向転換しても、既に別の場所へ移っているようだ。

…よし。弾幕の方向なんか気にせず行こう。その方が見つかるような気がしてきた。

 

()()()()()()()!」

「……!?」

 

スペルカード終了まで残り僅か、といったところでルナちゃんを見つけた。右手に残った妖力がもったいないのと、無音の世界を作ったという腹いせにルナちゃんに向かって溜まっている妖力を解放する。

 

「きゃああー!」

「あ、聞こえた」

 

久しぶりに聞く音はルナちゃんの叫び声だった。まあ、あれだけの妖力の濁流をまともに食らえば仕方ないか…。

被弾を確認出来たのはルーミアちゃんとルナちゃん。被弾したかもしれないのはリグルちゃん。もしかしたら、推進力のための妖力に被弾している、なぁんてこともあるかも。

地面をガリガリと削りながら着地。さて、何人残っているかな…?えーと、液体をカップに注ぐ音、フランさんの歓声と拍手、溜め息、会話、咀嚼音、その他たくさん。…分かんないや。

 

「まずいよ、ルナちゃんやられちゃった…」

「えー?ルナがやられるなんていつものことじゃん」

 

ふむ、ミスティアさんの言っていることは正しい。だって、声が聞こえれば、そこに撃てばいいんだから。

 

「うわぁ!危なぁ!見えないって言ってたじゃん!嘘だったの!?」

「見えないはずだよ!だけどねえ、幻香って耳がやたらいいの!声とか飛翔音とか発射音とか服の擦れる音で場所を特定出来るくらいには!」

「えぇ!?それってヤバくない!?」

 

まあ、服の擦れる音で特定出来るのはかなり近くないと駄目なんだよね。妖精って飛ぶときに独特の音を出すのがいるから分かりやすい。

 

「あはは、ミスティアさんとサニーちゃんはいるみたいですね。サニーちゃんの後ろにはスターちゃんも」

「うげっ!バレてるー!」

「私声出してないのに!」

 

…鎌にかけたら簡単に引っかかっちゃった。

 

「アハハ!スターったらお馬鹿なの!?」

「なぁ!?チルノなんか3+5も分からなかったくせに!」

「『かきごおりみずあじ』なんて変なの出したくせに!」

「へへーん!今なら3+5も分かるもんねー!…えーとね、9!」

「…水味?」

 

何それただの氷じゃん…。それと、答は8だよ…。とりあえず、チルノちゃんもいるみたい。

大ちゃんの声が後ろのほうから聞こえてきた。えーと「お勉強ちゃんとさせないと…」か。…頑張れ大ちゃん。

 

「3+5が9!?馬鹿じゃないのー!?」

「何だとー!一番最初に負けたくせにー!」

「何だとー!3+5も分かんないくせにー!」

「ちょ、ちょっと今は止めて!」

「負けたら邪魔しないって約束でしょー?」

 

ふむ、リグルちゃん、ルナちゃん、ルーミアちゃんはちゃんと被弾してたみたい。よかったよかった。

わたしが一枚使ったんだ。残った四人はまだ使っていないから、これから使ってくるはず…。

 

「スター!行くよ!」

「ええ!私達の力、見せつけましょう!」

「日符『アグレッシブライト』!」

「星符『スターライトレイン』!」

 

うん、やっぱり使ってきた。後ろのほうから「あの、私も…」と聞こえたが気にしない。

降り注ぐ妖力弾。だけど、二人合わせてもさっきの禁弾「スターボウブレイク」よりも圧倒的に薄い。

発射音が所々から聞こえる。それは大体円状だ。つまり、その中心にいる!…はず。

 

「あっ!痛い!」

「サニー!?きゃぁ!」

「ふう、スペルカード使用中はそっちに集中しちゃいますからね」

 

弾幕を張ることに意識を向け過ぎれば避けることを怠る。これは自分も経験したことだ。だからよく分かるよ。

 

「ああもう!チルノ!私達も行くよ!」

「よっしゃ行くぞー!」

「はは、二人まとめてかかってきなぁ!」

 

視界に人影が映る。この状況なら接近してくることは殆どない、と思っていたのだがそういうわけでもなかったみたい。

勢い良く腕を振り上げたチルノちゃんがわたしに向かって一直線に飛んでくる。

 

「氷塊『グレートクラッシャー』!」

「複製『グレートクラッシャー』!」

 

氷塊とその複製がぶつかり合い、大きな音を立てて砕け散る。その隙に『幻』から弾幕を放つ。

 

「ふっ!」

「…へぇ、もう出来るようになったんだ」

 

チルノちゃんの目の前に氷が現れる。その中にはわたしの放った妖力弾がそのまま凍っている。そして、その氷は儚く割れた。わたしの妖力弾と共に。

わたしが大ちゃんを通して教えたこと。『避けれないなら止めればいい』。弾幕を凍らせればいいじゃん。動きを止めれば避ける必要はないよ、って。もう出来るようになってたとは驚いた。

 

「けどね、わたしが考えた方法なんだ。対策も既にある!」

 

『幻』から通常の弾幕を放つ。

 

「はぁっ!――え?」

 

そしてすぐに『幻』から細長く、貫通力に特化した針状の弾幕を放つ。それは、目の前にあるわたしの弾幕を包んだ氷を砕きながらチルノちゃんに迫る。中で動きを止めていた弾幕も遮るものが無くなったからか、一緒に飛来する。

 

「うぎゃあ!」

「ふふ、教えられたことからさらに先へ。生き抜くために必要なことですよ」

 

さあ、あとはミスティアちゃんだけだ。正直、ミスティアちゃんのスペルカードは厄介だ。使われる前に片付ける!

 

「こうなったら!『ブラインドナイ――」

 

スペルカードの宣言。その瞬間に弾幕は存在しないことが多い。ミスティアさんも大体そうだ。

なら、声が聞こえた瞬間に一気に距離を詰める。右腕を引き絞りながら。

 

「ハァッ!」

「――えっ!?ちょっ、殴ッ!?」

 

捻りを利かせながら思い切り胴体に向かって拳を叩きこむ。当たった瞬間に引き戻したので痛みはあんまりない、はず。

見上げれば、満天の星空と僅かに欠けた月が美しく輝いている。

 



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第59話

「凄いよおねーさん!」

「フフ、そう言ってくれると嬉しくなっちゃいますね」

 

両腕を上げ、小躍りするフランさんの右腕にハイタッチを交わし、そのまま横に座る。

対戦相手の七人はというと、二つの喧嘩が始まっていた。リグルちゃんとチルノちゃんが口喧嘩。光の三妖精が殴り合い。ルーミアちゃんとミスティアちゃんはそんな喧嘩は全く気にせず反省会。…あ、大ちゃんが止めに行った。

 

「…?どうしたのおねーさん」

「あー、ちょっと疲れちゃってね」

「じゃあ何か持ってくるね!」

 

そう言ってすぐに飛び出してしまった。食料なんかもう残り少なかったけれど、食べ尽くされていないだろうか?

さて、わたしのちょっと反省会をしようかな。まず思いつくのはちょっと無茶しすぎたこと。「ブレイジングスター」は妖力の放出を魔理沙さんのものより抑えたのだが、やっぱり消費量が多い。わたしにとっては完全に魅せ技だ。

次に視界が悪い時の対処。音で判断出来ればいいのだけれど、対象から離れた場所で弾幕を放つことが出来る人がいたら見当違いな方向に放つことになってしまう。ということで、もっと別の方法で探知することが出来るようにならないといけないかも。

 

「おい」

「うひゃっ」

 

考えに耽っていたら、肩を叩かれた。

 

「大丈夫か?顔色悪いぞ?」

「大丈夫ですよ。妖力不足は慣れてますから」

「そこは慣れちゃいけないだろう?」

「そうですか?妖力なんて使えばすぐ無くなっちゃいますよ」

「…出来るだけ使わないようにするのが普通なんだがなあ」

「え、そうなんですか?」

 

うーむ、妖力の消費を抑える方法も考えないといけないかも。弾幕を張るだけならあんまり使ってる感じしないんだけど、複製とかマスタースパークなんかは消費していくのを感じる。複製の際の消費は回収さえ出来れば元通りだから、マスタースパークみたいな過剰妖力消費を抑える方法を考えるか?それとも、保有妖力量を増やす?…前者はまだしも、後者は無理があるか。

 

「ほれ、とりあえず水でも飲め」

「ありがとうございます…」

 

コップに注がれた透き通った水を一気飲み。冷たくて気持ちいい。

フー、と息を吐いていたら慧音の視点がわたしから別のところへ移った。

 

「うん?あの姉妹、なんか言い争いしてないか?」

「え?…どうしたんでしょう」

 

ちょっと耳を澄ませて、二人の会話を聞き取る。

 

「持っていってもいいでしょお姉様!」

「フッ…、奪えるものなら奪ってみなさい。出来るならね」

「いいわ!やってやろうじゃないの!もちろんスペルカード戦!」

「フラン、姉に勝る妹はいないのよ?」

「五百もあれば二つや三つくらい誤差よ誤差!」

 

…他のところから貰うことは駄目なのかな、と思って見渡すが、残り全てと言ってもいいくらいの食糧を持っているようだった。何でなのレミリアさん…。

 

「ちょっとまずくないか?」

「咲夜さん静観してるし大丈夫、かな?」

 

レミリアさんの横で微笑んでいるし。あ、こっち見て微笑んだ。非常に分かり辛いけれど、口を僅かに動かしてる。えーと『大丈夫ですよ』かな?

 

「お姉様!私が勝ったらそれ全部頂戴よね!」

「貴女が負けたら何が出るのかしら?」

「一週間お菓子抜きでいいわよ!」

「…え?本気で言ってるの?壁壊したりしない!?」

 

ちょっと待て。お菓子ないと壁壊してたの!?…今度から紅魔館行くときは何か甘いもの持って行った方がいいかな…。まあ、あったらでいいかなぁ。

 

「しないわよ!」

「そう?それなら…」

「さぁ!早く早く!」

「ちょ、待ちなさいフラン!」

 

どうやらフランさんとレミリアさんがスペルカード戦をするようです。…大丈夫かな?

 

「慧音」

「…?なんだ?」

「…ちょっと離れた方がいいかも」

「よし、あっちには私が伝えるからそっちを頼む」

 

慧音が言うそっちはあの八人がいる方だった。慧音と一旦別れて八人のところへ向かう。

 

「ちょっと皆ぁ!」

「どうしましたまどかさん?お暇なら喧嘩を止めてくれると助かるんですけど…」

「よし分かった。止めるからこれから始まるスペルカード戦から離れよう」

「…?」

 

大ちゃんはこれから始まるスペルカード戦がどれだけの規模になるか知らなそうである。首を傾げてるし。しかし、すぐにルーミアちゃんとミスティアさんのところへ行って一緒に離れてくれたので、よしとしよう。

とりあえず、殴り合いの喧嘩をしている光の三妖精から対処しよう。一気に接近し、その中心に桜の木を複製する。

 

「うわぁ!」

「きゃっ!」

「あうっ!」

 

三人が弾かれたことを確認してから即回収。そのまま三人の中心に立つ。

 

「はい喧嘩はあと!これから吸血鬼姉妹のスペルカード戦始まるから!」

「え…?本当に?」

「さぞかし美しいんでしょうねえ…」

「痛たた…吸血鬼姉妹の?」

「そう!ここかなり近いから巻き込まれるよ!」

 

多分。わたしがフランさんとするときは、フランさんが手加減することが多いので、そこまで広く移動することはない。しかし、手加減なしだとどうなるかなんてすぐ分かることだ。

 

「よし、逃げるよスター!ルナ!」

「え?離れて見ればいいんじゃない?」

「…私、見たいかな」

「なら大ちゃんのところ行って!あそこなら大丈夫だから!」

 

そう言うと三人は移動してくれたので、未だに口喧嘩を続けている二人の元へ行く。

 

「大体リグルはカエルに食われる虫なんか使っちゃって!」

「その私に負けるなんてチルノはカエル以下かー!?」

「なぁ!?アタイがカエル以下ぁ!?ふーん!カエルなんて簡単にカチンコチン――」

「はいそこまで」

 

二人の口を同時に塞ぐ。モガモガ言ってるけど気にしない。

 

「ここら辺は危ないからちょっと離れようね?」

 

二人は首を縦に振ったので、手を離す。そして、そのまま背中を押した。

 

 

 

 

 

 

…うわぁ、速ぁ…。

何あの速度。魔理沙さんの速度が遅く見えるんだけど。

 

「ねえまどかー、見えないんだけどー」

「すみませんが私も…」

「あはは…、これが吸血鬼ですか…」

 

規則性のない高速移動。言葉で表せば単純だけど、やってることが異常だ。霞むほどの速度ってどういう事よ?

 

「フラン!これに追いつけるかしら!?」

「…追いつく必要なんてない」

 

そうだよフランさん。手段は無限大だ。より速く動くことも一つの手段。けれど、それよりも単純な手段があって、貴女ならそれが出来るんだから。

 

「禁忌『カゴメカゴメ』」

「…!」

 

戦場は、立方体に区切られた。その中の一つにレミリアさんが収まり、停止する。

レミリアさんは今まで直角に方向転換していなかった。あれだけの速度なんだから、そんな芸当は無理があったんだろう。

 

「アハッ、捕まえた!」

「チィッ!」

 

この拘束を自ら崩すのがフランさんらしい。すぐに新しいのが現れるけれど。

…それにしても弾幕が濃いなぁ…。わたしとやってるときの五倍くらいはありそう。もしかしたら十倍いってるかもしれないけれど。

 

「――ッ!」

「一発当たりだね。あと二発」

 

うげ、腕吹っ飛んだ…。思わず右腕を掴んでしまう。

 

「幻香、右腕痛いの?私攻撃したときにでも痛めた?」

「…そういうわけじゃないんですよ」

 

腕吹き飛ぶのって痛いよね、うん。あれは思い出したくない痛みだよ…。

咲夜さん平然としてるけれど、いいの?ご主人様大怪我だよ?と思ったら、ぐちゅり、といった感じに腕が生えてきた。ちょっと気持ち悪い…。

 

「だぁー!許さないわよ!よくも私の腕を!アレすごく痛いんだから!」

「えー?知らないよお姉様。私の腕じゃないし」

「当然よ!あれは私以外の誰のでもないわ!」

 

そう言い放つと、再生した右腕が紅く輝き出す。

 

「紅符『スカーレットマイスタ』ァ!」

「アハッ!お姉様もしかして怒ってる?怒ってるの!?アレだけで!?」

「アレとは何だぁ!私の大事な右腕だぞ!」

「えー、お姉様も自分でアレって言ってたじゃん…」

 

うん。あれだけの弾幕、喋りながら避けてるあたりがね。やっぱり凄いなって思っちゃいますよ。格の違いってやつがよく分かる。わたしもいつかあんなこと出来るようになったらいいな…。何年かかるか知らないけれど。

 

「うわぁ…、真っ()()…」

「そろそろ夏ですけれど、あんな感じの火に飛んで行かないでくださいね?」

「行かないよっ!」

 

傍から見るだけならとても美しい弾幕。相手になって見ればとても残酷な弾幕。だって地面抉れてるし。

 

「そんな穴だらけの弾幕当たるわけないじゃん!」

「ふ、ふふ…、い、妹相手に本気を出す必要ないでしょう?」

「さっきまでキレてた人が言うと負け惜しみにしか聞こえなーい」

「何だとコラァア!」

 

レミリアさんご立腹のご様子で。さっきから口調が酷いことになってますよ…。

挑発されたからか、さらに量が増える。ついでに被弾した場所の被害も増える。さっきのよりも深く抉れております…。

 

「ッ!痛!」

「ハーッハッハ!どうよ!これが姉の実力!思い知ったか!」

「よーし、よーし。楽しくなってきた!」

 

被弾して吹き飛んだ左脚を即座に再生。本当に楽しそうだけど、わたしとのスペルカード戦じゃあ満足できないのかな、やっぱり。密度も薄いし、すぐ負けちゃうし。…ちょっと不安になってきた。

 

「禁忌『レーヴァテイン』!」

「ッ!神槍『スピア・ザ・グングニル』ッ!」

 

燃え盛る大剣と真紅の長槍がぶつかり合う。二人共避けるなんて考えてない辺り凄いと思う。全部空振りさせないで受け止めてるし。

 

「うぎぎ…!」

「ぐぬぬ…!」

 

二人の鍔迫り合いが始まり、膠着状態に陥った。…関係ないけれど鍔同士じゃないけれど鍔迫り合いでいいのかな?

二秒、三秒、四秒…、と押し合い続けている。ここで負けたら駄目だ。フランさんは勝ちたいと思っている。何か、わたしに出来ることは――、

 

「フランさんっ!」

「――!?」

「頑張って!レミリアさんなんかに負けないで!貴女なら出来る!そうでしょう!?」

「…うん!」

 

そう返したフランさんの両腕に力がこもる。僅かずつだが、押し始めている。

 

「なぁ!?つ、強っ…!」

「このまま…!」

 

ベキリ、と音が聞こえた気がした。

 

「せいっ!」

「ぐっ…!痛ったぁ!」

「今度は左腕だ!あと一発!」

「チィ!まさか競り負けるとは…!」

 

左腕を再生させながら後退するレミリアさんの顔はかなり焦っているように見える。

 

「ねえお姉様?姉に勝る妹は、何だっけ?」

「姉に勝る妹はいない!紅符『ブラッディマジックスクウェア』!」

「ならお姉様は何になるのかな!?禁忌『フォーオブアカインド』!」

 

二人とも最後のスペルカード。被弾もフランさんのほうが少ないし、僅かにフランさんのほうが遅かったから、時間が来てもフランさんが勝つ。レミリアさんもそれに気付いているはずだから、相当自信があるスペルカードに違いな――、

 

「ハァッ!」

「――え?」

 

瞬間、レミリアさんの頭頂部に踵落としが決まった。フランさんの分身の一人によって。

最後にしては呆気ない幕切れであった。

 

 

 

 

 

 

かなりの量の食糧と数本の洋酒を抱えて飛んできたフランさんに、最後の行動について聞いてみた。

 

「最後の?おねーさんがやってたのを真似したの!」

「あー、やっぱりそうなんですか…」

 

無茶をする。正直言って、美しさとかを求めるスペルカード戦でやったらあとで愚痴愚痴言われそうなことなのに。

わたしはそうでもしないと勝てないからやっているだけなのに。

 

「ねえ、フランさん」

「なぁに?おねーさん」

「わたしといて、楽しいですか?」

「…どうしてそんなこと聞くの?」

「わたしと遊んで、楽しいですか?」

「…ねえ」

「わたしとだと、つまらなく、ないですか?」

「そんなことないよ!」

 

突然の大声に頭が真っ白になる。

 

「楽しいよ!おねーさんと一緒にいるといつも気持ちがいいの!初めてスペルカード戦を教えてもらった時も一緒にお話ししてる時も遊んでいる時もチェスしてるのを後ろから眺めている時も!どんな時でも!」

「フランさん…?」

 

そう言い切ったフランさんの顔が突然暗くなる。

 

「だけどね、たまにおねーさんの目が暗くなるの。私を見て怖いって気持ちが伝わってくる。…ねえ、私は一緒にいて欲しい。けど、おねーさんがいたくないなら――」

「…確かに、怖いですよ」

「じゃあ!」

「けどね、フランさん」

 

そんなことをしたら、彼奴等(里の人間共)と同じになってしまう。

 

「それ以上にフランさんの良い所を知ってますから」

 

一つのことで勝手に嫌って、その他のところを見ない人には、わたしはなりたくない。

 

「フランさんが嫌ってないって分かったからには、勝手に何処かに行っちゃうなんてことはしませんよ。これからも、楽しく過ごしましょう?」

「うん!」

「さ、せっかくフランさんが頑張ってくれたんですから。ちゃんと食べ切りますよ?」

 

しかし、多いなあ…。食べ切れるかしら?ま、二人で分け合えば問題ないか。

 



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第60話

花見は夜明け前に解散した。持ってきた食料も飲み物もなくなっちゃったからね。

 

「…うぐぅ、食べ過ぎた…」

 

けど、流石にあの量を二人で分けるとか無謀だった…。まあ、他の子も要らなそうだったから結局二人で食べるしかなかったわけだけど。

 

「…起きないと」

 

日の当たり方から考えて、もう既に昼過ぎ。いつまでも布団に入ってるわけにもいかない。

しかし、いくら昨日、いや夜明け前まで食べてたとはいえ、何もお腹に入れないのはよくない気がする。

とりあえず布団から這い出て、乾燥茸を五個ほど掴み取り水にブチ込んでおく。調味料も少々。戻している間に着替えを済ませ、その後すぐにスープモドキを食べる。

 

「…不味」

 

…まだ戻り切ってなかった。内側が乾燥してて変な感じ。それに調味料の味ほとんどしないし…。

 

 

 

 

 

 

口の中でふやかして茸を咀嚼しながら、外へ出る。今日の目的は既に決まっている。妖力枯渇対策だ。

方法についても考えてある。手ごろな大きさの石ころを複製すればいい。その時に過剰に妖力を入れる。完成したそれをネックレスとかにして肌身離さず持ち歩けばいい。

それらしい紐はあとで考えるとして、今は石ころだ。指で摘まめるくらいの大きさがいいと思っている。あと、角張っていないで触り心地がいい石ころじゃないと、普段から首に下げているときに角張った部分が刺さって痛そうとか、出来れば身に着けてて違和感のない色をしていてほしいとか。鈍色は嫌だな。

 

「あー、見つかんないなぁー…」

 

ま、簡単に見つかるとは思っていないけどね。けれど、妥協出来そうなものはいくつか見つかったので拾っておく。ちょっと大きいけれど橙色で丸い石とか、手頃な大きさで白色だけどちょっと角がある石とか、ちょっと小さめで角がないけれど灰色の石とか。

あ、そういえば花見に食料をかなり持って行っちゃったから備蓄が少ないんだった。ついでに茸でも拾っておこうかな。

猛毒茸、麻痺茸、錯乱茸、催眠茸、美味茸、劇毒茸、笑茸、食用茸、毒茸、無味茸、致死茸、不味茸などなど。…やっぱり食べれない茸のほうが多いなぁ。

 

「…お」

 

思わず声が出てしまった。自分が思い描いていた大きさにほぼピッタリ、真球とまではいかないが角のない球体、僅かに青を帯びた白色の石ころ。まさに目当ての品物。…石ころだけど。

 

「さて、複製複製っと」

 

右手で摘まみ、空いている左手に複製。

 

「…あれ?」

 

…妖力が減った気がしない。いや、ほとんど減っていないだけだ。まるで普段の複製と同じ感じ。妖力を入れようと躍起になるが、全然入らない。回収してみても、やっぱり妖力量が少ない。おっかしいなぁ…、前はかなり入ったのに。

この石ころが特別駄目なのでは、と思い妥協品でも挑戦してみたがやっぱりほとんど入らない。

つまり、石ころと人、春では何かが違うということだ。真っ先に思いついたのは生物か非生物かだけど、春って生物か?花びらの形をしてたけれど、あれって本当に植物だったのかな…。

そもそも人と春の共通点が見つからない。というより、春がどういうものなのか全く分からないから共通点を見つけようがないと言った方がいいのかもしれないけれど。

 

「…パチュリーに訊こ」

 

分からなかったら知ってそうな人に訊く。あれだけの知識があれば何か分かるかもしれないし。

 

 

 

 

 

 

「――と言うことなんですけれど」

「対策は考えてたけれど出来なかった、と」

「…まあそうですね」

 

いつものように椅子に座って本を読んでいるパチュリーに相談しに来た。長椅子の端に座って続きを聞くために耳を澄ます。

 

「ねー、何の話してるのー?」

「わたしが死なないために必要なことですよ、フランさん」

「そっか。なら頑張らないとね」

 

わたしの隣に座るフランさんが囁くような声で話しかけてきたので、同じように小さな声で返事をする。

 

「…フラン。いつもなら部屋で遊んでる時間じゃない?」

「おねーさんが来る気がしたから部屋を出て廊下歩いてたら見つけたの」

「『大図書館へ行く』と言ったら『じゃあ付いてく』と言ったのでそのまま」

「分かりやすい説明をありがとう」

 

そう言うと、目を瞑った。きっと今の彼女の頭の中はものすごい速さで思考しているに違いない。

数秒後、目を開き結論を口にした。

 

「そもそも『春』を見た事ないから分からないのだけど」

「あれま、残念」

「昔読んだ書籍に似たようなものなら載ってたわ」

「…昔にもあったんですね」

「貴女の言う春に合わせて解釈すれば『高いエネルギーを保有する。そのエネルギーを使用して環境に変化をもたらす』ってところかしら」

「前に見せてもらった緋々色金みたいな?」

「最初の部分はね」

 

人と春の共通点がハッキリした。『エネルギーを保有している』こと。人には霊力、魔力、妖力、神力など様々なエネルギーを、春は環境を変化させるようなエネルギーを持っているということだ。わたしが拾った石ころにはそういったエネルギーがなかったということだろう。

 

「つまり、そういうものを複製すれば出来る…?」

「前は出来なかったけれど今は出来るんでしょう?…やってみる?」

「そりゃあやってみますよ」

 

もし出来なかったとしても構わない。それならまた別のもので試すだけだし、他の方法を考えてもいい。今は試行錯誤の時間だ。

 

「さ、これでいいかしら?」

「おお、前のより小さいですけれど」

「目当ての形状でしょう?」

「ええ」

 

大きさも形も求めていたものに近い。非常に硬いので、紐を通せるかは知らないけれど。

右手に持ち、左手を開く。そして複製。

 

「…あれ?」

 

突然、壁に叩きつけられた。痛みはない。あれ、脚が地面に着かない。重力がおかしい。本棚が壁にくっ付いている?机も椅子もだ。あ、パチュリーが壁に垂直に立ってるなんて凄い。フランさんもだ。…いや違う。これは壁じゃない、床だ。床に倒れたんだ。どうしてだろ。視界が、揺らぐ。霞む。真っ白。明滅。駄目だ、思考が、おかしく、なって、き、た。ねむい…。くらい…。さむい…。

…意識を失う直前、声を聞いた気がした。

 

 

 

 

 

 

「幻香ッ!?」

「おねーさんっ!?」

 

右手の緋々色金と左手のその複製が床に零れている。幻香が倒れた。複製が完了したと同時に倒れた。

 

「ねえ!大丈夫!?ねえ!ねえったら!」

「…ちょっと退いてフラン」

 

肩を掴んで揺らしているフランにちょっと退いてもらい、軽く調べる。

呼吸は、浅いがしている。脈拍は、あるけれど弱い。体温は、普通だけどこれから下がってもおかしくないかも。複製完了と共に倒れたことも加味して、妖力枯渇と思われる。

…妖力枯渇対策の為に妖力枯渇になったら意味ないじゃない…。

 

「どうしようどうしよう…!何も壊してないのに倒れちゃった…!なんで、どうしてっ!」

「落ちついてフラン…。幻香の妖力が無くなっただけ」

「妖力が無くなる…って死んじゃうってことじゃないの!?」

「…だから今から意識の覚醒を促す」

 

前は身体的にも妖力的にも危機的状況だった。今回は妖力だけだから前よりマシ、と思いたいけれど、どちらにしろ死にかけていることには変わりない。

 

「いつ起きてもいいように、すぐ近くに置いていたから」

 

この意識の覚醒を促す魔導書の効果は、自己治癒能力の飛躍的向上。つまり、自然生成される妖力が格段に加速する。

 

「――――――――――」

 

声ではない音が大図書館中に響く。前は問題なかったんだから、今回も問題ないはず。お願いだから、こんなことで死なないで…!

 



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第61話

「…信じられない」

 

思わず長椅子に横になっている幻香に目を遣る。呼吸の脈拍も体温も安定し、ただ普通に眠っている彼女。その彼女が創った緋々色金を調べていたが、とてもじゃないが信じがたい。

一体、彼女のどこからこれほどの妖力が出てきているのか…。

 

「…気になるけれど、加工しないと」

 

どうせなら目覚める前に完成させて、驚かせてやろうか、などと考えてしまうあたり、私も彼女に会って大分変わったな、と考えてしまう。昔はとにかく本を読んで、新たな魔術を模索するという、閉じた世界で十分幸せだった。

今では彼女を通して、外にも興味が出てきた。無理しない程度に外へ行くのもいいかもしれないと考えるくらいには。彼女が普段生きている外に。

もしかしたら、私の他にも魔法使いがいるかもしれない。霧雨魔理沙や、最近ここに来たアリス・マーガトロイドという新米魔法使いの他にも。もし見つけることが出来たら、お互いの研究について話してもいいかもしれない。

…考えが飛び過ぎた。さて、加工を始めよう。

 

 

 

 

 

 

浮遊感から解放され、世界の様々な情報を感じる。古くなった本特有の臭い。フカフカした触感。背中に感じる独特の反発感。閉じた瞼を通った光も感じる。紙の擦れる音。

あー、大図書館だなー、と考えながら起き上がる。

 

「あら、おはよう。倒れてから半日、といったところかしら」

「…おはようございます、でいいんですか?」

「もうそろそろ日も昇るから問題ないわ」

「そうですか――痛ッ」

 

思い切り伸びをしたら、急に頭痛が。おそらく、倒れたときにぶつけたからだと思う。あの時は痛みなんて感じなかったんだけどなあ…。

 

「大丈夫?」

「…多分」

「そう?…後で見せてね」

「分かりましたー」

 

体中を流れる妖力が少ない。普通に生活する分には問題ないけれど、スペルカード戦をしようって言われたら不安になってしまうくらい。…多分、十分の一にも満たない。

…どうしてわたしの妖力の自然回復って遅いんだろ?複製を回収すればすぐ回復するのに…。絶対量が少ないんだから満たされるのが速くてもいいじゃん。

 

「幻香。とりあえず貴女の創った緋々色金でペンダントを作ったわ。どう?」

「わぁ…。ありがとうございます!」

 

銀白色のシンプルなバチカンを同色の細いチェーンが通っている。緋々色金はほぼそのままの形でぶら下がっている。

 

「一応銀は一切使っていないわ」

「それはよかった」

 

銀は吸血鬼の弱点。触れると火傷するとか何とか。…そういえば、咲夜さんのナイフってなんで銀製なんだろう?

 

「それと、触れれば妖力として回収出来るのでしょう?だから何処からでも触れれるように緋々色金の周りには出来るだけ何も付けなかったわ」

「そこまで考えてくれていたとは…」

 

確かに、溶接したかのようにくっ付いている部分を除いて何も装飾品が付いていない。これは助かる。

 

「完全じゃないとはいえ、わたしの妖力の全部を食らい尽くして創ったんだからかなりの回復量になるはず…!」

 

創るときに持っていた妖力は大体半分くらい。スペルカード戦の後にたくさん食べてたから意外と回復が速かったのだ。…食べ過ぎてお腹痛くなったけど。

 

「冗談でしょう?」

「…?何がです?」

「あれで完全じゃないなんて…」

 

そう言って不可解なものを見る目でわたしを見た。完全じゃないことが何かおかしいのかな…?

 

「このサイズの緋々色金でも尋常じゃないエネルギーを持っているのに…」

 

パチュリーの手には本物の緋々色金が握られている。確かにわたしの妖力全部を使って創ったんだ。それだけ、過剰妖力を入れることが出来るということだ。

 

「それを飽和させるほどの妖力って…」

 

…つまり、この緋々色金にはもう妖力が入らないってことでいいのかな?そもそも、複製したものに後から妖力を注げるかどうか…。あ、出来るわ。

それにしても、わたし程度の妖力で飽和してしまうってことは、緋々色金も意外とエネルギー保有量が少ないのかな?

 

「意外と少なかったですね。わたしの妖力の半分で飽和出来るなんて」

「…?貴女、自分がしたことが分かってないの?」

「分かってますよ?わたしの妖力の半分くらいで過剰妖力を詰め込んだ複製を創った」

「その妖力量が異常なのよ」

 

妖力量が異常?まるで意味が分からない。

 

「その緋々色金が持つ妖力量は、この緋々色金のエネルギーとほぼ同量。…貴女のほうが僅かに多いくらい」

 

一息。

 

「緋々色金が持つエネルギーは尋常じゃないわ。この大きさでも、私の魔力量を遥かに上回る。…私が三人居てもまだ足りないくらい」

 

さらに一息。

 

「それを半分ってことは、貴女の妖力量は馬鹿げてるわ。貴女個人がそうなのか、ドッペルゲンガーという種族がそうなのかは知らないけれど、十年やそこらの妖怪が持つ様な量じゃないことは確か」

 

そこまで言うと、パチュリーはわたしを睨み付ける。

 

「ねえ、貴女って何者なの?」

 

 

 

 

 

 

幻香と初めて出会った際、彼女の複製した魔力回復薬――彼女に言わせれば妖力回復薬――を飲んだ時に驚いたものだ。

魔力回復薬と違い、その全てを回収出来るとはいえ、これほどまでに回復出来るとは、と。

 

『あの林檎食べます?それも同じ感じに吸収出来ますよ、きっと』

 

その言葉を私は断った。…怖かったから。

あの林檎を食べたら、私という器に収まり切らない、と本能が告げていたから。

 

 

 

 

 

 

「わたしですか?」

 

パチュリーが言っていたことを信じれば、十年程度生きた妖怪にはあり得ないほどの妖力を持っている、らしい。

妖力量が少ないと考えていたのは、複製をするたびに減る妖力が多かったから。しかし、パチュリーの言葉を信じるとすれば複製する際に使っていた妖力が多かっただけのようだ。妖力量がそれだけ多ければ、自然回復で溜まるのも遅いだろう。

わたし自身も驚いた。比較対象なんていなかったから考えたこともなかった。

 

「わたしは鏡宮幻香ですよ。ドッペルゲンガー、鏡宮幻香です」

「…そうね。貴女は幻香。種族は妖怪、ドッペルゲンガー」

「フフ、そうです」

「…ちょっと妖力が多い、優しい子」

「そうですよ。妖力が多いとか少ないとか、そんなのはわたしには関係ありませんよ」

「そうね。おかしなこと言って悪かったわね…。気分、悪くならなかった?」

「何言ってるんですか?分からないことがあったら調べるのは普通じゃないですか」

「…ありがと」

 

 

 

 

 

 

その後、頭の怪我を治癒してもらい、具体的なことを教えてくれた。

 

「あの緋々色金に含まれる妖力量が貴女の妖力の半分、というわけではないのでしょう?緋々色金自体も妖力の塊って言ってたのだし。その妖力塊がどの程度の量なのか分からないから省くから正確じゃない事だけは理解して」

「分かりました」

「…単純に二倍と考えるだけでも、貴女はレミィやフランを超える」

「…相当ですね」

 

五百歳の吸血鬼を超える妖力量。そうやって言われると、わたしの異常性がよく分かる。

妖怪は、基本的に年を重ねれば妖力量が増える。若ければ少ないし、年を取れば多い。これが普通だ。

 

「貴女は少ないと考えていたみたいだけど、こうやって比較がいると分かりやすいでしょう?」

「なんででしょうね?本当に」

「可能性は幾つかあるわよ。まずは、ドッペルゲンガーという種族は特別妖力量が多い」

 

他のドッペルゲンガーがいる、という話は聞いた。飽くまで可能性だけど。

 

「何かしらの方法で肉体改造を施した。妖力量を増やす改造なんて微妙だけど」

 

記憶が曖昧な時期があるから、もしかしたら有り得るかもしれない。

 

「実は数百数千年生きていた。つまり、貴女の認識がおかしくなっているってことね」

 

十年くらいしか生きていない、という事実は記憶にある。だから、違うと思いたい。

 

「十年くらいから前の記憶を全て失った。…いわゆる記憶喪失ってやつね」

 

もしそうなら、昔のわたしのことを知っている人がいてもおかしくないと思う。あのスキマ妖怪とか。

 

「人工生命体として造られた。…まあ、魔術的視点から見れば人工生命体は一つの目標だから、もしそうなら貴女を調べ尽くしたいわね」

 

創られた生命体…。もしそうなら、創造者の記憶がないとか悲しすぎる。

 

「…まあ、どれもこれも想像でしかないからね。気にしても仕方ないわ」

「そうですね。そんな昔のことよりも今ですよ」

「…頼もしいわね」

「ええ。過去は振り返れない性質ですから」

「振り返らない、の言い間違い?」

「二、三年くらいから前の記憶は曖昧でしてね…。十年くらい生きてるってことは分かるんですけど」

「…なら三つ目はあり得るかもしれないわね」

 

そう言われればそうかもしれない。けれど、十年と数百年数千年を間違えるかな?

 

「ま、流石に時間の感覚が数十倍数百倍に縮小するなんてことはないと思うけれど」

「ですよねー」

 



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第62話

異常な妖力量を持っていると知って、早一ヶ月。もう既に夏といったところかな。蒸し暑くなってきた。

その間、わたしが普段活動する場所にはやたら石ころが増えた。…わたしが増やした。茸狩りしているとき、蛇を捕獲したときに、紅魔館へ行ったときに、霧の湖へ行ったときに、道すがら何処にでもあるような、誰も拾わなさそうな石ころを複製し続けた。そしてそのまま地面に放置。

非常に地味だし、一つ一つの回復量は微々たるものだけど、無いよりはいいかな、と続けている。

 

 

 

 

 

 

昨日食料も採集したし、特にやることないから精霊魔法の基礎でもやろうかと考えていたら、勢いよく扉が開いた。

その音に驚いて、扉に目を遣ると何故か魔理沙さんがいた。

 

「よっ。邪魔するぜ」

「邪魔するなら帰ってください」

「何だよ釣れないなー」

 

わたしの言葉なんか全く気にせず、深々と椅子に腰かけた。しかも、我が物顔で踏ん反り返って。わたしの家にはお茶などないので、汲み置きしてある水をわたしの前に置き、一口飲む。

 

「客に対して何も出さないのかよ。自分だけ飲みやがって」

「…じゃあこれでも飲みます?」

 

水では物足りないと思い、棚に置かれている瓶の一つを手渡す。

 

「お、何だこれ。いい色してるじゃん」

「毒」

「…何の?」

「紫陽花から抽出したものですよ。パチュリー曰く、飲めば嘔吐や痙攣、昏睡や呼吸麻痺なんかが起こるんだそうです。残念ながら実用的じゃあないですね」

「ま、貰っとくぜ」

 

魔理沙さんがスカートの中に瓶を仕舞うのを見届けながら、残りの水を飲み干す。あれを何に使うかちょっと気になる。…決まってなさそうだな。

棚の上には、作ったけれど使わないものがたくさんある。いつか使うかもしれないけれど、今は実用性のないものばかりだ。毒なら接触したら反応するくらいじゃないと使えない。欲を言うならガス状になって舞うなんてのもいい。

 

「ところで、何の用もなしに来たわけではないでしょう?」

「ああ。気になるか?」

「いえそれほど」

 

正直帰ってほしい。早く精霊魔法の基礎をやりたいんだよ、わたしは。

 

「おいおい、そう言うなよ。頼まれた身にもなってくれ」

「頼まれた?…まあ聞きましょう」

「ふぅ、聞き逃すなよ?二日後の夜に宴会するんだ」

「へー、宴会ですか。突然ですね」

「そういうこった。お前も参加するか?」

 

宴会ねえ…。参加する人によるかな。…お酒飲みたくないけど。

とりあえず、場所と参加する予定の人について聞いてみた。

 

「場所は博麗神社。とりあえず来るのは私と霊夢、レミリアと咲夜とパチュリー、アリス、妖夢と幽々子だ」

 

へえ、パチュリーが来るんだ。大図書館から出る必要がないって前は言ってたけど、外にも興味が出てきたのだろうか。きっと、魔理沙さんやアリスさんといった魔法使いに興味があるに違いない。

それと妖夢さんも来るんだ…。背中踏みつけるなんてことしちゃったから、あんまり顔合わせたくないんだけど。この機会に仲直りでも出来たら嬉しいな。

けれど、それよりも気になることがある。

 

「妖夢さん達って冥界から出ても大丈夫なんですか?」

「あー、お前は知らないのか。何でもこっちとあっちの境界が曖昧になったらしくてな」

「…大丈夫なんですか?それ」

「さぁ?誰も文句言ってないし大丈夫だろ」

 

わたし達が冥界に入ったから、ということではないことを願う。

 

「で、どうする?参加するか?」

「お酒飲まないでいいなら」

「おいおい、酒の無い宴会なんて魔法が使えない魔法使い以下だぜ、と言いたいが、そういやお前酒嫌いだったな」

「まあお酒は持っていきますよ?参加してもいいなら」

「よし来た!出来るだけ多めに頼むぜ!何せ無尽蔵に飲む奴がいるからな!」

 

無尽蔵…ですと?大丈夫なのかな…。

 

 

 

 

 

 

「――ということなんだけど、ミスティアさん」

「へえ、幻香が宴会をねえ」

「お酒飲まないけどね」

「お酒嫌いって言ってたもんね」

 

綺麗な星々が夜空を飾る中、屋台の椅子に腰かけている。

 

「それで何しに来たの?何も買わないで椅子に座られるのもちょっとね」

「じゃあ、三本くださいな」

「よしっ!八目鰻三本ね!」

 

一銭銅貨を手渡すと、八目鰻の串刺しを三本取り出し、早速焼き始めた。

 

「で、どうしたいの?」

「お酒持ってなかった。だからお酒を買いに来た」

「…致命的だねえ」

 

二日後、と言われたけれど、お酒なんて持ってなかったことに気付いたのは夕方になった頃。精霊魔法の基礎に集中してて、それ以外のことを考えている余裕なんてなかった。

だから持っていそうな人、ミスティアさんに急遽会いに来たわけだ。

 

「茸、魚、蛇あたりと交換出来たら嬉しいんだけど」

 

今手持ちにある交換材料はこれくらいだ。物々交換に応じてくれるかは知らないけれど…。

 

「うーん…、どれも微妙…」

「美味しいですよ?」

「知ってるけど、屋台では出さないからねぇ」

 

一応物々交換は可能みたいだけれど、お気に召さなかったらしい。

これど、ここの屋台で出すのって八目鰻と名も知らぬお酒だけだよね…。八目鰻とかどうやってとってるか知らないんだけど。せっかく美味しいのを出してるんだから他にも色々出せばいいのに…。

しかし、交換出来ないことにかわりはないのだ。現実を受け止めよう…。

 

「しょうがないかな…。みりんでも持っていくか…」

「みりんって」

「調理酒だし」

「飲むものじゃないでしょう?」

「彼女達なら平然と飲みそうですし」

「飲むんだ…」

 

特に魔理沙さん。勝手なイメージだけどね。

 

「ま、買えないなら何とかしますよ」

 

紅魔館に行ってもらうか?…いや、レミリアさん達も参加するから駄目だろう。慧音か妹紅さんに貰うか?…慧音が来るのは四日後だし、妹紅さんはいつ来るかもわからない。

そんなことを考えながら、ふと目をミスティアさんに向けると、ミスティアさんも何か考えているように見えた。

 

「うーん、幻香は友達だしなー…」

 

今から作る…無理。そもそも作り方知らない。人間の里に入れないのがこれほど面倒だとは…。

突然、木を思い切り叩く音が響き、驚く。な、何事…?

 

「よしっ決めた!これはサービスだよ!」

 

そう言って取り出したのは「雀酒」と書かれた一升瓶。そのままわたしに押し付けてくる。

いや、タダで貰うのってちょっと悪いんだけど…。

 

「いや物々交換しようって」

「いいのいいの!普段一緒に遊んでくれてるお礼なんだから!」

「…そんな気持ちで遊んでるわけじゃあ…」

「じゃあ連勝記録更新中の景品とかってことで!」

 

ここまで言わせてしまったのも悪かったかな…。ミスティアさんの好意を素直に受け取ることにしよう。

 

「すみません、ありがとうございます」

「気にしない気にしない!ほら、焼けたよ!」

「ありがと」

「ふふっ、どういたしまして!」

 

あー、相変わらず美味しいなあ…。けど、実は八目鰻を食べるとどうしても里のことを連想してしまう。刺された腹部に妙な疼きを思い出してしまう。

 

「あとね、この雀酒は私が復活させた伝説のお酒なんだから。味わって飲ませてね」

「…いいんですか?そんな凄そうなの」

「いいの!まだ量産はしてないけれど、これからする予定なんだし。試供品みたいな感じで」

「試供品ですか。それならタダでもよさそうな気がしてきました」

「こうでも言わなきゃ幻香は気にするでしょう?」

「あはは、景品として試供品を受け取った。そう考えることにしますよ」

「ま、効果はお楽しみってことで」

 

ん?効果?このお酒って飲んだら何か起こるの?雀だし、翼でも生えてくるの?何それ怖い。

 



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第63話

翌日。朝起きて、調理らしくない調理すらも面倒になったから、外に出て果実でも採ろうかと思い、外に出たら人影が二つ。

 

「どうしたんです?」

「おはよっ!おねーさん!」

「妹様の御付きですよ」

 

過剰なまでに大きな日傘を持っているフランさんと咲夜さんが何故かわたしの家にやってきた。仮にも吸血鬼なんだから太陽の出ているときに外出は、と思ったけれど、あれだけ大きい日傘があれば大丈夫かな。

フランさんからは破壊衝動はあまり見えない。咲夜さんからは主への忠誠心を感じる。きっと、フランさんが大丈夫だとレミリアさんが判断したから、咲夜さんに頼んでここに来たのだろう。

 

「妹様が貴女の家に行きたい、と申しておりましたので」

「…そういえば連れてきたことなかったですね」

「うーん、家小さいね」

「一人暮らしだとこれだけあれば十分なんですよ」

 

突然の来客だけど、とりあえず中に招待する。椅子はあるし、大丈夫でしょ。

中に入って早速フランさんが棚に置かれている瓶に興味を持ったようで、そのうちのいくつかを持ってきた。

 

「何これ?」

「朝顔の抽出液ですね」

「これは?」

「鈴蘭の抽出液ですね」

「こっちは?」

「水仙の抽出液ですね」

「…毒性植物の抽出液ばかりですね」

「昨日は魔理沙さんが紫陽花のを持っていきましたよ」

「それも毒…」

 

戻しておいてね、とフランさんに伝えてから咲夜さんに宴会に参加することになったことを伝える。

 

「貴女が来るのは初めてですね」

「初めて?何回かやってるの?」

「ええ。これで三回目。しかも三日置きに」

 

三日置きに行われる宴会。その三回目になってわたしが呼ばれた理由って何だろう…。

 

「えー、おねーさん誘われたのー?いいなー」

「そう言えばフランさんって参加予定者に入ってませんでしたね」

「お姉様がねー、フランは駄目ってうるさいのよー。あっちでいいお酒カッパカッパ飲みまくってるんだろうなー」

 

流石にそんなことないと思うけれど…。フランさんを参加させない理由は思い当たるけれど、わたしが開いた花見に連れて行ったんだからいいじゃん、と考えてしまう。

…おっと、お腹空いてきた。そういえば朝食まだ食べてないんだった。

家を空けるわけにもいかないので、乾燥茸を水にブチ込みながら咲夜さんに一つ質問をする。

 

「何でわたし誘われたんでしょうね?」

「それならパチュリー様が何故居ないのか、とお酒に酔いながら言っていたからではないかと…」

「………何してるんですかパチュリー…」

 

頼まれたとは聞いていたけれど、もうちょっと別の理由であってほしかった…。

火打石を打ち、火花を複製して枯れ枝を燃やす。燃え始めた火の粉も複製していき、一気に薪まで燃やす。

 

「二人はもう何か食べて来たんですか?」

「うん!フレンチ何とか!」

「…フレンチトースト?」

「多分それ」

 

咲夜さんも同意を示していたので、今日の紅魔館の朝食はフレンチトーストだったらしい。…きっと咲夜さんが作ったんだろう。

昨日捕獲したばかりの白蛇の肉を丸ごとお湯にブチ込む。戻した茸も一緒に。

…咲夜さんの目が痛い。

 

「ねえおねーさん」

「何でしょうフランさん」

「咲夜が怒ってるみたいなんだけど、どうして?」

「…あまりにも杜撰な調理を見て、じゃないですか?」

「分かっているなら正してください…」

「どうせわたししか食べませんし」

 

溜め息を一つ受け取りながら調味料を入れる。塩と砂糖と醤油でいいや。

とりあえず完成したスープを覘いたフランさんの感想をいただいた。

 

「…あんまり美味しくなさそう」

「でしょうね」

 

うん。自分でもそう思ってるから。

 

 

 

 

 

 

あんまり美味しくなかったスープモドキを飲み干し、外へ出た。

 

「…本当にやるんですか?」

「石ころだし、大丈夫大丈夫」

「頑張れおねーさん!」

 

咲夜さんの足元には石ころがちょっとした山になっている。対するわたしは『幻』を一個だけ出している。

 

「では、行きますよ?」

 

そう言い終わったと同時に現れた石ころ。わたしに向かって飛来してくるそれを『幻』で撃ち落とす。

次々現れる石ころ。その間隔はかなり速く、必死になって避け、ときに撃ち落とす。

 

「痛っ」

「えーとね、三十七個!さん、なな!」

「約九秒ですね」

「……駄目だなぁ」

 

石ころが当たった額を擦りながらさっきの動きを考える。…首だけ動かして避けようなんて考えなければよかった。

 

「次、やりますか?」

「ええ、よろしくお願いします」

「次は百個くらいいこう!ね!」

「…頑張ります」

 

さっきと同じ感覚で現れる石ころ達。さっきよりも小さめに避けることで『幻』を出来るだけ使用せずにしてみる。実践では大きく避けるよりも、出来るだけ小さく避けた方がいいことのほうが多いからね。

…これで四十。五十個投げたら緩急を付けるように頼んでいるから、もう少し避け続けれたらさらに避け辛くなる。

 

「…来た」

 

一個。そしてその後ろにさらにもう一個。先に来る方を避け、後ろのは『幻』で撃ち落とす。避けた先に来る石ころを無理矢理体の動きを止め、体を捻って避ける。…やっぱり避け辛いかな。

呼吸を止め、意識を集中させる。世界の流れが緩やかになっていく。わたしに向かって飛来してくる石ころの形までハッキリと見えるほどに。世界から音が消えていく。聞こえてくるのは、自分の心臓の音だけ。

右腕に当たりそうな石ころを、腕を少しだけ外側に動かし、脇腹との隙間を通らせる。左鎖骨の当たりに飛んでくる石ころを、僅かに膝を曲げることで避ける。右膝と胴体に飛来してくるのは、右膝のほうを撃ち落としながら片足を軸に咲夜さんに横を向けて避ける。

そして八秒。避けた数は四十七。…まずい、息を止めすぎた。苦しい。頭が痛い。視界がちらつく。体が動かしにくい。けれど、今息を吐いてもう一度吸うなんて余裕はない。

なら、その余裕を作ればいい。

 

「ハァッ――」

 

思い切り息を吐きながら、大きく右へ跳ぶ。わたしの歩幅四つ分くらいを目標に。着地する寸前に息を吐き切る。そして、着地してすぐにその空っぽになった肺を空気で満たす。急に膨らんだ肺にちょっとだけ痛みが走ったが気にしない。頭はまだ少し痛いし、視界が涙で少しぼやけてしまっているが、息苦しさは解消し、体も十分動く。

頬に当たる寸前の石ころを上半身を横にずらすようにして避け、そのまま勢いのまま左へ跳ぶ。着地点はちょうど咲夜さんの前の位置。左足を思い切り地面に叩きつけ、勢いを殺す。すぐに現れた石ころを今までと同じように避ける。

そして数秒後。『幻』から放たれた妖力弾が外れ、左肩に当たってしまった。…涙のせいにしておこう。

 

「おねーさん!百十八だよ!いち、いち、はち!」

「十八秒ジャスト。…飽くまで私が見た限りですが」

「ふぅ…。あー、よかった」

 

痛む頭を押さえながら木の幹に体を預ける。やたらうるさい心臓を落ち着かせるためにも、いつもと同じ調子で呼吸するよう心掛ける。

 

「複製なしって辛いですね…」

「貴女以外から見たらそれが普通なんですよ」

「分かってますよ。けど、使うのが普通のわたしから見たらやっぱり異常なんですよね」

 

料理するときに包丁がないような、杖を突こうとしたときに杖が折れそうに見えるような、そんな不安感。咲夜さんだったら、ナイフなしでスペルカード戦やって、というような感じだろうか。

 

「ねえ、次私も投げていい?」

「いいですよ。…力入れ過ぎないでくださいよ?」

「うんっ!」

 

その結果は六十二個、約七秒という散々なものだった。

 

 

 

 

 

 

「あ、もう夕方」

「妹様」

「うん、分かってる」

 

世界が茜色に染まっていくのを感じながら茸を拾っていたら、フランさんがわたしに近付いてきた。

 

「あのね、今日は凄く楽しかったよ!明日の宴会、私の分まで楽しんできてね!」

「…そうですね。楽しんできますよ。――両手を出して。渡したいものがあるんです」

 

大きく広げられたその手に今日拾ったもの――茸と果実と蛇――を乗せ、フランさんの服の一部、リボンに極僅かな過剰妖力を込めて手渡す。

 

「リボン…?」

「ええ。もし、これが消えたらわたしを探してくれると嬉しいです。…一方通行ですけどね」

「うん、探すよ。天空だろうと地中だろうと何処までも」

 

そう言いながら、襟元にリボンを巻いた。

 

「そのときは場所も教えてね?」

「…何とかなるはずです」

 

リボンを選んだのは帯状になっているから。実は過剰妖力はオマケなのだが、緊急用妖力回復になるかなと思う。

 

「それじゃあ、またね」

「ええ、またね」

 

二人が空高く舞い上がっていくのを見送り、その姿が見えなくなるまでわたしは手を振り続けた。

 



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第64話

「お邪魔してるわぁ」

「……………………………はい?」

 

翌日の昼前。起きたらスキマ妖怪がわたしの家の中で椅子に優雅に座っていた。…どういうこと?

 

「ところで話が変わるけど、貴方、何かお酒を持っていたわよね?」

「…話始まってないですよ。まあ、持ってますが」

「雀蜂」

「雀酒ですよ。お酒なのに蜂って…」

 

何言ってるんだこのスキマ。

 

「で、それがどうかしたんですか?」

「それを戴きに参りましたのよ」

「みりんで我慢してくれます?」

「ならそれも戴くわぁ」

 

戴くのかよ、調理酒なのに。酒なら何でもいいのか。

 

「参加する人の中に入ってなかったような気がするけれど、貴女が無尽蔵に飲む人ですか…」

「私じゃないわよ。飲むのは」

「だったら今からでも魔理沙さんに言って参加すればいいじゃないですか。いちいち奪う必要なんてない」

「必要なのよ。これからね」

「宴会で、でしょう?」

「ええそうね」

 

ああ、そうか。コイツは何か企んでいる。白々しい肯定からは虚偽しか感じない。

 

「とりあえず、みりんどうぞ」

「ええ、ありが――」

 

手に取ったのを確認してから、即破裂。

みりんを手に取るフリをして複製。あまり入らないと思ったら、予想以上に入った過剰妖力を全て炸裂弾に。ガラス片が飛び散るが、どうせわたしには当たらない。というより当たったら回収される。

 

「くっ…!」

 

まるでダメージを受けていないように見えるので、ちょっと悲しくなりつつ突進。障害となるものは全て複製。布団、机、飛び散ったガラス片とみりん、椅子。触れたと同時に回収する。

破裂したことの反射的行動で、左目を閉じている。だから、死角となる左半身を狙う!

右腕を引き絞り、軽く握る。距離はあと一歩半。

 

「がっ!?」

 

突然、左脚が止まった。いや、違う。左足首が固定されている。何もない空間が避けて出来たスキマに挟まれて。

 

「おぉ怖い。だけどその程度の攻撃、見切れないとでも?」

「…そうですね」

 

複製、ではなく創造。見るからに不完全な包丁。薄紫一色で、斬れるかどうかも怪しいシロモノ。しかし、硬さは十分。その刃を指で挟み、滑らせる。これなら――、

 

「はいそこまで」

「なぁ!?」

 

刃の部分を削りながら回収して無理矢理斬れるようにした包丁モドキを一瞬で奪われた。わたしの手元に現れたスキマから伸びた手に。

 

「…わざわざ左足を斬り飛ばす必要なんてない。その雀蜂とみりんを戴ければそれで」

「ふざけるなよスキマ。何が戴くだ」

「紫よ。八雲紫。スキマなんて呼ぶな」

「ああそうかい。で、その酒で誰を嵌めようとしているの?」

「…さあ?何のことかしら?」

 

思い付きで言ったけれど、そうなんだ。誰か嵌めようとしてるんだ。どうやるかなんて知らないけれど、無尽蔵に飲む人を嵌めようとしていると思う。

だけど、こんなのは八雲紫の表情と雰囲気から予想した想像だ。もっと情報が欲しい。

 

「わたしから奪う理由は?」

「私の高いお酒を零したから」

「古臭いこと持ち出しますねぇ!」

 

忘れてたよそんなこと。飲みたくなかったんだからしょうがないじゃん。絡み酒なんてするから悪いんだよ、多分。

 

「それで、お酒は何処かしら?教えてくれれば離してあげないこともない」

「…そことそこ」

 

そう言うとすぐにスキマから手を伸ばして取った。その手には確かに雀酒と書かれた瓶とみりんと書かれた瓶が握られている。

しかし、あんなワイングラス一杯分程度零したからって酒瓶二本分はちょっと酷くない?

 

「ちょっと時間経っちゃったから多めに、ね」

「…ちょっと増え過ぎじゃないですか?」

「そうね。一八.二〇九一五二六九〇八一二一四九八七六一六――」

「もういいですよ!」

 

大体十八倍ってことが分かれば十分だから。そもそも本当かどうかも分からないけれど。

 

「確かに戴いたわ。まさか貴女が参加するなんて思ってもなかったわ」

「渡してから言うのも悪いんですけど、そのお酒ないと霊夢さんに酷い目に遭わされそうなんで返してほしいですね」

「大丈夫よ」

「何処が大丈夫ですか。わたしが酷い目に遭ってもって意味だったら嫌なんですけど」

「そうじゃないわよ。今夜は誰も持ってこないから」

「……は?」

 

そしてスキマを開けたと思ったら、そのまま家から出て行ってしまった。…扉から出入りしないんだ。

 

「…一体、何のために…?」

 

さて、僅かに得られた情報から予想しよう。ちゃんとした理由がないと何だか嫌だ。つまらない理由で奪われたなんて考えたくない。

まずは『まさか貴女が参加するなんて』と言っていたから、わたしが参加することは予想外だったということになる。それを知っているのは魔理沙さんと咲夜さんとフランさん。それと、咲夜さんかフランさんから情報が伝わっていればレミリアさんとパチュリーも。場所を提供するんだし、霊夢さんにも伝わっていそう。

次に『今夜は誰も持ってこない』ということは、宴会参加予定の人全員からお酒を奪うということではないだろうか?宴会が行われないという意味だと、そもそも持って来る場所がないから持って来ようがないと思うし。

最後に、八雲紫の表情と雰囲気から予想した想像だが、誰かを嵌めようとしている。お酒を無尽蔵に飲む人を。しかし、どうやってその人を嵌めるか?

宴会を中止にして、は違うか。どうせ三日置きに行われるんだ。一回くらい潰れても関係なさそう。それに、さっきの発言と矛盾していそうな気がする。

その酒を処分して罪を擦り付ける、は候補になるかも。上手くやれば霊夢さん辺りを引っ張って来れる。しかし、何故本人がやらない?あのスキマを使えば不意討ちだろうと闇討ちだろうと容易だろう。

その酒を一人で飲み干す、のは一応候補。無尽蔵に飲む人の分まで飲めばある意味嵌めれている、かな?私の分まで飲みやがってー、みたいな?…微妙。

 

「…駄目だ」

 

今持っている情報だと、これがわたしの限界だ。見落としや思い違いは普通にあるだろうけれど、それを見直すための情報もない。

 

「さて、どうしようかな…」

 

参加予定者は、パチュリー、咲夜さん、レミリアさん、霊夢さん、魔理沙さん、アリスさん、妖夢さん、幽々子さん。この八人に、八雲紫がお酒強奪するつもりだ、と伝えるくらいしか対策は思い付かない。伝えるついでに、何か情報を得られれば嬉しい。

しかし、この中ですでに奪われている可能性が高い人はパチュリー、咲夜さん、レミリアさん、霊夢さん、魔理沙さん。残りの三人のうち、アリスさんしか場所を知らない。じゃあ、彼女の家に行くか。

いや待て。同じ魔法の森に住んでいるんだし、次の標的は彼女なのでは?けど、八雲紫はスキマを使って移動した。そのスキマの有効範囲が分からない。何処からともなくお酒を取り出していたし、かなり広いかも。

 

「…考えても仕方ない、かな?」

 

全員がすでに奪われている可能性があるが、全員奪われているわけではない。なら、一番奪われていなさそうな人のところに行けばいいか。

 

「…霊夢さんだよなぁ、やっぱり」

 

真っ先に思い付いたのは霊夢さん。特に理由はないけれど、勘というやつだ。

 

「さて、行く前にちょっと確認っと」

 

本棚の下段に入っている本を一気に引き抜く。その重さは、本だけとは思えないほどの重さだ。

 

「…よし。盗られてなかった」

 

表紙から背表紙にかけて何冊も穴が開いており、その中には雀酒と書かれた瓶が収まっていた。複製ではないことも分かる。中身も抜かれているようには見えない。蓋を開けて臭いを嗅いでも、お酒特有の臭いを感じる。本物だろう、と確認し終えたので、そしてそのまま本棚に仕舞う。

簡単に渡すと思った?渡すわけないじゃん。ミスティアさん曰く、伝説のお酒だよ?そこら辺に置いとくなんて不用心だ。

 

「さて、霊夢さんのところにでも行きますか」

 

途中で参加予定者に会えたら、ついでに伝えよう。…まあ、こんなところから博麗神社に行っている人なんていないと思うけれどね。

 



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第65話

鬱陶しい木々が乱立する魔法の森を抜け、博麗神社に向かって歩く。道中にある石ころをたまに複製して、そのまま放置しながら。

 

「ん?」

 

遠くのほうで足音がした。四足の獣とは明らかに音の間隔が違う。どうやら人のようだが、里の人間の可能性が僅かだがあるので、警戒をしながら歩くことにする。

歩くこと少し、遠くのほうに見たことのある人がいた。

 

「…ちょっと早かったかな」

 

あれは妖夢さんだ。相手はまだわたしに気づいていないと思う。…思いたい。里の人間ではなかったことにホッとしつつ、急いで物陰に隠れて様子を窺う。

 

「まあ早くて悪いことはないでしょう」

 

その手に持っているのは、白く濁った液体が入った瓶。何かは知らないけれど、お酒の一つだろう。それらしい瓶に入っているし。

つまり、彼女はまだ八雲紫にお酒を奪われていないということになる。…ん?

 

「そこの通りすがりの半幽霊さん。ちょいとお時間良いかしら?」

「あれ?紫様。いつもながら唐突ですね」

 

…これはもう確定でいいかな?八雲紫は宴会参加予定者全員からお酒を奪うつもりでいる。奪うつもりがないならわざわざここで会う必要はないと思うし。

二人の話を黙って聞いていたら、やっぱりそのようだった。あの白く濁った液体は、どぶろくというお酒らしい。決してドブロイ波ではない。

そしてすぐに二人の戦闘が始まった。どうする?助太刀する?

 

「…さっさと博麗神社に行こう」

 

助けたくないってわけではないけれど、この状況で酒泥棒の話なんかしても意味はない。それに、八雲紫が妖夢さんに意識を向けている今なら、比較的安全に博麗神社に行くことが出来る。願わくは、妖夢さんには長い時間粘ってほしいものだ。

 

 

 

 

 

 

長い石段を上り切ると、博麗神社が見えた。その境内には、掃き掃除をしながら空を見上げる霊夢さんがいた。わざとらしく足音を立てながら近付く。

 

「あら?珍しいわね。何か用?」

「ちょっと伝えたいことと訊きたいことが」

「ふぅん。どんな?」

 

掃き掃除を止め、こちらに顔を向ける。どことなく緊張しているように見える霊夢さんにわたしは伝えたいことを言う。

 

「酒泥棒が出たんですよ」

「…はぁ?」

「被害者は最低でも妖夢さん。それとパチュリー、咲夜さん、レミリアさん、魔理沙さん、貴女の内の誰か。最後にわたし」

「私は盗られてなんかいないわよ」

「じゃあそろそろ来るかもしれませんね。彼女の言っていたことから予想すれば、宴会に参加する人からお酒を奪うつもりみたいですし」

「誰よ、ソイツ」

「八雲紫」

 

そう言うと霊夢さんは手の甲を額に当て、軽く空を見上げた。小さな溜め息も聞こえてくる。

 

「…何企んでるんだか」

「さぁ?」

「あと、アンタが参加するなんて聞いてないわよ」

「なら今伝えました。魔理沙さんに誘われたんで。何か悪いことでも?」

「アンタって酒嫌いじゃ………まあいいか」

 

とりあえず、伝えたいことは伝えた。あとは、訊いておきたいことを訊いておこう。

 

「何で三日置きに宴会してるんです?」

「それは魔理沙に聞いて。アイツが勝手にやろうって言ってるんだから」

 

何か目的があるのかと考えていたけれど、残念ながら霊夢さんが知らないようだ。

 

「それと、八雲紫は誰を嵌めようとしていると思います?」

「…急に話が飛んだわね」

「適当に鎌かけて聞いたら反応したんで」

「悪いけれど思い付かないわ。アイツの頭はよく分からないことばかりだし」

 

これも外れ。しかし、霊夢さんが思い当たらない人、もしくは知らない人という情報とも言える。

収穫があまりなかったな、と考えていたわたしを見て、ああそうだ、と何か思い出したような顔をした霊夢さんが、わたしに軽く指差した。

 

「ねえ、アンタがこの妖霧の犯人だったりする?」

「はぁ?」

 

妖夢さんがどうして急に、って違う。妖霧か。そう言われて見れば、霧がかっているような気がしなくもない。幻想郷の夏ってこういう霧が出ることもあるんだ。知らなかったなあ…。って違う。犯人って言ってたじゃん。つまり霊夢さん曰く、この妖霧は誰かが起こしているものであるらしいが、残念ながら咄嗟に思い当たる人なんかいない。

 

「ここ最近、鬱陶しいのよ。この宴会騒ぎで誰も気に留めてないけれど」

「誰が犯人でしょうね。わたしは知りませんよ」

「犯人はまず否定するものよ」

「肯定したら?」

「分かりやすくて助かるわ」

「…黙ったら?」

「後ろめたいことがあるんでしょう?」

「どの道犯人確定ですか…」

 

犯人って決めつけてる気がする。それとも、しらみつぶしか?

 

「ま、正直アンタがそんなこと出来るとは思ってないわよ」

「…だったらその袖口に腕突っ込んで今にも投げようとしているお札から手を離してくださいよ…」

「だって弱いし」

「失礼な。…まあそうですけれど」

 

レミリアさんより多い妖力、と言われてもどう使えばいいんだかさっぱりだ。馬鹿にならない威力の弾幕なんて撃ち方知らないし、炎やら氷やらいつでも出せるわけでもない。素早く動けるわけでもないし、もちろん霧なんてどうやって出すのか知らない。

袖口から手を出し、その手に何も持っていないことにホッとしながら話を続ける。

 

「とりあえず、妖霧の犯人を捜してるんですか?」

「そうね。心当たりは?」

 

そう言われて、何とか出来そうな人を考えてみる。…うーむ。

 

「あ、そうだ。レミリアさんは?」

 

大体去年、紅霧異変を引き起こした張本人。あの人なら霧を生み出せるかもしれない。

 

「昨日の真夜中に行った。違うって」

「八雲紫とか?」

「アイツなら確かに出来そうだけ――」

 

そこまで言いかけて、突然臨戦態勢を取った。

 

「…来るわね」

「え?何が?」

 

霊夢さんが睨んでいるところを見ていると、空間が割れた。咄嗟にその場から離れ、木の裏に隠れる。

…妖夢さん、もうちょっと粘れなかったんですか?

 

「そこの通りすがりの巫女さん。ちょいとお時間良いかしら?」

「通りすがりはそっちでしょう。酒泥棒」

「あら?…ああ、そこの未熟者が言ったのかしら?」

 

…バレてる。ま、そりゃそうだよね。

 

「悪いけれど、アンタに渡す酒なんて一滴もないわ」

「酷いわねえ、宴会に来るつもりなのに」

「その宴会に必要な酒を奪ってるのは誰よ」

「知っているなら話は早い。お酒を渡して貰おうか」

「話聞いてた?一滴もないって言ってるのよ」

 

その言葉が開戦の合図となった。飛び交う弾幕。スキマから飛び出す得体の知れない何か――白く塗装された棒に知らない模様が描かれた板が貼り付けられている――。それを真ん中から圧し折る蹴り。

さて、どうする?助太刀する?…止めておこう。あれだけの勝負に付いて行けるとは思えないし、足手まといにしかならなさそう。

 

「今のうちに机と椅子くらい貰ってもいいよね…?」

 

簡単には勝敗がつかなさそうなほどの激戦であることが窺える。今なら博麗神社に入っても問題なさそう。どうせ減るわけじゃないし。ついでに出来たらやっておきたいこともあるし。

そこまで考えた私は、出来るだけ視界に入らないような道を選び、裏から博麗神社に侵入する。間取りは覚えているが、使いやすそうな机や椅子が別の場所にあるかもしれないので、出来るだけ多くの部屋を回る。

と、考えたものの、よさそうな別の机と椅子は見つからなかった。代わりに見つけたものは、使い古した座布団、前にも使わせてもらったような覚えのある布団と枕、見知らぬお酒が置かれている神棚、保存の利きそうな食料と利かなさそうな食料など。必要なものを複製し、使えそうなものは持ち帰ることにする。

 

「あとは机と椅子っと」

 

食卓の置かれている机と椅子を複製し、持ち帰るもの全てをまとめて持ち上げられることを確認してから博麗神社を出る。

結構時間をかけて回った気がするのだが、まだ決着はついていなかった。そのことに安心してから魔法の森に戻ることにした。

 



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第66話

腕が非常に疲れたけれど、何とか家に持ち帰ることに成功したわたしはすぐに今まであった場所に設置した。机と椅子を置き、布団を敷く。今までなかった座布団は椅子の上に置いておくことにした。

 

「とりあえず精霊魔法の続きでも」

 

諦めずに語りかけ続ける。そうすれば、気紛れで応じてくれるかもしれないし、一回応じてくれればそれからは楽だと言っていたし。

 

「…ナンモンカツ」

 

 

 

 

 

 

「…駄目だー」

 

火の粉が舞うことも肌が濡れることも微風が起こることも金属粉が現れることも砂が出ることもなかった。…ちょっとやそっとじゃ出来ないとは思っていたけれど、基本すらも出来ないとは。流石にへこむ。

 

「精霊さんよー、お願いだから聞いてくれよー…」

 

そんなわたしの呟きは、茜色に染まった魔法の森にむなしく木霊した。

 

「はぁ、そろそろ準備するか…」

 

今日のところはここまでにして、宴会に持っていく食べ物を選ぶ。昨日採ったばかりの茸と果実は持っていこう。果実は傷んでいないか心配したけれど、触れてみても妙に軟らかいところはなく、臭いにも異常はなく、傷んでいるようには見えない。あとは肉でいいや。

種類ごとに風呂敷――もちろん複製――に包み、軽く揺らしても落ちないことを確認してから机に置いておく。

 

「…今度新しく貰わないとなー」

 

お酒を隠すためとはいえ、大きな穴を開けてしまった本は、もう読めるようなものではない。本棚の下段の本を全て回収し、雀酒を取り出す。複製ではないことを感じ、蓋を開けて臭いを嗅ぎ、違うものにすり替わっていないか確認する。…うん。多分大丈夫。

 

「さて、行きますか」

 

風呂敷と雀酒を手に、博麗神社へと向かう。到着する頃には夜になってるでしょ。

 

 

 

 

 

 

「こんばんは、魔理沙さん」

「ん、ああ。幻香か…」

 

魔法の森を歩いて少し。魔理沙さんの姿を見つけたので挨拶してみたけれど、明らかに落ち込んでいる。…盗られたな。

 

「ところでお前のとこに紫は来なかったか?」

「来ましたね。お酒を戴くとか言って持っていかれましたよ」

「ああ、私も焼酎をな…。代わりのなんて用意してなかったぜ…」

「わたしは二本あったうちの一本だけで済みましたよ。バレなかっただけですけれど」

 

あちらにとっては二本奪ったつもりなんだろうけれどね。

しかし、炸裂するみりん瓶を渡してしまったことはちょっと失敗したかな、と考えている。何故なら、お酒の偽物の可能性を示しているようなものだからだ。けれど、毒性植物の抽出液を置いておくようなやつは爆発物を用意しておいてもおかしくない、と考えてくれているかもしれない。

 

「ま、気づかなかったんでしょうね」

「酒の無い宴会にならずに済んだな」

 

魔理沙さんも宴会参加者全員からお酒を奪うつもりだったことを知っているのか。もしかしたら、奪った後に必ず『誰も持ってこない』と言っているのだろうか。

 

「一体、何のためでしょうね」

「さぁな。何か企んでるのは確かだろうけど」

「…企んでるのは確定なんですね」

「そりゃそうだろ?あの胡散臭さで何も、何て有り得ない」

 

わたしもそうだとは思っていたけれど、霊夢さん、魔理沙さんと、同じことを考えている人がいて、ちょっとホッとした。

しかし、誰を嵌めるつもり何だか。酒を無尽蔵に飲む、という情報しかない。

 

「しっかし、幽々子が泣くかもなー。酒が一本だけって知ったら」

「…幽々子さんが無尽蔵に飲む人でしたか」

「酒だけじゃない。食い物だろうと何だろうと、何処にそんなに入るんだかってくらい食うぜ」

 

お酒を無尽蔵に飲む人、西行寺幽々子。八雲紫はこの人を嵌めるつもりだったのか?

 

「…けれど、その人からも奪ってるんですよね」

「多分な」

「ですよねー…」

 

しかし、幽々子さんは宴会参加予定者。だからと言って、疑いを持たないわけではないけれど、わたし達のお酒を使ってどうやって嵌める?宴会を中止させる?次の宴会に参加すればいい。酒を処分して罪を擦り付ける?妖夢さんから奪っていることが伝わっていそうだから意味がなさそう。その酒を八雲紫が飲み干す?そんなことしたら、わたし達から袋叩きにされるのは八雲紫だ。それとも別の方法?…思い付かない。

 

「何考えてるか知らないけどな、勝手にさせとけばいいだろ」

「『酒の無い宴会なんて魔法が使えない魔法使い以下』…でしょう?」

「お前の一本があるし、霊夢から奪えるとは思えない」

「信頼してますねえ」

「…まあな」

 

表情に一瞬曇りが、醜い嫉妬が見えた気がしたが、気のせいということにしておこう。

 

「とりあえず、このお酒を奪われなくてよかったですよ。何せ伝説のお酒らしいですし」

「伝説だぁ?どんな?」

「教えてくれなかったんですよね。飲んでみてのお楽しみって」

「へえ、それは楽しみだ」

「そうね。驚いたわ」

 

…今、ここにいないはずの人の声が聞こえなかったか?…気のせいではない。今、後ろにいる。炸裂したみりんの複製と包丁モドキの存在を感じる。

 

「本当に驚いた。まさかそこまで精密な創造が出来るなんて」

「…八雲紫」

 

振り返ると、みりんの複製が染み付いた服を着た八雲紫がいた。その手には、包丁モドキが握られている。

 

「さあ、今度こそそのお酒を戴くわ」

「ふざけるな。…魔理沙さん」

「…二人で追っ払うか?」

「いえ、これ持って先行っててください」

 

風呂敷を手渡すと、すぐに箒に跨った。

 

「出来るだけ早くお願いしますね」

「…盗られるなよ」

「お酒一本くらいならちゃんと宴会に出しますよ」

 

わたしの言葉を聞いた魔理沙さんは、安心したような顔を浮かべて飛んでいった。

 

「あらあら優しいのねぇ」

「そうですか?」

「そのお酒を渡して人任せにしないところとか」

「あっそう、かいっ!」

「――ッ!」

 

視界に映る魔理沙さんを八雲紫に向けて複製する。速度はそのまま、魔理沙さんの飛翔速度。この至近距離は反応出来ても避けれなかったようだ。箒の先端が鳩尾にもろに激突したのが見えた。

そして、そのまま炸裂。既に炸裂するのは予想していたのか、すぐに防御の姿勢を取った。しかし、そんなものはどうでもいい。

既に、右手には妖力が十分溜まっている。

 

「模倣『マスタースパーク』ッ!」

 

未だに魔理沙さんのミニ八卦炉から放たれるものよりも劣るが、それでも十分な威力だ。防御とは、移動を捨てること。その場に留まり、耐えるのが普通だ。その姿勢を取っている八雲紫に当てることは、容易い。

 

「くっ…!」

「鏡符『多重存在』」

 

マスタースパークを放ち終え、八雲紫がいるのが見えたわたしが次にとる行動はもう決まっている。

八雲紫の拘束。背後に現れた複製(にんぎょう)が八雲紫を羽交い締めし、正面に現れたもう一体が、そのまま押し倒す。

 

「痛っ!ああもう!」

「服の汚れなんて気にしないでいいですよ」

 

どうせ、もっと汚れるから。真上に飛び上がり、右腕を振り上げる。

 

「複製!『巨木の鉄槌』ぃ!」

「なっ!」

 

右手に複製した樹をそのまま振り下ろす。

 

「さて、逃げよう」

 

倒せたかどうかなんてどうでもいい。今必要なのは足止めだ。右手に妖力を集めながら、博麗神社へ向かう。

 

「模倣『ブレイジングスター』」

 

 

 

 

 

 

あれはスペルカード戦じゃ使えないなあ、とか呑気なことを考えながら博麗神社の境内に降り立つ。

まだちょっと早かったようで、霊夢さんと魔理沙さんと妖夢さんしかいない。

 

「ふぅ、こんばんは皆さん」

 

わたしの姿を見て驚いた妖夢さんのことは気にしない。魔理沙さんはわたしの左手にある雀酒を見て満足そうな顔を浮かべた。

 

「お、何とかなったみたいだな」

「何とかしましたよ」

「アンタ、被害に遭ったって訊いたけれど、もう一本持ってたのね」

「そうですよ。先に渡し――」

 

突然、後ろから首を掴まれた。後ろを振り向こうにも、首が動かない。

 

「ちょっと借りるわよ」

 

ちょっと復帰が早すぎませんかね…?

目を見開いた三人の姿を見ながらわたしは何もできずにスキマの中へ入れられてしまった。

 



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第67話

「うげっ」

「はい到着」

 

背中から落ちたが、どうにか雀酒は死守し、そのまま周りを見回す。開けた草原で、周りには木々が生い茂り、薄らと霧がかかっている。森林の中に空いた空洞のような場所だ。その真ん中には、数々の酒瓶と思われるものが置かれている。…何処ここ?

近くにある複製は、わたしの所有物を除けば、みりん、包丁モドキ、八雲紫の複製(にんぎょう)二体、樹、そして酒瓶。

 

「さ、そのお酒をとっとと渡して頂戴」

「あー、ここまでしてくるとは予想外ですよ…」

 

諦めて雀酒を投げ渡す。

 

「全く、余計な手間掛けさせる…」

「宴会に持っていくお酒を奪っていく貴女に言われたくないですよ…」

「言ったじゃない。このお酒は宴会に必要だって」

「ここで秘密の宴会でも開くんですか?」

「何を言ってるのかしら?博麗神社でに決まってるじゃない」

 

…ちょっと待った。誰かを嵌めるために使用して、そのまま持ち帰るつもりだったのか?

 

「…自分で買えばいいのに…」

「必要だったのよ」

 

わざわざ宴会参加予定者からお酒を奪わないといけない理由…。

 

「宴会参加者全員からの敵意を得るため」

「正解」

 

予想の一つが当たっていたらしい。持ち帰るつもりなら、処分することは出来ない。つまり――、

 

「これから嵌める予定の相手に対して『貴女のせいにする』と言うつもり」

「あら、分かってるじゃない」

 

冤罪。八雲紫がやろうとしていることはそれだ。

宴会に持っていく予定のお酒をこのまま返さなければ、参加者全員が総出で相手を叩く。…多分、八雲紫も一緒に。下手したらわたしも。いや、相手は『お酒を無尽蔵に飲む』人なんだ。なら『コイツが飲んじゃったんだ』って言えば、逃げれる…かも。

 

「だけど、どうしてわざわざわたしを?必要ないでしょ」

「まあ、そうね」

「だったら」

「興味があるのよ」

 

興味?…そういえば、さっき『そこまで精密な創造』って言ってたっけ。

 

「その創造の能力に。…予定とは違うけれど、まあ許容範囲かしら?」

「それにしてはやけに気に食わない顔してますね」

「貴女がそんな顔をしているからよ」

「自分の顔、嫌いですか?」

「何を言ってるの?大好きよ」

 

…つまり、この鏡写しの顔が、わたしの性質が気に食わないと?…わたしだって好きでこんな顔してるんじゃないよ。

八雲紫を視界から外し、使う予定のない複製、八雲紫二体と樹を回収する。八雲紫が投げたであろう包丁モドキが足元に刺さったので、それも回収する。

 

「だけどね、貴女は勘違いをしている」

「…何かしら?」

「『創造』なんて、大層な能力じゃないよ。もっと不便で、もっと使い勝手が悪くて、もっと使い物にならない能力」

「……………」

 

酒瓶の山に目を遣り、そのうちの一本、どぶろくと呼ばれていたものを右手に複製する。

 

「わたしの能力は『ものを複製する程度の能力』。『創造』の足元にも及ばない、つまらない能力。精密な、何て言われても、わたしから見れば、まだ足りない。中身も、性質も、性能も、どれもこれも」

 

それでも、いつか『創造』の域まで昇華する時が来るかもしれない。わたしは、信じてるよ。妹紅さん。

 

「そう」

「だから、興味なんて持つだけ無駄ですよ。最低でも、今は」

「…まだ、許容範囲内ね」

 

そう言う八雲紫の表情は美しく、しかしそれ以上に残酷なまでに醜く歪む。口元は三日月の如く吊り上り、目付きは極限まで細く狭まり、その奥の眼光がわたしを射抜く。

しかし、その表情も一瞬のこと。気付いた時には、何処から見ても普通な微笑みになっていた。

 

「さて、お話はこのくらいにして、と」

「それで、その嵌める相手がいないみたいですけど?」

「これから呼ぶのよ」

 

目を閉じて耳を澄ます。意識して、自分と八雲紫の出す音は排する。かなり小型の四足の生物、多分鼠が少し。鳥も飛んでいる。虫もいる。だが、布が擦れる音のような、人特有の音は聞こえない。

音は諦め、目を開く。すると、いつの間にか周りにあった霧がやたらと濃くなっていた。

 

「何これ」

「霧を(あつ)めているのよ?」

「霧…、妖霧」

「そう言えばあの子も気にしてたわねぇ」

 

妖霧そのものが嵌める相手、ってことかな?霧になるような人、いや、もう妖怪で確定でよさそう。…吸血鬼?

 

「フランさんとレミリアさん以外に吸血鬼が?」

「惜しい」

「…じゃあ何です?」

「本人にでも聞いて頂戴」

 

霧が一ヶ所に萃り、形を成してゆく。薄い茶色の長髪に真紅の瞳。紫の瓢箪と三角錐、球体、立方体の物体を鎖で繋いでいる。そして、最も目立つものはその頭の左右から身長と不釣り合いに長くねじれた二本の角。

コイツが、八雲紫が嵌める、酒を無尽蔵に飲む、妖霧の犯人。

 

「さぁ、そろそろ遊びはお終いよ」

「あれ~紫~、どうしたの?」

「みんなを操って萃め続けるのもいいけど……。いい加減にしないと、そろそろ誰かが気付くわ」

「連中が気付く訳が無いでしょ?それに気が付いたとしてもねぇ。私は鬼よ。何にも恐れる事は無いわ」

 

二人が、わたしのことなんか眼中にないように話を進める。それは何だか悔しいので、話に割り込ませてもらおう。

 

「たった一人で全員に勝てるの?」

「何を企んで――へえ、こんなとこにお仲間がいるとはね。ここにいるのは私だけだと思ってた」

「……仲間?」

 

彼女ってドッペルゲンガーなの?こんな角が生えてるものなんだ。知らなかった。わたしには生えてないよ。

そんなことを考えているうちに話は戻る。

 

「今日の宴会にはある筈のお酒が無いのよ。このままお酒を宴会に持っていかなかったらどうなるかしら?」

「二人が殺されるんでしょ?」

「あら、そうかも知れないわね。でも、私は貴女が全部飲んでしまったと言う。幾らなんでも私一人で飲める量じゃないしね」

「そこのボーッとしてるのなら飲めるでしょ?」

「残念ながらお酒を頑なに飲まない子だからねえ。…ね?」

「え?あ、そうですね…?」

 

ごめん、話聞いてなかった。ちょっと視線が痛い。

 

「そこにどう見てもお酒が好きそうな萃香が居るの。素敵ね。全員を敵に回す事になるわ。私も彼女も貴女も」

「勝手に巻き込まれてる…」

「いつもながらやり方が汚いよ」

「さぁ、貴女はもうみんなの前に姿を出すしか無いわ。そうすれば貴女の能力もバレる。もう、宴会は自由意志ね」

 

ふむ。彼女の能力で宴会は開かれていたのか。…人に影響を与えるって感じかな?魔理沙さんが宴会を開いているみたいだし。

 

「でも~、みんなの前に出ても、私らはみんなの敵のままじゃないの?そのお酒は紫が奪ってきたんでしょ?」

「あら、そうかも知れないわね」

「わたしも被害者ですよ…」

 

わたしの呟きは二人に届かなかったようである。

 

「でも大丈夫。貴女の瓢箪を宴会で出すのよ。幾らでもお酒が湧くのでしょう?大喜びよ」

「もっといい方法見つけたんだけど」

「おいそれとバックれるのかしら?」

「全部紫の所為にするの」

「お、非常に分かりやすい」

 

こっちは冤罪じゃないからね。これは上手くいく。皆して被害者だし。

 

「と言うか、最初から紫の所為の様な気もするけど。そのお酒と一緒に連中に送りつけてやるわ!」

「じゃ、あとよろしく」

「はぁ!?ちょっ!ふざけんな!」

「貴女のその意地の悪い奇策とせい…格に期待してるわよ?」

 

そう言ってスキマの中に逃げてしまった。…逃げてよかったのか?

 

「うわ、バックれたよ…」

「はぁ…、しょうがないか…」

 

八雲紫の代わりに、何とかしないといけないんだろうなあ…。わざわざお酒をそのまま置いて行くあたり、わたしの逃げ場まで奪われている。しかし、このままただボコられてわたしの所為にされて、なんて悲しすぎる。

…ついでにわたしも嵌められた気がする。

 

「ま、紫じゃなくてもいいか。コイツの所為にして送りつければいいや」

「…やっぱり」

「仮にも鬼なんだ。酒嫌いを隠せば何とか…」

「…鬼?」

 

そういえば、さっきも言ってたような?つまり、ドッペルゲンガーって鬼なの?…いや、そんなわけないか。

さて、皆のお酒を護るため、わたしの安全を守るために、コイツを何とかしないとなぁ…。

 



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第68話

「とりあえず、始めまして。鬼さん」

「え、あー、始めまして?」

 

挨拶は基本。もしかしたら敵意がない事が伝わって大団円、はないか。

 

「わたしの名前は鏡宮幻香。よろしく」

「伊吹萃香だ。…普段から見る顔だけど、見ない顔だね。新人かい?」

 

普段見る顔、つまり自分の顔だ。だけど見ない顔、同じ顔の人に会ったことがないということ。…ドッペルゲンガーに会ったことがないのかもしれない。

 

「そうですね…。十年くらいですかね」

「十年!いやー、若い若い!こりゃ知らなくて当然か」

 

そう言いながら、瓢箪を呷る。そしてカラカラ笑う。…瓢箪の中身は尽きることのないお酒だっけ?

そして構えを取る。…相手のやる気は十分らしい。出来ればその拳を下ろしてほしい。

 

「じゃ、最近のやつがどのくらい出来るか確かめるか」

「いやちょっと待ってくださいよ」

「はぁ?ここで逃げるなんて選択は出来ないよ?」

 

コイツ…、背中を向けたら強襲するつもりの眼だ…。

しかし、そんなことはどうでもいい。わたしはこんな野蛮な決闘をするつもりはない。…最近殴ってばかりな気がするけど。

 

「ルールですよ。被弾とスペルカードは幾つにします?」

「はぁ?ルールなんて殴り合いだろ?」

 

…終わった。あちらは命名決闘法案、スペルカードルールを知らないらしい。

ああ、しょうがない…。殴り合いで何とかしないといけないのか…。

 

「さっさと始めるか!」

「…けど負けたら駄目なんだよね」

 

よし。やるしかないか。

息を大きく吐き、体中の力を抜く。自然体で立ち、相手の出方を見る。どれほどの威力、速度か不明なので、自分から出ることはしないつもりだ。

 

「新人!鬼の力!萃める力!思う存分味わうといいわ!」

「…喰らわない、受け止めない、立ち向かわない、か。難しいんだよなぁ」

 

最小限の動きで相手の攻撃を受け流し、それによって生まれた隙に攻撃を挟む。妹紅さんに習った体術の一つだ。しかし、あんまり得意じゃない。

というわけで、出来なさそうならば、もう一つのほうに移行する。相手の攻撃範囲を見切り、その範囲外に逃げることで攻撃を空振らせ、疲労を狙う。完全に逃げの戦法である。こっちのほうが得意だ。

さて、どう来る?

 

「あれ?」

 

あちらの体が僅かにぶれた、と思ったらすぐに戻った。…何事?

 

「だー!紫か!アイツ、こんなとこで邪魔しやがって!」

 

そう言いながら頭を掻きむしり、地団太を踏む。そして地面に大きな凹みが出来る。…もの凄い威力だ。喰らったら腕くらい吹き飛びそう。

そして瓢箪を呷る。しかも五回。…瓢箪の中身が尽きないっていうのは本当かも知れない。

 

「百鬼夜行とはいかないか…。ま、私一人でも十分か!」

 

そう言いながら突撃してくる。放たれる右腕。狙われている顔に当たらないように逸らしながら、その腕を軽く押し出す。そしてそのまま離れるように回避。攻撃なんてする気になれなかった。…というより、出来そうになかった。脚が飛んできそうだったし。

 

「へえ、やるじゃん」

 

至って普通な顔でいるように心がけるが、内心は冷や汗でいっぱいだ。

だって、喰らったら顔面陥没だよ?もしかしたら頭だけ吹き飛ぶかもしれないんだよ?こんな攻撃が何発も来るなんて考えたくない。

 

「なら、こいつはどうかなっ!」

 

そう言い放ち、再度突撃してくる。その両腕に力が込められているのが見えた。これは、乱打か。当たろうと当たらなかろうと気にせず、片方で攻撃したら、もう片方で攻撃してその隙に攻撃済みのほうの腕を引き絞る。一度防御させたら、何発も喰らうことになるだろう。防御するつもりないけれど。

しかし、一発受け流しても、相手の技量や無茶があれば、避けた先に向かってもう片方の腕で攻撃してくる。…厄介な。

ということで、最初から相手にしないことにする。大きく横っ飛びし、突撃してくる相手から大きく離れる。

 

「逃がすかっ!」

 

…やっぱり追ってきたか。しかし、乱打をするつもりではなく、左脚による脚砕きが目的のようである。…砕くを通り越して吹き飛ぶか破砕しそうである。

そんな攻撃を食らうわけにもいかないので、相手を大きく飛び越えるように跳躍する。保険の為に、相手の頭から身長一人分以上は高く。

そして、無事着地。すぐに反転し、相手のほうを向く。

 

「ちぇっ、避けられた」

 

そう言いながら、最初の構えを取った。

それからはもう避けて、避けて、避けて、受け流して、避けて、往なして、避けて、避けての繰り返し。攻撃の隙なんて作っても、別の反撃手段が準備されていたので攻撃なんか出来なかった。

そしてそのまま数分の間、お互いに攻撃が当たることなく過ぎた。息が切れるが、その素振りを見せないように注意する。

…これからやろうとしていることに必要なのは、余裕綽々とした態度。

 

「埒が明きませんね」

 

軽く往なしながら攻撃範囲外に大きく退避し、脱力する。わたしの言った言葉に反応し、あちらも構えを解き、わたしを睨む。

 

「さっきから攻撃してないのに?」

「さっきから当てられないのに?」

「む」

 

これまで、不安そうな顔、余裕のない顔を浮かべては来なかったつもりだ。そういう表情は、相手にとって有利になることが多いからね。

 

「正直、殴り合いなんて今の幻想郷から見たら野蛮ですよ。今では受け流して避けてれば自然と勝てるんですよ?」

「言い訳かい?」

「いいえ、事実ですよ。言い訳臭いですがね」

 

一息。ここからが勝負どころだ。

 

「これ以上野蛮で古臭い決闘なんて飽き飽きですよ。もう一発勝負で決めましょう?」

 

さぁ、どう来る…?

 

「へえ。この私に、鬼に対して一発勝負?」

 

釣れた。まあ、あちらも当てられなくてイライラしていたのだろう。こちらが、一発当たってもいい、といえばこうなるとは思っていた。こうならないと困るのはわたしだが。

 

「ええ。貴女の一撃を、受け止めて見せましょう」

 

だけど、そんな心の声は表に出さない。出したら、この策が台無しだ。…八雲紫ならきっと奇策だというんだろうな。

そう言って少し間を開け、相手は愉快そうに大声で笑いだした。まるで、勝ちを確信したような、人を馬鹿にしたような笑い。

 

「あーっはっはっはっはっ!さっきから流して避けてばかりの軟弱者が私の攻撃を受け止める?本気で言ってるの?」

「もちろんですよ。さ、かかってきな」

 

意識を集中させる。そして、呼吸を止める。これから八秒以内に来ると信じて。世界の流れが緩やかになる。邪魔な音が消え去る。見えるものは相手、伊吹萃香だけ。

一秒と半秒少し。あちらの声が聞こえてきた。

 

「喰らってあの世で後悔しな!」

 

そう言い放ちながら突撃してくる動きがハッキリと見える。狙いはわたしの胴体。このまま喰らえばその右腕がわたしの心臓の当たりを貫いてあの世行きだろう。

しかし、相手の表情に僅かに違和感が浮かんでいる。そりゃそうだろう。わたしが受け止めるつもりのないような自然体のままでいるんだから。

そうだ。受け止めるのはわたしじゃない。彼女の複製(にんぎょう)だ。

わたしの目の前に現れる彼女の背中。その右腕の速度は相手の拳の速度そのまま。狙いは相手の右手。

 

「嘘だろ…?」

 

右手の半分くらいが破砕した。しかし、たったそれだけ。同速度の物体がぶつかり合えば、勢いは思い切り削がれる。

 

「冥界なら最近行きましたよ。けれど、死んでいくのはもっと先ですかね」

 

そう言いながら、彼女の複製を回収する。

視界に映るのは、拳を打ち出したところで止まった、呆然とした顔を浮かべた鬼の姿だった。

 

「どうです?受け止めましたよ。ただし、貴女の拳がね」

 



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第69話

「いやー!負けた負けた!」

 

そう言って瓢箪を煽ぎながら背中をバシバシ叩かれる。…滅茶苦茶痛い。

 

「最近のやつもなかなかやるじゃん!自慢出来るよ。この伊吹萃香に勝った鬼だってな!」

 

おっと。そろそろ訂正しとかないと。言いにくかったから訂正出来なかったけど、そのまま勘違いしたままというのはよくない。

 

「悪いですけれど、わたしは鬼じゃないんですよ」

「は?いやいや、冗談だろ?嘘は嫌いだぞ」

「こんな見た目だから誤解を受けることは多いんですよ。ドッペルゲンガーって妖怪なんです。知りません?」

「あー、名前だけなら昔聞いたような聞かなかったような…?」

「知らないなら軽く。わたしの見た目って貴女そのままなんです」

「うん?んー、自分の顔とか気にしてないからなー…」

 

そう言いながら、わたしの頭の上の方に手を伸ばす。そして何かを掴もうとする。…そこには何もないよ?

 

「うわ、見えるのに触れない」

「…角が?」

「角が」

 

そして瓢箪を煽ぐ。本当によく飲むなぁ…。

 

「それと、わたしは正直、あれで勝ったとは思えないんですよね」

「はぁ?勝ちは勝ちだろ」

「嘘や誤魔化しは嫌いそうですから言いますけれどね。わたしがやったことは『相手に勝てる勝負を投げてもらってわたしが勝てる土俵に乗ってもらう』ことなんですよ」

 

例えるなら、駆けっこが大の得意だと言う子供に対して、算数で勝負をしようと持ちかけるようなもの。駆けっこだと確実に負けるが、算数なら勝てる可能性がまだ残っている。

 

「あんな一発勝負なんかしなければ貴女は確実に勝ってたんですよ」

 

空振りするのは、当てるよりも何倍も疲れる。しかし、何度空振りしても何も変わりないのを見ていれば、わたしのほうが速く潰れるのは明白だった。

だから、負けるのが嫌だったから、勝てるかもしれないところまで相手に降りてもらった。

まあ、勝てると言っても、かなり低いと思っていたけれど。

 

「それに、どんなのかは知りませんけれど八雲紫に妨害を受けたんでしょう?」

「まあなー。確かに最初は三人になってやろうかと思った」

「…分身?」

「そんな感じ」

 

密と疎を操る程度の能力。密度を操作し、自らの体さえも霧にしてしまえる能力。その能力を使い、三人に分かれる予定だったそうだ。

 

「まあ、使えなくてよかったとも考えてる」

「そうですか?使えるものは使った方がいいでしょうに」

「三対一で弱小妖怪をボコってもつまらないじゃん?」

 

キシシと笑いながら、また瓢箪を煽ぐ。…どうしてお酒が尽きないんだろう?不思議だ。

 

「ま、敗者は勝者に従うだけさ」

「知り合いに妖霧が鬱陶しいって言ってたんで何とか出来ませんか?」

「あー、しょうがねえなー。何とかしますよっと」

「ぜひ、よろしくお願いします」

 

さて、目的は大体終わった。お酒もわたしも護れたんだ。あとは、このお酒を宴会に持ち帰りたいんだけど、もう始まってるだろうな…。

 

「…呼べば来ませんかね」

「誰が?紫が?」

「八雲紫が」

「気紛れだしなー。気長に待てば来るだろ」

 

そう言って瓢箪を煽ぐ。わたしもやることがないから、その辺の石ころを複製して、樹に投げつける。…お、いい当たり。幹の中心に当たったかな。

 

「…それがお前の能力?」

「ええ。『ものを複製する程度の能力』。使い勝手の悪い、不便な能力ですよ」

「そうか?結構便利だと思うけど」

「視界に入ってないとまともに出来ないなんて不便ですよ。普通に暮らすだけなら取りに行けばいいだけですし。それに、金属を複製してもそのままの強度、とはいかないときもあって困ったもんですよ」

「私を複製して受け止めたじゃん。十分過ぎる強度だろ」

「…あれは例外です」

 

本当に不思議だった。鬼の体が硬いとしても、わたしの複製がそこまで硬くなることはないと思う。春雪異変のとき、騒霊演奏隊を複製したときは、ちょっと強めの弾幕で穴が開いたり、抉れたりする程度だった。

だから、本当は複製は貫かれる予定だった。勢いを削ぎ、威力が落ち切ったところを受け止める予定だった。しかし、結果はどうだ。右手を一部が砕けただけで止まった。わたしの複製に何かあったのか?わたしが強くなった?そんな急に変わるとは思えない。じゃあどうなのかと言われても分からない。

 

「そうだ」

「ん?なんだ?」

「今の幻想郷に馴染むつもりならスペルカードルールについて知ってくださいね」

「そういやそんなこと言ってたな。避けてりゃ勝てるとかなんとか」

「詳しくは後程」

 

後方にみりんの複製。つまり、八雲紫の登場だ。

 

「…やってくれたわね」

「何をですか?八雲紫」

「お、出てきた」

 

その声は僅かに怒気が含まれている。あははー、こうなると思ってた。

 

「貴女は本当に意地の悪い」

「貴女の計画を上手くいかせるなんて嫌ですよ。だって――」

 

ああ、今のわたしの表情は物凄く嫌らしい笑みを浮かべているんだろうなぁ。だって、自然と頬が引っ張られて、視界が細くなってくるから。

 

「――『酒の無い宴会なんて魔法が使えない魔法使い以下』なんですよ」

 

 

 

 

 

 

「おう!遅かったな幻香!お前の言うとおり先に飲んでたぞー!」

「流石に一本じゃ足りないわよ…」

「一人一杯だったからね」

「咲夜ー、次の料理はー?」

「少々お待ちくださいお嬢様」

「レミィ、もう少し落ち着きなさい」

「幽々子様、もう少し…」

「何かしら?」

 

八人は既に宴会を始めていた。料理が所狭しと並べられ、その中心には既に空になった見覚えのある見知らぬ酒瓶が一本。

博麗神社の神棚に置かれていたお酒の瓶だ。

 

「で、ソイツは?」

「妖霧の犯人。もう反省してるって」

「そ。ならいいわ」

 

霊夢さんは萃香さんを見て、そう言った。…妖霧の犯人よりも、その後ろのお酒に気が向いているのがよく分かる。

 

「とりあえず取り返しましたから、飲んでてくださいなー」

 

そう言うと、数人が手を伸ばし、すぐに蓋を開けて飲み始める。…さて、わたしは料理でも食べてますか。

そう思って伸ばしたその手を八雲紫に掴まれた。あまり痛くない、しかし簡単には振り解けない絶妙な強さ。

 

「貴女、何をしたの?」

「貴女が奪った霊夢さんのお酒は複製だった」

「…何時?」

「貴女が霊夢さんとやり合ってるときに」

 

家に持ち帰るもののついでに複製して本物を隠しておいた。それだけ。

そこまで言ったところで、魔理沙さんが話に割って入ってきた。

 

「お前の風呂敷が消えたと思ったら布切れになったもんだから驚いたぜ」

 

そう言いながら両手に持ったわたしの風呂敷の成れの果てを見せびらかす。…うん、大体上手くいってたみたい。

その形は、右手のは『オ』『し』『入』『レ』。左手には『サ』『キ』『ノ』『ん』『て』『て』。濁点になる予定だったのは風か何かで飛んでしまったか、失敗して霧散してしまったんだろう。

 

「押入れを覘いてみれば、酒瓶が一本あるじゃないか!しかも霊夢は仕舞った覚えがないってさ!」

「わたしがやりましたよ」

「だろうと思ってたぜ!お前『お酒一本くらいなら宴会に出す』って言ってたもんな!」

 

そこまで言うと何故か高笑いをし出した。…かなり酔ってるな。

 

「と、いうことですよ。八雲紫」

「…ああもう、せっかく上手くいったと思ってたのに…」

「ふふふ、約束は守らないといけませんからね」

「それが貴女の首を絞めてたのに?」

「いいんですよ。わたしはやりたいことをしていただけですから。その結果がわたしに返ってきても仕方ない」

 

そこまで言うと、ようやく手を離してくれた。何となく萃香さんを探してみると、既に打ち解けている様子。レミリアさんと飲み比べしているように見える。…レミリアさん、負けるだろうな。

わたしは酒には一切手を伸ばさず、料理を口にする。酒を飲みながら食べることが前提になっているからか、少し味が濃いような気もするけれど、十分美味しい。

 

「あー、疲れた」

 

 

 

 

 

 

「で、どうだったの?宴会は」

「美味しかったですよ?」

「ならよかった」

 

そう言いながら、屋台の向こう側でサービスだと言う八目鰻を焼きつつ新聞を渡してきた。その名前は『文々。新聞』。

 

「結局雀酒を飲んだのは一人だけだったの?」

「そうですね。一人で一本丸々飲んでましたよ」

 

あれはいい飲みっぷりだったと思う。一気飲みしてたし。…しかし、一気飲みってあんまりよくないって慧音が言ってたような…。

 

「いやー、新聞に載る程だとは思わなかったよ。本当に」

「へえ、新聞に載るほどの何かが起こるんですか。雀酒って」

 

新聞を見てみると、その一面にはこう書かれていた。

『踊り明かす博麗の巫女』。

 



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第70話

「あ、暑っつい…」

 

いよいよ夏本番、といったところか。朝から体中が汗ばむほどの暑さだ。魔法の森というじめついた環境がさらにわたしを不快にする。ああ、切実にチルノちゃんが欲しい…。あの子が近くにいると途端に涼しくなるから。

いつものスープモドキを飲み干し、すぐに外へ出る。室内という閉め切った場所よりも快適だから。…僅かに。

しかし、やることがない。本当にない。やることが思いつくまで、石ころを複製して樹に軽く投げ続けることで暇を潰す。一ヶ所に当て続けるのはなかなか難しい。

 

「あ、そうだ」

 

木の根元に小さな石の山が出来るくらいの時間は考え、霧の湖に行くことにした。あそこは比較的涼しい。それに、チルノちゃんがいればさらに涼しい。

 

「そうと決まれば、っと」

 

近くに生っている果実をいくつかもぎ取り、霧の湖へ向かう。善は急げ、だ。

 

 

 

 

 

 

「あれ、大ちゃんだけ?」

「おはようございます、まどかさん。今日はどんな用で?」

「おはよう、大ちゃん。ちょっと涼みに来ただけなんだけど…」

「ああ…。チルノちゃんなら『カエル退治に行く』と言ってそれっきり…」

「…いつから?」

「えーと、二日前?」

 

カエル退治に二日も必要かな…?いや、そんなはずないと思う。

 

「…もしかして迷った?」

「…かもしれないですねー…」

 

そして苦笑い。心配はしているようだが、何処か諦めたような感じだ。

まあ、チルノちゃんがいないなら別の方法で涼を取る。靴を脱ぎ、両足を湖に入れ、岸に座る。わたしに続いて同じように大ちゃんも座った。ああ、冷たい…。

 

「で、大ちゃんは探さないの?」

「二日くらいならよくあることですし、明日には戻ってくると思いますから」

「戻って来なかったら?」

「探しに行きますけれど…。一緒に探してくれますか?」

「場所によるかな」

 

もしも人間の里にいるようだったら、わたしは絶対に行かない。わざわざ里の人間共と戦闘をしに行くなんて御免だ。

 

「魔法の森のほうへ行ったんですけれど…」

「チルノちゃんは見なかったけれどなぁ…」

 

一昨日は『幻』をより多く出せないか試していた。結果は四十個よりも多くなると妖力弾が不安定になった。ちょっとだけだけど増えたようだ。さらに妖力弾の形状の幅を試していた。結局、色は紫系で形は球体から針状くらいしか出来なかった。大きさはかなり幅があるんだけどなぁ…。その後は、ひたすら食料を探していた。普段よりも多く茸が取れたと思う。

昨日は慧音が来て、里の話を聞いた。過激派がまた増えたとか。もしかしたらこのままある程度増えるかもしれないとのこと。別の考え方をすれば、押し隠していたものを曝け出しただけだとか、押し殺していたものが溜まり過ぎただけだとか。

それと、双子が産まれたことをあまり嬉しくなさそうな顔で言った。理由は『片方、見た目で出来のよくなさそうな方を捨てたから』。昔から双子は忌み子としてあまり好かれていなかったらしいのだが、今回の場合の原因はわたしだ。なんと、双子の片方、出来の悪そうな方が禍の手先扱いになったらしい。だから里の外へ捨てた。不吉だから。…きっと、既に人食い妖怪か、肉食獣にでも食われてしまったのだろう。聞いててあまりいい話じゃなかった。

 

「そうですか…」

「うん?」

 

近くにある複製がこっちに近付いてきている。これは…石ころかな?どうしてどこにでもありそうな石ころが動く?ちょっと考えて結論を出す。これが最も可能性が高いと思う。

 

「誰かこっちに来る」

「え?誰ですか?」

「…石ころを拾うような人」

「……範囲広すぎませんか?」

 

わたしだって分かってる。けれど、それ以外の情報はない。まあ、何の変哲もない何処にでもあるような石ころを拾うような人、というのは限定されると思う。多分子供。気に入ったものは石ころだろうと葉っぱだろうと何でも拾うし。

うん?少し背中がひんやりする。

 

「あれ?まどか?」

「チルノちゃん?」

「あ、おかえりなさい」

 

両手いっぱいに氷づけにされたカエルを抱えたチルノちゃんがいた。その氷の中の一つに石ころが混じっていた。ふむ、拾ったわけではなく、偶然混じってしまっただけのようだ。考えた結論が外れてちょっと悔しい。

やけに嬉しそうなチルノちゃんがその氷漬けのカエルをわたし達に見せびらかした。その数、十七匹。

 

「どうだ!このアタイの活躍!」

「うん、凄いね。だけど流石にやり過ぎ…」

「どうせだから食べましょうか」

「え!?食べちゃうんですか!?」

 

梅雨時にちょっとだけ食べたときはそれなりに美味しかった。鶏肉みたいな味だったと思う。

チルノちゃんが氷漬けにしたカエルはかなりの大きさで、食べることが出来そうな部分は多そうである。

 

「新鮮なら生で食べれると思うけれど…」

「な、生…」

「えー、アタイのカエル食べるの?」

「そっ、そうだよねチルノちゃん!チルノちゃんのだし食べちゃうなんて」

「美味しそうだからいっか!」

「チルノちゃーん!?」

 

チルノちゃんから承諾を得てから、氷漬けカエルを一つ割る。中から出てきたカエルは何とか生きている様子。悪いとは思うけれど、首をもぎ、指で腹を裂き、中の内臓を取り除く。脚をビクビクともがいていたが気にしない。

 

「うっぷ…」

「大ちゃん、気持ち悪いなら見なくてもいいんですよ」

「あ、もしかしてビビってるの?」

「はいはい、チルノちゃんは勇敢ですねー」

 

嫌悪感を抱くのは人それぞれ。些細なことや強引なことで嫌うことなんてよくあること。カエルの解体を好き好んで見る方が少ないと思うけれどね。

皮を引っ張り、取り除く。そして湖の水を軽く洗う。ここまですると、ようやくカエルは動かなくなった。

 

「チルノちゃん、先食べます?」

「食べる!」

「ち、チルノちゃん大丈夫…?」

「大丈夫大丈夫!なんてったってアタイは最強なんだからー!」

 

そう言って一口。よく噛んで食べているあたり、普段からちゃんとそうやって食べているのだと思う。

 

「うん、いける」

「え」

「カエルが嫌なら果実がありますから、そっち食べててください」

 

そう言うとわたしが持ってきた果実を食べ始めた。非常に美味しそうに食べている。…さっきまで気持ち悪そうにしていたのに、普通に食べれるのを見ると、かなり肝が据わっているように感じる。

もう一個も同じように解体し、わたしも食べることにした。

 

「たまにはこういうのもいいよね」

「あー、美味しかった!」

「ありがとうございます、まどかさん」

「果実のこと?気にしなくていいよ」

 

残ったカエルはどうするか、と考え、僅かに溶け始めた氷を見た。しかし、その表面を流れた水滴を見た瞬間、全く関係のない事が思い付いた。

ものに触れて複製する際に流している妖力。離れていても形も含めて把握出来る複製。複製は妖力塊。つまり妖力。複製する前に流していた妖力は形を知るためだと予想していた。

そこまで考えたところで肩を揺すられた。

 

「まどかさん?どうしたんですか?」

「あ、え、大ちゃん?」

「急に黙ってしまったので心配になって…」

「ちょっとね。思い付いたことがあったんだ」

 

もしかしたら、出来るかもしれない。視覚も聴覚も失った状態で、空間を把握する方法。今度試してみよう。その前に誰かに聞いてもらった方がいいかな?慧音、妹紅さん、パチュリー。この三人の中で、確実の会えるのはパチュリーだ。明日の予定は決まった。

 

「まどかー、もっと食べたいぞー」

「いっそのこと全部食べちゃいます?」

「そうする!」

「…美味しいなら、一匹くらいなら食べてみようかな」

「お、大ちゃん頑張れ!」

 

残った十五匹のカエルはわたしの手によって解体され、三人のお腹の中へ入った。気味悪がっていた大ちゃんが七匹も食べていたことにはちょっと驚いた。そんなに美味しかったかな?

 



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第71話

「で、今日は何の用?」

「妖力に余裕もありますし、緋々色金の複製」

「…それだけ?」

「ふふっ、分かります?」

「ええ。顔に出てるわよ?」

 

そう言いながら緋々色金を渡してくれた。そして複製。膝から力が抜け、椅子に倒れ込んでしまうが、いつものこと。急に妖力が喪失するのは慣れているが、一瞬頭が真っ白になるような感覚と体中が弛緩してしまうのはどうにもならない。

 

「…これで五つ目。いくつ創るつもりなの?」

「創れるだけ?」

「まあ、あって損はないと思うけれど、盗られないようにね?」

「そんな泥棒には爆死がお似合いだと思いませんか?」

「…恐ろしいことを考えるわね」

「ま、そこまでするつもりはないですけれどね」

 

多分、この緋々色金にある過剰妖力を全て炸裂させればその辺の妖怪なら肉片すら残らないくらいの威力になると思う。しかし、そこまでするつもりはない。妖力として霧散させて終了だ。

 

「で、他の用は?」

「妖力に反応するものってないですか?」

「…あるけれど、どんなのがいいの?」

「液体。もしくは、ものに付着するもの」

「粘性のある液体があるわ。魔力に反応して少なければ薄い赤、多ければ濃い赤紫に変色する。乾いても問題ない」

「一応確認のために。妖力と魔力は殆ど同じですが、一応別物。大丈夫ですか?」

「…知らないわ」

 

まあ、駄目なら別のがありそうだし、問題ないだろう。

パチュリーが妖精メイドさんにその液体を持ってくるよう言い、それを待つ間、わたしの緋々色金の複製を加工し始めた。ちなみに、わたしが付けているペンダントには緋々色金が三つ、家に置いてあるペンダントには一つ付いている。

パチュリーの指先から眩い光が放たれ、バチカンに癒着していく。最初に見たときは急に光を放つものだから、視界が物凄いことになった。

 

「ところで、他に必要なものは?」

「わたしが見たことのないもの」

「…後で創るわ」

「創る?」

「金属なら一応生成出来るわ。…まあ貴女と違って生み出すわけじゃないけど」

 

そこまで言うと、光が収まった。額に浮かんだ汗を軽く拭きながら、チェーンに通す。

 

「はい完成」

「ペンダントばかりだけど、本当にいいの?」

「どうでしょうね。けど、手首にはあんまり付けたくないんですよ」

「足首に巻けそうなのにしましょうか?」

「それもあんまり…」

 

手足に付けると、体術に僅かな支障が出る。気にしなくてもいいかもしれないけれど、無い方がいいことは分かっているから付けたくないのだ。

ペンダントを受け取る直前、机の上の玉が淡く光った。大図書館の出入口の扉が開いた証拠だ。きっと、あの妖精メイドさんだろう。

 

「パチュリー様!これでよろしいでしょうか?」

「…ええ。もう戻っていいわよ」

「それでは」

 

妖精メイドが持ってきた液体は褐色の瓶に入っていた。かなりの量が入っているように見える。

 

「さて、準備は出来たわよ。何をするの?」

「複製の際に流れる妖力を把握することでその形を知る」

「それって普段からしてることでしょう?」

「それの応用」

 

複製する際に流す妖力が形を知るためのものだと仮定すれば、その妖力の流れる動きが分かればその形も分かるということになる。わたしの予想だと、氷の表面を覆う薄い水みたいに複製するつもりのものの表面を滑るように流れていると思う。

 

「とりあえず、これでいいかしら?」

 

パチュリーが渡してくれたのは、わたしの腕の長さくらいの棒。僅かに濡れているのは魔力に反応する液体が塗られているということだろう。

複製するつもりで妖力を流す。すると、全体が一瞬で赤紫色に変色した。そして、わたしの左手には既に金属の棒の複製が握られていた。

 

「…一瞬ね。それにかなり多い」

「複製せずに留めることが出来ればいいんですけどね」

「意識すれば出来るんじゃない?」

「やってみないと分かりませんね」

 

この後に前にも調べたようなことを少し調べた。目を瞑った状態で何かを握り、複製。結果は形が全く同じで、色が薄紫色一色の謎の物体。握っていたものは全体が赤紫色に変色。自分の視覚の外側に伸びているものを握り、複製。結果は形が全く同じで、色が薄紫色一色の謎の物体。握っていたものは全体が赤紫色に変色。

結論。触れていれば視覚が封じられていようと形は正確に複製出来る。そして、赤紫色に変色したことから、妖力は表面を流れていたことになる。ただし、表面以外にも流れている可能性はあるけれど。

しかし、流れる妖力がどのような形で動いているかなんて全く分からなかった。

 

「さっぱり分かんない…」

「何回か試す?」

「何回でも試す」

 

何度か試し、強く意識すれば妖力は流しても複製せずに留めることが出来た。しかし、形が分かるわけではない。

 

「あー、上手くいくと思ったんだけどなー」

「失敗は成功の元、と言うけれど」

「そういうのは他の方法が思い付く人に言ってくださいよ」

「…じゃあ、私が思ったことを言いましょうか」

 

魔法使いであり、圧倒的な知識を持つパチュリーの意見。これはとても参考になりそうだ。

 

「そもそも、触れていないと分からないんじゃ意味ないんじゃない?」

「…あ」

 

そう言えばそうじゃん。何考えているのわたし。

 

「そこはどう考えているの?」

「…うーん………」

 

触れていないと妖力が流れないんだったら意味がない。確かにそうだ。…けれど、何かが引っ掛かる。

…マフラー。そうだ。マフラーの複製をしたではないか。厳密には大量の毛糸の束。触れていないと出来ないというわけではないが、あれも相当精密な複製が出来ていたと思う。つまり、ある程度接着していれば妖力は流れる、と思う。

 

「布、ありますか?」

「布?ハンカチなら」

「それを複製します」

「…何か思いついたの?」

「まあ、一応」

 

あの液体に浸したハンカチ。その端を摘まみ、複製する。結果は、ハンカチ全体が赤紫色に変色した。…よし。

 

「触れ合っていれば、妖力は伝わる」

「…つまり?」

「妖力で形が把握出来れば、大地に流して地形ごと把握出来る」

「…飛んでると意味ないのだけど」

「……確かにそうですけれど、それよりも妖力を把握出来るようにならないと」

「じゃあ一つアドバイス」

 

そう言うと、パチュリーはわたしの額に人差し指を押し当てた。

 

「一時期、私が魔術に詰まったときに自分に言い聞かせていたこと」

「…何ですか?」

「『魔力は私の一部。つまり体の一部。思い通りにならないはずがない』」

「体の、一部?」

「そう。手足が思い通りに動かせる。なら魔力も思い通りに動かせるのよ」

「…凄い飛躍している気がしますけれど」

「それで何とかなったからいいのよ」

 

妖力はわたしの一部。確かにそうだ。なら、どう動いているか分かって当然、か。複製が近づけば分かるんだ。なら、その元の妖力が分からないのはおかしい、どちらもわたしの一部。把握出来ないわけがない、と。

 

「ふふ、何だかさっきまで出来なかったのが馬鹿みたいに思えてきましたよ」

「それで、出来そう?」

「ええ。今ならそのくらい出来ないとおかしいと思えますよ」

 

どんなに速かろうと、一瞬で流れるのだとしてもわたしの妖力。わたしの一部。わたしの体。その動きが分からないなんて、そんなことあるわけない。

目を瞑り、右手に何かを握らされた。どんな形かは知らないが、これから分かる。さあ、流そうか。

一瞬。しかし、妖力の流れが分かったような気がした。頭の中にその形がボンヤリと浮かんでいる。『コ』の字になっている、と思う。

 

「…おお」

 

…合ってた。頭に浮かんだ形に酷似している。試しに、床に手を付け、妖力を流す。床から椅子、机、机の上に乗っている様々なもの、パチュリー、本棚、詰まっている本、その向こう側に立っている妖精メイドさん、その他様々な形が頭の中に浮かんでくる。

本棚の向こう側はここからは見えない。しかし、妖精メイドさんがいたと感じた。本当に向こう側にいるかどうか確かめよう。

 

「そこにいる妖精メイドさん?」

「あっ、はい何でしょうか?」

「ちょっとそこから上に飛んでくれない?真っ直ぐに」

「え、あ、はい」

 

本棚の上から覘くように現れた場所は、確かにさっき感じた場所のほぼ真上。

 

「紅茶でも持って来てくれると助かるわ」

「分かりましたパチュリー様!」

 

わたしの後ろにいたパチュリーが妖精メイドさんに頼むと、大図書館から飛び出していった。

 

「…出来た?」

「パチュリーの言ってたことを考えたら、出来ましたね」

「きっと、貴女はそれが出来る子だったのよ。私はそれを後押ししただけ」

「それで充分。あと一歩を踏み出すのに必要な一押しでしたから」

 

頭の中には、さっき分かった大図書館の形が残っている。といっても、だんだん曖昧になってきた。きっと明日には何となくでしか思い出せないようなものになってしまうだろう。

 

「だけど、触れ合っているものしか分からないんでしょう?」

「うぐっ…。確かにそうですね。要改善でしょうか」

「じゃあ、また何か思いついたらここに来なさい。何か手伝えることがあったら手伝うから」

 



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第72話

大図書館から出て、廊下を歩いて数分。フランさんに会った。…物凄く不機嫌な顔で今にも壁を殴りそうな感じの。

 

「…あ、おねーさん」

 

一瞬表情が緩んだが、すぐに元の不機嫌そうなものに戻ってしまった。一体何があったんだろう?

 

「どうしました?」

「…酷いのよ。お姉様がね」

「…?レミリアさんが?」

「そう」

 

壁に背中を預け、コツコツと踵を壁にぶつけて始めた。…あ、壁にひびが。

 

「お姉様がね!勝手に私のお菓子を食べたのよ!」

「…お菓子?」

「そう!」

 

その不満が噴出し、右腕を思い切り壁に叩きつける。バギャァ!と言う嫌な音を発して壁に大きな穴が開いた。

…レミリアさん、お菓子抜きにすると壁を壊されることを危惧していなかったっけ?それなのに何してるの…。

 

「この怒り、どうしてくれようかしら…!」

「そんな苛ついてたら駄目ですよフランさん」

「だって…!」

 

親指に軽く人差し指をひっかけ、フランさんの額に人差し指を弾く。

 

「痛っ」

「怒りは爆発的な力を生む反面、視野を狭める。そんな状態だと出来ることも出来ませんよ」

「…むぅ」

 

ふくれっ面になってしまったが、とりあえず怒りが少しは収まった。さて、どうしようかな?

 

「フランさんはどうしたいですか?」

「復讐」

「物騒ですね…」

「一発や二発じゃ気が済まないわ」

「じゃあ好きなだけ当てちゃいましょうか」

「え?」

 

幻想郷には争い事を解決するのにちょうどいいものがある。

 

「レミリアさんにスペルカード戦を申し込みましょう。ルールはそっちが決めてください。わたしも付き合いますよ」

 

 

 

 

 

 

レミリアさんの部屋に一人で向かう。一つは、スペルカード戦の申し込みをするため。もう一つは、何故フランさんのお菓子を食べたのかを訊くためだ。そのために、フランさんにはレミリアさんをコテンパンにするための作戦を考えてて、と言って部屋に帰した。

 

「お邪魔します」

「誰ー?」

「だらしないですね…」

「うっさい」

 

机に突っ伏している人にだらしないと言って何が悪い。

 

「フランさんに頼まれてスペルカード戦の申し込みに来ました」

「あー、やっぱり怒ってた?」

「かなり」

「やっちゃったかしら…」

「なら食べなければよかったのに」

「間違えたのよ」

「ふーん」

 

間違えてフランさんのお菓子を食べた?…代わりに自分のを上げれば許されたかもしれないのに。

 

「悪いけれど私の分も食べてたのよ」

「二人分食べたんだ…」

「ホールのケーキを出されて一人で全部食べただけ」

「そしたらフランさんの分と一緒に出されていた、と」

「今度から咲夜にはちゃんと切り分けておくように言ったわ」

 

今後のことより今のこと。とりあえず、フランさんの些細な怒りを受け止めてあげて欲しいと伝えると、仕方なさそうに頷いてくれた。

 

「けど、手加減なんかしないわよ?」

「その理由は?」

「そんなことしたらもっと怒るのよ、あの子」

「………どうしよ」

 

手加減なしの吸血鬼同士のスペルカード戦に付き合うって言っちゃったよ。わたし、大丈夫かなぁ…?

 

 

 

 

 

 

約束の時間。場所は非常に豪華なカーペットが敷かれたかなり広い部屋。…壊れたりしないか心配だ。

スペルカード戦といっても、軽い、それこそ妖精同士がするような優しい喧嘩を想像していた。しかし、フランさんの表情はやる気に満ち溢れ、レミリアさんも不敵に笑っている始末。…わたしみたいな弱っちい妖怪が、しかも残っている妖力量が少ないのに参加して大丈夫かな?

 

「お姉様!今日という今日は許さないわ!」

「その程度で心を乱すなんて器が小さいわ。同じ吸血鬼として恥ずかしい」

「ハッ!私に負けて三日もいじけてたくせに!」

「なっ!それは、その、あの、そう!演技よ演技!簡単に騙されるなんてまだまだね!」

 

…絶対今考えたな。目がこっちを向いてない。明後日のほうを泳いでいる。

フランさんはというと、やっぱり嘘だと分かっているようで、全く聞いていないようだった。

 

「行くよ、おねーさん!」

「それなりに頑張りますよ」

「駄目よ!お姉様をコテンパンにするんだから!」

「…全力でいかせてもらいますね」

「その意気だよ!」

 

ルールは単純。スペルカード五枚、被弾五回。フランさんと私はスペルカードも被弾も共有する。フランさんに作戦を言われたのでそれに従うけれど、…足引っ張らないようにしないとなぁ。

前触れもなくフランさんが駆け出し、スペルカード戦が始まった。

 

「禁弾『カタディオプトリック』!」

 

そう言うと、大型の妖力弾を次々と放つ。その軌跡には中型、小型の妖力弾が追随する。…やっぱり濃いなぁ…。

『幻』展開。追尾弾用を二十個。速度は超低速から最速まで規則なしに。残りの二十個は待機。状況に応じて直進弾や阻害弾、打消弾などに変えていこう。

 

「その程度!」

「甘いよお姉様!」

 

壁にぶつかって、壁を破壊して終わりだと思ったが、意外にも壁はほぼ無傷で跳弾した。跳ね返る弾幕。閉鎖空間で真価を発揮するスペルカード。

跳ね返った弾幕を辛うじて避けたレミリアさんは、スペルカードを宣言した。

 

「紅符『スカーレットマイスタ』!」

「うわっ!」

 

真っ紅な弾幕が室内を染め上げる。当たらないのが精いっぱいだよ本当に!早速待機している『幻』の十個を打消弾用にし、無理矢理安全圏を作る。しかし、これほどの弾幕。打ち消すのは惜しい。

 

「鏡符『幽体離脱・散』」

「…!うわっと!」

 

うげ、やっぱりこれだけの量だと妖力を結構持ってかれる。あと一回くらいなら出来るだろうけれど、もう一回は無理そう。

フランさんの作戦一つ目。鏡符「幽体離脱」を弾幕が濃い時に使う。

それにしても、これだけ一気に増えたのに躱せるのか…。あ、フランさんの弾幕の複製が跳弾した。

 

「嘘っ!ぐっ!」

「ナイス!おねーさん!」

 

背中に思い切り被弾。

 

「よくもやってくれたわね…」

「アハッ!お姉様服ボロボロ!」

「お気に入りだったのに!もー!」

「…そんな服着なきゃいいのに」

 

そんなわたしの呟きは頬すれすれを掠めた弾幕によって掻き消されてしまった。おっと、被弾したからってスペルカードが止まるとは限らない。大抵は途切れちゃうものだけどね。

…ああ、地上で避けるのはちょっと無謀だったかも。既にそこら中が抉れて凸凹になっちゃってるし。

 

「次ッ!禁忌『フォーオブアカインド』!」

「前と同じようにはいかないわよ!紅符『ブラッディマジックスクウェア』!」

 

速攻の一撃を躱し、レミリアさんを中心に弾幕が花開く。おっと、急に崩れないでほしい。被弾したらタダじゃ済まないことは確定なんだから。

 

「アハッ!」「お姉様!」「お菓子の仇!」「食らえ!」

「四人に分かれたところで、何も変わらない!」

 

そう言うと的確に、一人ずつ潰すつもりのようだ。…ついでにわたしも。あ、一人やられた。偽物みたいだったけど。

被弾、というわけではないが当たるつもりではなかったようだ。その眼は、このまま一気に決めるつもりの眼だ。

 

「こうなったら!」「レーヴァテイン」「六刀流で!」

「ちょっ!それは流石に洒落にならないわ!」

「わたしも一本出しますので七刀流になりますよ?」

「そうすれば勝てるのに痛い目見る(ヴィジョン)しか見えない!」

 

慌てふためいても仕方がない。わたしはフランさんに従うだけ。作戦二つ目。レーヴァテイン九刀流。しかし、一人やられてしまったので二本減ってしまった。

実は、最初から勝つつもりなんかない。レミリアさんのコテンパンにするためだけに申し込んだんだから。これが最後の作戦。勝利よりもコテンパン。

 

「「「禁忌『レーヴァ――」」」

「複製『レー――」

 

突然、物凄い音を立てながら扉が勢い良く開いた。

 

「…騒がしいと思ったら、何をしているのですか、お嬢様、妹様」

「お姉様をコテンパンにするの!」

 

瞬間、部屋中にナイフが出現。刺さることも掠ることもなかったけれど、かなり危ない軌道だった。わたし達三人は誰かが提案するまでもなく、スペルカード戦を止めた。

咲夜さんが部屋を見渡す。穴の開いた壁。抉れに抉れた床。今にも崩れそうな天井。もう使い物にならなさそうなカーペット。その他、復元不可能そうな装飾品。

 

「…喧嘩はそこまでにして、どうしてこうなったか私にしっかりと言ってください」

 

そう言い放つ咲夜さんの表情は、当分夢に出てきそうなものだった。当然、悪夢に出てくることになるだろう。

しっかりと話した結果、わたし達はかなり怒られた。…二時間くらい。それに加え、レミリアさんは明日のお菓子が抜きになった。

 



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第73話

「チルノに勝ちたい」

「…はい?」

 

やることもなく、いつもの樹に向かって石ころの複製を投げていたら、突然リグルちゃんがわたしの目の前に降りてきた。そして言った。こんな朝早くから突然何を言っているんだろう?

 

「そもそもよくわたしがここにいるって知ってましたね」

「大ちゃんから聞いた」

 

確かに、大ちゃんはここにあるわたしの家を知っている。魔法の森という比較的迷いやすそうな場所だが、無事に到着出来たことにホッとする。

 

「で、どうしていきなりそんなことを?」

「…チルノに勝てないから」

 

うん、非常に分かりやすい。しかし、勝てないからってどうしてわたしのところに来るんだろう?何処か人気のないところでコッソリと努力を重ねればいいと思うんだけど。

 

「最近、チルノがメキメキ強くなってさ。でっかい氷をぶつけたり、弾幕を凍らせたり、湖の表面を滑ったり…」

「へー、湖を滑るんですか。うーん、涼しそう…」

「勝ったらいつも言うんだよ。『まどかは凄いんだ』って。『凄いこといっぱい知ってる』って」

「ちょうど夏なわけだし、火の精霊よりも水の精霊にお願いしようかな?」

「だから私も幻香に何か学ぼうと思って来たんだ」

「けど、聞いてくれるかなぁ?何度やっても聞いてくれないし…」

「…ねぇ、聞いてた?」

「聞いてましたよ。つまり、負けるのが悔しいんでしょう?」

 

一目見たときから劣等感は感じていた。誰に対してどうしてそう感じているかは分からなかったけれど、チルノちゃんに対して負け続けて感じていたんだね。

 

「と、いってもねぇ…。近づけば氷塊、弾幕は凍らせる。滑ることで接近も退避も容易。なかなか難しい」

「…幻香ならどうするの?」

「氷塊は相殺。氷は穿つ。滑るのは阻害弾で移動を制限して当てる」

「…どれも難しそう」

「誰しも向き不向きがあるんだから、長所を伸ばすのも、短所を補うのも自由」

「いきなり何言ってるの?」

 

しかし、短所を補うのは難しい。長所を伸ばすほうが簡単だ。

リグルちゃんの長所。虫を使役出来る。比較的軽い身のこなし。すぐに思いつくものはこの二つ。これを使ってチルノちゃんに対抗する…。

 

「リグルちゃん」

「何?何か思いついた?」

 

足元に落ちていた石ころをリグルちゃんに見えないように自由落下。リグルちゃんの額に指先を向け、地面に着く瞬間の速度で指先に複製し、発射する。

 

「っ!うわっとぉ!」

「うん。避けれるよね」

「いきなり何するんだ!」

「これが避けれるなら氷塊なんて大きなもの、簡単に避けれるでしょう?」

「え?」

 

対抗する必要なんてない。避けるのだって、立派な戦術だ。

 

「さ、特訓ですよ」

 

 

 

 

 

 

「よいしょっと…。うーん、意外と重いなぁ…」

「ほ、本当にやるの?ねぇ?」

 

わたしは今、手頃な大きさの岩を複製し、握りやすいように削り取ったものを持っている。大きさはチルノちゃんの氷塊「グレートクラッシャー」と同じくらい。

複製「巨木の鉄槌」はすぐに振り下ろしているから、あれだけの重さでもあまり問題はなかった。だけど、今回は握り続け、振り回さないといけない。氷と違って岩は重いのだ。

 

「やるに決まってるでしょう?大丈夫ですよ」

「全然大丈夫じゃないでしょ!?」

「チルノちゃんと比べたら振りが遅くなりそうですし」

「そういう問題じゃないし!当たったらどうするのさ!」

「…名誉の負傷?」

「不名誉だよっ!」

 

まあ、名誉だろうと不名誉だろうと傷は傷。どう思うかは本人次第。まあ、こんなことで出来た傷に名誉も不名誉もないと思うけれどね。

 

「まあ、やらないと特訓になりませんし。ちょっと振る練習してからにしますから」

「…分かった。ここまで来たらやってみせる」

 

うん、いい目つきだ。やる気もあるみたいだし、わたしはそれに応えるだけ。

持ち上げて振り下ろしたり、肩に担いで薙ぎ払ったりするが、岩の重さに体が振り回されてしまう。わたしが岩を使うのではなく、岩にわたしが使われているような感じだ。

…あ、そうだ。

 

「ちょっと失礼」

「いきなり何――うわっ!?」

 

岩を置き、リグルちゃんの手を握り、複製。過剰妖力はそれなりに入れた。意識が僅かの奥に押しやられるような違和感を感じながら動かしてみる。リグルちゃんの複製(にんぎょう)はわたしの思い描く通りに動き、岩を持ち上げ、豪快に振り回した。よし、これなら大丈夫そう。ただし、勢いがよすぎると岩がすっぽ抜けてしまいそうで怖い。

複製の動きを止め、チルノちゃんの対策について言っておく。

 

「チルノちゃんは近づいてきたらまず氷塊『グレートクラッシャー』を使う」

「…うん。いつも喰らっちゃう」

「見て分かる通り、それを避けるための特訓です」

「それは分かるよ」

「チルノちゃんの場合は宣言の前に腕を振り上げておき、宣言と共に氷塊を作り、振り下ろす」

「振り上げることもあるよ?薙ぎ払ったりも」

「そこら辺は腕を見れば大体分かるからいいんですよ。話を戻します。ですが、今回の特訓は最初から氷塊を模した岩が出ているから、避けやすいと思う」

「…どうだろ」

「まあ、いくら言ってもやってみないと分かりませんよね」

 

複製を再稼働。岩を持ち上げ、リグルちゃんの前に立たせる。対するリグルちゃんは、軽く伸びをしてから力を抜き、避ける対象である岩を見ている。

 

「さて、やってみましょうか」

「よし…、頑張る」

 

岩を持ち上げ、勢い良く振り下ろす。それに対して、離れるように後方へ跳んだ。

 

「慣れてきたら、横方向に避けて空いている脇のほうに弾幕を放つ、なんてのもいいですね」

「薙ぎ払いなら?」

「急上昇して弾幕を放つ」

「振り上げなら?」

「横に避けて弾幕を放つ」

 

そこまで言うと、リグルちゃんが目を瞑り、腕を組んだ。きっと、頭の中で動きのイメージをしているんだろう。

 

「…出来そうな気がする」

「なら、やってみましょうか。…弾幕は放つ振りにしてくださいね?」

「え?何で?」

「もう一度創るのが面倒だから」

 

 

 

 

 

 

繰り返すこと十数回。大分動きがよくなった。具体的には、腕を振り下ろした瞬間に回避出来るくらい。きっと、反射神経がいいんだと思う。至近距離からの石ころも避けれてたし。

 

「ふぅ…、疲れたぁ…」

「お疲れ様。水でも飲む?」

「飲む」

 

家に戻りコップに水を入れ、渡す。そして一気飲み。

リグルちゃんも成長したけれど、わたしも複製の操作に慣れてきた。前に比べれば、格段にいい動きをしていると思う。

 

「これでチルノの氷塊は避けれそう」

「相手の動きを見て、安全圏に回避して反撃。これが重要ですよ」

「幻香もやってるの?」

「してますよ。反撃出来ないことのほうが多いですけど」

「何で?」

「相手が強過ぎるから」

「…幻香より強いの?」

「まともにやったらまず勝てませんよ」

 

信じられないような顔をされても、実際にそうなんだから仕方ない。妖夢さんとか萃香さんとか。

 

「リグルちゃんは目がいいみたいですから、相手の攻撃を避け続けて、隙を見つけて攻撃するのがいいかもしれませんね」

「わたしのスペルカードはどうすればいいの?」

「そこまで面倒は見れませんよ」

「ケチ」

「そう言われても思いつかないからしょうがない」

 

リグルちゃんのスペルカードはわたしとは全く系統が違うものだ。つまり、魅せるスペルカード。わたしのスペルカードの中にそんな美しいものはない。

 

「それと、避ける練習をするだけだとチルノちゃんに勝てるとは限りませんよ?」

「え?…あ」

「弾幕を凍らせる。チルノちゃんの最も厄介なところですね」

「…どうしよう」

「見てきた感じだと、正面からの弾幕は問題なく凍らせるんですよね」

「…横とか後ろからなら?」

「どうでしょうね」

 

問題なく防御出来そうな気がする。うーん、貫通以外に突破する方法…。

 

「リグルちゃん」

「何?」

「光の三妖精と一緒に特訓するのはどうですか?」

「何で?私より弱いよ?」

「氷は熱に弱く、光を通す。凍らせるのが間に合わないくらいの熱を持たせるのはサニーちゃんが出来そう」

「それにあの三人なら光を使った弾幕を放てるかもしれない、ってこと?」

「まあ、妖力弾とは違うものを放てるかどうか分かりませんけどね」

「よーし!やってみる!ありがとね幻香!」

 

そう言って、わたしの返事も待たずに飛んで行ってしまった。

 

「…行っちゃった」

 

やる気があるのはいいけれど、返事くらい聞いてほしかった。

 

「まあ、リグルちゃんなら蛍の光なんかを利用して出来るかな?」

 

飛んでいくリグルちゃんの表情は、とても明るいものだった。最初に見た劣等感は、もう感じない。

なら、大丈夫だろう。

 

「さーて、水の精霊水の精霊っと…」

 



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第74話

「…ナンモンカツ」

 

念じながら呟き続けて、気が付けばもう暗くなってきた。水の精霊さんよ、どんな姿かは知らないけれどちょっとくらい出てきてくれたっていいじゃない…。

そろそろ明かりがないと文字が読めないし、今日は諦めてまた今度にしようと思い、『精霊魔法指南書』を本棚に仕舞った。

その時。扉からコツコツと軽く叩く音が響いた。誰?こんな遅くに。…もしかして、里の人間?

床に手を当て、妖力を流す。家の間取りの詳細と、その周辺の形が頭に浮かぶ。扉の前に立っているのは、腰に長めの棒と短めの棒がある女性のようだ。服には何か薄っぺらい何かがくっ付いている。…もしかして、妖夢さん?

念のため扉の正面に立たず、すぐには見つからないだろう場所に立つ。扉を開けたと同時に攻撃なんてあったら洒落にならない。

 

「…開いてますよ」

「ハァ…、そう、ですか…。お邪魔、します。…ハァ」

 

そう言って扉が開く。その声は妖夢さんと同じようなもの。扉から入ってきた姿も妖夢さん。敵意は感じないけれど、こんな夜遅くに、しかも肩で息をしてくるなんてどうしたんだろう?服にはやたらと葉っぱがくっ付いてるし。

 

「あれ、幻香さん…?」

「ここにいますよ」

「うわっ!?」

「っとぉ!?」

 

反射的に放っただろう居合いの一撃。それはわたしの顔を真っ二つにしそうな軌道。咄嗟に倒れ込むように回避しながら、両手に一本ずつ刀を複製し、受け止める。幸い、そこまでの力は込められておらず、壁に斬り傷が出来ることはなかった。

 

「ハッ――ま、幻香さん…?」

「いきなり何するんですか!…とりあえず座っててくださいよ」

 

妖夢さんに椅子に座るように促し、普段は使わない蝋燭――慧音から貰った――に火打石で明かりを灯す。そして妖夢さんのために水を置き、わたしの分のコップに注いでおく。

しかしわたしは座らない。その椅子から立ち上がり、抜刀して届く範囲の外側で壁を背に妖夢さんのほうを向く。

 

「夜遅くにすみません。それと、わざわざありがとうございます」

 

コップに注がれた水を一口飲み、一息。周りを見渡し、棚にある瓶のラベルを見てギョッとした。毒液だと思ったのかな?

問題ないことを示すためにもわたしも水を飲む。

 

「毒ではないのでご安心を。…で、何の用ですか?」

「え、ああ、そうですね。幽々子様に頼まれてきたんですよ」

「幽々子さん…?」

 

春雪異変の黒幕で、宴会の時に止まることなく食べ続け、飲み続けていた幽々子さん?

 

「一度お会いしたいとおっしゃっていましたので」

「どうしてです?こんな妖怪に」

「さぁ?そこまでは何も…」

 

わたしは幽々子さんと話したことがない。だから、特に興味を持たれるようなことはしていないと思うんだけど…、ん?あ、西行妖の散華やってた。しかし、それをしたのは春のこと。ちょっと遅すぎないかな?

そんなことを考えていたら、妖夢さんが残っていた水を飲み干し、立ち上がって扉の方へ歩き出した。

 

「用件は以上ですので、それでは」

「…そもそもいつどこで会うのか聞いてないんですけど」

「あ」

 

椅子に座り直すが、その顔は僅かに赤い。蝋燭の炎の所為ではないのは確かだ。

 

「…場所は白玉楼で、明日の昼ごろに迎えにまた来ますので」

「わかりました。ああ、それと」

「まだ何か…?」

「その葉っぱは何ですか?」

「え?えーと…」

「それにいきなり斬りかかってくるなんて何かあったんですか?」

「……お、お化けかと…」

 

…冥界に住んでる人がお化けを怖がるんだ…。

 

「…聞かなかったことにしますから、もう帰っていいですよ」

「………すみません…」

 

明日の昼ごろ、ねぇ。どんなことを話すんだろう?

 

 

 

 

 

 

冥界に到着し、長い階段を上る。夏とは思えないほど涼しいが、あんまり長くはいたくない感じだ。幽霊が近くを通るたびにヒヤリとする。

 

「…ちょっと遅くないですか?」

「…迷ったんですよ…」

「一度来たんだから迷わないでくださいよ…」

 

今は既に夕方。そのくらい長い話になるか分からないから、一泊することも視野に入れた方がいいかも。…冥界で一泊とかなんか怖いんだけど。

階段を上り切り、大きく息を吐く。ああ、この階段ちょっと長すぎませんかね?白玉楼はきっとの先を真っ直ぐ――、

 

「え?何で…?」

 

目の前に西行妖があった。…これはわたしの複製だ。わたしの妖力を枯渇させて創り出した複製。その姿は酷く寂しい。そりゃそうだ。花どころか葉っぱの一枚もないんだから。

 

「…さ、白玉楼はまだ先ですよ」

「え、どうせだし回収」

「…先、急ぎますよ」

 

…残しておきたいらしい。何故かなんて知らない。けれど、それだけは感じられた。

わたしとしては回収して新しい緋々色金を創りたかったんだけどね。

 

 

 

 

 

 

白玉楼に着いたのだが、その広さに驚いた。しかし、冥界は人間の外と違って民家がないのだからこのくらいの広さは普通かもしれない。

中に入れさせてもらい、幽々子さんが待っているという部屋に案内された。

 

「幽々子様ー。幻香さんを連れて――」

「あらあらあら?いいのかしらそんな手を打っちゃって?」

「うふ、先急ぐことでもないのだし考えるだけ時間の無駄よ」

 

…どうして八雲紫がいるんだよ。

二人の間には何やら四角い木材が置かれており、その上には『歩兵』『銀将』『王将』などと書かれた欠片を交互に動かしていた。チェスの仲間かな?

 

「あの、幽々子様?」

「悪いけれどちょっとお借りしてるわぁ。一時間もかからないと思うから」

 

そう言いながら『桂馬』と書かれた欠片をチェスの騎士のように動かす。

 

「もう遅いじゃない妖夢ったら」

 

そう言いながらその先にあった歩兵を取り除き、『香車』と書かれた欠片を真っ直ぐ動かす。

 

「…ふむ」

「申し訳ありません幻香さん。せっかくお呼びしましたのに…」

 

チェスと同じルールなら、きっと『王将』と書かれた欠片を取れば終了だ。わたしはそんなに長居したくない。

八雲紫が『金将』を動かす。八雲紫の『王将』は盤上の端に陣取られ、その周囲には様々な欠片が置かれている。しかし、その斜め前が開いている。

 

「――なッ!?」

 

その開いているところに『金将』を複製した。どんな勝負だったか知らないけれど、さっさと終わってほしいからね。

 

「あら?こんなところに金将が。はい終了」

「ちょっと待ちなさい!」

「形がそうであれ終わったんだからさっさと諦めてくださいよ八雲紫」

「貴女ねぇ!」

 

知るか。呼ばれたのに待たされるのはあまり好きじゃない。特に八雲紫に待たされているとなると尚のことむかつく。理由なんかないけれど。

愚痴愚痴と文句を垂れていたが、聞き流す。幽々子さんも既にそうするつもりのような対応だ。妖夢さんにお茶とお茶菓子を頼んでいる。

 

「あら?座らないのかしら?」

「…いえ、そんなことはないですよ」

 

机を挟み、向かい側に座る。お茶と饅頭四つが置かれた。

 

「で、何の用ですか?わざわざ呼び出したんだからそれなりの理由があるんでしょう?」

「そうねぇ…、うちの庭師と友人が興味を持ったのがどんなのか気になっただけ」

「…それだけ?」

「それだけ」

 

友人が誰かは知らないけれど、庭師って多分妖夢さんだよね?わたしの何処に妖夢さんが興味なんか持つか?

幽々子さんがお茶を飲んだのを確認して数秒、わたしもお茶を飲む。あ、美味しい。何故か八雲紫が饅頭を一つ手に取ったが気にしない。

 

「面白い子ね」

「でしょう?」

「顔が?」

「それも含めて面白い子」

「…まあ、詳しくは聞きませんよ」

 

饅頭を頬張る二人を見ながら、残ったお茶を飲み干す。

 

「用がこれだけならわたしは帰りますが」

「あらそう?もうちょっとお話していきたかったのだけど」

「せっかくこんなに美味しい饅頭があるのに食べずに帰るなんて…」

「…まあ、何処に興味を持ったのかとか、未だ残っている西行妖について聞いてからにしますか」

 

饅頭に手を伸ばしたら、何故か八雲紫も同じものに伸ばしていた。もう一つは幽々子さんが既に取っている。…まあ、いいや。

わたしは饅頭から手を離す。饅頭はそこまで食べたいわけでもない。

 

「あらいいの?」

「…さて、貴女の友人が誰かは知りませんけれど、庭師って妖夢さんですよね?わたしなんかの何処に興味を?」

「それはせっかくだから自分で聞いてみてくれる?わたしの口から言うのはどうかと思うし」

「無視なんて酷いわねぇ…」

 

本人に、ねえ。聞く機会あるかな?なんていうか『ねえ、わたしの何処に興味があるの?』なんて聞き辛い。分かってて言ってるのなら、この人は遠回しに教えるつもりがないと言っているということだ。なんて腹の黒い。

 

「それと、私の友人はそこにいる饅頭泥棒」

「あら、出されたものを食べただけよ?」

「貴女に出したつもりはないわよ?」

 

…笑顔が怖い。妖夢さんが新しいお茶と饅頭を持って来てくれたのに、笑顔で睨み合っている二人を見て饅頭を落としかけたくらい。

そんな二人から目を逸らしながら、饅頭を一つ食べる。うん、美味しい。

 

「まあ、紫がどう興味を持ったかを私の口から語るつもりはないわ。聞いてみれば教えてくれるかもしれないわよ?」

「いえ、どうでもいいです」

「あら酷い。せっかく教えてあげようかと思ったのに」

 

前に言っていた。及第点と言っていたけれど、八雲紫が興味を持っているのはわたしの複製能力。創造と勘違いしていたけれど。

 

「半分は教えてくれないのだから、もう半分はちゃんと教えてくださいね?」

「あの西行妖のこと?」

「複製ですが」

「うふふ、紫も最初は目を見開いてたわね。とっても滑稽だったわ」

 

滑稽な顔を見せたと言われた八雲紫は饅頭を口いっぱいに頬張っていた。聞こえないふりをしているようにしか見えない。

 

「あれは斬り倒して薪にでもするつもりだったんだけどねえ、妖夢が断ったのよ」

「…?」

「不思議そうな顔してるわね」

「そりゃそうですよ。こんな邪魔な大木を伐採しないなんて」

「『自らへの戒め』ですって。あまりに真剣だったから驚いちゃった」

 

春を届けることが出来なかったから、だろうか。

 

「貴女にちゃんと勝つまでは斬り倒さずにおくなんて言っちゃって」

「はぁ?わたし負けましたよ?」

「自滅じゃ満足出来ないんじゃないかしら?」

「……妖夢さんに負けるってことは死ぬことと同義なんですよね…」

 

刀を扱う妖夢さんに負けるとは、つまり斬られることだ。斬られたら普通は死ぬ。

 

「そこらへんは、何とかしてくれるんじゃない?」

「何とか…」

「半人前に出来るかしらねぇ?」

「あら?私の可愛い妖夢に何言ってるのかしら?」

 

ああ、また笑顔。不穏な空気だ。冥界の何処となく不快な空気が気にならないほどに。しかしすぐに収まった。…よかった。

この後は世間話や挑発が長々と続き、帰る機会を見失ったわたしは結局一泊してから帰ることになった。

 



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第75話

やることもなく時間は流れ、今日が何日かが分からなくなってきた。いつものように石ころの複製をいつもの樹に手首だけで軽く投げる。その途中でボンッという音と共に急加速し、一ヶ所だけある樹皮が削れた場所に当たる。

 

「あー、何しようかなー…」

 

食料は昨日採った。精霊魔法はまた今度。抽出は少し面倒だし、この辺の毒性植物は大体終わった。爆発物はすぐに湿気てしまい保存が利かないので却下。体術は相手がいないとつまらない。妖力量はそこまでの量がないから緋々色金は無理。スペルカード戦は一昨日チルノちゃんとやった。

…うーん、誰か来ないかなー。来ないなら紅魔館に行って大図書館の本でも読もうかな。

 

「――ッ!」

 

足音。二足。二人。こっちに近付いてくる。…一応隠れておこう。

ちょっと遠くのほうの樹を自分に重ねて複製。弾かれる前に触れている部分だけ回収し、空気と視界を確保するための細かい穴を作るために霧散させる。

…よし、出来た。音を立てないように注意すれば、見た目はその辺にある樹だ。余程のことがなければバレることはないだろう。

 

「珍しいな、妹紅」

「気が向いたんだよ」

「はは、お前らしい」

 

この声は…、何だ、慧音と妹紅さんか。…そういえば、今日は慧音が来る日だったような?日付感覚が無くなるって怖い。

一応二人の姿を確認してから、樹を回収する。それにしても、やっぱりこれはきつい。密着することになるから物凄く暑い。それに、穴はかなり小さく作っているから息苦しい。最後に、動かないでいるのは神経を使う。

 

「おはようございます。慧音、妹紅さん」

「ん、おはよう幻香」

「よ、元気にしてたか?」

「ええ。元気にしてましたよ」

 

体調に不良はない。暇だったけどね。

 

「前無くなりそうだと言ってたみりんと塩だ。とりあえず、これくらいあればいいだろう?」

「私は鳥一羽。さっき捕まえた」

 

小さめの瓶と袋、それにかなり立派な鳥。鳥は既に血抜きが済んでいるようだ。首のあたりが切られている。

 

「二人とも、ありがとうございますね」

「何、気にするな」

「気にすることねーよ。昼飯はこれの内臓でいいか?」

「内臓は腐りやすいですからね」

 

軽いおしゃべりをしながら家へ向かう。

慧音の寺子屋の生徒は、わたしが慧音と普通に話していたのを見ていたからか、わたしが本当に禍なのかと疑っている。しかし、親は全員がそうだと疑わないから、どっちを信じればいいかよく分かっていないようだ。実際に会って確かめたいという勇気ある子までいる。しかし、わたしが里に行くと門番から里中に知らせが回ることになりそうなので無理だ。

妹紅さんは蓬莱山輝夜という人と決闘をしたらしい。お互いに命を賭けた戦い、だそうだ。まあ、実際に命を賭けているわけではないだろう。そういった意気込みという意味だと思う。…何故か言葉を濁していたが。ちょっと誇張したのかな?

 

「ん?」

「どうした妹紅?」

 

わたしの家が見えてきたと思ったら、突然妹紅さんが足を止めた。僅かに目を凝らし、わたしの家のほうを睨む。

 

「…一人、か」

「襲撃者か?」

「んー、盗人かな。金属同士がぶつかる音、引出しを開いてる。これは、ガラスかな」

「…わたしの家からもの盗んでも大抵のものは消えるんですけどね」

「毒液あるんだろ?それじゃないか?」

「瓶は複製。飛び散りますよ」

「そもそもこの魔法の森に来てまで盗人とは…」

 

確かにそうだ。一応、人間には有害な場所。胞子を吸い込むだけで体調不良を引き起こし、最悪死に至る。妖怪でも下手したら危ない。そんな危険地帯で?

 

「…幻香狙いだとしたら?」

「里の連中は知らないはずだろう?」

「どうでしょうね、知ってる人は知ってますし」

 

慧音と妹紅さんはもちろん、霊夢さん、魔理沙さん、紅魔館の人達、霧の湖の遊ぶ妖精妖怪達、妖夢さん、八雲紫。軽く思い付くだけでこれだけいる。

 

「どうする?」

「妹紅さん、行けます?」

「よし分かった」

 

この中で最も戦闘能力が高いのは妹紅さんだ。余程の相手じゃなければ問題ないだろう。

もし、里の人間だったら引越し確定だ。魔法の森は二度と使えないだろう。…新しい住処に出来そうなのは迷いの竹林か紅魔館かな?

妹紅さんを見送り、慧音を共に木の陰に隠れる、さて、どうだ?

妹紅さんが扉を勢いよく開けた。…うん?中に入らないの?もしかして、会話してる?それらしく腕動かしてるし。

あ、戻ってきた。…軽く頭を抱えながら。

 

「…酒を探しに来た鬼、だとさ。鬼なんて眉唾物だが…」

 

…もしかして萃香さん、かなぁ?あの瓢箪があればお酒には困らないだろうに、どうしてわたしの家に入ってお酒を求める。湧き出るお酒がいつも一緒だと思うから、たまには別の味を求めるだけなのかもしれないけれど。

 

「…多分知り合いです」

「本当か?騙されてないか?」

「最低でも、本人と八雲紫はそうだと言ってましたね」

「あの賢者が?…なら信じられる、か?」

「誰だ?八雲紫って」

「スキマ妖怪」

「知らね」

 

とりあえず、三人でわたしの家へ向かう。そして、開けっ放しの扉から中を覗くと、棚の置かれている毒液を一つ一つ覗いている萃香さんがいた。

 

「ん?おー、やっと会えた!よ、幻香」

「…おはようございます萃香さん。…で、何の用です?」

「酒とお前」

「ここにみりんならありますよ?」

「あれは甘すぎるから嫌だ」

 

飲んだことあるのかよ。…そういえば宴会でみりんが減っていたけれど、料理に使われたんじゃなくて萃香さんが飲んだの?

 

「おい幻香、みりんは飲み物じゃ…」

「…それしかお酒無い」

「確かにそうだが…」

 

萃香さんに聞こえないように小さな声で慧音を会話する。口元は出来るだけ動かさないことと出来るだけ短くすることがコツだ。

妹紅さんは未だに警戒しているようで、わたしの前からあまり動こうとしない。

 

「もう一つは?」

「お酒じゃないほう?」

「そうだ」

「スペルカード戦しに来た。その為にわざわざ紫の長ったらしい説明を聞いたんだからな」

「…はぁ?」

 

萃香さんがスペルカード戦?つまり、スペルカードルール覚えてきたの?

 

「どうしてわたしなんかと?」

「いやー、最初の相手はお前とって決めてたからな」

 

ちゃんとした決着を現在の決闘で、と付け加えた。

妹紅さんもわたしと慧音の中に混ざり、小声で話し始める。

 

「なあ、あれは追い出したほうがいいのか?悪意はなさそうだが…」

「確かに悪気は無さそうだ。しかし、何というか…」

「まあ、悪い人じゃないですよ多分。最低でも里に連れて行くつもりはない」

「おーい、三人で何話してんだー?私も混ぜろよー」

「貴女がどんな人かって話ですよ」

 

とりあえず、二人を連れて中に入る。椅子は普段使うことはないが、一応四人分ある。

全員に水を渡してから、わたしは鳥の羽を毟る。二、三回毟ると突然、鳥の羽が一気に全部抜けた。…何事?

 

「へえ、美味そうじゃん」

「生で食べるつもりはないですけどね」

 

そう言いながら包丁を手に取り、腹を開く。内臓を乱雑に取り出していると、肩を掴まれた。

 

「よし、私が調理するから幻香は座ってろ」

「あれ慧音?このくらいわたしがやりますよ」

「いいから座ってろ」

「…はい」

 

わたしの調理はそんなに駄目か。

後ろを振り向くと、苦笑いをしている妹紅さんと瓢箪を仰いでいる萃香さんがいた。

 

「流石にどうかと思うぞ…」

「よく分かんないけど任せた」

「…まあ、慧音がやりたいならどうぞ…」

「うむ、任せろ」

 

そう言うと、手際よく解体を始める。そして、すぐに火打石を使って水を沸かし始めた。

手を軽く洗ってから座る。萃香さんに聞いておきたいことがいくつかあるし、調理が完了するまでの時間潰しにもなるだろう。

 

「スペルカード戦は食べてからにするとして、何処でやります?」

「ここじゃ駄目なのか?」

「ちょっと障害物が多すぎるかと」

「まあ、ある程度広いほうがやりやすいしな」

 

鬱陶しいほど樹が乱立している魔法の森でやるのはあまりよくないと思う。わたしの家の近くにはそこまで開けた場所はない。

 

「なら広いとこなら何処でもいいや」

「じゃあ霧の湖で。スペルカードと被弾は」

「両方とも三。それが基本なんだろ?」

「まあそうですね」

「まずは基本に則ったほうがいいからな」

 

スペルカード三枚。萃香さんがどんなスペルカードを使ってくるか分からないが、楽しみだ。…死ぬことはないだろうから。

 

「おい幻香、茸と調味料勝手に使うぞ」

「どうぞー」

「お、なかなかいい臭い」

 

確かに、美味しそうな臭いが漂う。おかしいなぁ…、どれもこれもわたしの家にあるもののはずなのにどうしてここまで違うんだ…。

 

「それにしても、こんなとこに住んでるとはなー。結構探したぞ?」

「悪かったですね、こんなとこで」

「まあ、理由は聞いたよ。最初は里に居ると思ったからな」

 

瞬間、緊張が走る。隣に座る妹紅さんが僅かに腰を浮かしたが、すぐに座り直した。

 

「…で、どうします?わたしを連れて行けば里の人間共は喜びますが」

「するわけないじゃん。そんなことしたらつまらない」

 

それに、と強い光を帯びた目でわたしを射抜く。

 

「仮にも鬼である私に勝った相手だ。そんなことしたら私は私を許せない」

「…信用しますよ」

 

何せ、嘘が嫌いだと言う人だから。

 

「とりあえず、そういうつもりはないんだ。そう私を睨むなよ人間」

「…悪かったよ、疑ってな」

「あんたもそれなりの実力者っぽいし、後でやるか?」

「考えとく」

 

妹紅さんは警戒を解き、水を一気に飲み干す。そしてもう一杯水を注ぎ、また飲み干した。

とりあえず、緊張が解けてよかった。二人がギスギスしていたら、わたしも居心地が悪い。

料理が出来るまで色々なことを話した。里の現状、最近あった面白かったこと、これまでの武勇伝。どれもこれも楽しめた。

 

「さあ、出来たぞ」

 

そう言うと、鳥と茸のスープをよそってくれた。…うわ、わたしのスープモドキとは大違い。

 

「お、やっぱ慧音は上手いな」

「ふふ、そう言ってくれると私も嬉しい」

 

萃香さんは既に食べ始めていた。いただきますくらい言ったほうが…。

 

「おい」

「うん?私?」

「『いただきます』も言えないのか、お前は」

「えー、いいじゃんかよー」

「駄目だ。肉にも魚にも野菜にも果物にも茸にも命がある。その命をいただくんだから、それぞれの食材に感謝してだな――」

「あー、悪かった…。いただきます…」

「――また、食事に携わった人への感謝もだ。料理を作った人、配膳をした人、野菜を作った人、魚を獲った人など、その食事に携わった人達への感謝を――」

「…紫よりはマシかな?」

 

慧音のお説教は長い。しかし、それよりも面倒だと言う八雲紫の長ったらしい説明がわたしはちょっと怖くなった。

 



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第76話

霧の湖の少し上を浮遊し、周りを確認する。とりあえず、投げるのに手頃な樹をいくつか見つけておく。

 

「さーて、始めるとすっか」

「ええ、始めましょう」

「スペルカード戦は別名『弾幕ごっこ』なんだろ?殴る蹴るはなしにしようか」

「そうですね。わたしも久しぶりに殴る蹴るをしないスペルカードをしてもいいでしょう」

「…何だ、してもいいのか?」

「ルールにはしてはいけないとは書かれてませんから」

「けどしない。せっかくの初陣だ」

 

『幻』展開。現在最大数四十二個。最遅と最速の追尾弾用、直進弾用を各八個ずつ。残りの十個は打消弾用に待機。準備は万端だ。

 

「何だそれ?」

「…これですか?」

「そそ。そのフヨフヨしたの」

「『幻』と名付けてます。勝手に弾幕を張ってくれる便利なものですよ」

「んー、そういうのは考えてなかったなぁ…」

 

何と、こんな便利なものを使わないのか、と考えたけれど、フランさんも使ってない。自分で弾幕を放つ余裕があるからだけど。わたしにそんな余裕はない。

 

「まどかー!頑張れー!」

「がんばってくださーい!」

「無理はするなよ」

「おう、行って来い」

 

岸のほうで観戦している四人の声援を受け取りながら、萃香さんのほうを向く。

 

「…どう始めるんだ?」

「前触れもなく始まるときもありますけれど、審判がいればその人に任せることも。今回はお互いに納得出来そうなものでいいんじゃないですか?」

「任せた」

「任されました」

 

拳程度の大きさの石を複製。

 

「これを落としますから、その音で」

「よし分かった」

 

軽く投げ上げ、わたしと萃香さんの間を落下する。腰に手を当て、仁王立ちをしている萃香さんを見ながら、わたしがどう動くかを頭の中でイメージする。

ボチャリ、と鈍い音が響いた。

 

「ほいっと」

 

両手から一つずつ投げ出された橙色の妖力弾。…こんなのを放つか、普通?つまり、何かある。近づかない方がいい。

 

「ハァッ!」

 

と、誰もが考える。だからわたしは近づく。

靴にある僅かな過剰妖力を放出し、一気に加速する。二つの妖力弾の間をすり抜け、萃香さんに肉薄する。待機してある『幻』を全て後方に待機させ、何かあるだろう妖力弾の対応の準備をさせておく。そして残った『幻』で萃香さんの攻撃。

 

「よっと」

 

体を僅かに動かし、わたしの放った十六の最速妖力弾は掠りはしたものの、当たることはなくそのまま通り過ぎた。そして後に来る十六の最遅妖力弾も危なげなく避ける。

そして後ろから爆裂音。その音が聞こえてすぐに待機させていた『幻』から後方へ弾幕を放つ。運よく打ち消したからか、元から被弾する距離じゃなかったかは分からないが、わたしの背中に被弾することはなかった。

 

「あの状況で近づくなんて自殺するようなもんだろ?命は大切にな」

「死なない試合なんですよ。少しくらい無茶させてください」

「ま、確かにそうだ。だけどなー、避ければ勝てるとか言ってたのにそれはどうかと思うよ」

「確かにそうですね。わたしも舞い上がってたみたいです」

 

仕切り直すようにお互いに離れる。わたしは靴に妖力を注ぎ、萃香さんは瓢箪を仰ぐ。

 

「ふー。早速一枚。鬼気『濛々迷霧』」

 

宣言と同時に萃香さんが霧のように消えてしまった。そして、さっきまでいた場所には煙のようなものと小さな妖力弾が大量に現れる。…うん?この煙、近づいて来てない?

 

「やっぱり近づいて来てる!」

 

わたしの元へ一直線に近づいてくる煙。その煙が通った場所に置かれる妖力弾。その妖力弾は全く動く気配がない。つまり、阻害を目的とした弾幕。

 

「とりあえず、避けるしかないかな…?」

 

『幻』からはなった弾幕は素通りしたので、このスペルカード中被弾しないものと考える。

常に逃げ道が出来るように気を付けて移動するが、煙がかなり速い。そこら中に弾幕が置かれ、わたしの行動範囲を削っていく。…まずいかな。流石にこの量は多すぎる。スペルカード終了間際にこの弾幕を全て解き放つなんてことになったら、わたしはただでは済まない。

 

「やばっ」

 

そんなことを考えていたら、通る場所を誤った。行き止まりだ。既に二十秒経過している。仕方ない、わたしも一枚使うか。

眼を見開き、出来るだけ多くの弾幕を視界に収める。…これだけ消せば残り時間避け続けるくらいなら大丈夫そう。

 

「鏡符『幽体離脱・滅』」

 

視界にある弾幕が全て複製され、その全てが相殺して消え去る。あとは解き放たれないことを願おう。もし解き放たれたら、…何とかするか。

逃げ続けること約十秒。辺り一面の弾幕が消え去り、わたしの後ろを執拗に追いかけていた煙が集まっていく。そして、元通り萃香さんになった。

 

「追い詰めたと思ったらそんなの持ってたのかー。いやー、予想外予想外」

「避けるだけじゃわたしは負けちゃいますから」

「当たらなければいいんだもんなー」

「ええ。美しいかどうかは知りませんけれど」

「見た目派手だからいいでしょ?」

「そう言ってくれるとわたしは嬉しいですよ」

 

不意打ち気味に『幻』から弾幕を放つが、瓢箪を仰ぎながらサラリと避けられてしまう。お返しに投げられた一つの爆裂するだろう妖力弾を打消弾で爆裂する前に相殺する。

顔を急にこちらに向けたと思ったら、口から炎を吐いてきた。過剰妖力を足元から放出し、遠ざかる。

 

「夏に炎とか止めてくださいよ…」

「この程度で音を上げるなよ?」

「温度なら馬鹿にならないほど上がりましたよ」

 

萃香さんが吐き出した炎は予想以上に大きく、ここら一体が急に熱くなってきた。さっきの倍は汗が出てきているように感じる。

萃香さんにとっても熱いのか、頭をガシガシと掻き始める。そして髪の毛を掴んだと思ったら、数本引っこ抜いた。

 

「鬼符『豆粒大の針地獄』。驚くなよ?みんな私だ」

「…はい?」

 

空を舞う髪の毛がとても小さな、手の平サイズの萃香さんになった。

その一人一人がおらーとかくらえーとか言いながらわたしに向かって弾幕を放つ。

一人の弾幕は極僅か。しかし、軽く見て三十はいる。塵も積もれば何とやら。これだけあると避け辛い。

 

「はっはっは、どうだ?可愛いだろ?」

「ええい、鬱陶しい!」

 

『幻』から放たれる最速の直進弾。そのまま小さな萃香さんを一人潰した。ぎゃー、とか言ってるが気にしない。

 

「うわ、酷いなー」

「どうせ増えるんでしょう?」

「まぁね。それに潰れてももう一度萃めれば元通り」

「うわー、面倒だなー」

 

そう言いながら指先から妖力弾を放つ。狙いは眉間。しかし簡単に避けられる。

避けたり潰したりすること数秒。いつの間にか囲まれてしまった。

 

「さあ、どう避ける?」

「避けない」

「降参か?」

「いや、全部消す」

 

『幻』を後方に配置し、順番に放たせておく。これで後方からの被弾の確率は減るだろう。

わたしの右腕は既に淡く光っている。

 

「模倣『マスタースパーク』ッ!」

 

膨大な妖力が迸り、小さな萃香さん達を消し飛ばしながら萃香さんを襲う。

 

「うおっと!あっぶなぁ…」

「…やっぱ避けますよねぇ…。ま、ちょっと通りますよっと」

 

まとめて消し飛ばした場所を抜け、開けた場所へ移動する。後方の『幻』を全て前面に出し、萃香さんと小さな萃香さん達めがけて弾幕を放つ。

結局お互い被弾することなく、お互い二枚ずつスペルカードを使った。さて、どうするか…。

そう考えていたら、萃香さんが突然口を開いた。

 

「埒が明かないな」

「どこかで聞いたような言葉ですね」

「そう思うか?」

「ええ、何せ言ったのわたしですから」

「全くだ」

 

原始的で野蛮な殴り合いを終わらせるために言った言葉。しかし、今は違う。現代的で美しい弾幕ごっこ。言ったのはわたしではなく萃香さん。

さて、どう来る?

 

「『百万鬼夜行』。私の最後のスペルカードだ。避けてみせな」

 

宣言と同時に放たれる圧倒的な弾幕。避けれるのかどうかが怪しくなるほどの密度。少しでも気を抜いたら被弾してしまう。いや、気を抜かなくても被弾してしまうかもしれない。

『幻』から放たれる弾幕は全て相殺されてしまい、萃香さんには届かない。しかし、打消弾としての機能はあるため、僅かだが避けやすくなる。

 

「痛ッ!」

 

だけど、どんなに集中していても当たるときは当たる。

 

「おいおい、まだまだ序の口だぞ?」

「……………」

「だんまり、か。ま、しょうがないよなー」

 

徐々に増えていく妖力弾。体を掠めるように飛んでいく弾幕にヒヤヒヤする。緊張で張り裂けそうな心臓が鬱陶しい。圧倒的な弾幕の前に、萃香さんの姿も見えない。

 

「――ッ!」

「これで二つ。ほらほら、避ければ勝てるんだろう?」

 

…ああ、こりゃ負けたな。とてもじゃないけれど、避けれる気がしない。

だけど、やっぱり、三対零は嫌だな。胸元にあるものを一つ摘まみ取る。確かな硬さを指先に感じる。パチュリー曰く、圧倒的不変性を持つ金属。その複製。これなら、この弾幕の中を突き進むことが出来るかな?

 

「複製『――」

 

指先から放たれる緋々色金。目の前の妖力弾を何の問題もなく貫き、その先にいるだろう萃香さんのもとへ駆け抜ける。

わたしの半分だ。一発くらい、当たるよね?

 

「――炸裂緋々色金』」

 

周りの弾幕を掻き消すほどの爆発。同時にわたしの腕にも被弾する。

さて、勝負はどうなったかな?

 



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第77話

「あー、負けた負けた」

「痛ったた…、何だよアレ…」

「…おい、敗者より勝者のほうが傷ついてるぞ」

 

確かにそうだ。わたしは被弾した三ヶ所以外傷はない。三ヶ所目が被弾した瞬間、当たりそうな弾幕は全て打ち消したからだ。

対して萃香さんは、咄嗟に両腕で防御はしたようだが、守れたのは胴体と頭部。それ以外の場所はかなり傷ついている。かすり傷とかではなく、血が多少出てきているくらいには。

 

「あんな隠し玉がさー、あるとは思わなかったけどなー…」

「隠してませんよ。球体ですけど」

「あんな物騒なモンいつも持ち歩いてるのか?」

「物騒とは失礼な。わたしにとっては極めて安全な複製ですよ」

「あんな小さいのがあの威力…、おー怖っ」

「普段なら使いませんから」

「私とは異常かい?」

「いえ、強者とやり合うことは日常ですね。二回目からは日常になりますよ、きっと」

「スペルカード戦に強者も弱者もないって言ってたけどなー、紫が」

「飽くまで弱者が強者に勝つことが出来るってだけですよ。可能性の話です」

 

何処にでも居そうな子供でも、石ころを投げて偶然当たれば勝てるかもしれない。そういうルールなのだ。

わたしが思うには、人間が妖怪に勝つために作られたルール、であるが。

 

「おーい、話してないでさっさと傷見せろ。とりあえず止血するから」

 

そう言う妹紅さんの指先には小さな炎が憩いよく噴出し続けている。

 

「…あんまり任せたくないですが…」

「ちょっとくらい我慢しろ」

「ッ、熱つぅ…」

 

妹紅さんに傷口を見せると、そこに炎を当てた。皮膚が焼ける感覚がした、と思ったらもう離されていた。どうやら血を固めるつもりだったらしい。

 

「ほら、そっちもだ」

「いーよこんくらい大丈――熱ッつい!」

「いーや、問答無用だ」

 

萃香さんの腕や脚が一瞬で燃え上がる。…血は止まったみたいだけど、大丈夫なのかな?

 

「はは、血は止めておいた方がいい。失い過ぎると面倒だからな」

「…そうですねー」

 

慧音の言葉でちょっと嫌なことを思い出す。妖力枯渇以外で死にかけた稀有な出来事。

そんなことをボンヤリと考えていたら、頭を叩かれた。ちょっと痛い。

 

「まどかー!何負けてるんだよー!」

「ちょっとチルノちゃん!いきなり叩いたら!」

「わたしだって負けるときは負けますよ、チルノちゃん」

「悔しくないのか!?私はいつも負けたら悔しいのに!なんで…!」

「負けて悔しいのは得られたものがないから。わたしはさっきので負けて得たものがあったので悔しくないですよ」

「…よく分かんない…」

 

過剰妖力噴出による加速。緋々色金の複製による炸裂の威力。これだけでも十分である。

 

「さっきの言葉、私が前に似たようなこと言ってなかったか?」

「ええ、言ってましたよ。いつだったか、寺子屋の子供達に」

 

大ちゃんがチルノちゃんにお話ししているのを横目に、萃香さんのほうを見る。

萃香さんは傷口の塞がった腕を撫でながら妹紅さんに目を遣ると、言葉を投げかけた。

 

「そうだ人間」

「ん?なんだ?」

「どうだい?やるか?」

「んー…、ま、たまにはいいか。やってやろうじゃないの」

「お、いいねえ」

 

ケラケラ笑いながら瓢箪を仰ぎ、その場で構えを取る。妹紅さんも間合いを軽く計りながら距離を取り、肩を力を抜いた自然体になった。

そしてわたし達は被害を受けないようにかなり離れることにする。チルノちゃんが何か言ってるようだけど気にしない。

 

「ふぅ…、これだけ離れれば大丈夫でしょ」

「あっちはもう始まってるみたいだな」

 

そう言われて見てみると、炎を振り撒いている妹紅さんと爆発する妖力弾をばら撒く萃香さんが見えた。

 

「不死『火の鳥―鳳翼天翔―』!」

 

妹紅さんから鳥を模した炎が火の粉をまき散らしながら萃香さんへ飛翔する。こっちまで熱気が来るほど。ていうか滅茶苦茶熱い。

 

「よっと!それなら、火弾『地霊活性弾』!」

 

軽く跳ね上がり、地面に拳を叩きつける。地面から湧き出る炎。さらにここら一体が熱くなる。これだけ離れてこの熱さなら、二人の場所はもっと酷いことになっているだろう。

そうだ、チルノちゃんに氷でも出してもらおう。そうすれば少しはマシになるかも。

 

「チルノちゃ――って倒れてる?」

「…アタイってば最強ねー…」

「ああっ、チルノちゃんが譫言を…!」

 

周辺に水溜りを作るほど水を滴らせながらチルノちゃんはグッタリしていた。氷の妖精は熱気にやられて溶けてしまいそうだ。チルノちゃんと大ちゃんは偶然居合わせただけだから、これ以上被害を負うのはあまりよくないだろう。

 

「大ちゃん!悪いけれどチルノちゃんをもっと遠くに!」

「え、はい!ほら、頑張るよチルノちゃん!」

「お、おー…?」

 

大ちゃんがチルノちゃんを抱えて飛んで行った。わたしは今やっている二人の結果を最後まで見ていたい。

 

「慧音は大丈夫ですか?」

「ああ、何とかな。そっちはあまり大丈夫そうに見えないが…」

「湖の水でも飲みながらゆっくり見ることにしますよ」

「そうか?なら私もそうしよう」

 

魔法の森でこんなことをしようとしていたかもしれないと考えると、霧の湖を提案してよかったと心から思った。

 

「不滅『フェニックスの尾』!」

「鬼火『超高密度燐禍術』!」

 

こっちのことが目に入っていないのか、尚も炎を撒き散らす二人を見ながら湖の水を掬う。前は冷たいと思った水は、何故か温く感じた。

 

 

 

 

 

 

「なかなかやるなー!妹紅!」

「そっちこそな!萃香!」

 

魔法の森への帰り道。妹紅さんと萃香さんは炎よりも熱い友情で結ばれていた。きっと、強い者同士が惹かれ合うやつだろう。仲がいいのはいいんだけど、あんな炎を撒き散らすのはまた今度にしてほしい。

 

「うんうん、妹紅にも仲のいい奴が出来て私は嬉しいよ」

「妹紅さんもお酒かなり飲めますからね」

「ああ、私は普段あまり飲まないからな…」

「わたしは全く飲みませんから」

 

わたしと慧音の話は全く聞いていない二人は、はしゃぎながら瓢箪を回し飲みしている。わたしは瓢箪に一度も注ぎ足したのを見たことがないが、どういった仕組み何だか…。

 

「ああそうだ幻香」

「ん?いきなりなんです萃香さん」

「私家ないからたまにそっちに来るからよろしく」

「へー、家ないんですか…。え、家ないの?」

「まあなー。最近までは博麗神社にいたんだが追い出された」

「そりゃあねえ…」

 

霊夢さんは妖怪退治の生業にしているはずだ。流石に悪いことしてないなら気にしないだろうけれど、博麗神社に何日も泊めるほど寛容ではないだろう.

 

「わたしはいいですけど、どうせなら妹紅さんのとこに泊まったらどうです?」

「ん?私のとこにも来るぞ?」

「なあいいだろー?たまにだし」

「嫌とは言ってませんから。迷惑かけなければ」

 

萃香さんがたまに来る、か。

 

「慧音」

「ん、何だ?」

「今度からお酒も持って来てくれると嬉しいです」

 

お酒を探しに来ていたんだから、持っていた方がいいだろう。

慧音は少し考え、わたしに言った。

 

「…じゃあ私の仕事を今度からちょっと手伝ってくれないか?大丈夫だ。簡単な写生だから」

「仕事の報酬がお酒、ってことですか?」

「まあな。流石に無償では無理がある」

「ですよねー。これまでもかなりあったでしょう?」

「今までは問題なかったからそこはいい」

「その辺に生えてる茸とか売れませんかね?美味しいのありますけど」

「…どうだろうな。今度持って行ってみようか?」

「ぜひ」

 

ちゃんと無毒であることは調べてあるから、十個で一銭くらいにはなると思いたい。

家までの道中で茸を拾いながら歩く。それを見た萃香さんが何でもいいから拾い始めたが、その茸のほとんどが毒性だった。

 



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第78話

人差し指に親指を引っ掛け、その親指の爪の上に石ころの複製を乗せる。勢いよく親指を弾き、石ころを撃ち出すと同時に過剰妖力を噴出。樹皮が不自然に抉れたところに被弾する。

 

「…これだけ精度があれば実戦でも使えるかも」

 

地面にある石ころを複製しまくって、相手に向けて吹っ飛んでいくスペルカード。名前は未定。妖力弾ではないから不意打ちにはなりそうである。

しかし、石ころは軽いし壊れやすいから弾幕には不向きな気がする。それに、そもそも石ころなんかを飛ばしても美しくも派手でもない。極めて地味なスペルカードになりそうである。正直言えば、そんなことするくらいなら『幻』に任せた方が楽である。

 

「ま、アイデアとして頭に残すくらいかな?」

 

結局アイデアばかりが溜まり、実際に使われるのは極一部。きっとこのアイデアは使われることはないだろう。

さて、今日は誰も来なそうだし霧の湖へ行こう。四日くらい前に萃香さんとスペルカード戦をして以来、外出してなかったし。

 

 

 

 

 

 

「お、チルノちゃんとリグルちゃんが遊んでる」

「ちょうどよかったじゃん、幻香。始まってすぐだからさ」

「おはよう幻香ー」

「おはようございます、ミスティアさん、ルーミアちゃん」

 

ミスティアさんの横に座り、霧の湖の上でスペルカード戦をしているチルノちゃんとリグルちゃんを見る。その近くで、大ちゃんが審判をしている。

二人とも弾幕を放っているが、どちらも被弾することなく、徐々に距離を詰めている。距離が近ければそれだけ被弾するまでの時間が短くなる。しかし、それは自分も同じ。自分にとって適した距離を取るのが基本だ。まあ、わたしの場合はスペルカードが特殊だから視界にさえ収まっていればどの距離だろうと問題ない。

けれど、今回の場合リグルちゃんは挑発の意味を持って近づいていると思う。ちょっとニヤついてるし。一方のチルノちゃんはスペルカードの間合いに入れるためだろう。

 

「んー、あと二歩、いや一歩半かな?」

「何の距離?」

「チルノちゃんがスペルカードを使うだろう距離」

 

予想通り、チルノちゃんが歩幅一歩半ほど進んだところで腕を振り上げながらスペルカードを宣言した。

 

「氷塊『グレートクラッシャー』!」

「ッ!っとぉっ!」

「あれ!?」

 

お、リグルちゃん避けれたじゃん。よかったよかった。特訓の成果は出ているようだ。自然とわたしの頬も綻ぶ。

 

「ん?その顔、幻香何か仕組んだ?」

「ちょっと助言を」

「やっぱりね」

 

再び振り回すには少し時間がかかる。その隙に弾幕を放ったが、その弾幕は凍り、停止する。うーん、流石に熱や光を使った弾幕は完成出来なかったか…。

しかしそこで終わらなかった。なんと、凍った弾幕を蹴飛ばしたのである。氷は儚く砕け、中に納まっていた弾幕が活動を再開する。そしてチルノちゃんは被弾した。

 

「リグルちゃんが氷を蹴った…」

「何驚いてるの?」

「まさか体術を使うとは…」

 

それでも怯むことなく氷塊を薙ぎ払う。それを勢いよく後退して避けた。リグルちゃん成長したなぁ…。

そのまま回転し、氷塊をブンブン振り回すチルノちゃんに驚き、弾幕を放つがチルノちゃんに被弾する前に氷塊に打ち消されてしまう。そのまま近づいていくチルノちゃんから逃げ回るリグルちゃん。

あれは上か下から放てばいいような気がするんだけど…。リグルちゃんは落ち着きを失ってしまったからか、そんなことは思い付かなかったようで、逃げ続ける一方だ。

 

「目、回りそう…」

「チルノはああいうのに強いよ?誰が一番回り続けられるかで一番だったし」

「…そんな遊びしたんですか」

「三十秒くらい回っても真っ直ぐ走れてたし」

「それは凄いの?」

「さぁね?私には分からないや」

 

回りながら近付くのは普通に飛ぶよりも圧倒的に遅く、このままだと時間切れで終わってしまいそうである。

しかし、そのまま回り続けて終わるつもりはなかったようで、チルノちゃんは氷塊を手放した。あれだけ回り続けて勢いがついた氷塊をリグルちゃんに向けて。突然のことに驚き硬直してしまったリグルちゃんに思い切りぶつかった。うわ、痛そう…。

 

「お互い被弾一だね。だけどリグルはスペルカードを使ってない」

「あの当たり方だと強制終了してもおかしくないような…」

「いや、続けるみたいだよ?大ちゃんも止めてないし」

 

本当だ。少しふらついていたけれどすぐに体勢を立て直し、チルノちゃんへスペルカードを放った。

 

「喰らえチルノ!蠢符『ナイトバグトルネード』ッ!」

 

わたしにはとても出来ない、美しい弾幕。規則性を持ち、統一性を持つ弾幕。『幻』の放つ弾幕に統一性を持たせてみようと考えていた時期もあったけれど、結局諦めてしまった。

…そう言えば、さっきからルーミアちゃんがだんまりだ。どうしたんだろ?

 

「おーい、ルーミアちゃーん?」

「……んくっ。なぁに?」

「…何食べてたんですか?」

「え?人間」

 

そう言って、そこまで大きくない乾燥した肉を見せびらかす。人間の肉、と聞いただけであまり美味しくなさそうに見えてくる。あんな奴らの肉とか食べたくない。

 

「…美味しいんですか?」

「美味しいよー?食べるー?」

「いえ、お断りします」

「そう?残念だなー」

 

全然残念そうには見えない顔で残った肉の半分の辺りを噛み千切る。

 

「ルーミアちゃんって人喰い妖怪だったんですね。知らなかったです」

「あれ、知らなかったの?」

「聞こうとも思ってませんでしたから。どんな妖怪だとか、どういう能力を持っているかなんて」

 

視界を真っ暗にする能力を持っている闇の妖怪。のんびりとした性格。これがわたしが知っているルーミアちゃんの主な情報。普段何処で暮らしているかとかどんなものを食べているかとかは聞いたことがない。

 

「たまーにだけどねー、食べたくなるんだよね。人間。そういうときには里の周りを探すんだー。それでねー、死にたてのとかー、捨てられたのを見つけて食べるの」

「へー、ところでその肉はどんな人間を?」

「えっとねー、赤ん坊」

 

ほんの僅かな興味に惹かれて訊いてみたことに、わたしはちょっとだけ後悔した。今朝食べたスープモドキが喉元にまで上がり、吐き出そうになる。

 

「どうしたんだー、幻香ー?」

「ちょっと、どうしたの幻香?」

「…大丈夫、大丈夫ですよ」

 

酸っぱいような苦いようなものを無理矢理飲み下し、息を整える。

かなり沈んでしまった気持ちを立て直すために、二人のスペルカード戦のほうに目を向ける。途中、目を離していたからどういう戦況なのかは分からないけれど、まだ終了はしていないようだ。

 

「これでおしまいだリグル!氷符『アルティメットブリザード』ッ!」

「これで最後だチルノ!蝶符『バタフライストーム』!」

 

どうやらお互いに最後のスペルカードを宣言するところだったらしい。氷の弾幕と蝶のように舞う弾幕が飛び交う。…ふぅ、ちょっと落ち着いた。

 

「本当に大丈夫?」

「…ちょっと嫌なこと考えちゃっただけですから」

「美味しいものを食べれば気にならなくなるよー、きっと」

 

それなら今日は肉を食べることはないだろう。

そんなことをボンヤリと考えていたら、リグルちゃんの弾幕がチルノちゃんの頭に被弾した。

 

「そこまで!被弾三回でリグルちゃんの勝ちです!」

「よっしゃー!勝ったー!チルノに勝ったー!」

「チクショー!負けたー!リグルに負けたー!」

 

どうやらリグルちゃんが勝ったみたいだ。

リグルちゃんがこっちを向いて、わたしが見ていたことに気付いたのか、満面の笑みで大きく腕を振ってくれた。こっちも軽く手を振り返す。

よかったね、勝ちたいって願いは叶ったよ。

 



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第79話

朝起きたときに不快な汗をかいていないと思うと、夏もそろそろ終わりかなー、と思えてくる。今日は慧音が来る日…のはずだ。

 

「…なーんで複製したら駄目なのかなぁー…」

 

いつものスープモドキを作りながらちょっとだけ愚痴ってしまう。理由は分かっている。全く同じものが何枚もあったらおかしいからだ。今までは慧音が自分で何枚も書いて準備していたから、僅かずつではあるものの違いがあった。生徒がその違いが無くなるのに違和感を覚えてほしくないから、と言われた。

 

「…分かってるけどねー、やっぱ面倒なんだよなー…」

 

チラリと棚に目を遣り、二本の未開封で小さめのお酒を見る。これまで何度かやった写生の報酬だ。たまに来る萃香さんが勝手に飲んでしまうため、あまり溜まることがない。

 

「ま、仕事だからしょうがないか」

 

器に移し、軽く熱を飛ばしてから少しずつ飲み込む。今日はちゃんと乾燥茸が戻っていたからいいことがありそうな気がする。しかし、水が多かったのか調味料が少なかったのか味が薄かったのでそこまでいいことは起こらないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

そろそろお腹も空いてきたし昼食にしようかなー、と思っていたら扉を叩く音が響いた。

 

「慧音だ。すまないが両手が塞がっているから開けてくれないか?」

「ええ、分かりました。ちょっと待ってくださいね」

 

『幻』を一つ出し、扉をゆっくりと開ける。

扉の前には、色々なものを両手に抱えた慧音がいた。…声が全く同じ別人でなくてよかった。そう思いながら『幻』を撤去する。

 

「すまない、少し遅れた。昼食を食べてないなら私が作るから、その紙を写しててくれないか?」

「こんにちは、慧音。昼食は食べてませんから、そうしてくれると助かります」

 

慧音から墨汁と筆を受け取り、紙を見る。んー、これは算数かな?問題がビッシリと書かれている。縦に十七問、横に三問。左下にあるべき五十一問目がないから、計五十問。

早速書き出そうとしたら、慧音が小さな袋を取り出した。

 

「これは先週渡された茸を売った結果だ。どう使うかは知らないが、大切に使えよ?」

「ええ、ありがとうございます」

 

ジャラリ、と金属同士がぶつかり合う音を立てる袋を受け取り、中身を取り出す。…えーと、八厘か。いつもより多いな。

調理をし始めた慧音に聞いてみたら、すぐに答えてくれた。

 

「なんか珍しいのがあったらしくてな。それが高く売れた」

「へー、どれですか?」

「鮮やかな赤色で丸い、卵みたい形の茸」

 

へー、あんな毒茸みたいな茸が高く売れたんだ。つまり、その茸屋さんはタマゴタケを知っているんだね。物知りだなー。

 

「私には毒茸にしか見えなかったからな、渡されたときは何を考えているんだと思ったよ」

「あはは、まあ毒茸は色鮮やかなのが多いですからねー」

 

ベニテングタケなんかはタマゴタケと似ている。あれも鮮やかな赤色をしている。

 

「その婆さんが早速その日の夕食にしてたよ」

「え、茸屋さんに売ってたんじゃないんですか?」

「ん?茸屋?里に茸屋があるがどうかは知らないが、顔馴染みの八百屋の婆さんに売ってる。あそこは新鮮なものなら買ってくれるからな」

「…八百屋って茸も売ってるんですね…」

「あそこは売ってる。しかし売っていないところもあるな」

「そもそも茸って野菜なんですか?八百屋って野菜売ってるところでしょう?」

「確かに八百屋は野菜を売っている店で、茸は菌類であって野菜ではない。しかしまあ、気にすることはないんじゃないか?」

 

…さて、一応今のうちに聞いておこう。

 

「その八百屋のお婆さんって、わたしのことどう思ってますか?」

「年齢を重ねて残された人生を全て店番で送ると言っている、快活な方だよ。そして、お前のことを禍だと言っていない数少ない人間だ。というより、お前のことをどうでもいいと思っているかもしれんな。たとえどんな者であろうとこの店で売り物を買ってくれるなら全て客だと言っている」

「へー、それは凄い方ですねぇ」

「私が世間話をしていたときに一回だけ禍、つまりお前のことが出たよ。思い切ってどう思っているか訊いてみた。どう答えたと思う?」

「…さぁ?わたしにはサッパリ」

「『残念だが私の店には来たことがないね。ここの美味い野菜を食べたことがないなんて勿体ない』…だとさ」

「あはっ、きっとそのお婆さんにとっては客とそうじゃないのの二つにしか分かれていないんでしょうね」

「違いない」

 

そんな人間もいるんだなー…。まあ、一握りも居るか怪しい数だろうけれど。

 

「さて、そのお婆さんは十分わかりました。…今の里、どうですか?」

「過激派が増えた」

「…どのくらい?」

「私が知っているのは一人だけ。二十くらいの男だな」

 

外に出てまでわたしを討伐しようと考える人間が、また一人増えた。しかし、それは表立っている人間。隠れている悪意は、どれほどなのだろうか…。

 

「今のところ、外に出ようとはしていなさそうだ。しかし、刀だの短刀だの棍棒だの、そういった武器を常備しているものがチラホラ見え始めた」

「まあ、仕方ないんじゃないですか?」

「異常だよ。仮にも里の中では私怨以外で妖怪が襲撃をしない。その里の中で武装など、今までならほぼなかった」

「それもわたしの所為ですかね?」

「んー、多分違う。一昨日突然発狂した者がいてな。刀を振り回し、七人が怪我、うち二人が重症ということがあったからかもしれん」

「…で、それもやっぱり?」

「あー、一部の人間が禍の所為だ禍の所為だと騒いでいたよ」

「ですよねー…」

「とりあえずその所為にするのはどうかと思うんだがなぁ…」

 

とりあえず、里の不幸は禍の所為。酷い考え方だ。決め付けは、真相への道を閉ざすことが圧倒的に多い。

 

「結局、誰だか知らんが翌日には解決した」

「それで?」

「全く関係のない妖怪の仕業だと分かった途端にだんまりだ」

「意外。その妖怪を放ったのは禍だー、とか言わないんですね」

「悪いがそこは分からん。何か理由があるんだろうが…」

 

真っ先に思い付くのは、直接の原因に仕立て上げることで凶悪感を煽り、過激派勢力を伸ばそうと考えた。他にも考えれば思い付くだろうけれど、考える必要がない事に気付いて止めた。

 

「私が知っていることはこのくらいだ。あとは普段と特に変わらん」

「そうですか。…とりあえず、半分は書き終わりましたよ」

「そうか。なら残りはあとに回してくれ。丁度完成した」

 

机の上のものを退かすと、慧音が持って来ていた野菜をふんだんに使った料理が並べられる。

 

「さっきの話に出てきた八百屋の野菜だ。残さず食えよ?」

「それならきっと美味しいんでしょうね」

「当然だ。いただきます」

「いただきます」

 

小分けされたり料理を一つずつ食べる。うん、美味しい。薄味だが、その分野菜の味がよく分かる。

 

「ごちそうさま。あー、そのお婆さんに美味しかったって言えないのが悔しいですねー…」

「私が伝えてもいいんだぞ?」

「慧音に迷惑がかかるでしょう。わたしとの関係はあんまり表に出さない方がいい」

「知っている人は既に知っているのだが…」

「今は無事に寺子屋をしていて怪我をしていない。だけど、これで知っている人が増えて、慧音が寺子屋を止めることになったり、里から追い出されたりするのは嫌ですよ」

「…そうか。お前がそう思うならやめておこう」

 

八百屋のお婆さんには、お礼の言葉の代わりにこれを贈るしよう。

 

「これ、持って行ってください」

「ん?帰るときに渡せば――これ、全部さっきの茸か?」

「ええ。今回は売るんじゃなくて、贈り物ですから」

「そうか。普段から美味しい野菜を売ってありがとう、とでも言っておこう」

「そうしてください」

 

食器を片付け、残りを二人で分けて写生する。最後に慧音が全部を確認し、今回の仕事は終わった。報酬であるお酒を受け取り、棚に置いておく。

残った時間を使って、慧音と一緒に野菜の塩漬けを作った。一週間はもつらしいので、当分は食料に困ることはないだろう。

 



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第80話

秋も深まり、過ごしやすい気候。夏には見なかった虫が心地よい音色を奏でる季節。しかし、今のわたしはあまりいい気分ではない。家中にお酒の臭いが充満し、夜中だと言うのに隣が騒がしい。ハッキリ言えば、気分が悪い。

 

「あー、たまにはこういうのもいいかなーアハハハハハ!」

「…いつもならもう寝てる時間なんですけど…」

「じゃあ寝ればいーじゃん」

「ねえ、萃香さん…。寝てもすぐに叩き起こして何か食べる物くれっていうのは誰ですか?」

「そりゃ私だ!悪いな!いちいち起こして!」

 

萃香さんが自分で持ってきたのも含め、既に十数本は瓶を空にしている。際限なくお酒が湧くという瓢箪も飲んでいるので、二十本分は飲んでいるかもしれない。…いや、下手したら三十本分か?

 

「…流石に飲み過ぎじゃぁ…」

「あぁ?まだ始まったばかりだろー?」

「…もう夜になって長いんですけど…」

 

普段から酔っているような気がするが、それ以上に酔いが回り、理由なくわたしの背中を叩いたり大声で笑い出したり。正直言って、近くに人がいなさそうな魔法の森でよかったと思う。もしも、これの所為で睡眠妨害になっていたとしたら非常に申し訳ない。

前にも聞いたことがある話から、ほら話としか思えないような話まで飲みながら止まることなく話し続ける。しかし、嘘を吐くような人ではないからきっと本当なのだろう。しかし、前に『たまには嘘吐くかも』とか言ってたからどうだろう。

醤油で濃い目に味付けした茸や中までしっかり火を通した猪肉など、色々なつまみを作った。普段とは違い、まともに調理しているから妙な味ではないと思う。美味いとは言われたが、不味いとは言われていないので大丈夫だろう。

そんな理由でもう眠気は吹き飛び、欠伸も出ない。いっそのことこのまま起きていた方がいいような気もしてきた。

 

「ほらほら!幻香も飲め飲め!」

「わたしは水でいいですから、萃香さんはわたしの分まで楽しんでください」

「え?いいの?いやー、そう言われたらそうしちゃおうかなー!」

「…はぁ、いつにも増して気分よさそうですね…」

「気になる?気になるよな!?それはな――」

 

突然、萃香さんの言葉を遮るような轟音が響いた。一瞬、何の音だか分からなかったが、すぐにわたしの家の扉を思い切り開き、壁に叩きつけられた音だと分かった。

 

「ハァ…、ハァ…、おねーさん!」

「…フランさん?」

「ん?吸血鬼の妹?」

 

出入口には、大きく息を乱したフランさんが立っていた。一緒に来ている人は誰も見当たらず、たった一人でここに来たようだ。…いいのかな?

そしてそのままズンズンとわたしに近付いてきて、両肩に手を置いた。いや、置いたというより掴まれた。…何事?

 

「月がっ!」

「…月が…?」

「月がおかしいの!絶対におかしい!」

「…はい?」

 

そう言われたので、両肩に置かれた手を無理矢理外し、外に出る。萃香さんとフランさんがわたしの後ろを付いて来たが気にせず目を凝らして月を見る。…よく分かんない。

もうちょっと近づいてみようか、と無駄なことを考えていたら、萃香さんが口を開いた。

 

「あー、そう言われればそうだなー」

「どこがです?」

「確か今日は満月だったはずだ。けど、少し足りない」

「んんー……、あ、本当だ」

 

そう言われて見て見れば、僅かに欠けているように見える。けれど、それでどうしてフランさんがここに?

 

「でしょう!?吸血鬼に対して偽物の月なんて何かの挑発よ!」

 

確かにそうかもしれない。吸血鬼にとって月はとても重要なものだ。それが偽物にすり替わるなんてことがあったら、それは挑戦状と受け取れなくもないかもしれない。

 

「………で、本音は?」

「お姉様が意気揚々と出て行ったのに『フランはお留守番ね』とか言ってきてむかつく!」

「そうですかー…」

「アッハッハッ!こりゃ元気いいねえ!」

 

笑い事じゃないですよ萃香さん…。けれど、レミリアさんのことだけではなく偽物の月だというのにも怒りを感じているんだと思う。さっきから月のほうに目が行ってるし。

 

「まあ、それでどうしたいんです?」

「お姉様を追って、追い抜いて、偽物の月を作った黒幕を叩きのめす!」

 

やっぱりね。レミリアさんはこの月の異変に気付いて出て行ったんだろう。それを出し抜いてしまいたいわけだ。

ここで、そんなのはレミリアさんに任せておいて帰ってください、なんて言えない。とてもじゃないけれど言えない。もし言ったら、フランさんの不満がどうなるか分かったものじゃない。

 

「…まあ、いいんじゃないですか?黒幕退治」

「でしょう?行こう!おねーさん!」

「ああ、それでわざわざわたしのところに…」

 

まあ、これから家に戻って萃香さんに付き合うよりはいいような気もする。あのお酒の臭いはきつい。

よし、行こう。月の異変を起こした黒幕の正体も気になるし。それに、フランさんを一人で行かせるわけにはいかない。

 

「萃香さん」

「んー?何ー?」

「留守、頼んでいいですか?」

「おー分かった。行ってこーい!」

「棚の中にお酒がもう少し入ってたと思いますから、飲み干していいですよ」

「そこまで言われたら飲むしかないなー!」

 

そう言うと、萃香さんは家に戻って行った。きっとすぐに棚の中を漁りだすだろう。

 

「さて、フランさん」

「何?おねーさん」

「一つだけ」

 

人差し指を額に向けて軽く弾く。

 

「痛っ」

「わたしも行くのはいいですけれど、ここまで来るのに一人というのはちょっとよくなかったですね」

「…むー…」

「膨れても駄目です」

 

レミリアさんとの約束。フランさんは一人で外に出ない。けれど、ここに一人で来てしまった。代わりに少しだけ叱っておいた方がいい。

 

「良いか悪いかは知りませんが、制限には理由があります。多分、レミリアさんは貴女を心配して同行者と一緒に、と言っていたと思います」

「…そうかもしれないけどさぁ…」

「だから、わたしが貴女のところへ行って連れ出したことにしましょう」

「え?」

 

ここで、一緒に叱られましょう、と言うほどわたしはいい子ではない。レミリアさんが紅魔館を出て行ったのがいつかは分からないけれど、どうにかなるだろう。

 

「理由はそれっぽいのをでっち上げましょう。『満月じゃないのが気になってパチュリーのところへ行こうとしたらその前にフランさんに会って、世間話でフランさんに満月のことを言ったら、フランさんが興味を持った。わたしはレミリアさんに留守番と言われていたことも知らずに連れ出した』…大体こんな感じでいいですかね」

 

嘘は真実を混ぜた方がいいのだが、今回はほとんどない。そういうときは、曖昧なところを多く残しておけば、相手側が勝手に補完して真実味が出る。

 

「え?いいの?それだとおねーさんが…」

「いいですよ。フランさんが叱られるのはあまり見たくないですし」

 

それより、叱られると紅魔館に尋常じゃない傷がつくことが多い。壁数枚は壊れる。酷い時は紅魔館の右側の一区画が全部倒壊した。そうなるよりはマシだろう。それに、上手くやればわたしへの被害もない。

 

「とりあえず、どこに行きます?」

「えーと………、こっち行こう!こっち!」

 

そう言って指差す方向には、何もなかった。いや、普通にそれっぽい自然があったのだが、それはおかしい。

 

「…あっちには、人間の里があったはず…」

「え?人間の里?……ないじゃん」

 

いや、確かにあったはず。間違えるわけがない。間違えたら大惨事になってしまうのだから。しかし、何度瞬きしても、目をこすっても、頬を叩いても、一向に現れる気配がない。

これも、月の異変の関係なのか?

 

「…行ってみますか。わたしはあまり近付きたくないですけど」

「え、何で?」

「……とりあえず、行きましょう。話しながら」

 



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第81話

「あるとき、里には病が蔓延していました」

「それが何なの?」

「そんなときにやってきた妖怪がいました。その妖怪は、その病の原因になりました」

「…なりました?でした、じゃなくて?」

「間違ってなんてないですよ。原因になったんです。…されたんです」

「………それが、おねーさんなの?」

「まあ、そうですね。詳細を知りたいなら、好きなだけ訊いてください。答えられるだけ答えますよ」

 

少しは考えると思ったけれど、すぐに返答が来た。

 

「つまり、誤解なんだよね?」

「まあ、わたしにとっては」

「じゃあ、何で解かないの?」

「解く必要がなかったから。わたしが里に入らなければ済むと思ってましたからね」

 

しかし、現実はどうだ。減ったと思っていた過激派も、また増え続けている。いつ飛び出すか分からない。

 

「それに、誤解を解く、って言ってもわたしの話なんか誰も聞いてくれませんよ」

「そんなこと…」

「あるんですよ。それに、あちらにとっては誤解ではない。正解なんですよ。九十九人がそうだと言えば、鴉は白くて夏は寒い」

「…よく、分かんない」

「分からないと駄目なんです。知ってもいいことないですけどね」

 

知らなきゃよかった、と思ったことはない。しかし、知ってよかったとは思えない。

 

「幻香ー!」

「ちょっと待ってー!」

 

次の質問が来る、と思っていたら突然、後ろから聞いたことがある声が二人。

 

「リグルちゃん、ミスティアさん…?」

「花見にいた妖怪、だよね?」

「ええ、そうですが…」

 

振り返ってみると、服のところどころが破け、傷ついているように見える。リグルちゃんは腕に一ヶ所刺し傷、ミスティアさんは浅いとはいえ脇腹が服ごと斬られている。出血は既に止まっているようだが、かなり目立つ傷だ。

 

「どうしたんですか?」

「どうしたも何も、月を眺めていたらいきなりスペルカード戦挑まれてボコボコだよ!」

「月を見ながら歌を歌ってたら怪しいとか言われて急に…!」

「…いつ頃ですか?」

「んー、一時間くらい前?」

「私もそのくらいだと思いますけど…」

 

月を見ていた二人の妖怪がスペルカード戦を挑まれ、ボコボコにされた。真っ先に思いつくのは、月の異変に気付いた誰かがやったというもの。

 

「誰に?」

「レミリアとその従者だよ!」

「幽霊二人に…」

「お姉様が!?」

 

ミスティアさんの言う幽霊二人。わたしが知っている幽霊は西行寺幽々子と魂魄妖夢――彼女は半分人間だが――だけ。特徴を訊いてみれば、一人は二本の刀を持ち、もう一人はとても優雅な幽霊とのこと。…うん、あの二人ですね。

 

「フランさん、レミリアさんは咲夜さんと一緒に出て行ったんですね?」

「うん、そうよ。一時間とちょっと前に出て行ったわ」

「時間は大体合ってる。つまり、月の異変に気付いて活動しているだろう人が四人も…」

 

いや、もう霊夢さんは動いているだろう。魔理沙さんもそれに釣られて動いているかもしれない。他にも、もっと多くの人が動いているかも。

 

「月?どこかおかしいの?」

「んー、あ。リグル、ちょっと欠けてる」

「え?……んー、んーー……あ、本当だ!」

 

月がおかしいことに気付いた二人には悪いけれど、少し放っておく。

レミリアさんは一時間以上前に出て行った。しかし、真っ直ぐと黒幕のところへ行ったとは思わない。月をどうにかするなんて大規模なことを遣れる人は限られるだろうけれど、それが誰かなんて分からないと思う。

そこまで考えたところで、フランさんに肩を軽く揺すられた。

 

「ねえ、おねーさん」

「何か分かったことでも?」

「分からないことならあったよ…」

 

そう言って、月を指差した。満月であるはずが欠けている、偽物だと思われる月を。

 

「…月って、止まるの?」

「止まりませんよ。常に動き続けているはずですが」

「じゃあ、おかしいよ。だって、私が紅魔館を出たときから、全然動いてない」

「はい?」

 

月が、動いていない?

 

「じゃあ、やっぱり偽物なんじゃないですか?」

「私もそうだと思う。…ねえ、これも含めて月の異変なのかな?」

「……そうかもしれませんね」

 

しかし、そうではないかもしれない。月が動かないことと、月が欠けていること。同じ人がやっているかもしれないが、片方を誰かがやって、それに便乗するように別の人がやっている可能性も僅かだがある。

しかしそんなことはどうでもいいか。一人にしろ二人にしろそれ以上にしろ、黒幕を探せばいい。そして、それは早ければ早いほどいい。フランさんはレミリアさんよりも早く解決したいのだから。

 

「さて、フランさん。不可視の人間の里へ行きましょう。今いくことが出来る不思議な場所はそこくらいですからね。…リグルちゃん、ミスティアさん。申し訳ないですけれど、わたし達は行きたいところがあるんです。怪我もしたみたいですし、もう休んでいてください」

「確かにしたけど、このくらい…!」

「リグル、邪魔したら悪いよ…」

「う…、分かった。幻香、また今度ね」

「すみませんね、無理言って」

 

二人に別れを告げ、フランさんと共に人間の里があった場所へ向かう。

 

「ねえ、おねーさん。さっきの続きなんだけど」

「…何ですか?」

「じゃあ、何で魔法の森に住んでるの?」

「常人は入ろうとしないから」

「それでも、少し飛べば着くような場所だよ?歩いてもそこまでかからない」

「そうですね。最初に住み始めたときはそこまで考えてませんでしたし」

「今は違うんでしょ?もっと安全な場所があるよ。…そうだ!一緒に紅魔館に住まない?そうすれば人なんかまず来ない。私もおねーさんと毎日会えて嬉しい!どう!?」

 

その言葉を聞いて、少し笑ってしまう。

 

「むー、何で笑うの?」

「ああ、すみません。レミリアさんも同じようなこと言ってたんですよ」

「お姉様も?」

「ええ。そしてこう答えました。『候補の一つとして考えておきますね』と」

 

住み慣れたから離れたくない、というのもある。慧音達と離れたくない、というのもある。紅魔館に住みたくないと言うわけではないのだが、それよりも今ある家の方がいいと思ったのだ。

 

「今のところ、里の人間共はわたしの住処を知らないようですし、外に出てまで討伐しようと思ってる奴もまだ出てくることはないでしょう。なら、わざわざ動かなくてもいいかな、と」

「待って。討伐?どういうこと?」

「病の原因にされ、不幸を呼ぶ者にされ、今では里に起きた不吉なことが全てがわたしの所為。災厄の権化。見るだけで魂を削り、生気を奪う。そんな危険な妖怪、放っておくわけないでしょう?」

「…出鱈目じゃん」

「そうですね」

「全部出鱈目じゃん!全部間違ってるじゃん!」

「それでも、あちらにとっては全部真っ当で、全部正しいんですよ」

「何で間違ってるって気付かないの!?ちょっと考えれば――」

「分からないんですよ。この誤解は解けない。模範解答は存在せず、ほぼ全員が同じ解を求めた。つまりそれは正しい解なんですよ。赤で修正を加えることがない真っ白で白々しい解。問いただすことも、問い改めることも出来ない解。何故だか分かりますか?既に解けている解をもう一度解く必要がないからですよ」

「……意味、分かんないよ」

「分かってください。今は分からなくても、いつか」

 

そこまで言うと、フランさんは口を閉ざした。月をボンヤリと眺めながら、フラフラとわたしの前を飛ぶ。きっと、頭の中がいっぱいになってしまったのだろう。月の異変と、わたしの現状で。

しかし、そんなフランさんを待ってはくれない。わたしの記憶が正しければ、もう人間の里はすぐそこだ。

 



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第82話

「…そろそろ降りますか」

「え?ここまだ林の中だよ?」

「いいんですよ。そこに隠れるつもりなんですから」

 

ゆっくりと降下し、音を出来るだけ殺して着地する。フランさんも同じように音を立てずに着地した。樹に背中を預けながら、そっと人間の里があった場所を見る。

 

「…慧音?」

 

あの場所は、人間の里の入り口とわたしのいる場所のちょうど間の辺りだ。地面に腰を下ろし、ボンヤリと月を見ているが、何かあったのだろうか?

…あったな。地面に弾痕が多数ある。慧音も服が僅かに破れ、そこから掠り傷が見えた。スペルカード戦で出来た傷だと思うが、やたらと多いような気がする。一回の勝負で十ヶ所も傷が出来るとは思えない。

 

「んー、そもそも人間の里、どうして消えたんだろ…?」

「本当にあるの?人間の里」

「あるはずなんですけど…。結界ってやつかなぁ?」

「…結界があるようには感じないけど…。もしかして、幻術?」

「幻術は曖昧なものだ、って言ってた人がいたんですけど、揺らいでるところも見当たらないし、遠近感も正常。遠くから見たときと配置も変わっているように見えない。これが幻術なら、相当なものですね…」

 

わたしの家の上空から見たときの草の大体の生え方も、樹が生っている場所も、目立っていた大きめの岩の場所も、ここから見て変わっているようには見えない。

 

「しょうがない…、本当に消えたのか確かめるかな」

 

軽く目を閉じ、地面に手を当てて妖力を流す。地面から流れ、一瞬で頭の中に浮かぶ。フランさん、林の樹の場所、慧音、人間の里の入り口、二人の門番、立ち並ぶ家の数々、中で横になっている人。…流石に、こんな真夜中に出歩いている人はほとんどいないようだ。って違う、今気にするところはそこじゃない。あるじゃん人間の里。

 

「あるけど見えない…」

「あったの?」

「確かにあるように感じたんですけれど…」

 

しかし、どんなに目を凝らしても、さっき頭に浮かんだ形通りの地形には全く見えない。そもそも、見えているものの形が全く浮かばなかった。わたし達の視界がおかしくなったのかな?

そう思って周りを見渡したが、人間の里以外は頭に浮かんだ通りの姿。…駄目だ、さっぱりわからない。

 

「そういえばおねーさん、慧音って人、放っておいていいの?」

「人間の里があると分かった今、わたしが近づくのはあんまりよくないですからねー…。フランさん行ってくれます?」

「…呼ぶことって出来ないかな?」

「わたしの声って割れてるから、あんまり大きな声出したくないんですよね…」

「そもそもこんな時間に大声出したらよくないかも」

「数多くいる人喰い妖怪は大抵夜行性らしいですからね…」

 

あまり大きな音を立てずに、か。…真っ先に思い付いた方法が、まさかこれとは。

石ころを一つ複製し、過剰妖力を噴出。しかし、全部ではなく、少しだけ。必要以上に速度を出したら怪我してしまうかもしれない。…脚に軽く当たった。そのまま地面に転がる石ころを見た慧音はあたりをキョロキョロと見回し始めた。

 

「…気付いた?」

「あと一発。これで気付いてくれる…はず」

 

慧音がこっちを見たと思ったときに発射。飛翔する石ころに気付き、難なく掴み取った。そして、こっちに歩いてくる。

 

「…なんだ、お前達か…」

「こんばんは、慧音」

「ここでも十分距離があるが、安全を期してもう少し離れよう。いいな?」

 

 

 

 

 

 

歩くこと一、二分。人間の里が林によって見えなくなったころ、ようやく慧音は立ち止まった。

 

「で、何の用だ?流石に多過ぎるだろう…」

「多過ぎる?」

「お前達で五組目だ。流石に里を消したのはやり過ぎたか…?」

「え、慧音がやったんですか?」

「ちょいと歴史をな。まあ、それは今度話そう。どうせ月の異変がどうとか言うんだろう?」

 

うーん、わたし達の前に来た四組って多分霊夢さん、魔理沙さん、レミリアさんと咲夜さん、妖夢さんと幽々子さんだよね?やっぱりみんな月の異変に気付いてたんだね。

 

「幻香、お前に行ってほしいとは思わないが、もう決めたんだろう?」

「すみません…。仰るとおり、フランさんに付いて行くつもりです」

「なら私は止めん。月の異変の原因なら――」

「待って」

 

突然、黒幕について話そうとした慧音にフランさんが待ったをかけた。…どうしたんだろ、急に。レミリアさんに先を越されているのに…。

 

「ねえ、おねーさんが里に嫌われてるって知ってた?」

「…知ってたが、それが?」

「……どうして止めなかったの」

「止める、とは?幻香をか?それとも、里の人間をか?」

「人間だよ。人間に決まってるじゃん。間違ってるって、誤解だって、人間の里に住んでる貴女ならどうにか出来たんじゃないの?」

 

そう言い切ったフランさんは、慧音を睨みながら口を閉ざした。返答を待っているのだろう。軽く考えてから口を開いた慧音の言葉は、ある程度予想通りだった。

 

「そうだな。ちょっとくらいならどうにか出来ただろう」

「なら…!」

「しかしな、九十九を九十八にしても変わらないんだよ。申し訳ないが、私の影響力なんてそんなものだ」

 

慧音は、人間の里の寺子屋の先生だ。それ以上の何者でもない。生徒に言い聞かせたとしても、大抵の子供は親の言葉のほうが大きい。それに、子供の影響力なんて、それこそ微々たるものだ。

 

「お前の姉から家庭教師に、と誘われたがちょうどいいかもしれんな。ちょっと早いが、一つだけお前に欠けていそうで、それでいて重要な知識を与えるとしよう。いいか?」

 

一瞬、言葉を区切る。そして、僅かに悲しい表情を浮かべている。これから語ることは、フランさんにとって辛いものなのだろう、と分かってしまう。

 

「『里にとって妖怪は敵』だ」

 

そう。妖怪であることを隠して人間の里に住む者もいるが、慧音のように妖怪であることを知られながら住む者は稀だ。

 

「私だって、五十年も前は白い目で見られてきたものだ。しかし、少しずつ信用してもらい、今に至る。だがな、一度敵だと思われたらそうはいかん。また裏切られるかも、と思われて信用はもう得られん。幻香は、最初に敵だと勘違いされた。そしてそれは覆しようがないほど広がってしまった。分かるか?もう、信用など得られん。得られるのは、嫌悪と、悪意と、殺意くらいだ」

「…おねーさんは、私と友達になってくれたよ?」

「お前達がどういった出会いをして、どういった過程を通り、この関係を得たかは詳しくは知らない。だがな、皆が皆、幻香と同じではない。むしろ、幻香は里の人間を基準にすれば、数段も優しいやつだ」

「……………」

「お前の周りのやつらは、皆優しいんだろうな」

「…うん」

「しかしな、だからといって世界が優しいわけではない。悪いやつもいれば、貶めようとするやつもいる。勘違いしてしまうやつもいれば、嫌ってくるやつもいる。そして、妖怪なら敵だと無条件で考えるやつも、当然いる」

 

わたしの場合、そういう人が他よりちょっと多かっただけ。それだけなのだ。

 

「フランさん。難しいこと言ってるかもしれませんけれど、いつか分かるはずです。だから、忘れないでください。世の中、綺麗事だけで回るほど輝いてるものじゃないんです」

「…今は分かんない。…けど、覚えとく。忘れないよ」

「ならいい」

 

そう言うと軽く息を吐き、表情を改める。

 

「さて、話を戻すか。月の異変の原因を知りたいんだろう?」

「ええ。…そうですよね、フランさん?」

「…うん。お姉様より早く、叩きのめしたい!」

「物騒だな…。まあ、やり過ぎるなよ?原因はな、あっちにある迷いの竹林だ」

 

迷いの竹林。その奥の永遠亭には、何回かお世話になったなぁ…。

 

「そこの永遠亭にいる奴が、この異常な月の原因だ」

「はぁ?」

「…永遠亭ね!行こう!おねーさん!」

「あっ、ちょっ、引っ張らないで!」

 

袖を掴まれ、走り出すフランさんの速度に何とか合わせつつ、慧音のほうを向く。

 

「教えてくれてありがとうございまーす!」

「気にするな。…行ってらっしゃい」

 



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第83話

「フランさん!十時の方角へ!」

「分かった!」

 

フランさんに指示しながら人間の里を大回りするように林を駆け抜ける。わたしの袖を掴んでいるからか、フランさんは普段よりも遅い。それでもわたしにとってはかなり速い。いつもよりも早く脚が動いているような、大股になっているような感じがするが、それでも何とか合わせることが出来ている。しかし、わたしの最高速度ギリギリに合わせてくれているつもりなのかもしれないけれど、このまま走り続ければいつかこけてしまいそうである。

 

「一時、いや一時半の方角!」

「おねーさん!これだとちょっと遅いからもうちょっと加速していい!?」

「………まあ、多分…?」

 

そうだ。わざわざ普段と同じように走る必要もない。つまり、走るのはフランさんに全て任せて、わたしは地面に出来るだけ脚を付けないように、跳躍するなり飛翔するなりすればいいかな。…出来るかな?

 

「ならいくよ!」

 

とか考えていたらフランさんは走ることを止め、袖から手を離してわたしの手を握る。そして僅かに浮かび上がり、わたしの思考を丸ごと吹き飛ばすような速度で地面すれすれを飛翔した。手首が物凄く引っ張られ、取れてしまうのではないかと錯覚してしまう。

一瞬頭が真っ白になってしまったが、さっき考えたことを実行する。つまり、移動はフランさんに任せて、わたしも飛翔する。

 

「二時の方角!」

「見えたっ!あれが迷いの竹林!?」

「そうですね!着いたら一度止まりましょう!」

「え、どうして!?」

「…場所が分からないと、すぐ迷っちゃいますから」

「むー、面倒だなぁー!」

 

そんなことを言われても迷うものは迷うのだ。鬱蒼と竹が生えているが、それ以外に目立つものがない。さらには深い霧がかかることも多い。そのため、今どこにいるのか分からなくなりがちだ。それに、結界だか幻術だか知らないけれど、真っ直ぐ進んでいるつもりがいつの間にか曲がっていたりするから困る。

 

「よし、到着!」

 

竹林に入り、フランさんは地面をガリガリと削りながら無理矢理着地する。わたしも同じように着地しようと思ったけれど、脚がどうにかなりそうな速度だと思ったので、フランさんの手を外し、空中で減速する。

 

「…ここが、迷いの竹林?」

「んー、わたしが通ったことがあるところじゃないような気がするなぁ…」

 

永遠亭のお世話になったときに通ったところとは違う気がする。軽く周りを見渡してながら記憶の中から引っ張り出すが、どうも合致しない。

 

「まあ、竹は成長早いから通ったことがあるところでも違って見えても仕方ないか」

「どのくらい早いの?」

「確か一日に四尺、一メートル二十センチくらいだったかな?」

「うわ、私と同じくらい…」

「わたしには一尺くらい足りませんねー」

 

しかし、こんなに身長が違うフランさんに引っ張られるってどうなんだろう?まあ、吸血鬼は力も速度も桁違いだし、しょうがないか。

 

「ま、行きますか」

「おねーさん、迷ったりしない?」

「どうでしょうね…。本気でこの異変を解決されたくない、って考えているならこの迷いの竹林で止めないといけないわけですし」

 

結界や幻術の類があるなら、普段より強化されていてもおかしくない。無かったとしても、今回の異変のためにそれらを施しても何ら不思議ではないのだ。

 

「…とりあえず、方角だけでも分かったらいいなぁ…」

 

地面に手を当て、妖力を流す。頭の中に竹林の形が浮かび上がるが、まだ足りない。もっと遠くまで流れろ、わたしの妖力。

実は、今までこんなに広範囲を知ろうと思ったことはない。慣れていないからか、わたしの妖力感知能力の限界からか、遠くに行くほど形が曖昧にぼやけていくのを感じる。

 

「大丈夫?おねーさん…」

「……多分、見つけた」

 

しかし、ぼやけていてもあんなに大きな建物が迷いの竹林に永遠亭以外にあるわけがない。…まぁ、建物っていうより四角いようなぼやけた何かを感じただけなんだけど。しかし、かなり遠いなぁ…。曖昧になるにつれて距離感もよく分からなくなってしまったけれど、かなり遠いことは分かった。

 

「さて、歩いて行きますか…」

「え、飛ばないの?」

「定期的に方角確認しないと分からなくなっちゃいますから…」

 

既に見えているところだけでも、さっき浮かんだ形と違って見えるのだ。真っ直ぐ生えていたような気がする竹が遠くのほうではユラユラと揺らぎ、グニャリと曲がって生えているように見える。これは相当だな…。

 

 

 

 

 

 

「…んー、またちょっと曲がってる…」

「え…本当?私達真っ直ぐ進んでたはずだよね…?」

「わたしもそのつもりなんですけどね…」

 

数分歩き、立ち止まって妖力を流す。それの繰り返し。非常に地味で、思いのほか妖力を喰う作業。しかし、確実に近づいている。あと十回かそこらで到着出来る気がする。

 

「よし、この方角ですね」

「それにしても誰もいないね…」

「いや、いるにはいるみたいですよ。妖怪兎が」

 

二回ほど前、明確な形が浮かぶ範囲に妖怪兎の形が浮かんだ。動物の形ではなく人型だったが、頭に大きな二つの耳があったので、多分そうだろう。因幡てゐがそんな感じだったし。

 

「それよりもわたしが気になるのは、この先にあるんですよね…」

「何があったの?」

「大量の弾痕。抉れた地面。破裂したような竹。綺麗に斬られた竹。薙ぎ倒された竹林。それに、竹に刺さったナイフ三本」

「…お姉様と咲夜が誰かと交戦した…?」

「咲夜さんがわざわざ竹にナイフをブッ刺しておく趣味があるなら別ですが、それはないでしょうし」

「そんな趣味、私も聞いたことないよ…」

 

聞いたことがあったら困るけど。それよりも、わたしが気になったのは交戦相手だ。綺麗に切断された竹があるから真っ先に妖夢さんだと考えたけれど、永遠亭の妖怪兎が刃物を扱っている可能性も否定出来ない。…まあ、可能性は低そうだが。

 

「確かこの辺に…、お、あったあった」

 

地面が無残にも抉れてしまっている。これは、弾幕によって生じる弾痕だろう。そのまま進んでいくと、交戦跡地が見えてきた。

 

「いやぁ、凄いですね…」

「これ、多分お姉様のスペルカードの神槍『スピア・ザ・グングニル』の跡だと思う…」

 

フランさんは、何かが通った跡のように両側に薙ぎ倒された竹林を指差しながらそう言った。流石の威力だ。直撃なんかしたくない。

わたしは斬られた竹数本に目を向ける。そして、その切断面を注目した。

 

「…切断面が僅かだけど濡れてる。霧は出てないし、特に湿った感じもない。つまり、昔斬られたってわけじゃない」

「それがどうしたの?」

「切断面が滑らかで、真っ直ぐ。途中で止まったような跡もない。それに、数本の切断面が綺麗に揃っている。軽いナイフを使っている咲夜さんがここまで綺麗に竹を斬れるか?」

「…斬れないと思うし、そもそも斬る理由がないと思う」

「つまり、刃渡りが長い刃物を持った相手と交戦していた。その刃物を持っている人は、かなりの業物を所持しており、その扱いが非常に良い。つまり、熟練者であると推測出来る」

「それがどうかしたの?」

「まあ、特に意味はないです」

 

しかし、これで妖夢さんと交戦した可能性が急上昇した。つまり、レミリアさんと咲夜さんが、妖夢さんと幽々子さん相手にスペルカード戦をしたと考えてもいいだろう。

 

「ま、これだけ腕の立つ人と交戦したならスペルカード戦も長引いたかもしれませんね」

「…どうかなー」

「妖夢さんはともかく、幽々子さんもって考えるとどうでしょうねー…」

「おねーさん、お姉様が誰とやったか分かったの?」

「可能性が一番高いってだけですよ。確定したわけじゃない」

 

しかし、これだけ荒れていれば一瞬で片付いたとはいかないだろう。

少し竹林の奥へ進み、咲夜さんが普段所持しているはずの銀製のナイフを見つけ、その三本を引っこ抜く。今度返してあげよう。

さて、道草もこのくらいにしておこう。地面に手を当て、妖力を流す。そして、未だに曖昧な形だが、最初に比べれば大分マシになった永遠亭の形を見つけ、その方角を確認する。

 

「フランさん、ここに用がないなら行きますよ?」

「うん、もう用済み。行こう!」

 



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第84話

「…ん?」

「何かあったの?」

「もう一つ交戦跡地らしき場所が。さっきとは違った感じ。とりあえず目立つのは、竹林の一部が吹っ飛んでる。地面もそこら中が抉れてる。針が数本、いや十本はある。んー、多分霊夢さんと魔理沙さんだろうなぁ…」

「どこら辺にあるの?」

「ちょっと道から外れてますね…。どうします?」

「どうせだし、行ってみる」

「なら、こっちですね。竹林を突っ切るのはあんまりよくないんですけれど…」

 

二人で竹林の中を通り、今までより短い間隔で周辺を調べる。…よし、このまま行けば無事到着出来そう。

 

「…あったあった」

「うわぁ、さっきより酷い…」

 

地面もかなり酷いことになっているのは知っていたが、実際見てみるとやはり違う。そこら中が爆発でもあったかのように吹き飛び、抉れてしまっている。そしてその跡地には焦げた布切れと綿が多数。…もしかして、アリスさんまで来てたの?

それと、いくつかの竹にはお札が乱雑に張り付いている。霊夢さんが交戦した証拠と見ていいだろう。

 

「ここ、多分マスタースパークによって竹林が吹き飛んでるんですよねー…」

 

かなりの幅で真っ直ぐと竹林が無くなっているから、恐らくそうだろう。

 

「おねーさん、これ見て」

「ん?…ここだけやたらと綺麗ですね…」

 

フランさんが立っているところを見てみると、四角に切り取ったかのように綺麗な地面があった。そこだけは抉れた形跡もなく、弾痕一つない。

 

「結界でもしてたのかしら…」

「まぁ、霊夢さんなら出来るでしょうね」

 

やってたし。あの透明な壁が結界のはずだ。いやー、あれは痛かった。…まあ、自業自得だけど。

 

「一応、針も持って行ってあげましょうか。使い捨てかもしれませんけど」

「触って大丈夫なの?」

「…刺さらなければ大丈夫じゃないですか?多分、きっと、恐らく…」

「本当に大丈夫…?」

 

呆れられたような言葉を背中で受けながら針を出来るだけ探し出し、その全てを抜く。…その数なんと三十一本。…やっぱり使い捨てだったかも。先端が曲がってるのもあったし。…引っこ抜いたときに曲がったのかもしれないけど。

 

「さて、フランさん。どうです?他に何かありますか?」

「んー、何だかここだけごみが多いのが気になる。布切れとか」

「わたしの知っている人に、そうなってしまうスペルカードを持っている人がいますから、その人も来てたんでしょうね…。アリス・マーガトロイド、っていう人なんですが、知ってます?」

「名前だけ。パチュリーが二、三回言ってた。新米の魔法使いだとかなんとか」

「多分その人」

 

確か、魔操「リターンイナニメトネス」と言っていただろうか?人形が自爆特攻するスペルカードなので、布切れや綿が落ちているのも不思議ではない。

 

「まあ、魔理沙さんはそのアリスさんと一緒に活動してるんでしょうね。一対二になりそうだけど、どうなんだろ」

「霊夢も誰かと一緒にいたかもしれないよ?」

「誰が一緒にいるんだか…」

 

悪いけれど全く思い付かない。一緒に活動しそうな人とスペルカード戦をしているのだから、しょうがないじゃないか。

 

「ごみ以外には特に気になったところはないかな。おねーさん、行こう?」

「そうですか。じゃあ行きましょうか。方角は……こっちですね」

 

 

 

 

 

 

迷いの竹林に入ってから、既に一時間は経過しているだろう。永遠亭の形もほぼ把握でき、距離も分かった。しかし、未だに永遠亭に到着出来ない。思わず歯噛みしてしまう。

 

「…ちょっと甘く見過ぎてたかも」

「どうしたの、おねーさん…。何か嫌なこと、あった?」

「さっき方角を調べたら、真っ直ぐ進んでいると思ってたのにほぼ直角に曲がってた」

「ち、直角ぅ!?」

「…ここまで曲がるのは初めてですね…。もうちょっと間隔短くした方がいいかも」

 

結界か幻術か、はたまたそれ以外か。それらの何かがあるのはもう明らかだろう。そして、それを突破出来るかは分からない。…もしかしたら、抜けることが出来ないかもしれない。

しかし、周辺には霊夢さん達の形は浮かばない。ずっと宙に浮いているだけかもしれないが、全員が浮いているときを何度も引き続けているとは考えにくい。

 

「下手したら真逆に進んでた、なんてこともあり得そうですね…。どうしましょう…」

「…じゃあ、どうしよう…?」

「霊夢さん達はこの迷いの竹林には見当たらない。多分、既に永遠亭に到着している。なら、何処かに穴があるはずなんですよ。この状況を突破出来る、穴が」

「もうお姉様も抜けてるの?」

「多分。すみませんね、追い抜くのはちょっと無理そうです」

「一時間遅れてたからしょうがないって言われればそうかもしれないんだけど…。やっぱり悔しいなぁー」

「…まあ、ここまで来て引き返すつもりはないんでしょう?」

「当然!」

 

なら、この状況を打破する何かを考えなくてはいけない。…いや、もう思い付いている。しかし、あまり気が進まない。けれど、やらないと進まないかもしれない。なら、やろう。やってもやらなくても変わらないなら、やった方がいい。

 

「フランさん」

「何?おねーさん」

「ちょっと道変えますね」

「え、何か思い付いたの?」

「相手を騙すようで非常に申し訳ないですが…」

「この際それでもいいよ!」

 

フランさんからの了解を得たと判断し、竹林を突き抜ける。そして、真っ直ぐと目的の場所へ向かう。

 

「…いた」

 

歩くこと一分。息を殺し、足音を殺し、気配を殺す。そして、目的の妖怪兎を視界に収めた。そして、隣にいるフランさんに出来るだけ小さな声で耳元に囁く。

 

「すみませんが、姿を見せないように注意してください。わたしが呼ぶまで。出来ますか?」

「…うん、出来る」

 

今着ている服を全て回収し、妖怪兎が来ている服を複製する。自分の体に合わせて複製することで、着替える手間を省く。…よし、これでいい。

竹林からわざとらしく音を立てながら飛び出し、目の前の妖怪兎に突撃する。

 

「大変大変大変ー!大変だよー!」

「ど、どうしたの!?」

 

わたしの大声に反応し、こちらを向いた妖怪兎に対して次に言う言葉を考える。…てゐとうどんげさんと永琳さん、誰がいいかな?まあ、姿が似てるし、てゐでいいや。

 

「てゐからの伝言だよー!今すぐに永遠亭に集まってだってー!向こうが凄いことになってるみたいなのー!」

「…永遠亭から来たんじゃないの?大分方向が違うけど」

「他の子にも伝えて回ってたのー!貴女が最後のほう!」

「ふぅーん…。もう一度聞くけど、誰からの伝言だって?」

「聞いてなかったのー!?てゐだよー、てーゐー!」

 

その言葉を聞いた妖怪兎の表情が、少し険しくなった。…まずい、何か言葉に齟齬があったか…?

 

「誰だか知らないけれど、私達に化けて出てくるなんて失敗だったね!私達はリーダーのことを呼び捨てになんかしない!」

 

わたしに向かってビシッと勢い良く人差し指を突き付けながらそう言った妖怪兎は、何処か成し遂げたような表情を浮かべた。

 

「………そう来たか」

「永遠亭に行って何をするつもりかは知らないけれど、残念だったね!」

「そうですか、バレたならしょうがない」

 

さっきまでの演技を放り投げ、普段の感じに戻る。しかし、これで永遠亭に行けなくなったというわけではない。別の方法は、既に考えた。

 

「なら、スペルカード戦をしましょう。わたし達は貴女にスペルカード戦を申し込む。被弾はお互い二回、スペルカードも二枚でいいでしょう?わたし達が勝ったら永遠亭まで案内してもらいましょう」

「化けて出てくるようなやつに負けるもんか!いいよ!やってやろうじゃないの!私が勝ったら大人しく回れ右して帰るんだね!」

「そうですか、じゃあ始めましょう。行きますよ、フランさん」

「待ってたよー!さ、始めよう!」

 

いきなり竹林の陰から飛び出してきたフランさんに驚いた妖怪兎が、わたし達に抗議してきた。

 

「ちょっと!二人いるなんて卑怯でしょ!」

「何言ってるんですか?最初からわたし達って言ったじゃないですか。それはすなわち複数人いるってこと。貴女はそれを了承したじゃないですか。覚えてますよ?『いいよ!やってやろうじゃないの!』」

「くぅ…!し、仕方ない!隠れてたやつもどうせ大したことない!二人まとめてかかってきなさい!」

 

ま、わたしはともかく、フランさんが負けるとは思えない。フランさんの邪魔にならないように立ち回るとしますか。

それにしても、大したことない呼ばわりされたフランさんの表情があまりよくない。…怪我、させないよね?

 



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第85話

『幻』展開。最遅から最速まで、十段階の速度の直進弾用、追尾弾用を各二個ずつ。計四十個。わたしの両側に二十個ずつ綺麗に並べているから、見た目もそれなりによくなったと思いたい。

 

「怪我も気絶もなしですよ。案内出来なくなりますから」

「分かってる!おねーさん、私がそんな加減を誤る子に見える?」

「見えます。『間違えちゃったっ!』って言いながら紅魔館の庭を壊滅させたのはどこの誰ですか…」

「むー…。反省したからいいじゃん!」

「庭の整備、結構大変だったんですよ?ま、反省してるならそれでいいかな」

 

レミリアさんと名前も知らない妖怪兎へのちょっとした不満はあるようだが、それ以上のものが溢れそうな気配はない。つまり、必要以上の破壊が起こる危険性は低い。きっと大丈夫だろう。

それに、目的地である永遠亭は病院だ。ちょっとくらい怪我しても、生存していれば何とかなりそうである。腕を一日で生やすようなところだし。

 

「がー!何かもう勝ったような言い方!」

「ええ、正直負ける気がしませんね」

「私一枚使うから、おねーさんはもう一枚使っていいよ!」

「分かりました。それじゃあ、楽しみましょう。きっと楽しい遊戯になりますよ」

「最早遊び感覚!」

 

何を言っているんだ。元々スペルカードルールは遊びだ。楽しまないでやるなんて…よくあるな。霧の湖で遊ぶときは結構楽しんでるけど。しかし、そんな特殊なのはわたしくらいだろう。

 

「兎符『ラビットカリキュレーション』!」

 

そう宣言した妖怪兎から放たれたのはたった一つの真っ白な妖力弾。大きさはそれなりにあるが…野生の兎くらいかな?まあ、ラビットって言ってるし、そのつもりなのだろう。しかし、カリキュレーションって何?そんな難しい英語、慧音は教えてくれなかったよ。

 

「あ、跳ねた」

「ちょっと可愛いかも」

 

重力に従った山なりの軌道を描き、地面に接触。そして、まるで兎の如く跳ねた。跳ねたときにわたしのほうへ軌道を変更したところから、追尾型妖力弾と予想出来る。

 

「けど、たった一個じゃなぁ…」

「…!おねーさん!」

「え?…うわっ!増えた!?」

 

フランさんの驚愕した声を聞き、咄嗟に周囲を見渡すと、さっきまで一つだった妖力弾が六つに増えていた。そして、ニヤニヤと笑っている妖怪兎の顔がむかつく。

 

「ま、気にせず撃墜させますか」

「了解!えりゃっ!」

「ギャー!?ちょっと多くないかな!?」

 

いいえ、これでも普段のフランさんです。どんなに妖力弾の数が多くても、きちんと間隔が揃った美しい弾幕を放てるのはちょっと羨ましい。『幻』はそれなりに努力して、現在は四十五個までなら安定して使える。頑張った、わたし。しかし、統一性とか、規則性はまだあまり出来ない。そんなことすると弾幕が薄くなるって考えると、何だか努力する気が失せてしまうのだ。

 

「ん?また増えた…?」

 

いつの間にか、相手の妖力弾が三十を超えていた。数えてみたら三十六個。…あ、また増えた。その三十六個全てから五つの妖力弾が零れ落ちる。そして、同じように地面を跳ねる。

…ちょっと待て。ここまで十秒に僅かに満たないくらい。増えたのはおそらく三回。つまり、約三秒に一回増えている。スペルカードの時間は三十秒。つまり、九回増殖する。一回で六倍に増えてるから、六の九乗。つまり………――、

 

「せ、千万!?」

「な、何!?おねーさん、急に大声出して!」

「うげっ!バレた!?」

 

その数なんと一〇〇七七六九六!まずい!さっさと打ち消さないと!

 

「けどもう遅い!ほらほら、もう千を超えたよ!」

「しょうがない、殲滅ですね」

 

打ち消しても、三秒で六倍に増えてしまう。僅か三秒で一二九六個を打ち消せるとは思えない。なら、こうするしかないよね?

一気に急上昇し、地面を見下ろす。妖怪兎も、フランさんも、弾幕も全て視界に収まるこの位置なら問題ない。

 

「鏡符『幽体離脱・滅』」

「ウサッ!?どっ、どうして…!」

「隙あり一撃!」

 

その油断が隙を生む。フランさんの放った一撃は、確かに妖怪兎の胴体に被弾した。ここから見た限り、服も破れていないようだ。ちゃんと加減出来ているようでよかった。

 

「ナイス、フランさん」

「おねーさんならそうするって思ってた!」

「フランさんならその隙を狙ってくれるって信じてましたよ」

 

フランさんの元へ降り立ち、お互いの手を合わせる。

 

「うぅ…、何で急に消えたの…。それに全部…」

「落胆してるとまた当たりますよ?それで貴女は負けますが」

 

地面に膝を打ち、その両手も地面に付けて四つん這いになっている妖怪兎に容赦なく妖力弾を放つ。しかし、流石兎と言ったところか、勢いよく跳躍して回避して見せた。これで終わったらつまらないので、これでいいのだが。

 

「ねえ、おねーさん」

「何ですかフランさん」

「壁、お願いね?」

「…ああ、分かりましたよ」

「ならよろしく!禁弾『カタディオプトリック』!」

「ま、好きなように放ってください。ちゃんと当てますから」

 

フランさんが放つ五つの妖力弾。その妖力弾の後ろを付いてゆく中、小の妖力弾。その全てが確かに妖怪兎へと迫る。

 

「そんな愚直な弾幕、当たらないよ!」

「そうですか。じゃあ、背中に目を付けて出直してください」

「え?――うぎゃっ!」

 

避けられた妖力弾のうち、一つの軌道に竹を一本複製した。竹は円柱なので、ちょっと不安だったけれど、ちゃんと思った方向へ跳ね返ってよかった。

禁弾「カタディオプトリック」。壁にぶつかると跳ね返る弾幕を放つ、閉鎖空間で真価を発揮するスペルカード。しかし、ここは両側に竹があるとはいえ、それなりに開けた通路。地面はあるが、上空は偽物の月が輝く夜空が広がっている。普通ならそのスペルカードは半分の威力も出せないだろう。

だが、わたしの複製能力があれば違う。その弾道に、壁を複製すればそこで跳ね返る。規則的に反射するはずの妖力弾も、一瞬で不規則になる。それに、わざわざ壁でなくてもいいのだ。ある程度硬い物なら、石ころだろうと跳ね返る。そして、そこら中にある竹は十分な強度を持っている。

あちらは二回被弾した。つまり、わたし達の勝利だ。

 

 

 

 

 

 

「さ、案内してもらいましょうか」

「ちぃっ!絶対にしてやるか!私は逃げ――」

「知ってた。だから逃がさない」

 

妖怪兎を囲むように竹を複製する。その隙間は、たとえ兎になろうと通れないほど細い。そして、竹は円錐状に複製したので上から抜けることも出来ない。

 

「うわっ!また急に…!」

「はい確保」

 

驚いて動きを止めている隙に、竹を一本回収しつつ右手で首根っこを掴む。そして、左手で妖怪兎の服を複製し、フランさんへ手渡す。使い方はすぐに伝わったようで、捻じって紐状にし、それなりの強度になったものを後ろ手に縛る。

 

「捕まったー!それもアッサリ!」

「さ、案内してください」

「ねえ、私達が勝ったんだからいいでしょう?約束は守るものなんだよ?」

「約束は破るも――」

「ならわたしも約束破って腕の二本や三本くらい引き千切りましょうか」

 

出来るだけ感情を殺し、普段よりも数段低い声を出して脅す。正直、こういうのはあまり好きじゃないけれど、コイツから案内するという意思は一切感じられなかった。

 

「え、おねーさん…?」

「冗談ですよ。怪我はさせない。ましてや腕なんか引き千切らない。けれど、約束を破るなら、フランさんならどうします?」

「約束破ると、お姉様は私を部屋に閉じ込められるからなー…。どうしよ」

「同じように地面にでも埋めて閉じ込めます?」

「…いいのかな?それって」

「じゃあ紅魔館に持ち帰ってフランさんの部屋に同じように閉じ込めるとか」

「今から戻るなんて嫌」

「ですよねー」

 

フランさんとこの妖怪兎への対処を話していたら、急に暴れ出した。逃げないように力をより強く込める。

 

「分かった!案内する!するから首離して!さっきからどんどん強くなってるから!」

「嫌」

「即行拒否!?」

「だって離したら逃げるじゃん」

「逃げない!約束は守るから!だから離して!」

「…しょうがないなー」

 

首から右手を放す。

 

「ハハー!馬鹿め!今度こそ――」

「知ってた。だから逃がさない」

 

左手に複製しておいたナイフを首元に押し当てる。息を飲むような音が聞こえたけれど気にしない。

 

「さ、案内してください。ね、いいでしょう?」

「………はい…」

 

ナイフを離すが、もう逃げるつもりはなさそうだ。安心して付いて行くことにする。

これで永遠亭に無事に到着出来るはずだ。よかったよかった。

 



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第86話

「リーダーになんて言い訳しよう…」

「あの、兎さん」

「ひぃ!…な、何だい?」

「どのくらいで永遠亭に着きますか?多分、真っ直ぐ進めれば十分くらいで到着出来るはずですが…」

「…残念だけど、結界が張られてるからね。普通の手段じゃ突破出来ないようになってるんだよ」

 

結界かー。透明な壁みたいなのが出来るだけじゃなくて、進行方向を無理矢理曲げるようなものもあるんだね。知らなかった。

 

「ふむ…。じゃあ三十分くらいあれば着きますかね?」

「…二十分もあれば着く。…まあ、確実じゃないけど。…それで、何の目的で?」

「そっちに知り合いが遊びに行ってると聞いたので、わたし達も混ぜてもらおうって考えたんですよ」

 

永遠亭に着くまでの道中、フランさんがわたしの袖を掴んだ。その手は僅かに震えている。

 

「…フランさん?」

「おねーさん、ちょっと怖かった…」

「…ま、ちょっとやり過ぎたことは認めますよ」

 

後頭部掴んで地面に叩きつけることも考えていたが、怪我はさせないと言った手前、それをするのはよくないと思ったんだ。だけど、ナイフで脅すのはちょっとやり過ぎたかもしれない。

 

「ですが、この兎さんは最初からわたし達の約束を守るつもりはなかったって知ってました?」

「うひっ!バ、バレてたの…?」

「え?どういう事?」

 

そのまんまの意味だ。この妖怪兎からは、負けてもわたし達の約束なんて知ったことない、って感じた。

 

「フランさんもレミリアさんから頼まれたことを破ることくらいあるでしょう?だけど、守るか守らないかを天秤にかけることくらいはしてるはず。ですけどね、この兎さんは違う。天秤にかけることなく、迷うこともなく、躊躇なく破ることを選択出来る」

「…私達を騙すつもりだったってこと?」

「そうですね。そして、そんな騙す人に対して脅す人もいる。…今回の脅す人はわたしですがね」

「じゃあ、おねーさんも悪い人なの…?」

「そう。わたしは悪い人です。目的の為に手段を数多く考え、その中で出来ることを選択する。その際に誰かを切り捨てることもある、そんな悪い人ですよ」

 

自分にとって不都合になる可能性を持った芽を潰したことは数えきれないくらいある。その際に犠牲になってしまうものや人がいたときも、当然あった。しかし、それをしなければならないというわけではなかった。だけど、わたしはそれを選択した。

 

「…けどさあ、仕方ないんじゃないの?いつでもいい人なんて気持ち悪い。どんな悪意を受けても笑顔を振りまいて、傷つけられても感謝して、裏切られても信じ続けるなんて…そんなのは、異常だよ。リーダーだって、私達に優しいこともあれば、こき使うことだってあるんだし」

「兎さんもそう思いますか?わたしもそうですね。わたし自身も、わたしの知ってる人も全員、善意と悪意がある。どんなに綺麗でも、汚れ一つないなんてことはない」

 

しかし、全部汚れていれば綺麗なところなんて一切ない。わたしはそう思う。物の汚れと違って、これは内側まで侵食するものだから。

 

「…いいところと悪いところがあるってこと?」

「そう。そして、相手によって見せるところが違う。フランさんの周りの人達は、貴女に対して優しくしている人ばかりでしょう」

「うん。だけど、他の人にも同じとは限らない…」

「はい。よく出来ました」

「この子、そんなことも知らなかったの?」

「いいえ、知ってたでしょうね。だけど、気にもしてなかった。あまりに常識過ぎて、あまりに普通過ぎて、あまりに単純過ぎて、見逃してたんでしょうね。砂利道に石ころが落ちてることを気にしないように」

 

知らなければ優しい人で済むことも、知ってしまえば裏を疑ってしまう。それを良いと取るか悪いと取るかは、それも人それぞれだ。

そんなことを兎さんとちょっと話していたら、袖を強く引かれた。

 

「おねーさん」

「…何でしょう?」

「おねーさんも悪い人だって言いたいのは分かったよ。だけど、私はそれ以上にいいところを知ってるから嫌ったり離れたりしないよ」

「アハハ、どこかで聞いたとこありますね」

「私の心に残った大切な言葉だよ?だから、おねーさんにも分けてあげる」

「…まさかその言葉が自分に返ってくることになるとは思ってませんでしたよ」

 

そして、普段よりも強い意志を持ったフランさんの言葉がわたしに響いた。

 

「たとえどれだけの人がおねーさんを嫌っても、私はおねーさんを好きでい続けるから」

「…それは聞いた覚えないですね」

「私が思った言葉だよ?だから、おねーさんにちゃんと伝えるの」

「…本当に受け取ってもいいんですかね?こんないい言葉」

「いいの。私がおねーさんの為に紡いだものなんだから。だから、受け取って?」

「…分かりました。ありがとうございます。大切にしまっておきますね」

 

彼女のように、心の中に。

 

 

 

 

 

 

「おー、本当に着いた」

「…ここが永遠亭?」

 

歩き続けること二十分。まあ、真っ直ぐ歩き続けたわけではなく、右へ左へ曲がり続けて歩き続けたのだが。しかし、嘘の案内をされなくてよかった。

兎さんの手首を縛っている服を回収し、開放する。

 

「道案内、ありがとうございますね。悪いことしたとは思ってますが、返すものは特にないんです」

「だー!やっと解放されたー!リーダーには脅迫されたから仕方なくって正直に言うしかないかなー…」

 

そう言いながら兎さんは永遠亭の庭のほうへ跳んで行った。さて、わたし達は玄関から入ることにしますか。

 

「さて、行きましょうかフランさん」

「うん!…間に合うかな?」

 

わたし達は遅刻してしまったわけだが、急げば黒幕との対面くらいは出来るかもしれない。

 

「どちらにしろ、行くだけ行きましょう」

 

そう言って、永遠亭の玄関を開いた。

 

「ん?」

「あ」

 

扉を開けたら、そこにはてゐがいた。

それを確信した瞬間、わたしの右腕は淡い紫色に発光する。…よし、わたしの妖力の充填もかなり早くなってる。

忘れはしない。殺傷力抜群の竹槍を施された落とし穴に落とされて、糸仕掛けの竹矢に射抜かれかけた恨み。そして、そのとき誓った。今度会うことがあったら目の前でマスタースパークのような凄いスペルカードをブチかますと。

今が、そのときだ。

 

「模倣『マスタースパーク』ッ!」

「え?ウサーーーッ!?」

「おねーさん!?いきなりどうしたの!?」

 

そのまま廊下のほうへ放つよりは、上の方へ放ったほうが被害は少ないだろうと思い、屋根をブチ壊しながらてゐを上空へ吹き飛ばす。

 

「ふぅ…。よし、行きましょうかフランさん」

「いや、何もなかったみたいに仕切り直さないでよ…」

「痛ーッ!いきなり何をするか!」

「あ、もう戻ってきたんですか」

 

早くも玄関からてゐが戻ってきた。その眼に宿るのは明確な敵意。まあしょうがないね。

 

「先制攻撃はこのくらいにして、っと。フランさん、スペルカード戦ですよ。相手はこちらに敵意を持ってるみたいですからね」

「…おねーさんがこんなことしなければ敵意なんて湧かなかったんじゃ…」

「そうでもないかもしれませんよ?紅魔館に美鈴さんがいるように、彼女も門番かも」

 

言っておいて何だが、それはないと思っている。門番なら門の中にいるなんてことはないだろう。

 

「それに、あちらにとってわたし達は侵入者。異変の解決されたくないなら攻撃対象ですよ」

「絶対痛い目みせてやるんだから!」

「なら、どうします?野蛮な殴り合いでも構いませんが」

「あれ?スペルカード戦じゃ…?」

「そんなことはしない!スペルカード戦に決まってるじゃん!スペルカード三枚と被弾三回で!」

「ならわたし達は二人で三枚三回でよろしく」

 

そう言うと、てゐは大きく飛び退り、わたし達を玄関の外へ出るよう促した。促されるままに外へ出ると、あちらは既に臨戦態勢に入っていた。

 

「まあ、悪かったとは思ってますが、ちょっと前に自分で自分に約束したんでね。許してくださいよ」

「知らないねそんなの!そもそも許すわけないでしょうに!」

 



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第87話

『幻』展開。最速の直進弾用、阻害弾用、追尾弾用を十五個ずつ。最大数の四十五個。

 

「スペルカード、いくつ使います?」

「じゃあ二枚!」

「分かりました。それではよろしくお願いしますね」

 

わたしが使えるのは一枚。三分の一と言われると少ない気もするが、一枚あれば十分だ。速攻も回避も自由だ。

『幻』の放つ弾幕もフランさんの弾けるような弾幕も軽やかに跳ねながら避けていくのを見ていると、ちょっと不安になってくる。

 

「そんな弾幕生っちょろいわね!脱兎『フラスターエスケープ』!」

 

宣言と共に放たれたのは、曲線を描くように連なった妖力弾。何とか避けたところ、地面にぶつかって反射するのを目撃した。…うわぁ、面倒だな…。

 

「こんな開けたところで跳ね返る弾幕?おねーさんがいるならまだしも…」

「曲がった軌道…。単純だけど厄介だなー…」

「曲がると何が嫌なの?」

「上空の彼方へ飛んでいくことがないから無駄撃ちになりにくいし、そもそも曲がる弾幕は避けるの苦手…」

 

周りを軽く見て安全だと確認し、指先から相手の弾幕を打ち消すつもりで貫通特化の妖力弾を放つ。しかし、真っ直ぐではないので消し飛ばせる数も少ない。真っ直ぐ連なってくれれば一気に消せて楽なのに…。

打ち消すついででてゐに向けて妖力弾を放つが、ヒョイッと避けられる。…わたしは普通の弾幕で被弾させることが出来ないのかもしれない。

 

「ま、反射するっていうのはそれはそれで考え物だけどね」

 

打ち消すことを諦めて、石ころを一つ複製して発射。そして弾幕の軌道に重ねる。…んー、やっぱり反射するか。似たようなスペルカードを知っていると対処も楽だ。連なっているから石ころなんて小さなものだと返し切れないときもあるけど。

その代わりに、片手で振り回せる程度の竹を一本複製し、それを盾にする。うん、なかなか便利だ。…背中には弱いけれどね。そのときはそのときだ。

 

「ぐぅ…、そんな対処があったのか…?」

「子供のチャンバラで棒を振り回すんですから、弾幕ごっこで振り回してもいいでしょ?」

 

スペルカードの終了と同時に竹を思い切り投げつける。危なげなく避けられてしまったが、この程度は避けられてもしょうがないか。

 

「ま、その程度なら無理矢理当てますけれどね」

「へ?――うぎゃぁ!」

 

てゐが避けて、視界の外に出た瞬間に竹に含まれる過剰妖力を全て炸裂弾にし、炸裂させる。過剰妖力量が少ないので、あまり大きく弾けなかったが、竹自体それなりの大きさがある。それがよかったのか、背中に思い切り被弾した。わたしの言えたことではないが、後方注意だよ。

 

「ねえ、おねーさん」

「…何です?」

「…チャンバラ、してもいいかな?」

 

ウズウズと何か期待したような目でわたしを見られても困る。貴女のチャンバラは遊びじゃ済まされないんだよ…。

 

「…兎の丸焼きは美味しかったですけれど、妖怪兎の丸焼きってどうなんでしょうね」

「どうだろ?やってみる?やってみよ?ねえいいでしょ?」

「駄目。代わりにこれでもどうぞ…」

 

かなり大きめの竹を一本複製し、投げ渡す。重さは釣り合わないが、長さなら倍以上はある。

 

「…軽過ぎ」

「知ってた」

「でも、これでもいいかな?…うん、振りやすい」

 

素振りする音が数回響く。…とてもじゃないけれど、竹から出ている音だとは思いたくないほど鋭い。それを聞いたてゐの顔が真っ青になっているのがよく分かった。夜中だというのに。

 

「じゃあ、一緒に遊ぼう?禁弾『スターボウブレイク』!」

「ちょっと!冗談じゃないわよ!死ぬ!死んじゃうでしょコレ!?」

 

騒ぎながらも上手く距離を取りながら避けているのが見える。上空から降り注ぐ弾幕も美しいが、この状況だと見ている余裕なんてないだろう。

見ている余裕のあるわたしはというと、近づくと邪魔にしかならなさそうなので、一定距離離れて『幻』任せの弾幕を放ちながら、回避しそうな場所を予測して逃げ道をなくすように妖力弾を放つ。

 

「ウサっ!危ない!」

「えい!やぁ!とぅ!アハハ!」

「…右側が開けてるから埋めよっと」

 

振り回し続けること数十回。ついにフランさんの振り回す竹はてゐの頭を捕えた。

 

「ギャッ!痛ーッ!」

「やった!」

 

…当たる寸前に逆向きに力を掛けて衝撃を軽減させていたのが見えた。うん、傷は浅いね。よかったよかった。

しかし、てゐの反応がおかしい。

 

「あー!痛い痛い痛い!」

「え?だ、大丈夫…?」

 

スペルカード戦中だというのにお互いに弾幕を収め、頭を押さえているてゐを心配して近寄るフランさんだが、わたしにはどうにも胡散臭く見えた。

…衝撃は殆ど殺された竹の一撃でここまで痛がるだろうか?そう疑いながら頭を強く抑え、軽く下がった頭を見ていると、髪の毛の隙間から瞳が見えた。強い光を持った瞳。…まずい、来る!

 

「今だ!兎符『因幡の――」

 

咄嗟にフランさんの肩を掴み、わたし達の体を貫くように竹を複製する。

 

「うぐっ!」

「きゃっ!」

「――素兎』!ってあれ!?」

 

わたし達は竹に弾かれた。ただし、端から端へ、てゐから一瞬で離れるように。

石ころ半分が樹に埋まるように複製しても弾かれるなら、わたしの体が全部埋まらなくても弾かれるはずだ。弾かれる方向を自らの意思で選択出来るなら、棒状の物の端から端まで弾かれることも出来るはずだ。

その結果がこれだ。上手くいってよかった…。しかし、体が一瞬で移動するのはかなり辛い。ちょっと頭がチカチカする。

相当の速度で放たれた弾幕。あの至近距離なら被弾してしまっていただろう。しかし、この距離なら問題なく避けられる。

 

「むぅ、もしかして私騙された?」

「本当に痛かったのかもしれませんが、近づいてもらおうとは思ってたでしょうねー」

 

弾幕を避けながらの会話。会話に集中すると避けれなくなってしまうので、あまり考えずに返答してしまうわたしを許してほしい。

 

「んー、勝負だから仕方ないかな?『相手を油断させるのは有効だ』っておねーさんも言ってたし…」

「油断は隙を生みますからね。…って、これも前に言いましたか」

「けどねー、やっぱり騙すのはあんまり好きじゃないかなー…」

「飽くまで戦略の一つとして言った覚えがありますけれど、好き嫌いはしょうがないですね…」

 

次々と絶え間なく放たれる弾幕を順調に避け切り、二枚目のスペルカードが終わった。

 

「ああもうっ!さっきから竹がポンポン出てきて何なの!?竹の妖怪だったの!?」

「石ころも複製したんですが…」

「知らないよそんなの!?ていうか見えないよ!」

 

いや、そんなこと言われましても。竹がそこら中にあるからなんです。いつでも視界に入るから咄嗟の複製に使いやすいんです。

 

「これが私の最後のスペルカードよ!『エンシェントデューパー』!」

 

両腕を大きく広げ、その手からはレーザーが放たれる。そしてそのままわたし達を挟もうと閉じてきた。が、完全に閉じることはなく、二人には狭いが隙間がある。

真正面にいるてゐに『幻』を弾幕を放つが、ほとんど動かずに避けられてしまう。それより、避けようと動くたびに左右のレーザーも揺れて危なっかしい。

 

「最後ですか…。ふぅーん…」

「最後まで見るの?」

「いいえ」

「じゃあ禁忌『フォーオブアカインド』」

「複製『多重存在』」

 

四人に分かれたフランさんのうち、偽物の三人がてゐへ突撃する。そして、わたしはその三人の複製(にんぎょう)を二体ずつ複製した。六体同時に操作することで、わたしの意識が潰れるような違和感が生じるが、どうせ三十秒間だけだ。何とかなるだろう。

合計九人。さあ、どう対処する?

 

「え、嘘でしょう…?」

 

そうつぶやいたてゐの声色は震えていた。何やら青色の弾幕を放ったような気がするが、九人のフランさんで見えない。そして、すぐに左右のレーザーも途絶えた。

 

「…ふぅ。流石に九人は無理だったみたいですね…」

「みたいだねー」

 



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第88話

九人のフランさんが群がるところへ向かおうとするが、脚がふらつく。…流石に六体複製はやり過ぎたかな?けれど、そこまで意識は潰れてる感じはない。慣れてきたからかも。

しかし、ふらつく足取りを抑えることが出来ない。咄嗟に細めの竹を複製して地面に立てるが、竹を握る力があまりにも弱々しい。手が表面を滑り、そのまま膝が折れる。ペタンと座ってしまったが、そのまま起き上がるのも辛い。

 

「だっ、大丈夫?」

「…ちょっと六体持って来てくれます?」

「う、うん!」

 

駆け寄ってくれたフランさんにそう頼むと、わたしの周りにフランさんが群がることに。…これは何と言うか、ちょっと怖い。その中の六体の複製(にんぎょう)に震える手を伸ばし、回収する。

 

「…よし、大分楽になった…」

「…少し休む?」

「んー、多分大丈夫ですよ」

「本当に大丈夫?妖力とか…」

 

そう言われて、わたしを流れる妖力を探る。…んー、意外と減ってるなー。このままでも大丈夫そうだけれど、倒れてから叱られるのはちょっと嫌だな。

胸元に光る緋々色金を一つ摘まみ、回収する。一瞬で充填される妖力に僅かな違和感を感じながら、呼吸と妖力を整える。

 

「…ええ、大丈夫ですよ。…大丈夫」

「あんまり大丈夫に見えないんだけど…」

「それでも先を急がないといけない理由がありますからね。急がないと知らない間に月の異変が終わっちゃう」

「それは…、うーん…」

 

本調子とは言い難いが、普通に活動出来る程度にはなったので、竹を支えに立ちあがる。そのまま杖代わりにしながらてゐの元まで歩き、竹を回収しつつ彼女の頬を軽く叩く。…んー、起きないか。

このまま放っておくのはよくなさそうだ。いくら迷いの竹林と言えども、人喰い妖怪くらいいるだろう。ここに来る可能性なんて極僅かだろうけれど、倒れたまま放っておけばその可能性は零ではない。しかし、安全そうな場所に持っていけば、ほぼ零にまで行くだろう。どうせ病院はすぐ近く。持って行っても構わないだろう。

倒れているてゐを持ち上げ、ゆっくりと背負う。う、意外と重い…。意識がないと重く感じるって聞いたけれど、これほどまでとは…。てゐの重さがどのくらいか分からないけれど、小さいから軽いと思ってたよ。

 

「…よっと。さて、行きましょう」

「あれ?連れてくの?」

「ええ。放っておくのはちょっと悪いし、ちょっと病院まで」

「病院?どこに?」

「そこに」

 

そういえば、永遠亭が病院だって言ってなかったような…?まあ、もうどうでもいいことか。

 

「…って、そうじゃなくて…。どうして連れてくの?」

「さっき言いましたけど、放っておくのも――」

「違う。不意打ちの先制攻撃かますくらいには何かあったんでしょ?」

「ま、わたしはそう思ってますけどね」

 

あちらはうどんげさんを嵌めるつもりで、わたしを嵌めるつもりはなかったかもしれない。しかし、そうだとしても、わたしがああなったのは変わりない事実だ。

 

「それでも、もう済んだことですよ。一発ブチかますって決めて、それは既に終わった。それに、スペルカード戦で追撃しちゃいましたし」

「…やっぱり、おねーさんは優しいね」

「そう思ってくれるなら、わたしは嬉しいですよ。ま、寝かせれそうな場所を見つけて、そこに置くくらいしかしませんけど」

 

そういうのは医者に任せておけばいい。わたしが出来る処置なんてたかが知れてるし。

そう思いながら、永遠亭に足を運ぼうとすると、横から何かが飛んできた。…真っ白な妖力弾。被弾させるつもりではなく、足止めさせるためだろう軌道。誰だろ?

 

「…リ、リーダーをどうするつもりだッ!」

「あ、さっきの兎さん」

 

少し声と脚が震えている兎さんが、こちらに歩きながら言い放った。

きっと、妖怪兎一同の代表として出てきたのだろう。後ろには、十数人の妖怪兎が隠れているのが見えたし。しかし、わたしは知らない振りをしてあげる。強襲されても対応出来るように策は考えておくけれど。

 

「それより、危ないじゃないですか。これに当たったら無事じゃ済まないかもしれないですよ?」

「そっ、それよりもアンタにリーダーが持ってかれる方がよっぽど危ないよッ!」

 

酷いなぁ。わたしは良かれと思ってやってるんだけど。…ま、伝わらないのはしょうがない。こんな見た目だし、怪しまれるのはしょうがない。

こういう時には、正直に言えばいいか。悪いことじゃないし、嘘を吐く理由もない。

 

「…もしかして、聞いてなかったんですか?」

「聞いてなかったよ!だから訊いてるんでしょ!」

「病院に連れてくんですよ。当たり前でしょう?」

「びょっ、病院…?」

「そう。ついでに知り合いの遊びに混ざるだけですよ。これも聞いたでしょう?」

 

ま、知り合いの遊びと言っても、一方的な押し掛けだろう。それに混ざれるかどうかも分からないけれど。

 

「そうだ。何処か寝かせられる場所って知らない?さっさと置いときたいから」

「わ、私がやるよ!だからさっさと返して!」

「え?そうですか?いやー、わたし助かっちゃうなー。じゃあ、よろしくお願いしますね」

 

背負っているてゐを投げ渡す。慌てて受け取る姿勢を取り、尻餅をつきながらも無事に受け取ったのを確認してから、永遠亭へと向かう。

 

「ねえ、よかったの?」

「…?どういうことです?」

「任せてもよかったの?」

「いいに決まってるじゃないですか。わたしは病院に連れて行きたかった。それをあちらがやってくれる。それだけ」

「だけどさ、おねーさんの善意を無視したんだよ?」

「善意は伝えるものじゃないですから。伝わらなくてもしょうがない。それに、わたしに任せたくないって思ってたんだから、それも含めてしょうがない」

「…ちょっと酷くない?」

「それもしょうがない。自分が思ったとおりに相手が感じるわけじゃないんだから。さ、時間取られちゃいましたから、ちょっと急ぎましょう?」

 

 

 

 

 

 

再び永遠亭に侵入する。さっきは碌に見なかったが、改めて奥を見ると、何処までも続く廊下が見えた。奥の壁は見えず、闇に包まれている。それに、何処となく捻じれているように見える。不思議な感じ。

 

「やっぱりおかしなことになってるんですね…」

「おねーさん、分かる?」

「永遠亭の間取りなら分かりますよ。目的地に着くとは限らないですが」

 

しかし、わたしとフランさんを除いて、八人の形を確認出来た。

一人目はうどんげさん。この先を真っ直ぐ進めれば鉢合わせ出来るだろう。

二人目は咲夜さん。ナイフを構えていた。三人目は霊夢さん。球体の何かと針を持っていた。四人目と五人目は魔理沙さんとアリスさん。二人で一緒に箒に跨ろうとしていた。六人目は妖夢さん。居合いの構えを取っていた。七人目は永琳さん。静かに構えていた。この六人は同じ部屋にいるようで、全員が永琳さんのほうを向いている。これから予想すると、永琳さんが黒幕の可能性が著しく高い。んー、結構いい医者さんだったと思ったんだけどなー。どうしてだろ?

八人目はやたら髪の長い人。かなり遠くのほうの部屋でお行儀よく座っている。…誰だろ?

 

「もう始まってるみたいですね。今から行って間に合うかな?」

「えー、始まっちゃってるのー?」

「ええ。急げば飛び入り参加くらい出来るかも」

「んー、どうしよう…」

 

きっと、レミリアさんに見つかるのと黒幕と対峙するのとで、どちらがいいかを考えているのだろう。わたしとしてはどちらでもいい。

 

「この先に一人、妖怪兎がいますから、それに勝てば多分その先に行けますよ?そうすれば、晴れて黒幕とご対面。遅刻してますけどね」

「…よし!行こう!お姉様なんて知ったことか!」

「なら、急ぎましょう?道案内は任せてくださいな」

 

壁に手を当て、妖力を流し続ける。数分ごとになんてやってられない。一瞬ごとにやっていこう。そうすれば、進行方向に異常が出てもすぐに分かる。妖力の消費はより激しくなるけれど、緋々色金の複製はまだ二つある。よっぽどのことがなければ問題ない。

このまま歩けば、一分もしないうちにうどんげさんに会うことが出来るはずだ。

 



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第89話

「…ここを曲がれば」

「兎?」

「ええ。どうします?」

 

角を曲がる前に立ち止まり、周辺を見回す。何か使えそうなものってないかな?…目立つものは壺くらいか。何に使えるんだか。ま、壁と柱があるからそれで問題ないか。

 

「決まってるよ。速攻撃破」

「ですよね。じゃあ短期で討ち取りますか。…出来ればですけど」

「出来るよ!私とおねーさんなら!」

 

そんなフランさんの言葉を聞きながら、両腕に妖力を充填させつつ角を曲がる。その先には、壁に背を預けて休んでいるように見えるうどんげさんがいた。被弾痕が数ヶ所ある。

足音に気付いたようで、こちらに顔が向く。気だるげな表情が一瞬で引き締まる。

 

「これで五組目か…。けれど遅かったわね。全ての扉は封印したわ。もう姫は連れ出せ…、って月の兎!?」

「…はい?」

「月の兎ってさっきの妖怪兎と何が違うの?」

「さ、さあ…?すみませんがさっぱり…」

 

それよりも気になるのは『姫』だ。永琳さんも『姫様』と言っている人物がいるとは知っていたが、もしかして、お行儀よく座っている長髪の人のことかな?それくらいしか永遠亭に触れている人いないし。

 

「って、何だ。幻香さんじゃないですか…。脅かさないでくださいよ」

「やあ、久し振りですね」

「あれ?おねーさん知り合い?」

 

初めて会ったときは月の兎と勘違いしなかったのに、今はした。つまり、今回は月の兎が何か関係があるということだと思う。丁度良く偽物の月が昇っているし。

 

「ま、積もる話は特にないのでさっさと目的を。黒幕に会わせてください」

「奥に黒幕がいるんでしょ?月の異変の!」

「ああ、貴女達も気付いてたんですか…。ちょっと意外。ですが、これ以上通したらお師匠様に叱られてしまうので駄目です」

「なら叱られてください。大丈夫ですよ。辛いのは一瞬ですから」

「いや、貴女は知らないでしょう!?」

 

もちろん知らない。だけど、これでも結構叱られることが多いからね。今までの経験から、そこまで長く叱られることはないと思う。長くても半日くらいじゃないかな?

 

「ま、タダで通せなんて言いませんから。どうせ他の人達ともしたんでしょう?スペルカード戦」

「…ええ、しましたけど」

「ならそれで。ルールはそっちで決めてくださいな」

 

ルールの決定権を譲り、その僅かな時間に思考を巡らす。さて、どうしたものか…。何かいい手段はないだろうか。

 

「では、前に来た方々と同じもので。スペルカードは五枚で、被弾は三回」

「珍しいね。数がズレるなんて」

「ふっ、被弾なんて滅多にしないのでこうなるんですよ」

「…その自慢げな顔、撃ち抜いてあげますから楽しみにしててください」

 

『幻』展開。最速の直進弾用を四十個、標的付近で炸裂する炸裂弾用を五個。合計四十五個。…足止めくらいにはなってくれたらいいな。

 

「フランさん、レーヴァテインはなしです。基本が木造だからわたしがヤバい」

「分かってる!それ以外ならいいでしょう?」

「ええ、もちろん。多少の破損は仕方ない」

 

そう言っておくが、周辺がそこまで壊れていないのが気になる。さっき言っていた『封印』が関係しているのかもしれない。しかし、そんなことはどうでもいい。重要なのは既に四組とスペルカード戦をしているのに廊下や壁がブチ抜かれることがなかったということ。つまり、多少の弾幕なら気にせず放てるってことだ。

 

「どうせだから、貴女達にも見せてあげるわ。月の狂気を」

「月の狂気?何それ?」

「ごめんね。私知らない」

「月は人を狂わすの。上も下も、右も左も、既に方向が狂って見える。月の兎である私の目を見てもっと狂うがいいわ!」

 

そう言ったうどんげさんの赤い目が妖しく光る。…うげ、廊下がさらに歪んで見えてきた。

ちょっと不安になってきたので、試しに壁を一枚目の前に複製してみる。視界に依存するわたしの複製がどうなるか分かったものではないからだ。結果はまともな一枚壁。形を把握していたからかも。

 

「ちょっとおねーさん!いきなり出さないでよ!」

「すみませんね。ですが、使えるか分からないと後で困りますから」

 

その壁からくぐもった音が数発響く。んー、少し抉れてるけど、そんな簡単に貫かれることはなさそう。

このちょっとの時間で考えるけれど、なかなか思いつかない。この二つの問題を同時に解決する手段なんてあるのだろうか?

 

「じゃ、仕切り直しますよ?」

「うん!」

 

右手で壁に触れ、回収する。それと同時にフランさんが突撃するが、うどんげさんが指先から放つ妖力弾は相当早い。んー、フランさんよく近づけるなぁー…。

 

「波符『赤眼催眠(マインドシェイカー)』」

「…あれ?」

 

弾幕がぼやけて二つに増えてるような…?

 

「うわっ!」

「危なっ!」

 

増えた!絶対増えた!ついでにズレた!ああ、またぼやけて増える…!…ちょっと落ち着こう。弾速はかなりある。しかし、避けれないほどではない。…正直、ミスティアさんの能力のほうが厄介だ。

 

「それじゃあ私も!禁忌『クランベリートラップ』!」

 

フランさんの周囲を回る何か。四つのそれがうどんげさんを囲み、そこから弾幕が次々と放たれてゆく。

 

「この程度!」

「アハッ、このくらいは避けれるかー」

 

そう呟くのを聞きながら、わたしは真っ直ぐとうどんげさんの元へ走り出す。フランさんのスペルカードの中に飛び込むわけだが、何回か見ているんだ。多分、大丈夫。

右手に持つのは一本のナイフ。射程圏内に入ったと同時に躊躇なく肩へ突き出す。

 

「うわっ!それは流石にどうかと思いますよ!?」

「知りませんね。もしかしたら貴女の所為で狂っちゃったのかもね?」

「そんなわけないでしょ!」

 

左手に新しく創り、それを撃ち出す。が、一発の妖力弾に弾かれ、遥か後ろのほうへ跳んで行ってしまった。が、そんなことは気にせず次々と創り出す。指先で挟んで軽く投げたり、こぼれ落ちるものあるけど。

 

「ああもう、貴女達は何処からそんなに出てくるんですか!?」

「あー、本当に何処から出てくるんでしょうね」

「自分のことなのに分からないのか!」

 

そこら中にばら撒かれるナイフ。床に先端が僅かに刺さるが、すぐに傾いて倒れてしまう。非常に頑丈な床だなー。

ま、このくらいで十分かな。

 

「複製『炸裂ナイフ』」

「…!?」

 

うどんげさんが飛び上がったが、気にせず足元に落ちているナイフを全て炸裂させる。中心から爆裂させるのではなく、上の方へ弾けるように。

 

「くっ!」

「ナイス!おねーさん!」

 

打ち消すように妖力弾を放っていたが、さすがにこれだけの数は無理だったようだ。細々とした妖力弾に被弾した。

 

「何ですかコレ!爆弾!?」

「失礼な」

 

爆弾とか言わないでくださいよ。わたしの妖力塊をそんな物騒なものにしないでください。

 

「仕方ない!次!狂符『幻視調律(ビジョナリチューニング)』!」

 

うどんげさんとわたしを遮るように弾幕が放たれる。この距離だと避けれるのも避けれないので、靴の過剰妖力を噴出して一気に後退する。

 

「…うわ、今度はぶれる…」

「ちょっと変な気分…」

 

ぼやけたかと思ったら、今度は横へぶれてゆく。基本は単純な直進弾なのに、急に動かれると避けにくい。それに、何だか頭も痛くなってきた気がする…。

それでも何とか避けきり、大きく息を吐く。目を瞑り、強く目頭を押さえてぼやけた視界が治ることに期待するが、そんなことはなかった。…しょうがないか。うどんげさんが何かしてるみたいだし。

次の弾幕が来ないことにちょっと違和感を覚えていたら、急にうどんげさんが喋りだした。

 

「正直、意外ですよ」

「…何がです?」

「幻香さんが。だって、あんな大怪我するような妖怪なのに、ここまで出来るなんて」

「失礼な。そんなことどうでもいいからさっさと――」

 

唐突に思い付いた。どうでもいい、か。

 

「どうしたの、おねーさん?」

「…これだ」

 

このスペルカード戦が始まる少し前から、一つのことを考えていた。

 

「ねえ、フランさん」

 

それは、フランさんの中で今も天秤の上で揺れている二つのいいことと悪いことを解決する手段。『フランさんとレミリアさんが対峙しない』と『黒幕に対峙する』を同時に解決する手段。

黒幕を、永琳さんをどうでもいいと切り捨てることで辿り着いた手段。

 

「奥にいる黒幕なんて放っておいて別の黒幕を追いましょう?」

「…え?」

「はい?何言ってるんですか幻香さん…?」

 



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第90話

「いやいや、何言ってるんですか?月の異変の黒幕は奥にいるお師匠様で…」

 

うどんげさんが何か言っているが、気にせず続ける。

 

「フランさん。飽くまで一つの手段ですから、選択権は貴女にあります」

「えっと、どういう事?黒幕ってこの奥にいるんじゃないの?」

「ええ。ですが、他にも怪しい人がいたんですよ。もしかしたら、その人も黒幕かも」

「…誰?」

「姫様」

 

その言葉を聞いたうどんげさんが激しく狼狽えたのが分かる。そりゃそうだよね。あれだけ会わせないようにしているんだもんね。

 

「だからこそ怪しい。わたし達に、先を行っている彼女達にも会わせなかった姫様なら、安全に異変を遂行出来る」

「あ、そっか!」

「ですが、飽くまで可能性。ほぼ確実に黒幕がいるけどレミリアさんがいる奥へ進むか」

 

左手でうどんげさんを通り越した奥のほうを指差す。

 

「黒幕の可能性はそれなりに高くてレミリアさんがいない向こう側へ行くか…」

 

右手で姫様と思われる方向を指差すのを見たうどんげさんが更なる反応を示した。

 

「ちょっ!ど、どうして――」

「『姫様がいる方向が分かるんですか』…ですか?何となく分かるんですよ。…フランさん。決めるのは貴女です。どちらへ行きますか?」

 

ここまで言っているけれど、姫様が黒幕の可能性なんてかなり低い。普通に姫様なんて呼ばれてるくらいだから安全なところに置いているだけってこともあるだろうし、霊夢さんの勘が黒幕を外すとは思えない。

だけど、フランさんの天秤は未だにユラユラと揺れていた。だから、考えた。悪いけれど、姫様には犠牲になってもらおう。わたしの勝手な都合で黒幕になってもらおう。

 

「繰り返しますが、フランさん。姫様が黒幕という確証はないです。飽くまで可能性」

「うん、分かってる…」

「ま、落ち着いて考えて答えが出たら教えてください。それまでわたしはあっちと遊んでますから」

 

フランさんの前を歩きながら後ろに手を伸ばし、防壁の代わりに壁を複製する。念のため三枚。

 

「さ、続きを始めましょう?うどんげさん」

「…貴女ねえ!」

「ま、誤っても謝れば済む。里の人間共とは違ってね」

「そういう問題じゃないんですよ」

「そういう問題なんですよ。どちらにしろ、決めるのは貴女じゃない」

「いいえ、決めるのは私ですよ。ここで貴女を倒せばそれでおしまいです」

 

わたしの眉間めがけて一発。そして、回避するだろう場所を予測した四発ずつの妖力弾が左右に遅れてくる。それに対し、目の前に柱を垂直に立てる。眉間に当たるはずだった妖力弾が柱を浅く削り、消えた。左右の妖力弾は当たることなく通り過ぎる。

柱をほぼ中心で切断し、下部を蹴飛ばしながら上部を掴む。飛んで行った柱は綺麗に避けられたが、その回避した方向に柱をぶん投げる。しかし、それも体を屈めてやり過ごされた。

 

「んー、やっぱ駄目かー」

 

放射状に飛来してきた弾幕を辛うじて避けながら、隙を窺う。が、それらしい隙は見当たらない。瞬きの瞬間を狙って一発放ってみるが、見事に打ち消された。

 

「懶惰『生神停止(マインドストッパー)』」

 

うどんげさんの宣言と共に、立方体の頂点の位置からわたしに向かって弾幕が放たれる。前後左右上下、全方向を囲む弾幕。しかも、かなり弾速が早い。視界に依存する鏡符「幽体離脱」は全方位からの弾幕に圧倒的に弱い。それを打開する手段を模索していたが、今ほどそれが欲しいと思ったことはないかもしれない。

とりあえずこちらに飛来する前に三本の柱を複製し、射出。左右の回避を封じつつ、その中心に一本。軽く跳ねて飛び越えられる。

 

「…こりゃまともにやったら勝てそうにないかな」

「なら降参してくれますか?そうすればみんな幸せですよ?」

「何言ってるんだかサッパリだね」

 

周囲の弾幕が一瞬止まった。軌道が僅かに傾き、曲がりだす。ただでさえ全方位弾幕は苦手なのに、さらに曲がるか。

…正攻法じゃ敵わない。元の実力の格差が大きすぎる。

だからこそ手段を、奇策を考える。

 

「鏡符『幽体離脱・纏』!」

「はい!?」

 

視界に映る弾幕を纏い、『幻』四十五個全てを打消弾用に変更しながら突貫する。鏡符「幽体離脱・滅」では全て消し飛ばしても、うどんげさんに肉薄するまでに新たな弾幕に被弾してしまう。しかし、打ち消して身を護るための防御型なら届く。

この距離なら、靴から噴出する推進力も含めて約三秒。わたしの近くで妖力弾が互いを打ち消し合う音がとめどなく響く。しかし、気にして動きを止めれば間に合わない。

走りながら柱を一本複製し、うどんげさんの少し上目がけて射出する。そして、遥か後方の柱三本を炸裂させる。その音に反応して後方を向いた彼女の目の前に壁を複製する。これで後方と上方の退路は断った。左右なら、技術で何とか出来る。

わたしの周囲を回る妖力弾もほとんど消えた。が、もう十分な距離だ。右腕はもう打ち出せる。

床に思い切り足を踏みしめ、妖力を流す。瞬時に周囲の形が浮かぶ。そして、目的の形を知り、複製する。

 

「オラァ!」

 

限界まで引き絞った右腕を鳩尾にブチ込む。抉り込むように捻じることも忘れない。吹き飛ばす際に壁が壊れやすくなるように、細い筋を無数に描くように霧散させる。目的通り壁を砕きながら吹き飛び、頭に被っていた薄紫一色の壺を割りつつ頭から落ちる。

 

「ゲホッ、ゴホッ…」

「スペルカード、止まっちゃいましたよ?大丈夫ですか?」

「…誰がやったのよ、誰が!」

「わたしですよ?」

 

平然と聞こえるように答える。

 

「まともに勝てないから奇策を練る。邪道を選び、非常識を求め、掟破りの一撃を与える。…こうでもしないとわたしは勝てないんですよ」

 

弾幕が消えるなんてふざけてる。樹が飛んでくるなんて聞いてない。殴る蹴るとか弾幕ごっこじゃない。スペルカード宣言時に不意討ちされるなんて有り得ない。視界を潰されるなんて非常識。

不意を打ち、隙を作り、一撃を加える。勝てそうにないならいつもそうしてきた。勝てそうでもいつもそうしてきた。

 

「ま、被弾は被弾ですからね。もう後はないですよ?」

 

突如、後方から爆音が響いた。振り返ってみると、三枚の壁が中心から爆発し、音を立てて崩れていた。

 

「決めたっ!」

 

その奥で無邪気に笑うフランさんがいた。わたしは未だに蹲っているうどんげさんを放っておき、フランさんのもとへ歩み寄る。

 

「姫様のほうだとお姉様に会わないから叱られる心配も少なくなるけど黒幕じゃないかもしれない、だよね?…なら、姫様のほうに行くよ!言いつけを守らなかったってバレたくないし」

「いいんですか?黒幕じゃないかもしれませんよ?」

「いいの。黒幕のほうに賭けるから。奥の黒幕はお姉様たちに任せるよ」

「もし、黒幕じゃなかったらすみませんね。大丈夫。一緒に謝ってあげますから」

 

フランさんの天秤は新しいものに置き換わり、姫様へ傾いた。奥の黒幕へ多少の興味はあるだろうけれど、それを打ち消す程に姫様へ興味を持っている。

しかし、うどんげさんは黙っていないだろう。まだ痛むだろう腹部を抑えながら立ち上がる。

 

「…絶対に、通しませんよ」

「知ってます」

「奥に行くならまだ許せましたけれど…」

「うん。知ってたよ」

「姫様のところへ行こうって言うなら、もう手加減はしません」

 

眼が今までよりも数段強く赤く輝く。その眼を見ていると、気分が悪くなってくる。が、この手段を思い付いた時からそうなることは予想済みだ。

 

「…行けますか、フランさん?」

「当然!」

 

さて、もう隙が出来ることはないだろう。不意を打つなんて出来ないだろう。近付くなんて以ての外だ。本気のうどんげさん相手に、わたしはどこまで戦えるかな?

 



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第91話

「散符『真実の月(インビジブルフルムーン)』」

 

宣言と同時に放たれる弾幕は美しい球体を描く。その姿は名前の通り満月のよう。

 

「…ちょっと多くない?」

「そう?お姉様より少ないけど」

「比べる対象が…」

 

二人の喧嘩に付き合ったときよりは薄い気がするけどさぁ…。しかし、弾幕は直進弾。異様なまでに細い隙間を予測し、僅かにずれようとしたら弾幕が消えた。

 

「…消えるだけ?いや、そんなはず」

 

代わりに現れるのは、移動を阻害するような位置に配置されてゆく妖力弾。とりあえず邪魔な場所に配置されたのだけ打ち消す。そして柱を複製し、ブン投げようとしたその時。さっき消えた弾幕が復活した。

 

「…面倒な」

「どうする?」

「…吹き飛ばす、と言いたいけれど…」

 

両腕には模倣「マスタースパーク」を放つ予定で妖力を充填していたが、この状況で放ったところで、どうせ避けられる。相手の弾幕を撃ち消して終了だろう。廊下全部を埋め尽くせば、つまり回避不可能の一撃を加えるつもりなら当たるだろうけれど、それはなしだ。

 

「とりあえず、一発貫くか」

 

片腕に充填されていた妖力を大体二十分割にし、その一つを指先に出す。貫通性を求め、可能な限り細く、鋭く。そして、螺旋状に回転を加える。

狙いは面積が広く当てやすい胴体。投げるつもりだった柱を盾にし、その陰から射出する。

 

「…やっぱ駄目か」

 

球体を模した弾幕を貫いて優曇華さん目がけて飛んでいった妖力弾は、いとも容易く避けられ、奥の壁を半ばまで貫いた。

次の一撃を用意しようとしたところで新たな弾幕は放たれる。その弾幕は先程の比ではないほどに濃い。…大丈夫かな、わたし?

柱の陰でやり過ごそうと思ったら、今までとは違うことが音になって伝わってきた。ベキャッと樹が凹む音で。…やばい。簡単に折れる。

盾にすることを諦め、半分も残っていない柱を射出する。予想はしていたが、弾幕に削り取られ、うどんげさんに届くことはなかった。

 

「手加減なしってのは本当ですね…」

「うん!楽しくなってきた!」

「そうですか?ま、どうにかする手段でも考えますか」

「じゃあ私が!禁弾『カタディオプトリック』!」

 

相手の弾幕が消えたのと同時に宣言し、壁を反射する弾幕を縦横無尽に放つ。壁を、床を、天井を跳ね返りながらうどんげさんへと向かう妖力弾。しかし、再度現れた弾幕と丁度打ち消し合ってしまう。

その分避けるのは楽になったのだが、当てられない。近付けばいいのだろうけれど、それも容易いことではない。

もっと弾速が必要だ、と思う。しかし、そんなことをフランさんに言ったら相手に更なる警戒を与えてしまう。…よし、わたしが勝手に加速させよう。

ナイフを複製し、跳ね返る妖力弾に直接ぶつける。ナイフに押し出され、速度を引き継ぐように加速した妖力弾だが、駄目だった。問題なさそうに避けられる。

さらに数本複製し、追加で加速させるが、意味はなかった。

 

「ッ!…まずっ!」

 

それどころか、ナイフで当てることに意識が向き過ぎた所為か、避けられたかもしれない弾幕に被弾してしまう。しかも、敷き詰められたように濃い弾幕のため、複数個同時に。咄嗟に腕で顔は守ったが、かなり痛い。血も出てくる。

 

「大丈夫!?」

「…大丈夫じゃない、何て言ってられます?」

「…そうだよね」

 

壁を複製し、押し出す。弾幕に飲み込まれてすぐに粉微塵になってしまったが、一秒にも満たない安全な時間が出来た。その隙に傷口を撫でるように妖力を流して無理矢理治癒させるが、痛みは残る。動きも悪くなっているだろう。…まだ一回目とはいえ、あちらもまだスペルカードを一枚残してる。

それにしても、さっきから黙っているうどんげさんが怖い。語る言葉もない、って言われている気がして何だか嫌な気分になる。…それでもいい。どうせ、お互いに求めている結果は相手の求めていない結果だ。

 

「…フランさん、すみませんがわたしはちょっとでも気を抜いたら被弾しちゃいそうです。…任せてもいいですか?」

「分かった!任せて!」

「それじゃあ、よろしくお願いしますね」

 

フランさんを残し、さらに後方へ下がる。この位置なら避けられるだろうと思う距離まで。その位置は、あと五歩も後ろに進めば曲がり角に到達する距離。これだけ下がれば、球体を描く弾幕の隙間もそれだけ広がる。余裕があるわけではないが、圧倒的に避けやすい。

弾幕が消えよう現れようと関係ない。わたしはこの位置で避け続けるだけだ。飛来してきた弾幕を『幻』で打ち消し、強制的に空間を作り出す。数瞬の隙を見出しても食いつかない。そんなことして被弾したくない。

そしてようやく三十秒。スペルカードが終了した。その瞬間にわたしは残り数秒のスペルカードを放っているフランさんの元へ飛んでいく。もうこんな後方にいる必要はないわけだし。

 

「…ふぅ。何とかなった…」

「むー、当てられない…」

「慣れてるみたいなこと言ってましたし、当てなくても勝てる。あちらがスペルカードを使い切れば、それで」

「使うか分からないじゃん…。あ、終わりだ」

 

確かにそうだ。このままスペルカードの宣言をせずに長引くなんてこともあり得る。

しかし、そんな心配は無用だった。

 

「月眼『月兎遠隔催眠術(テレメスメリズム)』」

「…使ってきた」

 

それだけの自信があるのか。…いや、どうでもいいか。つまり、避けきればいい。

左右から妖力弾が放たれる。より具体的には、壁から弾幕が放たれる。片方、右側の弾幕を打ち消し、左側に集中する。

 

「え?」

 

弾幕全てが止まり、透き通った。突然の出来事に困惑する。透き通った弾幕は前後に流れてゆき、わたしを突き抜ける。…当たらない?何で?いや、さっきまでと同じならこの位置はまずい!

透明度を失った弾幕が再び動き出す。わたしの両側には、数十個の妖力弾が。咄嗟に両側に壁を複製するが、平然と貫通した。壁の穴の位置から飛んでくる場所を予測し、『幻』で打ち消す。しかし、二つ間に合わず。一つは髪の毛を僅かに削り取り、もう一つは腕に被弾してしまった。…もう、複製で防御するのは無理らしい。

 

「絶望的だなー…」

「諦めるの早いよ!」

「わたしはそこまで強くないですから。諦めるのも手段ですよ」

「今それ言う!?」

 

誰も聞いてないだろうと思って小さく呟いた言葉は、フランさんには届いてたようである。残り二十八秒くらい。避ければいいとか思ったけれど、無理そう。

…しょうがないか。

 

「フランさん、倒れたらわたしは放っておいて先に行ってもいいですからね?」

「…何言ってるのおねーさん?」

 

あっちが手加減なしなんだ。

 

「わたしは制限なしですよ」

 

わたしの『幻』を安定して使える数は現在四十五個。それを超えるとズレが生じる。最速の妖力弾を放つはずなのに僅かに遅くなったり、大きさが僅かに変わったり、目標から少し外れたところに放たれたり、威力がちょっと変わったり、妖力弾に小細工を仕込み辛くなったり。そして、そのズレは多ければ多いほど酷くなる。三倍くらいになれば勝手に消えるのが出てくる。

 

「とりあえず、千個でいいや」

 

緋々色金を二つ回収し、わたし自身に収まり切らない妖力を含めてほぼ全てを使って『幻』を量産する。出したところで消えても気にせず増やし続ける。消えるより早く出せば増える。

この数になれば、速度は最速から最遅まで、大きさは米粒から顔より大きいほどまで、飛んでいくのは全方位、威力は最弱から最強、妖力弾は直進弾。

想像以上に妖力を使った。勝手に消える数が予想より多く、今もなお消え続けているため、それを補充するために出し続けている。

今までだんまりだったうどんげさんが、わたしに向かって口を開く。その眼は、明らかに狂人の見る眼だ。

 

「…貴女、本気ですか?」

「ま、貴女に当たるまでだ。うどんげさん?」

 

『幻』から放たれる弾幕はところ構わず放たれる。壁にも、床にも、天井にも、妖力弾にも、近くにいるフランさんにも、前方にいる優曇華さんにも、もちろんわたしにも。しかし、わたしに当たる妖力弾は全て回収するからわたしに被害はない。

 

「…そんな使い方したら死にますよ?」

「冥界ならもう行ったよ。それに、死にかけるなんてよくあること」

 

これだけの数があるが、うどんげさんに向かって進む妖力弾はどれだけあるだろうか。前方に放たれる、という大きな範囲ならきっと八分の一、百二十五個分くらいかな?もったいないような気がするけれど、残りは相手の弾幕を打ち消してると考えればいいか。

 

「…貴女、馬鹿ですか?」

「アハッ、まともじゃないって意味なら正しいですよ」

 

だってわたしは異常だから。

 

「鏡符『幽体離脱・集』」

 

視界に映る弾幕全てから新たな弾幕が生まれる。生まれた弾幕は確かにうどんげさんへと飛んでゆき、問題なく被弾した。

なのに、どうしてわたしの体は横に傾いているだろう。妖力は確かに大量に使った。だけど、まだ残っているのを感じる。『幻』も既に全部戻した。その分の妖力も戻ってきたはずだ。

なのに、どうして視界が赤いんだろう。赤い。赤い。赤い。赤。赤。赤。赤赤。待て。赤赤赤。まだだ。赤赤赤赤。意識が飛ぶ。赤赤赤赤赤。その前に。赤赤赤赤赤赤。複製、複製、複製。赤赤赤赤赤赤赤。複製、複製、複製。赤赤赤赤赤赤赤赤。複製炸裂、複製炸裂、複製炸裂。赤赤赤赤赤赤赤赤赤。複製炸裂、複製炸裂、複製炸裂。赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤。

赤が黒に変わる寸前に、三人の声が聞こえた気がした。

 



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第92話

『足りナイ。もッと壊ソ?』

 

 

 

 

 

 

「鏡符『幽体離脱・集』」

 

おねーさんが異常なまでの『幻』を出し、その弾幕の複製を全てぶつけたスペルカード。あの規模の弾幕を避けるのは無理があると思う。わたしも、もしかしたらお姉様も。

そんな数の暴力に飲み込まれた兎の眼が一瞬真っ赤に光った気がした。

 

「…え?」

 

そして、おねーさんが傾いた。脚が崩れ、そのまま横に倒れる。床に叩きつけられる前に支えたけれど、その体に意思があるようには思えなかった。

…どうして?本当に倒れちゃったよ?また妖力枯渇?けど、さっきあの金属を摘まんで回収してた。けれど、それでも足りないくらい使ったの?

 

「ねえ、おねーさん!おねーさんったら!」

 

肩を掴んで強く揺すり、叫ぶ。無駄だと分かってる。分かってるけれど、こうせずにはいられない。

おねーさんの眼は開いたまま。焦点は合わず、何も映していない、意思無き眼。

 

「きゃっ!」

 

その眼を見て唖然としかけたところで、おねーさんの服から鋭く細い何かが大量に飛び出した。その拍子にバラバラとこぼれ落ちるたくさんの針と三本のナイフ。ズタズタになった服から飛んで行ったものは百本くらいの針。兎が横になって倒れている上の天井に甘く刺さる。そして、わたしと兎の間に壁が隙間なく現れた。

壁から爆裂音が響いた。続けざまに六回。音がしたほうに思わず目を遣ると、あれ程の弾幕が放たれてもほとんど壊れなかった壁に大穴が開いていた。その大穴は向こう側まで真っ直ぐと見ることが出来、その奥には誰かがいるように見える。…もしかして、あれが姫様?

 

「…絶対に、行かせませんよ」

 

壁の向こうから声が聞こえた。掠れ気味だけど、強い意志を持った声。

 

「決めるのは、私です、から…」

 

立ち上がる音が聞こえてくる。しかし、明らかに遅い。あれだけの弾幕を喰らってまだ動けることに少しだけ驚いた。

 

「幻香さんの、意識の波長を、限りなく、零にした…」

「…何、言ってるの?」

「覚めることは、ない、です…。私か、お師匠様しか、治せない…」

 

意識の波長?波長を零?何を言っているのかさっぱり分からなかった。だけど、一つだけ分かったことがある。おねーさんは、この兎に何かされたってことだけは。

 

「姫様のところには、絶対に、行かせない。…申し訳ないですが、幻香さんは、人質です。…姫様に会わないなら、明日にでも、治します」

「…ふざけないで」

「保証は、します。ですが、信じるも、信じないも、…貴女次第です」

 

ふと、おねーさんが最後に私に言った言葉を思い出した。『倒れたらわたしは放っておいて先に行ってもいいですからね?』。そう言われたけれど、私にはとても出来ない。出来るわけがない。

だって、目の前に、一枚向こう側に、おねーさんをこうした奴がいるんだよ?

だけど、それも出来ない。今は抑えないと、きっと暴れ出す。いや、絶対に暴れ出す。向こう側の兎を壊して、もしかしたら殺しちゃって、周りのものもまとめて全部壊す。おねーさんは笑って許すだろうけれど、きっと私に恐怖する。それは、嫌だ。それに、そうしたらおねーさんが目覚めないかもしれないんだ。それは、もっと嫌だ。

そんな時、壁の向こう側から、カツン、と音が鳴った。何か硬い物が落ちる音。一回では収まらず、ジャラジャラと響き渡る。

 

「ぐっ…、これは、針…?」

 

さっきの針が落ちてきたのだろう。…多分、おねーさんの最後の足止めだ。

だけど、私にはどうすればいいのか分からない。姫様に会う?兎を潰す?それとも、大人しくする?…分からない。全然分からない。

 

「ねえ、どうすればいいかな…。おねーさん」

 

おねーさんに訊ねても、いつもみたいに返ってくることはない。

そのはずだった。

急に上半身だけが持ち上がる。おねーさんの背中から見える翼が私に触れると、シャラリ、と音を響かせた。

 

「おねーさんっ!」

「なっ、どうして…!」

 

そのままフワリと軽く浮き上がりながら、おねーさんは立ち上がった。…あれ?おねーさんってこんなに小さかったっけ?いや、小さいっていうより、同じくらい…。

 

「ねえ、おねーさん?」

 

返事がない。どうして?

向こう側からおねーさんが創った壁を壊すために放っただろう弾幕の被弾する音が響く。が、あれ程の攻撃を喰らって、いつもと同じようなものが出せるとは思えない。実際、貫通出来ていた妖力弾はその壁を貫くことが出来ていない。

 

「…おねーさん?ねえ、どうしたの…?」

 

こちらを振り向きもしない。その代わりなのか、右手を壁に向かって伸ばし始めた。その右手にはキラリと光る何かが浮かび上がる。

その光る何かをそのまま握り潰した。そして、派手な音と大量の屑を撒き散らしながら目の前にあった壁が爆ぜた。…見たことのある光景。何度も見てきた、何度もやってきた、最近はあまり見ていない光景。

 

「…何で…。おねーさんが…?」

 

その能力は、私と同じだ。ものの『目』を掌に移し、それを潰すことでものを内側から破壊する能力。『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』。お姉様にも咲夜にも誰にも見えない『目』がどうしておねーさんに?…いや、その前にどうしておねーさんがその能力を…?

そんな疑問を抱くけれど、おねーさんは止まらない。再び右手を開き、その上に『目』を移す。その『目』はもう一つ奥の壁の『目』。

 

「『無用な破壊は駄目だ』って言ったのはおねーさんでしょ!?ねえ、止めてよ!」

 

そんな私の叫びを、おねーさんは聞いてくれなかった。再び壁が爆ぜる。…どうしよう。ねえ、どうすればいいの、おねーさん…?

 

「一体、何が…」

「うるさい!黙ってて!元はと言えば貴女がッ!」

 

いや、今は兎なんてどうでもいい。それよりおねーさんだ。止めないと。そうしないと次の破壊が起こる。

 

「おねーさんごめんっ!」

 

次の壁の『目』を移した右手の『目』を潰す。内側から爆ぜるのを見ると、気分が悪くなってくる。ああ、また壊しちゃった、って罪悪感を感じてしまう。あの時に感じた快感だとか解放感なんて何も感じない。

右手の上にあった『目』がスゥ、と戻るのが見えた。普段は一瞬で潰せるから気にしていなかったことだけど、移した『目』は留めようと思わなければ数秒しか留められないからだ。つまり、今のおねーさんはとにかく潰すことしか考えてない、と思う。

しかし、破壊が止まるわけではなかった。右手を破壊したら、すぐに左手に同じ『目』を移して潰したから。また壁が爆ぜる。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい…っ!」

 

咄嗟に左手の『目』も潰した。おねーさんの両手は無くなった。これで無効化出来たはず…。

 

「…嘘」

 

甘かった。私の考えが甘かった。私の能力を使った時点で考えるべきだったかもしれない。グチュリ、グチュリと肉が蠢き、右手がほぼ治りかけている。左手も同じように肉が生え始めた。この再生能力は、まさしく吸血鬼。

敵と認識したからなのか気紛れなのか、私には分からないけれど、おねーさんがこちらを向いた。血のように紅く、何処までも深く、それでいて何を見ているのか分からない目。

そして、軽く開いた口の中にある『目』。あれは私の『目』だ。

止められない。止めるためには頭を破壊する。つまり、おねーさんの死だ。けれど、止めないと私が…。

目を閉じる。私はきっと死ぬ。死ぬ瞬間に思い浮かべたのはお姉様と、おねーさんだ。二人の笑顔を思い出す。ああ、短いのか長いのか分からないけれど、四百九十五年地下室で幽閉されてたけれど、楽しい生涯だった、と思う。…さよなら、おねーさん。

…。

……。

………。

…………あれ?

けれど、私の死は何時まで経っても訪れることはなかった。

目を開くと、おねーさんの後ろから一人の人がいた。その人は、後ろからおねーさんの上顎と下顎を掴んでいた。『目』は既に消滅していた。

 

「あらあらあらあら…。大変なことになってるわねぇ…」

「え…?誰?」

 

その人は、下半身が無かった。…いや、よく見たら空間が裂けている。そこから上半身だけ出しているみたいだ。その裂けた空間の向こう側には紅白の服を纏った人が見えた。

 

「ちょっと紫!何よそ見してるのよ!」

「そうカリカリしないの」

「するわよ!アンタに言われてわざわざこんなとこに来てるのに、言ったアンタがそれでどうするのよ!」

「オイ霊夢!危ないぞ!」

「チッ!ああもうっ!」

 

霊夢と魔理沙だ。きっと、お姉様も咲夜もいるんだろう。どうしてか分からないけれど、黒幕のいるだろう場所とここが繋がっている。

 

「霊夢ー。急用が出来たから私は帰るわねー」

「ハァ!?ふっざけんじゃないわよ!」

「それじゃあねー」

 

紫、と呼ばれていた人はそう言うと下半身を裂けた空間から出し、空間が閉じた。それと同時に、おねーさんが倒れた。

 

「なっ!おねーさんっ!?」

「…今は、応急処置くらいしか…。切り離すのは無理、か。大人しく消化してもらうしか…」

「何言ってるの!?応急処置?消化?そんなことよりおねーさんをどうしたの!」

「貴女のおねーさん、幻香は悪いけれどまだ覚めないわ。それに、今は起こさない方がいい…。また暴れさせたいなら別だけど」

「…どういうこと?」

 

私の問いかけに答えることなく、紫と呼ばれた人は空間を裂き、何処かへ行ってしまった。

…何が起こったの?おねーさんって、何者なの?

 



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第93話

それから、様々なことが一気に起きた。

まず、朝が来た。今まで止まっていた時間を取り戻すように月が動き出し、日が昇った。その動きを、おねーさんが壊した壁を通して見ていた。日光が廊下に、私に、倒れているおねーさんに降り注ぐ。ジリジリとした嫌な痛みが私を襲い、日陰に隠れた。吸血鬼に、私になっていたと思うおねーさんが大丈夫か心配になったが、何ともないようで安心した。

次に、おねーさんが創った壁が吹き飛んだ。

 

「こんな壁あったっけ?」

「いや、無かったはずだぜ?」

「貴女達、そんな壁の前で倒れてるのは無視するの?」

 

粉塵の中から次々と現れる人々。霊夢、魔理沙とアリス――だと思う――、お姉様と咲夜、知らない剣士と幽霊、そして奇抜な服を着た人。そんな中で、魔理沙が真っ先に私に気付き、声をかけてきた。

 

「よっ。ちょいと遅かったな。残念だがもう終わっちまったぜ」

「…ううん、いいの」

「ああそうかい。…ところで、一人で出てきていいのか?」

「えっと…おねーさん、と」

「幻香と?」

 

魔理沙はおねーさんの姿がない事に違和感を覚えたのか、軽く見回しているようだけど、それは仕方がないことだと思う。今、おねーさんは私の後ろで倒れている。その場所は日光が差しているから、そのままにせざるを得なかったのだ。…無理すればこっちに持ってくることくらい出来る気はするのだけれど、下手に動かすのはよくないかもしれないと思ったから、そのままにしている。ごめんね、おねーさん。

 

「おわっ!急に何だよ!」

 

未だに見つけられていない魔理沙を誰かが押し退けた。誰がやったかは、押し退けるときに出した手で分かった。

 

「…お姉様」

「ちょっとフラン!どうしてそこにいるのよ!」

「…いいでしょ、私がどこで何をしてたって」

「いいわけないでしょう!?貴女は…!」

「うるさいよ」

 

重く、低い言葉が響いた。自分自身が出したとは思えないほど低い。一瞬だけど怯んだお姉様の視線から逃げるように、おねーさんの元へ。だけど、日光に当たらないギリギリまでしか近づけない自分に腹が立つ。

 

「今は、放っておいてよ」

「放って、って…」

「お嬢様。…今は、時間が必要かと」

 

向こう側で何か言い合っている気がするけれど、もう私の耳には入らない。

胸にポッカリと空虚な穴が開いたようだ。今まで当たり前にあったのが抜け落ちたような、そんな感じ。今までおねーさんが倒れることなんてよくあった、と聞いた。私の目の前で倒れたことだってあった。だけど、どうして今に限ってこんなことを感じるんだろう。

手を伸ばす。日光に触れた指先が燃え上がるような熱さを感じ、すぐに引っ込めてしまう。この程度ならすぐに治るけれど、この穴は埋まりそうにない。

 

「おねーさん…」

 

そう呟いた時には、もうほとんどの人がいなくなっていた。きっと、帰ったのだろう。

ボーッとおねーさんを眺めていたら、誰かが視界に入ってきた。奇抜な服を着ていた人。背中に何十本も針が刺さっている兎を抱えながら、私に話しかけてきた。

 

「…ちょっと聞きたいことがあるのだけど、いいかしら?」

 

 

 

 

 

 

病室。二つのベッドにはおねーさんと、針が丁寧に抜かれて止血を施された兎が横になっている。おねーさんの横にある椅子に座るよう言われたので、座っている。ふと窓を見上げてみると、既に茜色の空が広がっていた。

 

「…ふぅ。こんな短期間で三回もここに来たのは初めてかもね…」

 

妖怪は特に、と永琳と名乗った医者は小さく付け加えた。部屋の隅にある机の前で座る永琳はさらに続ける。

 

「前と明らかに違うのは命の危険はないって所ね」

「…分かるの?」

「そりゃあ、ね。ま、どこかの誰かさんが介入したみたいだけど」

 

誰が介入したかは知っている。だけど、おねーさんがああなったことに関係があることは話したくなかった。話した方がいいのかもしれないけれど、口に出すとまたおねーさんがああなって破壊を再開するんじゃないかって、そんな幻想がチラつくから。

 

「ところで、うどんげを針だらけにしたのは貴女達かしら?」

「うん」

「何枚もの壁を壊したのも?」

「うん」

「…理由は?」

「姫様に会うため」

 

そう言った瞬間、永琳の顔が僅かに歪んだ。

 

「どうしてそうなったのかしら?」

「私が黒幕に会いたかったから」

 

続けて、と刃のように鋭い声が響く。永琳が私を睨んでいるけれど、睨み返す気にはなれない。ただ、言われたままに、淡々と続けた。

 

「月の異変の黒幕に会いたかったから。だけど、黒幕は二人いるって言ってた。月の偽物を出した黒幕と、月を止めた黒幕。皆は貴女を黒幕として扱ったけれど、もう一人は蔑ろ。だから、誰が黒幕に成り得るか考えたの。そこで出たのが姫様。誰も近寄らないなら、安全に異変を行える。だから怪しい」

「それは、貴女が?」

「おねーさんが。今思えば、多分私の為に、だと思う。お姉様の後なんて嫌だって思ったから、考えてくれたんだと思う」

 

そう言うと、永琳はフフフ、と嗤い出した。

 

「それなら勘違いもいいところよ。貴女の言う『月の偽物を出した黒幕』は私、『月を止めた黒幕』は全く関係ないもの」

「じゃあ、ごめんなさい。姫様って人にそう伝えといて。私達の勘違いで勝手に黒幕にしてごめんなさい、って」

「優しいのね」

「ありがと。…けれど、違う。本当に優しいのは私じゃない。その言葉は私じゃなくておねーさんにあげるべき言葉だよ」

「あら、そう?」

「…誤っても謝れるなら、誤解のままにしないで済むから。…よく分からないけど、おねーさんが言ってた」

 

間違いは正されるものだと思ってた。私も間違っていたから、四百九十五年間地下室に閉じ込められた。お姉様曰く、捻じ曲がった性格だとか壊れた道徳だとか破滅の運命だとか色々言ってたけれど、それがある程度正されたから出してもらえた、と思う。同じように、時間をかければどんな間違いも正されると思ってた。けど、どうやら違うらしい。

…いや、もしかしたらどんなに時間が掛かっても無駄だったのかもしれないな、と今更思い付く。私が正されたのは、おねーさんに会ったから、スペルカードルールを知ったから、魔理沙と全力で遊んだから、かもしれない。そんなきっかけがないと、駄目なのかもしれない。そう考えると、おねーさんが言っていたことも何となく分かってきた、ような気がする。

 

「ところで、おねーさんっていつ起きるの?貴女なら治せるって言ってたけど」

「悪いけれど、分からないわね。妙な介入さえなければ明確に答えられたんだけど」

「…今すぐ、って無理なの?」

「無理ね。そんな急に起こすのは危険よ」

「いきなり零にするのは大丈夫なのに?」

「…そこに関しては優曇華にちゃんと言っとかないといけないわね」

 

姫様のところへ行こうとする者を絶対に通すな、と言っていたらしい。そこの兎は、それを忠実に守ったと言える。しかし、ここまでするとは思ってなかったとか。

 

「まあ、保証はするわ。私の医者としてのプライドをかけて」

「本当?」

「ええ。だけど、ちょっとだけ頼みたいことがあるの」

「…何?出来ることなら、何でもするよ」

「ちょっと対価を、ね。大丈夫、法外なものを頼むつもりはないわ。貴女の髪の毛よ」

 

頼まれたものは、意外なものだった。どうしてそんなものが欲しいのだろう?

 

「ちょっと吸血鬼について興味が湧いてね。出来れば皮膚片とか血液とかもあれば嬉しいけれど」

「うん、いいよ。それで、おねーさんが助かるなら」

 

どの程度取られるのか、と考えたけれど、本当に極少量だった。髪の毛は根元から二、三本。皮膚片は殆ど垢と思えるほど。血液は二滴もない。…本当に、どうしてそんなものが欲しいんだかさっぱり分からない。

 

「ありがとう。これで、知りたいことが分かると思うわ」

 

そう言う永琳は、何故かとても険しい顔をしていた。

 



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第94話

椅子に座り、少し頭が落ちる。落ちていくと同時に視界と意識に霧がかかっていくのを感じ、無理矢理持ち上げる。けれど、また落ちてしまう。フワフワとした微睡みの中。起きているのか寝ているのかも分からない不思議な感覚。

ずっと起きていよう、と思っていたわけではない。だけど、寝てしまおう、と思うことは出来なかった。いつおねーさんが目覚めるか分からない。すぐに、なんて楽観的なことは考えていなかったけれど、寝てる間に目覚めてたなんて嫌だと思った。

こうして待っているけれど、どの程度時間が経っただろうか?時計を見てみると、前に見たときと同じくらいを指していた。窓から見える景色は、赤みがかった黒色をしている。

そんなときに布の擦れる音が聞こえ、眠気は吹き飛び、意識が一気に浮上した。椅子から転げ落ちそうになったけれど、何とか耐えた。

 

「…おはよう。…やっぱりこんばんは、のほうがいいのかな?」

 

期待したのとは違ったことに落胆してしまう私は悪い子なのかな?

起きたのは、優曇華と呼ばれていた兎のほうだった。

 

「……お師匠様は?」

 

目覚めたばかりだからか、それ以外の理由からか、言葉にするのが遅い。けれど、寝惚けている、と言った感じではない。

 

「悪いけど永琳ならいないよ。別の部屋で仕事してる、みたい」

「…そう」

 

会話が途切れる。あれ?何か忘れてることがあったような。…ああ、そうだ。起きたら伝えておくように言われてたことがあったんだった。

倒れてからどのくらい経ったか言うように言われたけれど、何日経ったのだろう?一日?二日?それとも、三日以上…?いや、流石に医者である永琳が寝ている人がいるここに何日も来ないなんてことはないだろう。

 

「月の異変は終わったよ。貴女は倒れてから一日と少し経ってる。半日は安静に、だって。…水、飲む?」

「…お願いします」

 

椅子を彼女の近くまで動かしてから、コップに渡されてあった水が入っている容れ物から注ぎ、渡す。普通なら二口あれば飲めそうな量を、十口以上に分けて少しずつ飲んだ。飲んでいる途中で、空いている手を背中に動かそうとしているのが分かった。きっと、まだ傷は痛むのだろう。空になったコップを置き、一つ長い息を吐いた。

 

「お代わり、いる?」

「…いえ、もう十分ですよ。…わざわざ、ありがとうございます」

 

そう言われて、容れ物を置こうと思ったとき、ふとここに来てから何も口にしていないことを思い出した。思い出した途端、急に空腹と乾きを感じた。空腹は近くに食べてもいいものがないのでしょうがないけれど、乾きは水で何とかなる。…可能ならば鮮血がいいけれど、しょうがない。新しいコップに注ぎ、一気に飲み干す。

もう一つのベッドに眠るおねーさんを見る。こっちは起きたのに、おねーさんはピクリとも動かない。いや、呼吸はしているから動いていないわけではないか。けれど、その目は未だに開きそうもない。

 

「…ああ、まだ起きないんですね。…幻香さん」

「そうだよ。貴女がこうしたから」

「…そう言われると、痛いですね…」

「貴女なら戻せるんじゃないの?…そう言ってたじゃん」

「…もう、お師匠様が治療を施してる。…なら、手は出さない方がいい」

 

知ってる。分かっている。けれどね、言わずにはいられないんだよ。少しでも、早く覚めて欲しいから。

おねーさんが起きたら、どうしてああなったのかも訊いて…。いや、どうなんだろう。あの時のおねーさんは意識がほぼ零、のはず。つまり、寝てたってこと、かな?それとも、気絶?…そもそも、意識がほぼ零って何?意識って何?意識ってどこからどこまで?

 

「ねえ」

「…何でしょう?」

「貴女の言った『意識の波長をほぼ零』ってどういう事?意識って、そもそも何なの?」

「…ああ。何て言ったらいいんでしょうね…」

 

そう言ったきり、黙ってしまった。しかし、眉間に軽くしわが寄っている。やけに長く感じる時間が流れる。そして、ようやく口を開いた。

 

「…意識とは自我ですよ」

「自我?」

「…ええ。『これをしたい』とか『あれをしたい』とか、そんなことを思う自我。…例えば、貴女は目の前に川があったらどうします?」

「えっと、んー…、そりゃあ…飛んでく」

「…今、考えましたよね?渡らない、脇道を進む、橋を探す、跳び越える、泳いで渡る…。色々思い付いたでしょう?」

「吸血鬼は泳げないの」

「…あら、そうでしたか?」

 

軽く笑いながら言われたけれど、私にとっては笑い事では済まされない。流水に触れると、物凄く痛いのだ。川もそうだけど、雨の中なんて歩く気にもなれない。雨も地面を伝う水も、全部が流水だ。

 

「…とにかく、そういった選択も自我が、意識がやってます。…それが零になるってことは、選択をしない。…歩くとか、走るとか、飛ぶとか、そういう意識的行動も、自我が選んでますから、活動停止します」

 

そう言われたけれど、納得出来ない。おねーさんは歩いたし、振り向いたし、能力の使用もしてた。あれは、どう考えても意識的な行動だ。

 

「じゃあ、意識じゃないのって何?」

「…無意識、ですよ。選ぶことなく活動すること。脊髄反射や不随意筋が思い付きますけれど…」

「脊髄反射?不随意筋?」

「…ああ、分かりませんか?…そうですね」

 

突然、目の前で手を叩いた。咄嗟に目を閉じる。パチン、と乾いた音が響いた。目を開くと、既に手を下げて軽く微笑んだ彼女がいた。

 

「…そういう、目を閉じる反応が脊髄反射。危険回避、生命維持の為に生まれつき備わっている生命の神秘」

「…よく分かんない」

「…物に触れたときに熱かったときに、冷たかったときに、痛かったときに、引っ込める。これも脊髄反射。…体がふらついた時に、姿勢を修正する。これも脊髄反射」

「んー、分かったような…?」

 

日光に指先を当てたときに咄嗟に引っ込めていた。あれがそうなのかな?

 

「…不随意筋は、心臓とか血管とかの、意識とは関係なく動く筋肉。…今、幻香さんは心臓は問題なく動いてるはず」

 

そう言われ、おねーさんの元へ向かう。そのときに椅子が倒れたけれど、気にならなかった。

胸元に耳を当てる。ドク、ドク、と一定の間隔で心拍音が聞こえてきた。一定の間隔で僅かに膨らみしぼんでいる。こうしておねーさんが生きていると感じられるのは、少しだけ安心出来る。

 

「…さっきの二つには入ってませんが、勝手にしてる呼吸も。…あと、滅多にないですが体に染みついた本能的な行動とか…」

「本能的?」

「…ある人は、眠っているのに敵を迎撃したと言います。…またある人は、気絶していたにもかかわらず数時間歩き続けたと言います。…極稀に、そういう人もいるんですよ」

 

残念ながら、聞いたことがない。…もしかしたら、美鈴は出来るかもしれない。武術を極めるとは、膨大な反復行動。体に染みついた行動。実際、敵が近づいたと思ったら蹴りを放っていた、と言っていた。眠りながら、というわけではないけれど非常に似ているように思える。

 

「…ふぅ。ちょっと、話し過ぎましたね。…安静にしていろ、と言われてたのに」

「あっ、ごめんなさい…」

「…いえ、気にせず。…必要だったのでしょう?」

「…うん」

 

けれど、知ったことで疑問が増えてしまった。本能的行動で、動き、破壊する。…昔の私ならいざ知らず、おねーさんにそんなことが体に染みついているとは思えない。

 

「…今なら、貴女のほうがよかったかもしれませんね」

「何?」

「…いえ、ただの独り言ですよ」

 

それでは。と言いながら横になってすぐに微かな寝息が聞こえてきた。

 



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第95話

朝だというのに外が騒がしい。それも仕方のないこと。今、庭では宴会が行われているのだから。月の異変を解決する為に来た人達――ただし、紫と呼ばれていた人は来ていないらしい――と永遠亭の人達が一緒になって飲み合っている。

 

「よかったのかしら?」

「…何のこと?」

「貴女は、あれに参加してもいいと思うのだけど」

「しないよ。…するわけないじゃん」

 

けれど、私は参加する気になれなかった。昨日の昼ごろ、ここに来た霊夢に誘われたけれど断った。

目を落とすと、おねーさんが眠っている。もう三日も眠っている。時間が止まったように、あれから変わらず目を覚まさない。

 

「そういう貴女はいいの?姫様、参加してるよ?」

「…私はしてほしくなかったのだけどねぇ…、したいって言うなら、しょうがないわよねぇ」

「飽くまで月の異変の間は、ってこと?」

「そう思うならそれでいいんじゃないかしら?」

 

そう言うと、食べるものをくれた。冷めている簡素なお粥と嗅ぎ慣れない香りのスープ。誰が見ても分かる病人食だ。けれど、それもしょうがないこと。おねーさんがいつ目覚めるか分からないから、朝昼晩に一人分作って置いているのだから。あちら側は、私が流石に丸一日何も口にしていないことを気にしていたようで、新しく作る際に残っていたものを私が受け取ることになった。

けれど、正直食べ辛い。味が悪いって意味じゃなくて、精神的に。おねーさんがこうなってるのに、私が呑気に食べてていいのか、ってちょっと考えてしまう。

だから最初は断った。そしたら「貴女が倒れたら意味ないでしょう?」と言われてしまった。確かにそうだ。だから、作業のように黙々と口にする。

 

「ご馳走様。…ありがと」

「お粗末様」

 

空になった食器を渡すと、見知らぬ妖怪兎が持っていった。私が渡す前に、既に空になった酒瓶を持っていたことから、宴会の運び役なのだろう。仕事を邪魔してしまったような気がして、少しだけ申し訳なくなった。

 

「…ねえ、本当に起きるの…?」

「確実に、とは言えないわね。…それでも、起きるわ。九を六つ連ねて(99.9999%)もいいわよ」

「そう。…ならいいんだけど」

「…まあ、前とは違うから早いと思ってたんだけどねぇ。…予想以上に長引きそう」

 

本当に、いつになったら起きるかな?四日?五日?六日?一週間?二週間?三週間?一ヶ月?もしかしたら、それ以上?…考えるだけで気が重くなる。

 

「ねえ」

「何かしら?」

「…月の異変について、教えてよ。貴女がやった、偽物の月のほうでいいから」

「今更それを訊くの?」

 

穴が開いてるくせに鉛のように重いそれが、満たされたり軽くなったりするとは思っていない。だけど、気を逸らすくらいは出来る。きっと、気分転換くらいにはなるだろう。

黒幕も半分は分かった。だけど、その理由は知らない。私がここに来た理由を知らないでいるのは、何となく嫌だった。きっと、おねーさんはこれまでに得た情報からある程度分かっているだろう。理由はないけれど、何となくそんな気がする。

 

「もっと早く訊いてくれてもよかったのよ?」

「訊こうとも思わなかったし。それに、そんな余裕なかったよ」

「それもそうね」

 

今なら余裕があるというわけでもないのだけれど、大分マシになったと思う。

 

「『地上の結界』」

「何それ?」

「私がやったことよ。真の満月を隠して偽の満月にすり替えることで、月の使者がこっちに来れないようにしたの」

「…月の使者?」

「私達は月から来たの、何て言って信じるかしら?私達は月でとある大罪を犯して地上に降りてきた」

 

月は夜になったらいつでも――雲で隠れてなければ――見れる。けれど、人が見えた事なんて一度もない。とてもじゃないけれど信じ難い。

だけど、きっとおねーさんはとりあえず信じるんだろうな。

 

「信じるよ。それで?」

「とある理由で、この前の満月の時にその使者が来ることが分かったのよ。だから、やった」

「いいんじゃない?必要だったんでしょう?…お姉様もやりたいからってみんなに迷惑かけたことあるし」

「…まあ、昨日来たあの子に無用のことだったって言われてね。『博麗大結界』だっけ?それで最初から来れるはずなかったのよ」

「『やってもやらなくても同じだとしても、行動したほうがいい』。前におねーさんが言ってたことだって」

「あら、そんなこと言ってたの」

 

僅かながら落ち込んでいた咲夜が、帰ってきたときに元通りになっていた理由。そのときにおねーさんに言われたことだそうだ。いつもの会話のように淡々と話していたけれど、そのときの顔はいつもより晴れやかだったのを覚えている。

 

「少し、気が楽になったわ。喉に引っ掛かってた小骨が取れた気分」

「そう?それなら、おねーさんもきっと喜ぶよ」

 

そこまで話して時計を見た永琳は少し驚いていた。思ったより時間が進んでいたようで、やることがあると言いながら部屋を出て行ってしまった。

軽くなるはずないと思っていた気が、少しだけ軽くなった。そのことが、私には少しだけ嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

廊下が僅かに軋む音が近付いてくる。けれど、聞き慣れない音だ。音の感じが永琳さんのものと違う。それに、昼食を持って来てくれるのにはまだ少し早いし、近づいてくる方向が永琳さんとは逆側、つまり入口のほうからだ。何処に用があるのだろう。…いや、どうでもいいか。

そう思えたのは、この部屋の扉を叩く音が響くまでだった。

 

「フラン」

「…お姉様」

 

外ではまだ宴会が続いているだろう。つまり、わざわざ私の為に抜け出してきたってことだ。

 

「いつまでそこにいるつもりなの?」

「…さぁ、いつまでだろうね。…本当に、いつまでなんだろうね」

 

医者である永琳でも分からないことが私に分かるものか。きっと、お姉様のインチキ臭い運命とかいうのでも分からないだろう。

 

「迷惑かけてるのよ?」

「泊まっていくも帰るもご自由に、だって」

 

布団が敷いてある客間もあるのだけど、断った。どうしても必要になったら使うだろうけれど、今はおねーさんが起きたらすぐに気付くここでいい。

 

「もう三日よ?」

「まだ三日だよ」

 

例え、一ヶ月だろうと一年だろうと待つと決めた。私は、倒れたまま放っておくなんて出来ない。私は、おねーさんから離れない。倒れたからって私を殺そうとしたからって、おねーさんはおねーさんなのだから。

 

「どうしてそこまで幻香にこだわるのッ!?」

「どうしてお姉様は咲夜にこだわるの?」

「それはこれとはッ!」

「どうしてお姉様はパチュリーにこだわるの?どうしてお姉様は美鈴にこだわるの?どうしてお姉様は霊夢にこだわるの?どうしてお姉様は魔理沙にこだわるの?」

「関係ないでしょう!?」

「あるよ。大ありだよ。大勢いる中から、特別な人を見つけたんだよ。一緒に生きていきたい人を見つけたんだよ。一緒にいたいと思う人を見つけたんだよ。一緒に思い出を作りたい人を見つけたんだよ。一緒になって遊びたい人を見つけたんだよ」

「…それが、幻香だって言うの?」

「そうだよ?」

 

私は、おねーさんと遊びたいし思い出を共有したいし一緒にいたいし一緒に生きていきたい。そして何より、特別な人だ。周りの評価なんて知らない。おねーさんがどう見られているかなんて興味ない。私は私を信じて、おねーさんを信じる。それでいい。

 

「…一週間」

「何?」

「幻香が倒れてから一週間、待つわ。つまり、あと四日待つ。九十時間、もうちょっと短いくらいかしら?」

「それで?」

「その時間になったら、力尽くでも帰ってもらうわよ」

「なら、力尽くで追い返すよ」

 

そう言い返すと、お姉様は帰って行った。「咲夜、行くわよ」という言葉と共に。…いたんだ、咲夜。口を一切挟まなかったのは、私たちの為なのか、それとも別の理由からか?…分からない。考えても仕方ないことだけどね。

それにしても、あと四日かぁ…。それまで、目覚めることを祈ろうかな。誰に祈ればいいのか分からないけれど。

 



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第96話

昼食を食べ終え、廊下を通った兎に食器を渡して一息つく。すると、突然扉が大きめの音を立てて開いた。

 

「よう」

「…魔理沙?」

「よかったのか?かなりいい酒飲めたのに」

「いいんだよ。私だけ楽しむなんて、ね」

 

夜通し続いた宴会は、昼になる頃にようやく解散となったそうだ。確かに騒がしい音も聞こえなくなったし、何より参加していた本人がそう言うのだから、そうなのだろう。

 

「いやー、相当綺麗な酒だったぜ?あれは上物だ」

「…ふぅん」

「オイオイ、反応薄いな…。傷付くぜ」

「そんなお酒の話、今は興味ないよ」

 

そういえば、どうしておねーさんはお酒飲まないんだろう?飲まず嫌いだって言ってたっけ。もったいない。

 

「まあ、時間潰しくらいにはなりそうかな」

「そうかい。じゃあ聞くか?」

「祈るくらいしかやることないし、雑談みたいな感じに聞き流せるくらいがいいな」

 

そう言うと、僅かに考えるように視線が上を向いた。それもすぐに戻り、軽く笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「じゃ、続けるか。綺麗ってのは見た目じゃなくて、いや見た目も綺麗なんだがな。味が綺麗なんだよ」

「味、ねぇ」

「いやー、最初は水かと思ったぜ。味が薄いわけじゃないのにな」

「へぇ。…いつか、飲んでみてもいいかも」

 

そんなお酒でも、きっとおねーさんは飲まないだろうなー、とボンヤリ考えていると、話を切り替えるように声色が少し重くなった。

 

「…で、いつ起きるって?」

「さあ。分からないってさ」

「これでもう四日だろ?前は翌朝には起きたもんだけどなぁ」

「…そうだね。半日くらいで起きたって聞いたよ」

 

私達が言っているおねーさんが倒れた理由は、妖力枯渇だ。生命維持に必要な分を除いて消費、もしくはそれすらも削って倒れた。だから、妖力が自然に回復するなり、付加させるなりすれば戻った。

だけど、今回は原因が違うと思う。優曇華と呼ばれた兎が意識の波長とかいうのをほぼ零にしたから。さらに、紫と呼ばれた人が言うところの応急措置をしたから。無理矢理起こすことも出来なくはないらしいけれど、危険が伴うから自然に起こした方がいいと言われた。

 

「実はなー、レミリアにお前を説得出来ないかって頼まれたんだよ」

「それ、言っていいことなの?」

「さぁな。ま、言うなとは言われなかったしいいだろ」

 

それより、一週間経ったら無理矢理連れ戻すって言ってなかったっけ?ああ、そうか。放っておいてくれるとは言ってなかったか。お姉様自身が来ないだけマシと言うべきなのか、どうなのか。

 

「で、どうだ?」

「説得って言うならそれらしい言葉がないと、ね?」

「そりゃそうか」

 

…今から考えるんだ。せめて一つや二つ考えておいた方がよかったと思うよ。

 

「…よし。わざわざここにずっといる必要もないだろ」

「おねーさんが起きたときに私がいるようにしたいの」

「お前なら往復するのもそこまで時間もかからんだろ?起きたら来るでも十分だろ」

「そうかな?…そうなのかな?私にはよく分からないや」

「それにしても辛くないか?」

「…辛いよ」

「じゃあ、無理する必要もないだろ」

 

…確かにそうかもしれないね。お姉様に言われたときは突っぱねたけれど、魔理沙に言われると少しだけ揺らいでしまう。

 

「多分…責任、かなぁ」

「ん?」

「私が一人で出てきたから、おねーさんと一緒に行こうと思ったから。そう考えなければ、考えても行動しなければ、おねーさんはこうならなかったと思うんだよね」

「そりゃそうだ。けどなぁ、そんな『もしも』なんて考えるだけ無駄だろ?そんな無駄なこと考える暇があったら、今どうするかだ」

「ふふっ。説得する人が言う言葉じゃないよね、それ」

「当たり前だろ?頼まれたけどな、やるとは言ってない」

「やったじゃん」

「やらないとも言ってない」

「何それ」

「どうでもいいのさ。お前がその場の流れで決めたわけじゃないって分かれば」

「…ありがと」

 

自分で考えて、そうしたいと思ったから待ってる。それを魔理沙に言われると、少しだけホッとする。認めてくれる人がいるっていうのは、いいことだ。それが友達なら、尚更。

そんなことを考え、おねーさんを見ようとしたところで、トントンと扉を叩く音が響いた。永琳ではない、誰か。

 

「誰?」

「幻香の知り合いだが…フランドールか。悪いが、入っても大丈夫か?」

「いいよ。おねーさんも、きっと喜ぶ」

 

そう言うと、慧音が病室に入ってきた。魔理沙を見ると、少し首を傾げたけれど、あまり気にせずに椅子に座った。

 

「帰ってないと聞いて来てみれば、またこうなったか…」

 

そう呆れた口調で呟くけれど、その言葉から感じるのは、心配だと思う心。そして、僅かばかり安堵した心。

 

「里を消した奴がここに何の用だよ?」

「消してはないさ。それに、もう戻ってる。いつもと同じように、当たり前の姿にな。さて、何の用かだったか。そのくらいはすぐに分かるだろう?幻香の見舞いだよ。…ま、掛ける言葉は届かないだろうけれど、な」

「…そうだね。いつ起きるかも分からないって」

「そうか、残念だ。…しかし、生きてるんだろう?」

「生きてるよ。心臓も動いてるし、呼吸もしてる」

 

ならいい、と言いながら、持参してきた果実を机に並べた。瑞々しく、香りもいい。そして、何故か野菜も並べた。食べにくいと思うけれど、調理せずに食べられるものばかりである。

 

「…何これ?」

「食べたければ食べてもいいぞ?二日くらいは置いておいても大丈夫だろうが、早い方がいい」

「お、そうか?なら遠慮なく」

「いいの?おねーさんの見舞い品でしょう?」

「いいんだよ。付添いの人にも食べてもらうのは普通だ」

 

先生をしているらしい人にそう言われると、そうなんだ、と言う気がしてくる。まあ、いいって言われてるし、魔理沙も食べてるし、私も少しくらいいいのかな?おねーさんが食べれないのに私が食べるのは少し気が引ける。けれど、おねーさんなら食べてて、と言う気がする。それに、起きたら私が食べたのと同じものをおねーさんにも食べてもらえばいいかな。

そう考え、紅魔館にもあったと思う果物を選ぶ。…洋梨くらい、あったよね?

 

「うん、美味しい」

「そうか。ちゃんと生っているのを選んだつもりだったが、里の外に生っているのを採ってきたのでな。少し心配だったんだ」

「…外?わざわざ?このくらい買えばいいだろ」

「幻香の見舞い品だ。少しでも悪意に染まってないのを、と考えてな」

「食い物は食い物だろ?」

「確かにそうだ。けれどな、こういう時にはそういった気を持って来たくなかったんだよ」

 

そう言われて見て見れば、果実は形が不揃いだ。けれど、野菜の方はそうは見えない。…野菜ってそういうものなのかな?

私が野菜を注視していると、慧音が私に声をかけてきた。

 

「ん、この野菜が気になるか?」

「え、えっと…。これはどうするのかな、って」

「そうだな、夕食にでも使ってもらうか。なんなら、私が調理してもいい」

「え、慧音も泊まるの?」

「明日は昼からだからな。問題ないさ。それに、明日はまた別のが来る」

「お、どうせだ。その夕食私も貰っていいか?」

「材料があるかは知らんが、手間は一人増えても大して変わらんよ」

 

そう言うと、少し交渉してくる、と言って慧音が出て行った。きっと、調理場を借りることを頼みに行ったのだろう。結果は問題なく貸してくれるそうだ。

そのまま三人で他愛のない雑談を交わし、夕食を食べた。慧音が持ってきた野菜はしっかりと煮込まれ、スープとなって出てきた。それはとても暖かく、不思議と落ち着く味だった。

 



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第97話

翌朝。窓から真っ白な光が差し、ああ朝になったんだ、と他人事のように考えていた。

 

「ふわぁ…。じゃ、私は帰って寝ることにするぜ。またなっ!」

 

朝が来たことを確認した魔理沙は、眠そうな目をこすりながらそう言って私の返事も聞かずに飛んで行ってしまった。

私と魔理沙は、慧音が寝ているのにもかかわらずおしゃべりをし続けていた。そうして話していれば、おねーさんは起きるんじゃないかって、淡い期待を抱いたような覚えもあるけれど、途中からはそんなこと気にしていなかった。

話題の尽きない魔理沙の話に食いついたからだ。そこは悪いことをしてしまった、と思う。けれど、話しているときの魔理沙はとてもいい顔をしていた。そこはいいことをしたな、と思う。

 

「…あー」

 

魔理沙が帰ってしまい、急に静かになった。キィーン、と軽い耳鳴りがするのが何となく嫌で声を出す。けれど、その声は空しく消え去り、変わらず音は鳴り響く。ずっと聞き続けていたこの音だけど、未だに聞き慣れることはない。

最近は聞くことはなかった。聞いていたとしても気にすることはなかった。そんな些細なことが気にならなくなるくらい、騒がしくて楽しかったから。

そんな音を止めたのは、扉を乱暴に叩く音だった。その音に驚いて私は目を見開いた。そして慧音の目も僅かに開いた。永琳じゃないな、とボンヤリ考えていたら扉が開き、真っ白な髪を伸ばしっぱなしにした人が勝手に入って来た。

 

「慧音、言われた通り来てやったぞ」

「ん…妹紅か。わざわざすまないな」

「…で、どうだ?生きてたか?」

「問題ないそうだ。ここの医者もそう言っている」

「そうか。…よかった」

 

妹紅、と呼ばれた人はおねーさんの元へ近寄り、そのままジッと見つめだした。そして、ゆっくりとした動作で首筋に手を当てる。多分、脈を感じているんだと思う。そして、安心したようにホッと息を吐いた。

 

「ねえ、この人が別の人?」

「うむ、そうだ。私の古くからの友人でな、私の代わりに幻香を見ていてもらおうと思っている」

「いいの?人に任せて」

「いいさ。私には私の生活がある。それを崩してまで付き合うと、幻香は気にするからな」

 

その言葉は、深く私に刺さった。見えないナイフが、私の胸を抉り取っていく。流れるはずのない血液が流れ、体が冷えていくのを感じる。痛みの走ったところに手を当て、血が流れていないことが分かり、少しだけ安堵した。

 

「…私のしていることは間違っているの?」

「どうだろうな。きっと喜ぶだろう。きっと感謝もするだろう。きっとお礼だって言ってくれるだろう。けれど、それだけお前の自由を奪ってしまったとも考えるだろうな」

「…それじゃあ、どうすればよかったのかな。私は、こうしたいんだよ。おねーさんの近くで、待っていたいんだよ」

「だろうな。しかし、双方の意見が合うなんて稀だ。どちらかが妥協して、時には争い事で決める。つまり、お前のその意見を私の知っている幻香はあまり望まないだろうということは、何処にでもあるようなことだ。気にするな」

 

そんなこと言われても、気にするよ。そんな簡単に割り切れないよ。

 

「そう怒るな。それに、私の言っていることだって一つの意見だ。それがお前の考えることと違っていたとしても、それも当たり前のことだ。フランドール、お前にはお前の考え方があるのだろう?それを貫くのも曲げるのも自由だ」

「…なら、貫くよ。私は待つ。ここで、おねーさんが起きるまで」

「そう思うなら、そうすればいい。けどな、『じゃあ』だとか『なら』だとかそんな言葉を使って自分を誤魔化して決めた、と思うならやめておけ。人に言われたからそう決めた、と思うならやめておけ。迷ったらやるな。迷いがあると、それは未練となり、悔いとして残るからな。…と、偉そうなことを言っている私も、出来ているわけではないから困ったものだ。言うは易し、行うは難し、か」

 

迷ったらやるな、か。…本当に、難しいことを言うな、この人は。お姉様が言った通りにこの人が家庭教師になったとしたら、それはちょっとな…。

 

「…話過ぎたな。まあ、さっきの長いお話も、私の意見だ。肯定も否定も自由。好きに取ってくれて構わないさ。さて、妹紅。後は頼んだぞ」

「任された。それじゃあな」

「…バイバイ」

 

慧音が部屋を出て行き、私と妹紅と眠るおねーさんが残された。

 

「ねえ」

「…何だ?」

「貴女って、幻香の何なの?」

「友達」

「慧音に頼まれたって言ってたけれどさ、貴女の生活は崩れないの?」

「崩れるも何も、昔から崩れてるからな。崩れたものがちょっとくらい形が変わっても意味ないだろ」

 

そう言うと、頼んでもいないのに普段の生活について教えてくれた。まあ、これから頼んでもいいかな、と思っていたことなので丁度良かったとも思う。

 

「やってることなんて迷いの竹林を回って、倒れてる人を見つけたら里まで送るかここに連れてくるくらいさ。思い付いたら慧音や幻香のところに行く。最近は萃香と酒を飲み合うのも多くなったかな。あとは、……いや、これは言わんでもいいか」

 

と、最後に気になるようなことを残しながら終わった。あまり訊いて欲しくはなさそうだから、訊かないことにした。

だから代わりに、別の訊きたいことを訊くことにした。

 

「さっき慧音が言ってたこと、どう思う?」

「どうも思わん」

「…はい?」

 

そう即答した言葉が信じられなかった。

 

「そんなこと、腐るほど考えた。あの時どうだとか、この時ああだとか。どの時こうだとか、考えたさ。けれどな、そんなの無駄だ。時間が戻るわけでもないし、過去へ跳んで行けるわけじゃない。双方の意見が食い違う?それがなんだ。違って何が悪い。同じならそもそも意見なんて言わない。迷ったらやるな?そうだな、それもそうだ。けどな、迷わずに選択出来ることなんて稀だ。ほぼ零と言ってもいい」

「…何それ」

「長生きすりゃ分かるさ。…いや、もっと分からなくなるかも」

「五百じゃ足りない?」

「足りないね」

 

そう言う彼女がそんなに年を取っているとは思えない。けれど、そう言う彼女の言葉は不思議と年月を重ねた重みがあった。

 

「昨日、魔理沙も同じようなこと言ってた。『今どうするかだ』って」

「へえ、そいつはなかなかだ」

 

そう言われ、魔理沙が褒められたような気になる。そして、私も少しだけ誇らしく思えてくる。

 

「…あのさ、迷ったらやるな、って言うけれどさ、それでも迷うよ」

「だろうな」

「どうすればいいの?」

「そんなの知らないね。むしろ、私が知りたい」

「…えぇー」

「けど、選ばないといけないんだよな。選ばないと、先に進めない。だから、自分が選んだことは間違っていない、って自分に言い聞かせる。他の方法をすれば、もっと悪くなっていただろう、何て根拠のない事も考えることもある」

「何それ。酷くない?」

「酷いさ。けれどな、さっきも言っただろ?別の方法を取った場合なんて、考えても無駄なんだよ。だったら、自分を納得させることを考えた方がいい。そっちの方がマシだ」

 

そっか。そういう考え方もあるんだ。そして、肯定も否定も自由、と。本当に、難しい。

 

「あとさ、おねーさんはいつも考えてるんだよ。そのとき出来る手段をたくさん。けれど、それってどうなの?選択の幅が広がって、どれを選べばいいのか、分からなくならない?」

「そうでもないさ。考えて出した、ってことは、前のやつは駄目だと思ったから別のを考えるんだ。そうやって考えているなら、常に二者択一を繰り返しているようなものだ」

「そうなの?」

「どうだろうな。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。それは、幻香自身にしか分からないことさ。何せ、私は幻香じゃない」

「…それもそうか、も」

 

今日は難しいことばかり考えた。そう思うと、急に眠くなってきた。ここ最近、まともに寝ていないことも相まって、私の瞼はそのまま閉じてしまい、意識もそのまま沈み込んでしまった。

 



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第98話

「――うなのか。で、どうなった?」

「いやー、半日グッスリよ!なんで置いてあったんだか!」

 

遠くのほうで、誰かが楽しそうに話しているのが聞こえる。誰だろう?聞き覚えがあるんだけど…。

 

「…それ、一夜茸だと思うぞ?」

「なんだそれ?」

 

…えっと、妹紅と、確か、萃香って呼ばれてた人、かな。私が寝ている間に、一人増えていたみたい。

 

「おっと、どうやら起きたみたいだな」

「お?やっとか。おはよ」

「…おはよう?」

 

寝惚けた意識のまま目を開くと、窓から差す光がより強く感じる。…あれ、寝る前とほとんど変わってないような?それに、おはようって?

 

「お前、丸一日寝てたぞ?大丈夫か?」

「まっ、丸一日!?」

 

その衝撃的な言葉で私の意識は一気に覚醒した。咄嗟におねーさんが寝ているベッドに顔を向ける。もしかして、私がこうして寝ている間におねーさんは起きてしまったか?いや、起きて欲しいけれど。

 

「…まだ、なんだね」

 

残念ながら、おねーさんは未だに目覚めていなかった。まるで動いていない。ほとんどそのままの姿で、そこにいた。

 

「そうだな。これで六日目だろ?」

「…うん」

「六日ねー。そんなに寝てたら今度は寝れなくなりそうだ」

「そうかな?」

「さぁね。そんな寝た事ないし」

 

そう言いながら瓢箪に手を伸ばす。が、その手を途中で止め、なんとも言えない顔をした。

…いや、それは今はいい。それよりも訊きたいことがある。

 

「どうして起こしてくれなかったの?」

「いやさ、随分気持ちよさそうに寝てたし」

「けど…」

「それにな、お前の顔、凄いことになってたんだぞ。大分マシになったけどな」

「…そんなに?」

「ああ。目の下かなり黒くなってた」

 

そうだったんだ。うーん、そんな顔をおねーさんに見せることになったかもしれないと思うと、いくら何でもやり過ぎだったのかもしれない。

改めて考えてみれば、明日にはお姉様が来ることになっている。力尽くで私を連れ戻しに。昨日の調子のまま明日を迎えていたら、まともな実力も出せなかっただろう。丸一日はかなり長いと思うけれど、眠ることが出来てよかったのかもしれない。

 

「ま、この話はそのくらいにして、だ。お前が寝てる間にここに来た永琳に聞いたんだがな、何でも幻香は意識をほぼ零にされたからこうなってるんだって?」

「うん、そうだよ。そう言ってた」

「血液だとか心臓だとか妖力だとか呼吸だとかは問題ないとも言ってたな」

「そうなんだ…」

 

妖力枯渇ではないとは予想していたし、私自身そうだと信じて疑わなかったけれど、改めてそうだと言われると今までと違うことをハッキリと言われた気になる。問題は意識、つまり自我。それと、もしかしたら紫と呼ばれていた人の介入。

 

「それでだな、お前が寝てる間に考えたんだが、幻香を起こすことが出来るかもしれないと思ってな」

「え?どういうこと?」

「詳しくはこっちに訊いてくれ。考えたのは私じゃなくて萃香なんだ」

「ん?私か?」

「そうだよ。私の口から言うより、お前の口から言った方がいいだろ」

「ま、そう言われたならしょうがない」

 

萃香はそう言いながら、私のほうに顔を向けた。そして、口を開く。

 

「まず、幻香は意識がほぼ零だ。そうだな?」

「そうだよ。さっきも言ったじゃん」

「ただの確認だ。で、ほぼ零、つまり疎の状態と言える」

「疎?」

「ああ。極めて薄い状態だ」

 

極めて薄い。…そうなのかな?意識に濃薄はあるだろうけれど、優曇華と呼ばれていた兎は『意識の波長』と言っていた。波長に濃薄はあるのかな?よく分からない。

 

「そこでだ、霞のように薄い意識を萃めれば、どうだ?」

「意識を、萃める…?」

「散り散りになった意識を掻き萃めてやれば、起きるんじゃないか?…そう考えた」

 

落ち葉を一ヶ所にまとめるように、水蒸気を水に戻すように、と続けた。

 

「…無理矢理はよくないって言ってたよ?」

「そうだな。私達にもそう言ってた。だから、お前を待ってたんだ」

「私を…?」

「起こそうとしたら『寝かしとけ』って言われたから、しょうがなく待ってたんだ」

「起こしてもよかったのに…」

「ま、そんなことはどうでもいい。やるかやらないか、お前に決めてもらおうと思ってな。私はやりたい。医者はやめとけ。妹紅はどっちでもいい。後はお前だけだ」

 

賛成一、反対一、白票一。多数決で決まるなら、私の一票で決まる。

私は、やってみて欲しい、と思う。それで起きれば、それでいい。けれど、駄目だったら?失敗したら?私の判断で、おねーさんが二度と目覚めない、なんてことになったら?…そんなこと、私には耐えられない。…永琳だって危ないって言ってたじゃないか。なら、やめたほうが…。

いや、違う。人に言われたから決めるのは、駄目だ。自分が、どう思うか。やってみて欲しい。それだけ。そうだ。なぁんだ、簡単じゃない。おねーさんに早く目覚めて欲しい。私の願いはそれだ。やってもやらなくても同じだとしても行動したほうがいいと言うなら、やらないで止まるのは、愚策なんだ。…そうだよね?おねーさん。

 

「…お願い」

「どっちだ?」

「やって、くれないかな?」

「よし来た!任しときな!」

「けど、もう一つお願い。無理そうなら、駄目だと思ったら、やめて。…おねーさんを失うなんて、壊れるなんて、…嫌だから」

「…分かった。無茶はしないさ」

 

そう言うと、萃香は立ち上がった。そして、おねーさんの元へ近付き、その頭の両側を両手で軽く触れる。そして、目を瞑る。

静寂。音を立てるのは許されることではない、と感じさせられる。それは妹紅も同じようで、身動き一つせず、口を閉ざしている。呼吸さえも止めているような気さえする。時間が、とても遅く感じる。

 

「…ッ!?」

 

萃香が突然目を見開き、おねーさんから手を離して勢いよく飛び退った。その顔から汗が一筋垂れる。呼吸も荒い。そんな萃香の肩を妹紅が思い切り掴んだ。

 

「ハァ…、ハァ…」

「何だ!?何があった!?」

「おいおいおいおいおい、なんだよアレ…」

「アレって何だよ!アレじゃ分かんねぇだろうがッ!」

「…止めだ止め。これ以上いじるのはまずい」

 

妹紅の言葉に答えることなく、手を跳ね除けながら椅子にドカッと座った。見るからに不機嫌だ。だけど、それが空元気だとすぐに分かってしまった。そして独り言のように呟いた。

 

「…幻香は、あんなのを秘めてたのか?…冗談だろ?」

「何があったんだよ?」

「…ドス黒い意識。それが奥に無理矢理押し込まれてた…。あの感じは、紫だ。アイツが萃めて固めてる。今の幻香の意識が水蒸気なら、ありゃ氷だ」

 

応急措置、ってこれのことなの?あの時、私になって、破壊を始めたのと、関係があるの?

 

「どうにもならんのか?」

「…無理。一緒に萃まるんだよ。片方だけ、なんてとてもとても」

「そっか…。けどさ、それだと幻香が目覚めるのってかなりまずくないか?」

「どうだろ。飽くまで私の方法で萃めると、押し込められたそれが引き出されていく感じがしてね。今にもはち切れそうなんだよ、アレ。…いじらないで放っておくのが、本当に一番みたい」

 

そう言うと、無理矢理出したような明るい声で続けた。

 

「いやー、こりゃ参った!この私が!諦めるなんて!そうそうあったもんじゃない!…ああ、畜生…」

 

けれど、その虚勢はすぐに途切れ、悔しそうに顔を歪ませた。ギリギリ、と歯が軋む音が響く。

 

「…無理、しなくていいんだよ?」

「ハハハ、今はやめてくれ…。下手な慰めは、余計に辛い…」

 

そう言うと口を閉ざし、瓢箪を掴んだ。それを持ち上げることはなく、壊れるんじゃないかというほど力強く握っていた。

 



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第99話

窓から外を見ると、さっきと変わらず星々が輝いているのが見えた。普段の私にとっては心地よい時間。だけど、今に限っては違う。チラリと見るが、おねーさんがまだ目覚めない。それなのに今、私に出来ることは祈ることだけ。それがもどかしくて仕方ない。けれど、下手に干渉するのはよくないことが分かってしまった今、黙って待つしかないのだ。

 

「どうした?何か焦ってるようだが」

「…そう、見える?」

「ああ。さっきから視線があっちこっちしてるし」

「そう…。うん、そうだね。かなり焦ってる。…時間がない」

 

刻一刻と時間が失われてゆく。制限時間が迫る。お姉様がここに来る時間が近付いてくる。

 

「そろそろね、お姉様が来るの」

「お姉様?」

「あー、コイツには姉がいるんだよ。レミリアっつー奴が」

「へえ、それでそのレミリアがどうしたんだ?」

「一週間待つ、って。それで時が来たら帰ってもらう、だって」

 

数日前に言った通り、力尽くで追い返してもいい。だけど、それをしてもまたすぐに来るだろう。何度も何度も、私を連れ戻すために来るだろう。

もし、おねーさんが起きていれば、それだけで私は喜んで帰ることを選べるだろう。また今度会える、と分かるから。だから、このまま帰るわけにはいかない。おねーさんがちゃんと目覚めるまで、私はここで待つと決めた。大切な人が起き上がるのを、ちゃんと見届けたい、と。

お姉様の強制帰還を回避するには、力にしろ、態度にしろ、言葉にしろ、何らかの手段でお姉様を納得させないと駄目だ。けれど、簡単に思い付くものではない。

 

「…ふぅん。で、どうするんだ?」

「決まってるよ」

「ここに残る、か?」

「もちろん」

「そうかい。なら手伝ってやろうか?」

 

それはとてもありがたい提案だ。

 

「…ううん、いいよ。私がやる」

「本当にいいのか?」

「うん。私は自分の我儘を押し通したいの。そのために他の人の手を借りるなんて、ね?」

 

妹紅や萃香の協力があれば、お姉様を説き伏せるのも、捻じ伏せるのも容易いと思う。だけど、これは私の問題だ。私の我儘だ。自分の力だけでお姉様を納得させたいのも、私の我儘だ。

いいじゃない、我儘だって。見方を変えれば、意見を貫き続けているでしょう?たとえ泥臭くても、無策でも、私は貫くよ。

 

「…お前がそう思うならそれでいいさ。ま、熱くなり過ぎるなよ?程々にな」

「うん。…分かった」

 

落ち着くように言われたけれど、とてもじゃないが、落ち着いていられない。

お姉様が来るまで、あと少し。

 

 

 

 

 

廊下が軋み、扉を叩く音が響く。…ついに、来てしまった。扉が開かれるまでの刹那、予想が裏切られることを願った。

 

「邪魔するわ。…フラン」

「お姉様…」

 

しかし、予想は裏切られることなく、部屋に入ってきたのはお姉様と咲夜の二人。…あーあ、来ちゃった。

お姉様と咲夜がおねーさんが眠るベッドを見た。結局、起き上がることはなかったおねーさんが、そこにいる。

 

「やっぱりね。…帰るわよ」

「うん、分かった。――なんて言うわけないでしょう?」

 

そう言うと、お姉様の顔が不愉快そうに歪む。咲夜の顔はさっきから微笑んでいるままで、何も変わらない。まあ、いつものことだ。……ん?ちょっと待って。

 

「お姉様、さっき『やっぱり』なんて言わなかった?」

「ええ、言ったわよ?だって、分かってたもの」

「分かってただぁ?何言ってんだお前」

「『一週間程度じゃ彼女は目覚めない』。…視えてたわ」

「…あっそ」

 

インチキ臭い運命。いつ聞いても、私には後付けにしか聞こえない。いつもそうだ。それらしい言い方をして、曖昧にぼかして、正解()っていたら『言った通りでしょう?』などと抜かす。間違っていたら『そうときもある』なんて言い出す。それに、今回は結果が起きてから言う始末。正解を見てから答えを言っているようなもの。

だけど、そうだとしても、そうだと分かっていても、そう断言されたのは許せない。…駄目だ。熱くならないで、私。落ち着け。ゆっくりと息を吸って、吐き出せ。

 

「ふぅー…。で、それが何?」

「だから私は一週間にしたのよ。もっと言えば『あと一週間は目覚めない』かしら?」

 

頭が真っ()に染まる。お姉様は、今なんて言った?私が口を開き、ありとあらゆる罵詈雑言をぶつけようとした時、後ろから怒鳴り声が来た。妹紅が椅子を倒すのも気にせず、お姉様に歩み寄る。

 

「おいテメェ!ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ!」

「ふざけてなんかないわ、運命よ」

「知るかよそんなの!運命とかほざく暇があったら――」

「待って。…ね?」

 

おねーさんのベッドを避け、私の横を通り過ぎようとしたところで、その腕を掴んだ。立ち止まり、私の見て情けなさそうに言った。

 

「――悪ぃ、人に言っときながらこの様だ」

「いいよ。…ありがと」

 

妹紅がこうしてくれたおかげで、私は落ち着くことが出来たから。こういう言い方をするのはあまりよくないと思うけれど、事実だからしょうがない。

妹紅が椅子を直しながら座り直し、萃香に軽く肩を叩かれているのを見ていた。そんな私を振り向かせるためか、お姉様はさっきより少し大きめの声を出していった。

 

「だからフラン、一度帰りましょう?何もここに行くなって言うわけじゃないのだから」

「帰らない。おねーさんが起きるまでどんなことがあっても、曲げないよ」

「…そう。ならしょうがないわね。力尽くで行かしてもらうわよ。たとえ四肢をもぎ取ってでも連れて帰るわ」

「あっそ」

 

こうなっちゃったか。結局力尽くでの解決、か。まあ、仕方がない。ちょっと再起不能にして、咲夜に任せよう。そのためには気絶が一番楽だけど…。

 

「…え?」

 

そんな軽いことを考えていたら、お姉様が両手にナイフを取り出した。見た事のあるナイフ。おねーさんが使ってた、咲夜が使ってる、銀製のナイフ。吸血鬼の弱点。あれで傷つけられたら、再生が非常に困難になる。何十倍にも、何百倍にも時間がかかる。場所によっては、致命傷だ。

お姉様は、本気で私の四肢をもぎ取って持ち帰るつもりだ。そこまでするか。

一瞬思考が途切れた。致命的な一瞬。その一瞬があれば、私の腕は斬り取られているだろう。しかし、その一瞬で起きたことは、私の予想を裏切った。

後方から、何かが飛んできた。それは正確にお姉様の手首を貫き、膝を穿った。ナイフを零したお姉様は何が起きたのか分からないような顔をしていた。

そんなお姉様のことも、ナイフのことも意に介さず、後ろを振り向いた。驚いた、しかし嬉しそうな顔をした妹紅と萃香。そして、ベッドから薄紫色の棒が伸びていた。その棒がゆっくりとこちらに倒れてくる。

 

「――ハァッ!」

「グゥッ!?」

 

倒れてきた棒が床に叩きつけられないように支えようとしたら、二人の声が部屋に響いた。お姉様と、聞きたくてしょうがなかった人の声。その声の出どころを見ると、薄紫色のぼやけた何かを四つ携え、黄色い髪の毛をし、水晶のようなものを付けた歪な翼を持った人がお姉様の頭に踵落としを決めていた。

 

「それ以上はいけませんよ。いくら何でも許されない…!」

「…あ、貴女…どう、して」

「あー、そう言われれば、なんか言ってましたね?あと一週間目覚めないとか何とか。あれ、誰のことです?」

 

そう言いながら、右足をお姉様の頭から退け、私のほうを見た。病的なまでに白い肌。血を流し込んだような真紅の瞳。私そっくりの顔が、笑顔でこちらに歩み寄る。

 

「ただいま、フランさん」

「ッ、……おねーさんっ!」

 



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第100話

お腹空いた…。まあ、とりあえず現状確認。笹の葉が擦れるような音が聞こえてくる。誰かが話しているのだけれど、碌に聞いてなかった。体に圧し掛かる、温かくて重い何か。…うん。多分永遠亭の病室のベッドの上。これで三回目である。

しかし、今起きるのはあまりよくないと思う。話の腰を折りかねないし、突っかかってきたら面倒だ。というわけで、寝たふりをさせてもらおう。それで、丁度よさそうなところで目覚めよう。その間はやることがないので、話を聞くことに努めるとしよう。

 

「――言えば『あと一週間は目覚めない』かしら?」

 

おや、この声はレミリアさん?一体、どうしたんだろう。紅魔館の誰かが倒れたのかな?…いや、ちょっと違うかな。そこまで心配しているような言い方じゃないから。

そんなことを考えていたら、何かが倒れる音と共に、誰かが力強い足音と共に近付いてきた。が、その音はわたしのベッドを通り過ぎていく。

 

「おいテメェ!ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ!」

 

妹紅さんだ。妹紅さんが珍しく怒りを露わにしている。足を踏み鳴らしながら、レミリアさんがいるであろう方向へ向かってゆく。

 

「ふざけてなんかないわ、運命よ」

「知るかよそんなの!運命とかほざく暇があったら――」

「待って。…ね?」

「――悪ぃ、人に言っときながらこの様だ」

「いいよ。…ありがと」

 

…どうやら、フランさんもいたようだ。そのフランさんが、妹紅さんを止めてくれたみたい。

 

「だからフラン、一度帰りましょう?何もここに行くなって言うわけじゃないのだから」

 

え?フランさんは、わたしが目覚めなかったからここにいたの?もしかして、わたしが倒れてからずっと?…わたしの所為で、フランさんの自由を阻害してしまったのだとしたら、それは悲しいことだ。

 

「帰らない。おねーさんが起きるまでどんなことがあっても、曲げないよ」

 

いや、要らない心配だったかな。フランさんは、自らの意思で決めたんだろう。その決意は、声色だけでも十分伝わってくる。

 

「…そう。ならしょうがないわね。力尽くで行かしてもらうわよ。たとえ四肢をもぎ取ってでも連れて帰るわ」

 

はい?今なんて言った?四肢をもぎ取ってでも、だって?…ふざけるな。いくら吸血鬼だとしても、再生が容易だとしても、妹相手にそれをするか…?…黙って寝たふりをするのもここまでだ。

空間把握。ベッドが、フランさんが、ナイフを手に取ったレミリアさんが、妹紅さんが、萃香さんが、咲夜さんが、椅子が、机が、壁が、柱が、廊下が、永琳さんが、うどんげさんが、姫様が、永遠亭が、妖怪兎達が、因幡てゐが、庭が、鬱蒼と生える竹が、頭の中に形として浮かび上がる。レミリアさんが持っているナイフの形には覚えがある。ぼやけつつあったが覚えている。咲夜さんのナイフ。銀製のナイフ。対吸血鬼用だと思う、ナイフ。どうして吸血鬼の従者である咲夜さんがこれを持っているのか不思議に思ったことはあるけれど、今はどうでもいい。もしかして、それでもぎ取るつもりなのか?フランさんの四肢を?

『幻』展開。最速の直進弾用を四つ。狙いは、右手首、左手首、右膝、左膝。行動を阻害し、出来れば得物を取り落すのが目的の狙撃。発射した妖力弾はレミリアさんの手首、膝があった位置で消えたので、多分被弾したのだろう。カァン、といった金属の甲高い音が響いた。

外に生えていた天井に届かない程度の長さの竹を選び、わたしに重ねて複製。体が竹から弾かれようとするのを、自らの意思で上へ進む。布団を跳ね飛ばし、天井ギリギリまで弾け跳ぶ。

呼吸を止めると、時間が止まったような感覚が襲いかかる。重力に逆らうことなく落ちているはずなのに、それが何十倍にも引き伸ばされる感覚。ゆっくりと、正確に体勢を整える。息を吐き出し、一気に吸い込む。時の流れが戻り、落下の始まりを錯覚する。目標は定まった。

 

「――ハァッ!」

「グゥッ!?」

 

全体重を右脚に乗せ、前方三回転の加速を乗せた踵落としを頭頂部に叩き込む!

 

「それ以上はいけませんよ。いくら何でも許されない…!」

 

床に潰れたレミリアさんを見下ろし、言った。聞いているかどうかはどうでもいい。ただ、言いたかった。

 

「…あ、貴女…どう、して」

「あー、そう言われれば、なんか言ってましたね?あと一週間目覚めないとか何とか。あれ、誰のことです?」

 

わたしの他に寝ている人がいなかったけれど、と思いながら言う。もしかして、わたしのことだったの?もしそうなら、貴女の言う『運命』って何なのかな?

ま、どうでもいいや。そんなことよりも今、わたしの後ろには待たせてしまった人がいる。レミリアさんの頭から足を退け、振り返る。一歩ずつ近付きながら、言うべき言葉を。

 

「ただいま、フランさん」

「ッ、……おねーさんっ!」

 

そう言いながら、抱きついてきた彼女を何とか倒れずに支え、支えを失った竹が一緒に倒れてきたのですぐに回収する。

さて、まずは確認から。椅子からゆっくりと立ち上がった二人の嬉しそうな顔を見ながら、わたしは問いかけた。

 

「妹紅さん、萃香さん、待たせてしまったみたいですみませんね。わたし、どのくらい寝てました?」

「一週間だとよ」

「一週間って言ってたけど?」

「い、一週間ですか…」

 

…想像以上に長い。うどんげさんか姫様か知らないけれど、いくら何でも長過ぎでしょう。

 

「…ま、起きたならそれでいいか」

「うんっ、うんっ!」

「そうだな。とりあえずどうする?残るのか?帰るのか?」

「…帰っていいのかな?」

 

勝手に帰っていいのか分からない。あとで呼び戻されたら面倒だし。

 

「出来れば帰ってくれよー。食えるのも飲めるのも大体無くなっちゃったからさー」

「…えー。いや、それだけ長かったら仕方ないかな…?」

 

そっか、食べ尽くされたのか…。ということは、あの茸も食べたのか…。

 

「とりあえず、残りますよ」

「ちぇっ。残るのか」

「ん、そうか。なら寝とけ」

「そうしますよ。…と、その前に」

 

抱き着いて離さないフランさんをゆっくりと引き剥がし、未だに倒れているレミリアさんの高さに出来るだけ合わせるために、しゃがんで話しかける。

 

「気分はどうですか?」

「ぐぅ…さ、最悪よ…」

「でしょうね。意識を刈り取るつもりで叩き込んだのに、下手に丈夫で堪えちゃったから気持ち悪いでしょう」

 

頭が急に強く揺れると本当に辛い。妹紅さんに体術を教えてもらっているときに言われたことだが、殺さないで勝つのに最も簡単なのは、不意討ちからの気絶だ。実際にやってみたけれど、なかなか上手くいかないものだ。

 

「さて、フランさんが帰るのはもう少し待ってくれませんか?一応、わたしも目覚めたわけですし」

「…いつ、まで。ああ、痛い…」

「ま、明日には退院出来るでしょうし、それまでは」

「そう。…ふぅ」

 

そう言うと、頭を押さえながらようやく立ち上がった。脚はまだ力無く震えているけれど、見なかったことにしておこう。そんなすぐに気分が直るとは思えないし、しょうがない。

脚から目を離すついでに、部屋の端で静観を続けていた咲夜さんを見る。

 

「遅くなりましたが咲夜さん。こんばんは」

「こんばんは。久方振りですね」

「…どうして止めなかったんですか?」

 

訊いたことには答えてくれず、曖昧に微笑まれてしまった。まあ、複雑な事情があるんだろう。命令か、理性か、意思か、感情か、はたまたそれ以外か。

 

「ま、いいか。とりあえず、帰ってくれませんか?フランさんは帰らないと決まった以上、これ以上用はないでしょうし」

「ハァ…、そうね。貴女の言う通り。…咲夜、帰るわよ」

「承知いたしました、お嬢様。それでは、幻香さん。お元気で」

「あ、出来れば永琳さんを呼んでくれると助かります」

 

二人が部屋から出る寸前、思い出したことを言っておく。伝わったかどうかは知らないし、呼んでくれるかどうかも分からない。してくれたら嬉しいけれど、してくれなくても問題ない程度の感覚。

 

「フランさん」

「何?おねーさん!」

「勝手に決めちゃいましたけれど、よかったですか?」

「いいよ。私も大体そのつもりだったし」

「そうですか。ならよかった。…さて、起きたばかりですけれど、わたしは少し横になることにしますね…」

 

永琳さんが来るまで、少しでもいいから休みたい。もし来なければ、そのまま寝てしまってもいい。空腹を紛らわすのに最も簡単なのは寝てしまうことだ。

 

「分かった。それじゃあ、お休み」

「気絶と睡眠は違うからな。出来るなら、朝まで寝とけ」

「何かあったら起こすから、安心しろよ?」

「ええ、それでは」

 

ベッドの上から落ちている布団を拾い、そのまま被る。もし永琳さんが来るとしても、五分くらいは横になれるだろう。

 



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第101話

「ああ…、本当に起きたのね…」

 

五分と経たずに永琳さんがやってきた。レミリアさんと咲夜さんが呼んでくれたのか、もしかしたらここの騒動が聞こえたから確認ついでに来たのかもしれない。

そのままわたしの横に座り、脈を測ったり、心音を聴いたり、目に光を当てられたり、喉の奥を診られたり、色々なことを手早く診察した。

 

「とりあえず異常なし、と」

「ちょっと、とりあえずってどういう事よ」

「一週間も動かなかったら体は錆びつく。体力だって落ちるし、関節の可動域だって狭くなるでしょう。けれど、それは仕方ないこと。それ以外は問題ない、というつもりで言ったのよ」

「そうなの?ならよかった」

「…そうなんですか?」

 

フランさんは納得したみたいだけど、実際に動いたわたしはちょっとだけ引っ掛かった。わりと普通に動けていた気がするんだけど。あ、もしかしたら、瞬発力は大して変わらなくても、持久力は落ちているのかも。…まあ、少しすれば戻るかな?

 

「疲れているようだから続きはまた今度にするわ。とりあえず、休みなさい」

 

なんてことをボンヤリと考えていたら、永琳さんがそう言ってきた。

 

「それじゃあ、そうさせてもらいますね。…それでは」

「ええ、お休みなさい」

「お休み、おねーさん」

「おう、さっさと寝てろ」

「さっき言っただろ?安心しろ」

 

そう言われて目を瞑ると、自然と意識は沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

幻香が寝たことを確認した永琳は、そのまま部屋を出て行った。廊下の軋む音がここまで届かなくなってから少し経ったとき、私は長い息を吐いた。

 

「…何ともなかったな」

「んー、想像以上に普通だったな…」

「…本当に、よかった」

 

呟いたつもりだった言葉は、二人にちゃんと拾われた。私と同じことを危惧し、それが起きなかったことの安堵だろう。

萃香の言った『ドス黒い意識』の覚醒。あの萃香がそう言うほどのものだ。それを押し込んでいる紫――慧音は賢者と、幻香はスキマ妖怪と言っていた――には感謝してもいいかもしれない。礼は言わないけれど。

 

「今までそんな気配も見せてなかったんだがなぁ…」

「…そうだね」

「そもそも幻香本人は気付いてすらいないような感じだ」

「だよなぁ…」

 

私には、そのドス黒い意識がどの程度の規模か分からない。どの程度の被害をもたらすものか分からない。どの程度の悪意が眠っているのか分からない。だけど、起こさないで済むなら、それでいいのか?幻香にそのまま眠らせておいて、それでめでたしめでたしか?

違う。萃香はあの時は放っておくのがいいと言っていたけれど、そんなわけない。消せるなら消したい。無くせるなら無くしたい。吐き出せるなら吐き出したい。でも、どうすればいいのか分からない。

 

「なあ、フランドール」

「…何?」

「お前、何か知ってるだろ」

 

まあ、知らないだろうと思って言った、ただの鎌掛け。『何言ってるの?』みたいな言葉が来るに決まってると思っていた。そう言ってくれれば、次は萃香に似たようなことを言うつもりだった。

しかし、その血を流し込んだような真紅の瞳は波打った。その華奢な体は僅かに、だが確かに動いた。

 

「………知らない」

 

そういう言葉も、無理矢理引き出したような違和感に、騙すつもりさえ感じさせない苦し紛れの嘘に塗れていた。

だが、言いたくないことを無理矢理引き出すのはお互いに辛いものだ。それに、追究はいつでも出来る。

 

「…そうか」

「その、誰だっけ。…紫、って人に訊けば?」

「…そうだな。それもそうだ。抑えつけているなら、何か知っていてもおかしくはない」

「けどなー、アイツは遭おうと思って遭えるような奴じゃないんだよなー。所在不明、出没自在、神出鬼没と来たもんだ」

「そりゃ面倒だな…。ま、何か分かったら教えてくれ。お互い協力し合おうな」

「よし分かった。とりあえず紫探しでもするかな」

「……うん」

 

これは先を急ぐべきことかもしれないが、必要になったときに頼ってくれるように言っておけば十分だろう。

あとで、慧音にも言っておいた方がいいだろうか。巻き込んでも、いいのだろうか。そんなことを考えながら、幻香が普通に目覚めるのを待った。

 

 

 

 

 

 

…なんだか体が重い。

そう思いながら体を起こしたら、フランさんが丁度よくわたしの太腿辺りを枕のようにして、布団の上で横たわっていた。窓の外を見ると、太陽は既に昇り始めていた。そしてそのまま部屋を見渡すと、椅子に座りながら船を漕いでいる妹紅さんと、床にそのまま寝ている萃香さんがいた。

 

「…どうしよ」

 

何かあったら起こす、と言っていた萃香さんも寝てしまっていた。本当に何かあったらすぐに起きたのだろうか。

そんなどうでもいいことを考えながら呟く。起こすのも悪いけれど、動くに動けない。…よし、起こすか。そう思いながら、脚を軽く上げる。

 

「ふごっ…」

「おはようございます、フランさん」

「んん…、おはよう…」

 

眠そうに目を擦りながら、わたしをボンヤリと見るフランさんを見ながら、無理矢理起こすのは悪かったかなと思う。けれど、身動きが取れないのも面倒なので許してほしい。

 

「…あ、永琳呼んでくるね…」

「気を付けてくださいね」

「うん。大丈夫」

 

そう言うと、ゆっくりと扉を開け、部屋から出て行った。場所は分かるのか、日の当たらないところのみを通っていけるのか、と考えたけれど、大丈夫と言うからには大丈夫なのだろう。信じよう。

フランさんも起こしたんだ。妹紅さんと萃香さんも起こしてしまおう。そう思い、ベッドから降りる。そして、妹紅さんの頬を軽く叩き、萃香さんの鼻を摘まみながら口にそっと手を当てる。

 

「ああ、もう朝か」

「ぶはぁ!な、何だ何だ!?」

「おはようございます、妹紅さん、萃香さん。いい夢見れました?」

「…夢はほとんど見ないな」

「同じく。…鼻摘まむなよ。苦しいじゃん」

「口で息すればいいじゃないんですか?」

「塞がれてたんだけど」

 

そして三人で軽く笑い合う。

 

「改めて、おはよう」

「そうだそうだ。おはよおはよ」

「そろそろ何か食べたいんですけれど、来ますかね?」

「来るだろ。お前が寝てる間、いつ起きてもいいように朝昼晩と作ってたらしいし」

「それは何と言えばいいのか…」

「礼でも言ってろ」

「そりゃそうか」

 

突然、扉を叩く音が響き、そのまま扉が開いた。開いた先には、朝食と思われるものを持ったうどんげさんがいた。

 

「おはようございます、幻香さん。…先日、いや、もう一週間以上前ですか。その節は申し訳ありませんでした」

「ああ、貴女が何かしたんですか?気にしませんよ。むしろ、そうするだろうと思ってましたから」

「思ってました、って…」

 

頬を引きつらせるようなことは言ってないと思う。そのくらいのことはしてもおかしくないと思っただけだ。それに『決めるのは私』って言ってたしね。まあ、姫様がやったというかなり薄い可能性もあったけど。

 

「ま、そんなことどうでもいいじゃないですか。それよりも、いい加減お腹空いたので何か食べれるものが欲しいんです」

「ああ、そうでしたね。どうぞ。後ろのお二人の分もありますから」

「ん、そうか」

「へえ、ありがたいねぇ」

 

以前ここに来たときにも受け取った、お粥とすまし汁。んー、このくらいの調理は面倒くさがらないで作らないと駄目かな。

 

「…もう一人、いませんでしたか?」

「今は永琳さん呼んできてくれてます」

「ああ、お師匠様を…」

 

納得したように頷きながら、残された食器を机に置いた。きっとフランさんの分だろう。

 

「ごちそうさま」

「美味しかったですか?」

「うん。ちゃんとした調理って重要だね」

「…?ええ、そうです…ね?」

 

食べ終わった食器を返したら、ちょうどよくフランさんが帰ってきた。その後ろには永琳さんもいる。

 

「ちゃんと食べれてた?」

「問題なさそうです、お師匠様」

「そう」

 

そして、永琳さんが寝る前と同じように横に座り、前と同じところから、何の為に診ているのかよく分からないところまで、本当に様々なところを診察された。

 

「ふぅ…。一週間も目覚めなかったとは思えないほどの健康体ね」

「そうですか?」

「ええ。…もう退院しても大丈夫だと思うわ」

 

こうして、わたしは一週間の昏睡を経て、無事退院した。

 



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第102話

「さて、どうやって帰ろうか…」

「竹林なら私が分かるから問題ないだろ?」

「いや、太陽が出てるとフランさんが出れないので。日傘、持って来てなかったですよね?」

「うん、持って来てない…」

 

そもそも吸血鬼は太陽が出ているときは滅多に外に出ない。日光は毒であり、当たると火傷する。浴び続ければ最悪死に至るらしい。多少なら持ち前の自己再生能力でたちまち治癒してしまうようだが。

 

「しょうがねぇな…。かなり遠回りになるが、陽がほとんど当たらない道がある。そこを通るか」

「いや、竹林を抜けたらどうするんですか…」

「ああ、そうか…」

「なら私が影になろうか?」

「…目立つから却下」

「うむむ…」

 

しょうがないから夜まで待つかな、と思い始めたとき、永琳さんから横槍を入れてきた。

 

「話し合ってるところ悪いけれど、玄関に忘れ物があるから届けてくれないかしら?」

「…忘れ物ですか?」

「ええ。ここからは少し遠いから、代わりに届けてくれると嬉しいのだけど」

「さて、目処が立ちましたから行きましょうか」

「え?」

 

前言撤回。夜まで長々と待つ必要はなくなった。

ベッドから降り、扉を開く。部屋を出る前に振り返り、深めにお辞儀をする。

 

「それでは、ありがとうございました」

「また何かあったら来なさい」

「そうしますよ」

 

病室を出て、記憶を頼りに真っ直ぐ玄関へ向かう。フランさん、妹紅さん、萃香さんの三人が慌てた様子で付いて来るのを、首と目だけ動かして確認する。

 

「ちょっと待てよ!」

「何です妹紅さん?」

「ちょっとは説明しろ!お前の中で完結してんじゃねえ!」

「えー。分かるでしょう?」

「分かるか!」

 

そう言っている間に玄関に到着。…うん。やっぱりあった。

 

「…これ、お姉様の」

「忘れ物、か」

「…でかくね?」

「これだけ大きければ多少のことでは陽に当たることはないでしょう?」

「そうだろうけど使い辛いだろ」

 

玄関のすぐ隣の壁に立て掛けてある過剰なまでに大きな日傘。レミリアさんの故意の忘れ物。ちゃんと届けてあげますよ。もう一つ届け物を添えて、ね。

フランさんが日傘を差してから永遠亭を出る。庭で妖怪兎たちが飛び跳ねて遊んでいるのが見えた。あ、見覚えのあるのがいる。

 

「さ、妹紅さん。道案内よろしくお願いしますね」

「どうする?明るい近道と暗い遠回り」

「一応暗い方でお願い」

「そうかい」

 

そう言うと、妹紅さんは門とは違う方向へ曲がり、そのまま塀を跳び越えた。フランさんと萃香さんもそのまま続く。…わたしだけなのか、これをおかしいと思っているのは。

 

「おーい、さっさと登って来ーい」

「…はーい」

 

靴の過剰妖力を極僅かに噴出。塀の優に二倍は跳び上がり、そのまま着地。噴出した分を即時補給する。…んー、出し過ぎたかな。この辺の調整が難しい。

 

「ちゃんと付いて来いよ?迷ったら探すの面倒だからな」

「知ってますよ」

「あのときは勝手に曲がったもんね」

「あれは特別でしょう。…多分」

 

妹紅さんに大人しく付いて行く。確かにほとんど日光が届かない道だ。竹が他のところより太く、そして多い。つまり密度が圧倒的に高い。それに伴い、頭上には鬱蒼とした葉がある。それらによって陽の光を遮っているのだろう。

 

「暗いですね」

「ああ。もう少し奥で曲がると昼も夜も然程変わらん場所がある」

「へえ、今度そこで組手でもしようぜ?」

「暇してればな」

「年中暇なくせに何言ってんだ」

「うるせえ」

 

妹紅さんと萃香さんの熱い友情(殴り合い)を想像すると、頭の中で竹林が燃え盛っていく。…駄目だ。ただの組手のはずなのに、炎が飛び交うのしか想像出来ない。

 

「そうだ幻香」

「何です、萃香さん?」

「結局、お前らが出て行った異変ってどんなのだったんだ?ちょいと気になる」

「えーと、それはね…」

「黒幕は永琳さんとわたし達九人の誰かでしょうね」

 

フランさんが驚いているのに予測済みだったような、不思議な顔をした。…あ、これだと姫様が黒幕じゃないって言ってるじゃん。やっちゃった。

 

「やっぱり、分かってたの?」

「何となくですけどね。すみませんが、姫様が黒幕だった可能性はほとんどないと思ってました」

「姫様?…ああ、輝夜のことか」

「輝夜?…ええと、蓬莱山輝夜、でしたっけ」

「そうそう。覚えてたか」

 

妹紅さんが命を賭けた決闘をした、と言っていた相手。つまり、姫様は相当の実力者であったようだ。

 

「ま、それは置いといて。…とりあえず、偽物の月は永琳さんでしょうね。目的は月の兎、もしくはそれに類する者の侵入の阻止。本物の月が見えると言うことは、つまりそちらからここ(幻想郷)が見える。だから偽物の月にした、と言った感じでしょうか?自分で考えておきながら言うのも何ですが、かなり無茶苦茶ですね」

「うわぁ…」

「その月の兎、それに類する者――」

「永琳は月の使者って言ってたよ」

「――そうですか?なら、そう言いましょうか。その月の使者の目的は輝夜さん。まあ、殺害か、誘拐か、謁見か、それ以外かは分かりませんが、会わせたくはなかったんでしょうね」

 

そうじゃないと、うどんげさんがわたし(月の兎)を見てあれほど驚く必要がない。

 

「もう片方の夜が続いたのは霊夢さん、魔理沙さん、アリスさん、咲夜さん、レミリアさん、妖夢さん、幽々子さん、フランさん、そしてわたしの誰か。永遠亭の人達がやる理由がないですからね。夜が続けば月はここを見下ろし続ける。だから、さっさと朝になってほしいと思うはずですし」

「紫、っていうのも来てたみたいだよ」

「なら、その人も入れて十人ですね。わたしの個人的かつ偏見で言わせてもらえば、咲夜さんとレミリアさんが最有力で、幽々子さんとアリスさんが次点くらいでしたけど、八雲紫がいたならそれがぶっちぎりで怪しいですね」

「その中なら紫だろ。アイツなら昼と夜くらいどうとでもなる」

 

萃香さんはそのまま八雲紫の『境界を操る程度の能力』について語った。そういえば、魔理沙さんがここと冥界の境界が曖昧になったと言っていた。つまり、それも八雲紫が関係しているのだろう。

 

「ま、万能であっても全能じゃないと思うけどな」

「それ、違いあります?」

「万の使い道があっても、全部出来るわけじゃないってことさ」

 

へえ、なかなか面白いことを聞いた。ま、覚えておいて損はないだろう。

 

「話も丁度いいところだな。そろそろ抜けるぞ」

「何処に抜けます?里の目の前とか嫌ですよ」

「そこは問題ない」

 

迷いの竹林を抜けると遠くに見覚えがある場所、霧の湖が見えた。つまり、紅魔館も程近いところにあるということ。

 

「なかなかいいところに出ましたね…」

「そうか?」

「んー、この距離なら十分かからなさそう」

「…速っ」

「はっ!遅い遅い!私なら五分で行けるね」

「むぅ!なら私三分!」

「…つまらない言い争いは止めてくださいよ」

 

ちなみにわたしの場合、普通に飛べば三十分はかかるだろう。

 

「そんなに早く飛んだら日傘壊れますよ?」

「あ、そうだった」

「それに、そこまで速いとわたしが付いて行けませんから」

「…おねーさんはもうちょっと早く飛べるようになった方がいいよ」

「だな。速くて損はしない」

「……そうですね。そろそろ考えないといけませんか」

 

わたしはここにいる四人の中で最も遅いだろう。つまり、誰に速く飛ぶコツを訊いてもいいということになる、かな?最初から一番速い人に訊くのがいいか、それとも段階的に上げていった方がいいのか…。いや、全員に訊いて、わたしに最も合った方法を見つければいいか。

 

「それじゃ、私はここで」

「そうですか?それでは妹紅さん、またいつか」

「ばいばーい!」

「またなー」

「おう。それじゃあな」

 

そう言って妹紅さんは迷いの竹林の中へ帰っていった。そして、姿が見えなくなってからわたし達は紅魔館へ真っ直ぐと飛んでいく。二人が私の速度に合わせてくれたので、三十分くらいで門に到着した。

 

「ただいま、美鈴」

「おや、妹様。おかえりなさいませ。…幻香さんはいいとして、もう一人は?」

「わたしの友達ですよ」

「そうですか。ならどうぞ」

 

そう言うと、紅魔館の門を開けてくれた。そのまま門をくぐり、庭を歩く。

 

「…あの門番、出来るな」

「でしょうね」

「強いよ、美鈴は。…弾幕を放つのが苦手で、そっちに意識がほとんどいっちゃうって悩んでたけど」

「…昔ならいざ知らず、今の幻想郷でそれはいいのか?」

 

苦笑いをするわたし達。いくら武術に長けていても、弾幕を放つのが苦手というのはかなり致命的だ。

紅魔館の出入口の前に到着し、扉を押す。開いた先には、咲夜さんがいた。…いつからそこに立っていたんだろう。

 

「おかえりなさいませ、妹様。…お嬢様がお待ちですよ」

「うん、分かってる。…それじゃあね、おねーさん、萃香」

「ええ、それでは。またいつか、遊びましょう?」

「じゃあな」

 

そのままフランさんは咲夜さんに連れられていく。それをわたし達は黙って見送った。

 



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第103話

両手いっぱいに洋梨を携え、魔法の森へ飛んでいく。美鈴さんに別れの挨拶をしている途中で突然咲夜さんが隣に現れ、妹様からの贈り物だと言いながら渡されたものだ。何故洋梨。食べれるからいいけど。

 

「けど皮剥くのが面倒なんですよねー」

「だからか。お前の家の食い物が楽に食えるのばっかなの」

「そういえば全部食べたんでしたっけ…」

「そうだな!」

「遠慮はないのか、遠慮は」

 

つまり、今わたしの家には飲食物が何もないということになる。何か食べれるものを採りながら帰ったほうがいいよね。

今飛んでいるところは、珍しくわたし達以外誰も見当たらない霧の湖の上。湖を見下ろすと、魚影がいくつか見えた。うん、魚でもいいかな。小骨が鬱陶しいけれど。

 

「ん?何だ?」

「ちょっと持っててください」

 

萃香さんが着ている服を数枚複製し、その内の一枚を上手くかごのようにしてから洋梨を入れて渡す。袖がないから手提げ袋のようには出来ないのがなぁ…。

手の平に収まる程度の石を一つ複製。そのまま落とす。ボシャ、と鈍い音を立てて着水し、ボゥン、と炸裂。ちょっとした水柱が立ち、それと同時に魚が数匹浮かび上がる。思ったより浮かんでくる数が少ない。

 

「ま、十分でしょ」

 

けど、二人分なら大丈夫だろう。余っている服を同じようにかご代わりに使い、浮かんでいる魚を次々と入れてゆく。うう、まだ冬になっていないとはいえ、秋の湖でも十分冷たい…。

 

「お、美味そうじゃん」

「流石に調味料は食べてないですよね?」

「えーと…、砂糖は食べ尽くしたし、塩もちょっと。それと、みりんを飲み干した」

「えぇー…」

 

呆れた。心底呆れた。砂糖を直接舐めている萃香さんが容易に頭に浮かぶ。それに、いくら調理酒とはいえ、みりんも飲み干すか。みりんは甘過ぎるから嫌いとか言ってなかったか?その嫌いを放り投げてまで酒が飲みたかったか。そんなに飲みたかったなら、その瓢箪から飲めばいいのに…。

まあ、過ぎたことを思うのはこのくらいにしておこう。服で魚をそのまま包み、岸へ向かう。

 

「…近くに蛇でもいないかな」

「お、探すか?」

「いえ、見かけたらでいいですよ。んー、猪でもいいな…」

「流石に猪は近くにいないだろ」

 

軽く耳を澄ませる。葉の擦れる音に紛れて足音が聞こえる。足音から判断すると、二足歩行。歩いている。複数人、多分三人かな。それと、僅かに布が擦れる音も聞こえる。猪を期待していたのだが、どうやら違うようだ。…一体、誰なんでしょう。

 

「…とりあえず逃げるか」

 

ここは遮蔽物が少な過ぎる。少し移動すれば森とまでは言わないけれど、それなりに木々が生えているところがある。そのうちの一本に成り済まそう。

魚入りの服を萃香さんに投げ渡し、靴の妖力の噴出と共に駆け出す。足音を必要以上に出さないために、三歩目に入る前に地面スレスレの超低空飛行へ移行する。

 

「おーい!どこ行くんだー!?」

 

説明する余裕も振り返る余裕もない。その代わりに、魚を包んだ服を文字型に霧散させておこう。『人キタ』『カクレル』。気付いてくれるかは知らない。

目的通り、一本の樹を自分に重ねて複製し、中身を刳り貫くように回収。覗き穴用に人差し指が刺さる程度の穴を開けて待機。

…隠れて安全圏に入ったことで、まともな思考が出来るようになったためか、今更なことを思い付いてしまった。空間把握すればいいじゃん、と。いや、形が分かるだけだから、そこから誰か考える時間のうちに見つかったらよくないし、何より隠れてから知ったほうが安全だし。

 

「誰に言い訳してるんだか…、わたし自身にか」

 

というわけで空間把握。周辺の形が一気に頭に浮かび上がる。そこから、足音が聞こえてきた方向の辺りを意識すると、予想通り三人の形が見つかった。

一人目は、肩辺りまでの髪と、それを両側を結ぶリボン。頭頂部には妖精メイドさんが付けていたようなもの。背中には笹の葉のような極薄の羽が四枚。

二人目は、クルクルと螺旋状になっている髪。フランさんが付けているのに似たような帽子。背中には三日月のような極薄の羽。

三人目は、腰まで真っ直ぐと伸びた髪。頭頂部には大きなリボンが結ばれている。背中には蝶の翅に似た形の極薄の羽。

うん、この形は見覚えがある。きっと、サニーちゃんとルナちゃんとスターちゃんだろう。一応その周りに誰かいないか確かめて、いないことを確認する。そして、樹の上を貫くように回収し、生い茂る葉に隠れながら頭を出して空を見上げる。

 

「……よし、大丈夫かな?」

 

中身がスカスカになってしまった樹を全て回収し、萃香さんの元へ戻る。わたしに気付いた萃香さんが一瞬、服に視線が移ったのが見えたので、服に記した穴開き文字に気付いていたようである。

 

「いやー、すみませんね。さて、帰りましょうか」

「隠れるのはいいけどさー、いきなり樹が出てきたら普通バレるだろ?」

「…そう言われれば」

 

偶然にしろ何にしろ、わたしが隠れる瞬間を見られたら意味がない。わたし自身は比較的安全だと思っているだろうから、さらに状況が悪くなりそうだ。油断大敵。

 

「ほれ。…で、どうだったんだい?」

「知ってる人でしたよ」

 

魚を包んだ穴開き服を受け取りながら答える。うぅ、濡れてて冷たい…。もう一枚包むか。

真っ直ぐわたしの家に帰ろうと思うと、どうしてもさっきの光の三妖精に鉢合わせすることになる。しても何の問題もないけど。

 

「あ!幻香さんだ!」

「え?あ、本当だ」

「お久し振りですね」

「うん、久し振り。会って早々悪いけれど、先に家に戻りたいから、もし遊びたいならあとでいいかな?」

「そう?なら付いてくよ」

「え!?サニーこれから…、いや、いっか」

「そうね。あんな無茶無謀しに行くよりいいわ」

 

何しに行くつもりだったんだ。凄い気になる…。

 

「ところで、そこの角の生えた方は?」

「私か?伊吹萃香、鬼だ」

「わたしの友達ですよ」

「鬼?」

「サニー、新聞に載ってたでしょ?」

「覚えてなーい」

 

へえ、萃香さんって新聞に載ってたんだ。わたしも載ったことあるよ。嘘っぱち交じりの残念な内容だったけど。

 

「あー、新聞ってあの天狗のか?すっかり腑抜けちゃってねぇ…」

「知り合いなんですか?」

「かなーり古い仲」

「…射命丸文って知ってます?」

「知ってる知ってる。それがどうした?」

「いや、特には…」

 

二つほど礼を言っておかないといけないだけ、と心の中で呟く。一つは慧音を教えてくれたこと。もう一つは出鱈目記事にされたこと…。

 

「射命丸って、あの『文々。新聞』の?」

「ええ、そうですね…」

「幻香さんも載ってなかったっけ…。微妙に嘘が混じってたけど」

「え!?載ってるの!?今度見せてよ!」

「んー、残ってたかなー…」

「…見なくていいですよ。本当に…」

 

話していたら、魔法の森に到着した。わたしの記事について話されるのはあまり嬉しくないから、少し強引だけど話を変えさせてもらおう。気になることもあるし。

 

「ところでサニーちゃん。何処かに行こうとしてましたけど、何処に行こうとしてたの?」

「あ、そうだったそうだった!蛇のヌシを捕まえに行こうと思ってたんだ!」

「げ、サニー思い出しちゃった…」

「…へぇ、蛇かぁ…。食べれるかな」

「狩りに行くのか?」

「…いえ、行きませんよ。人の獲物を盗ったらよくないですし」

「いくら幻香さんでも横取りはナシだよ!ねっ、ルナ、スター?」

「…渡しちゃってもいいんじゃない?」

「私達じゃ無謀もいいとこだと思うけど…」

「そんなことないよっ!」

「ま、諦めようと思ったなら教えてくださいよ。わたしが食べますから」

「うん、そうする!」

 

そう言うと、サニーちゃんはルナちゃんとスターちゃんを引きずるようにして行ってしまった。きっと、その蛇のヌシとやらに相対するのだろう。捕まえれるかどうかは知らないけど。

 



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第104話

道中で食べられる茸を見つける度にそこへ拾いに行ったので、非常に時間がかかってしまったが、時間をかけた分だけの量は採れたんじゃないかな?紆余曲折を経て、ようやくわたしの家に到着した。わたしの主観だとそこまで久し振りというわけではないのだけど、実際は一週間以上経っているんだよね。

しかし、このままでは扉も開けられない。ここまで来るのに集めた食料で両手が塞がっているからだ。…しょうがない。もう一枚萃香さんの服を複製して、一度その上に食料全部まとめて置いとくか…?それとも、一度扉回収してまたいつか取り付けるか…?うーむ…。

 

「…お、帰ったか」

「ええ、ただいま萃香さ…ん?」

 

そう思っていたら、ガチャリと扉を開きながら、萃香さんが家の中から出てきた。後ろを振り向くと、わたしと同じように両手いっぱいに食料を持っている萃香さんがいる。もう一度扉のほうを見ると、やっぱり萃香さんがいた。…あれ?二人いる?

…ああ、そういえば『密と疎を操る程度の能力』でそんなことも出来るって言ってたっけ。確か、分身みたいに分かれることが出来るとか。実際、引っこ抜いた髪の毛から小さな萃香さんに変化してたし。

 

「お、食い物か!?早く入れよ!」

「…ええ、何か作りますから、半分持ってくださいよ」

 

そう言ったら、尋常じゃない速さでわたしの両手から食料を全部掠め取った。いや、それでもいいんだけど…。

机の上に雑然と置かれた食料を仕分けていたら、視界の端で二人の萃香さんがお互いの両手の平を合わせた。そして、そのままズブズブと混ざり合っていく。その異様な光景が行われているのを無視することは出来ず、仕分けを止める。

 

「…ちょっと怖いですね」

「「んー、そうかー?」

 

返事が最初は二人分聞こえたのに、一人分になって終わった。いや、作る量が一人分減るから嬉しいけどさぁ…。

 

「もうちょっと、何とかなりませんかね?」

「何とかって何だよ」

「あー…、格好よく…とか?」

「見世物じゃないからいいんだよ」

 

まあ、そうなんだろうけどさ…。スペルカード戦でもあるまいし。けどね、やっぱり薄ぼやけながら重なりだして、粘土を混ぜるように形を作り直しているのを見るのは気持ち悪いよ。

 

「そんなのどうでもいいだろ?」

「ま、そうですけどね…」

「まあ、アレだ。格好よくやろうと思えば出来るけどなー。する必要がない」

「必要な時って?」

「…さぁ?これは今度考えとくからさ、早くなんか作ってくれよ」

「あー、そうでしたね」

 

言われた通り食料の仕分けを再開し、今日中に食べたほうがよさそうなものを選ぶ。とりあえず、魚は食べようか。茸も幾つか一緒に焼けばいいかな。

 

「…綿、枝、薪はある、と」

「ん?焼くのか?」

「ええ。調理するの面倒なので」

「そうかい。じゃあ火はやっとくからさ」

 

わたしが持っていた薪を奪いながらそう言った。ああ、前に口から炎出してましたね。酒の力か、鬼の力か、密度の力か知らないけれど。それなら任しても大丈夫か。…威力調整出来なくて家ごと燃やされる、なんてことがないことを祈ろう。

包丁を取り出し、手に入れた全ての魚の腹を開いて魚の腸を取り除く。魚の腸は苦いから嫌いだ。萃香さんはどうなのか知らないけれど、捨ててしまっても構わないだろう。刻んで外にばら撒いておけば、きっと養分くらいにはなってくれるだろう。

調味料を確認し、本当に砂糖とみりんが無くなっていることに呆れながら塩を取り出す。そして、空っぽになった腹を軽く洗ってから塩を軽く振る。菜箸を複製し、頭から尾にかけて突き刺す。表面にも塩を振っておこうかな。

 

「出来たぞー」

「あ、ありがとうございます。じゃあ、これ遠火で焼いといてください」

 

さて、茸を焼きたいけれど、金網は何処にあったっけ?…ああ、ここにあったのか。普段使われることがほとんどないから忘れてたよ。あとはそれを支えるためのものを、っと。よし、これでいいか。

焚火の上に設置し、その上に茸を乗せる。ある程度火を通せばいいでしょ。あ、そうだ。醤油準備しておかないと。

 

「おーい、まさかこれだけ?」

「ええ。残念ながら肉はないんですよ」

「いや、米とかは?」

「…干し飯ならあった覚えがあったんですけどねぇ…」

「悪いな。既に食べた」

「…知ってますよ。そもそも全部食べたんでしょう?」

「隠してあったのとかあるかなー、なんて」

「ないですよ」

 

米を炊くのは面倒なので数回しかやったことがない。それに、そもそもこの家にはかまどは存在しない。慧音や妹紅さんが炊いて余ったご飯を干してもらい、それを稀に貰うくらいだ。

 

「ま、それならいいや。早く焼けないかな」

「そこまで急ぐことじゃないでしょうに」

「私の腹は待ってくれないぞ?」

「少し前にお粥食べませんでしたっけ?」

「それじゃあ全然足りないし、それにこっちにいたのがかなり空いてたからその分食いたい」

「…もう少し追加した方がいいですかね?」

「しろ」

「はーい」

 

あとで干して水分を飛ばしておこうと思っていた茸も金網の上に乗せる。明日の分はまた採ろう。

最初に置いた茸から水分が出てきた。うん、もう十分かな?醤油をかけると、ジューッとかなりいい音を立てる。よし、大丈夫でしょ。皿を取り出し、金網から移していく。

 

「こっちも大体焼けたぞー」

「そうですか?んー…、そうですね。ちゃんと焼けてますよ」

 

多分。ま、採ったばかりだし、少しくらい生でも問題ないでしょう。きっと。わたしは大丈夫だった、はず。…あれ?その後お腹壊したような…?…ま、いっか。

後に乗せた方も火が通ったようなので、今度は塩を軽く振ってから皿に移していく。

 

「先食べてていいですよ。洋梨の皮剥いてますから」

「お、そうか?」

 

そう言うと、すぐに魚に齧り付いた。慧音がいたら説教が飛んでくるだろうが、わたしは気にしない。かなりの速さで口の中に次々と放り込まれていくが、わたしの分って残るのかな?

包丁を添え、洋梨をクルクルと回しながら皮を剥く。うん、身が少し滑って剥き辛かったけど、何とか出来た。皮は途中で切れることなく、ちゃんと一本に繋がってる。

 

「食べます?」

「ちょ…っと、ング…待っ…()、くれ…」

「急いで食べたらそれだけ早くなくなりますよ?」

「ムグ…、そんなの当たり前じゃん」

「ま、そうですね。…ああ、わたしの分残してくれたんですね。よかったよかった」

 

四分の一も残ってないけど。ま、今のわたしにとっては十分かな。

洋梨を萃香さんの口に押し込んでから魚を食べる。…お、ちゃんと火が通ってる。うん、美味しい。これで小骨が喉に引っ掛かることがなければ、もうちょっと食べる頻度を上げてもいいんだけどなぁ…。

茸は醤油も塩も合う。簡単に調理出来るし、スープの具に真っ先に使われるし、そこら中に生えてるし、茸って便利だよね。毒茸さえ選ばなければ、ね。

食べ終わって残された骨を金網に乗せ、水分を飛ばす。魚の骨は火で炙って残さず食べよう。いつの日か食べた煎餅のようにカリッとするくらいまで炙れば食べれるはずだから。シューシューと音を立てている骨が焦げないようにジッと見つめていると、突然萃香さんが話しかけてきた。

 

「なあ」

「はい?何でしょう」

「…大丈夫か?」

「怪我とかはしてないはずですよ?それに、永琳さんも大丈夫って言ってましたし。…どうかしました?」

「いや、ならいいんだ。…いいんだ」

 

洋梨の芯を噛み千切りながら言った萃香さんは、外を見始めた。そのときの眼が、やけに鋭かったのが気になった。

 



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第105話

眠気を押し退けて無理矢理起き上がる。静かだとは思っていたけれど、どうやら萃香さんは何処かへ行ってしまったようだ。うーむ、何処へ行ったんだろう。お酒でも探してフラフラしてそうな気がする。…萃香さんのことを考えていたら、この家に残っている食料がほとんど食べられてしまったことを思い出して悲しくなってきた。

 

「さーて、今日は何しようかな」

 

包丁と皿を取り出し、唯一残っている洋梨の皮を剥きながら考える。

大図書館に行って本をひたすら読むのも悪くないかな。どんな内容の本を読むか特に決めないで突撃すると、色々目移りしてしまって読める量が減ってしまうのが難点だけど。読みたいの、何かあるかな?…今は思い付かない。うん、また今度にしよう。それに、フランさんとはしばらく会えないだろうし。

チルノちゃん達と遊ぼうかな?昨日はいなかったけれど、霧の湖に行けば大抵誰かがいる。今行ったら誰がいるかな。チルノちゃんと大ちゃんはいそうだけど、ルーミアちゃんはどうかな。昼よりも夜のほうがいることが多い気がする。サニーちゃん、ルナちゃん、スターちゃんは蛇のヌシを捕獲出来ただろうか。出来たのなら、きっと自慢でもしているだろう。リグルちゃんとミスティアさんは…。

 

「…あ、そうだ」

 

思わず声に出てしまった。うん、リグルちゃんとミスティアさんに会いに行こう。月の異変の被害者だし、どうして襲われたかくらいは軽く伝えようかな。もし会えなかったら、んー…、その時考えよう。うん。

 

「うん、剥けてる剥けてる」

 

皿の上に乗った一本の皮に満足しつつ、六つに切り分けて食べる。朝食はこのくらいで、と言うかこれしかない。

…やることが増えた。何か食べれるものを帰り道にでも拾ってこないと。

 

 

 

 

 

 

霧の湖に来てみると、大ちゃんしかいなかった。ミスティアさんはここにいることはあんまりないからしょうがないと思うけれど、リグルちゃんがいないのはちょっと残念。近くに降り立ったが、大ちゃんは全く気付いていない様子でボーッと湖の奥を見ている。

真横に立ってもわたしに気が付くことはなかったので、軽く肩を叩く。

 

「あのー…」

「あっ、まどかさん。おはようございます」

「おはよう、大ちゃん。…何かあった?」

 

普段よりも早口なのも少し気になった。

 

「あの、サニーちゃん達がちょっと無茶したから怪我しちゃって」

「…うん」

 

そっか。捕獲は失敗しちゃったのか。三人がかりで返り討ち、か。一体、どのくらいの大きさなんだろうか。

 

「それでチルノちゃんが『敵討ちだー!』って言って」

「ん、捕獲じゃないのか」

「え、捕獲?」

「あれ、三人は捕まえるって言ってたけど」

「…チルノちゃん倒す気満々だったんですが…。大丈夫でしょうか、少し心配なんです…」

「そっか。なら行こう」

「え?」

「止まってたら何も始まらない。場所は分かる?」

「えーと、あの、…こっちです!」

 

少し迷ったようだけど、大ちゃんは意を決して湖の向こう側を指差した。そのままその方向へと飛んでいくのに付いて行く。

 

「…よかったんですか?」

「ん、何が?」

「まどかさんも何かすることがあったのでは、と」

「いやー、リグルちゃんとミスティアさんに会えれば、って思ってたんだけどね。いなかったからいいよ」

「ミスティアさんは屋台の準備で忙しい、って前に言ってたと思いますけど…」

「もういいんだよ、そんなこと。いなかった時は別のことをしようって思ってたから」

「なら、その別のことを――」

「これからするんだよ。あの瞬間に、わたしのやることは決まったから」

 

蛇のヌシの捕獲。事後承諾でもいいなら狩猟。それで食糧にしたい。燻製にでもすれば保存も利くだろうし。

 

「その、ありがとうございます」

「気にしないでいいよ。やりたいことをするだけなんだから。…あ、そうだ。その蛇のヌシってどんな感じなの?」

 

見た目が分からないと、どれがそのヌシなのか分からない、なんてことになりかねない。

 

「ええと、薄茶色と焦げ茶色の斑模様と言ってましたけど」

「大きさは?」

「詳しくは知りませんが、その…『丸呑みされるかと思った…』ってサニーちゃんが」

「…うわぁーお」

 

相当の大きさだということは分かった。しかし、丸呑みねぇ…。蛇って顎がかなり大きく開くから、その証言だと大きさの幅がかなり開いてしまう。それでも、通常では考えられないような大きさな気がするけれど。

霧の湖を飛び越え、森の中へと入って行く。疎の森の中を、大ちゃんは迷いなく進む。

 

「もしかして、行ったことある?」

「…何回か。だけど、中に入ったことは一度も…」

「巣に?」

「洞穴って言ってもいいくらいですけれど。…見えてきましたよ」

 

そう言われて目を凝らして見ると、ちょっとした山を穿つ洞穴が見えてきた。…暗いなぁ。奥が全然見えない。乾いた枝はその辺に落ちてるし、火打石でも持ってくればよかった。そうすれば、松明作って明かりに出来たのに。

洞穴の入り口には足跡がいくつか残されていた。真新しいのが二人分で、そのうち一人は素足のようだ。もう一人の靴の持ち主は誰だろうか。そして、その下に少し古いのが三人分。多分、サニーちゃん、ルナちゃん、スターちゃんの足跡だろう。

 

「チルノちゃんはもう入ったみたいだね」

「…行きましょう、まどかさん」

「え、明かりないんだけど…」

「大丈夫ですよ。任せてください」

 

そう言うと、手の平からフワリ、と淡い光を放つものが現れた。火とは違い、熱は感じられない。

 

「へえ、そんなこと出来たんだ」

「このくらいは出来ますよ。何せ、大妖精ですから」

 

洞穴を照らすには少し弱いような、と思ったけれど、実際に入ってみると十分な明るさだった。少なくとも、大ちゃんが真ん中を歩けば左右の壁と天井は見える。

地面には壁が欠けたと思われる石の破片が落ちている。もし分かれ道があったとき用に、時折複製してその場に放置しておくようにしよう。

それにしても、あの光源は便利だなぁ…。ふむ、わたしにも一つくらいあってもよさそうだ。大ちゃんが照らそうとするところと、わたしが見たいところが違うこともあるかもしれないし。この光源、複製出来るかな?

 

「うわっ!」

「キャッ!?」

 

…駄目だった。光源に触れることが出来なかったから、視認で指先に複製してみたら一瞬しか光らなかった。しかも、あの淡い光からとは思えないほど弾けるような強い光。もしかしたら、光を留めようと思わなかった所為かもしれない。

そう思ってもう一度やってみたけれど、上手くいかない。…どうやら、光源を複製しているのではなく、光そのものを複製しているようだ。もうちょっと頑張れば出来るかもしれないけれど、そのたびに閃光を撒き散らすのはよくない。目もチカチカするし…。

 

「うぅ…、目が」

「いや、ごめんなさい…」

「いえ、もう大丈夫です。…それにしても、一本道で助かりました」

「ええ。まあ、かなり曲がりくねってますけ――大ちゃん、静かに」

「…?」

 

奥から声が聞こえてきた気がした。もう一度聞こえてくるかもしれないので、耳を澄ます。

 

「――ツ、――い―!」

「ど――る!?―ル―!?」

 

聞こえた。チルノちゃんとリグルちゃんの声。どうやら、もう一人はリグルちゃんだったようだ。うん、これはちょうどいい。当初の目的の半分と今回の目的の両方をこなせそうだ。

 

「奥に二人いるみたいですね」

「チルノちゃんの他に誰かいるんですか?」

「リグルちゃんの声も聞こえてきたから、多分。もしかしたら、蛇のヌシと交戦中だったりして」

「…急ぎましょう、まどかさん」

「そうしましょうか」

 



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第106話

走る。とにかく走る。…ちょっと長すぎないか、この洞穴。

 

「ハァ、ハァ、待って、くだ、さいぃ…」

「…ちょっと早かったかな?手出して、手」

 

伸ばしてくれた手を握り、靴の過剰妖力を噴出する。一歩踏み出すたびに加速していく。歩幅が普段じゃとても有り得ないほど伸びる。曲がろうとするのに、いちいち減速しないといけないのがまどろっこしい。

 

「うわっ!わっ!」

「舌、噛みますよ?」

「え、んぐ…」

 

奥に点々とした光が見えてきた。つまり、この道は直線である、ということ。もう減速の必要はない。

 

「うがーっ!勝てないっ!」

「ちょっとチルノ!何言ってるの――うひゃぁ!」

 

二人の声も問題なく聞こえてくる。目を凝らすと、二人の輪郭が見える…気がする。

空いている腕に妖力を充填。慣れてきたからか、一秒と掛からずに準備が出来る。後ろに真っ直ぐと腕を伸ばし、大ちゃんに当たらないように出来る限り細く、その代わりにより強い圧力をかけ、一気に開放する。

 

「模倣『ブレイジングスター』!」

 

さっきまでの加速が霞むほどの急加速。ものの数秒でチルノちゃんとリグルちゃんの間を通り過ぎ、ある程度の広さを持った空間に入る。淡い光に照らされ、薄茶色と焦げ茶色の斑模様の異常なまでに大きい蛇が視界に入ってくる。

 

「…は?」

 

頬が引きつるのを感じる。…ちょっと大き過ぎないですかねぇ…?胴体の直径だけでわたしの首辺りまでありそうなほどですよ?この大きさに成長するのにどれだけの時間をかけているんでしょう?いやはや、丸呑みは誇張でも何でもなかったわけですね。

 

「逃げよう。うん、逃げよう」

 

こんなのに立ち向かうとか馬鹿げてる。もう秋なわけだし、そっとしておけば冬になるころには冬眠してくれる。そもそも、この蛇を捕まえようとしていたサニーちゃんはどう思っていたんだか。まあ、これほどの大きさだと知らなかったかもしれないけど。

後方へ放っていた妖力を止め、体を無理矢理半回転。急な方向転換は気分が悪くなるんだけど、しょうがない。妖力を再放出し、チルノちゃんとリグルちゃんの近くに飛び込む。

 

「うわっ!…幻香?と、大ちゃん?」

「おー、助けに来たの!?」

「ぜぇ…、ぜぇ…、これがまどかさんの世界ですか…」

「あ、振り回しちゃってごめん」

 

リグルちゃんの周りには、季節外れの蛍が十匹ほどやけに強い光を放ちながら飛び交っている。二人の光源はこれか。

 

「さて、二人とも逃げましょう。こんなの捕まえるなんてちょっと無理がありますし」

「捕まえる?違うよ倒すんだよ!」

「あれ?チルノは倒すって言ってたけど?」

「そうですかー」

 

やっぱり返り討ちになったことは知っていても、捕まえようとしていたことは聞いていないようだ。

 

「大ちゃんもそう言ったもんね!ね!………大ちゃん?」

「ん?」

 

チルノちゃんの言葉に対する返事かない。どうしたのかと思い、大ちゃんを見るとあの淡い光を放つ光源が明滅し、今にも消えそうになっていた。それでも蛍の光によって照らされた顔は明らかに蒼白になっていた。

 

「あ…、あれ…」

「あれ?」

 

震える指先が指すのは、蛇のヌシ。振り返ってみると、わたし達を睨む蛇がいた。その眼には、明確な敵意。その顔は一ヶ所だけ傷があり、血が流れている。あんな傷あったっけ?

…あ。半回転。わたしは蛇を背に模倣「ブレイジングスター」を放った。極細のマスタースパークを放った。妖力を蛇に向かって放った。

 

「あれ?怒ってる?」

「やばいよ、チルノ…!」

「ど、どうしよう…」

 

逃げるにしても、もう遅いだろう。いくら大きいと言っても、この洞穴を通り抜けることが出来る大きさだ。それに、この大きさだと相当の速度を出せるだろう。わたし達は、その速度を上回ることが出来るだろうか?わたしは、多分問題ない。さっきのように加速すれば何とかなりそうだ。大ちゃんも瞬間移動、本人は座標移動と言っていたものがある。けれど、二人はどうだ?そこまでの速度が出せるか?わたしが二人を抱えてもいいのだけど、わたしは片腕で二人を抱えることは出来ない。片方は、妖力の噴出に使うからだ。

 

「…しょうがないかな」

 

サニーちゃん達にはあとで謝ろう。わたしだけならまだしも、チルノちゃん、リグルちゃん、大ちゃんがいるから。それに、大ちゃんをここに連れてきたのはわたしだ。わたしに責任がある。なら、それを果たすのも当然、わたしだ。

 

「大事を取って、殺しましょうか」

 

確実に生還するには、相手を再起不能にすればいい。つまり、殺してしまっても構わないでしょう?それに、食料として調達しようとも思ってたし。どうやって保存するかが考え物だけど。

 

「…もしかしたら、初めての試みかもしれないな」

 

わたしは蛇の頭部に意識を集中する。頭を吹き飛ばせば、大抵の生き物は死ぬ。これからやろうとしていることは、部分複製。蛇全体ではなく、蛇の頭だけを複製する。部分的な回収も、部分的な霧散も出来るんだ。なら、その逆だって出来るでしょう?

 

「仕方ないっ!全力敵撃退だ!」

「それを言うなら『戦略的撤退』でしょ!?」

「まどかさんっ!早く…!」

 

蛇のヌシはわたし達に向かってくる。その自慢の顎を外さんばかりに開いて。けれど、遅いなぁ…。妖夢さんの斬撃に比べれば、遅過ぎる。

呼吸を止める。それだけで世界の流れが緩やかになっていく。一秒が数秒に、十数秒に、数百秒に引き伸ばされていく。この距離なら不鮮明なところは、ない。

複製。過剰妖力は、含めるだけ。生き物はこういうところが素晴らしいと思う。石ころとは比べ物にならないほど過剰妖力が入る。そして、炸裂。

蛇の頭は内側から爆ぜた。くぐもった音を立てながら、血とよく分からない液体と肉片を撒き散らす。残された蛇の胴体は、そのまま重力に従ってわたしの目の前にドサリと落ちた。

 

「うわぁ!?」

「何!?」

「キャッ!?」

「さぁて、どうやって持ち帰ろうかな…」

 

返り血がベトベトして気持ち悪いが、とりあえずもう大丈夫だろう。

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、ありがとうございます。チルノちゃんは凄いですね」

「アタイは最強だからねー!まどかもすごかった!」

 

蛇は凍った地面の上で引き摺っている。滑る方が、抵抗があまりなく、非常に楽に運べている。それでも、蛇自体が重いからなかなか苦労しているけど。

 

「あのさ幻香、さっきの何?」

「複製の過剰妖力の炸裂。スペルカード戦ではご法度でしょうね」

「んー、複製はよくやってたけど、炸裂なんて出来たの?」

「出来たの」

「…ああ、死んじゃうかと思いましたよ」

「それならそれでしょうがない。それに、食べられたからって、すぐに死ぬわけじゃないでしょう?」

 

噛み砕かれるような歯はなかったはずだし。もし呑み込まれていたら、消化器官に行く前に胴体をブチ抜けばいい。それに、緋々色金の複製も一つだけだが持って来てる。何とかなっただろう。

 

「ふぅ…。ようやく外ですか」

 

奥から白い光が見えてきた。行きは短かったのに、帰りはその十倍は掛かってしまった。ああ、早くこの体を洗い流したい…。霧の湖は冷たいけれど、しょうがないか。

 

「よーし!リベンジ行くよ!」

「…サニー、もう幻香さんに渡したほうがいいんじゃない?」

「そうよ。誰かが突貫した所為で、ごみみたいにまとめて払われたのよ?」

 

おや、あの三人が洞穴の入り口にいるようだ。けれど、申し訳ない。既にリベンジの対象はこの世にいないのだ。

何とか三人が入って来る前に洞穴から出てくることが出来た。血塗れのわたし達を見てあちらは驚いた。もしかしたら、わたしの後ろの蛇のヌシの亡骸にかもしれないが。

 

「すみませんね。もう終わっちゃいました」

「遅かったなー!サニー!ルナ!スター!」

「見ての通り、もう幻香が倒しちゃったよ?」

「本当は捕まえるつもりだったと聞きました。ごめんなさい…」

「うわー…。本当に倒しちゃったんだ…」

「気にしないで。食べてもいいかな、ってサニーも道中で言ってたし」

「この大きさだと食べ切れないと思うけどね。それで、これはどうするの?」

 

本当にどうしようか、これ。

 



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第107話

「ああ、重い…!」

「疲れたー!」

「まだ結構な距離あるよ?」

「サニー、少し休む?」

「それじゃあスター、交代ー」

 

血塗れの体を洗い流す時間を惜しみ、十人がかりで頭部欠損の蛇のヌシを運んでいる。しかし、いくら地面を凍らせて滑らせて運んでいると言っても、十人がかりで運んでいると言っても、重いものは重いのだ。

そのうち三体は、わたしが動かしている複製(にんぎょう)だ。二体まで、と自分で勝手に決めていたけれど、前の六体と比べれば些細なことだ。

 

「すみません、私が力不足なばっかりに…」

「出来ないことをしろなんて言うつもりはないよ、大ちゃん。こうして一緒に運んでくれれば、それでいい」

「ところで幻香、こっちで合ってるの?」

「ええ、大丈夫。この辺りは見覚えがありますし」

 

そこら中に石ころの複製が転がっているから、一度来たことがあるところであることはすぐに分かる。

 

「…ねえ、どうして紅魔館に行くの?」

「大消費地だから」

 

わたしが記憶しているだけで、妖精メイドさんは五十を超える。それに、調理は咲夜さんに任せれば間違うことはないだろう。保存食にするのも、頼めば一瞬でやってくれるに違いない。飽くまで、わたし達から見た時間の一瞬だが。

 

「そもそもサニー、この蛇って食べれるの?」

「そういえばそうね。毒の有無なんてサニーに分かるの?」

「さぁ?幻香さんが食べるって言ってたし大丈夫じゃない?」

 

後ろで三人が話していることは心配ない。

 

「…実際どうなんですか、まどかさん…」

「今、わたし達が動けているから大丈夫」

「え?」

「普通の蛇は頭にある毒腺って言う器官に毒がある。その頭を吹き飛ばしても、神経毒、出血毒、筋肉毒、どの症状もわたし達に出てない。それに、蛇の毒は血液中に入って初めて作用するから毒があったとしても平気」

「…あの、もしかして事前に分からなかったり?」

「いや、見た目でなんとなく…」

 

わたしが見たことのある蛇だけに限れば、頭の形で毒の有無が分かる。頭が三角形みたいになってるのは毒があった。大図書館で読んだ蛇について載っている図鑑だと、そうでもないらしいけど。

 

「な、なんとなく…。それに、チルノちゃん怪我してましたよ?ちょっとですけど…」

「え、本当?」

 

サッとチルノちゃんを見遣る。私たちの為に地面を真っ直ぐと凍らせてくれている。ある程度凍らせたら、一緒に蛇を運びだす。…特に違和感のある動きはしていないように見える。そもそも、蛇の毒は即効性なものが多い。今更効き出すなんてことはほとんどないだろう。

 

「ねーまどかー!まだ遠いー!?」

「そうですね、あと半分くらいでしょうか?」

「うっへぇ、あと半分…」

 

 

 

 

 

 

「…スゥ」

 

美鈴さんが寝ている…。起こしていいのだろうか…。いや、そもそも門番としてどうなんだ。

寝ている人が近くにいると自然と声が小さくなるものだ。しかし、ここにはそれをする必要をなくしてくれる妖精がいる。

 

「ちょっとルナちゃん、音消せます?」

「え、あ、分かったわ」

 

特に変わった様子はない。が、きっと美鈴さんにはわたし達の声が届いていないのだろう。

 

「ふぅ、とりあえず着きましたね。あとはどうやって入るかですけど…」

「あの人起こせばいいんじゃないの?」

「気持ちよさそうに寝てるけど…、いいのかしら?」

「バレないように潜入する!」

「さっすがチルノ!私もそう思う!」

「チルノちゃん、サニーちゃん…」

「駄目でしょ、流石に」

「…ま、美鈴さんには悪いですが、起きてもらいましょうか。わたしが起こしますから、ここで待っててください。…ルナちゃん、わたしの音を範囲から除けます?」

「うん、了解」

 

瞬間、周りにいるはずの六人の声が聞こえなくなった。チルノちゃんとリグルちゃんが口も激しく動かして口喧嘩をしているように見えるのに、大ちゃんがそれを止めようと頑張っているように見えるのに、サニーちゃんとスターちゃんがそれを見て楽しそうに笑っているように見えるのに、それらの音が全く聞こえない。ルナちゃんのほうを見ると、わたしに向かって親指を立てたのが見えた。

 

「さて、行きますか」

 

始めて紅魔館に来た時のことを何となく思い出した。あの時の回し蹴りは痛かった…。今なら『来る』と分かっていれば対応出来そうな気がするけれど、そこから続く連撃を対応出来るかと言われると、無理だろう。わたしの体術なんて、そんなもんだ。

普通に歩いて近付く。あの時の美鈴さんの間合いに入った瞬間、美鈴さんの眼が見開かれ――。

 

「――ふぅ」

 

樹を叩く鈍い音が響いた。枝葉の間から頭を出して見下ろすと、美鈴さんと目が合った。

 

「ああ、幻香さんでしたか。どうしたんですか?そんな血塗れで」

「ちょっと大きすぎる獲物を狩りましてね、その返り血ですよ」

「そうでしたか。その獲物はあちらの蛇ですか?」

「ええ、ここまで運ぶのに苦労しましたけど。いくらか差し上げたいので、入ってもいいですか?」

「どうぞ。館の入り口まで運びましょうか?」

「そうしてくれると助かります」

 

樹を回収し、フワリと降り立つ。

 

「いやあ、いつ見ても不思議な能力ですね。お嬢様も大層気に入ってましたよ」

「知ってますよ。目の前で言われたし試されましたし」

「おや、そうでしたか」

 

美鈴さんはそう言いながら、十人がかりで苦労して運んだ蛇を持ち上げた。

 

「ふっぬ…、意外と重いですね…」

「まず持ち上げられるのが驚きですよ…」

 

六人がそれぞれ驚いた顔をしている。何か喋っているのだろうけれど、わたしには聞こえない。

 

「このままだと尻尾のほうを引きずることになってしまいますね…。そっちはお願いしますね」

「はいよっと」

 

三体の複製を動かし、後ろのほうを持ち上げる。このままだと真ん中が垂れてしまうので、そこはわたし達が支えることにする。

 

「ルナちゃん、もういいですよ」

「……、……える?」

「ええ、聞こえますよ。さて、皆で真ん中を支えましょうか」

「よーし!頑張る!」

「うん、やるよ」

「最後のひと踏ん張りだよ!ルナ!スター!」

「…そうね。ハァ…」

「あら、ルナはもう疲れたの?」

「ええ、頑張りましょう」

 

皆である程度間を開けつつ、支える。そして、美鈴さんの歩く速度に合わせて進む。単純だけど、なかなか難しい。

 

「ところで幻香さん」

「何でしょう?」

「昼寝してたことは黙っていてくださいね?」

「…そうですね」

 

言った方がよさそうな時はバラしちゃいますけどね。

 

 

 

 

 

 

「…で、時間潰しの為に血塗れのままここに来た、と」

「そうですね」

 

蛇のヌシの調理は咲夜さんに頼んだ。これから食べるための調理と、わたしが頼んだ保存するための調理の二つ。食事の時間にはまだ早いから、それまで紅魔館内をうろついていて構わない、と言われた――ただし、地下には行くなと言われた――ので、大図書館にやって来た。

 

「じゃ、そこに並んで」

「えっと、ここですか?」

「口と鼻を閉じた方がいいわ。『кругло и намокать』」

「ガボガッ!?」

 

突然わたし達四人を水が丸く包み、その水の中で掻き回される。二、三秒の出来事だったが、かなりきつい。

 

「ゲホッ、ゴホッ…」

「大ちゃん、大丈夫か!?」

「…うへぇ」

 

チルノちゃんは元気そうだが、大ちゃんとリグルちゃんは気持ち悪そうにグッタリとしていた。それを見て、サニーちゃん達は二人を介抱し始める。

 

「うわ、もう乾いてる…」

「それも精霊に頼んでおいたのよ。『乾かせ』って」

「さっきのは?」

「それは『丸くそして濡らせ』」

「後ろ半分なら覚えがあったんですけどね」

「貴女のために口に出したのよ。どう?少しくらいは出来た?」

「いえ、全然。サッパリですよ」

「簡単なことじゃないのは分かってたでしょう?」

「ええ、その通りですよ」

 

なかなか上手くいかないものだ。精霊魔法に足を踏み入れるには、まだまだ経験か才能か時間かその他の何かが足りないようである。

 

「気長に続けなさい。ところで、今日は貴女達の他に面白いのが来てるわよ?」

「へえ、一体誰なんでしょうかね」

「そっちにいるわ。気になるなら見てくれば?」

「そうしますよ」

 

本棚の横を通り抜け、言われた方向へ行くと、特徴的な長い耳を頭に付けた人がいた。

 

「…うわ、幻香さん?」

「おや、こんなところで会うとは意外ですね」

 

そこにはうどんげさんが、何やら分厚い本を開いて立っていた。

 



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第108話

何気なく視界に入った『蝙蝠図鑑』を大した理由もなく引き抜き、うどんげさんの横に座る。表紙を開き、気になった単語が出るまでバラバラと流し読みをすることにする。ふむ、別名は天鼠、飛鼠ねぇ…。レミリアさんには聞かせないほうがよさそう。何だか悲しくなりそうだ。

お互い黙ったまま本を読み続ける。が、どうも上の方からの視線が気になる。頭の中で蝙蝠とうどんげさんを軽く天秤にかける。一瞬にして蝙蝠が下がり、その拍子にうどんげさんが吹っ飛んだ。うん、今読んでいる本の中身を知識として身に付ける方が重要だ。ほぅ、反響定位っていう技能があるのか。人間には聞こえない音、超音波なる波の反響でものの位置が分かる、と。

 

「…あの、何か用ですか?」

「いえ、特に」

 

無言に耐えかねたのか口を開いたが、わたしとしては特に用はない。へぇ、食虫性、植物食、肉食、血液食など種によって様々な食性があり、吸血種は極僅かか。蝙蝠は吸血するものだと思ってた。吸血鬼という存在を先に見ていることによる先入観だろう。

 

「…本当にないんですか?」

「ええ」

 

うわ、大きい種は翼を広げると幅二メートルに達する?相当な大きさだなぁ…。かなり前に撃ち落とした鳥より大きそう。…余裕があったら帰りに鳥を持ち帰るか。

 

「なら、どうしてここに座ったんですか?」

「…そうですね」

 

残ったページを一気に流す。そして複製。不思議なものだ。前は出来ないと思っていたことなのに、今ではこれだけで中身を含めた複製の条件を達成出来る。純粋に記憶力がよくなったのかもしれない。一瞬は見ているわけだから、思い出せないだけで記憶はしているのかもしれない。複製の際に表面を流れる妖力が、文字の凹凸すら感知しているのかもしれない。実際のところ、分からない。

本来ここにあるべき『蝙蝠図鑑』を本棚に戻し、うどんげさんの吸血鬼とは似て非なる紅い眼に目を遣ると、何故かたじろいだ。

 

「何について調べてるんです?」

「お師匠様に言われたことを」

「ふぅん…」

 

当たり障りのない事を訊く間に、何かあったか考える。…そうだ。

 

「貴女がいるなら手っ取り早い」

「はい?」

「貴女達の所為で迷惑した友達がいるんですよ。わたしから軽く説明しておこうかと思いましたが、貴女からした方がいいでしょう?」

「…話が見えないんですけど」

「そうですか?」

 

話を端折り過ぎたかな?伝わる人にはこれだけで伝わるんだけどなぁ…。残念ながら、うどんげさんには伝わらなかったらしい。

 

「月の異変の解決の為に突撃した方々から被害を受けたんですよ」

「…それって私達の所為ですか?」

「どうでしょうね。そもそも、一応スペルカード戦。さらには、直接的原因はここにいる吸血鬼とその従者、それと冥界にいる幽霊二人。それに対し、貴女達は間接的原因」

「それならその方々に言うべきことでしょう?」

「いえ、貴女が最適ですよ」

「…その吸血鬼相手に、幽霊相手には言えないから?」

 

うどんげさんが見当違いなことを言った。もしかして、何か勘違いしてないかな?

 

「被害を受けたことを謝ってほしいなんて言ってません。被害を受けた理由を説明してほしいって言ってるんです。理由も知らずにいるのはちょっと辛いですからね」

「それ、その方は知りたがってるんですか?」

「さぁ?既に忘れているかもしれませんし、どうでもいいと割り切ってるかもしれませんし、嫌なこと思い出させていい迷惑かも知れません。ま、ただの自己満足ですよ。それに、貴女が説明しないなら、わたしが代わりにやるだけですよ」

 

そこまで言うと、難しい顔をした。まあ、そうだろう。わたしの言っていることは、その場で碌に考えずに思い付いたものを、その時その時に考えながら話しているからかなり滅茶苦茶だ。

 

「私が説明する義理はないですね」

 

案の定、断られた。

 

「それならそれでいいですよ。これから説明しに行きますけど、ここなら多分聞こえるでしょう?訂正したかったらいつでもどうぞ」

「…ちょっとだけ、私の質問に答えてくれませんか?」

 

リグルちゃんのところへ行こうとしたら、そう言われた。半分ほど背を向けかけているのを止め、向き直る。

 

「何でしょう?」

「貴女と同行していた、フランドールさんのことです」

「フランさんの?」

 

何か訊かれるようなこと、あったかな?

 

「彼女、どう思います?」

「友達」

「…それだけですか?」

「フフッ、わたしが説明する義理はないですね、でしたっけ?」

 

グルリと背を向け、リグルちゃんのところへ向かう。そんなわたしに、うどんげさんは特に何も言うことなかった。

 

 

 

 

 

 

長椅子でグッタリとしているリグルちゃんに、月の異変について、わたしが知っている限りのことを説明した。偽物の月、月の使者、八意永琳、蓬莱山輝夜。留められた夜、八雲紫。異変解決、とばっちり、レミリア・スカーレット。

 

「つまり、幻香達が知りたかったことは分かったんだね」

「ええ、大体は。レミリアさん達も、とりあえず月に関係している人を手当たり次第、って感じだったわけですよ。許してやって、とは言いませんけどね」

「そこはどうでもいいや。教えてくれてありがと幻香。ところで、ミスティアにはもう伝えたの?」

「実はまだ…」

「そっか。なら、ミスティアが屋台を開く予定の場所知ってるからさ、教えるよ」

 

リグルちゃんが教えてくれた場所は、魔法の森と人間の里のちょうど中間の辺りだった。人間の里に近い、というだけで行きたくなくなってしまうが、そこに行けば確実に会える。なら、行こう。

 

「ありがとうございます、リグルちゃん」

「今日の夜から太陽が昇る少し前までやるって言ってたよ」

「夜の間、か」

 

その時間帯なら、人間の里の人間共は外を出歩くことは殆どない。大抵の妖怪がその力を増す時間帯だから、らしい。わたしには関係のない話だが。

 

「ところで、調子はどうですか?」

「大分マシになった。…渦に閉じ込められるって体験は初めてだよ」

「…わたしもですよ」

 

少し離れたところで、まだ横になっている大ちゃんとその隣で簡単そうな本を読んでいるのに首を捻っているチルノちゃんを見た。そういえば、チルノちゃんは目を回さない体質だったっけ。氷塊「グレートクラッシャー」を振り回すときも思い切り回転するし、そういうのには慣れているのかもしれない。

リグルちゃんが半身起き上がり、背もたれに体を預けて座り直した。もう大丈夫なのだろう。

 

「ふぅ…、ねえ幻香」

「何でしょう?」

「私、もっと強くなりたい」

 

そう言うリグルちゃんの目付きは、今までの彼女からは考えられないほど強いものを感じた。

 

「…前にも似たようなこと言ってましたね」

「違うよ、全然違う。チルノに勝つことよりも、もっと大きい。…あの吸血鬼とその従者の二人組に一方的だった。軽くあしらわれた。もっと凄くて、美しくて、強いのが出来るのに」

「…で、どうなんですか?」

「正直、努力すれば絶対勝てるとまでは思ってないよ。だけどね、あの時すぐ勝てない、って思ったことが悔しいんだ。…凄く、悔しい」

「そうですか」

「うん。だから、今までよりもっと凄い弾幕で攻め立てたい。今までよりもっと美しい弾幕で飾りたい。今までよりもっと強くなりたい」

 

そう言い切ったリグルちゃんの言葉は、わたしにとって少しきついものがあった。相手に依存する弾幕。隙を見出す射撃。常識外れの奇策。相手の美しさを掻き消すスペルカード。その他諸々…。どう考えても、わたしが進んでいる方向とはかけ離れている。

 

「だからさ、見ててよ。私、頑張るから。何かあったら幻香に頼るけど、そのときはお願いね?」

「…ええ、頑張ってください」

 

頼られても、期待に応えられるだろうか?…そうあってほしい。

 



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第109話

黒き塔をその場に残して複製し、三つ前にある銀の歩兵を蹴散らす。これでわたしの黒き軍隊の塔は三つに増えた。それに対し、パチュリーが摘まんだ銀の歩兵がグニャリと形を変え、斜めにあった黒き歩兵を弾いた。盤上に置かれるときには既に歩兵は僧正に姿を変えていた。…ふむ。そう来るか…。

お互いに黙々と数十手指していたが、パチュリーが口を開いた。

 

「ねえ」

「何でしょう、パチュリー」

「いつまでここにいる予定なの?」

「とりあえず夜まで。蛇の加工もその頃には完了してるでしょうし」

 

黒き歩兵を二つ前に動かす。銀の騎士が前にあった銀の歩兵達を飛び越えた。実際に馬が頭上を飛び越えたら、どう感じるのだろう?…いや、城さえも跳び越える跳躍力だ。遥か高みを飛んでいくか。押し潰された時の衝撃は考えたくないけど。

 

「その本は借りてくの?」

「ああ、この『蝙蝠図鑑』ですか?ここで読み切りますよ」

「ま、読みながらやってるならそうよね」

「それは貴女もでしょう?」

 

パチュリーが読んでいる本の表紙には、意味の分からない魔法陣が描かれている。ただの絵としてそれっぽいものを描いているのか、それとも本物なのか…。

 

「そういえば、魔法陣って何ですか?」

「え?説明してなかったかしら?」

「訊いてませんでしたし」

 

黒き僧正を複製して動かし、銀の騎士を討つ。普通のチェスなら二つ前にいる銀の姫様に蹴散らされるから出来ないことだが、この黒き僧正を銀の姫様が蹴散らせば複製の黒き僧正がその姫様を討てる。駒が増えるから犠牲が容易く出来る、ということだ。

 

「魔法陣は詠唱の省略よ」

「省略ですか?けど、才能があれば魔術は思考だけで出来るって言ってませんでしたっけ」

「言ったわ。けれど、大がかりな魔術を思考だけで出来るなんてほとんどいない」

「そうですか」

 

銀の姫様ではなく、横にいた銀の歩兵が姿を変えて黒き僧正を押し潰した。銀の城へと姿を変えたそれを複製の黒き僧正で弾くと、銀の姫様がそれを討った。能力使用回数が減らせたけど、これだとパチュリーは実質歩兵一つ失っただけなんだよなぁ…。

 

「魔法陣だって、ただ描くだけじゃ意味ないのよ。魔力のある素材で描いたり、時には血液だったり」

「例えばですが、わたしの血液だとどうなりますかね?」

「貴女は膨大な妖力持ちだから、とんでもないことになりそう」

「…ああ、そういえばわたしの妖力ってとんでもない量があるんでしたっけ」

「忘れてたの?」

「いえ、特に意識してませんでしたから」

 

例えるなら、百は十ずつ消費し、百万は十万ずつ消費する場合、百より百万のほうが多くても、結局十回しか使えない。

…む、黒き城を複製して動かせば姫様を討てそうだ。しかし、複製したい黒き城は複製だ。前は複製の複製は出来なかった。今では一応出来る。…一応。けれど、この勝負ではどう考えても使えない。諦めて別の時を待つか。代わりに黒き歩兵を斜めに動かし、銀の歩兵を討った。

 

「話を戻すわよ。簡単に言えば、魔法陣は詠唱を図式化したもの。長い詠唱を一言だけにするとか、接触したり魔力を流したりするだけで発動したりとか出来る」

「つまり、それを使えばわたしでも魔術が出来るんですか?」

「正確に描けるの?少し間違えるだけで使えなくなったり暴走したりするから難しいわよ」

「描く必要なんてないですよ。模写なんて一瞬だ」

「…そうね。それなら最初からこれを話しておけばよかったわ…。ごめんなさい」

「そうでもないですよ?精霊魔法は使えるようになりたいですし」

 

しかし、そんな裏技があったとは。時間があったら魔法陣の模写でもしてみようかな。図書館の本を持ち出すわけにもいかないから、最初の一枚はちゃんと描かないと使えないし。

うぅむ、かなりの回数指し合ったけれど、わたしの軍隊が追い詰められてきた。能力使用はあと二回まで、か。対してパチュリーは一回。どう動かすか…。よし、逃げよう。黒き王様を一つ左へ動かす。

 

「…今更言うのも悪いと思うけれど、言わせてもらうわ」

「何がです?」

「…今回のルール、いくら何でも私が有利過ぎないかしら?」

「そうですか?姫様への変形は制限させてもらってますし…」

「それでもよ」

 

今回のルールはお互いに能力を十回まで使用出来る変則チェス。

わたしは複製。駒を動かす際に、その場にその駒の複製を残してから動かす。パチュリーは変形。駒を動かす際に、駒の形を変えてから動かす。お互いに王様、姫様への能力使用は禁止。相手の駒への能力使用も禁止。

 

「…チェック」

「え?」

 

銀の僧正が歩兵に形を変え、わたしの陣地に攻め入った。つまり、昇格。元僧正だった歩兵は姫様へと晴れて生まれ変わった。…ああ、そういう使い方もあったか。銀の姫様が黒き王様の三つ横にいる。

ええと、王様を前に動かしたら…十手以内に詰み。右斜め…特に変化なし。左斜め…同じく。いくら複製しても、何手か詰むのが遅くなるだけで打開するまでは出来そうもない。

 

「………うぅ」

「どうしたの?次の手は?」

「…こうだ」

「え?」

 

チェス盤を複製し、十六×八マスに無理矢理する。そして、黒き王様を後退させる。

 

「…流石にそれは…」

「不可とは言いませんでしたからね。さて、続けましょう」

「…ええ、そうね」

 

 

 

 

 

 

「…はい、負けました」

 

たかがチェス盤を広くしただけで勝てるとは思ってませんよ、ええ。それでもかなり長い間粘ってみた。これをしなかった場合と比較すれば、こっちのほうが長かったと思う。

 

「次やるときはチェス盤への能力作用も禁止ね」

「ま、そうですね」

「それと、私のほうの能力が強過ぎる。この辺りも調整が必要かしら」

「思い付きでとりあえずやってみただけですし、穴があって当然ですよ」

「それもそうね」

 

そう言いながら、パチュリーはチェス盤の駒を並べ直した。見た覚えのある並びだけど…。

 

「この場面、覚えてるかしら?」

「…何となくそんなのもあったような」

「ここで貴女の番。この城を複製してこう動かせば、もっと違う展開になったと思うのだけど」

「ああ、それですか」

 

いくつかの黒き駒を置き換える。その場面で複製だったか否かをしっかりと直す。

 

「この城は、残念ながら複製でしたから」

「ああ、複製の複製は出来ない、だったかしら」

「今はちょっと違いますけどね…」

「あら、そっちは成長したの?」

「ええ、まあ…」

 

盤上の駒を全て退かし、その中から銀の姫様を取り出す。

 

「これは本物です」

「そうね。今回の為にわざわざ金の精霊魔法で生成したもの」

「創造との違いがサッパリですけどね」

「零からじゃなくて、そこら中にある金属の元になるものを掻き集めて作ってるのよ」

「へえ、それは驚いた」

 

右手に銀の姫様を乗せ、隣に複製する。そして、本物のほうを視界から外すために、パチュリーに渡す。

 

「その駒、消せます?」

「ええ、分かったわ」

 

本物の銀の姫様は細かい塵のようになって消え去った。わたしの手には銀の姫様の複製が残っている。そして複製。

 

「…何これ」

「………前はもっと酷かったんですよ?」

「これより?」

「…ええ」

 

一流の芸術家と人間の里にいるただの子供が同じものを作ろうとしたら、こんな感じになるだろうか。あまりにも簡略化され過ぎていて、姫様の駒である、と言われなければすぐに分からないだろう。以前は、そもそも出来なかった。つまり、零から一になったのだ。これでも成長したんですよ。けれど、これだと創造を試みたときと大して変わらない気がする。

 

「『自分の妖力弾を複製出来るんだから自分の複製だって出来る』って思い込んでやったらこうなったんですよ」

「同じ貴女の妖力だから…、と」

「そんな感じです。…まあ、元が単純な形なら大して変わりませんから。弾幕程度なら何とかなりますよ」

「…そうね」

 

スペルカード戦において、わたしの複製をさらに複製するような機会があるとはとても思えないが。あ、そういうスペルカードを作ればいいのか。

 

「…ところで、複製の複製の複製はどうなの?」

「これだけ単純な形になりましたからね。大して変わりませんよ。ほら」

 

銀の姫様モドキが二つに増えた。複製の複製でも、飽くまで複製に変わりはないからね。

 

「ま、大体分かったわ。次こんな感じのルールでやるなら、複製と本物はちゃんと置き換えましょうか」

「そうしましょう」

 



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第110話

「すみませんね、一人で運んでもよかったんですが」

「いえ、任された仕事はちゃんと果たさないといけませんので」

 

天上の星々と月を映す霧の湖の上を妖精メイドさん達に合わせてゆっくりと移動する。周りを見渡しても、わたし達以外の生き物の気配はほとんどしない。

わたしの後ろには十人の妖精メイドさんが一枚の大きな布の端を持ち、燻製加工した蛇肉を大量に乗せてぶら下げている。かなり重そうだ。

 

「…それにしても、予想以上に余ったなぁ」

「とても美味しかったですよ」

「うんうん」

「いや、確かに美味しかったですし、そう言ってくれるのはありがたいんですが…」

 

紅魔館にいる全員分の夕食になった蛇のヌシのあまりを貰ったのだが、あまりにも多過ぎる。咲夜さんは『冷燻法を二ヶ月ほどやってみました。一ヶ月は保存が利くかと思いますよ』と言っていたが、朝昼晩と食べれるときにこれをずっと食べ続けても半月は持ちそうな量である。当分食料には困らなさそうだなー、あははー…はぁ。

 

「これでもいくらかはこちらが貰ったようですよ?」

「これで…?」

「ええ」

「…どのくらい?」

「んーっと、四分の三くらい!」

「うわぁ、全部貰ってたら食べ切れない…」

 

内臓を取り除くのを忘れて持って行ったからか、一部はご丁寧に腸詰されている。夕食として出されたものの一つなので味は問題ないのだが、元の大きさが大きさなので物凄く太い。これは足が早いらしく、早めに食べることを勧められた。

とりあえず、明日のスープにこの腸詰が入るのは確定だ。ちゃんと熱を通さないとね。

 

「ところで、家はどちらに?」

「魔法の森」

「うひゃあ、遠いねぇ…」

 

確かに、この大荷物があると辛い距離だろう。やっぱりいくつか持ってあげた方がいいよね。

妖精メイドさん達が持っている布を目分量で四分の一程度の大きさに切り取って複製。妖精メイドさん達の負荷に出来るだけならないように蛇肉を取り出し、布に包む。

 

「あの…」

「ちょっと急ぎたいから、ね?」

「…そうですか。ありがとうございます」

 

少し軽くなった分、僅かに速くなったのを感じながら魔法の森へと飛んで行った。

 

 

 

 

 

 

「あ、幻香だ。今日は客として?それとも幻香として?」

「両方ですよ。こんばんは、ミスティアさん」

「こんばんは。で、何か持って来てるみたいだけど、それはお土産か何か?」

「お土産なんですが、ここで焼いてくれませんか?一緒に食べましょうよ」

「うわ、これ何の腸詰?鳥は嫌だよ」

「蛇」

 

蛇の腸詰と一銭銅貨を三枚渡す。三本の蛇の腸詰の中心を串で貫き、二つ準備してから八目鰻を焼くところで焼き始めた。

 

「ささ、座って」

「お邪魔しますね」

「はい、八目鰻九本ね。里が近いけど、いいの?」

「確実に会えるなら、多少の危険は飲みますよ」

「へえ、何かあったの?」

「一週間くらい前のことですが、覚えてます?」

 

顎に指を当てて僅かな間考え、視線が上に、空に、月に行ったように見えた。

 

「…ああ、月の異変だっけ?」

「ええ。確か、妖夢さんと幽々子さんに怪しまれたんでしたよね」

「うん、そうだよ」

「理由も分からないでいるのは少し引っ掛かるでしょう?わたしはそうですけど。ミスティアさん、どうして怪しまれて、異変はどういった理由で行われたのか、知りたくないですか?」

「んー、これが焼けるまでの話で」

「分かりました。じゃあ、短めにしましょうか」

 

リグルちゃんにしたのと似たような話をした。月の異変の黒幕、理由、結果。魂魄妖夢、西行寺幽々子、解決。短くまとめ、早口で語ったからか、腸詰が焼けるより早く終わった。

 

「文字通り『怪しかった』から襲われたのね…」

「そうですね。月を眺めて歌ってたから怪しい、と」

「手当たり次第、かぁ…」

「関係なくてもとりあえず、ですよ。まあ、悪気はなかったんですよ。許してやって、とは言いませんが」

「許すよ。怪我はもう治ったし。…さ、焼けたよ」

 

蛇の腸詰の表面が軽く焦げるまで焼かれ、串を挿した僅かな隙間から肉汁が漏れ出ている。

 

「うん、美味しそう。これ、幻香が作ったの?」

「わたしがそんなこと出来るわけないじゃないですか。咲夜さんですよ。頼んだら作ってくれたんです」

「そう?その人、今でもたまに来るんだよ。それでいつも何本か持ち帰るの」

「前にも言ってましたが…。そうですか、今でも買いに来てくれてるんですね」

「常連、って言えるのかな?」

「言えるんじゃないですか?」

 

蛇の腸詰を一口食べる。うん、やっぱり美味しい。蛇の肉だけじゃなくて、胡椒、唐辛子などの香辛料や細切れの野菜が入っている。

 

「んー、美味しい。出来ればにんにくなんかも入ってたら…、あ、それは駄目か」

「そうですね、吸血鬼の従者ですし。…ミスティアさんも、八目鰻以外にも何か売ってみたらどうです?」

「そう?そのことは前にちょっとだけ考えたんだけどね」

「何を焼くんです?」

「ううん、煮込むの。おでんを始めようかなー、って」

 

おでんかぁ…。大根、人参、こんにゃく、竹輪、牛筋なんかを煮込む奴だっけ?…あれ、確か鶏の卵もあったような…。

 

「あ、卵はいいのか、って思ったでしょ?」

「…ええ。焼き鳥撲滅のために始めたんでしょう?それなら鳥の卵を出すのは、と」

「私も結構迷ったんだけどね。そこは無精卵だから許して?」

「…そうですか」

 

産まれることのない卵だから、命のないものだから、と。確かにそうだ。そのまま捨てられるくらいなら、食べてしまった方がいいだろう。もったいないし。

八目鰻を口にする。うん、いつもと変わらない味だ。これだけ美味しく調理出来るんだから、きっとおでんも美味しく仕上がることだろう。

 

「それで、考えたのにどうして始めないんです?」

「…材料がね。滅多にないけれど、里には夜だけ開けて妖怪を対象に商売するお店もあるんだ」

 

へぇ、そんなお店もあるんだ。夜の人間の里ってほとんど歩いたことないんだよね。まあ、妖怪相手の店ならコソコソと隠れてやっているだろうし、見つけられなくてもしょうがないかもしれない。

 

「けど、そういうお店ってすぐ潰れちゃうんだよね」

「妖怪相手に商売するから?」

「そう。だからねぇ…」

「…つまり、人間相手に商売していて妖怪が買っても気にしない店があればいい、と」

「まぁね。けど、そんな都合のいいお店はないの」

「ありますよ」

「え?」

「そんな都合のいい店があるんです」

「いやいや!どうして幻香が知ってるの!?」

「正しくは、慧音が知ってます。ミスティアさん、寺子屋の場所って知ってますか?」

「うん、一応…。里では有名だもん」

「それならよかった。今度、慧音に茸売りの八百屋さんについて訊いてください。わたしに教えられて、と言えばその店に行けますよ」

「…本当?」

 

半信半疑、と言った顔で言った。わたしは、慧音が嘘を言っているとは思えない。

 

「ええ。わたしの、禍のことを『残念だが私の店には来たことがないね。ここの美味い野菜を食べたことがないなんて勿体ない』と言うような人ですから。その八百屋のお婆さんは客か否か二つしかいないんですよ」

 

いつか会えたら、と思う。けれど、現実は厳しい。

 

「そっか…。そんなお店、あるんだ…」

「ま、わたしが知っているのは八百屋だけですけどね。他の具材についても慧音に訊いてみればどうですか?」

「うん、そうする。ありがと、幻香」

「始めたら教えてくださいよ。お金持っていきますから」

「今度の冬…はちょっと早いかな…。来年には始めたいな」

「楽しみにしてますよ」

 



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第111話

部屋の一角に山積みされている蛇肉を掴み取り、ボチャボチャと鍋に放り込む。昨日拾った茸も一緒に。塩と胡椒を少し振りかけ、火打石で着火。

 

「…減らないなぁ」

 

腸詰は何とか食べ切ったので、最初に比べれば一回り小さくなったような気がする。半月で食べ切れそうだとか思った覚えがあるが、撤回しよう。わたし一人じゃその倍、一ヶ月はかかりそう。

鍋が煮えるまでの間に、本棚から『医術教本』を引き抜いて読む。この本はこれまでに何回も読んでいるのだが、これはその道に進んだ人にしか分からなさそうな専門用語をわざわざ使ってわざわざ難しく説明している。けれど、わたしに必要なのは人体構造についてだ。筋肉の薄い部位、骨がほとんど皮一枚でしか守られていない部位、太い血管が流れている場所、といった人間の急所が分かればいい。

 

「縦に真っ直ぐあるんだよなー。うん、覚えやすい」

 

願わくは、こんな知識使わないで済めばいいのだが。まあ、使うとしても使わないとしても覚えていて損はない。

忘れているところがないかと思いながら読んでいたら、鍋からプクプクと音が鳴り始めた。焚火から鍋を退け、スープモドキを器に移す。軽く冷ましてから口にし、それなりの味かな、と思いながら蛇肉を噛み切る。…せめて蛇肉をぶつ切りにするくらいはしたほうがよかったかもしれない。

 

「何しようかなー…、うーむ」

 

半分ほど残ったスープモドキに蓋をしながら、これからすることを考える。今日は何となく誰かが来るような気がする。だから、ここの近くで出来ることがいいんだけど…。

 

「…体術の練習かな」

 

素振りでも構わないだろう。相手がいないから少しやり辛いけれど。素振りって、当てるより力使うんだよね。だからってその辺に生えている樹に向かってやるのはよくないと思う。わたしはそんなことを無傷で出来るような熟練者ではないのだから。

そうと決まったのだから、早速始めたいところだけど、食べてすぐ動くのは少しね…。ちょっと本でも読んで休んでからにしよう。

 

 

 

 

 

 

わたしより頭一つ高い相手を想定し、軽く飛び上がりながら回し蹴りを放つ。そのまま着地した右脚を軸足にし、勢いをそのままに左かかとでもう一撃。上手く繰り返せば何度でも蹴りを加えることが出来そうだが、目が回りそうだし、そこまでやるつもりもないので、今回は二回で抑える。一息吐き、姿勢を正す。

先程と同じような相手を想定し、僅かに体を沈ませる。左脚に力を込め、硬く握った右拳を打ち上げる。上手く顎に決まれば頭が思い切り揺れ、立つのも覚束なくなるらしい。時には掠っただけでもふらつくというのだから恐ろしい。一息吐き、姿勢を正す。

前方に相手がいると想定し、左足を前に出し、腰を捻って右腕を引き絞る。限界まで捻った体を戻す反動と共に一歩踏み出しながら掌底を打ち出す。打ち出すまでが少し遅いが、打ち出せば相当な速さになる。長めの枝の先端を手の平に乗せて撃ち込むのもいいかもしれない。撃ち出す前、手の平に棒が乗っているときに当たってしまったら、手の平から肩まで痛い目に遭いそうだけど。一息吐き、姿勢を正す。

少し離れた場所に相手がいると想定し、勢いよく走り出す。ある程度の速度が出たら、片足で前方へ跳びながらの前方一回転踵落とし。そこまで力を込めたつもりはなかったが、地面に僅かに削れる。やはり、重力は強大な力だと思う。前や横からの攻撃と比べると、上下からの攻撃は相当防御し辛いしね。一息吐き、姿勢を正す。

自分と同じ程度の背丈の相手を想定し、半歩程度後ろへ跳ぶ。左手の親指を除いた四本を揃え、軽く腰と腕を捻る。左足を後ろに着地し、右足を前に踏み込むと同時に貫手を突き出す。狙いは喉。男性相手ならば喉仏と呼ばれる器官が僅かに盛り上がっているから分かりやすい。当てれば呼吸困難、潰したら窒息という急所。殺すつもりはないのだが、相手がいないので思い切り貫くつもりで。一息吐き、姿勢を正す。

突撃してくる相手を想定し、右足で思い切り左へ跳ぶ。左足で着地して、すぐさまさっきまでいた場所に戻りながらの肘打ち。急に視界の外側へ行くと、対象を見失いがちになる。その一瞬で意識を刈り取れれば上出来なのだが…。速度や相手の耐久力によるだろうけれど、上手くこめかみに当てることが出来たら気絶させることも出来るかもしれない。一息吐き、姿勢を正す。

後ろに相手がいると想定し、右脚を軸に回転する。相手の攻撃を避けた、というつもりで旋回裏拳を叩き込む。これもこめかみを狙えればいいのだけど、裏拳は普通に殴るよりも狙い辛く、手を傷付けやすい。それでもこれをやる理由は単純で、それだけの代償を支払うに値する威力を出せる、ということだ。一息吐き、姿勢を正す。

頭二つほど高く恰幅のいい相手を想定し、特に考えずに右拳を突き出す。いわゆる正拳突き。軽く捻りを加えることも忘れない。そして右拳を戻す代わりに左拳を突き出し、左拳を戻す代わりに右拳を突き出す。左右を絶え間なく突き出し続けること数十回。最後の右拳を一歩踏み出しながら思い切り突き出す。単純な乱打。それ故に、生半可な防御を崩せる。的が大きい方がやりやすいけれど、体が大きいということは耐久力があるということ。反撃を喰らわないかが問題だ。一息吐き、姿勢を正す。

が、体が重い。額に汗が滲み、肩で息をする程度には疲れてきた。

 

「あー、動き続けるのはきついなぁ…」

 

技を細かく分けて数十回と続けていたのだが、前より疲れやすくなっている気がする。今更ながら、持久力が多少落ちていることを実感した。そう思いながら、軽く歩いて荒くなってしまった息を整える。二歩で吸い、二歩で吐く。それの繰り返し。

少し落ち着いたところで、樹を背に座り込む。目を瞑り、一度息を全て吐き切ってから一気に吸い込む。三回ほど繰り返してみる。…うん、落ち着いた。

 

「やっぱ相手がいた方がやりやすいなぁ…」

 

分かっていたことだけど、頭の中で思い描いた相手と実際にいる相手では雲泥の差がある。まず、実際に当てられるか否かというのが違う。実際の戦闘では当てるものなのだから、その対象がいないと、その違いに戸惑う。次に、受け身の練習がし辛い。腕を掴んで何かする、という行動も相手なしでやるのはちょっと難しい。

複製すれば済む話なのだが、基本的に近くに誰かいないと出来ない。空間把握すれば形だけはどうにかなるのだが、こんなことの為にしたくない。近くに誰もいないかもしれないし。しかし、創造でやると酷いものになってしまう。

 

「あと少し休もう。そうしたらもう一度――ッ!」

 

微かな足音がこちらに近付いてくる。音からして、一人が二足で歩いている。猪のような獣ではないようだ。こちらに気付いているかどうかは知らないが、音の聞こえてきた方向から見られないように、背を預けていた樹の陰に息を潜めて隠れる。迎撃用に、指先に強力な妖力弾を一発放てるように充填しておく。

隠れること十数秒。かなり近づいてきたが、わたしのところへ真っ直ぐ進んでいるわけではないようだ。僅かに逸れている。逸れた方向には、わたしの家があるのだが…。まずいことになったかもしれない。願わくは、わたしの家に気付きませんように…。

そんなわたしの願いは空しく消えた。その足跡の主は、わたしの家のあるところであろう場所で止まり、扉を叩く音が聞こえてきた。

 

「…いないのか?」

 

…何だ、慧音か。よかった。緊張していた体から一気に力が抜けた。樹の陰から出て、わたしの家へと向かう。

 

「いますよ」

「そっちにいたのか。すまないが、手伝ってくれないか?」

「あー、今日はその日でしたか」

 

誰かが来るような、とは思っていたけれど。日付の感覚が曖昧になるのがわたしの悪いところかもしれない。…まあ、普段から日付を気にするようなこと全然ないですからね。

 

「忘れてたのか?まあいい。昼食もここで摂ろうと思って食材を少し持ってきたんだが、問題ないか?」

「…余ったスープモドキがあるんですが、それもついでにしてくれると嬉しいです」

「妙なものじゃなければな」

「失礼な」

 

食べられないものは全く使ってないんだよ、一応。

 



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第112話

扉を開け、家に戻る。食材や紙など、色々なものを持っている慧音もわたしの後に入ろうとし、急に立ち止まった。振り向かなくても、慧音の目線が山積みになった蛇肉に向かっているのがよく分かる。

そんなことは気にせずに椅子に座り、朝読んでいた『医術教本』を隅に追いやる。

 

「さ、今日は何を書くんですか?」

「え…、ああ。今日はこれだ。よろしく頼む」

「任されました」

 

ふむ…、カイダンを語る、カイダンを上る。イサイを放つ、イサイ承知。紙をコウカンする、コウカンを持つ。檻からカイホウする、病人がカイホウに向かう。工具をヨウイする、とてもヨウイな問題。シンコウの自由、シンコウな謝意を表す。フキュウの名作、技術がフキュウする。カンショウに浸る、絵画をカンショウする。ユウシュウな成績、ユウシュウの美。ごキゲンいかがですか、キゲンを守る。等々。今回は同音異義語か。

慧音はまた別の紙を取り出し、わたしとは違う内容を書き始めた。それに倣ってわたしも筆を執り、一枚ずつ書き出す。行間をしっかり取り、片仮名に傍線を引くのも忘れない。

 

「ああ、そうだ。夜雀のミスティアが私のところに来たぞ」

「でしょうね。で、どうでした?」

「うむ、問題ない。やはりあの婆さんは爪を見ても、耳を見ても、翼を見ても、第一声は『買ってくかい?』だ」

 

うん、期待した通りだ。これで野菜は問題ないだろう。

 

「私が利用している他の店にも紹介しておいた。どれも古くから行っている店だ。今更妖怪どうこう言わないだろう」

「いつ頃から?」

「里に来た頃からさ」

 

まだ信用を得ていなかった頃から利用していたなら、大丈夫だろうか?それに、紹介したなら、顔合わせしたということだろう。

 

「で、大丈夫でしたか?」

「私からの紹介だからかどうかは知らないが、悪い顔はしてなかったよ」

「あとは、一人で来た場合ですかね」

「確かにそうだ。だから、これから買いに行くときには妖怪的な部分を出来るだけ隠すように言っておいた」

「…そうですよね。隠せば問題ないですよね」

 

わたしの場合、全身隠さないといけないからなぁ…。それに対して、ミスティアさんは爪と耳と翼を上手く隠せばそこら辺の少女に見えなくもない。…爪ってどうやって隠すんだろ。手袋とかかな?突き破らないかちょっとだけ心配。

 

「まあ、ミスティアさんが無事買い物出来そうでよかったですよ」

「そうだな。おでんを始める、だったか?私も一度入ってみようかな」

「ぜひ、そうしてあげてください。きっと喜びますから」

 

人間の里の外で場所を選ばずに屋台を開くから、行こうと思って行けるほど甘くないような気がするけど。まあ、それでも暗闇に提灯の光を見つければそこにあるだろうし、何とかなるか。

 

「ところで、…今の里、どうです?」

「…何とも言えんな。私から見て、特に変わったようなところはない」

「ない?」

 

…珍しい。過激派が何人か増えたなんてことも、不吉なことをいちいち騒ぎ立てることもないなんてことがあったか?…もしかしたら、初めてのことかもしれない。

 

「ああ、ない。お前が一週間寝ている間を含めて、だ。大体二週間、何も起こってない」

「あの月の異変が、わたしの所為にされずに?」

「里では月ではなく永夜、と言われてるがな。多少噂になっていたが、それくらいはいつものことだ」

「いつもの奴等が全く騒ぎ立てなかった、と」

「そういうことになる」

 

…遂に終息したのか?いや、どうだろう。騒いでも無駄、と分かったのなら嬉しいのだけど。…そんなわけないか。何か理由があるのではないか?出来なかった理由が。策略、偶然、陰謀、害意、…分からない。

 

「私から言えるのはそのくらいだ。…だから、そろそろ力を抜け」

「え?」

「右手だ」

 

そっと右手に目を遣ると、筆管に幾筋のひびが走っていた。

 

「うわ、いつの間に…」

「いや、そろそろ買い換えようと思っていた筆だ。丁度いい」

「そこまで古かったですか?」

「筆は消耗品だ。私はかなり使ってるほうだからな。持って一年、といったところか」

「長いような短いような…」

「…どうだろうな」

 

曖昧に微笑みながら、そう言った。まあ、そうだろうな。人間にとっては長く、妖怪にとっては短いだろうし。慧音は半人半獣と言っていたが、それでも普通に人間よりは圧倒的に長いだろう。周りが齢を重ねて老けていくのに、自分は変わらない。一体、どう思うのだろうか。

 

「ま、何もなかったんだ。それはそれでいいだろう?」

「…ええ、まあ」

 

確かに、何もなかったことは喜ぶべきことだ。

原因が分からないことに引っ掛かりを覚えていると、慧音が持ってきた食材を取り出し始めた。そして、山積みになった蛇肉に目を向ける。

 

「さて、少し早いが昼食を作るか。…これ、何の肉だ?」

「何だと思います?」

「蛇だな」

「分かるんですか…」

 

しかも即答。これだけ山積みにされた蛇肉ってなかなかないと思うんだけどなぁ…。わたしの食が割れているとそんなに分かるものなのか。

その内の一つを取り、軽く見始めた。鼻を近付け、臭いも嗅ぎ始める。

 

「…ふむ、上手く燻製されているな。保存もかなり効くだろう」

「それでも食べ切れなさそうなんですよね。…いくらか貰ってくれると嬉しいんですけど」

「そうか?そう言うなら幾つか頂戴しよう」

 

持ってきた野菜を取り出し、空になった袋に蛇肉を詰め込んでいく。…減っているはずなのに、減っている気がしない。

そして、スープモドキの蓋を開け、すぐに何とも言えない微妙な顔をした。

 

「なぁ、幻香」

「何でしょう?」

「確か、私と調理したときはもっとちゃんとしてたよな?」

「そうですね」

「それなのに、どうしてこうなんだ?」

「面倒くさかったから?」

「…せめて肉を切れ」

 

ああ、流石に塊のままはよくなかったか。わたしもそう思ったよ、後で。

小皿に汁だけを少し入れて味見をし、少し考えてから蛇肉を取り出し、食べやすそうな大きさに切り始めた。刻んだ人参と白菜も一緒に鍋に入れ、火打石を使って着火。

 

「どこまで書けた?」

「半分いかないくらいですかね」

「いつもより遅くないか?」

「割れ目に指が引っ掛かることがあって少し気になるんですよね。自業自得ですが」

「ならば仕方ない。換えならあるから、そっちを使ってもいいんだぞ?」

「いえ、このまま書きますよ」

「そうか?それならそれでもいいが」

 

そう言いながら、また別の調理をし始めた。わたしも次の紙に手を伸ばし、書き連ねていく。

 

 

 

 

 

 

わたしが今朝調理したスープモドキがまともな汁物へと進化を遂げた。うーむ、野菜を入れたっていうのもあるんだろうけれど、醤油を入れただけでここまで変わるものなのか。けれど、醤油ってどのくらい入れればいいかよく分からないんだよね。多過ぎると塩辛いし、少な過ぎると妙な味になっちゃうし。

 

「ところで、その『医術教本』は何の為にあるんだ?医者になるつもりなんてないだろう?」

「人体構造が載ってたので貰ってきました」

「…ああ、そういうことか」

「そういうことです」

 

慧音のことだ。わたしが人体構造に興味がある理由は、人間の弱点を知るためだと分かったのだろう。

 

「それを読んでも分からないと思うが、太腿は強打されると意外と辛いぞ」

「そうなんですか?近くにある膝の方がいいような気もしますが」

「どちらでも構わないさ。しばらく立ったり歩いたりするのに支障が出る。致命傷、というわけではないがな」

「確か、太腿なら太い血管がありますよ。上手く貫けば酷いことになりそう」

「お前は刃物を扱うつもりだったのか?」

「どうでしょうね」

 

そちらを使った方が効果的だと思ったならば、もしかしたら使うかもしれない。まあ、近くにあったらだけど。

 

「…辛いか?」

「そうですね。外で足音を聞くと、まず疑っちゃいますから」

「そうか」

 

それならいっそのこと、と考えてしまうのはよくないことだろうか。

 



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第113話

幻香が目覚めて何日経ったっけ?…そろそろ一週間かな?ずっと部屋に籠って誰に訊くべきかと考え続けていたからか、よく分からなくなってきた。空腹なようなそうでもないような…。部屋の隅に生えてた茸を食べようとして、やめたのは記憶に新しい。

 

「…どうするか」

 

幻香の中にあると言っていた『ドス黒い意識』。フランドールは何か知っているようだから、そこから何か分かることがあるだろう。萃香は八雲紫とかいう妖怪を探しに行った。それに対し、私には何もなかった。

誰彼構わず訊くわけにもいかない。特に、人間の里で訊こうものなら、どうなることやら。『その姿と禍の名ばかりが知れ渡り、誰も鏡宮幻香の名前を知らない』と前に慧音は言っていた気がするが、それでも訊き辛い。下手に詳細を語ることはまさしく禁句だ。

誰か知っていそうな奴を絞らなければいけないのだが…。それについて知っている奴が全く思い付かない。人脈がまともに構成されていないことが歯痒いと思ったのは久し振りだ。

 

「…動くか」

 

これだけ考えて出てこないので、気分を変えよう。軽く歩くか。そう思って立ち上がるが、考え続けて動いていなかった所為か、体がだるい。いや、ただ食べていない所為か?

家から出ると、運よく蜻蛉が私の前を横切ったので、焼き落として口に含む。翅がカサカサして非常に食べ辛いが、無いよりはマシだ。久し振りにものを食べたからか、やけに味が濃く思え、普段は感じもしないだろう僅かな甘みを感じた。

腹にものが入ったことで動きやすくなったことを少し喜びつつ、迷いの竹林を当てもなく歩く。竹の間から僅かに射す日を浴びながら少し考えていたら、ふと、一ヶ所だけ思い当たる場所が浮かび上がってきた。何故、今まで思い付かなかったのだろうか?…いや、最初から思い付いてはいたのだろう。けれど、勝手に押し退けて敬遠して考えないようにしていたんだと思う。アイツがいる場所に好き好んで行きたいとは思わない。

 

「しょうがない、か」

 

それでも他に思い当たる場所はなかった。行く当てもないので、二重三重の意味で重い脚を永遠亭に向けることにした。闇雲に動くよりも確かなものが得られる可能性が高いのだから。

 

 

 

 

 

 

「かーっ、見つからねぇ!」

 

思い当たるところを何周も回ったのにもかかわらず、見つからない。くだらないときばっかり出てきやがるのに、こういう必要な時に限って現れない。アイツのそういうところも嫌いだ。

昨日から趣旨を変えて、逆に思い当りもしない外れにある鬱蒼として誰も居なさそうな森を探し回っているのだが、それでも見つからない。

 

「これでもう一週間だぞ畜生…」

 

瓢箪を仰ぎ、中にある酒を一気呑みするが、苛立ちを酒で抑えるのも限界ってものがある。頭の中で荒れるものを抑えられない。溢れ出そうになるものを抑えようとさらに呑む。無駄だと分かっているのに。

時間制限があるのは問題ではない。問題なのは、いつまでにやらなければならないか分からないところだ。ありもしない期限に、焦りや苛立ちが際限なく湧き上がる。

 

「…ちょいと休もう。昨日から動きっぱなしだ」

 

樹に背を預けて座り込もうとした時、休んでいる暇があるのか、と私自身が問いかけてきたように感じた。確かにそうだ。休む暇があったら探した方がいいだろう。そんなことは分かっている。

けれど、これだけ動いても見つからないのだから、少し考えを改めた方がいいかもしれない。それを考えるために、と誤魔化そうとしている自分が憎たらしい。

抑えられるはずもないのに呑んでしまう自分に何とも言えない気分を味わいながら、考えを巡らせる。これだけ探して見つからないなら、一度も探していないところを行くべきか?つまり、人間の里に。正直、あまり行きたくない。あそこは、幻香への悪意が萃まっているから。

 

「…あぁーッ!イライラするッ!」

 

ガシガシと頭を掻き毟る。さっさと紫見つけて、幻香にあった『ドス黒い意識』について訊き出したいってのに…!

 

「何をいらついてるのかしら?」

 

急に背後に何者かが現れ、私に囁いた。聞き慣れた、神経を逆撫でするような声。

 

「お前が全く見つからなかったことにさ。…ようやく会えたな、紫」

「あら、私に何か用でもあったの?」

「幾つも訊きたいことがあるんだよ。嘘偽りなく答えろよ?」

 

何せ私は嘘が大嫌いだからな。今言われたら、どうなるか私自身も分からない。

 

 

 

 

 

 

今までに幾度となく閉じ込められてきた、慣れ親しんだ地下室。おねーさんと出会ったときにあったものはかなり前に咲夜によって撤去されてしまったので、とても綺麗になっている。

 

「…あー、暇ー」

 

私はその部屋の真ん中に置かれている、一人で使うには大きすぎるベッドで大の字になっている。ふと、手元に転がっていた金色の懐中時計に目を遣った。そのままだと見難いので、体制を変える。そして、懐中時計の蓋を開けてカチカチと動く秒針を睨む。朝六時、正午、夜六時、と六時間ごと規則正しく食事を咲夜が持って来てくれる。

そう言えば、最初の頃に一度だけ普段と違うものが出されたことがあった。あれ、何の肉なんだろ?少し気になったけれど、今更訊く気にはなれない。

 

「…やることなーい」

 

反省しなさい、とお姉様なら言うだろう。けれど、反省は最初の数時間で終わらせてしまったのだから、残りの時間は流れるのを待つだけである。

…あれ、四百九十五年も閉じ込められてた時って、何してたっけ?…まぁ、そんなことはどうでもいいや。それよりも、今のほうが重要。

一度だけ暇だ、と咲夜に言ってみたのだが、次に来たときに渡された兎の人形を一つ渡されただけだった。最初の数分はそれを使って遊んだけれど、すぐに虚しくなって部屋の隅に放置されている。

 

「あ、そうだ」

 

おねーさんの中にあるって言ってた『ドス黒い意識』。あれは、私に変わったことと関係があるんだろうけれど、どう関係してるんだろ?おねーさんに訊いてみれば、きっと答えに辿り着くと思う。けれど、とてもじゃないけれど訊けないことだ。私になって色々壊そうとした、なんて言えない。誰にも言いたくない。

そんなことを考えていたら、遂に三つの針がXIIを差した。そろそろ来るかな、と思ったら部屋の扉が開いた。

 

「あ、お姉様じゃん。珍しいね」

「…フラン、昼食よ」

「いつもみたいに咲夜に頼めばよかったのに。私はそれでも構わないんだよ?」

「今日は言いたいことがあったから来たのよ」

「何?もう出てもいいの?」

「ええ、そうね」

 

お姉様が普段と違い、嬉しいような、寂しいような、誇らしいような、恐れているような、そんないいことと悪いことをゴチャゴチャに混ぜた微妙な表情をして言った。

 

「…もう、自由にしていいわ」

 

 

 

 

 

 

午前の授業が終わり、一時間程度の時間を空けてから午後の授業に入る。ほとんどの生徒が机の上に親が作ってくれた弁当を広げるのを見てから、教室を出て行く。

私も部屋で何か食べるかと考えて、あの蛇肉しかないなとすぐに完結してしまった。代わりに、午後の授業について少し思い出していたら、背中を軽く叩かれた。誰だろう、と思いながら振り返ると、唯一弁当を広げていなかった生徒がいた。

 

「…先生」

「ん、何だ?質問か?」

 

その生徒は私の問いに対して一言も答えずに、突然私の手を掴んで走り出した。子供の走る速さに合わせるのはなかなか難しいものだ。

寺子屋の裏、誰も来ることがないだろう場所まで引っ張られた私はその生徒をどう叱ろうかと思い、少しだけ目元を険しくした。

 

「急に何だね?」

「…ねえ、先生。前は、友達がよく来てたよね?」

「ん?…そうだな。それがどうかしたか?」

 

急に予想外なことを問われたことに困惑しながら、そういえばこの子は幻香に直接会ってみたいと言っていたな、と思い出した。本当に禍なんて呼ばれるような怖い妖怪なのか、と考えるような子だった、と。

 

「禍、なんだよね?」

「…まあ、確かにそう呼ばれているな。そのことは口に出すなと前に――」

「朝さ、父ちゃんが奥に仕舞ってあった刀を研いでたんだ」

「…は?」

 

急に話が飛び、呆けたような声を出してしまった。…刀を研いでいた、か。…無性に嫌な予感が湧き上がる。

 

「急にどうしたんだろう、って思ってさ。訊いたんだ。そんなの取り出してどうしたの、って」

 

確か、この子の親の職業は竹細工屋ではなかっただろうか。有名というわけではないが、それなりに歴史のある店だったはず。とは言っても、三男だからという理由で婿養子に出されたから、そこまで仕事に熱心ではなかったようだが。

 

「そしたらさ、父ちゃんが『心配しないでいい。悪い妖怪を、禍を退治しに行くんだ。明日には終わるから』って言ったんだ…。これってさ、もしかして先生の友達のことだよね?」

「午後の授業は自習だと伝えてくれ。嫌なら帰ってくれても構わない」

 

居ても立っても居られずに駆け出した。幻香のところへ行かなくては。一分でも、一秒でも、僅かでも、早く。

 



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第114話

少しお腹が空いてきたから、菜箸を複製して蛇肉に無理矢理突き刺し、焚き火で炙って食べることにする。ふとした思い付きで、この肉に砂糖をまぶしてみたらどうなるだろうか、と思って砂糖を探してみたが見つからない。別の場所に置き間違えたか、と考えて離れようとしたときに、砂糖は萃香さんに食い尽くされてしまったことを思い出した。…調味料がいくつかなくなったこと、慧音に言うの忘れてた。調味料はまた今度かな。

蛇肉から僅かに染み出た脂で火が爆ぜる音を聞きながら、食べ終わってからしたいことを考える。…今日は精霊魔法にしよう。魔法陣という楽な道もあるけれど、これまでやり続けてきたんだから続け――。

 

「幻香ッ!」

「おわっ、熱ッ!」

 

扉が思い切り開き、壁に叩きつけられた。その轟音と怒声にも似た大声に驚き、一瞬とはいえ、焚き火に手を突っ込んでしまった。…ああ、いい感じに焼けてきた蛇肉が焚き火の中に。もったいない。残念だけど、蛇肉は諦めて椅子に座ることにした。

 

「ハァ…、ハァ…」

「…け、慧音?」

 

少しヒリヒリする手を擦りながら扉のほうを見遣ると、肩で息をしている慧音がいた。おかしいな…。慧音は来るのは基本一週間に一度。前に来てから、まだ一週間は経っていないはずなんだけど。

 

「この時間は寺子屋の時間じゃ――」

「…まずいことになった」

 

向かい側に座りつつ、わたしの言葉を遮って言った一言によって、嫌な予感が一気に湧き出す。

 

「恐れていたことが、現実になろうとしている…」

「…もしかして、里が?」

「ああ。今夜、お前を討伐するつもりらしい」

 

…遂にこの時が来てしまったか。彼らはわたしを殺す為に、里の外へと出るのだろう。わたしを殺す為だけに、この魔法の森へと足を踏み入れるのだろう。だが、先に一つ確かめておかなければならないことがある。

 

「それ、確かな情報なんですか?」

「…ああ。生徒からの又聞きだがな」

「どういった内容で?」

「その父が『禍を退治しに行く』と言っていたそうだ」

「…ふむ」

 

一人で来るのだろうか?…いや、それはないか。あの時だって複数いたんだし。いや、それ以上に気になることが。

 

「…ここ、どこから割れたんでしょうね」

「私は一週間に一度ここに来ているんだ。そこからかもしれないな」

「そうですね…。わたしも里に行かなくなる前は普通に魔法の森から行ってましたし」

「出所はどうと、ここは既に知られているだろうよ」

 

わたしの家を知っている人はあまりいないつもりだったんだけどなぁ…。慧音、妹紅さん、萃香さん、紅魔館の人達、霧の湖近辺で会う妖精妖怪達、霊夢さん、魔理沙さん、妖夢さん、八雲紫…。パッと思い付くのはそのくらい。それでも、両手で数えきれない数になっていたのか。

 

「…さて、幻香。お前はどうする?」

「どうする…とは?」

 

前に訊かれたときと全く同じ言葉。しかし、続く言葉は変わっている。

 

「新たにどこへ移り住むか、だ」

「……どうしましょうか」

 

前にフランさんとレミリアさんに誘われたし、紅魔館へ移り住むか?流石に吸血鬼の住む館にまで行こうとはしないだろう。

 

「…紅魔――」

 

わたしは、また逃げるのか?わたしが里へ出入りしない、と決めたのは放っておけば勝手に収束すると思ったからだ。しかし、それは無駄だった。悪意が潰えることはないと既に証明された。それなのに、悪意がさらに膨れ上がっていくのを放置して?

 

「――いや、移転は後だ。潰しましょう」

 

…もう限界だ。わたしにとって、過激派は人間の里の膿のような存在。噴き出てしまうならば、いっそのこと小さい内に抜き取ってしまおう。

 

「本気か?」

「ええ」

「死ぬかもしれないんだぞ?」

「今までだって何度も死にかけた」

「それまでとはまるで違う」

「違いませんよ。あるなら、助かる可能性があるか否かぐらい」

「それが問題だろうッ!?」

「そんな程度の問題で止まるほどの柔い決意で言ってるんじゃないんですよッ!」

 

血が滲みそうなほど握りしめた右手を机の天板に叩きつける。すると、それなりに頑丈だと思っていた天板がバキリと割れた。慧音の目が丸くなったが、気にせずに二つに割れてしまった机を回収しながら続けた。

 

「これ以上彼らを放置したくないんですよ。逃げても、もっと膨れ上がってやって来る。また逃げて、さらに膨れ上がる。その繰り返し。なら、今潰すべきだ」

「もう一度だけ問うぞ。…本気か?」

「ええ」

「…そうか。お前の意見は、尊重する…が、私は――いや、何でもない。忘れてくれ…」

 

ギリ、と嫌な音が僅かに響いた。抑えられないものを無理矢理抑えようとしている苦痛が見える。

 

「…慧音。悪いとは思いますが、今は出来るだけ多くのことを知りたいんです。答えられるだけ答えてください」

「…ああ、構わない」

「過激派の数は?」

「私が知っているだけで三十七、いや三十八人いる」

 

三十八、か。多いなぁ…。その全員が来ると仮定して、…いや待て。慧音が知らない数ももちろんいるだろう。多めに見積もって三倍に増えるとする。その数は百十四人。わたしはその数相手に勝てるだろうか?…分からない。

 

「武装は?」

「刀はあるだろう。それ以外だと短刀、脇差、棍棒などが思い付くが、それらは憶測になる」

 

刀か。妖夢さんが楼観剣という刀を振るっていたが、そのような達人がいないことを願う。対応が厳しくなる。とりあえず、手頃な凶器は幾つか持ってくるだろう。禍と言われているわたしを素手で殺そうとする人間はあまりいないだろうから。

 

「今夜と言っていましたが、具体的には?」

「『明日には終わる』と聞いたからそう思っただけでな。申し訳ないが、詳しくは知らん。が、私がここに来るときにそういった者はいなかった」

 

そっか。けれど、慧音の予想は正しいと思う。過激派はわたしを討伐する為に何度も里の外へ出ようとしたが、その度にそれ以外の者に反対されて抑え込まれている。ならば、そういった者たちにバレない時間帯に出るだろう。人間の里では夜に活動する人間なんてほとんどいないのだから。

 

「首謀者は?」

「分からん。が、おそらく元妖怪退治専門家であるあの爺さんだろう」

 

でしょうね。

 

「…ま、このくらいですかね。ありがとうございます」

「すまんな。役立つような情報をあまり出せなかった」

「十分ですよ」

 

今夜来ると教えてくれただけで十二分だ。

さてと。場所が割れてしまった以上、この家とはお別れかな。壁に手を当て、少しだけ意識を集中させる。頭の中で椅子、本棚、それに入れられた本、包丁、鍋なども家の一部と考えることで、まとめて回収する。

 

「…ふぅ」

 

家となっていた妖力塊が妖力となって体中を巡る。完全、というわけではないが、それでも九割以上はあるだろう。

残されたものは、蛇肉の山、僅かな食材と調味料、焚き火、その中で真っ黒に焦げた蛇肉。意図的に残した複製は、緋々色金のネックレスと毒性植物の抽出液。焚き火が森に燃え移ってしまうとよくないので、土を複製して被せて鎮火する。

 

「…よし」

 

落ちている緋々色金が三つ付いたネックレスを首に掛ける。

 

「食材の類は少し残して持って行ってください。多過ぎると荷物になってしまいますから」

「持ち帰れる分だけ、な。流石に私一人では多過ぎるよ」

「それでもいいです。放っておかれるよりマシでしょうから」

 

関節の可動域を少しでも広げるために、一ヶ所ずつゆっくりと伸ばしていく。その途中で、忘れていたことを思い出した。

 

「慧音」

「何だ?」

「一応、言っておきますね。…さよなら」

「…ああ。さようなら、幻香」

 

この世かあの世で、また会いましょう。

 



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第115話

…本当に来た。頭の隅では来ないことを望んでいたけれど、そこまで甘くはなかったようだ。自然と漏れ出た溜め息は、冷えた闇に紛れて消えた。

空間把握。先頭は小柄な人で、その後ろにズラズラと大人と言えそうな大きさの人達が。えぇーっと、一、二、三…全部で八十六人か。うわぁ、多いなぁ…。ほとんどが何かを手に持っているのが分かる。刀、脇差、出刃包丁などの刃物、棍棒、錘、物干し竿などの鈍器。三節棍なんて珍しいものもある。…細かく感じていたら時間がかかる。もうすぐ彼らはここに着くのだから。

わざとらしく音を立てながら、魔法の森から出る。森の中は戦いやすいけれど、それでは駄目だ。被害はわたしにとって最小でいい。魔法の森で気絶なんてさせてしまったら全員お陀仏でもおかしくないのだから。

音に気が付き、歩みを止めた人間共が見えた。さて、と。彼らが来るまでの間に性格は大体考えた。

 

「おや、珍しい。こんなところで夜の散歩かな?」

「…禍」

「そういえばそんなふうに呼ばれてるんだっけ。そうだね。君達が言う通り、わたしが禍だ」

 

先頭にいたのは、あの時の爺さん。元妖怪退治専門家。その両手に得物らしきものは見えない。

 

「貴様を殺しに来た…!」

「ふーん、あっそ」

「なッ…!」

 

呆れたような顔をしながら答えると、神経でも逆撫でされたように、皺いっぱいの顔がさらに皺くちゃになった。紙を丸めて広げたようだ、とどうでもいいことが頭に浮かぶ。

 

「お前の所為で!」「息子が!」「腕を!」「娘が!」「怪我を!」「妻が!」「病に!」「怪我を!」「友が!」「病に!」「消えろ!」「腕を!」「お前の所為で!」「娘が!」「怪我を!」「妻が!」「病に!」「怪我を!」「友が!」「お前の所為で!」「父が!」「母が!」「腕を!」「脚を!」「息子が!」「病に!」「怪我を!」「殺せ!」「腕を!」「消えろ!」「お前の所為で!」「息子が!」「腕を!」「死ね!」「娘が!」「怪我を!」「妻が!」「眼を!」「友が!」「父が!」「息子が!」「脚を!」「死ね!」「お前の所為で!」「消えろ!」「病に!」「死ね!」「母が!」「娘が!」「病に!」「お前の所為で!」「殺せ!」「妻が!」「病に!」「腕を!」「殺せ!」「お前の所為で!」「息子が!」「殺せ!」「友が!」「眼を!」「父が!」「殺せ!」「友が!」「お前の所為で!」「息子が!」「脚を!」「娘が!」「病に!」「お前の所為で!」「殺せ!」「妻が!」「父が!」「母が!」「お前の所為で!」「腕を!」「脚を!」「息子が!」「病に!」「怪我を!」「殺せ!」「死ね!」「息子が!」「脚を!」「消えろ!」

 

後ろもガヤガヤとうるさくわめき出す。何を言っているのか分からないけれど、まあ、今まであった不吉なことについて、呪詛めいたことを言っているのだろう。まあ、予想通りの反応だ。だから、それに対する返事も決めていた。

塵でも見るような眼を心がけて、嫌味たっぷりに言ってやる。

 

「殺したければさっさと来なよ。お前らの不幸なんて鼻で嗤ってやるからさ」

 

そう言ってやった途端、棍棒が二本飛んできた。一本躱しつつ、もう一本の持ち手を右手で掴み取る。自ら得物を手放すなんて信じられない…。それに、相手に与えるなんてさらによくない。

 

「かかれッ!かかれえェーッ!」

 

爺さんが同じように士気を高めるのを聞き流しつつ、駆けてくる相手の顎に軽くかち上げる。僅かに浮かび上がり、頭頂部から落ちるのを視界の端で見つつ、もう一人の顔を軽く潰す。…うぅむ、使い辛いな。得物を持った動きは碌にやってなかったからなぁ…。

一本複製し、過剰妖力を噴出させて射出。鳩尾を打ちながら、四人巻き込んで吹き飛ぶ。別の集団へ駆け、空いている左手の貫手を左胸部に打ち込む。まだ倒れなかったので、軽く浮かび上がりながら体を旋回させ、頭頂部に踵を叩き込む。

 

「…おぉおーっ!」

「おっそいなぁ」

 

今更ながら刀を抜き出すのを呆れながら、振り下ろしを半身ずらして避けると、刀が地面に虚しく刺さる。いつの間にか後ろから飛びかかってきた一人を棍棒で叩き、捻られた体を戻す反動で目の前の顔を叩き潰す。

近くにいた一人の脚を払い、左手で頭を掴んで地面に叩きつける。右から物干し竿を振り上げながら来たので、気絶しているのを投げ当てる。そして、物干し竿を複製して喉を突く。

 

「何をモタモタしておるッ!囲め!囲めェーッ!」

「…止めた方がいいと思うけどなぁ」

 

そんなわたしの呟きは、当然届くことはない。八人に囲まれた。刀二本、脇差一本、包丁三本、棍棒一本、錘一本。そして一斉に突撃してきた。

 

「…それは流石に有り得ないでしょ」

 

樹を一本複製し、枝葉の中に弾き上がる。刃物は幹に突き刺さって抜けないようだ。その六人の頭に複製した棍棒を落とす。重力に従って加速していく棍棒でそのまま気絶。普通なら手放すだろうに、そんなことしないからこうなるんだよ。鈍器はその硬い幹を叩いたことで、普段こんなことの為に使っていないだろう手を痛めて得物を手放している。枝葉の中から飛び降り、錘を持っていた方に前方一回転の加速を乗せた踵落とし。樹を回収して、その向こうにいたのに棍棒を投げつける。綺麗に顔に当たり、倒れた。

 

「数じゃッ!数で押し切れる!行け!行かんかあァッ!」

「そんなわけないでしょうに」

 

もう使ってもいいか。『幻』展開。最速追尾弾用を四十五個。威力は最弱。気絶させるのは出来なくても、牽制なら何の問題もなく出来るだろう。一斉に放たれた弾幕に六十人強が慄き出す。爺さんも心なしか頬が引き攣っているように見えた。

無謀にも突撃してきた一人の刀を『幻』から放たれる妖力弾によって真ん中から圧し折る。跳んでいった刃が地面に突き刺さったことにホッとしながら、顔に飛び蹴りを叩き込む。

 

「もうさ、諦めなって。勝てない勝負に挑むのは止めたら?」

「ふざけるなッ!貴様だけは許せんわッ!」

「でしょうね」

 

指先が淡く光り、一発の妖力弾を放つ。貫通特化の妖力弾は一人の右肩を貫き、その後ろにいた数人も貫く。悲痛な叫びが上がるのが鬱陶しかったので、彼らが持っている鈍器を地面の中に複製する。大地という圧倒的質量に勝てるはずもなく弾き出された鈍器がそのまま顎にブチ当たる。叫んでいたのを含め、十人打ち上がった。

 

「もう諦めよ?」

「断るッ!」

 

『幻』で近付いて来るのを撃ちながら語りかけてみたが、そりゃ断りますよね。この程度で諦めるなら、ここまで来ないだろうし。

自ら近付き、一人の喉を貫手で打ち、その隣にいた奴のこめかみに一発蹴りをブチ込む。左奥にいる奴に炸裂弾を一発撃ち込むと、血を噴き出しながら吹き跳んだ。ヤバい、これは流石に駄目だ。幸い、致死量は出ていないと思う。半日は放っておいても問題ない量に見えた。

 

「喰らえ!」

 

棍棒がまた投げつけられたのを呆れながら妖力弾で弾く。近くにいるのを探っていたら、左肩に衝撃が走った。

 

「ぐッ!」

 

眼だけで肩を見ると、黒く塗られた杭が突き刺さっていた。気付かなかった…!そんな小細工してきそうなのは、棍棒を投げた奴の後ろにいた爺さん以外思い付かない。

 

「あ、れ?」

 

突如、体が固まってくる。動けないほどではないけれど、関節に糊付けでもされたように。意識も僅かに薄れていく。『幻』が勝手に消えていく。

 

「禍は弱った!今じゃァッ!殺れッ!殺すんじゃッ!」

 

そういう爺さんの眼に違和感を感じた。左眼と右眼で焦点が合っていない。それに、瞳の色も僅かに違う。

 

「ああ、面倒な…」

 

まさか、片眼を捧げて『妖力無効化』の呪具を作って来るとは…!

 



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第116話

妖力無効化。妹紅さん曰く、離れ業。呪術やそれに類する道具を用いて行う。代償なしに得られるものではなく、身体の一部や五感などを捧げることで得られる。捧げれば誰でも簡単に力を得られるが、効果はそれらを捨てるに値するとは思えないほど非効率で、大抵は一度使うとまた新たに何かを捧げる必要がある。もちろん、失ったものは返ってこない。

 

「ぐっ、抜けない…」

 

右手で引き抜こうとするが、奥のほうで引っ掛かって抜けそうもない。どうやら、しっかりと返しまであるようだ。周りの肉ごと抉り取るのもいいが、そんな余裕はない。戦闘と時間の両方で。

 

「…せっかく手加減出来そうだったのに」

 

『幻』を使えれば、手加減が容易に出来たのに。『幻』があれば実力差が大きく開くので、問題なく力を抜けたのに。これだと、手加減が出来なくなってしまったじゃないか。

そんなわたしの心境は露知らず、爺さんの掛け声に奮起してそいつなりの全速力だろう走りで接近してきた男を見遣る。

 

「喰っらいやがれぇ!」

 

威勢のいい声を上げながら、両手で刀の柄を握りしめて頭上に掲げている。既に抜かれている刀の垂直振り下ろしと予想。振り下ろす前に倒すべく、走り出す。靴の過剰妖力を噴出出来ないことと、動き辛い体に僅かばかりの怒りを感じながら、男の鳩尾に左掌底を打ち込む。

瞬間、杭の刺さった左肩に激痛が走る。返しが引っ掛かっているせいか、左腕を動かすのも辛い。うぅむ、左腕はあんまり使わない方がいいか?

倒れた男が持っていた刀を奪い取り、右から襲いかかってきた奴の鼻を刀の頭で叩く。素人じみた挟撃をしようとした左側のもう一人の脇に峰を思い切り叩き込む。何か硬いものが割れたような感じがしたけれど、気にせず刀から手を放し、そのまま回転しながら鼻を抑えている男のこめかみへ蹴りを打ち込んだ。

 

「殺せッ!殺せェッ!」

 

その言葉に返事するように大声を張り上げる男達。突進してくる五人の先頭を足払いしてこかし、次にやってきた男の三節棍の鎖に貫手を打ち込む。パキリ、と砕ける音と共に棍が一つ離れた。三節棍を壊されたという事実に目を見開いた男を気にすることなく、右手を地面に下ろし、片手で軽く跳躍しながら前方一回転踵落としを次の男に叩き込む。体勢をすぐに戻し、次の男の突進を避けるように旋回して裏拳を叩き込む。最後の男が畏怖したような表情で逃げるように後退したが、脚がもつれ尻餅をついた。丁度いい位置にあったのでその顎を蹴飛ばした。

さらに追加でやってきた二人と、後ろにいる二人で挟撃されそうだったので、近くに落ちていた三節棍の一部を前方へ蹴飛ばして牽制しつつ、後ろの二人を片付ける。

 

「…あれ」

 

気付いたら、いつの間にか囲まれていた。さっきの五人はこの布陣の為の犠牲だったのかな?空間把握出来ないっていうのはちょっと辛いなぁ…。あんまり使っていないつもりだったけれど、かなり依存していたかもしれない。目の前の戦闘に集中し過ぎて、周りを見ていなかったのも悪かった。

まあ、過ぎたことはしょうがない。周りを軽く見渡すと、囲んでいるのは十三人。全員刃物持ち。しかし、どう見ても使い慣れているとは思えない酷い持ち方をしている奴もいて、少しだけ笑えてくる。

 

「…ぉおおっ!」

 

無駄に大声を出しながら後ろの一人が突撃してきたが、そこにいたのは囲んでいる時から刀を振りかざしていた。正直、馬鹿としか思えない。刃渡りと足音から振り下ろすだろう位置を予測し、その少し前に左側へ思い切り跳ぶ。急に跳んできたことに驚いたのか、動けなかった男の顔を踏み台にして戻り、地面に突き刺さったのを何とか抜こうとしている男の横顔を蹴飛ばす。そして、残された刀を抜き、何となく前にいる男に切っ先を向ける。

 

「ひぃっ…」

「…おいおい」

 

思わず苦笑い。その程度で萎縮しないでよ。まだ誰も死んじゃいないんだから。…まあ、概ね予想通りの反応だ。その男の顔スレスレに刀を投げつけ、その刀に目が行っている内に右掌底を顎に打ち上げる。その姿に目を奪われた左右の男二人の足を払い、右側の男の後頭部を掴んで地面に叩き付ける。そのまま右回りに一人ずつ片付けていく。

 

「…ふぅ」

 

軽く一息吐き、三十人の男共と、その奥に隠れるようにいる爺さんを見る。緊張しているからか、警戒しているからか、恐怖しているからか、皆動かない。

 

「どうしたんですか?殺す、のでは?」

 

薄ら笑いを浮かべ、軽く挑発する。夜になる前に、いくつか考えた。わたしの予想が正しければ…。

 

「コッ、殺せェッ!今すぐッ!禍を殺すのじゃァッ!」

 

爺さんが喚き出すのは予想通り。

 

「…来ないか。ハァ、面倒な…」

 

それでも男共は動かない。その目からは恐怖しか見えない。…やっぱりね。中心はあの爺さんで、周りは何となくだったんだ。それでも突撃してきたのは、かなり染められていたんだろうけど。

まあ、だからと言って放っておくつもりはないけどね。それに、視界がチカチカし出して鬱陶しい。世界が光る砂粒でも浴びたようだ。さて、さっさと残りも片付けよう。そう思いながら、とりあえず一番近い奴に突撃した。

 

 

 

 

 

 

「…あー、疲れた」

 

それなりに返り血を浴び、何とも言えない気持ちになった。気を失ってグッタリとした男の頭を右手で掴んでいるが、血で滑って地面に落としてしまった。…まあ、いいや。これで八十五人目、っと。

 

「…な、何故じゃ…」

「さぁね」

 

周りに味方が誰もいなくなり、前とは違って絶望した表情を浮かべた爺さんを見下ろす。

 

「…数も揃えた」

「ちょっと弱過ぎ」

 

素人しかいなかった。まともに武器を扱えたのは誰もいないし、両側から刀を振りかざされたときは、避けたら同士討ちしてしまうのではとヒヤヒヤした。それに、数を揃えたからって強くなるわけではないのだ。ちゃんと統率を取れていれば別だけど。

 

「…左眼も、嗅覚も、味覚も、寿命も捧げた」

「うわぁ、そんなに捨てたんですか?」

 

まあ、それだけ捨ててこの程度の効果しか出ないのだ。

ス、と右手が半ば勝手に動き、人差し指が杭を弾いた。すると、カシャリ、と音を立てて容易く砕け散った。その瞬間を見た爺さんの顔色が一瞬にして灰色になった。

まあ、そんな爺さんはどうでもいい。わたしには、ちゃんと言いたかったことがあるのだから。

 

「ここで交渉をしましょう。貴方はこのまますごすごと里に帰って、残された短い寿命を何も騒ぐことなく、『禍』という単語を一切口にせず、わたしのことを殺すのを諦めてくれませんか?その為に彼ら八十五人はまだ死んでいません。殺していません。彼らを助ける為だと思って、ここは諦めてくれませんか?そうしてくれれば、これからも貴方達の住む人間の里へ赴くことはしません。どうです?人間の里の為だと思って、諦めてくれませんか?」

 

ちょっと危ない奴が数人いるけれど、それは口にしない。

少し待ったけれど、爺さんの返事はなかった。だが、言葉にせずとも分かった。

 

「…駄目ですか」

「断る…!」

 

それだけ顔を真っ赤にされれば、言われなくても伝わる。

 

「我が母を!我が竹馬の友をッ!殺した貴様を捨て置くなどッ!」

「あっそ。まあ、知ってたよ」

 

どれだけ言葉を積み重ねても、彼の答えは覆らない。誤解は、解けない。

 

「だから、最初からお前だけは許すつもりはなかったよ」

 

空間把握。地面の落ちている刀、脇差、包丁といった刃物を一気に複製し、爺さんの全身を貫く。頭から手足といった末端まで、隈なく全身を。喉も、心臓も、脳も、貫いた。追加でもう一回複製し、さらに貫く。もう、生き返ることはない。失ったものは、返ってこない。

 

「…さよなら」

 

そして、炸裂。一瞬の閃光と共に、爺さんは刃物の複製に巻き込まれる形で爆ぜた。コロコロ、と転がってきた義眼を踏み潰す。踏み潰す直前まで、わたしを睨んでいるように見えた。

わたしは、周りの奴らは、ただ付いて来ているだけではと考えていた。永夜異変の原因がわたしだと騒がれなかったのは、騒ぐことが出来ない何かしらの理由があるからではないか、と。つまり、この爺さんがあの杭を作るための儀式だか何だかの為に出られなかったからでは、と。つまり、騒ぐ者がいなければ、里は収束するのでは、と。集団戦では、末端を潰すより、司令塔を潰すのがいいらしい。それと同じようなものだ。

 

「…ああ」

 

何テ爽快感!天に昇ルようナ絶頂!コれ以上気持ちノいいコとが他にあルダろうカ!モっと壊したイ!どンドん壊したイ!さア、もッと、もット、モット…!

何て不快感。地に沈むような絶望。これ以上気持ちの悪いことが他にあるだろうか?もうやりたくない。二度とごめんだ。ああ、いやだ、いやだ、いやだ…。

相反する二つの感情。吐き気がする。頭が、痛い。何かが、湧き上がる。声が、響く。

 

『さァ、もッと壊ソ?』

 

貴女は、誰?

 



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第117話

「よっ、と」

 

塀を乗り越え、永遠亭の庭に音を立てず着地する。奥のほうで妖怪兎が何かしているようだが気にせず進み、そのまま窓を開けて中に侵入する。

 

「…せめて入口から入ったらどうかしら?」

「悪いな。居留守を使われたら面倒なんでな」

 

窓から侵入した私に呆れた顔をしながら永琳は言った。言われたように入り口から入ってもよかったのだが、かなり昔に居留守を使われたことがあった。それは何としてでも回避したい。それに、アイツに会わないで済むならそれに越したことはない。今回はアイツに用は全くないのだから。

 

「で、何か用かしら?」

「単刀直入に言わせてもらう。幻香のこと、何か知ってるだろ」

 

軽く目を細め、手元にある何が書いてあるのか分からない紙によく分からない単語を記入しながら答えた。

 

「…ドッペルゲンガー」

「その先だ」

 

手が止まった。そして、瞬き二回。…どうやら、当たりを引いたようだな。

お互い口を開くこともなく、静寂が続く。数分待ち続けただろうか。ようやく永琳が重い口を開いた。

 

「…そうね、貴女は幻香の友人だもの。貴女には、それを知る権利がある」

「言えよ」

「先に言っておくけれど、これは飽くまで仮説。それを忘れないで」

 

そう言いながら席を立つと、扉に手をかけた。

 

「それでも知りたければ、付いて来なさい」

 

部屋を出る一歩前に、振り向いて私に言った。答えは既に決まっている。私は躊躇いもなく永琳の後ろに付いて行った。

廊下に入ってすぐ、永琳は振り向くことなく私に言った。

 

「優曇華には吸血鬼について少し調べてもらったわ」

「吸血鬼ぃ?」

「ええ。とても面白いことが書かれていたみたい。とある吸血鬼が頭から真っ二つにされ、右半身と左半身に分かれた。その二つの半身がそれぞれ失われた半身を再生して、全く同じ吸血鬼が二人誕生した、ですって。まあ、調べてもらって悪いけれど、あんまり意味はなかったわね。さ、着いたわよ」

 

無駄話とも思える話が丁度よく終わったところで立ち止まり、扉を開けた。真っ暗な部屋で、どこに何があるのかさえ分からない。指先に小さな炎でも灯そうか、と考えていたら、電灯が点いた。壁一面に大量の箱や巻物、よく分からない機械がズラリと並んでいた。

 

「なんだ、ここ」

「資料室兼物置、かしら?まず見せたいものがあるから、少し待ってて」

 

永琳は、大量にある箱の一つを開けた。後ろから覗いてみると、規則性を見出せない模様が一面に描かれた紙が大量に収められていた。その中から三枚の紙を選び抜いて、私に手渡した。

 

「…何だ、これ」

「DNAよ」

「は?ディ…、も、もう一度言ってくれ」

「DNA。デオキシリボ核酸。生物の遺伝情報の継承と発現を担う高分子生体物質よ」

「さっぱり意味が分からん」

 

急に聞いたこともない単語を言われても困る。

 

「それはそうよね。貴女に必要な情報を分かりやすく言えば、個体の識別が可能なのよ。全く同じDNAが出る確率は、私の作った機械だと大体六兆分の一」

「…それの何がいいんだ?」

「今の貴女にはそこまで関係ないわね」

 

血統がなんたら、先天的病気がどうこう、と呟いていたがよく分からなかった。

 

「左上に誰のDNAか明記してあるわ」

「ん…『鏡宮幻香』、『フランドール・スカーレット』、『鏡宮幻香(仮)』…。おい、幻香二枚あるじゃねえか」

 

それに(仮)って何だよ。

 

「いいのよ、それで」

「よくないだろ。それに、個体の識別が可能だってんなら二枚もいらないだ、…ろ?」

 

『鏡宮幻香』と『鏡宮幻香(仮)』の模様が全く違う。誰がどう見ても、違う。それどころか『フランドール・スカーレット』と『鏡宮幻香(仮)』は全く同じと言ってもいいほど模様が同じだった。

 

「…さっきお前が言ったのは嘘だったのか?」

「いいえ。まあ、例外的に双子なら同じDNAになるけれど…」

「双子?…それはないだろ、流石に」

「でしょうね。仮説を話すわ。真実かどうかは貴女が判断して」

 

そう言うと目を瞑り、滑らかに口を動かし始めた。

 

「まず、私は彼女達と戦っているとき、八雲紫が空間を開いた先にフランドール・スカーレットが二人いるのを見た。そして、その後同じ場所に行ってみると、フランドール・スカーレットと鏡宮幻香がいた」

 

慧音が言っていた永夜異変と里で言われているものが起きた時のことだろう。幻香と八雲紫が同時にここに来ていたのは、その時しか思いつかない。

 

「そこで私は突拍子もなく思ったのよ。『フランドール・スカーレットと鏡宮幻香は同一存在ではないか』なんて発想を」

「はぁ?どうしてそうなる」

「フランドール・スカーレットと鏡宮幻香が入れ替わっていたから、だったと思うのだけど。正直、どうしてそんな事が思い付いたのか、私にも分からない。もう一度あの時に戻ったとしても、同じことを考えるとは思えない。…まあ、この発想は間違いだったわけだけど」

「…違ったのかよ」

「ええ。そのときはそうだと思って調べた。だけど、違った。代わりに、別の答えが出てきた」

 

そこで永琳の口が止まった。喉に何かが詰まっているように、言葉が続かない。

 

「…言えよ。話が進まないだろ」

「……『鏡宮幻香はフランドール・スカーレットに、もしくはフランドール・スカーレットは鏡宮幻香になった』。私は、そう考えた」

 

幻香が、フランドールに?妖怪狸や妖怪狐なんかの変化(へんげ)ではなく?

 

「貴女のことだから、妖怪狸の類を疑ってるでしょうね。残念だけど、それはないわ。その手の変化ではDNAは変化しない」

「…一応、証拠は?」

「ちょっと待ってて。…これよ」

 

渡された二枚の紙には『抜田八兵衛』と『島本絹代』と書かれている。パッと見で分かるのは、その模様が同じであること。

 

「ある妖怪狸のDNAよ。両方とも偽名だったけど」

「…見た感じは同じだな」

「ええ。重ねて見ればよく分かるわ」

 

重ねて…?そう言われると、この紙は一般的な紙と比べると非常に薄い。紙の向こう側が透けて見えそうなほどに。言われた通りに重ねて見てみると、全ての模様がピッタリと重なった。

 

「…同じだな」

「ええ。世間話で『二回目の診療ですね』って言ってみたらアッサリと認めたわ。『前回は八兵衛と言う名で来たのですが、よく分かりましたね』って」

「とりあえず信じる。…仮説を続けてくれ」

「ええ、そうするわ。鏡宮幻香が倒れていたところに散らばっていた指の肉片のDNAが『鏡宮幻香(仮)』よ。調べてすぐはフランドール・スカーレットのDNAだと思った。けれど、よく見ると違った。機械の誤差かと思ったけれど、それにしては不可解な違いだった」

 

重ねて見てみると、二枚の模様はほとんど一致した。しかし、僅か三ヶ所だけとはいえ、明確に違うところがあった。

 

「…一応別の個体、ということになるんじゃないか?」

「その違うところを覚えて頂戴。次に『鏡宮幻香』と『鏡宮幻香(仮)』を重ねてみて」

「これだけ違うのに重ねても大し、て…」

 

さっき違っていた三ヶ所だけが、一致した。これは、偶然か?偶然で片付けてもいいことなのか?

 

「偶然の一致と片付けてくれても構わないわ。だけど、私は偶然ではないと考えた。だから、私はそう仮説を立てた」

「…いや、これは偶然じゃない、と思う。が、何なんだ、これは…」

「分からないわよ、そんなの」

「…なあ。幻香は、何者なんだ?」

「ドッペルゲンガー。だけど、それ以上に異常よ。正直に言わせてもらう。…彼女は、化け物よ」

 

化け物、か。言い得て妙だな。

 

「…ありがとうな」

「これを知って貴女が何をしたいのかは訊かないわ」

「悪い。そうしてくれると助かる」

 

もう一週間経ったんだ。萃香かフランドールも何か情報を得ただろうか?一度集まって情報を交換するのもいいかもしれない。

 



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第118話

紫は怪訝そうな顔で、首を傾げた。わざわざ顎に人差し指を当てているのが、何だかムカつく。

 

「…訊きたいこと?そんなことされるつもりはないのだけれど…」

「知るかよ、お前の予定なんて。紫、お前は私が訊いたことに正直に答えてくれりゃそれでいいんだ」

「あらあら…。ねえ、カルシウムちゃんと摂ってる?卵の殻なんかいいらしいわよ?」

「カル何とかなんかどうでもいいんだよ。話を逸らすな」

 

そんなつまらないって感じの顔をされると、なおのこと腹が立ってくる。今すぐにでも殴り飛ばしたい。が、そんなことして何処かに行かれたら意味がない。抑えろ、抑えろ…。

睨み続けること数秒。紫の口が動いた。まず出たのは、止まっていた空気を無理矢理動かすような溜め息だった。

 

「…しょうがないわねぇ」

 

そして、私に向かって右手の人差し指、中指、薬指を突き出した。何だ、これ?

 

「…三つ、よ」

「あぁ?三つ?」

「貴女とは、それなりにいい仲だと思ってるわ」

 

確かに、かなり古い仲だ。空白がゴッソリと空いているが、その前からある程度友好的な関係はあったと思う。

 

「だから、三つまで答えてあげる。さあ、何でも好きな事を訊きなさい」

 

まさか、回数に制限を加えてくるとはな…。面倒なことになった。私が正直に答えろなんて言ったから、三つまでなんて制限を課したのだろう。だから、この三つの質問では嘘を返さない。紫はそういう奴だ。

 

「真っ先に訊かなけきゃならないことは、既に決まってる」

「へえ、そうなの?何かしら?」

「…幻香のことだ」

「あの子の?」

 

意外な答えだったのか、僅かに瞼が持ち上がった。が、すぐに元に戻り、何事も無かったかのような顔に戻ってしまった。

瓢箪の酒を一口呑み、嫌に渇いた喉を無理矢理潤す。肺に溜まっていた空気を一気に吐き出してから言った。

 

「私が幻香の意識を萃めようとした時のことだ」

「あら、そんなことしたの?」

「ちょっとでいいから黙ってろ。…萃めようとしたらな、お前の結界が幻香の意識にあったんだよ」

 

その結界の中にあった『ドス黒い意識』。あれを思い出しただけで、今でも嫌な汗が噴き出そうだ。

 

「…あれは、何を封じ込めている?」

「…あぁ、妙な干渉があったと思ったけれど、あれは貴女だったのね」

「そんなこと訊いてんじゃねぇ。答えろよ」

「はいはい」

 

そう言いながら、右手の薬指を曲げた。

 

「あれは、能力の結果よ」

「はぁ?」

「ちゃんと聞いてた?能力の結果、よ」

 

幻香の能力の、結果?待て、おかしいだろ。幻香の能力は『ものを複製する程度の能力』。石ころは掴める。妖力弾は目に見える。だが、意識に実体はない。そんなものをその能力の対象に出来るのか?…いくら考えても全く分からない。

紫に訊けば答えるだろうが、たった三回…いや、もう残り二回か。その二回に入れてもいいようなことなのか、と考えてしまう。

 

「ぐっ…、どうするか…」

「そんな難しく考えなくてもいいのに」

 

…確かにそうだ。このまま時間が無為に過ぎていくのもよくない。ただでさえ時間をかけ過ぎてしまったのだ。

 

「…次だ。幻香の能力について」

「本気で訊いてるの?貴女、もう知ってるんでしょう?」

「…いやっ!待て!やっぱナシだ、ナシ!」

 

落ち着け。時間がないからって、訊くべきことを間違えるな。瓢箪の酒を一気に呑み込む。…よし、少し落ち着いた。

 

「そう?なら、それでもいいけど」

「そうだな…。お前が封じ込めてる意識、私達はとりあえず『ドス黒い意識』って呼称してるんだがな」

「へえ、確かにあれは黒そうね」

「お前の腹の中には敵わないだろうさ」

「失礼ね」

 

コイツの腹の中は相当黒いが、それでも幻香の中にあった『ドス黒い意識』には負けるだろう。だが、そうであってほしいという願いが、自然と口から出てきた。

眼を合わせて、睨み合う。数秒と経たずにプイ、とすぐに視線を逸らされてしまった。

 

「で?それがどうしたの?」

「…それは、最初からあったのか?」

「最初?産まれたときからってことかしら?」

 

…そう言われれば、最初っていつだ?紫の言う通り、産まれたとき?私と出会ったとき?フランドールに付いて行って、月の異変の原因探索へ行ったとき?いや、そういう感じではないだろう。

 

「…言い換える。それは、いつからあったんだ?」

「あら、そんなつまらないことでもいいの?」

「いいんだよ」

「そう」

 

そう言いながら、右手の中指を曲げた。

 

「それは大体二週間前よ。里では永夜異変って呼ばれてるかしら?その終わり際に」

「…つまり、後付けか。なら、取り除く方法だってあるはずだ」

 

入れることが出来るなら、外すことだって出来るはずだ。不可逆性があるとは思えない。

 

「そう思うなら、そうなんでしょうね」

「含むような言い方じゃねぇか」

「訊かれてないもの。けど、まあこれくらいならいいかしら?それは無理よ」

「…あっそう」

 

悔しいが、明確に否定されてしまった。まあ、紫は『ドス黒い意識』を結界を張って封じている。封じているってことはつまり、紫にとっても不都合なものなのだろう。だが、封じるに留めているってことは、取り除きたくても取り除けないってことの証明か。酒を呑みながら、そんなことを考えた。

じゃあ、どうすればいい?あの紫にとっても不都合だと思われる『ドス黒い意識』。それは、放っておいても大丈夫なのか?…いや、大丈夫なわけがない。何か、あるはずだ。何か、致命的なことが。

 

「最後だ。あれは、『ドス黒い意識』は、放っておいたらどうなる?」

「…恐ろしい事を訊くわねぇ、貴女」

 

そう言った紫の眼が激しく揺らぐ。…動揺した?コイツが?それほどまでにヤバいのか?

 

「…そうねぇ。出来れば、訊かれたくなかったわぁ…」

「ハァ?いいから答えろよ」

 

心臓の鼓動が喧しいほど速くなる。それを誤魔化すためにも、強めな口調で言った。

 

「…仕方ないわねぇ」

 

そう言いながら、嫌そうに右手の人差し指を曲げた。そして、苦虫を噛み潰したような顔をしながら言った。

 

「…最悪、鏡宮幻香は消えるわ」

「きっ、消え…!?」

 

冗談にしては笑えないし、冗談とは思えない。頭が追い付かない。幻香が、消える…?『ドス黒い意識』の所為で?自分の能力の結果によって?

 

「…追加で、幻想郷が半壊するくらいの被害が出るわね」

「はっ…、半壊、だと…!?」

 

いくら何でもヤバ過ぎだろ!?半壊と言われても、どんな感じかという絵が思い浮かばない。それほどに現実味のない言葉。だが、嘘ではないことは分かっている。嘘ではないことが分かってしまっている。どうする?どうすればいい!?

頭の中を暴れまわる情報が落ち着く前に、紫がパンッと手を叩いた。

 

「…ハイお終い。三つ、ちゃんと答えたからね」

「あ…、ああ。…そうだな」

 

そんな生返事をしてしまった私を、憐れむような眼で見た紫は、その隣にスキマを開いた。

 

「…最後に、少しだけ独り言を言うわ」

「何だよ、それ…」

「私は、あの子は失いたくないのよ」

 

そう言うと、スキマは閉じられ、私しかいなくなった。

 

「…私だって、失いたくないさ…」

 

一人、呟く。そんなことで、そんな程度のことで、消えて欲しくない。それに、幻想郷の半壊も甚大だ。

 

「…行くか」

 

止まっていても、仕方がない。考えるのは、歩きながらでも出来る。今は、この得た情報を妹紅と共有することにしよう。フランドールにも、出来れば伝えられたらいいとは思う。一週間も経ってしまったことを詫びながら、伝えることにしよう。

 



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第119話

…自由?いきなり何を言っているんだ、お姉様は?

 

「なにそれ。この部屋を出てもいいならさ、いつもみたいに『十分反省したかしら?』って言えばいいのに」

「…それもそうね。だけど、そんなことどうでもいいのよ」

「どッ…!?」

 

頭に血が一気に駆け上がる。視界が真っ赤に染まる。右腕が意識せずに僅かに動く。このままだと殴り付けると思い、意思の力で右腕を抑えつける。

 

「…どういうことよ」

「もう、いいと思ったのよ」

「何がさ」

「ここに、紅魔館に留めておく必要が、よ」

「…え」

 

今、なんて言った?紅魔館に留めておく必要が無くなった。…そう言ったの?

つまり、絶縁?え、嘘!?まさか月の異変へ無断で行っておねーさんが目覚めるまでの一週間永遠亭に籠っていただけで、こんなことになっちゃうなんて思いもしなかった!ええと、こういう時って名前変えた方がいいんだっけ?あれ、名字だっけ?それとも両方?

 

「…ガーネット。うぅむ、似過ぎかな…?けど、これがいいかな…」

「急に何を言ってるの?ガーネットが欲しいの?」

「いらないよ、そんなの。分かるでしょ?新しい苗字考えてたんだよ」

「み、名字?」

「名前はフランなんちゃらにしたいんだけど…」

 

おねーさんは、私のことを『フランさん』って呼んでくれている。だから、フランの部分だけは変えないでおきたい。

 

「…は?…大丈夫?」

 

そんな私の考えはお姉様に伝わることなく、何故か逆に心配されてしまった。呆れた表情で、憐れむような目線で私を見るお姉様が無性にムカつく。

 

「だって、絶縁だよ?縁切りだよ?名前変えなきゃ。…あ、そうだ。フランチェスカにしよう。それと、スカーレットはミドルにしてもいい?ね?」

 

フランチェスカ・S・ガーネット。なかなかいい名前じゃないかな?

そんな私の言い分は切って捨てられ、お姉様は人を馬鹿にするつもりしか感じないわざとらしい溜め息と共に言った。

 

「…絶縁なんかしないわよ」

「あれ?違うの?」

 

なぁんだ。無駄なこと考えちゃった。先に言ってほしかった。…ま、いいか。そんな事より、お姉様の言う『自由』の本当の意味を知りたい。

 

「じゃあ、どういうつもりなの?」

「…勝手に勘違いして、もう…」

「頭押さえるのはあとにしてよ。早く教えて」

「はいはい。…『出掛けるときは誰かと同行すること』。約束したわよね?」

「したね。面倒臭かった」

「もうしなくていいわ。一人で、自由に、羽を伸ばして、好きなところへ、貴女の意思で、行っても構わない」

「…え」

 

私を四百九十五年間地下に幽閉したお姉様が?私が出たい、出たい、と幾度となく言い続けてやっと得られた仮初の自由。その枷をこんなに早く外すものなのか?…にわかに信じがたい。

 

「…本当?」

「ええ、本当よ」

「後で嘘でしたー、なんてない?」

「言わないわよ」

「代わりに別の枷がある、とか?」

「…そうね。出来れば、何処に行くつもりで何時頃帰ってくる予定かくらいは言ってくれると嬉しいわね」

「それだけ?」

「それだけ」

 

本当に、それだけ?そんな、あって無いような枷だけ?本当に、自由になってもいいの?

そんな感慨だと思うものに浸っていたら、お姉様が少し前のことなのに、何十年も前を懐かしむかのように言った。

 

「…幻香と出会いは、きっと貴女に劇的な変化をもたらしたのでしょうね」

「そうだね。あの出会いが無かったら、私は今もずぅっと部屋に閉じ込められてたと思う」

「そうね。…この運命が覆ったことは、感謝しているのよ」

 

…また運命か。あの胡散臭い運命とかいうのを中心に考えているお姉様は、もうちょっと別の視点を持った方がいいと思う。

そんなお姉様が、私を通り越して部屋の奥へ視線を向けた。そして、どこか嬉しそうに表情を綻ばせた。

 

「あ…、人形が残ってる…」

「兎の?」

「ええ。貴女に与えるように私が咲夜に言ったのだけれど。…壊さないでくれたのね」

「…壊、す?」

 

ガギリ…、と心が嫌な音を立てて軋む。

 

「貴女から狂気が、破壊衝動が潰えるなんてことが有り得たのね」

「…潰え、る?」

 

心に、冷たい何かが突き抜ける。

 

「…収まるじゃ、なく、て…?」

「そうよ?だから、貴女を自由にしてもいいと思えたのだから」

 

お姉様の言った言葉が頭を素通りする。何を言っているのか、よく分からない。

心の薄い皮が剥げてゆく。埋まったと思っていた、大きな穴が顔を覗かせているのが分かる。おねーさんが目覚めたことで埋まったと思っていた心の穴。確かに埋まった。埋まったはずだ。そう思ってた。だけど、違った!心の穴は、二つあった!どうして気付かなかった?どうして気付かなかった?どうして?どうして!?どうしてッ!?

 

「…ちょっと、フラン?」

 

産まれたときからいつもあったじゃないか。私の心に巣食う何か。昔は愛おしく思っていた。それはいつも傍にいた!今では鬱陶しく思っていた。だから抑えつけてきた!なのに、どうして無くなったことに気付かなかった!?消えてしまったことに気付かなかった!?

私の狂気!私の破壊衝動!ものを壊したくてしょうがなくなる気持ち!

 

「あ…、ぁあ…!」

 

言葉にならない何かが私の口から漏れ出る。

四百九十五年間、この部屋で何をしていたか?ところ構わず壊し続けてきたじゃないか。装飾品が置かれれば砕いた!生活用品も構わず割った!人形を贈られれば引き裂いた!部屋を飾りたてられれば破り捨てた!冷たく冷え切った死体を壊して壊して壊し続けた!粗を探すように、壊れるところがなくなるまで!ひたすら!無我夢中で!

生きた生き物が、私と瓜二つの生き物が、おねーさんが、初めて目の前に現れて、その珍しさに気が逸れるまで!

どうしてそんなことも忘れていた!?何で忘れるなんてことが出来たッ!?

 

「どうしたのよッ!返事をしなさいフランッ!」

 

何時から無くなった!?何時の間に消え去った!?思い出せ、何か兆候があったはず。こんな簡単に消えるはずがない!私自身、それくらい分かってた!何かあったはず!何か、何か、何か…ッ!

 

「…あ」

 

おねーさんが、私になった。そのとき、おねーさんの右手を壊した。その『目』を砕いた。今もそこら中に光っている『目』と同じように、私の手の平の上に動かして潰した。

罪悪感を感じた。確かにそうだ。おねーさんを、大切な人を、かけがえのない人を壊したんだから。けれど、それはおかしい。私は、前までの私なら!その罪悪感に勝るものが私を突き抜けた!絶頂にも似た快感!世界が無限に広がるような開放感!天まで昇るような爽快感!どうして感じなかった!?何を壊しても湧き上がるそれが、どうして湧き上がることがなかった!?

 

「訊いてるのッ!?フランッ!フランドール・スカーレットッ!」

 

ガクガクと視界が揺れる、気がする。けれど、そんな事も気にならない。

じゃあ、私の狂気は何処へ行った?この世から消え去った?そのはずだ。そうでなくてはおかしい。それ以外有り得ない。…はずなのに。そのはずなのに!どうして私は、そんな恐ろしい考えを思い付いているの!?

証明するものはない。これっぽっちもない。一切ない。皆無だ。絶無だ。私の勝手な考え。身勝手の妄想。独りよがりな解釈。…けれど、それが正しかったら?そんなはずない、と言いたい。だけど、一度思い付いてしまった考えは収まることなく、私の中を暴れまわる。

 

「…行かなきゃ」

 

私の両肩を抑えつけている二つの何かを退ける。覚束ない足取りで、廊下を進む。行かなきゃ。

 

「フランッ!何処行くのよ!」

 

何かが、私の耳を通り抜けた。何かは、分からない。行かなきゃ。

この考えを否定出来る情報。妹紅が、萃香が、おねーさんの友達が集めているだろう情報。その中に、私のあまりにも吹っ飛んだ考えを否定してくれるものがあるはずだ。そう願いたい。有り得ない、って断言してほしい。そうじゃないと、私はどうすればいい?

そのときは、きっと彼女達も一緒になってくれるだろう。だって、協力し合う、って言ってたから。

行かなきゃ、行かなきゃ、行かなきゃ…。

 



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第120話

『アハッ!こンなにタくさン転がッテるじャん!破っテ裂イて砕いて抉ッて壊しマシょ!?』

 

調子外れで少女特有の甲高い声が頭の中に響く。倒れている人間共を、壊したくてたまらなくなってくる。…わたしは、そんなことしたくないのに。そんなことする必要がないのに。頭は潰した。それで十分なのに…。

 

「…嫌だ。理由がない」

『理由ナんかイらナイ!』

 

グイ、と右腕が引っ張られる感覚。しかし、その右腕を引っ張る者など存在しない。それなのに、右腕が勝手に動く。体が付いて来れない。まるで、右腕だけ別の生き物になったかのように、倒れている人間の頭に伸びる。

振り下ろした右腕が頭を破壊し、体液を撒き散らしながら絶命する(ヴィジョン)が視えた。数瞬後、実現されるだろう像。駄目だ、それは。止めなきゃ、この腕を…!

 

「ぐぅ…ッ!」

 

抜き身の脇差を三本複製し、刃を上向きにして過剰妖力を噴出。振り下ろしている右腕の拳、手首、肘の三ヶ所に突き上げる。脇差は皮膚を容易く突き破り、鍔が勢いよくぶつかることで、その勢いを減衰させる。追加で棍棒も複製し、真横から打ち付ける。バキ、と軽い音を立てて骨が折れた。

 

『何シてるノもっタイなイ』

 

右腕を止めることに成功し、ホッとしていると、非常に落胆した声が響いてきた。そして、驚き、怒り、落胆といった『壊す行為を邪魔された』に集約される様々な感情が湧き上がってきた。

 

「こっちが何してる、のだよ。勝手に動き出して…」

 

それに、感じたくもない感情を感じている。身が引き裂かれそうだ。まるで、二つの意識が混在しているような…。

 

『ソもそモさァ、貴女誰ヨ。邪魔しナイで』

「こっちのほうが訊きたいですよ。貴女のほうが邪魔しないでくだ、痛ッ…」

 

三本の脇差に貫かれ、骨が折れているにもかかわらず、なおも動こうとする右腕。その度に激痛が走る。骨って折れたときはそれほど痛くないけれど、後からジワジワと痛くなるんだなぁ…、なんて割りとどうでもいいことを考えて現実逃避した。

とりあえず、この声の主――名前があるかどうか分からないので、仮に破壊魔と呼ぶことにする――は、ここにいる八十五人の人間共を壊したがっていることが分かる。破壊魔のしたいことがそのままわたしに伝わってくるのだ。

 

「…ッ!…ぉえ」

 

それに、倒れている人間共が視界に収まるたびに、それがどう破壊するつもりなのかという明確な像が浮かぶ。皮膚を破り、筋肉を裂き、骨を砕き、内臓を解体(ばら)し、心臓を潰し、頭を穿ち、人間という原型がなくなっていく様が一瞬にして浮かび、消える。頭がどうにかなりそうだ。

それに、先程から見えていた光る砂粒のようなものが、より明確に視えるようになってきた。どうやら過度の運動によるものではなかったようだ。それに、光には強弱があるようで、頭や心臓などのいわゆる急所の光は強く、末端に行くほど弱い。何だ、これ。

 

「…とりあえず、逃げないと」

 

残念ながら、この破壊魔がわたしの右腕を動かせる限り、紅魔館へ行くのは無理そうだ。この破壊魔は、誰彼構わずこの右腕を振り回すことが安易に予想出来る。そんな状態で行くことは、とても出来ない。

 

『壊そウヨ。ネぇ、もッと壊ソうヨ!あンなヨぼヨボの爺さンだけじャなクテさァ!』

「うるさい。黙って」

 

最初から、殺すつもりだった。だから、罪を背負う覚悟はした。それでも、重いものは重い。あんな奴でも、重い。きっと、あの瞬間は忘れることはないだろう。

吐き気を堪えながら、脇差を二本、棍棒を一本拾っておく。いつでもこの右腕を止めることが出来るように。これは盗みの範疇に含まれるのだろうか?…ま、人間の里ではどう考えても使わなさそうだし、こんな物騒なもの持ってても特に意味なさそうだからいいや。

さて、どこへ行こうか…。魔法の森へ帰るか?…止めておこう。既に別の場所へ行くことは決定している。魔法の森以外で、出来るだけ人気のない場所…。

 

「…やっぱ迷いの竹林だよなぁ。…ハァ」

 

こんな時でも、慧音の言っていた人気のない場所が真っ先に思い付く。確かに、迷いの竹林にはほとんど人がいない。永遠亭と妹紅さんの家さえ近付かなければ、まず人と出会うことはないだろう。

 

『ヤだ。壊ス』

 

迷いの竹林へ足を運ぼうとしたその時、破壊魔が言った。それと同時に、右腕がまた動き出す。脇差の突き刺さっている三ヶ所から激痛が走るが、そんな痛みを全く感じていないかのように腕が伸びる。急に後方へ引っ張られ、それに合わせて体も無理やり引っ張られる。肩から嫌な痛みが走り、足がもつれる。

視界に人間が収まる。瞬間、その指先が頭にある光る粒を穿ち、内側から破壊され、首無し死体が出来上がる像が浮かぶ。何だ、これは。いや、そんなことは今はどうでもいい。脇差三本じゃ足りない。いや、貫くなんかじゃ駄目だ。

 

「がッ、…ァァアアアア!」

 

地面に落ちていた一番斬れそうな刀を複製し、右肩から綺麗に斬り落とす。右腕を損失するのはこれで二度目だが、覚悟していた分、前よりはいくらかマシだった。

クルクルと跳んでいる右腕に、別の刀の複製を突き落す。地面に縫い付けられた右腕は、少しの間指先をピクピクと動かしたが、やがて活動を停止した。

左手で右肩を掴み、妖力を流して無理矢理止血。破壊魔が動かせる右腕をくっ付けるつもりにはなれないので、倒れている人間共から一番背丈が似ている奴の右腕を複製する。そして、先程止血した右肩にねじ込む。…少し重い気がするが、無いよりマシだ。

 

『うワ、ひッどいナァ…』

「そう言う割には嬉しそうですね…」

『右腕ヲ壊せタからネ』

「…何でもいいのか、コイツ」

 

右腕に刺さっている四本の刃物を回収し、右腕を拾う。…あれ?骨が折れてない。もしかして、治った?…まぁ、どうでもいいか。

こんなところにわたしの右腕が残っていたら、妙な疑いが湧き出てしまうかもしれない。女性らしい腕なんてものは、この場にあってはならないものだからだ。人間共は全員男。それに、右腕が切断されている者はいないのだから。…全身が爆裂した奴ならいるが。

脇差二本と棍棒、それに右腕。これらを左手だけで持つのは難しいので、右腕に脇差を突き刺して持ち歩くことにした。少し気を付ければ、脇差がずり落ちるなんてことはないだろう。

迷いの竹林へと向かう道中、破壊魔は壊セ壊せと言い続けていたが、何とか聞き流す。湧き上がる破壊衝動を抑えつけるが、それでも、漏れ出てしまうものはその辺の転がっている石ころを蹴飛ばして誤魔化す。

先程までは人間共相手にしか視えなかった破壊予想像が、周りの樹などの植物にまで及んできた。わたし自身を見てもその像が浮かばないことが僅かな救いだが。

 

「…あれ?」

 

突然、身体が左へ傾いた。咄嗟に足を出して倒れるのを防いだが、まさか左側の何かまで動かせるようになったのか…?

右側からドサ、と何か重いものが落ちる音がした。音の発生源を見ると、そこには右腕の複製が落ちていた。…どうして外れた?右腕の複製を拾い、もう一度くっつけようとしたら、その右肩が盛り上がっていた。

 

「…は?」

『チェ、時間かカりそウ』

 

グチュリ、グチュリ、と少しずつ右腕が生えてきている。前はこんなことなかったのに。この破壊魔が治しているのか?自分が動かせる腕を取り戻すために?わたしの数百、数千倍はありそうな再生速度で?

…これは非常にまずい。急がないと、また動き出す。使い物にならなくなった右腕の複製を回収し、靴の過剰妖力を噴出して一気に加速する。左手だけで持っている二本の脇差が刺さった右腕と棍棒を落とさない程度の速度で駆け出した。

 



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第121話

迷いの竹林に到着する頃には、右腕が大体治っていた。あとは半ばまで生えている数本の指が治れば元通り、ということになる。いや、右手の再生なんて放っておいて、今動き出してもおかしくはない。何か壊したくてたまらない。その衝動を抑え続けるのは精神的にキツい。

 

『竹ばっカ。つマんなイ』

「人は…、いないかな」

 

竹の一本一本が折れたり割れたり破砕したりと喧しい。が、生物じゃない分、いくらかマシだ。最悪、空間把握に頼り、目を瞑って活動すればいい。しかし、この迷いの竹林ではあまりやりたくない。空間把握で消耗する妖力はこれまで使ってきた感覚を頼りにすると、表面積に比例すると思われるからだ。

竹の脇を抜けようとした時に治りかけの右腕が伸びた。どうやら竹に叩き付けようとしているようだが、咄嗟に脇差を複製してそれを制す。

 

「ッ…!」

 

右腕が貫かれ、異物が混入した嫌な感じに耐える。いい加減、この程度の痛みでどうこう言うのは止めた。そんなことすると、誰か来てしまうかもしれないし。

 

『ツまンナい』

「…なら、壊さなければいい」

『やダ』

「あっそ」

 

右腕が竹を壊さんと幾度となく動き続ける。その度に一本ずつ脇差に貫かれていく。右腕が物凄いことになっているし、動かすたびに激痛が走るが、出来るだけ気にしない。それに、この脇差は見方を変えれば拘束具にもなり得る。関節を曲げようとするたびに脇差同士がぶつかり合うため、曲げることが出来ないからだ。つまり、ほとんどまっすぐで固定されている。

 

「…迷いの竹林に来たのはいいんですが、どこ行きましょうかねぇ…」

『ヒトが多イとこ』

「駄目です」

『いイじャん壊せバ』

「嫌ですよ」

 

進行方向は出来るだけ人のいない方向。永遠亭に近付かず、妹紅さんの家にも近付かない方向。罪悪感からか、それ以外の理由からか、日に当たりたくないとも思っている。なので、出来るだけ日の当たらないところに仮の家でも建てようか?素材はそこら中に生えている竹でどうにかなるだろうか。…いや、この破壊魔に壊されてお終いか。何とかならないのかなぁ、この破壊魔。

 

「貴女、どうしたらいなくなりますかねぇ」

『壊セばナくなル』

「壊せりゃ楽ですよ」

 

残念なことに、右腕をいくら斬り取っても治ってしまう。どれだけ斬り取っても、根本的な解決にならない。ならば、いくら壊しても意味のない事だ。

…じゃあ、どうすればいい?どうしようもない?それだけは、勘弁してほしい。

 

「…あっ」

 

考えに耽っていたら、右腕の活動に気付くのが僅かに遅れてしまった。その僅かな時間は致命的で、竹への叩き付けを許してしまった。貫かれた脇差の鍔の分だけ距離が近くなり、当てるのが容易くなったというのもあるだろう。

 

「…しまった」

 

ミシミシ、と嫌な音を立てて竹が圧し折れていく。倒れていく方向を予測し、当たってしまわないように十分離れる。それなりに大きな音を立てて地面に倒れた竹を見ていると、僅かな快感を覚えてしまう。そして、これをさらに壊し尽くしてしまいたい、と思ってしまう。そう思っているのは破壊魔のほうだろうけれど、わたし自身もそう思っているように伝わってくる。

 

『壊せバいイノに』

「…断る」

 

勝手に動き出そうとする右腕が恐ろしくなり、その場から逃げだすように駆け出した。

 

 

 

 

 

 

「お?」

 

左側に体が傾き、ガシャリ、と金属同士がぶつかったような音が右側から聞こえた。似たようなことが最近あった、と考えながら音のした方を見ると、大量の脇差に貫かれてハリネズミのようになった右腕が落ちていた。

どうやら、大量に脇差が刺さっていたにもかかわらず動かし続けた所為で、右腕が千切れてしまったようだ。置いて行くつもりはないので右腕を拾っておき、脇差を一気に回収する。ボロボロになった右腕を眺めてみると指先まで治ってる、なんてどうでもいいことを思った。

 

『千切れルくらイなラ壊セばよかッタ』

「…ふぅん」

 

そう言われると、勝手に千切れたときは何も感じなかったような。まあ、そんなことよりどうしようか、この腕。自分の体の一部だけど、食べてしまっても大丈夫だろうか?焼けば意外と食べられそうな気がするけれど、自分を食べるというのは何とも言えない嫌悪感を感じる。それに、自分の腕にしては一回り小さい。食べることが出来る量が少ない。急ごしらえで生やした結果だろうか?

 

「…!」

 

突然、左肩を叩かれた。足音はしなかった。叩かれるまで、気付かなかった。右腕が損失した瞬間で、本当によかった。

振り返ると、一瞬でその人物の頭が破裂する像が浮かんだ。知っている人が壊れる像は、見たくなかった。

 

『アハッ!人間だァ』

 

そんな新しいおもちゃと見つけたような声も聞きたくなかった。壊したい、なんて思いたくなかった。それに、わたしにこんな破壊魔が憑いているなんて、知られたくなかった。

 

「…妹紅さん」

「どうした、その右腕」

「千切れた」

「…そっか」

 

きっと、やけに短いことは既に分かってしまっているだろう。それをどう捉えているかは、わたしには分からないが。

 

「それに、なんだ。血塗れじゃねぇか」

「…ここに来る前に、ちょっとしたいざこざがありましてね」

「何があった?」

 

言いたくない。あの爺さんとはいえ、殺したなんて言いたくない。けれど、隠すのも辛い。あとで知られたときに、何故言わなかったのかと問い詰められるのも辛い。だから、正直に話すことにした。

 

「過激派とちょっと、ね」

『一人ダけダッたケど、最ッ高だッタ!モっと壊そうヨ!?ねェ!』

 

破壊魔の言葉は聞き流す。ここで何か反応してしまったら、妹紅さんに怪しまれてしまう。過激派のことは、慧音から知られてしまうだろう。けれど、この破壊魔については、わたしが何も言わなければ伝わることはないはずだ。だから、この破壊魔については隠し通す。

 

「あー、あれか?遂に里から飛び出したのか?」

「まあ、そんな感じですよ。一応、返り討ちにしました」

 

この先を言いたくない。喉が鉛でも詰まったかのように重い。声が出ない。

 

「…言えよ。続きが、あるんだろ?」

 

そんなわたしを察したのか、妹紅さんが続きを促した。少しだけ楽になった口を動かし、鉛と共に吐き出した。

 

「…わたしは、その内の一人を、殺しました」

『思い出シただケデ身が震エそう!もッと壊しタイ!もッと味わイたイ!モッとモっトもッと!』

「……そうか」

 

本当は感じてはいけないだろう感情が湧き上がってくる。その事実が、より深くわたしを抉る。

 

「詳しいことは、後で訊く。…私はな、お前を探してたんだ」

「…私を?」

「ああ。付いて来てくれ」

 

ここから妹紅さんの家は、先程右腕が治った時間より早く着くだろう。しかし、生えかけの右腕を晒してしまうことになるだろう。どうしたものか…。

そんなことを考えながら付いて行く。壊せ壊セ、と言い続けられるのもいい加減辛くなってきた。

 

「…ああ、そうだ」

「何ですか?」

 

振り返ることなく、妹紅さんはわたしに言った。

 

「家にな、萃香とフランドールもいるから」

「萃香さんは分かりますが、フランさんですか?」

 

わたしが永遠亭で眠っている間に、何かあったのだろうか。

湧き上がってくる好奇心。しかし、その何かを詮索するつもりはない。それなのに、湧き上がってくるということは、この好奇心は、破壊魔のもの?一体、何に…。

 

『ソコに、私ガいルンだ!自分ヲ壊すッてドンな感ジだロ!?』

 

ちょっと待て。コイツ、今なんて言った?

 



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第122話

妹紅さんの家には、右腕が肘の手前まで生えてきた頃に到着した。妹紅さんが早足だったということもあり、予想より少し早い。一瞬にして家が瓦解する像が浮かんだが、そんなことはどうでもいい。

 

「右腕、治ってきたのか?」

「…ま、そうですね」

『サッさと治らナいかナァー。まダ右腕シか動カせナいモン』

 

治ってなんか欲しくないが。…いや、少し違うか。破壊魔が動かさないならさっさと治ってほしい。

 

「早いな。あれか?妖力を再生のほうにでも回したのか?」

「っ…ぇえ」

『そんナコとシなくテも治るッテ!』

 

全くそんなことはしていないのだけど、破壊魔の所為か勝手に生えてくるのだ。妖力を使っているのかどうかと言われると、ほとんど使っている気がしない。

 

「入れよ」

「…お邪魔しますね」

 

妹紅さんの後ろに付いて家に入った。萃香さんとフランさんが破壊される像を目に入れるのが嫌だったので、目を出来るだけ細めながら。

 

「おっ、妹紅。帰ってきたか。何かあっ…た、か…」

「何、で…?」

「…こんばんは、萃香さん、フランさん」

 

が、そんな程度のことで見ずに済むほど甘くはなかったようだ。萃香さんは全身の骨が裏返ったように折れ、フランさんは内臓をぶちまけた。見るに堪えない。見たくもない。たとえ、一瞬でもだ。

 

「そっか。…見つけたか」

「…ねぇ、ちょっと早くない?もう少し話してからだって…」

 

像が晴れた後に見た二人は、実に対照的な表情をしていた。萃香さんは何か決意した表情でわたしを強く見詰めたが、フランさんは何かを恐れるようにわたしと目を合わせようともしない。

 

「悪いな、フランドール。だがな、あれだけ考えても肝心のところで止まってる。だからこそ、思い付く限りの最後の情報源だ」

「だけど…」

「時間がいつまでか分からないんだ。だったら、早い方がいい。渋って手遅れになる方がまずいだろ」

 

…何の話をしているんだろう?わたしが最後の情報源?手遅れ?

 

「…話していいの?まだ起きてなかったら…」

「いや、もう起きてる」

「えッ!?」

「…らしいな。だが、まだ手遅れって感じではなさそうだ」

 

起きる、か。…まさか、この破壊魔のことをもう知られていたのか?

一体何処で、記憶を掘り返し始めようとした時、妹紅さんがわたしの両肩に手を乗せて迫ってきた。

 

「…話がある」

「え?なんでしょ――」

『ついニ来たァッ!』

 

歓喜。わたしの感情がそれ一つに支配される。指先までキッチリと生え揃った右腕が目の前にいる妹紅さんの心臓部へと真っ直ぐ伸び始める。

…舐めるなよ、破壊魔。その程度は予想済みだ。脇差を複製し、指先から肩のあたりまで真っ直ぐと貫かせるつもりで切っ先をこちらに向けて複製する。そして、妹紅さんに重ねて棍棒を複製することで、射程外へと弾き出す。

打ち出す途中だったこともあり、脇差で指先から一気に肘まで貫き、切っ先が肘から外へ飛び出した。妹紅さんは突然弾き出されて僅かに体勢を崩したが、その眼はわたしの右腕に釘付けになっていた。

 

「なッ、何やってんだお前ッ!」

「痛ったぁ…!」

『邪魔ッ、しなイでヨッ!』

 

それでも構わず右腕を突き動かす破壊魔の行動力には、目を見張るものがある。右腕に引きずられるように体が前に出て行き、妹紅さんへと追撃を仕掛ける右腕。

それも、予想済みだ。真横から脇差の二本複製し、右腕を打ち抜く。その勢いは潰えることなく、近くにあった箪笥に右腕を縫い付けて固定した。

 

「何、してんだ…?」

「おねーさん…?急に、どうしたの?」

『おネー、サン…?』

 

困惑が体中を駆け巡る。何故、その言葉に反応する?いや、もうここまで来ればこの破壊魔の正体なんてほとんど開示されたようなものだ。

――この破壊魔の正体は『フランドール・スカーレット』だ。

どうしてわたしの中にフランさんがいるのかなんて知らないが、偽物であることだけは確かだ。そうでないと、目の前にいるフランさんの説明がつかない。

 

「…まさか『ドス黒い意識』がッ!?」

「右腕を動かしてるのか!」

「嘘ッ!?まさか、本当に…!?違うって言ってよ!ねぇッ!?」

 

多分、その『ドス黒い意識』っていうのが、わたしの中にいる『破壊魔』のことなのだろう。この破壊魔――本物のフランさんと区別するために、仮名は変更しない――をどうにかしないと。そうしないと、被害が広がる一方だ。

 

「…妹紅さん」

「何だよ」

 

苦い顔をしているが、気にせず切り出す。

 

「すみませんが、一部屋借りてもいいですか?」

「何考えてんだ?」

「わたしは、この破壊魔をどうにかするまで一人になりたいんですよ」

「…おねーさん、本気で言ってるの?」

「本気ですよ。…これ以上、何も壊したくないんです」

『ふザケんなッ!壊ス!もッと!タくさン!壊サせロッ!』

 

破壊魔がフランさんだとすれば、破壊衝動はかなり収まってきたと思ってたのに。なのにどうして破壊魔の破壊衝動は収まることを知らないのだろう?

 

 

 

 

 

 

幻香は、窓のない部屋を選び、迷うことなく扉を閉じた。その左手には、脇差二本を持って。そしてすぐに、杭でも打ち付けるような音が二回響いた。

 

「…どうする?」

 

扉の前で突っ立っていても意味がない。そう思い、私は共に残された二人に訊いた。

 

「私が、やってみる」

「…出来るのか?」

「うん。…されたこと、あるから」

 

そう言うと、親指の爪で人差し指の先を切り、その血で円を描きだした。そして、その周りを囲うようによく分からない模様を描き足していく。

 

「…魔法陣か」

「うん。まず、これが『解放を禁ず』。内側から扉を開かなくさせる魔法陣」

「それだけか?言っちゃぁ悪いけどさ、これだけだとあんま意味ないだろ」

「うん、分かってる。だから、もう一つ」

 

何も描かれていない円の中に、さらに円を描き足し、六芒星と細かい模様を書き連ねていく。

 

「次に、これが『原形を留める』。破壊に対する耐性を付加する魔法陣」

「…効果、あるのか?」

「あるはず。私が幽閉されてた部屋の壁には、この魔法陣の類が埋め込まれてたみたいだから」

 

人差し指から僅かに流れる血を一舐めし、扉を睨んだ。

 

「…見様見真似だけど、最低でも片方は上手くいったみたい」

「どうして分かる?」

 

私は魔法陣は知っているが、それを見てどんな効果を持っているか分かるほど精通しているわけではない。

 

「『目』がないから」

「『目』?」

「そう。…『目』はね、最も緊張している部分。そこに刺激を与えると、簡単に壊れちゃう脆弱な部分。人間でいうなら急所。それがない、ってことはそう簡単に壊れないってこと、だと思う」

 

『目』の有無なんて私には分からないが、無いと言うからには、そうだと言える理由があるのだろう。私はそれを信じるだけだ。

とりあえず、部屋に閉じ込めることは上手くいったようなので、軽く息を吐く。そして、突然起こった出来事の所為で頓挫してしまったことを思い出した。

 

「…悔しいが、幻香からは何も訊けなかったな…」

「だが、時間がないってことはハッキリと分かった」

「うん。…それに『私の破壊衝動がおねーさんに移った』のがよく分かった。元々私にあったものだからかな?何となくだけど、分かる」

「…そうか」

 

フランが私達に言った突拍子もない想像。確証はないし、ただの思い付きだ、と言っていたが、私達の持ってきた情報からそれを否定できる材料はなかった。強いて言うなら、萃香が持って来た情報が僅かに否定できる可能性を持っていたが、それも未知の能力で片付けられてしまうほどに弱いもの。

 

「このままだと、幻香が死ぬ。改めて実感した」

「幻想郷半壊も、有り得ない話じゃなくなってきたな…」

「…そうだね。何とか、しないと」

 

しかし、私達には解決する手段を未だに持ち合わせていないのだ…。

 



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第123話

『貴女ハ、オねーさンナんだネ?』

「ええ。わたしは鏡宮幻香。そう言う貴女はフランさんですか?」

『そうダよ?私ハフランドール・スカーレット』

「どうして貴女がわたしの中にいるんですかねぇ」

『ドうしテおネーさンが私ノ中にイルんだロうね?』

「フランさん…、いえ、貴女のことは『破壊魔』って呼びましょうか?」

『ひッドいなァ…!』

「貴女は確かにフランさんなんでしょう。ですが、偽物だ」

『ソうカモね』

「それに、そう呼ばれたくないなら破壊なんてしなければいい」

『ヤだ』

「あっそ」

 

 

 

 

 

 

「誰―!力の――者―こ―――来――れ!」

 

朝早く、男の声が僅かだが届いた。人間の里に数ある出入口の一つからのようで、その出入口は、最も魔法の森に近いところにあるものだ。

 

「誰―!―――る者―――まで――く―!」

 

同じことを言っているだろう。また、同じ男の声が人間の里に響く。その声色だけで男の必死さが分かる。

 

「…行くか」

 

夜遅くにコソコソと、あるいは急ぎ足であの出入り口へ向かう男を何人か見た。私は六人しか見ていないが、出来るだけバレてしまわぬよう、あの出入口を待ち合わせ場所にしてまとまって移動せずに個人個人で移動していたのだろう。そして、過激派の連中と幻香は衝突したのだろう。

その場所には、過激派が倒れているだろうか。それとも、幻香が倒れているだろうか。もしかすると、その両方か。

家を飛び出し、一気に駆け出す。何人もの人を抜き去り、その出入口の前で地面を浅く削りながら止まる。

 

「誰か!力のある者は――慧音、先生?」

「ん?ああ、君か。久しいな。手伝いに来た」

「ありがとうございます!先生が来たなら百人力だ!」

「よせ。私はそこまで力があるわけではない」

 

私が抜き去った人達も徐々に集まり、最終的には三十人ほど集まったようだ。それを見た彼は、もう一度大声を張り上げた。

 

「皆!聞いてくれ!少し遠いところだが、森の一歩手前に何十人も人が倒れているんだ!運ぶのを手伝ってほしい!」

 

昔からこうやって人をまとめるのが得意な生徒だった。どうしてか分からないが、彼がこうして声を出せば、人が自然と集まってきた。言霊というものが他より強いのかもしれん。それを知ってか知らでか、彼は門番の職に就いた。その旨を私に伝えに来た時の彼の笑顔は――っと、関係ない事に思考が飛んでしまった。

 

「よし、行こう!」

 

…どうやら、少し昔のことに思いを馳せている内に、ここにいる人達をまとめ上げたようだ。流石、と言ったところか。

彼を先頭に里を出る。私は最後尾に付いて行くことにした。周囲を多少警戒しながら集団で離れることなく進んでいくと、集団が急に止まった。どうやら、彼が止まったからのようで、それは目的地に到着したということに他ならないだろう。

ザワザワと言った声を聞き流しながら奥を診てみると、確かに何十人もの男が倒れている。

 

「…うっ、これは…」

 

誰かの悲痛な声が私の耳に入ってきた。私の目に真っ先に入った意識のない男は、腕が普通なら有り得ない方向に曲がっている。骨が露出していないのが幸いだったな、と思いながら近付いた。意識がない事に安堵と危惧を同時に感じながら、他に傷がないか確かめる。すると、心臓部に強い衝撃を与えたように肋骨がまとめて折れていた。…これは、運ぶときに注意しないといけないな。

 

「皆!一人ずつ運んでいこう!落としたりした方が大変だから、一人で運ぶ自信が無かったら二人で運んでもいい!」

 

顎が砕けた男を背負いながら、彼は言った。こういう時、指揮することが出来る人がいると周りの行動に大きな差が出る。そして、その指揮する人が自ら行動していれば、尚更だ。

この大怪我をした男を運ぶ前に、軽く見回した。大量に落ちている武器の数々。その多くは、誰が見ても正常な用途では使えないと分かる。足元には踏み潰された義眼が落ちていた。しかし、どれだけ探しても幻香の姿は何処にもなかった。つまり、きっと幻香は生還したのだろう。

さて、考えるのはひとまずここまでにしよう。周りの人達もけが人を運び出し始めた。私も、一人でも多く運ぶことにしよう。

 

 

 

 

 

 

「重症だと思う人は近くに運んでくれ!」

「これで全員か!?」

「ああ、これが最後だ!」

 

何往復かして、倒れていた男達八十五人を里に運ぶことに成功した。運んでいるのを見た人が、里にいる医者を呼び出していたようで、その後の対応はその医者を中心に行われていた。…流石に永遠亭に行った人はいなかったようだな。

一人の例外もなく意識を失っており、それでいて誰も死んでいない。あと数時間発見が遅れていたら失血死してしまったかもしれない男が一人だけいたが、止血は既に済んだ。

 

「本当にありがとう!」

 

彼は協力してくれた人全員に礼をして回っていた。さて、この場で私に出来ることはもうなさそうだ。

 

「…む?」

 

妙な視線を感じて空を見上げると、一人の鴉天狗らしき者がいた。…よりにもよってお前か。最も特徴的な翼が巧妙に隠されており、知っている顔でなければそうとは思わなかっただろう。

私の視線に気づいたからか、ゆっくりと降りてきた。わざわざ人に見られないところに着地してからこちらに来る当たり、それなりに用心はしているようである。

 

「あやや、慧音先生じゃないですか」

「お前に先生と呼ばれる筋合いはないな、文」

「いいじゃないですか。さて、これは一体どういった状況で?」

「自分で確かめろ」

「ちぇ、冷たい。…ま、いっか。被害者の言葉も出来れば集めたいですし、少し粘ってみましょう」

 

そう言うと、怪我人の周りに群がる人垣の中へと飛び込んで行った。さて、どんな記事にされてしまうのだろうか…。かなり心配だ。幻香のことを下手に書かれてしまったら、また同じことになりかねない。しかし、私がそれについて何か口にすれば、それをどう捉えて、どう解釈されるかも分からない。それなら、出来るだけ相手にしない方がいい。

 

「意識はあるの?…え?無い!?」

「貴方…どうして…?」

「ぅわぁーん!お父ちゃあーん!」

 

人垣の中には、倒れている男の家族と思われる人も当然いた。恥も外聞もなく泣き叫ぶ人も当然いた。これを幻香がやったことだと思うと、酷く悲しくなる。

寺子屋へ戻ろうとした時、横から彼が走ってきた。かなり疲れているように見えたが、その表情は私とは真逆で、非常に晴れやかなものだった。

 

「先生!」

「…何だ?」

「この度はありがとうございました!」

「気にするな。やり残したことがあるから、私は一度帰る」

「そうですか。それではまた」

 

本当はやり残したものなどありもしないのだが、その代わりにやらなければならないことがある。

これだけのことが起こったのだ。里がどのように変化してしまうかは、全く分からない。しかし、数少ない分かることの一つで、この状況で親は子供を外に出すようなことはほとんどしない、ということだ。親は子供の危険に対して過敏なところがある。そうなってしまうことが分かっているならば、寺子屋をしばらくの間休止した方がいい。

急いで家に戻り、新しく買い換えた筆を取り出した。そして、どのような文章を書こうか考え始めた。

 

 

 

 

 

 

拝啓

 皆様のことですからこの清々しい季節、

勉学を頑張っているのでしょうね。

 さて、本日起こった事件によって皆様の

平穏が損なわれてしまったかと思われます。

 それに伴い、一月の間この寺子屋を閉講

させていただきます。

 休みだからといって、くれぐれも学習を

怠らないように。

 以上、どうぞよろしくお願いいたします。

                敬具

            上白沢 慧音

 



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第124話

『…ムぅ』

「不満そうですね」

『そリャそウだよ。こンナ右腕だケじャ満足ニ壊せなイもン』

「右腕ねぇ…」

『ソの右腕ヲわザワざ壁に留メちャッて。うゥーン…』

「だからって想像力働かせないでくださいよ。吐き気がしますから」

『ショうがナいジゃん。現実デ出来ないナラ、想像すルしカなイでしョ?』

「いちいち人が壊れる像を見せられる身になってくださいよ」

『いイじャン』

「…よくないですよ」

 

 

 

 

 

 

「これでよし、と」

 

寺子屋の入り口に張り紙をし、あの出入口へと戻っていく。一月は少し長かったかもしれないか、と考えたが、かなり前に似たようなことがあったときは三週間程度生徒がほとんど来なかったからちょうどいいか、と思い返した。

人垣がさっきより騒がしいな。何かあったのか?そう考えながら近付いて行くと、私に気付いた彼が、私のところまで駆け足で近付いてきた。

 

「先生!」

「どうした?何かあったのか?」

「比較的軽傷だった人の意識が戻ったんです!」

「そうか。それはよかった」

 

と、口では言うものの、そこまでよかったとは思えない。その意識を取り戻した男が何を口走ったか。その内容によって、里の状況は大きく変化するだろう。そして、それをあの鴉天狗がどう記事にするのかによって、幻想郷の状況ももしかしたら変わるかもしれない。…文々。新聞があまり信用されていないことに、少しだけ安堵した。

彼を押し退け、人垣の間を縫うように進む。これだけ多いと、間を抜けるのも一苦労だ。何とか切り抜けると、若い医者に介抱されている男がいた。その男は、大粒の涙をとめどなく零しながら腕を振り回していた。

 

「あざはいが、はざわいが…ッ!」

「もう止めてください!安静にしてください!」

 

その男は、何かを喋っているようだった。だが、その言葉はとても誰かに伝えられるようなものではなく、砕けた顎がさらに悪化していくしかないと思えた。それが分かっているだろう医者が必死に止めようと試みているが、そんな医者の努力も自らの砕けた顎も意に介することなく口を動かして続けていた。

 

「…こりゃあ不発ですねぇ」

「せめて口に出すな」

「これは手厳しい」

 

運がいいのか悪いのか、隣にいた文から漏れ出た言葉を窘めたが、私自身も少しだけ落胆している。意識を取り戻した男から、何か情報が得られるものがあるかもしれないと思ったのだが…。残念ながら、この男からは何も得られなさそうだ。…ただ禍が禍がと繰り返しているだけでは、何も意味がない。そんなことは既に分かっている。

上手く隙を見つけて幻香を探しに行こうか、という考えが浮ぶ。幻香は今、一体何処にいるだろうか。…そういえば、向かってくる過激派を潰したら紅魔館へ行くようなことを言いかけていたな。それなら、既に幻香は紅魔館へ行ったのだろうか?…どうだろうか。もしかしたら、考えが変わったかもしれん。何らかの痕跡があそこに残っていればいいのだが…。

そこまで考えたところで、後ろから軽く服が引っ張られる感覚がした。この感じは、幾度となく経験した力加減。寺子屋でいつもされている行為。

 

「…先生」

「君か。どうした?」

 

後ろを振り向くと、服を掴んで俯いている生徒がいた。昨日、私に親の不審を伝えた生徒だ。その子はまた私の問いに答えることなく、私の服を掴んだまま引っ張っていく。

 

「お、おい。危ないぞ」

「あやや。お達者でー」

 

その子は小さい体を生かし、人垣をスルスルと抜けていく。だが、未だに後ろの服を手放すことなく引っ張られていくので、後ろ歩きで人垣を抜けていくことになってしまう。それに、私はこの子とは違って大人なのだ。かなり多くの人に迷惑をかけてしまいながら何とか人垣を抜けたが、それでも手を離すことなく、そのまま出入口から出て行く。

出てすぐに曲がり、影となる場所でようやく手を離した。そして、ようやく顔を上げて私と目が合った。

 

「今度は何だね?」

「…父ちゃんさ、大怪我したんだ」

「そうだな」

 

この子の父は、全体で見れば重い方に振り分けられそうな怪我をした。両腕と右膝を砕かれ、さらに顔を潰されていた。特に鼻の骨が粉砕し、まるで鼻がないかのようになっていたのがとても痛々しかった覚えがある。

 

「これってさ、禍がやったんでしょ?」

「…だろうな」

「先生の友達でしょ?どうしてこんな悪いことしたのかな?」

「悪いが、私はあいつじゃないんだ。想像は出来ても、事実は分からんよ」

 

そう言うと、また俯いてしまった。しかし、言葉は止まることなく続いていく。

 

「先生。僕、先生の友達が許せないよ」

「そうか。それは残念だ」

 

しかし、その声は幻香を心の底から憎んでいるとは思えない声色だった。まるで、隣の席の子から軽く邪魔されたときに軽く悪態をついたときのように軽い。

 

「…先生。僕、よく分かんないんだ。父ちゃんが悪いのか、禍が悪いのか」

 

これはとても難しい質問だ。

 

「お前は、禍が許せないんじゃなかったのか?」

「…うん。だけど、父ちゃんがこんなことしなければこんな怪我しなかったんでしょ?里の外は危ないから出るな、って父ちゃんは言ってたんだ。けど、それを父ちゃんは破ったんだ。だから、こうなったんでしょ?」

「…そうかもしれんな」

「ねえ、どっちが悪かったのかな?先生なら、分かるでしょ?」

「さあな」

 

多分、この子はこんな答えを求めてはいないんだろう。本当は、この子の父は悪くないんだよ、と言ってほしかったのだろう。君の父にも非はあっただろうけれど、私の友達が悪かったんだよ、と言ってほしかったのだろう。それでも、それが分かっていても、私は言った。

呆けた顔で私を見上げる子を敢えて気にせず続ける。

 

「里の立場から言えば、禍が悪いんだろうよ。最近は里に来ることさえなかったが、それでもまたいつ来るかという恐怖に押し潰されそうになって、ならば安心を得るために殺してしまおうと考える。ああ、分かるよ。そう言う考え方があることだって、私は知っている」

 

少し違うかもしれないが、幻香もそういった考えで過激派を迎え討ったのだ。

 

「じゃあ、禍から見たらどうだ?急に襲い掛かってくる者達を迷惑と思わなかっただろうか?さぞかし迷惑だっただろうな」

「え、せ、先生…?」

「私個人から見れば、あの者達が悪いと思っている。君から見れば、どっちも悪いと思うのだろう。立場で意見は変わるものだし、意見なんて人それぞれで十人十色。覚えておけ。これが見解の相違というやつだ」

 

この子の俯いたままの頭に右手を乗せ、軽く擦る。短めの髪がクシャクシャになるのを見下ろし、その手を離した。そして肩に置き直し、しゃがんで膝を地に付けて視線を合わせて言った。

 

「君のその質問の解答は、君がするべきだ。君のその責任を、私に押し付けるな」

「先生、けど…っ」

「これは授業で習う国語でも算数でも理科でも社会でもない。だから、正解なんてない。君が納得するまで考えろ。いいか?」

 

肩を軽く押すと、よろめいてそのまま尻餅をついた。その場所は、ちょうど里の中。

 

「里の外は危険だと言われたのだろう?なら、もう戻りなさい」

「…じゃあ、先生は、何処行くの?寺子屋は?」

「寺子屋は一ヶ月休講だ。その間、私は外でやりたいことをするさ。それではな」

 

振り向くことなく里から遠ざかっていく。見ているかどうかは分からなかったが、右手を軽く振っておいた。

さて、現場へ行こう。何か幻香の行方が分かる痕跡があればいいのだが。もしなければ、紅魔館へ行けばいいだろう。どうせ一ヶ月休講なのだから、数日くらい様子を見ても構わないだろう。

 



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第125話

「そういえば偽物とはいえ、一応フランさんなんでしょう?」

『ソうだヨ?』

「そんなに壊したいなら爆破させればいいじゃないですか」

『爆破?…あァ、悔シイけドさァ、マだ『目』を動かセないンだよネ』

「『目』…?」

『ソ。私ニはあラゆるモノの『目』ガ見えルの』

「ああ、鬱陶しい光の粒がその『目』ですか」

『『目』ハものノ壊レやすイ点。それヲ自由ニ動かせル』

「じゃあ、今この壁は非常に壊れにくいと?」

『そウなルネ。あーア、つマんなーイ…』

「ま、わたしとしてはそんな物騒な能力使えなくて嬉しい限りですよ」

『…あノさ、分カッてて訊イてたデしョ?』

 

 

 

 

 

 

血塗れの地に立ち、少し幻香の痕跡の有無を調べてみることにした。圧し折れた刀、地面に突き刺さった脇差、転がっている物干し竿…。あちらが一段落すれば、これらの回収も行われるだろうか?…行われないかもしれんな。よっぽどの事がない限り、里から出る者はいなくなりそうだ。

 

「…これは、複製か?」

 

落ちている得物の数々を見ていると、ふと気付いた。見た目が全く同じ棍棒が何組もあったのだ。しかし、それからは幻香が複製をしたことは分かっても、行方は分からないだろう。…他をあたろう。

 

「義眼、か」

 

踏み潰された義眼がまた目に入った。さっき見つけたときは特に気にも留めなかったが、妙に引っ掛かる。何か違和感を覚える。義眼は確かに珍しいものだが、そういったものではない。何か、別の…。

そういえば、里へ運んだ八十五人の怪我人の中に眼がない者はいただろうか?…いや、そんな者はいなかったはずだ。それでは、この義眼は誰のものだ?

 

「過激派は八十五人じゃなかった、ということか…?」

 

何も八十五人だと決まっていたわけではない。八十六人以上いた可能性が有り得ないわけではない。ならば、この義眼の持ち主を含む余った者は何処へ行ったのだろうか?…普通に考えれば、幻香を追ったのだろう。何故戦場を移したのかは分からないが。

 

「一体何処へ…、む?」

 

改めて周りを見渡してみると、気になるものが目に入った。この場から離れるように、血が断続的に零れ落ちている。誰のかは分からないが、この場から誰かがあちらへ移動したということだ。愉快犯の可能性もあるが…。

 

「…行ってみるか」

 

何か痕跡らしきものは、これ以外見つからなかった。ならば、この血を辿ってみる他ないだろう。

 

 

 

 

 

 

「迷いの竹林、か…」

 

血痕は徐々に間隔が広くなっていたが、ほぼ真っ直ぐあった為迷うことはなかった。ここに到達するまでに怪我が少しずつ治りつつあったのだろうか?

しかし、迷いの竹林に入って少し進んだ頃には血痕が一切残されていなかった。せめて足跡が残ってさえいればよかったのだが…。風か何かで掻き消されてしまったようだ。

 

「さて、どうするか…」

 

ここで諦めて紅魔館へ行くか。それとも、迷いの竹林の探索を続けるか。迷わず後者だ。迷う要素などない。誰かがここに入ったのは確かなのだから。幻香ならよし。人間なら未だに迷っているかもしれない。どちらにせよ、探さないわけにはいかない。

とは言うものの、迷いの竹林はある程度道らしきものがあるのだが、真っ直ぐというわけではない。枝分かれも当然している。それに、竹が生えているところを無理矢理抜けることも出来る。日光がほとんど射さないところもある。

 

「願わくは、ここに入った者が人間ではない事を祈るが…」

 

迷いの竹林は一度迷えば、出ることは困難を極める。竹は地面に垂直ではなく、僅かに傾いて生える。単調な竹のみが視界に収まり、目印などはほとんどない。朝方は霧が立ち、視界がさらに悪くなる。他にも様々な要因で、方向感覚を失うからだ。

幻香ならおそらく問題ない。やたらと記憶力がよく、目印がほとんどないはずの迷いの竹林で迷ったのを私は見たことがない。そういえば、永夜異変のときの迷いの竹林でも問題なく永遠亭へ到着出来ていたな…。それを考えると、記憶だけでは済まされないものがあるように感じる。

何処に進むべきか迷うより、動いた方がいい。止まっていても、何も得られるものはない。とりあえず、道なりに進んで行けばいいだろう。行き詰ったら、引き返してまた別の道を進めばいい。もしかしたら、妹紅が何か気付いているかもしれない。妹紅の家によるのも一つの手だ。

 

「む、また血痕が…」

 

歩いて数分。竹に飛び散ったような血痕が見つかった。さらに、竹林の奥にまた別の血痕があった。どうやら、ここを通ったようだ。だが、ここで争ったという様子はない。どういうことだ?

さっき途絶えたのが嘘のように、血痕が次々と見つかる。道なりに進んだと思ったら、竹林を突っ切り、また道なりに進む。何か法則があるとは思えない、不可解な移動。普通の人間ならば、道なりに進むはずだ。そっちの方がいちいち竹を避ける必要がなく、楽だから。しかし、この血痕の主はそうではないようだ。

 

「…竹が、折れている?」

 

血痕を追って歩き続けることさらに数分。奥のほうに竹が一本折れているのが見えた。駆け寄って観察することにする。

 

「力任せに薙ぎ倒された感じか?」

 

まず、鋭利な刃物で斬ったわけではないようだ。そして、竹の破断面からは僅かに水が浮かび上がっている。なので、圧し折られてからあまり時間は経っていないと思われる。

そして、最も重要だと思われたのが、二人分の足跡が少しだが残されていたところだ。一回り小さいものはそのまま駆け出して立ち去ったようで、もう一つの一回り大きい方は、私と同じようにこの周辺を探すように歩き回った跡がある。さらに、小さいほうの足跡の一つが、圧し折れた竹の下に残されていた。そして、大きな足跡はこの竹を避けるように残されている。竹が人為的に動かされたようには見えない。これらから、小さな足跡が来て、竹が倒れて、大きな足跡が来た、ということでいいだろう。運よくこの辺りには風が来なかったのだろうか?偶然だとしても、これは大きな成果だ。

 

「…どういうことだ?」

 

しかし、大きな疑問が残る。小さいほうの足跡では、被害者の男達では明らかに足りない大きさなので、幻香だと思ってもいいだろう。しかし、もう片方のほうは、小柄な男と同じくらいだ。幻香を追う者ならば、真っ直ぐ幻香の足跡のほうへ走っていくだろう。しかし、この大きな足跡は一度立ち止まってここら一帯を調べている。何のために?

改めて足跡が残っていないか、注意深く探る。すると、殆ど掻き消えてしまっているが、幻香のものと思われる足跡と、大きな足跡では、ここに来た方向が全く違うことが分かった。

もしかすると、幻香は一人でここに来たのかもしれない。何故紅魔館へ行かなかったのか、何故血痕が一度途切れまた現れたのか、何故竹を圧し折れるようなことがあったのか、この大きな足跡の主は誰なのか、大きな足跡の主は何処から来たのか、といった疑問が残るが、この場では私には分からなかった。

 

「…行こう」

 

ここで分からないのならば、先に進んだ方がいい。情報は多ければ多いほどいい。幸い、ここを離れていく足跡は二人とも同じ方向だ。

途中で足跡は風か何かで掻き消されてしまったようだが、血痕は変わらず残っている。その血痕を頼りに、さらに奥へと進む。永遠亭からも、妹紅の家からも離れていく。

 

「なん、だ、これは…」

 

そこには、ちょっとした血溜まりと小さな肉片が残されていた。明らかに異質。今までの血痕とは違うもの。見た目から、そこまで時間は経っていないように思える。どうしたらこんなものがここに残る?

そして、その先の道なりには血痕がなく、その場から竹林に突っ込む方向に血痕が残されていた。さっきまでの飛び散った感じの血痕ではなく、最初のように零れ落ちるような血痕。

 

「この方向は、妹紅の…?」

 

そんな疑念は、徐々に確かなものに変わっていく気がした。これは偶然だろうか?さっきまで離れて行っていたのに、急に妹紅の家の方向へ迷いなく進んでいく。道も竹林も気にせずに、真っ直ぐとだ。

程なくして、妹紅の家へと辿り着いた。血痕は家の前まで残されていた。そして、そこから離れて行くような血痕は見当たらない。この中へ入っていったと見て間違いないだろう。

扉を軽く二回叩く。

 

「…妹紅、いるか?」

「慧音か?」

「ああ。入っても構わないか?」

「…ちょっと待ってくれ」

 

そう言うと、誰かと話し始めたようだ。しかし、その声はとても小さく、誰と話しているかは分からない。

 

「いいぞ」

「そうか」

「先に言っとくけど、中には萃香とフランドールがいる」

「珍しいな」

「うるせぇ。入るならさっさと入れよ」

 

萃香は分かるが、フランドールがねぇ。幻香が永遠亭で眠っている間に何かあったのだろう。何か通じ合えるようなところが。まあ、妹紅の友好関係が増えることは、私にとっても喜ばしいことだ。

妹紅が普段使っている部屋に行く途中、普段ほとんど使われていない部屋の扉に、血で謎の模様が描かれているのが気にかかった。

 

「よ、慧音。急にどうした?」

「久し振りじゃん」

「また、会ったね」

 

部屋の扉を閉め、周りを見渡す。部屋のあちらこちらに飛び散った血と、箪笥に空いた二つの穴が目に入った。…やはり、何かあったか。

だが、そんな謎の模様も、飛び散った血も、箪笥に空いた穴も、後回しだ。妹紅達に真っ先に訊かなければならないことが一つある。

 

「ここに、幻香が来なかったか?」

 

その言葉を突き出した瞬間、三人の表情が一瞬にして険しくなった。…どうやら、血痕の主は幻香だったようだ。

 



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第126話

「…ん、んむ…?」

『ア、もウ起きタノ?おハヨ。おネーさん』

「…ふむ。――ッ」

『うワ、躊躇ナし』

「貴女を止めることを躊躇しないほうが駄目ですから」

『ソ。もウちョッと寝てレバよかッタのニなァ』

「…少し寝てたらこれか。これは少し辛いなぁ…」

『おネーさンニは悪いト思ッてるヨ。ケドさ、オねーさンがいルと満足ニ壊せなイもン』

「…意識が前より朦朧とするのは」

『ゴメんネ』

「そっか」

『アレ?意外ト淡泊。消えタくなイ、とカ騒グと思ッテた』

「まあ、消えたくはないですよ。…ですが」

『でスガ?』

「それと同じくらい、消えても構わないとも思ってるんです」

 

 

 

 

 

 

「…来てねぇよ」

「来た」

「いるよ」

 

妹紅は目を逸らし、否定した。だが、萃香とフランは私の眼を睨みながらも、肯定した。

二人の肯定が予想外だったのか、逸らしていた目を二人へと向けた。…嘘が下手くそだな、妹紅は。そもそも、あの鬼である萃香がいる時点でお前の嘘は看破されると分かっているはずなのに。それでも、それが分かっていても、私の問いに『いない』と答えなければならない理由があるのだろうな。

 

「お、お前らなぁ…」

「いやいや、それは流石に無理があるだろ?妹紅さんよぉ」

「誤魔化したいのは、分かるよ。けどさ、なんて言うか、その…」

「分かったよ。…ああ、いるよ。いるとも。だが、会わせるつもりはない」

 

会わせたくない、か。幻香に何があったのだろう。見るに堪えないほど傷付いているのだろうか?いや、そんな怪我を負っているなら迷わず永遠亭に連れて行っているだろう。たとえ、妹紅自身がどんなに行くのが嫌でも、放っておくなんてことはしないだろうから。それでは、もしかすると、幻香は、もう…。いや、考えたくない。そんなことが二度もあってたまるか。

 

「幻香は一応死んでない」

「そうだな。死んではいない」

「…まだ生きてる、はず」

「そうか、生きてるか。…生きてるんだな」

 

私の考えが顔に出たのか、三人はすぐに否定した。それなら、ひとまずよかったとしておこう。一応だの、ではだの、まだだの、はずだの、やけに曖昧なところが非常に気に掛かるが。

 

「それなら私は帰る、とでも言うわけがないだろう?」

「…だよなぁ」

「理由があるのだろう?話してくれないか」

 

妹紅は口を閉ざし、萃香は酒を呑み始め、フランは妹紅の動向を探っている。そして、各々が理由を語りたくはないということがよく分かる。

 

「あのな、妹紅」

「何だよ」

「どうせ巻き込みたくない、とか思ってるのだろう?」

「ッ…。そうだよ」

「悪いな。今回ばかりはその意見を切り捨てさせてもらう。私は今回、巻き込まれるつもりだからな」

 

ここに来て、ようやく妹紅の目が合った。その眼は皿のように丸くなっている。

そんな妹紅の代わりのように、萃香が呑んでいた瓢箪の口を私に向けた。

 

「なら、後悔するなよ?これから私が言うのは仮説に仮説を重ねた暴論だけどな」

「後悔するとしたら、それは何も聞かなかったときだ。話してくれ」

「おい萃香…」

「これはお前が折れるべきだ。それに、あちらの覚悟を無下にしちゃあねぇ?」

 

そう言うと、フランドールのほうを向き、訊ねた。

 

「フランドール、構わないよな?」

「うん。正直、行き詰ってるから。…新しい視点が必要かなって」

「ならいい。じゃあ――」

「萃香、もう分かった。まず私が話す」

「そうかい。それじゃあよろしく」

 

妹紅の背中を軽く叩きながら、口を閉ざした。

 

「まず、私達は幻香を無理矢理叩き起こそうとしたんだ。萃香の能力で意識を萃めてな」

「ほう?そんなことしようとしたのか」

「ああ、そうだよ。そしたらな、明らかにヤバいものが封じられていた。私達は『ドス黒い意識』、幻香は『破壊魔』と呼んでいたが」

 

ドス黒い意識に破壊魔ね。なかなか物騒な呼称だな。

 

「それをどうにか出来ないか、って私達はこうして集まった」

「それで、何か分かったのだろう?」

「…まあ、一応な」

 

妹紅は、何とも言えない表情で続けた。

 

「幻香のDNAとかいうのが極一部を除いて、フランドールと同じになってたらしい」

「DNA?何だ、それは」

「よく分からん。デオキシリボ核酸とかいうやつらしいんだが…。まあ、それが同じになる確率は六兆分の一なんだとよ」

 

非常に覚え辛そうな単語が出て来たな。まあ、今はさほど重要なことではないだろう。

 

「つまり、何が言いたいんだ?」

「幻香は、一時的にフランドールになっていた」

「…それは、本当なのか?真実なのか?」

「本当だよ。私の目の前で、おねーさんは私になった」

「気に…いや、後にしよう。続けてくれ」

「…?私からはこれくらいだ。次、どっちか頼む」

 

妹紅がそう言うと、フランが意を決したように口を開いた。が、そのフランの顔を前に萃香の腕が真っ直ぐと伸び、フランを制止した。

 

「お前のはちょっと長くなりそうだ。だからさ、先に言わせてくれ」

「むぅ。…分かった」

「ありがとな。私は紫に訊いた。そしたら『ドス黒い意識』は能力の結果で、現れた時期は永夜異変のとき。放っておけば最悪幻香は消えて、幻想郷が半壊だとさ」

「…半壊、か。あの賢者が言うなら、まあそうなんだろうな」

「おや?意外と驚かないね」

「顔に出してないだけさ」

「そうかい」

 

幻想郷の半壊か。何気ない日常で聞いたなら、きっと悪戯か何かと思うだろう。それほど、現実味がなく、どうなるのか想像も出来ない。

 

「最後は、私。その前に、これは私の勝手な想像で、独りよがりな妄想だってこと。それを頭に入れて聞いてほしい」

「ああ、分かった」

「私は生まれたときからお姉様が言うところの狂気、破壊衝動があった。けど、今はそれが全く無いの」

 

破壊衝動、か。あの時見たときは、その破壊衝動が僅かに表に出たのだろう。そして、それが分かっていた幻香は、複製を大量に出して好きなだけ破壊させていたのか。

しかし、その破壊衝動が全くない?あの時はかなりの数を壊していなかったか?あれだけでどうにかなるものなら、そう何度も付き合っているようなことは言うまい。

 

「…そんな簡単に無くなるものか?言い方は悪いかも知れないが、恐らく食事や呼吸と似たようなものなのだろう?」

 

かなり昔だが、自傷行為に走った生徒を見たことがある。何故、と私は思い何度か聞いたところ、一度だけこう返してくれた。『したくなるからする』と。それならば、フランドールの破壊衝動もそれに近いものがあるだろう。

 

「うん。お腹が空いたから、食べる。喉が渇いたから、飲む。息が苦しいから、吸う。そして、壊したいから、壊す。私は一つ増えてたようなもの」

「…辛くはなかったか?」

「最初は全然。壊したいだけ壊してたし。だけどさ、壊したくない、って思ったら本当に辛い。頭痛くなる。気分も悪くなる。壊したくて堪らなくなる。どこか一線を越えると、目に入ったものをどう壊そうか、ってすぐ考えちゃう。ふとした時に体が勝手に何か壊してる。そうしたくないのは分かってるんだけど、壊しちゃう。…そんな感じ」

 

要約すれば『したくなるからする』って言ってもいい内容だろう。

 

「何となくだけどさ、分かるよ。飢餓、ってのは辛いよな。何か食べたい、って考えると余計に辛くなるし」

「…妹紅、お前」

「悪い。最近はそんなこと…、して、ない、から、さ」

「…おい」

 

お前は未だにそうなのか。…いや、幻香のことに意識が向いて、食事が疎かになっていたのだろう。せめて、そうであってほしい。

 

「…まあいい。フランドール、続けてくれないか?」

「うん。私もそんな急に無くなるわけない、って思ったから理由を考えてみた。何か兆候があったはずだ、って」

「幻香が目の前でお前になった」

「そう。それでね、もしかしたらおねーさんに私の破壊衝動がそのまま移っちゃったんじゃないか、って考えたの」

「それは、突拍子もない…いや、そうでもないか」

 

破壊衝動の消滅と幻香がフランドールへ変化。この二つは、繋げて考えるだけの関連性があるだろう。

そう考えていると、フランドールは寂しそうに笑った。

 

「残念だけど、それを否定する情報はなかったんだよね…」

「有り得ないようなことでも、それ以外に有り得るものがなければ、真実になり得る。それが、正しくても間違っていても、だ」

「…そっか」

 

納得したように頷いた。似たようなことを最近言ったはずだからな。それに、幻香と里の人間共について訊いているならば、何となく分かるだろう。

ダン、と妹紅がちゃぶ台を叩いた。どうやら、情報はこれで終了のようだな。

 

「それでだ。私達が持ち寄ったこと全てが正しいと仮定して、無理矢理まとめてみた。つまり、幻香はフランドールの破壊衝動を丸ごと移し、幻香は消え去りフランドールとなって、その破壊衝動に流されるまま幻想郷を半壊させてしまうのではないか、ってな」

「…本当に無理矢理だな」

「しょうがないだろ。けどな、否定も出来ない」

「確かにそうだ。だが、気になる点がいくつもあった」

 

そう言うと、三人の眼が軽く開いた。…気付いていなかったのか?いや、当事者と乱入者で視点と考え方が違うのは当たり前か。

 

「これからは粗探しだ。答えられるだけ、答えてくれないか?」

 

ならば、これが私が今やるべきことなのかもしれないな。

 



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第127話

「少し気になったことが」

『ナァに?珍しイじャン』

「同じ壊すでも、ものによって違うんですね」

『ソうだネェ。やっパ人ノほうガ壊しテテ気持ちイイ』

「人のほうが壊してて気持ち悪い」

『そウ?こウ、スカッと来なイ?』

「来ませんね。代わりにドスリと重いものが来ますよ」

『そンナつまラなイモの、感ジなけレバいいノに』

「そのつまらないものを感じなくなったら、自分で自分を許せない」

『罪ノ意識なンてイらナイ』

「もし本気でそう言っているなら、やっぱり貴女は偽物だ」

『…ソウかもネ』

 

 

 

 

 

 

「…粗探し?」

「ああ。お前らの情報から、気になる部分をいくつか追求していく」

「なんだそりゃ?」

「曖昧なのが嫌いなだけだ」

 

曖昧な部分が残されていると、その部分に触れた時にどう解釈されてしまうか分からない。知っているならそれでいい。しかし、不明と知らずに勝手に埋めてしまったら堪ったものではない。

 

「まず、妹紅」

「何だ?」

「さっき言ってたDNAについてだが、六兆分の一と言うからには、よっぽどの事がない限り同じになることはないということでいいのだろう?」

 

まず手軽なことから訊いてみたところ、妹紅はふと思い当たることがあったようだ。

 

「あっ、そういや双子だと同じになるとか言ってたぞ。忘れてた」

「双子?…そういう例外を除けばほぼないんだな?」

「…そうだと思うが、それが何だ?」

「妖怪狸なんかの変化はどうだ?」

「それは変わらないってさ」

「…知っているなら先に言ってくれ」

 

そう言うと、妹紅は視線を逸らし、少し落ち込んだ声色で言った。

 

「…悪い。けどさ、必要だと思わなかった」

「今はどれが必要になるか分からん。萃香、フランドール。お前らも何か言ってないことがあれば、今の内に思い出しておけ」

「分かった分かった」

「うん、了解」

 

萃香は腕を組み、フランドールは天井をボンヤリと見上げだした。…大丈夫そうだな。

 

「あと、萃香は分身出来ただろう。それはどうなんだろうな」

「…知らねぇ。悪い」

「それならいい。答えれたらでいいんだからな。それよりも、誤魔化されるほうがよっぽど悪い」

 

情報が捻じ曲げられるのは、非常に恐ろしいことだ。誤った情報は誤解を招く。

 

「へえ、萃香って分身出来るんだ」

「その言い方、まるで自分も出来るみたいじゃんか」

「出来るよ!自慢のスペルカード!」

「ほう?今度見せてみろよ」

「今度ね」

 

そういえば、フランドールも出来たな。ほんの僅かな時間しか見ていなかったから、あまり印象に残らなかったようだ。

二人の話は少しずつ発展していき、言い忘れがないか考えているかどうか怪しくなっているが、今は放っておこう。

 

「妹紅。お前の情報で私が一番気になったのは、何故DNAの極一部を残したのかだ」

「はぁ?」

「どうせなら全部フランドールになればいいだろう?そんな中途半端にせずに」

「…その中途半端な部分、本来の幻香のDNAと同じなんだ」

「ほう?偶然とは思えないな」

 

その中途半端な部分は必要だったから残されたのか、それとも出来なかったから残されたのか。それは分からないが。

 

「まあ、これが分かったからなんだといった感じだが」

「だろうよ」

「とりあえず、このくらいだ。次、萃香。いいか?」

「お?早くね?」

「そうでもないさ。残された時間があまりないのは、見てれば分かる」

「…そうかい」

 

そう言うと、フランドールとの話をすぐさま打ち切り、私のほうを向いた。フランドールも、打ち切られたことを気にした様子を見せず、また天井を見上げて考え出した。

私が口を開こうとすると、ス、と右手を私の前に出した。待て、ということだろう。

 

「先に言ってなかったのを言う。『ドス黒い意識』は取り除けない。紫が断言した」

「なっ!?」

「え!?」

 

妹紅とフランドールが目を見開きながら、萃香の顔を見た。当然、私も少なからず驚いた。しかし、そんな私達を気にすることなく続けた。

 

「それとな、アイツ、別れ際に幻香を失いたくない、って言ったんだよ」

「…よく分からんな」

 

…幻香はあの賢者が失いたくないと思うような妖怪なのだろうか?そこら辺にいる妖怪とは一線を画するところはあると思うが、そこまで強大なものではないと思うのだが…。

 

「そのくらいだな」

「そうか。では訊くぞ。まず、誰の能力だ?」

「そりゃあ、幻香の…いや、そう言われると…誰のだ?」

「いや、分からないならいい」

 

幻香の能力は複製。そして、その複製は自らの意思で回収、霧散が可能だ。フランドールから破壊衝動が消えた、と言う時点で複製ではないとは思っていたが、もし複製の結果ならば、今頃そんな『ドス黒い意識』もしくは『破壊魔』を消し去っているだろう。

 

「次だ。何故半壊なんだろうな」

「そりゃあ破壊衝動が…」

「これも、中途半端だと思わないか?いっそのこと全壊してもおかしくはないだろう。どうなんだ、フランドール?」

「え?…どうなんだろう。けど、前の私なら、やってたかも」

「そうか。そうならなくて私はとても嬉しいよ」

 

あの賢者のことだ。途中で博麗の巫女による解決も視野に入れていたのかもしれない。私の考えもしない理由で、その破壊行動が終結するのかもしれない。

 

「萃香にはこのくらいだ。最後にフランドール。幻香が変わった瞬間を間近で見たんだろう?」

「うん、見たよ。…そういえばあの時、おねーさんの背中に見えるだけのはずの翼に触れれた」

「フランドールに変化して、翼が生えたということか?」

「多分。あと、背丈もほとんど同じだった。それに、私と同じ能力を使ってた」

 

同じ能力、か。ものが爆発する、と幻香が前に言っていたな。おそらく、それだろう。

 

「そこまであれば、もう完全同一存在と見てもいいような気がしてきたぞ…」

「けど、そのDNAとかいうのがほんのちょっと違ったんでしょ?」

「違った。何度でも言うが、その違ったとこは幻香と同じだった。ピッタリ重なってたんだ」

「それが嘘だとは私も思わんよ、妹紅」

 

そう言うと、妹紅は口を閉ざし、壁を背にして脱力した。

 

「さて、フランドール。お前の――」

「ちょっと待って。思い出した。たしか、その紫が『消化してもらう』って言ってた」

「…消化?」

「うん。おねーさんの『ドス黒い意識』を応急処置とか言って、結界で押し留めたときに言ってたの」

 

消化、ねぇ。…あまりいい響きではないな。まるで、淡々とものを壊してほしいように聞こえる。さながら、作業のように。

他に何かないか確認すると、今はないと言われたので、改めて訊くことにした。

 

「お前の破壊衝動についてだ」

「…?」

「衝動とは、湧き上がってくるものだろう?今も、そういったものは感じるか?」

「え…っと。うぅーん、…ある。けど大丈夫だよ?これくらいなら、わざわざものを壊さなくても大丈夫」

「だろうな。長い間気付かなかったということは、そういうことなのだろうよ」

 

ものを壊したいという欲望を、別の何かに上手く昇華させているのだろう。何に転換させているかは、スペルカード戦にだと思われるが。…まあ、私はフランドールの私生活をほとんど知らない。私の知らない何かに転換しているかもしれないな。

 

「つまり、破壊衝動の湧く水源から幻香は水を汲んだんだ。ものを壊したい欲求という水をな」

「…そうなのかな?」

「知らん。私は、そう考えた。間違っているなら、どこかで決定的な矛盾が起こるだろう」

「つまり、仮説?」

「ああそうだ」

 

もしそうならば、幻香の中にある『ドス黒い意識』は最悪、ものを壊し続けていればいつか消えてしまうということだ。

そしてこれが正しいならば、あの賢者は知っていたということになるだろう。半壊で留まる理由はそこなのだろう。ものを壊す欲求が、そこで潰えてしまうことを知っていたのだろう。

 

「…このくらいだな。今、即急に訊きたい部分は」

「そっか。…やっぱり、慧音が協力してくれて、新しい考えが出た。おねーさんを助ける手立てに近付いたと思うんだ」

「そう言ってくれると、助かる」

 

しかし、私がやったことは、見方を変えれば、出来たかもしれない可能性を出来ないと断じて潰したようなもの。失敗を未然に防げた、とも取れるが、とても誇れるようなことではない。

軽く息を吐き、ふと先に訊いた二人のほうを見ると、何やら妹紅が萃香に話しかけていた。

 

「妹紅、萃香。何話してるんだ?」

「…幻香のことだよ」

「…そうそう」

「そうか。ならいい」

 

この後も、四人で幻香をどうやって助けるか、日が暮れるまで話し続けた。しかし、結果はほとんど変わらず、出口のない迷路に迷い込んでしまったようだ。

 

「…とりあえず、寝よう。続きは、明日だ」

「そうだな。徹夜はよくない。まともな思考も出来なくなる」

 

そんな妹紅の提案に乗り、夜の支配者である吸血鬼、フランドールがこの時間帯に寝ようとしていることに少しだけ驚きつつ、私は横になった。

私達には、何かが決定的に足りない。情報?力?技術?時間?はたまた、それ以外?…分からない。私は、私達は、幻香を救うことが出来るのだろうか?いや、救わなくてはならない。それが、今私がするべきことだ。

その為に、今すべきことをしよう。そう考え、私は眼を閉じた。

 



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第128話

「……………」

『ナァに考えテるノ?』

「…貴女は何者ですか?」

『もウ言ッたジャん。私はフランドール・スカーレット』

「いえ、貴女は違う」

『…言ウじゃン』

「致命的ですよ。それさえなければ、こうは考えなかった」

『……………』

「まあ、それ以外でも、際どいのはいくつもありましたが」

『……………』

「だから、何度でも問いましょう。貴女は、何者ですか?」

『私ハフランドール・スカーレット』

「いいえ、貴女は違います。貴女は何者ですか?」

『私ハ、フランドール・スカーレット』

「貴女は手を誤った。貴女は何者ですか?」

『私は、フランドール・スカーレット…』

「罪悪感がいらない?ふざけるなよ。貴女は何者ですか?」

『…私は、フランドール・スカーレット…』

「人一倍破壊を遠ざけようとした貴女が言っていい言葉じゃない。貴女は何者ですか?」

『……私、ハ…』

「貴女は、破壊を好み過ぎた。貴女は何者ですか?」

『フランドール・スカーレットのドッペルゲンガーだヨ』

 

 

 

 

 

 

目を瞑って数時間は経っただろう。薄目を開くと、闇に慣れつつある目が僅かな月明かりを感じた。さて、二人はもう寝ただろうか?フランドールの微かな寝息を百まで数え、既に寝たと判断する。

静かに音を立てないように扉を開き、部屋から出る。そしてそのまま廊下を歩き、血で魔法陣を描かれた扉を横切り、外へと出た。軽く周りを見渡すと、萃香は既に出入口の横の壁を背に立っていた。

 

「後で用がある、なんて言われていきなりどうしたんだって思ったじゃねぇか」

「しぃ…、静かにしろ」

 

口元の人差し指を立て、小声で話すよう促す。萃香の顔が急に歪んだ。何とも言えない、微妙な表情をしながら言った。

 

「…なぁんかきな臭いな」

「悪い」

「それと、そのあと誤魔化したのはいただけないなぁ?」

 

それは、慧音に知られるわけにはいかないからだ。バレれば、必ず止められるだろうから。

 

「何とか言えよ、オイ」

「…悪い」

 

しかし、そんなことを口にしたくなかった。

 

「あっそ。まあ、いいや。で?何の用だ」

「萃香。頼みたいことがある。お前にしか、頼めないことだ」

 

両肩に手を乗せ、強く握りしめる。

 

「幻香の意識、萃められないか?その紫の結界みたいに、さ」

「…はぁ?『ドス黒い意識』じゃなく?」

「ああ。幻香のほうだ」

「…出来るちゃあ出来るだろうよ。けどさ、正直どっちを萃めるにしてもちょっと混じりそうなんだよなぁ…」

「大体、どのくらい?」

「幻香の意識と『ドス黒い意識』、お互い百ずつあるとする。上手くいっても…百と十くらいだと思う」

「…十分だな」

 

つまり、十分の一まで削れる。それだけ削れれば、何とかなるのではないか?

しかし、萃香の表情はあまり良好とは言えないものだった。

 

「あのな、やってくれって言われてはいそうですか、なんて言えるかよ。そんなことしたらどうなるか、分かってるんだろ?」

「分かってるさ。頼む」

「…分かっててやろうとするお前の気が知れんよ」

 

そう言うと呆れながら酒を呑み、そのまま部屋へと戻ろうとした。その肩を掴み、こちらへ引き戻そうとする。鬱陶しそうに振り返り、あからさまな溜息を吐いた。

 

「…何だよ。この話は終わりだ。諦めろ」

「言い忘れてたことがあった」

「それで変わるとは思えないけどねぇ」

「いや、変わるさ」

 

そう断言すると、少し驚いたようで、一瞬動きが止まった。

これを誰かに言うのは、久し振りだ。慧音に言ったことは覚えてるんだが、最後に言ったのはいつだったか…。

 

「実はな、私は不老不死なんだよ」

「は?」

「だからな、幻想郷半壊分の破壊を、全部私が引き受ける」

 

フランドールの破壊衝動はいつか潰える。だからこそ、半壊で留まる。そう言ったのは慧音だ。その言葉がなければ、私はこうしようと考えなかったかもしれない。

突然、胸倉を掴まれ、そのまま額と額がぶつかる。頭がチカチカする。それ以上に、怒声が耳を貫く。

 

「お前、馬ッ鹿じゃねぇのかッ!?不老不死だか何だか知らねえけどな!何回死ぬか分かってるのか!?百や千じゃ効かねぇんだぞ!?」

「…分かってる」

 

蓬莱の薬を飲んだときは、どうとも思わなかった。問題は、その後だ。一点に留まれない生活。やることも無く、ただなんとなく無差別に妖怪を退治することだけ考え、それすら虚しくなった。幻想郷に流れ着き、蓬莱の薬を与えたらしい蓬莱山輝夜に八つ当たりじみたことをしながら、その罪と後悔を誤魔化し続けた。

 

「それでも、私にやれることはこのくらいだから」

 

すると、突然後ろから壁を強く叩く音が聞こえた。

 

「やっぱりか、妹紅。お前のことだ。そう考えるだろうとは考えてた」

「…慧音」

 

驚いて振り返ると、右拳を壁に叩き付けた慧音がいた。その眼からは、一筋の涙が伝っている。

 

「驚いた。不老不死なんて人がいるなんて」

「…フランドール」

 

素直に驚いたように、目を見開いたフランドールが慧音の後ろにいた。…何で、二人が起きてるんだ?萃香が大声出したから…?いや、違う。二人を起こさないようにある程度離れていたつもりだった。

 

「悪いが、お前が寝た振りしてたように、私もしていた」

「なっ!?」

「ごめんね。私も二人が寝てなかったみたいだから、気になって…。それに、萃香が寝ないで出て行っちゃったのもちょっと気になってたし」

「こりゃあ一本取られたなぁ、妹紅ちゃん?」

「…ちゃん付け止めろ」

 

だが、確かに萃香の言う通りだ。慧音にだけはバレないように、と思っていたのに。こうして私の目の前には慧音がいる。

 

「…慧音、頼む。分かってくれよ。私には、これしか思い付かないんだ」

「ふざけるなよ妹紅」

「巻き込みたくないことに巻き込ませたんだ。だから、私にもさせてくれよ」

「ッ…」

 

うなだれる慧音の肩に手を置き、耳元で囁く。

 

「必ず、帰ってくる」

 

不老不死だから、なんて言うのは関係ない。ただ、これだけは伝えたかった。伝えるつもりのなかった言葉。

慧音の肩から手を放し、萃香のほうを見る。

 

「…なあ、頼むよ」

「はあぁ…。はいはい、分かったよ。後悔するなよ?」

「しないさ」

 

今この瞬間、私は『蓬莱の薬を飲んでよかった』と思っている。この不老不死の体がこうして使えることに。私の友人を、幻香を救えることに。

そのためにする行動に、後悔なんてない。あるわけない。

 

「じゃあ、行ってくる」

「…妹紅」

「慧音?」

「…死ぬなよ」

「当たり前だろ?不老不死舐めんな」

 

 

 

 

 

 

魔法陣の描かれた扉に手をかける。あちら側からは開かなくても、こちら側からは容易く開く。少し軋んだ音を鳴らしながら、扉を開いた。血の臭いが鼻を突き刺す。

 

「…どうして、開けたんですか…?」

 

そこには、右腕と左脚にそれぞれ脇差を二本床に突き刺して横になっている、幻香らしきものがいた。その姿は、既に私とはかけ離れている。この中で、唯一フランドールは違和感なく見ることが出来るかもしれない。

 

「…妹紅さん、萃香さん。フランさん、それに慧音まで…」

 

髪の毛が半分ほど黄色く染まり、斑模様に血を被っている。右腕と左脚は不自然に短く病的なまでに白い。背中の右側には異形の翼が中途半端に生えていた。その両目は私のものとは違う、吸い込まれるような、底が無いような、血を流し込んだような真紅の瞳。

フランドールになりかけている幻香が、そこにいた。

 

「ああ、そうだ。『破壊魔』はどうにかするのは無理そうです」

「そんなことはない」

 

四人を代表するように、私は部屋の中に足を踏み入れた。さっきから漂っていた血生臭い異臭がより強くなる。

 

「だから、私を殺してくれませんか?」

「悪いな。それは嫌だ」

「何でですか…?私は、自殺したいほど愚者でも賢者でもないんですよ。死ぬなら、せめて貴方達の誰かに――」

「幻香」

 

今までの幻香では、信じられないほどやつれた顔を見下ろす。きっと『ドス黒い意識』をどうにかしようと考えたんだろうな。お前が『破壊魔』と名付けるような奴を。

 

「大丈夫だから。あとは、私達に任せろ」

「…え」

「だから、少し寝てろ。頼む萃香」

「…ああ」

 

すると、幻香の容姿が急変した。自由に動かせるのだろう左腕で頭を強く抑え始めた。

 

「あ…っ、がッ!ば、何して…ッ!やめ――」

 

それもすぐに収まり、幻香の動きが停止した。変化が始まる。左腕と右足が縮み始める。背中から残りの翼が生え始める。髪の毛が黄色く染まり始める。肌色が病的に色が抜けていく。

 

「アハァ」

 

もう、誰が見てもフランドールにしか見えなくなったそれは、妖しく笑った。

 



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第129話

その狂気に満ちた笑みを見た瞬間、背骨が氷に貫かれたような戦慄が走った。

 

「…さっさと閉めろォ!」

 

自らを奮い立たせるためにもわざとらしいほど声を張り上げ、部屋の扉を閉めるよう叫ぶ。ガタガタと音を立てて扉が閉まった。閉められた瞬間、外から僅かに聞こえていた葉の擦れる音などの環境音が一切聞こえなくなった。これで、私とコイツは閉じ込められたわけだ。

床に縫い付けられた脇差なんか最初からないかのように、幻香だった者――フランドールと区別するために『破壊魔』と呼ばせてもらおう――は何の躊躇もなく右腕と左脚を床に切り捨てた。そのまま不自然なほど緩やかにフワリと浮き上がり、足元に転がっていた、多分本物であろう脇差の刀身に左踵を落とし、パキリと容易く踏み折った。…既に左脚が治っている。右腕もだ。

 

「…マズはさァ」

 

一瞬、フランドールが言ったのかと勘違いしてしまうほど全く同じ声。だが、あまりにも調子の狂った声。何をしてくる…?

 

「…は?」

 

突然、カクリと腰を曲げてみせた。相手の真意がよく分からない。

 

「ありガとネ」

「…何のことだ?」

「オねーサンをワざわザ押し退ケテくれテ」

「ああ…」

 

…どうやら、お辞儀のつもりだったようだ。そして、体制を戻すと私に右手を突き出した。

 

「ソしテさよナラ」

「ッ!?」

 

キュッ、と右手を握り締めた。その瞬間視界が真っ赤に染まり、そして黒一色に塗り潰される。一瞬の激痛を最後にあらゆる感覚が消失し、永遠とも思える浮遊感を感じる。

…何時振りだろうか。こうやって『死』を味わうのは。

最近の輝夜との殺し合いも、特に示し合わせたわけでもないのに、どちらかが死ぬまで続けるようなことがなくなった。命を賭けた、とか言ったが実際はギリギリのところで留まっている。…もしかすると、私がアイツを殺すつもりがないなんてことが意外と伝わっているからだったり、…ないな。気持ち悪い。

そんなくだらないことを考えていると、喪失感が終わりを迎え、感覚が一気に復活していく。

 

「トりアエず、さッキの三人ヲ壊ソっかナァ…」

 

視界に飛び込んだ光景は、あまり信じたくないものだった。

壁に大穴が空き、僅かな月明かりが注がれていた。闇に慣れた目には、竹林と破壊魔の背中が見えた。物騒な呟きが耳を通った。

それをさせるわけにはいかない。好き勝手させるつもりは全くない。微塵もない。これっぽっちもない。その小さな肩を掴み、無理矢理こちらを向かせる。

 

「…おい、待てよ」

「アレ?さッき壊しタと思ッ――ガッ!?」

 

掴んでいた手を振り、正面を向かせ、そのがら空きの腹に右爪先を突き刺す。非常に軽い体はそのまま吹き飛び、二、三回地面を跳ねた。

このままこの部屋でずっと破壊され続けようと考えていたが、考えが甘かった。想定外だ。まさか、破壊耐性とか言ってた魔法陣の掛けられた壁をブチ抜くとは…。

 

「仕っ方ねぇなぁッ!」

 

それなら、この場にい続けるのは危険だ。萃香とフランドール、そして何より慧音を巻き込んでしまう。どこかに移動する必要がある。誰も近付こうとしない、都合のいい場所は…。しかし、そんなすぐには思い付かない。

 

「…けホッ」

 

軽く咳き込みながらもヨロヨロと起き上がった破壊魔は、実に不思議そうな顔で私を真っ直ぐと見つめた。

 

「確カに『目』ヲ潰シた。けド治ッた。オッかしイなぁ…」

「その時不思議な力が働いたんじゃねぇの?」

「ソっか。そレジゃア、今度コそさヨナら」

 

一瞬の激痛と共に、再び『死』が訪れる。しかし、それもすぐに終わる。元に戻ったとき目に入ったのは、三日月の如く頬をつり上げた破壊魔の、実に嬉しそうな表情だった。

 

「…アハァ」

「悪いな。簡単に壊されるつもりはない」

「イイモノ、見ィつけタァ!アハッ!アハハッ!」

「あっそ」

 

一瞬で距離を詰め、異常なまでに甲高い声で笑う破壊魔の顔面を殴り飛ばす。小さな放物線を描いて飛んでいこうとするが、それに合わせて跳び上がり、追撃の膝を叩き込んでさらに遠くへ飛ばす。いい場所が思い付くまで、軽く時間を稼ぎながら私に意識を集中させよう。破壊を他へ向けさせないように。

そんな私の攻撃が気にならないのかすぐに起き上がると、その場でさらに笑い出す。

 

「アハハハッ!アハハハハッ!最ッ高だヨ!貴女!」

「そう言うお前は最低だよ」

「イクら壊シてモすぐ戻ル!おネーさンノ複製みたイニ!」

「…あれはあれでおかしいんだよ」

 

幻香は簡単にやっているが、あれは明らかに異常な能力だ。妖力なんて無形から形あるものを創り出す。それは、光から鉄を生成するようなものだ。種を蒔かずに木を生やすようなものだ。それが異常でなくて、何だと言う?

そして、あれで留まるとは思えない、成長過程だと思われる点。何か制限がかかっているような違和感。あれは、何処まで行く?どの領域まで進んでいく?

 

「マ、いつカ壊レちゃウンだろウけドね」

 

これで三度目の『死』。これまで何度も味わってきたつもりだったが、やっぱり慣れない。…いや、慣れてはいけないのだろう。これに慣れてしまったら、私は人間として最も大事なところを失ってしまう気がする。

 

「いツ壊れルかナ?」

「さぁな。私も知らないね」

 

復活したらすぐに距離を詰め、前方三回転加速を乗せた踵落としを叩き込む。ただし、頭ではなくわざと右肩に。先程までの三回の『死』は右手を握った瞬間に私の体が破壊されて起こった。ならば、右手を使用不能にすれば、破壊を一時的に封じることが出来るかもしれない。場所が思い付けば、わざわざこんなことをしないでいいのだが…。そう簡単には思い付かない。

 

「甘いヨ」

 

そんな私の小細工を嘲笑うかのように左手を見せびらかし、わざとらしくゆっくりと握る。そして四度目の『死』。

こう立て続けに『死』を繰り返すのは本当に久し振りだ。あまり覚えてないが、数百年振りかもしれない。しかし、これじゃ足りない。破壊衝動が潰えるには、明らかに足りない。だが、ここでやらせるのはあまりにも不用心だ。

 

「右腕ジンジンするゥ…。何か動かないし」

「の、割には余裕そうだな」

「そリャあネ。コんな痛ミ気にスルくらイナらもット壊さなイト」

「なんだそ――おまッ!何してんだッ!?」

 

左手を握り潰し、自分自身の右腕を吹き飛ばした。次に瞬間、新たな右腕が生え始める。…いくら何でも、そんなことするか普通?

 

「使エないノは壊ス。当たリ前でショ?」

「…予想以上だ。コイツ」

 

かなりヤバい。ゾッとする。想像を絶する狂気だ。こんなのに付き合い続けたのか、幻香は。あの真っ暗な部屋に籠って、どんな気持ちだったのだろう?一体どれほどの破壊衝動が眠っているのだろう?私は一体何回死ぬのだろう?考えたくないが、そんなことが頭を過ぎる。

…ん、真っ暗?そうだ。迷いの竹林のかなり奥にある、昼も夜の変わらないほど暗く、闇に支配された空き地。あそこならまず人は来ないだろう。

今はまだ夜だが、きっと何回も日を跨ぐだろう。つまり、昼が来るということ。本当にフランドールになったのだとすれば、吸血鬼は日光に弱い。いくら迷いの竹林だとしても、日光が射す場所は相当強く射す。いくら今が破壊魔だとしても、元が幻香だ。日光と共に塵と化すなんて冗談じゃない。

 

「そんじゃあ、そこまで連れてかねぇとな!」

 

そうと決まれば、即実行。日が昇るにはまだ早いが、この場はすぐに離れた方がいい。幸い、あの空き地は私の家からも永遠亭からもかなり遠い。まさに絶好の場所と言えるだろう。

 

「オラァ!」

「ガフッ!?」

 

懐に跳び込みながら腰と右腕を限界まで捻じり、一気に開放する。そのまま打ち抜くと、さっきより大きな放物線を描いて飛んでいく。竹の生えていない方へ飛ばすつもりだったが、上手くいったようだ。掴んで連れて行っても、どうせ破壊されてしまうのが落ち。なら、壊される前に殴り飛ばすか蹴飛ばしたほうが早いし楽だ。

 

「もう一発!」

「あガッ!?」

 

一気に走り出し、着地点を予測。破壊魔よりも早くそこへ到達し、その空いた脇腹を蹴り抜く。ここから竹林の生えていない場所だけを通って空き地に行くのは厳しい。どうしても鬱蒼と生える竹林の間を通り抜ける必要がある。

なら、何度でも飛ばせばいい。どうせ、多少のことでは死なないことは最初の一撃で分かっている。それに、吸血鬼とは違うが、似たような耐久力を持った妖怪なら大昔に討伐したことがある。こういう妖怪は、弱点を突かなければまず死なない。

 

「これで最後だッ!」

 

何十回と飛ばし、その間に数回の『死』を迎えながら空き地へと到着した。月明かりさえ、星一つの光さえも届かない。だが、鬱蒼と生える竹林の中にある数本の光る竹が光源となって、僅かにこの空き地を照らしている。

 

「…いッタいなァ」

「悪いな。ここなら、思う存分やれる」

「決メた。私、貴女ヲ絶対に壊ス」

「やってみろ」

 

どうやら、破壊魔の意識も私に集中させることも出来たようだ。

 

「そレニ、いクらでモ遊べルなンテ最ッ高だしネ?」

 

そう言うと、早速右手を握り締めた。さて、私は何度破壊されるだろう?何度死ぬだろう?何度蘇るだろう?知ったことか。何度でも破壊されるし、何度でも死ぬし、何度でも蘇る。私は、最初からそうするつもりなのだから。

 



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第130話

「…さっさと閉めろォ!」

 

妹紅の怒声が耳に入った瞬間、私は無意識に扉に手をかけていた。そして、一気に扉を閉める。そのときに僅かに引っ掛かるのが無性にもどかしかった。

 

「…よかったの?」

「いいんだ…ッ」

 

そう言ったものの、私の眼からはとめどなく涙が零れ落ちる。本当に行かせてよかったのか?止めるべきではなかったのか?それ以外に方法を探せなかったのか?そんな後悔が頭の中を掻き回す。

突然、背中に衝撃が走った。肺が妙なことになり、呼吸が乱れる。数回咳き込んで何とか落ち着けようと試みていると、頬に鋭い痛みが走った。目を覆う涙が吹き飛び、僅かに明瞭になった視界の端には、右手の甲を前に出した萃香が映っていた。

 

「…落ち着いたか?もう一発欲しいか?」

「どうだろうな…」

 

とても落ち着いたとは言い難いが、頬の痛みの分だけマシになったと思う。

 

「アイツ、見るからに焦ってたんだ」

「ああ。それくらい分かる」

 

幻香が消える。しかし、いつ消えてしまうのか分からない。明日?一週間後?一ヶ月後?もしかすると、次の瞬間には消えているかもしれない。なら、出来るだけ早い方がいい。そう考えたからこそ、必要とする能力を持った萃香だけに話し、断行しようとしたのだろう。

 

「何事だ!?」

「おわっ!?」

「何!?」

 

突然、家全体が僅かに揺れ、それと共に岩が砕けたような音が響いた。

 

「ト――エず、――キ――――壊ソ――ナァ…」

 

遠くから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。咄嗟にフランドールのほうを見ると、口と目をポッカリと開け驚愕していた。その口は全く動いていない。それに、そもそもフランドールが言ったならば、声が遠いなんてことはないはずだ。

つまり、幻香が本当にフランドールになったということか。さっきの音は、向こう側の壁を壊して部屋から出ようとした結果だろう。こちら側に出て来なくてよかった、と考えるべきか?

 

「…お―、待――」

「―レ?さ――壊―――思ッ――ガッ!?」

 

何か鈍い音が聞こえ、その少し後にさらに遠くから何かが落ちる音が聞こえた。

一体何が起きたんだ?そう考えていると、急に襟首を引っ張られた。体勢が崩れ、倒れそうになるのを支えられると、耳元で萃香が囁いた。

 

「逃げるぞ」

「分かった」

 

理由は言われなくても分かる。フランドールの破壊衝動を抱えた幻香は、その衝動のままに破壊行為をし続ける。幻想郷を半壊してしまうほどに。しかし、その破壊を全て補うというふざけたことを妹紅はしようとしている。ならば、私達はここにいない方がいい。何処へ向かうかは知らないが、妹紅はここから離れようとするはずだから。誰も人がいない、そして来ることのないところへ。

家を飛び出し、私達は三人で迷いの竹林の中を駆け出した。目的地は永遠亭。そこならば、とりあえず誰かいる。つまり、妹紅はそこへ向かうことはない。

 

 

 

 

 

 

「ハァ…、ハァ…」

「言われた通り進んだと思ったらここかよ」

「理由、あるんでしょ?」

「…人がいるだろう?」

「ま、そうだけどな」

 

永遠亭の塀に背を預け、息を整える。壁を通して妖怪兎が活動する音が聞こえるかと思ったら、特にそのような音は聞こえてこなかった。…珍しいな。普段ならこの時間でも少しくらいはしゃいでいる兎が一人や二人いるのだが。

そんなことを考えていたら、萃香がフランドールの肩を掴んでいた。萃香の表情はあまりいいものではないが、何かあっただろうか?

 

「あの魔法陣、欠陥品だったのか?」

「…どうだろ。見様見真似だし」

「ちっ…」

 

魔法陣…?あの扉に血で描かれていた謎の模様はフランドールが描いた魔法陣だったのか。どうやら、あまりいい出来ではなかったことを責めているようだが…。

 

「それに『目』がないからって壊れないわけじゃないもん」

「…なんだそれ」

「壊れやすい点、ってだけでそれがなくてもものは壊れる。壊れ難いだけ」

「そういやそうだったな…。悪い」

「いいよ。紙が鉄板になった、くらいだと思って」

 

何を言っているのか詳しくはよく分からないが、あの魔法陣は破壊に対する何かしらの防御を担っていたようだ。『目』というのは人でいうところの急所と思えばいいだろう。

しかし、今はそんな過ぎたことを気にしているよりも、別に気にするべきことがある。話が丁度途切れたので、二人の肩を叩いて意識をこちらへ向ける。そして、今気にすべきことを口にした。

 

「妹紅と幻香は何処へ向かったと思う?」

「分かんない。けど、この竹林からは出ないと思う」

 

フランドールの言うことは一理ある。この迷いの竹林から出れば、被害はより大きくなってしまうだろう。もしも人間の里にでも出てしまったら、何てことは考えたくない。それに妹紅曰く、DNAがほとんど同じで、フランドールとほぼ同一存在となったと言ってもいい幻香。つまり、吸血鬼になったということだ。吸血鬼は強大な妖怪である代わりに、弱点も多い。その一つが日光だ。今は夜でも、いつまで続くか分からない。昼まで続くならば、比較的日が射さないここから出る理由はほぼないだろう。

しかし、萃香からの返事がない。何か考えているように、眉間にしわを寄せ、強く目を閉じている。その身体からは何か湯気のようなものが出ているようにも見える。

 

「おい、そこまで深く考えなくてもいいんだぞ?分からなければ分からないで――」

「ちょっと黙ってろ」

「え?」

 

その声は、かなり苦しんでいるように聞こえた。喉に鉛でも詰まったかのように緊張する。萃香は真剣だ。真剣に、何かをしている。しかし、考えているだけとは思えない。では何をしている?

フランドールと共に黙って待つこと十数分。カッと目を見開き、身体から出ていた湯気が止まった。

 

「…見つけた」

「何!?何処にいた!?」

「かなり遠い。何て言うか、竹が相当密集してた。数本光ってなかったら、本当に真っ暗なくらい。…多分、あれが前に言ってたところか」

「確か、昼も夜も然程変わらないところ?」

「そうそう」

 

…確かに、そんなところもあったな。懐かしいところだ。普段はそんなところへ近付く理由がないから思い出せなかった。

そこまで言うと、萃香はペタリと地面に寝そべった。そのまま瓢箪の中身を口に注ぐ。酒特有の香りが鼻に来た。

 

「ふぅ、疲れた…。普段はあんなことしないからな…」

「よく分からんが、お疲れ様。助かった」

「場所は分かったけど、どうするの?」

 

どうする、か。少し危険は伴うが、やっておいた方がいいだろう。被害を未然に防ぐことが出来るだろうから。

 

「そこに近付く者を追い返す」

「…へぇ、面白いこと言うじゃん」

「うん、分かった。どうすればいいかな?」

 

どうやら二人ともやる気のようだ。しかし、一応危険性についても話しておこう。そこでもしやらない、と言われても仕方のないこと。

 

「先に言っておくが、それだけ妹紅のところに近付くということだ。巻き込まれてしまう可能性だってある」

「そのくらい分かってるさ。けどな、誰も巻き込みたくない、って考えてるのがあそこにいるんだ。ならやるに決まってるだろ」

「おねーさんはもう何も壊したくない、って言ってた。だから、私も手伝うよ」

「…ありがとう、萃香、フランドール。もちろん私もする」

 

妹紅は他の何も壊さないで済むようにしようと考えている。幻香も何も壊さず済むように死ぬことすら考えた。ならば、関係のない者を巻き込むわけにはいかない。その為に、私達はやれることをしよう。

 

「フランドールは昼は危険だろうから、夜に頼む。私は代わりに昼を中心にやろう」

「大丈夫。少しくらいなら何とかなるから」

「場所によっては昼でも問題ないだろ?やらせてやれよ」

「…分かった。だが、誰もやっていない時間を作らないようにしなければな」

「それは問題ない」

 

そう言うと、萃香が靄になった。そして幾つかに分かれ、また集まり出す。すると、萃香は五人に増えていた。…そうか、分身か。

 

「…なんていうか、私に似てる?」

「そうか?ま、無理しない程度にな」

「おう、じゃあ行ってくる」

「私あっちな!」

「そんじゃこっちで!」

「あっちこっちじゃ分かんねーっての!」

 

四人の萃香が騒がしく走り去っていった。なんと言うか、分かっていても異様な光景だ。全く同じ姿が何人もいると言うのは。…幻香は、普段からこういう目で見られているのだろうな。最近は全くそのようなことを考えなかったから忘れていたようだ。

 

「さて、フランドール。迷いの竹林の地理は分かるか?」

「…ごめん、さっぱり」

「萃香は?」

「さっき知った」

「…?まあ、知っているならいい。じゃあ、最初の頃は萃香と一緒に回ってくれ。決まった道を歩くようにしてほしい。全部覚えるより遥かに楽だ。最悪、上空からここに戻ればいい」

「え?戻れるの?」

「今は永夜異変じゃないから問題ないはずだ。実際、ここまで問題なく到着した」

「そっか」

「そんじゃあ、私もまたいくつか増えますか。私はここで待ってるから」

「分かった。それじゃあ行くぞ」

「…うん!」

 

そう言うと、萃香はさらに一人増やし、フランドールと共に歩き出した。さて、私も行こう。とりあえず、まずはあそこに近付かないように、グルリと回ろうか。こうした地味な活動で救われる命があるかもしれないのだから。

 



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第131話

「お、おはようさん。夜だけどな」

「…あぁ、おはよう、萃香」

 

三度目の夜に目が覚めた。何か胸騒ぎがする。何か嫌な予感がする。なかなか慣れないものだ。この感覚は、妹紅と幻香が終わるまでずっと感じ続けるだろう。今日も何事もなく見回りを終えることを願う。そして寝ている間に終わってしまうことを願い、次に目覚めたときにまだ終わっていないと知り、再び胸騒ぎと嫌な予感を覚えるだろう。その繰り返し。

まだ僅かに残る眠気を飛ばすように、頬を両手で数回叩く。未だに血生臭い臭いが漂う家の目覚めは、正直あまりよくない。だが、永遠亭の目の前で野宿というのは肉体的にも精神的にも辛く、永遠亭に泊めてもらうのは相手に懐疑心を与えてしまいかねない。妹紅がここから離れたと分かった今、雨風を凌げるここで休むことに異論は出なかった。

 

「珍しいな、お前がこんな時間に起きるなんて」

「そうだな。…もしかしたら、何か起こるかもしれんな」

「おいおい、そんなこと言うなって。言霊ってのがあるだろ?」

「ふふ、確かにそうだ」

 

あまり眠っていないだろうが、二度寝するほどではない。夜だが見回りに出るとしよう。

そう言えば、私が寝る前の夕方ごろにもかかわらず外に出ていたフランドールがいない。もしかすると、徹夜しているのか?

 

「フランドールは?」

「フランドールか?まだ帰ってきてないな。道覚えてからずっとだ」

「そうか…」

 

そのような無茶はしない方がいいのだが…。しかし、そうしたくなる気持ちも分かる。だからこそ止め辛い。

 

「お前は?」

「私を除いて三人かな?勝手に分かれてなければ」

 

萃香も、最初は十人二十人とかなり多くの人数に分けていたが途中で止め、今では五人程度に収まっている。『数が増えるのはいいけれど、追い返すための力を考えるとこのくらいの数が最適かな』と言っていた。何でも、分身は自らの体を何個かに分けて行っているらしく、二人になったら半分、といった単純なものではないらしいが、それなりに弱体化してしまうらしい。それに加え、単純に数が多いと疲れやすいからだそうだ。何事も利点しかないものは存在しない。

 

「そうか。それでは、行ってくる」

「おう、行ってこい」

 

本当に、何事も無ければいいのだが…。

 

 

 

 

 

 

「よぉ、フラン。久し振りって感じか?」

「…魔理沙。それと、アリス…かな?」

「ええ、そうよ」

 

私の目の前に、魔理沙とアリスがいる。実は夢、なんて馬鹿らしい可能性を一瞬考えてしまったけれど、それはないだろう。人差し指の爪に親指の爪を軽くねじ込んでも、激痛が走るだけ。一向に夢から覚める気配はない。むしろ、意識が覚醒していく。

 

「なあ、こんなとこで何してるんだ?」

「…魔理沙みたいな人を、近付けないこと」

「へえ、奥に何かあるんだな?」

 

確かにある。だけど、行かせるわけにはいかない。力尽くで追い返したいところだけど、そういうわけにはいかない。魔理沙を、アリスを、怪我させてしまう。下手すれば、殺してしまう。

それは、もう嫌だ。絶対に。

 

「…あるよ。けど、絶対に近付けないって決めたから」

「ビンゴ」

 

そう呟いた魔理沙がニヤリと笑った。そして、後ろに乗っているアリスの肩をバシバシと叩く。

 

「…痛い」

「な!言った通りだろ?これは私の勝ちだな。なんか用意しとけよ?」

「貴女が勝手に決めた賭けなんて私はやってないわよ」

「ケッ、つまんねーの」

 

賭け?…どうでもいいや。

 

「ま、いいや。言われた通り、この先に幻香はいるみたいだぜ」

「ッ…!」

 

前言撤回。どうでもいいなんてことなかった。絶対に追い返さないと。

 

「なあ、フラン。私達はこの先に用があるんだ。私との仲だろ?通してくれよ」

「絶ッ対に駄目。決めた。私、貴女を絶対に追い返す」

「…何が大丈夫よ。全然じゃない」

「問題ない。こうなりゃ力押しだ!」

 

こういうとき、目的と条件を明確にする方がいい、っておねーさんが言ってた。目的は、追い返すこと。条件は、怪我を負わせない。それ以外は、手段を問わない。…こんな感じなのかな?こういうときにおねーさんが近くにいないことが凄く辛い。

 

「さあ、スペルカード戦だ!お互い五枚で五回被弾でいいか?」

「ちょっと魔理沙、勝手に決めないでよ。少しくらい相談しても…」

「時間が惜しい!」

「いいよ、それで」

 

さあ、始めよう。絶対に負けられない勝負を!

 

 

 

 

 

 

「あら、貴女は?」

「これはこれは、吸血鬼のお嬢さんじゃないか」

「こんばんは。久方振りですね」

 

グルリといつもの道を回っていると、一周前にはなかった足跡が見つかった。すぐに向かうと、幸いにもかなり近くにいた。吸血鬼、レミリア・スカーレットとその従者、十六夜咲夜。どのつもりでわざわざ迷いの竹林まで来たかは知らないが、ここに近付いたというだけで追い払いの対象だ。

 

「悪いが、この先は通行止めだ。さっさと帰れ」

「悪いけれど、貴女の言うことなんか聞く理由がないわ」

「そうかい」

 

決定。力尽くだ。しかし、おそらく私は四人に分かれているはずだ。それに、もう一人も同時に相手にしなければならない。おそらく勝てるだろう。しかし、絶対とは言えない。

 

「お嬢様、用件くらい言ってからにしましょう。相手に悪いですよ」

「そうかしら?泥臭い奴に言ってやることじゃないでしょう?」

「…前に泥被ったのはどっちだい?」

「うるさい」

 

レミリアに余裕があまり見えない。かなり焦っているように見える。今のコイツに何言っても無駄そうだな。代わりに話してくれることを僅かに期待し、咲夜のほうに目を遣った。すると、私の視線に気づいた咲夜は一瞬レミリアのほうを見て、軽く息を吐いた。

 

「…妹様をお探しになっています」

「咲夜」

「失礼。話が進みませんので」

「そうかい、フランドールをねぇ」

 

そういや、レミリアはフランドールの姉だったな。すっかり忘れてた。名字が同じじゃなかったら思い出さなかったかもしれない。

 

「…本当にいるのね。もう分かったでしょう?貴女に用はないの」

「悪いね。そっちに用が無くてもこっちにはあるんだよ」

「知らないわよ。諦めなさい」

「そっちが諦めろ。どうせフランドールに会っても連れ戻せやしないさ」

 

フランドールからは強い意志を感じた。事が終わるまでこの場を離れることはない。そう断言させるほどの決意。

しかし、そんなことがあちらに伝わるはずもなく、顔が一気に赤くなるのが見て取れた。どうやら、神経を逆撫でしてしまったみたいだな。

 

「…言ってくれるじゃない」

「言うさ、何度でもな」

「お嬢様、落ち着いてください。顔が林檎のようです」

「なぁんですってぇ!?」

 

その激情に流されるように、真紅の槍を取り出して私に向けて投げつけようとする。その姿に呆れつつ、右手を真っ直ぐと突き出す。

 

「まあ待てよ。私だって前とは違う。スペルカード戦だっけ?それで決めよう」

「ふぅーっ、ふぅーっ…。ええ、いいわよ」

「あれは野蛮だ何だって言われたからなぁ。今回は、えーと…美しく、だっけ?」

 

幻香はスペルカード戦のことを何と言ってただろうか?確か美しいとか言ってたはずだけど。

 

「そうだな…。そっちは二人いるし、五枚ずつと被弾五回でいいだろ」

「…行くわよ、咲夜。神槍『スピア・ザ・グングニル』ッ!」

「ええ、お嬢様」

 

早速飛んできた神速の槍を紙一重で躱し、冷や汗を掻く。ちょっとまずいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「…幽々子様、どうしてわざわざ?」

「楽しそうだからに決まってるでしょう?それに、迷惑かけたのは確かだからね」

 

楽しそうに歩いている幽霊一人、肩をガクリと落としながらも前を歩く半人半霊が一人。それを確認してすぐに二人の前に姿を現した。

 

「悪いけど、楽しいお散歩はここで終わりにしてくれないか?」

「うわっ!?…な、何だ鬼か…。え、鬼!?」

「あら、早速出たわね」

「…騒がしいな」

 

そうやって驚きながらも、刀に手をかけて今すぐに抜刀出来る姿勢を取っているのはなかなか素晴らしい。しかし、そんなことをされても私はこの先を通してはならない理由がある。

 

「もう一度言う。大人しく帰ってくれないか?」

「嫌よ。せっかく来たのに」

 

話すだけではやっぱり駄目か。なら仕方ない。力尽くだ。

この先には、妹紅とフランドールの破壊衝動を宿す幻香がいる。そこで妹紅は何百何千と殺され続けているだろう。それでも誰も巻き込みたくないと考えていた。被害が自分だけで済むように。

 

「この先は生き地獄。それに巻き込むわけにはいかなくてね」

「あら、冥界は私の庭。地獄はそんな安くないわよ」

「あっそ。それじゃあスペルカード戦だ。五枚と被弾五回でいいだろ?私が勝ったら大人しく帰れ。当分ここに来るな」

「妖夢、いいでしょう?」

「ハァ…。もういいですよ」

 

そう溜め息をついた妖夢と呼ばれた者の目付きが刀のように鋭くなった。

 

「それに、貴女を斬れれば私は一歩先へ進める気がします」

「斬れるもんなら斬ってみな」

 

 

 

 

 

 

「あら、また会ったわね」

「博麗、霊夢…?」

 

やはり、言霊はあるのかもしれない。そう思えてくる。今こうして、目の前に博麗霊夢が現れたことを考えると。

 

「ここが騒がしいから見てこいって言われてきてみれば、何か急に騒がしくなってきたわね」

 

そう言われると、遠くのほうで誰かが交戦しているような激しい音が聞こえているような気がする。それも、一つではない。おそらく、三つある。

周りを見渡し終え、再度霊夢に視線を戻すと、私にお祓い棒の先を向けていた。

 

「まあ、こんなところに理由なくいるわけないでしょう?さっさと吐きなさい」

 

そして、ここが新たな一つとなるのだろう。だが、いくら博麗の巫女であろうと、この先を通すわけにはいかない。通してしまえば妹紅の努力が無駄と化す。さらに、幻香は危険因子として排除されてしまいかねない。もしかすれば、返り討ちとなってしまうかもしれない。どう転んでもこの先へ行かせてはならない。

 

「断る。この先へは一歩たりとも進ませはしない」

「へえ、いい度胸じゃない」

 

確かにそうだ。前回は紫と共に活動していたとはいえ、その紫はスキマを通して余所見ばかりしていた。つまり、ほぼ霊夢相手に敗北したわけだ。

せめて今日が満月ならば、多少は変わったかもしれないが…。その満月はあと一週間と少し先だ。無い物ねだりにしかならない。

 

「お前が相手だからとて引きはしない。その程度で止めるほどの弱い決意でここにいるわけではない!」

「…へえ、そう。アンタの決意は分かったわ。けれど、それでも通させてもらう。三枚に被弾三回。構わないでしょう?」

「ああ、構わん」

 

私の為に。フランドールの為に。萃香の為に。妹紅の為に。そして幻香の為に。ここを通すわけにはいかない。負けるわけには、いかない。

 



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第132話

「ハッ、遅ぇな!」

「ちょっと魔理沙!危ないって!」

「知るか!振り落されるなよッ!」

 

これだけ竹が鬱蒼と生えた中で平然と縦横無尽に飛び回る。それに対応するために、私を中心とした球体を描くように弾幕を張る。しかし、それさえも意に介さず飛び続ける。

 

「…鬱陶しいなぁ、本当にッ!」

 

私の弾幕の間を縫うように人形から放たれる小さな弾幕が鬱陶しい。最初の頃は人形が目に入ったらすぐに一発強めの妖力弾を放ったが、糸にでも引っ張られたような不自然な動きで避けていく。

気が付いたら二十を超える人形が私を囲んでいる。塵も積もれば山となる。疎も萃まれば密となる。だから『目』を潰すことにした。それが一番確実。

 

「きゅっ!」

「掛かったわね」

「なッ!?」

 

内側から爆ぜた人形の中から弾幕が炸裂する。咄嗟に妖力弾の『目』を動かして潰しつつ普通に放っていた弾幕の標的を変えて打ち消しにかかるが、予想以上に弾速が速い。私を囲む弾幕の全てを打ち消すことが出来ず、いくつか被弾してしまった。

被弾はしてしまったけれど、分かったこともある。この人形の『目』の破壊は危険だ。破壊したときの弾幕のほうが相当速い。いくら数が多くても、今は『目』の破壊を控えたほうが楽だ。

 

「アリス、ナイス!」

「貴女の能力は魔理沙が前に言ってたからね。少し利用させてもらったわ」

「…あっそう」

「あら、意外と冷めてるのね?」

「余裕が無くなっただけ。大したことじゃないよ」

 

私が最初の被弾だ。そして、お互いにスペルカードを使っていない。優位性が相手側に一気に傾いてしまった。だけど、私は諦めるつもりもないし、負けるつもりもない。

だから、早速使わせてもらおう。飛び回る鳥を囲み、捕縛する檻を放とう。

 

「禁忌『カゴメカゴメ』」

「チッ、面倒なのが来たな…」

 

妖力弾が天まで届くほどに縦に並び、さらに直角に交わる妖力弾の列を放つ。最後に場を立方体に区切るように妖力弾を並べる。元から大量に生えている竹林も相まって、行動を阻害する。

 

「見ぃつけた」

 

檻の一つに丁度収まった魔理沙とアリスに向けて特大の妖力弾を放つ。その勢いによって檻の一部が崩れてしまうが、その一部も共に二人を襲う。

 

「しょうがねぇな!恋符『マス――」

「私に任せて。魔操『リターンイナニメトネス』」

 

その宣言と共に、私の放った妖力弾が吹き飛んだ。その爆発の衝撃で檻も一緒に吹き飛んでしまう。新たに檻を放つが、それも途中で吹き飛ばされてしまう。その爆発跡から端が少し焦げた小さな布切れ、同じように焦げ付いた綿が目に入った。そのごみは見覚えがある。おねーさんと一緒に来たときに落ちていたものに酷似している。

 

「そっか、やっぱり貴女だったんだ」

 

そう呟いた声は、爆発音の中に紛れて消えた。幸い、檻が爆発してしまうからその爆発は私に届くことはない。その代わりに檻が出来ることもない。そして私とアリスのスペルカードはほぼ同時に時間切れを迎え、私はすぐに次のスペルカードを放った。

 

「禁弾『カタディオプトリック』」

 

本来なら閉鎖空間で放つべきスペルカード。けれど、竹のようなほぼ円柱のものが乱立するこの場所ならば、私自身もどのように跳ね返るか分からない。下手すれば、全く魔理沙たちのところへ跳んでいかないかもしれない。だから、これは賭けだ。おねーさんがいれば上に行ってしまうのも気にせずに放てるんだけど…。それなら私なりに出来ることをしよう。

 

「おわっ!」

「キャッ!急に止まらないでよ!」

 

ちぇっ、魔理沙が止まらなければ被弾したのに。けれど、止まった標的は逃がさない。そこへ追撃を放つ。しかし、容易く避けられてしまった。それでもいい。避けたとしても、その奥にある竹に反射して新たな弾幕となる。

 

「ッ…!しまった!」

 

繰り返し放ち続けていくと、偶然にも十数発の妖力弾が二人を囲む形になった。数発同時に襲い掛かれば、と考えたけれどここまでいい状況が来るなんて。それに、あれもなかなかいいところにある。

 

「この程度!」

「このくら――痛ッ!」

「ア…アリス!」

 

魔理沙は目の前に迫る妖力弾を打ち消し、アリスは幾つかの人形を盾にしたけれど、真上から来た一発には気付かなかったみたい。アリスの頭に被弾し、箒から墜落していく。

上へ飛んでいってしまいそうになった妖力弾の無理矢理方向を変えさせてもらった。近くの竹の先端の破壊し、その妖力弾を叩き落とすように折ることで。ここまで上手くいくと、気分が少しだけよくなる。

 

「チィ、恋符『マスタースパーク』ッ!」

「来たね、魔理沙のスペルカード…!」

 

パチュリーが言ってた。おねーさんはこのマスタースパークを貫く妖力弾を放ったって。おねーさんに出来たんだ。私にだって、出来るはず!ミニ八卦炉から放たれた膨大な魔力を穿つ妖力弾!

 

「貫けッ!」

 

右手の五指から螺子のように旋回する妖力弾を五発放ちつつ、高速で真横に離脱する。瞬間、真後ろから轟音が鳴り響き、激しい光を浴びた。ギリギリ避け切れたその魔力は、大量の竹を巻き込まれて薙ぎ倒す。ある程度離れてから、地面に足を付けて少し滑りながら停止する。

 

「…あぁ、畜生。またかよ…」

 

よしっ、上手くいったみたい。竹と距離の関係で見辛いけれど、肩の辺りの服が浅く破れているのが見えた。

近くに生えている竹の根元の『目』を器用に潰し、一本拝借する。私の背丈の何倍もの長さを持つ竹を思い切り掴み、魔理沙に向けて投げつける。これはただの牽制。この程度が避けられないはずがない。

投げつけたと同時に走り出し、視線だけで確認する。予想通り僅かに上昇して避けられた。追加で弾幕を魔理沙に放つけれど、スルリと避けられてしまった。

けど、それでいい。地を這う相棒から、魔理沙は離れた。私の目的は、走り出したときからアリス一人だ。急接近する私に目を見開いているのが見える。アリスの動きを阻害する為に、特に決めずに数本の竹の真ん中辺りの『目』を潰す。メキメキと倒れる竹に対し、足を止めた。

ここまで近付けば、十分届く。

 

「禁忌『レーヴァテイン』!」

「ッ…戦操『ドールズウォー』!」

 

十二体の小さな人形が、槍と盾を構えて私に突貫してきた。多分、さっきみたいに壊せば弾幕が炸裂するのだろう。けれど、そんなことはどうでもいい。一回被弾してでも、魔理沙がこっちに来る前に一回当てないといけない。

大きく薙ぎ払い、七体の人形を焼き斬る。盾を前に出して防御しようとしていたけれど、すぐに溶け落ちて防御の意味をなさなかった。弾ける弾幕。レーヴァテインを盾にして防御を試みてみたけれど、右足に鋭い痛みが走る。だったら防御する必要はもうない!

 

「てえりゃあぁッ!」

「なっ…!?」

 

捨て身の突撃を始め、残された五体の人形の『目』をすれ違い際に潰す。人形が弾ける一瞬前にところどころを浅く貫かれたけれど、最初に被弾してからまだ一秒と経ってない。被弾してから三秒経たなければ、被弾の回数に加算されない。その五体から弾けた弾幕に幾つも被弾しても気にせずアリスへと駆け抜け、目の前で左足を強く地面に踏み込む。

 

「ひぃ…ッ」

「ごめんね」

 

左脚を軸にして旋回し、脇腹に右脚を叩き込む。軽く跳んでいくのを視界の端に捉えた。

 

「くそっ!やられた!」

 

そんな声と共にこちらへ近づいて来る音が響く。そのまま魔理沙のほうを向きながら、右手に持ったレーヴァテインを投げつける。狙いは魔理沙に当たらない、僅かに右側。

 

「うおっ!危なッ!」

「そこッ!」

 

最初から当たることがなかったのだけど、さらに横にずれて避けた魔理沙の真横でレーヴァテインの『目』を潰す。私が右手を握ろうとした瞬間にさらに加速したけれど、もう遅い。

 

「熱ッ!あちちっ!」

 

炎を撒き散らしながら爆ぜるレーヴァテイン。その爆炎に魔理沙は巻き込まれた。

本当に、おねーさんのスペルカードは知らなければ避けられないと思う。これはそれの真似事だ。けれど、私はおねーさんと違って弾けたものから弾幕は出て来ない。なら、弾けたら何か飛び散るものでやればいい。レーヴァテインの剣の『目』を潰せば、纏われた炎と共に飛び散る。炎が当たっても被弾なのだから。

 

「かぁーッ!喰らいな!魔砲『ファイナルスパーク』ッ!」

「分かった。喰らってあげる」

「は!?」

 

そのまま魔理沙へと最短距離で突貫する。目の前にいる魔理沙の手にあるミニ八卦炉から、さっきとは比べ物にならないほどの魔力が放出される。左腕を顔の前に出して軽く防御をしつつ、右腕を前に突き出しながら突き進む。身が焼ける。物凄く痛い。それでも、六秒以内に突き抜ければそれでいい!

 

「…でりゃァア!」

「な――ぐッ!」

 

私が前に突き出した右拳は、魔理沙の顎へ確かに当たった。

 

 

 

 

 

 

「それじゃ魔理沙。事が終わるまで迷いの竹林に絶対近付かないで。アリスもね」

「あーはいはい。分かりましたよーだ」

「…えぇ、そうするわ」

「そうして。これは二人の為でもあるんだし」

 

少し苦しそうに返事をしたアリスが少し心配になって、私が蹴飛ばした脇腹を見た。脇腹から血は滲んでいないから大丈夫だと思う。蹴りを当てたときに、骨が折れる感触も肉が変に破れる感触もしなかった。

 

「おいフラン」

「…なぁに、魔理沙?」

「あれ、何だよ」

 

脇腹を軽く抑えたアリスを支えている魔理沙が、私に言った。あれ、とは多分今回のスペルカード戦の事だろう。けど、何か疑問に思うようなことがあったかな?

 

「何って?」

「あんな特攻だよ。お前らしくない」

「…何でだろうね」

 

多分、私はおねーさんに私の破壊衝動を押し付けてしまったからだと思う。故意かどうかなんて関係ない。私の所為でおねーさんは苦しんだ。

私は覚えてる。体に刃物を平然と貫いたその瞬間の顔を鮮明に思い浮かべることが出来る。いつもと大して変わらなかった。痛いはずなのに、苦しいはずなのに。

 

「本当に、何でだろうなぁ…」

 

そんなことしても何も変わらないって分かっている。けれど、それでも、だからこそ、おねーさんの代わりに傷付きたかったのかもしれない。おねーさんの代わりに痛い目に遭いたかったのかもしれない。おねーさんの代わりに苦しみたかったのかもしれない。

そう考えると、不思議と納得出来る自分がいる。そんなことしたら、おねーさんは喜ばないって分かってるのに。

 



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第133話

爆裂する妖力弾二つをレミリアの後方を目標に投げ付け、軽く挟むように弾幕を放つ。しかし、山なりに投げた妖力弾はその途中で投げ付けられたナイフに着弾し、目標とは全く違う位置で爆裂してしまった。まあ、しょうがない。

飛んできた数本のナイフを躱しつつ、そのうちの一本を人差し指と中指で挟む。

 

「…何だこれ」

 

珍しいな、これ。銀じゃん。銀なんて脆くて使い辛いだろうに。それに、確か吸血鬼の弱点じゃなかったか?何で吸血鬼の従者がそんなもの持ち歩いてるんだか…。ま、どうでもいいか。

ナイフを投げ返しながら咲夜に対して弾幕を張る。当たらなければそれでいい。これはただの牽制。少しわざとらしいが開けた空間を作るように放ったつもりだ。そこに入ると予想し、強力な一撃をお見舞いする。

 

「でりゃぁっ!」

「…と。危ない危ない」

 

難なく避けられてしまったが、気にしてられない。手の空いたレミリアの放った弾幕がやってきた。こりゃ相当速いな。それに加え、わざわざ私に向かって飛来してくる。多少動いてもその動きに合わせるように。

 

「面倒だ!鬼符『ミッシングパワー』!」

 

宣言と共に自らの体を薄め、その分だけ膨張していく。私に飛んできた弾幕が体を突き抜けていく。霧や煙に当たることはない。それが私だ。

 

「咲夜!こうなると攻撃は当たらないわ!」

「了解です、お嬢様」

 

まあ、スペルカードにする前だけど見せたもんな。あの時は時間無制限だったからほぼ一方的な攻撃を続けたけど、今回は違う。そこは気を付けないとな。

身体が大きくなった分、レミリアと咲夜が小さく見える。私から見れば普通の弾幕。しかし、相手から見ればとんでもない大きさだろう。その分隙間が大きくなってしまうのが難点だけど。

 

「あっはっは!楽しいねぇ!」

 

ちょこまかと動き回るのを見ていると、鼠を思い出す。あれはあれで可愛げのある生き物だ。米とか食い荒らされたときはかなり痛かったけど。

そんなことを考えながらいつものように弾幕を放つこと三十秒。残念ながら被弾させることは出来なかった。まあ、半分回避、半分威圧の為に使ったスペルカード。それでも構わない。

 

「おっと、時間切れ」

「今よ!」

「とでも思ったかい?甘ぇよ。鬼神『ミッシングパープルパワー』!」

 

続けて二枚目を宣言し、さらに膨張する。遂に頭が竹林からはみ出てしまった。二人は少し屈まないと見つけ辛いくらいには小さい。豆粒みたいだな、こりゃ。

 

「なぁ!?まだ大きくなるの!?」

「…ちょっと予想外です」

 

雪崩のような大量の弾幕を降り下ろす。ここら一帯の竹林がまとめて吹き飛んでいくが、気にすることはない。ここ以外にもいくつかこんな感じに吹き飛んでたところがあったからな。その一つに埋もれるだけだ。

 

「くっ…!さっきのはお遊びって感じね…!」

「そのようですね…」

「おいおいどうした?逃げ惑うだけかい?」

 

しかし、このままじゃ埒が明かない。なら、少しやってみるか!

 

「きゃっ!」

「な、何!?」

 

脚を少しだけ萃め、大地を踏み鳴らす。地面が大きく凹み、それに伴い僅かに揺れる。ちょっとした地震を引き起こし、その瞬間にさらに多くの弾幕を落とし込む。これでどうかな?

 

「チィ、紅魔『スカーレットデビル』ッ!」

 

その宣言と共に、レミリアを中心とした真紅の光が天を貫いた。その過剰なまでに放出された力は、私の弾幕を一瞬にして消し飛ばす。これはこれは…。

 

「ちぇ、今度こそ時間切れか。ふうぅー…っ」

 

長く息を吐きながら、スルスルと元の大きさまで戻していく。未だに真紅の光が目に焼き付いている。今まともに喰らったらアレはまずいかもな…。万全でもちょっと辛いかもしれない。

これまでお互いに一度も被弾せずにスペルカードを二枚使った。ええと、こうなったらスペルカードの使い切りを目指したほうがいいんだっけか?いや、そんな消極的じゃ駄目だな。積極的に攻める!

地面はガタガタだが、邪魔となる竹はもう無い。存分に好きなだけ放てるってものだ。天上の星も霞むほどの弾幕を!

 

「そっちがその気ならこっちもやらせてもらうわよ!」

「ええ、お嬢様。幻符『殺人ドール』」

 

瞬間、咲夜の目の前に大量のナイフが出現した。目を離したつもりも、瞬きしたつもりもない。文字通り次の瞬間に、だ。それに加え、レミリアの真紅の弾幕も降り注いでくる。

 

「ハッ、遅ぇなあ!」

 

だが、その程度どうにでもなる!どうにかする!

飛来するナイフに合わせて後退しつつ、当たるものを全て挟み取る。それと同時に、降り注ぐ妖力弾に対し、こちらの妖力弾を当てていく。この程度出来ないで誰が鬼と名乗れようか。両手合わせて五十七本。ジャラジャラと足元に落として見せる。

 

「なッ…!」

「それに数も足りない。もうちょっと密にした方がいいな」

「なら、これならどうかしら?幻世『ザ・ワールド』!」

 

百を超えるナイフが私を包み込む。そして一斉に私目がけて飛来した。このままだと見事なハリネズミになりそうだな。それに、先みたいに挟み取っているうちに後ろから貫かれてしまうだろう。

鬼気「濛々迷霧」でも使えば勝手にすり抜けていくだろう。しかし、そんなことはもうやった。同じようにすり抜けて避けるなんて、美しくないんだろう?

 

「鬼火『超高密度燐禍術』ッ!」

 

両腕を振り上げ、地面に叩き付ける。地面から湧き上がる地獄の業火。超高密度まで萃めた大地は超高熱を発しながら炎を撒き散らす。

 

「どうした?手品はそこまでか?」

 

降り注ぐ白みがかった橙色に溶け落ちた銀を浴びながら、不敵に笑った。

 

 

 

 

 

 

「降参ってあんたな…」

「負けを認める、と言ってるのよ」

 

それだけ言うと、すぐに背を向けて離れて行く。従者は何も言わず、その少し後ろを静かに付いて行く。お互い被弾していないとはいえ、まだスペルカードも残ってたのにもったいない。

大股で咲夜とレミリアを追い抜き、目の前に立つ。鬱陶しそうな顔をしながら立ち止まったレミリアに対し、私は訊ねた。

 

「おい、待てよ。納得出来ねぇな。諦めるにはまだ早いだろ」

「『私達は貴女に勝てない』」

「あんたの大好きな運命かい?」

「そうよ。あの時点で、私達の負けは確定した。なら、それ以上は無駄」

 

右腕を伸ばし、胸倉を掴む。何が起きているのか分からなそうな呆然とした顔に頭突きを遠慮なく叩き込む。

 

「痛ッ…!」

「何が運命だ。知るかそんなの」

 

呆然としているその顔に追加で平手打ちをしようとすると、首筋にヒヤリとする何かが光る。…いつの間にか、咲夜が私の首筋にナイフを押し当てていた。斬り落とされたとしても問題はないのだが、気分が悪くなる。振り上げた右手を下ろすと、ナイフも離れた。

 

「…ありがとうございます」

「礼を言うとこじゃねぇだろ」

 

睨みを利かせながら言ったが、その微笑みが崩れることはなかった。

 

「おい、レミリアさんよ」

「…何よ」

「あと二つ訊かせろ。何故フランドールを幽閉なんかした?」

「……………」

「だんまり、か」

 

多分だけど、言わなくても分かる。けれど、言いたくないだろう。自分の妹に恐怖したからなんて。少し触れたから分かる。背筋が凍えるほどの『ドス黒い意識』。圧倒的破壊衝動。恐れるのも無理はない。

けれどなあ、レミリア・スカーレット。もしもあんたが最初に受け入れてさえいれば、フランドールの破壊衝動はどうにかなったんじゃないか?四百九十五年も閉じ込めていたから、あんなになっちまったんじゃないのか?あんたの運命なんてたった一つの可能性を鵜呑みにしたから、それ以外の道を見損なったんじゃないか?

しかし、それも遠い過去のこと。覆しようのない結果。今更言ったところでどうにかなるわけじゃない。

 

「まあいい。最後だ。…運命なんか視れて、楽しいか?」

 

運命と言われてもよく分からない。だが、今までの言い方から予想すると、多分未来予知みたいなものだろう。

それは本を後ろから読むようなものだ。先が視えるなんて、傍から見れば素晴らしいものだろうが、視る者としてはつまらないものだろう。私はそう思う。

どう答えるか、と思った。少しは考えるだろうか、とも。だが、意外にもその答えはすぐに返ってきた。

 

「幸せよ」

「あっそ」

 

左手を離し、見回りへと戻るために歩く。その擦れ違い際に耳元で呟いた。

 

「なら、その幸せってのも運命かい?」

 

返事は、なかった。

 



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第134話

「ハァッ!」

「…っと、危ね」

 

妖夢は近接。刀身がやけに長い刀を扱っているのだが、正直驚いた。ここまでの技術を持った存在がこの時代にいるとはねぇ…。

幽々子は遠隔。蝶のように舞う弾幕は軌道が読み辛い。妖夢を盾にしようとか考えたが、フワリと避けていく。

二人の役割分担がしっかりしている。刀で一気に攻め立て、その斬撃の隙を埋める的確な妖力弾。分かりやすいが、隙がない。飛翔する蝶を撃ち抜きながら、紙一重の回避が続く。髪の毛の先端が刀の犠牲になっていく。こちらの弾幕は片や全て斬り飛ばされ、片や優雅に避けられる。

 

「かっ!酔符『鬼縛りの術』!」

 

いい加減こんなチマチマとしたことはここで打ち切りだ。横薙ぎの斬撃を退いて避けつつ鎖の端を掴み、妖夢の胴体に投げ付ける。

 

「この程度ッ!」

「甘ぇよ」

 

その手に持つ刀で斬り伏せようとしたのだろうが、舐めてもらっちゃ困る。その程度で切断されるほど柔いものじゃない。軌道は逸らされたが、自分でどうにでも出来る範囲だ。ちょいと鎖を動かすと蛇のように撓り、再び妖夢へ向かっていく。

斬り返しで再び軌道を逸らされ、その隙にこちらへ突撃してきた。その刀身を生かした刺突の構え。やるねえ、前にもそんなことしたのがいたな。退かず、前に出て回避しようとしたのが。

 

「後方注意、な?」

 

切っ先を手の甲で逸らした。その際に、わざと強く揺らす。その強烈な振動で取りこぼす、なんて間抜けな失態はしなかったようだが、刀を握る手から腕、肩にかけて軽い痺れが走っただろう。追撃が出来るような状態ではない。一瞬だが、確かに止まった。その隙に拳を強く握る。

その一方で、もう片方の手で鎖を操る。そして、竹を束にして巻き付けて思い切り引っ張る。一瞬の抵抗を感じたが、それもメキメキと千切れるような音と共になくなり、一気にこちら側へ戻ってくる。

前門の拳、後門の竹。お手軽な挟み撃ちだ。

 

「オラァアッ!」

「ひ…ッ」

 

完全に委縮した顔を見て、漏れ出そうになった溜め息を飲み込む。正直、ちょっと落胆した。ちょっと刀が使えなくなったくらいで止まるなよ、と。

 

「…お?」

「ぶッ…!」

 

直前で妖夢の鼻を潰さない程度に勢いを殺した拳を打ち付ける一瞬前、鎖が急に軽くなった。理由はすぐに分かった。束になった竹が全て粉砕されていたからだ。誰の所為かもすぐに分かった。奥にいた幽々子。あれの弾幕によって一瞬でブッ壊されたのだ。

だからといって、変わったことと言えば吹っ飛ぶ妖夢が竹にブチ当たらないくらいで、大した違いはない。これで被弾一だ。

 

「…けほっ、ごほっ!」

「あら、妖夢ったら大丈夫?」

「…大丈夫です、幽々子様」

「無理すんなよ。それじゃあ斬れるもんも斬れねぇぞ?」

 

そう言ってやると、刀を握る手に力が籠ったのが見て取れた。そうだよな、そうであるべきだ。

そのとき、幽々子が妖しく笑ったように見えた。…いや、気のせいではない。確かに笑っている。

 

「あと妖夢」

「…何でしょう」

「そちらの子鬼も聞いてくれるかしら?」

「こ…何だよ」

 

子鬼扱いに少し頭が熱くなったが、すぐに冷やす。幽々子が何を言うかのほうが重要だ。私が小さいのは自分でも分かってる。

その幽々子が言った言葉は、意外なものだった。

 

「私はここまで。ちょっと抜けるわね」

「は?」

「だって、妖夢の成長に私が付いてちゃあ駄目でしょう?私からの後方支援がないと出来ないなんて、ね?」

「…ああ、そうしたきゃそうしろよ」

「あら、優しいのね」

「んな訳ねぇだろ」

 

妖夢より幽々子のほうが圧倒的に強い。そのくらい分かる。本当にこの先に行きたいなら、二人がかりでやった方がいいに決まってる。最悪幽々子一人のほうがいい。

それを分かっていて幽々子が抜けることを了承するのだから、私が優しい訳がないだろ?

 

「と言うわけで妖夢。あとは一人で頑張ってね?」

「…幽々子様」

「それとも、私がいないと駄目?」

「いいえ!」

「そう?なら行ってらっしゃい」

 

幽々子が妖夢の背中を押しつつ、下がっていく。ある程度離れたところで優雅に座った。

 

「私はここで見てることにするから、よろしくね。さ、続けて?」

「あー、はいはい。好きなだけ座ってろ」

 

さて、仕切り直しだ。相手が一人減った分やりやすくなった。それにしても、妖夢の成長の為に、ねえ。こうなってたらよっぽどの事がなければ勝てる。なら、ちょっとそれに付き合ってやるのも悪くない。

間合いを測る。居合いの構えを取った妖夢との距離は大体八歩分。大抵のことに対応出来る距離にかなりを余裕を持たせているくらい。

 

「来いよ」

「…人符『現世斬』」

 

一瞬でその距離を詰め、姿が霞むほどの速度の居合い。それを全身地面に付けるようにして避ける。私のほぼ真上を通り過ぎ、そのかなり奥で足を止めた。確かに速い。けど、それだけ。

 

「やっぱり私には修行が足りないようですね…」

「違うだろ」

「え?」

「あんたに足りないのはもっと別のものだ。疎符『六里霧中』」

 

限界まで息を吸い、一気に吐き出す。私の口から噴き出る真っ白な霧。目の前に広がる竹林さえも見失うほど濃密な霧。

 

「な…」

 

無意味に周囲を見回すのを呆れながら隣を歩き、そのまま真後ろで止まる。そして、警戒しているようで無防備な耳元で囁く。

 

「あ――」

「ッ!」

「――っと。安心しろ。毒なんかない、ただの霧だ」

 

全身を使った大振り。それでいて無理のない体運びをしている。そこは素晴らしいが、その程度避けれないはずもない。ちょっと後ろに下がり、追撃が見当違いなところに振られるのを見てから、がら空きになった額に親指に引っ掛けた人差し指を弾く。これで被弾二、と。

その瞬間、私に正確な斬撃が飛んできたが難なく避ける。そのまま歩いて真横に立ち、普通に話しかける。

 

「どうした?」

「ッ…この!」

「ほ、っと。視界が潰されてこれか?」

 

返事はないが、その代わりか一息に斬撃が三つ飛んできた。それを少し横に逸れることで避ける。

 

「ま、んな訳ないよな。気配くらい感じれるだろ」

「その気配が紛れてるんですよ!」

「そりゃそうだろ。全部私だ」

 

私の意思で動いてるんだ。そりゃこの霧は気配だらけだろうよ。この霧で攻撃するつもりはないけどな。

そのまま避け続けること三十秒。一気に息を吸い込み、霧を全て吸い込む。妖夢の背中ががら空きだが放っておき、そのまま離れる。

 

「いいことと悪いことがある。どっちから訊きたいか?」

「…いいことで」

「私は一度しか攻撃しなかった」

「じゃあ、悪いことは…」

「あと十七回は出来た。つまり、あんたは負けてたわけだ」

 

そう言ってやると、諦めたような曖昧な微笑みをした。そして刀を納刀し、肩の力を抜いた。闘志が一気に抜けていく。

 

「…降参です。私の、負けです」

「あっそ」

 

これで終わりか。…拍子抜けだな。まだ続けてもいいだろうに。潔いのはそれでいいのだろうが、少しくらい足掻いてもいいだろうに。無駄な足掻きだとしても。

 

「最後に一ついいですか?」

「何だよ」

「私に足りないのは、一体何なのでしょう?」

「馬ッ鹿じゃねぇの?そのくらい自分で見つけろ」

 

 

 

 

 

 

「先に帰す、ってことは何かあるんだろ?幽々子さんよ」

「ええ。わざわざ付き合ってくれてありがとね」

「…あいつは、今の幻想郷じゃ正しいだろうよ」

 

型に嵌った無駄のない動き。洗練された美しい太刀筋。その磨き尽くされた技術は、美しさを要求されている今の幻想郷で光り輝くだろう。

私のような古臭い、泥だか煤だかで汚れたようなものは求められてないのだ。

 

「そうねぇ…。けど、それじゃ勝てない」

「…やっぱあんたは分かってるんだな」

「経験」

「そ。あいつは場数が足りない」

 

修行、と言っていたが生きた人を相手にやるものではないだろう。意思があり、自分の思い通りに動くことのなく、予想の外側を地で行くような人を相手にするようなものではないだろう。

だから、型通りの事から外れると何も出来なくなる。ちょっと腕が動かないから、それだけで全部止まる。視界と気配が一度に紛れると、一気に崩れる。

 

「あれだけの技術があれば、ちょっとやそっとの経験差は埋めれるだろうけどな」

「だから貴女を使った」

「あっそ」

 

素っ気ない返事をしたからか、もう話すことがないからか、そっと立ち上がるとその場を離れて行く。そのまま見送ってから、見回りに戻ろうかと思った。だが、ふと気になることが思い浮かび、その背中を私は呼び止めた。

 

「あ、そうだ」

「何かしら?」

「気紛れとはいえ、付き合ってやったんだ。一つくらい訊いてもいいだろ?」

「ええ、いいわよ」

「何のためにここに来た?」

 

そう尋ねると、透き通るような微笑みを浮かべた。

 

「あの子が、鏡宮幻香がこの先にいると思ったから」

 

それだけ言うと、フワリと闇に紛れて消えた。

 



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第135話

相手はあの博麗の巫女、博麗霊夢だ。普通に戦っても私に勝ち筋はないだろう。その程度、私自身が一番分かっている。それでも私はやらねばならない。負けるわけにはいかない。

 

「くっ…!」

 

キラリと光るものを目に捉えた瞬間身を屈め、飛来した針を避ける。後ろの生えている竹から微かな音が響き、僅かに揺れた。

何はともあれ、何の策もないまま対峙しても勝ち目はない。そのまま碌に体勢も整えずに距離を取った。その際に逃げる方向は、少しでもあそこから離れるようにすることだけは忘れない。

 

「逃がすかっ!」

 

矢継ぎ早に飛んでくる針を、竹を盾にしつつ避けていく。その隙に、体を流れる妖力をいくつかに小分けして展開する。小さな白いものが十個、フワリと現れた。これは私が弾幕を張る余裕がなくても、勝手に弾幕を張ってくれる。私は特に名を付けていないが、幻香は『幻』と呼んでいたな。

竹林の中を駆け抜けながら、頭を急速に回転させる。私が彼女に勝つためにはどうすればいい?私が彼女に勝っている点は何だ?齢、知識、知恵、地の利…。駄目だ、まともなものが出て来ない。

 

「…ッ!」

「ちょこまかと鬱陶しいわね」

 

前方に霊夢が現れた瞬間、近くに生えていた竹を掴む。そして、円柱状になっているのを利用し、手を滑らせながら直角に曲がる。まさか、先回りされたのか?…まずいな、どうやら相手はまともに考える時間を与えるつもりはないらしい。

 

「…ちっ。神霊『夢想封印・瞬』!」

 

後方から、スペルカードの宣言が聞こえてきた。その次の瞬間、私の真横を何かが通り過ぎた。一瞬、何か全く分からなかったが、その正体はすぐに分かった。霊夢だ。一瞬で私を追い抜き、目の前に浮かんでいる。袖口に両手を入れ、取り出したその手には大量の札があった。

投げ付けられた札の弾幕。その数は尋常ではなく、視界を覆い尽くす。とてもじゃないが避けられそうにない。だが、どれだけ強力なものであろうと札は所詮紙。熱を与えれば燃える!

 

「光符『アマテラス』ッ!」

 

右腕を天に掲げ、光と共に全方位に強烈な弾幕を放つ。太陽の如き光は札を穿ち、周囲を焼き尽くしていく。この場ではあまり使いたくはなかった。一つは、攻めるためではなく護るためにスペルカードを使ってしまったことだ。そしてもう一つは、ここの竹林が生きていればいいのだが、枯れかけていたら燃え盛ってしまうことだ。私の記憶が正しければ、この場所の竹林は枯れていなかったはずだが、果たして…。

 

「くっ、ああもう!面倒臭いったらありゃしない!」

「…悪いな。だが、そんな簡単にくたばるつもりはないんだよ」

 

竹の表面の色が変わり一部は黒くなってしまったが、幸い火が噴き出すことも破裂することもなかった。

人間業とは思えないほどの速度で周囲を飛び回り、私の放つ弾幕の隙間を抜けていく。その合間を縫うように大量の札を投げ付けられるが、光から放たれる弾幕の熱がその全てを焼き尽くす。そのまま被弾することもなく、時間だけが過ぎていった。

お互いのスペルカードが終わり、先程までの激しい応酬が嘘のように静寂に包まれた。

 

「なあ、博麗の巫女」

「…何よ」

 

静寂を破る私の問いかけに、霊夢は止まった。フワリと浮かぶその姿に隙はなく、不意討ちは効かないだろう。もちろん、私はそのようなことをするつもりはない。

私は、たった一つ訊くだけだ。

 

「…どうしても、先へ進まねばならないのか?」

「ええ」

「そうか。…始符『エフェメラリティ137』」

 

なら、もう何も言うまい。ものを投げるように大きく振りかぶり、霊夢へ妖力弾を放つ。

それに対し霊夢は、何時の間にやら人差し指から小指までの四指に挟んだ三本の針を放ち、それと同時にその場から離脱していった。

針が私の放った妖力弾に触れた瞬間、泡沫の如く弾ける。飛沫を上げて飛散するが、霊夢は既に範囲外。

 

「この程度、造作もないわね」

 

次々と弾幕を放っていくが、ヒラリフワリと風に舞う木の葉のように掠りもしない。それを目の当たりにし、僅かに焦りが浮かぶ。その焦りが緊張を呼び、動きが僅かに鈍る。

 

「ぐっ…!」

 

その隙を穿つ針が、私の右腕に突き刺さった。鋭い痛みが走るが、肉体的なものよりも精神的なもののほうが強く響いた。しかし、今はとてもじゃないが気にしていられない。

右腕を振るうたびに血が滲むが、構わず弾幕を放つ。我武者羅、と言ってもよかったかもしれない。ところ構わず投げ付け、竹林や地面に触れた傍から儚く弾けていく。

 

「はぁ…、はぁ…」

「これで被弾一、よ」

 

時間いっぱい放ち続けたが、結局当たるどころか掠りもしなかった。それに加え、痛む右腕が私の気持ちをさらに重くする。

有れる息を整え、今の状況を再確認する。私はスペルカードを二枚使い、一回被弾した。それに対し、あちらはスペルカードを一枚使っただけで、被弾していない。

 

「…ふふ」

「どうしたのよ」

 

乾いた笑いが口から零れ落ちる。

…どうやら、私の勝ち筋はもう潰えてしまったようだ。ここから勝利へ進むのはあまりに絶望的だ。奇跡的な偶然がいくつも重なれば、あるいは変わるかもしれないが、そのようなことが起こるとは思えない。

だが、それでもこの勝負を投げるつもりはない。どんな状況になろうと、たとえ敗北が避けられないものだとしても!

 

「この程度で引くつもりなど最初からない!国符『三種の神器』!」

 

 

 

 

 

 

博麗の巫女が、頬を軽く抑えながら私の目の前に降り立った。手と頬の間に挟まれた白い布地は、じんわりと赤く染まっていた。

 

「どうやら、私の勝ちみたいね」

「…そうだな」

 

出来ることはしたつもりだが、敵わなかった。負けてはならない勝負だった。それなのに敗北を喫してしまった自分が情けない。

いや、最初から分かっていたことなのだろう。彼女は、私が知る歴史の中で最強の博麗の巫女なのだから。

右腕に刺さったまま針を引き抜き、血を拭う。綺麗になった針を手渡し、そのままその手を握った。

 

「負けたのを承知で言う。…どうか、引いてくれないか?」

「…アンタみたいなのがそこまで言うようなのが、奥にいるのね」

「そうだ」

 

私自身、とても信じられないし、信じがたいことだ。想像も絶する破壊衝動、なんて言って信じるだろうか?幻香がフランドールになって死なない少女を殺し続けているなんて、信じられるだろうか?

そんな私の考えは口に出したくない。出してはならない気がする。

私の握った手を振り払いながら、霊夢は強い意志を宿した目付きで言った。

 

「異変は、私が解決する」

「そういう問題じゃない」

「じゃあどういう問題よ」

 

どういう問題、か。幻想郷を巻き込みかねない問題だ。本来ならば、博麗の巫女に頼むのが正しいことなのだろう。だが、これは同時に個人的な問題であり彼女の問題だ。

 

「…いや、もう止まるつもりはないのだろう?」

 

しかし、そんなことを言っても意味のない事は分かり切っている。それに、霊夢がここで止まるつもりがない事は、既に分かっている。

 

「そうね」

 

私の問いかけに対する答えは、とても短いものだった。それだけ言うと、背を向けて歩き出した。その方向は、ほぼ正確に妹紅と幻香のいる方向だった。

それを止める資格はない。それでも、私はその背に語りかけた。

 

「一つだけ言わせてくれ。これで最後だ」

「…何よ」

 

脚を止め、顔だけをこちらに向けた霊夢に短い一言を投げかけた。

 

「殺すな」

「…当たり前でしょう」

 

そして、霊夢は迷いの竹林の中を迷いなく進んで行った。

博麗霊夢。お前も、お前自身を殺さないでほしい。死なないでほしい。博麗の巫女がいなかった幻想郷は、荒れに荒れていたのだから。

 



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第136話

竹林の中を真っ直ぐと進んでいく。しかし、それは飽くまで私の感覚で真っ直ぐ進んでいるつもりなのであって、本当は何時の間に曲がっているかもしれないが…。もしそうだとしても、私はこのまま進めばいいと思っている。大して理由はない。勘だ。

私の規則的な足音だけが響く。それ以外の音は全く聞こえない。どうやら、周りで行われた戦闘は既に終わったようだ。戦闘していたのは、上白沢慧音のように先へ進ませないつもりの者と、私と同じように蓬莱山輝夜に頼まれた者だろう。

数日前に落とされた文々。新聞。いつもと同じように捨てるか、掃除に利用しようかと考えたのだが、一面に掛かれた見出しを見て、その考えは吹き飛んだ。『八十五人重軽傷!紅眼の『禍』の仕業か!?』。その時しようとしていたことを全て放り投げ、見落としのないように一字一字読み込んだ。内容をまとめると、人間の里で八十六人の人間が禍退治に出ていき、里の外で返り討ち。八十五人重軽傷、一人行方不明。

その事をどう対処しようかと考えていたのだが、その考えがまとまる前に忽然と輝夜は現れた。そして『私の竹林が騒がしい所為でイナバ達が閉じ籠ったから何とかしてほしい』『新聞で話題の『禍』ならそこにいるはず』と私の反応を待たずに言い、その二つだけ言い残して部屋を出て行った。すぐに後を追ったが、その姿は既に消えていた。

はず、という曖昧な単語が引っ掛かったが、こうして私はここに来ている。

 

「…本当にいるのかしら」

 

いたとして、私はどうしたいのだろう。異変として処理、がもっともらしい答え。しかし今回は、禍退治を考え里の外に出て見事に返り討ち。里の外へ出た時点で、それは人間側の過失だ。一人行方不明、と書かれていたのが僅かに気になりはしたが、私が出るほどの事ではないと思った。そのはずなのだが…。

それでもこうして飛び出したのは、多分アイツが当事者だからだろう。…何故、と問われても、ハッキリとした答えが出て来ないのだが。

 

「痛っ」

 

ボーッと歩いていたら、何かにぶつかった。しかし、目の前には何もない。…いや、ある。目に見えない壁。これは結界だ。

結界に手を当て、少しばかり壁に沿って歩く。触れたからと言って、弾かれるというわけではなく、ただこの先へ進めないだけ。この中に入らせないための防御壁。

 

「…何よ、これ」

 

暗くてよく見えないが、見える範囲の足跡から察するに、私は真っ直ぐと歩いている。かなりの距離を歩いたつもりだが、未だに角に辿り着かない。一体どれほどの規模なのだろうか?

ふと、首筋が何かに引っ張られるような感覚がした。何かが、来る。そう考えた瞬間、極僅かな空気の流れを感じ、そこへ札を投げ付ける。尋常じゃない量の札が焼き尽くされたのが痛手だ。

 

「あらあら、何をピリピリしてるのかしら?」

「…紫」

 

投げ付けた札はスキマに吸い込まれ、そのまま私の元へ返ってきた。

この結界はコイツの仕業か。…私は、この中に用があるってのに。

 

「アンタも邪魔するのね?」

「邪魔?違うわよぉ。保護よ、保護」

 

保護?コイツは何を言っているんだ。この中に用があるのに、結界を張っているのだから、邪魔以外の何物でもない。

対する紫はというと、額に手を当てながら深い溜め息を吐いていた。

 

「はぁ…。それにしても、まさか貴女がここに来るなんてねぇ…」

「どうでもいいわ」

「予想外…、いえ、予想内なのかしら?けど、今貴女に用はないし、貴女が来る幕じゃないのよ」

「アンタの都合なんか知るか。私はこの騒ぎを解決する」

「無理よ」

 

即答。その言葉の意味を理解したと同時に、私の中の何かが僅かに削れたような気がした。

思わず口を閉ざし、続きがあるだろう言葉を待った。その予想は裏切られることなく、すぐに紫の口は開いた。

 

「貴女に解決は出来ない。…出来て解消ね」

 

より強い拒絶の言葉を聞き、さらに何かが削れる。しかし、解消?それの何が違うんだか…。

 

「…どういう事よ」

「どういう事もそういう事もないわ。貴女には何も出来ない、と言ってるのよ」

「このまま放っておくつもり?こうしてアンタが出張ってくるようなのが、この中にいるんでしょう?」

 

そう言うと、紫は結界の中に目を遣った。私には竹林とどこまでも続く闇しか見えないが…。

 

「何の問題もないわ。中で、私の思いもしなかった最適解を持ち出したのがいるのよ」

「…最適、解」

「まさか、あの子にそんな関係があったなんてね…。それに、あんな人が他にもいるなんて」

 

ここ最近、紫の口から出てくる『あの子』。それは、大抵の場合鏡宮幻香のことだ。よく分からないが、相当入れ込んでいる様子である。

しばらく眺めていると、紫はハッとし、僅かに緩んだ表情を引き締め、私を見詰め直した。

 

「…話過ぎたわね。とにかく、貴女は帰っていいのよ」

「そういうわけにはいかないわ」

「強情ねぇ…」

 

呆れたような口調の紫を無視し、結界に手を伸ばす。少し時間は掛かるが、この結界も破ろうと思えば破れる。紫に邪魔されなければ、だが。

あと半分、といったところで肩を掴まれた。

 

「待ちなさい」

「…何よ」

「もういいわ。どうしても行きたいって言うなら、私は止めない」

 

そこまで言うと、私の目の前に空いている手で人差し指と中指を突き付けた。

 

「だけど、せめて何か訊いてからにしなさい。二つまで答えてあげる」

「必要ないわ」

 

素っ気なく言い返し、結界に向き直す。あと少し…。

 

「そう。じゃあ、さようなら。とても惜しいけれど、貴女のことは忘れないわ」

 

余りにも不吉な言葉に、思わず手を止める。もう少しで破れそうになった結界の作業も同時に止まり、また一からやり直しとなってしまった。しかし、そんなことを意識することはなかった。

錆びついた螺子のように首を動かし、紫の顔を見る。人を馬鹿にしたような、憐れんでいるような、そんな表情。その表情を崩すことなく、衝撃的な言葉を吐き出した。

 

「十万の贄の一人になって来なさい」

「十、万…?」

「そうよ?それとも、貴女も代わりに誰か連れてくる?」

 

何を言っているんだ、コイツは?十万の贄?その一人?

 

「止まってくれて、私は嬉しいわ。…さて、何か訊く?」

 

そう言われ、中に誰がいるのか知らないことが浮かんだ。幻香は確定だろうが、それと騒ぎがどうも結びつかない。そう考えた瞬間、カチリと嵌ったような感覚がした。…ああ、これだ。やっぱり、私はこれが引っ掛かっていたんだ。

私は『何故』を知りたかったんだ。

 

「…騒ぎの中身」

「はい?」

「この結界の中で何が起きているのか、言いなさい」

 

そう訊くと、紫はまるで自ら仕掛けた罠にかかった瞬間を見たような満足気な顔をした。

 

「そうね。これを訊いて、貴女が諦めてくれればいいのだけど」

「御託はいいわ。さっさと話しなさい」

「死なない少女が死に続けているわ」

 

意味が分からない。しかし、困惑する私が目に入っていないのか、その口は活動を止めることなく動き続けた。

 

「一人で十万の代わりを果たそうとしてる。あの子の為に、健気よねぇ…。だけど、それが一番正しい。好きなだけ壊させるのが最適。押し込めるなんて出来るはずないもの。あれの中に入ったら最後、消化させる以外に道はない。それにしても、まさかあの能力が喪失してなかったなんて、驚いたわぁ…。二兎追う者は、って言うけれど、あれは嘘ね。それを知ったときはどれだけ歓喜したものか…」

 

やけに饒舌になった紫の口から矢継ぎ早に流れ出る言葉はほとんど耳に入ることはなく、聞き流していく。

 

「…っと、いけないわねぇ。あの子のことになると口が軽くなっちゃう」

「そのようね」

 

頭の中に残っている内容は最初のほうだけ。けれど、それで十分だと思った。

私はその十万の一人になるつもりもない。十万の贄を取り出すなんてことも出来ない。

紫の言っていた解消の意味も、分かった。分かってしまった。それは『幻香を殺すこと』だ。確かに、それは解決ではなく解消だ。

 

「はぁ…」

 

思わず溜め息が漏れる。…やっぱり、私は甘い。

 

「…帰る」

「そう?」

 

紫と結界に背を向け、その場から離れる。

結局、私はどんな奴だろうと、悪意に満ちた人間だろうと、異変の黒幕だろうと、何かあるんじゃないかと考えてしまう。そうせざるを得ない理由があるのではないかと邪推してしまう。それが分かった途端、同情してしまう。非情になり切れない。

自分でも分かってる。私は、甘い。歴代最強?…これの何処が最強だ。

 

「ああ、そうそう」

「…何よ」

 

飛び立とうとしたところで、紫に呼び止められた。

 

「もしあの子が消えてたなら、その時は貴女に任せるわ。だって、あの子のいないドッペルゲンガーに、興味はないもの」

「…あっそう」

 

一部言葉の意味が分からなかったが、それも、もうどうでもいいような気がしてきた。

少し前に慧音に言われた言葉を果たせた。今回ここまで来てよかったことなど、そのくらいではないだろうか。

 



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第137話

私は、何回『死』を迎えたのだろうか。私は、何回『死』から蘇ったのだろうか。途中から数え始めたような気がするが、よく覚えていない。思い出せる程近い過去のはずなのに、永遠のように遠い過去のように感じる。

夢でも見ているような浮遊感。現実とは思えない喪失感。地に脚が付いているのかすら定かではない感覚。右も左も前も後ろも上も下も無くなったような不思議な意識。

今、わたしはどうなっているのだろう?目は何を映してる?鼻は匂いを嗅いでいる?耳は音を拾ってる?皮膚は何かを感じてる?そもそも、肉体を持っている?生きている?死んでいる?…よく分からない。

それでも、ただ一つだけ確実に分かることがある。『助ける』。それは頭に、心に、魂に刻み込まれたように、それは強く私を奮い立たせる。

 

「――ぁああッ!」

 

瞬間、目の前に迫りくる右手を右腕で受け止める。そのか細い腕から放たれたとは信じられないほどの威力を受け、嫌な音を立てながら右腕が圧し折れる。

それと同時に、忘れていたとばかりに、全身から激痛が浮き上がる。右腕の骨折なんかその中の小さな一つにまとめられ、どうとも思わなくなる。

 

「ヴッ…!?」

「…アハァ」

 

その痛みに僅かに怯んだ隙に、私の体を何かが突き抜けた。異物が混入した違和感と嫌悪感をまざまざと覚えたが、息を吐き出そうにも吐き出せない。というか、肺に大きな風穴が開いている。

破壊魔の左腕が私の体内を弄り、何かを掴んだように感じた。一瞬力が込められ、ブチブチと千切れる感覚と共に一気に引き抜かれた。その手に握られた真っ赤な何か。極僅かに、震えているようにも、見えなくも、ない。

不思議と、脚がふらつ、き始め、身体が、一気、に、だる、く、なる。あたまも、ぼーっ、とし、て………。

ありとあらゆる感覚が一気に途絶え、ふと頭に七九二七六、という数字が浮かんだ。…ああ、私はまた死んだのか。それに、この数字は多分『死』の数だ。意識していなくても、ちゃんと数えていたのだろうか。この場所に来てから数え始めたからもう少し多いと思うけれど、その差は百もいってないだろう。

いや、そんなこと考えている暇はない。さっさと戻らなくては。

 

「…ハッ」

 

意識が覚醒し、痛くないはずの体に残る痛みを感じる。目の前の破壊魔は、左手に持った何かを弄んでいた。僅かに伸びた何かを摘まみ、振り子のように揺らしている。

 

「あノさぁ」

「…何だよ」

 

相変わらずの調子外れだが、久し振りにまともな言葉を聞いた気がする。

 

「心臓っテ、なンカ林檎ミたいダよネ」

「どこがだよ」

「…あァーン」

 

私の言葉をまともに聞かず、早々と大口を開け、破壊魔が先程引き抜いただろう私の心臓を丸ごと口に入れようとした。だが幸か不幸か、その小さな口に私の心臓は入り切らず、悔しそうな顔を一瞬浮かべると、すぐに握り潰した。

 

「マ、いっカ。ソろそろオシマイみたイダしィ?」

「!?それってど――」

 

私の問いに答えるつもりはないらしく、右脚が飛んできた。それを左腕で受け止めると、またもや嫌な音を立てる。すぐ左腕を無理矢理、意識的に治す。いや、治すというより元の状態に戻すのほうが正しいか。

そんな私の些細な努力は『目』ごと握り潰された。内側から私の体が破裂する。七九二七七、という数字がボンヤリと浮かび、すぐに自ら蘇りを促す。速く。可能な限り速く。今まで勝手に行われていた蘇生を、意識的に加速させる。

覚醒した意識と共に視界に映ったのは、握り締められた右手。たかが数秒程度の差。それは極僅かな差かもしれないが、数千数万積み重なれば、相当な時間だ。それだけ早く、私に意識を向けられる。それだけ早く、私を破壊させられる。

 

「アハッ!アハハハハッ!アハハハハハハハハッ!本ッ当に最ッ高だヨ!」

「うるせぇよ!」

 

 

 

 

 

 

『ねエ、おネーサん』

「……………」

『アッちの私ハ、もウそロソろ消えルミたイ』

「……………」

『十分壊しタもんネ。願いハ叶ッた。そリャ消えるヨ』

「……………」

『けド、私ハ違う』

「……………」

『ダッて、こウして感ジテる満足ハあっチの私ノものだモン』

「……………」

『ケど、ヤッぱり私は消エる』

「……………」

『私ガ、オねーサンを取リ込んダみタイに』

「……………」

『今度ハ、私が取り込マレる番』

「……………」

『ナんて言ウんだロ?絵ノ具みたイな?』

「……………」

『紫ニほんノちょットだケ紅が混じッても、大シて変ワらナイでしョ?』

「……………」

『私のホうガ圧倒的ニ小さいカラ、混じッてモ大しテ変わラナいよ』

「……………」

『そンナ感じ、かナァ』

「……………」

『…イや、チョっと違ウかな?』

「……………」

『私は、おネーさンと一緒ニなるンダ』

「……………」

『混じッテ、溶け込ンデ、一緒にナル』

「…………ま」

『ダカら、寂しクなイヨ?』

「……待って」

『あレ?おネーさん?』

「…この体は、貴女の物だ。ドッペルゲンガー」

『違ウよ。誰ノものデもナイ。私ハ、最後に消えルの。ソレが定め』

「…貴女はドッペルゲンガーなのでしょう」

『ソレなのニ、私ハ消えなイの。ずット、ズゥーッと、オネーさんト一緒』

「ですが、わたしは…」

『アのサ、おねーサン。私ノこと最後マで消そウトしなカッたよネ』

「わたしは…わたしは…ッ!」

『止メるこトダけ考えテ、私ヲ消そウとハしなカッた』

「わたしは違う…ッ!」

『…最後まデ、嫌いニなラナかッた』

「…!」

『おネーサんが私ノ気持ちを分カったヨウに、私モ少しは伝ワッてキタんだヨ?』

「そう、だったんですか…」

『凄ク嬉しかッタ』

「……………」

『あリがト、サヨなら』

「待って…!わたしは…ッ!」

『またネ、私のお姉さん』

 

 

 

 

 

 

迫り来る右の貫手。それを左手で受けようとしたその時、私の目の前を何かが横切った。

 

「な…?」

 

次の瞬間、破壊魔の右腕が爆ぜた。飛び散る血液と肉片。その一部が眼に入り、視界が赤く滲む。

曖昧で、飛び飛びな記憶の中で初めて見せる行動。この目潰しの後に破壊が行われるだろう、と予測めいたことが考え、これから襲い来るだろう激痛と『死』を覚悟する。

…。

……。

………。

…………ん?

おかしい。何故だ?何も、来ない。

 

「…あ」

 

余りにも小さく、あまりにも儚い、呟きとも取れる声。幻聴かと思った。久しく、聞いていない声。そして、待ち望んでいた声。

 

「ああ」

 

だが、それは幻聴ではなかった。眼に入った血を何とか洗い流そうとする。既に血塗れであることも忘れ、服の袖を擦りつける。

そして、ようやく晴れた視界には、私がいた。

 

「…も、妹紅…さん?」

「…よぉ、幻香」

 

右腕が喪失した肩を左手で握り締めている幻香がいた。しかし、何故かその眼には涙が浮かびだし、次々と零れ落ちていく。

 

「…私、は…ッ」

「お、おい、どうした?」

「私は、辛いです…」

「な、何言ってんだ。多分、もう破壊魔は――」

「そう、ですね。彼女は、もういない…」

 

フラリ、と幻香が力なく倒れそうになったのを、未だに痛む体を鞭打って支えた。そのまま顔を服が血塗れなのも気にせずに埋め、嗚咽混じりの言葉を零した。

 

「私は…っ、貴女、をっ、たくさん、傷つけた…っ」

「…気にすんな。あれは、私が勝手にやったことで」

「それなのにッ!わたしは…、何も、感じない…。感じて…ない…」

 

真っ赤に充血した眼で、私を力強く睨んだ。その眼からは涙が溢れ、その表情は悲痛の色に染め上げられていた。

 

「安心も不安も歓喜も激怒も悲哀も楽観も感謝も感動も驚愕も興奮も好奇も焦燥も困惑も幸福も緊張も責任も尊敬も憧憬も欲望も恐怖も快感も後悔も満足も不満も無念も嫌悪も羞恥も軽蔑も嫉妬も罪悪も殺意も優越も劣等も怨恨も苦痛も諦念も絶望も憎悪も何もかもッ!私は、感じてない…。空虚なんですよ…、空っぽなんです…。それが、辛い…ッ!」

 

そう言うと、幻香は左手を強く握り締めた。血が滲むほど、強く。

 

「わたしって、何なんでしょうね…?」

「鏡宮幻香、だろ」

「…そう、ですよね。鏡宮、幻香…ですね」

 

そう言う幻香は、少しでも動かしたら粉々に壊れてしまいそうなガラス細工のように儚く見えた。

 



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第138話

周りに生えている竹林は赤黒く染まり、ボンヤリと光を放つ竹は、その血を通しているからか、赤く光っているようにも見える。足元の地面には大量の細切れの肉片。そして尋常ではない量の血を吸った地面は、不思議と硬い。これらが全て、私から出たものだと思うと改めてゾッとした。

横にいる幻香は、落ち着いたのか枯れただけなのか分からないが、その眼から涙は出ていない。だが、酷く落ち込んでいる。

 

「…さ、戻りましょうか」

「あ、ああ。そうだな」

 

にへら、と幻香が笑いかけながら言った。しかし、その表情は上っ面だけだと分かった。分かってしまった。

幻香は、演技が得意だ。普段は表情が目まぐるしく変わり、考えていることが分かりやすい。だが、それを押し隠しそうとすると、途端に分からなくなる。実際、私は幻香を見つけた時『ドス黒い意識』が既に目覚めていると感じなかった。話している途中で、もしかしたら、程度しか感じなかった。確信がなかったのだ。

しかし、どれだけ隠そうとしても、今の幻香がこんなにすぐ平気になるわけがない。それに、血に濡れた手を見て小さな溜め息を吐いたのを、私は聞き逃さなかった。だから、あの笑顔は私の為の演技だ。そして、それを私が指摘するつもりはない。

幻香は脚を踏み出そうとした時、ザッ、と後ろに誰かが脚を付いた音が響いた。瞬間、ほぼ無意識に体を反転させた。

 

「…よっ、終わったみたいだな」

「萃香…?」

「え、萃香さん…?」

 

ホッとした顔を浮かべた萃香がそこに立っていた。しかし、ここで素朴な疑問が浮かぶ。何故萃香は幻香が戻った直後にここに来れたんだ?

 

「とりあえず先に言っとく」

「…何だよ」

 

それを口に出すより早く、萃香は言葉を発した。

 

「外に出るのはちょっと時間かかると思うぞ」

「距離的な問題ですか?」

「いや、距離はそこまでない」

 

私の家まで、そこまで時間はかからないはずだ。…家で思い出した。私の家、壁の一部がぶっ壊れてる。他にも、フランドールが描いた魔法陣とか、穴の開いた箪笥とか。後で建て直さないといけない。…いや、今はどうでもいいか。

 

「何があるんだ?もう昼でも問題ないと思うんだが…」

「いや、昼とか夜とかじゃない。今、ここは相当でかい結界に覆われてる」

「け、結界…?」

 

そう言われ、上を見上げた。しかし、日の射さない鬱蒼とした葉が見えるだけ。それらしき歪みは見えない。同じように周りを見渡している幻香も同じようだ。

 

「どんなやつかは見たほうが早いだろ。行くぞ」

「…むぅ」

「分かった。…行くぞ、幻香」

 

既に走り出した萃香に付いて行く。チラリと後ろを確認すると、幻香は問題なく付いて来ていた。そして、萃香は立ち止まった。

 

「ここだ。あと少し先に壁がある」

「…は?」

「え?」

 

いや、何も見えないんだが…。

そう考えていると、それを証明するように萃香は右腕を前に伸ばし、歩き出した。二歩歩く途中で、真っ直ぐ伸ばしていたはずの肘が曲がった。そして、見えない何かを叩くように、手を動かす。音はしないが、確かに何かあるようだ。

続いて、萃香は一歩下がると、そのまま右手を握り締め、その結界に叩き込んだ。しかし、その拳は先程叩いていた場所でピタリと止まった。

 

「…演技じゃないぞ」

「分かってる」

 

私に目を遣りながら、萃香はそう言った。確かに、萃香はこんな時にそんなふざけたことをするような奴ではない。

とは思うが、一応私も試してみる。ちょっとした火球を指先に出し、真っ直ぐ撃ち出す。しかし、火球は見えない壁に触れた途端に薄く広がり、そのまま消えた。火球が当たったところに手を伸ばすと、ほんのり温かい壁に触れた。

 

「どうするか…」

「紫の結界はかなり強固だからなぁ…。壊そうと思えば壊せるんだけど」

「壊せるんですか」

「まあな。けどなぁ、こう密閉された空間だと上手くいっても被害がな」

「一応聞かせろ。それはどうやって壊すつもりなんだ?」

 

萃香に尋ねると、腕を組み首を傾げた。…どうやら、方法は頭にあるようだが、すぐに説明できるわけではなかったらしい。

少し待つと、ようやく萃香は語り始めた。

 

「そこら中のものを一点に萃めるとな、物凄い引力が生まれる」

「引力…?」

「確か、二つの物質がお互いに引き合う力、だったはず。それで、重いほうがその力が強い…だったかなぁ?」

「それを結界にブチ込んで無理矢理破る」

 

頭の中で、それが行われた場合のことを考えてみようとするが、そんな状況は見たことも体験したこともなく、想像もつかない。

 

「それで、それをするとどうなるんですか?」

「えぇっとな…。これをやると結界だけじゃなくて、周りの色々なものも引っ張られるだろ?でもって、萃めたものに巻き込まれると一瞬で潰れる」

「…うわぁ」

「それに、集める際に空気も一緒に萃めるから、多分窒息する」

「真空、ですか…。うぅむ…」

 

…やらない方がいいな。提案した萃香本人は、何か対策があるのだろう。私は死なないから、事が終わったあとで蘇ればいい。しかし、幻香にそれを回避する術はないだろう。

 

「萃香。分かってるとは思うが、それはするなよ?」

「分かってるよ」

「…八雲紫の結界、ねぇ。彼女が消すのをここで待ちぼうけかぁ」

 

幻香がそう呟いた。確かに、人為的にやったことならばその紫とか言う妖怪が解除すれば済む話だろう。しかし、それがいつになるか分からない。それに、解くつもりがない可能性だってある。

 

「ま、そんなことするつもりないですけどね」

「そうだな。待つのはなしだ」

「んじゃ、どうやってブチ抜く?」

 

そう言われても、すぐには思い付かない。本当に成す術がなかったときは、最終手段として萃香の超引力を使うとして、それ以外の方法を考えなくては。

幻香がいきなり『幻』を大量に展開し、そこから弾幕を放った。その妖力弾の形は、針のように細く、鋭く旋回している。明らかに貫くつもりの弾幕だ。しかし、その弾幕は結界に阻まれ、傷一つ付けることなく消えてしまった。

 

「…ま、駄目ですよね。萃香さんが殴って壊れなかったのに」

「並大抵の攻撃じゃ壊せないだろ」

 

しかし、この場で一番力が強いのは、どう考えても萃香だ。その萃香の拳で壊れないなら、手段は相当限られてくる。

 

「なあ萃香。地面を掘って行ったらどうだ?」

「ちょっと待ってろ」

 

そう言うと、地面に手を当て、目を瞑った。そして数秒後、溜め息を吐いた。

 

「…無理。しっかりとあった」

「…そう簡単なわけないか」

 

その程度で抜けられる結界じゃないよなぁ…。実力がなってなかったり、面倒臭がったり、手を抜いたりすると、地面を掘れば抜けれる場合もあるんだが…。これほど大規模な結界を張るような奴に、そんな失態はないか。

何とかして他の方法を考えていると、突然幻香が立ち上がった。そして、そのまま結界のところへと歩いて行く。

 

「妹紅さん、萃香さん」

「ん、何だ?」

「何だよ?」

 

幻香が結界に手を当て、見えない壁の奥を睨みながら私達を呼んだ。

 

「これから起こること、わたしを恐れないでくれると嬉しいです」

「は?何言ってんだ?」

「恐れるぅ?するわけないだろ」

「それと、わたしに何か変化があって、それが危険だと判断すれば、殺してくれて構いません」

「おい、何物騒なこと言ってんだ」

 

返事はなく、幻香は結界を繰り返し指先で叩いている。そして、叩くのを止めたと思ったら右脚を後ろに出し、腰を限界まで捻りつつ右腕を引き絞り出す。そして、捻りを戻しながら掌底を打ち出した。…さっき、萃香が壊せなかった打撃。それは幻香自身も分かっているはずだ。それなのに、何をしてるんだ?

ガシャアァン、と分厚いガラスが割れるような音が響いた。そして、幻香は結界があるはずの場所を歩いて通り過ぎた。自分の目と耳を疑った。隣にいた萃香が眼を見開いていた。きっと、私も同じような顔をしているだろう。

 

「…さ、壊れましたよ。行きましょう?」

 

振り向きながらそう言う幻香の瞳は、血を流し込んだような紅色をしていた。

 



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第139話

破断面だけが空間に浮かび、奇妙な絵に見える。直る気配は見えないが、いつそうなるかも分からない。そう考え、急いで結界から外へ飛び出した。

 

「まさか、あれをこうも容易く壊すとはな…」

「いや、それもそうだが…。右腕、吹っ飛ばしてなかったか?」

「いやいや、何言ってるんですか?私の能力は『ものを複製する程度の能力』ですよ?右腕くらい創りますよ」

 

そう言いながら、両腕を私達に向けて伸ばした。その右腕は左腕と比べて僅かに長く、右手は左手と比べて僅かに大きい。

 

「ああ、そういやそうだったな…」

「触覚がないのでちょっと違和感ありますが、どうとでもなりますよ」

「…まあ、そうだろうな」

 

幻香の瞳は、さっきのが気のせいだったかのように私と同じ色だった。見間違い、だったのだろうか?

 

「さて、さっさとこの場から離れましょうか」

「そだな。紫が来たら面倒だし」

「ええ。妹紅さん、萃香さん。どっちでもいいですが、慧音とフランさんがいるところに案内出来ませんか?」

 

そんなことを言われても、私はあそこにずっといたので、あの後慧音とフランドールがどこへ行ったかなんて知らない。なので、首を横に振った。

 

「悪い、知らね」

「…そうですか。ま、それならそれでもいいですよ」

 

そう言うと、すぐさま大穴を開けた結界に背を向け、竹林の中を掻き分けながら駆け出した。萃香はその背中を追い抜き、先行する。それを見て、私は後ろに付くことにした。日は没し、相当暗い竹林の中を意にも介さず駆けていく。

 

「幻香、目的地は?」

「えーと…、どうしましょ?」

「とりあえず、私の家でいいか?」

「ええ、そうし――待った。ちょっと寄り道」

「あ、おい!」

 

幻香が急に曲がり、私達の間から抜ける。慌てて追いかけるが、さっきまでより数段速い。何とか付いて行くと、竹林の抜けて簡素な道に出た。そのまま道なりに駆けていくと、その奥には萃香がいた。私達の足音に気付き、こちらを振り向いた。

 

「悪りぃな。ここから先は立入、禁…、止…」

「こんばんは、萃香さん」

 

眼を見開いている萃香が、私とその後ろにいる萃香に目を遣り、恐る恐るといった風に言った。

 

「…妹紅がいるってことはあんた、幻香か?」

「ええ」

 

幻香は二人の萃香を交互に見てから、道の脇に寄った。目の前にいる萃香は目を瞑り、長く、非常に長く息を吐いた。その体に溜め込まれた様々なものを吐き出すように、長く。

 

「そっか…。終わったんだな…」

「…悪い、遅れた」

「ま、詳しく話す必要はねぇな」

 

後ろにいる萃香がそう言いながら前に出て、二人の萃香は重なった。そして、一人になった萃香は首を傾げた。そして、何か理解したような顔で私達に言った。

 

「…ふぅん。そういうこと」

「…?何がそういうことなんです?」

「とりあえず、妹紅の家に行けばいいってことが分かった」

「そりゃちょうどいいな。行くぞ!」

「それなら、先行よろしくお願いします。ここから妹紅さんの家はちょっと自信ないですから」

 

少し周りを見渡し、現在自分がいる場所を大まかに把握。そして、私の家の方角を予測する。二人に指でその方角を指してから駆け出した。

 

「ところで、萃香さん」

「ん、何だ?」

「他に何か分かったことはあります?」

「あー、そうだなぁ…」

 

走り出して少し経った頃、後ろで会話が始まった。萃香が口に出すだろう言葉がどのようなものか少し気になり、聞き耳を立てながら走り続ける。

 

「何から言えばいいかよく分からんから、思い付いたのを片っ端から言うぞ。慧音が近付く者を寄せ付けないための見回りを提案した。私達はそれに乗って大体一週間くらい見回りしてる。最初のほうでフランドールとちょっとだけ訓練した。私達は妹紅の家で休むことにしてた。慧音は一ヶ月寺子屋を休みにしてた。途中でレミリアと咲夜を追い返した。フランドールは魔理沙とアリスを追い返した。他の私は妖夢と幽々子を追い返した。慧音は霊夢に負けた。だけど霊夢は割とすぐ帰路に着いたのを見た。それからはここに近付く者はいなかった。…ふぅ、このくらいか?」

 

…一週間か。私は一週間もあそこにいたのか。いや、一週間しかあそこにいなかったと言うべきか?意識がまともな時はそれなりに防御し、わざと腕やら脚やらを折らせていたが、途中でプッツリと意識が吹っ飛んでいるところがしばしばある。そのときは抵抗なんてしてないだろうから、ただひたすら『死』と蘇生を繰り返したと思う。そうだと考えないと、約八万回あっただろう『死』が納得出来ない。

 

「一週間ですか…」

「そうか?短いほうだろ。私は一ヶ月くらい覚悟してたぞ」

「…一週間も妹紅さんを傷付け続けたわけですか」

「…それは違うだろ」

「ええ。…ですが、止めることが出来なかったのも事実ですから」

 

止める、か。真正面からその狂気を浴びた私から見て、あの『破壊魔』はどれだけ言葉を積み重ねようと止まることはなかっただろうと思う。何というか、破壊以外は二の次三の次といった感じで、破壊しなくてはならないという使命感すら帯びていたように思えた。

 

「本当に、どうして止まらなかったんでしょうね…」

 

そう呟いた幻香は、上っ面の演技から漏れ出た本音のように感じた。

 

 

 

 

 

 

私の家に到着し、中に入ろうとしたところで萃香に止められた。

 

「お前がいきなり入ったら驚くだろ。私が先に入って説明してくる」

「そうか、分かった」

「それでは、よろしくお願いしますね」

 

萃香が中に入って行き、私と幻香の二人が残された。しばらくの間静寂が続いたが、幻香がその静寂を破った。

 

「妹紅さん」

「何だ?」

「…ありがとうございました」

「…礼なんていらねぇよ」

 

あれは礼が欲しくてやったのではない。私がやりたくてやったことだ。

 

「それでも、とりあえず受け取ってください。出した言葉は、誰かが拾わないとそのまま消えてしまいます」

「そうかい。なら受け取るけどな、そこまで気にすんな、ってことは覚えとけ」

「…そうですね」

 

まあ、気にするなと言われて気にせずにいられるようなことではないだろう。そのくらい、私にだって分かる。それでも、ずっと背負い続けるようなことではないと思っているんだ。

そのまま再び静寂が戻り、それは萃香が出てくるまで続いた。

 

「中にいる慧音には説明した。見回りしてるフランドールはさっき呼び寄せてたから、後で来る。とりあえず、中に入っていいぞ」

 

そう言われ、ようやく中に入る。少し前を歩く幻香が、自ら閉じ籠った部屋の扉に血で描かれた魔法陣を見て、軽く目を見開いていた。

そして、萃香に案内されるまま部屋に入ると、慧音がいた。その眼が私と幻香を映し、涙が零れ落ちていく。

 

「…本当に、帰ってきたんだな…」

「言っただろ、帰って来るってさ。…ただいま」

「…ただいま、慧音」

「おかえり、妹紅、幻香」

 

そこまで言ったところで、遠くのほうからドタバタと何かが近付いて来るのが聞こえてきた。そして、その正体はすぐに私に前に現れた。

 

「ハァ…、ハァ…。お、おねー、さん…?」

「よ、連れてきた」

「フランさん、萃香さん…」

 

フランドールが息を切らせながらやってきた。その服はやけにボロボロで、袖やスカートの端は焼け、一部に小さな穴が幾つも空いている。

そして、フランドールは幻香に目を遣ると、幻香が血塗れにもかかわらず飛び付いた。いきなりのことで幻香は体勢を崩しかけたが、何とか堪えてそのまま抱き返していた。

 

「おかえり…っ、おねーさんっ…!」

「…ただいま、フランさん。…辛かったでしょう?」

「そんなこと、ない…っ!信じてたもん、信じてた、もん…」

 

この部屋に私と慧音と萃香とフランドール、そして何より幻香がいる。そう思うと、いつも通りの日常が戻ってきたように思えてきた。

私達は成し遂げたのだ。

 



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第140話

今、わたしは笑顔でいるだろうか…?ちゃんと微笑んでいるだろうか…?違和感のない顔でいるだろうか…?そうであってほしい。そうでなければならない。

わたしの身に起こった、身に余る出来事。それは、いつの間にか終わっていた。一人の友達を好き放題傷付け続けて、のはずだ。あの状況からはそうだとしか思えない。しかし、わたしはそのことを何も知らない。何も覚えていない。全く意識がない。寝ていたらそうなっていた、そんな感じ。

痛かっただろう。辛かっただろう。苦しかっただろう。そう考えることは容易い。予想や想像なら出来る。だが、それだけ。それには全く実感がない。へーそうなんだ、で済ませてしまいそうなほど薄っぺらい。

 

「…さて、フランさん。皆にちょっと話したいことがあるんです。聞いてくれますか?」

「え?うん」

 

しがみ付いていたフランさんがようやく離れ、隣に腰かけた。

わたしは、ここに来るべきかどうか少し迷った。何も言わずに立ち去ってしまうのも手だな、と考えた。だけど、わたしの口から言っておく方がいいと考えたから、わたしはここに来た。

 

「さて、既に知っている人もいるでしょうが、わたしは過激派一派を返り討ちにしました」

「え!?そんなことしたの!?」

「ああ、そうだな。八十五人重軽傷。予想よりも多くて驚いた」

「…八十五、ですか」

 

つまり、あの爺さんの遺体は見つからなかったのだろうか?粉微塵に吹き飛ばしたから、見つからなくても仕方ないとは思うが。

 

「慧音は何か不思議に思いませんでしたか?」

「ん?…そういえば、あの爺さんがいなかったな。意外だ」

「いましたよ。わたしがやったのは八十六人。そして…」

 

ああ、言いたくない…。けれど、言わなければならない。錆びついたように動かない喉を無理矢理動かす。その度に引き裂かれるような痛みが走るが、それども構わず動かし続ける。

 

「その爺さんを、わたしは、殺しました」

 

言った。言ってしまった。だが、これでいい。

空気が一気に重くなったように感じる。不思議と黒ずんでいるようにも見えてきた。妹紅さんは既に知っていたからか、特に気にしていないように見える。萃香さんは、眉間に指を当て何か考え始めた。慧音は難しい顔をし、口を固く閉じた。フランさんは、不思議そうな顔を浮かべた。そのまま重苦しい沈黙が続き、ようやく慧音が目を閉じたまま口を開いた。

 

「…何故だ?」

「いたちごっこを止めるため、ですかね…。いや、これは綺麗事かな」

「ねえ、おねーさん」

「…何でしょう、フランさん?」

「どうして、そうしたの?壊すなって、殺すなって、言ってたのに…」

「…どうしてでしょうね」

 

もっと深く考えれば、そんなことせずにすむ方法だって思い付いたかもしれない。だけど、わたしはこれが最善だと考えた。正直、今でもそう思っている。覆すつもりのない、事実だ。

 

「わたしは、あの時爺さんを切り捨てたんですよ。あれがいなくなれば事態は収束すると、あれを残しておけば事態は繰り返すと、そう考えた。『爺さんの抹消』を軸にして立てた計画。後悔してないか、と言われると…どうでしょうね」

 

最後のほうは、わたし自身への問いかけだ。そして、その答えは出て来ない。

 

「お、もしかしてこの流れは暴露会か?次は私の番かい?」

「…はい?」

 

わたしの話したことから、どうしてそんな言葉が出てくるのだろう?そんな誰でも思い付くような疑問を口にする前に、萃香さんは続けた。

 

「じゃあ、言わせてもらおうか。私はな、地底から来たんだよ。そこはなかなか居心地もよかった。このままでもいいと思ってた。けどな、それでも私は何百年もいた地底を切り捨てた。居場所も、地位も、知り合いも、友人も、何もかも切り捨てて上がってきた。結局、私はこの地上に未練があったんだろうよ。だから、私はこうしてここにいるってわけだな」

「って、ことは次は私か。私はな、これでも血筋だけはいいとこだったんだ。意外だろ?ま、全然望まれていなかったみたいだけどな。それでもまあ、何とか生きてた。私の転機はあれだな。恩人だと思ってた奴を殺して蓬莱の薬を奪ったことだ。私は、アイツを切り捨てて不老不死を得たんだよ。後悔はしてるが、そのときに戻ったとしても同じことを繰り返すって確信があるよ」

「ん?もしかして私もか?ふむ…。私は、実は元人間だったんだ。普通の人間の間に産まれ、それなりの人生を送り、それなりに幸せだった。だが、このままでいいのかと考えた。このまま特に何事もないまま死んでいいのか、とな。実に愚かしい考えだよ。だが、その時の私はそうは考えなかった。だから今、こうして人間であることを切り捨ててワーハクタクとなったんだ」

「それじゃあ、私も!私ね、お姉様って呼べ、って言われたから呼んでるだけで、姉だって思ってないんだ。だって、私を四百九十五年も閉じ込めたんだよ?何か仕返しするつもりはないけど、許すつもりもない。けど、おねーさんは違う。破壊衝動を通り抜けた私を見てくれた。こんな私を好きでいてくれた。だから、私はレミリア・スカーレットを切り捨てて、おねーさんを求めた。おねーさんは私のお姉さんだもん。血も齢も関係ないよ」

 

…ああ、そういうことか。今、私は慰められてるんだ。

 

「だから、たとえ人殺しのおねーさんでも、私は大好きです」

「その程度の罪、私だってあるさ。特に理由なく人攫いやったからな」

「そうだなぁ…。理由なくって言われれば、私も相当妖怪屠った」

「そうだな。殺し、そして殺される。自然の摂理だ」

 

気にするな、って言ってくれているんだ。そのことが分かると、胸と目頭が熱くなる。

 

「…ありがとう、ございます…っ」

「礼なんか…モガ」

「いや、貰っとくぞ。消すのは惜しい」

「うんっ!もったいないもんね」

「そうか?そこまで言うなら私も貰っとくか」

「プハッ…はいはい、私も貰っとく」

 

そんなやり取りを見てると、さっきまで貼り付けていた偽りの笑顔が剥がれ落ちていくのを感じる。自然と笑いが込み上げてくる。

 

「…さて、続けましょうか。わたしはその際に魔法の森の家を消しました。既に場所が知られてしまったわけですし、一応ということで」

「そうだな。あの時は代わりに紅魔館に行くと言っていたが」

「え?本当!?」

「そう言いましたが…ごめんなさい。どこか別の場所に行きますよ」

「むぅ、何で?」

 

何故、か。これはとても独りよがりな理由だ。誰のことも考えていない、わたしだけのための理由。鏡宮幻香のためだけの理由。

 

「わたしは、この身に余る能力をどうにかしたい」

「どうにか?そこはぼかすなよ」

「そうですね…。制御、ですかね。支配出来たら一番ですが」

 

本当はわたしが扱っていいような能力ではないことくらい分かってる。けれど、二度とあんなことにならないで済むなら、わたしはそうしよう。

 

「そのくらいならこっちでもいいじゃん。どうしてこっちに来ないことになるの?」

「もう一度同じようなことになったら…。そう考えると怖いから。次に誰の姿をとり、一体何をするか…。そう考えると、怖いんですよ」

 

『破壊魔』がフランさんだということはすぐに分かった。その後も考えた結果、あれはフランさんの破壊衝動だという結論に至った。決め手は破壊を第一に考える思考だろう。隣に座るフランさんを見て、あれだけあった破壊衝動がないということが何となく分かる。つまり、俄かに信じがたいが破壊衝動がわたしに移ったということも予想出来る。また同じ規模の破壊衝動が溜まることがなければ、あれと同じようになることはないだろう。そう思いたい。

しかし、これがフランさん以外に起こらないとは思えない。フランさんに限定される理由が思い付かないからだ。ならば、有り得ると考えるべきだ。何故そのような精神が移ったのかなんて知らない。どのような条件でそうなったのかもわからない。それを出来れば知りたいのだが…。

 

「だから、今までと同じように人気のないところに行きたいんです」

「…むぅ、分かったよ。けどさ、遊びに行ってもいいよね?」

「来れるなら構いませんよ。…まあ、場所はまだ分かりませんけど」

 

候補は幾つか浮かんでいるが、どこがいいだろうか。人気がない事も大事だが、出入りする人が少ないというのも重要だ。

 

「このくらいですかね」

「そうかい。新しい家、ねぇ。探すのに苦労しそうだ」

「何とかして伝えようとは思ってますよ、萃香さん」

 

妹紅さんに伝えれば、そこから拡散させることが出来るだろうか?フランさんには伝わらないかもしれないから、それはわたしが行けばいいかな。

 

「あとさ、今更さん付けとかやめろ」

「え?」

「慧音ばっか呼び捨てでさぁ」

 

そう言われても…。慧音は最初先生を付けたが『生徒じゃない者からそう呼ばれるつもりはない』って言われ、さんを付けたら『私はそんな敬称を付けられるような者ではない』って言われたからだ。だからと言って、今慧音にさんを付けろと言われて付けるつもりはないが。

 

「だからさ、私も呼び捨てでいいじゃん」

「お、そうだな。今更変えるのは難しいかもしれないがな」

「じゃあ私も!」

 

萃香さん、妹紅さん、フランさんにそう言われ、考える。

…そうだね。もう友達だけど、こうして一層仲が深くなったと思う。わたしを中心とした一つの出来事。わたしなんかの為に手を取り合って解決してくれたんだもんね?

こうすることで、ささやかな礼が出来るなら、そうしよう。とびっきりの感謝を込めて。

 

「これからもよろしくお願いしますね。慧音、妹紅、フラン、萃香」

 



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第141話

「…はぁ」

 

お茶を飲み干し、小さく息を吐く。湯呑みを置き、その下敷きになった二枚の文々。新聞が目に入り、先程より大きな溜め息が漏れ出る。『八十五人重軽傷!紅眼の『禍』の仕業か!?』、そして『義眼が遺した真実とは!?』と見出しに書かれている。この二部は結局捨てる気にもなれず、机の上にずっと乗っている。

輝夜に頼まれて竹林に行ったものの、特に何かするでもなく、ボンヤリとしたまま博麗神社に戻り、横になって翌朝。輝夜がまた現れた。そして、何故か『どうもありがとう』と礼を言われ、困惑した。どういう事かと聞き返せば『竹林も落ち着いてイナバ達がようやく出てきたから』と不思議そうな顔をしながら返された。何が何だかよく分からないまま、非常に華美な装飾が施された兎の置物を渡され、そのまままた何処かへ行ってしまった。

そしてその日の昼頃に落ちてきたのがこの文々。新聞だ。内容は、行方不明だった一人は死亡したのが濃厚だということ。意識を取り戻した者から得た多数の証言。何者かによって踏み潰された義眼、その義眼を最近売ったという者の証言。この二つの証言から出てきた人物の特徴がほぼ一致し、とある高齢の男性が浮かび上がったそうだ。そこから現場を隈なく探し回ったところ、誰のものか不明な親指の先端が見つかったらしい。八十五人の男には、親指どころかどこの指も欠損はしていないとのこと。

 

「…アイツが殺しを、ねぇ」

 

私が知っている幻香は、そんなことを好きでするような奴じゃなかったはずだ。初見の印象、発言、行動、雰囲気、勘…。そんなものから勝手に付けた評価。私に存在する自分勝手な判断基準。アイツは悪い奴じゃない。…そう思っていたのだが。わたしは勘違いでもしていたのか?…いや、違う。そう信じたい。

だからこそ、そうせざるを得ない何かがあったのではないかと考えてしまう。しかし、いくら考えてもそんなことをするとは思えない。そして、あの結界の中で十万も殺し続けるとも思えない。

私の知っているアイツと今回の騒ぎのアイツは、あまりにもかけ離れている。別人と疑いたくなるほどに。

 

「…はぁ」

「よっ、どうした?溜め息なんか吐いちまって。魔理沙さんが来てやったぜ」

「気にするようなことじゃないわよ。それで、何の用」

「いや、何も?」

「あっそ」

 

急須からさっき使ったばかり茶葉を捨て、新しい茶葉を入れる。そして魔理沙の分の湯呑みを取り出して、二人分注ぐ。

 

「…はい」

「お、ありがとな」

 

机に肘をかけている魔理沙の前にお茶を置く。その手には、机に置かれていた文々。新聞が握られていた。

 

「なあ、霊夢はどう思う?」

「…さぁ」

「何だそれ」

 

本当によく分からないのだから、しょうがない。

 

「私は幻香に色々訊きたいことがあったんだがなぁ…」

「けど、家が丸ごと消えてたんでしょう?」

「そ。しかも、私宛てに手紙残してたし」

「あら、そうだったの?」

「ああ。もしかして言ってなかったか?『これは貴女に差し上げます』って几帳面な字で書かれてたぜ」

「聞いてないわよ。…そもそも、本当に貴女宛て?」

「それは間違いない。私を名指ししてた」

「へえ、意外ね。何を貰ったのかしら?」

「毒液。それと干し肉」

「肉はともかく、毒液とか何に使うのよ」

「魔法の研究に使ってる。あれ、相当高純度でな。使うのがもったいないくらいだぜ?」

「けど使うんでしょう?」

「当たり前だろ」

 

一息吐き、湯呑みに手を伸ばしたら、その湯呑みが急に動いた。視線だけを動かし、湯呑みの先を見ると、その先に小さなスキマが開いており、そこから腕が伸びていた。その腕にお札を叩き付けてやろうと袖に手を伸ばそうとすると、魔理沙に止められてしまった。

そのまま私の湯飲みはスキマに吸い込まれ、数秒後大きく開いたスキマから紫が出てきた。そして、空になった湯呑みを私の目の前に置く。

 

「美味しかったわぁ」

「…あのねぇ」

 

それにしても、一体何の用でここに出てきたのだろうか。理由なしだったら叩き出してやろうか、と意気込みかけたが、考え直した。

 

「一体何の用よ」

「あら、魔理沙もいるのね。…ま、いいかしら。貴女の言う騒ぎは終わったわよ」

 

その言葉に、一瞬体が固まる。…そうか。こんなに早く十万の殺しを終えたのか。そう考えると、背筋が凍る。魔理沙はというと、不思議そうに首を傾げた。

 

「騒ぎぃ?竹林のか?それはかなり前に…」

「あら、こちらは何も知らないのね。それは残念」

 

心底馬鹿にしたような笑みを浮かべ、口元を隠すのを見ていると、無性に苛立ってくるが、今はそんなことどうでもいい。

 

「用はそれだけよ」

「紫」

 

スキマを閉じようとし始め、帰ろうとした紫を呼び止める。

 

「…何よ」

「貴女の知っている鏡宮幻香について言いなさい」

 

振り向いた紫に、私は訊ねた。魔理沙が話に付いていけていないように見えたが、今は無視しよう。

 

「それは、もしかして命令かしら?」

「いいえ、ただのお願いよ。…二つ目の、ね」

「…!」

 

苦虫を噛み潰したような顔。まさか、コイツがそんな顔をするとはね。

私が知っている鏡宮幻香。紫が知っている鏡宮幻香。この二つには大きな差異があるように思える。それを埋めなければ、私は答えを得られない。そう思う。

 

「…結果が返ってきても仕方ない、ね。あの子もなかなか痛いところを突いてくる」

「何のことか知らないけど、さっさと吐きなさい」

「先に言っておくことがあるわ。これを頭に入れてから聞きなさい」

 

その眼からは、冗談の臭いを一切感じることがなかった。紫は、真剣そのものだ。

 

「これから話すことは、どこまで本当かを疑いたくなるような内容よ。けど、それは私が数少ない情報を掻き集め、それの信憑性も洗いだして、ようやく辿り着いた一つの結論。信じるかどうかは、貴女達に任せるわ」

 

 

 

 

 

 

まず、貴女達に『願い』はあるかしら?

子供の頃に夢想した将来の『(ねがい)』。過去に犯した『未練(ねがい)』。人生を賭けた『挑戦(ねがい)』。これからやりたい『行動(ねがい)』。何でもいいわ。

…お茶を飲みたい?…悪かったわ。許して、ね?

魔法の研究、ね。道は遠いでしょうけれど、頑張ってね。

それがどうかしたのかって?関係ない?大いに関係あるわよ。…今は質問は受け付けないわよ。私が尋ねたときに答えてくれれば、それでいいから。合槌してくれないと、私寂しいわぁ。

…コホン。その貴女達の願いは、他の誰かが叶えられることかしら?貴女の代わりに、叶えてくれるものかしら?例えば霊夢、貴女の代わりの私はお茶を飲んだ。それで、貴女は喉が潤ったかしら?潤うわけないわよね。

けど、それを覆すのがドッペルゲンガーよ。あの妖怪は、…いえ、本当に妖怪なのかしら?ま、とりあえず妖怪ってことにしておきましょう。

とにかく、そのドッペルゲンガーはそれをトンデモ理論で覆した。『他の誰にも叶えられないなら、その人になればいい』。それがドッペルゲンガーよ。

…馬鹿にしてるのか、って顔してるわね。私もそう思ったわよ。けど、今はそうは思わない。

続けるわよ。ドッペルゲンガーは、誰かの願いを代わりに叶える妖怪。そして、その際にその願いを奪い取るわ。…察しがいいわね。そうよ。ドッペルゲンガーは人喰い妖怪。食べるのものは願い。つまり、精神よ。私も一回食べられたわ。とっても些細なことだったけど。

え?それは何かって?質問は…まあいいわ。…ごぼうを買ってくることを藍に頼むことよ。外の世界で流行ってた料理を作りたかったのだけど、ごぼうが無かったのよ。そして、ごぼうがあれば作る。そう考えていたのを覚えているわ。そんな時、藍がごぼうを買って帰ってきた。『紫様に頼まれたごぼうも買ってきました』と言いながらね。私は驚いたわよ。何せ、私は忘れることがほとんどない。けれど、私はそんなことを頼んだ覚えもなければ、そんなことを考えた覚えもない。だけど、普段の私ならそうしただろう、っていう奇妙な既視感があったわ。

さて、話を戻しましょう。たった一つしか願いを持っているなんて人はまずいない。では、その中からどの願いを奪い取るのかだけど、残念ながら規則性はないみたいよ。けれど、一度に一つだけしか奪わないことは確か。丸ごと全部ってこともあれば、一部だけなんてことも。その際に参照した意識から、その人の精神を形成するのよ。そして、その精神に対応した肉体を形成する。『病は気から』の究極形態ね。

さて、誰かに成り変わるドッペルゲンガー。そんな妖怪に、自我はあるかしら?…答えは『ない』よ。誰かに成り変わるということは、その人と全く同じ精神を宿すということ。その人と全く同じ肉体を持つということ。ドッペルゲンガーにとって、自我は不純物でしかないのよ。

え?それじゃあ幻香は何なのか、ですって?これから言うわよ。ま、分からないのだけど。…酷いわね。そうよ、分からないわよ。何か悪い?私だって知りたいわよ。

古くからいる妖怪の中にも、ほんの僅かずつだけど変化していってる者もいる。それと同じように、自我が芽生えたのかもしれない。実は、さっき言った前提がそもそも間違えていて、最初から自我があったのかもしれない。真相はドッペルゲンガーのみぞ知る、よ。

さて霊夢。貴女が一つ目に訊いたことの補足よ。ドッペルゲンガーはフランドール・スカーレットの破壊衝動を奪い取り、代わりに破壊を繰り返していたのよ。破壊衝動は言い換えれば『ものを壊したいという願い』。それは幻想郷を半壊してしまうほどだと私は見積もったわ。けれど、それを代わりに死なない少女が請け負ったのよ。…え?急に目を輝かせてどうしたのよ。不老不死に憧れる?…まあ、願いは人それぞれよね。

 

 

 

 

 

 

「これで終わりよ。今ならちょっとくらい質問を受け付けるわよ」

「まさか、そんな妖怪がいるなんて…」

「…正直、頭が狂いそうだぜ」

「…ないなら帰るわよ」

 

私は質問するようなことは何も思い浮かばなかった。…いや、そんな余裕が一切なかったのだ。そして、それは魔理沙も同じようだった。

質問がない事を察した紫は、そのままスキマを閉じた。私はその何もない空間をボンヤリと眺め続けていた。

 




初めましての方は初めまして。作者です。

さて、今回初めて後書きに記載させていただいたのには物凄くつまらない理由があります。
ちょっとQ&Aをやってみたくなったのです。それだけです、ハイ。
詳しくは活動報告に書きます。それではっ!

【受付は終了しました】


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第142話

「…よし、終わったな」

「ん、いいのか?こんなもんで」

 

玄関の扉を嵌め終え、妹紅の家の改築は終了した。古い家は、昨日丸ごと焼却してしまったらしい。いくら何でもそこまでしなくてもいいと思うのだが、そのことを伝えても断固として拒否された。ほんの僅かでも痕跡を残したくないから、らしい。

眠い目を擦りながら一週間ほどで建て直した家だが、わたしから見て欠陥らしきものは見当たらない。理由は単純。萃香がいるから。彼女一人で何十人分にもなる。フランが紅魔館へ、慧音が里へ戻って行った後もそれ以上の働きを見せてくれた。…それにしても、一体どこから木材を調達してきたのやら。

わたしも少し対抗して三人くらい増やしたのだが、複製(にんぎょう)の視界を見ることが出来ないため、どうしてもわたしの視界から外れる仕事は出来ない。それに、今のわたしは複製に精密なことをさせられるような実力はない。よって、ものを運ぶくらいしかさせることが出来なかった。

 

「前より一回り大きいですね」

「ん、そうだな。前のは一人身が前提だったし」

「そうかぁ?十分あったと思うが」

「いや、そうでもないぞ?ま、ついでに大きくしてもいいかなと思ったのもあるが」

「…ま、これからは当分賑やかになるでしょうからね」

「はは、違いない」

 

妹紅さんに頼んで、家の一部にわたしの複製を使わせてもらった。仮に消えてしまっても支障が出ない場所を訊き、そこに使ってもらったが。

 

「さて、完成したならわたしはそろそろ行きますか」

「もう行くのか?随分早いな」

「早くて損はないですから。冬になる前に早く場所を見つけないと」

「見つけたら教えてくれよ。あと、見つからなかったらいつでもここに来い。待ってるからな」

「酒…じゃなくて、何か食い物持ってくるからな!」

「ええ、ありがとうございます。…行ってきますね。妹紅、萃香」

 

 

 

 

 

 

迷いの竹林から、人間の里からは離れるように進む。そして、霧の湖へと出た。流石にここに住むつもりはないが、魔法の森の家を撤去したことをここにいるだろう誰かに言えたら、と思って来た。

少し見渡すと案の定、大ちゃんとチルノちゃんと光の三妖精がいた。五人の元へと飛んでいく。

 

「こんにちは。…久し振りですね」

「まどか!久し振り!」

 

返ってきたのは、元気溌剌なチルノちゃんだけ。…ああ、そっか。そういえば、ルナちゃんは文々。新聞を読んでるんだっけ。どこまで書かれているかも分からないし、どこまで正しいかも分からないが、多分わたしがやったことを知っているだろう。それなら、こんなわたしを快くは思っていないだろう。

なら、用はさっさと済ませて退散することにしましょうか。

 

「今日は、ちょっと用事があって来ました」

「ちょ、ちょっと待ってて!」

「…ルナちゃん?」

「あっ!待ってよルナ!」

 

そう言ったと同時に、霧の湖から飛んでいってしまった。そして、それに付いて行くようにサニーちゃんも飛んでいく。…何しに行ったのだろうか?

 

「あーあ、そそっかしいわね」

「スターちゃんは行かなくてよかったんですか?」

「よかったの」

「それならいいんですが…」

 

さっさと立ち去ろうと思っていたのに、行ってしまった二人を待つ必要が出来た。時間を潰すために、足元に転がっている石ころを複製して手の平で転がす。一つずつ増やしていき、四つ目を加えたところで、大ちゃんがわたしに声をかけてきた。

 

「まどかさん」

「何でしょう?」

「…この前、幻香さんの家に遊びに言ったら、何も無かったんですが…お引っ越しでもしたのでしょうか?」

「これからしますよ。今日はそのことを言いに来たんです」

「そう、なんですか?随分と日が空いてますが…」

「…色々あったんですよ。…色々、ね」

 

紅一色に染まった光景が一瞬脳裏に浮かぶ。始まりの光景であると同時に、終わりの光景でもある。

 

「あまり人に言えたようなものじゃ、ないんです」

「そうですか。…なら、私は何も訊きません。けど、まどかさんが言ってもいい、と思ったときには、話してくださいね?」

 

そう言うと、いつもと同じ笑顔を浮かべた。全く無理のない、自然な微笑み。

 

「…そうしますよ」

「ええ、そうしてください」

 

わたしの周りの人は、わたしのはもったいないほどに優しい。そう思う。

手の平で転がすのもつまらないので、石ころを縦に積み上げていくことにする。チルノちゃんが隣で同じようにやっているのだが、凍らせながらやるのはどうかと思う。

 

「はぁ…っ、はぁ…っ。た、ただい、ま…」

「ただいまーっ!」

 

何度も倒してしまいながらも何とか十四個まで積み上げたところで、ようやくルナちゃんとサニーちゃんが戻ってきた。その二人の手にあるのは二つの文々。新聞。見出しには『八十五人重軽傷!紅眼の『禍』の仕業か!?』『義眼が遺した真実とは!?』と書かれている。…もしかして、紅眼の『禍』ってわたしのことなのか?

サニーちゃんが『禍』の文字を指差し、何故か目を輝かせながら詰め寄ってきた。

 

「ねえ!これって幻香さんのことだよね!ね!?」

「…ちょっと、サニーうるさい…」

「えぇと…。どう、何でしょう?ちょっと読んでみないと…」

 

そう言うと、サニーちゃんはすぐに新聞を押し付けてきた。息絶え絶えなルナちゃんももう一枚のほうを渡してくれた。

二枚を手に取り、日付の古い方から読み始める。そのわたしの後ろからチルノちゃんと大ちゃんが新聞を覗いているのが分かった。

 

「んー、よく分かんない…」

「これって…」

 

時間をかけて読むつもりはない。…ふむ。八十五人重軽傷で一人行方不明。ただし、死亡説濃厚。…何だ、大体正しいじゃん。紅眼が気になるけど。しかし、そんなことより目に入るのが、最後のほうに書かれている里の人間共の言葉。『非常に恐ろしい。里にやって来ないことを願う』。『許せないことだ。ただちに排除出来れば、と常に思う』。

わたしは読み終わったので、読み逃しがあると思い、大ちゃんに手渡そうとすると「大丈夫です」と言われた。なので、ルナちゃんに返した。

 

「で、どうなの!?」

「サニーちゃん、これ読んでますか?」

「読んでない!」

「はぁ…。ええ、わたしですよ」

 

何故そんな自信満々に答えられる。見出しくらいしか読んでなかったのだろうか?まあ、ルナちゃんは読んでいるだろう。

そう考えてルナちゃんに目を遣ると、いつになく真剣な表情で、わたしを見詰め返してきた。

 

「…これ、どこまで本当ですか?」

「八十六人返り討ち。八十五人重軽傷、一人死亡。…ほとんど正しいですよ」

「そう、ですか…」

「それより、てっきりここの全員に広がってるものだと思ってましたよ。わたしはそれでも構いませんでしたが」

 

情報は容易く広まるものだ。それが、正しいかどうかはその時々だが。

 

「…確かめてから、って思ってたから」

「そうですか。ありがとうございますね。これからは広めたければそれでもいいんですよ?」

「しないよ」

「…じゃあ、一つ頼んでおきますね。ここにいつも集まる、ルーミアちゃん、リグルちゃん、ミスティアさん。この三人には伝えておいてください。知らないままは、嫌ですから」

「うん、分かった」

 

知らないまま付き合うより、知られて離れてしまった方がいい。それでも付き合ってくれるなら、わたしは嬉しい。そう思う。

 

「それにしても、幻香さんも大変ね」

「大変、ですか?」

「酷い噂もよく聞いたし、何より見方が歪んでるもの」

「周りも一緒に歪んでいれば、それは真っ当ですよ」

「まどかさんをちゃんと知っていれば、そんな見方しないと思うのに…」

「そうはいかないのが普通ですよ。歪んだ視界からは、ちゃんとしたものは見れない」

 

もう誤解は解けないし、解くつもりもない。歪んだ正解を抱いている人間共に、わたしはもうどうとも思わない。里から出てさえ来なければ。

 

「そう言えば、わたしが殺したことは気にならないんですか?」

「え?だってルーミアさんは人喰い妖怪ですよ?」

「あ、そう…」

 

たったそれだけで片付けられてしまうほどのことなのか…。何か、あの爺さんを殺したことが一気に安っぽくなっていく。

 

「あの、話を戻しますが…。何処へ引っ越すんですか?」

「何処、ねぇ…。実はまだ確定してないんですよね」

 

候補は幾つかある。しかし、どこも利点と欠点がある。そりゃそうだ。長所と短所は表裏一体。あらゆる物事に対し、いいことしかないことなんてことない。

そんな中で、わたしにとって最も利点が多い場所。そこにほとんど人がおらず、わたしが知る限りたった一人しかいない。そして、人の出入りも非常に少ない場所。何故なら、そこへ到達する者は限られてくるからだ。

春雪異変のとき、一度だけ迷い込んだ場所。あの化け猫には悪いとは思っているが、あれだけ家があるんだ。一ヶ所くらい貰えたら、と思う。またあのようなことが起こりそうになったら、すぐに立ち去ればいいだろう。

 

「まずは迷い人の終着点、迷い家へ行こうかと思ってますよ」

 

そして、最大の欠点は、わたしがそこへ辿り着くことが出来るかどうかだ。

 



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第143話

遠目で見ても相当な大きさだとは思ったが、近付いて頂上を見上げると改めてその大きさを実感する。これからこの山の何処かにあるはずの迷い家を探す必要があるわけだが…。数日探して見つからないようなら、諦めて別の場所にしようかな。それまでは、…野宿かな。

 

「さて、行きますか」

 

飛び回って探すのも一つの手だが、あまり目立ちたくない。ここから里が見えるように、里からもここが見える。里に超視力を持つような奴がいたら、どうなるか分かったものじゃない。そんな奴いない、と高を括ってもいいのだが…。まあ、大した理由はない。つまり、何となくだ。無理矢理理由を作るなら、わたしは飛ぶより歩いたほうが長期間活動出来るから、というのはどうだろう。これから長くなるかもしれないのだ。冬までに見つける、くらいの気長な目標だし。

気長と言えば、わたしの右腕は本当に自然と生えてきている。吸血鬼と比べると非常にのろまで、蛞蝓のようにとろっちい。もちろん、わたしのほうが。このまま早くも遅くもならずに変わることなく生え続けてくれれば、あと三週間ほどあれば元通りになるだろうか?自分で吹き飛ばしたのだから、文句はない。

 

「けど、不自然になるんだよなぁ…」

 

くっ付いている右腕の複製とかみ合わなくなると、ボトリと落ちてしまう。その度に上手く削って付け直しているのだが、中途半端に生えている分、違和感のある動き方になってしまう気がする。

ふと、案が浮かんだ。ちょっとした賭けで、危険性だって伴う。しかし、そのまま放っておいていいようなものではない。制御出来るようにならなくてはならない能力の一つ。…やってみるか。あの時は、どうにかなったんだ。

樹を背に腰かけ、目を瞑る。そして、自分の意識を探る。その中に極僅かにある異物を掻き集め、少しずつまとめあげる。

 

「…よし」

 

目を開くと、世界が一変していた。呼吸を止めたときのように、時間の流れが変わったような感覚さえする。不思議と力が湧いてくる。普段とは明らかに違う感じ。

あの時と比べれば、非常に大人しくなった『目』の数々。目に映るもの全てに浮かんでいるわけではない。萃香がブン殴らなかったら、あの結界に『目』が浮かぶことはなかったと思う。それに、わたしはこの『目』を動かせない。だから、直接内部に浸透するような強い衝撃を与え、無理矢理潰した。普段の『目』が見えないときに同じことをしても出来なかっただろう。そういう確信がある。

しかし、今は『目』が見える能力が必要なんじゃない。わたしが欲しいのは、吸血鬼の自己再生能力だ。彼女がいた頃に勝手に行われていた再生。今のわたしは彼女寄り。なら、少し意識すれば、あの時と同じとはいかないだろうが、それでもより早く再生してもおかしくはない。それに、前に永琳さんも言ってたじゃないか。『妖力の扱いに長けていると、自発的に治せる』と。わたしだって、それなりに扱ってきたつもりだ。

これだけお膳立てしたんだ。少しくらい、成果が出てくれてもいいでしょう?

 

「う、…くぅ…っ」

 

目を閉じ、意識を一点に集中させていく。ボトリと右腕の複製が落ち、失われた右腕がゾワゾワと粟立つ。圧倒的違和感。喪失していた感覚が徐々に表れ、戻っていくという何とも表現し難い感覚。しかし、そんなことはどうでもいい。思い出せ。普段通りのわたしを。五体満足のわたしを。中途半端で妥協するな。

 

「…ふぅ。出来、た?」

 

緊張が一気に解け、それと同時に掻き集めたものが一気に霧散する。目を開くと、いつも通りの景色が広がっていた。いつも通りの時間が流れ、いつも通りの気力を感じる。

真新しい右腕に目を遣り、親指から順番に曲げていく。五本全てを握り締め、そのままの姿勢で肘を引き絞り、一気に伸ばす。曲げ伸ばしを繰り返すが、触覚があることを除き、違和感はなかった。…触覚はあるのが普通なのだが、一週間程度なかったのでそれに慣れてしまったからしょうがない。少しずつ感覚を戻していこう。

それにしても、あんな極僅かでこれだけの能力が出るのだから恐ろしい。しかし、その中から彼女を見出すことは出来ない。彼女は溶けて消えてしまった。そんな彼女が遺した遺産――わたしは彼女の姓と色から『紅』と名付けた――。これもちゃんと使えるようになれれば、それに越したことはない。

 

「けど、まだまだ使い辛いなぁ…」

 

しかし、これがいつでも自由に引き出せるわけではない。掻き集めるのに時間を要し、それを維持するのにかなり集中し、ちょっと気を抜けばすぐに霧散してしまう。この状態を保ったまま戦闘とか考えただけで頭が潰れそうだ。これが自然体として出来るようになれば考えてもいいのだけど…。先は遠い。

手頃な石ころを複製してはその辺に捨てておく。無くても構わないがあって損はない、程度の軽い感覚で。それと並行してもう一度『紅』を掻き集めてみようと試みるが、足元が疎かになり、樹の根に足を引っ掛けてしまったので止めた。

その際に、足元に自生していた仄かに赤く染まっている小さな木の実を見つけたのだが、摘み取る気になれなかった。お腹いっぱい、というわけではないだが、何か食べたいと思うほど飢えてもいない。ここ最近、ずっとそんな感じだ。不思議と満たされている感じがする。しかし、この状態がいつまで続くかも分からないし、そもそもわたしがおかしくなってしまった可能性だってある。片手で木の実の付いた茎を千切り、歩きながら一つずつ咀嚼していく。…うん、酸味が強いけど美味しい。

それにしても、迷い家が全く見当たらない。まあ、迷わないと到着することが出来ないらしいのでしょうがないといえばそれまでなのだが、わたしはそうではないと思っている。あの化け猫が毎回迷った挙句、ようやく到着しているなんて考え辛い。何かしらの抜け穴や抜け道があるはずだ。それを見つけさえすればいいのだが…。そう簡単には行かないだろう。そもそも、今わたしの近くに迷い家はない。色々試すのはある程度近付いてからでいいだろう。

歩き続けたからか、身体が少し熱い。服の襟首を摘まんで体を冷やそうとする。首元の緋々色金がカツン、と甲高い音を立てた。ああ、もう残り三つしかないのか。そう考えると、緋々色金に代わる素材を探す必要があるかもしれない。大図書館に二度と行かないというわけではないのだが、少し行き辛い。フランにそう言ったから、というのもあるけれど、主にわたしのためでもある。今紅魔館へ行ったら、妥協して、諦めて、そこに留まってしまいそうな気がする。人が多く、出入りも多いあそこに。それをわたしは望んでいない。せめて、新たな引っ越し先が確定してからにしたい。

しかし、そう簡単に緋々色金の代わりなんて見つかるだろうか?そもそも、どれがエネルギーを多く保有しているかなんてサッパリだ。それに、緋々色金級に過剰妖力を保有出来るものが他にあるだろうか。無い、とは言わないが、やっぱり非常に珍しいものだろう。その辺に落ちているとは思えない。さて、どうしようか。…まあ、さっさと引っ越し先を見つければ代わりなんて探す必要はなくなるのだけど。

 

「…?」

 

そんなことを考えながらのんびりと登っていると、不意に視線を感じた気がした。空間把握。とりあえず、わたしから半径五十歩程度。…誰もいない?気のせいだったのかな。それとも、その辺に生えている樹や転がっている岩の中に隠れているとか。

妖力がものの表面を滑ることで行うわたしの空間把握の弱点は、空中に浮かぶなどして接触していなければないのと同じように感じることと、完全に密閉されたものの中身は全く分からないことだ。この辺りも要改善。表面を滑る、ここからどう発展させていこうか…。

野生の鳥の視線でも感じたのかな、と考えてとりあえず放っておく。勘違いならそれでいい。視線を感じたという情報があれば、それでいい。

 



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第144話

鬱陶しいほど視線を感じる。しかし、視線だけなら実害はないだろう。ただ、チリチリとしたものが首筋に感じるくらい。

最初に見上げた距離感と歩幅と歩数からして中腹に到達したころ。奥に人影が一人目に入った。獣人の仲間だろうか、犬のような耳がひょっこりと出ている。右手には剣、左手には盾。そして、何というか全体的に白い。そんな彼女が、真っ直ぐと私を睨み続けている。…もしかして、彼女がわたしを見続けていたのだろうか?だとしたら、彼女はわたしがちょっと危惧していた超視力の持ち主かもしれない。

 

「止まれ」

 

わたしが彼女の横をそのまま通り抜けようとすると、剣でわたしを制した。言われた通り止まり、改めてわたしを妨害している者を見る。…見覚えがあるような気がしないでもないが、思い出せない。遠くから見た程度ならあるかもしれないが、話したことはないだろう。

 

「ここから先は妖怪の山の領域。化けて出ても無駄だ。立ち去れ」

「…はぁ。そうですか」

 

縄張りみたいなものだろうか。頂上から見下ろして見つける、という漠然とした目的は諦めたほうがいいかもしれない。無理矢理突破してもいいのだが、それをするとこの先にいるだろう大勢を敵に回すわけだ。それは非常に面倒臭い。

穏便に済む確率は、面積だけなら単純計算で大体四分の三。しかし、前に行ったときにはこんな見張りみたいな人に引っ掛からなかったけど…。あの時は異常気象だったからなぁ。いや、異常気象だからこそ警戒が強くなるのかな?うーむ…。

 

「この先に、迷い家はありますか?」

「迷い家?それなら下だ。辿り着けるとは思えないが…」

 

そっか。それならよかった。面倒事にならないで済みそう。

 

「ま、辿り着けたらでいいんです。そこに用があるもので」

「あそこは迷わなければ決して辿り着かない場所だ」

「迷ったら道を失いますよ。だから、今迷うわけにはいかないんです」

 

迷わないと駄目なら、そんなところは願い下げだ。わたしは、迷わずに辿り着く可能性に賭けているのだから。駄目なら次の場所に行くだけ。全部回っても駄目なら…そのときはそのときだ。

さっきまで昇ってきた道に引き返そうとしたとき、何かが轟音と共に降り立った。

 

「あやや、まさかこんなところで出会うことが出来るなんて…」

「…天狗?」

 

誰だ、この天狗。見たことないぞ。記憶にない。

 

「…文さん。一体何処で道草食ってたんですか?」

「食ってません。『禍』の続報を求めてたんですよ。…まあ、収穫は全然でしたが」

「『禍』…ねぇ」

 

それにしても、この天狗が射命丸文か。彼女にする礼は二つだと思っていたけれど、どうやら一つだけだったようだ。それと、出来ればやっておきたかったことがある。それが出来る幸運に少しだけ感謝してもいいかもしれない。

わたしに歩み寄ってきた射命丸文が、手を伸ばしてきた。

 

「諦めかけたときほどいいものに巡り合える…。こんにちは『禍』」

「…何の用ですか?虚構記者」

「え!?わ、『禍』!?本当にいたんですか!?」

 

伸ばされた手を無視し、目の前の天狗の目を見る。その感情は、好奇。…ふぅん。

 

「いますよ。私が嘘を書いたことがありますか?」

「…その台詞から嘘ばっかですよ」

「そうですね。確かに嘘っぱち」

 

一瞬で視線をその手に持つカメラに移し、ピッタリと重ねて複製。そして即炸裂。ガシャガシャと中身が暴れ出し、レンズが内側から吹き飛んだ。その内側から薄く煙が上がる。誰がどう見ても、修正不可能に破損したカメラの完成だ。

 

「え?あッ!カ、カメラが…」

「どうしました?何か、不吉なことでも、ありました?」

 

可能な限り平然と、それでいて嫌らしい言い方。そして、顔を壊れたカメラを見下ろす射命丸文の間に割り込ませる。目を細め、頬を僅かに上げながら。さて、ここからどうするべきか…。まさか、ここで新聞記者に会えるとは思っていなかったから、碌に考えてない。相手の対応から即興で対応していかないと。

 

「…いえ、大したことじゃ、ないです…うぅ」

「確か、高かったと言ってませんでしたか?」

「中身にいい写真がなかっただけマシですよ…」

 

どれだけの価値があるのだろうか?複製したときに少しだけ空いていた隙間から内側まで流れたから何となく形は分かったけれど、相当複雑な機構をしていた。一円や二円ではきかない気がする。まあ、あの新聞の礼はこのくらいでいいだろう。うん。

 

「まあ、この際写真は諦めますか…。『禍』、私は貴女に取材をしに来ました」

「…取材」

「ええ。これ以上ない話題になりますよ」

「ふむ」

 

来た。

 

「それなら、わたしが言うことは一つだけですよ」

「ほぅ?それは一体?」

「『許せないって言うなら好きなだけかかってきな。わたしはいつでも待っている』。…これだけですよ」

「え、それだけですか?」

「ええ、それだけですよ。それでは」

 

後ろで何か言っているようだが無視し、振り返ることなくさっきまで来た道を降りていく。

 

 

 

 

 

 

ある程度降り、二人が見えなくなったところで道を曲がる。一度来たことがあるかどうかは、近くに石ころの複製があるかどうかで判断する。

さて、あの新聞記者はあの言葉をそのまま載せてくれるだろうか?出来るだけ改変されないことを願うが…。出来るだけ変えられないように、礼も兼ねてカメラを壊したし、言い回しだって挑発的なものにした。まあ、多少なら許すけど。

『許せないって言うなら好きなだけかかってきな。わたしはいつでも待っている』。つまり、わたしは里へ出向くことはないということだ。何故なら、待つ者は襲うことはないのだから。それでも許せない、と言うような奴は仕方ない。そのときは丸ごとやり返して追い返すつもり。里の中は安全に保護されているなら、里の外は危険に晒されている。だから、わたしはそうして出てきた膿を切り捨てる。けれど、出来ればそんなことしないで済みたい。だから、わたしは探すのも容易にはいかないような居場所を探している。

足元に転がる石ころを複製して放置しながら進んでいく。それにしても、たった数年で様変わりするものだ。いや、あの頃は周りなんて碌に気にしてなかったか?未視感を覚える。

それにしても、やっぱり簡単には見つからない。近くにない事は確かなのだが…。

 

「…ん?あ、そうだ」

 

閃き。時折訪れる、突飛な発想。近くに存在する複製の位置と種類が分かる。遠くに存在する複製を霧散させる。両方ともわたしの複製という共通項がある。この二つを組み合わせれば…?

 

「やってみようかな、うん」

 

意識しろ。それらはわたしの体の一部。切り離されても、それは決して変わらない。

目を瞑り、呼吸を整える。近くに転がっている石ころの数々の形と場所が浮かび上がっている。ここまではいつも通り。わたしが行きたいのは、その先だ。意識を集中させつつ、外側へと拡げていく感覚。すると、その範囲が徐々に広がっていくのが分かる。少しずつ石ころの数が増えていく。そうだ。そのまま拡がれ。

 

「…あった」

 

ボンヤリと浮かぶ形には見覚えがある。目的地である迷い家に残した複製。霊夢さん達が勝手に持ち出した家財の数々。かなり遠いが、このまま真っ直ぐ進めば到着出来るはずだ。

だけど、今のわたしは迷いなんてない。そんな状態で大丈夫だろうか?普通に到着すればそれでいいのだけど、抜け穴や抜け道を探す必要があるなら、少し時間がかかりそうだ。特定の手順を踏むことで突破出来るなら、偶然と幸運が味方すれば出来る。特定のものを所有することで突破出来るなら、ちょっとお手上げだ。複製でどうにかなればいいのだが。

そんなことを考えながら歩き続けて数十分。開けたところに着いたと思ったら、そこには見覚えのある寂びれた里があった。そして、その中の一つの家に家財の複製を感じる。

 

「あれぇ?」

 

…抵抗なく到着してしまったのだが。いや、辿り着いたことは嬉しいけれど、ここまですんなりとは入れてしまうと逆に不安になってくる。実は、迷わなくても普通に辿り着けるなんてことだったらどうしよう…。

 



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第145話

迷い人の終着点、迷い家。古びた家々が立ち並ぶ、寂びれた里。そんな中で唯一生活感のある家が、あの化け猫の住処であるはずだ。ここを引っ越し先にして本当に大丈夫かちょっと不安だけど、ここにある家の一つを貰えたらと思っている。駄目なら土地。そのために交渉をしよう。

けれど、その前にその化け猫が住んでいなさそうな古びた家々を回ってみよう。もしかしたら、他の誰かがいる可能性だってある。…正直、あの家以外はまともな家がないから住んでいるとは思えないが…。

 

「…お邪魔します」

 

まず一件目。壁に刃物の刺し跡が大量にある家だ。中に入って真っ先に目が点いたのは、腐りかけの床と朽ち果てた卓袱台。さらに、それらには埃が被っている。厚さは軽く見た感じほぼ均等で、誰かが足を踏み入れたとはとても思えない。

鼻と口を押さえながら中に入り、足を付けない程度の高さで浮遊しながら進む。しかし、浮遊した際に出来る僅かな気流で埃が舞う。その光景を目を細めながら見つつ、誰かが使っていたと考えるのは無理があるな、と思った。

それでも奥の部屋には進むと、どこも掃除の行き届いていない、生活感が全くない、生の気配を全く感じない部屋が三つあった。そして、台所に包丁一本置いてない時点でこの家は年単位で使われていないと断定した。

 

「…ここもいなさそうかな。お邪魔します」

 

次に二件目。扉が外れかけている家だ。わたしが開けたときにパキ、と儚い音を立てて外れてしまったが…。そして、鼻を刺す黴の香り。咄嗟に鼻を摘まみ、口も軽く押さえた。埃もさっきと同じように積もっており、誰かが侵入したとは考えにくい。

小さいながらも二階があったので上がってみたが、その部屋には生活を感じさせるようなものは何もなく、ただ埃があるだけだった。

そのまま化け猫が住んでいそうな家を除いたすべての家を回ったが、どこもかしこも生活感が全くない。埃は溜まってるわ、黴は生えているわ、色々腐りかけているわと、誰も住んでいないことが明白となっただけで終わった。

しかし、考えを変えれば化け猫以外ここに来ることはほとんどないということだ。いくら迷っても、妖怪の山に登るような人間は稀、ということだろうか?それとも、迷うこと自体が稀なのかもしれない。けれど、そんな理由は今はどうでもいい。つまり、人の出入りがほとんどないということがよく分かった。

あとは、元からある家とは呼びたくないほどに朽ち果てた家はちょっと住みにくいから、土地を貰って新しく建てた方がいいだろうということくらいか。

 

「さて、最後は化け猫の家かな」

 

念のため『幻』を一つ展開させ、待機させておく。突然攻撃されても対応がしやすくなるし、不意打ちされてもその後で狙撃出来る。…死にさえしなければ。

身体や服に付いた埃を払いながら化け猫の住んでいるだろう家の前へ行き、少し見上げる。壁に穴らしきものはなく、出来たとしてもちゃんと埋めた跡がある。誰かが使っていると考えるのはおかしいことではないだろう。それに、霊夢さんが家財を取って行った家はここだ。その家財の複製だって、この中にある。

 

「お邪魔しまーす」

 

扉を二回叩き、返事を待たずに勝手に侵入する。鍵は掛かっていない、というより鍵そのものがないようだ。中に入ってまず思ったのは、埃や黴がほとんど見当たらないことだ。…まあ、予想はしていたが。しかし、前に覘いた時より雑多なものが増えている。生地が破れた座布団が積み上げられたり、何に使うのか分からない毛糸玉が転がっていたり、出来の悪い刃物で傷つけたようにボロボロになった紙束なんて無かったはずだ。

そこまで見たところで、上の階からドタバタと音がした。そして、その足音の主は階段から転がるように駆け下りてきた。

息を切らせた化け猫がわたしの目の前で止まり、右人差し指をわたしの目の前に突き出した。少し尖った爪が鼻先を掠めそうだったので、少しだけ後退。

 

「ちょっと、誰よ!」

「鏡宮幻香」

「あれ…わ、私?いや、そっくり…?」

「そうですね」

 

目をパチクリさせ、そのまま考え込んでしまった。話しかけても聞いてくれなさそうなほどではないが、邪魔するのは悪い。時間潰しの為に周りをもう少し見渡すことにした。

脚が削れて折れてもおかしくない古びた椅子、同じような傷跡がある古びた机。こんな足元だけが削れるなんて珍しい。よく見ると柱にも同じような傷跡が。…もしかして、趣味だろうか?その尖った爪で椅子や机の脚、柱を削る趣味。変わった趣味もあるものだ。

食器入れの中に、複数の複製を感じる。柄から大きさ、形まで様々な皿や器、湯呑みなど。複製の配置から考えて、他にもいくつかありそうだ。わたしが使う食器はその複製ではないものから貰えばいいだろう。

部屋の隅には様々な細長い棒が立てられていた。その先端には一つ一つ違うものがくっ付いており、なかなか面白い。毛糸が巻き付けられていたり、かなり大きな鳥の羽根がくっ付いていたり、釣糸のように細い糸の先に小さな何かがぶら下がっていたり。

 

「あーっ!思い出した!春雪の時に迷い込んだ人間達の中にいた奴!」

「ええ、いましたね」

「それと、えぇと…ま、『賄』!」

「『禍』。そんな料理みたいなのじゃないですよ」

「そうそれ!」

 

ふぅん。『禍』のこと知ってるんだ。あの文々。新聞って意外と広範囲に配布されているのかな?ちょっと面倒なことになったかもしれない。

しかし、そんなことまるでどうでもいいように、気にすらかけていないように続けた。

 

「それで、何の用なの?また迷った?」

「迷ってないですよ。むしろ、迷わず来れたから不安です」

「え、あれ?そんなはずないんだけどなぁ…」

「結界だか幻術だか知りませんが、綻びでも出来たんじゃないですか?」

「げ!?そ、それは困る!」

「そうですね。わたしも困るかもしれません」

「え、何で?」

「実は、ここを引っ越し先にしようかと考えてましてね。人気がないから」

「失礼な!たくさんいるよ!」

「…誰が?」

「猫!」

「…そのくらい、どうでもいいですよ」

 

猫がどれだけいようと、多分問題ないだろう。体が急激に縮み、皮膚から毛が生え、尻尾が生え、耳の位置が変わり、四足で歩く…。そんな猫の姿にわたしの体が変わるとはちょっと考え辛い。…そうならないことを願う。

それと、椅子や机などが削れている理由も分かった。つまり、爪磨ぎか。この化け猫の趣味もあり得るかもしれないが、その猫達がやったと考えたほうが妥当だろう。多分、上の階にその猫が数匹、もしかしたら数十匹いるのだろうか?耳を澄ませていると、微かに猫特有の鳴き声が聞こえてきた。一匹や二匹ではない数の鳴き声が。

 

「引っ越すとか言ってるけどさぁ…、ここは渡さないからね」

「出来れば、土地が欲しいんですよね」

「え、そうなの?土地かぁ…。どうしよう…。どうなんだろう?」

「あ、大丈夫ですよ?わたしが自分で建てますから」

 

全てが複製によって建てられる家を。理由はすぐに跡形もなく消せるから。そのための木材は近くに生えている樹でいいだろう。加工だってわたしなら簡単だ。回収か霧散で簡単に形を変えられる。…どうしても大きくは出来ないが。

しばらく腕を組んで考えている化け猫を待っていると、突然組んでいた腕を解き、わたしに言った。

 

「よし!やっぱりこういう時はスペルカード戦だよね!」

「スペルカード戦かぁ」

 

確か、この化け猫のスペルカードは高速移動による攪乱だっけ?まあ、その程度の対策ならすぐに思い付く。相手の速度なんか全く関係ない一撃だっていいし、高速移動を阻害してもいい。わたし自身がその速度に付いていければ、それでもいい。

 

「私が勝ったら土地なんてあげないよ!」

「いいですよ。それじゃあ、わたしが勝ったら土地をください」

「いいよ!勝てるならねー!」

 

そう言うと、化け猫は窓から飛び出していった。せっかく玄関があるのに、玄関から出ないのか。そう思いながら、わたしは玄関から出て化け猫を追った。

 



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第146話

爪先で地面を何度か軽く突き、足裏で擦る。…ふむ、走る程度じゃ凹みも削れもしなさそうだし、砂で足を取られたり滑ったりもしなさそう。非常にやりやすい地面だ。まあ、空中戦主体になればあまり関係なくなってしまうのだが…。

周囲を見渡したが、古びた家々が並んでいるだけ。鴉が休んでいる屋根を越えた奥に、樹になっている葉が僅かに顔を覗かせているが、あれだけしか見えないと、ちゃんと複製出来るかどうか怪しい。空間把握で形を明確にしないと摩訶不思議な物体になってしまいそうだ。それでも構わないと思うのならそれを投げ飛ばしてもいいのだが…。うん、止めておこう。

それにしても、いくら使われていないからって本当にスペルカード戦をこんなところでやっていいのだろうか?放たれる弾幕で腐りかけた家々を倒壊させてしまう可能性があるのに。…まあ、この場所は化け猫が使っていた家からある程度離れている。そこだけは考えているらしい。

 

「スペルカードは三枚でいーい?」

「ええ、いいですよ。被弾は?」

「もちろん三回」

 

目測で距離を測る。…歩いて三十六歩くらいかな。大体六十六尺、十一間、二十メートル。これだけ離れていると、普通に弾幕を放っても当たらなさそうだ。なら、ある程度近付く必要があるのだが…。多分、相手はこれだけある距離をよしとは思っていない。その場合、あちら側は近付いて来るだろう。開始と共にお互いに突撃してきたら、相対的に相手が速く感じる。それを避けるために、まずはここに待機でいいかな。

 

「開始はどうします?」

「えーっと…。じゃあ、始めっ!」

 

不意打ち気味に始まったスペルカード戦。そして、体制を低くした化け猫がこちらへ真っ直ぐと駆け出した。

目を見開き、化け猫の歩幅、速度、加速度などを推測。待機してあった『幻』から放つ妖力弾の速度と合わせて軽く計算。そうして得られた予測から、踏み込むであろう場所へ撃ち込む。被弾するとは思っていない。少しでも止まるなり曲がるなり減速するなりして時間が稼げればいい。

それによる結果は二の次にし『幻』展開。既に一つあった『幻』の性質も変え、最速の直進弾用、阻害弾用、追尾弾用を各十五個ずつ。計四十五個。まあ、この『幻』から放たれる弾幕なんて牽制にしかならないだろう。それでも構わない。

『幻』を展開している間に、化け猫はわたしの放った妖力弾の一歩手前で止まり、その場から弾幕を撃ち出した。赤く広がる様はまるで花のよう。だけど、わたしにはどうしても血飛沫にしか見えない。…あんなことがあったあとだからだろうか?

 

「…まあ、どうでもいいか」

「何がさっ!仙符『鳳凰展翅』!」

 

宣言と共に、化け猫の周辺から次々と青と緑が広がる。僅かに旋回しながら飛来してくる弾幕の隙間を見極めるが、正直そこまで苦労はしない。リグルちゃんより少し強いくらいかな、と思う程度。少しでも動いたら被弾という感じではない辺りがとても優しい。

本来比べてはいけないかもしれないが、わたしの中の基準はどうしてもフランや萃香とのスペルカード戦になってしまう。だからこのスペルカードが非常に薄く、そして遅く感じてしまう。

だからといって、わたしが彼女達と同格かと問われれば即刻否定する。ただ、わたしは登るなら高いところのほうがいいと思っているだけ。基準は高いほうがいい。

 

「視界を広く、ね。複製『大黒柱射出』」

 

そのために、わたしは少しずつ上へ歩めばいい。今まで出来たことから少し先へ。今まで出来なかったことを出来るように。

空間把握。ただし、ただ全体へ均等に拡げるのではなく、自らの意思を持って範囲を狭める。わたしの記憶を頼りに、妖力を糸のように細く周りの家へ。そして、その家々にある大黒柱の形を把握し、複製。

複製させる位置も、さらに遠くへ。少し前まででは考えられないほどの距離。約二十センチの数十倍の距離。その家の壁と重ねるように複製する。それと同時に大黒柱に含んだ過剰妖力を噴出し、壁から弾かれる方向を無理矢理化け猫へと向ける。さらに弾き出される勢いを加速させる。

 

「へ?――にゃッ!?」

 

弾幕を穿ちながら迫り来る大黒柱は過剰なまでに横へ跳んだことで回避されたが、それ一本で終わりじゃない。終わるわけがない。まだまだ撃ち出せる。周りの家々から次々と撃ち出す。直接化け猫に当てる必要はない。その近くへ飛ばすくらいでいい。正確に撃ち出せば、少し動くだけで済んでしまう。なら、多少ばらつきがあったほうがいい。不規則性はその曖昧さが武器。

少し上手くいかずに壁に重ねられず、過剰妖力の噴出で壁を壊して僅かに飛び出した大黒柱の複製もあったが、それでも今までよりも遠くへ複製出来ている。

わたしは成長している。まだ先へ進める。先の見えない道を確実に歩いている。限界と思っていた偽りの壁を乗り越えられる。そう実感出来る。

 

「あ、危なッ!ああ、もう!翔符『飛翔韋駄天』!」

 

周りから撃ち出される大黒柱を必死に避けていた化け猫が、わたしに鋭い眼光を向けて宣言した。複製が転がる区域を抜け出し、その鋭い爪を向けながらわたしへ突貫してきた。弾幕を置き去りにした加速。

右腕を振り上げながら複製した大黒柱を投げ付けてみるが、化け猫が突如視界から消えた。いや、理屈は分かっている。真っ直ぐ進むと思っていた対象が突如進行方向を変えると、まるで消えたかのように感じる。理屈は分かっていても見失ってしまった。

…しょうがない。空間把握。わたしの周辺へ一気に流す。足が地面に触れた瞬間、化け猫の姿が浮き彫りになる。それにしても、本当に急に方向が変わる。そのまま進んでいたら、という予測を裏切る位置に現れる。しかし、方向転換するためには足を地につけなければならない。そして、その瞬間の体は真っ直ぐ進むとは思えない動きを取っている。さらに、いくら速くても現れる瞬間は規則正しい。

周囲から迫る弾幕を、どちらかの足を地面に付けた状態を維持しながら避け続ける。わたしが地面に接触していなければ、空間把握は使えない。これもわたしにある枷だ。しかし、その程度で被弾してしまうほど弱いつもりはない。今は時期を待て。あと少しだ。

 

「…そこか。鏡符『二重存在』」

「へ…ブッ!?」

 

現れた瞬間に、化け猫の目の前に複製した。一度方向転換したら、次は必ず真っ直ぐ進む。この数秒間でそう判断し、化け猫の複製を体当たりさせた。相手の速度に全く関係のない一撃。結果は見なくても分かる。空間把握を止め、一息つく。これで被弾一、っと。

ぶつかったところから少し離れたところで絡み付きながら地面に転がっている二人の化け猫に目を遣った。その二人の内の複製をわたしの元へ向かわせ、そのまま回収する。これ以上の追撃は必要ない。時間いっぱいやったところで妖力の無駄だろうから。

ちょっとだけ残された弾幕の余りを避け切り、化け猫に言葉を投げかける。

 

「大丈夫ですか?」

「痛たた…。急に何かが…」

 

そう言いながら、服に着いた土を払いつつ立ち上がった。

わたしの中にある定説だと、ここからは非常に長くなる。スペルカード使用数と被弾数で、スペルカード使用数のほうが少なくなると相手がスペルカードを使い辛くなる。それが最後の一枚となればそれは尚更である。

 

「この程度ですか?貴女の全力は」

「…え?」

「もしそうなら、この勝負はもうわたしの勝ちですね。決まったようなものだ」

 

憐れむような口調。しかし、普段しないからなかなか難しいなぁ。

 

「違うって言うなら、貴女の全力を見せてみろ。それでもわたしには掠りもしないってことを証明してやる。安心していいよ。一発当てれば貴女の勝ちだから、さ」

 

時間を掛けたくない。だから、慈悲とも挑発とも取れる提案を投げかけた。最後のスペルカードを使わせるために。

 

「ふぅーん、あっそう!そこまで言うなら見てみな!私の全力!化猫『橙』ッ!」

「…いいねぇ」

 

自然と漏れ出た呟き。偽らざるわたしの本心。それだよ。それを待ってたんだ。単純な言葉に引っ掛かってくれたとこなんてどうでもいいくらいに、わたしは貴女の全力を待ちわびていたんだ。

何か『奥』がある。あの化け猫からはそう思わせる何かを感じていたんだ。

右手の人差し指を相手に向け、一発の妖力弾を放つ。地面とほぼ水平に飛んでいく妖力弾に対し、化け猫は僅かに身を屈められただけで避けられ、速度を全く落とすことなくわたしへと向かってくる。そう簡単には行かないらしい。けど、それでいい。そうじゃなくっちゃあねぇ?

 

「シャアァッ!」

 

化け猫らしい鋭い声を上げ、わたしの柔肌を容易く引き裂くだろう爪を煌めかせた。

呼吸を止め、緩やかになった世界でその右手の動きを見遣る。斜め上にかち上げるような軌道。そして、奥に控えている左手を見るが、まだ飛び出すことはなさそうだ。

相手から見て右側へ避け、その右手首を掴む。体を反転させつつ右腕を肩で担ぎ、片脚で化け猫を軽く浮かせる。そのまま右腕を引っ張り、相手の勢いを利用して地面に叩き付けるッ!

 

「ぎにゃぁっ…!?」

 

踏み潰された猫みたいな鳴き声と共に、化け猫は動かなくなってしまった。ま、勝ったでいいのかな?掠りどころか接触したけど、被弾ではないんだし。

けど、おっかしいなぁ。まだ二回しか被弾させてないのに終わっちゃったよ。いや、それでも構わないんだけど。…わたしが妹紅から受けたときはふらつきつつも立ち上がれたのに。

 



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第147話

動かなくなってしまった化け猫の胸に耳を当て、心拍音を確認する。…うん、規則正しく動き続けている。耳を離し、呼吸をしているかどうか胸を見て確認する。…うん、ちゃんと上下している。地面に叩き付けた頭を擦り、髪の毛を掻き分けながら念入りに確認する。…うん、出血はしてない。しかし、こぶくらいは出来るかもしれない。そのときはちゃんと冷やしたほうがいいだろう。…冷水なんてあったかな?

そこら中に転がっていたり、家の壁を壊しながら突き出している大黒柱の複製を全て回収し、大穴が空いてしまった家に対し、少しだけ悪いことをしてしまったかな、と感じる。使われていなかったからとか、腐りかけていたからとか、スペルカード戦に巻き込まれたからとか、そんな言い訳は簡単に出来る。だけど、それでもこれらはわたしの失態が原因だ。なので、周りの壁から色合いが似ているものを複製し、それっぽく埋め合わせておいた。意味がなくてもいい。こんなのはどうせただの自己満足。

 

「…よっ、と」

 

グッタリとして起き上がる気配の無い化け猫の元へ戻り、首が変な方向へ倒れてしまわないように注意しつつ背負う。目的地は少し遠くにある化け猫の住んでいる家。家中探し回れば、この化け猫を寝かせられるくらいの布団があるだろう。もし無ければ、積み上がっていた座布団で無理矢理代用すればいい。

家に到着するまでに起きないかなー、という淡い願いは叶うことなく、それ以外は問題なく化け猫の住んでいる家に到着した。首が倒れないように、ゆっくりと歩いたつもりなんだけどなぁ…。

扉を何とか開け、そのまま二階へと上がる。近いところから順番に扉を一つずつ開けていくが、各部屋に数匹ずつ猫がいた。その猫達の一部は扉を開けた途端、部屋から飛び出していく。…軟禁でもされてたのかな?最後の扉を開けると、ようやく布団が敷かれている部屋を見つけた。そこにいる猫は他の部屋と比べると比較的大人しく、部屋の隅で丸くなっている。寝室というだけあって、寝ているのだろうか?そんなことを考えながら、化け猫をそこへ寝かせ、掛布団を掛ける。

 

「さて、どうしましょうか…」

 

起きるのに時間が掛かりそうなら、何か別のことをしていたいが、ここ周辺から離れるようなことはやり辛い。出来るならば、この家の中で済むことがいい。

…とりあえず、何か料理でも作るとしましょうか。もしすぐ起きたなら食べてもらえばいいし、起きなさそうならわたしが食べてしまえばいい。勝手にこの家の食材を使ってしまうのは忍びないけどね。

化け猫の額に、彼女の服を部分複製して創った細長い布を軽く巻きつけてから一階へと下りる。そこには、先程逃げ出した猫達がいた。転がっている紙束を引っ掻いたり、高く積み上がった座布団の上を奪い合ったり、机の上に我が物顔で寝そべったりと自由奔放だ。ちょっと羨ましい。

台所の周辺を漁り、数ある食材の中から米と人参とさつまいもを選び出し、近くにあった鍋にまとめて入れておく。それと、卸し金と菜箸を手に取る。あと、食べるとき用の器と箸を一対、注ぐためのお玉杓子。これで十分だろう。

鍋から人参とさつまいもを取り出し、鍋の中に水瓶に溜められていた水と人参とさつまいもを丸ごと一本卸し金で摩り卸したものを入れる。材料を全て入れた鍋を吊るし、囲炉裏に火をつける。火打石と炭が置かれていてよかったと思う。あとは、火を通しながら混ぜるだけ。

菜箸で鍋の中身を混ぜている間に『幻』を一つずつ出していく。今のわたしなら、四十五個を超えた数でも安定して出せる。何となく、そんな気がした。一、二、三、…四十三、四十四、四十五。さて、ここからだ。まずは四十六個目。フワリと浮かぶ『幻』を軽く動かす。…違和感はない。違和感はそのままズレとなって現れるのだが、それがないということは問題なく使えるということ。十秒ほど置いてみたが、今までと変わった様子はない。この調子で一つずつ生み出していく。四十七、四十八、四十九、五十、五十一…。

 

「お、っと。危ない危ない」

 

ブツブツと沸騰する音にようやく気が付き、厚手の手袋をつけてから鍋をゆっくりと外す。そのまま手袋を鍋敷き代わりにして床に置く。…ああ、しまった。『幻』に集中し過ぎて、鍋の中身が煮え滾っているのに気付かなかった。

菜箸の先にこびり付いたとろみのあるものを冷ましてから口に含む。…少し塩が欲しいかな。台所をもう一度漁り、調味料を見つける。うぅむ、塩と醤油、どっちがいいかなぁ?それに、醤油にも色々あって濃口醤油だの薄口醤油だの溜まり醤油だの甘露醤油だの白醤油だの魚醤だの…。違いがさっぱり分からない。こんなことになるんだったら、大図書館で調味料一覧でも読んでおけばよかった…。

結局、どれがいいのかよく分からないまま魚醤を選び、一滴指に付けて舐める。んー、化け猫だし魚好きだろう、という勝手な推測から魚醤を選んだのだけど、なかなか旨味が強い。いいな、これ。

味を確かめながら鍋に少しずつ入れる。もう少しだけ入れて、と。よし、完成だ。人参とさつまいものお粥。味見したけど、悪くないと思う。人参もちゃんと火が通って青臭くないし、人参とさつまいもの味もちゃんとするし。…まあ、米に対して野菜がちょっと多かった気がするけど。

これまた化け猫だから猫舌だろう、という勝手な推測から素手で鍋を掴んで持ち歩ける程度まで冷まそうと思っていたら、丸く結んだ布が動くのを感じた。それも、少し離れたところを中心にして円を描くように上へと上がっていく。明らかに寝返りとは違う動き。寝返りなら、横に動くはずだ。

 

「起きたかな?」

 

鍋がまだ十分に冷めていないけれど、ここで待つ理由がない。『幻』を全て回収してから、床板を一枚複製する。そして、お粥の入った鍋にお玉杓子を突っ込み、器、箸と一緒に床板に乗せて二階へと上がる。

 

「…あれ?ここ…」

「やっぱり起きましたか」

 

寝室に入ると、化け猫が上半身だけを起こして部屋を見回していた。そして、扉を開けて入ってきたわたしに気付くと、目を見開いた。

 

「もしかして、運んでくれたの?」

「そうですね。それより、あまり動かないでください。頭ぶつけた気絶は大体一日は安全が保障出来ませんから」

「…え、そうなの?本当にそうなの?」

「…まるで何度もやってるかのような驚きかたしないでくださいよ」

 

まあ、滅多なことがなければ後遺症になることはないだろう。

無毒であることの証明をするためにお粥を一口食べるのを見せてから、器にお粥を注いで化け猫に手渡す。…そんな怪訝な顔をしないでほしい。

 

「とりあえず、食べてください。熱いかもしれませんが」

「う、うん。…ありがと」

 

少し口に含み、ひーひー言っているのを見ると、やっぱり猫舌だったのかと思った。…わたしが食べたときは食べ頃の熱さだと思ったのだが、そうはいかないらしい。手で仰いだり、ふーふー息を吹きかけたりして、十分熱を飛ばしてからようやく食べ始めた。

 

「あ、美味しい」

「それはよかった。作り過ぎたくらいですから、欲しければどうぞ」

「うん、分かった」

「それと言い忘れてましたが、水と米と人参とさつまいもと魚醤を勝手に使いました」

「そうなの?」

「そうなの」

 

お粥を指先に少しだけ付け、近くに擦り寄ってきた猫の口元にやってみたら、綺麗に舐めとられた。舌がザラザラしててちょっとくすぐったい。

 

「…あーあ、負けちゃったなぁー」

 

一杯食べ切り、一息吐いたところで、化け猫が誰に言うでもなく呟いた。

確かに、あのスペルカード戦にわたしは勝った。けれど、納得しているかと言われれば、そうでもない。さっきまでやっていたスペルカード戦を思い返すが、彼女は本当に全力を出していた。あの台詞に嘘はなく、騙すつもりなんて欠片もなかった。しかし、それでもわたしはあれ以上の『奥』を感じていた。彼女にはまだ先がある、と。本人が自覚していない?わたしの勘違い?まあ、どうでもいい。

 

「…何か隠してませんでしたか?」

 

どうでもいいけど、小骨が喉に引っ掛かったような感じがする。放っておいてもすぐに抜け落ちて消えてしまう程度の違和感だろう。けど、そんな小さなことだからこそ、今訊いておきたかった。

 

「隠す?何を?」

「あれが、本当に全力でしたか?」

「全力だよ。酷いなぁ」

「そう、ですよねぇ…」

「…今の私はこれが全力なの」

 

今、ね。潜在的なものか、時期的なものか、道具的なものか、何か制限があるらしい。それなら仕方ないか。

無理矢理納得しつつ、賭けた内容の結果について訊ねた。

 

「それで、土地は貰っても構いませんか?」

「うーん…。多分大丈夫?」

「いや、わたしに訊かないでくださいよ…」

「ま、私が負けちゃったからだし…。怒られるのは私かぁ。はぁ…」

「この迷い家が貴女の場所じゃないんですか?」

「ううん、私の場所。私のための場所」

 

どうやら、この迷い家は誰かから与えられた場所らしい。与えた者は、この化け猫の為に与えたのであって、他の誰か使わせるために与えたわけではないかもしれない。だから、使ってもいいのか分からない、といったところか?

 

「…じゃあ、わたしが使っていいのか訊いて来てください。もし駄目なら、わたしはここから出て行きますから」

「いいの?」

「ですが、一つだけ条件が。わたしの特徴、何一つ口にしないでください。勝者からの、お願いです」

「えーと、妖獣で、猫又だってこと?」

「…そうですね。それと、貴女にそっくりだ、ということも」

「…うん、分かったよぅ。どうやって言えばいいのかなぁ…」

 

腕を組んで考え始めてしまったけれど、飽きたのかすぐに器を手渡されたので、鍋から新しくお粥を注ぎ、粗熱を飛ばしてから返した。

わたしもこのお粥を食べようかな、と思い、一階へと降りていく。不思議と満たされている感じは、今も続いているけれど。

 



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第148話

目を覚ましたはずなのに、目をしっかりと見開いているはずなのに、視界は真っ暗のままでほとんど何も見えない。どうやら、まだ夜明け前だったようだ。普段と違う時間で就寝すると、それに合わせて起床もずれる。化け猫を寝かせて、それに合わせてわたしも寝たのだけれど、どうやら普段より早かったらしい。…まあ、例外も多々あるけど。むしろ、例外のほうが多いかもしれない。うぅむ…。

 

「…すぅ、…すぅ」

 

…まだ寝てる、か。耳を澄ませると、わたしの耳に化け猫の寝息が入ってきた。特にうなされている様子はなく、変わった様子もない。

明日…、いや、もう今日かな。今日は一日中安静にしているように言うと、化け猫に『それじゃあご飯作って』と言われてしまった。作るけど。しかし、今はまだ暗い。どう考えても朝食を作り始めるのは明らかにまだ早いだろうし、そもそもこんな暗闇の中でどうやって調理すればいいのだろうか。一階に行って何とか焚き火でも点けることが出来ればどうにかなるかもしれないけれど、この家の間取りがちゃんと分かっていない現状ではやりたくない。火事になってからでは遅いのだから。空間把握は、そんなことをする妖力がもったいない。それなら、朝日が昇るのを待ってからでもいいと思う。どうせ、朝食を食べる化け猫も寝ているのだし。

それにしても、変な姿勢で寝ていたからか身体が硬い。それに、やけに身体が冷たい。膝を抱えながらお互いの肘を掴んでいる両腕を解く。解放された両脚を思い切り伸ばすと両膝の間接がパキパキと鳴り、じんわりとした熱が生まれる。背にした壁に当たるほど腕を上に引き伸ばすと同じように両肘の関節がパキパキと鳴り、さっきと同じような熱が生まれた。ある程度動かしてから腰をゆっくりと捻ると背骨がパキパキと鳴り、熱が生まれる。いくら布団がないからって、部屋の隅で丸くなって寝るのはあまりしないほうがよさそうだ。

 

「…あー、何しよう」

 

これだけ身体を動かしておきながら二度寝をしようとは思わない。しかし、早く起きたからといって特にやることがあったわけでもない。うぅむ、何かやることってあるかなぁ…?

あ、そうだ。化け猫が目覚める前に『幻』の展開と『紅』の練習でもしていようかな。見られて困るわけではないけれど、見られないで損はない。

昨日は調理に集中するために途中で切り上げたけれど、確か『幻』を五十一個まで展開出来たはずだ。とりあえず、そこまで一気に展開しよう。弾幕を張るつもりはないから、全ての『幻』を待機させておく。

 

「…うん、大丈夫」

 

違和感はない。昨日はまぐれでした、何てことはないようだ。さて、これから一つずつ増やしていきましょうか。五十二、五十三、五十四…。

 

「ん…?」

 

六十一個目を出したとき、何かが引っ掛かったような違和感を覚えた。気のせいかもしれないので、一度六十個に戻してからまた新たに一つ追加してみる。…うん、やっぱり六十が限界みたい。

一応追加検証。六十二、六十三…と増やしてみると、極僅かだった違和感が少しずつ膨れ上がっていくのを感じた。…うん、これは六十が限界で確定かな。これ以上やる必要はないだろう。勝手に消え始める目安である約三倍、百八十個まで展開するのは面倒だし。そう考え、全ての『幻』を回収する。

 

「六十、かぁ…」

 

それにしても、急にこれだけ数が伸びたのは何故だろう?以前は四十五個が限界だったのだけど、そこから特に地道な努力を積み重ねた記憶はない。まあ、理由なんてどうでもいいか。安定して使える数が増えた。それでいい。…欲を言えば、もっと多く使えるようになりたいけど。百とか二百とか。いっそのこと、あの時無茶して出した千個とか。

 

「…っと。次だ次」

 

際限なく広がる妄想を振り払い、現実へと戻る。そんな夢物語はまた別のときに考えるとしよう。理想ばかり浮かべても、地に足の付いた想いじゃないと、そんなのはただの夢想で空想だ。今まで通り、しっかりと踏みしめながら一歩ずつ先へ進めばいい。

 

「さて、始めますか」

 

次は『紅』の練習だ。大きく息を吸い、目を瞑る。意識を集中させ、意識の中を探る。砂の中に混じった赤い粒を拾い集めるように、わたしの中の『紅』をひたすら掻き集める。砕けたガラス細工の破片を元通りに並べ直すように、集めた『紅』を本来あるべき形へ戻していく。…戻したところで中身は空っぽで、見た目ばっかりそれらしく整っているだけ。上っ面のそれらしい能力しか、残されてない。

 

「…まあ、仕方ない…か」

 

彼女は溶けてしまったのだから。わたしの中をいくら探してもそれらしいものは何もなく、遺されたものをいくら掻き集めても彼女が戻ることはない。分かってはいるけれど、失ってしまうことはやっぱり悲しいものだ。

…感傷に浸っていたら、いつの間にか『紅』が解けて霧散してしまった。まだまとめ上げる途中だったのに。

しょうがない。もう一度集め直そう。集中を一度解けてしまうと、もう一度集中し直すのが難しい。『紅』を制御するためには、集中を維持するというより『それがあって当然』といった自然体で使えるようにならないといけないと思う。わたしの能力である『ものを複製する程度の能力』のように。そのためには、やっぱり慣れが必要だろう。反復練習。努力が一番。けれど、無理は禁物。

 

「…よし、出来た」

 

さっきまで真っ暗だった視界だが、『紅』の影響か夜目が利く。そして、視界にはいくつもの『目』が浮かんでくる。ウロチョロと動く『目』は、すでに起きている猫の『目』。壁にも『目』が普通にある。わたしの体にも、いくつかの『目』が浮かぶ。他にも様々なものの『目』が見えているが、正直どうでもいい。

そもそも、この『目』を潰すことはあまりないだろう。何故なら、ただ破壊するだけなら対象のものに対して重ねて複製し、即炸裂させればいいだけだからだ。使うとしたら、炸裂した際に出てくる妖力弾で破壊出来ない場合と、複製に含まれる過剰妖力があまりにも少ない場合くらいだろう。例えば、あの時の結界やカメラの外枠のように。

夜目が利く今のうちに、布団の中で眠る化け猫の寝顔を見ておく。…うん、非常に穏やかな顔をしている。とりあえず、問題はなさそうだ。

 

「あ、朝だ――ッ!?」

 

窓から日が射し、その朝日を目にした瞬間、全身が粟立つような嫌悪感を覚えた。本来いてはいけないところにいるような背徳感。本能に背いているような違和感。

意識が一気に掻き乱され、それと共に『紅』が霧散する。乱れた意識と呼吸も気にせず、咄嗟にわたしの身体がどうなっているか確かめるが、特に変わったところはない。火傷したり、燃え尽きたりしているようなところはない。

まあ、吸血鬼である彼女の能力の一部を使わせてもらっているのだから、そうなるのはおかしくないのだけど…。一瞬とはいえ、もろに日光を浴びても圧倒的違和感だけで済むのか。もし、その違和感に耐えて『紅』を維持していたらどうなっただろうか?吸血鬼のように、火傷したり燃え尽きたりするのだろうか?それとも、その圧倒的違和感が延々と続くだけなのか?

 

「ま、それもまたいつか…かな」

 

それを確かめるには、まず『紅』をちゃんと使えるようにならないといけない。けれど、わたしの意識にある嫌悪感、背徳感、違和感の残滓がどこかに行ってしまうまでとても集中なんて出来そうにない。ちょうど朝になったわけですし、朝食でも作りましょうか。

 



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第149話

二階から欠伸が聞こえてきた。丁度調理が終わったところだけど、せめてもう少し時間が経ってから起きて欲しかった…。

…まあ、いいや。食べ終わってからでも構わないだろう。ご飯とみそ汁と副菜を二人分、お盆代わりの床板に乗せて寝室に持っていく。

 

「おはようございます」

「おは…?」

 

化け猫の挨拶が途中で止まった。ついでに身体も止まっている。そして、視線も一点に止まっている。

たっぷり数秒待つと、ようやく化け猫の口が動いた。

 

「あのさ」

「…何でしょう?」

「顔、どうしたの?…真っ赤っ赤だけど」

 

いや、そんなことわたしだって分かってる。この状況で外に出たら、鳥か何かに頭を突かれそうだ。そのくらい、今のわたしの頭は甘酸っぱい香りを放っている。

 

「…あとで洗いますから、先に食べてください」

「あ、うん」

 

見たことのない、野菜か果実よく分からない真っ赤で丸っこいものがあった。どう調理すればいいのか分からなかったけど、とりあえず包丁で真っ二つにしようと思い切り切った。その結果、真っ赤な汁が飛び散った。その汁をわたしはもろに被ったわけだ。

顔に付いた汁を舐めとった結果、野菜とも果実ともとれる甘みと酸味と青臭さを感じた。林檎のように八つ切りにして生のまま出したけど、きっと大丈夫だろう。

 

「それにしても、髪の毛まで真っ赤っ赤だよ?染み付いたらどうするの?」

「…いいんじゃないですか?」

「よくないでしょ…」

 

どうせ、髪の毛なんて生え変わるし。後ろ髪なんて最近切ってもらってないから、ほとんど伸ばしっぱなしだ。

…そういえば、前髪が目にかかりそうだなぁ。前髪を手櫛で軽く梳き、押さえつけてみる。うん、先端がチラチラ見える。今のうちに飛ばすか。

窓際に寄り、窓を全開にして少し顔を出し、前髪の先端を左手の人差し指と中指で挟む。そして、揃えた前髪の横に右手の人差し指を垂直に当てる。

 

「…ねえ、何やってるの?」

「散髪一歩手前」

「今、食べてるんだけど…」

「大丈夫ですよ。ちゃんと挟んでますから」

「そういう問題じゃない…」

 

確かに、どうせ髪の毛事洗うつもりなんだから、そのついでに飛ばせばいいか。

 

「それにさ、鋏は使わないの?」

「普段は友達に任せっきりなので」

「…その友達、ここに来れないんじゃないの?」

「…そうかもしれませんね」

 

理由は分からないけれど、わたしは迷いなくここに入れた。しかし、他の人も自由に出入り出来るのだろうか?わたしの手を繋いでいれば大丈夫?いや、そもそもわたしが一度外に出てから再び入ることが出来る?…試したことがないから分からない。

わたしは明日、化け猫にこの迷い家を与えた者に報告させに行かせるつもりだ。結界だか幻術だかの異常があったならば、それはすぐさま直されてしまうだろう。そうなれば、わたしはここを自由に出入りするのは不可能になる。したがって、ここを引っ越し先にするのは非現実的なものになるわけだ。

 

「ま、そのときはそのときかな」

「…食べないの?」

「食べますよ」

 

それを現実的なものにするには、鍵が必要だ。この結界だか幻術を突破する鍵。特定の進路や特定の所有物といった条件。それを見つければいい。この化け猫だって、年がら年中迷い家にいるわけではないのだろうし、出るたびに迷っているわけではないだろうから。

 

「いただきます」

 

 

 

 

 

 

窓から顔を出し、遠くのほうを眺める。微風に煽られるたびに濡れた髪が波立ち、止むとすぐに肌に貼り付く。少し鬱陶しくはあるけれど、どうせまた少し風が吹けば離れる。それに、乾けば貼り付くこともない。

左手の指に付いた短い髪の毛を払い落としていると、後ろで寝ている化け猫がわたしに声をかけた。

 

「せめて拭くものは使わないの?」

「こうしていれば乾くでしょ」

「…寒くない?」

「少し」

 

わたしがそう言うと、化け猫が溜め息と共に布団から這い出て、押し入れの中を漁りだした。

 

「…安静にしてくださいよ」

「それより貴女が風邪引くほうが嫌でしょ」

「風邪、ねぇ…」

 

『禍』であることを知っていながら、大規模感染症の根源であることを知っていながら、そんなわたしが風邪を引くことの心配をするのか。

まあ、わたしはあのときの里に入っていながら風邪を貰うことはなかったし、記憶している限り風邪らしき症状が現れたことはない。そういえば、非常に危険らしい魔法の森でも普通に活動していたなぁ…。やっぱり妖怪ってそういうのに強いのかな?

 

「はい」

「ありがとうございます」

「拭いたらちゃんと洗って干してね」

「…使わなかったとしても洗ったほうがよさそうですね」

「うぐ」

 

渡された手拭いは、長年放っておかれていたかのように埃だらけだ。その押入れに頭を突っ込んだ化け猫も、少し埃が付いている。埃を払い落とそうと考えたけれど、この濡れた髪を近くで払ったらどうなるかなんて考えるまでもない。

 

「まあ、せっかく渡されたのですし、使わせてもらいますか」

「あっ、ちょっと!せめて払ってから…」

 

複製。ただし、埃は意図的に除外する。いつも通りやってしまえば、埃ごと複製しかねない。その辺はいつも曖昧だし、いちいち考えていない。面倒だし。

濡れた髪を綺麗に拭き取り、続けて化け猫の顔を拭き取る。濡れている分、埃が取れやすくていい。

 

「うにゃっ!冷たっ!」

「それより貴女が埃塗れのほうが嫌でしょ」

「…濡れるの嫌いなんだけどぉ」

「この程度すぐ乾くでしょ…」

 

いやがる化け猫を無理矢理押さえつつ、埃を拭き取った。ついでに顔だけだけど汗だとか垢だとかも少しは取れただろう。

少し汚れて湿った手拭いの複製をどうしようか考えていると、化け猫のがわたしの後ろ髪を撫で始めた。…特に染みは残らなかったと思うんだけど。

 

「それにしても、綺麗なのにボロボロだね…」

「どっちですか…」

「この辺りとか、千切れたの?それに、ここはやけに短いし…」

「スペルカード戦では髪の毛は被弾判定に入りませんから」

「…もったいないなぁ」

「そうですか?どうせ、見た目なんて、飾りですよ」

 

髪の毛が綺麗だろうと汚かろうと、どうでもいい。どうせ、わたしの見た目は相手依存。髪型がおかしかろうと、相手はわたしを見て自分を見る。髪型のおかしい自分を見る。それだけ。

不健康気味で白みがかった肌も、長いのは膝の少し上まで伸びた絹糸のように白く透き通る髪の毛も、深く澄み切った薄紫色の瞳も、見ているのはわたしだけ。この姿さえも、わたしから見た自分かもしれないけど。

…いや、カメラを通して見た、写真に写っていた白黒のわたしの姿は、わたしから見た姿に最も近かったか。意思のないものを通せば、何者でもない姿が見れるのかもしれない。

 

「…どうしたの?」

「………いえ、何でもないですよ」

 

そして、その姿を見ているわたしは…。いや、止めておこう。そんなこと、もう結論付けたじゃないか。わたしが何であろうと、醜く生き続けるって。死ぬのは怖くない。死にたくはないけど。

意識を蝕む負の感情を押し退け、笑顔を浮かべる。とりあえず、迷ったら笑っとけ。偽物でも、上っ面だけでも、笑っとけ。そうすれば、周りまで落とすことはない。

 

「さて、貴女に訊きたいことがあったんですよ」

「え?あれ?さっきまで何か…」

「それはもうどうでもいいんですよ。訊きたいことは、貴女がこの迷い家にどう入っているかです」

「…えー、それ訊くぅ?」

「口すぼめたって訊きますよ。偶然わたしが入ったから、それと同じ道を歩めば入れる、ってことになりますよ?」

「それは有り得ないよ…。だって護符が…あっ」

 

護符、ねぇ。じゃあ、尚更わたしが入れた理由が結界だか幻術だかの異常の線が濃厚になった。ほぼ確実と言ってもいい。同じような現象は、永夜異変で嫌というほど味わった。あの時は特定な道筋だったけど、今回は違う。多分、その護符とやらは複製しても意味ない。毒液の抽出液がただの液体になったように、それらしい紛い物になるのが落ちだろう。

 

「…盗るつもりはないですから。それに、こんなこといちいち誰かに言っても意味がない」

「本当?本当に本当?」

「ええ。嘘だって吐きますし、約束も破りますが、このくらいはどうにかしますよ」

「うわぁ、信用出来ない…」

「下手に嘘吐いて騙すより、いいと思いませんか?」

「むぅ」

 

納得してくれなくてもいいよ。どうせ、わたしはそんな奴だし。

 



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第150話

「それじゃ、行ってくるね」

「ええ、よろしくお願いします」

 

そう言うと、化け猫は家から飛び出していった。朝早いのに元気だなぁ…。昨日は特に何かふらつくなどの症状が現れなかったので、もう大丈夫だろうと判断したけれど、無理はしないことを願う。

迷い家を与えた人には悪いけれど、化け猫には『こう問われたらこう答える』をある程度仕込んだ。主に、わたしについて問われた際の返し。見た目について問われれば、女性、成人一歩手前、赤頭巾、といったことを答えるように頼んでみた。これは無視されても構わないけど、最低でもあの化け猫(じぶん)と見た目が同じ、ということを言われなければいいと思っている。まあ、そこは『勝者からのお願い』として守ってほしいけど…。どうだろう?

 

「さて、何しようかなぁ…」

 

あの化け猫は『昼頃には帰れると思う』と言っていたけれど、どこまで本当だろうか…。まあ、長かろうと短かろうとあまり意味はない。困るとすれば、二度と帰ってこなかった場合くらいだ。

とりあえず『紅』の反復練習。それと精霊魔法かなぁ。本はないけれど、どういった文字でどういった発音かは一応覚えている。まあ、言ったところで精霊からの返事は全くないわけだけど…。

 

「…ズェイツィ」

 

 

 

 

 

 

…駄目でした。『大丈夫だよ、友達になろう?』なんて考えながら呟いていたのだが、それらしい反応はなく、時間ばかり過ぎていった。うぅん、才能ないのかなぁ…。時間がとにかくかかりそう。

 

「あー、もう昼か…」

 

太陽の位置を確認すると、昼を少し過ぎていたみたい。飢餓感がない、というのは便利でもあり不便でもある。食べないでいいとは思っていないから、何か調理して食べようとは思うのだけれど、お腹が空いていないとそういう気分になれない。いっそのこと、ある程度抜いてみようか…。いや、止めておこう。倒れてからじゃ遅い。

 

「…軽くでいいや」

 

何か少し調理するだけで食べれるような野菜でも丸齧りすればいいか。そう思い、人参を一本引っ張り出し、縦向きに八等分に切る。輪切りにするより火が通りやすいだろうし、食べやすいだろう。

水を少し入れた鍋の底に逆さにした皿を置き、その上に皿をもう一枚落ちてしまわないように置く。その皿の上に人参を並べて置き、蓋をする。これで火をかけて待っていれば、勝手に蒸されるだろう。どのくらい待てばいいか知らないけれど。

日陰に移動してから『紅』を集め始める。これで今日だけで十三回目。そうして何度も集めてみたのだが、上手く集められるときとそうでないときがある、といった印象があった。しかし、その十三回とも解けて霧散するのは簡単で、そうならないように維持するのは難しいことは変わらなかった。そんな簡単なことではなさそうだ。課題が多い。それでもいい。

 

「たっだいまぁ!」

「ッ!…ああ、何だ。貴女ですか…」

 

丁度集め始めようと意識を集中し始めたところで、扉を勢いよく開けながら化け猫が帰ってきた。そのときの音で集中が途切れてしまい、それと共にほんの少し集まり始めていた『紅』が解けてしまった。こんなことがあっても集め続けられるようになりたいのだけど、今はまだ難しそう。

とりあえず『紅』の練習は後回しだ。今は化け猫が得た情報が欲しい。人参が蒸す終わるまでに聞き終えることが出来たらちょうどいいのだけど、どのくらいの時間が必要なんだろう?

 

「…どうでしたか?」

「ちゃんと言われた通り答えれたよ!」

「そうなんですか?」

「うん。あんまり興味なさそうだったけどね」

 

いや、そこは…まあ、頼んだままに答えてくれたことに越したことはない。

 

「結界に不調がないかって訊いたら、それはないって即答されちゃった。そんなはずないのにねー」

「迷いなく侵入した、と言いました?」

「言ったよ。そしたら、それはないって。もしあるとするなら、本当は迷っていたのを誤魔化されたとか、その人の身体の一部、例えば腕とか脚とかが結界の中に繋がっていたんじゃないかとか冗談交じりに言われた。そんなに腕が伸びるわけないじゃん。…ねえ、本当に迷ってなかったの?」

「迷ってないですよ」

「むぅ」

 

身体の一部、ね。つまり、あの家財の複製か。一つ一つは小さくても、かなりの数の小物を霊夢さん達は持っていった。それら全てを複製したわけだけど、全部合わせれば大体あのときのわたしの妖力二割弱。体の各部位の体積と照らし合わせれば、腕一本分程度なら十分だろう。繋がっていた、というのが微妙なところだけど、認識出来て、場所が分かって、そして無理矢理とはいえ動かせる。それだけ出来れば繋がっている、と言えるのではないだろうか。この考えが正しければ、わたしは迷い家にある複製を外に放り出されたり消したりしなければ、中に入れるということになる。

ただし、この考えが正しいとなると、幻想郷中に転がっている石ころの複製を掻き集めれば、迷い家に入れるということになるのではないか?いや、どうなんだろう。確かに複製はわたしの一部だけど、繋がっていると感じているのはわたしだけ。千切れている縄を掻き集めたところで、それを一つに結べるのはわたしだけ。いや、どうなんだろう?問題なく入れるのかな?…うぅむ、分かんない。

 

「…ねえ、急に黙っちゃって。どうしたの?」

「何で入れたのか考えてたんです」

「そうだね。とっても不思議」

「結局よく分かりませんでしたけど。…それで、わたしはここに住む件は?」

「好きにしていいって。ただし責任は私が取れって言われたけど。…ねえ、変なことしないよね?」

「しませんよ。のんびり暮らせればいいんですから」

「変なもの振り撒かない?」

「具体的には?」

「え、あー、えーっと…ふ、不幸…とか?」

「どうやって振り撒くんでしょうか。まあ、わたしがここにいるだけで不幸になる、なんてものだったら知りませんけど。そんなに気になるならとっとと追い出せばいいのに」

「…しないもん」

「…そうですか」

 

…一人はつまらないらしい。自分がそうだったから、というのもあるけれど、そう感じる。

 

「それでね、とりあえず護符渡しておいてって」

「え、大丈夫なんですか?」

「ちゃんと新しいの渡された。ほら、これ」

 

化け猫が頭に乗っている帽子の中に手を突っ込み、そこから様々なものを取り出した。何やら不思議な模様の描かれた布、転がるほど丸くて小さな金属のようなもの、小筆より細く短い棒状のもの等々。

 

「…何ですか、これ?」

「これ全部護符だよ?好きなもの使っていいからね」

「うわ、これ鎖ですか?これは硬貨かな。おぉう、指輪もあるんですか?これはまるで結晶みたいですね…」

「私はね、この耳の飾りとかに使ってるの。…で、どれ使うの?」

「どうしましょうかねぇ…。これ、とりあえず全部貰っていいですか?」

「え、どうしよう…。ばら撒いたりしない?」

「しませんよ。友達に渡すことはあるかもしれませんが」

「その友達って、例えばどんな人?」

 

どんな人、か…。とりあえず、名前は伏せておこうかな。…名前知らない子がいるけど。名前を必要としていないから、そもそも名前を持っていないだけかもしれないけど。

 

「えーっと、氷の妖精、大妖精、闇の妖怪、虫の妖怪、夜雀の妖怪、太陽の妖精、月の妖精、星の妖精、半人半獣、人間、鬼、吸血鬼、魔法使い…ですかね」

「何その不思議な友人関係!特に吸血鬼!それって紅魔館のレミリア・スカーレットでしょう!?」

「そっちじゃないですよ。その妹のフランです」

「そっちのほうがヤバいでしょ!?」

「失礼な。知らないくせに勝手な判断でわたしの友達を落とさないでくださいよ」

「あぅ、ごめん」

 

…まあ、わたしが最初に会ったときはとにかく逃げて生き延びようとまで考えましたからね。けれど、あのときの彼女は、ただ他の人より衝動が強くて、外を知らなかっただけなんだから。レミリアさんには友達としているように頼ま(脅迫さ)れたけれど、それでよかったと思う。そうじゃなきゃ、彼女を彼女として見なかっただろうから。始まりがどうであれ、今がよければそれでいい。

 

「それで、その友達もさ、変なことしないよね?」

「しないでしょう、多分」

「多分って…。まあ、いっか。変なことになったら私の所為になるんだからね!気を付けてよ」

「はーい」

 

渡された様々な種類の護符を受け取り、ふとこの化け猫の名前を知らないことに気が付いた。これからこの迷い家に住むご近所さんなのに、知らないのはまずいだろう。

 

「そういえば、貴女の名前って何ですか?」

「え、言ってなかったっけ?」

「言ってませんよ。わたしは言いましたけど」

「あれ、言ってた?ごめん、覚えてないや」

 

酷い。…まあ、驚いているところに一回だけ言ったとしたら、聞き逃していることもあるだろう。

 

「わたしは鏡宮幻香です」

「私は橙!よろしくね、幻香!」

「ええ、橙ちゃん。これからよろしくお願いします」

 



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第151話

針金のような芯が残った人参を咥えつつ、近くにあるという川へと向かう。昼食として蒸したつもりだった人参は、あまりの手抜き加減に呆れられてしまった。…いいじゃん、食べれるんだし。

 

「…あったあった」

 

言われた通りの場所へ向かうと、確かに川があった。それなりに大きく、川上はここからは見えそうもない。きっと妖怪の山の領域とかいう場所にあるのだろう。

釣竿が川の流れに持っていかれてしまわないように手元を深めに埋めてから、目の前の川に釣糸を投げ入れる。その辺に転がっていた細長い木の枝を竿にし、橙ちゃんの家に転がっていた毛糸玉を一度解してから撚り合わせて釣糸にし、釣り針に至っては針金を曲げて使っているという。こんなありあわせの材料で作った釣竿だけど、大丈夫だろうか?

 

「魚、ねぇ…」

 

家を建てるのは明日にしようかな、なんて呟いたら、橙ちゃんがすぐにじゃあ魚捕まえてきて、と言ってきた。わたしのあの言葉からどうやってじゃあに繋がるのかよく分からなかったけれど、特に文句はない。釣れるかどうかは知らないけど。

空いている手で首元に触れる。どうにも首に掛かっているものが一つ増えたことにちょっとだけ違和感を覚えてしまう。けれど、そのくらいはすぐに気にならなくなるだろう。それに、パチュリーに頼んで今使っているネックレスの鎖から緋々色金を取り外して、護符の鎖に付け替えてもらうのも手だ。

 

「家、どうしましょうかね」

 

魚がかかるまでの待ち時間。ボーッと家の間取りについて考え始めた。

わたし一人しか住まないのだから、そこまで広くするつもりはない。今は無き魔法の森の家をそのまま再現してもいいくらいだ。橙ちゃんの家は本当に一人で住むための家かと思うほど広い。その無駄な広さを埋めるためか、猫をたくさん連れ込んでたけど、わたしはそんな風に愛玩動物を連れ込む趣味はない。

例えばあの家を建てるとして、今のわたし一人で建てるとするなら、どのくらい時間があればいいだろうか?うぅーむ…、あの程度の家なら建材が既に手元にある状態かつ不眠不休で動き続けることが出来れば一週間で建てれるだろうか?

 

「ま、そんな早く出来るわけないですよねー…」

 

そんなこと出来るとは思っていないし、そんな好条件がずっと続くなんて思っていない。半日活動するとして、単純計算で二週間。建材を揃えるのに追加で一週間。何かあったときの一週間。一ヶ月以内に建て終われば早いほうだろう。

この近くに、材木としていい感じの大きさの樹がないか見回してみる。…うーん、あの樹の枝を全て取っ払えばちょうどいいかもしれない。帰りに根元から叩き折って持っていこうかな。持っていけるかちょっと怪しいけど。

 

「…ん?」

 

材木として持っていこうと考えていた樹の枝に、一匹の鴉が止まっていた。…魚もいいけど、今夜は鳥肉の気分かな。

鴉から見て陰にある左腕の人差し指を伸ばし、妖力を充填。距離は…大丈夫そう。一発で仕留める。というより、一発で仕留めないと逃げられる。左手を鴉へと突き出し、貫通特化の妖力弾を最速で撃ち出す。羽ばたき始めてももう遅い。少し着弾点がずれてしまったけれど、鴉の頭を半分以上吹き飛ばした。

釣糸を複製して、力無く倒れた鴉に向けて投げ付ける。針金に僅かに含まれた過剰妖力をほんの少しずつ噴出して位置調整し、鴉に上手く引っ掛けて手繰り寄せる。…まあ、ちょっと立って歩いて掴んで戻ればいいようなことなんだけどね。

ちょっとだけ残された頭をちゃんと全部取り除いてから、足を釣糸でしっかりと結び、少し後ろにある低めの樹の枝に逆さに吊るしておく。こうすれば自然と血抜きが終わるだろう。取り除いた頭の残りを川に投げ捨てつつ、血で汚れた手を洗う。…あ、こんなことしたら魚逃げちゃうんじゃない?…やってしまったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「…ふぅ。ただいま。遅れてすみませんね」

「ねえ、さっき何か重いものが落ちたような音が聞こえたんだけど…」

「明日建てる家の建材」

 

部分複製即炸裂で根元から薙ぎ倒し、太い枝は同じように吹き飛ばし、細い枝が捻じり取った。そんな作業をしていると、わたしの鳥肉を狙う鷹が突撃してきたので、そいつも捕獲して、首を千切り落として血抜きした。作業を全て終えるのに思ったより時間が掛かってしまい、ここに帰るのがちょっと遅くなってしまった。夜になってから経過した時間から、そろそろ夕食を食べ始めてもいい頃だと思う。

 

「え、あんな音するようなものを一人で持って来たの!?」

「ちょっと重かったですけど、そこまでじゃないですよ?」

 

萃香なんて、あれより大きい材木を十本くらいまとめて持ち上げてたし。それに、複数人が同時にそれを行うんだから、とんでもない仕事量だ。

そんなことを考えていたら、橙ちゃんがわたしの横を駆け抜けてそのまま家を飛び出した。何しに、と思ったらすぐに戻ってきた。…本当に何しに?

 

「いや、あれを本当に一人で!?」

「本当に一人で」

 

ああ、わたしが運んだ樹を見に行ったのか。納得。

 

「引き摺るような跡もなかったのに!?」

「肩で担ぎましたよ?片腕で持ち上げるのと比べれば楽ですよ」

「比較がおかしいっ!」

 

…そんな頭を抱えるようなほどおかしいかなぁ?ここ最近使っていないスペルカードの複製「巨木の鉄槌」なんて、あれより大きい樹を複製して投げ付けてるんですけど…。

 

「はぁ…。幻香が不思議ってことはよく分かったよ…」

「…まあ、不思議らしいですね」

 

知らない人からは外見を、知っている人からは中身を不思議に思われることが多いわたしだ。そう思う人が一人や二人増えたところで、大した差じゃない。

 

「…ところでさ、何か釣れた?」

「これ」

 

鴉に釣られて新しい鳥肉となった鷹を差し出す。橙ちゃんはまず鷹を見て、次にわたしを見て、再び鷹を凝視した。そして首を傾げる。…まあ、そうだよね。魚が出ると思ってたところで鳥が出たらそりゃ困惑するよね。

 

「…ねえ、魚は?」

「釣れませんでした」

「じゃあ、なんで釣れたもので鳥が出てきたの?」

「こっちの鴉に釣られて飛んできたんですよ」

「鴉?…うわぁ」

 

鴉を見せると、何故か目を逸らされた。鴉はちょっと硬いけど美味しいのに…。

 

「もしかして、嫌いでしたか?」

「いや、そうじゃないけど…」

「なら一緒に食べましょう?」

「…うん、食べよっか」

 

鳥を積極的に捕まえ始めたのはかなり最近だ。捕まえようとしていなかったときと今を比べると、明らかに視界に入った鳥を気にするようになった。そして、個体数が多いからか偶然かは知らないけれど、わたしは鴉をよく見かける。鳥肉食べようかな、と考えたときに必然的に鴉を捕獲することが多くなる。だから、鳥の調理の中では鴉の調理は慣れているつもりだ。

鴉は燻製にするのが美味しいらしいんだけど、今はそんな時間はない。じゃあどう調理しようかなぁ…。よし、じっくりと焼いて食べようかな。濃い目の味付けで煮込んでもいいんだけど、焼いたほうが簡単だ。

まな板の上に鴉を置き、包丁を使って丁寧に捌いていると、後ろから声を掛けられた。

 

「ねえ、幻香」

「何でしょう、橙ちゃん」

「本当に一人で建てるの?」

「そのつもりですよ。友達を呼ぶかもしれませんが、貴女に苦労させるつもりはないです。期間は大体一ヶ月くらいでしょうかね」

「手伝ってほしかったら言ってもいいんだよ?それと、誰か呼ぶんだったら絶対に変な人呼ばないでね」

「うぅむ、何か手伝えそうなことあったかなぁ…」

 

何か橙ちゃんが手伝えそうなことを考えながら、鴉の肉に塩と胡椒を掛けた。どうやら橙ちゃんに頼めることは、容器に入った調味料みたいに簡単に出てくるものではないらしい。

 



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第152話

「…ねえ」

「…?何でしょう、橙ちゃん?」

 

いくつ材木が必要になるのかなんて、全然考えていなかった。今から大体どのくらい必要か考えるのも面倒だったので、とりあえず昨日持って来た建材を複製することにした。まあ、五十本くらい創っておけばいいだろうか。

 

「さっきからポンポン出してるけどさ、これってどうやって出してるの?」

「えーと、わたしの妖力を固形化して」

「いやおかしいでしょ」

「らしいですね」

「…まるで他人事みたいに言わないでよ」

 

そんなこと言われても、出来るんだからしょうがない。わたしにとってはそれが普通。出来て当然。そんな能力だ。

元の建材は無理矢理圧し折って持って来た。だから、根元の部分がでこぼこし過ぎてまともに使えない。それに加えて、枝葉があった上の部分も同じように圧し折り、捻じり切った。同様にこちらもまともに使えない。

 

「さて、まずは成形しないと」

「鋸とか鑢とか持ってくるね!」

「いえ、いりません」

 

その使えない上下の部分をまとめて回収。少々短くなってしまったけれど、そのくらいは考えてある。こうして回収しても十分な長さになるものを選んできたつもりだ。次に、樹皮をまとめて回収。あの頃は指先に神経使って少しずつ削るように回収したのを思い出すと、自分成長したなぁ…、なんて思う。

綺麗になった丸太を一回立ててみる。手を離しても倒れない丸太を見上げ、丸太が立っている地面を見下ろす。

 

「よし。これを地面に突き刺すわけですけど…」

「…既にまともな家にならない予感が」

「え?前の家はそんな感じですよ?縦にズラッと並べて壁にするんです」

「普通、横にするんじゃないの?」

「横?」

 

試しに一つ丸太を持ち上げ、転がっている丸太に乗せてみる。しかし、安定なんてするわけもなく、すぐに転がってしまう。駄目だ、このままじゃとても積み上げるなんて出来そうもない。何か工夫が必要だ。

そうだ。横倒しにした丸太を乗せる部分を、乗せる丸太に合わせて削ればいいのか。家の角を作るのが少し面倒臭そうだけど、やってみようかな。

早速丸太を二つ並べ、片方の丸太を押し付けながら、その形に合わせて回収していく。目測で回収するから、非常に時間が掛かりそうだ。そして、それを見た橙ちゃんの表情が不思議なものを見る目になっていく。…あれ?

 

「…え?何でそんなことしてるの?」

「え?だって横にするんでしょう?こうしないと丸太が乗らないじゃないですか」

「はぁ…。説明するからその削っちゃった丸太は片付けて」

 

…解せぬ。

 

 

 

 

 

 

地面にそれっぽい絵を描きながらの説明だったけれど、何となくやり方は分かった。どうやら、最初から四角形になるように組むらしい。下になる丸太は両側を斜めに削って尖らせ、上に乗せる丸太はそれに合わせて削る。そして、この二つの丸太が直角になるように積む。上手くやれば五角形、六角形とすることも出来そうだけど、わたしは普通に四角形でいい。

しかし、地面を掘って深めに突き刺すだけでよかった縦と比べると、作業量が多いような少ないような…。まあ、やってみないと分からないか。

 

「さて、始めますか」

 

丸太を撫でるように回収し、その尖った形に合わせて凹ませる。それを両端で行って、積み上げていけば四角形だ。扉は後で取り付ければいいや。今は着々と四角く囲まれた壁を積み上げていこう。

 

「あっ…」

「え?…あぁ、やり過ぎた」

 

しかし、やってみるとなかなか難しい。浅いと隙間が出来てしまうし、深いと丸太ががたつく。浅いほうはまだいいけれど、深いと修正が利かないからやり直しだ。さらに、形が合わなければ嵌らない。ピッタリとした形とはなかなか難しいものだ。

 

「…ふぅ。今日はこのくらいですかね」

 

結局、三段積み上げたところで一度作業を中断することにした。形を正確に削り取るのは神経を使う。丸太を持ち上げるのも最初は問題なかったけれど、繰り返していくと段々辛くなってくる。心身共に疲れ果てた。

これをもっと積み上げないといけないと考えると、ちょっと気が滅入る。丸太を高いところに置かなければならないというところが特に。

 

「おにぎり作ってきたよー、…ってあれ?もうおしまい?」

「おしまい。一人でやるのって意外と辛いですね」

「じゃあ、縦に並べたほうが楽だった?」

「どうでしょうねぇ…。縦に並べるのは全部立て切ってからでも、丸太が倒れないことを確信出来るまで安心出来ませんから。安定性はこっちのほうが圧倒的に高い」

 

丸太を突き刺して並べていったときは、その突き刺した深さが甘ければ普通に倒れる。しかも、周りの土を掘り起こしながら。一度そうなると、その場所は土が軟らかくなって倒れやすくなるから困ったものだ。それに比べて、こっちは倒れる心配がほとんどない。この方法を知ることが出来てよかったと思う。

皿の上に乗っているおにぎりを一つ手に取ったとき、妙にざらついているのが気になった。手に付いた砂や木屑は大体払ったし、それ以前に砂や木屑とは明らかに違う感触。…まあ、いいや。

 

「いただきます。…酸っぱ」

「中身は梅干しだよ?」

「あと塩っ辛いですね…」

「頑張ってたから塩多めに振ったの」

 

梅干しってたしか、塩漬けにした保存食品だよね?それだけで味付けは十分なような…。まあ、昼食は何でもいい、と言ったのはわたしだ。いくら塩がやたらと多かったとしても、それはしょうがない。食べれないようなものでもないし、わたしが普段作るものよりもちゃんと調理してる。なら、それでいいじゃないか。

 

「しかしまあ、一日でこれだから、壁だけであと三日は必要かな…」

「じゃあ、屋根は?」

「また別の建材を探す必要がありそうですね…」

 

まっ平らな陸屋根にするのが一番簡単だろうけれども、出来れば雨が溜まる心配の少なく、かつ数ある屋根の種類の中では比較的簡単な切妻屋根や片流れ屋根なんかがいい。上手く加工すればこの建材のままでも行けるだろうけれど、今使っているのではちょっと軟らかい。いや、このままでもいいんだけど、出来ればもう少し硬い建材が欲しい。

いっそのこと、石を削って瓦でも作るか?しかし、瓦屋根はどういうものか知っているけれど、そもそも瓦の形がよく分からないし、それに加えてどうやってあれを屋根に固定しているのか分からない。何かくっ付けるものがあるのだろうけれど、どんなものだろうか?米なんかを潰して作る糊はちょっとべた付くけど、水で簡単に取れちゃうし違うよなぁ。

今後の荒い計画を考えていたら、皿に置かれたおにぎりを食べ切った。空腹感がないというのは、やっぱり不便な気がしてきた。食に対する満足感が薄れる。塩がまだ口の中に残っているような気がするが、水が手元にないのがちょっと悔しい。まあ、こんな塩気は勝手に流れていくだろう。

 

「…やっぱり、明日は誰か連れてこようかなぁ」

「そうすればいいんじゃない?一人だと辛いんでしょ?」

「誰がいいんでしょうかねぇ」

 

慧音は里の中だからどうやって会うか考えないといけない。妹紅は迷いの竹林にほぼ確実にいるだろう。単純な力仕事なら萃香が一番いいんだろうけれど、どこにいるんだか分からない。霧の湖にいる妖精妖怪達は、力仕事には向かないだろうから除外。フランは夜にしか活動出来ないから、申し訳ないけれど除外。パチュリーは喘息だし、力仕事にも向かないだろうから除外。…うん、妹紅に会いに行くのが一番確実かな。

 

「…護符、持っていかないと」

「あ、やっぱり誰か連れてくるの?」

「ええ、そうします」

「それじゃ、行ってらっしゃーい!」

 

運がよければ妹紅の家に萃香もいるかもしれない。夜にはまだ時間があるし、あっちで寝て翌朝ここに戻るでよさそうかな?

 



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第153話

転がるように山を駆け下りていく。重力に身を任せると、自然と脚が遠くまで伸び、徐々に加速していくのが分かる。迫り来る障害物を避けながら進むが、ぶつかってしまわないか少しだけ不安だ。これだけの速度を出してぶつかったらちょっとの傷では済まないだろうから。

幸い、何かにぶつかることもなく足を引っ掛けることもなく速度を落とすこともなく山を駆け下りた。そのままの速度を出来るだけ維持しながら走り続ける。特に急ぐ理由があるわけではないけれど、とにかく走る。

全力疾走を続け、霧の湖が見えてきた。チルノちゃんとリグルちゃんが湖の上でスペルカード戦をし、大ちゃんが岸に座ってそれを見上げている。よし、あそこまでは走り続けようかな。そしたら、いい加減息をするのも辛くなってきた体を休めないと。…水はちょっと少し休んでから飲もう。今飲むと吐き出してしまいそうな気がする。

ガリガリと地面と削りながら無理矢理減速し、大ちゃんとすぐ近くでようやく止まる。

 

「ハァ、ハァ、ハァ…。ふぅ…、休憩っと」

「うわっ!…まどかさん、何かあったんですか?」

「…何か、ねぇ…。引っ越し、先が、決まった、こと、くらい…?」

「それはよかったですね。先日言っていた通り、迷い家に?」

「ええ。今、家を、建てて、いる、途中、です…」

「あの…、これだけ訊いておいて言うのもおかしいですけど、無理に喋らなくてもいいんですよ?」

「そう、ですか…?」

 

お言葉に甘え、呼吸を整えることにする。肺一杯に息を吸い、空になるように一気に吐き出す。それの繰り返し。

その間、スペルカード戦をしている二人を眺めていたが、これとした進展はなく、勝負は拮抗していた。ただ、リグルちゃんがチルノちゃんの放つ氷の弾幕をすり抜ける弾幕を使っていたことが目に入った。その割合は本当に一握りで、指先から数発連射して時間を空けてからまた数発を繰り返す程度。けれど、確かに光を扱う弾幕を放ってる。

 

「あ、戦況ですか?お互いにスペルカードを二枚使っていますが、被弾は一回です。今は、どっちのほうが先に集中力が途切れるかの勝負、といったところでしょうか」

 

確かに、その状況だと動き辛いだろう。ここでの勝負は基本的にスペルカード三枚で被弾三回。スペルカード一枚を使って二回被弾させる、というのは意外と難しいものなのだ。

 

「リグルちゃん、最近凄く頑張ってるんですよ」

 

それは見れば分かるし、知っていた。過去に出来なかったとこを出来るようにする、というのは言うほど簡単なことではない。分野がまるっきり違うということは、つまり零からだ。そこからの一歩は難しい。ましてや、苦手分野だと下手すれば零よりも下からの開始。そこから実用圏内に進むのは並大抵の努力じゃ出来ないと思う。

それでも、リグルちゃんは先へ進もうとしている。もう惨めな負け方はしたくない、って。

 

「もしかしたら、私達の中で一番強くなっちゃうかも。ふふっ」

「…嬉しい、ですか?」

「どうなのかなぁ…。けど、リグルちゃんが本当に努力してるのは知ってますよ」

 

氷柱のような氷の中を屈折した光の弾が、チルノちゃんの額に当たって弾けた。

 

「なっ…」

「よしっ!蠢符『ナイトバグトルネード』!」

「あーもうっ!氷符『アルティメットブリザード』ッ!」

 

そして、畳みかけるようにスペルカード宣言。それに対し、反撃の如く宣言し返す。うぅむ、これはチルノちゃんには厳しいものがあるかな?

…本当に、綺麗だ。ああ、わたしとは違う。わたしとは違う。わたしとは、全然違う。

 

「…どうしましたか、まどかさん?」

「いえ、何でもないですよ」

 

けれど、わたしは負けても構わない。もちろん、好き好んで負けるつもりはない。けれど、やっぱりどこかでは、どんなに惨めで醜く負けても構わない、と思っている。

 

「あっ、そこまで!この勝負、被弾三回でリグルちゃんの勝ち!」

 

強気に攻め立てるリグルちゃんが、チルノちゃんを押し切った。チルノちゃんは被弾した腕を押さえながら、悔しそうにむくれている。そして、大ちゃんの見たつもりだっただろうチルノちゃんが、その隣にいるわたしに気付いて大きく手を振ってきた。

 

「ん?あ、まどかじゃん!」

「え?本当だ!幻香ー!私勝ったんだよー!」

 

二人がこちらへ降り立ち、わたしと大ちゃんを挟むように座った。大ちゃんの隣にはチルノちゃんが座り、談笑を始めていた。わたしの隣にはリグルちゃんが座り、満面の笑みを浮かべている。

 

「ねえ、見てた?」

「ええ、見てましたよ。光の弾幕、出来るようになったんですね」

「あ、分かった?いやー、凄く頑張ったんだよ。サニーと一緒にね」

「それはよかった」

 

一種類を尖らせるのも悪くないけれど、多彩な手段を持ち合わせたほうが応用性が利く。何より、違うものを組み合わせることで全く別の結果を生み出したり、相乗効果を起こしてより強力なものにすることも出来る。

 

「ねえ、幻香はこれから暇?」

「…どうなんでしょう。夜になる前に行きたいところがあるんですけど」

「えーっと、新しい引っ越し先探し?」

「それはもう見つけました」

「え、もう?早いじゃん」

「けれど、まだ家がない。だから、一緒に手伝ってくれるよう頼もうかと思ってるんですよ」

「何処にいるの?その手伝ってくれる人」

「迷いの竹林」

 

そう言うと、腕を組んで少し考え始めた。ブツブツと呟く言葉には、距離、迷う、時間、疲れ、といった言葉が聞こえてきた。

…断片的な言葉からの推測だから間違っているかもしれないが、何となく分かった。

 

「リグルちゃん、スペルカード戦しましょうか」

「え、何で分かったの?」

「何となく」

「何となく、って…」

 

呆れられても困る。リグルちゃんが呟いていた言葉と、その表情から挑戦心を感じたからそう思った。わたし相手にどこまで出来るか試してみたいのかな、と思った。それだけ。

 

「まあ、いっか。じゃあ、一応訊くけど、迷いの竹林は凄く迷うとこだよね?幻香は迷わないの?」

「迷いますよ。ですが、目的のところへは確実に行ける」

「えー、何それ」

「場所が分かるんですよ。ここからでも大体正確な距離が」

 

妹紅の家の一部はわたしの複製だ。意識すれば複製の探知範囲が拡がることが分かった以上、迷うことはほぼないだろう。…消えてさえいなければ。

 

「それに、夜になる前に行きたいって言ってたじゃん」

「それも大丈夫。そのために、ちょっとルールを変えさせてください」

「どういう風に?」

「スペルカード二枚、被弾二回。貴女もちょっと疲れてるでしょう?」

「う。…そうだね。そうしよっか」

 

わたしもまだちょっと全力疾走の疲労感が残っている。お互い多少なりとも疲れているのだ。このくらいが丁度いいだろう。

そこまで言うと、談笑していたと思っていた二人が静かになっていることに気付いた。そして、チルノちゃんがわたし達に食いついてきた。

 

「あれ?リグルとまどか戦うの?」

「まどかさん、審判は私がやりましょうか?」

「あ、聞いてましたか?」

「ええ、バッチリと」

 

わたし達のスペルカード戦のお話って、そんなに気になるものなのかなぁ?せっかく楽しそうに談笑してたのに、それを打ち切ってまで聞くほどのことじゃないと思うけど。…まあ、話が丁度区切れたところだったのだろう。そういうことにしておこう。

リグルちゃんが大きく伸びをしながら立ち上がり、大ちゃんの肩を叩いた。

 

「それじゃあよろしく。さ、幻香行こっか」

「ええ、行きますか」

「まどかー!リグルをブッ飛ばせー!」

「ちょっ、チルノちゃん!…リグルちゃん、頑張ってくださいね」

 

…チルノちゃん、いくら負けちゃったからってそんなこと言わなくてもいいと思いますよ?

 



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第154話

「全力で行くよ。だから、幻香もね」

「そうですね。わたしも今どこまで出来るか試してみようと思います」

 

『幻』展開。最遅から最速まで二十段階に振り分けた直進弾用、追尾弾用、阻害弾用。計六十個。そこまで出したときに、リグルちゃんの目が少し大きくなった。そして、両手を広げて指を折りながら何かを数え始めた。

 

「…どうしました?」

「…五十八、五十九、六十。…あれ?幻香って、こんなに出せたっけ?」

「わたしだって成長するんです」

「そうなの?じゃあ、私の成長もちゃんと見ててよね」

「期待してますよ」

 

周りの景色を見渡し、飛翔する鳥を眺めていたら、審判役の大ちゃんが突然わたしとリグルちゃんの間に現れた。…その位置だと大ちゃんが陰になってリグルちゃんが見え難いんだけど。まあ、いっか。

 

「まどかさん、始めても大丈夫ですか?」

「え?…ああ、うん、大丈夫」

「リグルちゃんは?」

「もちろん!今すぐに!」

「じゃあ始めますね。まどかさん対リグルちゃん。よーい…、始めっ!」

 

大ちゃんはその言葉と共に消え去った、と同時に右人差し指の先端に溜めた最速の妖力弾で狙撃する。狙いは特に定めていなかったけれど、このまま動かなければ胴体に被弾する軌道を描いている。わたしからリグルちゃんが見えていないなら、リグルちゃんからもわたしは見えていなかったはず。

 

「ッとぉ!」

「ま、このくらいは避けてくれないとね」

「当然!」

 

半身右にずれて回避したのを見てから追加で左手から薄紫色の妖力弾を投げ付ける。萃香が放った爆裂妖力弾の模倣。確実に当てるつもりなら、初撃であるこれが最も有効だ。目で見てからの回避が追い付かない程度に近い距離で爆裂させればいい。けれど、今回はそんなことをするつもりはない。回避出来るか出来ないかギリギリかな?と思うところで爆裂させる。

結果は、爆裂してすぐに大きく後方退避されて掠ることさえなかった。落ち着いてはいないけれど、取り乱してもいない。

 

「よし、早速行くよ!蠢符『ナイトバグトルネード』!」

 

美しく円を描き、分裂しながら襲い来る弾幕。いやはや、初めてやったときとは比べ物にならないほど弾速も上がっているし、密度が濃くなっている。あの時の橙ちゃんとのスペルカードのときに思ったことを訂正しよう。いい勝負、もしくは勝っていると思う。ここまで成長するのはちょっとやそっとじゃ出来ない。

けれど、やっぱりまだまだだ。まだ足りない。もっと先へ進まないと彼女達には手も届かない。何度もフランと遊んでいるからこそ分かる。彼女はもっと凄絶で、もっと華麗で、もっと強烈だ。

そして、どんなに凄絶だろうと些末だろうと華麗だろうと醜悪だろうと強烈だろうと貧弱だろうと全てブチ壊すのがわたしのスペルカード。

 

「鏡符『幽体離脱・滅』」

「あっ…!」

 

何度も見ている光景。それでも、これだけ頑張ってきた成果を、努力してきた実力を、まとめて吹き飛ばされるのは思うところもあるだろう。しかし、わたしはその隙を討つ。これがわたし。

靴にある過剰妖力を一気に噴出。リグルちゃんに肉薄しながら旋回し、加速をそのまま乗せた回し蹴りを叩き込む。

 

「あガッ!?」

「…あ、やり過ぎた」

 

…今、一瞬リグルちゃんの脚が動いた。避けようとしたのではない。逃げようとしたのではない。振り上げようとしていた。その動きは、迎え討とうと思わないと起こらない動き。わたしの脚に対し、受け止めるなり反撃するなりするつもりじゃないと起こらない動き。

湖の水面ギリギリで体勢を立て直し、わたしを見上げるリグルちゃんにはまだ闘志が漲っている。諦めてなんかいない、負けるとは微塵も考えていない眼。

 

「痛たた…っ!まだだよ!まだ行ける!」

 

停滞をよしとせず、成長を、向上を、発達を求めている。わたしとこうして対峙することで、何かを得られないかとしている。それなら、わたしももっと頑張らないと。まともなものは魅せられなくても、数多の手段を見せつけることなら出来るから。

『幻』の弾幕を一度止め、リグルちゃんへここまで、わたしの前まで上がってくるように手で促す。すると、わたしの手を見てすぐに上がってきた。

 

「そういえば、リグルちゃんは体術が出来ましたよね?」

「まあね。独学だけど」

「じゃあ、見せてくださいよ。わたしもそれなりには出来るつもりですから」

「やった!それじゃあ、行くよ!」

 

『幻』を全て回収したのを見てからリグルちゃんが突撃してきた。右脚をわたしへ真っ直ぐと伸ばした飛び蹴り。その右脚を両手で掴んで投げ飛ばす、のは止めておき、少し横にずれて避ける。

そのまま待機していると、後ろから肉薄された。左側から飛んできた脚に拳を叩き付ける、のは止めておき、浮遊を切って落下することで避ける。

それに対し、落下に自らの加速を加えることで、わたしより素早く降りてきた。ピンと伸ばした脚が迫って来るが、当たる直前で空気を蹴飛ばすように靴から過剰妖力を噴出して避ける。

そんなわたしに貼り付くように飛んできたリグルちゃんの脚技を避け続けながら呟く。

 

「…なんていうか、反撃を考えてない動き」

「え、そう?」

「うん。例えば――」

 

大振りの薙ぎ払いを屈んで避け、跳ね上がるように拳を顎に打ち上げる。衝撃を加え、頭を激しく揺らす一撃を寸前で止める。リグルちゃんは動きを止め、わたしの拳を見詰めていた。

 

「…っ」

「――こんな感じ」

 

とか言うわたしは格上相手に体術で勝負を挑んだことがほとんどない。そのときは攻撃せずに往なし、受け流し、避け続けていたのだから、あまり人のことは言えないような気がするのだが…。

 

「それに、スペルカード戦だと肉薄されればお互いに被弾覚悟。気を付けてくださいね」

「うーん、もうちょっと避けれるようになってからかなぁ」

「そうしましょうか」

 

そう言うと、リグルちゃんはわたしから数歩分遠ざかった。

 

「よし、体術ももっと頑張る。さ、続けよう!」

「そうですね」

 

先程と同じ性能の『幻』を再展開。リグルちゃんの放つ蛍の如く飛び交う弾幕を避けつつ、リグルちゃんの動きを見ていく。直進弾追尾弾をギリギリまで引き寄せてから、阻害弾のないところへと少し動くことで避けている。…ふむ、参考になる。

呼吸を止めればこのくらいお茶の子さいさいなんだけど、八秒しか持たない。こうした技術はわたしも真似していかないとなぁ。

 

「見てろ、幻香!わたしの全力全開!隠蟲『永夜蟄居』!」

 

そう宣言した彼女は、先程のスペルカードがさらに数段強力になったスペルカードを放ってきた。…驚いた。さらに訂正しよう。今の彼女なら、あの時の橙ちゃんにほぼ確実に勝てる。

鏡符「幽体離脱」のどれかを使えば、特に鏡符「幽体離脱・集」を使えばすぐに終わってしまうだろう。けれど、それはさっきやった。それに、最後くらいちゃんと受けてあげよう。そう考え、避けることに専念することにした。

さて、意識を集中させろ。規則性を読み取り、どう避ければいいか判断しろ。そうすれば、避けれるときは避けれるはずだから。

 

 

 

 

 

 

「…あーあ、負けちゃった」

「どうでしたか?」

「まだまだだな、って。最後のスペルカードの途中で『あ、このままじゃ負けちゃうな』って頭を過っちゃった。だって幻香の眼、私のスペルカードの全部を見てるように見えたもん」

「確かに、わたしは貴女のスペルカードの全体を見ていましたよ」

 

美しい弾幕は規則性がありがちだ。最初の蠢符「ナイトバグトルネード」を見たときに気付いた要素が、隠蟲「永夜蟄居」にも当てはまると気付いた時には大分避けやすくなった。

そうしていくと、今までわたしの近くを飛んでくるものしか見ていなかったスペルカードの全体を見る余裕が出来た。

 

「…本当に、美しいスペルカードでしたね」

「そう思う?」

「ええ、そう思いましたよ」

「そっか。ならよかった!」

 

無邪気に笑うリグルちゃんを見ていると、さらに寂しくなってくる。さっき大ちゃんに心配されたことを思い出し、そんな心情を見透かされないように笑顔を浮かべることにした。

背中からひんやり冷たい人が飛びかかってきて、その笑顔はすぐに驚きへと変わったけど。

 

「まどかー!よくやったー!へっへーん、リグルざまーみろぉ!」

「なぁ!?言ったなチルノォ!」

 

…あの、わたしを挟んで睨み合わないでほしいんですけど。

そんなことを考えていたら、背中にいたチルノちゃんが引っぺがされた。

 

「ほら、チルノちゃん。まどかさん困ってるでしょ?」

「…むぅ。はーい」

「それと、そんな喧嘩腰にならないの。ね?」

 

大ちゃんに窘められたチルノちゃんは、渋々と大人しくなった。それを見たリグルちゃんが、何だか拍子抜けしたような顔をしていくのを見ると、喧嘩するほど、ってやつなのかなと思う。

 

「さて、終わって早々ですがわたしはもう行きますね」

「うん。ありがとね、幻香!」

「それじゃあなー!まどかー!」

「それではまどかさん。また会いましょう?」

 

手を振りながらわたしを見送ってくれる三人に手を振り返し、わたしは迷いの竹林へと向かった。日はまだ余裕がある。妙なことにならなければ、日が沈む前には妹紅の家に着くはずだ。

 



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第155話

妹紅の家の一部に埋め込ませてもらった複製を頼りにして、妹紅の家まで真っ直ぐと向かう。竹林が目の前にあっても体を捻じりながら竹の間を無理矢理すり抜けつつ、迷いの竹林を一気に駆け抜ける。道らしいところを右往左往するよりも、こうして道なき竹林を切り開いたほうが早く着く。

僅かに見える日の光が茜色に染まる頃、ようやく妹紅の家に到着した。屋根の上で誰かが寝そべっている、と思ったら妹紅だった。あちらもわたしを一瞥してから起き上がると、目の前に降りてきた。

 

「早いな。どうかしたか?」

「わたしも随分早く見つけることが出来たと思ってますよ」

「そうかい。そりゃよかった」

 

そう言うと、手招きしながら家の中に入って行った。その背中に着いていき、わたしも中に入らせてもらうことにした。お邪魔します。

そのまま部屋に入ると、先に卓袱台に座っているように言われたのでそうさせてもらう。少し待つと、お茶を持って来てくれた。

 

「ほらよ」

「あり――熱ッ!」

「ん、熱かったか?まあ、冷めるまで待ってろ」

 

妹紅はそんな沸騰寸前と言いたくなるようなお茶を美味しそうに飲み始めたが、わたしにはとても出来そうにない。少しでも早く冷めることを期待しつつ、湯気を手で仰ぐことにする。

 

「…ところで、どうしてあんなところで寝てたんですか?」

「ああ、あそこからだと空が見えてな。ちょっと眺めてた」

「へぇ」

「鳥が美味そうだった」

「美味しいですよね、鳥」

「食うか?一羽仕留めた残りを今から食べようと思ってたんだ」

「いいんですか?」

「いいさ」

 

半分ほど残していたお茶を一気に飲み干し、すぐ近くに調理場へと向かった。

既に羽根が毟り取られて丸裸になっている鳥を取り出すと、早速焼き始めた。内臓はもう食べ切っていたらしい。

 

「ここに来たのはその報告だけか?」

「いえ、流石にそれだけじゃないですよ。実は、ちょっと困ったことがありましてね」

「言ってみろ。出来ることなら協力してやるからさ」

「場所があっても家がない」

「そりゃそうか。で、その家を建てるのを、か?」

「ええ、話が早くて助かります。出来れば萃香もいたら、なぁんて思ったんですが」

「あー、そういやどこ行ったんだろうな」

 

鳥肉が焼ける香ばしい香り。そこに醤油を取り出し、焼いている鳥にサッとかけると、いい音と共に醤油が少し焦げたいい香りが漂い始めた。

 

「ま、いつかポッと現れるだろ」

「そうですね。…あ、そうだ」

「何だ?」

「明日の朝にそこへ行く予定なんですが、そのときにちょっと確かめたいことがあるんですよ」

「へえ、それは私が必要かい?」

「妹紅じゃなきゃ、ってわけじゃないですがね。ですが、信用出来る人はそこまで多くないですから」

「そうかい。もう焼けたかな?…ちょっと早いか?まあ、いいや」

 

そう言うと、焼いた鳥を皿に載せて持って来てくれた。いただきます。

 

 

 

 

 

 

翌日の朝。日が昇る少し前に迷いの竹林を出て行くと、日が昇って少し経った頃に迷い家周辺に到着した。朝食も食べずに来てしまったが、いつものように空腹感はない。

わたしの隣で山頂を見上げている妹紅は、わたしに訊ねた。

 

「で、何処にあるんだ?」

「この奥です。が、結界があるそうで」

「結界ぃ?」

「ええ。本来そこに行くには、迷う必要があるんですよね」

「迷う、ねぇ…」

 

そう言うと、妹紅は周りを見渡し始めた。そして、溜め息を吐く。

 

「…迷う要素ないな」

「ですよね。そこで、これらの護符を持っていると問題なく通過出来るわけです」

 

わたしが首に掛けている鎖を見せてから、他の様々な形の護符を見せた。その中の硬貨の形をしたものを手に取り、じっくりと観察し始めた。日に当てると、光を反射して輝いて見える。

 

「…これが?」

「そうらしいですよ。そこで、これを持っていないで入れるか調べて欲しいんですよ」

「持たないで、ねぇ。…ああ、もしかして護符なしで入ったのか?しかも迷わずに」

「まあ、そんな感じです」

 

詳しい説明は家を建てている間にでもすればいい。

硬貨の形の護符を返してもらい、その代わりに緋々色金のネックレスを妹紅に手渡す。過剰妖力は十分入っているため、どう考えてもあの時迷い家にあった家財の数々よりも妖力量は多い。

 

「まず、これを持って真っ直ぐ進んでほしいんです」

「真っ直ぐ、な。了解」

 

もしこれで迷い家に入れるようなら、ちょっと考えものだ。良くも悪くも、わたしが通ったことのあるところには石ころの複製が転がっている。もしこれで迷い家に到着するとすれば、酔狂にも石ころの複製を大量に掻き集めてしまえば入れるということになる。さて、どうだ…?

真っ直ぐと緋々色金の動きが突然大きく曲がり始めた。そして、最初の方向からほぼ垂直に曲がったところでわたしは妹紅のところへと飛んでいった。

 

「お、どうした?」

「とりあえず大丈夫そうです」

「そうかい」

 

緋々色金のネックレスを返してもらう。…本当に護符がないと入れないんだなぁ。わたしがおかしかっただけ、なのかな?

 

「で、次は何をするんだ?」

「そうですね…。わたしに付いて来てくれませんか?」

「どのくらい近くにいればいい?」

「あー、どのくらいですか…。じゃあ、一歩後ろで」

 

迷い家の位置を確認し、真っ直ぐと歩き始める。何度か後ろを振り向いて確認するけれど、ちゃんと付いて来てくれている。

 

「…着いた」

「へえ、ここがか」

 

そして、問題なく迷い家に到着した。持っているのはわたしだけで、妹紅は護符を持っていない。それでもここに到着するということは、わたしという道標をちゃんと視界に収めていれば問題なく到着するということだろうか?

そう考えれば、わたしが迷い家にあった家財の複製を道標にここに到着出来たのも納得出来るだろうか。

 

「何考えてるんだ?」

「検証からの考察」

「で、どうなった?」

「追手には気を付けよう」

 

つまり、誰かに追われているときにここへ逃げ込むのは得策ではないということだ。もし、わたしを見失っていなければ、その追手もここに来ることになる。それは危険だ。

そこまで考えたところで、軽く頭を叩かれた。これ以上深く考える必要もないか、と思い顔を上げると、妹紅が迷い家の外側を指差した。

 

「検証、続けるか?」

「いえ、もういいでしょう」

 

わたしの複製をどれだけ持っていようと迷い家に侵入することが出来ない。護符なしで迷い家に入る手段。この二つはわたしが最低でも知っておきたかったこと。それが推測出来たのだから、これで十分だ

 

「なら家だな。何処にあるんだ?」

「えーっと、…こっちですよ」

「当たり前の事を訊くけどさ、建材はあるよな?」

「一本ちゃんとしたのがありますよ」

「ならいい」

 

建てかけの家はここからはまだ見えない。けれど、それなりに近いはずだ。まだ迷い家の地理はボンヤリとしか覚えていない。

魔法の森でわたしが主に活動していた範囲は、一応今でも覚えている。迷い家も同じように記憶しておきたい。ここは魔法の森よりも覚えやすい環境だと思うから、もうちょっとここにいれば自然と覚えられるだろう。

 

「ところでさ」

「何でしょう、妹紅?」

「あの護符は貰ってもいいのか?」

「ああ、そういえば忘れてましたね。いいみたいですよ。どれかお一つ好きなのをどうぞ」

「じゃあ、さっきの硬貨をくれ。気に入った」

「そうですか?では、どうぞ」

 

数ある護符の中から硬貨の形をしたものを投げ渡す。それを仕舞う頃には建てかけの家が見えてきた。

周りには大量の丸太が無造作に転がっている。その一つに橙ちゃんが片腕で逆立ちをして遊んでいた。わたしに気付き、そして妹紅に気付くと、そのまま軽く跳び上がって着地してから手を振ってくれた。

 

「おかえりー。その人が幻香の友達?」

「ええ。快く引き受けてくれましたよ」

 

妹紅は早速建てかけの家の壁はまじまじと見詰め、丸太を一本持ち上げた。そして、削った部分を観察し、元に戻した。

 

「お、こうするのか…。鋸あるか?」

「え?あ、ちょっと待ってて!」

 

そう言うと、橙ちゃんが走ってここから離れて行った。わたし一人のときは必要なかった鋸。それが必要と知ったときの顔は、やけに嬉しそうに見えた。

それを見送っていると、妹紅が転がっている大量の丸太を見回した。

 

「で、そこら中に転がってるのは…複製か?」

「ええ。さっきも言った通り、一本しか準備してませんから」

「あれか」

 

唯一加工が全くされていない樹の元へ行くと、耳を押し当てて軽く叩き始めた。続いてゆっくりと持ち上げ、重量を確かめる。

 

「…ふむ、いいんじゃないか?中身もしっかりしてる」

「そうですか?ならよかったです」

「じゃ、鋸が来たら始めるか」

「その前に軽く朝食を食べましょう?」

 

ちょうど頭上を飛んでいた鳥を妖力弾で撃ち落とす。それを見た妹紅は、丸太の複製を一本肘と膝を使って砕き始めた。そして、乱雑ながらも薪のようなものを作って着火。火は準備出来た。わたしはこの鳥の羽を毟るとしよう。…あ、これまた鴉だ。

 



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第156話

壁を目標の半分ほど積み上げたところで就寝をとることにした翌日。まだ家がないため借りることにした橙ちゃんの家の一部屋の窓から飛び降りていくと、妹紅が壁の上に立ち、新たに一つ丸太を積み上げていた。

 

「お、起きたか」

「…寝てましたか?」

「いや、全然?」

「大丈夫ですか?そんな調子で…」

 

妹紅の協力を得てからは、家の建設が一気に加速した。けれど、まさかわたしが寝ている間に壁がほぼ完成しているとは思わなかったよ。

その所為で丸太が少なくなってきたので、新たに創ることにする。壁をあと少し積み上げる程度なら十分だろうが、屋根や内装の分を考えると明らかに足りない。

形を成型して樹皮を回収していると、上の方から呼びかけられた。

 

「おーい、幻香。屋根はどんな感じにするんだ?」

「一応、前と同じようなものに出来たら、と考えています」

「切妻か?」

「ええ。屋根の角度は雨水が流れないようなことがなければいいです」

 

鋸で切り取ったのだろう小さな角材が山になっていたので、全て回収。よし、わたしも作業を始めましょうか。

丸太に嵌め込むための切り込みを削り取っていると、突然上から呟きが落ちてきた。

 

「夜に建てながら考えたんだけどな」

「何をです?」

「あの護符、複製だと駄目なのか?」

「恐らく。試してみます?」

「やってみようか。やらないよりいいだろ?」

「ええ、全くその通り」

 

丸太を上へ投げ上げる。それを受け取った妹紅は鑢で丁寧に調整し、新たに一本積み上がった。

降りてきた妹紅に、首に掛けられた鎖型の護符の複製を投げ渡す。すると、すぐに硬貨型の護符を渡してくれた。

わたし自身は、今までの経験上出来ないだろうと思っている。しかし、実際のところどうなんだろう?まあ、護符の複製で結界を通れたとして、それが出来て何がいいのかと言われても困るのだけど。

 

「それじゃ、行ってくるか」

「もし無理そうなら、その輪になってる鎖の連結を解いてください。出来れば、迷い家の結界付近で外してくれると助かります」

「分かった。…あ、そうだ。ついでに少し寄り道するからな」

「そうですか?ゆっくりして行っていいですからね」

「しねーよ。ま、時間かかったらすまんな」

 

そう言うと、迷い家から駆け出して行った。さて、わたしは壁の続きを建設しますか。あと少しで目標まで建てれるし。

 

 

 

 

 

 

壁の建設まであと丸太一本、といったところで足音が近付いてきた。丸太を削り取るのを一旦止めてそちらのほうを向くと、橙ちゃんがこちらへゆっくりと歩いて来ていた。

 

「ふわぁ…。おはよ、幻香。朝早くから頑張ってるね」

「妹紅が夜中ずっとやってたらしいですから、わたしももう少し頑張らないといけませんからね」

「あれ?その妹紅はどこ行ったの?」

「ちょっと外に用事があるそうです。すぐ帰って来るらしいですが、どうなんでしょうね」

 

鎖の複製を頭に思い浮かべていると、今現在その複製がどこまで遠くにいるのか頭に浮かぶのだ。きっと、複製探知範囲拡張の延長だろう。わたし、成長してる。

だからと言って、石ころを思い浮かべてもどこにあるのかは全然浮かばない。単純に石ころと言われても、その形や色は様々だ。そんな数多くある石ころの中のどれのことか分からないからだと思う。しかし、西行妖の複製を考えると、物凄く遠くにあるってことは分かった。未だに斬られず残されていたことに驚いている。

 

「朝食食べた?」

「いえ、全く」

「食べないと元気でないでしょ?簡単なの作ってあるからこっち来てよ」

「…ええ、そうですね」

 

何かに集中してしまうと、すぐに食べる行為を忘れてしまう。思い出したなら、食べておこう。このまま放っておく必要はないし。

削り取る予定だった丸太を置き、橙ちゃんの家へ戻る。鎖型の護符を撫でていると、ふと気になることが浮かんだ。

 

「そういえば橙ちゃん」

「ん?何、幻香?」

「これ、どこまで壊れても平気なんですか?」

「え?壊れ…え?」

 

そこまでおかしな質問じゃないはずだから、そんなに目をパチクリしないでほしい。

ちょっと欠けた程度で使い物にならなくなると、下手したら経年劣化で使い物にならなくなってしまう。布型の護符を洗濯していたら使えなくなった、なんてことになったら洒落にならない。

 

「あと、何かで覆ってしまっても平気なんですか?例えば、この鎖に溶かした鉄を流し込んでほぼ完全に密閉状態にしても大丈夫ですか?」

「あー、えーっと…。ちょっと待って!今から思い出すから!前に言ってた気がするし…」

 

そう言うと、橙ちゃんは腕を組んで唸り始めた。家に入ってもそのまま考え続け、本当に簡単に調理された茹で野菜を食べていると、突然机に両手を叩き付けた。

 

「思い出したっ!」

「んぐッ!?」

「あっ、大丈夫!?」

 

渡された水をゆっくりと飲み干し、ほとんど噛まずに飲み込んでしまったほうれん草の塊を無理矢理流し込む。…出来れば、急に大きな音を出さないでほしい。前にも肉を火の中に落としちゃったことあるし。

 

「…ええ、とりあえず大丈夫です。それで、どうなんですか?」

「え?あー、確かね、大体九割原形を留めてれば大丈夫って言ってた」

「九割ですか…」

 

意外と繊細なのかな?いや、一割壊れても平気、と見るべきなのか?けど、これだけ小さいと一割なんて微々たる量だ。ちょっと破損したら使い物にならなくなりそう。

 

「それと、原則的に外に出てないと駄目だって。布なんかに包まれてるくらいなら平気だけど」

「つまり、あの例は駄目と?」

「うん、試したことないけど。あ、飲み込んで体内に入れた状態だと使えないって言ってた」

「…普通飲み込みますか?」

「冗談交じりに言ってたけどね」

 

これで、前に考えた緋々色金をくっ付ける程度の加工は問題ないということが分かった。家の建設が終わったら、とりあえず紅魔館へ行くのも悪くない。帰るべき場所があるということは、あそこへ留まってしまう懸念をある程度払拭してくれるはずだ。

机に並んでいる茹で野菜を二人で平らげ、皿を洗ってから家を出た。食べてすぐ動くのはあまり好きではないけれど、建設作業ではあまり動かないから大丈夫だろう。

 

「さ、やりましょうか」

「うんっ!」

 

 

 

 

 

 

壁に囲まれた部屋となる場所の地面から邪魔な石ころを退かす。そして、ある程度平らになった地面に床を張るための角材を橙ちゃんが並べる。

しかし、そのための角材を成型するのは意外と大変だ。思い付いたままに四角く回収すると、高さがどうしてもずれてしまう。触れたところを回収していくと僅かに歪んでしまう。妥協してしまうのも手だけど、それはもうちょっと後にしてもいいだろう。

 

「ねえ、今更だけど扉は付けないの?」

「後で付けますよ。床を張り終えたら考えて――」

 

鎖の複製の連結が外れた。そして、そのまま振り回され始めた。…うん、近い。言った通り、迷い家の近くでやってくれたみたい。まあ、どうしてわざわざ振り回しているのか全然分かんないけど…。

 

「ちょっと、急に黙ってどうしたの?」

「あ、すみません。ちょっと用事が出来たみたいです」

「そうなの?何か知らないけど、早く帰ってきてね」

「ええ、よっぽどのことがなければすぐ戻ります」

 

手を振って見送る橙ちゃんに手を振り返し、作業を投げ出して歩き出す。まあ、そこまで急ぐ必要はない。というより、頭使い過ぎてとても急ぐ気になれない。

鎖の複製を頭の片隅にずっと留めておきながらの作業。いや、そんなことする必要なかったかもしれないけど…。まあ、何となく留めておこうと考えて、そのままズルズルと続けてしまった。その結果、わたしが知ることが出来たのは、空間把握と同じように遠くへ行きすぎると距離が曖昧になっていくということだ。その所為で途中からは今は物凄く遠いなぁ、としか思わなくなっていた。

鎖の複製の場所へ歩いて行き、迷い家を抜ける。

 

「お、来たか」

「ええ、来ましたよ。それと、どうして慧音がいるんです?」

「ん?妹紅に呼ばれたから来ただけだが?寺子屋はまだ休講中だしな」

「お前のことだから、慧音にどうやって会うか迷ってると思ってな。連れてきた」

「確かにそうですね。ありがとうございます」

 

家を建て終えてから、改めて妹紅に頼もうかなー、くらいには考えていたけれど、前倒ししてくれたならそれでも構わない。

 

「さて、ここに来るまでにある程度妹紅に聞かされたよ。護符というものがないと普通は入れないそうだな」

「ええ、そうらしいですよ」

「で、こうして迎えに来たということは護符の複製は護符に成り得ない、ということでいいんだな?」

「そうみたいですねぇ。ちょっと残念ですよ」

「…付き合わせて悪かったとは思ってる」

「何、その程度気にすることはない」

 

妹紅に硬貨型の護符を返し、鎖の複製を掴んで回収する。

迷い家に向かって歩き出そうとしたところで、慧音が興味深そうに硬貨型の護符を眺め始めた。

 

「…普通、だな。普段使っているのとそう大して変わらん」

「だろ?この鎖の元もそうらしいからな。一体何が違うんだか」

「知りませんよ。わたしも貰ったのをそのまま使ってるんですから」

 

肩を竦めながら歩を進める。他の護符は、今わたしの首に掛けている鎖を除いて全部置いてきているから、残念ながら慧音に渡すことが出来ない。そもそも、誰か追加で来るとは思ってなかったからね。しょうがない。

 

「別の護符がまだいくつか向こうにありますから、好きなのをお一つどうぞ?」

「そうか?ならそれは後にしてくれ。今は家の続きだろう?まだ途中らしいじゃないか」

「確かに途中ですが…。手伝ってくれるのは助かりますよ」

 

思いがけない協力者が一人増えた。家の建設の完了はさらに加速するだろう。それに、慧音には訊いておきたいこともある。本当に頼もしい。

 



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第157話

「おかえりー。…あれ?一人増えた?」

「幻香の友人の上白沢慧音だ。妹紅に頼まれて少し手伝いに来たのだが、迷惑だったか?」

 

チラリとわたしに目を向けた橙ちゃんに、嘘ではないという意味を込めて軽く頷く。

 

「そっか、幻香の友達なんだね!私、橙って言うんだ!」

「うむ。幻香の無茶な願いを聞き入れてくれたこと、感謝してるよ」

「ううん、気にしないでいいよ」

 

よかった。そうはならないだろうとは思っていたが、慧音と橙ちゃんの間には特に衝突はなく、とても穏便だ。

ホッと胸を軽く撫で下ろしたわたしの肩にポンと手を乗せた妹紅が耳元で呟いた。

 

「悪い、ついでに萃香も探したんだがな。見つからんかった」

「そうですか…。まあ、いつか見つかったら連れて来てください。そうしないと、渡したいものも渡せませんから」

「普段から持ち歩くのは、やっぱ面倒か?」

「ちょっとの可能性にすがって持ち歩くより、貴女のところに来るほうがよっぽど高いですよ」

「そうか?そういうもんか…」

「そういうものですよ、多分。さて、続き、やりましょう?」

 

少し前で話し合っている慧音と橙ちゃんの肩を軽く叩きながら、樹の元へ歩く。わたしの主な仕事は丸太を創ることだ。あとは、余裕があれば床に敷き詰めるための角材に加工することくらいかな。

次々と複製していくと、各々が作業を開始し始めた。妹紅は屋根に、慧音は妹紅の補助に、橙ちゃんは床張りに。

 

「ところで幻香」

「何でしょう、慧音?」

「屋根を作るのに釘はないのか?」

「必要ねぇよ。無くても屋根くらい出来る」

 

わたしへの問いは、腕や手の平を使って屋根に必要な木材の長さを調べていた妹紅が代わりに答えてくれた。

確かに、新しく建てた妹紅の家の建築に携わったから分かるのだが、彼女は一切釘を使っていなかった。木材の組み立てだけで、十分な強度を持った屋根を作ってしまったのを見た。強度を試すためか、屋根の各所で数回跳ねていたが、軋む音もしなかったのを覚えている。

 

「ま、あったほうが楽だけどな」

「ですよね」

 

とは言うものの、やっぱり釘はあったほうが楽らしい。あのときは、非常に細かく丁寧に少しずつ削っていた。もし釘があれば、そのような細かい作業は大体削減できるのだろう。

…まあ、あのときは前の家にあった釘が全部錆びついていて使い物にならなくなっていて、わざわざ里に買いに行くのが面倒だったからなのだが。特に、わたしは里に行くわけにはいかないし。

 

「ちょっと待ってて!」

「うぉっ、危ねぇな…」

 

突然、橙ちゃんが壁の中から一っ跳び。わたしが家の中にたくさん入れた角材を並べているはずだったが、取ってきてくれるらしい。

 

「それじゃ、他にも工具持って来てくれないか?あるだけ全部」

「え。…分かった!時間かかると思うけどね…」

 

そう言うと、一目散に走り出した。おー、早い早い。わたしもあのくらい早く走れるようになりたいなぁ。…あれ?もしかして、わたしって基本的に遅い?走るのはそれなりに早く走れるつもりだけど、橙ちゃんよりちょっと遅いし、フランにはわたしを引っ張った状態でとんでもない速度を叩き出した。飛ぶのに至っては、走るより遅い始末。

まあ、靴の過剰妖力噴出、模倣「ブレイジングスター」、複製重ねによる弾き出し。主にこの三つを使えば、わたしは普段の何倍も速く加速出来るのだけど。しかし、どれも妖力使用が前提だ。

 

「っと。色々揃うまでちょっと休むか」

「そうだな。来て早々休むのは気が引けるが…」

「そうですか?ま、出来ることをすればいいんですよ。わたしは丸太をたくさん創り続けますが」

 

出来ないことを出来るようにするのは重要だけど、出来ないことはやっぱり出来ないのだから。出来るようになるまで待つことだって必要だ。努力することだって必要だ。

 

「ところで慧音。今の里って、どうなんですか?」

「…橙がいない今だからこそ、か?」

「そうですね。ま、聞かれても特に支障はないですが」

 

『禍』について、ある程度は知っているみたいだし。それを知っていながら、ここに住むことを認めてくれたことは非常に嬉しいけど。

慧音は壁を背にして腕を組み、長く息を吐いた。

 

「そうだな、何から話そうか…。まず、あの八十五人は大体日常に復帰したよ」

「へぇ。やっておいて言うのもなんですが、意外と早いですね」

「里の医者だってそれなりに腕はあるさ。まあ、今回はそれ以外にもあるがな」

「それ以外?」

「どうせ永琳の薬でも出回ってたんだろ」

「そうだ。よく分かったな、妹紅。よく分からんが、傷に非常によく効くらしい。ペニシリンだのテトラ何とかだのセフィム何とかだのといった抗生物質がどうとか、カルバ何とかだのヘモコア何とかだのといった止血効果のある物質がどうとか言ってたな」

「なんじゃそりゃ」

 

…確かに、止血効果は分かるが、抗生物質とか言われてもサッパリだ。きっと、妹紅が言っていたデオキシリボ核酸みたいな、非常に難解な専門用語がズラズラと並んでいたのだろう。

 

「まあ、実際に効いていたのだから詳細はいいだろう。とにかく復帰したんだ」

「…分かってはいますが、一応訊きましょう。復帰していないのは、どういった人間ですか?」

「骨を折った者はまだ完治していない者が多いな。あと、暗くなると急に震え出すような者もいる。…まあ、精神的なものだな」

「しょうがないんじゃねぇの?精神的外傷(トラウマ)くらい」

「あの程度なら、極度の暗所恐怖症で片付けられるか…?微妙なところだな」

 

骨を砕くような攻撃は、後半のほうが多くなっていたと思う。何というか、手加減なしだったのは杭で貫かれてからだけど、そこからさらに躊躇が抜けていった気がする。傷付くから抑えめにとか、壊れてしまうから優しくとか、そういったものが。最後の一線、殺しは超えないようにしていたつもりだ。…ただし、あの爺さんは除いて。

…止めよう。これはもう覆しようがない結果。戻ることのない過去のことだ。これから思い返すときはまたあるだろうけれど、これ以上蒸し返すことはもうないだろうから。

 

「それで、他にはどうですか?」

「そうだな…。『禍』関連の新聞の続報、読ませてもらった。あれはつまり『里に襲いに行くことはない』と伝えたかったんだろう?」

「ええ、伝わってくれてよかったですよ」

 

そう言うと、何故か慧音は苦い顔をした。壁の上に座っている妹紅は僅かに首を傾げた。

 

「へえ、そんな新聞出回ってたのか。知らなかったな」

「また今度、読みたければ読ませてやる」

「…考えとく」

 

どうやら、妹紅は文々。新聞の『禍』の記事を読んでいないらしい。最低でも、わたしがあの射命丸文とかいう虚構記者に言ったことは。

 

「…さて、幻香には悪い知らせだ。里の者は、いつ『禍』が来るか戦々恐々としている者が多い」

「は?」

「…恐怖とは、人を盲目にするものだ。『許さないとか抜かす奴は直々に叩きのめしますよ』と書かれていれば、尚更な」

「…うわぁ」

 

改変された文章を知り、わたしは頭を抱えた。…あの虚構記者め、余計なことしやがって。重要な部分刈り取られてるし。いや、この文章でよく慧音はわたしの意図を読み取ることが出来たと言いたい。

いや、頭を抱えていても仕方ない。意味はなくても、真実を伝えよう。

 

「あのー、わたしはあの虚構記者に『許せないって言うなら好きなだけかかってきな。わたしはいつでも待っている』と言ったのですが?」

「…相当捻じ曲げられてね?」

「はぁ…。確かにそうだな…。特に後半」

「その『待ってる』さえあればそんなことにならなかっただろうに…」

「いや、どうだろうな。少しは減るかもしれんが、大して変わらなかったかもしれん」

「えー、それは予想外ですよ…」

 

無駄足どころか藪蛇じゃないですか…。けれど、そんな記事が書かれなかったとしても、それはそれで変わらなかったのだろう。つまり、どう進んでも大して変わらなかっただろう、ということ。…悲しいなぁ。

 

「里の主なことはこのくらいか。他に訊いておきたいことはあるか?」

「いえ、今は特に」

「そうか。…ちょうどよく、橙も戻ってきたみたいだしな」

 

そう言って指差したところに、大きな箱を両腕で重そうに運んでいる橙ちゃんがいた。その大きな箱からは、鉋や金槌といった工具、麻縄や毛糸などの多種多様の紐がはみ出ていた。

いや、一度に持ってこなくてもよかったんじゃないかな?そんな足をふら付かせてまで頑張る必要はないと思うよ?

 

「ちょっと行ってきますね」

「おう、行ってこい」

「そんなこと言うなよ、妹紅。さ、行くぞ」

 

妹紅が慧音に引っ張られながら、わたし達三人は橙ちゃんの元へと向かった。

 



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第158話

「…いいんですか?休め、って言われてたのに」

「そう言うお前だってそうだろ?」

「確かに、お互い様ですね」

 

わたしは妹紅と一緒に徹夜して家の建設をし、とにかく丸太を創り続けて言われた通りに加工をして渡すことを繰り返した。釘も必要以上に複製しておいた。妹紅はわたしが渡した丸太を鑢などで削って調整して建築する。そしたら、朝日を拝むころには外装が完成していた。いやはや予想外。

そんな日の出を見ながら妹紅に『鋸なんかで切る必要がないから早く終わった』と言われてちょっと嬉しい気分に浸っていた。のだが、その気分はそこまで長く続くことはなく、起きてきた慧音に滅茶苦茶怒られてしまった。いや、怒られるのはしょうがないとは思っているけど。

結果、わたし達は『今日一日仕事するな』と強制休養を言い渡された。複製しておいて使うことのなかった大量の丸太を使い、机とか椅子とかを作ろうと思っていたのだが、その仕事は慧音と橙ちゃんがやることとなった。

 

「さ、始めるか」

「ええ、そうしましょう」

 

そして、わたし達は今少し距離を開けて対峙している。当たり前のように休養を投げ出して体術の訓練、組手をしようとしている。

お互いに腕を伸ばせば届く距離。ただし、わたしのほうが腕がちょっと短いから、妹紅はわたしの肩を掴めるけれど、わたしは指先で触れることが出来る程度。

 

「さて、今まで単純に技ばっか教えてきたな」

「そうですね。本当に色々教えてもらいましたよ」

 

最適化された動き。これがわたしが体術を学ぶ上で重視してきたものだ。猪突猛進に走るのではなく、無我夢中で跳ぶのではなく、我武者羅に打つのではない。効率よく走破し、至適に跳躍し、最適な打撃を加える。

まあ、どんな状況でも出来るようになるのが目標だけど、そう簡単なことじゃないことくらい分かってる。相手がちょっと動いたり、相手にちょっと崩された程度で出来ないようじゃ意味がない。そういうときに、最適からは少し離れるかもしれないが、その状況で最も無理のない動きが出来るようになる。それが今のわたしの目標だ。

 

「多分、そんじょそこらの相手なら何の問題もなく立ち回れる程度にはなっているだろ」

「…まあ、一応」

 

靴の過剰妖力噴出、複製、『幻』を最初のほうは使ったけれど、あの杭で貫かれてからは体術のみで片付けた。多分、五十人くらい。けれど、あれは飽くまで相手が素人だったからだ。武器を使っているんじゃなくて、武器に使われてると言いたいくらいに素人。さらに、戦意なんてほとんどあって無いような者が大半だった。

 

「そこで、だ。次に私が教えようと思うのは『攻め』と『守り』だ」

「いや、それは前から…」

「違う。そういう技じゃなくてな」

 

『攻め』は殴り、蹴りなどの打撃全般。『守り』は避け、往なしなどの防御全般。そうだと考えたのだけど、どうやら今回は違うらしい。

 

「いいか?幻香、例えばお前の実力を百と置こう」

「百。妹紅はどのくらいですか?」

「あー、どうだろうな。考えたことなかった。…じゃあ、仮に百五十としておこうか」

 

わたしから見たら、体術だけで見ても三百は余裕で越えていると思っているのだけど。

 

「普段のお前は『攻め』に二十…いや、十五くらいか?残りの八十五は『守り』に傾けてる」

「…それ、貴女相手だからですよ」

「いいんだよ。それに対し、私は『攻め』に七十五、『守り』に七十五と振り分けている。ま、半分ずつだな」

「あー、つまり、こういうことですか?わたしの『攻め』は十五しかないから、妹紅の七十五の『守り』を崩せない。けれど、わたしの『守り』は八十五あるから、妹紅の七十五の『攻め』に耐えることが出来ている、と」

「そういうこと」

 

なるほど、分かりやすい。この考え方に当て嵌めれば、あの時の萃香との勝負だとわたしは『攻め』が零で『守り』が百だろう。

 

「この配分をどう動かすかが重要だ。例えば、相手の攻撃を往なして体勢を崩せた。そのとき、いかに『守り』から『攻め』に移せるか。これがなかなか難しい」

「全てを『守り』に注いでいる状態から『攻め』に転ずるのは難しいですよね」

「ああ、一瞬で切り換えるなんてまず無理だ」

 

二つの器に水を入れる。一つが『攻め』でもう一つが『守り』。その内の片方にのみ水を入れていた状態から、もう片方に水を移し換えるのはすぐには完了しない。最初から半分ずつ入っていれば、より早く移し換えられる。

 

「だから、相手の『攻め』を見極める。どこまで『守り』に寄せれば相手の攻撃に耐えるかを見極める」

「逆なら、相手の『守り』を見極める。どこまで『攻め』に寄せれば相手の防御を崩せるかを見極める」

「こう考えると、不意討ちは一番恐ろしいってのが分かるだろ?何せ、こっちの『攻め』が全部乗ってるのに、相手の『守り』は零だからな」

「ええ、よく分かりましたよ。いつでも警戒してるなんて、ちょっと考え難いですものね」

 

まあ、そんなことをしている人をわたしは知っているのだけど。

美鈴さんのことを頭に浮かべていたら、妹紅がピンと伸ばした人差し指をわたしの鼻先に向けた。

 

「さて、ここで問題だ。私が『攻め』に全てを注いだ。つまり百五十だ。そんな時、お前はどうするべきだ?」

「え?…どうしようもないですよ。負けます。出来れば逃げたいですが、逃げは『守り』ですか?」

「あー、逃げは別枠だな。ていうか諦めるなよ」

「いやー、そう言われましてもね。仮にわたしが『攻め』に同じように百注いでお互いに傷付け合う殴り合いが始まったとしましょう。わたしは傷付いてどんどん動きが悪くなりますが、それに対して妹紅は傷がすぐ治る。勝敗なんて考えるまでもないでしょう?」

 

妹紅の家を建てているとき、不老不死について具体的に教わった。死なないだけではなく、傷付いても戻っていくそうだ。本人曰く『体が『死』を受け入れない』のだそうで、傷付くのは死に近付くことだから、傷は治る。齢を取るのは死に近付くことだから、齢も取らない。『死』なんて受け入れられるはずもなく、蘇る。

だから、わたしはどうしようもない。仮に『紅』の超再生を加味しても、わたしの集中力がそこまで持つとは思えない。

 

「…いや、私が悪かった。相手を私にした私の落ち度だ。幻香、正解だ。どうせ『守り』を貫かれるのが分かっているなら『攻め』に転じた方がいい」

 

そう考えていたのだが、どうやら妹紅相手という限定条件ではなかったようで、わたしは考え過ぎだったらしい。

 

「じゃあ、あとはどっちが先に倒れるかの体力勝負ですか?」

「そうだな。ま、こんなことになるのは稀だ。『守り』を捨てるってのはそう簡単なことじゃない。一般的に武術と称されるのはな、傷付かないようにするのが前提だからだ。だってそうだろ?もし深く傷付いたら戦えないからな。だから、大抵『攻め』と『守り』は半分ずつ、どちらかといえば『守り』に寄っていくものだ」

「その瞬間しか戦うわけではなく、その後もずっと戦い続けなくちゃいけないから」

「後遺症なんて負ったら戦えなくなる。…ま、例外はあるけどな」

 

例えば、妹紅はどれだけ傷付いても関係ないから、やろうと思えば『攻め』に全て注いでも問題ないだろう。吸血鬼はその超再生が追い付く攻撃を相手にするなら、思い切り『攻め』に転ずることが出来るだろう。

 

「さて、さっきまでずっと全力で戦えるような説明をしたが、そんなわけないよな?」

「ええ、疲れてたり、怪我していたり、眠かったりすれば実力は多少落ちるでしょうね」

「それもそうだが、さっき言ったように相手の体勢を崩すと、その瞬間の相手の実力は大きく減る。下手すりゃ零だ。だから、如何にして崩されないか、もし崩されたときどこまで持ち堪えられるか、完全に崩れたならいかに早く元に戻せるか。これも大事だな。…とりあえず、この辺を考えるようにしていこうか。ちょっと多かったか?」

「いえ、そこまで多くないですよ」

「そっか。なら、早速やる…いや、最後に一つだけ、頭に入れとくだけでいいから聞いてくれ」

 

そう言う妹紅は、やけに寂しそうな声色で続けた。

 

「仮に、お互いに実力全てを『守り』に傾けたらどうなる?それは、お互いに攻めることがない。傷付けることもない。勝負が始まることもない。問題そのものが起こらない。だから解決する必要もない。平穏で平和な世の中。そう思わないか?」

「…そうですね」

 

けれど、幻想は幻想でしかなく、そんな幻想はありはしない。幻想の集う幻想郷でも、それは変わらず幻想であり続ける。

 

「ま、そうはいかない世の中だ。だから、少しでも強くなっておいた方がいい」

「ええ。ですから、いい加減実践へ移りましょうか?」

「そうだな、随分長くなっちまったし、なッ!」

 

妹紅の放った掌底打ちを体を回しながら回避し、その回転を乗せた回し蹴りを放つ。その攻撃はもう片方の腕で受け止められた。

 

「いい蹴りだな。前より威力出てるんじゃないか?」

「そうですか?そう言われると嬉しいですよ」

 

靴の過剰妖力で加速させればもうちょっと威力を出せるのだけど、そんな小細工をするつもりはない。この場では純粋なわたしの実力で行いたい。

その後も、お互いに一撃ずつ攻守を交代し続けた。ただ往なすだけではなく、どうすれば相手の体勢を崩しやすいか。ただ避けるだけでなく、どうすれば次の攻撃に移りやすいか。ただ打ち出すだけでなく、どうすれば次の行動に繋げられるか。そういったことを教わりながら、わたしは妹紅と組み手を続けた。

 

「…何をしているんだ?妹紅、幻香」

 

そして、夢中になっていたわたし達は近付いて来た慧音に気付かなかった。

 

「あ、それはだな、慧音…」

「えーっと、あのー、そのー…」

「いや、確かに私は『仕事するな』と言った。いや、悪かったよ。確かにお前達は仕事はしていない。…けどなぁ、あの状況では休めと言っていることぐらい分かっただろう?」

「…仰る通りです」

「なら休め」

 

こうして、今日の組手は強制終了となった。

 



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第159話

昨日はよく眠れた。その前の日に寝ていなかったとか、休養を無視して運動していたからとか、理由は多々あるかもしれないが。

数ある丸太から手頃な大きさのものを選び出し、目的の形を残して回収していく。それぞれの材木を嵌め込むための突起や穴も忘れない。さて、これが上手く嵌れば、一応椅子が出来るはず。

 

「…あれ?…このっ」

「ねえ、幻香ー」

「何でしょう、橙ちゃん?」

 

…おっかしいなぁ、嵌らないや。失敗作を回収し、家の中で休んでいた橙ちゃんの意識を向ける。

扉を開けて手招きしてきたので、促されるままに中へ入る。何をしているのかと思えば、橙ちゃんが敷き詰めた床をペシペシと叩いていた。

 

「敷き詰めてから言うのも悪いと思うんだけどさ、かなりガタガタしてるよ?」

「前も似たような感じでしたよ」

 

最初はちょっと気になったけれど、それが普通だと考えるとどうとも思わなくなった。まあ、家自体が掘っ立て小屋と言われるようなお粗末なものだからか、それに対して文句を言われたことはほとんどない。…そもそも招いたことのある人が少ないだけかもしれないが。

それに、床がちょっと気になっても、すぐに椅子に座ってもらうことで多少は緩和出来る。床がちょっと傾こうが、あの家にあった椅子はまともなものの複製だ。それに、そんな床の不平不満を言うくらいなら、さっさと用件を済ませてもらえばいい。そのためにも早々に座らせることが多かった。

 

「雨とか降ったらもっと酷いと思うよ?下手したら染み出るかも…」

「前も似たような感じでしたよ」

 

一応敷き詰めた材木の複製の質がよかったのか、厚みが十分にあったからか、多少の雨では床が濡れるようなことにはならなかった。

それに加え、魔法の森というだけあって、多少の雨ならば樹が受け止めてくれる。わたしの家はその木陰に一応入っていたため、雨はそこまで気にしたことはない。

しかし、滝のような、と言いたくなるような雨が降ったときは流石に駄目だった。そのときは、机の上に乗ってひたすら我慢していた。布団はずぶ濡れになってしまったが。

 

「…改善とか、しないの?」

「雨風凌げれば十分でしょう?」

「雨凌げてないんだけど」

 

屋根と壁があれば、十分雨風凌げると思うんだけどなぁ…。どうやら、私と橙ちゃんでは基準がずれているらしい。

しかし、わたしはどうすればいいのかよく分からない。妹紅の家は何故か床下が空洞になるように太い柱十数本で浮かばせていたからだ。しかし、わたしのこの家にどう生かせばいいのか分からない。そもそも、そうすることによる長所が分からない。

 

「せめて、石を敷き詰めるとか…」

「そんなことしたほうががたつきませんか?…いや、丁寧に敷き詰めれば問題ない?けれど、面倒臭そうだなぁ」

「はぁ…。面倒でもやらないと面倒なことになるでしょ?」

「そうですか…」

 

よく分からないけれど、敷き詰めるための石を準備するのは、大きな岩を持ってくれば済みそうだ。あとはそれを砕くなり成形するなりすればいい。

 

「近くに岩ってありませんか?出来るだけ大きくて硬いものがいいんですけど」

「え?…もっと上に登ればあるよ。けどあっちは天狗とかがいるからなぁ」

「天狗、ねぇ。無理に通ると面倒事になりそう」

「なるよ、絶対。えーっと、うーん。…あ、そうだ!あるよ!大きな岩!」

「ならよかった。じゃあ、取りに行きましょうか」

 

外で箪笥を作っている慧音と、本棚を作っている妹紅に一言言ったら、早速行こうかな。

 

 

 

 

 

 

「…これ?」

「うん。これなら十分大きいと思うよ?」

 

いや、そんな木陰で休むための腰掛用にあると言われてもおかしくないような小さな岩じゃなくてね。…ん?ああ、そういうこと。

 

「埋まってるんですか」

「多分ね。ちょっとやそっとじゃ持ち上げられなかったから、結構大きいと思う」

 

さて、どのくらい大きいのかな?しかし、複製しようにも、地中にある岩の形が未確認だから、どうなるか分かったものじゃない。それに、形を知ろうにも、この岩は地面と密着し過ぎている。…どうなることやら。

 

「ま、引き抜けばいいだけか」

「ちょっと!それは無理が…」

 

ちょうどよくここが木陰でよかった。もしそうじゃなかったら、諦めて別の岩を探そうとしていたと思う。意識を集中し、掻き集め、形を作り上げろ。…『紅』発動。

世界が星空の如く輝きだし、時の流れが変わる。不思議と力が湧き上がる感覚。さっきは無理そうだと考えていたことなのに、今なら出来ると思える。

 

「え!?ま、幻香!?指が…!」

 

両手の人差し指から小指までを岩に突き刺して無理矢理引っ掛ける。割れてしまったら、また別の方法で引き抜こう。

 

「…ふッ!」

「ちょっと!無茶だよ!」

 

岩というより、ここら一帯の大地を丸ごと引っ張っているような気分になる。けれど、やってることが無茶苦茶でも、決して無茶じゃない。出来る。抜ける。何故かそう思える。…ほら、少し動いたよ?

 

「じ、地面に罅が…」

「うぎぎ…!」

 

歯を食いしばり、力の限りを尽くし、岩を引き上げていく。ズズ…、と確かに動いているのが分かる。そのまま力を込め続けていくと、近くにあった樹が傾いてきた。…へえ、そこまで影響が来るのか。つまり、相当な大きさなんだろうな。…ん?樹が傾く?

 

「…!まず…ッ!?」

 

しかし、一足遅かった。そのまま根っこから樹が捲れ上がり、倒れていく。日光が、わたしに注がれる。吐き気がするほどの嫌悪感と共に意識が掻き乱される。『紅』が解けていく。力が抜けていく。咄嗟に指を引き抜き、岩を落とした。肩に一気に衝撃が走ったが、外れなくて本当によかったと思う。

 

「ハァ…、ハァ…。ちょっと、失敗、した、かな…」

「…ねぇ」

 

乱れた意識と息を整えていたら、橙ちゃんが非常に心配した声でわたしの肩を突いた。

 

「さっきの幻香、ちょっとおかしかったよ」

「…?何か、ありました…?」

「眼が、真っ紅だった」

「…眼が」

「うん。何ていうか、血色だった」

「血色、ですか。…そうですか」

 

…そっか。紅眼の『禍』。幻視でも幻覚でも何でもなかったんだ。目の色変えて撃退したつもりだったけど、本当に変わっていたなんて誰が思う?

そう考えると、妹紅と萃香は知っていてもおかしくない。それとも、敢えて言わないでいてくれたのだろうか?嬉しいような、悲しいような…。

…よし。まだちょっと嫌悪感の残滓があるけれど、呼吸は整った。

 

「今のわたしの眼はどうですか?」

「え?普通に茶色だよ」

「それならよかった」

 

多分『紅』発動中はわたしの目の色が血色になるんだと思う。ますます吸血鬼の力を借りている感がする。

 

「さて、この岩どうしましょうか」

「あ、うん、そうだね。途中で落としちゃったけど、どうするの?」

「…ある程度持ち上がって、地面との接触も剥がれましたし、どうにかなるでしょ」

 

露出している岩に触れ、複製を試みる。…うん、形が分かる。これなら上手くいきそう。

 

 

 

 

 

 

持ち上げるのは叶わなかったが、引き摺って行くくらいは出来た。ガッチリと固まった地面や、絡まった樹の根があの重さに繋がっていたのだろう。

しかし、岩の形は分かっても、全体の色を見たわけではない。そのためか、露出していた部分の色がそのまま拡がっていったような色合いになった。…まあ、樹皮を剥いだ丸太だって微妙な感じになってるし、今更だ。

 

「…あー、疲れた」

 

迷い家に何とか引き摺ったわたしは疲労困憊だ。運び出した岩を背に休もうとすると、橙ちゃんに肩を掴まれた。…ちょっと待って。揺らさないで。頭ぶつけちゃうから。

 

「疲れるのは分かるけど、石にして敷き詰めないと…」

「…そうですね」

 

これ以上こんな重い岩運ぶの嫌だからここでばらしてしまおうか、と考えたところで、家具を作っていた二人の作業が丁度終わったのか、こっちにやってきた。

ちょっとした労いの言葉を二人から受け取り、どの程度の大きさにするか考える。その辺の石ころと同じ程度だと小さ過ぎるかな?

 

「これ、どのくらいの大きさがいいんですか?」

「ん?これ砕くのか?」

 

裏拳で岩を軽く叩きながら言った。いや、確かに砕くつもりだけど、わざわざそんなことする必要はないよ?

 

「えーっと、握りこぶし大、かな?」

「へー、ちょっと待ってろ」

「妹紅、流石にここでは…」

「構えないでいいですよ、妹紅。今すぐばらしますから」

 

自然な形とか考えるのは面倒くさい。しかし、わざわざ砕くのはもっと面倒だ。握りこぶし大、と言っていたけれどそんなの人それぞれでしょう?なら、ちょっとくらい大きくてもいいと思う。

しかし、これだけ大きいと確実に余るだろう。そう考え、とりあえず成形するのは半分だけにすることにした。

縦、横、奥行き。ピンと張った紙を通すように、小さく区切っていく。小さな大量の立方体。フランの禁忌「カゴメカゴメ」のように立体格子状に。…よし、頭に形は思い描けた。なら、後は実行するのみ。

浮いていたところがボロボロと零れていき、カタカタと小さな音が重奏する。スッパリと綺麗に切り取られた残りの半分はゴロリと転がった。目の前のある一つの立方体を引き抜くと、上に詰み上がっていたいくつかの石が綺麗に落ちてきた。…うん、上手くいったほうかな。

 

「幻香、一体何をしたの…?」

「え?いつもの成形ですよ。これなら綺麗に敷き詰められると思いませんか?」

「…そんなこと出来るなら石板にして敷けばいい気がしてきた」

「えー…」

 

結局、わたしの家の土台に石版を敷くことになり、そのために地面をある程度掘り下げることになった。まあ、こうすることで床のがたつきが抑えられるというならいいか。

 



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第160話

「ふぁ…っ」

 

…いい目覚めだ。大きく伸びをしてから窓を開けると、白い光がわたしを照らした。この新しい家で初めての朝を迎えたのだけど、やっぱり自分の家というのは、他とは違った落ち着きが得られる。わたしがいても構わない場所、帰ってきても構わない場所、というものはとても重要だ。わたしはそう思う。

昨日完成したわたしの家。調味料全般は橙ちゃんからお裾分けしてもらい、食器や調理器具も橙ちゃんの家にあったものを片っ端から複製していった。この場所に住ませてもらうことも含めて、嫌な顔一つせず受け入れてくれたことは本当に感謝している。

慧音は作り終わってすぐに里に戻りたい、と言った。何でも、今のうちにやっておきたいことを思い付いたそうで、数ある護符の中から棒状の護符を選び取り、妹紅と一緒に迷い家を出て行った。

完成、とは言っても足りないものは幾つもある。本棚があっても肝心の本が何も入っていないし、箪笥があっても中身はほとんど空っぽ。洋服入れには慧音と妹紅が着ていた服を数着複製してとりあえず入れておいたけれど、もうそろそろ防寒具が欲しい。

 

「さて、何か食べないと」

 

とは言っても、昨日の夜になって慌てて思い出したことなので、近くに生っていた小さな木の実しかないのだけど。ま、十分か。

ちょっとえぐみはあるが甘酸っぱい木の実を咀嚼していると、扉を叩く音が響いた。一体誰だろうか?まあ、橙ちゃんだとは思うけれど。それでも一応『幻』を一つ待機させておく。

 

「おはよう、幻香!」

「ええ、おはようございます」

 

予想に違わず、扉を開けると橙ちゃんがいた。こんな朝早くからどうしたのかと『幻』を回収しながら思ったら、その両手には食材が。

 

「…まさかその食材で何か作ってくれ、と?」

「うん!幻香は手抜きしなければ美味しい料理出来るんだからさ、何か作ってよ!」

 

わたしの料理はそこまで上手じゃないと思うんだけどなぁ…。慧音や咲夜さんと比べると見劣りしてしまうようなものだし。

 

「ま、いいですよ。入ってください」

「やった!お邪魔しまーす」

 

橙ちゃんを招くとすぐに椅子に座り、食材を机の上にドサッと置いた。…いや、やっぱり明らかに多いよね、これ。どう考えても二人分にしては多過ぎる。

渡された食材の中に珍しいものがあったので手に取った。…うん、やっぱりパンだ。紅魔館でたまに食べさせてもらうのは、これを薄切りにしたものだろう。けれど、わたしが知っている情報だと里ではほとんど見かけないらしい。紅魔館では自家製だそうだけど、彼女は何処で手に入れたのだろう?その数少ない店で購入したのかな。

 

「これ食べましょうか」

「それ、中身スッカスカだからあんまり好きじゃないんだよね」

「じゃあ何であるんですか…」

「え?…か、買ったんだけどね、あんまり美味しくなかったんだよ」

「そうですか?わたしはフワフワしてて好きですよ」

 

火打石を打ち付け、火花を複製して綿に火を点ける。そこから細い枯れ枝に移し、火を複製。そのまま薪へ移るまで繰り返す。…よし、完了。

食材の中から卵を取り出し、器に割る。片手で出来るようになるといいらしいのだけど、そんな高等技術なんてわたしに出来るはずがない。菜箸で卵を溶き、その中に砂糖を少量加え、包丁で薄く切ったパンを浸す。十分卵を吸収したパンを、薄く油を引いたフライパンで両面を焼き上げる。

それにしても、橙ちゃんの家にはあまり見たことのない調理器具がかなりあった。それに加え、普段名前なんて気にしていなかったものもあったが、ついでにその名前も知った。トングとかグレイビーボードとか。

狐色に焼き上がったものを皿に移し、十字に切り分ける。その内の一切れを試しに食べてみる。…まあ、このくらいなら人に出しても大丈夫だろう。

 

「はい、どうぞ」

「何これ?」

「フレンチトーストモドキ」

「フレ…?って、モドキ!?」

「ええ、モドキですよ」

 

牛乳がないからしょうがない。まあ、不味くはなかった。牛乳があったほうが美味しいのは分かっているが、それは無いものねだりになるからしょうがない。

 

「ついでに目玉焼きでも焼きますから、食べててください。わたしは一つ貰いましたから」

「じゃあ、全部食べちゃうよ?」

「構いません」

「言ったね?それじゃ、いただきます」

 

目玉焼きは少量の水を入れて蓋をするといいらしいのだけど、油が跳ねて大変な目に遭ったからやらないでいいや。

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、ご馳走様ー」

「どうでした?」

「うん、美味しかったよー?フレンチトースト、だっけ?」

「ええ。…牛乳ってありますか?」

「そんな腐りやすいものはありませーん」

 

まあ、牛乳は確かに腐りやすい。紅魔館ではパチュリーが保冷部屋を作ったらしいけれど、こんなところにあるとは思えない。

一杯になったのだろうお腹を撫でてから大きく伸びをした橙ちゃんが、机に突っ伏しながらわたしに問いかけた。

 

「ところで、今日は何するのー?」

「そうですね…。食材採集をするか、紅魔館にでも行こうかな、と」

「じゃあ一緒に採ろうよ。私の分けてあげてもいいけど、ちょっと腐って来ちゃったからこの前埋めちゃったんだよね。お肉とか」

 

そう言われると、橙ちゃんの家にあった食材に肉類がほとんどなかった。まさかそんな理由でなかったとは。…って言うか、食べ切れない量を買わないほうがいいと思うよ。

 

「食べ切れないからたくさんいる猫に餌付けしてるんだけどさぁ、それでも間に合わなかったよ…」

「…今度長期保存のために干すなり塩漬けするなり燻製するなりしたらどうですか?」

「うん、そうする」

 

…してなかったのか。いやまあ、ちょっと手間だしね。面倒くさいのは分かるよ。わたしも肉を屋根に吊るしていたら、翌朝には無くなってたことあるし。

 

「よし、じゃあ何か捕まえますか。最悪、鳥でも構わないでしょう?」

「本当?じゃ、行こう!」

 

そんなとき、突然扉を叩く音が響いた。決して強く叩かれたわけではなく、軽い音。しかし、この迷い家にはわたしと橙ちゃんしかいないはずだ。

帰ってすぐに妹紅か慧音がまた来た?…いや、妹紅はそもそも扉を叩かないし、慧音は叩くときに名を語る。しかし、今扉の向こうにいる者は、そのどちらにも当てはまらない。

咄嗟に橙ちゃんの口を塞ぎ、口元に人差し指を当てる。静かに、だ。首が小さく縦に動いたので、手を離した。

 

「…誰でしょうか?」

「…分かんない」

「…すみませんが、出てくれませんか?」

「…いいよ」

 

出来るだけ音を立てずに机の下へ潜り込む。この位置なら、扉から見て陰となる。急いで『幻』展開。六十個全てを机からはみ出さず陰となるように待機させておく。

対して橙ちゃんは、特に警戒するでもなく扉に近付き、そのまま普通に開けた。…いや、せめて誰かくらい訊いたほうが…。

 

「あ、藍様!一体どうしたんですか?」

「橙か。すまないが、ここに鏡宮幻香はいないか?」

「え?えーっと…」

 

…誰だか知らないけれど、わたしがここにいることが既にバレているらしい。

それより、橙ちゃんが様付けして呼ぶような人、か。もしかすると、その藍って人が迷い家を橙ちゃんに与えた人なのかもしれない。

空間把握。妙な動きをしたら即行で『幻』で撃ち抜く。幸い、わたしが机から這い出るまでの間、やけに大きな尻尾をたくさん付けている人は動くことはなかった。

 

「…いますよ。橙ちゃん、わざわざありがとうございます」

「ふむ。…橙。すまないが、ちょっと引いてくれないか?彼女と二人きりで話がしたいんだ」

「え、あ、はい。分かりました」

 

橙ちゃんが出て行ったのを黙って見届ける。そんなわたしは、言葉や表情には出さないように無理矢理押し付けたが、感情は驚愕で一気に塗り潰された。

彼女は覚えている。去年紅魔館で開催したハロウィンパーティーで八雲紫の近くにいた九尾の狐だ。そして、どこかで見たことあるような、で止まっていた記憶が繋がり出す。そのとき近くにいた化け猫、橙ちゃんもその時見たんだ。八雲紫と、藍とかいう妖怪狐と、橙ちゃんは繋がっている。そして、迷い家の結界から予想するに、恐らく橙ちゃんに迷い家を与えたのは八雲紫。

…しまった、やらかした。この迷い家は八雲紫の保護下なんだ。さて、どうする?分かっていながら利用するか、分かったから切り捨てるか。早めに考えておかないと。

 



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第161話

「…で、何の用ですか?」

「その前に、ちょっとくらい警戒を解いてくれてもいいでしょう?」

「いいわけないでしょう。何処の誰とも知らない奴が急に出てきておきながら警戒するな、なぁんて」

 

藍と呼ばれた妖怪狐は、部屋いっぱいに浮かぶ『幻』を見渡しながら大きな溜め息を吐いた。

 

「何処の誰とも知らない奴、何て言われては仕方ありませんね。では、本題に入りましょうか」

 

そんな嫌味ったらしく繰り返さないでほしい。わたしとしては、あの八雲紫との会話はどうしても忘れたいんだ。実際、それの所為で面倒に巻き込まれたし。

 

「貴女は、月に興味はありませんか?」

「月ぃ?夜空に浮かぶ、あの?」

「ええ。より具体的には、月の都にある珍しいものや技術に、ですが」

 

月、と言われて思い出すものはかなり多い。永遠亭にいる医者の八意永琳。その弟子の鈴仙・優曇華院・イナバ。結局見ることのなかった姫様の蓬莱山輝夜。右腕治療の際に出てきた見たことのない医療器具の数々。妹紅が見たらしい大量の用途不明な機械、その中にあったDNAを映し出す機械。『地上の結界』。

多分、それらの見たこともないものの大半は、その月の技術をこちらに流用しているのだろう。まあ、単純にそのまま使えるとは思えないから、それなりに改良をしているとは思うけれど。例えば、月にしかない材料が必要だったとすれば、それに代わる材料を見つけ出しただろう。加工技術が足りなければ、それに代わる手段を編み出しただろう。

 

「それで、どうなんですか?」

「…ない、と言ったら嘘になるけどね。けれど、わたしには手段がない。そして、それは簡単に思い付くようなものじゃない」

 

でしょうね、とにやつきながら言う藍とか言う妖怪狐に、あのスキマの影がチラつくのがかなりうざったらしい。

まあ、わたしには思い付かないだけで、何らかの手段で月に行くことは可能なのだろう。最低でも、月の使者はこの幻想郷に来ようとしていた。流石のそのまま永住、なんて間抜けなことはないだろう。つまり、幻想郷から月へ帰ることも可能だということだ。

永琳さんが月の技術を利用して機械を作ったのなら、同じように月へ行く手段だって流用可能だろう。…まあ、これは飽くまで仮定に過ぎないのだけど。

 

「ま、この際手段は後回しだ。仮に月に行ったとして、貴女はそれをどうしたいんですか?」

「盗み出して幻想郷の妖怪の技術に生かし、停滞してしまった妖怪の生活向上を目指しているのですよ」

「…ふぅん」

 

盗み出して、ねぇ。正直、わたしはその珍しいものを盗みたくはない。こちらに生活があるように、あちらにも生活があるのだから。もし盗むにしても、どれだけ盗み取ろうと無くなることのない情報でいい。

それと言い方からして、その目的は彼女自身の目的ではないだろう。語尾に『と言っていた』と付けて欲しいくらいだ。誰が、なんて考える必要もない。八雲紫でほぼ確実。

ま、一応確かめてみようかな。

 

「それは、八雲紫の目的ですよね?わたしは、貴女の目的を教えて欲しいんですが」

「私は紫様に付き従うだけです」

「あっそ」

 

まあ、正直そんなことはどうでもいい。それより、後ろに八雲紫がいることが分かったほうが重要。仮定から確定になったことは大きい。

 

「貴方達の目的は分かった。わたしも興味がある。利害の一致。いやー、素晴らしいよ。…それで?」

「それで、とは?」

「分かれよ。どうしてそんなことを考え付いたか、だ。突然、何の脈絡もなく思い付くようなことじゃないのは誰が考えても明白だ」

 

まあ、わたしが知らない過去に何かがあったか、この前の永夜異変から何か得たのか。このどちらかになるとは思うけど。

 

「ああ、そんなことですか。実は、紫様は数百年前に一度だけその技術を奪おうと月へ向かったのですが」

「失敗した、と」

「不慮の事故、ですよ」

「何それ、失敗は失敗で受け入れろよ。その程度、里の子供だって出来るのに」

「受け入れたから、今こうして貴女に言っているのです」

「そこでどうしてわたしが出てくるのか。言えないとは言わせないよ?」

 

右人差し指をピンと額に向け、妖力を込める。撃ち出したところで無駄ってことくらいわたしだって分かるけれど、あちらからすれば特に黙っているようなことでもなかったらしく、淡々と語り始めた。

 

「あの頃とは比べ、妖怪の数は増えました。皆が協力すれば、失敗することはないでしょう?」

「…他の妖怪、ねぇ」

「ええ。貴女が知るところでは、吸血鬼」

「それはどうでもいい」

 

問題は、その他の妖怪達が協力する気があるかだ。いや、その程度考えないような奴じゃない。つまり、協力しなくてもいいと思っているのでは…?

ま、後にしよう。今はさっさと話を切り上げさせたほうがいい。

 

「協力したところで月に行けなきゃどうにもならない。そのくらい分かっているでしょ?」

「ええ、そこは抜かりなく」

「簡単なことじゃないことくらい分かる。言えよ」

「紫様が今年の冬に湖に映った幻の満月と本物の満月の境界を弄り、湖から月に飛び込めるようにします」

 

…ちょっと意味が分からない。いや、永琳さんがやっていた『地上の結界』も意味分からないまま推測したけれど、こっちも同じくらい意味が分からない。

まあ、出来ると言っているのなら出来るのだろう。というより、出来ないとわざわざこうして協力者を集めようとしている意味がない。

 

「そして、貴女には紫様が結界を見張っている間に、月の都へ忍び込んでいただきたいのです」

 

 

 

 

 

 

一人になった部屋を見回し、一息吐く。一応空間把握をし、周りにいるのが橙ちゃんだけなことを確認し、耳を澄ませて周囲に異常がないかを確認する。…よし、もう警戒する必要はないだろうから『幻』を回収。

少しだけ待っていると、控えめに扉を叩く音が響いた。そして、すぐに扉が開く。…いや、叩いたなら返事くらい待とうよ。

 

「ねえ、藍様と何を話してたの?」

「月侵入計画」

「…何それ?」

「さぁ?よく分かりませんでしたよ」

 

彼女は嘘を言っているつもりはないだろう。しかし、八雲紫から伝えられていることが全て真実だとは思っていない。どこかに嘘はあるだろうし、わざと語っていないところだってあるだろう。代理人というのはこういう時は非常に便利だ。下手に失敗して洩らしたくない情報を洩らす心配がない。

 

「ねえ、橙ちゃん。その藍様っていうのは、どんな妖怪なんですか?」

「えっとね、紫様の式神。九尾の妖怪狐ですっごく強いし、すっごく頭がいいの」

「式神って何です?」

「何て言ったらいいんだろ…。んー、憑くと普段より強くなれるんだけど。えっと、他には…、主従関係の確立とか、頭がよくなったりとか…」

「いえ、知らないなら無理しないでいいですよ」

「んー…。知らないわけじゃないんだけど、説明出来ない…」

「出来ないことは無理強いしませんよ」

 

まるで経験したことがあるような言い方。多分、わたしが彼女から感じていた『裏』が分かった。きっと、今の彼女はその式神とか言うのが憑いていないんだ。けれど、その時の彼女と戦うのは無理がある。もしそんなことになったとしても、橙ちゃん単体との勝負にはならないだろう。そのとき式神を憑けてくれた誰かと一緒になるだろうから。

 

「それにしても、そんな強くて賢い妖怪が、どうして従う側にいるんでしょうね」

「知らないよ。けど、満足してるって」

「こういうのも利害の一致になるのかなぁ」

 

八雲紫は必要だから主となったのだろうし、藍とか言う妖怪狐も満足しているらしいし。

 

「ま、難しい話は切り上げましょうか。さ、食材採集に行きましょう?」

「うん!」

 



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第162話

昨日仕留めた猪を醤油で味付けしながらしっかりと焼き、皿に乗せる。…うん、美味しそう。小型の猪だったとはいえ、とても一人では食べ切れない量だったから、昨日の夕食も含めて橙ちゃんと分け合ったのだけど。

残った肉は昨夜の内に塩漬けにして、屋根に天日干ししている。水分がほとんど飛んで塩が浮き出るくらいなら長期保存出来るんだけど、食べるときはちょっと注意が必要だ。ああ、冷蔵保管出来る紅魔館が羨ましい。

 

「さて、今日は紅魔館に行こうかな」

 

フランに会えたら会いたいけれど、どうなんだろう?フランと萃香が言っていたことを組み合わせると、相当無茶して迷いの竹林に来たみたいだし。会えるかどうかはちょっと微妙なところだ。

ま、会えるにしろ会えないにしろ、大図書館で本を貰う。それは最低でも出来るだろうし、そのときにパチュリーに護符を渡すことだって出来るだろう。それに加えて、今使っている鎖型の護符に緋々色金を付け替えることとか、新しく緋々色金を複製することとか、大図書館でやりたいことは盛りだくさんだ。

手持ちにある護符を布に包み、意気揚々と扉に手をかける。そして、外へ足を踏み出したところで一時停止。

 

「あ」

 

…しまった。紅魔館へ行く前にさっき焼いたばかりの猪肉をちゃんと食べないと。うっかり忘れてしまうところだった。

急いで扉を閉め、未だに上手く扱うことが出来ないナイフとフォークを取り出し、皿の横に置く。

 

「…いただきます」

 

 

 

 

 

 

久し振りに大図書館に来た気がする。まあ、ここ最近は色々あったから特にそう思うだけかもしれないけれど。

 

「パチュリー、忙しそうですね」

「…そうね。レミィに無茶言われたから」

「…そうですか。まあ、それはまたいつかでいいですか?」

「ええ。今はまだ全然固まっていないから、そうしてくれると助かるわ。…貴女は何かいいことでもあったの?」

「いえ、そこまでは」

「そう」

 

ほんの少しの間、パチュリーの視線は本から目を離していたが、また本へと戻っていった。

 

「それで、今日は何をしに来たの?」

「色々ありますよ。いくつか本を貰いたいですし、緋々色金の複製だってやりたいです」

「構わないわ。…はい、これ」

「ありがとうございます」

 

いつもの緋々色金を受け取り、ひとまず手の中で転がす。そういえば、今のわたしの中を流れる妖力量を考えていなかった。大体半分無かったらそもそも出来ないからね。

迷い家に行った頃はほぼ全快だったけれど、その後で主に家の建設をするためにかなりの量の妖力を使用した。もしかすると、緋々色金の複製は延期になってしまうかもしれない。

しかし、そんな心配は無用だったようで、四割弱しか使用していなかった。…あれ、四割弱?

 

「ま、いっか」

 

手の平の上に小さな重みが現れた。そして、さっき感じた違和感がより一層大きくなるのを実感した。

何で三割程度しか妖力を消費していないの…?

 

「…ふぅ」

「…?どうかしたの?」

「後でまとめて言います」

「何かあったのね」

 

新しく複製した緋々色金に新たに妖力を注ごうとするが、全く入らない。明らかに過剰妖力が完全に満たされている。

 

「パチュリー。疑うようで悪いんですが、正直に答えてください」

「ええ、いいわよ」

「この緋々色金、別の粗悪品にすり替えたり、削り取ったり、何か妙なことに使用したりしませんでしたか?」

「全く。それに干渉したのは私と貴女だけ。私は貴女に手渡し手渡される以外は何もしていない」

「他の誰かが勝手に何かした可能性は?」

「完全に否定は出来ないけれど、それもないと思うわよ。それなりの仕掛けを施したところに保管しているから」

「…そう、ですか」

 

パチュリーが嘘を吐くとは思えない。緋々色金が何も変わっていないのならば、変わったのはわたしだ。

家の建設で使用した妖力量が妙に少ない。それだけなら自然回復力が向上した可能性もあったけれど、それでは緋々色金の複製をして消費した妖力量が減ったことが説明出来ない。なら、答えは明々白々だ。

 

「…わたしの妖力量が急激に増加した、か」

「…前から異常だった妖力量が?」

「ええ。目に見えて変わりましたよ」

「具体的にはどのくらい?感覚で構わないわ」

「五分の八、一.六倍でしょうか」

 

原因なんて考えるまでもない。というより、それ以外に特異なことが思い当たらない。『破壊魔』が取り憑き、溶けて消えた。

残っている妖力量ならもう一個創れるだろう。そう思い、新しくもう一個増やすと、パチュリーはわたしの妖力量が増えたことを実感したようだ。

 

「はぁ…。より一層規格外になったわね」

「…みたいですね。妖力が多くて困ることって、何かありますか?」

「そうねぇ…。無理矢理挙げるなら、人喰い妖怪の類にとっては格好の餌になるわね。捕食されればとんでもなく強くなりそう。…まあ、正直収まり切るとはとても思わないのだけど」

「なら、大して変わりませんね。増えたことは純粋に喜びますか」

「…理由、知ってるのね」

「…そうですね。あれ以外思い当たらないだけですが」

「それは、私には言えないものかしら?」

 

…どうだろうか。フランは紅魔館の誰にも言っていないようだけど、わたしは語っても構わないと思っているか?

 

「…一つ、約束してください」

「何かしら?」

「誰に対しても、他言無用でお願いします。…もちろん、レミリアさんにも」

「…いいわよ。レミィにも秘密、ね」

 

パタリ、と本を閉じたパチュリーがわたしに顔を向けた。穏やかな表情だけど、とても真剣だということは分かる。本を読みながら聞くつもりがない辺り。

けれど、そこまで真剣に聞いて欲しくない。というより、何かの片手間に語るくらいがいい。わたしにとって、そっちのほうが気が楽だから。

首に掛けられた二つの鎖を外し、新しく複製した緋々色金二つと一緒にパチュリーに手渡した。そして、本物を別に返す。

 

「…これは?」

「これから話しますが、わたしの家の場所に行くのに必要なものです。今までのネックレスから、緋々色金を付け替えてくれませんか?」

「…ええ、いいわよ」

 

そう言うと、パチュリーは早速作業を開始した。さあ、わたしも語るとしましょうか。

 

 

 

 

 

 

「…そう。そんなことがあったのね」

「ええ」

「『フランが何処か行った』ってレミィが言ってた理由がよく分かったわ」

「そうですか」

 

過激派の追い返しからここに来るまで。出来るだけ詳細に言ったつもりだ。

 

「とりあえず、五個全部付けたわよ」

「ありがとうございます」

「それで、私はさっき言っていた護符を貰ってもいいのかしら?」

「ええ。好きなのをどうぞ」

 

持って来た護符を広げると、パチュリーは一つ一つ手に取って眺め始めた。

 

「…これにするわ」

「指輪ですか」

「ええ。それにしても、この護符は凄い術式ね。私には難解過ぎて読み解けないわ…。ちょっと複雑な気分よ」

「へえ、そんなに凄いんですか」

「いつか分かるときが来るわ。これだけ難解なのに、非常に美しいのよ」

 

まあ、どれだけ難解で美しかろうとどうでもいい。わたしにとっては使えればいいのだ。

 

「さて、かなり話しましたね。…ところで、フランはどうしました?」

「残念だけど、今は会えないわよ」

「知ってますが、一応訊きましょう。理由は?」

 

ここに来るまでに出会った咲夜さんに『申し訳ありませんが、妹様のいる地下へは行かないようにお願いします』と言われている。

 

「レミィが地下に閉じ込めたからよ。今までとは違う方向で危ないから、って」

 

破壊衝動とは違う方向で?どういう事か分からず首を傾げていると、パチュリーは説明を追加してくれた。

 

「語りかけても揺すっても反応しないほどの放心状態、ですって。突然再発したらどうなるか分からないから、紅魔館の誰かと同行しないと出ちゃいけない、ですって」

「あれ?魔理沙さんや霊夢さんじゃ駄目なんですか?」

「みたいね。出てから戻るまでだから、紅魔館から責任持ってやらないと駄目なんですって」

「ふぅん…。もしかして、妖精メイドさんでもいいんですか?」

「そう言ってたわよ」

 

そんな緩い条件なのに、どうしてフランと会えないんだろう?

 

「そして、フランは頑なに出ようとしないのよ」

「…本当ですか?」

「本当よ。悪いけれど、理由は知らないわ。帰ってきたと思ったら、レミィが即行で地下へ放り込んだから」

「そうですか」

 

頭に浮かぶ、一つのアイデア。フランの為に、わたしが出来ること。自然と頬が吊り上っていく。

 

「パチュリー、手伝ってくれませんか?」

「…面白そうなこと考えてるわね。言ってみなさい」

「ええ、言いますよ」

 

さあ、どう転ぶかな?

 



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第163話

「…へえ、いいわよ」

「いいんですか?」

「ええ。どうせ行き詰っているのだし、それまでならこっちに専念してもいいかも」

 

多少なりとも戸惑うと思ったが、意外にもアッサリとパチュリーの協力が得られた。

 

「ふふ。それにしても、よく思い付くわね。貴女のそういう発想、私は好きよ?」

「そんなおかしなこと考えてるつもりはないんですけどねぇ…」

「普通ならチェス盤を広げようなんて考えないでしょ」

「そうですか?」

 

相手が格上なら、相手の予想の外側へ。当たり前でしょう?だって、そうでもしないと状況が変わらないのだから。まあ、同格だろうと格下だろうとそうするのだけど。

 

「まあ、わたしのことはいいですよ。…どのくらい時間が欲しいですか?」

「そうねぇ…。大体二日欲しいわ」

 

一週間なら早いほうだと考えていたのだけど、想像以上に早い。

 

「そんな短くていいんですか?」

「似たようなことは既に昔やったことがあるのよ。…まあ、今すぐにと言われても出来るけれど」

「けれど?」

「出来るだけいい品質にしたいの。そのときは出来た、で終わらせて次にいっちゃったから」

「こだわってくれるなら、それは嬉しいですよ。最低でも、出来ないってことはなくてホッとしてます」

 

もし出来ないと言われたとしても、また別の手段を考えればいいだけだったのだけど、一番最初に思い付いたのがそのまま出来ることはやっぱり嬉しい。

 

「ねえ、幻香。貴女は知ってたかしら?」

 

パチュリーが自分の頬と髪の毛を撫でながら、突然わたしに言った。

 

「永遠の美貌は古来から女性の憧れってことを」

「へー、そんなこと全く考えたこともありませんでした。じゃあ、パチュリーもそれなりに気にしてたりしてるんですか?」

「気にしてたらもうちょっと気を使ってるわよ」

 

気を使わなくても美しい人は美しいが、齢を重ねればその美しさは徐々に失われていく。そう考えると、永遠の美貌に憧れるのは当然なのかもしれない。

わたしから見れば、パチュリーは十分な美しさを持っていると思うんだけどなぁ…。

 

「ま、わたしにとってはどう考えても無縁なのでどうでもいいですが」

「そうね。…貴女は鏡のよう」

「映りの悪い鏡ですよ。決して、貴女と同じとはいかない」

「鏡でも全てが映るわけじゃないのよ。それに、貴女は貴女。そうでしょう?」

「…そうでしたね。わたしは鏡宮幻香」

 

わたしがどんな存在であろうと、鏡宮幻香であることに変わりないのだから。

パチュリーが付け替えてくれたネックレスを首に取り付け、立ち上がる。

 

「もう行くの?」

「ええ。二日しかないと分かった以上、止まってる暇はないですから」

「…本は?」

「また今度で」

 

パチュリーが最善を尽くそうとしてくれているんだ。だから、提案したわたしもそうしないといけないでしょう?

 

 

 

 

 

 

紅魔館の間取りは、必要な通路なら覚えている。出入口から大図書館へ行く通路やフランのいた地下への通路などのことだ。しかし、使わない通路はほとんど知らない。そもそも、外見とは全くそぐわない空間の広さを持つ紅魔館。その全てを把握している人なんて、下手したら咲夜さんだけじゃないだろうか。

しかし、そういうわけにもいかない。これからやろうと思っていることは、知らないじゃ済まされない。覚えろ。最悪空間把握で乗り切れるかもしれないが、いつまでもそういうわけにはいかない。

そんなことを考えながら廊下を進んでいたら、真っ青な髪の妖精メイドさんとすれ違った。

 

「こんにちは」

「こんにちはー。…あれー?もうお昼ー?」

「多分まだです。けれどおはよう、って言うほど早くはないですよ」

「そうだねー。難しいよねー」

 

おはようとこんにちはの境目は本当に曖昧だ。人によって異なる。こんばんはは日が沈んで暗くなったらと非常に分かりやすいのに。まあ、そのあたりも紅魔館では決まり事があるかもしれない。そんな些細なことを厳格に決めているとは思いたくないけれど。

そんなことは頭の片隅に留めておき、わたしは妖精メイドさんに尋ねた。

 

「すみませんが、今は暇ですか?」

「えー?んー…、大丈夫だよー」

「そうですか。それじゃあ、調理室ってどこにありますか?教えてくれると嬉しいんですが」

「調理室ー?じゃあ、付いて来てー!」

 

元気のいい返事と共に歩き出した妖精メイドさんに付いて行く。その足取りに戸惑いは一切ない。

 

「紅魔館って、やたらと広いですよね」

「そうだねー」

「間取りって、全部覚えてるんですか?」

「まっさかー!覚えきれるわけないじゃーん」

「あ、そうなんですか…」

 

そうだとは思っていたけれど、改めてそう言われると、ちゃんと調理室に到着出来るのか心配になってくる。

 

「到着ー!ここが調理室だよー」

 

まあ、そんな心配は杞憂だった。妖精メイドさんが扉を開けたその先は、確かに調理室。中では既に数人の妖精メイドさんが調理をし始めていた。

 

「それで、ここで何したいのー?…もしかして、盗み食いー?」

「確かに盗むつもりですよ。食料じゃなくて、技術のほうを」

「…?まー、よく分かんないけどー、頑張ってねー!」

 

そう言うと、タタタと駆け出して行った。ああは言っていたけれど、もしかしたら彼女には何か仕事があったのかもしれない。そう思うと、少し申し訳なく思えてくる。

まあ、過ぎてしまったことはしょうがない。そうだとしてもそうじゃないとしても、時間を割いてくれたあの妖精メイドさんには感謝しよう。

 

「お邪魔します」

「あれ?お客さ…、幻香さん?」

「こんにちは」

「すみませんが、お話は調理が終わってからでいいですか?」

 

わたしが調理室に入ってきたことに反応したのは、たった一人だけだった。その妖精メイドさんが言ったことに対して頷いて肯定すると、すぐに調理へと戻っていった。まあ、他の妖精メイドさん達は目の前の調理に意識を向けているのだろう。

さて、ここに来た目的を始めよう。調理をしている妖精メイドさんの邪魔にならないように、遠目の位置から見回すことにした。

 

「塩小さじ一杯、っと」

「ちょっと、それ砂糖だよ?」

「うぎゃっ!間違えたー!」

 

…ちょっとそれは流石にないんじゃないかな?塩と砂糖の見た目は似ているけれど、触感は大分違うし。間違えちゃうなら、容器にちゃんと書いておけばいいと思うよ?

 

「ちょっと薄い?」

「んー…、十分じゃない?」

「じゃあ、塩一つまみ入れようかな」

「…ちょっと、十分って言ったじゃん」

「前にそれで怒られたからいいの」

 

そう言いながら、鍋に塩を少し入れていた。ここからでも十分美味しそうな香りがするスープ。味見してみたいけれど、今そんなことを言ったら迷惑だ。

 

「あのさあのさ、肉ってどのくらい焼くんだっけ?」

「焼き過ぎたら怒られた」

「じゃあじゃあ、このくらい?」

「…それは流石に焼かな過ぎ」

 

ここからだと何の肉か分からないけれど、今朝食べた猪肉と比べてかなりの厚みがあるように見える。確かに、その程度じゃあ中身はほぼ生肉同然だろう。誰が食べるのかは知らないけれど、わたしは食べたいとは思わない。

んー、こうして見て回ったけれど、そこまで必要な技術はなかった。それより気になったのは、妖精メイドさん達の調理の技術差。上手な妖精メイドさんはわたしより上手だ。ただ美味しく調理するだけじゃなく、見た目まで美しく飾られている。しかし、わたしが見た最底辺はわたしの手抜きより酷いと思う。包丁で指を切るのは流石にどうかと思うよ…。

 

「…こんな感じか」

「あのー、幻香さん?ここには何をしに…?」

 

最初にわたしに声をかけてくれた妖精メイドさんが調理を終え、わたしに問いかけてきた。

 

「技術を盗むため。美味しく調理する方法を知りたいだけですよ」

「あ、そうなんですか。それじゃあ、一緒に作りますか?」

「申し訳ないですけど、今日はもう時間がないので見るだけです」

「それは残念です」

 

ここで知りたかったことは十分得られた。そう思い、会釈してから調理室を出る。

さて、続けて紅魔館の間取りをキッチリと覚えることにしましょうか。普段は歩かないところまで、隈なく頭に叩き込まないと。出来れば、夜になる前には終わらせたいなぁ…。

 



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第164話

「…あー、疲れたぁ」

 

溜まった空気を吐き出しながら空を見上げると、僅かに白みがかった黒で塗りつぶされていた。どうやら、今夜の空模様は濃密な曇りらしい。

とりあえず、紅魔館の間取りは一応頭に叩き込んだ。しかし、飽くまでとりあえずで一応だ。当然粗はあるだろうし、下手すれば明日には忘れてしまうかもしれない。他にも覚えることがたくさんあったこともあって、今の頭の中は飽和状態に近い。今すぐに寝てしまいたいくらいだ。

それなのに、今こうして霧の湖の上で浮かんでいるのには理由がある。ここにいるだろう彼女達の中で、用がある人が二人いるからだ。一度に二人共会えるとは思っていない。そのうちの一人でも会えれば、と思っている。

そう思いながら周りを見回していたら、突然視界が闇に包まれた。そして、背中に何かがのしかかる。僅かによろけた体をすぐに立て直し、肩の上に乗っている腕と思われるものを右手で掴む。

 

「ルーミアちゃん?」

「んー、そうだよー?」

 

そのままおぶさるようにするルーミアちゃんを支えていると、視界が元に戻った。急に視界を潰して背中から飛び掛かって来るのはいいけど、そのあと水没する可能性を考えてほしい。まあ、そうならないように何とかしているのだけど。

しかし、ルーミアちゃんか。彼女には申し訳ないけれど、わたしが用があるのは彼女じゃない。だからといって振り払うつもりはないけれど。

そのまま霧の湖の上を飛んでいると、ルーミアちゃんが耳元に口を寄せ、小さな声でわたしに問いかけてきた。

 

「ねえ、何してたのー?」

「紅魔館の間取りを頑張って覚えてました」

「何でー?」

「必要だからですよ」

「ふーん」

 

そこまで興味がないのかもしれない気の抜けた相槌を聞きながら周りを見渡すと、岸辺に見たことのある人影を見つけた。その方向へと向かうと、そんな調子を切り替えるように話題を変えてきた。

 

「そういえば、ルナが言ってたけどさー。幻香、なんか凄いことやったみたいじゃん」

「…凄くなんかないですよ」

「そうかなー?けど、どうして食べなかったのー?」

「食べるためにやったわけじゃないんですよ。純粋に、消すことしか考えてませんでしたから」

「そっかー」

 

もったいないなー、という消え入りそうなほど小さな声が耳に入った。まあ、彼女から見ればわたしの行動は非常にもったいないと思うだろう。みすみす食べ物を捨てるようなものなのだから。しかし、わたしは食べたいとは思わないし、そもそも食の対象と思えない。

到着した岸辺に降り立ち、ルーミアちゃんを降ろしながらそこにいた四人に挨拶した。

 

「こんばんは、大ちゃん、サニーちゃん、ルナちゃん、スターちゃん」

「あ、まどかさんにルーミアちゃん。こんばんは」

「ふぁ…。幻香さんとルーミアじゃん」

「こんばんは」

「サニーったらもうおねむなの?こんばんは、幻香さん。それとルーミアも」

 

ここで大ちゃんに会えるとは喜ばしいことだ。しかし、あともう一人はここにはいないようだ。…まあ、ここにいることは珍しいと言っていた。だから、いなくてもしょうがないとは思っていたけれど。

左手に持っていた包みを置き、顔の高さを大ちゃんに合わせる。さて、申し訳ないとは思うけれど、早速話を進めさせてもらおう。

 

「大ちゃん。急な話で申し訳ないですが、貴女に少し訊きたいことがあるんです」

「え?わ、私ですか?」

「ええ。貴女の能力について」

「私の能力、ですか?私なんかは、少し妖精達をまとめることが出来る程度で…」

 

詳しく訊ねてみると、大ちゃんはすんなりと答えてくれた。

大妖精の名に恥じず、妖精という括りの中ではかなりの高位に位置するらしい。それ故に妖精達に『お願い』が出来るそうだ。その『お願い』は絶対的なものではないらしく、やってくれるかどうかは飽くまで本人次第。言い換えればカリスマというものだろうか。そう言われれば、前にチルノちゃんを窘めたときに、渋々と受け入れていた。きっと、それが彼女の言う『お願い』なのだろう。

確かにスペルカード戦ではとても生かせるような能力ではないが、わたしが予想していた能力よりも遥かに素晴らしい能力。大ちゃんの両肩に手を置き、少し顔を近付けながら言った。

 

「その能力、二日後に少し貸してほしいんです」

「…?もしかして、何かするつもりなんですか?」

「ええ、します。…まあ、申し訳ないですけれど、保険程度なんですがね」

「よく分かりませんけれど、分かりました。直前でも断ることを許してくれるなら、いいですよ」

「十分ですよ。ありがとうございます」

 

両手を離し、ホッとする。保険程度とはいえ、わたしがやろうとしていることの成功率に大きな変化をもたらしてくれるだろう。それほどの能力だ。

眠気を感じて口元に手を当てていたら、サニーちゃんがわたしの腕を引っ張った。

 

「ねぇ、何か面白そうなことでもしようとしてるの?」

「面白い、かなぁ…。まあ、傍目から見れば面白いかもしれませんね」

「じゃあさ、私達も一緒に行ってもいい?」

「え、ちょっとサニー…」

 

スターちゃんがサニーちゃんを止めようとしている間に、もし光の三妖精が一緒に来てくれた場合のことを考えてみる。正直、いてもいなくても変わらないだろう。だけど、知っている人は少なければ少ないほど情報漏洩は防ぎやすい。

 

「…ごめんなさい。一緒には無理ですね」

「そっかぁ…。残念」

 

…そう口にしている割にはやけに楽しそうな顔してますね。もしかして、何か企んでるの?…まあ、いいや。彼女が何を企んでいようと、わたしは止めるつもりはない。

地面に置いた包みを広げる。五人が覗き込むようにしているのだけど、月も星もない中で見えるのだろうか?わたしはさっき完全な闇を体験したから、今は少し明るく感じるけれど。

そう思っていたら、大ちゃんが前に見た光源を出した。程よい光がわたし達を照らす。

 

「何これー?」

「わたしが引っ越したのは知ってますか?そこへ行くのに必要なものです」

「…けど、三つしかないよ?」

「そうですね。けれど、そのうちの二つは渡したい人がいるんですよ」

 

フランと萃香。どちらも今すぐに会えるわけではない。フランは地下に閉じ籠っているし、萃香に至ってはどこにいるかも分からない。

 

「それでは、残りの一つは?」

「貴女達の誰かに。これを持っている人と一緒になら、他の人も入れるので」

「じゃあ私が!」

「サニーはものをすぐなくすから駄目」

「ちょっ…!そ、そんなことないし!」

 

さすがになくしてしまうと困るけれど、誰に渡しても構わないと思っている。この護符はその人しか使えないというものではないのだから、必要な人に手渡して使ってくれればいいのだから。まあ、誰か代表として管理してくれれば助かるくらい。

 

「誰でもいいですよ。ちゃんと管理してくれるまとめ役が持ってくれればいいと思いますが」

「それじゃあさー。大ちゃんが持っててよー」

「私がですか?」

 

ルーミアちゃんが大ちゃんの背中を押しながら推薦した。わたしも彼女が持ってくれるのが一番いいと思ってた。

 

「大ちゃんなら任せられるかな、うん」

「サニーちゃんもそう言ってますし。…ルナちゃん、スターちゃんもいいですか?」

「…うん、それがいいと思う」

「それで構わないわ」

 

満場一致。あとは彼女次第。断られちゃったなら、その時はまた別の人に任せるしかない。

期待に満ちた目に囲まれた大ちゃんは、少しの間考えると布の護符に手を伸ばした。

 

「…そうですね。私が責任持って預かります」

「ありがとうございます」

 

残りの護符を布に包みながら小さく欠伸をしてしまう。…やばい。かなり眠くなってきた。けれど、早めにやっておきたいことがまだある。

 

「もしかして、幻香も眠いのー?」

 

そう考えながらこめかみを軽く押していると、ルーミアちゃんがさっきみたいに耳元で囁いた。僅かに重く感じる瞼を開き、大きく伸びをする。

 

「…まあ、そうですね。けれど、今日はまだ寝てられないんですよ。…あの、誰かミスティアさんが今どこで屋台を開いているか知ってますか?」

 

わたしが会いたいもう一人。彼女にも訊いておきたいことがある。

ルーミアちゃんは可愛らしく首を傾げ、光の三妖精は三人で集まって話し合い始めた。僅かに聞こえる言葉から察するに、分からないらしい。

 

「それなら、あちらのほうに真っ直ぐと行けばいいと思いますよ」

 

流石大ちゃん。貴女ならもしかしたら、と思っていたよ。

 

「何から何までありがとうございます。その護符についてはチルノちゃんやリグルちゃんにも伝えておいてくださいね?」

「はい、分かりました。それでは、まどかさん」

「それじゃあねー!…ふぁあ…っ」

 

今のわたしが言えるようなことじゃないだろうけれど、眠い時は寝たほうがいいよ?一線を越えると眠気は飛ぶけれど、支払う代償は大きいから。

 



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第165話

「あっ、幻香…って、どうしたの?その顔」

「さっきまで眠かっただけですよ」

「いや、そうじゃなくて…。あの、その、眼が…」

「目の色変えてまでもやらなきゃいけないことがあるんです」

「それでもおかしいでしょ」

 

至急やる必要が出来たので、ここに来るまでの維持をしてみようと『紅』を発動した。その結果、吸血鬼が元だからか、極度の集中状態に入ったからか、眠気は吹き飛んだ。まあ、ここに来るまでに一度解けてしまって集め直すことになったとき、一気に疲れと眠気が襲ってきたのだけど。

屋台の暖簾をくぐり、椅子に座る。わたしの顔をじっと見つめるミスティアさんが、小さくため息を吐いた。

 

「ま、幻香に変わりなさそうだし、いっか」

「ありがとうございます。今日はお客として来たわけじゃないんですがね。残念ながら」

「それでもいいよ。…そうだ。少し前におでん作ってみたんだ。味見してくれる?」

「いいんですか?」

「いいのいいの。他の人の意見が欲しかったし、何よりこんな時間になったらお腹空くでしょ?」

「…そうですね。いただきます」

 

食べることを忘れて昼食夕食を抜いていたにもかかわらず、飢えを感じていないのだけど。しかし、食べたくないというわけではない。なんとも不思議で不気味な感じだ。

 

「温め直すから、ちょっと待ってね」

 

そう言いながら大き目の鍋を取り出し、炭に着火した。

さて、おでんが温まるのを待つのも兼ねて、わたしがここに来た要件を果たすとしよう。

 

「ミスティアさん。今日は頼みがあって来ました」

「頼み?…それより、もうそろそろ日付も変わるよ?もしかしたらもう変わってるかも」

「時間がないんです。手短に言いましょう」

 

ミスティアさんの目を見詰める。すると、何故か気圧されたように僅かに後ろへ下がられた。…解せぬ。

 

「わたしに、歌を教えてくれませんか?」

「へ?…う、歌?」

「ええ。付け焼刃で構いません。わたしはどうしてもその技術の基礎が欲しい」

「えぇっと…、極めるつもりはないんだね?それと、幻香。私の歌って幻香に一度も聴かせたことなかったと思うんだけど…」

「ええ、そうですね」

 

確かに、わたしはミスティアさんがどの程度の実力の持ち主か知らない。けれど、あの妖夢さんと幽々子さんが興味を持つ程度には心得がある。…もしくは、あの二人の気に障るほど耳障りだったか。

わたしは上か下かの二択で、上にいることを信じた。

 

「ですから、少し聴かせてくれませんか?」

「いいけど…。里からは遠いとはいっても、ここだと目立たない?」

 

…確かにそうかも。ミスティアさんの言うとおり、ここは里からは遠い。しかし、わたしはそれでも安心しているわけではない。そのことはミスティアさんも理解していたみたい。もしかしたら、わたしより気を使っていたかも。

軽く周りを見渡し、人影がないことを確認。耳を澄ませて余計な音を排してみるが、それらしい音は聞こえない。念には念を入れて空間把握をしてみたが、周辺に誰かがいる様子はなかった。

 

「…多分大丈夫。近くに気配はなかったです」

「そう?けど、いつもより小さな声で歌うね」

 

そう言うと、ミスティアさんは目を瞑り左手を胸に当てた。そして息をゆっくりと吸い込み、歌い始めた。その歌声は、まるで別人のようだった。一つ二つ高く透き通るような声。これで小さな声?冗談でしょう?これまでに色々な経験をしたつもりだけど、声に圧倒されるのは初めてかもしれない。それほどまでにミスティアさんの歌声はわたしの気を引いた。

…引いてしまった。

 

「あ…っ!」

 

均衡を保っていた集中の糸が引かれ、それと共に『紅』が解けていくのを感じる。やらかした…!ミスティアさんの歌声に気が逸れた。確かに美しくて惚れ惚れするほどだけど、今回に限ってはそれは集中を途切れさせるものとなってしまった。

ドロリとした疲労感と眠気がわたしを襲う。これから集中しろといわれても、それはとてもじゃないけれど出来そうもない。

 

「ちょっ…、幻香!?」

 

ミスティアさんがわたしの異変に気付き、歌を止めてわたしの元へ駆け寄ってくれた。

 

「大丈夫!?」

「…ええ。つい、聞き惚れ、ちゃい、ました、よ」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?」

「大丈夫、です…。ただ、眠い、だけ…」

 

…もう駄目。限界。感覚が泥沼にでも沈んでいくように遠くなっていく。ミスティアさんを心配させまいと、動かない体の代わりにせめて微笑もうとしたけれど、上手くいっただろうか?

わたしの意識が完全に途切れる少し前に、さっきとはまた違う優しい歌声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

「――て、幻香」

 

…誰かがわたしの肩を揺すっている。それと同時に瞼の上からでも分かるほど強烈な光が一瞬突き刺さった。

 

「もう朝だよ?そろそろ私寝たいよ…」

 

薄目を開けると、ミスティアさんの顔があった。…ああ、そっか。『紅』が解けてそのまま寝ちゃったんだ。

体を起こすと、ドサリと何かが地面に落ちた。その音があった場所に目をやると、毛布が落ちていた。どうやら、わたしにかけてくれていたらしい。

 

「おはようございます、ミスティアさん。それと、毛布ありがとうございます」

「おはよう。それと、どういたしまして。…ふぁ…っ」

 

ミスティアさんが大きな欠伸をしたことに驚き、よく見ると目の下に薄っすらと隈があることに気付いた。

 

「ふぅ…。大丈夫だよ、幻香。幻香が起きるまで、誰もここには来なかったから」

「…わざわざすみません」

「いいのいいの。たまにそういうお客さんもいるから。ま、面倒なお客さんだったら放り棄てるんだけどね」

 

放り棄てるんだ…。きっと、そのお客さんの運がなければ、人食い妖怪の餌食となるのだろう。

 

「とりあえず、朝食食べる?結局食べてもらえなかったおでんだけど」

「面目ない…」

「気にしないでいいのに。…ふぁ」

 

おでんが入っているだろう鍋は、昨夜わたしが寝てしまった後鎮火して放置されていたようで、すっかり冷めてしまっている。なので、また温め直すことになってしまった。

 

「幻香、昨夜言ってた歌のことなんだけど」

「はい」

「いつまでなの?」

「明日です」

「明日ね。…え?明日?」

「急な話ですよね。けど、わたしも大変なんです」

「…付け焼刃で、っていうのはそういうことだったの」

 

そう言いながら、ミスティアさんは腕を組んで考え始めた。時間に余裕があればもっと楽に済んだのだけど、パチュリーに頼んだことが終わるのは明日だ。それに、本来ならこの二日さえも要らなかった。

しかし、いくら早くてもわたしの準備がまだだった。だから、この二日で全て終わらせようと思った。わたしがやらなければならないと思ったことの全てを。フランを外へ連れ出すためにわたしがしなきゃいけないことの下準備を。

 

「…よし、分かったよ。出来るだけ頑張ってみる」

「重ね重ねありがとうございます」

「けど、簡単じゃないと思うよ。…あ」

 

鍋から僅かに湯気が上ったのを見たミスティアさんが、器におでんの具を移してわたしに手渡してくれた。試しに一緒に渡された箸で大根を割ってみると、簡単に二つに分けることが出来、色が内側までしっかりと染み付いていた。

 

「美味しそうですね。いただきます」

「召し上がれ。…けどさ、何で急に歌なんてやろうと思ったの?」

「ああ、それですか?…熱ッ」

 

口の中に入れた大根が思った以上に熱く、戻してしまった。慧音に見られたら何と言われるか…。

手で仰いでおでんから熱を飛ばしながら、わたしは言った。

 

「普段とは違う声を出したいからです」

 



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第166話

「あ、あ、あー。…ふぅ」

 

それにしても、ただ美しい声にするのではなく、喉への負担がない発声なんていうのがあったとは知らなかった。ミスティアさん曰く、それが一番大事だそうだ。その時しか歌わないわけではないのだし、喉は普段の生活でも使われるものだ。だから、無茶な発声をして喉を潰してしまうのは一番やってはいけないとのこと。それを聞いて、妹紅と似たようなことを最近話したことを思い出した。

 

「あえいうえおあお。かけきくけこかこ。させしすせそさそ。…んっ、んっ」

 

…ちょっとだけ喉が痛い。痛めてはいけない、と言われたのにこの様だ。言い訳に過ぎないが、昨日は普段の何倍も声を出していただろうからしょうがないとは思う。まあ、この程度なら生活に支障は出ないだろうけれど、当分無理はしないようにしよう。言葉数を減らすとか。

霧の湖に辿り着くまでの間、発声練習を続けた。もちろん、喉に無理をさせない程度に。

 

「おはようございます、まどかさん」

「おはよう、大ちゃん」

 

霧の湖に着くと、そこには大ちゃんが既に待っていた。近くに他の気配はなく、たった一人で。ただ、その表情が普段より少し硬いように感じたのが気になった。

 

「大丈夫ですか?」

「…いえ、正直あまり…。まどかさんが何をするのか、ちょっと心配なんです」

「悪いことに使うつもりはないんですが…」

「違います。また何か無茶するんじゃないかって…」

 

また?…わたし、大ちゃんの前で何か無茶したっけ?…駄目だ、覚えてない。

 

「…何かしましたっけ?」

「皆を一斉に相手するなんて、無茶だったと思いますし…」

 

…あれはその場の流れでそうなっちゃっただけだから。

 

「蛇のヌシのときなんて、かなり無茶してましたし…」

 

そうかな?行き当たりばったりだったことは認めるけれど、そこまで無茶ではないと思うんだけど。

 

「けれど、そんなことよりももっと心配なことがあります」

「…何かな?」

「まどかさんが冥界から死んだような姿で現れた、って」

「…何で知ってるんですか?」

「リリーちゃんが教えてくれました。一瞬だけだけど、見えたって」

 

一瞬…?もしかして、咲夜さんが時間停止を駆使してまで運び出したってこと?

 

「心配なんです。まどかさんが、そうやって倒れてしまうのが。何て言うか、無茶を無茶と思っていないところも」

「…そうですか」

「はい」

 

それでも、わたしが倒れてしまうとしても、無茶を無茶と思っていても、そうすることで事態が変わるならわたしはそれをする。そうしなきゃいけない。だって、そうしないと何も変わらないのだから。

しかし、妖力枯渇の対策は既に首に五つもかかっている。よっぽどのことがなければ、もうそのような失態を演じないと思っているのだけど…。

それに、これから紅魔館でやりたいことに、そんな身の危険はほとんどない。

 

「心配しないでいいですよ。…さ、行きましょ?」

「心配しますよ。けど、はい。行きましょう」

 

そう言う大ちゃんの表情から硬さがなくなり、普段通りの柔らかな微笑みを見せてくれて、わたしはホッとしながら紅魔館へと向かった。

 

 

 

 

 

 

特に問題なく大図書館に到着した。久しぶりに来たからか、大ちゃんは目を見開きながら周囲を見回している。

そんな大ちゃんの歩く速さに合わせて奥へ進むと、周囲に本の山を作っているパチュリーが座っていた。読んでいる本の表紙には『音速の世界』と書かれている。

 

「おはようございます、パチュリー」

「お、おはようございます、パチュリーさん」

「…来たのね。頼まれたものはもう作ったわ」

 

そう言うと、本から目を離すことなく隣の机に置かれている何かを指さした。パチュリーに断ってから手に取って眺めてみるが、とても複雑な紋様が刻まれていることと無数の小さな穴があること以外分からず、いまいち使い方が分からない。パチュリーには悪いのだけど、本当に目的通りに使えるのか少し心配になった。

 

「…これ、どうやって使うんですか?」

「その前に、彼女を連れてきた理由を教えてくれないかしら」

「わ、私ですか…?」

「そう、貴女よ」

「彼女は保険です。保険というにはあまりにも大きな役目を担ってもらうんですが…」

「ふぅん?…ま、貴女が必要だと思うから連れて来たのね。それならいいわ」

 

パタン、と本を閉じて机に置くと、パチュリーがわたしのほうを向いて言った。

 

「その使い方の前に言っておくけれど、その模様は全部魔法陣。多少の傷なら問題ないと思うけれど、一応傷付けないようにして」

「分かりました」

 

鶏の卵より一回り小さいこれに刻まれた紋様。これの全てが魔法陣…。意味もなくあるとは思っていなかったけれど、まさか魔法陣だったとは。

 

「それで使い方だけど、ほんの少し赤いところがあるでしょう?」

「え、そんなのありましたっけ?…あ、本当だ」

「そこに魔力、貴女なら妖力をほんの少し流せば、穴から噴出されるわ」

「ふ、噴出ですか…」

「微細な水滴、霧のように噴出されるの」

 

使い方は分かった。思った以上に工夫されているらしい。きっと、わたしが考えているよりずっと使いやすいようになっているのだろう。

 

「回数は貴女の場合、そうねぇ…十回くらいかしら?使い方によって多少は変動するけど」

「仮に使い切ったとして、また作れますか?」

「そうなる前に言ってくれれば、翌日までに作っておくわ」

「了解です。至せり尽くせりですね」

「…そんなことないわよ。もうちょっと中身を圧縮したかったのだけど、そうすると破裂しちゃうかもしれないから出来なかったのよ」

 

これよりもっと良くしようとしていたパチュリーに驚いていると、横から袖を引っ張られた。

 

「あのー、まどかさん。私は何をすればいいのですか?」

「あー、ちょっと待ってください」

 

大ちゃんにやってもらいたいことは、まず妖精がいないと意味がない。

 

「パチュリー。何人か妖精メイドさんを呼んでくれませんか?」

「いいけど、何のために?」

「大ちゃんは妖精に『お願い』が出来るんです。それで、少し口裏を合わせてもらいたいんですよ」

「そう。…そんなことが出来るのね。咲夜が欲しがりそう」

「え?口裏、ですか?」

 

大ちゃんが首を傾げている間に、パチュリーが机に置かれていたベルを鳴らした。少し待っていると、妖精メイドさんが一人やってきた。

 

「パチュリー様、ご用は何でしょう?」

「貴女が優秀だと思う妖精メイドを五人くらい連れてきてちょうだい。もちろん、貴女も一緒に」

「分かりました」

 

二人の会話を聞きながら、わたしは意識の中にある異物を掻き集める。少しずつ形を整え、それは完成した。『紅』発動。

腕を組んでうんうんと唸りながら考えていた大ちゃんが、小さく息を吐いた。

 

「…分かりません。まどかさん、一体何をするつもりなんですか?」

「フランと外へ出たいんです。地下に閉じ籠っているみたいだから」

「そうですか…。けど、あの時は普通に出てましたよね?」

「それがそうもいかなくなったんですよ。だから、わたしがどうにかすることにした」

 

そのためにこの二日間出来る限りのことはした。あとは、わたしとフラン次第。

大図書館の扉が開く音が聞こえたと思ったら、六人の妖精メイドさんがやってきた。白、赤、青、黄、緑、紫と一人一人色鮮やかだが、全員同じようなメイド服を着ている。まあ、メイド服は紅魔館から支給されているらしいので、同じなのは当然か。

 

「連れてきました。それで、何をするのでしょうか?」

「それについては、幻香から聞いてちょうだい」

「違いますよ、パチュリー。わたしからは何もないです。ただ、ここにいる方の『お願い』を聞いてくれるとありがたいです」

「え、ちょっとまどかさん。私は何を言えばいいのかまだ分からないんですけど…」

「あ、そうでしたね。それじゃあ、ちょっと耳を貸してください」

 

口を大ちゃんの耳に近付け、わたしのお願いを囁いた。それなりに長い内容だったのだけど、一つの文章ごとに小さく相槌を打ってくれたので、とても話しやすかった。

そして、全てを話し終えると、大ちゃんは少し考えてから大きく首を縦に振った。

 

「…分かりました。けど、聞いてくれるかどうかはあの子達次第ですよ?」

「いいんですよ。わたしは、貴女と彼女達を信じます」

 

これで、わたしの手段は出揃った。…さて、上手くいくだろうか?いや、きっと上手くいく。…違う、きっとなんていらない。上手くいくんだ。

そのためなら、わたしはわたしを捨ててみせよう。

 



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第167話

「え、何それ!?面白そう!」

「そうだねー。確かに面白そうかもー」

「ほ、本当にいいんですか?ちょっと大変だと思いますけど…」

「いいよ!簡単じゃないほうがやりがいあるし!」

 

…面白そう、か。わたしもそう思うよ。…傍目から見る側になれれば、ね。やる側はやる側の辛さがある。それはたとえ、手伝い程度でもだ。

けれど、それでもやってくれると言うのなら、わたしはありがたい。断られた場合はもっと辛かっただろうから。

 

「ありがとうございます、皆さん」

「私が楽しそうだからやるだけなんだから、気にしないでもいいよ」

「そうそう。いやー、楽しみ楽しみ」

「頑張る。だから、貴女も頑張って」

「ええ。これだけ協力してもらうんですから、わたしだってちゃんとやり切りますよ」

 

目標はフランの連れ出し。簡単なようで、難しい。何せ、わたしはその部屋へ行くことを許されていないのだから。この前に紅魔館を回っていたときにコッソリと行こうとしたのだが、すぐに咲夜さんに止められてしまった。極僅かな可能性に賭けてみたが、残念ながら駄目だった。

だから、当初考えていたことを決行することにした。わたしは、欺瞞によって咲夜さんとレミリアさんをすり抜ける。

 

「あ、そうだ。ねえ、大ちゃん」

「はい、何でしょう?」

「最終的には紅魔館にいる妖精メイドさん全員にしたい、何て言ったらどうします?」

「…どうでしょう」

 

ちょっと困り顔を浮かべるところを見るに、困難であるようだ。彼女の心情から拒否されるかもしれないけれど、その前に紅魔館にいる妖精メイドさんが多過ぎる。この前の探索で見た妖精メイドさんの人数を改めて数えてみたところ、その数はなんと百を超えた。まあ、この数は飽くまでわたしが見た人数。見ていない妖精メイドさんだっているだろう。

それに、紅魔館の妖精メイドさんはかなり頻繁に変わるらしい。泊まり込みでやっている者もいれば、気が向いたら来る程度の者もいる。妖精の間柄から誘われてやってみた者もいるし、ふらっと立ち寄ったところで面白そうなことをしていたから始めた者もいる。怖くなって逃げた者もいれば、疲れたから辞めていく者もいる。

つまり、たとえ今日のうちに紅魔館にいる全員の妖精メイドさんに『お願い』をしたとしても、来ていない者もいるし、これから入ってくる者もいるのだ。

 

「無理なら無理でもいいですよ。わたしだって、そんな簡単なことじゃないことは分かってますから。それこそ、無茶ってやつです」

「そう、ですか…」

「そんな落ち込まないで。出来ることをしてくれればいいんです。出来ないことをやろうとして失敗するほうがよくない」

「…いえ、出来ます。これからここにいる子達に会って来ますから」

 

そう言ってわたしを見上げる大ちゃんの表情は、さっきまでとは打って変わって意気盛んだ。どうやら、彼女は本気でやるつもりらしい。

 

「あの、無茶ってわけじゃないんですね?」

「はい。いつかここにいる子達と話しておきたいと思ってましたから、それは今からになっただけです」

「そうなんですか…?」

「それに、もし私がやらなかったら、それを埋めるためにまどかさんが無茶するかもしれないじゃないですか」

 

…そんなことないと思いたいけれど、どうだろう。わたしの考える無茶と大ちゃんが考える無茶は違うようだし。けれど、その好意的行動はとてもありがたい。

 

「それじゃ、行ってきますね」

 

大ちゃんは妖精メイドさんの一人に声をかけ、その子と一緒に扉へと歩いていく。二人が扉を開いて出て行ってしまうまで見送り、扉の閉じる余韻がなくなるまで扉を見詰めた。

大ちゃんがあそこまでやってくれるんだ。それに、他の妖精メイドさん達にも協力してもらう。よーし,頑張ろう。

 

「さて、パチュリー」

「…貴女は行かなくていいのかしら?」

「まだいいですよ。訊きたいことがあるんです」

「そう?けど、その前に」

 

パチュリーの待てに従って少し黙っていると、残された五人の妖精メイドさんに積み上げられた本の山の片付けを命じた。五人は慌てて動き出し、数冊の分厚い本を両手に持って右往左往し始める。

 

「それで、何を訊きたいのかしら?…そうね、私がレミィに頼まれたこととか」

「当たり。よく分かりましたね」

「何て言うか、貴女が考えていることが漏れ出てるときがあるのよね」

 

今がそれ、と言われてしまい、咄嗟に両手で顔を触れてしまう。…いや、そんなに分かりやすい?まあ、割と言い当てられること多いけど。

 

「それで、レミィに頼まれたことなんだけど。幻香は八雲藍って妖怪狐を知ってるかしら?」

「…知ってますよ。最近、わたしの家に来ました」

「そう?なら話が早いわね。月に興味はないか、って言われたのよ」

 

うん、それは知ってる。吸血鬼も参加するみたいなことを言ってたし。けれど、それとパチュリーが忙しいこととの繋がりがどうしても見当たらない。

 

「そしたらレミィが『八雲紫を出し抜いて先に月を侵略する』とか言うから、月に行くための方法を考えてたのよ。まったく、頼んだらそれっきりで何もしないんだから。…いつものことだけど」

 

妖精メイドさんが頑張って片付けている本の山はその結果だろう。さっきまで読んでいた本も含めて。

 

「…壮大なこと考えてますねぇ。わたしはそんな手段考えるのはとっとと諦めて、あっちの策略に乗るつもりでいたからねぇ」

「貴女なら何か面白いことを考えてくれると思ったのだけど」

「そうですねぇ…。急に言われて出てくるのなんて、たかが知れてますよ?」

「それでもいいのよ。今は些細なことでも手掛かりが欲しい」

 

些細なことでもいい、かぁ…。なら、思い付くことを手当たり次第言っていくか。

 

「じゃあ、月までぶっ飛ぶ」

「今その方法を模索中よ」

「…え、本当?」

「本当よ」

 

一体、幻想郷から月までどのくらい距離があるのかわたしには分からないけれど、物凄く遠いだろう、ってことくらいは想像に難くない。

 

「月を引き寄せる」

「多分無理。私が百人いても出来ないと思うわ」

「パチュリーが百人…。それはちょっと怖いですね」

「気にするところはそこじゃないでしょ」

 

言ったわたしも無理だと思ってた。物凄く遠いだろう月が夜になれば普通に見えるのだから、その大きさはとんでもないものになるだろう。その超重量を引っ張るのはどうかしてる。

 

「月へ転移する」

「そんなこと出来るの?」

「短距離なら出来る子を知ってます」

「それは誰?」

「さっきの大ちゃん、大妖精ですよ。彼女は座標移動が出来ます」

「…羨ましいわね。物質の座標移動は魔術の一つの到達点よ」

 

へえ、そうなんだ。まあ、大ちゃんは自分以外の生物と転移出来ない、って言ってたからこの案をそのまま採用するのは無理がある。

 

「八雲紫がやろうとしていることを先にやる」

「幻の満月と本物の満月の境界を弄る、だったかしら?」

「ええ、そう言ってましたね」

「私には方法がサッパリ分からないわ」

「そうですか」

 

魔術と妖術には違いがあるらしい。八雲紫に出来てパチュリーに出来ないのは、そこの差なのかもしれない。

 

「パッと思い付くのはこのくらいですかね…」

「とりあえず、飛ぶのと転移するのは考えてみる価値がありそうね」

「単純に飛ぶなら、強力な推進力が必要かもしれませんね。ほら、魔理沙さんのスペルカードの彗星『ブレイジングスター』みたいな」

「ふふ、確かにそうね」

 

わたしが限界まで妖力を使って飛んで行ったとして、月までぶっ飛ぶことが出来るのだろうか?…分からない。

 

「転移のほうは、出来れば彼女の協力が欲しいわね」

「参考にするため?」

「そして応用するため。そのまま短距離だと届かないでしょうから」

「なら、ちょっと行ってきますか」

 

髪をかき上げ、パチュリーが作ってくれたものを手に取る。

 

「あらそう?なら行ってらっしゃい」

「妖精メイドさんを一人借りて行ってもいいですか?」

「いいわよ。…ちょうど一人来たみたいね」

 

パチュリーが言う通り、紫色の妖精メイドさんが本の山に向かっていた。それをパチュリーが止めると、事情を軽く説明してくれた。

説明を聞き終えた妖精メイドさんが、わたしの前まで駆け寄ってからペコリと軽くお辞儀をした。

 

「よろしく」

「ええ、よろしくお願いします」

 

右手を伸ばして肩に乗せると、何故か真似しようと右腕を伸ばしてきた。が、わたしより短いその腕がわたしの肩に触れることは残念ながらなかった。

さて、始めよう。フランを連れ出すために。そう思いながら、左手で妖力を流し、霧状のものを噴出した。

 



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第168話

特に当てもなく紅魔館の廊下を歩いていく。そんなわたしの後ろには、紫色の妖精メイドさんが付いて来ている。その歩幅はわたしと全く同じで、わたしとの間の距離がさっきから一切変わらず、いることがすぐに分かるけれど気にならない距離。こういう些細なところに優秀と言われるところが出ているのだろう。

そんな彼女がわたしに近付いてきて、チョンチョンと肩を叩いてきた。

 

「…何でしょう?」

「どこ行く?」

「さぁ?大ちゃんがどこにいるか分かりませんから」

 

空間把握を使えば、多分分かるだろう。けれど、これからのことを考えて出来る限り使わないことにした。

 

「じゃあ、誰かに訊く?」

「そうしますか」

 

と言われても、都合よく誰かが近くにいる気配はない。天井や床を挟んだ上や下からは音が聞こえるんだけどなぁ…。流石に天井や床をブチ抜くわけにはいかないよね。

まあ、とりあえず誰かとすれ違うまで歩き続けるとしますか。黙って歩くのはつまらないから、軽く雑談しながらでも。

 

「そういえば、貴女は大ちゃんのことを何て呼んでいるんですか?」

「大ちゃん。そう呼んでって言われた」

「わたしも言われましたよ。気軽に、って」

「私も」

 

本来は高位であるはずの大妖精が、妖精達に気軽に呼ばれることを望む…。同じように妖怪の中で高位の存在であろう吸血鬼や鬼、スキマなんかとは違う感じだ。まあ、高飛車であれ粗豪であれ偏屈であれ、と言うつもりはないけれどね。

 

「ここで働くことになったきっかけは?」

「誘われた」

「そっか」

「悪くない」

 

悪くない、か。わたしはどうだろう?今をいいものだと思ってる?…よく分かんないや。いいことも悪いことも多過ぎる。残念ながら、この二つは打ち消しあうことはなく、ただただ膨らんでいくばかりだ。

 

「それにしても、誰もいませんね」

「いない」

 

さっきまで聞こえたはずの足音も、いつの間にか全然聞こえなくなっていた。少し目を瞑って耳を澄ましてみると、微かな音が数ヶ所にまとまっているようだが…。

 

「よく分かりませんが、廊下にはほとんどいないみたいですが…」

「あ」

「え?何かありました?」

「そろそろお昼。一緒に作る?」

「…ああ、そういうこと」

 

皆で昼食を食べていたのか。どおりですれ違わないわけだ。さて、ここでわたしが取る選択肢は二つ。妖精メイドさんが集まっているところに行くか、この子と一緒に昼食を作るか。

 

「作りましょうか。一緒に」

「うん。頑張ろ?」

 

昼食は取れるときに取ったほうがいいし、調理に慣れておきたいから。

 

 

 

 

 

 

「…こんな季節外れの野菜がどうしてあるんですか…?」

「保冷部屋。便利」

「いいなぁ…。ちょっと羨ましいですよ」

 

それでも、旬の食材を使ったほうが美味しい、と付け加えられた。こんなカチコチに凍って霜が降りた野菜を解凍して使うとなると、多少は質が悪くなってしまうのだろう。

まあ、この際野菜の質は考えないようにしよう。わたしとしては、こんな状態の食材をどう調理するかのほうが重要だ。

 

「どう調理しますか?」

「スープ」

 

そう言いながら、凍ったままの野菜に思いきり包丁を突き立てた。ジャリジャリと微細な氷が擦れるような砕けるような音と共に切り刻まれていく。

 

「…うわーお」

「手伝って」

「あっ、はーい」

 

とは言っても、あんな風に切るのはちょっと躊躇われる。下手な切り方をしたら、野菜が砕けて吹き飛んでしまうかもしれない。…けど、やるしかないかぁ。

試しに包丁の刃を凍った野菜に当ててみたところ、確かに凍っているけれど硬いわけではないらしい。そのまま野菜を切ってみたけれど、野菜が切りやすいのか包丁がいいのか、すんなりと切れた。…まぁ、野菜を切っているとは思えないような音が聞こえるけど。

それからも、紫色の妖精メイドさんに言われるがままに様々な野菜を切り刻んでいく。ああ、左手の指先が冷たい…。

 

「ふぅ、出来ましたよ」

「鍋に入れて」

「…はーい」

 

言われたとおり、水が半分ほど入った鍋の中に、凍った野菜を水が跳ねないように慎重に入れていく。

そして、全ての野菜を入れたら野菜が鍋の水から頭を出していた。まあ、これから火を通せば野菜の体積はかなり縮むからちょうどいいかな。

 

「火を点けて、味付け」

「どういった味付けを?」

「気分」

「それは非常に分かりやすい」

 

ただし、初めてのわたしには全く分からない。なので、火を点けたらさっさと彼女に任せることにした。横から眺めていると、塩を小さじ一杯入れただけで、それ以上何かを加えることもなく大きく伸びをし始めた。

 

「…暇」

「あれだけでいいんですか?」

「今日はサッパリがいい」

「あ、そうですか…」

 

どうやら、今日は薄味の気分だったらしい。まあ、野菜を煮込んだだけのスープでもそれなりの味になるのだから、人によってはそれで十分だと言うのもいるだろう。

とはいえ、彼女の言う通りスープが温まるまで暇だ。彼女もたまにお玉で鍋を回すのだが、その視線は鍋に一切向けていない。なんと言うか、見るまでもない、って感じ。

じゃあ、暇を潰せばいいか。スープだけでもいいけれど、スープが完成する前に手軽に作れるようなものを調理しよう。

 

「他に何か食べますか?」

「…どうしよ」

「あ、パンあるじゃないですか。これを軽く焼きましょうよ」

「よろしく」

「任されました」

 

渡されたバターをフライパンに溶かし、パンを焼く。ああ、いい香り。このバター、冬ならあんまり溶けなかったはずだから、もらえるなら持ち帰りたいくらいだ。味もかなり変わるし。

 

「どのくらい焼きます?」

「こんがり」

「じゃあ、しっかり焼きますね」

 

お望み通り、わたしの感覚より少し長めに焼く。そして引っ繰り返してみると、茶色を通り越して真っ黒になっていた。…しまった、焦げちゃった。次のパンは失敗しないようにしないと。

 

 

 

 

 

 

「いただきます」

「いただきます」

 

こんがりと狐色に焼き上がったパンを美味しそうに頬張るのを見てから、わたしも片面焦げてしまったパンを口に入れた。…うん、焦げていなかったらもっと美味しかっただろう。

紫色の妖精メイドさんが半分ほど食べたところでパンを置いた。彼女に合わせてまだ途中のパンをひとまず皿に置く。すると、すぐに彼女が話し始めた。

 

「もう皆食べ終わってると思う」

「でしょうね」

 

わざわざ耳を澄ますまでもなく、足音が聞こえる。食べ歩きなんてしていないだろうから、もう食べ終わっているのだろう。

 

「だから、早く食べよ?」

「ですね」

 

スープを飲むとき、ちょっとだけ不安だったけれど、特に何の問題もなく飲むことが出来た。温度も柔らかな暖かさで、味もちゃんとしている。違和感もない。

黙々とパンとスープを食べ切り、スープが入っていた器を静かに机に置き、手を合わせる。

 

「ごちそうさま」

「ごちそうさま」

「皿洗い、任せてもいいですか?」

「いいよ。すぐ終わらせる」

 

彼女が快く受け入れてくれたので、皿を洗い終えるまでに、少し今後のことを考えることにした。

まず、可能なら咲夜さんに会わないほうがいい。ボロが出てしまっては、わたしの手段も水の泡。特に、レミリアさんに会ってしまったら即効でお終いだろう。しかし、フランがいる地下へ行くためには、どうしても咲夜さんに会わざるを得ないだろう。そのために妖精メイドさん達に協力してもらうことで、どうにかする。

次に、フランのところまで到達したとして、どうやって連れ出すかだ。彼女はそのまま出てくれるだろうか?まあ、多少は説得するとして、それでも駄目なら最終手段を取ろう。…出来れば使わずに済みたい。

 

「終わった」

「え、もうですか?」

「うん。行こ?」

 

…本当に少ししか考えられなかったよ。ま、いっか。ただの確認だったし。

軽く伸びをしてから扉を開け、廊下へと出る。すると、ちょうどよく目の前に桃色の妖精メイドさんがいた。…すっ転んだ状態で。しかも、片方の靴が脱げてるし。

 

「あのー、大丈夫?」

「だ、大丈夫…」

 

手元に手を伸ばしてあげると、すぐに掴んでくれたのでしっかりと掴み返して、ゆっくりと立ち上がらせる。メイド服を軽く叩いて、多少付いてしまった埃を落としていると「ありがと」とお礼を言われた。ありがたく受け取らせてもらいます。

脱げてしまっていた靴を桃色の妖精メイドさんが手渡すと、すぐにしゃがんで靴を履き始めた。僅か二、三秒で履き直すと彼女はすぐに立ち上がり、足首を回しながらわたしに言った。

 

「じゃ、私急いでるから!」

「あ、大ちゃんを探してるって見つけたら言ってくれませんか?」

「分かった!それじゃ!」

 

そう言うと、おそらく全速力で駆け出して行った。…そんなことするから、さっきみたいにこけちゃうんじゃないかなぁ…。

それにしても、大ちゃんって今どこにいるんだろう?大ちゃんが妖精メイドさんと話すことを、こんな短時間で切り上げるとは思いたくないから、まだ紅魔館にいると思いたいんだけど…。

小さくため息を吐きそうになると、ポンと肩に手を置かれた。

 

「探せば見つかる」

「そうですね。じゃ、探しましょうか」

 

すれ違う妖精メイドさんに対して手当たり次第に大ちゃんを見た場所を訊いて、さっきみたいにわたし達が探していることを伝えてもらうよう頼んでいけば、いつか見つかるだろう。

よーし、頑張りますか。

 



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第169話

「え、大ちゃん?」

「そうです。見ませんでしたか?」

「見たよ。さっきもさっき」

 

やっと見つけた…。見ていない妖精メイドさんが大半だったけれど、見たけど何処に行ったかは見てない、見たけどもう別の場所に行ってると思う、見たのは大分前、となかなか辿り着けなかったけれど、ようやく一区切り。

 

「どこに行きましたか?」

「そっちの部屋に行ったよ。まだ出てないと思うけど」

「ありがとうございます」

 

いい加減疲れてきたんだ。これが終わったら、ちょっと人目の付かなさそうな場所で一休みしたい。

そんな疲れを吐き出すように、喉を擦りながら大きく息を吐く。…よし、ちょっとだけどマシになった。

 

「さ、行きますか」

「うん」

「あっ、そうだ」

 

早速行こうとした矢先に呼び止められた。

 

「ん?何ですか?」

「困ったら頼ってくれていいんだよ?」

「困らないようにするのが大事なんですよ。だから、そのためによろしくお願いしますね」

「うん、分かった」

 

うん、大ちゃんは本当にわたしなんかのために『お願い』をしてくれているみたい。大ちゃんを見た、と言っていた妖精メイドさん達は、皆同じようなことをわたしに言ってくれた。そして、皆とても楽しそうにしている。まあ、面倒くさそうにしていないと分かって、わたしは少しホッとした。

そんな妖精メイドさんと別れ、言われた部屋の扉に手をかける。何も考えずに開いたときに、仮に会ってはならない人がいたら困るので、開く前に少し耳を澄ませて少し中の様子を確かめる。

 

「――どう?出来そう?」

「出来るよ。お手伝いをすればいいんでしょ?」

「そう。ごめんね?」

「謝らなくていいのに。だって、面白そうじゃん?」

 

…うん、問題なさそう。呼吸音は二人分。声も二人分で、片方は大ちゃん。呼吸を止めるなんて奇妙な趣味を持っているような人がいなければ、中にいるのは大ちゃんと妖精メイドさんの二人だけ。

ゆっくりと扉を開け、一応部屋の中を見回して他に誰もいないことを確認してから、二人のところへと歩いていく。扉を閉めようと思ったら、わたしが見回している間に紫色のメイドさんが閉めてくれていた。ありがとね。

 

「こんにちは、大ちゃん」

「あ、こんにち、は…?」

「幻香ですよ。鏡宮幻香」

「…あ、そうですか…」

 

わたしの後ろに付いて来ている紫色の妖精メイドさんのほうを見ると、納得したようだ。それにしては、視点が少し低かったような気がするが…。ま、いっか。

少し痛む喉を擦っていると、大ちゃんと話していた橙色の妖精メイドさんが突然わたしに跳び付いてきた。

 

「へ?…うわっ!?」

「いやー、面白そうなことするみたいじゃん!私も混ぜてもらうからねー!」

「そ、それは何よりですが…」

 

後ろにいる紫色のメイドさんが支えてくれなかったら、わたしは背中から床に叩き付けられていただろう。ついでに後頭部強打。咄嗟に姿勢を堪えることが出来なかったわたしが悪いとはいえ、跳び付いてきた橙色の妖精メイドさんもこれからは気を付けてもらいたい。わたしのような被害者を増やさないためにも。…あれ、痛いんだよなぁ。

それにしても、目の前にいた人からの跳びかかり程度、どうにか出来ないのはなぁ…。さっきのような状態が以前妹紅が言っていた『一時的に実力が落ちた状態』だ。実戦だったら、そこから何をされたものか…。はぁ、また集中し直さないと。

 

「…すみませんが、ちょっと離れてください」

「あうっ」

 

とりあえず抱き付いている橙色の妖精メイドさんを引き剥がし、服装が乱れていないか軽く確かめる。…うん、多分許容範囲内かな?まあけど、ちょっと怪しいから後で紫色の妖精メイドさんに訊いてみよう。

さて、ここに来た要件を済ませるとしよう。そう思い、大ちゃんに目を合わせ、口を開く。

 

「さて、大ちゃん。パチュリーが座標移動について協力を得たいと言ってました」

「そうなんですか?あんなことの…」

「普段から手軽に使ってると、その異常さが分からないものですよね…」

「い、異常ですか?」

 

わたしも複製を普段からポンポン使っているから、人に見せたときにどんな反応をされるか、ってことを忘れてしまうときがある。そして、わたしがやっていることを説明するとさらに驚かれる。妖力を固形化する、ってことは本来有り得ないことらしいから。わたしとしては、有り得ないって言っているほうが有り得ないと思えるのだ。

座標移動も同じようなものだろう。普段から使っていると、それが普通になる。それがないほうが有り得なくなる。けれど、座標移動は言い換えれば『ある地点からある地点までを零秒で移動する』ということだ。こんなわたしでも異常だと思える能力。パチュリーの言っていた『魔術の到達点』という言葉もしっくりくる。

 

「ま、異常云々はこの際どうでもいいんです。目的は、座標移動による月への転移。そのために協力してほしいと言われました」

「つ、月ですか!?月って、あの!?」

「ええ、夜空に浮かぶ、あの月です。どうしますか?」

 

そりゃあ驚くよね。八雲藍に言われたときは、わたしも驚いた。月へ行くというのもそうだけど、それ以上にその手段に。何が満月の境界を弄るだ。意味分かんないよ。

目を見開いたまま固まってしまった大ちゃんの返事を待っていると、突然後ろ髪を数本引っ張られた。誰か、なんてわざわざ見なくても分かる。紫色の妖精メイドさん。けどね、髪の毛を引っ張られるって地味に痛いんだよ?

引っ張られた髪の毛が付いていた頭皮を擦りながら問いかける。

 

「…何ですか?」

「言っていいの?」

「いいんですよ。彼女には断る権利がある。そのために情報は開示しないと」

 

それに、この前わたしが大ちゃんに頼みごとをしたときにも断る権利を求められたのだし。分かっているなら、そのくらいの対応はしないと。

こうして話している間に驚きは過ぎ去ったか、大ちゃんは目を瞑って考える素振りを見せた。そして、そのまま少しの間考えていたようだが、割と早めに答えは得られた。

 

「いいですよ。あんまり長いのは遠慮したいですけれど…」

「それはよかった。けれど、そういう要望はわたしじゃなくてパチュリーに伝えてください」

 

わたしに言っても、今はどうしようもない。しかし、大ちゃんは少しだけ不安な様子。

 

「大丈夫ですよ。彼女は無理強いするような人じゃないですから」

「まどかさんがそう言うならそうなんでしょうね。安心しました。それじゃあ、大図書館へ案内してくれませんか?」

「ふふ、そうですね。仰せとあらば、案内しますよ」

 

頼まれたなら、断るわけにはいかないよね。少し首を後ろへ向け、紫色の妖精メイドさんを見ると、すぐに小さく頷いてくれた。

 

「大ちゃーん!行ってらっしゃーい!」

「ありがと。行ってくるね」

 

大きく手を振る橙色の妖精メイドさんとここで別れ、部屋から出ていく。ここから大図書館までの経路なら一応分かる。最短から一筆書きで最長まで分かっているつもりだ。

道案内なので大ちゃんの歩調に合わせるのだけど、なかなか上手くいかない。チラリと大ちゃんの足元を見ながら少しずつ調整するけれど、そもそも歩幅が大分違う。うぅむ、身長差もあるだろうけれど、合わせるのって意外と難しいなぁ…。

普段より小さな歩幅で歩き辛いなぁ、と思いながら四苦八苦していると、大ちゃんがわたしに話しかけてきた。

 

「ところで、まどかさん」

「何でしょう?」

「いつまでやるつもりですか?」

「明後日…いや、明々後日までに終わらせたいですね」

 

百分の一の確率で外れるくじを百回繰り返せば、一回でも外れを引く確率は六割を超えるのだ。つまり、長くやるとそれだけボロが出る確率も上がっていくということ。なら、長くやることは悪手である。しかし、長くやらないと厳しいことも分かっている。…この辺りの兼ね合いは本当に難しい。

 

「それでは、私は明後日まで皆に『お願い』することにしますね」

「ありがとうございます。けど、パチュリーの協力はそんな短いとは思いませんよ?」

「分かってますよ、そのくらい。一ヶ月くらいで終わればなー、とは思いますけれど」

 

真っ直ぐ進むか左に曲がるかの分かれ道で、少し考えてから真っ直ぐ進もうとすると、また後ろ髪を引っ張られた。

 

「痛…。何ですか?」

「こっちのほうが近い」

「知ってますよ」

 

左を指差す紫色の妖精メイドさんは意味が分からないようで、不思議そうな顔を浮かべながら首を傾げた。まあ、分からなくて当然か。

 

「そっちは近いですが、わたしにとって不都合なので」

「そう」

「一体何があるんですか?」

「窓」

「…窓?」

「ええ、窓です」

 

まあ、どっちを通っても大して距離は変わらないことも分かっている。大体わたしの普段の歩幅で五十数歩くらいの差だ。その程度なら無視しても構わないでしょう?

 



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第170話

大図書館に辿り着くことは特に苦も無く達成したわけだけど、わたしとしてはその前の大ちゃんを探し出すのに時間がかかり、色々と疲れた。なので、長椅子で少し横にさせてもらうことにした。肘掛けに膝を乗せることで僅かに空いた端っこにチョコンと座っている紫色の妖精メイドさんは、わたしの顔を見下ろして言った。

 

「大丈夫?」

「正直、大丈夫じゃないです…。頭は使うわ喉は使うわで…」

「ならちゃんと休んで」

「そうですね…。あ、そうだ。後でこの服が乱れてるところを直してくれませんか?」

「いいよ。休んだら」

 

まあ、正直休めと言われても、ただ横になり続けているのはやっていられない。天井を見上げていた顔を倒し、連れて来た大ちゃんと話しているパチュリーのほうを向く。

 

「本当にいいの?」

「いいんですよ。けど、原理がどうとか訊かれても私には分かりませんよ?」

「その『分からない』を調べるのが私のやることなのよ」

 

どうやら、二人は特に問題はなさそうだ。そのまま話を聞かせてもらおうかな。

 

「では、私は何をすればいいでしょうか?」

「そうね…。まずは一度見せてもらいましょうか。出来る、とは聞いたけれど、見たわけではないから」

「あ、はい。分かりました」

 

そう言うと、大ちゃんとわたしの目が合った。と、思ったときにはわたしの視界が水色の布でいっぱいになっていた。ん?…ああ、これって大ちゃんが着ている服?何だ、驚いたぁ…。わたしの目の前に座標移動したのか。

体を起こして視界を埋めてしまっている大ちゃんから外れようとしたら、その大ちゃんはいなくなっていた。一体何処に、と思ったらパチュリーの視点が大きく上へと向いている。わたしも上のほうを見上げると、天井ギリギリにフワフワと浮いている大ちゃんがいた。

うーん、やっぱり恐ろしい能力だ。妖精に『お願い』出来るのに加えてこんなことが出来るなんて。視界に入っていないといけないだとか、自分とその他小物だけしか移動出来ないだとか、そんな制限は制限とは思えない。それほどまでに応用の利く能力。

そんなことをボンヤリと考えていたら、大ちゃんがまた消えてしまった。今度は何処へ行ったのだろう?

 

「きゃっ!?」

「どうでしょう?」

「…コホン。じ、十分よ」

 

パチュリーの可愛らしい声が耳に入り、視点をそっちへ動かしたら、パチュリーと触れ合うほど近くに大ちゃんがいた。

今回やった三回の座標移動。一回行った後で次に行うまでの時間を何となく数えてみたが、その時間は二回ともほぼ変わらず二秒半程度。多分、この約二秒半は必要な休憩時間なのだろう。あんなことが待ち時間なしに連続で出来たらそれは素晴らしいことだが、現実はそう簡単にはいかなそうだ。

パチュリーがゆっくりと大ちゃんを押し、くっ付きそうな顔を離して一息吐いてから言った。

 

「とりあえず、信じましょう。貴女が座標移動を扱えると」

「ありがとうございます。それで、何か分かりましたか?」

「いいえ、全く。見ただけで分かるなら苦労はしないわよ、本当に」

「そうですか…。それじゃあ、一緒に頑張りましょうね」

「ええ。貴女にはそれなりの苦労をさせてしまうかもしれないけれど、そのときは一言言ってくれると助かるわ」

「はい、分かりました」

「これから試してみたいことをまとめるから、少し休んでいいわよ。そこら辺にある好きな本を読んでも構わないから」

 

パチュリーがそう言うと、大ちゃんはとても嬉しそうに本棚へと飛んで行った。…さて、わたしはどうしようかな。ただ横になっているのは本当につまらない。うぅーむ…。

 

「あ、そうだ」

「休む」

「大分楽になりましたよ。それに、ちょっとパチュリーと話すだけですから」

「そう」

 

長椅子から転がって床に片手を叩き付け、その勢いで跳ね上がる。そのまま体勢を整えながら体ごと回転し、両脚を揃えて床の着地したわたしを見た紫色の妖精メイドさんの目がとても痛かった。許して。

 

「パチュリー、頼みたいことがあるんですが」

「何かしら?見ての通り忙しいから、あんまり難しくないといいわね」

 

今わたしの手持ちにあるものではちょっと不都合だから、パチュリーに手伝ってほしいのだけど、難しいかどうかはよく分からない。だから、とりあえず伝えるだけ伝えることにしよう。

 

「魔法陣の複製について」

「…そうね。貴女の複製は対象に妖力を流して形を知る。魔法陣は魔力を流して発動させるものもある。当然の疑問ね」

「それもありますが、そもそも複製でまともに発動するか確かめたいです」

 

そこまで言ったところで、後ろ髪を数本引っ張られた。地味な痛みを和らげようと頭を擦りながら振り返ると、やっぱり紫色の妖精メイドさんがいた。その顔は僅かに怒っている様子。

 

「話すだけ」

「…はい」

 

わたし自身が言ったことだ。ちょっと悔しいけれど、しょうがないか。

 

「すみませんがパチュリー、この件はまた後にしますね」

「ふふっ、そうね。しっかり休んでから出直してきなさい?」

「パチュリーも根詰め過ぎないでくださいよ?」

「それは貴女自身が気にするべきことよ」

 

そうかなぁ…?わたしってそこまで疲労を放り投げて活動してる?今だって疲れたかた横になってたのに。まあ、横になってるのが億劫で仕方がなかったから、今こうしてパチュリーと魔法陣について試そうとしたけど。

大きく腕を上に伸ばして肩と肘の辺りがパキパキと軽く鳴るのを聞きながら長椅子へ戻ろうとすると、紫色の妖精メイドさんに肩を軽く掴まれて止められた。

 

「何でしょう?」

「服、整える」

「そうですか?じゃあ、よろしくお願いしますね」

 

紫色の妖精メイドさんと向かい合い、腕を横に伸ばして待機する。すると、袖の皺を伸ばしたり、埃を軽く落としたりとテキパキとわたしの服を整えていく。…うわ、いつの間にかこんなになってたんだ。注意しないとなぁ…。

 

「終わり」

「ありがとうございます。さて、もう少し休んだらやることやりますか」

「うん」

 

襟元を擦りながら長椅子へ行こうとしたら、その長椅子の真ん中に大ちゃんが本を広げて座っていた。い、いつの間に…。服を整えるのって結構短かったと思ったんだけど。

まあ、わざわざ退いてもらうのは悪いし、わたしも横になるよりは普通に座っていたほうがいい。そう思い、大ちゃんの横に座ることにした。

 

「ふぅ…。何を読んでいるんですか?」

「これですか?これは野草について載っている図鑑です」

「へえ、それは多分前に読んだなぁ」

 

チラリと見た見開きのページだが、少し見覚えがあった。飽くまで見覚えがあるだけで似ているだけかもしれないし、この本の表紙は見ていなかったので、本当に読んだかどうかはまだ分からないが。

 

「そうなんですか?何のために?」

「食べられるかどうかが目的だったけれど、そこから毒草の利用を検討しましたね」

「そ、そうなんですか…。大変ですね…」

「そうでもないですよ。ちょっと抽出しても大した効果はなさそうでしたし」

 

かなり前に物は試しにと野生動物にかけてみたが、特に効果はなさそうだった。やっぱり、直接口に入れないと大した効果は得られないのだろう。まあ、眼にかけたらかなり暴れだしたが。

 

「それで、大ちゃんは何のために?」

「確認です。私が使っていた方法と食い違いがないかどうか確かめようと思って」

「ドクダミって知ってます?」

「知ってますよ。あれ、とっても便利ですよね」

「やっぱり知ってましたか」

「ええ、一応。それに、ドクダミの項目はもう過ぎましたよ」

「あ、そうだったんですか…」

 

ちょっとした傷なんかにちょっと付ければ血が止まるとか。まあ、血が出たときに限って近くになかったりするし、そもそも無理矢理治せるから必要としたときはなかったけど。

こういう知識は、使うかどうかではなく、とりあえず持っておくものだ。今使わなくてもいつか使うかもしれないし、そこから他のことに応用出来るかもしれないから。

 

「まどかさんも何か読みますか?」

「そうですね…。そうしましょうか」

「何読む?」

「取ってきてくれるんですか?」

「うん」

 

心優しい紫色の妖精メイドさんが、本を持ってきてくれると言ってくれた。わたしを休ませるためだろうけれど、この広い大図書館のどこに何の本があるか、わたしはまだ把握し切っていないからありがたい。

 

「それじゃあ、魔力を含むものについて載っている本を。出来るだけ多く載っているものだと助かります」

「分かった。待ってて」

 

いやぁ、楽しみだなぁ。一体、どんなものに多く魔力が含まれているんだろう。魔力が多く含まれている、ということは過剰妖力が多く含めるということ。緋々色金で十分かもしれないが、他にいいものがあるなら知っておきたい。

そして、その本を読み終わったら魔法陣の複製についてやることにしよう。読み切る頃には十分休めていると思うから。

 



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第171話

「…ふぅ」

「もう読み終わったんですか?」

「うん。詳しくはまた家で読むから」

 

『The Magical Ingredient List』という題名の本を閉じ、複製。一応、抜けてほしくないページだけ開き、本物と照らし合わせて確認する。…うん、大丈夫そう。

 

「これ、戻してくれますか?」

「うん、分かった」

 

本物の『The Magical Ingredient List』を紫色の妖精メイドさんに渡し、本棚へと飛んで行くのを見届けてから、未だに野草の図鑑を読み終えていない大ちゃんに話しかける。

 

「大ちゃん、ちょっといいですか?」

「はい、何でしょう?」

「迷い家の場所って分かりますか?」

 

今日は紅魔館に泊まることも考えたけれど、一度家に帰ろうと思う。護符は渡したけれども、大ちゃんは迷い家の場所を知らないかもしれない。知らないなら一緒に連れていきたいし、知っているとしても一度家に帰ってこの本を持ち帰りたい。他にもちょっとやっておきたいこともあるし。

 

「いえ、知りませんでした…。そう言われると、せっかく貰ったのに意味がありませんね」

「じゃあ、これから教えますよ。パチュリーと魔法陣の複製を調べたら、一度家に帰ろうと考えていたので」

「では、お願いしてもいいですか?」

「しっかり覚えてくださいね。皆の案内役になるかもしれないから」

「特にチルノちゃんですね…。あの子はちょっと覚えるのが苦手で…」

「あはは、そのときはそのときですよ」

 

ちょうどよく本を戻しに行っていた紫色の妖精メイドさんが戻ってきた。あの本を読むのには結構な時間がかかったが、その分しっかりと体を休めることが出来たと思っている。だから、もういいでしょう?

 

「わたし、休めましたか?」

「うん。いいよ」

「それじゃ、行ってきますね」

 

長椅子に複製の本を置き、パチュリーの元へと向かう。さて、十分休めたというお墨付きも貰ったし、心置きなく調べることにしますか。

 

「パチュリー」

「…もう休憩はいいの?」

「一冊読み切る程度に休みましたよ」

「あら、もうそんなに経ってたの?」

「みたいですね」

 

パチュリーの手元には、ビッシリと文字や図が煩雑に書かれた紙が数枚。正直、わたしはこれを読めと言われても困るほど何が書かれているのか分からない。それでも何とか最初のほうだけ読んでみようとしたけれど、知らない文字だったので即行で断念した。

 

「さて、とりあえず今から簡単なものを書くから。貴女はその間に何を調べたいか少しでもまとめておいて」

「分かりました」

 

手元にあった数枚の紙をまとめて退かし、新たな紙を広げてすぐに何やら紋様を描き始める。手描きとは思えないほど正確な円を描いたところで、無理矢理意識を逸らした。これ以上気にしてたら、わたしの興味が魔法陣に行ってしまう。それではまとめられるものもまとめられない。

まずは視認による複製と接触による複製。大分前にやった石ころの複製では、視認でも本物との差異はほとんどなかった。しかし、今回の魔法陣はその小さな差異が致命的なものになる可能性もある。しかし、それでも視認による複製をすることは大きな意味がある。形を知るための妖力を流すことなく複製出来る点。接触でも出来るのなら大して変わらないのだが、それでも僅かに消費する妖力量が異なる。視認だけで済むのなら、それはそれで嬉しい。

次に複製した魔法陣の過剰妖力の有無。まあ、あればより強力になる、でまとめられそうだが。それでも、やらないでおくのはよくないことだろう。

そして、複製した魔法陣に過剰妖力を注ぐ。一度過剰妖力を全く入れずに複製した魔法陣に、改めて過剰妖力を注ぎ込む。魔法陣の発動と過剰妖力を注ぐ。これはどちらも妖力を流す行為だ。何か違うのかどうかは分からないが、試しておきたい。

最後に携帯する手段。今はパチュリーが紙に描いているが、携帯に適しているとは思えない。水に濡れてふやけてしまうし、火で燃えてしまうし、ちょっと引っ掛ければ破けてしまう。そんなもので携帯するわけにはいかない。今朝貰ったあれみたいに刻み込むのもいいかもしれないが、わたしはその凹みだけを複製出来ない。凹みには何もないからだ。その魔法陣が刻まれている板を丸ごと複製すればいいのかもしれないが、もっといい手段があるなら、一緒に考えたい。

 

「…出来たわよ。魔力を流すことで発動する魔法陣。さて、考えはまとまったかしら?」

「ええ、しっかりと」

「ならいいわ。それじゃあ、まずはどうするの?」

「とりあえず複製」

 

机に置かれた魔法陣が描かれた紙を視界に入れ、複製する。右手にはわたしから見れば特に変なところのない魔法陣の複製が出来た。

 

「これ、どうでしょう?」

「貸してちょうだい」

 

言われたとおり手渡すと、まじまじと見始めた。そのまま数秒待っていると、突然ボゥ…と炎を撒き散らしながら紙ごと燃やし尽くしてしまった。

とりあえず、これで魔法陣の複製の発動という大前提は壊れずに済んだ。これが出来なかったら、どうしようかと思っていたところだよ。

 

「問題ないわね。それにしても、この魔法陣にしてはやっぱり強力」

「そうですか?かなりショボかったと思いますけど…」

「貴女はまだ比較対象がないからそう感じるのよ」

 

次に魔法陣が描かれた紙に右手を伸ばし、その魔法陣に触れた状態で複製をする。普段はほとんど意識しないほどに微弱な妖力が流れ出たのを感じる。

 

「…出来たわね」

「…みたいですね」

 

そして、隣に新たな魔法陣の書かれた紙が出来ていた。どうやら、魔力を流して発動する魔法陣でも、接触して複製することは出来るらしい。

とりあえず二枚の紙を並べてみるが、わたしには違いが分からない。特に細かなところを比べて見たのだが、違いらしいものは分からなかった。

チラリと横を見ると、パチュリーも同じように二枚の紙を食い入るように眺めていた。その視線は忙しなく動き続けている。

 

「どうです?」

「同じ。…私には違いなんてないと思えるほどに」

「それはよかった」

 

違いがない、ということは問題なく発動するということ。喜ばしいことだ。

 

「ところで、これってどうやって発動させるんですか?」

「さっきも言ったでしょう。魔法陣に妖力を流すのよ」

「さっきしましたよ。複製のときに」

「…それもそうね。言い直すわ。そうねぇ…、魔法陣に与える感じに流すのよ」

「与える、ですか」

 

順番は変わるけれど、この魔法陣に過剰妖力を注いでみよう。これが出来て何がいいのかはまだ分からないけれど、出来ると思ってやってみたら出来なかったでは困る。

魔法陣に手を触れ、過剰妖力として注ぎ込む。さて、どうなる?

 

「…!熱ッ!熱ちち!」

 

…一瞬で燃え上がった。触れていた手と腕の肘手前までが丸ごと炎に巻き込まれ、ヒリヒリする。妖力を流して無理矢理治療しようとしたら、火傷した部分が水に包まれた。

 

「はぁ…。魔法陣に触れて流すなんて馬鹿なことはもうしないで」

「身を持って体感しましたよ…」

 

改めて妖力を流して治療すると、手を包んでいた水がどこかへ行ってしまった。先まで水に包まれていた部分はしっかりと乾いていて、何かで手を拭く必要がない。うーん、やっぱり魔法って出来たらかなり便利なんだろうなぁ…。

とりあえず、魔力を注いで発動する魔法陣に後から過剰妖力を注ぐのは無理ということが分かった。

 

「そういえば、さっきより炎が大きかった気がするんですが…」

「貴女、どれだけ妖力を注いだのよ…」

「え?ちょっとですよ。過剰妖力として注ごうとしたら、すぐに燃えちゃったんですから」

「貴女のちょっとは当てにならないわ」

 

…酷い。

ま、いいや。その程度のことでいちいち止まってるのはもったいない。次にやることをしよう。

 

「妖力が多いと、強力になるんですよね?」

「一概にそうだとは言わないけれど、今回はその認識で構わないわ」

「では、ちょっと気を付けてやりましょうか」

 

複製の際に、目いっぱい過剰妖力を含ませる。のだが、思ったより入らない。…あれ?おっかしいなぁ…。

 

「このインク、そもそも魔力どのくらい含まれてるんですか?」

「大した量じゃないわよ」

「あ、そうなんですか…」

 

通りで過剰妖力が全然入らないわけだ…。この魔法陣だと、過剰妖力量による変化はほとんど見込めないかなぁ…。

けれど、気になることがあった。さっき過剰妖力として注ぎこもうとした量と今回過剰妖力で消費した量とでは、前者のほうが明らかに多かったのだ。

 

「パチュリー。魔法陣の発動のために注ぐ魔力って、制限はあるんですか?」

「基本ないわ。けれど、最低でも必要な魔力を注がないと発動はしない。そして、少しずつ入れていくと最低限必要なところで勝手に発動する。だから、もしやるなら一気に大量に注ぐ必要があるわね」

「やっぱり」

 

それなら一度試してみないとね。魔法陣にわたし自身が多めだと思う量を注ぎ込むと、今までとは比べ物にならないほど大規模な炎が巻き上がった。

 

「…まさか、あんな魔法陣でこんな威力になるなんて」

「そうですか?この程度じゃわたしの友達には何倍も劣りますよ?」

「貴女の基準は何処にあるの…?」

 

フランの禁忌「レーヴァテイン」、妹紅の不死「火の鳥―鳳翼天翔―」、萃香の鬼火「超高密度燐禍術」と比べれば、こんな炎じゃ弱過ぎる。

 

「わたしが考えたこの魔法陣で出来ることはもうないです」

「そう。それじゃ、最後にこの魔法陣で最低限の魔力を注いだ場合を見せておきましょう」

 

そう言われて、パチュリーが持っていた魔法陣の描かれた紙に注目する。すると、その魔法陣の中心にポ…と小指の爪ほどの炎が現れた。その炎がゆっくりと紙を燃やしていく。

 

「…蝋燭?」

「そうね。だから言ったでしょう?」

「最初の魔法陣の複製はその最低限の魔力でやったんですよね?」

「そうよ。だから、貴女の複製自体が多大な妖力を使っている、ということになるわね」

「えぇ…、あれが多大ぃ?」

「信じられないかもしれないけれど、こうして形として出ると分かりやすいわね」

 

薄っぺらい紙一枚と魔法陣を描くために使ったインク。その程度を複製しても、わたしは妖力が減ったとは感じない。意識すれば分かるかもしれないが、普段はそんなことしないから分からない。けれど、パチュリーが言った通り妖力を使っているのかもしれないなぁ…。

 

「ま、強力になる分には構いませんよ。後は、これをどうやって携帯するかだ」

「そうね。さっきみたいな紙じゃ弱過ぎる」

「だから、もっと丈夫なものにしたいんですが…」

 

簡単には思い付かない。とりあえず硬いものを片っ端から思い浮かべていると、パチュリーが何かを取り出した。

 

「なら、これを使うわ」

「…鉄?と、緋々色金!?」

「正確には鉄じゃないわ。かなり前に作った合金よ。名前は付けてないけれど、それなりに硬い。手軽に手に入る金属で硬くするのを目標にしたのだけど、残念ながら緋々色金に負けたわ」

「銀は?」

「そもそも手軽に手に入れられないわよ」

「そうですか…」

 

手渡された合金は思ったより軽く、大した負荷は感じなかった。

 

「それに魔法陣を刻む。そして、その溝に緋々色金を流し込む」

「…つまり、緋々色金を複製すればいいと?」

「出来るのでしょう?」

「ええ、出来ますよ」

「貴女の複製なら、たとえ小さな魔法陣でも強大な力に出来る。ましてやそれが緋々色金なら、さっきのインクとは違ってその過剰妖力も多く含めるのでしょう?」

「まったくもってその通り」

 

けれど、それを作るために貴重な緋々色金を消費することになってしまう。その損失はあまりに大き過ぎるのではないだろうか?

そう考えていると、パチュリーは合金と緋々色金をしまい込んだ。

 

「けれど、ただでとは言わないわ。貴女も協力してちょうだい」

「何をですか?」

「レミィの無茶ぶりを、よ」

「いいですよ。月に行く手段、さらに考えてみせましょう」

 

さぁて、今まででは考えもしなかったような画期的で独創的な手段を考え出さないと。そして、それが実践出来るなら尚よし。頑張りますか。

 



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第172話

パチュリーにわたしが今思い付く限りの手段をとりあえず伝えた。それのほとんどは現実味がないと却下されてしまったが。まあ、流石に月まで届くほど長い棒を対象と重ねて複製して弾き出されて行く、なんてのはとてもじゃないが無理があると思ってた。竹一本の端から端ですらそれなりに辛かったのに、その何倍あるかも分からないほど遠くへ一瞬で弾かれて無事でいられるとは思っていない。

そうしているうちにかなりの時間が経っていたらしく、妖精メイドさんが軽い夕食を持って来てくれた。小さなクッキー数枚と紅茶だったが、今のわたしにはちょうど良かった。そして、夕食を食べ終えたのを機に帰らせてもらうことに。パチュリーに明日大ちゃんと来ることを頼まれたので、大ちゃんに訊いてから快く承諾した。

 

「さて、行きますか」

「あの…。どうして門からじゃなくてここからなんですか?」

 

そして今、わたしと大ちゃんは紅魔館を囲む煉瓦の塀の前にいる。

 

「正直、あそこの門からじゃなくてもいいんですけどね」

「え、そうなんですか?けど…」

「確かに美鈴さんのいる門からのほうが安全ですよ。ですが、わたしと大ちゃんは既にパチュリーから求められている。そうなると、門から出なくても紅魔館に来ることを許可されているようなものだ」

 

そうでなくても必ず門から出入りしなければならないというわけではない。わたしだって、門の反対側から来てしまったときは、そのまま塀をよじ登って侵入した。フランとスペルカード戦で遊んだときにわたしは回避に集中し過ぎて、フランは弾幕に集中し過ぎて塀を通り過ぎたことも気付かずに続けたこともある。そのときは、気付いたときに方向転換して何とか敷地内に戻ったが。

 

「それに、わたしの家がある迷い家はこっちからのほうが近い。さ、行きましょう?」

 

わたしが飛翔して塀を通り過ぎると、小さなため息と共に大ちゃんが付いて来てくれた。…いや、そんな何か諦めたような顔しなくていいと思いますよ?

 

「…まどかさんのことを考えると、そうしたほうがいいのは分かりますけど…」

「こんな時間ですし、泊っていきますか?」

「そうですね。そうさせてください」

 

見上げてみると、空は既にほんの僅かに白みがかった黒色でいっぱいだ。曇り空とはなんとも微妙な…。明日雨降ったら紅魔館に来るのがちょっと面倒になるんだけど。濡れるのはごめんだ。

迷い家のある山が近付いてきた。よく目を凝らすと、あのときの超視力の白い人と目が合った。

 

「ごめん」

「え?キャアアァァアアア!?」

 

咄嗟に目を逸らし、そのまま大ちゃんの手を掴んで急降下。侵入する意思がないことを示すには、これが一番手っ取り早いんだ。それに、目を合わせようと思ってなかったのに合っちゃったら、なんか気まずいじゃん?

地面にそのまま着地すると大ちゃんが叩き付けられてしまうかもしれないので、その前に減速する。そして、地面スレスレにゆっくりと停止。

 

「はぁ…、はぁ…。き、急にどうしたんですか…?」

「ちょっと面倒なことになったので、ここからは歩いていきますよ」

「えっと、何かあったんですか?」

「長いので簡潔に。この山はある高さまで侵入すると敵対されるので、そう勘違いされないように下りました」

「そうなんですか…。大変ですね」

「そうでもないですよ?」

 

つまり、この山を歩いて登ればいいだけの話だ。飛んで行くならちょっと高さを気にするだけでいい。そのまま飛んでてもよかったのだけど、わたしは疑いの目で見られているのだから、下りたほうがよかっただろう。まあ、ここから登るのはちょっと大変かもしれないけど、許してほしい。

しかし、たとえ下りたとしても妙な視線を感じる。けれど、わたしにはちょっと首筋がチリチリするくらい。それに、迷い家に行くと視線を感じなくなる。途中で見るのを止めるのか、結界で見れないのかは分からないが、それまでの付き合いだ。

登り始めてからは、定期的に後ろを振り向いて大ちゃんがちゃんと付いて来ているか確認。木々の間をすり抜けて行っているのだが、やっぱり大ちゃんも羽がぶつかって動き辛そうだ。

 

「まどかさん、少し訊いてもいいですか?」

「いいですよ。何でしょう?」

 

途中に生っていた小さな赤い木の実を枝ごと採取しながら登っていると、大ちゃんから問い掛けがきた。

 

「まどかさんは、どうしてそこまでしてフランさんを連れ出そうとするんですか?」

「理由?そうだなぁ…。そう改めて言われると、難しいね」

 

フランが頑なに出ようとしないから、わたしが連れ出す。これはよくも悪くもある。やれることを全て尽くしても、フランが断ればそれまでだ。

けれど、わたしはさっさとフランに会いたい理由がある。

 

「とりあえず、まずは護符かな。渡しておきたい」

「あぁ、あの護符ですか。二つは渡したい人がいる、って言ってましたね。ところで、あと一つはどなたに?」

「萃香」

 

そう言うと、大ちゃんは納得したようだ。まあ、大ちゃんと萃香は面識が一応あるからね。

 

「次は、フランのためにやりたかった」

「例えば、どのような?」

「傲慢って言われればそれまでだけど、わたしはフランには外に出てほしい。そう思ってる」

 

四百九十五年も地下に幽閉されていたからとか、破壊衝動が図らずとも解消されたからとか、そういった理由もある。けれど、やっぱりわたしは外を知ってほしい。外に出たことを後悔してもいいから、わたしを恨んでも構わないから、善意と悪意が入り混じった醜くも美しい世界をその目に映し、どう感じたのかを考えてほしい。その結果引き籠るならそれでもいい。けれど、わたしはそうならないと信じている。

 

「最後は、やっぱりわたしのためですよ」

「まどかさん、の?」

「ええ。わたしはただ、彼女と一緒に遊びたいんです。レミリアさんとの約束もありますが、そんなのはどうでもいい」

 

楽しいから。やっぱり友達と遊ぶのは楽しい。それはフランにだけ当てはまるものではないが、フランが欠けていいということにはならない。

そんなことを話しながら木の実を採集し続けていたが、片手で持ち切れない程度には手に入った。一粒口に入れてみたところ、そろそろ食べれる時期が過ぎそうな感じがした。不味くはないんだけど、美味しくもない。かなり微妙な味。…ま、いいや。

 

「大ちゃん、見えますか?」

「え?」

 

戸惑う大ちゃんのために、空いている手で迷い家の方向を指差した。

 

「あそこに迷い家があるんですが…」

「んー…。すみません…、まだ見えませんね」

「そっか。まあ夜だし、仕方ないか」

 

首に掛けられた鎖型の護符の感触を確かめ、迷い家へと向かう。まあ、この護符はわたしの家があそこに建っている限りは必要ないのだけど、保険というやつだ。

ちゃんと後ろを振り向いて大ちゃんが付いて来れているか確認しながら登っていくと、ようやく迷い家に到着した。

 

「ここが、迷い家…」

「そうですね。さ、わたしの家に行きたいところですが、その前に会わせたい人がいるんですよ」

「誰なんですか?」

「橙ちゃん。ここに住んでる猫又です」

 

彼女の夜はかなり長いからまだ寝ていないと思うんだけど、大丈夫かな?

寝ているか寝ていないかは、行ってみないと分からない。気にしても仕方ないので、とりあえず扉を二回叩く。

 

「やっと帰って来たぁ!…って、あれ?幻香、だよね?」

「ええ、貴女の言う通り幻香ですが…」

 

叩いてすぐ扉が開くとは思ってなかったから、ちょっと驚いた。それにしても、橙ちゃんの表情が少し悪い。何かに怯えていたかのような…。

まずは大ちゃんを紹介しようとしたのだが、急に両肩を掴まれて顔を思い切り近付けてきた。ちょっ、近い近い!

 

「今すぐ幻香の家に行って!」

「いや、その前にやりたいことが…。いえ、何かあったんですか?」

「あったよ!この前の妹紅って人と一緒に鬼が来たんだよ!しかも妹紅はその鬼をここに置いて帰っちゃったし!」

「うわぁ…」

 

萃香、わたしの家にいるんだ…。

 

「いつ食べられちゃうか考えると背筋が凍えたよ!…それで、幻香さっきやりたいことって言ったけど、何?」

「後ろにいる妖精の紹介。わたしの友達です」

「初めまして。私は大妖精です。気軽に大ちゃん、とでも呼んでください」

「よろしく。私は橙。他は幻香に訊いて!さ、行って行って!」

 

掴まれた肩を捻られ無理矢理半回転。そのまま背中を押され、背後の扉はゆっくりと閉まった。ご丁寧に鍵まで閉めて。

 

「な、何だか切羽詰まってるようでしたけど…。橙ちゃんが言っていた鬼って、まどかさんの友達の萃香さんですよね?」

「ええ、恐らく。けどまあ、置いて帰るのもどうかと思いますけど…」

 

フランより先に萃香に会えるとは思っていなかった。順番が変わったからといって、何かよくないことがあるわけではないけど。

いや、ここは前向きに考えよう。萃香に会える。うん、前向き。

 



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第173話

わたしの家は隙間が一切ない構造ではない。数ヶ所だが、わたしがこうして妖力を流す際に通ることが出来る僅かな隙間がある。そうなるように作った。こうして中にいるのが本当にわたしが知っている人なのかとか、外から来た人が本当にわたしの知っている人かとか、そういうものを知る際に障害とならないように。

空間把握。…机の上に何やら大きなものがあり、椅子に座って瓢箪を口に咥えている萃香がいた。あの特徴的な角を、わたしは他に知らない。けれど、橙ちゃんがあんな風になっていたってことは、普通じゃない何かがあるのかもしれない。

大ちゃんに手振りで陰となるところで待機するよう頼み、扉を叩く。

 

「…ん。幻香か?」

「ええ。入りますよ」

 

扉を開けて中に入ると、あからさまに不機嫌な萃香がいた。…こりゃあ橙ちゃんも怯えるわけだ。わたしだって、気分を害している圧倒的強者に好き好んで近付きたくない。

わたしの顔をまじまじと見詰めた萃香が、怪訝そうな顔で言った。

 

「お前、本当に幻香か?」

「何を疑ってるんですか?ほら」

 

萃香が手に持っていた瓢箪を一つ複製して投げ渡す。受け取って軽く眺めたらすぐに投げ返された。

瓢箪を回収していると、萃香が机の上に乗っていたわたしの顔よりも大きな肉の塊を掴んだ。…それ、わたしが干してた猪肉なんだけど。屋根に干していたはずの肉がないと思ってたけれど、萃香が食べてたのか。それならいいや。

 

「疑ったわけじゃねぇよ。ま、そんな角見せびらかして、扉通るときにその角の先端が壁をすり抜けりゃ、間違いないと思ってたさ」

 

そう言うと口から炎を放射して肉を炙りながら食べ始めた。かなり塩味が強いと思うんだけど、酒と一緒に食べるのにはちょうどいいのかな?わたしには分からない。

 

「それにしても、機嫌悪いみたいですね」

「あ?そう見えるか?」

「ええ、かなり」

「そうかよ」

 

机を拭くのはあとにして、これ以上汚されないために大き目の皿を一枚萃香の前に置く。すると、萃香が瓢箪の酒を肉に注いで火を点け始めた。…いや、そういう調理法があるのは知ってるけど、もうちょっとちゃんとした方法で…。ま、いっか。わたしが食べるわけじゃないし。

とりあえず、向かい側の椅子に座って待っていると、長いため息を吐いた。

 

「ここはあんま好きじゃない」

「ここ…?迷い家が、ですか?」

「ああ。分かってるのか?ここは紫の結界の中だぞ?」

「知ってますよ」

「知ってんのかよ。…ったく。確かに人はほとんど来ないだろうよ。普通ならまず来れない」

「らしいですね。わたしも最初はちゃんと迷って入ったんですよ」

「つまり、次は違うんだろ?」

「ええ。なんか入れました」

 

説明が長くなると思ったので省くと、またため息を吐かれた。

 

「けどな、あんたも紫のこと嫌ってたろ。どうしてそこまで知っててここにいようと思えたんだ?」

「家を建ててから知った、じゃ駄目ですか?」

「駄目だな。私が知ってる幻香なら、この家を平然と切り捨てるさ」

「そうでもないですよ…。多少はもったいないと思いますもん」

「多少は、ね」

「ええ。多少は、です」

 

確かにそうだと気付いたときは、ここを切り捨てるべきかどうか考えた。家のこともあるが、他の場所にここよりいいところはあるだろうか、と。ここに住む場合の長所と短所を並べ、他の場所へ行った場合の長所と短所を揃え、少しの間考えた。

 

「けれど、ここより人気のないところは、わたしが知る限り冥界くらいです。そこへ行ったとしても、ここより条件が悪い」

「それで、紫は?」

「わたしもそこで詰まった。だから、考えを変えました。どうせあのスキマがある限り何処にいても大して変わらない、って。結界の中だろうが外だろうが、幻想郷の端から端まで覗けるんだから」

「…ま、確かにそうだけどな。いいのか?」

「いいんですよ。それに、八雲紫からわたしが近いなら、わたしも八雲紫に近い。これはこれで長所足り得ますよ」

 

つまり、わたしが必死に並べた長所と短所は全てどっちにも傾くことが出来るということだ。だけど、わたしは無理矢理どっちに傾けるべきか定めた。そして決めた。

 

「ま、というわけで我慢してください。何ならここに来ない選択肢だってある」

「いや、それはもったいない」

「そうですか。なら、この護符のどちらかを持って行ってください。妹紅から聞いたでしょう?」

「ああ、聞いたよ。これ、つまり紫の細工があるんだろ?」

「でしょうね」

 

しかし、萃香は難色を示すことなく、真っ先に球体の護符を手に取った。軽く摘まんでいるようだけど、その人差し指と親指に少し力を籠めれば一瞬で潰れてしまうだろう。

 

「ま、いざとなれば壊せばいいか」

「約一割破損すれば機能停止するそうです」

「一割なんてみみっちいことするかよ。十割破壊だ」

 

そう言うと、球体の護符をしまい込んだ。

 

「さ、機嫌を直してくださいよ。怖くて友達が入れられない」

「何だよそれ。いつ私が襲い掛かると思われたんだよ」

「初めて会ったとき」

「そりゃ悪い」

 

うん、もう問題なさそうだ。

 

「大ちゃん、もう大丈夫ですよ」

「あ、そうなんですか?…こんばんは、萃香さん」

「ん?前に何処かで見たような…?」

 

まあ、萃香が覚えていないのも無理はない。わたしとスペルカード戦をしたときに、観客としていただけだからね。

 

「まどかさんの友達で、大妖精です。気軽に大ちゃん、とでも呼んでください」

「ふぅん。知ってるみたいだけど、私は伊吹萃香、鬼だ。会うことはあんまないかもしれないが、覚えとくよ」

 

二人の挨拶は済んだようだし、わたしは残った食材で軽く料理をするとしますか。えぇと、猪肉はギリギリ二人分くらい。さっき採ってきた木の実は見自体が小さいからおまけ程度。…あれ、これだけ?

 

「萃香。いつからここにいたんですか?」

「あー、昨日の夕方くらいだな。妹紅の家に行ったら即行でここに連れ出された」

「それで、食べたと?」

「食べた。屋根に会ったのは保存するつもりだったみたいだから、後回しにしたけど」

「けど食べた、と」

「他は食い切ったからな」

 

まあ、調味料を貪り食われなかっただけよしとするか…。あるものを使って何か作るか。

フライパンに木の実を全て入れ、砂糖と一緒に煮詰めていく。

 

「あの、まどかさん」

「どうしたんですか?大ちゃん」

「これ、どこで寝ればいいんでしょう?」

「ん?そういや、一人、詰めても二人くらいしか寝れないなここ」

「わたしは机の下にでも寝てますから、残った場所に二人が寝てください」

「それはまどかさんに悪いですよ…」

「ま、この感じだと明日は雨だ。外で寝るのは止めたほうがいいしな」

「え、雨降るんですか?」

 

木の実から水分が少しずつ出ていくのを眺めながら、菜箸の先にこびり付いたものを舐めとる。…うん、砂糖の甘味と木の実の酸味がそれなりに合ってる。この中に軽く塩抜きをして食べやすい大きさに切っておいた猪肉を入れて焼いていく。あのまま焼くと、塩味が強過ぎただろうから、塩抜きは必要だろう。

 

「どうした?雨だと都合悪いのか?」

「かなり。明日も紅魔館に行かないといけないんですよ」

「ふぅん。フランは?」

「そのフランに会うためにですよ。最終手段では、萃香。貴女の力を貸してほしいです」

「へえ、何するんだ?」

「紅魔館に対して、喧嘩を売りに行きます」

「ちょっ…!ま、まどかさん!?」

「へえ、そりゃ面白そうだ」

「けれど、これは飽くまで最終手段。やらずに済むのが望ましいですよ」

 

わたしだって、好き好んでこの手段を取りたいと思ったわけじゃない。これは、フランが外に出たくないと考えた理由が、レミリアさんの判断である『紅魔館が責任を持って解決する』にあるとした場合だ。どちらにしろ、一度フランに会ってからじゃないとこの手段を取るつもりはない。

フライパンの中の猪肉を三つに分けて皿に移す。それにしても、元が二人分だったからちょっと少な目だ。

 

「出来ましたよ」

「お、美味そうじゃん」

「まどかさんって、何でも出来るんですね…」

「何でもじゃないですよ。ただ、出来ることを少しでも増やしたいだけ」

 

出来ないことを出来ないままで放っておくことが出来ないだけだ。今は出来なくても、いつか出来るようになりたいと考え続けている。

皿の置かれた猪肉を萃香が手掴みで取ろうとしたところで、急に止まった。

 

「そういや、紫の式が私のところに来たんだが」

「へぇ、わたしにも来ましたよ」

「式って、もしかして式神ですか?それは珍しいですね…」

「知ってるんですか?」

「一応は…」

 

大ちゃんは、わたしが思っている以上に物知りだ。もしかしたら、わたしの友達の知っていることを全て集めたら、ほとんどのことを知ることが出来るんじゃないかと思えてくる。

 

「それで、月に行くって話だ。私はどうでもいいと思ったんだが、幻香はどうだ?」

「行けたら行ってみたいと思いますよ。あっちにはわたしの知らないものがたくさんありそうだから」

「そうかい。ま、必要なら声をかけてくれてもいいぞ。それまで私は特に何もしないつもりだ」

「分かりました。さ、食べましょうか」

 

猪肉を一切れ口に入れると、甘味と酸味と旨味が互いを邪魔しあうことなく引き立てあっているように思えた。余り物で作ったわりには、美味しいものが出来たと思う。二人からも特に非難は来なかったから、大丈夫だろう。

けれど、これでこの家にある食糧は尽きた。朝食は橙ちゃんが余ってたら貰えるかな…。

 



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第174話

「うわ、本当に雨降ってるよ…」

 

こんな冬になりかけの季節…、いや、もう冬と言ってもいいだろうか?そんな季節でも雨は降るのか…。雪になってくれれば、と少しだけ考えて却下する。どちらにせよ、このまま外へ出ると濡れ鼠に変わりない。

窓を閉め、横になっている二人を見る。お行儀よく眠っている大ちゃんと、寝相が悪く布団を端のほうへ蹴飛ばしてしまっている萃香。寒いと思っているかどうか知らないけれど、一応布団を掛け直してあげる。それにしても、頭の向きが寝る前の真逆になるってどういうことなの…。

さて、起きたはいいものの、この朝日が昇り始めただろう今はまだ橙ちゃんが眠っている時間。わざわざ起こしてまで食料を分けてもらおうとも思わない。食べてもらう二人もまだ眠っているようだしね。

 

「何しようかなー…」

 

今から二度寝するには時間が短過ぎるし、何もせずに待っているには長過ぎる。よって、時間潰しが必要。ま、複製(にんぎょう)でいっか。

試しに大ちゃんを複製。下手に動かしたらポロリと取れてしまいそうな羽を先に回収しておき、準備完了。この家の中で動かすには狭いので、扉を開けさせて外へ。

…あれ?扉開かない…。あ、手が引っ掛かってないのか。やっぱり、こういう精密動作は難しいなぁ…。特に死角になるとさっぱりだ。ぶつかれば複製が意思とは異なる不自然な挙動をするから分かるのだけど、ぶつからないとそこに何も障害物がない、ということしか分からない。

何とか指を扉に引っ掛け、ゆっくりと開ける。そのまま外へ出て行かせると、案の定一瞬で濡れ鼠となった。しかし、あれは生命なき複製(にんぎょう)。寒いだとか濡れたとかで動きが悪くなることはない。代わりにちょっとした地形に引っ掛かって派手に倒れることはあるが。

 

「…よし、上手く動かせてる」

 

今、壁の向こうで大ちゃんの複製が両手を広げてクルクルと回っている。そう感じる。この程度の距離なら、視界に入れずとも動かせる。しかし、これを戦闘に活かせるかと問われれば、答えは否だ。なぜなら、相手がどのような体勢でいるか分からないから。空間把握との併用をすれば補えるのだけど、相手が飛び上がってしまえば無意味だ。触れた瞬間、つまり攻撃された瞬間に反撃を加えられればいいのだけど、多分その前に吹き飛ばされてしまう。それなら炸裂させたほうがいい、のかな?

続いて歩かせたり走らせたり殴らせたり蹴らせたり浮かせたりと多種多様な操作をした。この操作で重要なのは重心だが、わたしはそれを認識出来ない。わたしはあの複製(にんぎょう)じゃないから。直立した状態からしっかりと構えさせ、思った通りに殴らせたならまだしも、咄嗟に殴らせたらどうだろう?殴らせているつもりでもそこまでの威力になっていないのかもしれない。

 

「ま、このくらいでいいか」

 

びしょ濡れになった大ちゃんの複製を窓の前まで動かし、手を伸ばして回収する。すると、一緒に複製していた服に浸み込んでいた水が空中に残り、バシャリと音を立てて落ちてしまった。

 

「ん…、むにゅ…。あ、まどかさん。おはようございます…」

「起こしちゃいましたね。すみません」

「そんな、気にしないでください」

「そうですか?けど、まだ朝食には時間がかかりそうですよ」

 

それなりに明るくなってきたのだが、もう少し時間が経たないと橙ちゃんは目覚めない。

 

「萃香さん、まだ寝てますね…」

「起こさなくていいですよ。好きなだけ寝かせてあげたほうがいい」

「そうですね。チルノちゃんも無理に起こすとまた寝ちゃうから」

「そういう理由じゃないんですけどね…」

 

朝食が出来てから起こしたほうが萃香のためってだけだ。今空腹をごねられても何も出せない。そんなことを言うかどうかは知らないけれど。

 

「まどかさん。紅魔館にはいつ頃行きますか?」

「どうしましょうかね…。雨、止んでくれれば助かるんですけど」

「この感じだと今日はずぅっと止みませんよ…」

「ですよねー」

 

窓から空を見上げた大ちゃんが言う通り、この雨は当分止むことはないだろう。これからもっと寒くなれば霙に、そして雪になることはあるかもしれないが。そうなったからといって、行き辛いことに変わりない。

大ちゃんの視線が台所へ向き、そこに何もないことに気付くと、小さく呟いた。

 

「今料理をしていないってことは、食材は何もないんですね…」

「そうですね…。だから橙ちゃんのところに言って余ってるものを貰えたら、って考えてるんですが…」

「何か問題が?」

「今はまだ寝てると思う…」

「それじゃあ、もう少しお話ししましょう?」

「そうしますか」

 

 

 

 

 

 

「わたしは妖精メイドさんと一緒に紅魔館を回るつもりですよ。それと、パチュリーと一緒に月へ行く手段を考えるかな」

「パチュリーさんに何を頼まれるんでしょう…」

「さぁね。けど、膨大な数の対照実験に付き合うと思いますよ」

「ぼ、膨大…」

 

紅魔館に行ったら何をするか。

 

「チルノちゃんとサニーちゃんが喧嘩したときは大変でしたよ」

「へぇ、どうなったんですか?」

「二人ともこぶが出来ちゃって…」

「殴り合ったんだ…」

 

霧の湖でよく会う皆の思い出話。

 

「普段は本を読んだり、体術の訓練したり、茸採集したり…」

「色々してたんですね。他にはどのようなことを?」

「精霊魔法の挑戦とか、毒液の抽出をしたりとか、蛇とか猪なんかを殺したりとか…」

「ぶ、物騒なこともしてたんですね…」

 

魔法の森に家があったとき何をしていたか。

 

「わたしは、やっぱり人間共は許せない。けど、わたしはそんなことしたくない。これって、矛盾ですかね…?」

「そうは思いませんよ。矛盾だと思うなら、それはまどかさんの優しさですよ」

「合理的と感情的の差…」

「何でも合理的に動くなんて、そんな生き物いませんよ。だって生きてるんですから」

 

人間の里をどう思っているか。

 

「…ふぅ。たくさん話しましたね」

「そうですね」

 

他にも、下らないことから真剣な話題まで様々なことをお話しした。自分では整理がついていなかったことも、話すことでまとまることもある。そう感じた。

 

「さて、そろそろ橙ちゃんも起きたでしょうし、行ってきますね」

「あ、一緒に行きましょうか?」

「いえ、大丈夫ですよ。ただ、もし萃香が起きたら待ってるように言っておいてください。まあ、それでも出て行くと言うならそうさせてください」

「分かりました。それでは、行ってらっしゃい」

 

この家に一本しかない傘を手に取り、外へと出て行く。ザーザーと傘に水が跳ねる音が心地いい。たまにクルクルと回して傘に付いている水を飛ばすのも一興だ。

 

「橙ちゃーん。起きてますかー?」

 

橙ちゃんの住む家の扉を二回叩き、返事を待つ。そして待つこと数秒。扉はゆっくりと開かれた。

 

「起きてるよ?どうしたの、幻香?とりあえず上がって」

「お邪魔します」

 

傘を畳んで玄関に置いてから中へと入っていく。橙ちゃんに投げ渡された厚手の布で濡れたところを拭き、椅子に座る。

 

「それで、何の用なの?」

「実は家に食べるものがなくてですね…」

「それで私から貰いに来たの?いいよ」

「いいんですか?この前一緒に採ったときはあまりないって言ってませんでしたっけ?」

「言ってたよ。けど、今朝食材が届いてたから」

「届く…?」

 

真っ先にあのスキマの顔がチラつく。

 

「幻香の思ってる通り。前までは買ってるって誤魔化してたけど、本当は紫様からかなり送られてくるの。かなり不定期だけど…」

「不定期なんだ…」

「そ。それでその量がどう考えても一人じゃ食べ切れないの…」

「あー、そういうこと」

 

やけに多いと思ってたけど、買っていたわけじゃないなら納得だ。誤魔化していた理由は、ちょっと考えれば分かること。いちいち追及するほどでもない。

 

「それじゃ、いくつか貰いますね」

「あ、待って。どうせならこっちで作っていってよ」

「それでもいいですが、そうすると萃香も来ますよ?」

 

そう言うと、橙ちゃんの顔が一瞬で固まった。

 

「いや、そんな今更気付いたみたいな顔しないでくださいよ…」

「ま、幻香が一緒なら大丈夫でしょ。…多分」

「彼女だって滅多なことはしませんよ」

 

特にここ、迷い家という八雲紫の結界の中では。それに、八雲紫の式神の式神という、親戚の親戚のような遠い縁かもしれないが、下手したら八雲紫がやって来るかもしれない行為をするとは思えない。

橙ちゃんが目を瞑り、首を左右に揺らしながらどうするか考えていたようだが、こっちでわたしに作ってもらうことを選んだようだ。

 

「それじゃ、呼んで来ますね。何か食べたいものはありますか?」

「何でもいいよ。けど、熱くないといいな」

「分かりました」

 

橙ちゃんの家に元から置かれている傘を三本複製して持っていくことにする。二本で十分だけど、今後使うかもしれないから念のために。

雨の中、傘を差して家へと戻る。さて、どんな料理を作ろうかな?あんまり時間がかからないで出来る手軽なのにしようと思うけど。

 

「戻りました。…って、まだ寝てるんですね…」

「どうしましょう?」

「はぁ…、起こしますか。あっちで一緒に食べることになったので」

 

頬を二、三回叩くが反応なし。肩を軽く揺らしても反応なし。布団を剥ぎ取っても反応なし。窓から手を出して軽く濡らした手を首に当てても反応なし。…仕方がないので口を軽く塞ぎつつ鼻を摘まむ。

 

「ぶっはぁ!だから塞ぐのやめろ!」

「これから朝食一緒に食べようって呼ばれたのに起きないほうが悪い。皆起きてるんですから」

「そうだとしても塞ぐのはなしだろ」

「そうしないで起きることを願って色々しても起きなかったのは誰ですか…」

「知らね」

「貴女ですよ」

 

二人に傘を手渡し、橙ちゃんの家へ向かう。渡した傘を何故か差さない萃香を見て、何のために渡したのかを考えながら。…あぁ、どうせ自分に付いた雨を疎にして何処かにやるつもりなんだろう。

 

「ところでまどかさん。朝食は何でしょう?」

「何でしょうね」

「何だ、決まってねーのかよ」

「これから材料見て決めますよ」

 

とりあえず痛むのが早そうなものを使って何か作ればいいかな。最悪、鍋に何でもかんでもブチ込んでスープにしてしまえばいい。よっぽどのことがない限り、食えないものになることはないから。

橙ちゃんの家に着くと、快く招き入れてくれた。ただし、萃香を見たときは一瞬顔が引きつったが。それはびしょ濡れだったからか、鬼だったからかはわたしの知る由もない。その濡れた体はすぐに乾いたが。

 

「何作る?」

「そうですね…」

 

果実系は早めに食べたほうがいいものがいくつかある。未加工で血抜きだけ済ませてある鷹は早速食べることにしよう。それと、既に加工されて何の肉かよく分からないものも。野菜もいろいろあるが、とりあえず今日明日で腐ってしまいそうなものはない。米は今から炊くのは遅過ぎる。小麦粉もあるけれど、今から麺打ちするのは同様に遅い。代わりになりそうな主食は…これ、シリアル?それとパンもある。

 

「フライパン二つ。それと、鍋も」

「分かった!」

「萃香。この鳥、前みたいに羽抜いてくれませんか?」

「ん?おう」

 

鷹の足を掴んで萃香に見せると、バサッと丸裸になった。いちいち手で抜かないで済むのは楽だ。皮ごと剥いでしまうのも手だが、皮は食べれるからちょっともったいなく思う。

鷹の内臓を取り出し、適当な大きさに切って鍋に投入。身のほうも骨付きのままボトボトと入れていく。野菜の中から人参、大根、白菜、玉葱を刻んで同様に入れていく。鍋の半分ほど積み上がった具材に対し、その四分の三程度の水を入れる。そして蓋をして着火。

 

「あとは待機。次」

 

パンを薄く切り、この前紅魔館でやったようにバターと一緒に焼いていく。フライパンは二つあるので、両方使って作業を二倍に。焼き上がるまでに林檎の皮をスルスルと剥いていく。リンゴの皮ごと食べてもいいのだけど、歯に引っ掛かると気になるから剥くことにした。

出来上がったこんがりパンを皿に移して四つ切り。林檎も六つに切り分けて添えておく。

 

「ほら、先食べててください」

「お、じゃあいただくか」

「いっただっきまーす!」

「あの、まどかさん。一緒に食べないんですか?」

「わたしはまだ作ってる途中だから」

 

フライパンの片方でもう一枚パンを焼き始め、もう片方に薄切りにした肉ともやし、さっき余った白菜を入れて炒めていく。小さな器に味噌と砂糖と醤油を入れ、輪切りにした唐辛子も一緒に混ぜ合わせてから炒め物に投入。少量の酒を鍋に入れると、一瞬炎が巻き上がる。

焼き上がったもう一枚のパンと皿に移し、別の器に肉野菜炒めを移して机に渡す。

さて、スープは大体出来たかな?…うん、後は塩で味を調整すれば十分かな。野菜が縮んだことと、その際に出た水分で十分な量になっている。

 

「さて、わたしも食べましょうか」

「ねえ、熱くないのって言わなかった?」

「文句があるなら冷めてから飲んで」

 

スープを四人分に分けて注ぎ、持っていく。パンと炒め物は残されていると思っていなかったが、本当に残っていなかった。まあ、わたしはこのスープで十分だからいいけど。

 

「いただきます」

 

これ食べ終わったらこの雨の中紅魔館に行かないと。…はぁ、濡れるの嫌だなぁ。

 



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第175話

「とりあえず、単純に飛んで行くとしても何か特別な何かが必要だと思うんですよ。道具にしろ、構造にしろ、情報にしろ、何かが欲しい。わたしの思い付く手段として簡単に思い付くものを挙げますが、仮にわたしが持つ妖力の全てを推進力として月へ飛んで行ったとしましょう。月まではどの程度の距離が開いているのか分かりませんが、恐らく足りないでしょうね。いえ、全然足りないでしょう。代案として、それを補うために何かしらの燃料を詰め込んだら、今度はその重さの分だけどんどん必要な燃料が増えていき、それを入れるための場所も必要になってくる。仮に燃料の重さによる抵抗とそれで得られる推進力のつり合いが前者に傾けば意味がない。つまり、それを打開するために軽量で膨大な力を得られる燃料、もしくはここから月へ行く間で補充出来るもので推進力を得る、もしくは零から推進力を得る。このどれかを攻略しないと現実的じゃないんですよね。まあ、それなりの強度を持った乗り物に緋々色金を百個くらい詰め込んで発射すれば行けると思いますが、それじゃあ駄目なんでしょう?」

「そうね。けれど、最後のは飽くまで最終手段として残しておくわ」

 

幻香が昨日話し合ったことから考えていただろうことを一気に口から出してきた。その内容は、私が考えていたものとほとんど違わない。最後の一つは考えていなかったが。

 

「軽量な燃料と言われると、わたしはどうしても緋々色金しか出てきません。あれ以上に高効率なものを知らないので。けれど、残念ながらわたしにしか燃料化出来なさそうなんですよね…。代わりのものを考えないとなぁ…」

「そのあたりは何か魔法陣を使うか、いい燃料を探さないといけないわね。それと、誰か特別な搭乗者を招くというのも考えているわ。それが貴女になるかもしれない」

「そうですか…。そうなるとちょっと面倒なことになりそうだなぁ」

「分かってるわよ。そのときはどうにかするわ」

 

幻香は今のところ紫の策に乗るつもりらしい。かなり嫌そうな顔をしていたが、とりあえず現状で出来るほうに乗ると言っていた。その後で付け加えたことだが、レミィの無茶な要求が上手くいけばこっちに乗り換えるとも言っていた。

けれど、もし乗るとしても面倒であることに変わりはない。緋々色金を百個複製するなんて、一日や二日で出来ることではないのだから。

 

「月までの間で補充出来るものを推進力にするのは、そもそもその道中に何があるか分からないとどうしようもないですね。何があるか知ってますか?」

「知らない。けど、空気くらいあるんじゃないかしら」

「もしかしたら何も得られないかも。絶望視するつもりはないですが、楽観視するつもりもないですから」

「ま、今の私達に知る由もないわね」

 

この大図書館のどこかにある未だ読んでいない書籍の中に書かれているかもしれないが、今はその本を探す手間も惜しい。と言うより、探すのも億劫なほどだ。もしかしたら簡単に見つかるかもしれないが、幻香の言った通りそんな楽観視はしない。

 

「零から生み出すのはそう簡単なことじゃないってことくらいは知ってます」

「そうね。零だと思っていても、何かを失っていることもあるし」

「ま、言っておいてなんですがそんなのはどうでもいいんです。発射した後には既に零となっていればいい。飛び出す前に対価を全て払い終え、後は推進力としての純粋な力のみになっていれば嵩張らない。その力をどうやって保持するかが課題かな」

「そんなこと出来るかしら?」

「さぁ?言ってみただけですから」

 

そう言って肩を竦める。幻香は出来ないだろうことも、現実的じゃないだろうことも、必要ならば平然と口にする。一体どこから思い付くのか分からないような突飛なものまで出てくる。誰が月までの橋を掛けるなんて考える?誰があの八雲紫を捕縛するなんて考える?

 

「よくもまあ、そんなに思い付くわね」

「そうですか?けど、思い付くだけじゃ駄目なんですよ。出来ないって切り捨てちゃったら、それはないのと同じだ。だから、出来るものを考えないといけない。なのにわたしが思い付くのは出来ないことばっかり。こんな情けない自分がちょっとだけ嫌になりますよ。救いがあるとすれば、些細なことでいいからって言われたことですかね」

 

そう幻香は言うが、その常識外れな発想が私はたまに羨ましくなる。発想は魔術の鍵。思い付く、ということが大事なのだから。

 

「それにしても、大ちゃん遅いですね…」

「そうね。けど、私は構わないわ」

 

幻香曰く、この紅魔館にいる妖精メイドに挨拶と『お願い』を何人かしてから来るそうだ。それがどの程度時間を取るのかは、私がどうこう言っていいことではないと思っている。飽くまで協力者なのだから、無理を言うつもりはない。

それに対して幻香は、少し驚いている様子。軽く首を傾げながら続けた。

 

「あれ、いいんですか?早いほうがいいと思ってたんですが」

「確かに早くて損はないけれど、こうして新たに考えることが増えたのだからそれでいいのよ」

 

ちょっと順序が入れ替わっただけ。大して変わらないし、むしろ得してるとも見れる。最低でも、私は損をしていないと思っている。

大図書館の中を飛び回る数人の妖精メイドを眺めていた幻香が、ゆっくりと立ち上がった。

 

「それじゃ、大ちゃんが来るまでいっぱい考えてください。わたしもちょっと妖精メイドさんと回りながら考えてますから」

「そう。それじゃ、行ってらっしゃい」

 

そう言うと、大きく伸びをしながらここを離れて行った。そのままフワリと浮かび、近くを飛んでいた妖精メイドと合流して何かを話し始めるのを見ながら、ホッと息を吐く。

さて考えるか、と私も体を伸ばそうとしたところで、視界の端に光るものを感じた。見覚えのある光。その球が光るときは大図書館が開き、誰かが出入りした合図。大妖精がこっちに来たのかしら。

 

「パチュリー様」

「…咲夜」

 

しかし、私の予想は外れてしまったらしい。しかし、無下にするつもりはない。その手に持っている冊子が、恐らく私が頼んでいたものなのだろうから。

 

「月へ行くためのロケットの資料です」

「そう。ちょっと読ませてくれないかしら?」

 

丁寧に手渡された冊子の表紙には『サターンVロケット』とでかでかとした文字が表示されていて、何やらブツブツとした白っぽい球体とほとんど真っ暗な背景、それを斜めに貫く細長い機械が描かれていた。

 

「ふむ…。『サターンV。人類初の有人月飛行ロケットである』と。そして『月へ到達するために多種類の大型エンジンを必要とし、そのためにロケットは三段で構成されている』のね。ありがとう咲夜。よくこんな本を見つけられたわね」

「最近になって、ようやく月ロケットの資料が幻想となってきただけです。意外とアッサリ見つかりました」

「それならそれでもいいのよ。とりあえず、三段で構成される筒を見つければ一気に完成まで持っていける」

 

幻香の言っていた特別な何か。これはそれに該当する情報になるだろう。

 

「これは月侵略にとっては小さな一歩だけど、私にとっては大きな一歩だわ」

 

とりあえず、三段の筒状のものを作らねば。

その材料があったかどうか思い出していると、咲夜が妖精メイドたちを眺めながら私に言った。

 

「いつもより多くありませんか?」

「そうね。けど、本を勝手に片付けてくれるし、話してみると意外と面白いことを言ってくれたりして助かるのよ」

「そうですか」

 

そう言うと、昨夜がいきなり私に頭を下げた。

 

「申し訳ありませんが、ここにいる数名の妖精メイドを借りてもよろしいでしょうか?」

「それ、貴女が私に言うことかしら?貴女はメイド長でしょう。けど、そうね…。あそこにいる三人がそれなりに優秀よ」

 

私が指差したところでは、橙、紫、黒の三人の妖精メイドが本棚の前で談笑をしている。

 

「ありがとうございます、パチュリー様」

「それで、何のために借りていくの?」

「妹様のために」

 

…そうか。咲夜がどれだけ言葉を尽くしても出て来ないから、遂に妖精メイドに頼むようになったのか。まあ、咲夜曰く、フランはレミィと咲夜に対して思うところがあるらしいから、それも妥当なのかもしれない。

 

「私に出来ないことを妖精メイドに頼むのは筋違いかもしれませんが、それで妹様が出て来てくれるのなら私はそうします」

「ならそうすればいいじゃない。さ、悪いけれどこれからやりたいこといっぱいだからさっさと行ってきなさい」

「かしこまりました」

 

そう言うと咲夜は三人の妖精メイドの元へと素早く飛んで行った。

 



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第176話

「ちょっと貴女達、付いて来てくれるかしら?」

 

大抵の妖精メイドは、私が指示しても最初は言うことを聞いてくれない。二度目、三度目になってようやく動き出すことが大体半数。その場合も言ったことをすることを渋ったり、別のことをし始めたりと最初から自分でやったほうが早かった、なんてことは日常茶飯事。

 

「分っかりましたー!」

「うん、分かった」

「はいぃ…。わ、分かりましたぁ…」

 

しかし、この三人の対応は三者三様ではあるが、返事は等しく了承だった。パチュリー様の言うことを疑っていたわけではないけれど、たった一つの応答で比較的優秀だと分かった。

大図書館を出て行く私の後ろに三人が文句一つなく付いて来てくれている。

橙色の妖精メイドはピョンピョン跳ねながら付いて来てくれている。とても楽しそうな笑顔を浮かべているところで悪いのだけど、埃がたちそうだから出来ればやめてほしい。後で頼めばやってくれるかしら。

紫色の妖精メイドは数いる妖精メイドの中でも、記憶に残っている子だ。炊事よし、洗濯よし、掃除よしと三拍子揃っている。ただ、言葉数は少なめで表情がいまいち変わらないところが玉に瑕だが…。

黒色の妖精メイドは二人の後ろに隠れてしまっている。さっきからずっと俯いているし、さっきの返事の感じだと、恥ずかしがり屋なのかしら?けれど、頭一つくらい高くてちゃんと隠れられてないみたいだけど。

 

「あのー、私達は何をするんですかー?」

 

地下へと続く階段を下りている途中で、橙色の妖精メイドが手を挙げながら私に質問してきた。ここまで何も言っていなかったとはいえ、ここまで何をするかも知らないで付いて来てくれたのかと思うと、ちょっと思うところがあった。

 

「妹様に会ってほしいの」

「妹様ー?…あー、フランドール様のことー?」

「そうよ。外に連れ出してくれれば一番だけど」

 

他に何か訊いてくると思ったのだが、これだけで納得してしまったらしい。…やっぱり、優秀といっても飽くまで妖精の中では、ということのようね。

 

「フランドール様。会ったことある?」

「見たことならあるよー!話したことないけどー」

「わ、わたしも…。見たことならありますぅ…」

「一回だけ話した。普通だった」

「普通って何それー。もうちょっとないのー?」

「挨拶した。返事来た」

「うわっ、ふっつー!」

 

どうやら、全員妹様を見たことはあるみたいだけど、話したことがあるのは紫色の妖精メイドだけらしい。それを妹様が覚えているかどうかは分からないけれど、そこから何か発展することはあるのかしら。…試してみたいと分からないわね。

 

「ところで、そこの後ろに隠れてるつもりの子は初めて見るのだけど。新入り?」

「新入りですよ新入り!一昨日くらいかなぁー…。忘れたっ!」

「昨日連れて来た。友達。ほら、挨拶」

「ぁ、あのっ!よろひくお願いしまひゅっ!」

 

…噛んだ。そんな緊張するようだと、ちゃんと仕事が出来るのか心配になってくる。パチュリー様が嘘を言うとは思えないので、何かいいところがあるのだろうけれど…。

 

「さて、着いたわよ。後は頼んでいいかしら?」

「はーい!フランドール様を元気にすればいいんでしょー?」

「話、苦手」

「お話…。が、頑張りますっ」

 

そう言って三人は妹様のいる部屋の扉を躊躇いもなく開けた。

 

「ちょっと、せめて返事くらい聞いてから――」

 

…行ってしまった。

中で何を話しているのかは全く聞こえないし、物音一つしない。パチュリー様曰く、破壊耐性の魔法陣の副作用。振動も破壊へと繋がるから、吸収してしまって音が伝わらないとのこと。その魔法陣がこの部屋の扉、壁、床、天井と全てに埋め込まれている。

閉じられた扉を見ながら、三人を待つことにする。あまりにも長引くようだったら、三人を連れ戻すつもり。ただ、そうすると妹様はまた気分を害されるだろう。そう考えると、扉のすぐ横に背中を預けて待っている理由はいち早く三人の結果を知りたいからなのかもしれない。

私には出来なかったことだから。

 

 

 

 

 

 

『出ないよ。私は貴女と一緒にここを出ない』

『何故ですか、妹様』

『何故、ね。どうなんだろうね…。我儘だ、って言われればそうだねとしか返せないけど』

 

ベッドで横になったままの妹様は、右腕を天井に伸ばしながら言った。

 

『咲夜はさ、私をどう思ってる?』

『どう…、とは?』

『そのまんまだよ。お姉様は無反応の放心状態とか言ってたけど。…ま、認めるけどね』

 

そして乾いた笑い。上げていた腕も、ベッドにゆっくりと降ろされた。

 

『お嬢様の妹様、フランドール・スカーレット』

『うん、知ってた』

 

その言葉からは、期待外れといった気持ちがありありと感じられ、期待に応えることが出来なかった自分が歯痒く感じた。

 

『ま、どうでもいいや。何でここを出ないかだったね』

 

上半身だけ起こした妹様と目が合った。その眼からは感じられたものは、失望。

 

『貴女と出たくないから。パチュリーならまあいいかなー、って思ってたけどさぁ。…お姉様が頼んだことで忙しいんでしょ?それで私に構ってられないんでしょ?そういうことになってるんでしょ?』

『実際、パチュリー様は休むことなく月へ行くために画策されています』

『お姉様となんて考えたくもない。吐き気すらするね』

『それ以上はお嬢様が悲しみます』

『勝手に悲しんでろ』

 

そう吐き捨てると転がるようにベッドから降り、部屋の隅に転がっていた兎の人形を掴んだ。そして、片手で上に放り投げては掴み取るの繰り返し。

 

『霊夢はいいとしてさぁ、おねーさんと魔理沙が一緒でも駄目って…。何考えてるんだか』

『前にも伝えましたが、紅魔館で起きたことは紅魔館で――』

『知らないよ、そんなの。だから嫌だって言ってるの、分かってないでしょ』

 

ポスリ、と私の顔に兎の人形が当たった。

 

『だってさぁ、キッカケはおねーさんで、部屋から出してくれたのは魔理沙。そして私を助けてくれたのはおねーさん。今更何言ってるのよ』

『それは』

『いいよ。今何を言われても変わる気がしないから』

 

そして、毛布、本棚からはみ出ていた小さな本、よく跳ねる玉など、近くにあるものを手当たり次第私に投げ付けてきた。しかし、全然痛くない。

 

『帰って』

『妹様』

『帰れ』

『…かしこまりました』

 

その代わりに、心が軋むほど痛かった。

 

 

 

 

 

 

ギギ…、と扉が開いた音が耳に入った瞬間、私の顔はそちらを向いていた。しかし、中から出てきたのは二人だけ。黒色の妖精メイドが見当たらない。

 

「…あと一人はどうしたの?」

「お話してるー」

「幻香さんのこと」

 

そう言いながら紫色の妖精メイドが扉を閉めると、橙色の妖精メイドが続けた。

 

「えっとねー、フランドール様が知らない幻香さんのことをいっぱい話してるかなー。何時何処で何をしてたとかー、何を言ってたとかー、そんな小さなことをたくさん」

「楽しそうだった」

「…そう、なの?」

「そうそう!そしたら二人っきりにしてって言われたからさー」

 

だから出てきた、と言って締めると、二人は扉を背にして待ち始めた。…どうして扉の前で待機してるの?

その疑問は問うこともなく、すぐに答えてくれた。

 

「終わるまで誰も入れないで、ってフランドール様に言われたからさー。ごめんね?いくらメイド長でも入れられない」

「ごめんなさい」

 

二人が深々と頭を下げながらそう言った。多分、私が命令しても動かない。そういう意思を感じた。もとより、妹様の命を受けた二人をどうにかするつもりは、今のところないのだけど。

それっきり、お互いに黙って待つこと数十分。その間、私は何度懐中時計に目を降ろしただろうか。時間が流れるのがとにかく遅い。規則正しく動いているはずの秒針さえも、一つ一つが長く感じられた。

 

「来た」

 

突然、呟くような言葉を耳にした。その後すぐに、軋むような音と共に扉がゆっくりと開かれていく。

 

「…ふぅ」

 

細く開いた扉の向こうから、小さく息を吐く声が聞こえてくる。

 

「ぃ、行きましょう?…フランドール様」

「…うん」

 

そして、黒色の妖精メイドの信じられない言葉と、妹様の消え入りそうなほど小さな返事。開け放たれた扉から出てきたのは、間違いなく妹様。一瞬目が合った。が、すぐに逸らされてしまった。

 

「咲夜」

「何でしょう、妹様」

「大図書館に行ってくる。パチュリーの邪魔はしないから」

「かしこまりました」

「それと、水差されると嫌だから来ないで」

 

それだけ言うと、三人の妖精メイドを連れて行ってしまった。

…私が頼んだこととはいえ、こんなに簡単にいくとは思っていなかった。だったら最初からこうすればよかったのでは、と考えてしまうほどに。

そのまま私はその場で立ち尽くしていた。妹様の姿が見えなくなるまで、ずっと。そして、見えなくなって少ししてからようやく今するべきことを思い出した。お嬢様に妹様が出てきたことと、大図書館へ決して向かわないことを伝えなくては。

 



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第177話

大図書館に数多に立ち並ぶ本棚。その内の一つの上に座り、周りにいる妖精メイドさん達を見渡す。

 

「えー…。とりあえず、皆さんありがとうございました」

「気にすることないのにー」

「短かったねぇ」

「いやー、早かった早かった」

「そうですね。計画が丸ごと吹き飛んでいきなり最終段階に踏み込んだんですから」

 

わたしが彼女達を出し抜くために色々考えた手段も一緒に吹き飛んだ。悪いとは言わないけれど、拍子抜けというか消化不良というか…。

やることが終わった安堵からかゆるんだ雰囲気を、軽く手を叩いて正す。

 

「けど、これでお終いじゃないんですよ」

「あれ、そうだっけ?」

「流石にフランを地下から出しただけで終わるつもりはないです」

 

隣に座るフランを見ると、頷き返してくれた。これはわたしの口から言うより、フランから言ったほうがいい。

 

「上げて落とすとか信じられないからね。何とかしたいよ」

「で、どこまで上がったんでしたっけ?」

 

紅魔館の敷地内は自由で、外へは信用出来る人。そして、今では内外問わず誰かと一緒になった。けれど、その間にもう少し変化があったらしい。

 

「ここを一人出てもいい。自由にして構わない」

「…大して変わらないと思いますけど」

「むぅ。変わるよ」

 

妖精メイドさんの同行に何か不具合でもあるだろうか?わたしは特に思い付かないが…。

 

「何が変わるかは後で聞きますが…。とりあえず、まだもう少し手伝ってくれませんか?」

「分かった」

「けど手伝うって言ってもさー、何すればいいのー?」

「そうですね…。一番簡単なのはフランが譲歩することなんですけど…」

「嫌」

「…ですよねー」

 

わたし一人で考えてもいいけれど、ちょっと情報不足。フランにとっての不都合が分からないと、具体的なものを考えにくい。

 

「フラン」

「なぁに?おねーさん」

「どうして妖精メイドさんと一緒でも駄目なんですか?」

「あー、えーっと…。こっち来て」

「え?」

 

袖を掴まれ、そのまま本棚から落下。一緒になって落ちていく最中に妖精メイドさん達に手振りでそこで待っているように伝え、そのまま奥へ奥へと引っ張られていく。大図書館の隅に到着したところで、ようやく止まってくれた。

 

「おねーさん、前に言ってたよね?人気のないところに行きたい、って」

「言いましたが…」

「それだよ。だから、知ってる人は少ないほうがいいんでしょ?」

 

まあ、知っている人は少なければそれに越したことはない。知っている人が多ければ、それだけ情報が伝播する可能性が飛躍的に上がる。一つ伝われば、零した水のように広がっていく。

 

「けど、それってわたしの家に行く場合だけじゃあ…」

「そのためにも私一人で出られる必要があるの」

「まあ、最終的にはそうですけど。けど、そんな最初の一手で解決出来るほど簡単じゃないですよ」

「むぅ。…そうだけどさぁ」

 

一瞬頬を膨らませたが、フッと萎ませた。そして、何やら難しい顔をしながらフランは続ける。

 

「けど、それだけじゃないよ」

「もしそれだけだって言ってたら、わたしは一言言いたいことがあったのですが…。何ですか?」

 

そのときはもう少し考えてほしい、と言っておきたかった。

 

「ちょっと、一人になりたかった。外に出たくなかった。考えたかった。ずっと、ずっと、ずっとずっとずっとずっとずぅーっと、考えたかった」

「…何を、ですか?」

 

前言撤回しよう。…それにしても、一人に、か。わたしがしたことは、邪魔だったのだろうか?

そんなことをポツリと片隅に考えていても、フランは気にすることなくわたしの問いに答える。

 

「破壊衝動がなくなったこと。…ううん、本当はなくなったとは違うんだけど」

「知ってます」

「それで、なくなったのはいいけど…。それでよかったのかなぁ、って」

 

小さな声で言ったその言葉は、もしもの話。

 

「本当は、私が一生付き合うはずだった。どうにかして付き合い方を見出して、折り合いをつけて、共存する方法を探るはずだった。それが、私が本来歩むべき未来」

 

もしも、わたしがフランの破壊衝動を奪わなかったら?そうなれば、フランが言うような未来を歩んだだろう。前にレミリアさんが言っていた、後五百年程度地下に幽閉していればなっていただろう未来。

 

「それをおねーさんが肩代わりしちゃった。それで、私は破壊衝動を失った。心にポッカリ穴が開いちゃった気分。いつもあるはずのものが突然なくなっちゃった感じ。多分、私は嬉しかったけど悲しかったんだよ。いつも傍にあった。それが普通だった。けど、なくなっちゃった」

「言い方は悪いですが、わたしだってしたくてしたわけじゃない」

「知ってる。けど、いいんだよ。私が救われたことに変わりないんだから」

 

そう言うと、フランはわたしに微笑んだ。けれど、その微笑は僅かに哀愁を帯びたもの。

 

「だから、私はこれでよかったって思うんだ。おねーさんがいっぱい傷付いたことは本当に辛かったけれど、それでもよかったって。たとえ誰かに間違ってるって言われても、私だけは正しいって思えるから」

「そうですか。…もう考えはまとまってるんですね」

「一応ね。もしかして、こうして地下から出したことが迷惑だったんじゃないか、って考えてたの?…そんなことないよ」

 

…どうやら、本当に分かりやすいらしい。もうちょっと気を引き締めたほうがいいかなぁ…。

そう思いながら顔を撫でていると、フランは妖精メイドさん達が待っているところへと歩き出した。

 

「お話はこれだけ。さ、戻ろ?」

「あ、ちょっと待ってください」

「え、何?」

 

手を掴み、その手に水晶を渡した。最後の護符。

 

「何これ?」

「わたしの家に行くために必要なものです。生憎、今日は雨が降っているので行けませんが…」

「そっか、分かった。…大切にするねっ」

 

そう言った通り、水晶の護符を大切そうに握り締めた。

 

 

 

 

 

 

「…で、妖精メイドには『フランのことを気にかけてほしい』と頼んだのね」

「とりあえずはそれで十分ですよ。雨が降ってる間は紅魔館から外に出ること出来ませんし」

 

特に問題がないなら、そのまま制限だって緩和、解消されていくはずだから、それで十分だろう。というより、本棚の上で妖精メイドさん達と楽しそうに談笑しているフランがそんな放心状態になるとは思えない。…まあ、一度起きたから警戒するのは分かるけど。

 

「貴女の話を聞いて、ようやく分かったわ。どうしてフランが外に出ようとしなかった理由」

「そうですね。大した理由じゃなくてよかったです」

「少し考えが先走っちゃっていたけれど、それはしょうがないわね」

 

そう言われると、たまに考えが先へ先へと飛んでいるときもあったことを思い出す。特に永夜異変のときとか。

 

「それにしても、彼女の座標移動は非常に興味深いわ。けれど、月へ行くために使うには時間がちょっと足りなそうね」

「そうですか…。大ちゃんには言ったんですか?」

「伝えたわ。けれど、もう少し付き合ってくれるって言ってくれたの」

「へぇ…」

 

何の効果があるか分からない二つの魔法陣を交互に移動している大ちゃんを見ながら、健気だなと考えていると、大ちゃんと目が合った。…あ、手を振ってくれた。わたしも振り返す。

 

「それで、今は三段構成で筒状のロケットにすることにしたわ」

「何故三段構成に?」

「咲夜が外の世界の情報を持ってきてくれたのよ。そこに書かれてたわ」

「外、かぁ。何処からそんな情報を得たんだか」

「あら、この大図書館の蔵書の一部も外の世界から幻想入りされたものよ?」

「そうだったんですか?」

「まあ、こんなに新しいものじゃないけれど」

 

そう言いながら薄い冊子を見せてくれた。この斜めに描かれた細長いものがその三段構成のロケットなのだろう。

 

「けれど、それだけじゃ足りない。これから作る三段構成の筒状ロケットは飽くまで容れ物。咲夜にも頼んだけれど、三段の筒状の魔力。恐らくこれが推進力として必要になるわ。何か画期的なものはないかしら?」

「推進力かぁ…。あ、そうだ。水が蒸発すると約千七百倍になるそうですよ。一気に膨張するから、それを利用すればいい推進力になると思いますが」

「それは普通の燃料よ」

「…え、そうなんですか?」

「知らなかったのね…」

 

知らなかった…。燃料を使って飛ぶってことは知ってたけれど、その燃料をどうやって使うかなんて考えたこともなかった。そっか。燃料の体積変化を利用するんだ。

 

「三段の筒、ねぇ…。あー、駄目だ。全く思い付かない…」

「そうよね。貴女は飽くまで常識外れ。こうして制約が入ると途端に考えが滞る」

「分かってますよ、そんなこと。ルールはギリギリを狙うか、外れたことを相手に悟らせないのがわたしだ」

 

自分が邪道を好んで選択していることくらい分かってる。それが周りと思考のズレを起こしていることも。けど、そんな普通な発想はパチュリーでも考えられる。だから、わたしは外れたものを考えてきた。けれど、こうして必要なものが分かり、狭まれると外れたものは使えない場合が多い。

 

「とりあえず、三つなものを挙げてけばいいんじゃないですか?上中下、気体液体固体、支点力点作用点、三竦み、蛞蝓蛙蛇…」

「そうね。けど、どれもパッとしないのよ」

「ですよねー…」

 

わたしにどうにか出来る範囲はここまでかもしれないなぁ。…はぁ。

 



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第178話

「うわ、何この桶…」

「ロケットよ」

 

朝起きてから廊下の窓から未だに降り続いている雨にちょっと肩を落としながら大図書館へ行ってみると、そこには大きな桶のようなもの、もとい作り途中のロケットの一段目があった。いや、まあロケットを大図書館に作るとは聞いていたけれど、そのときはあの冊子のような白銀色の細長いものを作るのかと考えていたものだから、こんな木組みのものになるとは思っていなかったのだ。

ちなみに、夜は妖精メイドさん達が寝る部屋を借りることになった。最初は大図書館で寝ようと思ったのだが、夜通しで作業をするからかなりうるさくなるだろうから止めておいたほうがいいと言われたから。寝る場所が変わることに対しては特に問題はなかったが、普通に夜になってから起きる妖精メイドさんがいることに驚いた。…いや、それがあるべき姿なんだろうけど。

 

「…これ、何人乗るつもりなんですか?」

「そうねぇ…。とりあえず四人程度かしら」

「えーっと、まずレミリアさんと咲夜さん。パチュリーは?」

「私は見送るつもり。ここを空っぽにするつもりはないわ」

「美鈴さんとフランがいればどうにかなりそうな気もしますが…」

「念には念に、よ」

 

まあ、この紅魔館へ入るためには必ず門を通らなくてはならない、というわけではないのだから、そう考えるのが普通か。

 

「他に誰が乗るんでしょうか?」

「まだ決まってないわ。ま、三段の筒に必要な人がいれば、その人が乗るでしょうね」

「あー…。あ、そうだ。魔理沙さんとか乗り込みそうじゃないですか?」

「それはそれで好都合ね。いざとなったら代わりになるかもしれないから」

「ブレイジングスター?」

「そう。スパークって」

 

確かに、あのミニ八卦炉はやろうと思えば山火事を引き起こせるらしい。そんな馬鹿にならない道具をちゃんと使えば、多少の問題はゴリ押しで解決出来る気がする。その役はわたしでも代用可能かもしれないが、準備が面倒くさい。手間がかかるし時間もかかる。その点、魔理沙さんはミニ八卦炉一個で手間いらず。比べるまでもない。

寝る前と起きてからここに来るまでの間に、三段の筒について考えてみた。けれど、そう簡単には出て来ないらしく、しっくりと来るものは一向に浮かばない。もしかしたら、わたしの知らない情報なのかもしれない。もしそうならば、ちょっとお手上げだ。

ならば、その代わりに何か別のことを手伝えばいい。何もせずに報酬を受け取るのはちょっと気が引けるし、このまま何も成さずにいるのはわたしも嫌だ。そう考え、何かやれることはないかと探していると、パチュリーの後ろから一人の妖精メイドさんが飛んできた。

 

「パチュリー様ぁっ!」

「ひゃっ!…何かあったの?」

「ありますよぉ!材料がとても足りません!」

「材料?…このままだとどの辺りで作業が止まりそう?出来るだけ詳しく教えてちょうだい」

「外壁だけでも一段目を組み立て終えるのに僅かに足りないかと…」

「ふむ…。作業してる妖精メイドの半分は外へ材料を採りに行ってもらえるかしら?」

「了解しました!」

 

…外、雨降ってるんだけど。大丈夫かなぁ?まあ、大ちゃん曰く、水の妖精もいるらしいので、今降っている雨程度ではさして問題ない妖精もいるだろうから大丈夫か。

 

「材料って何ですか?」

「主は木ね。一部は金属を使って補強するつもりよ。あと、必要な魔法陣を後で付け足すわ」

「ふぅん。じゃあ、わざわざ採りに行く必要なんてないじゃないですか」

 

作りかけのロケット、未使用の材木、本棚…。そこら中に木ならあるじゃないか。

手始めに作りかけのロケットを凝視しつつ空間把握を併用。一つ一つの材木の形状を把握。そして、その一つ一つを順番に複製していく。ゴトゴトと現れる材木に驚いている妖精メイドさんがいっぱいいるけれど、その材木が落下し倒れる範囲に妖精メイドさんがいないことは既に確認済み。

 

「…貴女」

「それじゃ、ちょっと行ってきますね」

 

パチュリーに軽く手を振りながら慌てふためいている妖精メイドさんのところへ歩いて行く。

 

「訂正報告です。わざわざ採りに行く必要はないですよ」

「あっ、幻香さん」

「とりあえず、今ある材木を出来るだけ持ってきてください。わたしが増やしますから。あ、ロケットの周りに転がってるのはそのまま使って構いません」

「よし分かった!それじゃ持って来る!」

 

外へ行くつもりだった妖精メイドさん達が、一斉に大図書館から出て行く。

 

「よぉーし、組み立てるよぉー」

『『『『『おぉーっ!』』』』』

 

そして、残った妖精メイドさん達は組み立てを再開した。その内の一人――さっきパチュリーに飛んで来た子だ――は、わたしの隣で他の皆の作業を見ていた。

 

「いいんですか?」

「よくないですよぉ。けど、幻香さんに創ってほしいものがあるから!」

「へぇ。どんなの?」

「これから伝えます!」

 

そう言って、次々と必要な材木の形状をつらつらと続けていく。その内容は三辺の長さだけだったり、かなり大きな円形だったり、かなり複雑な形状を要求してきたりしたけれど、とりあえず、今この場にある木で出来そうなものを部分複製と部分回収を駆使して創っていく。

 

「持って来たー!めちゃ重!」

「くはー、つっかれたー」

「…きゅー」

「皆さん、ありがとうございます。これからたくさん創りますから、創ったものから使ってください」

 

少し首を上げないと向こう側が見えない程度に積み上がった材木の山。特に目立つのが、その山の中にある、一際大きな木の塊。その山の一角に触れ、その隣に山ごと複製。多分出来るはずなんだけど…。うん、問題なさそう。

これだけの量を運んで疲れているだろうに、一部のまだ動ける妖精メイドさんがわたしの創った材木を次々と持っていき、組み立てに混じっていく。さて、わたしもどんどん創らないと。あの木の塊と使えば、さっきは大きさの関係で出来なかったものを創ることが出来る。

わたしはまだそのロケットがどのような構造になるか知らず、どの程度材木を創ればいいのか分からなかったので、とにかくたくさん創っていく。それに加えて、さっきとは別の複雑な形状のものを要求され、それもちゃんと使えるか見てもらいながら創っていく。生産と消費では、圧倒的に生産のほうが早く、いくつか新たな材木の山が積み上がっていった。

 

「幻香さん!ありがとうございます!」

「わたしに出来ることをしただけだよ。あのまま何もせずにいるのは嫌だった、から、ね…」

「え?ちょっ!ま、幻香さんっ!?」

 

そして、わたしに残された妖力は僅かとなった。頭が痛い。意識に薄っすらと霧がかかったようで、体に力が入らない。フラリと傾いた体が、何かに支えられる。…ああ、妖精メイドさんか。

 

「あはは、大丈夫大丈夫。まだ創れるから」

「…もう大丈夫ですよぉ。幻香さんは休んでください」

「え、そう?それじゃあ組み立てに」

「お願いですから休んでくださいっ!」

 

ふらつく脚をロケットのほうへ出そうとしたところで、その反対側へと引っ張られていく。…大丈夫だよ。緋々色金一つ回収すればどうにかなるから。

そう思っていると、長椅子に横にされてしまった。しかも、パチュリーの前に。

 

「はぁ…。貴女ねぇ…」

「すぐ戻りますよ。一つ回収すれば」

「幻香」

「ハイ」

 

頭を押さえていたパチュリーの声色が急激に変貌した。雰囲気も一気に重くなる。けれど表情は笑顔のまま。そんなパチュリーに名前を呼ばれ、上ずったような変な声が出てしまう。

 

「そこで、横に、なりなさい」

「ハイ」

「それと、回収はしなくていいわ」

「へ?」

 

間抜けな声を出している間に、パチュリーは何と書かれているのかサッパリ分からない魔導書を開いた。パチュリーにしては珍しく栞まで挟んでいる。よく見るページなのだろうか?

 

「――――――――――」

 

瞬間、音が大図書館中に響く。わたしは、その音がパチュリーから出ていると最初は気付けなかった。とても人が出しているとは思えないような、不思議な声ならざる音。その音に呼応するようにわたしの周囲が淡く光り出す。…何が起きているのか分からない。けれど、少しだけ楽になっていくような…?

その不思議な光と軽くなっていく体、そして妖力枯渇寸前という倦怠感からさっき目覚めたばかりだというのに瞼が重くなっていく。睡魔がわたしを襲う。

そして、わたしはそのまま抵抗することなく眠りに就いてしまった。

 



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第179話

長椅子で横になった幻香の瞼がゆっくりと落ち、そのまますやすやと眠り始めてしまった。この魔術には意識混濁や催眠効果はないはず。それなのにこうして眠ってしまうということは、それだけ肉体的、もしくは精神的に無理をしていたのだろうと思う。

そもそも、幻香はこの前緋々色金を二つ複製していた。その妖力消費量は、彼女の感覚を信じるならば約六割。吸血鬼であるレミィやフランを超える妖力量。そんなものがたかが数日で治るとは思えない。その状態でロケットの大半を補って余りある材木を複製し続けた。妖力枯渇寸前で倒れるのも無理はない。

栞を挟んでから魔導書を閉じ、幻香をここに連れて来た妖精メイドに問いかける。

 

「ねえ」

「何でしょうかぁ?」

「木は十分だと思うけれど、他はどうなの?」

「うぅーん…、どうだったかなぁ…。問題なかったと思いますけどぉ…」

「いざ必要になって足りないじゃ作業が止まる。至急確認してちょうだい」

「分かりましたぁ!」

 

そう言うとクルリと反転し、大図書館の出入り口へと飛んで行った。もし足りないとなると、また幻香がその能力を行使するだろう。それだけなら構わないけれど、こうして倒れてしまっては困る。

 

「…起きたらまた貴女に頼ることになりそうね」

 

ロケットの推進力の基礎となる魔法陣。それを幻香に創ってもらおうと考えていたのだから。純粋な妖力塊。その効果は既に分かり切っている。それを利用しない手はない。

私の予想が正しければ、彼女の妖力塊はエネルギーを最も多く含むことが出来る物質に成り得る。彼女が過剰妖力と呼んでいるものは、複製する対象が保有するエネルギーそのまま。それに複製自体の妖力が加わる。つまり、この世で最も多くエネルギーを保有する物質に過剰妖力を最大まで保有させ、その双方を完全に使い切ることが出来れば、理論上最高の物質となる。…飽くまで私の予想でかつ理論上だけど。

まあ、そんなとんでもないものが私の手持ちにあるはずもなく、その代わりの緋々色金だって使い捨てる気にはなれないし、魔法陣一つ分も作れるかどうか怪しいから別の物質を使う予定なのだが。それで一つ魔法陣を作れば、あとは幻香が量産出来る。…既にそうだと言われればそうなのだが、本当にロケットの大半は彼女頼みになってしまう。時間を幻香の妖力で買っている気分。本当に申し訳ない。

 

「…それにしても、どうして最初に組み立てたロケットを解体したのかしら」

「もったいないから」

「っ!…急に後ろから話しかけないで」

 

一瞬ビクッとした体を落ち着かせつつ、いつの間にか後ろにいた妖精メイドが言ったことを考える。そしてすぐに答えは導けた。確かにもったいないからね。

 

「消費ほぼ零」

「代わりに幻香が消耗し切ったのだけれどね」

 

再びばらした材木は、薪にでもなって再利用されるだろう。

 

「そうだ。このままだと悪いから、幻香に毛布でも掛けてあげて」

「分かった」

 

そう言って大図書館を出て行ってから僅か一、二分。毛布が持って戻って来た妖精メイドはサッと幻香に毛布を掛け、そのまま長椅子の横にチョコンと丸くなって座った。

それを確認してから、私は推進力となる魔法陣をどのようなものにするか考えることにした。ロケットは三段になっているから、各段に最低でも一つずつは必要になるのだけど、一番下が魔法陣一つで飛べるとは思えない。そもそも、一つだと飛ぶ際にあまり安定しない。多過ぎると幻香の負担となる。…けれど、幻香はそんなのお構いなしに創ろうとするだろう。そんな確信があった。

とりあえず、一番下は八つ、真ん中は六つ、一番上は三つにしようと思ったら、机に置かれた球が二回瞬いた。…二人?つまり、さっき確認しに行った妖精メイドとは違うのだろうか。

 

「…パチュリー」

「あら、フラン。どうしたの?」

 

苦笑いを浮かべた妖精メイドを引き連れたフランが、私の前に現れた。その表情はあまりいいものとは言えない。

 

「『問題ないことを見せつければどうにかなるでしょ』っておねーさんが言ったから、それまではここを往復するつもり」

「そう。何か不満でも?」

「不満とは多分違うよ。一度出されたものが即行取り上げられてムカついてるだけ」

「レミィも大変ねぇ…。ま、どうでもいいけど」

 

そこまで好かれていないことは自覚しているようだし。…まあ、好んで嫌われようとはしていないようだけど。対応は的を外れてはいないとは思うけれど、やり過ぎて的はもう針鼠。行き過ぎた保護は枷でしかない。

 

「ここで何もしないのはつまらないでしょう?何かすることはあるかしら?」

「うーん、そうだなぁ…。あ、そうだ。見様見真似の魔法陣をちゃんとしたい」

「あら、そう?それならあそこの本棚の上から二段目、右側に比較的分かりやすく魔法陣について載ってる魔導書があるわ」

「ありがと。それじゃ、取ってくる」

 

そう言ってその本棚のほうを向こうとしたところで、急に止まる。そして、長椅子に横になった幻香を見た。

 

「おねーさん、何で寝てるの?」

「あそこにロケットがあるでしょう?」

 

私が指差したところでは、たくさんの妖精メイド達が大量にある材木を切ったり削ったりしながら、ロケット製作の作業をしている。

 

「ふぅん。頑張って組み立ててるみたいだね」

「それの材料が足りない、って聞いたらすぐに複製して補充したのよ」

「…もしかして、妖力枯渇?」

「その手前」

「大丈夫だよね?」

「呼吸も正常、心拍も安定、体温も平常。問題ないわ」

「…なら、いいんだけど」

 

…あまり安心していないようね。妖力枯渇寸前に不安を覚えているからか、平常のはずなのに一週間眠り続けていたことを知っているからか、その両方か。

それでもフランは幻香に何かするでもなく、本棚へと飛んで行った。その後ろを慌てて追いかける妖精メイドを見ていると大変ね、とは思う。何かするつもりはないけれど。

 

「どう?」

「うーん…。難しい…」

 

フランは『Magic square for Beginners』を開いて頭を抱えている。魔法陣とは、という説明が長々と書かれているのだが、私の考えとは少し違う内容が書かれている。まあ、時代と共に移り変わるものだってあるでしょうし、考え方は人それぞれ。

それよりも、私は気になったことがある。

 

「フラン。さっきは見様見真似、と言ったわね。何を見たのかしら?」

「部屋の魔法陣」

「…そう」

 

今は破壊耐性付加の魔法陣だけになっているけれど、前は内側から扉を開くことが出来なくなる魔法陣もあった。恐らく、この二つだろう。

 

「それで、ちゃんと効果はあったのかしら?」

「分かんない。けど、一つは上手くいったよ」

「そう。なら、他の魔法陣だって出来るわよ」

 

あの二つの魔法陣は、かなり複雑な部類になる。あれが見様見真似で出来るなら、問題ないだろう。…何百年もずっと見ていたから、と言われてしまえば確かにそうだけど。

眉間に皺を寄せながら食い入るように魔法陣を見詰めるフランは、視線を魔導書から移すことなく私に言った。

 

「とりあえず、使い勝手がいいのはどれかな?」

「そうねぇ…。そう言われても目的がないと何とも言えないわよ」

「水が出ないのがいい」

「でしょうね」

「スペルカード戦で使えるのがいい」

「魔法陣を…?」

「あれ、使えないの?」

「使えないとは言わないけど…」

 

魔法陣は飽くまで準備しておくものであって、その場で描くものではない。そんな悠長なことをしていたら、被弾してしまう。

 

「そっか。ま、使えないならそれでもいいや」

 

私の否定的な雰囲気を察したのか、フランは軽くそう言った。

 

「スペルカード戦でしか使わないわけじゃないし。…むぅ。やっぱり一日や二日じゃ出来なさそう…」

「これから当分ここに通うつもりでしょう?分からないことがあれば言ってちょうだい。ちゃんと教えてあげるから」

「うん、分かった」

 

そして、パタリと魔導書を閉じてしまった。目を瞑り、ふぅーっと長く息を吐いてから、フランは口を開いた。

 

「…ねえ、パチュリー」

「もう何かあったの?」

「違うよ。これとは別のこと」

 

そう言うと、フランは私の目をじっと見詰めながら、問い掛けた。

 

「パチュリーはさ、私をどう思ってる?」

「そうねぇ…、今は努力して魔法陣を学んでいるわね。いいことだと思うわ」

「そうだね。ありがと」

 



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第180話

少しずつ浮き上がるような感覚と共に目を覚ますと、パチュリーが机に噛り付くように一心不乱に魔法陣を描いていた。周りには足の踏み場もないほどに散らばった大量の紙束。その全てに少しずつ違う魔法陣が描かれ、一言二言添削内容が書かれている。…また一枚、紙が落ちた。そして新たな紙を取り出し、魔法陣を描き始める。

…あの集中状態を切らせることを考えると、とてもじゃないけれど話しかけることを憚れる。なので、音を立てないようにコソコソと長椅子から降り、妖精メイドさん達が頑張っているロケットのほうへと向かうことにした。

 

「あ、起きた」

 

その長椅子の横に丸くなって座っていた紫色の妖精メイドさんがわたしに話しかけてきたけれど、その口元に人差し指の先を当てる。怪訝そうな顔をされたが、もう片方の手でパチュリーを指差す。その指先の方向へチラリと視線が動くと、すぐに納得してくれたようで頭を小さく縦に振った。

二人揃って足音を立てないようにソロリソロリと忍び足で進む。わたしがどの程度眠っていたかは知らないけれど、ロケットは三段目に取り掛かっているようだ。一部の妖精メイドさんはわたしが創った材木で奇妙な形の机やロッキングチェアを作っている。

 

「…何故三日月形」

「さぁ?」

 

まだ作り途中のようで、天板と脚が止められていないようだ。三日月なのはまあ紅魔館らしいと言われればらしいから別に構わない。けれど、天板を削り取ってそのままのようで、尖っていて危なっかしい。特に三日月の先端。なので、指先で角をなぞりながら回収していく。何度も往復し、少しずつ角を丸くしていく。…よし、こんな感じでいっか。わたしの地味な作業を見ていた一人の妖精メイドさんが手に持っていた鑢を放り投げて顔を綻ばせているし。面倒な作業が減って嬉しいのは分かったけど、あんな硬いものを放り投げないで。もし当たったら痛いから。

それにしても、三段目の大きさから考えてわたしが創った材木はかなり多めだったようだ。この机やら椅子やらは、その分を使い切るためなのかな?それでもまだ余るようならば回収させてもらうけれど、それまで使われることに対しては構わない。

そんなことを考えていると、また別の妖精メイドさんがわたしに駆け寄ってきた。

 

「幻香さぁん」

「何でしょう?その目が悪くなりそうなほど真っ紅な布で何かするんですか?」

 

持っていた布の端を持った両手を思い切り広げたのだが、それでもまだ弛むほど大きな布。この色も紅魔館らしいと言われればらしいのだけど、ずっと見ているから目を離すと緑色の残像が浮かびそう。このことを補色残像というらしい。

 

「これを増やしてほしいなぁ、なぁんて」

「いいですけど、ちょっと待って――ん?」

 

緋々色金が回収しようとした手を止め、わたしの中を流れる妖力を感じる。…ただ眠っていたにしては異様なほど妖力量が回復している。もしかして、寝る前にパチュリーがやっていたことのおかげ?だとすれば、その分働かないと。どうせ使わなければ緋々色金になって外部に備蓄されるだけなんだし。

 

「何枚必要なんですか?」

「…何枚だろぉ」

 

…どうやらまだ未知数らしい。ま、それでも構わない。また余るほど創っておけばいいだけだ。とりあえず五十枚複製して渡したのだけど、一つでは軽い布も五十もあればかなりの重量になる。一度に全てを持ち運ぼうと頑張っているけれど、その感じだと出来れば五回くらいに分けたほうがいいと…あ、転んじゃった。その瞬間、周りの妖精メイドさん達が作業の手を止め、転んだ子を起こしてから布を六人で分割。その後は問題なく運び出されていく。

そのまま運んで行った妖精メイドさんは布の加工をし始めたようだけど、あそこにいる五人はさっきまでやっていた作業をしなくていいのだろうか…。けれど、わざわざ言いに行くのはなぁ。ま、わたしがやればいいか。

 

「手伝う」

「ありがとうございます」

 

一人は何に使うのかよく分からない形をした木の塊を根気よく削っていたようで、一つは完成形のようだけど、転がっている三つはまだ途中。

完成品を手に取り、わたしが最後にやろうとして思っていた箪笥の引き出しを組み立てている黒色の妖精メイドさんに見せてみる。

 

「これ、何でしょう?」

「…ベッドの脚?」

 

へぇ、ベッドの脚かぁ。そんなもの気にしたことないや。こんな凝った装飾をされてたなんて知らなかったなぁ…。

まじまじと眺めていると、この程度の凹凸なら複製の複製でもいけそうな気がしてきた。けれど、今まで複製の複製は何度かしていたのだけど、創造と大して変わった感じがしない。もしかしたら、同じなのかもしれない。しかし、複製の複製は創造と違う点がある。それは、複製する対象が目の前にある。これだけで大きな差となる…はず。

手に取った完成品を見ながら、続けざまに三つほど複製する。現れたものはゴトゴトと床に落ち、そのまま転がっていった。

 

「…ぬぅ、微妙」

 

結局、完成形の複製はどれもこれもどこか歪んでしまったので、大人しく途中で放り投げられたものを加工しようかな。ああ、何か形を把握する術が欲しい。…ん?

 

「あ」

 

空間把握すればいいじゃん。いや、さっきまでもしていたと思うけれど、それは妖力を流して複製しただけ。わたしはその流れを自覚していない。意識しようとしてない。感じようとしていない。それが接触の際の複製。それが普通。けれど、そのときのわたしの頭に複製する対象の形は視覚から取り込んだものだけ。見えない部分は流れた妖力を意識することなく、つまり無意識に勝手にやってること。

もとより、空間把握は視覚の代理として考えたもの。対象の形を知るためだけに編み出した使用法。なら、ここにも応用出来るはず。

完成品を手に取り、空間把握。頭の中にハッキリとその形が浮かぶ。そして、そのまま複製。

 

「…出来た」

 

出来てしまった。ああ、出来ちゃった。出来ちゃったかぁ。ふぅん、そっか。

スッと右手を胸に当て、空間把握。自分自身の形が浮かび上がる。わたしはわたしの複製が出来ない。けれど、それを形としてしか見なければ?

 

「あはは…」

 

目の前にはクルクルと無様に回るわたしの複製。あーあ、出来ちゃった。そっかそっか。…出来ちゃうんだなぁ。その体は唐突に崩れ落ち、すぐにわたしの元へ戻される。

複製はわたしの体の一部だ。わたしだってそう思ってるし、疑ってはいない。だからだろうな、複製の複製がまともに出来なかった理由は。いや、今までだって本当は創造だったんじゃないか?今までの複製の複製なんて全部嘘っぱちで、今初めて複製の複製、もといわたし自身の複製をしたんじゃないかな?…そうでもいっか。どうでもいっか。この先を考えるのはまた逆戻り。結果はもう出したこと。

多分、もう複製の複製だって単純に出来てしまうし、わたしの体の複製だって容易く出来てしまうだろう。一度出来てしまったから。成し遂げてしまったから。出来ないほうがよかったとは思っていないけれど、出来てしまうのもなぁ…。はぁ…。

 

「どうかした?」

「…いえ、何でもないですよ。ただの確認です」

 

ああ、本当にわたしって何なんだろう?その答えは出て来ない。けれど、答えが必ずあるなんて傲慢だ。寺子屋じゃないんだ。答えがないことだってあるさ。慧音だってそう言ってたし。

暗い方向へ進んだ思考を無理矢理捻じ曲げ、次の作業へと移る。えぇと、これは額縁かな?…何故額縁。粗削りなそれを見て、何となく完成図を予想してから指を走らせる。指ではどうにも出来なさそうな細かい部分は、ほんの少しもったいないけれど霧散させて作り出す。…よし、完成。

最後に残った箪笥を手伝おうと思ったら、ちょうどよく最後の引き出しを嵌めているところだった。

 

「終わった」

「わたしも終わりましたよ。さ、他に何かありますかね?」

「今はない」

「…みたいですね」

 

改めてよく見てみると、さっきみたいに作業を投げ出す妖精メイドさんは珍しくないようだけど、作業が止まっているというわけではない。どうやら、飽きが来たから別の作業にしようとお互い考えているようで、ただ作業が入れ替わっているだけなのだ。

さっきわたしが布を創ったから別の作業が生まれた。そして、あの五人は作業を変えた。しかし、代わりに作業をする妖精メイドさんはいない。だから、ああして空いてしまったのはしょうがないとも言える。

そして、今は全員が何かをしている。そして、さっきのように誰もしていない作業はない。わたしに創ってほしいものもないようで、ウロチョロ作業を変えながらも、着実に進んでいる。新しく何かをしようにも、途中から参加しているわたしには分からない。誰かに訊けばいいのだろうけど、必要だという雰囲気ではない。

 

「…出来れば何か手伝いたかったんですけどね」

「パチュリー様は?」

「え。あの集中し切ったパチュリーに話しかけるんですか?それを分かって言ってるんですよね?」

「分かってる」

「…そうですか」

 

眼をパチュリーのいるところへ向けると、今尚魔法陣を描き続けているように見える。けれど、さっきより描く速さが遅くなっているように見える。…あ、手が止まった。疲れたのかな?それとも終わったのかな?…いや、また動いたから終わったわけじゃないか。

 

「そうですね。起きたこともついでに教えましょうか」

 

どうやら集中も切れつつあるみたいだし、少しでも休憩させるためにも話しかけますか。けど、何か出来ることはないか訊くだけではあまりにも短く、休憩にもならない。他に話せることはないか考えておきますか。

 



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第181話

こうして数多の魔法陣が次々と描かれているわけだけど、わたしには法則性が見出せない。最初に円を描くことが多いのだが、その円も必須というわけではないらしい。この前作ってもらった霧を噴出するものがその一例。

そんなどうでもいいことを考えながら話しかける時期を探っていると、パチュリーの手が止まった。…よし、ここだ。

 

「パチュリー、調子はどうですか?」

「ん…。あら、もう目を覚ましたのね」

「ええ、どのくらい寝てたかは知りませんが…。分かりますか?」

「そうねぇ…。八時間、といったところかしら」

 

妖精メイドさん達に混じってロケット製作の作業の手伝いを三十分程度していたけど、圧倒的に眠っている時間のほうが長い。いいのだろうか、こんな調子で。

 

「そんな長い時間机に噛り付いてたんですか?」

「そうでもないわよ?最初はフランと話してたから」

「フランと?」

「ええ。貴女が起きる前に帰ったけど」

 

軽く周りを見渡してもフランの姿が見当たらないと思ったら、もう地下に帰っちゃったのか。…ちょっと残念。

 

「どんなことを話したんですか?ちょっと気になります」

「魔法陣のこととレミィの愚痴が大半。あと、一つ引っ掛かることを問い掛けられたわね」

「引っ掛かること…」

「そう。『私をどう思ってる?』ですって。わたしは努力していることを褒めたけれど…。幻香、貴女ならどう答えたかしら?」

「どう、って言われましても…。そうですね…、いいところも悪いところもどうでもいいところも全部ひっくるめて友達ですよ。フランはフランですから」

 

そして、彼女のためにもわたしは生き続けることにしたんだ。たとえ、それが醜悪で見るに堪えないものだとしても。わたしなんかが代わりになんてなるわけないってことくらい分かってる。それでも、身勝手でも、自己満足でも、そうすることにした。もう、彼女には出来ないことだから。…ま、仮に消えてしまってもそれはそれで構わないのだけど。

 

「…もののついでだけど、私はどう思ってるかしら?」

「頼りっぱなしで悪いと思ってます。けれど、それだけ頼れる人。わたしにはもったいないくらい、いい友達ですよ」

「ありがと。褒めても何も出ないけど」

「その言葉だけでわたしは十分です」

 

何か出してくれると言ってくれたなら、わたしに何かやれることを出してほしい。まあ、これは後で訊くから今はいいけど。

 

「…その調子なら問題なさそうね」

「…?何かありましたっけ?」

 

問題、と言われて咄嗟に思い付くものは特にない。首を傾げていると、パチュリーの口からため息が漏れた。そして、呆れ顔で問題を教えてくれた。

 

「忘れたの?貴女、妖力枯渇寸前だったのよ?」

「あー、そう言われればそんなこともありましたねぇ」

「…軽いわね。生命の危機だっていうのに」

「首元にそれを回避出来るものがぶら下がってるもので」

 

五つもあれば、多少のことでは問題ないだろうし。今のわたしを流れる妖力量は…、大体四割ちょっと。不調は特にない。

さて、パチュリーが魔法陣を描くのを休んでもらうために訊きたいことは考えてある。そろそろ切り出しますか。

 

「ところでパチュリー。わたし、少し気になっていることがあるんですよ」

「さっきまでの話に何か疑問でもあった?」

「いえ、全く。わたしが気になったのは、妖術と魔術の違いです」

 

そう言うと、パチュリーの顔が何とも言い難い微妙な感じになった。

 

「…難しいことを訊くわね」

「いえ、わたしの友達の妹紅って人が言ってたんですよ。『妖力による超常現象と魔力による超常現象では結果が同じでも工程がまるで違う』って。その人は、妖術はイメージで魔術は数式とも言ってましたが」

「そうね。私も概ね同じ意見よ」

「じゃあ、何か違うところがあるんですね?」

「違う、というより深いかしら…。けれど、飽くまで私は魔法使い。魔術はいいけれど、妖術はちょっと微妙なところよ。間違っているところもあると思う。それでも構わないかしら?」

「構いません」

 

わたしは知りたいのだ。それに、こうして喋ってもらわないとパチュリーが魔法陣を再び描き出してしまいかねない。

 

「まず、魔術はその人が言う通り、数式と言って構わないわ。『1+1=2』になるように、魔力、詠唱、環境、その他諸々。全てが一致すれば、必ず同じ結果が現れる。これが魔術よ」

「わたしが精霊魔法を全然出来ないのは?」

「…精霊との対話が成立してないからじゃないかしら。魔力、というより妖力も十二分。詠唱も稚拙ながらも出来ているのだから」

「つまり、そこが才能ってやつですか…」

 

悔しい。これでも思い出した時にはブツブツ呟いてるんだぞー。…こんな不定期にブツブツ呟く人の言うことなんか聞きたくないとでも思われているのだろうか。

 

「それに対して妖術は、なるべくしてなるものよ」

「…なるべくして、なる?」

「そう。出来るから出来る。そこに理屈はないわ。私達から見れば、羨ましい限りよ」

「あの、ちょっとよく分からないんですが…」

「そう?じゃあ、貴女を例えに出してみましょう。『ものを複製する程度の能力』。それはどうやったら出来るのかしら?」

「いや、妖力を固形化して――」

「それは、他の誰かに出来るかしら」

 

わたしの説明をぶった切って訊かれたことに、わたしは沈黙する。不思議、おかしい、有り得ない。他の人から言われる言葉。他の誰も出来たと言う人はいない。

 

「…ごめんなさい。けれど、これが妖術よ。完全に個人の才能によって決められる能力。出来ることは容易く出来るし、出来ないことはどう足掻いても出来ない」

「わたしがこれまで編み出した能力の応用。あれらの全てが、最初から出来ると決められていたって言うんですか…?」

「いいえ。いくら才能があっても、使い方を誤れば結果として出ない。それらは貴女の努力の結果だと思う」

 

そう言われ、少しだけホッとした。これまでの発想と努力が無駄だと言われなかったから。

 

「それに、才能がないからといっても、必ずしも出来ないとは言わない。血の滲むような努力の末、得られるものもある。けれど、やっぱりこれも適性があるわね。朝顔の種から向日葵は咲かないように。これを隠れた才能だ、と言われても言い訳はしないわ」

 

つまり、妖怪退治を生業としていたときの妹紅は炎の妖術を得ようと努力し、知ってか知らずかそれに対して適性があったということなのだろう。

 

「最後に、魔術と妖術の決定的違いがある。それは過程の有無。例えるなら、魔術は『火打石と燃やすものを準備して焚き火を作る』。妖術は『問答無用で炎を作る』。同じ炎を出すでも違うのよ」

「その例えだと、魔法陣は油ってところでしょうか?」

「そうかもしれないわね」

 

納得した。…したのだけど、引っ掛かるところもある。わたしがどうしても出来なかったこと。わたし自身の複製。それを、自分自身を形として見る程度の発想の転換で出来てしまうだろうか。実際出来たのだからそれでもいいのだけど、何か他にある気がする。気のせいかもしれないが。

 

「…ふぅ。長くなっちゃったかしら?」

「いえ、全く。よく分かりましたよ。ありがとうございます」

 

まあ、そんなことを気にする必要はないか。ちょっと考えて理由が出て来ないなら、それは後回しにしたほうがいい。そのまま考え続けても出て来ないことのほうが圧倒的に多いから。

 

「こうして分かりやすく教えてくれたんですから、お礼と言っては何ですが、何かわたしに出来ることはないですか?」

「そんなこと気にしなくてもいいのに…。けど、助かるわ。これから魔法陣を作るのだけど、それを十七個複製してほしい」

「それはいいですが、十七個ですか?これはまた随分と微妙な数ですね…」

 

キリよく二十個でいいんじゃないかな?

 

「そうね。けど、この数が一番いいと思ってる。だからいいのよ」

 

そう言うとどこからか金属を取り出し、大量に散らばっている紙の中から一枚を抜き取った。

 

「準備が整うまでは休んでいて構わないわ。好きな本でも読んで待ってなさい」

「好きな本ですか…。何かいいのあるかなぁ」

 

そう言われても、すぐには思い付かない。ま、本棚を回っていれば何かいい本に巡り合えるでしょう。

 



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第182話

「…ふむ、苔で方角かぁ」

 

『遭難対処法 ~一寸先は闇~』とかいうふざけた題名の本だが、中身はまともだった。こういう知識は活用されないのが一番いいのだろうけれど、必要になったときに知らないと困るだろう。けれど、多少の遭難に遭ったとしてもどうにかなるだろう、と考えてしまうのは悪いことだろうか?迷ったら飛べばいい。暗くなれば明かりを灯せばいい。食料がなければ最悪その辺に生えている草でも食べればいい。

つまり、この本はわたしのような妖怪を対象にしていないのだろう。…まあ、だから知らないでもいい、なぁんて言うつもりは毛頭ない。無駄でもいいんだ。

 

「パチュリー様が呼んでましたよー?」

「あ、はい。分かりました」

 

妖精メイドさんにそう言われ、急いで残り僅かとなった内容を流し読む。うぅむ、この本は複製して持ち帰るほどのものでもないかなぁ?なんて思いながら、パタリと閉じた本を目の前の本棚に戻した。

少し固まってしまった首をゆっくり回して解しながらパチュリーの元へ向かう。

 

「…うわ」

「何よその反応」

 

目に飛び込んだのは床に置かれた光沢を感じる白色の魔法陣。床に直接描かれているわけではないようで、問題なく動かせそうだ。…しかし、これを十七個複製するのか。結構大きいなぁ。わたしが両腕を広げても、端から端は届きそうもない。

 

「これを複製すればいいんですね?」

「ちょっと待ってちょうだい。先にこれをロケットに運んでからにしましょう」

「そうですね。増やす前のほうが嵩張らない」

 

この薄っぺらい魔法陣を持っていこうと手を伸ばしたら、すぐに止められてしまった。破れたり千切れたりしたら困るそうです。…まあ、確かにすぐに破れちゃいそうなくらい薄いけど。じゃあどうやって、と思ったらパチュリーがフワフワと浮かせていた。

 

「…魔法って便利ですね」

「便利じゃなきゃ使わないわよ」

「それじゃあ、便利じゃない魔法ってあるんですか?」

「あるにはあるわよ。黒魔術とか」

「黒魔術?」

「貴女に分かりやすく言えば、呪術に近い魔術ね」

「えー、あの非効率な?」

「そう。だから、私は使わない。…黒魔術も他にはない長所があるんだけど」

 

あらゆる面で完全に上位互換となることは珍しい。その黒魔術も、比較的非効率であることを飲んでもいいと思えるような点があるのだろう。…わたしは五感やら四肢やら寿命やらを捧げるつもりはないから、知ったところで使うことはないと思うけど。

あの憎たらしい妖力無効化のことを思い出し、顔をしかめていると、パチュリーが魔法陣をロケットの前にゆっくりと降ろした。

 

「貴女達、今からロケットの底に魔法陣を貼り付けるから引っ繰り返してくれないかしら」

 

パチュリーがそんな無茶振りを言うけれど、そんなこと簡単に言われても難しいと思いますよ?そう思って妖精メイドさん達の様子を伺うが、案の定活動に否定的な様子。けれど、やらないというわけではないらしく、一番上の段を一斉に持ち上げ始めた。…ちょっと不安だ。

 

「手伝ってきます」

「そう?妖精メイドだけで十分だと思うけど…」

 

そう言われても、不安なものは不安なんだ。わたし一人なら大して変わらないかもしれないけれど、幸いわたしは一人じゃない。

 

「これで十分でしょ。鏡符『二重存在』。…ッ」

 

ロケットの上段を降ろし、横向きにして転がしている妖精メイドさん達を一気に複製。その数十八人。これだけ多くの複製(にんぎょう)を動かすのはかなり辛い。頭が潰れてしまいそうだ。体が一気に動かし辛くなり、息も荒くなっていくのを感じる。けれど、これからやらせるのは持ち上げて移動するという比較的単純な作業。底に引っ掛かりがあることは分かっていたので、滑って落とすこともないはず。…だから、このくらいなら十分持つ、はず。

妖精メイドさんの複製をロケットの中段を囲むように配置させ、持ち上げさせる。ロケットの上段よりも明らかに大きく重いだろうロケットの中段を軽々と持ち上げ、そのまま十八体を動かしていく。…よし、いけそう。

ロケットの中段を同じように転がしておき、ロケットの下段を傾ける手伝いをさせる。既に動いていた妖精メイドさん達が持ち上げてくれて出来た僅かに隙間に潜り込ませ、下から押し上げていく。グググ…、とロケットを持ち上げている複製の腕が伸び切った、と感じたら、そのままロケットが倒れていった。

 

「…ふぅ。出来た出来た」

 

軋むような嫌な音を立てながら、三段のロケットの底が見えるように転がされた。普通だったらこんな風に置かれることはないだろうから、壊れてしまわないか少しだけ不安だけど、魔法陣を貼り付ける底を上にするのは、さらに面倒だ。

万歳して喜んでいる妖精メイドさん達の中に紛れている複製をこちらへ戻し、嫌な汗を拭いながら一体ずつ回収していく。押し潰れそうな意識が少しずつ楽になったが、まだ潰れた残滓がある。当分絶好調とはいかなさそうだ。

 

「出来たわね。さて、幻香。この魔法陣を複製してくれるかしら?」

「ええ、いいですよ」

「過剰妖力もしっかり入れてくれると助かるわ」

「はーい、了解です」

 

この魔法陣にはどの程度入れることが出来るだろう?それはないと思うけれど、緋々色金と同程度だったら、十七個どころか三個も出来るかどうか怪しい。まあ、そんな心配は思った通り杞憂だったようで、大した量は入らなかった。それでも、塵も積もれば山となるのか、わたしが思っていたより多かっただけなのか、全部合わせて一割程度使っていた。多いような少ないような…。微妙なところだ。

 

「ありがとう。もう休んでいいわよ」

「え?まだ動けますよ。他に何か作業はないんですか?」

「なら、今から貴方がするべき作業は休養よ。さっきので貴方の顔色が少し悪くなってるわ」

「…そ、そんなはずないですよ。ほら、この通り…」

「いいから休みなさい。貴女が倒れてしまったほうが私にとって痛手よ」

「う…」

 

少し前に妖力枯渇寸前で倒れているので、今のわたしが何を言っても説得力はないだろう。…しょうがない、大人しく休みましょうか。はぁ…。

 

 

 

 

 

 

…本当に休んでるのかしら、アレは?心配だ。

幻香は紫色の妖精メイドと何か話し合っている。そこまでならいいのだけど、突然『幻』を大量展開し始め、ちょっとした弾幕を放った。それだけで終わるはずもなく、妖精メイドが繰り出したいかにもひ弱そうな拳を掴み、思い切り投げ飛ばし出したときは、幻香にとっての休憩とは何か問い質したくなってきた。

今では、二人共本棚の周りをウロチョロと動き回っている。そう思っていたら、本棚の一部の板を複製し、同じように周りを動き始める始末。…あれは何をしているんだか。本当に心配だ。

そんな幻香とは対照的に、月へ飛ぶロケットは着実に完成へ近付いている。レミィからされた内装に関する面倒臭い注文も、大体出来ている。このロケット製作に関して私が出来ることは、明日には終わってしまうかもしれない。まあ、製作が終わったといわれても、少しずつ改良していく点を見つけていくつもりであるが。

最大の課題は『三段の筒の魔力』。これは、恐らく私にはどうしようもない。何となく、そんな感じがする。咲夜がここにはない外の世界の資料を得たように、ここにはないものなのだろう、という何とも言えない勘のようなものがあった。しかし、それさえ見つけてしまえば完成はほぼ確実。

このままこれといった難もなく完成にまで漕ぎ着けるといいのだけど、そう簡単にはいかないかもしれない。今は咲夜が『三段の筒の魔力』を探してくれている。出来るだけ早く見つかるといいのだけど…。

 



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第183話

本来寝る時間とは違う時間に長々と眠ってしまったからか、眠気が一向に訪れない。その代わり、不思議と視線を感じる。そんなこと一切気にせずに無理矢理寝てしまうのも手だけど、こうして妖精メイドさん達が作業をしているのに、動けるわたしが何もしないのは何となく嫌だった。

ロケットの外側は既に完成したらしい。しかし、内装はまだ一部終わっていないと言っていた。今はその内の一つを手伝っているのだけど…。

 

「はぁ…。誰がこんな真っ紅な布団で寝るんだか…」

「それはもう、レミリア様以外いないですよぅ」

「知ってますよ。けどさぁ、これを見る側のことも考えてほしいですよ、全く…」

 

それなりにあったらしい羽毛の中から選りすぐりだと言う十数枚を大量に複製していく。元から布団一枚分には足りなさそうだから、どうせならよりよくしようという話が持ち上がったのだ。もちろん、複製したものもちゃんと良質かどうか確かめてもらっていたのだが、それは途中から行われなくなった。どうやら、品質の信用を得たらしい。

 

「座布団出来た!」

「よーし、後二つだー!」

「ちょっと交代」

「はーい」

「枕の羽毛持って来てー!」

「はぁい、分かったぁ」

 

周りにいる妖精メイドさん達も、休みを取りながらも作業を回している。この調子なら、明日には終わってもおかしくない。

 

「なんですって!?」

 

布団に詰め込もうと思っていた羽毛が妖精メイドさんに持っていかれてしまい、ほとんどなくなってしまったので、新しく複製していると、パチュリーが珍しく声を張り上げていた。…何があったんだろう?

けれど、周りは誰も作業を止めていない。なら、わたしも止めるわけにはいかないよね。けれど、やっぱり気になる。なので、向こう側の話に耳を傾けながら作業を続けていくことにした。

 

「三段の筒を見つけたって」

「ええ」

 

ほぅ、咲夜さんが『三段の筒の魔力』を見つけたらしい。それにしても早いなぁ…。何か裏がありそうなくらいに。

真っ紅な布団生地を裏返し、羽毛を詰め込んだ布団をゆっくりと入れていく。各所をしっかりと結ぶことも忘れない。

 

「これでロケットは無事に完成しますよ」

「何処にその筒はあるのかしら?」

「残念ながらここにはございません。今は神社にあります」

「…神社?」

 

神社に?神社っていうと、あの博麗神社?霊夢さんが何か持っているものなのだろうか。特別なお札?陰陽玉?お祓い棒?…駄目だ、三つはまだしも、筒らしいものが思い当たらない。

布団を中に入れ終え、軽く動かしても中身がズレないことを確認する。隣にいる妖精メイドさんも問題ないと言うように頷いたので、布団を入れるために開けていたところを縫い付けていく。しかし、外側からは目立たないように、かつ簡単に切れたり解けたりしないような縫い方。教えてもらったのはいいけれど、わたしに出来るだろうか?

 

「その筒とは、上筒男命(うわつつのおのみこと)中筒男命(なかつつのおのみこと)底筒男命(そこつつのおのみこと)のことです」

 

…なんだその如何にも三兄弟みたいな名前の三人組は。いや、苗字が違うから兄弟ではないのか?だとしたら、名前が三人もろ被りじゃないですか。名前を呼ぶ際には、苗字を呼ばないといけないじゃん。それは何だかなぁ…。

そんなことを考えながらやったからか、手順を誤ってしまった。チラリと妖精メイドさんを見るが、首を横に振られてしまった。しょうがないので、縫い付けられる途中の糸を掴み、回収する。さて、再挑戦だ。

 

「三柱併せて住吉さんと呼ばれ親しまれている、航海の神様なのです」

 

…どうやったら住吉さんと呼ばれるようになるんだ?『すみよし』の四文字の『み』しかその三人の名前に含まれていないのに。

さっき失敗してしまったので、手順を一回ずつ確認しながら、チマチマと縫い付けていく。ゆるく縫い付けてしまっては意味がないので、しっかりと糸を引っ張りながら。しかし、糸が切れてしまったり、布団生地が引っ張られて歪んでしまったら駄目だ。ちゃんと見極めないと…。

 

「奇しくも、航海の神様で三段の筒ですよ。宇宙を飛ぶのも一つの航海だと思うのです。ですから、この神様が持つ神力こそ、ロケットの推進力に相応しいかと…」

 

航海、ねぇ…。幻想郷に海はないらしいが、海自体は知識として知っている。何でも、塩っ辛い水が大量にあるらしい。地表の七割くらい。塩もそこから得られるらしいのだけど、ここではどうやって手に入れているのだろう?…ま、どうでもいいや。

最後まで縫い付け、確認してもらう。ちょっと緊張しながら待っていると、親指をグッと上げてくれた。緊張が解け、いつの間にか力が入っていた肩を降ろす。ホッと一息。けれど、これで作業が終わるわけではない。さて、別の作業をしましょうか。

 

「…ふぅん、やるじゃないの。それで、どうやってその神様をロケットに乗せるつもり?ま、訊かなくても想像つくけど」

「霊夢がその神様の力を借りるのです。随分と退屈していたみたいで、今は住吉さんを喚ぶ修行をしているはずですわ。つまり、霊夢をロケットに同乗させる必要が出て来ますが…」

「問題ないわ。元からそういう人を乗せる必要があると思っていたから。それに、神様を乗せるより霊夢を乗せたほうが遥かに簡単そうだわ」

 

四人乗りのつもりでしたからね。レミリアさん、咲夜さん、霊夢さんと、今でもあと一人余っているくらいだ。…ま、魔理沙さんが忍び込むだろうから四人になるだろうけど。

カーペットを作っている妖精メイドさんが交代を求めていたので、それに応える。…ふむ、そういう感じの模様かぁ。もう半分過ぎてるから多分大丈夫だと思うけど、もし失敗しちゃったらごめんね?そのときはこれも回収することになって、最初からになっちゃうけどさ。

 

「三段の筒でさらに航海の神様なんて、完璧すぎて裏がありそうなくらい」

 

うん、わたしもそう思うよ。むしろ、裏がないなんて有り得ないとさえ思う。だって、そもそも月への興味を持たせたのはあの八雲紫。裏に隠し蓋があって、開けたらさらに二重底があっても何らおかしくない。

…よし、今のところちゃんと対称な模様になってる。点対称ではなく線対称。華美な模様ではないが、地味ではない。いいなあ、これ。これ程の装飾を代わる代わるでも出来ていることが凄い。

 

「サターンもアポロも目じゃない。私達の宇宙計画は住吉さんを名乗れば必ず成功する!」

 

サターン?アポロ?なんだそれ。あの薄い冊子に描かれていたロケットの名前だろうか。けれど、一本しか描かれていなかったけど…。冊子の中に別のロケットが載っていたのだろう、うん。

正直、このカーペットを家に持ち帰りたいくらいだよ。けど、これは飽くまでロケットの飾り。そんなことは出来ない。もう一枚作ってもらうなんてとてもとても…。自分で作ればいいのだろうけれど、あったらいいなぁ、程度だからそこまで創作意欲が湧かないのだ。

 

「『住吉月面侵略計画(プロジェクトスミヨシ)』。遂に我々は月の都に辿り着く」

 

辿り着く、ね。侵略したところで何がいいのかサッパリ分からないけれど。侵略なんてしなくても、わたしは情報が得られればそれでいい。レミリアさんは所有欲だか顕示欲だか支配欲だか知らないけれど、そんなものを満たしたいのだろうか。…ま、どうでもいいけど。

そのとき、わたしは何かが動く気配を感じ、咄嗟に首が上を向いた。その視界には一羽の鴉。…そうか。お前がさっきの視線の正体か。鴉を見たからか、急に鳥肉食べたくなってきた。そう思い、右手の人差し指を鴉の飛ぶ方向の少し先に伸ばし、最速の妖力弾を射出。頭を一撃で粉砕するつもりだったのだが、残念ながら咄嗟に避けられてしまい、片方の翼に大穴を開けてしまった。…ま、これでもいいか。

流石に片翼で飛ぶことは出来ないようで、無様に墜落した鴉の首を掴む。周りを見渡し、血抜きする際に溢れ出る血液をある程度吸ってくれそうな布を探すと、わたしがやろうとしている事を察してくれたらしく、休んでいた妖精メイドさんが持ってきてくれた。ありがたい。

 

「よし、これで…っ、と」

 

差し出された布を二、三枚複製し、首に巻いてから勢いよく圧し折る。何やら硬いものが壊れ、ブチブチと千切れる音が聞こえたが、いちいち気にしてられない。そこら辺に落ちていた道具を幾つか複製して組み立ててから頭を取り除き、布を裂いて作った紐で足を結んで鴉を吊るす。首から止めどなく流れ出る血を新しく複製した布で拭き取っていく。…よし、大体終わったかな。

 

「このロケット、そろそろ完成するんですって」

「え、そうなの?」

「推進力は神様がどうにかしてくれるんですって。だから、わたし達が作業をしっかりとやり切ればそれで完璧」

「やったぁ!」

 

皆が喜んだが、それもすぐに落ち着いた。多分、さっさと終わらせようと思ったのだろう。実に嬉しそうな表情が滲み出てるから。

 

「この鴉、どうしましょう?」

「んー、ロケットが完成したら豪勢に焼いちゃおう」

「こんな小さいとここにいる人数分足りないですよ?」

「いいのいいの。気分だし」

 

それにしても、この鴉はどうやって大図書館に侵入したんだろう?…ま、これから食す鴉のことは置いといて、わたしもカーペットを完成させますか。

 



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第184話

隣にいる妖精メイドさんがその手に持つ『博麗』と書かれたお札をロケットの屋根に貼り付けている。それっぽく見えるまで何度も書き直したけれど、霊夢さんが見たら激怒したりしないだろうか?ちょっと心配だ。

 

「よし、終わったよ」

「それじゃ、これ持っててください」

「はーい」

 

持っていた注連縄の端を手渡し、グルリと一周。ちょっとやそっとの事でズレてしまわないように、しっかりと括り付ける。確認のために掴んで少し揺らしてみたけれど、これなら大丈夫そう。

 

「…ふぃー。こっちは完了かなぁ」

「おーい、そっちはどうなのー?」

 

下のほうでは、これとはまた別の神社の意匠を散りばめてもらっている。確か、小さな鳥居と神棚。

 

「終わったー!」

 

どうやらわたし達よりも早く終わっていたようで、下にいる妖精メイドさん達は既に鴉の羽を毟り始めていた。

わたしとしては、使うもの全てを何故か複製することになって、多種多様なものを複製する羽目になった。注連縄を編むための麻だか藁だかとか、鳥居の色を付けるための顔料とか、神棚に飾る小さな丸い鏡とか、その他諸々。

パチュリーも妖精メイドさん達も同じようなことを言っていたけれど、このロケットを作るための材料はほとんどわたしの複製らしく、紅魔館から消費されたものはほとんどないに等しいらしい。そのことを妖精メイドさんに感謝された。けれど、わたしとしてはそうであったことが驚きだ。ただ言われるままに複製していっただけなんだけど…。

 

「それにしても、何でこんなものを追加で取り付けたんです?」

「住吉三神の力を借りるからよ。魔術は形式が大事だから」

 

ロケットが完成したからか、こっちにやってきたパチュリーに訊ねると、すぐに答えてくれた。こんな追加注文がなければ、もっと早く終わったのだけど。けれど、必要なことらしいからしょうがないか。

 

「それじゃ、ちょっと遅いけど朝食作って来るね!」

「あ、行ってらっしゃい」

 

…そっか、もう朝だったんだ。つまり、いつの間にか徹夜していたんだ。今も全然眠気は感じず、そんなことをした後とは思えない。そんなことを考えながら手を振ると、数人の妖精メイドさんが丸裸になった鴉を持って行ってしまった。

朝食が出来るまでの待ち時間に、散乱している余分に複製したものを回収していく。周りにいる妖精メイドさん達に、もう使わないかどうか確認することも忘れない。…ふぅ。大分妖力を使ったつもりだったけれど、こうして回収すると案外使っていなかったようにも感じる。そこまで回復しなかったからね。多分、あの魔法陣を除いて過剰妖力を一切入れていないからだろう。

粗方回収し終えると、パチュリーがロケットの入り口に何やら細工をし始めていた。

 

「何してるんです?」

「とりあえず、勝手に中に侵入出来ないようにしてるわ」

「それじゃ、入ろうとしたら?」

「触れた瞬間燃え上がる」

「…うわぁーお」

 

考えただけで恐ろしい。火って熱いんだよ?…当たり前だけど。そんな物騒な細工が終わるまでやることが特になく、ただ待っているのも何となく嫌だったので、ゴミとして掃除されてしまいそうな木屑なんかを丁寧に回収していると、パチュリーがわたしの前に緩やかに立ち止まった。

 

「ありがとう、幻香」

「…どういたしまして。けど、結局推進力に関してほとんど助力することが出来ませんでしたね…」

「そうね。だけど、こうしてロケットが出来上がった」

 

そう言いながら、パチュリーは月へ飛び立つロケットを見上げた。わたしも釣られて見上げるけれど、お札の数がもうちょっとくらいあったほうがよかったかも…、何ていう心底どうでもいいだろうことを考えてしまった。

 

「貴女のおかげで、私が考えていたより何倍も早く」

「そうですか?…樹の伐採と羽毛の採集が減ったくらいな気が」

「変わってるじゃない。特に伐採」

「…まぁ、そうかもしれませんね」

 

妖精メイドさん達の伐採がどの程度の速さで行われるか、わたしには分からない。わたしの場合太さにも寄るけれど、一本大体十分程度だろうか?このロケット使用した材木の量を考えると、相当量伐採する必要があっただろう。…うぅむ、どうなんだろう?

 

「さて、これだけやってくれたんだもの。貴女にはちゃんと報酬をあげないとね」

「報酬?…あー、そう言えばそんな話もありましたね」

「…もしかして忘れていたの?」

 

はい、忘れてました。月へ飛ぶための手段を考えることがわたしのやることだったけれど、それが出来そうもなかったから、その代わりに始めたロケット製作の手伝い。その作業の事ばかり考えていたから、報酬の事なんて頭から抜け落ちてましたよ。

 

「これから作るわけだけど、どんな魔法陣がいいかしら?」

「炎を。発動は妖力を流したらで」

「そうね。どうやって携帯するつもり?」

「あー…。この鎖に付けるか、それともそのまま携帯するか…」

「首に掛けるには少し重くなると思うから、後者ね」

 

そう言うと、携帯していたであろう紙を取り出し、サラサラと魔法陣を描き始めた。

 

「まずはこれを彫ることにするわ」

「…あの、分からないんですけど」

 

魔法陣を見せられても、わたしには分からない。そんな呆れた顔をされても、分からないものは分からないんです。ただ、前に見せてもらった蝋燭程度のものよりも描かれている線が圧倒的に多いことは分かった。

 

「大きさは手に持って負荷にならない大きさにしたいから、利き手を出してちょうだい」

「利き手ですか?…どうぞ」

 

わたしの利き手は一応右手だ。左手でも書けるには書けるけれど、右手のほうが上手く書ける。妖力弾を放つのと体術も両方問題なく扱えるけれど、やっぱり右のほうがやりやすいと感じる。

軽く開いた右手に紙を重ね、その大きさを描き写されていく。指の関節の位置まで丁寧に。さらには皮膚に走る主要な皺まで描き足されていくのを見ていると、よくもまあこれだけの情報を描けるなぁ、と感心してしまう。わたしも同じように描けと言われても、こんなに描くことはないだろう。

 

「…よし。それじゃあ、この手形を参考にさせてもらうわね」

「ありがとうございます」

「ふふ、これは正当な対価よ。お礼を言うのはこっちのほう」

 

そう言われても、わたしがパチュリーに提供したものは、緋々色金を消費するほどのものではないと思ってしまう。大量に伝えた月へ行く手段は最終的に採用されることはなく、ロケットの材料として創った複製分の妖力は時間が経てば回復する。つまり、わたしがパチュリーに提供出来たものは、大ちゃんの座標移動の研究協力と時間。たったそれだけ。

けれど、そんなわたしとは対称的に、パチュリーからはそんな不満は一切感じない。本当に正当なものだと思っているようだ。…時間ってやっぱり大事なのかなぁ?

 

「そうだ。そこにいる妖精メイド達に、ロケットには触れないように注意しておいてくれるかしら?」

「あ、はい。分かりました」

 

触れたら燃え上がるから、と伝えれば面白半分でも触れようとはしないだろう。…多分。

パチュリーに言われたことを皆に話して回っていたら、朝食がやってきた。様々な料理が並ぶが、特に目立つものが鴉の丸焼き。とてもいい匂いが漂ってくる。

 

「さ、食べよっ!」

 

前に言っていた通り豪勢に焼かれた鴉を見ると、ロケットが完成したという実感と共に、一区切りついたという安らぎを感じた。…さて、冷めてしまう前に食べちゃいますか。

 

「いただきます」

 

ま、鴉の丸焼きは皆で分けて食べることにしたから、ほんの少ししか食べれなかったけれど、わたしは満足でした。

 



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第185話

この前ここに来た咲夜が言っていたけれど、今日はあの月へ飛んで行くロケットが完成したことを知らしめるためのパーティーをするらしい。そして、その披露宴に乱入しないようにと釘を刺された。…誰が行くかっての。

おねーさんが言っていた通り、問題ない様を見せてきたつもりなのだが、まだこれといった成果は得られない。まあ、一週間や二週間でどうにかなるとも思っていないみたい。おねーさんの予想というより勘だと『何か変化が起こるまでに二ヶ月くらいは必要じゃないかな?』と言っていた。…気の長い話になりそうだ。

 

「あぁー、暇ー…」

 

やることがない。今日が過ぎさえすれば、ここを出ることも問題ない。それは分かっているのだけど、やっぱりやることがない。…スペルカードでも考えようかなぁ。

とりあえずレーヴァテインでも取り出してみようかなぁ…、なんて思ったときに、突然扉が開いた。一体誰がと思ったら、正直見たくもない人の姿があった。この館の主、私のお姉様であるレミリア・スカーレット。

 

「フラン」

「…何よ」

 

その恰好は、やっぱり普段着ではないようだ。これからパーティーがあるってことが嫌でも分かる。

 

「分かっていると思うけれど、パーティー会場に来ないように」

「行かないよ。そんなに行かせたくないんだったらその辺に縛り付ければ?」

「…しないわよ」

 

表情を暗くしながらそう呟いた。そして、私を見ながら部屋から出て行き、ゆっくりと扉を閉めようとした。

そのとき、扉のさらに向こう側からドタバタという足音が近付いてくるのが聞こえてきた。

 

「あっ!ちょっと!」

「フランドール様ぁ!」

 

その僅かな隙間をお姉様の言葉も無視して駆け抜けた一人の橙色の妖精メイドが現れ、ハァハァと肩で息をしつつも、私に思ってもみなかった発言をした。

 

「あのっ!私達とパーティーしませんかっ!?」

 

 

 

 

 

 

やって来たのは大図書館。一部の妖精メイドはここにあるロケットの見張りをすることになっているらしい。けれど、ただ見張りするなんてつまらない。なら、見張りのついでに『ロケット製作頑張ったねお疲れ様パーティー』をしよう、という話が持ち上がったそうだ。どうせ、お姉様主催のロケット披露宴の料理を作るのだから、余分に作ってこっちに持っていこうとも。

最初は、どうすればいいのか迷った。ここで言われた通り待機して、お姉様の言うことちゃんと聞いていますよー、ってことを見せつけるほうがいいのか。それとも、妖精メイド達のパーティーに参加して、私だってこうして普通な活動が出来るんだよー、ってことを見せつけるほうがいいのか。

しかし、その答えを出す前にお姉様が溜め息と共に許可を出した。『ただし、大図書館からここに戻るときはちゃんと誰かと一緒に戻るように』と今までと変わらないことをわざわざ言われたが。

ロケットの周りには、急ごしらえで作ったような模様がかなり雑なカーペットが敷かれ、妖精メイド達がところどころに料理が盛られた皿を置いて回っていた。

 

「…あ」

 

そして、普段はパチュリーが座っているロッキングチェアにおねーさんが眠っていた。その寝顔はとても安らかで、…ちょっとだけ不安になった。

 

「…大丈夫なの?」

「うん。疲れたから少しだけ寝るんだって」

「ロケットが完成したのはもう前の話でしょ?」

「そうじゃなくて、パーティーの料理を私達と一緒に作ったの。一人で十人分、いや二十人分くらいは調理してねぇ…」

 

そんなことしてたんだ。けど、おねーさんの料理って、そんなパーティーに出せるような代物じゃなかったような…?しかし、ここに置かれている料理はとても美味しそうに見える。

おねーさんを起こしてもいいのか訊ねようとしたら、既に料理を並べ終えた妖精メイド達が私に手を振ってきた。

 

「あ、フランドール様ー!一緒に食べましょうよー!」

「たくさんありますから!どんどん食べましょう!飲みましょう!」

「さ、行きましょう!フランドール様!」

「え、ちょっと…」

 

手を引かれるまま、カーペットに座らされる。そして、次々と手渡される皿、箸、スプーン、ナイフ、フォーク、ワイングラス、ワインボトル…。

 

「さ!皆ぁ!おっ疲れ様あぁーっ!」

 

沸き上がる歓声。料理に手を出す者もいれば、ワインを口にする者もいる。机がああだ本棚がこうだとロケット製作について話す者もいれば、急に踊り出す者もいた。

 

「…ねぇ」

「何?」

 

ちょうどよく近くにいた紫色の妖精メイドが料理を皿に移し終えたところで話しかけた。

 

「おねーさんは起こさないの?」

「起きるまで待ったほうがいい」

「…何かあったの?調理以外で」

「訓練」

「どんな?」

「相手の視界を認識する訓練」

 

…視界?その訓練がどう役に立つのか、私には思い付かない。だって、おねーさんは前から視界、特に視線にかなり敏感だ。眼の動きから攻撃する場所を予測出来る程度には。

 

「それだけ?」

「それだけ」

 

それだけで疲労するとは思えないんだけどなぁ…。まあ、他にも何かやっていたんだと思う。この妖精メイドが知らないところで、何か別のことをやっていてもおかしくない。だっておねーさんだから。

話が終わったことを察したようで、料理を口にし始めた。それを見ていると、私もここに置かれている料理を食べてみたくなる。おねーさんには悪いけれど、私も食べちゃおうかな。

鶏の唐揚げをいくつか皿に移してから、ワインボトルのコルクに小指を突き刺して無理矢理引き抜く。ワイングラスに注いでみると、かなり若い白ワインだった。赤ワインのほうが好みに合うんだけど、どこかにないかなぁ?

 

「ん…。あ、もう始まってたんですか」

「あ、おねーさん」

 

妖精メイドが持っているワイングラスから赤ワインを探そうとしたところで、おねーさんが目覚めた。大きく伸びをしてからゆっくりと立ち上がり、目を擦りながらこっちに歩いてくるのを見ていると、ちょっとだけホッとした。

 

「よ、っと。さて、食べますか」

 

そのまま私の隣に座り、私の持っていた皿と箸を手元に複製してから近くに置かれた料理に手を伸ばした。私もワインを口に含み、味と香りを楽しんでから喉を通す。

 

「うん、美味し」

「やっぱり美味しいものなんですねぇ」

「ワイン飲まないなんて、おねーさん損してるよ」

「そうかもしれませんが、損を被ってでもわたしは飲みたくないです」

 

そう言ってからさっき私が話しかけた妖精メイドに一言話すと、一本の瓶を手渡された。そして、瓶の蓋に指を添えた瞬間、ポンッと小気味いい音と共に軽く吹き飛んだ。

 

「ま、わたしは葡萄を絞っただけので十分ですよ」

「あ、赤い。いいなぁ…」

「あー、赤ワインのほうがいいんですか?それならあっちにありますけど」

「え?本当だ」

 

ワイングラスに葡萄の果汁を注ぎながら、もう片手で指差した後方を見ると、妖精メイドが赤ワインを注いでいた。…あれ?おねーさんの指差した方向には確かに赤ワインがあったけれど、おねーさんはそっちの方向を一度も向いていないような?うぅむ、訊けば教えてくれるかな?

 

「あそこに一度も目を向けてなかったじゃん。何で分かったの?」

「香りで。ワインの香りは嫌になるほど嗅ぎましたから」

「…?」

「調理に使うんですよ。ソースとか」

 

おねーさんの口からそんな言葉が出るなんて思ってなかった…。調理なんて面倒で、食べれるならそれでいいみたいなことを平然と言っていたおねーさんが!…いや、さっき調理していたことは聞いていたけれど。それでもこうしておねーさん本人が言うのを聞くと、また違った驚きを感じる。

 

「ああ、そうだ。フランに言っておかないといけないことがあったんだ」

「え、なになに?」

「申し訳ないんですけど、わたしは多分月へ飛びます」

「うん、知ってる」

 

パチュリーもそう言ってたし。どうやって行くかは知らないみたいだったけど。

 

「それなら話は早い。それで、いつ帰るかも分からないんですよね」

「だろうねー。あ、そうだ。何かお土産欲しいな」

「お土産?正直、実物は奪わないようにしたかったんですが…」

「むぅ…、駄目?」

「…考えておきますね。けど、あんまり期待しないでくださいよ?」

「出来れば綺麗なのがいいなぁ…。こっちにはなさそうなので」

「難易度激上がりなんですが…」

 

まぁいっか、と付け足したおねーさんは、そんなことを言う割には楽しそうに笑っていた。

その後も、おねーさんと色々な話をし、話しかけてくれた妖精メイドともお話ししながら、たくさんある料理に舌鼓を打ち、ワインを味わう。

そして、料理もワインも大体空になったときには、ほとんどの妖精メイドが横になって寝てしまった。とても気持ちよさそうに寝ていたものだから、起こすのは悪いかな、と思い、私とおねーさんと寝ないで起きていた数人の妖精メイドだけでロケットの見張りをすることにした。

こうして、妖精メイド主催の小さなパーティーは終わりを告げた。

 



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第186話

何となくロケットをボーッと眺めていると、横からゴトリと何かが落ちる音がした。本棚から本でも落ちたのかな、と思ったら、おねーさんが次々と薄紫色の得体の知れない何かをボトボトと落としている。片手で持つのにちょうどいい大きさの立方体に近い形の何か。

 

「何してるの?」

「創造の訓練。ま、こんな単純な形なら一応出来るんですがねぇ…」

 

そう言いながら、床に落ちているものを拾い、どんどん積み上げていく。しかし、数は十個あるのだが、四つ目を乗せたときにはぐらつき、六つ目を置いたときにはそのまま崩れてしまった。

 

「けど、完成には程遠い。本当に立方体なら問題なく積み上がるんですけどね。残念ながらこれじゃあまだ歪んでる」

「難しいの?」

「時間かけて頭の中にその形を強くハッキリと思い浮かべれば何とか出来ましたよ。けど、こうしてポンと出すとまだ全然駄目」

 

十個の物体を手に取って回収してから、おねーさんは静かに目を閉じた。そして待つこと十秒くらい。手元にはしっかりと各辺が直角になっているように見える立方体が一つ現れた。

 

「ふぅ…。ま、こんな感じですね」

 

投げ渡された立方体を手に取ってまじまじと見てみるけれど、やっぱり立方体に見える。けれど、十秒もかかるなんてかなり遅いよね…。普段の複製は一瞬でパッと現れているから、ついついそれと比べてしまう。

 

「もっと細かいと、例えばチェスの駒なんかはとてもじゃないですが出来ませんし、カーペットの色や模様なんかも簡略化されたり歪んだりして悲惨な代物になりますから。ま、色までしっかりと意識すればそれっぽく着色されるようになっただけマシなのかな」

「…もしかして、このカーペットって」

「ええ、わたしの創造です。出来れば複製したかったんですが、その対象はロケットの中ですから」

 

かなり雑になっちゃいましたけどねー、なんて言いながら軽く笑うおねーさんは、私が持っていた立方体に触れ、すぐに回収した。

 

「それにしても、ほとんど寝ちゃいましたねぇ…。起きてるのわたし達含めて五人だけですよ」

「見張り役だったのにね」

 

残りの三人の妖精メイドはロケットの周りをグルグル旋回している。時折ため息を吐いているのは、多分他の妖精メイド達は仕事も忘れてすやすやと眠っているからだと思う。

 

「けどまあ、起こすのも何となく悪――」

 

突然言葉を切ったおねーさんが右足を軸に回転し、後ろへ回し蹴りを叩きこんだ。何も音はしなかったけれど、おねーさんの脚が不自然な場所で動きを止めたから、そこに何かがあったのは確か。

 

「何してるんですか?」

 

何もない空間に言葉を放つおねーさんだけど、返事はない。…一体、何がそこにあるんだろう?そう思っていたら、おねーさんはおもむろに手を伸ばした。その手は何もないはずのところで止まり、何かを掴んだように見えた。

 

「…ねえ、サニーちゃん?」

「………バレた?」

「ぅう、い、痛い…」

「やっぱり無謀だったのよ、サニー?」

 

さっきまで何もなかった空間に、突如三人の妖精が現れた。その中に一人、頭を押さえて涙目になっている妖精は見覚えがある気がする。確か、えーっと…、ルナ・チャイルドだったっけ?

 

「…って、あれ?もしかして幻香さん…?」

「え?ムムム…。あ、本当だ!」

「それで、何しようとしてたんですか?」

「面白いこと探し!」

「その口元に付いたソースがなければもうちょっと違うこと言えたんですけどね」

「美味しかっだだだ!」

 

盗み食いをしたことを胸を張って誇らしげに言うサニーと呼ばれた妖精は、おねーさんが頭を掴んでいた手に力を込められたことによって、軽く制裁された。

 

「あらら、サニーったら…」

「そういう貴女ももうちょっとお酒を飲む量減らしたほうがいいですよ」

「あれ、バレてる?」

 

誤魔化すように笑った黒髪の妖精の額に人差し指を弾き、おねーさんはため息を吐いた。

 

「それで、貴女達が見つけた面白いことはあのロケットですか?」

「そう!ちょっと中を覗いてから帰ろっかなぁって!」

「痛たた…。幻香さん、ちょっとだけでいいから見れませんか?」

「無理。窓からなら、って言いたいところだけどキッチリ閉まってるし」

「そこを何とか出来ませんか?」

「無理なものは無理。だって侵入者対策で触れたら燃えちゃうから」

「も、燃えっ!?」

「そ。試してみましょうか?」

 

そう言うと、おねーさんはロケットに向かって一歩ずつ近付いて行って…!?

 

「おねーさん!?」

「ああ、大丈夫ですよ。火傷くらい何とかなりますから」

「そういう問題じゃ!」

「あのっ!諦めますからそんなことしなくて大丈夫です!ほらっ、サニー!帰るわよ!」

「え!?あっ、ちょっとスター!首引っ張らないで!締まる締まる!」

「ちょっと待ってぇ…」

 

そう言うと三人の妖精は大図書館から出て行った。ただし、ルナは一度足が引っ掛かったのか、途中でこけてちゃったけど。そんな三人をちょっと呆れ顔で見送るおねーさんに、わたしは跳び付いた。

 

「うわっ!…どうしたんですか?」

「あんなことしなくたっていいじゃん…」

「いやぁ、ちょっと試してみたくなって…。怪我するって分かってても針に指を伸ばしたくなる感じ?」

「嘘。違うでしょ…?」

「…なぁんで分かるかなぁ」

 

困ったような声のおねーさんは、フゥーッと長く息を吐いた。何で分かるのか、って言われても、何となくとしか言えない。けれど、そんな風に言うほど曖昧な感覚ではなく、もっとハッキリとしたもの。

 

「ねえ、どうして?」

「…『紅』。今は亡き彼女の遺産を試したかったんですよ。腕は生えた。それじゃあ、焼け焦げた皮膚は?…って、ちょっと考えちゃったんです」

 

軽く言っているけれど、腕が生えた…?いや、それよりも先に気になる単語があった。

 

「彼女って、誰?」

「貴女…、じゃなくて貴女の破壊衝動。彼女が遺したもので、わたしは傷が治るし、夜目が利くし、『目』が見える。…吸血鬼に、貴女に近付く」

 

腕が生えるほどの再生能力。夜目が利く。そして『目』が見える。それは、明らかに私の能力。それは、おねーさんにはもうないはずの能力。

 

「…何で、消えたんじゃなかったの?」

「正確には、溶けた。もう、残りかすって言えるようなものしか残ってない。けど、確かにあるんです」

「大丈夫なの?…また、あんな風になったりとか」

「絶対、とは言いません。けど、ないでしょう。…もう、彼女はいないから。いない、から…」

 

その言葉はとても悲痛だった。私の背中に手を回し、そのまま肩に顔を乗せて声を殺しながら涙を流すおねーさんは、吹けば消えてしまいそうなほど儚く感じ、私も抱き返した。肩に流れる涙がじんわりと服に浸み、焼けるような痛みを感じるけれど、そんなものはどうでもよかった。

 

「けど、私はここにいるよ」

「…ええ、そうですね。すみません、恥ずかしいところを見せて」

 

目元が少し赤くなったおねーさんは、私の背中に回した腕を離してから微笑んだ。

 

「皆は消えたことを喜んでくれていたのに、わたしは悲しんでいたなんて、とんだ痴れ者ですよ」

「…そう、かもね」

「けど、もういいんです。やっぱり、溜めておくのは辛かったから、こうして吐き出せたのはよかったと思いますよ。…聞かされるほうは堪ったものじゃなかったと思いますけど。…ごめんなさいね、無理矢理聞いてもらって」

「そんなことない。おねーさんのこと、また一つ知れて私は嬉しいよ」

 

私の中に芽生えた小さな嫉妬。私と似て非なるものを失って悲しむ姿を見ると、ちょっとだけ悔しかった。

 



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第187話

『あ、魔理沙。貴女も乗りたければ構わないわよ』

 

レミリアの指示のもと、パチュリーが作った月へ飛ぶためのロケットがあるという大図書館へ行きながら、パーティーの終わり際にパチュリーに言われたことを思い出していた。

 

「忍び込まずに乗れるのはいいんだが、何だかなぁ…」

「いいじゃない、乗れればそれで」

「ま、そうだな」

 

私としては、乗れるならそれで構わない。呼ばれたから、こうして霊夢と一緒にいる。あちらの思惑は知らないが、多少のことは飲んでやってもいいかな、なんて思いながら大図書館の扉を開けた。

 

「それはあっちー!」

「食べ物持って来た!?」

「まだですよぉ…」

「分かってるなら早く――あら、霊夢に魔理沙じゃない。もうちょっと遅くてもよかったのに」

「さ、こちらへどうぞ」

 

そこには、指示を出しているパチュリーと、その指示を受けて忙しそうに飛び回る妖精メイド達。そして、私達の前に現れた咲夜がいた。その咲夜に導かれるまま、私と霊夢は椅子に座ることになった。

 

「忙しそうね」

「ロケット発射前ですからね。パチュリー様にしか出来ない仕事があるのでしょう」

 

周囲を見渡すと、そこら中に妖精メイドが目に入る。本を持って飛んでいる妖精メイド、本棚に本を仕舞っている妖精メイド、何やら大きい鎖と南京錠を持って来た妖精メイド達…。

そうやって周りを見渡していると、ふと気になるところがあった。

 

「ん?…あの赤い線は何なんだ?」

 

ロケットの下に真っ赤な線が描かれている。その太さは、ロケットからはみ出してしまうほど。

 

「ロケットは赤道近くで打ち上げたほうが、エネルギーが少なくて済むそうですから」

「それで描いたのか…。どういう理屈なんだか」

 

咲夜の淹れた紅茶を一口含んでいると、妖精メイドへの指示が一段落ついたのか、コホコホと口元を押さえながらパチュリーが近くの椅子に座った。

 

「なあ、何で乗ってもいいなんて言ったんだ?」

「言わなかったら忍び込まれるって分かってたなら、最初から入れておけばいい。それに、霊夢(ロケットエンジン)に何かあったら、魔理沙が代わりになってくれるでしょう?スパークって」

 

…どうやら、忍び込まれることは最初から読まれていたらしい。なんか悔しいぜ。

 

「こうして乗らせてあげるんだから、馬鹿なことやって墜落なんて許さないわよ?」

「…分かってるよ。ちぇっ」

 

ジットリとした目付きで言われ、何となく直視できずに目を逸らしながら、しぶしぶ了承した。…せざるを得なかった。

忍び込むのと、言われて乗る。どっちも同じだが、後者のほうがパチュリーにとって得が大きい。こうやって交渉に持ち込めるから。どうやら、打算的な理由でもあったらしい。

 

 

 

 

 

 

「…結構広いのね」

「結構な長旅になりますから。往復で半月から一ヶ月くらいかかるそうです」

「ふぅん。このくらい広ければ問題ないわね」

「食料も結構積まれてくな」

 

私の横を通り抜けた妖精メイドの両腕には、相当量の食料が持っていた。その後ろにも、そのまた後ろにも同じように食料を持った妖精メイドがいる。早くに食べないといけないものも少しあるけれど、ほとんどは長期に渡って保存出来るものばかり。

 

「あ、あと月に向かうとドンドン狭くなりますよ。航海の途中で一階から順番に切り離していきますから。最終的に月に着くときには、三階部分だけになります」

「はぁ?」

 

外から見たロケットの三階部分は、見るからに小さかったが…。今の内にどの程度なものか見るべく、梯子を上り二階へ。…一階より狭いが、問題はないだろう。さらに梯子を上って三階を覗くと、そこには六畳より少し広いような気がしないでもない程度の部屋があった。

 

「…おい、ここに全員入るのか?」

「うわ、狭っ」

 

私の後に続いていた霊夢も、私と同じ意見のようだ。やたらと大きなベッドが、その部屋の大半を潰している。このベッド、もう少し小さく出来なかったのか?

 

「ねぇ、全員って私達とアンタ等の四人?」

「いえ、念のためメイド達を三匹ほど連れて行く予定です」

「…何の役に立つんだか」

「よろしく」

 

後ろから突然声が響き、ビクッとしながら振り向くと、そこには紫色の妖精メイドがいた。…三階に上ったときにいたのか、コイツは?そのボーッとした紫色の瞳を見ていると、小さく首を傾げられた。

 

「役に立つ立たないじゃないわ。立たせるのよ」

「…あっそ」

 

他の妖精メイドももしかしたらここにいるのかと思ったら、他に誰も見当たらない。どうやら違ったらしい。

 

「他の妖精メイドは何処なんだ?」

「下にいるわ」

 

梯子にいつまでもくっ付いている霊夢の頭に軽く蹴りを入れてから下へ降りていく。少し睨まれたが、気にせず一階まで降りてみると、青色と黒色の妖精メイドが壁際にいた。二人は何かを楽しそうに話し合っていたようだが、私達たちに気付くとすぐに話を止めてこっちにやって来た。

 

「よろしくー!」

「よ、よろしくお願いしますぅ…」

 

群青色の瞳を爛々と輝かせながら溌溂とした挨拶をする青色の妖精メイドと、赤色の瞳をユラユラと揺らしながらオドオドと挨拶をする黒色の妖精メイド。…まるっきり対照的だな。

そんなことを考えていると、黒色の妖精メイドが霊夢の後ろに隠れてしまった。それと同時に扉が開き、月への侵入の主犯、レミリア・スカーレットが現れた。

 

「お待たせ。早速だけど出発するわよ!」

「おいおい、大図書館から出発するのか?ここって地下だろ?天井は?屋根は?」

「パチェが何とかするわ。そんなことゴチャゴチャ言わなくてもいいでしょう?」

 

そう言うと頭巾を被り、三日月型の机に手をかけながら言った。

 

「後は霊夢が住吉三神を喚べば、もう飛び出せるわ!」

 

 

 

 

 

 

窓から見ていると、さっきの鎖を持った妖精メイドが横切った。そのまま鎖はロケットを縛るように締め付ける。南京錠を持ったパチュリーが上へ行くのが見えたと思ったら、下りるときにはその手は空だった。

準備が終わったらしく、パチュリーは妖精メイド達を共にロケットの周りをグルリと囲み始めた。そして二拝二拍一拝してから、頭を垂れて祈り始める。かと思えば、賽銭をロケットに投げつけ始めた。

 

「なあ、アレは何の宗教だ?色々混じってるように見えるぜ」

「さあね。私は宗教に興味はないから」

「それはそうと霊夢、賽銭箱持って来たか?」

「…あるわけないでしょ」

 

一瞬物欲しそうな目で飛び交う賽銭を追っていたが、すぐに元に戻り、真っ白な鉢巻を額に巻いた。

 

「賽銭は神社でなくても全く構わない。そもそも、神社も神棚もただの飾りで、同時にいくつ存在してもいいし、神様の宿る器さえあればなんだろうと問題ない」

 

そう言うと、神棚の前に腰を下ろした。それを見たレミリアはゆっくりと机の下に潜り込み、三人の妖精メイドも何処かに掴まり始める。

 

「つまり、このロケットは空飛ぶ神社なのよ」

 

瞬間、地震でも起きたようにロケットが大きく揺れ始める。ブツブツと何かを呟く霊夢は、僅かに光っているようにも見えた。咄嗟に窓枠に掴まって揺れに耐えていると、窓の景色が下に流れていく。…いや、このロケットが飛んでいる。

窓から一瞬、満足そうに微笑むパチュリーといつからいたのか知らないが、フランが大きく手を振っているのが見えた。そして、大きく開いた天井を抜け屋根を抜け、そのまま夜空を急上昇していくロケット。窓から見える景色はどんどん小さくなり、やがて豆粒ほども見えなくなっていく。

 

「…ここが宇宙か」

 

揺れが収まるまでは数秒か、数十秒か、数分か。時間の感覚が吹き飛んでしまうような経験だった。船内を見ると、満足げな笑みを浮かべるレミリア、早速紅茶を淹れ始めた咲夜、それぞれの仕事をし始める妖精メイド達。そして、神棚の前に座り祈り続ける霊夢。

 

「長い航海(たび)になりそうだぜ」

 



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第188話

「よいしょ…っ。…ふぅ」

 

黒色の妖精メイドがようやく二段目に上ったのだけど、一段目を切り離すギリギリまで何をしていたのかしら?そう思って見てみると、その両手には数冊の分厚い本があった。そのまま本棚の陰に隠れ、首元を撫でながら持ってきた本を広げ始めた。

 

「あぁー、今日で五日目か。宇宙旅行っていってもずっと同じ景色でつまらんな」

「ずっと青い空のままですからねぇ。少しずつは色が薄くなってるみたいだけど」

 

紫色の妖精メイドが調理をし始める音が響く中、窓の外を眺めていた魔理沙の愚痴に同意する。たかだか二週間程度と考えていたのだけど、まだ半分の過ぎていないというのに怠惰な生活を強いられている気分になってくる。

 

「咲夜、今日の紅茶はまだかしら?」

「…今、淹れますね」

「メイド長ー!準備出来てまーす!」

「あら、気が利くわね」

 

青色の妖精メイドが示したところには紅茶の茶葉と陶器のやかん、それにティーカップ。それらを手に調理場へ行く。隣では大き目の鍋に野菜を中心としたスープが温められていた。

 

「どう?」

「問題ない」

 

サッと見た感じ、私自身も問題ないだろうと感じた。香りも悪くない。

 

「あら?」

 

しかし、ここで問題が一つ発生した。油が見当たらない。昨日はあったはずなのに…。いくら考えても何処に仕舞ったか思い出せない。

…仕方ない。あの子に訊こう。そう思い立ち、本棚の陰にしゃがみ込んで本を開いている黒色の妖精メイドの元へ行く。

 

「ねえ」

「…な、なんでしょう」

「油をどこに仕舞ったか覚えてないかしら?」

「…仕舞ってないですよぉ」

「え?」

「一段目に残したまま…。き、切り捨てちゃいましたよ?」

 

そう囁くような声で言われ、思わず頭を押さえてしまう。そう言われれば、確かに私は油を上へ持って行っていない。…ああ、やらかした。

いや、ちょっと待って。紫色の妖精メイドは調理に火を扱っていた。油がないのに?そう考えていると、黒色の妖精メイドはメイド服のスカートの中から一本の瓶を取り出した。

 

「あ、あの…。ちょっとだけなら…」

「…!あるなら先に――火炎瓶?」

 

渡された瓶は油で中を満たし、細く切った布がヒョロリと導火線のように伸びていた。

 

「し、侵略するなら、ぶ、武器も、ひ、必要かなぁ…なぁんて」

 

本の陰に顔を隠しながらボソボソと言い訳めいたことを言うけれど、今ここに油があることに変わりはない。

 

「ありがとう」

「…どういたしまして」

 

つまり、紫色の妖精メイドも同じようなものを持っていたってこと?二人が持っていたとなると、もう一人持っていてもおかしくない。

 

「え?持ってますよー?」

 

訊いてみたら軽い感じで答えられた。そして、自慢気に見せつけてくれたそれを奪い取る。

 

「あぁっ!何するんですかー!」

「誰が考えたか知らないけれど、今は油がないの。それに、お嬢様が侵略する月の都を火の海にするなんて許さないわ」

「えぇー…。ま、ならしょうがないですねー。それじゃ、後はよろしくお願いしますねー」

 

こうして得た二つの油で満たされた小さめの瓶。これで二日くらいは持つだろうけれど、それ以降は何か他の燃料を考えなくてはならない。…しょうがない。借りは作りたくないけれど、魔理沙に頼むことにしよう。正確には、魔理沙の持つミニ八卦炉を借りる。何を吹っ掛けられるだろうかと考えると、少しだけ憂鬱になる。

それにしても、比較的優秀な妖精メイドを選んだつもりだけど、三人とも代償と言わんばかりに欠点がある。青色の妖精メイドは先を読むように準備をしてくれているけれど、後処理をしない。紫色の妖精メイドは調理掃除が手早く上手だけど、言葉足らずで不愛想。黒色の妖精メイドは記憶力が飛び抜けて高いけれど、ああして何処かに小さくなったり隠れたりすることが多い。

役立つには役立つ。メイド長として、癖の強い三人の妖精メイドをちゃんと扱えるだろうか…。そんな小さな不安を吹き飛ばすように、やかんに火を点けた。

 

 

 

 

 

 

「お待たせしました、お嬢様」

「遅かったわね。何かあったのかしら?」

「あ、いえ。大したことじゃないんです」

 

そう言いながら微笑む咲夜だが、長い間見てきた私には分かる。この表情は、今は大丈夫だけどもう少しで問題になる、って表情ね。けれど、こうして誤魔化したから、起きたとしてもそこまで重大な問題ではない。私の気にすることではないわね。

 

「ま、いいけど。それにしても、上空になればなるほど紅茶の味が変わってきてるような」

「なんだかお湯の沸点が下がってるみたいです」

「けど、悪くないわ。毎日違う味を楽しめるもの」

 

いつも紅魔館で淹れてくれる紅茶は最高級の味。しかし、ここで飲む紅茶は幾分か質が落ちていることは否めない。けれど、いつも同じ味だとつまらないもの。こうして違う味になることは、私の退屈を僅かながら紛らわしてくれる。

部屋に漂うスープの香り。チラリと目を遣ると、紫色の妖精メイドがスープを器に移し、こちらへ持ってくるところだった。

 

「どうぞ、お嬢様」

 

スープで満たされた器を静かに置くと小さく会釈をしながら、鍋へ戻って行く。一口掬い、味わってから喉を通す。…今日はアッサリとした味ね。これも悪くないわ。

 

「おいおい、沸点が下がってるって、もしかしてロケットの空気が漏れてるんじゃないのか?」

「あら、窓の外も普通に空気はあると思いますけど」

 

何やら魔理沙が慌てているが、今はスープを味わいたい。そう考えていたのに、突然強風が舞い込み、スープが中身ごと吹き飛んでしまった。後ろのほうで器が割れる音が聞こえ、窓を開けた咲夜を少しだけ恨みがましく睨む。

 

「宇宙に空気がないってのは都市伝説だったのか…?」

「え、ないのー?あったじゃーん!」

「だから都市伝説だったのかって言っただろ!…いや待て。そう言えば重力だって地上と変わってないな」

 

青色の妖精メイドに怒鳴りつけた魔理沙の言葉が、ほんの少し引っ掛かった。重力。パーティーの何の騒めきの中にあった気がする単語。フワッとした朧気な記憶が頭を掠めていく。…あれは誰の声だっただろうか?…駄目ね、分からない。

 

「ねえ、もう一杯いただけないかしら」

「分かった」

 

後ろで割れた器の破片を拾い、スープが飛び散った床と壁を拭き取っている紫色の妖精メイドにそう言うと、先ほどまでより少し早く作業を進め、鍋の元へ歩いて行った。

 

「ああもう!集中出来ないじゃないの!」

 

新しいスープが来るのを待っていると、神棚の前で座り両手を合わせて祈り続けていた霊夢が不満を爆発させたような声を上げ、ダンと床を叩きながら私達を睨んだ。しかし、その不満気な表情は溜め息と共に霧散し、落ち着いた表情になってから咲夜に対してハッキリと言った。

 

「上がって早々悪いけど、ロケットの二段目を切り捨てるわよ。上に行く準備をして」

「あら。もうそんなに来たかしら?」

「上筒男命から『退屈だからそろそろ代われ』って言われたのよ。十分以内でお願い」

 

それだけ言うと、霊夢はさっさと上へ行ってしまった。

 

「それなら私も」

「待って」

「…おい、まさか私が持って行けって言うのか?」

「そう」

 

霊夢の後を追うように慌てて魔理沙も上へ行こうとしたが、紫色の妖精メイドに止められ、鍋を渡されていた。ここで言い争って時間をかけるよりも上へ持って行くほうが早く済むと考えたようで、面倒臭そうな表情を浮かべ文句をブツブツと呟きながらも鍋を持って上へと上って行った。

 

「お嬢様。私は妖精メイドと共に忘れ物がないか入念に確かめてから行きますので、先に上っていてください」

「そう。任せたわよ」

 

咲夜が妖精メイドと一緒になって部屋の中を探しているのを見てから、私は三段目の部屋がさっきより狭いことに、ちょっとだけ不満を感じながら梯子を上った。

 



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第189話

神棚の前に座って静かに両手を合わせ、上筒男命へ祈祷…。

 

「ウッガアァァーッ!」

「わぷ!痛たたた!」

 

静かに両手を合わせ、上筒男命へ祈祷…。

 

「暴れるなよ。ただでさえ狭いんだからさ」

「こんな狭いところに閉じ込められて早十二日目よ!運動不足になるわ!」

 

上筒男命へ祈祷…。

 

「お前なんか何百年も生きてるんだから、二週間やそこらじゃ何にも変わらないだろう?大人しく棺桶にでも入ってろよ。いい加減邪魔だしな」

「何だとー!?やるかぁ!?」

「やんねーよ」

 

祈祷…。

 

「うわっ!おま、何すんだ!」

「もう我慢の限界よ!いくら私でもはち切れるわ!」

 

祈、祷…。

 

「…出来るかぁーっ!ああもうアンタ達!さっきから黙ってればドタバタと!これじゃあ集中出来るものも出来ないわよ!」

 

色々溜まっていた不満が一気に爆発し、一際騒がしい魔理沙とレミリアを見下ろす。あの物陰で小さくなっている黒色の妖精メイドみたいにしてくれればいいものを…!

 

「う。…悪ぃ、霊夢。元はと言えばレミリアが」

「このレミリア・スカーレットに責任転嫁するつもり?」

 

そう言ってお互いを指差し合い、再び取っ組み合いを始める二人。喧嘩両成敗。二人とも引っ叩いてやろうと右腕を振り上げたとき、右肩をポンと叩かれた。

 

「駄目」

 

一瞬咲夜かと思ったが、その咲夜は二人を止めるつもりがあるのかないのか見ているだけ。では誰か、と思い振り向くと、俯きながら小さく首を横に振る紫色の妖精メイドがいた。

 

「何よ、邪魔するの?」

「する」

「…ハァ。そういえば貴女もあそこのメイドだものね」

 

肺に溜まっていた空気を不満と共に一気に吐き出し、ゆっくりと右手を降ろす。コイツの行動に免じて引っ叩くのは止めてやる。紫色の妖精メイドを振り払い、二人の元へ歩み寄る。

 

「聞け!」

「わひっ!」

「うひゃっ!」

 

周りの見えていない二人の耳元で叫び、無理矢理動きを止める。私の突然の大声に驚いて両手で耳を塞いでいる魔理沙とレミリアの片手を耳から外し、開いた耳元で言葉をぶつける。

 

「上筒男命が言ってるわ。『もう少しで着く』って。だから黙って静かに待ってなさい」

 

それだけ言って二人の手を離し、私は神棚の前へ戻った。

 

「ありがとう」

「別に。二人が騒がしかったからやっただけ」

 

小さく呟かれた礼に、ぶっきらぼうに返す。ようやく二人が静かになった中、改めて上筒男命に祈祷する。感じる。伝わってくる。残り数分でこのロケットは月へ到着する、と。それを信じ、私は航海の無事を祈る。最後まで気は抜けない。

 

「お嬢様!窓の外を!」

「ん?…まさか、月っ!?」

「つ、月がこんなに近い…」

 

祈り続けていたら、後ろからそんな言葉が聞こえてきた。…そうか、ようやく月へ到着したのか。そう思ったのも束の間、突然上筒男命が危機を伝えてきた。

 

「まずい!何かが起こるわっ!」

 

咄嗟に出てきた注意喚起。しかし、それはほぼ無意味となった。

そういった瞬間、ガクンとロケットが大きく揺れた。その揺れは止まることはなく、そのまま大きく傾いていく。それと同時に推進力が抜けていき、自由落下が始まった。

 

「ななななな!?」

「何事っ!?」

「お嬢様!?」

「うわぁーい!落ちてる落ちてるー!」

「怖い」

 

このままでは、残り数秒でこのロケットは墜落して大破だ。どうにかしてこの落下を止める術はないか、皆が慌てている中で頭を急速に回転させる。悔しいことに、この状況では上筒男命に頼れない。何とかしないと…!

 

「霊夢さん」

「あぁ!?こんな状況で――」

 

…誰よ、コイツ。今まで小さく縮こまってオドオドしていたとは思えないほど落ち着いている。その右手には手のひらスッポリに収まる丸い金属板があり、それを耳に当てていた。

 

「今、連絡しました。このロケットは消滅します。至急浮遊する準備を」

「何を急にっ!」

「数秒限りの非常用通話魔法陣。パチュリー様の元にいる素材提供者が水没前に霧散させるそうです」

 

そう言い切った瞬間、コイツが言った通りロケットが消滅した。さっきまであった壁も椅子もベッドも何もかもが一瞬で消え去り、水の上に投げ出される。

 

「『帰還は奪え』だそうです…」

 

わたしが落下に抵抗している最中、無抵抗に落ちている黒色の妖精メイドが耳元で呟いた。

結局、水没を免れたのは私、時間停止を駆使した咲夜と水没前に助け出されたレミリアだけだった。

 

 

 

 

 

 

「ぶっはぁっ!」

「大丈夫、魔理沙?」

 

残念ながら間に合わず水没してしまったが、すぐに浮き上がってきた魔理沙を持ち上げ、近くの砂浜まで連れて行く。妖精メイド達が見当たらないけれど、まあ何とかなるでしょう。

 

「…海だねぇ」

 

砂浜に着くと、濡れてしまった服を乾かそうともせず、水平線が見えるほど広い水、いや、海を見ながら魔理沙は呟いた。

 

「これが海ねぇ」

 

魔理沙を引き上げる際に海の中を僅かながら見たのだが、生き物らしき陰は一切見当たらなかった。だから何だと言う話だが。

 

「幻想郷にもこんな海があれば大分違うんだがな」

「はぁ…。海坊主とかクラーケンとかが出るだけでしょ」

 

これはただの現実逃避。そんなことは分かってる。しかし、最初から機関が出来る設計だったのか怪しいが、ロケットは素材提供者――得られた情報から消去法で鏡宮幻香と思われる――によって水没を免れるために消滅させられた。よって、幻想郷へ帰還するには言われた通り奪う他なくなってしまったわけなのよね…。

水平線を見ながら黄昏ていると、紫色と青色の妖精メイドが陸に上がってきた。もう一人足りないが、また別のところに上がっているだろう。何となく上がってきた二人を見ていると、青色の妖精メイドが大きく腕を横に振った。すると、紫色の妖精メイドのメイド服に染み込んでいた水がある程度横へすっ飛んでいくのが見えた。水を操るような能力でも持っているのだろう。かなり弱そうだが。

 

「着いたばっかで何を黄昏ているのよ?」

「あのねぇ…」

帰りの船(ロケット)は消えちゃったしな」

 

大きなため息を吐く魔理沙を見ていると、私も釣られて小さくため息を吐いてしまう。しかし、そんな私達とは違って咲夜は活力に満ちている。

 

「でも、月に着いたから問題ないわ」

「…そうか?」

「だって、私達の目的は月に行くことであって、月から帰ることではないからね」

「馬鹿言ってんじゃないわよ。アンタ達は残りたきゃ勝手に残ればいいけど、それに巻き込まれた私は帰りたいの」

「あら、それは残念ね」

 

口元に手を当てているが隠すつもりのない笑いを浮かべる咲夜を、私は何とも言えない気分で睨んでいた。

 

「そういや、レミリアはどこ行ったんだ?」

「お嬢様なら奥へ行ってしまわれたわ」

 

そう言いながら、後ろへ視線を向けた。そこには桃の生る樹が生い茂っており、とりあえず数日なら食料に困らなさそうだと、少しだけ安心した。

 

「…月の民は桃しか食べないのかしら」

「さぁな。ただの桃狂いかもよ」

「ここは桃だけを植えているんじゃないかしら」

「桃はそんな一度に何個も食べるような果物ではないですからね…。さて、私はお嬢様を探しに行きますね」

「おう、行ってこい」

 

魔理沙に見送られた咲夜は、森の中に紛れて行った。一瞬の静寂。ここで何か話さないと、ずっとこのままになる。そんな気がして怖くなった。

 

「何かして暇でも潰す?」

「お、いい考えだ。釣りなんかどうだ?海には大きな魚が棲んでいると言うからな」

「生き物らしい陰はなかったわよ。それに、道具はどうするの?」

「探せば十匹や百匹くらいいるだろ。それに、魚くらい手掴みでいいんだよ」

「手掴みで釣りって言っていいのかしら」

「残念ね。豊かの海には何も棲んでいないわ」

 

そう言って私達の会話に横入りしてきたのは、やけに長い紫色の髪と身長より長いんじゃないかと思える刀を持った女性。

 

「豊かの海だけではない。月の海には生き物は棲んでいない。生命の海は穢れの海なのです」

 

そう言いながら、刀の先を私に向けてきた。…何かしら、コイツ。

 

「お、おいおい。いきなり物騒だな…」

「住吉三神を喚び出していたのは、お前か?」

「ええ」

 

魔理沙を完全に無視して言ってきた質問を肯定し、その場にしゃがみ込む。ただ切っ先が鬱陶しかっただけなのだが、下がるのは何だか負けた気がするから。

そんな私に妖しく笑うと、突然刀を持ち替えて、その切っ先を地面に突き刺した。

 

「!」

「な…っ!?」

 

地面から生えた無数の刃。それらは的確に私達を囲んだ。…逃げられるか?いや、何か普通じゃない。

 

「女神を閉じ込める、祇園様の力。人間相手に祇園様の力を借りるまでもなかったか。住吉様を喚び出せるというからどれほどのものかと思ったけれど」

 

…祇園様、ね。つまり、コイツも私と同じように神様を喚べる。多分、ちょっと齧った程度の私なんかよりも上手く。

さて、これからどうするべきか…。悩ましいところね。

 



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第190話

その後、レミリア共々祇園様の力によって捕縛されたわけだが、魔理沙の土壇場の提案によって流れは急激に変化した。

 

「人間も妖怪も月の民もオケラも皆平等に楽しめる。この世で最も無駄なゲーム…。スペルカード戦だ!」

 

あちら側にとっては初めて知るもののはずだが、簡単な説明だけで理解を示し、私達の提案に乗ってきた。…ま、その際に魔理沙は全員負けたら大人しく帰ることと、もし勝てたとしても侵略はせず手土産一つ貰えればいいと伝えていたからかもしれない。

こうしてこちら側の土俵に落としたわけなのだが、結果は散々なものだった。

 

「『金山彦命(かなやまひこのみこと)』よ!私の周りを飛ぶうるさい蠅を砂に返せ!」

 

咲夜の放ったナイフは全て持ち主に返され、その前に喚んでいた『火雷神(ほのいかづちのかみ)』に囲まれ降参。

 

「『石凝姥命(いしこりどめのみこと)』よ!三種の神器の一つ、八咫鏡の霊威を今再び見せよ!」

 

魔理沙の放った恋心「ダブルスパーク」は反射され、地上に返されて降参。

 

「『天照大御神(あまてらすおおみかみ)』よ!圧倒的な光でこの世から夜をなくせ!」

 

レミリアの高速の突撃はその太陽の如き光に返り討ちとなり撃沈。

 

「『伊豆能売(いずのめ)』よ!私に代わって穢れを祓え!」

 

そして、私が放った『大禍津日神(おおまがつみのかみ)』が溜め込んだ厄災は、見たことも聞いたこともない神様によって浄化された。

 

「おお、本物の巫女だ。こいつはやばいぜ。何せ、偽物は必ず負けるんだからな」

「…はぁ」

 

後ろで座っている魔理沙に茶化されてため息を吐きながら、余裕綽々な笑みを浮かべる相手に疑問を投げかける。

 

「巫女は神様をその身に降ろす者。その神様が巫女の姿っておかしくない?」

「勉強不足ね」

 

答えになっていない答えを受け取り、首元に置かれた刀身に目を遣る。…まあ、私はこの勝負に勝つつもりなどさらさらなかった。侵略するなんて真っ平だし、そうして奪われる月の民のことを考えると、負けたほうがいいと思える。それに、あちらが私達の土俵に乗ったから、私もあちら側の土俵に乗ってみようと思った。その結果は、経験と知識量の差が如実に表れた。

 

「貴女が動けばお互い損をする」

「…ふぅ。あー、投了よ。投了…ふぁ」

 

十二日間ずっと祈り続けてきた疲れによるものと思われる欠伸を噛み殺せずにいると、一瞬呆けた顔になったが、次の瞬間には僅かな怒りを浮かべているようにも見えた。…何かしら、プライドでも傷付いた?そんなこと私の知ったことではない。

 

「それとも何?私の投了が受け取れない?…そう思うなら、その刀を振り下ろしなさい。私は動かないから、ね」

「…いや、いい。受け取ろう。私の勝利だ」

 

不完全燃焼気味に言いながら刀を離した。当てられていたところに手を当て、傷がないことを確かめてから首をゆっくりと回す。そして、体に溜まった怠さとか眠気とか疲れとかを抜くために大きく伸びをする。そんなことをしている間、何故かずっと睨まれていた。

 

「…何かあるの?」

「貴女は何時から喚べるようになったのかしら?」

「既に分かってることを訊かないでほしいわね」

 

住吉三神を喚んだことに気付くなら、他の神様を喚んだことだって気付けるはず。珍しく紫に稽古されたときは、かなりの頻度で喚び出していたつもりだから、非常に分かりやすいだろう。そう考えて言ったつもりなのだが、より険悪な雰囲気を醸し出してきた。…何よ、その眼。

 

「あ、あのさぁ。この後私達はどうなるんだ?」

 

しかし、そんな空気をぶった切るように魔理沙が横から入ってきた。正直、かなり助かった。

 

「…!そうですね。貴女達はもうすぐ地上に送り返します」

 

そう言いながら、私の肩に手を置いた。

 

「ですが、貴女には別の仕事がありますので、しばらく月の都に残っていただきます」

「はぁ?」

 

 

 

 

 

 

彼女――名前を訊いていないため、何て呼べばいいのか分からない――と私を除いた全員が光に包まれ一斉に消えた。言った通り、地上へ返されたのだろう。その一瞬前に、魔理沙はちゃっかり砂浜の砂を小さな瓶に詰めていた。実にアイツらしい。

流石に私達のロケットとは違って往復一ヶ月も待つとは思っていなかったが、ものの数分で帰って来た彼女に連れられ、月の都へと入れられた。

 

「で、私がすることって何よ?」

「私の潔白の証明。貴女が神様を喚び出した所為で、私が謀反を企ててると疑われたから」

「ふぅん。つまり、私が神様を喚ぶところを見せればいいのね」

「ええ。まずは一番目立つところで実演してほしい」

「分かっ――な!」

「…?何を驚いているの?」

 

…と、扉が勝手に開いた。見た感じただの古い扉なのに、近付いただけでひとりでに動いた。紐か何かで動かしているのかと思ったが、そうではないらしい。そんな衝撃的なことに驚きつつも付いていくが、ふと後ろで動く気配がして振り返る。すると、さっきまで開いていた扉が閉まっていくのが見えた。

 

「…何よ、あれ」

「自動扉よ」

 

何でもないように言われ、内心さらに驚く。言い方から察するに、ここはあんなものが普通にあるようなところなのだろう。

同じような自動扉をいくつも通り、広く開いたところへ着いた。そこにはかなりの数の付きの民がいて、私達を見てすぐに頭を下げてきた。実際は、私じゃなくてコイツに下げているんだろうけど。

アイツが目立つところで身の潔白とその証明について長々と語っているのを聞き流しながら、特に意味もなく月の民が持っていた一枚の板に目を遣る。見える面が光っているが、決して強い光ではなく、その面を見るために光っていると思える。そして、その面には細々とした文字とよく分からない図形が映っていた。

 

「えぇ…?」

 

その月の民は触れようとして触れたわけではないのだろう。しかし、そのときに起こったことは私にまた新たな衝撃を与えた。その手を動きに合わせて映っていたものが動いたのだ。

もう少し見てみたいという好奇心が僅かに芽生えたが、それが成長する前に神様を喚ぶよう促された。別にどの神様を喚べとは言われていない。なので、頭に真っ先に浮かんだ神様を喚び出す。

 

「『天石門別命(あまのいわとわけのみこと)』」

 

床に片手を叩き付ける。底は決して見えず、無限へ続いていると錯覚しそうなほど深い穴。…まあ、ただの幻覚なのだけど。紫はそう言っていたし、私自身もそう思う。

ざわざわと騒がしくなったが、それも後ろにいるコイツがしゃべり始めてからすぐに収まった。色々語っているようだけど、つまり神様を喚んだのが私だと言っている。実際、喚んだのは私なのだから、いちいち口を挟んで事を荒立てるにするつもりはない。

 

「さ、別のところへ行くわよ」

「ねえ、いつまでやるつもりなの?」

「もちろん、全員が理解を示すまで」

「…はぁ。面倒なことになったなぁ」

 

そういう私にため息を吐かれたが、文句くらい言わせてほしい。自ら乗ることを了承したとはいえ、好き好んでここに来ようとしたわけではなく、ちょっと暇だったから乗ってもいいだろうと考えただけなのだから。

 

「『火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)』」

「『天津甕星(あまつみかほし)』」

「『天宇受売命(あめのうずめのみこと)』」

 

その後も様々なところを回りながら神様を降ろしていく。

 

「今日はもういいわ。また明日にしましょう」

 

いい加減そろそろ休みたいと考えていたところにちょうどよく言い渡された。ホッと一息ついていると、食事を出すと言ってくれたので、大人しく着いて行く。ただ、桃だけ出されるかもしれないと考えてしまい、ちょっとだけ不安になる。

 

「…?」

「どうかしましたか?」

「あ、いや、何でもないわ」

 

…見たことあるような顔が見えた気がするのだけど、気のせいかしら?ま、いっか。

 



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第191話

足元に感覚がないのにもかかわらず立っているという不思議な状況。周りは真っ白で柔らかな光に包まれていて、このまま黙っていれば耳鳴りがするほど静かな空間。そう思っていると、咲夜の隣に直立不動でいる彼女が静寂を破った。

 

「地上に送り返すわけだけど、どこに降ろせばいいかしら?」

「それでは、紅魔館の庭にでも降ろしていただければ」

「…悪いが、地名を言われても私には分からない。具体的な特徴を言ってほしい」

「目が痛くなるほど真っ紅な館だ。近くには森と湖があるぜ」

「ふむ…、ああ、そこか。分かった」

 

そう呟いてから一、二分。私達を包んでいた光が薄れ、見慣れた庭があった。そして、その正面には見慣れた紅い館。約十二日振りに見る紅魔館。行きはあれだけかかったというのに、帰りは僅か数分。ここでも私達と彼女に大きな差があることを見せつけられた気になってくる。

 

「それでは、二度と会わないことを願う」

 

急に後ろにいた彼女がそう言ったので振り返るが、そのときには既に彼女は光に包まれていて、音もなく満月へ帰って行った。まるで流れ星が逆走しているかのようにも見えるそれを、私はしばし眺めていた。さっきまでいた月のことを考え、そして、新たな興味が疼く。それは煙のように急速に膨らんでいくが、それとは決して違い、存分に味わうまで薄まることを知らない。

そうと決まれば、早速やらなければ。そう考え、近くにいる咲夜のほうを向いた。

 

「ふっ…、咲夜」

「お嬢様?」

「おっと、面倒なことになりそうだな。私はここで帰らせてもらうぜ。じゃあな!」

 

魔理沙が箒に跨って逃げるようにここから飛んで行くが、そんなことは知ったことではない。今の私の頭の中は、月で見た遠くに見えた僅かに丸みを帯びた水平線、砂浜に音を立てて流れて白い泡と共に消える波、海でいっぱいよ。

 

「海よ!今度は海を楽しみましょう!」

「はぁ…、海、ですか…。分かりました。それでは、早速メイド達に――」

 

そう言って後ろにいる妖精メイドを見た咲夜は、一瞬にして不自然な姿勢のまま固まった。

 

「ねえ、貴女達」

「んー?どうしたのメイド長ー?」

「何?」

「あと一人は何処にいるの?」

 

そして言った言葉は、不可解なものだった。

 

「咲夜、貴女は何を言ってるのかしら?メイドは最初からそこにいる青と紫だけじゃない」

「…!お、お嬢様…?いきなり何を仰って…」

 

私の言葉に驚愕で塗り固められた表情を見せた咲夜に、私自身も少しばかり驚いた。まさかそんな顔をするとは思っていなかったから。そんな咲夜は全身が錆び付いたかのような動きで二人の妖精メイドのほうを向き、僅かに震える両手を紫色の妖精メイドの肩に乗せ、震えるような声で訊ねた。

 

「ねぇ、黒色の妖精メイドは、何処にいるか、知らないかしら?」

「知らなーい」

「知らない」

「…冗談はよして。貴女の友達でしょう?」

「私の友達は誰もここのメイドになってない」

「…嘘」

 

紫色の妖精メイドの答えに血の気が一気に抜かれた咲夜は、時間操作を駆使してまで弾かれるように紅魔館へ行ってしまった。…あんな咲夜は本当に久し振り、いや、もしかしたら初めてかもしれない。一体どうしたのかしら?

かなり心配になった私は、困惑した表情を浮かべる青色の妖精メイドと僅かに首を傾げている紫色の妖精メイドをその場に置いて紅魔館へと飛翔する。目的地は紅魔館で最も高い位置となる屋根の上。そこにはパチュリーとフランがいて、咲夜が必死の形相で二人に何かを訊ねていたのが見えたからだ。

 

「――いよ。誰それ?」

「…どういうことよ…?」

 

近付いていくと、フランからの答えを聞いて困惑している咲夜が見えた。私が近付いたことをフランが感じたらしく、表情があからさまに悪くなっていくのが少しばかり悲しくなってきたけど。

 

「咲夜」

 

非常に危うく見えた咲夜にゆっくりと近付き、下を向いている彼女の顎を持ち上げて私のほうへ向ける。目の焦点が僅かに合っておらず、顔面蒼白な彼女の目を見て私は言った。

 

「…今日はもう休みなさい」

「…お嬢様。承知、いたしました」

 

フラフラとした足取りで中へ戻って行く咲夜を見ていると、やっぱり不安になってくる。私がこう言えば、咲夜はもう休むだろう。これで落ち着いてくれればいいのだけど、明日まで引きずっているようなら、どうにかしなければならないわね。

 

「早かったわね、レミィ」

 

そんな私達の事なんかそっちのけで満月を見上げていたパチュリーが、私に目も向けずにそう呟いた。

 

「そう言うパチェは珍しく外に出てるのね」

「フランに頼まれたからよ。…ま、私も来たいとは思っていたからちょうどよかったわ」

「あら、上手くいくか心配だったのかしら?」

「うんにゃ。上手くいくことは保証されてたから」

「…どういうことよ?」

「どうでもいいでしょう?で、月侵略は失敗したの?」

「ふん、そんなのはもうどうでもいいわ。それより今は海よ」

「…はぁ、また面倒なものを…。そもそも貴女は海に入れないじゃない」

 

呆れた口調で言うパチェだけど、さっきから視線は満月から全く動いていない。後ろでブスッとした顔のフランも、その視線は満月に向いている。

 

「もしかしてパチェ、月に行きたかったのかしら?」

「…まぁね。興味がないと言ったら嘘になるわ。大図書館には決してないものだって、あそこなら知ることが出来るかもしれないし」

「なら乗ればよかったのに」

「嫌よ。痛い目に遭いたくないもの」

 

ちょっとばかり馬鹿にしたような笑みを浮かべながら放たれた言葉に、ほんの僅かに腹が立った。けれど、実際にちょっと痛い目に遭ったということと、ロケットを作ったのが誰かということを考えて、僅かに膨らんだ怒りを無理矢理飲み下す。

 

「ところでレミィ。咲夜が急に現れて『黒色の妖精メイドを知りませんか』って訊いてきたわよ。どうしたのかしらねぇ」

「知らないわよ。月に連れて来た妖精メイドの一人がいなくなったらしいのだけど、私は二人しか知らないわ」

「青色のと紫色の?」

「そう。…本当に、どうしたのかしら」

「…ま、知らないものは知らないでいいのよ。誤魔化して知ってる振りして相手を無意味に困惑させるほうがよっぽど面倒だし」

 

そう僅かに早口で言い切った。しかし、その行為は喉を少し無理したようで、コホコホと小さく咳き込んだ。咳き込んでいるところでかつ、咲夜が既に訊ねていることだろうことで悪いけれど、私も改めて訊いてみた。

 

「それで、パチェは知らないの?」

「…ええ。ロケットに搭乗した妖精メイドに黒色の子なんていなかったわよ」

「そう。…そうよね」

 

やっぱりパチェも知らないらしい。後ろにいるフランにも訊いてみようと思ったのだけど、話しかけてくるな、と言わんばかりに不機嫌になっている。喉が詰まるのを感じながらも、無理矢理口を開く。

 

「…フラン」

「…何よ」

「貴女も同じ事を訊かれたのかしら?」

「…そうよ。知らない、って言ってやったわ」

 

それだけ言うと、口を閉ざした。視線も最初からずっと合っていない。私はフランを見ていても、フランは私を見ていない。それが悲しかった。

ロケット発射の時にその場にいたパチェはともかく、どうしてフランにも訊いたのかは知らないけれど、三人目の黒色の妖精メイドの存在は咲夜を除いて誰も知らないらしい。私自身もそんなのがいた記憶はない。

 

「フラン。戻るときはパチェと――」

「一緒に、でしょ?いちいち言わないでいいよ」

「…そう。分かってるならそれでいいわ」

 

けれど、あんな狼狽えた咲夜を見ていると、咲夜の見間違いで済ますことはどうしても出来なかった。

フワリと浮かび上がり、近くの窓から紅魔館の中へと入っていく。窓を潜る一瞬前に、おねーさん、とフランが呟いたような気がした。

 



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第192話

「…ふぅ」

 

一人残って続けていた本日の稽古を終え、稽古用の木刀を片付ける。私の他に誰もいないとは思っても、誰もいないことを確認してからしっかりと戸締りをする。そして、薄く流れる汗を拭きつつ廊下を歩く。そのとき頭を過ぎるのは、いつものものだった。

私は月へ攻めて来た者達を返り討ちにし、私自身の謀反の疑いは晴れた。お姉様は数百年前に一度襲撃して来た者を罠にかけて捕縛し、降伏させた。こうしてお師匠様の言う通り、私達の勝利に終わった、…かに思われた。

しかし、結果はどうだ。月に攻めて来た者も、裏から忍び込もうとした者も、どちらも囮。いつの間にやら千年単位の秘蔵の酒を掻っ攫われていた。してやられた。私達は確かに勝ったが、同時に負けたのだ。

だからだろう。兎達にはより多くの稽古を積ませ、私は一人でさらに積み重ねた。いつか来るかもしれない次に、こんな屈辱を味わわないために。…実際は、兎達がサボっているのを見ては叱ることが多いのだが。

 

「それにしても、幽霊、ね」

 

サボっている兎を見つけた際に、何をしているのかと問い掛けた。曰く、幽霊の物真似です、と。本来、月の都に幽霊なんて存在しない。つまり、その幽霊が第三の侵入者で、私達に辛酸を舐めさせた者ということになる。それを初めて聞かされ、この答えに至ったときは、敵を見つけておきながら放っておいた分を含めて、普段の罰より何倍も重くしてしまったわけだが。

 

「…思った以上に引きずっていますね、私は」

 

あれ以来、毎日同じようなことばかり考えている。もう、何ヶ月も前だというのに。お姉様はいつもと変わらずのほほんとしているが、私はどうにもそんな風に割り切るなんてとてもではないが出来なかった。今もその幽霊を探そうと、視線があちこちに動いてしまう。微かな物音に対し、過剰に反応してしまうことさえある。その幽霊は既にここを去り、今ここにいるはずがないとは理解していても、どうしても前と同じようには出来なかった。

だからだろうか。…いや、これは偶然だったのだろう。ドタバタと私の横と通り抜ける兎達に目を遣り、振り向いた先。その遥か奥から、何かが擦れるような音が聞こえた気がしたのだ。他の雑多な音に紛れ、普通なら聞こえないだろう音。聞き間違いで済まされ、誰も気にも留めることのないだろう音。しかし、今までより強く思い返してしまった私はどうにも気になり、正体を確かめたくなった。聞き間違いならそれでもよかったし、風か何かならそれでも構わなかった。

その音が聞こえたところへ足を運び、扉に手を掛ける。自動化されていない扉の一つなのだが、ここはいわゆる文献保管庫。原始的な巻物や書簡、書籍などが保管しているのだが、今更あんなものを使って調べるものはおらず、よっぽどの物好きですら使おうとは思わない。私自身も、ここに前回入ったのがいつだったか思い出せないくらいには入っていない。しかし、とてもではないが捨てられるようなものではないため、劣化防止の細工を多少施して放置されている。

そんな部屋の中に入り、隅々まで目を凝らして探し出す。そして、それはいた。

 

「…あ、やっとですか。えーっと、豊姫さん?それとも、依姫さんなのかな?すみませんが、今のわたしは名前しか知らなくてですね、どっちが姉でどっちが妹か分からないんですよ」

 

部屋の奥のさらに隅。そこには、明かりも点けずに一冊の書籍を開いていた私がいた。…いや、正確には違う。その顔立ちは、まさしく私そのもの。しかし、声は違うし、体型は異なるし、髪の長さは全然違う。何より、髪の毛の色が頭頂部は私と全く同じ薄紫色なのだが、そこから先は闇がそのまま染み込んだと思えるような、全ての色の吸収し取り込んでしまうような不気味な黒。

 

「それにしても、いい加減遅いですよ。ま、遅くて結構ですけどね。むしろ、もう少し遅くてもよかったのに」

 

そう呑気な声色で言いながら私を一瞥したのだが、その眼はすぐに開かれた書籍へと注がれた。そして、淡い紫色の光を放つ両手で僅かに読める程度の明かりを点し、耳を凝らさないと聞き逃してしまいそうなほど極微小の音を立てて、次々と紙をめくっていく。そして、最後まで読み切ったであろう書籍を閉じることなく仕舞うこともなく、その場で消してしまった。

 

「…な」

「けど、こうしてバレちゃったわけですし、非常に残念ではあるけど、わたしももう帰らないといけませんね…」

 

私の態度は一切意にも介さず床に手を伸ばし、そこに置かれていた兎達が普段から付けていた頭防具をさっきと同じように消してから、大きく伸びをする。そして、襷のように肩に掛けられた非常に長い紐に触れながら、私の元へ歩み寄ってきた。

 

「けど、おかげで色々知ることが出来ましたよ?原子がどうとか、分子がどうとか。電子陽子中性子に原子核、だっけ?それと、イオン化とかプラズマ化とか核分裂とか核融合とか。他にも色々たくさん。いやー、どれもこれもやたらと難しくて専門用語ばっかりで素人に読ませるつもりあるのか、って言いたくなったんですが、考える時間はいっぱいありましたからね。一応理解はしたつもりですよ?」

 

そう言いながら、私の目の前に右手を伸ばし、そのピンと伸ばした人差し指の先から何かを零していく。罠かもしれない、と思いながらも咄嗟にその零れていくものを両手を器のようにして受け取ってしまった。触れても何か異変があるわけではなかったのだが、その輝く粒は見た目に反して非常に重く感じた。

 

「ただの金ですよ。原子量197、電子数79でしたっけ?」

 

それは、紛れもなく砂金だった。何の疑いようもなく、純粋な金。目を見開いてそれを見下ろしていたのだが、それは夢か幻であったかのように消えてしまった。

 

「ま、成果発表はこのくらいでいいかな?ごめんね。勝手に情報漁っちゃって。けど、大丈夫。ここにあるものは何も消えてなんかいないから」

 

そう言うが、今の私は様々な奇怪な現象が一度に起き、まともな思考が欠如していた。私の生き写しと言いたくなるような容姿にも驚いた。言い方からしてかなり前から侵入されていたという事実にも驚いた。その手に触れたものが消えてしまったことにも驚いた。無から金を創り出してしまうことにも驚いた。

しかし、それ以上に、そんなことがちっぽけで些細なことであると思ってしまうようなことがあった。

 

「…あ、貴女のような者が…」

「ん?どうかしました?」

「貴女のような者がいてたまるかッ!」

 

何故、浄でありながら不浄でいられる!?穢れを持ちながら清らかでいられる!?決して相容れるはずのない混合。こうして近付かなければ、いや、近付いてもまだ疑ってしまうほど浄で、同時に不浄。そうだと思わなければ不浄と感じない。しかし、そうだと思えば不浄であると感じられる。しかし、それでも同時に浄である。非常に曖昧で、どっちつかずで、矛盾した存在。無色透明の極彩色でも見せつけられた気分だ。

 

「…それは流石にちょっと失礼じゃないですか?まあ、こんなところに忍び込んでいたことは悪いと思いますよ。けど、いきなりわたしの存在ごと否定されるのはなぁ…。ま、いっか。あっちじゃ『禍』なんて言われてたし、今更だよね」

 

最初は僅かに不愉快だという雰囲気であったが、それもすぐに薄れていき、最後にはどうでもいいと切り捨てた。そして、ははは、と小さく笑うと、ありとあらゆる感情がスゥーッと抜けていくように無表情へとなっていく。

 

「さて、長い話はここまでにしましょうか」

 

今までの軽い印象を覆すような、非常に落ち着いた声色。そして後ろ歩きで私から離れていき、壁に背を付けてから、続きを言い放った。

 

「交渉を始めましょう」

 



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第193話

月の都にも、一応昼と夜はある。けれど、わたしにはそれを把握することは困難だった。基本的にこの部屋でずっと籠っていたからしょうがないのだけど。たまに食材をちょっとちょろまかしたり情報収集をするために、月の兎に成り済まして近辺をうろついたのだけど、一日中明かりが点いているからよく分からなくなる。

それに加え、気温がずっと変わらない。暑くもなく、寒くもない。乾いてもなく、湿ってもない。まあ、外に出れば多少は変わるのだけど、それでも大した差ではない。わたしがここに来たときは冬だったはずだけど、そのときは寒いと感じることはなかったし、いくら日を跨ごうと暖かくなった感じもしない。

つまり、わたしはどのくらいここに潜入していたのかよく分からないのだ。眠くなったら寝る、なんてことを繰り返していたのだが、滅多に聞かないとはいえ、足音が少しでも響けばすぐ目覚めるくらいには警戒していた。まあ、扉を開けて中に入って来たのは、彼女が初めてなんだけどね。

その彼女は、わたしの言葉に困惑しているご様子。ま、そりゃそうか。いきなり交渉しようなんて言われて平然と対応出来るとは思っていない。だから言った。平静な状態でいるより、こうして乱れた状態でいたほうが、口車に乗せやすい。

 

「実はですね、潜入したはいいもののわたしは帰る手段が今はないんですよねー」

 

レミリアさん達と一緒に搭乗させてもらったロケット。あれは神経を滅茶苦茶すり減らした。そもそも、わたしは乗る予定なんてなかった。けど、乗らざるを得なかった。咲夜さんに頼まれたから。ただし、黒色の妖精メイドとして。

最初はフランを地下から出すために黒色の妖精メイドに成り済ました。わたしじゃ駄目なら、紅魔館の者になればいい。急に増えても問題ない妖精メイドになればいい。紅魔館の調理技術を盗み、作法を見て学び、パチュリーに髪の毛を黒く染めるものを作ってもらい、大ちゃんに『知らない振りをしてほしい』と頼んでもらい――この時大ちゃんは追加で『まどかさんのことを助けてあげてください』とも頼んでくれた。本当にありがとう――妖精メイドさん達をこちら側に引き寄せ、ミスティアさんの歌唱技術で声域を二つほど上げ、『紅』で瞳の色を血色にし、メイド服を複製し、そのとき近くにいた妖精メイドさんの羽も複製して取り付けた。こうして、わたしは黒色の妖精メイドとなった。

しかし、これには致命的な弱点がある。レミリアさんのような羽が生えている人、萃香のような角が生えている人、橙ちゃんのような耳や尻尾が生えている人。この人たちから見れば、わたしは一目瞭然だ。何せ、背中から羽が生え、頭から角や耳を生やし、尻には尻尾が生えている。だから、そういった相手の視界に入らないような位置取りを訓練した。時には空間把握を使用してその人の視界を認識し、陰となる位置へ動く訓練を。

こうして黒色の妖精メイドになったわけだけど、ちょっとした誤算はある。フランのいる地下へ行くのはある程度溶け込んでから、と考えていたのだけど、まさか咲夜さんから頼まれるとは思っていなかったのだ。ま、ちょっと早くなっただけで悪くはない。

そのことを加味したのか、咲夜さんにロケットに乗るよう命令されたのは完全に予想外。しかし、一緒に乗ることになった二人の妖精メイドさんには本当に助けられた。どうしてもレミリアさんの視界に入りそうなとき、仕事するためのようにわたしの壁となってくれた。移動する際も、必要なところに行ってくれた。感謝してもし足りない。…まあ、ロケットに使った妖力塊を全て回収することが出来た、という点は喜ばしいことかもしれない。そのために創っておいた過剰妖力が全く入っていない緋々色金を三つ付けてもらったのだから。長い間ここにいて自然回復した分も含めて、既にこの三つは完全に満たされている。

水没したときは『紅』の所為で悶えそうなほどの嫌悪感を覚えたけれど、その場で何とか落ち着きを取り戻し、潜水を続けた。幸い、全部回収したつもりだったのに何故か残った一枚の布切れや服などに空気を溜めて沈むという咄嗟の行動のおかげで、割と長く潜っていられた。そのまま水の中から月の都まで泳いだけれど、濡れた妖精メイドという、非常に目立った格好は潜入によくないと思い、陰からコッソリと覗き見して月の兎の服装を全て複製して着替えさせてもらった。

月の都では堂々としていれば意外とバレないらしく、潜入してからはとても楽だった。そして、空間把握を乱用していかにも情報がありそうな巻物や書籍があるところへ、つまりこの部屋に来たわけだ。

ただ、これだけ長い間籠っていたにもかかわらず、飢餓感は訪れなかった。食べる量もかなり減ってしまったというのに、お腹が空かない。本当に不思議だ。どうしたものかねぇ。

 

「この布切れでは小さ過ぎるらしくて、道標程度にしか効果はないみたいですし」

「…!月の羽衣!?」

「ええ。月の羽衣です」

 

情報収集の時に知ったのだけど、このロケット回収の際に何故か残った布切れは月と地上を行き来出来る月の羽衣の一部だったらしい。しかし、こんな大きさではとてもではないが移動出来なかったのだが。

しかし、あそこに安置されていた月の羽衣を奪えば地上へ戻ることは出来る。けれど、わたしはここにあった情報とフランへの小さなお土産で十分だ。そんなものを奪うつもりはない。…今は。

 

「だから、わたしは貴女に地上へ、幻想郷へ戻らせてほしい」

 

わたしは見た。霊夢さんとこの人が光に包まれて飛んで行く姿を。そして、数分後に彼女だけが戻って来たのを。これを見れば、誰もが考えるはずだ。彼女は地上へ行く手段がある、と。

さて、このままだとわたしはただ一方的に頼んでいるだけ。まあ、これからやることも、落ち着いて冷静に考えればあちら側に利点はほぼない。零か負かの選択。

 

「わたし、出来れば争い事はしたくないんですよ。傷付けたくない。壊したくない。奪いたくない。殺したくない。ですから、わたしがこれ以上何かする前に、無条件に帰ると言っている間に、わたしを幻想郷へ帰してください」

 

さて、どうする?ここであちら側がわたしの要求を飲むなら大団円。何も問題なく幻想郷へ帰れるだろう。しかし、問題は断られた場合。ここでいきなり殴りかかってきたら抗戦せざるを得ない。その際は、邪魔者を蹴散らし、最短で月の羽衣のもとへ行ってそれを奪い、帰還する。

 

「…っ。…いいだろう。その要求、飲ませてもらう」

「ありがとうございます」

 

 

 

 

 

 

その場で光に包まれたかと思えば、そのまま浮かび上がった。天井がまるでなかったかのようにすり抜けているのは、想像に難くない。

 

「正直、意外ですね」

「…何がだ」

「アッサリ過ぎるって言うか、もうちょっと抵抗してくるって言うか…」

「貴女のような者を、これ以上月の都にいさせたくなかった。…それだけです」

「ふぅん。あっそう」

 

そんなにわたしはあそこにいたら悪いのか。まあ、情報とかを奪ったのは悪いとは思っているけど。けれど、それだけで存在ごと否定されるかなぁ…?

 

「あ、そうだ。これ、返します」

 

そう言いながら、視線も合わせてくれない彼女に小さな月の羽衣を渡す。わたしが持っていてもしょうがないものだ。もう一度月に行く予定はないし、そもそもこれを使っても月へは行けないのだから。

わたしの手に握られた月の羽衣を腕が霞むほど素早く奪い取り、元の姿勢へ戻った。…うわ、滅茶苦茶早かったんだけど。あの速度で攻撃されたとして、わたしは対応出来ただろうか?…分からない。

それ以上お互いに語ることはなく、耳鳴りがするほど静かな時間。しかし、それは意外と早く終わった。光が徐々に薄れ、木々が生い茂る土地に降ろされた。真上には太陽が昇っているが、暖かな陽気を感じる。…今は春だろうか?

 

「それでは、二度と会わないことを願う。…二度とだ」

 

そう言うと、光に包まれて空へ昇って行った。…そんな声で言わないでくださいよ。怖いから。

けどまあ、わたしは戻って来たわけだ。幻想郷に。

 

「…何これ」

 

しかし、そんな幻想郷に咲き乱れる花々は今までとは一味も二味も違った。梅、椿、桜、朝顔、牡丹、向日葵、山茶花、枇杷、等々…。どう考えても四季折々の花々。おかしいでしょ?

 



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第194話

近くに石ころの複製がなかったから、ここはわたしにとって未開の地。複製把握範囲拡張をしてもいいんだけど、どうせならこの未開の地をある程度開きたい。それに、動かないでいた時間がかなり長かったこともあって、体が多少鈍っている。家に帰るのを目的にして、後は思うがままに歩き回るのも悪くない。

 

「不思議ではあるけど…。ま、これもこれであり、かな?」

 

こんな四季折々の花々が咲き乱れているのに、一直線で帰るなんて味気ない。使えそうな花は摘み取るつもりだけど、見て楽しむくらいはしたい。そう思い、隣り合って咲く菫と桔梗を愛でる。

それにしても、わたしがいない間、幻想郷は何か変わっただろうか?この花々は小さな異変として、わたしが知りたいのはそれ以外。例えば、里の人間共やフランの状況。他にも色々あるけれど、この二つは特に知っておきたい。前者はわたしの今後に大きく関わるし、後者はわたしが大きく関わったから。

 

「お土産、いつになったら渡せるかなぁ…?」

 

やけに丈の短いスカートの内側に新しく縫って作った小さな空間。四辺をしっかりと塞いだから、糸が解けなければ中身が出ることはないはず。中には、宝物庫みたいなところから一つだけ奪ってきた小さな紅い玉が入っている。まあ、箱の中に同じようなものが大量に入っていたから、一つくらいならバレないと思いたい。それにしても、この紅い玉は歪みが一切見当たらず、さらに『紅』で見ても『目』がないという不思議なものだった。お土産には悪くないだろう。

しかし、これを渡すのはちょっと時間がかかりそうだ。何故なら、わたしには黒色の妖精メイドに成り済ましていた、という痕跡がある。この黒色に染めた髪の毛をどうにかしないと、紅魔館に行き辛い。気付いているか否かというのは問題ではない。気付かれる可能性があることが問題だ。気付かれて、フランの処遇が悪化することが問題だ。けれど、今のままなら黒色の妖精メイドが忽然と姿を消しただけで済むはず。逆にフランがこっちに来てもらうという方法もあるのだけど、こんな太陽が燦々と照っているときは止めたほうがいいし、夜になってもわたしのところに来れるかどうか分からない。

 

「ま、なるようになれ、って感じかな?」

 

いざとなれば黒く染まった髪の毛をバッサリと切り落とせばいいし、何らかの手段で色を抜いてもいい。その手段はまだ思い付かないけど。

近くにあった樹の中で最も高い樹を登り、上から顔を出して周りを見渡す。…んー、妖怪の山はあっちで、人間の里はあそこ。紅魔館は豆粒ほどだけど見える。いやー、色が目に付くほど目立つから小さくてもすぐ分かる。けど、どれもこれも遠いなぁ…。

手元にあった枝を圧し折ってから樹から飛び降り、枝を地面に立てる。枝が倒れた方向に何かあるまで進もうかな。さて、どの方向に倒れるかな?

 

「ふぅむ、こっちですか…」

 

倒れた方向は家から離れていく方向。ま、別に構わないけど。あっちの方向って何があったっけ?えぇーっと、確か白い花が点々とした花畑があった気がする。とりあえず、そこまで行こうかな。

 

 

 

 

 

 

「うわぁ…。こんなに鈴蘭が咲いてる…」

 

転々とした白い花は、どうやら鈴蘭だったようだ。前に毒性植物の抽出液を作っていたことを思い出し、久しぶりに作りたくなってくる。けど、今わたしの手元にそれらの道具はない。

 

「ふふっ…。ないなら創ればいいじゃない」

 

せっかく月に行って出来るようになったんだ。ある程度時間をかけてでも、やってみよう。

まずは、月の都でも普通に使われていたガラスの主成分を思い出す。えーっと、確か二酸化ケイ素。分子構造も一応覚えた。というか、各原子の質量数陽子数中性子数電子数を覚えた。これがあれば一応創れる。

頭の中で形を強く思い浮かべる。ボンヤリとしたものをより明確にしていき、数を合わせていく。そして、時間をかけて一つの二酸化ケイ素分子が頭の中で完成した。しかし、このまま創造してしまうと、あのときみたいな砂粒になってしまう。だから、次は形を明確にする。頭の中で一度完成した二酸化ケイ素をそのまま保持し、隣に創りたい形を浮かべていく。そして、この二つをかみ合わせて創造。

 

「…ふぅ。よし、出来た…!」

 

ドッと疲れた…。熱くもないのに額に流れている一筋の汗を拭いながら、手元にある漏斗を見遣る。月の都で会得した新たな能力の発展。それは、分子構造と形を頭で認識することでものを創造すること。正直、ようやくここまで来れたと思っている。

けど、やっぱり欠点は多くある。まず、高分子物質のような分子構造が複雑なものはまだ出来ない。大量の原子を思い浮かべていくうちに、最初のほうに考えたものが曖昧になっていくからだ。次に、雑多な不純物を含んだ物質のような多種多様の分子を使用するものもまだ出来ない。これも同じ理由からだ。他にも、形が複雑になると最初に思い浮かべた分子構造が曖昧になってしまうから簡単なものにせざるを得ない。そして何より、時間がかかる。複製は一瞬だというのに、こんな小さなものを作るのに数十秒使っている。今みたいに時間をかけても問題ない状況ならいいのだけど、戦闘中でこれは致命的だ。まだ実用圏内に入らない。

 

「さーて、次はすり潰すための棒と器かなぁ」

 

小休憩を挟みながら、必要なものをどんどん創っていく。そして、全部創り終えたときには、当分考えることを放棄したいくらいに疲れ果ててしまった。陽子中性子電子の数を数字としてではなく、形として正確に頭に残し続けるというのは、思った以上に頭を酷使してしまう。この辺も課題かなぁ…。とりあえず、反復練習をして数だけで、名前だけで出来るようになりたい。決まりきったものとして定着させたい。

 

「…水は、あー、あそこかぁ…」

 

倦怠感を覚えつつも近くに流れる小川へ歩いて行き、ガラス製の器で水を掬う。光を通して汚れが混じっているか見てみるが、見た感じ問題はなさそうだ。これで久しぶりに抽出が出来る。

いそいそと道具を持って行き、鈴蘭畑手前に腰を下ろす。まあ、鈴蘭の毒の抽出は水に挿すだけで出来てしまうのだけど、こうしてすり潰して漏斗にかけてやったほうがわたしは好きだ。どっちのほうがいいかなんて知らないけど。

早速始めようと鈴蘭の茎に鋏を伸ばそうとしたところで、誰かがわたしに近付いてくるのが見えた。…まずい、鈴蘭に浮かれて気付かなかった。どうする?急いでここを立ち去る?

 

「…あ?…うぶっ!?」

 

そう考えたのだけど、手から鋏が滑り落ち、体が思うように動かない。手足が痺れて感覚があるんだかないんだかよく分からなくなってくる。頭がガンガン叩かれるようなギリギリと締め付けられるような痛みが走る。視界がチカチカと点滅しているような目眩。ほとんど入っていない腹の中身が口から吐き出そうになる。

震える左手を何とか口元まで動かし、吐き気を何とか抑える。出したくもない涙で歪む視界の奥に、金色の頭に真っ赤な服を着た幼い少女が見えた。

 

「今年のスーさんはね、なんだかとっても咲き過ぎなのよ」

 

鈴のような声が聞こえたにも関わらず、数瞬何を言っているかも何が放っているかも分からなかった。ようやく目の前のわたしに近付いて来る少女の声だと分かり、内容も何とか理解出来た。それほどまでに、今のわたしは余裕がない。

 

「だからとっても強いのよ。分かる?」

「…あぁ、これは、うぷ…、貴女の、所為、ですか…?」

「そう。貴女が私の鈴蘭に手を出そうとしたから」

「へぇ…。それじゃあ、帰り、ぅえ…、ますから、見逃す、なぁんてのは…?」

「ないよ」

 

知らなかったとはいえ、勝手に彼女の鈴蘭を盗ろうとしたのは悪いとは思っているけれど、ここまでされるとは思っていなかった。この感じは今よりも軽い症状だけど何度かなったことがある。手足などの末端部位の痺れ、頭痛、目眩、嘔吐、等々…。毒性植物の抽出で失敗したときとか、誤って口に含んでしまったときなんかになる症状に非常に似通っている。

毒。非常に厄介な相手を敵にしてしまった。…あぁ、本当に嫌になる。

 



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第195話

真っ先に解毒したいところだけど、わたしを侵す毒の種類が分からない。さらに言えば、そもそも解毒する手段がない。解毒薬も血清も持ってないし、それらの分子構造は一目見ただけで見る気が失せるほど複雑だったから創造なんて出来っこない。そもそも、頭がガンガンするこの状況で創造なんて時間のかかることが出来る気がしない。

 

「なら、とりあえず離脱かな…?模倣…っぷ『ブレイジングスター』」

「きゃっ!?」

 

鈴蘭畑を荒らしてしまったらなんて言われるか分からないから、右手を地面に向けて妖力を思い切り撃ち出す。膨大な妖力が大地を吹き飛ばし、砂塵を舞い散らしながらわたしの体が重力に逆らって浮かび出す。動かすのも億劫な体を鞭打って体勢を整えながら離れていく。ただし、鈴蘭畑には右腕を向けないように。

本当なら、普通に浮遊し飛翔していきたいところなんだけど、今の状況は普通とはかけ離れている。立っているのでいっぱいいっぱいなわたしには、そんな浮遊するなんて技術は出来そうもなかった。

 

「うげっ…。うぇえ…」

 

鈴蘭畑から離れ、開けた場所へ落ちた。足を地に着けて着地しようとしたのだけど、どうにも体が動かし難く、左肩から地面を僅かに抉りながら無様に落ちてしまった。少し擦りむいたかもしれないが、そんな些細な痛みは他の痛みで上書きされ、感じることはなかった。土を払う気にもなれず、起き上がる気にもなれず、木陰へ移動する気にもなれず、ただただ気持ちが悪いという感覚に支配される。

 

「待てー!」

 

せめて吐き気が収まるまではここで少し横になっていようかと思った矢先。さっきの少女の声がわたしの耳に届いてきた。…えぇー、どうしてこっちに来るのぉ…?

痛む頭を出来るだけ揺らさないようにゆっくりと起き上がり、空っぽのはずの腹の中身をぶちまけそうになりながら、震える両脚を支えに立ち上がる。対する少女は、わたしの前にゆっくりと降り立った。そして、わたしに向かってビシッと人差し指を突き出した。…多分格好つけているんだろうけれど、その童顔ではどうにも締まらない。

 

「私の鈴蘭に思いっ切り砂をまぶすなんて、覚悟は出来てるよね?」

「…あー、そういうことー…。おぇ」

 

確かにそうなっちゃったけどさぁ…。うげ、何だかさっきより気分悪くなってきた気がする…。この子が近くにいるからか、それともまた別の毒が作用し始めたのか…。

どちらにせよ、これ以上長居するわけにはいかない。今でさえきついのに、これ以上毒を喰らいたくない。だから、わたしは提案する。

 

「…スペルカード戦、って知ってます?」

「あー、一応知ってるよ?」

「…なら、うぷ…、よかった」

 

口を開けただけで吐き出そうになるのを堪えながら訊ねた答えにホッとしつつ、まともに動かない体に力を入れる。

 

「スペルカード三枚に被弾三回でしょ?私が負けたら見逃して、って感じ?」

「えぇ、そうですね。それじゃ、始めましょう?…ぉおえぇ」

「いいよ。今日の私は何にも負ける気がしないから!」

 

…駄目だ。吐き気が収まらない。吐きたくても吐けないって相当辛い…。けど、吐く行為ってそれはそれで辛いんだよなぁ…。

視界がチラつく中、少女に目を遣ると、無邪気に笑いながらわたしに向かって華やかな色合いの弾幕を放ってきた。聞いたことがあるだけで実際にやるのは初めてのようで、かなり粗い。しかし、流石に動かずにどうにかなるわけではないようで、おぼつかない動きで横に歩いて回避する。

歩きながら『幻』展開。速度重視で五段階に振り分け、直進弾用と追尾弾用で半分に分ける。つまり、各六個ずつ。…正直、やってから思うのもおかしな話だけど、『幻』を展開出来たことに驚いている。わたしにとって『幻』は浮遊よりも手軽なことだったのか…。

正直、この状況ではいつものように相手にスペルカードを使い切らせて勝つのは無理がある。だから、スペルカード一枚で一回を目標に、短期決戦で高火力の一撃を三回加える。その際に多少被弾しようと構わない。

靴の過剰妖力を一気に噴出し、少女の真上に跳び上がる。その際に弾幕に自ら跳び込むことになったけれど、しょうがない犠牲としよう。

 

「当たった!よしっ!これで一回!」

「複製『巨木の鉄槌』」

「…へ?」

 

わたしが被弾したことに喜んでいる少女を見下ろしながら、目の前に一本の樹を複製する。いつもなら思い切り投げ付けるスペルカードなんだけど、今のわたしにはそんなこと出来そうもない。だから、そのまま落とす。

 

「う、嘘…きゃああぁぁ!?」

「ぐへっ!…ごほっ、ごほっ、うぶっ…」

 

唖然とした声を零しながらも少女は咄嗟に範囲の外へ駆け出そうとしたけれど、残念ながら間に合わずに生い茂る枝葉に巻き込まれていった。枝がベキバキと圧し折れて重心がズレたことで樹が倒れていく様を、わたしは叩き付けられた地面を背に目だけを動かして何とか視界に収めることが出来た。

咳き込んでいると中身が出て来そうで怖い。口の中がちょっとだけ鉄のような味がし、口元を押さえていた左手に赤いものがこびり付く。…どうやら、落ちたときに少し切っちゃったみたい。

 

「うぅぅー…。何よあれぇ…」

 

熱いような痛いような体を持ち上げ、樹の下から這い出る少女を見遣る。服にくっ付いた葉を涙目で払っているが、そんな余所見をしている余裕はあるのかな?少女を視界に収めたことで、『幻』は独りでに動き出す。

 

「うわっとっと!あーもうっ!霧符『ガシングガーデン』!」

「…む、紫色の煙?…見るからに、っん!…ヤバそう」

 

少女の体から毒々しい煙が吹き出し、周囲に弾幕を無作為にばら撒く。濃淡に規則はなく、弾速は正直遅い。けれど、明らかに触れてはいけないと思わずにはいられないものが周囲を漂っている。とてもじゃないけれど近付けない。

 

「…煙幕、かなぁ?あの子、見えな、ぅえぇ…」

 

ま、いいや。弾幕はある程度見える。最初の煙幕の発生とその動きから、今のあの子の居場所は大体分かる。というか、ほとんど動いていない。一応動いているようだけど、普通に歩いている程度。

 

「鏡符『幽体離脱・集』」

 

けど、それでも勝手に決め付けた居場所がズレていたら、目も当てられない。ついでに弾幕も当たらない。だから、正確に狙う必要はない。ただ、あの辺りに進んでくれればいい。

 

「痛っ!痛たたた!」

「…おー、当たった当たっ、つぷ」

 

正直、煙幕に紛れて見えない弾幕は複製出来ていなかった。つまり、あの子の近くに弾幕は複製出来ていなかった。だから、あの子がばら撒く弾幕に相殺されてしまうんじゃないか、ヒョイヒョイ避けられてしまうんじゃないか、なんて考えていたんだけど、どうやら杞憂だったみたい。

しかし、若干薄くなっているとはいえ、わたしのいるところにまで紫色の煙が舞い始めた。吸い込んだ瞬間にツンと刺激臭がし、体の動きが極端に落ちていくのが分かる。さっきからそうなんだけど、咄嗟に回避なんて出来そうもない。

それにしても、あの子ちょっと過激過ぎじゃないか?仮にも死なない決闘であるスペルカード戦。それなのにこんなに毒をばら撒いていいのだろうか?仮にも妖怪と思うわたしがここまで影響を受ける毒なんて、普通の人間なら致死量な気がする。…まあ、あの子はこれがスペルカード戦の初陣だろう。そうじゃなかったとしても、初心者だと思う。手加減を知らない、といった感じだ。

 

「…けど、それは危険だよ」

「んー?何がー?」

「貴女は、よく言えば全力だ。うっ!…そして、悪く言えば世間知らずだ」

「…そうかもね。生まれてからあそこを出たことないもん。けど、今日は何だか行ける気がする!」

「なら、外を知ってちょっと挫折しろ」

 

喧嘩を挑んだらいけない相手がいることを。逃げる選択肢があることを。負けから得られることがあることを。…相手にしたら死ぬかもしれない者がいることを。

 

「はぁ!?どこからどう見てもフラッフラな貴女が言う!?」

「言うよ。こんなどうしようもなく絶不調でも、勝てないって思える相手がいることを」

「いない。譫妄『イントゥデリリウム』!」

 

急速に広がる毒の煙幕。さっきまでより明らかに濃く、わたしの動きを阻害する。もう、立っているのさえギリギリだ。こんな状態では、あの子の放つ弾幕なんて避けれないだろう。

 

「えっ!?な、何で…っ!」

 

だから、もう避けるつもりなんてなかった。服にある過剰妖力を一気に噴出し、弾幕をものともせず肉薄する。いくつも当たる。当たる。当たる当たる当たる。けれど、構わない。目の前に来るまでは二秒とかからなかった。狼狽えた表情が目の前にある。

震える手で仕舞ってあるものに触れ、わたしと少女の間に複製する。それは糸のように細く、煌びやかな模様。それは、緋々色金の魔法陣。

 

「複製『緋炎・劫火』」

 

パチュリーに作ってもらった魔法陣。その威力は複製する際の過剰妖力で調節することが出来る。しかし、魔法陣としての質が相当高いらしく、過剰妖力なしでも焚き火が手軽に作れる。

 

「ひっ…!アアアァァアアァアアァアア!!」

「悪いけど、手加減なしだ。…んぷ、仮にも妖怪だろうし、この程度の火傷なら大丈夫でしょ」

 

魔法陣の中心から噴き出す炎は、一瞬でわたしの視界を緋色に染め上げる。圧倒的熱量で一気に膨張する大気に軽く吹き飛ばされながら、炎に焼かれる少女を見遣る。そして、遠くに見える川から大量の水を複製して撒き散らし、辺り一面を消火する。

人形のように倒れて動かない少女を見下ろし、生きているか確認する。…呼吸よし、心拍よし。…多分、大丈夫でしょ。

ところどころ赤くなった少女の顔に浮かぶ表情は非常に悔しそうで、今にも涙が出て来そうだった。

 



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第196話

消火の際に撒き散らした水が紫色の毒煙幕を巻き込んだため、見た感じ問題はない。けど、わたし自身は大問題。手は震えるし、足はおぼつかないし、頭は痛いし、体は動かし難いし、吐き気はするし、目眩はするし。

そんなわたしに対して、この服本当に凄いなぁ…。ただの布にしか見えないのに、耐熱耐冷耐火耐水耐電耐溶耐斬耐突耐壊耐破等々とふざけたことを言っていたけれど、さっきも燃えていなかったし穴も開いていない。流石月の都。一般兵にもこれだけの装備を与えられている。

ただ、そうなっていないだけでこの服に毒が付着しているだろうから、後で服も全身も洗いたいところだ。だけど、近くにある川は人間の里へ流れているんだよなぁ…。そんなところで洗ったら災害待ったなし。…一瞬だけそれでもいいか、と考えてしまった。慧音がいるのに。

 

「…あと、この子も、ぅ…、どうにかしないと」

 

ピクリとも動かない劇毒少女。このまま放っておいて妖怪に食われる、なんてことはないと思うけれど、それでもこのまま置いて行くのは気が引ける。せめて、あの鈴蘭畑にでも帰してあげたい。

とりあえず、川を見ながら大量の水を複製し、滝のように落として自分を洗い流す。服も脱ぎ、一枚一枚丁寧に水に通す。そして、口の中に大量に水を放り込む。普段なら喉を通る途中で妖力に戻ってしまうから、そのまま水でい続けるよう意識しながら。

 

「んッ!ぉおええぇぇっ……」

 

そして、腹の中からさっき入れたばかりの水を吐き出す。腹の中にあるかもしれない毒と一緒に吐き出す。解毒薬は出来ないけど、代わりの処置なら出来る。これでちょっとでも楽になればいいんだけど…。

 

「げほっ!ごほっ!…あー、キッツいなぁ…」

 

飲んでは吐くをさらに三回繰り返し、吐き気が大分楽になったところで止める。そうしたから、という思い込みの問題かもしれないけれど、さっきまでよりは動けている気がする。今ならちょっとくらいは飛べそうだ。

周囲に撒き散らした水同士が繋がっている分だけでも回収し、近くに転がっている樹も回収する。最後に緋々色金の魔法陣を探そうと思ったけれど、きっとどこかに吹き飛んでしまったのだろう。実際に場所を探っても相当遠いところにあった。…よし、この子をどうにかしてから取りに行こう。不自然な動きをしたら炸裂…、じゃなくて霧散かな。

さて、とりあえず背負っていくかな…。距離はそこまで遠くないし、どうにかなるでしょ。

 

「…熱っ」

 

そう考えたのだけど、この子の腕を掴んだ右手にジリジリとした熱いような痛みが走る。咄嗟に離して手のひらを見ると、見事に赤くなっている。親指と薬指の腹を擦り合うと、何かがズレる感触。…うわぁ、皮剥けちゃったよ。

まあ、よく考えれば鈴蘭畑に棲んでいて、尋常じゃない量の毒を吹き出すような少女が無毒なわけないか。

 

「…板、創ろう」

 

さっきわたしが複製した樹は彼女に触れても妙な変形をしなかった。つまり、植物に対してはそこまで効果があるわけではなさそう。…ただわたしに対して有効な毒を選んで吹き出していたとすれば、本当に厄介だけど。

この子が横になってもはみ出ない大きさで厚みのある板を創り出す。素材は考えていなかったので、いつもの薄紫色の未知物質。もう右手は爛れているのだから、気にせず少女を掴み、板の上に乗せる。背負えないなら、触れずに運べばいいじゃない。

 

「よし、運びますか…」

 

板を持ち上げ、慎重に浮遊する。中央に向かって少しだけ窪んでいるように創ったけど、大きく傾ければ滑って転がって落ちてしまう。水平を保つんだ、わたし。

川を越え、鈴蘭畑の手前に降り立つ。息が荒くなっているのを感じる。いつもなら、このくらい疲れなく出来るはずなんだけどなぁ…。月の都では調べ事ばっかりで動くことがあんまりなかったこともあるけれど、やっぱり毒の害は大きな枷だ。わたしに重く圧し掛かっている。…二、三日あれば治るかな?

 

「さて、どうしましょうかねぇ」

 

板の上で横になっている少女を見下ろし、考える。ここに放っておく?…却下。あそこに残していた場合と大して差がない。鈴蘭畑の真ん中に転がしておく?…うーむ、保留。鈴蘭畑の中に好き好んではいるような生物がいるとは思えないけれど、いないとは限らない。

 

「起きるまで待つかな、うん」

 

この少女をこうしたのはわたしだし、せめて目覚めるまではわたしが責任を持って待っていよう。起きたら少しだけ話して、さっさと別の場所へ行きましょうか。

やることがないので、何となく空を眺めることにした。…いや、ここで出来ることはちょっと考えればいくらでも出てきただろう。しかし、月の都では物音を立てないように指先から髪の毛まで神経を張り巡らせていた。こうしてボーッとするなんてことはなかった。だから、ちょっとの間でいいから、難しいことを一切考えずに休みたかった。

 

「…ん?」

 

誰かこっち来てる。この距離だと点にしか見えないけど、徐々に大きくなっていく。そして、その姿は思った以上に早く分かった。頭から生える捻じれた二本の角。…萃香だ。ていうか、飛ぶの滅茶苦茶速いんですけど。…やっぱり、わたしの飛翔速度って遅いんだなぁ。

 

「よっ」

「久し振りですね、萃香」

「ああ、久し振りだな、幻香」

 

そう言うと、萃香はわたしの隣に胡坐をかいた。いつものように瓢箪を煽りながら、ケラケラと笑い出した。

 

「いやー、妹紅の家に行こうと思ってたら急に火柱が立ったのが見えてなぁ。気になって来てみればあんたがいるじゃないか」

「うわ、そんなに目立ってました?」

「かなりな。他にも誰か来るかもよ?」

「えー…。それは面倒だなぁ…」

 

そう思いながら、髪の毛を人差し指にクルクルと巻いて弄る。一体誰が来るのかは分からないけれど、この染めた髪を見られては困る人がいる。ロケットに搭乗した人達。彼女達には見られたくない。

 

「ん、どうかしたか?」

「この黒染めを抜きたいって思ってただけですよ。それと、さっさとこの子が起きないかなぁ、とも」

「へぇ、ちょっと貸してみな」

「か、貸す?…って、ちょっと!引っ張らないで!」

 

髪の毛を掴まれたと思ったら、グイッと萃香の元へ引かれていた。突然の出来事で、首がちょっと痛い。

 

「ふぅん。…これなら出来そうだな」

「え、もしかして脱色出来るんですか?」

「こんなの、アレと比べれば簡単過ぎる」

「…アレ?」

「…いや、あー、あれだ」

 

失言だった、と言わんばかりにちょっと誤魔化そうと目線が泳いだが、それでも嘘や誤魔化しは言いたくないらしく、アレの真相を語った。

 

「…あんたの意識を萃めるより簡単ってこと」

「意識を萃める?…あぁー、あのときってそんなことしてたんですか?」

「そ。幻香の意識だけを萃めて隅に押しやった。それで『破壊魔』を表に引きずり出したんだよ。…ま、完璧ってわけにもいかなくてな、ちょっと混じったけど」

「…ふぅん」

 

思ってもみなかったところで『紅』が遺された理由を理解した。ほとんどは向こう側で消え、わたし側に萃められた少しが『紅』となって遺っている。つまり、そういうことなんだろう。

 

「もういいだろ?…さ、やるぞ」

「どうやるんですか?」

「あー、何て言えばいいかなぁ…。うぅむ、…髪の毛の中にある黒を取り込んで抜く、って感じかな」

「へぇー、そんなことも出来るんですか…。それじゃあ、ついでにわたしを侵す毒って抜けますか?」

 

髪の毛を手のひらで根元から毛先へ撫でるように滑らせる萃香は、わたしの言葉にちょっとだけ驚いたようだ。だって、髪の毛をピンと伸ばしているほうの手がビクッと動いたからね。…ちょっと痛いです。

 

「毒ぅ?…悪いけど私自身なら出来るんだけど、誰かにやったことはないな」

「やってみようとは?」

「思わないね。体を疎にしてそこから毒を排除するから」

「…うわぁ」

 

流石に霧みたいになって生存出来るとは思えない。再び萃めたところで、わたしは元通りになるだろうか?形だけ元通りになっても、わたしはそこにあるだろうか?…怖いから止めておこう。

 

「よし、こんなもんだろ」

 

何回も私の髪の毛に手のひらを滑らせ、時には手櫛をしてくれた萃香はそう言って手を髪の毛から離した。早速髪の毛を見てみると、しっかりと色が抜けていつも見ている真っ白な色になっていた。その代わりに萃香の手のひらが真っ黒になっていたけど。

 

「次はこいつを起こせばいいのか?」

「起こせるんですか?」

「意識を萃めればどうにかなるだろ。それで寝てるのを起こそうとしたこともあったし」

「ま、それで目覚めてくれれば嬉しいですが。あ、触れないほうがいいですよ。毒ですから」

「はっ!その程度で引き下がるかよ」

 

わたしの小さな警告は萃香にとっては些細なものらしく、時に気にすることなく両頬に手を添えた。そのままの姿勢で数秒。

 

「ん…っ?」

「お、起きた起きた」

「本当に起きた…」

 

モゾモゾと瞼を動かし、小さく呻き声をあげたのが聞こえた。かなり長い間ここで待っていることを視野に入れていたけれど、こんなに早く目覚めるとは。

 

「何から何までありがとうございます、萃香」

「おう。じゃ、私は妹紅のとこ行ってくるから。面倒だし、あとは任せた」

「そうしてください。起きたら一人増えてた、何てあったら面倒そうですし」

「違いない」

 

そう言うと、萃香は射られた矢の如き速さで飛んで行った。

さて、もう少しで覚醒する少女に何を言われるだろうか?ちょっとだけ心配だ。

 



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第197話

劇毒少女は瞼をモゾモゾと動かしているのだけど、未だに起き上がらない。目覚めそうで目覚めない。肩を掴んで揺らすなり、頬を叩いてやるなりして起こしてもいいけれど、そうすると手が爛れてしまう。既に右手がそうなっているからって、これ以上そうなる必要はない。なら、一声かけてあげればいいんだろうけれど、たかが一分にも満たない時間の差。周りに人影が見当たらない今、そこまで急ぐ必要はない。

そして待つこと十数秒。仰向けになっていた少女は、その瞼をゆっくりと開いた。

 

「…あ、れ?…ここ、何処…?」

「貴女の鈴蘭畑ですよ」

 

そう言ってあげると、ビクッとしながら体を一気に持ち上げ、目を見開き頬を引きつらせた非常に分かりやすい表情を見せてくれた。…そこまで驚くことじゃないでしょうに。

 

「なっ、ななな何で貴女…って、誰!?」

「誰って…。あー、そういえば髪の毛の色変わってるのか」

 

綺麗に黒色が抜けた髪の毛を左手で弄る。さっきまで頭頂部以外真っ黒な髪だった相手が、目が覚めてみれば金髪になっていたわけだ。そう思われても仕方ない、かな?

 

「ちょっと見た目は変わりましたが、わたしですよ。ほら、さっきスペルカード戦をしたでしょう?」

「…よく見れば。けど、何か私そっくり…」

「…そんなことだってありますよ」

「不思議ね――きゃっ!」

 

そう言われるなんてことくらいは分かっていたけれど、それでもちょっとだけ嫌な気分になる。だから、少女が横になっていた板を何の前触れもなく回収した。

 

「いったぁ…」

 

どうして嫌な気分になったのかと言われれば、つい先日までこの誰から見ても同じ容姿を隠し続けてきたからかもしれないし、ついさっき人間の里のことが頭に浮かんだからかもしれない。けど、どちらが正解か、それともどちらも間違っているのか、わたし自身も分からなかった。

僅かな厚さだったとはいえ、突然落とされた少女が何もしてこないはずもなく、少し痛むであろう尻を擦りながらわたしを睨んできた。その眼を見ていると、むず痒いほんの僅かな罪悪感が浮かんでくる。

 

「…悪かったですよ。それと、鈴蘭の件も」

「むぅ…」

 

少し目を逸らしながらそう言い、許されたかどうかも分からないまま沈黙が続くこと数秒。少女は言葉を発した。

 

「…ねぇ。どうして私をここに運んでくれたの?」

「どうして、って…。そりゃ、あそこに倒れたまま放置するなんて出来ませんでしたから」

「…どうして、貴女はここで待っていたの?」

「それは、動かない貴女をそのまま放置するのも何でしたし…」

「そうなの?…あり――やっぱ止めた。…帳消しよ」

「…ええ、そうしてください。貴女からそう言われるような人じゃないんですから」

 

これまで色々やらかしてきた身だ。必要なら道を好んで外れ、掟を破り捨て、禁忌に容易く触れる。過去もそうしてきた。今もそうしている。未来もそうだろう。もちろん、この少女はそんなことを思っているわけではないだろう。けど、わたし自身がそう思っているから、それでいい。…それでいい。

そんなことを考えていると、少女は空を仰ぎ、届くはずもない高みに手を伸ばした。そして、何でもないかのような風を装って呟いた。

 

「あーあ、さっきまでは何でも出来る気がしたんだけどなぁー…」

「そんなわけないでしょ。何でも出来るなんて、有り得ない」

「…何それ、酷くない?」

「仮に何でも出来る人がいたとして、その人は不可能が出来ない。…ま、ただの屁理屈ですがね」

 

少女が言うことは分からないわけではない。前にわたしも似たような気分になったことがあるから、何となく分かる気がする。けど、何でも出来るなんて思ったとしても、それはただの気の迷いでちょっとした万能感に酔っているだけなんだ。実際は、出来ないことだらけ。

何を掴むでもなく手のひらを閉じた少女は、わたしを見て言った。

 

「…貴女みたいな強い人って、他にもいるの?」

「いますよ。山を崩すような怪力も、目で追えない速度も、摩訶不思議な能力も、皆を引き付ける資質も、余りある人脈も、伝え聞かされる名声も、何もかもわたしは頂点にいない」

「そう、なんだ…」

「そうですよ。上には上がいるんです」

 

壁を登り切った先にあったのは、さらに高くそびえる壁だったなんてことだってあるんだし。わたしがちょっと自慢出来ることなんて、この創造モドキくらいだ。

 

「だから、貴女はここで挫折を知れてよかったですね。知らないままでいると、あとで痛い目に遭いますから」

「…今遭ってるんだけど」

「そうですね。…そこで諦めるか、再び前を向くかは貴女次第だ」

 

さて、ちょっと長く話し過ぎたかな。この辺りで切り上げるとしましょうか。

毒に蝕まれている体を持ち上げ、緋々色金の魔法陣の位置を探る。…うわ、さっきより遠くなってる。風で流されたのかな?

 

「さて、貴方はどうしますか?」

 

それだけ言って答えを聞くことなく、わたしはこの場から離れることにした。ゆっくりと足を踏み出し、動かし難い体の動かし方に慣らしていく。どこまでなら大丈夫か、少しずつ見極めながら。

 

「待って!」

 

そんな風にゆっくりと足を運んでいたら、後ろから大声が飛んで来た。わたしの問いに対する答えが続くと思ったら、全然違った。

 

「メディスン!メディスン・メランコリー!…貴女はっ!?」

「幻香。鏡宮幻香ですよ。…それじゃあね、メディスンちゃん」

 

振り返ることなく、右腕を少し上げて横に振る。次会う日が来るかは知らないけれど、そのときが来ることを待っていよう。世間知らずの少女が世を知るのは何時になるだろうか?それこそ、彼女次第だ。

 

 

 

 

 

 

背中から少し強めの風が吹いている。その風で体がよろめくのを感じて咄嗟に踏み止まったのだが、急に動いたことで体が痛む。大分マシになったとはいえ、未だに体は鉛でも詰め込んだように重く、毒の影響は大きい。歩ける。走れる。跳べる。飛べる。けれど、それを継続すると体がすぐに悲鳴を上げる。さっきみたいに急激に体を動かそうとすれば、痛みが走る。けど、この程度ならまだいい。何となくだけど、慣れてきた気もする。

 

「うへぇ、また遠ざかる…」

 

緋々色金の魔法陣を求めて歩き続けているのだけど、また風に舞ってしまったようだ。さっきまでは何かに引っ掛かっていたのか、ほとんど動いていなかったのになぁ…。

今わたしがいる場所と緋々色金の魔法陣の位置を直線で結び、出来るだけ短い距離で済むようにしているのだが、そうするとどうしても道なき道を歩むことになる。まあ、道なんてあってないようなものしかないから、特に気にするようなことでもないけど。

それにしても、どこを見ても花ばかり。地面に生える草だって、花が付くなら何でもかんでも花を開かせている。一応大図書館の図鑑に載っていた草花ばかりだけど、今欲しいと思えるものはなかった。ちょっとした解毒作用のある草はあっても、この状況では効果はなさそうだし。

それにしても『紅』の自己治癒能力で解毒出来ないかと思って、木陰に入ってから痛む頭で無理をして掻き集めてみた。しかし、残念なことに『紅』の効果はほとんど現れることはなかった。というか、集めてみたらすぐに嫌悪感でいっぱいになって数秒と持たなかった。自己治癒能力だけではなく、限界を超えたような感覚も、時間の流れの変化も、『目』を見ることも現れなかった。たった数秒で何となくわかったことは、効果を出そうにも塞き止められている感じだけ。どうしてか少し考えてみたけれど、多分蛇系統の毒でもあったのではないかと思っている。吸血鬼は血液に大きくかかわる妖怪。蛇系統の毒は血液を固めてしまう。だから、吸血鬼に近付く『紅』の効果がほとんど現れなかったのだろう。…まあ、正解でも間違いでもどうでもいい。『紅』が使えない、という結果は覆らない。

 

「ん?おぉ、これは凄いなぁ…」

 

緋々色金の魔法陣の方向へ歩いていると、目の前に向日葵畑が広がっているのが見えた。どうやら、そこに魔法陣があるらしい。それにしても、辺り一面に綺麗に咲き誇っているなぁ…。全ての花が太陽を向いているのを見ると、それは統率されたもののように感じる。

これだけ立派だと、向日葵をかき分けて進むのは少し憚れる。そう思って外側をグルリと回っていると、中に入るためにあるのだろう向日葵のない道を見つけた。

 

「…うん、やっぱりこの奥にある」

 

ようやく緋々色金の魔法陣を回収出来る。そう思いながら歩いて行き、向日葵畑の中心に辿り着いた。…ん、どうやら向日葵畑の葉っぱにでも引っ掛かっているのかな?

 

「ッ!?」

 

振り返って緋々色金を探そうとしたそのとき、全身が凍るような感覚に陥った。始めてフランに遭ったときのような…、いや、そんなのが小さく思えるような重圧感。

それは、向日葵畑からわたしの魔法陣を手に持って出て来た。

 

「…あら、珍しいわね」

 

日傘を差し、鮮やかで癖のある緑色の髪に真紅の瞳をした女性。風見幽香が、わたしの元へ歩み寄ってきた。

 



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第198話

風見幽香。大変危険極まりない、四季のフラワーマスター。こんなわたしでも知っている、桁が二、三つ違う妖怪。実際に遭うのはこれが初めてだけど、なるほどこれは近付いたらヤバい奴だとよく分かる。圧倒的重圧感。頂上に立って当然の存在。そんな感じだ。

飽くまで慧音に聞かされた話だけど、人間や妖怪と戦うことに対して全くの躊躇がなく、神経を逆撫ですることを趣味とし、その圧倒的な身体能力と無尽蔵とも言われる膨大な妖力を持った実に妖怪らしい妖怪。弱者に対しては限界一歩手前まで徹底的に苛め、強者に対しては自ら挑み叩き潰す。…まぁ、実際はそうやって自ら動くことは滅多にないらしいのだが。

そんな彼女が成し遂げたことを全部並べるには時間が足りないと言われた。それでも特に重要だと言ういくつかの話を聞かされ、その中で最近のことを挙げるとすれば『吸血鬼異変』となる。曰く、単身突撃して有象無象を薙ぎ払い首謀者であるレミリア・スカーレットを捻じ伏せることで『吸血鬼異変』を力業で終結させたそうだ。理由はもちろん強そうなのがいたから。つまり、単純に考えてレミリアさんより強い。

また、大昔には大賢者とかいう大仰な呼ばれ方をしているスキマ妖怪、八雲紫との永きに渡る決闘の末、絶命一歩手前まで追い詰めたと言う。その最後は、八雲紫に命からがらの撤退を許してしまった、という何とも微妙な感じだったけれど、これは実質的勝利と言っていいだろう。つまり、単純に考えて八雲紫より強い。

たまに人間の里にある小さな花屋に行って買い物、というより物々交換を済ませることもあるらしい。さっきまで聞かされた彼女の性格ではあまり考えられないほど紳士的な態度で対応しているそうだが、それを聞いたときはちょっと疑問に思ったものだ。何故妖怪なのに人間の里で平然と歩けるのだろうか、と。

その答えは単純明快。強過ぎるから。人間は誰も敵わないから。人間代表、博麗の巫女ですら、その例外ではない。各世代の博麗の巫女を全て返り討ちにした、と言うのだからそれはそれは恐ろしい話だ。…まあ、そのときのわたしは博麗の巫女という存在が何なのかよく分からなくてまるで実感が湧かなかったけれど、今なら分かる。つまり、単純に考えて霊夢さんより強い。

ゆえに幻想郷最強。仮に遭ったとしたら下手に刺激せず、標的にされないことを祈るように言われた。もしされていたのなら、藁にも縋る思いで頼み込んで運よく見逃してもらうか、無謀と理解していても死に物狂いで逃げるように、とも。

 

「この魔法陣なんだけど。…貴女はどう思う?」

 

そして今。そう言いながら指で摘まんでいる緋々色金の魔法陣をわたしに見せびらかしている風見幽香に対し、わたしはどうすればいいのだろう?

逃げる?…質問されたのに何も答えず逃げるなんてことをしたらどうなるか。考えるまでもない。つまり、わたしは答えるしかないのだ。

 

「…魔法陣については、よく知らないので」

 

その魔法陣は知っている。何せ、わたしの複製なのだから。しかし、そんなことを伝えたところで利点はほぼ皆無。なので、突然現れた貴女に緊張し切ってしまい、あの魔法陣という限定的なものではなく、魔法陣全体のことを問われたと勘違いした、という体で答えた。

 

「そう。これは火系の魔法陣ね。まだ無駄がチラホラ見当たるけど、この大きさにしては高い威力になるんじゃないかしら?それに加えて、魔法陣を描く素材は最高品質」

「…へ、へー。そうなんですか…」

「どこの誰かは知らないけれど、いい度胸だと思わない?」

 

…駄目だこれ。正直に言ったら即行で叩き潰されてお終いになるやつだ。わたしには全くそんな意図はないし、質の悪い偶然に過ぎない。けれど、そんなことを言ったところで意味なんてない。

このまま知らないと白を切るしかない、と結論付けたのはいいけれど、どう言えばいいだろうか。そんなことを考えていたら、風見幽香は指に挟まれていた緋々色金の魔法陣を手のひらに寄せ、そのまま握り潰してしまった。何をするのかと注意深く見ていたら、突然絡まった糸の塊のようになったものをわたしの額に向けて放り投げてきた。本能的に右腕が動き、それを掴み取る。きっと軽い苛めの一環だろう、としておく。対する風見幽香はというと、特に気にしてもいない様子で少しホッとした。

 

「ところで、貴女に訊きたいことがあるのよ」

「…訊きたいこと、ですか?」

「貴女、『禍』?」

 

そして爆弾発言。導火線は既に着火されているし、当然のように爆破寸前。というか、既に爆破している。

目を逸らすことも出来ずに固まっていると、続けて言った。

 

「花屋の子がそんなことを言ってたのよね…。八十六人の人間を返り討ち、一人殺害」

 

…はい、そうですね。そう頭で思うことが出来ても、口にすることが出来ない。

 

「思うのよ。…もしかしたら、ちょっとくらい強かったりするのかしら?興味があるのよね」

 

そう言って閉じた日傘をわたしに向け、その先端に光が収束していく。その瞬間、硬直していた体が一気に動き出した。右手に握りこんでいた元緋々色金の魔法陣を回収し、その妖力も含めて右腕に妖力を充填させる。

そして日傘から放たれた理不尽な妖力。一瞬遅れたが、わたしが巻き込まれる手前で右腕を前に打ち出し、溜められた妖力を解放した。膨大な妖力の衝突。明らかにわたしのほうが劣勢。僅かずつだけど押されているのが分かる。…普通に考えて、拮抗手前というのはおかしい。明らかに手を抜かれているのだけど、正直に言えば非常にありがたい。撃ってこなければ最高だけど、それは最早無理な話だ。

 

「ウギギ…、ッシ!」

 

押し返すのは途中で諦め、その膨大な妖力の範囲外へ弾かれる。無論、ただ横っ跳びしたわけではなく、向日葵を数本わたしに重ねて複製して一瞬のうちに弾かれた。わたしのすぐ横を流れる妖力に冷や汗をかきつつ、弾かれたことで崩れた態勢を整えて着地する。急な移動で体が痛いし、内臓がちょっと混ぜられたように気持ちが悪いが、そんなこと気にしていられない。

そのまま向日葵畑を焦土にすると思っていた妖力は、ギリギリで真上に軌道を変えた。そのまま太陽を粉砕してしまうんじゃないか、なんて馬鹿なことを考えてしまったけれど、見上げた途中で妖力が掻き消えているのが見えた。

それにしても、どうして急に攻撃してくる?花屋の子が言うようにわたしが『禍』だから?…いや、違う。それはただの言い訳に聞こえた。もっと確信的な理由がある。そんな風に感じた。

その答えは、すぐに分かった。

 

「うふ…。感じるわよ、貴女の妖力の流れ。…あの蝙蝠なんかより膨大で強大な流れが伝わってくる」

「…気のせいじゃないですか?」

「馬鹿にしないで頂戴」

 

妖艶な微笑。しかし、そこから伝わるものは嗜虐的思考のみ。

つまり、わたしは既に標的とされてしまったわけだ。強者として見られてしまったわけだ。なら、どうする?

 

「あぁもうっ!」

 

当然逃走。闘争なんてやってられるか。そこら中にある向日葵を一本の線になるように連ねて複製し、その端っこをわたしに重ねる。弾き出される方向はこのままだと右。しかし、後方へと進む意思を持って動こうとすると、その瞬間体は遥か彼方、端から端へと弾き飛ばされた。瞬きをするよりも早く向日葵畑を抜け、そのまま特に生えている樹を視界に収め、あの場を離れるように複製を続けていく。ただ、このまま向日葵や樹の複製を放置すると地面に落下してしまうので、弾かれて外に出た瞬間、まだ複製に触れている瞬間に複製を回収する。失敗してしまうと妖力消費が痛いが、成功すれば消費をほぼ零に抑えられる。

 

「待ちなさいよ」

「ッ!?――ガッ!?」

 

そんなわたしの全力逃走は、目の前に現れた者によって文字通り叩き落された。勢いを殺し切れず腹を地面に強打し、肺の中身が一気に吐き出る。呼吸が一瞬止まり、自分がどう動いているのかすら分からない。

苦しみ悶えるわたしの目の前に優雅に舞い降りた風見幽香は、そんなわたしを羽虫でも見るような眼で見下ろした。

 

「逃げるなんてつまらないことしないでほしいわ」

「げほっ、ごほっ!…ふざ、けないで、ほし…ごほっ!…ですね」

 

なくなった空気を吸い込み、咳き込みながらも何とか呼吸を整える。起き上がろうとすると毒に蝕まれた体が痛むが、拳が振り下ろされた背中がとてつもない自己主張をしている。滅茶苦茶痛い。それでもふらつきながらでも立ち上がり、目の前にいる敵、風見幽香を睨みつける。

この数少ない攻防だけでも分かった。彼女はスペルカード戦をするつもりが全くない。純粋な殴り合い、無慈悲な弾幕、生と死が混在する決闘を望んでいる。

 

「分かりましたよ、風見幽香ァッ!」

「その眼、その顔、その気迫。…いつ散ってしまうかしら?」

 

…もう、後には戻れない。わたしは勝てるはずのない勝負に身を投げた。

 



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第199話

この決闘は、いくら考えてもわたしの勝利の糸口はない。風見幽香の勝利は確定しているし、それによってわたしの敗北は確定している。なら、わたしはどう敗北すればいいか。そう考えを変えればいい。そして、その答えは既に出ている。生きて敗北する。それが必要だ。しかし、どうすればいいのかはまだ分からない。

風見幽香が振るった日傘から大量の弾幕が現れ、わたしに向かって飛来する。相当早い。が、対処出来ないものではない。妖力弾の間をすり抜けて接近、と思ったときに一つ一つの妖力弾が僅かに動いたのを感じた。

 

「鏡符『幽体離脱・滅』ッ!」

 

何かが起こるなら、起こる前に消し飛ばせ。わたしに染み付いた思考が自分の周りに見える弾幕を打ち消し、そのまま開けた空間を駆け抜ける。チラリと打ち消せなかった妖力弾に目を遣ると、妖力弾は大輪の花のように美しく花開いていた。…消せてよかった。

一見優しそうな微笑を浮かべているが、その内側に渦巻くものを全く隠せていない。少し前に見た侮蔑の視線に加え、失せることのない圧倒的威圧感。しかし、ここで体を竦ませるなんてしてはいけない。走る痛みを意識的に除外し、今の自分が最高の状態であると思い込む。言い聞かせる。そうでもしないと、この体が止まってしまう気がしたから。

日傘の先端に僅かに光が収束し、そこから光が放たれた。左足を地面に打ちつけて軸足にし、旋回して回避すると同時に右足で回し蹴りを放とうとする動きをする。しかし、この距離では届かない。わたしの脚から衝撃波が飛ぶなんてことはない。

 

「ラァッ!」

 

だから、わたしは近付いた。軸足から妖力を流し、空間把握。広大な大地から一本の棒状のものを思い浮かべ切り取り、わたしに重ねて複製する。瞬く間に射程圏内へ潜り込む。わたしを弾き飛ばしてすぐに棒状の土は崩れたのを感じ、残念ながら回収とはいかなかった。

右足を振り抜く手前で靴の過剰妖力を噴出し、通常ではあり得ない加速を生み出す。しかし、そんなわたしの初撃は右腕で容易く防御されてしまった。

 

「ちっ」

「…ふぅん?」

 

簡単に当たるとは思っていなかったけれど、やっぱり当てれないのはちょっと悔しい。内側のモヤッと残るものを吐き出すように舌打ちしつつ跳び退る。そんなわたしの見た風見幽香は、その笑みを僅かに深めた。そしてさらに一段威圧感が重くなる。…やっぱり小手調べで手加減してたんだね。分かってたけど。

両腕をブラリと降ろし、全身から無駄な力を抜いていく。必要以上に力んで動きが固まってしまわないように。

 

「――アグッ!?」

 

しかし、そんなわたしを嘲笑うかのように容易く接近を許し、日傘の先端で鳩尾を刺突された。けれど、ただで突かれるわけにはいかない。鳩尾に潜り込む一瞬前に日傘を掴み、勢いを僅かでも殺す。普段なら感じるはずの鋭い痛みはやけに鈍く感じ、それでも息が詰まる衝撃。

けれど、勢いを殺すためだけに掴んだわけじゃない。その衝撃を受け止めず、服の過剰妖力の噴出も追加して、掴んだ手を軸に円運動をして上へ回る。そして、手を離して糸の切れた振り子のように跳び上がる。

急速に妖力が充填されて薄紫色の淡く光る右腕。空中で右腕を引き絞り、わたしを見上げる風見幽香へと開放する。

 

「模倣『マスタースパーク』ッ!」

 

右腕から放たれた膨大な妖力は、確かに風見幽香へと飛んで行った。しかし、その場で撃ち続けて返り討ちにされたくないので、放っている妖力の推進力に乗って離れていく。

ある程度離れて右腕に充填された妖力を撃ち切った。もうもうと漂う土煙に目を遣り、その中に人影があることを確認する。ま、知ってたけど。

中の人影が腕を横に一閃すると、宙を舞っていた土煙が吹き飛んだ。そして現れたのは無傷の風見幽香。わたしがマスタースパークを放っていた方向に日傘を差して佇んでいた。

さっきの何倍も離れているわたしと風見幽香の距離。わたしがどう攻めるべきか考えあぐねていると、ゆっくりと一歩ずつ近付きながら弾幕を放っていく。隙間なんて碌になく、わたしが避けようとしてもすり抜けれないほどの圧倒的密度。わたしの顔の真横を過ぎ去った妖力弾はわたしの遥か後方で爆音を放ち、大きく大地を抉っている。

 

「だぁーっ!やるしかないっ!」

 

『幻』展開。六十個全てを打消弾用にしたが、いつもの小さな妖力弾では打ち消せずに掻き消されてしまう。そんなことは分かり切っている。だから、『幻』から放つ妖力弾の威力を最大まで上げて、迫り来る殺意の塊を迎え撃つ。

それでも一発では打ち消せず、二発目を当ててようやく一つ打ち消せる。しかも、威力を上げたことで妖力弾を放つ間隔が長くなってしまっている。だから、今見える弾幕からどれを消すべきか選択し、わたし自身が被弾しないための最低限の空間を作り出す。

 

「ッ!まずっ!」

 

弾幕の向こう側に風見幽香がチラリと見えた。その距離は、既に接近戦の間合いの二歩程度手前。弾幕に意識を向けて必死に対応していたわたしにとってには、致命的な失敗。このままでは呆気なく終わってしまう。

弾幕の陰に隠れて引き絞られた右腕。一歩大きく踏み出し、二歩分の一気に詰め寄った風見幽香は、そのまま無防備なわたしへ拳を振り下ろす。

 

「…あら?」

「はぁ…、はぁ…。間に合った…」

 

鏡符「二重存在」。空間把握をして妖力を流し時間も、創造するために形を考える時間もなく、咄嗟に複製出来るものは目の前にいる風見幽香しかいなかった。お互いの拳をぶつけ合い、わたしが創った風見幽香の複製(にんぎょう)の右腕を丸ごと吹き飛ばした。けれど、いくら柔い複製でもその速度と威力は削がれ、何とか往なすことに成功した。

しかし、飽くまで何とか、だ。受け流す際に使った右腕からはミシリ…、とあまり聞こえてはいけない音がした。関節が増えたようには見えないし、手のほうがブラリと垂れ下がっていないから、完全に折れているわけではないだろう。けれど、罅くらいは入っている気がする。次にこの腕を使って同じようなことをしたら、完全に折れてしまうのではないかと思ってしまう。

 

「ふっ!」

 

目の前にある複製を蹴飛ばして距離を取りつつ、即座に炸裂させる。こんな攻撃が効くなんて全く思っていない。一瞬でいいから動きが止まってくれたらそれでいい。

残念なことにそんな淡い願いは叶えられることはなく、すぐに風見幽香は突撃してきた。打ち出される拳を横へ跳んで回避し、薙ぎ払われる日傘を後方宙返りで避ける。足の指先ギリギリを日傘が掠めた気がするが、血が舞っている様子はない。わたしが接近戦の間合いから離れると、あの弾幕を放ってくる。『幻』打ち消し、その間に詰め寄られてまた必殺の打撃が飛んでくる。

ただ、手加減はされているんだろうなぁ、とは思う。何せ、蹴りが飛んでこない。四肢の半分を使ってこない。それだけで、わたしが対応するべき種類が狭まっている。

 

「避けてるばかりだと終わらないわよ?」

 

大きく歪んだにもかかわらず、何処か美しさの感じる獰猛な笑み。ウロチョロと飛び回る蠅か、駆け回る鼠でも見ているような目。そこから放たれる殺意。

わたしだって、このままでは駄目だと思っている。けれど、どうにも策が思い付かない。どれだけ道を外れても、どれだけ掟を破り捨てようと、どれだけ禁忌に触れようと、全く意味を成さない。風見幽香の前では、わたしの考える策は全てがひとまとめに蹂躙され、例外なく塵と化していく。…これが、幻想郷最強。

…あぁ、お手上げだ。…本当に、どうすればいいんだろう?わたしは、生きていられるだろうか?

 



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第200話

重く硬い拳を避ける。日傘の薙ぎ払いを避ける。鋭い肘打ちを避ける。日傘の刺突を避ける。隙間なく詰められた弾幕を打ち消して避ける。避ける。避ける。避ける。避ける避ける避ける避ける避ける…。

さっきからわたしは、回避しかしていない。もう残されていない。けれど、それは終焉までの無駄な時間稼ぎ。そんなことは分かり切っている。けど、それしか出来ることがないのだからしょうがない。

わたしと風見幽香。どちらが先に疲労で力尽きるかなんて、考えるまでもなくすぐに分かる。わたしだ。現にわたしの呼吸は相当荒くなっているが、風見幽香は何ら変化した様子はない。動けなくなったところを一撃喰らって終了。あと一、二分で限界が来る。けれど、この状況下でよくもまあこれだけ耐えることが出来たと自分自身を誉めてあげたいところだ。…ま、結局褒めたところで得られるのは死。

死、かぁ…。死にかけたことなら何度もあるけれど、自らそうなるようにしたことだってあるけれど、実際に死んでしまうのはこれが初めてかもしれない。ま、死んだらお終いなんだから、初めてが普通なんだけど。何度も死ぬことが許されているのは妹紅くらいだろう。けれど、死んでしまうことだって悪くないように思える。醜くても惨たらしくても泥を啜ってでも生き続けるとは強く思っているけれど、やっぱりそれと同じくらい死んでしまうのも構わないと思っている。どうしてだろう?あまりにも死にかけ過ぎて、死ぬこと自体に躊躇いがなくなったのかな?…違うよねぇ。不思議な話だ。けれど、わたしにとってはそれが普通だと思える。…ま、そんなことはもうどうでもいいか。

覚悟を決める時間が、もうすぐそこまで来ている。迫る拳を避ける体が徐々に重くなってきている。回避に余裕がなくなってきている。

 

「ねぇ」

「ハァ、ハァ…。何でしょう…?」

「『禍』なんて呼ばれて」

 

横から迫る日傘を体勢を低くし、避ける。

 

「里の新たな恐怖の対象になって」

 

振り下ろされる拳をそのまま転がるようにし、避ける。

 

「八十六の有象無象を蹴散らした」

 

放たれた無慈悲な弾幕を必要最低限だけ打ち消し、避ける。

 

「そんな貴女はその程度なのかしら?」

 

そうです。そうなんです。わたしはこの程度なんです。あのときの人間共はただ馬鹿で単純で愚鈍で軽率だっただけなんです。使いもしない武器に使われた素人だったんです。妖力無効化の杭程度で勝利出来ると高を括った老害だったんです。それだけなんです。

 

「…わたしはっ、そんな、過大評価っ、される、やつじゃない…っ!」

「そう」

 

返事はあまりにも淡白だった。しかし、わたしの言葉によってか、ただこの決闘に飽きたからか、今までとは比にならないほどの威圧感と重圧感を噴き出した。体が一瞬竦む。気を張って無理に動かしていた体が崩れていく。腕は動かない。脚は動かない。呼吸は乱れる。それでも、頭が働いていることは幸か不幸か。

 

「なら死ね」

 

視界に真っ赤な花が咲いた。わたしの胴体に風見幽香の右腕が潜り込んでいる。鉄っぽい味がする。あれ、わたしはどうなってるの?この腕は、どうしてわたしの体に入り込んでいるの?…あぁ、わたしの体を貫いているからか。じゃあ、どこを貫いているの?胴体の中心。僅かに左側。

 

「…カフッ」

 

…あー、心臓かぁ。終わったな、わたし。やっぱり、あれだけ死にたくないとか思ってたくせに、こうなるとどうでも――いや待て。

 

「…あら、いい眼ね」

 

残された力で首を持ち上げ、風見幽香を睨み付ける。

どうしてそこで諦める?まだわたしは死んでいない。いつものように、死にかけているだけじゃないか。策が全部通用しない?どうせちょっと強いくらいまでしか通用しないことは分かっていたんだ。通用しない相手がいつか現れることくらい、分かっていただろう?そうだ。まだ折れるには、早いんじゃあないか?

頭が急速に回り出す。世界が変わる。時間が無限大まで引き伸ばされているような錯覚。その中でわたしは結論へ至った。

そっか。そもそもの前提が間違っていたんだ。死なずに敗北なんて、虫のいい話でしょう?

生き残るために、一度死のう。

 

「アハァ。…捕まえたァ」

「…何のつもりかしら?」

 

左手でわたしの心臓を貫く風見幽香の腕を掴み取る。握り潰さんばかりの力を込めて、絶対に逃がさないように。

そして、わたしはそのまま突進した。体の内部に異物が通り抜けていく何とも言い難い気味の悪い感触を味わいながらも、決して迷いなく。右腕を引き絞り、最後の一撃を加えるために。

 

「…!フッ!」

 

ほんの僅かだが目を見開いた風見幽香によって振り上げられた日傘。喪失する感覚。慣れた感覚。わざわざ見る必要もない。わたしの右腕は無慈悲に無残に肩から肉片と骨片をばら撒きながら弾け飛んでしまった。

 

「ラァッ!」

「ッ…!」

 

しかし、それでもわたしは、そのまま指三本を真っ直ぐと揃えた右手を風見幽香の左眼に突き刺した。弾ける血の混じった液体。弾ける感触は全くしないが、肩の継ぎ目に僅かな抵抗を感じる。

握り込んでいた左手から力が抜け、無抵抗にズブズブと右腕が引っこ抜かれた。再び舞い散る血液も気にせず、左眼を押さえながら狂気と歓喜に満ちた歪んだ笑みを見せる風見幽香を見遣る。

 

「アハ」

「フフ」

 

追撃はしない。というか、出来ない。もう、わたしはまともに体を動かせない。ここに立っているのが限界だ。

 

「アハハ」

「フフフ」

 

それでもわたしは風見幽香から目を離すことなく、お互いに見つめ合っている。今にも瞼がずり落ちそうにもかかわらず。

 

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」

「フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフッ!」

 

自然と笑いが込み上げてくる。不思議と頬が吊り上がっていく。さっきまで決闘していたのに、お互いに異常な笑顔で笑い合っている。

 

「どうですか風見幽香ァ!死にぞこないの一撃はァ!」

「こんな傷を付けられたのは本当に久し振りよ?」

 

どうだったかな、貴女の右腕による最後の一撃は?アハハ、最初で最後の手傷が眼球なんて、洒落てると思わない?

 

「けど、これでお終いね。残念だけど」

「…そうですねぇ。流石にこのままじゃこの世とさよならだ」

「そうね。化けて出たらまた殺してあげる」

「それはそれは魅力的ですねぇ…。それでは、またいつかとか」

 

地に膝が付き、そのまま倒れていく。もう、立っていることさえ出来ない。そんなわたしを、風見幽香はほんの僅かの間だが名残惜しそうに見下ろした気がした。

足音が離れていく。その音すらも、振動すらも、わたしは感じなくなっていく。体が冷えていく。視界が暗くなっていく。五感が薄れていく。心臓を失ったんだ。そりゃ当然か。

だったらどうする?答えは単純。心臓を創ればいい。

血液と共に流れ出ていく妖力を補うために緋々色金の複製を一つ回収し、その場で空間把握。失われた視覚の代わりに、この場の形が明確に浮かぶ。そして、わたしは離れていく風見幽香を見つけ出した。彼女はわたしが生きるために必要なんだ。

風見幽香の体の内側へ潜り込み、心臓の形を把握する。平均よりかなり早めの心拍を正確に刻むそれを感じながら、わたしは空っぽの穴に複製した。

 

「…グッ…!ガアッ!」

 

自分の血管と風見幽香の心臓の複製を繋ぎ合わせる。今まで腕の損失でも普通に繋げていたんだ。心臓だって、大して変わらない。それでも、体の内側を弄られているのは気分のいいものではない。それでも、何とか必要な分の血管を繋ぎ終えた。そして、一分間に六十回という規則正しい心拍をするように、普段『幻』に与えるように単純な指示を与えてみる。出来ないようなら、自ら意識的にやろうと思っていたのだけど、問題なく心臓は動き始めた。

しかし、このまま心臓を外から丸見えのまま放置しているわけにもいかない。なので、妖力を使って無理矢理治癒を試みる。切り傷や刺し傷のようなちょっとした出血や、手のひらを赤くする程度の軽い火傷くらいならどうにか治すことが出来たけれど、これはどうだろう?

 

「うぐぅ…。な、何とかなった…かなぁ?」

 

結果としては、考えていた以上に大量の妖力を消費することで見た目だけは整えることが出来た。真新しい皮膚の中身は、血管がチョコチョコと治った程度で、それ以外は無理矢理止血された。…大丈夫だろうか、本当に。

スッカスカの妖力を埋めるべく、さらに緋々色金を二つ回収した。五感が蘇り、体から熱が生まれ始める。しかし、失った血液は元には戻らない。どのくらい失ったかは分からないけれど、相当量失ったことは分かる。

右腕を動かし、まともに動かない残りの体をゆっくりと持ち上げていく。ようやく立ち上がって自分の倒れていた場所を見ると、目を逸らしたくなるほどに赤黒くなっていた。

 

「さぁて、逃げましょうか」

 

わたしは風見幽香の歩いて行った方向から離れるように、ふらつく脚で一歩を踏み出した。

 



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第201話

「ぐぅ…っ!あぁー、痛い…」

 

さっきまでの決闘の無理が祟ったのか、全身が軋むように痛い。あと、心臓のあった場所が張り裂けそうなほどだし、右腕に複製が繋がっている肩の継ぎ目は引き千切れそうだ。あのときは痛みをほとんど除外していたから感じなかったけれど、今になってその分の痛みが浮かび上がる。…まあ、実際に心臓は貫かれて裂けたし、右腕は弾けて千切れたからしょうがないけど。

問題はこの心臓の複製だ。今でこそ問題なく動いているけれど、危険がいくつもある。まず、ちゃんと血管を繋げたとは思うけれど、もしどこかに欠陥があったらいつか倒れてしまうだろう。次は、心拍数が自然と変わらないということ。突然駆け出したときに心拍数が変わらなかったら、運動能力は著しく低下する。だからといって、いつも早いのはそれはそれでよくない。最後は、心臓の複製が体内にあること。複製を体内に取り込むと、自然と妖力として回収されてしまう。今は意識的に回収しないように留めているからいいけれど、今寝てしまったらどうなる?回収されることは決してない、何て楽観的に考えることはとてもではないが出来ない。つまり、わたしが寝てしまう前にどうにかしないといけないわけだ。

 

「…ま、永遠亭にでも行けばいいかなぁ?」

 

右腕を生やすような薬を投与出来るくらいだから、心臓を生み出す薬くらいあるだろう。あれだって元から有する再生能力を促進するという薬らしいのだから、心臓だっていける気がする。問題は、その再生能力が心臓にも適応されるかどうかである。

しかし、迷いの竹林は人間の里を挟んだ向こう側にある。人間の里ですら遠いのに、迷いの竹林の中にある永遠亭はもっと遠い。むしろ、ここからよりもあの鈴蘭畑からのほうが近かった気がする。けれど、そんなことを考えても仕方ない。面倒くさいけれど、大きく迂回して行かないといけないなぁ…。

 

「ふぅむ…。後回しでいいや」

 

生死に大きく関わるというのに後回しに出来るあたり、遂にわたしもおかしくなってきたらしい。そういうことを頭で考えても改めないあたりが特に。

せっかく創った命を捨てることを平然と選択出来ることに、わたしは何とも思わなかった。何て言ったらいいんだろう。この程度で死んじゃうならその程度だったんだなー、って感じ?…ちょっと違うな。うーむ、言い表すのが難しい。

とは言っても、他に行きたいところがあるわけでもない。家に帰ってもやることがあるわけではないし、この絶不調では誰かと遊ぼうとも思えない。ただこの未開の地を知っておきたいだけなのだ。だからといって、その全てを知るために練り歩くのはすぐには終わらない。他に行く予定がないなら、やっぱり永遠亭に行ったほうがいいかなぁ…?

 

「…はぁ。…行くか。やること他にないし」

 

さっきまで後回しにしようと考えていたことをまとめて投げ捨て、詰め息を吐きながら迷いの竹林のほうを向く。とりあえず、真っ直ぐ進みますか。ある程度の距離を離して人間の里を迂回すればいい。飛んで行けば楽なのかもしれないけれど、今のわたしに飛んで行く気力はない。だから、地道に歩いて行きましょうかね。

それにしても、月の都から幻想郷に帰ってからまだ短いのに散々だなぁ…。鈴蘭を刈り取ろうとしたから、半分くらいは自業自得とはいえ、メディスンちゃんの毒に侵されちゃって体は動かし辛くなって気持ち悪くなって…。そして、その次はわたしの妖力量と『禍』の名から目を付けてきた風見幽香との決闘による心臓と右腕の喪失である。いいことなんて、月の都から幻想郷へ無事に帰って来れたことと、萃香に髪の毛を黒を抜いてもらったことくらいじゃないか?…何だろう。少し悲しくなってきた。

 

「ん?」

 

そんなことを考えながらゆっくりと歩いていると、視線を感じた。周りを見渡すけれど、それらしい影は見当たらない。上には小鳥の群れが飛んでいて、後ろの枝には鴉が留まっているけれど、視線を感じた方向ではないと思う。

ふと思い付いたのは、妖怪の山にいたあの超視力の白い人。あの人なら、もしかしたらここにいるわたしが見えているのかもしれない。けれど、妖怪の山にいるである彼女では方向が違う。

 

「…考えても仕方ない、かな。うん」

 

考えるにしても今のわたしにはちょっと見当も付かない。それに、さっき感じた視線はもう感じない。なら、視線を感じたということだけ少しの間頭に入れておけばいい。関係あれば何かが起こる。関係ないなら何も起こらない。それだけ。

そう考えることで、少しだけ気持ちに余裕が出来た。ちょっとした警戒も含めて周囲を見渡していると、自然と花が目に入る。四季折々の花々が咲いているのだが、わたしはシロツメクサの白い花が特に印象に残った。葉を乾燥させて煎じて飲めば風邪、解毒、鎮静効果、止血作用などが期待出来る。多分、その中に解毒があるから印象に残ったのだと思う。そこら中にたくさん生えているから、というのもあるだろうけど。

そういえば、さっきまで月の都に潜入していたわたしを永琳さんは診察してくれるだろうか?『地上の結界』とかいう無茶苦茶なもので月の使者を追い返していたとはいえ、恐らく元は月の民。うどんげさんは特に。そんな月の都に対して色々やって来たわたしを追い払わないだろうか、とちょっとだけ心配になってきた。…きっと大丈夫だよね?

 

「ん?……は?え?な、何で…?」

 

そんなしょうもないことを考えていたら、人間の里から大人数の男性がこちら側に集団で駆けて来るのが見えた。ちょっと待て。何で出て来た?

 

「…ちっ!」

 

とりあえず、彼らが駆けて来る直線上から離れるように走り出す。淡い期待を抱きながら横目で確認すると、それに合わせて彼らも動き出した。当然、わたしに向かって来ている。

 

「もしかして、こんな白昼堂々とわたしにかかって来ているのかな…?」

 

疑問形で呟いているが、それ以外の答えが出て来ない。出そうと思えば出るだろうけれど、無理矢理出した誤魔化しのように感じるだろう。

 

「見つけたぞ!本当だ!」

「て、手負いの…っ、わ、『禍』っ!」

「はぁ、本当に出たよ…」

 

かかってこい、と言ったのはわたしだし、あの新聞には『叩きのめす』と書かれているのだ。そう考えると、逃げるわけにはいかないよな、と思った。だから、彼らから離れるのは止めて、その場で待っていた。

うぅむ、前より全体的に若いな。歳は二十から三十程度がほとんどではないだろうか?たった一人だけど十に満たないくらいの男の子もいる。ざっと全員を見渡し、どこかしら体の部位を捧げている人がいないかを探すが、誰もそのような奴はいなかった。まあ、五感や寿命のように目に見えないものを捧げることだって出来るから安心は出来ないけれど。

全員を見終えたところで、一番前にいる男性が後ろにいる男共に向けて声を張り上げた。

 

「皆!出来るぞ!俺達なら出来る!『禍』からの脅威を取り除ける!」

「おお!そうだ!俺達なら出来る!」

「こんなぼろ雑巾みたいなんだ!ちょろいもんさ!」

「父ちゃんの敵なんだ…。やるって決めたんだ!」

 

たった一人の男の一声で、一気に活気付いていく。ふぅん、そっか。あれが今回の頭か。見事に全員をまとめ上げている。その数は前より少ない五十四人。けれど、あの時の爺さんと比べて、全体の士気が高い。一人一人がやる気に満ち満ちている。それこそ、最後の一人になろうとやってやる、といった雰囲気だ。

そんなことを感じながら、わたしは男共に問いだした。

 

「で、何の用ですか?」

「『禍』。お前を殺しに来た!」

「あっそ。けど、殺すってことは、逆に殺される覚悟だってしてありますよねぇ?」

「そんなものは必要ない!俺達は誰も死なない!」

 

何を馬鹿なことを言っているんだ?人は簡単に死ぬ。今日は死なないと思っているし、明日も死なないと思っていたとしても、人は死ぬのだ。事故で事件で病気で寿命で災害で死ぬ。斬られても折られても貫かれても壊されても砕かれても潰されても焼かれても溺れても死ぬ。

 

「…ふーん。じゃ、来いよ。そのつまらない目的を糧にさ」

 

…あぁ、本当に散々だ。

 



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第202話

「ゴヘェッ!?」

「あ、やっちゃった」

 

先陣を切って突撃してきた男に対し、両手で握り締められた包丁が突き出される前に間合いに肉薄し、右腕を鞭のようにしならせて顎に手の甲を打ち付けた。すると、グシャリ、と何かが砕ける音と共に数本の歯と血飛沫を撒き散らしながら吹っ飛んでいった。…しまった。ここまでするつもりはなかったのに、手加減が出来なかったよ。

 

「あーあ、次は気を付けないと」

「ブッ!?」

 

左から回り込んで来た男に気付いたときには、左手が既に動いていた。少し尖っていた鼻を容易く潰し、追撃で体全体の捻りを加えた右拳を平たくなった顔面に叩き込んだ。

 

「…って言った傍からまたかよ」

 

特に意識していたわけではないけれど、わたしの思考は既に撃退濃厚。その所為で、近付いてきた奴に対して半ば勝手に体が動く。

周囲から各々の武器を突き出しながら突進してくるのをクルリと躱し、後頭部に肘を突き出せば勝手に倒れていく。けれど、今回は手を抜き過ぎた所為か、何人かはすぐに起き上がって見るからに焦点も狙いも合っていない苦し紛れの反撃を繰り出してきた。けれど、そんな攻撃も武器を持っている手を蹴り上げ、そのまま踵落としを叩き込むとすぐに動かなくなった。

 

「はぁ…、つまんないの」

 

かなり前に似たような状況があったから、どうしても比べてしまう。ちょっと前に尋常ではない昂奮があったから、どうしても比べてしまう。動きは遅く、攻撃は単純で、明るくて見やすく、呪術もなく、威圧感もなく、重圧感もなく、狂気もなく、理不尽ではなく、無慈悲ではない。

つまり、この男共はやる気はあっても殺意はないのだ。今尚「いける、勝てる」などと抜かす男には、どこにそんな根拠があるのか笑ってやりたくなる。十の動かなくなった仲間を見ても、僅かな動揺を与えられても留まるには至らない。その若さから来る屈強なやる気は認めてもいいけれど、若いだけあって勇気と蛮勇の区別もついていない。

 

「よ、っと」

「ゲフッ!?」

 

右から飛んで来た棍棒を右腕で受け止め、がら空きの鳩尾に人差し指、中指、薬指の三本の先を三角のように揃えて鳩尾を穿つ。棍棒を取りこぼしながら鳩尾を両手で押さえて悶絶し始めた男の顔に右膝を打ち上げ、少し浮いた体をさらに蹴り上げる。

後方からやって来る音が聞こえたので、蹴り上げた勢いを殺さずに体を後ろに逸らして両手を地に着け、両腕をばねのようにして体を宙に打ち上げる。一瞬呆けた男の表情が見えたが、気にせずそのまま顔を両足で踏み潰した。足場が崩れる前に飛び降り、その背中を蹴飛ばす。何かが来る気配がして上を見上げてみると、遥か上を包丁が飛んでいた。…いや、あれは流石に狙いが酷過ぎるでしょ。その軌道だと、わたしがあそこに留まっていたとしても当たらないよ?

 

「…挟撃、か」

「喰らえぇい!」

「死ねやぁあ!」

 

右は刀を振り上げ、左は包丁を突き出そうとしている。体を左へ傾けると、馬鹿正直に包丁を突き出してきた。その包丁の腹を押して軌道を逸らし、そのまま回転しながら男の後ろに位置取り、背中に手を添えた。

 

「いっ!?」

「なっ!?」

「…さよなら」

 

背中を思い切り押し出すと、真っ直ぐと腕を伸ばした手に固く握られた包丁が男の腹に深々と突き刺さり、一手遅れて振り下ろされた刀はまるで仕返しするように男の頭を二つに割った。飛び散る血と何か。非常に分かりやすい同士討ち。お互い完全に致命傷。この惨状を回避することだって出来た。出来たけどやらなかった。分かっていてやった。だって、そんなことをいちいちするのはもう面倒くさかったから。

 

「うっ、ぉぉおおおおっ!殺すッ!」

「ふーん」

 

それを見た男の一人が、眼をこれでもかと充血させて我武者羅に突撃してきた。その手には持ち主の身長よりも明らかに長い物干し竿。射程を生かして突き出してきたのはいいけれど、そこからの第二撃が出ない。出せない。何故なら、わたしがその長ったらしい棒を左手で掴んでいるから。物干し竿の主導権を得ようと押したり引っ張ったりしているが、わたしの左手を振り払えない。そんな男の貧弱さを少し哀れみながら、左手を滑らせて男へと駆け出し、回し蹴りを横っ面に思い切り叩き込んだ。グシャリ、と何かが砕けて潰れる感触。そのまま蹴り抜くと、首が捻じれて強制的に顔が後ろを向いた。

 

「ガ、ァ…」

「あっそう」

 

力なく崩れる男を見下ろすこともなく、数手遅れた激昂に駆られて一挙に押し寄せてくる男共を見遣る。手にある物干し竿を握り締めて迎え討つ。

体全体を使い、遠心力を生かして薙ぎ払う。脇腹を抉るような一撃は横にいた男共を巻き込んでいき、倒れながら持っていた刃物で味方を傷付け合う。わたしはというと、そのまま一回転してから物干し竿を投げ付けた。横に回りながら飛んで行くそれは、五人の男を巻き込んだ。

薙ぎ倒した男共の顔面を一人ずつ踏み付け、意識を潰していく。その数、十三。そうしている間にも突撃してくる男共は、往なして足を払ってこかした。すぐに起き上がってまた無帽にも突撃してくるが、特に気にせず同じように対処する。そのときのわたしは、物干し竿で倒した男共の意識を潰すことしか考えていなかった。

 

「馬ッ鹿じゃないの?」

 

本当、何のためにわたしに挑んできたのやら。前のほうが辛かった。前のほうが苦労した。それがどうだ?この勝負はどうだ?敵は変わらず素人。武器も使い慣れているわけじゃない。武術に心得があるような奴もいない。…何も変わらない。いや、それ以下だ。

 

「ぉぉおおああああっ!」

「ん?…なぁんだ」

 

男共を割って出て来たのは、たった一人の小さな餓鬼。その両手に携えているのは二振りの刀。その小さな体には荷が重いだろう二刀流。けれど、その体に宿る黒い執念がそれを可能としていた。見ろよ、馬鹿共。お前等全員よりも、たった一人の餓鬼のほうがよっぽどいい眼をしているよ?

 

「けど駄目」

「グベッ!?」

 

重さに振り回されながらも刀を振り回す餓鬼の顔を蹴り潰し、怯んだ胴体に追加でもう一発加える。軽々と吹き飛んでいき、無抵抗に背中から落ちていく。その体はピクリとも動かない。

 

「アハ…。まともなの、いるじゃん」

 

けれど、その手には刀がしっかりと握られていた。これまでの男共は、意識を失えば武器を手放していた。その程度だった。この餓鬼だけだよ?最後まで武器を離さなかったのは。

さてと、これ以上はもういいや。全員、意識か命を摘み取ってしまいましょうね?

 

 

 

 

 

 

「気分はどう?」

「ガッ…!」

 

最後に残った一人。最後の最後まで馬鹿を言っていた男。その両肘両膝はわたしによって砕かれ、両手は刀によって地面に縫い付けられている。そんな無様な男の後頭部を容赦なく踏み付け、顔と地面を無理矢理密着させている。

 

「『俺達は誰も死なない』でしたっけ?…何人死んじゃったかなぁ」

「グ、ググゥ…ッ!」

 

二人は包丁と刀で同士討ちさせた。一人は首を真逆へ捻じり圧し折った。一人は頭と体が千切れて分断した。一人は心臓を貫いて血飛沫を撒き散らせた。一人は頭を砕いて脳を飛び散らせた。一人は両腕両脚を千切られ致死量を超えた血液を噴き出した。一人は拾った刀で縦に二等分した。

 

「八人だよ。君を含めた五十四人の内、八人も死んだ。八人も殺した」

「…ゆ」

「ゆ?」

「…許ざ、ない…!」

「ふーん」

「ウグッ!?」

 

だから最初に訊いたのに。『殺すってことは、逆に殺される覚悟だってしてありますよね』って。覚悟があれば受け入れられる、何て言うつもりはない。けれど、せめて覚悟さえしていればもっと違った結果になっただろうに。

 

「で、気分はどう?君がまとめ上げた男共が皆動かなくなった気分は?殺せるとか抜かしていた『禍』に返り討ちにされた気分は?こうして地面に顔を埋もれさせられた気分は?」

「グギ!グギガァアッ!」

「…ま、いいや。君は生かしてあげるよ。これはただの気紛れだ。ここに倒れた男共をどうにかする役目を与えよう。ついでに死んでる男共を埋葬する役目もね」

 

そう言って踏み付けていた足を離した。すると、地面に縫い付けられていた両手を斬り捨て、砕かれた四肢を狂ったように動かし、わたしに突進してきた。…へぇ。

 

「気が変わった」

「ガッ!…ゴプッ」

 

最後に見せたそのドス黒い執念。ある種の敬意を表するよ。だから、わたしがしっかりと完膚なきまでに終わらせてあげる。肋骨を砕き、その内側にある熱い心臓を掴み、握り潰す。

 

「気紛れで生かそうと思った気が変わったんだ。ま、許さなくていいよ。恨んでも構わない。そのくらいの咎は背負うから」

 

血の気が失せていく男を振り払い、全身が血塗れになったわたしは周りを見渡す。動かない五十四の男共。その内の九人はわたしが殺した。出血量によっては、さらに多くの人間が死んでしまうだろう。罪悪感は当然ある。彼らには彼らの人生があり、それを終わらせたのだから。

人は簡単に死ぬ。今日は死なないと思っているし、明日も死なないと思っていたとしても、人は死ぬのだ。事故で事件で病気で寿命で災害で死ぬ。斬られても折られても貫かれても壊されても砕かれても潰されても焼かれても溺れても死ぬ。

そんな中で『禍』に殺されるというのは、彼らにとってどうだっただろうか?…その答えは、彼らにしか分からない。

 



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第203話

「よい、しょっと。…ふぅ、こんなところでいいかな」

 

硬いものが砕ける感触を味わいながら、しっかりと踏み抜く。『禍』に無謀にも挑んできた者に対する代償として、肘と膝合わせて四つある中でどれか一ヶ所を砕かせてもらった。ただし、既に四肢か顔が壊れている者は除外した。既に壊れているのに、追加でやる必要はない。なぜこんなことをしているかと言えば、飽くまで『禍』として末路を伝えるため。挑んで敗北した者はどうなるか、しっかりと広めてもらうため。

ただ、これはわたしから見てもやり過ぎの部類に入るだろう。何せ、九人死亡し、残された者も一日や二日では戻れない傷を負わせた。しかも、これで二回目だ。分かってる。そんなこと、重々承知だ。

死体含めて五十四人に対する事後処理を終え、何となく空を見上げた。とても晴れやかでわたしとは大違い、なんてちょっと思ったけれど、改めてわたしの心象を考えるとそこまで違うようには思えなかった。罪悪感は多少あっても、黒い靄がかかるようなことはない。やり切った、という小さな充足感すら覚えている。ま、晴れやかというほどではないけれど。

 

「…さて、どうしようかなぁ」

 

一回目のときは、彼女のことがあってすぐにその場を離れた。けれど、今回は違う。心臓の件でさっさと永遠亭に行きたいとは思うけれど、このまま放っておいて人喰い妖怪によって無残に喰い散らかされた亡骸と化すのはどうかと思う。…まぁ、出血多量で死者が追加されることをよしとしている時点で放っておくのが正しいのだろうけど。

いや、そうじゃないな。わたしが放っておけないのは、多分『禍』としてやったことが他の見知らぬ妖怪の助けになってしまうことが嫌なんだ。…そういうことにしておこう。自分でもよく分からなくなってきた。

言い訳のような何かで自分を誤魔化していると、こちらに飛んで来ている人影が見えた。『禍』として、ここに来るその人をどうするべきか考えようとしたのだが、その必要はなかったらしい。

 

「…え。あ、あのぉ…、久し、振り…?」

「えぇ、久し振りですね。…ミスティアさん」

 

目を白黒させながらわたし、ではなく周りに転がっている人間共を見遣っているミスティアさんだ。頬は引きつっているし、浮かべる笑顔はかなり無理がある。ま、そりゃそうか。久し振りに会ったわたしが血塗れで、その周りが血の海になっているんだし。

 

「あのさ、幻香…。これ、もしかして…」

「そうですよ。『禍』として叩きのめした結果です。『禍』として、ね」

「うん、それは何となく分かってるんだけど…」

 

そう言ってわたし、というより血の海から目を逸らしたミスティアさんの目が皿のように見開かれ、実に嫌そうな顔を浮かべながら後退った。どうしたものか、と思い、ミスティアさんが見ていた方向を見てみると、見知らぬ人が一人こちらへ歩いて来ていた。その表情はとてもじゃないが、穏やかであると言えるものではない。…どうしてそんなにわたしを睨むんですかねぇ?やっぱりやり過ぎたかなぁ。

 

「知ってる人ですか?」

「…うん。出来れば二度と会いたくない人」

 

隣にいるミスティアさんに訊ねてみると、非常に分かりやすい答えをいただいた。顔色が一気に悪くなっていることも加えて、本当に会いたくない人らしい。

わたしを睨み殺すんじゃないか、なんてことを思いたくなるようなほど鋭い眼。一歩一歩歩み寄る姿は威風堂々としている。その手に持っている細長い板には不思議な模様が描かれていて、緑色の髪の毛が左右で不揃いなのがちょっとだけ気になった。

 

「四季映姫・ヤマザナドゥ。…閻魔様だよ」

「…ふぅん、そう」

 

閻魔様、ねぇ。だとすれば、わたしはこの場で裁かれちゃうのかなぁ?…んー、よく分からない。閻魔様の話なんて一回か二回しかされていない。それにほんの僅かだけ。知っていることは、死後裁かれることくらいだ。天国か地獄か、と問われたとすれば、わたしは間違いなく地獄行きだろう。

どうするか考え、とりあえず『幻』を六十個展開させて待機する。不自然な動きをしたら、まずはこめかみにギリギリ当たらない軌道で撃ち、それで止まらないなら眼を穿とう。それでも止まらないなら、心臓でも狙いましょうか。…出来ればやりたくないけど。

 

「そこで止まれ」

「…ふむ。どうやら警戒されているようですね」

「そりゃするよ。そこから不用意に動くなら狙撃も辞さない」

「そうですか、ドッペルゲンガー」

 

…今、何て言った?『ドッペルゲンガー』だって?そう言った?聞き間違いじゃないか?いや、そんなはずない。確かに言った。

閻魔様は動揺するわたしから目を離し、隣にいるミスティアさんを見遣った。

 

「さて、今日は貴女が私の言いつけを守っているか見に来ました」

「…守ってるよ。無闇に歌うな、でしょ?」

「どうやらそのようですね」

 

無闇に歌うな?あんなに美しい歌声だったじゃないか。それなのに、歌うな?

そう思っていると、ミスティアさんが小さな声でわたしに囁いた。

 

「私の歌は普通とは違ったの。霊を狂わせるとか言ってたっけ。けど、私は歌いたかったから、そうならないように歌うことにしたの。普通で普通な歌。気が抜けると、今でもあの歌声が出ちゃうんだけどね。…もう六十年も前の話かなぁ」

 

わたしが考えていた疑問の答えを的確に教えてくれたことを感謝しつつ、再びわたしに目を合わせてきた閻魔様の表情を伺う。…ふむ。

 

「ミスティアさん。今すぐ人間の里に行って慧音をここに呼んでくれませんか?『禍』が人間を返り討ちにした。死傷者多数とも伝えてください」

「え?…けど今は」

「早く。いえ、ここに戻ってくるのは時間がかかったほうがいいかな」

 

視線をわたしと転がっている人間共と閻魔様の三ヶ所を行ったり来たりさせている。迷っているその姿を見て肩に手を乗せようとしたが、寸前で止めた。この血塗れの手で触れるわけにはいかない。彼女から触れたならまだしも、触れられた血痕はこの場合違和感となる。しかし、そんなわたしの手を見てミスティアさんは決意を固めてくれたようだ。

 

「…うん。行ってくる」

「よろしくお願いしますね」

 

そう言ってミスティアさんに託し、目の前にいる閻魔様を改めて見遣る。相変わらずに睨み殺されるんじゃないかと感じるような刺々しい目付き。雰囲気が重く苦しい。目線はわたしを僅かに見上げているはずなのに、明らかに見下している。そう感じさせる。

そんな雰囲気は風見幽香のそれより軽いと切り払い、閻魔様がどう動くか待つ。一対一を望んでいたのは貴女だ。さぁ、どう来る?

 

「まだ生き残っていたのですね。…ドッペルゲンガー」

「ええ。まるで全滅してほしいみたいな言い方ですね」

「そうですね。ここ二百年はこちらに来なかったので、もうそうなっていると思っていました」

 

二百年…?わたしはまだ三桁なんて程遠い年齢だ。二百年とか言われても、よく分からない。フランが地下にいた時間の半分以下かぁ、なんて実感のないものと比べるくらいしか出来ない。

 

「貴女達の所為で私達は面倒を背負うことになったのです。記録が二重に残され、死んだ者が生き続け、罪のない者の冤罪を生み地獄へ飛ばされた。…貴女達の所為で」

「知りませんよ。記録が二重なんて、書き間違えたんじゃないですか?死んだ者が生き続けるなんて、よかったじゃないですか。罪のない者が冤罪で地獄行き?罪のない人間なんかいるかよ。善行を積めば悪行が帳消しになる?そんなわけないでしょう。罪は罪のままだ」

 

そう言うと、僅かに俯きながらガリ…、と閻魔様が歯を軋ませる音を立てた。そして、顔を上げてわたしに黒い言葉を吐いた。

 

「私は人の選択を一方的に奪う貴女達が嫌いです。私は人の願いを無作為に貪る貴女達が嫌いです。私は人の罪を身勝手に償う貴女達が嫌いです。私は人の命を賭けた挑戦を有耶無耶にする貴女達が嫌いです。私は人の人生を狂わせて生きる貴女達が嫌いです。…私はそんな貴女達が大嫌いです」

「あっそう。嫌われるのは慣れてるよ。その結果がこれだから」

 

一目見て驚いて、罪をこじつけて、流れに任せて悪意を向けて、自分の事だけを考えて襲って、歪んだ正義を掲げながら処刑しようとする。そんな人間共に嫌われた。だからわたしは傷付けた。だからわたしは殺した。

 

「それに、わたしのことをドッペルゲンガーって言っていますけれど、半分違う」

「はい?」

 

そう言うと、閻魔様は調子が崩されたのか、さっきまでの重い雰囲気を崩した、まるで素であるような声を出した。

 

「わたしは確かにドッペルゲンガーなんです。それは紛れもない事実で、わたし自身も認めている」

 

スキマ妖怪、八雲紫にそう言われたから。さらに言えば、閻魔様である貴女にもそう言われたから。わたしだってそう思うよ。確かにこれはドッペルゲンガーだ。

 

「わたしは確かにドッペルゲンガーではない。それも紛れもない事実で、わたし自身が認めている」

 

フランドール・スカーレットのドッペルゲンガー。純粋な破壊衝動。『破壊魔』。彼女は言った。『ドッペルゲンガーだよ』と。彼女は自分がドッペルゲンガーである、という自覚があった。

けれどね、わたしはそうじゃない。わたしは彼女とは違う。わたしにはそんな自覚はない。わたしがドッペルゲンガーであると思える根拠がない。そう言われたから、そう思っている。そう気付いたとき、わたしは何者なのか分からなくなった。

 

「ねぇ、閻魔様。わたしって、何者なんでしょうか?」

 

そんなわたしの問いに何故か悔しそうに顔を歪める閻魔様だが、その答えが返ってくることはなかった。

 



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第204話

何も言わずに閻魔様に背を向け、永遠亭へと向かう。そんなわたしに対して、閻魔様は何かしてくることもなく、ただただ黙って見送られた。背中に突き刺さるような視線を感じているが、気にせず足を進めていく。

ドッペルゲンガーという種族に対して、強い感情を持っていた閻魔様。そんな彼女の口から放たれた黒い言葉。身に覚えはない、なんて言えない。一度とはいえ、経験していることだから。その能力はわたしが制御し、支配しようとしている身の余る過ぎた能力だから。

けれど、その言葉はわたしの滞っていた疑問をいとも容易く氷解させた。あの能力は、人の願いを奪う能力だったんだ。そして、その人の代わりに叶える。聞こえはいいが、その人の知らないところで身勝手に終わらせてしまう、ってことになる。確かにそうだ。あれ以来、フランにあった破壊衝動はほとんどない。わたしが破壊衝動を、ものを破壊したいという願いを奪ったから。

そして、わたしは食べた。願いを貪った。四百九十五年分という単純なものではないだろうが、それでも膨大な年月抑え込まれていた願いを消化した。つまり、ドッペルゲンガーが本来食すべきものは、大地の恩恵を受けて実った野菜や穀物でも、命を刈り取って得る肉でもない。人の精神の一部である願いを食すべきだった。ドッペルゲンガーは願いを、人の精神を喰らう人喰い妖怪だったんだ。わたしの食欲が失せているのは、フランの願いが膨大であったからかもしれない。その事実に無意識では気付いていたからかもしれない。わたしの食欲は、前者ならいつか戻るかもしれないけれど、後者なら二度と戻らないだろう。

 

「…ま、だから何だ、って感じだけどさ」

 

分からなかったことが分かってよかった、とは思う。けれど、分からないままのほうがよかった、とは思えない。知る幸福と知らない幸福では、わたしは前者のほうがいい。だから、知ったことで得た不幸だって飲み込もう。

ドッペルゲンガーが人喰い妖怪だったとしても、わたしの食欲が二度と戻らなかったとしても、それはしょうがないことだから。わたしという存在自体が、本来の道から大きく外れる原因だから。それがちょっと正しい道へ戻っただけだから。

だから、いちいち気にしても仕方のないことだ。…そう思わないと、やっていられない。

 

「あぁ…。それにしても、やっちゃったなぁ…」

 

閻魔様の視線がビシバシと感じても振り返らないのは、閻魔様が怖いわけじゃない。そこに転がっている人間共を見たくなかったから。振り返ったら、視界に収めてしまったら、力なく崩れたままの姿で不気味に起き上がってわたしに襲いかかって来そうな気がしたから。そんなはずないのに。どうしてそう思うんだろう。分からない。分からない。分からない。

けれど、見ようと見なかろうとやってしまったことに変わりはない。後悔はない。けれど、こうしたことで起こるだろう人里の乱れも想像出来る。関係ない、と完全に割り切れるほどわたしは傲慢ではないつもりだ。関係があっても放っておく、くらいなら平然とするけど。

そんなことを考えながら重く鈍い体を無理矢理動かして、人間の里を大きく迂回する。ギリギリ見える門番が誰もいない人里の出入り口を見遣ると、普段より寂れて見えた。そして、その普段がもう二度と訪れない過去と比べていることに気付いて、ちょっとだけ寂しくなった。

歩き続けて数十分、ようやく迷いの竹林に足を踏み入れることが出来た。ここからさらに奥にある永遠亭まで、どのくらいかかるだろう?そもそも、わたしは辿り着くことが出来るだろうか?わたしを診療してくれるだろうか?わたしの心臓を治すことが出来るだろうか?不安は積み重なっていくばかりで、ただでさえ重い足取りがさらに重くなっていく。

 

「…ま、行くしかないか」

 

けれど、いくら考えても分からないことに悩んでいても意味はない。そんなことは分かっている。分かっていても、不安なんだよ。いつもなら普通に切り捨てられるようなことなのに、今回に限って出来そうもない。さっきまで悪行を重ねていたから?…それは違う。月の都に潜入して怒りを買ったから?…そうかもしれない。生死に直結するから?…そうかもしれない。

そこで、少し前に考えていたこととはまるで違うことを考えている自分に困惑する。どうやら、気にしないみたいなことを考えているだけで、かなり気にしていたらしい。わたしの思考が負の向きへ進んでいるのが分かる。落ち着いてきて、今まで無理矢理前向きに考えてきた思考の代償を払っている感じだ。

辿り着くはずの道筋も、こうして代わり映えのしない鬱蒼とした竹林が続くと、どうにも不安になってくる。けれど、極僅かな変化や目印を見つけるたびに、僅かにホッとする。わたしは確実に進んでいる、ってことが分かるから。同じところをグルグルと回っているわけじゃない、ってことが分かるから。

ふと、妹紅の家に埋め込ませてもらった複製を感じ、それに合わせてそこにいるだろう二人のことが頭を過ぎる。二人は何をしているんだろう?酒でも呑み合いながら、しばらく振りに会ったわたしのことでも話題にしているのだろうか?それとも、わたしには思い付かないような話題が繰り広げられているのだろうか?その輪の中にちょっとだけ入りたい、と思ったけれど、今は永遠亭に行くほうが優先だ。

 

「ん?…げ」

 

そんなことを考えていたら、見覚えのある人影が見えた。既に十二分にやり返したとはいえ、しょうもない理由で死にかけた原因を作り出した悪戯兎。因幡てゐだ。幸い、あちら側は私に気付いていない模様。気付かない振り、何て可能性もあるけど。

出会うことなく進めるならそれでよかったのだけど、わたしの進もうとしている道のど真ん中に立っているため、そういうわけにもいかない。目を凝らさないと分からないほど細い糸を竹に引っ掛け、何か罠を作っているようである。目で見て簡単に分かるような落とし穴もいくつかあり、簡単には気付かないほど巧妙に隠された落とし穴もあるのだろう。

少しだけ考え、わたしは気にせず先へ進むことにした。引っ掛かったなら、そのときはそのときだ。別の道を選んだとしても罠がある可能性があるなら、どう進んでも大して変わらない。それなら、目の前に仕掛けた人がいたほうがいい。仕返し出来るから。…ま、逃げられるだろうけど、そのときはその動きで動けば罠にかからないということになる。それならそれでいい。

 

「こんにちは、因幡てゐ」

「ん?…ウサ、あんた――って!何だその恰好!?」

「え?恰好?…あー、そう言われれば血塗れでしたね。忘れてましたよ」

 

別の事ばっかり考えていたから、すっかり忘れてた。わたし自身の血と返り血が入り混じった血痕。右袖は吹き飛んで、心臓部分は大穴が開いている。耐久性が高いみたいなことを言っていたけれど、風見幽香に対抗出来るほどではなかったのだ。

 

「見て分かる通り、急いで永遠亭に行きたいんですよね。それでは」

「そうかい。なら邪魔せずに――待て!そこは…!」

「ん?」

 

脚に一瞬の抵抗を感じ、右側から僅かな風切り音が響く。咄嗟に右腕を出し、急所である顔を守る。すると、トストストス、と軽い音と共に右腕に三本の竹矢が刺さった。右腕は既に複製だから全く痛くない。

 

「いやぁ、危なかったですね。竹矢が右上から顔に向かって飛んできてよかったですよ。他の軌道だったら許せないところでしたから」

「流石に大怪我人を罠に掛けると後で叱られるから勘弁願いたい…」

「へぇ、正直意外ですよ。そんなこと考えるような人とは思ってませんでしたから」

「…試験体にはもうなりたくないウサ」

 

そう言って一瞬遠い目になった因幡てゐは、ピョンと跳び跳ねてわたしの前に降り立った。

 

「…案内するから黙っててくれない?」

「いいですよ。終わればこの竹矢もしっかり隠滅しましょう」

 

糸がキラリと光るのを見るたびに警戒しつつ、因幡てゐの足跡に重ねて動きを真似して進む。短い距離だったが、時間をかけて進むこと数分。罠のある所は終わったようだ。

お互い無言で進み続け、永遠亭がようやく見えてきた。そのことに少し気が抜けたのか、僅かに朦朧とする意識の中、右腕に刺さっていた三本の竹矢を遠くへ投げ捨てる。永遠亭からは離れた方向に投げたから、十分だろう。

 

「よし、着いたウサ。…って、どうした!?」

「ん?お?…あれ?」

 

永遠亭の敷地に入ってすぐ、急に脚が異様にふらつき始めた。…おっかしいなぁ。ちょっと前まで普通に動けてたのに。妖力だって十分ある。それなのに、どうしてこんなに足が動かないんだろう?

わたしを見る誰かが慌てて何処かに入っていく。何か言っていた気がするが、その内容すらも分からない。そもそも、どうしてここに来たんだっけ?あれ、足元に何もない。重力がおかしい。壁が横にある。上にも下にも前にも後ろにも遥か彼方まで続く壁。何を考えているのかもよく分からなくなってきた。ただ、薄れていく意識の中で右足首の上の辺りがやけに熱く感じる。そこに目を遣ると、横一線にスッパリと切れていた。どうして切れているんだろう?分からない。

わたしの元に近付き、軽く揺らす誰かが目に映る。近くに寄って口を動かし、何かを語っている。一体、何を言っているんだろう?全然頭に入ってこない。ふと、胸のあたりが軽くなった感じがした。そこには何か大切なものがあったはずなのに。何だっけ?えぇっと、確か……………。

意識が途切れ、視界が黒く染まる。わたしは、意識が途切れるまでになくしたものを思い出すことが出来なかった。

 



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第205話

「…ふふ」

 

椅子に座り、永い時間をかけて掻き集めたDNAを眺めては悦に入る。誰と誰が遠縁であるとか、誰は何の病になりやすいとか、そんなことを考えている時間が私は好きだ。趣味が悪い、と輝夜に言われたこともあるけれど、人の数少ない趣味に口を出さないでほしかった。口には出さなかったけれど。

先日から今の時期に咲くはずもない花が咲き始めた。明らかに時季外れな花々を見て『あぁ、もうこんな時期か』と片隅に思う。六十年の周期で起こる花の異変。実害は特になく、強いて言えば時季外れの花粉の拒絶反応に苦しむ人が出るくらいだろうか。

しかし、本来咲くはずのない時期に花が咲くということは、私にとっては大きな利点となる。ある季節しか採れない薬の原料となる花を一度に全季節分得ることが出来る。そう考え、里へ薬の販売を終えたら薬の原料となる花をいくらか摘み取って来るように、と優曇華に命じた。帰ってきたら、早速薬をいくつか作ろうと思う。余裕があれば、新しい薬を作るのも悪くない。

…あと四十三分二十七秒。何事もなく、平穏な時間。優曇華が帰ってくる時間は既に予測した。その少し前にはこのDNAを片付けよう、と思う。

しかし、それもドタバタと廊下を騒がしく走るてゐによって終わりを告げられた。てゐが扉を開けるまでの僅かな時間にDNAを箱に片付け、扉が開かれるのを待つ。さて、一体何かやらかしたのかしら…。

 

「たっ、大変だ!急患だ急患!」

「患者は?」

「元々どうして動いてられるんだか、ってくらいの大怪我だったんだけど、ここの前で倒れた!」

「そう、分かったわ」

 

てゐから僅かに漂う血の香りに加え、騙そうという意思を感じさせない必死さ。稀に見る冗談の類ではないらしい。簡易治療器具の一式が整然と詰め込まれた鞄を持ち、部屋を出る。

 

「ちょっと早く!」

 

てゐに手を引っ張られながら駆け足で永遠亭の玄関を出ると、確かに人が一人倒れていた。その姿に全く動揺しなかったとは言えない。たった一人の体から出たとは思えないほど血塗れであることもそうだが、服装が月を連想させるものであったことだ。ただし、右袖は千切れてなくなっており、背中の部分には大穴が開いている。肩に掛かっている長い紐が僅かに気になったが、今は患者を優先する。

患者の元にしゃがみ込み、その顔を見る。虚ろな表情で、その眼は何を見ているのかも分からない。…そんな私の顔。ただの瓜二つとは考えられず、そうなれば答えは簡単だ。患者は鏡宮幻香であるらしい。またなのか、という言葉が頭を過ぎる。

 

「聞こえるなら何か行動してみて。指の先でも瞬きでも構わないわ」

 

鎖骨を軽く叩きながら、耳元に声をかける。しかし、反応はない。

 

「聞こえてるの?…返事は!?」

 

声の大きさを二段階に分けて上げてみたが、どれも反応はない。顎を軽く上げて気道を確保。両膝を軽く曲げ、下側の腕を体の前に伸ばし、上側の腕をつっかえ棒のように使って横向け寝状態を支えてもらう。その状態で、まずは外傷を確かめる。左右の腕の形が不自然に違うが、片方もしくは両方が偽物である可能性がある。右腕に棒状のものを叩き付けられたような凹みと三ヶ所の小さな穴があり、そのどれも出血が見られないことから右腕は偽物であると思われる。右足首の上がパックリと切れている。そこから流れている血の量が少ないことから、血液が相当失われていると予想出来る。左側の胸に無理矢理治された痕がある。その部分はちょうど心臓がある場所で、前と後ろで服に空いた穴が重なっていることに不安を覚え、そこに手を当てる。

 

「…え?」

 

トク…、と一回動いたのを感じたのを最後に脈動が途絶えた。それどころか、軽く当てていた手が簡単に食い込む。まるで、そこが空洞になったかのように。

 

「てゐ!今すぐ薬品庫の八八八九番の薬を持って来なさい!褐色の瓶に無色の液体!」

「わ、分かったウサ!」

 

反射的に後ろから覗き込んでいたてゐに命じた。ここで呆けている時間はない。どういうわけか知らないが、心臓が消えた。まるで最初からなかったかのように。人間ならば、心停止から三分程度で障害が遺り、十分程度で助かる確率がほぼ零となる。必ずしも妖怪に当て嵌まるわけではないが、普通なら多少耐えることが出来る時間が延びる程度。だったら、人間の時間で考えたほうがいい。

てゐに持ってくるように頼んだ薬は、妖怪用に調整された自己再生能力促進薬。ただし、普段なら絶対に使おうとは思わないほどの効果がある。投薬した者の妖力を乱用して治すため、こんな状態の患者に使うことは普通しないのだが、相当失血しているにもかかわらず、妖力がそれほど失われていない。むしろ、十二分にある。しかし、副作用が甚大であり、適量でも激痛、栄養失調、妖力枯渇等々。間違えれば死に至ってもおかしくない。そんな劇薬。しかし、脳の欠損すら回復した――残念ながら失った記憶は戻らなかった――この薬なら心臓喪失であろうと治すことが出来るだろう。

 

「さて、注射器は…」

 

鞄を開きながら、最早何も映していないだろう、吸い込まれそうなほど空虚な眼を見る。それから、鞄の中にある注射器を探した。

 

「ん?」

 

…今、視界の端で幻香の体が動いたような…?風は吹いているけれど、ほとんど気にならない程度。服が少しなびいたのかしら…。

 

「なっ!?」

 

そう思いながら注射器を手に眺めていたら、突然体を仰向けにして上半身を持ち上げた。心臓もなく、さっきまで動く気配もなかったのに、何事もないように動き出した。

そんなあまりに非常識な出来事に驚いていると、右腕をボトリ、と落としながらゆっくりと立ち上がった。

 

「さ、何を作ろうかしら」

 

耳に響く言葉が信じられなかった。何故なら、それは普段から聞く声だったから。手を口元に動かし、その口が動いていないか確かめてしまう。ポッカリと開けているけれど、声を発していたとは思えない。

起き上がった幻香の背が明らかに高い。さっきまで普通に着ることが出来ていた服装がきつそうになっていて、動くたびにへそが見えそうになる。その歩く動作がいちいち私にそっくりで、寒くもないのに鳥肌が立ってくる。

そんな私を意識に入れることなく、幻香だった者は永遠亭へ足を運びだした。

 

「ま、待ちなさい!」

「あら、どうしたの?」

 

そのまま放っておくわけにもいかず、駆け寄ってその肩に手を置いた。そのときにふと、身長がほぼ同じであると思った。振り返って微笑む顔が、鏡でも見たような錯覚に陥る。その顔に血が付着してなければ、さらにそう思っていただろう。そして、右手を口元に寄せて口元を隠した。咄嗟に後ろを見るが、地面にはさっき落としていた右腕は確かに転がっている。

 

「何も用がないのなら、その手を放してくれないかしら?私は早くやらなくてはいけないことがあるのよ」

「心臓がないのに好き勝手活動されても困るのよ。そこで安静にしてなさい」

「心臓?…もう戻ったわよ。貴女ならよく分かっているでしょう?」

 

戻った…?治るではなく、戻る?その言葉遣いに違和感を覚える。

そして、その違和感は確信となった。

 

「私は貴女なのだから」

 

肩に乗せられていた手を掴まれ、胸へと寄せられた。ドク…、ドク…、と規則的に脈動する心臓を感じる。唖然としていると、手を離してそのまま永遠亭へ入っていった。その背中を追うことは出来なかった。そんな私の頭の中では、あの仮説が渦巻いていた。

『鏡宮幻香はフランドール・スカーレットに、もしくはフランドール・スカーレットは鏡宮幻香になった』。三種のDNAから得た我ながらふざけた仮説。しかし、たった今、鏡宮幻香は私になった。仮説でしかなかったものが、現実となって目の前で起きている。

 



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第206話

呆然と立ち尽くしていた。『鏡宮幻香が八意永琳になった』という事実が起こした衝撃は、私を止めるには充分であった。体格、声色、動作、癖。どれを取っても私としか思えない。さらには、もう二度と作らないと決めていた蓬莱の薬の不死性すらも会得した。信じられないような脅威の成り代わり。

…やはり、彼女は化け物ね。今までの同じ顔でも不思議ではあったが、こうして仮説であった変化を目の当たりにすると薄気味悪い。フランドール・スカーレットに成っていた幻香が元に戻っていたので、あれが恒常的でないことは確かだけど、それでも恐ろしいものは恐ろしい。

 

「はい薬!これでいい――って、あいつは!?」

「…勝手に治ったわ」

「勝手にぃ!?ちょっと頭大丈夫!?もしかして医者の不養生…」

「そんなわけないでしょう」

 

嘘は言っていない。しかし、事実からはかけ離れている。この事実はとてもではないが人に語れるようなものではない。誰彼構わず言い触らせるようなことではない。

そう考え、てゐから八八八九番の薬を奪い取る。勝手に戻ったのなら、もうこの薬を使う必要はない。

 

「これは私が戻しておくから、貴女は好きにしていいわよ」

「…いいのか?」

「いいのよ。経過観察は私の仕事」

 

そう言うと、てゐは少しだけ不安そうな表情を浮かべながらも迷いの竹林へと駆け出して行った。

…これでいい。今の彼女を誰かに見られるわけにはいかない。見られて困るか、と問われればまだ分からない。だからこそ、不確定であるからこそ、見る者を制限する必要がある。まずは、私になった彼女が永遠亭の何処へ行ったかを確かめる必要がある。

 

「お師匠様、ただいま戻りました」

「…優曇華」

 

そう考えていたのだけど、予測よりも遥かに早い時間に帰ってきた優曇華によって計画の変更を余儀なくされた。その優曇華は相当急いで帰ってきたようで、軽く息を乱していた。

 

「早かったわね」

「私もこれだけ早く戻るつもりはなかったんですが、どうしてもお師匠様に伝えなければならないことがありまして…」

「言いなさい」

「『禍』、幻香さんが里の人間を再び返り討ちにしたそうです」

「…そう」

 

つまり、あの甚大な負傷は里の人間に負わされたもの?…いや、とてもじゃないがそうとは思えない。二人がかりであったとはいえ、スペルカード戦でてゐと優曇華を退けた。仮にも元戦闘員であった優曇華を、だ。生半可の実力ではないことくらいは分かる。さらに言えば、襲いかかる人間達を一度返り討ちにしたという経験がある。それが慢心になったならば有り得るかもしれないが、そうではないだろうと思う。

それではどうして、と考えても今の私には分からない。傷を詳しく調べようにも、既に戻ってしまっては調べようがない。

 

「それで、何が言いたいの?」

「生きている者は全員重症だったので、常備薬ではないちゃんとした薬を届けに行きたいと思いまして…」

「分かったわ。付いて来なさい」

 

現在何処に彼女がいるかは分からない。しかし、てゐが薬品庫からここへ来る道で出くわさなかった。それから時間はそこまで経っていない。ならば、これから薬品庫へ行く道中で出会う可能性は低いだろう。

薬品庫への道を真っ直ぐ進んでいると、後ろから優曇華が申し訳なさそうに話しかけてきた。

 

「すみません、お師匠様」

「いいのよ。重症の患者は早期治療が重要だもの」

「あの、それもそうなんですが…」

 

最小限の動きで後ろの優曇華を見ると、両人差し指の先端を突き合いながら、目を逸らしていた。言い淀むことでも伝えるべきことはしっかりと伝えるように指導したつもりだ。その成果は、数秒後に表れた。

 

「帰りに花を摘む余裕がありませんでした…」

「それはしょうがないじゃな…?」

 

チクリ、と何かが引っ掛かった感覚。私は優曇華に帰りに花を摘むように命じた。そして?その後は?私はその花で何をするつもりだったのかしら?…覚えていない。思い出せない。いや、それはおかしい。私は優曇華に最初から無意味なことを命じたりはしない。これまでもそうしてきたはずだ。なのに、どうして何もすることがない…?

 

「…お、お師匠様?どうかしました?」

「い…いえ、何でもないわ。…急ぎましょう」

「はい、お師匠様」

 

引っ掛かりを拭えぬまま、それでも振り払おうと廊下を普段よりも歩幅を広げて歩く。しかし、結局引っ掛かったままで薬品庫の扉を開けた。棚にズラリと並んだ薬の数々。製作した順番に番号を振っているが、私はどの番号がどの効果であるか全て頭に入っている。しかし、優曇華はまだ入っていないようで、効果別に並べてほしい、と愚痴をときどき零しているのを私は知っている。

 

「優曇華、傷はどんな感じかしら?」

「顔が潰れているか、腕が折れているか、脚が折れています。また、一部の人は片腕、もしくは片脚を切断、もしくは引き千切られています。顔が潰された者は、鼻が完全に砕けている者が多く、眼を軽く潰された者もいます。少数ですが、顎が粉砕された者も。他には、手、肩、肋骨などが砕けた者もいました」

「思った以上に重症ね」

「一応最低限度の止血は済ませてから来たのですが…」

「そう。なら、一七八四二番と――」

 

そのまま続けて二十弱の番号を言い、それを聞いた優曇華が薬棚を右往左往していく。

 

「お師匠様、ありがとうございます」

「優曇華、これも持って行きなさい」

 

部屋を出て行こうとした優曇華を呼び止め、簡易治療器具の一式が入っている鞄を手渡した。優曇華も治療器具をいくつか常備しているだろうけれど、これを使ったほうがいい場面も出て来るだろう。

 

「重ね重ねありがとうございます。それでは!」

 

優曇華はそう言って扉も閉めずに飛び出していた。そして、足音が聞こえなくなったところで、引っ掛かっていたことを再思考する。

まず、私は何か意味があって優曇華に花を摘むように命じた。これは大前提。しかし、摘み取る予定だった花の使い道が出て来ない。…逆を考えよう。どうしてその命を思い付いたか。それは花の異変で、四季全ての花が咲いていたから。各季節にしか採れないはずの花を採ることが出来るから。では、その四季の花を私ならどう使う?

 

「…薬を作る」

 

ガチリ、と嵌った感触。思い出したわけではないが、こうであろうという確信があった。奇妙な既視感を覚える。そして、何故そんなことも忘れてしまったのか、と不思議に思えるほどにそれは浸透した。

私になった彼女は言った。『さ、何を作ろうかしら』と。本当に私になったと言うならば、きっと薬を作っているに違いない。何故かと言われても、私だからとしか答えることが出来ないけれど。

そう考え、研究室へと向かう。その部屋は、私が普段薬の製造をしている部屋で、玄関から薬品庫までの道にはない部屋であるからだ。

 

「見つけたわよ、私」

「…あら、私じゃない」

 

いた。部屋を軽く見渡すと、備蓄されている素材がいくらか減っていた。そして、彼女が座っている机の上には調合の際に使う器材の数々。どうやら、予想通り薬を作っていたらしい。

 

「もう出来たわよ。九七五一七番。まだ試していないけれど、妖怪用で妖力の長期的回復を促す薬」

「二八五二一番や四〇九八七番と同じではないかしら?」

「それは三十分程度と三時間程度でしょう?これは二十四時間の効果が期待出来るわ」

「そう、それはなかなかいいわね」

「そうね。…ふぅ、これで私の役目は終わり」

 

そう言うと、儚げに微笑んだ。

 

「どう作ったかはちゃんと書いてあるわ」

「…そう、感謝するわ」

「ええ、さよなら」

 

そう言うと、彼女はバタリと机に突っ伏した。ゆっくりとだが、彼女の体が縮んでいくのが分かる。そして、見覚えのある体型へと戻った。その体は、モゾモゾとうごめき始めている。

多分、あの私はもういないのだろう。それは、蓬莱の薬を飲んだ私にはもう知り得ない消滅。最期のあの微笑みは、忘れることはないと思う。何故なら、私はそれがほんの少しだけ羨ましかったのだから。

 



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第207話

『…ん』

「あら、もう起きたのね」

 

目が覚めたら、目の前にいかにも調合に使いそうな器具が大量に並んでいた。材料と思われるものも隣に整然と並べられている。…これは一体どういう状況なの?

 

『あ、あれ?…体が』

「悪いけれど、今は私のものだから」

『…今なら彼女の気分が少し分かりますよ』

 

視界に映るものは分かる。鼓膜に響く音も分かる。染み付くような独特の香りも分かる。手に持っている器具や材料の感触も分かる。右腕に触覚があることに少し驚き、心臓の鼓動を感じることにさらに驚いた。けれど、どれだけ体を動かそうとしても、わたしの意志では動かない。

その代わり、わたしではない誰かが体を勝手に動かしている。材料を粉末状にしたり、水に溶かしたりと、手際よく調合されていく。

 

『…ぅぐ』

「あら、どうしたの?」

 

そして、頭の中に強制的に濁流の如く流れ込んでくる膨大な情報。ズラズラと並ぶ物質の反応と、それに必要な様々な条件。似たようなものを月の都にあった書籍や文献で、文章として読んだことがあるけれど、これはその比ではない。より精密で、より細密で、より緻密で、より過密である。

 

『…自白剤?生涯持続?』

「あら、伝わっちゃったかしら?」

『そんな廃人製造劇薬作るのやめてくださいよ…』

「いいじゃない。前に作ったのは薬が切れたらまた服薬させないといけなかったから、今度はそんな必要ないものを作ろうとしたんだけど」

『…確か月の都でありましたね、そんな薬の製造方法』

「そう。あっちでは普通に作れたけれど、ここだと必要な物質を反応させるにはちょっと足りないものが多かったのよ。…ま、やってみせるわ」

『やめて』

 

そんなものはこの幻想郷にあってはいけないと思う。月の都でも『製造を禁ずる』と書かれ、明確な製造方法は書かれていなかった。

 

『…そうだ。訊かなきゃいけないことがあったんだ』

「何かしら?…ま、分かるけど」

『なら答えてくださいよ。ちなみに、わたしは鏡宮幻香です』

「八意永琳よ」

『…は?』

「驚くことはないでしょう。予想していたこと、伝わってるわよ?」

 

いや、月の都にいたようなことを語っている時点で、誰のドッペルゲンガーであるかなんて相当絞られていた。それに加えて、薬を作るような人なんて、わたしは一人しか思い付かなかった。それだけなんだけど…。けど、やっぱり驚くものは驚くのだ。だって、あの永琳さんだよ?

熱せられてコポコポと小さな気泡が立つ液体を眺めさせられながら、驚きの感情を横に置く。今は聞きたいことが他にも色々ある。いちいち驚くのに時間を割くなら、後でまとめて驚いておこう。

 

『ドッペルゲンガー。貴女の目的は?』

「私は新しい薬を作りたいの。九七五一七番目のね」

『わたしを飲み込まないんですか?』

「出来るけれど、必要なかったから。五体満足に動かせるなら、それで十分」

『目的が終われば、貴女も消えますか?』

「そうね。それがドッペルゲンガーの定め」

『この体は、貴女のものだと思いませんか?』

「思わない」

 

嘘は言っていない。全て本当のことだと分かってしまう。伝わってしまう。

 

「もうお終いかしら?」

『…いえ、最後にお願いを』

「あら、私にお願いなんてね。…ふふ」

『そんな物騒な薬はやめて、もっと穏便な薬にしてください』

「…はぁ。ま、いいわよ。まだ最初も最初だから、変えるなら今ね」

 

そう言って、また頭に大量の文字列が流れ込んでくる。さっきまで作ろうとしていたものとは別の反応をさせ、全く違う薬を作ろうとしているのが分かる。そして、最終的に作る薬の候補が三つに絞られた。

一つ目は視力向上薬で、理論上月の都が見えるほどに視力が向上するものだそうだ。二つ目は妖力回復薬で、理論上二十四時間かけてゆっくりと回復させていくものだそうだ。三つ目は感情抑止薬で、理論上一週間感情の振れ幅が小さくなるものだそうだ。

 

「どれにしようかしら」

『妖力回復薬で』

「理由は?」

『時間がかからないから』

「あら酷い」

 

流れ込んできた情報を何とか読み出し、三つの反応を並べた。その中で、明らかに妖力回復薬が簡単なものということが分かった。視力向上薬は何十倍の圧力をかける必要があるらしく、感情抑止薬は絶対零度に近い極低温にする必要があるらしいので、どちらもやめていただきたい。それに比べれば、妖力回復薬の新鮮な血液の使用なんて簡単なほうだ。

 

「ま、作れるならそれでも構わないけれど」

 

そう言いながら、火を止めた溶液の上に左手首を出し、右手の親指で血管に切れ込みを入れた。一瞬吹き出た血液は右手のひらに押さえられ、トロトロと流れ出る血液が溶け込んでいく。十分な血液を入れたようで手首から親指を離すと、まるで時間が戻るかのように傷が消えていくのが視界の端で見えた。

そこで、わたしはちょっとした失敗をしているかもしれないことに気が付いた。

 

『…あ』

「どうしたのよ、そんな不安になって」

『いや、多分蛇系統の毒が…』

「それならもう無毒化してるわよ。他にもあった全部の毒もまとめて、ね」

『うわぁお…。何てことでしょう…』

 

わたしが知らない間に、体を蝕んでいた毒がなくなっていたとは。右腕も心臓もいつの間にか治っているし。

そのままゆっくりとかき混ぜられ、他の材料を入れたり、煮詰められたり、ろ紙を通したりした。その時間はわたしの予想した通り、相当短かった。

 

「…ふぅ、完成ね」

『これで、貴女は消えてしまうんですね』

「そうね」

『…本当は、貴女が残ってわたしが消えるべきなんでしょうね』

「どちらにせよ、私は消えるのよ。貴女が消えようと残ろうと、それは変わらないわ」

『そう、ですか…』

 

わたしの最後の問いは、紙にビッシリとさっき作った薬の作り方を書きながらという片手間で答えられてしまった。わたしが訊くことが終わってしまい、製造方法を眺めるしかなくなった。血液が必要、というよりは血液に含まれるとある物質が必要だったらしい。必要でない物質は、様々な手段で取り除かれていったみたいである。

 

「よし、これでお終い」

 

そう言って肩の力を抜いていると、突然この部屋の扉が開く音が響いた。

 

「見つけたわよ、私」

「…あら、私じゃない」

 

扉の前に立っていたのは、永琳さんだった。ドッペルゲンガーではない、本物の永琳さん。

 

「もう出来たわよ。九七五一七番。まだ試していないけれど、妖怪用で妖力の長期的回復を促す薬」

「二八五二一番や四〇九八七番と同じではないかしら?」

「それは三十分程度と三時間程度でしょう?これは二十四時間の効果が期待出来るわ」

「そう、それはなかなかいいわね」

「そうね。…ふぅ、これで私の役目は終わり」

『もう、消えちゃうんですね…』

 

そうわたしが呟くと、表情が変わっていくのを感じた。永琳さんの瞳に映るその表情は、儚げに微笑んでいる。

 

「どう作ったかはちゃんと書いてあるわ」

「…そう、感謝するわ」

「ええ、さよなら」

『…さようなら。貴女のこと、忘れません』

 

気のせいかもしれない。思い込みかもしれない。幻聴かもしれない。けれど、わたしには確かに最期に聞こえたんだ。ありがとう、って。

フ…、と消えていく感覚。その体の動かしていた者が消え去り、その体は主導権を失い、机に倒れ込む。そして、その体を動かす権利がわたしへと移っていく。しかし、すぐには動かさない。それは、体が変形しているのをまざまざと感じているから。一応二度目の感覚だけど、慣れることが出来るようなものではない。

 

「こんにちは、永琳さん」

「幻香、よね?」

「ええ。彼女…、いえ、貴女はもう消えました」

 

右手を眺め、左手で心臓の脈動を感じながら言う。体に不調はなく、頭痛も吐き気も目眩も何も感じない。いたって健康体だ。

意識を巡り、彼女が遺っていないか洗いざらい探し出す。しかし、何もない。欠片すらない。残りかすすらない。微塵もない。そうだと分かると、わたしは自然と口に出していた。

 

「この薬、貰ってもいいですか?」

「…それはどうしてかしら?」

「彼女が遺したものだから、他の誰かに渡したくない。…ただのわたしの自己満足ですよ」

「…構わないわ。その紙があるなら、それでも構わない」

「ありがとうございます。…それでは、いただきます」

 

躊躇いもなく一気に飲み干す。苦い。渋い。不味い。…けれど、確かにゆっくりと妖力が回復しているのが実感出来る。

彼女がここにいた形跡は、何も遺されていなかった。けれど、こうしてわたしは取り込んだ。意味なんてないことは分かっている。時間が経てば、こうして飲んだものも失われてしまうことも分かっている。分かっていても、それでいい。

これで二人目だ。…忘れません。貴女のためにも、わたしは出来る限り生き延びようと思います。消えてしまうときは、貴女のことも思って消えましょう。約束します。

 

「さて、帰りますか」

「一応検査してもいいのだけど…」

「いいですよ。もしもわたしに異常が起きたとしても、貴女の責任じゃないんだから」

 

そう言いながら、着ている服を回収する。回収出来ない固まった血が落ちて割れ、グシャリと踏み潰す。そして、すれ違い際に永琳さんの肩に触れながら彼女の服を体に重ねて複製する。少し大きいけれど、今はこれでいいや。血塗れの服よりはましだと思う。

 

「それでは、ありがとうございました」

 

肩から手を放しつつ、お礼を言う。返事はなかったけれど、気にせずに永遠亭から出て行く。

咲き乱れる四季折々の花々。しかし、もうわたしにはどうでもいいことだ。今日はもう家に帰ろう。そして、僅かな間だったけれどこの身に宿っていた彼女のことを、わたしの記憶に刻み込もう。

 



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第208話

幻香が…、いや、『禍』が人間達五十四人を返り討ちにしてから、もう一週間になる。生きている者は既に出来得る限りの治療を終え、後は自然と治るのを待つだけである。ただし、体が治ったからと言って、そのまま元通りに日常へ戻れるとは言い難い。顔、腕、脚等が砕かれているだけならまだしも、四肢を欠損している者もいる。義手義足はあっても、それでまともな生活を送れる者は極僅かだ。さらに言えば、『禍』に憎悪を抱く者、恐怖に支配された者もいる。

亡くなった九人は、早々に埋葬された。その遺体は非常に痛ましく、惨たらしく、とてもではないが見ていられるようなものではなかった。遺族の方々は顔をグシャグシャにしながら咽び泣き、今も冥福を祈っている。

 

「…何故なんだ」

 

そして、私は寺子屋を休講にして部屋の隅で横になっていた。

この被害者の大半は私の寺子屋に通っていた元生徒達。さらに言えば、その内の一人は今でも通っているような子供だ。私が寺子屋を始めて相当時間が経っているのだから、そうなってもおかしくはない。分かってはいても、辛いものだ。

特に、その子供は父と『禍』のどちらが悪いのか、と私に訊いてきた子だ。私はその問いに対し、自分で決めろ、と言った。その結果がこれだ。

 

「あぁ…。私は悲しいよ。どうしてそんなことをしてしまったんだ…」

 

そして、亡くなった人の中で最もなぶり殺しにされたであろう男は、門番でそれなりの地位に立っていた者だ。生徒の頃から人をまとめるのが得意だった。彼が一声かければ自然と人が集まり、そしてその一声がこの惨劇をもたらしたのであろう。

『禍』が許せない、と言っていた。排除出来ればどれだけいいだろうか、とも。過激派で最も力のあった元妖怪退治専門家の爺さんの代わりに立つように、そのまま彼は新たな頭となった。同じ思想を持つ同志を集め、次に里に近付いたときに強行するようなことを仄めかしていた。

 

「何故なんだ。…幻香」

 

返り討ちにするのは分かる。しかし、私はどうしても思ってしまう。殺さなくてもよかったじゃないか?殺さずに済むことも出来たんじゃないか?…そんなことを。

人間の立場。妖怪の立場。その両方を私は知っている。人間が抱くものも、『禍』が抱くものも理解している。それゆえに、私はどちらが悪いとは言えない。人間側に立てば『禍』が悪く、妖怪側に立てば人間が悪い。

だからこそ、辛い。

そんな時、カツン、と硬いものが落ちる音がした。それは私の目の前に転がってくる。

 

「…これは」

 

棒状の護符。手に取って見るが、確かにそれだ。しかし、机の上に置かれていた者が転がってきたわけではないらしく、机の上にも棒状の護符があった。…これは、もしかしなくても…。

 

「はは…、そうか」

 

どうやら、悲しんでいる時間はもうお終いらしい。

 

 

 

 

 

 

「そらっ!不死『凱風快晴飛翔蹴』!」

 

炎を纏った脚で萃香を軽く蹴り上げ、浮かんだ体より早く上をとり、がら空きの腹に追撃で蹴りつける。そのまま地面に叩き付けると同時に噴火の如き炎を噴き出す。

 

「ッ、と!お返しだ!酔夢『施餓鬼縛りの術』!」

 

私の脚と炎を振り払いながら距離を取り、蛇のようにうねる鎖を投げ付けられる。回避しようにも、気付いたときには既にグルグル巻きにされてしまった。この鎖に巻かれていると力が抜けてしまうことはもう何度も体感している。

 

「うげ!ちぃ!焔符『自滅火焔大旋風』!」

 

舌打ちしつつ全身に炎を纏い、荒れ狂う竜巻のように纏っていた炎を解放する。体に巻かれていた鎖が融け落ちているが、これもいつものように萃めて戻してしまうのだろう。

迷いの竹林にある、日の当たらない開けた地。私と萃香は、今日もここで組み手をしている。

次はどう攻めようか、と思ったところでヴォウ、と火が上がる音が聞こえた。

 

「おっと。もう終わりか」

「どっちが勝ち?」

「んー…、微妙だよなぁ」

 

安い麻紐を導火線にし、その先には油を染み込ませた綿がある。導火線の長さや燃え方にもよるが、一回の組み手の時間は大体三分から五分程度。

 

「んじゃ引き分けで」

「そうだな。…ここ最近ずっと引き分けじゃないか?」

「確かに」

 

そう言って笑いながら瓢箪の酒を煽っている。その手には、既に萃めたらしい鉄の塊が握られている。いつの日か鎖の形にするのが面倒だと呟いていたが、また違う日には壊れてしまうことを前提に使っているとも言っていた。

 

「萃香、私にも一口くれよ」

「ん?いいぞ」

 

投げ渡された瓢箪を掴み、一口含む。かなり強いが、私にはちょうどいい。いつもの味だ。

 

「さて、この後どうするか?」

「あー…、この前やってた将棋、だったか?あれやろうあれ」

「お前駒の動かし方ボロボロだっただろ…」

「飛車って斜めだよな」

「それは角行な」

「そうだったか――ん?」

 

誤魔化すように笑いながら目を逸らそうとした萃香が、突然ゴソゴソと探り始めた。

 

「…どういうことだ?」

「それ、あそこの護符だろ?」

 

怪訝な顔を浮かべながら取り出したのは球体の護符。ただし、何故か二つある。

 

「…ちょっと待ってろ」

「待たねぇよ。私も行く」

 

組み手の後処理もせずに、私は自分の家へと駆け出した。私のすぐ後ろには萃香が付いて来ている。乱暴に扉を開け、そのまま部屋へと滑り込み、硬貨型の護符が仕舞ってある引き出しを引っ張った。

 

「…やっぱり」

 

そこにあったのは萃香と同じように二つに増えた硬貨型の護符。これは、つまり…。

 

「行くぞ、萃香」

「そうだな、妹紅」

 

護符を手に取り、私達は歩き出した。

 

 

 

 

 

 

「「じゃんけんポン!」」

「あっち向いてホイ!」

「勝ったー!」

「チクショー!負けたー!」

「あはは…、チルノちゃんこれで七連敗…」

「チルノ弱過ぎなのだー」

「私達全員に負けてるもんねー!」

「…最初いつもグーだからね」

「せめてチョキを出せばねぇ」

「パーであいこだからね」

 

非常に珍しく、チルノちゃん、リグルちゃん、ルーミアちゃん、サニーちゃん、ルナちゃん、スターちゃん、ミスティアちゃん、そして私の八人が揃っている。ミスティアちゃんがここに来ることは比較的少ないのにもかかわらず、ここに来ているのは理由がある。

『禍』、もといまどかさんが人間の里の方々を返り討ちにした。それの伴って、商売がし辛くなったから。ミスティアちゃんはそのことは気にしていなかった。けれど、それよりもまどかさんのことを気にしていた。

 

『幻香さ、一瞬だけなんだけど、凄く悲痛な顔になったんだ…。『禍』として、って自分に言い聞かせてて、見てられなかった…』

 

それを聞いたときは、まどかさんがまた大きなものを背負ったんだろうな、と分かった。ルナちゃんが持ってきた新聞にも載っていた。五十四人中九人死亡。生き残った者も一人残らず全員重症。

まどかさんは、許さないと言っていた。けれど、やりたくないとも言っていた。だから、里から出て来ないことを、心の何処かでは願っていたと思う。けれど、現実は残酷で、結果は散々だ。

 

「…大ちゃん、そんな無理矢理な笑いしちゃって。何かあった?」

「ううん、違うの。ちょっと思い返してただけだから」

 

ついさっきまで思い出していたミスティアちゃんに訊かれ、さらに作り笑いを浮かべてしまう。確かに楽しい。けれど、心の底から楽しめない。

まどかさんが壊れてしまいそうで。何故だか分からないけれど、そんなことが頭から離れない。せめて、私達に出来ることがないだろうか…。

 

「ん…?大ちゃん、落としたよ」

「え?ありがとう…あれ?」

 

まどかさんから受け取った布の護符を拾ってくれたのは嬉しいけれど、仕舞っていたところにはちゃんと布の護符があった。

…そっか、そういうことなんだよね?分かったよ、まどかさん。

私は意を決して、ここにいる皆に声をかけた。

 

 

 

 

 

 

「…よく出来てるわね」

「ありがと、パチュリー」

 

一枚の紙に描いた魔法陣。本に書かれていたことが正しければ、魔法陣の中心から前方に強い風が吹き出るはずだ。

 

「試していい?」

「いいわよ。ただし、魔力は最小限にね」

「…むぅ、分かってるよぅ」

 

最初の頃に、どのくらい込めればいいのか分からずに一気に流し込んだら、パチュリーが椅子ごと吹き飛ばされて本棚に叩き付けられてしまったことがある。あれは焦った。それ以来、いつもというわけではないけれど、一週間に一回くらいの頻度で注意される。

 

「分かってるならいいわ。…ふふ、ここのところずっと守っているのだから、もうわざわざ言うこともないかしらね?」

 

そう言って笑うパチュリーに見せつけるように魔法陣を発動させる。もちろん、最小限の魔力で。一瞬の突風が吹き、髪の毛が舞い上がる。

 

「フラン、この短期間でよくこれだけ覚えられたわね」

「頑張ったからね。けど、パチュリーが手伝ってくれたからだよ?」

「どういたしまして。…それにしても、レミィは今更フランの何を警戒してるんだか」

「さぁ?知らないよ、お姉様のことなんか」

 

肩を竦ませ、パチュリーの隣に置かれた椅子に座る。体を伸ばしていると、イヤリングに加工してもらった水晶型の護符が揺れる。

最近になって、ようやく紅魔館の敷地内に限って自由に出入りすることが出来るようになった。しかし、外に出るにはやっぱり紅魔館にいる誰かと一緒でないといけない。最後に外に出たのは、新月の夜に妖精メイドと一緒に霧の湖へ行ったことだ。星空を映す湖を跳ねたとても大きな魚は、ほんの僅かな間だけど見惚れてしまうほど幻想的であった。

 

「あー、そろそろ自由に外に出られないかなぁー…」

「まだ難しいでしょうね。私がもう大丈夫だろう、って言っても駄目だったから」

「そうなの?」

「そうなのよ」

 

本を読みながらそう言ったパチュリーは小さくため息を吐いた。一度嵌め直された枷は、なかなか外してくれないものだ。

そんな時、カツン、という音が二つ聞こえた。音の出所を見ると、床に指輪と水晶が転がっていた。…これって、私の水晶の護符とパチュリーの指輪型の護符だよね?右耳にあるイヤリングに触れたけれど、水晶が落ちたわけではないみたい。

パチュリーも本から目を離して床に転がっている二つの護符を見てから、私のイヤリングに目を遣っていた。そして、右人差し指に嵌められた指輪を確認した。

 

「…増えた、わね」

「これって、おねーさんの…?」

「そう、ね。けれど、どうして…」

「決まってるじゃん。呼んでるんだよ、私達を」

 

どうやって複製したのかなんて分からない。けれど、こうして私達にしか貰っていない護符を複製したということは、そう言うことだと思う。

 

「ふふ、確かにそうね」

「行こ、パチュリー!」

「ええ、フラン。行きましょう?」

 

パチュリーの手を掴み、無理にならない程度の歩幅で引っ張っていく。

待っててね、おねーさん。すぐ行くから!

 



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第209話

「はぁ…、はぁ…。うぐ…ッ」

「だ、大丈夫…?」

「…全然。けど、これは必要なことなんです」

 

わたしが迷い家に帰ってから既に一週間が経った。彼女は、わたしが思い出せること全てを記憶に刻み込んだ。頭を流れていった膨大な情報も、それに付いてきた反応と条件の数々も、感情の些細な変化も、何もかも。消えていった者が消えてしまわないように。

だから、わたしは生きていく。彼女が、彼女達がここにいたことを、わたしが証明するために。自己満足?大いに結構。結局、わたしのやっていることなんてその程度のものだから。

 

「少し休む?」

「…えぇ、そうします」

 

そう言いながら、横にいる橙ちゃんに体を預ける。わたしの家は程近いけれど、今はそこに行けるような状態じゃない。頭が軋むようだ。捩じ切れそうだ。張り裂けそうだ。

橙ちゃんに支えてもらいながら、ゆっくりと足を踏み出す。覚束ない足取りだけれど、それにも合わせてくれている。

 

「…少ししたら、わたしの友達が来ます」

「うん、分かった。けど、本当に大丈夫?何をしたの?」

「…友達をここに呼ぶためにちょっと、ね」

 

わたしがやったことは空間把握。ただし、表面を流れるなんてちゃちなものじゃない。大気を満たす分子を流れていく空間把握。これなら、地表からいくら離れていようともう関係ない。おそらく、あの瞬間だけは幻想郷の全てがわたしの妖力で満たされていた。その確信がある。そして、わたしは六つの護符を見つけ出し、その全てを複製した。それも、ただの複製ではない。護符内部へと妖力を侵食させ、その全ての分子を把握。まぁ、次の瞬間には曖昧になってしまうから、そうなってしまう前に複製した。きっと気付いてくれると信じている。

しかし、代償は大きい。まず、緋々色金五つ全てを消耗してさらにわたしが保有していた妖力を残り一割程度まで削り切るほどの膨大な妖力。次に、幻想郷の全てを一度に頭に叩き込まれる圧迫感。最後に、この二つに付随してわたしの肉体精神共に疲労困憊。

 

「ほら、横になって」

「…すみません、水貰えます?」

「ちょっと待ってて!」

 

わたしの家に連れ込まれ、布団に横になるように言われた。特に喉が渇いているわけじゃないけれど、気分を落ち着けるために水が飲みたかった。

 

「はい、どうぞ」

「…ありがとうございます」

 

ゆっくりと流し込み、大きく息を吐く。…うん、少し落ち着いたかな?

 

「ふぅ…。わたしはこんな調子ですから、申し訳ないんですが代わりに皆を出迎えてくれませんか?」

「いいけど…。ここに連れて来ればいいの?」

「ええ。それまでわたしはここで横になっていますから」

 

とは言っても、まだ誰かこっちに来ている気配はない。一緒に持って来ているという確証はないけれど、区別がつかないなら護符の複製も一緒に持って来ていると思う。

横になって休んでいる間に思い出すのは、護符の内部へと妖力を侵食させたときのこと。内部に侵食させた瞬間、わたしの頭に分子構造とはまた別の情報が流れ込んできた。詳細はわたしにはまだよく分からないけれど、多分パチュリーの言っていた術式というものだろう。迷い家へと入るための鍵となっているであろう術式。これを全て覚えて、適当に創ったものに入れ込めば、それも護符になるのだろうか?…試すのは止めておこう。妖力がもう残り少ないし、緋々色金は全て使い切っちゃったし。

 

「あのさ、幻香。皆をここに呼んで何をするの?」

「…知りたいですか?」

「うん」

「…そう思うなら、皆がここに集まったときにここにいてください。どうせ伝えるなら、全員まとめてです」

「そっかぁ、分かった」

 

橙ちゃんがそう言ったとき、複製が近付いているのを感じた。布の護符の複製。そのことを橙ちゃんに伝えると、早速扉から飛び出していた。

 

 

 

 

 

 

「せ、狭い…」

「流石にこの人数は想定外だろ、この家」

 

わたしの呟いた言葉は、扉に近い壁を背に立っていた妹紅にまで聞こえていたらしい。尤も至極である。

最初に来てくれた大ちゃんを始めとする霧の湖の妖精妖怪達だけで八人。その次に来た慧音と妹紅と萃香で十一人。最後に来たフランとパチュリーで十三人。そして、わたしと橙ちゃんも加えて十五人。明らかにこの家に入っていいような人数じゃない。既に床に足を付けるのを諦めて天井ギリギリに浮いている大ちゃんとミスティアさんと萃香を見ていると、ちょっと失敗してしまったと思えてしまう。

 

「あのー…、私の家のほうが広いし、そっち行く?」

「行く!まぁまどかー、いいだろー?」

「ちょっとチルノちゃん…」

「…そうですね。移動しますか」

 

チルノちゃんを止めようとした大ちゃんも、この状況をよしと思っていないようなので、橙ちゃんの提案を受け入れる。するとすぐに妹紅が颯爽と出て行き、周囲を警戒し始めた。滅多なことがなければ人は来ないと思うけれど、それでも警戒を怠らない妹紅に感謝だ。

一人一人わたしの家から出て行き、橙ちゃんの後ろを付いていく。全員が出て行ったのを確認してから、わたしは家を出る。すると、扉を出てすぐ横にいた慧音に肩を叩かれた。

 

「歩きながらでいい。訊きたいことがあるんだ」

「いいですよ。…慧音の訊きたいこと、何となく分かりますから」

 

わたしの後ろに警戒を続けている妹紅が最後尾になって付いて来ている。最前列付近は萃香がいるし、真ん中には日傘を差したフランとパチュリーがいる。よっぽどのことがなければ問題ないだろう。

隣を歩く慧音に目を遣ると、非常に言い辛そうに口を開けたり閉めたりしていた。…しょうがない、わたしから言うか。

 

「わたしは彼等を必要以上に傷付けて殺したのは、大きく分けて三つ理由があります」

「三つ?」

「まず、その前に色々あって消耗し切っていて手加減出来る余裕がなかった」

 

人差し指を伸ばしながら言うと、慧音は続きを促した。なので、端的に言う。

 

「メディスンちゃんの多種多様の毒を受け、風見幽香に心臓を穿たれたから」

「し、心臓だと!?」

「ええ、流石に死んじゃうかと思いましたよ。…ま、どうにか延命しましたけれど。あ、今はもう治ってますから大丈夫です」

 

後ろにいる妹紅もギョッとした顔でわたし、特に心臓の辺りを見遣っているのが分かる。そんな風に見られても、心臓が治ったことに嘘はない。

 

「次に、『禍』として襲ってきた者がどうなるか伝えたかったから」

「…そうか」

 

中指を伸ばしながら言うと、慧音はわたしがそうした結果、里がどうなったかを答えてくれた。

 

「里の人間達のほとんどは恐怖に支配されているよ。ただし極一部、憎悪に支配された。おそらく、新しい過激派は彼等になるだろうな」

「でしょうね。全員恐怖で縛られるとは思っていませんよ。…出来れば、そんなものよりも外へ出ることを躊躇ってほしいんですがね」

「躊躇ってはいるだろうよ。…ただ、それを上回る怨恨だってある」

 

分かってる。あの爺さんがそうだった。あの爺さんだけがそうだなんて思っていない。他の人だって、同じように危険を冒してまで『禍』を討とうと思うだろう。それに比べると、あの男は危険を冒しているつもりなんてなかったのだろう。無事に『禍』を屠り、何事もなく人間の里に平和が訪れると信じ切っていたのだろう。

 

「最後はその他ですね。面倒だったから。振り抜いたら勢い余って首が捻じれたから。殺さないで放っておいて、また来たら嫌だったから。踵落としを叩き付けたら頭蓋骨が粉微塵になったから。『俺達は死なない』とか抜かす馬鹿に現実を教えたかったから。気紛れで止めを刺したくなったから。…まぁ、そんな感じの個人的でつまらない理由の集まりですよ」

 

薬指を伸ばしながらそう言うと、慧音は押し黙ってしまった。

 

「…以上の三つです。慧音が訊きたいこと、これであっていますか?」

「………あ、ああ、そうだな。すまない、幻香」

「それはわたしの台詞ですよ、慧音。人間の里に残る貴女に無用な苦悩を与えたのはわたしなんですから」

 

それでも、わたしは後悔していない。

 

「さ、着いたよー。入って入って!」

「一番乗りー!」

「あっ!待てチルノォ!」

 

ちょうどよく橙ちゃんの家に辿り着いたようで、先頭にいたチルノちゃんとリグルちゃんが駆け出していった。…そんなに慌てても、全員集まってからじゃないと話さないのに。

 

「さ、行こう!おねーさん!」

 

わたしが扉の前に歩いて行くと、扉の前で待っていたフランに手を引っ張られていく。先に部屋に入っていたパチュリーが僅かに微笑んでいる気がした。

わたしの家より数段広い部屋を見渡し、一応全員いることを確認する。チルノちゃんがリグルちゃんと睨み合っていたり、萃香が瓢箪を煽いでいたりしているが、まあいいか。

 

「まずは、わたしの呼びかけに気付いてくれてありがとうございます。さて、わたしが皆を呼んだ理由を単刀直入に言いましょう」

 

わたしは一週間考えていた。どうすれば人間共は大人しくなるだろうか、と。たくさん思い付いた。今までのように恐怖で縛ってもいい。けれど、それよりも確実な方法がいくつか見つかった。その全てを細部まで見直し、本当に大丈夫であるかも確かめた。そして、一つの結論へと至った。

これでわたしは、もうあの人間共に煩わされないで済む。

 

「異変を起こします。協力してくれませんか?」

 



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第210話

「よし乗った。で、私は何をすればいい?」

「やるよ。私はおねーさんに協力する!」

「私達の力が必要なんだろ?ここで手を貸さないなんて言わないさ」

「即決!?」

 

さっきまで呑んでいた瓢箪の飲み口をわたしに向けて言い切った萃香と、やる気に満ちた表情で手を挙げているフランと、不敵に笑いながらサラリと言った妹紅に驚く。協力してくれるのは嬉しいけども、もう少し話を聞いてからでもいいんじゃないかな?

フランは何故か萃香を睨んでムスッと頬を膨らませ、萃香は何食わぬ顔をしていつも通り瓢箪を煽いでいた。…あの僅かな時間に二人に何があったの?

 

「い、いや、もうちょっと話を聞いてからでも…」

「なぁまどかー。異変って何ー?」

「チルノちゃん!…まどかさん、チルノちゃんには私が教えますから、続けてくれて結構です」

「え、あ、はい」

 

異変の意味が分からなかったチルノちゃんをリグルちゃんがせせら笑い、取っ組み合いの喧嘩を始めようとしたところで、近くにいた慧音がリグルちゃんの、大ちゃんがチルノちゃんを押さえていた。…いや、いくら広くなったからって喧嘩出来るほどじゃないんだからね?

チルノちゃんとリグルちゃんの喧嘩を抑止は慧音と大ちゃんに任せ、わたしは続きを語ることにする。

 

「そ、それでですね。協力してくれる人には、最低限熟してほしい役目を与えます。それ以外は、基本的に自由で構いません。わたしに何をすればいいか訊くもいいし、貴女の思うように動いてもいいです」

「ねぇ、幻香。そもそも、その異変は何のためにやるの?」

「わたしの、わたしによる、わたしのための異変。わたしが欲しくて止まないものを得るために、わたしは動きます。最悪、わたし一人になったとしても、わたしは異変を起こします」

 

協力者が多ければ多いほど、やりやすくなる。けれど、たとえ零人だったとしても成し遂げてみせる。そのくらいの覚悟はある。そうでなければ、そもそも自発的に異変なんて起こそうなんて考えない。

 

「参加するとして、私達の役目って何なの?」

「それは全員が決まってから割り当てますよ」

「…出来るかなぁ」

「出来ないことを頼むつもりはないですよ。無理させるつもりはないんですから」

「それじゃあ私はやる!だって楽しそうだし!」

「楽しいのかー?なら私もやるー」

「あー、えぇーっと、楽しいかどうかは保証出来ませんが」

 

そのままそんな軽い感じで参加することを決めたサニーちゃんとルーミアちゃんに巻き込まれるように、ルナちゃんとスターちゃんも参加することになった。しかし、渋々といった雰囲気ではない。それこそ、これから悪戯をしに行くかのような気楽さで。…いいのかなぁ、こんな感じで。

 

「貴女が何をどう考えてその結論に至ったのかは分からない。けれど、私でよければ協力させてもらうわよ。フランもやる気みたいだから、ね」

「ありがとうございます、パチュリー――うげっ」

 

パチュリーに頭を下げて礼を言っていると、突然横から何かが跳んで来た。絡みつくそれはヒヤリと冷たく、咄嗟に目を遣るとチルノちゃんがわたしを見上げながら元気よく言い放った。

 

「つまり、異変は騒がしく遊ぶってことでいいのか!?だったらアタイはやるよ!」

「…大ちゃん、これは一体どういうことなんですか?」

「あはは…、分かりやすく説明したつもりなんですけどね…。まどかさん、私も協力させてください。チルノちゃんを止めることも含めて」

「チルノがやるなら私だってやる!私だって強くなったんだから!」

「皆協力するのに私だけ、なんて言えないよね。…それに、幻香のことちゃんと見てないといけないし」

 

しがみついていたチルノちゃんをやんわりと引き剥がし、大ちゃんに任せる。その表情は、見ていて物凄く楽しそうだ。リグルちゃんは自分の実力を試したいのだろう。ミスティアさんは周りに流されているようなことを言っていたにもかかわらず、何か強い芯を感じた。…どうしてわたしを見てないといけないんだろう?わたし、何かしたっけ?…たくさんしてるね。

こんな短時間でわたしの友達の十二人が協力してくれると言ってくれた。しかし、非常に難しい表情をしながら考え続けている人が一人いる。…まぁ、しょうがないとは思う。今の彼女は板挟み。この選択で大きく変わることが分かっているのだろう。

 

「慧音」

「…幻香。すまないが、すぐには決められそうにない」

「分かっていますよ。だから、わたしは貴女に四つの選択肢を先に提示しましょう」

「四つか…」

「一つ目は、協力しない。二つ目は、協力してかかわらない。三つ目は、協力して深くかかわる。四つ目は、協力して裏切る。詳細は問われればしっかりと答えますよ」

 

最後の選択肢を言ったときは、慧音だけでなく他の皆も一斉にわたしに目を遣ったのを感じた。

 

「皆にも言っておきますね。信頼の形は千差万別。共に歩むことも、背中を任せることも、それは一つの信頼。ですが、この異変の間のわたしにとっての信頼は、裏切りを許容することです。密偵、諜報、暗殺。何をしようと、わたしは貴女達を恨みません」

 

そう言った瞬間、細い腕がわたしの首元を掴み取った。そのまま思い切り引き寄せられ、目の前には静かな怒りを漂わせる萃香がいた。

 

「おい、そんなつまらないことを私がするとでも思っているのかよ?」

「思ってないです。しないと思っているから、わたしは言いました」

「…はぁ、そうかよ」

 

正直にそう言うと、深いため息を吐きながら手を離してくれた。

 

「さて、話が逸れちゃいましたね。慧音、貴女はどれを選びますか?」

「…まず、全ての詳細を聞かせてくれないか?」

「いいですよ。一つ目は、そのままの意味ですね。このまま帰ってもらって、人間の里でゆっくり異変を傍観するなり、異変解決に乗り出すなり、好きなようにしてもいいです。二つ目は、人間の里で待機してもらいます。無関係な人間共を里から出さないように、とかそんな感じの役目を持って残ってもらう感じかな。多少の怪我を負うことになりそうですが。三つ目は、全面的にわたしに協力して最初から最後まで異変に付き合ってもらいます。四つ目は、二人きりとかの時に後ろから不意討ちして人間の里にでも持ち帰って英雄となる、とか?…ま、わたしとしては三つ目を選んでほしいですが、慧音のことを考えると二つ目をお勧めしておきましょう」

「そうだな。…すまないが、二つ目にさせてくれ」

「いいんですよ。協力するだけで相当無理があることは分かっているんですから」

 

それでも協力することを選んでくれたことに、わたしは感謝するしかない。

一応最後に、この部屋の提供者にも訊いてみる。

 

「さて、橙ちゃん。貴女はどうします?」

「え?わ、私も?…いや、私はここで静かにしてようかなー…」

「分かりました。別に構いませんよ」

 

まぁ、そのくらいは分かっていた。ただわたしが友達に何をするのかが気になってここにいるだけだったし、突然異変に協力してくれるように頼んでも断られてしまうことくらい、誰にだって分かる。

橙ちゃんから目を離し、十三人の協力者を見回す。これから言うことは、協力を辞めてしまう人が出るかもしれないことだ。けれど、彼女達の善意の協力を黙って隠して偽って騙してまで利用しようとは思えない。

 

「最後の確認です。わたしに協力したところで、わたしが貴女達に渡せる明確な利点は何もありません。異変が終わっても得られるものは何もないかもしれません。失っただけになるかもしれません。…それでも、わたしに協力してくれますか?」

「するよ。おねーさんには何度も助けられたから、今度は私が助ける番」

「今更降りるなんて言わねぇよ。あんたの異変、見させてもらおうか」

「あの時は身勝手だったけど、今は求められているんだ。やるに決まってるだろう?」

「いいよ!まどかと遊ぶのは楽しいから!それに、アタイは最強だからな!」

「幻香には色々世話になったからね。恩返しがしたいんだ。今がその時だよ」

「まどかさんはすぐ無茶するんですから、もっと私達に頼っていいと思いますよ?」

「幻香はいつも大変なことするからなー。私にも手伝わせてねー」

「出来ることなら何でも言って。…もうあんな顔、もう見たくないから」

「やるわよ!ルナ!スター!光の三妖精の力を見せつけるわよ!」

「…お、おー。幻香さん、私頑張りますから!」

「ふふ、出来ることは少ないけれど、精一杯やらせてもらうわね」

「貴女の異変の援助は任せてちょうだい。私の知恵の全てを提供するわ」

「直接ではないが、陰から私は幻香を支援しよう。人間の里のことは私に任せてくれ」

 

誰も協力を撤回しなかった。その事実が、わたしの胸を熱くさせる。一つ涙が出て来そうになったのを堪え、わたしは宣言した。

 

「異変決行は、三日後の満月の夜。それまでに、わたしの異変の役目と計画の調整をします。…やりますよ。わたしは必ず成し遂げてみせる」

 



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第211話

計画は立てた。皆が持つ情報を訊いた。皆が持つ固有の能力を知った。わたしが望む結末へ進むために、出来る限り穴を埋め、可能な限り選択肢を増やし、より強固な道を作った。

窓から空を見上げると、真上に昇る太陽がわたしを突き刺す。悶えるような嫌悪感を覚えながら、急いで顔を窓から引っ込めた。…決行は今夜。最初にわたしと同行する妹紅以外は、既にここにはいない。各々が役目を持ち、異変の開幕を待っている。

 

「…妹紅、わたしは少し寝ますね」

「そうかい。ま、これまで寝ずに考え続けてたからな。いざ本番に不調なんて笑えない」

「ふふ、確かにそうですね」

 

まさか考える時間を延ばすために『紅』を発動させる日が来るとは思わなかった。『紅』を発動している間は、思考が加速して時の流れがとても遅く感じる。死の直前とまではいかないが、それでも極度の緊張に陥ったときのように、呼吸を止めたときのように緩やかに時間が流れていく。感覚では一週間や二週間は考えていたつもりなのだが、実際は三日くらいしか経っていない。

 

「それでは、日が赤くなったら起こしてください」

「はいよ。ゆっくり休んで来い」

 

そう言う妹紅も寝ていないはずなんだけど、大丈夫だろうか?

そう思いながら、わたしは『紅』によって押し込められていた睡魔に身を委ね、眠りに就いた。

 

 

 

 

 

 

…懐かしい景色だ。

真っ先に思い付いたのは、そんな感傷だ。わたしが長い間見続けていた景色。鬱蒼と生い茂る樹を眺めながら、樹齢が他の樹よりも長そうな太い樹に背を預け、脚を地面に投げ出していた。そんなことをふと思い出していた。

そうだ。ここでわたしはあの八雲紫に遭ったんだ。そして、わたしに告げた。僅かに目を見開いたが、すぐに妖しく微笑みながら『ようこそ幻想郷へ。歓迎するわ、ドッペルゲンガー』と。忘れていたつもりはないけれど、思い出すこともなかった記憶。

ここで複製の能力に気付いた。ここで一人の天狗に会った。ここからわたしは人間の里へ足を伸ばした。…そんな、今は変わってしまって見ることの出来ない、妖怪の山の一部。

 

「夢、なのかな」

 

そう思った瞬間、途端に世界が色褪せていく。あぁ、何てことだ。もっと見ていたかった。もっと感じていたかった。わたしの起源の記憶。まだ何かあるはずなんだ。そんな気がするんだ。どうしても思い出せない記憶。過去を振り返れなかったわたしが、こうして過去を見ることが出来たのに。何かが足りない。何かが欠けている。何かが削れている。何かが失われている。それなのに、思い出せない。

そんな悔しさを滲ませながら、昔のわたしが座っていた樹に頭を叩き付ける。軽く一回、そして強く一回。滲む痛みがわたしの愚かしい行為を罰する。どうしてそのまま放っておかなかった?どうしてそのまま放っておけなかった?夢を夢のまま見ていれば思い出せたかもしれないのに、どうしてわたしは醒めてしまった?けれど、足りず欠けて削れて失われた何かは出てこない。

そんなとき、ふと違和感を感じ取った。何か異物が混入してきたような、どうしようもない嫌悪感。後ろを振り返ると、異物は空間を引き裂きながらそこで微笑んでいた。

 

「…まさか貴女が夢の中で出てくるとは思ってませんでしたよ。八雲紫」

「そうね。私も出来ることなら別の機会に二人きりで会いたかったわ」

 

大賢者でスキマ妖怪。八雲紫がそこにいた。…まぁ、八雲紫が出てくることは予想していた。むしろ、出てくることを願って八雲紫の結界である迷い家で計画を練った。式神の式神である橙ちゃんの前で語った。しかし、夢の中とは予想外。

 

「それで、一体何の用ですか?」

「異変を辞めろ」

「それは無理な相談だね」

 

即答すると、微笑んでいた表情が一変し、僅かな怒りが浮かび上がる。けれど、知ったことか。

 

「レミリア・スカーレットは昼でも遊びたいがために傍迷惑な紅い霧を生み出した。西行寺幽々子は西行妖を満開にしたいがために幻想郷の春を奪った。伊吹萃香は宴会を続けたいがために妖霧となって意識を萃めた。八意永琳は月の使者が幻想郷に決して来れないようにするために偽りの月を浮かべた。貴女はその異変を解決したいがために夜の時間を延ばした」

「…何が言いたいのかしら?」

「全員だ。一人の例外もなく、異変は自分の欲望を満たすために起こされている。だったら、わたしだって願いを叶えるために異変を起こしたって構わないでしょう?」

「摘める芽は摘むものよ」

「あっそ」

 

これまでの異変は後手に回ったが、わたしが起こす異変は先手が取れる。だから、こうしてやって来た。…そう言いたいのだろう。

けれど、貴女が来ることは予想していたんだ。こうして止められる可能性が思い浮かばないわけがない。

 

「そういえば、前にわたしに期待していると言っていましたね。えぇと、確か奇策と性格でしたっけ?わたしの捻じれてひん曲がった思考の一体何処に期待する要素があったかは知りませんが」

 

唐突に始める昔の話。怪訝そうな表情を浮かべているが、気にせず続けていく。

 

「その前は、わたしの複製を創造と勘違いしてましたねぇ。許容範囲内とか言われましたけど。それに、わたしの顔が気に食わないとか」

「それがどうかしたのかしら?」

「あの時は何を言っているのかサッパリでした。何を貴女が求めているのか分かりませんでしたし、何に期待しているのか分かりませんでしたよ。けど、今なら分かる。色々考えさせてもらったけれど、貴女はわたしが欲しいんだ」

 

そう断言すると、八雲紫の目が僅かだが確かに見開かれ、わたしと目が合った。驚愕の色が窺える。ありがとう。その態度がわたしの仮説の証明になる。

 

「ドッペルゲンガーの能力。人の願いを奪い成り代わる程度の能力。この能力の後ろ半分を好きなように利用することが出来れば、あらゆる人の代替品が出来上がる。鏡宮幻香の能力。ものを複製する程度の能力。この能力が創造に昇華すれば、あらゆるものの代替品が創り出せる」

 

小さく開いた口。しかし、そこから何かが出てくることはなかった。妖力弾然り、唾液然り、言葉然り。

 

「沈黙は肯定として続けましょう。…とある代の博麗の巫女が風見幽香との決闘をし、不慮の事故で命を落とした。次代の博麗の巫女が出来上がるまで、幻想郷の秩序が荒れに荒れたそうですね。非常に大変そうじゃないですか。だから、才能によってのみ博麗の姓が襲名される博麗の巫女をいつでも生み出せる、そんな便利な存在が欲しかった。ドッペルゲンガーの能力で才能を持つ人間に成り代わり博麗の巫女となる。創造の一つの到達点、生命創造で新たな博麗の巫女を創り出す」

 

そこまで言うと、八雲紫は引き裂いた空間から体を乗り出し、わたしに一歩近付いてきた。伸ばされた右手の延長線上から避けるように横にずれる。

 

「他にも使い様は無限大。…そんなありとあらゆる代替品に成り得るわたしが欲しかった」

「…そこまで分かっていて、何がしたいのかしら?」

「交渉をしたい」

 

さて、ここからが正念場。

 

「わたしは異変を起こす。その異変の目的が成就出来なかったとき、わたしの全てを貴女に捧げましょう」

「本気かしら?」

 

そう問う八雲紫からは、隠しきれない歓喜が見えた。

 

「本気も本気ですよ。だから、わたしは貴女に一つ賭けてほしいものがある」

「言ってみなさい」

「賭けてほしい、というより先払いですかね。…わたしが起こす異変が終わるまで貴女の介入を禁ずる。つまり、傍観者になってほしい」

「たったそれだけ?」

「ええ、たったそれだけ。わざわざ貴女が見出して選び出した博麗の巫女を信じて、異変の解決をゆっくりと眺めていればいいんですよ」

「いいわよ。それで貴女が手に入るなら」

 

わたしの交渉に乗った八雲紫は頬を三日月の如く吊り上げ、瞳を極限まで細く狭め、その奥の眼光がわたしを絡め取るように射貫く。…美しく、それでいて酷く醜い顔だ。

しかし、わたしも似たり寄ったりなのだろう。わたしも自然と頬が上がっていく。あは、と笑いが込み上がってくる。

 

「チェスって遊戯を知っていますか?」

「知ってるわ。…それが?」

「以前、パチュリーと遊んでいたんですがね。わたしが余りにも負け続きだったからか、フランがわたしに勝手に助言をしちゃいましてね。…ですから、わたしとパチュリーはお互いにその盤を最初からやり直すことを提案しました」

 

そこまで言うと、ようやく気付いたようだ。けれど、もう遅い。貴女はわたしの罠に嵌ったんだ。

 

「傍観者である貴女がわたしの異変に介入の可能性を感じたら、わたしは即座に幻想郷を破壊します」

「そっ、そんなことが出来るわけ――」

「出来る出来ないじゃない。やるんだよ。大丈夫。たとえ幻想郷が滅んでも、また新しい箱庭遊戯が始まるだけだから」

 

わたしの目の前に八雲紫の複製(にんぎょう)が出現し、八雲紫を勢いよく殴り付ける。流石夢の中。この程度のことなら平然と出来てしまう。

 

「もう賭けは始まっているんだよ?ま、わたしは寛大だからねぇ。…今から三秒までなら許してあげる」

「ちッ!あぁもうっ!」

 

引き裂けた空間に八雲紫が跳び込み、そして何事もなかったかのように閉じていく。

 

「アハッ!アハハハハハハハハハハハハッ!」

 

高笑いするわたしの声は、何処までも木霊していった。

 

 

 

 

 

 

「――きろ。もう日が沈む」

「…ん。妹紅…?」

 

体を揺らされ、夢から現実へと引き寄せられる。

 

「お、起きたか。どうした?何て言うか…、最高と最低を同時に味わったような顔をして」

「アハッ。確かにその通りかも」

 

窓から見えた空は、既に赤黒い。もう少し経てば満月の夜。異変の決行は近い。

 



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第212話

空を見上げれば、そこには白い真円が浮かんでいた。私は満月を見ていると、どうしても思い出してしまうことがある。蓬莱山輝夜のこと。そして、私の最初で最悪の罪。

 

「…どうかしましたか?」

「いや、何でもないさ」

 

あの日も、こんな空だった。返り血に濡れる私を見下ろしていた。蓬莱の薬を得た私を見下していた。罪を罪と気付かぬまま、私は永遠の時の中に縛られた。…辛いよ。あぁ、辛いさ。この命が終われば、なんて思うときもあった。

けれど、今は違う。共に生きる者がいる。またいつか死が私達を別つ時が来るとしても、思い出として私に残り続ける。それだけで、私は今を生きていける。先へ進める。

 

「さ、行くか」

「えぇ、始めましょうか」

 

迷い家から飛び出していく幻香の後ろを追走する。何て言うか、幻香の普通の飛翔速度はやっぱり遅い。飛翔速度を上げる手段をどうこう言っていた覚えがあったが、結局小細工をして無理矢理加速することにしたらしい。今それをしないのは、少しでも妖力を抑えておきたいからなのかもしれない。

幻香が肩に襷のように掛かっている紐を握りながら飛んでいる先にあるものが嫌でも目に入る。いつ見ても本当に趣味の悪い館だ。どうしたらあんな真っ紅に染めるなんて考えられるんだか。吸血鬼の住む館、紅魔館。

その正門に立っている門番を見下ろし、門の前にゆっくりと降り立った。

 

「おや、こんな時間に珍しいですね。幻香さんに、…確か、妹紅さん、でしたでしょうか?」

「へぇ、覚えてたのか」

「あれは衝撃的でしたから」

 

狐火に仮装して入ろうとしたら止められたことを思い出しているようだ。まあ、今はもうそんなことはどうでもいい。

 

「それで、今日はどんな用で?」

「占領」

 

そう言った瞬間、複製した樹から弾き飛ばされながら門番に急接近し、横から迫る脚を受け止めながら拳を放った。しかし、鈍い音を立てながら受け止められた拳を掴まれたまま、地面に叩き付けられる。地面が陥没するほどの衝撃。ただでは済まないだろう一撃を受け、叩き付けられた者は内側から炸裂した。弾ける妖力弾。噴き出す炎。

私の横にいる幻香は、そんな門番の複製と樹を回収しながら眺めていた。

 

「意外と上手くいくものですね。けど、もうちょっとちゃんと動かせないとなぁ」

「そもそも視点が違うんだからさ。しょうがないんじゃないか?」

「分かってますよ。それじゃ、後はよろしくお願いしますね」

 

幻香が私の肩に手を置きながらそう言うと、身を焼く炎を振り払っている門番の横を堂々と通っていく。そして、門に手を触れた瞬間、バギャアァッ!と爆砕音を放ちながら吹き飛ばした。そして、幻香は私に手を振りながら悠々と門をくぐっていく。

 

「ッ!行かせません!」

「ちょっと待ちな」

 

炎を掻き消せずに身に纏ったまま幻香へ突撃していく門番の肩を思い切り掴み、接近を止めながら門番の体を無理矢理反転させ、空いている胴体に拳を捻じり込む。

 

「グ…ッ!」

「悪いが、お前の相手は私なんだよ」

 

内臓へ抉り込むつもりで放ったのだが、触れた瞬間に分かった。硬い筋肉に阻まれ、受け止められてしまった。これは決め手には程遠い。あの状況で出来る防御でこれでは、本当にそう簡単に終わるものではないらしい。

 

「お前さ、強いんだって?萃香が言ってたからな。少し楽しみだったんだ」

「貴女の相手をしている場合じゃないんですよ…!」

 

跳ね上がる膝を肘で叩き落し、その隙に私の顔に伸びる掌底を首を曲げてすんでのところで避ける。

ここで私に任せられた役目は主に二つ。一つは門番の妨害。紅魔館の中に入れないことで戦力の拡大を防ぎ、幻香の異変の手助けをする。だから、私は炎を纏った拳を振るい、門から離れるように回避するように誘導する。

吹き飛ばされてもう閉じることのない、門としての役目を果たせない門の前に立ち、深い深い呼吸を繰り返し、体の内側から淡く光っているようにも見える門番を見遣る。

 

「ここを通りたければ、私を倒してから行け、って奴だ」

「そうですか。よく分かりましたよッ!」

 

音を置き去りにした一撃を膝と肘で挟み取り、次の攻撃が来る前に背中から炎を噴き出す。不死鳥の翼を模した炎が私を包み始め、それを見て離れようとする門番だが、挟み込んだ手を離すことは決してない。

 

「蓬莱『凱風快晴 -フジヤマヴォルケイノ-』オォォッ!」

 

門番を巻き込みながら、私は噴火した。空高く噴き出す炎は、地を燃やし大気を焦がし天を焼き尽くす。月まで届け、不滅の炎。

そして二つ目。開幕の狼煙を上げること。幻想郷の何処にいようと見えるほどに派手でド派手な奴を。…さぁ、異変の始まりだ。

 

 

 

 

 

 

「…お。おぉー…。始まったみたいだな」

「ふむ、そうか。…私はもう既に覚悟を決めたぞ」

 

迷いの竹林の奥深く。満月を見たことで姿が変わり本来の能力を得た慧音に、竹林の上から煌々と輝く火柱のことを伝えた。まったく、開幕は見れば分かるみたいなことを言っていたから、どうなることやらと思ったが、本当に見ればすぐに分かる。

 

「さて、私の利き腕は右だ。だから、出来ることならそちらが使えなくなるのは避けたい」

「はいはい。幻香も容赦ないなぁ…」

「はは、確かにそうだな」

 

慧音の役目は、人間の里の抑止力になること。それは、人間の里の守護者である慧音がボロボロに負けてしまうことで、他の人間を止めるというもの。敵討ちの懸念もあったが、慧音がそれを止めてしまえば、大抵は収まってしまうものらしい。幻香はそう言ったし、慧音自身もそう言っていた。…まぁ、裏側に隠れて人知れず向かう者もいるのでは、という指摘は、無視して構わないと言っていた。そこから先は自己責任だってさ。

満月の夜にした理由は、これが理由らしい。慧音が確実に人間の里から出る時間。つまり、人知れずに細工が可能な時間。こういう茶番はあまり好みではないが、しょうがない。しかし、その後にやることはもうちょっと楽しめそうだ。

そして、私の役目は慧音を負かすこと。傷付け方は、二人で勝手に決めてほしいと言われてしまった。

 

「とりあえず、血は流したほうがいいかなぁ?」

「そうかもしれないが、私はお前達と違って千切れた腕や脚は治らないからな。そこは注意してくれよ?」

「はいよ。それじゃ、まず一本」

「っ…!」

 

左腕に手刀を入れると、ポキリと乾いた音を立てる。肘と手の間に新しい関節でも出来たかのように折れ曲がっている。しかし、比較的治りやすいように、砕かずに綺麗に折ってやったつもりだ。…まぁ、痛いものは痛いだろうけど。

ズレている骨を出来るだけ元の位置に戻そうとしている慧音は、動かすたびに走る激痛に顔をしかめていた。

 

「…骨が折れるのは、初めてではないが…。やはり慣れんな、これは」

「自力で戻るために脚は出来るだけそのままにするか?」

「いや、構わん。最悪飛んででも這ってでも戻る」

「そうかい。それじゃ、間を取って傷付けるくらいにしておこうか」

 

両手に妖力弾を浮かばせ、慧音に投げ付ける。咄嗟に折れているにもかかわらず左腕で顔を庇いながら被弾すると、そこで妖力弾が爆裂する。吹き飛ばすような威力にしなかったからか、被弾した箇所の服が破れ、そこから見える皮膚から多少血が流れる程度だった。

 

「こんなもんでいいか?」

「…いや、最後に一つ。頭に少し傷を付けてくれないか?」

「は?何で?」

「目立つからだよ。一目見て分かる外傷というのは、それだけで大きな抑止力に成り得る」

「…どんな感じにするか」

 

今でも十分に傷付いていると思う慧音の顔に近付き、髪をかき上げて額を見る。そして、髪の生え際に一指し指を当てる。…ここでいいか?

 

「よし、ここに傷付けるからな」

「ふむ、ちょうどよく眼のあたりに流れそうだ。一思いに裂いてくれ」

「はいよ」

 

親指の爪を当て、ほんの少し突き刺す。滲み出る血を確認してから、追加で横に切れ込みを加えた。溢れ出る血はそのまま慧音の右眼のあたりを赤く染めていく。…これ、ちょっと多くないか…?

 

「大丈夫だ。頭の出血量は比較的多い。これが普通だ」

「そういうもんなのか?今まで気にしたことなかったからな…」

「…さて、私は少しここで土を付けてから戻ることにする」

 

そう言うと、慧音は地面に横になった。うねるように動きながら体に土を付け、ふと思い出したかのように私を見て言った。

 

「後は任せた。…それと、幻香に言っておいてくれ。『こっちは任せろ』とな」

「しっかり伝えとく。…それと、悪かった」

「気にすることはない。私が選んだ道だ」

 

周囲にさっきと同じ妖力弾をばら撒き、いかにも戦っていました風な感じに仕立てる。そして、土煙を被った慧音を見遣り、私は言った。

 

「それじゃ、行ってくる」

「ああ、行ってこい」

 



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第213話

外は満月が輝く夜。まどかさんが異変を起こす日。いや、もう起こしているのかもしれない。

 

「大丈夫でしょうか…」

「どうかしらね」

 

椅子に座って魔法陣を描き続けているパチュリーさんは、私には目もくれずにそう答えた。パチュリーさんがまどかさんに頼まれたことは詳しくは知りませんが、どうやらかなり難解なもののようですね。

わたしに頼んでくれたことは、紅魔館の妖精メイド達に『一緒に遊ばないか』と誘うことでした。チルノちゃんに合わせてなのか、本気で言っていたのか。眼を見れば後者であることは明白。異変を遊びと言い切ってしまうまどかさんには驚かされましたけど、せっかく頼んでくれた役目。わたしは、この日になるまで紅魔館の妖精メイド達を一人ずつ誘っていきました。皆が皆了承してくれたのは、やっぱり遊びたいという欲求が強いからでしょうね。

 

「不安?」

 

ふぅ、と一息吐いて休憩し始めたパチュリーさんが私に顔を合わせて訊ねてきた。

 

「…はい、とても。まどかさんがやろうとしていることを深く知らないからでしょうけれど…。それでも、やっぱり不安です」

「私も知らないわよ。けど、幻香ならやるわよ」

「どうして言い切れるんですか?」

「どうしてかしらね?」

 

そう言って小さく笑うと、また魔法陣に向かってしまった。けれど、私のことを無視するつもりではないらしく、言葉を続けてくれた。

 

「出来る出来ないを度外視すれば、思い付くという点で幻香は凄まじいわ。そんな彼女があれだけ考えて計画したもの。よっぽどのことがなければ平気よ、きっと」

「…それでもきっとなんですね」

「そりゃそうよ。考えもしなかったことが起きて、それが幻香に対処出来ないことならお終いね」

「それは…、そうですね…」

 

出来ることなら、そんな不安の助長させるようなことを言わないでほしかったです。

 

「ま、不安で震えて待つくらいなら、信じて待っていたほうがいいでしょう?信じなさい、幻香を。そして、皆を」

「…そう、ですね。信じましょう、まどかさんと皆を」

 

まどかさんは一段落ついたらここへ来てくれるそうですから、それを信じて待ちましょう。まだ少し不安は残っているけれど、それを払拭するためにも、分からないことを少しでもなくしたい。

 

「ところで、パチュリーさん」

「何かしら?」

「どんな魔法陣を描いているんですか?」

「詳細は秘密にしてほしい、って言われているのだけど…。どこまで言っていいのかしら」

 

そう言うと、魔法陣を描く手を止め、目を瞑り額に指を当てて少し考え始めた。それから十数秒。額に当てていた指を私に向けながら言った。

 

「今は二つ頼まれているのだけど、どちらも演出に使うそうよ」

「演出、ですか?一体どのような…」

「一つは少し前にやったから、もしかしたら分かるかもしれないわね」

「…ロケットの推進力でしょうか?それとも、まだ試作段階と言ってた座標移動でしょうか?」

「どちらも外れよ」

 

パチュリーさんが私の座標移動を調べ続けた結果、魔法陣による座標移動に成功した。ただし、非常に非効率で小物しか移動出来ないのに膨大な魔力を消費し、入り口と出口のように、二つの魔法陣の間でのみ可能であった。出来る、ということが大きな一歩だそうだけど、まだ満足はしていないようで、これから改良していくと言っていた。

 

「ちょっと悔しいですが、分かりませんね。それで、二つ目はどのような演出を?」

「これは初めてね。それっぽく見えれば十分、って言われたけれど。けど、出来るだけいいものにしたいじゃない?…まぁ、なかなか納得のいくものが出来ないのだけどね」

 

そう言って失敗作だという魔法陣を発動してみせると、火柱が真っ直ぐと伸びていった。

 

 

 

 

 

 

手元にあるのは、おねーさんのお土産の紅い玉。表面は鏡のように私が薄っすらと映るほど綺麗で、転がせばいつまでも転がってしまいそうなほど丸い。とても小さいから、なくしてしまわないようにキチンと仕舞ってある。

どれだけ目を凝らしても『目』が見当たらない。人差し指と親指で挟んで潰そうとすれば潰れてしまうだろうけれど、そんなことはしない。

 

「…遅い」

 

それにしても遅い。懐中時計を見ると、もう夜になっているはずだ。今日の夜に異変決行と言っていたのだけど、ずっと前からベッドの上でゴロゴロ転がったり、部屋の端から端を無意味に歩き回ったりしてまだかまだかと待っていた。料理を届けてくれた妖精メイドに『楽しみだね』とか『まだ夜には早いですよ?』とか言われたけれど、やっぱり待ち切れなかった。

 

「あっ!」

 

手のひらの上で転がしていた紅い玉がス…、と消えた。…ついに来た。異変の開幕。そうとなれば、私がやるべきことは一つ!ベッドから跳び出し、そのまま地下の扉を蹴破って駆け出していく。

おねーさんは最初、わたしは他の人と同じようにひとまず待機することが役目だと言った。けれど、どうにかならないかとおねーさんに頼みに頼み込んだら、少しの間考えてから別の役目を貰うことが出来た。無理言ってごめんね。けど、何もしないで待っているなんて出来なかったから。

 

「禁忌『レーヴァテイン』!」

 

階段を駆け上がりながらレーヴァテインを取り出し、ところかまわず振り回す。斬り裂かれ砕け焦げ付き崩れる壁。振り撒かれる炎で燃え盛るカーペット。衝撃に耐えられず破砕する飾り物。好きなだけやっていいよ、って言われたけれど、これくらいなら大丈夫だよね?

私が目に付いた瞬間蜘蛛の子を散らすように避けていく。妖精メイドは傷付けない約束になっているから大助かりだ。そのまま何でもかんでも壊しながら、部屋の扉の『目』を潰し、吹き飛ばした。

 

「やっほー、お姉様」

「フ、フラン…?」

 

椅子に座って休んでいたのだろうお姉様は、私を見てすぐに目を見開いた。手に持つのは破壊の象徴、レーヴァテイン。体には煉瓦の破片とか焦げた布の切れ端とかが付いている。そりゃあ見開くよね。

私の役目はお姉様とやり合うこと。無力化出来ればそれで構わないし、最悪負けなければそれでいいと言われた。そこへ向かうまでは、お姉様とやり合う理由付けのためにいくらか破壊行為をすることもいいかもね、とも言われた。その場ですぐにすることにした。多少の罪悪感はあるけれど、別に構わない。

 

「ねぇ、遊ぼうよ。何だかさぁ、久し振りに壊したくて壊したくテタまラなイの」

 

あの時少しだけ聞いた調子外れの口調を真似して言うと、お姉様はダン、と大きな音を立てて立ち上がった。

 

「なくなったと思ってたけど、また湧いて出たのね…ッ」

「さァ?…ネぇ、遊ぼウ?」

「そう…。どうしても止まらないと言うのなら、やるしかないわね!」

 

その手に掲げたのは真紅の槍、グングニル。目付きは鋭く、既に臨戦態勢だ。それに対し、私はお姉様へ駆け出しながら四人に分かれ、一人一本レーヴァテインを持つ。前から、上から、右から、左から。囲むように同時にレーヴァテインを薙ぎ払う。

 

「チぇ」「避けラレた」「ケどまァ」「続ケルけド」

「く…ッ!」

 

刃に触れる一歩手前でお姉様は霧となって避けられてしまった。いくらか肌は焼けただろうけれど、そんな程度では止まらない。

霧の動きを輝く無数の『目』を見て追って天井を見上げると、そこに霧が集まりお姉様が現れた。その姿勢は、槍を投げ付ける一歩手前。

 

「フッ!」

 

私達に向かって飛来する一本の槍。吸血鬼の腕力に重力を加えた霞むような速度で打ち出されたそれを、冷めた目で見詰めた。

 

「アハァ」「駄目駄目」「こンなのジャ」「安直だヨ?」

「な!…ッ!」

 

まず一太刀でグングニルの先端を斬り砕き、二太刀で刀身の腹を正面から当てて打ち返す。残り二本は要らなかった。炎を纏った槍、というより棒はお姉様に突撃していったが、残念ながら避けられてしまった。…ま、この程度か。萃香との特訓のほうが難しかったかなぁ。

さてと、おねーさんは大丈夫かな?大丈夫だよね。だって、おねーさんだし。

 



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第214話

目を凝らすと、遠くのほうに紅魔館が見える。少し前にここまで熱くなってくるような炎が燃え盛り、幻香が異変を始めたことを伝えてきた。

けれど、私を含めたここにいる皆は幻香に待機を頼まれた。次のために休むなり、学ぶなり、訓練するなり、乱入するなり、裏切るなり、好きなようにして構わないとも言われた。

 

「ねー、何して待ってるかー?」

「そうねぇ…。私としては星でも見ていたいのだけど」

 

木の枝に腰かけているルーミアとスターがそんなことを話しているのを聞き流しながら、私は光の弾幕をサニーに放つ。しかし、その弾幕はサニーに当たる直前で鋭角に曲がり、あらぬ方向へと飛んでいく。

 

「ちょっとリグルー!もう休もうよぉー!」

「そうだね。少し休もうかな」

「…お疲れ、サニー」

 

ルナがサニーを労うのを見ながら、私は僅かに火照る体を休めるために樹のふもとで腰を下ろした。その隣には少し前からいつものように眠っているチルノがいる。チルノの周囲は少し冷えるけれど、今の私にはちょうどいい。

 

「お疲れ様、リグル。…大丈夫?」

「大丈夫だよ、ミスティア。けど、ただ待っているだけなんて嫌だからさ」

「なら、どうにか出来ないか幻香に頼んだらよかったのに。フランさんみたいに」

「…かもね」

 

けれど、私達と同じように待機するように言われていたフランが幻香に何度も頼み込んだ結果、フランに見えない位置で困ったような顔を浮かべていたのを私は知っている。だから、私はここで待つことにした。ただ待つだけじゃなくて、次のために少しでも体を動かしておくことにした。

 

「あのさ、リグル」

「何?」

「一段落したらすぐに分かるって言われたけど、どう思う?」

「んー…。さっきみたいに派手なことをするんじゃないかな?」

「だよねー!さっきの炎!ドッカーン!って感じで!」

「ちょっ、サニー。チルノが起きる…」

「あ、ごめん」

 

言葉だけの謝罪を聞き流し、眠っているチルノを見る。眉をほんの僅かにひそめたけれど、すぐに穏やかな寝息を立てているのが聞こえてきた。よかった、大丈夫そう。

…よく見たら、サニーの後ろにいたルナが成し遂げたような顔をしながら私に親指を立てていた。

 

「コホン…。幻香がすぐに分かる、って言ったんだから、それこそ一目見れば分かるようなことをするよ。そうしたら、私達は紅魔館へ行く。そう言われたでしょ?」

「…うん、そうだよね。ゆっくり待ってる。そのときまで、ね」

 

それにしても、ただ待機するんじゃなくて、こんなことをしたらどうかと付け加えていた。私にはせっかく出来るようになった光の弾幕をもう少し使えるようにしたらどうかとか、チルノには弾幕を凍らせてからそれをどうするか考えてみたらどうかとか、サニーには光の屈折を隠れるだけに使うのはもったいないだとか、ルナには無音にすること自体は強力なことなのだから基礎を向上させたらどうかとか、そんなことを私達全員に言っていた。

何て言うか、幻香にとっての待機は私の知っている待機とは違う気がしてきた…。

 

 

 

 

 

 

流石に夜になると、人間の里は相当静かだ。仮に真っ昼間に私がここをうろついていたら色々グチャグチャ言われることだろう。実際言われたから分かる。

コソコソと動くのは得意ではないから、道の真ん中を堂々と歩む。隠れるようにポツポツと小さな明かりが灯っているのは、妖怪を対象にしている店らしい。いかにも怪しい道具や動物の血液なんかを売っているとか。普通の人間に見つかったらヤバい店らしいから、こうして寝静まった夜にしか開かれない。それでもバレたときは閉めざるを得ないとかなんとか。そんなことを幻香が言っていたことを思い出した。

しかし、私はそんな店に用はない。目的地は慧音に教えてもらったが、本当に合っているだろうか?少し心配だ。慧音の情報がではなく、私がちゃんと覚えているかが。

その心配は杞憂だったようで、ここら一体で最も大きな屋敷の正門に着いた。そこには夜通し見張りをしているだろう男が二人、刺又を持って立っていた。

 

「…ここに何の用だ?」

「お前には関係ないことだ。何せ、すぐ眠るんだしなぁ!」

 

両腕を振るって二人の刺又を同時に圧し折り、驚愕で固まっている間に片方の男の腕を掴み、もう片方の男に向けて投げ付ける。二人を巻き込んで地面を粗く削りながらかなりの距離を滑っていく。少し待って二人してピクリとも動かず、伸びてしまっているのを見ると、少し悲しく思えてくる。

正門を堂々と跨ぎ、屋敷の入り口の扉をブチ破る。その音に気付いたのか、それともさっき二人を伸ばしたときの音で警戒していたのか、数人の付き人らしい者が刺又を手に現れた。

 

「貴様、何者だ!」

「この屋敷を何処と心得ておる!」

「鬼。知らね」

 

実際知らない。ここでの役目はしっかりと覚えているのだけど、ここの名前なんか訊いていないから分からない。

先頭を突貫してきた者が伸ばす刺又を掴み、そのまま横に振るって壁に叩き付け、後続に投げ返す。倒れる者達に混じって恐れ戦き腰を抜かす者がいることに気付くと、哀れみすら覚えてくる。

 

「…ちょっと弱過ぎないか?」

 

全員が全員持っている武器が刺又なのは、捕縛を前提としているからなのだろう。…温い。温過ぎる。平和なことはいいのだろうが、その弊害だってある。時間ってのは残酷だ。あの頃の人間は、もっとまともな動きをしていた。脅威から身を守るために練り上げられた武器や体術、卓越した技術の数々。それらは時間と共に擦り減り、削れ、摩耗し、少しずつ失われていき、そしてついには忘れ去られてしまった。それが悲しく思えてくる。

奥のほうでドタバタという足音が聞こえ、そちらへと向かう。おそらく、あの足音の主が私の目的までの道案内役になるだろう。そう思い、廊下を一気に駆け出す。

道中すれ違う者は問答無用で壁に床に天井に吹き飛ばし、私の接近に気付いたからかさらに加速する足音めがけて走り続ける。

 

「お逃げくだ――ガフッ!?」

「よっと。ここかな?」

 

そして、襖を開けてそう叫ぶ男を後ろから蹴飛ばす。そのまま壁まで真っ直ぐと吹き飛び、大穴を開けて外に転がっていった。

寝起きであろう部屋の主は、近くにあった蝋燭に火を点けてから寝惚け眼ではあるものの、私を睨み付けた。

 

「何者ですか?」

「伊吹萃香。鬼だよ」

「一体、私に何の用ですか?」

「歴史を編纂してるくせに分からないのか?なぁ、稗田阿求さんよ」

 

一歩近付くと、阿求が布団から出て後退り、さらに詰めれば後退る。繰り返すこと数回、遂に後ろは壁となり、もう逃げ場はない。顎に手を伸ばしてグイッと引き上げ、顔をギリギリまで近付ける。その状態で中指を首元に伸ばし、二、三回触れると息を飲むのが伝わってくる。

そのまま震えて動かず黙っている阿求が答えるように、ほんの僅かに爪を立てる。薄皮一枚を破り、あとほんの少し動かせば思い切り血が噴き出すことだろう。そのまま数秒、ようやく阿求は口を動かした。

 

「…お、鬼、攫い」

「大正解。よかったな、この幻想郷で鬼に攫われるなんて滅多にない。貴重な経験になるだろうよ」

「ふ、ふざけないでください」

「ふざけるな?…ハッ、それを私に言うか?悪いが、もう決まってることなんだよ」

「決まってる?…もしや、誰に頼まれたんですか?」

「お、いいとこ気付くね。もし問われれば正直に答えるように言われてるんだよ」

 

どうせ隠す必要はないから誤魔化さなくていいですよ、と言われた。ただし、どうせ名前を言っても伝わらないだろうからこう答えるように、と付け加えられたことを思い出し、それを口にする。

 

「『禍』」

「わ、『禍』…。災厄の、権化」

「鬼攫いの再来だってよ。ちょっと語呂がいいと思わないか?」

 

それにしても、災厄の権化ねぇ。『禍』本人を見たらどう思うのやら。

 

「さてと、おしゃべりはここまでだ。全員おねむだと思うが、援軍が来られると面倒だしな」

「な…!」

 

眼を見開くのも気にせず米俵でも担ぐように阿求を肩に乗せる。ちょいと暴れるが、どうってこともない。それより、いくら女子供だからってこんな貧弱な力しか出せない人間がいることに驚いた。握られた拳で叩かれているにもかかわらず、ほんの少しの痛みも感じない。

 

「あっと、そうだ。紙と筆も一緒によろしく、って言われたんだった。危ない危ない」

 

近くにあった机の上に置かれていた紙束と筆を数本、墨も二つほど手に取る。多分、これで忘れ物はないはずだ。肩で何かゴチャゴチャ騒がしい阿求の言葉は一切無視し、さっきブチ抜けた穴から外へ出る。

 

「舌噛むなよ」

「へ?――うひゃっ!?」

 

上空まで急加速し、屋敷を飛び立つ。目指すは紅魔館だが、私が到着するまでに終わっているだろうか?終わっていなかったら、ある程度遠くでそのまま終わるのを待つように言われたんだが…。待っているのは億劫だ。そう思い、いつもより何倍もゆっくりと紅魔館へと向かった。

 



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第215話

「…あら?」

 

お嬢様のために丹精込めて作った食事を食べていただき、食器をもう少しで洗い終える。そんなとき、地下から何か音が聞こえた気がした。お嬢様の御眼鏡に適った壺が倒れたのか、壁に飾られたいつの時代のかも分からないくらい古びた細剣か何かが落ちたのかしら。

 

「ん…?」

 

しかし、音はそれだけで留まらず、徐々に近付いてくる。階段を誰かが駆け上がる音。そして、何かが次々と壊されていく音が聞こえてきた。…もしかして、また妖精メイドの悪戯かしら。自由奔放。指示をしていないと、何をするか分からない。それとも…、いや、まさかそんなはず…。

頭に過ぎった嫌な考えを振り払う。しかし、どちらにせよ止める必要がある。そう考えながら、食器を最後までしっかりと洗い終えた。

それから部屋を出て、廊下を見回す。端から端まで見通したが、珍しいことに妖精メイドが一人もいない。その代わりに、一人の来訪者が今にも欠伸をしそうに大きく伸びをしながらこちらに歩いていた。その人も廊下に出た私に気付いたようで、欠伸を噛み殺しながら軽く手を振ってくれた。

 

「あら、幻香さん。こんな時間に珍しいですね」

「あー、そう言われるとそうですねぇ。すみませんね、咲夜さん」

「いえ、気にすることはありませんよ。それで、今日はどういったご用件で?」

「用件?…あぁー、それはねぇ」

 

そう言いながら、右腕を水平にピンと伸ばした。まだ寝ぼけているようなトロンとした目付きのまま続きを言い放った。

 

「占領」

「ァガ…ッ!?」

 

次の瞬間、首元に強烈な一撃をもらい、背中を壁に叩き付けられた。気管が潰れたような錯覚に加え、叩き付けられた衝撃で肺の中から全ての空気が吐き出される。何が起きたのか分からない。

 

「ゲホッ!ゴホッ!」

 

咳き込みながらも必死に空気を吸い込み、さっきの一瞬で何が起きたのか認識しようとする。しかし、思い出されるのは一瞬のうちに伸ばされた右腕が私の首に叩き込まれ、そのまま壁に叩き付けられたこと。自然と滲み出る涙を払いながら前を見ると、遠くにさっきまでいた部屋の扉が開きっぱなしになっているのが見えた。あそこからここまでの距離は四十メートル超。それを一瞬で移動している。

そこまで考えたところで、混濁していた意識がようやく戻ったように感じた。体はまだ痛むが、来訪者改め侵略者を探すために意識を切り替える。

…時よ、止まれ。

 

「はぁ…、はぁ…。彼女は何処に…?」

 

止まった時の中。私だけが活動出来る。荒れる息と痛む体を落ち着けるように深呼吸をしてから、廊下を見渡す。奥まで見通しても、壁を見ても、天井を見上げても、人影一つ見当たらない。…おかしい。けれど、確かに見当たらない。そういえば、扉が開きっぱなしであることに気付いたときには既に目の前にいなかった。では、何処に?

そこまで考えたところで、嫌悪感が私に忍び寄ってきた。時間操作に私という枷を除けば制限はない。ただ、時間を操っているとまるで世界の法則に反していることを罰するかのように何かが軋んでいく。それは長く改変し続けていくと、徐々に強く、きつく、私の何かを締め上げ蝕む。無理をすればどこまでも変えることが出来るのだろう。けれど、その代わりに何かが潰れて消えてしまう気がする。ゆえに、私は自分自身で制限を掛けた。その中でも時間停止は最も制限が強く、基本は五秒。最長でも一分程度。これが私の決めた制限の一つ。この感じから察するに、そろそろ一分経ってしまうのだろう。

…時は、動き出す。

 

「何処にいるのかしら…」

 

呟く言葉に答える者はいない。しかし、ガリガリと何かが擦れる音がここら一体から聞こえてくる。

 

「な!」

 

何事かと思ってすぐに気付いた。この階の天井がいつもより近い。それどころが、どんどん近付いてくる。迫り来る天井。あと数秒もあれば天井は床に落ちるだろう。もちろん、私の含めた異物は圧され潰され砕かれてしまう。

…時よ、止まれ!

 

「な…、何てことを…!」

 

長時間時間停止を駆使してからすぐにまた止めた所為か、さっきまで私を蝕んでいた嫌悪感がまだいくらか残っている。今までの制限から考えれば、二十…、いや、十秒程度と思われる。

その十秒を使い、天井が落ちていなかったのが確認出来たさっきまでいた部屋の中へ滑り込む。荒れる息を整える時間よりも、今は私を縛るものを払いたかった。

…時は、動き出す。

 

「はぁ、はぁ、はぁ…」

 

荒れる息を整えながら、天井が落ちることによる強い振動に備える。しかし、そんなものはいくら待っても来ず、落ちてくることによる振動も、轟音もない。扉の開いた先に見える廊下には落ちてくる天井が一瞬たりとも見えなかった。

まさか、あの天井丸ごと複製…?それでは、幻香は何処に…?そこまで考えて廊下へ出ると、先ほどの時間停止をしたときに私がいたところに、幻香が背中を向けて立っていた。部屋から出た瞬間、私に気付いたらしく、その首が私を向く。

 

「『時間を操る程度の能力』。その中でも、特に時間停止は本当に恐ろしい能力ですね。簡単に破れるようなものではない。けれど、さっきので少しだけ分かりましたよ。多分、時間停止には限界がある。十秒や二十秒なんて短い時間ではないようですが、わたしの予想では五分から十分といったところでしょうかねぇ?それと、貴女が時間停止をした回数は二回ですね?最初は非常に長い間止めていたのでしょうね。わたしの攻撃で荒れているだろう呼吸が正常に戻っていたのですから。ですが、問題はその次だ。何故、また呼吸が荒くなるんでしょうか?まるで、全力疾走でもしてすぐ後のように。ここからその部屋まで、走れば五秒くらいでしょうか?時間停止をして落ち着いて、ゆっくりと歩くことだって出来たでしょうに。それなのに、呼吸が荒くなる。つまり、そうならざるを得ない理由がある。最初は長く止められて、次は短くなってしまった理由がある」

 

そう長々と仮説を語りながら、私に歩いて近付いてきた。肩に掛かっている紐を手に取り、いつもと同じように、微笑みを浮かべながら歩み寄ってくる。敵意も害意も殺意も感じないまま歩み寄ってくる。

それに対し、私は今更ながら三本のナイフを指に挟む。どうやら過大評価をしてくれているようだが、お嬢様のいるこの紅魔館を占領するという侵略者に対して容赦はしない。

 

「え…?」

 

それなのに、何故か視界は真っ黒になった。意識はしっかりとしているから、気を失ったとかではない。ならば、どうして?目の前に手を伸ばす。すぐに硬い感触が伝わってくる。右に伸ばす。その前に肘に硬い感触が伝わってくる。左も同様。頭を少し後ろに下げると、後頭部に壁がぶつかった。上に手を伸ばす。すぐに硬い感触が伝わってくる。つまり、何かに閉じ込められた。

 

「聞こえますかー?」

 

トントン、と叩きと共に、壁を挟んで幻香の声が聞こえてきた。気の抜けた声色に、僅かに憤りを感じたが、それを押し潰す。

 

「今すぐここから出しなさい」

「えぇー。どうしようかなー…」

 

当たり障りのないことを言い、ここから脱出するための時間を稼ぐ。ナイフを使って穴をあけることが出来るだろうか?しかし、この狭苦しい空間では、まともに投げられない。まともに投げられなければ、どれだけ時間を操ってナイフを加速させようと意味がない。ならば、直接突き刺す。

 

「ま、いいですよ」

 

閉鎖空間の中で出来る限り腕を引き絞り、壁に突き刺そうとしたその時。視界が一瞬白く染まる。伸ばした腕には何も抵抗はなく、思い切り空振った。その腕を掴まれ、手首に何かが付けられた。

異物を感じ、意識がそちらに向いている隙に足を払われ、そのまま手首に付けられた何かから伸びる紐が私の周りを囲う。右腕が背中に引っ張られ、肩が外れそうになるギリギリのところで止まった。しかし、そんなことはお構いなしに紐は私を縛り付けた。

そして、私はあの時の妖夢のように背中を踏まれて拘束された。

 

「…ふぅ。何とかなってよかったですよ。正直、貴女が一番の難所でしたからね」

 

きつく締め付けられた紐は私の胴体を八周回っており、両腕は動かせそうにない。しかし、の程度の紐、時が経てば摩耗する。させることが出来る。摩耗すれば、この硬く縛られた紐も容易く削れ、解け、破れ、千切れる。

…時は、加速する。

 

「あ、そうそう」

 

紐の時が急速に流れていく。時の加速は時間操作の中でも楽な部類に入る。この調子なら、一分足らずで何十年分の時間が経つ。そして、この程度なら一時間は続けられる。

 

「この紐はちょっと特別でね」

「特別?」

 

そんなことはどうでもいい。この細さなら、百年もあれば十分だろう。二、三分もあればどうにでも出来る。油断し切っているところで悪いが、その瞬間に時間を止め、私が捕縛し返してあげる。

 

「月の都で得た知識なんですが、物質はどう頑張っても約七十四パーセントまでしか敷き詰めることが出来ないそうです」

「…それが何だと言うのかしら?」

「けれどね、これは違う。そんな月の都で必死になって覚えた知識を根幹から覆す。とてもじゃないけれど普通じゃ認識出来ないくらい細い繊維の集合体の集合体の集合体の繰り返し。単一物質による密度百パーセント。その名を、フェムトファイバーと言う」

 

さっきから何を言っているのかサッパリ分からないし、月の都で得たと言っていることに驚きを覚えたが、それよりもおかしいことがある。変わらない。五十年分は流れたはずだ。削れないにしても、少しくらいは何か変化があってもいいはずなのに。何一つ変わらない。今も変わらず私を締め上げる。

 

「曰く、穢れない。ゆえに、寿命を持たない。変化しない。どれだけ時間が経とうと、その紐はその紐のままあり続ける。永遠に変わることはない」

「え…?」

「だからさ、貴女はこの紐で縛られた瞬間負けていたんだよ」

 

そう言われたことを覆したくて、時の加速をさらに早くする。一秒で数百年は経過するだろう。それなのに、削れない。解けない。破れない。千切れない。変わらない。嫌悪感が私を蝕むが、それでもさらに加速する。それでも、変わることはなかった。

 

「これ創るの苦労したんですよ?それ一本にどれだけ妖力を使っているのやら…。体積対妖力量なら緋々色金のほうが二回りくらい多いですけど」

 

そう言いながら、私は幻香の肩に担がれた。まるで、丸太か何かのように。

 

「は、離しなさい!」

「嫌だよ。だって、放っておいたらどうなるか分からない」

 

そう言いながら、私の所持しているナイフの大半を歩きながら引き抜かれ、その場で投げ捨てられていく。

…少し油断した結果がこれです。お嬢様、申し訳ありません。

 



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第216話

レーヴァテインの振り下ろし。

視えた軌道から体を外すと、さっきまで私がいた場所にレーヴァテインが通り抜ける。舞い散る火の粉が肌を撫でるが気にならない。この程度なら仮に焼けてもすぐに治るから。

目の前のフランに弾舞を放つが、それをとは別のフランが間に入り、レーヴァテインを盾に防御する。

お互いにずっと決定打がない。私はフランの攻撃を避け、フランは私の攻撃を複数人いることを利用して防御する。基本はその繰り返し。

 

「本当ニ」「厄介だネ」

「今すぐ反省して地下に戻るなら許してあげるわよ」

「ヤだ」「オ断り」

 

水平に真一文字斬り。

素早く後退し、射程距離の外側へ行く。フランが限界まで腕を伸ばし、体を前に傾けて振るうが、それでも私に当たることはない。

私はフランの運命の一瞬先を視ている。私が今まで見てきたフランの全てと、今この瞬間のフランから導き出される運命。遠い未来の(ヴィジョン)ならまだしも、一瞬先を視誤ることはそうそうない。美鈴のように、私が視た運命から避けた動きを見て行動を変更することが出来るような達人なら話は変わるけれど、残念ながらフランにそれはない。

このまま続けても、私が傷付くことは決してない。運命がそう告げている。

 

「いい加減離しなさいッ!」

「これで十七回目。嫌だよ。だって、放っておいたらどうなるか分からない。…これも十七回目だ」

 

そんな時に、二人の乱入者が現れた。片方は紐で拘束されて肩で担がれ、もう片方は呆れたような口調で私とフランのいる部屋に平然と入ってきた。咲夜と幻香であった。

 

「お嬢様!それに、妹様!?」

「ん?何してるんですか、フラン?」

「もう来たの?ちょ、っト早いヨ!」

「…ふぅん。そういうこと。つまり、また破壊衝動が湧き出た、と」

 

一瞬思案顔になりつつフランに歩み寄った幻香は、肩に担いでいた咲夜を乱暴に投げ出すと、フランの額に手を遣った。

 

「落ち着いて」

「むぅ…。はぁーい」

「さ、後は任せてくださいね」

「分かった!」

 

たったそれだけで、さっきまでヒシヒシと感じていた狂気が消え去った。その代わりと言わんばかりに、幻香は私に目を向けた。しかし、その瞳には敵意も害意も殺意もなく、ましてや狂気なんて微塵もない。酷く穏やかで、まるで私を見ながら別の何かを見ているような気さえする。

 

「…フランに何をしたの?」

「さぁ?貴女の大好きな運命を視ればいいだけの話でしょう?」

「答えるつもりはないのね」

「答えなくても分かるんですからね」

 

私の運命は決して万能ではない。遠い未来の運命は意外と容易く覆るし、知らない者の運命は視通せない。数回言葉を交わしてからならまだしも、初めて会った者の運命をすぐに視てもとても正確とは言い難い。久しく会っていない者も改めて視ると変わっていたりする。そして、何より私を中心に視る運命。思いもしないことは視誤る。

確かに、幻香に会ってフランは変わった。ただし、それは全てがいい方向とは言い難い。フランは幻香に強い執着がある。出来ることならば、私はそれを抑えたかった。しかし、今の会話で確信出来た。幻香の一言で、フランは何処までも変わってしまう。それは危険だ。

そして何より、私の大切な従者を雑に扱った。

 

「神槍『スピア・ザ・グングニル』ッ!」

「…あ、そうだ。代わりに咲夜さんが逃げないように見といてください」

 

私が放った真紅の槍は、私と幻香のちょうど間で轟音を立ててお互いに潰し合った。一瞬にして現れた、全く同じ真紅の槍に相殺された。呑気にフランに頼みごとをしながら。

僅かに苛立ちを覚えつつも、私はその場から一気に加速する。余所見している幻香に突撃しながら、一瞬先の運命を視て回避する位置に弾幕を放つ。

運命の通り、幻香は私の弾幕のほうへと避けていき――、

 

「え?――ッ!」

「おー怖っ」

「お嬢――モガッ!」

「ちょっと黙って」

 

そして、私はこめかみに鋭い裏拳を叩き込まれた。軌道を逸らされ、不安定な姿勢となった私は地面をガリガリと削りながらようやく停止した。頭が揺れ、少し気持ちが悪くなってきた。

一瞬、何かに押し出された感覚がしたと思ったら、まるで空間を切り取られたかのように、私は幻香の真横まで進んでいた。そして叩き込まれた。…意味が分からない。

私の放った弾幕で傷付いた様子もない幻香と視線が合った。やはり、その眼は私を見ているようで見ていない。

 

「あー、申し訳ないですが、レミリアさん。貴女にはわたしの礎になっていただきます」

「礎ですって…?このレミリア・スカーレットが貴女なんかの…?」

「はい。一番手頃だったので」

 

あっけらかんと言い放たれたその言葉に、一瞬頭が紅く染まる。今、幻香は、何て、言った?

 

「紅魔『スカーレットデビル』ッ!」

「…うわぁお、目が痛くなるほど真っ紅っ紅だねぇ」

 

宣言と共に膨れ上がる妖力を解放したが、幻香は一瞬にして範囲外へと飛んでいた。そのまま吹き飛ばせると思っていたが、思いの外甘く見ていたらしい。

幻香が地に足を着ける前に急接近し、右腕を突き出す。首を曲げて回避するのが視えたから、その回避した方向へ軌道を修正して放ったのだが、気付いたら幻香は着地しており、髪の毛をいくつか斬り裂いただけとなってしまう。…私の動きが見えているというのかしら?

私の空いた胴体へ左拳。

この状況では避けられるものではない。しかし、打ち出される左手を先に制すればいい。左手から最速の妖力弾を放ち、幻香の左手を貫いた。

 

「ま、こんなもんか」

 

そして、私の右腕が肘の辺りで斬り飛ばされた。切断された部分に焼けるような激痛が走り、再生する気配がないことに動揺する。視界の端に、斬り飛ばされた右腕と共に銀色の細剣が見えた。

 

「追加で二つ」

「グッ…アアァア!?」

 

両肩に異物が貫かれ、血が滲み出る。異物の貫かれた場所が燃え上がるように熱く、吐き気がするほど痛い。両肩から伸びる銀色の細剣。そして、遙か昔に身に覚えのある痛み。

 

「この痛みはまさか…銀!?」

「ええ。原子量108、電子数47」

 

しかし、おかしい。幻香の能力は飽くまで『同じものを創る能力』。私を貫く細剣は見覚えがあるが、柄まで銀ではないし、そもそも銀製ではない。それに、これが飾られている場所はここからかなり遠い場所だ。なのに、何故…?それに、原子量や電子数とは一体…?

動揺している隙に左側から足を払われ、失った右腕の分だけ傾いていた重心に従って地面に倒れてしまう。腕を動かしたくても、僅かでも動かそうとするだけでこれまで以上の激痛が私の身を焼く。そう理解しても、私は左手を地面に立てた。このまま倒れても銀製の細剣が私を焼くならば、こちらのほうがいい。

しかし、無慈悲にもその左手に銀のナイフが貫いた。見覚えのあるナイフだが、やはりこれも柄まで含めて全てが銀一色。

 

「そういえば、ちょっと前に言ってましたよね?四肢をもぎ取ってでも、とか何とか。あれ、まだ許せる気がしないんですよねぇ」

 

そう言いながら、左手を貫くナイフを無造作に捻った。声にならない悲鳴を上げそうになり、寸前で飲み込む。こんなことをしているにもかかわらず、幻香からは何も感じない。それがにわかに信じ難かった。

 

「ハァー…、ハァー…。あ、貴女の能力は、同じものを創る、んじゃ、なかったかしら…?」

「え?…ま、そうでしたね。最近までは複製止まりでしたよ。けど、そこで停滞するなんて有り得ないね。まぁ、つまりだ」

 

フ…、と左手と両肩を貫いていたものが消え去った。その瞬間、私の顎を蹴り上げられ頭が揺れる。空中に投げ出されたことだけは何とか理解出来たが、他に私が今どうなっているのか分からなくなる。

 

「この程度、創造に難くない」

 

全身がのた打ち回るような、地獄の劫火にでも焼かれたような、言葉では言い表せないような激痛が次々と私を貫く。それでも意識を失えない自分が、この時ばかりは恨めしく思えた。

朦朧とする意識の中、私の体から伸びているものの数を数えた。合計十三本。ただ、心臓と頭を貫かれていないのは運がよかったのか、それとも故意的にか。そんな私を貫く銀製の細剣が幻想のように再び消え去ったが、この激痛が現実であることを伝えている。次に、右腕のように切れてしまっている部位はないかと探ってみると、右足首から先と左膝から先がなくなっていた。左手は残っていても、この傷ではまともに動かせない。

動くに動けない私を幻香がさっきの咲夜と同じように肩に担ぐと、独り言のように呟き始めた。

 

「レミリアさん。貴女が手頃なのは、弱点が明白だからですよ。日光、流水、そして銀。どれも手軽なものばかり。だから貴女がどれだけ強くても、対処のしようがある」

 

そう言いながら、涙を流しながら怒り心頭の咲夜を特に気にすることなく反対側の肩に担いだ幻香は、近くにいたフランに話しかけた。

 

「フランはここで待っててください。大丈夫、すぐ戻りますから」

「分かった。それじゃ、またね」

「えぇ、またすぐに」

「貴女はお嬢様に何てことをしているのですかッ!?」

「え?それはもう言ったじゃないですか。占領ですよ、占領」

 

…どうやら、私の紅魔館は幻香に占領されてしまったようである。けれど、このまま放っておくつもりはない。この傷が治り次第、すぐに取り戻す。首を洗って待っていなさい…!

 



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第217話

「ォラアァッ!」

「がァ…ッ!?」

 

全身を生かして放つ神速の掌底が門番の鳩尾へめり込んだ。どれだけ強固な壁であろうと関係ない。この掌底は外側に一切衝撃を伝えない。布を抜け皮を抜け肉を抜け内側のみに衝撃を加える。

ゆえに、この掌底はあらゆる防御を突き抜ける。

 

「ま、だまだ…。こんな程度で終わる私じゃない!」

「へっ、だろうよ。確かに抜けた感触はあったが、軽く乱された」

 

対象の壁となるものがどのようになっているか把握して適切に打ち込む。これは言葉で言うと単純でも、実際にやると難解だ。ちょっと間違えれば手前の壁に衝撃が逃げる。そして、衝撃が通る瞬間に壁が変われば衝撃は分散する。それをやってのけるこの門番は真に強者だ。

それでも無傷とはいかないようで、前よりもキレが削がれた足刀を受け流す。しかし、こちらも完全には受け流せず、手甲が僅かに痺れる。続いて放たれたもう片方の足刀を腕で受け止め、ミシリと嫌な音が聞こえてきた。しかし、嫌な音が響いたところが一瞬燃える感触を覚え、気付けばもう元通り。

門番の脚を弾き飛ばし、一旦距離を取る。これまでの攻防で自然と力んでいた体を落ち着かせ、両腕をだらりとぶら下げる。構えない構え。自然体。どの動きにも対応出来る、私が見出した最適解。さて、どう来る…?

 

「はい、そこまでです」

「な!?」

「ッ!?」

 

そんな私と門番の間にフワリと降り立った者のその両肩には、見覚えがあるような気がしないでもない二人が担がれていた。片方が紐でグルグル巻きにされ、もう片方は四肢が欠損して全身ボロボロ。そんな二人をここに持ってきた血塗れの幻香は、平然とした顔で私達を見回した。

私はここから動こうとは思えなかった。それは門番も同じようで、幻香がここに降りてから一歩も動いていない。今動いたら何をしでかすか分からない。そんな危うい雰囲気が幻香から漏れ出ていたから。

そして、そんな幻香が私を見たところで顔を止め、口をゆっくりと開いた。

 

「見て分かる通り、占領完了です。ですから、これ以上は趣味の領域ですよ」

「ってことは、それがレミリアか?」

「ええ。紅魔館の主、…いや、元かな」

 

そこまで言うと、今度は私の反対側にいる門番に向き直った。

 

「美鈴さん、…いえ、紅美鈴。貴女に解雇通知です。紅魔館の主であるレミリア・スカーレットは落とされました。よって、貴女は紅魔館の門を守護する役目から外されます。これまでの勤労、お疲れ様でした」

 

無警戒、としか思えないような足取りで門番、美鈴に歩み寄っていく幻香を見ていると、頬が引きつる。自然と重心が前へと傾き、いつでも飛び出せるように自然体が崩れていく。

しかし、そんな私の警戒は無用であったようで、美鈴は幻香に対し構えを取ってもそこから続くことはなかったのだから。

幻香が美鈴のすぐ目の前に止まると、続く言葉を放った。

 

「そして、貴女に採用通知です。紅魔館の新たな主であるフランドール・スカーレットに仕え、新たな紅魔館の門番として働きませんか?」

「…私の主はレミリア・スカーレットです」

「そうですか。それは残念」

 

残念と言いながら、全くそんなことを思っていない。むしろ、知っていました、と言っているようにすら感じる。

 

「それじゃあ、この二人は貴女に渡しますね。どうぞ、好きなように扱ってください。咲夜さんがいちいちうるさかったので気絶させたことも、レミリアさんをここまで傷付けたことも許さなくて結構です。妬もうと恨もうとご勝手に。やることが思い付かないなら、こことは別の場所に紅魔城を建てる、なぁんてどうですか?」

 

最後だけははおどけた口調で言って、巻き付けていた紐を解いてから二人を美鈴に手渡した。受け取った美鈴は僅かに困惑しているようにも見える。

 

「よし、これでお終い。…さ、二人を連れてここからさっさと往ね。わたしが気紛れ起こす前に、さ」

 

そう言いながら放った妖力弾が、美鈴の頬を掠めた。薄く血が滲むと、今更のように湧き出たらしい激情を無理矢理抑え込み、それでもなお溢れる感情が右脚を地面に振り下ろされた。陥没する大地、舞い上がる土埃。

 

「…幻香さん」

「何でしょう?」

 

コテン、と首を傾げた幻香に、美鈴は名を言ったにもかかわらずその先を告げることなくこの場を離れていった。怒りの中に何故か僅かに悲しさを滲ませた表情を浮かべながら。

 

 

 

 

 

 

「わ、『禍』…。それに、あれはまさかレミリア・スカーレットに十六夜咲夜…?」

「お、流石編纂家。大正解」

「…茶化さないでください」

 

紅魔館の遥か上空に漂うように浮かんで妹紅の戦闘を観戦していたら、両肩に二人を担いだ幻香が紅魔館の窓から飛び出してきた。一瞬だが、確かに私に視線が向いたのが見えたので、私が既に鬼攫いを終えたことは分かっただろう。

 

「…何を話してるんでしょうか」

「さぁな。聞こうと思えば聞けるが、あんまりやりたくない」

 

意識を繋げたまま自分を疎にするのは割と疲れる。それに、一応妖霧になるのは約束を破ることになる。必要とあれば構わず破るが、必要なければやらないようにしている。

美鈴、だったか?妹紅とやり合っていた紅魔館の門番が、幻香に渡された二人を担いで素早く去っていった。

 

「さ、降りるか」

「え?――きゃっ!」

 

浮遊を止め、重力に従って地に降り立つ。全身を使って衝撃を逃がし、担いでいる稗田阿求を出来るだけ揺らさないように気を遣う。反対の手に持っている風呂敷の中身が零れていないことを確認してから、幻香と妹紅のいる場所へ向かう。

 

「お、萃香。…と、阿求だったか?」

「そうですよ。ま、わたしの自己紹介は後でやるとして、わたしはやることがまだあるので。それでは、また後でね」

 

返り血に濡れながら微笑む幻香がそう言うと、のんびりと浮かび上がった。ただ、幻香の左手に穴が開いているのが少しばかり気になった。まさか、気付いていないのか?

 

「さてと。私達も行くか」

「おう、そうだな。次は何をするのやら」

「さぁな」

 

肩を竦めたいくらいだが、肩にいるものがあって出来ない。その肩にいる者がモゾモゾと体を動かし、妹紅のほうを向いた。

 

「貴女は、もしや死なない少女、藤原妹紅ですか?」

「…あぁ、そうだが。それがどうかしたのか?」

 

途中、僅かに眉をひそめたが妹紅は肯定した。私は阿求がそれを問う理由が理解出来なかったが、それは妹紅も同じようだ。

 

「どうして貴女のような方が『禍』に手を貸しているのですか?」

 

しかし、それに続く問いで空気に大きな亀裂が走った。確かに妹紅は人間で、幻香と私は妖怪。特に、人間の里では『禍』などと呼ばれている幻香と共にいるのを不思議に思うのは至極真っ当なことかもしれない。だが、その問いは明らかに失敗だ。誰が見ても明らかなまでに不機嫌な顔を浮かべる妹紅を見れば、それはすぐに分かるだろう。

 

「…悪いのか?人間は妖怪と共にいたらいけないとでも言いたいのか?」

「い、いえ…。そのようなつもりでは…」

「どんなつもりだよ。…いや、もういい。確かにそっちから見れば私は異質だ」

 

妹紅は話を続けることを拒み、足早に紅魔館の中へと歩んでいった。待って、と手を伸ばしても、その声は流され、その手は届かない。

 

「あーらら。残念ながら不正解だったな。くく…、満点逃しちゃったなぁ」

「…茶化さないでください。私の問いが軽率だったことは認めます」

「そうかい。…お、なかなか綺麗じゃん」

 

紅魔館の頂点に立った幻香は、天に手を伸ばしていた。その指先は薄紫色に瞬き、徐々に光が強くなっていく。そして、一点に収束していく光を天に放った。空高く昇る光は星に紛れ身を隠したと思ったら、一気に炸裂した。数秒と経たずに消えてしまったが、その鮮やかな幾千の光の筋は目に焼き付いた。

幻香は、異変が一段落着いたということを伝える狼煙を上げたのだ。

 

「さてと、私も行くか」

 

しかし、紅魔館の何処で集まればいいのか一切言われていないな。どうしたものかねぇ。

 



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第218話

もう何枚目かも分からない魔法陣を書き連ねていると、視界の端に光が五回瞬いた。すぐに出入り口の扉に目を遣ると、頭を押さえて疲労の色を見せる幻香とそれを心配そうに見上げるフラン、その後ろには呆れたように肩を竦める妹紅と萃香、二人の間に連行されているように小さく縮こまっている紫色の髪の少女――慧音が言っていた編纂家の稗田阿求だろうか?――が扉を開けて入ってきたのが見えた。

僅かにふらついている足取りのままの幻香が長椅子に座ろうとして、自分自身が血塗れであることを今更思い出したことを笑いながら留まる。すると、躊躇いもなく今着ている服を消し飛ばし、残された時が経ち固まった血が床に落ちて儚く砕けた。そして、呪文もなしに頭上から水を落とし、髪や肌に付着した血を洗い流し始めた。ある程度綺麗になったところで濡れている体を拭くための布でも手渡そうと思って布を片手に洗い終えるのを待っていたのだが、水の流れが止まって少し経ったら既に乾いていた。水溜まりが出来てもおかしくないような量を流していたにもかかわらず、床に残されているのは体から流し落とされた血のみ。…この布はまたいつか使うかもしれないから、近くに置いておこうかしら。

大きく伸びをしてから確認するように周りを見回してから私に目を合わせると、気付いたら幻香は私と同じ服を着ていた。…複製だと分かっていても不思議な光景だと思う。

異変が一段落着いたからか、気が緩んでいる幻香は長椅子に倒れ込んだ。そして、その体にある空気を全て吐き出したのではないかと思うほど長く息を吐いた。ダラリとぶら下げている左手に穴が開いているのだけど、出血は既にないように見える。…どうしてそんな傷がありながら気付いていないのかしら?

 

「…あー…。疲れたぁ…」

「らしくないもの演じるからだろ?」

「そうそう。おねーさんったら、いつもと雰囲気全然違ったから驚いちゃった」

「あはは…。彼女達を道端に転がった石ころでも見ているような気分でいる、っていうのはなかなか難しかったんですよ?」

「気分だけかよ」

「気分だけです」

 

それを伝えるべきかどうか考えていたが、自然と笑い合う四人を見ていると伝えることが憚れる。そうやって躊躇していると、その中に大妖精が割って入っていき、幻香の額に手を置いた。その手が黄緑色に淡く光る。とても優しい光。

 

「ごめんなさい、こういうのはあまり得意ではないんです…。けれど、少しくらいは楽になるはずです」

「そう言われれば疲れが抜けていく感じがするような…?」

「へぇ、妖精も多種多様だな」

 

妹紅は感心しているようだけど、私は少し驚いた。ここで働く妖精メイド達の能力は弱々しいが数は多い。熱気を、冷気を、微風を、水気を、電気を、生長を、光を、影を、音を、気配を。他にも様々な能力を見た。しかし、この大妖精は座標移動に加えて癒しまで行う。そんな妖精はこの子以外は見たことがない。

 

「あの、他の皆は?」

「わたしがここに入るときは見ませんでしたね」

「…さっさと入ったからな。私は見てない」

「私も見てないな」

「ずっと部屋で待ってて暇だったから窓から顔出して周りを見てたけど、それっぽいのは見えなかったなぁ」

「そうですか…。ちょっと遅くないですか?」

「そうでもないですよ。かなり遠くで待ってもらいましたし」

 

出来るだけ具体的な場所を説明しようと、その場所がどのようなところであるか続けているが、私は分からない。しかし、大妖精は理解出来たようで、それは遠いですね、と呟いた。

 

「…あ、あの」

「何だよ」

 

さっきまで後ろで一人ポツンと立ち尽くしていた少女が震える声で彼女達に声をかけた。その声にいち早く対応した妹紅はかなり冷たい声色で、何かあったのだろうな、と簡単に推測出来る。

一歩ずつゆっくりと近付き、長椅子で横になっている幻香を見下ろした。その表情は、不条理を嘆くような辛く悲しいもの。その表情を見上げた幻香は、自分が求めたこととはいえ少しばかり同情するような表情だった。

 

「わ、『禍』」

「…あー、はい。そういえば自己紹介してませんでしたね。わたしが『禍』ですよ、稗田阿求さん。ご存知かと思いますが、人間の里では災厄の権化とか言われてますね。…で、そんなわたしに何か訊きたいことでも?」

「何故、私をここに拉致したのですか?」

「うわぁお、ど真ん中を突き進む誤魔化しなしで直接的な問いですね」

 

そう言ってから大妖精に一言かけてから額に乗る手を離してもらい、幻香は体を起こした。そして、両手で稗田阿求の頬を挟み、額に額を押し付けた。一瞬逃れようと下がろうとしたが、幻香は仮にも妖怪。その程度で振り払えるほどやわじゃない。

そのまま無言で額を合わせ続けること数十秒。ようやく離したと思ったら、また幻香は長椅子に倒れてしまった。その顔には汗が二粒ほど流れており、さっきまでと比べて明らかに疲れ切っている。

 

「…ま、理由はいくつかありますよ。まず、貴女がわたしが起こす異変に必要だから。次に、貴女が編纂家だから。そして、貴女が有名だから。あと、貴女がひ弱だから。最後に、面白そうだから。…満足しましたか?」

 

疲労を隠そうともしない、詳細な説明を省いた簡潔な答え。

 

「おぉーい。確かに編纂家でひ弱だったけどさぁ、最後のは何だよ、最後のは」

「最後?面白そうがそんなに不満ですか?」

「わざわざ攫って、その理由が面白そうとか最高じゃん」

「でしょう?」

 

お互いにケラケラと笑い合い、軽く拳を打ち付けた。その仕草に不満を抱いたらしい稗田阿求の表情が歪む。

 

「そんなふざけた理由で私を攫ったのですか?」

「はい。あぁ、貴女が仕事を出来るように、萃香には道具を一通り持ってくるように言ったはずですから」

 

長椅子から跳ね上がり、縦に横にクルクルと回りながら着地。そして、私が今使っている机の脚が短くなった、卓袱台くらいの高さの机を創り出した。萃香の手にある風呂敷を指差し、次に机を指差す。少し考える仕草をした萃香だったが、すぐに理解出来たようだ。苦笑いを浮かべながら、風呂敷の中から道具を取り出し、机に並べていく。

 

「…この私がこんなことに使われるの初めてかも」

「初めての経験っていいですよねぇ。大切にしてください。…さて、こうして並べたわけですし、お好きなように編纂をしてくれてもいいんですよ?」

「わざわざこんなところに連れ去っても仕事をさせてくれるなんて感謝の極みです」

 

直球な皮肉を言っているのだろうが、幻香は髪を撫でる風のように聞き流し、フランの肩に手を乗せた。

 

「あ、言い忘れてました。フラン、貴女はこの紅魔館の新しい主ですから」

「へー、そうなんだ。…え?そうなの?何時の間に?」

「だってレミリアさん外に叩き出しましたし」

「あんなこと言っておきながら事後承諾かよ」

 

ペシペシと幻香の頭を軽く叩く妹紅の頬は引きつっていた。そんなことは一度も聞いていないのだから、私も驚いた。しかし、一番驚いているのは勝手に主にされたフランだろう。

 

「ま、特に何か変わるってこともないですから。頭がないと体は動けないものですし、必要なものですよ」

「むぅ…。分かったけど、お姉様みたいなこと出来ないよ?」

「する必要ないですよ。だって、紅魔館の主はフラン、貴女なんですから」

 

そう言ってフランの頭を撫で、机に座った稗田阿求を一瞥してから私と目が合った。

 

「準備は出来ました?」

「先に使うほうはもう大丈夫。けど、もう片方はまだまだね」

「ならよし。けど、仕事一つ増やしていいですか?」

「…内容によるわね」

 

まだ炎の形が納得のいくものになっていない。それらしいと思えるくらいにはなったが、まだ足りないと思っている。それを完成させる時間がなくなるような役目は断るつもりでいる。

そんな私の願いを受け、幻香は目を瞑り腕を組んで考えている。ブツブツと何かを呟いているけれど、私には内容を聞くことが出来なかった。

 

「よし。一度発動したら簡単には解除出来ないような、非常に強力な結界を張ることが出来る魔法陣ってありますか?」

「あるわよ。で、どの程度の結界がいいのかしら?」

「魔理沙さんのマスタースパークで壊れないくらい。欲を言えば、レミリアさんのグングニルで貫かれないくらい」

「…素材と魔力量によるわね」

「わたしの血液でもいいですから」

「それを使えば簡単に出来るでしょうけれど、出来るだけ頼りたくないのよ」

「そうですか…。頼んでばかりなので少しくらい役立ちたかったんですが…」

「そんな課題を出してくれるだけで十分よ」

 

無理難題ではないが、非常に難しい注文。だからこそやりがいがある。これを出来れば、私は魔法使いとしてさらに先へ進める。そう思える。

 

「何に使うかは知らないけれど、何時までに?」

「出来るだけ早く。具体的には、異変解決者が来るまでに」

「意外と余裕あるわね。任せなさい」

 

残された二つの役目、成し遂げてみせましょう。

 



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第219話

ここから遠く離れた場所で待機してもらっている彼女達がやって来るのには、まだもう少し時間がかかるだろう。その時間を何もせずにいるのはもったいないので、長椅子に横たわり、妖力の回復を意識的に加速させていく。しかし、その分体力が削られていくのだから難儀なものだ。けれど、この先妖力をかなり使うことは確実。このままでは、下手すれば足りないくらいだ。そのときは非常にもったいないけれど、このフェムトファイバーを回収することになるだろう。妖力量なら緋々色金十個分を軽く超えるくらいはあると思うけれど、当たり前だが回収してしまうとどんどん短くなってしまう。道具として使うにはある程度の長さが必要なのだから、どうしても必要な時まで回収は避けたい。これを創るのだって頭使うんだから。

それにしても、このフェムトファイバーは何時までもその姿のままでい続けることが出来る、というふざけた性能があるけれど、その代わりに過剰妖力が一切入らないことが不便だ。過剰妖力を炸裂弾にして攻撃することも出来ないし、過剰妖力を推進力にして動かすことも出来ない。密度百パーセントだから、そんな余分で不純なものを入れる場所がないということだろうか?…まぁ、わたし自身が鞭を振るうように自在に操れるならいいのだけど、咄嗟に出来るのは、何かに叩き付けることと巻き付けることくらいだ。飛んで来たものを弾くことは半分出来れば上々くらい。武器としての利用はかなり先の話になりそうだなぁ。

フェムトファイバーを弄りながらそんなことを考えていたら、近くにいた萃香がフェムトファイバーを興味深そうに見ていることに気付いた。

 

「萃香?」

「ん、その紐がちょいと気になってなぁ」

「…分かるんですか?」

「何となく。今まで色々やってきたからかな、これ以上ないくらい萃まってるのを感じるんだよ」

 

私のそれとは違う方向で、と続けた萃香は、わたしから紐を引っこ抜いていた。…せめて何か言ってからにしてほしい。

 

「…とてもじゃないけど、私には真似出来ないな。どうやったら出来るんだかサッパリだ」

「流石月の技術ですね。曰く、永遠に変化しないそうですよ?」

「へぇ、ちょっと試していいか?」

「…勝手に疎にして解かないでくださいよ?」

「出来るかどうか微妙なとこだけど、そうじゃない。ただ単純に引っ張るだけさ」

 

そう言うと、紐を拳一つ分離して二ヶ所掴み、腕に血管が浮かぶほど力強く引っ張り始めた。僅かに開いた口から覗く歯は、砕けんばかりに噛み合っている。萃香の眼がこんなことなのに真剣そのもので少し怖い。

 

「…はぁ、凄いなこれ。まさか、紐に負ける日が来るとは思わなかったけどな。ちょっと、いや、かなり傷付いたかも」

 

しかし、終わってみればフェムトファイバーは無傷であった。見た感じ変わった様子もなく、少し探ってみても密度に変化なし。十割完全に満ち満ちている。これはもしかしたら千切れちゃうかも、なんて思ったのだけど、まさか千切れないとは。自分で創っておいてそう思うのはおかしな話かもしれないが。

 

「へー、萃香に千切れない紐なんてあったとはな。…よし、次は私だ」

「あ、おい」

 

傷付いた、なんてことを言っていながら全くそうは見えない萃香の近くで眺めていた妹紅がひょいと紐を取り上げると、その手から炎を噴き出した。

 

「力で駄目でも燃やせば焼き切れるだろ?」

「…どうなんでしょう?」

「試せば分かる。…ん?あ、これ無理っぽいな」

 

そう言って炎を払うと、焦げ目すらない綺麗なままの姿が現れた。よく思い出して考えてみれば、燃えて焼き切れるとは反応による変化の結果。つまり、変化することのないフェムトファイバーが燃えることはあり得ないのか。

 

「よーし!次は私!」

「おー、物騒なもの担いでるなぁ、フランドール」

「ほらほら」「貸して!」

 

三人のフランが妹紅からフェムトファイバーを受け取り、その内の二人が端を持ってピンと張る。そして、残された一人がフェムトファイバーの目の前でレーヴァテインを振り上げた。

 

「スゥ…。セイッ!」

「うわっ!」「きゃっ!」

 

レーヴァテインがフェムトファイバーに思い切り振り降ろされると、両端にいたフランが引っ張られるように崩れてしまった。それに伴い、ピンと張られていたフェムトファイバーは一気に緩くなってしまい、レーヴァテインが空しく床に切れ込みを入れて終わった。

 

「あ。…やばっ!」

 

床に刺さったレーヴァテインを引っこ抜いても、その刃に纏っていた炎で床に炎が広がっていく。フェムトファイバーも一緒になって炎の中に入っているけれど、きっと大丈夫だろう。しかし、本はパチュリーが掛けたという魔術結界で守られているとはいえ、それ以外は大火事だ。

 

「任せろ。…ほれ」

「うひゃっ」

 

その瞬間、萃香の手が何倍にも大きくなった。その巨大な手を床に振り下ろし、炎を押し潰す。…床が凹んでしまったけれど、これ以上燃え広がるよりはマシだっただろうか?…あ、パチュリーが何とも言い難い表情で床の凹みを眺めている…。しかし、そのことについてわたし達に口を出すことはなく、代わりに溜め息を吐きながら机に置かれているベルを鳴らした。きっと、これからやって来るであろう妖精メイドがこの床を修理することになるのだろう。

 

「ほれ、かなり熱いだろうから気を付けろ」

「へ?…そうでもないですけど」

「いや、皮膚が焼ける香りがする。かなりヤバいんじゃないか?」

 

押し潰したついでに回収したのであろうフェムトファイバーを萃香に投げ渡されたので、掴み取ってみたけれど、特にどうってことはなかった。しかし、そう思っていたのはわたしだけのようで、妹紅にそう言われると、確かに皮膚が焼けたような嫌な香りがする気がする。

急いで右手を離すと、触れていたところが分かりやすいくらいに真っ赤になっている。少し弄れば皮がベロリと剥けそうな感じ。…うわ、これ割と深い火傷じゃなかったっけ?

 

「おい、痛くないのかそれ?」

「…あ。そういえば、ずっと前から痛みを意識から外してたんだった」

「なんじゃそりゃ」

「占領するのに痛みは邪魔でしかないかなぁ、なんて思ったので。よし、ちょっと意識に戻して…。ん?痛っ。うげ、これ相当痛い!痛たた!」

 

どういうわけか、高温のフェムトファイバーを掴んだ右手だけじゃなくて、左手もかなりの痛みを発している。確認してみると、出血はしていないものの、何かで抉られたような穴がポッカリと空いていた。ギョッと目を見開いていたら、萃香は呆れたように言った。

 

「今更気付いたのかよ…。何か理由があってそのままにしてたと思ったら、まさかそんなことしてたとは思わなかったなぁ」

「その左手、お姉様に撃ち抜かれてたんだけど、てっきりすぐ治ると思ってた…。ごめん、おねーさん」

「それよりどうするよ?…おーい、さっきみたいに楽にするのは無理か?」

「え?…少し痛みが引くくらいなら出来ると思いますけれど、すぐに治すというのは…」

「ぜひお願いします…。少し痛みが引けば多分治せますから」

 

両手を大ちゃんに出すと、その手を掴まれる。一瞬痛みが走るが、それも淡い黄緑色の光によってすぐに薄れていく。…よし。戦闘時に継続するとなればまだ不安はあるけれど、そうでないのならばいい加減もう慣れた。『紅』発動。

わたしの体が僅かに変質したのが分かる。僅かに吸血鬼へと歩み寄ったのを感じる。そこら中で『目』がチカチカと自己主張しているが、今はどうでもいい。両手に意識を向け、治癒していく。

 

「もう治ったみたいですよ」

「ふぅ。ありがとうございます」

「気にしないでください。私が出来ることをしただけですから」

 

優しく微笑まれながら言われるけれど、さっきまでのわたしはかなり間抜けだったと思う。痛みを排したまま放置して、気が付けばこの様。一段落着いたからと言っても、すぐには来ないだろうと分かっていても、それでもこれは気を抜き過ぎてたかも。

…よし、気を引き締めていこう。

 

「とりあえず、フェムトファイバーについてはそのくらいでいいでしょう。ここにいない皆がここに来たら、次に何をするか話しますから」

「それはいいけどさ、さっきからあの編纂家の視線が鬱陶しいんだけど」

「え?…あぁ、いいんじゃないですか?わたし達妖怪についてまとめるのが仕事らしいですから。自己紹介でもしてあげれば、もしかしたら記録してくれるかもしれませんよ?…あと萃香。いくら鬱陶しくても、喉笛を掻き切るような真似はしないでくださいね」

「しねぇから」

 

萃香とわたしの発言で息を飲んだ阿求さんは、さっきまで見詰めていた視線を机の上の紙に移し、何かを書き始めた。ここからでは読めないけれど、覗くつもりはあまりない。それより、阿求さんは非常に病弱であると慧音が言っていた。大丈夫だろうか?

 

「ま、いっか。さ、皆が来るのを待ちま――あら?」

 

ギギ…、と扉が開く音が響き、わたしの異変の協力者たちが一斉に雪崩れ込んできた。

 

「着いた!ほら、起きろチルノ!このまま寝てたら何もしないで終わっちゃうよ!」

「ムニュ…?お?おぉ!着いたのか!よーし!アタイにかかればもう安心だー!」

「やっと起きたのかー、寝坊助さんめー」

「ふひー!ようやく着いたー!」

「ぜぇ…、ぜぇ…。…さ、サニー、ちょっと、待って…」

「ルナったら、もうへばったの?…大丈夫?」

「リグルもサニーも走るの早いよ…。特にリグルはチルノ背負ってたのに…」

 

わたしは彼女達に向けて手を振ると、それに気付いたらすぐにこちらへ駆け出してきた。さっきまで寝ていたり、息も絶え絶えだったりしている子もいるけれど、全員やる気に満ちている様子でホッとした。

 

「よし、早速次の段階について話しますか」

 

横になっていた姿勢を変えてちゃんと座り直し、一呼吸置く。…よし、落ち着いた。

さて、話し合いを始めましょうか。

 



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第220話

「とりあえず、こうして紅魔館の占領も上手くいきましたし、これからの異変について話しましょうか。まず皆には訊きたいことがあるんです。誰が異変を解決しに来ると思いますか?」

「そんなことわざわざ訊くことか?」

「一応ですよ。わたしが思い付かないような人が出てくるかもしれないし」

 

わたし一人だけで考えるより、視点が多いほうがいい。思いもしないようなものが飛び出すことだってある。

 

「お姉様と咲夜。絶対にここを取り返しに来るよ」

「それなら美鈴も一緒に付いてくるんじゃないか?」

「えっと、まどかさんが何かすれば霊夢さんが来ると思います」

「競うように魔理沙も来るでしょうね。それにアリスが巻き込まれるかも」

「あの時みたいに妖夢さんと幽々子さんが来る、なんて有り得るかなぁ?」

「永琳、はないか。代わりに鈴仙を送り付けるかもな」

 

ふむ。大体予想通りだったけれど、うどんげさんは思い付かなかった。

わたしが手を伸ばしてちょうど届くくらいの高さの大きな薄紫一色の一枚板を創り出し、阿求さんが使っている墨汁を指先に複製し、板に今挙げられた人の名前を全員書き上げる。墨汁が垂れて読めなくなってしまわないように、書き終えたらすぐに水分だけを回収してさっさと固めてしまう。

ここに書くつもりはないが、実はわたしが立てた計画にはかなり大きな問題がある。それは風見幽香が現れることだ。正直、彼女が現れると非常に面倒くさいことになる。負けない手段なら考えてはあるけれど、それだってちゃんと機能するか微妙なところ。それが機能したとしても、飽くまで勝つことは出来ない。願わくは、あの向日葵畑から出ていませんように。

 

「さて、この九人でいいですか?」

「いいんじゃないか?」

 

全員を見回すと、チルノと萃香はまだ考えているように見える。しかし、今すぐに出てこないなら、先に進ませてもらおう。

 

「とりあえず、霊夢さんは除外しましょう。彼女は既に決まっていますから。それで、出来ればこの人と相対したい、という希望とかありますか?」

「私はお姉様。一応、紅魔館の主になったことだし?」

「美鈴だな。途中で打ち切られたし」

「おい妹紅、私にもやらせろよ」

「アタイ魔理沙!」

「え!?私もそうしようと思ってたんだけど!」

「ちょっ、サニー…」

「あらら、取っ組み合いしちゃって」

「チルノちゃん!サニーちゃん!喧嘩しないの!」

「私はレミリア…、は無理かな。代わりに咲夜に挑戦したい」

「私は、んー…。この中から選ぶなんて難しいなぁ…」

「誰でも構わなーい。ばっちこーい!」

「私は魔理沙かアリスかしら。同じ魔法近い同士として、ね」

「非常に分かりやすいですね」

 

そして選ばれなかった妖夢さん、幽々子さん、うどんげさん。まぁ、余っても特にどうってことはないのだけど。来ようと来なかろうと、わたしにとってはどうでもいい。

 

「希望通りいくかどうかは分かりませんが、出来るだけ融通してあげてくださいね。…あと、チルノちゃんは大ちゃんと同伴ね」

「はい、分かりました。任せてください」

「期待してますよ?」

 

わたしと大ちゃんの会話をそっちのけで、チルノちゃんとサニーちゃんはじゃんけんをし始めた。そして、最初の一手でチルノちゃんが負けて非常に悔しがっているご様子。慌てて大ちゃんが慰めにいったけれど、すぐに落ち着いてくれるかなぁ?

この先にやるつもりのことを頭の中で並べていると、ちょいちょいと袖を引っ張られた。

 

「どうしましたか、ルナちゃん?」

「…あのさ。私なんかが、迎え討てるのかな…?」

「何を言っているんですか?」

「え?」

「迎え討つつもりなんて最初からない。強弱も勝敗も善悪も正邪も好悪も賢愚も清濁も美醜も明暗も難易も真偽も生死も加減も白黒も全てを巻き込んでグチャグチャに混ぜ込んで一緒くたにして傍迷惑に後先考えずに盛大に遊び散らかす。…それでいいんですよ」

 

それが貴女達の役目なんですから。

 

 

 

 

 

 

眠気に負けて寝てしまった子が出てきたため、話はさっさと切り上げさせてもらった。起きているのは、フラン、妹紅、萃香、パチュリー、そして阿求さん。他の子は、チルノちゃんとサニーちゃんに付き合うように寝始めた。明日早くから始めるつもりなので、寝てしまうことは非常に正しい選択だと思う。

 

「フラン」

「何?」

「朝日が昇って少し、具体的には一時間経ったらパチュリーの指示に従ってください」

「うん、分かった。任せて」

 

そう伝えると、フランはすぐにパチュリーの元へ向かった。これでよし、と。

 

「それにしても、異変を起こすなんて馬鹿みたいですよねぇ」

「おい、今から起こす奴が何言ってんだよ?」

「私がいる前でよくもまぁそんなこと堂々と言えるなぁ、え?」

 

独り言のつもりで呟いたのだけど、妹紅と萃香には聞こえてしまったらしい。確かに、萃香は異変を起こした者だ。しかし、彼女にも当て嵌まることだ。

 

「言いますよ。だって、異変を起こして、それの原因となることは成功しないと碌な成果を得られない。紅い霧は晴れてしまうし、西行妖は九分九厘咲きで打ち止め。宴会は続かないし、『地上の結界』は…まぁ例外かな。結果論とはいえ、そもそも必要なかったし」

 

レミリア・スカーレットは紅霧で満ちた昼を遊ぶことは出来なかった。西行寺幽々子は春を掻き集めても一歩手前で西行妖の封印を解くことが出来なかった。伊吹萃香は無理矢理行わせていた宴会を強制的に終わらされた。上手くいけば目的は達成出来た。しかし、上手くいかなければそれまで。

 

「だからさ、そもそも異変を起こさないか、異変を目的達成後の事後処理として起こすか、確実に達成出来る状況で異変を起こす。これがあるべき姿だと思うんですよね」

「じゃあ幻香。あんたはどうなんだ?」

「無論、三つ目。一つ目は話になりませんし、二つ目はちょっと考えましたけれど、無理そうでした。…ま、三つ目と言ってもまだ微妙なところですが」

「ふぅん。ま、私達に任されたことはキッチリと熟すからな」

「わたしだって目的を達成するために出来ることを全てやりますよ。あらゆる手段を用意しておきますからね」

 

そして、目的の達成を覆い隠すために全く関係のないこともやらかす。どれがわたしに必要で、どれが不必要かを絞らせないために。

まぁ、つまりだ。わたしも盛大に遊ぶつもりでいる。必死になってやるよりも、そっちのほうが余裕が出来る。張りつめ過ぎず、緩め過ぎない。ちょうどいい緊張具合で。ふふ、楽しみだなぁ…。

 

「…『禍』」

「はい、何でしょうか?阿求さん?わたしに答えられることなら何でも答えますよ」

 

そんなことを考えながら、暇潰しに本でも読もうかと本棚へと歩く途中。阿求さんに呼び止められた。

 

「貴女は何をするつもりですか?」

「異変を起こすだけ。わたしに起こせる災禍を全部」

「ぜ、全部…?」

「そう、一つ残らず全部だ。アハッ、まずは鬼攫いの再来。次は何にしようかなぁ…?」

「どうしてそのようなことを…っ!」

 

憤る彼女を見ていると、面白くて吹き出しそうになる。予想通りのことしか言わない。実に人間らしいよ。一から十まで全部自分達は被害者だと言いたげなところが、特に。

 

「稗田阿求…、いや、人間。そうさせたのは貴女達だよ?自分で言うのも何ですが、わたしはかなり我慢したほうだ。夜な夜な攻められた時は一人で抑えた。そして『黙って里で縮こまってろ』という内容を天狗に言った。けれど、また噴き出した。もううんざりだよ。だからさ、受け身でいるのはもう止めた。『禍』と呼ばれるなら『禍』らしく、災厄の権化と言われるなら災厄の権化らしく、遠慮なしにぶちまけてやろう、ってね」

 

だから、わたしは言ってやる。心の奥底に押し込んでいたわたしの黒い感情を、貴女にだけは包み隠さず言ってやる。真実に虚構を混ぜ込んで、わたしは人間の悪役になってやる。

ズイ、と鼻と鼻が触れ合うほどに顔を近付け、囁くように言った。

 

「喜べよ、人間。これが貴女達がわたしに望んだ姿だよ?」

「そんなことが、許されるとでも思っているのですか!?」

「思ってないよ。思ってたなら、そんなことやらない。だってさ、災厄は許されるものじゃあないでしょう?」

 

眼を見開いて怯えるように後退る彼女に優しく微笑み、聞こえるかどうか分からないくらいの小さな声で言ってからその場を離れた。

 

「期待して待っててね。危殆に瀕する素晴らしいことが起こるから」

 



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第221話

本棚からどれを読むかは特に決めずに一冊の分厚い本を引き抜き、開き癖が付いていたからか、やけに開きやすいところで開いた。中にある長ったらしい文章と小難しい挿絵に一瞬目を通したけれど、わたしの頭の中はそんなことよりも、これからの計画についていっぱいになっていった。

どれだけ考えても、完成したとはとてもではないが言えない。よりよいものにすることは出来ても、一切隙のない完璧な計画にすることは不可能だ。だから、わたしは思い付く限りの可能性を網羅し、それに対して一つずつ手段を用意しておく。対処出来るものを増やし、異変の目的の成功の可能性を少しずつ上げていく。

まぁ、ここまで来ればもうほとんど成功したようなものなんだけど…。それでもやっぱり気が抜けない。そうだから、わたしの後ろに近付いてきた萃香にすぐに気が付き、すぐに振り返った。

 

「どうかしましたか?」

「いや、思い出したことがあってさ」

 

そう言うと、人差し指と中指と薬指を伸ばした。そして、すぐに薬指を折り畳む。

 

「まず、異変を解決しようとするやつなんだけどさ。紫も来るんじゃないか?」

「え?紫?…あぁー、そういえばすっかり忘れてましたね。出て来ないことが分かり切ってたので」

「はぁ?どうしてそんなことが分かるんだよ」

「ちょっと交渉して、わたしが異変を起こしている間だけ干渉しないことを約束しましたから」

「…それ、信用出来るのか?」

「さぁ?この約束を破ることで八雲紫が受ける損害を可能な限り大きくしたので、出て来ないと思うんですけど…。どうなんでしょうね?」

 

幻想郷全壊を天秤に掛けたのだし、よっぽどのことがなければ出て来ないと思うけど。まぁ、わたしが見えないところでコソコソと何かしている可能性もあるわけですし、注意はしないといけないよね。もし、八雲紫の干渉に気付いたら、遠慮なく幻想郷を崩壊させよう。わたしも死んでしまうかもしれないわけだけど、まぁ別に構わない。

しかし、そもそもが夢の中の話。あれはわたしの夢が勝手に生み出したものであって、本物の八雲紫ではない可能性だって極僅かに存在する。もしそうだとすれば、八雲紫は特に気にせず外に出ているだろうし、それによってわたしは幻想郷を崩壊させかねない。…そのときはどうしようかなぁ。気にせず壊してしまうか?…それでいいか。

そんなことを考えていると、萃香は中指を折り畳んだ。

 

「それと、次は慧音からの伝言」

「慧音からの?」

「『こっちは任せろ』だってさ」

「…返事を伝えられないのが悲しいですね」

 

わたしがこれから人間の里へ赴くわけにはいかない。計画が色々と破綻しかねないし、そもそも行きたくない。これからあの人間共に煩わされずに済むようにするっていうのに、わざわざ会いに行きたくない。

 

「終わってからでも十分だろ?」

「…ええ、そうですね。全て終わってから考えましょう」

 

今はこれから起こす異変のことを考えよう。そして、萃香は最後に残された人差し指をわたしに向けた。

 

「最後だ。どうしてわざわざここを占領した?異変を起こすだけなら何処でやろうと変わらないだろうに、どうしてわざわざ紅魔館を選択したんだ?」

「フランとパチュリーが中にいるから。それと、目立つから。…まぁ、この二つが大きいかな」

「細かいのはいい。最初はいいとして、次だ。さっきは目立たないほうがいいとか言ってたじゃねぇか。矛盾してないか?」

「異変を起こす、という行為自体は目立たせる必要があるので」

 

そう言うと、萃香の表情がよく分からんと極太で書かれているようなものになった。

 

「…意味分からん。何が違うんだ?」

「異変を目立たせて、目的を覆い隠す。つまり、異変が終わった頃には目的は達成されているんですよ」

 

追加で説明すると、さらに文字は太くなってしまったようである。しかし、その表情は少し経つと元に戻った。どうやら、考えることを後回しにしていたと見える。

 

「ま、私からはそれだけだ。邪魔したな」

「いえ、大丈夫ですよ」

 

どうせ本の中身は全然頭に入っていなかったわけだし。しかし、そのことを伝えるのは少し恥ずかしかったので、萃香を黙って見送ることにした。

そして、読むつもりのない本をパラパラと一定の速さで捲り続けながら、わたしは計画について考えを深めていった。

 

 

 

 

 

 

「…あ」

 

最後の一枚を捲ってしまった。始めたところから考えると、かなり長い間計画を練り続けていたことになる。…このくらいでいいや。考え過ぎても疲れるだけだし、あとはその場の雰囲気で何となくやればいけそうかな。全て決まりきった路線を進めるわけじゃないのだから、ある程度遊ばせてもらうつもりなのだし。

 

「…『禍』」

「またですか?」

 

本棚に本を仕舞い、仮眠でも取ろうかなと本棚の間から出て行くと、またもや阿求さんに呼び止められた。机に乗っている紙を見下ろすと、わたし達が話していた内容が並んでいた。

 

「改めて問います。貴女はなぜこのようなことをするのですか?」

「それは貴女達がそう望んだからで――」

「違います、それはもう聞きました。それに、それは貴方の理由ではないでしょう?」

「…一応、理由の一つなんだけどなぁ」

 

まぁ、彼女に言ったその理由は全体の小さな欠片程度の大きさでしかない。そのくらいどうでもいい理由だったのだが、どうやらバレてしまったらしい。別の見方をすれば、鎌掛けてより多くの言葉を引っ張り出したかった、何てことも考えられるけれど、まぁ別にそうであっても構わない。この手の探り合いはよくやった。

 

「で、どんな理由がお望みですか?」

「真実を」

 

真実、ねぇ…。

 

「平和のため」

「嘘を言わないでください」

「酷いなぁ。真実ですよ、これ」

「…そんなはずないでしょう、『禍』」

 

ほらやっぱり。真実を求めているとか言っているくせに、実は自分にとって都合のいい答えを求めている。『禍』という括りから外れたような答えは最初から望まれていない。まぁ、分かっていたけど。

だから、彼女がいかにも望んでいそうな言葉に言い直す。まぁ、かなり虚構が混じっているけれど、これもわたしの理由の一つに成り得るし、これでいいや。

 

「…はぁ。じゃあ、こう言ってやるよ。わたしが巻き起こす禍災で人間共を恐怖のどん底に叩き落とし、苦痛と絶望に歪む表情を眺めて悦に浸りたい。貴女達が望んだからやっていることでもあるけれど、わたし自身も望んで行っています。…はい、これで満足?」

 

というか、混じっている嘘を取り除くと少し前に訊かれたことの答えを言い直しただけである。それでも、阿求さんが求めていた答えであったようで、わたしを強く睨みつけながら諭すような言葉を吐いた。

 

「貴女は、人里あっての幻想郷であることを知らないのですか?私達人間がいるからこそ、幻想郷が成り立っていることを。だからこそ、人里に妖怪が攻め入らない。それを分かって言ってのことですか?」

「知ってる」

「じゃあっ!」

「わたしは幻想郷が崩壊しようと別に構わないから」

 

まぁ、貴女がそういうことを言うことは既に予想済みだから。今更そんなことを言われても、どうとも思わない。

 

「…く、狂ってる」

 

しかし、阿求さんは予想外であったようで、そんな言葉を呟いた。うん、わたしが異常者であることはよく言われるから。この容姿も、この能力も、この思考も、まとめて全部おかしいって。

 

「まぁ、自覚はありますよ。破滅願望と消滅願望は確かにありますからね」

 

そう言うと、阿求さんは口元を押さえて蹲ってしまった。…多少の破滅願望と消滅願望は誰にだってあると思うんだけどなぁ。だた、それを実行しようとすると理性によって抑え込まれるだけで。

わたしから見れば、貴女だって十分狂人だ。記憶はほとんど引き継がれないといっても、何度も転生して編纂を続けようなんて考える、阿礼の遺した秘術に縛られた人形。

 

「それじゃ、頑張ってくださいね」

 

まぁ、そう思っても口にする必要はない。そんなことは、もう彼女は分かり切っているのだから。

 



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第222話

仮眠から目覚め、周りを見渡す。ボンヤリとした小さな光の中に、たった一人で黙々と作業を続けているパチュリーが目に入ったが、話しかけるのは止めておいた。あんな眼を見てしまえば、そんな無粋なことをしようとは思えない。わたしが寝るときには掛かっていなかった布団を手に取り、机に腕枕で突っ伏して眠っている阿求さんに掛けておく。そして、音を立てないように大図書館から出て行った。…まぁ、大図書館から退室したことは、パチュリーが使っている机の上の球で伝わってしまうのだが、今の彼女はそんなもの目に入らないだろう。

碌な光もない廊下を一人で歩き、そのまま庭に出る。いつの間にか雲が広がり、月明かりも星明りも通さない黒い空を見上げる。…耳鳴りがするほど静かだ。これから異変を起こそうっていうのに、ここまで静かだと違和感すら覚えてしまう。嵐の前の静けさとは少し違うような、薄気味悪い静寂。

フワリと浮かび上がりながら、空に手を伸ばす。何かを掴むわけでもなく、何かをするでもなく、ただ手を伸ばした。伸ばして伸ばして、失ったような気がする、そもそもなかった気もする、そんな何かに触れたかった。そんな何かを掴みたかった。けど、そんなものは手の内に収まるはずもなく、握られた手を開いても、その中には何もない。そんなこと分かり切っていたはずなのに、その空っぽの手がやけに寂しかった。

そんな寂寥感を覚えながら、紅魔館の屋根の上に座る。ほんの少し空が近付いたけれど、それでも果てしなく遠い。見上げても見通しても、その果ては決して見えない。あぁ、この曇り空が晴らせればいいのに。そうすれば、わたしの心も晴れる気がしたから。

そのまま空が明るくなるまでここにいようか、なんて考えていると、一人の妖精がこっちに近付いてくるのが見えた。いつの日か見たような気がする、ここの妖精メイドさんだと思われる子。きっと、こんな時間から定期的にか不定期的にか通っている子なのだろう。

 

「こんばんは」

「こんばんはぁ。あのねぇ、面白いもの見ちゃったのぁ、私ぃ」

「へぇ、何ですか?」

「きっと驚くよぉ?お嬢様とメイド長が門番さんに担がれててさぁ。それでねぇ、行ったのよぉ、寂れた神社にぃ」

 

寂れた神社?…あぁ、博麗神社かな。レミリアさんのプライドが助けを求めることを拒むか、それともそのプライドを押し退けてでも助けを求めるか。どっちに転んでもよかったのだけど、後者に転んだのか。それか、美鈴さんの独断によるものかもしれない。

 

「ふぅん、そっか。手間が省けたかな」

「手間ぁ?」

「そ。今の紅魔館については、この中にいる妖精メイドさんの誰かに聞いたほうがいいですよ。大分状況が違いますから」

「そっかぁ、分かったぁ。それじゃあねぇ」

「ええ、それでは」

 

何処か間延びした口調で話す妖精は、わたしに別れを告げるとすぐにゆっくりと降りていった。そして、しばらくするとまた静寂が訪れる。しかし、見上げた空には雲の切れ目から僅かに月が覗いていた。

 

 

 

 

 

 

口を開くと、苦痛に歪んだ声しか出て来なかった。そんな無様な姿を見せたくなくて、私は口を固く閉ざし続けた。斬り飛ばされた四肢はまだ治らないが、既に血は止まった。銀の刃によって斬られたその傷の治りは極端に遅い。さらに言えば、その傷口は焼けるような痛みが治り切るまで続く。しかし、今では短めの言葉なら口に出せる程度には余裕が出来た。

私の近くの布団に安静にされている咲夜は、未だに目が覚める様子はない。ただ、そのまま目覚めないという(ヴィジョン)は視えない。ならば、慌てることはない。

 

「…ほら、食べなさい。この分はいつか返しなさいよね」

「こんな時間にすみません…。ですが、今の私達にとってはここが最も適していると思いまして…」

 

そう言いながら何度も霊夢に頭を下げるであろう美鈴の声が隣の部屋から聞こえてくると、こんなことになってしまった原因に憤りを覚えるが、それ以上に敗北した私自身に腹が立つ。

そんな幻香が、私の紅魔館を占領して何をするつもりなのか。これまで、会話をした数はそれなりにある。あの時見た運命が覆されたことが少し不安材料ではあるし、この運命が鮮明に視えない場合もある。しかし、そんな霧がかった極一瞬でいいから、何か欲しかった。

 

「…え」

 

無数の屍の山。その頂上には全身返り血に濡れた私…ではなく、幻香が背中を向け一人立っていた。

その屍の山には何処の誰とも知らない人間に加え、氷の妖精が太陽の妖精が月の妖精が星の妖精が大妖精が闇の妖怪が虫の妖怪が夜雀の妖怪が妖怪兎が鈴仙が永琳が輝夜が慧音が萃香が八雲藍が八雲紫がアリスが妖夢が幽々子が魔理沙が美鈴がパチェが咲夜がフランが私が一緒くたになって積み上げられていた。

私の視線にでも気付いたかのように幻香はグギリ、と首を不自然に曲げた。その表情は何処までも狂気的で、吊り上がる頬は今にも引き千切れそうで、見開いた眼は今にも零れ落ちそうであった。それこそフランのそれが優しい笑顔に思えてくるほどに醜く歪み切っていた。

そんな幻香の手には髪の毛が絡みついており、その下には当然のように一つの頭がぶら下がっていた。そして、その顔は血の気が完全に失せていたが、確かに見覚えがあった。

 

「…ッ!ぅ…ッ!」

 

見ていられなくて。視ていたくなくて。認めたくなくて。私はその像から目を離してしまった。死屍累々。屍山血河。口元を押さえようとして、今は右手がないことを今更のように思い出した。

しかし、もう目を逸らしてはいけない。あの像のどこかに、その終焉を覆すために必要な何かを掴めるかもしれない。そう考え、再び幻香の運命を視た。

 

「…え?」

 

落ちている。何処までも落ちている。周囲は空色で塗り潰され、無限にも思える彼方へ落ち続けている。その上には何もなく、その下に大地は見えない。果てなき空間を、ただただひたすら落ちていた。

そんな中にいる幻香は、まるでそれを望んでいるかのように微笑みを浮かべながら目を瞑っていた。その表情は、まるで幸せな夢でも見ているかのように安らかで、それは死に際の顔にも見えた。

それでも、幻香は止まることなく落ち続けている。いつまでも落ちている。止まらない。終わらない。止まれない。終われない。

その像から目を離し、そして困惑した。全く違う。何だこれは。今までにも違う運命が視えることだってあった。しかし、これはあまりにも違い過ぎている。

 

「…ま、さか」

 

嫌な予感に促されるままに三度目の運命を視る。そして、その予感は的中してしまった。

視えた像は、磔にされた幻香であった。見知らぬ子供に石を投げ付けられ、そして大人には罵詈雑言を吐き捨てられている。小生意気そうな一人の子供が悪戯でもするように幻香の足元に近付き、小さな刃物で小指を斬り落とす。

しかし、それでも幻香は嗤っていた。その程度しか出来ないのか、とでも馬鹿にするように鼻で嗤っていた。

それからも運命を次々と視ていった。釣りをする像、フランと一緒に遊ぶ像、魔術研究をする像、霊夢とスペルカード戦をする像、道化のような壊れた笑顔を浮かべる像、萃香が出した酒を断る像、妖精達と戯れる像、次々と何かを創り続ける像…。視ているとキリがない。終わりがない。一度目を離せば、また視るときには全く違う像が映る。

 

「どう、いうことよ…」

 

運命とは、例えるならば道である。決められた道筋があり、分かれ道がある。遠い未来であればあるほど分割された道は多くなり、今の対象がその時進むであろう道が分かっても、将来その選択を変えることだってある。対象を全く知らなければ、道は霧がかかり視通せなくなる。対象が私の運命を裏切れば、道なき道を突き進む。予想もしない獣道を歩む。

しかし、幻香の運命は違った。その瞬間の運命を視ようとせず、少し離れて運命全体を俯瞰するように視ると、その全容は明らかに歪であった。蜘蛛の巣よりも細かく分かれ、最早道が道を呈していないほどに無数の道が広がっていた。その姿は、道と言うよりは広場。選択肢が多過ぎる。どこにでも行ける。どうにでもなれる。言い換えるならば、可能性の塊。

そう考えれば、幻香がこれまで私の運命を悉く覆してきたことが思い出される。まだ目覚めないと視れば、その場で目覚める。わたしの放った右腕を首を曲げて回避すると視れば、瞬間的に着地する。左手で攻撃すると視れば、私の右腕を銀製の細剣が切り裂く。幻香がかかわったことも加えれば、さらに多くなる。魔理沙は生還し、フランは狂気を操作される。他にも考えるのが面倒になるほどに湧き出てくる。

 

「…はぁ」

 

思わずため息が漏れる。幻香の目的について、全く分からないことが分かった。というより、幻香の運命そのものを視る意味がない。次の瞬間ですら、私が視る運命とは違うことをすることが出来る。というより、私自身がその無数に広がる運命から正しいものを視分けられない。

こんな現象は初めてだ。なぜそうなるかも分からないし、理解出来ない。ただ、ドッペルゲンガーという種族がそうさせているのかもしれないな、という根拠のない思い込みをして無理矢理納得させることしか私には出来なかった。

 



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第223話

雲が九割方を占める夜空を見上げ、隙間から覗く月と星を眺める。特に何かをするでもなく、ただただボーっと見続けていた。どのくらい経ったかは知らないけれど、短くはないだろう。夜明けも近い気がする。そして、夜が明けてしまえば、わたしの異変も本格的に始まる。あれだけ考えた。出来るだけのことはしたつもりだ。わたしの目的は、達成出来るだろうとは思っている。けれど、それでも上手くいくかどうか分からない。最良の結果を得られる、なんて甘い考えは持ち合わせていないつもりだが、最悪の結果を得てしまう可能性だって、当然のようにある。そのときは、あの八雲紫にわたしは縛られるわけだが…。それも既に賭けたこと。今更覆すつもりはない。

布が擦れるような音を耳が拾い、少しばかり警戒する。音は…、紅魔館の中からか。これは、多分フランかな。そう考えながら、開かれた近くの窓を見遣ると、そこから抜け出てきたフランと目が合った

 

「おはよ、おねーさん」

「おはようございます、フラン」

 

こっちに飛んできながら挨拶してくれたフランに、こちらも挨拶し返す。そして、フランはわたしの隣に腰を下ろした。

 

「もう起きてたんだ」

「大分前に目が覚めちゃいましてね。けど、二度寝しようとは思えなくて」

「そっか」

 

元々仮眠だったというのもあったけれど、わたしは夜が明けてから割と早くにここを一度出て行く。だから、二度寝して寝坊なんてことをしないように、起きていようと考えていた。

何もせずに待っている、というのはかなり苦痛であったが、何かをして無駄に消耗する気にもなれなかった。

 

「それにしても、よくここが分かりましたね」

「んー…、何となくだけど、ここにいる気がしたんだ」

「へぇ。予想的中じゃないですか」

「そうかもね」

 

そう言って笑うフランに、わたしは一つ問い掛ける。吸血鬼だからこその質問を。

 

「ところで、一つ訊きたいんですが。レミリアさんのあの傷は、もう治っていると思いますか?」

「んー…。あれって銀でしょ?それなら、多分まだじゃないかな。…けど、もし人の血を吸ってたら、もう完治してる」

「何人程度?」

「五…、いや六人くらいかな?」

 

五、六人吸血をすれば完治かぁ…。そんなことしていないだろうな。何せ、博麗神社にいるのだし。

そう考えていると、フランはわたしと同じように空を見上げた。眉を僅かに落とし、小さな吐息の後でフランは小さく言った。

 

「…上手くいくのかな」

「それは、わたしのほうですか?それとも、フランのほうですか?」

「両方。私はパチュリーが手伝ってくれるからそこまで心配してないけど、…おねーさんはどうなの?」

「…大丈夫ですよ。上手くやっていきますから」

「なら大丈夫だよね。私、信じてるから」

 

微笑むフランは、わたしの言葉に何の疑いも抱かずにそう言いながら立ち上がった。そして、何処からか懐中時計を取り出すと、蓋を開いてわたしに見せつけてきた。その時刻は五時少し前。

 

「そろそろ日の出だよ。さ、戻ろ?」

「そうですね。さっさと戻りましょうか」

 

日の出から一時間後にフランには役目がある。それに、皆には日が昇る前に色々と伝えたいことがあるのだから、ちょうどいい。

フランが開けっ放しにしていた窓から紅魔館の中へと戻り、途中ですれ違った妖精メイドさんに、軽い朝食の準備と大図書館にいる皆を起こしてくれるように頼んだ。快く承諾してくれた妖精メイドさんは、勢いよく駆け出していった。

見送っていると横から強い光を感じ、咄嗟に手で目に影を作る。どうやら、太陽が昇り始めたらしい。

 

 

 

 

 

 

満足のいく魔法陣を描き切り、ホッと一息吐いたところで、ゴガン、と扉を無理矢理開けた妖精メイドが続々と大図書館に入ってきた。そして、ここで寝ていた人達の耳元で声を出したり、肩を掴んで揺らしたり、布団を剥ぎ取ったりと様々な方法で全員を起こしていく。その中でも妹紅は妖精メイドが起こす前に飛び起き、それ以外の人達は目を擦り欠伸をしながら目覚めていく。最期まで眠り続けていた萃香は、妹紅によって文字通り叩き起こされていた。

そして、それとは別の妖精メイドが次々と現れてくる。その手に持っているのは、大量の軽食。軽食に対して大量、という言葉を使うのは少しばかり違和感を覚えなくはないけれど、この人数で分けると考えればそうなるだろう。

 

「あ、皆起きてるみたいですね」

「おはよっ、皆!」

 

最後にここに歩いて入ってきたのは、かなり前に目覚めてここから出て行った幻香と、ついさっき目覚めてここから飛び出して行ったフラン。その二人の片方、幻香が私の元へと歩み寄ってきた。

 

「魔法陣、どうですか?」

「出来たわよ。こっちは普通に魔法陣に最低限の妖力を流せば問題ないわ。多く流せばそれだけ大きくなるはずだけど、継続時間は変わらず約三十秒で使い切り。それで、こっちは最初に流し込んだ妖力量で強度が変わるけれど、貴女の言う少ないで十分のはずよ」

「ありがとうございます。後でちゃんと使わせてもらいますね」

「どういたしまして。何に使うかは知らないけれど、これが助けになるのなら私は嬉しいわ」

 

ここ最近で十指に入るほど集中したのではないだろうか?少しばかり疲れてしまった。肩の荷を下ろし、目を瞑って疲労を外へ押し出すようにゆっくりと息を吐く。

 

「パチュリー」

「…何かしら?」

「水、飲みますか?」

 

目を開くと、幻香の手にはガラスのコップが握られていた。

 

「ええ、いただくわ」

「では、どうぞ」

 

手渡された一杯の水を一気に飲み干し、改めて一息吐く。そして、空になったコップを返すと、幻香はそのコップをすぐに回収した。そのまま幻香は何故か私をジッと数秒見つめ、軽く手を振りながらクルリと振り返りここにいる全員を見渡した。

 

「…さて、もう日の出です。次の段階へと移行しますよ」

「遂に来たな。私達の役目は、異変解決の阻止でいいんだな?」

「ええ、大体そんな感じです。各々、気に入った方を足止め、もしくは撃破です。手段は…、まぁ問いません。どうぞ、お好きなように遊んでください」

「よーし!やっるぞぉー!」

「遊びかぁ。…よし!頑張るぞ!」

 

軽食を食べながらの話し合い。これからの大事なことを話しているはずなのに、普段と大して変わっているようには見えない。これは、他ならぬ幻香自身が普段通りであるからだろう。あのレミィですら、紅霧異変を起こしたときはそれなりに気を張っていたというのに、幻香はどうとも思っていないように見える。いつも通りの自然体で、異変を起こす。

 

「あと、阿求さんの件ですが」

「…ッ!」

 

名を呼ばれただけで、その体に緊張が走ったのが一目で分かった。動揺を押し隠そうとしているように見えるけれど、とてもではないが隠し切れていない。

 

「少しの間、わたしはここを出て行きます。その間に逃げ出すなんてことはしないと思いますけれど、万が一ってこともある。ということで、リグルちゃん、ミスティアさん。頼めますか?」

「分かった。ちょっと見張っていればいいんでしょ?」

「了解。目を離す何てこと、絶対にしないから」

「それは頼もしい。わたしも早く戻るつもりですが、くれぐれも重傷何てことはしないでくださいよ?」

「分かってるって!この先に必要なんでしょ?」

「ええ。それなりに大事です。…ですから、頼みましたよ」

 

二人の肩に手を置いた幻香は、二人の顔を交互に見ながらそう頼んだ。頼まれた二人は、早速稗田阿求を挟むように座り込む。リグルは少しばかり睨むように、ミスティアは普通に阿求を見詰める。そんな二人を見て、幻香は次の人達の元へ歩いて行く。

 

「妹紅、萃香。わたしがいない間のここの警戒は、貴女達に任せます」

「おう、任せとけって。兎一匹通さないからな」

「おいおい、そこは普通鼠じゃないのか?…まぁ、任された。こっちの心配はしなくていいぞ。あんたは、気兼ねなくやることをしろ」

「ふふ、了解です。キッチリやることやってきますね」

 

妹紅と萃香が出した拳に幻香の両拳を軽く当て、二人は不敵に笑った。その表情を見て、幻香は安心したように次の人達の元へ向かう。

 

「大ちゃん、他の皆をまとめておいてください。それと、ルーミアちゃんは後で話があります」

「分かりました。…ほらチルノちゃん、もう少しだからね」

「私にお話しー?」

「ええ、貴女にちょっとした役目を。帰ってきたらすぐに伝えますね」

「了解なのだー」

 

目線を合わせ、無邪気に笑うルーミアの頭を撫でながら妖精達に目を遣った幻香は、大妖精の妖精をまとめる姿を見た。これなら問題ない、と次の人の元へ立ち上がった。

 

「フラン。分かってますね?」

「うん。大体六時にやればいい?」

「んー、はい。その時間でよろしく」

「分かった。それじゃ、私は先に行くね」

 

そう言って大図書館を出て行くフランを見送った幻香は、最後に私と目を合わせた。

 

「パチュリー。貴女は、これ以上関わるつもりはありますか?」

「…そうね。それは、少し難しいところね」

 

幻香が私に対して考えていることが、何となく分かる。私がレミィに対して敵対し、ここから出て行かざるを得ない可能性を考えている。

私の推測ではあるけれど、レミィはまだ私が敵対しているとは思っていない。何故なら、最初に彼女と交わしたことはこの大図書館の自由。そして、現在はさらにフランの監視を頼まれている。どちらも、今のレミィに着いて行ったら出来ないこと。さらに言えば、私はレミィに『私と大図書館のどちらが大事か』とかなり昔に問われて『僅差で大図書館』と既に公言している身。直接目の前に出て行き、攻撃を仕掛けない限りはどうとでも言える。

確かに、同じ魔法使いとして魔理沙やアリスと相対したいとは思う。しかし、それは飽くまで希望であって、現実は難しい。

 

「…ここに誰か来れば、でいいかしら?」

「十分ですよ。それでは、よろしくお願いしますね」

 

そう言うと、幻香は大図書館を出て行った。

…さて、私はここでいつものように本を読もう。ここに誰かが来るまで、私は普段通りを装おう。異変が終わるまで、私は何事もなかったかのようにやり過ごそう。

 



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第224話

迷いの竹林から足を引きずるように出る。折られた左腕がズレないように右手で押さえながら、人里へと戻って行く。顔に流れていた血は既に土埃と混じりながら固まり傷も塞がっているが、爆裂する妖力弾によって怪我したところも含めて未だに痛む。動けばさらに痛い。

 

「どっ、どうしてんですか!?その姿は!?」

「…あぁ、すまない。話は後にしてくれないか?」

 

一昔前は生徒だった門番が私の姿を見て驚愕し、目を見開いた。狼狽えているところで悪いが、私はとりあえず中へ入りたい。そう思い、彼の脇へ避けて通ろうとしたが、その前に腕を伸ばされた。

 

「せめて、同行させてください。そんな怪我をしているのに放っておくだなんて、私には出来ません」

「…そうか。家に戻って、軽く治療したい。…手伝ってくれるか?」

「はい、先生。…おい!朝早い時間だが、医者を一人向かわせておいてくれ!」

 

指示を受けた男は、その指示に従って急いでその場を後にした。それにしても、門番達の様子が少しおかしい。何というか、緊張しているように見えるが…。

ゆっくりと痛みに耐えながら歩き続け、ようやく家に到着した。中に入ろうとしたときに、すぐに扉を開けてくれたことに礼を言ってから中へ入り、簡易的医療器具を取り出した。

 

「お手伝いします」

「すまないな。…そういえば、やけに緊張していたように見えたが、何かあったのか?」

「ええ。実は、昨晩先生がいない時間帯を狙ったかのように稗田阿求様が攫われた、との連絡がありまして…」

「そうか。…そのことだが、その者と私は交戦した。が、この様だ」

「そうだったのですか!?」

 

取り出した包帯が手から零れ落ち、コロコロと転がっていく。慌ててしまったのか、固まりのほうではなく端を掴んでしまい、さらに包帯が伸びていく。

…まぁ、実際は交戦なんてしていないのだが。しかし、こういうことにしておけばいいと幻香は言った。そして、そこから先にどのようなことを言えばいいのか私自身も考えたが、幻香はその何倍もの量を途切れることなく私に言い続けた。相手の反応を見てから好きなように選べばいい。ただし、矛盾は出来るだけないように、と。

折れた左腕に添え木を置き、包帯で巻き付けてくれる男に私は何があったことになっているのかを続ける。

 

「悔しいが、軽くあしらわれてしまったよ…。あちらには一つの手傷も負わせることが出来なかった」

「そう、ですか…」

「先に言っておく。…その者を捕らえようなどと考えているなら、止めておけ」

「…ッ!ですがっ!」

「分かっている。阿求も攫われ、何も出来なかった自分が悔しいことも分かる。だがな、勇敢と無謀は違う。言い方は悪いが、お前たちがいくら束になったところで、敵うような相手じゃないんだ」

 

包帯を巻く手を止めて項垂れる男の肩に右手を置き、静かに続ける。

 

「分かってくれ。…阿求一人を救うために、お前達を失うのは辛いんだよ」

「………分かり、ました」

 

絞り出すように続ける言葉を聞いていると、私は罪悪感に苛まされる。何せ、この状況こそが幻香の思い描く状況なのだから。人里から出なければ関係ない人に何かするつもりはない、と言い、その役目を私に任せた。

 

「…その者だが、こう言っていた。『阿求を使って異変を起こす』と。だから、私達は信じて待とう。博麗の巫女が負けることはない」

「ではっ!今すぐ博麗の巫女に…!」

「その前に、お前達には頼みたいことがある。人里の者達を、守ってほしいんだ」

「私が、ですか?」

 

左腕の固定を終え、すくっと立ち上がった男を呼び止める。これでは、まだ少し足りなかったらしい。

 

「ああ、お前達がだ。私はこんな状態だからな。異変が起こるというのなら、外は危険だ。だから、何人たりとも外へ出て行かないように、ちゃんと見張っていてほしい」

「危険、ですか…。そうですよね、分かりました。皆に伝えておきます。ですから、先生はここで休んでいてください」

「…任せたぞ」

 

幻香が思い描く通り、私は敗北者となって人里にいる人間達を押さえる抑止力となった。これで、異変から除外されることとなる。

あとは、彼らがどう思うかだ。これでも、私が人里とでどう見られているかは理解しているつもりだ。そんな私が『成すすべなく敗北した』という結果を見て、彼等が敵討ちしようとしたことを止め、それでも敵討ちをしようと考えたならば、私にはどうしようも出来ない。そして、幻香も容赦はしない。

少し待つと、二人の若い医者が慌ててやって来た。今の私に出来ることは、祈ることだけだ。

 

 

 

 

 

 

ズドン、と何かが落ちる音がした。

未だに眠っている咲夜は私が治り切る頃に目覚める、と運命が告げていたから心配はしていない。しかし、そんな咲夜をここに置いて音のした場所へ行こうとするのは憚れた。

 

「お嬢様、私がここで咲夜さんを守ります」

「…任せたわよ」

 

そんな私に気付いてすぐ、美鈴は咲夜の護衛を買って出た。一瞬考えたが、あと十数分もあれば治り切るだろう体を起こし、指が数本欠けている足を動かす。よっぽどのことがなければ、美鈴は負けることはない。だから、私は咲夜のことを美鈴に任せ、音がした外へと向かった。

 

「…何しに来たのよ」

「来たら何か悪いことでもありましたか?」

 

軽く警戒している霊夢と、いつも通りの幻香がそこにいた。

霊夢は私達が幻香にやられたことを伝えているため、既に知っている。ゆえに、幻香を警戒しているのだろう。それを知って知らでか、幻香は私に気付くと口を開いた。

 

「あ、レミリアさん。こんなところで珍しいですね。…何かあったんですか?」

「…ッ!」

 

どうやら、幻香は白を切るつもりらしい。というよりは、どうとも思っていない、というほうが正しいか?

私は幻香に対して何かをしたかったが、僅かとはいえ万全ではないこの状況に加え、昨夜には一度敗北している身。さらに言えば、運命を視ても見抜けない幻香に何をしたらどうなるか、分かったものではない。よって、今すぐに攻撃してやりたい激情を抑え付け、のちの糧とする。

その幻香は、まぁどうでもいいか、と言いながら持っていた袋に手を突っ込んだ。

 

「ここに来たのは、お賽銭をするためですよ。…ですから、そんな人を殺すような目で私を見ないでくださいよ。ちょっと怖いんですから」

 

そして、霊夢の横を歩いて通ると、賽銭箱に硬貨を投げ付けた。その数、四枚。

 

「わたしはここに四銭を納める。ここにいるかどうかも知らない神様に、わたしの死線を持って行ってもらいましょうか」

「縁起悪いわね。そういうのは、アンタに返ってくるものよ」

「そうなんですか?じゃ、もうちょっと入れますか」

 

そう言うと、追加でまた四枚の硬貨を投げ入れた。その全ての硬貨の中心に小さな穴が開いている。

 

「これで四十四銭。四と四を合わせて幸せだ」

「死合わせにならないといいわね」

「あはは、悪い冗談を。そのくらい、神様を自称するなら融通を利かせてほしいですね。ま、お金を払わないと動かない神様って時点で現金だと思いますが」

「信仰が足りないのよ、信仰が。まぁ、アンタみないなのに差し伸べる手はないでしょうけど」

「ありゃまぁ、これは手厳しい」

 

そう言いながら、袋の中身を賽銭箱にジャラジャラと突っ込んだ。数を数える気にもならない。そして、空になった袋をその場に投げ捨て、さっきいたところまで戻って行く。

 

「さて、無駄金を吐き出したところで本題だ」

 

そう言ったところで、世界が紅く染まった。曇りがちだった空も紅色に塗り替わり、それを見上げた幻香は、小さく笑った。

 

「わたしは異変を起こしました。まずは、人間の健康を害するという紅い霧を。んー…、次は何をしようかなぁ…」

「…どういうつもり?」

「『禍』は『禍』らしく、ってことですよ。なら、博麗の巫女はどうするべきですか?」

 

瞬間、一つの陰陽玉が幻香に向かって飛来した。激しく回転するそれは、私達のような妖怪にとって脅威。私もグングニルを投げ付けてやりたかったが、この指が欠けている手では十分な威力を出せないだろうと考え、悔しいが諦める。

それに対し幻香は避けることなく、無謀にも軌道上に右手を出した。しかし、飛んで来た陰陽玉を平然と掴み取り、掴んでもなお回転し続けるそれを力任せに握り潰した。砕けた陰陽玉の破片が足元に散らばり、しかし幻香はそんなこと一切気にすることなく右手の平を見て顔をしかめている。

 

「痛ってて…。あれ、ただの球じゃなかったのかなぁ?あーあ、咄嗟に壊しちゃったよ」

 

溜め息一つ。そして、大きく伸びをすると、幻香はほんの少しだけ浮かび上がった。

 

「…さてと、これ以上の長居はちょっと面倒になりそうだ。それじゃあね、博麗の巫女」

 

軽く手を振った幻香は、最後に何故か私を見て微笑むと、残像すら残さずにその場から消え去った。

咄嗟に霊夢を見ると、歯を砕かんばかりに噛み締めながら紅い霧の広がる空を見上げていた。

 



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第225話

勢いよく弾き出され、紅魔館の庭を思い切り削りながら減速し、紅魔館の壁に軽く叩き付けられてようやく停止する。

 

「ッ、と。…ぅえ、気持ち悪ぅ…」

 

創造物を重ねて移動する技術は、瞬きをするよりも短いくらいの時間で移動出来ることはいい。しかし、超長距離を弾かれて移動するのは、頭が掻き回されるような、内臓がごちゃ混ぜにされるような、そんな感じがして気持ち悪くなる。さらに言えば、距離が遠ければ遠いほど、そこへ弾かれるために必要な力が強くなっていく。直線で結ぶには障害物が多過ぎたため、二回に分けて移動したとはいえ、それでもなかなか辛い。あまりにも距離が遠過ぎると、おそらく途中で外へ弾き出されてしまうと思う。この感じだと、流石に月まで飛ぶのは無理がありそうだ。

さっきも含めて、最近割と創造することの多い二酸化ケイ素は透過率が高い。余裕があるならば、その辺にあるものを複製して弾かれるより、二酸化ケイ素を創造して弾かれたほうが相手にバレにくい。

チリチリと痛む右手を開いたり閉じたりしながら扉を開け、紅魔館の中へと入る。

 

「おかえり、おねーさん!」

「うわ、っと。ただいま、フラン」

 

開いてすぐに飛びついてきたフランを受け止めつつ、扉を閉める。

 

「上手くいったみたいですね」

「うん。パチュリーの魔法陣を発動させるだけだったから簡単だったよ。確か、このまま放置しても大体一週間、霧散するには私がちょっと手を加えればすぐだって。もし継続させるなら、消える前にまた魔法陣に妖力を流せばいいみたい」

「へぇ、意外と持つんですね」

 

まぁ、どれだけ長くても別に構わない。解除が容易に出来るというのなら、特に気にするようなことではない。

 

「よし、ちょっと急ぎますよ」

 

それより、ああしてわざわざ挨拶をしに行ったんだ。きっと、彼女はすぐに来る。わたしも急がなくては。

やらなければならないことが、まだまだあるのだから。そう考え、大図書館へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

まるで深い深い水の底にいるような、そんな感覚。遠くから誰かが私を呼び掛けている。その声の元へ、私は泳ぐように浮上していく。

 

「――い加減起きなさい、咲夜」

「…ん、ぅ。…お、お嬢、様…?」

「私もいますよ、咲夜さん」

「…美鈴。ここは?」

「博麗神社よ。起きて早々で悪いけれど、私の紅魔館を奪還しに行くわよ」

 

そうお嬢様に言われ、私は両手を軽く動かす。…いつも通り、何の問題もなく動く。起き上がると、私の体が余りにも軽くて驚く。…手持ちのナイフがあれだけ捨てられてしまったのだから当然なのだけど。

しかし、そんなことを言い訳に逃げ出すつもりはない。

 

「承知しました。行きましょう、お嬢様」

 

美鈴が出してくれた手を掴み取り、立ち上がる。障子を開けて外を見ると、あの時と同じ紅色の霧が支配していた。

普段よりも足早に進むお嬢様に付いて行くと、そこには既に準備を終えていたらしい霊夢が立っていた。

 

「遅い。置いて行くところだったわよ」

「ふふ、そういうことにしてあげるわ」

 

その顔付きは普段のものとはまるで違い、全てを見逃さんと目付きを鋭くし、一片の油断もせんと口元を閉じている。一本のお祓い棒を手に、額に純白の鉢巻をきつく結ぶ姿は、誰も疑いようもない博麗の巫女であった。

 

 

 

 

 

 

箒に跨り、目の前に迫り来る木々を速度を落とすことなく避けて突き進む。奥は紅色の霧で視界が悪いが、そんなこと気にしている場合ではない。

目的地で急停止し、その扉を思い切り開ける。その音に驚いたらしいアリスがビクッと体を震わせてから、恨めしいような目付きで私を睨んだ。そんな視線で動じる私ではないが。

 

「おいアリス!外を見ろ、外!」

「…せめてノックくらいしなさいよ、魔理沙」

「そんなことはどうでもいい!行くぞ!」

「え?行くって――キャッ!」

 

新しく作ったらしい人形を操っていたアリスの腕を問答無用で掴み、そのまま外へ飛び出す。持っていた箒に勢いよく跨り、アリスを私の後ろに無理矢理座らせてから一気に最高速まで加速していく。

 

「ちょっと!いきなり何なのよ!」

「何って、異変だ異変!まぁたレミリアの奴がふざけたんだろ?」

「そっちじゃない!あぁもう、これから新しい機能を付けようって考えていたところなのに…」

「そんなもん、いつだっていいだろ?さっさと行かないと霊夢に先を越されちまうぜ!」

「…はぁ、分かったわよ。付き合ってあげるから、後で埋め合わせしなさいよね」

「分かってるさ!行くぞ!」

「もう行ってるでしょうに…」

 

 

目指すは紅魔館!アリスのツッコミは聞き流し、私は最高速を超えようとさらに力を込めていった。

 

 

 

 

 

 

「…またか」

 

二太刀で垂直に四つに斬り分けるはずが、僅かにずれてしまっている。これで三度目だ。

現世では紅色の霧が立ち込めている。そのことがやけに気に掛かり、いつもの稽古が身に入らない。

 

「あら、今日はやけに不調じゃない。どうかしたの?熱でも出した?」

「いえ、そんなことはないのですが…」

 

縁側に皺ってお茶を飲んでいた幽々子様にも伝わってしまったようで、僅かに顔が熱くなる。しかし、太刀筋が鈍ってしまったのは事実。それを隠そうとしている自分が恥ずかしかった。

 

「外が気になるのかしら?」

「…!え、ええ。実は、少し」

 

すぐに言い当てられ、つい口籠ってしまう。すると、幽々子様に手招きをされたので、屑を払ってから納刀して隣に座る。

 

「そんなに気になるのなら、行って来なさい」

「ゆ、幽々子様。それは…」

「一日くらい平気よ。それより、貴女の不調をどうにかしなさい」

 

そう微笑みながら私は軽く叱りつけられてしまった。ちっとも痛くないけれど、突き立てられた人差し指が触れた額が猛烈に熱い。

しかし、そんな私を気にすることなく、幽々子様はどこか遠くのほうを見遣った。

 

「それに、彼女がかかわっている気がするのよねぇ…」

 

妖しく笑いながら見ているその視線の先にあるものはもう一本の西行妖。幻香が創り出した、今はもう何も身につけていない西行妖。最後の最後で成すべきことを成せなかった原因。あれが目に入ると、私は自らの失敗を嫌でも思い出す。

その西行妖が挑戦状でも叩き付けたかのように私と睨み合った。何故かは分からないけれど、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

窓から外を見ると、紅色の霧が激しく自己主張をしている。いつもなら外で遊んでサボっている兎達も、今日に限っては部屋の中で大人しくしている。…まぁ、あれはあれで仕事をしてくれなくなっているから、サボっているのと変わりないのだけど。

私はお師匠様に呼ばれてここにいる。こちらに顔を合わせることもなく机に向かっているお師匠様が私に告げた。

 

「優曇華。貴女はここにいなさい」

「…どうしてでしょうか?この紅霧はあの時と同質のものでしょう?なら、吸血鬼の住まう紅魔館へ行くのが妥当かと…」

「それはどうせ他の者がやる。貴女がやる必要は皆無よ」

「そ、そうですか…」

 

速攻で否定され、ほんの僅かに頬が引きつる。頭の奥底で戦いたいと願う私がいることに気付き、それを無理矢理押し潰す。しかし、どれだけ潰してもそれ以上小さくなることはなく、むしろさらに膨らんでいる気もする。

 

「それなら、私は何をすればいいでしょうか?」

「出来ることなら、いつも通り薬を売りに行ってほしいところだけど、それは出来そうもない。『禍』の二の舞になりかねない」

「…はぁ、そういうものですか」

「それより、ただでさえサボって手が足りない作業を貴女が代わりにやったほうが有意義よ」

「う…。はぁーい…」

 

肩を落としている私に数枚の紙を突き付けられた。そこには、目が痛くなるほどの小さな字で私がやるべきことがズラズラと書かれていた。

再び紅霧異変を起こした吸血鬼に心の中で撃ち抜き、ついでにてゐも撃ち抜く。…こんなことをしていると、急に空しくなってきた。

しょうがない。私はゆっくりと立ち上がり、紙に書かれている指示に従って薬品庫に足を運んだ。

 



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第226話

箒に跨り、紅霧を切り裂いていく。少し遠くには霧の湖が見え、そのさらに奥には霧と同化していて非常に見難いが、目的地である紅魔館がある。

 

「…いたっ!」

 

そして、その途中に人影が四つ。霧に紛れて誰だかよく分からないが、その中の一人は嫌でも分かる。霊夢だ。しかし、この距離なら追いつけるはずだ。紅魔館に先んじて突入されることは防げる。

 

「急ぐぞ!掴まってろよ、アリス!」

「もう掴まってるわよ!」

 

さらなる加速を気合で叩き出し、今までにないほどの速度が出る。計測出来るわけではないが、これまでの最高速度を更新した、という確かな実感があった。後ろにアリスを乗せていてこの速度なら、私一人ならどこまで出るだろうか?

紅魔館の門前に降りたのが見えたため、私もそこへ突き進む。そして、私も斜めに突き刺すように降下し、霊夢の真横に急停止する。

 

「よ、ッとぉ!…ふぃー、間に合ったみたいだな」

「ちょっと!危ないじゃないの!」

「…魔理沙?」

 

箒から跳び下り、いつになく気合が入っているように見える霊夢を見遣る。

 

「…おい、霊夢。一ついいか?」

「何よ」

「どうしてレミリア達と同行しているんだ?」

 

そして、その後ろにいる咲夜、美鈴、レミリアが目に入った。どう考えてもこの紅霧異変はレミリアが起こしたものであったはずなのに、そのレミリアは霊夢と共にここにやって来ていた。

私の質問に、霊夢は面倒臭そうに顔をしかめた。チラリと後ろにいる咲夜に目を合わせると、その咲夜は霊夢の前に出て行こうとし、レミリアに止められる。そして、レミリアが苦虫でも噛み潰したかのような顔で出てきた。

 

「…あまり人に言えた話じゃないのだけど」

「その話、私も聞いて構いませんか?」

「おわっ!…って、妖夢か。脅かすなよ」

 

突然後ろから声がしたと思ったら、そこには僅かに息が乱れている妖夢がいた。

妖夢に問われたレミリアは、別に構わないという意思を示し、続きを語る。

 

「疑うのは勝手だけど、私はこの紅霧異変を起こしていない。私達は被害者よ」

「被害者だぁ?じゃあこの紅霧は誰がやったって言うんだよ?」

「…おそらく、フランね。パチェもやろうと思えば出来るだろうけれど、それはない…はず」

「フランが、だと…?つまりあれか?お前はフランに愛想尽かされるようなことでもしたのか?」

「…それもある。けど、本題はそこじゃないわ」

 

嫌な予感がする。何かが私を浅く、しかし確かに引っ掻く。チリチリと痛む何かを感じ、それでもその先を聞かずにはいられない。

 

「鏡宮幻香。…彼女が、この異変の中心に存在する」

 

…幻香、が?私が知っている限り、既に十人の殺しを行っている。かつては魔法の森に住んでいたそっくりヤロー。素人で、天才で、平然と死にかける。何を考えているのか分かりやすくて、それでいて何を考えているのか分からない。話しやすくて、けれどどこか遠くにいる気がする。本来意思を持たないはずのドッペルゲンガーで、誰かに成り代わって願いを代理で叶える人喰い妖怪。

気付いたら息を飲んでいた。幻香を中心にして、私の頭の中に大量の線が伸びる。幻香に繋がりのあることが次々と浮かび上がる。

 

「昨晩、幻香は仲間を引き連れて紅魔館を占領したわ。そして、紅霧異変を起こした。次に何かすることも仄めかしていたわ。…私は、私の紅魔館を奪還するためにここに来ている。貴女達は、何のためにここに来たのかしら?」

 

そう訊き返され、私は言葉に詰まる。しかし、それは一瞬のこと。答えは、いつもと大して変わらない。

 

「決まってるだろ。そこに異変があるからだ」

「魔理沙に引っ張られてよ。…けど、それでよかったかもしれないわね」

「彼女に打ち勝つために。先へ進むために」

 

答えを聞いたレミリアは呆れたように肩を竦めると、紅魔館を見上げた。

その隣にたたずむ霊夢を見ていると、ふと気になることが浮かんだ。だから、私は迷うことなく霊夢に問いかけた。

 

「ところで霊夢、お前はどうなんだ?」

「…私は、アイツが限界寸前に見えた。曲がり切って、歪み切って、捩じ切れそうに見えた。自分を壊すか、それとも周りを壊すか。そうでもしないといけないところまでいってしまった。…簡単に治せるとは思っていないし、容易く戻せないことも分かってる。だから、私はアイツを止める。まずはそこからよ」

「ああそうかい。なら、やるなら一緒にだ」

 

私だって、幻香に思うところはある。そうなってしまった原因を目の前で見せられた。人間の悪意。暗く濁り、底なしに深い。そんな黒い感情。殺しに来ていた者だからって、殺すのはよくない。

だから、私も止める。前だって私が勝ったんだ。今回だって勝てるさ。

 

 

 

 

 

 

まさか、あの幻香がこの異変を起こしていたとは。なんて幸運、と不謹慎にも思ってしまった。この先にいる。斬るべき相手が、この中にいる。ここまで駆けて来た疲労が一気に吹き飛び、静かな闘気が溢れるのを感じる。しかし、それでも芯は冷えており、酷く落ち着いているのが分かる。ここに来る前の不調が嘘のようだ。

 

「で、何処から侵入する?私としては、パチュリーがどっち側にいるか気になるところだがな」

「パチェは幻香側よ。ただし、私を裏切ったわけでもない。ただ、パチェにとっては私よりも大図書館が大事。…分かってはいるのだけど、ちょっと悔しいわね。それと、侵入はもちろん正面突破よ。隠れてコソコソするなんてするわけないでしょう」

「はいはい。それじゃ、そうしましょうかね」

 

魔理沙とレミリアが会話をしているのは分かったけれど、内容が入ってこない。不要な情報として斬り捨てられているのが分かる。

周りが真っ直ぐと進み始めたのを感じ、私も歩き出す。周りで動いているもの全てが手に取るように分かるような、そんな極度の集中状態。

 

「私が開けますね」

 

紅魔館の扉が開き、ガランとしたところにポツンと一人の少女が立っていた。その少女は私達に気付くと、嬉しそうに笑顔を浮かべた。

 

「いらっしゃーい!紅魔館へようこそー!」

 

瞬間、私の視界は闇に塗り潰された。一筋の光も感じない。しかし、失われた視覚の代わりに周囲の気配を感じ取れる。周りは僅かに動揺しているようで、周りを見渡しているように感じる。

 

「アハッ!見ぃつけたァ!」

「ッ!フラ――ブッ!?」

「お嬢様!?」

 

何者かが頭上から急降下し、レミリアの頭を床に叩き付けた。その強烈な一撃は床を陥没させ、大きく揺らすほどに重い。いつでも抜刀出来るように、刀の柄に手を添える。間合いに侵入されたときは躊躇なく斬り伏せる。

 

「馬鹿、足りてねぇよ!」

「ッ!萃香ァ!」

 

その声が聞こえた瞬間、私も声を張り上げていた。幻香とは違う因縁の相手。もう一人の斬るべき者。しかし、そんな私のことは見向きもせず、誰もいないところに踵を振り下ろす。

 

「なっ!?」

「嘘だろ…?」

 

瞬間、床が崩れ落ちる。当然のように、私達も重力に従って落ちていく。しかし、私はその一瞬前に不安定な足場を蹴り出し、萃香の元へ跳んだ。そして、間合いに入った瞬間に楼観剣を抜き放つ。

 

「惜しかったな」

「くっ!」

 

が、私の居合抜きは人差し指と中指の間にガッチリと挟まれ止められてしまった。少しばかり動かせても、離れることはない。まさか刀を手放すわけにもいかず、そのまま皆と共に落ちていく。

ふと、大量の何かが飛んでくるのを感じた。しかし、それに攻撃の意志は全く感じられず、ただ飛んできているとしか思えない。その内の一つが私に止まり、それが虫であることが伝わってきた。

 

「見つけた!」

「きゃっ!?」

「あそこなんだな、スター!」

「うおっ、冷たッ!」

「そこかっ!」

「ぐッ、貴女は…っ!」

 

そして、何者かが咲夜、魔理沙、美鈴の三人を闇の中から引っ張り出していく。

 

「さ、次はあんただな」

 

そして、私も刀と共に引っ張られてしまう。闇から抜け出し、後ろには黒い球体が広がっているのが見えた。そして、それはみるみるうちに遠ざかっていく。この距離では、あの闇の中の気配はもう感じることが出来ない。

地に足を付けることも出来ずに連れ去られ、一つの部屋の中に投げ飛ばされた。壁に背中から叩き付けられ咳き込んでいる間に、ガタン、と大きな音を立てて部屋の扉が閉まる。

 

「さて、答え合わせといこうか」

 

私は楼観剣を抜き、扉の前に立つ萃香と睨み合った。それは、あのときに私に言った答え合わせなのだろう。私に足りないもの。修行以外の何か。あれからさらなる高みへ進むために、より深く鍛錬を積んだ。それでも、答えが出てくることはなかった。

しかし、もうあの頃の私とは違う。この答えは彼女を斬れば分かる。そんな気がした。

 



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第227話

高速で飛び込んで一人、また一人と連れ攫われていく声が聞こえた。隣にいたはずの魔理沙も、幼く勝気な声色の何者かに連れ攫われてしまった。私は、何も出来なかった。

闇が晴れ、そこに残されていたのは相当少なくなっていた。お祓い棒を構える霊夢、顔を床に埋め込まれたレミリア、その背中に腰かけて後頭部を掴んで離さないフラン、両腕を広げて楽しそうに笑う少女、そして今更のように人形を操る私。

 

「フラン!離しな――ガッ!」

「はいはい、お姉様は黙ってて、後で私と一緒に遊ぶんだから」

 

レミリアが口を開いた瞬間、後頭部を僅かに持ち上げて再び床に叩き付ける。既に床に浅く入っていたひびが、さらに深く走る。

それを一瞥した霊夢は特に何かすることはなく、私の視界を闇に染めたであろう少女に一歩近付いた。

 

「…どういうつもりかしら?」

「きゃはっ!だーいせーいこーう!えっとー、次はどうするんだっけー?」

「人の話を聞きなさいよ」

 

しかし、少女は霊夢を気にもせずに両腕を広げながらトテトテと私に近付き、ジーッと見詰めてくる。隣に浮かぶ人形にも目を遣り、ようやく口を開いた。

 

「貴女がー、…アリス・マーガトロイド?」

「え?…えぇ、そう、だけど…」

「そっかー!」

 

まるで、この少女だけ住んでいる世界が違うよう。自分の思うことしか聞いていない。それ以外は聞こえない。クルクルと回りながら戻る少女を見ていると、そう思えてくる。

 

「まど…『禍』に会いに行けるのは一人だけだってー。二人以上いたら、稗田阿求、だっけ?その頭を人里に送り付けるってさー」

「あた…ッ!?」

「えっ…?」

 

そんな少女は、何気ないような口調で私達の度肝を抜く言葉を口にした。

 

「そしたらー、残った体は私が食べていいんだってー!美味しいところを持ってかれちゃうのは惜しいけど、それもいっかー!」

 

…ああ、この少女はやっぱりただの少女ではなかったのか。人喰い妖怪。しかも、肉食の。

 

「あ、やばっ。これ以上ここにいたら面倒かも」

「何を――ぬぁっ!?」

 

突然そう言ったフランのほうに目を向けると、空いていた手を握り締めた。バン、と何か硬いものが壊れる音と共に二人が消え去ってしまった。一体何事かと思ったら、答えはさっきまで二人がいたところに穴が開いた、というとても簡単なものだった。

少女のほうに目を戻すと、霊夢が今にもその少女の襟元を掴みかかりそうなほどに詰め寄っていた。

 

「ちょ、霊夢!?」

「アリス、アンタは来ないで。私が行くわ」

 

そう霊夢が言ったとき、少女は確かに笑っていた。さっきまでの無垢な印象を一瞬で覆す、声を出すのを堪えようとしているが、それでもキキ、と漏れてしまっている。そんな、人を馬鹿にしたような笑い方。しかし、その顔は残念ながら霊夢には見えていないようである。

そんな笑いを押し隠し、さっきまでの無邪気な笑顔を浮かべた少女は跳ねるように二歩後退し、霊夢に言い放った。

 

「場所は、すぐ分かると思うってさー!それじゃ、いってらっしゃーい!」

「言われなくても…ッ」

 

霊夢が少女の横を駆け抜けていき、私と少女だけがここに残される。ここを離れていく霊夢に大きく手を振って見送っている少女は、その霊夢が見えなくなるとすぐに私に言った。

 

「アリス、だよねー?貴女は大図書館へ行ってねー」

「…何故かしら?」

「行かないならそれでもいい、ってま…『禍』は言ってたよー?人間の里を崩壊させるのを止めるために必要なものをそこに置いている、ってさー」

「ッ!」

 

何故、そんなことを私に言う?そんな事実を言う必要は全くないというのに。ならば、嘘?けど、本当であるなら…?待って、霊夢が『禍』に勝利すればそれで…。いや、最後の最後で道連れにするかもしれない。いや、もしかしたら――

 

「どうかしたのかー?」

「きゃっ!?」

 

そう考えていると、目の前に少女の顔があった。思わず距離を取ってしまい、人形を私と少女の間に配置する。しかし、対する少女はそれ以上近付いてくることはなく、その場で心配そうに尋ねてきた。

 

「行かないのかー?なら、私と遊ぶー?」

「い、行くわよ!」

 

まだ決めかねていたのに、勢いに任せて言ってしまった。けど、行って無駄骨であった場合と、行かないで出る損害を天秤に掛ければ、後者のほうがすぐに下に落ちる。ならば、私は大図書館へ行かなければいけない。例え、それが相手に乗せられていることは分かっていても。

それぞれ連れて行かれた皆、特に魔理沙のことが頭を過ぎったけれど、私は大図書館へ足を伸ばしていく。行ってらっしゃーい、と少女に後ろから言われながら。

 

 

 

 

 

 

私は、フランドール・スカーレットを引き連れた『禍』によって、この部屋に連れて来られた。一緒に連れて来ていたフランドール・スカーレットは、私と『禍』が部屋に入った途端、すぐに出て行ったが、それは『禍』が起こす異変を解決するために来る者を妨害させるためであろう。

 

「んー、皆楽しんでるかなぁ…?外に出れないから分からないんですよねぇ」

 

かなり短い時間ではあったが、その時間のみを切り取って見ると、『禍』は相当慕われているのが分かる。妖精に、妖怪に、魔法使いに、吸血鬼に、鬼に、そして人間に。異変を起こすとかいうふざけたことに手を貸していることからよく分かる。話し合っているときの自然な表情を見ていれば、嫌でも分かる。しかし、その『禍』が私達人間に災厄をもたらしたのは事実。許されることではない。

 

「ま、わたしはわたしでやることやりましょうか」

 

それにしても、最初にここに入ったときはまだまともな内装だった。違和感を覚えるくらい豪華な椅子とか、趣味の悪い装飾物とか、紅一色の壁や床とかはあったけれど、それでもまだマシであった。

しかし、今はこんな呑気なことを言っている『禍』が何処からともなく出現させた薄紫色の未知の物体が部屋の半分以上を埋めるように敷き詰められている。仮にこれが上から落ちてくれば、私なんかは間違いなく圧死してしまう。それほどに巨大で、明らかにこの部屋には似合わない。薄紫色が紅色を侵食しているようにも見える。

そんな『禍』は親指の爪を人差し指の腹に突き刺して滲み出た血を使って、私が使っていた紙の一枚に何かを書いていた。そして、残念ながらここからは読むことは出来なかったそれを、不可思議な模様が描かれた封筒に封入する。

 

「はい、どうぞ」

「…何ですか、これは?」

「何って、手紙ですよ。一応妖怪が書いているのだし、妖魔本…じゃないか。枚数が圧倒的に足りない」

 

私の前に差し出された封筒には手を出さずに、様子を伺う。何せ、妖怪自身の血で書かれた手紙だ。もしも、妖怪自身の血で書かれた妖魔本なんてものがあったら、それは非常に物騒なものになるだろう。この紙一枚ですら、何が起こるか分かったものではない。

 

「ま、貴女には開けませんよ。そういうことになってますから」

 

その不可思議な模様が一種の封印を担っているのだろう。だからといって、その封筒が安全であることの証明にはならないのだけど。

 

「あれ、受け取ってくれない?」

「…当然でしょう」

「そっかー。…ま、しょうがないか」

 

そう言いながら『禍』は私に向かってその封筒をピンと弾き、それに目がいっているうちに一つの魔法陣を私の前に突き出した。魔法陣が淡い光を放ったと思ったときには、私と『禍』の間に透明な壁が現れていた。足元もさっきまで踏んでいた床と感触が異なっている。気付けば、私は透明な結界に閉じ込められていた。

 

「だ、出してくださいッ!」

 

自分が出せる力を精一杯使って結界を叩くが、びくともしない。むしろ、叩いた自分の手のほうが痛い。しかし、そんな私を見た『禍』は首を傾げている。嘲るというより、戸惑っているように。

 

「…あれ?えぇっと、出してください、かなぁ…?何か喋ってるみたいだけど、聞こえないや。…つまり、わたしの声も聞こえてないってこと?んー、それはそれで不都合なんだけど」

 

読唇術か、それとも勘か。私の言った言葉を当ててみせたが、どうやら私の声が届いていないらしい。しかし、『禍』の言葉は一方的に届く。そのことは気付いていないようであるが…。

 

「ま、それならそれでいいや。聞こえていないなら、これはただの独り言だ。結界っていうのは、大きく分けて二つの役割があると思う。守護か、封印か。今回は前者として使わせてもらう。ここがそのまま戦場になる予定だから、無防備で貧弱な貴女を放置するわけにはいかないからね。貴女にはここにいてほしいから、こうさせてもらった。けど、安心してほしい。事が終われば、この結界は解くつもりだから。まぁ、『禍』の言うことなんか信用出来なくて不安だろうけれど、そう思うならこれからここに来るだろう異変解決者がわたしを討ち倒すことを願っていればいい。きっとこの結界を安全に解いてくれるでしょうから」

 

そう言い切ると、私にはこれ以上言うことはないとばかりに視線を切った。そして、息を大きく吸ってから部屋の大半を埋め尽くしていた薄紫色の物体を消し飛ばした。そんな『禍』は、髪と服を激しくなびかせながら部屋の中を歩き始める。

ふと、足元に落ちていた封筒が目に付いた。結界に閉じ込める際の視線誘導に使ったと同時に、強制的に私に渡されることとなった封筒。開けることは出来ないらしいが、その中には何が書かれているのだろうか。きっと、私達人間に対した言葉なのだろう、と予感めいたものを感じた。

 



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第228話

異変を解決するために来た人たちがここに来る直前に、まどかさんはチルノちゃんにとても冷たい氷をあげていた。まどかさんは『分子の熱運動を極限まで零に抑えた理論上絶対零度の氷』と言っていましたが、私にはサッパリ分かりません。けど、それを食べたチルノちゃんは本当に短い時間でしたけれど、ここ最近では考えられないくらい強くなった。ルーミアちゃんの闇の中から魔理沙さんを抵抗させる暇もなく引っ張ることが出来るくらいには。

 

「うおっ!何だこの部屋!真冬かよ!?」

 

そして、チルノちゃんが引っ張ってきたのは保冷部屋。急な『お願い』で非常に申し訳ないと思っていますが、冷気を操る程度の能力を持つ妖精メイドさん達をこの部屋に集めて、さらに温度を下げてもらいました。最早冷蔵ではなく冷凍になっていますけれど、保存している食材は大丈夫でしょうか?パチュリーさんは別に構わない、と言っていましたけれど…。

 

「うぅー…、寒いっ!」

「…こんなに寒いの久し振り、かも」

「私達、暖かい格好してるはずなんだけどねー…」

 

チルノちゃんと一緒に魔理沙さんに挑むつもりの光の三妖精も、この有様。妖精メイドさん達に提供してもらった防寒具を身に着けていても、この突き刺さるような寒さを守ることは出来そうもありません。私も寒くて体が震えてしまいますよ。

 

「何だか不思議と力が湧き出る!今なら何でもカチコチに凍らせれる!」

 

ですが、これだけの状況にしてもらうように頼んだまどかさんの思惑は達成しています。何故なら、チルノちゃんが最も戦いやすい状況に仕立てられているのですから。ですが、今のチルノちゃんはこの極寒であるだけでは考えられないほどの力を急に得たように感じます。さっき食べた氷の力は先ほど終わったはずですが…。まあ、きっとまどかさんが何かしたのでしょう。私達が考えているよりも多くのことを考え続けているんですから、私達に教えていないところで何かしらの援助を施してくれている。そう考えましょうか。

 

「魔理沙!」

「あぁ?…何だよ、こんな寒いってときに!」

「遊ぶに決まってるでしょ?スペルカード戦で!」

 

それにしても、魔理沙さんは私達と違って軽装。まあ、こんな状況になると予想して防寒具を用意しろ、というほうが無理な話ですが。人間である魔理沙さんが、この並大抵の妖怪ですら動きが鈍りそうなこの極寒の場所でいつも通りの動きが出来るとはとても思えません。さらに言えば、この部屋はそれなりに広いですが大図書館と比べると明らかに狭い。箒に跨り素早く攪乱する魔理沙さんにとっては些か不利な場所。

まどかさんはチルノちゃんを上げるだけでなく、魔理沙さんを落とせるだけ落とした。こちら側が出来るだけ有利になるように。

 

「私達と一緒に!タップリと遊び尽くそう!」

「…へっ!舐められたもんだな、この魔理沙さんに妖精が勝てるとでも?いいだろう、受けてやるよ!」

「では、私達は五人ですから、お互いにスペルカードは五枚、被弾も五回にしましょう。私達は一人一枚と一回ではなく、合わせて五枚と五回ということで」

 

私はスペルカード戦を含めた闘争はあまり好みではないのですが、ここまで来てそんなことを言うつもりはありません。私達の勝利がまどかさんの助けになるのならば、私個人の好き嫌いなんて軽く押し退けられます。

 

「いいのか、そんなルールにしちまって?」

 

そう言いながら、魔理沙さんは八角形のものを取り出し、私達に向けてきました。あれは、まどかさんとパチュリーさんが言っていたミニ八卦炉。つまり、魔理沙さんが得意とするあれが来る。

 

「一瞬で勝負が着いちまうぜっ!恋符『マスタースパーク』ッ!」

 

それを見て、サニーちゃんが体を震わせながら前に出る。その震えは、寒さからか、恐怖からか、それとも武者震いなのか。私は、その肩に手を添えた。

 

「サニーちゃん、私も手伝いますから」

「…うんっ!行くよっ!」

 

多分、全部。けど、この瞬間は武者震いだけ。サニーちゃんが両手を前に突き出し、私も同じように構える。

 

「くうぅ…、よいしょおっ!」

「えいっ!」

 

そして、私達は両腕を思い切り右に振るい、膨大な光の放流を僅かに右側に逸らした。…本当に出来ちゃいました。基本は魔力であるが、その本質は光であると言っていましたけれど、こうして出来た今でもまだ驚きです。

 

「う、っそだろおい…。まさか、曲げたのか…?」

 

ですが、私よりも魔理沙さんのほうが驚いているでしょうね。そして、そんな魔理沙さんを見ていると不思議と落ち着いてきます。

 

「チルノちゃん!」

「おうっ!」

 

私はまどかさんにチルノちゃんを任されました。ですが、それはただチルノちゃんの傍にいろ、という意味ではないことは分かります。チルノちゃんは確かに強いです。妖精の中では屈指と言えます。ですが、それでは魔理沙さんに勝てないことは身を持って知っています。だから、好き勝手にやらせるのではなく、私が導いてあげる。チルノちゃんの良さを残して、それに加えて私が補佐をする。

 

「サニーちゃん!チルノちゃんと一緒になって回避の補助を!」

「分かった!」

「ルナちゃんとスターちゃんは確実に避けれると思うくらい遠くからたくさん弾幕を張って!」

「分かったわ。行くわよ、ルナ」

「う、うんっ」

 

そして、それはもうチルノちゃんに限ったことじゃない。サニーちゃんも、ルナちゃんも、スターちゃんも、私が司令塔となって出来る限りのことをする。

サニーちゃんは光に関する弾幕なら曲げられる。だから、チルノちゃんが避ける機会を出来るだけ減らして補佐になってもらう。ルナちゃんとスターちゃんは広域の弾幕を張るのが得意だから、魔理沙さんの動きを少しでも阻害してもらうように頑張ってもらう。仮に攻撃されても、あの距離なら被弾することはほとんどないと思います。

さて、私は不規則に揺れる羽のような弾幕を放ちましょう。まどかさん曰く、不規則性はその曖昧さが武器であり読まれないが故に避けにくい、ですからね。

対する魔理沙さんは、この極寒の中でも箒に跨って飛び出しました。あんな速さで動き回っては、寒くて凍えるどころじゃ済まないと思うのですが…。相手のことを心配することは本当はよくないことかもしれませんが、それでも心配です。

 

「あぁーっ、寒ぃッ!さっさと終わらせてここから出るぞ!黒魔『イベントホライズン』!」

 

先ほどの行動でタネがバレているのか、今度は光がかかわらない弾幕。確かにサニーちゃんに対処は出来ません。

 

「ハァッ!」

「なッ!…おいおい、冗談だろ…?」

 

チルノちゃんに迫る弾幕の一つが氷に包まれ活動を停止する。そして、その近くにあった弾幕が連鎖的に凍りつき、動きを止めていく。そのまま氷は大きくなっていき、最後には中に閉じ込められていた弾幕ごと砕け散った。

チルノちゃんに普通の弾幕を凍らせて無力化し、サニーちゃんに光の弾幕を逸らせて無力化する。たかが妖精と侮った貴女には、いい餞別になったと思いますよ?

二枚のスペルカードが不発に終わり、魔理沙さんはキッと私を睨み付けてきました。

 

「…チルノがここまでやるとは思わなかったぜ。だが、何より厄介なのはお前だな?」

「そう思うのでしたら、それでいいと思いますよ」

 

私に向けて放たれた二本のレーザーを逸らし、流れ星の如く飛来する星形弾幕を紙一重で避ける。チルノちゃんとサニーちゃんが相当近くで弾幕を張っているのに、それは片手間で済ませることが出来てしまっているあたり、やっぱりこの程度の不利で差を埋め切るには至らなかったのでしょうね。

 

「ですが、私は大妖精。大自然を相手に、人間が簡単に支配出来ると思わないでくださいね?」

 

瞬間、私の視界が切り替わる。座標移動。場所は、魔理沙さんの背後。

 

「四元『フォースエレメンツ』」

 

火炎を噴き出し、水流を撃ち出し、旋風を吹き荒らし、砂塵を撒き散らす。火水風土。始まりの四大元素。

 

「うおっ、眼がッ!…熱ッ!」

 

私の宣言で気付いて後ろを振り向いたけれど、その瞬間に砂が目に入ったようで、回避が一瞬遅れた。それでも、闇雲に避けた先には私が操る炎があり、最初の被弾を奪うことが出来た。

深追いはせず、ルナちゃんとスターちゃんがいるところへ座標移動し、自分のことのように喜ぶ二人と手を合わせる。

 

「やったね!」

「凄いわね、大ちゃん!」

「えへへ、ありがと」

 

まあ、これは一回限りの奇策。油断している今だからこそ出来たこと。問題は、ここからですよね、まどかさん?

 

「…もう妖精相手だからって油断はしねぇよ。覚悟はいいな?」

「当然!」

「よーし!盛大に遊び散らかすよ!チルノ!」

 

気合は十分。ただし、魔理沙さんとは違い、私達は飽くまで遊びなのだ。最後の最後まで精根尽き果てるまで全てを巻き込み遊び尽くす。それでいいと言っていた。異変を遊びと言うまどかさん。その真意は分かりませんが、私もチルノちゃん達と一緒にいっぱい遊びましょう?

 



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第229話

ルーミアが広げた闇の中で空中に投げ出された十六夜咲夜の居場所を見極めるのは、半分は勘だった。闇の中に無差別に放った虫達から割り出したけれど、止まった場所に人がいることまでしか分からない。けど、足首を掴んだときに聞こえた声が目的の者であったから、そのまま引っ張ってきた。動揺しているうちに連れ出すために、闇から程近い部屋を先に見つけておいたのは、結果を見れば正解だったと思う。

 

「…行くよ、ミスティア」

「うん、リグル。けど、無茶はしないようにね?」

「分かってる。けど、これは再戦で挑戦なんだ。少しくらいは見逃してよ?」

 

隣にいるミスティアは、私の言葉に呆れたように肩を竦めたけれど、そこから否定する言葉は出てこなかった。代わりに一歩下がり、呼吸を整え始めた。

 

「こ、これは…?」

 

立ち上がった咲夜が周りを見渡すと、ギョッと目を見開いた。そりゃそうなると思う。だって、私が使役する虫が壁にも天井にも隙間なくウジャウジャと止まっているのだから。

そんな咲夜に対し、私は人差し指に一匹の虫を止めて彼女に指差した。

 

「久し振り、でいいよね?」

「ええ、そうね」

「私達は貴女に再戦を申し込む。内容はもちろんスペルカード戦。スペルカードはお互い四枚、被弾もお互い四回。私達は両方とも合わせて四枚と四回で」

「…仮に、受けなかったら?」

「私はここにいる虫全てを使って盛大に好き勝手させてもらう。幻香にはそうしろ、って言われてるからね」

 

咲夜に虫に関する知識が備わっているかどうかは知らないけれど、それでもこの数を考えれば躊躇の一つはしてくれるだろう、とのこと。

そう言われて私は、毒針を持つ蜂、触れるとかぶれる毛虫、血を吸う蚊などの比較的分かりやすい虫を多めに選んだ。まぁ、体液全てが毒のマメハンミョウとか、触れると毒液を噴き出すアオカミキリモドキとかの人間に対して危険な虫ももちろん用意した。本当はこれだけの数を操るのは非常に大変なのだけれど、壁に止まらせるくらいなら問題なく出来る。

まぁ、煙を焚かれたり炎を出されたりしたらコロッと死んでしまうわけだけど…。それでも、一部の虫が持つ毒は死んでも残る。死骸に触れれば毒に侵されるし、燃やされれば燃えカスと共に宙を舞う。この閉め切った部屋の中でそのようなことをすれば、無傷では済まないはずだ。

 

「…ッ。ええ、いいわ。受けましょう、その勝負」

 

幻香の言う交渉は、正直私もえぐいと思う。だって、相手からすれば、こちらは交渉と言っておきながら、その中身は脅迫と大して変わらないようなものだからだ。拒否権なんてものは、あってないようなもの。こちらが求めていない答えを選んだ場合の損害が非常に著しく感じる。

けど、そのことを私に言わないってことは、きっと私の後ろにいる幻香が考えたことであると理解しているんだと思う。そして、幻香なら平然とそれをやってのけると。…まぁ、実際はこの虫を使って盛大に遊ぶだけなんだけど。周りを巻き込んで、盛大に。

けど、そんなことが伝わるはずもなく、咲夜は私とスペルカード戦をすることを選んだ。苦い顔を隠すことなく浮かべながらも了承した。そして、両手に一本ずつナイフを構えた。

 

「前と同じようにサクッと退治して、先に行かせてもらうわよ」

「そう簡単にやられるつもりはないね。私だって前とは違うんだ!」

 

自分自身を鼓舞するように大声を張り上げ、私は弾幕をばら撒いた。そして、相手も同じように弾幕を放つ、…え、弾幕を放った?何で?その両手に構えたナイフを大量に放たずに、どうして貴女が弾幕を?

いや、それはもういい。私を動揺させて失敗を誘う罠なんだ、きっと。そう考えよう。相手の時間操作は非常に厄介であることは、身を持って体験している。そう考えれば、ナイフの有無なんて些細な差だ。

私の後ろに言うミスティアも、少量ながら弾幕を張ってくれている。

 

「それじゃ、私は歌うから。…リグル、任せたよ」

 

そして、歌い始めた。今までずっと封じていたという、人を狂わせる歌を。それを聞いた咲夜の様子はまだ変わったようには見えない。けれど、これは長く聴けば聴くほど深く精神を狂わせるらしい。だから、すぐに効果が表れるわけではないと。

私は大丈夫なのか、と訊いたけれど、大丈夫だと言われた。上手く人間だけに作用するように調整すると。そんな久し振りなのに出来るのかと言いたかったけれど、その時のミスティアにはとてもではないが言えなかった。その表情が真剣そのもので、もしかしたら私以上の決意を秘めていたから。

 

「これは、目が…?」

 

そして、ミスティアは歌うと同時に咲夜を鳥目にしている。弾幕、歌、鳥目。三つも熟しているミスティアの労力は私の比ではないだろう。きっと回避は普段より遅いものになる。だから、私はミスティアのことも考えて行動しないといけない。

本当は私一人で挑戦したかった。けど、ミスティアが心配だからと付いてきたのだ。断ることは出来たけれど、一人では勝てないことは心の何処かでは分かっていた。だけど、それでも出来るだけ私一人でやりたかった。そうしたら、ミスティアはこうすると言った。私がリグルを後ろで支えるから、と。

だから、私自身のためにも、ミスティアのためにも、この勝負で負けたくない。

 

「くっ…、なかなか当たらない…っ!」

 

けど、これだけやっても当たらない。人間業とは思えないように速度で駆け回る咲夜に、私の弾幕が掠りもしないのだ。確か、自分以外の時間を遅くすることで相対的に自分の速度を上げているらしい。私達の時間の流れが二分の一になれば、咲夜は私達から見れば二倍速になるとかなんとか。まぁ、難しく考えるとよく分からなくなるから深く考えなかったけれど、とにかく咲夜が素早くなるってことは分かった。

けど、その咲夜が放つ弾幕は、何と言うか不慣れに感じる。鳥目で私達が見えていないだけとは思えないくらい不器用に見える。魅せようという意思のない、統一性のない疎らな直進弾幕。規則性がない分避けづらいと言えばそうかもしれないけれど、この程度で被弾するほど私は弱いつもりはない。ミスティアに当たりそうなものを打ち消す余裕すらある。ただ、部屋一面にいる虫達は勝手に避けようとしているけれど、いくらか当たってしまっていることがちょっとばかり悔しいけど。

 

「よしっ、まずはこれだ!蛍符『地上の恒星』!」

 

私の周りに大型の妖力弾を並べる。前と僅かに違うところがある。その中に光の弾幕を混じらせていること。このほうがより恒星らしいと思う。

鳥目は弱い光は見えなくなり、強い光はより強く見えてしまう。きっと、私が出した光の弾幕は目に突き刺さることだろう。それも含めてより恒星らしい。太陽は直視したら目を傷めるからね。

 

「行けっ!」

 

そして、私の周りに留めていた弾幕を解放する。輝く光の弾幕を先行させ、大型の妖力弾を追走させる。私が見たわけではないから分からないけれど、多分光の弾幕が強く目立って。後に続く大型の妖力弾に気付かない、というものを期待している。

 

「ッ!…ふっ!」

 

目論見は半分成功したと思う。確かに光の弾幕を最初に素早く避け、後に続く大型の妖力弾に被弾しかけた。けど、悔しいことに寸前で止まり、その隙間をすり抜けていく。

…惜しい。けど、もしかしたら行けるかもしれない。そう感じることが出来た。あれだけ遠かった存在が、こんなにも近い。自分一人の力じゃないことは分かっているけれど、それでもその事実が嬉しかった。

 

「…やれる。行くよ、ミスティア」

 

改めて後ろにそう伝えると、ミスティアは嬉しそうに頷いてくれた。幻香は遊びでいいと言っていたけれど、遊びだからって負けたらやっぱり悔しい。だから、私は全力で勝ちにいくよ。ね、それでいいでしょう?

 



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第230話

天井が崩れ、それと同時に闇が落ちてきた。あの中に美鈴がいるはずで、もしいなければ他の誰かを攫っていくことになっている。萃香とはちょいとした口論に発展したが、結局あっちが折れてくれた。渋々といった風ではあったが、納得はしてくれたようである。

落ちてくる人の気配の数は、十。追加で大量の虫がいるが、それは除外した。そして、互いに打ち合った経験を用い、僅かな呼吸の差から目的の居場所を炙り出た。

足首を掴み取り、そのまま引っ張り出して連れ出した部屋。まるで物置になる予定であったが結局使われることのなかったような、そんな空っぽで何もない石床が剥き出しの無駄に広々とした部屋。そこに美鈴を投げ飛ばし、叩き付けられる前に両足を擦り付けながら停止している隙に扉を閉める。

 

「よう」

「…そういうことですか」

「ああ。さ、続きをやろうか」

「ええ、あの時は途中で打ち切られましたからね」

 

体に淡い光を纏いながら構える美鈴に対し、私は体に炎を纏いながら自然体を取る。始まりの言葉は、もう決まっている。扉を背に、私は言った。

 

「ここを通りたければ、私を倒してから行け、って奴だ」

「そうですか。よく分かりましたよッ!」

 

最速最短で詰め寄ってからの、全加速が乗せられた右拳を受け止める。瞬間、左手の骨が文字通り粉砕される。しかし、それでも左手から力を抜かずにガッチリと握り締める。続いて放たれた左拳を右手で受け止める。左手から炎が噴き出し、元に戻るがそんなことはどうでもいい。

私を押し倒さんばかりに両手に力がこめられる。倒されまいと押し返すが、徐々に肘が曲がっていき、肩が曲がっていき、腰が後ろに曲がっていく。このままでは両脚が床から離れ、そのまま倒される。

 

「よっと」

「ッ!」

 

だから、私は先に倒れた。あれだけ入れていた力を一気に抜いて無抵抗に。私を倒すための力が空回りし、今度は美鈴を前に突き出してしまう。私は下に、美鈴は上に。そして、私の両手は既に床に触れている。

両脚を広げながら床に着いていた両手を思い切り右に払う。その勢いで体が回転し、美鈴を蹴飛ばした。浅い一撃ではあるが、空中に投げ出された瞬間の体は容易く吹き飛び、最初の間合いと同じ程度は距離が出来た。

 

「流石ですね…」

「はっ、謙遜すんなよ。私が力抜いた瞬間から私の攻撃を受ける準備してた癖に」

 

脚が触れた場所の筋肉は既に固められていた。あれでは大した損傷もない。というよりほぼ零。吹き飛んだ後も平然と着地しやがって。既に構えも取っている。

僅かに痛みが残る右手を改めて握り、一歩踏み出す。普段通り歩いて行き、美鈴との間合いをゆっくりと詰めていく。半分詰めた。まだ動かない。あと五歩。動かない。四歩。動かない。三歩。動かない。二歩。動かない。一歩。動かない。そこで私も立ち止まる。

 

「なあ、美鈴よ」

「…何でしょう?」

 

握り締めた右手から炎を噴出させ、それを打ち出す構えを取る。それを見ても尚、構えたまま動こうとしない。受け切れるという絶対の自信からではない。最初はあちらから来たから、今度は私から来い、ということだ。

一度間合いを離して互いに追撃しないのならば、次は相手に先手を譲る。互いに示し合わせたわけでもないのに、気付いたら最初からそうだった。もちろん、私がそうだからではない。あちらがそういう気質だから、という単純なものでもないだろう。

 

「どうして門番なんぞに就いてるんだ、ッ!」

 

右腕を解放し、爆発した右拳を打ち出す。私の言葉と共に放たれた一撃を受け止め、顔を歪める。それは、この一撃によるものだけではないだろう。

 

「お前のその実力は、門番に収まるような小さなもんじゃないだろ!」

「グ…ッ!」

 

全身から炎を噴火の如く噴き出し、そのまま左脚で蹴り上げる。顎に触れたが、その衝撃は私の脚とほぼ同じ速さで顎を上げて流される。しかし、衝撃を逃がせても炎は逃がせない。撒き散らされた炎をまともに受け、僅かだが苦悶の声を上げた。

 

「私はッ!」

 

だが、お前はその程度で止まる奴じゃない。僅かに後ろに跳ねて受け止めていた右手から離れ、すぐに前方へ跳んでくる。跳ね上がる膝を、振り上げていた左脚を振り下ろして受け止める。

 

「お嬢様に、レミリア・スカーレットに!恩がある!」

 

私が振り下ろした衝撃を使って床に罅を入れながら強く踏み締める。しかし、これでは膝が傷付く。が、それを押して私に一撃を加えようとしている。

 

「私の一生をかけても返しきれないほどにッ!莫大な恩があるッ!」

 

右肩に重い一撃を喰らい、出来るだけ流そうとするがそれでも思い切り吹き飛ばされる。空中で回転して着地し、さらに床からガリガリと音を立てて減速する。右腕の指先まで痺れるほどに強烈。

 

「…そうかよ、よく分かった。悪いな、軽率だった」

「いえ、構いませんよ」

 

レミリア・スカーレットに対する絶対的忠誠心!生半可な努力では身に付けられない圧倒的技術!怠ることなく徹底的に鍛え上げられた肉体!心技体、三拍子ここまで揃った奴は、これまでの長い人生で片手ほどもいない。

今度は美鈴のほうが私に一歩ずつ歩み寄ってくる。それに対し、私も逃げることなくその場で自然体を取る。そして、十分に近付いたところで立ち止まり、その場で構えを取り直した。

 

「ではッ!貴女は何故彼女に協力するのですかッ!」

 

音を置き去りにするほどの掌底を放たれ、半ば本能に従ったままに体を左に傾ける。外れたにもかかわらず感じる風圧。左手をばねに跳ね上がって距離を取るが、すぐに距離を詰められて着地寸前を狙い打つ追撃の拳が飛ぶ。

その拳をその場で縦に回転した加速を乗せた踵を叩き付ける。かなり無理をした攻撃ではあったが、衝撃をほぼ相殺することに成功し、着地と共に各関節を狙った乱打を放つ。初撃の左肩に受けた瞬間、距離を取られたが。

 

「私はな、これでも幻香にこの技を教えた身なんだよ」

 

最初はないよりマシだろう、という軽いものだった。いつか来るかもしれない過激派に対抗する手段として、必要になるだろうと。

 

「正直な話、あいつは凄いよ。私が永い時間をかけて得たものを、あんな短期間で身に着けた。まだ粗いとこは目立つが、決して簡単なことじゃないはずなのにな」

「…そのようですね」

「あれは、将来化ける。私達の想像もしないとこまで進んでいく。そう思わせるものがある」

 

だが、幻香はふざけた速度で成長を遂げた。私が一人で何十年もかけた領域に十数日で足を踏み入れた。私という師がいたからというところもあるだろう。だが、それでもあの速度は余りにも速過ぎる。私と同じ領域まで到達するのに、そう時間はかからないだろう。そして、規格外な能力と同様にどこまで行くか分からないほどに底がない。

 

「私はな、そんなあいつの完了を見たい。平然と死にかけるし、必要なら自らの死すら躊躇わないようなあいつのな。…だがな、そんな途中で終わらせるなんてもったいないと思わないか?だからな、その前に潰されたくないんだよ。友として、そして師として」

「…よく分かりました。貴女の気持ち」

 

互いに腹の中を割った。そして、互いに譲れないこともよく分かった。

多分、こんな暗黙の了解が出来たのは互いに実力を認めていたからだと思う。私は美鈴の実力を認めているし、同様に美鈴も私の実力を認めている。

だから、私もこれからは手加減なしに制限なしだ。

 

「…人間ってさ、どうしても限界があるんだよな」

「…?」

 

私の突然の呟きに首を傾げられる。…ま、そりゃそうか。急にそんなこと言われても意味分からないよな。

これ以上力を籠めたら壊れてしまう限界点。体が耐えられずに皮膚や筋肉が千切れてしまう速度。普通なら出すことすら出来ない領域。幻香には、まだ最初の最初の初歩までしか教えていない領域。

体から炎が勝手に噴き出る。ただし、今までの攻撃するための炎とは違い、壊れた体を元に戻すために体の内側から自然と噴き出す炎。私はその限界を自発的に超えられる。普通なら自壊してしまう領域に、平然と侵入する。私が蓬莱の薬を飲んだことで身に着けた限界突破。

 

「こっからの私は、さっきまでとは一味も二味も違うぜ…?」

 



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第231話

真一文字の斬撃に対し、浅く膝を曲げて回避する。その動きを目で捉えられ、先ほどの軌道に直角に交差するように振り下ろされる斬撃。左腕を円を描くように振り回し、手甲を刀の腹にかます。強烈な振動を妖夢の腕に与えつつ、甲高い音を立ててその軌道を逸らす。にしても、あの刀はやっぱり普通じゃないな。並大抵の刀なら圧し折れる力を入れているつもりだが、欠片どころか形すら変わる気配がない。

 

「どらッ!」

「ッヴ!?」

 

曲げていた膝を勢いよく伸ばし、がら空きの胴に頭突きをかます。深く奥のほうまで入った感触を一瞬感じ、その後壁まで吹き飛んでいく。壁に罅が走ったが、流石にこの程度の威力で穴が開くほどではないか。ふと、視界の端に緑色の布切れがひらひらと舞い落ちた。角で貫かないように気を付けたつもりだったが、服がちょいと引っ掛かって破れてしまったようだ。まぁ、このくらいなら許されるだろ。

 

「げほっ!ごほっ!…まだ、です…ッ!」

 

咳き込みながらも立ち上がるが、まともに構えられていない。刀を握っていた右腕はまだしびれが残っているだろうし、深くめり込んだ胴は吐き気の一つや二つがあると思うし、壁に叩き付けられた背中はまだ痛むだろう。それでも立ち上がったことは褒めてもいいが、この勝負はそういう問題じゃない。

 

「…おいおい」

 

溜め息を飲み込みつつ、駆け出しながら一本の鎖を投げ付ける。瞬間、妖夢の視点が鎖へ一瞬動く。僅かに前に出て鎖が妖夢に巻き付く瞬間前、鎖に向けて刀を斬り上げた。弾かれた鎖を元の軌道に戻そうと動かしたときに、その軽さに僅かに困惑する。どういうことかと見てみれば、ガチャリと綺麗に切断された鎖の一部が床に落ちていた。

 

「…ふぅん、前よりマシにはなってるのか」

「当然ですよ。鍛錬を怠ったことは一度としてありません」

「あっそう」

 

鍛錬、ねぇ。その鍛錬であんたは何を斬っていたのだろうか。薪か?空気か?それとも、頭の中で思い描いた仮想の敵か?

確かにあの時ですら磨き尽くされたと思っていた技術だが、今ではさらに細部まで磨き込まれている。光り輝くほどに美しい太刀筋。瞬きすれば見失うほどの一閃。水や空気ですら切断出来ると思わせる鋭利さ。一呼吸あれば八つ裂きどころか、細切れにすら出来てしまうだろう。

 

「で、お前が出した答えはこれ、ってことでいいのか?」

「…いいえ、まだ出ていません」

 

そう言いながら、妖夢は刀を鞘に収めた。…答え、出てないのかよ。ちょっと期待外れだ。…いや、時代の違いか。刀で人を斬ることはほぼなくなった現代で、斬る対象を見出すことはほぼ出来なくなった。より強い者と殺し合うこともなければ、不意を打って殺しに来る者もいない。代わりに出来た決闘は、平和な現代にお似合いの美しさを基本とした魅せるための人が死なない決闘モドキ。命名決闘法案、スペルカードルール。

私の考えが古いのだろう。殺しの経験は、その咎の重さに潰れてしまえばそれまでだが、背負うことが出来ればその者を強くする。肉体的にではなく、精神的に。敵の動きから次の一手二手先を読むとき、背後から不意の攻撃をされたとき、そんなときの咄嗟の判断は今までの経験が強く出るものだ。

だが、現代は違う。そんな経験がないから、想定外に弱い。型から外れたときに脆い。この場合はこう動く、その場合はそう動く、あの場合はああ動く。技術とは、極論そういう集合体だからだ。そういう意味で、この妖夢は絶対的に型に嵌まり切っている。つまり、刀がその手にあり、自らの体を思うように動かせ、斬るべき対象が認識出来ている。これが大前提に存在する。そして、質が悪いことに多少の不利不都合を押し退けられるほどにその技術を体得してしまっている。

だから、私のような届かない格上や、想定外を突き進む規格外の相手にはとことん弱い。相性が悪いと言ってもいいかもしれないが、それを超えることだって出来るはずなのだ。だが、その答えはまだ出ていないらしい。

 

「それじゃあ、あんたは私にどうして挑んできた?」

「貴女を斬れば分かる。そんな気がしたからです」

「…ふぅん、そっか」

 

私が考えていた答えは大きく分けて三つ。一つ目は、その技術をあらゆる想定外に対応出来るよう昇華させること。二つ目は、その型を一度捨てて技術抜きのものを会得すること。そして三つ目は、その技術に対応出来る者を全て殺すこと。

そうだ。想定外の行動をする者だって、その前に一撃で殺してしまえばいい。そうすれば、その技術は絶対不可侵のものとなる。一撃必殺の技術。殺しの技術なんて回りくどいことなんか考えずに、その一手で終わらせるものだけでいい。次の一手があるとすれば、本当に死んでいるか確認するために徹底的に潰すためで十分。…まあ、そう考えているような奴はもうほとんどいないんだろうけどな。

 

「それじゃ、私を斬ってみせろよ」

「…ええ、そうさせてもらいます」

 

そう言いながら、その手を静かに刀に添えた。その構えに、不思議と緊張が走る。時間の流れがやけに遅く感じ、鞘からキラリと光る刀身が見えた。

 

「人符『現世斬』ッ!」

 

次の瞬間、妖夢の刀は私の右手の親指と人差し指から小指にビッシリと挟まれていた。…ああ、本当に美しい太刀筋だ。だがな、あんたの太刀筋は美し過ぎる。その構えからどういう軌道を描くのか分かってしまうほどに。

答えとは思っていないようだが、あんたは三つ目を選択しようとしていた。だが、それは一番過酷な茨の道だろうと思っている。何故なら、知っている者は対策出来るから。その技術で負けた、という敗北感が絡みつくから。型に固執すれば、型が効かないと知ってもどうにも出来ない。そんな人間を、私は腐るほど見てきた。

 

「…なぁ、妖夢ちゃんよ。この程度で私を斬れるつもりだったのか?」

「くっ…!このっ!」

 

ピタリと挟まれて動かない刀を必死に抜こうと押したり引いたりしているが、ピクリとも動かない。このまま力をさらに込めてしまえば、この刀は多分圧し折れてしまうんじゃないかな。そうなれば、あんたはその未だに抜かないもう一本の刀を使うのだろうか?それとも、戦意喪失してしまうのだろうか?…いや、止めておこう。この時代には似合わないほどの業物だ。壊すのは惜しい。

 

「ほらよ」

 

刀が押された瞬間に手を離し、その勢いのままに妖夢の体が前に傾く。重心が前へとズレる。その体をまともに支えられていない脚を払い、体を宙に浮かす。

 

「そぉらよっ!」

「が…ッ!?」

 

そして、深く腰を落として地面ギリギリを掠めた拳が噴火の如く一気に妖夢の腹に突き刺さる。降ろしていた体を上げると共に腕を上へ上へと押し上げていき、最後まで伸ばし切る頃には妖夢は天井に叩き付けられていた。口から血反吐を吐き出すんじゃないかと思ったが、幸か不幸か透明な液体しか出てこなかった。そんな液体が顔に付かないように手で守り、すぐに払う。

少し遅れて落ちてきた妖夢に対し、私はまだ追撃するつもりはない。立ち上がるならそれでいいし、倒れたまま不意を打ってくるならそれでよかったし、倒れたまま動かないならそれでもよかった。ただ、あちらが再び動いて続ける意思を見せたなら、私はまた相手をすると決めた。

 

「…あ、が…っ。ぐ…、ふーっ、ふーっ…。ま、だで、す…ッ」

 

そして、立ち上がった妖夢を見て少しばかりホッとした。あのくらいで終わってしまっていたら、多分私はこいつに対する興味が完全に失せると思っていたから。

ただ、やはりその体はとてもまともに動かせるようなものではなく、刀を持つ手が僅かに震えている。だが、その眼は未だに私を射殺さんばかりに鋭く睨み付けていた。

 

「さ、続けよう。終わるまでに答えが出るといいな」

「言われなくてもッ!」

 

そう吠えた妖夢の連斬を一太刀ずつ避けていく。右に、左に、右に、下に、右に、右に、左に、下に、右に、左に、左に…。私に攻撃させまいと刀を止めることなく斬り続けていく。あの状態でこれだけ出せるのか…。いや、むしろ前より早くなっているか?

…これはちょいと楽しくなってきたかもしれないな。

 



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第232話

床の『目』を潰して落下していき、下の廊下を見下ろして『目』をさらに潰す。そうして出来た穴にお姉様を思い切り投げ飛ばし、追加で取り出したレーヴァテインを投げ付ける。が、床に叩き付けられたお姉様はすぐに跳んで回避してしまい、レーヴァテインは床に深々と突き刺さった。

ゆっくりとレーヴァテインの元へ降り立ち、引っこ抜いてお姉様を眺める。そんな私をお姉様は、誰が見てもハッキリ分かるほどに膨れ上がる激しい怒気を私に向けている。

 

「フランッ!どういうつもりよッ!」

「私って一応紅魔館の新しい主だからね。攻めて来てもされるままなんてしないよ」

 

そう言いながら威嚇目的で右脚を廊下に踏み下ろす。そこから罅が周りに走り、左右に走る罅は壁を上っていき、前に走る罅はお姉様の手前で止まる。もう一発強力な一撃を加えれば、この廊下に大きな穴が開くと思う。

何処からともなく取り出したグングニルを手に、その切っ先を私に向けるお姉様。それに対し、私はレーヴァテインを無造作に持ち上げた。私はこれを扱えるような技術を持ち合わせていない。思ったように、思うがままに振り回すだけ。だから構える必要はない。というより、構えたところで特に意味がない。ただただ力任せに薙ぎ払って炎を撒き散らして焼き斬る。それでいい。

 

「ッシ!」

「ふっ!」

 

一瞬で距離を詰めてからの突きを刀身で受け、そのまま半円を描くように振り上げる。グングニルの先が跳ね上がり、隙を晒した体にレーヴァテインを捨てて身軽になった右拳を放つ。浅く入った拳で怯んだ隙に後退してレーヴァテインを拾いつつ、お姉様に追撃の弾幕を放つ。いくつか被弾させたけれど、吸血鬼の再生能力で自然と傷は塞がっていく。

グングニルの基本形は飽くまで槍。体全体を前に出して腕を一杯に伸ばしたけれど、それでもお姉様には拳の半分くらいしか入らなかった。槍の長さの分だけ私とお姉様の距離が遠かったのだ。多分、また運命とかいう胡散臭いので反撃されても軽く済む場所でも視たんだろうな、と思いながら様子を伺う。

 

「フラン」

「何よ」

「貴女は、どうして幻香に協力するの?」

「お姉様が大好きな運命を視れば一発でしょう?」

「フラン、貴女の口から聞きたいのよ」

 

おねーさんは言っていた。この異変は飽くまで遊びである、と。話を聞いていると、本当にそうだなぁ、と思うようになってきた。私達はおねーさんという脚本家に役を与えられて、異変解決者という何も知らない人も勝手に配役にして、全部巻き込んで異変という名の演劇を完成させる。私にはおねーさんが得ることがあるのかどうかは結局よく分からなかったけれど、まあおねーさんのことだ。私に分からないところで知らぬ間に何か利を得ているに違いない。私はそう信じてる。

そんなおねーさんから私に与えられた配役、紅魔館の新しい主。それを奪い返そうと舞い戻るお姉様。観客のいない、配役しかいない、脚本の中身がスカスカな即興の演劇が始まる。遊戯なんかじゃ終わらない、現実に大きく干渉する演劇が。

 

「お姉様が嫌い」

「…え?」

 

そして、私は言われたままに思うことが口から零れ落ちる。一度囁くように小さく零れた本音は、留まることを知らずにそのまま流れ出ていく。今まで押し込まれていた本音が、次々と言葉となって口から溢れ出ていく。

 

「運命なんていうものに縋るお姉様が嫌い。破壊衝動一つで地下に閉じ込めたお姉様が嫌い。閉じ込めるだけ閉じ込めて結局自分では何も出来なかったお姉様が嫌い。自分は自由にしているのに私にはさせないお姉様が嫌い。友達と遊ぶのにもいちいち監視の目を付けるお姉様が嫌い。やっと皆と同じように遊べると思った矢先に取り上げるお姉様が嫌い。たくさんの人を呼んでも私は呼ばないお姉様が嫌い。おねーさんに自由になる機会を貰ったのにそれをまた取り上げようとするお姉様が嫌い。嫌い、嫌い、大嫌い。大大大大大嫌いッ!」

「それはッ!」

「黙って。貴女の思惑なんて聞きたくないし、知りたくもない。聞いたところで許せると思えないし、知ったところでもう貴女を許す気になれないよ、レミリア・スカーレット」

 

そう言って床にレーヴァテインを思い切り突き刺す。既に走っていた罅からさらに細かく罅が走っていき、遂に床が崩れていく。お互いに空中に強制的に投げ出され、私はレミリアに突撃する。体ごと旋回させた大振りを放ち、グングニルで防御したレミリアごと吹き飛ばす。

 

「私は!貴女に与えられなかったものをお姉さんからたくさん貰った!私の人生はお姉さんに出会ったその瞬間から新しく始まったのよ!」

「ぐ…ッ!」

 

感情のままに吐き出す言葉と大量の弾幕。レミリアはグングニルの中心を持って回転させ、弾幕を防御していく。そのまま弾幕を放ち続け、それと共にレーヴァテインを投げ付ける。弾幕は防げても流石にレーヴァテインは防げないらしく、その場から離脱していった。その際に三発ほど被弾しているけれど、それもすぐに塞がっていく。

壁に突き刺さったレーヴァテインには目もくれず、そのままレミリアに突貫する。それまでに放たれた弾幕にいくつも被弾するが、そんなことはどうでもいい。レミリアの二歩手前で床を滑りながら接近し、薙ぎ払われたグングニルの切っ先に左手刀を振り上げて圧し折る。その際に刃が入って骨まで達したけれど、そこであちらが折れたからもう気にしない。

 

「貴女は私の自由の前に立ち塞がる壁よ!だから!私は!今!貴女を!徹底的に!完膚なきまでに!叩きのめすッ!」

「く…、フラン!」

 

そのまま懐まで潜り込み、右拳を叩き込む。寸前に後ろに跳ばれてまた入りが浅かったが、すぐに離された距離を詰める。グングニルの基本形は槍。持てば中距離、投げれば遠距離。柄や石突を使えば近距離にも対応出来るらしいけれど、その前にさらに内側に潜り込めばいい。

多少の傷は喰らう覚悟で飛び込み、その体に右手刀を乱暴に刻む。抉るように最後まで振り抜き、返り血がビチャリと私に飛ぶ。生暖かいものを感じながらも追撃の左手刀を加えようとしたが、後退しつつグングニルを振り回され弾かれた。

 

「が…ァアッ!…はぁ、はぁ、はぁ。よく分かったわよ、フラン」

「…ふぅん、何が分かったの?」

 

粗く乱れたままの呼吸を整えながら抉られた傷に手を添えて私を睨むレミリアを、私は冷めた目で見ていた。その手に持っていたグングニルを霧のように溶かし、その手に収めていく。そして、ゆっくりと時間をかけて呼吸をいつものところまでようやく戻し、添えていた手を降ろす。

お互いに傷付いても、吸血鬼ゆえに並大抵の傷はすぐに治ってしまう。ほら、もうお互いに傷一つない。だけど、決して無傷ではない。いくら治っても元に戻るわけではない。傷を負い続ければ、いつか動けなくなる。ただし、それも簡単なことではないのだけど。

けど、そんなこともどうでもいい。どちらが上で、どちらが下か。ハッキリ決着を付けて、私は自由を勝ち取る。貴女という壁を壊して、私は先へ進むのよ。

 

「今から貴女は我が妹ではない。ただのフランドール・スカーレット」

「私のお姉さんは既に貴女じゃない。ただのレミリア・スカーレット」

 

だけど、この演劇の結末は最初から決まっている。姉妹という血の繋がりを断ち切る決別のお話し。中身のなかった脚本には、もうこのまま書き進められていく。その結末はもう覆らない。いくら傷が治っても、この傷はもう治らない。

…さよなら、私のお姉様。貴女をそう呼ぶことは二度とないでしょう。

 



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第233話

僅かな揺れを感じ、異変解決者が紅魔館に入ってきたことを知る。一体そこにはどれだけの人数がいるのだろうか。そして、時間差で他の異変解決者が来ることはあるだろうか。また、入り口以外、例えば窓からの侵入者はいないだろうか。

そのような疑問を幻香に訊いてみると、それならそれで別に構わない、と当然のように答えた。妖精メイドさん達と一緒に余った人が巡回する予定ですし、と付け加えて。つまり、余らなければ妖精メイドだけで対処する必要があるということ。

しかし、それは余りにも考えなしではないか、と思った。だから、私は幻香には無断で魔術結界を張った。私の足元に描いた魔法陣の魔力が尽きてしまわない限り、出入り口以外からの侵入が容易ではなくなるはずだから。レミィのその性格から、裏からコソコソとすることはないと踏んだ、少し危険な賭け。まあ、今こうして結界が壊されていないのだから、賭けには今のところ勝っているのだろう。まさかレミィがまだ来ていないなんてことはないでしょうし。

 

「…ふぅ」

 

私は普段通り本を読む、…つもりだったのだけど、現在進行形でこの紅魔館で異変解決者とやり合っていると考えると、やはり気になるものだ。そして、幻香の異変はこのままで上手くいくだろうか、と少しばかり不安にもなる。長いこと考えていたようだけど、さっきみたいな穴は随所にあるでしょうから…。

小さくため息を吐いたそのとき、小さく光るものを感じた。…誰かは知らないけれど、こんな時にここに一人で来る?妖精メイドの可能性もあるけれど、その妖精メイドは幻香と大妖精に頼まれて、紅魔館の巡回をしているはず。ならば、誰?

 

「…ここね」

「あら?」

 

やって来たのはアリスであった。しかし、その表情は普段の彼女からは考えられないくらい険しい。異変を起こした張本人がこの紅魔館にいるからだろうか?もしそうならば、彼女は見当違いのところに来たことになる。何故なら、張本人である幻香は普段レミィが使用する部屋にいるのだから。

そこまで考えていると、アリスが大股でわたしの元へ近付いてくる。そんな彼女の眼を見てようやく気付いた。理由は知らないけれど、ここが彼女の目的地らしい。

 

「…パチュリー」

「まさか貴女がここに来るなんてね、アリス。それで、この大図書館に一体何の用かしら?」

「ここに人里の崩壊を止めるものがあるでしょう?…教えなさい」

「…崩壊?」

 

…申し訳なのだけど、何を言っているのか分からない。全く理解出来ない。強いて言えば、本来は発動者であるフランが止めるか、フランが何処に設置したのか分からない魔法陣を破壊する必要がある紅霧を半強制的に払う、いわゆる非常時解除用魔法陣ならある。しかし、年単位で紅霧が蔓延されるならまだしも、少しくらいなら放っておいても多少健康を害する程度なのだけど…。

それに、人里には既に幻香の協力者である慧音がいる。それなのに、幻香がわざわざ人里を崩壊させるなんてことがあるだろうか?確かに、幻香はとある出来事を境に人里に足を踏み入れたことがなく、本人も決して近付きたくないというほどで、崩壊させてもおかしくはないかもしれない。しかし、仮にあったとしても、一緒に巻き込むなんてことはしないだろうから、慧音を外へ逃がす必要がある。さらに言えば、慧音は異変に深く関わらないことを代償に、抑止力として人里に留まることを任されている。つまり、これは矛盾だ。

 

「ないわよ、そんなの」

「今はそんな嘘や冗談を言っていい場面じゃないのよ!正直に言って!」

「だから、崩壊を止め――」

 

そこまで言いかけたところで、分かった。分かってしまった。何故アリスがこんな唐突に意味不明な妄言を吐いた理由が。そして、そうするように仕向けたであろう幻香のヘラヘラと笑っている顔が頭に浮かび、私は頭を軽く押さえる。

ある時の幻香は、出来ればこの人と相対したいという希望はあるか、と私達に問いた。その時の私は、同じ魔法使いである魔理沙かアリス、と答えた。またある時の幻香は、これ以上関わるつもりはあるか、と私に問いた。その時の私は、もしもここに来るならば、と答えた。そんな私の希望は、今こうして叶えられている。

こうなるとアリスが異変解決者として紅魔館にやって来たのが偶然だとしても、大図書館にやって来たのは偶然とは思えない。つまり、幻香は何らかの手段でアリスに虚偽の情報を吹き込んだのだ。おそらくは、ルーミアを通して。幻香がここに戻ってきてすぐにルーミアに長々とほぼ一方的に話していたけれど、それの結果がこれなのだろう。

…全く、こんなことを考えるくらいなら、もっと別のことを考えたほうがよかっただろうに。

 

「はぁ…。ええ、あるわよ。人里の被害を強制的に抑え込む魔法陣」

 

なら、私はこの流れに乗ることにした。幻香が私達に求めた、異変解決者の撃退もしくは足止め。それをすることにした。けど、アリスに嘘を言うつもりもない。だから、アリスの問いから得られる答えをすり替えた。崩壊から、被害に。実際には規模が小さくなり過ぎているが、被害という単語は実に幅が広い。

 

「やっぱりあるのね!今すぐそれを渡してちょうだい!」

 

ゆえに、被害の意味が私とアリスで大きく異なるものとなる。私にとっては紅霧による健康被害。アリスにとっては未知なる人里崩壊。

私は椅子から立ち上がり、机に置かれていた一冊の本を手に取る。そして、一歩だけアリスに向けて足を踏み出した。

 

「無論、ただで渡すわけがないでしょう?深く関わるつもりはなくても、せっかく任されたものなのだから」

「…そう。貴女には悪いけれど、人里がかかっている以上、無理矢理でも奪い取るわよ」

「別に構わないわ。貴女とは同じ魔法使いとして一度やり合ってみたかったし」

 

私が普段使う魔術は、思考を基礎に起き詠唱を無理矢理短縮させる精霊魔法。喘息ゆえにそうせざるを得なかったのだが、ここ最近は調子がいい。詠唱を短縮させてもなお長い規模の大きな精霊魔法も問題なく使えそうだ。そして、この本に描かれた魔法陣も使用すれば、その規模はさらに大きくなる。

対するアリスは、小さな人形を十二体周りに浮かべた。六体はアリスの顔を余裕で覆えそうなほどに大きな盾を片手で持ち、もう六体は私の肘から手ほどありそうなほどに長い槍を片手で持っている。どちらもその小さな体には不釣り合いな大きさで、普通なら両手ですら持ち上げることも出来ないと思うのだが、それを軽々と持ち上げているあたり、やはりそんなくだらない常識のままに考えてはいけないらしい。

 

「ルールは…、そうね。基本はスペルカードルールで構わないでしょう?スペルカードは五枚で、被弾は五回。降参は認めてあげるし、動けないようならすぐに止めてあげる」

「いいわ。この勝負、絶対に勝たせてもらうわよ」

「私が勝ったら、そうねぇ…。異変が終わるまで話し相手にでもなってもらおうかしら。とっても面白いことを教えてあげるわよ?」

 

そう言って微笑みながら、私は本を開いた。それが合図となり、槍を持った人形達が私に向かって突撃してきた。その六体を視野に捉え、精霊へ燃やし尽くすよう思考する。瞬間、人形が炎に包まれた。見た目からして、基本は布で縫われたものであろうと推測していたけれど、こうして容易く燃えていることから熱に対する対策はほとんどないらしい。

しかし、ただで燃やされるはずもないだろう。そう考え、精霊へ私の周りに簡単な結界を張るよう思考する。瞬間、私の周りに僅かに黄みがかった薄い結界が張られる。そして、その結界に数十発の細かい弾幕が被弾する。破壊されると弾幕を炸裂させるようにしていたようだけど、この程度ならこの結界を破ることはない。

 

「やっぱり簡単にはいかせてくれないみたいね。呪符『ストロードールカミカゼ』」

 

つまり、この結界を破るような威力のものを使う必要がある。強力な弾幕を引き連れた人形が、私に向かって高速で突貫してくる。そして、そこまで分かれば迎え撃つのも容易い。

 

「火金符『セントエルモピラー』」

 

頭上に火球を浮かべ、アリスに向けて飛ばす。私に向かって来ていた人形ごと、炸裂した弾幕ごと燃やし尽くし、それでも一切勢いと弱めることなくアリスへ飛んでいく。すかさず六体の人形が盾を構えたが、果たして…?

 

「きゃあっ!」

 

結果は、アリスは二体の人形と一緒になって吹き飛んだ。しかし、その体も服も焼け焦げた様子はなく、被弾することは守ることが出来たが、防ぎ切れなかった余波によって吹き飛ばされた、といったところね。

しかし、被弾させることが出来なかったのは確か。まだ勝負は始まったばかり。この先、どう引っ繰り返るかはまだ分からない。

 



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第234話

…ん?チルノちゃんが保冷部屋に、妹紅と萃香がそれぞれの部屋に行ったと思う。つまり、異変解決者が紅魔館へやって来たってことだよね。ただ、萃香がこうして動いているってことは、異変解決者が六人か七人の集団でやって来たってことか。

萃香には、最初に紅魔館の入り口から入ってきた異変解決者の数によって行動を変えてもらっていた。具体的には、五人以下なら追加で来る可能性を考えて紅魔館を好きなように巡回、八人以上ならこちら側の手札の関係で複数人に分かれて対処。その間なら相手に優先順位を付けて一人を撃退もしくは足止め。ただし、私のいる部屋がある階には来なくていいと伝えた。むしろ来ないでほしい、と。そうなると、目的の成就に暗雲が立ち込める。こればっかりは、わたし一人じゃないといけない理由がある。

無駄に豪華な椅子に動かず座っているのが意外と辛く、大きく伸びをする。肘とか背骨とかから乾いた音が響く。それにしても、私が座っても普通に足が床に付くけれど、本来使っているであろうレミリアさんは付かないんじゃないか?それじゃあかなり不便な気がするんだけど…。

チラリと椅子の横に閉じ込められている阿求さんを見遣る。酷く沈んでいるけれど、好きで放置しているわけじゃない。わたしから何か伝えても、伝わっているか分からない。そもそも『禍』からの言葉なんて、彼女にとって毒でしかないだろう。しかし、自暴自棄になっているわけではないことは幸いだ。少し余裕のある大きさにしたとはいえ、そんなことをしたら下手すると死んでしまう。

 

「…まだかなぁ」

 

こうして異変解決者が来ているってことは、わたしの部屋に来る異変解決者だっているはずだ。ルーミアちゃんには苦労してもらうことになったし、ちゃんと覚えているかちょっと不安なのだけど、それでもここに来るのは一人に絞れているはずだ。そうでなければ困る。色々と。

そこまで考えていると、この部屋唯一の扉が勢いよく開かれた。開けた人物を姿を見て、わたしは内心ホッとする。…よかった。ちゃんと来てくれていたんだね。

 

「ようこそ、博麗の巫女。負の要素を被った際に鼻で嗤われると人里で有名な『禍』さんが、貴女を心からお待ちしていましたよ」

「…アンタ、そんだけの理由で人里を崩壊させる気?」

「崩壊?…ふぅん、アリスさんが残ったか。つまり、霊夢さん、魔理沙さん、レミリアさん、咲夜さん、美鈴さん。この五人はとりあえず来ると思っていましたが、追加は二人でしたか。…あと一人は誰なんでしょうね?」

 

六人以下であったなら、ルーミアちゃんはそんなこと言わずにさっさと霊夢さんを送り届けるように伝えた。七人以上であったなら、一人余るようにしていた。その一余りをパチュリーのいる大図書館へ行かせる。アリスさんがいれば、優先的に残すように。その余りがアリスさんなら崩壊、妖夢さんなら飢饉、うどんげさんなら火災、と言い分ける。なお、幽々子さんは萃香に優先的に対処してもらうから除外。それ以外の人であったなら、萃香が対処し霊夢さんをさっさと送り届ける。

七人であるという保証はないのだけど、大体二分の一の鎌掛けだ。まずうどんげさんは来ないと思っている。もし来るのなら、師匠である永琳さんの命令を無視して勝手に来た場合か、わたしが見当違いな推測をしていた場合。人がほとんど来ることのない迷いの竹林に病院を建てているような人だ。好き好んで目立ちたくないだろうし、隠し通したいだろう姫様、蓬莱山輝夜だっている。そもそも、異変を解決しようという正義感があるのなら、数ある様々な異変の解決に乗り出していてもいいはず。それなのに、わたしは慧音から教わった異変解決者の中に彼女達の名前は一切ない。つまり、異変を解決するつもりはないと推測した。

けど、霊夢さんの反応から七人であることはほぼ確定だ。あと一人は、幽々子さん単体で来るとは思えないから妖夢さんか、わたし達が予想しなかった誰かかな?

まぁ、こんなのは物凄くどうでもいいことなんだけどね。

 

「…そこにいるのは、稗田阿求で合っているわね?」

「ええ、いかにも。九代目阿礼乙女で稗田家当主、幻想郷縁起を編纂されている稗田阿求さんですよ」

 

そう言いながら、わたしは阿求さんを閉じ込めている結界に座る。…やっぱり硬いな、これ。

 

「とりあえず、霊夢さん。扉閉めたらどうですか?」

「…ちっ」

 

…舌打ちされちゃった。ま、そりゃそうか。一人で来なかったら殺して人里に送るって脅迫、もとい交渉させたんだし。人質に見られてもしょうがないか。彼女を殺すつもりなんて、ほんの僅かしかないのになぁ。

扉を閉めてくれたはいいけれど、扉の取っ手を握ったまま離さない。…あ、もしかして開かないことに驚いてるのかな?それはフランに描いてもらった魔法陣の所為のはず。堂々と扉に描いてもらったから、この部屋だってすぐに分かったと思うんだけど。

結界から跳び下り、三歩だけ霊夢さんへ真っ直ぐと歩く。必要以上近付くつもりはない。

 

「さて、霊夢さん。一応普通には開かないように細工してもらったわけですが、仮に逃げるようならわたしは――」

「阿求を殺す?それとも、違う異変を起こすのかしら?」

「んー…、じゃあ両方」

 

ここで貴女が何処か行ったらご破算なんですよ。

 

「まず阿求さんを十四個に斬り分けて人里に投げ捨てて、次に春雪異変の代わりに幻想郷を極寒の世界に塗り替えましょうか。雪でも降れば、人里の人間共は雪見酒でも洒落込むんじゃないですかねぇ?…その後は、またその時に考えましょうか」

 

そこまで言うと、霊夢さんがいきなり大きなため息を吐いた。

 

「…私は、アンタがそこまでするには理由があると思ってる」

「理由?あー…、言ったじゃないですか。『禍』は『禍』らしく、って」

「そんなへらへらした仮面に訊いてるんじゃないのよ」

 

瞬間、ビシリとわたしを覆っていた演技の仮面に罅が入った気がした。…あーあ。いいじゃないか、理由なんてこれで。阿求さんだって納得してくれたし、わたしだって別にそれで構わないんだし、その流れで貴女も賛同してくれればいいのに。

けど、貴女はそんな誤魔化しの混じった理由を聞いても納得してくれないんでしょうね。…しょうがないなぁ。だったら言ってあげますよ。わたしがわざわざ異変なんて起こした理由。

そして、その目的を。

 

「わたしは、貴女とこうして戦いたかったんですよ。古臭くて、血生臭くて、面倒臭い。そんな一対一の決闘」

 

そう言い切った瞬間、わたしは創造した二酸化ケイ素によって霊夢さんの目の前まで弾かれる。すかさず右手で放った手刀をお祓い棒で防がれたが、その棒は今にも折れてしまいそうに嫌な音を立てる。

 

「ぐッ!」

「そして勝つ。そうすれば、もう誰もわたしに刃向かうことはない」

 

幻想郷最強、風見幽香。彼女に人間共が何もしない…、否、出来ないのは人間代表である博麗の巫女が敵わないからだ。その実力を、恐怖を、人間共に証明しているからだ。

これが、わたしが人間共にかかわらないようにするのに手っ取り早い手段。わたしは貴女に勝利し、風見幽香と同じ場所に立つ。

 

「そんなことのためにッ!アンタは異変を起こしたっているの!?」

「ええ、そんなことのためですよ。貴女へ救援を求めることを期待して紅魔館を占領した。貴女との勝負の結果を記録してもらうために稗田阿求を拉致した。貴女がここに来る理由を作るために異変を起こした。貴女に確実に異変解決に乗り出してもらうために博麗神社に来た。貴女一人と戦うために仲間を集めた。誰も得なんてない、無意味で無益で無駄一杯。もう一度言いましょう。そんなことのために、わたしは異変を起こしました」

 

ググ…、とお祓い棒に込められた力が強くなったところで右手を引き、僅かに前のめりになった頭に頭突きをかます。しかし、ただではやられてくれないらしく、あの激しく回転する球体を放ってきた。右から迫るそれに肘鉄を叩き込んで明後日の方向に飛ばしたつもりだったのだが、そのまま大きく曲がって霊夢さんの元へと戻っていく。…うわ、前みたいに壊したほうがよかったかも。

そのまま左へ飛んで大きく距離を取った霊夢さんが、大量の札を投げ付けてくる。妖怪が触れると滅茶苦茶痛いって話のお札。わざわざ触れてやるわけにもいかないので、目の前に壁を一枚複製し、それをそのまま霊夢さんに向けて投げ飛ばす。お札がベタベタ張り付いても、結局のところたかが紙。その勢いを止めることは出来なかった。しかし、霊夢さんに当たる直前に何か硬いものに当たったように弾かれ、下に落ちていく。…そっか、結界か。

ま、簡単に勝てるとは思ってないよ。だけど、絶対勝てないとは思わない。問答無用で殺す手段はあるけれど、それは使わずにわたしは博麗の巫女と戦おう。

 



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第235話

「だーっ!避けられたーっ!」

「あーっ!いちいち寒ぃんだよチクショーッ!」

 

チルノが使った二枚目のスペルカード、雪符「ダイアモンドブリザード」を避け切った。しかし、前にやった時と比べると弾幕が圧倒的に濃い。この環境がチルノに完全に味方していることがよく分かる。

それよりも辛いのは、チルノが放った弾幕と共に周りに吹き荒れる冷気。それがまた一段とこの部屋の気温を下げる。寒さで手足は悴むし、歯は気付けばガチガチ言っているし、体は震えが止まらない。止まっていればそのまま動けなくなりそうで、動けば風を感じてもっと寒くなる。被弾とはまた別の意味で厄介だ。

正確に時間を刻む時計を見れば、思ったより短い時間かもしれない。しかし、私からすればかなり濃密な時間であった。私はスペルカードを二枚使い、一回被弾している。それに対し、あちら側はスペルカードを同じく二枚使っていても、被弾はない。いくら相手が五人だからって、たかが妖精。それなのに、私は劣勢である。

 

「くそっ、かなり面倒だな…」

 

チルノとサニーの組み合わせは、正直舐めていた。私が普段放つ弾幕はチルノに触れそうになった瞬間、連鎖的に凍らされる。もう一種類の光弾はサニーと呼ばれた妖精に近付くと、すぐに明後日の方向へ飛んでいく。後者はまだしも、前者は明らかに妖精という括りから逸脱しかけているようにすら思える能力。

遠くのほうで一緒になって広範囲弾幕を張り続けているルナ、スターと呼ばれた弾幕もなかなか厄介だ。あいつらが私に当てようとするならまだ楽だった。それなら動き回るだけで避けられる。しかし、これは私の動きを阻害するための弾幕。素早く移動して攪乱するために必要な空間を減らす障害物として放たれた弾幕。何処に行っても変わらず私を阻害する。あいつらに私が弾幕を放っても、この距離だと余裕を持って避けられてしまう。

部屋の隅でこの勝負に参加せずに、しかし観客というわけでもない複数人の妖精メイド達は、何となくだがこの真冬のような異様な寒さの原因だろう。見た目とか、目付きとか、雰囲気とか、そんなのがどことなくチルノに似ている気がする。この状況、長期戦になればなるほど私は不利だ。

しかし、私がボソリと吐いた悪態は目の前をウロチョロと飛び回るチルノとサニーでもなく、遠くで鬱陶しい弾幕をばら撒いているルナとスターでもなく、部屋の隅っこに固まっているいかにも冷たそうな妖精メイド達でもなく、一人転々と飛び回りながら微笑んでいるたった一人の大妖精に向けてである。

 

「ほっ、と」

 

こいつ、大妖精だ。光を逸らし、一瞬で移動し、火と水と風と土を操る。そして、今は手の平に握り拳大の氷を凍らせて作って横に振るい、目の前を飛来した弾幕を三つ打ち消した。チルノが冷気、もとい氷で飛び抜けているのなら、大妖精はその芸の広さが飛び抜けている。一つ一つは強大とは言い難いが、既に七つの能力を見せてきた。ここまで来ると、それ以外にも出来てしまうのだろうと思える。…くそっ、パチュリーかよこいつは!

しかし、それでも私は負けるつもりなんて毛頭ない。

 

「ほらよっ!」

 

スカートの中に手を突っ込み、目当ての物を手に取る。それを目の前に入るチルノとサニーに向けて投げ付ける。そして、その小瓶に向けて一発撃ち込む。

 

「こんなものっ!」

「駄目っ!チルノちゃん避け――」

 

小瓶が破壊され、その中身が空気と接触して激しく反応する。閃光、発火、そして爆裂。普段なら絶対に使うことはないだろう、数多の調合の末に見つけ出した爆発物。氷なんて一瞬で砕いて吹き飛ばし、逸らすことなんて出来ない可燃物。

正直、使いたくはなかった。普通なら弾幕を放っていたほうが有効的だし、数は限られている。それに、これの威力は一切手加減が出来ない。

 

「痛っ、たた…っ!」

「チルノ!?」

「チルノちゃん!?」

 

後味の悪いものを感じながら、しかし二人まとめて当てるつもりで使った爆発物。だが、結果はチルノがサニーを背中に回して盾になりつつ、凍らせるつもりで手の平に出したであろう氷をそのまま大きく広げて分厚い壁とし、威力を抑えつつ被弾を一つに抑えた。

 

「今のは効いたよ魔理沙!やっぱり凄いなぁ!」

「ハッ!こんなもんで凄いなんて言ってたらこの先続かないぜ?」

 

体は深くはないが浅くもない傷が付いても楽しそうに言うチルノに対し、私は内心歯噛みしながらそんなことを口走る。そういや、先程真っ先に危険を察知したのも大妖精だったな…。より一層の警戒が必要だな。

さっきのチルノの被弾によってか、遠くにいるルナとスターが放つ弾幕が多くなった。避けれないほどではないが、他三人も加えるとその辺の妖怪なんかよりよっぽど強い。数が一つの武器であることがよく分かる。

そんなことを考えながら周りを見渡す。…微妙に狭いが、まぁ許容範囲内だな。広い場所を前提としたスペルカードだし、こんな寒い場所でやったら凍えてしまうが、確実に勝つためだ。少し自棄になりながら、箒の穂先にミニ八卦炉を捻じ込む。

 

「轢かれて泣くなよ…?彗星『ブレイジングスター』ッ!」

 

私の体を青白い魔力が包み、ミニ八卦炉から放つ魔力を推進力にして一気に加速する。あーっ!寒い寒い寒い!生半可な覚悟でやるんじゃなかった、と少しばかり後悔したが、それでも目の前にいるチルノとサニーに突撃する。

 

「喰らえっ!氷塊『グレートクラッシャー』ッ!」

 

チルノとサニーは斜め後ろに避けつつ、チルノが両手にチルノの身長を大きく超えた大きさの氷塊の鈍器を作り出した。そして、そのまま私に向けてぶん回してきた。大丈夫か?…いや、大丈夫だ!躊躇して勢いを落としたら、壊せるものも壊せない。そのままブチ抜け…ッ!

 

「あれ…?」

「はっ!甘いな!」

 

ガシャアンッ!と盛大な音を立て、氷塊が砕け散る。ぶつかる瞬間に目を瞑ってしまったが、勢いは殺すことなく突き進み、そのまま前へ前へと飛ばしていく。

 

「ちょっ、まず…!?」

「す、スター…っ!」

 

目標は遠くで弾幕をばら撒き続けていたルナとスター。大妖精が出した指示から察するに、避けるのが苦手と見た。私に向けて放つ妖力弾を、私が纏う魔力が打ち消していく。この程度の威力じゃあ、この魔力を貫くことは出来ないぜ?

 

「ごめんなさい」

「きゃっ!」

「ひゃっ!」

「ガフ…ッ!」

 

しかし、二人を吹き飛ばす直前で大妖精が二人の間に現れ、それと同時に二人を両側へ押し出す。そして、その場に残された大妖精は私に思い切り轢かれ、吹き飛んだ先の壁に叩き付けられる。私は壁に激突する前に大きく旋回し、次の突撃を敢行する。

 

「大ちゃぁんッ!オォォオオオッ!樹氷『フロストツリー』ッ!」

 

大妖精が吹き飛ばされたのを見たチルノが大声を張り上げながら、巨木を思わせる氷塊を私に向けて投げ飛ばしてきた。投げ飛ばしてきた瞬間の表情は、さっきまでとはまるで違う怒りの表情。正直、悪かったとは思っている。だが、もう止まるわけにはいかないんだよ。

上から来る氷塊に対し、私は下から昇っていく。位置関係は私のほうが不利だが、果たしてどうなる…?

 

「ぐッ!」

 

ぶつかった瞬間、さっきよりも明らかに硬い感触が伝わってくる。一瞬だが、その硬さと受領に私の押し出す勢いが止まりかける。

…だが、そこまでだ。ぶつかったときに入った罅がさらに深く走っていき、そのまま私が進むたびに壊れていく。

 

「嘘…!――うげッ!?」

「危ないチルノ!」

「ハッ!あまり人間様を舐めてもらっちゃあ困るな!」

 

そのままチルノとサニーを轢けるかと思ったが、その前にサニーがチルノの首根っこを後ろから引っ張って避けられてしまった。しかし、まだ三度目以降もある。時間いっぱい使えば、あと一回くらい轢けるだろう。そう考え、チルノとサニーに突撃する。

 

「な…っ?」

 

すり抜けた。私が二人の姿に触れた瞬間、陽炎のように揺らめき、そのまま私は二人の姿と重なり、そして通り抜けていく。てっきり当たるとばかり考えていた私は予想とは違う結果に僅かに動揺し、曲がるのが間に合わないほど壁に接近してしまう。

 

「チッ!」

 

箒を乗り捨て、床に叩き付けられながら大きく転がる。転がって衝撃を少しずつ逃がし、それでも壁にぶつかる。しかし、寒い分やけに痛みを強く感じるが、動けないほどではない。

乗り捨てられて制御するものがいなくなり、そのまま壁にぶつかった箒は大きく弾かれた。その拍子にミニ八卦炉から放出されていた魔力が止まり、箒の穂から離れて飛んでいく。その二つを痛む体に鞭打って弾幕の中を掻い潜り、どうにか確保する。

 

「ゲホッ!ゴホッ!…さ、作戦変更ッ!皆、こっちに来て!」

 

すると、いつの間にか私のまるで反対側にいた大妖精がそんなことを言った。すると、四人の妖精は後ろ向きに弾幕を放ちながら大妖精の元へ移動し始める。

 

「皆、聞いて。まどかさんは遊びと言っていたけれど、そのまどかさんが私達に求めたことは覚えてる?」

「…覚えてるけど」

「い、一応」

「いい?このままじゃ私達は魔理沙さんに勝てない」

「ッ!」

「だけど、簡単に負けるつもりもない。…分かった?」

「分かった…」

「…ええ」

「り、了解」

「ッ…うん」

「…ごめんね、チルノちゃん」

「…ううん、いいよ大ちゃん」

 

私はスペルカードを三枚使い、一回被弾。相手はスペルカードを四枚使い、二回被弾。一気に私が有利になった。だが、五人の雰囲気が大きく変わったのを感じる。

最後まで油断せずに。しかし、出来るだけ早く終わらせなくては。そうしないと、私は次の場所でまともに戦うことが出来なくなってしまう。

 



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第236話

視界が不明瞭で、二歩先も見えないほどに暗い。何かが光ると普段の何倍も眩しく見えて目に突き刺さる。以前にリグルという虫妖怪とスペルカード戦をやった時は、こんなことは起こらなかった。つまり、この目の異常を引き起こしているのは、おそらくもう一人のほう。さっきから歌詞のない歌を歌い続けている、八目鰻を売る屋台を出しているミスティアという夜雀の妖怪だったはず。

目の前に突然現れる弾幕を避け、私も弾幕を放つ。自分でも余りにもあんまりな弾幕だと思う。ナイフを弾幕の代わりに投げているのは、そっちのほうがそれらしく見えるというのもあるが、私がそもそも弾幕を放つのが苦手であるから。それなりの弾速は出せていると思うけれど、曲がるとか追尾とか分かれるとか爆ぜるとかそんな小細工がどうにも出来ない。だったらいつも通りナイフを投げていたほうが遥かにマシである。

しかし、今はそれが非常に難解。何故なら、幻香に手持ちのナイフのほとんどを捨てられたから。紅魔館の中を探索する余裕があれば、補充する手立てはいくらでもあったのだけど、そんなことをする前にこうして連れ出されてしまった今、私の手持ちのナイフは僅か三本。僅かにズレた時間を多重層にすることで一時的に本数を増やすことは可能ではあるけれど、時間停止と比べれば多少はマシだが、それでも重い。それに、私が扱うスペルカードの大半はナイフを使うのが前提。普通の弾幕に置き換えてもいいのだろうけれど、名前と中身が食い違うものがいくつか散見してしまう。

右側から飛来してきた妖力弾をナイフで切り裂き、空いた空間に動く。私を除く部屋の時間を遅くしているのだが、それでもこの視界の狭さは厄介である。弾幕が近くに来ないと視えないことよりも、相手の存在が何処にいるか見えないことが。幸い、歌声が聞こえるところにミスティアがいるのは分かるのだけど、もう一人のリグルの居場所が分からない。少し前のスペルカードで照らされた場所にいたのだろうけれど、今ではどこにいるのかは放たれる弾幕から大まかに推測するしかない。

 

「さぁて、次はこれだ!灯符『ファイヤフライフェノメノン』!」

 

時間を遅くしているせいで鈍足となり聞き取りづらい宣言と共に、少し左側から僅かに緑の混じった光が私の目に突き刺さる。居場所はよく分かるのだけど、とてもではないが直視出来ない。そして放たれた弾幕は以前よりも明らかに密度が濃い。チカチカと残る残像が弾幕と重なって仕方ない。それでも小さく細かい弾幕の隙間をすり抜け、時に切り裂いて無理矢理隙間を作って避ける。

ある程度時間が経ってから、普段使っている時計をチラリと見て時間を確認する。この時計は私の能力の対象外にしている。リグルがスペルカードを宣言したときに見てから二十七秒経過している。よって、私の体感時間ではあと約六秒。

本来スペルカードは大体三十秒まで。しかし、時間が遅くなっている分、一枚に対するスペルカードが長くなる。今は大体二分の一程度だから、約一分間。時間を遅くすれば避けやすくなるが、その分一回のスペルカード戦が長く感じる。

そして六秒が経過し、程なくして私に飛んでくる弾幕の種類が大きく変化したことから、二枚目のスペルカードが終了したことを把握する。

 

「奇術『エターナルミーク』」

 

そして、私が持つスペルカードの中では非常に珍しいナイフを一切使わないスペルカードを宣言した。普通に言ったら早口に聞こえてしまうから、少しゆっくり目に。さっきから放っていた不慣れな弾幕を全範囲にばら撒く。出来るだけ多く、出来るだけ広く、出来るだけ濃く、とにかく弾幕をばら撒く。

しかし、相手の使うスペルカードは私にとって長くなるのに、私の使うスペルカードは相手にとって短くなる。実際の時間で三十秒であると、時間停止中では私のことを度外視すれば無制限に弾幕を張れてしまうため、私の体感時間で三十秒までであるから。つまり、今の私が三十秒いっぱいいっぱい使っても、相手にとっては半分の十五秒間のスペルカード。

近くに見える弾幕は私が放つ弾幕で全て打ち消され、回避する必要がない。ゆえに、今はこのスペルカードを使い切ることに集中出来る。

 

「ミスティア、危な――痛ッ!」

 

被弾する音が一回響き、少し安堵する。以前のリグルならこのスペルカードを使わなくても勝てたと思うのだけど、今のリグルはこれでようやく一回被弾。そう考えると、この先が少し不安にもなる。ナイフがないことを言い訳にはしたくなかったけれど、ナイフがなければこの程度なのかしら、と少し落胆もする。

 

「…あら?」

 

そしてスペルカードを時間いっぱい使ったときに、視界がさらに狭くなったことに気が付いた。腕を伸ばせば指先が見えなくなる程に狭い。さっきまでよりもさらに近くでないと弾幕を見ることが出来なくなり、さらに避けづらくなる。避けた先に妖力弾があった、なんてこともあり、さっきまでと変わらない弾幕でも難易度が大きく跳ね上がる。

 

「もう視野はかなり狭いんじゃないかな?蠢符『ナイトバグトルネード』!」

 

そう言い当てられつつ宣言された三枚目のスペルカード。一枚目、二枚目の経験から目を細めて警戒したが、今度は一切光がない。目に突き刺さらない分、何処にいるのか分からない。僅かに曲がって飛んでくる弾幕に、正確な居場所が掴めない。

目の前になってようやく表れる弾幕。先程よりもまた一段と濃くなっている。それでも、時間の流れをさらに遅く三分の一にして対処する。その分スペルカードの時間が長引いてしまうが、被弾してしまうより遥かにいいだろう。ゆっくりと進む妖力弾の軌道を見極め、右腕を引き左腕を曲げて右脚を前に出し左脚をそのままに、その場から出来るだけ動かないように避けていく。大きく動いて避けるよりも、こうしたほうが安全であるから。

時計を確認し、二十六秒経過していることを確認する。残り約十二秒。そのまま左腕を後ろに伸ばして――

 

「…え?」

 

バチリ、と被弾する音が左手から響く。僅かに痛む左手。そして、私の左腕がダラリとぶら下がっていることに違和感を覚えた。思っていた動きとまるで違う。私は確かに、左腕を後ろへ伸ばしたはずなのに。思考と身体の不一致。そこまで考えたところで左脚が崩れた。

 

「あ。…ミスティア、ちょっと早くない?」

 

そんなゆっくりとした言葉が聞こえ、その言葉の内容を改めて考えて理解した。私が今こうして倒れているのは、…あれ?倒れている?それって誰が?それは私。私って誰のこと?私は十六夜咲夜。十六夜咲夜って?紅魔館の、あれ?紅魔館とは?お嬢様の、お嬢様の、お嬢様の、お嬢お嬢お嬢おじょおじょおじょおおおおおお…。

支離滅裂な思考が流れ、自分がどんな状況でいるのかすら分からない。立っているのか歩いているのか走っているのか飛んでいるのか跳ねているのか座っているのか倒れているのか。そんなことすら分からない。目の前は黒に染まり、こちらに近付いて来た足音も歌声の中に紛れて消えていく。何かを喋っているような気がするが、それも何と言っているのか分からないし、そもそも聞こえない。体に何かが当たったような気がするのだけど、それすらも何か分からない。分からない。分からない。分からない。私の頭の中には一つの歌が響き続けている。ずっと聞いていたいような、心地よい音色。繰り返し繰り返し流れ続ける。ずっとずっと響き続ける。

もう歌しか聞こえない。

 



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第237話

「ラァッ!」

 

槍の如く鋭い前蹴りを防御しようとしたが、その前に伸び切った足先が腹に突き刺さる。息が詰まるほどの衝撃を受け、生まれてしまった一瞬の隙に深く踏み込まれ、左拳が私の横顔に叩き込まれる。衝撃の方向へ少しでも動いて逃がそうとしても逃がし切れない重い一撃。受けた先に待ち構えていたように下から伸びる右拳。それに対して私は何もすることが出来ず、まともに顎に右拳を喰らってしまい、体が宙で浮かぶ。

床に背中から落ち、肺の中身が一気に吐き出される。視界は僅かに揺れるし、喰らった部位はズキズキと痛む。口元を拭いながら立ち上がり、体の至る所から炎を噴き出し続けている妹紅を睨む。拭った手の甲は赤く染まっており、血の味がする唾を床に吐き出した。

 

「…ハ、二味どころじゃ済まないじゃないですか」

「そうか?こうするのも久し振りでな、私もどこまで出せるか思い出してるとこなんだよ」

 

あの三撃で十分理解出来る。先程よりも数段速く、重い。それの代償のように、彼女の体からブチブチと何かが千切れる音が聞こえてくる。しかし、それは聞こえてはいけない音。それは武闘家として入ってはいけない領域。だが、彼女はそれに平然と踏み込んでいる。

ただの人間ではないとは思っていた。拳が掠って皮膚を削り血が噴き出したと思えば、炎を噴き出してすぐに傷は塞がる。骨を砕いたという確かな感触があったと思えば、炎を噴き出してまるで再生するように元に戻る。妖怪の類ではないかと思ったが、そのような気配はない。魔術の類ではないかと思ったが、そのような気配もない。妖術の類ではないかと思ったが、炎自体はそうでも体が治ることとは関係ないようであった。

だから私はそういう特異体質なのだろう、と考えた。それで片付けてはいけないのかもしれないが、それを知るのはこの勝負が終わった後で十分。

 

「しかし、貴女は無茶しますね…。いくら傷の治りが常人より遥かに早いからって、やろうとは普通思いませんよ」

「このくらいしないと死にかねなかったからな。あの頃の妖怪はちょっとやそっとじゃ屠れなくてね」

「…貴女、何者ですか?」

「人間さ」

 

口振りから察するに、とても人間とは思えないほど長生きをしているようであるが…。そんな長く生きるためには、妖怪の血が流れている半人半妖であることや、後天的な妖怪化や獣人化、仙人や天人に昇華するなどの様々なことをする必要があるはずだと思っていたのだけれど、どうも彼女からはそのような気を感じない。まごうことなき人間である。だから不思議だ。

そこまで考えていたところで、人差し指でクイクイと急かされる。…そうですね。考えるのは後回しにしましょうか。

 

「ハァッ!」

 

一呼吸の内に肉薄し、速度を乗せ、腰の捻りを利かせ、拳の螺旋回転の力を加えた一撃を放つ。この一撃は裏拳で軌道を逸らされたが、すぐさまもう一方の拳を放つ。しかし、これも同様に軌道を逸らされた。お互いに目が合い、獰猛な笑みが見える。両腕が外へいき、空いた胴体に膝蹴りを叩き込む。

だが、入りが浅かった。私の膝が入る前に、自ら後ろに跳んでいたから。一旦離された距離を一気に詰め寄り、地に足が付く一瞬前に蹴り上げる。そして、僅かに浮いた体に踵を振り下ろした。

 

「…へっ、やっぱ効くなぁ」

「そうは見えませんが?」

 

その言葉は、頭蓋に叩き込もうとした踵をそうやって片手で掴み取ってから言う言葉ではない。一見拮抗しているように見えるが、脚で振り下ろしのほうが同じ人間ならば勝つはずである。今も彼女の右腕からは嫌な音が断続的に聞こえてるが、それでも彼女が今の私よりも強い力を持っていることがよく分かる。

そのまま投げ飛ばされ、着地する。一呼吸置き、次の攻撃に備える。私だって、今まで自分より強い力を持つ者と相対したことは幾度とある。それでも、私は勝利してきた。自分自身のために、そしてお嬢様のために。

次の攻撃を受ける構えを取っていたが、彼女の様子を見て改める。一目見ただけで威圧されそうなほどに力が込められているのが分かる。次の一撃は、彼女の全身全霊の一撃だ。きっと、いつまでもその状態を保てるわけではないのだろう。だからこそ、ここで決めてくる。そう思い、私は彼女との勝負で初めて見せる構えを取った。

 

「ん?…意外だな」

「そうですか?」

「ああ。お前が私みたいな自然体を取るなんてな」

 

直立しているわけではなく、完全に脱力し切った状態。両脚を肩幅に開き、両腕はダラリと降ろす。呼吸は深く吸い、長く吐くの繰り返し。それでも、私の目は彼女の全てを収めている。…確かに私の基本は構えからであったが、彼女の基本は自然体でしたね。

ゆっくりと彼女が近付いてくるのを、黙って見守る。集中し、彼女の一挙動一動作も見逃さんと見続ける。しかし、その体は一切力むことはしない。

三歩ほど離れた距離で止まり、お互いに動かなくなった。それでも私は力むことなく待ち構える。対する彼女は全身に力を込め続けている。まるで真逆。

 

「セィヤァッ!」

「ッ!」

 

私が息を吐き切った瞬間、彼女は跳び出した。その右拳に炎を滾らせ、私の心臓部に向けて突き出すのが見える。その拳に左手を添え、その衝撃を全て受け取り、左腕を渡り、胸を通り、右腕へと伝わり、右手へ送られる。

相手の攻撃の威力に私の攻撃の威力を加えて返す技。貴女の攻撃をまともに喰らえば、私はそのまま倒れてしまう。貴女を認めているからこそ、私はこの技を使って貴女を倒します!

 

「ハァアッ!」

 

右掌底に衝撃が全て流れた瞬間、脱力していた体を一気に爆発させる。急速に伸びる右腕。狙いは左肩。自分の体を流れたからこそ分かる。これほどの威力では、何処に当たっても一撃で意識なんて刈り取れてしまう、と。

 

「…フ」

 

そこで、彼女の頬が吊り上がっていくのが見えた。しかし、私は止まらない。もう、止められない。

常識外れな動きで左手が飛び出し、私の右掌底を受け止めた。しかし、私が触れた左手は酷く柔らかく、攻撃が当たったという感触は全くしない。まるで木の葉でも殴ったような感触。では、その衝撃は何処へ行ったのかと思ったときには、一瞬にして急加速し空中で急旋回した右脚を左肩に喰らっていた。

 

「ガア…ァッ!?」

 

モロに喰らった私は、そのまま壁まで吹き飛ばされて叩き付けられる。衝撃が全身を駆け巡り、もうまともに体が動かせない。意識だってあと少しで途絶えてしまいそうだ。

そんな私の元へ、彼女は駆け付けて来た。だが、その目は止めを刺すつもりではないらしい。もう私がどうこう出来る状態ではないことは察しているようだ。

 

「痛ってて…。筋が切れてなければ全部キッチリ返せたんだがな…」

「ハ、ハハ…。貴女も、出来たんですね…」

「まぁな。やっぱお前は凄いよ。お前ほどの奴は片手ほどもいなかった。…けどな、片手ほどは、いたんだよ」

 

そうだったんですか…。全身が響くように痛むし、何より悔しい。涙だって出てきそうだ。しかし、それ以上に高ぶる気持ちを感じていた。

 

「…また、闘って、くれますか…?」

「ああ、もちろんさ。今度は私だけじゃなくて、萃香ともやってみろよ。あいつは一筋縄じゃいかないからな」

「そう、ですか…。フフ…、楽しみ、に、して、ま――」

 

すから、と言いたかったが、言葉に出来ない。口が動かせない。薄れていた意識が今にも掻き消えようとしている。それでも、最後に残された力を振り絞り、這いずるように右腕を伸ばす。そして、握り拳を僅かに上げ、親指を伸ばした。

 

「…はは、流石にこれは初めてだな」

 

その言葉を最後に、私の意識は途絶えた。

 



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第238話

体を動かすたびに響くように痛み、腕を振るうとそのまま千切れてしまうと錯覚し、一歩踏み出せばとそのまま崩れてしまいそう。痛みは熱を持って私を包み込み、私の体を焼き尽くしていく。どう考えても万全には程遠く、理想にはかけ離れている。

だというのに、私の芯はより一層冷えていく。流れる時間が引き伸ばされていき、髪の毛一本一本の動きすら見て取れるとさえ思える。それなのに、私はいつも通り動けている。より引き伸ばされた時間の中で、いつも通りの速さで楼観剣を振るっている。そんなこと出来るような体じゃないはずなのに。

 

「お、いいね。まだ行けるんじゃないか?」

 

その余裕そうな顔を浮かべる鬼を斬り、私は先へ進む。だが、このままでは足りない。まだ遅い。彼女を斬るには、さらに速くしなければ…。

袈裟斬りを振るい、私へと一歩踏み込みながら右下へと潜り込まれる。握り込まれた拳は、今にも私へと伸びてくるだろう。そうはさせまいと、斬り返しで僅かに上に傾いた横薙ぎの一閃を放つ。

 

「ほ、っと」

 

握られた拳が私ではなく刀を弾くようと放たれ、太刀筋がさらに上へと傾かされる。抗うな。無理に軌道を戻そうとすれば、太刀筋が一気に崩れてしまう。逸らされた軌道に合わせていけ。

僅かに後ろへ下がり、萃香との距離を少しでも離す。私の刀への攻撃で、私へと踏み込んでいた動きは浅くなっている。それを埋めるように一歩を出したその頭に斬り下ろすッ!

 

「甘ぇよ」

 

ガァン、と硬い何かに阻まれる。ほんの少し頭を傾けた萃香によって。頭から生えている捻じれた二本角の片方が、私の楼観剣を止めた。押し込んでも動くことはなく、しかし離そうとしたときには左手で掴まれてしまう。

 

「鹿みたいに生え替わるかどうかは知らないけどよ、そう簡単には斬れないさ」

 

そう言いながら、まるで刀を軸に手首を肘を肩を腰を回転させ、私の横っ面に蹴りを放たれる。吹き飛ばされる瞬間に刀を離されたために、そのまま床を数度跳ね、転がっていく。痛んでいた体はさらに痛みを増し、さらなる熱で私を焦がしていく。そして、その分だけ芯が冷え切っていく。

一気に距離を詰め、刀の切っ先で貫ける距離での刺突。頬ギリギリで躱されるが、すぐに引き抜きその先へさらなる刺突。逆側に躱されてもさらに突く。突く突く突く。それでも躱され続け、ジリジリと距離を詰められていく。…まだ、まだ足りない。

腕の分だけ詰められたところで、刺突から斬撃へ切り替える。横薙ぎで一閃、足りない。袈裟斬りからの斬り上げで二閃、足りない。斬り下ろしからの斬り上げからの横薙ぎで三閃、足りない。斬り上げからの袈裟斬りからの十字斬りで四閃、足りない。横薙ぎからの袈裟斬りからの横薙ぎからの斬り上げからの斬り下ろしで五閃、足りない。十字斬りからの斬り上げからの逆袈裟からの横薙ぎからの斬り上げで六閃、足りない。斬り下ろしからの斬り上げからの横薙ぎからの袈裟斬りからの斬り上げからの逆袈裟からの横薙ぎで七閃、足りない。斬り上げからの十字斬りからの斬り上げからの逆袈裟からの斬り返しからの逆袈裟からの横薙ぎで八閃、足りない。

もっと速く。さらに速く。速く、速く、速く、速く速く速く…ッ!

 

「おらよっ!」

「ッ!」

 

十一閃の五手目である横薙ぎを躱され、鳩尾に肘が突き刺さった。体の動きがその一瞬で止まり、悶えるような痛みが走る。呼吸が止まっても気にすることなく続く拳を肩、胸、脇腹に受け、強烈な回し蹴りを叩き込まれる。吹き飛ばされる彼方、運よく開いた手が床に付いて勢いを削ぎ落しながら、どうにか壁数歩手前で留まった。

 

「我武者羅かと思えばそうじゃない。本当に綺麗だよ、あんた」

「これの何処が、ゲホッ!…ですかッ!」

「どの攻撃も正確に私を狙った牽制も騙しも一切ない攻撃。これを綺麗と言わずに何と言う?」

 

そう言われても、私はこんな無様な姿。未だのその体に一太刀も入れられない、見掛け倒しの剣術。…このままで、いられるか。私は、また諦めるのか?

否。まだだ。こんなにもボロボロだと言うのに、体はまだ動く。傷は増え、痛みも増し、血も流れて、熱を発しているというのに、体は変わらず動かせる。不思議な感覚。芯は凍てつくように冷える。

意識が深水に沈み込んでいくようだ。深くなればなるほど世界は音をなくしていき、時間は緩やかに進めていく。沈めば沈むほど私の太刀筋はより高いものへと昇華していく実感がある。それでもまだ足りない。まだ深みがある。まだ沈める。

一呼吸するたびにミシミシと軋むように体が痛む。そんな痛みが水の中に溶け出していくのを感じ、痛みを感じなくなっていく。世界が色を失い、私と萃香のみに彩色が施されている。

そんな中、刀を鞘に納めて手を添える。居合。私の剣術で最も速く、最も鍛錬を積み重ねたもの。流れる血の一滴が床に零れていくのが止まって見える。意識がさらに深く深く沈み込み、遂に底に足が着いた。

 

「人符『現世斬』――否ッ!人鬼『未来永劫斬』ッ!」

 

初めての感触が楼観剣から伝わってきた。柔らかいような硬いような軽いような重いような、何とも言い難い感触。一切の抵抗も感じさせないほど滑らかに動いた楼観剣には、真っ赤な血が付いている。

後ろからドサリ、と何かが倒れる音が聞こえてきた。私は、鬼を、斬った。…斬った。斬ったはずだ。なのに、私は何も分からない。何故だろう?斬れば分かると思っていたのに。あの予感は、外れだったのだろうか…?

 

「…ハ」

 

後ろから、何かが聞こえてきた。たった一文字の声。吐息程度の小さな音。だというのに、私の音のない世界を引き裂くように響き渡る。

 

「ハッ、ハハッ、ハハハ!」

 

振りむけば、その声の主は立ち上がっていた。パックリと斬られた胴からは血が溢れ出し、中身が零れ落ちそうだというのに、そんなものはお構いなしに獰猛に笑う。一歩、また一歩と私に近付いてくる。

 

「よく出来ました。あんたには鬼斬りの称号を与えるよ。誇ってもいい。私も、どうせ斬られるならあんたみたいな綺麗な奴に斬られたいしな」

 

パチパチ、と拍手さえしてくる。そんな彼女を前に、私は動けなかった。沈み切った私の意識がそのまま溺れてしまったかのように、体の言うことが効かない。こうして立っているのさえ億劫なほどなのに、動かない。

 

「だが、鬼殺しにはまだ遠い。残念でした」

 

そして、遂に私の目の前まで辿り着いた。喉が裂けるほどに乾き切り、何も言葉が出てこない。倒れようにも倒れることは出来ず、動こうにも動くことは出来ず、逃げようにも逃げることも出来ない。

 

「そんなあんたには、私の奥義をくれてやる」

 

そんな私にそう言い放ち、右手を力強く握り締め、軽く引き絞る。

 

「一撃破壊、二撃崩壊、三撃壊滅。全て喰らって全壊しな」

 

次の瞬間、私の体に拳が突き刺さっていた。そんな小さな拳なのに、巨岩の如く重い一撃。その一撃で、私の体は破壊され尽くし、私はもう二度と動けないんじゃないかと錯覚すらした。

間髪入れずに放たれた二撃は先程の一撃よりもさらに重い。私の意識が丸ごと崩れ去り、何を考えているのかサッパリ分からなくなる。視界に収まっているはずの世界が黒に染められる。

最後の一撃は、もう何も感じない。殴られているはずなのに、何も感じない。何も見えず、何も聞こえず、何も嗅げず、何も味わえず、何も感じない。五感の全てを喪失し、私がもうこの世に存在していないと思わせた。

 

「四天王奥義『三歩壊廃』。…安心しなよ、流石に殺しはしないさ」

 

その言葉を聞くことも出来ず、私の意識は途絶えた。最後に私の頭を過ぎったものは、結局答えの出ていない問答だった。

 



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第239話

私は運命を視て、より良い選択をしてきたはずだった。私の、そしてフランの幸せを求めてきたはずだった。

 

「ハアァッ!」

「チッ、やっぱり鬱陶しい!」

 

フランが我が妹として産まれたときには既に狂気の片鱗が垣間見えていた。その狂気は、数年と経たずに膨れ上がり、抑えることも出来ないと運命は告げていた。当時の私にはとても手に負えるものではなかったことは明白であった。だから、私はフラン一人が誰にも迷惑をかけずに狂気を抑え込める方法を運命に問いた。その答えは、千年間地下に幽閉すること。そうすれば、フランは狂気を支配出来るようになると運命は告げた。その間は、膨れ上がる狂気を少しでも抜くための壊すためのものを与え続ける。ものは外に出たときに困らないために外で普段から使われるものや見るもの。あんな狂気に満ちていたとしても、フランは私の妹なのだ。いつでも近くにいてほしかった。例え、どんな風であったとしても。

 

「主を名乗るにはまだ早かったんじゃないかしら?」

「…うるさい、なッと」

 

フラン一人、という前提を幻香が覆した結果、運命は大きく変わった。約五百年、つまり半分でその狂気は鳴りを潜めた。ただし、飽くまで潜めただけ。また膨れ上がってもおかしくなかった。だから、フランの狂気をなくす方法を運命に問いた。その答えは、幻香とフランを近付けさせること。運命の先に、幻香とフランが仲良く微笑みながら歩む姿が見えたから。…まあ、今になって思えばこの運命は信用出来るものではないのだけど。もう一度視ていれば、違うものが視れただろう。

 

「ぐ…ッ!」

「もういっぱぁつッ!」

 

けれど、その頃の私は実際に狂気が抑えられていったのだから、運命の告げた通りであると満足していた。もしかすれば、近い将来に私と共に生きる未来があるのではないか、と。あんな風に地下に幽閉することなく、一緒にいられることが出来るのではないか、と。そんな幸せを。

 

「セイッ!」

「でりゃぁっ!」

 

しかし、いつからだろう。フランの中で幻香の存在が大きくなっていたのは。それまでもいくらか怪しいところはあったのだけど、フランは明らかに幻香に依存していると確信したのは、永夜異変の後だった。そのとき、いくら待っても幻香は目覚めず、幻香が倒れてから九日後に暴走すると運命は告げた。それほどまでに、幻香がフランにとって大きな支えだったことを知った。だから、そうなる前に何としてでも地下に連れて行くべきだと決断した。…まあ、運命よりも早く幻香は目覚めたのだけど。

 

「フッ!」

「ッ!…まず…ッ!」

 

フランが帰ってきたらすぐに勝手に出て行ったことの反省のために地下へと入れた。しかし、一言二言とはいえ改めて顔を合わせて話したときには驚き、そして歓喜したものだ。あれほどあった狂気を全く感じることがなかったのだから。狂気がなければ、地下に閉じ込め続ける理由はない。そう考え、自由にすることにした。出来ることなら幻香とではなく、霊夢や魔理沙など、他の人との関係を深めてほしかったのだけど…。結果は予想外の方向へと進む。いくら語り掛けても反応を示さない放心状態。どうしてそうなったのかは、私には見当もつかない。

 

「な…ガァああっ!」

「アハ…、腕一本で両脚取れるならは安いよね…?」

 

そのまま放っておくわけにもいかず、しかし居場所が分からず悶々としたまま数日経つと蓬莱山輝夜が現れた。迷いの竹林が普段より騒がしい、とのこと。すぐにフランがそこにいると思った。行ってみれば、フランは確かにいるとのことだったが、会う前に萃香に敗北した。去り際に問われた質問は、非常に答えやすく、そしてとてもではないが答えられないものだった。

 

「ふー、ふー…。紅魔『スカーレットデビル』ッ!」

「くっ、と!…ちぇ、もう治ってる」

 

その後、フランは何事もなかったように帰ってきた。私はホッとしたのだけど、そのまますぐに地下へ放り込んだ。あんな放心状態を放っておくわけにもいかない。何かしらの対策を講じなければいけないと判断し、それまでの間は、と考えてのことだった。とりあえず、フランには幻香との関係を少しでも浅くするために、紅魔館との関係を深くしてもらうことにした。月侵略計画とどっちに頭を悩ませていたか、と問われればフランのことだとハッキリ言える。探しても前例はなく、いくら考えても分からない。運命に問いても、その答えは放っておくであった。そんなこと出来るはずもなかったが、その前に月へ行く時が来てしまった。後ろ髪が引っ張られる思いだったけれど、待たせている者がいた。その者達にこれ以上迷惑をかけるわけにもいかないので、月へと出発した。…まあ、ボコボコにされて帰ってみればフランはパチェと深い関係を築いていたのだけど。幻香とは別の、深い関係。パチェを皮切りに、徐々に広がっていくことを期待した。

 

「ろ、六ですって…?」

「禁忌」「『エーストゥシックス』」「四人までなんて」「誰が決めたの?」「それじゃ」「始めよう」

 

パチェとの関係を利用するのは少し憚らわれたが、フランの監視を頼んだ。もう問題ないだろう、と毎回のように言われてきたが、それでも私は心配だった。過保護ではないか、と言われたけれど、パチェは本当の狂気を見ていないから言えるのだと思っていた。

 

「喰らいなさいッ!神槍『スピア・ザ・グングニル』」

「ッ!」「ぎィ…ったぁあ!」

 

そして今。私は視てしまった。フランが幸せを謳歌する運命を。そこに、私の姿はないことを。フランの幸せは、私の幸せと噛み合うことはない。フランの幸せには、私は枷でしかなかったことを視てしまった。私は、いつまでもフランと共にいたかった。狂気も抑えられ、何処にでもいるような姉妹になりたかった。だけど、それはフランが最も求めていないことだった。

 

「嘘…。弾いた…?ただの腕で?」

「アハ…」「残念だけど」「ただの腕じゃ」「ないんだなぁ」

 

だから、私は私の幸せを選ばずに、フランの幸せを選んだ。フランにとって、後腐れのないように。けれど、思ったよりも、その何倍も痛い。得られたはずの幸せを自ら手放すのは、こんなにも辛い。胸が抉られ、大穴が開いたようだ。

 

「お姉さんから」「教えてもらった」「新しい使い方」「破壊能力の応用編」「『目』を外に出して」「私の腕を強固にした」

「…そう。だからって、傷付かないわけじゃない」

「そうだね」「けど」「それだけじゃない」「萃香から学んだ」「密と疎の扱い方」「力を一点に萃める方法」

 

私は、何処で間違えたのだろう?何処から間違えたのだろう?より良い未来を選択するために、私は運命を視てきたというのに…。

 

「これを覚えるのに」「竹林をかなり」「吹き飛ばしちゃったけど」「まあ」「しょうがないよね」「教え方下手だったし」

 

多分、最初から。私は、フランを地下に幽閉するべきではなかったのだ。私は、運命の奴隷。その結末は、最高に不幸せだ。

 

「それじゃ」「さよなら」「レミリア」「スカーレット」

 

六人のフランに一斉に殴り飛ばされる。これまでとは比にならないほど重い拳を円で囲うように放たれ、何処にも逃げ場はなく、その場に崩れ落ちるしかなかった。体が動かない。傷は塞がったというのに、ピクリとも動かせない。けれど、そんな痛みよりもフランが離れてしまうことが痛い。そんな私を、一人に戻ったフランが見下ろしているのを感じた。

 

「…意識、なくなってないや。けど、動けないのも確か。…下手に気絶させて目覚めちゃうなら、ここでお姉さんがやり遂げるまで見てたほうがいいかな?」

 

ねえ、フラン。貴女にとって、私は最初から迷惑だったかしら?今になって思えば、空回りして、過ぎたことをして、すれ違って、失敗ばかり。今更好かれようなんて思っていなかったのは認めるけれど、それでも私は貴女のことを大切に思っていたつもりなのよ…?けれど、そんな私の気持ちも、貴女にとっては邪魔でしかないのよね。

 

「…大丈夫だよね、お姉さん」

 

言っても信じてもらえないでしょうけれど、私は貴女のことが大好きよ。貴女がどれだけ私を嫌っても、それは決して変わらない。

さよなら、私の妹。貴女をそう呼ぶことは二度とないでしょう。

 



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第240話

燃やされてしまった分の人形を補充しながら考える。最近の勝負では、人形自体の耐久力の低さが狙われがちになっている。吹き飛ばされたり、斬られたり、燃やされたり…。多少の攻撃なら大盾で防御出来ても、大盾が壊れればその人形ごとになりがち。これは人形自体に何か施したほうがいいのかもしれない。…とは言っても、今この状況ではどうしようもない。

パチュリーの周りに金属針が大量に生成され、一斉に射出される。大盾で防御するたびに金属同士がぶつかり合う音が響く。少しばかり変形してしまってはいるけれど、この程度なら些細な問題。足元に弾いた金属針が転がるが、それらはすぐに塵のように細かく分解され、再びパチュリーの扱う金の精霊魔法の素材となる。

私自身は大盾を装備した人形に防御してもらっているので、左右に広げた人形に弾幕を張ってもらってパチュリーに攻撃する。しかし、生半可な威力ではあの魔術結界を破ることが出来ない。いくら魔力弾を放っても、魔術結界に流れる魔力と相殺されていくだけ。消費した分の魔力は、すぐさまパチュリーから供給されているだろう。

 

「…けど、勝てないわけじゃない」

 

魔術結界に阻まれると分かっていても、弾幕を放ち続ける。この弾幕も、決して無駄にはならない。スペルカード戦は最後まで被弾させるだけが勝利じゃないし、相手のスペルカードを全て避け切ることだけが勝利じゃない。

 

「魔操『リターンイナニメトネス』」

「土金符『エメラルドメガロポリス』」

 

収まり切らないほどの魔力を受け取った人形が、その体では耐え切れずに内側から爆ぜる。それに対し、パチュリーはまるで床からせり上がるように生成された緑色の宝石の柱で防御した。人形一人の爆発に対し一本の柱を出して受け止めることで上手くやり過ごされ、その柱は私に向けて次々とせり上がってくる。

遠くにいた人形に繋がっている魔力糸を巻き取るように引っ張ってもらい、普通より素早く移動する。しかし、普通より早いということは、それだけ負荷が大きいということ。出来ることなら使いたくはない。

最後の一本が私の後ろギリギリに伸びてスペルカードが終わった。魔術によって急ごしらえに生成された宝石の柱はやはり長くは持たないようで、私が破壊したものも含めて、既に大半が分解されてなくなっている。この柱も、あと数秒と経たずに崩れて分解されてしまうだろう。

 

「月木符『サテライトヒマワリ』」

 

続けざまに宣言されたスペルカード。魔力が込められた何かを打ち上げ、それからグルグルと大きく円を描きながら弾幕を雨のように降り注いでいく。回っている数はなんと二十。パチュリーに近ければその密度は濃く、離れるほど薄くなる。しかし、それは規則正しく回っているものの場合。五つだけフヨフヨと私の上に移動してきており、上から来る弾幕を人形の大盾で防御する。

 

「…これはまずいわね」

 

数秒防御し、一番上にいた人形の大盾が壊れる音が聞こえた。その人形が穿たれる前に回収出来たのは幸いだったけれど、このまま防御し続けていると、手持ちの大盾がなくなってしまう。そう判断して動き出すが、ある程度離れているとはいえ上から落ちてくる弾幕とは避けにくい。そもそも人は上下の視野が左右の視野に比べて狭いのだからしょうがないのだけど、そんな文句を言っても仕方がない。

目の前に落ちてきた魔力弾に動きを止めた瞬間、追いついてきた五つから降り注ぐ弾幕をもろに浴びてしまう。すぐに走り出したはいいものの、動き続けるのは私には辛い。そうやって走り続けた先で、規則的に巡回するものから落ちてきた魔力弾が腕に当たってしまう。…こんなとき、魔理沙がいればあの箒に跨るだけでいいのだけど。

 

「はぁ、はぁ、はぁ…」

 

息が上がり切った頃になって、ようやく三枚目のスペルカードが終わりを告げる。結果だけ見れば二回の被弾。それだけで済んだと見るべきか、二回も被弾してしまったと見るべきか…。

 

「…赤符『ドールミラセティ』」

 

上空に人形を並べ、パチュリーに向けて強力な弾幕を一斉に放つ。この威力なら、今の魔術結界を十分に貫ける。もちろん、私も多少弾幕を放ち援護するが、上にいる人形達のほうが強力だろう。

しかし、パチュリーは私の弾幕に対しては魔術結界で防ぎ、上から来る人形達の弾幕に対しては金の精霊魔法と土の精霊魔法で乱暴に生成したであろう何とも言えない形をした金属塊と土塊で相殺していく。いくつか漏れて魔術結界に当たるものはあったのだけれど、そのほんの僅か前に多くの魔力を流し込んで魔術結界を強化し、破られないようにしていた。…悔しいけれど、私なんかより魔力の扱いが圧倒的に上手い。

 

「けど、勝敗は別よ」

 

私のスペルカードを防ぎ切ったパチュリーの魔術結界が薄れて消える。俯く彼女の息は私よりも荒い。

最初のスペルカードを何とか防いだ後、大盾に隠れながら観察していると、パチュリーの不調に気付いた。それは持病だという喘息ではなく、純粋に魔力量が普段より明らかに少ないということ。多分、最初に放たれたスペルカードも、本来なら余波ではなく炎で吹き飛ばされてもおかしくなかっただろう。

だから、私は彼女の魔力をより多く消耗させることにした。もちろん、最後まで使い切ってしまえば生命の危機。いくら精霊を介して消費する魔力量を減らしているとはいえ、あれだけ大規模なものを生成すれば消費は激しい。そんな大規模なものを生成して防御してもらうために、強力な自爆特攻を早々にさせた。より多く魔力を消耗させるために、威力の高く密度の濃いスペルカードを選択した。

そして何より、同じ魔法使いとして、と言っていた。なら、自然と小規模なつまらない魔法を使うことが出来なくなる。そんなことをすれば、自分の魔法使いとしての格が落ちるから。

 

「…はぁ。してやられた、って感じ、ね」

「ええ。まるで数日休むことなく活動してたみたいに消耗していたみたいだから、そうさせてもらったわ。…で、どうするの?」

「実際に、休もう、なんて、思わなかった、から、しょうが、ないわ、ね…。…はぁ、降さ――」

 

そこまで言ったパチュリーの言葉が途切れる。まさか魔力切れで、と思ったが、それは大きな間違いだった。

 

「あははっ!…何よ、最初からかかわらせるつもりだったじゃない」

 

そう言いながら笑うパチュリーの体から、先程までとは全く違う活力が見てとれる。限界一歩手前まで減っていた魔力が、大幅に回復している。…一体、何が起きたというの?

 

「火水木金土符『賢者の石』」

 

パチュリーから膨大な魔力が放出され、それを受け取った目に見えない精霊達が多種多様の魔術として解き放つ。すぐに大盾を構えて防御するが、その威力は途方もなく、呆気なく壊される。

 

「ッ!戦操『ドールズウォー』!」

 

咄嗟に武器に持ち替え、私に降り注ぐ魔術を切り裂き貫いていく。しかし、ある程度は防げても、炎には弱いし水は防げない。いくつか突進させても、パチュリーに辿り着くことは決してない。

膨大な魔術を人形達は防ぎ切れず、私自身は避け切れず、そのまま押し潰されるようにいくつも被弾してしまう。そして、私は敗北してしまった。

 

「…このままじゃ、人里が」

「さて、私の話し相手になってくれるかしら?」

「…ええ、そうね。一体、貴女は何を話してくれるの?」

 

椅子に座ったパチュリーは本を机に置きながら微笑む。私は人形を仕舞い、向かい側に腰を下ろした。あれだけの攻防があったというのに、その机と椅子は傷一つ付いていない。周りを見渡すと、本棚もそれに仕舞われた本も同様に傷一つ付いていない。きっと、大図書館全体すらも魔術結界で守っていたのだろう。そう考えると、やはりパチュリーは私よりも高い位置まで登っている魔法使いなんだな、と思わされた。

 



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第241話

一瞬だけ張った結界で私に向かって飛来してきた一枚の壁を防ぎ、そのまま落ちていくそれに向かって幻香が駆け出し、床に落ちる前に伸ばした手で触れ、一瞬で跡形もなく消し飛ばす。妖力の塊だというそれを回収したことで、その場に残され舞い散る札を何かが爆発でもしたかのように吹き飛ばす。その余波がこちらまで伝わり、服をはためかせ皮膚を震わせ髪が舞う。片腕で顔を軽く守りながら見下ろすと、見上げた幻香と一瞬目が合う。最初に見えた嘘っぱちな仮面が取り払われ、内側に秘められていた強烈な意思がその瞳に宿っている。視線に威力があるのなら私は刺し貫かれている、と思わせるほどに強い。

ほぼ垂直に跳ね上がった幻香が、一瞬でその距離を詰めてくる。まさか時間を、と思っていたけれど、こう何度も見せられると何となくだが見えた気がする。原理は分からないが、一瞬で加速しているのが。しかし、それに対応出来るかどうかはまた別の話。

私の前に浮かぶ幻香の右手にはいつの間にか見たことのないものがあった。指の形に収まる凹凸がある球体の先に、私に先端を向けた鋭い円錐状のものがくっ付いている。そして、底面と側面の境目に小さな筒状の物が規則正しく並んでいる。

 

「守れよ、博麗の巫女」

 

バンッ!と破裂するような音が響き、円錐が急速回転し始める。ギイィィィイン、と金属同士が擦れ合う音が響き、球体と円錐の底面との間から火花が散る。

 

「ッ!夢符『二重結界』!」

 

言われた通り防御に回ったのは癪だが、そうも言っていられない。あんな狂気に満ちた凶器をそのまま受けようとはとてもではないが思えない。回転する先端が結界に触れた瞬間、硬いものが削れる音が響き続ける。そして、拮抗したまま数秒経つと外側の結界に罅が走っていくのが分かる。そのまま突き出される凶器は外側の結界を破り、内側の結界に届く。再び結界が削れていき、そのまま突き破る一歩手前で何とかその回転を止めた。

 

「そぉらぁッ!」

 

凶器を止めれば幻香が止まるわけではなく、凶器を引き抜くと同時に体を大きく捻り、握り潰すように消し去る。そしてすぐさま放たれる拳に、限界寸前だった結界が粉砕された。その結果に思わず目を見開く。私の結界を破ったこともそうだが、それ以上にあんなものを創り出したことに。

幻香がその身に纏っているのは、明確なまでの殺意。幻香は、私を殺しに来ている。

 

「喰らいなァッ!」

 

幻香の体から湧き出るフヨフヨとした何か。数を数える気にもなれないそれから、一斉に弾幕が放たれる。その全てが一発喰らえば深く抉られ、下手すれば風穴が開くような鋭い針状妖力弾。

 

「霊符『夢想封印・散』!」

 

私の体の内側から湧き上がる霊力を外へ放出し、妖を滅する弾幕を放つ。針状弾幕を消し飛ばし、そのまま幻香へと襲う。もちろん本気で滅するつもりはなく、いくらか加減はされているが、それでもただでは済まないはず。

 

「ほれ。…ッ、うげ」

 

それに対し、幻香の取った行動は常軌を逸していた。自分に向かって飛んでくる弾幕に、平然と右腕を差し出した。弾け飛ぶ血飛沫、視るに堪えない様相となり果てた右腕。鉄臭さが鼻につき、思わず顔をしかめてしまう。それなのに、幻香の表情は大して変わっていない。

そして、そのまま何ともない表情で左手に薄紫色の細剣を創り出し、右肩から斬り落とした。ブチリと斬り取られ、床に落ちる右腕だったもの。僅かに血が飛び散ったが、無理矢理傷が閉じられていく。

 

「まぁた右腕なくなっちゃった。…あ、そうだ。ちょうどいいし、いいこと教えてあげますよ」

 

さっきまで噴き出していた殺気が一瞬で霧散し、まるでこれから世間話でも始めるような緩い雰囲気を醸し出す。その圧倒的落差に、あの殺意さえも仮面であるかもしれないと思ってしまう。

そんな私を置いていったまま、幻香はそこにない右腕を私に向けるように右肩を見せる。

 

「『不死鳥伝説』って知ってます?」

「不死、鳥…」

「そう。あの有名な不死鳥だ。火山の噴火と共に誕生し、極彩色の炎を翼に纏い天を舞う。その血を飲めばあらゆる病を治し、その血を塗ればあらゆる傷を塞ぎ、その肉を食べれば不死を得る。当然、不死鳥自身もあらゆる傷は即座に塞がってしまうし、死なんて以ての外。ある程度時が過ぎると自らを燃やし尽くし、その灰の中から新たな肉体を得て再び誕生する。…文献によって色々で差異もちょっとはあったけど、まとめれば大体こんな感じだったかな」

「…それが、何だって言うのよ」

 

急に語り出した内容は、この状況に余りにも関係ないもの。しかし、それを語る幻香は頬が三日月のように吊り上がり、ドロリと絡みつくような視線を感じる。…何か、嫌な予感がする。

ゴゥッ!と幻香の背中から何かが噴き出した。圧倒的な熱波を受け、思わず目を細める。それは、炎だった。その炎は、異常だった。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫…。あらゆる色を内包し、代わる代わる揺らめいていく。そして、その形は誰が見ても翼としか言いようがなかった。

 

「ちょっと再現してみた。今度八雲紫に会ったら、土産話にでもしてくださいよ?」

 

そう言った幻香は、私に人差し指を突き出した。当然、右手の。

理解が追い付かない。不死鳥伝説?それを再現?ドッペルゲンガー。願いを奪い、その人に成り変わり、代わりに願いを叶える。成り変わり。変化。…つまり、幻香は伝説として遺されている不死鳥に成ったとでも言うつもり…?

しかし、ずっとそうであり続けられるわけではないらしく、極彩色の炎の翼が止まる。その翼と再生した右腕に意識が向いていて、今更ながら幻香の服が燃え尽きていることに気付く。

 

「…やっぱ便利だけど、服が燃えちゃうのがなぁ。ま、ちょっと貴女の服貰いますね」

 

そう言って、幻香が私と同じ巫女服を身に纏う。一瞬だが、鏡を錯覚させる。顔だけじゃなく、服装まで同じだとそう思わせる。

服が燃えても何故か残っていた紐を手に取り、幻香は笑う。そして、そのままさっきまで収まっていた殺意が再び溢れ出す。

 

「アハ…。じゃ、続けましょう?博麗の巫女と『禍』の決闘を」

 

その言葉が終わると共に大量の札と陰陽玉を放つ。瞬間、私と幻香の間に炎が爆ぜた。札が一瞬で燃え尽きてしまうが、その程度でこの陰陽玉は止まらない。しかし、ビッと鋭く空気を切り裂くような音が炎の向こうから聞こえ、陰陽玉があらぬ方向へ飛んでいくのが視界の端に見れた。そして、さっき幻香が手に取っていた紐も。

その紐が突然私に迫る。炎で未だに向こうが見えないが、幻香が操作しているのは確か。すぐにお祓い棒を軌道に当てる。

 

「なッ!」

 

しかし、その紐は器用にお祓い棒を軸にして僅かに曲がり、私の首に巻き付く。気道が締まり、極僅かしか空気が通らない。締まる紐から抜け出そうと咄嗟に手に取り、きつく締まる紐の端をどうにか掴んでも簡単には解けない。今更のように炎が消え去ると、その向こうで幻香は嗤っていた。

 

「ほぉらよッとぉ!」

 

そのまま背負い投げるように紐を担ぎ、その先に巻き付いた私ごと振り回す。振り回され外側へと向かう遠心力により深く首が締まり、極僅かだった気道すら塞ぐ。…このままでは床に叩き付けられる。

そうなる前に、紐が巻き付いていた向きとは逆回転に体ごと回る。そして、どうにか床に叩き付けられる前に紐が解け、解放された体が勢いのまま幻香から離れるように跳ぶ。どうにか両脚を床に付け、片手も床に当てて止まる。

 

「…ま、この程度じゃ駄目か。…はぁ」

 

そう言って紐を振り回して遊んでいるように見える幻香がため息を吐く。その顔には一筋の汗が流れ、僅かに疲労の色が見えた。まさかこの程度で疲れるとは思えない。ならば、何かやったということ。真っ先に思い付くのは、先程の不死鳥伝説の再現。あれは、多少なりとも気力を使うものなのかもしれない。

そこまで考え、私と同じ場所まで降りた幻香を見遣る。そのときちょうど足元にあった右腕だったものを蹴飛ばして壁際に転がしたが、そんなことはどうでもよかった。私は、幻香が異変を起こした理由を知った。そして、そのために何だってする意思も感じた。それは、結果のために私を殺すことさえも厭わない漆黒の意思。

 

「…貴女は、もう止まるつもりはないの?」

「ないね。それに、もうわたしにも止められない。止めることが出来た時期は、もう遠い過去のことだからね。それに、止めても無駄だよ。わたしは何度だってやり直す。何度だって繰り返す。…だからさ、博麗の巫女。止めたきゃわたしを殺せよ。やれるもんなら、ね」

 

気付いたら零れていた問いに、幻香は律儀に拾いそう答えた。不死鳥伝説の再現が出来るなら殺せないじゃないか、とまず言い訳を考えてしまう。そして、殺したくない、と。

…あぁ、私はやっぱり甘い。ここまで来ているというのに、壊れかけの幻香に未だに同情している。一線を越えられない。非情になり切れない。誰かを殺すだなんて、出来やしない。

どうにかして、アイツの凶行を止めることは出来ないだろうか…?

 



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第242話

弾幕を放ち牽制をしているが、幻香は怯むことなく一歩ずつ歩み寄る。ただし、紐を振り回し続けながら。その紐に薙ぎ払われた弾幕は近付く前に容易く掻き消され、当たらずに残された弾幕も少し体を左右にするだけで避けていく。

幻香本人が攻撃をしない代わりに、その周りに数多く浮かぶものが絶え間なく私に弾幕を放つ。直接私を狙う妖力弾、私を追尾する妖力弾、わざと外れた軌道をする妖力弾、波打つ軌道を描く妖力弾、高い放物線を描く妖力弾、壁や床に触れると跳ね返る妖力弾、近付くと炸裂する妖力弾…。その種類は多彩で、規則性は皆無。強いて見出すとすれば、あの浮かぶものから放たれる、という点くらい。とにかく避けるが、その弾幕はあらゆる方向から飛来する。

 

「霊符『夢想封印・集』」

 

私の周りにあった弾幕が一斉に増殖し、私に襲いかかる。すぐさま霊力を私の周囲を包むように放出。その全てを掻き消してから解放し、さらに広範囲の弾幕を消し飛ばす。それを見た幻香は、周りに浮かべていたものを自分の元へと戻していく。どうやら、弾幕を張っても簡単に掻き消されると判断し、それで私に攻めることを諦めたらしい。

しかし、私が放っている弾幕も大して効いていないことも事実。それに、このまま放っておいても幻香は一歩ずつ私に近付いてくる。逃げ続けても意味はない。それよりも、逃げるわけにいかない。

だから私は敢えて一歩踏み出す。荒れ狂う紐が届く範囲に深く踏み入る。当然のように私に向けて左側から紐が迫る。それに対し、さっきと同じようにお祓い棒を軌道に差し出した。そして、さっきと同じままではこのお祓い棒を軸に僅かに曲がり、私を絡め取るだろう。だから、紐がお祓い棒に当たり軌道を曲げたその瞬間、お祓い棒を押し出した。僅かだった曲がりが一気に深くなり、それによって私ではなくお祓い棒に巻き付いていく。

お祓い棒を離し、距離を一気に詰める。幻香はこの紐を鞭のように扱っている。そして、この紐の攻撃範囲はその長さも相まって広範囲。しかし、その技量は私から見れば素人から数歩進んだ程度。自分の周りに存在するものを攻撃することは出来ていなかった。だから、紐の動きが止まったこの時に肉薄し、紐の攻撃範囲から脱出する。

 

「ハァッ!」

「ッ、と」

 

そして、この範囲は接近戦の領域。スペルカードルールが制定され、ほとんど使われることのなくなった肉弾戦。しかし、私はただ必要なかったからやっていなかっただけで、出来ないわけではない。どうにか動きさえ止め、その間にどうにかする方法を考えればいい。

そう考えながら、紐を持っている腕に掌底を放つ。確かな感触を覚えたが、幻香はその衝撃を受けて、左脚を軸にして回し蹴りを放ってきた。ついでに、紐を一気に手元まで手繰り寄せながら。その蹴りを受ける寸前に結界を張り、自分自身を守る。再びあんな凶器を創ったとしても、今ならその前に対応出来る。

 

「…アハァ」

「!?」

 

そのとき、幻香の瞳の色が血色に変わった、気がした。結界に阻まれた右脚を折り畳みながらさらに二回転。そして、回転の加速を乗せた左拳を叩き込まれる。結界が震えるほどの威力。しかし、破れていない。だが、続く右掌底が結界に撃ち込まれると、薄いガラスでも殴ったように砕け散った。…今の幻香はあんな凶器を創る必要もなく結界を破ることが出来るのか。

結界を破ってそのまま突き出される掌底を、咄嗟に出した左腕で受ける。しかし、その衝撃は内側に響くような衝撃で、左腕が勝手に細かく震える。利き腕じゃない左でまだよかったと思う。さらに左拳が私の顎を狙って放たれたが、その前に一歩後ろに下がることで回避した。

 

「…このへんでいいか」

「何がよ」

「もう十分この部屋にいたと思うから」

 

そう幻香が呟いた瞬間、部屋全体から軋む音が響いた。それと同時に、意識が一気に霞む。ガクリと両脚が崩れ、倒れる体を支えようとする両腕も動かせない。突然の変化に戸惑い、必死になって体を動かそうとするが、思うように動かせない。呼吸が辛く、いくら吸っても吸っても全く足りない。荒々しく息を吸って吐いても、苦しくてしょうがない。頭が痛い。目が霞む。何よ、これは…?

瞬間、何かが閃く。それは、勘。しかし、私は躊躇いもなく、その勘に従って活動する。幻香を入れずに、巨大な結界を張る。そして、その大きさを一気に小さくしていった。するとどうだろう。先まで苦しかったのが嘘のように楽になる。

 

「…やっぱ、その勘は凄いですね。この部屋の空気の半分くらいがわたしの複製だったことを見出し、薄くなった分を集めたわけですか」

「アンタが何を言っているかは私には分からないわよ。…けど、アンタの複製は誰の体内に入れても即座に回収されるんじゃなかったの?」

「そんなの決まってるでしょう?必要に迫られて、二度と同じ目に合わないようにするために身に付けた。体内に入れても回収されずに留まり続けるように意思を持って複製すれば、意外とどうにかなったよ。…代わりに、その意志を持って複製したら、わたしの意思でも回収出来なくなったから、霧散させるしかなくなりましたけどね」

 

そう言うと、幻香は手に持っていた紐を全て回収した。幻香の体が徐々に光り始める。最初は淡く、しかし徐々に激しく。薄紫色から、濃紫色へ。その圧倒的妖力を感じ、私は戦慄する。この瞬間だけなら、単純な妖力量があの紫を軽く超えている。もしかすれば、あの幽香さえも。

 

「…ま、そうやって結界を張られることくらいは予想済みだから」

 

そして、その妖力を解き放たれる。さらに結界を何重にも張り、その強度を増すために霊力を注ぐ。しかし、その膨大な破壊力はそんな私の抵抗を嘲笑うように、外側から壊していく。壊されるたびに新たな結界を張っていくが、遂に結界を張る場所が足りなくなってしまう。

…ああ、しょうがない。正直、使いたくはなかったのだけど…。

 

「…あぁ」

 

最後の結界が破れ、それでもなお余りある妖力の放流は、そのまま私を突き抜けていった。…否、すり抜けていった。私の後ろのあった壁が崩れ去り、大穴を開けて外と繋がる。外から風が舞い込んでくるが、私の髪が舞うことはなかった。

薄く目を開くと、私を摩訶不思議なものを見る目で見ている幻香が見える。その幻香が小さく零した嘆息が聞こえるが、どこか遠くにいるように聞こえてくる。

 

「『夢想天生』。…魔理沙にはそう名付けられたわ」

「…ふぅん。わたしの攻撃をすり抜けていったのは、流石に初めて見るよ」

 

『空を飛ぶ程度の能力』。その神髄は、ありとあらゆるものから浮くこと。紫は『私達のいる世界からすら浮き、少しずれた世界にいる』と言っていたが、理解はしていない。

だけど、こうなったら私にはあらゆる攻撃は通用しない――いや、幽香にはこれをしてもなお負けてしまったか。辛酸を舐めさせられた、苦い記憶だ。

 

「半透明で、まるで空気だ。…けどまぁ、どうでもいいか」

 

そう言いながら繰り出された拳を無抵抗に受け、そのまますり抜けていく。その隙に繰り出した私の掌底は、その防御をすり抜けて深く突き刺さる。

 

「ゲホッ…。うわぁ、こりゃ正攻法じゃあどうにもならないなぁ」

「だから、もう諦めたら?」

「ハッ、馬鹿言うなよ。さっき言ったことすらすぐに忘れるくらいその頭は空っぽか?…止めたきゃ殺せ。躊躇なんかするなよ、蜂蜜漬け」

 

その言葉を受け、私は歯噛みする。歪み切った彼女を戻すことは、もう出来ない。…いや、この歪んだ姿こそが、鏡宮幻香なのかもしれない。誰からも異常と言われる、外側と内側。姿形と思想。

長い間、お互いに何もせずにいた。幻香のほうは、何をしても意味がないことを理解した故か、ただ距離を離さずに私の周りを半周ゆっくりと歩いて止まった。私は、どうするべきか考えるために、その場から動かずにいた。そして、考えに考えた末に出てきた答えは、変わらない。それでも、私は殺したくない。

 

「宝具『陰陽鬼神玉』…っ」

 

手に持った陰陽玉に霊力を注ぎ込み、陰陽玉がまるで膨らむようにその霊力を纏う。これよりさらに霊力を注げば、幻香を殺すことだって出来る。しかし、その一歩手前で止めた。瀕死までに抑え、あとはどうにかする。してみせる。

巨大な陰陽玉を放つと、私のいた場所から幻香のいる場所へとずれて放たれる。それを受ける瞬間の幻香の頬は引き裂けそうなほど吊り上がっていた。

無抵抗に受け、そのまま開いていた大穴へと飛んでいく。そのまま纏っていた霊力を解き放ち、大きく炸裂した。そして、幻香の体が地に落ちてい――

 

「ッ!?」

 

――なかった。炸裂した霊力を大きく迂回して避けた誰かが、そのまま紅魔館の中へ入ろうとして、何かに阻まれる。その誰かの姿を見て、再び歯噛みする。そして、大穴から入ってくる際にした動作を見て、今度は戦慄した。

それは、私が結界を問答無用で破る際に行う動作だった。

 

「…ふぅ。あんな大規模な魔術結界が張られてるなんて、ちょっと驚いたわ。パチュリーかしら?」

 

そして、その声を聞いて放心する。それは、間違いなく私の声。いつも聞く、博麗霊夢の声に他ならなかった。

 

「何よ、私。そんなに驚いて?」

 

そして、無造作に近付いて来た。そのまま拳を振りかぶり、私に殴り付けてくる。

 

「あガッ…!?」

 

すり抜けるはずの攻撃が突き刺さる。無防備に喰らった拳を受け、床に頬を擦り付けてしまう。揺れる頭のまま、追いつかない思考のまま、殴り付けてきた者を見上げる。

 

「何で不思議そうな顔してるのよ」

「…アンタ、まさか」

「そう。私はアンタで、アンタは私。同じ場所にいるのだから、当たるに決まってるでしょう?」

 

呆れたような口調で、そう言われた。ドッペルゲンガー。その能力は、夢を奪い、成り変わり、代わりに叶えること。何を奪われた?そして、幻香はどうなった?

決闘はまだ、終わらない。

 



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第243話

夢想天生。それは、気力次第でいつまでも持続させることが出来る。何らかの理由で私自身が過剰に傷付いたり、意識が混濁したりなどすれば、当然解けてしまう。しかし、そんなことが起きたのは、今まででたったの一度限り。その唯一の例外を除けば、私にあらゆる攻撃は通用せず、一歩的に作業的に相手を打ち倒せる。

 

「セイッ!」

「ぐ…ッ!」

 

だが、今ここで新たに一つ例外が出来ている。『鏡宮幻香が博麗霊夢と成る』ことで、アイツは私と同じ場所へ介入した。

鏡映しなんか目じゃない。瓜二つなんてものじゃない。双子のようだなんておこがましい。完全同一人物。それは、私の性能も才能も何もかも例外ではないらしい。

 

「あのさ、私」

「…何よ、私」

 

そう言いながら真横から振るわれた右脚を受け止め、僅かな隙を見せている左脚を払おうとしたところですぐに退避される。これで何回打ち合ったかは、数えていない。

お互いに肉弾戦を続けている理由は、それしかないからだ。この場所に留まることが出来るのは、私自身とこの場所に浮いたときに触れていて、かつ私と共に浮くことを認めた非生物のみ。しかし、私の手を離れたとき、留まることは出来ずにすぐさま元の場所へと戻っていく。つまり、札や陰陽玉を投げ付ければ、弾幕を放てば、私から離れてしまい元の場所へと行ってしまう。お祓い棒を持っていれば武器として振るうことも出来ただろうが、残念ながらそれは床に転がっている。ゆえに、私達はこうするしかない。

 

「アンタは、アイツのことをどう思う?」

「は?…壊れる寸前の、危うい状態よ」

「そうね。私もそう思った。…思ってた」

 

そう言って、右手を頬に当ててこめかみに人差し指の先をトントンと叩く。

 

「けど、アイツは壊れてなんかなかったわよ。ただ、ふざけたことを考えていただけで」

「…それで、何が言いたいのかしら?」

「…そうね。何が言いたいのかしら?」

 

そう言って諦めたように笑う顔を見ていると、どうしてか怒りが込み上げてくる。理由は、分からない。

突き出した掌底を払われ、開けられた隙に肘が浅く刺さる。だが、その肘を受け止め、すぐさま伸ばした左手で手首を掴み取る。

 

「ふざけんじゃないわよ、私」

「ふざけてなんかないわよ、私」

 

喉元へ突き出した貫手が、同じように手首を掴まれ止められる。その拘束から離れようとお互いに手を動かし、それを阻もうとお互いに手により強く力を込めていく。ギリギリと軋むような音が、その手からは響いているような気さえする。

目と鼻の先にある同じ顔。睨み合い、探り合う。先に動いたのは、あちら側だった。

 

「ただ、アイツに創られた身としては、私もやりたいことをさせてもらうわ」

「アンタねぇッ!アンタが私だって言うのなら、どうしてアイツ側に立つのよ!アイツはやり過ぎた。だから、私が止める。止めないといけないのよ!」

「無理よ、私。アイツをこちら側から見て、すぐに分かったわ。アイツは、そんな言葉で止まるほどの柔い決意でここに立っていなかった」

 

知っている。そのくらい分かっている。しかし、そう感じさせられたのさえ仮面であるとすら思えるほどに、アイツの感情は賽の目のようにコロコロと転がっていった。それでも、あの殺意は、人間への殺意は、本物だ。あれは、嘘から放てるようなものではない。

 

「それと、私がアンタ側につかないのはとても単純。目の前に私がいる。そして、私にはどうしようもないことがある。だから、代わりに私がどうにかする。そのためよ」

「それが、私の願いだって言うのかしら?」

「そうね。それが私の願い。叶え難い願いを、私が叶えさせる」

 

そう言われ、感情のままに膝蹴りを腹に放った。防御なんてさせずにもろに突き刺さったが、それでも怯むことはなく、お返しをばかりに頭突きを喰らわされる。頭が震え、一瞬力が緩んだ隙に掴んでいた手首を払われた。そして、払ってすぐに薙ぎ払われた腕をそのまま後ろに倒れるように回避。その勢いのまま、掴まれている腕を上に振るって一緒に床に倒れ込む。人間一人分を片腕で、しかも重力に逆らって振り回すのは肩が外れるかと思った。だが、振り回し叩き付けたことで掴まれていた力が緩み、私もこの拘束を払うことが出来た。

 

「ハァッ!」

「やァッ!」

 

それからは、やられて、やり返す。そんなことの繰り返し。顔を殴られたが、脇腹を蹴飛ばす。脛を蹴られたから、すぐに顔を殴りつける。肩から体当たりを喰らい、お返しに背中へ体当たりをかます。首に手刀を入れられ、腕に足刀を叩き込む。腹に肘を突き刺さり、胸に膝が突き刺さる。

 

「ぐ、んのォッ!」

「がッ、あぁあッ!」

 

殴り、殴られ。蹴り、蹴られ。叩き、叩かれ。突き、突かれ。刺し、刺され。喰らい、喰らわれ。とにかく攻撃した。とにかく攻撃された。やられればやり返した。やられたらやり返された。何回攻撃したか覚えていない。何回攻撃されたか覚えていない。

 

「…ぁあ、っ」

「ふーっ…、ふーっ…」

 

痛む体に鞭打って攻撃した。軋む体を張って攻撃を受けた。痛まないところはない。動かすたびに体が悲鳴を上げる。破れた皮膚からは血が流れる。それでも私達は腕を振るった。もうそんな力もないはずなのに。それでも私達は脚を出した。もうそんなことをする余裕なんてないくせに。

それは原始的な決闘。床にばら撒かれた血肉からは独特な死の香りが漂い、争う二人は餓鬼の喧嘩よりも質が悪い。それでも、終わりが近付いているのは、確かだった。

 

「ぁ、ぁ…」

「…ぅ、ぁ」

 

気が付けば、夢想天生は解けていた。それは、相手も同じこと。もう、まともな声も出せない。それでも、力ない拳を振るえば、それだけで相手は倒れる。だが、震える足を支えに起き上がり、すぐにやり返される。それだけで私は倒れてしまう。けれど、震える脚に鞭を入れて起き上がる。

意識が朦朧とする。顔が腫れたのか、視界が潰れてよく見えない。赤く歪む視界。それでも、私は負けるわけにはいかない。止めなくてはならない。

私は、異変を解決しなければならないから。もう、負けてはならないから。それが、博麗の巫女だから。

 

「…?」

 

そんなとき、ハラリと何かが零れ落ちた。それは、一枚の札。私の血に濡れた、たった一枚の薄っぺらい紙切れ。そして、その紙を目にした瞬間、恐ろしい方法が目に浮かんだ。

 

「…ねぇ、ごふッ、…私」

 

動かない喉を無理矢理動かし、言葉を吐き出す。胃の中身が少し込み上げて来て、口の中の血と一緒に吐き出ながらも、その言葉を吐き出した。

 

「…何…よ、わた、し」

 

ああ、今更ながら理解した。どうして紫が鏡宮幻香に執心するのかを。本当に恐ろしい。何にでも成れる特異体質。伝説さえも再現する復元能力。ものを創り出す埒外な能力。そりゃあ、欲しがるわけだ。そんなものが紫の手元にあれば、幻想郷は大きく様変わりするだろう。紫の思い描く理想郷により近付くだろう。

そして何より、例えるなら幻香は後出しじゃんけんだ。勝てばそのまま。負ければすぐに手を替えてあいこになる。完全同一存在が戦えば、引き分けて当然だ。負けることがない。

 

「アイツ、に、…言っておいて。『アンタはやり過ぎた』って」

「ふふ…、もう、ッ…、知ってたわよ」

 

私では、コイツを止められない。だけど、止める手段がないわけではない。やりたくない。やりたくない。やりたくない。…それでも、私はもう二度と負けるわけにはいかない。

震える手でその札を取り、目の前に立っているのがやっとなアイツに押し付ける。そして、残り僅かの霊力を込め、一言呟いた。

 

「封」

 

封印。それは、負の遺産。今ではどうしようもないから、将来解決してもらおうという、最低最悪の方法。そうだと分かっていても、そうするしかなかった。もう止まらない。もう止められない。死にたくない。殺したくない。放置なんて出来やしない。選択肢は絞られていき、もうこれ以外私に選ぶことが出来なかった。

札に吸い込まれるように、その体が消えていく。その最期は、どうなってしまうのだろう。怒り狂い、理解不能な罵詈雑言を並べられる?忌み嫌い、八百万の呪詛を吐く?咽び泣き、言葉にならない涙を流す?

 

「―――――――、――――」

 

違った。どれでもなかった。ニヤリと笑いながら、言葉を出すことが出来ずとも、最後に短い言葉を紡ぎ出す。そして、クシャリと札が丸まった。

その最後の言葉は、理解不能な罵詈雑言よりも、八百万の呪詛よりも、言葉にならない涙よりも、深く深く私を突き刺した。

 



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第244話

「魔砲『ファイナルスパーク』ッ!こいつで終いだぁッ!」

 

最後の一枚までスペルカードを使い尽くし、最後の一撃を解き放つ。文字通り終幕の閃光。

大妖精の指示によって、妖精達は途中からあからさまに時間稼ぎをし始めた。攻撃のための弾幕ではなく、防御を優先する。不用意に近付こうともせず、ほとんど回避に集中する。もちろん最後のスペルカードは宣言しない。その結果、非常にやり辛いスペルカード戦となり、とことん時間のかかる勝負となってしまった。

ミニ八卦炉を持つ手の感覚は、既にほとんどない。流れたであろう汗は瞬時に凍り、顔にいくつか貼り付いている。唇は見るまでもなく、紫色に違いない。この極寒の中、よくもまぁ倒れなかったと自分で自分を褒めてやりたい気分だ。

 

「いっ…たぁー…い、なぁ…。…あーぁ、負けちゃったわねぇ」

「そうですね、スターちゃん。けど、私達はちゃんとやり切りましたよ?」

「…そうだね。負けちゃったけど、キッチリ役目は果たせた」

「ならよし!悔しいのはまた今度!」

「次は負けないからな、魔理沙!逃げるんじゃないよ!」

「…へっ、言ってろ」

 

正直、まともに返事をする余裕はない。しかし、役目か。それは幻香に頼まれていたこと、のはずだ。私の相手をすることで、スペルカード戦を長引かせることで、何がしたい?どうせ私達は最終的に幻香の元へ辿り着く。誰かが負けて欠けたことになったとしても、それでも幻香が複数人を相手に出来るほどとは思えない。時間稼ぎは寿命が少し延びるくらいしか意味がない。…じゃあ、その寿命が必要だったってことか?

扉を開けると、一気に風が舞い込んでくる。しかし、さっきまでの極寒ではない暖かな、…否、熱いとすら感じてしまう風。本来なら、急に動いたらいけないような状態なのだろう。しかし、そんなことを言っていられる状況じゃない。すぐさま箒に跨り、まずは床をブチ抜き大穴を開けられ落とされることとなった出入り口まで一気に加速した。

 

「あー、魔理沙だー」

「…お前も私の邪魔をするのか?」

「しないよー?好きなところに行けばいいんじゃないかー?」

 

大穴に腰かけていた闇の妖怪であるルーミアは、出て行けと言わんばかりに後ろの扉を指差しながら言った。そんなことをされても出て行くつもりはさらさらないし、まだ異変は解決していない。何故なら、窓から覗く外は未だに紅霧で満たされているのだから。

ルーミアの指差す向きとは真逆へと突き進む。私達を下に落とした。寿命を延ばすことだとするならば、幻香はその逆の上にいるはずなのだから。上へ、上へ、と登り続ける。

 

「ここからは通行禁止!」

「進むならぁ、あっち。…だよぉ?」

「そうです!だから曲がって今すぐ即刻さっさと!」

「うるせぇ!邪魔だ退けえっ!」

 

廊下に立ち塞がる妖精メイド達の間を縫うように突き進み、しかし、そのまま進み続けても何もない。妖精メイドの一人すら見当たらない。…まさか、外れでも引いたか?そう判断したときには、急停止からの反転即発進。元来た道をそのまま戻っていく。

 

「だから言ったじゃん!」

「ほらぁ、こっちこっち。…ねぇ?」

「さあ!こっちに進んで急いで素早く迅速に!」

「チィ!…分かったよ!」

 

今度は言われた廊下へと曲がっていく。…しかし、寿命を延ばすことが目的なら、妖精メイドは私にどうして正解を伝えた?まさか、私がそんな言うことを聞くなんてことはないだろう、と踏んでのことだとか?なんか舐められてる気分だ。癪に障る。

 

「…こっち」

「グーッと直進!」

「か、階段を」

 

道なりに進んでいけば、進むべき道を指示する妖精メイドが最低でも一人はいる。その言うことに従っていると、その扉はあった。そこは、レミリアが普段使っていたはずの部屋。しかし、その扉には明らかに似合わない異質な魔法陣が何者かの血液によって描かれていた。触れると発動することを警戒し、足元に転がっていた壁の欠片に魔力をほんの僅かに込めながら投げ付ける。カツン、と当たっただけで反応はない。欠片に纏わせた魔力にも変化なし。

 

「…よし」

 

そーっと扉に手を触れ、改めて反応がないことを確かめてから扉を開け放つ。

 

「…魔理、沙…?」

「霊夢…?おい、霊夢ッ!」

 

そこら中がボロボロになった部屋。壁には大穴が開いており、外が丸見えになっている。その真ん中に、見るに堪えない姿となった霊夢が横たわっていた。その姿が目に入ったときには、考える前に体が霊夢の元へ駆け出していた。

首が曲がらないように上半身を抱き起こすと、急に咳き込んだ霊夢の口から赤い飛沫が飛び散る。顔は赤黒く、醜く腫れあがっている。肌が見えるところには、怪我がないところを見つけるほうが困難なほど。きっと、服で隠れているところも傷は絶えないだろう。

 

「しみるだろうけど我慢しろよ!」

「ぇ…ッ!」

 

スカートの中から傷に効く薬を手に取り、霊夢に思い切りぶっかける。すぐに治るわけではないが、やるとやらないでは段違い、のはずだ。

 

「あとこれも飲め!」

「ちょ、ゥぐ!?」

 

追加で痛みを感じることを抑える薬を口に突っ込む。一時的だが触覚に関しても鈍くなるが、それは仕方ない。今はそんなことよりも鎮痛のほうが大事だ。

そこまでしたところで少し落ち着き、改めて周りを見渡す。まず目に入ったのは、結界の中に閉じ込められている人間。見たことがある気がする、と思ったら稗田阿求だった。…何故ここにいるんだ?

それからは、特に気になるものはなかった。…そして、いるはずの者がいないことにようやく気付く。

 

「…なあ、霊夢。…幻香は?」

「…それよ」

 

そう言われ、震える指の先にあるものを見る。それは、まるで紙屑のようだった。言われなければ気にも留めることもないような、紙をただ丸めたようなもの。あれが、幻香、なのか…?

 

「まさ、か…」

「そのまさか、よ。…私は、アイツを、封印したわ」

「封印…。そうか、封印か…。封印、か…」

 

言われた言葉が頭からスルリと零れ落ちては再び拾い上げるを繰り返しているようだった。その言葉の意味が理解出来ていない。しかし、何度も呟いていれば、嫌でもその意味が分かる。分かってしまう。

霊夢は、鏡宮幻香を封印した。その昔、やりたくない、と言っていた封印を。

 

「魔理沙。…まだ、立てなさそうだから、ちょっと肩貸して」

「あ、あぁ」

 

言われるがままに肩を貸し、支えながら立ち上がらせる。そのとき、目元に光るものが見えたが、それは気のせいだ。悲痛に歪む表情だって、見間違いだ。…そういうことにする。

震える脚の進む先へ連れていき、阿求が閉じ込められている結界の前で崩れるように座る。そして、すぐに力の限りを尽くし、それでも震える指で結界に何かを施していく。たまに見ることのある、結界を問答無用で破る際にする行為。最後に指先を結界に当てると、部屋がこんなになるような勝負をして、それでも傷一つ付いていないことから強固であろうと思っていた結界が、呆気なく粉砕される。

 

「…霊夢さん。ありがとう、ございます」

「まだ、油断はしないで。帰るまでは、安心出来ないから」

「は、はい」

 

そう言って阿求は霊夢の隣に座り込んだ。そして私は、ふとさっきまで阿求がいた場所に目を遣ると、一枚の封筒が落ちていることに気が付いた。見るからに怪しい模様が描かれた封筒で、手に取って眺めてみると、詳しくは分からないが魔法陣であることは分かった。とりあえず開封しようにも出来ず、破ることも出来ないことから、封印に近いものと判断する。

 

「なあ、阿求。これは何か知ってるか?」

「え…。それは、あの『禍』が私を閉じ込める前に書いていた手紙です。ですが、気を付けてください。その手紙は『禍』の血によって書かれたもの。…もし開けると言うのなら、くれぐれも警戒を怠らないでください」

「そう。…とりあえず、開くわよ」

 

私から封筒を奪うように掻っ攫った霊夢が、さっきと同じことをする。すると、何かが壊れるような外れるような音が聞こえ、躊躇うことなくその封を開いた。

 

「ぁ…、あ。ああ…っ!そんな、馬鹿なことが…っ」

「…ふざけんじゃないわよ。…何よこれはッ!」

 

中に入っていた一枚の紙を取り出した二人がその紙を見た瞬間、一人は震える声を漏らし、もう一人は怒りを滲ませた。

二人の間から覗き込んでみると、その言葉はとても短いものだった。しかし、その言葉はその短さを吹き飛ばすような衝撃を私に与えていった。…何だよ、これ。何なんだよ、これはッ!

まるで、幻香はこうなることを望んでいたみたいじゃあないか…ッ!

 

――ようこそ、平和な幻想郷。

 



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第245話

『禍』が封印され、異変は終結した。その後、どうにか動けるところまで回復した霊夢さんによって、私は人里へと無事帰還することが出来た。…紅魔館を出る際にちょっとした波乱はあったが、今思い返すことではないだろう。私を人里へ届けた霊夢さんは、改めて強固な封印を施す、と言ってすぐに博麗神社へと戻っていった。それが三日前の話。

今の人里は非常に騒がしい。何故なら、昼も夜も何処も彼処も宴会が続いているからだ。『禍』が封印されたと知れ渡り、心の何処かで不安を感じさせていた存在がいなくなったのだから、そうなるのはしょうがないと思っている。

 

「それで、慧音さん。まだ怪我も治り切っていないにもかかわらず、貴女はどうしてここに来たのですか?」

「それは君の護衛の者から頼まれたからだ。無理を言っているのは分かっている、と言われたが、頼まれたなら断るつもりはない。ちょうどよく寺子屋は休講だったしな。ま、言う通り左腕はまだ治り切っていないが、それでも彼等よりは動けるさ」

「…そうですか」

 

左腕は包帯を巻かれ、額にも同じように包帯が巻かれている。ゆったりとした服の中身も、きっと包帯が巻かれているのだろう。私を攫っていった、つまり伊吹萃香との交戦による手傷。

古い書庫から引っ張り出した相当年代物である小さな日記を閉じ、私は今回の異変についてまとめる。周りの話をまとめることが多いのだが、今回は間近で見せられることとなった。だから、わざわざそれを知る者を呼び寄せる必要もない。

人里では、第二次紅霧異変と呼ばれている。何故なら、人里にとっては紅霧異変が再び起こっただけだから。そこで終わったから。そのまま放置されれば、さらなる異変が積み重なっていたとは知らないから。もしもその先が起こったとすれば、何と呼ばれることとなっただろうか?そのときは『禍』の名を取り、災禍異変とでも呼ばれることとなったかもしれない。

 

「それともう一つだ」

「もう一つ、ですか。それは何でしょう?」

「私がその異変のときに任された役目について、だ」

「…っ。そ、うですか」

 

何気ない風に、流れるように続いたその言葉は、私を僅かに動揺させるには十分だった。

確かに、上白沢慧音は『禍』との交友関係があった。私は、そのことについては、監視と聞かされていた。人里で何かやらかそうとしたとき、真っ先に止められる場所にいる、と。あまよくば、その関係から『禍』の牙を削ぐつもりなのだろう、と。…実際は、その牙は削がれることなく研がれていたわけだが。

 

「本当はな、何も言わずに日常へと戻るつもりだった。…けどな、言わずにいるっていうのは、案外辛いものなのだよ。それが『禍』、幻香のことならなおさら、な」

「幻香?」

「鏡宮幻香。それが『禍』の名前だ。…一度くらいは聞いていただろう?」

「ええ、聞きましたが…」

 

思い返してみれば、確かにたまに出てきていた。幻香とは『禍』の名前だったのか。あの時はそんなことを考えている余裕なんてなかったから、気にも留めていなかった。

 

「それで、その幻香に任された役目、というのは?」

「人里の抑止力となること」

「抑止力、ですか…?」

「ああ。多少強引な手段だったがな」

 

そう言って続く内容は、確かにかなり強引な手段であった。そして、非常に有効な手段であった。人里の守護者である上白沢慧音が破られ、その上から挑もうとする人はほとんどいないだろう。少なくとも、私なら絶対にしない。

そう言えば、『禍』が異変を起こした理由をして言ったものに似通ったところがある。人間の代表として存在する博麗の巫女、博麗霊夢。彼女に勝利することで私達人間達からの攻撃を打ち切る、と言っていた。…あの風見幽香が図らずともやったことと同じである。まあ、この理由も戯言に過ぎなかったのだが。

 

「ま、こんな感じだ。…どうだ?私が異変に加担していたと知って」

「…正直、驚かされました。私としては、貴女が加担していたことよりも、あの『禍』が人里のことをそう考えていたことに」

「そうか?私からすれば、大して驚くようなことではないが」

「それは貴女が半分とはいえ妖怪だからでしょう」

「はは、違いない」

 

そう言って笑うが、僅かに無理のあるものだった。仮にも友好関係があった者が封印されたと知り、何とも思っていないということはないはずだ。そういうことだろう。

そんな彼女が当然のように、『禍』視点の人里を言った。許せない、と。だが、やらないで済むならそれがよかった、と。殺すことは罪である。だが、殺される理由を作ることも、罪と成り得る。分かってはいたが、考えもしなかった。

それは、認識のずれ。彼女を『禍』と見るか、鏡宮幻香として見るか。それによって、彼女の存在は大きく違って見えてくる。だが、私にはどうしても『禍』としか見ることが出来ない。何故なら、人里にとって妖怪とは敵だから。敵のことを、そんな風には考えられない。

 

「それで、だ。それを知らされた阿求殿は、私をどうする?」

「…私は、貴女は人里に必要な存在だと思っています。ですから、このことは記載するべきではないのでしょうね」

「それはどうかと思うが?」

「これまでだって秘匿にするべきと考え記載を控えた内容は多々ありますから」

 

そこまで言って、コホ、と小さく咳が出てしまう。あの状況にいて何もなく無事に、というわけにもいかず、昨晩までは熱を出していて病み上がりなのだ。もう大丈夫だろう、と考えていたのだが、まだ少し早かったかもしれない。

 

「すまない、少し長く話し過ぎたな。…話はこれで最後にしよう。話す前に読んでいたその本が少し気になってな。どんなことが書かれているんだ?」

「日記ですよ。五代目、稗田阿悟の非常に個人的で、次の代に当てた日記です」

「次の代…。転生の際に、その代の記憶をほとんど失うからか」

「ええ。ですから、あまり見せられるものではないんです」

「そうか。少し残念だ」

 

この本の中身は、死に際に次の代へ当てたもの。自分の代では調べ切ることが出来なかったから、次の代で調べてほしいと願うもの。…ただし、その願いの一つは予想外の形で叶っていた。

仕事をしていたはずの男性が同時刻に別の場所で人を絞殺していた、というもの。目の前で崖から跳び下りて死んだはずの子供が普通に家で遊んでいた、というもの。因縁の妖怪に返り討ちにされ亡くなったはずの老人が部屋で首を吊っていた、というもの。全く違う場所で全く違う人と会話をしていた人がいる、というもの。遠方に離れた友に長い時間をかけて会いに来たという青年がそのとき既に重病によって亡くなっていた、というもの。とある女性が夫と共に心中したにもかかわらずその女性は自分の部屋で夫が死んだと泣き続けていた、というもの。…他にも様々なことが書かれていたが、どれもこれも同時刻に同一人物が存在していた、ということだ。この一つの願いの答えが、非公式の幻想郷縁起として書かれ挟まれていた。

名前は、幻影人。またの名を、ドッペルゲンガー。願いを奪い取り、その願いを基にその願い主を模倣し、そして願いを代わりに叶える。自我はなく、目的もなく、ただただ願いを奪い代わりに叶え続けている。そんな存在。

願いを持っているか否かで大きく二つの姿がある。持っていればその願い主と全く同じ存在に成り変わり、持ってなければほぼ白い存在となる。ただし、その白は無垢の白。何でもないその見た目は、見る者によって勝手にその姿が変わって見えるらしい。その姿は、鏡のように自分と全く同じ姿である。その理由は、見た目そのものが存在しないため、それを見た者が勝手に自分にとって最も身に覚えのある姿、つまり自分の姿として補完してしまうかららしい。

他にも様々なことを事細かく書かれていたが、詳細は省かせてもらう。これを読んだであろう、阿悟は最後にこう遺していた。

 

『次の代の者へ、これは秘匿にしておくように。何故なら、私はこんなことを書いていないからだ。こんなものは覚えがないからだ。書いていないのならば、これは偽物であるからだ。だが、この内容は私が欲していたことは日記を読めば確かである。しかし、私はそのことすらも覚えていない。記憶に穴があるのが分かる。私は記憶を喰われたのだ』

 

まあ、これはどうでもいい。つまり、鏡宮幻香とはこのドッペルゲンガーにあまりにも酷似しているのだ。ただ、自我がない、という点が異なり、その手に何かを創り出し消し飛ばす能力について書かれていないくらいで、それ以外はほぼ同じ。

 

「『禍』…。この平和が、貴女の掌の上ですか…」

 

外の音を聞けば、騒がしい音が未だに聞こえてくる。その平和が、あの『禍』によってもたらされたとも知らずに。自らの全てを捧げて平和を与え、愚かな人間達を鼻で嗤っているのだろう。

 



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第246話

幻香がここに来て、異変を引き起こして、紅魔館へ向かって、幻香と対峙して、戦って戦って戦って、そして封印。紅魔館を出て行く前に波乱があり、阿求を人里に送り、そしてここでさらなる封印を施し始める。もう、これで何度目だろう。幻香が引き起こした異変のことがグルグルと頭を回り続けていた。思い返したくないのに、そんな私を嘲笑うように繰り返し流れ続ける。それを振り払うように、目の前の封印に集中する。それでも、どうしても頭から離れることはなかった。これはいつまでも癒えることのない傷痕となるのだろう。そして、この封印も遠い未来まで遺される負の遺産となる。

特に頭に残っているのは、アイツの最後の言葉と、紅魔館を出て行く前の波乱。それだけのことをしたという自覚はある。だが、それでも私の傷口をさらに深く抉るものであった。

 

 

 

 

 

 

どうにか自分の力だけで動けるところまで回復し、後ろに阿求、魔理沙と阿求を守るように挟んで部屋を出て行った。そして、妖精メイド達からの興味津々な目線を浴びせられながら廊下を進む。

 

『ふ――、―切―ね―』

『そ。だ―――姉――と―緒―住も――な――』

『――かい。―ま―行――ら、あ―――来――な?』

 

そして、遠くのほうから会話が聞こえてきた。内容は途切れ途切れでよく分からなかったし、誰かもよく分からなかった。ただ、それは私達が行こうとしている玄関のほうから聞こえてきた。

 

『ん?…あぁ、そうか』

『…あれ、お姉さんは…?』

『ふぅ…。残念だったな、幻香』

 

そのまま進み、私達は三人と目が合った。そこにいたのは、フランと萃香、それと見覚えのある白髪の少女。三人とも傷らしいものは見当たらないが、その代わりに服が血に濡れていた。出血か、それとも返り血かは分からない。

フランを除く二人は、幻香が負けたことに気付いたらしい。しかし、フランはそうではないらしく、一歩私達に近付いて来た。

 

『霊夢、それに魔理沙。…お姉さんは?』

『…もしかしなくても、幻香のことか?』

『そうだよ。…ねえ、何処にいるの?』

 

そして私は、踏み抜いた。

 

『…封印し――』

 

瞬間、フランの眼が見開かれ、血色に瞬くのが見えた。そして、そのまま私に肉薄し、その右手を私に突き刺――

 

『ブ…ッ!?』

『落ち着け、フランドール』

 

――さらなかった。白髪の少女がその一歩手前でフランの頭を床に叩き付けることで、その攻撃が強制的に中止させられたのだ。

しかし、それでも止まることなく力任せに無理矢理頭を持ち上げ、フランは私を睨み付けた。そして、私に向けて手を開き、そのまま閉じ――

 

『ッ!』

『待て、止めろ』

 

――られる前に萃香がその手の指を揃えて握り潰した。萃香の握った手から明らかに骨が砕ける音が聞こえ、血か溢れ出ている。

二人がかりで止められたフランは、暴れ狂うようにして二人を振り払い、今度は私ではなく二人と対峙した。

 

『妹紅!落ち着けって、出来るわけないでしょッ!萃香!待てるわけないよ、どうして止めるのッ!』

『霊夢が出て来て、幻香が出て来ない。…つまり、幻香は負けたんだよ』

『負けた!?だとしても、その結末が封印!?一人きりで!孤独で!いつまた会えるかも分からないッ!出て来ても、外は何もかも変わり果ててるんだよ!?』

『そうだな。封印ってのはそういうもんだ』

 

フランの血反吐を吐くような言葉を、二人は淡々と返していく。その姿は、私から見てもあまりにも薄情に見えた。それは私よりもフランのほうが強く感じていて、さらに言葉を重ねていく。

 

『これを許せるなんて言うの!?これでいいと思ってるの!?ねぇ!答えて!答えてよッ!』

 

その答えは、すぐには出てこなかった。代わりに、妹紅はフランの元へ歩み寄り、萃香は壁を背に佇む。

 

『許せるわけねぇだろうがッ!』

『いいわきゃねぇに決まってるだろうがァッ!』

 

妹紅と呼ばれた白髪の少女は、その体から激情に任せた荒れ狂う炎を撒き散らしながらフランの頬スレスレに拳を打ち出た。その後ろにあった煉瓦の壁に炎が炸裂し、白く発光してドロリと融け落ちる。

萃香は背中にあった壁に拳を振るい、その壁一帯を丸ごと吹き飛ばした。耳に突き刺さる轟音。ミシミシと紅魔館全体が揺れ、嫌な音を立て始める。壁の向こうには紅魔館を囲う塀があるはずだが、あの衝撃でまとめて吹き飛ばされていた。

それを見せられ、私達もフランも言葉一つ出せずに固まっていた。

 

『ああ許せないさ!今すぐ焼き尽くして畜生共の餌にしてやりたいくらいにな!』

『ああよくないね!即刻欠片一つ残さねぇくらい木っ端微塵にしてやりたいさ!』

『…けどな、そんなことこれまでもこれからも望んじゃいない』

『…あんたがやれば、私達もきっと抑えられない』

『だから、落ち着け…ッ!』

『だから、止めろ…ッ!』

 

そう言われ、フランが小さく頷いた。そして、二人はフランを連れて、私達に目も向けることもなく大穴へと歩いていく。

 

『…だからさ、さっさと何処か消えてくれよ』

『当分その顔は見たくない。…あと、悪かったな』

 

そう妹紅と萃香は最後に言い捨て、三人は大穴へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

…終わった。妙なことさえされなければ、そのままでも封印は千年単位で持つはずだ。これから襲名されるであろう次代以降の博麗の巫女が維持に努めてくれれば、いつまでも遺されることとなるだろう。

数日振りに外に出れば、紅霧は晴れていた。魔理沙が私に施した薬のおかげか、もう傷は治り痛むこともない。ただし、こうして終わったことを自覚すると、急に空腹を感じ始める。…正直、まともに喉を通りそうにもないのに。

ああして封印を施している間に、私の中にあった基準だとか、思想だとか、境界だとか、そういったものが大きく歪んだのが分かる。私が躊躇さえしなければ、この最低最悪の手段を取らずに済んだのではないか、と自分で自分を責め続けた結果だろう。だが、それはアイツの最後の言葉を否定するためでもあった。

少しふらつく足取りで、とりあえず水を飲もうと足を運ぶ。そのとき、目の前に一本の線が走った。そして、その線はゆっくりと空間を裂いて広がっていき、その奥から一人の妖怪が上半身を出してきた。

 

「…霊夢。ちょっといいかしら」

「紫…?」

 

随分準備がいいようで、紫は温いお茶を一杯私に渡してくれた。そのお茶を一口ずつゆっくりと時間をかけて口にする。空になった湯飲みを紫に返すと、今度は蜂蜜の結晶を取り出してきた。とりあえず口にしろ、ということなのだろうけれど、それはどうしても口にする気にはなれずに首を振る。

 

「それで、何の用?」

「あの子、幻香の封印を解いて。それで、私にあの子を頂戴。悪いようにはしないわ」

「…嫌よ」

 

封印を解くこと自体は簡単だ。私なら大抵の封印を無理矢理抉じ開けられる。しかし、それは出来ない。

 

「どうしてかしら?」

「…アイツ、最期に何て言ったと思う?」

「…知らないわね」

「『だからアンタは、甘いのよ』。最期の言葉は、これ」

 

私の選択を、最低最悪の選択を、甘いと言った。私自身が甘いのは分かり切っている。だが、私のあの選択が甘いとは言われたくなかった。それでは、最低最悪の手段のさらに下があることになる。そして、その答えはすぐに出てきてしまう。

それは、殺すこと。私が封印なんかよりも、最もやりたくない行為。アイツが最初から望み、そして最後まで望んでいた。だが、私は出来なかった。

 

「だから、私は封印を解かない。…その行為は、私の甘さの証明でもあるから」

 

けれど、ここで封印を解けば、そしてそこから殺すことが出来なければ、それは私の甘さの証明。それでは、駄目だ。それに、そうすればまたアイツは異変を引き起こす。再び『平和』が崩れ去る。遺言としか思えないあの手紙は、私を縛るには十分過ぎた。

 

「そう。…残念だわ」

 

そう言うと、裂けた空間は線へと戻り、そのまま消えた。そして、その願いを叶えることは出来ないだろう。

負の遺産として遺されてしまうのが嫌ならば、そうなる前に私が解決すればいい。だから、私はこの甘さをどうにかしなければならない。そのためには、私はこの甘さを捨てなければならない。全部は出来なくても、せめてたった一度切りの殺しが出来るくらいには。

 



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第247話

フランが紅魔館を出ていってからもう一週間になる。つまり、幻香が起こした異変が終結し、その結果として幻香が封印されてからもう一週間経ったということになる。フランがここを出ていたことは少し寂しいと思うし、幻香が封印されたのも悲しいと思う。フランには魔法陣を中心とした魔術を教えていた途中であったし、幻香の発想と協力で私の魔術の向上を少しばかり期待していたから。けれど、いつまでも引き摺るわけにもいかず、私はいつものように魔術研究を進めていく。

 

「うー…、フランは大丈夫かしら…。ちゃんとした食事を摂れてるかしら…」

「くどいわよ、レミィ。いつまでそうしてるつもり?そんな調子だといつか乾涸びるわよ」

「いや、このジメジメした環境なら黴が生えるわ」

「そう思うならさっさと止めなさい」

 

そして、レミィはフランが出て行ってからずっとこんな感じだ。フランのためを思って縁を自ら切ったというのに、この様である。ハッキリ言って鬱陶しい。何もしていないくせにそんな疲れ切ったような顔をしても、私としては対応に困る。

まあ、レミィとフランはどうしようもないほど噛み合わないことは、私から見ても明白であった。過保護であったことは分かるが、些か度が過ぎていたし、何よりズレていた。レミィとフランの間に誰かがいればもしかしたら、と思ったこともあったが、それでも駄目だった。

 

「幻香が封印されて、フランが暴れてなければいいのだけど…」

「フランは幻香を失っても、自暴自棄になっていないわよ。代わりに妹紅と萃香がいたからかしら」

「萃香…。はぁ…、あの泥臭い鬼と、かぁ…」

「考えが古いことが認めるけれど、貴女よりよっぽど頼りになると思うわよ」

「…パチェ、貴女どっちの味方よ」

「少なくとも、今の貴女の味方をする気にはなれないわね」

 

そんなグデッと机に突っ伏している貴女を擁護する気にはなれない。

魔術書を読み進めながらゆっくりと飲んでいた紅茶がなくなり、新しく淹れようにもポットの中身は既に空だったことを思い出す。少し考えてから、横に置いてあったベルを鳴らした。

 

「あ、パチュリー様。お呼びですか?」

「ええ。新しい紅茶とバケツ一杯の水を持ってきてちょうだい」

「…バケツ、ですか?」

「ちょっと待ってパチェ止めなさい」

「今の貴女にはちょうどいいと思うわ。頭を冷やしなさい」

 

バケツの注文は取り消し、妖精メイドは紅茶を淹れに飛んでいった。

 

「貴女が自分の幸せを捨ててフランの幸せを選んだことは聞いた。…なら、そんな未練がましくしないで誇ればいいじゃない」

「…いや、それとこれは別。そのことに関してはもういい。私の今の問題は、フランが外でまともに生活出来ているかどうかよ」

「それも問題ないわよ。妹紅と萃香がいるし、慧音だってたまに様子を見に行ってる。あの妖精や妖怪達とも仲良くしてるそうよ。この前は魔理沙とちょっと会話した、って書いてたわね」

 

幻香を中心とした人脈は、幻香がいなくなっても切れることなく繋がっている。私もその輪の中に当然のように入っており、三日前には萃香が勝手にここに来てチェスの駒を弄って遊んでいた。最近、将棋を覚えたと言っていたが、どう見ても素人であった。ちなみに、その帰りには美鈴と組み手をしたそうだ。負傷から復帰してすぐに勘を取り戻す手伝いをしてくれた、と美鈴は嬉しそうに語っていたのを覚えている。ついでにどれだけ凄い格闘家であるかも語られたが、正直よく分からなかった。

 

「…ちょっと待ちなさい。書いてた、ってどういうことよ?」

「そのままの意味よ。手紙を送って、その返事が来ただけ」

 

このために黒魔術に手を出すことに決めたのは記憶に新しい。呪術は自分の体の一部を捧げるが、黒魔術は小規模ならば魔力だけで事足りる。大規模ならば同様に自分の体の一部を捧げる場合もあるのだが…。呪術に近い黒魔術の利点は、特定の対象へ呪いもしくは魔術を与えることが出来る点だ。ただし、その場合はその対象の痕跡が必要である。例えば髪の毛や皮膚などの体の一部、極めれば足跡や座った跡などでもいい。今回はフランに頼んで髪の毛を切ってもらった。

一枚の紙に飛翔魔術と外敵からの保護のための魔術結界を加え、フランの髪の毛を使った黒魔術を合わせることで何処にいるか分からないフランへ飛んでいくようにした。必要かどうかは知らないが、一応迷い家にいた場合も考えて護符にあった術式をそのまま映した。その紙に伝えたいことを書き、折り鶴にしてから魔力を与えて飛ばす。返事は裏に書いてもらい、帰りは私の髪の毛を使った黒魔術の魔法陣にフランの妖力を注いで戻ってくる。

ただ、呪術と違って特定の対象を選ばないものはほとんどない。幻香が喰らったという妖力無効化の杭のようなものは黒魔術にはないということだ。何故なら、そんなものは普通の魔術でいいのだから。対象が目の前にいるのに、その特定の対象に向けてわざわざ黒魔術を行使する意味はないのだから。

 

「お嬢様、パチュリー様。紅茶をお持ちしました」

「ありがとう、咲夜。調子はどう?」

「もう大丈夫そうです」

「そう。…こういう言い方はよくないと思うけれど、よかったわね。彼女の歌があそこで終わって」

 

妖精メイドに代わってポットを持って来て現れた咲夜は、ミスティアの狂い歌によって精神が狂わされた。あの歌は聴けば狂うという凶悪な歌。ミスティアが素で歌えば、それは全てその狂い歌となる。どれだけ早く歌おうと、どれだけ遅く歌おうと、どれだけ高く歌おうと、どれだけ低く歌おうと、聴こえてさえいれば狂い出す。あの時の咲夜は、まるで下戸が一升瓶の強い酒を一気呑みしたような状態だった。そこで歌い終えていたからよかった。あのまま聴かされ続ければ、それこそ廃人となってしまっていただろう。

咲夜の戦闘方法の場合、基本的に自分自身以外の時間を遅くする。ミスティアが五分歌うだけでも、咲夜は十分、二十分と時間を遅くすればするほど長く狂い歌を聴くこととなる。だから、相性が相当悪かったのだろう。

 

「お嬢様はいも…フランさんが心配なのですか?」

「…ええ、そうよ。貴女も悪いとでも言うのかしら?」

「いえ、そのようなつもりでは…」

 

レミィは、咲夜にフランのことを妹様と呼ぶことを止めるように命令した。今度ここに来ることがあれば、それはただの客人としてだ、とも。

…ただ、そう命令した後で咲夜を部屋の外へ出し、一人きりとなってすぐに声を抑えることなく泣き続けていたことを私は知っている。フランを、妹を失ったことはレミィにとって耐えがたいものであることを、私は知っている。どうしようもなく噛み合わなくても、レミィはフランと姉妹でいたかったことを、私は知っている。フランに何かがあれば嫌われるのも後ろから斬られることも覚悟で救いに行くつもりでいることも、私は知っている。

縁を切っても、それでもレミィはその切った縁を見続けてる。…やっぱり過保護なのよねぇ。簡単には変われない、か。

 

「それよりもパチェ。その手紙、私にも読ませなさいよ」

「嫌よ。フランはそんなこと求めてないもの」

「がぁーっ!私とフラン、どっちの肩を持つのよっ!」

「今の貴女の肩を持つつもりはないわ」

 

そんな弱々しくて女々しい肩を持つ気にはなれない。

そんなやり取りを咲夜は苦笑いを浮かべて聞きながら、紅茶らしきものを注いでいく。私とレミィの二人分。漂う香りはこれだけ離れていても鼻に突き刺さるほどに甘ったるく、その色は不気味なほどに紅い。…確かに紅茶ではあるけれど、私が求めていたものとは遠く離れている気がする。というか、そもそも茶という分類をしていいのかが疑わしい。

私と同じ感想を抱いたらしいレミィも顔をしかめ、これを注いだ咲夜を見上げる。

 

「…何よ、コレ」

「今日は新しい味に挑戦してみようかと思いまして」

「…咲夜。実はまだ狂っている、なんてことはないの?」

「味見はしましたが、とてもよかったですよ?お疲れのようでしたから甘いものを、と」

 

そのお疲れのようである吸血鬼は、それを聞いてゲッソリとしたように見えた。

 



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第248話

「おはよ、フラン。朝食、一緒に食べる?」

「そうする。…あと、おはよう」

 

朝になって起きれば、目の前には橙がいた。周りを見渡せば、比較的新しい家の中。ここは、迷い家のお姉さんの家。…だった家。

こうして外で暮らしてみて分かったことは、私一人で生きていけそうにもない、ってこと。食べるものだって簡単には手に入らないし、私の調理技術は壊滅的。住む場所だって私が建てたわけじゃないし、自ら建てるかと言われると洞穴暮らしになりそう。この服だって貰い物で、裁縫なんて知りやしない。何もかも一人だけで生きていける、なんて思っていたわけじゃない。けど、ここまでだとは思っていなかった。

 

「そうそう、さっきサニーちゃん達が遊びに来たよ。だから、五人でね」

「分かった。着替えてから行くから、ちょっと待ってて」

 

お姉さんが『禍』として封印されてからもう一週間経ったと考えると、時間が経つのは残酷なほど早いと思わされる。そんなことを考えながら着替える。ここに来たときはその時着ていた一着しか持っていなかったが、橙が余っている服をくれると言ってくれた。少し小さい気がするけれど、この前来てくれた慧音も新しい服を持って来てくれると言ってくれた。

衣装棚を閉じる前に、私がここに来る時に来ていた服を見遣る。元から赤かった服が、負傷と返り血でさらに深く染まっている。洗っても落ちなかったし、落ちなくてもいい。ところどころ傷付いているし、左袖は腕と一緒に弾け飛んで存在しない。縫い合わせてもいいのだろうけれど、何故だかそうする気になれない。丁寧に折り畳まれたリボンがボロボロな服の上に乗っているのを見て、私は衣装棚を閉じた。

外に出る前に日傘を差し、その陰から空を見上げる。雲一つない綺麗な青空。直接太陽を見ることは出来ないけれど、やっぱり眩しい。お姉さんに合わせて昼に生きることを決めたけれど、後悔はない。たとえお姉さんが封印されているとしても、私はこのまま太陽が支配する昼の世界に生きていく。

 

「あ、来た来た!おーい、フラーン!」

「…ちょっと、耳元で大声出さないで」

「ルナが淹れたのだけど、コーヒー飲む?」

 

橙の家に入ると、言っていた通りサニー、ルナ、スターの三人がいた。そして、その机の上にはご飯に味噌汁、目玉焼きと朝食が並べられている。

 

「飲むよ。…まだ慣れないけど」

「あはは、にっがいもんねぇ」

「…頭スッキリするのに」

 

苦みが頭を突き抜けて眠気とか怠さとかがブチ抜かれていくような感じはあったけれど、毎日飲むかと問われればどうなんだろう?ちなみに、橙は一舐めしただけで諦めていた。

 

「それじゃ、いただきます」

 

コーヒーの慣れない苦みに少し顔をしかめつつ、朝食を食べていく。味噌汁と言えば、橙に鰹節を入れるように言われてすぐに怒られたのを思い出した。言われた通り入れたのに、どうしてだろう?

朝食を食べ終えると、三人の妖精がここに来た理由を語ってくれた。ここ、妖怪の山に生えている山菜を採りに来たのだという。採れた分は今日の夕食にするつもりらしい。それでは昼食はと思えば、それは私が狩ってほしいとのこと。特に断る理由もないし、承諾する。

 

「それじゃ、いざ山菜!」

「いってらっしゃーい!」

 

見送ってくれた橙に手を振り返し、山を下っていく。しかし、山菜と言っても私にはどのようなものか分からない。植物を手当たり次第摘み取るわけでもないらしく、足元に目を遣ってキョロキョロしている。

 

「あったー!」

 

サニーが急発進し、細長い草を掴んで引っこ抜く。土から出てきた白い球根を見ていると、かなりの嫌悪感を覚えてしまう。もしかしたら、にんにくの近縁種かもしれない。玉葱とか葱とかでも軽く覚えたけど、これはそれより一段階強い感じ。玉葱と葱は食べれないわけではなかったから平気…かなぁ?

 

「…ねえ、フランさん」

「なぁに、ルナ?」

 

少し距離を取ると、後ろにいたルナに話しかけられた。その声色が少しばかり真剣であったから、私もちゃんと聞くことにした。

 

「幻香さんが封印されて、本当に平気なんですか?…何て言うか、あんなに破裂しそうだったのに」

「…そうだね。今でも霊夢はいらつくしむかつくし憎らしいよ。けど、私は目的が出来たから」

「目的、ですか?」

「そ。お姉さんの封印が解けたとき、きっと何もかもが変わっていると思う。けど、その時に変わらずあるものが一つでもあると、安心すると思うんだ。私は、その一つになるつもり」

「そうだな。幻香の封印について、あんたにちょっと聞きたいことがあるんだよ」

「…萃香?」

 

ルナとの会話に割って入ってきた萃香は、樹の上に腰かけて瓢箪を煽っていた。そして、私の前に跳び下りてすぐに肩を掴まれる。

 

「悪いが、ちょっとフランを借りてもいいか?長くなるかもしれないが、昼までには帰すからさ」

「…えっと、大丈夫、かな。…サニー、スター、フランさんが萃香さんとちょっと出かけるってー」

「え、昼食までに帰ってくる?」

「来るみたいよ。そうぞ、私達はここらへんで山菜を採って待ってるから」

「そうか?すまんな」

「じゃ、ちょっと行ってくるね」

 

 

 

 

 

 

連れていかれたのは、妖怪の山から少し離れた深い森の中。魔法の森とは違うようで、あの独特の雰囲気を感じない。樹の根元に腰かけていた妹紅が私達に気付くと、軽く手を振った。

 

「よ、朝早くに呼んで迷惑じゃなかったか?」

「全然。けど、昼までに帰りたいかな」

「そうか。…萃香、頼んだ」

「おう。任せとけ」

 

すると、何故かここにいてはいけないような、ここから離れなくてはならないような、そんな本能的なものを感じ始める。

 

「ここら一体に向けられるべき意識を薄くした。そういう場所は、目も向けたくないし、留まりたくもなくなる空間になるんだよ。いわゆる、人払いだな」

「ま、そういうことだ。あんまり人に聞かれちゃまずいようなことだしな」

「そういうのはよく分からないけど、お姉さんの封印についてでしょ?」

 

確かに、『禍』の封印について語ろうなんて、人里の人間達に聞かれたらどう思われるか分かったものではない。ここは人里から遠めといっても、絶対にいないとは限らない。そういった警戒をするのは悪いことではないのだろう。

 

「ああ。…その前に、幻香の目的は人里の人間達との関わりを断つことだと思うか?」

「うん、そう思う。ていうか、そのくらいしかないでしょ」

「だよなぁ…。異変が終わる頃には勝手に終わってるみたいなこと言っていたが、どうなんだかな」

 

萃香がそう言って首を傾げていると、妹紅が妙な事を訊いてきた。

 

「この前、慧音に幻香の異変のことを話したら面白いことを言ってた。例えば、林檎が目の前に一つあったとする。そこに、それを欲する二人の人が現れた。半分ずつ分け合うのはなしとして、片方が一つの林檎を得るにはどうすればいい?」

「え?…交渉する、とか?」

「相手を殺す」

「そうだな。金や物で買収する、さっさと手に取って逃げ出す、その場で食っちまう、諦めて別の場所に行ったら見つけた林檎を得る…。過程はまるで違うし、その結果は全く異なるものとなるだろうよ。…だが、一つの林檎を得たことに変わりはない」

「…それが、なんなの?」

「幻香の目的が人間との関わりを断つことなら、封印だってその手段の一つに成り得る、ってことを言ってた。…それを聞かされて私は愕然としたね」

 

確かに、そんな無茶苦茶な、と思う。けど、どうだろう?正直、お姉さんならやりかねない、と思ってしまう自分がいる。そして、そう思ってしまった自分が悲しくなる。

 

「そんなことを言っておいてこんな事を訊くが、…幻香は本当に封印されたと思うか?」

 

封印が一つの手段だというのなら、他の手段だってあってもおかしくない、ということだろう。しかし、そう言われても分からない。封印されていないのなら喜ぶべきことだけど、これまでの一週間、一度としてお姉さんの姿はない。

 

「…されてる、んじゃないかな?」

「そうか。…じゃあ、訊き直そう。フラン。お前は、幻香から何かを受け取ったか?」

「受け取った」

「だろうな。そうじゃなきゃ、あんなすぐに立ち直るはずがない」

「むぅ。…確かにそうだと思うけど」

 

私は、お姉さんが封印されて紅魔館を出て行った日の夜。月を見上げていた時に、首筋に痛みを感じた。気のせいではないと思い、首を直接触れて確かめるためにリボンを取ると、そのリボンに変化が現れた。

そのリボンは、お姉さんに貰ったリボンの複製。これが消えたとき空の果てでも地の果てでも探し出すと約束したリボン。しかし、そのリボンはその約束とは違う役目を果たした。

 

「『マタネ』。…だから、お姉さんは絶対に帰ってくる、って信じてる」

 



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第249話

私とチルノちゃんは、お互いに向かい合う。そう、スペルカード戦だ。ただ、これは本気ではなく、私がちょっと『お願い』して相手になってもらっている。

まどかさんが異変を起こしてから、もう半月が経ちました。人里では第二次紅霧異変と呼ばれている、とルナちゃんが言っていました。新聞でもそう書かれている、と。少し読ませてもらいましたが、何だか当たり障りのないことをつらつらと書いているように思えました。確かに真実である。けど、何て言うかこの新聞特有の嘘混じりな過剰表現が削がれているような、そんな感じ。

 

「ちょっと遅くなっちゃいましたね。この後少し用事があるから、急ぎ足でやりましょ?」

「そっか。じゃあまずは、氷符『アイシクルフォール』ッ!」

「それなら、火符『サラマンダーフレア』」

 

私に向かって落下してくる氷柱を、両手に宿した炎を振るって溶かしていく。最後に両手の炎を投げてみましたが、軽く避けられてしまいました。

まどかさんが封印されてから、もう半月が経ちました。この前、空を飛んでいた霊夢さんを偶然一目見ましたが、その表情に少しばかり影が差しているように思えました。フランさんと遊んでいた時にやって来た魔理沙さんは、少しばかりわだかまりを覚えている様子でした。異変を解決出来たことはよかった。しかし、解決したことを少し後悔している。そんな小さな矛盾を孕んでいるように見えました。

 

「大ちゃんとスペルカード戦やるのって久し振りだなぁ。…スペルカード増やしたの?」

「うん、流石に最初の一枚と、まどかさんが考えてくれたもう一枚だけじゃ足りないから。今日はその試し撃ち。土符『ノームクラッド』」

「むっ!氷塊『グレートクラッシャー』ッ!」

「キャッ!」

 

私が放った土塊とチルノちゃんの氷塊がお互いを壊し合い、飛び散る。振り回していた氷塊が急に軽くなって体勢を崩したけれど、被弾したわけではない。

『禍』だから封印されて当然と言う人もいるでしょう。確かに悪いことはしましたし、本人も自覚を持ってやりました。けれど、私達に滅多に見せることがないだけで、ずっと苦しんでいた。最初に悪事を働いたから全て悪いと決まるわけではないのに、最初に悪意を受けたから仕返しが許されるわけではないのに、どうして人里の人間達は自分達が被害者としか思っていない人ばかりなのでしょう?

 

「これならどうだ!雹符『ヘイルストーム』!」

「そのくらいなら平気ですよ。風符『シルフウィンド』」

「おっ?おおおーっ!押し返されるっ!」

 

チルノちゃんが降らせている雹を、私は風の刃を持ってはね除ける。そして、はね除けた雹と降ってくる雹がぶつかり合い、砕けて相殺されていく。

けれど、私はそのことを責めるつもりはありません。その人には、その人なりの考え方がある。違いはあって当然で、そこにこそ個が存在する。条理から外れていようと、自分とは相容れないとしても、それはしょうがないことだから。

 

「次は、水符『ウンディーネアクア』」

「よーしっ!凍符『パーフェクトフリーズ』!」

「…うん、やっぱり凍らされちゃいますよね…」

 

私が放った水飛沫は、チルノちゃんに届く前に凍らされてしまった。このスペルカードはチルノちゃんで試すのは失敗だったかも…。

そして、私達はいつも通りの日常へと戻っていく。まどかさんが欠けた日常へ。…ええ、寂しいですよ。妹紅さんから封印されたと聞いたときは耳を疑いました。けれど、変わらないことなんてない。永遠なんてないし、始まりがあれば終わりがある。それが自然で、認めなくてはならない摂理。

 

「これが最後。精舞『ルーネイトエルフ』」

「あ、消え――痛っ!」

「チルノちゃん、一発目だよ」

「あれ、後ろ――っとォ!」

 

宣言と共に座標移動し一撃。再び座標移動しまた一撃。その繰り返し。まどかさんが言っていたことをやってみてはいますが、これはとても疲れますね…。

だけど、それでも、そんなことが分かっていても、理解していても、私はまだ信じられない。実は封印されていなくてヒョッコリと現れるんじゃないか、って今でも考えたりします。今も何処かで、私達のことを見ているんじゃないか、って。

 

「なら、私の最強スペルカード!樹氷『フロストーーって、あれ?」

「…えっと、その、あの時と比べて…ちょっと小振りだね」

「あれ、おっかしいなぁ…?」

 

あの時の巨木を彷彿とさせるほどではなく、三回りほど縮んでしまっている。きっと、あの時のチルノちゃんは特別だったのでしょう。だから、今では残念ながら出来ないのだと思う。

だから、私はせめて笑顔でいようと思います。いつまでも悲しんでいないで、笑っていたい。私があんな顔をしていると他の子に心配をかけちゃうし、何より私も辛いのだから。それに、まどかさんだって、私達が悲しんでいる姿を見たいとは思わないでしょうから。

 

「ふーっ、一回当たっちゃったからアタイの負けかぁ。あーっ、悔しいーっ!」

「違うよ。チルノちゃんは最後のスペルカードを結局使っていないんだから、最後まで使い切った私の負け」

「ウガ―ッ!大ちゃんは分かってない!アタイが負けって思えば負けなの!勝っても悔しければ勝ちって感じじゃないんだから!」

「あ、そうなの…?じゃあ、勝ちはもらっちゃうよ?」

「いいよ、大ちゃん。けど、次は負けないからな!」

「うん、分かった。…あ、そろそろ行かないと」

「何処に?」

「昨日の夜、ルーミアちゃんに呼ばれたの。一人で来て、って」

「秘密のお話?…くーっ、ズルいなぁ!」

「あはは…、どうなんだろ」

 

けど、あの時のルーミアちゃんは普通と違っていたが印象に残っている。あの時のルーミアちゃんは、たとえ冗談を言っても冗談では済まされないような、そんな雰囲気だった。

そんなルーミアちゃんが、私に何の用があったのだろう…?

 

 

 

 

 

 

呼ばれたのは、長らく誰も足を踏み入れていないような場所。草は伸び放題でとても進み辛い。周りを見渡しても誰も見当たらない。本当にいるのだろうか、と不安になりながら進んでいくと、得体の知れない肉を口にするルーミアちゃんの姿が見えてホッとする。

 

「お、来たのかー」

「うん、来たよ。それで、私に何の用なの?」

「…最初は、黙っていようと思ってた」

 

声色が普段のものとは明確に異なる真剣なものへ変貌する。その変化に、私も少し息を飲む。

 

「けど、秘密にするっていうのは難しいね。三日もすれば、誰かに言いたくて言いたくてしょうがなくなった」

「それが、私…?」

「うん。大ちゃんになら言っても大丈夫かな、って」

「どうして?」

「私達と同じで弱くて、それでいて言っちゃいけないことだ、って理解出来ると思ったから」

 

秘密にするという行為には、蠱惑的な魅力がある。自分しか知らないと思うと特別感がある。他の誰も知らないと思うと優越感がある。けど、その秘密にしているものの重大さを知ると、途端に重く圧し掛かる。…きっと、ルーミアちゃんはそれに耐えられないと思ったのだろう。

秘密を知る者が一人から二人へと増えることで、その重さは分散する。知る者が多ければ多いほど細かく分かれていき、全員が知る頃には重さなんて感じない。それが常識となるから。知っていて当然となるから。

 

「だって、知られたら幻香の異変の意味が全部なくなっちゃうと思うから」

「ッ!?」

 

その言葉は、私に強く圧し掛かる。その言葉だけで、こんなにも重い。ルーミアちゃんは、これよりももっと重いものに耐えていた。十日以上もの間、ずっとずっと背負い続けていたんだ。

 

「…聞かせて、ルーミアちゃん。私も、一緒に背負うから」

「…ありがと」

 

そう言って、ルーミアちゃんは僅かに微笑んだ。けど、いざそれを口にするのは勇気がいることで、なかなか口にすることが出来ないでいる。私は、黙って待っていた。急かすことなく、かといって気を抜くこともなく、ただ待ち続けた。

どのくらい経っただろう。短いとは思えなかったけれど、長いとも思わないくらい。ようやく、ルーミアちゃんがその重い口を開いた。

 

「私が見たのは、見ちゃったのは、秘密にしていたのは、幻香が紅魔館の外へ落ちる姿」

「…それって、いつの話?」

「私が巡回してて、偶然見ちゃった。…それで、幻香は上を見上げながらこう言ってすぐに消えた。『やっぱ無理か』って言って消えた。私、すぐに外に出たかった。けど、出れなかった。透明な壁に阻まれて外に出れなかった!」

「ルーミアちゃん落ち着いて!」

 

頭を押さえてうずくまってしまったルーミアちゃんの背中に手を伸ばす。震える体をゆっくりと抑えるように、ゆっくりと治まるように、優しく包み込む。次第に震えは収まり、そのままルーミアちゃんは続きを語り始めた。

 

「…ごめん、大ちゃん。それで、私はもう巡回する意味がなくなった。どれだけ攻めて来ても幻香はいないんだから。…それで、幻香が封印されたって聞いて驚いた。だって、幻香は私の目の前で消えたんだよ?…ねえ、大ちゃん。落ちてきた幻香と、封印された幻香。どっちが本物だと思う?」

「分かんない。…けど、ルーミアちゃんが見たの、私は信じるよ」

 

そう言うと、ありがと、と小さく囁く声が聞こえた。

 

「ルーミアちゃん。改めて訊くけど、どうして私なの?皆に言ってあげれば、きっと喜ぶと思うのに…」

「フランや妹紅に言ったら、きっと探し出しちゃう。チルノやサニーに言ったら、きっと言い触らしちゃう。ミスティアやパチュリーに言ったら、いつ他の人に知られるか分からない。だから、探そうと思わないくらい弱くて、この秘密を口にしないでいられて、知られたくない人と会うことが少ない、そんな大ちゃんがよかった」

「…そっか。分かった。これは、私達二人だけの秘密」

 

ルーミアちゃんが言っていることが真実なら、まどかさんは封印されていないということになる。じゃあ、まどかさんの代わりに封印されたのは誰?まどかさんは私達にすら秘密にして何処へ行ってしまったのだろうか?まどかさんはいつか帰ってくるのだろうか?

けど、どれだけ考えてもどうしようもなくて、いくら考えても答え合わせなんて出来ない。それに、これは誰にも明かしてはいけないこと。いつまでも口を閉ざし続けなければならないこと。けど、私はこの秘密を知ることが出来て、今だけはとても嬉しかった。

…待ってますね、まどかさん。

 



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第250話

『アンタが私を創ったのね、幻香』

 

はい?…いや、ちょっと待て。ドッペルゲンガーの能力とは違う手段で創ってみたのはいいが、何でそんなことを第一声で言うことが出来る?

しかし、そんな困惑を今は投げ捨てる。重要なのは、夢想天生。何だよ、あれ。

 

「…ま、この程度じゃ駄目か。…はぁ」

 

思わずため息を吐いてしまう。わたしだって、ある程度は強くなったと思っていたけどなぁ。そんなふざけたものがあるとなると、わたしは何処まで進む必要があるだろう?風見幽香に殴られたら普通に攻撃喰らったらしいけれど、そこから何か見出さない限り簡単には勝てないな、こりゃ。

 

『私を使えば五分まで持ち込めると思うけど?…ま、アンタは使わないでしょうね』

 

よく分かってらっしゃる。まるで、わたしのことを何でも知っているようじゃないか。

 

『そうね。知識として、不思議と持っているわ』

 

目の前の霊夢さんに止まるつもりはないか、と問われ、止まるつもりはないと返しておく。ここで殺せと言ったのは、彼女はわたしを殺すつもりがないことを知っているから。

その場しのぎな攻撃と防御をしつつ、わたしの中に創った彼女と対話を続ける。

 

『私に対してそんなことを言っちゃって。…こりゃきついわ。けど、ちょうどいいかしら。こうして外側から見ていると、いかに自分が甘いかよく分かるわね。今もきっと迷ってるでしょ』

 

そうですね。霊夢さんがどれほど甘いかは、わたしもさっきよく分かりましたから。いやぁ、勝手に同情してくれるのはとても慈悲深いけれど、それで自分の能力を抑え込んでしまうっていうのは、本当に致命的だ。

 

『治したくても治せないのよ。…そういう性格だから』

 

けど、貴女は少し変わっていますね。…わたしが彼女の情報、もとい記憶をそのまま複製して創った存在なのに。

空間把握で護符の内側に潜り込んだときに思ったのだ。あ、これは複製出来そうだ、と。そして、それが物から人に移ればどうなるか。…答えは、記憶把握。しかしまぁ、実際やってみればその圧倒的情報量は億を超えるような文章と絵を一度に見せつけられるようなもの。覚えようと思わなければそのまま流れ出てしまう感じだけど、複製するだけなら読み取った瞬間に創ればそれで済む。

特に、阿求さんの記憶はとんでもなかった。彼女の記憶からは、『禍』のこととドッペルゲンガーのことだけでも、と思って拉致してもらったのだけど、転生に必要な秘術だの、わたしが知らないような妖怪類のことだの、日々の会話の全てだの、その他にもとにかく大量に敷き詰められていたのだから。そこから欲しい情報を探すのは本当にもう辛かった。

 

『それは、多分アンタを通したからでしょ。アンタの記憶があって、気質も多少移ってる』

 

つまり、わたしに似た性格である、とでも?…答えは簡潔で、その通りらしい。

 

『で、私としては私の甘さをどうにかしたい。…そのためなら、手段を選ばないわ』

 

はは、それならちょうどいい。なら、私は貴女の体を創りましょう。動かし辛いかもしれませんが、どうにかしてください。

 

『その隙に逃げるから?』

 

ま、そうなりますね。けどまぁ、ちょっと悔しいですけど。

 

『…アンタって、やっぱりふざけたこと考えてるわ。…この異変、どう転んでもアンタの願いは成就する』

 

全くもってその通り。わたしが考えた筋書きでは、大きく分けて四つの結末へ進む。そして、その全てが人間共から煩わされずに済むのだから。

一つ目。博麗霊夢に勝利する。風見幽香の前例がいる以上、勝てば結果が得られるだろう。ただし、わたし一人で下手に武器を持たずにやらなければならない。誰かと一緒だと、それがいなければと思われる。武器を持っていれば、それがなければと思われる。…まぁ、明らかにわたし自身が創り出した武器ならば平気だろう。

二つ目。博麗霊夢に敗北する。複製(にんぎょう)でも創って身代わりに逃げ出すか、自爆の演出でもして煙に巻くつもりだった。それでも無理なら、まぁ三つ目へ行く。しかし、彼女がその代わりとなってくれるのなら、それでいい。必要なら自分を切り捨てることすら出来る。そんな気質を、わたしから受け取ってしまっているのだから。

三つ目。八雲紫の道具となる。確かにそこまで自由ではないだろう。しかし、安全だ。八雲紫はわたしを安全に使うために、人間共の意識を変える必要が出てくる。それか、道具となったことを知らしめて、人間共はわたしに対して何も出来なくなる。わたしの後ろに八雲紫がいるから。式神である八雲藍は多少なりとも自由にしていると阿求さんの記憶にあったし、わたしの消滅を交渉材料にすれば少しくらいは自由を得れるだろう。

四つ目。幻想郷を崩壊させる。月の技術であった、穢れを払う扇子をどうにかして創造してもいいし、核分裂による爆発的熱量とそれに付随して遺伝子を破壊する放射線をばら撒いてもいい。わたしも死ぬだろうけれど、それはそれ。別に構わない。わたしがあの世にいけるとすれば、そのときに皆に何と言われるかだけが辛いことかな。

そしてこの四つ、どれを選んでも幻想郷は平和になる。一つ目なら、わたしは一切人里へ行かないから、結果として平和となる。二つ目なら、わたしは死ぬことになるから、平和となる。三つ目なら、八雲紫の道具となり『禍』は『禍』足り得なくなり、平和となる。四つ目なら、全て丸ごと消え去り、ある意味で平和となる。

 

『けど、アンタは必ず成就させる決意がある。誰に何と言われようと、過程がどんな道であろうと、必ず結果を得る。…恐ろしい思想よ』

 

ま、そうですね。皆には悪いと思っていますが、わたしは死んだことにしましょう。…貴女も、それでいいのでしょう?

 

『ええ。私を殺して、それ以下の結果を得るわけにはいかないと思わせる。殺しの経験から、甘さを取り除く』

 

それじゃあ、わたしと霊夢さんのために、死んでくれますか?

 

『私のためよ。…ま、結果としてアンタも恩恵が得られるだけで』

 

それでも別に構わないですよ。阿求さんの目の前で、キッチリと死んだところを見せつけてくださいな。

空気の複製を消し飛ばし、自分自身には新たに空気を創り出す。頭の中にいる彼女は原理を知っているわけだが、それでも私ならどうにかすると言っている。実際そうだった。勘って恐ろしい。

フェムトファイバーを回収し、彼女の肉体を創る分とわたし自身がその後逃げるための妖力を除き、残りを攻撃のために放出する。大穴を開け、そこから抜け出る準備をするためにも。これで勝てれば運がいいのだけど、きっと夢想天生を使ってくる。霊夢さんの記憶で存在は知っているけれど、実際に見ておかないときっと情報が足りなくなる。経験はしておいたほうがいいでしょうから。

 

「『夢想天生』。…魔理沙にはそう名付けられたわ」

「…ふぅん。わたしの攻撃をすり抜けていったのは、流石に初めて見るよ。半透明で、まるで空気だ。…けどまぁ、どうでもいいか」

 

そして、予想通り使ってきた。試しに一発殴ってみたが、普通にすり抜けた。その隙に放たれた掌底を腕で受けようとしたが、その防御をすり抜けて懐へ深く入る。…これはどうしたらいいんだか。

 

「ゲホッ…。うわぁ、こりゃ正攻法じゃあどうにもならないなぁ」

『私を使えばいいけれど、それだとアンタの求めた結果にならないからね』

「だから、もう諦めたら?」

「ハッ、馬鹿言うなよ。さっき言ったことすらすぐに忘れるくらいその頭は空っぽか?…止めたきゃ殺せ。躊躇なんかするなよ、蜂蜜漬け」

『…けど、あれは躊躇する。分かるのよ』

 

そうですね、本当に甘い。甘い果実を蜂蜜に漬けて、砂糖を振りまいたお菓子のように甘い。口の中で当分その味が残りそうなくらい、甘い。その甘さに救われて虜になる人もいるかもしれないけれど、わたしはそこまで好きじゃないんだよ。甘過ぎると、腐るに腐れない。正道を歩む貴女とは、茨道を巡るわたしと相容れないだろうから。

目の前に迫る陰陽玉。その攻撃をわざと受け、後ろにある大穴へと飛んでいく。にしても、滅茶苦茶痛い。しかし、そんなことは気にせずわたしの体の所有権を彼女へと移していく。それに従い、自分の体が少しずつ変わっていくのを自覚する。ハッキリ言おう。気持ち悪い。ただし、指先一本分でいいから、わたしが動かせる部位を残す。

 

「…まだなの?」

 

まだです。それにしても、こうしてほとんど博麗霊夢となった今、この陰陽玉に触れてもそこまで痛くない。落ち着いていこう。まだ数秒猶予はある。

その僅かに残された場所から、わたし自身の肉体を複製する。ただし、妖力は内部まで侵食し、その原子全てを頭に叩き込んで。瞬間、頭の中身が粒でいっぱいとなる。電子、陽子、中性子、原子核…。いくつあるかなんて考えたくないので思考を半ば放棄しつつ、ただただ淡々とわたしの体の構造を把握する。けどまぁ、幻想郷全域を把握したときよりは楽かも、何てことを考えつつ。

そして複製。過剰妖力を入れ込むように、わたしの中にいた彼女をその複製の中へ押し込む。再び自分の体が変わっていく。今度は元に戻っていく感覚。…やっぱり慣れないなぁ。

 

「それじゃ、行ってくるわ」

「それじゃ、あとよろしく」

 

二酸化ケイ素を創造し、地表まで弾け飛ぶ。しかし、着地はせずにギリギリで止まる。

 

「はぁ…、やっぱ無理か」

 

改めて上を見上げ、紅魔館へ戻っていく彼女の姿を見てそんな言葉が漏れ出てしまう。勝てなかったなぁ。悔しいなぁ。

そこまで考え、わたしが進む先に目を遣って人がいないか確認しつつ、その場から弾け飛んでいく。長居は無用。まだ異変は終わっていない。終わっていないということは、八雲紫は出て来ない。異変解決者のほとんどは紅魔館にいて、わたしの協力者も同じくそこにいる。一人や二人くらいはわたしを目撃するかもしれないが、そんな少数派は博麗の巫女と稗田阿求の言葉で封殺される。

だからこそ、わたしは二つ目を選ぶことが出来る。そして、煙に巻いた後でわたしが逃げる先は、既に探し出した。そのために、わたしは幻想郷全域を空間把握したのだから。

 

「…見ぃつけた」

 

そこは、不思議と目に付かない場所だった。普通に歩いてここを通っても、これに目を遣ることはないんじゃないだろうか。目を遣ったとしても、意識に止めることはないんじゃないか。そう思わせる、不思議な雰囲気がある。

それは、底の見えない深い穴。何処まで続いているのか、わたしも知らない。あまりにも深くて空間把握を打ち切ったから。けれど、何処へ続いているかは知っている。幻想郷の中にあるが、幻想郷ではない場所。隔離され、本来侵入も脱出も出来ないはずの場所。その名は地底、またの名を旧地獄。

ごめんね、皆。裏切ったと思われても仕方ないよね。けど、わたしはもう信頼の形を伝えてる。それでもふざけるなって罵ると思う。嫌われても、憎まれても、恨まれても、わたしはそれを受けとめます。

 

「さよなら、幻想郷」

 

わたしが次にここへ来るときは、世代が全て入れ替わる頃か、博麗の巫女に勝てるときのつもりだ。それは一体いつになるだろう?…けどまぁ、わたしがこの先で生き残れたらの話だけど、ね。

その穴を見ていると、まるで吸い込まれてしまいそうな、そんな感じ。その衝動に従い、わたしはこの深い深い穴へ身を投じた。その瞬間、どうしてか分からないけれど、わたしはこの先に何か大切な約束があるような気がした。

 



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第251話

自由落下に近い速度でぐんぐん降りていく。自分自身が安全に着地出来ると思う落下速度の一歩手前。それなりに早いほうだと思うのだけど、それでもまだまだ底は見えない。しかも、碌に明かりもなく、既に真っ暗闇だ。ここならルーミアちゃんの能力なんて最初からいらなさそうだし、ミスティアさんの鳥目なんてあってもなくても大して変わらない。

けれど、見えないと色々と障害があるのは確か。…しょうがない。『紅』発動。その瞬間、真昼にでもなったかのようによく見える。代わりに『目』もよく見えるが、下手に壊してしまわないように注意することにする。『目』を動かせなくても、衝撃を加えて潰してしまうことだってあるのだから。

 

「…深いなぁ、本当に」

 

空間把握を途中で打ち切ってよかったと思う。打ち切っていなかったら妖力が足りなかったかもしれない。けれど、そのせいで地底の空間についての知識がからっきしだ。…まぁ、今はいいや。とりあえず、この穴を降りないと。

地底、もとい旧地獄に関する知識は阿求さんの頭の中にほんの少しだけあった。その名の通り昔は本当に地獄だったそうだが、不要となったことで切り離されたらしい。その後、鬼を中心とした嫌われ者の妖怪達が降りていったとか。あと、地上と地底の不可侵条約があるらしい。正直、人間であるはずの彼女の祖先は、よくもまあ知ることが出来たなぁと感心する。

しかし、この情報では地底にいる妖怪が鬼以外分からない。流石にその鬼が萃香以外誰もいない、ということはないだろうから、他に複数人の鬼がいることくらいは予想出来る。…まあ、そのくらいだ。嫌われ者には嫌われるだけの理由があるだろうから、それなりに癖のある妖怪だろうとは思うけど。

 

「それにしても、不可侵条約かぁ…」

 

問題はこれだ。地底から地上へ上がった萃香は、地底のことをすっかり忘れてしまった地上に迎えられた。しかし、わたしは地上から地底へ降りていく妖怪。萃香は地上に対してそういう黒い感情はあまりないようだけど、それ以外は違うだろう。お互いすっかり忘れられている、なんて甘い考えを持つつもりはない。

わたしは、人間共から煩わされないで済む手段として地底へ逃げた。わたしが地底に求めることがあるとすれば、住む場所くらい。新たな友達が少しいればなおいい。その程度のつもりだけど、わたしに対してその程度を認めてくれるだろうか?…少し、不安だ。

 

「ん?」

 

そのとき、上から音が聞こえてきた。かなり遠いようだけれど、確かに何かが落ちてきている。このまま降りていれば、わたしの頭に直撃する感じ。あんな速度で落ちてくるようなものを受け止める気にはなれない。そんなことをすれば、わたしの腕がどうなるか分かったものじゃない。

チラリと上を見上げ、遠くにあるそれを視認する。木目が見えるけれど、あれは何だろう?桶、かな?徐々に大きくなるそれは、わたしの落下速度よりも早いことを意味している。この感じは、自由落下よりも少し早い。少しずつずれてみるが、それに合わせて動いている。つまり、何もしなければわたしの頭をカチ割ってくる、ということか。

わたしと桶の距離と相対速度から、わたしにぶつかるまでの時間を推測する。…うぅむ、大体八秒くらいかなぁ。穴の幅は入口よりも明らかに広がっているけれど、一応端のほうへ寄っておく。

 

「…三、…二、…一。ッ!」

 

壁を複製し、自分自身と重ねる。その瞬間、わたしは桶が当たる範囲から弾き出される。

 

「えッ!避けられたあぁぁーー……」

 

そんな言葉が遠ざかるのを背中で聞きつつ、何処までも伸びている紐に目を遣る。これを掴んで止めれば、桶の中にいるであろう妖怪が悲惨な目に遭うことだろう。しかし、そんなことをすればわたしの手のひらが擦り切れて血塗れになるし、そんな喧嘩を売りに来たわけじゃないのだ。必要なら売るけれど、不要ならしないほうがいいに決まっている。

それにしても、あの速度で頭に落ちてくればわたしはおそらく死ぬ。つまり、あの桶妖怪はわたしを殺すつもりで攻撃してきた、ということだ。これはさっき考えた甘い考えは完全に捨てたほうがよさそうだ。

 

「…あの桶妖怪、何だったんだろう?」

 

桶の中にいる妖怪。阿求さんの記憶の中にあったような気がするんだけどなぁ…。駄目だ、思い出せない。あんな膨大な記憶を全て覚えるなんて無理な話だ。あの秘術をわたしの中に組み込んでしまえば出来ただろうけれど、それでは余計なものまでくっ付いてくる。転生の可能性とか、極端に短い寿命とか、幻想郷縁起編纂の使命感とか。…けど、あの絶対記憶能力は便利だ。出来ることなら、その部分だけ切り抜いて組み込めないだろうか?偶然の産物を前例にするのはどうかと思うけれど、フランの破壊衝動の一部を遺した『紅』のように。

そんな将来の目標を一つ決めつつ、未だに底の見えない穴を降りていく。気付いたら桶妖怪の紐がなくなっていた。流石に地上にある入り口に括り付けていたわけではないだろうからいつかは途切れると思っていたけれど、それでも相当長かったなぁ。

 

「んお?…何だこれ?」

 

落ち続けていると、突然わたしの体に何かがくっ付く。細い糸のようだけど、粘つくだけで特に何もない。しかし、気付いたら徐々に太くなっていた糸に絡まり、次第に落下を無理矢理止められる。周りを見渡し、理解する。どうやらわたしは蜘蛛の巣に捕まったらしい。

両脚は絡み付くようにくっ付いてまともに動かせない。手を開いたり閉じたりは出来るけれど、右腕もくっ付いている。背中ももろにくっ付いているから、仮に両脚右腕を切断しても逃れることは出来ない。頭と左腕がくっ付いていないのが幸い、としておこう。

 

「…こりゃまずいなぁ。これは殺すための罠じゃない。…つまり、だ」

「罠を仕掛けた奴が近くにいる、ってことかい?」

「ご名答。…貴女が、この蜘蛛の巣を仕掛けた妖怪でいいですね?」

 

蜘蛛の巣の上を平然と歩く妖怪がそこにいた。普通ならくっ付くはずの蜘蛛の巣の上を歩くことが出来る。つまり、彼女は蜘蛛系の妖怪でいいだろう。詳しくは覚えていないけれど、阿求さんの記憶の中に蜘蛛系の妖怪はかなり存在したはずだ。

 

「珍しく土蜘蛛が地上から降りてきたと思ったら、どうやら違うみたいだね」

「その通り。残念ですが、わたしは土蜘蛛じゃない」

「ま、地上から降りてくる奴は久し振りだよ。…上がったのは最近いたけど」

「へえ、そうなんですか」

 

ここで萃香の名前を出したほうがいいのか分からない。だから、出さなかった。地底を切り捨て、自ら地上へ上がることを選んだ萃香がどう思われているか分からないから。

わたしの目と鼻の先まで顔を近付けた土蜘蛛さんは、そのままわたしをジロジロと見続ける。…いや、そんなに見ても特に何もないですよ?

 

「…まあいいや。どういう理由でここに来たかは知らないけれど、見つけちゃったからには何もしないわけにはいかないからね」

「理由なんて単純明快ですよ。地上から逃げただけですから」

「ふぅん、そっか。…それでも地上から降りてくるってだけで駄目なのさ」

「知らねぇよ、そんなの。上の居場所を捨てたから下に来た。悪いとは言わせないね」

「それはそうだね、私もそうだから。…けど、それとこれとは話が別」

 

わたしから一歩離れた土蜘蛛さんはそう言った。…しょうがない。話し合いは無理そうだし、不本意だけど少し粗くいくとしよう。

 

「…何してるんだい?」

「見て分かるでしょ。まだ左腕は動く。蜘蛛の巣は壁にくっ付いている。…つまりだ。蜘蛛の巣を剥がせないなら、蜘蛛の巣ごと逃げ出せばいい」

「させると思う?」

 

瞬間、彼女から飛び出た蜘蛛の糸がわたしの左腕に巻き付く。…よし。

 

「このまま病毒で衰弱して死ね。…さよなら、名も知らぬ地上の妖怪」

「病毒?…それはもう無理だ。貴女は、既に一手誤った」

「何?」

 

わたしと貴女は、こうして繋がった。左腕を思い切り引っ張り、彼女をわたしの間近まで引き寄せる。急に引っ張られ体勢を崩して倒れてくる彼女を、わたしは右手で掴み取る。

 

「…おわっ!?」

「なあ、土蜘蛛さんよ。熱消毒、って知ってるか?」

 

掴んでいる右手から離れようと暴れているが、どうもわたしより力がないらしい。そんなわたしと彼女の間に、一つの魔法陣が浮かぶ。

 

「複製『緋炎・烈火』」

 

そして、その魔法陣は発動する。お互いを炎で包み込み、蜘蛛の巣を焼き切っていく。当然、わたしも熱い。ちょっとの火傷じゃ済まないと思う。けれど、知ったことか。

 

「ぁぁあああッ!熱い熱い熱い熱い熱いィッ!」

「…はは。これでも自滅を避けるために手加減してるんですよ?」

 

病気の原因。その基本は病原菌によるものらしい。そしてその大半は熱に弱く、沸騰したお湯程度で死滅してしまう。そんなことを月で知った。まあ、月にはそんな病原菌なんて存在しないのだが。

右手で掴んでいた腕を両手で掴み直し、グルグルと振り回す。新たな酸素を常に供給される炎は、さらに大きくなっていく。そして、その勢いのままに壁に背中から叩き付ける。

 

「ガ…はァ…ッ!」

「少し埋まってろ。せめて、火が消えるまで」

 

『紅』によって見える『目』を掌底で無理矢理潰し、彼女の後ろの壁を崩す。気を失っているかは知らないけれど動かない彼女を空いた場所へ入れ、崩した土塊を複製して押し込む。呼吸は止めないように顔は埋めない。

わたし自身は原子量14、電子量7の窒素を創造し、炎を鎮火する。そして、焼けた皮膚を冷やすために原子量1、電子数1の水素二つと原子量16、電子数8の酸素一つを化合させた水を創造し、『紅』を解除してから被る。そして、ある程度冷えたら触れている分だけでも水を回収する。窒素に関しては、既に周りの空気に拡散していて無理だった。

 

「…あーあ、服がボロボロだぁ」

 

ここに来るときにはあの陰陽玉である程度傷付いていた巫女服だけど、こうして炎を包まれては穴は開くし、端々は黒く焦げている。…ま、いいや。後でどこかから貰うとしよう。彼女の服を創ってもいいけれど、こうして埋め込んでいては出来なくはないけれど面倒だ。それなら後回しでいい。

こびり付いた焦げた蜘蛛の巣を剥がしながら降りていく。火傷で赤く変色しているのがちらほらと見えるが、再び発動した『紅』によって勝手に治っていく。

早速一人倒すことになってしまった。これを機に関係が悪化してしまう、何てことを考えてしまう。最初から友好的であるとは思っちゃいなかったけれど、これでは先が思いやられる、というやつだ。…はぁ。

 



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第252話

「お、やっと到着かな?」

 

あの後もかなり長い時間下り続け、ようやく底が見えた。底には横穴があり、その先に地底、旧地獄が広がっているのだろう。僅かに光が零れているのを見ると、本当に誰かいるんだろうと思わせてくれる。…流石に自然発光物質があるだけということはないだろうしね。

横穴を抜けると、そこには荒れた大地が広がっていた。ただ、その少し先に小さな橋があって、その奥は割と整った家々が立ち並んでいる。不思議と明るく、闇を見るために発動していた『紅』が不要であることがよく分かる。さらに奥のほうに、やけに綺麗で大きな建物があるけれど、あそこにはきっとここを統治する誰かが住んでいるのだろう。基本的に位の高い人は、自分自身の位を周りに示すようにご立派な場所に住むことが多いから。例えば、レミリアさんの紅魔館。

ただ、そこら中に幽霊のようなものが浮かんでいる。家々の間から跳び出したり、通路を平然と浮かんでいたりするが、特に上のほうと遠くにある大きな屋敷に多い。まるで冥界のようだけど、何故かあの幽霊とは少し違うように感じる。何ていうか、未練がましいというか…。

 

「…誰なんだろ」

 

そして、橋の上には一人の少女が怪しく光る緑の瞳でわたしをジロジロと見ていた。今から橋を渡らずに大回りをしたり、割と高くまで広がっている天井ギリギリを飛んでいくにも、彼女が何をしてくるか分かったものじゃない。少女のいる橋へ進むか、迂回して少女を避けるか。

 

「進むか」

 

どっちも大して変わらないし。まっすぐ歩いて行けるならそれで別に構わない。それに、あの不気味な幽霊みたいなのが何か分からない以上、下手に近付かないほうがいい。もし攻撃されるならば、ある程度避ければいい。それが過剰なら、…うん、しょうがない、かな?

普通に歩いて行き、橋に足を掛ける。その瞬間、わたしの何かが酷く歪むのを感じた。そして、目の前にいる少女に目を遣る。湧き上がる一つの感情。その感情に流されるように、言葉を零す。

 

「あぁ、羨ましいなぁ」

「えぇ、嫉ましいわね」

 

そんなことを言う目の前の少女は、きっと妖怪だろう。どんな妖怪かは知らないけれど、こんなところに人間がいるとは思えない。わたしは、そんな妖怪の顔をボンヤリと眺める。

 

「その色鮮やかに輝く緑色の瞳が羨ましい」

「全て分かってると言わんばかりの眼が妬ましい」

「その小振りな鼻が羨ましい」

「不自然も違和感もないその鼻が妬ましい」

「その日にあまり当たっていないだろう白い肌が羨ましい」

「傷一つない綺麗な肌が妬ましい」

「その薄い赤に染まった唇が羨ましい」

「乾いても割れてもいない唇が妬ましい」

「その綺麗な金色の髪が羨ましい」

「長さが不揃いな髪形が妬ましい」

「自分の姿があるなんて、なんて羨ましい」

「…貴女、何を言ってるの?」

 

そう最後に締め括ると、目の前の妖怪は困惑した表情を浮かべた。そっか。分かるはずないよね。初めて会ったんだし、分かれというほうが無理がある。だから、わたしも最近知った情報を掻い摘んで説明することにする。

 

「わたしには自分の姿がない。無垢な白、らしいですよ。だから誰から見ても同じ姿で見られる貴女達が心底羨ましい」

「あるじゃない。緑の瞳、白い肌、金の…髪…」

 

わたしの姿を指差しながら言うが、その指はわたしの髪の毛を指したところで止まった。どうやら、ようやく気付いたらしい。

 

「そう。わたしは貴女。どこの誰が名付けたか覚えちゃいませんが、鏡の名を持つに相応しい、そんな妖怪ですよ」

 

ああ、あなたの精神を丸ごと複製すれば、わたしは貴女の姿を貰うことが出来るんですよね。けど、それじゃわたしじゃないんですよね。それに、それでは貴方が二人になっちゃいますし、貴女を知る人からすれば困惑する原因となってしまうでしょう。同時刻に別の場所で同一人物が現れる、って昔には不思議に思われたらしいですし。同一人物が二人いるから、不思議に思われるんですよね。そりゃそうだ。双子ですら多少なりとも違うっていうのに、全く同じ人物がいるっていうのは不気味ですよね。あ、そうだ。それなら一人になればいいんだ。どちらかが排除されれば、貴女は一人になって、誰も困惑しない。それじゃあ、わたしは貴女となって――、

 

「違う」

「は?」

 

ズルズルと沼に沈み込んでいくような思考を無理矢理切り替える。そうじゃないだろ、わたし。いくら羨ましいからって、彼女の場所に立ちたいわけじゃないでしょうに。それに、彼女になったとしてもわたしがそこにいるわけじゃない。それでは本末転倒もいいところ。

ああ、危なかった。妙なこと考えちゃったなぁ…。頭の中だけとはいえ、彼女を殺すことを割と躊躇いなく考えてしまった。

そんなことより、わたしは先へ進みたい。さっき地底を眺めていたときに、この先へ進む明確な理由だって出来たのだから。

 

「さてと、この先に行ってもいいですか?ま、悪いって言われても行くつもりですが」

「…妬ましいわね」

「はぁ?散々自分の姿妬んどいて、今度はわたしぃ?」

「嫉妬は負の循環。自ら抜け出す屈強な精神が、嫉ましい」

「屈強?…ああ、それよりあれって嫉妬だったんですか」

 

わたしとしては、羨望って感じだったんだけどなぁ。少し踏み外せば、もしくは踏み出せば羨望も嫉妬か。そして、それを拗らせれば自分を壊し、周りも壊す。…いやはや、恐ろしいね。

 

「軽い嫉妬ならよくしてる。人を見るたびに羨ましいし、わたしより強い人はいくらでもいるからね。わたしには、山を崩すような怪力はないし、目で追えない速度もないし、皆を引き付ける資質もないし、余りある人脈もないし、伝え聞かされる名声もない。唯一自慢出来そうなのは能力くらいかな?」

 

樹を持ち上げる程度の力と、能力任せの加速と、一つの異変に協力してくれる友達。あと、伝え聞かされる名声の代わりに、忌み嫌われる悪声ならあるけどね。『禍』の名は、きっと世代を丸ごと入れ替えなければ薄れることはないだろう。

 

「それに、あんな嫉妬よりも狂ったものを知ってるから。この程度で折れたら、彼女に笑われる」

 

彼女。『紅』の大本。フランドール・スカーレットの破壊衝動。人間を見るたびに、皮膚を破り、筋肉を裂き、骨を砕き、内臓を解体(ばら)し、心臓を潰し、頭を穿ち、脳が爆ぜる。そんな人間という原型がなくなっていく様が一瞬にして浮かび、消える。ものを見るたびにありとあらゆる手段で壊れていく様を見せつけられる。目に映る全ての『目』が激しく自己主張する。そんなものと比べれば、あんな嫉妬なんてかわいいものだ。

そんなわたしの言葉を聞いた彼女は、さらに困惑した様子で橋の手すりに背を預けた。

 

「…何よ、それ」

「知らなくていい。知らないほうがいい。わたしも一度折れかけたんだし」

 

折れようと思ったところで、皆に無理矢理引き伸ばされた。せめて彼女と一緒に死んであげよう、と考えたところを、勝手に救ってくれた。今思い出しても、感謝してもし切れない。

おっと、昔のことを思い出してる場合じゃないよね。そろそろ先へ進まないと。

 

「それで、ここ通りますね」

「…勝手にしなさい。私にどうにか出来る奴じゃないみたいだし。…ようこそ、旧都へ。歓迎はしないわ」

 

そう言う彼女の瞳が鳴りを潜めるように落ち着いた、気がした。

 

「ありがとうございます。貴重な経験でしたよ」

「…そう余裕があるところが、酷く嫉ましいのよ」

 

そんな言葉を背中で聞きつつ、わたしは橋を渡り切った。

 



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第253話

橋の上の妖怪が言うには、ここは旧都と言うらしい。旧地獄に出来た都だからだろうか。まあ、そんなことはどうでもいい。

周りの家々を見渡して思うことは、やけに古い家と真新しい家が混在しているということ。さらに言えば、急ごしらえで組み立てたような不格好な家とか、一部の壁や屋根だけ新しくなっている家とかもある。

周りの妖怪達を見回して思うことは、ここは地上と比べて明らかに無法地帯であるということ。毛むくじゃらの妖怪と一つ目の妖怪が拳大の石を投げ合って血を流していたし、少し前には吹き飛ばされて家の古い壁をブチ抜いた腕と脚が非常に長い妖怪もいた。

特に隠れるつもりもなく普通に歩いていると、あの幽霊みたいなのがわたしの周りを漂う。ウロウロとしていて鬱陶しかったので、指先で妖力を炸裂させるとすぐに何処かへ飛んでいく。しかし、追い払っても追い払っても少し時間が経てば別のがやって来る。何故だ。

 

「…おっと」

 

横から何かが飛んでくる音がしたので、一歩大きく踏み出す。すると、さっきまでわたしの頭があった場所に拳大の石が飛んでいた。それを投げたであろう全身眼だらけの妖怪の姿を横目で見遣り、その全ての眼がニヤついていてちょっと気味悪い。

 

「どうしよ」

 

その妖怪がもう一回り大きな石を投げ付けてきたので、とりあえずしゃがんで躱す。この意味があるのかどうかも分からない攻撃は、わたしに対してだけやっているわけではない。当然、それは石だけではなく、木片、土塊、刃物など、他にも様々なものが投げ付けられている。それに対し、喰らってやり返すのも、喰らって気にしないのも、躱して仕返しするのも、躱してやり過ごすのも、ここでは当たり前に行われていることであるようなのだ。

 

「ぅおっ!…危ないなぁ」

 

咄嗟に掴み取ったものは、錆びて刃こぼれしている鎌。気付けば投げてくる妖怪は増えてるし、こんなものまで投げ付けてくる。いやはや、これは驚き。歓迎はしない、と言われた理由がよく分かる。

横から飛んで来たものを弾こうと鎌を振るうと、ベチャリと顔に泥が付く。どうやら泥塊だったらしい。それを見た周りの妖怪達がゲラゲラと笑い出す。…どうしよ。やり返してやろうか。けどなぁ、いくら見た感じ当たり前だからって関係を自ら悪化させそうなことをするのもなぁ。けどなぁ、わたしはここに暮らすときにいちいちこんなことの対応に追われると考えるとなぁ。

 

「止めだ止め」

 

首を振るい、少し考えたことと泥を払う。当面の目的はあの大きな建物。ここに住むために一番確実な方法は、一番上にいそうな人の許可を得ることだ。そっちのほうが、この妖怪達に喧嘩を売って歯向かう気力を失わせるよりよっぽど楽だろう。…まあ、その確実な方法は一回失敗してるんだけどね。目の前で死んじゃったから。

ヒョイヒョイと躱しながら先ヘ進んでいく。ある程度進んでいくと、不思議と投げ付けてくる妖怪の数が減り始め、それに従い飛んでくるものも減り始める。その代わりに、肉と肉がぶつかり合うような音が聞こえてきた。…今度は何をしてるんだか。

そんなことを考えていると、横から誰かが近付いてくるのが見えた。その瞬間、僅かに残っていた妖怪達がそそくさと何処かへ去っていく。わたしは少し驚いた。その妖怪が出た瞬間に妖怪達が逃げたことではなく、その妖怪の姿に。何故なら、その短い髪の毛からは小さな二本の角が伸びていたのだから。

 

「おうおうあんた…、不思議と俺の顔そっくりだな。だが、見ない奴だ。何処から来た?」

 

つまり、鬼だ。わたしより頭一つくらい小さいとはいえ、その雰囲気は萃香に近いものを感じる。…まあ、彼女よりは明らかに弱いと思ってしまうのはしょうがないことだろう。山の四天王だとか、妖怪の山を支配してたとか、そんな武勇伝と比べるほうが悪い。

わたしの知っている鬼は萃香一人だけ。その萃香は無用な嘘が大嫌いだ。笑わせる冗談とか、必要に迫られた嘘とかは気にしないようだけど、それは例外。鬼全員が萃香と同じとは思っていないけれど、わたしには鬼の基準が萃香しかいない。だから、わたしは正直に答えることにした。

 

「上から来ました」

「上かぁ…。はぁ!?上だとっ!?」

「ええ。…それがどうかしました?」

 

答えはなかった。

 

「ぉおらあぁっ!」

「ッ!」

 

その代わり、いきなり手首を掴まれて思い切り投げ飛ばされた。かなり古くなっていただろう家に叩き付けられ、そのまま大穴を開けて木屑を撒き散らす。その拍子に家全体がギシギシと音を立て始め、そのまま瓦解した。

 

「痛っ、たた…。いきなり投げるか普通…?」

 

屋根の大半が藁だったこともあって特に頭に何かぶつかったという感じはなかったが、壁に当たった背中が痛い。穴をあけて衝撃を逃がしてくれたのは助かったけれど、まだ顔に残っていた生乾きの泥に木屑がくっ付いて鬱陶しい。

服を払いながら崩れた家だったものから抜け出ると、目の前に迫っていた拳を咄嗟に体を右に倒して避ける。近くにあった何かをわたしに重ねて複製して倒れていく体を無理矢理起こし、空振って僅かに体勢が崩れた鬼に殴り返す。流石にここまでされて何もしないつもりはない。

 

「ぐっ、のぉおっ!」

「よっ、ほっ、ふっ」

 

躱し、躱し、僅かに生まれた隙に一撃加える。その繰り返し。『攻め』と『守り』を切り替えていけ。相手は力任せ。敵が攻撃してくるなら、躱せばいい。相手は鬼だ。あの威力を往なすなんて、今のわたしには出来そうにもないのだから。敵の攻撃が外れたのなら、体勢が崩れたのなら、そのとき一撃加えればいい。ただし、無理はしない。わたしは一撃喰らえば致命的なのだから。

柔よく剛を制す、というらしい。…まあ、萃香に対してやったら多分剛よく柔を断つになるだろうけど。

 

「何故だ!何故当たらんッ!」

「うん、弱い。妹紅のほうが強かった」

「な――ヴッ!?」

 

拳を躱し、その足を払う。重心が前に傾いていたことも相まって、簡単に倒れる。その倒れてくる顔に左拳を突き出す。鼻が潰れたような感触がしたけど、まあいいや。ふらつく鬼の頭の両側を掴み、追加で膝を叩き込む。締めに両手を離し、顎を蹴り上げた。軽く浮き上がる鬼の意識は軽く刈り取れたようで、そのままピクリとも動く様子もない。

 

「…はぁ。わたしは喧嘩を売りに来たんじゃないんだよ。ま、買わないわけじゃないけどね」

 

倒れた鬼を見下ろし、独り言のように呟く。そんなわたしの肩を、誰かが後ろから叩いた。チャプリ、と水が跳ねる音が聞こえ、酒独特の香りが鼻に付く。…何故だろう。猛烈に嫌な予感がする。

振り返ると、明らかに別格の鬼がいた。頬が引きつる。初めて萃香に遭ったときに似た感じ。その手には真っ赤な盃が乗っており、ちょっと傾ければ零れてしまいそうなくらい酒が注がれている。

 

「じゃ、私のは買うかい?」

「お断りします」

 

肩に乗っている手を払おうとするが、どうにも離れない。強く握られているという感じではないのに、とにかく離れない。まさかくっ付いているなんてことはないはずだし、どうして離れないんですかねぇ…。

 

「まあ待てよ、地上の妖怪。取って食おうってわけじゃないんだ」

「殴って殺すんでしょう?」

「おいおい、流石に早合点し過ぎだろ」

 

どうしてものを投げ付けてきた妖怪が去っていったのかよく分かった。鬼がいるからというのもあるだろうけれど、特にこの彼女がいるからだろう。雰囲気だけで萃香と同等程度と分かる。…いや、単純な力だけなら萃香以上かも。山の四天王、ということは同じ程度の実力を持った妖怪があと三人いたということ。つまり、もしかしたら彼女がその三人の中の一人なのかもしれない。

 

「まあそりゃあな?一応地上と地底の不可侵があるし、私の仲間が一人やられたのもある。…けどなぁ、最近は暇でしょうがない」

「…で、何が言いたいんですか?」

「私に勝ったら見逃してやる、って言いたいんだよ」

 

いや、それは流石に無理があるでしょう。

 



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第254話

「とりあえず、名を名乗ろう。いつまでも名無しじゃ呼びづらいだろ?私は星熊勇儀。鬼だよ」

「鏡宮幻香。ドッペルゲンガーらしいですよ」

「らしい、ってあんたなぁ…。自分のことだろ?」

 

…いいですね。自分自身が鬼であると確信出来る貴女は。羨ましいですよ、本当に。わたしはどうして産まれたのか、未だに分からないというのに。自我なきドッペルゲンガーに宿るわたしが、何故ここにいるのか分からないというのに。

 

「あ?何か言ったか?」

「…いえ、何も」

 

まあ、わざわざ口にする必要もない。今この瞬間敵として目の前に立つ彼女に言うようなことではないのだから。

 

「にしても、鬼じゃないんだな。そんな角がありながら」

「そうみたいですね」

「みたい、って…いや、もういい」

 

星熊勇儀がわたしの肩から手を離したと思えば、背を向けて歩き出す。きっと付いて来い、ということなのだろう。例えば、背を向けている彼女に不意討ちをしたとして、彼女に効果はあるだろうか?…ないな。そんな簡単に勝てるなら苦労はしない。例えば、背を向けている彼女を無視して逃げだしたとして、彼女を振り切れるだろうか?…無理だな。そんな簡単に逃げることが出来るなら背を向けることはない。

萃香を含め、鬼は単純に力が強い傾向にある。この星熊勇儀という鬼は、それを突き詰めた先にいるような存在なのだろう。下手な小細工を丸ごと吹き飛ばす怪力無双。正直、手の付けようがない。…それでも、やらなくてはならない。

 

「よし、ここでやろう」

「…ここがわたしの死に場所か」

「だからまだ早いだろ」

 

苦笑いを浮かべてそう言うが、わたしの敗北はそのまま死に直結する。そして、わたしが勝てる可能性は、万に一つもなさそうだ。それなら大して変わりはしないだろう。

わたしの死に場所は、わたしが最初に歩いていた道からは離れた場所にある割と開けたところだった。…あぁ、またわたしは死ぬのかなぁ。心臓貫かれるだけで済めばいいけど。

 

「やっちまえ姐御ぉ!」

「サクッと倒しちまえ!」

 

気が付けば、周りにわらわらと鬼が集まってくる。わたしと星熊勇儀の勝負、いや、一方的な蹂躙を見ようとやって来たのだろう。…まあ、そりゃわたしが勝つなんて大番狂わせを予想するようなのはいないだろうし、こんな野次は予想の範囲内。気にすることはない。

 

「おいお前ら」

 

だが、星熊勇儀は気にしているようで、観戦しようと集まってきた鬼達を見回した。その顔は、あまりいいものではない。それを見た鬼達の顔が僅かに青くなるのが分かる。…うん。これを見ると彼女の恐ろしさがよく分かる。

 

「これは私とこいつの勝負だ。邪魔立てすれば、許さねぇからな」

 

その言葉にコクコクと首を縦に振るう鬼達。彼女と鬼達の力関係の差がよく分かる。

 

「ところで、一つ訊きたいことが」

「ん、何だい?」

「その左手に持った盃はどうするんですか?」

「これか?…このままでいい。私はこの盃の中身を零さずに戦ってやるよ」

 

え、本当に?素早く動けば盃の中身が舞い散るから、俊敏性を失う事と同義だ。それに加え、左手を塞いでくれると言っているようなものだ。さらに言えば、わたしの勝利条件に盃の中身を零すが追加されるようなもの。…まあ、それでも正攻法で勝てるかどうか分からないのが悲しい現実よ。あと、引っ繰り返しても盃の中身を零さないような能力があったら話は変わりそうだけど。

 

「来いよ、鏡宮幻香。あんたの力、私に見せてみな!」

「はぁ…。わたしの力なんて、たかが知れてるっていうのに。貴女は相当物好きですか?」

「はは、かもな」

 

その言葉が終わった瞬間、わたしは一気に駆け出す。とりあえず一発当ててみるか。相手の距離と歩幅を合わせ、近過ぎず遠過ぎない位置に足が着くようにし、腰を右に捻り、右手を握り、左腕を相手に向けて伸ばす。対する星熊勇儀は何もしない。黙って受けるつもりのようだ。

 

「セイッ!」

 

駆け出した速度と捻りを加えて打ち出した右拳は、寸分違わずに星熊勇儀に炸裂した。…それだけ。え、微動だにしないんだけど。確かに当たった感触はしたんだけど、まるで地中深くまで根をしっかりと張った千年単位の大樹の幹に殴り付けたみたいに動かないんですけど。

 

「ふぅん。これはあいつがやられたのはしょうがないな。どう考えてもあんたのほうが強いから、なッ!」

「ッ!」

 

星熊勇儀が右腕を掲げ、そのまま振り下ろしてきた。普通に避ければ間に合わない。だから、大地の一部を一本の真っ直ぐな針金のように切り取り、わたしに重ねて複製する。あまりにも軽く、わたしではなく土のほうが弾かれてしまいそうになるが、それでもわたしが横に動こうとすれば、まだ離れていない一本線の土の端まで弾き飛ばしてくれる。

しかし、振り下ろされた拳の拳圧が衝撃波となって大地が容易く凹ませ、離れたつもりだったわたしにも襲いかかり、僅かに浮いていたことも相まってさらに吹き飛ばされる。が、壁に叩き付けられる前に下へ弾かれるようにものを複製し、ガリガリと片手両脚で大地を削りながら停止した。

 

「…驚いた。瞬間移動か?」

「さぁ?どうなんでしょうね」

 

わたしも驚いた。あんな衝撃波を放つような拳を振り下ろしておきながら、盃の中身は波打つだけで一切零れていないのだから。

うん、普通にやったら勝てない。さっきの鬼のように意識を刈り取るなんて出来そうもない。だったら、わたしが勝つ手段は一つ。あの左手に乗っている盃の中身を零す。…あの盃の中身を複製してかさ増しし、無理矢理溢れさせるという手段も考えたけれど、それをしたらどうなるか想像しただけで恐ろしい。だからそれは…、打つ手がほぼ無くなったらにしよう。うん。

 

「それじゃ、やりますか」

 

もう一度駆け出し、さっきと同様に右拳を放つ。この一撃では、星熊勇儀は決して揺るがない。なら、二発なら?三発なら?四発なら?五発なら?十発なら?もっと多くすれば?

 

「そらアァッ!」

「は?」

 

右拳を伸ばすその瞬間、わたしの拳を複製する。その速度は、わたしの拳の速度そのまま。これで二発。次の瞬間、さらにもう一つ拳を複製する。速度はもちろんそのまま。これで三発。もう一つ複製し、四発。もう一つ複製し、五発。もう一つ複製し、六発。もう一つ複製し、七発。もう一つ複製し、八発。もう一つ複製し、九発。もう一つ複製し、十発。もう一つ複製し、十一発。もう一つ複製し、十二発。もう一つ複製し、十三発。そこで星熊勇儀と拳の距離が零となり、十三連撃が炸裂する。

 

「ぐ…ッ」

 

グラリ、と僅かに体が揺らぎ、片足を一歩後ろに出す。チャプリ、と盃の中身が跳ねるが、残念ながら零れなかった。…よし、彼女に打撃は無効化されているわけじゃない。確かに打撃が効くことがこれで証明された。

 

「…また驚いた。あんた、不定形の妖怪か?」

「残念ながら、わたしは一応定形ですよ」

 

中身の精神によっては粘土のように形を変えますがね。…まあ、流動体じゃないのは確かだ。

転がっている十二の拳を回収していると、何故か星熊勇儀は目を細めてわたしを見ていた。

 

「…気に入らないね、あんた」

「別にいいですよ、好かれることはとっくの昔に諦めた」

「違う。私が気に入らないのは、あんたがまだ隠してるものがあるからだ。…全部出せよ」

「嫌ですよ。それをしたら、それはもうわたしじゃなくなってるから」

 

わたしが貴女に、星熊勇儀に成り変わり、貴女同士の戦いとなれば戦況は一瞬で引っ繰り返るだろう。片手が使えない貴女と両手を使える貴女では、どう考えても勝敗は目に見えている。けれど、それではわたしが勝ったことにならない。それでは、意味がない。

 

「けど、他にも隠していたことは認めます」

 

『紅』発動。瞬間、世界が変わる。『目』が至る所で輝き、時間の流れが緩やかとなり、不思議と力が湧き上がり、体質が僅かに変性されていくのを感じる。

それを見た星熊勇儀は、わたしの瞳を見て心底嬉しそうに笑いだす。

 

「何だよ、やっぱりあるじゃねえか」

「…まだ長時間となると安定しないんですよ、これ」

 

それに、平常時ならまだしも、戦闘時は気が逸れる機会が多くなるから使いたくなかった。次の一手を考えるとき、攻撃の軌道を推測するとき、攻撃を喰らった瞬間、他にも様々な原因で『紅』は解けてしまうだろう。再び発動すること自体は容易だが、それでもそれまでは大きな隙となる。それはあまりにも致命的な隙だ。

 

「だけど、短期決着は見込めない。…なら、不安定を押していくしかないでしょう?」

「けど、まだその奥があるんだろ?だったら、無理にでも出させてもらうとしよう」

「わたしはわたしだ。だから、ここで貴女に勝たせてもらいますよ」

「よく言った!そういう奴は、嫌いじゃないぜ?」

 



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第255話

わたしは、この勝負で深く思考することを切り捨てた。思考の深みに嵌って『紅』が解けることを阻止するために、少し考えればもっと良い手段が浮かぶだろうと思っても、そんなことは気にしないで最初に思い付いたことをそのままやることにした。その結果死んでしまったならば、わたしはその程度だったのだろうと認め、彼女達のことを思って死んでいこう。

迫る拳を躱し、拳圧による衝撃波に耐えつつ肘に肘打ちを叩き込む。関節部への攻撃は普通ならかなり効くはずなのに、まるで効いてない。金属を叩いたような気分になってくる。それでもまったくの零ではないと信じ、打ち出した肘を下に逸らして彼女の肘から外し、一気に引き絞る。

 

「ハァッ!」

「ほ、っと」

 

打ち出した拳は膝で受け止められる。簡単に防御されてしまったことは悔しいが、これは彼女が片脚立ちになったということ。すぐさまその一本脚を蹴飛ばす。が、ほんの僅かに動いた程度で、案の定倒れる気配もない。

 

「おらよっ!」

 

彼女が上げていた脚が振り下ろされると、地面を大きく揺れる。無理な体勢をしていたわたしは、その振動でさらに体勢が崩れてしまった。…あ、これまずい。

そのまま振り下ろされる右拳。わたしは左手を前に突き出し、左手から左肩までを真っ直ぐと伸ばして拳に向かい、そのまま潰すように仕向けて衝撃を軽減させた。原形も留めてない左腕のことは放っておき、転がって距離を取ってから立ち上がる。

 

「…流石に左腕一本は高いんじゃないか?」

「安いですよ。死と左腕一本を比べればね」

 

右手に付着した肉片や血を払いながらわたしに言った。確かにそうだ。きっと相当痛いんだろう。血が溢れ出る左腕らしきものを千切り取りながらそう思う。『紅』で腕丸々一本治すのにかかった時間は約十秒。それまではかなり不利な勝負にならざるを得ない。けど、まだ死んじゃいないし、負けてもいない。なら、まだ戦える。

 

「アハ…。さ、続けましょう?」

 

前方へ跳びかかり、前方一回転踵落とし。これは右腕に阻まれたが、そのまま彼女の腕を踏みしめて軽く跳んで背後を取る。

 

「ふッ!」

「っ、らぁっ!」

 

振り向くまでの僅かな時間に三発拳を叩き込み、振り向きざまに放たれた横薙ぎの蹴りをしゃがんで躱す。…よし、肘まで治った。膝を伸ばしながら顎に向けて掌底を叩き込もうとするが、その手は右手に阻まれてしまった。

 

「ふんッ!」

「ん?」

 

グチャバキ、と肉が潰れ骨が粉砕される嫌な音が右手から響く。彼女の右手は固く握り締められ、その手からは血が溢れ出る。…あぁ、わたしの右手を握り潰したのか。思い切り右腕を振り下ろし、右手を彼女の手の中に遺して引き千切る。そして、まだ治り切っていない左腕を叩き込んだ。

僅かに脚が動いたのに気付き、すぐさま跳び退る。あのままいたら、わたしの左腕は打ち上がってくる膝によって圧し折られていただろうから。

 

「ふぅ。…勝てるのかな、これ」

「なあ、幻香。今の内に訊いておきたいことがあるんだよ」

「何でしょう?」

 

両腕が治ったことに安堵しつつ、彼女の言葉を待つ。

 

「何故、ここに来た?」

「負けたから」

「それじゃ分からんよ」

「人間共が来ないから」

「それだけか?」

「…どうなんでしょうね、本当に」

 

わたしは、ここに来る理由があったような、そんな気がする。けど、どうしてだろう。そのことを思い出せない。振り返ることの出来ない過去にあったのかもしれないけれど、どうなんだろうね。

 

「ただ、人間共が来ないからここに来たのは本当だよ。『禍』なんて呼ばれて捕縛討伐封印対象。そんな人間共にウンザリしたから、わたしはここに来た」

「…そうかい。あんたもそうやってここに落ちてきたのかい」

「ええ、落ちました」

 

その言葉で会話を打ち切り、左足を地面に打ちつけて軸足にして旋回し、右脚で回し蹴りを放つ動作をする。大地を細い糸のように複製して肉薄し、右脚を振り抜く途中で靴の過剰妖力を噴出。急加速した右脚は、防御した右腕を僅かに揺らす。

 

「ほらっ!」

 

右腕を振るい、わたしの右脚を弾き飛ばす。その衝撃に対抗せず、そのまま受け止める。軸足はそのままにさっきとは逆に回転し、生かし切れずに受けてしまって変に曲がってしまった右脚を彼女の左腕に向けて放つ。

 

「ぅおっ!…危ないな、おい」

「…ちぇ、駄目か」

 

しかし、左腕を上に持ち上げられてしまい、この攻撃は空振ってしまった。チャプチャプと盃の中身が跳ねる音が聞こえてくるが、零れる様子はない。

軸足に力を込めて跳び出し、彼女の懐へ跳び込む。右足で着地なんて出来ない。だから、その前に両腕で乱打を叩き込む。右手に阻まれても気にすることなくとにかく腕を振るい続ける。

 

「しゃらくせぇっ!」

「ぐ…ッ!」

 

受け続けていた彼女が左脚を出し、横薙ぎに振るう。もろに受けるわけにもいかず、咄嗟に右腕で防御するが、そんなのはお構いなしに壁まで吹き飛ばされる。

 

「はぁ、はぁ、はぁ…。けど、まだ終わっちゃいない、か」

「お、まだ立ち上がるか」

 

圧し折れていた右脚を地に着け、圧し折れている右腕を振るう。ダラリとぶら下がっている右腕は、気付けば治っている。

 

「けど、無茶するなあんた。さっきもそうだが、自分の身を壊して戦うのか?」

「そうでもしなきゃ勝てないんだ。自分自身を賭けるだけで勝てるなら、それは安い買い物ですよ」

「…あんた、いつか死ぬぞ?」

「もう死んだよ」

 

最短で肉薄し、最速の貫手を鳩尾に突き刺す。それを受け切った彼女の拳を片手で受け、グシャリと潰れて千切れるのを感じながらその腕を横薙ぎに振るい、脇腹に叩き付ける。打ち上がる膝を振り下ろす肘を当て、わたしの肘が砕けつつ受け止める。そのまま体を沈み込ませ、片脚で跳び上がり胸に膝蹴りを叩き込む。そして、折り畳まれた脚を引き伸ばして追撃の足を顎に向けて蹴り上げた。

 

「はっ、…捕まえた」

 

その右足首をガッシリと掴まれてしまい、真上に投げ飛ばされる。一体どこまで、と思えば壁に叩き付けられた。

 

「…て、天井…?」

 

真上の壁。それは天井。うわ、片腕だけでここまで投げ飛ばしたのぉ…?ガラリ、とひび割れて零れ落ちる欠片と共に落下し、前方回転を重ねて回転を加速させていく。

 

「オラアァッ!」

「お、ッ!」

 

何重回転もの加速と全体重を右脚に乗せた踵落としを叩き込む。片腕で受け止めるが、その衝撃は体を伝い、地面に足が深くめり込む。盃も大きく震えるが、器用なことに跳ねる雫を落とさないように盃で拾っていた。

これ以上は見込めないところで跳び退り、距離を大きく取る。あれ以上の威力の攻撃となると、ちょっとやそっとじゃ出せないんだけど…。

 

「いい威力だ。…なぁ、地上はあんたみたいなのがゴロゴロいるのかい?」

「え?…どうでしょうね。わたしは多分真ん中くらいじゃないですか?」

「そっか」

 

突然問われた質問の意味が分からずに困惑していると、何故か星熊勇儀は背を向けてわたしから遠ざかっていく。

 

「え、ちょっ、何処行くんですか!?」

「十分楽しめたからな。久し振りに、退屈しない時間だったよ」

「は、はぁ?」

「あんたは私の退屈に勝ったんだ。だから、今日は見逃してやる」

 

足を止めて答えてくれたことも、わたしに理解出来ない。しかし、そんなわたしを置いて話は進んでいく。

 

「おいお前ら!今日はこいつにもう手を出すなよ。出したら、…分かってるな?」

 

その言葉を最後に、わたし達の周りにいた鬼達はその場から立ち去っていく。え、ちょっと、そんなんでいいの?私に勝ったら、って、そういうことだったの…?

 

「萃香は上で楽しんでるんだな。…けど、私はあんたがいなくて退屈だったよ…」

 

立ち去っていく彼女から、そんな囁きが聞こえてきた。

 



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第256話

両手両足が思い通りに動くことを軽く確認してから、奥にある大きな建物へと向かう。少しばかり血を失い過ぎた気もするけれど、まだ倒れるほどじゃない。まだ動ける。なら大丈夫。

周りに注意しながら歩いていくが、ただ視線を感じるだけで特に何もしてこない。ここら一体にいるのは鬼だけじゃないのに、一体何故だろう?そんな疑問を持っていると、ふと異形の翼を持った妖怪と目が合った。その妖怪も、わたしのことをじっと見るだけで何も仕掛けて来ない。ただただ興味深そうに眺めてくるだけ。やっぱり地上から来た妖怪とは珍しい存在なのかなぁ?…まあ、わたし自身もかなり特異なほうみたいだから、そういう奇異な目で見られることは慣れてる。

 

「うわ、また…」

 

妖怪は何もしてこないが、その代わりに幽霊みたいなのがわたしの周りを鬱陶しいほどにうろつく。一つや二つではなく、もっとたくさんの数が近寄って来るから少しばかり邪魔だ。さっきも近寄られはしたけれど、数多くなってきてないか?…ああ、そっか。あの大きな建物が近付いてるからか。

 

「ふぃー…。やっと着いたー…」

 

そのまま特に何もなく歩き続け、ようやくあの大きな建物の庭へと到着した。後ろを振り向くが、最早視線も感じない。ここに近付くとどんどん妖怪の数が減っていき、その代わりにどんどん幽霊みたいなのの数が増えていく。これだけいると、いくら脅かして追い払っても意味がほとんどない。たかが数秒のために妖力を消耗するのは少しばかり不毛なことだと思うし。

庭はそれなりに整っているし、生えている草には刈り取られた跡が僅かに残っている。つまり、手入れをする者が存在するということだろう。そして、誰もいない建物の庭を手入れするような物好きはあまりいないだろうから、この建物の中には誰かいるだろうと推測出来る。あとは、この中に偉い人がいることを願うだけだ。

 

「…で、勝手に入っていいのかねぇ」

 

入り口の扉は当然のように閉じている。二枚扉の間を眺め、鍵が掛かっていないことを確認する。

 

「失礼します」

 

扉を数度叩き、返事も待たずに扉を開ける。まあ、開けてみて近くに誰もいなかったから返事なんて来るはずなかったんだけど。そのことを少し残念に思いつつ、扉をゆっくりと音を立てずに閉める。

とりあえず、周りを見渡してみる。…うん、豪華な内装だ。金糸で刺繍された赤いカーペット、青みがかった白い石を加工したであろう柱、何で光っているのかよく分からないシャンデリア、色とりどりの飾り窓、その他諸々。紅魔館は紅一色だったけれど、ここはそうではないらしい。あと、当然のように幽霊みたいなのも浮いている。

 

「んー…、人は…、いる。…いや、これは違うか?」

 

耳を澄ませば、遠くのほうにいくつか音が聞こえてくる。しかし、音の響く間隔からして四足だったり、そもそも足音じゃなかったりする。四足の妖怪という可能性もあるし、蛇のような外見の妖怪という可能性だってあるし、その妖怪がここの主の可能性だってあるけど、どうなんだろう?

 

「よし、とりあえず行くか」

 

何処に誰がいるか分からないし、ここで空間把握をしたら妖力が足りなくなりそうだ。それなら、音のしたところへ行ってみる。当てがあるのはそこくらいだからね。

足音がした場所を求めて階段を登り、そのまま廊下を歩いていく。数える気が失せるほどに扉があり、扉一つで部屋一つでないとしても、相当な数の部屋があることになる。最悪の場合はしらみ潰しで全ての部屋を回ることになるだろうと考え、そしてそれが徒労に終わってしまう可能性を考えて、少しばかり嫌気が差す。そうならないためにも、とりあえず誰かに会いたいなぁ。

 

「…犬?」

 

足音がした場所に到着して扉を開けると、その先には大型の犬が四匹がいた。わたしを見た瞬間、四匹全員が後ろ脚に力を込めていつでも跳び出す姿勢を取ったので、すぐに扉を閉める。…さて、別の場所へ行こう。

 

「…熊?」

 

次の扉を開けると、その先には熊がいた。大きな熊が二匹と小さな熊が三匹で、もしかしたら親子なのかもしれない。そんなことを考えていたら、大きな熊がわたし目掛けて駆け出してきたため、すぐに扉を閉めた。ドォンビシミシ、と体当たりをして扉と壁が軋む音がしたが、壊れてはいないようで少しばかりホッとする。…さて、次の場所へ行こう。

 

「…獅子?」

 

次の扉を開けると、その先には獅子がいた。一匹の雄の獅子が横になっていて、わたしを見ても一歩たりとも動こうとしない。ただ、僅かに血の香りがしたので、長居はせずに扉を閉めることにした。…さて、次の場所へ行こう。

 

「…蛇?」

 

次の扉を開けると、その先には大蛇がいた。部屋の隅で頭だけ見せているが、その蛇の頭の大きさがその蛇の巨大さを十分に分からせてくれる。チロリと出した舌とキラリと光る牙を見て、すぐに扉を閉める。…さて、次の場所へ行こう。

 

「…鳥?」

 

次の扉を開けると、その先には大鳥がいた。天井からつるされた棒の足場に足を乗せている鳥が五羽、床に立っている鳥が二羽。ジロジロと見られたが、わたしに向かって飛んでくるつもりはないらしい。しかし、ここにいても何も収穫がないと思い、扉を閉めた。…さて、次の場所へ行こう。

 

「…兎?」

 

次の扉を開けると、その先には兎がいた。跳ね回る兎の数は、数える気が失せるほど多い。それでも数えてみれば、何と百十三匹。流石にこれは多過ぎやしないか、と思ったけれど、兎の繁殖能力の高さを思い出し、少し納得する。わたしのことを興味深そうに見上げる個体もいたが、勝手に部屋の外に出すべきではないだろうと考え、扉を閉める。…さて、次の場所へ行こう。

 

「…猫?」

 

次の扉を開けると、そこには猫がいた。すばしっこくて数え難かったけれど、十四匹いるみたい。好き勝手気ままに部屋を駆け回り、わたしのことなんか気に留めてもくれない。ふと、橙ちゃんの家にも猫がいたことを思い出し、少しばかり寂しくなってくる。これ以上見ていると地上のことばかり考えてしまいそうで、扉を閉めた。

 

「ここは動物しかいないのか…?」

 

他にも音が聞こえてきた場所はあったけれど、ここまで来るとその全てが外れな気がしてくる。運が悪いだけだと思いたいけれど、さっき浮かんだ徒労に終わる可能性がチラつく。…うーん、この手段だと駄目かもしれないし、ちょっと別の手段考えようかなぁ。

 

「ん?」

 

少し足を止め、考え始めて数分。少し破壊行為をして呼び寄せるという二十七番目の手段を考えていたところで、遠くから扉を開ける音が聞こえてきた。そして、二足の足音。場所はこの建物の出入口。

 

「よし行こう」

 

さっきまで考えていた手段はひとまず保留。すぐさま廊下を走り抜けて階段を駆け下りてここの出入り口へと向かう。…ふふ、これは期待出来そうだなぁ。

出入り口へ向かう途中で、目的であろう妖怪と鉢合わせた。その妖怪は、真っ赤の髪を両側で三つ編みにして黒いリボンで結んでいる。頭には黒い猫耳が生えているから化け猫だろうか?瞳は赤色だけど、吸血鬼と比べると少し薄い感じがする。

 

「…誰なんだい、貴女」

「化け猫さんか。これはちょうどいい」

「あたいは火車だよ。ただの化け猫と一緒にされちゃぁ困るね」

「ふぅん、そう」

 

化け猫だと思ったけれど、どうやら火車という違う妖怪だったらしい。けど、その猫耳から察するに、元は猫だったんだろうなぁ、と思う。

 

「そういう貴女は化け猫なのかい?あたいに化けてもさとり様にはすぐバレるっていうのに」

「いや、わたしはドッペルゲンガー、っていうらしいですよ。それでですね、わたしはそのさとり様っていう人に会いに来たんです」

「駄目だね。あたいに化けて、勝手に地霊殿に侵入して、血塗れで来るような不届き者に合わせられるようなお方じゃない」

「そう言われてもなぁ…。話をして、少し交渉するだけだから。危害を加える予定はない」

「これっぽっちも信用出来ないね」

 

そう言うと、彼女は両手に炎を纏い、さっきからいた幽霊みたいなのを従えてわたしを鋭く睨む。…ふむ、火車って言うだけあって炎を使えるんだね。わたしも一応使えるけど、自分も焼けるんだよなぁ…。

 

「どういうつもりか知らないけれど、あたいは貴女をここから追い出すから」

「あっそう。ここまで来て諦めるつもりはない。少しばかり無理をしてでも通らせてもらうとするよ」

「安心していいよ。死体と魂はあたいがキッチリ地獄まで運んであげる」

「ここが既に旧地獄。貴女に運ばれる必要はこれっぽっちもありゃしないね」

 



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第257話

撃破、捕縛、交渉、逃避、降伏。わたしが火車を名乗る猫妖怪の彼女に対して出来ることは、大きく分ければこの五つだ。どれを選んでも利点と欠点は付いて回る。とりあえず、降伏の欠点は余りにも大き過ぎるので却下。さて、残された四つから選ばないとなぁ…。

 

「喰らえっ!」

 

放たれた二つの火球を横っ跳びで躱し、そのまま横に伸びる廊下へ駆け出す。そこにいる彼女に背を向けて。とりあえず、少しばかり考える時間が欲しい。というわけで、まずは逃避。ずっと逃げ続けていると増援を呼ばれる可能性と多少の印象悪化があるのでそこまで長くするつもりはないが。

 

「あっ!逃がすかっ!」

 

当然、追って来ますよね。わたしに火球を放ちながら追ってくる彼女は相当速い。このまま走っていたら、いつか追い付かれてしまう。後ろから近付く火球の熱を感じて回避しつつ、最速の直進弾用の『幻』を後方に向けて六十個展開する。

 

「ふにゃっ!危なっ!」

「よし、模倣『ブレイジングスター』」

「へ?…うにゃあぁああぁああ!?」

 

追撃で左腕を後ろに伸ばし、妖力を放出する。こういう直進の通路では、後方にいる敵への攻撃と加速の両立が出来るこのスペルカードは使いやすい。妖力を推進力として数秒間だけ使用し、床に足を強く押し付けて減速しつつ直角に曲がる。目の前の階段を大きく跳躍し、そのまま踊り場の壁を蹴って一つ上の階へ上る。

さらに上の階へ上るかどうか少し考え、廊下へ出る。そして、少し走った先にある曲がり角を曲がったところで壁を背に立ち止まる。

 

「…ふぅ。少し待機、と」

 

わたしが階段を上がったことは彼女も分かっているだろう。だが、この階段で上がることが出来るのは、今わたしがいる二階と三階の二つ。彼女が三階へ行くようなら、かなりの時間を得られることになる。…まあ、それはそれで後々苦労する可能性があるからどっちもどっちか。

さて、わたしが彼女を撃破か捕縛をしたとなると、それを知った主人のさとり様なる人がどう思うか。…あまりいい印象はないよなぁ。彼女はそのさとり様を慕っているのだし、さとり様が彼女のことを悪く思っているとは考えにくい。

 

「ふしゃーっ!何処行ったーっ!」

 

予想通り、彼女は二階の階段のところで立ち止まっているようだ。三階へ行くようなら、彼女が発する音に耳を澄ますとして、もう少し考える時間はありそうだ。

次は交渉。話を聞いてくれるか?…もう少し落ち着いてくれないと、何を言っても聞き耳すら持ってくれそうにない。とは言っても、どうすれば落ち着くか、って言われると困る。確実に落ち着かせる手段は、わたし自身が無力化していると思わせること。しかし、それは諸刃の剣。本当に無力化すればその後何をされるか分かったものじゃないし、表面上だけそれらしく見せたら明かしたときにその落ち着きは逆上によって一瞬で燃え尽きる。

 

「…直接さとり様を探すか」

 

結論。逃げながらさとり様を見つける。どうせ彼女を倒しても口を割るとは思えないし、これが一番簡単そうだ。さて、空間把握を出来れば一発なんだけど、今のわたしの妖力量では枯渇してしまうだろう。犬、熊、獅子、蛇、鳥、兎、猫がいた部屋を除いた大量にある部屋を虱潰しに探す。…うん、自分でそう結論付けといて嫌気が差す。

そこまで考えたところで、隣の廊下から足音が近付いてくる。わたしの居場所をどうにか割ったか、それとも運任せか知らないけれど、彼女がここに来る。

 

「あ!見つけ――」

「オラァッ!」

「ぐヘッ!?」

 

自ら曲がり角から飛び出してそのまま直角に体を曲げ、両膝を折り畳んで丸くなったまま目の前に現れた彼女の懐へ跳び込み、両足裏が入ったところで一気に両脚を伸ばす。勢い良く吹き飛んだ彼女は、廊下を数度跳ねながら転がっていった。どう足掻いて印象は悪化するんだ。既に『幻』と推進力の妖力で攻撃してるし、少し増えたところで大して変わらないでしょ。

彼女が起き上がる前に近くにある扉を一つ一つ開けていく。多種多様な動物がいたり、本棚にギッチリと本が敷き詰められていたり、高価そうな寝具が置かれていたりと、様々な部屋があるが、彼女が慕うさとり様らしい人はいない。慕われる者には独特な雰囲気がある。いわゆる、カリスマってやつだ。わたしが見た動物達からはそのようなものは感じないから、今まで見た動物の中にさとり様はないだろう。

これで二階の半分は回ったつもりだけど、それらしい人はいなかった。それよりも気掛かりなのは、彼女が後ろにいないこと。足音は目の前の曲がり角から聞こえてくる。つまり、わたしを追わずに別の経路で迫って来ているということ。やっぱり地の利はあちらにあるか。まだ地霊殿の全てを回ったわけではないからしょうがないけど。

数歩下がり、曲がり角から距離を取る。そして、予想通り彼女が曲がり角から飛び出してきた。その両手に炎を携え、幽霊みたいなのを使役し、わたしに飛びかかる。

 

「やっぱここにいたね!ほぅら燃えちゃいな!」

「そんな弱くちゃあ篝火だ。生憎わたしは虫じゃない」

 

火球は後方へ跳びつつ躱し、まだ見ていない部屋の場所へ進む経路を今まで歩いた廊下や階段、窓から見た地霊殿の形状から大まかな地図を頭の中で作る。まだいくらか曖昧なところはあるが、この建物は大体左右対称。曖昧な部分もある程度埋め合わせ出来る。

 

「ふーっ!あーもう!ちょこまかとぉ!」

「攻撃を躱すのは必要だったんでね。そういう意味では、貴女は単純過ぎる」

「なぁ!?あたいが単純だってぇ!?」

 

火球はわたしに向けて投げ付けてくる。だから、少し動けば避けられる。ある程度の熱は受けるけれど、皮膚が焼けるほどではない。回避する先を潰してから攻撃するということがあっても、わたしからすれば露骨過ぎる。そうだと分かっていればどうにでも出来る。何せ、両手から投げ付けてくる火球の数はそこまで多くないのだから。

ある程度離れたところで背を向け、一気に駆け出す。それを見た彼女もわたしを追いかけるために駆け出したようだが、いつまでも同じと思ってたら困る。

 

「前方注意だ。そこで止まることを推奨するよ」

「誰がっ!」

「警告はした」

 

わたしの後ろに廊下を埋め尽くすほど大きな壁を切り抜き、複製する。後ろでぶつかる音が聞こえてきたけど、今は放っておく。さっき頭に作った地図を参考に、まだ回っていない二階を回ることにする。これが終われば三階へ上り、その後は一階に下りる。あとでこんがらがらないように、先に二階を潰すことにする。

彼女の発する音に注意しつつ廊下を駆け回り、おそらく二階の全ての部屋を回り切った。しかし、さとり様らしい人はいなかった。妖力がもったいないから二階を回っている途中で壁の複製は回収したし、もう三階へ行こう。

 

「げ」

 

三階へと伸びる階段へ向かい、階段を上ろうとしたが、その上の踊り場に彼女が立っていた。…どうしていくつもある階段からここに来ることが分かったんですかねぇ?

 

「ここから先は行かせないよ!」

「そっか。…この先にさとり様がいるんだね」

 

そう鎌を掛けると、彼女の眉間に皺が寄る。…うん、その反応が何よりの答えだ。

 

「もういい!もったいないけど、行け!怨霊達!」

「は?怨霊…?」

 

そう言い放つと、わたしの周りがあの幽霊みたいなので覆われる。この幽霊みたいなの、怨霊が何をしてくるかと思えば、そのままわたしに向けて飛んでくる。まずい、さっきスペルカード戦のことを考えていたこともあって、不可能弾幕が来る可能性が頭から外れてた…!幽霊は触れてもヒヤリと冷えるくらいだけど、こんな風に攻撃してくる、ってことは怨霊はおそらく違う。なら、触れるのは危険だ。

咄嗟に右側に妖力を炸裂させるが、まるで効いた感じがしない。あの時は追い払えたっていうのに、彼女に命じられるままにわたしの攻撃も意に介せずに突っ込んでくる。

 

「ちっ!ああもうっ!」

 

それなら、せめて数を減らす。わたしを覆う怨霊達に触れる数を減らすために、頭から真っ直ぐ突っ切った。

わたしの体に潜り込んできた怨霊は、多分三つ。あの数全てと比べればマシかもしれなけれど、一体何が起こる…?

 

「ッ!?」

 

グジュリ、グチャリ、と体が変質していく。右手の薬指が黒く染まり異形の爪が伸びる。左頬から茶色の毛が伸びる。左側の背中から何かが飛び出す。変質はそれでは止まらず、少しずつ確実に広がっていく。頭の中がうるさい。声が響く。意識が潰されていく感覚。

このままだと、わたしが怨霊達に押しやられる。…最悪、消えてしまう。

 



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第258話

怨霊がわたしの中に潜り込み、少しずつだが確実にこの体を変質させていく。三つの怨霊の声が聞こえてくるが、まだ何を言っているのかよく分からない。だが、怨霊達はわたしの意識を押し退けて侵食していく。

怨霊から滲み出る強い感情。それは未練。あのときにこうすれば。このときにああすれば。死ぬ前に何をしたかった。そんな死んでもなお遺り続ける腐敗したものに当てられ、酷く苛立ってくる。そして、その怨霊を操った彼女を見上げ、強く睨み付ける。

 

「ひっ!」

「あぁ?何恐れてるんだよ、貴女がやったことでしょうに…!」

 

左頬が別の何かによって自由に動かすことが出来ず、そんな言葉を発することも難しい。その左頬に宿る何かは、少しずつ下へ浸食を続け、もう少しすれば首に毛が生えてきそうだ。背中から生える黒い片翼によって、重心が左後ろに傾く。右手の黒い異形の薬指は、隣の中指と小指を侵食していく。

 

『コオォオオォオオオォォ…』

 

うるさい。怨霊達をどうにかするのと、今目の前にいる彼女をどうにかする。片方だけじゃ駄目だ。怨霊達を放っておけば、この体の主導権は奪われてしまう。目の前にいる彼女を放っておけば、再び怨霊を使ってくる。だから、両方終わらせないといけない。もう逃げていられない。

 

『儂を殺した彼奴をォおお…!必ずこの手でェええ…!』

「ラアッ!」

「がっ…は…ッ!?」

 

そんな何百年も昔の人間なんてとっくに死んでるよ。階段を駆け上がり、動かない彼女の脇腹に左脚を全力で薙ぎ払う。ああ、背中が重い。右手の指が変にキコキコ動いて気味悪いし。壁に叩き付けられた彼女へ追撃しようとしたが、背中の片翼が引っ張られて前へ踏み出せない。それに付随し、左腕も動かし辛くなってくる。

 

『私を嗤った人間共を裂いて裂いて裂いて裂い裂い裂い裂裂裂裂裂裂…!』

「く…のぉおっ!これでも喰らえッ!」

「だあもうッ!うるさいって言ってんでしょうがあッ!」

 

嗤われた程度で自死した己の弱さを恨んでろ。迫る火球へ右腕を肩で振るい、右手で引き裂く。代わりにこれでも裂いてろ。右手が炎に触れるたびに熱いが、そんなことはどうでもいい。彼女を撃破することはどうにかなりそうだ。問題は、この三つの怨霊。これを外に排出しなきゃいけない。この体が怨霊から未練(ねがい)を奪ったなら、それを叶えれば消えるだろう。しかし、こうして直接潜り込まれたら、おそらく消えない。わたしが消えていないから。

 

『ロオオオォォオォオオォ…』

「何が何だかよく分からないけど、もう一度行け!怨霊達!」

「既に定員超過なんだよ!」

 

だからうるさい。再びわたしに迫り来る怨霊から逃げるため、下に目を遣る。空間把握。この下に何かは存在するか?踊り場の向こう側まで抜け、その先の空間を妖力が薄く染み渡る。…よし、ない。『紅』発動。右足を振り下ろし、踊り場にある『目』へ衝撃を伝える。上手く『目』が潰れ、踊り場が一気に崩れ去る。右腕を振り上げて妖力を一瞬噴出し、急加速。大きな音を立てて着地し、そのまま一階へ。

 

『四肢をもぎ取りィいい…!腸をぶちまけェええ…!』

「待てっ!逃がすかあっ!」

「ッ!…駄目だ、縋りついてて出て来やしない…!」

 

四肢も内臓も土に還ってるから諦めろって。一階をどうにか走りつつ、この体に妖力を流して怨霊の位置を把握する。そして、この体を変質している場所に近しい位置にいることが分かる。なので、霊夢さんの精神の複製を複製(にんぎょう)に移したように、怨霊達を妖力塊の中に閉じ込めて排出しようとした。だが、どうにもこの体から離れようとせずに抵抗され、駄々っ子か何かのようにへばり付いている。

 

『裂裂裂裂裂裂裂裂裂裂裂裂裂裂裂裂裂裂裂裂裂裂裂裂裂…!』

「シャアッ!」

「喰らうかッ!」

 

最早まともな言葉も発せないほどに壊れている。背後から迫る彼女の炎を纏った爪撃を旋回して躱し、隙だらけの背中を蹴飛ばす。彼女自身の勢いも相まって、床に顔を擦り付けたままかなり長い距離を滑っていく。よし、今の内にこの怨霊をどうにかする。居場所は分かる。ある程度動かせる。事実、肘の辺りまで侵食した黒い異形の怨霊は、さっきの排出行為で右手まで押し退けられた。

月にあった技術の一つに、半透膜というものがある。ある一定の大きさのものを通さず、それより小さなもののみを通す膜だ。そして、それは最終的にある一つの物質のみ通すことが出来るまで改良された。そんな、月の民にとっては過去の技術。これ参考にさせてもらおう。

願え、望め、希え。精神の中を巡り、異物を絡め取り、わたしの精神と怨霊を分ける。そんな都合のいいものを!

 

『スウウウゥゥゥ…』

『眼を抉りィいい…!鼻を…』

『裂裂裂裂裂裂裂裂裂…』

「ヴッ!…おえぇええ…っ!」

 

出来た。確かに出来た。…だけど、意識をまた別の異物が駆け巡る、どうしようもないほどに気持ち悪い感覚。意識が潰されるのではなく、突き抜けていく。内臓を掻き混ぜられたとは違う、ただただ気持ち悪い。怨霊が移動するたびに変質する部位が動く。本当にわたしの中に膜があるわけではないのは分かっている。それでも、簡単に耐えられるものではない。

 

「は、はは…。凄いことになってるなぁ…」

 

右手首、右足首、左足首。この三ヶ所に膜がある、ような感じ。怨霊がその先へ進もうとしているが、そこで防ぐことが出来ているのが分かる。押し退けようとしているが、わたしだって抵抗するさ。押し退けられないように、わたし自身も押し返していく。…ああ、やっぱり出来るんだなぁ。彼女達と、同じことが。

右手は黒く染まり、異形の爪が伸びている。右足は茶色の毛むくじゃらとなっている。左足は鳥と思わせるような前に三本、後ろに一本伸びた細い指と鋭い爪。その三つの全てを左手で捻り千切る。そして『紅』によって元の右手、右足、左足が生えてくる。

 

「その体、貴方達にあげますよ。…ま、動かせるかどうかは知らないけど」

 

そう呟きながら床に転がっている三つのものを見ていると、その中から怨霊が飛び出して何処かへ飛んでいく。残されたものはそのまま変わらずに転がっており、この体から離れたらもう戻らないのか、と思う。

 

「はぁ、はぁ…。て、手強い…!けど、絶対にさとり様の手を煩わせない」

「知るかよ。怨霊の対処法も出来たし、逃げるのももう面倒だ」

 

追いかけっこを再開し、三階を駆け巡ってもいい。けれど、もういいや。印象最悪だろうと、わたしは勝ち取ってみせる。たとえ、道を踏み外そうと、掟を破ろうと、禁忌を犯そうと、そんなことはもうどうでもいい。

そう決意したとき、背後に誰かがいる音が聞こえてきた。…冗談でしょう?この距離になるまで、全く気付かなかった…。

 

「待ってよ、お燐」

「こ、こいし様…?」

 

こ、いし…?石ころみたいな名前だ。目の前にいるお燐と呼ばれた猫妖怪は、わたしの後ろを見て言っている。後ろにいるこいし様と呼ばれた少女が、わたしの前に歩いて出てきた。普通に歩いているのに、どうしてか気にならない。目の前にいるはずなのに、まるでいないような、そんな空虚な感じ。

 

「やっと来た、わたしの友達なんだから」

 

友、達…?もしかして、わたしが?え?ちょっとよく分からない。そんな頓珍漢なことを言った少女が振り向き、わたしと顔を合わせ――、

 

『およよ?何これ?うわぁ!わたしそっくり!』

『って、動いた!…あれ、生きてるの?そっかぁ、驚いた驚いた』

『え?名前ないの?んー…、簡単に決められないよねー』

『じゃあ、鏡宮!鏡みたいだし、ちょうどいいよね!名前は、また今度ね!』

『…ドッペルゲンガー?ふぅん、貴女ってドッペルゲンガーなんだ!』

『ゲンガー…、げんがぁ…、げん、かぁ…、現、厳、玄、弦…、火、花、佳、華…』

『幻、香…。うん!幻に香る、って書いて幻香(まどか)にしよう!』

『え?わたし?あー、忘れてた!わたし、こいし!古明地こいし、って言うの!』

『ものを増やせるの?…凄いじゃん!』

『んー、本当に似てるね。まるで複製みたい』

『じゃーん!お姉ちゃん秘蔵の鬼殺し!ささ、呑も呑も!』

『え?あれ?ちょっと幻香?大丈――』

『ここに来るの、何度目だろ?もう、何年もここで遊んでるね』

『え?わたし達、もう友達でしょ?地上の初めての友達!』

『あはは!そっかぁ、幻香も初めてかぁ!わたし、嬉しいなぁ!』

『あ、そうだ!今度、わたしの家に遊びに来てよ!』

『え?場所?…あ、そっか。言ってなかったね』

『ここの下にあるの。じゃ、わたしは待ってるからね!』

 

…ああ。どうして忘れていたんだろう?どうして思い出せなかったんだろう?彼女との思い出が、記憶が、一度に浮かび上がる。わたしの、起源の記憶。

 

「久し振り、幻香!こいしだよ!」

「久し振りですね、こいし。幻香です」

 

あの頃の笑顔そのままの彼女が、わたしにそう言った。

 



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第259話

「本当に待ったよー!五年くらい?んー、もっとかな?」

「そうですね。本当に、待たせてすみません」

「いいよ、来てくれたから。それじゃあ、何して遊ぶ?」

「いえ、その前にさとり様という方に会いたいんですよ。実は、旧都に移住したくてね」

「そうなの?そっかそっか。それならまずお姉ちゃんの部屋行こっか!」

「ちょ、ちょっと待ってくださいこいし様!」

 

さとり様ってこいしの姉だったんだ、と少し驚いていると、蚊帳の外気味だった猫妖怪がこいしを制止する。…ま、そりゃそうだよね。わたしは不届き者で地霊殿から追い出したくて、さとり様の手を煩わせないように会わせなくないんだもんね。

 

「何、お燐?」

「ここに勝手に侵入した不届き者ですよ!?」

「わたしが呼んだからね。勝手にじゃないよ」

「うっ…。ですが、私を碌な葛藤もなしに攻撃してきた者ですよ!?」

「そりゃ、貴女に攻撃されましたし。棒立ちして受け入れるほど、わたしは優しくない」

「うぐぅ…。で、ですが…、さとり様に何かするなんてことも…」

「するの?」

「しませんよ。交渉するつもりで、危害を加える予定はありませんでしたし」

 

ただし、その交渉の中身は会ってみてから考えるつもりだったけど。場合によっては、選択肢を少しずつ狭めてそれ以外選ばせない、なんてこともあったかもしれないけど。

 

「だってさ、お燐。…それに、わたしの友達だよ?わたしが招いたお客様、ってこと」

「こいし様…。せめて、私も同行させてください」

「どうする、幻香?」

「別に構いませんよ。後ろから首を落としたければ、好きなようにどうぞ」

 

そう言うと、猫妖怪はピクリと右手が動いたのが見えた。その僅かの動きから軌道を予測し、その場所へ腕を動かすと、大きなため息を吐いた。どうやら諦めたらしい。

 

「はぁ…。さとり様に何て言われるか…」

「気にしないでしょ、お姉ちゃんだし」

「わたしはどう言われますかねぇ…。地上と地底の不可侵もありますし」

「んー…、そういうところ頭硬いからね。カッチカチだよ」

 

そう言って笑うこいしは、わたし達の前を歩きだす。手招いてくれているから、付いて行けばいいだろう。足を出そうとしたら、その前に肩を掴まれた。

 

「ねえ、貴女。もしかして、地上の妖怪だったのかい?」

「ええ」

「じゃあ、どうして地底に来たんだい?」

「そのさとり様の部屋で話しますから、後でいいでしょう」

「どうせ話すことはないから、今聞いてるのさ」

 

話すことがない?不思議なことを言うなぁ。…ま、そう言うなら話してもいいか。右手でわたし達を待っているこいしを指差し、歩きながらで、と伝える。

 

「簡単に言えば、わたしは地上じゃ大の嫌われ者でね。人間共には忌み嫌われていた」

「だからここに逃げてきたのかい?」

「そういうことになる。いつか世代が丸ごと入れ替わるか、その人間の頂点を叩き落とせるようになるまで、ここで雲隠れする予定」

「ふぅん…」

 

やけに難しい顔をされたが一応理解はしたらしく、それ以上のことは訊いてこなかった。

 

「何話してたの?」

「わたしがここに来た理由」

「そっか。お姉ちゃんも許してくれるといいね」

「本当にそうですねぇ。許してくれれば、いいんですが…」

 

とてもではないが、楽観視は出来ない。いくらこいしの友達だからといっても、わたしは飽くまで地上の妖怪。地底から見ても、わたしは嫌われる存在だ。それに、この特異な容姿。さて、何と言われることやら。

階段を上って三階の廊下を歩いている間に、ここにいる動物が多い理由を訊いた。こいし曰く『お姉ちゃんに懐いているから』だそうだ。後ろ付いて来ているこの猫妖怪もその一人だったようで、他にもただの動物から妖怪へ成長を遂げた存在もいるとか。

 

「ここがお姉ちゃんの部屋だよ」

「ふぅん、扉は他と一緒かぁ」

「そういう拘りはないからね」

 

こいしが足を止めたこの部屋が、さとり様の部屋か。地霊殿の主だと思う。あと、ここ旧都の治めていると予測される人。その扉を数度叩く。

 

「はい、どうぞ。どなたかしら?」

「わたしだよー!お姉ちゃーん!」

「そう。珍しいわね、貴女が扉を叩くなんて」

「今日は友達を連れて来たからね。お姉ちゃんに会って話したいんだって」

「へぇ…。それじゃ、その方もどうぞ」

「それじゃ、失礼します」

 

扉を開ける。その奥には、一人の少女が椅子に座って紙に何かを書いていた。この人が、さとり様か。紫の髪と瞳もそうだけど、特に目につくのが不思議な眼。こいしにも似たようなものが付いているが、こいしのはただの球体だったはずだ。そんなことを考えていると、その第三の眼とでも言えるものがわたしをジロジロと凝視してくる。

 

「…そう。貴女が、鏡宮幻香ね。…うん。こいしが昔言ってたから、すぐに分かったわ。鏡みたいにそっくりだって。ようこそ、地霊殿へ。私は古明地さとり。こいしの姉です。私のことは、さとりとでも呼んでください」

「分かりました、さとりさん。もう知っているようですが、改めて名乗りましょう。わたしが鏡宮幻香です」

「それでは幻香さん。話というのは?」

「それは――」

「旧都への移住、ですか。あと、こいしと遊びたい、と」

 

…本当に話すことがなかった。少し驚いた。

 

「旧都への移住とは、また珍しい用件ですね。その理由は?」

「わたしが――」

「貴女は地上で嫌われていたのですね。そして、大敗のない賭けをして、その結果として地底に来た、と」

 

ふむ、またか。よく分からないけれど、そういう能力なのだろう。第三の眼が怪しいので、それに関連するものでパッと思い付くものを挙げれば、未来視、過去視、読心術、記憶閲覧。…まあ、この中なら読心術かな。未来視ならわざわざ訊く必要ないし、過去視なら私がこれから言うことを知ることは出来ないし、記憶閲覧ならこれも訊く意味がない。

 

「…驚きました。私のこの能力を、こうも容易く見破るなんて」

「むしろ――」

「私のこの反応が決定打、と。貴女の思った通り、私は覚妖怪。貴女の心を読むことが出来ます」

「ふぅん、そう」

 

そういう妖怪だっているだろう。時間や距離や境界や運命を操ったりする妖怪もいるくらいだし。

 

「それで、旧都への移住ですか。…あまり規則に例外を加えたくないのですが、貴女はこいしの友達。少し考えさせてほしいわね」

「ありがとうございます。どのく――」

「こいし、お燐」

「何、お姉ちゃん?」

「何でしょう、さとり様」

 

わたしがどのくらい時間が欲しいのか訊こうとした前に、さとりさんはわたしを除いた二人に呼び掛けた。

 

「少し、二人きりにさせてちょうだい。私と彼女だけで話がしたいわ」

「はーい!わたしは部屋で待ってるから、終わったらすぐ来てね!」

 

ああ、考えさせてほしい、ってそういう意味じゃなかったのか。

こいしはさとりさんの言う事を聞いてすぐに部屋を出て行った。しかし、もう一人の猫妖怪は納得出来ないようでその場で足を止めている。まあ、そりゃそうだよね。わたしとさとりさんを二人きりにしないために同行を申し出たんだから。

 

「ですがさと――」

「お燐」

「…はい、失礼します」

 

口を開いたその瞬間、もう一度名前を呼んだ。たったそれだけで、彼女は部屋から出て行った。このさとりさんがこの地霊殿でどれだけ強大な存在であるか、よく分かる。

パタリ、と扉を閉める音が聞こえてくる。…これで、この部屋はわたしとさとりさんの二人きりの空間となったわけだ。きっと、これから碌に嘘を吐けない質問が来るのだろう。質問を受けて偽りの返答を言うのは容易い。しかし、心の中まで欺くのは容易ではないのだから。さて、何を訊かれることやら。

 



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第260話

緊張していない、と言ったら嘘になる。心を読まれるからではなく、わたしがその例外になれるかどうか。そこが問題だ。それが出来ないと、わたしは別の手段を考えなくてはならない。それは至極面倒だ。

 

「そう警戒しないでください。私達にとって貴女が有害か無害か。それを確かめるだけですから」

「その二択だと、わたしは間違いなく有害ですよ。何せ、わたしは地上の妖怪。地底の妖怪達にとっては招かれざる客ですからね」

 

あの橋の上の妖怪はわたしを歓迎しなかった。旧都の妖怪達はわたしを歓迎した。ただし、この二つの歓迎は大きく意味が異なるけど。

 

「それをこれから決めるんですよ」

「ふぅん、そうですか」

 

まあ、わたしがどうこうしたところで、彼女の出す結果に大きな変化はないだろう。無理矢理捻じ曲げることは出来ても、その最初の結果は変わらない。

 

「貴女は、地上と地底の不可侵を知っていたようですね。では、そうだと知っていたのにもかかわらず、どうしてここに来たのですか?」

「何百年と地上と接触がなかったから。その条件は多少の不利不都合で切り捨てるには惜しいものですから」

 

萃香はここに住んでいた。しかし、鬼の存在そのものを人間達は覚えていなかった。圧倒的脅威だったはずの存在を忘れ去ったのだ。いないから。会わないから。遭わないから。だから忘れた。そしてもちろん、地底の存在なんて知る由もない。

 

「地上に置いてきた知り合いもいるでしょう?」

「納得してほしいとは言いませんよ。けど、わたしは彼女達に嫌われても憎まれても罵られても恨まれても、そうすることにした。…選んだんですよ」

 

たとえわたしのことを忘れ去ったとしても、わたしは彼女達を恨むつもりはない。選択した結果だ。甘んじて受け止めよう。そのくらいのことを、わたしはしているのだから。

 

「そもそも、どうしてあのような賭けを?」

「これ以上人間共に何かされるのが面倒だったから」

「本当にそれだけですか?」

「知ってて訊く、普通?」

「ええ、読んでいます。だから訊いているんです」

 

心を読んでいるのなら、言葉にしようと大して差はないと思うんだけどなぁ…。むしろ、言葉にするとズレていくから、言葉にしないほうがより正確と言える。けど、せっかく訊かれたんだ。しっかりと答えましょうか。

 

「はぁ…。これでもね、わたしは人間共を好き好んで殺したくはなかった。けど、殺さずに得られるだろう結果と、殺して得られるだろう結果。これら二つを天秤に掛けると、どうしても後者のほうに大きく傾く。…そうだと思ったから、そうだと知っていたから、そうだと分かっていたから、だからこそ今度は殺さずに済む手段を軸に考えた」

「平和のため」

「はは、それはちょっとした彼女への悪戯心ですよ。『禍』として見ている彼女に、ね」

「どうだと思いますか?効いていると思っていますか?」

「さぁ?…けどまあ、わざわざ手紙まで遺したんだ。効いてくれなきゃつまらない」

 

まあ、それ以外にも八雲紫の道具となる可能性があったから、あれ以上殺すのは不都合になりかねない、という打算的な理由もあった。人里には慧音がいるから、という理由もあった。

…もしかしたら、心の何処かでは『禍』なんて名を払拭したかったのかもしれない。人里を混沌へ沈めた災厄の権化。そんな存在が、歪んでいても平和を与える。そうすることで、わたしは少しだけ救われようとしていたのかもしれない。その罪を着せたのは、その人間共なのに。

 

「貴女は今までで何人殺しましたか?」

「十人。…いや、十一人かな」

 

最初に殺した爺さんの死に様、次に殺した九人の死に様。今でも覚えてる。けど、あともう一人、わたしが殺したような存在がいる。しかし、その死に様をわたしは見ることが出来なかった。

 

「その一人は、自らも望んでいたでしょう」

「それでもだ。わたしがこの選択をしなければ、彼女が生まれることも消えることもなかった」

 

博麗霊夢の精神の複製。自らの甘さを取り除くために、自ら死を選んだ少女。わたしは創った。彼女は出来た。わたしは求めた。彼女は応えた。わたしは出した。彼女は行った。わたしは逃げた。彼女は逝った。

 

「ふふ…。そんなつもり、全くなかったくせに」

「全くもってその通り」

 

まあ、そのときに計画を引っ繰り返すつもりはなかったけどね。

 

「…ふぅ。このくらいでいいでしょう。貴女の思想は大体把握しました」

「あれだけですか?」

「貴女は口に出すまでに、無数の思考を重ねている。ですから、貴女はあれだけの会話でも十分なんですよ」

「ふぅん。そういうものなんですか」

「そういうものなんです」

 

まあ、いいや。これで旧都へ移住出来るならそれでいいし。…まあ、出来ないなら別の手段を考えないと。

 

「…それで、貴女の旧都への移住ですが」

「どうでしょう?」

「認められません」

 

瞬間、右手が動く。だが、それが振るわれる前に理性をもって止める。駄目だ、抑えろ。まだだ。それをするなら、もっと後でいい。

 

「…恐ろしいことを考えますね」

「一応、理由を訊きましょうか。わたしがどうするかは、その後だ」

「理由ですか。…貴女は、地上の妖怪ですから」

 

おい、地上の妖怪は確定で有害か。ふざけるなよ。それじゃあ人間共と大して変わらない。…まだだ、今目の前にいる彼女を打倒するだけで済むわけじゃない。もう少し考えろ。

 

「先走らないでください。話はまだ途中です」

「…あっそう。で、その続きは?」

「先程言った通り、旧都への移住は認めません。ですから、ここ地霊殿に住みなさい」

「…は?」

 

ちょっと待ってください。いきなり何を仰るんですか貴女は?

 

「旧都への移住となると、色々と面倒ですから。それに、貴女は地上の妖怪。旧都で住むことに苦労するでしょう。ですから、地霊殿の空いている部屋を一つ与えます」

 

しかし、そんなわたしの心を読んでも無視し、話を続けていく。

 

「…そうですね、貴女はどの階がいいですか?」

「え?…あー、何処でも別に構いませんが」

「ふふ、では三階の空いている部屋にしましょう。場所は後程伝えます」

「後程、って…。今じゃ駄目なんですか?」

「…やっぱり」

 

わたしのその言葉に、さとりさんは何故か悲しい表情を浮かべた。…え、何?最後の最後で何かやらかした?

いつ戦闘が始まってもいいように、警戒を強める。彼女の些細な動きから、どう出るか予測していく。

 

「そ、そんな警戒しないでください。ただ、少し質問をしていいですか?」

「え?…あぁ、いいですよ」

 

警戒しないで、と言われてもなぁ…。長く息を吐き、少しずつ気持ちを落ち着かせていく。

 

「では。貴女は、古明地こいしを知っていますか?」

「え?古明地こいし、ですか?」

 

えっと、確かさとりさんの妹のはずだ。こいしの姉、と言っていたから。苗字は言っていなかったけれど、姉妹で別姓であり、かつ同姓の存在が別にいる、なんていう可能性は滅多にないだろう。

 

「そう、私の妹です。…そして、貴女とこいしの関係はありますか?」

「関係…?」

 

そういえば、さとりさんはわたしとこいしさんが友達だ、と言っていた。それに、わたしとこいしさんと遊ぶ予定だ、とも。けど、わたしは地底に来るのはこれが初めてのはずだ。だから、関係があるとすれば、わたしが振り返れない記憶にあるかもしれないとしか言えない。

そんなことを考えていると、諦めた表情になったさとりさんが、わたしに頭を下げた。

 

「先に謝っておきます。先程までの時間は、この質問を投げかけるための時間稼ぎが主な理由です。貴女を地霊殿に住まわせることは、よっぽどのことがない限り決まっていました」

 

決まっていた、か。けれど、そんなことよりも重要なことがある。

 

「…それより、貴女の妹についての質問の意味。それを知りたいです」

「貴女が、こいしといつ友達になったのか。それを知りたかった。…ですが、やっぱりそうだったんですね。地上と地底の不可侵があるとはいえ、それでも貴女がここに来るのがこんなにも遅くなるはずです」

 

こいしと友達…。そう言われても、いまいちピンとこない。けれど、彼女が嘘を言っているようには見えない。では、やはりわたしの振り返れない記憶の中に、こいしさんがいたのだろう。

 

「貴女はこいしを思い出せない。そして、こいしは新たに覚えてもらえない。…そう変わっていた後の友達なのですね」

 



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第261話

「再三言いますが、貴女はこいしの友達です。今の貴女には到底理解出来ない感覚でしょう。それでも、そうだと知っていてほしい。ここでの会話は一つの情報として残され、貴女が思い出せなくなることはない」

「…そうみたいですね。改めて思い返してみれば、どうして気付かなかったのか、って言いたいくらいポッカリと記憶に穴が開いているのに」

「それは私の言葉によって疑いを持ったからですよ。そのままもう少し放置していれば、きっと貴女自身が勝手に記憶を改竄して、それらしく取り繕ってくれていたでしょう」

「それにしては、わたしの過去は今でも分かるほど明確に穴が開いてるんですが…」

「それだけ貴女はこいしと長く深く触れ合っていたのでしょう。最早取り繕うことすら出来ないほどに」

 

そっか。わたしの起源の記憶には、貴女の妹のこいしさんが深く関わっているんですね。そして、わたしはそれを思い出せない。それは、とても薄情じゃないか?

けど、今はそれを嘆いてもしょうがない。わたしが知りたいのは、そのこいしさんがどう変わったのかだ。

 

「そうですね。貴女が思い出せなくても、貴女にはそれを知る権利がある。…確認します。こいしについて、聞きたいですか?」

「ええ、お願いします」

 

無知の幸福、既知の不幸。そんなもの、比べるまでもない。

 

「そう。…それでは語りましょう。今までで、こいしは大きく二度変わった」

「…二度」

「こいしは私の妹ですから、覚妖怪でした。ですが、心を読むとはそれはとても残酷なこと。嘘も言い訳も見苦しさも侮蔑も嫉妬も裏切りも、当然のように読める。外面と内面の相違。その醜い心に、こいしは耐えられなかった。だから、こいしは自ら第三の眼を閉ざした」

 

第三の眼を閉ざす。その文脈から察するに、心を読むのにはその第三の眼が必要となるのだろう。つまり、第三の眼を閉ざす、ということは心を読まないことになる。そして、それは覚妖怪であることを捨てたということになる。

 

「そう。そして、第三の眼を閉ざすと共に、心も閉ざしてしまった。無意識のまま無意識に生きる存在に成り果ててしまった。推測になりますが、もう二度と傷付かないように」

「無意識のままに、生きる…」

「意識が全くないわけではない、と思ってはいます。何も覚えていないわけではなく、全く考えていないわけでもない。ですが、ほとんど考えなしに生きているのでしょう」

 

わたしは一度、意識の波長をほぼ零にされたことがある。意識がなくなったとき、残されたのは無意識。つまり、本能的行動に近いもの。そのときわたしが何をしていたのかは分からない。けれど、何をしていたのかは知っている。

自我のなくなったドッペルゲンガーがやることなんて、誰かの願いを奪うことくらいだ。そして、それはきっと…。

 

「ッ!?」

「え?ちょっ!さ、さとりさん!?」

 

突然、ガタンと音がしたと思ったら、さとりさんが椅子から倒れて床に転がっていた。え、あ、もしかして、わたしが考えたことが何か悪かった?

起こそうかと思い腰を浮かせたが、その前にさとりさんはゆっくりとだが起き上がった。て顔を青くして口元を押さえているが、どうしようもないというわけではないらしい。

 

「…貴女は、その、強いですね。そんなものを知っていながら、まるで何事でもないように扱える」

「大切な友達が救ってくれたことですから。それがどんなに悲惨なことだろうと、わたしばかり重く持つわけにもいかないでしょう」

 

それ以上に、自覚がないのが大きいのだけど。あんなことがあったはずなのに、わたしは何も感じていない。寝ているうちに始まって、起きた頃には既に終わっていたような、そんな感じ。当事者のはずなのに、わたしは他人事のようにしか感じることが出来ていない。

 

「…さて、話を戻しましょう。第三の眼と心を閉ざしたのは、もう何百年の昔の話です。これが、一度目の変化。その頃のこいしは、目の前にいても気に留めてもらえず、視界から外れれば忘れ去られる。そんな存在でした」

 

そんな存在、か。それは嬉しいような寂しいような…。わたしのこんな容姿も気に留められることがなければ、ああなることはなかっただろうに。けれど、それだとわたしの友達は誰もいなかったのかな。うぅむ、難しい。

そんなことを考えていると、さとりさんの顔色がさらに悪くなってしまった。しかし、今度は倒れずに持ち堪えている。

 

「…それで、次です。…実は、私にはどう変わったのか最初は理解していませんでした。私にとっては、何も変わったように見えませんでしたから」

「じゃあ、どうして気付いたんですか?」

「いつかを境に、こいしのことを知るペットがいなくなったから」

 

ペットとは、きっとたくさんある部屋にいたあの動物達のことだろう。

 

「それまでは、匂いを感じたり、足音を聞いたり、話しかけられたりして、こいしのことに気付く子だっていた。一度気付けば、こいしはある程度認識出来た。認識出来れば、当然記憶に残った」

 

例えるなら、大量に転がっている石ころから一つ気になったものがあったとする。その大量の石ころを有象無象の人とし、気になったものをこいしさんとすればいいだろうか。普段は気に留めなくても、目に付けば気にすることだってあるだろう。

 

「そうね、その例えで構わないですよ。けれど、気付いたらそういう子すらいなくなっていた。最初は、最近こいしが地霊殿から出て行くことが多かったから、それが理由だと思って特に気にしていなかった。けれど、違った。とあるペットがこいしのことに気付いた瞬間の心を読んだのに、翌日に訊いたら覚えていなかった。それに気付いたのは五、六年前かしら」

「結構最近ですね…」

「…私も忙しかったのよ」

 

何をしていたかは知らないけれど、そうだと言うならそうなのだろう。そういうことにしておこう。

 

「それで、こいしのことを覚えている子と覚えていない子を仕分けしてみた。結果は多少の誤差はあっても、最近生まれた若い子は一匹の例外なく覚えていなかったわ」

「えぇと、具体的には…?」

「生まれた瞬間から記憶がある子はほぼいないし、偶然一度もこいしと会わない子だっているから、正確には分からない。けれど、十二、三年ほど前からじゃないかしら」

「大体十二年前ですか…」

 

さっきの何百年前と比べれば最近だろう。けれど、わたしにはとても最近とは思えない。まあ、わたしよりも圧倒的に長く生きているさとりさんからすれば最近なんだろう、と納得する。

 

「私がこいしのことを覚えているように、それより前から生きている子はこいしのことをしっかりと覚えていた。それより後に生まれた子はこいしのことを覚えていなかった。貴女のように」

「じゃあ、わたしはこいしのことを思い出すことが出来ないんですか?」

「いえ、思い出すことは出来る。消えたわけじゃないのだから。…それは、こいしの顔を視界に入れてその存在を認識したとき。そのときは、これまでのこいしのことを全て思い出す。けれど、こいしのことを認識しなくなった途端、こいしのことをすっかり思い出せなくなる」

 

…なんだよ、それ。それじゃあ、わたしはこいしさんのことを友達と思えない、ってことじゃないか?友達のようだ、って曖昧な情報でしか覚えることが出来ないということじゃないか?

 

「先程の貴女の例えに付け加えるとすれば、気に留めた石ころから目を離せば、もう気に留めることはない。翌朝には石ころのことなんて思い出せなくなる。そのような感じでしょうか」

 

わたしは、今まで大量の石ころを複製してきた。けれど、その全てを覚えているかと問われれば、答えは否だ。複製認識範囲を拡げれば、石ころの場所は分かる。場所が分かれば形だって分かる。けれど、そうしないと分からない。今すぐ思い出せ、と言われても無理だ。

 

「どうしてこいしが変わったのかは、私には分かりません。ですが、変わったことだけは分かりました。これが、二度目の変化です」

「…じゃあ、今からこいしさんに会いに行けば思い出せますか?」

「思い出せるでしょう。事実、貴女はこいしがこの部屋を出るまでは、こいしのことを知っていましたから」

 

記憶にある不可解な穴。ここにこいしさんのことがある、はずだ。だけど、どうしても思い出せない。こいしさんの顔を見れば、この穴は一瞬で埋められるのだろう。しかし、こいしさんから離れれば再び穴が開くことになる。

 

「例えば、わたしがこいしの似顔絵を描いて貴女に見せたとしましょう。私には絵心があまりないですが、仮にこれが本物そっくりだとする。しかし、それでは思い出せない。こいし本人でないと無理なようです」

「こいしさん本人を覚えていなければ、こいしさんのことを思い出せなくなる。けれど、こいしさんのことを覚えることが出来ない。…だから貴女はこいしさんを新たに覚えてくれない、と言ったんですね」

「ええ。こいしのことを覚えていたからこそ、私はこいしのことを思い出せている。そう思っています」

「…はは、そっかぁ」

 

それは、とても悲しいことだ。わたしも悲しいけれど、それ以上にこいしさんが。

 

「…とりあえず、わたしはこいしさんのところへ行こうと思います。その頃のわたしは、こいしさんと遊びたい、と思っていたのでしょう?」

「それなら、この部屋を出て左に進んだ先の曲がり角を曲がった先にある一番の奥の部屋よ。…いってらっしゃい。こいしのことを、よろしくね」

「…はい、いってきます」

 

少しばかり気持ちが沈む。どんなに楽しい時間だったとしても、わたしは思い出すことが出来ない。その事実は、相当心に来るものがある。

さとりさんの部屋を出て左へ曲がる。重い脚を無理矢理動かし、こいしさんの部屋へと向かう。その途中で背後から刺さるような視線を感じたけれど、気にしないことにした。

 



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第262話

まだどの部屋か教えてもらっていないけれど、地霊殿にわたしがいてもいい場所を得ることが出来た。当初の目的であった旧都ではないけれど、別に気にするような変化ではない。これは上手くいった、と言ってもいいだろう。

そう、上手くいった。…いき過ぎた。だから、どこか裏があるのではないか、と考えてしまう。僅かに引っ掛かることはある。規則に例外を加えることを好かないと言っていたのに、最初から例外にすることを決めていたという小さな矛盾。いくら妹の友達らしいからって、簡単に決め過ぎじゃないか?

まあ、それについて言及するのはこいしさんと遊ぶ約束を果たしてからにしよう。

 

「ここ、かな?」

 

さとりさんが言っていたであろうこいしさんの部屋の前に立ち、独りごちる。やはり扉に差異はない。名札や絵札で部屋の種類が分かるようにもなっていない。開けたら別の部屋でした、なんてことがないように数度扉を叩く。

 

「んー、誰ー?」

「鏡宮幻香です」

 

そう言った途端、ガチャリと扉が開く。開いた扉の前に立ち少女の顔を見た瞬間、記憶の穴が一斉に埋まっていく。…ああ、本当にどうしてこいしのことを思い出せないのか不思議なくらいだ。

 

「待ってたよー!」

「話が少し長くなっちゃってね」

「そっか。ささ、どうぞどうぞー!」

 

招かれるまま部屋に入れさせてもらい、床に腰を下ろす。部屋を見渡せば、机、椅子、ベッド、本棚、衣装棚等々、生活に必要そうなものは一通りあるようだ。招いたこいしは、箪笥の引き出しを開けてゴソゴソと何かを探しているようである。

 

「それで、お姉ちゃんは許してくれたのー?」

「ええ。旧都に住むことは許してくれませんでしたが、代わりにここの一部屋を貸してくれるそうです」

「本当!?これからは幻香と一緒なんだ!嬉しいなぁ!」

 

そう言いながら、引き出しの中身を引っ張り出しながら中身を漁り続ける。雑多なものが床に散らばっていくが、目的のものはまだ出て来ないらしい。

 

「お、あったあった!」

「へぇ、色々ありますねぇ…」

 

こいしがそう言って振り返り、握り込まれた手を開いて床に何かをコロコロと転がす。それは、多種多様の賽子。一般的な六面賽はもちろん、四面賽、八面賽、十面賽、十二面賽、二十面賽まである。あと、特に特徴のない器やたくさんの棒等々。

 

「これで何をするんです?」

「そうだねぇ…。今日は丁半にしよっか。負けたほうが知らないことを一つ話す感じで。幻香を待ってる間にあったこともたくさんあるからね!」

「ふふ、わたしもたくさんありますよ。けど、わたし丁半知らないんですよね」

「じゃあ、遊び方からだね」

 

器に六面賽を二つ入れ、賽子を入れたまま素早く器を蓋代わりに引っ繰り返す。その後、出目の合計が偶数だと思うなら丁、奇数だと思うなら半に棒を賭ける。賭け方は色々あるみたいだけど、今回は棒を縦に置けば丁、横に置けば半とする。そして、器を開けて賽子の出目を確認。勝敗を決する。非常に簡単だ。

 

「賭ける棒は一本ずつ?」

「うん。今回の天井は一本で」

「天井?」

「賭けの上限。それがないなら青天井だって。空なんてここにはないのにね。あっはは!おっかしぃー!」

 

確かに、地底で顔を上げても見えるのは分厚い大地の蓋。青空どころか、夕空も夜空も見えることはない。

 

「さ、やろっか。ふっふっふ、わたしに勝てるかな?」

「それはやってみないと分からない」

 

こいしが賽子を器に投げ入れ、カラコロと音を立てながら蓋をする。ふむ、二つの賽子を使って出る出目は六の二乗で三十六通り。奇数も偶数も十八通りだから、確率は二分の一。どっちに賭けたほうが当たりやすい、というのはなさそうだ。

こいしが使ったのは目が彫られている賽子だ。つまり、空間把握を使えば賽子の出目が分かる。けれど、ここで負けてはいけないという勝負でもないし、勝敗を操作する必要もない。それなら、そんなことをするのは無粋というものだろう。なので、渡された棒が横向きに置かれていたから、そのまま向きを変えずに置く。

 

「半で」

「じゃあ、わたしは丁ね。それじゃあ開けるよー?」

 

こいしは棒を縦に置き、器を開ける。出目は六と四。結果は丁。わたしの負けだ。

 

「それじゃ、地上で起こった一つの異変について語りますか」

「異変?何それ楽しみ!」

「では語りましょう。一人の吸血鬼が起こした、紅い霧の異変を――」

 

 

 

 

 

 

「――と、最後は人間代表の博麗の巫女が吸血鬼に勝利して紅い霧は晴れましたとさ」

「そんなことがあったんだね。それにしても、幻香はよく死ななかったねぇ」

「あー、そっか。ここにはスペルカードルールがないんだよね」

 

別名、命名決闘法案。死なない決闘。知らなくて当然だ。わたしが妖怪の山を下りて、人間の里へ足を伸ばして、魔法の森に住むことになってから制定されたからね。

 

「そのスペルカードルール、って何?」

「それは次もわたしに勝ってからにしましょうか」

「むぅ。よーし!そう言うなら次も勝っちゃうからね!」

「わたしはこいしの事を聞きたいですけどねぇ。…さて、続けましょう」

 

賽子が音を立てながら蓋をされる。人差し指と中指で棒を挟み、ユラユラと揺らしながらどっちにしようか迷う。ふぅむ、確率ではどっちに賭けても勝率は変わらないと分かっていても、迷うものは迷う。

 

「よし、半で」

「それじゃ、丁。…さぁて、中身はー?」

 

こいしは最初と同じように棒を縦に置き、器を開ける。出目は五と二。結果は半。わたしの勝ちだ。

 

「ありゃりゃ、負けちゃった」

「じゃあ、こいしはわたしに何を話してくれますか?」

「んー…、そうだ。まずは、お燐について教えてあげる」

「お燐さんですか?確か、火車だと言う赤い髪の猫妖怪の」

「そ。火焔猫燐、ってお姉ちゃんは名付けてた。愛称がお燐。皆がそう呼んでるし、本人もそう呼んでほしいって言ってる。趣味は死体運び。旧都の顔も広いみたい。お姉ちゃんのペットだから、もうあんな喧嘩しないでね?」

 

その説明に、思わず苦笑いが浮かぶ。趣味が死体運び、って…。

 

「最初は普通の長生きな黒猫だったけれど、そこら中に漂ってる怨霊や魑魅魍魎を食べ続けてああなったの。いやー、努力家だよねぇ。お燐も誇らしげに自慢してたし」

「お、怨霊って食べれるんですか…」

 

一体、どんな味がするのだろうか?…あまりいい味はしなさそうだなぁ。

けど、怨霊を食べる、か。取り憑かれるではなく、食べ尽くす。怨霊は、まるで未練の塊のような存在だった。そんな存在を食べようと思ったのは、並大抵の覚悟じゃ出来ないんじゃないかなぁ、なんて思う。実際のところどうなのか。それは、本人に訊いてみたらいつか教えてくれるかもしれないし、いつまでも知ることなく終わるかもしれない。

 

「うん。他にお燐のことで訊きたいこと、ってある?」

「いえ、もう十分ですよ。訊きたいことが出来れば、いつか本人に直接訊くことにします」

「そっか。じゃ、今度こそそのスペルカードルールについて話してもらうからね!」

「ははは、それはどうでしょうかねぇ。またわたしが勝つかもしれませんよ?」

「それはこれから分かるよ!」

 

三度目の挑戦。一本の棒を床に垂直に落とし、倒れた向きに賭けることにした。

 

「んー、ちょっと斜めになったけど、これは丁かなぁ」

「それならわたしは半!よーし!開けるよー!」

 

こいしは叩き付けるように棒を横に置き、すぐさま器を開ける。出目は一と四。結果は半。わたしの負けだ。

 

「やったー!勝ったー!ささ、スペルカードルール教えて!」

「ええ、教えましょう。これは、地上で流行っている遊びですが――」

 

わたしはこいしにスペルカードルールについて語る。目を輝かせている姿を見ていると、あの時のフランと少し重なって見えた。それと一緒に少しだけ哀愁を覚える。…うん、当分会うことが出来ないのは分かってる。分かってるから。

そんな感情を見せないように、笑顔を絶やさずに話をする。たとえこの記憶にまた穴が開くと分かっていても、この記憶を思い出すことが出来なくても、それは楽しい記憶にしたいじゃないか。…それがこいしの眼を閉じた嘘だとしても、わたしはそうしたい。

 



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第263話

バタリ、と扉が閉まる音が響く。この部屋にいるのが私一人となり、そうだと思ったときには冷や汗がブワリと溢れ出していた。荒れる呼吸をゆっくりと整えていき、震える体を落ち着けていく。一人の友人を何万と殺し続けていた、と読んでしまい、その圧倒的狂気に一度倒れてしまったが、それだけで済んだ私は自分を褒めてやりたい気分だ。…ふぅ。平常通りとはいかないが、大分落ち着いてきたわね。

 

「…お燐、盗み聞きとはいい趣味してるわね」

 

そう一言、壁の向こう側へ言い放つ。お燐がこの部屋に入ってきた時から、その心の中は幻香さんへの警戒でいっぱいだった。私が幻香さんと二人きりになりたいと伝えたときには、それは危険だと口に出そうとしていた。部屋から出て行ったときには、どうにか出来ないか、と心にあった。私が床に倒れたときには、壁の向こう側から誰かがいる音が伝わってきた。これだけあれば、そのくらいの想像は付く。

たっぷり十数秒待ち、隣の部屋から静かな足音が聞こえ、扉が開く音が聞こえてきた。そして、そのままこの部屋の扉が開き、ばつの悪そうな表情を浮かべたお燐が入ってくる。その心も、盗み聞きをしたことは悪いと思っているようだ。

 

「大丈夫ですか、さとり様?」

「ええ、もう平気。それより、隣の部屋で壁に耳を押し付けていた理由を言ってくれないかしら?」

「う…。そ、それは、その、もしあの不届き者がさとり様に何かしたら、と思ってですね…」

 

心の中と同じようなことをお燐は言った。つまり、私のためだと思ってやったこと。そこまで咎めることではないだろう。

けれど、それはあまりいいことではなかったのだろう。

 

「無駄よ。貴女には絶対に敵わない。彼女が手段を選ばなかったとき、既に貴女は死んでいたのだから」

「な…!」

 

そう言うと、お燐の心の中が幻香さんとの攻防が流れていく。投げ付ける火球はスルスルと躱されていく。追いかければ容易く攻撃され、突如現れた壁に阻まれる。匂いから居場所を突き止めたと思えば、曲がり角で奇襲を受けて吹き飛ばされる。…そう、最初から既に劣勢だったのね。その中で幻香さんが怨霊に取り憑かれて体が変質していくのが見えたとき、幻香さんの異質さが垣間見える。そして、こいしが止める寸前の幻香さんの顔。…あれは、一線を越えた表情だった。

 

「驚くことはないでしょう。貴女は最初から弄ばれていたじゃない」

「そ、それなら!どうしてあの不届き者を受け入れたんですか!?」

「そうね。それは、彼女が危険だからよ」

 

そう答えた瞬間、ダンと机に両手を叩き付けたお燐は、私の目と鼻の先まで顔を近付いてきた。その表情と心は、怒りで塗り潰されている。

 

「危険ならなおさら受け入れるべきではないでしょう!?」

「違うわよ。幻香さんが危険なのは、私達が彼女を受け入れなかったとき」

 

部屋に入ってきた瞬間、彼女の心には私の第一印象が浮かんでいた。そして、その後ろではこの地底で生きていく手段が無数に流れては積み上げられていっていた。それは穏便なものから過激なものまで、多種多様にあった。

 

「あれでも穏便なものだったのよ。何せ、私達が死んでいない」

 

彼女の手段の中には、私達を皆殺しにすることが平然とあった。地底を真っ新にすることが当然のようにあった。できるわけがないだろう、と思いたかった。けれど、その手段にはそれを行う方法までキッチリとくっ付いていた。つまり、出来ないものではない、ということ。だから、私はこの時から彼女の要求を受け入れることに決めていた。ただ一人例外を作るだけで、未曽有の災害を防ぐことが出来るのなら安い買い物だ。…彼女が地底でも『禍』と呼ばれる必要はない。

私は確認のために、わざと旧都への移住は認められない、と伝えた。その瞬間、彼女の心には、私を打倒する手段が並べられ、私を殺す手段が並べられ、私の言葉を捻じ曲げる手段が並べられ、そしてそれらを理性によって抑え付ける様が読めた。

 

「そんなこと、言われましても…」

「ねえお燐。今すぐ星熊盃を奪ってきなさい、と私が命令すれば、貴女は果たしてくれる?」

「それは…」

 

無理だ、と心にありありと浮かんでくる。

 

「無理だ、と。ええ、そうよね。そう言ってくれると思っていたわ」

「それが何だって言うんですか?」

「やってくれるかどうかは別として、幻香さんは出来る」

 

彼女と話していた時に垣間見えた強烈な思想。自身がどうなろうと問題なく、他者がどうなろうと関係ない。自身がどう思われようと止まることはなく、他者がどう思われようが止めることはない。物も命も価値も基準も倫理も人間性も例外なく切り捨てることが出来る。そんな目的のために全ての犠牲を厭わないという絶対的意思。

 

「だから、私は彼女に恩を売ることにした」

「恩を売る…」

「ええ。そんな彼女を、私の手札に入れておきたかった」

 

とは言うものの、彼女を上手く扱えるとは思っていないし、そもそも彼女を何かに使おうとも思っていない。…まあ、万が一のときの保険のためだ。そのときは、私が求めた結果を必ずもぎ取って来るだろう。

 

「それに、彼女はこいしの友達だもの」

 

こいしが友達だ、と私に報告してくることは少なからずあった。けれど、そのなかでも鏡宮幻香という存在はお気に入りなんだな、と思っている。何故なら、一度限りの友達の報告の中で、彼女だけは幾度となく報告されたのだから。

これだけ言うと、お燐はまだ完全に認めてくれたわけではないようだけど、納得はしたようだ。

 

「もういいでしょう。私は仕事の続きをしますから、貴女は貴女のやるべきことを熟してください」

「…はい、さとり様。それでは」

 

扉が閉まる音が響き、再び部屋は私一人となった。長く息を吐き、こいしの友達である幻香さんのことを考える。そして、わたしが彼女を受け入れることにした、決定的な理由が浮かぶ。

 

「…似ているわね、本当に」

 

まるで鏡を見たようにそっくりだ。私が髪を伸ばせばあのようになるだろう、と思わせる。こいしはわたしそっくりだ、と言っていたけれど、その意味は少しばかり違うものだっただろう。そんな、特異体質。無垢な白、らしい。

 

「私と、彼女は、本当にそっくりで、まるで違う」

 

心を読んで人間達に嫌われた私。姿を写して人間達に嫌われた幻香さん。本当に、鏡のように真逆にそっくり。人間は自分と同じものを持つ存在を好むくせに、内側を暴かれることを嫌い、外側が同一であることを嫌う。なら、人間達はどこが同じならいいのだろう?…答えは知っている。そこまで求めていないのだ。せいぜい三割で十分だ、と。それ以上は気味が悪い、と。人間は、誰しも唯一存在でありたいのだ。だから、心を読める私は嫌われた。だから、姿を写す幻香さんは嫌われた。

そうなったとき、私は逃げた。人間達に背を向け、地底へ潜り、地霊殿へ引きこもった。旧地獄を管理し、旧都を管理し、怨霊を管理した。言葉を発することが出来ない動物達に懐かれ、人型へ成長を遂げた存在は放し飼いにした。

しかし、幻香さんは立ち向かった。人間達の悪意を圧し折り、対抗する手段を考えるために身を隠し、そして大博打を挑んだ。悪意を受け止め、害意を撥ね退け、殺意を仕返した。数少ない友人と呼べる存在との関係すらも切り捨てることを厭わず、再び舞い戻るために地底へと降りてきた。

 

「…眩しいわ、本当に」

 

同じ結末だとしても、そこに至るまでの過程がまるで違う。そんな彼女に同情し、そんな彼女に尊敬した。だから、私は地霊殿に受け入れることにしたのだ。

 



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第264話

「んっ…、…ん?」

 

目が覚めたら、知らない部屋にいた。何処ここ。周りを見渡しながら記憶を整理する。地底に下りて、旧都を進んで、地霊殿に行って、さとりさんに会って、部屋を借りることになって、こいしさんと遊ぼうと部屋に向かった。うん、ここまでだ。気付いたらベッドで寝ていた。…あれ?もしかして、ここがわたしの部屋?…いや、そんなはずないでしょ。聞いた覚えないし。

というか、何だこの格好。かなりボロボロで血塗れな巫女服を着ていたはずなのに、今は薄黄緑色の薄着を着ている。生地は相当柔らかく動きやすそうだけれども、わたしはいつ着替えたんだ?

隣から微かな寝息が聞こえたので、その声の主を見下ろす。だが、布団を頭から被っていて誰だか分からない。…どうしよう。この布団を剥ぎ取ってもいいものだろうか?

ここで思い出したのは、さとりさんが言っていたこいしさんのこと。顔を見ている間は思い出し、認識しなくなると思い出せなくなる。もしかして、そういうこと?

 

「そっとだ、そっと…」

 

寝ているであろう彼女を起こさないように、ゆっくりと布団を剥がす。そして、その顔を見た瞬間、わたしがどうしてここにいるかを思い出した。

こいしの部屋に招かれ、それから丁半をずっとやっていた。勝ったら負けたほうに知らないことを語る、という小さな賭け付きで。その勝敗は確率的にほぼ二分の一に収束していきながら、三桁に到達しそうなほどお互いに繰り返し語り合った。…まあ、若干こいしのほうが勝率は高かったかな。そして、わたしが地上で起こした異変からこの地底へ下りて旧都を渡り地霊殿まで到達した疲労から、いい加減眠くなってきたんだった。こいしが自分の寝間着を出してくれたから、それを複製して着替えてから一緒に寝たんだよ。

 

「…さて、これからどうしたものか」

 

窓を見ると、寝る前と同じような景色が見える。どうやら、この地底に昼夜というものは存在しないらしい。空も太陽も月も星も見えないから、そりゃ当たり前なことなんだけど。

さとりさんの部屋に行って、わたしの部屋を教えてもらうか?…けどなぁ、あの部屋ってどう見ても寝室じゃないよなぁ。今さとりさんが寝ているかどうかは分からないし、そもそも寝室なんて持っていないかもしれないけれど。それに、せっかく思い出したのにまた思い出せなくなるのはちょっとなぁ…。

こいしが起きるまで待つ、もしくはこいしを起こす。どちらにするかはまだ決めていないけれど、とりあえずこれにしよう。勝手にで少し申し訳ないけれど、衣装棚を開けて目に付いた服を複製して着替える。水色の上着に、青薔薇模様のスカート。少し動きづらいけれど、これから戦闘するわけでもないし、別に構わないだろう。いざとなれば、動きやすくするように生地を引き裂けばいい。

さて、起こすかそっとしておくかだけど…。

 

「すぅ…。すぅ…」

「…止めとこ」

 

うん、そっとしておこう。とても楽しそうな表情をして寝ているこいしを起こすのは忍びない。起きるまでここで暇でも潰していよう。まあ、妖力量が心許ないから下手に消耗するようなことは避けるとするかな。

…そういえば、即時回復用の妖力塊は全て使い尽くしたんだった。緋々色金は主に幻想郷全域を把握するために、フェムトファイバーは強力な攻撃と彼女を送り出すための複製(にんぎょう)を創るために。ああ、ここに緋々色金ってあるかなぁ?あれって物凄く貴重なもののはずだ。手元に緋々色金の魔法陣があるから、これを複製するという手段もあるけれど、下手に扱ったら魔法陣として発動してしまう。それに、糸状の緋々色金を丸めて固めるなんて出来るだろうか?…うん、別のものを考えておこう。

『幻』を一つずつ展開していき、限界を確かめる。一、二、三、…五十九、六十、六十一で僅かな違和感。六十二個目を出してみて、違和感がさらに強くなったのでそこで止める。…まあ、これは喰らうこととなった永琳さんの願いがそこまで深いものではなかったということだろう。きっと、新たな薬を造る、という願いはそこまで長い間願っていたことではなかったのだろう。比較対象がフランの推定四百九十五年間の破壊衝動、もといものを破壊したいという願いしかないから、まだ本当にそうかどうかは分からないけど。

『紅』を発動させ、解く。それを繰り返す。発動自体は容易だ。ただし、こういう平常時は。戦闘中に今と同じように発動出来るとは思っていないし、維持し続けられるとも思っていない。この辺りは、実戦で身に付けていくしかないよなぁ…。とは言っても、こんな訓練に付き合ってくれる物好きがいるだろうか?うっかり『目』を潰してしまえば、その部位はよくて破損、悪ければ欠損する。…萃香のように勇儀さんならもしかしたら、とは思ったけれど、会いに行ったらどうなることやら。

 

「…ふぅ」

 

音を立てずに出来る訓練はこのくらいにしておこう。結構時間をかけていた気がするけれど、こいしはまだ起きそうにない。…それじゃあ、これからわたしは何をするべきか考えましょうか。

最初に思い付くのは、人間代表の博麗の巫女である霊夢さんに勝利するための対策。正直に言えば、どんな手段でも構わないなら、博麗の巫女を殺すことは出来る。超長距離から対象を捕捉して複製からの即時炸裂で脳でも破壊するなり、不意討ちで首を落とすなり、手段はいくらでもある。しかし、これでは駄目だ。あとが面倒になる。わたしが目指すのは飽くまで人間共から煩わされない平穏な生活であって、博麗の巫女に勝利することではないのだから。ただ、それには前例がいるからやろうとしているだけ。他に手段があるなら、別にそれでも構わない。例えば、世代が丸ごと入れ替わるくらいここで潜伏し続けるとか。

それで、わたし自身の能力の強化は、これから考えるとしよう。いくつか候補はあるけれど、すぐには出来なさそうだから。

それよりも問題なのは、夢想天生。あれをどうやって攻略すればいいのやら…。風見幽香は思い切り殴ったら喰らわせることが出来たようだけど、あれはもう、ね、うん、幻想郷最強だから力業でどうにかしてしまったのだろう。理屈はまたいつか考えるとしましょう。わたしはわたしの手段で攻略しないといけないよね。

さて、次はこいしを覚えること。さとりさんは覚えていられるから思い出せる、と言っていた。つまり、わたしは覚えられないから思い出せない、ということだ。なら、忘れなければいい。

稗田阿求。具体的には、御阿礼の子に受け継がれていく秘術。零代目とでも言うべき稗田阿礼が自らの精神に組み込んだ術式であり、それは自らが持っていた絶対記憶能力と幻想郷縁起編纂の使命感と共に転生するために必要なものらしい。ただ、そんな風にいいところのみを持ち込めるわけではなかったようで、まるで等価交換のように寿命が極端に短くなってしまう。その寿命は大体三十年程度らしい。まあ、普通に人間の半分よりちょっと少ないような、ってくらいかな。

秘術の意味は全然把握していないけれど、その全文は覚えている。これを一つずつ解読していき、必要な部分と不必要な部分で寄り分けていき、その中にある絶対記憶能力だけを切り抜いてわたしの精神に組み込む。『紅』でフランに近付くように、稗田阿礼に近付く。フランに近付く『紅』は、自己再生能力向上、暗視、『目』の視認が主な効果。ただし、吸血鬼の弱点に対して嫌悪感などを抱く。…そう、抱くだけだ。皮膚が焼けることもないし、激痛に苛まれるわけでもない。偶然でこれなら、意識的にやればどうなるだろう?

出来ないとは思えない。偶然で出来たなら、意図的にだって出来る。一度出来たんだ。二度目だって、やってやる。

 



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第265話

こいしが起きるまでの間、体を一ヶ所ずつ伸ばしていく。音は立てないように、ゆっくりと、少しずつ、確実に。そんなことをしていたら、突然ガチャリと部屋の扉が開いた。

 

「…さとりさん?」

「幻香さん。少し、話があります。一緒に来てくれますか?」

「はあ、いいですけど」

 

また思い出せなくなってしまうのか、と考えてしまったけれど、こればっかりはしょうがない。わたしは飽くまで彼女の好意でここにいることを許されているのだから。

けどまあ、少し試しておこう。今はこいしの微かな寝息が聞こえているから、わたしはこいしを認識することが出来ている。きっと、この部屋を出ればその寝息は聞こえなくなり、認識出来なくなって、こいしを思い出せなくなる。少しばかり妖力がもったいないけれど、数分で終わらせればいいかな。

空間把握。妖力を糸のように伸ばし、こいしに触れてその形を把握する。僅かに上下する胸が、呼吸していることを教えてくれる。

 

「さ、行きましょうか」

「…!え、ええ。そうですね」

 

何故か頭を押さえているさとりさんを促し、一緒に部屋を出る。こいしのことを思い出せるか、思い出せないか。さて、どうなることやら。

しかし、どうして頭を押さえてるんだろう?…頭痛かな?睡眠不足は頭痛くなるけど。

 

「しっかりと寝ましたよ」

「あ、そう。ならよかった」

 

ま、わたしにどうにか出来るようなことではないし、放っておきましょうか。

さて、わたしは寝る前にこいしの部屋に行ってから何をしていた?賭け丁半をしてお互いに語り合った。…うん、まだ覚えてる。

 

「…貴女は、それが普通なのですか?」

「それ?」

「今、貴女の心を読むとこいしの姿形がハッキリと読めるんです」

「そりゃ、そうしてますから」

 

そういう風に妖力を使っているんだ。そうなってくれないと困る。

 

「その情報量が頭を占領していて、どうして普通でいられるんですか?」

「わたしからすれば、人間共の悪意を覗いて普通でいられたほうが凄いですよ」

「…普通でいられたなら、私はここにいませんよ」

「ふぅん、そっか」

 

さとりさんも地底に逃げた、ということなのだろう。まあ、わたしもそんな感じだから責めることは出来ないね。逃走を恥ずべきことと考えるのは、愚者だけで十分だ。逃げを知らずに死ぬよりも、わたしは逃げて生き延びるほうがいい。生きていれば、次があるのだから。

 

「ま、その話はいいや。それで、話というのは?」

「まずは、貴女の部屋のことです」

「何処ですか?」

「今、そこへ向かってますよ」

 

三階の空いている部屋、と言ってくれたのはわたしの頭を過ぎったちょっとした希望を拾ってくれたのだろう。こいしの近くがいいなぁ、なんて思ったことを思い出した。…うん、まだ覚えてる。

さとりさん付いていくと、とある扉の前で止まった。ここかな?

 

「ええ。何か不備があれば教えてください」

「部屋があれば文句は言うつもりないですけどね」

 

そう言いながら、部屋の扉を開ける。これはこいしの部屋と同じ大きさかな。置かれているものは机と椅子とベッドと衣装棚だけ。こいしの部屋にあった本棚や箪笥は、こいしが自分で入れた、ということだろう。本棚については書斎があったし、今後に役立ちそうな本があったときに一緒に貰えばいいか。箪笥については、取っておきたいものが増えてきたら何処かから貰おうかな。

 

「うん、特にないですよ。増やすのは必要になったらでいいですから」

「…そうですか。勝手に別の部屋から持っていかないでくださいね」

「持っていくわけないじゃないですか」

 

手をヒラヒラと振るうが、何故か疑いの目で見られる。…ま、信用はこれから少しずつ得ることにしよう。

 

「それで、次の話は?」

「貴女と旧都のことです」

「旧都、ね。出来ることなら、そこにある程度自由に行ければいいんですが」

「それはまだ難しいでしょう」

 

そりゃそうだよね。何せわたしは地上の妖怪。簡単に受け入れられるとは思っていない。

 

「今は私のペットが旧都にお触れを広げています。具体的には、貴女を地霊殿で保護することにしたことと、貴女の存在を今後侵入してくる可能性のある地上の者に語ることを禁ずることです」

「貴女は地上から誰か来ると思っているんですね」

「萃香さんは地上へ飛び出してしまいましたし、こいしも地上を何度も出入りしていたようですから。それに、何より貴女が地上から降りてきた。一度あれば、二度目三度目を考えますよ」

「ですよね」

 

それにしても、わたしの存在を明かしてはならない、か。わたしのとって非常に都合がいいことだけど、これは例外を隠そうということなのかな。規則の例外は、規則を一気に脆くしてしまうから。一度あれば二度目三度目を考える、というやつだ。

 

「このお触れが旧都全体に浸透するのには時間が掛かるでしょう。どの程度掛かるかは私には分かりませんが、当分旧都へ出ることは推奨しません」

「推奨、ね。勝手に出て行く場合は自己責任、ってことでいいですか?」

「まあ、そういうことです。…そのときは、十分に注意してくださいね」

「はは、そのくらいはしますよ」

 

今は旧都に用はないから、出て行く予定はないけど。

あ、そうだ。さとりさんに少し訊いておこう。

 

「緋々色金はありません。残念ですが、そのような希少なものは私の手に渡ったことは一度もありませんから」

「あ、そうですか…。じゃあ代わりに――」

「…それらなら、大半がありますよ。地底の開拓の際にボロボロ産出したものをいただきましたから」

「そっか。それならよかった」

 

少し効率は落ちるかもしれないけれど、別に構わない。

…さて、こいしのことはまだ覚えている。空間把握でも、こいしを認識出来ているからだろう。これから空間把握の糸を切る。これで思い出せなくなるなら、確定だ。そして、その後で覚えていたならば、空間把握をしてこいしを認識したら思い出すか調べたいところだけど…。

 

「はぁ…。貴女のその実験に付き合いますよ」

「え、いいんですか?」

「貴女に伝えたいことはもう終わりましたから。それに、貴女がこいしのことを忘れたくない、と思っているのはよく伝わってきましたので」

「そりゃ友達ですから。好きで忘れたい、なぁんて思うわけないでしょう?」

 

けれど、これは知っておきたい。空間把握一つでその場凌ぎが出来るなら、少しだけ気分が楽になるんだけどなぁ…。そう思いながら、わたしは空間把握の糸を切った。

 

「…ん?」

 

今、何かが欠落したような…。思い出せ。何が抜けた?こいしさんの部屋で目が覚めてからすぐに着替えて、『幻』と『紅』の訓練をして、霊夢さん対策をしないといけないと思い返して、秘術の解読をしようと考えて、体をゆっくりと伸ばして、さとりさんに呼ばれて、空間把握をしながら部屋を出て、自分の部屋の場所を教えてもらって、旧都にお触れが出ていることを聞いて、緋々色金の代わりがあることを教えてもらって、空間把握の糸を切った。…うん、覚えている。けど、やっぱりどこか抜けているような…。

 

「貴女の言う空間把握、というものでこいしの姿形をずっと把握していました。こいしの姿形を認識している間は、こいしのことを覚えていましたよ。ですが、それを止めた途端にご覧の有様ですね」

「…そっか。あーあ、思い出せなくなっちゃったかぁ…」

 

あと、空間把握の対象ってこいしさんだったんだ。何て言うか、今ここで言われなかったら、そのまま曖昧にぼやけて薄れて忘れてしまいそうな気がした。

 

「そして、空間把握をしてこいしを今から把握して思い出すか調べるのではないですか?」

「え?…あぁ、そういえばそんなことも考えていたような」

 

曖昧にぼやけている記憶だ。これも言われなかったら思い出せなかったかもしれない。そうとなれば、空間把握してみましょうか。けど、こいしさんって何処にいるんだろう?地霊殿の何処かにいると思うんだけど、地霊殿全域に妖力を流すと枯渇してしまう。

 

「おそらく、こいしはまだ寝ています。ですから、こいしの部屋にいますよ」

「そうですか?それじゃ、試してみましょうか」

 

妖力を糸のように伸ばしていき、こいしさんの部屋に入り込む。そして、そこから妖力を部屋に薄く広げていく。…ふむ、部屋の間取りは記憶の通りかな。そして、ベッドで横になっている人型が一つ。これがこいしさんだろうか?…駄目だ、何も思い出せない。

 

「ま、そんなに甘くないよねぇ。…って、さとりさん?」

「…あ、いえ、気にしないでください…」

 

再び頭を押さえている。…確か、さっきも空間把握中のわたしの心を読んで頭を押さえていたよね。こいしさんを把握していたらしいけど。情報量が多いそうだけど、このくらいなら普通じゃないか?これは表面だけで原子全てを把握しているわけじゃないし、幻想郷全域と比べればあまりにも小さいし。

 

「…これで小さいのですか」

「このくらいなら、部屋を見たときと対して変わらないでしょう?」

「部屋の間取りをいつまでも保持していることは普通ありませんよ…。そのとき心にあるものは、その一部だけですから」

 

そういうものなのか?…そう言われると、部屋を見渡すときは一つ一つに目を遣っていて、その全ては意識し続けていないような気がする。こんな風に全てを一度に叩き込まれることは情報過多だったんだね。…まあ、きっと形そのものを頭に叩き込むことに慣れていないのだろう。わたしは何度もやってきたからね。

ま、とりあえず空間把握で認識したら、覚え続けることは出来ても思い出すことは出来ない、と。これはやっぱり秘術の解読が必要だなぁ。多分、この秘術の解読の目的は、こいしさんのことを覚えるためだろうから。

 



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第266話

さて、と。秘術の解読は時間が掛かりそうだ。何せ、全く理解出来ない内容で、理解する手立てもない。少しずつでいいから、何度間違えてもいいから、ゆっくりとやっていきますか。絶対記憶能力には、こいしさんを覚えることが出来る他にも色々と使い方があるから、ぜひとも会得したいものだ。

そんなことを考えていると、さとりさんがわたしの目を鋭く合わせながら問いかけた。

 

「…貴女は、本気でそのようなことをするつもりですか?」

「やるよ」

 

断言する。たった一人の人間に出来たことだ。他の誰にも出来ないなんて言わせない。不可能だなんて認めない。諦めるなんて許さない。

 

「自らの精神を書き換える…。それが妖怪にとってどれほど危険であるか、分かっているのですか?」

「知らないね」

「貴女も経験しているでしょう。怨霊に取り憑かれ、その身を奪われかけた貴女なら、その危険が分かるはずです」

 

怨霊に取り憑かれたとき、ね。…ふぅん。まあ、あれは辛かった。未練たらたらでいちいちうるさかったし、体が思うように動かせない。それに、この体が完全に別の存在に成り変わっていく。

 

「怨霊に取り憑かれたら危険ですね。…で、それがどうして精神を書き換えることの危険性に繋がるんでしょう?」

「え?」

「人は常に変わっている。一年後にも変わっているし、一ヶ月後にも変わっているし、一週間後にも変わっているし、一日後にも変わっているし、一時間後にも変わっているし、一分後にも変わっているし、一秒後にも変わっているし、一瞬後にも変わっている。たった一度の経験が、その人の全てを変えてしまうことだってあるんだ。それは至極当然のことで、たとえそれが作為的であろうと、故意的であろうと、大した差じゃないよ」

 

いつまでも変わらない精神なんてものがあるとすれば、それは最早精神ではないだろう。そんなもの、植物以下だ。

それに、わたしは既に一度変わっているのだから。フランの破壊衝動が溶け込んだということは、それはもう純粋な鏡宮幻香ではなくなっていることに他ならない。しかし、それでもわたしはわたしだ。

 

「そう、ですか…。では、私はもう止めません」

「貴女に止められたところで、止めるつもりはないですがね」

「でしょうね。…それでは」

「ええ、ありがとうございました」

 

静かに扉を開けて部屋から出て行くさとりさんを見送り、音もなく閉まる扉を最後まで見続けていた。

…さて、とりあえず一度秘術の全てを思い出して、何か思い付いたらそこから攻めるとしましょう。思い付かなければ、別のことをしましょう。これに今の全てを賭けるつもりは流石にない。

 

「…んー、やっぱり分からない」

 

意味不明な図式。魔法陣を思わせるような図から伸びる数多の線がグルグルと回り巡っては戻っていく。一定の波長を刻む波線が延々と続いている。円が一回り大きな円を作り、その円が一回り大きな円を作り、その円が一回り大きな円を作っていく。少しずつ傾きながら大きくなっていく三角形。それ以外にも大量に存在しているが、まるで意味が分からない。

理解不能な文言。これはわたしが知る言語のはずだ。それなのに、全く理解出来ない。暗号にして記載されているのかもしれないし、この文章がそのまま使われているのかもしれない。しかし、それすらも分からない。

…ああ、もういっそのこと最初から術式を作ってしまったほうがいいのかもしれない。…まあ、出来そうになければ、そうするかな。

 

「よし、別のことしよう」

 

分からないことを考え続けて思い付くことは、いつかポッと出てくるようなことだ。そんな感じのものが閃くその時を、今は期待しましょうか。

そうと決まれば、わたしは窓を開けて外へ飛び降りた。着地してすぐに体を自然体にし、目の前に仮想の敵を浮かべる。さあ、体術の訓練を始めよう。

 

 

 

 

 

 

右へ跳びながら全身を旋回させて放つ回し蹴りから、空中で横回転から縦回転へ切り替えて右腕を大地へ振り下ろす。拳が地面に埋まり、土が舞い散る。仮想の敵の頭が思い切り潰れているけれど気にしない。

 

「…何してるのさ」

「ん?…えぇと、お燐さん、でしたっけ」

 

どれだけ体を動かしていたか覚えていないくらい続けていたら、手押し車を押して地霊殿へ戻って来たお燐さんに声をかけられた。きっと、さとりさんが言っていたお触れを伝えて回った帰りだろう。今更のように疲労を感じつつ、拳を引き抜きながらその顔を見る。何とも言えない微妙な表情をしていた。

 

「見て分かるでしょう。体術ですよ」

「庭をボコボコにしてまで何になるのか、って訊いてるの」

「さぁ?…けど、何もしないでいると体が鈍ってしょうがない」

 

月から戻ってきてから、まだ一ヶ月も経っていない。身体能力的にはほとんど戻ったと思っている。けれど、戻ったでは駄目だ。一歩でいいから先へ進まないと。

 

「あっそう。けど、そのまま帰ったら庭を直すのがあたいの仕事になるんだけど」

「それは悪いことをしましたね。…で、どう直せばいいでしょう?」

「はぁ…。平らにしてくれればそれでいいよ」

「それだけでいいんですか?」

 

そうと決まれば平らにしましょう。わたしが荒らした地面の大きさを目測で把握し、それより一回り大きな直方体を頭に形成する。その形を創造し、地面にそのまま落とす。ズシン、と思い音を響かせて荒れた地面を潰した創造物をすぐさま回収する。…あ、ちょっと重過ぎたかな。周りより凹んじゃった。

その一部始終を見ていたお燐さんが、目を見開いてわたしと僅かに凹んだ地面を繰り返し見てる。…あれ、何かおかしなことしたかな。

 

「…何だい、今の能力は」

「貴女はわたしの能力を既に見ているはずでしょう?ほら、目の前に壁を創って妨害したでしょう。『ものを複製する程度の能力』…、だったものですよ。まあ、中途半端に創造へと昇華したけど」

 

明確にその形を頭に浮かべてからじゃないと、物凄く歪んだ代物になっちゃうから、まだまだ成長する余地はあるかな。他にもやってみたいことはたくさんあるし。

 

「そんなふざけた能力がありながら、どうして地底に来たんだい?」

「昨日言ったでしょう。人間共に嫌われたからですよ」

 

そう答えたけれど、お燐さんの目はわたしを捕らえて離れない。…どうやら、質問と答えが少しばかりズレているようで、納得していないらしい。

 

「あー…、もしかして、わたしのこの能力が全能か何かだと思ってませんか?」

「だってそうでしょう?」

「違うね。全能なんて月の向こう側だし、万能なんて程遠い。使い勝手はそれなりに改善しましたが、それでもまだまだ不便な能力ですよ。机、と考えただけでは机は創れないし、そして何より想像出来ないと創造出来ない。この能力があったところでせいぜい選択肢が増える程度で、負けるときは普通に負けるし、死ぬときは容易く死ぬ」

 

それに、この能力はいつか魔術で再現出来てしまうだろう。月で見た文献には、エネルギーはものの質量と光の速度の二乗を掛けた値に等しい、と書かれていた。わたしの能力とは少し噛み合わないところがあるけれど、エネルギーという無形からものを創り出すことは不可能ではないのだ。

 

「ま、その程度ですよ。この能力があったところで、わたしは弱い。人間一人にすら勝てないような能力ですから」

 

勝利と殺害は違うのだ。

 

「…さ、わたしは体術の続きをしますから、貴女がここにいても時間が無為に流れていくだけですよ。大丈夫。地面はわたしが平らにしてから帰りますから」

 

そう言うと、お燐さんは地霊殿へと戻っていった。その時の表情は影が差していて、わたしには見ることが出来なかった。

 



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第267話

原子量56、電子数26のわたしがスッポリ収まりそうなほど大きな鉄柱がわたしの目の前に置かれている。まあ、的として創ったものなんだけど、こうしてドンと存在しているだけで少し威圧されているような気分になる。

しかし、一切の不純物が存在しない鉄は、強く叩けば凹んでしまうくらい柔らかい。だから、極微量の原子量12、電子数6の炭素を混合させた。こうすることで、わたし達が知る鉄の硬さを得ることが出来ているはずだ。これを創造するために、頭の中で二百個の鉄原子と一個の炭素原子を保持する羽目になったけど、鉄原子を一度思い浮かべてしまえば、あとは同じものをドンドン増やしていくだけで済むからまだマシだ。

 

「はぁッ!」

 

そんな鉄柱に掌底を放つ。ガァン、といい音が響かせ、それと共に右手の平から肩まで痛みが走る。対する鉄柱のほうは、直置きだから少し揺らいだ程度で、傷なんて付いた気配がしない。…うん、まあそりゃそうだよね。簡単に砕けたら訓練にならないよ。

 

「せいっ!」

 

めげずに回し蹴りを叩き込み、グワァン、とさらにいい音を響かせるが、それに応えるように返ってきた痛みに思わず足甲を押さえる。これ、もしかして骨に罅とか入ってないよね…?

 

「うぅ…。別のものからにしたほうがよかったかなぁ…?」

 

ゆっくりと倒れていく鉄柱を横目に、自分の思い付きを反省する。これを創造する際の面倒くさい工程が頭を過ぎるが、気にせず回収。鉄柱の重さで凹んだ地面を眺め、土を掘り起こしてから上に板を落とすことで対処する。

 

「攻撃しても痛くない、って難しいんだよなぁ…。高分子化合物になると、正しい結合まで考えないといけないし…」

 

少し間違えたら全く違うものになっていました、が普通な世界だ。それに、衝撃を吸収するような素材はこれまた面倒な結合をしているんだよねぇ。目的のものを創るためにどれだけ時間が掛かることやら。そもそも、そんな結合状況を頭の中に保持し続けられるかどうか怪しいところだ。二酸化ケイ素や氷みたいに単純な構造でいいものなんてないかなぁ…。

 

「なぁにしてるの?」

「え?…ああ、体術の訓練ですよ。こいしは何をしに来たんですか?」

「わたしは旧都に遊びに行くの。幻香も一緒に来る?」

 

振り向くと共に記憶の穴埋めを感じながら、こいしの行き先のことを考える。さとりさんは旧都へはまだ行かないことを推奨していたけれど、どうしようか。行くなら飽くまで自己責任。けど、わたし一人なら何をされるか分かったものじゃなくても、一応お触れも多少は広がり始めているだろうし、こいしも一緒に来てくれる。それなら大丈夫、かな?

 

「そうですね。ぜひ、お願いします」

「よーし、それじゃあしゅっぱーつ!」

 

右手を掲げてブンブン振り回しながらわたしの前を歩いていくこいしは、とても楽しそうに見えた。

 

 

 

 

 

 

一緒に歩くこと十数分。周りを少し警戒しつつ進んでいくが、幸いわたしにジロジロと視線を向けてくるだけで、今のところ特別何かしてくる者は誰もいない。

そんなわたしをこいしは後ろ歩きをしながら見詰めている。後方不注意のまま進んでいるけれど、幸いこけたり誰かとぶつかったりもしていない。

 

「それで、何処に行くんですか?」

「ふぅふっふ…。よくぞ訊いてくれたね幻香君」

「何ですかその芝居口調…」

「お姉ちゃんが執筆した推理物の探偵がよく言う台詞だよ。事件を最後まで眺めてから犯人を追い詰めるのが大好きなの」

「どんな冗句ですかそれ…」

 

心を読めるさとりさんが理詰めで犯人を追い詰める探偵の物語を執筆、って。もし本人がその物語に出てくれば、犯人なんてものの数行で終了だ。

 

「それで、行く場所だけど。…目に付いたところに行くだけだよ」

「目に付く、ねぇ…」

 

あ、一つ目の大男が建物の壁をブチ抜きながら吹き飛んだ。彼をブッ飛ばしたであろう鶏をそのまま人型にしたような風貌の大男が、ブチ破った壁から指をバキボキと鳴らしながらのっそりと出てくる。それに気付いた周りの者達が二人を囲み、何故か大はしゃぎ。

 

「…何ですか、あれ」

「あー、よくあることだよ。喧嘩と博打。どっちが勝つか賭けてるの。ほら、あの小さいのが賭けた対象と金額を集めてるでしょ?」

「あら、本当だ」

 

わたしの膝ほどしかない小さな妖怪が、囲んでいる妖怪達から色々言われながら何かを受け取っている。どうやら金属の板のようだけど、あれが旧都のお金なのかな?

 

「せっかくだし、わたしも賭けてこよーっと!おーい!一つ――むぐ」

「待って」

 

色々言いたいことはあるけれど、ひとまずこいしの口を塞ぐ。そのまま続いただろう言葉を遮ったのですぐに手を放し、その肩に両手を置く。

 

「いきなり何?」

「賭けるならそっちじゃないほうがいいですよ」

「えー、どうして?」

「そっちのほうが弱いから」

「そうなの?それじゃあ、鶏男に百!」

 

こいしが改めてそう言うと、そそくさと小柄の妖怪がこちらに走って来た。そして、こいしが巾着袋から銀色の四角い板を一枚取り出すと、目を見開きながらこいしと銀色の板を交互に見てから震える手で受け取った。去り際にわたしを一目見て再びギョッと目を見開いたけれど、それ以上何かしてくることはなく、そのまま人垣へと戻っていった。

 

「さて、どっちが勝つか見てから別の場所へ行きましょうか」

「そうだね。何処で見る?」

「屋根の上」

 

こいしの手を掴み、一気に跳び上がる。うん、ここからならよく見える。そのまま腰を下ろしながら、鶏男が固く握り締めた両拳を左右の頬へ交互に殴り続けている戦況を眺める。あー…、あれはもう駄目かな。今からあの攻撃を抜け出せたとしても、あれだけ殴られたら本来の力なんて出せっこない。

 

「うわ、本当にやられてるよ一つ目」

「でしょうね。そもそも、吹き飛ばされている時点で負けそうなのに、ほぼ同じ大きさでも体つきがまるで違いましたからねぇ」

 

そんなことは見ている妖怪だって分かっているだろうし、勝っても大した儲けにはならないだろうなぁ。ま、一割増しにでもなればいいほうだと考えておこう。

 

「あんな勝敗の見えた勝負なんか放っておきましょう。それより、旧都のお金について少し訊いておきたいです」

「いいよ。さっき渡したこれが百。で、これが十で、これが一」

「単位はありますか?」

「ないよ」

 

銀色の四角い板が百、銅色の丸い板が十、銅色の四角い板が一か。丸い板に四角い板が綺麗に収まる程度の大きさ。…けど、これって一の銅板数枚を溶かして丸く固めたら価値が跳ね上がるのでは、という不安が過ぎる。

 

「今日は持って来てないけど、銀色の丸いのが千で、金色の四角いのが万だよ。けど、万が使われることは滅多にないかなぁ」

「どうしてです?」

「万もあれば数ヶ月生活に困らないもん」

「えぇ…」

 

それじゃあ、百って相当の価値になるんじゃ…。確認のために訊いてみる。

 

「百あれば、どんなものが買えますか?」

「んー、お店に寄るけどお団子百本は余裕で食べれるかな」

「…それって相当な金額なんじゃないです?」

「そうかも」

 

そう言って微笑むこいしは、どう考えてもお金に困っていなさそうである。…まあ、あんな建物に住んでいて極貧なんて考えられないよね。

 

「それに、このお金が使われないことだってよくあるし。物々交換でお互い納得すればそれでもいいから」

「ふぅん。…お、顎に綺麗に決まった。これはもう終了かな」

 

受け身も取れずに地面に背中から倒れた一つ目は、白目をむいてビクビクと痙攣したまま起き上がる気配もない。そんな一つ目に鶏男は背を向けてブチ破った壁を潜って戻っていく。湧き上がる歓声と、僅かな野次。どうやら勝敗は決したらしい。

小さな妖怪が人垣を駆け回りながらお金を配っていく。最後のほうでわたし達のところへ来た小さな妖怪が、こいしの賭け金である銀色の四角い板一枚と、意外にも銅色の丸い板二枚と四角い板八枚を渡して何処かへ行ってしまった。

 

「二十八増えた!やったね幻香!」

「…二割八分も増えた。明らかに負けそうなほうに賭ける人って意外といるんだなぁ…」

 

もし勝てれば大金を得られるだろうけれど、それってどうなんだろう?大番狂わせはそうそう起こらないでしょうに。

 

「こういう喧嘩、どのくらいの頻度であるんですか?」

「多ければ三連続とかあるし、ないときは全然ないからよく分かんない」

「そういうものですか」

「そういうものだよ」

 

そもそも喧嘩に発展しないことだってあるだろうし、そんな頻繁にあるわけでもないか。

さて、もうここにいる必要はないかな。こいしの手を掴んで一緒に立ち上がり、屋根から跳び下りる。

 

「さて、次は何処に行きましょう?」

「お団子の話ししたからお団子食べたくなっちゃった」

「いいですね、団子。わたしも食べてみたいですし、早速行きましょうよ」

「よーし、それならわたしがよく行くお店に行こうかな!」

 

そう言ってすぐさま駆け出すこいしに慌てて付いて行く。相変わらず視線は鬱陶しかったが、それでもこいしと一緒に回る旧都はとても楽しかった。

 



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第268話

そう、楽しかったはずなんだ。…何が?わたしは体術をしていて、それで…、何をしていた?頭の中をひたすら漁り続けていくと、何故か旧都で誰かと一緒になって歩いていることが頭を過ぎる。そこから微かに身に覚えのない記憶が垣間見える。すかさず掴み取れそうな記憶の粒子に手を伸ばすが、すり抜けてそのまま奥底へと消えていく。…もう何もない。何が?何がないんだ?分からない。では、わたしは何が楽しかったんだろうか。分からない。…あれ、楽しかった、のか?わたしは何が楽しかったんだ?…駄目だ、思い出せない。分からない。分からない。分からない。

記憶の穴が激しく自己主張してくる。このままこの穴を意識することがなければ、きっとそれを再び気にすることもなくなるのだろう。それはまるで泡沫の夢のように。

 

「…はぁ」

 

腹の中に何かがあるのを感じる。最近これといって何かを口にした記憶はないのにだ。きっと、わたしはこの穴の開いた記憶の中で何かを食べたのだろう。ほんの僅かに満たされている感じ。空腹なんてずっと感じていないのだけれども、まあ悪くない気分だ。

窓から見える庭を眺め、その先にある旧都まで視線を伸ばす。一瞬だけ何かが引っ掛かるような気がしたけれど、何故だろう。

まあ、いいや。こうして記憶に穴が開いているなら、こいしさんが関わっていることだろうし、嘆いても思い出せないことは分かっている。割り切りたくないけれど、割り切ろう。

 

「…書斎行こ」

 

割り切っても、思い出せなくても、その虚無感をなかったことには出来ない。少し沈む気持ちのまま書斎へと足を伸ばす。途中で誰かとすれ違った気がするけれど、特に呼び止められなかったため、今のわたしにはどうでもいいこととして処理される。

二階の廊下を進み、その一つの扉を開ける。圧迫感すら感じるほどに本棚が立ち並び、ギッチリと本が詰め込まれている部屋に入り、背表紙を流し見る。気になった本を一冊引き抜いて開いてみたら、表紙と中身の時代差を感じた。きっと、後から表紙を装丁したのだろう。

それでも中身はどうにか読めるものだったため、最初から読み始めることにした。意味があるかどうかなんて知らない。いつ使うかなんて知ったことではない。ただ、今はこうして現実から切り離された世界へと没入したかった。そうすれば、この沈む気持ちが薄れる気がしたから。

そんなことをしても何も変わらないことが分かっていても、それでもそうしたかった。

 

 

 

 

 

 

「…最近、幻香さんを見ませんね」

 

仕事の報告を一通り終え、これでとりあえずあたいの仕事が一段落した、と安堵していると、さとり様が小さく呟いた。

 

「まあ、そうですね。かなり前にすれ違って以来、あたいも見かけた覚えがないです」

 

すれ違ったときの表情は、まるで能面のように何も感情を映していなかったのを覚えている。改めて思い返してみると、もう十回以上は寝て起きたというのに、それっきりその姿を見ていない。

 

「お燐。地霊殿だけでいいから幻香さんを探してちょうだい」

「!…分かりました。でも、何故でしょう?」

「一緒に食事でも、と思っただけよ。調理は別の子に頼むつもりだけれど、貴女が調理をしたいと言うのなら私が代わりに探しますが…」

「探すのはあたいに任せて、さとり様は少しでも休んでください」

「そう?…それじゃあ、頼んだわね」

 

頼まれた仕事を熟すために、素早く部屋を出る。とは言っても、何処にいるのかは見当もつかない。匂いを辿ればもしかしたら分かるかもしれないけれど、幻香の匂いはどうしてか少し時間が経つと消えてしまうほどに希薄だ。あの時は、主に焦げた布と血の香りを追ったのだ。

さとり様に休んでほしい、と言ったのは本心だ。さとり様が地上の妖怪を保護した、というお触れは、それはもうすぐさま広がっていた。…ただし、主に悪い方向に。これまで地上から誰か来る、ということはなかった。だが、突然やって来た地上の妖怪が特別扱いとも取れる待遇を受けているという事実に、不満はところどころから湧き出てくる。そして、その対応は今もなお続いている。

聞いた話では、こいし様と一緒に旧都を出歩いていたそうな。こいし様がいる手前、幻香に手出ししなかったそうだけれども、もしも一人で出歩いていたならばどうなっていたことやら。しかし、その心配も必要ないのだろうな、と思った。

その理由は、幻香が持つあまりにも特異な能力。ものを創り出す力。壁だって創れる。板だって創れる。鉄柱だって創れる。ヤマメは炎を噴き出した、と言っていたから、きっと炎だって創れるのだろう。勇儀さんは拳が増えた、と言っていたから、体の一部だって創れるのだろう。

何でもありだ、と思った。そんな能力がありながら、どうして地底に下りてきたのかと思った。ここに来なくても、地上でどうにでも出来ただろうに、と。しかし、そんなものは真正面から否定された。せいぜい選択肢が増える程度だ、と。

けれど、それは持たない者から見ればズレた考えだと思わされる。そんな能力を持っていることが、心底羨ましい。それほどの力があれば、あたいはもっとさとり様の役に立てるのに。

 

「…っと。いけないいけない。嫉妬はパルスィの十八番なのに、あたいがしたら世話ないよ」

 

とりあえず幻香の部屋へ向かい、その扉を開けてみたが誰もいなかった。ざっと見渡してみるけれど、碌に使われた形跡がない。

次にこいし様の部屋へ向かい、扉を軽く叩く。

 

「こいし様」

 

…返事がない。部屋にいないのか、それとも今は眠っていらっしゃるのか。

 

「…開けますよ」

 

一度忠告し、数秒待ってから扉をゆっくりと開ける。ベッドでぐっすりと眠っているこいし様がいて、少し申し訳ない気持ちになる。部屋を見渡しても幻香はいなかったので、ゆっくりと扉を閉めた。

それからは、何となくいそうな部屋をひたすら開けては閉めてを繰り返した。三階は探し終え、二階に下りてからも部屋を回る。さとり様のペットたちは今日も元気そうでよかったけれど、肝心の幻香が見つからない。

 

「うわっ」

 

書斎の扉を開けると、一つの本棚の半分ほどがゴッソリと抜かれていた。埃っぽい臭いが鼻につき、思わず顔をしかめてしまう。それよりも、そこにあるはずの本は何処に…?

部屋に足を踏み入れると、その答えはすぐそばにあった。扉の前からはちょうど死角になっている場所に、本の山が出来ていたのだから。そして、その本の山からは真っ赤な頭が覗いている。

 

「そこにいたのかい」

「…ああ、お燐さんですか。何か用ですか?」

 

パタリと本を閉じてあたいを見上げる幻香は、淡々とした口調でそう言った。

 

「さとり様が一緒に食事をしたいっておっしゃったから、わざわざ呼びに来たのさ」

「食事、ですか?…別に構いませんが、何処でするんでしょう?」

「一階に食堂があるから、本を片付けたら行ってよね」

「分かりました。…いい加減現実を見なきゃいけない時間ですよねぇ」

 

奇妙なことを言いながら立ち上がり、大きく伸びをした幻香は、本の山を片付けていく。ふと、その右手首に紐が巻き付いているのが目に付いた。前に見たときは身に付けていなかった覚えがある。装飾にしては飾り気がなく、意図が全く掴めない。

 

「ところで、こんなに本を読んで何か探してたのかい?」

「…まあ、探し物といえば探し物かな。何でもいいから切っ掛けを」

「切っ掛け?」

「まあ、幾つか浮かんでもすぐに違う、って分かっちゃったけど」

 

寂しそうにそう言うと、既に本の山は本棚に全て戻されていた。一瞬、勝手に本を片付けるものを創れば、なんて考えたけれど、止めた。こうして自分で片付けているのなら、創れないのだろう。確かに万能ではないらしい。

 

「それじゃあ、わたしは食堂に行ってきますね」

 

そんなことを考えていると、幻香は部屋から出て行った。

 

「…ふぅ」

 

幻香が出て行ってから数秒経ち、息を吐く。…どうにか嫉妬紛いの言葉を吐かずに済んだ。そう思いながら幻香が片付けた本棚を見ると、それはもう綺麗に敷き詰められていた。それは見覚えがある気がする並び方をしていて、おそらく山にする前と同じ並びに戻したんだろう、と思う。

そういう小さなところでも持っている者と持っていない者の差が垣間見え、また少しだけ嫉妬してしまう。

 



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第269話

言われた通り記憶にある本の並びのまま本棚に戻しながら、一体どのくらい時間が経ったのだろうか、と考える。休み休みとはいえこれだけ本を読み続けていたのだから、一週間くらいは時間が経っているのだろう。しかし、地底には昼夜が存在しないから日付の感覚が狂う。もしかしたらもっと短いかもしれないし、もっと長いかもしれない。けど、それを知る術は簡単ではない。

まあ、朝に起床夜に睡眠、という地上の基本的生活からは切り離して考えないと、地底では生き苦しいだろうなぁ。こんなところで月の都での潜入生活が役立つとは思っていなかった。

 

「それじゃあ、わたしは食堂に行ってきますね」

 

ストン、と最後の本を仕舞い終えてすぐに返事も聞かずサッサと書斎から出る。

廊下を歩きながら、お燐さんのことを思い返す。何て言ったらいいんだろう。顔色というか、声色というか、目付きというか、雰囲気というか、そんなところから内側に渦巻く嫉妬をまざまざと感じた。嫉妬するのは貴女の勝手でわたしがどうこう言えるものではないし、わたしの何に嫉妬しているのかなんて正直どうでもいいけれど、わたし自身に直接的、もしくは間接的に危害を加えてこないことを願う。

 

「それにしても、食堂って何処だろう…」

 

それよりも、一階の何処に食堂があるかだ。…まあ、一階ってそれなりに広いけれど、それだけ分かればどうとでもなるか。

それにしても、さとりさんと一緒に食事ねぇ。理由もなしにそんなことをするとは思えないけれど、何かしたっけ?…ま、それは行ってみれば分かるか。

 

「お、ここか」

「お待ちしていましたよ、幻香さん」

 

幾つかの部屋を回り、ようやくそれらしい部屋があったと思ったら、既にさとりさんが座って待っていた。丁寧に磨かれた大理石の机に、いくつもの細部まで装飾が施された椅子が並べられている。

 

「さ、好きなところに座ってください」

「好きなところ、ですか」

 

正直、何処でもいい。けれど、遠過ぎるのもどうかと思うからさとりさんの正面に腰を下ろすことにした。そうしている間に、見覚えのない犬妖怪に何か指示を出していた。きっと食事を出すように言っているのだろう。

 

「わたしをこうして呼んだのは、何か理由がありますか?」

「ええ、もちろんあります」

 

犬妖怪が部屋を出てから、わたしはここに来るまでに考えていたことを口にした。その答えは、まあ予想通り。

 

「ですが、先に食事を楽しみましょうか」

 

そうさとりさんが言うと、部屋に入ってきた二人の獅子妖怪が一升瓶と小さな杯を持ってくる。いそいそと瓶を開け、とくとくと注いでいるさとりさん。僅かに漂う酒独特の香り。わたしの前にも当然のように置かれ、思わず手が止まる。…どうしよう、呑みたくないんだけど。

 

「…お酒は苦手でしたか?」

「はは、実は…。呑んだことはないんですが、どうにも呑みたくないんですよね」

 

ただの呑まず嫌いなんだけど。

 

「無理に呑まなくても構いませんよ。私は呑みますが」

 

とても美味しそうに飲み干し、僅かに頬を赤くしている。百薬の長とも百毒の長とも言われるお酒。皆して美味しそうに呑んでるけれど、わたしはどうしても、ね。呑んだらどうなるか分からないものを、好き好んで呑もうとは思えない。

封を開けずに横に置いておき、食事が来るまで自分に流れる妖力量を確認して暇を潰す。…んー、七割くらいかな。まだ短いとはいえ、フェムトファイバーを創った分も考えれば妥当な量だ。

 

「…すみませんが、フェムトファイバー、とはどのようなものでしょう?」

「月の技術ですよ。便利そうだから創れるように努力した紐。繊維の集合体の集合体の集合体の繰り返しで、理論上不変だそうです」

「そのようなものが貴女の右手首にあるんですね」

「こんな長さじゃあ実用性はほぼ皆無ですが」

 

右手首に巻かれたフェムトファイバーを眺めながら、自嘲気味に呟く。まあ、妖力枯渇対策くらいにはなるかな。

そんなことを話していたら、続々と様々な妖怪達が料理の皿を持って部屋に入ってくる。山のように盛られた玄米が塩や酢などの調味料と共に置かれ、具材の全くない黒っぽい汁物が置かれ、豪快に焼かれたであろう名前も知らない魚が置かれ、野菜と茸のごった煮が置かれ、おそらく兎であろう丸焼きが置かれ、見たことのない果実らしきものが置かれた。

 

「さ、食べましょう」

「え、あ、いただきます」

 

…え、こんなに食べるの?本当に?どれもこれも器がやけに大きいし、それに比例して量も多いんだけど。わたしが魔法の森で料理らしきものを食べていた頃を思い出すけれど、一度にこんなに食べたことはない。

 

「食べますよ。…食べれないのですか?」

「いや…、食べれなくはないですけれど…」

 

まあ、いいや。今はさとりさんが提案した通り、食事を楽しむとしましょう。

汁物は茸で出汁を取っているらしいけれど、玄米にかけるためのものだろう塩を一撮み加える。魚を口にして何も味付けされていないことに驚き、塩を魚に少し振りかける。野菜と茸のごった煮も同様に何も味付けされていなかったので、塩と酢を少々加えておく。兎だろうと予想した丸焼きの正体は予想通り兎肉だったけれど、やっぱりこれもそのまま焼いたものらしかったので、塩を振りかけることにした。…何だこれ。

 

「お口に合いませんでしたか?」

「いえ、大丈夫ですよ。調味料の大切さを実感しているだけですから」

 

…うん、だいぶよくなった。塩気って偉大。濃いと水分が持ってかれる感じに加えて舌が痛くなるけれど、ほんの少し加えるだけで味は大分変わるものだ。

 

「それにしても、この兎は何処から得たんですか?」

「これは私のペットからですよ」

「え?」

 

ペットから?…えぇと、もしかして食用として飼われているのかな?

 

「いえ、そういうわけではありませんよ。ただ、彼らの祖先にあたる個体との契約によって、私達は彼らの命を貰っています」

「契約、ですか」

「ええ。種ごとに異なる契約をしています。この兎は、産まれた個体の中の六割から選ばれた命です」

「…つまり、ここの兎は四割しか生き残ることが出来ない、と」

「そうなりますね。ですが、彼らは納得しています。ここで私の元で生きていかずにいたならば、生存率は一分もなかったでしょう。ですが、六割献上すれば四割も生き残れる。…そう判断したのは、彼らです。…幻香さん。貴女は、そう判断した彼らをどう思いますか?」

「知りませんよ、そんなの。個の生存としては生贄として産まれる個体がいて失敗でしょうが、種の生存としては大成功でしょうね。実際、今も百を超える数が生きている」

 

この個体は、こうして死ぬために生まれたことを、残り四割のために命を投げ出すことを、納得していただろうか?そう思いながら、目の前の兎の丸焼きを口にする。…ま、そんなことはわたしの知ったことではないけれど。彼らが死のうが死ぬまいが、わたしに大きな変化を与えることはないだろうから。

 

「まあ、稀に個が強い個体が出て来ます。そういった個体は妖怪となって私に従事してくれますよ」

「あの料理を運んできた妖怪達のように?」

「ええ。…まあ、ほとんど放し飼いですが」

「あれだけの数をまとめるのは苦労しますよ、きっと」

 

咲夜さんは紅魔館で仕事をしている百を超える妖精メイドさん達をまとめることが出来ていなかったし。

そんなことを話していたら、もうほとんど食べ尽くしていた。…うん、お腹いっぱい。やっぱり、飢えないから食べない、っていうのはよくないね。たとえ必要なくても、食は失わないほうがいい。

 

「…さて、お互いほとんど食べ終わったところですし、先延ばしにした用件を言いましょうか」

「何でしょう?」

「単純に言えば、貴女に頼みたいことがあります」

「へえ、頼み事ですか。…それで、わたしは何をすればいいのでしょう?」

 

そう言って、さとりさんの次の言葉を残っている果実を口にしながら待つ。

 

「先日私が言ったことを撤回し、旧都へ行って来てくれますか?」

 



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第270話

旧都へ行って来てください、か。旧都へ行くことは推奨しないと言っていたのは、割と最近の話だ。それを撤回して頼んでくる、ってことは何かちゃんとした理由があるのだろう。なかったら困る。色々と。

 

「ええ、あります。貴女と二人きりで会わせてほしい、と頼まれたものでして」

「二人きり、ねぇ…。そう要求してきたなら、ここに一度は来たのでしょう?そのままわたしに会えばよかったじゃないですか」

 

そう言ってみたけれど、こうして頼んでくるなら無理だった理由があるのだろう、と思う。すぐ帰ってしまったとか、そもそも来ていないとか。

 

「昨日、あのお触れを広めるために旧都へ赴いた私のペットを通じて私へ伝えられたのですが、どうやら勝手に安請け合いしてしまったようなのです。だから、こうして貴女に頼むことにしたのですよ」

 

どうやら、きていなかったようだ。それにしても、頼み事ってペットの後始末なんだ。…まぁ、別に構わないけれど。

 

「で、その人はどんな方ですか?」

「私とは別の方向で旧都を上から押さえている方ですよ。私が旧都自体を治め、彼女が旧都の民を押さえる。大まかに見て、旧都はそうして成り立っています」

「へぇー…。それはそれは偉い方なんでしょうね」

 

一瞬、人間の里のあの年寄りが頭を過ぎる。わたしに会ってすぐに死んでしまった偉い人間。わたしが『禍』となった原因の一人。…まさかそんなことになるとは思わないけれど、どうなんだろう。

 

「…そのような心配は不要でしょう。死んでも死ななさそうな方ですから」

「はは、それなら安心だ」

 

流石に、本当の意味で死んでも死なないわけではないだろう。蓬莱の薬のようなものが、そんな簡単にあってたまるか。

ま、そんな死ぬ死なないはいいや。その人と二人きりで会うのはいいとして、場所が分からないと会いに行くことが困難だ。

 

「…ありがとうございます。それで、指定された場所ですが――」

 

わたしの了承を読んだらしいさとりさんからその場所が伝えられる。具体的な説明だから、旧都の地理をあまり知らないわたしでも分かりやすい。けれど、その場所は割と遠いなぁ…。道中が心配だ。

 

「…それは、どうなのでしょう…。お触れがどこまで浸透しているか私には分かりませんし、そもそも貴女のことをよく思っていない方が多いことも確かですから」

「でしょうねぇ…。ポッと出の地上の妖怪が地霊殿の主に保護される、って突然言われて納得する人がどれだけいるのか、って話でしょう?わたしは多いとはとても思えませんね」

「…やはり貴女もそう思いますか。実は、そのことが私の頭を悩ませているんですよ。ですから、これでその悩みをある程度払拭してくれれば、と思っています」

「出来ればいいですね。…まあ、期待せずに待っててくださいな」

 

そもそも二人きりで会ってから何をするかも分からない。罠の可能性だって十分考えられるんだ。多少は警戒していきますか。

 

 

 

 

 

 

一人で旧都を歩いていると、嫌に視線が突き刺さる。こうして見られていると、負の感情を強く感じる。わたしのことはお触れで伝え広がっているのだから、わたしが地上の妖怪であることは周知の事実のはずだ。過去に地上で何があったかは知らないけれど、嫌われてるなぁ…。

一歩踏み出そうとした足を止め、その場で止まる。すると、わたしの目の前を鋭く長い爪が過ぎる。あのまま進んでいれば、あの爪がわたしの体に深々と突き刺さっていただろう。

 

「ふッ!」

「ゥガ…ッ!」

 

胴体がわたしの前を通ったところで、踏み出すはずだった右脚で蹴り上げる。への字に折れ曲がった体に左拳を叩き込み、妖怪を吹き飛ばして先へ進む。地面を数度跳ねたその妖怪は動かない。しかし、よく見れば意識があることが分かる。油断したところを一撃、なぁんて考えているのかなぁ…。

わざと隙を晒しながら、倒れているその妖怪の横を通る。まだ動かない。そのまま通り過ぎ、背中を晒す。…さて、来るか?

 

「馬鹿め!シャアッ!」

 

そら来た。

 

「流石に分かるって」

「な――ギッ!?ガッ!?」

 

後ろから突き刺してくる腕を片脚を軸に旋回して躱し、こめかみに旋回裏拳を喰らわせる。頭を思い切り揺らし、動きが止まったところでもう片方の拳を顎へ突き上げる。半回転して背中から落ちた妖怪は、ビクビクと痙攣してから動かなくなった。…うん、今度こそ意識が吹き飛んだみたいだね。

倒れた妖怪をその場に放置し、先へ進む。怨霊に取り憑かれたらヤバいらしいけれど、きっとそんなこと起こらないだろうし、おそらく大丈夫だろう。起こらないなんて確証はないけどね。

 

「ッ、と」

 

明らかに当たったら怪我では済まない大きさの石が剛速球で飛んでくる。飛んでくる石の軌道上に同じ速度でぶつかるよう複製し、速度を相殺させてから複製を回収する。そして、弾かれて地面を転がる石を拾い上げ、投げ付けてきた筋骨隆々の妖怪を視野に収める。…この距離ならいけるな。

 

「オラァッ!」

 

全身の捻りを加え、全力で石を投げ返す。ただし、手から離れる瞬間にそこら中にある大気を手のひらの一点に複製させる。瞬間、バァン!と轟音を立てて一点に密集した大気が爆ぜる。わたし自身の力に加え、一気に膨らんだ大気に押し出された石は、対象に向かって真っすぐと飛んでいく。残念ながら受け止められてしまったけれど、別に構わない。

少しばかり痛む右手を振りながら、さとりさんが言っていた小道へと曲がる。あの場所からわたしに当てるには、家々を破壊するほどのとんでもない威力でわたしに向けて投げ付けるか、垂直に近い角度でわたしに向かって落ちるように非常に高く投げ上げる必要があるだろう。しかし、そんな威力で投げてくると石が原形を留めることが出来ないだろうし、垂直に近い角度で落ちるにはとんでもない高さが必要になって天井にぶつかってしまうだろう。わざわざわたしを追いかけてくるかどうかは知らないけれど、それなら別の対処をすればいい。

そんなことを考えながら小道を進む。すると、膝くらいの小柄な妖怪が片手を上げてわたしの前に出てきた。

 

「やぁ、久し振りだね」

「ええ、久し振、り…?」

 

あれ、この小さな妖怪とわたしは何処で会ったんだ?見覚えがあるけれど、見た覚えがない。わたしの頭の中が矛盾している。少なくとも、わたしが地上から降りて来てから地霊殿へ向かう道中では見ていない。…あれ、見た、のか、な?…ああ、見たよね、うん。見た見た。

 

「こいし様と一緒にいたときは驚いたよ。まさか、本当にさとり様が保護しただなんて」

「こいしさんと、ね。それで、貴方はわたしに何か用ですか?」

 

曖昧にぼやけようとしていた記憶がギチギチと戻されていく。この妖怪とわたしは、どうやらこいしさんと一緒に旧都へ来たときに会ったらしい。そんなことがあったこと自体が思い出せないけどね。勝手に記憶が改竄されてそれらしく取り繕われる、というのはこういうことか。実感した。

 

「特にないさ。ただ、見かけたから声を掛けただけで」

「そっか。それじゃあね」

 

そう言って小さな妖怪の横を横切――らずに、全力で土手っ腹につま先を突き刺す。そのまま振り抜いて吹き飛ばさず、地面に押し付ける。

 

「ガ…ァ…ッ!な、何故…っ」

 

今すぐにでも跳びかかれるように両脚には力が込められていたし、そもそもわたしを見たときのあの目付き。あれで何もしてこないなんて思え、ってほうが無理な話。

 

「チ、クショ、ウ…ッ!」

「次に不意討ちしたいと思ったなら、殺意はちゃんと隠してね」

 

それだけ言って顎に軽く蹴りを加え、意識を刈り取る。…さて、目的の場所まであと少しかな。

そこから先は特に何事もなく、ただただ痛い視線を感じるだけで目的地まで到着することが出来た。ただ、その視線の中に鬼が混じっていたことが少しばかり引っ掛かる。

 

「…この屋敷か」

 

それなりに古いようだけど、汚れているという印象はない。そんな屋敷。開きっぱなしの扉を抜け、中へとお邪魔する。

 

「うわ、酒臭…」

 

屋敷の中に入った瞬間、思わず鼻を摘まんでしまうほどに強い酒独特の香りが漂う。最近酒を溢したのか、それとも酒蔵か何かなのかなぁ?

そのまま奥へと進むと、かなり大柄な鬼達がわたしを睨む。しかし、今にも攻撃してこよう、という意思を感じない目付き。彼らを気にせずどんどん奥へ進むと、六畳間の部屋に一人の鬼が胡坐をかいて鎮座していた。…ああ、そういうこと。

 

「よお。また会ったな、鏡宮幻香」

「ええ、また会いましたね。星熊勇儀さん」

 

彼女が、わたしを呼んだのか。

 



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第271話

鬼達に睨まれながら、最奥にある六畳間の部屋へ足を踏み入れる。そして、勇儀さんと二人きりになるためにも、背中に刺さる鬱陶しい視線を遮るためにも、襖を後ろ手で閉め切った。

 

「ま、とりあえず座れ」

「その前に一つ」

「あん?」

「わたしはさとりさんから二人きりで、と聞いたんですが」

 

そこで一度区切り、閉じた襖を見る。姿は見えないが、その奥にいる鬼達の姿でも捉えるように。

 

「どうしてこんなに部外者がいるんでしょう?」

「そう言うなよ。今からこの屋敷は私とあんたの二人だけになるんだからさ」

 

そう言った瞬間、大勢の足音がここから離れていく。疎らな足音の数からどれだけいたのか数えてみるけれど、二十辺りで数えるのを止める。…思ったより数がいたんだなぁ。仮に袋叩きにされるとして、その時わたしはどうするか?ま、一も二もなく逃走だろうなぁ。

足音が聞こえなくなってからも数秒待ち、勇儀さんの前に腰を下ろす。念のため空間把握をするけれど、確かにこの屋敷内にはわたしと勇儀さんの二人しか存在しない。…まあ、屋敷の外に普通にゾロゾロといるようだけどね。けれど、露骨にこの部屋の音を聞こうとしている者はいないようだ。

 

「これで静かになったな」

「ええ、そうですね」

 

多少張り詰めていた気を緩めながら軽く笑っていると、数本の酒瓶と杯を投げ渡された。そして、彼女は目の前に一本蓋を開けて盃に注いでいく。

 

「さて、酒でも呑みながら腹を割って話すか」

「嫌です」

「あぁん?」

 

彼女の提案を即行で拒否すると、傾けていた瓶の音が止まり、案の定凄まれる。やっぱり鬼って種族は酒が大好きなんだなぁ。萃香がいつも腰にぶら下げている瓢箪は無限に酒が湧き出てくるらしいし。

けれど、このまま話が進めないつもりはないので、次の言葉を口にする。

 

「腹を割って話すのは別に構いませんよ。ですが、わたしが酒を呑むのは勘弁したいです」

「…もしかしてあんた、酒の一本も呑めないのかい?」

「ええ。…そうですね、もう貴女には言っても構わないでしょう。地上にいる萃香も、理解を示してくれましたよ」

 

そう言った瞬間、注ぎ切った空瓶が畳に転がる。コロコロと転がってきた空瓶を立てると、わたしの目の前に勇儀さんの顔があった。

 

「その口は、まさか出鱈目言ってるわけじゃないよな?」

「わたしは嘘も虚言も平然と吐きますが、これは本当だ。伊吹萃香。『密と疎を操る程度の能力』を持つ、大きく捻じれた二本角の鬼。無限の酒が湧き出る不思議な瓢箪を腰にぶら下げていている。山の四天王の一人で、その昔は妖怪の山を支配していた。地上では宴会を続けさせるために異変を起こした。わたしはそれなりに仲がよかったですが、わたしの友達の藤原妹紅といい酒呑み仲間になりましたね。…他に、何か聞きたいですか?」

 

そこまで言うと勇儀さんの顔は離れていき、元の位置へと戻っていった。

 

「…もういい、分かった。…はぁ、とにかく萃香は地上を楽しんでるみたいだな」

「楽しんでると思いますよ」

 

わたしがたかが十四音言っている僅かな間で盃に注がれた酒を一気に飲み干した勇儀さんは、新しい酒瓶の蓋を外しながら口を開いた。

 

「…萃香のことはまた今度聞かせてくれ」

「いいですよ。わたしが生きていればですが」

「それでいい」

 

最後の一滴まで残さずに注いだ酒をさらに口にした勇儀さんは、わたしをここに呼んだ理由を語ってくれた。

 

「それで、だ。私があんたを呼んだのはな、あんたを見たかったからさ」

「わたしを見るくらいなら、鏡でも見たほうがいいですよ」

「私が見たいのは、あんたの腹の内さ」

「いくら覗いても醜い色しか見れませんよ」

 

少なくとも、わたしの思想はまともとは言い難いことくらい理解している。直そうとは思わないが。

 

「それは別に構わないさ。多かれ少なかれ、ここにいる連中は腹に一物抱えてる奴だっているし、脛に傷のある奴もいる」

「貴女も、その一人だと?」

「そうだとも」

 

ニヤリと笑い、盃を空にする。そして、その盃は三度酒で満ちた。

 

「その中にはあんたをとは言わないが、地上の連中を憎み嫌ってる奴が多い。…分かるだろ?」

「でしょうね。さとりさんも頭を悩ませてましたよ。そして、わたしもここに来るまで色々ありましたからねぇ」

 

地底へと続く穴では土蜘蛛さんに捕まった。橋の上にいた妖怪さんには精神的に少し弄られたと思う。それが日常であるようだが地底に歩いていてすぐに色々とものを投げ付けられた。一人の鬼に地上から来たと言えば投げ飛ばされた。お燐さんには不届き者扱いされて怨霊と共に攻撃してきた。地霊殿からここに行く道中で三人から攻撃されたりされかけたりした。

 

「そこで、だ。あんたがどうして地底に下りてきたかは正直どうでもいい。問題は、あんたが旧都で何をする気でいるかだ。何もしないならそれでいいし、多少後ろ暗いことがあっても私は気にしない。…だがな、度が過ぎれば私はあんたを潰すよ」

「おお、怖い怖い」

「さあ、あんたはこれから何をするつもりか言えるのか?」

 

真っ直ぐとわたしを捕らえる瞳を見ていると、どうにも萃香の姿を幻視してしまう。似ているところなんて、鬼ってところくらいしかないと思うのになぁ…。

 

「わたしが地底でやりたいことは、地上へ舞い戻るための準備だ」

「ほう?」

 

だから、わたしはここで嘘を吐くつもりはない。

 

「わたしが地上でのんびりと生きるためには、一つ面倒臭い障害が存在する。…それを一括りにまとめれば、人間の悪意。それをブチ抜くためにわたしはここに来た。具体的には、誰から見ても言い訳出来させない条件で、地上で人間の頂点に君臨する一人の少女から完膚なきまでに勝利をもぎ取る。そのためにわたしは強くなる。規則は破るし道は外れるし禁忌は触れるが、こればっかりは規則に縛られた道の上で禁忌に触れずにやってやる。必要なら何を切り捨てようと構わないけれど、その一線だけは越えずにやってやる」

 

そこまで言い切り、気付いたら力んでいた肩を降ろして一息吐く。

 

「…まあ、それが無理そうなら百年くらいここを隠れ蓑にして地上へ戻るかなぁ。人間が丸ごと全部入れ替われば、わたしのことなんてほとんど忘れてくれるでしょうから」

 

何世代に跨っていく過程で人間の脅威であった鬼の存在を忘れていったのだから、同様に『禍』の存在だって忘れていくだろうから。

三杯目を飲み干したところでちょうどよく終わった。酒は呑んでいたが、一言も聞き逃さんと意識がこちらに向いていたのが分かる。

 

「お望み通り言いましたよ。…勇儀さん。貴女はわたしの目的をどう見ますか?」

「ふん、どうやら嘘は言ってないらしいな。ここを踏み台か隠れ家だと思っているようだが、別に悪いとは言わんさ」

 

瞬間、わたしの顔の横を何かが通り抜けた。後ろの襖を突き破り、廊下を数度跳ねる音が聞こえてくる。蓋だ。酒瓶を開ける際に、蓋を指で弾いたのだ。

 

「だが、それじゃああんたは地上の妖怪のままだ」

「…分かってますよ、そのくらい」

 

最初から地上へ戻ることを前提に地底にいるわたしは、彼女の言う通り地上の妖怪だ。

 

「そりゃあな、さとりの奴が自ら立てた規則を破ってあんたを保護する、って言うだけの理由があるだろうとは思ってるさ。それだけの価値があるのか、危険が潜んでいるのかは知らんがな」

「その二択ならわたしは危険ですよ。やろうと思えば貴女が瞬きする間に地底を滅ぼせる」

「危険だって使い様。酒が百毒にも百薬にもなるようにな」

 

そう言いながら、四本目の酒を盃に注ぐ。

 

「だから、あんたが地上の妖怪のままでいるのなら、一つここでわたしに言ってみろよ」

「何をですか?」

「『私は地底の妖怪だ』ってな。言えば、私はあんたを地底の妖怪として扱ってやる。地底の連中にも言い聞かせてやる。…どうだ?」

 

そう言われ、わたしは迷うことなく口にした。

 

「わたしは地上の妖怪だ」

「はっはっは!気に入った!私はあんたを地上の妖怪として扱ってやる。地底の連中にも言い聞かせてやる。なあ、強情な妖怪さんよ。改めて、あんたの名前を聞かせてくれよ」

「わたしは鏡宮幻香です。星熊勇儀さん。改めて、よろしくお願いしますね」

 

伸ばした右手は、盃の上で握られる。こうしてわたしと勇儀さんの二人きりの会談は終わった。

 



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第272話

最近の旧都であったいざこざも、ようやく終息の一途を辿っている。それに伴って面倒事も徐々に減っていき、私がすることも減っていく。とても喜ばしいことだ。これはきっと、あの話し合いで何かいいことがあったのだろう。

その幻香さんと勇儀の二人きりの話し合いがどのような内容だったのかは知らない。幻香さんとはあれっきり目も合わせていないし、勇儀に至ってはもう数ヶ月は顔を合わせていない。私が地霊殿から出ることがほとんどなく、勇儀が地霊殿に来ることがほとんどないのだからしょうがないことだ。

 

「ふぅ…」

 

一息吐き、静かに反響する部屋を見渡す。久し振りに何か書こうかしら、と考えたが止める。ずっと部屋に籠りっぱなしだったから、せめて部屋から出てこいしやペットと会うことにしよう。

 

「ん…っ、と」

 

大きく伸びをしてから椅子を降り、扉を開ける。すると、ちょうどよく私の前を横切った人型のペットから何故か『無視しやがって…』という不穏な言葉が読めた。

 

「何かあったのかしら?」

「え、あ、さ、さとり様っ!あの、あれなんですよ!あのー…」

「落ち着きなさい」

 

心まであれのままでは、流石に何を指しているのかサッパリ分からない。

 

「あれですよ、あれ!えぇーと、最近ここに住むことになった、…名前なんだっけ?」

「はぁ…。鏡宮幻香さんですか?」

「そう!それです!そのカガナンチャラにさっき話しかけたのに、完全にいない子扱いされちゃいましてね!」

 

そう言うペットの心には、確かに大広間の片隅で話しかけても何も反応しない幻香さんの姿が読めた。右手の人差し指を虚ろな目で睨み続け、ブツブツと何か呟いていたようだけれど、何を言っているのかまでは気にしていなかったらしく、口が細かく動いていることまでしか分からなかった。

 

「…そう、よく分かったわ。私からも少し言っておきますから、貴方は貴方のやるべきことを続けてちょうだい」

「了解しました!それでは!」

 

そう言うと、両手両足を付けて廊下を走り出していく。人型になっても四足歩行の習慣は抜け切らないものらしい。

…さて、早速用事が出来てしまった。まったく、幻香さんは一体何をしているのやら…。

 

 

 

 

 

 

実は、幻香さんとはあまり会いたくないと思っている。何故なら、彼女の考えていることは私の頭を急激に圧迫するようなことが平然と敷き詰められていることが多いからだ。多岐に渡る選択肢、まるで写し取ったかのように精密な空間、敷き詰められた極小の粒々、その他諸々。そんなもの、好き好んで読みたいとは思えない。

こいしのように心を読めないのは不安だけれど、幻香さんのように心を読み過ぎてしまうのも困りものだ。

 

「…ここね」

 

大広間の扉の前で止まり、一つ深呼吸。何を考えているかは分からないけれど、せめて何を考えていたとしても取り乱さないように、心の準備をする。

 

「…よし」

 

意を決して扉を開ける。ここからでは幻香さんの姿は見えず、まだ心は読めない。あのペットが話しかけたときから動いていないのならば、右に首を曲げれば幻香さんがいる。一瞬思い止まってしまうが、それでも私は右を向いた。

そこには幻香さんが相も変わらず虚ろな――、

 

『回る』『輪転』『螺旋』『円転』『旋回』『回旋』『廻る』『グルグル』『循環』『旋廻』『廻転』『廻る』『旋廻』『螺子』『回る』『自転』『ギュイィィィィン』『円転』『回転』『旋回』『回旋』『廻る』『旋廻』『廻転』『輪転』『旋転』『回る』『円転』『回転』『旋回』『グルグル』『廻転』『螺子』『輪転』『旋転』『回る』『自転』『ギュイィィィィン』『回る』『螺子』『回転』『螺旋』『グルグル』『旋廻』『廻転』『螺子』『輪転』『旋転』『回る』『ギュイィィィィン』『回る』『螺子』『回転』『旋回』『廻転』『回る』『輪転』『旋転』『廻る』『グルグル』『循環』『旋廻』『廻転』『螺旋』『円転』『回転』『旋回』『グルグル』『円転』『回転』『旋回』『回旋』『廻る』『旋廻』『旋転』『回る』『ギュイィィィィン』『回る』『螺子』『円転』『回転』『公転』『旋回』『回旋』『回転』『公転』『旋回』『回旋』『廻る』『グルグル』『循環』『旋廻』『廻転』『螺子』『輪転』『旋転』『回る』『自転』『ギュイィィィィン』『円転』『回転』『グルグル』『循環』『旋廻』『廻転』『螺子』『輪転』『旋転』『回る』『自転』『ギュイィィィィン』『円転』『回転』『旋回』『回転』『螺旋』『回旋』『廻転』『輪転』『旋転』『回る』『円転』『螺子』『回転』『旋回』『グルグル』『回転』『旋回』『回旋』『廻る』『旋廻』『廻転』『輪転』『旋転』『回る』『円転』『回転』『螺旋』『グルグル』『廻転』『螺子』『輪転』『旋転』『ギュイィィィィン』『回る』『螺子』『回転』『廻旋』『廻る』『回転』『廻旋』『廻る』『旋回』『回旋』『旋廻』『廻旋』『旋転』『円転』『旋回』『回旋』『廻る』『グルグル』『循環』『旋廻』『廻転』『螺子』『輪転』『旋転』『回る』『自転』『ギュイィィィィン』『円転』『回転』『旋回』『回転』『螺旋』『廻る』『旋廻』『廻転』『輪転』『旋転』『回る』『円転』『回転』『螺旋』『グルグル』『廻転』『螺子』『輪転』『回転』『旋回』『輪転』『旋転』『ギュイィィィィン』『回る』『螺子』『回転』『廻旋』『廻る』『回転』『廻旋』『廻る』『旋回』『回旋』『旋廻』『廻転』『ギュイィィィィン』『回る』『円転』『旋回』『回旋』『旋廻』『廻転』『回転』『旋回』『回旋』『廻る』『旋廻』『廻転』『円転』『回転』『旋回』『回旋』『廻る』『旋廻』『廻転』『輪転』『回転』『旋回』『グルグル』『旋廻』『廻転』『螺子』『輪転』『旋転』『回る』『ギュイィィィィン』『回る』『螺子』『回転』『旋回』『廻転』『回る』『輪転』『旋転』『廻る』『グルグル』『円転』『回転』『旋回』『回旋』『廻る』『旋廻』『旋転』『回る』『ギュイィィィィン』『回る』『螺子』『円転』『回転』『公転』『旋回』『回旋』『回転』『公転』『旋回』『回旋』『廻る』『グルグル』『循環』『旋廻』『廻転』『螺子』『輪転』『旋転』『回る』『自転』『ギュイィィィィン』『円転』『回転』『グルグル』『循環』『旋廻』『廻転』『螺子』『輪転』『旋転』『回る』『自転』『ギュイィィィィン』『円転』『回転』『旋回』『回転』『螺旋』『回旋』『廻転』『輪転』『旋転』『回る』『円転』『螺子』『回転』『旋回』『グルグル』『回転』『旋回』『回旋』『廻る』『旋廻』『廻転』『輪転』『旋転』『回る』『円転』『回転』『螺旋』『グルグル』『廻転』『螺子』『輪転』『旋転』『回る』『螺子』『回転』『廻旋』『廻る』『回転』『廻旋』『廻る』『旋回』『回旋』『旋廻』『廻転』『ギュイィィィィン』『回転』『旋回』『回転』『螺旋』『回旋』『廻転』『輪転』『旋転』『円転』『螺子』『回転』

 

――気付いたら、大広間から出ていた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ…。な、何ですか今のは…」

 

体中から嫌な汗が噴き出る。荒れる呼吸をどうにか押さえようとするが、どうにも落ち着かない。思い出しただけで身震いしてしまう。心を読んでいるのに、何を考えているのかサッパリ分からない。ハッキリ言って、気味が悪い。

 

「…どうりで無視されるわけですね」

 

あんなことを頭一杯溢れんばかりに敷き詰めて、零れそうになれば押し潰すようにさらに詰め込んでいく。一点のことしか考えていない今の彼女に、周りなんてものは存在しないと同義だろう。

 

「どうしたの、お姉ちゃん?熱いの?」

「…!こ、こいし…。流石に熱くはないわよ…」

 

後ろから肩を叩かれ、謎の心配をされた。さっきまで誰もいなかったと思っていたのだけれど、いつの間にかこいしが後ろにいたらしい。

 

「じゃあ、その汗だくビッチョリは?」

「…それはちょっと――」

 

ギュイィィィィンという、まるで硬いもの同士が擦れ合うような音が突然大広間から聞こえてきた。すると間もなく、ギャギャギャギャギャ!という、硬いものを削り取っていくような音が響く。

あまりに急なことで、思わず耳を塞いでしまう。だが、それでも音の暴力はお構いなしに私の両手を突き抜けて耳を襲い続ける。

 

「…うっひゃぁ…。凄い音ぉ…」

「え、えぇ、そうね…」

 

ようやく音が収まり、両手を耳から離す。ぐわんぐわんと音の残滓が耳に残り、それに伴って頭痛もしている気がする。…一体、幻香さんは何をしたっていうのよ…。

 

「よーし!大広間に突撃ー!」

「ちょっ、こいし!?待ちなさい!」

 

当然のように恐れ知らずのこいしは、大広間の扉を開けて中へと入っていく。そして、私もこいしに引っ張られるように続いていくのであった。

 



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第273話

こいしを追いかけて大広間へと入り、すぐに右を向く。両耳の部分に薄紫色の半球をくっ付けた幻香さんが、背中を向けて変わらずにそこにいた。

 

「おーい!幻香ぁー!」

 

こいしが両腕を振り回しながら声をかけているが、幻香さんは振り返らない。…いや、振り返れないのだろう。あんな風に耳を塞いでしまっては、私達の声なんて届くはずがない。実際、心を読んでも私達のことが一切出てこない。読めるのは『鉄もいけるのか』という謎の言葉。

 

「ピッカーン!閃いた!」

 

幻香さんが反応しないことで不思議そうに首を傾げたこいしが突然声を上げる。頭から光るものが出てくるのを幻視するような言葉と共に、こいしが幻香さんの背中に思い切り跳びかかっていく。

耳を塞いでいて声も聞こえない。気配なんてあってないようなもの。そんなこいしに背中から抱き付かれる一歩手前、幻香さんの心に不穏な言葉が一瞬にして流れた。『空気が動いた』『人型』『襲撃』『反撃』と。

 

「こ――」

「ッ!――っ!?」

 

私がこいしに止まるよう伝える間もなく、幻香さんが振り向き際に左拳を打ち出す。が、その拳はこいしの姿を見た瞬間に不自然な動きをして引き戻された。そして、そんな無茶な動きで姿勢が不安定となったところでこいしが跳び付いた。そのまま背中から倒れてしまった幻香さんは、耳に付いていたものを消しながら上半身を起こす。

 

「痛ったた…。急に驚かさないでくださいよ…」

「むふふ。驚かしたんだから、もっと驚いてくれていいんだよ?」

「…驚きました。驚きましたから、ちょっと離れて…」

 

左手でこいしを引き剥がし、床に落ちていた何かを拾い上げながら立ち上がる。そこでようやく幻香さんと私の目が合った。…『姉妹揃ってどうしたんだろう』ね。

 

「…私は貴女の様子がおかしいとペットに報告されてきたのですよ。それより、さっきの不可解な音は一体何をしたんですか?」

「あー、ちょっと久し振りに試してみたくなって」

「…?」

 

久し振り。幻香さんの言うその言葉に、私は小さな違和感を覚えた。理由は分からない。けれど、何かがおかしいような気がしてならない。

 

「見てくださいよ、これ。ちょっと鉄板創ったんですが」

「お?…おぉー!これ、綺麗に穴が空いてるね。ほら、わたしの指がスッポリ!」

 

左手に持った厚めの鉄板には、確かに穴が空いていた。今はこいしが人差し指を指しては抜いてを繰り返して遊んでいる。

そんな二人を見ていると、さっきまで耳に残っていた音の残滓がようやく取り除かれていく。それに伴って、シィィィィィ…、という静かな音が聞こえてきた。

 

「そりゃそうですよ」

 

その音の正体はすぐに分かった。

 

「だって、わたしの指で空けたんですから」

 

その右手の人差し指は回っていた。第二関節から先がグルグルと回転していた。そのまま捩じ切れてしまうのでは、と思ってしまうほどに容赦なく回り続けていた。

 

「…ど、うしたんですか、その指は。一体、何があったんですか…」

「え?どうしたんですか急に?前からそうだったじゃないですか」

 

誰でも分かるような嘘を吐いた。しかし、彼女の心は私達を騙そうという感情が一切ない。それを真実だと疑っていない。本気で『昔からわたしの指はこうだった』と思い込んでいる。

 

「うわ、本当だ!独楽よりずっと速ーい!」

「触らないでくださいよ?下手に触れると怪我しますから」

 

そう言って二人で笑い合っている最中、私はどうしてああなったのかを必死になって考えていた。真っ先に思い付くものは、さっきの膨大な言葉。思い出すだけで身震いしてしまうが、その言葉は総じて回転に関するものばかり。

そこまで考えたところで、一つの仮説が浮かぶ。まさか、さっきまでの幻香さんは自己暗示をしていたの…?

ドッペルゲンガー。願い主から願いを奪い、その願いから願い主と同じ精神を形成し、その精神に応じた身体を形成し、願い主の代わりに願いを叶える存在。しかし、幻香さんの精神では身体は形成されず、何故か精神が宿っていない時の無垢の白のまま。

だから、幻香さんは思い込んだ。『自らの右人差し指は回転する』と。自分に何度も言い聞かせ、何度も嘘を吐き続け、何度も虚構を真実に書き換え続けた。その結果があれだ。今の彼女の精神は『右人差し指が回転する身体を持つべき精神』となってしまっている。

 

「…幻香さん」

「さとりさん?…どうしたんですか、そんな怖い顔して」

「お姉ちゃんの顔が凄いことに!」

 

けれど、それはまやかしだ。自らの精神を歪めて無理矢理創り出した虚構の精神だ。それに、あのままどんどん変え続けていったら、その姿を全て書き換えてしまったら、そのとき最後に残るものは本当に幻香さんと言えるのだろうか?

分からない。そうだとも違うとも断言することは出来ない。…けれど、私は違うだろうと思う。既に純粋な幻香さんじゃなかったとしても、精神なんて常に変わり続けるものであろうと、あのような変化をしてしまえば、それはもう幻香さんとは違う別の何かだ。

 

「貴女の虚構(しんじつ)を正します」

「え?」

 

自己暗示を解く方法はいくつかある。ゆっくりとその暗示を解きほぐすことだって出来るけれど、どの程度時間が必要になるか分かったものではない。

だから、精神に強烈な衝撃を加えることで強制的に壊す。貴女が貴女でなくなってしまう前に、私が貴女を戻す。

決意を宿し、第三の眼を見開く。その瞬間、その瞳から強烈な光を放った。

 

「う…ッ!」

 

自衛の手段の一つとして身に付けた技能。強烈な光を当てて動揺させ、心に精神的外傷(トラウマ)を無理矢理思い出させる。暗示には催眠術を、だ。

 

『そうだ!とりあえず解体(ばら)そうかな!』

『へ?――ァァァアアアアアア!』

『あー、ちょっと強すぎた。これじゃあ肉塊も残らないや』

『――がっ!』

『お前のせいで、ウチの曾婆ちゃんが死んだんだ!お前のせいでっ!お前のっ!』

『目に焼き付けろ!心に刻め!これから起こる結末の先行上映だ!複製『西行妖散華』!』

『赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤――黒』

『我が母を!我が竹馬の友をッ!殺した貴様を捨て置くなどッ!』

『あっそ。まあ、知ってたよ。――だから、最初からお前だけは許すつもりはなかったよ。――…さよなら』

『あリがト、サヨなら』

『待って…!わたしは…ッ!』

『またネ、私のお姉さん』

『安心も不安も歓喜も激怒も悲哀も楽観も感謝も感動も驚愕も興奮も好奇も焦燥も困惑も幸福も緊張も責任も尊敬も憧憬も欲望も恐怖も快感も後悔も満足も不満も無念も嫌悪も羞恥も軽蔑も嫉妬も罪悪も殺意も優越も劣等も怨恨も苦痛も諦念も絶望も憎悪も何もかもッ!私は、感じてない…。空虚なんですよ…、空っぽなんです…。それが、辛い…ッ!』

『なら死ね』

『気紛れで生かそうと思った気が変わったんだ。ま、許さなくていいよ。恨んでも構わない。そのくらいの咎は背負うから』

『ええ、さよなら』

『…さようなら。貴女のこと、忘れません』

『それじゃ、行ってくるわ』

『それじゃ、あとよろしく』

 

だが、それは早計だったかもしれない。右腕が破裂し、刃物が突き刺さり、暗い死の気配が忍び寄り、狂気の赤に塗り潰され、人間の醜い悪意を受け、消滅を目の前にし、虚無に苛まれ、心臓を貫かれ、再び咎を背負い、再び消滅を目の前にし、死地へと向かわせる。そんな精神的外傷(トラウマ)の数々が私を一斉に覆い尽くしていく。

 

「ぁ、…あぁ……、ぅ、あ…」

「お姉ちゃん!?」

 

誰かの叫び声が聞こえる。体が激しく揺れる。けれど、そんなものは何処か遙か遠くで起こったことのように感じる。

あれだけの古傷を持ちながら、幻香さんは耐えていたのか。これだけの古傷があるから、あんな風になってしまったのか。そんなことを知りながら、平然としていられたのか。…あぁ、どうりで私とは違うわけだ。

 

「ねえ!お姉ちゃんったら!」

「ぁ…、こ、こい、…し…?」

 

ようやく頭の整理がつき、ようやく私を揺らしていたのがこいしだと理解する。

 

「…ねぇ、幻香さんは?」

「え?幻香?」

 

こいしに訊くと、その答えは指差しで済まされる。

 

「うあー…、嫌なこと思い出しちゃったよ…」

 

そう言って右手で後頭部をガリガリと引っ掻いている幻香さんがいた。

そして、また目が合う。…『さとりさんがやったのかな?』ね。

 

「…ええ、そうです。貴女の自己暗示を壊すためにやりました。…以前にも言ったでしょう?精神を書き換えることは危険である、と。貴女が言う通り常に変わるものだとしても、あんな無理矢理な変化で悪影響がないわけがないでしょう…」

「ははは…。そうかもしれませんね…」

「ねぇちょっとー!二人共わたしを置いていかないでよー!」

 

そう言うと、幻香さんは右手の人差し指を見詰めた。回転はもう止まり、元通り普通の指になった人差し指を、じっと見続けていた。

その時の幻香さんの心は残念ながら私が求めていた反省と自制ではなく、出来てしまったことへの複雑な心境でいっぱいであった。

 



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第274話

好き好んで思い返したいとは思わない精神的外傷(トラウマ)を思い出した所為で、痛くもない右腕と心臓に痛みの残滓が残っている。気分もあまりよくないし、気付いたら倒れていた体をこれ以上起こす気にもなれない。

さとりさんとこいしが目の前にいるにもかかわらず、わたしは手のひらをじぃっと眺める。何の変哲もない、普通の手の平だ。親指も中指も薬指も小指も、もちろん人差し指だって普通。何処をどう見ても何処にでもあるような指で、決して螺子みたいにグルグル回転していない。

その時の記憶はもちろんある。ただ、産まれてからその時までずっとそうだったと自分自身に言い聞かせて騙して思い込んで勘違いさせた結果、自分のことなのに自分から離れた誰かのことのような気がしてならない。確かに自分自身の経験のはずなんだけど、まるで知識として持っているような感じがして、繋がっていないような感じがする。

まるで夢でも見ていたような気分だ。この現実とほとんどそのままそっくりで、ただ一つわたしの右手の人差し指がグルグル回転する、ってことだけが違う夢。それ以外何も変わらない。そんなつまらない夢は、さとりさんに強制的に叩き起こされたわけだけど。

今のわたしにあるものといえば、ただ、まあ、出来ちゃったなぁ、という印象くらいだ。

それは、出来た、という感情でもある。精神の書き換えの予行演習。こいしに関する記憶に穴を空けられて取り繕われ、フランの破壊衝動が混ざって『紅』となったように、今度は自ら書き換える。秘術の解読が出来なければ、こうして絶対記憶能力を組み込もうかな、と思ってのことでもある。

そして、出来てしまった、という感情でもある。わたしは本当にここまで変われるんだなぁ、と。出来たらそりゃあ嬉しいけれど、出来なかったらどれだけ喜んだだろうか。分かるわけないか。ま、そもそも出来ないはずがないと思っていたわけだし、仮にもし出来なかったらそれはそれで思うところもあっただろう。どう思ったかなんて知る由もないけれど。わたしなんて、そんなものだ。

さとりさんにはああ言われたけれど、わたしは止めることはしないだろうな、とも思う。どれだけ捻じ曲がろうと、どれだけ歪み切ろうと、どれだけ変わり果てようと、わたしはわたしだ。わたしが鏡宮幻香である限り、わたしは鏡宮幻香である。

 

「…貴女は変わるつもりはないのですね」

「変わるんだよ、これから。…変わらなきゃいけないんだ」

 

掴んだ新たな可能性。これをそのままお蔵入りだなんてもったいない。人差し指が変わるなら、右手だって変えられるだろう。右手が変わるなら、右腕だって変えられるだろう。右腕が変わるなら、右半身だって変えられるだろう。右半身が変わるなら、全身だって変えられるだろう。そう考えていると、自然と頬が吊り上がっていく。

そして、それと同時にこの歪んだ使い方に乾いた笑いが込み上がってくる。他のドッペルゲンガーがいたとしたら、わたしを見て驚くだろうなぁ。…ま、ドッペルゲンガーに自我なんてありゃしないんだけどさ。

 

「だぁかぁらぁー!お姉ちゃんも幻香もわたしのこと置いてかないでよー!」

「うわっぷ…。あはは、すみませんね」

 

膨れっ面で抗議してきたこいしを受け止めつつ、謝罪する。ただ、こいしを置き去りにしてさとりさんと会話したことをであって、中身が伝わらない会話をしていたことではないが。

 

「さとりさん」

「…別に、もう構いませんよ」

「ありがとうございます」

 

さとりさんに了承を得たところで、こいしの手を掴んでいい加減起き上がる。いくら気分が悪くても、ずっとここで床に腰を下ろし続けているわけにもいかないから。

 

「どうしたの?」

「さとりさんの話は終わったようですから、わたしはこいしと遊ぼうかな、って思っただけですよ」

「やった!それじゃあねぇ、わたしの部屋に行こ!」

 

掴んだ手をこいしに引っ張られながら、大広間を後にする。扉を潜る直前に振り返ると、さとりさんはやけに寂しそうな表情で微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

引っ張られてこいしの部屋。部屋に入ってすぐにこいしは机に積み上げられていた紙束を鷲掴みし、花吹雪のようにばら撒いた。宙を舞う一枚を床に落ちる前に手に取って読んでみれば、細かく波打つ渦巻が描かれている。その絵の周辺には『花開いて散る』『ゆっくり広がっていく』『爆ぜる、ダメ、ゼッタイ』と補足するように書かれている。…何だこれ?

 

「…ハッ。ばら撒いちゃ駄目だった」

「何ですかこれ?」

「集めてからのお楽しみで!」

 

そう言われ、床に落ちている紙をまとめていく。一枚一枚にそれぞれ違うことが書かれているけれど、深く考えないようにしてとにかく集め続ける。せっかく教えてくれるなら、そこまで知らないでいたいと思ったからね。

床に落ちている紙を全て回収し切ったところで、机に角を揃えて置く。こいしが同じように置いた紙束と合わせて二枚の紙が目に入る。わたしが集めた紙束の一番上は、中心から直線が大量に伸びていて、『とにかくたくさん』と書かれている。こいしが集めた紙束の一番上は、二つの丸が交差するように波打っていて、『下から上に大きく』と書かれている。

 

「それで、これは一体何ですか?」

「へへーん。実はねぇ、幻香が言ってたスペルカード戦だっけ?それのアイデア!」

「へぇ…、こんなに考えたんですか…」

「まぁね。魅せる弾幕でしょ?簡単そうで難しいよねぇ」

「…あー、そーですねー…」

 

こいしのその言葉に、思わず目を逸らしてしまう。わたしのスペルカードはどう考えても魅せるためのものではない。

 

「例えばこれ!」

 

わたしが目を離した隙に、こいしが紙束の中から無造作に紙一枚を引っこ抜いてわたしに見せつけてくる。ただ、引っこ抜く際に紙束を崩してまた床に雪崩れてしまっていいのだろうか?…こいしが気にしてないならいいか。

楕円を斜めに切って片方引っ繰り返したような模様、パチュリーと遊んだトランプのハートに似た形が二つ描かれ、その中心を線が通っている。きっとこのハート型の妖力弾の軌道のつもりなのだろう。

 

「この形、心臓とか愛とかの意味があるんだって!」

「へぇ、そうだったんですか」

 

流石にそのくらいは知っている。あまり気にしていなかったけど、他にも心という意味があったはずだ。

心を飛ばす、か。無意識のまま無意識に生きるこいしらしい、と言えばらしいかな。心を捨てたのか、それとも自分の心を受け取ってほしいのか。それともそんなこと全く気にしていないのか。…まぁ、今はそんなことを訊くつもりはないけど。

 

「不愛想な形より、何かそれっぽい形のほうが見栄えするよね!」

「そうですね。わたしの知っている魔法使いに星型を飛ばす人がいますし」

「へぇー!刺さったらザクッて痛そう!」

「刺さるなら痛いでしょうねぇ」

 

見事な鋭角だし。

 

「他にも色々あるけどね、やっぱりやってみないと駄目だよね」

「どれだけたくさん思い付いたとしても、それを形にしないと埃を被るだけですからね」

「だよね!だからこれの中からいいもの選んでさ、幻香と初めてのスペルカード戦をやろうかな、って思うんだー」

 

そう言って無邪気に笑う。そのまま崩れた紙束から次々と引き抜いていき、今度は難しい顔をしながら見比べては後ろに放り投げていく。考えたはいいものの、こいしの琴線に触れなかったらしい。

 

「だからさ、ちょっとここで待ってて…!今からいくつか絞り込むから…!」

「好きなだけ時間を掛けてください。せっかくやるならいいものにしましょう?」

「うん、そうする…!むぅ、これは…」

 

こいしが選び終わったら、こいしとスペルカード戦かぁ。こいしってどのくらい強いんだろう?フランは初めてのスペルカード戦でも十分にやり合えたみたいだし、こいしもいけるのかな。どのくらいの実力かは分からないけれど。ふふ、楽しみだなぁ…!

 



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第275話

…誰かがわたしの体を揺すっている。一体誰がわたしの睡眠を邪魔してるの?もうちょっと寝かせてください…。

 

「ちょっと幻香ー、起きてよー」

「ぁとすこし…」

「わたしが頑張って選んでたのにいつの間にか寝ちゃうなんて酷いよー!」

 

誰かが不満気な口調で何かを言っている。ふわふわとした微睡みの中にいるわたしは、自分でも何を言っているのか分からないまま言葉を発する。この心地いい世界から逃れようとは思えない。さて、おやすみなさーい…。

 

「ねえ起きてってばぁ!」

「ぅごっ!?」

 

突然何かがわたしの体に激突し、後ろの壁に挟まれる。肺の中身が一気に吐き出され、見開かれた視界が一瞬真っ白になったと錯覚してしまうほどの衝撃がわたしを突き抜け、眠気をブチ抜いていく。

これは、油断した…!いくらさとりさんに保護されたと言われていたから、さとりさんが住む地霊殿だから、襲撃者が来ない可能性が零だなんて思い込んでいた。

白い世界に着色されて視界の端にチラつく何かを感じながら、胴体に縋りついている誰かを無理矢理引き剥がす。

 

「うひゃっ!?」

「何処の誰かは知ら、な…」

 

やけに簡単に引き剥がせたな、とちょっとばかり疑問に思いながら顔を見てみれば、…こいしだった。

 

「むぅ、やっと起きた?」

「はは、すみません…」

 

蹴り上げようとしていた膝を収め、思わず苦笑いを浮かべてしまう。記憶の穴が刹那で埋められていき、わたしがここで寝ていた理由もハッキリと浮かんでくる。

…あぁ、こいしがスペルカード戦のアイデアが詰め込まれた紙束から取捨選択していたけれど、流石にあれだけの数があればちょっとやそっとでは終わらない。最初はいつ終わるかなー、と楽しみに思いながら眺めていたけれど、途中から自分の感覚で一秒経ったら一つ数字を数えていた。その結果、一万を超えたあたりで気付いたら寝てしまっていたんだ。本当に申し訳ない。

こいしをわたしの隣に降ろし、両手を組んでから両腕を前へと伸ばす。僅かに硬くなっていた腕と肩が引き伸ばされ、ほんのりと熱を帯びていくのを感じる。こりゃ全身ちゃんと伸ばしてからじゃないとスペルカード戦はやりたくないなぁ…。

 

「そりゃあこんなに時間掛かっちゃったのは謝るよ。ごめんね。けど、時間掛けていい、って言っていってくれたのは幻香じゃん」

「ぐうの音も出ない…」

「チョキとパーと?」

「グー…、って関係ないでしょう」

 

グーの音が出たけど。

 

「ま、幻香が起きたならそれでよし!ふっふーん、楽しみぃ!」

「それじゃ、庭に出ましょうか。流石にこんな狭い部屋じゃあ躱せるものも躱せない」

「だね。じゃ、行こっか!」

 

そう言うとこいしは勢いよく立ち上がり、部屋の窓を全開にする。そして窓枠に足を掛けながらわたしを手招きし、そのまま外へと跳び下りていく。わたしもそれに続き、窓の外へと跳び出していった。一瞬の浮遊感が終われば、残りは落ちていくのみ。

 

「ほっ、と」

「っ、と」

 

庭に着地して四つの窪みを作り、広いところへ足を運ぶ。到着するまでの間に、出来るだけ体を解していくことにした。

 

「んー、この辺でいいかなぁ?」

 

欲を言えばもう少し地霊殿から離れていたほうが、建物への被害が抑えられるんだけど…。けれど、ここの近くにここほど広そうな場所は見当たらない。

 

「ま、大丈夫でしょう。けど、その前にいくつか確認を」

「何?」

 

何せ、こいしにとってはスペルカード戦の初陣だ。ルールを理解しているかもそうだけど、それ以外にも確認しておきたいことはある。

 

「スペルカードの枚数は?」

「基本三枚!」

「被弾は?」

「基本スペルカードの枚数と同じ!」

「被弾してから次の被弾を数える時間は?」

「三秒後!」

 

それだけ分かっていればルールは大丈夫だろう。

 

「それだけ分かっていれば十分。けど、始める前に威力の調整をしましょうか」

「えぇと、死なない決闘だから?」

「そ。仮に急所に被弾しても痛いで済むように」

 

そう言いながら、こいしに向けて人差し指を伸ばす。指先に僅かな妖力が溜まり、一個の妖力弾を発射する。すると、こいしはゆらりと体を動かして妖力弾を躱した。…え、躱すの?

 

「ちょっとー、危ないじゃーん」

「…まあ、当たってもちょっと痛い程度ですよ。喰らってみてくださいな」

「はーい!」

 

元気のいい返事をもらったところで、わたしに向けて突き出された手の平に先程と同じ妖力弾を発射する。今度はそのまま手の平へと被弾し、被弾箇所を僅かに赤くした。

 

「うん、あんまり痛くないね」

「さ、こいしも一発試してみてください。血が流れなければ始めましょう」

「分かった!」

 

唇に指を当て、そこからハート型の妖力弾を一つ浮かべる。魅せる弾幕の一環だろう。そして、尖った部分をわたしに向けて発射した。…明らかに威力過多な妖力弾を。

大地の一部を切り取り、土塊として手の上に複製してハート型の妖力弾を受け止める。土塊は妖力弾に当たった瞬間爆ぜ散り、いくらか威力を削ってもなお残る妖力弾を手の平で受ける。僅かに抉られた感覚と共に濡れた感触。ジクジクと鋭いような鈍いような痛みを感じながら手の平を見てみれば、予想通り血が流れていた。

 

「これじゃあ強過ぎですよ?もう少し威力を抑えてもう一発やりましょう」

「むぅ…、意外と難しい…」

 

その後も何度も試し撃ちを喰らい、七回目には十分に威力を弱めることが出来た。傷付いた場所はまとめて『紅』で塞ぐことも忘れない。

 

「よく出来ました。この威力でやりましょうね」

「幻香、っていうより地上の人達はこれが普通に出来てるんだね。ここじゃあ考えられないよ。旧都は『力こそが全て!』って感じだもん」

「ふふっ『弾幕はパワーだぜ!』…なぁんてね」

「パワーだよー!…なぁんてね!」

 

威力の調整なんてそっちのけのスペルカード戦だってよくあるものだ。お互いに実力が近しいとよくある。

 

「冗談はさて置き。今回の弾幕は威力押さえますからね。お互い怪我しないで終われるくらいがちょうどいいんですけど、いけますよね?」

「うん、大丈夫!早く始めよ?」

「ええ、始めましょうか」

 

お互いに後ろ歩きで十分に距離を取り、わたしはちょうどよく足元に転がっていた石ころを拾い上げる。

 

「スペルカードと被弾は、基本に則って三回ずつにしましょうか。それじゃ、これをわたしとこいしの間あたりに投げ上げます。地面に落ちたら開始、ということで」

「りょうかーい!ワクワクだよドキドキだよ楽しくなってきたよ!」

「わたしも楽しみですよ」

 

右腕を振り上げ、石ころを高く放り投げる。放物線を描きながら上昇を続けるが、やがて失速し、そして落下し始める。意識をこいしへと向け、石ころが地面に落ちたと認識した瞬間に最速から最遅までを十段階に振り分けた直進弾用と追尾弾用の『幻』を各三個ずつ、計六十個展開する。

目の前に迫っている縦に大きく波打つ軌道のハート型の妖力弾を横に跳んで避けつつ、右手に込めた妖力をこいしに投げ付ける。

 

「ほっ――うひゃっ!」

「まだまだいきますよ、っと!」

 

投げ付けた妖力弾をこいしの目の前で爆裂させ、僅かに怯んだ隙に追加で三発投げ付ける。すると、爆裂範囲外へ大きく横っ跳びをして躱された。ま、このくらいは出来るよね。

 

「最初だから範囲は絞るよ」

「え?」

「模倣『マスタースパーク』」

 

半秒足らずで淡い光を放つ右腕から、躱したばかりで僅かに体勢が崩れているこいしへ膨大な妖力を吐き出す。普段の三分の一程度に抑えたマスタースパークは真っ直ぐこいしへと伸びていったが、これも体勢が崩れたまま咄嗟に横に飛ばれて回避された。

 

「うっひゃぁ、凄いなぁ…。これがスペルカード…」

 

慌てて態勢を整えて『幻』から放たれている弾幕を躱しているこいしは、さっきまでマスタースパークが流れていた空間を横目に感嘆の言葉を呟いた。

 

「凄いね!何て言うか、ドッカーン!って感じ!」

「わたしは魅せる弾幕、ってのがどうも苦手なので、代わりに派手な弾幕で誤魔化すんですよ」

「そっか!そんなのもあるんだね!」

 

そう言いながらわたしに小さな妖力弾の弾幕を放ってくる。その妖力弾に僅かな違和感を覚え、警戒していると妖力弾から薔薇が花開く。ふと、風見幽香の弾幕が頭を過ぎる。あれと似たような弾幕だ。…まあ、あんな殺意の塊みたいな威力は当然ないけれど。

わたしの元へ届く頃には薔薇は散り花弁となっている。細かく分かれて襲いかかる弾幕の間をすり抜けながらこいしへと駆け出し、十指に込めた妖力弾を同時に放つ。大きく外側へと曲がっていくが、最終的には今こいしがいる位置に収束する軌道。

 

「よ、っと!」

 

しかし、こいしに大きく後退されて十の妖力弾はお互いに潰し合う。

 

「ここですかさず!本能『イドの――」

「遂に正体を現したな不届き者がぁっ!こいし様に何してるんだい!?」

「――解、…って、お燐?」

 

こいしがスペルカードの宣言をしようとしたその時、お燐さんがわたしとこいしの間に立ち、こいしを守るかのように立ち塞がる。…あの、物凄く邪魔なんだけど…。

とりあえず『幻』を回収し、両手の人差し指を斜めに交差させてスペルカード戦の中断をこいしに伝える。滅茶苦茶不満気な顔をされたけれど、渋々頷いてくれた。

 

「何って…、遊びですけど」

「いーや!あれはあたいを攻撃した時に使ってた技だったね!これはもう言い逃れ出来ないよ!早速さとり様に報告して――」

「ねえお燐」

「こいし様安心してください!今すぐ化けの皮引ん剝い、て…」

 

こいしに呼ばれて振り向いたお燐さんは、こいしの顔を見るとすぐに言葉が止まり、顔色を一気に青くした。何故なら、こいしの顔は誰が見ても分かるくらいに怒り一色だったから。

 

「わたしね、幻香にね、地上で流行ってるっていうとっても面白そうな遊びを教えてもらったんだよ。それはね、命名決闘法案、別名スペルカード戦って言うんだけどね、お互いに弾幕を撃ち合って、魅せ合って、強さと美しさを兼ね備えた方が勝つ、っていう遊びなんだよ。わたしもやってみたくなってね、たくさんたくさんたくさんたくさんたくさん考えてね、やっと遊べる!ってさっきまで胸がドキドキ高鳴ってたんだよ。けどね、今は胸が怒気怒気高鳴ってるんだ。…ねえ、お燐。温かいお茶を飲んでホッと一息吐いているときにさぁ、そのお茶に冷や水をブチ込まれてみなよ。…流石にわたしも、怒っちゃうよ?」

「え、あ、その…」

「はぁ…。流石に擁護出来ないなぁ…」

 

こいしの初陣がこれだと思うと、何とも言えない気分になる。

その後、わたしとはスペルカード戦はそのまま後日に仕切り直しという約束をし、こいしはお燐さんを引き摺って地霊殿へと戻っていった。一体、こいしに何をされてしまうのだろうか…。あまり考えたくない。

…さて、こいしさんを認識出来なくなって思い出せなくなる前に、備忘録を書いておきますか。手頃な大きさの板を一枚創造し『こいしとスペルカード戦をする』という文字を削り取っておく。これで大丈夫だと思いたい。

 



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第276話

へえ…、この登山家が犯人で、普段から愛用している命綱の先端に石を括り付けて振り子の糸として利用したのか。どうりでいつの間にか命綱が無くなっていると思った。頭にぶつけたなら血痕が付着していて、それを放っておいたら殺人に利用したことがバレてしまう可能性がある。だから、証拠となりかねない命綱は焼き芋の落ち葉と一緒に焼却処理した、と。

 

「お燐が貴女とこいしの遊びに横槍を入れたことを聞きました」

 

けど、そもそも殺すならもっと考えてほしいなぁ…。道具を使って罠を仕掛けて、自分がその時間に目撃されることで被害者を殺していないという証明にした――これをアリバイと言うらしい――のはよく分かった。

 

「こいしも相当頭に来ていたようですし、お燐を含めたペット達には多少の注意喚起をしておきました」

 

だけど、石は拾う癖に振り子の糸は自分の持ち物を使用するズレた感覚。命綱は処理するのに石のほうはその辺に投げ捨てるだけという迂闊さ。罠が目的とは違う人に作動する可能性。罠作動後から証拠隠滅までの時間差。秋だからって突然焼き芋の焚き火を準備する不可解な行動。わたしに言えたことではないけれど、色々と言ってやりたいところがある杜撰な計画。

 

「ですが、お燐に全ての非があるわけではなかったのは、彼女の心を読めばよく分かりました」

 

特に言ってやりたいのは、イラつくことを言われて衝動的に殺したと自白したくせに罠を仕掛ける冷静さがあること。その場で首を圧し折るくらいのことをしても何もおかしくないでしょうに、その場では我慢出来る忍耐力。この犯人ってなんだか不思議。

 

「お燐は地上で流行の遊戯である命名決闘法案を知らなかったのです。だから、お燐のことをあまり責めないであげてください」

「え?…ああ、そうですか」

 

さとりさんが執筆したらしい推理小説の感想をまとめ終えたところでちょうどよくさとりさんが話し終えたようなので、パタリと本を閉じる。浅く座っていた椅子から降り、後ろに並んでいる本棚に仕舞う。この本棚に収まっている本の全てがさとりさんが執筆した本というのだから驚きだ。

 

「…あの…、話聞いてましたか?」

「聞いてましたよ。お燐さんが早とちりしただけだから許してください、ってことでしょう?」

「…まあ、そういうことです」

 

そう言われても、実感が湧かない。そのことを責めるなと言われても、そもそもどう責めればいいのか分からない。こいしさんとスペルカード戦をしていたらしいけれど、当然のように思い出せない。そこにお燐さんが乱入して来た、という記憶もない。

あと、もう回収してしまった『こいしとスペルカード戦をする』と削られた板を創ったという記憶はあっても、どうして創ったのか思い出せない。…まあ、これはきっと途中で中断してしまったスペルカード戦を後日やる約束をしたという、わたしからわたしへ伝える備忘録だろう。思い出せなくても自分のことだ、何となく分かる。

 

「それと、駄目出しはそのくらいにしてください…。ちょっと、恥ずかしいです…」

「じゃあどうして書いたんですか…」

「趣味です」

「執筆を趣味にするくらいなら、読書も好きなんですか?」

「ええ。言葉を文字通り読むことで理解する世界ですから」

 

発言も情景描写も心理描写も文字として書かれる世界。心を読む覚妖怪が心を読めない世界。それはわたし達とは違うものに見えるのだろう。

隣の本を引き抜き、椅子に座る。表紙を捲ると早速少女の愛の告白が。しかも二人の少女が一人の少年に。困惑する少年。…ふぅん、少年の奪い合いでも始まるのかな?

 

「…こほん、幻香さん」

「何でしょう?」

 

せっかく読み始めたところで、わざとらしい咳払いをしたさとりさんに声を掛けられた。

 

「こいしが言っていた命名決闘法案、スペルカード戦でしたか?」

「ええ。いつ伝えたかは思い出せませんが、名前は合っていますよ」

「私も興味があるんですよ」

 

興味、ね。それは観戦するという意味なのか、参戦するという意味なのか。

 

「…残念ながら、どちらでもありません」

「あら?」

「いつか旧都の新しい娯楽として浸透させることを検討したい、と思ったんですよ。かなり前に建築物の損壊が著しい、と報告がありましてね。それの緩和に一役買ってくれないか、と」

「無理じゃないですか?人がぶつかるだけで崩れる家ですよ?弾幕で穴がいくつか開けば、自重で柱が折れて壊れるでしょ」

「そうかもしれませんが、喧嘩と賭博ばかりの旧都に新しい娯楽を提供したいのは本当の気持ちですよ」

 

地上では博麗の巫女である博麗霊夢の名と共に発布されたことと、妖怪同士の決闘は小さな幻想郷の崩壊の恐れがあるが、決闘の無い生活は妖怪の力を失ってしまうという明確な理由もあって、割とすぐに流行りの遊びとして幻想郷に広がったけれど…。

地底ではどうなのだろう?古明地さとりの名と共に発布されたとして、喧嘩が常習化しているらしい旧都では倒壊が普通で、喧嘩のない生活はないに等しいのだろう。…流行るのか、これ?

 

「…地上では主に性別、もしくは性格が女性側の方々に流行っているそうですね」

「そうだと思いますよ。少なくとも、わたしは男性がスペルカード戦をしているのを見たことがないです」

「旧都でも女性側に立つ方は下の立場に落ちてしまいがちです。ですから、同じようにその女性側の新しい娯楽として流行り、新しい序列を構成してもらうのもいいかもしれませんね」

「今まで序列の上にいた方から潰されないといいですね。新しいことは受け入れられる可能性と、潰される可能性がどうしても一緒に付いてくる」

 

過去の栄光にいつまでも縋り続ける人がいることを、価値観が変わってしまうことを拒絶する人がいることを、わたしは知っている。そう言う人達を黙らせることが出来るかが問題だ。

 

「…はぁ。最悪、勇儀をこちら側に引き入れる必要がありますね…」

「彼女が受け入れれば、そして上に君臨してくれれば、旧都にスペルカード戦が普及しても潰されることはないでしょう。…ですが、わたしが知っている勇儀さんはこんな生温い決闘を受け入れると思えないんですよねぇ…」

 

萃香は現在の地上の決闘としてスペルカード戦を受け入れたけれど、どうなることやら。

 

「…萃香は受け入れたのですか。なら、もしかしたらどうにかなるかもしれませんね…」

「同じ鬼だから?」

「確かに違う方ですよ。ですが、萃香と勇儀の二人は似た者同士。同じように受け入れてくれるかも…」

「わたしとの決闘の仕切り直しのために受け入れたんですけど」

「…はい?」

 

信じられない、といった風に聞こえるのは何故だろう。

今思い返せば、萃香の複製(にんぎょう)の拳が急に強固になった理由は八雲紫が介入したからだろうなぁ…。わたしが萃香に壊されたくなかったから。あのまま放っておいて心臓でも貫かれれば、あの頃のわたしならそのままお陀仏だっただろうから。

そんなことを考えていると、さとりさんの顔色が悪くなってくる。死に片脚突っ込んだ経験なんてよくあることでしょうに。あまりいい経験じゃないのは認めるけど。

…よし、ここでこのことを思い出すのは打ち切りだ。話を無理にでも戻させてもらいましょう。

 

「ああ、そうだ。分かっていると思いますが、名称は変えてくださいね」

「…ええ、そうですね。そのままだと地上と地底の繋がりの証明になりかねませんから」

「ならよかった。けど、名称は変えるのは当然としても、規則も多少改変したほうがいいでしょう。何もかもが同じままだと、それはかなり怪しいですから」

「では、どう変えるのがいいでしょう?」

「それは貴女が考えてくださいよ。…まあ、簡単なものをいくつか挙げておくなら、スペルカードの名称も変えるとして、その基本数の変更。被弾数も同様に変更。連続被弾防止の有無、もしくは時間の変更。武器の使用の有無、もしくは制限。肉弾戦の使用の有無、もしくは制限。他にもあるでしょうが、規則の全てを変えるのは無理があるでしょう。まあその辺の裁量は貴女に任せますね」

「…考えておきましょう」

 

そうさとりさんが言ったので、最初の最初で止められた読書の続きをする。…うわ、さらに増えたよ少女…。これ、少年も大変だなぁ…。

 



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第277話

最近、秘術の引っ掛かりすらも掴めずに少しばかり焦っている自分がいることを自覚していた。だから、その焦りを少しでも晴らすために庭に出た。息抜きをして気分を切り替えてみようと思ったから。

刀、短刀、槍、薙刀、鎌、鎚、戦斧。構造までは決めずに簡易的に創った形だけの薄紫色の武器達を地面に突き刺しておく。

 

「さぁて、やりますか」

 

空間把握で後ろに並んでいる武器の形を把握、その中から抜身の刀を選んで右手に複製する。手に持って改めて思うけれど、刀身が金属じゃない分軽い。他の武器も同様なのだろうが、実際に使うときに重量差でズレを感じないことを願おう。

真一文字に斬り払い、柄頭を手の平に添えて真っ直ぐと打ち出す。過剰妖力を噴出したいところだけど、今回は妖力がもったいないから止めておく。すぐさま左手に短刀を複製し、突き刺してから手首をグルリと捻ってから左下へ斬り下ろす。斬り下ろしと共に腰を左へ捻り、右手に槍を複製。左手の短刀を回収してから槍を両手で持ち、捻りを解放しながらの刺突。引き戻してから再び同じ場所を突き、さらに引き戻して今度は少し上方へ突く。体を横に回転させながら薙ぎ払い、軽く跳び上がりながら振り下ろす。

 

「んー…、やっぱり武器って使いづらいなぁ…」

 

振り下ろしが失敗し、柄の真ん中あたりで圧し折れてしまった槍を回収しながら独りごちるが、気を取り直して薙刀を複製する。一歩踏み込みながら振り下ろし、持ち手を短くしながらそのまま半回転させて石突でも振り下ろす。緩く持ちながら振り回し、手の中で柄を滑らせていく。端ギリギリで握り締めて滑りを止め、横に二回転してから跳び上がって縦回転。…あ、また折れた。

薙刀を回収し、鎌を複製する。斜めに振り下ろし、体ごと回転させて再び斬り下ろす。鎌の峰を前に突き出し、柄の端を持ったまま大きく振り回す。持ち手を戻してから横を振るい、前方で止める。そして、わたしと鎌の間に敵がいると想定して前方に蹴りをかましながら鎌を引き戻す。

鎌を回収して鎚を複製する。肩に担いで思い切り振り下ろし、振り下ろした面を軸に柄を使って体を浮かせ、跳び上がりながら空中で鎚を一回転させて振り下ろす。地に足を着けてから横殴り、からの振り下ろし。そして全力で斜めに振り上げる。最後に両脚を軸に回転を繰り返し、そのまま投げ飛ばす。

戦斧を複製し、斜めに斬り下ろしてから円を描くように上方へ戻し、今度は逆斜めに振り下ろす。そのまま横向きにした八の字を描くように振り回し、徐々に勢い付いてきた腕の速度を保ちながら思い切り振り下ろす。…あぁ、これは腕が疲れる…。

 

「…何やってるんだい?」

「武器の取り扱いですよ、お燐さん」

 

戦斧を回収しながら、後ろに突き刺していた刀を引き抜いたお燐さんに答える。

 

「これはまた物騒だね」

「はは、否定はしませんよ」

「…これで、何をするつもりだい?」

「特には。創れるから使えないと、ってくらいですよ」

 

せっかく創れるのだから、使えないと意味がないと思ったのだ。妖夢さんを見れば、ちゃんと扱えれば強いことはよく分かる。…まあ、あそこまで卓越した技術を得ようとまでは思っていない。ああなるまでどのくらい時間が掛かるか分かったものではないし、どうせわたしはこの手の武器を創っても次々と使い捨てていくだろうから。…まあ、思ったはいいけれど、思った以上に使いづらい。

危なっかしく刀を振り回すお燐さんを見ながら、僅かに疲労した腕を伸ばす。

 

「けどまあ、今のわたしではこれが最適手なんでしょうね…」

 

そう言いながら自分の周りに武器を複製し、過剰妖力を放出して次々と射出していく。地面に何十本と武器が突き刺さったところで射出を止めた。…この技はあまりいい思い出はないけれども。

 

「…おっかないねぇ、本当に」

「そうですか?わたしとしては、怨霊を従える貴女や盃片手でも十二分に強い勇儀さんのほうがおっかない。あまり敵に回したくないね」

「…例えば、さ」

 

突然声色を変えたお燐さんがわたしを鋭く見つめてきた。その手に持つ刀までこちらに向けて非常に危なっかしい。

 

「あたいと勇儀が敵に回ったら、どうするんだい?」

「…どうしましょう?」

 

お燐さんはさとりさんのペットだし、勇儀さんは旧都に必要な存在だからなぁ。両方ともあまり傷付けたくないんだよね。…けども、そうすることでわたしが死んでしまうのなら。

 

「とりあえず、お燐さんを使って脅迫、かな。従えば上々、無理ならすぐさま捨てて逃走」

「…容赦ないね」

「そんな余裕が出来るような相手ならいいんですがねぇ」

「それと、あたいをそんな簡単に捕まえられると思ってるのかい?」

「ええ。捕縛だけなら簡単ですから」

 

そう言いながら、目の前の刀も気にせず前進する。突然のことに目を見開いて怯むお燐さんの目には、もしかしたらそのまま刀が突き刺さって血飛沫を上げるわたしを幻視しているのかもしれない。けれど、実際は触れたところから回収しているため、傷一つ付いていない。

次の動きを起こす前に半分ほど削り取った刀身を握って回収し、彼女の髪の毛を大量に複製して両腕を雁字搦めにする。そして、一緒になっている両腕を引いてこちらへ迫る彼女の首元に手刀を優しく押し当てる。本来ならそのままブチ込んで意識を飛ばすつもりなのだけれど、今は敵じゃない。なら、そんなことをする必要もない。

すぐさま髪の毛を回収し、首元に押し当てられた手刀を見下ろしているお燐さんを手放す。すると、そのまま崩れ落ちてしまった。意識はあるようだけれど、どうやら腰が抜けてしまったらしい。

 

「…と、まあこんな感じ?」

「ひ、え、あ…」

「他にも手段は色々ありますが、今回はこんな手段にしてみました」

 

そこら中にある武器を振り回して気絶させてもいいし、急接近して顎を打ち上げてもいい。他にもいくつかあるけれど、今回は髪の毛を使って縛れるか試したくてやってみた。結果は上手くいったけれど、あのままだと落ち着いていれば数秒で解けそうだし、髪の毛が長くないと使えない。まだ使えるほどじゃないなぁ、これは。

焦りの憂さ晴らしに利用してしまったことを心の中で謝罪しつつ、何十本もある武器達を回収しながらお燐さんの復帰を待つ。これで話が終わりなら帰ってしまうだろうし、終わらないならここに残るか声くらい掛けてくれるだろう。

最後に複製元として並べて突き刺した武器達を回収すると、ここに残っていたお燐さんがわたしに続きを話し始めた。

 

「じ、じゃあ、例えばの話だけどさ。…星熊盃を奪って来い、て言われたら、どうするんだい?」

「星熊盃?…それ、勇儀さんのあの真っ赤な盃ですか?」

「そうさ。…で、どうなんだい?」

「今日の貴女はやけに質問が多いですね」

「いいでしょう、別に」

「ま、いっか。どう、って言われてもなぁ…」

 

そもそもどうして奪わないといけないのかが分からない。けれど、そんな理由は例え話に持ち込んだら駄目か。つまり、強大な相手が所有するものを奪えるのか、と訊いているのだろう。それは勇儀さんでなくても別に構わなかったと思う。

頭の中で今のわたしに出来そうなことを並べては切り捨てていく。これでは駄目だ。手段が山のように溢れ、すぐさま削られていく。それでは駄目だ。可能性を揃えていき、可か不可かを判断していく。あれでは駄目だ。

 

「実際に出来るかは分からないと前置きしますが、いいですか?」

「構わないよ」

「なら遠慮なく。酒に一夜茸を仕込んで寝かせて奪い取る」

「…何だい、その一夜茸ってのは?」

「あら、あんなに美味しい茸なのに知らないんですか?もしかして、地底にはなかったりします?」

「そんなものが生えているって話は聞いたことがないね」

「あー…、それだとこれは破綻するか」

 

萃香が眠ってしまうくらいだ。勇儀さんだって眠るだろうと思ったんだけど、どうやら地底にはないらしい。

それなら別の手段を、と思ったところでお燐さんが口を挟んできた。

 

「つまり、出来ると思ってるんだね?」

「え?これって例え話でしょう?」

「出来ないとは思わないんだね?」

「だから例え話って――」

「無理だ、って思わないんだね?」

「無理だとは思いませんよ。どうして奪わないといけないのかサッパリですが、それが必要だと言うならわたしはやりますよ」

 

そう言い切ると、何故かお燐さんは盛大なため息を吐いた。

 

「…やっぱり違うなぁ。これがさとり様の言うあたいと貴女の違い、か」

 

…もしかしてさとりさん、お燐さんにそんなことを訊いたのかな?

けれど、一つ言っておきたいことがある。これはとても大切なことだ。

 

「ま、やらずに諦めることだって多々あるわたしが言っても説得力ありませんがね」

「…そこでそんなこと普通言うかい?」

 

正直にそう言うと、呆れた口調で言われた。だけど、これが事実だからしょうがない。数多の手段を行わずに切り捨てているわたしだ。切り捨てた手段は最初から出来ないと諦めているようなもの。

けれど、そんな出来損ないの上に成功が置けるなら、わたしは存分に切り捨てていくだろう。成功のために必要なことがあればとことん利用し、不要となればすぐさま切り捨てるだろう。

わたしは、そんな奴だ。

 



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第278話

暫し目を瞑り、意識を集中させて『紅』を発動させる。これを維持しつつ戦闘をするのはまだ容易ではないが、出来ないと言って放置するわけにもいかない。

長く息を吐き、息を吐き切ったところで空中三連蹴りを放つ。落下と共に前方三回転の踵落とし。踵を軸にすぐさま反転し、斜めに交差する手刀を放つ。その過程でわたし自身の腕の速度を維持したまま肩にくっ付けた状態で複製し、既に振り下ろした両腕の隙を潰すように複製の腕を振り下ろす。そのまま四本腕を動かし、続けざまに乱打を打ち込み続ける。最後に一歩深く踏み込み、右拳を放つ。…そこで止めていた呼吸を再開し、息を大きく吸う。

そんなとき、腕に冷たいものが当たり、それと共にゾワリとした嫌悪感が急速に湧き上がってくる。意識を乱されて『紅』が勝手に解けるのを感じながら、何事かと首を上に向ける。

 

「うわっ!」

 

すると、目の中に何かが入る。けれど、痛くない。ただ冷たいだけ。それから二、三つ何かが頬に当たり、その数は徐々に増えていった。

 

「雨?」

 

気が付けばザーッという音をそこら中で響かせ始め、庭全体を濡らしていく。いくら見上げても雲はなく、けれど確かに雨が降っている。

どうして地底に雨が降り始めたのかは知らないけれど、このまま雨に打たれながら体術の訓練をする気にはなれない。熱伝導によって熱が移動して、蒸発熱によって熱を奪っていく、なんてどうでもいいことが頭を過ぎる中、冷たく熱を奪い続ける雨から逃れるために急いで地霊殿へと駆け出す。

 

「あーっ、酷い目に遭った…。拭くものないかな…」

 

その場しのぎで着ている服を創って拭いているが、如何せん生地が薄くてほとんど水分を吸うことが出来ず、せいぜい肌に上で玉になっている水を広げるくらいしか出来ていない。

髪の毛を握ってボタボタと水を廊下に落としながら歩いているが、こんな時に限って誰ともすれ違わない。濡れたままわたしの部屋に戻りたくないけれど、乾かすことも出来ない。…いや、出来るか。やろう。

軽く周りを見渡し、この場で延焼しそうなものがあるか探る。幸い、地霊殿は石造り。扉くらいしか燃えそうなものはない。廊下の角に緋々色金の魔法陣を一つ複製しておき、先程のように水を意図的に排して複製した服を上に置き、扉を角材のように複製して円を描くように配置する。

 

「…よし。これで、っと」

 

魔法陣を発動させ、噴き出した炎が服を燃やす。そして、服に移った炎が角材に燃え移り、焚き火が出来上がった。冷えた手を焚き火にかざすと、痛いくらいに温かい。パチパチと爆ぜる焚き火の前にしゃがみ込み、冷えた体が温まるまでそのまま暖を取ることにする。

前のほうの水分が焚き火の熱で乾き切り、まだ乾いていない背中の方をどうやって乾かそうか考えていると、ようやく誰かが近くに来たようだ。そして、何故か慌てた様子の足跡でこちらへと近付いてくる。

 

「なっ、何やってるんですかーっ!?」

「え、何って、焚き火焚いて温まってる…」

「馬鹿ですか貴女!?馬鹿なんですね貴女っ!?」

 

わたしが焚いた焚き火を指差しながらそう捲し立てるさとりさんのペットであろう犬妖怪は、その手に持っていた分厚い手拭いで背中を拭いてくれた。まだ濡れてはいるけれど、少し焚き火に当てれば完全に乾いてくれるだろう。

そう思っていたのに、犬妖怪は焚き火をゲシゲシと踏みつけて消してしまった。…あぁ、もったいない。

 

「ふーっ、ふーっ…、ぐるるるる…」

「…そんな慌てて消さなくても周りに燃えるものなんてありませんよ…?」

 

微妙に残っている燃えかすと着火剤となった緋々色金の魔法陣を回収し、荒く息を立てている犬妖怪を見上げる。…うわ、かなり怒ってる。しょうがないけど。

 

「そう言う問題じゃないでしょーっ!こんなところに火を焚くこと自体がおかしいの!」

「あー、はい、そうですねー」

「何そのやる気のない返事!?」

 

悪かったとは思うけれど、そこまで言われるとは思っていなかった。申し訳ない。

 

「ま、次からはこんなところで焚き火なんか焚きませんから。この件の代償として、何かわたしにやってほしいことがあれば言ってもいいですから」

「わふ!?…ぐるる、じゃあ私の代わりに料理してよ。苦手だから」

「…苦手なら自分で――いや、やりますよ。だから噛み付こうとしないで…」

 

鋭く光る犬歯を剥き出しにして睨まれ、両手を盾代わりに少しずつ離れて距離を取る。その分近付かれて結局距離は変わらなかったけど。

距離を取ることを諦め、犬妖怪の肩に手を乗せる。急に肩を叩かれて驚いている隙に横に並んで立つ。

 

「で、調理室って何処ですか?」

「知らないんかい」

 

 

 

 

 

 

塩を擦り込んだ牛肉の焼き加減を眺めながら、隣で一緒に調理をしている鳥妖怪の様子を伺う。野菜を丸ごと鍋にぶち込み、そのまま湯がいている様子。…何だこれ。

 

「あのー…」

「ん?…幻香さん、ですよね?あのサボり魔、またどこか行ったの…?」

「ははは…、わたしはサボりの手伝いのつもりじゃなかったんですがねぇ」

「それでは、何故?」

「さっき廊下で焚き火を焚いて温まってたら怒られた」

「…貴女、もしかして馬鹿ですか?」

「さっきも言われた」

 

苦笑いと共にそう言うと、呆れたようにため息を吐かれてしまった。延焼の心配がないかは調べたんだよ、と心の中で思ったけれど、残念ながらこの鳥妖怪には伝わらない。

あのままわたしの焚き火の話を続けられるのはちょっと嫌なので、話を切り替えるべく別の話題を上げることにする。

 

「ちょっと気になったことがあるんですが、いいですか?」

「いいですよ」

 

快い返事を貰い、遠慮なく質問をすることにする。

 

「ここの食材、何処から来てるんですか?…あ、肉はいいです。さとりさんから聞きましたから」

「肉以外なら、作ってくれる方から買ったりいただいたりですよ」

 

ふーん。やっぱり作る人がいるんだ。いなきゃおかしいと言えばおかしいけれども。

 

「やっぱりそこから奪おう、なんて思う人っているんでしょうか?」

「そんな輩はバレたらすぐに鬼の方々に潰されますよ。それに作ってくれる方々もそれなりに腕の立つ方々ですし」

「流石にそれは行き過ぎた蛮行なんですねぇ」

 

地底全体に供給されるべきものを奪うことは、つまり地底全体に損失を与えることである、と。するつもりはないけれど、知っておいてよかったと思える情報だ。

 

「あと、あれだ。どうして地底に雨が降るんでしょう?」

「梅雨だからですよ」

「…いや、空も雲もないのに雨なんて降るわけ」

「梅雨には雨が降るものでしょう?そんなことも知らないんですか?」

「知ってますけど…」

 

地上の常識を地底に持ち込むのは野暮なことなのだろう。ここはそういうものなのだと諦めて受け入れよう。うん。

 

「それじゃあ、夏は暑くて冬は寒いんですか?」

「当然でしょう?冬は雪掻きが大変だからあまり好きじゃありませんが…」

「あ、やっぱり雪も降るんだ…」

 

昼夜はなくても季節と天気はあるのか、ここ。防寒具もいつか必要になりそう…。

 

「おっと、話し過ぎましたね。さとり様の食事が遅れてしまいます」

「え?…あー、それじゃあ少し急ぎますか」

 

手元に残っている生野菜から水分の多いものを選んで手頃な大きさに切り分け、塩を揉み込んで小皿に入れておく。ジンワリと水分が出てきたら、その水分を捨てて代わりに酢と刻んだ生姜を加えて完了。

鉄板の下の炎を大量に複製し、火力を底上げする。鉄板の温度が上がったところで酒瓶を一本引き抜き、酒を肉に振りかける。真っ赤な炎が顔ギリギリまで上がるが、一瞬のことなので熱くはない。

焼き上がった厚切りの牛肉を皿に移し、鉄板に残っている肉汁に醤油を加えて掻き混ぜてから牛肉に掛ける。

わたしが来る前からかまどで焚いていた玄米を器によそっていると、文字通り野菜丸ごとの汁物が出来たらしく、汁物を覗き込むとオクラや人参が切られることなく浮かんでいる。…うん、大丈夫かこれ?

ま、いいや。これがここの料理なんだ。そういうものなんだよ。わたしのほうが異常なんだ、うん。そうだ。そうに決まってる。決まってるんだ…っ。

 

「…どうかしましたか?」

「いや、ちょっと、お腹、痛いだけ…っ」

 

中まで火が通っているかも怪しい丸ごと野菜を食べるさとりさんを想像してしまい、必死に笑いを押さえ込むが、押さえ込めば押さえ込むほどにお腹が痛くなる。駄目だ、わたし。堪えるんだ…っ!

 

「それは大へ――」

「いや大丈夫だから。ささ、行った行った!」

 

僅かに震える手で作った調理をお盆に置き、鳥妖怪に持っていくように促す。お願いだから、早くここから出てください…っ!

 

「そ、そう…?それじゃ、体調に気を付けるんだよ?」

 

そう言い残してお盆を手に調理室から出て行った鳥妖怪を見届け、扉が閉じて十秒後。

 

「ははっ!はははっ!あーっ、おっかしぃーっ」

 

一人きりとなった調理室で、押さえ込んだことである程度静まった笑いを噴き出した。調味料があるのにほとんど使われないってどうよ?何のために置かれてるんですか本当に!

十数秒で笑いも収まり、一息吐いてから調理室を出る。…さぁて、本でも読みますかなぁ。

 



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第279話

時に弱まり、時に激しく、時に途切れる雨音を聞きながら本を読みふける。右側にこれから読む本を積み上げ、左側に読み終わった本を積み上げる。右側の本が無くなったら本棚から一気に引っこ抜いて新しく積み上げ、左側の本の山がどんどん大きくなっていく。稀に扉が開く音がするけれど、特に話しかけられることなく扉は閉められる。

思い付きや書斎の本から切っ掛けを得てはいるが、相変わらず秘術の解読は難航している。けれど、何も分かっていないわけではなく、少しだけ分かったこともある。何処までも広がり続けていたり、何処までも伸び続けていたり、始点と終点が繋がっていたり…。大半の図式が繰り返しと永遠を象徴していることだ。繰り返しと永遠は、もしかしたら生まれ変わりと転生を意味しているのかもしれない。けど、まだ文言のほうはサッパリだ。何を言っているのかすら掴めやしない。

ここの本棚の中身を全て読み終わる頃には秘術の解読が終わるだろうか…。分からない。けれど、やらなきゃいけないんだ。

パタリと本を閉じて左側に本を置き、そして右側に手を伸ばす。

 

「…ん?」

 

指先に感じる感触がいつもと違う。冷たく埃っぽい古びた紙独特のものではなく、暖かく僅かに湿っている柔らかなもの。一体何が、と思って横を見れば――こいしがいた。

 

「にひー。久し振りだね、幻香」

「そうかもしれませんね、こいし。何処にいたんですか?」

「旧都でぶらり食べ歩きの旅だよ」

「へぇ、それは羨ましい」

 

わたしが旧都に行こうと思っても、大丈夫かどうかはまだ分からないから。

 

「相変わらずの味のお店もあれば、新しい味に挑戦してるお店もあってね。何処も美味しかったよ!わたし的には十日くらい前に食べた地獄火炎鍋が気に入ったかなぁ」

「何ですかその物騒な名前の鍋…」

「出されたときはお鍋から炎を上がってたよ。それでね、出汁は舌が痛くなるくらい辛くて病みつきに」

 

頭の中で土鍋に見るだけで目が痛くなりそうなくらい赤々とした汁が満たされ、その鍋から激しく炎が噴き出しているものを想像する。

 

「…よくそんなもの食べれますね…」

「辛いけど美味しいんだもん。幻香も今度一回食べてみたら分かるから!」

「…ま、食べれたらね」

 

あんまり食べたくないなぁ、と思いながら言い、こいしの手の下に積まれている本を引き抜く。無駄に崩れた文字が躍っているが、このくらいなら何度も見てきた。秘術に比べれば、こんなものは読めない文章じゃない。

対するこいしも本を一冊引き抜いて開いたけれど、難しい顔をして唸った後すぐに元に戻してしまった。

手早く読み進めながら、わたしが旧都へ行ってもいいかどうかを少しでも確かめるために情報を聞き出すことにする。

 

「旧都でいつもと違ったと思うところはありましたか?」

「んー…、変わったところなんてなかったけどなぁ。喧嘩も賭博もいつも通りだったし」

「そっか。ならよかった」

「えー、何がー?」

 

わたしの言葉の意味が分からず不思議そうに訊いてくるけれど、その答えを言ってもいいのか微妙なことろだ。勇儀さんが二人きりで話したことと関係があるから。二人きりということは、それは秘匿にするようなことかもしれないから。

どう答えたらいだろうかと悩んでいたが、こいしは「ま、いいや」と笑いながら言った。

 

「それじゃあさ、幻香はここで何をしてたの?」

「本を読んでたんですよ」

「どのくらい?」

 

どのくらい?…えぇと、どうなんだろう。昼夜がないから時間が分からない。そもそも日付が分からない。何か日付の代わりになるもの、あったかなぁ?

少し頭を捻り、そしてようやく思い付いたものを口にする。

 

「雨が降ってから」

「雨なんて一昨日まで降ったり止んだりじゃん。いつの雨なの?」

「わたしが地底に来て初めて雨が降った日。もしかしたら、あれって梅雨入りなのかな?」

「…それってもう一ヶ月くらい前だよね?」

「へー、一ヶ月前なんですか。…え?一ヶ月?」

「うん。そろそろ梅雨明けだよ」

 

そうこいしに言われ、気にもしていなかった左側の本の山を恐る恐る見遣る。そこには少なく見積もっても百は優に超えていそうな本が乱雑に積み上げられた山があり、わたしが想像していたよりも遥かに大きなものとなっていた。…そっか、こんなに読んでいたのか。そして、そんなに時間が経っていたのか。

わたしと同じ本の山を見上げるこいしは、むぅー、と唸ってから口を開いた。

 

「もしかして、こんなになるまでずっと読んでたの?」

「そうみたいですね」

「お腹空かなかったの?」

「残念ですが、空腹感はとうの昔に欠如しましたよ」

「体は動かせる?」

「少し鈍ってるかもしれませんが、特に問題ないと思います」

「そんなに本を読んで何をしたいの?」

「自己満足」

 

突き詰めてしまえば、こんなもの自己満足以外の何物でもない。秘術の解読をして絶対記憶能力を得ようとする行為なんて、その程度のものだ。覚えたいことを忘れずに済むだとか、創造の簡略化だとか、こいしを忘れたくないとか、そんな得た後の話を削ぎ落とした後に残る芯はそんな矮小なもの。

 

「…そっかぁ、自己満足かぁ」

「…こいしは、どう思いますか?」

「別に自己満足でも何でもいいんじゃない?」

「そう言ってくれると、わたしは少し救われますよ」

 

こいしに微笑むと、嬉しそうに微笑み返してくれた。そして、何か思い付いたことがあったようでスクッと立ち上がる。

 

「あ、そうだ。お姉ちゃんに会いに行こっと。その本を読み終わったらさ、わたしとスペルカード戦しようよ。それじゃあね、幻香」

「ええ、また今――」

 

度、と言おうとしたところで口が止まる。その先がどうしても口にすることが出来ない。

 

「どうしたの?」

「…すみません。もうちょっとだけ、ここにいてくれませんか?」

 

さっきまでの自分が嘘のように、酷く弱々しい声で懇願する。こいしと別れると自覚した瞬間、穴となる記憶が激しく軋んだのを感じた。記憶に意思でもあるかのように、わたしに激しく語っていた。忘れたくない、と。もう忘れたくない、って。

さとりさんから聞かされて、しょうがないことだと思っていた。どんなに辛いことだとしても、そうならばどうしようもないと。だからこうして忘れないでいられるようにする術を求めて秘術の解読に手を出した。

けれど、こうして思い出して思い出せなくなってまた思い出してまた思い出せなくなる。それを繰り返していくうちに、積み上がっていったものがあったらしい。それは、焦燥。ここ最近はたびたび感じていたものだったけれど、また思い出せなくなると思ったら、それはわたしを強く押し潰していく。もう二度と忘れたくない。

 

「大丈夫?」

「…正直、大丈夫じゃないです…。けど、もう少ししたら、治りますから…。もう少ししたら、治しますから…。だから、あと少しだけ、もう少しだけ、ここにいてください…」

 

だから、もう思い出せなくなるのはこれで最後にしよう。

 

「こいし。さとりさんに会いに行くなら、少し伝えたいことがあるんです。伝言、頼めますか…?」

「いいけど、急にどうしたの?本当に大丈夫?」

「大丈夫…、大丈夫ですから…。さとりさんには『秘術の解読が終わるまで書斎に籠ります』と伝えてください」

「秘術?それに、ここに籠るって…」

「…それと、こいし。スペルカード戦は、また今度になりそうです」

「どうして?」

「ごめんなさい。わたしの勝手な行動を許してください。けど、もう貴女を忘れたくないんです」

 

言った。言ってしまった。こいしが知っているかどうかも分からない不確定なことを、さとりさんが隠していたかったかもしれないことを、遂に口にしてしまった。けれど、不思議と後悔はない。その代わりに湧き上がるものは決意。

何かを口走ろうとしたこいしの口を片手で塞ぎ、少し無理に立ち上がらせる。そして、そのまま書斎の外へと出た。

 

「ありがとう、こいし。それでは、またいつかとか」

「ちょっと待ってよ!何が何だか分から――」

 

こいしの言葉も聞かずにバタリと扉を閉め、すぐさまコの字のものを創造し、扉と枠を固定するように突き刺していく。扉が壊されればそれまでだけど、これで扉が開くことはない。

偶然に頼っていられない。時間が解決するなんて甘かった。もうわたしの全てを秘術の解読に費やす。

何かを忘れてしまったことを自覚したけれど、そんなことは気にならなかった。目を閉じれば、頭の中に秘術の全てが浮かび上がる。それ以外、何も感じない。そして、熱い決意に突き動かされるままにわたしは目の前の秘術の解読に没入していった。

 



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第280話

「『どうして、どうして貴方は…』っと。ふふ、我ながらいい引きね」

 

満足のいく台詞を最後に言わせ、横に置かれた紙の山の上に乗せる。あとは、この紙束を表紙などで製本すれば完成。さて、早速製本をしようかしら。

 

「きゃっ!」

 

紙束を手に椅子から降りようとしたところで、大きな音を立てて扉がこじ開けられた。一体誰が、と思っても心が読めない。こいしだ。その拍子に紙束を床にばら撒かれてしまったけれど、そんなものよりも息を荒げたまま扉から入ってきたこいしの様子のほうが重大だ。

 

「ど、どうしたのよこいし…」

 

呼び掛けても何も言わず、真っ直ぐと私へと大股で歩いてくる。その顔を見ようにも、ずっと下を向いたままで見ることが出来ない。ドンドン近付いてくるが決して足を緩めることはなく止まる気配はない。そして、こいしはそのまま私の胸に頭をぶつけたところでようやく足を止めた。その頭は、僅かに震えていた。

 

「ねえ、お姉ちゃん」

「な、何よ」

「幻香が…、お姉ちゃんに、伝言…。『秘術の解読が終わるまで書斎に籠ります』…。そう伝えてほしい、って」

「…そう。確かに受け取ったわよ」

 

幻香さんが書斎に籠っていることは、お燐を含むペット達から報告を受けていた。本以外眼中にないと言わんばかりに読み続けていて、とても声を掛けづらかったとのこと。私も一度だけ覗きに行ったのだけど、そのときに『扉が開いた』と一瞬心に浮かび、そしてすぐさま本の内容の濁流に埋もれていくのが読めた。それだけ本に意識を向けていることがよく分かり、そのまま退室したのは記憶に新しい。

酷く慌てていたようだけど、まさかこの伝言だけ?…いや、そんなはずは…。

 

「…あのさ…、お姉ちゃん…」

 

そう考えていると、両肩を掴まれた。指が食い込むほどに強く、痛くなるほどに強く。それなのに、すぐに外れてしまいそうなほど弱く、震えるその手は弱々しい。そして、ようやくこいしは顔を上げた。その表情は、目を逸らしたくなるほどに痛々しい。けれど、もしも目を逸らしたら何か大切なものを失ってしまいそうで、私はこいしから目を逸らさずに見つめ返す。

 

「幻香が…、わたしを、忘れる、って…、どういう、ことなの…?」

「…っ。そ、それは…」

「答えてよ…」

「こいし、それは――」

「答えてよ」

「こいし――」

「答えて」

「こ――」

「答えてよッ!」

 

誤魔化そうと思っていたわけじゃない。けれど、知らなければ知らないままで構わないと思っていた。何故なら、少なくともこいしの世界ではこいしのことを知らない存在はいないのだから。

けれど、どうやら幻香さんがそのことをこいしに漏らしたらしい。

 

「…ええ、答えるわ。けど、私だって知っていることはほとんどないわよ…。それでも、構わないかしら?」

「いいよ…。いいから、全部、話してよ…」

 

そう言われ、私はこいしの二度目の変化について知っている限りのことを話した。大体十二年前からだろうと推測出来ること。それ以前から知っている人には何の影響もないこと。こいしを視認したら思い出し、認識出来なくなったら思い出せなくなること。そして、幻香さんがその変化後にこいしと出会っただろうということ。

私が知っていることを話し尽くし、その全てを知ったこいしは両手を床に付けて蹲ってしまった。

 

「…そ、っか。じゃあ、幻香は、わたしのこと、何度も、忘れちゃったんだ…。得て、失って、得て、失って、得て、失って、得て失って、得て失って、得て失って、得て失って得て失って得て失っ――」

「こいしッ!」

 

パシリ、と乾いた音が部屋に響く。突然頬を叩かれたこいしは、呆けたで私を見つめてきた。僅かに赤くなった頬を優しく撫でてから、私はこいしを抱き締めた。優しく、そして強く。

 

「こいし、よく聞いて…。確かに、幻香さんは貴女と別れるたびに、貴女のことを忘れてしまった」

「ッ!」

「けれど、幻香さん、…いえ、幻香は貴女のために秘術の解読をやっているんです。貴女のために読み解こうと努力しているんです。貴女のために理解しようと頑張っているんです」

「わたし、の…」

「貴女のために、こいしのために、幻香は自分自身の精神を賭けているんです」

 

秘術の解読のために書斎に籠った。そのときに、このことを決意と共に口にしたのだろう。そして、すすることで自分がやるべきことを定め、全てを賭けて挑んでいるのだろう。

私がその危険性を伝えても、決して止めようと思わない。誰に何を言われようと、覚悟を持って決めたことを必ずやり通す。たとえ自分自身の存在が変わってしまう可能性があったとしても、自分が求めた結果のために。

艶やかに光る漆黒に染め上げられた意思を心に宿して。

 

「だから、待ってあげて」

 

背中に回していた腕をこいしの肩に置き、震える瞳を見て伝える。今だけは、幻香さんの代わりに。

 

「必ず貴女の元に帰って来るから。必ず貴女のために戻って来るから。必ず貴女の心配を壊してくれるから。必ず貴女を二度と忘れないから」

「必ず…?」

「必ずよ」

「絶対に…?」

「絶対よ。だから、信じて待ってあげて」

 

そう言い切るが、こいしの震えは留まる気配を見せない。何時間にも思えるほどに長く感じられる静寂の中、ようやくこいしは震える口を開いた。

 

「…わたしのことを忘れちゃうなんて、流石に割り切れないよ」

「こいし…」

「…けど、幻香はわたしのことを、忘れないんだよね…?」

「そうよ」

「名前を考えてあげたことも、お互いに特技を見せ合ったことも、一緒に遊んだことも、お酒を一緒に呑んだことも、わたしが教えてあげたことも、わたしに教えてくれたことも、旧都を一緒に歩いたことも、何もかも全部覚えてくれるんだよね?」

「そうよ」

「だったら、わたし待つよ」

 

そう言うと、こいしは笑った。その笑顔は明らかに無理をして浮かべたものだったけれど、それでもこいしは微笑んだ。

 

「教えてくれてありがと、お姉ちゃん」

「…そう」

 

私の手を離れて立ち上がったこいしは、背を向けて部屋の扉へと歩き出した。扉に手をかけて出て行こうとしたその時、こいしが振り返って私と目が合った。

 

「…それと、教えないでいてくれてありがと」

 

その言葉を最後にこいしは私の部屋の扉から出て行った。…今までずっと黙っていた私のことを責めてもいいのに、たとえ罵ったとしても私は何も言い返せないのに、そんな言葉を言い残すなんて。優しい妹だ。

こいしが部屋を出てから数秒ほどその場で動けずにいたが、ハッと床に落としてしまった紙束をかき集め始める。最後の一枚まで集めてから角を揃え、順序が崩れていないか一枚一枚確かめる。

 

「…まったく、どうして幻香さんは…」

 

貴女はこいしのためにやっているでしょうに、そのこいしがあんなにしてしまっては本末転倒でしょう。

どうして突然そう思い至ったのかは私には分からない。今から書斎に行ったとしても、きっとその心は秘術のことしか映さないだろう。それが出来ないと知ったならば、今度は直接自分自身の精神を書き換えてしまうだろう。幻香さんは、そういう方だ。

 

「当分書斎は立ち入り禁止ね…」

 

たとえ誰が入ろうと気に留めることすらしないだろう。けれど、少しでも気が逸れてしまう可能性を排除して、幻香さんには少しでも早く秘術の解読を終わらせてほしいものだ。こいしのためにも、私のためにも。

私には待つことしか出来ないけれど、ほんの少しだけでも間接的にでも助けになってあげたい。そして、願わくは精神を直接書き換えるなんてことだけはしないでほしいと思うことしか出来ない。

私の尊敬する貴女が、出来るだけそのままでいてほしいと少しばかり願う。

 



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第281話

うだるような圧倒的猛暑が地底を夏だと知らせてくれる今日この頃。旧地獄である地底全体が暑苦しい。そして、旧地獄である所以である灼熱地獄跡地の上に建つこの地霊殿だって当然のように暑苦しい。窓を開けても涼しい風が通るわけじゃないけれど、閉め切っていたくなかった。ほんの僅かでも、気休めでも、この暑さが和らぐことを心の底から願っている。

 

「幻香、遅いね」

「ひゃっ!」

 

流れる汗を手で拭いながら仕事をしていると、突然耳元に話しかけられた。突然のことにビクリと反応してしまう。今まで何度も経験していることなのだけど、話しかけられるまでそこにいることにすら気付くことが出来ない神出鬼没さは、慣れることが出来るようなことではない。目の前の仕事に集中しないでこいしを探そうと思っていれば、もしかしたら分かるかもしれないだろうけれど、そんな風に思い続けられるほど私は器用じゃない。

幸い、目の前に置かれている僅かに汗を吸って歪んだ仕事用の紙には手元が狂って不要な記載をすることはなかったので、何処にも向けることの出来ないモヤモヤとしたものをため息一つ吐いて吐き出してからこいしを見遣る。その表情は、僅かに寂しさを滲ませているもの。つまり、幻香さんが書斎に籠ってから変わりない、いつものこいしだ。

 

「…そうね。けど――」

「必ず終わらせる、でしょ?」

「よく分かってるじゃない」

 

けれど、こいしが遅いというのも分からなくはない。今までだって一週間や一ヶ月と長期間一ヶ所に留まり続けていたことがあった。今回も、当然のように一ヶ月程度は既に経っているだろう。

この一ヶ月、書斎の前を通ったのは一度だけだ。幻香さんに僅かでも迷惑をかけないため、ではない。足音を殺しながら扉の前を通った瞬間、壁の向こうから全身を刃で刺し貫かれた――…と思わせる鋭い気配を感じたからだ。それだけ鬼気迫る思いで秘術と向き合っているのだろう。幻香さんの心を読めたわけでもないのにもかかわらず、ただ壁の向こうにいるだけでこれなのだから、もしも部屋に入ったときはどうなることやら…。

思い出すだけで背骨が凍える。夏だからちょうどいいのかもしれないが、こんな方法で涼みたいとは思わない。

そんなことを思い返していたら、こいしは手でパタパタと扇ぎながら私の手元の紙の一点をジーッと眺めていた。私のペット達が旧都に住む者達から聞いた意見の数々が書かれているのだが、どれが気になったのだろうか?

 

「…皆暑いのに、どうしてこんな文句がたくさん来るんだろうね」

「皆暑いからよ」

「毎年暑いのに今更何言ってるんだか、って感じ?」

「毎年暑いからよ」

 

…やっぱりそれか。こいしの言葉を繰り返しただけの答えだが、これが真実だ。夏は暑くて、暑いと不快だから。ただ暑いだけならまだしも、虫が付けばさらに不快になる。藪蚊に血を吸われればかゆくて鬱陶しくてイラつく。

 

「だーよねー…。地底は凄く蒸し暑い…。今度氷菓でも買おうかなぁ…」

「あぁ…、そんなものもあったわね…」

 

前に聞いた話では、地底に住む雪女郎の一人が持つ能力を使い、搾りたての甘酸っぱい果汁をその場で均一に凍らせたものを売っているそうで、それなりに売れているらしい。んー、そんなことを思い出したら一度食べてみたくなってきた。この仕事が終わったら、ペットの誰かにこいしが言っている雪女郎の氷菓でも買いに行ってもらおうかしら…。

 

「それか地獄火炎鍋」

「…それは…、どうかと思うわ…」

「そう?美味しく汗いっぱいかけていいと思うけど…」

 

お燐がその名前からして嫌な予感しかしない地獄火炎鍋に挑戦した話を聞いた私からすれば、こんな蒸し暑い時期に食べようと思う酔狂な人達の気が知れない。乾燥唐辛子の粉末を大量に放り込まれたグツグツと煮えたぎる出汁に生唐辛子が数十本浮かんでいるらしく、さらには土鍋から炎を上げた状態で提供されるとか。…どんな時期でも、たとえ極寒の冬だろうと私には決して食べたいとは思えない代物だ。

 

「おっとっと、食べ物の話をしに来たんじゃないんだった。ウッカリだなぁ」

「…あら。それなら、何の用があったの?」

「お姉ちゃんに一つ言っておきたいことがあったんだ。危うく忘れちゃうところだったよ」

 

私に言っておきたいこと?…何かあったかしら?今すぐに思い当たることは何もなく、頭の中を引っ繰り返してもほとんど思い当たらない。

 

「珍しいわね。何かしら?」

「ちょっと出かけようかなー、って」

 

忘れる前に思い出してくれたことはよかった、と頭の片隅に思いながら聞き返すと、こいしは軽く目を上に向けながらお出かけの報告をした。…まさか、たったそれだけのことを伝えるため、なんてことはないはずだろう。

 

「何処に?」

「分かんない」

「それじゃあどうして出かけるのよ?」

「…会ってみたい人がいるんだ。その人達を探して、ちょっとお話したいんだー」

「…そう」

 

小さな決意が垣間見えた。ここで駄目だ、と言えるほど私は出来た存在ではない。

 

「そう、いってらっしゃい。出来るだけ、早く帰ってきてちょうだいね」

「…うん、善処する」

 

こいしは曖昧に微笑みながらそう言うと、すぐに背を向けて扉へと歩き出した。

 

「待ちなさい、こいし」

 

けれど、私はその背中を呼び止めた。いってらっしゃいとは言ったが、まだ話が終わったわけじゃないのだから。

足を止めたこいしは振り返らなかったけれど、気にせず話を続ける。

 

「その前に一つ、出かけるなら伝えておきたいことがあるのよ」

「何?」

 

ようやく振り返ったこいしに、私は一つとても大切なことを伝えた。大切で、重要で、重大で、肝心なことを。

 

「鏡宮幻香の存在を匂わせるようなことは口にしないことよ」

 

私が言ったことにキョトンとした顔になった。しかし、その言葉の内側に込めた意味を理解したこいしは、その顔を僅かに歪ませる。

 

「…何で、どうして分かっちゃうかなぁ」

「これでも私は貴女の姉よ。たとえ心が読めなくても、少しくらい分かっているつもり」

 

誰に会いに行くつもりなのかは分からない。けれど、こいしが地上に出かけようと思っていることは、雰囲気から何となく察することが出来た。

二度目の変化以降に知り合った人が相手なら、こいしのことを会話ごと思い出せなくなる。そうだとしても、もしそれ以前から知っている人が相手だとしたら、こいしのことを会話ごと覚えてしまう。無意識のこいしだって、何も考えていないわけじゃない。そのくらい分かっているとは思っている。けれど、一つちゃんと念を押しておきたかった。

 

「地上と地底の不可侵があること、理解してるわよね?」

「…うん」

「それでもこいしは地上に行くのね?」

「うん」

「なら、私は貴女を止めない」

 

私は規則に例外を作るのは嫌いだ。その例外が規則に大きな傷を付け、脆くしてしまうから。一つの例外を作ると、二つ目、三つ目を作りかねないから。そのことを理解しておきながらこいしをその例外にしてしまう私は、きっと出来た存在じゃないのだろう。

けれど、せめて私はこいしのために例外を作る出来た姉でいたいから。

 

「…だから、気を付けて。私からは、これでお終い」

「…それじゃ、行ってくるね」

「ええ、いってらっしゃい」

 

私は言いたいことをちゃんと伝えた。だから、今度はその背を見送る。扉が閉まる音が響き、そして静かになった。後ろの窓から僅かに髪を揺らす風を受けながら、こいしの無事を願っていた。

最後に見せたはにかむ顔を思い出しながら。

 



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第282話

茜色に変わろうとした空。その下の大地には、長い影がいくつも伸びている。その影の先にいる寺子屋の生徒達が、私に大きく手を振ってくれていた。

 

「慧音先生さようならー!」

「またねー!」

「ああ。明日が楽しみなのは分かるが、夜更かしをしないようにな?」

 

はしゃぎながら元気のいい返事をする生徒達を最後まで見送り、静かになった教室に目を遣る。さっきまでの喧騒が嘘のように静かで、少しばかり寂しくなる。

 

「…辛そうだね」

「そうかもしれないな。…いや、そうだな。まだ少し辛いよ」

「そういうのはね、溜め込まないほうがいいんだよ?ちゃんと吐き出さないと、体を蝕むの」

 

そんな私の心象を汲み取ったような言葉を語る声が聞こえ、自然と言葉が漏れる。

そこでようやく違和感に気付く。さっきまでこの教室には誰もいなかったはずなのに、目の前の卓袱台には一人の少女が座っていたのだから。目を逸らせばそのまま消えてしまいそうなほどに儚く、まるでそこに存在しないのではと思うほどに空虚な少女。その体に浮かぶ一つの閉じた瞳を思わせる球体が、ただの少女でないことを私に教えてくれた。

 

「明日、夏祭りなんだってね」

「…ああ、そうだよ。明日は、夏祭りだ」

「お祭り、楽しみだよね。けど、慧音先生は辛いみたいだね」

 

目の前の少女が言う通り、明日は人間の里の夏祭りだ。たくさんの屋台が立ち並び、そこに住む人々の活気溢れる日。それは楽しみだ。…楽しみだけど、あまり思い出したくないことが、どうしても一緒にくっ付いてくる。無理矢理押し込めているものが、僅かに顔を見せてくる。

 

「大丈夫。何を吐いても、誰も見てないよ」

「…何を」

 

吸い込まれそうなほどに空っぽな瞳に見詰められ、私の中にある何かが吸い込まれていく。

 

「大丈夫。何を吐いても、誰も聞いてないよ」

「…言って」

 

軽くてスカスカな言葉の一つ一つが私に浸み込み、私の中にある何かを吸い上げていく。

 

「大丈夫。何を吐いても、貴女は忘れちゃうよ」

「……………」

 

そうして軽くなった私の頭の中は真っ白で、押し込めていた力が一気に抜けてしまう。心の奥底に押し込めていたものが勝手に溢れ出てくる。

 

「…夏祭りはな、私の友人の一つの転機になったんだよ」

「そうだね」

「私が夏祭りに来てみたらどうだ、と誘ったんだ」

「そうなんだ」

「誘ったらどうなるか、頭の片隅にはあったんだ」

「そうなんだ」

「けどなあ、そんなことは起こらないだろうと高を括っていたんだよ」

「仕方ないんじゃない?」

「昨日まで起きなかったのだから、今日だって起こらないとな」

「そっか」

「そして、明日も明後日も、これからもずっと起こらないだろう、って」

「そっか」

「…そんなのはあり得ない、って分かっていながら目を背けていた」

「そっか」

「だが、…だからこそ、かもしれないな。それは起こってしまったんだ」

「そうだね」

「その友人はな、それ以降人里では爪弾き者…、いや、それは元からか…」

「そうなの?」

「それでも。崖際で片足立ちしているくらい危うい関係だったが、まだ人里に来れていたんだよ」

「うん」

「だが、人間の悪意がその体を押し出した」

「…そっか」

「だから、その日を境に人里に来れなくなった」

「…そっか」

「ただ、そこに現れただけだったのになぁ…」

「…そっか」

「勝手に貧乏くじを引かされて」

「うん」

「勝手に驚かれて」

「うん」

「勝手にこじつけられて」

「うん」

「勝手に嫌われて」

「うん」

「勝手に恐れられて」

「うん」

「勝手に言い訳に利用されて」

「うん」

「勝手に悪意を向けられて」

「うん」

「勝手に迫害されて」

「うん」

「勝手に襲われて」

「うん」

「勝手に生贄にされたんだよ」

「うん」

「…災厄の権化として、な」

「…そっか」

「私は、ただ楽しい思い出にでも、と思っていたのになぁ…」

「そうだね」

「だが、結果はどうだ?私はな、この時期になるといつも頭の片隅で考えるんだ」

「何を?」

「もしもの話さ。私が夏祭りに誘わなければ、ってな」

「…そっか」

「そんなもの、どれだけ考えたところで意味のないことくらい知っているのにな」

「そうかもね」

「たとえ誘わなかったとしても、あの人間達の憎悪はいつか溢れていただろう」

「そうかもね」

「たとえ誘わなかったとしても、あの人間達は私の友人を排斥していただろう」

「そうかもね」

「それでもな…、やっぱり辛いんだよ…」

「そうだね」

「そしたらな、その友人はそんな人間を殺した」

「…そうだね」

「まずは、一人の爺さんを」

「うん」

「次に、九人の若者を」

「そうなんだ」

「最初は仕方ない、なんて無理に納得させた。そうした理由が分かるからな」

「そっか」

「けど、次には納得出来なかった。そうした理由が分かっても、な」

「そっか」

「そして友人は、最後に全てを巻き込んで弾けたんだ」

「…どんな風に?」

「友人の友達も、異変解決者も、人里の人間も、何もかもを巻き込んで引っ掻き回した」

「へぇ…」

「誰がどう動くかも含めて駒でも動かすみたいに、そしておそらく思惑通り封印された」

「封印?」

「それで、封印されて、もう会えないかもしれない、って考えるとな」

「うん」

「さっきも言った通り、そんなことしても意味のないことだとしてもな」

「…そうだね」

「私はどこかで選択を間違えたんじゃないか、って思ってしまうんだよ」

「そうだね」

「私は、常に最良の選択をしてきたとは思えない」

「そうなんだ」

「だから、そんなことを考えてしまう」

「そっか」

「…いや、たとえ最良だと思っていても考えただろうな」

「そうなんだ」

「…はは、馬鹿だなぁ、私は。分かっているのになぁ…、分かっている、はずなのになぁ…」

「…涙」

「辛いよ。苦しいよ。悔いてるよ。…それでも、お前は戻ってこないんだよなぁ…」

「分からないよ?」

「…そう、かもな。自ら封印されるくらいだ。脱出の術くらい、あるのかもなぁ…」

「そうだねぇ」

「もし出てきたなら、そうだなぁ…」

「うん」

「一発頭突きを喰らわせてから、…すぐに抱きしめてやるかな」

「そっか」

「…いや、そんな甘い可能性に縋るつもりはないさ。この甘さは、毒だ」

「そうかもね」

「私は、いつもと大して変わらない日常を送っているんだよ」

「ふぅん」

「友人の封印の上に敷かれた平和の上に座ってな」

「…そっか」

「そう思うと、私は不幸で幸福だよ。良し悪しは四則計算出来るものじゃない」

「そうだね」

「…けどな、それよりも、そんなことよりも、私は…」

「うん」

「私は、な…。ここと友人の両方を取れると、思っていたんだよ…」

「うん」

「都合よく、背反するはずの二つを取れると思ったんだ」

「うん」

「私自身が、その両方に半端に属する中途半端な存在だから」

「そっか」

「だが、まあ、案の定うまくはいかないものだな…」

「二兎を追う者は一兎をも得ず」

「はは…、全くその通りだな」

「そうだね」

「…だがな、その一兎が無理矢理片方を掴ませてくれたんだよ」

「…そっか。優しいんだね」

「ああ、優しいよ。残酷なくらい」

「そう、なんだ」

「それでいて残忍だよ。慈愛を感じるくらい」

「そうかもね」

「…なあ、お前はこんな私をどう思う?」

「それをわたしに訊いても意味がないでしょ?」

「…その通りだな」

「語ってくれてありがとね」

 

僅かに床を軋ませながら立ち上がった少女は、教室から出て行った。

真っ白な頭が徐々に元に戻っていき、誰もいない教室を見遣る。一つだけ位置のズレた卓袱台を直してから、自分の部屋へと戻ることにする。

気付いたら暗くなった外を移る窓に薄っすらと映る自分自身の目が僅かに赤くなっていることと、何故かほんの少し軽くなった心を不思議に思いながら。

 



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第283話

最初は偶然だった。

 

「あ」

「ん?」

 

目と目が合い、そしてそれが誰か分かった瞬間、私はその手に持っていた串を炭火の上にある金網に戻した。

 

「あーっ!」

「…大声出すなよ、こんなところで」

 

大声を出されるだろうと予測し、耳を塞げるように。

私を指差している少女、もとい夜雀の妖怪であるミスティアは八目鰻の屋台を私の横に引き、よりにもよって準備をし始める。…うわぁ、ちょっと面倒なことになった。

何せ、彼女は焼鳥の撲滅を目的にしている、と小耳に挟んだことがあるのだから。

 

「よーし、妨害だー!」

「…止めろ。私の数少ない収入源だぞ」

「使い道あるの?」

「最近は滅法増えた」

 

萃香が家に来ると酒を呑む。その酒はここで買うことになるから、その分の金が要るのだ。それまではこれと竹炭をたまに売る程度で余るくらいだったんだがなぁ…。

 

「そういうお前は…、そのまま次の準備にか」

「そ。ふふふ、私の八目鰻を食べたら焼き鳥なんて売れなくなるんだから。これを機に焼き鳥屋なんて止めればいいんだよ」

「嫌だね。鳥が駄目で他がいい理由が分からん」

「へー、そんなに美味しいんだー」

「じゃあ貴女は人間を食べるの?」

「お前らは食べるだろ。そんなもんさ」

「肉体的にしろ、精神的にしろ、人喰い妖怪は多いもんねー」

 

醤油や酒等を使ったたれに付けておいた焼き鳥の串を炭火で焼いていく。それを見ているミスティアの顔が親の仇でも見るみたいに険しくなっているが、そんなこと気にしていたら売れるものも売れなくなる。

…ん?今、私とミスティア以外に誰か会話に混じっていなかったか?

 

「ねえ、お姉さん。わたしにおすすめを一本ちょうだい?」

「うおっ!」

 

そう思って周りを見渡すと、目の前の席に見知らぬ少女が座っていた。いくらミスティアのほうに意識が寄っていたからって、この距離で気配に気付けないなんてことがあるのか?

少しばかり警戒しつつにひー、とでも言いそうな笑顔を浮かべた少女を観察するが、何とも不思議な雰囲気の少女だ。まるで、空気が人型になったかのような、そこにいながらそこにいないような、そんな希薄な印象の少女。

…まあ、こんなところで一発やり合うなんてことはないだろう。きっと。警戒は続けるが、そこまで気にすることもないか。

 

「ほれ、とりあえずももから食ってみろ。一本につき三厘だ」

「厘?ま、いいや。いっただっきまーす」

 

そう言ってももを噛み締める少女はほおを緩めた。私が焼き鳥を焼き続けている様子をミスティアがあまり人に見せられない表情で睨み続けているが、少女は意に介することなく食べ切った。

 

「んー、美味しいねぇ。わたしのとこの焼き鳥屋さんより美味しいかも」

「そりゃよかった。…不思議だな、嬢ちゃんは私の友人に似てる気がするよ」

「そう?」

 

何故だろう。目の前の少女を見ていると、もう二度と会えないかもしれない幻香の面影が重なる。似ても似つかない、というよりそもそも見た目のない幻香の面影というのも変な話かもしれないが。

 

「わたし、ちょっと気になるなぁ。その友達のこと」

「…あんま人に語れるようなもんじゃないから忘れな」

「もしかして悪い子なの?」

「どうだろうな。少なくとも大多数に嫌われている奴だったのは確かだが、私にはそう思えなかったってだけだ」

 

語ろうと思っていなかったはずなのに、目の前の少女を相手にしていると自然と口が滑る。

 

「そっか」

「…ねえ妹紅。誰と喋ってるの?」

「あ?誰って…、ここにいるだろ」

 

睨み付けながらも準備を終えたらしいミスティアが妙な事を聞いて来たので、目の前にいる少女を指差す。

 

「え?…うわっ!?い、いたの!?」

 

一度首を傾げたが、指出した場所に視線を移したところでようやく少女の存在に気付いたらしく、身を乗り出して大層驚いていた。…おいおい、その態度は少女に対してちょっと失礼じゃないか?

 

「いましたよー。あ、後数本食べたらその八目鰻と食べ比べするつもりだから待っててね」

「そ、そう?よし、焼き鳥撲滅の好機!」

「あははっ!撲滅させるなら簡単な方法があるよ。そんな回りくどい方法じゃなくて、スパッと綺麗に終わらせる方法」

「え?本当?」

「鳥という鳥を全滅させればいい。そうすれば焼き鳥なんて誰も作れない」

 

ポキリ、と串を圧し折りながら少女はアッサリと言ってのけた。

 

「…それは駄目だよ。そうならないためにやってるんだから」

「そっか。なら頑張ってね。…他に二本くらいおすすめってあるかな?」

「あ、ああ…。かわと砂肝だな」

「ありがとね」

 

さっきの言葉は冗談か何かだったのか、まるで気にしていないように笑顔のまま。それが少しだけ不気味だった。

おすすめとして名を挙げたかわと砂肝を焼き始めていると、渦巻きになるまで圧し折った串を皿に置いた少女が口を開いた。

 

「それで、貴方の友達の話に戻すけど。いいかな?いいよね」

「…ま、別に構わないよ。嬢ちゃんの期待に応えられるかは知らんけど」

「妹紅っていい人だね。うん、話に訊いた通りだよ」

「へえ、誰に訊いたんだ?」

「秘密」

「今なら三本追加だ」

「んー、足りないかな。心臓の一つくらいくれないと」

 

それは焼き鳥のはつのことなのか、それとも私の心臓のことなのか…。この感じは、後者だな。つまり、答えるつもりなんて毛頭ないのだろう。焼き上がった二本を皿に置きながらそう思った。

 

「で。その友達、どんな人だった?」

「どんな、と言われてもな。一言じゃ表せれねぇよ」

「少しくらい長くてもいいよ。ゆっくり食べるから」

 

そう言った通り、先程と違って一つずつ口に含み始めた。その眼は私に釘付けで、話をせがんでいるのがよく分かる。

 

「はぁ…。そうだな、才能ってのを感じさせてくれたよ。何て言うか、止まることを知らない限り何処までも進み続けられるような才能を」

「ふーん、…むぐ」

「多分、五十年もあれば私なんか軽く越えた場所に到達するだろうよ。ま、本人にはそんな自覚は全くないみたいだったけどな」

「ほっか」

 

かわを食べ切った少女は、最後の砂肝に手を伸ばした。

 

「だから、私はそんなあいつの完了が見たかった。どんな常識も秩序も障害も何もかも超越した存在を、一目見てみたかった」

「ほうひて?」

「…どうしてだろうな。本当に、どうしてなんだろうなぁ…」

 

理由を問われても分からない。友人で弟子の成長と免許皆伝を祝いたいのかもしれない。永久不滅の魂による暇潰しなのかもしれない。崇拝する対象を求めているのかもしれない。そんなことがいくつも浮かぶけれど、どれもこれも正解だとは思えない。きっと、この問いに正解なんてないんだろうな。

最後の一切れを飲み込んだ少女は、串を皿に置いてからゆっくりと手を合わせた。

 

「うん、美味しかったよ。ごちそうさま」

「おう。代金は九厘だな」

「厘って何?」

「何って…、単位だろ。金の」

「単位…?あー、そういえばそんなこと言ったね」

 

ははは、と笑う少女は何処からか袋を取り出し、中に手を突っ込んで銀色の丸い板を取り出した。

 

「よく分かんないから、これでいいかな?お釣りは…、次食べる分だけあればいいや」

「あー…、何本食うんだ?」

「そうだねぇ…。三本かな」

「おいミスティア。三本でいくらだ?」

「一本五厘だけど、三本なら一銭だよ」

「そか。なら先払いしとくぞ」

「ありがとね」

 

手持ちの一銭銅貨を隣にいるミスティアに投げ渡し、受け取った丸い銀板を改めて見てみる。模様らしい模様もなく、薄い銀板を丸く切り抜いたような代物。だが、金属としての単純な単価としてなら二銭くらいはあってもおかしくない、と思う。まあ、安くはないはずだ。

そんなことをしている隙に、少女は席を立ち上がって隣の屋台の席に座っていた。

 

「はいどうぞ!八目鰻三本ね!」

「うん、ありがとねミスティア」

「さぁ食べて!焼き鳥なんてもう食べないって思わせてあげるから!」

「それは楽しみだね。それじゃ、いっただっきまーす」

 

美味しそうに八目鰻を頬張る少女は、一本目の串を持ったまま二本目に手を伸ばした。

 

「ねえ、そこの妹紅って人と知り合いなんでしょ?」

「うん、よく関わり始めたのは最近だけど…」

「そこの人の友人を貴女は知ってるのかな?」

「…知ってるよ」

 

ミスティアは何か痛みを堪えるような笑みを浮かべながらそう言った。

 

「よかったら、教えてほしいな。残り二本を食べ切るまででいいから」

「うん、いいよ。…とっても強くて、とっても弱いんだ」

「ほれへ?」

「辛いことを辛いと知ったまま出来る強い人。傷付いて痛いはずなのに進み続けられる強い人。…けど、辛いことを辛いと知っているからこそ深く傷付く弱い人。痛みに悶えても辛いと吐けない弱い人。…私達が傍にいたのに、最後の最後まで自分の中だけで終わらせた…。そんな、強くて弱い人」

「…ふーん、ほっか。…んぐっ。ありがとね」

 

最後まで食べ終えた串を皿に置いて腕を組んで首を捻る。きっと食べ比べの評価を考えているのだろう。

 

「んー…。そもそも項目が違うから難しいね。甲乙つけ難い、て言うのかな?」

「ぐっ…。焼き鳥撲滅の道は険しく遠い…」

「あはは、代わりに応援してあげる。『頑張ってくださいね、ミスティアさん』」

「…!あれ、もしかして――」

「おい、まさか――」

 

そして、少女は人混みの中に紛れて何処かへ行ってしまった。

目の前の席に残された使い物にならないほどに圧し折られた串と二本の串が置かれた皿を見て、どうして誰も来ていないのに置かれているのか引っ掛かりながら、ああそう言えば真っ先に人が来ていたなと勝手に納得する。

 

「絶対撲滅させてあげるんだから、覚悟してよね!」

「うるせ。簡単に出来ると思うなよ」

 



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第284話

「ふっ、ほっ、はっ」

 

月光と蛍光を浴びながら右脚、左脚、もう一度右脚で回し蹴りを放つ。そして、後方に小さな弾幕を放ち、大きく迂回してすこし遠くの樹に左右から同時に当てる。

 

「おー、頑張ってるねー」

「何の練習なのかなー?」

「る、ルーミア?珍しいね」

「そうでもないよー?ま、声をかけるのは珍しいけどねー」

 

両腕を左右に真っ直ぐ広げながらにやにやと上機嫌に笑うルーミアの手には、得体の知れない肉が握られている。きっと、人間の里の何処かで野垂れ死んだ人間でも拾ってきたんだと思う。やけに嬉しいわけだ。

歯を立ててミチミチと肉を引っ張りながら、ルーミアは私の隣に腰を下ろした。モグモグと咀嚼している隣に私も座り、食べ終わるのを少し待つ。

 

「チルノとの最近の戦歴はどうなんだー?」

「んー、最近の十戦なら九勝一敗。けど、今は夏だからね」

 

夏は私にとってとても動きやすい季節で、チルノにとってはすぐにバテてしまう。と逆に冬だとチルノは元気いっぱいになって、私は体が動かし難くなる。

 

「その一敗は何があったのー?」

「あはは…。ちょっと油断しちゃったんだ。頭に大きいの喰らっちゃって地面に叩き付けられてすぐに大ちゃんが止めた、って感じ?」

「そっかー」

「へー、それってスペルカード戦なの?」

 

まさか氷塊「グレートクラッシャー」を振り回さずにそのまま投げ付けてくるとは思わなかった。あれはとても痛かった。立ち上がることは出来たけれど、足元がフラフラになっちゃったから大ちゃんが慌てて中断したんだよね。今思い出してもちょっと悔しい。

 

「そうだよー?貴女はやったことある?」

「んー、一応あるんだけどね。途中で邪魔が入って中途半端な感じになっちゃったんだー」

「それはとっても残念だねー」

「最初は絶対にその人と、って決めてるんだけど、今は忙しいからってそれ以降出来てないの」

 

そんなことを考えていると、ルーミアと知らない誰かの会話が聞こえてきた。…あれ?ルーミアの他に誰かいたっけ?いや、いなかったはず…。

 

「ねえ、ルーミア」

「その人って――なぁに、リグル?」

「えっと、その-…、誰と話してるの?」

「さっき会った妖怪」

「こんばんはー!」

「うわっ!」

 

突然耳元に大声が突き抜け、思わずビクッと体が少し跳ねる。さ、さっきまでルーミアと同じ方から会話が聞こえていたはずなのに、どうしてこの妖怪は逆側にいるんだ?

おそるおそる目を遣ると、黒い鍔付き帽子を被った緑髪の妖怪が笑顔を浮かべていた。

 

「むっふっふー、驚いた?ねえ驚いた?」

「お、驚いた…」

「それならよかった。わたしの友達、驚いてもあんまり驚かないんだもん」

 

そう言って不満気に頬を小さく膨らませている。

何を訊こうかと少し考えていると、ルーミアが急に私の体を乗り上げてきた。その際に両手で肩をグッと押さえ付けられ、危うく地面と顔をぶつけるのを手を出して堪える。お、重い…。

 

「それでー、その人ってどんな人ー?」

「わたしの友達だよ。大切で大切な友達」

「…そっか」

 

ルーミアが元の位置に戻り、錘から解放される。

 

「そうだそうだ。わたしはちょっと訊きたいことがあったんだよねー」

「訊きたいこと…?」

「何ー?」

 

私が何かを訊こうとする前に、隣の妖怪が私達に言った。

 

「スペルカード戦のこと。わたし、あんまり知らないんだよね」

「え、知らないの?」

「あんまり、だよ。わたしの友達から教えてもらっただけだからね」

「こんなに流行ってるのにかー?」

「そ。何分流行りには疎い者でして…」

 

そう言って笑うけれど、人間の里の誰もが知っている――やっているとは限らない―――し、紅魔館の主だって知っているし、冥界の幽霊だって知っているし、迷いの竹林の奥深くに住む兎と人だって知っているようなスペルカードルール。この幻想郷でスペルカード戦を知らないような辺境があるのだろうか?と疑問を浮かべる。けれど、知らない人だって少しくらいいてもおかしくないのかもしれない。現に、ここにいるのだから。

 

「一回遊んだ、ってことはルールは分かってるんでしょー?」

「うん。だから、わたしが聞きたいのは貴女達が遊んだ強い人の話、かな?参考にしたいなぁー、なんて思うの」

「…参考になるかなぁ?」

 

真っ先に頭に浮かぶのはレミリア・スカーレットと十六夜咲夜の二人。特に十六夜咲夜のほうは参考に出来るものじゃない。時間を操っているらしいし。ナイフ投げるし。

 

「いいからいいから。聞かせて、ね?」

「んー、私の知ってる強い人はー、やっぱり幻香かなー」

「…幻香。…うん、そうだねルーミア。幻香はとっても強かった」

「じゃ、その幻香って人のこと、聞かせてくれる?」

 

ルーミアが言う通り、幻香は強かった。本当に強かった。最初に私の我儘で制限を加えてくれたのに、それを丸ごと吹き飛ばしてきた。チルノに勝ちたい、って私のお願いを手助けしてくれた。私の全力を見せても、敵わない場所にいた。私の目指す先にいつもいた。

 

「幻香はね、いつも無茶ばっかりしてたんだー。私とミスティアとの勝負だって、終わり際にはフラフラになってたし。けど、多少の不利はものともしない人だったよ。目が見えなくても音を聞いて、音が聞こえなくても縦横無尽に駆け回って、そうやってすぐに補える強さがあった」

「そうだね。私のスペルカード戦の手助けをしてくれたんだけどね。手助けが出来る、ってことはさ、それだけ凄い、ってことなんだよね。私とルーミアを含めた七人相手に一人で勝っちゃったりとか、私を丸呑み出来るくらい大きな蛇の頭を吹き飛ばしたりとか、向こう側にある紅魔館っている場所に住む吸血鬼の主に勝ったりとか」

「幻香って、そんなに凄かったんだ」

「うん、凄かった。けど、今は、もう…」

「封印されちゃったもんねー。出る杭は打たれる、ってやつ?」

 

出る杭は打たれる。…うん、そうかもしれない。あまりにも突出した幻香の特異さは、私でも分かるくらい飛び抜けていた。何て言うか、頼んだら何でもやってくれる、って思えてしまうような感じ。

 

「幻香はね、博麗の巫女を相手に一対一の決闘を仕掛けて負けちゃったんだ。その考えに至った幻香が危険だったからかな?…封印されたんだよ」

「人間がいてー、その上に私達妖怪がいてー、その上に博麗の巫女がいる。ちょこちょこ例外はいるけれど、これが今の幻想郷なんだってさー」

 

幻香が封印されたと知ったときは、もう幻香と会えないんだ、と思って悲しくなった。私がどれだけ頑張っても、その先に幻香はいないんだ、って思うと、とても胸が痛い。

感傷に浸っていると、横から笑い声が響く。遠慮なしに笑う声は、静かな夜空に響き渡っていく。

 

「あはっ!あははっ!あははははっ!ははっ!それだとわたしは最底辺にいるのかなぁー?」

「えっと…、違うんじゃない?」

「そうだね。わたし達は最底辺よりもっと下にいる」

 

ニヤリと頬を吊り上げて笑うその表情に、わたしはヒヤリとしたものを感じた。そしてすぐさま立ち上がる。月を背に私達を見下ろしながら、右手を軽く振った。

 

「それじゃあね、ルーミアにリグル」

「もうお別れかー?」

「あっ、ちょっと…」

「お姉ちゃんに出来るだけ早く帰って来るように言われてるからね。まだ会いたい人がたくさんいるし」

 

そう言うと、まるで最初から誰もいなかったかのように消えてしまった。

…ふう、ルーミアと話して休憩も十分とれたかな。そう思い、ゆっくりと立ち上がった。

 

「お、さっきの続きかー?」

「うん。あのさ、ルーミア。これが終わったら、私とスペルカード戦で遊ぼうよ」

「…そうだねー。何だか、私もそんな気分になったよー」

「こんな時間だけど、私達にはちょうどいいでしょ?」

「闇は私の居場所で、夜は貴女の時間。うん、楽しみだねー」

 



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第285話

「…?」

 

ふわり、と空気が揺れるのを感じて瞼を開く。すぐに周りを見渡すけれど、それらしい気配は感じられない。

 

「あ」

 

急に私が動いたからか、足元で休んでいたらしい小鳥達が一斉に飛び立っていく。

 

「…風、かなぁ」

 

微かな風を肌で感じながら、再び瞼を閉じた。真夏日和の昼頃であり、頭上の太陽が私をジリジリと照らしているが、心頭滅却すれば火もまた涼し、と言う。この程度で門番を休むつもりはない。

 

 

 

 

 

 

バルコニーに紅茶の香りが漂う。日除けの傘の外側は、目が痛くなるくらい眩しい。普段ならこんな時間にこんなところにいるなんて自殺行為、と言いたいところだけれども、これもまた一興。

傘の遥か上にある見ることの出来ない太陽を見上げ、紅茶に手を伸ばしたが、その手は空を切った。どこか別の場所に置いていたのか、と思い机の上を見るが、そこにあるのは空のソーサーのみ。

 

「んっ、んっ…。あー!美味しいねぇ、この紅茶」

「…は?」

 

机から声のした前を向くと、そこには紅茶を飲み干したらしい緑髪の少女が机に腰かけていた。持ち手に人差し指を入れてクルクルと回して遊び始めた少女には閉じた瞳を思わせるものが浮かんでおり、ただの少女ではない妖怪であることを物語っている。

 

「ねえ、ちょっと訊きたいことがあるんだ」

「…何かしら?」

「ここってさ、紅魔館って場所で合ってるかな?」

「そうよ。ここは私の紅魔館」

「そっか。なら、貴女がレミリア・スカーレットなんだね」

 

さっきまで遊んでいたティーカップをソーサーに戻した妖怪は、私の眼を見詰めてくる。まるで何処までも続く底なしの穴のような瞳。私を見ていながら、別の何かを見ているような瞳。

 

「…貴女は、何処の誰かしら?」

「わたし?…んー、覚えてもらうほどの妖怪じゃないよ」

「それを決めるのは貴女ではなく私よ」

「ふぅーん。じゃあ、そんな傲慢な吸血鬼様にはわたしの矮小な名前なんて教えない。どうせ明日には忘れちゃうんだから」

 

そう言って笑う妖怪だが、どうにもその笑顔が薄っぺらい膜を持っているように思えてしょうがない。嘘っぱちな表情とまでは言わないけれども。

 

「ま、わたしのことなんてどうでもいいんだよ。道端に転がる石ころくらいどうでもいいね。私は貴女にいくつか訊きたいことがあって来たんだ」

「人の紅茶を勝手に飲み干しておきながらよくもまあいけしゃあしゃあと」

「そう?じゃあ対価くらい払わないといけないね」

 

袋の中に手を突っ込み、カチャカチャと金属同士が擦れ合う音を響かせる。そして、手を止めた妖怪は握られた手を取り出した。

 

「はい」

「ッ!」

 

握られた手から手渡されたそれを受け取った瞬間、ジュゥ…と嫌な感触がしてすぐさま右へ振り払う。キン、と甲高い音を立てて転がるそれは、四角い銀色の金属板だった。

 

「どういうつもりかしら…?」

「…あれ?これじゃ安かった?…むぅ、一杯百もするお茶なんて滅多に出ない高級品なのに」

 

これは宣戦布告と取っていいのかしら…?

どうしてくれようかと考え始めたところで、その妖怪は眉を顰めてうーんと唸り出し、すぐにポン、と握り拳で左手を叩いた。

 

「あー、思い出した。吸血鬼は銀が毒だったっけ。いやー、ごめんね。すっかり忘れてたよ。痛かった?いやね、悪気はなかったんだよ?忘れてたわたしも悪かったかもー、とは思っているけれど、わたしの好意を放り棄てた貴女も悪い。ほら、ここはお互い悪いってことにして、その固く握り締めた左拳を開こうよ。ね?」

「…ふぅー。寛大な私が貴女を許してあげるわ」

 

右手の痛みは既に引いている。胸に燻る怒気を長い息と共に吐き出し、左手を開く。

ジャラジャラという音がティーカップから響き、中身を覘いてみると丸い銅色の金属板が十枚収まっていた。

 

「はい。これでお互い水に…、風に流しましょう。お金って偉大だね。それで、わたしは貴女に訊きたいことがあるのです」

「…はぁ。その前に、咲夜」

「はい、お嬢様」

「うわっ。…この人が十六夜咲夜なのかな」

「紅茶を二人分用意してちょうだい」

「…?承知いたしました」

「うわ、今度は消えた」

 

少し間があったことが引っ掛かるが、咲夜はティーカップを持ってフッと消え去った。

 

「さて…。貴女は私に何を訊きたいのかしら?」

「フランドール・スカーレット」

 

私の妹、…だったただの吸血鬼の名を言われ、僅かに動揺する。

 

「貴女の妹だよね?」

「…私に妹なんていないわ」

「あれ?おっかしいなぁ…。会いたいと思ってたのに」

 

いくら首を傾げられてもいないものはいないのだ。思い出しただけで胸が軋むけれど、そうしたことが間違いだったかもしれなくても。

 

「ま、いっか。それじゃ、次。紅霧異変、だっけ?それを貴女が起こしたんでしょ?」

「…私じゃないわよ」

「あれ?昼間でも遊ぶために傍迷惑な紅い霧を広げた、って聞いたんだけど」

「ああ、そっちね。それなら私よ」

「まるで紅霧異変が二つあるみたいだね」

「…えぇ、そうよ。私が起こしたのとは別に、第二次紅霧異変と呼ばれるものが、ね」

「ふぅん。…あぁ、そゆこと。うん、よく分かったよ。そっかぁ、そうなったんだね」

「貴女、何か事情通のようだけど」

「わたしが知っていることなんて、他の誰かも知っていることだよ。わたしは聞いただけだから」

 

そう言うが、どうにもその言葉に重みが感じられない。嘘を言っているような、思ったことをそのまま口走っているような、そんな浮かび上がりそうなほど軽い言葉。きっと、私が真偽を問いても意味を成さないのだろう。

 

「わたしが訊きたいのはね、その紅霧異変の話」

「…どちらのことかしら?」

「両方。あ、嫌なら話さなくてもいいんだよ?」

「まさか、この私が話せないとでも言いたいのかしら?」

 

そんなつもりなんてないのだろう。けれど、そう言われて話さないなんて、レミリア・スカーレットの沽券に関わる。

 

「私が起こした紅霧異変。あれは、確かに昼間でも遊びたいなぁ、なんて一時の思惑もあったわ。けれど、私は異変を起こしたこと自体に目的があったのよ」

「ふぅん」

「今回は枠組みの中で私という強大な存在がいることを幻想郷中に知らしめる。そのために私は異変を起こした」

「今回?…ま、いっか。結果は成功したんだね。負けたけど」

「む、確かに負けたが価値のある負けだ。決して恥とは思わない」

 

枠組みから思い切り外れて私の強大さを知らしめようと起こした『吸血鬼異変』と呼ばれるものもあるのだけれど、それはたった一人の妖怪によってまとめて薙ぎ払われた。…あの時現れた妖怪の顔は、正直思い出したくない。

 

「もう一つの紅霧異変は鏡宮幻香が、人里で言うところの『禍』が起こした異変。私は…、悔しいが被害者に当たることになる」

「…『禍』、ね。…ふぅーん、そっかそっか」

「ここ紅魔館を占領し、博麗霊夢を呼び寄せるためだけに起こした異変、だそうだ」

 

そんなことを、とある日の霊夢は言っていた。美鈴が私達を連れて博麗神社へ向かう可能性も利用していたそうだ。利用出来るものを利用し尽くした結果は、あれだ。悲しいかな、私はフランと幻香が共に笑い合っている未来を望んで縁を切ったというのに。…まあ、その代わりは幻香と縁があった者達がやっているそうだが。

 

「だが、その実幻香は自殺するために呼び寄せたそうだ」

「…!…へ、へぇ。死ぬために異変を、ね。それは、何て言うか、…凄いね」

「そんなに死にたいなら何処か隅っこで勝手に死ねばいい、と言いたいところだがな。幻香は自分自身が持つ影響力をよく知っていた。だからこそああしたと私は思っているよ」

 

本当に、ふざけた話だ。道化のように踊らされた私達も、それに付き合った幻香の仲間達も、幻香自身も。

 

「紅茶が来るまで、と思って短くまとめさせてもらったが、深く訊きたいことはあるかな?」

「ないよ。粗方聞けたからもう満足」

「そうか」

 

そう軽い言葉と薄っぺらい笑顔で言われたが、私はそれでも満足だ。目を瞑り、少しばかり浸っていると、カタリ、と机が揺れた音がした。すぐに瞼を開くが、そこには何もなかった。

 

「お嬢様、紅茶です」

 

横から突然足音が聞こえ、顔を向けると咲夜がそこにいた。

 

「ああ、ありがとう咲夜」

「ところで、何故二人分なのでしょう?」

「二人分?」

 

そう言われると、確かにティーカップは二組用意されている。…はて、確かに二人分用意するよう咲夜に頼んだはずだが、…ああ、そうだ。思い出した。

 

「たまには咲夜と共に味わいたくてな。…どうだ?」

「ええ、お嬢様。お供させていただきます」

 

ふと、何故かバルコニーの右側が気になって顔を向けてみたが、眩しいばかりでそこに何かあることもなかった。

 



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第286話

二つの魔法陣を横に並べ、その一つに一枚の硬貨を置く。そして魔法陣を起動。すると、両方の魔法陣から眩い光を放つ。思わず目を細めるが、観察のために閉じることはしない。光が収まったところで目を開き、最初に置いた魔法陣から隣の魔法陣へ硬貨が移ったことを確認する。硬貨自体も何かしらの変化があるかどうか調べ、特にないことにホッとする。

この程度の大きさと距離なら、何度やっても大して問題ないだろう。しかし、転移させる物質の大きさが大きくなれば大きくなるほど、転移させる距離が伸びれば伸びるほど、必要な魔力量は膨れ上がる。既に百回程度改良を加え続けているが、それでもまだまだ消費する魔力量は膨大だ。だからこそ私は挑戦する。

 

「いやー、眩しかったねぇ。こう、ピッカアァーン!って感じで」

「…貴女、いつからここにいたの?」

「え?…んー、さっきからかな?」

 

突然声をかけられて少しばかり驚いたが、それより驚いたのはさっきと言われたのに大図書館を出入りする際に反応するはずの球が反応していなかったこと。私の魔術に干渉しない存在なのか、それとも…。

 

「貴女、いつからここに来たの?」

「いつからだろ?お腹空いてきたから、多分三日くらい前?」

「…はぁ」

 

今、この大図書館にいるのは私と首を傾げている緑髪の妖怪だけ。そして、多めに見積もって五日前からこの球が反応した回数を思い返してみると三十七回。一人入って出ると計二回。つまり、この緑髪の妖怪が入ったきり出ていないから奇数になっているわけね。

机に置かれているベルを鳴らす。少し待つと、バタリと扉を開けて一人の妖精メイドが慌ててやって来た。

 

「はぁ、はぁ…。ご、ご用は…?」

「軽食を用意してちょうだい。それと紅茶も」

「か、かしこまりましたぁ…」

 

この妖怪のための軽食を頼むと、息を整えずに大図書館から駆け出して行った。

 

「ありがとね、魔法使いさん。けど、魔法使いならポンッ!って出せないの?」

「無理ね。それは魔術に幻想を抱き過ぎよ」

「そうなの?よく分かんないや」

 

そういうのは私ではなく幻香の専門だ。体内に入れたら吸収されるはずの妖力塊を保持することさえも可能にしていたのだ。無理だと言っていた食料問題だって解決出来てしまうだろう。

 

「ここの本は難しくて読みづらいや。お姉ちゃんの書斎もだけど」

「そうかしら?」

「そうだよ。あんなに大きくて文字ビッチリな本、誰が読むのよ」

「読みたい人が読むのよ」

「そっか」

 

この妖怪が言う本は一度見たら忘れられないだろう。何せ、私の身長と同じくらいの大きさなのだから。中身は魔術に関することが並んでいる。あれを全て読み切ることが出来てかつ理解することが出来たならば、もしかしたら誰でも魔法使いの一歩を踏み出せるかもしれない、と言いたくなる本。ただし、仮に全て読むとしてどれほどの時間が必要になるかなんてあまり考えたくないし、重要な部分は暗号で書かれていたりするから理解するのは難しいだろう。

 

「それで、貴女は三日も前からここに来て何をするつもり?」

「あー!一面本棚に興味引っ張られてウッカリだよ!」

 

…どうしてかしら。この妖怪を見ていると、何故か幻香と重なって見える。表情がコロコロ変わるとはいえ、それだけなら妖精メイドの中にだってちらほらいるのに。

 

「わたしはね、パチュリー・ノーレッジ。貴女と話をしたくてここに来たんだよ」

「…私と?」

「そうそう。貴女が協力した、第二次紅霧異変について。わたしはとっても興味があるんだ」

 

そう言って、目の前の妖怪は笑った。

人間の里では第二次紅霧異変と呼ばれていることは知っている。幻香の、幻香による、幻香のための異変。幻香が欲しくて止まないものを得るための異変。結局幻香自身からその目的を告げられることのなかった異変。

 

「もちろん、話したくないならそれでもいいよ。そのときは次の質問に答えてもらうだけだから。あ、『やっぱり前の質問に戻して』はなしね。つまらないから」

「いいわよ、別に。答えられない、なんてことはないのだし」

 

ただ、好き好んで話したくないだけだ。誰かに訊かれればそれなりに答える。何かに強く興味を惹かれる気持ちを私は知っている。どうしようもないくらい大きな感情で、自分自身ですら制御出来なくなることもある感情。知りたいことを調べようとすることは、魔法使いとして当然のことなのだから。

 

「それで、貴女はその異変の何について知りたいのかしら?」

「貴女から見た首謀者の姿」

「見た目、という意味ではないわね?」

「うん。考え方とか、どうして起こしたのかとか、そんな感じ」

 

どう話したものか、と考えていると視界の端に光を感じた。そして、大きな音を立てて扉が開かれる。どうやら、先程頼んだものが出来たらしい。

 

「はぁ、はぁ…。ど、どうぞ…、軽食、紅茶、です…」

「うわぁ、美味しそう…」

「ありがとう。それと、もう少し落ち着いたほうがいいわよ」

「は、はい…!それでは…!」

 

一人分の洋菓子と紅茶を机に置き、お辞儀をしてからゆっくりと歩いて行った。…一人分?まあ、そんなこともあるだろう。妖精メイドだし。

 

「食べていい?」

「どうぞ」

「わーい!いっただっきまーす!」

 

目を輝かせる妖怪は、洋菓子を一つ口に投げ入れた。サクサクとした音を立てて食べる姿はとても可愛らしい。

 

「んー、美味しいねぇ。これがわたしの近くでも売ってたらいいのに」

「食べ始めたところで悪いのだけど、貴女は首謀者のことを何処まで知っているのかしら?」

「『禍』」

「…そう。それじゃあ、まずは考え方ね。基本は自分を犠牲に他人を手伝うことが多かったわ。けれど、あの異変のときは明確に私達を利用すると言ってきた。驚かなかったと言えば嘘になるわね」

「どうして協力したの?」

「それは簡単よ。私は彼女を一度利用し尽くした。だから利用されることにした」

 

住吉月面侵略計画(プロジェクトスミヨシ)のロケットがあれだけ早く完成したのは、完全に彼女の妖力と能力に依存した結果だ。本人はそれなりに乗り気であったが、相当無茶させてしまったことは事実。だから、今度は彼女に私が持つ知恵を提供することにした。

他にもフランが協力することを決めていたからだとか、純粋に友人としてだとか、色々とあるのだけど、主な理由はそれになる。

 

「次に、どうして起こしたのか。これは彼女の口から明確に語られていないから推測になるけど、構わないわね?」

「いいよ。予想も想像も空想も妄想もドンと来―い!」

「なら話しましょう。目的はおそらく、人里の人間達から受け続けている悪意を受けないで済ませるため。ただし、結果は問わない」

「自殺も一つの結果」

「…そこまで知っているのね。取った手段は博麗霊夢との一騎打ち。勝てば理想、負ければ死亡。…結果は封印。生きながら死んでいるのか、死にながら生きているのか、どちらとも言える結末」

「残念、なのかな?」

「…私は残念よ。あの子とはもっと仲良くしたかったもの」

 

あの膨大な発想と奇天烈な閃きは、私の魔術の発展に役立てることが出来ると思っていたのだから。

 

「そっか。ありがとね」

「ええ、どういたしまして」

 

そう言って紅茶をグーッと飲み干した妖怪は、ゆっくりと立ち上がった。

 

「えいっ」

「きゃっ!」

 

そして、何を思ったのかいきなり私の目の前でパチンと手を叩いた。思わず目を瞑り、ゆっくりと目を開けると、そこには空になった皿とティーカップを置いてあるのみだった。

目の前の食器を見て首を傾げる。私が食べたのかしら?…そうね、いくら食べずとも生きていけると言っても、食べていたほうがいいことがあることは知っている。魔法陣のことに集中し過ぎて、無自覚に食べていたのだろう。

再び座標移動の魔法陣に目を遣りながら、空になった食器を片付けてもらうためにベルを鳴らす。そして、視界の端で光は二度瞬いた。

 



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第287話

「あぁーっつぅーいぃー…。とぉーけぇーるぅー…」

「今年は残暑が厳しいみたいだね」

 

両脚を君の湖に入れて薄く凍らせているチルノちゃんは、私達と遊んでいるときと同じ妖精なのか疑いたくなるくらいグッタリとしています。そろそろ涼しくなってもいいような気がする頃ですが、まだまだ夏の暑さを感じる時期。私としては特にどうということもないのですが、氷の妖精であるチルノちゃんには相当堪えていますね…。

右手にほんのりと冷気を纏わせ、チルノちゃんの額に当ててあげる。これで少しは楽になってくれたらいいんですけど…。

 

「あぁー…。ありがとー大ちゃん」

「ふふ、どういたしまして」

「御両人、何してるの?」

 

今、何処からか声が聞こえたような?気のせい…、ではないですよね。

後ろを振り向くと、そこには青い閉じた瞼のようなものを浮かべた少女がいました。そこにいるはずなのにそこにいないような、そんな不思議な妖怪。声をかけられなければ、私は彼女の存在に気付くこともなかったと思う。

 

「私はチルノちゃんをちょっと介抱してるだけですよ。そう言う貴女は何をしているんですか?」

「わたし?わたしはね、貴女達に会いに来たんだよ。大妖精ちゃんにチルノちゃん」

「私とチルノちゃんに?」

 

思わず首を傾げてしまう。少なくとも、私はこの目の前で微笑んでいる妖怪に見覚えがありません。

 

「チルノちゃん」

「何だよー、大ちゃん」

「グッタリしてるところ悪いけれど、ちょっと起きて」

「分かった、よっと!」

 

チルノちゃんは勢いよく跳ね上げ、体を起こす。

 

「それで、アタイに何かあったの?」

「うん。私達に会いに来たんだって」

「え?…え?ん?おー?…誰が?」

 

キョロキョロと周りを見渡しているけれど、何故か見つけられない様子。…そっか。あの希薄な雰囲気で気付けていないのかも。

 

「ほら、チルノちゃん。後ろにいるよ」

「後ろ?…あ、いた!」

「ふっふっふー。改めまして、こんにちは」

「こんにちは」

「こんにちは!」

 

挨拶を済ませると、チルノちゃんとは逆側の隣に腰かけた。

 

「それで、貴女は私達に何の用ですか?」

「んー、用ってほどじゃないよ。ちょっとお話ししたいなぁ、って思ったんだ」

「そうなんですか?」

「そっか!ならたくさん話そう!」

 

チルノちゃんがさっきまでのグッタリを吹き飛ばし、元気よく答えてくれた。それにしても、お話しですか。話題が何か決まっていないですから、まず何から話せばいいでしょうか…。

 

「まずはさ、名前教えてよ。名前!」

「わたしの名前?」

 

そう少し悩んでいると、チルノちゃんはすぐに話を広げてくれた。

 

「そう!教えてくれないかな?」

「あー、んー、どうしよっかなぁ…。…うん、匿名(とくな)希望(のぞみ)とか?」

「のぞみだな!よろしく!」

「うん、よろしくー」

 

言い淀むほどおかしな名前ではないと思いますが…。何故でしょう。似合わない…じゃなくて、なんていうか、その、少し違うような気がします。

そんな違和感を拭えずに悶々としていると、希望さんは次の話題を告げた。

 

「あのさ、わたしってちょっと色々と疎いんだよね。そこでさ、ここでよくやる遊びについて教えてほしいなぁ、って」

「遊びですか。それならやっぱりス――」

「弾幕ごっこ!」

 

チルノちゃんと台詞が被ってしまいましたけれど、ほとんど同じことなので気にしません。

 

「児戯っぽい雰囲気あるけど、ちょっと物騒な名前だね。どんな遊び?」

「弾幕撃って、弾幕避けて、スペルカード宣言して、勝敗を決める!」

「うん、スペルカード戦だね。別の人達もそう言ってたから、本当に流行ってるんだ」

「ええ、とても流行っていますね。…私はあまり得意ではありませんが」

 

スペルカードをいくつか増やしたと言っても、まだまだ調整不足。それに、そもそも私は争い事をあまり好まないですから。…まぁ、そうは言っていられないことがあることもよく分かっています。ですから、せめて私が足手まといにならない程度には出来るようになっておこうとは思います。

 

「それじゃあのぞみ!アタイと勝負しよっ!」

「あはは、ごめんね。わたしは最初に遊ぼうって決めてる人がいるの。まぁ、約束みたいな?だから、その勝負は受けられないかな」

「むぅ…。それって誰?」

「んー、わたしの大切で大切な友達」

「そっか。友達との約束ならしょうがないな!」

 

そう言ってチルノちゃんは笑い、希望さんも微笑んでいる。けれど、希望さんの微笑みに何処か影が見えました。

 

「けどね、まだわたしも遊ぶために色々考えてるの。そこでね、貴女達が遊んで特に強かった人について教えてくれないかな?出来れば参考にしたいんだ」

 

けれど、それが気のせいであったかのように明るく振る舞う。その姿が少しばかり小さく見えた。

 

「アタイが勝負して強いと思ったのはたくさんいるよ!」

「私はあまり勝負はしていませんが、見ていてこの方は強いな、と思った方なら」

「そっか。例えば?」

 

頭に思い浮かべる方々の中で、特に印象に残っている方を数人選び抜く。

 

「霊夢でしょ、魔理沙でしょ、それとリグルも最近強くなってるよ。あとは、まどかかなー」

「そうですね。チルノちゃんの言う通り、霊夢さんも魔理沙さんもとても強い方ですし、リグルちゃんはとっても努力していますから。あとは、一度だけですか妹紅さんと萃香さんの勝負はとても素晴らしかったですね。…それと、やっぱりまどかさんは外せませんよね」

「萃香?」

「知ってるんですか?」

「…ううん。今年は食べてなかったなー、って思っただけ」

 

名前の読みが同じでも、萃香さんと西瓜ではあまりにもかけ離れています。

 

「それで、その人達はどんなスペルカードを使ってたか説明出来そう?」

「アタイ説明とか難しいの苦手!大ちゃん任せた!」

「わ、私!?はぁ…。もう、チルノちゃんったら…」

 

口であれらを説明するのがどれだけ難しいだろうか…。決して容易ではない。それに、参考にすると言っていたから、明らかに出来なさそうなものは省かないといけませんよね。

 

「そうですね…。まずは魔理沙さんの恋符『マスタースパーク』ですね。膨大な魔力を直接放つ大技ですよ」

「魔理沙がよく使うんだ!たくさんあるけど何が違うのかアタイには分かんないけど!」

「マスタースパーク…。うん、そっか」

 

指で地面に描くことで、少しでも分かりやすくしたつもりですが、その反応はどこか上の空。

 

「あの、何か足りないことがあったら教えてくださいね」

「…うん、大丈夫だよ。次は?」

「次は霊夢さんの霊符『夢想封印』。強力な霊力を私達に誘導させてきます」

「あれ、当たると痛いんだよなー!」

「ふむふむ…」

 

私が描いたものを今度は見てくれているのは嬉しいのですが、そんなにジックリと見られると少し恥ずかしいです…。

 

「次はリグルちゃんの隠蟲『永夜蟄居』。口で説明するのは難しいんですが、とっても綺麗なんですよ」

「リグルの全力なんだよなー。ま、アタイは最強だから大丈夫だけど!」

「チルノちゃん、すぐスペルカードぶつけるんだから…」

「んー、打ち消すのもあり、と」

 

私が頑張って少しでもその綺麗さを伝えようと、頭に残っているその弾幕の動きを指を動かしていくけれど、途中で希望さんに止められてしまいました。その目が次を促していたので、私はすぐに指を止めることにしました。

 

「次は妹紅さんの不死『火の鳥―鳳翼天翔―』。炎で鳥を模して放つんです」

「炎で?あー、わたしには無理かも」

「あ、そうですか…。それだと、私が知る萃香さんのスペルカードも無理そうですね…」

「うん、そうだね」

 

肯定されたので、最後に残されたまどかさんのスペルカードを思い浮かべる。いくつも見せてもらいましたけれど、私が一番印象に残っているスペルカードは…。

 

「最後に、まどかさんの複製『巨木の鉄槌』。なんでも、近くにある大木を自らの妖力で複製しているそうなんです。それを投げ付ける豪快なものですよ」

「初めて見たときはすっごく驚いた!」

「複製。…そっか、複製ね。うん」

 

そう言って満足げに微笑むと、希望さんはスクッと立ち上がった。

 

「いろいろ教えてくれてありがとね。出来るかどうかは置いておいて、参考になったよ」

「そうですか?それならよかったです」

「それじゃあね。またいつかとか」

「またなー!のぞみー!」

 

チルノちゃんは大きく手を振り、希望さんは右手を軽く振ってくれた。そして、あの希薄な雰囲気がさらに薄くなっていき、ほとんど何も感じなくなった頃に木陰へと消えていった。

 

「チルノちゃん。元気に腕を振るっているけれど、どうしたの?」

「あれ?…えーと、あれ?」

 

私の素朴な疑問にチルノちゃんは腕を止め、大きく首を傾げる。そして、そのまま体を倒してグッタリとしてしまう。

 

「うがぁー…、暑いぃー…」

「そうだね。けど、あともう少しで涼しくなるよ」

「大ちゃんがそう言うなら信じるー」

 



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第288話

迷いの竹林の中を全力で駆け抜ける。先行する一人の兎を捕まえるために。

 

「コラーッ!てゐ!待ちなさいっ!」

「やなこった!」

 

いつも通り仕事をサボっていたてゐにいい加減一喝しようとしたのだが、口を開いた瞬間に逃げ出されてから早十数分。なかなか距離を縮めることが出来ずにいる。

てゐがあらかじめ仕掛けていた罠に関しては、てゐとほぼ同じように動けば引っ掛からない、というわけではないところが嫌らしい。てゐの重さでは作動しないが、それよりある程度重ければ作動するような罠だってある。てゐの身長では容易に潜れるが、私では潜るのが困難な罠だってある。てゐがわざと遅刻性の罠に引っ掛かり、私が通りかかる頃に攻撃が来る罠だってある。まったく、こういう悪知恵ばっかり働くんだから…!

いくら私自身の仕事とてゐがサボっていた分の仕事を終わらせているからとはいえ、これ以上追い掛け回して時間が潰れるのもどうかと思えてきたそのとき、てゐが突然急停止した。

 

「うわ…、もしかしてこれ…」

 

てゐは私のことなんて意に介することなくその場で立ち尽くしている。よく分からないけれど、これは好機!

 

「てーゐー…!捕ま――え?」

 

てゐが見下ろしているのは、既に蓋の割れた相当深い落とし穴。つまり、罠が作動した後だということになる。では、誰がかかったのか?私の急停止し、目を凝らしてよく見れば竹槍が仕込んである底が見え、そこには見知らぬ人影があった。

 

「やっちゃった…かなぁ…?」

「てゐ!そこで待ってなさい!」

 

すぐに落とし穴へ跳び下り、片手両脚を壁に押し当てて竹槍の手前で止まる。そして、空いている右手で動かない少女の様子を探る。そこを改めて見渡すが、赤く濡れている様子も血の匂いもない。出血なし。鼻に少し濡らした指を近付けると、僅かな空気の流れを感じる。呼吸あり。胸に軽く手を当てると、規則正しく動いているのが分かる。心拍あり。

 

「すぅ…、すぅ…」

 

というか、竹槍にちょうど刺さらない姿勢で器用に眠っている少女がそこにいた。そして、今更ながら少女に浮かぶ丸いものに気が付き、ただの少女ではないことを察する。おそらく妖怪だろう。

未だに目を覚まさない妖怪の頬を数度叩きながら、声をかける。

 

「…ほら、起きて。大丈夫?」

「すぅ…、ん?ふぁ…、おっはよーぅ…」

「もう昼過ぎよ」

「それじゃあこんにちはー。…で、貴女誰?」

「鈴仙・優曇華院・イナバよ。鈴仙でもうどんげでも好きなように呼んで」

「分かったよ、うどんちゃん」

「うど…っ!?」

 

いつか呼ばれるとは思っていたけれど、ここで麺類にされることになるとは。

 

「貴女、ここが何処だか分かる?」

「迷いの竹林、だっけ?そこの落とし穴の底だよ」

「…そこまで分かってるならどうして寝てたのかしら?」

「いい感じに暗くて気持ちよかったから横になったら寝ちゃってた」

 

…何だその理由。いくらなんでも嘘っぽい。

ほんの少し能力を行使し、改めて妖怪を見遣る。嘘を吐くと、波長に独特の乱れが浮かぶことがある。普段から嘘を吐き慣れていたり、嘘だと思っていなかったりすれば変わらないのだけども。

 

「…!?」

 

その結果は、ほぼ平坦。ほぼ零。意識がほとんどない。ほぼ無意識。ゾワリと背筋に何かが走る。異様な存在を目の当たりにし、動揺を隠そうとしても指先が震えてしまう。

 

「んー、どうしたの?」

「…ハッ。い、いや、大丈夫です。さ、とりあえずここを出ましょう?飛べますか?」

「飛べるよ。それに、ちょうどよく会いたい人も来たわけだしね」

 

会いたい人…?ここには私とてゐくらいしかいないはずだが、この妖怪がてゐの存在に気付いているかどうかも怪しい。つまり、私に会いに来た?何故?

そんな疑問が浮かぶが、ひとまず一緒にフワリと浮かび上がり、一緒に落とし穴を出る。半信半疑で待っているように言ったてゐがそこに残っていたことにほんの少し驚きつつ、後ろにいる妖怪のことを考える。

 

「貴女は誰ー?」

「因幡てゐだけど」

「そっかぁ、そっかぁ、てゐちゃんかぁ」

 

そう言って笑っているのだが、その波長はほとんど変化なし。相も変わらず無意識のまま。それが私には恐ろしい。無意識のまま、まるで意識があるように振る舞っていることもそうだけれども、それくらいなら前例があるからいい。けれど、それがこの妖怪の普通だとしたら…。無邪気な子供よりもある意味で純粋無垢。考えたことをそのまま口にし、思い付いたことをそのまま行い、訊かれたことにはそのまま返す。そこに躊躇はない。葛藤はない。抵抗はない。それが恐ろしい。

そんな私は当然のようにお構いなしに、無意識妖怪は私達に言ってきた。

 

「わたしはね、ちょっと永遠亭って場所に行こうと思ってたんだ。鈴仙・優曇華院・イナバっていう月の兎と、一応因幡てゐっていう妖怪兎にも会いたかったの。訊きたいことがあったからね」

「…私と鈴仙にか?」

「うん。人里で薬を配って、手当てして、色々頑張ってるらしいじゃん」

「主に私ですがね」

「勝手に聞いた限りでは感謝されてるみたいだねぇ。特に『禍』の件で」

 

そう言われ、ドクリと心臓が跳ねる。幻香さんが、あの幻香さんがやらかしたこと。特に二度目は五十四人中九人死亡、残り全員重傷であった。精神的外傷(トラウマ)を抱えている者、義手義足に慣れずにいる者、底知れぬ怒りや恨みを抱いて精神が歪みかけた者…。未だに完治したとは言い難く、これからも完治するとは言い切れないだろう。

 

「そのことでさぁ、ちょっと思うんだよね。『禍』って、どんな人だったのかなぁ、って。…知らない?」

「…いけ好かない奴だよ。突然砲撃されるし、血塗れ瀕死で来たと思ったら勝手に治ったし…」

「…初めて会ったときは右腕欠損でしたね。三日間や、…一週間昏睡したこともありました。ですが、まあ、強いのでしょう。けれど、自分が傷付くことを躊躇わない」

 

妖力を使い捨てるような弾幕を放ってきたこともあった。妖怪として必要不可欠な妖力を、だ。そんなことをして死ぬつもりかと問えば、いつものことだと返された。あれが彼女にとっては日常なのだろう。

 

「そして、他人が傷付くことにも躊躇いがないのでしょうね」

 

私達が何としても隠そうとした姫様の元へ行こうとした唯一の組だ。勝つために何だってすると言うような人だ。悪行を悪行と理解していながら実行出来る危険な人だ。

そう言うと、目の前の妖怪は曖昧に微笑んだ。

 

「…うん、ありがと。あー、やっぱり『禍』って嫌われ者なんだねぇ」

「封印されるくらいだし、当然ウサ」

「らしいね。だからこそ、気になったんだよ。…それじゃあね」

 

両手を広げながらフラフラと歩き出した妖怪は、そのまま竹林の中に紛れて見えなくなった。

ハッと思い立ち、隣で私と同じように呆けていたてゐの両肩をすぐさま掴み取る。そして、無理矢理私と顔を合わせる。てゐがビクッと震え、顔色が徐々に悪くなっていくが、そんなものはお構いなしだ。

 

「…やっと、やっと捕まえたわよ、てゐぃ…!」

「う…、逃げ――」

 

私の両手を振り払って逃げ出そうとしたてゐの右手首を素早く捻り上げ、逃がさないように手早く拘束する。

 

「ギャーッ!痛い痛い痛い!止めろォー!離せェー!」

「離したら逃げるでしょうが!お師匠様に言いつけてタップリ叱ってもらうからね!」

「嫌だー!試験体はもうたくさんウサー!」

 

てゐの心からの叫びが迷いの竹林に木霊する。それでも心を鬼にし、ついでに今までの鬱憤を晴らすために、その手は決して離すことなく永遠亭へ向かった。

 



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第289話

「…見つからねぇ」

 

上空を飛翔して大地を見下ろすが、どうしても見つからない。探し始めてどれだけ経ったかなんて数えちゃいないから知らんが、少なくとも夏の終わり頃から秋になるくらいは探している。それだけ探し続けて未だに見つからないことと、見つけることが出来ない自分に苛立ちすら覚えてくる。

事の発端は、妹紅の家で見つけたものだ。それは、一枚の丸い銀板。すぐさま妹紅に訊いてみたが、首を傾げながら『拾ったんじゃないかなぁ…。うん、多分』などと曖昧なことを言われた。冗談じゃない。これは地底で使われている金銭の一種だ。仮に本当に拾ったのだとすれば、それは私以外の地底の誰かが地上に上がって来たことになる。何せ、私は伊吹瓢一つだけ持って上がって来たのだから。

地上に上がって来た地底の妖怪が何を仕出かすのか分からん。それらしい異変が未だに起きていないことが引っ掛かるが、それでも見つけ次第地底に叩き落とすか、場合によっては潰しておきたい。放っておいて面倒事になりました、なんてのは御免蒙る。

 

「ぅおっしゃー!魚だ魚だー!」

「…あ?」

 

…いた。どうして今まで気付けなかったのか、って言いたいくらいはしゃいでやがった。…いや、気付けなくて当然か。気にしないと目の前にいても気付けない、気にしていても隣にいたら気付かない。そんな無意識妖怪。

古明地こいしが川に両脚突っ込んで魚を手掴みで生け捕りしていた。

 

「よう、こいしちゃん」

「ん?おー、萃香じゃん。久し振――…あ、逃げられた」

 

川岸に足を降ろすと、こいしちゃんが両手で抱えていた魚が急に暴れ出し、スルリと腕を抜けて川へと逃げられてしまった。こいしちゃんはその魚を目で追ったが追いかけることはなく、諦めたように川から上がった。

 

「いい加減こいしちゃんって呼び方止めてよー。お姉ちゃんは呼び捨てるのにさ」

「さとりはさとりで、こいしちゃんはこいしちゃんさ」

「むぅ。…ま、いっか」

 

さとりと比べて思考や態度が何となく幼く感じるから、どうしてもちゃん付けで呼んでしまう。第三の眼を閉じる前はこんな性格ではなかった、みたいなことをさとりが言っていたことを思い出したが、残念ながら私は第三の眼を閉じたこいしちゃんしか知らない。地底に来たときはもう閉じていたのだから。

 

「それで、わたしに何か用?」

「それはこっちの話だ。あんたこそ、地上に何の用だ?」

「会いたい人がいるの。会って、訊いて、話したい人が」

「ふぅん。けどなぁ、私の言えたことじゃないが地上と地底の不可侵条約があるんだ。そう好き勝手出て来るのは見過ごせないんだよ」

「知ってる。お姉ちゃんにも言われたから。けど、わたしを送り出してくれたよ?」

 

…驚いた。さとりが自ら規則に例外を設けたことに、私は驚いた。あのさとりがだぞ?いいだろ別に、が通用しないさとりがだぞ?私が地上に来てからの短い間に、一体何があったんだ…。

 

「とにかく、わたしは会いたい人全員に会うまで戻りません。萃香。たとえ貴女がわたしを妨害しようとしても、わたしは何処までも逃げられる。貴女にわたしは捉えられないよ?」

「そうとは限らねぇな。やろうと思えば幻想郷全域を私に出来る。そうなりゃ逃げも隠れも出来ねぇよ」

「分かってないなぁ。こうして貴女がわたしを認識出来るのは、わたしが意識されるように動いてるからだよ。石ころ以下のわたしが目立つように動いてるからだよ。どれだけ目を増やしても、わたしはこいし。決して意識されないちっぽけな存在だから」

「違ぇよ。たとえあんたが石ころ以下だとしても、認識出来ないなんてことはない。そこにいるんだからな」

「その割には、随分探してたみたいだね?大方、わたしが使った金を見つけたからだろうけれど、もう大分前のことだよ。それとも、最近まで全く気付かなかったのかな?だとすれば、貴女はそこにあった金に長らく気付けなかったわけだね。それだけ時間があれば、わたしは十分だから」

「それでも気付いた。そして、あることが分かった。何事も最初の一手までは長いが、その後は手早いんだ。そんなに時間があると思わないほうがいい。それに、今あんたを取っ捕まえて地底に放り投げてもいいんだからな」

「そっか。なら――」

 

次の瞬間、こいしがスゥ…と消えた。確実に目の前にいたにもかかわらず、まるで空気にでも溶け込んだかのようにいなくなった。しまった、何処に――

 

「――ほら、見失った」

 

――そして、後頭部をコツン、と軽く叩かれる。…相変わらずだ。やっぱり、気付いていても気付けない。

 

「分かった分かった。脅すような真似して悪かったな。ここに迷惑かけるつもりがないみたいだし、見逃してやるよ」

「あはは、萃香はここに来て楽しそうだね。地底だとどこか我慢してた感じだったもん」

「…ま、地底だって悪くはなかったけどなぁ、やっぱり私は地上に立ちたかったんだよ。地底にいたら絶対に巡り合えなかっただろう友人が何人も出来た。地底にいたら絶対に触れることのなかっただろう遊戯も楽しめた。そして何より、残酷なくらい変わり果てた地上を見られた。…それだけで、私は地上に来た甲斐があったってもんだ」

 

鬼の存在自体忘れ去られていたことに関しては、流石にどうかと思ったけどな。それに伴ってあまりにも弱体化した人間達には落胆したもんだ。あって当然だった知恵も、技術も、何もかもが摩耗して消え去っていたのだから。

 

「それで、こいしちゃんは誰に会いたいんだ?」

「んー、誰に会おうか迷ってるとこ」

「何だよ、一人じゃないのか」

「うん。たくさんいるよ」

 

そう言って微笑むと、何故か私を指差す。

 

「貴女も、その一人」

「あん?」

 

その言葉で、まさか私は釣られたのか、と勘繰ってしまう。地底の金を使い、私に探させて、そしてあんな風にはしゃいだことが計算尽くなのでは、と。…いや、そんなはずないか。

 

「私に何を訊きたいんだ?まさか、さとりになんか頼まれたとかじゃねぇよな?」

「お姉ちゃんは関係ないよ。これはわたしが気になってることなんだから」

「そうかい。で、それは?」

「『禍』について、だよ。聞いた話だと、滅茶苦茶に嫌われてるみたいでしょ?」

「…まぁな」

 

確かに嫌われていた。『禍が鼻で嗤った』なんて言葉が出てくるくらいには嫌われていた。封印された今でも使われていることを考えると、どうしようもないな、と思う。

 

「それでさ、それだけ嫌われてるなら地底に迎えてもいいかなー、って思ったの」

「そりゃ無理だ。不可侵だってあるし、それより何より既に封印されてる」

「だよね、知ってる。けど、興味が湧いたんだ。どんな存在だったのか、って」

「それをどうして私に問う?」

「同じ地底にいた仲だし、訊きやすいかなって思ったの」

 

そう言ってにひー、と笑う。

 

「それ、私以外の奴らにも訊くつもりなのか?」

「そうだよ?」

「どうやって当たりを付けたんだ?」

「第二次紅霧異変の関係者。ちょっと勝手に聞いてたら、すぐに浮き出てきたよ。当然、萃香の名前もね」

「…はぁ。そうかい」

 

つまり、そこらへんで盗み聞きしたのか。まあ、いつものことか。地底では何時何処でこいしちゃんに聞かれているか、なんていちいち考えるのも面倒なくらいだったからな。

 

「『禍』の名前は知ってるか?」

「えっと、確か…、幻香だっけ?」

「そ。鏡宮幻香だ。あいつはなぁ、ちぐはぐな奴だったよ。他人のために自分を犠牲にして、自分のために他人を犠牲にする奴。自己犠牲かつ自分本位。けど、強いよ。単純な力なら私に敵いやしないが、例えば技術、例えば精神、例えば発想、例えば能力、私とは違う何かが飛び抜けてる。…ま、中途半端に抜けてるところもあるけどな。とにかく、私とは違う強い奴。ついでに言えば、私に勝った奴だ」

「へー、萃香に勝ったんだ。それは凄いねぇ」

「あいつは認めちゃいなかったがな。けどな、たとえあそこで私はあいつを貫いていても心の底から勝てたとは思えなかっただろうよ。あいつの口車に乗った時点でな」

 

幻香曰く、土俵が違った。勝てる勝負を投げさせた。それに気付いた時点で、私は勝てたとは思えなかった気がする。

 

「ま、そんな奴さ」

「そっか。面白い人だったんだね」

「…あぁ。惜しい奴を失ったと思ってる」

 

なんて言うか、私とは違う世界を見ているような奴だった。あいつにはあいつなりの世界があって、苦悩があって、そのために足を踏み締めていた。

そんなことを考えていると、こいしちゃんはゆっくりと立ち上がった。

 

「それじゃ、わたしはそろそろ行くね。…あ、そうだ。わたしが地上に来てること、他の皆には黙っててね。ほら、不可侵があるんでしょ?」

「あー、はいはい。黙ってやるよ。訊かれなけりゃな」

「そこはちゃんとしてほしいんだけどなぁ…」

 

そう最後に言い残して、こいしちゃんは何処かに行ってしまった。

 



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第290話

意識を水へと沈めていく。瞼を閉じ、一瞬の集中。そして、そっと鞘に手を当てる。

 

「――っ」

 

楼観剣を鞘に納め、止めていた息を一気に吐き出す。瞼を開けると、目の前にあった巻藁がスルスルリと斜めに次々と滑り落ちる。続けざまに抜き放った八閃の居合。

 

「今日も快調ね」

「…はい、幽々子様」

 

巻藁の切断面は撫でてもささくれはほんの僅かしか感じさせないほどに綺麗だ。斜めに斬り分けられた巻藁の厚さはほぼ等しい。幽々子様の言う通り、今日の私は快調だ。

しかし、萃香との勝負の最後のあの感覚に再び没入出来たことはない、あの時の私なら、倍は抜き放てただろう。切断面はさらに綺麗だっただろう。厚さも均一だっただろう。だから、今日の私は絶好調には程遠い。

 

「早速だけど、今日はお茶と饅頭が欲しいわ」

「分かりました」

 

稽古に使用した巻藁をまとめ、白玉楼へと戻る。これは今日の燃料に再利用するとして、今は幽々子様が注文したものを用意しなくては。

厨房へ行き、まずはお茶を淹れる準備をする。水を火にかけて沸騰させ、急須に茶葉を入れる。沸騰させたお湯を湯呑に注いで少し冷ましてからゆっくりと急須に注ぎ、茶葉が開くまで静かに待つ。そして、十分に茶葉が開いたら二つの湯呑にお茶を少しずつ注ぎ回す。最後の一滴まで残さず、しかし無理に揺らさずに注ぎ切り、この前買い置きしておいた饅頭八つと一緒にお盆に乗せて幽々子様の元へ。

 

「お待たせしました」

「ありがとう、妖夢」

 

幽々子様の横に座り、間にお盆を置く。縁側から見える庭園は日々姿を変える。そして、視線を少し横に傾け、奥に見える何も付けていない寂しいもう一本の西行妖を見る。もしかしたら、…いや、もうあれを斬り落とすことは出来ないのかもしれない。何故なら、あれを斬り落とすのは、彼女にキチンと勝利を収めてから、と決めていたのだから。その彼女が封印された今、最早それを成すことは不可能に近い。

 

「…そう思うなら、斬り落としても構わないのよ?」

「いえ、あれは私自身への戒め。自然と朽ち果てるならまだしも、私自ら斬り落とすなんて出来ません」

 

私の見ていた視線の先に気付いた幽々子様に言われたことを、私はすぐさま否定する。

 

「へー、あの大きな枯れ木には特別なものがあるんだね」

「はい。私はあの偽りの西行妖に――ッ!?」

 

問われたことに自然と返しかけ、思わず口を閉ざす。少なくとも、幽々子様の声ではなかった。そして、数瞬遅れてから私の知る誰の声でもないことを把握する。謎の声の主を探して周りを見渡すが、誰もいない。

 

「あら、見ない顔ね。お客様かしら?」

「まぁね。冥界の入り口を探すのに凄く時間掛かっちゃった。まさか上空にあるなんて思わなかったよ」

 

幽々子様は謎の声の主と楽しげに話し始めている。しかし、私にはその正体を見つけることが出来ない。そんな私が滑稽に見えたのか、幽々子様は小さく笑ってから私の目の前に人差し指を向けた。そして、その指先を横に動かし、それに釣られて視線を動かしていくと、そこには見慣れぬ緑髪の妖怪がそこにいた。

 

「…ふぅ。うん、美味しい」

 

黒い鍔付き帽子を横に置いて正座し、私の分のつもりだったお茶を飲んでいる。先程見渡したときはいなかったはずなのに、確かにそこにいる。まるで気配を感じない。目の前にいるはずなのに、少し目を離せば見失ってしまうと思えるほどに希薄だ。

目の前の妖怪が空になった湯呑をお盆に戻したのをきっかけに、幽々子様が話を切り出した。

 

「それで、貴女は何の用があって冥界に来たのかしら?」

「お話しに来たの。本当は訊きたいことがあって来たんだけど、それよりもさっきまで貴女が見てた偽りの西行妖、って言ってた枯れ木が気になるね」

「それは…」

 

少し言い淀むが、ここで言えないのは何故だか負けな気がし、自分自身の心の準備も兼ねて当たり障りのないところから話し始める。

 

「…貴女は『禍』と呼ばれた妖怪を知っていますか?」

「知ってるよ。封印されたって話の妖怪でしょ?」

「その妖怪との勝負の果てに創られた産物です。後に聞いた話では、その『禍』が持つ『ものを複製する程度の能力』によるものだそうで、彼女は最後にあの西行妖を創り出し、自ら倒れました」

 

思い出される幻香の台詞。一面を埋め尽くす桜色の幻想的で悲劇的な花吹雪。大量に増えた春。舞い散った花弁に埋もれた本物か偽物かも分からない春を探すことを余儀なくされ、無理だと言っていた時間稼ぎを倒れた後で成した。幻香との勝負には確かに勝利を収めることが出来たが、私は幽々子様が異変を起こした目的を達成させることは出来なかった。

 

「私は勝ちながら負けた。彼女は負けながら勝った。だから、私は彼女に勝利を収めるまであの偽りの西行妖を遺すことにしたのですよ」

「けどさ、封印されちゃったんでしょ?もうその勝負すら出来ないじゃん」

「…そう、ですね」

 

確かにその通りだ。だけど、不可能だと分かっていても、私はあれを斬り落とすつもりはない。もしも斬り落としてしまったら、その時私は中途半端な勝利を肯定してしまいそうだから。

 

「ま、貴女が斬り落としたくないならそれでいいんじゃない?ここに来るまでの通路のど真ん中にあって滅茶苦茶邪魔だったけれどね」

「それでも、ですよ。…いえ、むしろ、かもしれませんね」

「そっか」

 

私の進む道の前にそびえ、先へ進ませぬよう妨げる壁となるもの。全くもって、それらしい。

 

「…ところで、お茶のお代わりはいりますか?」

「ううん、いいよ。面倒だし」

「そのようなことは――」

「いいから。…ね?」

 

区切りがいいのでお茶を淹れ直そうと考えた私の提案を無理矢理遮り、饅頭を次々と頬張る。非常に美味しそうに食べている。その横では、幽々子様がお茶を啜り饅頭を口にしながら、私の言葉を黙って聞いてくれていた。

 

「ところで、貴女は聞きたいことがあったのでしょう?それはいいのかしら?」

「むぐ?…あー、それは半分済んだから。そっちに訊くのはお終い。貴女には訊くけどね」

「あら、何かしら?」

「簡単だよ。『禍』について、貴女はどう思ってる?」

 

確かに、その質問は私に訊く必要がほとんどないものだった。幽々子様はお茶を少し啜ると、湯呑を置いてから口を開いた。

 

「とても面白い子ね。私の友人と庭師、つまり妖夢ね。その二人が多少なりとも興味を持っていて、気になったから呼んでみて、そしたらとっても面白かったわ」

「どんな風に?」

「話をするために将棋盤を一目見てから、次の一手で勝敗が決まるよう自らの能力で細工をした。それと、出されたものを私が口にしてから口にした。多分、毒でも警戒したんでしょうね。ふふ、亡霊である私に毒なんてあってないようなものなのに」

「それの何処が面白いの?」

「私と友人の将棋の間に介入したこと、よ。普通なら終わるまで待つか、それとも将棋を後回しにするよう説得するところを、わざわざ無理矢理終わらせた。そういう普通とは違うところが面白いのよ。私に毒見をさせてから食べたところも含めてね」

「ふぅん。そういうものなんだ」

「そういうものよ」

 

幽々子様がそう言い切ると、その妖怪は置いていた帽子を被り、満足げに立ち上がった。そして、フワリと浮かび上がる。

 

「お話、ありがとね。あと、お茶と饅頭美味しかったよ」

「あら、もう帰るの?」

「うん。長居はしたくないからね。一応冥界らしいし?」

「そう。またいつか遊びに来ても構わないわよ。美味しいお茶とお茶菓子を用意するわ。うちの妖夢が」

「私ですか?…私ですよね。はい、用意してお待ちしていますよ」

「…あっはっはー、覚えてたらまた来るよ」

 

そう言うと、その妖怪は何処かへ飛んで消えてしまった。

偽りの西行妖から視線を外し、のんびりと冥界の空を見上げ続けていた。そして、お茶を飲もうと湯呑に手を伸ばしたところで、その軽さに違和感を覚える。湯呑を覗いてみれば、その中身はすでに空。慌ててお盆に目を遣ると、幽々子様のお茶は飲み干したようであることに加え、八つあった饅頭が気付いたら既に残り二つにまで減っている。

 

「幽々子様…?」

「あらあら、そんなに怖い顔して。一体どうしたの?」

「まさか、私のお茶まで飲んだなんて言いませんよね…?それに、饅頭がこの短時間で六つもお食べになって…」

「え?…あら、もしかして、私が飲んじゃったのかし、ら?おほ、おほほほほ…」

 

首を傾げながら誤魔化すように笑う幽々子様を見て、深いため息を吐いてしまう。

 

「…はぁ。お茶、淹れ直してきますね。それと、饅頭も新しく持ってきますから、その二つを食べて待っていてください」

「ふふ、ありがとう妖夢。けど、次は饅頭よりも羊羹がいいわ」

「分かりましたよ、幽々子様」

 

空になった湯呑を乗せたお盆を持ち、私は厨房へ歩き出した。

 



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第291話

「サニー、起きなさーい」

「んぁー…。ぉっしゃ―…、ちるのにかったぞぉー…」

 

夢の中がサニーがチルノに勝利したみたいだけど、一体何で勝ったのかしら。スペルカード戦だとすれば、それこそ夢の話だ。

それよりも、今日は昨夜にサニーが朝早くに三人で遊びに出掛ける、って宣言していたのに未だに起きないことのほうが重大な問題だ。

 

「…はぁ。ルナ、濡れ布巾ある?」

「…ちょっと、待っててッとと!あわぁ!」

 

すると間もなく下の階からビタンと倒れる音が響き渡る。サニーはお寝坊さん。ルナはすぐこける。相変わらずねぇ、二人とも…。

 

「で、ででで…出たぁーっ!」

 

けど、今日はどうやら少し違うらしい。一体誰かしら?少なくとも生き物ではないと思う。なにせ、私の能力に反応が一切なかったのだから。ルナの見間違いかもしれないわね。

 

「ん、んー…?なにがぁー?」

「あ、サニー、おはよう。もうとっくに日は昇ってるわよ」

「え?…うわ!本当だ!ヤバッ!…って、それよりも今はルナ!何があったのー!?」

 

ルナの大声で目覚めてくれたのは、手間がかからなくて嬉しい限り。寝間着のままドタバタと慌てて下へ駆け出すサニーを追って、私もルナの元へ向かう。

 

「…苦っ。うへぇ、何これ?」

 

…どうやらルナの見間違いではなく、私の能力で感知することが出来ない妖怪だったらしい。ここまで近付いても、目の前でコーヒーを片手に持った緑髪の妖怪の気配を探ることが一切出来ていないのだから。

そう言いながらももう一度口にして無理矢理飲み干したらしい妖怪は、空になったマグカップを置いてから私達二人と目を合わせた。

 

「おっはよーう!いやぁ、貴女達も探すのに随分時間掛かっちゃった!気付いたら落ち葉一杯冬一歩手前、って感じになっちゃったし。いい加減急がないと寒いんだよね。けど、全員に会うまで戻りたくないからなー」

「…え?えっと、貴女は私達を探してたの?」

「そうだよ?そう言ったじゃん。まさか大樹の中に住んでるとは、いやはや驚き驚き」

 

そう言いながらパチパチと拍手をしてくれる。そんな風にされるようなことではないと思うのだけど。

そんなことを考えていると、サニーは目の前の妖怪にビシッと指差しながら質問を繰り出した。

 

「まずさ、貴女って何処の誰?」

「わたし?ちょっと下の方から上がってきた妖怪で、名前は確か匿名(とくな)希望(のぞみ)だったはずだよ」

「はず、って…」

 

それに、下の方とは酷く曖昧な…。

 

「とりあえず、上着でも着ますか?」

「別にいいよ。返せなくなるから」

「構いませんよ?一枚くらい」

「あっはっはー、せっかくの厚意に甘えたいところだけど、ちょっと無理かなぁ。その代わりに、何か温かいものでも一緒に食べたいな」

「…?まあ、これから朝食ですからいいですけど…」

 

時期的には少し早いかもしれないけれど、かなり寒くなってきたから昨夜私達三人で一緒に食べたお鍋の残り汁にご飯、刻んだ茸と根菜を投入し、味付けに味噌を加えて温める。あとは煮詰まるのを待つだけ。簡単な雑炊の完成だ。

 

「…そ、それで、希望さんは私達に何があって来たんですか?」

「『禍』について知ってる人に会いに回ってるんだ。地上ではいい話を聞かないからね。気になってしょうがないんだよ」

「あのー、そのー、もうさ、封印されちゃったんだよ?いくら訊いても意味ってなくない?」

「封印されたから、だよ。されてなければ直接会えばいいし、それより何より、わたしは他の人から見た姿に興味があるから」

「それを訊いて、貴女は何がしたいのかしら?」

「訊くことが目的だからねぇ。知りたいだけなんだよ、わたしは」

 

幻香さんのことを知りたいだけ、か。そう言われても、どう話せばいいのか難しい人だ。

話す内容をまとめるために腕を組んで考えていると、気付いたら隣にルナがやって来ていて、改めてコーヒーを淹れていた。独特の香りが部屋に漂い始める。

 

「それじゃ、私からね。幻香さんはとっても強い人だよ。大きな樹を片手で投げれるし、たくさんの妖力を手から出して攻撃出来るし、蛇のヌシも仕留めちゃう」

「へぇ、意外と力持ちだったんだね。それに、たくさんの妖力かぁ。…ふむ、その蛇のヌシって、どのくらい大きいのかな?もしかして、貴女を丸呑み出来るくらい大きかったり?」

「そうなんだよ!本当は私達が捕獲しようと思ってたんだけどね、返り討ちにされちゃってからもう一度行くまでに仕留められちゃった。美味しかったから別に構わないけどね!」

「わたしも食べてみたかったなぁ、その蛇のヌシ。残ってたりしない?」

「ないよ、ごめんね。とっくの昔に食べ切っちゃった」

 

確かに、調理された蛇のヌシはとても美味しかった。けれど、あれをもう一度食べたいか、と訊かれたらどうなんだろう?私は普通の蛇肉でも十分に美味しく食べられるから、そちらで構わないと思っている。あんなのとまた戦うなんて、私はごめんだ。

淹れ直したコーヒーを飲んでいたルナが、サニーの話が終わったところでマグカップを音を立てて置いた。普段ならこんなに大きな音を立てないから、きっとわざとだろう。

 

「…ふぅ。次は、私。幻香さんは、文々。新聞に大きく分けて四回載ったことがあるの」

「新聞?…あー、あれね。うん、思い出した」

「えっと、一回目はフランさんとのスペルカード戦のこと。…まぁ、あれは嘘混じりだったけど」

「…新聞で嘘ってどうなの?」

「あれはそういう新聞で、別に気にしなければ読んでて楽しいから。それに、誇大表現は読む分には面白いだけだし。…それで、二回目は、その、…人里の人間達からの襲撃を返り討ちにしたこと。八十五人重軽傷、一人死亡…」

「殺したんだね」

「うん、殺した…。三回目は、…また人里の人間達からの襲撃を返り討ちにしたこと。四十五人重傷、九人死亡…」

「多いね」

「うん、多いよ。重傷者も、前と比べても酷い怪我だったみたいだし。腕とか脚を失った人もいたから。…それで、最後は、…封印されたこと。人里では第二次紅霧異変、って呼ばれていて、その異変の末に、博麗の巫女によって封印されたってことが書かれてる」

「…うん、そっか。それで、貴女はどう思ってるの?」

「自分がやった悪いことを私達が訊けば隠さずに、塞ぎかかっていた傷を抉じ開けるように見せられる。…そんな辛い人だよ。私と比べるなんてふざけていると思うけど、何倍も、何十倍も、何百倍も辛いことがあって、それを平気な顔を浮かべたつもりで背負ってた。…平気なわけ、ないのに」

「…それは、痛そうだね。心が壊れてないのが不思議なくらい。…わたしと違って」

 

人間達の歪んだ見方から来る悪意を受けていることを言えば、周りが同じように歪んでいれば真っ当だと答えた幻香さん。その時の顔は、諦めの表情だった。もうどうにも出来ない、って諦めた顔。その表情は、見ていてとても痛々しかった。

グツグツと泡を立てて煮立ってきた鍋とお玉、四人分の小皿と木製の匙をお盆に乗せて持っていく。そして、白い湯気をあげる雑炊を小皿に分けて配る。

 

「いただきまーす!」

「…いただきます」

「いっただっきまーす!」

「いただきます。さて、最後は私ね。食べながらで構わないから。私から見た幻香さんは、とても不思議な人。見た目も不思議、能力も不思議、考えていることも不思議、人脈も不思議、どうしてあんなに恨まれているのか不思議。…とにかく不思議がたくさんよ」

「ふーっ、ふーっ。…そっか」

「見た目は誰から見ても同じで不思議。能力はポンッと何かを創り出すものでとっても不思議。どうしてそういう結果に辿り着けるのか、どうしてすぐに決断出来るのか、私にはサッパリ分からなくて不思議。私達妖精に妖怪、加えて人間、半人半獣、魔法使い、吸血鬼、鬼と狭いのか広いのかよく分からない不思議な人脈。…そして、勝手な思い込みと運のなさで気付いたら恨まれている不思議。…そんな感じかしら」

「熱っ、…んぐ。…そうみたいだね」

 

当然だけど、私達とは明らかに違う。本当に分からないことだらけな人だった。

 

「この雑炊、温かくて美味しいね」

「ありがと」

「スターお代わり!」

「そのくらい自分でやって」

「…食後にコーヒー、飲む?」

「私はいらないかなー。苦いし!」

「淹れてくれるなら飲むけど」

「あれってコーヒーって言うの?もう飲んだしいいや。苦いし」

 

そんなことを話していたら、希望さんは空になった小皿を置き、ゆっくりと立ち上がった。

 

「ごちそうさま。これで数日は動ける気がするよ。ありがとね」

「え、もう行っちゃうの?」

「ごめんね。長くい過ぎたら迷惑だと思うから」

「…そんなことないです」

「…あっはっはー。わたしにとって面倒なんだよ、ルナちゃん。それじゃあね」

「え、あ、はい。さようなら…」

 

ルナの別れの挨拶を背に扉を開くと、冷たい風が吹き込んでくる。そんな中を希望さんは両腕を広げて駆け出していった。その姿はどんどん小さくなっていき、遂には見えなくなってしまった。

 

「…寒っ」

 

ブルリと寒さに震えながら、気付いたら開いていた扉を閉める。もしかして、この扉の建て付けが悪くなったのかしら?そう思いながらバシバシと扉を叩くけれど、外れる様子はない。…不思議ね。

 

「よーし!朝食も食べたし、早速出掛けるぞー!」

「ええ、そうね。けどサニー、その前に食器を片付けてからよ」

「…着替えてくるから、あとは任せた!」

「…スター、コーヒー淹れたよ」

「あら、ありがと」

 

ルナに手渡されたマグカップから漂う香りを楽しんでから一口。…苦い。けど、癖になる味。

ふと机に目を遣ると、何故か小皿と匙が四つあることに気が付いた。…これは洗い物が増えてしまう、じゃなくて、どうして四人分?私とサニーとルナと、あと一人。誰だろう?…あれ?そんな人いたかしら?…けど、なら、どうして…。…あぁ、きっとサニーが大食いだから二皿も食べたのね。お代わりするくらいだもの。うん、きっとそうよ。

 

「逃げたサニーは後で背中に冷水三滴の刑ね」

 

コーヒーを片手に小皿を重ねながら、そんなことを小さく呟いた。人に洗い物を全て任せるんだから、このくらいはいいでしょう?

 



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第292話

「…よし、こんなもんか」

 

昨夜からずっと続けていた研究の結果を魔導書、もとい手記に書き留めていく。残念ながら、今回の研究結果はあまりいいと言えるものではなかった。だが、成功だろうと失敗だろうと関係なく無差別に書き留める。極稀に現れる魔法らしい結果を求めて、ただひたすら試行錯誤を繰り返す。今までだってそうだった。これからだってそうだろう。

 

「…あー、寒っ」

 

防寒具を着たり、厚めの手袋を着けたりしているが、どうしても肌を露出してしまう顔に空気が突き刺さる。雪は降っていないが、もう冬と言ってもいい季節だろう。

けれど、あの時とかと比べればまだマシだと頭の片隅で考えている自分がいる。例えば春雪異変は、春が一向に訪れずに長い間冬を過ごす羽目になった。例えば第二次紅霧異変は、極寒の部屋で防寒具なしのスペルカード戦をする羽目になった。今は時季外れではないし、気温も汗が瞬時に凍るほどじゃない。

外に出て徹夜明けにはキツい日の光を浴びながら、柄の先に籠を一つ引っ掛けてから箒に跨る。あのまま寝てしまってもよかったのかもしれないが、今日は何となくアリスの家で温まりながら紅茶でも飲みたいと思った。だから、私はゆっくりとした低空飛行で家を飛び出した。

道中でよさげな茸を拾いながら飛んでいくこと十数分。相変わらず大量の人形が庭にも屋根にも置かれているアリスの家に到着した。

 

「『やぁ朱音。どうしたんだいその髪は?』『見てくれよ白歌。まるで月の光を溶かし込んだようだろう?』『はっはっは!それじゃあまるで米俵だぜ!』『おいおい、褒めても何も出ませんことよ?』」

「…誰だお前」

 

そのまま扉を開けると、見たことのない妖怪がアリスの人形を両手に持って陳腐な人形劇をして遊んでいた。魔法の森に迷い込んだ人がいたら保護をしている、とアリスが言っていたことを思い出し、迷い込んだんだろうなと察する。

 

「アリス!魔理沙さんがお邪魔しに来たぜ?」

「あら魔理沙。今日は一体何の用?」

 

奥の方からアリスの声が聞こえてきた。パタリと本を閉める音を聞いてから、その問いに答える。

 

「いや、特にないな。紅茶を飲みに来たくらいだ」

「…はぁ。ま、別に構わないわよ。一人で暇してたし」

「あ?一人?」

 

その言葉に違和感を覚える。

 

「…なあ、それなら目の前にいるこの妖怪は何だ?」

「妖怪?誰のことよ。幻惑作用のある茸でも食べた?」

「食ってない。いいからちょっとこっち来いよ!」

「あー、はいはい。ちょっと待ってなさい…」

 

アリスは呆れ声でそう言って少し待つと、ようやくアリスが出てきた。そして、私は指で人形劇をし続けている妖怪を指差す。

 

「『これを御覧なさい!髪の毛ですのよこれ全部!』『私は今まで色んなところを旅してきたわ!けど、こんな奇抜な髪型は一度だって目にしたことがございません!』」

「…誰よ、この子」

 

目を向けたアリスの第一声はそれだった。アリスの人形の髪型は特段弄られている様子はないのだが、目の前の妖怪の頭の中ではまるで米俵のような髪型ということになっているのだろう。どうしてそんなことを思い付いたのかサッパリ分からん。

 

「『この髪型は――』…ん?あ、お邪魔してます」

「え…、えぇ。別に構わないわよ。ところで、何処のどなたかしら?」

「わたし?ちょっと下の方から来た妖怪だよ」

 

人形劇を途中で切り上げた妖怪は、使っていた人形を片付けていく。それを横目にアリスが小声で私に耳打ちしてきた。

 

「…最近、庭の人形の数体に生物探知機能を取り付けたのよ。貴女が来た、とまでは分からないけれど、誰かが庭に侵入したら家の中の人形が反応する感じ」

「…パチュリーの大図書館にも似たようなのがあるが、あんなもんか?」

「…それを参考にして私なりに作ってみたのよ。けど、ここ数日反応なし」

「はぁ?じゃあこいつは何なんだよ?」

「…私が知りたいわよ」

「ねぇねぇ、何話してるの?わたし、気になります」

「おわっ!気にすんな!大したことじゃねぇから!な、アリス!?」

「え?え、えぇ…、そうね。気にしなくていいわ」

「ふぅーん、そっか」

 

話し込んでいる間に片付け終えたらしい妖怪が、気付いたら私達の目の前まで寄って来ていた。確かに話し合っていたけれど、流石に目の前にまで来られて気付かないほど熱中していたわけじゃない。それなのに、話しかけられるまで目の前にいたことに気付かないなんてことがあるか?

 

「それよりね、わたしは目的があってここに来たのです。聞いてくれますか?」

「あ、あぁ、別に構わないが…」

「なら、紅茶を淹れて来るわね」

「それならわたしの話をちゃんと聞いててね?」

 

アリスが部屋を出ると、妖怪はそう言って見送った。そして机の椅子に座る。私も向かい側に腰を下ろした。

 

「わたしはね、第二次紅霧異変に興味があるんだ。具体的には、それを起こした『禍』と呼ばれた妖怪についてだね。いやぁ、噂を聞いてると凄いねぇ本当に。何か嫌なことがあればすぐに『『禍』が鼻で嗤う』んだって。それだけ嫌われていて、恨まれていて、恐れられている。そんな『禍』にわたしは興味があるんだよ。一体どんな性格で、どんな考え方を持っていて、どんなことをしてきて、どんなことを仕出かしたのか。わたしは気になってしょうがないんだよ。分かる?分かってほしいなぁ。ねえ、貴女達は第二次紅霧異変の解決者の一人でしょう?だったら、『禍』について少しは知っているでしょう?だからさ、わたしにちょっと教えてほしいの。聞かせてくれたら嬉しいな。聞かせてくれないと悲しいな。ねえ、どうなの?教えてくれる?教えてくれない?」

「お…、おう。教える教える。だからそんな捲し立てるなよ」

「…紅茶、淹れたわよ。たくさん喋る子ね」

「あっはっはー。喋らないと気にしてくれないでしょ?」

 

アリスは紅茶を私達の前に置いてから私の隣の席に座るのを見てから、改めて目の前の妖怪を観察する。緑髪で黒い鍔付き帽子を被り、胸元に閉じた瞳を思わせるもの浮かばせている妖怪。特に気になるのは、目の前にいるにもかかわらずまるで気付けないと思わせる希薄な雰囲気。さっきだってそうだった。アリスの索敵機能人形に反応しないし、アリス自身も気付かなかった。それが不思議でたまらない。

 

「ま、そんなのはどうでもいいんだよ。『禍』について、どっちから教えてくれるの?」

「それなら私から。『禍』に関しては、人里から捕獲もしくは討伐してほしいと頼まれたことがあるわね」

「私もあるぜ。気味悪いからとか魂削りだからとか色々言われてな」

「へー、やっぱり嫌われてるねぇ」

 

うんうん、と納得して頷いている。…まあ、嫌われたから嫌われるようなことを仕返したようなんだがな。

 

「けれど、私に対して特に何かしてくる様子もなかったし、放っておくことにした。…けれど、私は彼女に対して少し嫉妬していたのよ。魔理沙が語っていたことでね」

「私がか?」

「ええ。貴女、前に言ったでしょう?『目の前に私達を出して動かし始めた』って。…これでもね、私の魔術はそう簡単に出来るものじゃないつもりよ。それなのに、いきなり現れた妖怪が似たようなことをしたと言われて少し、ね。…私個人としてはこの程度よ。第二次紅霧異変はパチュリーと話していたら終わっていたから、そちらは魔理沙に訊いてちょうだい」

 

そうアリスが締め括ると、目の前の妖怪が期待に満ちた目で私を見てきた。口にはしていないが、早く早くと催促しているのがよく伝わってくる。目は口ほどに、というやつか。

 

「『禍』…、あー、幻香でいいか?」

「別にいいよ。幻香って呼ばれていたことは別の人から聞いたから」

「そうか。幻香はな、天才だよ。むかつくぐらいな。ちょっと派手な技のやり方を教えたら、翌日にはやってた。…初めてだった頃の私なんかよりよっぽど強いのをな。素人丸出しだったスペルカード戦も、ちょっと経てば人並み以上になっていた。…そして最後に、異変を起こして霊夢を呼び出して、自ら望んで封印されやがった。まったく、ふざけたそっくりヤローさ」

「いやぁ、ふざけてるねぇ…。本当に」

 

少し温くなってしまった紅茶を一気に飲み干し、続きを語る。

 

「人里の人間達からはこれ以上ないくらい嫌われて、時には襲撃してきた人間を返り討ちにした。…最初に襲撃を受けたときは、突然飛び出してきた子供の包丁に刺された状態でな」

「痛そうだねぇ」

「終わったらすぐに倒れたよ。ま、その時は途中でやって来た幻香の友人に連れてかれたけどな」

 

確か、藤原妹紅という白髪の少女だったはずだ。おそらく人間だが、炎の妖術を扱える。

 

「あとは、そうだな…。幻香とは一度異変を一緒に解決しに行ったことがある。春雪異変って呼ばれてる、春になっても冬が続いた異変だ」

「知ってる。寒そうだよね」

「寒そうじゃなくて寒かったんだよ。最後に幻香は私達を先へ行かせるために相手の一人を足止めして終わったな。あとになってみれば、助かったよ」

 

何せ、一緒に行けば春を回収されて西行妖が満開になっていたかもしれないのだから。

 

「それで、お前が気にしてる第二次紅霧異変は、私も妖精五人とスペルカード戦してる間に終わってたからなぁ…。詳しく知りたいなら、幻香に協力した連中か霊夢に訊いたほうが早いんじゃないか?」

「…そっか。残念」

 

見るからに落ち込んだ様子になったが、紅茶を一気飲みしたら笑顔に戻った。…何だ、こいつ。

そして、突然空になったカップを持って立ち上がった。

 

「ありがとね、教えてくれて。それじゃあね」

「おいおい、話聞いたらそれでさよならか?」

「そうだよ?」

 

そう即答され、厨房へと歩いていく。そちらに目を遣ると、軽く水洗いをしてからすぐに見えなくなった。遠ざかる足音が止まり、窓を開ける音が聞こえたと思ったら、それ以降奥から何も聞こえなくなった。

突然、冷たい空気が足元に流れてくる。せっかく紅茶を飲みながら温まりに来たっていうのに…。

 

「なあ、アリス。窓でも開けてるのか?」

「え?…んー、そう、ね。換気よ、換気。すぐ閉めるわね」

「それなら紅茶のお代わりくれよ。窓は私が閉めるからさ」

「そう?なら任せるわね」

 

そう言ってもう既に温くなっているだろう紅茶を飲み干してから、何故か首を傾げながらアリスは立ち上がり、私のティーカップと一緒に厨房へと向かう。その後ろを私は付いていき、そのまま奥へと向かう。そして、全開になっている窓から空を一度眺め、誰もいないな、と思いながらゆっくりと閉める。厨房に戻ると、また首を傾げているアリスが見ている濡れたティーカップがやけに気になった。

 



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第293話

静かな夜の世界。屋根に腰を下ろして見上げてみれば、白い月の柔らかな光が世界を照らしている。今朝は雪が少し降ったけれど積もるほどではなく、昼には雲も流れていき、今ではほんの少し濡れている程度。

 

「綺麗だねぇ」

「うん、そうだね」

 

吐く息はほんのり白い。けれど、この前慧音に貰った防寒具に手袋、マフラーまで装着すればそこまで寒くはない。

 

「…それで、貴女誰?」

 

それよりも、まるで最初からいたかのように私に話しかけてきた緑髪の妖怪が気になる。確かにそこにいる。それなのに話しかけられるまでそこにいたと分からなかった。何て言うか、影が薄い?

 

「わたし?んー、ちょっと下の方から来たただの妖怪だよ」

「少なくとも、普通にはここに来れないはずだよ」

 

ここは護符を持っているか本当に迷っていたかじゃないと侵入出来ない、って聞いてたのに普通に私の横に現れた。だから不思議だ。

 

「普通に来たよ。貴女の後をつけてきただけだから」

「…私が最後に外に出たの、昨日の昼頃なんだけど…」

「そうだね。だからずーっとボーッと待ってたんだよ」

 

ちなみに昨日の昼には一人で野鳥狩りをした。ミスティアには申し訳ないと思うけれど、ちゃんと血の一滴も残さず食べたから許してほしい。あと、骨は橙がスープの出汁に使ってから埋めた。

それにしてもこの妖怪、丸一日以上待っていたのか。ちょっと驚き。

 

「それで、貴女は私に何の用なの?まさかわざわざ迷い家まで来て何もない、何てことはないでしょ」

「そうだねぇ。紅魔館にいると思ったら妹はいないって言われて、念のため地下に行ってももぬけの殻だったし、貴女がいそうな場所をグルグルと回っても全然見つからなくて本当に困ったんだよ。ちょっと見つけても他の誰かといることが多くて、どうしようかと迷ってたらすぐに何処かに行っちゃうんだもん。いやぁ、大変だった!まさか迷い家に住んでたとは思ってなかったよ。ま、あれだけ探して見つからなかったからここだろうと当たりは付けてたけどねぇ、ここに侵入するのは本当に苦労したよ。ねえ、この苦労が少しくらい分かってくれたかな、フランドール・スカーレット?」

「ごめん、よく分かんないや」

 

外に出るときは必ず水晶の護符のイヤリングを着けているから、迷い家に入れないで苦労する、という経験がない。部屋を出れないで苛ついたことなら腐るほどあるけど。

 

「それと、私はフランドール・スカーレットじゃないよ」

「…あれ?黄色い髪の毛、真紅の瞳、白い肌、七色結晶の翼…。わたしが聞いた貴女の特徴そのままなんだけど?」

「そうだね。確かにそれは私だと思うよ。けど、私はフランドール・スカーレットじゃないの。私の名前はフランチェスカ・ガーネット。…ミドルはないよ。名前が長くて呼び辛いと思うから、フランって呼んで」

 

あの日を境に、私は今までの名前を捨てて新たな名前を得た。自由も得た。けれど、二人の姉を失った。一人目のレミリア・スカーレットはどうでもいいし、むしろ清々している。二人目の鏡宮幻香は、今でもいないことがとても寂しい。

 

「それじゃ、フラン。わたしの用を言いましょう。大丈夫。ちょっと訊きたいことがあるだけだから」

「ふぅん。何を訊きたいの?」

「『禍』」

 

その言葉を聞いた瞬間、私の右手は自然と横にいた妖怪の首を掴んでいた。そのまま力を込めようとしていた右手を理性で抑え込み、逆側に力を入れて無理矢理右手を開いていく。

 

「痛たた…。急に首締めは流石に痛いって」

「…ごめん。けど、その言葉、私は嫌いだな」

 

私はお姉さんのことを勝手に『禍』と呼んでいる人間が嫌いだ。レミリアと同じくらい嫌いだ。お姉さんが感染症の原因だなんてふざけているし、災厄の権化だなんて馬鹿げている。

 

「それじゃ、何て呼べばいいのかな?」

「おね――じゃなくて、幻香」

「分かった。幻香ね。わたしは貴女に幻香について訊きに来たんだ。第二次紅霧異変を引き起こした幻香に興味があってね、その関係者に訊いて回ってる感じ」

「お姉さんのことを、ねぇ…」

 

言い方から察するに、もう既に何人かは訊いているんだと思う。だから、誰でも知っているようなことを話しても、もう知っているからと言って満足してくれなさそう。とは言うものの、何処まで話していいのかが難しい。絶対に話してはいけないものは分かるんだけど。

 

「お姉さん?」

「あー、血の繋がりはないよ。けど、それ以上に気持ちが繋がってる。齢は私の方が上かもしれないけれど、お姉さんは私のお姉さん」

 

私の始まりは、お姉さんに出会った瞬間だ。それなら、私はお姉さんよりも年下になる。最初は私より背が高いからそう呼んでいただけだったけれど、いつからかその呼び名の意味が大きく膨れ上がっていった。

 

「それで、お姉さんの何が訊きたいの?」

「何でもいいよ。貴女が幻香に思っていること、貴女に幻香がやったこと、貴女が幻香にやったこと…。好きなように話してほしいんだ」

「そっか。それじゃ、ちょっとだけ」

 

禁句というほどじゃないけれど、自然とお姉さんのことはあまり口にしなくなってきている。古傷に触れたくないからかもしれないし、どう話しても過去のことになってしまうのが嫌なのかもしれない。少なくとも、私はそうだ。

けれど、いつまでも話さずにいたいとも思わなかった。お姉さんのことを誰かに知ってほしかった。お姉さんが確かにここにいたことを。

 

「私が住んでるこの家、前はお姉さんの家だったんだ。本当は、お姉さんと一緒に住もうと思ってたんだけどね、…封印されちゃったから、さ。…うん。だから、代わりに私が使ってる」

「いくら封印されてるからって、勝手に貰っちゃうのはどうなの?」

「そうだね、怒られちゃうかも。けど、私はこの家が使われないで少しずつ埃被っていくのを見たくないんだよ」

「…そっか」

 

いつまでも綺麗なままでいられるとまでは思っていない。けれど、こうして使われていって、少しずつ摩耗していく。私達と一緒に。…なぁんてね。

 

「他には、そうだなぁ…。私に外を教えてくれたかな。私の世界が地下室から一気に広がったの。外は綺麗で、それでいて醜悪だよ。けど、それは光があれば影があるように、山があれば谷があるように、当たり前のことなんだよね。こうして外に出てさ、何を今更って感じだけどよく分かった気がするんだ」

「そうだね。…笑顔を浮かべながら内側で罵ることも、それを分かっていて笑顔を返すことも、当たり前なんだよね」

「そうみたい。誰しも善意と悪意があって、人によって使い分けているって。お姉さんだって自分で自分は悪い人だー、って言ってたし」

「善意しかない人なんていないんだよねぇ」

「そんな人がいたら、私は不気味だな。罵詈雑言を微笑んで、殴られたら感謝して、裏切られても疑わない。そんなの、ただの異常者だよ。私とは違う異常者」

「…そっか。そうかもね。…あーあ、馬鹿みたいだなぁ」

「まあ、結局は私がどう思うかなんだよ。私にとっていい人ならいい人で、悪い人なら悪い人。どれだけ自分が悪人か語っていようと、私がいい人だと思えばその人はいい人。どれだけ自分が善人か語っていようと、私が悪い人だと思えばその人は悪い人。他人の評価なんて、正直どうでもいいね。そういう意味では、お姉さんはとってもいい人」

「いい人、かぁ。…うん、幻香はいい人だよね」

 

不思議な気分だ。口が少し軽く感じる。私ってこんなに喋れたんだっけ、なんて思うくらいスラスラと出てくる。お姉さんのことを話せることが、そんなに嬉しいのかな?…うん、そうだね。とっても嬉しい。

 

「…あとさ、貴女ってなんだかお姉さんに似てる気がするんだ」

「似てる?幻香と?」

「うん。何でだろうね?」

「わたしが、幻香と…」

 

ふと思い付いたことを言うと、横で座っている妖怪は何故か腕を組んでうんうんと考え始めてしまった。

そして、急に腰を上げて立ち上がった。ただし、何かを考え続けながら。

 

「…それじゃ、いろいろ教えてくれてありがとね」

「うん、私も楽しかったよ。…そういえば、貴女の名前は?」

「…覚えなくていいよ。どうせすぐ忘れちゃうから」

「それでも、だよ。貴女とは、またお話がしたいんだ」

「わたしは、こいし。古明地こいし」

「またね、こいし」

「…さよなら、フラン」

 

そう言うと、フワリと月の向こう側へと飛んでいってしまった。

…少し冷えてきたかな?喉も少し痛いし、ちょっと夜空に浸り過ぎたかも。明日に何かやりたいことがあるわけじゃないけれど、もうそろそろ寝てしまおう。

ふと、やりたいこと、という言葉に引っ掛かりを覚えた。何かあったような…?けれど、そんな違和感は少し経つと気にならなくなった。

 



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第294話

ガシュガシュと雪を退け続けること小一時間。ようやくお賽銭箱まで続く参道が姿を見せてくれた。とは言うものの、参拝しに来る客がいるか、と問われればほとんどいないのが現実。けれど、やらずに放置するわけにもいかず、この寒い中で雪掻きをしたわけである。無駄骨であるとしてもね。

一仕事を終え、ホッと一息吐いてから道具を片付ける。今日はもうお茶でも飲んでゆっくりと休むことにしよう。そう決めたのならば、すぐ準備。茶葉を目分量で急須に放り込み、お湯を流し込む。色が付くまでの間に饅頭の箱を取り出し、それから湯呑に淹れたばかりのお茶を注ぐ。饅頭は二つもあればいいでしょう。

 

「ん?」

 

お茶と饅頭を持ってこたつに入ろうとしたその時、既に誰かがこたつに入っていることに気が付いた。黒い鍔付き帽子を被った緑髪で、冬に着ようとは思えないほど薄い服を着ていて、胸元に閉じた瞳を思わせる青いものを浮かべている。少なくとも、私は見覚えがない妖怪だ。

 

「…アンタ、何しにここに来たの?」

「わたし?いやー、ちょっと寒くてね。温まりに来たの」

「そんな格好してるからでしょ」

「しょうがないじゃん。これしか着てないんだもん」

 

そう言って両手をこたつの中に突っ込んだ妖怪だが、何だか妙な雰囲気を感じる。…いや、正しくは感じない。ほとんど何も感じることが出来ない。

私もお茶と饅頭を置いてからこたつに入ると、気付いたらいつの間にか出していた妖怪の右手が私の饅頭に伸びていた。すぐさまその手を叩いて止める。

 

「あうっ」

「これは私のよ。アンタにやるつもりはないわ」

「ちぇ。…ま、いっか」

 

まるでここが自分の家であるかのようにこたつに頬を乗せる妖怪は、被っていた帽子を外してクルクルと回して遊び始める。正直、かなり鬱陶しい。

 

「温まりたいなら余所に行きなさいよ」

「嫌。それに、わたしはここに用があって来たんだから」

「はぁ?ここに?」

「うん。見てみたいのがあってね」

「悪いけれど、ここは見世物じゃないのよ」

「見世物になるかも。ちょっと『禍』を見てみたいと思って来たんだ。ねぇ、見れる?」

 

その言葉で私はこの妖怪に対する警戒を一気に強める。不審な動きを見せたら札を投げ付けられるように。一度目は警告に、二度目は攻撃に。

 

「無理よ」

「そっか、残念。わたしさ、『禍』に興味があるんだ。人里の人間達に忌み嫌われた『禍』に。嫌なことが起きたら鼻で嗤う『禍』に。人を殺した『禍』に。第二次紅霧異変を引き起こした『禍』に。人の話はたくさん聞いた。けど、わたし自身が見たわけじゃないからね。一度見てみたかったんだよ。けど、無理ならしょうがないね。諦めるよ」

 

仮に幻香――いや、『禍』が封印されている場所を見せたところで、そう簡単に封印が解けるとも思っていない。けれど、おいそれと連れて行こうとも思わない。封印を解くには、まだ足りないのだから。…いや、足りている、か。

諦めると言ったにしてはあまり残念そうに見えない妖怪は、代わりにさ、と呟いた。

 

「貴女から見た『禍』を教えてよ。貴女にとって、いい人だった?悪い人だった?」

「…私から見た、『禍』…」

 

どうだった、と問われてもすぐには出てこない。多いとも少ないとも言える微妙な関係だった。偶然目の前に障害として現れた。人間達に襲われたのを静観した。友人のために異変解決に乗り出した。紫に連れていかれて異変を解決した。遅れて異変解決に乗り出し倒れていた。一人の殺しを行った。十万の殺しを行った。九人の殺しを行った。狂った思考から編み出されたいかれた結論を振りかざした異変を起こした。どうしようも出来ないから私は封印してしまった。

 

「…どちらとも言えないわね。けど、確かに一つ言えることがあるとすれば、アイツは鏡宮幻香で『禍』だ、ってことよ」

「何それ?」

「他のために自らが立ち上がる妖怪で、己のために周囲へ猛威を振るう妖怪。背反する歪な二面性。けれど、それがアイツ。鏡宮幻香であり、それでいて『禍』なのよ」

「ふぅん、そっか」

 

異様で異質で異常。奇異で奇抜で奇妙。曲がり捻じれて歪んでる。それが、私から見た鏡宮、幻香だ。その精神に宿るあまりにも一直線過ぎて逆に歪に見えるドロリとした漆黒の意思は、私には到底理解し得ないものだろう。そして、決して理解してはいけないものなのだろう。

 

「けど、何だか貴女は後悔してるように見えるね」

 

会って間もない妖怪に突然そう言われ、息が止まる。コイツは、いきなり、何を、言って、いるの…?

 

「心の読めないわたしでもすぐに分かるくらい、『禍』のことを話す貴女の顔は後悔で一杯。もしかしてさ、『禍』に対して何かあったの?」

「…そうね。私は彼女を封印したことを後悔している。それの何が悪いの?」

「さぁ?知らないよ、そんなの。貴女にわたしの苦労が全然伝わらないように、わたしには貴女の後悔なんてこれっぽっちも分からない」

 

底なしの穴のように何も映さない瞳が、私を貫く。

 

「吐き出せよ、本音を」

「平和的に解決出来るならしたかった」

「晒し出せよ、本性を」

「お互い傷付かずに済むならそれがよかった」

「紡ぎ出せよ、言葉を」

「封印なんてしたくなかった」

「吐かなきゃ伝わらない。晒さないと見えない。紡がないと届かない」

「人間と妖怪の何が違うの?容姿?精神?種族?能力?才能?寿命?そんなの、違って当たり前。なのに勝手にいがみ合って、それを私が正す。ふざけないで。容姿なんてただの身。精神なんてただの心。種族なんてただの枠。能力なんてただの技。才能なんてただの種。寿命なんてただの時。そんな程度のものが違うからって一体何をしたいの?私は人間も妖怪も関係ない。手を伸ばせば繋がる。お互いに笑い合える。同じ酒を呑める。そんな夢を抱いて、何が悪いの?」

 

私の夢見る理想郷。博麗の巫女として、それは叶うことのないことであることは知っている。けれど、だから諦めろだなんて、私は嫌だ。それが甘いと言われようとも、これが甘さとなるとしても、私はこれだけは譲れない。

けれど、これを覆さなければいけない局面が訪れてしまった。負の遺産を遺さないために、たった一度の殺しをするために、この理想郷を捨てねばならないときが。けれど、私にはどうしても捨てられない。

 

「いいねぇー…。凄くいいよ。とっても綺麗だね。確かに少しくらいなら出来そうだよ」

 

妖怪はそう言うと、帽子を被りながらこたつから飛び出した。

 

「けど、そんな理想は幻想だよ。夢は見るもので叶えるものじゃない。人の心は何処までも汚くて、妖怪の心は何処までも黒い。手を伸ばせば握り潰されて、お互いに嘲笑して、同じ酒を奪い合う。善意だけの存在なんて、いないんだよ」

 

そして、気付いたら目の前から消えていた。幻のようにいなくなった。

こたつで温まりつつ、温くなったお茶を一口飲み、饅頭を頬張る。お茶の苦みでより一層甘く感じるはずなのに、今日に限っては何故か苦みのほうが強く感じる。外に目を向けようとしたけれど、また雪掻きしなくてはならない積雪を見る気分になれず、その代わりに半分ほど残った湯呑を覗く。波打つ緑色に濁った水面には、少しやつれた私が写っていた。久し振りの雪掻きで疲れたのだろうか?

…こういう時は、一度寝てしまうに限る。たまには昼寝をしても罰は当たらないでしょう。残ったお茶と饅頭を腹の中に収めてから、こたつの中に体を入れる。雪の降る外とは隔絶されたこたつの中はとても温かく、自然と瞼が落ちていく。

とてもいい夢が見れそうね。

 



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第295話

雪の上に薄紫色の板が敷かれ、その上には私が普段使っているものと同じ椅子が置かれている。それに座っている幻香さんの不揃いに伸ばし放題な紫色の髪の毛に手櫛をして、ある程度形を整えていく。

 

「鋏、出来ますか?」

「…どうぞ」

 

刃と輪になった持ち手を二本、それを組み合わせる螺子を頭の中で形作り、別の場所に粒一杯の原子というものを思い浮かべ、その二つを組み合わせる。

そうして出来上がった金属の鋏を受け取りながら、相変わらずの心だと少しばかり安心してしまう。…まあ、それを読んだ私の頭は痛くなってしまったのだけれども。

 

「どのくらいの長さにしますか?」

「好きにしてください」

「そうですか。それでは、好きにさせてもらいますね」

 

そう言う幻香さんの心には、地上で髪を切ってくれていた上白沢慧音という方が浮かぶ。どうやらその方の場合、前髪は目にかからないように、後ろ髪は背中の中程まで切っていたらしい。しかし今の前髪は唇に届いていて、最も長い後ろ髪はこうして座っていると地面に接してしまいそうなほどである。

ジョキリ、ジョキリと後ろ髪を腰のあたりまで大雑把に切っていく。板の上に切り落とした髪の毛の色は、一度目を離すと真っ白になっている。きっと、この色が本来のドッペルゲンガーの髪色なのだろう。無垢の白と言われるだけある純白だ。

 

「幻香さんは他人に髪の毛を触られることに抵抗はないのですか?」

「急に掴んで引っ張らないなら特段抵抗はないですよ。いざとなれば切り落とせばいいですし」

「…そうですか。なら、遠慮はいりませんね」

「そもそもこの散髪だって、わたしが自分でやろうとしたら貴女が止めたからじゃないですか。それなのに、遠慮も何もないでしょう」

「妖力弾で吹き飛ばすような荒業を、しかも室内でやろうとすれば誰だって止めますよ」

「…窓から顔出してたのになぁ」

「そういう問題じゃないですよ」

 

元々見た目が存在しない彼女にとって、身だしなみの優先度は極端に低い。高ければあんな風に髪の毛を吹き飛ばそうなんて思わないだろう。伸ばし放題になっても放っておこうとも思わないだろう。服装も彼女にとっては使えるか否かの二択。今だって通りがかった私のペットが着ていたらしい防寒具をそのまま複製して使っている。

 

「ところで幻香さん。例の秘術の翻訳は具体的にどうなったのでしょう?貴女が使いやすいように改良した、とのことですが」

「『碑』ですか?あれって改良なのかなぁ?『紅』と同様に普段は溶かしておいて、使うときだけ掻き集めるようにしただけですから。見方によっては改悪ですよ、あれ」

「そうでしょうか?あんなものが常時発動していたら、私なら頭が割れますよ」

「違いない」

 

一度だけ『碑』発動中の幻香さんの心を覗いたときがある。目に見えた景色が、耳に聞こえてきた音が、鼻で嗅いだ匂いが、舌で味わった味が、肌で触れた感触が、頭で考えた想像が、何もかも全て記憶に刻み込まれていく。あんなもの、常人では耐えられない。発動した幻香さん自身も、ものの十数分で倒れる寸前まで消耗してしまった。

未来の自分自身に残すために、記憶という石板に刻み込む。幻香さんが『碑』と名付けた理由が非常によく分かった。

 

「けど、せっかく終わらせたのに、肝心のこいしさんがいないからなぁ…」

「そうですね…。夏頃に出て行ってからずっと帰って来てないから、私も少し心配なんです」

「早く帰って来てほしいんですがねぇ。大事なことがあるんですし」

「…そう、ですね。…櫛、出来ますか?」

「櫛ですね。ちょっと待ってください」

 

後ろ髪を背中の中程まで丁寧に切り揃え、ついさっき創られたばかりの櫛で髪の毛を梳いていくと、ハラハラと切った髪の毛が落ちていく。落ちていく時は紫色で、下を見遣れば白色になっている。実に不思議だ。

 

「それでは前を切りますね。目を閉じ、…てますね」

「ええ、最初から」

「そうでしたか」

 

背中から前へ回り前髪に鋏を当てたとき、ふと雪を踏む足音が聞こえてきた。

 

「ぁー…。寒ぅ…ぃ」

 

鋏を離してから振り向くと、そこには生地の薄い服のままで寒さに震えるこいしがいた。どれだけ長く地上に行っていたのかと少し叱ってやりたい衝動に駆られたが、それ以上に今は具合が悪い。

 

「ぁ…、お姉ちゃんと幻香じゃん。ただいまぁ…」

「え、ええ…。おかえりなさい、こいし。随分遅かったじゃない」

「あはは…。ごめんね、お姉ちゃん。…急で悪いんだけど、上着ってある?」

 

そうこいしが言った瞬間、幻香さんの心にここら一体の形が一瞬で浮かび上がる。そして、気が付けば幻香さんの手には私が着ていた防寒具が握られていた。ただし、薄紫色。

 

「どうぞ、こいしさん。貴女の姉が着ていたものとほとんど同じはずです」

「ありがと幻香!…ん?こいし、さん?」

「申し訳ありませんが、見ての通り目を瞑ったままですから貴女のことを思い出せていないのです。貴女がわたしの友達だと言われても、どうにも実感が湧きません。ですから、少し他人行儀に感じさせてしまったかもしれませんね」

「あー、そっか。…じゃあ、何で目を開けないの?わたしの真似?」

「いえ、ただその前に訊きたいことがあるだけなんです」

「訊きたいこと?わたしが何処に行っていたか、とか?」

「それはまた今度聞けたらにしましょう。…さとりさん、髪を切りながらで別に構いませんよ。ちょっとくらい口に入っても気にしませんから」

「あ、え、そ、そうね。続けましょう」

 

どうしたものかと考えていたら、幻香さんに急に話を振られ、言われたままに前髪を切り始める。鋏を持つ手が微かに震え出し、少し切り辛い。

 

「わたしが訊きたいことは、一つです」

「うん、何かな?」

「借りたものは、盗んだものは、奪ったものは、返すべきでしょうか?」

「そんなこと?」

「はい、そんなことです。どうにもわたしの感性は他人と食い違っているようでしてね」

 

幻香さんとこいしの世間話。…に聞こえるもの。手の震えが徐々に大きくなっているのが分かる。

こいしはうーん…、と少し唸りながら考え、やがて答えを口にした。

 

「…うん、返すべきだと思うよ」

「ですよね。では、わたしも色々と――」

「けど、さ」

「…?」

 

幻香さんが結論を出そうとしたところを、こいしは遮った。

 

「幻香は返さなくていいと思うんだ」

 

こいしが言った言葉に、思わず私の持つ鋏の手が止まってしまう。

 

「…どうしてですか?いくら友達だからと言っても、悪行を見て見ぬ振りをするのはどうかと思いますよ」

「違う違う。幻香がわざわざそうやって訊くことだから、真剣に悩んでいるんだと思うから答えたんだよ。返すか、返さないか、決めかねてる感じ?だから、わたしがどちらか明確に答えてあげたの」

「そう、ですか。まあ、確かにどうしようか迷っていたところですね」

「もしかしたら、わたしが考えているより、幻香が奪ったものって重いものなのかもね。けどさ、そんな大切なものなら返せって言ってくるでしょ。言ってこないなら、その人にとっていらないものだったってことじゃない?」

「…諦めて狸寝入りして、本当は返してほしくて堪らないかもしれないでしょう」

「諦めてるならもういいじゃん。それに、さ。幻香の言う『もの』とわたしが思う『もの』って、違う気がするんだ。何て言ったらいいかなぁ…。重さ、かな。軽く訊いてるつもりだろうけど、全然違う。ズッシリ来るよ、幻香の言葉」

 

こいしは口を閉ざし、幻香さんは重く口を閉ざしている。再開した散髪の音だけが聞こえてくる。

そして、こいしは再び口を開いた。

 

「もしかして、さ。幻香って、わたしから何か奪ったの?」

「…それ、は」

「もしそうなら、何にも気にしなくていいんだよ。幻香が何を奪ったかは知らないし、わたしは何も覚えてないけれどさ、それがどれだけ重くて大切なものだろうと好きに使っちゃって構わないから」

「は、はは…。ねえ、こいしさん」

「なぁに?」

「貴女は――いえ、もう訊いても意味のないことですよね。すみません、忘れてください」

「何それ。気になるじゃん」

 

ようやく前髪を切り揃え、櫛で梳いていく。結論は、もう着いたらしい。

 

「幻香さん」

「…何ですか、さとりさん」

「賭けは私の勝ちですね」

「そうですね。ははっ、まったく貴女達は姉妹揃って…」

 

そう言うと、幻香さんは自分の心の中にある欠片を一つずつ掻き集めていく。私はその様子を読みつつ、その後に来るであろう負荷に備える。

そして、幻香さんは目を開いた。瞬間、幻香さんの記憶にある大量の穴が一瞬で埋め込まれ、そしてすぐさま刻み込まれていく。

 

「ただいま、こいし。そして、改めまして、久し振りですね。わたしが鏡宮幻香です」

「ただいま、幻香。思い出した?」

「ええ、思い出しましたよ。そして、もう忘れません」

「そっか。やっぱり終わってたんだね」

「遅れてすみませんね」

「いいよ。こうして会えたから」

 

幻香さんは見るからに相当無理をしている。精神的にはもう倒れてしまってもおかしくないほどに、一度に流れ込んできた記憶に押し潰されそうになっている。

だというのに、幻香さんはこれ以上ないほどに成し遂げた表情を浮かべて微笑んでいた。

 



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第296話

これはこいしが帰ってきた数日前の話。

私は仕事が一段落着いて、一休みをしようとしていたところで、少し遠くのほうからドゴン、とくぐもった破壊音が響き、地霊殿を僅かに揺らした。

 

『な、何事!?』

 

その音は書斎からだった。まさか、と真っ先に思い当たった可能性を胸に抱きながら慌てて部屋を飛び出して駆け出した。ペット達も急な音と揺れを察知して私と同じ目的地へと向かっていて、既に書斎には人だかりが出来ていた。その間を無理矢理抜けていき、ようやく人垣を切り抜けたことを、私は少しばかり早計だったと後悔している。

 

『…さとりさん?』

『ッ!?』

 

伸び切った髪の隙間から私を見ていた黒紫色の瞳は全てを見透かしているようで。けれど、そんなことを気にすることが出来たのはかなり後の話。

髪の毛の一本一本の動き、この場にいるペット達の瞳の動き、ボソボソとした雑音、石壁と扉を吹き飛ばした粉っぽい香り、その他諸々…。幻香さんの心から流れ込む圧倒的情報量に、私の頭が破裂しそうになる。彼女の精神的外傷(トラウマ)の数々を強制的に読んだ時よりもよっぽど辛い。

 

『大丈夫ですか?』

 

幻香さんにそう問われた覚えがあるけれど、私はどう返事をしたのか碌に覚えていない。

気付いたら、普段私が使っている部屋に運び込まれていた。頭を押さえ、息も絶え絶えな幻香さん曰く、ここまで背負って運んでくれたらしい。すぐさまお燐含めたペット達に止められたそうだけど、大事な話があるから二人きりにしろ、と睨み付けたら道を開けたらしい。

 

『…改めて訊きますが、大丈夫ですか?』

『え…、えぇ。今はもう平気です』

 

そう言ったが、幻香さんの心の中は雑多な情報が代わる代わる流れ続けていて非常に忙しない。先程よりは何倍も楽だが、彼女の心の中がとてもではないが読み切れない。

 

『さとりさん。いい話と悪い話ととても悪い話の三つがあります。どれから聞きたいですか?』

 

すぐさまそれは、明らかにわざとやっていることだと察しがついた。私が心を読んでも彼女が本当に伝えたいことを隠すためにある情報の防壁。

 

『…いい話からにしましょう』

『そうですか。秘術の解読、というより翻訳が完了しました。わたしが使いやすいように多少改良しましたが、まあそれはどうでもいいことでしょう』

『翻訳、ですか』

『はい。あの文章、既存の文字で独自の言語を作ってたんですよ。暗号なんか目じゃない、彼女にしか知りえない言語で書かれていました。普通にやっても解読出来ないのも納得です』

『…そんなもの、比較対象するものもなく読めるはずがないでしょう?』

『ありました。わたしが一度流し読みした彼女の記憶から洗い出しましたよ。思い出すのにどれだけ時間を費やしたのやら…』

 

深いため息を吐きながら幻香さんはそうは言うけれど、たかだか半年程度で出来るようなものなのだろうか?けれど、終わらせたと言うのなら終わらせたのだろう。

 

『では、次は悪い話を』

『はい。わたしは明日にでも消えようかと考えてます』

『…はい?』

 

長年使い続けていた自分の耳を疑った。けれど、そう言った瞬間だけ情報の防壁が取り払われ、その言葉が真実であることが嫌でも分かってしまう。

 

『それは、何故、ですか…?』

『それの具体的な続きはとても悪い話になります。…聞きますか?』

『…聞くわ』

 

その時の幻香さんの表情は、あんな秘術の改良を終えたというのに達成感もなく、あんな消滅宣言をしたというのに恐怖もなかった。ただただ平常。世間話でもするように淡々としていた。

 

『まず、わたしが精神体であることはもう知っているでしょう』

『…えぇ。少なくとも、貴女がそうだと結論付けていることは』

『よかった。なら、話は早くなりそうですね』

 

カメラと呼ばれる意思のない機械によって映し出された自分自身の姿から、引っ掛かりを覚えていたらしい。機械から見た姿と自分から見た姿が同じである理由は、機械という容姿のない存在から見たからではないかと。つまり、自分自身にはそもそも容姿が存在しないと。

ドッペルゲンガーが無意識に行ったという、フランドール・スカーレットと八意永琳の願いを核にした自我の形成。自分はドッペルゲンガーであるという自覚の有無から、自分自身はドッペルゲンガーではないのではないか?と推測していたらしい。

容姿が存在せず、ドッペルゲンガーではない。この二つから導き出した結論が、自分自身はそもそも外見なんて存在しない精神体として産まれた存在であるというもの。言い方を変えてしまえば、ただの情報の塊。

ドッペルゲンガーであり、ドッペルゲンガーではない。まるで矛盾しているようだけれども、その答えは身体がドッペルゲンガーで、精神がドッペルゲンガーではないという簡単なものである。

 

『ただ単純に精神体として産まれたにしては、どうして最初からお誂え向きな身体に、ドッペルゲンガーに寄生していたのでしょう?わたしは疑問だった。けどさ、地底に下りて地霊殿に来て貴女達に会って…。書斎に籠ってちょっと考えてみたらさ、分かっちゃった』

『…それの何処がとても悪い話なのですか?貴女のことが分かったのでしょう?』

『そうだね。疑問が晴れていい話、…で終わればよかったのにね』

 

はは…、と乾いた笑いを浮かべながら幻香さんは続きを語り出した。

 

『まず、ドッペルゲンガーは願いを奪い、代わりに叶える存在です。次に、わたしの起源の記憶は穴、つまりこいしさんのこと。はい、もう結論は出ましたね。わたしはこいしさんの願いから創られた精神体です。つまり、貴女の妹はわたしの母とも言えることになりますね。…ん?この場合は父のほうがいいかな?』

『ちょっと待って』

 

話が急展開過ぎる。こいしが幻香さんの母だの父だのも非常に気になるけれども、それよりもその前。こいしの、願い?

 

『…あるはずないでしょう』

『あるよ。そうじゃないと、わたしがここにいないことになる』

『それは貴女の結論です』

『じゃあ、順番に言おう。まず、こいしさんが第三の眼を閉じることに対して、何も思うことはなかったのだろうか?これであんな醜いものを見ずに済むと喜んだ?それとも、目の前に第三の眼を閉じずにいる貴女がいながら、自分自身は楽な道に逃げる悔いがあった?』

 

ドクリ、と心臓が跳ねる。まさか、と思った。けれど、私には否定することが出来なかった。私が知ることじゃないからということもあるけれど、もしそうならと考えていたことがあったから。

 

『次に、その悔いがなけなしの意識に残っていたとする。おっと、意識なんてないとは言わせませんよ。貴女が言ったんですから。ほぼ無意識の存在になり、碌に認識されなくなったそうですね。そして、十二年ほど前。つまり、わたしが生まれた頃だ。こいしさんは変わった。悔いは未練(ねがい)で、ドッペルゲンガーの捕食対象だからね。未練を喰われ、ただでさえ少なかった意識がさらに削られた。無意識妖怪は、より無意識に近付いた。認識されにくいから、記憶に残らないまで』

『ちょっと待ってください!それはあまりにも飛躍し過ぎでしょう!?』

『じゃあ、他に原因があるか?』

『っ…!そ、それとこれは話が――』

『違う、と。なら最後だ』

 

私の言葉を奪いつつ、言外に黙って聞いていろと言われた気がした。

 

『その悔いは、どんな願いだっただろうね?ドッペルゲンガーはさ、一応願いを叶える存在だ。かなり歪められることもあるようだけど、それでも願いを叶えることだけは遂行するんだから』

『…第三の眼を、閉じないこと』

『その先。無意識になったことを悔いたんだ。なら、その願いは簡単でしょう?』

『…無意識にならないこと』

『はい正解。無意識にならないなら、そこにあるのは意識を保つことだ』

 

私に乾いた拍手をしてから、幻香さんは右手を軽く握り締めた。

 

『その願いを奪った。自我なきドッペルゲンガーに、無意識のこいしさんが形成される。さて、意識を欲した彼女の願いは、どうやったら叶えられるかな?』

『…開けば、いいだけでしょう?』

『残念ながら開かなかった。そんな簡単に開くなら、何百年も閉じたままでいないでしょう?…目を逸らすなよ。もう分かってるんでしょう?ドッペルゲンガーは、醜いものに耐えられる意識を保つことを諦めて、醜いものに耐えられる意識を創った。わたしにだって出来るんだ。この体だって、出来て当然だよね。そしてこいしさんは捕食される。何者でもないただの精神体は残る』

『それが、貴女だと…?』

『そうだね。少なくとも、わたしはそれ以外の理由が思い付かなかった。言い方は悪いけれど、これほど都合のいい存在は、わたしには思い当たらないよ』

 

滅茶苦茶だ、と言いたい。けれど、間違っているとも言えなかった。何故なら、私は納得してしまったのだから。

そして、言いたいことを言い終えた幻香さんの心の防壁が再び崩れ去る。そして、そもそも産まれたこと自体に後悔していることを読んでしまった。

 

『…きっとさ、わたしが出来る前からたくさん奪ってたんだと思うんだ。けど、それはこの際どうでもいいんだよ。それよりも、わたしのこと。フランの破壊衝動(ねがい)は欠片とはいえわたしの中に今もあるし、彼女自身も奪われたこと自体には救われた。永琳さんの製薬(ねがい)は彼女自身が望んでいたことで、わたしがやるか彼女がやるかの違い。けどさ、こいしさんの未練(ねがい)はどう?こいしさんは第三の眼を開くことを無意識の奥底で願っていたのに、もうそれは叶わない。代わりに出来上がったのが、わたし』

 

握り締めていた右手から、ポタリと赤い血が零れ落ちる。

 

『ねぇ、さとりさん。こんなわたしを、こいしさんの可能性を喰らったわたしを、貴女は本当に受け入れられますか…?』

『受け入れますよ』

 

私は即答すると、幻香さんはポカンと呆けてしまった。むしろ、その程度のことで断られると思っていたことのほうが心外だ。

 

『確かにこいしがもう覚となることはないかもしれません。けれど、私はそれでも構いません。第三の眼を開いていようと閉じていようと、こいしはこいしですから』

『…貴女、もしかして馬鹿ですか?』

『姉馬鹿という意味なら』

 

そう言って微笑むと、幻香さんは固く握っていた右手をゆっくりと開いた。爪が食い込んだ跡が見えたが、瞬く間に閉じていく。…これが『紅』か。

 

『…まぁ、わたしだって地上に約束を一つ残してますから、消えようと考えるまでに済ませたんですよ。いくら後悔しても、過去のことですからね。けれども、奪ったものは返すべきだ。あの二人に関しては、わたしはそれでいいと納得出来た。けれど、こいしさんに関しては納得出来ない。何故なら、彼女がどう思っているか聞いていないから』

 

フランドール・スカーレットは破壊衝動を奪われたことに関して救われたと言っていた。八意永琳は新たな薬の製法を知り満足していた。

 

『まあ、わたしの生殺与奪はわたしとこの身体と彼女だけだと思ってます。わたしはどちらでもいい白票。この身体は答えてくれないので白票。あとは、こいしさんだけです。だから、こいしさんに返すべきかどうかを訊くことにした。返すべきなら、わたしは返せない。だから代わりに贖罪として消えることにした。閻魔様も大喜びかもしれませんね。返さないでいいのなら、わたしは生きることにした』

『ふふっ、貴女は生きますよ。賭けてもいいです』

『…やけに自信ありげですね』

 

彼女の心には、詳細を言わずに返すべきか否かのみ問うつもりらしい。そこに幻香さんの生死を匂わせるつもりはない、と。

 

『私はこいしが貴女の真意に気付いてくれると信じてますから』

『…なら、早く訊かないといけませんね。どうやら今は出掛けていていないようですが…』

『それなら、帰ってくるまで待ちましょう。…それまで、勝手に死なないでくださいね?』

『はぁ…。ま、そうですね。ちゃんと待ちますよ』

 

いざその時が来たら、いくら信じていても緊張してしまったけれど、結果は私の勝ちで終わった。

だから、幻香さんは今日も生きている。

 



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第297話

『碑』。こいしを記憶に刻み込むために秘術を身勝手に改良改悪させた代物。一時的に完全記憶能力を得られ、その時記憶したことはいつでも思い出すことが出来る。普通に記憶することが白紙に内容を編集して書き込むことだとすれば、『碑』は白紙に直接写真や文章を貼り付けるようなものだ。

確かに便利だけど、このままだと不要な部分もまとめて覚えていることになる。だから、全て丸ごと覚えている記憶とは別に、必要なことだけを切り出して覚え直していく。思い出すことは出来ても、わざわざ思い返さなくていいのだから。阿求さんが改めて編纂している理由は、後世に伝えるためだけではなく自分自身のためでもあるかもしれない。

 

「…ふぅ。…よし」

 

そんなことを考えながら、穴に埋め込まれ刻まれた記憶を整理し終えたわたしは、重い腰を上げて部屋を出る。こうして生きることにした身だ。今でも消えても構わないとは思っても、先へと足を踏み出さないといけない。消えることを贖罪とせず、生きることを贖罪とするために。

廊下に出て少し歩き、こいしの部屋の扉を叩く。

 

「はーい」

「入りますよ」

 

そう言って扉を開けると、こいしは机に賽子を転がして遊んでいた。

 

「どうしたの?」

「こいしが何処に行ってたのか、って話ですよ。ほら、聞けたらにする、って言ったでしょう?」

「あー、そのことね。うん、いいよ!」

 

さとりさんは、こいしが何処に出掛けているのか教えてくれなかった。見た感じ知っているようだったけれど、鎌掛けて引っ張り出すことも記憶把握することもしなかった。話してくれないなら、それなりの理由があるだろうと思ったし、そのときは半分以上消えてしまうつもりだったから聞かなくてもいいやと思っていたから。

 

「わたしはね、地上に出てたの」

「…大丈夫ですか、それ?」

「お姉ちゃんも止めなかったし、大丈夫でしょ」

「止めないんだ…」

 

地上と地底の不可侵とか言っているけれど、こいしは割と頻繁に出入りしてたみたいだし、萃香は単身飛び出したみたいだし、わたしはコソコソと落ちてきた。もしかしたら、バレてないだけで他にもいたりするかもしれない。

 

「それで、何をしに地上へ?」

「幻香の知り合いに会いに行ってたの。ほら、あの時教えてくれた人達に」

「丁半したときですか?」

「そうそう」

「まさか全員に会いに行ったんじゃぁ…?」

「ううん、流石に全員には会ってないよ。面倒だし」

 

その後、こいしは会った順番に名前を言ってくれた。寺子屋で慧音、屋台で妹紅とミスティアさん、霧の湖でルーミアちゃんとリグルちゃん、紅魔館でレミリアさんとちょっとだけ咲夜さん、大図書館でパチュリー、霧の湖で大ちゃんとチルノちゃん、迷いの竹林でうどんげさんと因幡てゐ、そこら辺の小川の近くで萃香、白玉楼で妖夢さんと幽々子さん、彼女達の大樹の家でサニーちゃんとルナちゃんとスターちゃん、アリスさんの家で魔理沙さんとアリスさん、迷い家でフラン、博麗神社で霊夢さんだそうだ。うん、面倒臭がっていた割りには結構多いね。

 

「いくら多いからって、ちょっと長くないですか?」

「一度会った人にはもう一度会わないようにしてたからね。いやぁ、大変だったよ!後になればなるほど会った人と一緒にいることが多くてさぁ!そもそも何処にいるかも分からない人とか!いつも誰かと一緒にいる人とか!不特定多数の人がいる場所にいる人とか!」

 

冥界にある白玉楼なんて、よく見付けられたなぁ…。わたし、こいしに春幸異変の話をしたとき冥界への行き方なんてどうでもいいと思って話さなかったのに。

 

「大変だったんですねぇ。いくつか訊きたいことはまあ当然ありますが、まず訊きたいのはフランですね。どうして迷い家に?」

「んー、多分姉妹の縁を切ったんじゃないかなぁ?レミリアのほうは『私に妹なんていない』って言ってて、フランのほうは自分の名前をフランチェスカ・ガーネットに改名してたから」

「えぇ…。あのレミリアさんが?冗談でしょ?」

「フランのほうの不満が破裂したんじゃない?」

「…ま、そうでしょうね」

 

レミリアさんはフランのことを、何と言うか、的外れというか、過保護過ぎたというか…。とにかくフランのことを大切にしていたつもりだったようだから、姉妹の縁を切ろうとは思わないだろう。それに対して、フランはレミリアさんのことを好いていなかったみたいだし、わたしが地底に下りていた間に色々あったのだろう。

次に訊きたいことを言おうと口を開こうとする前に、こいしがわたしに言った。

 

「あ、そうだ。幻香に重大情報だよ」

「重大?」

「うん。幻香さ、地上じゃ死んだ身だ、って言ってたじゃん」

「言いましたね。彼女だって逝くつもりで行きましたし」

「それ、出来てなかったみたい。封印されてるってさ」

「はぁ?封印されてる?彼女が?おいおい、それこそ冗談でしょう。何最後の最後に甘い決断してるんですかあの蜂蜜漬けは!?」

 

その重大情報に、思わず頭を抱えてしまう。わたしが幻想郷からいなくなるという目的は達することが出来ても、彼女の決意が無駄になるじゃないか。本当に何てことしてくれてんだよ。あの博麗の巫女。

 

「なんかねぇ、人間も妖怪も関係なくて、手を伸ばせば繋がって、お互いに笑い合って、同じ酒を呑める。そんな世界を理想にしてるんだって」

「理想を抱くのは勝手だけど、それをわたしに押し付けないでほしいかな…。少なくとも、わたしはそこまで共感出来ないね。本当に関係ないなら、少なくとも『禍』は生まれなかった」

「そうだねぇ。お姉ちゃんが迫害されることもなかったよね」

 

それに地底に旧都が出来ることもなかったのだろうなぁ…。

まあ、理想だって一つの意見。同調してくれることがあれば、反抗されてしまうこともある。至極当たり前のことだ。霊夢さんの意見に、わたしとこいしは反抗した。それだけ。

霊夢さんが彼女を殺さずに封印した理由が、何となく想像がついた。そんな理想があれば、殺せるはずがない。何故なら、自らが相手に慈悲を与えられなくなれば、その理想は破綻するのだから。

 

「他に訊きたいことは?」

「そうですねぇ…。こいしの体験を聞いてからのほうがいい気がしますが…。けど、その前に一つあるかな」

「なになに?」

「わたしの友達と知り合いに会って、何を思いましたか?」

「そうだねぇ…。当たり前なことだけどさ、幻香は地上で生きてたんだなぁ、って思った」

 

こいしが言う『生きてた』という言葉。それは、生存という意味もあるだろうけれど、それ以外にもある気がする。どんなものか、と言われても曖昧で答えられないけど。

 

「…そうですね。わたしは、地上で生きてましたよ。いいことも悪いことも、楽しいことも辛いことも、嬉しいことも悲しいことも、当然のようにありました」

「地上に戻りたい?」

「いつかは。けど、それは今じゃないかな」

 

まだ今代の博麗の巫女である博麗霊夢に勝利する手段を見出していないし、人間共が丸ごと入れ替わって世代交代が済んだわけでもない。

それに、わたしはまだまだ未熟だ。この身体の使い方がようやく分かってきたんだ。他にもやりたいことはいくつもある。いつ使うかなんてどうでもいい。出来るようになることが需要なのだから。

 

「そっか。その時はさ、わたしも一緒に行けるかな?」

「その辺はさとりさんに訊いてくださいよ。わたしの一存で決めていいようなことじゃない。それに、こいしの新しい友達が出来るかどうか分かりませんよ?」

「そうだね。わたしがいないと忘れちゃうんだもんねぇ…。あーあ、わたしっていつか透明妖怪にでもなっちゃうんじゃないの?」

「…どうでしょうね」

 

なけなしの意識がさらに削れ、碌に記憶もしてくれなくなってしまったこいし。その意識がさらに削れて、もしも無くなってしまったら、その時こいしは遂に認識さえされなくなってしまうかもしれない。目の前にいても気付かれず、声をかけても答えてくれず、ぶつかっても気にされない。そんな存在まで落ち込んでしまっても、何らおかしくない。

 

「…さ、こいしの体験を聞かせてください。訊きたいことは、その後で」

「おっと、そうだったね。それじゃあ、タップリ語らせてもらいましょう。付いて来てね?」

 

わたしは無理矢理話を切り替え、こいしの体験を語るように促す。わたしは、久し振りに彼女達のことを聞けて少し嬉しかった。

 



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第298話

地霊殿の入り口前に腰を下ろし、白い息を吐きながら目を瞑り『碑』発動。すぐに原子量12、電子数6の炭素原子を頭に形作る。そして『碑』を解除。改めて炭素を思い浮かべれば、すぐさま原子量12、電子数6の炭素原子が出てくる。これを各原子で繰り返しやれば、致命的弱点であった創造までの時間を一気に短縮することが出来る。ゆくゆくは原子から分子へ刻み込む情報を増やしていく予定だ。

それに加え、単純な球体や立方体、ナイフや槍などの使い勝手のよさそうな形も刻み込むことでわたしに出来る幅が大きく広がってくれる。そうなってどうなるかと問われたら困るけれども。

 

「待たせて悪かったね」

「いえ、気にしないでいいですよ。貴女には貴女の仕事があったのでしょう?」

「今からやることがあたいの仕事だよ。これはちょっと服を選んでたら遅れちゃってね」

「服、ですか。…うん、似合ってると思いますよ。色合いとか」

「…無理して褒めなくていいよ」

 

いや、同じのを着てみたいくらいには似合っていると思っているんだけども…。モコモコとしていてとても温かそうだし。

 

「さ、行くよ」

「はーい」

 

ザクザクと雪の上を歩くお燐さんの背を追い、足跡をピッタリ合わせていく。

 

「にしても、今更旧都に行ってわたしは何をすればいいんでしょうねぇ…」

「さとり様は改めて顔合わせさせるつもりだってさ」

「同じ容姿で片付くでしょうに」

「それでもさ」

 

さとりさんに叩き起こされたと思ったら、旧都に行ってほしいから入り口前で待っててほしいとお願いされてこれである。特にこれと言って予定はなかったから別に構わなかったけれども。

 

「こうして貴女と出掛けてから言うのも悪いと思いますが、こいしじゃ駄目だったんですか?」

「あたいを選んだのはさとり様だよ。文句言わないでほしいね。…まあ、こいし様だと都合が悪かったんだ。諦めな」

「無意識だから?」

「違う。さとり様やこいし様の前だと態度が変わるから。それに比べてあたいは距離が近い、って理由で選んだってさ」

「ふぅむ、出来るだけありのままに近い地底の方々に会わせたい、と」

「出来ることなら一人で行かせたかったみたいだよ。けど、一人で行ったら多少襲撃されたんだろう?だからあたいが間に立ってほしいとさ。…あたいはいらないと思ったんだけどねぇ」

「最初から致命的に印象最悪な地上の妖怪の間に貴女が一人挟まった程度じゃ大して変わらないから?」

「いやいや、傷一つなく帰ってきたから」

 

…まぁ、確かに勇儀さんに会いに行ったときにちょっとだけあったけれども。碌に傷付くこともなかったけれども。

それにしても、思ったより寒いな…。指先が冷えてきちゃったよ。複製創造のときに邪魔になりそうだからとか、攻撃の際に邪魔になりそうだからとか、そんなこと考えずに厚手の手袋着けてくればよかった。

 

「お、そろそろかね」

「みたいですねぇ。さて、どうなると思いますか?」

「お触れはあたいも広めたし、勇儀さんも協力してくれたからそこまで悲観的に考えなくていいと思うけど」

「そっか。ならよかった」

 

旧都の街並みが見え始め、屋根の上の雪を落としている妖怪がチラホラと見え始める。…あ、あの家潰れてる。雪の重さに耐えられなかったらしい。

 

「…あん?」

 

周りを見渡していると、一人の鬼と目が合った。多分わたしを投げ飛ばした鬼だと思う。さてどうしたものか、と考えていると、彼は屋根の上から直接わたしの真横に跳んできた。跳ねる雪から顔を素手で守りつつ、前を歩いているお燐さんを見遣る。…いや、そんな呆けた顔しないで早く間に立ってくださいよ。

 

「おう、地上の」

「…一応、鏡宮幻香という名があるんですが」

「知ってるさ。姐さんが言ってたからな」

「ならよかった。…で、貴方は急に何の用ですか?」

 

そう問いかけると、突然頭を下げられた。

 

「悪かった。あん時投げ飛ばしたこと」

「…それは、わたしがさとりさんに保護されたからですか?勇儀さんに言われたからですか?」

「それもある。だが、あんたが俺達の居場所をまた奪おうとしてるわけじゃない、って分かったからな」

 

さとりさんの書斎に置かれていた書斎の一つに、旧都の歴史が記されているものがあった。その書籍曰く、鬼達が地上から旧地獄へ下りて旧都を造り出したそもそもの理由は、人間達に嫌気が差したからだとか、領土を奪われたからだとか、様々な原因が渦巻いていていたかららしい。きっとこの鬼は奪われた者なのだろう。

 

「…もう、頭を上げてください。貴女がわたしなんかにその頭を下げるべきじゃない」

「…そうかい、地上の。それじゃ、気を付けろよ」

「だから名前…」

 

そう言うと、わたしの言葉の対する返事もなく元の屋根へと跳んでいってしまった。

 

「…ま、いっか」

「だから言ったでしょ?」

「信じる前に動いてほしかったんですが…」

「う。…次は動くから」

 

再び歩き出したお燐さんに付いていき、旧都を歩き回る。すれ違うたびにお燐さんは軽く挨拶をし、わたしは不思議なものを見る目で見られるが、いつものことなので受け流していく。極一部露骨に殺意の籠った視線もあるが、それもしょうがないので気にしないことにする。

 

「気分はどうだい?」

「特には。強いて言えば寒い」

「なら、何か温かいものでも食うかい?」

「…わたしお金ないんですけど」

「そのくらい奢ったげるから」

 

非常に申し訳ないと思いながら、躊躇いもなく一つのお店の中に入っていくお燐さんの後を追う。潜った暖簾には找みたいなものの払いから下に伸びている文字と平仮名のむに非常に似た文字が書かれていたけれど、これは蕎麦と呼んだはずだ。

 

「十割蕎麦二つね」

「はいよ。…そっちのは噂の奴かい?」

「そうだね。ほら、挨拶」

「こんにちは。地上の妖怪の鏡宮幻香です」

 

その言葉で店の中に一瞬ざわめきが起こるが、すぐに蕎麦を啜る音で一杯になる。お燐さんからお金を受け取った店主さんが蕎麦を茹で始め、待っている間に周りの話し声を聞いてみる。…うん、わたしのこと話してるね。けど、不穏な単語はなさそう。

そんなことをしながら静かに蕎麦が出来上がるのを待っていると、外からバギャア、と古くなった木材を突き破る音が聞こえてきた。瞬間、蕎麦を食べていた客のほとんどが蕎麦を置いて外へと駆け出していく。

 

「…もったいないなぁ」

「あはは…。終わればすぐに戻って食べるから」

「奪われる心配は?」

「そうなれば新しい喧嘩と賭博が起こるだけさ。ほらよ、十割蕎麦だ」

「お、今日も美味そうだね。いただきます」

「ありがとうございます。いただきます」

 

誰かが殴り合う音と応援とも野次とも言える騒がしい声を聞きながら蕎麦を啜る。…うん、美味しい。今度こういう麺類の作り方も調べてみようかな。うどんとか、時期は真逆だけども冷や麦とか。

食べ終わる頃には賭博が終わったようで、客がゾロゾロと戻って来る。表情が上向きなのは賭けに勝って、下向きなのは賭けに負けたのだろう。一部は負けても気にせず笑っているかもしれないけども。

 

「ごちそうさまです」

「おう、また来いよ。地上の」

「名前…、いや、もういいや」

 

わたしは地上の妖怪なのだし。そういう全員にわざわざ名前を強要する必要もないか。面倒臭いから諦めたとも言う。

お店を出てすぐに、見るからにボロボロな大柄の妖怪がわたしの前を横切っていった。吹っ掛けたのか吹っ掛けられたのか、どちらかは知らないけれど、きっと喧嘩で負けてしまった妖怪だろう。血を流し、ところどころの肌が赤黒く変色してしまってとても痛そうだ。と言っても、わたしに何か出来るわけでもなさそうなので、無言で見送る。

その痛々しい背中が離れたところで、横で待ってくれていたお燐さんに訊ねる。

 

「次、何処に行くんですか?」

「いや、特に決めてないよ。さとり様には好きに旧都を回ってほしい、って頼まれたからね」

「なんだ、決まった道を歩いてるのかと」

「何処か行きたいところでもあるのかい?」

「んー、そうだなぁ…。賭博場ってあります?」

「あるにはあるけど、勇気あるね」

「人が多そうだからね。ちょっと遊びたい、ってのもあるけど」

 

そう言って笑うと、お燐さんは肩を竦めてから歩き出した。

 



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第299話

「どうしてわざわざあんなとこ選ぶかなぁ…」

「勝負事ってのはね、その人の本性が自然と露呈するものなんだよ。よくも悪くも、ね」

「だからだよ…。あたいは止めたからね?」

「そうですね。…あ、お金ちょっと貸してくれませんか?十もあればいいですから」

「あー、はいはい。返す当てはあるのかい?」

「アハッ。足りない分は一につき指を一本差し出しましょう」

「いらない」

 

呆れた顔のお燐さんから十枚の四角い銅板を受け取り、その一枚の触感と重量を軽く覚える。爪で弾いた音、銅板同士をぶつけた音も忘れずに。…うん、いい音するね。

 

「あ、そうだ。イカサマってあるんですか?」

「…あるよ。バレたら大抵ブッ飛ばされて別の賭博が始まるけど」

「ふぅーん…。アハァ…、それは楽しみだねぇ…」

 

奇策を練り道を外し掟を破り禁忌に触れるわたしからすれば、それは心躍るお話だ。…まぁ、お金なんてなくても問題ないし、お燐さんに借りた分はすぐ返すつもりだ。だから、そこまでやるつもりはない。やらないとは言わないけども。

 

「ほら、あそこだよ」

「へぇ、意外と近いですね…」

「他にも色々な場所に建ってるよ。ここが一番近かっただけ」

 

周囲と比べれば明らかに大きくて立派な屋敷の中からは、歓喜と落胆が入り混じった声が壁越しに聞こえてくる。うん、活気があるねぇ。これはとても楽しくなりそうだ。

扉を引いて中へお邪魔させてもらうと、声はより一層大きく響き渡る。受付をしていた髪の長い妖怪があからさまに狼狽えた様子だったけれど、まあ気にしないことにする。

 

「おぉー…。やってるねぇ…」

「色々あるけど、どれにするんだい?」

「手軽に出来るのがいいな」

「なら一番手前のでいいんじゃない?基本的に、奥に行けば行くほど賭け金も大きくなりがちだから」

 

そういうものなんだ。手前でやっているものはいくつかあったけれど、一回の賭博が早く終わりそうなもののところへ歩み寄る。少し待つと一人抜けてくれたので、すかさず空いた座布団に正座した。

 

「…てめぇ、地上のか?」

「えぇ、そうですよ。ここはどんな賭けを?」

 

小さな布の袋を持った三つ目の妖怪にギョロリと睨まれたが、気にせず笑ってやる。彼から見たわたしはどうなっているのだろう?わたしの目は二つだけど、彼から見れば三つなのかなぁ?角や翼も見えるらしいし、目が増えてもおかしくはないか。

横に座っている二人の妖怪は、何とも微妙な顔を浮かべている。どうやら居心地が悪いようだ。

 

「簡単だ。親である俺から見て右から順に一を好きなだけ入れる。そしたら左から順に袋の中身を言う。最後に俺も言って、一番近い奴が中身を総取りだ」

「二十あって、十九と二十一がいたら?」

「山分けだな。割れないのは俺にくる」

「はい、分かりました。それじゃ、やりましょうか」

 

ちなみにわたしは彼から見て一番左だ。つまり、最後に入れることになる。

この賭け、やろうと思えば空間把握で中身なんて百発百中だ。けれど、流石にそれは賭博としてどうかと思うので自重する。

さて始めようか、と思って手持ちを握っていると、後ろで待ってくれているお燐さんがわたしの肩をチョンチョンと突いてきた。

 

「何ですか?」

「この賭け、基本は五枚から十枚だからね?暗黙の了解ってやつさ」

「ふぅん。暗黙の了解、ねぇ…」

「それと、勝てるのかい?」

「さぁ?負けても失うのは指だけだ。安い安い」

「だからいらないって」

 

そんなことを話していたら、一人目が袋に入れる音が聞こえてきた。…んー、多分六枚。続いて二人目が袋に入れていく。…これは十枚かなぁ。最後のわたしは無難に五枚入れる。

 

「さ、まずは地上の。てめぇからだ」

「二十一」

「二十三」

「十九」

「二十。それじゃ中身は、っと」

 

袋を引っ繰り返し、ジャラジャラと四角い銅板が小さな山を作る。それを崩して枚数を数えると、二十二枚。…うん、大体当たったね。

半分の十一枚を受け取り、すぐに後ろにいるお燐さんに十枚返しておく。これで手持ちは六、と。

 

「素人の最初は当たるからな。次はどうかな?」

「やってみないと分からない。さ、続けましょう?」

 

七と五。銅板がぶつかり合う音を聞き分け、枚数を推測する。わたしは手持ちの全てを入れる。そして十八と宣言し、それぞれが二十、二十二、親が十九。中身は十八。全てを受け取る。

そのまま繰り返していき、勝って勝って負けて勝って勝って勝ったところで席を立った。隣の二人には露骨に安堵の息を吐かれ、目の前の親にはやけに睨まれたけれど、わたしの手持ちは五十三枚に増えた。

 

「この三十枚、十を三枚に出来ます?」

「…まだ続けるのかい?」

「当たり前でしょう?別にお金が欲しくてやってるわけじゃないんだから」

 

目的はわたしの存在を見せること。顔合わせするっていうのにこれっぽっちじゃあ物足りないでしょう?

四角い銅板三十枚を丸い銅板三枚に交換しながら少し奥に進むと、妖怪達が二つの賽子を転がしているのが目に付いた。その出目に一喜一憂しているようである。ちょっと気になったので、お燐さんに訊ねることにした。

 

「あれ、何です?」

「あれかい?賽子の出目で勝敗を決めるんだよ。最初に誰かが賭け金を宣言して、他の参加者が合意して金を台に置いたら親が賽子を振る」

「合意しないなら?」

「席を立つよ。で、その出目を見て勝てそうなら自分も振る。無理そうなら賭け金の半分を払って降りる。出目が勝てば賭け金と同額を親から受け取る。負ければ賭け金を全部親に払う」

「ふむ…。出目の勝敗は?」

「基本は数字の合計が大きいと勝ち。ゾロ目なら数字関係なく勝ち。ゾロ目同士なら数字が小さいほうが勝ち。つまりピンゾロが最強。ちなみに、合計が同じだったり、ゾロ目が同じだったらこっちが勝ち」

「ピンゾロ?」

「一のゾロ目。で、負けているときに台に置いた賭け金と同額を親に払うと一度だけ片方だけ振り直すことが出来る。それで勝てば最初の賭け金と同額を親から受け取る。つまり零だね。負ければ当然全部親に払う。つまり倍払いだね」

「零かさらなる損失か、ね。アハッ、面白そうじゃん」

「これが一連の流れ。最初に戻るんだけど、賭け金の宣言は同額か吊り上げないといけない。全員が席を立たないと、賭け金がどんどん高くなってくるわけ。席が空けばさっきみたいに座ってもいいけれど、高くなった状態から飛び込むのはおすすめしないね」

 

お燐さんがそう締め括ったところで、その賭博の賭け金の宣言が行われた。三十、と。それと共に、真ん中の席に座っていた妖怪が席を立った。

 

「あ!ちょ、ちょっと!」

 

すかさず空いた席に腰を下ろし、目の前に置かれている台に丸い銅板を三枚叩き付ける。両側の妖怪は驚いたようで目を見開き、目の前の親は獰猛な笑みを浮かべる。

 

「おいおい地上の。素寒貧になっても知らねぇぞ?」

「構いませんよ。どうせお金なんてなくても生きていける」

「ハッ、そりゃそうだ。さとり様のお膝元だもんなぁ」

「関係ないね。せっかく遊びに来たんだ。御託はいいから始めましょう?」

「賽子はあるのか?ん?」

 

そう言われ、使用する賽子がまさかの持参であることに驚く。これは細工し放題じゃないか。…じゃなくて、確かに手持ちに賽子はない。

袖口に手を突っ込み、ゴソゴソと漁る振りをしながら空間把握。この賭博場に大量に転がっている賽子の形を把握。目の前にある親の賽子の色を捉えつつ、形に合わせて着色しつつ創り出す。とりあえず、予備も含めて六つもあればいいだろう。

 

「ありますよ。…さ、始めましょうか」

「なら始めよう。ほらよ」

 

親の出目は五と四。普通なら降りるんだろうなぁ、と思ったのだが、両側の妖怪は平然と自分の賽子を振るっている。右側は負けたようだが、左側は勝ったらしい。

んー、なら振ろうかなぁ…。六つの賽子から二つ選び、転がす。出目は、六と三。わたしの勝ちだ。親から三十受け取る。

 

「五十だ!」

「…降りる」

「続けますよ」

 

勝って勢い付いたらしい左側の妖怪が五十へ賭け金を吊り上げ、右側の妖怪はすごすごと席を立ってしまった。空いた席に目を遣るけれど、誰も座らないらしい。

 

「そうかい。ほらよ」

 

親が誰も飛び入りしないことを確認してから賽子を振るう。出目は三と三。これは強い。左側の妖怪も、勢いを削がれたのか二十五払っている。わたしも降りるべきなんだろう。

けど、ここで降りるとつまらない。もちろん、降りたほうがいいことくらい分かってる。確率的にもこの一投での勝率は三十六分の三。一割以下だ。分かってるよ。けどさ、分の悪い賭けほど身を投じたくなるのは何故だろう?

だからわたしは賽子を二つ選んで投げた。出目は…、二と二。わたしの勝ちだ。

 

「…勝ちやがった」

「さ、五十くださいな」

「チッ、悪運の強い奴だな…」

 

ヤバい。なんか楽しくなってきた。旧都の民が賭博を娯楽にするのがよく分かったかもしれない。これは浸透するよ。たまにならこうして遊ぶのも悪くない。そう思わせる魔性の魅力がある。

さて、次はいくらになるのかな?

 



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第300話

「あらま、四ゾロ」

「チッ!ほら五十だ!続けるな!?」

 

頬杖をつきながら転がし続けて勝ちと負けを繰り返し、降りも振り直しも一度もせずにいたら、気付けば手持ちは二百八十三。最初が十だったことが嘘のよう。

隣の妖怪を見遣るとかなり上機嫌なご様子。半ば脅すように続けるように言い放つ親は見ずとも口調で不機嫌だと分かる。ま、わたし達の手持ちが明らかに増えてるんだ。そりゃああまりいい気分にはなれないでしょうね。奪われた分は取り返したくなる。これはどちら側でも言えることなんだろうなぁ。

 

「七じ――」

「二百で。いい加減五十じゃつまらない」

「なぁ!?」

 

せこい宣言の上から被せるように賭け金を吊り上げ、台の上に丸い銅板を十枚重ねた塔を二本建てる。隣の妖怪が目を見開いて驚いているが、知ったことか。それに、賭け金は宣言すれば勝手に吊り上がる。もう覆らない。嫌ならその席を立つだけでいいのだから。

そう思ったのだけど、四角い銀板を二枚台の上に置くあたり、止める気はないらしい。見るからに手と瞳が震えているけれど、まあ気にしないでおこう。

ギラギラと挑発するような目でわたしを睨む親が二つの賽子を握る。さて、これでわたしは振るしかなくなった。降りて賭け金の半分を払えば、残りは百八十三。次の賭け金を台に置くことが出来なくなる。構わない。賭けられているのはたかが金属板。そんなものの増減、わたしはどうとも思わない。

 

「ほらよッ!…ッ」

 

が、出目は最弱一歩手前の一と三。隣は嬉々として振るったが、わたしとしては少し微妙な気分だ。これじゃあ駄目なんだよ。けど、振らないなんて論外なので賽子を転がす。出目は五と三。もちろん勝ちだ。丸い銅板を二十枚投げ渡される。

 

「くそッ!おらッ!続けるだろ!?」

「えぇもちろん。三百で」

「はぁ!?まだ吊り上げるのかよぉ!?」

 

無論、こんなんじゃ足りない。この程度じゃあ軽過ぎる。命より軽い金を賭けるんだ。あまりにも軽過ぎてあってもないのと大して変わらない。塵だって積もれば山になるんだ。それなら積み上げるに決まってるでしょう?重みを感じるまで、何処までも。

丸い銅板の塔を三本建て、微笑みながら待つ。隣からも甲高い音が三枚分響き、親が二つの賽子を振るう。出目は三と五。すぐにわたしも躊躇なく賽子を振るうと、出目は五と六。わたしの勝ちだ。うん、賽子って楽しいねぇ。

丸い銅板を三十枚投げ付けられているときに、隣から賽子を転がす音が聞こえてくる。その出目は、なんと三と四。それを見た隣の妖怪は、信じられないとでも言いたいような目で賽子を見下ろしている。冬だというのに汗が二粒ほど零れ、弾かれるように銀板を三枚取り出し投げ付け、すぐさま三だった賽子を握る。…が、なかなかその手を開かない。固く握り締めたまま動かない。

 

「…あの」

「ヒッ!…あぁ!?」

 

いくらなんでも遅いので、話しかけて賽子を振るうように促そうとしたら、声をかけた瞬間に全身を跳ねさせ、その拍子に賽子が零れ落ちてしまう。慌てて掴もうと腕を動かしているけれど、どう見ても見当違いのところに振るっている。そして、賽子の出目は残念ながら変わらず三。彼は負けてしまった。しかも倍払い。

 

「おっ、おまっ、お前っ!」

「…はい?」

 

続けよう、と思ったところで隣の妖怪に肩を掴まれる。いや、そんな親の仇みたいな目で見られても困るんですけど。ふと、あの爺さんが言っていた竹馬の友って誰だったんだろう、なんてどうでもいいことを思い出した。

 

「お前のせいで…!お前のっ!お前のっ!」

「うおっ…。揺らさな、いでく、ださ、いよ、っと」

 

ガタガタと大きく揺らされ、肩を掴んでいた手が徐々に首に近付いていく。それに気付いたとき、わたしはどうしようもないほどに気分がよくなってしまう。この妖怪の本性が、この瞬間曝け出されているのだから。

けれど、流石にこれ以上は色々とまずい。わたしは死ぬつもりは一応ないのだから。わざと席ごと倒れ、掴んだままの腕が伸び切った瞬間に手首を掴み顎を蹴り上げる。そして怯んだ隙に手を引き剥がし、彼の体を振り上げながら倒れ込む。わたしは背中を床にぶつけたが、彼は倒れた先にあった賭博中の場所に背中から叩き付けられる。最後に暴れ出す前に鳩尾に脚を振り下ろし、昏倒させておく。

 

「ふぅ…。騒がせちゃいましたね」

 

動かなくなった妖怪をどかし、四角い銅板二十三枚をその場所で賭博をしていた今にも怒鳴り付けようとしていた妖怪達に投げ付けて席に戻る。お金で黙ってしまうあたり、現金だなぁ…、なんて思いながら。

今度こそ、と思ったら、今度はお燐さんに肩を掴まれた。

 

「もうそのくらいにしときな」

「嫌です」

「やり過ぎだって分かってないのかい?」

「足りないし安過ぎるし軽過ぎる。元来勝負は生きるか死ぬか。全てを得るか、全てを失うかだ。せっかく地獄にいるんだ。一度地獄を見てからでも遅くない」

 

死んでもわたしは無理矢理生き延びた。全てを切り捨ててわたしはここにいる。それだというのにわたしは死んじゃいないし、ましてや何も失っていない。そんなんじゃあ終われない。

 

「あーもうっ!あたい止めたからね!?」

 

掴んでいた手を離してもらい、わたしは親の妖怪改めて嗤いかけ、台の上に手持ちの全てを置く。

 

「七百六十。続けましょう?」

「…ああ、いいぜ…!ほらよッ!」

 

そう言て賽子を振るい、その出目はなんと四ゾロ。

 

「逃げるのか地上のォ!まさか逃げるな――」

「うるさいなぁ」

 

安い挑発を聞き流し、普通に転がす。出目は二ゾロ。三十六分の四を引き当てた。そう思っていたら、親の妖怪が何故かわたしが使っていた賽子全てを掻っ攫われてしまった。そして、皿のように見開き血走った目で賽子を凝視し始める。

 

「くそッ!」

 

待つこと数十秒。悪態と七百六十を賽子と共に投げ付けられた。悪いけれど、その賽子は普通のなんだ。創ったんだからそのくらい分かる。

 

「千五百二十」

「はぁ…、はぁ…、ほらよォッ!」

 

呼吸が荒くし、気合の入った掛け声と共に放った賽子の出目は二と六。そして、わたしは三と五。あら、また勝った。

運がいいなぁ、なんて思っていたら、また賽子を奪い取って穴でも開けるんじゃないか、そのまま目に突っ込んでしまうんじゃないか、ってくらい凝視する。だから何もないんだって。

 

「…そんなに疑うなら、貴方が用意してくださいよ。面倒臭い」

「くそッ!ああ分かったよ!これでも使ってろッ!」

 

そう言い放って投げ付けてきた新しい賽子を受け止める。…ん?ま、いっか。

 

「三千四十」

 

さらに増えた金属板をそのまま台の上に乗せる。あぁ、楽しみだなぁ…。彼の本性が露呈する瞬間が待ち遠しい。

 

「はッ、ははッ!ほらよッ!」

 

急に笑い出しながら振るった賽子の出目は一と五。さっきより弱いが、それでもやけに余裕そうである。ま、どうでもいいけどね。少し感じの違う賽子を転がすと、その出目は五と六。わたしが勝ったというのに、さっきまでとはまるで別人のように気前よく金属板を投げ渡してくれる。…吹っ切れたとは違うんだろうけど。

 

「六千八十」

「ははッ!はははッ!はは…げほッ!…はぁ、はぁ、はぁ…。…ほら、よッ!」

 

笑い過ぎて咳き込んだ状態で振るわれた賽子は、カチリとピンゾロで止まった。

 

「てめぇにゃ勝てねぇんだよ!おらッ!吐き出せッ!その金全部ッ!吐けッ!吐け…ッ!」

「…ふぅん」

 

賽子を振るう前に改めて親の賽子を眺め、少し汗をかいていそうな手を軽く払う。…うん、そっかそっか。

 

「勝てないなんて勝手に決めるなよ」

「はァ!?ピンゾロだぞピンゾロ!万に一つもあり得ねぇんだよ…ッ!」

「三十六分の一だ。そこまで低くないって」

 

身を乗り出して気持ち悪い表情を浮かべている親の目の前で賽子を握った手を振るう、転がっていく賽子はその動きをゆっくりと落としていき、カタリと止まる。その出目は赤い点が二つ。ピンゾロだ。

信じられないような、有り得ないものを見るような目で二つの賽子を回し見る親の姿が滑稽で仕方ない。貴方が先に出したんだ。わたしだって出すよ。

 

「さ、払えよ」

 

わなわなと震える親の耳元に、わたしは囁く。

 

「…は………は……は…」

 

声と吐息の間みたいな音を出し、その場から動かない親を見続ける。何と言うか、雰囲気がドロリとし始めて気味が悪い。

嫌な予感がする、と身構えていたら、親の妖怪は震える手で金属板を握り締めた。そして、案の定そのままわたしの顔に熱い拳で殴り掛かってきた。咄嗟に鼻が潰れることは避けて頬で受け止めつつ、吹き飛ぶほうへ倒れて衝撃を少しでも逃がす。

 

「…酷いなぁ…。ペッ。吐け吐け言ってたのは貴方だろう?勝ったんだから払えよ」

 

勢いよく吹き飛ばされ、他の博打をしていたようだけどわたしの結果に注目していたらしい人達を巻き込んでしまう。頬の内側が切れてしまい、真っ赤に染まった唾を吐き出しながら親だった妖怪を見遣る。

 

「払えるか…ッ!払って堪るかッ!どうせイカサマだッ!」

「アハッ、貴方が用意した賽子だよ?もしそうなら貴方はとんだ間抜けですね」

 

まあ、普通に細工されてたけども。ほんの僅かに潰れた賽子で、片方は一と六が、もう片方が二と五が出やすくなっていた。いわゆる、グラ賽ってやつだね。けど、飽くまで出やすくなっているだけだ。どうとでもなる。

それよりも、彼の奥底に潜んでいた本性が垣間見えたことがわたしは嬉しい。これだから賭博は魔性の魅力を感じるんだ。死の代わりに用意された崖がある。…まぁ、あんな金属板に価値を感じているならだけども。

 

「…さて、と。お燐さん」

「え、あ、な、何だいこんな状況で!?」

「イカサマバレたらブッ飛ばされる、でしたよね?」

「まさかイカサマしたのかい!?」

「アハハッ!それはねぇ…」

 

床を蹴って親だった妖怪へ一気に跳び込む。『紅』発動。頬の傷が治り、全身に力が行き渡るのを感じる。

 

「ガッ!?」

 

そして、その愉快な横っ面を思い切り殴り返した。『目』を潰さないように注意して破壊せずに壁まで吹き飛ばし、続けざまに跳びかかって腹を蹴飛ばして壁をブチ破り店の外に叩き出す。

 

「こっちの台詞だよ」

 



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第301話

店の壁をブチ抜いた大穴から出つつ、改めてわたしが吹き飛ばした雪の上に倒れている妖怪を見遣る。筋肉質で異形な部位は見当たらず、容姿は人間に非常に近い。ただ、明らかに大きい。頭三つ分くらい大きいんじゃないかな。

さてどうしたものか、と攻め手を模索していると、後ろから肩を叩かれた。警戒しつつ振り向くと、物凄く複雑そうな顔を浮かべるお燐さんだった。

 

「…何か?」

「もう止めても遅いから言っとく。この喧嘩、殺しちゃ駄目。あと、武器とか道具とかは使わずに肉体だけでやるんだからね。これも暗黙の了解だけど、破ったら袋叩きだよ」

「何の問題もないね。最初からそのつもり」

 

袋叩き、ねぇ。やろうと思えば、その場を切り抜けることくらい出来るだろう。けれど、それをすれば後々にまで引き摺る羽目になる。それはとても面倒だ。わたし自身にとってもそうだし、さとりさん達にも迷惑をかけてしまいそうだ。

それに、わたしは好きなだけ武器を創り出して戦おうと思えば戦うことが出来る。緋々色金の魔法陣を使って大炎上させることだって出来る。けれど、そんな小細工で勝っても意味がない。飽くまでわたしの存在を見せることも目的なのだから。わたしがどこまで出来るのかを知らしめるためなのだから。

 

「あ、そうだ。お燐さんはどっちに賭けます?」

「…さぁね。とっとと戻りな」

 

わたしの問いは誤魔化されてしまったけれど、たしかにお燐さんの言う通りだ。相手は起き上がったみたいだし、さっさと戻るとしましょう。

周りを見渡すと、この喧嘩で賭博をするつもりの妖怪達で溢れている。賭博場にいた妖怪達全員よりも多い気がするけれど、それは路上を歩いていた妖怪もいるからだろう。少し耳を澄ませば、数字と金属板の音が聞こえてくる。三十人くらいの声を聞いてみると、わたしに賭けている人はどうやら少ないようで、大体三倍くらい数に差がある。金額は五から二十くらいを賭けているみたいで、高いのだと三十くらいかな。

軽く体を伸ばし、これから始まる戦闘に備える。その傍らで、目の前でわたしを睨み付ける彼に一つ声を掛けてみることにした。

 

「気分はどうですか?」

「んだとイカサマ野郎ッ!」

「アハッ、昂ってますねぇ。何かいいことでもあったのかい?」

「決まってんだろうがッ!てめぇをぶっ潰せばそれで済むんだよォ…ッ!」

「それはめでたい。それじゃ、せいぜい頑張ってくださいな」

 

それだけ言い切って、長く細い息を吐く。体から無駄な力を抜いていき、腕をダラリと落とした自然体を取る。すると、身体が一気に切り替わるのを感じる。わたしにとって必要な情報のみが拾われ、それ以外の情報が全て切り捨てられていく感覚。

最初に殴ってきたのは貴方だし、先手は譲るよ。

 

「だらアッ!」

 

ただし、そこから先は知らないけどね。

 

「そらっ」

 

顔面一直線に伸びる拳を屈んで躱し、曲げた膝を伸ばして突撃し懐に一撃目の肘、少し上に二撃目の左拳、脇腹に三撃目の左脚を軽く叩き込む。

 

「よっと」

「ッ!」

 

体が傾いている隙に足を払い、再び雪に倒してやる。顔から落ちたけれど、幸い雪があって衝撃はほとんどないようだ。

 

「くそがッ」

「…ふぅん」

 

わたしを見上げる彼は怒りに歪んでいるけれど、彼を見下ろすわたしは特にどうとも思わない。当たり前だけど期待以下だ。妹紅には掠りもしないし、フランには届かないし、萃香には遠く及ばないし、風見幽香には歯牙にもかけてもらえなさそう。

 

「立ってよ。それとも、そうやって地面に這い蹲るのが貴方の趣味?」

「んだとゴラアァッ!」

 

わたしの軽い挑発に過敏に反応し、起き上がりながら突撃するという、なんとも強引で無謀な行動。無茶苦茶に出鱈目に振り回される両腕を外側へ払い、がら空きになったその顔を膝で蹴り上げる。

 

「ふッ!」

「ヴ…ッ!?」

 

軽く仰け反った腹に真っ直ぐと脚を突き刺し、思い切り吹き飛ばす。…あ、まずい。その先にいる妖怪達は躱そうとしたように動いた人もいたけれど、あの状況で躱せるはずもなく、数人を巻き込んでしまった。…やってしまった。

観戦していた妖怪達を巻き込んでしまい、少し申し訳ない気分になる。けれど、そんなことはよくあることのようで、巻き込まれた妖怪達は慣れた動きで立ち上がりつつ彼を数人がかりで持ち上げ、わたしの前へ投げ飛ばした。ボスリと雪の上に落とされた彼は慌てて起き上がったけれど、その体がガタガタと震えている。普通なら寒さが原因だと言いたいけれど、この状況ではそれだけ原因ではないことくらい分かる。

 

「て、めぇ…。ブッ殺してやる…ッ」

 

震える唇を開いていったその言葉は、わたしにはどうにも安っぽく聞こえてしまう。脅しのつもりかもしれないけれど、それはつまらないよ。貴方が本当に殺したことがあるとしても、それはわたしも同じだから。

 

「殺すつもりなら、殺されることを覚悟しているかい?」

「必要ねぇなァ…。これからてめぇは負けて死ぬんだからよオオォォォオーッ!」

 

そう吠えながら打ち出した拳を、わたしは正面から掴み取る。ググ…、と僅かに押されるけれど、そこまで。驚愕で目が見開かれるけれど、どうしてそんなに驚かれるのかわたしには分からない。

いくら体が大きくても、そんな体ではまともな力を出せていない。こんな攻撃、避けるまでもない。…まぁ、予想より強ければ『紅』発動するだけでいい。そうすれば、最初のときみたいに軽く吹き飛ばせる。

 

「わたしは弱いけどさぁ。…貴方はもっと弱いね」

 

そう言ってやると、さっき殺すと言っていたのがまるで嘘のように、その目の光が一気に曇る。…終わったね。

 

「たかが銅板を六百枚出せばそれで済んだのに」

「ぐ…ッ!は、離せこらァ…ッ!離せっつってんだろオッ!」

「嫌だね」

 

無理矢理引き出したような悲鳴にも似た言葉を断る。理由があれば離してやるけれど、もうまともに戦えないだろう貴方との勝負を長引かせるつもりはない。

掴んだ拳を思い切り引き、もう片手で肘の辺りを掴み取る。わたしが引っ張ったせいで前のめりになった彼の足を浮かし、わたしは体を反転させて背を向ける。そのまま腕を肩で担いだまま引っ張り、地面に叩き付ける。最後に顔面を全力で踏み砕き、意識を完全に刈り取る。足を離してやると、その顔は歯がバキボキに折れてしまっているけれど、知ったことではない。

 

「そのおめでたい頭、とっても愉快な顔になったねぇ…。アハハッ!」

 

わたしはピクリとも動かなくなった敗北者を見下ろし、嗤ってやった。

一瞬の静寂。そして、突き破るような大絶叫。ハッキリ言ってうるさい。見たことのない妖怪が賭け金の配分に駆け回っているけれど、わたしは人壁をすり抜けたり押し退けたりしながら、その先へと突き進んでいく。どれだけのお金が動いたかなんて、今はどうでもいい。

 

「ちょっと!」

 

まだ半ばあたり、と思ったところでお燐さんに声を掛けられ、足を止めた。

 

「何処行くんだい!?」

「店の中。ちょっと確認したいことがあるから」

「はいぃ!?確に――は、八十三!?それは凄い…じゃなくて!」

 

お燐さんの横を抜け、そのままどうにか人壁を抜ける。その先にあった大穴を通り、誰もいない賭博場を歩いていく。そして、さっきまで賭博をしていたところを眺める。親が最後に出したピンゾロ。その賽子を手に取ると、ザラザラとした感触がする。軽く引っ張ると、僅かな抵抗を感じる。そして、その賽子の周りにも小さな針山が複数出来ていた。

わたしは、その賽子とその周りに引き寄せられた砂鉄を回収する。

 

「…うん、やっぱり磁石仕込み。イカサマは、バレたらああなるんだよね?」

 



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第302話

翌日。部屋で寝ていたわたしは再びさとりさんに叩き起こされ、寝惚けている隙に思い切り詰め寄られた。無理に作ったとしか思えない笑顔が滅茶苦茶近いし、髪の毛が擦れてこそばゆい。

 

「…幻香さん。今の内に言いたいことはありますか?」

「お金という一つの価値を極限まで喪失したらどう反応するか見てみたかった」

 

その第一声から、昨日のことだと推測する。つまり、昨日の賭博場での出来事。

生命的な死とは別に用意された崖。その崖っぷちに追いやられて危機的状況に陥った時、大抵の人の上っ面は呆気なく破れる。容易く本性が暴かれ剥き出しにされ露呈する。それを見てみたかっただけ。結果はあまりいいものではなかったけれども、そんなことはどうでもいい。

無知の幸福より、既知の不幸。未知を探究し、既知を追究する。これが重要なことなのだ。

 

「…はぁ。まったく、収拾がつかなくなったらどうするつもりだったんですか…」

「手元に彼らにとって大いに価値あるものが溢れているんだ。どうにでもなるし、実際どうにかなったと思いたい」

「一万を超える金ですか…」

 

自分が得るはずだった一万二千百六十の金属板の山。わたしは端数の百六十を手持ちに加え、大体半分の六千程度をわたしが始めた喧嘩で賭博するために群がった妖怪達に向けて『またいつか』と言いながら躊躇なくばら撒いた。残りを賭博場の受付の妖怪に返金し、『後はよろしく』とばら撒いた金に群がる妖怪達を指差しながら一言頼み込んでさっさと退散した。金を奪い取ることは手段の一つであって、わたしにとってはそこまで必要なものではないのだから。

その結果どうなったかは知らない。儲けを気前よくばら撒いたと受け取られたかもしれないし、口封じの手数料として受け取られたかもしれないし、買収行為として受け取られたかもしれないし、はたまたそれ以外の何かとして受け取られたかもしれない。けれど、わたしとしてはそんなことはどうでもいいのだ。目的はわたしの存在を見せる、顔合わせなのだから。印象がどうかは知らないけれど、嫌でも忘れられないものになったと思っている。

 

「で、どうです?皆は黙りましたか?」

「むしろ広がってますよ。いい意味でも悪い意味でも」

「ま、黙るはずないか。広がるのもしょうがないよね」

「もう少し穏便に事を運ぶことは出来ないのですか…?」

「無理だよ。わたしそのものが異物なんだから、どう足掻いても穏便に事が進むはずがない」

「だからと言って事を荒立てる必要はないでしょう」

「…そう言われると痛い」

 

何度も顔合わせするのが面倒で、ちょっと事を大きくしてわたしのことを彼らに勝手に広げてもらおうだなんて思っていたなんて知られたら、…いや、そのくらい最初からバレてるよね。

 

「私は何度かに分けて会わせるつもりだったのですが…。そうですか、やっぱり面倒でしたか」

「ええ、面倒です。ま、起こしたことはお金が勝手に落ち着けてくれたでしょうし、あまり気にしないでほしいんですけど…。無理ですか?」

「…まぁ、あの出来事に関する苦情は思ったより少なかったですし、対処の方法としては及第点と言いたいですけど。私はそのような金に物を言わせる方法はあまり好きではありません」

「あの場で真っ先に思い付いたのがそれだったんだ。貴女の好き嫌いを出されても、正直困っちゃうよ」

「…はぁ。まあ、貴女には貴女の目的があったことはよく分かりました」

 

さとりさんは頭を押さえながら、絞り出すようにそう言ってくれた。半ば諦めたようにすら見える。

そんなことを思いながらまだちょっと眠い目を擦りながら眺めていると、ですが、と続けた。

 

「あんな馬鹿勝ちを続けられると、賭博場からしても地底の方々からしても私からしてもあまりいいものではないのは分かりますか?」

「賭博場は単純にお金を持ってかれる。地底の妖怪達は地上の妖怪が勝ち続けるのはあまりいい気分じゃない。…さとりさんは、…うん、分かりませんね」

「嘘を言わないでください。貴女の思った通りですよ」

「保護対象の首綱を握れない愚か者に見られる」

「…言い方に悪意しか感じませんが、その通りです。わざと負けろ、なんて言うつもりはありません。ですが、賭博行為を抑えていただきたいのです」

「別に構いませんよ」

 

禁止じゃないなら大して気にすることじゃない。たまに思い出したときにちょっと遊ぶくらいならいいのだろう。賭け金の吊り上げがどこまでいいのかは知らないけれど。

 

「…あんなふざけた吊り上げは二度としないでくださいね」

「はーい」

 

釘を刺されてしまった。ちょっと残念。

ベッドから這い出つつ寝間着を回収し、目の前にあるさとりさんの防寒着を複製して着替える。…少し小さい気がするけれど、まあ後で別のに変えればいいや。

 

「さて、話はそれだけですか?」

「いえ、他にもありますよ」

「そうですか。聞いていますから、好きなように話していてください」

 

そう言ってから、置いてあったフェムトファイバーを手に取る。そして、先端に注視しながら頭の中で繊維を一本思い浮かべる。

 

「それなら。貴女にはこいしと一緒に弾幕遊戯の広告塔になってほしいんです」

 

弾幕遊戯?…あぁ、スペルカード戦か。名前が安直な気もするけれど、分かりやすいから別に構わないだろう。問題は規則をどう変えたかだ。

思い浮かべた一本の繊維を、無数の繊維に解いていく。その一本一本をさらに無数の繊維に解いていく。それをひたすら繰り返していく。

 

「スペルカードは切札に名称を変更。基本数は三、五、七、十。被弾数も同様。連続被弾防止の有無は同じく三秒。武器、道具は直接攻撃手段としての使用不可。肉弾戦は禁止。…としました。飽くまで弾幕で勝負してほしいからです。殴り合うなら喧嘩でもしてればいいですから。それ以外は基本的にスペルカードルールとほぼ同一と思ってください」

 

…ふぅむ。いくつかわたしが使っていたスペルカードを思い浮かべるけれど、それってわたしにとってはかなり痛い変更だなぁ…。とりあえず大きなものを複製して投げ付けるのは禁止され、相手の複製(にんぎょう)を操作して攻撃するのも禁止され、虚を突いて直接殴り付けるのも禁止されてしまった。防御として複製するのは許されたけれど、緋々色金の魔法陣はどうなるだろう?

何度も何度も繰り返し解いた繊維を、今度は一本ずつ丁寧に束ねていく。束ねた繊維をさらに束ね、最初に思い浮かべた元の一本の繊維に戻す。

 

「…そうですね。複製『巨木の鉄槌』ですか?それは禁止ですね。鏡符『二重存在』もです。模倣『ブレイジングスター』は後方へ推進力として放つ妖力なら問題ありませんが、本来の使用方法の体当たりが禁止です。複製『身代人形』は防御としてなら問題ありませんが、それを蹴飛ばすなどしてぶつけるのは禁止です。複製『緋炎』は魔法陣を投げ付けるなどで直接攻撃せず、発動させて放つ炎なら問題ありません」

 

よく分かりました。わたしが使えるスペルカード、もとい切札が著しく削減されたことはよく分かりましたよ。使えるのは鏡符『幽体離脱』、模倣『マスタースパーク』、複製『緋炎』くらいってことね。…これは新しいものを考えないといけないなぁ。

一本に戻した繊維の集合体の集合体の繰り返し。それをさらに増やしていき、束ねていく。目指すは手元にあるフェムトファイバーの太さ。そうなるまでとにかく繰り返していく。

 

「後日、旧都にてこいしと一緒に魅せ付けて来てほしいのです。こいしには既に了承を得ています。後は貴女次第です」

「…いいですよ。その日が来たら呼んでください」

「分かりました。…今度それを創るときは、出来ることなら私がいないところだと嬉しいです…」

 

さとりさんは最後に掠れ気味の声で言って部屋を去っていった。…それは悪い事をしてしまった。こいしの部屋程度で頭押さえてたもんなぁ。申し訳ない。

何度束ねたかなんて数えたくないほど繰り返した繊維の集合体の集合体の集合体の繰り返し。それを手元にあるフェムトファイバーの先端から伸ばすように創造していく。少しずつ成長させていくと、それだけ妖力を消耗しているのが実感出来る。これが実用性のある長さまでいったら、今度はさとりさんが持ってる金剛石を過剰妖力を満たして複製し、ペンダントの飾りにするつもり。緋々色金には一歩劣るけれど、十分魔力を含む鉱物らしいのだから。

 



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第303話

「…誰もいないね」

 

左右、背後を確認し、小さく呟く。そっと扉に目を向けて手を伸ばすと、そこにはこいしがいた。…い、いつの間に…。

 

「何処行くの?」

「…旧都に」

「そっか!わたしも行こうと思ってたんだー」

「…それでは、途中まで一緒に行きましょうか」

 

流石に目的地は違うだろうし。そう思いながら扉に手をかけ、外へ出る。冷たい空気がわたしの頬に刺さるけれど、今日はちゃんと手袋をしてきたから前よりも少しだけ楽だ。

フワリと浮かび上がり、地霊殿の庭を抜ける。雪が降っているわけではないけれど、既に降り積もっている雪が解ける気配は未だになさそうだ。

 

「ねぇ、幻香はもう聞いた?」

「何をです?」

「スぺ…じゃなくて、弾幕遊戯の話!」

「たしか一昨日あたりに聞かされましたよ。なんか大事になっちゃいましたね」

 

二人で遊ぶ約束が、気付けば旧都で魅せることに。わたしが籠っている間にさとりさんの中で何があったというのだ。

 

「そうだねぇ…。お姉ちゃんったらいつの間にか旧都の新しい娯楽にしよう、だなんて言い出しちゃうし」

「らしいですね。大丈夫でしょうか?」

「さぁね。けど、大丈夫じゃない?」

「ならいいんですけど」

 

旧都の人気のないところに降り立ち、ザクザクと音を立てて歩き出す。少し進んで人気のある所に出ると、すぐに不特定多数の視線がわたしの顔に突き刺さる。この前と比べればマシと思えるけれど、やっぱり剥き出しの殺意がチラホラと混じっている。まあ、そんなことをいちいち気にしたら面倒なので、基本は無視することにする。近付いたらちょっと警戒して、仕掛けてくれば迎撃するくらいでいい。

 

「こいしはさとりさんにどんな風に頼まれたんですか?」

「わたし?んー、幻香との遊びの約束を利用させて、みたいなこと言われた。わたしは遊べればそれでいいからすぐにいいよ、って言ったの。そう言う幻香は?」

「広告塔になってほしい、と。スペルカードルールとの差異も一緒に教えてもらって、ちょっとどうしようかと悩んでるところですよ」

「何で?」

「わたしのスペルカードの多くが禁止されたから。だから、ちょっと新しいの考えないといけないなぁ、って」

「あー…、そう言われてみればそうだね。複製『巨木の鉄槌』なんて禁止技一直線だもん」

「とは言っても、わたしにそんな美しい魅せる弾幕を作れって言われても困っちゃうんですよねぇ…。弾幕を張れ、って言われるとさ、まず最短で被弾させるかを思い浮かべて、次にいかに妨害するかが思い浮かぶ。魅せるなんて二の次どころか十の次ですよ」

「じゃあ、幻香は切札と被弾数は三がいいの?」

「今のところは。それまでに思い付いて、試し撃ちして、使えそうなら増やしても大丈夫なんですけどね」

 

形だけ考えて、何の練習もせずにスペルカードを使うのはよくやったことだけど、人に見せることを目的とするなら、そんなことはしないほうがいいだろう。失敗して恥をかくのはわたしだけじゃないのだ。

小さく白いため息を吐き、何となく上を見上げる。相変わらず土の天井に覆われていた。

 

「ところで、こいしは何処に用があったんですか?」

「何か美味しいものでも食べようかなぁ、って思ってきたの。幻香も一緒に食べる?」

「あー…、止めときます。ちょっと長い時間を取りそうなので」

「あらら、残念。一緒に食べれたらもっと美味しいと思うんだけどなぁ」

「それは弾幕遊戯の後に取っておきましょうか」

「そっかー…。うん、そうだね!」

 

一仕事終えた後は、きっと普段よりさらに美味しく感じるだろう。きっと。食べる必要がないことを気にするのは、今回は野暮なことだ。

 

「それじゃあさ、幻香は何処に用があるの?」

「ちょっと勇儀さんを探してるんです。話したいことがあるので」

「探すのは簡単だと思うよ?いそうな場所を巡れば会えるから」

「…そのいそうな場所が分からないから、虱潰しに探そうと思ってるんですけど」

「お酒呑めるところに行けばいいよ。後は、地上へ続く穴の前に橋があるでしょ?あそこにたまーにいるかな」

「その橋って、確か水橋パルスィって妖怪がいる橋ですよね?あの妬ましい妬ましいって言ってる」

「そうそう。パルスィはあそこによくいるんだよねぇ」

 

ふぅむ。お酒が呑める場所か、あの橋ね。お酒が呑める店がどこに建っているは知らないけれど、探していれば見つかるだろう。

周りを見渡し、お酒が呑めそうなお店を探していると、隣を歩いていたこいしからあ、という声が零れた。周りからこいしに目を移すと、ある一つのお店に目を奪われている。…激辛ですと…?

 

「わたしこのお店で食べよ!それじゃあまたね!幻香!」

「…それでは、こいし。また今度」

 

こいしはきっと辛味好きなんだろう。それとも、冬だからだろうか…。弾幕遊戯後でわたしもああいうものを食べることになるのだろうか…。そもそも食べることが出来るのか、ちょっと不安になってきた。

さて、一人になったところで改めて周りを見渡す。この辺りにはお酒が呑めるお店はなさそうかな。

 

「あ」

「ん?貴女は確か…、黒谷ヤマメだったかな?」

 

それなら別の場所を、と思っていたら、見覚えのある妖怪と目が合った。あの地上と地底を繋ぐ穴にいた土蜘蛛さん。こいし曰く、黒谷ヤマメという妖怪だそうで、『病気を操る程度の能力』を持つそうだ。力持ちで旧都の建築を担うこともあるとか。肩に担いでいる大きな木材は、きっと何処かの建材なのだろう。

 

「それでは、頑張ってください」

「ちょっと待ちな」

 

わたしとしては特に用はないし、あの時わたしが燃やしたことで何か言われるのではと思ってすぐさまここを去ろうと思ったのに、彼女から伸びた蜘蛛の糸がわたしの頬に引っ付いて離れない。

 

「…何ですか?」

「ちょっと顔貸しなよ。本当、ちょっとでいいからね?」

「…あー、ちょっとですね。分かりましたよ」

 

そう返事をすると、グイと蜘蛛の糸を引っ張られる。歩き辛いなぁ、と思いながら付いていくと、ヤマメさんが唐突に口を開いた。

 

「あんたが私を焼いたこと。許すつもりはないけれど、いつまでもへばり付くつもりはないから」

「…すみません。そう言ってくれると助かります」

「いつまでここにいるつもりかは知らないけれど、それまでは少しくらい仲良くしようね」

「そう、ですか。仲良く…」

 

急にそう言われても、どうすればいいのか困ってしまう。とりあえず笑っておいたけれど、間違っていないだろうか…。

それ以降はだんまりと蜘蛛の糸で頬を引っ張られること数分。何処かと思えば、建築中の家がある場所に連れてこられた。到着するとすぐに蜘蛛の糸を思い切り引っ張られ、べリリと剥がされる。…ちょっと痛かった。

 

「それで、わたしに何の用ですか?」

「用があるのは私じゃないよ。今日はここの手伝いするはずだから、ここにいるはずなんだけど」

「…?誰ですか、それ?」

「勇儀さんだよ。この前あんたを探してる、って言ってたの思い出したからね」

 

あれま、わたしが勇儀さんを探していたと思ったら、勇儀さんもわたしを探していたとは。

そう思って軽く目を見開いていると、急に背中をバシンと叩かれた。滅茶苦茶痛い。思わず振り返ると、そこには十数本の木材を片腕で担いでいた勇儀さんがいた。

 

「よう、幻香さんよ。最近、ようやく旧都に出るようになったらしいじゃないか」

「久し振りですね、勇儀さん。生きる気になったので、わたしは貴女に話したいことがあるんです」

「そうかい。それじゃあさっさとこの家を建てないとな。よし、ヤマメ。続きやるぞ」

「そうですか。それじゃ、わたしは少し待ってますね」

「よく分からないけど、早く終わらせた方がよさそうだね。私も頑張りますかな」

 

 



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第304話

何か手伝ったほうがいいだろうか、と考えたけれど、勝手に手を出しても邪魔にしかならなさそうだと思い、近くに椅子を一つ創って待つことにした。椅子というよりも、ただの切り株モドキなのだけども。

 

「勇儀さん、あれに何の用があるんですか?」

「ちょっと地上に上がった萃香の事を聞こうと思ってな。楽しんではいるらしいけど、やっぱ気になるんだよ」

「萃香さんねぇ…。元気にしてるのかな」

「してるだろ。少なくとも、簡単に死ぬような奴じゃないさ」

 

勇儀さんが楔を捻じ込んだり、ヤマメさんが蜘蛛の糸で建材を固定したりすることで、手早く家が造られていく。これだけ早く造れるからあんな風に簡単に壊してしまえるのか、あんな風に簡単に壊れてしまうからこれだけ早く造ることが出来るのか…。うん、どちらでも構わないな。

ボーッと何もせず待つのも癪なので、特に理由もなく弾幕を発射しないただその場に浮かぶだけの『幻』を展開する。案の定六十個を超えたあたりで違和感を覚えるけれど、気にせず増やしていく。そして、勝手に消え始める目安である三倍、百八十個を維持してみる。少し待っても消える気配はない。

 

「…何やってんの?」

「『幻』負荷耐久訓練」

「何それ?よく分かんない」

 

ヤマメさんに問われたので正直に答えたけれど、怪訝そうな顔を浮かべただけであった。まぁ、急に『幻』と言われても分からないよね…。負荷耐久と言うだけあって、これだけ多いとあまりいい気分ではない。何と言うか、頭の中がザワザワする。けれど、これに慣れておいた方がいい時が来るかもしれない。負荷には慣れておくべきだから。

手袋自体が冷えてきたころになって、真新しい家が完成した。どんな妖怪が住むのだろうかとちょっと考えたけれど、大柄な妖怪が住むには少し狭いと感じる一軒家だと思った。

 

「よし、完成だな」

「それじゃ、私は彼女に完成したことを伝えてきますね」

「おう、ありがとな」

 

どうやら女性らしい。椅子を回収して立ち上がると、ヤマメさんにそれじゃあね、とすれ違い際に言われた。咄嗟にそれでは、と呟いたけれども、伝わったかどうか微妙なところかな…。

とりあえず『幻』を回収すると、違和感が払拭される。んー、わたしもまだまだだなぁ。これがいつか普通になればいいのに。

 

「さて、ここじゃ寒いだろ?付いて来いよ」

「そうですね」

 

そう勇儀さんに言われ、大人しく付いて行く。そして、あの鬼達がたむろしていた屋敷に辿り着いた。扉を潜り、奥へとお邪魔させてもらう。

 

「よし、ここならいいだろ。酒呑むか?」

「いえ、遠慮します」

「だろうな。ま、勝手に呑ませてもらうけど」

 

酒で満たされた一升瓶の蓋を開け、赤い盃にドポドポと注いでいく。

 

「ちょいと気になったんだが、あんたはどうして呑まないんだい?」

「あー…、大した理由じゃないんですよ。前に鬼殺しを一気呑みしてぶっ倒れたんで、それ以来二度と呑まないと心に刻み込んでたようでして」

「鬼殺しなぁ…。私でも度が過ぎれば潰れるんだよな、あれは。流石鬼殺し。その名に恥じない名酒だ」

「わたしにとっては名酒も雑酒も関係ないですけどね」

 

どちらにせよ呑まないのだし。他の人がどれだけ美味しそうに呑んでいても、わたしは呑みたくない。ちょっとした精神的外傷(トラウマ)と言えるものだ。

 

「それじゃ、早速だが――」

「その前に悪いんですが、わたしの用事を済ませてからでいいですか?」

「あん?別に構わないが、長くなるか、それ?」

「貴女の返答次第。弾幕遊戯、って知ってますか?」

「知ってる。さとりがペットを通じて新しい娯楽として広めようとしてる奴だろ?あれ、あんたが考えた奴だろ」

「…いいえ、考えたのはさとりさんですよ」

「嘘だな。あいつは現状維持が出来ても、革新的変更が出来ないような奴だよ。こんな爆弾を投下出来るような奴じゃない」

 

…そうだったんだ。結構融通の利く人だと思うんだけど。もしかしたら、かなり無理をさせてしまっているのかもしれない。…いや、もうさせてるか。主に空間把握と創造で。

 

「そう言われても、実際規則を考えたのはさとりさんで、広げているのもさとりさんなんだ。わたしは最初にちょっと手を貸しただけで、これからもちょっと手を貸すんです」

「はぁーん、ちょっと、ね」

「えぇ、ちょっと、です。それで、後日わたしとこいしがその弾幕遊戯を旧都でお披露目することになってるんですよね」

「へぇ、あんたがねぇ。それで、私に何が言いたい?」

「その時、貴女にはその場にいてほしい。見ているだけでいいんですよ。今後も触れてくれるなら、さらにいい」

「…それ、さとりからか?」

「いいえ、わたしからです」

 

さとりさんは、最悪こちら側に引き入れる必要がる、と言っただけで強制するつもりはなさそうであった。だから、これはわたしが個人的に伝えたかったこと。

黙って盃を空にした勇儀さんは、ふぅ…、と細い息を吐いた。

 

「…ま、暇だったらな。その先は知らん」

「ありがとうございます。わたしの用事はこれだけですから、あとは萃香の話でも――」

「その前に私からも一つあるんだよ」

 

そう言われたけれど、わたしは首を捻ってしまう。わたし、何かしたっけ?

 

「この前の賭博場、盛大にやってくれたな」

「あー、それですか。どうです?地上の妖怪、鏡宮幻香は旧都に知れ渡りましたか?」

「あぁ、知れ渡ったよ。話を聞くとかなり痛快だったみたいじゃないか。ま、私は穴を塞いだだけなんだが」

「ならよかった。で、わたしに言いたいことは?」

「やり過ぎだ」

「さとりさんにも言われました」

「そうか。なら話は早い。踏み出すなとは言わないが、踏み外すなよ」

「よく分かりました」

 

一枚の丸い銅板を取り出して見下ろしつつ答える。まあ、わたしにとってはただの金属板の増減でも、彼らにとっては大いに価値のあるものの増減なのだ。万で数ヶ月暮らせるらしいし。ほとんど返したとはいえ、その場で損失した彼にとっては辛かっただろう。イカサマしてまで取り返そうとしたんだし。

まぁ、あの時はイカサマされたからイカサマし返したんだけど。どうしても勝ちたかったし。空気を複製して転がる賽子を止め、ピンゾロにした。あんな磁石仕込みとは違って、証拠なんて残らない。

 

「さて、今度こそ萃香の話でもしましょうか」

「ああ、そうだな。聞かせてくれよ、地上の話」

 

それからは、私が覚えている限りの話をした。妖霧の異変、三日置きの宴会、その目的と結末。新しい友人達。わたしとのささやかでつまらない決闘、鮮やかで新しい決闘。食材を食い荒らし、酒を呑み散らかしたこと。髪の毛の色抜きをしたこと。わたしの家に勝手にいたこと。妹紅の家を建てる手伝いをしたこと。わたしに起きた異変。わたしのためにやってくれたこと。そして、わたしが地上で最後に起こした茶番劇。たくさん話した。時系列は滅茶苦茶で、順番なんかどうでもよかった。それでも、話せるだけ話した。勇儀さんは、ただただ酒を呑みながら聞いていた。

思い付くだけ話し尽くし、一息吐いたところで、勇儀さんはコトリと盃を置いた。

 

「…ふぅ。萃香は、楽しそうだな。私としては、その妹紅って人間に興味があるな」

「強いですよ、彼女」

「あんたから見て、私とどっちが強い?」

「貴女でしょうね。けど、勝敗はどうなるかな…。試合なら勝てても、死合なら勝てないかと」

「へぇ…。会ってみたかったな、そいつ」

「…そうですね。わたしも、ぜひ会わせてみたいですよ」

 

それからも思い付いた話をひたすら駄弁り続けていた。ヤマメさんが言っていたように、少しは仲良く出来ているだろうか?そんなことを頭の片隅に思いながら、ほんの少しだけ地上のことを思った。

 



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第305話

勇儀さんと眠くなるまで長々と話をし、その部屋で一睡させてもらってから旧都へと戻った。外に出てみると、なんと雪が降っていた。吐く息の白さが雪に紛れて消え、防寒着を寒気が外から貫くほどに寒い。

勇儀さんに会った以上、特に旧都に目的があるわけではない。けれど、せっかく出てきたのだからもう少し旧都を散策してもいいかな、という誘惑が頭を過ぎる。そして、わたしはその誘惑に乗ることにした。地霊殿にずっと籠るつもりはないのだし、色々と知っておいてもいいだろう。

 

「…よし」

 

手頃な大きさの棒を一本創造し、ちょっとした山になっている雪に突き刺す。そして棒に含んでいた過剰妖力を炸裂させる。ボフ、とショボくくぐもった音を響かせ、山が内側から形を僅かに変える。そして、崩れた箇所が多い方向を何となくで見極め、そちらの方角へと真っ直ぐ進むことにした。その方角は地霊殿からは離れる方向だ。

フワリと浮かび上がり、旧都の家々を飛び越えていく。上から旧都の街並みを見下ろすと、こんな雪の中だっていうのに傘も差さずに歩く妖怪が意外と多い印象だ。…まぁ、わたしもその中の一人に数えられるんだけど。

宙を漂いながら、頭の中で新しいスペルカード、もとい切札を思い浮かべる。そもそも、スペルカードは飽くまで本人の得意分野を魅せるためのもの。わたしの場合、創造能力と規格外だと言われる妖力量。しかし、その創造能力が弾幕遊戯ではほぼ規制されてしまうのだから困ったものである。何かいいものないかなぁ…。

 

「あ」

 

いいのあった。また模倣になるけれど、別に構わないだろう。彼女はそんなことでわたしに文句を言うような性格はしていないのだから。

そのスペルカードは禁忌「フォーオブアカインド」。フランがよく使っていたスペルカードだ。今までわたしが使っていた鏡符「多重存在」にかなり近いと言えるけれど、決定的に違う箇所が二つある。

一つ目は、意思の有無。これは最悪どこかの誰かの精神を複製(にんぎょう)に捻じ込んでしまう、という荒業が出来なくもないけれど、そんなことをして協力してくれるかと問われれば未知数だ。そんな不安定性は求めていない。だから、こればっかりはいつも通りわたし自身が操ればいいだろう。

二つ目は、弾幕の有無。実はわたしは複製に弾幕を放たせたことがない。わたしが目の前に映った弾幕を複製して、まるであたかも複製が放ったかのように見せたことはあるけれど、複製自体に弾幕を放たせたことはない。けれど、過剰妖力を炸裂弾にして爆ぜることが出来るのならば、これもどうにか出来そうだ。

 

「さて、やってみるかな」

 

場所が場所だけど、別に構わないだろう。胸に手を当て目を瞑り、わたし自身の形を調べて複製する。目の前に浮かぶ薄紫色のわたし。過剰妖力は相当量含むことが出来る感じはしたけれど、今はそこまで含めなくてもいいだろう。

動作確認。右手を上げさせ、左手を上げさせ、両手を下ろす。右に一回転させてから回し蹴り。…うん、大丈夫。勘は鈍ってない。人差し指をピンと伸ばさせ、わたしに向けさせる。過剰妖力をほんの少し指先に寄せ、外側へ出す。カッと一瞬光を放ち、わたしに真っ直ぐと妖力弾が発射され、防寒着を貫いて被弾する。防寒着に小さな穴が開いたけれど、肌に触れた瞬間に回収したから怪我はない。…うん、威力高過ぎ。んー、『幻』と勝手が違うなぁ…。

 

「…冷たっ」

 

さてどうしたものか…、と頭を悩ませていると、顔にペシャリと冷たいものをぶつけられた。見るまでもない。雪玉だ。一体誰が、と思って見下ろしてみるけれど、どこの誰とも知らない髪の毛がやたらと長い妖怪だとしか分からなかった。

フワリと複製と一緒に降り立つと、すぐさま駆け出して逃げていく。それを確認した瞬間、私は右手に積雪の一部を複製し、握り拳程度の雪玉を手に持つ。

 

「そらっ」

 

脚を踏み出し、身体の捻りを利用して投げ飛ばした雪玉は、長髪の妖怪の後頭部にベシャッと叩き付けられた。わたしの雪玉がぶつかって前のめりに倒れたように見えるけれど、まぁ気にしないでおこう。

禁忌「フォーオブアカインド」の模倣の練習を中断されてしまい、ここで続けるのはやっぱりよくなかったか、と少し反省しながら複製を回収する。そんなことをしていると、再び雪玉を投げ付けられた。今度は一つではなく、次々とそこら中から投げ付けられている。けれど、わたしに投げ付けられているというよりは、もっと別の場所を狙って投げているような…。

周りを見渡すと、十数人の妖怪達が雪玉を投げ合っている。次に地霊殿の大きさを見て、その距離を推測する。…ここ、旧都の外側のほうだ。つまり無法地帯。初めてここに来たときに泥だの鎌だの色々投げ付けられたことを思い出し、今日は雪玉かと納得する。

 

「…逃げよ」

 

雪玉を出来るだけ躱しつつ、家と家の間の小道に入って一息吐く。…流石にわざわざここに投げてくることはないでしょう。現に雪合戦をしている妖怪達は目の前にいる妖怪に雪玉を投げ付けることに意識を向けており、もう既にわたしに興味を示している様子はない。

肩や腕に当たった雪を払いつつ、小道を抜ける。最初にあの長髪の妖怪が顔に雪玉を当てたせいで滅茶苦茶顔が寒い。少しでも水気を拭おうとするけれど、大して変わった気がしない。むしろ広げてしまって悪化したかもしれないなぁ…。

 

「…あら」

 

暖を取るために緋々色金の魔法陣を複製したところで、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。

 

「久し振りね、地上の妖怪さん?今日は真っ白に雪化粧かしら」

「化粧はあまり興味ないですよ、パルスィさん」

 

目を向けると、傘を差したパルスィさんの僅かに妬みの籠った目と合った。…いや、そんな目で見られる覚えはないんですけど。…まぁ、そう言う妖怪だ、という話はこいしから聞いた。なら、いちいち口にすることじゃないよね。

 

「何か用ですか?」

「別に」

「そうですか」

「そんな風に余裕のあるところが、やっぱり妬ましい」

 

そっか。羨望を踏み外せば嫉妬なら、嫉妬を踏み正せば羨望となるかもしれない。まぁ、わたしの勝手な意見だし、口にするつもりもない。

近くの家の建材である木材の一部を複製し、緋々色金の魔法陣を発動させて着火。簡易の松明が完成させつつ、代わりに次の問いを口にした。

 

「それじゃ、何しに来たんですか?」

「…貴女に言う必要はあるかしら?」

「ないですね。ただの興味本位ですし」

 

正直にそう言うと、何故か舌打ちをされてしまった。解せぬ。そのまま黙って答えてくれるのを少し待っていると、小さい声でその答えを呟いた。

 

「…何か食べに来たのよ。悪い?」

「…いえ、何も」

 

お腹が空いたら、何かを食べる。そう昔の話じゃないはずなのに、どうもその頃のわたしを思い出し難い。腹の虫が鳴り、空腹感を最後に感じたのはいつだっただろう?…すぐに思い出せない。気付いたらなくなっていた。それが当然になっていた。意識なんてしていなかった。だから、分からない。

…何か食べに行くつもりならば、これ以上引き留めるのも悪いだろう。

 

「それでは、わたしはこれで」

「そう」

 

そう素っ気なく告げると、わたしに背を向けて歩き出していった。雪が降っているから、この松明もすぐに消えてしまうかもしれない。さっさと顔に火を当てて乾かそう。

チリチリとした熱を頬に感じていると、突然パルスィさんの足が止まり、首だけをわたしに向けてきた。

 

「言いたいこと、思い出したわ。…ようこそ、旧都へ。歓迎するわ」

「…ありがとうございます」

 



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第306話

パルスィさんに改めて歓迎され、心中ひそかに喜びを味わいながら地霊殿へとコッソリ帰還する。それなりに長い間旧都にぶらついていたことになるし、道中に面倒なことを吹っ掛けられたくないので周囲の妖怪達の視線に極力入らないよう行動したから余計に遅くなってしまったけれど、まあこのくらいなら構わないだろう。数ヶ月に比べれば軽い軽い。…自分で言っちゃいけない言葉な気がするけれど、まぁいっか。

 

「…ただいま、と。…ふぅ」

 

急いで自分の部屋に戻り、誰もいないのにそんなことを言ってから一息吐く。与えられた部屋とはいえ、やっぱりここは落ち着く。そして、頭の中でこれからしたいことを軽く思い出す。細々としたことはたくさんあるけれど、特に需要なものだけを並べていくことにする。

まず、霊夢さんの夢想天生対策。これが出来れば地上へ舞い戻ってもいいくらいだ。…ま、そんな簡単に出来たら苦労しないよ。『碑』の件で行き詰ったときに、とにかく自分が覚えていること全部を洗い出す過程で、霊夢さんの記憶を粗方思い返した。そのとき改めて把握したことだけど、彼女自身どうしてそんなことが出来ているのか分かっていないようだった。これが天賦の才ってやつか…。羨ましい限りだ。

次に、新しいスペルカード、もとい切札。具体的には、禁忌「フォーオブアカインド」を参考に、鏡符「二重存在」、もしくは鏡符「多重存在」を改変し、複製(にんぎょう)に弾幕を撃たせる。『幻』とは勝手が違うようで、どうにも妖力弾の調節が難しい。距離が離れているからか、それとも完全に切り離しているからか…。原因究明を放っておきたくはないけれど、今はそれよりも出来るようになること。このままでは、後日行われるこいしとの弾幕遊戯で使える切札が少な過ぎる。鏡符「幽体離脱」をそう何度も使うのはあまり美しいとは言えない気がするし。

他には、旧都との関わり方の模索。地上と地底の不可侵条約があるのにも関わらず、わたしは地上の妖怪としてここにいる。これはとても危うい関係であることは、わたしでも分かる。けれど、わたしは地底の妖怪になることは出来ない。彼らにはあってわたしにはないもの。地上への妬み、恨み、憎しみなどの黒い感情。完全に零とは言わないけれど、わたしは彼らと比べれば明らかに薄い。一部を除いた彼らにとって、わたしは不法侵入者で敵なのだ。後ろにさとりさんがいたとしても、それは変わらないだろう。

後は、妖力量が自発的に増やせないかなぁ、なんて思ったり。妖怪としての種族と年齢、歩んできた道などが密接に関わっているとか。例えば、妖精と吸血鬼を比べれば吸血鬼のほうが強い。産まれたばかりの妖怪と数百年と生きた妖怪では長生きしていたほうが強いことが多い。人喰い妖怪は喰らった数が多いとそれだけ強くなる傾向にあるとか。わたしの場合、ドッペルゲンガーという種族は弱いと推測している。多分鏡宮幻香は産まれたばかりでも、ドッペルゲンガーは相当長く生きているんだろう。喰らった数はわたしの想像つかない数に上るだろうし、フランの願いを喰らったときはかなり増えた。永琳さんの願いと比べてみれば、願いの質みたいなものがあるのだろう。…まぁ、願いを喰わずに増やせるなんて虫のいい話はないか、って考えている。

それから、強烈な自己暗示。一度人差し指を回転させてみたけれど、あれをもっと発展させたい。どうするかまではまだ決めかねているし、さとりさんには止められているけれど、せっかくこの体の使い方を掴めた気がするんだ。このまま使わないでいるのは嫌だよ。

それと、単純な自己強化も忘れてはならない。つまり、妖力弾の威力や運動の最適化、肉弾戦の威力や精密さ、走行速度や飛行速度などなど。基礎は基盤で足場。これが弱いと駄目なんだ。彼女達には遠く及ばないけれど、それでもいつかは。…なんてね。

あと、『幻』や『紅』も。『幻』の負荷耐久もそうだけど、普通に扱える数を増やすことも検討しないと。『紅』を戦闘時でも問題なく扱えるようになることと、日光、流水、銀などに対する嫌悪感などもそろそろ確かめておいた方がいいかな。嫌悪感で止まるのか、火傷などの傷として現れるのか。

それから、原子や分子、形状などの記憶。『碑』を利用して記憶に刻み込む。普段よく使っている原子からやっているけれど、まだまだたくさん残っている。これの優先度は割と低いから、余裕があるときに少しずつやるとしよう。

それと、フェムトファイバーの創造と金剛石の複製。これらはわたしの命綱。あるとないとでは、出来ることに差が出る。わたしがやることはとにかく妖力の消費が重いから、嵩張ることを除けば多くて困ることはないだろうし。

他には、情報の会得。さとりさんの書斎に籠ってかなり読んだけれど、まだまだ残っている。欲を言えば全部読破したいところだけど、時間が掛かりそうなのでこれもゆっくりとやることにしよう。

最後に、精霊魔法。…正直、これはわたしが鏡宮幻香である間は不可能だと思っている。才能云々もそうかもしれないけれど、わたしは若いから。精霊は、何処にでもいる目に見えない存在、らしい。それはもう物凄く古い時代からいるらしく、滅茶苦茶長生き。…大雑把に括ってしまえば、精霊はわたしと同じ精神体と言える存在だろう。そんなポッと出の子供がお偉い高齢の存在に力貸して、とお願いしたところで訊いてくれると思えない。その手の才能があればそういう壁を乗り越えることが出来るんだろうけれど、わたしにはなさそうである。魔術をするなら精霊魔法じゃなくて、魔法陣を複製する方が手っ取り早いことはもう実践済みだし。…ごめんね、パチュリー。

 

「大体こんなところかな」

 

もう少し時間を掛ければ、もっと出て来るだろうけれど、今はこれだけあれば十分かな。

そうと決まれば、まずはすぐに終わるものから。頭の中で銀原子を思い描いて銀塊を創造し、机の上に転がしておく。液体を入れる容器と水も創造し、横に置く。そして『紅』発動。

 

「…ッ!」

 

瞬間、ゾワリと目の前にある銀に対する嫌悪感を覚える。…けれど、備えていたことと慣れていたこともあって、まだ維持し続けていられる。

恐る恐る銀塊に手を伸ばしていくが、近付いていくと徐々に嫌悪感も強まっていく。息が浅く荒れる。心拍が瞬く間に加速する。嫌な汗がドッと噴き出る。本能が警鐘をガンガン鳴らす。それでも、わたしは手を伸ばす。

 

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…」

 

そして、触れた。指先から脳天まで突き抜けるような嫌悪感。それでも『紅』を維持し続けられたのは、運がよかったとしか思えない。嫌悪感に耐え、銀塊を取りこぼさないように握り締める。そして十数秒、限界が来て『紅』が霧散してしまった。

 

「…け、結果、は」

 

銀塊を回収し、焦点の合っていないぼやけた視界で手の平を眺める。震えるもう片方の手で強くこすってみるけれど、汗で滑ること以外は特に異常はなかった。火傷のような痕もなく、皮が剥けることもなく、あるのは圧倒的嫌悪感の残滓のみ。

次に流水を試す予定だったが、ちょっと今は『紅』発動自体が無理そうだ。そんな余裕ない。少し休もう。

 

「はぁ…、はぁ…、はぁ…。ふぅーっ…」

 

ベッドの上に転がり、天井を見上げる。嫌悪感を吐き出すかのように、深い息を吐き出す。今更気付いた吐き気を飲み込み、軽く咳き込んだ。袖を捲り、腕を撫でると鳥肌が立っていた。これは寒さによって出来たものではないだろう。

落ち着かせるために、少し別のことを考えることにする。…魔法陣にしよう。わたしの手元には炎を噴き出す緋々色金の魔法陣が一つあるだけ。他の魔法陣はどうやって知ろうか。パチュリーが描いていた大量の魔法陣があるのだけど、覚えられないだろうと思って碌に見ようと思わなかった自分が少しばかり憎い。何となくなら思い出せるけれど、細部がぼやけている感じ。さとりさんの書斎に魔術関連の書籍があればいいのに。

 

「…よし、続き続き」

 

少し落ち着いた。深呼吸をしてからゆっくりと『紅』を発動させ、すぐに容器に溜められた水を捲っておいた腕に垂らす。水に触れヒヤリとした冷たさを感じ、流れていく水にゾゾゾと悪寒が走る。けれど、流れがまだ優しかったからか、量が少なかったからか、先程よりも嫌悪感は弱い。滴る水を出来る限り回収してから腕に触れてみるが、これも異常なし。

日光を確かめることが出来ないけれど、『紅』の欠点は嫌悪感止まりなのだろう。これは、嬉しい誤算だ。吸血鬼に近付くが、吸血鬼に成るわけではない、ということだろうか。

 

「…疲れた」

 

検証を終えて脱力すると、疲労が泥のようにわたしに纏わりつき、そのまま瞼を閉じると一気に眠気が雪崩れ込んでくる。地霊殿に戻るために多少神経を使い、嫌悪感に耐えて『紅』を維持するのは相当精神にきたようで、ちょっとやそっとじゃ抗えそうもない。

…それでは、おやすみなさい。起きたらさっき考えたどれかをやりますか…。

 



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第307話

『幻』を百八十個展開しつつ、左脚を前に出して腰を捻り右腕を思い切り引き絞る。限界一杯まで捻り切った体を戻す反動と共に一歩強く踏み込みながら貫手を突き出す。体を大きく旋回させて右腕で薙ぎ払い、右脚、左脚と続けて空を蹴る。一度静止してから軽く跳ね上がり、素早く前方に一回転して踵落としを叩き込む。振り下ろした右脚を伸ばしたまま前に倒れ込み、両手を地に着けてもう一度跳ね上がり、再び踵落としを叩き込む。

 

「…ふぅ」

 

一息吐き、『幻』を一度回収すると違和感がなくなり、一気に楽になる。『幻』百八十個展開しつつ戦闘するのは、まだ厳しいかなぁ…。今のところの目標は『幻』を限界まで展開したまま『紅』を維持して戦闘出来るようになることだけど、その前で立ち止まることになりそう。

人差し指を真っ直ぐと伸ばし、威力を抑えたスペルカード戦用の妖力弾を連続して放つ。ある程度離れたところまで放たれた妖力弾を順番に制止させ、真っ直ぐと連なった列を作る。それを一斉に炸裂させる。

目の前に大きな円柱を創造し、それに向けて旋回し貫通に特化させた妖力弾を放つ。キィンと小さな穴を空けて貫いた妖力弾を操作し、右から、左から、前から、後ろから、と幾度となく貫いていき、最後に上から侵入させて円柱の中心に到達したところで炸裂させる。貫通するたびに妖力を削いでいたため大した威力にはならなかったけれど、そこは別に構わない。内側から爆ぜた円柱だった欠片を出来るだけ回収する。

右腕が薄紫色に淡く発光をする程度に妖力を溜め、その妖力を放出せずに丸く留めたままその場にポンと置く。フワフワと浮かぶ妖力。そのまま維持させつつ、わたしはその場を離れていく。ある程度離れたところで再び右腕に妖力を充填し、留めておいた妖力と共に解放する。端的に言えば、小規模なマスタースパークが二本同時に放たれた。よし、模倣「ダブルスパーク」っと。

 

「っと。何してるんだい?」

「おや、お燐さん。窓からとは大胆ですね」

 

さて次の練習を、と思ったところでボスリと雪に両脚を突っ込んだお燐さんに声を掛けられた。少し上を見上げれば窓が開いているので、そこから跳び下りてきたと思う。ちゃんとした出入口から回ってこないで来るとは。そんなに気になることかな?

 

「弾幕遊戯の練習ですよ。いつさとりさんに呼ばれるか分かりませんからね」

「あー…。あの時は悪かったね」

「気にしないでいいですよ。ただ、こんなに大事になるのは流石に予想外でしたがね」

「あたいも驚いてる。まさかさとり様があんな決断をするなんてねぇ…。広めるあたい達も大変だよ」

「何時なんです?」

「予定通りなら明後日だね。多少なら雪雨天決行だとさ」

「明後日ですか…。うん、了解しました。それまでにどうにか形にしましょうか」

 

期日を把握し、少し気を引き締める。そして、目の前にお燐さんの複製(にんぎょう)を二体創り出し、別々の動きをさせる。意識が少し押し退けられる感覚があるけれど、まぁ気にするほどではない。

 

「うわっ、あたいが増えた…」

 

お燐さんに若干引かれているようだけれど、それも気にしない。

二体の複製に含まれる過剰妖力を少しばかり外へ解放し、周囲へ弾幕を放つ。一発の威力の調整が難しいなら、一度に使う妖力量をそのままにして分散させればいい。…まぁ、まだちょっと強いからもう少し妖力弾の数を増やすとしよう。欲を言えば、複製の中心から放出させるのではなく手を伸ばすなどして放たせたいところだ。意識すれば出来るけれど、咄嗟に出来るかと言われれば怪しい。

利用方法は単純に弾幕を各方面から放たせることだけではない。相手の弾幕からわたしを守る壁としても使える。体当たり判定とならないように注意して自爆特攻をさせるのもいい。

よし、とりあえず鏡符「二重存在」と鏡符「多重存在」の改変も一歩前進かな。

 

「…それが切札かい?」

「はい。貴女も考えてみたらどうですか?」

「もう考えてるよ。こいし様の次はあたい達もやるんだからね」

 

あら、そうだったの?…まぁ、わたしとこいしがやってそれで終了、とはいかないか。たった一戦で旧都の妖怪達がやり始めるとは限らないから、それ以降も何度か火付けが必要になるよね。

 

「どうですか?いい切札は思い付きましたか?」

「…難しいね。こいし様に叱られた理由が身に染みて分かるよ」

「わたしも難しいですよ。何せ、地上で使っていたのがいくつも使えなくなったし」

「参考にならないけど、どんなのか訊いてもいいかい?」

「いいですよ。前に貴女に膨大な妖力を放ったでしょう?あれ、本当はわたし自身が突撃するス…切札だったんですよね。あと、とりあえず大きなものを創造して相手にブン投げてました」

 

問われたことを正直に答えると、さらに引かれた。しかも今回は精神的だけではなく、一歩後退されるという距離的にも引かれてしまった。訊いておいてその反応は何ですか。解せぬ。

 

「他にもこの複製を突進させたりね」

「それもどうかと思うよ…」

 

二体の複製を浮かべ、お互いの肩をぶつけ合わせるのを見せながらそう言ったけれど、案の定あまりいい顔を浮かべなかった。二体の複製をこちらに寄せ、回収する。

 

「弾幕はどう?」

「…それも難しい。出来るだけ傷付けてはならない、って言われてもさ、そんなのやったことないって」

「あの時の火球そのままだと焦げちゃいますからね」

 

…まぁ、それはわたしの複製「緋炎」でも言えることなんだけど。火力調整しないとこいしが盛大に燃えてしまう。これだけ雪が積もっていれば大丈夫だと思いたいけれど、旧都の街並みが火事になる可能性だってある。気を付けなければ。

それにしても、弾幕も切札もまだ難しいか。これは一応ギリギリ経験者とも言えなくもないような気がするわたしが少し手伝ってあげたほうがいいだろうか?

 

「こいしとの約束が終わった後、実践練習の手伝いくらいなら出来ますよ」

「…他の子も一緒になら考えとく。あたい一人だけ、ってのはちょっとね」

「何人くらいですか?」

「んー…、二十人くらいかな?全員参加するならもっと増えるし、遠慮されればもう少し減る」

「…だ、大丈夫かな…?うん、大丈夫…」

 

仮に二十人連続で弾幕遊戯をするとなると、かなりの苦労を被ることになりそうだ。けれど、さとりさんがこうして頑張って広げようとしている新しい娯楽。こうして間接的に手伝えるなら、わたしのちょっとの苦労なんて押し退けるべきことだろう。

 

「…よし、やりましょう。こいしとの弾幕遊戯をやった翌日にでも貴女に声を掛けます。そしたらここらへんに参加するペット達を集めてくれますか?」

「え、ほ、本当にやる気かい!?」

「やります。あまりに多過ぎたらちょっと楽させてもらうかもしれませんけど」

 

具体的には切札数と被弾数を減らしたり、複数人同時に相手したりである。七人同時に相手に出来たんだし、きっと大丈夫。…大丈夫だよね?ちょっとだけ不安になってきたけれど、心に僅かに湧き出た不安を握り潰し、溜め息と共に排出する。

 

「さて、わたしは続きをしますか。見ていたいなら見てても構いませんよ」

「…なら、もう少し見学させてもらおうかね」

 

そう言うとお燐さんは地霊殿の壁に背を当てる。わたしは指先の一点に妖力を圧縮させ、上空に発射する。これに当たったら痛いじゃ済まなさそうな妖力量だけど、これを当てるつもりはない。遥か上空まで飛来した妖力弾は途中で動きを止め、激しい光と共に爆ぜた。そして、幾千の妖力弾となった弾幕がわたしの周囲に降り注ぐ。これを両手の十指で回し撃ちするのもいいかもしれないなぁ。けど、やり過ぎたら芸がないか。…やっぱり難しいな、魅せる弾幕って。

 



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第308話

わたしは旧都の上空に浮かび、大きく伸びをした。そして一気に脱力し、ダラリと両腕を下ろす。細く白い息を全て吐き切り、冷たい空気で身体を満たしていく。

旧都を見下ろさずともわたし達を見上げる妖怪達の視線を感じる。一目で腕っぷしが弱いと思える、三人称を彼女とすべき妖怪達。どれだけいるかは数えたくない。

 

「幻香、緊張とかしてない?」

「してませんよ。…ま、ただ見世物にするつもりはなかったのになぁ、と思ってただけです」

「そうだよねぇ。ま、わたしは問題ないよ!もう早く始めたい!」

 

目の前にいるこいしは溢れんばかりの笑顔でそう言った。さっきから指先をこすり合わせたり、靴底で爪先を蹴ったり、身体がフラフラ揺れたりしている。非常に落ち着きのない様子である。まぁ、あれだけ待たせてしまったのだ。しょうがないよね。

 

「わたしも特に問題はないです。切札は三、被弾数も三。こいしもそれで構わないですか?」

「わたしは五がいいと思ってたんだけど。…幻香、間に合わなかったんだね」

「…流石に時間足りないよ。それに、わたしからすれば制約が多過ぎる」

「それはしょうがない」

 

時間の許す限り弾幕遊戯の練習をやったけれど、魅せるにはまだちょっと足りないかな、と思う。あと、手持ちの切札全てを見せるのもどうかと思うから、今回は三で妥協してもらいましょう。

 

「ねー、まだー?」

「まだですよ」

 

開始の合図はわたし達ではなく、わたし達を見上げる妖怪達に説明や注意喚起などに奔走しているペット達の誰かに任せているそうな。ある程度妖怪達をまとめたらこっちに来て弾幕遊戯を開始させ、後はわたし達が勝手に遊び合うだけ。

少し待っている間に、両腕に妖力を光らない程度に注意しながら軽く寄せておく。外見で警戒されたら意味ないからね。それと、地霊殿を出る前にさとりさんに言われたことを思い返した。

 

 

 

 

 

 

『幻香さん、私から貴女に言いたいことがあります』

『はぁ、それは何でしょう?』

『魅せるということを自覚してほしい。具体的には、一分足らずで終わらせる、小一時間掛けても終わらない、などは避けてください』

『んー…、分かりました。別に構いませんよ』

 

そもそも一分足らずなんて短期決戦は流石にするつもりは毛頭ない。こいし相手にそんな楽しさの欠片も感じさせないのはどうかと思うから。一時間も掛けるなんて、逆にどうやればいいのかわたしのほうが問いたいくらいだ。

 

『もちろん、私はこの件でも貴女に負けろと言うつもりはありません。ですが、出来ることなら完勝も完敗も避けてほしいですね』

『接戦にしてほしい、と?』

『端的に言えば』

 

完勝と完敗を避け、接戦にしてほしいというのも分かる。一方的な勝負は見ていて面白いとは言い難いだろう。別件だけど、わたしがやり過ぎるのは避けたほうがいいと言われたわけですし、やり過ぎないようにはするつもり。…ま、わたしが負けているのは見ててスッとくると思うけども。

 

『…考えておきます』

『…そうですか。気を付けてくださいね』

 

 

 

 

 

 

…ま、さとりさんには既に読まれているけれども、わたしは多少手加減をするつもりだ。こいしが初心者だからというのもあるけれど、それ以上にわたしが彼女に勝利するという結果が地底の妖怪達にとって好ましくないことが分かり切っているからだ。出来ることならわざとでもいいから負けたいと思う自分がいる。

けどさ、わざと負けるって正直どうよ?気持ちよく勝たせてあげた、とでも言うつもりなのかわたしは。そんな勝利、無価値だよ。だから、わたしはそんな風に負けるつもりはない。

 

「…ま、それが難しいんだよね」

「ん?幻香、何か言った?」

「ただの独り言ですよ。気にすることないです」

「そっか。んー、まだかなー、まだかなー…」

 

つまり、接戦になるように手加減する、ってことだ。手を抜き過ぎても、手を入れ過ぎても接戦から外れかねない。だから難しい。それに、目に見えて手抜きされてるとバレればあとでどうなることやら…。

 

「お待たせしました!」

「お、来た来た!」

 

そんなことで頭を悩ませていると、さとりさんのペットの一人がわたしとこいしの間に浮かんできた。

 

「切札と被弾は三と聞きましたが、間違いありませんか?」

「ないですよ」

「ないから早く始めよっ!」

「それなら早速始めましょう!みなさーん!これから弾幕遊戯を始めまーす!」

 

そう大声を張り上げている間に、わたしは見に付けているものの過剰妖力を一応確認する。…うん、含めるものはちゃんと入り切ってる。フェムトファイバーは相変わらず入れれないけど。

 

「よーい、始めっ!」

 

その宣言と共に人差し指から三発連射して牽制しつつ、最速から最遅までを十段階に振り分けた直進弾用と追尾弾用の『幻』を各三個ずつ、計六十個展開する。こいしは牽制の妖力弾をわたしから見て右に避けたので、そちらへ追撃の妖力弾を右手の五指から発射したけれど、難なく避けられる。

 

「ひゃっほーぅ!」

 

はしゃぐこいしからハート形の弾幕がわたしに向けて放たれる。けれど、まだ隙間が多い。その場からほとんど動かずに避けられる。…のだけど、今回は見世物なのだ。わたしはこいしを中心に大きく回るように飛び回って回避する。

その道中で両腕に妖力を溜め、左腕に溜めた分を置いていく。そのまま大きく動いてこいしの放つ弾幕を躱していく。途中からわたしの移動先に弾幕を放ち始めたところで最初の切札を宣言する。

 

「範囲は絞らないから」

「よーし、来い!」

「模倣『ダブルスパーク』」

 

淡く発光する右腕をこいしに突き出し、妖力を解放する。そして、こいしの後ろに置いて来た妖力も同時に解放する。

 

「え?うひゃっ!」

 

解放の瞬間に後方の妖力が出した音にこいしは気付いたようで、慌てて右へ飛んでいく。右腕と置いてきた妖力を操作し、逃げていくこいしを追いかけていく。流石に三十秒も妖力を放ち続けるつもりはない。置いてきた妖力も十秒程度で切れるだろうし。

なので、置いてきた妖力が出し尽くしたところでわたしは右腕から放つ妖力を止める。ただし、最後の最後でその場に留まろうとする意思を切る。つまり、僅かな時間だがその妖力を推進力としてこいしから大きく距離を取った。

 

「一本増えた…。って!待てー!」

 

『幻』を後方へ配置しつつ、ボスリと旧都の一角に着地する。弾幕遊戯を見に来ている妖怪達がわたしに注目しているが、気にしている暇はない。積もっていた雪も解けたり踏み固められたり退けられたりしていて、駆け抜けるには特に支障はない。こいしがどのくらい早く移動出来るかは知らないけれど、頑張れば追い付きそうかなぁ、と思うくらいの速度で走り出す。

 

「ちょっとー!逃げないでよー!」

 

数秒遅れてこいしが後ろに来たことを感じたところで空間把握。範囲はわたしを中心に三歩程度。放たれる弾幕が範囲に侵入すれば大きさと軌道が大体分かる。ミスティアさんの鳥目のときよりも弾幕を把握出来る範囲が広いんだ。避けてみせましょう。

背後から迫る弾幕をジグザグに駆け抜けて回避し、ある程度駆け抜けたところで大きく跳躍する。空間把握を解除してから追いかけてくるこいしに体を向けて後ろ向きに宙を飛び回り、『幻』任せではなく自ら操作する妖力弾を数発放つ。

 

「おっ、とっ、とぉ!」

「んー、駄目か」

 

前後左右上下問わず縦横無尽に操っていくけれど、こいしは『幻』の弾幕の中で普通に躱していく。わたしに多少なりとも妖力弾を放つ余裕もあるようだし、もう少し上げれるかな?

操っていた妖力弾をこちらに戻して回収し、次はどうしようかと少し考えながら、場所が大きく外れてしまったので開始した場所へと戻っていく。こいしも追いかけながら弾幕を放ってくるけれど、今度は隙間をスルスルと抜けていく。大きく避けると元の場所に戻る時間が長引くから。

少し飛んで元の場所に戻ったところで止まると、こいしがわたしに向けて大きく宣言した。

 

「よーし!それじゃ、今度はわたしの切札行くよー!」

「いいですね、見せて――いや、魅せてくださいな」

「本能『イドの解放』!」

 



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第309話

「本能『イドの開放』!」

 

こいしからハート形の弾幕が溢れ出る。キッチリ全方位に撒いているため、これは出来るだけその場から移動せずに、隙間を縫っていくのがいいかな。右側に曲がる弾幕と左側に曲がる弾幕が交差する網目を基本とし、少し待ってから次の網目へ弾幕の隙間を抜ける。チラリと後方を確認すると、少し離れたところにこいしが放った弾幕が滞留している。

 

「…ん?」

 

あら、こいしが遠ざかってるような?少し離れ過ぎたかな?少し前へ進むように心がけることにしますか。そう思って網目から網目へ前に進んでいくけれど、一向にこいしとの距離が縮まらない。…もしかして、こいしが後退してるのかな?

けれど、その考えはもう一度後方を確認したところで覆すことになった。滞留している弾幕との距離が離れていない。周りの景色から考えて、滞留している弾幕はその場からほぼ動いていない。こいしが後退し、わたしが前進しているとするならば、滞留している弾幕との距離は離れるはずなのに。…ん?周りの景色が、変わっていない?

すぐに一発妖力弾を指先から出し、その場に止めとく。少し待っていると、その妖力弾が少しずつ遠ざかっていく。これで確信した。

 

「離れたのは、こいしじゃない。わたしだったんだ…」

 

前に進んでいるつもりで、その場からほとんど動いていなかった。その場に留まっているつもりで、少しずつ後退していた。まるで同じ極同士を近付けた磁石のよう。弾速や弾幕密度など、いくつか改善点はあると思うけれど、この切札はいつか凶悪なものになる予感がする。

 

「ぅおっ、とと」

 

気付いたら三十秒経過していたようで、こいしが弾幕を止める。それと同時に斥力がなくなったため、少し前のめりになってしまう。けれど、周りに滞留しているハート形の弾幕が消えない。…あの、切札終わったなら消さないといけないんですけど。

いや待て。口を出すのはまだ早い。そんな単純な規則、あれだけ楽しみにしていたこいしが覚えていないとは思えない。なら、これは意味があるのだろう。…まぁ、どれだけ経っても意味がなさそうならその時になってから言えばいいや。

 

「続けて行くよ!抑制『スーパーエゴ』!」

 

そんなことを考えていたら、こいしが切札を宣言した。しかし、こいしは自分自身を妖力で毬栗のように包むだけで、わたしに対して何もしてこない。

そのとき、ズズ…、とわたしの体がこいしへ向かっていくのを感じた。そして、こいしの奥に滞留していた弾幕がこいしの元へ戻っていく。…と、いうことは。

 

「やっぱり…」

 

後ろを振り向けば、弾幕がこちらへと向かってくる。当然、わたしは後ろに目が付いていない。こいしに背を向けてしまえば対処可能だろう。このほんの一、二秒とはいえ、こいしがわたしに対してやったことは引力のみ。この切札の弾幕の基本は滞留させた妖力弾からのようだ。けれど、そう易々と背を向けるのはどうだろう?…逃走するとき背を向けていたなんて事実に関しては目を瞑らせてもらう。

…そう、これは見世物なんだ。効率云々は少し仕舞っておいたほうがいいよね。両手で頬を軽く叩き、何故かしたり顔を浮かべているこいしと目を合わせる。空間把握。範囲はわたしを中心に三歩程度。さっきはこれで避けれたから、これくらいにしておこう。

後ろから迫る弾幕の軌道が頭に浮かび、そこからどう動くべきか推測しながら左右に動いていく。わたしの周りを弾幕が通り抜けていき、やがてこいしに集まっていく。そして、まるで集まっていく弾幕を喰らうかのように毬栗が大きく成長していく。

近付いたら毬栗、離れれば後方からの弾幕、そもそも引力があって体が半ば勝手にこいしに近付いていく。いやいや、この切札はもう今でも十分凶悪だよ。これも成長余地がまだまだ残されているから、わたしが停滞していたら追い付かれるな。

 

「対となる二枚一組の切札ですか」

「まぁねー!今回はそうしたの!片方だけ使うなら後処理ちゃんとするから!」

 

少し躱す余裕があったのでこいしに一言投げかけると、元気溌剌な返事が来た。そしてしたり顔がさらに深くなる。嬉しそうで何より。

けれど、その顔はすぐに膨れっ面になった。そして、若干不満気な声で続きを口にする。

 

「けどさ、ここまでお互い被弾なしだよね」

「ですねぇ。ま、よくあることですよ」

「こうなると最後の切札って使いづらいんだよねー」

「最後に自慢の大技で三回被弾させる自信があるか、最後に華々しく魅せて負けるか。…みたいな感じでしょうねぇ」

「んー、要改善?」

「かもね。後でさとりさんに考えてもらいましょう」

 

つまり丸投げ。そのままならそれで別に構わないし、変更するならそれに対応するだけの話。ここではまだ始まったばかりの娯楽だ。浸透し切っていない今なら、ある程度改変は容易い。やり過ぎると反感を買いやすいけど。

そんなことを話していたら、遂に滞留していた弾幕が底を突いた。経過時間は大体三十秒弱、残り数秒。そして、最後の最後に毬栗のような妖力を盛大に炸裂させた。…まぁ、ここまで離れているとちょっとばかり届かなかったけれど。

 

「よし、次はわたしですね。鏡符『多重存在』」

 

宣言と共にこいしの複製(にんぎょう)を創り出す。すると、下にいた妖怪達がザワリとどよめいた。…そういえば、いたんだったね。見世物だと自覚していても、見ている妖怪達がいたということが頭から抜けてたよ。

正直、あまり使いたくなかった。けれど、魅せるにはまだ足りないと思っていたとはいえ、他に使える切札がなかったんだ。模倣「マスタースパーク」は既に派生形を使ったし、複製「緋炎」は実用性のある範囲と火力調節の両立が厳しい――元が攻撃用魔法陣だからしょうがない――し、鏡符「幽体離脱」は最後に使うつもりだから。新しい切札、早く考えないとなぁ…。はぁ…。

 

「うわっ、わたしが四人!」

「目指すは百鬼夜行です」

「萃香じゃん」

「そうですよ」

 

若干頭が軋むけれど、どうせ三十秒だ。大した問題じゃない。こいしの複製(にんぎょう)でこいしを囲み、四方から弾幕を放たせる。米粒か、って言いたくなるくらい微細な弾幕だけど、今のわたしではこのくらい小さくないとほぼ確実に安全な威力とは言えないのが現状。もう少し大きくして威力過多じゃ目も当てられない。見づらくて避けにくいと思うけれど、許してほしい。

 

「うわぁ…、星粒みたいだね」

「星空見えないですけどね」

「年がら年中変わらない天井だもんね」

「地底だからね」

「しょうがないね」

 

こんな時だっていうのに、わたしとこいしはケラケラと笑い合う。

それにしても、こいしはフラフラと彷徨うように弾幕を捌いていくねぇ。んー、単純な弾幕だとこいしには当てれなさそうな感じがするなぁ…。何と言うか、目で見てから回避、の前に既に動いている感じがする。…あれか。確か、反射ってやつ。もしそうなら、反射でも間に合わない速度を出すか、完全な死角から不意討ち気味に攻撃するか、不可能弾幕を使うかなどなど…。そんな風なことをしないといけないのか…。

そんなつまらないことを頭の片隅で考えながら四体の複製を操作する。遠目から見ればあんまり違和感がないかもしれないけれど、近くで見ると動きがかなりぎこちないんだよなぁ…。こいしの周りをグルグルと回らせつつ弾幕を放つ。終盤には回転速度を上げ、残った過剰妖力をほぼ使い切るくらい弾幕密度を濃くしていく。

 

「わっ、ひゃっ、うひっ」

「…これを避けれるのかぁ」

 

多少は慌てているように見えるけれど、こいしは三十秒いっぱい躱し切った。すぐに複製をこちらへ戻し、回収する。弾速は遅めとはいえ、あの微細な弾幕を避け切るか。…わたしの周り、強い人ばっかりじゃないか。もっと頑張らないと。

こいしの放つハート形の妖力弾をフェムトファイバーを振るって引き裂きつつ、さてどうするべきかと考える。こいしの弾幕がもう少し多くないと、わたしの鏡符「幽体離脱」は使いづらい。

 

「どうしよ」

「どうしましょう」

 

このままでは膠着状態。さとりさんに長引かせるな、って言われているから、このままでは駄目だ。しょうがない、ちょっと少ないけれど使うか…。

わたしの周囲に漂う『幻』を前方へ突き出し、その全てを炸裂させる。これで増やす弾幕を稼ぎつつ、距離を取る。

 

「これが最後。鏡符『幽体離脱・操』」

「えっ!さ、『サブタレイニアンローズ』!」

 

わたしの最後の宣言に慌てて重ねてきたこいしへ、複製した弾幕を飛ばす。案の定躱されつつ、こいしから綺麗に円を描く弾幕が放たれる。…んー、もう少し待てばよかったかも?…ま、いっか。

円を描く弾幕が順番に薔薇の花が開いていくけれど、この距離ならまだ余裕がある。複製した弾幕を大きく二つに分け、片方でこいしを覆う。そして、もう片方で内側に閉じ込めたこいしへ攻撃させる。

…しかしまぁ、こいしの切札である「サブタレイニアンローズ」によって、こいしを閉じ込めている弾幕が打ち消されていく。これは駄目だ。やっぱり『幻』を炸裂させた程度の弾幕じゃあ、まだまだ少ないよね…。

次々と迫る薔薇の弾幕を躱しつつ、わたしは最後まで複製した弾幕を操り続けた。一本の糸のように連ねて次々と突撃させたり、右側から一枚の壁のように中心まで押し寄せてみたり、覆っている弾幕を動かしたりと、遊び半分試し半分で色々と操り、そして三十秒経過。僅かに先に宣言したわたしはこいしに負けたのだった。

 



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第310話

「お疲れさまー!」

「お疲れ様です」

 

わたしの手と向かい側に座るこいしが伸ばした手をパチンと合わせ、置かれた飲み物を口にする。こいしは仰々しい名前のお酒、わたしは普通の水だ。

 

「いやー、楽しかった楽しかった!」

「そう言ってくれるなら、わたしも嬉しい限りです」

「けど、惜しいなぁ。本当は幻香もっと強いでしょ?」

「…否定はしませんが、あれは娯楽で遊戯。力を抜いて気楽にやるくらいがちょうどいいんですよ」

 

と、それっぽいことを言って誤魔化しておく。どうしてこんな簡単にバレちゃうかなぁ…。

 

「けど、負けるつもりはありませんでしたよ」

「勝つつもりもなかったんだよね」

「どちらに転んでもいいと思っていたので」

 

時間を掛けない。接戦にする。このさとりさんに言われた二つは最低限熟したつもり。勝敗に関して指定はなかった。けれど、こいしが言った通りお互いに被弾なしで迎えた最終局面で先に宣言したのは、長引かせないようにするためと負けるためだ。どちらでもいいと言ったけれど、負けたほうがいいことは知っていたから。

そんなことを考えていると、何か温かいものが近付いて来た。…いや、温かいどころじゃなく熱い。それもそうだ。

 

「はい、地獄火炎鍋二つね!」

「ありがとおばさん!」

 

…あぁ、遂に来てしまった。地獄火炎鍋…。炎に手を当てて温まっていると、少しずつ炎の勢いが弱まっていき、ようやくその姿を露わにした。グツグツと煮えたぎる真っ赤な出汁には豆腐や白菜、葱などの鍋でありがちな具材と唐辛子数十本という鍋ではあまり見かけない具材が浮かんでいる。あぁ、辛みが目に染みる…。

 

「いっただっきまーす!」

「い、いただきます…」

 

とりあえず、比較的楽に食べれそうな豆腐を小皿に取り、軽く冷ましてから口に入れる。…辛い。凄く辛い。とにかく辛い。滅茶苦茶辛い。舌どころか口の中全体がビリビリと突き刺さるように痛い。え、何これ?本当に豆腐?

こいしはというと、何の躊躇いもなく具材をヒョイヒョイ口に入れていく。そんな調子で食べて本当に大丈夫なのだろうか…。

 

「それでさ、幻香。最後の切札のことなんだけど」

「…最後の?…それはさとりさんに任せればいいでしょ。彼女が考えたんですから」

 

そういうことになっているのだ。地上から持ってきたなんてわざわざ言う必要はない。

 

「むぅ。幻香だったらどうする、ってこと!」

「そのままでいいです。変えるなら勝手にどうぞ、って程度。そう言うこいしならどうします?」

「わたしなら?んー…。最後の切札の時間制限を取っ払うかな」

「それは駄目ですね。一時的に相手の弾幕を一切受け付けない、いわゆる耐久スぺ…切札がありますから。最後にそれを使うとよっぽどのことがなければ敗北が無くなる。お互いに使えばいつまでも終わらなくなる」

 

萃香の鬼気「濛々迷霧」、霊夢さんの「夢想天生」などがそれに当たるスペルカードだ。

 

「じゃあ、その耐久切札は時間制限付きで」

「…それを一つの意見としてさとりさんに伝えてみたらどうですか?きっと考慮してくれますよ」

「そうする!」

 

ま、決めるのはわたし達じゃない。さとりさんだ。考慮した結果、認めないことだってあり得るだろうけれど、言わないよりはいいだろう。

次に白菜を小皿に移し、口にする。…熱っ!辛っ!痛っ!…噛んだ瞬間飛び出した水分がまだ全然冷めてなかった。

 

「…わたしも訊きたいことがあるんですが、いいですか?」

「いいよー。ドンと来い!」

「切札の引力と斥力。あれ、どうやったんですか?」

「あー、あれ?んー、どう説明したらいいんだろ」

 

こいしはそう言って唐辛子を口に入れる。モグモグと十本くらい食べ切ったところで、説明を始めた。

 

「好きなものがあったらさ、フラッと近付きたくなるでしょ?嫌いなものがあったらさ、うわぁ…って遠ざかりたくなるでしょ?そんな無意識をちょっと操っただけ。幻香は近付けるほうが簡単だったかな」

「へぇ、そうだったんですか…。わたしに出来るようなことじゃなさそうですね」

 

再現可能なら使えそうだと思ったのに。仮にわたしがこいしに成り代われば出来るんだろうけれど、そういう話じゃないのだ。

葱を小皿に移し、十分に冷ましてから口にする。ドロリとしたものが葱から飛び出したけれど、そこまで熱くはない。その代わりに舌に絡み付いて滅茶苦茶辛い。水で流し込んだけれど、まだ舌がヒリヒリする。

 

「幻香はさ、ちゃんと広まると思う?」

「さとりさんが広めてるなら広まるでしょうよ。問題は広まった後。娯楽として機能するかどうか」

「楽しいよ?」

「楽しいことも大事だけど、第一印象も必要ですからね。上手くいったかなぁ…」

 

最初に受け入れられれば、後は楽だ。けれど、最初に拒まれたら厳しい。下手すれば潰される。そのことを、わたしはよく知っている。

 

「弾幕遊戯してた時は凄く見られてたし、終わった時も嫌な目で見られなかったから大丈夫じゃないかな」

「…ま、こいしがそう言うなら大丈夫かな」

 

こいしの前でそんな目をするかどうか、という疑問は口にしないでおく。後日からはさとりさんのペット達も努力するのだし、そちらに期待するとしよう。

唐辛子を箸で摘まみ、恐る恐る口に入れる。…あまり辛くない。けれど、噛んで少し経つと、口全体に辛みが行き渡る。慌てて水を飲んだけれど、痛みが引く気配はほとんどない。こ、これが残り何十本も…。食べ切れる気がしない…。

 

「あー、早く広まらないかなぁ…。そうすればたくさん遊べるのに」

「今すぐに、とはいかないでしょうね。事前に広めていたとはいえ、実演したのはさっきが初めてですから。季節が変わるくらいまでは待ってみたほうがいいと思いますね」

「えぇー、そんなの長いよ待ってられないよー!」

「それならこいし自身が遊んで広めればいいじゃないですか。広告塔になったんですし、ちょうどいい」

「そっか!幻香はどうするの?」

「息抜きにやる、くらいでいいです。やり過ぎるとさとりさんになんて言われるか分かりませんから」

「お姉ちゃんが?何で?」

「この前やり過ぎて怒られたので」

 

わたしがとある賭博場でやったことをかいつまんで語ると、こいしは噴き出した。そして机をバシバシ叩き出す始末。ちょっ、土鍋が揺れるから止めて…。

 

「そりゃそうなるでしょー!賭け金六千超えって!イカサマされたからイカサマし返すって!そんな話は何処かでちょっと耳にしてたけど、親だった妖怪は運がなかったねー」

「イカサマするならバレないようにしてほしかったなぁ…」

「グラ賽のほう?磁石入り賽子のほう?」

「両方。こいしは持ってるんですか?」

「部屋にならあるよ。形が歪んでるのとか、重心がズレてるのとか、目が四五六だけとか。他にもたくさんあるよ」

「四五六だけ…。何それすぐバレそう…」

「意外とバレないんだよねぇ。イカサマしてる、って思われていないなら確認されないから」

 

そんなことを話しながら、地獄火炎鍋を少しずつ食べていく。けれど、こいしが食べ切って出汁まで飲み干しても、わたしはまだ半分以上残っている。特に唐辛子。口の中は大量の針で刺し貫かれている気分。

…あぁ、これはあまりやりたくなかったんだけどなぁ。辛みによって刺激されているのは痛覚だ。せっかくの激辛料理だから、そんな風に食べるのは悪いと思っていたからやらないでいようと思ってた。けれど、わたしとしては残すほうが悪いと思っている。痛覚遮断。口の中の痛みも一気に収まる。これから口にするこの鍋から辛みはもう感じないだろう。

最初のこいしのように具材を口の中に入れて咀嚼し、飲み込んでいく。痛覚遮断を今止めたら、なんてことが頭を過ぎったけれど気にすることなくドンドン放り込む。最後に出汁を一気に飲み干した。…ふぅ、完食。

 

「どう?美味しかった?」

「えぇ、美味しかったですよ」

 

辛みさえなければ普通に美味しい鍋料理ですよ。ここのお店、地獄火炎鍋じゃない鍋料理なら美味しくいただけそう。

 

「そっか!それならまた食べに行こうね!」

「…それは遠慮させてください」

 

正直に辞退すると、こいしはむくれてしまった。

 



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第311話

ベッドで目を覚ましてすぐに窓から外を見て雨や雪が降っていないか確認する。それから防寒着を着込み、部屋を出て地霊殿を歩き回ってお燐さんを見つけ出し、弾幕遊戯の実践練習をすることを伝え、わたしはすぐさま庭に出た。

若干溶けて固まってきた雪。…邪魔だな、これ。除雪するか。一辺が腕を一杯に広げるより少し長いくらいの空箱を創造し、上面と隣接した面を部分回収。底面の露出した一辺を滑らかに尖らせ、準備完了。雪の下に入れて後ろから押していき、下から削り取って箱の中に収めていく感じで。

 

「ふぬ…っ!」

 

ガリガリジャリジャリと氷を削っていく音を響かせる。これ、最初は軽いけど押してくうちに雪が溜まってかなり重くなるな…。けど、わたしが押した場所はあまり雪が残っていない。

同じものを複数個創り、順番に押して雪を削り取っていく。少し腕が疲れてきたところで後ろを振り返ってみると、大分広い範囲の雪を押し出していたようだ。

その後も数回雪を押し退け、もう十分かなぁ、と思って除雪に使った箱を全て回収すると、箱に収まっていた雪の塊がザザーッと崩れてしまった。…ま、ちょっとくらい崩れてもこのくらいなら大丈夫でしょ。

 

「…まだかな」

 

ダラリと両腕をぶら下げ、上を向いて長く白い息を吐く。僅かにかいた汗が体を少し冷やし始めたところで、ようやくお燐さんを先頭にしたさとりさんのペット達がやって来た。その人数は十七人。二十人くらいと言っていたから妥当な数だろう。

 

「連れて来たよ」

「じゃ、早速始めますか。弾幕遊戯の規則は把握してますよね?」

 

後ろにいる十六人に問いかけると、全員から肯定の声が返ってきた。それならよかった。わたしが下手に説明すると、スペルカードルールと混同してしまうかもしれないから。

そう思っていたところで、一人の獅子妖怪が他のペット達を押し退けてわたしの前に出てきた。その表情は、嘲笑一歩手前。

 

「アタシは弱い奴に教えを乞うなんて嫌だね。…あんたさぁ、本当に強いのかい?」

 

それなら来なければいいのに、と言いかけた言葉を飲み込む。その代わりに別のことを口にした。

 

「それは何を比べてですか?それは何と比べてですか?」

「アタシと比べてに決まってるだろう?」

「大食いと早食いなら負けそうかな。その牙の鋭さも負けるし、身長もわたしのほうが少しばかり低いみたい。多分、体重も貴女のほうが重いと思うね。他には――」

 

パッと見で思い付くわたしが彼女に負けている要素を並べていると、彼女の顔の溝が一気に深くなり、右手がわたしの胸倉へと伸ばしてきた。…へぇ。

 

「あっ!?」

 

その手首をわたしは片手で掴み取った。ギリギリと少しずつ力を込めていき、骨が軋む感触を覚えたところで離す。そして右脚で額、顎、胸に三連蹴りを放ち、すぐさま跳び回し蹴りを頬に叩き込む。

 

「…はい、わたしの勝ち」

 

その瞬間、一部始終を見ていたペット達の目にほん少し別の色が混じるのを感じた。それは、仲間を蹴飛ばしたわたしに対する怒りと畏怖。…ま、彼女には悪いけれど、着火剤になったからそれでいいや。

お燐さんが獅子妖怪を起こし、復帰させたところでわたしは彼女を見遣る。

 

「わたしは弱いよ。怪力は勇儀さんより弱いし、権力はさとりさんより弱い。けど、貴女に負けるほど弱くはないみたいだね」

 

それだけ言っておき、他のペット達を見渡す。

 

「さて、まずは威力調節としましょう。目標は傷付けない。…さ、一人ずつ撃ってきてくださいな」

 

そう言うと少しざわついたけれど、すぐに犬妖怪が前に出てきた。

 

「よろしくー」

「相手に撃てない、じゃあ話になりませんからね。それも兼ねてですよ」

「はいはーい」

 

そう言ってコクリと頷いた犬妖怪は、わたしに向けて右手を伸ばした。そして、右手に浮かび上がる明らかに威力過多の妖力弾を発射してきた。それをわたしは片手で受け止める。皮を破り肉が爆ぜる嫌な感触。多少血が舞い、僅かに残っていた雪を赤く染めた。

 

「四分の一…、いや、五分の一以下で撃ってください」

「五分の一ねー…。んー…」

 

少し難しい顔を浮かべながら新しい妖力弾を右手に出し、それをわたしに発射した。それを傷付いていないもう片方の手で受け止め、今度は皮を僅かに破る程度に抑えられていた。あと少し強ければ血が滲んでいたと思う。

 

「…ま、一応大丈夫でしょう。次、どうぞ」

 

次が出て来るまでの間に『紅』を発動させ、両手の傷を治しておく。

それから残り十六人の妖力弾を受け続け、どうにか全員及第点まで威力を抑えることが出来た。

 

「その威力を参考にしてくださいな。相手によってもう少し強く、もう少し弱く、なんていう微調整を忘れずに」

 

疎らな返事を貰いつつ、次に何をするか考えてみる。やっぱり弾幕?それとも回避?醍醐味の切札?んー…。

 

「それじゃ、さっき覚えた威力で弾幕を張ってみましょうか。…全員まとめてかかって来な」

『『『はぁ!?』』』

 

そう言ってやると、十七人分の視線が突き刺さる。彼女達からすれば舐められた、とでも思ったのかもしれないが、そんなつもりは毛頭ない。ただ一人一人を個別に見るなんて面倒くさいと思っただけ。

 

「何も難しい事じゃない。ただ数を増やせばいいだけですよ。ほら、こんな風に」

 

右手を軽く握り、砂でもかけるように細かな弾幕を彼女達の間に放つ。突然のことに硬直していたため、誰一人被弾させずに済んだ。

 

「ま、わたしはただ躱すだけだから。好きなように撃ってね」

 

そう言って微笑むと、一つの妖力弾が飛んできた。放ったのは、お燐さんか。首を軽く捻って躱すと、続けざまに十六人分の妖力弾が襲い掛かる。けれど、直接狙い過ぎだ。少し動くだけで避けられる。

 

「被弾させることも重要だけど、逃げる先を潰すことも必要ですよ」

 

その言葉を受けたペット達の狙いが、わたしからその周辺へと変わる。けれど、まだ周辺だけだ。弾幕の隙間を駆け抜け、何もない安全地帯へと抜け出す。それに伴い、彼女達の狙いもわたしを追って動く。その動きから外れるように、わたしは彼女達の周りを駆け続けていく。

 

「弾幕は逃がさないか、追い続けるか!ほらほら、まだ狭過ぎるし遅過ぎる!十七人もいてそれでいいのか?本来、貴女達は一人で相手の弾幕も避けるんだよ?」

 

挑発紛いの発破をかけつつ、彼女達の上を跳び越える。横だけではなく、縦もあることを示すために。さて、彼女達はどうするかな?

動き続けること数分。どうやら彼女達は役割分担をしたらしい。十二人がわたしを気にせずある一定の範囲に弾幕を放って妨害をし、残りの五人がわたしに向けて弾幕を放ってくる。…んー、そうなっちゃったか。ま、しょうがないかなぁ…。

 

「はい、終了。今の貴女達十七人がやったことを一人で出来るようになりましょう。それが今後の課題です」

「あれを、一人でかい?」

「出来るなら。確実に相手を追い続けられるなら周囲にばら撒く必要はなくなりますが、それはまた後でいいでしょう」

 

わたしは『幻』を全域にばら撒きつつ自分自身が相手を狙えば出来る。

 

「あんたはこいし様にやってなかったよね?」

「それは必要なかったから。こいしはわたしと違って逃げないからね」

 

正直にそう答える。あの弾幕遊戯では、わたしは逃走者でこいしは追跡者だった。逃亡者が二人だと、それは勝負にならない。だからこいしは逃げない。…逃げられない。

話が若干逸れたね。ちょうど区切りもいいし、話を戻すとしましょうか。

 

「それじゃ、切札といきましょう。これも簡単ですよ。自分を象徴するものを模せばいい」

 

わたしは右腕を上に掲げ、彼女達全員を飲み込んでもなお有り余る巨大な妖力弾を浮かべる。それを見上げる彼女達の口がポカンと開いているのが何だか滑稽に見える。

 

「力を象徴したければ、こんなものでもいい」

 

二酸化ケイ素の棒を幾度となくわたしに重ねて創造し、至る所に弾かれながら彼女達に最速の弾幕をばら撒いていく。その軌道は全て、その場から動かなければ被弾しないもの。

 

「速さを象徴したければ、こんなものでもいい」

 

十指から十の妖力弾を上空へ放ち、一斉に激しい光と共に爆ぜる。幾万の妖力弾となった弾幕がわたしの周囲に降り注ぐ。

 

「数を象徴したければ、こんなものでもいい」

 

降り注ぐ妖力弾が地面を穿つ前に軌道を曲げ、彼女達を大きく包み込む。その大きさを徐々に狭めていき、最後には一歩を踏み出すことさえも出来ないほどまで狭める。

 

「束縛を象徴したければ、こんなものでもいい」

 

彼女達十七人の複製(にんぎょう)を複製し、その全てを操って彼女達を囲み、一斉に弾幕を放たせる。精密な軌道はまだ難しいので、絶対に当たらないだろう、少し上を狙っておく。

 

「能力を象徴したければ、こんなものでもいい」

 

複製を回収し、改めて彼女達を見遣る。

 

「何でもいいんですよ。難しく考えずに、思い付いたものをやってみるといい。気に入ったら名前を付けて、気に入らなければ保留する。そのくらいでいいんです」

 

そんな当たり障りのないこと言い、わたしはお燐さんの肩を掴む。ビクッと跳ねたけれど、気にしない。

 

「貴女は、どんなものが思い付きましたか?」

「え?あー…、やっぱ炎とか、怨霊とか、そのあたり…?」

「それでいいんですよ。ま、怪我させない程度に暴れてくださいな。わたしからは以上です」

 

最後に無責任なことを言って彼女達に背を向け、わたしは地霊殿に足を伸ばすことにする。…あ、一つ忘れてた。

 

「…そうそう。回避に関しては貴女達で模擬戦をしてください。わたし相手より、よっぽどいいと思いますよ」

 

まだ始めたばかりで、威力調節に意識を傾けないといけないような、そんな素人。今のままでは実力差があり過ぎる。多少の差ならいいけれど、大き過ぎたら駄目だ。

それだけ言い残し、何か言っている気がする言葉を聞き流してわたしは自分の部屋に帰還した。

 



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第312話

さとりさんが執筆をしているのを眺め、わたしは本を閉じる。…うん、なかなか面白かった。突然来訪した主人公がその国の難事をまるで答えでも知っているかのように余裕綽々で瞬く間に解決しては颯爽と去っていくを繰り返す冒険譚。いやー、凄いなぁ。

読み終わった本棚に仕舞ってから一枚の丸い銅板を取り出し、片面に爪で小さな引っ掻き傷を付けてから銅板を上に弾く。そして、クルクルと回りながら落ちてくる銅板を途中で掴み取った。

 

「表と裏、どっちだと思いますか?」

「…どちらが表か決めてください」

「じゃあ、傷付けた方が表で」

「それなら裏にしましょう」

 

握っていた手を開くと、傷一つない面が見えた。つまり裏だ。

 

「当たりですよ。景品は何がいいですか?」

「貴女の意見が欲しいです。具体的には、先日こいしが提案した弾幕遊戯の規則の改変について」

「自分で考えろ」

 

即答した。わたしの意見が混じった提案を、どうしてわたし自身で考えなくちゃいけない。

銅板を人差し指の爪の上でクルクルと回して遊びつつ、旧都へと遊びに出掛けたこいしのことを思う。どうやら新たな味を求めているらしく、いいものを見つけたら一緒に食べようと誘われた。…奇天烈な料理でないことを願う。

 

「実際にやった貴女だから訊いているんです」

「いい感じに変わってくれるなら嬉しいけど、下手に変わるくらいならそのままがいいです」

「そうですか。では、慎重に考えることにしましょう」

 

わたしと話している間、さとりさんはずっと執筆を続けていた。しかし、わたしがあの本を読み始めたところからほとんど進んでいないようである。物語を書くのって、やっぱり難しいのかな?やったことないから分からないけど。

 

「いくつか訊きたいことがあるんですが、構いませんか?」

「…ふぅ、構いませんよ。少し行き詰っていますし」

 

そう言うと、さとりさんはゆっくりと顔を上げた。改めてその顔を見てみると、少しばかり疲れている様子。何かあったのだろうか?

 

「それでは一つ。さとりさんは弾幕遊戯をしないんですか?実際にやれば考える際に参考になるでしょう」

「…あれは旧都の新しい娯楽ですから」

 

つまり、やるつもりはないのか。基本地霊殿にずっといるさとりさんにとって、旧都の娯楽なんて所詮外側のことなのだ。

 

「それに、彼女達と違って私はあまり動けませんから」

「そうだったんですか」

 

そう言われると、さとりさんが機敏の動く姿を想像出来ないわたしがいる。内容によっては、そこまで動く必要はないんだけどなぁ。…ま、動くときは動くけども。

けど、さとりさんが弾幕遊戯をすればかなり強いと思うんだけどね。相手がどういう弾幕を放つか先読みして回避出来るから。個人的にはどのような切札を使うのか気になっていたから、少しばかり残念だ。

 

「二つ目。前にこいしが言っていたんですが、地霊殿はもう使用されていない灼熱地獄の上にあるそうですね」

「…そうですね。そこの管理のほとんどは既に私のペット達に任せていますが」

「霊烏路空という妖怪がそこにいる、と聞いたんですが、いつか会えますかね?」

「…どうかしら。彼女は最も重要な灼熱地獄跡内部の管理でほとんど出て来ませんし、それにどうやら私のことを嫌っているようですから」

「へぇ、貴女を嫌うペットがいるんですか」

「程度に差はあれど、多少はいますよ。そこまで不思議なことでもないでしょう?」

「不思議でなくても意外ですよ」

 

わたしが会ったペット達は、さとりさんのことをさとり様と呼んでいるくらいには慕っているようだったから。それとも、心の中では違うのだろうか。

 

「言っていることとやっていることと思っていることが食い違うことは、よくあることですよ。誰しも隠し事の一つや二つはありますから」

「わたしの隠し事、何かありますか?」

 

試しに訊いてみる。当然、わたしにだっていくつもある。今隠し事を考えたことで頭を過ぎった内容、いつの日かに読んでいながら言わずに仕舞っている内容などがあるだろう。けれど、わたしはさとりさんのことを詳しく知ってから少し考えた時点で、隠し事をすることは切り捨てた。どうせ読まれるからする意味がないし、わたしはここに住まわせてもらっている身なのでする必要もない。…ま、どうしてもその場限りで隠そうと思ったときは別だけど。

 

「…昨日、また人差し指を回転させたみたいですね」

「しました。一度経験してるからか、前より簡単に出来ましたよ」

「私はやらないほうがいいと言った覚えがあるのですが。…いえ、貴女にそう言っても止める気はないのでしたね」

「そういうこと。心配してくれるのは嬉しいけれど、止める気はないかな」

 

そう言い切ると、盛大にため息を吐かれてしまった。悪いとは思っているけれど、可能性を潰す気にはなれないんです。八雲紫が求めていただろう、ドッペルゲンガーの持つ成り変わりの能力。流石に全身を変えるまではいかないけれど、多少は使いこなせるようになっておきたい。

 

「…拳を巨大化したり、腕を剣にしたり、脚を槍にしたり、身体を液状化したり、ですか。全く、貴女という方は…」

「勇儀さんに言われた不定形も、あながち間違いじゃなかったかもしれないですね」

「…気を付けてください。貴女は生きてほしいんですから」

「善処します」

 

言われなくても死ぬつもりはない。ただ、死んでも別に構わないと思っているだけ。

…話が逸れた。元の場所に戻そう。これまで訊いてきた問いの中でも、最後のこれが最も訊きたかったことなのだから。

 

「三つ目。わたしを弾幕遊戯の広告塔にした理由を教えてください」

「…それは、貴女が適任だと考えたからです」

「本当にそれだけですか?」

 

さとりさんが言う通り、弾幕遊戯の広告塔として適任であることは分かる。弾幕遊戯の原型であるスペルカード戦の経験者なのだから。けれど、わたしがああして出ることの利点と欠点は、どちらかというと欠点に傾くと思う。さとりさんだって、そのくらい分かっていたはずだ。

わたしは追及してから少し待つと、さとりさんはようやく閉じていた口を開いてくれた。

 

「…貴女のためです」

「わたしの?」

 

小さく呟くように言われたその答えに、思わず首を傾げてしまう。そこで何故わたしが?

 

「旧都での貴女の立ち位置を作るため、と言えば分かりますか?」

「…いや、ちょっと待ってくださいよ。旧都に新しい娯楽を出した理由がそんなものでいいんですかさとりさん?」

「無論、以前貴女に伝えた理由、新たな序列の形成が主です。ただ、その序列に貴女を入れることも求めていたというだけですから」

 

驚いた。まさかそんなことを考えていたなんて。

 

「幻香さん。貴女が旧都を居づらいと思っていることは知っています。その気持ちの緩和になれば、と思ったのですよ。貴女が地上の妖怪だとしても、ここは地底ですから」

「…そうだったんですか。ありがとうございます」

「気にすることではありませんよ。貴女が旧都で爪弾きにされないように、私が勝手にやろうとしていることなのですから」

 

そう言われて、わたしは二つの場所が頭を過ぎる。一つは人間の里。もう一つは月の都。両方とも、わたしの存在そのものが大いに嫌われた場所。

 

「…以上です」

「そうですか。いい息抜きになりましたよ」

 

さとりさんは執筆に戻って再び紙束に視線を移し、滞りがちだった筆も動き出している。

わたしは僅かに緩みかけた頬を正しつつ新たな本を手に取り、今度はどんな話が書かれているんだろうか、と思いながら表紙を捲った。

 



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第313話

「ほら、こっちこっち!」

「急がなくてもお店は逃げませんよ?」

「お店は逃げなくとも串焼きがなくなるでしょ!」

 

少し厚めの服を着込んだこいしに引っ張られるように、わたしは旧都を進む。もう何度目か数えるのもどうかと思うくらい旧都に来ているけれど、相変わらずこちらに向く視線をチラホラ感じる。ふと陰にひっそりと残っている雪を見つけると、本当に冬を越えたんだなぁ、と思わせる。

そんなわたし達の横を、雪女郎と角盥漱が弾幕を放ちながら飛び抜けていく。いくつかこちらに飛来してきた妖力弾を躱しつつ、わたし達は目的地の屋台へと向かう。弾幕遊戯はさとりさんの思惑通り、旧都の新たな娯楽としてそれなりに定着しつつある。それは喜ばしいことだ。

 

「で、それは何の串焼きなんですか?」

「ふっふっふー、ひっみっつー!」

「…この前の極限濃縮五味刺激菓子みたいのは嫌ですからね」

「えー、あれ面白いじゃん」

 

極限濃縮五味刺激菓子とは、甘味、酸味、辛味、塩味、苦味をそれぞれ限界まで追求した菓子らしい。辛味は早々にこいしに押し付けて回避したけれど、残り四味も十二分に暴力的だった。唯一甘味だけはよかったと言えなくもないような気がしないでもない。…飽くまで他と比べればの話だ。あの甘味だって好き好んで口にしようとは思えない。

グイグイと普段見もしないような目立たない小道に引っ張られていき、その奥にある屋台にようやく辿り着いた。暖簾には串焼きとしか書かれていないけど、一体に何を焼いているのだろうか…。

 

「イモリ四本くださーい!」

「はいよっ」

「…イモリですか」

 

イモリって、あの川とかに棲んでるイモリだよね?ま、こうして焼いて出しているのだし、不味くはない…よね?

 

「ほれ、イモリ四本だ」

「ありがとー!」

 

甘辛いたれが塗られたイモリの串焼きをこいしから二本受け取り、一本口にする。んー、あれだ。カエルに似てると思う。淡白で美味しい。

 

「ちなみにねー、イモリは黒焼きにするとちょっと特別な薬になるんだー」

 

雑学を語ろうとしているこいしの話を聞きつつ、コリコリとした尻尾を骨ごと噛み締めながら表通りに出る。すこし遠くのほうで壁が壊れる音が聞こえてきたので、きっと喧嘩が始まったのだろう。

 

「なんと!惚れ薬になるんだってー!使い方は粉にして相手に振りかけるんだって。思いを寄せる相手にかければ惚れさせることが出来て、家族や友人にかければ気に入ってもらえたり惹きつけられたり出来るとか何とか」

「惚れ薬、ですか…。そんな風に実る愛ってどうなんでしょうね」

「さぁねー。けど、作るには特別な手順が必要で簡単には手に入らないんだって」

「こいしはそのイモリの黒焼きを使ってみたいですか?」

「お姉ちゃんに一回かけてみたい」

 

そんな他愛のない話をしながらフラフラと歩くこいしに付いていこうとすると、わたし達の前に一人の妖怪が飛び出してきた。

 

「勝負っ!」

 

そして、右腕から人差し指までビシッと伸ばしてそう言った。一体何で勝負をするのか、なんていちいち言わなくても分かる。弾幕遊戯だ。…というより、わたしが旧都に来ると大抵誰かが勝負を挑んでくる。

けど、今のわたしはこいしと一緒に食べ歩きする予定なのだ。付き合うつもりはない。

 

「だって幻香。早めに終わらせてねー!」

 

…と、思っていたのに、こいしはわたしを彼女の前に突き出した。…まぁ、こいしがいいなら別に構わないけど。

 

「時間が惜しいから三で。さ、始めましょう?」

「上等っ!」

 

食べ終えた串を一本圧し折って捨てつつ、わたしは『幻』を展開した。そして、指先から妖力を短めに噴出させる。さながら爪のように。

 

「これが私の切札っ!瞬歩『疾風迅雷』!」

 

そう宣言した妖怪は残像が見えそうなほど素早く駆け回りながらわたしに向けて弾幕を放ち続けていく。その弾幕を噴出させた妖力で引き裂きながら回避し、彼女が通るであろう軌道を先読みして『幻』から妖力弾を放って妨害する。

 

「そこっ」

「ひゃっ!」

 

邪魔な弾幕を避けるために、彼女はわたしのほうに曲がって回避した。その瞬間に急接近し、彼女の胴に向けて腕を振るう。噴出させた妖力が彼女に被弾したことを感じたら、すぐに跳び退いて距離を取る。

ただし、わたしが踏んだ場所に一つずつあるものを複製しながらだ。それは地面の僅か下に埋め込むように複製したため、ほんの少し盛り上がっているかもしれないけれどそう簡単にバレるものではない。

そして、わたしは地面に向けて薄く妖力を張った。…さぁ、発動しろ。

 

「複製『緋炎・篝火』」

 

地面から小さな炎が連鎖的に噴き出す。わたしに近い場所から順番に、最後には彼女がいた場所まで。

 

「っとぉ!」

 

けれど、流石に跳んで回避されてしまった。ま、問題はない。そこから咄嗟に回避させるために使ったのだし。『幻』から最速の直進弾を跳んだ彼女に向けて一斉射撃する、と共に一つ上空へ妖力弾を放つ。

 

「うわ危な――うぎゃーっ!」

 

空中で無茶な体勢をして回避したところに、上空から新たな弾幕が降り注ぐ。体勢が整う前に次の攻撃をする。これが大事なのだ。体術にせよ、弾幕遊戯にせよ、そのことは大して変わらない。

…んー、やっぱりこのイモリの串焼き美味しいなぁ。またいつか機会があれば、あの屋台に寄ってもいいかもしれない。

 

「く、くそぅ…。次っ!仰山『千客万来』!」

 

宣言と共に、物凄く低速な弾幕が大量にわたしに向かって押し寄せてきた。…さっきの彼女みたいに駆け回ればそれだけ広い場所に弾幕を張ることになって密度が薄くなり、回避が比較的楽になるんだろう。

けれど、今は時間が惜しい。わたしはその大量の低速弾幕をその場で待つ。そして、視界が妖力弾で埋め尽くされるほどになった時に、わたしは次の切札を宣言した。

 

「鏡符『幽体離脱・散』」

「へ?うひゃーっ!たくさんこっち来たー!?」

 

そりゃそうだよ、そういう切札なのだから。わたしを中心に広がっていく弾幕の弾速は彼女の弾幕そのままだから非常に遅い。これが鏡符「幽体離脱・操」なら弾道弾速共に自由に操ってもいい、という制約にしている。まだこいしとの弾幕遊戯でしか使ったことないけど。

彼女自身が放った大量の弾幕によって動きが制限されたところに、わたしは『幻』で貫通特化の針状弾幕を発射する。彼女とわたしの妖力弾に小さな穴を空け、しかしそれらを決して打ち消さずに突き進んでいく。まぁ、これを避けれたら大したものだと思うよ。

 

「うわーっ!負けたーっ!」

 

そう思っていたら、そんな声が響いてきた。瞬間、視界に映る弾幕に重ねて複製し、その全てを打ち消す。それと共に『幻』と地面に仕込んだ緋々色金の魔方陣を全て回収し、弾幕遊戯の後処理を大体完了させた。

…まぁ、案の定相手はそこまで強くなかった。もう一本を味わって食べながらでも余裕で勝てちゃった。気付いたらわたし達を見物している妖怪達が周りにいて、好奇の視線が突き刺さる。気にしないようにと思っても、やっぱり気になるものだ。

 

「お疲れ様ー!いやー、やっぱり幻香強いねー!」

「そう言ってくれるとわたしは嬉しいですよ」

 

飛び付いてきたこいしを受け止めつつ、若干悔しそうにしている対戦相手に顔を向ける。そして、わたしは軽く微笑んだ。

 

「また戦いましょうね。次はもうちょっと楽しませてくれると嬉しいな」

「…そうする」

 

ムスッと膨れながらの返事を受け取り、去っていく彼女を見送ってからわたし達は次の目的地へ歩き出す。

 

「次は何を食べるんです?」

「次は唐揚げだよ!」

「それは楽しみですね」

 

 

 



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第314話

「ん、意外と美味しいですね」

「でしょー?」

 

一箱六つ入りの丸っこい唐揚げ。その中身は、なんと豚の目玉。薄めの衣の奥から薄っすらと見える濁った瞳が何とも言えない気分にしてくるけど、一つ食べればそんなこと気にならなくなるくらいには美味しい。わたしが今まで土に埋めるなどして廃棄していた部位だっただけに、食べてりゃよかったかもしれないと思った。

 

「ん?おー、幻香じゃないか。…と、こいしちゃんか。今日は二人で何しに来たんだ?」

「旧都でぶらり食べ歩きの旅、だったかな」

「そうそう!次は温かい汁物だよー」

 

もう一つ摘まんで口に含もうとしたところで、二本の酒瓶を指に挟んでぶら下げている勇儀さんにバッタリ会った。

それにしても、次は汁物ですか。普段は違うけれど、食べ歩き中のこいしの温かいは沸騰寸前を含む場合があるので注意が必要だ。

 

「へぇ、汁物ねぇ。…それ一つくれないか?」

「いいですよ」

 

箱を勇儀さんに近付けると、親指と小指を器用に使って唐揚げを一つヒョイッと放り、口に入れた。人差し指、中指、薬指で酒瓶を挟んでいるからしょうがないけど。

 

「ちょっと変わった旧都の調子はどうですか?」

「あー…、かなり面倒になった。娯楽の対象がほとんど被らなかったからか、弾幕遊戯自体は割とすんなり受け入れられたよ。けど、私のやることが増えたことには変わらないからな」

「男性側は賭博と喧嘩、女性側は弾幕遊戯、って感じで棲み分けされてるんだよねー」

「さとりさんはそのつもりでこれを広げたんですから、そうなってくれないと困りものですよ」

 

まぁ、多少は例外もいる。男性側でも弾幕遊戯をする者、女性側でも賭博や喧嘩をする者は当然のようにいる。わたしは両方足を突っ込んでいるし、勇儀さんは喧嘩に身を寄せているようだ。

 

「…勇儀さんは、弾幕遊戯はしないんですか?」

「一回やったよ。さとりには悪いが、あれは私には合わんな。終始むず痒い気分だったよ」

「えー、いつか勇儀ともやろうと思ってたのになぁ。つまんないの」

「そりゃ悪いな、こいしちゃん。けど、合わんもんは合わんのさ。私にはこの拳のほうが性に合う」

 

でしょうね。勇儀さんが硬く握った拳から感じるちょっとした圧力を受けつつ、唐揚げを摘まんで口にする。…あれ?わたしまだ三つしか食べてないのに箱が空っぽになっちゃったよ?

 

「んむ?」

 

わたしは隣で唐揚げを美味しそうに頬張っているこいしの頬を黙って摘まむ。そして、思い切り引っ張った。

 

「ぎゃあ!痛たた!ごへんって悪はったって許ひてー!」

「言ってくれればあげますから、無断で盗らないで。分かった?」

「分はった!分はったから離ひてー!」

 

言われた通り頬から手を離してあげると、こいしはすぐさま僅かに赤くなった頬を擦り出した。んー、あんまり強く引っ張ったつもりはないんだけどなぁ…。少し反省。

 

「はっはっは!随分楽しそうじゃないか」

「そう言う勇儀さんは、わたし達に付いて来てよかったんですか?」

「いや、特にないな。むしろ、あんた達が何をするかのほうが興味があるね」

「その酒瓶で誰かと呑み明かすものだと思ってましたよ」

「二本ぽっちじゃあ足りねぇな。二樽は欲しいな」

 

その言葉に思わずギョッとする。酒樽を、しかも二樽ですと…?その体にどうやればそんな量が入るんだ…。そんな量だというのに呑み干せないと思えないところがなお恐ろしい。わたしは一滴だろうと呑みたくないね。

紙で出来ている空箱を折り畳んで仕舞い、視線を感じて周りを見渡す。すると、ほとんどの妖怪達と目が合ってしまった。…まぁ、こいしと勇儀さんと地上の妖怪の三人だし、そりゃあ視線も集まるか。集まってほしくないけど。

 

「あったあった!ほら、あそこあそこ!」

「ん?…あー、あれか。相変わらず物好きだな、こいしちゃんは」

 

こいしが指差したお店を見た勇儀さんの反応から察するに、また妙な食べ物らしい。見た目が妙なら別に構わないけれど、味が妙だったら嫌だなぁ…。

そう思いながら、お店の中へと入っていく。お邪魔します。客はチラホラといるようで、黒い器から茶色い何かを取り出して食べているように見えた。…え、あれ何?

 

「ほらほらこっちこっち!」

 

既に四人掛けの机に陣取っているこいしに呼び掛けられ、慌ててこいしの前に座る。わたしの隣には勇儀さんがいるけれど、何故かニヤニヤと笑っている。

机の真ん中に立て掛けてあった品書を手に取って開く。真っ先に『豚血』という二文字が目に入り、一度品書を閉じた。…見間違い、じゃないよなぁ…。もう一度開くと、やっぱり『豚血』の二文字があった。その下には小、中、大と量の指定があり、横には加えることが出来る具材がズラズラと並んでいた。…目玉の次は血液か。フランやレミリアさんが喜びそうだなぁ…。

 

「何だ、初めてか?ここじゃあ血くらい普通に出るぞ?」

「…いえ、普段は血抜きして捨ててたものですから」

 

つまり、周りの客が食べてるあの茶色い何かは血を固めたものなのか…。不味そうに食べているわけじゃないから、味は大丈夫だと思いたい。

 

「おじさーん!小に肉豆腐で!」

「大、肉肉卵。あと酒一本」

「え、何その注文?…あー、えー、し、小に肉、卵?」

 

はいよっ、という威勢のいい返事を受け取ってから待つこと一分足らずで茶色い汁で満たされた黒い器が三つ机に並んだ。えーっと、これがわたしの分だよね。器が小さくて豆腐入ってないし。

 

「いっただっきまーす!」

「いただきます…」

 

恐る恐る口にしたけれど、普通に美味しかった。もしかしたらこれは血ですよ、って言われなければ気付かなかったんじゃないかなぁ。微妙に固まり切っていない半熟の卵を溶いて軽く混ぜつつ、肉と一緒に絡めて食べていく。

 

「どうだい?」

「美味しかったですよ」

 

わたしより多いはずなのにわたしより早く食べ終わり、さらに酒まで飲み干した勇儀さんに最後まで飲み干してから答える。少ししょっぱかったけれど、いい味出してる。地霊殿の食事もこのくらいちゃんと味付けすればいいのに、どうしてしないんだろう?

ごちそうさま、と一言言ってから黒い器を持って立ち上がり、おそらく片付ける場所であろう台に置いてお店を出る。わたしの前を歩くこいしは両腕を広げて楽しそうだ。

 

「次は何を食べるんですか?」

「少し休憩かなー。幻香は何したい?」

「んー、何と言われても困るんですけど…」

 

お店から少し離れてから周りを見渡す。弾幕遊戯でもやってる妖怪はいないか、と思ったけれどこの辺りにはいなさそうだ。こいしとやれば、と少し思ったけれど、きっと食休みだろうし、動いてもらうのは悪いよね。勇儀さんは論外。弾幕遊戯はやらないだろうし、喧嘩はやりたくない。

もう少し周りを見渡していると、賭博場が目に入った。…どうしよう?やっていいのかな?…うん、馬鹿みたいに吊り上げまくって賭博場を破綻させるような真似をしなければ大丈夫大丈夫。

 

「あそこで遊びませんか?」

「幻香、お金あるの?」

「一応持って来てますよ。ほら」

 

そう言いながら、丸い銅板を三枚取り出す。持ち金は三十。これだけあれば十分だろう。

 

「よし、じゃあ行こう!」

「行きますか。楽しんでいきましょう」

 

銅板を仕舞い、賭博場に足を伸ばそうとしたところで勇儀さんに肩を掴まれた。

 

「…何ですか?」

「やり過ぎるなよな。あんたを潰すのはまだ惜しいと思ってるんだ」

「やりませんよぉ。そんなに信用出来ませんか?」

「出来ねぇよ。あんた、今までどれだけ勝ったか言ってみろ?」

 

そう言われ、過去に何度かやった賭博の結果を思い返す。…えーっと…。

 

「一万百六十、二千百六十、千二百、千九百八十、三千六百四十」

「それの何処を信用しろと言うんだ?あ?」

「…終わったらほとんど返してるんですから、手持ちはさほど変わってませんよ」

 

凄みを利かせた目から若干目を逸らしつつ、わたしはそう返す。あれ以来、最初の手持ちの二倍くらいを残して、残りは全て賭博場に返したのだ。それに、わたしは碌に吊り上げてない。親と周りが勝手に吊り上げたんだ。わたしは悪くない。ちなみに、その五回の中でイカサマを疑われて殴り飛ばされたのは三回だ。あの一回を除いてイカサマはしてないのに。

きっと、その事実を知ってはいたのだろう。溜め息と共に肩を軽く落とした勇儀さんは、わたしの肩から手を離した。

 

「…後ろで見てるから、妙なことすんなよな」

「よく分かりましたよ。…じゃ、待たせてすみませんね、こいし」

「幻香ったら相変わらず無茶苦茶するねぇ。千を超えるなんて滅多にないんだよ?」

「それなら、これからは気を付けないといけませんねぇ」

 

そう言いながら頭を軽く掻き、苦笑いを浮かべながら今度こそ賭博場へと足を伸ばした。

 



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第315話

旧都には賭博場がいくつもあり、ここの賭博場に入るはこれが初めてだ。扉をゆっくりと開き、受付をしていた妖怪に軽く会釈をしてから中へ入っていく。さて、どんな賭博をやっているのかなぁ、と少し楽しみに思いながら周りを見回す。…あ、いくつか見覚えのあるものがある。

 

「じゃ、どれをやろうかなぁ…――あれ?」

 

そんなことを考えていたら、気付いたら一人になっていた。勇儀さんは後ろの壁に背を預けて酒を呑み始めているからいいとして、横に一緒にいたはずのこいしは…?

 

「くはーっ!負けたーっ!」

「こいし様は元気だなぁ。どうだ?もう一回やるかい?」

「やるやる!」

 

…既にやってた。ま、今回はあれでいいかな。手軽に出来そうだし。

こいしの隣がちょうど空いていたから、そこに腰を下ろす。正面に座っている親の妖怪がギョッと目を見開いたけれど、まぁ些細なことだ。わたしが座ると親の妖怪の大体半分はこんな反応をする。これまでの賭博の結果が伝わってしまっているのだろう。

 

「さて、ここはどんなことをするんですか?」

「…あ、あぁ。ここはな、俺がこれを握った拳を当てる賭博だ」

 

そう言うと、親は右手を開いて黒い球を見せた。大きさは大豆くらい。なるほど、基本は二分の一か。

 

「賭け金は十。最初は一だが、当たれば倍になる。それを外れるまで続けてもいい。だが、外れたら零だ。分かりやすいだろ?」

「ええ、とても」

「さ、やるなら払いな」

「はい、どうぞ」

 

丸い銅板を親の前に弾き、横に座っているこいしの様子を伺う。

 

「やったー!当たったー!じゃ、ここで一回区切るね!」

「ここで止めるのか?もったいねぇなぁ。ほら、三十二だ」

 

ふむ、一、二、四、八、十六、三十二だから六連続で当てたのかな。最初に支払うのは十だから、儲けは二十六。…これ、五連続で当てないと損するってことだよね?

 

「ほら、選びな」

 

前にいる親に促され、わたしに突き出された二つの握り拳を眺める。そして、わたしは右手を指差した。

 

「右で」

「…当たりだ。続けるか?」

「わたしが止めると言わなければ続けてください」

「そうかい。…ほら、選びな」

 

パン、と乾いた音を立てて黒い球を挟んで手を合わせ、再び握ってわたしに突き出した。

 

「あ、幻香もやってる。どう?」

「今、二回目の挑戦ですよ。…右で」

「…当たりだ」

「おー、当たった当たった!じゃあわたしも右で!」

「残念、外れだよ」

「あっちゃー!」

 

こいしの親が右手を開いて何もないことを見せてから両手を背に戻した。こいしは両手で頭を押さえて悔しがっているけれど、めげずにもう一度始めるつもりらしい。多少負けても気にならないくらいお金を持っているみたいだし、わたしはわたしで続けますかな。

 

「ほら、選びな」

「左」

「…当たりだ。…ほら、選びな」

「右」

「…当たりだ。…ほら、選びな」

「右」

「…当たりだ」

 

これで五連続の十六。ここで止めれば六だけ儲けることが出来るけれど、それじゃつまらないよね。行けるところまで行きましょうか。

 

「ほら、選びな」

「今何回目ー?」

「六回目ですよ、こいし。そっちはどうですか?」

「三回目ー。けど、さっきから負けっぱなしだよ。しょんぼり」

「わっはっはっ。そう肩を落とさないでくださいよ、こいし様。今度こそ当たりますって」

「そう?んー…。幻香分かる?」

「…あー、左手かなぁ?…あ、右で」

 

こいしの親の両手を軽く見てから答えた。ついでに、自分の親のほうも答えておく。こいしの親はこいしに目配せで確認し、こいしが頷いたことで左手を開き、わたしの親も右手を開いた。

 

「当たりだぞ。よかったなぁ、こいし様」

「…当たりだ」

「やったー!ありがと、幻香!」

「次からは自分でやってくださいよ?」

「分かったー」

 

こいしがわたしから親に体の向きを直したので、わたしも親の手をボーッと眺める。パン、と乾いた音を立て、二つの拳が突き出される。

 

「ほら、選びな」

「左」

「…当たりだ。…ほら、選びな」

「左」

「…あ、当たりだ。…ほら、選びな」

「右」

「……当たり、だ」

 

これで九連続、と。ここで引けば二百五十六貰えるわけだ。んー、あと二回当てると千二十四、つまり千を超えちゃうんだよなぁ…。こいし曰く、千を超えることは滅多にないらしいから、次で止めておこうかな。親の顔色もどことなく悪くなってるし。

 

「幻香!今何連勝!?」

「九連勝。次で止めようかと思ってます」

「何で?もっと――あー、うん。そっか。そうだね」

 

こいしは自分で言ったことを思い出したようで、納得してくれたようだ。

すると突然、バン、と今までより数段激しい音を立てて手を叩く音が聞こえてきた。そして、素早く両手を固く握り込み、わたしをゆっくりと出してきた。

 

「…ほら、選びな」

 

…随分気合入ってたなぁ、と思いながら親の両拳を眺める。…ん?

 

「こいし」

「左!…何、幻香?」

「これ、どっちにあると思いますか?」

 

わたしの前にある両拳を指差してそう言った。こいしは目をパチクリさせ、一瞬何訊いてるんだみたいな顔をしてから、えーっ!と短く叫んだ。

 

「ここでわたしに訊く!?」

「さっき一回やったんですから、おあいこで」

「む。…じゃあ右で!」

「はい、分かりました」

 

こいしが右だと言うのなら、右にあるのだ。

わたしは親の右拳を包み込むように握り込んだ。決して開かせないように、硬く。これまでとは全く異なる行動をしたわたしに驚いたのか、目を軽く見開きながらわたしの手を振り払おうとする。けれど、その程度じゃあ振り払えないよ。そこまでやわなつもりはない。

 

「…な、何だよ」

「右に入ってるんだ。だから、左を開けて何もないことを見せてよ」

 

そう言うと、親は苦虫を数匹噛み潰したような顔を浮かべた。けれど、左手を開こうとしない。…はぁ、往生際が悪い。いい加減諦めてほしいんだけどなぁ…。

しょうがないのでそっと顔を近付けていき、耳元で他の誰にも聞こえないくらい小さな声で囁く。後ろから突き刺さる視線を感じるから、囁く内容も気を付けないと。

 

「十秒あげる。開かないならその両手を無理矢理抉じ開ける」

「っ!…あ、当たりだっ!」

 

絞り出すような声とともに左手を開き、中に何もないことをようやく見せてくれた。そして、慌てて押し付けられた五百十二を受け取ってから腰を少し上げた。

 

「次があったら、もう少し楽しませてくださいね。――こいし、もう行きましょう?」

「え?もう行くの?まだ続いてるのに…」

「それ左にあるからお金貰って出て行きますよ」

「えー、もう行っちゃうのー?…って!本当に左だし!」

 

そりゃそうだ。もう二度とあんな暗器を喰らわないために、握り拳の中身の有無を判別出来るように訓練したのだから。

親だった妖怪を通り抜けた向こう側を眺めながら軽く手を振って扉へと向かい、受付をしている妖怪に楽しめたからそのお礼、と言って四角い銀板五枚を押し付けて出て行く。これで儲けは僅か二しかなくなったわけだけど、特に気にすることではない。

 

「ちょっとー!待ってよー!」

「ん、こいしは楽しめましたか?」

「楽しかったけど、幻香は?」

「ええ、わたしも楽しめましたよ」

 

そう言って微笑み合っていると、後ろから肩をガッチリ掴まれた。誰かなんて振り返らなくても分かる。勇儀さんだ。

 

「…で、あんたは何をしでかしたんだ?」

「手を開かないからいい加減開いてほしい、ってお願いしただけですよ。ええ、それだけです」

 

決して手を叩いた際に黒い球を上へ弾き出して自分の後ろに落としてなんかいないし、それによってその両拳の中身が両方とも空っぽだったなんてことはないのだ。イカサマ?そんなのありませんでしたよ。わたしも彼もやっていないと言えばやっていないのだ。…そういうことになるのだ。え?これは虚偽で嘘だって?もしそれで勇儀さんが怒るとしたら、その対象はわたしではなく彼でなければならない。何故なら、わたしは嘘は言っていないのだから。それに何より、わたしは被害者なのだから。

そんなことは一切表に出さず、勇儀さんに軽く微笑む。すると、彼女は青汁でも口にしたような微妙な顔になり、パッと肩から手を離してくれた。

 

「はぁ…。これ以上あんたと一緒にいると余計に疲れそうだ。私はここらへんで帰ることにするよ」

「そっかー。じゃあねー、勇儀ー!」

「ふふっ。勇儀さん、またいつか」

「じゃあな、こいしちゃん。…次会うときに潰し合いじゃないことを願ってるからな、幻香」

 

二本目の酒瓶を一気呑みしながら手を振って遠ざかる背が人混みに紛れるまで見送った。

 



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第316話

「どっちだ?」

「左ですね」

「うわー、これで二十回連続だよ。もしかして、透視出来るの?」

「透視は出来ませんね」

 

空間把握で形を把握することは出来るけど、それは使っていない。賭博でそれを使うのは、流石に無粋だろうから。それにしても透視かぁ…。出来たら便利そうだけど、それは空間把握で代用出来てるからいいかな。

 

「二の二十乗だからー…。えーっと…」

「一〇四八五七六」

「百四万ちょっと分の一でしょ?よく当てれるねぇ」

「ものが入ってる時と入ってない時だと、拳の形が違うでしょう?」

 

そう言うと、こいしは自分の両手を握ってまじまじと見つめ始めた。すぐに首をコテンと傾けたけど。まぁ、そこまで大きな違いじゃないから分からないのはしょうがない。

 

「じゃあさ、あの賭博だと幻香は負けなしだったんだよね?」

「まぁ、普通に続けていればいつまでも続いたと思いますよ」

 

その前にあの賭博場にあるお金が足りなくなるから、厳密にはいつまでもとはいかないけど。それでも、さっきみたいな膨大な数字になっただろう。…そんなことしたら後でさとりさんに何て言われるか分かったものじゃないからやるつもりはない。

 

「これまでのもそんな感じだったの?」

「そんな感じでしたね。勝てる賭博だったから勝てたとしか」

「勝てる賭博?」

「ええ。相手の手が決定してから賭けることが出来るなら勝ちやすい。相手の手が未定のまま賭けるとなると難しいですね」

 

掻き混ぜた札に書かれた数字を当てる賭博があるとする。親が一枚選んで伏せてからわたしが賭け金を出して数字を宣言する場合と、わたしが賭け金を出して数字を宣言してから親が一枚選んで伏せる場合では、後手のほうが有利なことがすぐに分かるだろう。今回やった賭博は前者に当たるものだ。握り拳の中身の有無が分かる分からないにかかわらず、あれは比較的勝ちやすい賭博である。わたしが宣言から外れたものを選択されずに済むのだから。

 

「本当の意味で完全な運任せなら確率通りの結果に落ち着くでしょうし、必ず負けるように出来ていれば負ける。わたしはそういう賭博を選ばずにやり過ごしていただけです。だからわたしは返金する。そこまでいらない、って理由もあるけど」

「そっかぁ…。幻香、お金全然使わないもんね」

「一応使ってますよ?」

「例えば?」

「…かなり前、鶏の唐揚げを買いましたね。美味しかったですよ」

 

三十くらい持ち歩き、残りの金属板は部屋にある引き出しに仕舞われっぱなしである。こいしの言う通り、その三十だってほとんど使っていない。めぼしいものがなかったからしょうがない、と心の中で言い訳をしておくことにする。

 

「鶏の唐揚げねー。美味しいけど、普通じゃない?」

「それの何が悪いんですか…」

「悪くないけど、つまらないじゃん」

「…まぁ、分からなくはないですけど」

 

新しい経験は大事だ。それの対象が食べ物になるだけの話。けど、わたしは安全か危険かも未知数なものを口にしたいとは思えない。毒茸や毒草を好き好んで食べたくないようなものだ。

 

「そんな幻香には面白い甘味を紹介しましょう!」

「甘味ね。お酒入ってませんよね?」

「使ってないって。食べたらきっと驚くよー」

 

そう言ってこいしはわたしの手を引っ張っていく。チラホラいる妖怪達の間をスイスイと抜けていき、大福と書かれた暖簾を潜った。お邪魔します。

わたしの手を離したこいしはそのまま店番をしていた妖怪の元へと駆け出し、わたし達がこれから食べる食べ物の名を言った。

 

「おばさーん!博打大福一箱くださーい!」

「はいはい、博打一つね」

「ちょっと待って。何故大福で博打を」

「いいからいいから」

 

詳細は答えてくれそうになく、僅かに嫌な予感を覚えていると、博打大福なるものがこいしの手に渡った。一箱六つ入り。見た目は何の変哲もない大福だけど、博打の名を持つくらいだ。当たり外れくらいはあるのだろう。

お礼を言いながらお店を出てくこいしに付いていき、お店の外へと出る。こいしがウキウキとしながらわたしに大福の入った箱を近付けた。

 

「はい!まず一つね!」

「一つね。ではこれを」

 

とりあえず、一番近かった大福を一つ手に取る。軽く触った感じ、妙な感触はない。…まぁ、流石に毒はないでしょう。半分ほど口に入れると、大福の中にある餡子の甘みをあまり感じなかった。その代わりにかなりしょっぱい。

 

「…塩?」

「まずは塩大福ね。餡子の砂糖が塩の大福」

「つまり、後五つ味付けが異なると?」

「そう!見た目じゃ分からないように作ってくれてるんだよ」

 

もう半分を食べ切り、次に先程の隣の大福を手に取って口にする。…ん、これは普通の大福かな。粒餡が美味しい。

 

「残り四つもこんな感じだといいんだけどなぁ…」

「どうだろうねー?」

 

こいしはとぼけて言うけれど、そんなことはないだろう、と断言出来る。先程驚くと言っていたし、何よりこいしだから。

 

「見つけたっ!」

「ん?」

 

さて三つ目を、と思ったところで、軽く息を切らせた見知らぬ妖怪がわたし達に突然声を掛けてきた。

 

「こいし、呼ばれてますよ」

「えー、わたしじゃないでしょ。呼ばれてるのは幻香だよ」

 

ちょっとした押し付け合いをしつつ、手に取った三つ目の大福を口にする。…辛っ!これ、餡子の中心にからしが入ってるんですけど…。そんなわたしの反応を、こいしはやけに嬉しそうに見ている。外れを引いたことを察したのだろう。

目の前の妖怪は、そんなわたし達の行動に一瞬眉を顰めたけれど、すぐに元に戻して続けた。

 

「私は貴女に訊きたいことがあるのよ。付いて来なさい」

「ですって。彼女、こいしの知り合いですか?」

「知り合い、…かな。ちょっとよく覚えてないや。あんまり話したことないからかなぁ」

 

知り合いかどうか微妙なところですか。まぁ、こいしは地底に長らく住んでいるわけだし、知らないと言い切れるほうが珍しいか。それにしても、訊きたいことねぇ。色々やったとは思っているけれど、わざわざ訊かれるようなことじゃないよなぁ。…多分。

そうやって悩んでいたのが顔に出ていたらしく、目の前の妖怪の表情が見るからに不機嫌になっていく。

 

「来ないつもり?」

「どうします、こいし?」

「んー、どうしよ?」

 

そうやって相談しているけれど、その実来ないつもりなのが伝わったのだろう。突然、目の前の妖怪が両手を握って構えを取った。その瞬間、彼女の周囲から煙が噴き出し始める。…え、何これ?

 

「あー、思い出した。見越入道のおじさんだ」

「おじさん?いや、どう見ても女性でしょう?」

「そうじゃなくて、あの煙みたいなの」

 

こいしがそう言いながら指差した煙のほうを見上げると、確かにおじさんだ。髭も生えてるように見えるし。

 

「来ないなら、無理矢理連れていくわよ」

「じゃあ、行かない」

 

そう言って微笑むと、彼女は右腕を振り上げた。それに連動するように、煙の巨大な腕も振り上げられる。…んー、このまま振り下ろされても家々は壊れないような大きさだね。さて、どうしたものやら。

 

「こいし、派手なのと地味なのどっちがいいですか?」

「そりゃあもう派手なほうでしょ!ドッカーン!って感じで!」

「そうですかい」

 

そんなことを話し合っていたら、わたし達に向かって巨大な拳が振り下ろされてきた。その拳をしっかりと視認し、逆に振り上げてぶつかり合うように複製する。鈍い音が上から響き、振り下ろされた拳が一瞬止まる。けれど、振り下ろされ続ける拳と一瞬振り上げられた拳では、一体どうなるかなんていちいち考えなくても分かる。

その僅かに出来た隙に駆け出し、拳の範囲から外れつつ彼女へと肉薄する。が、その前に巨大な左手がわたしを阻んだ。煙のようだから突き抜けられるとは思えない。

 

「シッ!」

 

適当に思い浮かべた棒をわたしに重ねて創造し、左手の指先を超えたあたりまで弾かれる。その棒を回収しつつ、続けてもう一本創造。左手の向こう側にいる彼女の真横まで弾かれた。

彼女の顔がこちらに向く前に、その顔を右手で掴み取る。そして、人差し指を彼女の瞳に極限まで近付けた。

後ろから大きなものが落ちる音が響き、わたしは彼女の息を飲む音を聞いた。

 

「抵抗しないなら突き刺さないであげます」

 

平たく感情を込めずに淡々と言うと、彼女は煙を収めてくれた。なので、わたしも右手を離した。そして、悔しげな表情を浮かべる彼女に、今度は普段通りの口調で言う。

 

「…要件次第で付いて行きますから、先に行ってくださいな」

「あれ、結局行くの?」

「食べ歩きは一旦休止でいいですよね?」

「別に構わないよー」

 

気付いたら隣にいたこいしも了承してくれたし、後は彼女次第かな。わたしは少し気になるのだ。彼女がわたしに何を訊いてくるのかを。

少し待つと、小さくため息を吐いてから彼女は言った。

 

「地上の、今の地上の事を訊きたい」

 



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第317話

四つ目の大福を手に取りつつ、彼女の後ろを付いていく。警戒しているのか、薄っすらとした煙が彼女を包んでいる。貴女が何もしてこなければ、わたしも何もしないって。

 

「…山葵だ、これ」

「うっふっふー、あと二つだよー」

 

餡子の真ん中には緑色の山葵か詰められていて、鼻にツンとくる辛さだ。涙も出て来そう。こうなると、残り二つもこんな感じなのではないかと思ってしまう。

それにしても、かなり遠くまで行くなぁ。この調子だと、旧都の外に出るんじゃないか?

そんなことを考えていると、突然前を飛んでいた彼女がその場で静止した。そして、え?などと素っ頓狂な声を上げて独り言を話し始めた。

 

「ふんふん…。ねぇ、貴女何者?」

「地上の妖怪」

「そんなこと分かってるわよ。雲山が妙なこと言うのよ。貴女のことを実に奇妙だ、って」

「…そういう存在だから、としかわたしから言えることはないですよ」

 

見越入道から見たわたしとは、一体どんな姿なのだろうか。先程見たおじさんのように見えるのか、それともそれ以外の何かに見えるのか…。そんなこと、どうでもいいか。

それ以降、黙って飛び続けること数十分。旧都と飛び抜けたさらに先に来たところで、何やら血生臭い嫌な香りが鼻を突き刺し始めた。…大福、食べ切っておいてよかった。残りは漉し餡と唐辛子の二つだったけれど、こんなところで食べてたらどんなに美味しいものでも非常に不味く感じてしまいそうだ。

思わず顔をしかめてしまいつつ、どんどん奥へと進んでいく。すると、ドロリとした赤黒い液体が溜まっている場所に辿り着いた。

 

「…何、ここ」

「血の池地獄だね。こんなところに来る人、滅多にいないよ」

「…どうりで血生臭いわけだ。地獄って、色々あるんですねぇ…」

「旧とはいえ地獄だもん。色々あるよ」

 

豚血は美味しかったけれど、これは飲んだらいけない雰囲気が漂っている。何か悪いものが混じってそうな感じ。そもそも、何時の何処の誰の血か、そもそも本当に血液か疑問だが。

いつか灼熱地獄跡内部の管理を任されているという霊烏路空に会ってみたいなぁ、と思っていたけれど、どの地獄もこんな風なら灼熱地獄に直接乗り込むのは止めておこうかな…。

降りていく彼女の後を追い、わたし達も地に足を着ける。少し歩いた先には、岸に座って両脚を血の池地獄に浸けている少女がいた。…旧都の、さらにこんなところにただの人間がいるはずもないから、何らかの妖怪なんだろうけど。

 

「あら、一輪じゃない。…それと、地上の妖怪さん。なんだ、結局連れて来ることにしたのね」

「そうよ、悪い?」

「いや全然。私は最初から訊いてみよう、って言ってたからね」

 

そう言った妖怪は、わたしと改めて顔を合わせた。一瞬、訝しげな表情を浮かべたけれど、わたしに手を差し出しながらこう言った。

 

「はじめまして、私は村紗水蜜。今はわけあって見せられないけれど、聖輦船の船長です」

「はじめまして、わたしは鏡宮幻香。わけあって地底へと降りた、ただの地上の妖怪です」

 

差し出された手を握り、軽く握手をする。敵対してこないなら、こちらから攻撃する理由はない。

 

「…で、貴女達はわたしから今の地上の事を訊きたいそうですね」

「ええ、そうです。訊かせてくれますか?」

「先に言っておきますが、飽くまでわたしがここに来る前の話。つまり、一年くらい前の話ってことになる。それでもいいですか?」

「構わない。たかが一年なら、大した変化もないでしょう?」

 

たかが、か。一年、十二ヶ月、五十二週、三百六十五日、八千七百六十時間、五十二万五千六百分、三千百五十三万六千秒。これをたかがと言い切ってしまうのか。それだけ長く地底にいるんだろうな。

 

「今の地上にこのまま出れば幻想郷に繋がります。…ま、それは特に気にすることじゃないですね。人間の里と呼ばれる場所にほとんどの人間共が集まって生活し、それ以外の場所では妖怪達が跋扈しています。ほぼ妖怪に支配されていると言っていいでしょう。ですが、妖怪が逸脱しないように見張る人間、博麗の巫女がいる。そして、妖怪達に制限を設けた上で新たな決闘として命名決闘法案、別名スペルカードルールが発布されています」

 

細かく言おうと思えばまだまだ出てくるだろうけれど、大体こんなものだろう。わたしの横に座ってるこいしもうんうんと頷いてくれているし、綺麗にまとめられたと思う。

そう思っていたら、一輪さんが小さな疑問を一つ訊ねてきた。

 

「命名決闘法案、って一体何なの?」

「弾幕遊戯の原形。さとりさんがわたしから読み取った地上から興味を持って考えたそうですよ」

「え、それちょっとち…もが」

 

わたしの些細な嘘を訂正しようとしたこいしの口を塞ぐ。貴女が地上に出たことは、ここで言っていいようなことじゃない。…おい、水蜜さん。何故こいしを見て目を見開く。もしかして、今更こいしがいることに気付いたのか。

他に何か聞きたいことがあるかどうか少し待ってみたが、それ以上何か訊いてくることはなかった。さて、どうやらわたしが覚えている地上のことも話し終えたようだし、今度はわたしが訊きたいことを訊くとしましょうか。

 

「それで、一輪さん、水蜜さん。どうして地上のことを?わたしが言っても説得力皆無ですが、旧都はそれなりにいい場所だと思う。それなのに、行けもしないし見れもしない地上にわざわざ興味を抱く理由。…聞かせてくれませんか?」

「簡単なことよ。我々にとって地底は屈辱の地。地上へ出れるなら今すぐにでも出たいわ」

「…まあ、私もそんな感じかな。貴女は降りてきたけど、私達は落とされたのよ」

「なら、出ればいいでしょう。既に成功者がいる。つまり、前例があるんだ。不可能じゃないことは、既に証明されている」

 

そう言ったけれど、二人は顔を見合わせて口を閉ざしてしまった。何か苦いものでも喉にへばり付いたような、そんな微妙な顔。

では、何故出ないのだろうか。少し考えてみよう。地上と地底の不可侵条約があるからではないだろう。そんなもの、わたしもこいしも萃香も無視した。再び地底に戻ってくるつもりがないのならば、萃香と同様に受け入れられる場合も有り得るだろう。けれど出ない。出ることが出来ない。なら、地底で何かやり残したことがあるのだろうか?どうしても地底に置いていくことになってしまうようなものがあるのだろうか?…これ以上考えても情報不足だ。

 

「出るつもりがないなら、別にいいですよ。またいつか、出る気になったら勝手に出て行けばいい」

「…そうするさ。…最後に一つ、訊いてもいいかい?」

「…いいですよ」

 

これで終わりにして、さっさとこの血生臭い場所から出て行きたかったところを呼び止められた。けれど、これで最後らしいから、ちゃんと聞くことにしよう。

 

「人間と妖怪は共存出来ると思う?」

「出来ると思いますよ」

「あれ?幻香、前と言ってること違くない?」

「共存なら出来ますよ。現に、今の地上でも出来ている」

 

共に存在すると書いて共存だ。たとえ支配者と奴隷の関係だろうと、飼育者と家畜の関係であろうと、捕食者と被捕食者の関係であろうと、お互いに生存出来ているなら共存なのだから。

 

「…そうか。人間と妖怪は、対等になれると思うのか」

 

そう思っていたのに、どうやらわたしと一輪さんでは多少捉え方に差があったらしい。

 

「それなら無理だ」

 

その差に合わせて訂正を断言すると、一輪さんは目を見開いた。さっきと言ってることが違う、とでも言いたいのだろうか?それはわたしも言いたい。

 

「無理なわけあるか!皆が手を取り合うことだって――」

「貴女もそんなこと言うんですね。けど、無理なんです。少なくとも、わたしに手を伸ばす人間は地上にほとんどいない。伸ばされたとすれば、その手に得物があるときくらいだ」

 

一輪さんの言葉を遮って、そう静かに言い切って背を向ける。そして、何も言い返してこない二人に別れも言わずに飛び立った。…あぁ、少し嫌なこと思い出した。

 

「幻香?」

「…何でもないですよ」

 

無理に笑ってそう返すと、こいしはわたしの手を優しく取ってくれた。

 



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第318話

染み付いてしまった血生臭い嫌な香りが一瞬鼻を掠め、僅かに顔をしかめてしまう。ただの血の香りならもう慣れたつもりだったけれど、どうしてこんなに気になるんだろう…。

指先を鼻に近付けて軽く嗅ぎながら、隣を飛ぶこいしを見遣る。こいしは特に気にしていなさそうだ。何度か行ったこともありそうな雰囲気だったし、もしかしたら既に慣れていて気にならないのかもしれない。

ようやく旧都の端っこに降り立ち、大きく伸びをする。あー、やっぱりわたしには空中より地上だなぁ。やっぱり地に足の付いた生活がいい。

 

「寄り道もしたし、今回は次で最後かなー」

「最後ですか…。一体どんなもので?」

「んー、ドカンとしたものだね」

「…それ、わたしに食べ切れますかね?」

「時間内に食べ切れたらタダだって」

「大食い挑戦ですか」

 

時間が無制限あれば半日くらい使って食べ切ることだって出来るだろうけれど、時間制限があるとなれば話は変わる。どの程度の量か詳細を知らないけれど、わたしにはとても無理そうだ。

 

「こいしは食べ切れましたか?」

「いやー、無理無理。あんなの一人じゃ食べ切れないって」

「ちなみにそれはお幾らでしたか?」

「三百だよ。安いよねー」

「安いですね。…ん?安いのか?」

 

金銭感覚が欠如気味のわたしには、それがどのくらいの価値なのかよく分からない。えーっと、一あれば団子一本買うことが出来るから、団子三百本分。…そう考えるとすごく安っぽく感じるのは何故だろう。

 

「けど、それを本気で食べ切るつもりで注文するなら最初にしたほうがよかった気がするんですが」

「流石にあれを食べ切ろうなんて思ってないって。二人がかりでも難しそうだし。けど、あれがとっても美味しいのは確かだからね」

 

それは楽しみだな、と思いながら歩いていると、後ろから肩を掴まれた。…今度は誰だろう?

 

「よお、地上の。久し振りか?」

「あー、貴方ですか。久し振りですね」

 

振り返ると、いつかの鬼がいた。こんなところで会うとは珍しい。…まぁ、これまで出会った回数は片手と少しで済む程度だけど。

 

「で、今日もですか?」

「そりゃな。負けっぱなしは嫌な性分でな。それに、地上のに負けたままなのは癪だ」

「貴方も暇人ですねぇ。…ま、いいですよ」

 

そして、あれ以来出会う度に喧嘩を仕掛けてくる。頭を軽く掻きながら、既に両手を握って構えている彼から少し距離を取る。

 

「こいし、少しお腹を空かせてきますね」

「はーい。じゃ、わたしはあそこで待ってるからね」

 

そんな些細な嘘を言うと、こいしは近くの家の屋根に飛び乗った。そして、周りの妖怪達が喧嘩の気配を感じ取ったのか、わらわらとわたしと彼を囲み始める。気付けば小柄な妖怪が賭け金の集計を始める始末。まぁ、別に構わない。これも毎度のことだ。

 

「さ、好きなようにどうぞ」

「その余裕そうな面、叩き割ってやるよ」

「これから美味しいもの食べるんだ。割られたら困る」

 

両腕をダラリと降ろし、特に覇気もなく彼の様子を伺う。ジリジリと距離を詰めて来るけれど、わたしはその場で待機し続ける。

 

「おらあっ!」

 

そろそろかな、と思ったところで彼が僅か二歩で距離を詰めて肉薄してくる。迫る右拳を左側に大きく跳んで回避し、追撃を受けない距離まで離れる。一撃でお終いだから、当たらないようにする。

けれど、いつまでも躱し続けていたら終わるものも終わらない。着地した左脚を深く曲げ、思い切り跳び出す。真っ直ぐと伸ばした右脚を片腕で防御されるが、そのまま踏み台にして跳んで彼の上を取り、前方二回転の踵落としを叩き込む。

 

「ぐ…っ」

「…あら」

 

わたしが振り下ろした踵を、彼は両腕を交差して防ぎ切った。これ、前回の決まり手だったのに。

すぐに交差した両腕を振り払われたことで、わたしは軽く吹き飛ばされてしまった。片手と両脚を地に着けてガリガリと地面を削りながら減速し、どうにか人垣一歩手前で何とか停止する。流石は鬼だ。萃香や勇儀さんよりは弱くても、十分な怪力。

 

「二度も同じ手で負けっかよ…!」

「なら別の手にするだけですよ」

 

そう言いながら駆け出し、お互いに射程範囲に侵入した瞬間に自分が出せる最短最速の軌道の貫手を彼の鼻に突き出す。目を見開きながらも首を素早く曲げられ、わたしの貫手は頬を掠めた。僅かに皮膚を破り、血が舞う。

お返しとばかりにわたしの胴へ殴りかかってきたが、その前に彼の肩を飛び越えるように跳び、左脚の爪先に掠めつつも避け切る。けれど、当たったことには変わりなく、僅かに体勢が崩れながらの着地となってしまった。片手を地に着け、腕から肩、背中と転がってすぐさま立ち上がる。…左脚の爪先がかなり痛い。骨が砕けてはいないと思うけれど、このままでは少し力を入れづらいかも。

 

「そらそら!」

「っ…」

 

振り向きながらの一歩で肉薄され、右、左と乱打が飛んでくる気配。一発喰らってしまえば、それ以降も続けざまに喰らうことになる。…これは、避けられそうにない。…はぁ、しょうがないか。

左から来る右拳を左手の甲で、右から来る左拳を右手の甲で触れ、外側へ一気に押し出す。瞬間、自分の手の甲から嫌な音が響く。…あぁ、骨に罅でも入ったかなぁ。

けれど、これで彼の胴はがら空きだ。彼の攻撃を往なすのはこれが初めてで、それはどうやら予想外の行動だったらしく目を見開いて狼狽えている彼の顎を蹴り上げ、蹴り上げた足を大地に踏み下ろしながら全力で振るう右拳を彼の顔面に叩き込む。手の甲から走る痛みなぞ気にせずにそのまま振り抜くと彼の後頭部は地面に埋まるように落ち、ピクピクと痙攣して動かなくなった。グシャリと嫌な感触を覚えるけれど、まあ二、三日もあれば治るそうだからあまり気にしないでおこう。

右拳に付着した血を軽く払い、ゆっくりと右手を上げた。すると、人垣から喜びに満ちた感性と悲観に満ちた絶叫が入り混じったものが響き渡る。思わず耳を塞ぐと、両手から先程よりも鋭い痛みが走った。…あぁ、これは思ったより酷いことになっているかもしれない。

軽く痛覚遮断をしつつ、しゃがみ込んで彼の肩を数度叩く。すると、彼はすぐに目を見開いた。相変わらず起きるのが早い。

 

「大丈夫ですか?」

「…あ、あぁ…、なんどがだいびょうぶだ」

「大丈夫そうじゃないですね。…また今度、楽しみにしてますね」

「…ぢぐじょう、まだ負けだが…」

「悪いですが、わたしだって簡単に負けてられないんですよ」

 

そう言いながら彼の手を取り、ゆっくりと持ち上げる。どうにか立ち上がらせてからその場を離れる。屋根の上に座っていたこいしの元へゆっくりと浮かび上がりつつ『紅』を発動し、両手の甲と左脚の爪先を治癒させる。

 

「ただいま、こいし」

「おかえり、幻香。大丈夫?」

「もう治ったかな。大丈夫ですよ」

 

痛覚遮断を解除し、手の甲を軽く突きながらそう言った。…うん、痛くない。左脚の爪先で屋根を軽く突いても特に痛みはない。一通り確認も済んだところで『紅』も解除する。

念のため両手を開いたり閉じたりしていると、こいしは持っていた金属板をチャリチャリと小さな袋の中に仕舞った。

 

「お金も少し増えたし、すぐに行こっか!目指すは完食!」

「いや無理だって」

 

 

 

 

 

 

「…いや、本当に無理だって…」

「あははー。だーよねー」

 

こいしの声が肉の山の向こう側から聞こえてくる。これを何処から食べろと。座ったままでは手を伸ばしても届かない上からか。多種多様の肉が使われてることは見れば容易に想像出来るけれど、数匹分の肉がこうして積み上げられると最早狂気すら感じる。こんなの一体何処の誰が食い切れるっていうんだ。

 

「ちなみに、時間内に完食出来たらあそこの壁に名前を書く権利が貰えまーす」

「壁に?どれどれ…」

 

肉の山からヒョッコリと飛び出したこいしの指の向こうにある壁を見ると、確かに数人の名前が書かれていた。そして、その中心には一際大きく乱暴な筆跡で星熊勇儀と書かれていた。…あの人、これを食べ切ったのか。

思わず頬を引きつらせていると、逆側に立っていた妖怪が机にトンと何かを置いた。

 

「じゃ、食べ始めるときは先に三百ここに置いてからこの砂時計を引っ繰り返しな。これを食い切れるか、地上の?」

「…出来ると思っています?」

「はは、無理だろうな」

 

チラリと砂時計の砂の量と通る細い管の太さを見遣る。…これ、大体二時間くらいか?

 

「ちなみに、時間内に食い切れなくても全部食い終わるまで残って構わないからな。持ち帰りも自由さ」

「…大きめの箱を準備しておいてください」

 

こいしから事前に受け取っていた三枚の四角い銀板を砂時計の隣に置き、ため息と共に砂時計を引っ繰り返した。

そして約二時間後。結果は山の半分も食べ切ることが出来なかった。当たり前だよね。…うぷ。

 



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第319話

金剛石を手に取り、妖力を流す。分子構造が頭の中を埋め尽くしていくのを感じつつ、過剰妖力をしっかりと含めて複製。七つ創ったところで急激な妖力消耗による脱力を覚えたので、そこでやめておくことにした。

…んー、パチュリーのところで複製した緋々色金より一回り小さいことも相まって、金剛石一つにつき約一割といったところかな。知っていたことだけど、仮に同じ大きさだったとしても緋々色金よりも効率悪いな。けど、フェムトファイバーよりは効率がいい。

さて、問題はこれをどうやってネックレスに飾り付けるかだよなぁ。不格好に鎖で貫く?何か別の金属に溶接してから吊るす?いっそそのまま持ち歩く?…吊るすか。

中心から少し外れた部分に細い穴を空けるように部分回収し、その穴を通した輪をパチュリーの作った合金で部分複製する。その際に複製する輪が鎖を通すことを忘れずに。これを五つの金剛石全てに施し、改めて首に吊るす。多少重くなってしまったけれど、それは必要な犠牲だ。

 

「…お気に召しましたか?」

「うん、使いやすい」

 

爪で引っ掻いても傷つかないことを試していたら、椅子に座って軽く頭を押さえているさとりさんがそんなことを訊いてきた。答えたとおり、これは使いやすい。緋々色金より過剰妖力量が少ないけれど、それでも十分な妖力量を内包出来ている。

 

「一つくらいならあげますよ。どうせ使い道に困っていたものですから」

「はは、地上じゃとんでもなく高価なものの一つなんですけどねぇ」

「地底でもそれなりに高価ですよ。ただ、見ての通りあり余ってますので」

 

旧地獄を鬼達が開拓した結果として産出したらしい大量の宝石。その大半がこの部屋に放置されているとか。

 

「使い道に困っているなら飾り付ける素材にでもすればいいのに。権力者が自らの財力を見せつけるための手段の一つ、だそうですよ」

「見せつけたところでここでは関係ありませんから」

「それは見せつける意味がないから?それとも、見せつける必要がないから?」

「両方ですよ」

 

ですよね。旧都では財力がそこまで重視されていないから見せつける意味がなく、既にさとりさんは旧都に対して大きな影響力があるから見せつける必要もない。…ま、地霊殿という巨大な建造物自体が財力の象徴とも言える気がするけれど。

そんなことを考えながら、先程複製の元に使った金剛石を握り込む。わざわざ別のを選ぶ必要もないし、これでいいや。

 

「それで、貴女はこれからどうするつもりですか?」

「庭で運動」

「そうですか。無理はしないでくださいね」

「はーい」

 

間延びした返事を返しつつ、少しふらつきながら部屋を出る。妖力消耗による脱力は少し歩けば慣れて気にならなくなるのであまり気にしない。けれど、それまでは少し頭がボーッとする感じがする。

そんなフワフワとしたまま地霊殿から庭に出た。慣れて気にならなくなるという予想は外れ、まだ少し力が抜けている感じがしたため、両腕を上に伸ばしてから軽く頬を叩く。…よし、やるか。

目の前に鉄塊を創造し、軽く手を当てる。硬く冷たい感触を感じつつ、何となく殴りやすそう場所を探る。そして痛覚遮断。両手を軽く握り、右から二発ずつ殴り付ける。ガガガガ、といい音を響かせて揺れる鉄塊に右脚を真っ直ぐと伸ばして蹴飛ばした。グワァン、とさらにいい音を響かせつつ僅かに跳ね上がった。

その後も幾度となく鉄塊に殴る蹴るを続けていく。けれど、鉄塊には碌な傷も付けることが出来ない。その代わりに殴った場所が僅かに赤く染まっていく。どうやら皮膚が破けてしまったらしい。

 

「…はぁ。まだまだだなぁ、わたし」

 

握り拳を見下ろし、思わずため息を吐いてしまう。わたしは単純な力で強者に勝ったことがほとんどない。奇策を練り邪道を歩み非常識を持って掟を破ることで勝利を掴んできた。けれど、そんな小細工を丸ごと吹き飛ばす、圧倒的な存在がいることをわたしは知っている。だから、わたしは小細工抜きでも戦えるようになりたい。…それがとても遠い目標だとしても。

傷を塞ぐために『紅』を発動させ、そのついでにこの状態のまま鉄塊を殴り付ける。ただし『目』は狙わない。普段の何倍もの威力が出ていると実感出来る感触。鉄塊が拳の形で凹み、少しばかり吹き飛んだ。そして、新たな『目』が点々と増えたのが見える。こうして衝撃を加えたことで弱い部分が増えてしまったのだろう。生き物相手だとこんな簡単に増えないんだけどなぁ。

それからも殴り続けること七発目。うっかり『目』を潰してしまい、儚い音を立てて鉄塊を破壊してしまった。砕けてしまった鉄を回収しつつ『紅』と痛覚遮断を解除する。手と足がヒリヒリと痛むけれど、少しすれば薄れていくだろう。

 

「んー、難しいなぁ…」

 

これが生き物相手だったら、うっかり殺してしまうことになりかねない。今までも注意して使ってきたつもりだけど、これから失敗してしまうかもしれない。もしそうなったらどうなってしまうかなんて考える必要もない。かなり面倒なことになるのは明々白々。だから出来ることなら対人戦では使いたくないんだよなぁ。

粗方回収してまだ残っている鉄を見ながら、こんなことせずとも鬼ならば自慢の怪力で簡単に壊せるんだろうな、と頭を過ぎる。わたしが何度も勝っているあの鬼でも出来るのだろう。ちょっと羨ましい。

 

「次は…、少し動くか」

 

具体的には走行と飛行の速度。速さとは大きく分けて二つあると言われた。単純な最高速度と、初速から最高速に至るまでの早さ。複製か創造を自分自身に重ねて弾かれるという行為は両方面で優れている。端まで弾かれるのは一瞬なのだから。…まぁ、弾かれる道中に何かあった時に避けれないという欠点があるけれど、逆に使えば道中にいる人を思い切り轢けるということになる。

そんな技術が頭にこびりついてたまま、真っ直ぐと駆け出した。脚を前へ前へと伸ばし、どんどん加速していく。庭の端の一歩手前で急減速し、反転しつつ走り出す。そして、元の位置に戻った。…んー、微妙。もっと早く、速くならないと。

続いて少し浮かび上がり、真っ直ぐと翔け出した。体を前へ前へと伸ばしていくけれど、全然速くならない。飛んでて少し悲しくなってきたので、庭の端に着いたところで着地した。…はぁ、友達の大半は走るより飛ぶほうが速い。そして、わたしのその中でも最下位付近にいる速度だろう。日常的に妖力を噴出するなんて嫌だよ、わたしは。

…やっぱり、走る方はまだしも、飛ぶほうは相当遅い。これもどうにかしたい課題の一つだ。

 

「これはすぐに解決出来る課題じゃないよなぁ。…はぁ」

 

そんなことを独り言ちながら仰向けに寝そべった。地底の天井を見上げていると、飛び方とか訊いとけばよかった、と地上に思いを馳せてしまう。…駄目だ、今はまだ。戻るわけには、いかない。

…別のことをしよう。天井に向けて掲げた右拳から人差し指を伸ばし、ジィ…っと見詰める。そして、頭の中でひたすらに言葉を紡ぎ出す。

『回転』『旋回』『グルグル』『廻転』『螺子』『輪転』『旋転』『回る』『自転』『ギュイィィィィン』『回る』『螺子』『回転』『螺旋』『グルグル』『旋廻』『廻転』『螺子』『輪転』『旋転』『回る』『ギュイィィィィン』『回る』『螺子』『回転』『旋回』『廻転』『回る』『輪転』『旋転』『廻る』『グルグル』『循環』『旋廻』『廻転』『螺旋』『円転』『回転』『旋回』『グルグル』『円転』『回転』『旋回』『回旋』『廻る』『旋廻』『旋転』『回る』『ギュイィィィィン』『回る』『螺子』『旋回』『廻転』『輪転』『回転』『廻旋』『グルグル』『廻る』『回転』『廻旋』『廻る』『旋転』『回る』『回旋』『旋廻』『廻転』『ギュイィィィィン』『回る』『円転』『旋回』『回旋』『旋廻』『廻転』『回転』『旋回』『回旋』『廻る』『旋廻』『廻転』『円転』『回転』『旋回』『回旋』『廻る』『旋廻』『廻転』『輪転』『回転』『旋回』『グルグル』『旋廻』『廻転』『螺子』『輪転』『旋転』『回る』『ギュイィィィィン』『回る』『螺子』『回転』『旋回』『廻転』『回る』『輪転』『旋転』『廻る』『グルグル』『円転』『回転』『旋回』『回旋』『廻る』『旋廻』『旋転』『回る』『ギュイィィィィン』『廻る』『旋回』『回旋』『旋廻』『廻転』『回転』『旋回』『回転』『螺旋』『回旋』『廻転』『輪転』『旋転』『円転』『螺子』『回転』

 

「…あ」

 

シィィィィィ…と静かな音を立てて人差し指が回転し始める。うん、前より明らかに早くなってきた。先程創造した鉄を手に創り出し、人差し指を押し当てる。ギュイィィィィンと耳を劈くような甲高い金属音を響かせながら少しずつ削り取っていく。…うん、相変わらずだ。

少し止めてみるかな、と思った途端に人差し指は回転速度を少しずつ落としていき、普段とは真逆の向きで停止した。ちょっとこのまま放置するのは何となく嫌だったので、左手で摘まんでキリキリと半回転。

そして、停止した人差し指の第一関節の横に親指を当て、親指は下に人差し指は上に擦るように弾く。すると、再び人差し指は回転をし始めた。…うん、上手くいったかな。

再び停止させ、右手を強く握り込む。そして戻るように強く意識すると、人差し指はいつもと変わらないものへと戻っていった。左手で摘まんで回そうとするけれど、皮膚が引っ張られるだけで回ろうとはしない。

 

「ちょっとー!滅茶苦茶な音であたいの仲間たちが大混乱なんですけどー!?」

「あー、ごめんなさーい」

 

地霊殿の窓からお燐さんに大声で叱られながら、わたしは立ち上がる。これからだ。わたしは変わらなくてはならない。

 



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第320話

頭の中で二本の線が真っ直ぐと、しかし決して触れ合うことなく動き続ける。交差せず並行でもないねじれの位置。一本、また一本と線が増え続けていき、その全てがねじれの位置となって動き続けていく。…駄目だ。ここから何か思い浮かぶかも、なんて思ったけれど引っ掛かる気配がしない。これについては、また今度にしよう。

 

「おーい、幻香ー。聞こえてるー?」

「…え?…あぁ、すみません。ちょっと考え事を」

 

突然声が聞こえ、ハッとする。すぐに声が聞こえてきたところに顔を向け、そこにいたこいしに謝った。

 

「最近、ずっと考えてるね。ただでさえ暑くなってきてるのに、知恵熱出しちゃうよ?」

「確かに暑くなってきましたねぇ。これからもっと暑くなるんですか?」

「なるよー。しかもムワッと蒸し暑く」

 

やっぱりかぁ。どうやら夏も近付いてきたみたいだし、そりゃそうなるよねぇ…。これから先のことを少し考え、思わず手で顔を煽ぐ。

 

「蒸し暑いのはあんまり好きじゃないかなぁ…。汗が不快だし」

「辛いの食べて沢山汗かくのは気持ちいいと思うけど?」

「そんな風に汗かくくらいなら走って汗かいたほうがいいです」

 

あれからもこいしに連れられては何度も激辛料理を口にしてきたわたしだが、その刺激物に未だに慣れることが出来ていない。痛覚遮断のお世話になりっぱなしだ。

そんなことを思い返していると、気が付けばこいしの顔がわたしの目と鼻の先にまで急接近していた。思わずこいしの両頬を挟み取ってしまい、ぷぎゅ、と変な声を出したこいしを引き剥がした。

 

「痛たた…。で、何を考えてたの?」

「んー…、そう簡単に説明出来るものじゃないですよ」

「簡単じゃなくていいから教えてよ。こういう時は、一人より二人だよ?」

「…そうですね。じゃあ、少しばかり長くなりますよ?」

「ドンとこーい!」

 

やけに自信ありげに胸を叩くこいしだけど、ちゃんと理解出来るだろうか?出来るように話すつもりだけど。

 

「ズレた世界について考えてたんですよ」

「何それ?」

「わたしが地上へ戻る必要最低条件です。彼女の夢想天生は、その場に存在しながら触れることが出来ない。八雲紫曰く『私達のいる世界からすら浮き、少しずれた世界にいる』ものだそうで、これをどうにかしないといけないんですよねぇ」

「ズレた世界かぁ…。いきなり言われてもサッパリ分からないや」

「ですよね。結構考えてるわたしでもそう思っていますよ」

 

こいしが両腕をねじれの位置にしてうんうん唸っている。わたしと同じ観点をから考え始めていることが少しばかり嬉しいような気分になったけれど、別の観点から考え始めてほしいと思う自分もいた。

ズレていれば当たらないのは当たり前なんだ。目の前に直進弾を撃って、その直線上からズレた場所にいれば当たらない。こんなことは誰でも分かることだ。けれど、半透明だったとはいえ霊夢さんは飽くまで直線上に存在していた。その場に存在しながら当たらない。だから意味が分からない。

 

「実は煙みたいになって触れられないだけ、とかはないの?」

「本当にその場に存在していたなら、わたしは認識出来るはずなんですよ。ほら、妖力を流して空間把握をすれば形を把握出来るでしょう?」

「あー、そんなこと出来るって言ってたね。けど、違ったってことだよね?」

「ええ。その場にいるはずの彼女に薄く妖力を流そうとしましたが、これも当然のようにすり抜けたんですよねぇ。煙みたいな微粒子になっていたならその状態を把握出来るはず。けれど、そもそも存在しないかのようにわたしの妖力は流れていった。目の前に存在しているはずなのに、その場には存在していない。この矛盾を崩す画期的な発想が欲しいんですが、なかなか思い付かないんですよ…」

 

しかし、風見幽香は何の問題もなく殴り飛ばしたらしい。意味が分からない。けれど、この前例が不可能ではないことを示してくれている。だからそう簡単に諦めるわけにはいかない。

 

「そんなに難しいなら、わたしが本人に直接訊いて来てもいいよ?それか、その八雲紫っていうのでも」

「駄目。霊夢さんは自分で自分がやっていることを理解していないみたいですし、八雲紫は下手に接触したらどうなるか分からない」

「そっかぁ…。んー、難しいねぇ…」

 

いっそのこと、風見幽香の領域まで到達するか?…いや、そんな簡単にいけるはずないか。何年必要になるのか分かったものじゃない。

それからはお互いに黙って考え続けていたが、やがてこいしが帽子の上から頭をガリガリと掻き毟り始めた。

 

「だぁーっ!分っかんない!このことはまた今度!」

「そうですね。行き詰った状態で考え続けても堂々巡りになりがちですから」

 

思い付くときはすぐに思い付くし、思い付かない時はいくら考えても思い付かないものだ。それでも考え続けて無理矢理答えを導くこともあるけれど、今はそこまでする必要もない。思い付かないならば、百年くらいここで待っていればいい。そんな逃げ道があるからこそ気楽に考えることが出来る。

 

「他のことしよ他のこと!幻香は何かある?」

「あー…、他にも考えていることならありますよ。切札とか」

「よしそれにしよう。幻香の新しい切札かぁ…。んー…」

「難しいんですよねぇ、これが意外と。弾幕遊戯とわたしの能力はどうしても噛み合わないから」

 

というか、わたしの能力を使ったスペルカードがほぼ出尽くしている。弾幕を複製する鏡符「幽体離脱」、相手を複製する鏡符「多重存在」、ものを複製する複製「巨木の鉄槌」、複製したものを炸裂させる複製「炸裂緋々色金」、複製したものを利用する複製「緋炎」など。派生形は多々あれど、完全に新しいものとなると難しい。

 

「そうなると魅せる切札くらいしか残ってないよね」

「そうなんですよねぇ…。けど、魅せる暇があったら被弾させよう、って考えません?」

「この際、その考え方は退けちゃおう」

 

こいしは前に出した両手を横にずらす動作をしながらそう言った。ま、そうでもしないと新しい切札は出来ないよなぁ…。しょうがないか。

窓際まで引っ張られ、こいしは窓を全開にした。そして、すぐさま窓から外へ妖力弾を一発撃った。その妖力弾は途中で薔薇が咲くように花開き散っていく。

 

「幻香はどんな風に撃てる?」

「どんな風、ねぇ」

 

言われるがままに、最速で直進する妖力弾、途中で停止する妖力弾、途中で炸裂する妖力弾、急激に曲がる妖力弾、地面や壁で跳ねる妖力弾、自らの意のままに操る妖力弾、途中で幾千に分裂する妖力弾、と次々と撃ってみる。こんな妖力弾、こいしは何度も見たことがあるはずだ。

 

「…幻香さ、これのどれかを特化させればそれだけで切札になると思うんだ。というか、切札ってそういうものだよね」

「そうですか?けど、これらの一部は鏡符『幽体離脱』の派生形に使ってますからね」

 

直進弾は「集」と「散」と「乱」、停止弾は「滅」と「妨」、操作弾は「纏」と「操」で使っている。炸裂弾は普段から『幻』を使って放っているため、切札に使うのはどうかと思う。残ったのは、跳弾と幾千に分裂する妖力弾の二つか。

 

「それに、跳弾は基本的に閉所じゃないと使いづらいですよ」

「それなら最後のを切札にすればいいじゃん」

「名前は?」

「花火とか流星群とかでいいんじゃない?」

「…やっぱり難しいですね、名付けって」

 

花火は炸裂弾のほうがそれらしく見えると思うし、流星群と言われるとどうしても魔理沙さんの星形弾幕じゃないといけない気がしてくる。けれど、わたしはあんな風に綺麗な形にするのが苦手だ。今ならやろうと思えば出来そうだけど、そんな暇があったらさっさと撃ったほうがいい。

…って、この考え方を退けよう、ってこいしに言われたじゃないか。…はぁ、染み付いた考え方はなかなか変えられないなぁ。

名前を考えながら、窓から何発も撃ち続ける。親指から小指へ順番に回し撃ちをし、視界をわたしの妖力弾で埋め尽くしていく。

 

「うん、これなら切札として使えるよ。こいし印で認定してあげる!」

「けど、この妖力弾は今まで普通に撃ってきてたんですけど」

「これから切札にするなら使わないように気を付けないといけないね」

「…ですよねー」

 

切札にするということは隠さなければならない、ってことなんだよなぁ。…まぁ、通常弾幕と切札の格差が必要なんだ。このくらいは飲み下さなきゃいけないよね。これまで通常弾幕として使用していたこれを切札に昇格させる、ってことはそういうことだ。

次の弾幕遊戯までに名前考えておこう、と思いつつ、わたしはまたズレた世界について考え始めていた。…どうやら答えへの道のりは長くなりそうだ。

 



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第321話

最近はこれといった仕事をさとり様から頼まれることもなく、暇潰しも兼ねて旧都をぶらつく。何をしていても汗ばんでしまう蒸し暑さ。多少炎を操れるからといっても、暑いものは暑いのだ。そんな猛暑を少しでも和らげようと考えて買った棒付き氷菓。桃の仄かな甘みと冷たさを舌で味わいながら、何か面白い事でもないかと周りを見渡した。

次の瞬間、近くからゴシャア!と破砕音が響く。そして、あたいの目の前を舞い散る木屑や砂なんかと共に吹き飛んできたあたいが空中で器用に回転して右手と両脚を地に付けて滑っていく。

 

「…ん、お燐さんじゃないですか。元気ですか?」

「元気も何も、一体何をやらかしたんだい…?」

 

口元から垂れる血を左手で拭いながら立ち上がったのは、何を隠そう幻香であった。壁に大穴を開けた壁に目を遣ると、そこはやっぱり賭博場。

そこから若干殺気を漂わせた、あたいなんかより頭三つ以上も高い筋骨隆々の大男がのっそりと現れた。両腕両脚がまるで丸太のように太く、あんなもので殴られ蹴られたらどうなるかなんて考えたくもない。

 

「何って、賭博ですよ。ちょっと盛り上がっちゃって降りるに降りれず続けてたらお金が増え過ぎちゃってね。難癖付けられて喧嘩に発展してるとこ」

「難癖も何もあんだけ勝ちまくられちゃあイカサマに決まってるだろう?オォン!?」

「うにゃっ!」

「たとえ百億分の一だろうと当たるときは当たるのが確率だ。それが四分の一を十二回繰り返す、一六七七七二一六分の一だろうとね」

 

とんでもなく低い声で威圧され、関係ないにもかかわらず慄いてしまったあたいだけど、威圧を直接受けているはずの幻香はまるで気にしちゃいない。いつもと変わらない微笑みを浮かべてすらいた。

騒ぎを聞きつけて喧嘩の気配を感じ取った近隣の妖怪達が、あたいを含んだ三人を囲み始める。冗談じゃない。あたいは巻き込まれた側だ。慌てて幻香を置いて人垣の中に跳び込んだ。

ようやく落ち着いたところで、妖怪達の中に潜り込んだことでむせ返る熱気を浴び、手に持っていた氷菓を舐めた。ジャリジャリとした砂の感触を味わい、思わず吐き出す。…あぁ、あの時かかったんだ。

 

「あんの馬鹿…!」

 

砂塗れになった氷菓を踏み砕いてこれを幻香の所為にしつつ、前にいる妖怪の間から二人の様子を伺う。腰を深く下ろし両腕を前に出して今にも跳びかかろうとしている筋骨隆々の大男、呆れたようにため息を吐きながら頭をガリガリと掻いている幻香。これから喧嘩が始まるとは思えない雰囲気だ。

 

「よっ、お燐じゃないか。あんたはどっちに賭ける?」

「うわっ!…あー、ま…地上のに三十?」

「はいよーっ!」

 

突然足元に現れた小柄な妖怪に賭け金を言ってから、慌ててお金を用意する。というか、あたいは今幾らって言った?えーと、三十だったような?

手渡したお金は問題なかったようで、小柄な妖怪は笑いながらあたいの隣に止まった。どうやら、賭け金の収集はあたいが最後だったらしい。

 

「いやぁ、最近はあの賭博荒らしに賭けるのが多くなってきたんだよねぇ。案の定お燐もそっちに賭けたし」

「え、あ、うん。まぁ、そうだね」

 

どう考えても、あんな筋骨隆々の男が相手だろうと、あの幻香が負けるなんて思えなかった。そう思ってしまう自分が、少しばかり悔しかった。

いや、それよりも何なんだいその賭博荒らしって。幻香か。

 

「おっ、始まった始まった!」

 

その掛け声でちょっと考えていた思考を断ち、目の前の喧嘩を観戦する。両腕で顔を守りながら全身を使った体当たりを、幻香は何と両腕を真っ直ぐと前に出して受け止める姿勢になった。とんでもない音を鳴らしてぶつかり合い、両足が勢いよく地面を削っていく幻香の両腕はひしゃげることなく、人垣ギリギリで止まった。割れるような歓声。というか、あんな細い腕でどうやったらあんな巨体を受け止められるって言うんだい…?

そのまま大男を持ち上げて地面に投げ付け、素早く前方一回転の踵落としを叩き込む。その後も起き上がる暇も与えずに至る所を踏み付け続け、やがて大男は動かなくなってしまった。あまりに一方的な結果ではあったが、幻香が大男の首根っこを掴んで持ち上げてから一拍、勝敗を決する大歓声が沸き上がった。

 

「そいじゃ、配りに行きますか!おっと、あんたにゃ四十二だな!」

「あ、ありがと」

 

多少増えたお金を受け取り、ボーッと立ち尽くしてしまう。それから十数秒後になってからようやく賭博場の入り口の扉の向こうにいた受付の妖怪に話しかけている幻香の元へ駆け出した。

 

「あー、お騒がせしました。わたしは十も貰えれば十分なので、残りは返金しますね」

「こんの馬鹿ーッ!賭博は控えな、ってさとり様に言われてんでしょうがっ!」

 

胸倉に掴みかかり、ゆっさゆっさと揺らす。ガクガクと揺れ動く顔はのほほんとしていて無性に腹が立った。いつまでも揺らし続けようかと考えていたら、手首を思い切り握り潰すかのように掴み取られ、掴んでいた力が緩んだところをやんわりと引き剥がされた。

 

「数は控えてますよ。ただ、一回に関わるお金の数字が大きくなるだけで」

「それが悪いってことくらい分かってるでしょう!?今回は幾らになったんだい言ってみな!」

「二万四百八十。過去最高値更新ですね」

 

思わず幻香を殴り付けたあたいは許されるはずだ。

 

 

 

 

 

 

「氷菓を買い直す羽目に遭わせたのは悪かったですよ」

「…いや、言うべき台詞はそれじゃないでしょ?」

 

幻香はあたいと自分自身で二人分の氷菓を買って一本手渡しつつ謝罪したけれど、まるで見当違いだ。…いやまぁ、これも欲しかったけども。

そう思いながらジットリと睨んでいると、幻香は小さくため息を吐いた。

 

「賭博の件ですか?だから、降りようとしても降りれず続けた結果だって」

「納得出来るかい、そんな理由で」

「いや本当ですって。八回勝ってもう止めようと思ったのに、親に止められてね。食い潰してやるから逃げるな、って言われちゃって。で、全額賭けを繰り返してたらああなった」

 

そう言われ、あの筋骨隆々の大男にそう言われるのを想像してみる。…あたいだったら竦んで動けなくなりそうだ。

 

「一回勝つごとにもういいでしょう?って確認したのに。あちらも引くに引けなくなっちゃったのかなぁ」

 

自分と同じ顔の存在が目の前で余裕そうにしている。自分よりも良い結果を出す。自分の出来ないことを平然と熟す。本人は気付いていないのかもしれないけれど、存在そのものが挑発しているとあたいは感じている。

隣で氷菓に齧り付いている幻香を、そんな嫉妬交じりの目で見ていた。ふと目が合ったけれど、気にせず氷菓を齧り続けていく。…そういう態度が、いや、これ以上は止めておこう。嫉妬はパルスィにでも任せておけばいいんだ。

 

「お燐さんはこれからどこに行くんですか?」

「…見張ることにするよ。自主的にね」

「わざわざ仕事を増やすことないのに。ほら、弾幕遊戯でもして遊べばいいと思いますよ」

 

そんなことを言いながら上を指差す。見上げてみれば、見覚えのある妖怪二人が弾幕を放ち合っていた。少しの間飛び交う弾幕に魅せられていると、隣にいたはずの幻香がいなくなっていた。一体何処へ、と思いながら周りを見渡せば、遥か先に小さな背中があった。先程自分で言っていたことをこんな簡単に失敗するのは癪なので、すぐにその背中を追いかける。

ようやく追い付いた幻香の横顔を見遣ると、そこには氷菓を食い尽くして棒だけになったものを咥えて難しい顔を浮かべながら両拳をコツコツとぶつけていた。あたいには何をしているのかサッパリ分からなかった。

 



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第322話

最近の幻香さんは変わった。…いや、元に戻った、と言うべきかもしれない。

ここに始めてきた時は張り詰め過ぎていると思うほど警戒に警戒を重ねていた幻香さんですが、今では大分緩んでいる。こいしの件が解決して一つの拠り所となったこともあるでしょうけれど、それ以上に幻香さん自身が地底を、旧都をそこまで警戒せずともいいと思い始めていることだ。

 

「最近の調子はどうですか?」

「え?…あぁ、特に問題ないですよ。さとりさんのほうはどうです?」

「私も特筆しなければならないようなことはありませんよ。強いて言えば、貴方がまた賭博でやらかしたことくらいですかね」

「ぅぐ。…悪かったですよ」

 

幻香さんには賭博で異常な吊り上げをしないように、と言っているのに半ば無視されていることは知っている。周りの流れから、親による半強制的吊り上げから、稀に自らの意思によって莫大な金が動いていることはペット達から報告されている。誰が呼び始めたのか、賭博荒らしなんて通称がくっ付く始末。けれど、それはそれで旧都にとって一つの楽しみになっているというのだから皮肉な話だ。結局最後には幻香さんが金をほぼ返却してしまうこともあって賭博場からの苦情も思っているより少ない。

 

「調子はよし。…ですが、何やら難しいことを考えているようですね。…ズレた世界、ですか」

「難しいですよ、本当に。さとりさんも考えてみます?」

 

だからこそ、こういうことを考える余裕が出来ている。地霊殿のいるときだけでなく、旧都を歩いている時ですら考えているというのだから、きっとそうなのだろう。

 

「私よりも貴女のほうがこういうことは得意でしょう。私が考えたところで何か変わるとは思えません」

「そう言わずにちょっとくらい考えてくださいな。仕事も一段落着いたようですし、遊び感覚で付き合ってくださいよ」

「…そうですね。少しばかり付き合ってあげましょう」

 

幻香さんの頭の中を読んでみると、何とも不思議な現象があった。普通の壁に体当たりをすれば普通はぶつかってお終いだ。しかし、数億分の一以下の確率でもしかしたら自分自身を構成する原子が一度完全に分解されて壁を構成する原子と原子の間を通り抜けてから再結合されることで壁をすり抜けるかもしれない、というトンデモ理論。原子とは物体の最小単位だとかなんとか。…まぁ、つまり幻香さんの頭の中によく浮かび上がるあの物凄く小さな粒々のことらしい。

つまり、夢想天生なるズレた世界へ浮くらしい妙技は、こちらの攻撃は原子と原子の間をすり抜けて回避され、あちらの攻撃は原子と原子がぶつかり合うことで喰らってしまうのではないか、とのこと。…ハッキリ言って、そんなことが有り得るのでしょうか?というのが私の本音だ。

そもそも、すり抜けるだけならそんなトンデモ理論を使わずとも、その辺に浮かんでいる悪霊が日常的に行っているようなことだ。生身の人間に出来るかどうかは知らないですが。

 

「…本気でそんな理論が答えだと思っていますか?」

「いえ全然。けどまぁ、零ではないかなぁ…、くらいには」

 

しかし、この理論では八雲紫の言っていたらしいこの世界から浮くとは少し外れているのではないか、とのこと。幻香さんの理論では、飽くまでこの世界で起こり得る可能性だから、らしい。ついでに言えば、そもそもこの理論って浮くと関係ないかな、とも。

正直な話、私には付いて行けなさそうな話だ。遊び半分で付き合うくらいじゃないとやっていられなさそう。

 

「攻撃となる対象に当たらなければ喰らわない。当たり前だけど、サッパリなんだよなぁ…」

 

そうぼやきながら、幻香さんは過去に見た夢想天生を思い返していた。その姿は半透明で、まるで空気のよう。こちらの攻撃は触れも出来ずに普通にすり抜けていく。その隙に放たれた掌底を腕で防御しようとしていたが、その腕をすり抜けて懐へ深く入っていく。…確かに当たらない。喰らわない。すり抜ける。しかし、当たる。喰らう。受ける。

幻香さんは、これに真正面から勝ちに行くつもりらしい。そうでないと博麗の巫女に勝利したと言えないから。

 

「ズレ…。一直線上を通る攻撃から外れる、つまりズレてしまえば当たらないのは当たり前ですね。ですが、相手はその直線上にいながら当たらないのですか。…えぇ、私にもサッパリ分かりません」

「そうですか…。あーあ、何かきっかけが欲しい…。引っ掛かりでいいんだ。それさえあれば、どんな難題だろうと解けるはずなんだ…」

「そもそも、世界から浮く、とは一体何でしょう?」

「…世界とか言われてもなぁ。幻想郷以外の世界とか、月の都と地底と外の世界くらいしか知りませんよ。月の都と地底は幻想郷と言ってもいい気がしますが。…さとりさんは何か知ってますか?」

「全く。天界も魔界も冥界も幻想郷の内部でしょうから」

「天界?魔界?…ま、いいや」

 

どうやら知らないらしい。私の書斎のかなり奥のほうにそれについて載っているものがあったはずだが、幻香さんはまだそこまで読み進めていないようだ。

行き詰っている幻香さんは、急に頭の中で三本の線を思い浮かべてそれを創り出した。三本の線の中心が触れ合い、かつ直角になるように組み合わせ、それを持ってクルクルと回していく。

 

「縦、横、奥行き。点なら零本。線なら一本。面なら二本。…そして世界は三本。最低限三つ情報があれば、正しい座標を導ける。…けど、足りないんだよなぁ。確かにその座標にいるはずなんだ。けれど、そこにはいないんだ。本当、意味分からないよね」

「足りないなら増やせばいいのではないですか?」

「増やす、ねぇ…。どうやって?」

 

そう訊き返され、私は少しばかり考えてみる。…ええ、分からない。けれど、それでいいのだ。

 

「それを考えるのが貴女でしょう?」

「…ま、そうですね。考えてみますか。四次元空間ねぇ。時間軸じゃないのは難しいから全然考えたことないんだよね…」

 

そう言いながら幻香さんの頭に浮かぶのは、時間を操作出来るという一人の人間。人間も恐ろしい能力を持つようになったものだ。私がまだ地上にいた頃にそんな人間がいれば、もしかしたら私はここにいなかったかもしれない。

そんなことを考えながら、私は幻香さんを読み続けていた。広がり続ける情報の波に少しばかり気分が悪くなってくる。しかも、その中身がほとんど意味不明なのだから余計にだ。

断片的に理解出来たものを並べてみると、本来四次元は理解出来るものではないらしい。平面しかない者に球体を見せたら、その者は円と答えるだろう。同様に、私達から四次元の何かを見せられても三次元でしか捉えることが出来ない。…とのこと。そんなものを無理矢理でも考えている幻香さんは、やはりどこか異常だ。

 

「…うん、簡単には解けなさそう。関係あるかどうかは知らないけれど、これはこれで考え甲斐がありそうだね」

「そ、そうですか…」

 

そう言って妖しく笑う幻香さんを見ていると、変わったな、と思う。これは元に戻ったのではなく、純粋な意味でだ。

少し、確認してみよう。

 

「…幻香さん。仮にですが、霊夢さんが亡くなって夢想天生のことを考える必要がなくなったとして、貴女はそれについて考え続けますか?」

「考えますよ。無知は恥です。未知の幸福より、既知の不幸。未知を探究し、既知を追究する。これが重要なんです。だって、わたしには次がないんですから」

 

…やっぱりだ。幻香さんにとって、夢想天生の謎は博麗の巫女を超えるためというよりも、その原理の追究に重きを置いている。結果としては変わらない。けれど、以前と変わってしまったところだ。

知識欲の肥大化。前からそうだったようですが、最近はより一層貪欲になったと感じざるを得ない。何か理由があったのかもしれない。何か原因があったのかもしれない。けれど、私には分からない。

 

「…貴女は貴女ですね」

「当たり前でしょう?わたしはわたしですよ」

 

けれど、幻香さんは幻香さんだ。多少変わってしまっても、本質は変わらない。

 



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第323話

「螺指」

 

その一言と共に右手の人差し指を親指で軽く押さえ、人差し指を思い切り弾く。シィィィィィ…と静かな音を立てて回転を始める人差し指を眺め、ここまで短縮化出来たことに喜びを感じる。痛覚遮断をしつつ左手の真ん中にゆっくりと押し当てると、肌を一瞬で引き千切って肉を食い破り骨を削り取る音が飛び散る血肉と共に聞こえてくる。顔に跳ねて口元に垂れてきた血を舐めとりながら回転する人差し指を止めた。そして、人差し指をいつもの姿に戻してからグチュリと濡れた音を立てて一気に引き抜く。血肉の付いた人差し指を口に咥えながら貫通した左手から向こう側を覗いていると、思わず顔がほころんでしまう。

 

「…うわぁ」

 

そんなわたしに滅茶苦茶引きながらすれ違うお燐さんの顔が左手の穴の向こう側に見えたけれど、今は成功の余韻に浸っていよう。

…さて、ちょっと穴から血がかなり流れてしまったし、そろそろ塞ぐか。『紅』を発動させて傷を治し、着ている服から布を部分複製して周辺の目に付く血を拭き取った。最後に顔を軽く拭い、布を右手で握り込んでから回収。右手に残った血を舐めて飲み込む。…うえ、ちょっと砂埃混じってた…。

立ち上がって舌に残った砂埃を窓から外へ捨てる。その時、やけに楽しそうに歩くこいしが目に付いた。何か新しい美味しい食べ物でも見つけたのか、それとも面白いことでも見たのか…。少し考えてから会えば教えてくれるだろうと結論付け、窓からこいしのところへ跳び降りた。

 

「うひゃっ!」

「楽しそうですね、こいし。何かいいことでもありましたか?」

「あったよー。けど、その前に幻香は顔拭いたほうがいいよ。血、付いてるよ?」

「え?まだ付いてる?どの辺に?」

「顔全体に伸ばした感じ」

 

どうやらちゃんと拭えていなかったらしい。改めて布を複製し、もう一度顔を拭う。

 

「あー、駄目駄目。乾いちゃってるからちょっと濡らさないと。…もごもご」

「…わざわざ唾液溜めなくていいですから」

 

水を少し創造して布を湿らせ、顔を拭き取っていく。…よし、これで大丈夫かな?

そう思っていたら、手に持っていた布をこいしに引っ手繰られた。そして顔を近付けるように手招きされたので、少し屈んでこいしと顔の高さを合わせた。

 

「まだ鼻の横とー、耳元とー、首元とー、…終わりかな?…うん、これで綺麗綺麗。はい、これ返すね」

「どうもありがとうございます」

 

赤く滲んだ布を受け取ってすぐに回収して僅かに残った血を舐めとり、話を戻すことにした。

 

「で、何があったんですか?」

「それね、うん。さっきまで久し振りに地上に遊びに行ってたんだけどねー」

「…地上に、ねぇ。大丈夫なんですか、それ?」

「大丈夫でしょ、多分。誰にもバレてなさそうだったし!」

 

そう言いながらやけに自信ありげに胸を張って笑っているけれど、少し心配だ。見知らぬ人なら仮に気付いても忘れ去られてお終いだけど、見知った人がいたならば気付いていながら話しかけなかっただけかもしれない、何てことを考えてしまう。

まぁ、気にしても仕方ないか、と深みに嵌る前に考えを止め、手振りで続きを促した。

 

「人里の端っこで小鳥の休憩所になりながら話を聞いてたらさ、面白いこと聞いちゃったんだ」

「小鳥て。…いや、面白いことですか」

「うん。なんかさー、最近幻想入りしたとかいう神様が信仰集めに奔走してるとか言ってたんだ!いやー、神様も大変だねぇ。神社の祠とかで寝そべってるのが仕事だと思ってたのに、案外忙しそう」

「神様かぁ。あんまりいい思い出ないな」

 

そもそもいきなり神様なんて言われてもよく分からないし、八百万の神様を喚んでその身に宿すとかいうふざけた能力を持つ綿月依姫には盛大に嫌われたものだ。正直な話、神様なんて都合のいい言い訳に使えそう、くらいにしか思っていない。困った時に神頼みをするくらいなら、自分の思考を加速させた方がよっぽどいいのだし。

 

「その神様、どんな姿なんでしょうね?」

「んー、髪が緑色で蛙と蛇の奇抜な髪飾りしてるんだってさ。他にも奇跡を起こせるとか言ってた」

「奇跡ですか…。奇跡なんて騙しか偶然の延長でしょうに」

 

百万分の一を十回連続で成功させれば奇跡だと言う人もいそうだけれど、確率上有り得ないことではない。瀕死の状態から奇跡的な回復とか言われても、生き延びる人は生き延びて、死ぬ人は死ぬだけの話だ。雨乞いを成功させたと言われても、雨を降らせるだけなら高所に微細な粉末を漂わせれば雨雲が出来ることがある。空箱の中から黄金の塊を取り出したと言われても、膨大なエネルギーを使って創り出すか手品でもすればいい。奇跡なんてそんなものだ。

 

「あっはっはー。幻香ったら厳しいねぇ。どうすれば奇跡だと思える?」

「一本だけの真っ白な棒を引いて赤い印の付いた当たりを引ければいいんじゃないですか?」

「それならわたしでも出来そう!引いたらプスッと刺して」

「そういう小細工が許されるなら奇跡も大安売りですね。買う気はないですが」

「お金で買える奇跡とか安っぽいもんねー」

 

そしてお互いにケラケラ笑い合う。しばらく笑い続け、ようやく落ち着いたところで一本棒を創り出す。色は薄紫だけど。真ん中を持ってクルクルと回し、何の印も付いてないことを見せる。

 

「どうです?こいしも奇跡を起こしてみませんか?」

「起こす起こす!」

 

棒の端を握り込み、こいしに向ける。ぬぅーん…、と唸るような声と共に両手を大きく開いて棒に何やら念でも送るような仕草をしだす。どうやらただそれっぽい動作をしているだけのようで、棒自体に何かをしている様子はない。妖力とか出してないし。

 

「そいやーっ!」

 

そんな掛け声と共に棒を掴み、一気に引き抜いた。すると、引き抜いた棒の端は真っ赤に染まっていた。

 

「やったー!印どころじゃないよ真っ赤っ赤だよー!」

「奇跡起きましたねー」

「そうだねー。じゃ、種明かし」

 

そう言いながら、こいしはポキリと棒を圧し折った。真っ白な薄い表面の内部には、真っ赤な棒が潜んでいた。…まぁ、最初からそうやって創造したからね。当たり前だよね。こいしが引き抜くときに、わたしが握っていた部分の表面を回収しただけの話。

 

「あっはっはー!幻香の奇跡、安っぽーい!」

「奇跡なんかに頼るより、もっと確実性のあることをしたほうがいいに決まってるでしょう?」

「まぁね。それに、必然の奇跡ってそもそも奇跡って言えるのかな?」

「言い張れば奇跡でしょうよ。どんな手段だろうと、それが奇跡だと思わせれば奇跡になる」

「それならわたしと幻香が会ったのは奇跡ってことで」

「それはそれは安っぽい奇跡ですね」

「どれだけ安くてもわたしにとっては他に変えられないから。価値なんて付けられないよ」

「ははっ。それなら大切にしないといけませんねぇ」

 

これからもこんな風にのんびりと過ごせればいいかな、なんて思いながらこいしの帽子越しの頭に手を乗せた。するとこいしの頬が嬉しそうに緩むので、そのままワシャワシャと撫でてみようと思ったけれど、帽子があったので止めておく。

 

「他にも色々あったよー。聞きたい?」

「へぇ、どんなことが?」

「そうだねぇ…。じゃあ、魔理沙って魔法使いが古本屋で一悶着あったこととかどうかな?」

「また盗んだんですか…」

「何故分かるのですか、幻香探偵」

「いつものことだからだよ、こいし助手」

 

そんな風におちゃらけて笑い合いながら地霊殿へと足を進め始めたこいしの隣を歩いていく。こんな時間がずっと続けばいいのに、と矛盾したことを考えながら。

 



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第324話

さとりさんのペットの一人とすれ違ったときに貰った袋から甘栗を一つ摘まんで頬張りながら、目線を少し上げて遠くのほうを眺める。相変わらず怨霊は鬱陶しいけれど、取り憑いてくる気配はない。雑音もほとんどない静かな場所だ。

特別やることが思い付かなかった時には書斎に籠っていたけれど、最近では地霊殿の屋根に座って旧都を眺めていることが多い。歩いている妖怪を、話し合っている妖怪を、食べている妖怪を、遊んでいる妖怪を、喧嘩している妖怪を、飛び交う妖怪を、弾幕を放っている妖怪を、遠くからボーッと眺めている。しかし、今日はあまり妖怪が出ていないようだ。

こうしてここに座っていると、唐突に何か思い付くことがある。馬鹿らしいことだったり、哲学めいたことだったり、以前考えることを一度止めたことだったり、色々だ。そんなときはその思い付いたことについて考える。結論が出ることもあれば、出ないこともある。

今日思い付いたことは難題で、けれどいつか解きたいと思っていたことだった。だから、今日こそはと思い、必死になって今持つ知識と時折降りてくる突飛な発想を頼りに、頭の中で少しずつ形作っていった。

気付けば秋雨が降り始め、冷たい水飛沫と共にわたしを濡らしていく。けれど、そんなものは一切気にならなかった。わたしはただただ難題に事で頭がいっぱいだった。

 

「…あーあ」

 

そして、今日思い付いたことの結論は出た。結論が出たことはとても喜ばしいことだ。けれど、グワングワンと何かが響くような感覚と共に、頭の中が今にも破裂しそうだ。世界がやけに狭く感じる。遠くにあるはずの旧都が目の前にあるように見え、思わず目を擦ってしまう。

けれど、いくら目を擦ってもこのいかれた世界はいかれた世界のまま。変わることなくわたしの視界を狂わせる。目を擦っていた手が紙のように薄っぺらく見えてゾッとする。気分が悪い。吐き気がする。けれど、そんな醜態を晒したくなくて、わたしはそれらを奥の奥に押し込んでいく。誰もいないのにね。

いつもより近くにある天井を見上げ、腕を伸ばせば触れることが出来るような気がした。そんなはずないのに、おかしな話だ。だから、手を伸ばしたわたしはいかれているのだろう。…はぁ、これはかなり駄目だ。どうにかしないと。

 

「こんなとこにいたんだ」

「…こいし」

 

そんなことを考えていたら、気付けばこいしが傘も差さずにくっ付きそうなほど近くに座っていた。当然、全身ビッショリと濡れてしまっている。そりゃそうだ。雨の中で傘も差さずにいれば、誰だってすぐに濡れ鼠になる。

 

「寒くない?」

「そこまで気になりませんよ。ただ、少し頭を冷やしたくなってね」

「そっか」

 

使い続けた頭を冷やすのには、いかれた世界に潜り込んだわたしには、ちょうどいい。もう少しすれば、このいかれた世界も元に戻ってくれるだろう。戻ってくれないと、困る。

 

「ねぇ、こいし」

「なぁに、幻香」

「外面と内面に違いのない人って、いると思います?」

「それこそいないよ。いるわけない。いるはずない」

「だよね。この世界に、そんなものあるはずないよね」

 

そんな他愛のない会話をしながら、隣に座るこいしを見遣る。…あぁ、駄目だ。こいしと目が合ったけれど、まだちょっと変に見える。まるで凹凸のある絵画を見ている気分だ。自分で自分が気味悪い。

こいしがわたしに伸ばしてくれた手が届かないと勝手に錯覚し、わたしの頬にヒヤリとした手が触れたことに驚いてしまう自分が無性に情けなく感じる。

 

「幻香、大丈夫?顔色悪いよ?本当は寒いんじゃない?」

「…もう少しだけ、待ってください。すぐ直りますから。すぐ戻りますから。…だから、もう少しここにいてくれませんか?」

「ん、いいよ。幻香の気が済むまで、わたしはここにいるから」

 

そう言って、こいしはわたしの肩に寄り添ってくれた。雨の冷たさの奥にある温かさを感じながら、わたしはこのいかれた世界から抜け出すために、動くことなく座り続けていた。

どのくらい経っただろうか。秋雨はその勢いを弱めることなく、むしろ強めている。そんな中でわたし達二人は隣り合わせに座っている。ようやくいかれた世界も落ち着き、正常な世界へと戻っていく。

 

「ねぇ、幻香」

「何ですか、こいし」

「何、考えてたの?」

 

そう訊かれ、わたしは思わず口を閉ざしてしまう。再びあのいかれた世界に片脚を突っ込みそうになり、すんでのところで留まった。…うん、もう大丈夫。大丈夫。大丈夫だから。落ち着け、わたし。

 

「…ちょっと、答えたくないです」

「そっか。もう大丈夫?」

「ええ。もう、平気です」

「それじゃ、帰ろっか。秋雨、数日続きそうだし」

「そうですか。それなら帰りましょうか」

 

一度強く目を瞑り、ゆっくりと開く。…よかった、もう安心だ。けれど、わたしはまたいつかあのいかれた世界に潜る必要がある。これは確定事項だ。避けては通れない道。だけど、今はまだいいよね?少しくらい後回しにしても、構わないよね?

少し震える脚で立ち上がり、濡れた屋根の上を歩く。天井を見上げ、手が届かないことに少しホッとした。フワリとゆっくり降下し、近くの窓を開ける。出来るだけ体中に滴る水を落としてから窓に足を掛けて中へと入っていく。

 

「…乾かすのにいい場所ってありますかね?」

「くしゅっ。…んー、部屋に戻れば拭くものあるけど」

「なら、それでいいかな」

 

今着ている服を複製しても、そこまで吸水性がよくないからあまり意味はない。髪の毛からポタポタと水を垂らしながら廊下を歩く。今更ながら寒さを覚えて口元が震えてくる。さっさと拭き取りたいところだけど、走っていく気にはなれない。ゆっくり行こうかな。

 

「あら」

「あ、お姉ちゃん」

 

角を曲がったところで何やら分厚い書籍を持ったさとりさんとバッタリ出会った。濡れているわたし達を呆れた目で見て、そして訝し気にわたしを見てから訊かれて当然なことを口にした。

 

「どうしたんですか、そんなに濡れて?」

「幻香と一緒に屋根の上にいたらこんなに濡れちゃったー」

「…ちょっと考え事をしてたら、気付けば雨が降り始めてね。けどまぁ、もうそのままでいいやと」

 

そう、無難なことを口にしておく。けれど、さとりさんは両目をスッと細めた。…まぁ、そりゃそうだよね。

隠し事を隠し切るために、わたしの頭の中を全く関係のないことで埋め尽くしているのだから。けれど、それはわたしが隠したいことがあることを証明していることとほぼ同義であって、そしてそれが一体何であるか気付けないほど、さとりさんは愚昧ではないだろう。

 

「幻香さん」

「…はい」

「後悔のない選択をしてください。貴女にはまだ時間があって、そして選ぶことが出来る権利があります。ですから、早急に決め付けることのないことを願います」

「…えぇ、そうします。それでは」

「え、ちょっとー。二人して急に何の話をしてるのー?」

 

そのことにすぐに答えることが出来ず、わたしは歩き出す。慌てた様子でこいしが後を付いてきて、さとりさんが離れていくことに少しだけ安心する。

角を曲がって少しすると、こいしがわたしの腕を掴んで立ち止まった。

 

「ねぇねぇ、教えてよ」

「…そうですね。そのことは後でちゃんと教えますから、まずは体を拭いてついでに着替えましょうか」

「むぅ。分かった。けど、ちゃんと教えてよね!」

 

こいしはビシッと指先をわたしに向けながらそう言い、わたしの腕から滑らせるように掴んだ手を動かして手を握り、引っ張って歩きだした。

…さぁ、わたしはどうしたい?多少の不都合はあれど、どう選択してもいい。けれど、さとりさんの言う通り今回はまだ時間がある。選択を決定するまでの猶予はまだ残っている。けれど、そこまで長くはないだろうな、と思った。

それよりも今は、こいしにどう話すかのほうが重要か。こいしに何て言われるかなぁ…。

 



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第325話

…酷く、静かだ。外からはくぐもった雨音が聞こえてくるはずなのに、耳鳴りがするほどの静寂が部屋を満たしている。お互いに濡れた体を拭き、手頃な服に着替えてからずっとこんな感じだ。わたしは床に腰を下ろして口を閉ざしている。こいしはベッドに腰かけて、ジッとわたしを見続けている。

…分かってる。自分から教えると言ったことくらい。…分かってる。言わなきゃ進まないことくらい。…分かってる。わたしが言わなきゃいけないってことくらい。けどさ、言い辛いことこの上ないんだよ。分かってても、この口はなかなか口を開こうとしない。喉に鉛でも詰まってるように声が出ない。

 

「…はぁ」

 

小さく漏れたため息が静寂の空間に木霊する。こんな時ばっかりやけに耳に残るものだ。

…そうだよね。いい加減、覚悟を決める時だ。そう思うと、あんなに重かった口が簡単に開き、鉛は融けて流れ落ちるのだから、分かりやすいものだ。

 

「端的に言いましょう。わたしは夢想天生に対抗しうる可能性を持つ手段を見出しました」

「え」

「彼女は天賦の才の感覚に従ってやっていることを、わたしは思考の末の理論に従ってやるつもり。だから、わたしは地上に戻ってもいいだろうと考えています」

 

ポカンと口を開けたこいしの目が見開き、わたしを見詰めてくる。

ここで言葉を止めてしまったら次を言い出せなくなりそうで、こいしの言葉を待たずに続く言葉を吐き出す。

 

「わたし達の攻撃をわたし達の干渉出来ない軸に移動して躱す。四次元移動。これが夢想天生の種の可能性がある。けど、いくつか問題点が残っています。一つ目に、一つ増やした軸をどの程度ズレているのかが分からない。二つ目に、四次元より多い次元を移動している可能性。三つ目に、そもそもこの理論そのものが見当違いである可能性」

 

さっきまで、わたしの頭の中はいかれた世界になっていた。すなわち、四次元空間。一つ軸が増えるとさ、三次元空間がやけに狭く見えるんだ。四次元空間にある三次元物質が、奇妙なものに見えたりした。立体的な平面に見えたり、何か足りないものがあるように思えたり、やたらと近くにあるように見えたり、近付いているはずのものが全く近付いてこなく感じたり…。

 

「けど、可能性を感じるんだ。…ほら」

 

そう言いながら、わたしは一つの球体を手の上に創造した。その瞬間、球体が手の平をすり抜けて落ちていく。そのまま床もすり抜けていってしまうかもしれない、と思ったが音も立てずに小さく跳ねて床に転がっていく。その球体は向こう側が僅かに透けて見えた。

こいしは転がる球体を奇妙なものを見る目で見遣り、ベッドから立ち上がって球体を踏みつけようとする。しかし、こいしの足は球体をすり抜けて床に振り下ろされた。

 

「…すり抜けるね。これが、ズレた世界にある、ってことなの?」

「その可能性がある、ってだけ」

 

そう言いながら、わたしは球体を霧散させる。触れることが出来ないなら、回収することも出来ない。

一息吐き、わたしはこいしを見上げる。こいしの瞳にはわたし自身の迷いが写っていた。

 

「それでね、こいし。わたしは、地上に戻ってもいいだろうと考えている。けれど、それと同じくらいここに残ったほうがいいと考えている。…先程言った課題のことを抜きにしても、そう考えているんです」

 

わたしは夢想天生を攻略し、博麗霊夢に勝利することで平穏を得るつもりだ。まだ課題が残っているとはいえ、十分に実行に移せるだろうと踏んでいる。これで負けてしまったとすれば、潔く負けを認めて死んでもいい。そう思えるくらいには、この理論を信じている。地上に残したわたしの友達がわたしのことを待っているのだから、早くに出来るのならばそうしたい。

旧都では未だにわたしに対して殺意を持っている妖怪がいる。けれど、それは地上ほどじゃない。…あぁ、そうだよ。わたしはこのまま旧都に住んでいれば平穏を得られるのでは、と思っているんだ。昔のわたしがいたら馬鹿にでもしそうな可能性に縋ろうとしているんだ。踏み台で隠れ蓑のつもりだった旧都に居つこうとしているんだ。生きていれば必ず戻ると誓っていた地上に戻らなくてもいいのではと血迷っているんだ。

 

「わたしはどうしたらいいでしょうね?」

「それは幻香が決めることだよ」

「分かってますよ、そのくらい。…分かって、いるんです」

 

都合よく両方を取れるとは思っていないのだから、わたしはどちらかを選択しなければいけない。けれど、わたしはどちらを選べばいいのか迷っている。…迷ってしまっている。けれど、わたしはどうすればいい?思い付いている課題を言い訳にして、選択を先延ばしにしてしまう?

さとりさんは、このこと察してああ言ってくれたのだろう。時間を掛けて、後悔のないように…。自分でも分かっていたけれど、こうして誰かに言われると気が楽になる。けれど、早急に決めなくてはいけないと焦る気持ちもある。

 

「…そうですね。自分で、決めたいと思います」

「うん。上がるとしても、残るとしても、わたしは幻香の友達だよ」

「ありがとうございます、こいし。わたしの、最初の友達」

 

そう言って微笑み、すぐに両手で頬をバシンと叩く。言うことを言い切り、荷が下りた気分だ。気持ちを切り替えよう。何時までも考え続けているのもどうかと思うから。

 

「さて、こいしは四次元をどう思いますか?」

「ん、急にどうしたの?」

「考えるのは、また後日に。ちょっと気を抜くのを手伝ってくださいよ」

「幻香の気が紛れるならいくらでも付き合ってあげる」

 

そう言うと、こいしは腕を組んで首を捻り考える。

 

「…そこにあるはずなのに、本当にすり抜けるってことくらいしか分かんないよ」

「あれはね、ただの球体を四本目の軸がズレた位置に創造したからそうなっただけ。ほら、紙の上にどんな強力な攻撃を描いたとしてもわたし達には届かない、みたいな?」

「何その例え?」

「…実は自分でもどう説明すればいいのかよく分からないんですよね。わたし自身は飽くまで三次元空間に生きる三次元の存在ですから」

 

三次元のわたしは四次元を理解することは本来不可能なはずなんだ。けれど、今までに得た知識と発想を駆使して無理矢理頭の中に四次元空間を形成した。その状態で三次元空間を見たから、辻褄合わせのように両方一つ下の次元に見えたり、距離感がおかしくなったり、自分がいる座標と他の座標が食い違ったり、といった風にいかれた世界に感じてしまったわけだけど。

 

「二次元空間だと表と裏が存在しない物質は存在出来ないけれど、三次元空間なら存在出来る。…ほら、こんな風にね」

「あ、見たことあるかも」

 

一本の細長い紙を創造し、一回捻ってから端と端を貼り付ける。そうしてから炭素から先の尖った黒鉛を創造し、紙に線を引いていく。書き続けていくと始点の裏側に到達し、最終的に始点と終点は繋がった。

 

「そして、三次元空間だと外側と裏側が存在しない物質は存在出来ないけれど、四次元空間なら存在出来る。…う、…っぐ…、ほ、ほら…、ね?…こんな、…風、に…、…ね…?」

「…何これ」

 

今のわたしには、これが一番まともなものに見えるから不思議だ。筒の片側を伸ばしていき、裏返してからもう片側に繋げた。三次元空間では交差してしまうが、今のわたしから見ればどこも交差していない。内側を辿っていけば外側へ出ることが出来、そのまま元の場所に戻ることが出来る。

けれど、こいしからはそうは見えていないようだ。…まぁ、それはしょうがないことだ。

 

「えぇと…。なんか途中から向こう側が透けて見えるんだけど…」

「…そりゃあ、これは四次元物質ですからね。三次元に生きるわたし達には触れることが出来ない場所がありますよ。…創っといて何ですが、わたしもその透けてる場所は触れれないですよね…」

 

そう言いながら苦笑し、表と裏のない輪と外側と裏側のない四次元物質を回収した。…ちょっと頭が痛い。気持ち悪い。頭の中に四次元空間を形成するのは、やっぱりしんどいなぁ…。

 



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第326話

さぁて、どっちを選んだらいいんでしょうかなぁ。上がるも留まるもわたしの選択次第。どちらを選択するにせよ良し悪しは単純じゃない。もしもこいしがいなければ、わたしは迷わず地上に上がっただろう。もしも皆の内誰か一人でも欠けていれば、わたしは迷わず地底に留まっただろう。そんな気がする。

…いや、本気で今すぐ選ぶつもりならそんなどうでもいいことなんか考えず、硬貨を弾くなり棒倒しをするなりして二択を無理矢理選んでしまえばいい。けれど、わたしは選択していない。しようとしていない。確実性とかいう証明不可能なものを言い訳にして、課題という名の先延ばしによって選択しないことを正当化させて、こうして考えているつもりでいながら結論を出さない輪の中をグルグルと回り続けている。…それを自覚しながら、わたしはこうしているのだから質が悪い。

 

「――を引け、地上の」

「…ぁ、うん。引きます」

 

そんなことをボーッと考えていたら、目の前にいる親がジャラリと棒が十八本入った竹筒を突き出しながら急かしてきた。手元には何の印も付いていない棒が十二本並べられている。

今やっている賭博は簡単なものだ。参加料は十。三十本の棒が竹筒の中に入っていて、印の付いていない当たりが二十本、印の付いた外れが十本ある。一本目の棒の価値は一、二本目の棒の価値は二と徐々に上がっていく。当たりを二十本全部引ければ一から二十を足して合計二百十貰うことが出来る。ただし、外れを引けばその瞬間棒を全て没収されて零となる。

正直言って、この賭博は儲けようと思うなら避けた方がいいだろう。五回連続で当たりを引けば儲けが生まれるのだが、その確率は二三七五一分の二五六四。つまり約一割だ。しかも、それ以降で外れを引けば当然零になる。これはかなり割に合わない。全部引き当てようと思うなら三〇〇四五〇一五分の一を当てる必要がある。しかもそれで得られる儲けはたったの二百。別の賭博をやったほうがいいとわたしは思うね。

 

「これで」

「おいおい…。こんなところで運を使っていいのか、ん?」

 

まぁ、先客が終わるのを待っている間に後ろから様子を見て二十本の当たり棒を全部覚えたから気にせず出来るけど。ありがとう、十回挑戦して百失った妖怪さん。

 

「いいんですよ、少しくらい。…これで抜けますね」

「チッ、当たりかよ。オラ、百五受け取りな」

「はい、ありがとうございます」

 

まぁ、これを最後まで続けると面倒臭そうなのでこの辺で終わっておく。三〇〇一五分の八も十分怪しい気がするけれど、あちらが言ってこないなら気にしないでいいや。

手持ちと合わせて百二十五になった金を手の中で弄りながら次の賭博を探す。何か楽しめそうなものないかなぁ。…お、なんか奥の方が賑わってる。あれにしようかな。

 

「お、来たな地上の。やってくのか?」

「ええ。ここはどんな賭博を?」

「これの裏に書いてあるから読んどきな!」

 

賭けを外した落胆の声を聞きながら、親に一枚の板を押し付けられた。表面にはいくつもの四角で区切られた領域があり、上端に丁と半、左右端に大と小、下端に一から六と区切られている。真ん中に左上から右下に下る六段の階段があり、最上段には一一、その下に一二、一三…と続き、次の段には二二、二三、二四…と続き、最下段には六六と書かれ、空いている右上には七とゾロと区切られていた。

 

「…何だこれ」

 

板を裏返し、この賭博がどのようなものなのか確認する。どうやら、親が器に伏せた二つの賽子の出目を当てる賭博のようだ。参加者全員がこの板の上に金を置いたら器を開ける。複数個所に置いても構わないようだが、各領域の線上に置いたまま出目が開示された場合は問答無用で没収。丁と半は出目の合計が偶数か奇数かを当てれば二倍。大は合計八以上、小は合計六以下を当てれば二倍。一から六は賽子の片方、もしくは両方の出目が当たれば四倍。七は合計七を当てれば六倍。ゾロはゾロ目を当てれば六倍。一二、一三などのゾロ目以外は当てれば二十倍、一一、二二などのゾロ目は当てれば五十倍。

倍率と確率がいまいち噛み合っていないけれど、そこまで気にしなくても構わないだろう。わたしがそんなことにいちいち言及しても意味ないだろうし。

…ふむ。この賭博の場合、ゾロ目の五十倍に賭け続けると一番効率がよさそうだ。ま、そうはいかないのが確率のいやらしいところだし、そこまで金が続くとは思えないけれど。一を賭け続ければかなり長く続けることが可能だけれど、そんなに長く居座り続けると迷惑だろう。

今回の賭博はいわゆる勝てる賭博ではなさそうだ。けれど、それが本来の賭博なんだよね。いいでしょう。参加しましょうか。

 

「お邪魔しますよ」

「お、ようやくか」

 

ちょうど賭博が終わったところで空いていた端っこの席に座り、板と百を置く。残りの二十五は仕舞っておいた。隣に座っていた妖怪がわたしのほうをジットリと睨む中、親がハイッと威勢のいい声を上げ、器に賽子を投げ入れてダンと大きな音を立てながら伏せた。器の中で賽子がぶつかり合い転がる音を聞きながら、百を半に置く。これで負ければそれで終了でいいや。

他の客がどんな賭け方をしているのか見てみると、わたしに近い方から半に三十、一と六にそれぞれ二十、大に五十、七に十と賭けていた。さぁて、結果はどうなるかな?

 

「一と四!半、小、五!」

「お、当たった」

 

他の客の喜びと悲しみの入り混じった声を聞きながら、当たったことを素直に喜ぶ。親が板に置かれた金を全て回収し、当たった客には倍率に則って金が渡されていく。わたしには二百投げ渡され、他の客にも投げ渡されていく。んー、最初で終了とはいかなかったか。

それからも思い付いた一ヶ所に百を置き続けていき、勝ったり負けたりを繰り返して金を増やしたり減らしたりし続ける。七や二六などの倍率の高い場所にも置いていったため、負けのほうの数が多い。けれど、それでも時折当たるものだから、気付けば手持ちが五百になっていた。

あぁ―…、あと数回真剣に音を聞いてれば、親が器に入れたときの賽子と音の鳴り方から出目を当てることが出来そうな気がする。そうなると、賭博としてどうかと思うよね。今回はそうやって勝ちに来たじゃない。息抜きで遊びに来たんだ。…まぁ、先延ばしに来たともいう。だから、そろそろ終わらせよう。

 

「ハイッ!」

 

親の掛け声を聞き、右肩を持ち上げつつ顔を右に傾けて右耳を、左手で左耳を押さえ付けながら五百を三三に置く。ま、三十六分の一だし、外れるでしょ。

それから目を瞑り、そのまま選択する気のない選択を決める思考の中に飛び込んでしばらく待つ。何度も繰り返し続けた今の状況で上がった場合と留まった場合の利点と欠点を並べていく作業。その全てを天秤の上に乗せていき、どちらに傾くのか確かめる。…とか言いながら、どちらかに傾きそうになったらそれを補うように利点や欠点を新たに乗せるのだから、結局均衡が保たれるのだ。

遠くのほうから何やらザワザワとした声が聞こえてくる。うるさい。そして、何かがわたしを強く揺らしてくる。今考え中なんだ。揺れ続けた拍子に右肩と左手が耳から外れ、その瞬間悲鳴にも似た叫び声が突き刺さる。思わず両手で再び両耳を塞ぎ、閉じていた瞼をゆっくりと開く。

 

「…はぁ?」

 

絶叫の意味がよく分かった。だって、出目は三と三のゾロ目だったのだから。…いや、何で当たるんだよ。五百の五十倍って、二万五千だよね?堂々最高値記録更新じゃないですか。…え?本当に?冗談でしょう?…うわぁ、どうして当たるの…?外れろよ。そんな大金貰っても使い道ないし、困るしかないんだよ。

ほら、親の表情が今にも死んでしまいそうなくらいヤバくなってるし。周りの妖怪達の視線がいつも以上に痛いし、というか見るからに欲望が溢れて強奪する気満々な妖怪がチラホラいるし!

 

「…は、はは……。ほら…、二万、五千だぞ?」

「あ、ありがとうございます…」

 

無理に掠れた笑い声をあげ、今にも倒れそうにフラフラとしながら力なく手渡された二万五千。…うわぁ、どうしようこれ?

…よし、いつものように受付で返金しよう。というか、迷う必要なんてなかったじゃん。

 

「受付受付ー、っと」

 

二万五千を右手に握り込み、そそくさと出口へ歩き出す。

その途中で眼前に拳が飛んできた。咄嗟に後ろへ体を逸らして回避し、左腕を地面に付けてばね代わりに後方へ跳ぶ。わたしに殴りかかってきた妖怪の欲に濡れた表情を見て、何とも言えない気分になってくる。だってその妖怪はわたしが竹筒の賭博で利用した妖怪だったから。

どうしようか思考を始めようとした矢先、背後から誰かが跳びかかる音が聞こえ、すぐさま右回し蹴りを叩き込む。頬に足が突き刺さり、壁まで吹き飛んでいく。

それが合図にでもなったかのように、数人の妖怪が一斉に跳びかかってきた。真上に跳び上がり、左腕を天井に突きあげて穴を空け、そこに捕まってぶら下がる。真下でぶつかり合う鈍い音が響く。

 

「…ヤバいな、これ」

 

手を放して落下し、真下にいた妖怪の頭を全力で踏みつけながら小さく呟く。誰も動かなければこんなことにならなかったと思う。親が動けば喧嘩になって終わりだったと思う。けれど、動いたのはただの客で、そして目的は強奪ときたものだ。数人が流れに乗りやがった所為で、こんな面倒臭いことに発展してしまった。…と思う。

 

「一体何事だ!あァん!?」

 

もういっそのことここにいる全員気絶させてから金を受付に押し付けて逃げるか、と考えていたら、一人の鬼が賭博場に入ってきた。瞬間、一帯に緊張が走る。…あ、あのいつも挑んでくる鬼じゃないか。

他の誰も動かない中、ただ一人ズンズンと歩く鬼が、わたしの目の前で止まった。目付きがやけに鋭い。

 

「…あんたが元凶か、地上の?」

「ま、そうなりますね」

 

わたしが偶然勝っちゃったのが原因だし。そう思って言った返事。

その結果は、硬く握り込まれた右拳で返されることとなった。思わず右手を開き、その拳を受け止めようとする。握り込んでいた金属板が変形しながらわたしの皮膚を食い破り、肩のほうまで衝撃が流れていく。ハッキリ言おう。滅茶苦茶痛い。痛覚遮断を即座に使っていなかったらこの場で叫んでた。

 

「いや、話をちゃんと聞いてくださいよ。まだ途中だ」

「…なら、さっさと言え」

 

そう言って拳を収めてくれた鬼に詳細を伝える。一つ一つ細かく質問を繰り返し、周りの客からも訊いて回るのでかなり長い時間拘束されることになり、最終的にわたしに跳びかかった数人の妖怪が鬼によって連れ出されていった。

その後どうなったのか、わたしは知らない。

 



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第327話

グニャリとひん曲がった金属板を引っ張って剥がし、血肉と一緒に後ろへ放り投げる。親だった妖怪の前に僅かに湿った金属音を立てて跳ねた。こんなに変形してしまった金属板が金としての価値があるのかどうかは知らないけれど、少なくともわたしが賭博場を出るまでは誰も盗ろうとはしなかった。

 

「これ、少ないですが。迷惑かけましたね」

 

仕舞っていた二十五を受付の妖怪に投げ渡し、賭博場を後にする。

右手を軽く握るとヌルリとした感触がする。気になって見てみれば、思っていたより深い傷口から血が滲み出てきた。このまま放っておくわけにもいかず、すぐに傷に妖力を流して無理矢理治癒を試みる。わたしの手のひらに食い込んだ千の金属板は銀で出来ているため、吸血鬼に近付く『紅』による治癒はあまり望めないだろう。…よし、一応止血出来たかな。ちょっと凹んでるけど。

 

「…帰ろ」

 

今日はちょっと疲れた。地霊殿に帰ったら、少し休もう。本格的に怪我を治すのはその後でいいや。

僅かに首を上げて細く長い息を吐きながらのんびりと足を伸ばしていく。周囲の喧騒を何となく聞きながら、その後のことを考える。けれど、やっぱり答えが出されることはなかった。

頬に向かって飛んできた拳大の石を掴み取り、そのまま握り込む。最初は軽く握っていたが徐々に力が入っていき、気付けばビシリと石に罅が走ってそのまま砕いてしまう。…あぁ、無理矢理塞いだ傷口が開いちゃった。また止血しないと。

足元を見ながら再び考えに耽る。選択しないことを選択する、という矛盾めいたことをしながら、わたしは繰り返している。こんなはずじゃなかった、ような気がする。切羽詰まっているわけじゃないのだから、時間にはまだ余裕があるんだから、と言い訳している。戻らなきゃいけないのになぁ。どうしてだろうなぁ。

 

「よう」

 

そんな空しいことを考えながら地霊殿に向かって歩き続けていると、誰かに声を掛けられた。首を上げてみると、そこには勇儀さんがいた。

 

「随分と辛気臭い顔してんな、おい」

「…こんにちは。何か用ですか?」

「今出来た。ちょっと顔貸せよ」

「疲れてるからまた今度じゃ駄目ですか?」

「今度がいつになるか分からんだろ?だから今なんだよ」

 

言った本人にそんなつもりはないだろうけれど、少し痛いことを言われた気分になる。今のわたしはまた今度を延々と繰り返しているようなものだから。

さて、どうやってこの場を立ち去ろうか…。わたしはさっさと地霊殿の部屋に戻って横になりたい。

 

「へ?」

 

そんなことを考えて顔を伏せていたら、突然地面が遠ざかった。というか、足が地に付いてない。その代わりに腰の辺りに何かが巻き付いているような感触。

すぐに現状を確認すると、わたしは勇儀さんに片腕で担ぎ上げられていた。相当ガッチリと固められていて、ちょっとやそっとでは逃れられそうもない。

 

「ちょっ、はなっ、離して、くださいよ!」

「あー?あんたはのらりくらりと言い逃れするからな。悪いけど担いで持ってくな」

「…はぁ。そうですね…」

 

そうしようとしていたのだし、実際そうしたこともある。嘘を吐いたわけではないけれど、誤魔化したことあるし。しょうがない、諦めて付き合うか…。

周囲から奇妙なものを見る視線を浴びながら連れられた場所は、何だか高価そうな食事処だった。…あの、わたし今無一文なんですけど。金払え、って言われたら金属板を創るしかなくなるんですけど。

 

「いらっしゃいませ、勇儀さん。それに、その方はあの…」

「奥の部屋、空いてるか?」

「えぇ、一番奥が空いていますよ。案内は」

「いい。酒と何か摘まめるものを持って来てくれれば、後は呼ぶまで来ないでくれ」

「かしこまりました」

 

わたしが何か言う前に勇儀さんが話を終え、よく分からないうちに一番奥の部屋に行くことになった。え、何、わたし何かやらかした?…やらかしましたね。

そのまま一番奥の部屋まで担がれ、襖を閉めたところでようやく下ろしてくれた。流石にここまで来て逃げ出そうとは思わない。敷かれていた座布団の上に正座し、勇儀さんが話し出すのを暫し待つ。

お互い黙っていると、静かに襖が開けられて先程の妖怪とはまた別の妖怪が酒とつまみを持って来てくれた。当然のこととはいえ、わたしの分の酒とつまみも準備されている。呑まないけど。

それでは、と言いながら静かに襖を閉じ、廊下から微かに聞こえる足音が聞こえなくなって少ししたところで勇儀さんは口を開いた。

 

「…さて。また盛大にやらかしてくれたな、おい」

「彼から話を聞いたんですか?」

「さっきな」

 

やっぱり先程の賭博場での出来事の事らしい。跳びかかってきた妖怪が悪いとはいえ、わたしが予期せぬ馬鹿勝ちをしたことが発端だ。あんな時くらい、三十六分の一が外れればよかったのに。

とりあえずつまみの漬物を一つ口にしつつ、勇儀さんの顔色を窺う。…ん?あまり責める気がなさそうな感じがする。どうしてだろう?

 

「ま、いつかああなるとは思ってたけどな」

「そうなんですか?」

「そりゃそうだろ。目の前に数年遊んでられる金があるんだ。奪おうと思わない奴はそうそういないさ」

「はぁ、そんなものですか。貴女もそう思いますか?」

「いや全く」

 

そう言うと酒瓶を開けてあの真っ赤な盃に酒瓶の中身を全て注ぎ、豪快に呑み干した。相変わらず酒豪のようである。わたしの分の酒瓶を渡しつつ、話を繋げてくれそうな言葉を言う。

 

「あんな強奪はよくあるんですか?」

「そりゃああるさ。すれ違い際にコッソリするか、人目の付かねぇ場所でやるか、喧嘩吹っ掛けて勝ち取るかするもんだけど」

 

ニヤリと笑いながらそう言われ、賭博場の親に殴り飛ばされて始まった喧嘩でイカサマ云々の他に勝てば帳消し、みたいなことを言っていたことを思い出した。帳消しと言うのならば、それはすなわちわたしが勝って得たはずの金を強奪するのとほぼ同義だ。今回もその例に乗っているのだろう。

 

「それなら、連れてかれたあの妖怪達はどうなったんです?」

「あんたが気にすることじゃねぇよ」

 

…まぁ、無法地帯とも取れそうな旧都にも規則というものが存在する。勝てば得られる、とでも言えるものがあるけれど、それにも超えてはいけない一線があるのだろう。具体的にはよく分からないけれど、喧嘩と乱闘の境界、とかだろうか?

これ以上は特に訊きたいことがあるわけではなかったため、ポリポリと濃い目の塩味の効いた漬物を食べながら話し始めるのを待つことにした。

 

「…で、だ。これまでは私達が出る幕じゃあなかったが、今回は違ったわけだ。そりゃああんたが全て悪いなんて言うつもりはない。が、何にも悪くないとは言えないよな。分かるか?あんたはちょっとばかりやり過ぎてんだよ」

「自覚はしてますよ。それで、わたしにどうしろと?」

「こんなこと言うのは柄じゃあねぇが、抑えろ。…ま、言っても無駄だろうし、どうせさとりにも言われてるだろうけどな」

「…善処はしますよ」

 

少なくとも今回はそんなことするつもりはなかったのだから。運がよかったけれど、運が悪かった。

話が終わった気配を感じ、つまみを残したまま腰を僅かに上げようとしたところで、勇儀さんは静かに口を開いた。

 

「仏の顔は三度までらしいが、私の顔は何度までだと思う?」

「…さぁ、貴女のことはそこまで知りませんから。けど、そんな仏様なんかよりよっぽど話せると思いますよ」

 

そう返しながら襖を開けて廊下に出た。後ろから攻撃する、なんてつまらないことはしてこないことから鬼の顔は一度ではないらしい、と思いながら廊下を歩いていく。

…あぁ、疲れた。もう地霊殿に帰ったら寝ようかねぇ。

 



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第328話

「…よし、行ける行ける」

 

閉じた瞼をゆっくりと開くと、そこにはいかれた世界が広がっていた。何処か辻褄が合わないような気がする世界。思考と視界のズレが著しい。

わたしは四次元空間といういかれた世界に潜り込むことを簡易化するために、わたしが四次元空間に潜る鍵となる新たな軸を『碑』によって精神に刻み込んだ。刻み込んだ瞬間は気が狂うかと思ったけれど、一度そうなってしまえば意外と楽なものだ。

まずは新たな軸の少し先に球体を一つ創造し、地面に転がす。…うん、相変わらず透けてて触れることも出来やしない。次に新たな軸のさらに少し先に球体を一つ創造し、僅かに透けている球体の上に落とす。結果はお互いに触れ合うことなく重なった。ま、そりゃそうか。

一本の長い棒を創造し、真ん中を手に取る。両端に近付いていくにつれてだんだん透けて見える不思議な棒だけど、両端のそれぞれが新たな軸に向かって伸びているからそう見えるだけだ。

 

「よっ、ほっ」

 

四次元から軸を一本引き抜いて三次元へと思考を切り替えて思うがままに振り回してみるが、何だか変な感じだ。普通に振り回しているつもりなのに、まるで重心が傾いたものを振り回しているような違和感。あと、見た目のよりも少し重い。ただ、持っているところから少し離れれば触れることも出来ないから、本来なら有り得ない体をすり抜けた動かし方が出来て少しだけ面白い。

棒を地面と水平にし、地面に転がっている球体に突き出す。最初はすり抜けていくが、途中でぶつかった感触と共に一つ転がっていき、その僅か後にもう一度ぶつかって転がっていく。…えぇと、大体この辺とこの辺でぶつかったよね。

 

「…んー、このくらいズレてる、から…」

 

尖った先端側が透けて見える錐を二本創造する。それぞれの先端部分が棒でぶつかった場所から推測した分だけズレて創っている。試しに先端を指に突き刺そうとして見るけれど、当然のようにすり抜けていく。

 

「ほい」

 

転がっていた球体に向けて錐を振り下ろすと、ブスリと突き刺さる。そのまま持ち上げて錐ごと回収する。…うん、出来た出来た。毎回創っては霧散させるより、こうして回収出来た方がいいよね。妖力もったいないし。

 

「ほい…っ?」

 

もう一本の錐を球体に振り下ろしたが、先端が掠りながらすり抜けた。すり抜けたのに掠ったというのは何だか変な感じだけど、そうだとしか思えない感触だった。これは少し外れてしまったかな?

失敗した錐を回収し、もう一度創り直して振り下ろす。今度はちゃんと突き刺さったので、すぐに回収した。

 

「さて、次は」

 

右人差し指を左手のひらに当て、妖力弾を発射する。パス、とショボい音を鳴らして被弾した。威力を落としに落とした妖力弾なので傷もないし痛くもない。

続けてもう一発放つ。すると、それは手のひらをすり抜けて向こう側へ飛んでいく。新たな軸にズレた位置から発射された妖力弾なのだから当然なのだけど。…うん、これであとは霊夢さんがどこまでズレているかだ。それが分かれば、もしかしたら攻撃が可能となる。

 

「…なら、把握するしかないよねぇ」

 

そう独り言ちながら、ゆっくりと瞼を閉じる。頭の中に浮かぶ三本軸に新たな軸を突き刺し、目を見開く。再びいかれた世界を味わいながら、地面に手を当てて妖力を薄く広げていく。…違う、こうじゃない。普段通りじゃあ駄目なんだ。もう一本増やした軸を意識しろ。そちらにも妖力を伸ばしていけ。想像出来る。創造出来る。それなら、妖力だって流せるんだ。そうだろ、わたし?

 

「…ぁアアッ!」

 

出来た。けれど、頭が軋む。思わず肺の中から漏れ出た空気が、短い叫声となって出てくる。いい加減慣れたと思っていたただの空間把握なのに、一本軸が増えただけでこんなにも辛い。四次元空間を頭の中に形成するのはそこまで辛くないのに、四次元空間を把握することはこんなにも辛い。

すぐさま妖力を止め、軋む頭を両手で押さえ付ける。こめかみの辺りを強く押し込み、痛覚を用いて気を紛らわらせていく。

 

「はぁ、はぁ、はぁ…」

 

両目をギュッと強く瞑って腰を下ろし、立てた両膝の間に頭を入れて押さえ込んでから荒れる呼吸を少しずつ整えていく。けれど、軋む頭が少しだけ楽になると、今度はまた別のことが頭に浮かんでくる。それについてちょっと考えた瞬間、吐き気が込み上げてくる。気分が悪い。気味が悪い。あぁ、世界はあんなにも広がっているのに、世界はこんなにも狭い。三次元存在である自分の身体があまりにも不完全であるように思えてくる。

ああ、そうだ。考えないようにはしていたけれど、何時かそう考えるんじゃないかとは思っていたよ。四次元存在があるなら、三次元存在であるわたしは低次元だって。四次元物質を創れても、わたし自身はそのままだって。たかが一本足りないだけだ。けれど、その一本はあまりにも偉大な一本だ。

湧き上がる絶望感を味わいながら縮こまるわたしの背中に、突然誰かの背中がもたれ掛かってきた。

 

「…おーい、大丈夫?」

「…全然」

「そっかぁ。じゃあ、深呼吸しよう。ほら、吸ってー、吐いてー」

 

背中にもたれ掛かってきたのは、こいしだった。言われるがままにゆっくりと息を吸い、最後まで吐き出すを繰り返していく。呼吸が落ち着きを取り戻したことで軋んでいた頭も少し楽になったが、それでも頭は錘でも中に詰められたように持ち上がる気がしない。

 

「落ち着いた?」

「少し。けど、辛い」

「何があったの?」

「…自分という存在がさ、あまりにも小さくて、薄っぺらくて、ショボいものに思えてね」

「そう?幻香は凄いと思うけどなぁ」

「そんな凄いこともさ、どうもつまらないものに思えるんだよ」

「それなら自分が凄いと思えることをすればいいじゃん」

 

そんなことを、こいしは簡単に言ってくれる。

 

「…どんな?」

「さぁ?わたし、幻香がどんな風に悩んでるか分かんないもん」

 

…そうだよね。多分、馬鹿な悩みだって思われるんだろうなぁ。

 

「三次元存在でしかないわたしが嫌になったんだ。目の前に四次元物質があるのに、それを創るわたし自身が低次元であることが酷く悲しい」

「意味分っかんなーい」

「…ですよね」

 

そう呟くと、こいしはんー、と僅かに唸ってから言った。

 

「そんな難しいこと考えてる暇があったら、わたしは楽しいことしていたいからね。幻香は、それじゃ嫌なの?」

「…嫌じゃないと思いますよ。けど、一度こびり付いたこれが剥がれ落ちることはないんだろうなぁ…」

「じゃあ、そんなことが小さくて、薄っぺらくて、ショボいって思えるもっと凄いことをすればいい。どんなにこびり付いても気にならないくらい、凄くて凄くて、物凄いことをすればいい」

 

…あは。こいしは、簡単に言ってくれるなぁ。

 

「…凄くて凄くて、物凄いこと、ね。例えば、どんなことでしょう?」

「知らないよ、そんなの。…けどねー、うん。そうだねー…、四次元物質がショボくなる五次元物質を創ったら?それでも駄目なら六、七、八、って増やすとか」

「…それ、解決にならないんですけど」

「それを創れるわたし凄い!…ってならないの?」

「…さぁ?創ったことないから分かりませんよ。けど、少しくらい誇れるかもしれませんね」

 

そう答えると背中に寄り添っていた重みがなくなり、その代わりに両肩に手が乗せられた。重い頭をゆっくりと上げてみると、こいしの顔が間近にあった。

 

「なら、それでいいじゃん。ほら、難しいことより楽しいことしよっ?」

「…そうですね。少し、別のことをしましょうか」

「そうそう!息抜きしなきゃすぐ破裂しちゃうからね」

「…あー、前にそんなことも考えてましたねぇ…」

 

出来るまでそれ以外切り捨てることだってありますが、という言葉は言わないでおく。

錘をその場に捨て置き、こいしに引っ張られるままに地霊殿へと戻っていく。これから何をするのだろうか?きっと頭の中に渦巻く色々なことを思い出さないで済むくらい楽しいことだろう。…少しの間でいいから、わたしを楽にしてほしい。

 



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第329話

「焼き団子五本ください」

「焼き団子五本ねっ。ちょいとお待ちをー」

 

十を手渡して五をお釣りで受け取ってから団子屋の外に置かれた背もたれのない椅子に腰を下ろし、白い息を吐きながら天井を仰ぐ。ふとした時に気付けば見上げることが多くなった気がする。あの色の変わる空が恋しくない、と言ったら嘘になるだろう。けど、それでも構わないと思っている自分もいる。…つまらないことで悩んでるなぁ、本当に。

天井から視点を動かし、少し前から弾幕遊戯を興じている女郎蜘蛛と妖怪狐を見遣る。蜘蛛の巣でも張るように弾幕を広げて相手の行動を阻害する女郎蜘蛛に対し、妖怪狐はその弾幕を突き破る強力な弾幕を放っていた。…ただ、その妖力弾が油揚げのような形をしているのは正直どうかと思う。

 

「ほらっ、焼き団子五本だよっ」

「ありがとうございます。いただきます」

 

店主さんに呼ばれ、弾幕遊戯を見上げるのを止めて焼き団子を受け取る。軽く焦がした醤油の香ばしい匂いが食欲をそそる、…のだろう。ともかく、美味しそうなのは確かだ。

 

「あんたねぇ、あの賭博場で荒稼ぎしてるんでしょっ?もっとたくさん食べてもいいのよっ?」

「どれだけ荒稼ぎしても今の手持ちにないからねぇ」

「あら残念ねぇ」

 

そう言って残念そうに頬に手を当てているけれど、彼女はわたしが荒稼ぎした多額の金は地霊殿に貯まっていると思っているんだろうなぁ。それとも、返金していることを知ってて言ったのかな。ま、どちらにせよたくさん買ってほしいと思っているのだろう。金はわたしが考えているよりも大きな力を持っているのだし。

 

「そういえばあんたっ。今日はこいしちゃんと一緒じゃないのねっ」

「こいしは何やら気になることがある、って言って数日前から帰ってきてませんよ。何処に出掛けてるのやら」

 

そう言いながら肩を竦めるけれど、こいしは地上に出てるだろうな、とは思う。何に興味を抱いたのかまでは分からないけれど。

実は地上に勝手に行っているこいしに付いていこうと考えたことがある。けれど、それをしてしまったらわたしは二度とここに戻ってこない気がしたから止めた。地上に戻るつもりで降りたくせに、今更何を言ってるんだか。自分で自分を笑いたくなる。

 

「ごちそうさま。美味しかったですよ」

「あらまぁありがとっ!少ししたら降ってきそうだから、気を付けてねっ」

「はぁ、そうですか。ありがとうございます」

 

食べ終えた串を返し、道に足を踏み出す。改めて天井を見上げてみるけれど、地底には雲なんてあるはずもなく、わたしには降るかどうかなんてよく分からない。けど、ここにいて長い妖怪がそう言うんだ。信じるに値するだろう。この辺りに傘を売ってるところってあったかな?二十五で買えればいいんだけど。

女郎蜘蛛が何か言っているのを見たところで顔を前に向け、傘を売っている店を探す。普段使う機会のない金を消費する機会だ。…まぁ、見つかる前に降ってきたらそれっぽいものを創ればいいや。

 

「…見つからん」

 

探すこと数分。ものを売る店はいくつか見つかったけれど、そこに傘が置かれていることはなかった。もしかしたら、この辺りには売っていないのかもしれない。

自力で探すより、訊いたほうが早いか。そう判断し、もう少しですれ違う妖怪を軽く観察する。…ふむ、わたしに気付いても反応は特になし。目立った武器の所持はなし。敵意悪意殺意なし。とりあえず大丈夫そうだ。

 

「すみませーん」

「あら、地上のじゃない。どうかしたの?」

「この辺りで傘を売ってる店ってありますか?」

「傘ねぇ…。それならここから三つ目の細い横道を抜けた先にある青い暖簾のお店がそうよ。ちょっと堅物な店主さんだけど」

「そうですか、ありがとうございます」

「そんなに気にしなくてもいいのよ。オホホホホ…」

 

お上品な笑いと共に立ち去る妖怪に軽く手を振ってから、言われた道を目指して歩き出す。その途中で背後から弾幕が飛び交う音が聞こえてきたので振り返ってみると、先程から続いていたらしい女郎蜘蛛と妖怪狐がこちらへ向かって飛んできていた。

 

「うわ、地上の!?」

「待てコラー!」

 

眼を見開く女郎蜘蛛とそれを追う妖怪狐の様子から察するに、どうやら女郎蜘蛛が一時退避をしようとこちらに飛んできたらしい。蜘蛛の巣のような弾幕でどうにか妨害しながら逃げているようだけど、それを無理矢理突き破る妖怪狐相手では距離を離せずにいるようだ。

ぶつかって邪魔するのも悪いので横に逸れつつ、飛来する弾幕を躱しながら先へ進む。まぁ、この程度の弾幕なら被弾することもないだろう。

 

「チィッ、もう三十秒経った!あと三十秒!」

 

舌打ちと共にそう言った妖怪狐の言葉から察するに、どうやら最後の切札を使用しているところを逃げられたらしい。

弾幕遊戯の規則はさとりさんが頭を捻らせ考えた結果、少し前から少しだけ追加されている。それは、最後の切札は残機――被弾出来る回数のこと。零になったら負け。こいしが名付けた――を一つ消費することで三十秒追加してもよい。この消費で残機が零となっても被弾もしくは時間終了するまで弾幕遊戯を継続することが出来る、というものだ。つまり、被弾三、切札三で一度も被弾せずに最後の切札を使用すれば、最長二分間継続出来ることになる。見方を変えると、被弾すると最後の切札の時間が三十秒減る。

まぁ、この規則には続きがあり、被弾不可能な状態となる切札の場合、追加出来る時間は十秒とする、というものがくっ付いているけれど、地底でそんな切札を使っているのはこいししか見たことがない。

こいしが言っていた制限時間撤廃まではいかなかったけれど、悪くはないと思っている。少なくとも最後の切札を出し渋るようなことはかなり減っただろう。

 

「痛っ!」

「勝ったー!これで六連勝目ー!」

 

ふむ、どうやら妖怪狐が勝利を収めることが出来たらしい。まぁ、わたしにはどれだけ勝利を重ねようと関係のないことだ。

 

「よし、次の相手はーっと。あ、いた!おいそこの地上の!」

「…はい?」

 

前言撤回。関係が出来てしまった。

 

「勝負だ勝負!私の華麗な十連勝の足場になってもらおうか!」

「…だったら別の人とやったほうがいいですよ」

 

尻尾一本しかないし。わたしの知識が正しければ、尻尾は多ければ多いほど、大きければ大きいほどその妖怪の妖力は強いはずだ。妖怪となった猫が猫又となって尻尾が二本になるように、九尾の狐が絶大な力を持つように。…まぁ、そう単純じゃないとも思うけど。

彼女が望む華麗な十連勝を途中で挫くのも悪いし、さっさと傘を買いに行きたいので遠慮しようと思ってそう言ったのだけど、どうやら相手は納得してはくれなさそうだ。むしろ、怒りの感情を纏い始めている。

 

「…はぁ。分かった分かった。時間が惜しいから、被弾切札共に三。これでもいいなら勝負してあげますよ」

「む。…いいだろう、その条件飲んでやる!どうせ私が勝つからな!」

「あー、はいはい。勝てる勝てる」

 

自信満々な妖怪狐の言葉を適当に流し、軽く浮かび上がる。ここでそのまま始めると、ここを歩く妖怪達に迷惑をかけかねない。

後ろを振り向き、妖怪狐が付いて来ていることを確認してから、傘が売っているという青い暖簾の店を見つけておく。少し遠かったけれど傘が外に出されているのも見えたので、少しホッとした。

正直面倒臭いけれど、まぁいいか。やらずに済むならそれがよかったけれど、負けるのは癪だし、勝ちに行きましょう。

 

「井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さを知ると言うそうですが、海も空もないここで貴女は何を知っていると思いますか?」

「あーっ!?どういう意味だコラーッ!」

「別に意味なんて特にないですよ。娯楽なんだから、楽しくいきましょう?」

 

肩を竦めながら『幻』を展開し、妖怪狐が早速撃ってきた一発の妖力弾を躱す。

さぁて、どうしましょうかねぇ。

 



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第330話

規則なんて決めていない乱雑な弾幕を『幻』に任せて放たせながら両腕を組み、わたしの前に浮かぶ妖怪狐がわたしに放つ弾幕を眺める。先程女郎蜘蛛とやっていた時とは違い、弾幕の威力は抑えられていて、その代わりに密度が濃くなっている。相手の弾幕を突き破るほどの威力が必要ないからだろう。

 

「貴女に三つ選択肢をあげる」

 

左目を閉じ、ここ最近の相手では強いほうなんだろうなと思いながら人差し指、中指、薬指を立てる。怪訝そうな顔になっているけれど、気にせず続きを言う。

 

「一つ、理解不能なまま負ける。二つ、実力差を知って負ける。三つ、降参して負ける。好きなのを選ぶといいよ」

「はあーっ!?なーに言ってるんだテメーっ!」

「…じゃあ四つ、わたしがわざと負ける。これも付け加えてあげるから」

 

組んでいた腕を解き、肩を竦めながら選択肢を増やす。怒声をあげているけれど、そうなってくれて嬉しいよ。あからさまな挑発なんだから。

正直に言おう。この妖怪狐、あの頃のこいしより弱い。ついでに言えば、今は怒りで視界が狭くなっているだろう。したがって、負ける要素が全然ない。

 

「ま。選べないなら勝手にするよ。時間が惜しい」

 

自分も選べていないくせに、と責める自分がいる。他の誰かが決めてくれるのなら、もしかしたらわたしはそれを選ぶかもしれないな、と少し考えた。けれど、何を言われてもわたしはそれらしいことを言って有耶無耶にするだろうな、と責め立てる自分を半ば肯定する。

そんなことが頭を過ぎりながら、わたしは彼女に右手の人差し指を向ける。そこに妖力が集まったところで、わたしは宣言した。

 

「児戯『閃光花火』」

「ぐあッ」

 

そして、指先から妖力弾を一発撃ったと同時に視界が一瞬だが真っ白になる。閃光をまともに喰らった妖怪狐は短く悲鳴を上げて両目を両手で押さえ付けた。わたしがやったことは、妖力弾の発射と共にそこら中にある光をわたしの指先一点に複製しただけ。留めることの出来ない光は、そのまま拡散して視界を一瞬白く塗り潰す。要するに、ただの目くらまし。

そのまま目を閉じていたら、わたしが撃った妖力弾が貴女に接近したところで幾千に分裂して盛大に被弾するだけ。

 

「う…っ。…危なっ!」

「お、避けるねぇ。まだ続くけど」

 

わたしは放った妖力弾が分裂する前に薄目を開いた妖怪狐は危険を察知して大きく横へ飛んだ。その後、妖力弾はその場にいれば彼女一人くらい簡単に飲み込める花火となった。

横に飛んでいく彼女に向けて一秒に一発ずつ撃ち続ける。途中から少しずつ間隔を狭めていくが、発射するときに相手がいた場所に撃つことにしているこの切札では移動し続ける彼女には被弾させることが出来なかった。そして、いい加減わたしの目にも閃光が焼き付いたころに切札は終わりを告げた。こんな子供騙しな切札で被弾させれたら楽だったけれど、仮にも六連勝中の彼女には通用しないらしい。

 

「へっへーん!そんな切札掠りもしないね!」

「ん、そうですね」

「余裕な態度がむかつく!狐符『篝火狐鳴』!」

 

ちょっとの間使いにくくなった右目を閉じ、事前に閉じていた左目を開いて視界を確保して二十個程度の火を浮かばせる彼女を見る。触れたら熱そうだなぁ、と思いながら持ち歩いている緋々色金の魔法陣を撫でた。

彼女が両腕を前に突き出すと、浮かんでいた火が真っ直ぐとわたしに向かってゆっくりと飛来してきた。まだわたしに届きそうもないので、その場で待機していると、突然こーんと一つ鳴いた。その声を聞いて反応したのか、火の軌道がそれぞれ少しずつ傾いていく。…一瞬水を創って消火しようかなんて考えたけれど、止めておこう。

 

「やっとかぁ」

 

火を浮かべ、発射し、鳴いて軌道変更を三度ほど繰り返したところで、ようやく火の弾幕がわたしを囲んだ。近くにあって火に手をかざすと、それなりに温かい。これ以上近付けたら熱いと思うんだろうけど。

ザッと火の軌道を見てからこれから開けるであろう空間を予測し、そこへ移動する。彼女が一声鳴いたら再び軌道から予測して移動する。幸い、一度に追加される火の数は二十程度。多少の不規則性はあれど、一つ一つの隙間は大きい。

 

「この程度なら問題ない、っと」

「っ…!」

 

片目だから微妙に遠近感を感じにくいけれど、それでも何ら問題ない。『幻』任せな弾幕じゃあ味気ないだろうと思い、最速の妖力弾を一発彼女の眉間に放つと、それをすんでのところで躱された。

 

「…ん?」

 

そんな時、わたしの右瞼に何かが落ちてきた。それはそのまま頬を伝っていく。上を向くと、チラホラと白い点が見えた。…雪だ。本当に降ってきたよ。まだ傘買ってないのに…。

…彼女には先に謝っておこう。

 

「ごめん、時間だ。疾符『妖爪乱舞』」

 

その宣言と共に両目を開き、両手の全ての指から妖力を噴出させる。伸ばした妖力の長さは手首から肘くらい。

目の前にある火を引き裂いて掻き消しながら彼女との距離を二秒足らずで詰め、目を見開いて硬直している彼女に向けて右腕を振り下ろす。一回目。

両腕を左右に大きく振るい、浮かべていた火をまとめて掻き消したところで大きく距離を取られたが、三秒経たせるために少し遅めに追い付いて横薙ぎに振るう。二回目。

 

「どっ、憧憬『九尾』!」

 

慌てた様子で宣言した切札。彼女の背後から大きく広がる妖力は九本に分かれており、まるで九つの尻尾のようだ。きっと、彼女も一時期は九尾の狐を目指していたのだろう。どうやってその姿となるのかはわたしには分からないけれど、結局彼女はその途中で諦めてしまったのだろう。九尾の狐には、なれなかったのだろう。

 

「けど、わたしは十指だ」

 

多方面から迫る妖力をその場で縦に横に乱回転し、まとめて引き裂く。悪いけれど、貴女がどれだけ憧れていようとどうだっていいんだ。

彼女までの道を切り開いたところですぐさま飛び出し、呆然とした表情を浮かべた彼女の顔をすれ違い際に引き裂いて両手から噴出させた妖力を切った。

 

「それじゃ、わたしは傘を買いたいので」

 

後ろでガックリと力なくうなだれている妖怪狐にそう言ったけれど、返事はなかった。威力調節でヘマをするほど慌てていなかったから怪我はしていないはずだけど、気持ち的にはかなり傷付いてしまったのだろう。何せ、わたしの二つ目の切札宣言から終了まで十秒以下だ。

んー、ちょっと悪いことしたかなぁ…。ま、いっか。

 

 

 

 

 

 

雪が強くなる前に急いで青い暖簾の店まで飛び、目の前に着地する。すぐさま暖簾を潜り、奥で座布団に胡坐をかいている妖怪に会釈をした。うんともすんとも言わず、ただジーッとわたしを見てくるけれど、敵意はなさそうだ。

店の中を見渡してみると、見事に傘しか置かれていない。少しくらい他のものはないのか、と思ったけれど、そんなものは見当たらなかった。傘を売っている店はあるか、と訊いたのはわたしだけど、まさかそれしか売っていないとは。

とりあえず目に付いた黒い傘を一本手に取って開いてみる。…うん、これでいいかな。けれど、値札が付いていない。

 

「…すみません」

 

奥にいる妖怪に声を掛けてみたが、返事がない。もう二、三度言ってみたが、結果は変わらなかった。…しょうがない。気にせず話し続けるか。

 

「この傘、いくらですか?」

「…二十七」

 

ボソボソとした声だったが答えてくれた。…のはいいんだけど、少し高い。閉じて元の位置に戻しておき、ヒヤリとした冷たい風を足元に感じて外を見遣る。…うげ、もうかなり降ってる。この天気で傘もなしに出るのはちょっとなぁ…。

 

「二十五で買える傘ってあります?」

 

そう訊いてみると妖怪は重い腰をあげてのそのそと歩き出し、先程わたしが手に取ったものと似たような見た目の傘を手に取った。遠目だから分かりにくいけれど、少しだけ短めな気がする。そして、二十四と言いながら押し付けられたのですぐに二十四を出して手渡し、その傘を購入した。

 

「ありがとうございます」

 

お礼を言ったけれど、返事はなかった。…んー、堅物って言われた理由がよく分かった気がする。

傘を差して外に出て、ふと思う。こんな風に時間を掛けていたら、いつかわたしの居場所が地上にバレるみたいな困難が迫ってくるかもしれないな、と。今回は簡単に困難を崩せたけれど、そうはいかないことだってある。これまでだって何度もあったんだ。だったらなおさら早く決めなくてはならないはずだ。

 

「…分かってるんだよ」

 

小さく呟くその言葉は、冷えた空気の中に白い息と共に消えた。

 



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第331話

最後に残った一枚の四角い銅板を取り出し、人差し指に引っ掛けた親指の爪の上に乗せる。万が一銅板が傘を突き破ったりしないように腕を傘の外に伸ばし、表が出れば地上に、裏が出れば地底に、と思いながら弾いた。クルクルと回りながら光るそれを見上げ、やがて落ちてきたそれはサクリと浅く積もった雪に突き刺さった。

 

「…駄目か」

 

突き刺さっている銅板を拾い上げ、角に付着した湿った土を拭ってから仕舞ったところで、そもそも表も裏もないことに気付き、落胆と安堵が入り混じったため息を吐いた。そして、安堵の意味がこのため息に込められていることを自覚して再びため息を吐いてしまう。

…止めだ止め。今のわたしがいくら考えたところで、地上と地底を選べそうにない。別のことを考えよう。そう思い、三本軸に新たな軸を突き刺す。相変わらずいかれた世界だよ、本当に。

人差し指をピンと伸ばし、妖力弾を一発だけ放つ。その場に留まった妖力弾はすぐに透けていき、やがて見えなくなった。けれど、わたしは感じている。消えた妖力弾は新たな軸を突き進んでいる。遠ざかったから見えなくなっただけなんだ。

妖力弾を一度止め、先程とは真逆の方向へ進ませる。近付いてくるのを感じ、やがて薄っすらと見えてくる妖力弾を見遣り、わたしが触れることが出来る瞬間を狙って掴み取るようにして回収する。

それだけして、わたしは頭の中の四本軸から一本引っこ抜いた。ふぅ、と軽く息を吐き、少し疲れた頭を冷やす。四次元移動する妖力弾。上手く操ることが出来れば、夢想天生使用時の霊夢さんの索敵に使えそうだ。けど、そう簡単に操作出来るような代物じゃないことが分かった。今のままでは軌道を曲げようとは思えないくらいには難しい。

 

「…うぅ…、ちょっと吹雪いてきたかも…」

 

少し重くなった傘を揺すって雪を落としつつ、徐々に強くなる風と雪を感じ取る。足元が冷たい。ここから地霊殿まではちょっと遠いんだけど、さっさと帰ったほうがいいだろうか?それとも、ところどころで温まりながら帰ったほうがいいだろうか?

 

「急ぐ用もないな」

 

雨宿りならぬ、雪宿りでもしながら帰るとしますか。こんな選択はすぐ出来るんだから、あの選択だってすぐ出来ろよ、と思いながら歩き出す。もう少し凍えてきたら、何処かの店にお邪魔させてもらって少し温まらせてもらうとしよう。何も買えないからただの冷やかしになるけれど、これだけ寒ければ嫌でも冷えるからしょうがないよね。

 

 

 

 

 

 

「お邪魔します」

「らっしゃい!何人だ?」

「一人です。あと、少し休むために来たので注文しませんよ」

「なんだいそりゃ。…って、地上のじゃねぇか!」

 

今更か。傘を畳んで雪を落としてからお邪魔した店内は、調理に火を使っているからかそれなりに温かい。

 

「…ま、いいか。空いてるとこ座ってろ」

 

客の応対をしている妖怪にそう言われ、店内をザッと見渡す。…えぇと、何処か空いてる場所あるかな…?…んー、いくつか空いている席はあったけれど、どれもこれも相席になってしまう。…あ、一つあった。誰も座っていない空いてる机。

奥の隅っこにある席に腰を下ろし、壁に傘を立て掛けて窓から外を眺める。向かい側の建物が白くなって見えにくくなっており、カタカタと揺れる窓が風の強さを教えてくれる。吹雪が収まってくれれば楽なんだけどなぁ…。

さてどうしたものか、と思いながら吹雪が弱まるのを待っていると、わたしの前に温かな湯気を上らせる湯呑が置かれた。何かと思って湯呑を置いた妖怪を見上げると、白湯だと言われた。お礼を言い、ありがたく受け取ることにする。

 

「ふぅ…」

 

ゆっくりと白湯を一口含んで温まりながら、目を瞑って頭の中で四次元空間を広げていると、店の扉が開いた音とらっしゃいと言う声が聞こえてきた。…ま、どうでもいいや。今はこの四次元空間に慣れる方が優先される。相手は気力次第でいつまでも出来るのに対し、わたしは無理矢理行っているのが現状だ。負荷を減らすためには、やはり慣れるしかない。それが普通だ、と思うまでは時間が掛かるだろうけれど、そう簡単に近道があるとは思えない。急がば回れ、遠回りだと思っていた道が最も近い道であった、というものだ。

頭の中で一つの点を思うがままに動かしていく。三次元空間ならどうってことないことでも、四次元空間だとなかなか難しいものだ。実際に動かすのはもっと難しいのだから、せめて頭の中くらいは、と思ったけれど、やはり難しい。

もう少し動かしたら点を一つ増やそうかなぁ、と考えたところで、誰かがわたしの前の席に座る音が聞こえてきた。え、どうしてここに座るの?…いや、それより一体誰がここに座ったか確認しないと。四次元空間を考えることを止め、慌てて軸を一本引き抜いて目を開く。

 

「ようやく目を開けたわね。私なんか見る価値もない、とでも言いたいのかしら?妬ましい」

「…少し考え事してただけですよ、パルスィさん」

 

緑色の嫉妬を孕んだ瞳と目を合わせ、わたしは軽く返す。あからさまな舌打ちを受け取りつつ、再び窓の外を見てみると、先程と大して変わらない景色であった。…んー、弱まらないかなぁ。

パルスィさんがきつねうどんと注文するのを聞き、ふとさっき弾幕遊戯をした妖怪狐のことを思い出す。彼女も油揚げが好きなのだろうか。妖力弾の形が油揚げを模してしまうくらいだし。わざわざ形を模すなんてことする暇があったら、球体でも何でも撃ったほうがいいと思うあたり、わたしには魅せるという感覚が致命的にないことを思い出させてくれる。

 

「そういえば、ここに来る途中で貴女を見かけたのだけど。…どう?その弾幕遊戯とやらで勝利した感想は?」

「感想?…いや、きっと強いんだろうなぁ、とは思いましたよ」

「余裕そうね。消化試合とでも言いたいのかしら」

「消化試合とは違いますよ。娯楽で、遊戯なんですから」

「文字通り遊んであげた、ってところかしら。…嫉ましいわね」

 

それからもなんかブツブツ呟いてて、少し聞いてみようと思って耳を澄ませたら雪を妬むわ、風を妬むわ、冬を妬むわ…。もう好きなように妬んでください…。

少し温くなった白湯を飲み干したところで、注文していたきつねうどんがパルスィさんの前に置かれた。各机に置かれている小瓶から赤い粉末を少量入れてから食べ始めるのを、わたしは黙って見ていることにした。それにしてもこの赤い粉末はなんだろう?指先に少し出して舐めてみる。舌先を針で突いてくるような辛さ。…これ、唐辛子だ。

半分ほど食べたところで一息吐いたパルスィさんに、ふと思い付いたことを訊くことにする。

 

「貴女はやらないですか?弾幕遊戯」

「やる相手がいないわよ。何?悪いの?」

「いえ、全く」

 

けどまぁ、興味なしではないんですねぇ…。橋の上からあまり動かない、と聞いた彼女も多少何とも興味を持つ程度には広まっているんだなぁ、と思う。さとりさんのペット態とこいしが頑張ってくれた結果だ。わたしはやってくれ、と言われたらやる程度だけど。

 

「何よその目。ハッ、まさか私を憐れんでるの?」

「誰か誘ってみればいいじゃないですか。意外にホイホイ釣れるかもしれませんよ?」

 

そう言ってあげたら、パルスィさんは残っているきつねうどんを食べ始めてしまった。答えてから食べてくれてもいいのに、何故だ。

…ま、いいや。ちょうど外の吹雪もちょっとだけど弱くなってきたみたいだし。

 

「ま、どうしても相手がいなさそうならわたしを見つけてくれれば付き合ってあげますよ。さとりさん曰く、わたしも一応弾幕遊戯の広告塔らしいので」

 

それだけ言って傘を手に取り席を立つ。うどんを啜っているパルスィさんがわたしに何かを言おうとして喉を詰まらせたけれど、吹雪が弱まった今を逃すつもりはない。それに、わざわざ嫉妬の籠った言葉を受け取る理由もない。

 

「これ、休ませてくれたお礼です。最低額ですが」

 

店を出る前に、わたしの応対をしてくれた妖怪に最後の四角い銅板を弾く。少し驚いた表情をしてから、またどうぞと言われて送り出される。…ふむ、またどうぞと言われたのだし、今度はちゃんとお金を持ってくるのも悪くないかもしれないな。

外に出てみると、思っていたよりまだまだ強い吹雪だったので、もう少し休んでいたほうがよかったかもしれないなぁ…、とちょっとだけ後悔する。急いだほうがいいとしても、先走るのもよくない。なかなか厳しい世の中だなぁ…。

 



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第332話

「…寒」

 

吹雪の時点で嫌だっていうのに、それが向かい風だなんてなぁ…。傘を前に出して構えているけれど、脚のほうには容赦なく雪が貼り付いていく。靴に染み込んできた水分が足を冷やしてくるし、何より進みにくい。

背を向ければ追い風になるから地上に戻ろうか…。いや、そんな馬鹿みたいな理由で戻れるか。じゃあどんな理由なら戻れるんだよ。分からない。分からない。分からない。

 

「自分で自分が分からない…」

 

わたしはどうしたいのだろう。今までだって、わたしは選んできたはずなのに。どうしてこれは選べないんだろう。フランが、妹紅が、萃香が、パチュリーが、チルノちゃんが、大ちゃんが、ルーミアちゃんが、リグルちゃんが、ミスティアさんが、サニーちゃんが、ルナちゃんが、スターちゃんが、橙ちゃんがいるから?こいしが、さとりさんが、お燐さんが、ペット達が、勇儀さんが、ヤマメさんが、パルスィさんが、数多の鬼達がいるから?霊夢さんを打倒する必要があるから?霊夢さんを打倒する必要がないから?平穏があるから?平穏がないから?分からない。分からない。分からない。

こうしてわたしはまた選択を先延ばしにする。答えが出ないのだから、しょうがない…。いや、答えを出すことを恐れているのかもしれない。今日もまた、どっちつかずの曖昧な居場所に着地する。

…そろそろ、寒くなってきたな。何処か温まれそうな場所に寄って、少し休ませてもらおう。体だけじゃなくて、心まで寒くなってきたから。

 

 

 

 

 

 

何故か画鋲が刺さっている扉を開けると、何故かチリンチリンと鈴の音が小さく響く。鈴の音と共にわたしを見た妖怪が奥に立っている。きっと店員さんだろう。それより、この音はどういうことかと思って扉を少し観察すると、上の角に小さな丸い鈴が五つぶら下がっていた。何だ、そんなことか。

扉を閉めてから傘を畳んで雪を落としつつ、店内を見渡す。奥の壁際がやけに空いているけれど、それ以外は特にこれといって特別な間取りだとは思わない。客はチラホラといて、何処も思っていたよりも静かだ。暗く沈んでいるという印象ではなく、静かな空間が保たれているといった感じ。…何だろう。失礼を承知で思うのだけど、旧都には似合わない雰囲気だ。

 

「失礼します。少し休みたくて来ました」

「あら、そう?それなら好きなところに座ってちょうだい。注文したければ、お品書にあるものを言ってくれればいいわ」

「そうですか。ありがとうございます」

 

雰囲気を崩さないように、足音を殺して店員さんと思わしき妖怪に話しかけた。好きなところでいいのなら、近くに誰もいないところで休ませてもらうとしましょうか。

金になるようなものは持っていないから注文出来ないけれど、興味本位で品書を読んでみる。まず、酒の銘柄がズラズラと書かれていて、次に酒を割るための飲み物がズラズラと書かれていた。それに合わせて食べるであろうものも書かれており、ここが飲み屋であることを察した。…あ、水と白湯は無料なんだ。これも本来の用途は酒を割って薄めるためらしいけれど…。

 

「あのー、白湯ください」

 

けどまぁ、そんなことでとやかく言ってくるとは思いたくないので、注文してみる。少しすると、白湯が注がれた湯呑をくれた。両手で湯呑を包み、暫し温まることにする。…はぁ、どうして吹雪いちゃったかなぁ。

 

「お邪魔しまーす」

「あら、いらっしゃい」

 

そんなどうしようもないことを考えていたら、鈴の音と共に聞き覚えのある声が聞こえてきた。確認のためにチラリと声の主を見遣ると、身体に貼り付いた雪を払っているヤマメさんがいた。

何しに来たんだろうか、と思いながら品書に顔を隠す。見つかって困るわけじゃないけれど、何となく隠れたくなった。そうしていると、客の雰囲気が僅かに変化したのを感じた。何やらヤマメさんに注目しているようだけど、何かあったのだろうか?

店員さんと少し話し合ったヤマメさんは、席に座らずに奥にある空いた場所に立った。え、何するの?

 

「それでは、黒谷ヤマメ!歌いまーす!」

 

え、何それ。歌うの?ここで?パチパチと軽い拍手をしている客と店員さんを見て、わたし以外は普通に受け入れていることに気付く。周りに合わせて慌てて拍手をしておくことにした。

そして、聞いたこともない歌詞が屈託のない朗らかな歌声で奏でられる。目立とうとして無理に飾っていない、彼女の純粋な歌声が店内に優しく響き渡る。素直に上手だなぁ、と思う。ミスティアさんといい勝負出来そう。

素直に聴き入っていると、ヤマメさんは数曲歌ってペコリとお辞儀をした。どうやらこれでお終いらしい。最初よりも一回り大きな拍手が惜しみなく贈られる。もちろん、わたしも他の客と一緒に拍手を彼女に贈った。

ありがとねー、みたいな感謝の言葉を言いながら小さく手を振って店内を歩くヤマメさんは、わたしの前で急に立ち止まった。え、何かやったっけ?

 

「今日はここにしよっと。ねえ、私の歌どうだった?」

 

何故ここに座る。何故わたしに訊く。何故そんな嬉しそうに緩んだ顔を浮かべる。

 

「お上手ですね」

 

そんな疑問は心の奥底に押し退け、無難な答えを言う。

 

「それにしても、貴女が急に来て歌い出したから驚きましたよ。おかげでいい歌を聴けましたが」

「え、知らないでここに来てたの?…あ、そういえば張り紙剥がれてたような…?」

 

そう言われ、扉に画鋲が刺さっていたことを思い出す。吹雪で張り紙が持っていかれたのだろう。その張り紙には、ヤマメさんが歌うこととかが書かれていたんだろうなぁ…。

一人の客が立ち上がってヤマメさんが歌っていた場所までふらつきながら歩いていく。そして、何の前触れもなく突然歌い出した。酔いに任せたような調子外れの歌に思わず苦笑いをしてしまうが、赤ら顔で歌っている本人はそうとは思っていないのだろう。

 

「それにしても、今日はお客さん少ないね。まあ、こんな吹雪じゃ仕方ないか」

「普段はどのくらいいるんですか?」

「四倍はいるね。あと、こんなに静かじゃないし」

「あ、そうなんですか…」

 

どうやらわたしの感性は珍しく正しかったらしい。

 

「それにしても、あの侵入者が今じゃ旧都である意味人気者だもんねえ。私も驚きだよ」

「人気者?」

「賭博場じゃ好き勝手に荒らしに荒らして、喧嘩も余裕気にこなして、弾幕遊戯じゃ負けなしでしょ?嫌でも目立ってるよ」

「あー…、そうやって並べるとまるで凄い人みたいですね」

 

賭博は勝てるものをやっているから勝っているのであって、喧嘩はわたしより弱い相手ばかりが殴りかかってくるから余裕気に見えるのであって、弾幕遊戯は地上のスペルカード戦の経験があるからそうなるのであって、わたしが際立って凄いわけではないと思う。喧嘩は勇儀さん相手には余裕なんてなく結果として勝ちを譲ってもらっただけだし、弾幕遊戯はこいしに負けてるから負けなしじゃない。

調子外れの歌を歌っていた妖怪が、今度は空になった酒瓶四本を宙に投げる曲芸をやっている。あんな酔いが回った状態で、よくもまぁあんなことやろうと思えるなぁ…。手が滑るでもすれば酒瓶が思い切り割れて破片が飛び散るのに。

 

「興味あるの?」

「どうしてあんなことをしているのか、という意味なら」

「そりゃあ、あそこはあんなことをする場所だからね。歌、手品、曲芸、一発芸、一気呑み、何でもあり。今日はお客さんが少ないからいまいち盛り上がってないけどね」

「ふぅーん。だからか」

 

酒瓶の口の上で片手逆立ちをするのも、あそこでは普通の事だったのか。いつの間に注文したらしい日本酒を呑み始めたヤマメさんは、やけに楽し気に曲芸をしている妖怪に拍手を送っている。もしもわたしがあそこに立たされることがあったならば、刃物でも創って頭に突き刺す振りでもして盛り上げるとしよう。

 

「あんたは呑まないのぉー?」

「酒は呑みたくないし、金もない」

「そんなこと言っちゃってぇ、もったいなぁい!お酒はいいよぉー、たぁのしぃくなぁるかぁらねぇー!」

「…貴女、すぐ酔うんですね…」

 

アハハ!と笑いながら遠慮なしにわたしの頭を叩く素面がいてたまるか。すっかり冷めてしまった白湯を飲みながら、わたしは前の店の反省を生かして、吹雪がちゃんと弱まるまでヤマメさんに付き合うことにした。

すっかり酒が回ったヤマメさんは、早いときはものの数秒、遅くとも数十秒で話題が切り替わる。最近の面白かったことだとか、弾幕遊戯で遊んでいることだとか、仕事のことだとか、美味しい食べ物だとか、面倒臭かったことだとか、奥で何か見せている妖怪のことだとか、色々話し続けていく。わたしは返せるときに返しているけれど、流石に数秒で話が変わってしまってはどうしようもない。

 

「すぅ…、すぅ…」

 

最終的に酔い潰れて寝始める始末だ。呆れて言葉も出ない。

店員さんにどうすればいいのか訊いてみると、置いて帰って構わないと言われた。よくあることらしく、彼女が一人でなければ背負って持ち帰ってくれるらしく、彼女一人ならば起きるまで寝かしておくとか。わたしは何処に持ち帰ればいいのか分からないし、外は弱まったとはいえまだまだ吹雪いている。背負うことは出来ても、わたしにはどうしようもない。

ヤマメさんが注文した合計金額を軽く計算し、払えるのか少しだけ心配しながら傘を手に取る。そして、店員さんにお礼を言ってから外に出た。…うん、これなら真っ直ぐ地霊殿に帰れそう。

雪道を歩きながら、ふと切り替わる話題の中で弾幕遊戯で勝負をする約束をしたことを思い出す。ヤマメさんは覚えているのだろうか…。ま、覚えてたら言われるでしょう。わたしから言うことじゃないな。

 



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第333話

地霊殿の屋根の一角に積もった雪を創った板で押し潰し、その上に腰を下ろす。吹雪が収まっても雪は降り続けたが、それもようやく止んだようなので久し振りに外に出た。空気が肌を突き刺すほど冷たく、一息吸えば体の芯まで冷え込みそうだ。けれど、それも悪くないと思えるから不思議だ。…まぁ、悪くないと思っても寒いものは寒いので、木材と緋々色金の魔法陣を複製して焚き火を隣に置いておく。

『幻』を二百個展開し、少しざわつくような不快感を覚えながら旧都を眺める。…あ、お燐さんが誰かと話してる。この距離じゃあ流石に聞こえないけど。残念ながら、わたしの耳はあんな超長距離の音を聞けるほどよくはない。

 

「あ、そうだ」

 

ふと、思い付いたことをやってみることにする。焚き火じゃ少し物足りないからもっと温かくしたいかなぁ、という至極どうでもいいことを。

鉄原子を頭に思い浮かべ、それを激しく振動させる。原子が激しく振動していると、温度が上がる。これを熱運動と言うそうな。これは空気などの原子にも振動を伝えていく。つまり、激しく振動させて融解した鉄を創造すれば、一気に熱を放出してくれるはずだ。まぁ、絶対零度が出来たんだし、こっちも出来るでしょ。

伸ばした指先から少し離れた場所に白く発光するものが創り出される。思わず目を細めているうちに、融けた鉄は重力に従って板の上に落ちた。ジュゥ…、と焦げる音と嫌な香り、ちょっとした熱風を感じた。そのまま放っておくと次第に光が収まっていき、よく見る鉄の鈍い輝きが顔を出す。

 

「おぉ…、温かい…」

 

鉄に手をかざすと、まだほんのり温かい。スッと手を伸ばして触れてみると滅茶苦茶熱くてすぐに手を放した。分かっていたけれど、何故だか手を伸ばしたくなるものだ。

すっかり冷めた鉄を回収し、ホッと一息吐く。天井を見上げ、地上のことを少し考えた。わたしは、本当に地上に戻りたいのか。戻りたい。わたしは、本当に地底に留まりたいのか。留まりたい。…どっちだよ、わたし。

 

「…あーあ、どうしよっかねぇ…」

 

無理に選ぼうと思えば、わたしは選ぶことが出来るのだろう。理由や根拠はないけれど、わたしにはそれが出来るという確信がある。簡単だ。理由も言い訳も誤魔化しも何もかも切り捨てて、片方を切り捨てればいいのだから。…けれど、それは後悔しかない選択だ。それじゃあ駄目なんだよ。

薪を回収し、燃料が無くなったことで焚き火も一緒に消える。『幻』も回収し、自分の部屋に戻ろうかと立ち上がった。

 

「痛ッ!?」

 

その瞬間、後ろ髪が何かに思い切り引っ張られて足を滑られてしまった。けれど、背中から落ちたにしては衝撃が全然ない。

 

「ちょっとー、急に立たないでよ。危ないじゃん」

「…何してたんですか、こいし?」

 

…どうやら、倒れたわたしをこいしが受け止めてくれたらしい。ただし、髪の毛を引っ張ったのもこいしらしいけど。

 

「いやー、幻香って髪の毛長くて綺麗だからちょっと編み込んでみたくなって」

「編み込むぅ?わたしの髪で遊ぶくらいなら、毛糸玉で遊んだほうが有意義だと思いますよ。それに、自分の髪があるじゃないですか」

「お燐じゃないんだから。それに、こんなに伸ばしててほったらかしなんてもったいないじゃん」

「そういうものですかねぇ?そもそも、わたしの容姿なんて――ん?」

 

あ、そうだ。

 

「ねぇ、こいし」

「なぁに、幻香?」

 

 

 

 

 

 

一仕事終え、長時間握りっぱなしだった筆をようやく手放すことが出来た。凝り固まった体を大きく伸ばし、かなり前にペットが淹れてくれたお茶に口をつける。

そんなとき、コンコンと扉が叩かれた。少し口に含んだすっかり冷めてしまったお茶を喉に通し、一息吐いてから私は扉に目を向けて口を開いた。

 

「どうぞ」

 

すると、すぐに扉が限界まで開け放たれた。そして、私は手に持っていた湯呑を落とした。まだ残っていたお茶が書き終えた紙の上に思い切りぶちまけられて黒く滲んだけれど、そんなことは全く気にならなかった。…否、気に出来なかった。

 

「やっほー、お姉ちゃん!」

「寒いねー、お姉ちゃん!」

「わたしはこいし!」

「わたしもこいし!」

「えー、本当!?」

「すっごーい!?」

「貴女の苗字は?わたしは古明地!」

「貴方も古明地?わたしも古明地!」

「「きゃーっ!わたし達古明地こいし!」」

 

…私の妹が、二人いる…。え、一体何が起こっているの?貴女は自分がもう一人いて、どうしてそんな風にいつも通りでいられるのよ。そんな風に笑い合いながら抱き合っていないで、お願いだから私に分かりやすく説明してこいし。

…ハッ。落ち着いて、私。幻香さんがいるから、見た目が同じでも特に気にしていないのでしょう。そうよ、きっとそう。

それにしても、容姿が同じで、名前まで同じで、なおかつ心が読めないところまで同じだと、それは最早完全同一存在…。

 

「ん?」

 

そこまで思い、もしやと思い当たることがあった。けれど、それを問うたところで、彼女は答えることが出来るのだろうか?そもそも、それは合っているのだろうか?…いえ、とりあえず訊くだけ訊いてみましょう。

 

「…ねぇ、…えっと、こ、こいし」

「「なぁに、お姉ちゃん?」」

「どっちが、幻香さんなの?」

 

そう訊くが、二人のこいしはそれぞれ首を傾げるだけ。頭の上に疑問符でも浮かんでいそうな顔だ。

 

「わたしはこいしだよ?」

「わたしもこいしだよ?」

「「わたしこいし、合わせて湯治屋!」」

 

などと相変わらず意味の分からないことを言いながら、二人は両手を合わせてクルクルと踊り始めた。楽しそうでなによりだけど、今はそうじゃない。

 

「答えて、こいし。…いいえ、幻香さん」

 

絞り出すようにそう言うと、こいしの踊りはピタリと止まった。そして、すぐに顔を近付けてボソボソと内緒話をし始める。何を話しているのかは、この位置からでは分からなかった。

話し終えた二人のこいしは、わたしに顔を向けた。右にいるこいしは無邪気に笑い、左にいるこいしは呆れた顔を浮かべている。

 

「こっちが幻香」

「わたしが幻香」

 

呆れた顔を浮かべていたこいし、…否、幻香さんは両手を軽く上げながら白状した。

 

「…まったく、貴女は何をしているんですか…?」

「わたしをちょうだい、って言われたからあげちゃった!」

「ドッペルゲンガーの能力を使ってみたくなっちゃって」

 

呆れた。心底呆れた。あれだけ嫌がっていた成り代わりの能力を、まさか自分から使おうと思うだなんて。…いや、既に一度使っていたか。

 

「あー、何だか喋りにくいよこいし。思ったこと思う前に喋ってる感じする」

「そう?楽しいからいいじゃん!」

「そうだね!…って違うっ!」

 

幻香さんは両手で頭を押さえながら崩れ落ち、こいしは楽しそうに笑っている。よく分からないけれど、幻香さんは何やら苦労しているようだ。

 

「え?うん、いいよ。分かった、さよならー」

「え、もうお別れ?」

「そうみたい、わたし。じゃあねー!」

「またねー!」

 

幻香さんの口から、突然脈絡もない言葉が零れた。そして、そのまま体が変形していくのを終始見ることになった。色が少しずつ変わり、体形が少しずつ元に戻っていく様を、まざまざと見せつけられる。

そして、気付けばそこにはいつもの幻香さんがいた。ようやく心の声が聞こえてきて、私は少しだけ安心する。

 

「…あぁー、楽だけど疲れますよ。これは」

「幻香、何言ってるの?」

 

無意識を無意識のまま無意識に操るこいしは、考えに考えを重ねて行動する幻香さんにとってほぼ真逆のようだ。それがかなり違和感だったらしい。…まぁ、その程度の違和感なら飲み込めるのが幻香さんの強くて、それで弱いところなのだろう。

さて、幻香さんには釘を刺しておくことにしよう。

 



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第334話

さとりさんには太い釘を数本刺され、最後にはため息と共に説教の終わりを告げた。確かに、先程やった行為は怨霊に取り憑かれるのと大差がない。違いがあるとすれば、それがわたしの創った精神かそうでないかくらいだ。さとりさんが怒るのも分かる。

 

「…もうやるな、とは言われなかったなぁ」

 

けれど、わたしがその程度で止めることはないことをさとりさんは知っている。記憶を把握してその精神を複製する程度で、他者にこの体の主導権を委ねる程度で、最悪わたしが消滅する程度で、止まらないことを知っている。

…まぁ、他の誰がそんなことに協力してくれるのか、って話だけどね。こいしにだって、七割方断られると思ってた。

やけに上機嫌なこいしはわたしの手を引っ張っていき、そのままこいしの部屋まで連れて行く。わたしが扉を抜けるとほぼ同時に被っていた帽子を放り投げながら片脚で器用に扉を閉めたこいしは、わたしをベッドに座らせてその隣に腰掛ける。

 

「それじゃあ今度は幻香の番だよ!わたしの言う通りにするのだー!」

「はいはい、そういう約束ですからね。好きなのをどうぞ」

 

わたしはこいしに『わたしにこいしを一度ください』と言った。こいしはわたしに『わたしに幻香を一回ちょうだい』と言った。

わたしはこいしに妖力を流して精神を把握し、複製してこの身に宿した。無意識を無意識のまま操り無意識のまま生きる感覚を知った。さとりさんがわたしの心を読むことが出来なかったことを目の当たりにした。そして、彼女と交渉して回収させてもらった。事情を知識として知っていたらしい彼女は、それが普通だといった風に消えた。

さて、こいしはわたしに何をするのだろう?記憶を把握したと言っても、碌に読まずに把握するだけしてさっさと複製したので、何を考えていたのかはそこまで知らない。

 

「それじゃ、この部屋を出るまでね。そこ座ってて!」

 

どうやらこの部屋を出るまでは言いなりらしい。別に構わないけれど。

その場で座ったまま待っていると、こいしは鼻歌を歌いながらわたしの後ろに回った。そして、八重でやったことの続き、つまり髪弄りをし始める。

 

「ふっふーん」

「楽しいですか?」

「うん、すっごく楽しい」

 

手櫛で髪を梳かれると少しくすぐったい。目を瞑ってこいしに任せていると、髪の毛を様々な場所で握られる感触を覚えた。頭の上の方、後頭部の真ん中あたり、首の後ろ、両耳のあたり、首の両側、右耳のあたり、左耳のあたり…。

それから、わたしの髪の毛をどう弄るか決めたらしいこいしがわたしの髪の毛を二つに分けた。

 

「幻香の髪の毛は真っ直ぐだよねぇ」

「らしいですね」

「何それ他人事ー。わたしはこんなウニョウニョなくせっ毛だからなぁ」

「みたいですね」

「けど、さっきの幻香はくせっ毛だったね。わたしと同じで」

「あの時わたしは貴女になったんですから当然ですよ」

「背丈も声も同じだったもんね」

「…どう思いました?」

「ちょっと驚いた」

「それだけ?」

「それだけ」

 

そんなことを話していて、気付けば二本の三つ編みが出来上がっていた。お燐さんの三つ編みよりも緩く結ばれている。この結ぶための紐はいつの間に用意したんだろう…。片方の三つ編みに触れているわたしにはい、と何か手渡されたと思えば、それは手鏡だった。

 

「どお?」

「いいですね」

 

鏡に映る病的なまでに真っ白な肌、絹のように白く透き通る髪の毛、薄紫色の瞳。自分の顔なんて久し振りに見た気がするなぁ、なんてことを思う。この顔を直接見れる生物は、わたしを除くと誰もいないんだろうなぁ…。だから、当たり前に容姿を持つ他の皆が少しだけ羨ましい。

 

「んー、他にも色々試していい?」

「構いませんよ」

 

紐を解かれると髪の毛が広がり、元に戻った髪の毛を今度はまとめて持ち上げられる。

 

「ところでこいし」

「なぁに、幻香?」

「こいしに成ってみて思ったんですが」

「何を?」

「何と言うか、こいしって実はそこまで強くないんですね」

「そうだよ?当たり前じゃん。そもそも、鬼と喧嘩してる幻香と比べてほしくないかなぁ」

「…彼は弱いだけですよ。誰彼問わず喧嘩出来るほど、わたしは強くない」

「あのねぇ、仮に一番弱い鬼だとしても十分に強いの。並みの妖怪じゃあ一撃で吹き飛ばされるくらいにはね」

「わたしだってまともに一撃喰らえばお終いですよ?」

「その一撃を喰らわないのがおかしいんだって」

 

そうかなぁ…?あんな真っ直ぐ打ち出された拳なら横に跳ぶだけで当たらないのに。まともに喰らったときは酷い目に遭ったものだ。…まぁ、あれでも手加減されていたけども。

萃香と勇儀さんのことを考えていたら、わたしの頭の上には髪の毛で大きな団子が出来ていた。何じゃこの髪型。

 

「どお?」

「…正直、微妙…」

「ならこれにしよっと」

「何故に」

 

…ま、いっか。そこまで気にすることじゃないし。

立っていいのかどうか迷っていると、こいしはわたしの隣、ではなく膝の上に腰を下ろした。何故に。見上げるこいしのにひー、とした笑顔が見下ろし、わたしは優しく抱き締める。

 

「幻香は今じゃ色々創れるんだよね?」

「まぁ、頑張れば大抵のものは創れると思いますよ」

 

月で覚えた原子に関しては全て『碑』で刻み込んだし、水などのよく使う分子も刻み込んである。最近では、立方体、球体、糸、手頃な包丁や刀などの武器の形などもいくつか刻んでいる。仮に刻んでいないものだとしても、時間を掛ければ頭に思い浮かべて創れると思う。

 

「それでさ、欲しいものがあるんだ」

「欲しいもの?」

「うん。幻香がここにいた、って証明になる綺麗なものをここに飾りたいの」

「…証明」

 

…あぁ、なんてことを言うの。まるで、わたしが地上に戻る以外選択しないと思っているみたいじゃないか。…いや、どうなんだろう。結局、わたしはどちらにしたいんだろう。分からない。分からない。分からない。

 

「そうですね。どんなものがいいですか?」

「そこまで大きくない、手のひらに乗るくらいでいいの。形は、幻香が決めて」

 

けれど、そんな迷いを見せないように微笑む。笑え、わたし。こいしに勘付かれないように。嗤え、わたし。そうやっていつものように嘘を貼り付けるわたしを。

 

「そうですね…。それでは、好きなように創らせてもらいますか」

 

瞼を閉じてゆっくりと息を吐く。頭の中にこいしを思い描き、彼女から連想されるものを並べていく。無意識、覚妖怪、閉じた第三の眼、薔薇、ハート、緑、希薄…。よし、少し難しそうだけど薔薇にしよう。

薔薇の大まかな形を思い浮かべ、それから少し厚めの花びらを一枚一枚簡単に外れたりしないように丁寧にくっ付けていく。次に首に掛かっているネックレスの飾りの金剛石を摘まんで空間把握。その分子構造を頭に叩き込み、薔薇の形を合わせる。色は空色にしておこう。

 

「…出来た」

「うわぁ…」

 

こいしの前に出した右手の上に出来た小さな重み。平らな場所に置けるように、萼の部分を平らにしている。創造するまで時間が掛かった所為か微妙に角が見えるけれど、注視しなければそこまで気にならないだろう。

 

「金剛石は硬くても衝撃に弱いですから、落とさないようにしてくださいね」

「うんっ、分かった!」

 

薔薇の金剛石を嬉しそうに持ち上げたこいしは、部屋のそれなりに目立つ場所に飾った。その様子を見たわたしは、額に流れた汗を拭ってからベッドに倒れる。

 

「…ふぅ。少し疲れた…」

「あ、もしかして無理しちゃった?」

「少し…。けど、喜んでくれて何よりです」

 

頭を使った、という疲労感もある。けれど、それよりも妖力を大量に消耗した虚脱感のほうが大きい。しっかりと過剰妖力も満たして想像した結果、大体九割持ってかれた。ちょっと、眠い…。

うつらうつらとしていると、こいしがわたしの両脚を持ち上げて押し込み、そのまま全身をベッドに転がされる。

 

「もう、全然少しじゃないじゃん」

「あはは、金剛石二つくらい回収すれば戻りますから…」

「…駄目。しっかり休まなきゃ。わたしと一緒に寝るの。…ね?」

 

そう耳元で囁かれ、わたしはそれに従う。…こいしとの約束だ。わたしはこの部屋を出るまで、こいしの言う通りにするって。けれど、わたしももう少しここにいたかった。

眠気に身を任せていると、意識が少しずつ沈んでいく。その最中、こいしがわたしの後ろから抱き締めた。最後に何か言ったような気がするけれど、わたしはその言葉を聞く前に眠りに就いてしまった。

 



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第335話

目覚めると、首に腕が巻き付いていた。まるで殺す気が感じられないほど緩い締め方だけど、少しばかり狭い。そして、眠るときに解いていなかった頭の上に乗っている団子にこいしが顔を突っ込んでいるようだ。寝苦しくないのだろうか…?

横向きで寝ていたわたしの背中をこいしが抱き締めてくれたのは覚えているのだけど、少なくともわたしが寝る寸前まではこうじゃなかったはずだ。寝ている間に上にズレたのだろうか。

 

「…動けない」

 

首に巻き付いている腕を解こうと思ったけれど、思ったより固くて解けない。力任せに無理矢理解くことは出来るだろうけれど、そうしたら多分こいしが起きる。けれど、この腕を解かないとわたしが起き上がれない。さて、どうしたものか…。

 

「…ま、いいか」

 

少し考えて、ここから抜け出すことを止める。わざわざ起こすのも悪いし、動かずに出来ることをやっていよう。

『幻』二百個展開して、その状態で頭の中に四次元空間を思い浮かべて時間を潰す。こいしの脚がわたしの脚に絡み付いたり、モゾモゾと蹴飛ばされたりしながら待つこと一時間と少し。

 

「…ぅ、んゆぅ…。ぅあー…」

「何言ってるんですか、こいし」

「むぁー、おはよぉー…」

 

さっさと『幻』を回収し、新たな軸を引き抜いて少し落ち着く。こいしがようやく腕を解いてくれたので、首を回しながら起き上がった。まだ妖力量が足りない感じがして、少しばかり力が抜けている感覚がする。一応確認してみると二割弱。…んー、やっぱり心許ないなぁ。

 

「どぉ、ぐっすり眠れた?」

「えぇ、とても」

「よかったー、えへへー」

 

わたしのほうが目覚めるのが早かっただけで、よく眠れたのは確かだ。

こいしの衣装棚を勝手に開け、その中で温かそうな服を選んで複製する。少しばかり動きにくそうだけど、動けないわけじゃなさそうだからそのまま着替える。いざとなれば生地を引き裂けばいいだけだ。

 

「幻香は服にこだわりってないの?」

「ないですね。着れればそれでいいです」

 

人の服を複製して着ることが多いわたしだ。似合う似合わないなんて見る人に依って変わるのだし、そんなものはいちいち気にしない。けれど、友達と同じ服を着ることに関しては、わたしは友達との繋がりを少しだけ感じる。時期に合っている服装なら尚いい。強いて言えば、そのくらいだ。

窓から外を見ると、少し雪が降っていた。強くなると少し面倒だし、外に出るのは止めておこうかなぁ…。

 

「幻香ー、ちょっとこっち来てー」

「はーい」

 

そんなことを考えていたら、ベッドに腰掛けていたこいしに呼ばれた。軽く返事を返し、隣をベシベシ叩いていたのでそこに座る。すると、頭の団子を解かれた。ファサリと背中に零れ落ちる髪の毛を見てみると少し歪んでいた。…あー、団子にしたまま眠っていたから、少し癖になってしまったのかなぁ?…まぁ、放っておけば戻るでしょ。

 

「うわっ、凄い…。…櫛ある?」

「え?櫛?…ありますよ」

 

頭の中で櫛を思い浮かべてそのまま創造。薄紫色のそれをこいしに手渡す。すると、こいしはわたしの髪の毛を丁寧に梳かし始めた。気にすることないのになぁ…。

それで終わりかなぁ、と思っていたけれど、こいしは再びわたしの髪の毛を弄り始める。まぁ、部屋を出るまでが約束だ。好きに弄られよう。

 

「幻香はさ、今の旧都をどう思ってるの?」

「なかなか過ごしやすいと思ってますよ。相変わらず殺意丸出しの視線を向ける妖怪もいますが、そこまで気にせずに歩けますし。かなり前に脇道から拳突き出しながら飛び出してきた妖怪をそのまま掴んで投げたのが最後じゃないかなぁ…」

「えー、それいつの話?」

「秋頃、かなぁ…?夏は終わった頃だったはずだし、冬にはまだ早かった気がするし。ま、その後は周りの流れで勝手に喧嘩に発展して終わった」

「勝ったんだね」

「そうですね、そこまで強くなかったので」

 

そこまで話したところでわたしの髪の毛弄りが終わったようで、手鏡を手渡された。すぐに見てみると、正面からは特に変わった様子はない。けれど、背中に広がっているはずの髪の毛を感じないので背中に手を回してみると、そこには固めの細いものがあった。手にとって前に持ってくると、それは随所を紐で固く結ばれた髪の毛だった。…何と言うか、妹紅みたいな感じ?…いや、それより圧倒的に多いな。

 

「どお?」

「引っ張られたら痛そう」

「普通引っ張られないでしょ」

 

こいしはそう言いながら笑い、一つずつ紐を解いていく。

 

「そういうこいしはこの前のお出掛けで何をしてたんですか?」

「この前はねぇ、あの奇跡の神様を探してみたの。色々回ってたら、気付けば山の上の神社にいたよ」

「それって、妖怪の山ですか?」

「そうだと思う。守矢神社、って名前だったかな。ちょっとコッソリ覗いてたらさ、なんか神様三人いたよ。すっごく驚いて変な声出るかと思っちゃった」

「神様が三人…。どんな人なんだか…」

「奇跡の神様と蛙みたいな神様と注連縄背負った神様」

「蛙…、注連縄…。…意味分からん」

「わたしも知らないよ。あと、ぶらついている間に聞いた話なんだけどね、最近博麗神社と守矢神社なんか揉めたみたい。信仰がどうたらこうたらで」

「近くに神社が二つあるからですかねぇ…。目的が重なれば競い合い潰し合いに発展することだってあるでしょうよ。…で、その結果は?」

「博麗神社に小さな分社が建てられてお終い」

「…ま、片方潰されてお終いじゃなかっただけよかったんじゃないですか?」

「さぁねぇ?わたしにはよく分からないよ」

 

はい出来た、と言って背中を叩かれ、わたしは手鏡を見てみる。髪の毛が右側に大きく寄せられ、肩の辺りで一つに結ばれている。それ以外に装飾はなく、とても簡素な出来だった。けれど、下手に大量にくっ付けられるよりはいいだろう。

 

「どお?」

「可愛らしいと思いますよ」

「そう?じゃあこれにしよっか」

 

そう言ってこいしは立ち上がり、わたしの目の前に立った。わたしも立ち上がろうかと腰を少し浮かせたところで、目と鼻の先にビシッと指先を突き付けられた。反射的にその指先を振り払おうとした右手を押さえ、浮かせた腰を下ろす。刺突による攻撃だと判断しかけたわたしを許してほしい。

 

「寝るまでは解かないでね!」

「ええ、分かりました。せっかくですしね」

「その紐はあげるから、気が向いたらまた結んでほしいな」

「はは、気が向いたらね」

 

目の前の指先が収められたので、わたしも改めて立ち上がる。座ったまま動かずいたので少し体を伸ばしていると、こいしが部屋の扉を大きく開けた。

 

「それじゃ、もう出てもいいよー。そしたらまた入って来てもいいんだよ?」

「あら、もうお終いですか?髪の毛弄りばっかされてた気がしますが」

「幻香の髪の毛弄り、思っていたより楽しかったからね。つい遊んじゃった!」

「それならよかった。…あ、そうだ。またいつか、もう一度こいしをわたしにくれますか?」

「いいよ、何度でも。そのときは、幻香をわたしにちょうだいね?」

 

そう言われ、わたしはこいしの部屋を出た。背中にじゃあねー、と声を掛けられたので手を軽く振って返す。

さぁて、地霊殿の屋根は雪降ってるし、書斎にでも籠って本でも読んでようかなぁ。まだまだ読み切れていない書籍がたくさん保管されているのだし、読むものに困ることはないだろうからね。

書斎に行くまでの道中でさとりさんのペット達とすれ違う度に髪の毛、特に結び目に視線を感じたのは気にすることではないだろう。

 



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第336話

気付いたら積み上がっていた本の山を元の位置に仕舞い、大きく伸びをする。以前読んだものと矛盾する内容が散見したけれど、情報なんてものは時代や伝聞によって変わってしまうものだからしょうがない。

書斎から出たら、ひとまず窓から外を見る。どのくらい経ったか知らないけれど、雪が積もっているし寒いからまだ冬だろう。

 

「何しよっかなぁ…」

 

切りよく本棚一つ分読み切ったから出てきたけれど、今すぐやりたいということがない。何もなければ四次元空間に慣れるために反復するだろうけれど、他にもやることが欲しい。んー、旧都でもぶらつこうかなぁ?

そんなことを考えていたら、後ろから誰かに突っつかれた。

 

「こんなところで何してたんだい?」

「外を見てたんですよ、お燐さん。えっと、まだ冬ですか?」

「まだまだ冬だよ。今が一番寒い時期だね」

 

振り返ってみると、そこには微妙に不機嫌顔なお燐さんがいた。

 

「そんなことはどうでもいいんだよ。それよりも、今は伝えたいことがあるの」

「わたしに?珍しいですねぇ。一体誰がどんなことを?」

「ヤマメが探してたよ、十日くらい前に。弾幕遊戯をする約束したそうじゃないか」

 

…十日前ですか。どうやら、随分と長いこと籠っていたらしい。

 

「あれだけ酔ってて覚えてたんですね…。ま、ちょうど旧都に行こうかと考えていたところですし、ヤマメさんを探しに行くとしましょうか」

「まだ雪は降らないと思うけど、傘くらい持っていったらどうだい?」

「それは降ってから考えます。それでは」

 

まぁ、創るか買うかのどちらかだ。窓を一つ開き、そこからフワリと浮かんで飛んでいく。窓を閉めていないけれど、お燐さんは開けっ放しで放っておくとは思えないから閉めてくれるだろう。

あまり速度を出し過ぎると風が寒いので、ゆっくりと飛んでいく。…まぁ、わたしの最高速度なんてたかが知れているけれども。

 

「着いた、っと」

 

ある程度除雪されている旧都に着地して前を視通すと、向こう側が見通せない程度には妖怪が道を歩いていた。とりあえず、何か温かいものでも買おうかなぁ、と思って手持ちの金を確認する。…うん、大体いつも通りの三十がある。

何かいいものはないかなぁ、と探していると、遠くのほうからバギャァと破砕音が聞こえてきた。えーと、三つ道を挟んだ向こう側からかな。あそこには確か賭博場があったはずだけど、そこからかな?

喧嘩の野次馬の一人になるために屋根に跳び乗り、屋根から屋根へ跳び移っていく。跳んでいる間に予想した場所に目を向けると、案の定喧嘩が始まろうとしていた。えぇと、殴られて頬を拭っているのは怪鳥って見た目の妖怪で、穴から出て来たのはやけに腕が長い妖怪か。

何とか喧嘩が始まる前に野次馬の中に入り込むことが出来、足元を駆け回る小柄な妖怪に腕長妖怪に二十、と言って金を手渡した。手渡してすぐに人垣から外側に出て屋根に飛び乗り、上から観戦することにする。

 

「お、始まった」

 

怪鳥妖怪の腕に折り畳まれていた翼を広げて腕長妖怪に叩き付けたことで喧嘩が始まった。すぐさま手長妖怪が怪鳥妖怪の胴を蹴り返し、吹き飛んだところを非常に長い腕を突き出して追撃する。そこからは怪鳥妖怪が近付くたびに腕を振り回すことで、ほぼ一方的に攻撃を加え続けていく。

んー、思った以上にあの腕の長さは脅威だなぁ…。相手の届かない位置から攻撃出来る、というのは大きな利点となる。腕が長い分戻すのに時間が掛かると思ったら、全然そんなことなかったし。

それからもジワジワト攻撃を受け続けた怪鳥妖怪が遂に膝から崩れ落ちる。そこを追い打ちで腕を真上に真っ直ぐと伸ばしてから遠心力を加えて振り下ろした拳を頭に受け、怪鳥妖怪は動かなくなってしまった。少し残っている雪がじんわりと赤くなっているけれど、まぁ気にすることはないだろう。

 

「ほら、地上のは三十六だ」

「ありがとうございます」

 

小柄な妖怪から賭けに勝ったことで少し増えた金を受け取り、屋根から跳び下りる。今回の賭博はこれで十分だろう。毎回毎回金を四桁、下手すれば五桁まで増やす必要はないだろうし。

今度こそ温かいものを求めて喧嘩のあった場所から離れるように歩き出す。気軽に持ち歩けるものがいいんだけど、何かいいものはないかなぁ…。あ、あの焼き饅頭にしよう。美味しそうだし。

 

「すみません、焼き饅頭一つください」

「十」

「どう――」

 

饅頭にしては高いなぁ、と思いながら十を手渡そうとし、一回大きく跳ね上がる。さっきまでわたしがいた場所を見下ろすと、三人の鼬みたいな妖怪が駆け抜けていくのが見えた。一人目は何も持っておらず、二人目は小さな鎌を持ち、三人目は壺を片腕で抱えていた。…えぇと、確か鎌鼬だったかな?

 

「すみません。どうぞ」

「はいよ」

 

着地したらすぐに十を手渡し、焼き饅頭を一つ受け取った。ただし両手で。…え、何これ大きい…。というか熱い。さっきまで火にかけてました、ってくらい熱いんですけど…。敷紙が一枚挟まれているけれど、そんな薄い壁じゃあ全く熱を阻めていない。

だからって手を放すわけにもいかないので、わたしの両手と焼き饅頭の間に一枚板を創造する。創造された板に僅かに埋まるようにあった焼き場饅頭が弾き出されて少し浮いたけれど、このくらいなら中身に支障はないだろう。

 

「いただきます」

 

歩きながら左手で板を支えて右手で皮を掴み、小さく千切って口にする。中の餡がまだ見えず皮の味しかしないけれど、これだけでも美味しい。

 

「おい、地上の!」

「おーい、止めとこう?」

「そっ、そうだよぅ…」

 

先程千切った部分をさらに深く千切ってようやく餡が見えてきた、と思ったところで先程わたしに仕掛けてきた鎌鼬の一人に呼び掛けられた。無視するのも忍びないのでそちらに向くと、鎌を肩に担いだ鎌鼬がわたしに指先を向けていた。そして、手ぶらの鎌鼬は鎌持ちの鎌鼬を止めようとし、壺持ちの鎌鼬はそれに賛同している。

 

「何でしょう?」

「私達と勝負しろ!あれだ、あれ!喧嘩でも弾幕遊戯でもいい!」

「馬っ鹿、あれ躱されたんだぞ?」

「そっ、そうだよぅ…」

「…二人反対してるみたいですが。まぁ、やるなら弾幕遊戯にしましょう。貴女達三人一緒に来るならそれでも別に構いませんよ」

「よし言ったな!」

 

鎌持ちの鎌鼬がわたしに歩み寄り、残された二人も渋々と言った風に後ろに付いてくる。腰の辺りまでしかない三人を見下ろしながら、わたしは皮を千切って餡を絡めてから口にする。…うん、美味しい。

 

「私達が勝ったらその饅頭を寄こしな!」

「え?この饅頭?」

「おーい、腹いせにも程があるだろ?」

「そっ、そうだよぅ…」

「いいですよ、貴女達が勝ったときに残ってたらですが」

 

地上のスペルカード戦でもお互いの要求を通すために勝負していたことだってあったんだ。地底の弾幕遊戯でも勝敗以外に何かしらの要求をしてくることだってあるよね。それが今回はこの饅頭だっただけの話。…けど、わたしはこの饅頭を食べながら弾幕遊戯をするつもりだから、食べ切ってなくなったらごめん。

 

「貴女達は三人ですし、数字を合わせて被弾も切札も三でいいでしょう。三人合わせて三回か、一人一回ずつか。三人合わせて三枚か、一人一枚ずつか。この二つは貴女達が決めてください」

「私達は三位一体だ。当然、両方三人合わせて三回三枚だ!」

「はい、分かりました。それじゃあ、貴女達が撃ったら始めましょう」

 

そう言い終わった瞬間、鎌持ちの鎌鼬が妖力を薄っすらと纏わせた鎌を真横に振るって弾幕を放ってきた。まぁ、不意討ちされる可能性は想定済みだ。即座に打消弾用の『幻』を展開し、相手の弾幕を全て撃ち落とす。

手ぶらの鎌鼬は足元を這うような弾幕を振るい、壺持ちの鎌鼬は手から水飛沫のように弾幕を撒いていく。それら弾幕に対してあまり早く動くわけにもいかないので、横に歩いて躱していく。饅頭落としたくないし。

わたしの弾幕は『幻』任せにして饅頭を食べながら、相手の切札宣言を待つ。出来ることなら、弾幕密度が濃いものがいい。

 

「初手『這い寄る転倒魔』」

 

そう思いながら宣言され、手ぶらの妖怪の姿が掻き消えた。はて、何処に行ったのだろうか、と考えていると、背後から何かが近付いてくる気配を感じて咄嗟に横に跳んだ。

 

「よ、っと、っと。ふぅ、危なぁ…」

 

急に動いたせいですっぽ抜けないように板を傾けたが、それでも落ちそうになった饅頭をどうにか落とさずに済んだ。気配の正体は、いつの間にか背後に回り込んでいた手ぶらの鎌鼬の弾幕だった。ただし、足元にだけやけに多い。

再び弾幕が近付いてくる気配を感じ、今度は振り向く。その瞬間、視界に入った弾幕が『幻』によって撃ち落されていく。少し残ってしまったけれど、この程度なら跳ばずとも躱せる。それにしても、振り向いたのに手ぶらの鎌鼬の姿を見れなかった。足速いなぁ…。

そのまま三十秒経過。饅頭もようやく六分の一くらい食べることが出来た。思ったより多いな、これ…。

 

「次手『駆け抜ける切裂魔』!」

 

一枚目の切札が終了してすぐに鎌持ちの鎌鼬が宣言した。今までよりも濃密な妖力を鎌に纏い、それを何度も振るうと斬撃が飛んできたような妖力弾が飛来する。一発一発が大きく、大きく動かないと躱すことは困難だろう。

けどまぁ、これでいいか。妥協することになるけれど、さっきの切札と違ってちゃんと見えるし。

 

「鏡符『幽体離脱・集』」

 

まず一枚目の切札を宣言し、鎌持ちの鎌鼬が放っていた斬撃の弾幕をそのまま返す。

 

「ヤベッ!」

「おわっと」

「…ぇ?」

 

二人はわたしから見て右側に跳んで回避したけれど、一歩遅れて取り残された壺持ちの鎌鼬にその全てが被弾する。…うわ、大丈夫かなあれ。やったのわたしだけど。

 

「模倣『マスタースパーク』」

「え?」

「はい?」

 

その空中を跳んでいる二人を妖力の砲撃によって狙撃する。妖力はあまり溜めていなかったけれど、二人を巻き込むには十分過ぎた。

切札は途中で切り上げても構わないのだ。さとりさんが頭を抱えながら書いた規則にもそう明記されている。…まぁ、そもそも鏡符「幽体離脱・集」は三十秒間持つような切札じゃないのだが。

 

「はい、わたしの勝ち」

「ち、っくしょーう!」

「ほーら負けたー!」

「いっ、痛いよぅ…」

 

三人の鎌鼬に前でしゃがみ、勝ちを宣言する。そして、わたしは続きを言った。

 

「せっかく勝ったのですし、わたしからの要求を一つ」

「はぁ!?んなもん聞いてねーって!」

「そりゃ言ってませんでしたし。簡単ですよ。半分食べてください。食べ切れなさそうなんで」

 

三つの間の抜けた言葉を聞きながら、わたしは手で饅頭を半分に分ける。そして、ちょうどよく両手が空いている手ぶらの鎌鼬に押し付けた。少し冷めちゃっているけれど、それでも美味しいですよ。さっき食べたとき美味しかったから。

 

「それでは」

 

さぁて、残った饅頭を食べ切る頃にはヤマメさんを見つけたいんだけどなぁ。何処にいるんだろう?

 



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第337話

すっかり冷めてしまった最後の一欠片の饅頭を食べ切り、最早用済みとなった板を回収する。本来はあと半分残っていたと考えると、半分あげたのは正しい判断だったと思う。これ、最初は美味しかったけれど、途中から味がずっと変わらないから飽きてしまう。

 

「…見つからないなぁ」

 

食べ切るのにはそれなりに時間が掛かったと思っていたのだけど、ヤマメさんはまだ見つからない。よく考えてみると、旧都ではなく地上と地底を繋ぐ穴にいるかもしれないが、今はそこには行きたくない。わたしの何かが壊れそうな気がする。…けれど、どうしても見つからなかったら行くしかないよなぁ。

ふと弾幕の音がする上を見上げると、さとりさんのペットの一人が弾幕遊戯に興じていた。途中から見た感じだけど、どうやら劣勢のように見える。相手の弾幕は弾速が非常に早く、正確に被弾するように攻撃しているようだ。打ち消すか躱すかすればいいのだけど、どうやらそんなことを考える余裕はなさそうである。

そこまで考えたところで、わたしは顔を前に戻す。弾幕遊戯の決着を見守るよりも、今はヤマメさんだ。

 

「人の多い場所に行くか」

 

数が多ければ、その分ヤマメさんが見つかる可能性も上がるだろう。数が多いことで見落とす可能性も零ではないが、わたしが何度か見たヤマメさんは常に結構目立つ格好をしていた。それなら見落とす可能性も減るだろう。…それでも零にはならないだろうけど。

少し周りの音を聞き、足音がより多く重なっている場所を探る。…んー、こっちのほうかなぁ?ま、行ってみればいいか。

その場で左に曲がり、近くの細い脇道に入る。すると、向こう側からかなり肥えている妖怪が二人通ろうとしていたので、わたしは壁を背に横向きに進むことにした。細いとはいっても、すれ違うことは決して不可能ではない。自らぶつかってくるような馬鹿なことをしてこないならば普通にすれ違えるはずだ。

 

「ッ!」

 

だと言うのに、わたしがすれ違う瞬間に前を歩いていた妖怪の体が思い切り傾いてきた。とっさに両腕を前に交差して防御しつつ、少し腰を沈めて両脚に力を込める。両腕に傾いた妖怪の体重がかかり、その結果として背中が壁に押し付けられたが大した怪我はない。

 

「ッ痛ェなァ…」

「どうしたんスか、兄貴?」

 

問題は目の前にいる二人の言葉だ。前にいた大きい方の妖怪はわたしが交差した両腕にぶつかった右肩を左手で押さえ、後ろにいた一回り小さい方が何やら心配げに窺っている。痛いのはこっちのほうなんですが…。

彼が足首を挫いたわけでも風に煽られたわけでもなく、自らの意思で傾いてきたのは見れば分かる。…まぁ、どうでもいいや。さっさと抜けてしまおう。

そう思っていたのに、わたしの肩を大きな手が掴んできた。振り向かなくても分かる。この手は大きな方の妖怪の左手だ。その痛がってた右肩を押さえてろよ。

 

「…何でしょう?」

「人の肩にぶつかッといて何もないッてかァ?あァ!?」

「そうスよ!兄貴に謝れ!」

 

首だけ後ろに向け、冷めた眼で彼らを見遣る。わたしを見下ろす彼らの目は、搾取する気しか感じさせなかった。

 

「御託はいいよ。用件は?」

「肩がイカれちまったかもしれねェんだよ。俺ァこれでも一流の技師なんだ、あァ!?金出せ、金ェ!」

「ふぅーん。…まぁ、理由にしてはいまいちだけど、一応訊くよ。いくら欲しいの?」

「三千だなァ、三千。さっさと出せよ」

 

背後からやけに視線を感じる。どうやらわたしと彼の言葉からある気配を感じ取ったらしく、数人の妖怪がそわそわと楽し気に集まり始めた。

それにしても三千ねぇ。賭博して当てれば手に入るだろうけれど、今日はもうしないと決めたんだ。したがって、そんなすぐに用意できる金額じゃない。

 

「出せッて言ッてんだろォがァ!」

 

そう声を張り上げた大きな妖怪が、黙っていたわたしの胸倉を右手で無理矢理掴み上げた。

…はぁ。どうやら期待に応えなければならないらしい。そう考え、わたしは人差し指から薬指までの三本を掴み上げてきた彼の顔の前に見せた。

 

「拒否する。一つ、そんな金は持ってない。二つ、自らの意思で倒れてきた結果。三つ、怪我したはずの右肩を平然と使っている。だから、わたしは三千なんて金は払わない」

 

四つ、そもそも貴方が一流の技師には見えない、は言わないでおいた。

三本の指を揃えてから眉間を突き、怯んだ一瞬の隙を突いて倒れ込むように後方に体を引っ張る。防寒着が引き裂かれていくけれど、知ったことではない。そのまま後転しながら顎を蹴り上げてから着地し、二人の妖怪の手首を両手で掴み取る。

 

「まぁ、どうしても欲しいならわたしに勝ってからにしなァッ!」

 

そう言いながら、わたしは二人の妖怪を掴んだ腕を振り上げて後ろに投げ飛ばす。道が狭くて二人は壁とお互いにぶつかり合いながらであったが、壁が壊れなかったのでどうでもいい。それと、思ったより重量があったが、この程度ならまだ軽いほうだ。

そう宣言した瞬間、数人の妖怪が歓声を上げた。そして、わたしと彼らの声を聞き付けた野次馬がぞろぞろと集まり始める。そう。彼らが感じていた気配は、喧嘩の気配だ。

 

「優しくしてやろォと思ッたが、もォ手加減出来ねェぞォッ!」

「そうスね兄貴!やってやりましょう!」

 

その声を聞き、わたしの頬が僅かに吊り上がっていくのを感じる。あぁ、どうしてくれようか。

勝手に始まる賭け金の応酬を聞き流し、改めて二人を見遣りながら自然体を取る。

 

「おォらァ!」

 

数秒待っていると、大きな妖怪が右肩を前に出した体当たりを繰り出した。その全体重に速度を加えた体当たりを前に出した両腕で受け止めた。ジャリ、と踏ん張った足で雪交じりの地面を削ったが、それだけで彼の勢いは止まる。

 

「右肩、大切にしてよ。一流技師」

 

そう呟きながら、両手で掴んだ右肩に膝を叩き込む。ブヨブヨとした脂肪で衝撃が逃げてしまった感じがしたが、気にせず折り畳んだ脚を伸ばして蹴り付ける。

この攻防の間に真横から似たような体当たりを繰り出してきた小さな妖怪の突撃を、よろめいている大きな妖怪の背中側に跳んで回避し、そのがら空きな背中の背骨に向けて肘を突き刺した。

 

「あ、兄貴っ!」

 

転がっていく大きな妖怪を見て立ち止まった小さな妖怪が彼のことを心配したであろう言葉。けれど、それは致命的な隙だ。一息の間に肉薄し、その何が起きたのかよく分かっていなさそうに呆けた顔面に跳び蹴りをかます。

吹き飛んで地面を滑った小さな妖怪が起き上がる前にその両脚を掴み上げ、そのまま大きな妖怪に向かって跳び上がる。既に立ち上がって上にいるわたしを迎撃する体勢を取った彼に、わたしは手に持っている小さな妖怪を振り下ろした。

 

「ギャバアッ!?」

 

躊躇して喰らってくれれば楽だったけれど、残念ながら大きな妖怪は小さな妖怪を平然と殴ってきた。兄貴とやらの拳を受けて悲痛な声を上げた小さな妖怪を着地してすぐにポイっと捨て、大きな妖怪に向かって駆け出す。

 

「ふゥんッ!」

 

そんなわたしを踏み付けようと振り下ろされた右脚の下を潜り抜け、彼が振り向く前に跳んで後頭部を掴んでそのまま地面に叩き付ける。地面に顔半分が埋まったが、まだ気を失っていないようなので後頭部を掴んだまま持ち上げて小さな妖怪に向けて投げ飛ばした。

 

「うぐッ!」

「グボッ!?…ひ、酷いス、兄貴ぃ…」

「本当、酷い言いがかりだったよねぇ」

 

小さな妖怪を押し潰すように圧し掛かっている大きな妖怪を見下ろし、右手を硬く握り締めながらゆっくりと歩み寄る。

 

「けどまぁ、それ自体は別に構わないんだ。悪意に晒されるのは慣れてるしね」

 

だから、わたしは旧都に合わせて解決することにした。力こそが全て、って感じな旧都に合わせて。その結果なら、受け入れざるを得まい。

 

「金が欲しいなら博打でもしてればいいのに」

 

そう言いながら、わたしは前方三回転の加速と全体重を踵に乗せた踵落としを大きな妖怪の頭に振り下ろした。大きな妖怪はそれで気絶したようで、残るは小さな妖怪のみ。

さっさと片付けようと思い、その引きつった顔面に右手を伸ばして掴み取ろうとした瞬間、何か言おうとしたが気にせず掴み取る。しかし、そのままの状態で彼は口を開いた。

 

「…こっ」

「こ?」

「降参して…、いいスか?」

「いいですよ」

 

わたしは手を放し、空いた右手を軽く握って上に掲げた。湧き上がる歓声。今回もある程度金が動いただろうけれど、わたしにとってはどうでもいいことだ。それよりも重要な用件がある。それも、一つ増えてしまった。

 

「新しい防寒着、温かいのないかなぁ?」

 

防寒着を盛大に破いてしまい、中には服を着ているとはいえ非常に寒い。ひとまず細い針を数本創って破れた生地を留めておくけれど、隙間から冷気が通ってあまり意味を成していない。

小さくため息を吐きながら賭け金を受け取っている妖怪達の人垣を抜け、周りを見渡した。野次馬の中にヤマメさんはいなかったし、自分でやったとはいえ防寒着は破くし、あまりいい結果とは言えないなぁ…。

 



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第338話

屋根の上で雪に濡れないようにしゃがみながら道を歩く妖怪達を見下ろし、温かそうな防寒着を着ている妖怪を探し出す。そして、その妖怪が着ていた防寒着を複製し、今わたしが着ている破れたものは回収する。少し大きい気がするが、まぁ気にするほどではないだろう。

そのまま屋根の上を歩きながら道を見下ろしてヤマメさんを探していくが、そう簡単には見つからないらしい。けれど、十日待たせているとお燐さんが言っていたのだから、諦めて別日にしようとは思えない。もし寝てたら、そのときはそのときだ。

しばらく歩いていると、様々なものを投げ付けられ始めた。どうやら、旧都の外側のほうに辿り着いたらしい。ぶつかりそうなものは手で弾いたり掴み取ったりしながら先を進んでいると、さらに奥のほうから微かに弾幕の音が聞こえ始めた。

 

「そらぁっ!」

 

ものを投げてくる妖怪達が少し鬱陶しいので、先程掴み取った棒を投げ返す。真っ直ぐと飛んでいく棒は投げてきた妖怪の爪先ギリギリに深々と突き刺さった。…少しズレちゃった。親指を潰そうと思ってたのに。

効果があったのか気紛れなのかは知らないけれど、投げ付けられるものが半分くらいに減り、その隙に弾幕の音の元へ駆け出した。弾幕遊戯をしているなら、見物している妖怪だっているだろう。

 

「え、何あれ…」

 

旧都の入り口となる橋手前まで走り続け、屋根から跳び下りながら思わず目を見開きながら呟く。何故なら、見物している妖怪の大半が鬼だったから。

 

「それじゃあ二つ目だ。鬼声『壊滅の咆哮』!」

 

そして何よりその弾幕遊戯をしているのが勇儀さんだったからだ。…何やってるんですか、勇儀さん…。自分には合わない、って自分で言ってたじゃないですか…。

 

「ゥウウオオアアアアアッ!」

「ッ!」

 

宣言と共に息を大きく吸い込んだ勇儀さんから旧都全域に響き渡るんじゃないか、と思わせるほどの咆哮が大気を揺るがしわたしの耳を貫く。すぐに耳を塞いだけれど、それでもなおその咆哮はわたしの体を揺らしていく。

こりゃあ相手が可哀そうだなぁ、と頭の片隅で思いながら着地し、勇儀さんの相手をしているのが一体誰なのか探してみる。

 

「相変わらずうっさいわねぇ、勇儀ッ!」

「え」

 

咆哮と共に爆ぜるように放たれた弾幕を躱していたのは、パルスィさんだった。耳を塞いで咆哮に耐えながら飛翔していたが、思ったより弾速が速かったようで左膝に被弾してしまった。

耳を塞ぎながら見物をしている鬼達の中に入っていき、わたしとよく喧嘩をする鬼を見つけてその隣に立つ。見物をしている鬼の中では彼が一番話しやすいからね。

勇儀さんの咆哮が止み、さてどうなるだろうかと弾幕遊戯の様子を見上げていると、隣にわたしがいることに気付いたらしい彼から話しかけられた。

 

「おう、地上の。あんたも姐さんの見物か?」

「弾幕の音が聞こえて来たんですよ。勇儀さんとパルスィさんだったのは予想外でしたね」

「そうか。…あれ、弾幕遊戯だったか?俺はやろうとは思わんが、見る分にはいいと思ってる」

「はは。元より男性に向けた娯楽じゃないんですから、その反応は当然ですよ」

 

被弾した左膝を見詰めるパルスィさんの目がなんだかとても禍々しい目付きで、思わず頬が引きつる。…きっと妬んでいるんだろうなぁ。被弾させた勇儀さんに、弾幕を躱せなかった自分に。

 

「…嫉妬『ジェラシーボンバー』」

 

緑色の瞳を揺らめかせながら呪詛を吐くように宣言した。彼女の周囲から生み出される緑色の妖力弾が怪しく瞬き、しばらくすると激しく爆発し始める。うわぁ、思ったより過激な切札だなぁ…。

 

「あ、そうだ。弾幕遊戯の戦況はどうなんですか?」

「あん?…あぁ、姐さんは一度も当たってないが、向こうは二度当たってたな」

「お互いの切札は何枚ずつ宣言しました?」

「あれで二枚ずつだな。確か三枚だ、三回だ、って姐さんが言ってた」

「それだとパルスィさん、もう後がないじゃないですか…」

「そうなのか?」

 

いや、首を傾げないでほしい。少なくとも弾幕遊戯の規則は男女問わず旧都全体に広めているらしいのだから。

爆ぜる弾幕に対し、勇儀さんは何故か拳を振るう。普通ならばそのまま拳に弾幕が当たって被弾してしまうのだろうが、勇儀さんはどうやら普通ではないらしく、拳の拳圧によって迫り来る弾幕を掻き消していく。いいのか、あれ。いいのか、わたしも似たことやってるし。

 

「ここで大詰めだ。力業『大江山嵐』!」

 

パルスィさんの切札の半ばで勇儀さんは最後であろう切札を宣言した。一度も被弾していないので、通常よりも長く継続することになる。その切札は単純明快で、遥か上から暴風の如く巨大な妖力弾が降り注ぐもの。単純だけど、見た感じ規則性皆無。あれはそう簡単に避け切れるものではないだろう。

弾幕遊戯に慣れてきたのか、先程の嫉妬の力か、はたまたそれ以外か、パルスィさんは嫉妬「ジェラシーボンバー」が終了してからも弾幕を躱し続けていく。しかし、頬に流れた一つの汗をわたしは見逃さなかった。あれは、相当疲れてるな。そりゃそうだ。パルスィさんはやる相手がいなかった、と自分で言っていたのだから、つまり経験が浅い。それに相手はあの勇儀さんだ。彼女を相手にするのは肉体的にもそうだが、精神的にも想像以上に辛い。一度相手にしたから分かる。

集中が途切れてしまったのか、移動が甘く背中に被弾したところで勇儀さんの切札が止まった。どうやら弾幕遊戯は決着が付いたらしい。鬼達の野太い歓声の中で、わたしは二人に拍手を送る。…まぁ、こんな小さい音が聞こえているかどうか分からないけれど。

拍手を止めたところで、隣の彼がわたしの肩をガッシリと掴んできた。思わず彼に顔を向けると、好戦的な目付きでニヤリと笑われる。

 

「なあ、ちょうど終わったし俺と喧嘩しないか?」

「その前に、あの二人に訊きたいことがあるので。その後なら」

「そうか」

 

さっき別の妖怪二人と喧嘩したばかりだけど、まだ疲れているわけでもないし、構わないだろう。…あ、そうだ。

 

「…一応、貴方にも訊いておきますか。ヤマメさんが今どこにいるか知りませんか?」

「いや、知らねぇな」

「そうですか」

 

彼に軽く手を振りながら鬼達から飛び出し、苦笑いを浮かべながら頭を掻いている勇儀さんと、肩で息をしながら恨みがましく睨み付けているパルスィさんの近くで着地する。

 

「終わったばかりのところすみませんが、少しいいですか?」

「ん、幻香か。何だ?」

「ハァ、ハァ。…な、何よ…。負けた私を嗤いにでも来たの…?」

「嗤う?貴女を?何で?」

 

負けた程度でどうして貴女を嗤わないといけない。そんな暇があったら、わたしは貴女の弾幕と切札の対策を考える。…っと、今はそんなことどうでもいいんだ。

 

「二人は、ヤマメさんがどこにいるか知りませんか?ちょっと約束したことがあったんですよ」

「あー、弾幕遊戯のことか?この前酒の席でかなり愚痴られたんだが…」

「ええ、そうです。で、知りませんか?」

「それなら向こう側で仕事をしてるはずだ。あそこらへんで何件か続けてだから、まだいると思うぞ」

「そうですか。ありがとうございます」

 

勇儀さんが指差した方角を確認してから礼を言い、ここを去る前にパルスィさんに目を向ける。

 

「…何よ」

「また後日、今度はわたしとやりましょうか?」

「…ふん」

 

…答えなし、か。けどまぁ、それならそれでもいいか。彼女が弾幕遊戯に興味があることが確定したのだし。

さてと、二人への用事も終わったことだし、彼との喧嘩をしましょうか。

 



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第339話

さっきまで勇儀さんとパルスィさんの弾幕遊戯を見物していた鬼含む妖怪達が、今度はわたし達二人を囲む。その中には勇儀さんとパルスィさんも混じっていた。

爪先で地面を突いて彼女達が弾幕をばら撒いたせいで地面が多少歪んでいる足場を軽く確認してみるが、足を取られるような心配はしなくてよさそうだ。

 

「それじゃ、始めるか」

「ええ、始めてくださいな」

 

両腕をダラリと下ろした自然体で彼の出方を窺う。ジリジリと距離を詰めて来るが、気にせずその場で待機しておく。

そろそろかな、と思った距離でもまだ始まらずに、さらに距離を詰めてくる。今回はやけに近いなぁ…。

 

「ぜりゃっ!」

 

予想した距離の半分に到達した頃に、気合の籠った声と共に跳び出した。胴に向けて繰り出された左拳を左脚を軸に横向きになるように動きつつ右手甲で外側に押し出すように往なして躱し、彼の鼻先を潰そうと左掌底を突き出す。が、わたしの掌底は彼の右腕で防御されてしまった。

すぐさま左腕を引きながら一歩踏み出し、右手を振るって彼の右手首を掴み取る。そのまま体ごと回転して力任せに振り回し、彼を無理矢理地面から浮かして背中から地面に叩き付けた。豪快な音を鳴り、雪交じりの土が舞う。

 

「グヴッ!」

 

彼の口から空気は一気に吐き出される音がし、体勢が整えられる前に顔面を踏み潰そうとしたが、素早く横に転がりながら立ち上がってしまった。息は少し乱れているけれど、喧嘩に支障が出るほどではないように見える。…これはわたしが叩き付けたとき、受け身取られたな。

周りの鬼達が根性見せろだの、負けんじゃねぇだの、好き勝手言っているのを聞き流し、彼に向かって駆け出す。勢いに乗ったまま右拳をこめかみへ振り抜くが、ガシリと掴み取られてしまった。少し動かして外そうとするが、骨が軋む嫌な音がするくらい硬く握られてちょっとやそっとじゃ外れそうにない。その隙にお返しとばかりにわたしのこめかみに迫る右拳を屈んで躱す。

 

「離す気は?」

「ねぇな」

「そっか」

 

屈んだわたしの顔に膝が迫るが、その前に右に跳んで右拳を掴んだままの彼を思い切り引っ張る。これで離すならそれでいいし、離さないならそれでもいい。どうやら彼は自分で言った通り離さずに引っ張られていく。その際に不意に力が籠ったのか、わたしの右手が折れた音と嫌な痛みが走ったが、それの処理はこの喧嘩が終わってからだ。

引っ張られていくところを、わたしが急に止まったことで近付いてくる彼に左拳を突き出す。彼も同じようなことを考えていたようで、右拳をわたしに突き出してきた。

 

「ッ…」

「ふっ…」

 

拳同士がぶつかり合い、その衝撃がわたしの肩まで走ってきた。左拳はというと、ちょっと人には見せられないくらい酷い有様になってしまった。その結果を見た周りの鬼達が急激に沸き立った。わたしの両手が壊れて完全に彼の勝利が見えてきたことで、雰囲気が場を支配しているのをわたしは肌で感じる。…んー、やっぱり力のぶつかり合いじゃあまだわたしが圧倒的に不利だなぁ…。

彼も勝利を確信したようで、わたしの右手を離した。少し動かしてみるが、ちょっと動かすたびに嫌な痛みが走る。

 

「今回は俺の勝ちだな、地上のォ!」

 

そう高らかに宣言しながら突撃して右拳を力いっぱい突き出してくる。鬼達の野太い歓声が響く中、わたしは数瞬後に顔に叩き込まれ吹き飛ばされるであろう右拳を眺めた。

次の瞬間、グシャリという肉や骨が潰れる音が響いた。

 

「…あ?」

 

歓声が鳴り止み、彼の呆けた声がよく聞こえる。完全に思考を放棄している隙に、最早使い物にならないほどグシャグシャに潰れた右手を離して彼に肉薄し、酷く醜く歪んだ左拳を彼の鳩尾に叩き込む。

 

「グボォッ!?」

「両手潰した程度で確信するなよ」

 

怯んだ彼の顎を右膝で蹴り上げて浮かし、側頭部を右腕で薙ぎ払う。彼の身体は空中で一回転して地面に落ち、今度こそ顔面を踏み潰す。踏み砕かれた確かな感触を靴を通して感じ、完全に動かなくなったところで息を吐く。

暫しの静寂が場を包み込むが、次第に疎らな歓声を上げ始める。まぁ、仲間の敗北だ。あまりいい気分じゃないのかもしれない。そう思っていたら、突然耳が痛くなるほどの大歓声が響き渡った。咄嗟に耳を塞ごうとし、両手を耳に押し付けた瞬間激痛が走る。すぐに痛覚遮断しつつ耳栓を創って押し込んだ。

倒れた彼を数人の鬼が介抱すると、すぐに意識を取り戻した。相変わらず頑丈だなぁ…。

 

「ばだ、ばげだのが…」

「負けましたね」

「…ぐやじ、ばぁ…」

「また今度、楽しみにしてますね」

 

潰れて酷い有様の右手を軽く振りながらこの場を去る。さて、次の目的地は勇儀さんが言っていた場所。そこにヤマメさんがいるといいんだけど。

見物していた妖怪達をどうにか抜け、歩きながら『紅』発動。グチュグチュと変な感触を覚えながら両手が直されていく。見た感じ元通りになったところで痛覚遮断を解除し、両手を開いたり閉じたりする。…うん、問題なさそう。

 

「大丈夫?」

「大丈夫ですよ」

 

突然聞こえてきた心配の声に返しつつ浮遊する。…ん?誰だ今の?

声のした方に顔を向けると、とぐろを巻いた蛇の黒焼きを食べているこいしがいた。

 

「さっきの喧嘩で無理してなかった?」

「あはは、無理しましたよ。何となく、力で拮抗出来そうな気がしたんですが、案の定無理でしたね。その結果でこの様ですよ」

「まだ早かった感じ?」

「んー…、そうでもなさそうかなぁ?」

 

壊れたとはいえ、拳同士のぶつかり合いで完全に負けはしなかった。潰れたとはいえ、彼の拳を壊れかけの右手で受け止められた。だから、この予感は外れていたわけではなかったと思う。

最後に残った蛇の頭を飲み込んだこいしはわたしの隣に浮かび上がる。

 

「それじゃ、行こっか!」

「…何処に行くのか知ってるんですか?」

「全っ然!」

「はぁ…。ヤマメさんと弾幕遊戯しに行くんですよ」

「そうなの?」

 

そう言いながら首を傾げたこいしの額にピシッと人差し指を弾き、肩を竦めながら浮かび上がろうとしたところで、後ろから肩をガシリと掴まれた。すぐさま掴まれた手を剥がそうとしたが、全く動きそうにない。…外してから振り返りたかったのだけど、しょうがないのでそのまま振り返った。

 

「なあ、あの喧嘩、手を抜いてただろ」

「…どうでしょう?そこまで抜いてなかったと思いますが」

「抜いてるじゃねぇか」

 

わたしの肩を掴んだのは何とも腑に落ちない顔を浮かべた勇儀さんだった。

 

「それに、私とやったときはあんな傷一瞬で治せただろう。その拳を無尽蔵に増やしただろう。その時点で手抜きだね」

「…あれは一時的なものですって。それに、あれはわたしの力じゃない。彼女の遺産だ。それと、あれはわたしの能力の結果で創られたもの。その時点でここの喧嘩じゃあ使えないの。この喧嘩は武器も道具もなしで己の肉体のみ、でしょう?」

 

そう言うと、勇儀さんは口をへの字にしたが納得してくれたようで手を離してくれた。彼女がわたしの喧嘩を見るのは初めてな気がする。そんな彼女はこういう勝負で実力を隠されることを嫌っていたからこそ、こう言ってきたのだろう。

 

「それでは、わたしはヤマメさんとの約束を果たしに行きますので」

「…そうかい。邪魔して悪かったな」

「気にしてませんよ。またいつか」

「じゃあねー、勇儀ー!」

「ああ、またなこいしちゃん」

 

勇儀さんに別れを告げてからヤマメさんがいるらしい方角へ体を向けながら急上昇し、一気に加速して飛んでいく。まだ仕事をしているか、もしくはそこに残っていればいいのだけど…。

 



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第340話

「ねぇ、幻香」

「何でしょう、こいし」

 

ヤマメさんが仕事をしている場所を探して旧都を見下ろしながら飛んでいると、わたしの少し後ろを飛んでいるこいしに声を掛けられたので、隣になるまで速度を少し落とした。

 

「幻香はさぁ、どうして能力を極めようとしてるの?」

「出来ることを増やしたいから、かなぁ。まだ出来ないこと多いですからね」

「例えば?」

「全てを貫く矛と全てを防ぐ盾」

「その二つをぶつけたら?」

「だから出来ないって言ってるの」

「そっか」

 

それでお終いか、と思ったが、こいしはすぐに次の質問を発した。

 

「幻香はさぁ、どうして体術を極めようとしてるの?」

「そうしたほうがいい、って言われたから。実際に役立ってるし」

「そうだねぇ。ここの喧嘩で大助かり?」

「それもそうですが、妖力無効化の呪術を喰らったときが一番助かったかなぁ」

「そっか」

 

今度こそお終いか、と思ったが、こいしはすぐに次の質問を発した。

 

「幻香はさぁ、どうして弾幕を極めようとしてるの?」

「弾幕を極めるぅ?どこが?」

「縦横無尽に操ったり、特殊な反応をする妖力弾だったり、無数に分裂したり、色々してるじゃん」

「それはあれでも魅せようと努力した結果ですよ。極めるなんて言えたものじゃない」

「そっか」

 

三度目となるとまだ続くだろうと察し、案の定こいしは次の質問を発した。

 

「幻香はさぁ、どうして『紅』を扱うの?」

「彼女の遺産だから。なかったことにしたら、消えた彼女が本当に消える」

「人は二度死ぬ、ってやつだよね」

「だから、わたしは生きて忘れないと誓った。だから、わたしは消えるときに彼女達のことを想うと誓った」

「そっか」

 

少し待つと、こいしは次の質問を発した。

 

「幻香はさぁ、どうして『碑』を扱うの?」

「貴女のためですよ。まさか、忘れちゃったんですか?」

「忘れてないよ。そうじゃなくて、今も使うわけを訊いてるの」

「忘れないから。全てを」

「そっか」

 

こいしは次の質問を発した。

 

「幻香はさぁ、どうして高次元軸を扱うの?」

「夢想天生対策。飽くまで可能性ですが、どうにかなると思いたいですね。あと、今は貴女が示した目標を模索中です。そろそろ五次元軸を追加出来そう、かなぁ?」

「そっか」

 

そこで暫しの沈黙を挟み、大きく息を吐いてわたしに強い視線を向けたこいしは、最後の質問を発した。

 

「幻香はさぁ、どうしてそこまで力を欲するの?」

「…欲する、ですか」

「執着、って言い換えてもいいよ。万能一歩手前の創造能力、鬼相手に対等以上に渡り合える体術、自由自在の弾幕、吸血鬼に片脚突っ込む『紅』、完全記憶能力を得る『碑』、文字通り異次元への干渉。挙げればきりがないくらい、幻香はもう十分に強いよ。それなのに、幻香はまだこれ以上の強さを求めてる。わたし、ちょっとだけ思ったの。その力、何に使うの?誰に振るうの?何をしたいの?…あのね、これは決して責めてるわけじゃないの。わたしは、理由が知りたい。幻香がそこまでして強くなろうとする理由。人里の人間達相手にはそんなにいらない。霊夢相手にだって十分戦える…、ううん、もう勝てると思う。それなのに、どうして?」

 

そう問われ、わたしは口を閉ざしてしまう。そう言われると、どうしてだろう?手札を増やせば戦術が広がる。腕力脚力などの身体能力は低いより高いほうがいい。出来ないを出来ないのまま放っておきたくない。停滞してる暇があったら一歩先へ進みたい。…そんな理由がたくさん浮かぶけれど、どれもどこか足りていない感じがした。

それでも、答えないという選択はしたくなかった。だから、わたしは曖昧なままで答えてしまう。

 

「上手く言えないけど、まだ十分じゃないのは確か、かな」

「十分じゃないの?これで?」

「…わたしがどれだけ強くてもさ、まだ上がいるんだよ」

 

頭の中に今まで出会ったたくさんの人の顔が浮かぶ。皆、わたしよりも凄い人ばかりだ。

 

「その上の中に勝ちたい相手がいたら、わたしは負ける」

 

嘘だ。負けることが悪いこととは思っていない。

 

「その上の中に殺意を持つ敵がいたら、わたしはお終い」

 

嘘だ。消えることは別に構わない。

 

「だから、かな?…ごめん。自分言ってて、よく分からなくなってきた」

「えっと、幻香は最強になりたいの?」

「全然。強いて言えば、無敵になりたい」

 

向かうところ敵無し、ではない。わたしの敵が存在しない、という意味で。遊び相手なら欲しいけれど、敵はいらない。わたしは平和が欲しい。最強はチルノちゃんにでも任せておけばいい。

再び暫しの沈黙。その沈黙を、一足先にこいしが破った。

 

「そっか。…けど、そればっかりで面白いこと全部蔑ろにしたら駄目だよ?」

「してませんよ。わたし、蔑ろにしてるように見えます?」

「してないよ。してないけど、…いつかしそう」

「…ここで否定出来ないところが痛いですね」

 

必要なこと以外のことを全て排して一つのことにのみ意識を向け続けたことがあるわたしが否定したとしても説得力なんてものは存在しないだろう。

そこまで話したところで、ようやく仕事をしているヤマメさんの姿を見つけた。少し周りを見ると同じ仕事をしている妖怪達と真新しい家々があり、どうやら今は最後の建築をしているようだ。

 

「見つけた。降りますよ」

「はーい!」

 

さっきまでの雰囲気は何だったのか、と言いたくなるほど元気のいい返事を受けながらゆっくりと降下する。建築をしていた妖怪達の一部がわたし達に気付き、ギョッと目を見開いた。どうしてなのか少し考え、もう既に治したとはいえ両手が潰れた所為で血塗れであることを思い出す。潰れた両手で耳を塞いでいたから、そのあたりにも血が付着していそうだ。…ま、放っておこう。水で濡らすと寒いし。

待っていることが暇になったらしいこいしが謎の踊りをし始めるくらい待っていると、最後の建築を終えて一仕事終えたと言わんばかりの息を吐いたヤマメさんがわたし達に気付き顔を向けた。

 

「あ、あんたやっと来たの?」

「随分待たせてしまったみたいですね。すみません、ヤマメさん」

「本当だよ。まさか忘れたんじゃないかと思ったね」

「こっちは覚えてないと思ってましたよ」

 

あれだけ酔っていて、なおかつ僅か数秒で別の話題に切り替わりまともな返事も出来なかった約束を覚えているとは思っていなかった。

正直にそう言うと、ヤマメさんから何やら嫌な雰囲気を感じてほんの少し後退る。多分、思わず病原菌でも漏れ出てしまったのだろう。効くがどうかはともかく、こんなところで無意味に病気をばら撒かれるのは嫌なので、両手を前にして落ち着かせる。

 

「まぁ、遅れたとはいえこうして来ましたし。ほら、わたしと遊びましょう?」

「…そうだね。それじゃ、幾つがいい?あんたが決めてよ」

「被弾も切札も三で。実は、貴女を探すまでに色々あってね。少しだけ疲れてる」

「おや、もう負けたときの言い訳かい?」

 

そう言って楽しそうに微笑まれたので、わたしも微笑み返しておく。今日だけでも賭博して、弾幕遊戯して、喧嘩して、見物して、喧嘩したんだ。少しくらい疲れるよ。

ヤマメさんに上を指差して見せ、一緒に浮かび上がる。流石に建築し終えたばかりの家々を無闇に傷付けるつもりはない。…まぁ、こうして飛んでても屋根に被弾するかもしれないけど。

 

「それじゃ、始めましょっか!」

「ええ、楽しみましょう」

「幻香ー、頑張ってねー」

 

わたしの真後ろから囁くように聞こえた声援に軽く手を振って答えつつ、もう片方の手振りでヤマメさんに先手を譲る。待たせてしまったことに対する、些細な詫びだ。

少し待っていると、ヤマメさんは大きく後退しながら真っ青な弾幕を周囲に広げた。…ふむ、かなり規則的だなぁ。それじゃ、わたしも『幻』を展開するとしましょうか。

 



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第341話

ヤマメさんが放った真っ青な弾幕の半分が途中で真っ赤に色を変え、それと共にわたしに向かって軌道を変える。その変化を弾幕の隙間を切り抜けながら眺めていると、早速切札を宣言してきた。

 

「まずは、罠符『キャプチャーウェブ』」

 

ヤマメさんが掲げた右手から糸のように連なった妖力弾が何本も伸びる。その内の一本が目の前に伸びてきたので、大きく横に飛んで回避した。この位置は、ちょうど周囲に伸びる糸状の弾幕から最も離れている位置。この糸状の弾幕が次にどのような動きを見せるのかはまだ未知数。無難にいこう。

『幻』から放たれる弾幕を危なげなく紙一重で躱しながら、ヤマメさんは右腕を大きく引っ張った。それに伴って右手から伸びていた糸状の弾幕が引っ張られ、その勢いに妖力弾同士の連結が徐々に解けていく。わたしに届く頃にはすっかり拡散された弾幕に被弾しない位置を推測して浮かんでいると、今度は左腕を掲げて同様に糸状の弾幕を伸ばした。…ふむ、基本はこれの繰り返しかな。

この切札の概要を把握したことで極力ヤマメさんの正面を離れないように回避出来、余裕を持ったまま半分ほど経過すると突然糸の数が倍に増えた。最初は小手調べで、ここからがこの切札の本番、ということだろうか?

 

「それなら、わたしも一つ宣言しよう」

 

蜘蛛の巣はわざわざ避けるものではなく、引き裂くものだからね。

 

「疾符『妖爪乱舞』」

 

『幻』を回収しながら軽く開いた両手の指先から爪を模した妖力を噴出させ、目の前に迫る糸状の弾幕を引き裂きながら突撃する。目の前に存在する邪魔な妖力弾を噴出させた妖力で掻き消しながらヤマメさんの目の前まで到達し、彼女の左肩から右脚に向かって右手を斜めに振り下ろす。

 

「うわっ!?」

「まだ一手だよ。後何手出来るかなぁ?」

 

掲げていた左腕を引きながら大きく後退して躱したヤマメさんに左手を振るおうとしたが、周囲から迫る弾幕に気付いてすぐさま予定を変更し、その場で乱回転しながら両手を大きく薙ぎ払って弾幕を引き裂いていく。…そうか。先程躱しながら左腕を引いた際に、わたしが残した糸状の弾幕を引き寄せたんだ。

その隙に大きく距離を取ったヤマメさんは、再び右腕を掲げて糸状の弾幕を伸ばしていく。それを見て、わたしは先程と同じように突撃した。目の前の弾幕を引き裂きながら接近し、左手を彼女の胸部に向けて突き出す。ただし、貫手のようになっている左手は彼女に当たらないように配慮する。もしも当てたら規則違反だからね。

大きく右に飛びながら右腕を引くヤマメさん。このまま先程と同じように距離を取るつもりなのだろう。

 

「逃がすかっ!」

「え…っ?」

 

前方から迫る弾幕を引き裂きながら逃げたヤマメさんへ突撃する。被弾するならそれでもいい。どうせわたしの切札の大半は長時間継続出来るようなものじゃないのだから。それよりも、ここで彼女に被弾させる方が重要だ。

背後から迫る弾幕よりも疾く飛び、相対的に前方からの弾幕が速くなる。それに対応するために両腕をより素早く振り回していく。ヤマメさんに肉薄し、右手を顔に振るったところを仰け反って躱され、追うように左手を突き出せばさらに大きく後退される。時折周囲を囲む弾幕を乱回転して引き裂き、その間に僅かに距離を離されれば近付いて攻撃する。

 

「ここは一旦逃げるっ!」

 

最初の切札が終了したと同時に、ヤマメさんは地面に向かって急加速し落ちるように飛んでいく。最後に残された弾幕を最低限引き裂いてから真下に加速してから浮遊を切り、自由落下して彼女を追いかける。

一瞬早く着地したヤマメさんが前方にある家の壁に右手を伸ばしながら糸を一気に伸ばし、それに引っ張られるように跳んでいくのを見ながら遅れて着地。

すぐに右脚で地面を蹴り出し、ヤマメさんを追いかける。徐々に距離を詰め、残り二秒といったところで彼女を追い抜いて糸を引き裂く。そして、突然糸を裂かれて体勢を僅かに崩したところを左手で振り払った。指先から伸びる爪が彼女の右腕を引き裂く。

 

「わぶッ!」

「うぉ、っと」

 

地面の上を派手に転がるヤマメさんを躱しつつ、改めて距離を取る。たかが十本の爪で周囲から迫る妖力弾の全てを掻き消すなんて出来るだろうか、と思ったが、案外やれば出来るものだなぁ…。ちょっとヒヤッとしたけれど。

『幻』を再度六十個展開し、雪交じりの泥っぽい土を払いながら立ち上がっている途中のヤマメさんに容赦なく弾幕を放つ。二十個は直接彼女を狙い、二十個は周囲に大きく外して逃げ場を少し潰しておく。

 

「うひっ!?」

「そこか」

 

左に少し動いて直接迫る弾幕を避けたヤマメさんに、残しておいた二十個の『幻』から弾幕を放つ。が、最初に放った弾幕が既に過ぎ去ったところを右に歩いて戻ることで躱された。

 

「流石に酷くない?」

「隙を見せたら即攻撃、と言われたものでして」

「それを教えてくれた人にはお礼を言ったの?」

「それはもう、たくさんね」

 

スペルカード戦で教えてくれたわけじゃないけどね。

浮かびながらヤマメさんに『幻』任せの弾幕を放ち、それを躱しながら一緒に浮かんで来てくれる。彼女から放たれる弾幕を躱しながらある程度高い位置まで浮かんだところで止まり、遊び場を再び空中へ戻す。

 

「さぁ、ヤマメさん。あの程度の切札じゃあわたしに勝てませんよ?」

「どうやらそうみたいだね。それなら、瘴気『原因不明の熱病』」

 

軽い挑発のつもりだったのに、冷静に受け止められてしまった。それならそれで別に構わないけどさぁ…。

切札を宣言したヤマメさんを中心とした弾幕が球体に渦巻き、その上に二つ小さな球体が出来上がる。…どうしよう。どれにしよう。…よし。

 

「鏡符『幽体離脱・滅』」

 

その宣言の共に、彼女の周囲に浮かんでいた弾幕の全ては滅される。自信満々な顔を浮かべていたヤマメさんの顔が何が起きているのかよく分からず困惑したものに変わっていく最中、右手に溜めた爆裂する妖力弾を投げ付ける。気付いたときにはもう遅く、大きな音を立てて爆発した妖力弾に巻き込まれて吹き飛んでいく。…あ、ちょっと威力が強過ぎちゃったかも…?

少し心配になり、『幻』の弾幕を休止させ、地面に激突せずに何とか持ち直したヤマメさんにゆっくりと近付く。

 

「あのー、大丈夫ですか?」

「けほっ…。あんま大丈夫じゃない…」

「そ、そうですか…」

 

決してこれを狙っていたわけではないのだけど、これではヤマメさんの切札が強制中断だ。…あぁ、あの切札がどんな風に魅せてくれるのか一回だけでも見てからやればよかったかもしれないなぁ。…ま、考えてもしょうがないか。

どう再開しようか、と考えていると、急に蜘蛛の子を散らすような弾幕をばら撒かれ、距離を取りながら『幻』に弾幕を再開させる。そして、わたしは両腕に妖力を溜めた。

 

「これがわたしの最後の切札、ってことになる。…躱してみな。模倣『ダブルスパーク』」

 

左腕に溜めた妖力を空中に留め、右腕に溜めた妖力と同時に解放する。大きく上に飛んだヤマメさんに向けて浮かばせた妖力から放出する方向を強引に変え、彼女を追うように仕向ける。わたしに右腕から放つ妖力は彼女が躱すであろう位置を推測し、そこを潰すように動かしていく。…けど、これはヤマメさんが下に逃げたら旧都の家々が壊れるんだよなぁ…。

流石にヤマメさんもそのことを理解したようで、一瞬苦々しい顔を浮かべながらわたしの上を飛び回る。最初はわたしに抵抗するように弾幕を放っていたが、膨大な妖力に呑み込まれて消えるのを見て回避に専念することにしたらしい。

たっぷり三十秒経過して空中に留めた妖力を使い果たし、すぐに延長を宣言してから改めて両腕に妖力を溜めて同様に片方空中に留める。

 

「…何だ、このくらいなら派手なだけで簡単じゃない!」

「お楽しみは、これからですよ」

 

自然と頬が吊り上がるのを感じる。右手で首元の金剛石を摘まみ、一つ回収してからその妖力を全て解き放つ。さっきまでとは段違いに強大な妖力がギョッとした顔を浮かべたヤマメさんを襲う。今度はわたしがヤマメさんを追い、留めた妖力で逃げ道を潰す。

その結果、挟み撃ちの状況になってしまったヤマメさんはその場で躱そうとしたが、急に方向転換することが出来ずにわたしが放つ妖力の濁流に呑まれていった。すぐに妖力の解放を止め、肩を落としてため息を吐くヤマメさんを見上げる。…今度は威力をしっかりと抑えていたので、さっきみたいに吹き飛ばさずに済んだ。よかったよかった。

 

「わたしの勝ちですね」

「…あーあ、あれを躱せればなぁ…」

「そのときはさらに膨大な妖力を消耗してさらなる強化を遂げた切札を使うだけですよ」

「ウゲッ。あれ、まだ強くなるの?」

「そりゃあもう。最大出力はあんなものじゃなかったですから。…ふふっ」

 

そう言って笑いかけると、ヤマメさんに引き笑いを返されてしまった。解せぬ。

 



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第342話

「あぁー…、娯楽でも負けると悔しいなぁ」

「ヤマメはそれなりに戦績いいじゃん!気にすることないって」

「あんた等二人は負けなしでしょ?慰めにならないって」

「あの、わたしはこいしに一敗…」

 

建築の仕事を終えた妖怪達がヤマメさんを一緒に食べようと誘い、それにこいしが混ざると歓迎され、地霊殿に帰ろうとしたわたしの手をこいしが掴んで放してくれずに引っ張られた結果がこれだ。ちなみに、以前来たことのある鍋を出してくれたお店だ。

大人数用の机にズラッと座っているのだが、わたしの席は見事にこいしとヤマメさんに挟まれる形となった。知らない妖怪と隣になるよりは幾分マシだろうけれど、今は何か食べたい気分じゃない。あの無駄に大きい饅頭がわたしの腹の中に残っている。けれど、この周りの妖怪全員が注文している中で何も頼まないのはなぁ…。

 

「わたし、地獄火炎鍋!」

「げっ、あれ頼むとか本気?」

「えぇー、何言ってるの?あれ美味しいじゃん。幻香は何食べる?」

「あぁー…、この豆乳鍋を」

「あんたは普通の頼むんだね。私はぼたん鍋で」

「牡丹、ですか。…花でも浮いてるんですか?」

「違う違う。猪肉を牡丹に見立ててるだけだって」

「へぇ、知りませんでした」

「幻香、あれだけ本読んでても知らないことあるんだねぇ」

「知らないことだらけですよ。わたしは知ってることしか知りません」

 

目の前に人差し指を立て、ほんの少しの妖力を小さな牡丹型に放出する。形の維持が出来ずにすぐ解けて消えてしまったが。やろうと思えば維持出来るだろうけれど、やる理由がない。実戦でも、弾幕遊戯でも。

こいしがわたしと同じように人差し指から薔薇型の妖力弾を浮かべてクルクルと回している。…どうしてそんなに期待した目でわたしを見るの。…あー、分かりました。やりますから…。

 

「あんた等は器用だね…」

「たくさん練習したからね!」

「やる理由ないんですけどね…」

「えー、もったいないじゃん」

「百分の一秒早く撃てば被弾出来るときに、そうやって形を考えるだけで機会を逃しますからね…。ま、わたしはそんな風に撃つより相手のを使ったほうが楽だ」

「鏡符『幽体離脱』だっけ?」

「え、あれって私の弾幕を消す切札じゃないの?ほら、滅とか言ってたし」

「派生の一つ、だって。何があったっけ?」

「静、集、散、乱、妨、滅、纏、操。もう使っていないものもありますが、今はこの八つですね。せっかくですし、もっと増やそうかなぁ…」

 

弾幕を複製する回数は一度切り、という制限を外せばいいだけなんだけど。…けどまぁ、一応幽体離脱の名を使っているのに、いくつも抜け出るのはどうかと思うんだよね…。霊体が二つも三つもあってたまるか。

最初に注文していた妖怪の前に鍋が置かれたのを視界の端で捉え、浮かべていた牡丹を人差し指で弾いて花びらを散らして掻き消す。それからしばらく待つと、こいしのあの地獄火炎鍋が隣に置かれる。あぁ…、辛味が目に刺さる…。

すぐにわたしの前にも豆乳鍋を置いてくれた店員さんに礼を言い、箸を手に取る。僅かに黄みがかった白い出汁に人参、葱、葉のもの、豆腐、油揚げ、茸、肉などの具材が浮かんでいる。うん、美味しそうだ。

ヤマメさんには何処にでもありそうな普通の鍋と、先程言っていた通り牡丹に見立てて綺麗に飾った薄切りの猪肉を乗せた皿が置かれた。へぇ…、あの頃はこんな風に肉を切ることなかった気がする。面倒臭かったし。保存利かなくなりそうだし。けど、これも美味しそうだ。

 

「いっただっきまーす!」

「いただきます」

「いただきます」

 

出汁がしっかりと染み込んだ油揚げを少し冷ましてから口に入れ、まろやかな豆乳と醤油で味付けされた出汁と一緒に味わう。…あぁ、美味しいなぁ。…けど、食べ切れるかなぁ、これ?ちょっと不安になってきた。

そのまま黙々と食べ続け、ようやく半分までいったところでこいしに話しかけられた。

 

「ねぇ、幻香」

「むぐ、…何でしょう、こいし」

「これ食べ終わったらさ、久し振りにわたしとやろうよ。弾幕遊戯」

「…嫌だと言ったら?」

「言わせない」

「…はぁ。わがままですね、こいしは。いいですよ。遊びましょう」

 

別に今日じゃなくてもいいと思うんだけどなぁ…。けど、こいしに頼まれたわけですし、遊んであげましょうか。

 

「わたしもたくさん遊んで強くなったんだよ」

「みたいですね」

「だからさ、ちょっとは本気出してね?」

 

そう言われながら微笑まれ、思わず箸で挟んでいた人参を鍋に落としてしまう。本気、かぁ…。最後に本気を出したのって、いつだろう?…多分、風見幽香を相手にしたのが最後かな…。出したくて出したわけじゃあないのだけども。

…あれ?わたしって、今どのくらい出来るんだ?前と比べたら確実に出来ることが増えたと言える自信はある。単純な力も、様々な技術も、多彩な弾幕も、前よりいいものとなったと思っている。けれど、現状出来る限界を最近は全く出し切っていない。

そこまで考え、せっかくこいしがそう言ってくれたのだから、せっかくの機会だし少しくらい本気を出してもいいかな、と思った。暇な時に考えたけれど、あまりにも強力過ぎて没にした切札のアイデアがあるし、それを使ってあげるのもいいかな。

 

「ふふっ。本気、出せるといいんですけどね」

「出すよ。わたしが出させてあげる」

「期待してますよ」

 

そんなわたしとこいしの会話を隣で聞いていたヤマメさんは、少し頬を引きつらせていた。

 

「どうかしましたか?」

「…いや、また仕事なんだろうなぁ、って思っただけ」

「…あぁー…、それは先に謝っておきますね。ごめんなさい」

「ごめんね、ヤマメ」

「いや、いいよ。謝られるよりも仕事を増やさないでほしいかな…」

 

そんな切実な願いを聞きながら鍋に箸を突っ込み、葉のものを摘まんで口に含む。…辛ァッ!

 

「んッ!?んー、んんんーッ!?」

「あっはっは!幻香、どうしたのぉー?」

「こぉーいぃーしぃーっ!」

「…うわ、鍋が赤寄りの桃色になってる…。豆乳鍋なのに」

 

横に座っているこいしの頬を両手で挟み、ギリギリと力を込めていく。怪我はさせないギリギリの力加減のままでこいしの顔を大きく揺らす。

わたしが話している間に地獄火炎鍋の激辛出汁をわたしの豆乳鍋に混ぜたのだろう。豆乳が混ざっていてもこの辛さ。本当に人に食べてもらうものだとは思えない辛さだ。これを考えた人はどうかしてるよ、本当に。

散々揺すったところで両手を離し、ヤマメさんが気を利かせて汲んでくれた水を受け取る。…あぁ、冷えた水が心地いい。少しだけ楽になった気がするよ。

 

「…どう?少しはやる気になった?」

「はぁ、そんなことしなくてもやる気はありますよ…。それよりも、これをどうやって食べ切るかが問題だ…」

「…あんた等で頑張ってね。私はこれで十分お腹いっぱいだから」

 

ヤマメさんには早々に逃げられてしまったけれど、それはあまり期待していなかったからどうでもいい。それよりも、今目の前にある激辛豆乳鍋だ。ただの豆乳鍋でも食べ切れるかちょっと怪しかったのに、それにこいしが挑発交じりの悪戯で地獄火炎鍋の出汁を加えて激辛と化してしまった。

溜め息を一つ吐き、思わず元凶であるこいしを睨んでしまう。

 

「…こいし」

「…うん、悪かったって。わたしも食べるから」

「…ありがとうございます」

 

結局この激辛豆乳鍋は途中から痛覚遮断を使いつつ、こいしと半分ずつにしてどうにか食べ切ることが出来た。その所為でこいしが一人前以上の鍋を腹に収めることになったわけだけど、そこは自業自得ということにしてほしい。

 



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第343話

両手の指を交互に組んでグッと前に伸ばし、それから両腕をゆっくりと上へ伸ばしていく。両手を離して一気に脱力し、前でわたしと同じ動きを真似ているこいしを見遣る。そうやって真似をされるとこちらに何かし返したくなり、とりあえずこいしが被っていた黒い鍔付き帽子を複製して頭に乗せることにした。

 

「切札も被弾も三でいいですよね、こいし」

「えぇー、五にしようよ、五!」

「貴女は元気でしょうが、わたしは色々やってるの。それに、鍋食べ終わってすぐだからあんまり動きたくない」

「幻香は一人前より少なかったじゃん」

「その前に無駄に大きな焼き饅頭食べたんでね。それに、そこまでたくさん食べれないんですよ、わたし」

「あんなに食べれて小食だ、って言うのは流石に無理があると思うよ…」

 

こいしが言っているのは、いつかの日に挑戦することになった肉の山のことを言っているのだろう。二時間という制限時間内では半分も食べられなかったが、その後持ち帰って時間を掛けて完食したからね。食材を捨てるだなんてもったいない。…まぁ、あれをもう一度挑戦しようとは思わないけど。

 

「とにかくっ!わたしはいつも五なの!」

「…はいはい、分かりました。いいですよ。切札も被弾も五ね。どれ使おうかなぁ…」

 

声を張り上げて押し切ったこいしにわたしが折れ、両手を上げて喜んでいるのを見ながら没にした切札を思い返す。使わずに終わるならそれでも構わないけれど、こいしがわたしを少し本気にしてくれたなら遠慮なく使わせてもらうとしましょうか。

見物をしている妖怪達を見下ろし、思っていたより多いなぁ…、と思う。ヤマメさんとその仕事仲間のほぼ全員は分かる。お店でわたしとこいしが弾幕遊戯をすることを聞いていた客の妖怪達も分かる。けれど、それ以外の妖怪達も多く見えるのが分からない。

 

「あのさ、どう始める?」

「先手は譲りますよ。お好きにどうぞ」

「そっか!じゃあ、始めよっ!」

 

そう言ってすぐにハート形の妖力弾をわたしに撃ち、それから逃げ場を潰すように周囲に小さなハート形の弾幕をばら撒いていく。以前と比べて弾幕密度が格段に濃くなったなぁ、と思いながら目の前に迫って来た一発目のハート形の妖力弾を指先に浮かべた一つの妖力弾で相殺し、その後の弾幕は無駄に動いたら被弾しかねないので最小限の動きで弾幕の隙間をスルスルと抜けていく。

その間に『幻』を百二十個展開し、半分はこいしに向けて弾幕を撃たせ、残り半分はそのまま待機させておく。待機している『幻』はわたしに被弾しそうな妖力弾を打ち消すようにする。

 

「むぅ、やっぱりこれじゃあまだ足りないね。これだけ撃てばわたしと遊んだ皆はたまに当たるのに」

「前よりも良くなってるじゃないですか」

「それでも、幻香は本気になれないでしょ?」

 

そうこいしに問われ、わたしは少しの間『幻』に弾幕の打ち消しを任せる。指先に牡丹の花を模した妖力弾を浮かべる。そのままの形を維持させた牡丹に軽く息を吹きかけ、クルクルと回して遊ぶ。まだ本気になれないよ、という意思を伝えながら微笑んだ。

こいしに牡丹型の妖力弾を放ち、その途中で破裂させる。舞い散る花びらが形を針に変え、ハート形の弾幕に小さな穴を空けて貫きながらこいしへ襲いかかる。が、この攻撃は大きく横に飛んで避けられてしまった。

 

「それじゃあ、本能『イドの解放』!」

 

そう宣言したこいしからハート形の弾幕が溢れ出ると共に強烈な斥力を感じる。確かに前よりも弾速、密度共に強くなっている。けれど、基本が変わっていないのは少し見れば分かった。だから、以前と同じように網目から網目へと移動するように躱していく。ただ、厄介なのはこの斥力。以前より強力になった斥力によってその場で留まるのが難しくなり、思ったように動けなくなってしまうこの状態は、思いがけない被弾を喰らう可能性を秘めている。

 

「…ま、喰らいそうなら消せばいいか」

 

そう小さく呟いてその可能性を喰らうことを思考の奥のほうに押し込む。そうして気分が少しだけ楽になり、この切札は難なく突破することが出来た。

 

「むっ。続けて、抑制『スーパーエゴ』!」

 

こいしは宣言してすぐに自分自身を妖力で包み込み、先程の本能「イドの解放」でわたしの背後に滞留させていたハート形の弾幕を引き寄せていく。そして、それと共にわたし自身も強烈な引力によって引き寄せられていく。この引力も以前より強力になっていた。

チラリと背後から迫る弾幕を見遣り、引力の大きさに合わせてその弾速も上がっていることを確認する。そして、わたしは真下に目を向けた。

 

「別のところ見てたら当たっちゃうよー?」

「…九十八、九十九、百、っと。…うん、数は足りてるね」

 

こいしは成長している。だったら、わたしも成長していることを見せるべきだろう。

 

「前に言ったこと、覚えてますか?」

「え、どれのこと?」

「『目指すは百鬼夜行』だと言った記憶がありますが、覚えてますか?」

「覚えてるよ!…え、本当に?」

「本当さ。鏡符『百人組手』」

 

その宣言と共に、わたしは下で見物している妖怪達に妖力を糸のように流す。そして、そのまま複製した。

 

「うおっ!?」

「うひゃっ、って…あたしぃ!?」

「お、俺もか!?」

「みみみ、皆が増えたーッ!?」

 

選んだ百人の妖怪達から複製(にんぎょう)が飛び出し、滞留しているこいしの弾幕にどれだけ被弾しようが気にもせずわたしの後ろに並ばせる。…流石に百体もいると、いい加減頭が軋む。

だったら、考えずに済めばいい。その解決方法は、既に何度もやってきたこと。昔は出来なかった。けれど、今なら出来るはずなんだ。『幻』への命令。喪った心臓への命令。そして、精神複製。それらから導く解決方法。

わたしは百体の複製に単純な命令を与える。こいしに向けて妖力弾を放て、と。けれど、意思なき複製が命令なんか聞くわけがない。意思がなければ、自ら動くことはない。だったら、創ればいい。こいしに向けて妖力弾を放つだけの情報を創って百体の複製に宿す。

スッ、と頭が軽くなる。わたしの後ろから大量の弾幕が来る。それはこいしのハート形ではなく、何の飾りっ気もないただの丸い妖力弾。そりゃそうだ。こいしの弾幕は複製達が壁となって防いでいるのだから。

 

「…うわぁお」

「少しの間、一対百だ。気分はどうですか?」

「正直、驚いてる。幻香、実はもう本気なんじゃない?」

「ふふっ、少しだけ」

 

引力に抗いながら後ろの複製達、特にその中に宿した情報のことを考える。正直言って、全然駄目だ。確かに、百体の複製はこいしに向けて弾幕を放っている。けれど、その性能は一体で『幻』十個未満くらい。その低性能は百体という数で補っているが、やっぱりショボい。出来ることなら、もっと高性能であってほしかった。…まぁ、初めてかつ短時間では上出来かな、ということにしておく。

こいしに放たれる複製達の弾幕は、こいしが纏っている妖力に打ち消されてしまい、あまり意味を成していない。貫通出来るほどの威力も出せていないのかぁ…。そこも課題かな、と考えたけれど、それだと怪我させるかもしれなかったと考え直す。その辺の調整も含めて課題にしよう。

そのままお互いに被弾することなく、ほぼ同時にお互いの切札が時間切れとなった。こいしは纏っていた妖力を自分の身に戻し、わたしは背後に並ぶボロボロになった複製達をまとめて回収する。

それにしても、出来たな。…出来ちゃったなぁ、情報の創造。肉体という名の器は創造出来る。そして、精神という名の情報も創造出来た。…多分、わたしはもう生命創造が出来るのだろう。一人の存在としてそんなことをしてもいいのだろうか、と考えてしまい、何を今更と自嘲した。

 



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第344話

こいしが全方位に放つ弾幕を小刻みに動いて躱しつつ、指先から妖力弾で山茶花を咲かせる。そして、外側の花びらから順番に指で弾き、散った花びらは針に形を変えてこいしへと真っ直ぐ飛んでいく。

この程度の攻撃は難なく躱されてしまい、それに対してこいしは朗らかに笑いながら少しずつ弾幕密度を濃くしていく。わたしのこの余裕をなくして、また少し本気を出してほしいのかな?

しばらくすると、六十個の打消弾用『幻』では処理が追い付かなくなってきた。けれど、まだ躱せなくなるほどじゃあない。視界に映る弾幕の軌道から推測し、弾幕の僅かな隙間を通って少し空いた空間へ移動する。時には『幻』から放たれる妖力弾を少し制御して弾幕を打ち消して強引に道を切り開く。

…ま、そろそろかな?被っていた帽子に手を添え、ふぅ、と小さく息を吐く。

 

「鏡符『幽体離脱・纏』」

 

その宣言と共に視界に映る弾幕をわたしの周囲に複製する。それらの弾幕はわたしの周囲を延々と回り続け、わたしを守る盾となる。帽子をこいしに向けて投げ付け、正面の弾幕に飲み込まれて消えるのを見ながら百二十個の『幻』を全て打消弾用に変更し、靴の過剰妖力を噴出してこいしに向かって急加速する。

お互いの妖力弾が打ち消し合う音がわたしの周囲から止めどなく響き、その奥にいるこいしの目が一瞬だか見開かれたのが見えた。しかし、それからすぐに全方位に放っていた弾幕をわたしに向けて集中させる。わたしが纏っている妖力弾を全て打ち消すつもりなのだろう。知ったことか。わたしは『幻』と纏った妖力弾を信じ、さらに加速していく。

 

「やぁ、こいし」

「嘘、幻香…」

 

わたしが纏っていた妖力弾は九割以上潰えたが、わたしはこいしに手を伸ばせば掴めるまで接近した。あんぐりと口を開け、弾幕を放つ手を止めたこいしを至近距離から眺める。結果としては一度も被弾しなかったが、少しでも躊躇して速度を抑えていたらどうだったか分からない。けれど、そんなことはどうでもいい。両目を細めて頬を僅かに吊り上げて笑い、眉間に人差し指が触れるかどうかまで近付けて接射した。

ぱしゅ、と軽い音がこいしの眉間から響き、すぐさま距離を取る。靴からの過剰妖力を噴出して大きく跳び上がり、そのまま浮遊を切って重力に従い地面に着地する。用済みとなったわたしの周囲を回る妖力弾を回収し、眉間を擦りながら楽しそうな声を上げて笑い出したこいしを見上げる。

 

「やっぱり幻香は凄いよ!」

「そう言ってくれると、わたしは嬉しいです」

「けど、わたしだって負けてられない!夢符『ご先祖様が見ているぞ』っ!」

 

わたしにご先祖様なんて者が存在するのだろうか、なんてしょうもないことを考えていると、両側の家々を挟んだ一つ隣の道から六つの青白い何かが伸び始めるのが見えた。それはまるで影が伸びたと思わせるほどに薄っぺらく、子供が気紛れで描いたような簡略的な丸と楕円だけの人のように見える。若干白っぽくなった二つの小さな丸からは、見下ろされているように感じた。

とりあえず影に妖力弾を一発ぶつけてみると、簡単に穴が開いて突き抜けていった。だが、すぐに何事もなかったかのようにその穴は塞がってしまった。…これを打ち消すのは影の大半を一度に消さないといけなさそうだなぁ。

 

「それっ!」

 

こいしが両腕を上げてユラユラ揺れる謎の踊りをすると、二つの影がわたしに向かって動き出した。この大きさなのに、思ったよりも速い。左右から挟むように襲いかかる影を前方に大きく飛んで回避し、そのまま駆け出す。振り向いてみると、躱した二つの影が執拗にわたしを追いかけて来ていた。うげっ、面倒な…。

 

「そぅれぇ!」

 

こいしがそう声を上げるのを聞いてすぐに前方から新たに二つの影がわたしに突撃してきた。咄嗟に横に跳び、家と家の僅かに隙間に跳び込む。地面を転がりながら向こう側の道に出て立ち上がり、影が真上から落ちてくるのを感じてすぐに躱す。どうやら休ませてはくれないらしい。

 

「それぇっ!」

 

屋根に跳び乗ってから空に飛び出し、前後左右上下から迫る六つの影を見遣る。すぐに斜めに抜けながらこいしに向けて人差し指をピンと伸ばし、ボソリと螺指と呟いてから一発だけ狙撃する。ある程度の貫通力を得るために妖力弾を旋回させるのだが、その役割を思考から人差し指の回転に譲ることで極僅かだが速く撃ち出した。が、ユラユラ揺れる踊りを少し大きくしただけで躱されてしまった。

地面に着地してすぐに大きく後転し、次々と上から降りてくる影を躱していく。影が六つ降りてきたことを数え、前方から影が一つ伸びるのを確認してから靴の過剰妖力を噴出して急加速。斜め前方に跳んで一気に駆け抜ける。足が地に付くたびに過剰妖力を噴出してどんどん加速し続けていくと、気付けば影の速度よりも少し速くなり、このまま真っ直ぐと走り続ければ追い付かれることはなくなった。こいしの真下を駆け抜け、そのまま大きく距離を取ってしまうことになるが、それはしょうがないと割り切ろう。

 

「…ふぅ。三十秒、っと。…うん、影も消えたね」

 

チラリと後ろを確認して影がスゥ…、と消えていくのを見てから体を反転させ、両脚と右腕で地面を削りながら停止する。…うわ、思っていたより離れたなぁ…。

わたしとこいしの距離を建ち並ぶ家々なら推測し、二酸化ケイ素の棒をわたしに重ねて創造する。すぐに外側に押し出そうとする力を感じ、自らの意思で弾かれる方向がこいしのいる場所になるように体を動かす。弾き出された瞬間に背中に触れていた二酸化ケイ素を回収し、少し口元を押さえながらその場で急減速した。止まった時にはこいしとの距離は腕を伸ばせば触れることが出来てしまうくらい近い。なので、すぐに少し距離を取った。

 

「ただいま」

「おかえりっ」

 

内臓が少し掻き混ぜられたような吐き気が込み上げながら言ったのだが、こいしは特に気にすることなく明るく返してくれた。若干粘つく唾を飲み込んで無理矢理吐き気を抑える。

 

「動きたくない、って言ってたじゃん」

「動きたくないと動かないは違うんですよ。動く必要があれば動きますよ」

「ふぅーん、そっかぁ」

 

そんな他愛もない会話をしながら、頭の中で三本軸を思い浮かべてからそこに新たな軸を突き刺した。

いかれた世界が視界に映り込むが、そんなことはもうとっくに慣れた。若干こいしとの距離感が掴みにくいけれど、躱すのに支障があるほどではない。そして、わたしは切札を宣言する。

 

「虚実『不可能弾幕』」

「え…――えっ?」

 

こいしは二度驚いた。一度目はわたしの周りに爆発的に増殖させて無秩序に浮かべた『幻』の個数に。二度目はこいしに被弾したと思った妖力弾が当たらずにすり抜けたから。

『幻』負荷耐久訓練の末、わたしは『幻』を安定して維持出来る個数と不安定でも維持出来る個数が増加している。今回使ったのは不安定な『幻』。その数は四百。速度、大きさ、方向、威力はどうにか調整出来るが、下手な小細工が仕込めない。

そして、今のわたし自身が四次元を認識している所為か、『幻』自体がぐらつくようになる数でもある。『幻』がわたし達のいる世界から時たまズレ、そして気紛れに戻ってくる。『幻』から放たれる妖力弾は三次元空間で直線を描くように撃っている。

つまり、わたしが放っている弾幕は当たる妖力弾と見えていても当たらない妖力弾がある、ということだ。

 

「!…はっはーん、そういうことねっ!」

 

わたしが四百個の『幻』を使って放っている弾幕を完全に躱し切るのは簡単なことではない。驚いている隙があったとはいえ、こいしが最初の最初で被弾していた可能性があったのだから。しかし、こいしはこの切札のカラクリをすぐに察したようだ。

全てを躱すのが困難ならば、当たらない妖力弾を見極めればいい。それは『幻』のズレの大きさに左右されるが、僅かに向こう側が透けていること。初見で見極めることが出来るかどうかは相手次第だが、こいしは既にズレた世界を僅かだが体験している。

こいしはキョロキョロと周りを見回し、透けている妖力弾が密集している場所を見つけては移動していく。透けているかどうか微妙な妖しい妖力弾がある場所は拒否し、安全な橋を渡っていく。見るからに安全な妖力弾だけではまだ難しい方だと思っていたのだが、それでもこいしは器用に体を動かしてギリギリの隙間を抜けていく。

 

「三十秒。あーあ、当てれると思ったんですがね」

「知らなかったらここで終わってたと思うよ。けど、わたしは幻香のことをいっぱい知ってるから」

「ふふつ、嬉しいこと言ってくれますねぇ」

「あははっ!当たらないけど当たってる。当たってるけど当たらない。まさに虚実!って感じ?」

 

『幻』を回収し、新たな軸を引き抜きながらお互いに笑い合う。弾幕遊戯の最中であることを少しだけ忘れてしまうような時間。

けれど、途中で打ち切るわけにはいかないので、わたしは笑いを止めて両手でバチンと乾いた音を鳴らす。その音が合図となり、こいしは弾幕を張り、わたしは『幻』を展開した。

 



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第345話

弾幕が飛び交う中で、わたしの頭には少しだけ引っ掛かるものがある。それは至極単純なもので、わたしはこいしに勝ってもいいのだろうか、ということだ。

こいしは特に気にしないだろうけれど、他の妖怪達がどう思うかは分からない。これまでにも十分やり過ぎるほどにやり過ぎているのは自覚しているが、それでもわたしは一番上にいないのだ。弾幕遊戯はこいしが、喧嘩では勇儀さんが、賭博に関しては時の運という名の誤魔化しが、それぞれわたしの上に立っている。そんなこと、もう気にせずにいれるならそれが楽でいいのだが、どうなのだろう?わたしは許されるのだろうか?…分からない。

 

「…ま、いいや」

 

ここで勝ったとして、それで面倒事に発展したときはさとりさんに謝るとしよう。許してくれるかどうかは知らないけれど、それなりの代償を支払って折り合いを付けてもらうとしましょうか。

こいしから咲き乱れる薔薇の花園を『幻』で散らしながら躱していき、わたしが躱すのが困難だと思う距離の一歩手前までジリジリと距離を縮めていく。大股で三歩あればこいしとぶつかってしまうような距離まで接近し、そこで止まる。距離が近ければ、それだけ早く届く。当てやすくなる。

百二十個展開していた『幻』の内、打消弾用だった六十個をこいしを狙う追尾弾用に変更する。わたし自身が躱す難度が上がってしまうが、それでもいい。こいしに当たる可能性を少しでも上げるほうが重要だ。どうせわたしの切札はどれも長時間使うのに適していないのだから。

わたしの攻める姿勢に対し、こいしは弾幕密度をさらに濃くしていく。ほんの少し体勢を誤ればそれだけで被弾してしまう。視界を埋め尽くす弾幕から躱し切るために邪魔な妖力弾を選び、人差し指から一発放ち打ち消しながら体を慎重に動かしていく。どうしても難しいと感じたときは数秒呼吸を止め、時の流れを遅延化させて無理矢理乗り切っていく。

 

「…『嫌われ者のフィロソフィ』」

 

そんなギリギリの状態を数分維持し続けていると、遂に焦れたのかこいしは呟くような小さな声で切札を宣言した。その言葉を聞いたその瞬間、わたしの周りに存在した薔薇の花園が一気に掻き消えて儚く散っていく。

その代わりと言わんばかりに、ポツポツと妖力弾がそこら中から浮かび上がっていく。それぞれの妖力弾はそれぞれの方向に真っ直ぐゆっくりと動いていく。その数は加速度的に増加していくが、それでもこの程度ならさっきまでの薔薇の花園のほうがよっぽど避けにくかった。

 

「…ん?」

 

そう思っていると、目の前の妖力弾から一斉に薔薇が咲いた。そこにあったはずの隙間を全て埋め尽くすような大きな薔薇。少し様子を伺っていると、その薔薇が少しずつ動いてきた。次々と妖力弾から薔薇が咲き、そして動いた後の薔薇はただの妖力弾に戻る。そうやって少しずつ動いているように見えた。

一定の距離を保ちながら薔薇の大群に対して後退し、それからわたしは周りを見渡す。最後に薔薇の中身を睨み、そして気付く。こいしがいない、ということに。

 

「…あぁ、これだったのね」

 

耐久切札。こいしが使っていることは知っていたけれど、名前までは知らなかった。わたしは三十秒いっぱい、これを躱し切らねばならないわけだ。

…けれど、さ。いるんだよなぁ、こいし。あの薔薇の中に、こいしがいるんだよ。見えないけれど、確かにそこにいることをわたしの妖力が教えてくれる。

 

「ね、こいし」

 

わたしに近付いてくる薔薇の中にいるはずのこいしに声を掛けてみるけれど、わたしには聞こえてこない。…いや、何か言っているけれどわたしに伝わらない。無意識を操るこいしは、やろうと思えば自分の声すらも分からなくさせてしまうらしい。

 

「『嫌われ者』なんて寂しいこと言わないでくださいな。貴女は嫌われてなんかいないと思いますよ」

 

そう言いながら、わたしは両手を開く。…えぇと、どうするか楽しみだよ、ねぇ。期待に沿えるかどうかは知らないけど、やりましょう。

 

「疾符『妖爪乱舞』」

 

十指から妖力を噴出し、目の前の薔薇の大群を切り開いていく。一つ散らせるたびに新たな妖力弾が近くに生まれ、そしてすぐに薔薇が咲く。けれど、それよりも早く裂いてしまえば進めるはずだ。

薔薇の中に飲み込まれ、その中で縦横無尽に両腕を振り回す。生まれる妖力弾が咲く前に引き裂き、やがて中心付近まで到達した。…ハッキリ言おう。もう動かしたくない、ってくらい両腕が滅茶苦茶疲れた。

 

「アハッ。耐久にはちょっと足りてないんじゃない?…ね、こいし」

 

見えないけれど驚いているこいしに、両腕を交差させて振り下ろす。被弾したことで能力の効果が薄れたのかどうか知らないけれど、こいしの姿がスゥっと浮かび上がるように現れる。目を見開いている表情。…ま、それを見れただけ満足だ。

もう暫く動かしたくないほど疲れ切った両腕をダラリと下ろし、新たに咲いた薔薇に呑まれる。…ちょ、これ思った以上に強力なんですけど。かなり痛い…。痛みに顔を僅かにしかめながら薔薇の中を抜け出し、耐久切札を改めて続けようと思っていたら、薔薇が一斉に散ってしまった。

 

「耐久切札なのに被弾したら駄目だよね。…んー、幻香のあれでも掻き消されないくらい大きくて濃くて強い弾幕を纏っていたつもりなんだけどなぁ」

「…続けてくれて構わないのに」

「むぅー、気にするよぉー…」

 

そう言ってむくれるこいしを眺めながら、さっきの薔薇の大群を思い返す。わたしのあれとは、おそらく模倣「マスタースパーク」の類の事だろう。一つ一つを掻き消すのは簡単だろうけれど、次から次へと新たな薔薇が産み出される。それをマスタースパークで突き抜けるのは簡単ではなかっただろうな、と結論付ける。…まぁ、弾幕遊戯でなく死合なら話は別だけど。

妖爪乱舞で引き裂くにあたり、わたしは普段よりも強く妖力を噴出した。そうしないと無理そうだと判断したから。…こいしに振るった際には普段通りに抑えたけど。

 

「さて、ちょっと傷心気味っぽいし、もうそろそろ終わらせましょうか」

「え、もう?…まだ続けようよぉ」

「両腕が疲れたし、わたしの本気の切札を魅せますからそれで勘弁してください」

 

そう言うと、こいしは見るからに目を輝かせた。さっきまで少し沈んでいるように見えたのが嘘のよう。…けれど、この切札はなぁ…。没にした理由が、切札として使い物にならないからだ。

この切札は、本来大多数との戦闘用に編み出したのだから。

 

「こいし、その距離だと近過ぎる」

 

そう伝えながら、わたしは屋根の上に降り立った。そして、『幻』をわたしの上の方に浮かべる。

急いで遠ざかっていくこいしを見ながら、わたしは最後の切札を宣言した。

 

「独創『カウントレススパーク』」

 

百二十個浮かんでいる全ての『幻』から、妖力の砲撃が開放される。百二十のマスタースパークがこいしを襲う。視界が真っ白に染まり、地底をも白く染め上げていく。

守破離という言葉があり、これがわたしの離だ。魔理沙さんから得たマスタースパークをここまで発展させ、一つの完成を迎えたと思っている。

…あぁ、妖力の消耗が激しい。頭が痛い。体がふらつく。けれど、知ったことか。魅せると言ったんだ。最後までやり通せ。今首にぶら下げている金剛石は何のためにある?こんな時のためにあるんでしょう。使い切ってでも続けるんだ。

結果は、二十八秒後にこいしが二回被弾したところでわたしは限界ギリギリを迎え、弾幕遊戯は終結した。

 



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第346話

独創「カウントレススパーク」を放っている最中でわたしの上に浮かんでいた『幻』が一つ消えたと気付いたときには、他の『幻』も次々と連鎖的に消えていく様が見えた。そして、そのまま全ての『幻』が消え去ると共に身体がフラリと傾き、抵抗も出来ずに無様に背中から倒れてしまった。雪が冷たいなぁ、と思いながら若干ぼやけた天井を見上げていると、酷く慌てた様子のこいしが隣に下りてきてくれた。

 

「大丈夫ッ!?」

「…はは、情けないですね…」

 

最後まで魅せることは出来ず、結局勝つことも出来ず、中途半端に終わらせてしまった。本当に情けないなぁ、わたし。

碌に力の入らない両腕で上体を起こそうとし、雪で滑ってまた倒れてしまう。僅かでいいから妖力を得るために両袖を回収し、ほんの少しだけ得られた力で何とか上体を起こした。露出した両腕に冷えた空気が刺さる。寒い。けれど、そんなことはさして気にならなかった。

妖力枯渇寸前に陥ることは慣れていたつもりだったけれど、この虚脱感をどうにかすることは出来ない。もっと金剛石をぶら下げてくればよかった。フェムトファイバー置いて来なければよかった。けれど、そんなことを考えても意味がないことはわたし自身がよく分かっていた。

 

「よい、しょっと。…ふぅ。こいし、肩貸してくれませんか?」

「いいよ」

 

両手を支えに震える両脚を伸ばし、どうにか立ち上がりながらすぐに了承してくれたこいしの肩を借りる。体重のほとんどをこいしに任せてしまうのは非常に申し訳ないけれど、こうでもしないと帰れそうにない。…ごめんね、こいし。

わたしとこいしの弾幕遊戯を現物していたたくさんの妖怪達からの何とも言い難い微妙な視線を受けながらこいしに引っ張られるように浮かび上がり、ゆっくりと地霊殿へ飛んでいく。…あぁ、両瞼が重い。少しでも気を抜くとそのまま閉じっぱなしになってしまいそうだ。

 

「…そんなに無理しなくてもよかったのに」

「本気っていうのは、無理しないと出来ないものですよ」

「そうかもしれないけど…」

 

そんなことを答えつつ、わたしは動かない体の代わりに頭を動かす。今回のこいしとの弾幕遊戯の反省でもして、虚脱感から来る眠気に抗おう。

まず、鏡符「百人組手」。複製(にんぎょう)に情報を埋め込むこと。あれではあまりにも弱過ぎたし、あまりにも単純過ぎた。わたしはどこまで精神を創ることが出来るだろう?わたしという前例があるんだ。出来ないことはないはず。しかし、零から成長させるとなると、それは赤子から成長させるのと大して変わらない。それではあまりにも時間が掛かり過ぎる。ある程度完成された精神から創れなければいけないだろう。…そんなことを、わたしなんかがやってしまってもいいのだろうか?…いや、今更か。三人複製した。百体創った。踏み越えてはいけない線を超えてしまっている。後戻りなんて出来るはずもない。ここまで来てしまったら、後は進むか止まるか。…その二択なら、わたしは進むしかないのだから。

次に、虚実「不可能弾幕」。四次元空間込みの弾幕。『幻』の不安定を利用したけれど、さらに数が欲しい。わたしは以前『幻』を千個展開したことがあった。何もかもが滅茶苦茶で規則性の欠片もない代物と化したが、それでも千個展開出来たのだ。今回展開した数は四百個、半分以下。まだ増やせる。あと、四次元軸に『幻』が勝手にズレるなら、自らの意思でもズラせるはずだ。妖力弾は出来た。四次元物質も出来た。『幻』だって出来るだろう。これも含めて霊夢さんの夢想天生に対抗出来るといいのだが、どうなるだろう?こればっかりは実際やってみないと分からないなぁ…。

最後に、独創「カウントレススパーク」。全ての『幻』から強大な妖力の砲撃を放つこと。今回の『幻』の数は百二十個。ただのマスタースパークなら妖力消費が重いと感じるようなことはないのだが、単純にこれはその百二十倍の消費だ。重過ぎる。長続きしなくて当然だ。安定して利用するには、わたし自身の妖力量を増やすか、『幻』の数を減らすか、放つ妖力量を減らすか、緋々色金などで外側に妖力を貯蓄しておくなどの対策が必要だ。とりあえず、今すぐ出来るのは二つ目と三つ目。時間を掛ければ四つ目。ただ、一つ目の妖力量を増やすのは膨大な時間か生物の願いという犠牲が必要になるだろう。簡単なことではないのは確かだ。…ま、それなら四つ目でいいかな。少なくとも、今は。

 

「何考えてるの?」

「…反省から今後のちょっとした計画を」

「例えば?」

「金剛石をたくさん創って持ち歩く」

「うわぁ、超豪華ぁー」

 

わたしだって、そんな成金趣味はない。それ以外にいいものがあればそれがいい。これから着る服を創る際、過剰妖力がより多く含むことが出来る素材を探し出すとかしたほうがいいかなぁ…。機能性も求めたいけれど、それを追究するとあの月の兵士が着ていた服がある種の完成形かな。あれを当面の目標にするのもいいかもしれない。

そんなことを考えていると、両脚が地に付いた。ぼやけた視界を見るに、どうやら地霊殿の前に到着したらしい。

 

「歩ける?」

「…何とか」

「それじゃ、ゆっくり歩くから。少しでも早かったら言ってね」

「分かりました」

 

そう言ってくれたこいしだけど、十分過ぎるほどゆっくりとした足取りで歩いてくれた。これなら今のわたしでも問題なさそうだ。

すれ違うさとりさんのペット達がわたしのこの有様を見てギョッとしたり慌てたりされたけれど、こいしがすぐに大人しくしてくれた。下手に騒がれると頭に響くから、こいしのその行動はとてもありがたかった。

 

「ちょっ、大丈夫かい!?」

「お燐、黙って」

「え、あ、はい」

 

お燐さんも慌てた様子で心配してくれたけれど、他のペット達と同様にこいしの言葉ですぐに大人しくなった。けれど、お燐さんは他のペット達とは違い、その次の言葉を口にした。

 

「一体、何があったんだい?」

「…弾幕遊戯で、ちょっと無理したんですよ」

「ヤマメとの?」

「わたしとの。わたしが無理するように言っちゃったの。…わたしが悪いの」

「そんな、こいし様…」

「…そんなこと、言わないでください。貴女は確かにそう言いましたが、結局本気出してこの様になったのはわたし自身ですよ」

「そうかもしれないけど…」

「それに、久し振りに本気を出したかったのは確かですから。そんなに責めないで」

「…うん」

 

もやがかかったような眼でこいしに目を向けて微笑むと、こいしはそれ以上自分を責めるようなことは言わずに笑ってくれたと思う。お燐さんもそれ以上は何も言わず、黙って廊下を開けてくれた。その廊下を引き摺るように歩いていく。

そして、ようやくわたしの部屋に到着した。こいしが扉を開けてくれ、そのままベッドに横にしてくれた。優しく掛け布団を掛けてくれたところで、ホッと一つ息を吐く。…あぁ、眠い。けれど、最後にこれだけ訊いておきたい。

 

「…ねぇ、こいし」

「なぁに、幻香?」

「楽しかったですか?」

「うんっ!とっても!」

「…そっか。なら、よかった」

 

こいしはこれ以上ないほど可愛らしい笑顔でそう答えてくれた。そう言ってくれたなら、わたしがこうなるのも意味があったと思える。…とりあえず、今日はゆっくりと休むとしよう。とにかく休んでこの枯渇寸前の妖力を回復させるとしよう。そう考えていると、遂に眠気が限界となったわたしはベッドで眠りに就いた。

おやすみ、こいし。また遊べたらいいね。

 



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第347話

少し重い体を起こし、ベッドからゆっくりと這い出る。耳を澄ませて周りの音を聞き、部屋の外とその周辺に誰かいないか確認する。…うん、近くにはいないね。

とりあえず衣装棚から端に掛けてある温かい服を手に取って素早く着替える。防寒着も着込み、両手を組んで大きく伸びをした。…暇だ。何やろうかなぁ…。簡単に出来るもののほうがいいんだけど。

 

「あ」

 

そこまで考えたところで、唐突にやりたいことが思い浮かぶ。しかし、後回しにしたほうがいいかもしれないな、とは思う。…いや、やろう。これは先延ばしにしたくない。

少し気分が乗っているわたしは部屋の隅に腰を下ろし、何の変哲もない球体を一つ創り出した。この球体と手に取り、一つ情報を入れてみた。跳ねろ、と。

 

「…駄目かぁ」

 

跳ねるどころか動く気配すらしない。人型でなくとも動くと思っていたのだけど、流石にただ情報を入れただけでは動くわけないか。そう思いながら過剰妖力を少し注ぎ込む。すると、球体は独りでにわたしの手から弾かれてポンポンと床の上を跳ねていった。本来なら徐々に跳ねる高度が下がっていくはずだが、一向に変わる気配はない。

この跳ねる球体を両手で挟み込み、床の上に静置する。案の定、勝手に跳ね始めた。しばらく放っておくとだんだん跳ねる高度が下がっていき、やがて動きを止めてしまった。球体を少し探ると、先程注ぎ込んだ過剰妖力がなくなっている。やはり、過剰妖力を消費して動いていたようだ。

 

「次は、っと」

 

球体から情報を引き抜いて回収し、わたしの元に戻れ、という情報と過剰妖力を入れてみてポイッと壁に向けて投げてみた。すると、床を跳ねていた球体がわたしに向かって跳ねる向きを切り替え、やがてコロコロと床の上を転がってわたしに軽くぶつかった。

球体を持って立ち上がり、窓から手を出して庭に落とす。頭の中で球体の位置を把握し、その動きを追っていると、地霊殿の外壁に向かって転がり続けていた。…どうやら、わたしと球体の間にある高さだとか壁だとかはお構いなしに直線かつ最短で向かおうとしているらしい。

思わず苦笑いを浮かべつつ、窓から跳び下りて球体を拾う。このままではこの球体は浮遊が出来ず、障害物を無視してしまう。そこで、複製(にんぎょう)を操って浮遊させる際に過剰妖力をどう扱っているか、何かにぶつかった場合はある程度方向転換してから帰還を再開させることの二つの情報を新たに入れ込む。

球体を遠くに投げると、その途中でゆっくりと速度を落として空中で止まり、フワフワと浮かびながらわたしの元へと戻ってくる。このまま手に取るのは癪なので、球体から逃げるように跳び上がって窓から部屋に戻り、球体が入って来る前に窓を閉めてみた。

 

「さぁて、どうなることやら」

 

少し期待しなががらフワフワと真っ直ぐわたしに向かって浮かんでくる球体の存在を頭に浮かべていると、その球体はやがて地霊殿の外壁にぶつかった。すると、一度距離を取ってから再びわたしに向かって真っ直ぐと浮かんでくる。それを何度も繰り返している中で窓に二回ほどぶつかった音がしたが、やがて過剰妖力がなくなって地面に落ちていった。…まぁ、流石に窓を破壊して戻るほどではないか。あと、ただ転がるよりも過剰妖力の減りが早かったな。

窓から跳び下りて球体を回収し、地霊殿の外壁に手を添える。その一部を複製し、過剰妖力を注ぎ込む。そして、殴られたらその方向に過剰妖力を炸裂させて反撃する、と入れようとして思い止まる。…たかがこの程度の情報で殴るとは何かを理解出来ているのだろうか?…無理そうな気がする。まぁ、物は試しか。やってみよう。

 

「そりゃ」

 

軽く拳を握り、複製した壁に向かって殴ってみた。…が、反応なし。一応蹴ってみたり、肩で体当たりしてみたり、頭突きをしてみたりしたが、どれも反応なし。衝撃が弱過ぎて反応するまでもないと判断されたかもしれない、という僅かな可能性に縋って今のわたしが出せる全力で殴り飛ばしてみると、ビシィと小気味いい音を立てながらわたしの拳を中心に壁全体に罅が走って砕けてしまった。残念ながら反応もなかった。

壁の欠片一つ一つに先程入れた情報が分散されて散り散りになってしまっているのを確認しながら全てを回収し、軽くため息を吐く。…まぁ、殴るじゃあ駄目ですよね。

仮に握り拳について情報を与えたとして、その情報からどれだけズレていたら握り拳から外れるのか、ということを考えてみて、自分でもよく分からなくなってきたので止めておく。

 

「難しいなぁ…」

 

何と言うか、単純なのだ。情報には従う。けれど、それだけ。それ以外には何も対処出来ない。殴るを理解するための握り拳を理解出来ていない。何も考えていない。…考えられない。

 

「自ら学習する情報。…つまり、意識、心、精神、なんかだよなぁ」

 

こいしとの弾幕遊戯で使った鏡符「百人組手」の複製達は、こいしに向けて妖力弾を撃つように指示した。多分、それは目の前にこいしがいたから出来たと思う。…いや、今ここで明確にこいしのことを思い浮かべながら同じような情報を入れれば出来るかもしれない。しかし、こいしを認識していない状態の複製は何もしないだろう。だって、こいしがいないのだから。ここで自ら探そう、という気の利いたことをしてはくれないのだ。そんな情報はないのだから。

もし、自ら考えて行動しろ、という情報を複製に入れたら、どうなるだろうか?…少しだけ考えてみて、サァッと血の気が引く。何もしないならまだいい。けれど、常識も条理も掟も禁忌も知らないのでは、何を考えてしまうのか分からない。そこからどのような行動を仕出かすか分からない。そもそも、考えろと言われても、その判断基準は?…分からない。下手すれば情報が破綻して自壊してしまうのではなかろうか。だったら、その判断基準を全て情報として組み込む?そうだとしても、それ以外が出た瞬間にお終いだ。全てを網羅するなんて不可能とほぼ同義だ。…そこまで考え、ひとまずこの件については先送りにして保留する。…もしかしたら、永久に保留のままかもしれないな。

 

「…切り替えよ」

 

少し重くなってしまった頭を軽く振るい、気持ちを切り替えるためにわざと声に出す。

もう一度壁を複製し、今度は具体的な衝撃の大きさを思い浮かべ、その衝撃よりも大きかった場合はその方向に過剰妖力を炸裂するように情報を入れてみた。…まぁ、壁に罅が入るくらいの威力で殴れば炸裂するようになっているはずだ。

情報の威力の十分の一以下を目標に殴ってみる。反応なし。五分の一を目標に殴ってみる。反応なし。三分の一を目標に殴る。反応なし。二分の一で殴る。反応なし。そこから徐々に威力を上げ続け、そろそろ炸裂するだろうと考え始めたところで壁から過剰妖力が炸裂した。そろそろだろうと備えていたので、すぐさま炸裂した妖力は回収することが出来、無傷で済んだ。…うん、大体上手くいったかな。過剰妖力全部使い果たしてるけど、それはどの程度使うか指示してなかったからなぁ。しょうがないか。

もう一度過剰妖力を注ぎ込み、全力で殴り付けた。全体に罅が走る寸前に過剰妖力は炸裂し、そのまま砕け散った。…うん、砕けて情報が散り散りになっちゃうのが先じゃなくてよかったよ。情報が散り散りになっちゃって過剰妖力を炸裂することが出来ませんでした、じゃあ使い物にならないからね。

…まぁ、今回はこのくらいでいいかな。時間を掛け過ぎたら悪いし。今度やるときは、もっと使い勝手のよさそうなことを目指してみよう。そう考えると、自己修復する武器、踏むと消える床、正しい鍵以外受け付けない南京錠、その他諸々とすぐに色々と面白そうなことが思い浮かぶ。けれど、これらはまた今後の話。

 

「…さぁて、戻ろ戻ろ」

 

今は飛び散った壁の欠片を回収して、大きく伸びをしてから急いで開けっ放しの窓に向かって飛ぶことのほうを優先しよう。

実は、当分休んでいろ、とさとりさんのペットを通してさとりさんに言われてから二日と経っていない。バレたらまた怒られそうだ。わたしとしてはもう動けるから平気だと思っているのだけど、さとりさんにとってはそうではないことくらいは想像が付く。けれど、思い付いたこれをやってみたいという欲求のほうが勝っただけなのだ。…まぁ、さっきの全力の拳も大した威力が出なかったし、言われた通りちゃんと休むとしましょうかねぇ。

その後、窓からわたしがやっていたことの一部を覗き見していたらしいさとりさんのペット数人がさとりさんに報告し、案の定さとりさんに無理をするなと厳命されてしまった。…無理はしてないつもりなんだけどなぁ。ちぇ。

 



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第348話

右手に細長い棒を持ち、左手の親指と人差し指で挟んだところから創り続けられていく一本の純白に染色した繊維をクルクルと巻き取っていく。ある程度の長さまで巻き付けたところで一旦手を止め、机に山積みにされた金剛石をいくつか手に取り回収したら再び繊維を創って巻き取っていく。わたしはこの淡々とした作業を黙々と続けていた。

もちろん、この繊維はただの繊維ではない。繊維の集合体の集合体の繰り返しである、フェムトファイバー手前の繊維。これだけ細くてもしっかり密度百パーセント。圧倒的不変性は健在だ。…ただし、しっかりと研がれた切れ味のいい鋏で頑張れば切れる。

この繊維を使って薄い生地の服でも作れば、多少の耐斬性耐突性くらいは得られると思いたい。あと、繊維自体がそれなりの妖力を使って創られているから、緊急時にはこれを回収してもいい。

…ただ、わたしは裁縫が苦手だ。いくら繊維があったところで、服を縫うなんて出来るとは思えない。さて、どうしたものか…。

 

「…ま、とりあえずこれだけあれば一つくらい出来るでしょ」

 

出来上がった糸巻き棒を机に置き、どうせだから別の色でも創ろうかと思っていると、扉の向こう側からガチャッと金属がぶつかる音が響き、続いてガチャガチャと何度も弄る音が聞こえてくる。そのまましばらく待っていると、諦めたのかドンドンと扉を叩いてきた。…ふむ、最近勝手に創った鍵付き扉だけど、案外上手く出来ていたらしい。

カチャリと鍵を開けて扉を開くと、そこにはさとりさんのペットがいた。そして、何やらかなり焦った様子で簡潔に用件を伝えてくれた。どうやら、さとりさんがわたしを呼んでいるらしい。

 

「分かりました。それじゃ、行ってきますね。…あ、そうだ。これで薄めの服って作れますかね?採寸必要なら呼んでくれれば早めに行きますから」

 

快く了承してくれたので先程創った糸巻き棒を手渡すと、深くお辞儀をしたさとりさんのペットは、すぐに向かうようにと言いながら立ち去っていた。…それにしても、扉を破壊しようなんて考えなくてよかった。そんなことしたら過剰妖力を炸裂させて反撃するようになっていたのだから。

それにしても、すぐに、かぁ…。何やら慌てていたし、何かあったのだろうか。そんなことを考えながら、とある暗号めいた情報を入れ込んだ鍵を創り出して施錠する。これと同じ鍵を持っているのは、今のところ誰もいない。さとりさんとこいしには渡してもいいかなぁ、とは考えていたけれど、この鍵付き扉を創ってからは会っていないので渡す機会がなかったのだ。せっかくだし、この鍵をそのまま渡そうかな。

片手で軽く投げ上げた鍵を掴むを繰り返しながら気持ち大股でさとりさんの部屋へ向かい、扉を軽く叩く。

 

「呼ばれてきました」

「どうぞ」

 

中から聞こえてきたさとりさんの声色は普段よりも僅かに硬い。…どうやら、本当に何かあったらしい。少しだけ気を引き締めてから扉を開けた。

 

「温かくなってきましたね。もう春ですか?」

「ええ。ですが、今はそれどころではありません」

 

軽い挨拶と共に鍵を手渡そうとしたが、どうやらそんなことを出来るような雰囲気ではなさそうだ。そう考え、少々もったいないと思いながら鍵を回収する。

 

「はぁ、何があったんですか?」

「先程、地上からの侵入者の影が確認されたと伝達がありました」

 

そのさとりさんの言葉を理解し、思わず顔をしかめてしまう。…ふぅーん、そっかぁ。地上から、ねぇ…。へぇー、そっかそっか。…さて、どうしてくれようか。

 

「数は五。詳細、目的は不明です」

「…で、さとりさんはわたしに何を言いたいんですか?」

「逆に問いましょう。貴女はどうしたいですか?」

 

そう言われ、真っ先に思い浮かぶのは人里の人間共。ドロリと腐り落ちた真っ黒な悪意。全てを捧げた呪術。正義を謳った青い言葉。最後に見せつけたドス黒い執念。

 

「…何もしませんよ。ですが、場合によってはわたし自身がこの手で完膚なきまでに殺し尽くします」

「貴女の意思はよく分かりました。では、有事の際には貴女に侵入者の無力化を頼みます。生死は問いません。ですから、ひとまずここで待機していてください。…そうですね、やることがないようでしたら、その採寸でもしてもらって待つといいでしょう」

「分かりました。さとりさんの言う通り、採寸でもしてもらって待っていますね」

 

僅かに纏っていた殺意を内に留め、ゆっくりと近くの椅子に腰を下ろした。長く息を吐き、いつの間には張り詰めていた緊張を少しだけ緩める。

…地上からの侵入者、か。それも五人。命知らずだ、と少しだけ思うけれど、それ以前によくもまぁあんな見つけ辛い気にも留めることもなさそうな地上と地底を繋ぐ穴を見つけられたな、と思った。飛翔能力がなければ真っ逆さまに落ちて即死は免れないだろうから、飛べる者かとんでもなく長い紐を持っているかだろう。そこまで考えたところで、侵入者について考えることを止める。どんな存在かなんて、相手にすれば大体分かる。今の段階で可能性を洗ったところで大して意味はない。

両手を開いたり閉じたりしていると、いつの間にかさとりさんが呼んだらしいペット達が扉を開けて入ってきた。その手にはわたしが手渡した糸巻き棒と巻き尺、裁縫道具などを持っている。

 

「…私が考えている有事は、旧都から救援要請が通達された場合か、長期に渡り侵入者の排除の通達がない場合か、地霊殿に侵入された場合です。…何事もなければいいのですが」

「侵入されている時点で何事もない、はないでしょう。…まぁ、勇儀さん含めた旧都の妖怪達を易々と突破出来るとは思ってはいませんが」

 

椅子から立ち上がって両腕を開いたままさとりさんの言葉に対して返す。巻き尺を持ったさとりさんのペットがわたしの体の長さを図ってくれているが、服を着たままで大丈夫だろうか?…まぁ、そのくらいは調節してくれると信じましょうか。

 

「…それもそうですね。…ですが、こうして短期間で二度目の侵入が起きてしまいました。何百年に一度なら何とか許容出来ますが、これでは地上と地底の不可侵条約は穴ぼこだらけですよ」

「…それは申し訳ないと思っています…」

「貴女を責めるつもりはそこまでありませんよ。…ただ、それよりも貴女は――いえ、これ以上は私が言うことではありませんね」

 

少し気になることを言われたが、さとりさんがそう言ったのにわざわざ聞き返すのは野暮だと思い、訊くのを止める。

そんなことを話しているうちにわたしの採寸が終わったらしく、裁縫道具を準備してわたしが手渡した繊維を使ってチマチマと縫い始めた。その途中で糸を裁ち挟で切ろうとして難航しているのを少しだけ申し訳なく思いながら、わたしは黙っていつか来るであろう何らかの通達を待ち続けた。

いつでも出撃出来るように呼吸を整えていると、突然バタンと勢いよく扉が開かれた。すぐに扉へ顔を向けると、肩で大きく息をしているお燐さんが早足でさとりさんの元へ向かっていく。

 

「さ、さとり様…。あの」

「…そう、よく分かったわ。急いでくれてありがとう、お燐」

「どうなんですか?」

 

わたしがさとりさんに詳細を問うと、軽く頭を押さえながらゆっくりと口を開いた。…え、何か嫌なことでもあったの?

 

「幻香さん。…出来ることなら、今すぐ旧都へ向かってください」

「分かりました。では、無力化でしたね?…行ってきます」

「違います」

「え?」

 

思わず足を止めてポカンを口を開いてしまった。そして、その先に続いた言葉でさらなる驚愕がわたしの頭の中を支配した。

 

「どうやら萃香とその友人が貴女を探してやって来たそうです」

 



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第349話

見上げれば雲一つなく、見渡す限り鮮やかな青色が広がっている。天上に昇る太陽は柔らかな光で地上を照らしている。爽やかな陽気に包まれており、頬を撫でる風はとても気持ちがいい。

 

「はあぁー…」

 

だというのに、私は思わず深いため息を吐いてしまった。これでは絶好の春日和も台無しだ。だが、理由は既に分かっている。

 

「凍符『パーフェクトフリーズ』ッ!」

「へっ!そんなのもう喰らわないよーだっ!」

「ムッカーッ!ぜーったい当ててやる!」

「…なぁんで私がこんな子守の真似事をせにゃならんかねぇ…」

 

霧の湖で今日も遊んでいるチルノとリグル、その審判をしている大妖精、周りで観戦をしているたくさんの妖精達を岸辺に胡坐をかいて眺めながら瓢箪を煽る。そして、こうなってしまった過程を思い返した。

日が昇ると妹紅は筍を求めて迷いの竹林を歩き回ると言って竹籠を背負って出て行った。ある程度採れたら慧音とフランのところに持っていく、とも言っていたので、どうせだからフランに会いに行くのもいいな、と考えた。

迷い家にあるフランの家に行ってみると、今日は妖精達と遊ぶのだと楽しそうに笑っていた。特にやることがあるわけでもなく、フランに付き合うのもいいな、と考えてやって来た妖精達と共に妖怪の山を下りた。

その途中、フランの足元にカサリと折り鶴が落ちた。フランはそれに気付いたらすぐに拾い丁寧に広げ、嬉しそうに顔を輝かせてから申し訳なさそうに妖精達に謝った。これからパチュリーに会いに行くことになった、と。そして、こう付け加えやがった。萃香が代わりに一緒に遊んでくれるから、と。

 

「うわーぉ、武骨ぅー」

「おいこらやたら角を撫でるな」

「お酒美味しそう!ちょうだい!」

「やらん。あんたが呑んだら潰れるぞ」

 

その結果がこれだ。フランと遊ぶ予定だった妖精達は、フランの言った通り代わりに私で遊んでいる。下手に動いたら面倒なことになりかねないから、私はこの場を碌に動けずにいた。

 

「くあーっ!負けたーっ!」

「よっしゃ勝ったー!」

「惜しかったね、チルノちゃん。お疲れ様、リグルちゃん」

 

瓢箪を煽っていたら、いつの間にか現代の決闘が終わっていた。観戦をしていた周りの妖精達はリグルに称賛の言葉を送ったり、チルノのことを煽ったりして楽しんでいる。その挑発にいちいち反応してチルノが跳びかかっていくのを楽しそうに見ていた大妖精は、私の視線に気付いてこちらに飛んできた。

 

「萃香さん。今日はいい天気ですね」

「ん、そうだな。今日は天気がいい」

「えっと、その…、ありがとうございます。わざわざ付き合ってくれて」

「気にすんな。どうせやることなんざ特になかったんだ。それに、騒がしいところは嫌いじゃない」

 

そう言いながら、チルノを中心とした妖精達の小突き合いを指差す。ギャーギャー言いながら頬を引っ張ったり髪の毛を掴んだり足にぶら下がったりと相変わらず騒がしい。

それを見て慌てた様子の大妖精は急いで妖精達を止めるために飛んでいこうとしたが、それはすんでのところで止まることとなった。

 

「あれぇ、ここに来てると思ったんだけどなぁ?」

「あん?」

「えっと、…どなたですか?」

 

何の脈絡もなく現れた一人の天狗によって。…誰だっけこいつ。見たことあるような、ないような…。駄目だ、思い出せん。

そのボーっとしているようにも見えるその目には、どうやら私が映っていないように見える。ここらにいる妖精達しか目に入っていない感じだ。そんな天狗は大妖精の前に立ち、つまり私の目の前に立って唐突に質問を投げかけた。

 

「私は姫海棠はたて。突然で悪いんだけど、ちょっと人を探してるの。黄色い髪の毛を横に縛ってて、大きな和傘を持ってて、宝石みたいな翼のある子なんだけど。何処にいるか知らない?」

「えっと、フランさんの事ですか?申し訳ありませんが、何処にいるかは…」

「その子、フランって言うの?…ふぅん、それなら真っ白な髪の毛をいくつか縛ってて、真っ赤なモンペを着てる人なら分かる?」

「あの、妹紅さんについては萃香さんのほうがよく知っていると思います」

「…萃香?」

「こっちだ、こっち」

 

そう言ってやると、振り返ったはたては私の捻じれた二本角を見てギョッと目を見開いた。うわ、本当に今気付いたのかよ。

 

「妹紅は迷いの竹り――」

「見つけたーっ!二本角の鬼と瓢箪!もうこの際貴女でもいいわ!ねえ!お願いがあるのっ!」

「うぉっ!?急になんだよ!」

 

私の言葉をぶった切って周りにいた妖精なんて意にも介せず両肩を掴んできたはたての眼は、一つの物事しか見ていなかった。他の事なんて何も眼中になく、私のこともその先にある目的のための通過点としか思っていない眼。

 

「ねえ!私を鏡宮幻香のいるところに連れて行って!」

「…はぁ?」

 

…何言ってんだこいつは。

 

「…博麗神社にでも行って来い。もしかしたら封印されてるとこを見せてもらえるかもしれんぞ」

「封印?…あー、そう言えばそんな記事もあったわね。ふふっ、あんな妄想新聞信じてるのねぇー…。鬼って実は意外と節穴?うふっ、うふふふふふふ…」

 

聞き捨てならない言葉を言われたが、そんな傲慢不敵な態度を見て僅かに思い留まった。何故なら、目の前にいるこいつはつまりこう言っているのだ。

幻香は封印されていない、と。

 

「…どういうことだおい」

「私を連れて行ってくれる?」

「待てよ」

「私を連れて行ってくれる?」

「人の話を聞け」

「私を連れて行ってくれる?」

「あのな」

「私を連れて行ってくれる?」

「だーっ!連れてくから人の話を聞けッ!」

「そう?ありがとっ!」

 

…何なんだこいつ…。やっぱりこいつも天狗だな、と場違いなことを思う。傲慢で不敵で不遜。ただ、鬼である私にまでそんな態度を取れる奴も珍しい。正直、もういないと思ってたんだが…。

気持ち的に若干引いていると、腰に付けていた四角い皮の小袋から写真の束を引っ張り出した。それをパラパラとめくっている最中、手を滑らせたのか数枚の写真が零れ落ちた。そして、その写真を見て思わず頬が引きつってしまう。

出来の悪い掘っ立て小屋の前で伸びをしている。慧音と料理をしている。箒の先端を背中から受けた瞬間。妖夢を踏んづけながら数枚の花びらを零している。餓鬼が両手で握り込んだ包丁に刺されている。妹紅と組み手をしている。私の拳同士がぶつけ合う後ろで嗤っている。真夜中にフランに引っ張られて林の中を駆け抜けている。永遠亭のベッドで眠っている。それらの写真には共通して写っている人物が一人だけいた。何処までも白く、ただ一つ瞳だけが薄い紫色をしている少女。こんな真っ白い存在を私は知らない。だが、それが誰なのかは見れば嫌でも理解出来た。

 

「…あ、落としてたんだ。なくしたら大惨事だよ、もうっ」

 

目的の写真を見つけたところでようやく自分が写真を零していたことに気付いたはたては、苦笑いを浮かべながらそれらを拾って綺麗に汚れを払ってから写真の束に混ぜ、皮の小袋に仕舞った。

そして、仕舞わなかった何枚かの写真を私に見せてきた。底の見えない穴を見下ろしていた。今となっては懐かしい場所を歩いていた。懐かしい友人と殴り合っていた。面倒臭いやつと話していた。それ以降は様々な妖怪と喧嘩していたり、弾幕を撃ち合っている写真ばかりであった。

 

「幻香はここにいるの。入り口はこの写真。場所は分かってるのよ。けど、私一人だと会う前に死んじゃうかもしれないもん」

「…よく分かった。だが、その前に一つ訊かせろ」

「何?何でも訊いていいよ」

「目的は何だ?…場合によっちゃあ、私はここであんたを消すかもしれないな」

 

そう言いながら僅かに殺気を込めて睨みを利かせ、目の前にあるはたての眉間にコツコツと指先を当てる。だが、はたては平然とした表情で笑いながら答えやがった。

 

「会うだけだよ?」

「…はぁ?」

「もしかしてさぁ、新聞にでもすると思った?するわけないじゃん。彼女を広げるなんて。ふふっ。私はただ彼女を独占したいだけ。あんなに不思議で奇妙で魅力的な鏡の少女を見て知って写したいのよ。分かる?初めて見たときから惹かれてた。声を聞いたらときめいた。動く姿は光り輝いてた!すぐに独り占めしようと思ったけど、そんなこと出来るはずなかった!私色に染めたらあっという間にくすんじゃうわ。彼女は純白だからこそよ!だから思うがままに生きていく様を、私は陰からずっと見てたんだよ?…けどさぁ、もういいよね?会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくてしょうがないんだもの!」

 

引いた。本気で引いた。捲し立てるように言ってのけたその言葉は、それだけの破壊力があった。それを言っているはたての表情が上気して融け切っているがその破壊力をこれでもかと押し上げている。

それを後ろで聞かされていた大妖精も、驚愕の表情でポカンと口を開けたまま固まっていた。その奥で小突き合いが激化していることも全く気にならないほどに、このはたての落とした超巨大爆弾に意識が完全に向けられていた。

 

「…どういうこと?ねえ、お姉さんのこと、だよね?」

「…フラン、さん…?」

 

だから、私は横から和傘を差して歩いてきたフランに気付けなかった。

 

「…なんか、凄いことになってんな。…私も混ぜてくれないか?」

「妹紅…」

 

だから、私は横から竹籠を背負って歩いてきた妹紅に気付けなかった。

…これは、かなりの大事に発展する。そんな予感めいたものを、私は感じていた。

 



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第350話

「…皆、このことは一切他言無用にしてください。…お願いします」

 

フランと妹紅。この二人の乱入に対し、真っ先に動いたのは罪悪と決意の入り混じった瞳をした大妖精であった。その声色はたかが妖精が発したと思えないほどに重く、周りの妖精達はコクコクと頷くしか出来ずにいた。

そのまま流れるように私達の周囲にいた妖精達にチルノたちを止めるよう頼み込み、それを口実にして人払いを済ませてしまった。

 

「…とりあえず、途中からで若干分からんところはあるが、この天狗は『封印されているはずの幻香に会いに行く』と言ったんだな?」

「そういうことになるな。本人曰く、そもそも封印なんざされてない、と言いたいんだと」

「言いたい、じゃなくているのよっ。これ見れば分かるでしょっ!」

「そんなのどうでもいいよ。お姉さんは、今も何処かで生きているんだよね?」

「お、落ち着いてください…。今は気持ちを落ち着かせて、皆さんの話を聞きましょう?」

 

はたてが見せた数枚の写真を妹紅が奪い取り、ジィッと漏らしのないように隅々まで見詰める。見てみろ、と言ったくせに写真を持っていかれたことを睨んでいるはたてに対し、妹紅は眉をひそめながら問うた。

 

「この写真…、念写か?」

「えぇ、そうよ!」

「これが真実であるという証明はあるのか?」

「あるわよ。見る?」

 

そう言いながら二つ折りの小さな機械を取り出し、少ししてから私達にその中身を見せつけた。そこには筍が入った竹籠を背負った妹紅が慧音と話しているところを真上から見下ろしたような写真が映っていた。もしもその場にいて撮ったのならば、二人のいる場所にはたての影が出来なければおかしくなる。そんな位置から撮られた写真であった。

 

「直近一時間以内の貴女よ。…どう?これで信じてくれる?」

「…あぁ、よく分かったよ。とりあえず、その念写に関しては信じた」

「分かってくれたならいいわ。それじゃ、行きましょう?」

「まぁ、待てよ」

 

妹紅が手に持っていた写真から懐かしい友人である勇儀が写っていた写真を引き抜き、それをここにいる全員に見せる。

 

「これって、萃香と同じ鬼だよね?…けど、鬼って他にいないんじゃ」

「いるんだよ。これに写されてる場所は私が前までいた地底だ。そこには地上に忘れ去られた鬼が何十人もいる。それも含めて地底の連中は地上の連中を殺したいほど嫌ってる奴ばっかりだ。それにそもそも、地上と地底は不可侵条約が結ばれてる。私が地上に登ったのだって、本来やっちゃあいけねぇことだったんだよ。…分かるか?仮に地底にいるとして、だ。私達はそこに下りたらどうなるか分かったもんじゃない」

「関係ないわ」

「関係ないね」

 

分かってはいたが、はたては止まる気はないらしい。そして、それはフランも同じのようだ。思わずため息を吐き、瓢箪の中身を一気に煽る。

 

「地上と地底の不可侵条約?知らないわよそんなの。こんなにも会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくてたまらないのに、そんな何処の誰がいつ勝手に決めたかも知らないものに阻まれるなんて絶対に御免よ!」

「そこにお姉さんがいるんだよね?萃香が昔住んでた地底、ってところに。だったら、私は行くよ。たとえ、一人でも。きっと私を阻む相手がたくさんいるんだろうね。けど、関係ないね。約束したんだ。何度殺されようと、私はそこに必ず辿り付いてお姉さんにもう一度会うんだ」

「…あー。はいはい。分かった、もういいよ。…だがな、知らんぞ?」

「最初から連れて行って、って言ってるじゃん」

「私も行くよ。お姉さんがいる地底に」

 

押し切られる形だったとはいえ、はたては地底に連れて行くと言ってしまっている。…だったら、私がそれに対して嘘を吐くわけにもいかないよなぁ…。不本意だったけど。かなり不本意だったけど…。

写真をはたてに返しつつ、妹紅と大妖精に顔を向ける。妹紅は難しい顔を浮かべ、大妖精は先程と変わらない罪悪と決意の入り混じった表情をしていた。

 

「…と、いうことだ。私はこいつらを連れてちょいと里帰りするから。数日あれば帰ってこれると思う。…ま、帰れなかったらそういうことだ。私のことは忘れるまで覚えててくれよ?」

「…いや、私も行く。ここまで知っておいてお前に置いてかれるのは嫌だし、幻香には言いたいことがいくつもあるからな」

「そうかよ。ま、死ぬなよ」

「ハッ、今更死ねるかよ」

 

そう言って二人で笑い合っていると、黙っていた大妖精が私の前に一歩踏み出してきた。

 

「あの、私も、連れて行ってくれませんか?」

「あん?」

「足手まといになるのは分かっています。私の、私達の小さな罪滅ぼしによる身勝手な自己満足なのも分かっています。…ですが、私は、どうしても行きたい。貴女達と、一緒に」

「…守り通せる保証はしねぇぞ」

「構いません」

 

そう言い切った大妖精の瞳は、決意の色が濃くなっていく。両手を強く握り込み、それでも震えを抑えきれていないが、その眼だけは揺れることなく私を強く見つめていた。…こりゃ、何を言っても動きそうにないな。

 

「分かった。それじゃあ、付いて来い」

「っ、はい!」

 

張り詰めたような返事をした大妖精から、今にも飛び出してしまいそうなはたてとフランに目を向ける。

 

「…後悔すんなよ?」

「会わないほうが後悔するわ」

「行かないほうが後悔するよ」

「私達はこれから大罪を犯しに行く。…けどまぁ、その程度じゃあ止める気なんてさらさらないんだろうな」

「もちろんよっ!」

「当ッ然!」

「よし。それじゃ、付いて来い。地上と地底を繋ぐ穴まで行くぞ」

 

そう言ってわたしはその穴がある方向を眺め、浮かび上がる。私の後ろには三人が付いて来ていた。…うん、三人?ちょっと待て、あんだけのことを言った大妖精がいねぇじゃねぇか。

そう思って僅かに速度を落としてしばらくすると、突然大妖精が後ろのほうに現れた。

 

「すみません、ちょっと出掛けることを皆に伝えてました…」

「そうかい。それじゃ、行くぞ」

 

仮にも大妖精だ。無断で行ったら騒ぎになる、…かもしれない。そう考えたのだろう。

そんなことを考えながら大妖精を見ていると、ふと引っ掛かることが浮かび上がってきた。はたてが幻香に会いたい、と言った瞬間の表情。驚いていた。そりゃあ普通は驚くだろう。そこは何の不思議も疑問もない。…だが、その驚愕の方向がどこかズレているように思えてきたのだ。そして、先程言った罪滅ぼし。

 

「…なぁ、私達に何か隠してないか?」

「ごめんなさい」

「謝るなよ。そうじゃないだろ。それより、何を黙ってた?」

 

私が大妖精にそう言ったことで、視線が大妖精に一気に集中した。最悪の色が濃くなり、固く口を閉ざしていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「…私はまどかさんが封印されていないことを知っていました。…それだけです」

 

驚いた。妹紅も目を見開き、フランはポカンと口を開けている。そりゃそうだ。私達が知りたいと思っていたことを平然と知っていると言いやがったのだから。

一度吐き出したことで楽になったのか、大妖精は次々と言葉を吐き出していく。

 

「私達は、黙っていました。知られたくないのはそれなりの理由があるはずだから、と。ですが、こうして知れ渡ってしまった以上、今まで隠し続けていた分だけ、こうした形で罪滅ぼしをしたいんです。…ただの、自己満足です」

 

そう締め括り、大妖精は口を閉ざした。私はそれに対して、何も言う気になれなかった。それは妹紅とフランも同じなようで、責めることも咎めることも励ますことも何もしなかった。

そんな静寂が支配する空気が嫌になり、全員が付いてこれる限界まで一気に加速する。そして、誰も意識を向けることのないように私が空間に向けられるべき意識を疎にした穴を見下ろした。そして、一時的にその細工を解除する。

 

「…そら、着いたぞ。最後にもう一度訊く。…後悔はないな?」

「ないわっ!」

「ないよ」

「ねぇな」

「ない、ですっ!」

「それじゃ、行くぞ!」

 

次の瞬間、私達五人は一斉に地上と地底の不可侵条約を破った。



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第351話

私が先頭になって地上と地底を繋ぐ穴を下り続けていくが、まだ底に辿り着く気配がしない。というか、全く底が見えない。地上と地底を繋ぐ穴が相当長いことは何となく覚えているのだが、それはどのくらいの距離だっただろうか?…駄目だ、思い出せん。

 

「しっかし暗いな…。それに、未だに底が見えん」

「そう?…まぁ、確かに底はまだ見えないけど」

「その、私達はそこまで夜目が利くわけではないので…」

 

妹紅は指先から蝋燭のような炎を点し、大妖精は手のひらの上に淡い光を浮かべながら下りている。大した明かりではないとしても、この真っ暗闇の中では確かな光源だ。

それからも何事もなく暇だ暇だと思いながら下り続けていると、時折はたてからうふっ、とかふふっ、みたいな笑い声が漏れ出ているのが聞こえてきた。暇であることも相まって、その笑い声の理由が嫌でも気になってくる。しかし、そのことを私が訊くのは何だか癪なので黙っていた。

 

「…ねぇ、何笑ってるの?」

「うふ――え?私、笑ってた?」

「うん、凄く」

「えっ、もしかして笑い漏れてたぁ?うっわ、恥ずかしーっ」

 

そんな私の思考をフランが代弁してくれたが、当のはたては頬に手を当てながら、しかし二つ折りの機械から目を離すことなく照れていた。…こいつ、さっきの笑いは無自覚だったのかよ。

その後も照れっぱなしでなかなか答えを言ってくれないはたてに呆れつつ、フランは再び同じ問いを投げかけた。

 

「で、何で笑ってたの?」

「気になる?貴女も見たい?見たいわよねっ!…実はぁ、幻香のことを見てたのっ!さっきまでクルクル糸を巻いてたのよ!けど、今は廊下を歩いてるわね。…あ、扉を叩いたわ」

「ちょっと待て。何か私のときと比べてやけに詳細だな」

「関係ないじゃないそんなこと。…あぁ、この見ただけで殺せそうなほど鋭い目付き!たまらないわぁ…」

 

妹紅の引っ掛かりを即行で関係ないと断じて切り捨て、二つ折りの機械の向こう側に写っているらしい幻香に完全に夢中になってしまった。私も少しだけ気にはなったが、たとえ訊いたところで同じ答えだろうと諦めた。それに、こいつはもう私達が何か言ったとしてもまともに聞いちゃいないだろう。

 

「…駄目だこいつ。もう放っとくぞ」

「お、おう…。それにしても、念写はどっちかと言うと呪術の側面が強いんだがな…。大丈夫なのか、あの天狗は?」

「あんだけ撮ってて代償を捧げてるように見えるか?そういう能力なんだろうよ」

 

…まぁ、こいつは仮に呪術で念写をしていたとしても躊躇いなく全てを代償に捧げてもおかしくなさそうだがな…。こいつからはそんな危うさをひしひしと感じる。

それからもはたてから漏れ出る笑いを聞かされ続けながら下り続けていると、急にフランが何かに反応した。

 

「あ、何か見える…」

「何が見えた?」

 

ピタリと動きを止めたフランに合わせ、私達も動きを止める。…それでも変わらず下り続けていくはたては首根っこを掴んで止めた。そこまでしても私が掴んで止めていることも服で首が軽く締まっていくのも気にすることなく二つ折りの機械を見続けているのを見ていると、呆れを通り越して尊敬出来るような気がしてきた。…いや、これっぽっちもしたくねぇな。

 

「んん…。えっと、糸?…いや、蜘蛛の巣かなぁ?とにかく細い糸が張り巡らされてる」

「へぇ、避けるのも面倒だし焼き払うか?」

「…ま、多分ヤマメあたりだろ。確かに避けて進むのは面倒だ。突き破るか」

「りょうかーい」

 

私は壁に手を当て、その周辺の壁を萃めて圧縮させる。ドロリと融解して橙色に発光するそれを手に取り、酒気の混じった吐息を吹きかけて発火させ下へと落ちていく。

妹紅はその背に不死鳥を模した炎の翼を噴き出し、全身に炎を纏いつつ片脚を伸ばして高速縦回転を繰り返しながら急降下していく。

フランは近くにあった壁を蹴り砕きながら下へ急加速し、その手に持ったレーヴァテインを振り上げて蜘蛛の巣へと迫っていく。

 

「そらァッ!」

「オラァッ!」

「えーいッ!」

 

追い風を受けながら蜘蛛の巣が視認出来る距離まで進み、発火しているそれを握り締めて右手に炎を纏わせて突き出し、全身から噴き出した炎で蹴り抜き、巨大な炎を纏った剣を振り下ろして、邪魔な蜘蛛の巣を一気に突き破っていく。

蜘蛛の巣があった地帯を抜け、握り込んでいたものを疎にして捨てながら見上げる。私達が突き破った蜘蛛の巣には炎が燃え移り、捕縛するための機能を完全に失っているのは明白だ。

 

「それじゃ、迎えに行ってくるね」

「おう、頼んだぞ」

 

フランはそう言って大妖精達のところに急上昇していった。私達はそれを見送り、帰ってくるのを暫し待つことにする。

フランが暗闇に紛れて見えなくなったくらいに、その身から噴き出していた炎を払った妹紅が軽い質問を投げかけてきた。

 

「なぁ、萃香」

「あん?」

「さっき言ってたヤマメ、ってのは何処のどいつだ?」

「あー、黒谷ヤマメ。地底に住む土蜘蛛だよ。たまにここで侵入者が来てないか見張ってる奴」

「ふぅん、そっか。…今日はいないみたいだな。それらしい気配がない」

「…あいつが私を見たらなんて言うだろうなぁ」

「さぁな」

 

どちらにせよ、帰ってきたことを歓迎されるのは確かだろう。その歓迎がどちらの意味かは知らんが。そんなことを考えながら瓢箪を煽いだ。それを見ていた妹紅に一口くれないか、と言われたので瓢箪を投げ渡して回し呑みしていると、ようやくフランが大妖精達を連れて下りてきた。

 

「ただいま」

「ありがとうございます、萃香さん、妹紅さん、フランさん」

「どういたしまして。大ちゃんもありがとね」

「いえ、私は大したことはしていませんから。気にしないでください」

「いいの。私が言いたかっただけなんだから受け取って。…で、萃香。この穴ってさぁ、あとどのくらい下りるの?」

「悪いが覚えてねぇ。下りてりゃ着く」

 

そう答えると、フランはあからさまに不満げな表情を浮かべてしまった。…まぁ、分からなくはない。ここまで単調な穴を下り続けるのは暇で暇でしょうがなくなるだろう。私もさっきの蜘蛛の巣の障害があるまでそう思っていた。

そこでフランは何を思ったのか、相変わらず二つ折りの機械に夢中なはたてに声を掛け始めた。

 

「むぅ…。ねぇ、その念写で後どれくらいの長さかとか分からないの?」

「あら、何だか少し張り詰めてる感じ?――え、何か言った?」

「地底までの距離は分からないの?念写で」

「無理。私の念写は撮れる場所からしか撮れないもの。穴の全貌を見るために壁に埋まったら何も写らないわ。それに、そんな興味ないもの写す気もない」

 

にべもなく否定されて頬を軽く膨らませたが、軽くため息を吐いて肩を落とした。どうやら、それ以上の追求は諦めたらしい。

 

「ちぇっ。…行こっ、萃香、妹紅、大ちゃん」

「はいはい。…おい、いい加減その機械から目を離せ。自分の身くらい自分の目で見て守れ」

「フラン、そんなに慌てるな。焦る気持ちは分からなくもないが、一旦落ち着け」

「皆さんで一緒に行動しましょう?離れ離れになるのが一番危険です」

「…ん。なんかしばらく変わりそうもないし」

 

それからも長いこと穴を下り続け、ようやく底に足を付けた。向こう側からは今はもう懐かしい旧都の光が見えてくる。私は遂に帰ってきたのだ。一度は完全に切り捨てた地底に。少しばかり懐かしさを覚えたが、それをすぐに奥底に仕舞い込んで気を引き締める。感傷に浸るのは後だ。

…さて、ここからが正念場だな。一体、どうなることやら…。

 



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第352話

「やっと着いたー!ここの何処かにお姉さんがいるんだよね?」

「今は、…んー、何処なのかしら?石造りの壁。本棚。皮椅子。妖獣数名が何か編んでるわね…。…えぇと、これは誰かしら?たまに写ってるんだけど」

「ちょいと貸せ。見たほうが早い」

 

はたてが眺めていた二つ折りの機械を奪い取り、それに写されたものを見る。中心には程よい緊張を纏っているように見える純白の少女が椅子に座っている。その奥に写っている妖怪の姿は紫色の髪の毛と紫色の瞳、そして一際目に付くのは第三の眼。…この念写で幻香がいる場所を特定した。

 

「さとり、か…。つまり、幻香は地霊殿に入るっぽいな…」

「地霊殿、ですか…。もしかして、あの大きな建物の事でしょうか?」

「あぁ。…ま、この念写が何時のか知らねぇけどな」

「ついさっきよ。分かったならさっさと返してよね!」

 

言われた通り二つ折りの機械を持ち主に投げ返し、旧都の奥に立っている地霊殿を見遣る。

それにしても、地霊殿かぁ…。正直な話、私は地霊殿の主であるさとりの事があまり好きではない。勝手に人の心から言いたくないこと知られたくないことを読んで訳知り顔を浮かべているのは何だか癪に障るし、そう考えていることを読んでやりづらい顔をするのは癇に障る。変わることを恐れている節があるのも気に食わない。それに何より動き始めるのが相当遅い。挙句の果てには引き籠るし…。…止めだ。これ以上はよそう。

そこでちょうどコツンと頭を軽く小突かれた。誰かと思って見てみれば、妹紅が私の顔を見て軽く笑いながら口を開いた。

 

「何変な顔してんだ。…それより、ありゃ誰だ?さっきからジットリ睨まれて落ち着かないんだが」

「あん?…あぁ、ありゃ水橋パルスィだな。橋姫、嫉妬姫。一応あそこで橋を守ってる奴」

「ふぅん…。それじゃあ、倒してもいい感じ?」

 

軽く説明してやると、片手で顎を擦るフランはもう片方の手をピッと真横に振るいながらそう言った。私はそれでもいいな、と考えていたが、大妖精は冷静にフランの言葉を否定した。

 

「私達は襲撃しに来たわけではないのですし、止めておいた方がいいと思いますよ」

「確かにそうだな。ま、売られりゃ買うつもりだが」

 

そう言いながら妹紅は右手を軽く握る。フランはというと、文句の一つもなく納得したようだ。…ま、そもそもあいつはそういう喧嘩を売るような奴じゃないけどな。

 

「話はこのくらいでいいか?…それじゃ、もう行くぞ」

「おう」

「分かった」

「はい」

「あーい」

 

ただ一人念写に夢中で生返事だった奴がいたので、こいつの身に危険が及んだとしても深刻でなければ助けないことを視野に入れ始めた。

パルスィの嫌な視線を感じながら歩いて進み、旧都の入り口である橋に足を掛ける。その瞬間、私の心中で僅かな嫉妬心が蠢くのを感じた。…が、ちょいと気を引き締めてすぐさま呑み下す。わざわざ術中に嵌る必要はない。

 

「よぉ、久し振りだな」

「あら、相変わらず嫉妬も呑み込む広い心をお持ちで。今日は新しいお友達と旅行気分かしら?それとも里帰りのつもり?…ハッ、見せ付けてくれるじゃない。どの面下げて帰ってきたのかしら。妬ましい」

「里帰り、と言われればそうかもな。とりあえず通らせてもらうぞ」

「勝手にしなさい。貴女は私がどうこう出来る奴じゃないし」

 

そう言ったパルスィはドロリとした緑色の瞳を妖しく光らせた。その視線は、私を通り越した向こう側を見ている。そこでようやく気付いた。

 

「…おまッ、まさか!」

「通りたければどうぞ、ご自由に?」

 

まずい、パルスィの嫉妬心を煽る能力についてなんも説明してねぇ…!すぐさま振り向き、私の後ろに付いてきてる四人を見遣る。

 

「おい、妹紅?」

「あん?どうした、そんなに慌てて?」

「詳しくは後でな」

 

妹紅、問題なし。自制したのか、そもそも嫉妬心がないのかは知らんが、術中に嵌っていないなら今はいい。

 

「おい、大妖精?」

「はい、萃香さん。何でしょう?」

「いや、後で話す」

「分かりました」

 

大妖精、問題なし。そもそも嫉妬心なんて感情とは無縁そうだもんなぁ…。大妖精とはいえ妖精だし。

 

「おい、フラン?」

「……………」

「…おい?」

 

だんまりを決め込み、身体を僅かに震わせて俯いている。…これはやばいことになったかもしれん。

いつでも押さえつけられるように構えようとしたところで、フランは何にも前触れもなく片腕を上げた。妹紅も私の雰囲気から察したのか、フランに体の向きを合わせて動きを観察し始める。大妖精は危険を察知したのか僅かに距離を取る。

 

「ッ!」

「は?」

 

そして、自分の頬を思い切り叩いた。乾いた音が響き、頬の皮膚が裂けて血が舞い散る。指先からポタポタと血を落としたまま拭おうともせず、そのまままた動きを止めた。突然の自傷行為に思考に一瞬の空白が生まれてしまう。

 

「…い、たァ…い。けど、まぁ、これでよし」

「お、おう…。大丈夫か?」

「ん、もう平気。すぐ治るし」

 

そう言って笑っているうちに裂けた頬の傷は塞がり、手に付いた血を舐め始める。…おそらく、ああすることで嫉妬心を一時的に忘れようとしたのだろう。少なくとも、もうフランから嫉妬心は感じない。なら次だ。

 

「おい、はたて?…何処行った?」

 

最後にはたてを見ようと考えたのだが、肝心のはたてがいない。振り向いたときにはいたはずだが…。

 

「萃香!後ろだ!」

「後ろ?」

 

急に叫んだ妹紅の言葉の意味を少し遅れて理解し、背後を振り向いた。

 

「ガ…っ!あ、締ま…ッ!」

「何、その顔?そんな風に人を見下して。あんたもそんな風に私を見るの?使えねー天狗だ、って?屑にも劣る、って?チリ紙のほうがマシ、って?本当さぁ、何?私の幻香とペラペラペラペラ喋っちゃってさぁ…。ポッと出の妖怪のくせして一緒に美味しくうどん食べましたぁー、って?私達、こんなに仲良くなりましたぁー、って?ふざけないでよ。ふざけんなよッ!あァん!?妬ましい、って?私のほうが妬ましいわよッ!見せ付けてくれる、って?それはあんたのほうよッ!今すぐ全身を端から削り切って風に混ぜてやりたいけど殺しはしないわ。あの子の日常に入ってる以上、欠けてもらったら困るのよ。喜びなさい?えェ!?なんか言ってみなさいよ。言えってんだろうがッ!」

「ふ…、ふふ。…こ、れは、想像以上…ね」

 

パルスィの襟首を両手で持ち上げたはたてがそこにいた。会って話した時間は非常に短いが、あんな風になったのは見たことがなかったし、想像も出来ない。嫉妬心に駆られ、術中に思い切り嵌っているのは明々白々だ。

襟首を掴んでいた両手が徐々に首にズレていき、そのまま締め上げようとし始めたところで流石に跳び出した。

 

「そこまでだ」

「ヴ…!?…ぅ」

 

はたての顔の高さまで跳び上がり、こめかみに回し蹴りを叩き込む。首から先が千切れないように注意したのだが、その代わりに吹き飛んだ先にあった橋の欄干に頭をぶつけて動かなくなってしまった。…死んでなさそうだしいいや。放っておこう。

 

「ゲホッ、ゴホッ!」

「あぁ―…、悪かったな」

「…ハッ、本当にいいお友達ね」

「いや、あれを友人に入れてほしくないんだが…」

 

ちょいと首を絞められたっぽいが、そんな皮肉言える余裕があるなら平気だろ。

グッタリとしているはたてを片手で持ち上げ、腰に腕を回して肩で担ぐ。…ま、いつか起きるだろ。何日も眠るような威力じゃなかったはずだし、天狗はそこまでやわじゃない。

 

「それじゃ、またな」

「悪いな。ちょっとお邪魔させてもらうよ」

「それじゃあね。帰りは邪魔しないでよ?」

「申し訳ございませんでした。お詫びと言っては何ですが、差し障りがなければ傷を癒したいのですが…。よろしいでしょうか?」

「…はぁ。別にいらないわよ、嫉ましい。さっさと行きなさい。…ようこそ、旧都へ。歓迎はしないわ」

 

首を擦りながら欄干を背もたれにしてそう言うと、追い払うように片手を払ってきた。

一悶着はあったが私達は橋を渡り切り、旧都へと足を踏み入れた。

 



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第353話

屋根の上にいる妖怪がその手に持った何かを投げようと腕を振り上げたが、私に気付いた瞬間にその手が止まる。畏怖と悪意など、様々な感情が入り混じった嫌な目で睨まれる。

 

「あ、あの…。物凄い形相で睨まれてるんですけど…。私達、大丈夫でしょうか…?」

「あぁ、こんだけの数の殺意に囲まれるのは久方振りだ。思った以上に嫌われてる」

「どうする?先手打って軽くやっちゃう?それとも待つ?」

「待つ。こっちが攻撃する理由はまだねぇ。それに、一応伸びてる奴もいるしな」

 

いっそのこと、投げ付けてくれれば思う存分やり返せるのだが、ああして中途半端に留まられると何も出来ない。大妖精が言ったように、私達は襲撃をしに来たわけではない。飽くまで幻香に会いに来ただけなのだから。

やり場のない悪感情はどうやら私達ではない別の妖怪に向けられたらしく、少し先にいたいかにもひ弱そうな妖怪に石やら土塊やら木片やら刃物やらが投げ付けられていく。あっという間に汚れて倒れた姿を見てゲラゲラと嗤う耳障りな声が嫌でも入ってくる。

 

「…酷い」

「ここじゃあよくある日常だ。あの程度でいちいち出てるとキリがねぇ」

「出る?誰が?」

「私含めた鬼さ。度が過ぎた行為は即行潰す。…まぁ、その辺の裁量はかなり曖昧だがな」

「萃香なら止めるか?」

「…悪いが止めんよ。流石に殺されれば動くが、あいつはまだ死んでない」

 

止めるか否か、一瞬でも迷ったことに自分自身で驚いた。地底含めた古い考えが抜け切っていないことは自覚していたが、私は自分自身が思っている以上に地上に染まっていたらしい。

 

「キャッ!」

 

そんなことを考えていると、後ろにいる大妖精が甲高い悲鳴を上げた。次いでベチャ、とぬかるんだ音が聞こえてくる。

 

「…大丈夫か?」

「はい、大丈夫です。ありがとうございます」

 

後ろを見ると、妹紅の右手に付着した泥を大妖精が両手に溜めた水で洗い流していた。そして、その隣にいるフランは泥を投げたらしい妖怪を睨み付けていた。

 

「…理由、出来たよ。…どうする?」

「好きにしろ」

「推奨はしないぞ」

「あの、私は平気ですから…」

「大丈夫、一発殴り飛ばすだけだから」

 

地面を深く抉り土と砂を撒き散らしながら跳び出したフランは一瞬で肉薄し、その下卑た嗤いを浮かべていた顔面に拳を叩き込んだ。そのまま血を噴き出しながら吹き飛んでいく姿は家の陰に消えたが、その向こう側から聞こえてくる家が崩壊する派手な音がフランの拳の威力を物語っている。

理由なくやられることが日常ならば、やられたらやり返すことも日常だ。たとえそれが何倍に膨れ上がろうと日常に変わりはない。

 

「…さて、大妖精。これ、頼んでいいか?」

「出来るだけ動くなよ。全部とは言えんが守ってやるからな」

 

そして、それはあちら側も分かり切っていること。フランの一撃は、他の連中に一瞬で火を点けた。私がいるにもかかわらず、一時の肥大化した感情に突き動かされてものを投げ付け、そして自ら跳び出し始める。

…まぁ、そうなることは今までの経験から予測していた。だから、私は大妖精の返事を待たずにはたてを投げ付けた。…さて、しょうがねぇな。やるか。

 

「ふっ」

 

右手を軽く握ってその場で拳を一発空打ちすると、一瞬遅れて私の目の前に跳び下りてきた妖怪数人が拳圧による拡散した衝撃波で吹き飛び転がっていく。こちらのほうが直接殴るよりも広範囲を攻撃出来るし、飛んでくるものもまとめて吹き飛ばせる。その分威力は落ちているだろうが、こいつら相手なら十分だ。

 

「私とやるの?いいよ、禁弾『スターボウブレイク』!」

 

屋根の上を見遣ると、そこにいたフランはその宣言と共に色とりどりの弾幕を大量に降り注ぐ。それにより多くの妖怪が巻き込まれていき、それに伴って周辺の家々もまとめて吹き飛ばしていく。それでも近付いてくる妖怪には容赦なく蹴り上げていた。あれだけの弾幕の中にいれば、飛んでくるものなんて意味を成していない。

 

「悪いな、私達はこの先に用があるんだ。ここでくたばるつもりはない」

 

ちょいと後ろを振り向いて妹紅を見遣ると、左右から跳びかかってきた妖怪に掌底を同時に叩き込んでいた。その状態から体ごと旋回し、前方にいた妖怪に回し蹴りを叩き込む。お得意の炎を噴き出していないのは手加減の一つなのだろう。時折飛んでくるものを躱し、次に近い相手を着実に無力化している。

 

「えと、その…。どうしましょう…?」

 

私と妹紅の間であたふたと困惑している大妖精だが、自分とはたてに飛んでくるものを見つけたらすぐさま風を扱い、冷静に振り払っていた。襲撃ではないのだから攻撃する必要はない、と言っていたので、あまりいい気分ではないのだろう。けれど、それくらいは覚悟してきているはずだ。現に、その瞳は未だに決意で満たされている。

 

「まだやる気か?」

「鬱陶しいね、このっ!」

「お前らじゃ相手にならねぇよ。さっさとどっか行け」

 

ある程度片付けていると物怖じした妖怪がチラホラと出始め、それは連鎖するように他の妖怪達にも伝わっていく。その状況で逃がしてやる、と言ったんだ。そりゃあ逃げていくだろうよ。…ま、フランは逃がすつもりなさそうだがなぁ…。そこは運がなかったと諦めてくれ。

フランが周辺のいた妖怪全員を叩きのめし、ここら一帯が静かになった。一つ息を吐き、瓢箪を一気に煽る。

 

「ま、とりあえずここは終わりだ。行くぞ」

「おう。…ほら、今度は私が担いでやるよ」

「ありがとございます、妹紅さん」

「これで相手も分かってくれればいいんだけどなぁ…」

「どうでしょう…。これだけやってしまいましたし、敵対されてもおかしくはないと思うんです」

「そっかぁ…。これで私達は襲撃者かも、ってことねぇ…」

「あちらからすりゃ私達は最初から地上からの侵入者だ。敵であることには変わりねぇよ」

「萃香も?」

「…さぁな。そればっかりは分からんよ」

 

少なくとも、投げるのを止めた奴らは私をまだ地底の妖怪と思っている可能性が残っている。ただし、地上の妖怪になったと認めているが、私の力自体を恐れているだけの可能性だってあるが…。ま、今はどうでもいいか。

この場で止まっていると次が来るだろうから、ひとまず歩き出してこの場から立ち去る。

 

「…あのさ、お姉さんはどうしてここに来たんだろう?」

 

その道中、フランはそんな疑問を口にした。

確かに、幻香は紛れもなく地上の妖怪だ。最初にここに降りたときはもろに攻撃されても何ら不思議ではない。あいつは強いが、一目見てその強さに気付くやつは少ない。その異質な強さは気にしなければ、下手すれば気にしても見えてこないものが多いからだ。

 

「…とりあえず、はたての念写にはさとりと一緒に写ってたんだ。今は問題ないだろうよ」

「ねぇ、そもそもそのさとり、って誰?」

「古明地さとり。旧都を統べる覚妖怪。そこにいるだけの抑止力。あいつがいなければ旧都はただの旧地獄に戻るだろうよ」

「ふむ、幻香はそいつの庇護下に入ってるのか…?だが、仮にも地上の妖怪だった奴をそんな簡単に受け入れるのか?」

「…嫌でも受け入れるだろうよ。何せ、さとりは人の心を読むような奴だ。幻香に利用価値を見出したのか、危険故に取り込んだか…。ま、詳しくは知らんがそんなところだろ」

 

幻香は私なんかより何十倍も考えて行動していた。思い付く限りの可能性を良し悪しを網羅しようとする。その全てを読み切り、その中で何を知ったのか…。私が知る限り、幻香はやろうと思えば旧都を平然と崩壊させることすら視野に入れる。その場で何でもかんでも創り出すふざけた能力もある。その能力に利用価値を見出すのも、危険だと感じるのも、不思議ではない。

 

「…それなら、今のまどかさんはどちらなのでしょう?」

「あん?」

「そのさとりさんの庇護下に入っているとするならば、地底の妖怪に加わったのでしょうか?それとも、今でも私達と同じ地上の妖怪であると言い張っているのでしょうか?」

「お姉さんだしなぁ…。自分に有利なほうを選ぶような、地上の妖怪だって言い切るような…。どっちだろ?」

「その二択なら地底の妖怪だ、って言ったほうが多分安全だろ。地上の妖怪、ってだけでこれだけ嫌われてんだろ?」

「さとりの庇護下に入っている時点でどっちも大して変わらねぇよ。さとりはそれだけ旧都じゃ強い影響があるんだからな」

 

私の中にいる幻香なら、旧都の中心であろうと「わたしは地上の妖怪だ」と大胆不敵に声高らかに言ってのける。そんな気がする。それに、たとえ旧都の妖怪達であろうと、大半の妖怪相手に負けるとは思えない。力で勝らなくとも、それ以外で勝利をかすめ取るだろう。

 

「けど、いくら考えても答えは出ねぇ。会ったら気になることまとめて全部訊きゃあいいだろ?」

「うん、そうだね萃香。…行こっか」

 



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第354話

旧都の中でも比較的荒れがちな外側を抜けて内側に入ると、鬱陶しい嫌な視線の数が明らかに減り始める。私を見て驚き、後ろに付いて来ている四人を見て首を傾げ、そして結局何もせずに自分のやりたいことに戻っていく。

ただ、こうして旧都を歩いていて一つ明確に変わったと思えることがあった。それは、私達含めて見上げている妖怪が多いということだ。

 

「…あれ、スペルカード戦だよね?」

「はい、弾幕ごっこにとても似通っています」

「弾幕遊戯、って言うんだよー」

 

道行く妖怪達は上空で繰り広げられているスペルカード戦に魅せられている。

しかし、どういうことだ?少なくとも、私が地上に上がる頃にはこんなものはなかった。妖力弾の弾幕なんぞ、無差別攻撃か接近のための牽制くらいにしか使われておらず、しかも使うやつは総じて物好き扱いされていた覚えがあるのだが…。

仮に幻香が広めたとして、それは何のために?そもそも広める理由は?…分からん。こういうのを考えるのは苦手だ。訊いたほうが早い。

 

「どうした、フラン。上で遊びたくなったか?」

「お、いいね!遊んじゃう?」

「今はいいよ。お姉さんに早く会いたいからね。今、何処にいるんだろ?まだ地霊殿かなぁ?」

「はたてさんが起きていれば念写を頼むことも出来るのですが…。起きてくれそうですか?」

「念写?…何だっけ、それ?」

「いや、全然動かない。身動ぎ一つしないから重くてしょうがないな。…萃香、無理矢理起こせないか?ほら、意識を萃めてさ」

「やってもいいが、今やると増幅された嫉妬心ごと萃まって面倒くせぇことになるんだが…」

「…あの、はたてさんの意識を萃めたらすぐにその嫉妬心を薄めてあげればいいのではないでしょうか?」

「おっ!大ちゃん頭いいーっ!」

 

大妖精にそう言われ、思わず肩がガクリと落ちる。そういう繊細なのはあんま得意じゃねぇんだがなぁ…。ま、出来ないことはない。起きたら起きたでうるさくなりそうだが、このまま動かないのを持っていくより自分で動いてもらった方が後が楽だろう。

 

「しゃあねぇ、やるか。…妹紅、はたてをしっかり押さえとけよ」

「ひゅーっ!恰好いいーっ!」

「はいよ」

 

妹紅がはたての両腕を後ろに回し片手で固定したのを見て、私ははたての頭を両手で挟む。こういうのは近い方がやりやすい。ただ、下手に暴れられると面倒だ。途中で止めるとどうなるか分からんしな。

まず、気を失って疎となった意識を萃める。ここまでなら何度もやってきたことだ。萃め過ぎて逆に駄目にならないように注意しながらやっていると、はたての瞼がむずむずと動き始める。…よし、後は勝手に起きるだろ。

次に疎にする嫉妬心だが、嫉妬心と単純に言われても複雑なものだ。そう簡単にホイホイ出来るもんじゃない。今の内にはたての意識の中にある嫉妬心を選り分けねぇと…。

 

「…ねぇ」

「あのさぁ、萃香」

「話しかけんな。気が散る」

「はーい」

「あんたも私にそういうこと言うのね。意味分かんねー奴、って。…そういえば、あんたもあの子と一緒に随分楽しんでたわよねぇ…。一緒に話して、遊んで、食べ合って、呑み合って、異変を起こして…。羨ましかったわ、本当に。私じゃ出来ないことだもの。自分で自分が抑えられなくなるから」

「全く呑み合ってねぇよ。…ん、思ったより抜けてたな…。ま、一応薄めとくか」

「けど!それもあと少しでお終いよっ!あぁ、私のこと覚えているかしら?それとも忘れているかしら?どちらでも構わないわっ!これから覚えてもらえばいいもの!…はふぅ、早く会えないかしら…」

 

嫉妬心を薄めた途端、はたては一気に上機嫌になり周りなんて存在しないが如く熱く語り始める。この調子だと、後ろ手で拘束されていることにすら気付いていなさそうだ。…こいつの幻香に対する執着も薄めるか…?いや、無駄か。何しても萃まりそうだし。

 

「って、いつの間にここまで進んでたの?それより、どうして私は捕まってるのかしら…」

「萃香に訊くと早いよ!」

「今更かよ。何も覚えてないのか?」

「覚えて?…あ、私の湧き上がる幻香への気持ちがちょっと溢れ出ちゃったわね。いけないいけない」

「…とんでもねぇ気持ちだなオイ」

「え、ちょっと気になるんだけど」

 

しかもあれがちょっとかよ。かなり引いた。気のせいかもしれないが、道行く妖怪達も私達から距離を取っている気がする。

妹紅がはたての両腕を離し、はたてはすぐさまキョロキョロと周りを見渡した。

 

「にしても、思ったより普通ね。もっと殺伐としてると思ってたわ」

「それは旧都のこと知らな過ぎだよ天狗さん。わたし、怒っちゃうよー。ぷんぷん」

「ま、そうだな。私からすりゃ異常だが…。それでも、私が知る頃の旧都より地上に近いのは確かだ」

「お姉ちゃんが色々やってるからねぇ。あ、もちろんわたしも頑張ってるよ!」

 

そこでようやく、本当にようやく違和感に気付いた。聞き覚えのある声のした方に首を曲げ、意識を集中させる。すると、さっきのさっきまで全く気付かなかった存在を私はようやく認識した。

古明地こいし。さとりの妹。第三の眼を閉じた無意識妖怪。そんなこいしちゃんは私の焦点がキッチリ合ったことに気が付いたのか、にこやかに満面の笑みを浮かべる。

 

「あ、やっと気付いた!改めまして、お久し振りだねっ。何しに来たの、萃香?」

「…とんだ食わせ者だな。なぁ、こいしちゃん。幻香は最初からこっちにいたみたいじゃねぇか。私は嘘つきは嫌いだぜ?」

「嘘は言ってないよ。幻香とは会って訊いて話してるけど、わたしは一度も『禍』とは会ったことも訊いたことも話したこともないもん。もしも『禍』がいれば地底に迎え入れたいのも本当だし」

「幻香は『禍』だろうが」

「見解の相違だね。私は幻香と『禍』は同じでも違うものだと思ってるから。そもそも『禍』なんて地上の人間が勝手に作り上げた理想の藁人形じゃん。敵意を、悪意を、殺意を、何もかもを都合よく押し付けられる手頃で手軽な藁人形。それが幻香だなんて、私はちょぉーっと許せないなぁ」

 

こいしちゃんはそう言うと、わざとらしく両手を叩いた。その瞬間、私以外の四人の視線が一気に集まる。

 

「やっほー。久し振りだね、幻香のお友達。妹紅、フラン、大ちゃん。それと天狗さん、貴女ははじめましてだねっ。わたしは古明地こいし。貴女の名前を教えてほしいな!」

「姫海棠はたてよ。貴女、幻香の横によくいる子ね」

「そうだねぇ。幻香はわたしと友達だしぃ?…ま、続きはちょっと別の場所にしよっか。ここで話すと嫌でも目立っちゃうし。来てくれるなら、訊かれたことを答えてあげるよ」

 

そう言うと、こいしちゃんは細い脇道へと勝手に進んでいく。

 

「…どうする、付いて行くか?」

「行くぞ。…というか、見失うとちょいと面倒になる」

「だね。萃香は違うっぽいけど、私達はこいしのことを今の今まで完っ全に忘れてたし」

「『記憶に残らない程度の能力』といったところでしょうか?」

「今の内に一枚撮っとこうかしら…。それでも忘れるなら仕方ないわね。幻香のお友達なら覚えときたかったわ」

「なら行くか。罠、はないだろ。こいしちゃんだし」

 

カシャ、という乾いた機械音を一つ耳にしながらこいしちゃんの後を付いて行く。しかし、私以外出会っていたことを忘れていた、か…。こいしちゃんの無意識はそこまで進んじまった、ということか…。

慌てて付いて行くと、こいしちゃんは私達を一瞥してから脇道の真ん中で止まり、そこにある壁を独特の間隔で数回叩いた。すると、そこにあった壁の一部がズレて家の中への通り道が出来ていた。へぇ、隠し扉か。知らんかったな…。

 

「何名様で?」

「六人。一番奥の部屋でいい?」

「どうぞ、六百です」

「はい」

 

部屋一つ借りるにしては馬鹿みたいに高額だ、と思いながら手招きするこいしちゃんに付いて行く。部屋の中は暗く、碌な光源もない。各部屋の扉に僅かに光るものがあるが、それでも手元が何とか見える程度。

 

「フラン、何が見える?」

「扉が五つ。この間取りだと、一部屋は結構広そう」

「あ、部屋の中以外で光るものを出さないでね!即出禁だから」

 

そう言われても、私は光るものなんか持ってない。後ろにいた大妖精は穴を下りるときに出していた光源をすぐに仕舞った。

促されるまま奥の部屋に入れられ、最後に入ってきたこいしちゃんが扉をしっかりと施錠する。そして、いつの間にか持っていた蝋燭に火を点け、部屋の真ん中に置かれた卓袱台の中心に置いた。

 

「さて。皆はわたしに訊きたいこと、何かある?ないならわたしが訊いちゃうよー」

「私達に幻香のこと訊いて来ただろ。何のためだ?」

「幻香が地上でどんなことをしてたのか、どう思われてたのか。それが知りたかっただけだよ?そう言ったと思うんだけどなぁ。幻香には色々訊いたけど、人からどう思われていたのかなんて結局その人じゃないと分からないからねぇ」

「どうして貴女のことを忘れちゃうの?」

「覚えられないから。わたしの無意識が進化、…この場合は退化かなぁ?とにかく、そうなっちゃったの。理由は幻香っぽいけど、それはどうでもいいね」

「え、まどかさんが、ですか…?」

「うん。そんなこと言ってたし。わたしの大切な何かを奪った結果、みたいな?別に構わないけどねぇー。幻香はわたしのこと、もう二度と忘れないし?新しい友達が出来ないのはちょっと寂しいけど、今までの友達がいるからね」

「幻香はどうだ?」

「今はちょっと悩んでる感じ。あと、やりたいことが多くて順番に手を付けてる。旧都の生活も慣れて、関係もそれなりに馴染んで、楽しんでるみたいだよ」

「貴女は幻香とどんな関係なの?」

「友達。一番のね」

 

そう言いながらこいしちゃんは微笑んだ。その答えにフランはジィッと睨んでいたが、動じる気配はない。気にしてすらいなさそうだ。

 

「訊きたいことはこれでお終いかな?それなら、わたしが訊きたいことを訊いちゃおう。まず、何で来たの?」

「今すぐにでも幻香に会いたいのが二人もいたから。フランとはたてだな」

「地上と地底の不可侵条約は?」

「それをあんたが言うか。…ま、私の言えたことでもねぇけど。質問の答えなら、知ってて破った、だ」

「会って、何をしたいの?」

「会いたいだけよ。…あぁっ!早く顔合わせしたいわぁ…っ」

「お姉さんがそこにいるなら、私は行くだけ」

「帰りは何時になるの?それとも、何かをしたら?」

「えと、その…。考えてません…」

 

それだけ訊き、こいしちゃんは満足げに頷いた。

 

「うん、このくらいでいいかな。せっかく見つけたこの場所も使えたし、わたしは十分かなぁ。…うん、時間も潰せたし」

「時間?…おい、何考えてやがる」

「べっつにぃー?ただ、ここに来る前は地上の連中の襲撃だー、って騒いでたくせに全然はしゃいでないから気になって探してみれば萃香達を見つけただけだよ。そのもう少し前に勇儀を中心にした鬼の皆が鬼気迫る表情で進軍してたなんてどうでもいいことだよねぇ。きゃはっ!鬼のくせに鬼気迫るなんて、笑うーっ!」

 

…こいつ、どうやら私達を匿うつもりだったらしい。理由は知らんが。

 

「ま、出て行くならお好きにどうぞ―。ここにいても特に意味なんてないしね」

「そうかい。またな」

「じゃあねー。思い出すまで、さようなら」

 

蝋燭の火を消し、ここから出る。暗闇に若干慣れていた目には外が少しだけ眩しかったが、脇道から出る頃には平気になった。

 

「見つけたぞっ!」

「あぁん?」

 

そして大人数の鬼達に見つかった。見知った顔ばかりで懐かしい気分になる。だが、今はそれどころではなさそうだ。

そんな時、ケラケラ笑う声が上から聞こえ、その方向を見上げてみれば、屋根の上で腹を抱えて笑い転がっているこいしちゃんがいた。

…こいしちゃんめ、時間潰しの理由はこっちかよッ!

 



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第355話

「囲まれたか…。こりゃあ全員生存は絶望的かもな」

「…どうする?」

「えっと…、全員に勝利するか、一点集中で突貫するか、逆に撤退するか。大きく分ければこの三つのどれかを選ばなければならないかと」

「撤退、って言われてもねぇ…。私一人ならまだしも、五人全員でとかどこによ?」

「しねぇよ。その三つなら全員勝利だ」

 

そう断言すると、妹紅と目が合った。そう即断した根拠が欲しいらしい。

 

「安心しろ。鬼との勝負は基本一対一だ。それを全員分繰り返せばいい。…一部例外を除けば、な」

「軽く数えて三十超えてんだぞ?しかも例外付きかよ。何だよ、その例外」

「粛清、排除。それと私」

「あ、そう…」

 

粛清は言い換えれば仲間の処刑だが、そんなことをする理由はない。地上の妖怪の排除が目的ならばこのまま一斉に襲いかかってくるわけなのだが、そんな気配はなさそうだ。ここで私達を囲んでいる鬼達の中で、私と同じように分身出来るような奴はいない。

 

「お話はそこまでにしな」

 

そこで真っ赤な盃を片手に私達の前に歩いてきた鬼、星熊勇儀に声を掛けられた。ひっ、と短い悲鳴が大妖精の口から漏れた。他三人からは息を飲む音が聞こえてくる。

 

「よお、勇儀。…久し振りだな」

「…あぁ。久し振りだな、萃香」

 

私としては、こんなに早く再会することになるとはなぁ、と思いながらだったのだが、対する勇儀のほうはかなり複雑な表情を浮かべていた。

だが、その表情を盃に注がれていた酒と共に呑み下し、余裕のある風貌で私達に一つの提案を投げかけてきた。

 

「さて、と。これでも地上から来た奴らは私に任されてるもんでね。場合によっちゃあ見逃してやっても構わないと思ってんだ。だから、五人だ。私達は五人であんたらと勝負する。交代も認めよう。降参だって認めよう。…だが、逃走だけは認めんよ。…どうだ?」

「ああ。こっちは最初から全抜き考えてたんだ。数が減るなら喜んで呑ませてもらう」

 

そう言ってお互いにニヤリと笑い合い、勇儀は私達に背を向けて鬼達の中へと戻っていった。

 

「五人抜きか…」

「こっちが五人だったから、あっちも五人なんだろうよ。…ただ、どう考えても戦えねぇのが最低でも一人いる」

「…すみません」

「あー、私も無理だからね。戦えるならそもそも頼ってないし」

「こっちは三人、ってことね」

 

フランはそう言いながら、軽く握った拳をもう片方の手に打ち付けた。獰猛に笑う口元の端で鋭く尖った牙がキラリと光る。

 

「上ッ等!やろう、妹紅、萃香!」

「あぁ。試合なら知らんが死合なら負ける気がしねぇ」

「んじゃ、誰から出る?…一応言っとくが、もし私達三人まとめて出たらあっちも三人出すだろう。そこも視野に入れて考えてくれ」

「私が行く。…この勝負、何処までやっていいの?」

「殺さなきゃ何しても構わねぇよ。最悪殺しても問題ないけど」

「了解」

 

何処からともなくレーヴァテインを取り出し、フランは前に出た。それに対し、鬼達の中からも一人出て来た。…あれは鬼の中じゃあそこまで強くないな。おそらく、フランなら特に苦労することなく勝てる相手だ。

 

「ああぁぁあぁぁっ!」

 

咆えながら右手を固く握り締めて駆け出した鬼に、フランは流石に焼き斬るつもりはないらしくレーヴァテインの腹を振りかぶる。間合いに入った瞬間、フランはレーヴァテインを振るう。それに対し、鬼は拳を突き出す。

 

「シッ!」

 

鬼の拳を受けたレーヴァテインはガシャアァンと音を立てて砕けた。だが、フランはその一瞬前には既に手を放していた。意識が完全に迫り来るレーヴァテインに向けられていた鬼の背後に素早く回り込み、隙だらけの後頭部に真っ直ぐと蹴りを放つ。

声を発する暇すらなく意識を刈り取られ、鬼はそのまま地に伏した。…やっぱし呆気ないもんだな。

動かなくなった鬼を掴んで放り投げたフランは、私達に振り返ってこう言ってきた。

 

「ねぇー、交代するー?しないなら行けるところまで行くけど」

「そうだな。行ってこい」

「分かった!出番なかったらごめんね!」

「抜かせ。…ま、期待はしとく」

 

フランは強い。たとえ鬼が相手であろうと簡単に負けるような奴じゃない。

次に出てきた鬼は、最初よりも強そうな感じがした。だが、まだ足りないな。二人がほぼ同時に跳び出したのを見ながらそう考え、そしてその予想が外れることはなかった。お互いに肉薄した瞬間に勝負は決する。フランは鬼の乱打を潜り抜け、その鳩尾に肘打ちを突き出した。しかも三連打。

 

「お、おぉ…ッ!」

「セイッ!」

 

たまらず鳩尾を抱え悶絶した鬼の顔面を蹴り上げ、空を舞う鬼に追撃を叩き込んで吹き飛ばす。地面に思い切り叩き付けられ転がっていった鬼は、どう考えても復帰出来そうもなかった。

次に出てきた鬼は、見た感じフランと同格といったところか…。そのことにフラン自身も気付いたらしく、より一層気を引き締めた。その両腕両脚には先程よりも力が萃まっているのを感じる。

 

「ふ…ッ!」

 

フランは相手が出るよりも早く跳び出し、そのまま加速込みの左拳を突き出した。が、それは容易く両腕に阻まれてしまう。その防御を突き抜けようとフランは両腕を乱雑に振り回していくが、それでもあの防御を抜くことが出来ずにいた。

 

「…ちょっとまずい、かも」

 

そうフランが呟くのが聞こえたとき、遂に防御を解いた鬼の拳が放たれた。フランは大きく仰け反って躱し、そのまま距離を取ろうとしたが鬼は逃すまいと距離を詰めてくる。ただ距離を取るだけでなく弾幕を放っていたフランだが、両腕を大きく振るうだけで弾幕が掻き消されていく。

 

「ちょっとじゃない…ッ!相当だよ、これはッ!」

「ふん、その程度か」

「…決めた。せめて貴方には勝つことにしたよ」

 

そう宣言したフランは距離を取るのを止め、お互いの射程距離内にまで接近する。フランは防御を完全に捨てた特攻をし、鬼は防御を固めながら一撃一撃を叩き込んでいく。殴り殴られ、蹴り蹴られる。お互いに傷が付き、フランは吸血鬼ゆえに傷がすぐに塞がっていく。だが、傷が治るからって一切効いていないわけではないのだ。

 

「アハッ!さっきの余裕そうな態度は!?もしかして、余裕なくなっちゃった!?」

「ふん、抜かせ…っ!」

 

改めて見ていると正直分が悪い。体の大きさが違う。腕の長さも、脚の長さも、一つ二つ鬼のほうが長い。フランに届かない攻撃が、鬼は届く。力は同格でも、この差が痛い。だが、それでもフランは食らい付いていく。

 

「あ…ッ!」

 

だが、鬼がフランの右拳を掴み取ったことで戦況が一気に傾いた。ニヤリと余裕気に笑う鬼を見て、フランは残っている左腕を突き出すが、それも難なく手の平に阻まれそのまま掴み取られる。宙ぶらりんにされたフランは体を振り子のように振るって両脚で蹴り上げようとするが、それも片膝で防がれてしまった。

 

「あーあ、ちぇっ。やっぱりこうなっちゃったかぁ…」

 

実に残念そうな声を上げて俯いたフラン。鬼から見れば諦めの姿勢に見えたであろう。だが、私から見えたその表情が死んでおらず、むしろ不敵に笑っていた。

そりゃそうだ。フランは、未だに吸血鬼としての性質を碌に使っていないのだから。

 

「禁忌『エーストゥシックス』」

「な――あガッ!?」

 

フランから一人跳び出し、隙だらけの鬼の顔面に頭突きを喰らわせた。次に跳び出した二人が鬼の両腕に踵落としを同時に振り下ろす。次に跳び出した一人は鬼の鳩尾に肘打ちを突き出した。最後に跳び出した一人は足払いを仕掛けて鬼の体勢を大きく崩した。そして、掴み取られていた両手から抜け出したフランが脇腹に回し蹴りを叩き込んだ。

体勢が崩られていたこともあって、簡単に吹き飛ばされて地面を派手に転がっていく。だが、これではまだ倒れずになお立ち上がった。…だが、この戦況は覆せそうにない。

 

「ぐ…っ。馬鹿な…っ。六人に増えた…だと…っ」

「アハッ」「萃香が」「例外なら」「私も」「例外」「だよねぇ」

 

六人に分身したフランが、鬼を囲み袋叩きにする。必死に防御しているが、何せ手数が単純に六倍。防ぎ切れる数じゃない。

 

「ぉ、ぉぉおおおああっ!」

 

最後の最後に鬼は完全に防御を捨て、全てを賭けた最大威力の拳をフランに叩き込んだ。…が、その拳は紅い霧の中をすり抜けた。

 

「残ッ念」「そんな大振り」「霧にして」「躱せるよ」「疎の方が」「分かりやすいかな?」

 

フランの吸血鬼としての性質は、私の能力に非常に似ている。自分自身のみと対象は絞られているが、あの時にちょいと教えただけでこれだ。もしかすると、いつか自分自身のみという限定された比較ならフランのほうが勝るかもしれない。…いや、そうなるだろう。

全力の拳を躱された代償は大きく、残された五人に脳天を、顔面を、心臓を、鳩尾を、股間を、つまりは急所を五ヶ所同時に攻撃された鬼は白目をむいて倒れた。

ザワザワと鬼達が騒がしくなったが、フランはそんなこと意に介せず元の一人に戻って大きく伸びをしてからこちらに戻ってきた。

 

「ただいま。この先はもう勝てないと思うから、交代よろしく」

「お疲れさん。…んじゃ、次は私だな。萃香、お前は最後だ。頼んだぜ?」

「はいよ。負けんなよ、妹紅」

「任された」

 

片手に炎を点し、それを軽く払いながら前に出ていく。そんな妹紅を私は片手で、フランは疲れたぁ…と呟きながら見送った。

 



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第356話

相手となる鬼を前に、妹紅は全身から無駄な力を取り除いた自然体を取った。

 

「おらあぁっ!」

 

大振りの右拳を左手で受け止め、続く左拳を右手で受け止めた。まさか両方とも受け止められるとは思っていなかったのか、僅かに目を見開いている隙に妹紅は顎を蹴り上げる。

 

「フ…ッ!」

 

その瞬間に両拳から両手を放して鬼の両肩に掌底を突き出すと、全身の肌が僅かに波打つのが見えた。…うわ、あれ喰らったときあんな風になってたのか…。道理で全身隈なく痛ぇわけだ。

相手の鬼が動けずに固まっている間に右腕を引き絞り腰を捻じり、捻りを加えた拳を鳩尾に捻じり込む。

 

「ごヴ…ッ!?」

「予想以上に期待外れだよ、お前は」

 

唾液と血と胃の中身が一緒になったものを吐き出した鬼に、容赦ない言葉を浴びせながら心臓部に肘打ちを突き刺した。バキボキと肋骨が砕ける嫌な音がここまで聞こえてくる。

その圧倒的衝撃に怯んでいる時には既に鬼の頭上で前方回転をしており、三回転分の加速と全体重を踵に上乗せした踵落としを叩き込んだ。その威力で歯がまとめて折れ、地面にばら撒かれる。…うへ、痛そうだなぁ…。

 

「…ふぅ。最後はどいつだ?」

 

一息吐いて白目をむいた邪魔な鬼を蹴飛ばして転がしながら、冷たい声色で最後の相手を求める。こっちからは見えないが、きっとその顔は完全な無表情なんだろう。

 

「うわぁ…。強いとは思ってたけど、あんなにだったんだ…」

「んー、いつもはもう少し余裕あるんだがなぁ…。いや、違うか」

 

あれは、神経を尖らせているんだ。極限まで。最後の相手のために、さっきの奴はその調整に使われたわけか。災難だなぁ…。けど、次に戦うやつは組手じゃあ見せない妹紅と戦えるわけか。そこはちょいと羨ましいな。

最後の相手であろう一際大きい体躯の鬼が前に出る。あれが最後の相手か…。かなり強いな。…だが、妹紅なら問題ないか。こりゃあ、私が出る幕はないか…。それはそれでちょいと寂しいな。

 

「ちょいと待ちな」

 

が、その頭を後ろから掴む声がした。それが誰かなんて、言われなくても分かる。

 

「悪いけど予定変更だ。私が出る」

「姐御…!?」

「あれだけの強者だ。見てるとどうしても力比べしたくなる!」

 

星熊勇儀。怪力乱神。剛力無双。山の四天王の一角が立ち上がり、星熊盃を手に妹紅の前に躍り出た。

 

「なぁ、名を聞かせてくれよ。私の前に立つ強者の名を」

「藤原妹紅。人間だ」

「ふっははは!そうかそうか、あんたが!こりゃ嬉しい誤算だねぇ!」

 

勇儀は高らかに笑い、右手を固く握り締めて前に出す。それに対し、妹紅は最初と変わらない自然体を取る。

 

「なぁ」

「あん?」

「熱燗は好きか?」

 

そう妹紅が問うた瞬間、遊戯の持つ星熊盃から炎が爆ぜた。中身は当然酒だ。よく燃えるだろう。…あぁー、あんなに酒が飛び散って…。もったいねぇなぁ…。

 

「…何しやがる」

「そりゃこっちの台詞だよ」

 

勇儀も酒をあんな風に扱われ、あまりいい気分ではないらしい。眉間に皺を寄せて妹紅を睨んだが、妹紅はそれと同等以上の怒りを抱いていた。

 

「手加減は許容出来ても手抜きは許容出来ねぇなぁ…。それともあれか?片腕なんぞ使わんでも十分だ、とでも言いたいのか?」

「ははっ。…そりゃあ悪いことしたね」

 

星熊盃に僅かに残った酒を呑み干すと、すぐに後ろに放り投げる。放り投げられたそれを鬼達が慌てて受け止めているが、勇儀自身はそんなもの見向きもせず、ただ目の前の強者にのみ意識を向けていた。

 

「その意気やよし。気に入った!駄目になるまで付いて来な!」

 

そう言い放った勇儀は僅か一歩で妹紅に肉薄し、左拳を突き出した。大きく横に跳んで躱したが、その拳から拳圧による衝撃波が爆ぜる。

 

「うおっ!?」

 

空中にいた妹紅の態勢が僅かに崩れるがすぐさま取り戻し、両脚片手を地に付けて地面を削りながら滑り、ようやく静止する。

 

「…危ねぇな、おい」

 

こちらに飛んできた衝撃波は目の前にある空気の密度を操って衝撃波を逸らせ、大妖精とはたてに被害が出来るだけ来ないようにする。そうしてもなお突き抜けて来る衝撃に対しては、私自身が壁となった。

全身から炎を噴き出してそのまま纏い、勇儀に突撃していく。勇儀の軽い右拳を僅かに屈んで躱し、屈んだ膝を一気に伸ばして掌底を顎に向けて打ち上げる。首を上げて躱されるが、その手の炎が一瞬で膨らみ、勇儀の全身を包む。

 

「はーははっ!いいねぇ!熱いねぇ!」

「ちっ、まるで効いてねぇなぁオイッ!」

 

片腕を真横に乱暴に薙ぎ払い、爆風と共に全身の炎を吹き飛ばしながら笑う。一瞬身体に纏っていた炎まで掻き消されたが、新たに炎を纏い直した。

勇儀が右脚を振り下ろすと、ここら一帯が大きく揺れた。その気になればその一歩で地割れを起こす勇儀の一歩だ。地震を起こすくらいは容易くやってのける。目の前の妹紅がその振動を一番に受け、その体勢が大きく崩れる。そして、それは死合では致命的な隙となってしまう。

 

「まず…ッ!」

「おらぁっ!」

「ぐッ!」

 

頭上に振り下ろされた右拳を、咄嗟に両腕を交差して防御する。妹紅は飽くまで人間だ。そんなことをすれば両腕が耐えられるはずもなく、喰らった箇所の骨が呆気なく砕けた音が響く。だが、そんなものは関係ないとばかりに両腕を解きながら横に跳び、噴き出した炎と共に右手を勇儀の横っ面に突き出した。

だが、その拳は片手で簡単に阻まれてしまった。しかし、その奥にある勇儀の顔は怪訝なものだった。…まぁ、そりゃそうだよな。

 

「…っかしいな。その腕、確実に圧し折ったと思ったんだが…」

「知ったところで意味ねぇよ」

 

片手で防御されはしたが、気にすることなく両腕両脚で乱打を叩き込んでいく。時折飛んでくる反撃を膝で受け骨が剥き出るが、次の瞬間には炎と共に治ってしまう。受けた右手が潰れるが、炎と共に治ってしまう。受けた足が砕けるが、炎と共に治ってしまう。

 

「…妹紅、こんな戦い方するんだ」

「いや、普段はしねぇよ。人間だからな」

「じゃあ、今はどうしてしてるの?」

「人間だからさ」

 

勇儀の攻撃がだんだん激しさを増していく。一発一発の重みが見るだけで上がっているのが分かる。受けた妹紅の腕が肉片と血をばら撒いて爆ぜた。が、その破断面から炎が噴き出して妹紅の腕は治っていた。

自らの身体を犠牲にした戦法。骨を断たせて皮を切るような、馬鹿げた戦い方。だが、それが妹紅の、人間(ほうらいびと)としての戦い方だ。

 

「ハッ!まだまだこんなもんじゃねぇだろッ!?」

「そうだなぁ!だが、死んでも知らねぇぞ!」

「んなこと言ってねぇで殺す気で来なァ!殺せるもんなら、殺してみやがれッ!」

 

激しい攻防の末、二人の足元には焼け焦げた肉と血が散乱する。周囲には異様な雰囲気が漂う。これがたった一人の人間のものだと言われ、それを一体何人が信じるだろうか?…きっと、この様を見ていたとしても信じちゃくれないだろうな。

上がり続ける勇儀の力の前に、遂に妹紅の身体が致命傷まで弾ける。左腕から心臓の辺りまでまとめて消し飛んだが、そこから炎が噴き出して既に治っていた。それを見た勇儀は、流石に目を見張っていた。

 

「…あんた、何者だ?」

「悪いが、これでも人間だよ」

 

そう不敵に笑い、何度も全身から炎を噴き出す。その背からは翼を模した炎が現れる。その姿は、まるで不死鳥のよう。そしてそれは冗談ではない。この死合、妹紅が負けることなどあり得ないのだ。文字通り、藤原妹紅は不死身なのだから。

 



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第357話

「うひぃっ」

「…無茶苦茶するなぁ、勇儀の奴…」

 

勇儀が一歩踏み込むたびに地面が陥没し、悲鳴を上げる。勇儀が腕を振るえば衝撃波が放たれ、周囲の家々が倒壊していく。私達が逃走しないようにここら一帯を囲んでいた鬼達も被害を受けるのは流石に嫌らしく、大きく距離を空けてしまっている。…ったく、根性見せろよなぁ。

空気の密度を操ってどうにか衝撃波を逸らしながら、二人の戦闘と言えるかどうかも怪しいものに目を向ける。

 

「シャアッ!」

「ふんっ!」

 

…本当に酷い有様だ。勇儀の一撃で妹紅の体の部位が吹き飛び、噴き出た炎から現れた新たな身体で攻撃する。妹紅の攻撃を勇儀が身体ごと壊すが、燃え盛る炎がその身体を治し無理矢理捻じ込む。妹紅は最早回避だとか防御だとか考えちゃいない。攻撃一辺倒。…正直、見るに堪えない。見てると嫌なものを思い出す。

 

「なあ、妹紅!」

「あん?…っ、何だよ」

「何故自らの身を壊す戦い方をする?んなことせんでも戦えるだろう?」

 

壊しても壊しても治り続け狂戦士の如く攻め続ける妹紅に、勇儀はその手を止めずに言葉を投げかけた。…まぁ、少なくとも一つ前の鬼相手では永い時の中で研鑽され続けた体術を扱っていたからなぁ。あれを見て強者と認めたのに、いざ戦ってみればまるで戦法が変わっていたら問い掛けるのもおかしくない。

 

「殺り合ったこと、っが、あるんだよ。…お前みたいな、圧倒的な力を持つ奴と」

「そうかい、それで?」

「小手先の技術なんて、…っ、丸ごとブチ壊すような、絶望的力量差。それでも勝つためなら、私はいくらでも、…死ねる!」

「…ああそうかい!死んで後悔すんなよなっ!」

「後悔なんざ腐るほどした。今もしてる。これからだってする。だが、死ぬことに後悔はねぇよ」

 

腕が千切れた。膝が吹き飛んだ。腹に風穴が空いた。足が粉砕した。胸が消し飛んだ。腕が折れた。手が破れた。脚が砕けた。手が千切れた。腕が吹き飛んだ。肩が千切れた。下半身が千切れた。腹を貫かれた。脚が消し飛んだ。肘が砕けた。胴体が消し飛んだ。手が潰れた。腕が粉砕した。足が握り潰された。腕が吹き飛んだ。胸が貫かれた。腹が抉れた。腰が折れた。腕が消し飛んだ。足が砕けた。膝が潰れた。腹が破れた。膝が砕けた。胸が抉れた。手が砕けた。下半身が千切れた。腕が爆ぜた。足が爆ぜた。肩が消し飛んだ。手が握り潰された。肋骨が圧し折れた。腕が粉砕した。腹が貫かれた。肩が吹き飛んだ。腰に風穴が空いた。脛が粉砕した。手が消し飛んだ。腹が抉れた。脚が折れた。肘が潰れた。肩が抉れた。脛が砕けた。手が爆ぜた。膝が圧し折れた。腕が吹き飛んだ。足が潰れた。手が握り潰された。胴体が消し飛んだ。

至る所に浅い傷が付いた勇儀の全身は妹紅の血に塗れ、周囲の地面は撒き散らされた血で赤黒く変色している。肉片が焼ける独特の香りが漂う、あまりにも凄惨な戦場。それでも妹紅はその身に不滅の炎を纏い、傷一つなく立っていた。

 

「…まだ死ねねぇなぁ。どうした。殺す気で来い、と言ったはずだが?」

「あんた、本当に人間か…?」

「悪いな。これでも人間だ」

 

そう言い切った妹紅に言葉に、勇儀は一旦手を止めて複雑そうに目を細めながら一歩引いた。だが、その目の奥にはまだ闘志があり、降参するために距離を取ったわけではない。

思わず顔をしかめながら二人の様子を見ていると、横からチョイチョイと腕を突かれた。

 

「…あのさ、萃香。もしかして…」

「だろうなぁ…。妹紅の目的は相手の戦意を折ることだろうよ」

「けど、それってかなり厳しそう…」

「簡単に諦めるような奴じゃないからな。…それに、ああいう戦いは好みじゃねぇ」

 

何より、好き放題死に放題になる友人を見せられて気分がよくなるわけがない。いくら死なないからって、死んでもいいわけではないのになぁ…。この勝利のために、妹紅はあと何回死ぬ?百回?千回?それ以上?…とてもじゃないが、見たくない。

後ろにいる大妖精は顔面蒼白で口元を手で押さえて震えている。見てられないのだろう。だが、出たところで何も変わらないことが分かってしまうから、何も出来ない。…あぁ、今すぐ交代してぇ。勇儀相手の勝敗はほぼ五分だが、それでも私が出て代わりに戦いてぇ。だが、他ならぬ妹紅に下がるつもりがない。だから、私は代われない。もしそうすれば、妹紅の覚悟を無下にすることになるのだから。

歯痒い感覚を抱きながら、再びぶつかり合う二人を見詰める。血肉が舞い散り、炎が舞い上がる。もう数える気にもなれない致命傷を炎と共に治し、勇儀の肌に浅い傷を付け続ける。

 

「シッ!」

「…っ、らぁっ!」

 

顎に掌底を受けた勇儀が、遂に唯一避けていたであろう部位に拳を叩き込んだ。それは、頭。頭蓋骨がひしゃげ、血やら脳やらがごちゃ混ぜになったものが辺りに飛び散る。首なしになった妹紅の身体がグラリと傾いたが、独りでに首から炎が噴き出すと即座に体勢を立て直す。その炎の中には当たり前のように妹紅の顔が覗いていた。

 

「…はは。冗談だろ?」

「冗談ならどれだけよかったかな。…いや、悪いのか?」

「頭吹き飛んでなお生きてる人間が、まさかいるとはなぁ…」

「いるんだよ。本当、嫌になる」

 

…見ている私も嫌になるよ。自らの身を犠牲に幻想郷半壊の破壊を全て背負い込んだあの姿と重なって、その時ただ見ることしかしていなかった情けない自分自身を思い出して本当に嫌になる。

 

「…あ、動いた」

 

そんな時、後ろからあまりにも能天気な声が聞こえてきた。その声の主は、目の前の戦闘なんて一瞥もせずに相変わらず二つ折りの機械を見続けていたはたて。

 

「あん?」

「幻香が窓を飛び出した」

「お姉さんが?」

「…って、なんかヤバくない?あれ、死ぬでしょ」

 

そんな今更なことに気付いたはたては、それ以上何も語ることはなく再び二つ折りの機械に目を向けてしまった。…しかし、幻香が地霊殿から飛び出しただぁ?まさか、こっちに来るのか?

そんなことを考えていると、二人の間に流れる雰囲気が大きく変わるのを感じ、考えを止める。

 

「止めだ止め。あんたがこの勝利に拘ってこれ以上意地張られると、やってるこっちがきつい」

「…なんだ?負けてくれるのか?」

「いや、これで最後にするさ。私の奥義で、な!」

 

そう言うと、勇儀は大きく距離を取った。強く握られた右拳。その腕は今までとは比にならないほど膨らみ、血管が浮き出てくる。…げ、まずい。本気でやる気か?ここら一帯まとめて消し飛ぶぞ!?

内心かなり焦っていると、それに気付いたらしいフランが心配げに声を掛けてきた。

 

「どうしたの?」

「…フラン。結界とか張れねぇか?」

「んー…、魔法陣を描けばちょっとくらい出来るよ」

「今すぐ頼む。出来るだけ硬く」

「了解」

 

フランが人差し指の先を切り、出てきた血で私達を中心とした円を描き始める。そこからかなり複雑な線やら模様やらを描き連ねていく。その様を見るのを途中で切り上げ、私は目の前の空気を萃め、これから来るであろう衝撃波に備える。

 

「これでもなお立っていられたなら負けを認めてやるよ」

「…はっ、いいね。立ってりゃいいんだろ?」

「あんたを丸ごと消し飛ばす…!死んで恨むなよ!」

「恨まねぇよ。死ねねぇからな」

 

勇儀が一歩踏み出すと、その足が着いた地面が大きく割れる。その一歩は、勇儀の体躯も相まって非常に大きい。かなり大きく開いたはずの妹紅との距離は、僅か三歩で埋まるだろう。

 

「四天王奥義『三歩必殺』ッ!」

「待った」

 

しかし、二歩目を踏み出そうとしたその瞬間、小さな乱入者が現れた。勇儀と妹紅のちょうど中間に静かに着地したその姿は、あまりにも私に酷似している。…あぁ、遂に出て来たのか。けれど、まさかこんな状況で、しかも勇儀の目の前に現れるなんて正気か?

 

「…ッ!幻香!?」

「久し振り」

 

勇儀が二歩目を踏み締めたときに、幻香は呑気にも驚愕している妹紅と短い再会の挨拶を交わす。その目は一瞬だが確かに私達にも向けられた。その瞳は血色だった。

あの状態からもう片脚を地面に突き刺し無理矢理停止しようと地面の砕き抉り割りながら滑る勇儀を、幻香はその場で受け止める。

 

「うぉ…ッ!?」

「っと。止まってくれましたね。信じてましたよ」

「…ったく、急に現れて水差すなよな」

 

既に力を抜いた右腕で幻香の頭を掴んで持ち上げた勇儀の顔は非常に苦く、持ち上げられた幻香はなお平然としている。

 

「水を差して悪いとは思っていますが、ちょっと見ていられなくてね。言うほど見てないですけど」

「…はぁ。どうせさとりだろ?」

「はい。出来れば、この場を治めてくれれば嬉しいですね」

「ったく、毎度毎度面倒だなおい。――おい、お前ら!もうこいつらに手を出すな!出したら、…分かってるな?」

 

勇儀の一声で、私達を遠巻きに囲んでいた鬼達のほとんどが撤収していく。そして、幻香はようやく頭から手を離され地に足を付けた。

 

「で、さとりは何て言ってた?」

「『すぐに会いに行って話を聞いて来なさい』と」

「…そうかよ」

 

そう言いながらただ一人残っていた鬼から星熊盃を受け取り、頭をバリボリと引っ掻いた。

そして、幻香はすみませんね、と軽く謝りながら私達に顔を向けた。

 

「久し振り、妹紅、フラン、萃香、大ちゃん。…それと、初めまして、…じゃないですね。お久し振りです。天狗さん」

 



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第358話

ひとまず、幻香の言葉に従って私達は地霊殿に向かうことになった。この場に留まるよりは地霊殿の中にいたほうが安全だろうから、とのこと。…出来ることなら、さとりには会いたくねぇんだがなぁ…。

勇儀は自分で壊した諸々を修繕するための人員に声を掛けるらしく、私に『あとで話したいことがある』という言葉を残して去っていた。…まぁ、ヤマメとかに頼むんだろう。この惨事を見てやる気になるかどうか知らんけど。

 

「…とりあえず、先に軽いことをいくつか訊いておきましょうか。何故降りてきたんですか?」

 

その道中、幻香は私達に問うてきた。ま、訊かれて当然だよな。

 

「お姉さんに会いたいから」

「お前に言いたいことがいくつかあったからだな」

「…責任、です」

「あっ、あああ、あのっ!ですねっ!貴女に、こうして会えただけで…っ!…はふぅ」

「行きたい、って言うやつがここにいたからさ」

「お姉ちゃんと一緒に来ただけだよ!」

 

はたてが幻香を前に相当あたふたしているが、幻香は特に気にせずいつものように微笑んでいる。…いや、あれはとりあえず微笑んどけ、って感じだな。

 

「…こいし。しれっと混じらないでくださいよ」

「はーい」

 

突然幻香がそう言い、その返事が後ろから聞こえてきて思わず振り向く。にへー、と笑うこいしちゃんが私達の後ろに付いて来ていた。…いつの間にいたのか。そのこいしちゃんは私達を抜かし、幻香の隣を歩き始めた。

こいしへの対抗心でも芽生えたのか、フランが逆側に歩み寄り、その結果幻香が二人に挟まれた。そして二人は幻香を挟んで何やら睨み合い始める始末。当の幻香はそんな二人を交互に見下ろし、その微笑みの中にほんの少しだけ困惑を混入させる。実に居辛そうだ。

 

「なあ、幻香」

「え?何でしょう、萃香?」

 

少しくらい気を逸らせてやるか。私も少し気になることがあるしな。

 

「はたてといつ知り合ったんだ?」

「はたて?…あー、その天狗さんのことですか」

 

振り向いた幻香ははたてと言われ首を傾げられたので、上気した頬に両手を当てて融け切った表情を浮かべているはたてを指差すと、はたてが一体誰の事か把握出来たようだ。

 

「はたてさんはわたしに話し掛けた三人目ですよ。…まぁ、一度会っただけでそれっきり会ってなかったんですが、…こんなところで再会するとは思ってなかったですねぇ」

「へぇ、三人目ねぇ。…ちなみに、一人目と二人目はどいつなんだ?」

「わたし!わたし最初!」

「一人目はこいしで、二人目は八雲紫ですね」

 

はたてが念写で撮っていた写真には幻香と思われる真っ白な少女が写っていたが、私に出会う前と思われるものがあったので、私より早く知り合っていたとは考えていたが、まさかそこまで早いとは思っていなかった。というか、一番最初こいしちゃんなのかよ。

そう言えば、こいしちゃんから何か奪った、みたいなことを言ってたな。フランから破壊衝動を奪ったように、こいしちゃんからも何かを奪ったのだろう。何かは知らんけど。

そんなことを考えていると、はたてが幻香にグイグイと近付いて行った。…ただ、その融け切った表情をどうにかしてからのほうがよかったと思うぞ…。幻香の表情が完全にとりあえずの微笑みで固定になったからな。

 

「はぁ、はぁ…。あ、あのっ!姫海棠はたて、ですっ!」

「え、…鏡宮幻香です。改めて、お久し振りですね」

「私のこと、おおお覚えてくれていたんですねっ!?…はぅ、嬉しいなぁ…」

「その節はお世話になりました。人里と慧音のことを教えてくれて、ありがとうございます」

「気にしないでください!むしろ、私のほうこそありがとうございます!」

「…えと、どういたしまして…?」

 

…まぁ、何言ってるんだかサッパリ意味が分からんよなぁ…。はたての幻香に対する気持ちの重さは、幻香の知らないところで積み重ねられていったものだし。…というか、知らないほうが幸せかもしれない。

幻香の手を両手で握り締めてブンブン振るうはたてに付き合っていたが、いい加減話を進めるためかやんわりとその手を離してもらった幻香は、私を見て次の問いを言った。…その横で両手のひらを恍惚の表情を浮かべながら穴が開くほど見詰めているはたてには目を向けないようにする。

 

「えっと、次なんですが…。地上と地底の不可侵条約、知ってて破ったんですね?」

「ま、そうなるな」

「はぁ…。さとりさん、なんて言うかなぁ…」

「気にしないんじゃない?」

「そんなわけないでしょう…」

 

確かに、さとりに会ったら何を言われるか…。考えただけで嫌になる。改めてそう考えていると、地霊殿に向かっている足取りが重くなるのを感じた。さとりの奴、かなり面倒なんだよなぁ…。…はぁ。

 

「あの、まどかさん」

「何でしょう、大ちゃん?」

「まどかさんは、地上の妖怪ですか?それとも、地底の妖怪なんですか?」

「その二択なら、わたしは地上の妖怪ですよ」

 

その答えを聞き、予想通りだと思いながらも少しばかり驚いた。この地上の妖怪というだけで忌み嫌われる環境下で、なお地上の妖怪だと言い張っていたことに。そして、それを分かっているさとりが幻香を受け入れているであろうことに。

…まぁ、こう言い方はあまりしたくないが、幻香は使い方を誤らなければ非常に使い勝手がいい。さとりはそれら危険性を押して、その利用価値に目を向けたのだろう。そうだと思いたい。

 

「…大丈夫なのか?」

「はは。心配してくれるんですか、妹紅?」

「そりゃあなぁ…。ここに来るまでのことを思い返せば、な」

「大丈夫ですよ。悪意敵意殺意はよく向けられるし、時折殺されそうになりますが、特に問題はありません」

「みぃんな返り討ちにしちゃうもんねー」

 

こいしちゃんがそう言ったので、少し気になって幻香を見詰める。こいしちゃんの言い方だと、まるで力で勝っていると言っているように感じたからだ。

髪の毛が無駄に伸びているが、それは関係ないだろう。首に掛けていた緋々色金が金剛石に変わっているが、それも関係ないだろう。これと言って見た感じ変わった様子はなく、単純な力が向上しているようには見えない。…いや、幻香の強さはちょっと見たくらいじゃ分からないものだ。それは、単純な力も同様。実際に攻撃するところを見なければ分からない。

 

「ねえ、お姉さん」

「何でしょう、フラン?」

「どうして、ここに落ちたの?」

「霊夢さんに負けたから。情けない話ですよね」

 

そう言ってははは、と笑う幻香は明らかに無理をしていて、少し見たくなかった。ただ、幻香が霊夢に負けたのは知っていたし、霊夢に封印される前に逃げ出したことも大妖精が言っていたことから分かる。…確かに情けない話だ。幻香は私達を裏切ったのだから。

だが、幻香は既に言っていたのだ。私達を信用する、と。そして、その信用は裏切りを許容することだ、とも。だから、私はそのことにとやかく言わない。言いたいけどな。

 

「…それじゃあ、さ。お姉さんは、いつ地上に、私達のところに戻ってくるの?」

 

続くその質問は、私達が訊きたかったことだ。ただ、それを訊かれた幻香の表情は見るからに歪み、口を開いては閉じるを繰り返す。…こいしちゃんが言っていた幻香の悩み事はこれか。

しばらく待っていると、意を決した幻香はゆっくりと口を開いた。

 

「…わたしは、地上に居場所がない。何せ、霊夢さんに封印されていますからね。それに、人里じゃあ『禍』が封印されて狂喜乱舞していても何らおかしくない。そんな状況でわたしは霊夢さんに再戦して勝利して、無理矢理居場所を得ようと考えてました。…けれどさ、ハッキリ言って、わたしの友達全員が何を言おうと、わたしは地上に存在することを許されていないんですよ。…それに対して、地底も似たようなものです。わたしは、飽くまで地上の妖怪で、ここにいる妖怪達からすればただの異物。排除すべき存在。今は半ば受け入れられているけれど、それはわたしじゃなくて、さとりさんと勇儀さんが認めているからそうなっているだけなんだ。その二人が、…いえ、片方だけでも認めなければ一瞬でわたしはお終いでしょうよ。地霊殿で与えられた一室が今ある唯一の居場所ですが、それもさとりさんの判断一つで簡単に消える。…さとりさんがそんなことしないだろうとは思っていますよ。けれど、それ以外がどう思っているかなら、あまりよくないんですよね。だから、わたしは地底にも許されていない。そりゃそうだ。そもそもわたしは地上の妖怪ですからね。…つまり、ね。わたしは何処にいればいいんですか?」

 

幻香の言葉。言いたいことはたくさんあった。私達がいる、とか。地底はそこまで悪くない、とか。難しく考えすぎだ、とか。けれど、そんなことは口が裂けても言えなかった。

何故なら、そう言った幻香自身が、既にズタボロに傷付き膿んでいるのが嫌でも分かってしまったから。

 



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第359話

「ふふっ、そんなことがあったんですか?」

「あははっ!チルノって本当に無茶するね!」

「はい。チルノちゃんったら、いっつもこんな感じで…」

「そりゃ大変だ。――っと、もう着いちゃいましたか」

 

幻香は、普通だった。普通になった。あの瞬間私達に見せたひび割れたガラス細工のような姿を覆い隠し、普通を演じきった。

ここにいる全員がそれを察していた。フランはどう接すればいいのか分からずにいた。妹紅は言いたかったことも含めて後で問い詰めるつもりらしい。大妖精は幻香の演技に乗った。はたてはそもそも何も変わっちゃいなかった。こいしちゃんは無邪気に笑っていた。そして私は、そうやって嘘を吐く幻香を見ていて辛かった。

私は嘘が嫌いだ。楽しかった場を白けさせるつまらない嘘は嫌い。悪意のある嘘は当然のように大嫌いで、感情に任せて力任せにぶっ潰せる。だが、善意から来る嘘はもっと嫌いだ。嘘を嘘のまま放っておきたくないのに、嘘のまま放っておくしかなくて、私はどうすればいいのか分からなくなるから嫌いだ。

ふと、大昔に何処かの誰かが言っていた言葉を思い出した。曰く、『真の嘘吐きは嘘を吐かない』。本人が嘘を真実だと信じているから嘘を吐いていないのだと言う。ふざけるな、と思ったが、事実そういう奴が存在することを私は知っている。そして、幻香もその一人に入るときがある。さっきまでの自分をなかったことにしている、今がそうだ。

 

「ようこそ、地霊殿へ!」

「とりあえず、わたしの部屋にそのまま直行でいいですか?」

「…うん。それでいいよ」

 

幻香は私達の反応を軽く窺ってから地霊殿の扉を開けた。細々としたところは変わっているが、大まかに見れば特に変わった様子はない。周りを見渡してみた感じ、いつかの日に見た地霊殿のままだった。

 

「…何て言うか、地底の紅魔館みたい?」

「あー、わたしも最初はそう思いました」

「色は似ても似つかないけどな」

 

あんな目に悪い真っ紅な洋館が他にあってたまるか。

幻香はたわいもない会話を続け、私達は探り探りといった風に会話をしながら階段を上り、三階の鍵が掛かった部屋の前まで辿り着いた。

 

「ここがわたしの部屋ですね。中はそこまで広くないですが」

「そうかな?」

「流石に七人も入ることは想定してないですよ」

「で、鍵は?」

「あ、忘れてた」

 

そう言うと、幻香は右手を開きながら目を閉じた。少し待つと、その手の上に薄紫色の鍵が一本現れる。よく見る複製能力、ではなく今回は創造能力だ。

 

「幻香ったら、いつの間にか鍵付きに創り替えちゃってさぁー。勝手にお邪魔出来なくなっちゃった」

「…後で貰えばいいんじゃねぇの?」

「そうだね。くれるかなぁ…」

「頼めば貰えるさ。あんたと幻香の仲なんだろ?」

 

そんなことをこいしちゃんと話していると、幻香は鍵穴に先程創った鍵を差し込み、カチャリと回して扉を開けた。…確かに、七人も入ったら少し狭苦しい間取りだな。

 

「とりあえず、入ってください」

「わーい!」

「あああのっ!おお邪魔、しまっす!」

 

いの一番のこいしが飛び込み、フラン、妹紅、大妖精、最後にはたてと続いて部屋に入っていくのを見ながら、私は扉に手をかけていた幻香を見遣る。

 

「悪い、私はいい。さとりと顔合わせたくねぇしな」

「そうですか。それじゃあ、ついでに一つ頼まれてくれませんか?」

「何だ?」

「『すみません。そして、ありがとうございます』と、伝えてくれませんか?」

「はいよ。ちゃんと伝えとく」

 

先程上った階段へ戻ろうと足を向けようとしたら、幻香は近くにあった窓を全開にした。

 

「久し振りの旧都、楽しんできてください」

「幻香も久し振りの友人と楽しんでくれよな」

 

その言葉を最後に、私は窓から飛び出した。そのまま一直線に突き進み、鬼達と五人抜きをした場所へ飛ぶ。そこに勇儀は見当たらなかったが、とりあえずはそこに向かった。

確かにさとりと顔を合わせたくないと思っていたし、勇儀との約束の件もある。幻香が言った通り、久し振りの旧都の雰囲気を味わいたかったし、昔の友人に会いたいのもあった。だが、あの時あの場にいたくなかった一番の理由は、あの幻香の近くに非常に居辛かったからだ。…ま、多分バレてるんだろうな…。

 

「…さて、どうすっかねぇ…」

 

そう呟きながら、まずは荒れ果てた地面を一度萃めて均一にしておく。私達がやった喧嘩の後始末なんかをよくやっていたことを思い返す。ぶっ壊れた家を建て直すなんて器用なことは苦手だから、その辺は勇儀とか他の連中に任せていたことも思い返した。

 

「…え、す、萃香さん…?」

「あん?…ヤマメか。久し振りだな」

「旧都に侵入者、って話は聞いてましたけど、まさか貴女だったとは…」

 

ある程度地面を均し終えたところで、おそらく建築のために呼ばれたであろうヤマメが一番乗りで現れた。後ろのほうを見てみると、数人の妖怪がチラホラとこちらに向かって来ているのが見える。懐かし顔ぶれだ。

 

「ま、どうしても来たい、って奴がいてな。邪魔させてもらったわけだ」

「…邪魔する、ですか。…そうですよね」

「何だよ、その言い方。気になるじゃねぇか」

 

眉をひそめながらそう訊いてみると、ヤマメは愛想笑いを浮かべながら言い難そうに口を開いた。

 

「貴女は、もう地上の妖怪なんだなぁ、って。そう感じただけです」

 

そう言われ、一回心臓が暴れた。自分でもそうだろうと思っていたが、こうして面と向かって昔から付き合いのある奴にいざ言われると、正直くるものがあった。

私は、一度旧都を切り捨てた身だ。今更まだ地底の妖怪だと言えるような存在ではないのだ。ただ、もう戻れないかもしれないな、と改めて思うと少しだけ、本当に少しだけ悲しかった。

 

「それじゃ、私は勇儀さんに頼まれたあの家を建て直しますから。…はぁ。どうしてこんなに…」

「おう、任せた」

「…その言葉も久し振りですね。よーし、やりますかぁ」

「あ、そうだ。勇儀が何処にいるか知らねぇか?」

「勇儀さんですか?んー、すぐ来ると思いますけど」

「そか。ならここで待たせてもらうよ」

 

そう言って地面に胡坐をかき、一人瓢箪を煽る。すれ違う懐かしい顔ぶれには軽く手を振りながら、勇儀が来るのを暫し待った。

 

「よう、勇儀。来たぜ」

「ああ、萃香。来たか」

 

そして、数十本の丸太を両腕で抱えた星熊勇儀が現れた。軽い挨拶を済ませると、すぐに丸太を地面に転がして建て直しをしている妖怪達にでかい声を張り上げて言った。

 

「悪い!これから萃香と話すことがあるからここを任す!」

 

次の瞬間、どよめきが走る。はぁ!?だの、ちょっと待ってだの、何言ってんだ姐御ぉだの、騒がしくなったが、それらは気にすることなく大きく腕を振ってこの場を立ち去っていく。私はその背を黙って付いていった。

そして、私達が何時も集まっていた酒蔵の最奥の部屋に腰を下ろした。そこら中から漂う懐かしい酒の香り。

 

「ほら」

「おう」

 

私達の間に置かれた星熊盃に、伊吹瓢から酒を注ぎ込む。無限に酒が湧き出る瓢箪と、注がれた酒を極上のものに変貌させる盃。こうして呑み合ったものだ。

 

「懐かしいな」

「ああ、そうだな」

 

哀愁を感じながら盃を半分ずつ呑み合っていると、勇儀は笑いながら訊いてきた。

 

「なあ、萃香。どうだ、また一緒に来ないか?」

「…そりゃいい誘いだな。私もさっき考えてた」

 

空になった星熊盃が満杯になるまで酒を注ぎながら、私はその答えを口にする。

 

「悪いが、その誘いは蹴らせてもらう」

「…訳、聞かせてくれよ」

「見上げるよりも、前を見たい」

「…そっか」

 

そう言うと、勇儀は盃に満たされた酒を呑み干した。それを見ながら、私は瓢箪に口を付けていた。

 



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第360話

窓から飛び出していった萃香の背に手を振って見送り、その姿が豆粒よりも小さくなったので窓を閉める。開けっ放しのわたしの部屋からは、各々の会話が漏れ聞こえてくる。特にこいしとフランの会話が目立つが、まぁ気にするほどの事でもないでしょう。

わたしの部屋に入り、しっかりと施錠する。鍵を仕舞いながら、軽く部屋を見渡した。机を挟んでこいしとフランが軽い言い争いをしていて、大ちゃんがその横で止めるべきがどうか迷っている様子。妹紅は窓から外を眺めていて、はたてさんはわたしのベッドでゴロゴロと転がっている。…ふむ、特に問題ないね。

扉を背に腰を下ろし、一枚の硬貨を創造する。両面には表と裏という文字がそれぞれに彫られている。そして、弾くと表が出る、という情報を入れる。キン、と親指で弾くと硬貨がクルクル宙を舞う。落ちてきたそれを手の平で受け止めようとした瞬間、不自然な急回転をして表になった。…駄目だ、これ。少なくとも、イカサマには使えそうにない。

 

「なぁ、幻香」

「何でしょう、妹紅?」

 

使い物にならない硬貨を回収していると、いつの間にか隣に座っていた妹紅に話しかけられた。

 

「お前にいくつか言いたいことがある、って言ったろ?」

「ええ、言ってましたね」

 

妹紅が地底にわざわざ下りてきた理由だ。それならば、わたしはその言葉を聞くべきだるう。

そう思い少し待っていると、軽く握られた拳で頭を叩かれた。そして、拳を広げてそのまま頭に乗せられる。グシャグシャと髪の毛をかき混ぜる手は温かく、そして優しかった。

 

「…馬鹿野郎。どうして勝手にいなくなったんだよ」

「最初からそのつもりだったから、では駄目ですか?」

「本当にそうか?…本当に?」

「…いえ、最初から、ではちょっとだけ語弊がありますね。霊夢さんに負けそうなら、わたしは逃げるつもりだった。霊夢さんに勝てそうなら、わたしはそのまま勝利するつもりだった。いざとなったら、八雲紫の道具になるつもりだった。…この三つ、ですかねぇ」

 

流石に四つ目の幻想郷崩壊は言えなかった。仮にそれを視野に入れていたことを既に知っていたとしても、わたし自身の口から言葉にしたくなかった。

 

「地上のこと、どのくらい知ってるんだ?」

「とりあえず、『禍』が封印されていること。人里が大分落ち着いたこと。フランドール・スカーレットがフランチェスカ・ガーネットになったこと。妖怪の山に最近出来た守矢神社が博麗神社と揉めたこと。…印象に残っているのはこのくらいですかねぇ」

「最後のはどうでもいいな。…あれか、あのこいしから聞いたのか?」

「ええ。彼女、たまに地上散策に出掛けているそうですよ。印象に残らず、記憶に残らないから、って。妹紅達にも会いに行ったらしいですが、どうでした?」

「…すっかり忘れてたね。もう一度出会ったときに思い出して、別れてすぐにまた思い出さなくなった。印象は…、そうだな。空気みたいだ、って思った。お前に似てる、とも」

「…わたしに似てる、ですか。…そっかぁ。ははっ、そうですよねぇ」

 

鏡宮幻香はこいしの願いから産まれた。ふと、その最も可能性の高い仮説のことを思い出した。全く関係ないかもしれないけれど、こういう些細なところで繋がりを見出されると、その信憑性がまた一つ上がったような気がしてくる。

 

「地底はどうだ?」

「さっきも言いましたが、大丈夫ですよ。話せる人もチラホラいますし、こいしがいますし」

「あのスペルカード戦は何だ?萃香が言ってた感じだと、元はなかったみたいだが」

「さとりさんがわたしの思考から読み取った命名決闘法案、スペルカードルールを旧都の需要に合わせて改変し、新たな娯楽として広めたものです。弾幕遊戯、という名で通っていますね」

「ちなみに、何が違う?」

「肉体、及び道具などの物理攻撃の原則禁止。最後の切…、スペルカードの使用時間が被弾数に応じて変動する。主な違いはこのくらいです」

「そっか。…非暴力派の娯楽、ってところか?」

「そんな感じですかねぇ。賭博と喧嘩が性に合わない人に向けていますから、そうとも言えると思いますよ」

「ちなみにお前は?」

「全部」

 

喧嘩も賭博も弾幕遊戯も手に染めている。その結果がさとりさんの頭を抱えさせてしまうこともしばしばあるけれど、そこはもうしょうがないと思って諦めてくれると嬉しい。わたしだって、好きで滅茶苦茶にしているわけではない、…時もあるのだから。

 

「…まあ、元気そうでよかったよ。…死んでいなくて、封印されていなくて、よかった…」

「すみません。迷惑、かけちゃいましたね」

「そう思うなら、最初から言ってくれよ…」

「すみません。言ってしまえば止められると思っていたので」

「ああ、止めたさ。当たり前だろ?」

「…ですよね。だから、わたしは、裏切ったんですよ」

「…そっか。…地上に戻る日には覚悟しとけよ。慧音は相当気にしてたからな。何されるか分からんぞ」

「ははっ。頭突きの一つや二つくらい覚悟しておきますね」

 

慧音が教え子にやっていた頭突きはとんでもなく痛そうだった。そして、ただ痛いだけではなく愛を感じさせるものであった。裏切り者のわたしには、かなり効くものになるだろう。

 

「…いつ、戻る?」

 

会話の流れでそう訊かれ、一瞬思考が停止する。

愚鈍な思考が、まずは会話の流れを無理にでも断ち切ろうと周りから話題を探し出す。さらに過熱したこいしとフランの言い争い。あたふた慌てている大ちゃん。何とも表現しがたい表情を浮かべるはたてさん。そして、隣にいた妹紅と目が合った。その視線から、逃れられない。

 

「…なあ、どうなんだ」

 

妹紅に答えを促されるが、わたしにはその答えがそもそも存在していない。わたしは、後悔のない選択をするために、選択しないことを選択してしまったのだから。

そのままだんまりを続けていると、答えがないことを察したらしい妹紅が口を開く。

 

「…私が知っている鏡宮幻香は、少なくとも答えがない、ってことはなかったよ。答えてくれないことはあっても、分からないことはあっても、答えが存在しないことはなかった」

「…そう、ですか」

「ああ、そうだよ。…何迷ってんだ。何がお前を束縛してる?」

「…後悔のない選択をしろ、と言われたんです。けれどさ、わたしがどう選んでも後悔するのが明々白々なんだ。だから、どうすればいいのか、分からない…」

「後悔なんてするに決まってんだろ。しないほうが稀だ」

「知ってますよ。分かってます。…けど、そうしろと言われたんですよ」

 

それだけ言って妹紅の視線から逃げるように俯いてしまう。

後悔、って何だろう。地上に上がれば地底との別れが辛く、地底に残れば地上との別れが苦しい。地上と地底の不可侵条約。地上の居場所。地底の居場所。…わたしの、居場所。

渦巻く思考の中、その頭にポンと手が置かれた。

 

「なら創れよ。後悔のない選択肢を。地上と地底の二択以外に、いつもみたいに創っちまえよ」

「…無茶、言いますね。わたしに死ねと?」

「冥界も一つだな。あとあれだ。月の都だったか?他にも、確か魔界とか天界とかもあるらしいな。ま、詳しくはよく分からんけど。他にもあるんじゃないか?」

「…どう足掻いてもわたしは異物ですよ」

「なら足掻けよ。最後まで足掻いて駄目ならまた戻ってやり直せばいい。後悔する暇があったら次のことをしてろ。いいか?人生ってのはな、終わらなければ終われないんだぜ?」

 

渦巻く思考の中に、その言葉が浸み込み一緒くたに混ぜられていく。真っ暗に沈み込むような色合いだった思考が、ほんの少しだが明るくなっていく。…はは、他の何処かかぁ…。もしかすれば、一つくらいあるかもしれないね…。こんな劇物を受け入れるような、そんな居場所。

…探してみようかな。どうすればいいのか、まだ分からないけれど。それでも、少なくとも、探すことに後悔はしないから。

 



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第361話

地霊殿の庭に立ち、手を組んで体を大きく伸ばす。それから両脚をゆっくりと伸ばしながら、少し離れたところに立つ妹紅を見遣る。彼女は既に準備が終わっているらしく、いつもの構えのない自然体を取っている。

 

「こうしてお前と組手をするのは久し振りだな」

「えぇ、そうですね。一年以上振りでしょうか」

 

そう返事をしつつ、わたしも両腕をダラリと下ろし無駄な力を排した自然体を取った。普段通りの呼吸を続け、わたしと対峙する妹紅の様子を伺う。…と言っても、少なくとも今の妹紅からはどう動くか分からない。

邪魔にならない場所にいるこいし、フラン、大ちゃん、はたてさんの視線を感じてそちらに目を向けると、手を振ってくれたり声援をくれたりと各々反応をしてくれた。…ただ、はたてさんだけ異様に強く反応したのは気のせいではないだろう。彼女はわたしに対して何かあったのだろうか…。

 

「ここじゃあよくも悪くも殴り合ってきたんだろ?どうだ、多少は強くなった気はしてるか?」

「ま、一応は。どのくらいか、と訊かれると答えにくいですが…」

「それじゃ、まずはそこからだな。…来いよ。一発全力で叩き込め」

「了解です」

 

身体を前に傾けて重心を前にずらし、大きく前に脚を踏み出して一気に駆け出す。自身の速度と歩幅、妹紅との距離を合わせ、妹紅の目の前で左脚を前に出す。左腕をピンと真っ直ぐ妹紅に伸ばして狙いを澄ます。右手の指先を揃えて伸ばし、右腕を思い切り引き絞る。腰を限界一杯まで捻る。

 

「シッ!」

 

右脚を踏み出し、駆け抜けた速度に腰と右腕を解放した加速を加えた最速の貫手を突き刺す!

 

「ッ…ぐ」

 

交差された両腕の中心に貫手が食い破り、生温く湿った感触を右手から感じる。引き抜くと共に跳ねた血がわたしの顔に数滴当たり、赤く染まった右手をボーッと眺めていた。その奥に映る妹紅の腕には、空いた穴の奥で折れた骨が覗いていた。

次の瞬間、傷口から炎が噴き出してみるみるうちに傷が塞がっていく。折れた骨も気付けば元通りになっていて、炎が払われたときには突き刺す以前の腕になっていた。…いくら全力でやれ、と言われたとはいえ、少し申し訳ない気分になってしまう。

対する妹紅は特に気にすることなく穴の空いていた場所を擦り、わたしに向かって結果を言った。

 

「いい威力だ。思ってた以上だな」

「…そうですか?」

「ああ。…出来れば貫手じゃなくて拳だと分かりやすかったんだがな」

「それは、そのー…。一番威力を出すならやっぱり貫手かなぁ、と」

 

同じ力なら接する面積が狭い方が強い。釘の先端が細く尖っている理由もこれだ。全力で、と言われたからには相手により強く伝わったほうがいいかなぁ、と思ってやったのだけど、あまりよくなかったらしい。反省。

血に濡れた右手を軽く振って血を飛ばしつつ乾かしていると、妹紅は改めて自然体を取った。それに倣い、わたしも自然体を取る。

 

「よし、続けるか。先手は譲る」

「分かりました。それでは…ッ!」

 

踏み込みながら肩の力だけで左拳を腹部に放つが、一歩下がりながら容易く腕で防御されてしまった。蹴り上げられた膝を回避するために左拳で妹紅を押し、後ろに跳んで距離を取る。

その後も攻守を入れ替えながらお互いに打ち込み続けた。躱し、躱される。往なし、往なされる。防ぎ、防がれる。決定打と言えるものはなく、わたしはひたすら妹紅に食らい付く。妹紅のほうが実力も経験も備わっていることは分かり切っている。それでも、少しでもその実力を引き出せるように、わたしは今よりも少しでも速く鋭い一撃を求め探り続ける。

 

「ここまでだな」

 

何百手繰り返しただろうか。時間が流れていることを忘れるほど続けていたが、妹紅の一声で突き出そうとしていた肘鉄の動きを止める。チラリとこの攻撃が向かう先を見遣ると、しっかりと掴み取れる位置に手があった。…駄目だったかぁ。まだ足りないなぁ…。

深呼吸を数回して荒れた呼吸を抑えながら流れていた汗を拭っていると、わたし達に向けられた拍手が聞こえてきた。

 

「お疲れ様です、幻香さん。それと、…妹紅さん」

「さとりさん…?」

「さとり…?萃香が言ってた心を読むとか言う…」

 

その音がした方向に顔を向けると、わたし達の組手を見ていた四人の奥で窓から見ていたらしいさとりさんがいた。

 

「さて、こんなところで会話を始めるのはよくないですね。少しそこで待っていてください。すぐにそちらへ向かいますので」

 

さとりさんはそう言うと、すぐにその場から立ち去ってしまった。…その窓から出ればすぐなのになぁ…。どうしてわざわざ回り道をするんだ…。

そんなことを考えていると、わたしの元にフランとこいしが歩み寄ってきた。その後ろには大ちゃんも付いてきている。

 

「お姉さん。あれがさとりなの?」

「ええ、そうですね」

「そうだよ!わたしのお姉ちゃん」

「えっと、大丈夫ですよね…?」

「多分…。わたしに会いに行け、って言っておいて許さない、はないと思いますけど…」

「ま、どうにかなるだろ。今すぐ帰れ、くらいなら言われるかもしれんが」

「それくらいなら有り得るかも。一応、地上と地底の不可侵条約がありますからね」

 

その不可侵条約が既に穴ぼこだらけだ、と頭を抱えていたけれど…。まぁ、理不尽なことを言われる僅かな可能性もあるので少しだけ備えておく。心を読むさとりさん相手に不意を討つのは容易ではないが、不可能ではない。思考する前に行動すればいい。…まぁ、そうしようとしていることを読まれそうだけども。

しばらく待っていると、さとりさんがようやく現れた。ちゃんと地霊殿の出入り口から出てここに来てくれたんだろうけれど、本当にどうして窓から出て来なかったんだろう…。

 

「始めまして、妹紅さん、フランチェスカさん、大妖精さん、…はたてさん。地霊殿の主、古明地さとりです。そこにいるこいしの姉でもありますね。短い間ですが、よろしくお願いします」

「名前言ってないのに分かるんだ…」

「ええ、フランチェスカさん。貴女のことは幻香さんから聞いていますよ。いいお友達だと」

 

そう言って微笑んでいるけれど、フランは少し警戒しているらしい。…まぁ、心を読まれている、って思うと警戒したくなる気持ちも分からなくもないよ。けど、いくら警戒したってあんまり意味ないんだし、気楽にしたほうがいいよ。うん。

 

「ええ、どうかそんなに警戒せずに気楽に接してくれると私としては助かります」

「そう?それじゃあ、とりあえず一枚いいかしら?」

「撮影ですか。あまりよろしくないのですが…。まあ、外に出さないことを確約出来るのならばいいでしょう」

「そのくらいの良識は持ってるわよ。…もしかして、私のことは信用出来ないかしら?」

「いえ、少なくとも今は信用しています」

 

いつの間にかわたしの後ろのいたらしいはたてさんは、二つ折りの機械を手にカシャリとさとりさんを撮った。どうやら、その機械はカメラだったらしい。あの虚構記者の頑丈な奴とは全然似てないな…。

撮影を終えて少ししてから、さとりさんはわたしの周りにいる妹紅、フラン、大ちゃん、はたてさんの四人に顔を向ける。

 

「さて、私の勝手な希望を言えば、出来るだけ早く帰っていただけると非常に助かりますが…。流石に幻香さんの友人に対して、そのような対応をするつもりはありません」

「いいんですか?」

「ええ。ただし、基本は地霊殿から出ず、外に出るならば幻香さんと共に行動してください。私からの最低条件です」

「あのさ、萃香じゃ駄目なのか?」

「…萃香はおそらくここに来ることはないでしょう。ですが、もしも来るならば可とします」

「分かった。私はいいよ。いつ帰るかは…、妹紅とかが決めて」

「え、私が?…まぁいいけどさぁ」

 

フランは即決し、さとりさんに手を伸ばした。どうやら握手のつもりらしい。さとりさんはフランに一度目を向けてから、その手をゆっくりと掴んだ。

他の三人もフランの言葉に同調し、その心を読んださとりさんは微笑んだ。

 

「ようこそ、地霊殿へ。私は貴女達を歓迎します」



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第362話

「禁弾『スターボウブレイク』ッ!」

「おっとぉ!あっはっはー!あっぶなぁーい!」

 

こいしとフランがスペルカード戦、ではなく弾幕遊戯で遊んでいるのを眺める。この二つに多少の違いはあれど、フランにとっては禁忌「レーヴァテイン」が使えない程度の差異だ。気にするほどのものではないだろう。

それにしても、さっきからチラチラと融け落ちそうなほどの熱視線をはたてさんから向けられている。たった一度しか、しかも人里のことを教えてもらっただけなのに、彼女に一体何があったというのだ…。

 

「…あの、まどかさん」

「どうかしましたか、大ちゃん?」

 

そのことを本人に訊くべきか、それとも訊かないべきか、はたまた記憶把握で無理矢理覗くか迷っていると、大ちゃんに遠慮がちな声で呼ばれた。

 

「今の内に、話しておきたいことがあるんです」

「話しておきたいこと…?」

「はい。…私達が知っていたことを、です」

 

それだけ言って口を閉ざし、目を逸らしてしまった。そうやって続きを言えずにいる大ちゃんに、わたしは何も言わずに自ら言ってくれるのを待つ。言いたくなければ、言わなくてもいい。言いたくなったら、言ってほしい。

跳ねる情報を入れた球体を手のひらの上に創り、そこで跳ね続ける球体を見ながら他の世界について考える。そういえば、以前さとりさんが天界と魔界が幻想郷の一部に存在することを言っていた。何処に入り口があるのか知らないけれど、少なくとも存在しないということはないだろう。問題は、どうやって見つけるかなんだよなぁ…。一回本気で空間把握して幻想郷全域を把握してやろうか。地上全域を把握したときは、緋々色金五つ使い尽くしたしたからなぁ…。金剛石どのくらい使えば出来るかなぁ?

そんなことを考えていると、意を決したらしい大ちゃんの決意に満ちた目と合う。跳ねる球体を回収していると、自分を落ち着かせるためか一回深呼吸をしてから言葉を発した。

 

「私達は、幻香さんが逃げ出したことを知っていました…」

「…ッ」

 

一瞬、息が詰まる。もしかしたら、と考えたことはあった。けれど、いざ言われると過去の自分を恥じたくなる。そんなことしても意味ないけど。

気持ちを落ち着かせ、確認と質問を大ちゃんにする。

 

「…一応訊きますが、それはあの異変から、ですよね?」

「はい。ルーミアちゃんが、まどかさんが紅魔館から跳び下りて何処かへ行ってしまったのを偶然見たんです。…そのことを、私に教えてくれました」

「…他に知っている人は?」

「ここに来ている皆さんです。私が同行する際に、理由として」

「…それが、貴女の責任なんだね」

「…はい。私が、私達が、皆に隠し続けた責任です…。知るべきでなかったことを知ってしまった責任です…」

 

…誰にもバレていなかったと思ったんだけどなぁ…。まさか、偶然とはいえ巡回を任せていたルーミアちゃんに見られていたなんて。詰めが甘かったなぁ、わたし。知られてしまったのは痛手だ。けれど、そのことをずっと秘密にしてくれたのは嬉しい限りだ。

そう考えていると、大ちゃんは顔を伏せていた。どうかしたのかと思っていると、僅かに震えた声色で呟くように言う。

 

「…まどかさん。秘密って重いですね…」

「そうですね。価値があればあるほど辛くて、日に日に圧し掛かってくる」

「まどかさんも、ですか?」

「そりゃあもう。色々詰め込まれてますからね」

 

人喰い妖怪として願いを貪り続けてきたこと。幻想郷を崩壊させようと思っていたこと。選択をせずに現状維持という名の先延ばしをし続けていたこと。思い付けと言われれば、いくらでも思い付く。程度の差はあれど、わたしには隠し事で一杯だ。

けれど、そんな重みに潰れている余裕がないのだ。そんなことをしていたら、生き残れない。それに、どれだけ隠しても気付いてしまう人がいる。読み切ってしまう人がいる。だったら、いちいち気にするのも馬鹿みたいに思えてきただけ。…と、まぁ、そんな風に誤魔化して重みを意識しないようにしているだけ。忘れるわけではなく、気にしないだけ。

 

「…やっぱり、まどかさんは強いです」

「そうですか?」

「けど、もっと私達に頼ってくれてもいいんですよ…?」

「もう十分頼りましたよ。これ以上になると過負荷でしょう?」

「過負荷でいいんです。そのときは、私が皆に頼ってもらいますから」

「…はは。次に頼ることがあれば、そのときは頼みますね」

 

次があるかどうか分からないけれど、もしあれば。

弾幕遊戯を見上げると、六人に分身したフランが苛烈な弾幕を放っている。あれ、六人に増えてるんだ。禁忌「フォーオブアカインド」は四人だったはずだけど、あれから成長してるんだなぁ…。あ、こいしがハード型の弾幕をばら撒いた。フランが僅かにこいしのほうへ引き寄せられているし、きっと本能「イドの解放」だろう。

 

「…地上の皆、どうですか?元気にしてますか?」

「ええ、してますよ。そうですね…。サニーちゃんが不思議な茸を見つけた、とはしゃいでいました。何でも、渦巻状に群生していたそうですよ?」

「…え、それって確か」

「はい。蛞蝓が蛇を溶かした結果でしょう。…幸い、とても美味しくて、毒には当たらなかったそうです」

「毒は食べると辛いですからね…」

 

吐き気もするし、頭痛もするし、手足が痺れるし、節々が痛くなるし、とにかく気持ち悪くなる。意図せず摂取してしまったときの辛さといったらもう、ねぇ…。

毒と言えば、ふとメディスンちゃんのことを思い出した。鈴蘭の花畑で今日も元気にしているだろうか…。それとも、何処かで誰かと意気投合でもしたかもしれないな。…まぁ、どうでもいいか。

弾幕遊戯は、こいしが続けて抑制「スーパーエゴ」を宣言していた。妖力がこいしを包み、外側に溜め込まれていたハート形の弾幕が再びこいしの元へ集まっていく。フランも少し大変そうだ。引力もそうだけど、背後から来る弾幕って避けにくいよね、うん。

 

「まどかさんは、地底での生活はどうですか?」

「概ね良好ですよ。やりたいことをやって、時折面倒事に巻き込まれて…。はい、楽しんでます」

「例えば、どんなことがありましたか?」

「んー、賭博で意図しない馬鹿勝ちをしてしまったこととかどうでしょう?賽子を振ったら四五六が出ちゃってね」

「えっと、それはよかったのでは…?」

「ははは、この後親にイカサマを疑われてちょっとした喧嘩に発展してねぇ。色々あってお金は返しましたよ」

 

まぁ、そうでなくても返金するのだけど。そこまでいらないし。

弾幕遊戯は終盤に差し掛かったようで、フランとこいしが最後の切札を宣言する。QED「495年の波紋」と「サブタレイニアンローズ」が二人から広がってゆく。…あぁ、綺麗だなぁ。魅せてくれるよ、本当に。わたしとは違う。わたしには人に見せるものなどないのだから。

 

「…どうしましたか?」

「…いえ、何でもないですよ。気にすることないです」

 

心配してくれた大ちゃんには悪いけれど、こんな自分にしか分からないような酷くつまらない羨望は、口にするようなものではない。欲しいんだよ、わたしにだってわたしの見た目が。けれど、それと同時にいらないとも思っている。ないならないで別に構わないのだから。

そう思っていたのに、大ちゃんはグイとわたしの顔に近付いて来た。その表情は、僅かに怒っている。…え、何で?

 

「そこですよ」

「…そこ?」

「些細なことでいいんです。…私達にも、支えさせてください」

「…はは。つまんないですよ?聞いても時間を無駄にするだけかも」

「いいじゃないですか、無駄な時間。必要な時間だけだなんて、それこそつまらないですよ」

「そうですね。それじゃ、話すとしましょうか。…実は――」

 



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第363話

薄暗い書斎の本棚からまだ読んでいない書籍を一気に抜き取り、横に積んでから順番に読み進めていく。一文字一文字丁寧に読んでいたら時間が足りないので、それらしい単語が見つかるまで流すように飲み捨てていく。それをとにかく繰り返していき、目的の単語が見つかることを期待する。

 

「ねぇ、何探してるの?」

「何でもいいから手掛かりを」

「手掛かり?」

「別世界についてです」

 

フランに問われたことに対して端的に返答したけれど、残念ながら首を傾げられるばかりである。…まぁ、急に別の世界とか言われてもわけが分からないよね。うん。

…違う、これじゃない。何百年前の史実なんざどうでもいい。死体の髪の毛を売りさばいていた人間の話なんざどうでもいいし、疑いをかけられてとりあえず処刑された人間の話なんざ興味ない。

手に取っていた手掛かりが見つからなかった書籍を横に置き、次の書籍を手に取って開こうとしたとき、フランがわたしが横に積んだ書籍の山から一冊手に取った。

 

「…私も手伝うよ。詳しく教えて」

「外の世界、幻想郷の地上と地底以外の異なる世界について書かれているなら何でもいいです。どんな些細なものでも構いません」

「分かった」

 

その会話からは、お互いに全く話もせずに黙々と書籍を読み続けた。…フランが読んでいる書籍については、また今度時間があるときに改めて読ませてもらうとしよう。

 

「あっ」

 

どれほど時間が経っただろうか。三つほど本棚を空にして、読み終えた書籍の山がより一層大きくなった頃、フランの短い声が耳に届いた。そして、わたしの目の前に開いた書籍を見せてきた。

 

「これ!これとかどうかな!?」

「ん…?」

 

そうはしゃぐように言いながら指差したところを読んでみると、そこには魔界の二文字。…魔界。さとりさんと妹紅が言っていた単語だ。今手に持っていた書籍を開いたまま横に置き、フランから書籍を奪い取る。

どうやらこの書籍は過去の人間が語っていた眉唾物の話をまとめたものらしく、これを書いた者はきっと笑い話か何かにでもしてもらおうと思って書いたのだと思う。現在では使われなさそうな古臭い文法で非常に分かりにくいけれど、そんな意図を感じさせる言葉遣いな気がする。けれど、それが真実かどうかは今はどうでもいい。それについてはわたし自身で調べればいいのだから。

書かれていた文章をまとめてみると、何だか見たこともない格好をしていた不思議な者の後をコッソリと付いて行ったら見たこともない場所に辿り着いたこと。そこは気味の悪い空気に包まれていたこと。そこには見たこともないような異形の者が散見されていたこと。付いて行った者に見つかり元の場所に放り出されたこと。その時に二度と魔界に立ち寄るな、みたいなことを言われたことが書かれていた。

 

「…ふむ」

「どう…?」

 

とりあえず魔界が存在するものであると仮定して、そこには幻想郷とはまた異なる妖怪的存在が跋扈しているのだろう。空気が悪いらしいが、まぁ魔法の森と似たようなものだろうと勝手に推測しておく。

けれど、それまでだ。存在するとしても、肝心の行き方が分からない。付いて行ったら辿り着いた、だと迷い家のような特殊な結界でもあるのかもしれないけれど、それではわたしが侵入するのは困難を極めそうだ。

一応、この書籍を最初から最後まで一字たりとも読み零ししないように読み込む。しかし、他に書かれている話はこれこれがあったから妖怪の仕業に違いないとか、これこれを食べさせると赤子が立派に育つとか、そんな関係のないものばかりであった。

 

「…厳しいですね」

「そっか。簡単には見つからないね」

「そうですね。けれど、それでも探すしかないんですよ」

「…どうして?」

 

自分の心に小さな決意の炎が宿るのを感じていたら、フランにそう訊かれた。…あぁ、そう言えばフランには話していなかったっけ。

 

「地上と地底以外の選択肢を創るためですよ。地上にも地底にも居場所がないなら、いっそ別の世界に行けばいい。そう考えたんです。ですから、まずはその存在の確認をしたかったんですよ」

「…地上に居場所がないなら、そっちに作ればいいよ。…ね?こっちのほうが簡単でしょ?」

「そうかもしれませんね。…けど、そうやって作った地上の居場所、どのくらい時間が掛かりますか?どのくらい持ちますか?」

 

そう訊くと、フランはんー…、と唸りながら考え込んだ。けれど、申し訳ないけど貴女の答えを望んで訊いたわけじゃないんだ。ごめんね。

 

「慧音が人里に馴染むまで何十年という時間が掛かったそうです。…あの優しい心を持つ元人間で半人半獣の慧音が、です。わたしはどうでしょう?地上じゃあ大の嫌われ者のわたしが、地上に馴染むまでどのくらい時間が必要でしょう?…わたしは、彼らがわたしのことを忘れるまで不可能だと思いますね。そして、鬼である萃香が地上に忘れ去られるまでに掛けた時間は数百年。…まぁ、実際に忘れ去られてから経過した時間もあるでしょから、普通の人間が死んで丸ごと入れ替わる百年程度としましょう。…じゃあ、逆に百年間隠れ続けられる居場所を作るとする。それなら地底にいたほうがいい。けれど、ここだって結局微妙な話。だから、とりあえず別の世界を求めたんですよ」

「…難しいね。お姉さんが考えてることって、いっつもそう」

「すみませんね。けど、考えないといけないから考えてるんですよ。わたしは弱いですから」

 

強者は牙を研ぎ、弱者は知恵を絞る。今のわたしは強者に分類されるのかもしれない。けれど、わたしは敗北者であり、そして逃亡者。つまり弱者なのだから。だから、わたしは考え続ける。今を生き延びて、そして最後に勝利するために。

 

「さぁ、続けましょう。とりあえず、あの本棚を全部読み切るまでは終わるつもりはないですよ」

「うへぇ…。お姉さんってパチュリーに似てきた?」

「こうして読み込んで知識を得るのは前からですよ」

 

大図書館に飛んでいくより、わたしに与えられた部屋から歩いてすぐの書斎のほうが近い分、頻度が多くなっているだけの話。大図書館の本は読み切れそうもないけれど、ここの書籍を読み切るのはあと数ヶ月もあれば十分だろう。時間を惜しんで本気で読み込めば二ヶ月くらいかなぁ?

残された本棚を眺めながらそんなことを考え、そしてすぐに横にある書籍の山に意識を切り替える。そして、再び黙々と読み続けていく。紙と紙の擦れる音と書籍を置く音だけが聞こえる、とても静かな時間。

 

「…ん?」

 

そんな中、気になるものが見つかった。これまた魔界に関する内容だったので読み返したのだが、どうやら一人の僧侶が封印されているらしい。その名を聖白蓮と言い、その人柄ゆえに人間からの人望も厚く、そして妖怪からも親しまれていたそうだ。そして、その果てに人間と妖怪の共存を求めるようになり、悪魔と見定め魔界へと封印するに至ったそうな。この話、何か聞き覚えがある気がするんだけど…。

あ、そうだ。一輪さんが言っていた、人間と妖怪の共存だ。関係あるか知らないけれど、似たようなことを考える人は探せば見つかるものだなぁ…。限られた空間ならまだしも、それを全域にとなると反発が生まれるのは仕方のないことだ。少数派は、いつだって異端で、排斥されるんだ。…本当に、しょうがない。

…もし、魔界に行くことがあれば、その封印されているらしい聖白蓮とやらを見に行くのも悪くない。話せるのなら話してみたいものだ。そして、わたしとは致命的に相容れないことを確認してみたい。…何となく、そう思った。

 



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第364話

地霊殿の屋根に座り、旧都をボンヤリと眺める。やけに破壊の痕跡が目立つ区画があるが、十数人の妖怪達が必死に建て直している様子が見える。とても大変そうだ。いつもだったらここにいるのはわたし一人なのだが、今日は一人じゃない。

 

「…えへ。うふふ…」

 

隣から時折漏れ聞こえてくる笑い声を聞き流し、まとわりつくほど刺さる熱視線を受け流す。勝手に付いて来たはたてさんからの熱烈な感情が嫌でも伝わってくる。…いや、本当にわたしと何があったんですか…?

疑問が湧き出るが、とりあえず放置。わたしは今やってみたいことをやるとしよう。

正方形の四角い空箱を創造し、その中にいくつか障害物となる壁を接着させる。そして、一つの小さな球体を中に転がす。この球体には情報として転がることを入れていて、好き勝手曲がれるようにしている。また、わたしの空間把握の技術をそのまま入れ込むことで、周囲の環境をある程度把握出来るようにしている。今回の球体はそれに加え、壁にぶつからなければ可、壁にぶつかれば不可とし、十秒を周期に可がより多くなるよう行動に関する情報を少しずつ改めるようにしてみた。

箱を後ろに置き、しばらく放置。最初はとにかく壁にぶつかる音が聞こえてくるが、しばらくすれば学習して壁にぶつからなくなる…、といいなぁ…。

 

「あのー、はたてさん」

「ふぇっ!?あ、あああのっ!何でしょうかっ!?」

「…えと、わたし、何かしましたっけ?」

 

話しかけただけではたてさんの体が小さく跳ね、あたふたと慌てて目がグルグルとし始める。そんな状態の彼女にどう訊こうか少し迷ったけれど、遠回しにせず直接訊くことにした。難しく考える余裕なさそうだし。

すると、はたてさんの視線があちこちに飛び回り、その口からはあーとかうーとかえへへ…みたいな意味を成さない声が漏れる。…どうしよう。いっそ記憶把握してしまったほうがいいのではないだろうか…。

 

「えっと、そのー…。幻香は、私のこと嫌い?」

「いえ、嫌いではありませんよ。あの時親切にしてくれましたからね」

 

友達と言えるような関係ではないけれど、わたしははたてさんのことをよく思っている。少なくとも、人里の人間共よりはるかにいい。

 

「おわっ!?」

 

そう思って答えると、突然横から跳びかかられ、そのまま抱き付かれた。受け身を取ろうにもわたしの腕ははたてさんのガッチリと掴まれてまともに動かせず、せめて頭はぶつけないようにして、そのまま硬い屋根に倒れてしまった。…割と痛い。けど、箱にぶつからなかったからよしとしよう。

 

「えへへ、よかったぁ…。貴女に拒絶されたら、私、もう…」

「え」

 

いや、あの、何か重いんですけど…。体重がではなく、はたてさんの気持ちが…。

覚えている限り過去に遡って記憶の海を探ってみるが、やっぱり人里と慧音のことを教えてもらった以上の記憶はない、本当にわたしと何があったのぉ…?

わたしの肩にはたてさんの首がやんわりと乗せられ、耳元に囁くように続きを喋り始める。抱き付かれたままで。…いや、もう、はたてさんが落ち着くまではこのままでいいや。

 

「あのね、あの時、私は死に場所を探してたの」

「…はぁ、死に場所ですか」

「そう。ひっそりと死ねる場所」

 

そして、いきなり鉛級に重い言葉が出て来た。あの、僅か二回しか会っていないようなわたしに軽く話すような言葉じゃない気がするんですが…。…いや、わたしだって一時期は死に方を模索してたんだ。ここはとりあえず気にせず聞くに徹しよう。

 

「天狗の縦社会があまりにも馬鹿らしくてさぁ、花果子念報の成績も全然振るわなくて書くのも馬鹿らしくなってさぁ、周りからいっつも使えねーって言われてさぁ…。気付けば私一人になっちゃってねー…。何か生きるのもつまらなくなって、意味なんか思い付かなくって、何処かいいところないかなぁー、って探してたの」

 

…何だろう。わたしに似ている気がする。お互いに周囲からは爪弾き者。ただ、はたてさんと決定的に違うところはあの頃のわたしには少数とはいえ皆がいたということだ。

 

「そしたら、私に会った。まだ生きている私に会った。真っ白で真っ新で純白で純粋な貴女に。一目見て惹かれてた。私の乾いた心に、貴女が満ちたのよ。声を聞いたらときめいた。固まっていた私を、一瞬で振るわせたのよ。立ち去る姿は光り輝いてた。私とは違って生きる理由が、未来があったから」

 

…知らなかった。ただ、普通に微笑みながらわたしが訊いたことを答えてくれた親切な天狗さんだと思っていたのに。

 

「どうしてかしら?不思議よね?私、そんな不思議で魅力的で蠱惑的な貴女を独り占めしたかった。貴女が羨ましくて羨ましくて羨ましくて羨ましくて羨ましくて羨ましくて羨ましくて羨ましくて羨ましくて羨ましくて…。生きる理由にしたかったのよ。生を繋ぎ止める希望にしたかったのよ。けれど、そうしたら貴女の生きる理由じゃなくなっちゃうわよね…?私だけの世界で二人きりもとっても素敵だけど、貴女は貴女であるべきだって思ったの」

 

そこまで言うと、はたてさんは口を閉ざした。…ハッキリ言おう。重い。滅茶苦茶重い。思っていたより数倍重い。思わず頬が引きつりそうになるのを無理矢理留める。わたしにとってはただの出会いでも、はたてさんにとっては自殺を思い留める出会いだったとは…。

けれど、だったらわたしは何をすればいい?…まぁ、答えは言ってくれているか。普通にしていればいい。それだけだ。

 

「…ねぇ、幻香は、私のこと、…嫌い?」

「全然。わたしのつたない質問に親切に優しく答えてくれた姫海棠はたてさん。貴女を嫌う理由はないですよ」

 

あの時、わたしは訊いた。『下に人の多い場所はありますか』と。あの頃のわたしに僅かに香っていた残り香のような約束に従って、わたしは下を求めた。人が多ければ、何かが待っていると思ったから。…ただ、その約束は慧音にあった頃には掻き消えてしまったのだけども。

 

「…ありがと」

「こちらこそ、ありがとうございました」

 

初対面で、突然で、気味の悪いわたしの言葉を聞いてくれた三人目の存在。それだけで十分だ。

しばらくそのままで、時折はたてさんの背中を軽く叩くなどしていると、ふと箱の中を転がっているはずの球体が止まったことに気付いた。

 

「…すみません。起こしてもらっていいですか?」

「えっ?…え、えっ、あのっ、そのっ、あのそのどのえと…っ!?」

「ちょっ!何で急に目を回してるんですか!?」

 

しょうがないのでわたしに乗っているはたてさんごと体を起こし、抱き付いてる腕を剥がすのも後回しに箱に顔を向ける。

わたしがしたいことにようやく気付いたのか、それとも何か別の理由かは知らないが、ようやく跳び退るようにわたしから離れたはたてさんに少しだけ目を向けてから球体を手に取る。…んー、やっぱり過剰妖力がなくなってる。けど、情報はかなり書き換えられているな。この調子で改め続けてもらおうかな。

そう思い、球体に過剰妖力を再び注ぎ込んで箱の中に入れる。これをあと十回ほど繰り返してみて、結果を軽くまとめてみようかな…。

 

「…ま、いっか」

 

両手を緩み切った頬に沿え、頬が垂れないように押えているように見えるはたてさんを見ながらそう呟く。彼女がわたしをどう思っていようが、彼女がわたしを自由にしてくれる限り障害ではない。特に気にするようなことではないだろう。それに、触れないほうがいいような部分だろうからね。わたしだって好き放題触れてほしくないところがあるんだし。

…さてと。次は何をしようかなぁ…。

 



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第365話

ベッドに横になって天井を見上げる。隣ではたてさんがわたしに背中を向けて横になっているが、まぁ気にすることではない。考えることは、さっきまでやっていた結果のことだ。

端的に言えば、成功した。箱の大きさや障害物の配置、球体の大きさの変更をして何度も繰り返してみたが、最終的にはどの球体だろうがどんな箱の中だろうが関係なくほとんど障害物にぶつからないようになった。障害物に対してどのように曲がり、どうすればぶつからずに済んで可を得ることが出来るか。それを学習させることは出来た。

ただ、それをどうやって応用させればいいのだろうか?精神とはそんな簡単なものではない。これと同じように学習させると仮定して、どうやって可と不可を判別する?とりあえず、わたしがその都度やればいいのか?…それは非常に面倒くさいし、そんな時間を掛けたくない。それでは、傷付かなければ可というのはどうだろう?…仮に出来たとして、最終的に憶病に引き籠る結末が見える。なら、最初から出来るだけ大量の基準を並べておくか?…入れていない基準に出くわしたらそこが無採点となって、何処かで齟齬が生まれそうだ。…やっぱ難しそうだなぁ、生命創造って。

そう結論付けたところで視界の端から妹紅の顔がにょっきりと出てきて、わたしの顔を見下ろしながら言った。

 

「なんか妙なこと考えてる顔してるな」

「失礼な」

 

確かに妙なことかもしれないけど、わたしの目標の一つなんだ。わたしなんかがやってしまっていい行為なのか知らないけどね。けれど、まぁ、まだ誰にも止められていないしいいや。止めろと言われてもやると思うけど。

妹紅が退く余裕を作るためにゆっくりと体を起こし、わたしの部屋を見る。フランと大ちゃんは、こいしが持ってきた賽子を使って簡単な遊びをしているようだが、かなりの大差でフランが負けている模様。相当悔しそうな顔を浮かべてるし。…まぁ、しょうがないね。こいしが使っている賽子、あれグラ賽だし。

 

「…今から旧都に出掛けるんですが、一緒に来ますか?」

「何処行くんだ?」

「特に決めてませんよ。ただ暇潰しに行くだけです。行けば勝手に暇が潰れますからね」

 

旧都を歩いていると、喧嘩や弾幕遊戯を挑まれる。賭博場に行くと、イカサマを疑われたり疑われなかったりする。それはそれで楽しい時間だ。…面倒事に発展することも多いけれども、それはご愛嬌ということで。

地上の存在である妹紅達を旧都へ誘うのは、さとりさんがわたしと一緒ならいいと言っていたこともあるけれど、地霊殿に籠り続けるのもどうかと思ったからだ。不可侵条約を破ったとはいえ、せっかく来てくれたのなら旧都を一緒に歩きたい。

 

「少し準備するんで、他の皆にも訊いておいてくれると嬉しいです」

「分かった。…ついでに萃香見つけれねぇかなぁ」

「何処かの酒場にいるでしょ、きっと」

 

とりあえず、無駄に大量にある金属板はここで使うべきだろう。人が多くなりそうだし。

 

 

 

 

 

 

小さな皮袋を軽く投げ上げると、ジャラジャラと金属同士がぶつかり合う音が鳴る。中に入っている金額は約六百。普段持ち歩く金額の二十倍くらいだ。いつの間にかこんなに貯まっていたのか…。正直、自分でもビックリしてる。

わたし達に物凄く微妙な視線が集まっているのを感じる。わたしが投げ上げた金属板の音に惹かれ、そしてわたしも含めた地上の存在に目を見張る。時折殺気混じりの視線をいつもより多く感じるが、こちらに仕掛けてこなければ気にしなくていいだろう。結局こいしも含めて全員出て来ているのだから、妹紅とフランだけでも過剰防衛だろう。

 

「で、お姉さんは旧都の何処に行くの?」

「決めてません。…まぁ、とりあえず優しめの賭博場にでも行ってみましょうかねぇ」

 

大人数で旧都を楽しむとなると、食事処か賭博場くらいしか思い付かない。…酒場もあるけれど、わたしが呑まないから却下だ。

ちなみに、地霊殿を出る間際にすれ違ったお燐さんに、旧都に出掛けることを一応伝えておいた。これでさとりさんにもわたし達が出掛けていることは伝わっているだろう。

 

「賭博ですか…。あの、ここのお金を持っていないのですが…」

「大丈夫大丈夫。わたしが無駄に持ってるお金をあげるから」

「えっ、私にもくれるの?…貰っていいのっ!?」

「その前に、ここの金について教えろ。どれがいくらだ?」

「銅色の四角いのが一でー、銅色の丸いのが十でー、銀色の四角いのが百でー、銀色の丸いのが千でー、金色の丸いのが万だよー!」

「へぇ…。ん?ちょっと待て。銀色の丸が千…?」

 

こいしの答えに妹紅が首を捻っているが、何かあったのだろうか…。

さて、ここで気を付けないといけないのはフランに銀板を手渡さないことだ。吸血鬼が触れると火傷してしまう、致命的な弱点の一つだから。こいしが銀と言ったときに若干震えてたしね。賭博で下手な勝ち方をすると銀板を受け取ることになりかねないが、そのときはどうしようか…。…あ、そうだ。

 

「フラン」

「なぁに、お姉さん?」

「ちょっと両手を出してください」

「いいけど、どうして?」

 

そう言いながらも出してくれた両手から少し離れた、肘と手首をちょうど真ん中あたりを掴む。そして、フランの両手のほうに妖力を薄く流して空間把握。それに並行して、金属板を入れている皮袋にも空間把握。フランの手の形と皮袋の素材を上手いこと合わせ、フランの両手に皮手袋を創造する。

 

「…よし、これで気休めにはなるでしょう。動かし難いでしょうが、そこは我慢してください」

「えっと…。あ、そっか。ありがと、お姉さん」

 

銀が近付くことによる嫌悪感は防げないだろうけれど、接触による火傷は防げると思う。

ところで、はたてさん。どうしてわたしがフランに皮手袋を創っているところをカメラで撮ったんですか?…まぁ、なんか新聞刷っていないみたいだし、さとりさんに面と向かって良識云々言っていたし、妙なことには使わないでしょう。きっと。

 

「賭博にはどんなのがあるんだ?」

「場所によって違いますが、今回行くところは二択を選び続けたり、賽子の出目で勝敗を決めたり、将棋みたいなので勝敗を決めたり…。まぁ、色々ですね」

「将棋か。何が違うんだ?」

「駒が多い」

 

なんか酒を呑んでる奴が次世代の王様に成ったり、大鷲が桂馬以上に自由自在に飛んだり、まぁ色々だ。やったことないし、やっても負ける未来しか見えないので、詳しくはよく分からない。興味もなかったしね。

 

「こいし、貴女はいくらか欲しいですか?」

「貰えるものは貰っとくー」

「分かりました」

 

えぇと、わたし、妹紅、フラン、大ちゃん、はたてさん、こいしの六人がいるから、均等に分けるなら大体百ずつだな。…けれど、それ以外にも使うだろうし、半分の五十ずつで構わないだろう。そう考えながら、皮袋の中を開けて中身を確認する。出来るなら一が五十枚あってほしいけれど、あったかなぁ…?…んー、見た感じ四十枚あるかないか、ってところかなぁ。よし、わたしとこいしは細かい一はなしにしよう。

そんなことをしていると、目的地の賭博場が見えてきた。ここでも賭博場の声が聞こえてくる。おー、賑わってる賑わってる。

 

「…私達が入っても大丈夫でしょうか…?」

「何かあればすぐ言ってください。どうにかしますから」

「はは…。痛くしないでくださいね…?」

「そればっかりは分かりませんねぇ…」

 

そう言いながら右手を軽く握っていると、大ちゃんに苦笑いされてしまった。だって、しょうがないじゃん。結局のところ、勝てば得られる旧都では最終的に力が物を言うんだから。そうじゃなければ、喧嘩に発展することなんてない。

ま、飽くまで最終的には、だ。わたしの前にこいしを出して止めさせるよ。…それでも駄目なら、まぁ、やるしかないよね。うん。

 



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第366話

全員に五十ずつ金を手渡してから賭博場に入ると、より一層騒がしい声が耳に入ってくる。当たって歓喜の声を上げ、外して悲痛な声で叫ぶ。いつも通りだ。…まぁ、一部の客がわたし達を見てギョッとした顔を浮かべたけれども。一瞬だが、明らかに膨れ上がった殺意を受け止めつつ、彼らにわたしは微笑んだ。

来るなら来いよ、地底の妖怪達。手を出したら容赦しないことは既に決めているんだ。…まぁ、一応こいしは間に挟むよ。うん。

 

「それじゃ、好きな賭博をしててくださいな。貴女達に勝利がもたらされることを願ってますよ」

 

それだけ言って、わたしはとりあえず一番奥に進む。奥でやっているのは、賽子の出目で勝敗を決める賭博。わたしが初めて入った賭博場とは違い、親と同時に賽子を三つ転がす。一一一が最も強く、次に三つの六、五、四、三、二の順で強い。その次は二つの六、五、四、三、二、一。それ以外は等しく最弱。親と客の二つ揃った出目が同じなら、残り一つの出目の大小で勝敗を決める。引き分けの場合、賭け金は動かない。ちなみに、最強であるピンゾロが出た場合、賭け金の三倍を受け取れるそうな。…ただし、親が出しても三倍払うことになっている。

おっと。その前に一つ賭けておきたいものがあったのを忘れていたよ。

 

「…ん、地上のか…。あの白髪の娘はお前の連れか?」

「ええ。少しの間、さとりさんに許可を得て同行しています」

 

将棋モドキを前に座っている妹紅がわたしに気付くと、駒の動かし方が書かれている紙から顔を上げて軽く手を振ってくれたので、わたしも妹紅に軽く手を振っておく。

ついでに、賭け金の収集をしている妖怪に一本釘を刺しておく。周りにいる妖怪達にも少しでも聞こえるように、若干だが賭博場に響くハッキリとした声色で。

 

「…そうか。では、その連れに賭けるか?」

「はい。そうですねぇ、五十賭けましょうか」

 

この将棋モドキは二つの賭博が同時に行われる。一つは、対戦者同士の賭博。勝ったほうが賭け金を支払う。もう一つは、観戦者の賭博。どちらが勝つが予想して賭け、当たれば金を受け取れる。…まぁ、こちらは喧嘩のときと同じ感じだ。

わたしは、たとえ初めて触れるものだろうと妹紅が負けるほうに賭けたいとは思わない。なので、わたしは妹紅に賭ける五十を手渡した。

 

「分かった。…決着のときにここにいなければ受け取れんからな。忘れるなよ」

「分かってますよ。それでは、よろしくお願いしますね」

 

あの将棋モドキ、早く勝敗を決めるために一手に十秒までというかなりの早指しで進むらしい。まぁ、きっと大丈夫でしょう。

少し後ろのほうを見遣ると、皆がそれぞれの場所で賭博を楽しんでいる様子が見れる。…あ、フラン負けたっぽい。お、大ちゃん勝ったみたい。…楽しんでるねぇ。

さて、と。わたしはわたしで楽しむとしましょうか。…ま、自主的な賭け金の無理な吊り上げはしないようにしましょう。あちらから促されればするけど。そんなことを考えながら、空いている席に腰を下ろす。使う賽子はさっき創った。空間把握した感じ、グラ賽ではないだろう。

 

「おう、地上のかぁ!やるか?やるよな?はっはーっ!」

「ええ、やりますよ。最初は十からでいいでしょう?」

「んなチンケな額じゃつまんねぇだろぉ?三十だ」

「はい、分かりました」

 

景気良く言い放った親の勢いに流されて掛け金の額が早速吊り上がってしまったが、まぁしょうがないね。うん。手持ちの金は約三百。大丈夫でしょう。皮袋から三十を取り出し、手前に置いた。

 

「さ、始めましょうか」

「おうよ!」

 

そう言いながら親が取り出した賽子に、わたしは先程創ったばかりの賽子を二つ弾く。過剰妖力を噴出させて加速した賽子は、親の持つ賽子の二つを破壊した。

 

「…は?」

 

呆けた声を出す親をよそに、破壊された賽子は白色に濁った塊を飛び散らせる。空間把握したときに既に調べさせてもらったよ。あれは蝋だ。賽子の中の空間にある溶かした蝋を固めることで重心をずらし、出したい目を出やすくするグラ賽の一つ。重心が偏ったことで、あの賽子は六が出やすくなっていた。

席を立ち、わたしが撃ち出して床に転がった賽子を手に取る。そのとき、微笑みながら親を見遣った。この場は見逃してやる。だから、まともな賽子を出せよ。次出さなければ、分かってるよね…?

席に戻って賽子に傷が付いていないか確認していると、親は汗を拭いながら飛び散ったグラ賽の破片を払い、新しい賽子を取り出した。…ふむ、あれは普通の賽子だったかな。わたしの意図を汲み取ってくれてありがとね。

 

「さて、始めましょう?」

「お、おう…」

 

親の勢いが幾分か削がれてしまっているが、まぁどうでもいいか。イカサマがバレたら即喧嘩に発展しがちだが、まだ始まってすらいない今ならそんなことをせずに済む。それでいいじゃない。

賽子を転がすと、わたしの出目は三三二。対する親の出目は一一二。わたしの勝ちだ。親から三十を受け取り、賭け金の吊り上げをするかどうか考える。

 

「…あのぉ、賭け金そのままでしていいすか?」

「いいですよ。それじゃ、満足するまで三十のままで続けましょうか」

 

親に賭け金固定を懇願されるのは初めてだ。

 

 

 

 

 

 

勝ったり負けたりを繰り返し、手持ちの金額はあまり変わらず約五百。まぁ、勝ってるしこれでもいいか。それに、これならこの親から喧嘩を吹っ掛けられることもないでしょう。

 

「決着!」

 

次の賽子を振ろうとしたところで、後ろのほうから聞こえてきた声に顔を向ける。どうやら、将棋モドキの勝敗が決まったらしい。さて、妹紅は勝てたかなぁ?…おっと、賽子振らないと。出目は五五二と一三六。わたしの勝ちだ。

親から三十を受け取っていると、将棋モドキの賭け金の収集をしていた妖怪がわたしの元にやって来た。

 

「…ほら、百三十三だ」

「ありがとうございます」

 

よかった。妹紅が勝ったみたい。ついでなのか次も賭けるかと訊かれたが、妹紅は既に席を立っていたので断った。他の妖怪達はどっちのほうが強いとか弱いとか知らないしね。

 

「すみません。もう終わりにしますね」

「おう…。また来いよ」

 

随分と大人しくなった親に手を振り、こちらに歩いてきていた妹紅の元へ歩み寄る。

 

「どうでしたか?」

「あー、あの将棋なぁ…。あれだ。かなり面倒だったという印象しか残ってない…」

「ふぅん。例えばどんなところが?」

「王子に成る駒あるだろ?あれを持ち駒にされたら泥沼になる」

 

そう言って、妹紅は苦笑いを浮かべた。…まぁ、でしょうね。お互いに王将が二つずつあるようなものだ。王将は持ち駒に出来ないようだが、次世代の王様に成る酒呑みの酔っぱらいは持ち駒にして打てるのだから、何世代も王が入れ替わることが可能になる。下手すれば終わらない。

 

「ま、だから相手のをさっさと討って、こっちはすぐに角に固めたよ。それからもいくらか続いたがな、しばらくしたら相手が投了した」

「ちなみに、持ち駒にした酔っぱらいはどうしました?」

「放っといた。また奪われたくないし」

 

そんな会話をしつつ、フランの賭博の様子を後ろから眺める。前に出された両手の握り拳を睨んでいるが、あれは右にあるよ。教えないけど。

 

「どっちだと思います?」

「…右だな」

「ですよね」

 

妹紅の耳元で囁くように訊くと、同じようにわたしの耳に囁くように答えた。わたしでも分かるんだ。妹紅にもそのくらい分かるよねぇ。

 

「こっち!」

「残念だなぁ。外れだよ」

 

あ、外した。フラン、とっても悔しそう。けれど、賭博っていうのは負けるときは負けるんだよ。勝てるときは勝てるけど。

そんなことを考えながらフランの背中を見ていると、突然わたし達に振り向いた。そして、わたしと妹紅の腕をガッシリと掴まれる。皮手袋の中にあるフランの手は固く、簡単に振り解けそうにない。

 

「ねぇ、仇を取ってよ!負けっぱなしは癪だし!」

「…あぁー…。幻香、どうする?」

「…えぇーっとぉ…。どうしましょう?」

 

妹紅と目が合い、お互いに苦笑いを浮かべる。あの賭博が賭博にならないからこそなのだが、フランのことを考えるとなぁ…。

結局、フランと妹紅に促されるようにわたしが出てフランの負けた分だけ取り返した。勝つことよりも、金額合わせのほうが面倒だったよ…。はぁ…。

 



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第367話

賭博場を出て相変わらずの視線を感じつつ、旧都を歩いていく。この先は妹紅と勇儀さんが戦っていた区画に近いんだけど、まぁ気にしなくてもいいや。

珍しく受付で返金せずに出て行くことに若干の違和感を覚えていると、後ろから袖を引っ張られた。振り返ってみると、袖を摘まんでいたのは大ちゃんだった。

 

「幻香さん。これ、お返しします」

「え?…あー、いいよ別に。好きなの自由に買っていいから」

「私はこれと言って欲しいものはありませんから」

「そうですか?じゃあ、受け取っておきますね。必要になったら言ってくださいな」

 

そう言って大ちゃんから金を受け取る。金額は渡したときと大して変わらない五十二。これの程度なら返してくれなくてもよかったけどなぁ…。ほら、はたてさんなんか一切賭博せずに自分のものにしてるよ?

 

「お金が動かなければ普通の遊びに出来そうなのになぁ」

「それなら、いくつか賽子創りましょうか?」

 

ボソリとフランが呟いた言葉を聞き、先程の賭博で使っていた賽子を手にして空間把握をし、とりあえず二十個ほど複製する。それから金を入れていた皮袋を複製し、その中に賽子を仕舞う。まぁ、これだけあれば十分でしょう。八面賽子とか二十面賽子とかあったほうがいいかもしれないけれど、それは考えるのが非常に面倒臭いから欲しかったらまた後でね。

ガラリと音を立てる皮袋をフランにあげると、中身を見たフランにありがと、とお礼を言われた。気にしなくていいのに。

軽く周りを見渡していると、フランと大ちゃんが賽子を手に話し合い始めた。何を話しているのかな、と思っていると、突然わたしの目の前にこいしがスッと現れた。…うわ、驚いた。気配あんま感じないから急に出て来ると流石に驚くよ。

 

「ねえ幻香!次は何処行くの?」

「全然考えてません。こいしは何処か行きたいところがあるんですか?」

「あるよー。何か食べに行こっ!」

 

ですよね。こいしならそう言うかなぁ、とは思ってたよ。けど、地上ではあまり見なさそうな食べ物を一緒に食べるのもいいかな。

そう思い、皆のほうを向く。はたてさんが金属板を愛おしそうに眺めているのが目に入ったが、気にしないことにしよう。うん。

 

「これから面白いもの食べに行くんですが、どうです?」

「食べる」

「面白い?美味しいじゃなくて?」

「美味しいかどうかは人に寄りますねぇ。ま、記念に食べてみようかなぁ、と」

「別に構わないよ。流石に食えないものじゃないんだろう?」

「そうだねぇ…。目玉の唐揚げとかー、イモリの串焼きとかー、地獄火炎鍋とかかなっ」

「め、目玉にイモリ…」

 

こいしが指折りしながら並べた食べ物を聞いた大ちゃんが若干引きつった笑みを浮かべるけれど、その偏見を押し退けて一度食べてみてほしい。意外といけるから。…ただし、地獄火炎鍋は除く。あれは美味しいの前に痛い。

そんなことを話しながら歩いていると、破壊された家々と真新しい家が見え始める。妹紅と勇儀さんが破壊した家々を頑張って建て直している妖怪達に軽く手を振って通り過ぎようとしたが、その内の一人に肩を思い切り掴まれた。

 

「ねぇ、これを見て手伝おう、って気にはならないかい?」

「なりません。頑張ってくださいね」

 

即答すると、ヤマメさんはわたしを、そしてその後ろにいる妹紅達を少し恨めしそうに睨む。…まぁ、彼女達が来なければこんな仕事が出来ることはなかっただろうしねぇ…。

 

「さ、この場は少し居辛いいでしょう?ちょっと急ぎましょうか」

 

そうは言うが、ここで何もしないと後で面倒なことになりそうな気がしてきた。そんな予感と共に肩を竦めながら、この場を早く去るために足を早める。…空間把握。新しく建てたばかりの家を把握し、瓦礫を撤去済みの場所へ去り際に三つほど並べて複製する。ま、飽くまでわたしの今後の身のためだ。貴女のためじゃない。…ふふっ。

早足で旧都を進み、周りを見渡す。…えぇと、唐揚げ売ってるお店ってどの辺だったかなぁ。少し急ぎたいんだよね。…おっと、またこいしが劇物めいた食べ物に惹かれてる。そのままフラッといなくなってしまう前に襟首を掴んで止めた。ぐえ、と変な声が聞こえたけれど、まぁ気にしないでおこう。

 

「なぁ、幻香」

「どうかしましたか、妹紅?」

 

頬を膨らませるこいしから手を離すと、いつの間にか隣にいたらしい妹紅が少し真剣な表情で話しかけてきた。

 

「さっきから後ろを付けられてるんだが」

「みたいですねぇ」

「みたい、ってお前随分気楽だなぁ」

「気楽ですよ。何せ、殺気混じりの視線で見られてるだけですし。直接何かしてこないならわたしはわざわざ気にしませんよ」

 

そう言いながらへらへら笑う。旧都でわたしに対する殺気なんてよくあることだし、そこから行動に移されることだってたまにある。いちいち警戒するのもいいけれど、そんなに気を張り詰め続けていると疲れてしまう。

 

「それに、わたしは地上の妖怪ですからね。出来る限り、被害者になりたいんですよ」

「はぁ?」

「あちらがやってきたから、わたしはやり返しました。こう言える状況が、今のわたしの立場としては好ましい」

 

わたしからやると、さとりさんと勇儀さんがうるさいからね。賭博の過剰な吊り上げを制限されるのも、この辺りの思惑を感じさせる。まぁ、それに関しては賭博場の経営的損失に大きく関わる、っていうのもあるだろうけど。

けれど、あの視線が鬱陶しいと思うことは分かる。殺気混じりの視線を常時浴びせられて落ち着けないのも分かる。わたしだって気にしないようにしてても嫌なものは嫌だ。面倒臭いし。だから、気にならないようにすればいい。…ま、上手くいったらだけどね。

 

「ということで、妹紅にははたてさんを頼んでいいですか?フランは大ちゃんを気にかけてるみたいですし、見失いがちなこいしはわたしがやりますから」

「…お前も大変だな。ま、任された」

「よろしくお願いします」

 

そう言うと、妹紅は自然とはたてさんの盾になれる位置取りをする。フランは大ちゃんと賽子を使った遊びについて話し合っているようだ。さて、わたしはこいしのことを見ていましょうかね。

 

「こいし、唐揚げって何処でしたっけ?」

「ここからだと串焼きのほうが近いけど?」

「あー…、じゃあそっちから買いましょうか」

「分かった!じゃあ買おうそうしよう!」

 

そう言ってはしゃぎながらイモリの串焼きを売っている屋台がある小道へと入ろうとするこいしを一旦止め、その一つ手前の小道で曲がるように促す。首を傾げられたが、幻香がそうしたいなら、と言って快く承諾してくれた。

 

「ここに売っているんですか?」

「いえ、違いますよ」

 

…さて、雑に隙は作った。来ないならそれでいい。が、来るなら来い。

ザッと砂を齧るような音が前後から同時に聞こえてくる。…あーあ、釣れちゃったよ。前に二人、後ろに一人。…空間把握。…ふむ。前の二人はパッと見素手だけど、一人は脇差みたいな武器を隠し持ち、もう一人は異形の爪が伸びている。後ろの一人は武器の類は何も持っていなさそうかなぁ。

 

「え?え?…え?」

「うわぁ、これってちょぉーっとまずい感じかも?」

「…やっちゃっていい感じ?」

「待てフラン。それだと私達は襲撃者だ」

「勝手なことして幻香に迷惑かけたら私許さないわよ」

「だんまりで何も話してくれないみたいでッ、すしッ!」

 

呑気に話していると、わたしの目の前に黒い爪が真っ直ぐと走り、咄嗟に上体を逸らして躱す。続く二人目が袖から脇差を抜き出しながら駆け出し、刺突を繰り出してくる。

 

「きゅっ!」

 

急所を外しながら大人しく刺されて理由作りにでも、なんて考えていたら、突然脇差の刀身が真ん中から砕け散った。直前のフランの声から察するに、脇差の『目』を潰したのだろう。持ち主も何の脈絡もなく壊れたことに目を見開いて驚愕しているようだし。あの妖怪の相手はフランに任せておきましょうか。

右手の五指から妖力を噴出させ、突き出された黒い爪目掛けて薙ぎ払うと、ジュッと音を立てて無抵抗に引き裂かれた黒い爪が宙を舞う。その爪を視認して過剰妖力込みで複製し、爪を引き裂いた妖怪の両肩に射出する。

 

「ぐあっ」

「ふ、ッ!」

 

両肩を貫かれて怯んだ隙に、仰け反った上半身でそのまま両手を地に付けて両脚を振り上げ、脚の先端が顎を蹴り抜いた。

わたしと相手の妖怪はほぼ同時に体勢を直して突進するが、悪いけれど容赦はしない。両肩に突き刺さってる黒い爪を炸裂させ、動きが鈍った瞬間に跳び上がって膝を曲げた足裏で顔面を潰す。そして、膝を思い切り伸ばして吹き飛ばし、小道から飛び出して転がっていった。

 

「ほい、っと。はい、お終い」

「あ?これ、そこらに捨ててよかったのか」

 

壁に叩き付けられて気絶している妖怪が二人。どうやら二人も終わったみたいだね。

出来れば誰か鬼でも来てくれれば後処理が楽なんだけどなぁ…。ま、そんな都合よく来てくれるわけないか。しょうがないし、放っておきましょう。吹き飛ばした妖怪もいるから、割と早く騒ぎになると思うし。あとで訊かれれば、あったことを正直に言えばいいだけだからね。彼らが攻撃してきたのでやり返しました、とね。

 

「さぁて、隣にイモリの串焼きが売ってるんですよ。一緒に食べましょう?」

 



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第368話

「あっ、美味しい。…その、見た目はあれですが」

「カエル食べる大ちゃんが言ってもなー」

「えっ、それはっ、そのっ!」

「アハッ!冗談だって」

 

…ごめん、フラン。カエルを捕まえるのがチルノちゃんでも、それを食べることを促したのはわたしなんだよ。美味しかったのかお腹空いてたのか、かなりの数を食べてたけどね。

 

「イモリを黒焼きにするとちょっと特別な薬になるんだー!」

「あー、知ってる。惚れ薬だろ?」

「ちょっと詳しく教えて」

「竹の節を挟んだ両側に雌雄のイモリを一匹ずつ入れて竹ごと燃やすんだよ。で、残ったイモリの黒焼きを磨り潰して粉にしたものを振りかける。四、五百年くらい前に流行ってたかな。…幻想郷なら作ってる店もあるかもなぁ」

「ふむふむ。今度やってみよーっと!」

「何に使うんだよ…」

 

今は違うかもしれないけれど、さとりさんにかけるそうですよ。あれ、旧都に竹なんかあったっけ?…あぁ、地上に鬱蒼と生えてましたね。下手に切り落としてバレなきゃいいんだけど。

 

「…ちょっとうるさいなぁ」

「そうですねぇ。ま、しょうがないですよ」

 

食べかけの残り半分となったイモリを丸ごと口に入れたフランが愚痴る。確かに、一つ挟んだ向こう側はちょっとした騒ぎになっている。

案の定、わたしが蹴り飛ばした妖怪はすぐさま発見され、それに釣られるように二人の妖怪も発見された。その小道から出てきたわたし達の姿も見られているだろうし、もう少しすれば呼ばれてもおかしくはないだろう。…ま、それまでは旧都を歩いて回りましょうか。

そう思って足を出そうとしたら、突然わたしの目の前に一人の妖怪が滑り込んできた。…ん?何処かで見たような…。

 

「再戦っ!」

「あ、思い出した」

 

わたしに指先をビシッと向けながら声を張る妖怪は、いつだったかこいしと食べ歩きをしていた時に弾幕遊戯を仕掛けてきた妖怪じゃないか。わたしとしてはさっさとこの場を離れたいんだけど、弾幕遊戯を終えたときにまた戦いましょう、って言ったんだっけ。ならしょうがない。やりますか。

 

「すみません。弾幕遊戯のお誘いみたいです」

「おう。ちゃんと見とくから安心して行ってこい」

「ここで待ってますね」

「よろしくお願いしますね。こいし、勝手に何処か行かないでくださいね?」

「はーい!」

 

両手を上げて返事をするこいしの声を聞いてから、わたしは目の前の遊び相手を見遣る。あの時やってきた切札は二つ。高速移動しながら弾幕を放つ切札と、高密度の超低速弾幕を放つ切札。…まぁ、大丈夫でしょう。

 

「再戦なら、以前と同じ三でいいでしょう?」

「上等っ!この日のために私は強くなったんだっ!」

「なら、前より楽しませてくださいね?」

 

そう言いながら笑い、『幻』を展開させる。とりあえず、最速の直進弾用と追尾弾用をそれぞれ三十個ずつの計六十個。相手の実力を見て増やしたり減らしたり変えたりしよう。

 

「前と同じと思うな!瞬歩『疾風迅雷』!」

 

そう威勢良く言い放った妖怪はわたしの周囲を駆け回りながらわたしに向けて弾幕を放ってくる。確かに速い。以前よりも速くなった。けど、わたしの周りはそれよりもっと速い人ばっかりなんだ。

だから、その程度の速度に後れを取るようじゃあ駄目なんだよ。

 

「疾符『妖爪乱舞・瞬』」

 

その宣言と共に、わたしは両手の十指から妖力を噴出させる。そして、動き回る妖怪の姿を目で捉え、その背後を突き抜けるように二酸化ケイ素、つまりガラスの棒を創造し、わたしは思い切り弾かれた。その際に、左腕を横に伸ばしておく。

弾き出されたらすぐさまガラス棒を回収。あー、やっぱりたったこれだけの距離でも腕を伸ばして弾かれるとちょっと痛いなぁ…。ま、いいや。

 

「…え?」

「まず一つ」

 

被弾させたし。あちらからすれば、突然わたしがいなくなったと思ったら被弾していた、といった感じかな?けれど、そうやって足を止めて呆けてる暇はないよ?だって、まだわたしの切札は始まったばかりなのだから。

真横を真っ直ぐと伸びるガラス棒を創造。何かに押し出される感覚と共に、わたしは弾かれる。

 

「ッ!仰山『千客万来』!」

 

あ、まずい。さっきまでの切札を途中で切り上げ、突進してくるわたしに対して壁を作るように弾幕を張られる。別に被弾しても構わないけれど、わたしとしてはその弾幕によって真横に真っ直ぐと伸びているガラス棒が砕けるほうが問題だ。仕組みが割れるし、なにより破片が飛び散る。

そこまで考えたところで、即座にガラス棒を回収。そして、わたしは直角に弾かれるようガラス棒を創造する。けれど、普通ならそのまま真っ直ぐと弾き出されてしまう。なら、一瞬でも止まればいい。わたしが身に付けている服や靴などから過剰妖力を推進力として前方に噴出させ、逆推力として急減速。どうにか直角に弾かれることに成功した。

 

「…うぷ」

 

ガラス棒を回収し、地面を大きく転がって衝撃を逃がす。そして、ついでに距離を取りながら起き上がった。相手の様子を見ると、高密度で超低速の弾幕を放ち始めている。…あ、目の前にわたしがいないことに驚いてる。わたしならこっちで内臓グチャグチャになったような感覚を味わってますよ。…あー、気持ち悪い。

左手の妖力噴出を止めて軽く口元を押さえつつ、斜めに打ち上がるようにガラス棒を創造。頭上まで弾かれつつ、吐き気を無理矢理飲み込む。…おー、周りをキョロキョロ見渡しちゃってまぁ。ま、見上げないなら都合がいい。乱回転しながら急降下し、壁となっている超低速弾幕を引き裂きながら背中に爪を振り下ろす。

 

「二つ」

「ッ!?」

 

退路を妨害する弾幕を引き裂いて跳び退り、大きく距離を取る。…よし、もうこの切札は十分だろう。三十秒まだ経ってないけど、二度被弾させたなら次の切札にしたほうがいい。相手が戦法の切り替えに置いてかれているうちに、さっさと終わらせてしまおう。

 

「よお」

「あれ、萃香?」

 

そう考えて人差し指を伸ばそうとしたら、後ろから萃香に声を掛けられた。どうやら跳び退った先にちょうどいたらしい。というか、皆と合流してた。

 

「あとで話があるからな」

「分かりました」

 

ま、きっと先程の件だろう。思ったより早かったなぁ。目玉の唐揚げ食べれるかな?…いや、今はそれよりも目の前の相手に勝利するとしましょうか。

短い会話だったが、相手も気を取り直してしまっている。けれど、もうそんなことはどうでもいい。丸ごと薙ぎ払わせてもらおう。

 

「せめて一度でもっ!刹那『紫電一閃』!」

「模倣『ダブルスパーク』」

 

人差し指だけを伸ばした右手を開き、通路を丸ごと埋め尽くす妖力の砲撃を放つ。…さて、どう来るかな?

 

「シッ!」

 

やっぱり無傷で現れたか。通路を丸ごと埋め尽くす、と言ったが、マスタースパークの形状はほぼ円柱。両側の家々を壊さない程度にすれば、角のほうは何もない空洞になる。実際そうなった。だから、そこを一瞬で駆け抜けて今わたしの横からバチバチと音を立てる指先を向けている。

けれど、悪いがこの切札は模倣「ダブルスパーク」なんだよ。右手と並行させ、左手に溜めた妖力を既に浮かべていた。だから、それを遠慮なく解放させる。

 

「うぎゃーっ!」

 

断末魔を耳にしつつ、妖力の放出を収束させる。…あ、目の前の家いくつかブチ抜いちゃった。どうしよ。

その瓦礫の中で駄々こねるように暴れる妖怪の元へ歩み寄り、どうにか起き上がらせる。

 

「あのー、大丈夫ですか?」

「ぐわーっ!また負けたーっ!」

「あ、大丈夫そうですね」

 

起き上がらせた手を離し、悔しそうにしている妖怪に顔を近付けて微笑む。

 

「次はもう少し楽しませてくれると嬉しいな」

「…ちぃくしょぉーう!」

 

そう言いながら走り去っていく妖怪に手を振って見送ってから、わたしは萃香の待つ皆の場所へ歩いて行った。

 



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第369話

「終わりましたよ。それで、話とは何ですか?」

「あそこでいざこざがあっただろ。そのことだよ」

「ですよね」

 

萃香が指差した方向は、わたし達が三人の妖怪を釣った小道だった。ちょっとした騒ぎにはなったけれど、ここまで早く来るとは予想外。思っているより警戒されてるのかも?…ま、いいや。わたしが地上の妖怪である以上、警戒なんていつもされているようなものだ。警戒の強弱なんて気にするだけ無駄だろう。

 

「わたしとしては勇儀さんか、せめて他の誰かが来ると思ってましたよ。少なくとも、萃香は来ないと」

「残念だが勇儀からの指名だよ。話しやすいだろうから、だとさ。…で、だ。実際どうなんだ?」

「小道に入ったら両側挟まれて攻撃されたからやり返しました。…信じますか?」

 

そう言って肩を竦めると、萃香は僅かに顔を歪めた。…どうやら、あまり納得していない様子。別に構わないけれど。

 

「妹紅は?」

「同じく。事実そうだったからな」

「フランは?」

「お姉さんと同じだよ。お姉さんに刃物向けたからやり返したの」

「大妖精は?」

「えっと、攻撃されてから仕返していた、としか…」

「はたては?」

「幻香が言った通りよ。証拠見る?」

「こいしは?」

「幻香に訊いてよ。わたしなんかよりよっぽど参考になるよ?」

 

皆してわたしが言っていたことと大体同じ事を返す。まぁ、半分くらい口裏を合わせているようなものだ。そりゃそうなるよ。

頭をガリガリと引っ掻いた萃香は、グイとわたしの目と鼻の先まで顔を近付けた。その表情は、何とも微妙な感じであった。

 

「…嘘は言ってねぇのは何となく分かるんだよ。だがな、どうも胡散臭ぇんだよなぁ」

「そう言われましてもねぇ…」

「はぁ。…はたて、その証拠とやらをちょいと見せろ」

 

萃香がそう言うと、はたてさんは二つ折りの機械を開き、特に何もない場所に向けてカシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャと連続で撮影した。…え、あれ何してるの?

何が起きているのかよく分からずに首を傾げているが、そんなわたしを気にすることなく萃香はその中身を眺めていく。…いや、本当によく分からないんですが。誰か説明して…。

 

「どう?ねえ、どうなの?」

「…あー、はいはい。よく分かったよ」

 

あの、二人の間だけで解決しないでほしいですが…。

置いてけぼりを喰らっていると、隣からチョイチョイと突かれた。

 

「どしたの、幻香?」

「勝手に話進んでて困惑してます」

 

あんな撮影で何が分かったというんだ…。今は訊けるような空気じゃないなぁ、と思いつつ後で訊けばいいや、と判断しかけたところでガッシリと両肩を掴まれた。熱い吐息が肌を撫でるほどに接近したはたてさんと目が合い、思わず頬が引きつるのを感じる。

 

「ねえ、今困ってるの?教えて。貴女のために、幻香だけのために、私は私が出来ることを何でもするわ」

「え、と。…さっきの撮影は何だったんですか?」

 

突然の出来事に頭が一瞬固まるのを感じつつ、どうにか疑問を絞り出す。というか、若干怖い。何て言ったらいいんだろう。貴女の命が欲しいと言えば、この場で即行自害してしまいそうな予感がする。…まぁ、そんなこと頼むつもりないからどうでもいいか。

 

「撮影!?訊きたい?私のこと、知りたいのねっ!?」

 

はたてさんの内側が垣間見えたような気がしていると、彼女は目を輝かせながら熱く語り出す。…あぁ、そうか。今、彼女は必要とされているんだ。他ならぬ、わたしに。

だったら、その期待に応えてあげるべきだろう。

 

「はい。知りたいです」

 

そう答えると、はたてさんは二つ折りの機械の画面をわたしに見せてくれた。…えぇと、これってさっきの小道だよね?わたしと思われる真っ白いのに黒い爪の妖怪が突進している瞬間を撮影したもののようだ。けど、この撮影位置はあの黒い爪の妖怪の背後。あの時はたてさんがいた場所とは大きく食い違っている。というか、そもそもあの瞬間彼女は撮影をしていたか?…いや、していなかったはずだ。

 

「これは念写。幻香のことを撮ったの。幻香の潔白を証明するために、あの瞬間に遡って撮影したのよ」

「…念写、ですか」

 

驚いた。そんな能力があるなんて。過去を好きな位置から撮影出来る…。まずいな、敵に回したくない。やること成すこと全てが筒抜けじゃないか。

 

「教えてくれてありがとうございます。助かりました」

「私のほうこそありがとねっ!…ふぅ…、はあぁ…っ」

 

礼を言っているけれど、わたしの頭の中ではこの念写の脅威性について考えていた。何をしていたのかバレる、というのは情報戦で致命的だ。また、潜伏していても即座に看破されてしまうだろう。考えれば考えるほど、敵じゃなくてよかったと思う。

…まぁ、流石に何かしらの条件くらいあるだろう。どの程度過去まで遡ることが可能か?どの程度距離までなら撮影可能か?高次元軸の彼方は撮影可能か?冥界、魔界、天界などの別の世界を撮影可能か?…いや、訊かないでおこう。何か訊くのが怖い。

 

「そっちの調子はどうだ?」

「積もる話もあったからな。まだ酒をお供に語り合ってる途中だよ」

「へぇ。例えば?」

「勇儀から聞かされるのは幻香のことだなぁ。気に入って、気に入らなくて、気にかけて、気に留めて、そんで迷惑してるとさ」

 

多分わたしが地底に落ちたことに真っ先に気付いたのははたてさんなんだろうなぁ、と推測していると、小道での襲撃の件の話を終えて気楽に話している萃香達の会話が耳に入ってきた。…悪いとは思ってますよ、勇儀さん。一応ね。

 

「あの、まどかさんは勇儀さんと何かあったんですか?」

「退屈凌ぎに本気でやりあっただけですよ。…あと、勇儀さんが騒ぎの後処理を担う役にいるってことですね」

「…えっと、もしかして、よく騒ぎを起こすんですか?」

「起きますねぇ。気付いたらそうなる、としか」

 

嘘だ。今回のように、自ら騒ぎが起きるように仕向けることだってよくある。賭博で万単位の勝ちを意図して得ることもある。その結果イカサマ扱いを受けて挑まれた喧嘩を返り討ちにしてしまう。弾幕遊戯で派手に魅せるために家々を破壊してしまうのはしょっちゅうだ。…そして、それら騒ぎの鎮圧や破壊された家々の建築など、旧都をまとめているのが鬼で、その頂点にいるのが勇儀さんだ。そういう意味で、わたしは相当迷惑をかけている。

さっきの弾幕遊戯でブチ抜いた家々だって、後で建て直す必要があるわけだ。わたしがまた仕事を増やしたということになる。申し訳ない。

 

「で、幻香よ」

「え?…あぁ。何でしょう、萃香」

 

せめて材木くらい創ったほうがいいかなぁ、なんて考えていると、妹紅達との会話をブチ切った萃香が振り向きながらわたしに訊いてきた。

 

「勇儀になんか隠し事してねぇか?」

「隠し事?」

「ああ。嘘は嫌いだが、隠し事はもっと嫌いなんだよ。特に、強い癖に弱い振りするとか、勝負事で手抜きするとか」

「あー…、してますよ」

「してんのかい」

 

わたしは『紅』まで勇儀さんに見せた。けれど、その先にあるものは見せていない。…というか、見せたくなかった。今思い返すと、途中で切り上げるように終わってくれてホッとする。

 

「だって、成り変わりですよ?反則でしょ、あんなの」

「…あぁ、そうだったなぁ…。あんたはそんなことが出来ちまうんだよなぁ…」

 

それにそもそも、それをした瞬間わたしではなくなる。わたしとの勝負、という条件を満たさなくなる。だからこそ、これは反則だ。好き好んで使おうとは思えない。…つまり、使うときは使うのだが。そう思っていないなら、こいしを貰うなんてしない。

 

「…なぁ、幻香。今更なことなんだが、一つ訊いていいか?」

「いいですよ?」

 

少し顎に手を添えて眉間に皺を寄せながら考えた萃香が、おもむろに訊ねてきた。

 

「あんたは、嘘吐きか?」

「はい。嘘吐きです」

「…救えねぇな、本当に」

 



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第370話

わたしの答えに苦笑いを浮かべた萃香が、勇儀さんに報告をしに行くと言ってわたし達の元を去っていくのを見送る。わたしが嘘吐きなんて、本当に今更な話だよね。…けど、まぁ、萃香相手に嘘を吐くのはあまりなかったかもなぁ。

 

「…お前、よくもまあ目の前で言えたなおい」

「そうですか?お互い分かり切ってたことの確認でしょ」

 

まぁ、正直者は正直者ゆえに正直者と答え、嘘吐きは嘘吐きゆえに正直者と答える場面だ。わたしが嘘吐きと答えるのは、どう考えても矛盾する。けれど、それでいい。外側がないくせに表も裏もある存在が、気紛れに正直に答えただけの話。辻褄が合わないくらいでちょうどいい。だってわたしは虚言も妄言も平然と吐く嘘吐きなのだから。隠し事の百や二百くらい、嘘八百に比べれば些細なものだ。

 

「けど、あの時の勇儀さんは隠し事なんざ気にしない、みたいなこと言ってたのになぁ」

 

腹に一物あろうと、脛に傷があろうと、後ろ暗いことがあろうと気にしない。そう言っていたはずなんだけどなぁ…。それなのに、勇儀さんは隠し事が嫌いと萃香が言う。萃香がそんなつまらないことに嘘を言うとは思えないし、ちょっと不思議だ。

そう呟きながら目玉の唐揚げが売っているお店に足を向けると、わたしの隣まで駆けてきたフランが何気なしに答えた。

 

「立場と本音の差じゃない?えーっと…、あれだよ、あれ。例えばさぁ、レミリア。紅魔館の主としてつまんない見え見えの見栄っ張りな威厳振る舞ってるけど、普段はただの吐き気がするほどむかつく吸血鬼だよね。あんな感じでしょ」

「…そ、そうですね。そんな感じ、なのかなぁ」

 

…思わぬ場面でフランとレミリアさんの関係が致命的に破壊されたことをフラン自身から見れてしまった。絶縁したとは聞かされていたし、フランが今までの名前すら捨ててしまったことも知っていた。…これは、思ったより深刻だなぁ。レミリアさん、かなり悲しんでそうだなぁ。…ま、どうでもいいや。自分の妹に刃を向けるような姉だったし。

何となく妖精という括りの中で上の立場にいる大ちゃんに目を向けると、微笑みながら軽く手を振られた。…あぁ、彼女はそういう食い違いはあんまりなさそうだね。

 

「そうよねぇ。縦社会なんてうんざり。上下関係なんて真っ平よ」

 

フランの答えに突然同調したのは、はたてさんだった。…けど、ちょっとズレてるような?

 

「下っ端はこき使われて、上司に媚びへつらう。責任逃れのために無理矢理濡れ衣着せられたのを、貼り付けた笑顔が貼り付いたまま剥がせなくなったのを、自分のために周りを落とすのを、私は知っている。この目で見て、この手で写したもの」

「…それは、とても悲しいですね…」

「仮に私が上に立ったとして、私はそんなの御免だわ。上に昇ってもいつ下から突き殺されるか分からないし、いつ横から崖に押し出されるか分からないし、いつ上から押し潰されるか分からない。そんな窮屈で綱渡りな立場は嫌」

「うげ、天狗の連中は面倒なことになってんだな…」

「上に立つ者はそれ相応の責任と代償を払ってる?幸福と不幸は皆平等?ハッ!んなわけないでしょ。上の連中がどれだけ責任と代償があろうと、こっちには関係ないわ。幸福と不幸を互いに打ち消し合えると思えるなんて、とんだ幸せ者ね」

「少なくとも後ろ半分は同意しますよ。善行と悪行は積み重なるだけですよね」

「かといって縦社会から外れても。決して外には出さない。好きなだけ排斥するくせに、その枠組みから逃れられない。私は自由に羽根を伸ばしたかったのに、その羽根をもがれる環境は耐えられない」

「…分かるよ。勝手に幽閉とか耐え難い苦痛だよね。外を知ると、特に」

「誰かが勝手に決めた立場の所為で私の決断を捻じ曲げないといけないなんて、私なら死んでも御免よ。…もう二度と、あんなところに戻ってやるものか。逃げ切ってみせる。追い返してみせる。覆してみせる。私の自由のために」

 

そこではたてさんは言葉を一度区切り、ドロリと融け落ちそうな熱の籠った視線をわたしに向けた。…いや、あの、熱いです。もうちょっと冷静になってください。

 

「んーと、長々と熱く語ってくれたけどさぁ、つまり立場が本音を覆すのは馬鹿みたい、ってことでいいの?」

「そそ!そういうことよ!だからさぁ、旧都の上に立つ者としての勇儀は隠し事を容認しても、実際本人は隠し事嫌いなんでしょ?私だったら嫌よ、そんな立場。どれだけ堂々と闊歩出来ても、そこに自由はないじゃない」

 

そう言い切って笑うはたてさんの言葉に、少しだけ納得した。彼女がわたしに自由を求めた理由。はたてさんと二人切りという押し付けられた立場にわたしを置かなかった理由。

けれど、わたしは自由に生きていられているのだろうか?地上でわたしは自由だったか?地底でわたしは自由だったか?これから先でわたしは自由でいられるか?改めて考えると、分からない。…自由って難しいなぁ。

 

「あー、もういっそ帰るの止めて幻香と一緒にいようかしら…」

 

そんな割とどうでもいいことに引っ掛かっていると、爆弾発言が耳に飛び込んできた。その言葉の意味を頭で理解し、その結果どうなるのか想像し、わたしは困惑する。あれ?前に言ってたこととちょっと違わない?

 

「あっ!ズルい!それなら私だってここに残りたい!」

「えっ、フラン!?急に何言って――」

「だってお姉さん、地上に戻らないかもなんでしょ?だったら、私は少しでも一緒に話して、遊んで、隣にいたい。…ねぇ、駄目?」

 

そんなフランの期待に満ちた目を向けられ、わたしは考える。フランを地上に帰した場合、地底に残した場合、どうなるだろうか。はたてさんを地上に帰した場合、地底に残した場合、どうなるだろうか。そして、わたしが地上に帰る可能性、地底に留まる可能性、別の世界に足を踏み入れる可能性。頭を急速回転させ、そんなもしもを並べていく。

 

「駄目。はたてさんもですよ」

「そっか。…あーあ、残念だなぁ」

「うん。幻香が言うなら…」

 

そして、わたしは答えを出した。フランもはたてさんも、地底に残すわけにはいかない。そうして欠けた存在が、わたしの存在に繋がりかねないから。さらに言えば、こうしてここに来たこと自体が既に危険だ。妹紅、フラン、大ちゃん、はたてさん、そして萃香。この五人が一斉にいなくなった事実から、もしかしたら地底に結び付けられるかもしれない。

そこまで考えたわたしは、フランの肩に手を添えた。フランと顔を合わせ、ゆっくりと口を開く。

 

「必ず戻りますから。別の世界に行くとしても、その前に地上へ。だから、待っててください」

 

こうして一度バレてしまったなら、次バレるのはきっとすぐだ。百年以上地底を隠れ蓑にするのは、おそらくもう不可能だろう。だから、わたしはさっさと決断しなければならない。

なら、ちょうどいい。頃合いを見つけて、わたしは一度地上に戻ろう。地上で居場所を無理矢理見出すとしても、地底で居場所を無理矢理見出すとしても、別の世界の入り口を見つけてそこがわたしの居場所となるとしても、必ず舞い戻ろう。今、決めた。

地上でやり残し、一人の少女を生贄にし、無様な負け逃げをした、歴代最強の博麗の巫女である博麗霊夢との再戦が残されているんだから。キチンと勝利をもぎ取って、後腐れもなく終わらせよう。そして、その先にあるかもしれない自由を謳歌させてもらいましょうか。

ゆらゆらと優柔不断に揺れていた意思がようやく目的を定め、それに伴って決意が満ちるのを感じる。この目的のために、わたしはまず何をするべきか?…とりあえず――

 

「痛っ」

「まどかさん。ここで難しいことを考えないでください。旧都の皆さんの邪魔になっちゃいますから」

 

大ちゃんが軽く当てた手刀を眺め、わたしは小さくため息を吐く。…まぁ、確かにその通りだけど。

ひとまず考えることを止め、この話の前に目的地として定めていた目玉の唐揚げを売るお店に改めて足を伸ばすことにした。

 



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第371話

「幻香ー、それちょうだーい。あーん」

「はい、どうぞ」

 

賭博場で無駄に得た金を消費するためにも大量に買った目玉の唐揚げとその他各内臓の唐揚げ。片手で持つには若干不安定な小さな山から一番上の一つを摘まみ、こちらに口を開けているこいしの口に入れてあげる。唐揚げを指先ごと口に含まれたけれど、まぁ気にしなくていいだろう。

視線を周囲から感じ、周りを見渡す。いくつかの目を合い、それら全てに微笑んでおく。…あれ、何で目を逸らすの?一人くらい睨み返してくれてもいいのに。さらに言えば理由なしに殴ってきても構わないのに。…ま、いいや。

 

「…これは、なんと言うか…」

「大ちゃん気にする感じ?私は気にならないけど」

「目玉とか普通捨てるだろ…。すぐ腐るし」

「あー、あいつらの目玉くり抜いて揚げてくれないかしら」

 

そのついでに後ろを振り向いて会話を耳にしてみると、どうやらあまりお気に召していないようだ。見た目はあれだけど美味しいのに。…あと、はたてさん。流石に天狗の目玉は食べたくないです。

他に何か面白い場所はあったかなぁ、と当てもなしに歩きながらふと小さな疑問が浮かぶ。

 

「そういえば、妹紅」

「お、食えば意外と――ん、どうした?」

「実は魔界への侵入経路とか知っていませんか?」

「魔界の?…悪いが名前しか知らんよ。興味もなかったしな」

 

まぁ、知らないよね。そこまで期待はしてなかったよ。けれど、流石にそんな予想も出来ていたことだけを訊くつもりはない。

 

「それじゃあ、その名前は何処で?」

「あー…。私さ、昔は専門家だっただろ?妖怪討伐の。そのときに屠った奴の中には自分のことを自慢げに語るのがいてなぁ、魔界から侵略しに来た魔族だ、みたいなこと言ってきた奴がその中にいたんだよ。だから、魔界の名前だけは知ってた」

「ちなみに、その魔族ってどんな相手だった?強い?」

「どんな相手、ねぇ…。魔術で無茶苦茶する奴らだった。炎撒き散らすわ、竜巻引き起こすわ、激流撃ち出すわ、雷落とすわ、傷すぐ治すわでやりたい放題でなぁ…。正直、かなりやり難い相手だな」

 

ふむ、魔族は魔法使いの類なのかな。わたしの頭の中で魔族がパチュリーに近しいものになっていくのを感じる。魔法使いならアリスさんや魔理沙さんでもいいけど、彼女が一番魔術が秀でてると思う。…そういえば、あの書籍に載ってた聖白蓮も魔族の一員に入れるのかなぁ?いや、勝手に封印されてただけみたいだし、一応違うのかな?

フランは別の世界について一緒に調べてくれたから知らないのはほぼ確定。なので、残った大ちゃんとはたてさんにも一応訊いてみることにした。

 

「あ、大ちゃんは魔界のこと、何か知ってます?」

「すみません。私も名前しか知らないんです…」

「ふむ…。はたてさんは?」

「何にも知らないの…。幻香、ごめんね?何にも役に立てなくて」

 

知らないならしょうがない。なら、わたしが自分で探すだけだ。あれら書籍曰く、歩いてると気付けば辿り着いたらしいし、聖白蓮はこちらから魔界へ封印されている。つまり、どうにかすることで一時的に魔界と繋がっていたのだろう。なら、どうにかすればわたしも魔界へと繋がることが可能なはずだ。そうして魔界中に妖力を拡げて空間把握を行い、記憶含めた情報を片っ端から把握すれば、魔界に繋がる穴を空ける具体的な手段を知ることが出来るだろう。

あとは、どうやって妖力を通すかだ。どんなにふざけた暴論でも、理路整然とした理論でも構わない。妖力さえ流せれば、後はどうとでも出来る。そもそも、魔界とはどうやれば見つけられる?魔界とは何処にある?次元軸の数を増やせばどうにかなるか?それとも、全く異なる何かが必要となるのか?…分からない。分からない。分からない。…けれど、やってみるしかないよね。

とりあえず、未だに五次元までしか把握出来ていないわたしのショボい認識を無理矢理増やすことから始めようか。そうだなぁ…、目指すは百次元くらい?魔界が別世界といえど、幻想郷の中にあるならこの世界の一部に括れるだろう。繋がることが出来るのだから。百次元もあれば、この世界に紛れた魔界くらい見つかるでしょう。きっと。そのためには、とりあえず妖力を溜めないといけないから、金剛石の複製を創らなければ。

 

「よし、帰ったら気合い入れて創るか」

「何を?」

「金剛石」

 

問題は、わたし自身のそもそもの回復速度が遅いことだが、妖力の自然回復は頑張れば少し早くなる。代わりに体力持ってかれてかなり疲れるけど。けれど、まぁ、体力だけで加速出来るなら楽なほうだ。

出来れば緋々色金のほうがいいけれど、魔法陣を複製して誤作動してしまうのは嫌だ。無駄に妖力を消費したくない。

 

「幻香、あれだけ創ってたのにまだ創るの?」

「あんなんじゃまだまだ足りないですよ。それに、最近使っちゃいましたし」

 

さとりさんのペットがわたしが創った極細フェムトファイバーを使って服を縫ってくれている。どうやら簡単には完成出来ないらしく、まだ時間が掛かるようだ。それに関しては、気長に待たせてもらうとしよう。

首に掛けているネックレスにくっ付いた金剛石を眺めていると、はたてさんが二つ折りの機械を必死になって弄っているのが目に付いた。一体何を、と思ったところではたてさんが二つ折りの機械から目を離さずにわたしに言った。

 

「ねぇ、幻香。魔界だけだと、流石に範囲広過ぎて撮れないの。…何か、もう少し狭めることが出来るものってないかしら?」

「狭める…?」

「何でもいいの。そこにある有名な物とか、そこにいる人物の名前とか、思い付くなら言って」

「聖白蓮」

 

それしかない。けれど、名前だけで念写が出来るものなのだろうか?少なくとも、わたしは容姿も声色も何もかも知らない。しかし、はたてさんは必死になってくれている。両目を強く閉じ、何かを念じているようにいること数十秒。

 

「…んっ、どうかしら…。…ごめん、駄目ね。聖何とかなんて興味湧かないからかしら…」

 

どうやら無理だったらしい。わたしとしては、むしろ出来るほうが驚きなんだけども。…ただ、虚ろな目で絶望的表情を浮かべながらブツブツ呟くのは止めてほしい。上手くいかなかったことは気にしてないから。…あ、大ちゃんが頑張って慰めてる。なら大丈夫でしょう。

 

「…今の幻想郷に、その魔族はいるのかなぁ?いれば楽なのに」

「さぁな。いるとすれば、キッチリ素性を隠してるだろうよ」

「でしょうねぇ…。怪しい人を片っ端から調べてみようかなぁ…」

「やってみよっか?」

「いえ、いいです」

 

そんな風に何でもかんでもほいほいこいしに頼むつもりはない。いくら気配が希薄だからって、記憶に残らないほど無意識だからって、存在が露呈しないとは言い切れない。露呈して困るかと訊かれると微妙だが、変わってしまった前からこいしのことを知っていそうな八雲紫とかに伝わると面倒になりそうだ。

それに、そもそもの問題として、その魔界がわたしを受け入れてくれるかすら怪しいのだ。それ以外にあるかもしれない別世界を探すつもりではあるけれど、それら全てが駄目だったら、わたしはどうすればいいだろうか…。決意に黒いものがジワリと侵食してくるのを感じる。いや、今はそんなもしもを考えるのは止めておこう。さとりさんには悪いが、そのときは後悔してから別の手段を考えよう。

 

「ままならないなぁ、世界ってのは」

 

囁くように漏れた言葉は、旧都の雑踏の中に紛れて消えた。

わたしの居場所。いることを許され、出ることを許され、帰ることを許される。そんな誰もが当たり前に持っていて、その恩恵に気付かれないもの。わたしにも、見つかるといいなぁ。

 



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第372話

帰路の途中にあったお店で食べれそうなものをいくつか皆で購入しつつ、わたし達は地霊殿へと戻ってきた。手持ちの金がほとんどなくなったけれど、普段使わないのだからなくなったことに対して特に思うことはない。強いて何か言えと言われれば、ようやく使えた、とだけ。

買った食べ物は即席で創った皿代わりの板を机に並べ、祷類ごとに分けて置いておく。どうぞ、好きなものを好きな時に手に取って食べてください。

 

「これこれ!ほら、食べてみてって!」

「え、何こ――むがっ…うっ!酸っぱ!」

 

こいしがあの酸味を濃縮した菓子をフランの口に捻じ込んでいるのに苦笑いを浮かべつつ、わたしは引き出しの奥に仕舞ってある本物の金剛石を手に取る。

 

「さぁて、創るか」

 

空間把握をして分子構造を頭に叩き込みながら一つずつ創っていく。…四、五、六、…あ、これ以上はやばいかも。あと一つくらいはどうにか創れそうだけど、それをしたら妖力枯渇で倒れる気がする。多分。

一度深呼吸をし、残された妖力に意識を向ける。…うん、ほぼ一割。目を瞑り、腹の奥に力を込める感じで妖力回復を促していく。体力を絞り、新たな妖力へ変換していく。…あ、思ったより疲れるなこれ。全力疾走を延々と続けている気分だ。体力ガリガリ削られて持ってかれてる。

嫌な汗が額から滲み出るのを感じながら、新たな妖力から次々と金剛石を創っていく。眉間の奥がズキズキと響くような痛みが警鐘を鳴らしているが、そんなもの知ったことか。わたしは限界まで創り続ける。とりあえず、一回倒れるまでやっておこう。

 

「…あっ」

 

プツッと何かの糸が切れたような感覚。それと共に全身に張り詰めていた力が一瞬にして途切れ、フラリと体が傾く。咄嗟に体を直そうとするがそれすらも出来ず、そのまま無抵抗に床に倒れ込んだ。体が新たな熱を作ることを放棄し、徐々に冷えていくのを感じる。五感が遠ざかっていき、周りで何が起こっているのかよく分からない。…あれ、これって死ぬちょっと前のやつじゃない?

やってしまったかなぁ、と思っていると、肩の辺りから優しく暖かなものを感じ、そこから僅かだが活力が生まれてくる。持ち上げるのも辛かった瞼をゆっくりと開くと、そこには心配そうな表情で見下ろす大ちゃんとその後ろで呆れている妹紅、落ち着きのないフランと妙にニコニコ笑っているこいし、顔面蒼白で今にも死にそうなはたてさんが見えた。…えっと、どんな状況?

 

「…幻香さん、大丈夫ですか?」

「あ、うん。…大丈夫、かな?」

 

わたしの肩に手を添えて淡い黄緑色の光を当て続けている大ちゃんにそう訊かれ、とりあえずゆっくりと起き上がる。体中が酷くだるくてしょうがないが、死ぬ間際みたいな状況からは脱したのでそう答えておく。

 

「大丈夫、お姉さんッ!?」

「うわっ。…えぇ、大丈夫ですよ、はい」

 

跳びかかってきたフランを何とか受け止めつつ、もう一度大丈夫だと返す。そう思いつつ、やんわりとフランを剥がして隣に座らせた。すると、大ちゃんが添えている肩とは逆側に体を寄せてくる。…あの、今のわたしだとその体重も結構辛いんですが…。早速だけど前言撤回。まだ大丈夫じゃないです。もう少し妖力か体力をください。…複製回収はなしの方向で。

倒れた拍子に創った金剛石が派手に散らばってしまっており、その個数を数えてみると十九だった。妖力体力共にほぼ限界まで使い切って創ってこれだけか…。妖力が全快だったならば、二十個以上創れたなぁ。…うん、ちょっと少ない。

両脚が届く距離に散らばった金剛石を足の指でどうにか摘まんで拾い集めていると、こいしが他の金剛石を拾ってくれた。ありがとね。そのままこいしは集めた金剛石で小さな山を作ると、妹紅のとても大きなため息の音が聞こえてきた。そのため息は明らかにわたしに向けたものであることが嫌でも分かる。

 

「幻香、お前何やってんだよ?」

「え?金剛石の複製の量産」

「何のために?」

「魔界に妖力を流すための下準備、かな?」

「その下準備で死にかけてどうすんだ。本番迎える前に死んだら意味ないだろ」

 

その言葉の終わり際に、わたしの額に鈍い痛みが走った。…ちょっと痛い。軽く拳を当てられた額を擦り、ちょっとやり過ぎたかなぁ、と反省する。流石に血が出たり骨に罅が入ったような感触はないから、放っておけば痛みも引くだろう。

 

「前にも言ったじゃないですか。無茶しないでください、って。まどかさん、忘れちゃったんですか?」

「…いや、忘れてはいませんが…」

「だったら、しないでくださいよ…っ。突然倒れて、皆心配したんですからね」

 

淡い黄緑色の光を止め、わたしの目と鼻の先に人差し指を出した大ちゃんにそう怒られた。…うん、ごめん。こればっかりはわたしが悪かった。反省してます…。

大ちゃんの献身的な回復によって大分楽になったけれど、また創ろうとすればどうなるかなんて考えなくても分かる。流石に今日はもう止めておこう。

その代わりに、魔界含めた別の世界について考えてみる。とは言うものの、そう簡単にポンと出てくるものではない。…こういう時こそ膨大な知識を有するパチュリーに訊きたいけれど、生憎そんなことは出来ない。まさか、こんな至極個人的な用事のために地上と地底の不可侵条約を破らせてまでパチュリーをこちらに呼び寄せるわけにもいかないし…。

 

「あ、そうだ。お姉さん」

「…どうしました、フラン?」

 

そこまで考えたところで隣にいるフランに声を掛けられ、思考を一旦切り捨てる。無理そうだっし、ちょうどいい。

 

「魔界のこと調べてたよね?…地上に帰ったらさ、パチュリーに訊いてみるね」

「…まぁ、別に構いませんが…。けど、それって意味あります?」

「あるよ」

 

そう自信満々に断言されるが、わたしとしては首を捻ることしか出来ない。だって、それってフランがまたこっちにやって来るってことでしょ?駄目だよ。そんなことさせるつもりないから。地上の連中にバレたら困るし、ここまでくる道中で地底の妖怪達に何をされるか分からないし。

そのことを伝えると、フランは笑いながら分かっている、と返した。流石にフランもこの程度は分かっていたらしい。

 

「パチュリーなら、大丈夫だよ。幻香に伝える手段、もうあるからね」

「…え?地底に下りずにですか?」

「うん、そうだよ。…だからさ、パチュリーに幻香が生きていること、ここにいることを教えてもいい?」

 

そう訊かれ、わたしは考える。確かに、さっきまでパチュリーの知識がほしいと思っていたところだ。けれど、わたしが地底にいることをパチュリーに知られることになる。そこから他の地上の連中バレる可能性は?パチュリーはこのことを隠し通せるのか?伝えた場合と伝えなかった場合を並行して考え、そして結論を出した。

 

「…いいですよ」

 

色々考えたが、きっと大丈夫だろうと判断した。もう既に五人にバレているし、ここから先さらにバレる可能性が急上昇してしまっている。今更一人増えたところでなんだ。それに、基本的に大図書館から出ないパチュリーならば、秘匿すべき情報が漏れる可能性も低いだろう。それに何より、わたしがフランの破壊衝動を喰らったことを伝えても漏らさず口を閉ざすことが出来るパチュリーなら、隠すべきことを隠し通せる。わたしは、そう信じてる。

 

「ならよかった。それでね、そのために必要な髪の毛貰っていい?」

「髪の毛…?」

「そ、髪の毛。先っぽだけでもいいみたいけど、根元からあるといいかな」

 

唐突に髪の毛が欲しいと言われ目の前にある前髪を弄りながら困惑したが、ふと思い浮かぶものがあった。忌々しい記憶も一緒に流れてくるが、それは顔に出ないように抑え込む。

 

「…呪術…、いや、黒魔術」

「あ、知ってたんだ。パチュリーね、元々専門外だった黒魔術が大体出来るようになったみたい。今は自己流に改良してる、って」

「それでわたしに伝えられると?」

「そういうこと。元々黒魔術が一方的であることに特化してるから、会話も一方的みたいだけど」

 

パチュリー出来ると言うのなら、おそらく出来るのだろう。…正直、呪術に近しい黒魔術はちょっと怖いけれど。そんなことを考えながら皮袋を創造しつつ、後頭部の髪の中に手を入れて根元から数本引き抜く。ついでに鋏を創り、少し伸びてきた前髪を乱雑に切ってそのまま皮袋の中に落としていく。…ま、このくらいあればいいでしょ。

 

「はい、どうぞ」

「…こんなにいらないと思うけど、まっいっか。パチュリーにちゃんと渡すからね」

「パチュリーにも伝えておいてください。一年以内に再び帰る、と」

「!…うん、分かった」

 

ここにわたしがいるのがバレるのは時間の問題だと思っている。ならば、出来るだけ早い方がいい。だから、一年以内に全て終わらせてやる。

 



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第373話

「あ、幻香。おはよっ」

「ん…、おはようございます、はたてさん」

 

寝起きのまま部屋を見渡すと、人数が少なく感じた。こいしは自分の部屋に戻ったとして、後は机に腕枕をして眠っている大ちゃんしかいない。…妹紅とフランは何処へ行ったのだろう?

 

「あの、妹紅とフランは何処に行ったか知りませんか?」

「幻香が寝てる間に萃香が窓から現れて、そのまま妹紅を連れて行っちゃったわよ。それからしばらくしてフランが急に慌てた様子で地上に帰る、って言って一人で出て行ったわ」

「一人で?…あぁ、そういうこと」

 

きっと、こいしと一緒に出て行ったのだろう。パチュリーにいち早く事情を伝えるためだろうか?…いや、それなら急に慌てることはないか。出来るだけ早く地上に戻らなければならない事情でも思い出したのだろう。

何となくフランに手渡した賽子が入った皮袋を思い浮かべると、かなり遠い場所にあることが分かった。その場所は上方へ伸びているため、もう地上に辿り着いているのだろう。

 

「ありがとうございます、はたてさん」

「困ったことがあればいつでも言ってね?私に出来ることなら何でもするわ」

 

そう言って微笑むはたてさんだけど、わたしはそこまで何でもかんでも頼むつもりはない。困ったら頼ってほしい、とは言われた。けれど、多少の困難で誰かに頼ってばかりでは、成長が滞りかねない。困難とは壁であり、乗り越えるべきものだ。そう簡単に誰かに引き上げてもらうものではない。

 

「そうですね。何かあったときは、頼らせてください」

 

…まぁ、そう思うだけでわざわざ口にするつもりはない。けれど、あの念写能力にはいつか頼ることになりそうだ。情報収集とかで。

そんなことを考えていると、トントンと扉を叩く音が聞こえてきた。その音で大ちゃんがモゾモゾと動き始めるのを見つつ、ベッドから出てガチャリと扉を開けた。そこには、さとりさんのペットがわたしを見上げていた。用件は既に察している。

 

「幻香さん。頼まれていたものが完成しましたので、お届けに来ました」

「ありがとうございます。…あれ、二着も出来たんですか?」

「はい。一着に半分程度しか使わなかったので、せっかくだからと。あと、これは余った糸です」

 

そう言われ、フェムトファイバー製の服二着と、ほんの少し余った繊維を受け取った。余った繊維のほうは、糸巻き棒と一緒に即座に回収する。今は少しでも妖力が欲しい。

用件は済んだので、と言ってお辞儀をして去っていくさとりさんのペットを見送ってから扉を施錠する。

 

「…ふむ、思ったより早かったかな?」

「それ、数日前に採寸してた?」

「え、何で知って――あー、はい。そうですよ」

 

はたてさんが地霊殿に来る前の事なのに、と思ったが、念写でもしたのだろうと察する。下手したら、わたし自身よりもわたしがやってきた行動について詳しいかもしれない。やはり、彼女を敵に回すのは危険だ。…実際敵になるかどうかは、正直分からないけれど。

そんなことを考えながら、早速この服を着てみることにした。上着をさっさと脱ぎ捨て、先程受け取ったばかりの新たな服を身に付ける。…うん、思ったより普通だ。生地が非常に薄く、触ってみるととても滑らか。この感じは服と言うより肌着かな。この上に普段通りの服を着ても特に支障はなさそう。

 

「…あとは耐久性かなぁ」

 

繊維があのフェムトファイバーだし、多少はあると思うけれど、どの程度まで大丈夫だろうか?不意討ちで背後から斬られたとして、突き刺されたとして、この肌着はわたしをどれだけ守ってくれるだろうか?

…あぁ、なんだ。もう一着あるじゃないか。それで調べればいいんだ。そう思い当たり、もう一着の肌着をわたしの体の形を把握して創った複製(にんぎょう)に着せる。

 

「んん…。おはようございます、まどかさん…」

「あ、おはようございます、大ちゃん。ちょうどいい。ちょっと危ないですから、離れててくれませんか?」

「へ?…あの、その刀は…?」

「創った」

 

刀を手に、複製の前に立つ。目覚めたばかりの大ちゃんがそそくさと離れていったのを確認してから、わたしは肌着に向けて軽く袈裟斬りを振るう。複製にはそのままの態勢を出来るだけ維持するようにわたし自身が操作し、肌着は刀による斬撃を受けた。グッと抵抗を手で感じ、肌着から先に進むことが出来ていない刀。…ふむ、この程度なら受け止められるらしい。…まぁ、斬られなくても鉄の棒を叩き付けられるようなものだから滅茶苦茶痛いだろうけど。

続いて、刀を持ち替えて刺突を繰り出す。僅かに刺さった感触はあったが、切っ先が生地の隙間をほんの少しだけ広げて先端が刺さっただけで、肌着が斬れたわけではなかった。皮が切れて血は流れそうだが、その先にある骨や内臓までは届かないだろう。…まぁ、刺されなくても鉄の棒で突かれるようなものだから滅茶苦茶痛いだろうけど。

 

「…ふぅ。こんなものかな」

 

それから何度も刀を振るい続けていったが、どうやらわたしの素人染みた剣術ではこの肌着を斬ることは出来なさそうだ、という結論に至った。繊維一本ならばよく研いだ鋏で何とか切れるのだが、こうやって編み込まれるとやはり強度は増すものなのだろう。少なくとも、外傷を抑えるくらいはしてくれそうだ。

刀と肌着を着させた複製を回収し、刺突によって僅かに広がった部分を指でどうにか戻す。…うん、まぁ、こんなもんでしょう。刺突はちょっと不安だけど、斬撃なら問題なさそうだし。

 

「ふふ…。思ったよりいいものになったかも」

「あの、その肌着は一体何なんですか?」

「さっき出来上がったものでね、ちょっと強い生地で出来てるだけのただの肌着だよ」

「ちょっと…?」

 

大ちゃんは首を傾げているが、こんなものは月の都で複製した服に比べれば相当ショボい。あの頃のわたしでは具体的にどうやって創ればいいのか全く理解出来ないまま分子構造そのままで複製したから、今になって再現することも出来ない。あんなものが兵隊全員に支給されていると考えると、やはり月の技術の高さが伺える。わたしが使っている技術なんて、その初歩もいいところだろう。

もう一度月に行けたりしないかなぁー、なんて無理難題が頭を過ぎったとき、突然爆音が鼓膜を大きく振るわせた。

 

「キャッ!?」

「何事ッ!?」

「…旧都からみたいね」

 

すぐさま窓を開け、そこから顔を出して旧都に目を遣る。そして、旧都の一角が丸ごと吹き飛んでいるのが見えた。…うわぁ、また建て直しの仕事が増えてるよ。今後は何があったの…?

 

「…はたてさん、あそこで何があったか分かりますか?」

「幻香…。うん、任せてっ!」

 

意気揚々と二つ折りの機械を弄り始めるはたてさんを見遣り、わたしはため息を吐く。わたしが自分の脚で見に行けばいいのかもしれないけれど、関係のないことに首を突っ込みたくない。空間把握でもして調べればいいのだろうけれど、今はその妖力が惜しい。なら、はたてさんの念写に頼るのが一番いいだろう。うん。…いつかと思ったこと、今になっちゃったよ。

 

「…妹紅と勇儀が戦ってるみたいね」

「はぁ?…ちょっと見せてくれませんか?」

「いいわよ、はい」

 

はたてさんから受け取った写真を見てみると、確かに妹紅が勇儀さんの身体に潜り込んで肘鉄を心臓部に突き出している。他の写真も見てみると、勇儀さんが妹紅に蹴りを真っ直ぐと突き出していたり、妹紅が勇儀さんの背後に回り込んでいたり…。そして、その写真の背景にも鬼含めた地底の妖怪達が囲んでいるように見える。数ある写真の一枚には、萃香がニヤニヤ笑いながら瓢箪を煽っている。…どうやら、二人は喧嘩でもしているようだ。

 

「…ちょっと、見に行ってきますね」

「いってらっしゃい、まどかさん」

「そう…。幻香、行ってらっしゃい」

 



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第374話

窓枠に足を掛け、一気に跳び出す。着地する際に地面から来る衝撃を前方へ流れるように受け、そのまま速度を落とすことなく地霊殿から旧都へ駆け出した。視界に映る妖怪達を見遣り、これからどう動くか推測し、一応接触しないように走り抜けていく。悲鳴を上げられたり怒鳴られたりされるが知ったことか。無視だ無視。

近くで破壊の音が響く。そこに妹紅と勇儀さんがいるはずだ。地面から屋根へ、屋根から屋根へ跳び、宙にいる間に目的の場所を探す。…あそこか。うへぇ、家々が丸ごと崩壊してるよ。あ、萃香も近くにいる。

それなりに長い一本のガラス棒がわたしを貫通するように創造し、跳ぶ方角を萃香がいる方角へ弾かれて無理矢理変更する。弾き出された瞬間にガラス棒を回収することも忘れない。

空中で態勢を整えつつ着地。そのまま真っ直ぐと駆け出し、人垣を大きく跳び越えて戦闘中の妹紅と勇儀さんの遥か上を通り、胡坐をかいて瓢箪を煽いでいる萃香の隣にスタリと下りた。

 

「うおっ。…何だ、幻香か」

「どんな状況ですか?」

「見りゃ分かるだろ?喧嘩だよ、喧嘩」

 

そう言われ、改めて二人の戦闘を見遣る。勇儀さんが突き出した右腕を妹紅が裏拳で外側へ弾き、その隙に空いた胴体に潜り込みながら拳を捻じり込んでいる。…んー、効いてはいるけれど、有効打とは言い難い感じかなぁ。

そんなことを思いながら、妹紅の動きを頭の中で思い描く。そして、その動きをわたし自身が出来るか少し考えてみる。…うん、出来そうかな。ちょっと粗悪になりそうだけど。

 

「これ、妹紅勝てると思いますか?」

「死合ならともかく、試合なら無理だろ」

「ですよねぇ…」

 

わたしとしては是非とも妹紅には勝利してほしいとは思っているし、技術では勝っているのだろう。けれど、勇儀さんは妹紅の攻撃を防御せずに受け止め、そして耐え切っている。鬼ってのはかなり頑丈だからなぁ…。こればっかりはどうしようもない。

妹紅が大きく跳び退って距離を取り、一瞬前までいた場所に勇儀さんの左脚が振り上げられる。妹紅が遠くに着地すると同時に、勇儀さんが左脚を大きく踏みしめて地面を抉りながら真っ直ぐと跳び出した。蹴り出した地面が爆ぜ、細かな土がこちらに飛び散る。…うわ、これ結構痛いんですけど。

 

「じゃあ、どうして二人が喧嘩を?」

「勇儀が求めたからさ。これでキッチリ妹紅との決着を付けるんだと」

「必勝の茶番にしかならないのに?」

「言ったさ。結果は見ての通りだよ」

 

勇儀さんの拳を妹紅が真っ直ぐと受け止め、そして逆側の腕で勇儀さんの顔面を殴り付けた。何と言うか、受け止めると言うより受け入れた感じなのが少し引っ掛かったけれど、それでも勇儀さんは笑っている。嬉しそうに、楽しそうに、腹の底から笑っていた。

 

「はっはっは!やっぱ期待以上だよ、あんた!いいねぇ、もっと本気を見せろ!」

「だから言っただろうが!どうせ勝てねぇって!技術で穴埋め出来る程度の差じゃねぇんだよ!」

「いいや、あんたは強い。もしかしたらこのまま私に勝てるかもしれないくらいにな。何せ、こっちの攻撃は一つも入っちゃいねぇ」

「そりゃ一撃でお陀仏だからなぁ!」

 

…うん。わたしもそう思うよ。あるいは、妹紅が自分の身体の損傷をお構いなしに全てを攻撃一辺倒にして『攻め』のみにしてしまえば、勇儀さんに勝てるかもしれない。いくら傷付いても、たとえ死んでも元通りに戻ってしまうのだから、何時間も何日も地味に削り続けて勝利することが出来るかもしれない。けれど、それは流石に喧嘩でやってはいけない事だろう。

 

「…ちなみに、この喧嘩の賭博はどうなってます?」

「知らね。けど、チョコマカ走り回ってるのがいたからやってるだろ。ま、やってるとすれば勇儀に賭けたのがほとんどだろうなぁ」

 

そう言って萃香は瓢箪を煽ぎ、妹紅は勇儀さんの攻撃を往なす。往なした衝撃がそのまま周りの家々を破壊していくが、その原因である二人は、そして観戦している妖怪達も気にしていなさそうだ。…あぁ、建て直しする妖怪達は苦労しそうだなぁ。

そんなことを思いながら、わたしは妹紅の往なす動きを模倣する。えぇと、こんな感じだったよね。…まぁ、実際にやったらあそこまで上手くいくとは思えないんだよなぁ。手の甲とか罅入りそう。

 

「なあ、幻香」

「どうしました、萃香?」

「妹紅から度々聞かされてることなんだが、あんたは相当強くなれる素質があるそうなんだよ。…どうだ、実感くらいないか?」

「素質ぅ?…ないですね。欠片も、微塵も、これっぽっちも」

 

わたしにその手の才能、つまり天賦の才とは無縁だと思っている。そういう言葉は、あの博麗霊夢さんにこそ相応しい。わたしは、ただ単に積み重ねて、それらしく誤魔化して、ほころびを取り繕って、それらしく見せているだけなのだから。

山を崩す怪力も、音を置き去りにする速度も、奇想天外な能力も、皆を引き付ける素質も、広大な人脈も、伝説となる名声も、何もかもが足りていない。才能ある存在なら手軽に持ち得ているものを、わたしは残念ながら持ち得ていない。わたしにあるのは創造能力と忌み嫌われる素性と悪声くらい。その代わりに、わたしの周りはわたしなんかより凄い人ばっかりだ。

 

「けれど、一つ言えるとすれば、妹紅がそう言うなら、わたしなんかにもそんな素質があるんだろうな、ってことですかね」

 

以前、妹紅に言われた。出来るはずのことが出来ないように感じる、と。あの頃はまだ複製止まりだったのだが、今では言われた通りに創造を出来るようになっている。それを見抜いた妹紅がそう言うのなら、きっとあるのだろう。実感のない素質とやらが。

そんな曖昧なことを言いながら微笑むと、萃香はニヤリと笑いながら瓢箪を一気に煽いだ。

 

「妹紅、言ってたぜ。想像以上の速さで強くなってる、って。私としちゃあ、ちょいと気になってんだよ」

「…はぁ。わたしなんてまだまだですよ?期待外れもいいとこだと思いますが」

 

何せ、今目の前で勇儀さんと喧嘩をしている妹紅より弱い。その時点で基準点を大きく下回る。

そう言いながら、先程妹紅が勇儀さんに放っていた両手を大きく広げた平手を同時に叩き付ける動きを真似する。全身に隈なく衝撃が走っていたけれど、あれだけ綺麗に出来る気がしない。何度か反復練習すればちょっとくらい出来そうな気がするけど。

両手をどう広げればいいだろうか、と思いながら自分の手のひらを眺めていると、萃香がケラケラと笑いながら言い放ってきた。

 

「そう自分を卑下すんなって。ま、あれだ。あの喧嘩が終わったら、今度は私と喧嘩しような」

「え?…いや、え?…あの、本気で言ってるんですか?あれ以上の茶番にしかならないでしょ絶対に!」

「大丈夫大丈夫、安心しろって。死なねぇように手抜かりなくキッチリ手ぇ抜いてやるからさ。それに、喧嘩はここの娯楽だからな。スペルカード戦したときみたいに気楽に構えてくれよ」

「…まぁ、いいですよ。やりましょうか、喧嘩」

「おっ、ありがとよ。実はな、あの頃から再戦を結構楽しみにしてたんだぜ?」

 

瓢箪を煽ぐ萃香にそう言われると、不思議と悪い気はしない。少しだけだけど、楽しみになってくる。わたしの現状の本気を出してみて、高い壁を感じておくのもいいだろう。

両手を組んで上に大きく伸ばしていると、勇儀さんの蹴りの衝撃波がこちらまで届き、伸ばしっぱなしの髪を大きくなびかせた。…萃香もあのくらいの攻撃を仕掛けてくるんだろうなぁ。妹紅は両脚で踏ん張って耐えているが、わたしはどう対処すればいいのやら。

わたしは心の中で妹紅を応援しつつ、この後でやることになった萃香との喧嘩に備えていた。

 



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第375話

「ふぃー…。ちょいと疲れた」

「お疲れ様です、妹紅」

「おう。…いつからいたんだ?」

「多分最初のほうからですかね。…ここまで更地になるのは予想外でしたけど」

 

そう言いながら、最早どう足掻いても使い物にならないほど粉砕されてしまった旧都の跡地を見回す。勇儀さんの攻撃を躱して衝撃波が放たれ続け、往なして衝撃を外側に逃がし続けた結果である。砂と木屑がそこら中を舞い、空気が濁って遠くが見通せないほどだ。目を開けて歩いてたらすぐ痛くなりそう。

…これだけの数の家々をブッ壊し、そして建て直しする羽目に遭う妖怪達のことを考えると、思わず頬が引きつってしまう。

 

「あぁー…。私もここまでなるまで粘るつもりはなかったかなぁ。こうなるなら、さっさと降参しとけばよかったかも」

「はは、そうかもしれませんね」

「で、幻香はこれからどうすんだ?…ま、あの萃香の顔から何となく予想出来るけど」

「お察しの通りですよ、っと」

 

そう言いながら勢いよく立ち上がり、大きく伸びをしながら楽しげに前へ出て行く萃香を見遣る。…あぁ、遂に萃香との喧嘩が始まるのか。楽しみなような怖いような…。針の先端をツンツン突きたくなるあの感覚に少し似てる。

両手を軽く握り、コツコツと打ち付ける。空気は若干悪いけど、呼吸は平常。やる気はそれなり。

 

「やっぱりやるのか、喧嘩。んじゃ、やる前に一つ言っておこうか。一応、師としてな」

「何でしょう?」

「お前なら勝てる」

 

突然、そう断言されて思わず振り返る。…いや、何言ってるんですか?

 

「…冗談でしょう?」

「冗談じゃない、大真面目だよ」

 

言葉通りの真剣な目付きで言われ、わたしはゆっくりと前に顔を向けた。

 

「組手でわたしの全力、もう知ってるでしょう?無理でしょ。全然足りないって」

「全力だとか本気だとか言って誤魔化してんな。今を超えろ。次を超えろ。終着点を超えろ。出来ないなんて嘆く前にやれ。幻香、お前なら、出来る」

「…行ってきます」

 

振り返ることなく、わたしは喧嘩の舞台へと足を踏み出した。周囲を見回せば地底の妖怪達ばかり。先程まで妹紅と勇儀さんが喧嘩して家々をまとめて更地にしたから、これ以上何かを壊すということもなさそうだ。

…それにしても、全力、ねぇ。出してたよ。あれが限界だった。それでも届かなかった。わたしには、何もかもが足りない。それなのに、それでも、勝てると言う。わたしは、わたし自身に才能なんざ存在しないと思っている。けれど、妹紅にそこまで言わせるものがわたしに存在するのなら、わたし自身が信じられないものを信じてみよう。

 

「んじゃ、始めよっか」

「えぇ、始めましょうか。…前とは、まぁ、一応違うってところを見せてあげましょう」

「おっ、楽しみだね。――そらッ!」

 

跳びかかりながらわたしの顔面に向けて突き出された右拳を半身ズラして躱し、萃香が着地してしまう前に回し蹴りを放つ。が、わたしの脚は片腕で軽く防がれてしまった。…やっぱり、足りない。わたしには、まだ。

わたしの脚を防いだ腕を押し出して吹き飛ばされる瞬間に、自らその方向へ跳んで衝撃を逃す。それでもなお僅かに痛む脚を心配する前に、両腕を同時に引き絞ったまま駆けてくる萃香に向かって走り出す。

先に放たれた左拳を左側に跳んで回避すれば、すぐさま右拳が飛んでくる。…あぁ、そうだよ。そうなってくれるように、右腕の届く範囲にわたしは回避したんだ。すぐさま左脚で地面を蹴り、くの字を描くように跳ぶことで横向きに萃香の両腕の間へ潜り込む。両腕を伸ばし切ったこの瞬間なら、わたしのほうが早く届く。肘鉄を萃香の鼻に突き刺し、追撃に掌底を突き出しつつ顔を掴み、そこを支点に大きく回転して背後に回る。振り向きながらさらなる追撃をしようとしたが、迎撃されそうな感じだったので中断。すぐさま距離を取る。

 

「確かに前とは違うみてぇだな」

「…やっぱ効いちゃいないじゃないか。足りないなぁ、全然」

「こっから上げてくぞ!死なねぇように付いて来なァ!」

 

そう言い放ちながらの大振りを思い切り空振った。その一瞬後、強烈な衝撃波がわたしを襲う。片手で飛び散る砂や木屑から顔を守りつつ、両足と片膝、そして片手を地に付けてどうにか受け切る。

すぐさま距離を詰めてきた萃香へわたしも駆け出し、横から大きく薙ぎ払われた右腕を屈んで躱し、大きく開いた両手を同時に萃香の腹に叩き付けた。小気味のいい音を出したが、問題はその衝撃が全身隈なく均一に流れたか。…駄目だ、かなり疎ら。練度が足りない。均一に流れなければ、相手の動きを強制的に一瞬止めることは出来ない。

 

「おらァッ!」

「ぐ…っ」

 

蹴り上げられる脚を見てから大きく踏み出し、萃香を思い切り突き飛ばそうとしたが、少し傾いた程度でほとんど動かなかった。踏み込んだ所為でまともに顎から入ったが、首の動きだけでも衝撃を僅かながら逃がし、わざとらしく大きく吹き飛ばされて距離を取る。…あぁ、頭がグワングワン揺れて気持ちが悪い。…もっとだ。更なる力を出せよ、わたし。

ふらつく体に鞭打ち、視界だけは萃香を捕らえ続ける。肉薄して突き出された右拳に裏拳と叩き込み、衝撃を外側へ逸らす。…が、逸らし切れなかった衝撃が左手甲に走り、骨が軋む。あ、罅入ったかも。続いて迫る左拳も同様に裏拳を叩き込んで逸らすが、これも同様に右手甲が軋む。

萃香の両腕が外側に逸れたところで、空いている胴体に右脚を突き出したが、それは膝で防御されてしまった。けど、知ったことか。さらに踏み込んで押し込み、膝を上げているせいで片足立ちになった萃香の身体を大きく傾ける。そのまま両膝を折り畳みながら左脚も右脚の隣に当て、一気に脚を伸ばして萃香を僅かに吹き飛ばす。

 

「はぁ、はぁ…。あー、痛てて…」

「よっ、と。いいね、あんたの限界まで引き出してみてぇな」

「いっぱいいっぱいですよ。もっと強くならないといけないなぁ」

「だな。こんなもんじゃねぇはずだろ、幻香。なァッ!」

 

咄嗟に右へ大きく跳んだ。理屈じゃない、これは本能だ。だが、まぁ、その結果でわたしはまだ立っていることが出来た。

何故なら、跳びながら見た萃香は、わたしがさっきまでいた場所に右腕を突き出していたのだから。ついでに、その奥にいた地底の妖怪達がまとめて吹き飛ぶ。…大丈夫だろうか、あれ。

空中で素早く回転しながら体勢を整え両脚を付いて着地し、すぐさま目の前に肉薄していた萃香を見遣る。すぐさま半身ズラし、皮一枚挟んで回避する。衝撃波が全身を叩くが、拳圧はほぼ前方に放たれるからか、両脚だけでどうにか耐えられた。半身ズラすついでに腰を大きく捻り、限界まで引き絞った腕を解放。最短最速の掌底を萃香の胴に叩き付けた。外傷を与えず、内側にのみ衝撃を流す掌底。…萃香が、僅かだが怯んだ。

すぐさま顎を蹴り上げ、続けざまに回し蹴りを叩き込む。蹴り上げたことで僅かに浮かんだ萃香の身体は、思っていたよりも容易く吹き飛んだ。けれど、こんなんじゃあ駄目だ。決定打には成り得ない。力が、足りない。…ほら、萃香は何事もないように起き上がったよ。

 

「ハハッ!まだまだ上げれそうだなぁ、幻香。気分はどうだ?」

「見上げた壁が高過ぎて辛い」

「いーや、あんたは思ってるより登ってると思うぜ?」

 

そう言われるが、実感がない。何せ、そう言う萃香は碌な傷一つ付いていないのだから。…もっとだ。もっと力が、技術が、速さが必要だ。こんなんじゃあ、勝てない。

…何だか、身体が重い。ちょっと無茶し過ぎたか…?

 

「余所見してる暇はねぇぞ」

「ッ…!」

 

わたしの脚を砕く下段の蹴りを後ろに跳び退って躱し、追うように突き出された右腕を往なす。若干遅く感じる追撃の左拳は萃香の右腕を押しながら横に跳んで躱し、いつの間にか止めていた呼吸を再開する。

荒れる心臓と呼吸を無理矢理落ち付かせながら跳び出し、迎撃の右拳を頬の皮一枚破りながら肉薄した。ボンヤリと靄がかかったような視界のまま萃香を捕らえ、抉るように萃香の鳩尾に右拳を捻じり込んだ。…あれ?

黒一色。そこから先の記憶はない。

 



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第376話

「かは…ッ」

 

鳩尾に幻香の拳が突き刺さり、捻じ込まれ、肺の中身が全部吐き出される。それと共に、喉の奥のほうにへばり付くようにあった粘ついた透明な液体が飛び散った。もう少し深くまで入っていたら、きっと透明ではなく赤色に染まっていただろう。そう思わせるほどに、重い一撃。体の奥底がドクリと脈動する。あぁ、強ぇ…。

期待外れだなんてとんでもない、期待以上だった。私は更なる力を幻香に求め、それに容易く応えてみせた。縋り付くでもなく、粘り付くでもなく、平然と付いてきた。一瞬前の幻香を、一瞬後の幻香は常に超え続けていた。私の想像を、そして妹紅の予想を遥かに超えた力を出してきた。妹紅の言う才能は、素質は、確かにありそうだと思わせた。

 

『幻香はさ、片腕で巨木を持ち上げられるんだよ。だったら、その程度の力なら拳から出せるはずだろ?なのにさ、あれだけ効率よく衝撃を伝える体術を教えてるのにもかかわらず、あんな程度しか力を出せていない。そんな力を出したら腕が自壊するとか、そういう問題じゃねぇほどに弱い。…これっておかしいと思わないか?』

『幻香は凄ぇよ。結構永いこと生きてきたけど、あいつ以上の天才はなかなかいない。まぁ、ちょっとは見てきたけど。だがな、あいつ以上に底知れない奴は見たことがないね。限界が見えない。終わりが見えない。そんな無限の素質を垣間見たんだよ』

 

ふと、いつかの日に妹紅と酒を呑み交わしていたときに言っていたことを思い出した。そんなことを考えながら次の段階に力を上げようとしたが、突然ドサリ、という音が耳に入ってくる。私は倒れていない。両脚キッチリ地に付けている。背も地に付いちゃあいない。ならば、この音の正体は何だ?…そんなもの、決まっている。

 

「…あ?」

 

幻香だ。何の脈絡もなく、前触れもなく、兆候もなく、勝手に横倒れした。肺の中身なんざ残っちゃいないにもかかわらず、思わず呆けた声が漏れてしまう。一呼吸して肺の中を満たし、倒れている幻香を見下ろした。目は開いたままで、何処を見ているかも分からないような、光を失った虚ろな目。

周囲から遅れ気味な歓声が沸き上がる。私の名前を叫んだり、流石だと称賛しているようだが、そんなものはどうでもよかった。こんなんでお終いで、喧嘩は私の勝ち?…納得出来るかよ、こんな結果!これからもっと楽しめると思った矢先に、相手が勝手に倒れて終了なんざ認められるか!…だが、幻香が倒れてしまったのは事実。納得出来ずとも、容認出来ずとも、呑み下さねばならない。

とりあえず、気絶したのならば起こすべきだろう。その場に屈み幻香の頭に手を当て、破れた頬から流れている血を萃めたり水分を疎にしたりして固めて止血しつつ、薄れて疎となっている幻香の意識を萃めて覚醒を促す。が、一向に目覚める気配はない。ピクピクと痙攣するように動いてはいるが、それだけ。…ただの気絶じゃねぇな、これは。何か別の原因があるらしい。

 

「萃香。幻香はどうだ?」

「駄目だ。いくら萃めても起きそうにねぇ」

 

私が幻香の意識を萃めている間に人垣の中から出てきていたらしい妹紅の問いに端的に答えると、そうかと言いながら幻香を背負う。力なく傾く首の位置を直すと、妹紅はそのまま駆け出していった。

 

「おい!」

「何だ、萃香!」

「何処に行く?あと、何故倒れた?」

 

呼び止めるつもりもなく、追いかけながらそう訊いた。突然走り始めた私達を呆けた目で追っている妖怪達の頭上を跳び越え、旧都を歩く妖怪達の間を走り続ける妹紅の横を並走していると、眉間に皺を寄せながら答えた。

 

「地霊殿。…多分、妖力枯渇だろ」

「はぁ?妖力枯渇だと?身体強化の妖術を使ったとでも言いてぇのか?」

「知らねぇよ。少なくとも、教えたことはない。私は使ってねぇからな。…一応訊き返すが、萃香はどう思う?」

「知るかよ。相手が何かしてるかくらいは何となく分かるつもりだったが、その手の妖術を使ってる気配はしなかった」

「んじゃ、幻香を起こして訊くしかねぇだろ。…ま、分かりません、って答えそうだけど」

 

そう言って苦笑いを浮かべながら、妹紅は地霊殿へと向かっていく。…正直、さとりには顔を合わせたくないんだがなぁ、と思っていると、不意に妹紅と目が合った。

 

「萃香、お前なら幻香を叩き起こせる方法がある。…やってくれるか?」

「ハッ。当然」

 

 

 

 

 

 

流石に幻香の部屋に直接飛び込んでガラスを撒き散らす気にはなれなかったので、幻香の部屋に最も近い窓まで跳び上がり、思い切り蹴破る。ガラスが粉砕されて廊下に飛び散ったが、こっちはいちいち入り口から入って廊下を進み階段を上る余裕がないくらい緊急だ。だから、蹴破った瞬間を目撃されても謝るつもりなんざさらさらない。

 

「よし、幻香の部屋行くぞ」

「おう。…ん?そういや、鍵掛かってなかったか?」

「そんなもん気にせずブチ壊せばいい。こっちは一刻を争ってんだ」

 

そう言いながら、私は幻香の部屋の扉を蹴飛ばした。扉を一瞬で粉砕し吹き飛ばした瞬間、何故か扉から妖力弾が弾幕のように撒き散らされたが、右腕を軽く振るってまとめて掻き消す。それでもいくらか被弾したが、この程度の弾幕ならどうってことはない。

 

「キャアッ!…って、萃香さん?それに、妹紅さんと…幻香さん!?」

「ほら、さっさと幻香を寄こして!ベッドに寝かせなさい!」

「分かった。大妖精、急で悪いが、幻香が創ってた金剛石を出してくれ」

 

念写でもして事情をある程度察していたらしいはたてが言う通りに幻香を横にした妹紅は私に顔を向け、すぐさま私がやるべきことを言った。

 

「幻香は食い物の複製を食べても回収出来る、って言ってた。水も同様だ。なら、空気も同様だろう。普段なら霧散して拡散して薄れてそのまま消えちまうところだろうが、そこは萃香が萃めれば薄れることはない。だから、あの金剛石を疎にして気化させて妖力まで分解させ、幻香の口元に妖力のまま萃めればいい。出来るか?」

「分かりやすくて助かるぜ、妹紅。そんくらいなら簡単、…と言いたいが、ちょい難しいかも」

 

ものを気体になるまで薄めたことならある。気体を萃めたこともある。だが、気体にしたものを気体のまま萃めるのは意外と難しい。原形を留めているとはとてもではないが言えない代物になるとはいえ、再び萃めてしまえば気体は固体に戻る。…だが、出来ないことではない。

 

「どうぞ、妹紅さん」

「おう、ありがとな。…んじゃ、後は頼んだ」

「もし失敗でもしたら、私は貴女を決して許さないわよ。生きてる間呪い続け、死んでも憑き続けてやる…!」

 

はたての脅しに思わず頬が引きつるが、私は妹紅から受け取った三つの金剛石を軽く握る。そして、疎にした。一瞬で膨れ上がった金剛石だった気体が何処かへ勝手に飛び散らないよう、空気に膜を作るようにして萃めて留める。これが小さ過ぎると再び固体に戻ってしまうので、その辺の加減は勘だ。…よし、この調子なら上手く行けそうだ。

そのまま萃めた気体、というか妖力をベッドで横になっている幻香の顔に被せた。呼吸は浅いがしていた。妹紅の予想である妖力枯渇が原因ならば、これで目覚めるはずだ。…頼む、目を覚ましてくれよ。私にも見せられた、あの素質をここで終わらせるには、あまりにも惜し過ぎる。

幻香の微かな呼吸音だけが鼓膜を刺激する。そのまま何の変化もないまま過ぎること数分。

 

「――ん…っ」

 

幻香の瞼が、一瞬だが皺が出来るほど強く閉じられた。そして、目覚めの声が漏れ出る。上手くいったことにホッとしつつ、わたしは幻香の意識を無理矢理萃めて覚醒を促した。

 



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第377話

「ん…っ」

 

ボーッとした曖昧な頭が急速に無理矢理覚醒させられているのを感じた。思い出すのは、萃香との喧嘩の途中でなんか倒れたこと。色々と無理が祟ったのだろう、うん。目を閉じたまま周囲の様子を探ってみると、背中がやけに柔らかく、周囲の音もかなり少ない。おそらく、倒れたわたしを何処か別の場所に運んでくれたのだろう。地霊殿だろうか?

 

「幻香ッ!よかった!よかった…っ!」

「ぐえっ!?」

 

身体を起こした瞬間、はたてさんがとんでもない速度で跳びかかってきた。抵抗する暇も与えず、そのまま両腕で抱き締めてくる。ちょっ、痛い痛い!首が締まる!

流石にそのまま放置していたら死にかねないので、力任せにはたてさんを引き剥がした。かなり強く抱き付かれていたけれど、思いの外簡単に離れてくれて助かったよ。…まぁ、諦めが悪いのか何なのか、はたてさんはまたすぐにわたしを抱き締めた。今度は優し目だったけど。

 

「よう、気分はどうだ?」

「差し当たって問題はないと思いますよ」

「そうか。ならよかった」

 

何だか少し集中しているように見える萃香に訊かれ、私は両手を開いたり閉じたりしながら答えた。それにしても、何だか呼吸をするたびに楽になっていくのだが、気のせいなのかなぁ?…ま、いいや。

 

「ところで、わたしが倒れてからどのくらい経ちましたか?」

「そこまで経ってねぇよ。せいぜい十分かそこらだな」

「そっか。いやぁ、意外と早いものですねぇ」

「…随分と気楽だなオイ」

「気を失うなんてよくあることでしょう?それに、あの場には貴女と妹紅がいましたからね」

 

仮に倒れてもどうにかしてくれる。わたしはそう思えた。…まぁ、仮に放置されたのならそれもしょうがないかなぁ、とも思うけど。…ん、妙に集中してた萃香がフッと楽になったみたい。何か気を遣うことでもあっただろうか?

そんなことを思っていると、妹紅がベッドに座りながらわたしに顔を向けてきた。その表情は、若干神妙な面持ちであった。

 

「幻香。お前が垂れた原因は、おそらく妖力枯渇だ」

「は?妖力枯渇ぅ?…何で?」

「こっちが訊きたいよ。例えば、身体強化の妖術があるんだが、それを使ったか?」

「へぇ、そんな妖術あったんですか。使っていませんし、そもそも使い方を知りませんよ。けど、それを使えばもっと手っ取り早く強く…、いや、それじゃあ駄目か。意味がない」

 

そもそも、わたしが妹紅に体術を教えてもらった理由は、妖怪専門家が扱う妖力無効化の呪術への対処のためだ。それなのに、身体強化の妖術を覚えるなんて意味がない。まぁ、そんなものがあるなら知っておきたかったけれど。…いや、以前パチュリーが妖術には得手不得手がある、って言ってたな。妹紅は身体強化の妖術は不得手だったかもしれない。

 

「そうか。…それじゃ、他に何か思い付くか?」

「いえ、全然分かりませんね」

「はぁ…。だよなぁ…」

 

呆れた口調でそう言われても、分からないものは分からない。ただ、あの倒れる直前の身体の不調は妖力枯渇が原因だったのかなぁ、と思い直す程度だ。そう言われれば、妖力枯渇のときもあんな感じに倒れてるよね。

自分の中に流れる妖力量を確認していると、妹紅がわたしの胸をグイと押してベッドに横にさせられた。…ふむ、大体三割程度か。妖力枯渇からの目覚めにしては多過ぎるほどにあるから、きっと何かしらの対処を施してくれたのだろう。

 

「とりあえず、しばらく寝とけ。昨日もぶっ倒れてただろ?」

「…そうですね。少し、休ませてもらいましょうか」

 

過程は異なるけれど、両方とも妖力枯渇が原因のようだし、潤んだ心配の色を映す目でわたしを見詰める大ちゃんが言っていた通り、無茶せず横になって休ませてもらいましょうか。

はたてさんに抱き締められたまま天井を見上げ、首だけを曲げて妹紅のほうを見る。

 

「どうした?」

「…負けちゃいました」

「あぁ、そうだな」

 

信じてみたけど、駄目だった。よく分からないけど、妖力枯渇して勝手に負けた。…あぁ、情けないなぁ、わたし。傲慢にも勝てると思っていたわけじゃあないけれど、それでも太鼓判を押されて負けるとなると、話はちょっと違う。

 

「まぁ、気にすんな。確かに負けた。だが、生きてる。生きてるなら、続いてる。次がある。次勝てよ。それでも駄目なら、その次だ」

「次、ね。そう何度もやりたくないんですけど」

「はは。そりゃそうか」

 

それにしても、妖力枯渇かぁ…。萃香との喧嘩の際、わたしは妖力を使うようなことは一切していなかったつもりなんだけどなぁ。弾幕やマスタースパークはもちろん、靴や服からの過剰妖力噴出、複製や創造による移動や防御、空間把握、記憶把握、妹紅の言う身体強化の妖術、その他妖術もしていない。何もしていない。わたしはただ殴ったり蹴ったり往なしたり躱したりしていただけだ。だというのに、どうして妖力枯渇に陥ったんだろう?…不思議だ。萃香や妹紅に言った通り、わたし自身特に変わったことがあるわけでもない。

 

「…いいや、寝よ」

 

とは言っても、スッキリ目覚めたばかりで眠気は碌にない。かと言って、黙っているのはつまらない。寝返り打ちづらいなぁ、と思いながらどうにか態勢を変えると、ふと気になるものが目に入った。…いや、ものがないことが気になった、が正しいのだが。

 

「…扉、壊れてる」

「扉?…あぁー、悪ぃ。緊急だったから蹴破った」

「いえ、それは創り直せばいいので平気です。…ところで、攻撃したということは反撃されたと思うんですけど、どうでしたか?」

「あの弾幕の事か?反撃にしちゃあ弱かったな」

 

あれじゃあ弱いのか…。それなら、もう少し強力な反撃をするようにしないとなぁ。単純な弾幕をばら撒くだけだったけれど、例えば貫通特化の針状弾幕を放つようにするとか、弾幕ではなく一発にまとめた強力な妖力弾にするとか。…まぁ、休んだら創り直しておこう。施錠と開錠のための暗号は同じでいいや。

その暗号を思い出していると、誰かがわたしの部屋に勝手に入ってきた。…いや、扉がないから勝手も何も知らせる術がないのだけど。誰かと思えばお燐さんじゃないか。何だか物凄く嫌そうな顔を浮かべているけれど、一体何の用で?

 

「…あぁー、あそこの窓破ったのは一体誰なんだい?」

「私が蹴破ったけど、文句でもあんのか?」

「大ありだよッ!」

「うるさい黙れ猫。幻香が休めないでしょう?」

 

萃香が窓を蹴破ったのは、ここの扉を蹴破ったのと同じ理由で、わたしをさっさとここに運ぶためなのだろう。少なくとも、萃香に謝るつもりはないらしい。…あと、はたてさん。確かに急に叫ばれてうるさかったけれど、それだけでドスの利いた声色でお燐さんを睨む必要はないですよ?

 

「気にしないでください。私があとで抑えておきますから…」

「え、あ、うん」

「ですが、手短にお願いしますね?」

 

不穏な気配を察した大ちゃんがすぐさま二人の視線の間に割って入った。お燐さんが一瞬とは言え青い顔を浮かべていたけれど、一体はたてさんはどんな顔を浮かべていたんだろうか…。

気を取り直したお燐さんは、改めて萃香に顔を向け人差し指を突き付けた。

 

「…と、とにかく!さとり様が呼んでるから付いて来なよ!」

「はぁ?あのさとりが?…ちっ、分ぁーったよ。行きゃあいいんだろ、行きゃあ」

 

大ちゃんに頼まれた通り、手短に済ませたお燐さんはそのまま部屋から出て行った。その背中を萃香は鬱陶しそうにシッシと手で払う。…どうやら、思っていた以上にさとりさんのことが嫌いなようだ。

 

「はぁ…。そいじゃ、行ってくるわ」

「いや、私も行くよ。止めなかったし、そもそも私も窓は蹴破るつもりだったしな」

「そりゃ助かる。あいつと二人きりとか、私は嫌だぞ」

 

そう言いながら実に嫌そうに立ち上がった萃香は、のろのろと後ろ髪を引かれていそうな亀並みに鈍い足取りで部屋を出て行った。…うわぁ、どれだけさとりさんのことが嫌なんですか…。

妹紅もその隣に立って部屋を出て行ったが、扉跡を通り過ぎるところで振り向き、わたしと顔を合わせた。

 

「それじゃ、行ってくる。幻香は休んどけよ」

「…はい」

 

短く返事をし、わたしは目を閉じた。眠れなくても、とりあえず寝ておこう。難しいことは考えずに、ただただ色々と酷使してガタがきそうな気がするわたしを休ませよう。

 



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第378話

「旧都はともかく、窓直せとかおかしいだろ。んなもん買えよ。金なら無駄にあるだろ?」

「知るかよ。意外と財政難かもよ?」

「いや、そりゃねぇな。ここには使わねぇ金銀宝石がゴロゴロあるんだよ。最悪、それを売っぱらえばいくらでも金に出来る」

「へぇ…。盗む気はないが、気にはなるな。そんな風にゴロゴロ置かれた部屋を一度見てみたい」

「…あのさ、喋ってないでさっさと直してほしいんだけど」

 

わたしが目を瞑ってベッドで横になっている間に、代償として萃香と妹紅は蹴破った窓を嵌め直しをさとりさんに指示されたようだ。ついでに旧都の喧嘩跡地の建て直しもやるように言われたらしい。扉がないことも相まって、廊下で萃香が愚痴ってたのが直接聞こえてきた。

気付いたら、はたてさんはわたしに抱き付いたまま寝てしまった。顔を向けると、非常に嬉しそうな寝顔を浮かべている。そんな彼女を起こすのは流石に忍びないので、わたしは動かないほうがよさそうだ。…まぁ、元から休むつもりなんだけども。

 

「大ちゃん」

「はい、何でしょうか?」

「いつ帰りますか?」

「んー、ちょっと心配な方が二人もいますからね。放っておけないんですけれど、早く戻らないとチルノちゃん達が心配しそうですし…」

 

心配な方?…まぁ、一人はわたしでいいとして、もう一人は誰だろう?そう思っていると、大ちゃんの視線が若干はたてさんに寄っていくのが見えた。…あぁ、もう一人ははたてさんですか。わたしが言うのも何だけど、ちょっと変なところあるからね。

そこまで言うと、大ちゃんは考え始めた。わたしが訊いたいつ帰るかについて考えているのだろう。わたしも少し同じこと、地上に戻るのはいつになるのかを考える。わたしの居場所と成り得る場所を見つけたら、と思っているのだが…。とりあえず、別の世界候補の一つとして挙がっている魔界に関してはフランを介してパチュリーに任せるとして、他の可能性も考えておこう。…とりあえず、冥界は止めておこう。妖夢さんと幽々子さんがいるし、何よりあの閻魔様が現れそうだ。月の都も無理そう。行き方がよく分からないし、そもそもわたしを受け入れてくれなさそう。天界はよく分からない。名前しか知らないのだから、しょうがない。外の世界は一応幻想の存在であるわたしが出たら消えてなくなりかねないので一応却下。問題は、それ以外の世界の存在の有無。正直言えば、ないと困る。魔界が駄目でしたとなったとき、それでお終いになってしまう。だから、どうにかして調べなければいけない。そのためにわたしがやることは、認識出来る次元軸を増やすこと。百次元を目標に掲げたけれど、それで足りるだろうか?

 

「…あの、まどかさん?」

「え、はい。何でしょう?」

「いつ戻るかなのですが、はたてさんと一緒に戻れたらと思っています。何と言うか、彼女を一人にするのが心配なんです」

 

一人でい続けた結果、思い詰めて自殺しようとしていたんだ。そのことを大ちゃんが気付いているとは思えないけれど、何処か別の部分でもちょっと壊れかけなところが多過ぎる。わたしなんかを生きる希望に置いてしまうあたりが特に心配だ。

 

「…まぁ、出来るなら時折顔を合わせてあげてください。彼女、色々と苦労が多かったみたいなので」

「のようですね。…ですが、天狗が住む妖怪の山にお邪魔するのは厳しく取り締まられているので、簡単にはいかなさそうです」

 

確かに、妖怪の山の上のほうに行こうとすると、あのおそらく超視力の妖怪が妖怪の山の領域だ、って言いながら剣と盾を構えて妨害してくるからなぁ。それ相応の理由があれば監視付きで容認されそうだけど、遊びに来たでは駄目そうな気がする。

それなら、迷い家へ入るための護符を創るか?ものの中にある情報を把握出来るようになった今のわたしならば、新たな護符を創り出せるはずだ。けれど、下手すれば変なのがくっ付いて来かねない。例えば、あの虚構記者とか。…まぁ、起きたらはたてさんに訊いてみるか。その前に、大ちゃんの意見を聞いておこうかな。

 

「はたてさんに迷い家に来てもらうのはどうでしょう?」

「迷い家ですか?けど、あそこは護符が必要ですよね?」

「今のわたしなら創れます。ですが、あそこにはフランと橙ちゃんが住んでるでしょう?勝手に訪れる人を増やしていいのかどうか…」

 

ついでに、あのスキマ妖怪の結界である迷い家に突如はたてさんが見知らぬ護符を手に侵入していることをスキマ妖怪が気付いた場合、何処かでわたしの存在まで辿り着いてしまうかもしれない。わたしが言うなと言えば漏らすことはない気がするけれど、うっかりわたしがここにいることがスキマ妖怪の式神の式神である橙ちゃんに伝わってしまう可能性だってある。何も知らないわたしの友達が、何故はたてさんが急に迷い家に訪れるようになったのか訝しむかもしれない。危険性なんて、挙げれば切りがない。

 

「私からは、何とも言えませんね。そもそもはたてさんが外に出てくれないと、護符があっても意味がありませんから。はたてさんにちゃんと訊いてください。…ただ、私の個人的な意見を言うとすれば、私達が集まりやすい場所の一つである迷い家の護符があれば、彼女が一人になりにくくなると思いますよ」

「…そうですね。ちゃんと利点欠点双方伝えて訊いてみようと思います」

 

わたしとしては、護符を創ってあげたい。生きる理由なんて、わたしでなくともいいはずだ。それを、もっと広い世界から見つけてほしいと思う。そのための一歩に利用してほしい。…ただ、創ってあげたところで、はたてさんが外に出ようという意思を持ったとして、それを許されるかどうかが問題だ。天狗の縦社会とは、何だか複雑そうな問題を抱えているみたいですし。

 

「よし、終わった。行くぞ、妹紅」

「おう。…なんか磨りガラスみたいなんだが、いいのか?」

「よくないよッ!――って!二人共待ちな!」

 

廊下から萃香と妹紅が外へ跳び出す音が聞こえてくる。お燐さんが慌てて止めようとしていたようだけど、二人は気にすることなく窓から飛び出したらしい。きっと、さっき愚痴っていた旧都の建て直しに行ったのだろう。その二人を追ってお燐さんも跳び出したみたい。…頑張れ、お燐さん。とりあえず、もしも二人が戻ってくるのが遅いようならわたしが代わりに創り直しておこうかな。

…さて、もう十分休んだだろう。少なくとも、疲労感や倦怠感はない。妖力量は大して変わっていないけれど、これからするのは頭の問題だ。妖力量は気にしないでいい。

三本軸に新たな軸を二本突き刺し、よりいかれた世界に意識を落とし込む。五次元の世界。物凄く変な感じだ。近くにいるはずのはたてさんが立体だか平面だか線だかよく分からない何かに見える。違和感しか感じないが、わたしはこの先に行かねばならないのだ。あと一本足せば、遂に点になってしまうのだろうか?…それはそれで、興味深いのと同時に恐ろしくもある。今までみたいに、慣れるまで新たな軸を増やさないでは、一年以内に百次元なんて無理だ。無理を押して、十本や二十本くらい軸を増やさねばなるまい。そう思い、わたしは新たな軸を一気に十本追加した。

 

「ッ!?」

 

思わず、息を飲む。荒れる呼吸を無理に抑え込もうとするが、どうにもそんな余裕はない。頭が軋む。破裂しそうだ。毛虫が頭の中で暴れまわっているようだ。数百万の針が突き刺さっている気分。これを維持しろ?ちょっと厳しくないか、これは?…流石に、十本一気は、無茶、だった、かも…?

 

「まどかさん?…ちょっと、まどかさんっ!?」

「んっ、何よ…。――え?幻香?ねぇ、ちょっと!」

 

声が、遠い、気がする。何か、言ってる?呼ばれてる?…よく、分からないや。

 



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第379話

「もう、まどかさんはまた無茶して…。ちゃんと休んでなきゃ駄目じゃないですか!また倒れちゃうんじゃないか、って心配したんですよ?…だから、これ以上無茶はしないでください。私に、心配を掛けさせないでください…」

「大丈夫なの大丈夫かな大丈夫よね大丈夫かしら…。ねえ幻香、何処か痛い箇所はない?辛いことはない?嫌なやつはいない?痛かったら治してあげるから辛かったら慰めてあげるから嫌だったら殺してあげるから」

 

滅茶苦茶怒られていると思う。一気に高次元に叩き上げて急遽元に戻した頭は、切り替えがまだ完全に出来ておらずかなりしっちゃかめっちゃかだ。だから、今のわたしは二人同時に言われても正直よく分からない。まだちょっと声が遠い感じがするし、目の前にいるはたてさんが立体的な線かつ平面的な点に見えてしょうがない。

それよりも、わたしは僅かな間だけとはいえ、おそらく十五次元の世界を目に収めた。理解したとは言い難いかもしれないが、確かに脳裏に焼き付いている。見回したわけではないけれど、その十五次元内に他の世界と思われるものは見えなかったと思う。ここ以外誰もいなかったし。…もういっそ、別次元軸移動を習得して誰もいない次元軸で一人になろうか。…うん、候補に挙げておこう。

 

「まどかさん、聞いていますか?」

「え、ごめん。よく聞こえないからもう一度言ってくれませんか?」

「聴覚不良!?聾!?そう、耳ね!耳が悪くなったのね!えぇと、どうすれば治せるかしら…!」

「み、耳ですか?…えっと、ど、どうですか?」

 

二人の声は未だに遠く、よく聞き取れなかった。ただ、何故かわたしの両耳に手を添えられてジンワリと活力を与えてくれているのを感じる。これ、大ちゃんだよね?どうしてわたしの両耳を治癒しようとしているの?…あぁ、わたしがあんなこと言ったからか。

 

「あの、ちょっと耳が遠くなるのはいつもの事なので、気にしないでいいですよ?」

「あぁもう…!腑抜けた爺の鼓膜縫ってるところなんてどうでもいいのよッ!」

「い、いつもの事だったんですか?それはそれでどうかと…」

 

…なんかはたてさんが苛ついているような気がする。どうしたんだろうか?…まぁ、いいや。何言ってるかよく分からないし、伝えたいことだけ伝えておこう。

 

「放っておけば治りますから。…まぁ、一時間もあれば大丈夫かな?」

「そ、そうだったんですか…?」

「胡麻、黒豆、大豆、落花生、胡桃、栗…?」

 

そう伝えたけれど、大ちゃんはなおも両耳に淡い黄緑色の光を当て続けてくれている。過剰に受け取って損をするものではなさそうなので、好意は受け取っておこう。

ひとまず目を瞑り、あの十五次元の世界を思い返す。頭は軋むように痛かったけれど、見える世界は素晴らしく広がった。だけど、別の世界がある可能性が僅かずつだが削られていくのを感じる。そもそも、この世界とは何次元まである?無限に存在しているのだろうか?それとも限界があるのだろうか?…まぁ、百や二百じゃないだろうから、そこまで考えなくていいや。

深呼吸を繰り返し、ひとまず元の三次元空間を思う。頭にこびり付いた齟齬を少しずつ削ぎ落とし、違和感を消していく。暫くの間続け、刻一刻と時間が過ぎていく。どのくらい続けていただろうか、齟齬をほぼ全て削ぎ落としたところでゆっくりと目を開くと、目の前で心配そうな顔を浮かべている大ちゃんと目が合った。その顔は普通だ。そんな当たり前のことをホッとする。

 

「ありがとうございます、大ちゃん。もう平気ですよ」

「本当ですか…?」

「ええ、大丈夫です。…だから、もう手を離してくれていですよ」

「あ、はい。そうでしたね」

 

そう言って安堵した大ちゃんは、わたしの両耳から淡い黄緑色の光を放つ手を離した。これのおかげで両耳が治ったとかそういうことはないのだけど、その代わりに疲労感は一切ない。妖力量だって少しくらい回復してるかも。

 

「はたてさん。何を撮っているかは知りませんが、わたしのためだったらもう大丈夫ですから」

「何処の誰よこの人間…!というか何時の時代――え、幻香…?もう平気なの?」

「ええ、無駄な心配をかけてしまいましたね。すみません」

「無駄なんかじゃないッ!…無駄なんかじゃないわ。貴女のことに、無駄なことなんてないわよ」

「…そうですか」

 

いや、結構無駄なこといっぱいしてるんですが…。けど、それをわざわざ否定するのもどうかと思うし、放っておいていいや。

ベッドから跳び上がり、蹴破られた扉の前に降り立つ。頭の中で地霊殿にある扉の形を思い浮かべ、施錠するための機構を入れ込む。えぇと、反撃する場合の威力はこの位で、妖力弾は一発の砲撃。鍵穴に入れた物質から情報を読み取り、一致した場合のみ開錠可能とする。…こんな感じでいいかな。

新しく扉を創り直し、部屋中に撒き散らされた木片を拾い回収していく。途中から大ちゃんとはたてさんも手伝ってくれたので、思っていたよりも早く粗方回収し終えることが出来た。

 

「さて、はたてさん。一つ訊いておきたいことがあるんですが」

「何かしら、幻香。何でも言ってちょうだい。私に出来ることなら何でもしてあげるわ」

「地上には迷い家と呼ばれる場所があるんですが、知っていますか?そこには元わたしの家があるんです。今ではフランが住んでいて、わたしの友達がよく集まるそうですが、貴女は興味がありますか?」

「…興味?その迷い家に?」

「ええ。貴女は妖怪の山に、天狗の縦社会に嫌気が差しているようですし。…まぁ、逃げ場や息抜きの場所の一つと捉えてくれれば結構ですよ」

 

そう問うと、はたてさんは少し考え込んだ。どちらにせよ、てっきり即答されると思っていたのだが、ちょっとだけ意外。

 

「一人でいて、辛くないですか?力不足かもしれませんが、出来ることなら私ははたてさんと一緒にいたいと思っているんです」

「…そうね、一人は辛いわ。気付けばあってもないようなものだった立場も落ちるところまで落ちてるし、周りの連中もわざわざ私に悪態吐いてケラケラ嘲笑するし、ゴミみたいに扱う癖に決して捨てやしない」

 

何となく想像はしていたけれど、はたてさんがここに来ているのはわたしに会いたいだけではなかったのかもしれない。ただ純粋に、悪意から一時的でもいいから逃れたいと思っていたのかもしれない。わたしと同じように。

 

「ごめんね、幻香。その好意はとっても嬉しいけれど、お断りさせてもらうわ」

「そうですか。いいんですね、はたてさん?」

「ええ、構わないわよ」

「あの、理由を教えてくれませんか…?私達の事なら、気にしなくても…」

「だって、今の幻香はここに隠れているんでしょう?そのくらい分かってるわ。だから、私はそれを受け取れない。幻香に迷惑がかかっちゃうもの。それに、妖怪の山に帰ったらどうせ当分外に出ることも許されないだろうし、下手に何かを持ち帰るのは出来ないの」

「そう、ですか…」

 

大ちゃんは少し寂しそうに俯いてしまったけれど、わたしは正直これでよかったと思っている。はたてさんが突然迷い家に訪れることは、はたてさんにとっての利点は多くとも、わたしにとっては欠点のほうが勝るのだから。そして、はたてさんはそこのことを察して、わたしの迷惑になってしまうから、断ってくれたのだろう。

 

「ありがとうございます、はたてさん」

「気にしないでよ、幻香。それに、お礼を言うのは私。私は貴女がいるから生きているのよ」

 

その返事に思わず頬が引きつりそうになったけれど、頬に力を込めてどうにか抑える。ありがたいけれど、想いが重いんだよなぁ…。

 



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第380話

体力を妖力に変換しつつ、金剛石を五つ創造する。それによって多少の疲労感が身体に纏わりつくが、さっきまでの疲労なしの状態は少しもったいなかったので、まぁしょうがないことだ。休め、と言われたのに疲労していないのがもったいないとは、と言われそうだけど、今は少しでも多くの妖力を準備しておきたいのだ。許して。

 

「大丈夫なんですか、まどかさん?」

「大丈夫大丈夫。もう十分休んでたし、このくらいなら倒れないって」

「…そうですか。無理はしないでくださいね」

「うん、分かってる」

 

ただ、大ちゃんの心配してくれているのが非常によく伝わってくる視線がちょっとだけ痛い。その目に嘘偽りはなく、心から心配してくれていることが分かっているから、特に。

少しいたたまれず、大ちゃんの視線から逃れるために目を逸らすと、はたてさんがわたしの肩に手を乗せた。

 

「ところで幻香。私はそろそろ地上に帰ろうかと思っているのだけど、十分休んだのなら地上と地底を繋ぐ穴まで付いて来てくれないかしら?」

「…いいんですか?」

「ええ。もう十分幻香と一緒にいれたもの」

 

そう言ってはたてさんは微笑んだけれど、わたしはどうにも引っ掛かるのだ。…いや、地底に引き留めたいわけじゃないのだけど、何かが引っ掛かっている。

 

「…そうですか。それでは、外に出ましょうか」

 

けれど、その引っ掛かりの理由を探ってもよく分からず、わたしははたてさんにそう言った。大ちゃんははたてさんと共に帰ると言っていたので、一緒に付いて来るだろう。

わたし達は部屋から出て施錠し、その途中の廊下でさとりさんのペットとすれ違った。ちょうどいい。

 

「すみません」

「何でしょう?」

「この二人が地上に帰るそうなので、地上と地底を繋ぐ穴まで連れて行きますね」

「すぐにさとり様に伝えますね」

 

そう言うと、さとりさんのペットは駆け足で行ってしまった。それにしても、両手両足を付けて走っていったけれど、人型の状態でそれは速いのだろうか…?

地霊殿の庭に出たところで、後ろに付いて来ている二人に顔を向ける。言わなくても分かるかもしれないけれど、一応言っておこう。

 

「二人共、旧都ではわたしの傍から離れないでくださいね。何が起こるか分かりませんから」

「分かってるわよ、幻香」

「はい、そうですね」

「それじゃ、行きますか」

 

まぁ、何も起こらないことを願いたいけれども、そう期待通りいくとも思えない。周囲の警戒はしっかりとさせてもらいましょうか。

視線を感じるたびに、その視線の主と目を合わせる。そのまま気にされることもなかったり、慌てて目を逸らされたり、露骨に舌打ちされたり、僅かに漏れ出た殺気を感じたりと、反応は様々だ。もしも襲いかかってくるようなら容赦はしない。徹底的に叩き潰すつもり。

そんなことを考えていたが、特に何もされることはなく妹紅と勇儀さんの喧嘩跡地まで到達した。そこら中で妖怪達が材木を運んだり建て直しをしたりしていて非常に忙しそうだ。…あ、萃香と妹紅もいる。その後ろにはお燐さんまで。あ、目が合った。

 

「よう、幻香。もう休みはいいのか?」

「はい。もう十分休めました」

「んで、後ろの二人は?」

「地上に帰るそうなので、地上と地底を繋ぐ穴に連れて行くところです」

「へぇ、そうなのかい。それじゃあね、お二人さん。あたいとしては、二度と会わないことを願ってるよ」

「そうね、幻香がいなかったら私もこんなところ御免よ」

「今までありがとうございました」

 

大ちゃんは深々とお辞儀をしてそう返したけれど、もう一人のはたてさんよ、そういうことは言わなくてよかったと思うよ…。ま、相手は二度と会うつもりがないのだ。何を言っても今更だろう。

ここでいつまでも二人と話していたら仕事の邪魔になるだろうし、さっさとこの場から立ち去ろうと思ったら、萃香に肩を掴まれた。

 

「何でしょうか?」

「いや、引き留めるわけじゃねぇよ。ただ、二人を帰したら手伝ってくれ。私達が手伝ってて幻香が何もしてないことでグチャグチャ文句垂れるやつがいたんでな。ま、そんな文句垂れる余裕のある奴には気合い入れてやったけど、それでも無駄な悪意喰らうよりいいだろ?ということで、頼んだわ」

 

わたしはそもそも壊す家々がほとんどなかったけれど、その時の相手である萃香がやっていてわたしがやっていないのはよろしくないだろう。

 

「ふむ、いいですよ。二人を帰し次第、すぐにここに戻ってきますね」

「ありがとよ。んじゃ、私は戻るからな」

 

そう言うと、萃香は旧都の建て直し現場へと戻っていった。改めて喧嘩跡地を見回してみると、建て直す家の数が相当数に上ることが嫌でも分かる。…複製の建て直しは嫌だよ。妖力量が心許ないし、今は溜めておきたいから。

それからも周囲を警戒しつつ旧都を歩き、投げ付けられたものを払ったり投げ返したり、大ちゃんが風へ逸らしたりしながらパルスィさんのいる橋まで辿り着いた。相変わらずの嫉妬深い緑色に淀んだ瞳で睨まれながら、その橋に足を踏み入れる。

 

「あら、貴女達はこれからどこへ行くのかしら?わざわざこんなところにまで何の用?」

「えっと、これから地上に帰るんです。お邪魔しました」

「帰る、ね。…妬ましいわ。貴女にはそうやって帰る場所があるもの」

「…うるさいわね。邪魔だからさっさと退きなさいよ」

「ハッ、鴉が。二度と来るな」

「えぇと、それじゃあちょっと通りますね、パルスィさん。わたしはすぐ戻りますけど」

 

そう言いながらパルスィさんの横を通ったのだが、目を逸らされてしまった。…いや、いつもみたいに嫉妬交じりの言葉を吐いてくれてもよかったのに。…ま、いいや。

そのまま先へ先へと足を進め、そして地上へ続く穴を見上げた。…わたしもいつかここを上ることになるのだろう。しかし、今はまだだ。わたしはまだ色々とやらなければならないことが、やり残したことがある。だから、もう少し待っていろよ地上。一年以内に舞い戻ってやるからな。

 

「…地上は夜かしら?出来れば暗い方が隠れやすくてありがたいんだけど…」

「ええ、夜ですね。ちょうど夜半ばと言ったところでしょうか」

「え、分かるんですか?」

「はい、昼夜くらいなら分かりますよ。何せ、大妖精ですから」

 

そう言って笑うけれど、何で分かるんだろう…。見上げたところで光が来ることはなかったはずだから、それを理由に夜であるという判断は出来ない。…まぁ、大ちゃんだし。そう言うのは分かるのだろう。

ふと、はたてさんを見遣る。そして、その目の色が暗いことに気付いた。そして、わたしの部屋ではたてさんから感じた引っ掛かりを再び感じた。とても些細な引っ掛かりで、気にしなくてもいいと思うようなもの。だけど、放っておいたらいけない気がして、わたしはその場で思い付いたことをそのまま訊いた。

 

「…はたてさんは、地上に戻ってどうするんですか?」

「…そう、ね。どうしようかしら」

 

言い淀んだ声色は、ある一つの感情に繋がった。…あぁ、そういうこと。

 

「妖怪の山に戻るんですか?自由に羽根を伸ばせない、天狗の縦社会の中に、その最底辺に…」

「…えぇ、そうなるわね。妖怪の山から外に出るための準備だけで一年以上時間を掛けて、それでも半分以上は賭け絡みでの脱出。…駄目だと思ってたのだけど、上手くいくものね。まぁ、既に私がいないことは割れてるだろうし、色々探し回ってるかもしれないわ」

「そんな…」

 

それを聞いた大ちゃんは口元を押さえて俯いてしまったが、わたしははたてさんの目を見詰めた。その瞳の奥に諦念が見れた。…あぁ、やっぱりこれだ。はたてさんは様々なことを諦めている。縦社会に入ることも、出ることも、生きることも、死ぬことも。大抵のことを諦めた目。これまでも諦め、ここでも諦め、これからも諦める。引っ掛かりはこれかもしれない。

 

「はたてさん、一つ言わせてください。とても無責任なことを」

「何かしら幻香?」

「生きろ」

 

はたてさんは、わたしと同じような境遇だと思っていた。けれど、はたてさんは諦め、わたしは足掻いている。…わたしとはたてさんの、非常に小さくて非常に大きな違い。

 

「諦めてもいい。無謀なことに挑む必要はない。無理を押し通す必要もない。けれど、そのまま何もかも諦めるのは止めてほしい。そんなもの、生きても死んでもいない。…そんな人を、わたしは友達って呼びたくない」

「ふ、ふふっ。あは、はははっ。…そう。貴女の言葉、私の魂に刻み込んだわ」

 

はたてさんの目の色に、僅かな光が灯る。…本当に無責任だな、わたしは。わたしがそう言えばこうなることくらい、分かっていて言ったのだから。

 

「ねぇ幻香。私を友達と呼んでくれる?」

「ええ、呼びますよ、はたてさん。それでは、またね」

「貴女に幸あれ。私はいつも貴女を見守ってるわ」

 

そう言って、はたてさんは大ちゃんを置いて急上昇した。流石天狗だ。とんでもなく速い。はたてさんの姿はすぐに小さくなり、見えなくなった。

それでは、またいつか会えたらいいですね。はたて。

 



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第381話

大ちゃんがゆっくりと上がっていくのを、姿が見えなくなるまで手を振って見送った。さて、わたしはさっさと戻って旧都の建て直しの手伝いをしに行きましょうか。

 

「それでは」

「チッ」

 

舌打ちって…。パルスィさん、わたしは貴女に何かしましたか?…したな、色々と。ま、いちいち気にしても仕方ないし、急いで喧嘩跡地へ向かうとしましょうか。

妖怪達がほとんどいない屋根の上に跳び乗り、一気に駆け抜けていく。走り始めた頃は何か色々なものを投げ付けられたけれど、飛んできたものはどれもこれもわたしが走り抜けた後ろを通り抜けていった。時折屋根の上にいる妖怪は、頭上を跳び越えて抜かす。一回だけその屋根の上に乗っていた妖怪に木片を投げ付けられたが、木片を蹴り返して顎に当てたらそのまま滑り落ちていった。…頭から落ちていた気がするけれど、きっと大丈夫でしょう。丈夫だし。

屋根が途切れ、更地と化した旧都の一角に到着した。屋根から高めに跳躍し、空中にいる間に家々の建て直しをしている妖怪達をザッと見回す。…お、萃香見っけ。近くに妹紅とお燐さんもいるし、あそこに下りるとしましょうか。

 

「うにゃあっ!?」

「よ、っと。戻りましたよ、萃香、妹紅」

「お、幻香。やっと戻って来たか」

「き、急に脅かさないでくれないかいッ!?」

「脅かす?…あー、すみませんね」

 

着地の際に結構大きな音を立てちゃったけれど、このくらいなら平気だと思ってたよ。萃香と妹紅はわたしが下りる途中で気付いてたし。まぁ、お燐さんを脅かしてしまったのは確かなようだし、一応謝っておこう。尤も、謝罪の意思がほとんど感じられないわたしにお燐さんはまだ怒っているようだけど。…わたしにどうしろと。

わたしを睨んでくるお燐さんの視線から目を逸らすと、曖昧な微笑みを浮かべる妹紅と目が合った。

 

「二人はちゃんと送ったか?」

「えぇ、しっかりと帰しましたよ」

「ならよし。んじゃ、早速だが手伝ってくれや」

 

萃香にそう言われるが、何を手伝えばいいのやら。軽く周囲を見渡してみると、どうやら大きく分けて材木を運ぶ妖怪と家を建てている妖怪に分けることが出来そうだ。勇儀さんは一度に大量の材木を担いで運び、ヤマメさんは蜘蛛の糸を器用に使って家を建てていた。

 

「それじゃ、わたしは運ぶことにしますね。材木は何処にありますか?」

「それならあっちだな。あそこにちょうど取りに行ってる連中がいるから付いていけ」

 

そう言われ、萃香が指差した方向に体格のいい妖怪達がいかにも怠そうに歩いていた。流石にあの中に混ざる気にはなれないので、ちょっと距離を離して付いて行くことにしましょうか。

仮に振り返ってこちらに走ってきたとしても慌てることなく対処出来る程度に大きく距離を取って妖怪達に付いて行くけれど、相当足の動きが遅い。脚の長さだけでも彼らの一歩のほうが大きいはずなのに、わたしの普段の歩幅より小さくなってしまうくらいには遅い。

しかも、耳を澄ませばまたかよとか、だりぃよなぁといった愚痴が聞こえてくる。…まぁ、萃香達が地上からやってきた時に派手に破壊され、その建て直しが済んで間もない頃にまた破壊されては愚痴の一つや二つくらい出てしまうだろう。

 

「…ようやく着いたかな?」

 

ぶつくさと文句を言い合いながらトロトロと歩く妖怪達に付いて行くこと数分。それなりに大きな屋敷の中に入っていくのが見えた。そして、入っていく彼らとすれ違うように材木を肩に担いだ妖怪が出てきている。おそらく、あの中に材木が貯蓄されているのだろう。

そうと分かれば一気に加速し、その屋敷の中に入っていく。中には数百本はあろう丸太。さて運ぼうかと思ったら、出入口の陰に立っていた妖怪に呼び止められた。

 

「なぁにしに来たんだぁ、地上のぉ…?」

「材木を運びに。まだ旧都の建て直しが終わっていませんからね」

「そぉかぁ…。そぉれならぁ、さぁっさと運びなぁ…」

 

そう言いながらシッシと手を払われた。よし、言われたとおり運ぶとしましょうか。

とりあえず、丸太を一本肩に担ぐ。…あれ、軽いなこれ。中身を虫に食われていないよね?そう思って丸太に耳を当てて二、三回コツコツと叩いたけれど、しっかりの中身のあるいい音が響く。…まぁ、中身があるならいいか。もう片方の肩にもう一本担ぎ、愚痴っていた妖怪達を一瞥してから屋敷を出た。

わたしが丸太を持っているからか、道行く妖怪達が自然と道を空けてくれるので、その空いた道を走り抜ける。それにしても、やけに軽いなぁ…。それなりに大きな丸太なんだけど。…ま、軽くて丈夫なのはいいことだ。無駄に重いよりはいいでしょう。

喧嘩跡地まで走り切り、家々の建て直しをしている妖怪の近くに置いておく。わたしに気付いて礼を言ってくれたようだけど、それを聞く前にさっさと走り出す。礼を言ってくれるのはありがたいけれど、今はそれを聴くために立ち止まるよりも少しでも早く一本でも多く運んだほうがいい。

材木が貯蓄されている屋敷まで走っている間に、一度に持ち運べる数を増やす方法を考える。せっかく軽いのだから、一度に二本ずつではもったいない。…まぁ、縄か何かで結べばいいよね。それなりに丈夫な紐を創っておこうかな。あとで回収すれば妖力消費もほぼしないし。…うん、前後の二ヶ所を結ぶために二本創造したし、長さもこれだけあれば大丈夫でしょう。

屋敷に向かう途中で、あの愚痴っていた妖怪達とすれ違った。一人一本肩に担いで持ち運んでいた。…おいおい、せめてもう一本くらい担いでもいいと思うよ?わたしよりも体格いいんだからさ。…いや、わたしよりも前からやっているのだし、疲れているのかもしれない。そんなことをわたしの口から言うのは酷だし、何より面倒なことになりそうだ。止めておこう。

 

「とりあえず、っと」

 

屋敷の中で丸太を四本転がし、それらを先程創った縄で結んで固定する。肩に担ぐには太くなってしまったので、背中に乗せることにした。前に体を倒せば走る際に丸太が足にぶつからずに済みそうだ。

最初と同じように道を空けてくれる妖怪達に感謝しつつ、旧都を走り抜ける。…んー、まだ持てるかなぁ。あと、四本だとどうしても固定が甘くなって丸太がぐらついてしまう。次は七本で結ぶことにしよう。

家々の建て直しをしている妖怪の近くで縄を回収して丸太を転がし、すぐさま屋敷へと向かう。丸太七本を結ぶにはあの縄ではちょっと短いと感じたので、また新たにちょっと長めの縄を二本創造する。

屋敷の丸太を七本転がし、縄で結んで固定して背負う。…んー、まだ持てそうかなぁ。縄を解き、もう三本丸太を追加して結ぶ。…うん、このくらいなら走っていけそうかな。そう思いながら丸太の束を背負い、旧都を走っていく。

喧嘩跡地と屋敷を何度も往復し、材木である丸太を運んでは転がすを繰り返していると、屋敷に走っていこうとしたところを勇儀さんに肩を掴んで止められた。

 

「おい、幻香。もう十分だ。それに、あんたが向かう屋敷の丸太はもうほとんど運び切っただろ?」

「あ、そうなんですか?まぁ、確かにほぼ全部運びましたけれど、本当に十分なんですか?」

「あぁ、あそこ以外にもいくつか材木を溜めてるところはあるしな。…ま、ここ最近で随分使っちまったけど」

 

そう言って勇儀さんは若干遠い目をして喧嘩跡地を眺めた。…うん、ここら一帯は真新し家々で囲まれることだろう。建て直しはまだ終わっていないようだけど、言われてみれば材木はそこら中に転がっているようだし、確かにもう十分かもしれない。

そんなことを思いながら喧嘩跡地を見渡していると、勇儀さんにバシッと背中と叩かれた。…うげっ、かなり痛い…。ヒリヒリする…。

 

「ま、あれだ。ありがとよ」

「こうなった責任はわたしにもありますからねぇ。気にしなくていいですよ」

「あっそうかい」

 

そもそもの喧嘩の相手は妹紅で、わたしがここに来なければ起こることのなかった損害と言える。萃香から手伝えと言われなかったら、もしかしたら手伝わなかったかもしれないから、礼を言われるのは違う気がするし。

もう使わないであろう縄を回収し、大きく伸びをする。…あー、疲れた疲れた。さて、妹紅と萃香を探してこれからどうするか話そうかな。出来れば地霊殿に戻って休みたいけれど、何処かのお店で食事になるかもなぁ。ま、面倒事にならなければ何でもいいや。

 



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第382話

少し離れた席で並々と注がれた酒を乾杯している妖怪達を眺める。流石にあの中に入る気にはなれないよね、酒呑みたくないし。そういうことで、わたしは気を利かせてくれたらしい勇儀さんがあらかじめ投げ渡してくれた果汁が入った一升瓶を開けて少しずつ飲んでいる。どうやら数種類の果物を混ぜているようで、蜜柑や桃、さくらんぼなどの味がする。あぁ、甘いなぁ…。

わたしとしては、さっさと地霊殿のわたしの部屋に帰って休みたかったのだけれども、萃香と妹紅にどうするか訊いていた途中でやってきた妖怪の一人に旧都復旧が無事完了したから皆で仕事終わりの宴会をすることを伝えられ、萃香が即行で了解した。そして、わたしと妹紅は萃香に引っ張られるようにここにやってきたわけだけど、あの中に入って一緒に酒を呑み交わしている妹紅はわたしと違って満更でもなさそうだ。

 

「食べないのかい?」

「実はあんまりお腹空いてないんですよね」

 

わたしの向かい側の席に座って萃香と妹紅、ついでにわたしも見張っているらしいお燐さんが指差す二人分にしては少々大きい気がする鍋を見遣りながらそう返す。まぁ、嘘なのだけど。そもそも空腹感が欠落しているわたしにとって、食事にそこまで意味を見出せない。まぁ、グツグツと煮えている鍋の中身を見る限り、唐辛子が入っていないし、出汁が真っ赤に染まっていないし、炎を噴き出してもいないので普通に美味しそうだ。お燐さんが食べ切れなさそうなら、その残りを食べ切るつもりではあるけれど。作ってくれた人に失礼だからね。

 

「俺ぁ、二十建てたぜぇ?どうだぁ?」

「あぁん?こっちは二十一だっての!」

「仕事終わったし、帰ったら賭けと洒落込もうかね」

「あんた、いっつもそうじゃねぇか…」

「カァーッ、美味ぇ!お前も呑め呑め!」

「もごぉっ!?」

「この前よぉ、向こうの団子屋でみたらしに唐辛子混じってたぜ」

「意外と美味かったなァ、ありゃ。久し振りの当たりだろ」

「んでよぉ、あそこで奴の拳をわざと受けたことでなぁ!」

「はいはい、無防備な顔面にブチ込めたんだろ?知ってる知ってる」

「聞いてくれよォ…。この前なァ、負けに負けて二百もすっちまったんだよォー…」

「お、おぅ…。今度、何か奢ってやるから機嫌直せや」

「あん時の女将の色香と美しさにゃ惚れたね。女子供の娯楽と馬鹿にしてた昔の自分の呪ったわ」

「だなぁ。弾幕を躱し宙を舞う姿はそれこそ蝶のようだった…」 

「先月産まれた息子がもう元気溌剌でなぁ、可愛いの勇ましいのなんのって」

「ふっ、てめぇいっつも二言目は息子息子だな。今度会わせろ」

 

少し耳を澄まして聞いてみれば、達成感と酒に酔いしれている妖怪達は饒舌に取り留めのない話が聞こえてくる。真剣に聞く者、話半分に聞く者、もう聞いたよってウンザリしてる者などなど聞き手も様々。ただ、楽しげな雰囲気は嫌というほど伝わってくる。

 

「なぁ、こっちの幻香はどうだ?」

「幻香ぁ?…あぁー、地上ののことか」

 

そんな中で、萃香の言葉が耳に入ってきた。その軽い質問に、萃香の近くに座っていた妖怪達が一気に食い付いている。…ふむ、わたしねぇ。さとりさんからも勇儀さんからも色々言われる程度にはやらかしてるわけだし、あんまりいいこと聞けないと思うんだけど。

 

「見てるとなんか無性にむかつくんだよなぁ。理由はよく分かんねぇけどよ」

「あいつは豪運だよ。ケラケラ笑いながらいっつも馬鹿勝ちしやがる…。その運俺にも分けろ!」

「目が合うとなんか見透かされてる気分になってゾッとすんだ」

「一発喧嘩仕掛けたら速攻返り討ちにされたわ。しかも追い討ちに顔面踏み潰された」

「弾幕遊戯で相手になったんだけどさ、余裕綽々に躱されるの。なぁにが『次はもう少し楽しませてくださいね』よ!こっちは全力だっての!」

「俺に出来ねぇこと平然とやってのけるの見せられてさぁ、何か苛つくんだよなぁ…。どうしててめぇが出来んだ、ってさ」

「物陰の完全な死角から無音で襲われたと思ったら躱して蹴飛ばしていたのよ…。意味分かんない」

「イカサマ見抜いて放っといて逆に利用しやがるんだよ、アレ。遊び半分で挑むと後悔する」

「見かけるたびになんか考えてるみてぇで、何考えてんだかよく分かんねぇから気味悪ぃんだよなぁ」

「鬼相手に喧嘩してるのよく見てる。…ほら、あの鬼だよ、あれ。しかも毎回勝ってる」

 

萃香相手だからだろうか、あまり悪感情を感じない答えだ。今すぐ殺してやりたい、くらいなら言われると思ってたんだけどなぁ。けれど、まぁ、割と好き放題言われてるなぁ。この場に私がいるのを知ってて言ってるのだろうか?…知ってても気にしなさそうだな、地底の妖怪達って。

それらの答えを聞いた萃香は一升瓶に入った酒を一気に呑み干し、よぉく分かった、ありがとよと言って空になった瓶を床に転がした。そんな風にしたら誰か転びそう、と思ったらもう既に何十本もの空瓶が床に転がっていた。今更か。

 

「お燐さんはわたしのことどう思ってます?」

 

何となく目の前で小皿に寄せた肉と豆腐にふぅふぅ息を吹きかけて冷ましているお燐さんに訊いてみた。わたしの問いに目をパチクリさせたお燐さんは、すぐにそっぽを向いて不愛想に答えてくれた。

 

「…あたいは好きじゃあないね」

「ま、そうですよねぇ」

 

何となく分かっていた答えに納得して甘ったるい果汁に口を付けてていると、頬を真っ赤にした鬼が他の妖怪を押し退けながら萃香の前に腰を下ろした。押し退けられた妖怪達は少し顔を歪めたが、それが鬼だと知った瞬間気にすることを止めている。…やっぱり、鬼ってのは存在そのものが強者なんだなぁ、とふと思った。…あれ、強者だよね、鬼って。萃香と勇儀は強いけど。

 

「ところで萃香の姐御。いつになったらここに帰ってくるんですかい?」

「…さぁなぁ。いつにしようかね」

「そこで濁るなんてらしかねぇ。ハッキリしてくださいよ」

「今んとこ戻るつもりはねぇな」

 

ま、そうだよなぁ。戻るつもりがあるのなら、そもそも地上に来ない。地底を切り捨てない。地上と地底の不可侵を破ることによる弊害を飲んでまで、地上へ行こうとした覚悟があるのなら、地底に戻るという考えはあまりないと思っていた。

けれど、その答えを聞いた鬼は納得出来ていない様子。机に両手を叩き付け、その拍子につ上が真っ二つに割れる。その音で話が止まり、一瞬の静寂が訪れた。そして、何事もなかったかのように話が再開する。

 

「何でですかい…。皆、あんたが帰ってくるのを待ってるんすよ…っ」

「ここにいるのは楽だがな、地上にいるのは楽しいんだよ。ここにはなかったものがある。地上に出なきゃ、変わり果てた人間を知ることもなかった。吸血鬼とかいうパチモンの鬼とやり合えなかった。新たな友と巡り合うことはなかった。知らない酒を呑めなかった。…他にも色々言いてぇことはあるけどよ、悪ぃが私は地上に帰る」

「…帰る、すか。はは。それなら、もう止めねぇすよ…」

 

周囲の雑音の中に、滴の落ちる音は紛れて消えた。…これ以上は見ないでおこう。というか、見てられない。

 

「それ」

「ん?」

「その果汁、あたいにもちょうだいよ」

「…いいですよ」

 

お燐さんの伸ばした手にある水呑にトポトポと注いであげると、グッと一気飲みした。…うん、分かるよ、そんなうへぇとでも言いたげな顔を浮かべるのも。これはそんな風に一気に飲むものじゃないよね。

この宴会は長引きそうだなぁ、と思いながら、天井に細く息を吐いた。

 



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第383話

やっぱり長引いてるなぁ…。空になった鍋や器がそこら中に積み上げられてるし、空になった酒瓶も足場がないくらい床に転がっているという酷い有様。顔を赤く染め上げた妖怪達は泥酔して呂律が回っていないし、机に突っ伏したり床に転がって眠っている妖怪までいる。というか、料理を作ってくれていた店主や料理や酒を運んでくれていた店員すらも気付いたらいつの間にやら参加して酔っぱらっている始末。おかげで運ばれた料理の味が濃いやら薄いやら…。まぁ、文句を言えるような立場じゃないし、他の妖怪達は酔っぱらってまともな舌じゃなくなっているだろうし、そんなことを言って水を差すのも悪いし、黙っておこう。

 

「だからぁ…、勝手にゃ行動されるとこっちが面倒食うんだからさぁ…」

「はいはい、そうですね」

「にゃんだとぉ…、人にょ話聞いてんにょかぁー…」

 

半分ほど残っている酒瓶を抱きながら絡んでくるお燐さんの言葉を話半分に聞き流す。さっきから似たような話ばっかだし、勝手な行動云々はこれで八回目だ。チラリと顔を伺ってみればさっきよりも赤くなっている気がするし、完全に酔っ払いの絡み酒だなぁ…。

既に見張りの役目を果たせていないお燐さんは放っておき、わたしは無謀にも萃香に呑み比べを挑んでいる妖怪達の様子を眺める。次々と酒瓶を空にして床に転がしていく萃香に対し、途中から顔色が悪くなっていく相手の妖怪。これはもう少しでぶっ倒れるなぁ、と思ったところで案の定背中から椅子ごと倒れていく。床に転がった空瓶が割れ椅子が折れる音が響くが、酒の回っている妖怪達にとっては笑いの種にしかならないらしい。

 

「にゃあぁー!人にょっ、話をっ、聞っけぇー!」

「あー、はいはい、聞きますから。水飲んで、水」

「んごぼぉっ!?」

 

氷が溶け切って少し温くなってしまった水を無理矢理口に流し込み、少し絵も酔いが醒めることを期待する。…まぁ、これだけ呑んでたら簡単には醒めないだろうなぁ、と思いながらお燐さんの足元に転がっている空瓶を見下ろした。

小さくため息を吐きながら水を飲み終えたらしいお燐さんを見遣ると、恨めしそうにジットリと睨まれた。いきなり飲ませたのはまずかったとは思うけれど、酔っぱらいの話に付き合い続けるのはなかなかきついんですよ。

 

「って、いきなり突っ伏してどうしたんですか…」

「うっ、ぐずっ…。うぅー…」

「え?泣いてる…?ここに来て泣き上戸…?」

 

突然肩を震わせて泣き出したお燐さんに、わたしはどうすればいいのかよく分からなくなってくる。少しだけ迷い、聞き流せばいいやという結論に至った。酔っぱらいの話は結局これに集約されがちだけど、おそらくもっとも正しい対処法だろう。

 

「幻香がさぁ、ぐすっ、旧都でにゃにかやらかすたびに、あたい達が奔走するんだよ…?この、うっ、苦労が分かるにょかい?分からんでしょうにぇえ!賭博だろうと喧嘩だろうと弾幕遊戯だろうと奇襲だろうとにゃんだろうとぉ!うっ、うぅー…っ、にゃんであたいが…。しかも、萃香達だって貴女が目的にゃんでしょ…。あたいにょっ!苦労にょっ!原因はっ!ぜぇんぶ!ぐずっ…、うーっ、貴女じゃにゃいかい!」

「あー、はいはい。好きなだけ吐き出してくださいな…」

「…最近はこいし様もあたいにょ事全然構ってくれにゃくにゃったしぃ…。うにゃー…、話してると何処かで、ぐずっ、幻香幻香幻香…。ズルいにゃぁ…、あたいだって、あたいだってぇー…。さとり様があたいの報告で、うっ…、頭抱える理由にゃんてさぁ…、ほっとんど幻香じゃにゃいかい!あたいだって伝えたくにゃいよぉ…。さとり様が辛いにょは、見てられにゃいんだよぉ…、うっ、ぐすっ…。最近お空にょ様子も変だし、もうやだぁーっ!うっ、うっ…」

「それは大変でしたね」

 

相当溜まってたんだなぁ…。これだけ溜まっていたことを、押し込めていたものを、容易く解放してしまう。やっぱり酒の力は恐ろしい…。

そして、その押し込められていたものがもう一つ溢れ出ている。それは本来溢れ出てはいけないもので、こんな酒に溺れた場であっても、聞く者が聞いたら酒の力も相まって欲望のままに潰されかねない危険なもの。

 

「ねぇ…、今の地上はどんな感じなんだい?ねぇねぇ」

「またかぁ?んー、今の地上はなぁ…。昔と比べれば大分平和だよ」

「昔ってどのくらいよ?どのくらい?」

「五百年くらいかね。…あれ、六百年だったかな?」

 

それは、地上への興味。わたしが下りてきたことで地上への恨みが再燃したのは確かだが、同時に不本意に地底に落とされた一部の者の渇望も浮かび上がったのも事実であることを、今更になって改めて思い知っている。そうじゃなければ、あんな好奇心に満ちた顔で妹紅に地上のことを訊くなんてことはしない。

なぁんか嫌な予感がするんだよなぁ…。萃香が地底に落ちて、地上に上がって、再び下りて上がろうとしている。知られてはいないだろうけれど、こいしは幾度と地上と地底を行き来している。わたしだって自ら地底に下りて、またいつか上がろうとしている。つまり、だ。これに追随する妖怪が出ても何らおかしくない。少なくとも、一輪さんや水蜜さんがそうだ。他の妖怪が同じようなことを考えていても、それは意外でも不思議でもない当然なことになる。

けれど、それは地上と地底の不可侵条約を穴ぼこだらけにすることと同義。あってないようなものになりかねない、非常に危険なこと。危険なこととか言っているけれど、正直に言えばわたしに危機感なんてほとんどない。しかし、旧都を治めているさとりさんはこれを知ったらどう思うだろうか?…まぁ、全く知らないとは言わないだろう。だけど、わたし程度が思い浮かぶことだ。…思い浮かんでしまったことだ。仮に知らなかったとしても、さとりさんと顔を合わせればいつか伝わってしまうだろう。そして、それをさとりさんがどう受け止めるか…。

 

「…止めだ、止め」

「にゃんだとぉ…?あたいにょ話が聞けにゃいってぇ…?」

「違う、そっちじゃない」

 

泣き上戸は済んだらしいお燐さんの絡みを軽く流しつつ、考えてもしょうがないことだと思ってこれ以上考えることを止める。わたしはどうせ旧都の異物だ。最初から出て行く者に、そんなことを考える意味なんてほとんどないよなぁ。考えるのは当事者であり旧都を治める者であるさとりさんに任せよう。

大分温くなった水を喉に流し込んでいると、隣の席にドサリと誰かが腰を下ろしてきた。誰かと思ってチラリと横を伺ってみると、かなりお疲れに見える妹紅であった。

 

「あぁー、何でもかんでも根掘り葉掘り訊いてきやがって…」

「お疲れ様です」

「おう、ありがとな」

 

かなり呑んでいた気がするがほとんど酔っているように見えない妹紅だけれど、多くの妖怪達に地上のことをあれだけ訊かれてかなり疲れているようだし、水を注いで手渡した。受け取ってすぐに飲み干すのを見ると、わたしが思っているより疲れていたのかもしれない。

 

「ふぅ…。思った以上に呑むな、地底は。幻香にとっては辛いだろ」

「まぁ、それなりに。けど、あの中に混ざらずに済むという点ではいいですよ」

「はは、そう言われるとそうかもな」

 

わたしと若干げんなりした妹紅は、萃香と勇儀さんの呑み比べを見遣る。二人の横には酒樽が置かれており、次々と注いでは呑み干していく。あの体の中に入る容量よりも明らかに多い気がするのだけど、気にしてはいけない。そして、新たな酒樽がほぼ同時に開けられ、観戦していた周囲の妖怪達から歓声が沸き起こる。

 

「地上かぁ…。いつか戻りてぇなぁ」

 

その歓声にから外れたところにいた妖怪からボソリと聞こえてきた言葉に、わたしはそっとため息を吐いた。

 



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第384話

散々食べ尽くし呑み尽くし、店の中が酔い潰れた妖怪だらけの地獄絵図になったところでようやく解散、…というより店主店員共々までもが潰れてしまったので半ば強制的に終了となった。まともに動けるのは数えるほどしかいないのだが、大丈夫なのかこれ…?一部とはいえ鬼すらも酔い潰れてるって相当だよね…?

動ける妖怪達は酔い潰れてしまった妖怪達を雑に背負っていくが、どう考えても数が足りていない。ほとんどがこの店に放っておかれることになるわけだけど、いいのだろうか?わたしが言うと角が立つだろうけれど、奇襲暗殺し放題だ。しないけど。

 

「んじゃ、幻香はお燐を頼むわ」

「はい、分かりましたよ。…まったく、監視が何酔い潰れてるんだか」

「知らねぇよ。さとりには適当に誤魔化しとけ」

「誤魔化し、って…」

 

酔い潰れた鬼を肩に二人ずつ担いだ萃香さんに言われた通り、わたしは何だかむかつくくらい幸せそうに涎を垂らして眠っているお燐さんを背負う。何処かから飼われてる同士お似合いだな、なんてことが聞こえてきたけれど無視する。わたしがさとりさんに飼われていることくらい、いちいち言われなくても分かってるから。

 

「妹紅はどうします?」

「萃香に付いてく。この惨状を見て何もしないのは気が引けるしな」

「そうですか。では、わたしはこれで」

「おう。…おっと、ちょい待ってくれ」

 

店から出ようとしたところを、妹紅に呼び止められて足を止める。首だけで後ろを見ようとしたらお燐さんの頭とぶつかりそうになり、体ごと振り返った。

 

「私は萃香のやることが済み次第一緒に帰る予定だ。地霊殿にはおそらく行かないと思う」

「分かりました。…それでは、またね」

「またな」

「じゃあな、幻香」

 

軽い別れの挨拶を済ませ、改めてわたしは店を出た。これで地上にいる友達と会うのは、わたしが地上に戻る日までないだろう。そう思うと、小さな寂しさが胸を通り抜けていった気がする。けれど、そうなることは分かっていたことなのだし、そもそもわたしは百年先まで会わない覚悟だって決めていたはずなのに。…弱いな、わたし。

未だに別れを惜しんでいるらしく、後ろ髪を引かれる思いで地霊殿まで歩いていく。耳元でうへへ…、みたいなデレデレした声が漏れ聞こえ、肩には涎が容赦なく零れてくる。…はぁ、一体どれだけ幸せな夢を見てるのやら。

流石に地霊殿に辿り着く頃には別れを惜しむ気持ちも薄まり、廊下ですれ違ったさとりさんのペットに酔い潰れたお燐さんを押し付けた。かなり嫌そうな顔されたけど。そのまま私は部屋へと向かい、鍵を創ってガチャリと開けた。

 

「…広いなぁ」

 

わたしの部屋を見て、思わずそんな言葉が漏れ出た。短い間だったけれど、この部屋には妹紅がいた。フランがいた。大ちゃんがいた。はたてがいた。あの時はこの部屋が随分狭く感じたけれど、いなくなってしまえば広く感じてしまうのは、何らおかしくない。…おかしくない、けど、やっぱり寂しいね。振り切ったつもりだったけれど、ちょっと歩いた程度じゃあ駄目らしい。

扉を施錠し、わたしはベッドに横になった。天井を見上げ、その遥か先にいるであろう友達のことを思う。楽しんでるかなぁ、笑ってるかなぁ、辛いのかもしれないなぁ、泣いてるかもしれないなぁ…。会いたい、なぁ…。早く、早急に。

そんな寂しさを紛らわせるためにも、以前決めた目標に没頭する。新たな軸を二本突き刺してわたしの意識を五次元まで押し上げ、そこから一本ずつ追加していく。この前は一気に十本も追加したからおかしなことになったんだ。だから、一時間くらいずつにして意識を慣らしながら追加していこう。無理そうなら、もう一時間くらい慣らしに時間を掛けて、ゆっくりでもいいから、確実に進めて行こう。

ボンヤリとよく分からないことになっている天井と思われるものを見上げているのかもよく分からない。六次元空間。七次元空間。八次元空間。九次元空間。ちょっと辛いから慣れるまで待とう。十次元空間。かなり辛いかなぁ。時間掛かりそう。十一次元空間。なんか扉が叩く音が聞こえる気がする。気のせいだろう。十二次元空間。誰かがわたしの名前を呼んでいる気がした。気のせいだろう。十三次元空間。遠くから轟音が二つ響いた気がした。気のせいだろう。十四次元空間。これ以上は辛い、と頭が警鐘を鳴らしている。知るか、そんなもの。慣れるのにかなりの時間が掛かりそうだなぁ。十五次元空間。

不思議と眠気とか疲れとかは感じなかった。ただ、わたしは意識の次元を一つずつ上げていくことしか考えていなかった。頭が軋む感覚が、わたしの生存を示してくれる。一つ次元を上げるために意識を慣らす時間が、少しずつ長くなっていく気がした。知ったことか、わたしは止まるつもりはない。頭の中に誰かの声が何度か聞こえてきた気がした。聞き覚えがあるような気がして、けれどわたしは次元を上げることしか考えていなかった。気温がムワッとした湿気とジワジワとした暑さに変わっていくのを感じながら、さらに一つ上の次元へ意識を昇華させていく。どのくらい時間が経ったのだろう、と思ってすぐに意識の外側へ通り抜けた。今はそんなことよりも意識を上げてだな…。

 

「…は?」

 

そして、わたしは世界に失望した。

 

 

 

 

 

 

暑い。というか、蒸し暑い。どうやら、気付いたら夏になってたようだ。まだ頭がクラクラするけれど、これは暑さが原因ではないだろう。高次元へ昇りつめた意識を三次元まで落とした後遺症みたいなものだ。結構時間が経ってるはずなんだけど、まだ視界と意識の齟齬が著しい。こんな状態でさとりさんと顔を合わせたらどうなることやら…。

そんなことを思いながら、当たり前のように完全に回復して満ち満ちていた妖力をいくつかの金剛石に変える。それにしても、結局魔界らしきものは見当たらなかったな…。ついでに言えば、他の世界も。…はぁ。どうやら、世界ってのはわたしにかなり厳しいらしい。仮にこの世界を創った神様がいるとしたら、わたしはそいつを軽蔑するね。

 

『――えるかしら、幻香?返事はいらないわ。どうせ一方的にしか伝えられないのだから』

「ん?」

 

そんな愚痴を考えていたら、唐突にパチュリーの声がわたしの頭に響いてきた。けれど、なんというか、少し禍々しいというか、違和感を覚える声色をしている。聞き続けていたらいけないような、そんな感じ。

 

『今、私は貴女の意識に直接呪言、もとい言葉を伝えている。安心して。呪いの類はないわ』

「呪言、って…。あぁ、黒魔術か」

 

フランがそんなことを言っていたなぁ、ということを思い出す。それにしても呪言か…。あんまりいい響きじゃないよねぇ。けど、パチュリーが安心してほしい、と言っているのだから、きっと大丈夫なのだろう。

 

『これで十度目、これを最後とするわ。一度も伝わらなかったときはごめんなさい。帰ってきた時に好きなだけ私を詰りなさい。…あぁ、これも伝わらないかもしれないのね。まぁ、いいわ』

 

これの前に九回も試行していたらしい。そう言えば、次元を上げる作業をしていた時に時折声が聞こえた気がしていたけれど、もしかしたらパチュリーの黒魔術だったのかも。これは悪いことをしたなぁ…。けれど、最後の一つを聞けたことは幸運だ。少し遅れていたら、わたしは全て聞き逃していたことになるのだから。

 

『魔界について、私が調べたことをまとめるわ。といっても、具体的に書かれているものはほとんどなくて、まず裏は取れなかったことを先に言っておく』

「…ま、しょうがないよね」

『魔界とは、世界の裏側とでもいうべき場所に存在する。文章で例えるならば行間や余白に、絵画で例えるならば文字通り裏側に。お互いに決して干渉し合えないはずだったけれど、魔界は私達よりも色々と発展していたらしく、こちら側に干渉出来た。その昔、魔界の者が封印の専門家としてこちら側で暗躍していたらしい、ともあるわね。私から言えることは、諦めたほうがいい、ということだけよ。…けれど、もしかしたら貴方には干渉出来てしてしまうかもしれないわね』

 

…ふぅん、そっかぁ。世界の裏側、ねぇ。お互いに干渉し得ない場所にある、と。ふむ。

 

『それでは、貴女が帰ってくるのを私達は待っているわ』

 

ありがとね、パチュリー。いくら探しても見当たらなかった魔界、諦めずに済みそうだよ。

 



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第385話

ガチャリと扉を開け、おそらく久し振りに廊下に出た。まだちょっとだけ視界がおかしなことになっているけれど、これなら四次元空間や五次元空間くらいの齟齬。そのくらいなら許容範囲内だ。音に関しては若干遠いけれど、気を付ければ何かとぶつかる心配もないでしょう。

 

「…あ」

 

そう思った矢先、扉を開けてすぐ目の前にさとりさんのペットがいた。このまま歩いてたらぶつかってしまっていただろう。早く気付けてよかった。…けど、どうしてそんな風に驚いた顔を浮かべているの?さらには後退りまでし始めちゃうし。

 

「さとり様ー!こいし様ー!」

「え、ちょっと」

 

どう対応しようかと悩んでいる間に、さとりさんのペットはわたしに背を向けて慌てて走り出してしまった。すぐに追いかけようかと思ったけれど、今の距離感が曖昧なわたしが彼女を追いかけたら、接近していることに気付けずに思い切り衝突する未来しか見えないのですぐに諦めた。

まぁ、改めて考えてみればわざわざ追いかける理由がないな、と思いながらとりあえず、扉の鍵を閉めておく。そして、わたしは目的地である書斎へと向かう。まだ読み切っていない書籍から、もしかいたらあるかもしれない魔界についての情報を探すのだ。歩いている間に、この違和感だらけの意識も元に戻ってくれるだろう。…まぁ、戻らなかったら書斎でゆっくり待っていればいいや。意識的に戻してもいい。

少なくとも、わたしが見た限りでは魔界らしきものは見当たらなかった。ならば、わたしがまだ気付いていない軸が存在する、と推測しよう。世界の裏側、文章の余白、決して干渉し得ないはずの場所…。だが、あちらからはこちらに干渉してきた。ならば、こちらからあちらに干渉することだって可能なはずだ。一方通行ではないことは、既に証明されているのだから。

 

「…おっと、もう書斎か」

 

危うく通り過ぎてしまうところだった。うぅむ、まだちょっと視界がおかしいな…。この調子のまま書籍を読むのはちょっと厳しい。少し休んでから読み漁るとしますか。

書斎の中に入り、これから読むつもりの本棚の元に腰を下ろす。自然に任せるか意識的に戻すか考え、ゆっくりと目を閉じた。…うん、意識的でいいだろう。いかれている部分を意識的に少しずつ戻していく。齟齬を、違和感を、一ヶ所ずつ切り替えていく。…うん、もう大丈夫かな。目を開ければ、ほら元通り。

 

「…って、こいし?」

「やぁっと出て来たんだねぇ、幻香ぁ」

 

そう言って微笑むこいしが目と鼻の先にいた。というか、滅茶苦茶近い…。そんなことを考えていたら、プクーッとこいしの頬が膨れていく。何やらご立腹のご様子。

 

「いやぁね?わたしだって幻香が長いこと籠ることがあるのは分かってるけどさぁ、突然鍵掛けた密室に閉じ籠るんだもん。ちょっと心配しちゃった。もしかしたら死んじゃったんじゃないかなぁ、とか聞かされて嫌ぁな気分だったよっ。お姉ちゃんのペットが無理に抉じ開けようとしたらドカンと砲撃喰らって大怪我しちゃったし」

「…はぁ、それは色々と申し訳ないですが」

「けど、出て来てくれてよかったぁ。ホッとした。安心したよ」

 

そう言って、こいしはわたしの背中に腕を回して抱き締めてくる。…あの、思ったよりきついんですけど。ギリギリ、って感じにかなり締め付けられてるんですけどぉ…。けれど、振り解くわけにもいかず、息が詰まるほど強い抱擁を甘んじて享受する。

それにしても、扉の反撃を喰らったさとりさんのペットがいるのか…。大怪我させてしまったみたいだけど、どの程度の威力だったのだろうか?かなり強力にしたつもりだけど、実際に作動させていなかったので、少しだけ興味がある。…まぁ、今は止めておこう。妖力が少しもったいない。

これ以上はちょっときついので、解放の催促のつもりでこいしの背中を優しく叩くが、一向に手を離してくれそうにない。その代わりなのか、こいしは少し腕を緩めてくれた。そして、こいしの口がわたしの耳元に近付く。

 

「それでね、幻香の部屋の鍵が欲しいな、って。前々から思ってたんだけど、忘れちゃっててさぁ。今回の件で痛感した、みたいな?…駄目かなぁ」

「いいですよ。ほら、手を出して」

「うん」

 

そう言うと、抱き締めていた腕を解いてわたしに手を伸ばした。ようやく解いてくれたなぁ、と思いながら、鍵の形を思い浮かべ、その中に入れる暗号めいた情報を並べていく。そして創造。普段は色なんか気にせず創るから薄紫色なんだけど、今回はせっかくこいしにあげるものなので、緑色に着色した。

一応中に入れた情報が間違っていないか確認してからこいしに手渡した。ついでに紫色に着色した鍵をもう一本創り、それも一緒に。

 

「二本?」

「片方はさとりさんに渡してください。色以外はどちらも違いはありませんから、好きなほうを貰ってくださいな」

「ありがとっ!それじゃあ、わたしは緑色ー!」

 

嬉しそうで何よりだ。さて、わたしは読み始めるとしましょうか。最後に読み終えたものの隣の書籍を引き抜き、中身をパラパラと読み漁る。…ふむ、これは関係なさそうだなぁ。鉱物について列挙されているだけみたい。

パタリと書籍を閉じて横に積もうとしたところで、その書籍を積もうとした場所にこいしが座っていることに気が付いた。なので、積み上げることを諦めて元の本棚に戻すことにする。次の書斎を引き抜き、読み始めたらこいしが横から興味ありげに覗いてきた。

 

「何探してるの?」

「魔界について。世界の裏側にあるらしいんですが、こいしは知ってますか?」

「全然?わたし、魔界なんてなぁんにも知らなぁーい」

「そうですか。それはちょっと残念です」

「あらら、ごめんね」

 

そんなことを話しながら、書斎を読み終えた。これも駄目だ。呪術について書かれていたが、わたしは何かを捧げてまで呪い殺したい存在はいない。…まぁ、強いて挙げろと言われればこの世界を創造した者かなぁ。ふざけやがって。

そんなやり場のない怒りを鎮めつつ、次の書斎を手に取る。

 

「幻香はさぁ、ここの書斎を随分読み進めたねぇ」

「えぇ、そうみたいですね。おかげで色々と知れましたよ」

「もうすぐ読み切るんじゃない?」

「時間があればそうするつもりかな。…まぁ、読み切ったところで得られるか分かりませんが」

 

思わず、そんな悲観的な言葉が漏れ出る。魔界について載っている書籍なんて、もうないんじゃないかなぁ…、なんて思ってしまう。まだいくつか本棚は残っているけれど、これだけ読んでほとんど見つからないとなれば、そう思ってしまうのも無理はない。けれど、途中で諦めるのはよくない。例えなかったとしても、出来ることならば最後まで読み尽くそう。

 

「というわけで、特にわたしに用がなければ、わたしはここで読み耽ろうと思っています。何かあったら呼んでくださいな」

「むぅ…。分かった。けどさ、時々遊びに来ていい?」

「別に構いませんが、楽しいとは思えませんよ?」

「わたしは幻香の隣なら何だって楽しいよ?」

「…ふふ。そうですか」

 

思わず笑みが零れ落ちる。読み終えた書籍をパタリと閉じ、次の書籍を開く手が少しばかり軽い。

 

「それじゃあ、わたしはお姉ちゃんにこの鍵を渡してくるねー!」

「分かりました。それでは、また」

「じゃあねー、幻香ー!」

 

そう言って溌溂に腕を振るこいしに、わたしも手を振り返す。そのまま書斎から出て行くまで見送り、わたしは手に持っている書籍を目を向けた。

さて、と。少し気合い入れて読み進めるとしましょうか。

 



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第386話

パタリ、と音を立てて書籍を閉じ、本棚の端の空いた場所に読み終えた書籍を仕舞う。長く息を吐きつつ、わたしは書斎をボンヤリと眺めた。わたしは、この書斎の書籍全てを読み尽くしたのだ。ようやく終わった。…終わってしまったなぁ。

 

「お疲れ、幻香」

「こいしも遊びに来てくれてありがとうございます」

「いーよ、気にしないでって」

 

ふと、こいしのことを思い出した頃には隣に座っていることが多かった。そして、旧都であった面白いことや稀に地上のことなんかを喋り、それから他愛のない話題がいくつか続き、時折こいしが持ってきたもので軽く遊び、最後にわたしが創っていた金剛石をわたしの部屋に持ち帰ってくれた。仮にいくつか盗られたとしても、わたしは気にしていない。このことに関して、わたしはこいしを信用したのだ。

今はまだ夏であろうと思い、頬を流れる汗に気付く。親指で軽く拭い、軽く息を吹きかけてやるとヒヤリとした。…あれ、服が碌に濡れてないや。何でだろう、と思ったところで全身からジワリと汗が滲む。どうやら、極度の集中で汗が止まっていたらしい。

 

「どのくらい読んでましたっけ?」

「一ヶ月とちょっとくらいかな。で、どうだった?」

「…まぁ、零ではなかったですね」

 

私は魔族を撃退したという武勇伝とか、フラッと彷徨っていたら裂け目を見つけて入ってみれば魔界にいて即行帰されたとか、魔族を名乗る者と友人になったという者の日記みたいなのとか…。そんな感じの話はチラホラ見つかった。けれど、魔界へどうやって行くのか、何ていう決定的なものは一切書かれていなかった。

まぁ、強いて言えば裂け目に入ったら、というところだろうか。空間の裂け目、もしくは次元の裂け目。八雲紫なら難なくスキマを開いて行けてしまうのだろうか、何てことを考えてしまう。もしそうならば、羨ましい話だ。

ゆっくりと立ち上がって大きく伸びをしながら、一年以内と言ってからかなり時間が経ってしまったなぁ、と考えた。いや、経ったではなく使った、か。消費、浪費とも言い換えてもいい。結果だけ見れば、無駄足を踏んだと言えるのだから。

 

「何処行くの?」

「庭。ちょっと身体を動かしたいから」

 

身体少し鈍ってるかもしれないなぁ、と思いながら書斎の扉へ歩く。こいしがわたしに付いてくるのを感じながら、書斎を出る。…うん、こうして見ると廊下も久し振りな気がしてきた。外に関してはもっとだろう。

廊下に出て左右を見渡すと、さとりさんのペットと目が合った。その手には片手で食べれる簡素な料理が乗せられており、きっと仕事中のさとりさんへの差し入れなのだろうと察する。…ただ、茹でた根菜を棒状に切っただけのものを料理と呼んでいいならばだが。あれでいいのか、さとりさん…。

そのペットと軽く挨拶だけ躱し、わたしは廊下の窓を開けて跳び下りる。着地の衝撃を両膝を柔らかく曲げることで殺し、立ち上がってから軽く右手を握る。気分的には悪くない。

軽く右拳を打ち出し、続けざまに左拳を深く突き出す。拳から風を切る音が聞こえ、何だか今までより調子がよさそうな気がしてくる。そのまま回し蹴りを振るうと、庭に伸びていた草が放射状に広がった。

 

「ぶわー、って感じだね」

「ですねぇ。どういうことやら」

 

何となく、足元に落ちていた木の葉を拾って人差し指を突き刺してみる。ピッと木の葉が突き破られ、人差し指が綺麗に突き刺さった。そのまま螺指と呟けば、急速回転する人差し指によって木の葉が千切れて宙を舞い散っていく。

 

「こいし、危ないですからちょっと離れててください」

「はーい」

 

目の前に鉄塊を創造し、手を当てて殴りやすそうな位置を探る。…ふむ、このあたりかなぁ。痛覚遮断。腰を捻り右腕を引き絞ってから、強く握った右拳で殴り付ける。グワァン、と鈍い音を響かせながら罅が走り、鉄塊が吹き飛び転がっていく。あれ、と思いながらも駆けだし、跳躍して鉄塊の真上を取り、前方三回転の加速と全体重を踵に乗せた踵落としを叩き込む。

 

「…あっれぇ?」

 

鉄塊が六つに割れ、細かい破片が飛び散る。鉄塊を壊せた。壊れてしまった。おっかしいなぁ…。わたし、こんな力出せたっけ?『紅』使ってないよ?

 

「わはー!凄いじゃん、幻香!」

「え、あ、うん。ありがとうございます…?」

 

いや、威力が落ちているならまだしも、逆に上がってないですか?…どうなってるんだよ、この身体。

そんなことを思いながら鉄塊を回収し、数十発の拳と脚を空振りし続ける。染み付いている体術の動きが今更鈍っている様子はなかったが、いつもより早く疲れてきている気がする。そっか、鈍っていたのは持久力のほうか…。それでも威力が向上していたことは疑問だが、高くて損はないので放っておく。

少し乱れた心臓を深呼吸して落ち着けつつ、パッと人型の複製(にんぎょう)を創造する。複製は直立させ、わたしは両手を大きく開く。そのまま開いた両手を複製に叩き付けた。全身隈なく均一に衝撃が走れば成功なのだが…。むぅ、まだちょっと疎らだなぁ。それでも何度か叩き続けていると、コツのようなものが掴めてきて、徐々に衝撃が上手く流れていく。しばらくすると、わたしは目の前の複製と走った衝撃のことに意識が集中していく。

 

「ふッ…!――あ」

 

何度も何度も繰り返し、少しずつ修正を重ねていくと、ようやくそれらしいものにまで昇華させることが出来た。相手は複製で直立しているだけの存在なのだが、確かに出来た気がする。あとは実戦で使えるかどうかだが、至極当然のことだが今回と違って相手が動いていることになる。上手く出来るかなぁ…?

そんなことを考えながら両手を握っては開くを繰り返していると、隣からカランという音が響く。

 

「お疲れ様、幻香。ちょっと休む?」

「えぇ、そうしましょうか」

 

こいしがお盆に二つの飲み物を乗せて来ていたのを見て、わたしは複製を回収する。反復練習で若干疲れてきていたし、休むにはちょうどいいだろう。

 

「はい、どうぞ」

 

ペタンと座ったこいしの隣に腰を下ろし、手渡された飲み物を受け取る。透き通った黄橙色の液体の中には氷が入っていて、かなり冷えているようだ。そのまま口に含むと、思わず吹き出しそうになるのをどうにか堪える。柑橘系の果汁と酢が混ぜられた舌に突き刺さるような強烈な酸味を喉に流し込み、隣に座るこいしに目を遣った。…ニヤニヤ笑ってやがったよ。

 

「…こいしぃ」

「あっはっは!ごめんごめん。ほら、口直し」

 

無邪気に笑うこいしは、もう片方の飲み物を手渡してくれた。前科があるので中身を慎重に覗くと、氷が入った透明な液体のようだ。鼻を近付けて匂いを嗅いでみると、特にこれといった匂いはしない。ほんの少し舌に付けると、何の味もしない。どうやらただの冷やした水らしく、本当に口直しのようであった。とりあえず一口飲んで酸味でピリピリする舌を和らげてから、あの強烈な酸味がする飲み物に水を流して薄める。

 

「もーぅ、疑り深いんだからぁ」

「さっき自分がやったことを思い出してから言ってください」

「疲れたときは甘いものか酸っぱいものでしょ!」

「限度を考えて、限度を」

 

半分くらいに薄めたけれど、それでも酢の味が激しく自己主張する。中身が零れないように揺らして氷が溶けるのを促しつつ、まだ見ぬ魔界に思いを馳せる。存在は確かなんだ。けれど、わたしを受け入れてくれるのだろうか?書斎で読んだ魔族の話を見ていると、かなり不安になってくる。

ある程度氷が溶けた飲み物を口に流し込む。…まだ酸っぱいなぁ、これ。それと、ほんの少しだけ柑橘類の皮の苦味を感じた。

 



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第387話

「幻香さん、貴女はここに何の用で?…あぁ、暇潰しですか」

「うん、そんな感じ。ちょっと気を張り過ぎてる、みたいなことをこいしに言われちゃってねぇ」

「…煮詰まって干上がっちゃう、ですか」

 

魔界について延々と考え続け、いつの間にやら部屋に入ってきていたこいしの声に全く気付かず数時間無視し続けていたらしい。わたしにそんな自覚はこれっぽっちもなかったのだが、膨れっ面なこいしにそう言われてしまった。今のわたしにとって魔界については重要課題なんだけどなぁ…。

そんな文句を思い浮かべつつ、気晴らしに調理室で一人勝手に作った料理を摘まんで口に運ぶ。なんか新鮮な鶏肉があったから使わせてもらった。紅魔館で見た調理法をそれらしく再現し、胡椒と粉末唐辛子を鶏肉の両面に付けて強火で焼いただけ。…うん、美味しく出来たけれどちょっと唐辛子が多かったかな。こいしなら気軽に食べれそうだけど、わたしにとっては辛味が強い。

 

「それなら、私にくれませんか?ちょうど小腹が空いているんです」

「いいですよ」

 

どうせ気晴らしで作っただけなのだ。そもそもの飢餓感が欠落しているわたしにとっては、この鶏肉に対する執着は特にない。一口歯形の入った鶏肉が乗せられた皿を持ってさとりさんの元へ歩き、スッとさとりさんの前に置く。

 

「ありがとうございます。いただきます。…熱ッ」

「あ、ナイフとフォークがなかったですね」

 

素手で掴もうとしてすぐに離したさとりさんにナイフとフォークを創って手渡したはいいものの、何故か不思議なものを見る目で観察し始める。…あれ?もしかして、使い方が分からない?

 

「…地上にはこのような道具があるのですか。使い方は、ふむ…」

 

そんな言葉を聞きながら、ぎこちなくナイフとフォークを扱うさとりさんを見遣る。カチャカチャと皿とナイフがぶつかる音が響き、一度切り終えても勢い余って擦り合う音までした。一応そういう音は立てちゃいけないことになっているらしいのだが、まぁしょうがないよね。

そんなことを考えていると、チラリとこちらを軽く睨んでくるさとりさんと目が合った。まぁ、その視線はすぐに鶏肉に戻ったけれども。いや、悪かったですよ。どうせここには気にする相手がいませんから、美味しく食べてくださいな。

気にするなと思ってもあちらは気にするらしく、出来るだけ音を立てないようにナイフとフォークを動かしているのが分かる。ただ、食べたときに表情が僅かに緩んだところを見るに、味は悪くなかったと思いたい。

 

「ところで、一部の旧都の妖怪が地上に出て行くことを考えていたそうですね」

 

鶏肉を半分ほど食べたところで一旦手を止めたさとりさんにそう切り出された。…まぁ、考えていたというよりは、酒の席で泥酔した妖怪が呟いていたのだが、そこに大した差はないだろう。

 

「ですねぇ。どう思います?」

「…まぁ、そのような方もいることは知っていました。旧都の管理を始めてすぐの頃は、そのようなことを嘆く者も半分ほどいましたからね。あの頃は残りの半数に押し潰されるように出てこなくなりましたが。…まぁ、あんなことがあったのです。そのような感情が再び立ち上がるのも無理はないでしょう」

 

あんなこととは、萃香が再び戻って来たことだろうか。それとも、わたしが下りてきたことだろうか。…まぁ、どうでもいいか。

 

「ですが、今は地上と地底の不可侵条約があります。たとえいくつか穴が空いていたとしても、それは確かに存在しています。ですから、地上へ上がることをあまりいいとは言えませんね」

「…すみませんね」

「全くです」

 

わたしも地上と地底の不可侵条約を突き破って穴を空けた一人だ。わたしの勝手な行動で苦労をかけさせたことは知っている。こうしたこと自体に後悔はしていないけれども、申し訳ないとは思っている。

そんなことを考えていると、さとりさんと目が合った。三つの瞳に見られ、そしてその瞳に僅かな決意を感じ、改めて目を合わせた。そして、さとりさんが次の言葉を発するのを暫し待つ。

 

「私は少し考えていることがあるのですが、これは簡単に決めていいことではありません。時間を掛けてゆっくりと検討しようと思っています」

「そうなんですか。では、ゆっくりと考えてください」

「はい。…そんことについて、幻香さん。いつか貴女に意見を訊いてもいいですか?地上と地底を見ている貴女の意見を」

「わたしなんかの意見が参考になるとは思えませんが、別に構いませんよ。つまらないものでも、視点は多い方がいい」

 

何を訊く気なのかは知らないけれど、頼まれたならやるつもりだ。わたしは地霊殿に置かれている身だし、さとりさんの言うことをそこまで逆らうつもりはないのだ。…まぁ、本意にせよ不本意にせよ、さとりさんに言われたことを逆らったのはいくらでも思い当たるのだが。

さとりさんのため息を聞いて思わず頬を引きつらせていると、ナイフとフォークを持って食事を再開し始めた。それを見て、わたしは話が終わったことを察して元の席に戻ることにした。

 

「…さぁて、と」

 

腰を下ろし、一息吐いてからわたしは早速魔界について考える。…まぁ、軽くだ。煮詰まるほど考えるつもりはない。お互いに干渉出来ないはずの裏側。しかし、向こう側からは干渉出来、そして出入り可能と来ている。ならば、こちら側から向こう側に干渉出来てもいいでしょう?たとえ世界の裏側だろうと、この世界の一部分。必ず把握するために通す軸が存在するはずなんだ。その軸を認識したいところだけど、残念ながら簡単ではなさそうだ。

まったく、この世界を創った奴は性格が悪そうだ。見つけ次第全力で殴り抜いてやりたい。

 

「…魔界、ですか」

 

そんな愚痴を思ったところで、カタリとナイフとフォークを置いたさとりさんの言葉が耳に入ってきた。すぐに魔界について考えていた嗜好を横に置き、その前にふと思い浮かんだことを尋ねた。

 

「さとりさんはどう思います?行けるなら行ってみたいですか?」

「私はあまり興味がありませんね。私はここで手いっぱいで、ここで十分ですから」

「…そうですねぇ」

 

そこまで逃げようとしているわたしのほうが異端か。地上からも地底からも疎まれているわたしにとっては、それ以外を選ぶのは普通なことなのだが、地上から嫌われても地底に受け入れられているさとりさんはここで十分だよね。

ふぅ、と小さくため息を吐き、ボンヤリと天井を見上げる。これといった切っ掛けも掴めず、袋小路に入ってしまった気分。残念なことに、今のわたしではこの袋小路を壊せる気がしない。

 

「…なら、一度諦めたらいいでしょう」

「うわぁお、辛辣ぅ。…けど、まぁ、そうしたほうがいいですよねぇ」

「それに、そもそも魔界側からすれば貴女だって異物に変わりはありません。受け入れられるとは、とてもではないですが思えませんよ。…このくらい、貴方なら既に分かり切っているはずでしょう?」

 

ご尤もなお言葉だ。確かに、わたしだってそう易々と受け入れてくれるなんて思っていない。地上で忌み嫌われ、地底で殺されかけたわたしが、魔界なら安心安全だなんて思うほど馬鹿でも愚かでもないつもりだ。

 

「けれど、もしかしたら大丈夫かもしれませんよ?」

「何故そう言えますか?」

「地上では友達がいた。地底では貴女がいた。…だったら、魔界でも誰かいるかもしれないでしょう?」

 

そう言うと、さとりさんは少し目を見開き、そして小さく噴き出した。

 

「ふふっ。そう言ってくれるのは嬉しいですが、駄目ならどうするんですか?」

「その時はその時さ」

「そうですか」

 

時間はあまりないが、それでもまだ時間は残されている。どうせ魔界だって選択肢の一つだ。妹紅の言った通り、まだやり直しが利く時期。駄目なら駄目で、次の手段を選ばせてもらおう。さとりさんには後悔のないように慎重に選べと言われたけれど、こればっかりは本意で逆らわせてもらおう。

ふとさとりさんのほうを見遣ると、さとりさんは何処か嬉しそうに微笑んでいた。

 



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第388話

地霊殿の屋根の上に腰を下ろし、旧都全体を眺めながら魔界のことを考えていた。わたしがまだ気付いていない、何かが外れた軸があると推測しているのだが、残念ながらまだ思い至らない。日付感覚が既に曖昧だからかなり微妙なところだけど、早くしないと夏が終わってしまう気がする。急がねば。

それにしても、今日の旧都はやけに騒がしいな…。多くの妖怪達が旧都の広場とでも呼ぶことが出来そうな場所に集まっている。こんなところにもあそこからの熱気が伝わってきている気がするよ。

 

「おーい、幻香ぁー!」

 

そんなものを感じていると、庭からわたしを呼ぶこいしの声が聞こえてきた。屋根から顔を出してみれば、わたしに大きく両腕を振っているこいしを見つけた。

 

「ちょっと行きたいところがあるんだけどさぁー、一緒に行こぉー!?」

 

そう言われ、わたしは少し考えてから屋根を下りた。さっきまで散々考え続けて出てこなかったのだから、一度別のことをして切り替えるものいいだろう。もしかしたら、こいしの付いていくことで何か手がかりを掴むことが出来るかもしれないし。

こいしの隣にフワリと着地すると、早速こいしはわたしの手を掴んで引っ張っていく。普段よりも少し早足で歩いているこいしは、上機嫌なのか鼻歌まで歌っている。何処かで聞いたことのあるような気がする鼻歌を聞きながらこいしの歩幅に合わせて付いていくが、目的地は一体何処なのだろう?旧都で何か面白いものでも見つけたのか、それとも面白い食べ物でも食べに行くのか…。

 

「こいし」

「ふぅふん、ふふふーん。なぁに、幻香?」

「何処に行くんですか?」

「あっちのほう!ふっふんふーん」

 

そう言いながら指差したほうは、屋根の上でも熱気を感じさせられた広場の方角だった。

わたし達の他に旧都を歩いている妖怪達も、多くはあの広場へと進んでいるように見える。その表情は緊張感のある張り詰めた面持ちだったり、そわそわうずうずしていたり、酒瓶を持ちながら愉快に笑っていたり、何故かお互い睨み合っていたりと様々だ。

 

「あっちでは何をやってるんでしょう?」

「んー、なんて言えばいいんだろう?大規模な喧嘩、みたいなのかなぁ?ふふっふーん」

「何ですかそれ…。まぁ、観戦するのも悪くないかなぁ」

「これやるのすっごい久し振りだからね。ふふーん。わたし、楽しみなんだぁ!」

「へぇ。何年に一度、とかにやってるんですか?」

「ううん、鬼の気紛れ。やりたいときに始まるみたいだよ」

 

鬼の気紛れで始まる大規模な喧嘩かぁ。一体どんなことになるのやら。

そんなことを考えていると、ドスンと後ろから誰かがぶつかってきた。かなり重い衝撃だったけれど、咄嗟に前に出していた脚で踏ん張り、倒れてしまうことを防ぐ。わざとだったら文句の一つでも言っておこうかなぁ、と思いながら振り返ると、わたしの倍はありそうな体格の妖怪がわたしを見下ろしながら快活に笑っていた。その背中には、これまた巨大な棍棒を引っ提げていた。

 

「おう、悪いな!あまりに小さかったもんで見えなかったよ」

「気を付けてくださいよ。うっかり踏み潰されるとか、わたしは嫌ですからね」

「はっはっは!そうだな!昔一人踏み潰してしまったこともある!」

「笑い事じゃないでしょう…」

 

しかし、見た感じわざとぶつかってきたわけではなさそうだ。わたしが振り向くまでの間、彼は上から下に首を動かしていた。単なる不注意だろう。…ただ、そんな経験があるのならちゃんと足元を見ていて欲しい。

そう思いながら呆れていると、彼は突然腰をまでてわたしに顔を近付けてきた。うわ、改めて近くで見ると顔大きいな…。目にわたしの手のひらが全部入りそうだ。

 

「ところで地上の。ここにいるってことは、お前さんもやるのか?」

「やる?何をでしょう?」

「あー、いや、知らんなら知らんでいいさ!」

「やるよ!幻香にも参加してほしいもん!」

 

…どうやら、こいしはわたしをその大規模な喧嘩に参加させるつもりだったらしい。わたしとしては、観戦のつもりだったんだけどなぁ…。ま、いいや。ちょっとだけ考えていた予定が即行で崩れてしまったけれど、別に構わない。

突然の声に驚いている彼の視線がこいしに動くのを見ていると、納得した顔を浮かべてからわたしに視線が戻ってきた。

 

「ほう!そうかそうか!お前さんもやるのか、地上のぉ!」

「…えぇ、まぁ、そうみたいですね」

「はっはっは!こりゃあ楽しみだ!」

 

あそこで具体的に何をするのか知らないけれど、とにかく喧嘩でしょう?躱して往なして、殴って蹴ればいい。いつものように。

巨大な手でバシバシとわたしの背中を叩いた彼は、お互い頑張ろうな、と言って先を歩いていった。…あの、相当痛かったんですけど。ちょっと頭も揺れて気持ち悪い…。

深呼吸をして気持ちを落ち着けつつ、わたしの手を引っ張っていくこいしに訊きたいことを訊いておくことにする。参加すると決まった以上、知らずに参加するのは御免だ。

 

「その喧嘩、どんなことをするんですか?」

「ふっふーん、何でもありだよ」

「…はい?」

「だっかっらっ!死ななきゃ何でもありなんだ!」

 

いや、よく分からないんですが…。というか、それ本当に喧嘩?

そう思っていると、こいしは具体的な規則を話してくれた。

 

「あそこではね、勝ち抜きの喧嘩をするんだ。普段から旧都でやってる喧嘩と違うのはね、相手を殺さなければ何をしてもいいんだよ!殴る蹴るはもちろん、武器も防具も妖術も何でも使っていいの。怪我人続出、死にかけもいっつも出てくるね!」

「…大丈夫なんですか、それ?」

「一応薬くらいは出るけど、全っ然大丈夫じゃないね!」

 

やっぱり大丈夫ではないらしい。それに参加させられるわたしって…。鬼に金棒なんて考えたくないし、全身金属鎧とか面倒臭そうだし、妖術は何が起こるか分からないから色々怖い。

 

「…何でわざわざそんなことするんでしょうね?」

「たまには弾けたいんじゃない?溜まってることだってあるだろうし、吐き出さないと辛いでしょ?あと、こっちのほうが色々盛り上がるからかな!」

「あー、まぁ、それもそうですね」

「ま!わたしにはよく分かんないけどねー!」

 

己が肉体のみの喧嘩とは違うものになることは明々白々。刀やら棍棒やら金棒やらが振り回されたり、炎やら氷やら風やらが起きたりすれば、こいしの言う通り普段より盛り上がるだろう。

 

「それでね、最後まで勝ち残れば栄光を手にすることが出来るんだー!」

「い、いらない…」

 

栄光とか言われても困る。そもそも、そんなものがわたしの手に渡ったとしても使い道はない。仮に形のあるもので手渡されたならば、即行で返却するよ。

 

「さらにさらに!勇儀と喧嘩をすることが出来まーす!」

「や、やりたくない…」

 

勇儀さんと喧嘩とか、二度もやりたくない。『紅』使っても力負けするんだよ?嫌だよ、わたしは。今のわたしは、自分自身の身体すら信用出来ないんだ。ちょっと不可解なことが多い。…いや、不可解とはちょっと違うか。

 

「というか、勇儀さんは最初から参加しないんですね」

「あー、それはねぇ、最初の十回くらいかな?最後に残るのはいっつも勇儀萃香勇儀萃香だから、二人は最後だけになったの」

「あ、そう…」

 

ちょっと考えてみれば当たり前のことだった。鬼の中でも頂点に君臨していた山の四天王が途中で敗退するのは考えにくい。もしするとすれば、それは山の四天王同士が途中でぶつかったときくらいだろう。

 

「どう、幻香!ね、やろうよ!」

「…そうですね。やりましょうか」

 

流石にここまで言わせて断るのも悪いし…。それに、今の自分が出来る全てを使っていい舞台。普段だったら出来ない手段を色々試させてもらうとしましょうか。こいしも両手を上げて喜んでるし、悪くないでしょう。

 

「やったー!ふふーん、それじゃあわたしは幻香に賭けるからね!絶対勝ってよ?」

「これも賭博の一環ですか、そうですか…」

 



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第389話

広場から少し離れた場所に敷かれてあった茣蓙に腰を下ろす。こちらに向かうときに、既に茣蓙の上にいた妖怪達の視線がいくつも刺さったが、気にしてもしょうがない。小さくため息を吐きながら、受付をしてくれた妖怪から手渡された八十四と書かれた木札を握り締めた。これは数字のままわたしが八十四番目であることを示しており、これからまだまだ増えていくのだろう。一体何人参加するのやら…。

開始するのを待っている間に周囲を見回していると、刀はもちろん、腕全体を覆っている棘の生えた手甲、馬鹿みたいに長い柄を持つ槍、杓文字をそのまま大きくしたような鈍器、ご丁寧に兜まである全身鎧などなど…。うわ、やっぱり鬼もチラホラいるよ。しかも金砕棒持ってるし。あと、女性もわずかだが座っていた。参加するのは男性ばかりだと思っていたからちょっと意外だ。

それにしても多いなぁ…。もう少し茣蓙を広くした方がよかったんじゃない?参加者がかなり増えてきて待つ場所なくなってきちゃったよ。この暑い中でこの密度は結構くるものがある…。他の妖怪達もブツブツ文句呟いてるのもいるし…。

滲み出る汗を拭いながら待っていると、向こう側の広場から歓声が聞こえてきた。…どうやら始まったらしい。

 

「二十七、五十八、六十四、百五は出て来い」

 

四つの数字が呼ばれ、その数字を受け取っていたらしい妖怪の返事ややる気のある掛け声などを聞きつつ、ここの規則を思い返す。

人数がある程度減るまでは四人ずつで戦い、それから一対一になるそうだ。どの順番でやるかは基本くじ引き。箱の中に数字が書かれた紙が入っていて、それを引いて対戦相手を決定するというもの。負けた者の数字が書かれた紙は破棄し、勝った者の数字が書かれた紙は箱に戻される。そして、次の対戦相手を決める。これの繰り返し。つまり、運が良ければ最後の一回しか戦わずに済むし、運が悪ければ何回も戦う羽目になるわけだ。

なお、対戦相手の戦術が割れることを出来るだけ防ぐために、わたし達はこうして少し離れた場所に待機するよう言われている。やり合う前に武器を持ってたら意味ないのでは、というわたしの素朴な疑問はそのくらいは気にすんなと放り棄てられてしまった。あと、呼ばれるまではここを離れなければ会話だろうが、食事だろうが、準備だろうが、妖術だろうが、基本的に何をしてもいいらしい。…まだ呼ばれていない者を先に潰しておこうみたいなことを考える者は出ないのか、と思ったけれど言わないでおいた。また、観客がこちらに来ることは許されている。稀に食べ物持って来て、みたいなことを頼む者もいるとか。…勝者の戦術を伝えに行く者もいそうだなぁ、とも思ったけれど言わないでおいた。

ちなみに、こいしはたまにこっちに来ると言ってくれた。頼みたいことがあれば何でも言ってね、難しいこと考えないで勝負に集中してね、応援してるからね、の三つをわたしに言って観客席へと駆け出していた。

それからも何度か呼ばれているが、わたしの数字である八十四はなかなか出てこなかった。…それにしても、何故か呼ばれても出てこない人がたまにいるな。聞き取りにくいような声ではないし、一体どうしたんだろう?…ま、いいや。わたしとは関係ないし。それよりも、何度も呼ばれたいわけではないけれど、こうも呼ばれないとこいしを待たせてしまっている気分になってくることのほうが重要だ。早く呼ばれないかなぁ…。

 

「…おい」

 

そんなことを思いながらため息を吐いたところで、後ろからドスの利いた声で呼びかけられた。誰だろうかと思いながら振り返ると、背中に大太刀に二本背負い、両側の腰にも二本ずつ脇差を携えた筋骨隆々な妖怪と目が合った。ジロリと三白眼に睨まれ、何だか嫌な予感がする。

 

「てめぇよぉ、降りてくれねぇか?」

「…はい?」

 

そして、こういう時の嫌な予感っていうものはよく当たるものだ。何言ってんだ、こいつ。そんなことする理由がないじゃないか。

そう思っているのが顔に出ていたのかどうかは知らないけれど、相手はご丁寧に説明をしてくれた。

 

「今降りれば怪我せずに済むぜ?てめぇは怪我をせず、俺は楽を出来る。…な、いい提案だろう?」

 

…あぁ、こういうのがいるから呼ばれても出て来ないのがいたのか。見た目だけで自分より明らかに強いと分かる者にそう言われれば、言われた通りに降りる者がいても不思議な話ではない、かもしれない。

たしかに、この筋骨隆々な肉体は強者の証だろうし、よく見ればところどころに散見している古傷は歴戦の証だろうし、無駄に六本も引っ提げている得物は殺意の証だろう。

 

「嫌だ。わざわざ降りるためにここに来たわけじゃないからね」

「…チッ」

 

だが、それがどうしたという話だ。わたしからやろうと思い立ったわけでなくとも、こいしに言われてやろうと思ったのはわたしなのだ。栄光なんざに興味ないし、勇儀さんと喧嘩なんて二度としたくないけれど、わたしがやれる手段を生きた相手に試し打ち出来る貴重な機会だ。その提案に乗るなんてもったいない。

それに、貴方みたいな強さを感じられない相手に言われても何にも響かないからね。

 

「十九、四十二、八十四、百二十六は出て来い」

「お、やっとか」

 

かなり待ったなぁ、と思いながら両腕を上に伸ばしながらゆっくりと立ち上がる。肩を軽く回しながらありていると、わざとらしく背中にぶつかってくるのがいた。チラリとその相手を見てみれば、先程わたしに降りるように言ってきた妖怪。

 

「俺は十九だぁ…。残念だったなぁ、地上のぉ。ここでてめぇは達磨になるんだ。今ならまだ間に合うぜぇ?」

 

ニヤニヤと嗜虐的に嗤いながら、そんな安っぽい挑発と提案を投げかけてくる。その言葉に呆れつつ、わざとらしく大きな音を立ててため息を吐いた。そして、何も答えずに先へ歩き出す。背中に何やら悪態を吐かれたが、無視して先を急ぐ。あっちの広場にはこいしが待ってるからね。

広場に着いてみれば、旧都中の妖怪全員が押し寄せているんじゃないかと思うほどの観客。そして、先に到着していた対戦相手となる二人の妖怪を観察する。両腕が非常に長い妖怪と、小柄で異形の翼と爪を生やした妖怪。そして、最後の対戦相手がガチャガチャ音を立てながらこちらにやってきた。

それぞれ四方に離れるよう指示されたので、それに従う。右に小柄妖怪、左に手長妖怪、そして正面には筋肉妖怪。それぞれ構えを取ったり武器を取り出したりするのを見ながら、わたしはいつも通り自然体を取った。

 

「それでは、…始めっ!」

 

その声が聞こえた瞬間、わたしは正面の妖怪へ駆け出した。距離は約十二歩。この程度なら一呼吸あれば届く。ぎらついた大太刀を振り上げるのがゆっくりと見える。

 

「螺指」

 

ボソリと呟き、右手の人差し指を急速回転させる。そして、その指に妖力を充填させながら大太刀の間合いへ侵入した。振り下ろされる大太刀に横にした人差し指を当てると、甲高い金切り音を立てて火花が散っていく。金属の粉が飛び散り、そのまま振り下ろされた刀身は真ん中あたりで異物な形をして取れてしまった。相手の何が起きたのか理解出来ていなそうな呆けた顔を眺めつつ、隙だらけの右肩に人差し指を突き出した。右肩に人差し指が潜り込み、グチュリと湿った肉の感触を感じた瞬間、充填させていた妖力を一気に炸裂させる。

すると、右肩は肉片と骨片、そして大量の血飛沫を撒き散らしながら爆ぜた。

 

「ギッ…、イィヤアァアアァァアアァ!?」

「うるさいな」

 

そんな叫び声をあげる妖怪の横っ面に回し蹴りを叩き込むと、グシャリと顎が砕ける感触が伝わってきた。いくつも歯が飛び散るのが見える。地面を転がりながらも全く意味を成していない叫び声を上げ続ける奴の顔面を踏み潰し、確実に意識を刈り取る。…ようやく黙ったか。

 

「アハッ。次はぁ――」

「勝者、八十四!」

「――あれ?」

 

何故か二人が降参していたらしく、わたしは勝ってしまった。…これじゃあ一対一と変わんないじゃん。

 



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第390話

うへぇ、返り血が酷い臭いだ…。近くで座っていた妖怪が着ていた服に目を向け、汚れと思われる部分を意図的に除外しつつ四角く切り取って複製。創った布切れで拭き取っているのだが、どうにも拭い切れそうにない。うっわ、肉片までこびり付いてるよ…。

次の四つの数字が呼ばれたが、わたしの数字である八十四は含まれていなかった。流石に戻って来て早々に呼び出されるのは無駄足を踏んだ気がして嫌だったので、そこは素直に喜んでおこう。まだ返り血吹き終えてないし。

…あ、鬼だ。呼ばれた四人の中に鬼が一人いた。鬼という括りの中では真ん中あたりにいそうな感じだけど、他の三人と比べれば格が違う感じがする。…まぁ、他三人にもしかしたらとんでもない武器や妖術があるかもしれないし、勝負は分からないか。そう思いながら待っていると、やはりと言うべきか鬼一人だけが帰ってきた。そして、わたしの視線に気付いたらしい彼はこちらに目を合わせ、若干威圧しながらスタスタと近付いてくる。

 

「おぅ、地上の。あんたも来てたのか」

「こいしにぜひ勝ち残ってほしいと頼まれちゃってねぇ。友達の頼みは断れませんよ」

「で、どうだ?その見た目じゃあ、一回はやったんだろ?普段と違って最高に痺れただろ?」

「…今のところ、拍子抜けかなぁ。何か二人降参されちゃったし」

「ンだとォ!?…ッたく、何処のどいつだよ、その腰抜け共はァ!」

「腕が長いのと翼と爪が生えた小さいの」

「その程度ならいくらでもいるから流石に分かんねぇよ…」

 

ですよね。まぁ、あれだ。あの武器六本持ちのように言うならば、無駄な怪我せずに済んだのだ。他ならぬわたしが逃走者であるのだから、逃げることは恥であると罵るつもりは毛頭ない。

それにしても、螺指で体内に指を突っ込ませてから妖力を炸裂させてみたけれど、思ったより爆ぜたなぁ…。皮とほんの少しの肉でブランブランと揺らしながらもギリギリ繋がっていたけれど、もう少し位置がずれていたら、もしくは妖力が強かったら完全に片腕が千切れ飛んでいたよな、あれ。

 

「ところで、貴方は武器とか持ってないんですね」

「おうよ。やっぱ己の拳が一番だからな!俺はいまいち武器ってもんが信用出来んからな。いつ壊れるか分かったもんじゃない」

「ふぅん。ま、言いたいことは分かりますよ」

 

わたしも妖力無効化されると、選択肢に大きな制限が掛かってしまう。だったら、最初から関係のないもののみで戦うという考えに至るもの悪い選択ではないだろう。

そう考えつつ、茣蓙に座って待機していた別の鬼に目を遣る。そして、その肩に巨大な金砕棒が立て掛けられている鬼を指差した。

 

「それじゃあ、同じ仲間としてはあれを見てどう思いますか?」

「へっ、俺と当たったらあれごとぶっ壊してやるさ」

「うわぁお、流石鬼。わたしに壊せるかなぁ?」

 

見た目だけでわたしが創る鉄なんかより硬いことは想像に難くない。色々小細工をすれば出来るだろうけれど、ただの拳では厳しそう。『紅』込みなら拳でどうにかなるかなぁ?

頭の中であの金砕棒を破壊する手段を並べていると、不意にバシッと肩を叩かれた。…あの、かなり痛いんですが。そう思いながら彼に視線を向けると、何にも気にしていないご様子。…はぁ。

 

「お、そうだ。あんたの数字は?」

「八十四。そう言う貴方は?」

「三だ。あんたとやれることを願ってるぜ。じゃあな」

 

誰が好き好んで鬼相手とやり合いたいと思うかよ。そう思いながらも、わたしは口にも顔にも出さずに微笑みながら手を振って見送る。わたしが指差した鬼と談笑し始めたところで、乾いて固まった血を剥がし始めた。

 

「七、八十四、百二十五、百五十八は出て来い」

 

あ、呼ばれた。まだ剥がし切れていないと思うけれど、呼ばれたならばしょうがない。返り血を拭い、今では固まった血の置き場所と化していた布を回収しながら立ち上がる。ザッと周囲を見回すと、対戦相手である三人も立ち上がっていた。…うん?あれ、パルスィさんじゃない?…どう戦うのか気になるところだけど、これから分かるしいいや。

こちらの視線に気づかれる前にパルスィさんから目を逸らし、広場へ足を運ぶ。そして、指定された位置に立つと、右には五寸釘と木槌と藁人形を持ったパルスィさん、左にはわたしの倍はありそうな棍棒を持った大男、正面には体から煙と炎が出ている妖怪。…あの、パルスィさん。そんな目でわたしを睨まないで。

 

「それでは、…始めっ!」

 

その言葉が聞こえた瞬間、パルスィさんの緑色の瞳が妖しく瞬いた。ドロリとした底なし沼のような瞳に睨まれ、多分嫉妬心をどうこうするんだろうなぁ…、と察して気を強く持つことにする。

 

「…あれ?」

 

おっかしいなぁ、何ともないぞ?まさか失敗したとか?…いや、そんなはずないよね。そう思いつつ、真上から迫り来る棍棒を後方に跳んで回避する。が、その着地点には既に炎が迫っていた。咄嗟に棍棒の一部を切り取った板で防御すると、すぐに燃え尽きて灰になってしまう。あぁもう、ああいうお互いぶつけ合って打ち消せない攻撃は苦手なんだよ…。

 

「わたし集中狙いですか、そうですか」

 

思わず文句が漏れ出てしまう。ま、別に構わないけど。次の攻撃は何処から来るのか煙塗れで視界が悪い中で目を凝らして見ていると、ふとパルスィさん以外の二人の雰囲気に違和感を感じた。何というか、普通じゃない。その瞳は妖しい緑色が見えた気がした。…あぁ、そういうこと。

どことなく嫌な雰囲気を纏っているパルスィさんに目を遣ると、すぐさま舌打ちをされた。おそらく、嫉妬心を操るなりして、他二人の攻撃対象をわたし一人に絞っているのだろう。つまり、この勝負は一対三なわけだ。いや、一対二か?…ま、一対多に変わりはない。

煙越しに真横から迫る棍棒を跳びながら避ければ、そこに炎は飛んでくる。だから、その前にガラス棒を重ねて創造し、弾き飛ばされて大男の顔面に肉薄する。この距離なら棍棒はまず使えないし、そもそもまだ振り切っていない。もう片腕も下にダラリと下がっていて、今から動かそうとしてももう遅い。

 

「オラァッ!」

「ギャッ!?」

 

右目に正拳突きを突き刺して片目を潰す。嫉妬に狂っていて瞼を閉じて防御する気もないらしい。…いや、そもそも防御の意思そのものが欠如している、て感じかな?ヌルリとしたものを感じながら引き抜き、その場に浮遊しながら後方回転して顎を蹴り上げる。そして、僅かに浮かんだ体にマスタースパークをぶちかました。

 

「オオォオオォォ…」

「ギィヤアァアァ…」

 

ついでに後ろにいた煙と炎の妖怪も巻き込んでおこう。悪いけれど、スペルカード戦や弾幕遊戯とは違ってこれは攻撃用。威力は段違いだ。

大男が倒れて盛大な音を立てたところで腕を無理矢理動かし、放出する妖力を少し細くしながら推進力として利用。パルスィさんの腹に体ごと体当たりをかます。

 

「ゲホッ!?」

 

そのまま二人一緒くたになりながら地面を転がり、パルスィさんがまともに動けるようになる前に、どう使われるか考えたくもない五寸釘と木槌と藁人形を叩き落とす。それからパルスィさんから離れるように転がりながら立ち上がり、立ち上がろうとしているパルスィさんに跳んで右拳を振り下ろす。

 

「う…ッ」

 

寸前、緑の視線がわたしを射抜く。思考が一瞬ぶれ、それを立て直したときには既に右腕が派手に空振っていた。その隙に距離を取られ離れていく。その目的は、おそらくわたしが叩き落とした道具達。

 

「まず――うお、っと」

 

すぐさま駆け出そうとしたが、その目の前を巨大な火球が通り抜けていく。…あっぶなぁ。当たったら丸焦げもいいところだろ、これ…。というか、まだ起きれたのか、あいつ。

予定を変更し、続けざまに放たれる火球を躱しながら詰め寄る。だけど、彼はいつでも体から炎が噴き出してるからなぁ…。近付けば暑いし、殴ると熱そうだ。だから、十指から妖力を噴出させる。

 

「輪切りにするつもりはないけれど、多少裂けるくらいは覚悟してくださいよ」

 

一応忠告しておいたけれど、嫉妬狂いに言葉は通じなさそうだ。一気に駆け抜け、すれ違い際に右腕を大きく振るって噴出させた妖力で彼の身体を引き裂いた。皮膚を裂き僅かだが肉に切れ目を入れ血飛沫が舞い、彼自身の炎によって一瞬で焦げ臭い香りが漂う。

がら空きの背中に創造した鉄棒で頭蓋を砕くつもりで思い切り突き出し、即座に回収する。金属は熱伝導が割と早いからね。感触的に砕けはしなかったようだけど、倒れたから良しとしよう。倒れた身体からはもう炎を噴き出してないし。

 

「痛ッ」

 

未だ残留している煙が立ち込める中、パルスィさんを探して軽く見回そうとした瞬間、右手の甲から手のひらを貫く鋭痛が走る。すぐに右手を見るが、何処も怪我なんてしていない。首を傾げていると、今度は左手に同じような鋭痛が走る。一応確認しるが、左手にも傷はなかった。

 

「…呪術かな?」

 

藁人形と言えば丑の刻参り。嫉妬と呪いは近しいものだと考える者もいたようだし、あの藁人形にわたしの髪の毛でも仕込んで五寸釘を突き刺していそうだ。…まぁ、本来の丑の刻参りなら七日間続けたり、他人に見られてはいけなかったり、十字路に燃やした藁人形の灰を撒いたり、幻の黒牛を跨いだり、書籍によって様々な手段が書かれていたけれど、それを簡易的にしたものと考えておこう。

 

「ぐ…っ」

 

そんな仮定が出来たところで右足に同様に鋭痛が走る。続けざまに左足にも鋭痛が走った。これは悠長に探してたら後が面倒だ。空間把握。…そこか。

把握したパルスィさんの位置へ真っ直ぐと走り出す。脚を踏み込むたびに鋭痛の残滓が響くが、知ったことか。右肘、左肘、右膝、左膝と新たに四ヶ所突き刺さるが、もう止まるつもりはない。

煙の中からパルスィさんの姿が見え、彼女は最後の一本を藁人形に突き刺す。心臓を貫かれる激痛が走り、一瞬脚がふらついた。だが、この程度の痛みで泣き言を言うほどやわじゃあないんだよ…!

 

「シャアァッ!」

「なッ、ゴフ…ッ!?」

 

胴体を蹴り上げ、目の前まで浮かんだところを左拳で思い切り振り抜く。ミシリといった肋骨の嫌な感触を感じつつ、そのまま真っ直ぐと観客の中まで吹き飛ばした。

 

「心臓貫かれた程度で死んでたまるかよ」

「勝者、八十四!」

 

ようやく煙が晴れたところで、勝敗が決する声が聞こえてきた。その声にホッとしつつ、足元に落ちていた藁人形を拾い上げて突き刺さっている九本の五寸釘を引き抜く。これ、どうすればいいのかなぁ?…ま、髪の毛を取り除いてから燃やしておけばいいでしょう。多分。

 



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第391話

わたしは本来待機すべき茣蓙から少し離れた場所で、緋々色金の魔法陣を創って髪の毛を引き抜いた藁人形を燃やしている。流石に茣蓙に燃え移るのは悪いと思ったので、許可を貰ってここにいる。燃え尽きたらすぐ戻るように言われたけれど。

パチパチと煙を上げながら燃えているのを見ながら、まだ少し痛む右手を軽く握る。当然、左手両足両肘両膝にもまだ痛みの残滓がこびり付いているし、心臓に関しては相当痛い。傷一つない幻痛だとしても、一度感じてしまったものを無にするのはそう簡単なことではない。次に呼ばれるまでに痛みが引いたらいいなぁ、とは思うけれども。

 

「相変わらず効きやしないのね、貴女には」

「パルスィさんですか。効きましたよ、かなりね」

「それに私の商売道具を無断で焼却とは。傍若無人ね」

「こんな傍迷惑な商売止めてください」

「ハッ!その余裕綽々な態度がいつも癇に障るのよ。…妬ましい」

 

呪術の類に使用するであろう藁人形を売っているのか…。これを買う客がいるってことは、わたしも知らぬ間に何かされるかもしれないんだよなぁ…。呪い返しの手順は地霊殿の書斎に書かれていたけれど、やたらと面倒臭いし時間が掛かるから嫌なんだよね。

それにしても、肋骨の一本や二本は折ってしまったと思うんだけど、思っていたよりも大丈夫そうだね。流石は妖怪。ちょっと安心した。薬が凄いのかもしれないけれど、それを使用したのが人間ならこうはいかないだろう。

 

「あ、そうだ。まだ刺さってた場所が痛むんですが、どうにか出来ませんか?」

「よくもまぁぬけぬけと訊けるわね。刺した張本人に対して」

「もう終わったことですし。それに、勝負事に手段を選ばないのは好ましいことだからね」

 

好ましいからやってもいい、とは少し違うのだけれども。まぁ、少なくともわたしはパルスィさんがやった藁人形の件を卑怯汚いなどと言うつもりはない、ということだけ。

 

「…そうやって簡単に呑み下せる貴女が酷く妬ましいのよ」

「呑み下してませんよ。わたしはただ、気にする余裕も権利もないだけ」

 

掟を破り、不文律を見ず、禁忌に触れ、道を外し、邪道を歩む。そんなわたしが言っていいことではない。それに、余力はあっても余裕なんてない。仮に、あのまま煙の中でパルスィさんを探し続けている間に何百本の五寸釘を刺されていればわたしは倒れていたと思う。だから、勝負を急いだ。空間把握で炙り出し、早急に片付けることを選択した。

黒く燃え尽きた藁人形だったものを踏み付け、足裏で磨り潰す。その奥にある緋々色金の魔法陣を回収し、細かい塵となった炭は砂に混じり風に舞った。

 

「それでは、わたしは戻ります。何か話したいことがあったら、向こうにしましょう」

「…三十分よ」

「え、三十分?何が?」

「それだけ時間があればこんなもので移した痛みなんて勝手に引くわよ」

「そうなんですか。ありがとうございます」

 

教えてくれた礼を言うと、舌打ちで返されてしまった。解せぬ。

 

 

 

 

 

 

戻って少ししたら、わたしの数字である八十四と他三つの数字が呼ばれた。まだ四人呼ばれているけれど、残っている人数はもう既に最初の半分以下だ。そろそろ呼ばれる人数が二人になってもおかしくないだろう。

広場に向かっている途中で、対戦相手の一人である雪女郎とすれ違う。確か氷菓を売ってくれた妖怪だ。ということは、彼女は氷かぁ。チルノちゃん元気かなぁ?今日も元気に最強を自称しているのだろうか。…これは今考えるべきことじゃなかったな。

両腕をダラリと下ろして自然体を取りつつ、指定された位置に立つ。右にはさっきすれ違った雪女郎、左には金砕棒を担いだ鬼、正面には狐火を浮かべた妖怪狐。雪女郎の冷気や氷がどの程度操れるか不明瞭だし、鬼は言わずもがな、妖怪狐は妖術に長けてるとか何とか…。はぁ、三人ともかなり厄介だなぁ…。

 

「それでは、…始めっ!」

 

どうするか考え、ひとまず受けに回ることにした。先手は譲るよ。だから、初手を躱すなり往なすなりして対処しよう。

 

「ブゥンッ!」

「うわぁあっ!?」

 

わたしの目の前で妖怪狐が放った狐火を鬼が金砕棒を薙ぎ払って掻き消し、その衝撃波で妖怪狐が吹き飛ばされていく。…うっわぁ、直接当たったわけじゃないのにグチャって言ったよ。あんなの絶対に喰らいたくないなぁ。

雪女郎は距離を取ったか、と思っていると、グリンと鬼の首がわたしに向いた。…え、何でそんな嬉々とした嫌な笑みを浮かべているんでしょう?

 

「待っていたぞォ、地上のォー!」

「待たれても困る…ッ!」

 

そんなことだろうとは思ってたよ…。出し惜しみはなしだ。『紅』発動。金砕棒を振り上げている隙に肉薄し、両手を思い切り開いた平手打ちを叩き込む。極限まで集中された感覚が、どう放てば衝撃が正しく伝わるのかを教えてくれる。

鬼の全身の皮膚が波打ちながら明らかに不自然な姿勢で硬直したところで、左腕を改めて真っ直ぐと伸ばし、右腕を思い切り引き絞り腰を捻じる。次の攻撃の姿勢まで整えたところで鬼の硬直が解け、金砕棒が振り下ろされた。が、その程度の速度ならわたしのほうが一手早く放てる。

 

「オラアァッ!」

「グウゥ…ッ!?」

 

捻った腰と限界まで引き絞った右腕を解放し前へと突き出す最短最速の掌底を心臓部へ叩き込む。皮と筋肉と肋骨を抜けた衝撃は直接心臓へ流れた。振り下ろしの途中だった金砕棒が握り締めていた手からすっぽ抜け、観客のほうへと放物線を描くように飛んでいく。…隙を見せたね。この一瞬の隙は、あまりにも致命的だ。

がら空きの胴体に左右の拳を六発ずつ乱雑に叩き込み、回転しながら跳び上がってこめかみに回し蹴りを放つ。拳には肋骨の砕ける感触といくつかの『目』が潰れて肉が爆ぜたが知ったことではないし、回し蹴りで頭蓋が割れる音が響いたがどうでもいい。

血塗れで吹き飛び地面を滑っていく鬼は、ふらつきながらも立ち上がった。だが、わたしには残念なことにそれを追う余裕がない。

 

「ちっ、面倒な…」

 

遠くに離れていた雪女郎から放たれた氷柱針を『幻』を展開してから放った妖力弾で砕き、そのまま浮遊する。そして、わたしが着地したであろう地面が凍り付く。そして後退した瞬間、大きな水晶のような氷が生えた。氷漬けかよ。

 

「アハッ。邪魔すんなよ」

 

あの鬼がまだ片付いてないんだよ。次々と放たれる氷柱針を躱し『幻』で砕き時に無視して掠めながら飛び、目を見開いた雪女郎の眼前まで顔を近付ける。自然と頬が吊り上がる感覚。視界に一つの魔法陣が創られ、その中心から緋炎が噴き出した。

 

「複製『緋炎・烈火』」

「ぎいいぃぃぁぁぁああああっ!?」

 

流石に炎には弱いか。わたしも一緒に燃えているが、その炎を纏ったまま鬼に向かって駆け出し、ふらつきながらも一切闘志が衰えていないその拳を掴み取る。グチャリとわたしの手が潰れる感触がしたが、そんなものはどうせ治る。今は目の前の敵をさっさと潰せ。

 

「シッ!」

「グブ…ッ」

 

もう片方の腕を伸ばし、顔面を叩き潰す。そしてそのまま掴み取り、後頭部を地面に叩き付けた。地面に罅が走ったが、気にせず何度も何度も何度も何度も後頭部を地面に振り下ろす。いつの間にか地面が陥没し周囲が血色に染まったところで、ようやく動かなくなった。

 

「し、勝者、八十四…」

 

動かなくなった鬼を放り棄て、フゥーっと一息吐く。体に纏い付く炎を払い、潰れた手と焼けた皮膚が治ったのを確認してから『紅』を解く。結局金砕棒は壊せなかったなぁ。そこが少し残念だ。

おっと、緋々色金の魔法陣を回収しておかないと。あれを捨てるなんてもったいない。

 



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第392話

茣蓙に座ってボーっとしていると、焼きとうもろこしを食べながら歩いているこいしに気付いた。キョロキョロと首を動かし、わたしと目が合ったところで真っ直ぐと駆け寄ってきた。

 

「幻香ぁ、調子はどーう?」

「悪くないですよ、こいし。今のところは怪我らしい怪我もしていませんし」

「左手グチャってしたのに?」

「あれくらいならすぐ治るから平気」

「じゃあさ、幻香の怪我ってどんなの?」

「部位欠損」

 

それでも片腕一本程度なら十秒低度で生えるのだけども。けれど、実戦で十秒片腕がないというのは致命的な時間だ。それこそ一瞬で治ってしまう本物の吸血鬼と比べれば、わたしの『紅』はあまりにも遅過ぎる。ちなみに、大怪我は心臓欠損で致命傷は妖力枯渇。

大怪我より致命傷のほうが遥かに多い件については目を逸らしつつ、一応潰れた左手の動きに違和感がないか確認していると、わたしの目の前に半分ほど食べられた焼きとうもろこしを向けられた。少し焦げた醤油の香ばしい匂いが鼻をくすぐってくる。

 

「ところで、幻香はこれ食べる?」

「いいんですか?食べてる途中みたいですけど」

「もう一本あるから平気!」

「せめてそっちをくださいよ…」

 

そう言ってみたものの、隠し持っていたもう一本の焼きとうもろこしはこいしが既に口を付けていた。…ま、いっか。半分でも貰えるなら貰っておきましょう。

このとうもろこし、結構甘いなぁ。きっと茹でただけのものでも美味しかったろう。それを醤油と一緒に焼いたことでさらに旨味が増している。

ゆっくりと味わいながら食べ進めていると、途中で口を止めたこいしがわたしに顔を向けた。その表情はほんの少しだけ心配げに見える。

 

「最後まで勝ち残れそう?」

「さぁ、どうでしょうね。わたしなんかより強い妖怪なんて、その辺にゴロゴロいるでしょ」

「そうかなぁ…?けど、油断大敵?」

「ですね。まぁ、そろそろ一対一になる頃でしょうし、少しは楽になるといいけど」

「わたしがこっちに行く時には一対一になってたよ。幻香はあと何回戦うかなぁ?わたしとしては、たくさん戦ってたくさん勝ってほしいな!」

「…少ないのは嫌ですけれど、多過ぎるのもなぁ」

 

試してみたいことがいくつかあるのに、それをやる前に終わってしまうのは消化不良でモヤモヤするだろう。けれど、何度も戦うのは非常に疲れそうだ。

それよりも、今のわたしに残されている妖力のほうが心配だけど、と思ったところで一つ閃く。

 

「あ、そうだ。こいし、一つ頼まれてくれませんか?」

「なぁに、幻香?」

「わたしの部屋に置かれてる金剛石の大体半分くらいを袋か何かに詰めて持って来てくれませんか?」

「いいけど、何に使うの?」

「これから使うの」

 

もったいないけど、無駄に大量に創り置きしているなら使ったほうがいいだろう。ある程度は魔界の把握に取っておきたいけれど、半分くらい残っているなら平気だと思いたい。非常にもったいないけれど、こいしのお願い通り勝つためだ。使えるものは使っておこう。本当にもったいないけれども。

一個で一割。十個でわたし一人分の過剰妖力を保有している金剛石の複製。それがいくつあったっけ?…もう覚えてないや。数えるのが面倒臭くなるくらいには創っていたはず。

 

「分かった。幻香の金剛石を半分くらいね」

「ありがとうございます」

「じゃ、ちょっと行ってくる!すぐ戻って来るからね!」

 

そう言うと、こいしは真っ直ぐと地霊殿へ飛んでいった。流石にちょっと重くなるかもしれないけれど、そこまで時間は掛からないだろう。首にぶら下げている五つの金剛石では足りなくなるかもしれないし、早めに頼めてよかったほうだろう。

 

「八十四、九十は出て来い」

 

そう思っていた矢先に、わたしの数字が呼ばれてしまった。まずいな、こいしがまだ帰ってきていないのに。というか、飛んでいってすぐなんですが。何て間の悪い…。

まぁ、しょうがないか。こいしが早く帰ってくることを願っておくとして、わたしはやることをしよう。…ひとまず、この焼きとうもろこしをさっさと食べ終わらせましょうか。

 

 

 

 

 

 

誰だこいつ…。それが対戦相手の第一印象だった。

全身鎧で完全防備。顔までキッチリ覆われており、細い小さな切れ目の向こう側から視線を感じるが、どう考えても指を突っ込むなどして攻撃するのは無理そうだ。握った拳には鋭く尖った棘が伸びており、殴られただけでも痛そうだ。肩やら肘やら膝やら要所要所にも棘がくっ付いていて攻撃し辛い。

 

「ふぅん!この防御、貴様なんぞに突破出来まいッ!」

「あ、え、うん。そうですね…」

 

だが、それは飽くまでわたしがこの体一つで戦った場合の話だ。棘が面倒なら遠距離攻撃を仕掛ければいいし、炎で中身を焼き切るのも悪くはないだろう。超重量のものを創って押し潰すという手もあるが、それは流石に止めておこう。相手を殺しかねない。

さて、どうしようかなぁ…、と思いながら頭を掻いていると、勝負が始まった。それと同時に、全身鎧がガチャガチャ金属音を立てながらわたしに向かって真っ直ぐと走ってくる。うわ、あんな重量を全身に纏っているにもかかわらず、思ったよりも速いじゃないか。

 

「だがッ!この俺様はこの防御に頼ったりはしねぇ!このまま貴様をぶっ潰してやるぜぇッ!」

 

と、ご丁寧に説明までしてくれた。急に加速してくる可能性もあるので早めに回避しつつ、どう攻めるか考える。…ふむ、あの防御を貫けるか試してみようか。

一度立ち止まり、身体を全身鎧に向ける。愚直に走ってくる姿を捉え、スッと息を止めた。緩やかな時間の流れの中で急加速し、懐まで肉薄する。右掌底を胴体に真っ直ぐと打ち出し、その衝撃を内側へ流すことを試みる。鎧をすり抜け、中にいるであろう妖怪に直接この衝撃を伝える。

 

「ぐぉ…ッ?」

 

あ、効いたわ。次は、螺指。急速回転する人差し指を鎧に突き刺し、ギャギャギャギャギャ!と嫌な音を立てながら削り抜けていく。…あ、駄目だ。人差し指の長さじゃ足りないわ。けれど、まぁ、ここから貫通特化の妖力弾を放ってみましょうか。…やっぱ駄目か。鎧を突き抜けられていない。こっちの指のほうがおかしくなりそうだ。

人差し指を引き抜いて距離を取り、ピンと一つ面白いことを思い付いた。…結構妖力使いそうだし、一つ金剛石を回収しておこう。地面に妖力を流し込み、奥の奥まで染み渡らせる。範囲は出来るだけ広い方がいい。

 

「待てぇいッ!よくもこの俺様の鎧に穴を…ッ!もう容赦せんぞッ!」

「ああそうかい。別に構わないよ」

 

こっちはその人差し指が自分自身の妖力弾で自壊しかけたけれどね。まぁ、鎧に穴を空けたのは悪かったとは思っている。けれど、それをどうにかしてあげようとは思えないし思わない。道具は所詮消耗品だ。よっぽどのものでなければ使い捨てくらいでちょうどいい。

…よし、これだけの広さがあれば十分だろう。わたしは、空間把握した地中を丸ごと複製した。

 

「うおおぉぉおおおッ!?何事だああぁぁぁぁ…」

「やば、思ったより大きかったかも…」

 

瞬間、超質量の土塊が全身鎧を乗せたまま地中から弾き出され、一瞬で外まで出てきた土塊の勢いがそのまま全身鎧を遥か上空へと打ち上げた。…うわぁ、ちょっとやり過ぎたかも?天井付近まで打ち上げられた金属鎧を見上げ、それから目の前にある土塊の複製の壁に触れてその全てを回収する。だって、このままだと自由落下の衝撃が土塊の高さ分だけ減ってしまうでしょう?懸念材料はあの全身鎧が飛べるかどうかなのだが…。あ、落ちてきた。必死に足掻いてるけれど、もしかして飛べないのかな?

 

「ぐはぁッ!?」

 

そのまま全身鎧は物凄い音と共に地面に叩き付けられた。土煙が大量に舞い上がり、その中から野太い悲鳴が上がる。…これ、大丈夫だろうか?

 

「う…、ぐぅ…ッ」

 

あ、立ち上がるのか。なぁんだ、心配して損した気分。それにしても、あの高さから自由落下して背中から地面に叩き付けられたのに立ち上がれるってことは、確かに全身鎧の防御に頼らずともなかなかに頑丈だね。

 

「げほッ、ごほッ…。まだ、負けん…ッ」

「そうだね。続けようか」

 

ここからは小細工なしだ。『紅』発動。…あぁ、思ったより『目』が多いな。点々と散らばっていて、関節部分にはいくつかあるようだ。特にわたしが空けた穴の周辺にはかなりの数が集まって見える。あれらを潰せばこの鎧は簡単に壊れるのだろう。…さて、いこうか。

 

「う、ぉぉぉおおおおッ!」

 

お互い一直線に走り出す。このままぶつかり合えば、明らかに軽いわたしが吹き飛ばされてお終いだろう。だが、そうはいくか。ぶつかり合う寸前、突進ばかりで隙だらけな胴体に思い切り開いた両手を同時に叩き込んだ。ガァンと二つの金属音が一つになって響く。金属鎧全体が細かく震え、衝撃が全身鎧を駆け巡る。そして、そこら中に点在していた『目』が一斉に潰れていった。

ガシャァン、と儚い音を立てて指先や足先なんかを残して全身鎧が砕け散る。鎧に包まれていた筋肉の塊みたいな肉体が剥き出しに晒され、兜の中に隠れていた闘志と殺意が入り混じった視線が直接刺さる。

 

「防御に頼ったりしない、でしたね?」

 

遠慮はしない。筋肉の奥にある臓器を潰す勢いで鳩尾に肘を突き刺し、事実皮を食い破り肉を引き千切って潜り込んでいく。その拍子に近くにあった『目』がいくつが潰れ、肉が爆ぜていく。温かな返り血を受け、自然と頬が吊り上がっていく。

雑に振り下ろされた両腕をもう片腕で受け止め、すぐさま膝を叩き込んで吹き飛ばす。溢れる血が地面を濡らし、吹き飛んだ先までの道を作る。わたしはその上を歩いて進んだ。まだ倒れてないよね?まさか、この程度でお終いなんて言わないよねぇ…?

 

「し、勝者、八十四…」

 

そう思っていたのに、審判からの勝利宣言が出された。…ちぇっ、と心の中で舌打ちしつつ、指先から伸ばしていた妖力を仕舞う。ま、文句を言ってもしょうがない。

あーあ、もう少し続けたかったんだけどなぁ。だって、こいしがまだ帰って来てないんだもん。

 



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第393話

「ふぃーっ!思ったより重かったよぉ、これ!」

「…思ったより創ってたんですねぇ、わたし」

 

ゴチャリと大きな袋がわたしの横に置かれる。その拍子に袋の口からいくつか金剛石が零れ落ちた。見られたら面倒事になりかねないので、すぐに拾って袋の中に戻しておく。

最後に拾った金剛石を首に掛けているネックレスにくっ付けていると、こいしが隣に座って体を寄せてきた。

 

「あーあ、一試合見逃しちゃったぁ。ね、ね、どんな相手だった?」

「全身を鎧で固めてましたね」

「あー、それかぁ。なかなか凄かったよ、うん。体当たり一つで相手の武器ごとドカン!だもん」

「武器ごと、ねぇ…。恐ろしい話だ」

 

かなり頑丈だったんだろうなぁ、あれ。『紅』で『目』を潰さなければ、破壊は困難を極めていたかもしれない。…いや、螺指で穴が空いたし、どうなんだろう?…ま、いいや。もう壊しちゃったし。

袋の中に手を入れ、自分自身に残された妖力量から考えて三つ回収する。そして、手の中に十個握り締めてから取り出し、こいしにこの握った手を向けた。

 

「ちょっと持っててくれませんか?」

「いいけど、何するの?」

「髪紐を創る」

 

まぁ、ただの髪紐じゃあないんだけど。目を瞑り一本の繊維を思い浮かべ、その繊維を無数に解いて、それをさらに解いていく。それらを繰り返したのち、解けた繊維を改めて縒り合わせる。…もう少し太い方がいいかな。

 

「…よし、こんなところかな」

 

両腕を広げるくらいの長さのフェムトファイバー。密度はミッチリ満ち満ちている。

 

「こいし、後ろを一つに縛ってくれませんか?」

「いいよー。どんな感じにする?」

「そんな飾らなくていいですよ。…あぁ、そうだ。紐がかなり余るように創りましたんですが、出来れば両側に同じくらいの長さで余らせてくれると嬉しいです」

「ん、了解」

 

そう注文すると、こいしはわたしの後ろに回って髪の毛に触れる。手櫛で丁寧に梳かれ、一つにまとめられた髪は後頭部の真ん中あたりできつめに縛られた。左右に余った髪紐が、肩から垂れ下がる。

 

「どう?」

「いい感じ」

「よかった」

 

ああ注文してもこいしのことだからかなり髪紐を使って飾るように縛ると思っていたけれど、わたしが注文したままにただ単純に一ヶ所で縛っただけのもの。だから、かなり髪紐が余ってしまったが、そこは回収すればいいので問題はない。

垂れている紙紐を胸の辺りの長さで回収し、こいしから返してもらった金剛石を左右に垂れている紙紐の端に五個ずつ癒着させる。ちょっとした錘になってしまうけれど、縛っている部分に影響はなさそうだ。

ネックレスに五個、髪紐に十個、計十五個。武器として過剰妖力を炸裂させてもいいし、回収して妖力回復に使ってもいい。これだけあればかなり好き放題妖力を使えるかな。…まぁ、これから試そうと思っていることは、どれもこれも妖力の消費が重そうなものばかり。五個だけだとちょっとだけ心配だったんだよね。

 

「残りの金剛石は預かっててくれませんか?」

「うへぇ。これ、すっごく重いんだよ?…いいけどさぁ」

「すみませんね。わたしに出来ることなら何か代わりにしてあげましょうか?一つや二つくらいならやりますよ」

 

そう言うと、わたしの背中にこいしの重みが加わった。顎が左肩に乗せられ、そのままもたれ掛かってくる。

 

「じゃあ、呼ばれるまでこのままでね?」

「そのくらい、お安い御用ですよ」

「それと、次の幻香は派手なのがいいなぁ。あっと驚くようなの」

「…ちょっと考えさせてください」

 

派手なのとか、あんまり考えていなかったんだけど。今から考えなくては。

 

 

 

 

 

 

結局、いまいち派手なものが思い付かなかった。マスタースパークの系統が一番派手だと思うんだけど、それ一辺倒はなぁ、と思うとそれ以上がなかなか思い浮かばない。悩みを抱えたまま呼ばれ、そして細身な対戦相手を目の前にしても考えている。

とりあえず、後半部分のあっと驚くくらいは満たしておこうかな、と思ったところで勝負が始まった。

 

「お?」

 

そして、対戦相手が忽然と消えてしまった。…いや、わたしの周囲から引っ切り無しに風切り音が響いている。そこら中の地面から踏み締める音が伝わってくる。どうやら、わたしに視認出来ないほどの速さで動き続けているのだろう。

考えながらだと怪しいな。ちゃんとするか、と目を凝らす。…あ、微かだが見えるな、これ。動き続ける彼の姿を目で追うが、どう仕掛けたものか…。

 

「どうやら、雑魚では、ない、らしい…。妖術で、身体強化した、この、俺を、目で、追えるとは、な…」

「…まぁ、貴方より速い人を知っていますからね」

 

というか、彼女より速い存在がいてたまるか。零秒だぞ、零秒。時を止めて活動出来る存在がそんなポンポンいたら困る。

そんなことを考えていたら、頬に衝撃が走った。一瞬、何が起きたか分からなかったが、死角から接近して攻撃、即座に退避したのだろう。手の甲で頬を擦り、舌で口内が傷付いてなか確かめる。…うん、速いけどかなり軽いな。今のところは大したことなさそう。

 

「だが、追える、だけ…。お前の、攻撃、俺には、当たらない…」

「…ふぅん。じゃあ、まずはその自慢気に語った宣言を潰しましょう!」

 

わざとらしく両腕を広げ、声高らかに宣言する。観客が一瞬騒めくが、そんなことはいちいち気にしない。右手を軽く握り締め、顔の横の辺りまで上げておく。

そして、目を瞑ったままその場で裏拳を振るう。

 

「無駄、だ…。当たるわけ――ぶがあっ!?」

 

そして、彼の鼻っ柱を圧し折った。ガシャァンと割れる音を聞きつつ目を開いて振り向き、地面を無様に転がっていく姿を見下ろす。

 

「気分はどうだい?」

「何、が、起き…っ?」

「聞いてないか」

 

彼自身も何が起きたのかよく分かってないだろうねぇ。だって、彼はわたしに近付こうとすらしていなかったのだから。それなのに、気付いたらわたしが振るった裏拳の目の前にいて、どうすることも出来ずに喰らったのだから、

タネは簡単。空間把握をして動き回る彼の位置を把握し、動きも頭に叩き込む。次に、その瞬間のみを切り取ってわたしに向かっていたところで、わたしに向かって伸びるガラス棒を彼に重ねて創造。すると、彼はその瞬間に動いていた勢いそのままにガラス棒から押し出され、わたしの目の前まで弾き出された。そして、あらかじめ振るっていた裏拳を喰らった。それだけ。

 

「ま、次動かれると面倒だ」

 

わたしは刀を四本創造し、彼の両手両足に射出する。動転していた彼は避けることもなく貫かれ、そのまま地面に縫い付けられた。短い悲鳴を上げたが、知るかそんなこと。

 

「刀は好きかい?ちなみに、わたしはそこまで好きじゃない」

 

その答えを聞く前に、地面から大量の刀が生えた。まぁ、地面の中に刃を上にした刀を大量に創っただけなんだけど。まるで剣山のようになった彼の身体だけど、一応刺さったらヤバそうな急所は外しているつもりだ。殺しちゃあいけないからね。けれど、地底の妖怪なら心臓に一つや二つ刺さっても死ななさそうだよね。頑丈だし。

悲鳴を上げる暇すらなく、そもそも悲鳴を上げられるはずもなく、彼は動かなくなった。じわじわと地面に血が広がっていく。意識はとうに失っているだろう。

そんな彼の顔を見下ろすようにしゃがみ込み、見下しながら言ってやる。

 

「当たる当たらないじゃねぇよ。当てるんだ。聞こえてるなら、覚えておきなよ」

「勝者、八十四…!」

 

立ち上がりながら数多の刀をまとめて回収すると、すぐさま妖怪達が穴だらけで血塗れな彼を持っていく。きっと治療を施されるのだろう。

…ま、派手だったかどうかは知らないけれど、目的通りあっと驚かせるくらいは出来たんじゃないかな?

 



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第394話

「気付けば大分減ってきたねぇ」

「そうですね。わたし含めてあと四人ですか」

 

ついでに言えば、わたしを除けば全員鬼だ。ここまで来るとやはり鬼しか残れないらしい。少し観察してみると、とんでもなく大きな金砕棒を持っているか、完全な手ぶらかのどちらかに綺麗に分かれている。これから彼らと戦うのか…。

思わずため息を吐いてしまったところで、数字が二つ呼ばれる。わたしの数字である八十四は呼ばれなかった。よかった、のかな?

 

「あのさぁ、幻香。さっきの勝負なんだけどぉ…、あれは流石にどうなの?」

「え、駄目でしたか?」

「驚いたよ、うん。皆して一歩二歩後退りするくらいには引かれてたしね。けどさぁ、わたしが期待してたのはドッカーン!でピッカーン!でブワーッ!って感じだったんだけど!」

「ドカン…、ピカン…、ブワー…」

 

爆発、閃光、突風だろうか?爆発なら水素と酸素を反応させるのが簡単だけど、火薬を創るのって面倒臭いんだよなぁ…。閃光はそこら中にある光を一点に集中させて複製すればいいだろうけれど、あんなのはただの目眩ましにしかならない。そこら中にある空気を複製すれば多少の風を起こすことは可能だろうが、それを攻撃に使えるかと言われるとなぁ…。

それに、わたしが試したい手段はどれもこれも地味なものばかり。とてもではないが、こいしの期待に沿えるとは思えないのだ。考えていたものの中で比較的マシだと思っていたものでああ言われてしまっては、もうどうしようもない。

 

「わたしに派手なものは無理そうです」

「無理じゃないよ!ほら、マスターナンチャラで妖力をドーン!」

「…あれ、効果の割に妖力消費が重いんですよ。弾幕遊戯なら放つ妖力量を減らして誤魔化せるんですが、攻撃に使うとなるとねぇ…。使いにくいったらありゃしない」

「えー、そうだったの?」

 

今回みたいな強者相手だと同じ妖力で攻撃するなら、広範囲に放つより一点に範囲を絞ったほうがいい。それに、ちょっとやそっとの妖力弾だと受けながら突貫されかねないから、そうされないように妖力を増やさなければならない。つまり、マスタースパークはこういう勝負では弱い。独創「カウントレススパーク」を実戦で使用するのはまさに自殺行為。

まぁ、使えないわけではない。雑魚の大群を蹴散らすには非常に便利だ。大量の飛び道具を放たれたときには、それら全てを破壊しながら攻撃出来る。この範囲の何処かにいると分かっているなら、とりあえず炙り出しにブッ放すのもいい。要は使い様なのだ。

そう思いながら、袋の中から金剛石を一つ摘まんで眺めてみる。この中にわたしの妖力一割が含まれていると考えると凄いことだと思う。けれど、やっぱり緋々色金が欲しいなぁ。

 

「けれどさ」

「何でしょう?」

「わたしは幻香がその妖力消費なんて気にせず暴れるところを見てみたいなぁ」

 

 

 

 

 

 

熱い、熱い熱い、熱い熱い熱い!はち切れんばかりの妖力が、わたしの身体に熱として訴えてくる。少しでも気を緩めたら、そのまま妖力が体内で破裂しそうだ。今すぐ外へ排出してやりたい。だが、そういうわけにもいかないのだ。

 

「オォラアァッ!」

「ぐっ、うおっ!?」

 

わたしの拳を両腕を交差させて防御した鬼は一度は踏み止まり受け切ったが、即座に何かが破裂した音と共に吹き飛ばされる。そう、妖力だ。

今のわたしは、圧倒的妖力量を体に纏った結果として黒紫色に光って見えるらしい。こいしがそう言ってた。そして、攻撃の瞬間に追撃として触れていた部分の妖力を炸裂させて吹き飛ばした。その妖力量、拳一つで推定金剛石一個程度。弾幕遊戯で使うマスタースパークくらい。

踏み締めた地面が爆発し、わたしを一気に押し出す。吹き飛んだ先にいた鬼に一瞬で肉薄し、彼の背後に何重にも壁を創造した。逃げ場を失わせるためではなく、相手が吹き飛ばないようにするために。

 

「シャラアァァァッ!」

「ぐ、んのぉおおっ!」

 

両拳両脚を全て使いとにかく殴る蹴る。相手には即座に両腕を交差して防御されたが、そんなもん知るか。好きなだけ防御しろ。わたしはそれをブッ壊して根こそぎブッ潰してやるから。

一撃一撃を加えるたびに妖力が炸裂し、その衝撃で背後の壁に罅が走り壊れていく。相手の両腕が赤黒く染まっているが、それでもなかなか防御が崩れそうにない。だが、その奥から呻き声が聞こえてくる。確実に効いている。

さらに重い攻撃を、さらに速い追撃を。そう強く意識し続けながら、とにかく乱打を叩き込み続ける。背後の壁が最後の一枚になった頃になって、心なしか相手に余裕がなくなってきたような、と思ったら防御していた両腕がわたしの蹴り上げた右脚によって大きく弾かれた。苦痛に歪む鬼の表情とがら空きの胴体。

 

「喰らえェァアアッ!」

 

右脚を大きく踏み締め、身体に纏っていた妖力を左拳に集中させる。その圧倒的妖力がわたしの左手を焦がす錯覚を感じたが、そんなものはどうでもいい。わたしはこの左拳で目の前にいる鬼を殴り飛ばす。

左拳が肋骨をまとめて圧し折りながら、さらに内側へ抉り込まれていく。瞬間、左拳にと纏っていた妖力が一気に炸裂した。

 

「ごはぁっ!」

 

背後の壁を粉砕して吹き飛んでいき、観客席を守る壁に叩き付けられた。炸裂した妖力を回収する暇もなく、わたしの左手すらも破壊してしまったが、このくらいなら『紅』で治せる。…ほら、治った。

吹き飛ばした先の土煙の中で起き上がる音が聞こえ、わたしは即座に大量の武器を周囲に創造して射出する。刀、脇差、斧、鈍器、槍、薙刀、金砕棒などなど何でも御座れだ。刺されば運がいい。刺さらなくてもそれはそれ。目的は別にある。

空間把握。土煙として空中に漂っている粉塵を片っ端から複製し、空気から水素と酸素を選び出して複製。射出した刀と金砕棒がぶつかり合う火花によって、水素と酸素が反応し爆発した。そして、土煙が丸ごと爆発する。その圧倒的熱風に思わず両腕で顔を防御してしまう。…そう、粉塵爆発だ。

…ふぅん、まだ生きてるな。意識もあるらしい。流石はここまで残った鬼だ。相当頑丈だねぇ。

 

「それじゃ、もう少し試しましょうか」

 

押し留めていた妖力を『幻』として外へ展開させる。とりあえず片っ端から作り続けよう。操作が上手くいかなかろうと、次元がズレようと、自然消滅しようと関係ない。千や二千程度なら、今のわたしには安過ぎる。効かなけりゃそれはそれで別に構わない。けれど、せめて威力くらいは出来るだけ高い位置を維持してみせようか。

相手もわたしも観客も審判も関係ない。無差別弾幕がこの場を埋め尽くしていく。やけに周囲が騒がしいけれど、こいしが派手なものを望んだんだ。このくらい我慢してよね。

 

「こんの、程度ぉ!」

「…ま、そりゃ効かねぇよなぁ」

 

腫れ上がり壊れかけの両腕を振るって掻き消している鬼を見て、『幻』の弾幕ではあまり効かないと理解したのですぐに回収する。残りの弾幕を掻き消している鬼に向かってゆっくりと歩みながら、右手の人差し指の先端一点に妖力を集中させる。

 

「アハ」

 

自然と笑いが零れた。嗜虐趣味はないつもりだったんだけどなぁ。ま、どうでもいいか。

黒紫色の一閃が彼の右肩を貫いた。続けて右肘、右手、右膝、右足と半身の要所を撃ち抜く。空いた風穴から、今更になって血が流れ出した。…よし、これで容易く逃げ出すなんてことは出来まい。

 

「アハハ」

 

人差し指から黒紫色の妖力を噴出させ、ピッと軽く振るう。それだけで、その延長線上にあった左腕が千切れ飛んだ。ついでに観客を守る壁とその近くにいた観客に当たりそうになったことに関しては目を瞑ってほしい。

 

「アハハハハ」

 

右手から黒紫色の妖力弾が放たれ、左膝に被弾したところで爆裂する。肉が爆ぜ散り、骨が砕け、半分以上が抉られた無残な姿が曝された。ゴポッと血が溢れ出したのを見ていると、いっそ取れてしまったほうがよかったかもなぁ、何てことを他人事のように思った。

 

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」

 

右手に妖力を溜め込みながら、嫌に笑いが込み上げてくる。動かないねぇ。動けないねぇ?見えてるかな?見えてないか。黒紫色を超えて最早ほぼ漆黒に染まった妖力。これを放出する。今のわたしが出来る最大出力のマスタースパークって、どんな威力になるのかな?

 

「待てッ!もう止めろ!」

「ぁん?」

 

そう思っていたら、背後から審判がわたしの肩を掴んできた。どうやら静止に来たらしい。まだ終わってねぇよ。これを放っていない。

 

「八十四、…いや、地上の。もう勝負は着いた!その手を収めろ!」

「ふぅん。あ、そう」

 

そう言われ、溜め込んだ漆黒の妖力を握り潰すように回収する。金剛石数十個以上の妖力が再び体内に戻り、再び溢れ出そうになるのを押さえ込んだ。…どうやら、既に勝者の宣言が成されていたらしい。申し訳ないけれど、全然聞こえてなかったよ。

大人しく待機する場所に戻ろうとしたが、また肩を掴まれた。今度は何ですか?

 

「次もお前が出る。ここで待っていろ」

「あ、そっか」

 

ヤバい、忘れてた。今回の勝負でかなり派手に使っちゃったんだけど、この妖力量でどうにかなるかなぁ…?

 



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第395話

今にも破裂しそうな妖力を無理矢理押し込めつつ、次の対戦相手が来るのを待つ。その間、この勝負の勝者と戦うことになっているらしい勇儀さんに目を向けた。畳を数帖積んだ上に胡坐をかいて座っていて、酒で満ちた盃を煽っている。そして、わたしの視線に気づいたらしい彼女に獰猛な目を向けられた。闘志は十分、って感じかな。…はぁ、これに勝ったらただでは済まなさそうだなぁ。

特に理由もないけど睨み返してみようかなぁ、なんて思ったところで足音が耳に入ってきたので止めておく。対戦相手の入場だ。…見覚えあるなぁ。今日、それもかなり最近話したことある鬼だよなぁ。

 

「よお。勝ち続けてりゃああんたとやれると思ってたぜ」

「ま、お互いに勝ち続けてればそりゃあいつかぶつかるでしょうねぇ」

「嬉しいねぇ。あんたとは五番目にやり合いてぇと感じてたんだ」

「五番目、って…。そりゃまた微妙な数字ですねぇ」

「四天王様の次だぜ?最大級の賛辞だろ?」

 

そう言われても何にも嬉しくない。思わずため息を吐きながら、両腕を軽く下ろした。相変わらず妖力が熱としてわたしの身体を焼くが、妖力量が減ったからか、それとも熱に慣れたからか、一つ前の勝負のときよりは大分楽になっている。この程度ならあまり気にならない。

 

「それでは、…始めっ!」

「まずは小手調べだ!」

 

大股でわたしに走り出し、僅か数歩で詰め寄ってきた鬼の拳を躱し、続けざまに横から迫る回し蹴りを右手で打ち上げるように押し上げる。妖力炸裂によって片脚が弾き上げられた相手の態勢が大きく崩れたところで、右脚を真っ直ぐと蹴り出した。わたし自身の蹴りと妖力炸裂が重なり、大きく吹き飛ばされていく。…あんま効いてなさそうだよなぁ。

案の定、平然と立ち合がった鬼は嬉しそうに笑うだけ。妖力炸裂を半自動化させていたけれど、これからは自発的にやるか。効きもしない時に無駄に炸裂させても意味がない。

 

「はっ…。やっぱいいねぇ、地上のォ!」

「そうかい。これから本番ですか?」

「あぁ、その通りだァ!」

 

その発言と共に、鬼の雰囲気がガラリと変貌する。今更になって、改めてわたしは鬼と勝負していることを思い返された。

 

「ッ!?」

「おらァ!」

 

そして、本能がか命ずるまま上体を大きく後ろに倒し、横薙ぎに振るわれた左腕を回避した。片手を地面に付けて後方回転し、距離を取りつつ体勢を直そうとするが、既にわたしの目の前に跳びかかる鬼が見えた。顔に迫る蹴りを咄嗟に出した右手を掴み取る。ビキリと右手が軋む音が響き、嫌な痛みが駆け巡る。だが、受け止めた。

 

「シャラァッ!」

「うおッ!?」

 

右脚を掴んだまま全身を回転させて振り回し、身体を真横に倒しながら跳んで地面に投げ飛ばす。横回転から縦回転に移行しながら落下し、起き上がりかけていた鬼の頭に踵落としを叩き込む。そして、纏っていた妖力を炸裂させた。

炸裂させた妖力の勢いにわざと乗り、吹き飛ばされるように大きく距離を取る。十指から黒紫色の妖力を噴出させ、相手を待った。

 

「痛ってぇ…。だが、悪くねェ!むしろいいィ!」

「えぇ…」

 

頭から血を流して顔に赤い線が走っているにもかかわらず、この発言である。どれだけ戦いたいんだよ。ま、わたしも試したいことがまだあるんだ。簡単に倒れるよりはいい。

 

「こうしてあんたと一対一を全力でやり合えて俺ァ嬉しいぜェ!」

「わたしは嬉しくない…!」

 

左手の五指から妖力を鬼に向けて一気に噴出させたが、皮一枚犠牲にするだけの動きで躱され、肉薄されたところで右手首を軽く振るって薙ぎ払うが、皮膚がいくら引き裂かれようが気にすることなく向かってくる。…うわぁ、この妖力で肉を裂けないのか。もっと濃くしないとまともに入らなさそう。

迫る拳を右手の甲で往なし、右手に罅が入る感覚が走る。…知ったことか。続けて下から来る膝を体に纏っていた妖力を前方に噴出させ、攻撃と回避を同時に行う。…まぁ、回避は出来ても攻撃は意味を成していないだろうけれど。

跳びかかってきた鬼を飛び退って回避すると、鬼の拳が地面を粉砕舌を見せられた。…うへぇ、あんなのまともに喰らいたくないんですけど。そんなことを考えていたら、わたしの胴に飛び膝蹴りが迫る。その場で半身ズラしながら回転回避し、すれ違い際に裏拳を叩き込む。…効いちゃいないか。

 

「…なんか、もう傷塞がってるし」

「当たり前よ。俺は傷の治りが早ぇのさ」

「ああそうかい」

 

思わず頭を押さえたくなった右手を収め、代わりにため息を吐く。十指から噴出させていた妖力を仕舞い、全身の力を一気に抜く。

 

「どうしたァ!攻めて来ねぇならこっちから行くぜェ!」

 

そう言いながら、鬼がわたしに肉薄した。わたしはその姿をぼんやりと見詰めていた。

 

「お…?」

 

そして、目の前まで迫った拳は何かとぶつかり合った。押し出されるように、わたしは一歩後退る。

 

「わたしは嬉しくないと言った」

「ぐが!?」

 

目の前の鬼が右から伸びた腕に殴られた。

 

「鬼相手と好き好んで戦いたくないし」

「うぶ!?」

 

左から跳んできた脚が脇腹を突き刺した。

 

「全力でなんて御免だ」

「ぐっ!?」

 

奥から跳んできた膝が後頭部に叩き込まれた。

 

「だから、わたし達で貴方を倒すことにした」

「ごばぁ!?」

 

そして、わたしから弾き出された鬼の複製(にんぎょう)が、鳩尾に拳を捻じ込んだ。吹き飛んだ先に既に創られた複製が彼を袋叩きにする。観客の複製が次々と飛び出し、彼に圧し掛かるようにして大きな山が作られた。最初の数体はわたしが操作したけれど、途中からはあれに跳び込んで圧し掛かるよう情報を入れた。

暫く複製の山を眺めていると、もそりを動いた。そして、下から圧倒的な力によってまとめて薙ぎ払われた。

 

「この程度で負けるかよォ!」

「だろうね」

 

両腕を大きく広げて、積み上がっていた複製達を吹き飛ばした鬼のがら空きな胴体に肉薄し、右手に溜めていた漆黒に染まった妖力を添える。

 

「ごめん、ありゃ嘘だった」

 

そして、漆黒の砲撃が放たれた。地面を抉るよりも先に消し飛ばし、逃げ惑う観客のいた場所を丸ごと飲み込む。その中にいた鬼は大丈夫だろうか、なんてことを一瞬思い浮かべたけれど、すぐに消えた。

いくらか残っていた複製達をわたしの元に集めて回収しつつ、その妖力をさらに込めて撃ち続ける。自然治癒能力が高い相手なんだ。多少の過剰攻撃くらいはしたほうがいい。回復するよりも多くの傷を与えろ。敵の意思が潰えるまで。

 

「ッ、…はぁ、はぁ、はぁ」

 

妖力が途切れ、思わず膝を突く。すぐさま髪飾りに付けた両側の金剛石を三つずつ回収してフラリとよろけながらも立ち上がり、消え去った地面の上に倒れた鬼を見下ろした。全身が赤黒く染まり、ピクリとも動かない。けれど、起き上がられるとそれはそれで面倒だ。確実に、潰す。

消え去ってむしろ綺麗になった地面を歩き、鬼の頭の上に脚を上げる。そして、そのまま踏み下ろした。グシャリと顎が粉砕した感触。血に濡れた歯が飛び散り、顔が大きく歪んだ。

 

「勝者、八十四…!ゆ、勝ち残ったのは…、まさかの地上のだぁーッ!」

 

審判の宣言を聞き、その声だけが木霊する中でホッと一息吐く。勝敗は決した。なら、仮に立ち上がったとしてももう関係ない。そう思い、踏み砕いた顔を見下ろしながらわたしは呟く。

 

「わたし達で貴方を倒すは嘘だったし、鬼相手が嫌なのも嘘だ。だって、この攻撃に耐えれるのは貴方達くらいでしょう?」

 

流石に、その辺の相手に放っていいような攻撃じゃないことくらい分かるからね。

さて、と。次は勇儀さんか。…嫌だなぁ。

 



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第396話

「休憩あってよかった」

「次は勇儀とだねぇ。勝てそう?」

「無理でしょ。勝てるわけないって」

 

そうこいしに答えつつ、先程の勝負で回収してしまった髪紐の金剛石六個を新たにくっ付ける。最後まで勝ち残った褒賞は、栄光と勇儀さんと勝負する権利。どっちもいらない。しかも、権利とか言っておきながらその権利の行使は強制である。まったく、酷い話だ。

広場から少し離れた茣蓙に腰を下ろして待機しているのだが、何かやけに妖怪達が多い。チラチラ視線を向けてくるんだけど、これから勇儀さんと戦うわたしがどんな準備をしているのか気になったのかねぇ?

 

「ところで、あれらの勝負は賭博だったんでしょう?」

「うん、そうだよ?」

「どのくらい当たったんですか?」

「ちゃんと幻香勝ち残りに賭けてたからねぇ。それだけでかなり、十倍くらい増えたよ。他の勝負でもいくらか賭けたけど、こっちはちょっと負けかな。けど、合わせれば大勝だったね!あとで美味しいもの買おっと」

「それはよかったですね」

 

まぁ、こいしが嬉しそうで何よりだ。…わたしはこれから勇儀さんと戦うから全く嬉しくないけども。

念のためもう少し金剛石をくっ付けておこうかなぁ、と袋から金剛石を取り出そうとした手で袋の口を握り、もう片方の手でこいしの腕を掴む。

 

「きゃっ!」

「チィッ!」

 

こいしと一緒に後ろへ跳び、さっきまでわたしがいた場所に拳を振り下ろした妖怪を見遣る。奇襲するならせめて殺気くらい抑えたほうがいいよ。バレるからさ。

こいしには悪いけれど空中で手を離し、後ろに創った板を足場にして蹴飛ばす。跳ぶ際に板を回収し、空いた手で目の前の妖怪の頭を掴み取って茣蓙に押し付け、顔面を擦り下ろす。静止したところで思い切り投げ飛ばし、空中を飛んでいく妖怪へ妖力弾を発射。その身体に三つの風穴を空けた。

 

「ったく、こっちは休憩してるってのに、もう…」

「痛ったた…。もーぅ、もうちょっと丁寧に下ろしてもよかったんじゃなぁい?」

「それはごめんなさいね」

 

二つほど通りを挟んだ向こう側に落ちた音を聞きながら、しょうがないじゃん、と喉元まで出かかった言い訳を飲み込んでこいしに謝る。膨れっ面をしているけれど、そこまで怒ってないみたいだ。

 

「ところで、さっきの妖怪は何しに来たんでしょうね?」

「むぅ。…お礼参りだよ。幻香がボコボコにした誰かの知り合いじゃないかな?」

「えぇ…。いいんですか、それ?」

「いいんじゃない?よくあるし」

「よくあるんかい」

 

新しくフェムトファイバーを創り、垂れ下がっている髪紐が枝分かれするようにくっ付ける。そして、袋から取り出した金剛石を五個ずつくっ付けた。…あと一本ずつ増やしておこうかなぁ。

その作業中、突然わたしに向かってきた妖怪に金剛石を過剰妖力を噴出させて射出し、着弾と共に炸裂させた。爆ぜ散った血肉と倒れた妖怪から溢れる血が茣蓙を汚してしまったけれど、そこは許してほしい。

 

「それにしても、なんで今やるんですか?せめて勇儀さんとの勝負が終わってからでもいいじゃないですか。そっちのほうが弱ってるでしょうし」

「どうせ勇儀に負けるし、それならなら今やってもいいでしょ、みたいな感じ?それに、勇儀に負けた後すぐは難しいんだよ。だって、起きるまでは勇儀が見てるからね」

「そりゃあ最強の守護者だねぇ」

 

というか、起きるまでってことはわたしが完全に動かなくなるまで続けるってことだよね?…知りたくなかったよ、そんな事実。知らずに始まるよりはマシだけども。

それにしても、そのお礼参りはまだまだ続きそうだなぁ…。髪紐に新しく一本付け足しながら、振り下ろされた斧の柄を蹴り上げて圧し折った。あらぬ方向へ飛んでいった斧の両刃は気にせず、真っ直ぐと顎を蹴り抜く。あー、面倒臭い。

 

 

 

 

 

 

しばらくお礼参りに付き合っていると、ようやく呼ばれてホッとした。そして、これから勇儀さんと逃走不可の勝負が始まることを思い出し、思わずため息が漏れる。

ネックレスと髪紐には金剛石が計三十五個、過剰回収した金剛石は抑え込める限界一歩手前まで。…まぁ、いくら妖力があってもどうにかなる相手じゃないよなぁ、とも思う。地上で例えるなら、風見幽香と死合うようなものだ。無理でしょ。

 

「いってらっしゃい」

「行ってきます」

 

観客席へと戻っていくこいしにそう言われ、少しだけ気持ちを持ち上げる。まぁ、どうせ負けが前提のどうでもいいオマケみたいなものだ。あまり深く考えても意味はない。やれるだけやって、普通に負けよう。

広場に足を踏み入れると、両手の空いた勇儀さんが仁王立ちして待っていた。…うっわ、盃なしですか、そうですか。

 

「おう、幻香。私はあんたが勝ち残るだろう、って期待してたんだ」

「…そんな期待されたくなかった」

「萃香にも妹紅にも色々言われたからなぁ。またあんたとやることを楽しみにしてたんだよ」

「何を喋ったんだあの二人は…」

 

思わず頭を押さえ、煽るようなことでも言ったであろう萃香と妹紅を頭の中で睨み付ける。まったく、本当に彼女達はわたしの何を話したのやら…。…まぁ、どうでもいいや。今更何を言っても変わるわけでもないし。

それにしても、審判の開始の合図が掛からないな。そう思いながら周囲を見渡すが、その審判がいなかった。

 

「あの、審判は?」

「いねぇよ。邪魔だから退いてもらった。あんたが始めればそれが開始の合図さ」

「あ、そう…。それなら、遠慮なく」

 

『紅』発動。右腕を勇儀さんへ伸ばし、黒紫色から漆黒まで色を変えた妖力を向ける。それを見た勇儀さんは、獰猛で好戦的な笑みを浮かべた。

 

「開始だ」

 

漆黒の砲撃を解放し、目の前の景色を丸ごと飲み込んで消し飛ばす。数秒放ったところで一旦止め、左へ飛んで距離を取る。その瞬間、いくらか血を撒き散らしながら飛んできた拳が空を切った。吹き荒ぶ衝撃波に身を持ってかれ、観客席の壁に激突した。…痛ったぁ、頭打った…。

 

「効いたぜ、今のは」

「そんな顔して言う台詞じゃないでしょう…」

 

滅茶苦茶嬉しそうじゃないか…。ぶつけた後頭部を擦りながら立ち上がり、全身に妖力を纏いながらゆっくりと歩く。

 

「当たり前だろ?強者と戦いたい。それが鬼の本能さ」

「そんな闘争本能捨てちまえ」

「逃げんなよ逃走者。まだ始まったばかりだからな」

「逃げないよ。闘争に飛び込むしかなさそうだし」

 

地面を踏み込んだ脚で妖力を炸裂させて跳び出し、わたしの拳と勇儀さんの拳がぶつかり合う。この速度込みで殴り、相手の勇儀さんはその場から一歩踏み込んで拳を振るっただけにもかかわらず、威力がほぼ拮抗している。…駄目だこりゃ。比喩じゃなくて本当に骨が折れそう。

わたしの速度が徐々に失速し、勢いが失われていく。それと共に、勇儀さんの拳がわたしの拳を押し込んでいき、肘が曲がっていく。

 

「そらよっとぉ!」

「く…ッ!」

 

そのまま殴り飛ばされる瞬間、身に纏っていた妖力を噴出させて自ら吹き飛ぶ。それでもなおこの身を襲う衝撃。筋がいくつか千切れ骨に罅が入った右腕が治っていく感触。地面に両脚を付けて止まりながら、勇儀さんを見遣る。『目』は一応ある。けれど、ちょっとやそっとじゃあ狙えなさそうだ。

というか、純粋に威力が足りていない。盃片手にしていたあの時ですらかなり手を抜いてたんだろうなぁ、ということを思い知る。本当、嫌になる。相手の強さに、自分の弱さに。

 

「ボサッとしてんな!」

「ッ、と!」

 

目の前に迫る前蹴りを転がって回避し、脚の下から後ろへ転がり込む。が、その前に振り向きながらの薙ぎ払いを見て大きく後方へ跳んだ。あっぶなぁ…。下手したら首が千切れて飛んでたぞ、あれ。

開始のときとほぼ同じくらいの距離まで離れたところで一つ息を吐き、改めて両腕を下ろして自然体を取る。さぁて、どうなることやら。

 



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第397話

大きく旋回しながら外側へ回避し、過剰妖力を噴出させて急加速した脚で脇腹を蹴るが、少し揺れた程度で碌に効いちゃいない。身に纏っていた妖力を炸裂させてわざと吹き飛び、大きく距離を離す。かれこれ数分はまともな攻撃をどうにか受けずに済んでいるけれど、こっちの攻撃を喰らってもさほど意味がないのが悲しい現実。あーあ、本当にどうしたものやら。

 

「もうちょい重い攻撃を期待してたんだがなぁ…。これで限界か?」

「知らないよ。限界なんざ、知りたくもない」

「いいねぇ!んじゃあ、まだまだ期待させてくれよなっ!」

 

これだけの距離を僅か一歩で詰め、拳が振り下ろされる。横へ跳んで回避すると、振り下ろされた地面が大きく陥没した。地面を転がって着地の衝撃を逃がしていると、未だに地面が小さく揺れていることに気付く。…貴女は歩く災害か。

人差し指を真横に振るい、そこから伸ばした黒紫色の妖力で薙ぎ払う。が、皮膚が裂ける程度で肉までは至らず、これではほぼ無傷と変わらない。追加で二発貫通特化の針状妖力弾を放つが、これは軽く躱されてしまった。

…駄目だ、ちょっと時間が欲しい。思考を深みに沈める時間が。

 

「あんなんじゃあ私を倒すにゃ弱過ぎる。もう一度撃てないのか、あれ?」

「あんなのがホイホイ撃てて堪るか…っ」

「そうかい。それならしょうがねぇ、なぁ!」

 

先程より一段速くなった拳に一瞬驚き、咄嗟に左手で往なす。それだけでわたしの左手が壊れてしまうのだから、あれを直撃していたらどうなっていたことやら…。考えたくない。

時間稼ぎだ。空間把握。地中深くまで妖力を染み渡らせ、その全てをその場で複製する。

 

「っとぉ…っ!?」

 

一瞬で土塊が弾き出され、勇儀さんを真上へ打ち上げた。僅か数秒の時間。この時間で、どうにかするための時間を創り出す。

土塊を回収し、自分自身の頭に手を当てる。…正直、あんまりやりたくない。けれど、これは賭けだ。勝てば続いて、負ければ負ける。それだけの話。

まず、身に纏っている過剰妖力を抑え込む手段と『紅』の維持を保つ手段をまとめた情報を一つの精神として頭に捻じ込む。その瞬間、わたし自身と意思なき何かが同時にわたしの妖力を抑え始め、『紅』が維持され始めた。ひとまず上手くいったようなので、わたしは妖力を抑えることと『紅』の維持を止めた。次に入れる情報は…。

背後に、何かが落ちてくる音がした。…まずい、まだもう一つを創ってないんですけど。ちょっと早くないですか…?

 

「ふぅ…。見るだけじゃなくやられてみるもんだな。これ。ちょびっとだが驚かされたね」

 

振り向くと、もちろん土煙の中に立っている勇儀さんがいた。そして、目の前に迫る足裏。それを体を大きく傾けて紙一重で回避し、次の情報を形成する。やらせたいことを明文化し、規則を敷き詰めていく。わたしの身体を代わりに動かしてくれる情報を、一気に創り出していく。

 

「どうしたどうした!」

「…よし、出来た。あとはよろしく」

「あん?」

 

…流石に三つの精神が入っていると、どことなく窮屈な感じだ。圧迫されてる気がする。

さて、わたしの役目は過去を改竄することだ。とりあえず、三つだ。正面からやり合うための手段を一つと、不意討ち騙し討ちの手段を二つ。それぞれを今から創り出し、どうにか完成させてみせよう。

 

「…妙だな」

 

そんな勇儀さんの呟きが、すこし遠くから聞こえてくる。ま、そりゃそうだろう。まるで人が変わったような動きだろう。実際、人が代わっているのだから。

周辺を空間把握し続け、この身体に接触する可能性のある勇儀さんの動きに当たらない位置に体を動かす。それから、ある一定の距離まで移動する。そんな規則に則られた動きをする精神だ。攻撃はもちろん、射撃も追撃も砲撃も反撃もしない。ただただ回避することしかしない。…ただし、体の構造からして無理のある行動なんて考えないだろうから、どんな無茶な動きをしてしまうかが怖い。

…さて、始めよう。吉と出るか凶と出るか。どうなるかは知らないけれど、やるだけやってみようか。そう思い、わたしは意識を深く沈めた。

『巨大』『極大』『大きい』『絶大』『至大』『洪大』『鴻大』『でかい』『剛腕』『豪腕』『怪力』『剛力』『豪腕』『甚大』『巨腕』『甚大』『巨腕』『絶大』『至大』『洪大』『鴻大』『でかい』『剛腕』『怪力』『剛力』『豪腕』『強力』『剛力』『豪腕』『強力』『怪力』『剛力』『大きい』『強力』『甚大』『巨腕』『絶大』『至大』『洪大』『巨大』『極大』『でかい』『剛腕』『甚大』『巨腕』『絶大』『至大』『洪大』『巨大』『極大』『強力』『大きい』『甚大』『巨腕』『絶大』『至大』『洪大』『巨大』『極大』『でかい』『剛腕』『怪力』『剛力』『豪腕』『甚大』『豪腕』『強力』『剛力』『豪腕』『強力』『怪力』『剛力』『大きい』『強力』『甚大』『巨腕』『絶大』『至大』『洪大』『巨大』『極大』『でかい』『剛腕』『甚大』『巨腕』『絶大』『至大』『巨腕』『絶大』『大きい』『至大』『洪大』『鴻大』『でかい』『剛腕』『甚大』『巨腕』『至大』『洪大』『巨大』『極大』『でかい』『剛腕』『怪力』『剛力』『豪腕』『甚大』『豪腕』『強力』『剛力』『豪腕』『強力』『怪力』『剛力』『大きい』『強力』『甚大』『巨腕』『でかい』『剛腕』『怪力』『剛力』『豪腕』『甚大』

『喪失』『消滅』『消える』『失墜』『亡失』『失くす』『損亡』『失する』『喪う』『失う』『遺失』『無くす』『失くす』『喪う』『失う』『遺失』『無くす』『紛失』『忘失』『紛失』『消失』『欠損』『損失』『喪う』『喪失』『失墜』『亡失』『失くす』『損亡』『失する』『喪う』『失う』『亡失』『失くす』『喪う』『失う』『遺失』『無くす』『失くす』『消える』『失墜』『失墜』『亡失』『失くす』『損亡』『失する』『喪う』『失う』『遺失』『無くす』『損亡』『失する』『消える』『遺失』『無くす』『失くす』『消える』『失墜』『亡失』『失くす』『消失』『損亡』『失する』『喪う』『失う』『遺失』『無くす』『失くす』『消える』『失墜』『亡失』『損亡』『失する』『喪う』『失う』『遺失』『無くす』『失くす』『忘失』『紛失』『消失』『欠損』『損失』『喪う』『喪失』『失墜』『亡失』『失くす』『損亡』『忘失』『紛失』『消失』『欠損』『損失』『喪う』『喪失』『失墜』『亡失』『失くす』『損亡』『欠損』『損失』『喪う』『喪失』『失墜』『亡失』『失くす』『損亡』『消える』『失墜』『亡失』『失くす』『損亡』『失する』『喪う』『失う』『遺失』『無くす』『失くす』

『復活』『再生』『再構築』『生える』『健常』『復活』『再誕』『回生』『甦生』『蘇生』『生える』『健常』『復活』『甦生』『蘇生』『蘇る』『甦生』『甦る』『復活』『再生』『再構築』『蘇る』『甦生』『甦る』『蘇生』『復活』『再生』『再構築』『生える』『健常』『復活』『再構築』『甦る』『復活』『再生』『再構築』『生える』『健常』『復活』『再誕』『回生』『甦生』『蘇生』『健常』『復活』『再生』『再構築』『健常』『復活』『再誕』『復活』『再生』『再構築』『生える』『健常』『復活』『再誕』『回生』『甦生』『生える』『蘇生』『蘇る』『蘇生』『蘇る』『再生』『蘇る』『甦生』『甦る』『復活』『再生』『再構築』『生える』『健常』『再誕』『甦生』『回生』『復活』『再生』『再構築』『生える』『再誕』『回生』『甦生』『復活』『再生』『再構築』『生える』『健常』『復活』『再誕』『回生』『甦生』『蘇生』『生える』『蘇る』『甦生』『甦生』『蘇生』『蘇る』『甦生』『甦る』『甦生』『甦る』『再誕』『復活』『再誕』『回生』『甦生』『蘇生』『蘇る』『甦生』『健常』『甦生』『甦る』『復活』『再生』『生える』『健常』『復活』『再誕』『健常』『復活』『回生』『再構築』『回生』『甦生』『蘇生』

…さて、時間を使い過ぎるのもよくない。もうそろそろ意識を取り戻そう。付け焼き刃で取って付けたような手段を新たに引っ提げて、わたしは回避専念の情報を回収した。

 



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第398話

意識を浮上させ、一瞬だが周囲に残っていた妖力から状況を把握する。次の瞬間には、真上に勇儀さんの右腕が通り抜けるだろう。そして、わたしの身体はほぼ地面を水平の態勢で背中から倒れようとしていた。…どう回避しようとしたらこんな体勢になるんだよ、あの精神はぁ…。

即座に左腕を真横に伸ばし、妖力を噴出して派手に吹き飛ぶ。地面を盛大に転がる羽目になったが、とりあえず距離は大きく離した。起き上がる際、身体のところどころが妙に痛んだ。多分、あの精神が可動域を大きく超えた無茶な動きを平然とやっていたのだろう。不安は現実になったらしい。…まぁ、内傷はあれどその代わりに外傷はなかったからいいや。ちゃんと回避してくれていたわけだし。

 

「ちぃ、ちょこまかと…!逃げてんじゃねぇ!」

「…知るか。元よりわたしは逃走者。逃げの一手くらい手札の内さ」

「最初と言ってることが違ぇじゃねぇかよ!」

「言ったでしょう?わたしは嘘も虚言も平然と吐きますと。嘘の百や二百、自然と漏れ出ちゃうのさ」

 

そんな戯言を吐きつつ、二歩で踏み込んできた勇儀さんの拳を躱す。…かなり頭にきてるみたいだなぁ。どのくらい躱してもらってたかよく分からないんだけど、わたしが思っていたよりも長い時間になっていたのかもしれない。

これ以上怒らせたらそれはそれで面倒になりそうだなぁ、を思いながら一度後ろに大きく跳ぶと、それを追うようにすぐさま真っ直ぐと脚を伸ばして跳んできた。その跳び蹴りに対し、着地した片足で蹴り出して真っ直ぐと腰を屈めながら地面スレスレを跳んで潜り抜ける。背後から地面が砕ける音が聞こえ、地面が大きく揺れた。

走って逃げながら地面に妖力を流し込み、後ろに一枚の土壁を創っておくと、すぐさま粉砕された。が、その瞬間に土壁は一気に砂まで分解されて宙を漂い、勇儀さんを包み込む。衝撃を受けたら粒子状になって周辺を舞うよう情報を入れておいたからね。

 

「んのらぁっ!」

 

爆発させてやろうか、と思ったが、竜巻でも発生したかのような圧倒的暴風によって砂煙が全て吹き飛ばされてしまった。その余波に両脚で踏ん張り地面をガリガリと削りながら耐えていると、観客の一部の妖怪が吹き飛ばされているのが見え、思わず頬が引きつってしまう。…やっぱ歩く災害だわ、彼女。

小さくため息を吐き、これからわたしがやることを思い、決意を胸に宿す。そして、右手を固く握り締めた。

 

「…さて、やるか」

 

暴風が収まったところで、過剰妖力で地面を炸裂させて勇儀さんへと走り出す。一歩踏むたびに妖力を炸裂させて加速していく。右腕に力を込め、右手は決して開かぬよう握り続けている。

そんなわたしの行動を見て、何かを短く呟いた。炸裂する妖力の音で聞こえなかったが、なんと言っていたのかは口の動きで理解した。ようやくか、と。そして、わたしの攻撃を受けるように右腕を大きく引き絞った。

 

「セリャアァッ!」

「おらぁっ!」

 

お互いの間合いに侵入した瞬間、右腕が前へと突き出された。

 

「ごめん、嘘」

 

そして、勇儀さんの右腕はわたしの身体ギリギリを通り抜けていった。…まるで抉れたように、体内に潜り込むように消え去った、さっきの一瞬前まで右腕があった場所を。

そのまま勇儀さんの右腕の横を駆け抜け、チラリと横に視線を向けると、僅かだが目を見開いた勇儀さんと目が合う。そして、その顔に抉れたように消えていたはずの右腕が突き刺さった。文字通り一瞬で生えたこの右腕の速度は、そのまま威力に繋がる。

右腕を伸ばし切ったところで、初見殺しとも言える騙し討ち。僅かだが、確かに勇儀さんの身体がぐらついた。…これほどまでの好機は、もう簡単には訪れないだろう。やるしかない。今のわたしが繰り出す、最高の追撃を!

 

「変化『巨腕の鉄槌』ッ!」

 

そう宣言すると共に、大きく腰を捻りながら左腕を真っ直ぐと突き出す。その左腕は、わたしの身体の数倍にまで肥大化していた。地面と水平に放っているにもかかわらず、地面とぶつかりそうなほどに巨大化した左拳が勇儀さんに衝突し、そのまま観客席まで真っ直ぐと吹き飛ばした。

 

「う、ぐ…っ。はぁ、はぁ…」

 

確かに通った感触があった。右腕の一時的欠損、即座に再生、そして左腕の巨大化。続けざまに三度も身体を変化させた違和感は、わたしを確かに蝕んでいる。ギリギリと頭は軋むし、心臓が早鐘のように荒れ狂うし、嫌な汗は噴き出すし、吐き気だってする。けれど、やれるだけのことはやった。

気付いたらあれだけあった過剰妖力がほぼなくなっている。きっと、回避専念の精神が空間把握にかなり使っていたのだろう。これ以上小細工をするのはちょっと厳しそうだ。乱れ切ってしまったわたしの精神の所為で、『紅』の維持も困難になっている。だから、もうほぼ役目を成しえなくなったもう一つの精神も回収した。願わくは、このまま勇儀さんが起き上がらなければいいのだけども…。

 

「…ま、無理か」

 

地面に脚を立てる音がした。土煙の中で蠢く影が見えた。そしてその土煙が晴れると、そこには血塗れの右腕をダラリと下ろした勇儀さんが、ニヤリと笑いながら立っていた。獰猛な笑みだ。好戦的な笑みだ。そして、溢れんばかりの闘志に満ちた笑みだ。

 

「効いたよ。すっげぇ効いた。おかげで右腕がいかれちまったよ」

「それでも立ってるなら意味ねぇんだよ。わたしの負けは、決定的だ。…降参は?」

「悪いがそれは認められねぇ。最後の大勝負でそれは流石に白けるだろ?」

 

白けるとかどうでもいいんだよ、と口から出そうになった言葉を飲み込む。そして、勇儀さんの左腕の筋肉がはち切れんばかりに膨張し、血管が浮き上がってくるのが見えた。嫌な感じだ。圧倒的威圧感。これまでとは比にならない一撃が、来る。

地面に置いていた左腕を持ち上げた。…足掻くか。せめて、最後まで。どうせ逃げ道がないのなら、真正面から突破するしかないのなら、そうするしかないでしょう…?

 

「こいつで終いだ」

「…えぇ、そうかもね」

 

俯きながらそう呟く。左腕にありったけの力を込めながら、わたしは走り出した。顔をあげると、地割れを起こしながらわたしに向かってくる勇儀さんの姿。

 

「四天王奥義『三歩必殺』ッ!」

「オォラアアアァァァッ!」

 

お互いの左拳がぶつかり合い、一瞬時が止まったような錯覚に陥った。そして、気付いたらわたしは観客席の壁をブチ抜いたさらに向こう側まで吹き飛ばされ、無様に地面に転がっていた。巨大化させていた左腕は見るに堪えないほどにグチャグチャなのに、これっぽっちも痛くなかった。

動かしたくても動かない身体。今にも潰えそうな意識。それでも頭をほんの少しだけ無理矢理にでも上げ、その奥にいるであろう勇儀さんを睨む。ぼやけた視界で何処にいるか分からないけれど、この先にいるはずだ。そして、視界は黒く染まった。

…あーあ、これだけやってもまだまだ足りないのか。弱いなぁ、わたし。…ごめんなさい、妹紅。また、負けちゃった。

 

 

 

 

 

 

観客席の向こう側まで吹き飛ばした幻香の小さな姿を、私はその場でボンヤリと見詰めていた。一瞬の静寂。そして、割れんばかりの歓声。流石だとか、やっぱりだとか、ざまぁみろとか、そんな言葉が私の耳を素通りしていく。

 

「はっ…。期待以上だったよ、あんた」

 

いかれた右腕を軋む左手で押さえながら、私はそう呟いた。

幻香はこれから絶対に強くなる、と自慢げに語っていた妹紅。少しすりゃあ私達も軽く超えるかもな、なんてケラケラ笑いながら言った萃香。馬鹿言うな、冗談はよせよ、と言おうとしたが、その時の二人の眼が本気であったことを今でも忘れていない。

そして事実、あいつは初めて会った時と比べ物にならない強さを持ってここに現れた。たかが一年程度で、この成長。この先の事を思うと、思わず頬が吊り上がってしまう。

…ん、どうして嬉しいんだ、私は?

 

「…あ、まずいかも」

 

湧き上がる歓声の中で、何故かこいしちゃんが発したか細い呟きであるはずの声が耳に残った。

 

「うお…っ!?」

 

地面が大きく揺れ、観客の歓声が一瞬で悲鳴に変わる。そして、私の目の前に誰かが土埃を撒き散らしながら着地した。暴風が巻き起こり、土埃が一瞬にして吹き飛ばされた。

 

「…あ?」

 

そこにいた姿を見て、思わず私は呆けた声を出してしまった。

 

「何だこの小せぇ服は…。このっ。…ちっ、丈夫だなオイ。ま、脱ぎゃあいいか」

「…あんた、誰だ」

「あぁん?何言ってんだ」

 

破り捨てようとしたが結局破れなかった肌着ごと上半身の服を脱ぎ捨て、最早使い物になりそうにない左腕をぶら下げた目の前の鬼は、そう言いながらニヤリと笑った。獰猛で、好戦的で、溢れんばかりの闘志に満ちた笑み。

 

「星熊勇儀に決まってるだろ?見りゃあ分かるだろ、私」

 



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第399話

右腕がいかれている私と左腕が壊れた星熊勇儀を名乗る鬼。見覚えのある姿で、聞き覚えのある声で、目の前に立っている。まるで鏡の向こう側だ、と柄にもないことを思った。

一体何が起きたんだ、こいつが跳んできた場所には幻香がいたような、そもそも着ていた服は幻香が着てた服だったような、と繋がっているようないないようなことが次々と浮かぶ中、目の前の鬼は大きく息を吸い込んだ。

 

「ゥウウオオアアアアアッ!」

 

胸いっぱい吸い切ったところで、旧都を揺るがすほどの咆哮が私の耳に突き刺さる。ビリビリと肌が痺れ、周囲の観客達がその衝撃で吹き飛ばされていく。

 

「アアアァァァァ…――あぁ…、ふぅ」

「くぁーっ、うるさっ。まったくもうっ」

 

延々と続いた咆哮がようやく収まり、私は目の前の鬼を睨む。そして、気付いた私の後ろにいたらしいこいしちゃんがヒョッコリと前に出てきた。…は?こいしちゃん?

 

「お、おい!待てよ、こいしちゃん」

「やだ、待たない。わたしは訊きたいことがあるの」

 

咄嗟に伸ばした手をスルリと躱し、スタスタと目の前の鬼に近付いていく。そして、私と鬼のちょうど真ん中で立ち止まり、鬼を見上げながら喋り始めた。

 

「ねぇ、幻香」

「あん?私は勇儀だ。どうして急に幻香の名が出て来るんだい?」

「何してるの、幻香。ねぇ、早く起きて」

「だからさぁ、聞いてたかこいしちゃん?私は勇儀だって」

 

こいしちゃんの言い方は、この目の前の鬼が幻香であることを前提に話しかけている。そう言われると、さっき思い浮かんだことがようやく繋がり始め、これが幻香である可能性になり始めた。

だが、どういうことだ?どうして急に幻香が私を名乗り始める?体形が変わる?声が変わる?性格が変わる?…意味が分からない。

 

「…じゃあ、言い方を変えるよ。ま…勇儀。貴女の中に、寝てる子がいない?」

「はぁ?いきなり何言ってんだ?…あぁー、まぁ、いるにはいるようだが?」

「そう、よかった。で、勇儀。貴女は何をしたいの?どうしたら消えるの?その身体は、幻香のだよ」

「…はぁ。私がやりたいこと?そんなもん、決まってんだろ」

 

そう言うと、目の前の鬼は頬を吊り上げてニヤリと笑った。獰猛で、好戦的で、溢れんばかりの闘志に満ちた笑み。そして、私はその先に続く言葉が何故か先読み出来た。腹の奥底から沸々と湧き上がってくる。…あぁ、どうして忘れていたのだろう。私達が生まれた瞬間から抱いていた鬼の本能。

 

「「強ぇ奴と戦いてぇ」」

 

闘争本能が沸き上がる。軋む左腕を握り締め、目の前にいる格好の相手を睨む。私自身を名乗るんだ。それ相応の自信と実力くらい、持ち合わせてるに決まってる。私は右腕、相手は左腕が使えねぇ。お互い片腕が使えねぇならちょうどいい。

そう思いながら、私は一歩足を踏み出した。目の前の相手も、一歩踏み出した。そして、こいしちゃんを挟んだまま私達は顔を突き合わせる。

 

「この中じゃあ、やっぱり私が一番強ぇ。なら、あんたとやり合うしかねぇよなぁ?」

「はっ。あんたは二番目だ。私が一番だからな」

「抜かせ、私。これからあんたを負かしてその面潰してやるから期待してろ?」

「上等…!」

 

周囲の存在が意識から消え失せ、ただ目の前の相手だけが見える感覚。…あぁ、久し振りだなぁ、この感覚は。いつだったか思い出すのも面倒になるくらい昔に、四天王同士でやり合った時以来じゃあないか?

さて始めようか、と思ったが、相手は何故かしゃがみ込んだ。…あぁ、そういやぁここにはこいしちゃんがいたな。忘れてた。

 

「邪魔だからこいしちゃんは退いてな」

「…気が済んだら返してくれる?」

「はっ。そもそもこの身体は誰のものでもねぇよ。ほら、退いた退いた」

 

そう言うと、立ち上がった相手は右腕を握り締めて私の前にゆっくりと突き出してきた。私もそれに応え、握り締めていた左拳をゆっくりと突き出す。

そういや、自分とやり合える萃香が羨ましいと酔狂にも思ったこともあったかなぁ。まさか、これから現実になるとは、世の中捨てたもんじゃあねぇな。

そして、私同士の拳がゴツンとぶつかり合った。

 

「おらぁ!」

「ふんっ!」

 

すぐさま引き戻し、お互いの右脚が目の前で衝突した。続けて放った拳が互いにすれ違い、頬を揺さぶる。あぁ、強ぇ…。いいねぇ、この骨の芯まで響く感触。昂る、昂るぞ…ッ!

 

「どうしたぁ!そんなショボい拳で勝てるとでも思ってんのかぁ!?」

「はっ!どっちが。あんなもん効いちゃいねぇぞ!てめぇはその程度かぁ!?」

 

そう叫び、真っ直ぐと伸ばされた蹴りを左腕で防御し、すかさず前に出て顎を蹴り上げる。浮かんだ体に左腕を振るい、そのまま観客席の壁を貫きその奥の家々をブチ抜くまで吹き飛ばした。

飛んでいった先まで真っ直ぐと駆け抜けていると、その途中で戻って来た相手が私の顔面に右拳が突き刺さった。そのまま振り抜かれると地面の上を水平に吹き飛ばされ、元居た場所に転がされる。

すぐさま起き上がり、肉薄してきた相手の膝を胴で受け止めて耐え、拳を頭上に振り下ろす。が、それを受けた相手の拳で頬を殴り抜かれた。それを耐え、脚を振り上げて脇腹を蹴った。

 

「はっはっは!いいねぇ!」

「はっはっは!まだ終わりじゃねぇよなぁ!?」

「当ったり前だろうがっ!」

 

殴った。殴られた。蹴った。蹴られた。吹き飛ばした。吹き飛ばされた。至る所に赤黒いあざが浮かび、ところによっては皮膚が破れて血が流れ出る。右腕がいかれていることも忘れて、右腕を思い切り振るった。壊れていたはずの左腕で思い切り殴られ吹き飛ばされた。だが、そんなことはどうでもよかった。

今、最高に強ぇ奴と戦っている。そして勝つ。ただそれだけが私の心を満たしていた。

 

「がぁ…っ、…おらぁ!」

「ぐ…っ、…ふぅんっ!」

「ぅごっ!…どらぁっ!」

「ごはぁっ!…はあっ!」

 

もう言葉なんざいらねぇ。相手を殴り、蹴り、耐え、そしてまた殴る。そこに余計なものを挟みたくない。

散々傷付けられた身体が悲鳴を上げ、ふらりと揺れる。が、後ろに傾こうとしていたのを無理矢理前に直し、その勢いで相手を殴り飛ばす。そのまま地面に倒れたが、すぐにふらつく脚で起き上がった。すると、私の顔面を殴られて地面を転がされた。すぐに起き上がり、起き上がっていた相手の腹を蹴り上げる。

もうどれだけやり合っていたのかは分からねぇ。何処にいるかも分からねぇ。ただ、まだ目の前の相手が倒れてねぇことだけは分かっていた。

 

「…ちっ。もう起きたか」

「…あ、ん?」

 

そして、その最高の時間に水が差された。その瞬間、意識していなかった今の場所が分かってしまう。最初にやり合っていた場所から大きくかけ離れているのだろう。ただ、周囲にはもう使い物にならない瓦礫だらけでさっぱり分からなくなってしまっていた。

目の前の相手が右腕を上げ、その筋肉が大きく膨らみ始める。その所為で破れていたところから血が勢いよく噴き出しているが、そんなことはどうでもよかった。…あぁ、そうか。

 

「しゃぁねぇ…。これで決めてやるよ」

「はっ。何言ってやがる。決まるわけねぇだろうが」

 

そして、私も左腕にありったけの力で力んで構えた。顔に血がかかったが、そんなものはどうでもよかった。ただ目の前の相手だけを見据えていた。

 

「「四天王奥義『三歩必殺』ッ!」」

 

同時に奥義を叫び、踏み出した。三歩と言わず一歩でお互いの距離を詰め、その拳を互いにぶつけ合った。そして、お互いの身体に強烈な衝撃が走り、吹き飛んで地面を転がされた。

…動け、動けよ、私の身体。ここで起き上がれねぇんじゃあ、あいつらに馬鹿にされちまうだろうが!

今にも潰えそうな精神を振り絞って片手を突いてでも片膝を突いてでも起き上がると、吹き飛ばされた相手も同様の格好していた。…はっ、そうかい。

 

「「…引き分けだ。勝負は、また今度な」」

 



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第400話

目が覚めたら、見るからにボロボロな勇儀さんがいた。勇儀さんの周辺には旧都の成れの果て。全身が滅茶苦茶痛い。…あの、どういう状況?

 

「…ちっ。もう起きたか」

『は?』

 

えぇと、勇儀さん?まるで隣にでもいるかのように聞こえてくるんですけど。…いや、隣からと言うよりは、同じ場所からと言ったほうが正しいような…。

あぁー、そういうこと。わたし、勇儀さんの願いを奪ったんだ。どんな内容か知らないけれど。…あーあ、まるで制御出来てないじゃないか。

そんなことを考えていると、物凄い不満が伝わってくる。どうやら、最高に強い奴との勝負の最中にわたしが目覚めたことで、わたしという不純物が混ざってしまったことで、水を差されたと感じているらしい。

 

「しゃぁねぇ…。これで決めてやるよ」

「はっ。何言ってやがる。決まるわけねぇだろうが」

 

けれど、それと同時に分かるんだ。貴女は、既に満足していると。それはすなわち、願いの成就であり、精神の捕食である。

だから、悔いのないように最高の攻撃をするつもりらしい。その際に右腕から勢いよく血が噴き出るが、そんなこと意識していないようだ。というか、目の前の勇儀さん以外を意識から排している模様。…まぁ、ここで騒ぐのは流石に悪いよなぁ。右腕が引き千切れそうなくらい痛いんだけど、我慢しましょうか。

 

「「四天王奥義『三歩必殺』ッ!」」

 

互いの最高の一撃をぶつけ合い、強烈な衝撃が体中を駆け巡る。そのままお互いに吹き飛ばし合い、地面を派手に転がった。あぁーっ、痛っ!今動いたら身体がそのまま崩れ落ちそうなほど痛い。だというのに、わたしの中に宿る勇儀さんはそんな痛み関係ないとばかりに起き上がろうとする。…意地張ってるなぁ。まぁ、張り続けなきゃいけないものがあるのだろう。

ほら、あっちも同じ格好で立ち上がろうとしてるよ。若干悔しそうに、けれどそれ以上に嬉しそうに笑う。

 

「「…引き分けだ。勝負は、また今度な」」

 

その言葉を最後に、わたしの中の勇儀さんが消えていくのを感じた。

 

『…何か言いたいことはありますか?』

 

そう訊いてみたけれど、答えはなかった。…そっか。去る者に言葉はないですか。

 

『さよなら』

 

無言で消えゆく者に、別れの言葉を投げかけた。…貴女のこと、忘れません。

身体を動かしていた精神が消え去り、どうにか立っていた体がふらつく。しかし、すぐさまわたしがその傾きを堪えた。身体が変わっていく感覚をまざまざと感じながらも、最後まで張っていた意地を代行するために。今にも叫びたいほと痛むが、決して口にせず。

そして、身体の変形がようやく収まり、わたしの身体が完全に元に戻ったところで、わたしは背中から倒れた。その拍子に崩れるんじゃないかと思ったけれど、崩れずに済んだようだ。けれど、起き上がる気にはなれない。滅茶苦茶痛い。

 

「…なんだ、倒れちまったか。…いや、もう、あんたか…」

「悪かったですね…。けど、どうするんですか…っ、これ?」

「これ?…あぁ、旧都、か」

 

そう言いながら、勇儀さんはゆっくりと腰下ろして胡坐をかいた。

改めて見渡すと、相当酷い有様だ。見渡す限り瓦礫だらけ。地面の整地、瓦礫の撤去、そして家々の建て直しにどれだけ苦労するのやら…。というか、材木が足りないのではないのかと心配でならない。

 

「…まぁ、時間掛けて直すさ。さとりにはそう伝えといてくれ」

「伝えときます。…あぁー…、痛い…」

 

また何か言われるかもしれないなぁ、と思いながら、天井を見上げた。もう動くのも億劫だし、少し寝てしまいたい気分だけれど、そうしたら何をされるのやら…。今わたしはちょっとの攻撃でも即行で死にかねない。

今のわたしに出来るせめてもの防御の手段について考えていると、今更ながら上半身の服がないことに気付いた。何故脱いでる。フェムトファイバーの肌着、何処にあるんだ…?…あれ、動いてる?というか、近付いてる?

 

「いたっ!」

 

フェムトファイバーの肌着がある場所に顔を向けると、すこし遠くに飛んでいる人が見えた。そして、真っ直ぐとわたしに向かって降りてきている。

 

「…こいし?」

「こいしちゃんじゃねぇか」

「幻香ぁ、よかったぁー…っ」

 

わたしのすぐ横に着地すると、すぐさま体を起こして抱き付いてきた。うげぇ、滅茶苦茶痛い!体中に鋭痛と鈍痛が入り混じったものが迸るんですけど!引き剥がすにも両腕がまともに動かせないし、言葉で伝えるにも心配してくれているのを無下にするのはなぁ…。

 

「あー、こいしちゃん。傷だらけだし、離してやってくれ」

「え?…あ、本当だ」

「ゲホッ!?」

 

そう思っていたら、勇儀さんが止めてくれた。こいしはパッと抱き締めていた腕を離し、わたしはそのまま地面に倒れた。背中から叩き付けられ、肺の中身が吐き出される。…このまま死んでしまうんじゃあないか、わたし?

そう思いつつ、少し落ち着いたところで『紅』発動。傷が塞がっていく。だが、いくら傷が治っても、この痛みは当分引かなさそうだ。

 

「…こいし、金剛石あります?」

「え、あるけど…。勇儀との勝負の最中、袋からかなり吹き飛んじゃった」

「そのくらいなら気にしないでいいよ」

 

そう言われ、金剛石の場所を探ってみると、確かにそこら中に散らばっているのが分かった。まぁ、地霊殿に半分、こいしの手元にもまだある程度は残っているようだし、別にどうでもいいか。…旧都の経済に大きな衝撃が起こりそうな気がするが、わたしの知ったことではないな。うん。

 

「それで、いくつかくれませんか?」

「分かった。ちょっと待ってね。…はい!」

 

手渡された五個の金剛石をまとめて回収する。…回復した妖力の割合が明らかに減ったな。金剛石一個で約一割、つまり五個で約五割だったのに、四割と少ししか回復していない。全体妖力量は大体二割増し、といったところか?

妖力量が増えたことは嬉しく思うけれど、それが勇儀さんの願いを捕食した結果だと思うと罪悪感を覚えてしまう。

 

「…ところで、こいしちゃん」

「なぁに、勇儀?」

 

少し沈んでいると、勇儀さんがこいしに話しかけていた。この声色は、疑問があったような感じかな。そして、それが些細な疑問ではないことも分かった。

 

「…幻香、何者だ?」

「さぁ?わたし、知らないよ」

「おいおい、まずいかもとか言ってただろ。それに、真っ先にあれが幻香だって理解した。とてもじゃあないが、何にも知らないとは思えねぇよ」

「何者かは知らないよ。けれど、幻香がそういう存在だ、ってことは知ってる。あと、お姉ちゃんに余裕があれば幻香が気を失わないように注視してほしい、って言われてたのを思い出したからね」

 

気を失う、かぁ…。わたし、割りと気を失うこと多いんだけどなぁ。特に妖力枯渇で。確かに気絶はしないようにしたいけれども。

そう思っていると、こいしはわたしの身体を優しく起こし、フェムトファイバーの肌着とボロボロになってしまった服を着せてくれた。誰かに着せてもらうような齢じゃない気がするけどなぁ、と思いながらも、動く気になれないのでされるがままである。

 

「幻香、立てる?」

「…いえ、ちょっと動きたくないかな」

「分かった」

 

そう言うと、こいしはわたしを背負い始めた。え、ちょっと身長差あって厳しいんじゃあ…。

 

「…うっ、重っ。けど、今の勇儀に任せたくないし頑張らないとなぁ」

「それは流石に聞き捨てならねぇなぁ、こいしちゃん。相手が動けるまで私が責任持つのが最後の規則だぜ?」

「どうでもいいね。それに、こんなところで寝かせたくないから。じゃあね、勇儀」

「え、と。…それでは、勇儀さん」

 

それだけ言い残すと、フワリと浮かび始めた。それに合わせて、わたしも少しばかり浮遊してこいしの負担を減らす。すると、チラリとわたしをほんの少し目を細めた目で睨まれ、小さな声で無理しないで、と言われた。

 



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第401話

机の上に手のひらに乗せられる大きさの複製(にんぎょう)を創り、その中に出来る限りの情報を羅列し続け、その全てを捻じ込んでいく。動くように、立つように、歩くように、走るように、跳ぶように、飛ぶように、止まるように、座るように、休むように、寝るように、思うように、考えるように、話すように、…生きるように。

これは飽くまで試作だ。そんな簡単に上手くいくだなんて思っていないし、むしろ失敗するだろうと思っている。だけど、試さなくてはいけないのだ。

 

「…こんにちは」

「えぇ、こんにちは」

 

最初は、やっぱり挨拶からだよね。そう情報に入れたから。身体が小さいから声はあまり大きくせず、代わりに少し高めにして聞こえやすくした。思った通りの可愛げのある声だ。そう情報に入れたから。わたしが挨拶を返すと、彼女はニコリを微笑んだ。そう情報に入れたから。

 

「…わたしの名前はういと言います。…貴女は?」

「鏡宮幻香。よろしく」

「…はい。…よろしくお願いします。…鏡宮幻香さん」

 

そう言いながら、彼女はペコリとお辞儀をした。そう情報に入れたから。初対面の相手には、わたしが情報として入れた名前であるういを名乗り、それから相手の名を訊ねる。そう情報に入れたから。彼女は相手の名前はさん付けして呼ぶ。そう情報に入れたから。

 

「…鏡宮幻香さん。わたしと一緒に遊びませんか?」

「いいですね。何をして遊びましょうか?」

「………しりとりはどうでしょう?」

「しりとりかぁ。二人でどのくらい続くかな?」

「………百ですね」

「そっか」

「…お互いに頑張りましょう」

 

この試作複製の目的は遊戯だ。わたしが同意し、かつ何をして遊ぶか訊ねたため、彼女はしりとりを提案した。そう情報に入れたから。今回はしりとりを提案したが、その他にもじゃんけん、かくれんぼ、鬼ごっこ、だるまさんが転んだ、等々…。わたしが情報として入れた簡単な遊戯の中から一つ選択される。そう情報に入れたから。わたしに数を問われたから、数で返答した。どの数字になるかは、とりあえず十、五十、百、二百、三百、五百、千、等々…。パッと思い付きで出てきそうな違和感のなさそうな数字から一つ選択される。そう情報に入れたから。わたしがもう少し多いと言えばその数字を大きくしただろう。もう少し少ないだろうと言えばその数字を小さくしただろう。そう情報に入れたから。

 

「…花」

「茄子」

「…西瓜」

「亀」

「…めだか」

「蛙」

「…瑠璃」

「離脱」

「…爪」

「目玉」

 

彼女から始まったしりとりは簡単には終わらないだろう。わたしが思い付く限りの単語をとにかく入れたから。わたしが言った単語がちゃんと彼女が言った単語の最後の文字から始まっているか把握し、わたしが言った単語の最後の文字を把握して彼女に入れた情報の中から該当する単語を選択して言う。そう情報に入れたから。

そのまま淡々としりとりを続けていき、もうそろそろ百かなぁ、と思いながら少し試してみることにした。

 

「…梅」

「めだか」

「…それはわたしがもう言っていますよ」

「それじゃあ、麺棒」

「…馬」

「孫」

「…ついに百回続きましたね。…碁石」

「屍」

 

お互いに言った単語は記録され、わたしがそれを言えば注意してくれる。そう情報に入れたから。わたしが何回続けられるか訊き、あるいは言い、その数字まで到達すれば教えてくれる。そう情報に入れたから。

 

「…無花果」

「苦労」

「…嘘八百」

「黒」

「…六」

「国」

「…にんにく」

「燻製」

 

それからも着々としりとりは続き、気付いたら彼女は勝つために最後の文字を一種類に絞り始めていた。何回続くかで出てきた数字の三倍、または五百のどちらか小さなほうを超えたら、どれか一種類の文字を選択してそれに該当する単語を選択するようになる。そう情報に入れたから。

…けれど、実は、彼女とのしりとり遊びには致命的な欠陥があることを、わたしは既に気付いている。

 

「…陰極」

空角徒(くうかくと)

「…盗賊」

 

空角徒という単語があるかどうかなんてわたしは知らない。今さっき考えたから。そうだ。そもそも彼女はわたしが言った単語が存在するかどうかなんて気にしていない。何故なら、仮に羅列した情報の中に存在せず、しかしこの世には存在する単語を言った場合、彼女にそんな単語はないと言われてしまうのは印象が悪くなる。だから、単語の始まりと終わりの文字とまだ言っていない単語であるかしか彼女は気にしていない。そう情報に入れたから。

それからも、その場で思い付いた存在するかどうかも知れない謎の単語を言い続けた。これを繰り返していれば、いつかわたしが彼女に入れた単語も尽きる。…ほら、もう最後の文字がくじゃなくなった。

 

「…がらんど――」

「もういいや」

 

わたしは彼女の小さな身体を手の甲で叩く。その身体はあまりにも軽く、そのまま壁に吹き飛ばされてしまう前に、彼女を回収した。…あぁ、失敗した。失敗した。失敗した。

こんなんじゃあ駄目だ。全然駄目だ。気持ち悪い。不気味だ。吐き気がする。決められたとおりに言葉を発し、行動する。これがどれだけ気持ち悪いか理解出来るだろうか。わたしは飽くまで、人を創ろうとしたんだ。一緒に遊んでくれる人を。

例えば、右と左の分かれ道があったとき、右か左のどちらかを選ぶ。しかし、誰もが右か左のどちらかしか進まないわけではないだろう。道なき道を真っ直ぐと進む人もいるだろう。飛んでいく人もいるだろう。諦めて帰る人もいるだろう。そして、普段は右を選ぶけれど、何となく左を選ぶことだってあるだろう。

わたしが創った情報では、それがない。右を進むようにすれば右しか進まないだろう。左に進むようにすれば左にしか進まないだろう。どちらかを選択するようにすればどちらかを選択するだろう。その確率を偏らせればどちら側に進みやすいかも決められるだろう。飛んでいくようにすれば飛んでいくだろう。けれど、情報にないことはないのだ。それがあまりにも気持ち悪い。

人とは整合性と不整合性の両立だとわたしは思う。基本はいつも通り、決めていたことをやり続けるだろう。しかし、どこかで唐突にこれまででは思い付きもしなかったことを思い付き、それを実行する場合もある。しないことだって当然ある。そして、それが当たり前である。決まっているように決まっておらず、決まっていないように決まっている。その矛盾が矛盾なく収まっている。

 

「…どこがいけないんだろうなぁ」

 

人の精神とでもいうものは、多分ほぼ完成していると思う。記憶、選択、行動が出来れば十分だとも言えるだろう。けれど、このままではどこか違うのだ。もっと不確かで、曖昧で、けれど大切なものが欠けている感じ。何が足りないのだろう。何が抜けているのだろう。それが分からない。

そのことを悶々と考えていると、ガチャリとわたしの部屋の扉が開けられた。

 

「こんにちは、幻香さん」

「…さとりさんですか。こんにちは」

「…どうやら、難しいことを考えていたようですね。そして、今まさに行き詰っているようで」

「そうですね。…さとりさんは、どう思います?何か思い付くこととか」

 

そう訊いてみると、さとりさんは少しだけ考えてくれた。今は少しでもいいから別の視点の言葉が欲しい。そこから何か掴めるかもしれないから。

 

「貴女は神にでもなるつもりですか?」

「…あぁ?」

 

けれど、その答えは聞き捨てならないものだった。一瞬にしてわたしの感情が怒りに支配される感覚。気付けばわたしは立ち上がって右手を固く握り締め、さとりさんの顔面を全力で殴り掛かろうとしていた。が、それを僅かに残っていた理性で無理矢理止める。無理に止めた所為で変な体勢になってすっ転ぶが、その痛みで少しだけ冷静になり、怒り一色に染まっている感情を抑えていく。

わたしはいま立ち上がった二の舞になりそうだと思ったから起き上がらず、床に顔を合わせたまま言った。

 

「…神なんぞなりたいとも思わないし、なりたくもない。わたしは神様ってものが大嫌いだ」

「なら、貴女が一つの命を創ろうなんて思わなくてもいいでしょう。貴女がやろうとしていることは、まさしく神の所業です」

 

そう言われ、わたしはため息を吐いた。…まぁ、そうかもしれないけれども。

さとりさんを見ないようにしながら立ち上がり、話を無理にでも変えるべく話しかける。

 

「ところで、わたしに何の用ですか?」

「…一応、こいしからの報告で心配して見に来たのですが…。あんなことをする余裕があるなら心配する必要はなかったですね」

 

さとりさんの声色から、わたしの意思を汲み取って話題変えに乗ったのが分かる。そして、かなり呆れられていることも。

創造の一つの到達点、生命創造。挑戦せずにいるというのは、それはそれで嫌なんだよ。

 



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第402話

「幻香がやったわけじゃないのにねー。お姉ちゃんの分からず屋っ」

「確かにわたしがやったわけではないですが、それでもわたしがやったんだ。しょうがないよ」

 

頬を膨らませてわたしの代わりに怒っているこいしを宥めた。この瓦礫だらけな旧都の成れの果てを勇儀さん二人だけで作り上げたと思うと、思わずため息を吐いてしまう。その片棒を担いでいたとなれば尚更だ。

瓦礫を積極的に片付けている妖怪達に倣い、近くにある瓦礫を押し退けていく。こいしも小さなものを余所に退けてくれているけれど、正直雀の涙にしかなっていない。…おーい、だからって積み木みたいに遊び始めてるんじゃないよ。…まぁ、こいしはあんまり力ないみたいだししょうがないか。

 

「うおーっ!見つけたっ!本当にありやがるっ!」

「何ィ!?」

「見せろ見せろ!そして寄こせ!」

「ヒューッ!与太話だと思ってたが、本当にあるとはなぁ!」

 

すこし遠くで騒いでいる妖怪は、きっと勇儀さん同士の勝負の衝撃で散らばった金剛石を見つけ出した妖怪だろう。この宝探しが瓦礫の撤去作業を飛躍的に加速させている要因らしい。あれだけの数がある金剛石がどの程度の価値になるかは知らないけれど、数があるだけ希少価値が下がるから、あまりいい値段にはならない気がするんだけど…。どうなるんだろうね?

頭の中で散らばった金剛石を全て霧散させた場合どうなるだろうか、何てことを考えてしまう。見つけ出した金剛石が突如消滅、幻術か何かと疑い出す妖怪達、瓦礫の撤去作業のやる気が急降下…。あまりいいことはなさそうだ。

 

「…ところで、この瓦礫は何処に捨てればいいんでしょうね?」

「んー、一旦別の場所に集めるみたいだけど、いらないものは最終的に灼熱地獄跡地行きじゃないかな?全部燃えて融けてお終いだよ」

「へぇ…。あの霊烏路空、というさとりさんのペットがいる?」

「そうそう。お空がいる場所」

 

会ったことないからどんなペットか知らないけれど。ま、どうでもいいや。そんなことよりも今はこの瓦礫を一旦集める場所を探さないと。

周囲を見渡し、瓦礫を持って移動している妖怪を見つけては歩いている方向に目を向ける。そして、十数人分の妖怪達の情報から瓦礫を集めて置く場所を推測した。…まぁ、あそこに一際大きな瓦礫の山があるし、あそこでいいんでしょう。

ある程度集めた瓦礫の下に、それら瓦礫が収まる大きさの箱を創る。瞬間、地面の中から弾き出された箱が瓦礫を押し上げて目の前に現れた。次にその箱の中心の下に太い円柱を創り、地面の中から弾き出された円柱によって箱が持ち上がる。中に入っていた瓦礫がガタガタと暴れたけれど、零れてはいないからよしとしよう。

 

「よい、しょっと。お、やっぱり軽いなぁ。流石だよ」

「…え、そう?」

 

箱の下に入り、円柱を回収しながら両腕で底を支えて持ち上げた。流石、旧都は軽い木材を使っているだけあって、これだけ積まれても瓦礫が軽い。もう少し集めてからでもよかったかもしれないけれど、一度下ろすのは面倒だし、このまま行くとしましょうか。

 

「お、っとと?」

 

箱の中でガタガタと音がし、重心が大きくズレていくのを箱を傾けて抑える。いくら軽いとはいえ、箱の中にある瓦礫がバラバラだと箱が傾いてしまう。…これは瓦礫が中央に集まるように箱の底を窪ませるのも視野に入れておこうかなぁ。いや、少し窪ませる程度じゃあこの瓦礫を集めるのは厳しいか?…次に試せばいいか。

 

「…こいし、貴女も少しくらい持ったらどうですか…?」

「えー、やだ」

「やだ、って…。もういいや」

 

文句言ってもしょうがないし、こいしはあんまり力がないことも把握済み。一人で黙々と続けていくより、隣にいてくれるだけでいい。

遠くのほうで騒いでいる声を聞き流しながら箱の中身が零れないように持ち歩き、瓦礫を一旦集めているであろう場所に到着した。うーん、大きい瓦礫の山だなぁ。これがこれからさらに大きくなると思うと、この旧都の惨状が浮き彫りになるようでなぁ…。

思わず頬が引きつるのを感じながら、箱を傾けて中身を瓦礫の山に落としていく。そして、最後に箱を回収し、僅かに残っていた小さな瓦礫や欠片などがその場に落とした。

さて、ここで待っていても意味はない。さっさと瓦礫の山に背を向け、次の場所に行くとしましょうか。

 

「…んー、なぁんか嫌な感じするねぇ」

「ですね。ま、あんなことがあったし、しょうがないよ」

 

そんなわたしに視線が刺さるのを感じながら、隣にいるこいしが言ったことに同意した。今までも視線は感じていたけれど、今日は視線の質がなんだかジットリと陰湿で、絡み付くような圧力を感じる。少なくとも、いい感情ではないのは確かだ。その視線は全てわたしに向けられているのだけれども、近くにいるこいしは嫌でも感じてしまうだろう。

まぁ、ここに行って瓦礫の撤去作業に参加するように言ったさとりさんが事前に伝えてくれていたことだ。気にならないわけではないけれど、気にしても仕方のないことだ。

あの時の妖怪達は気が動転したり逃げることで精一杯だったりでそんなことを気にする余裕なんてなかっただろう。けれど、落ち着いて考えればわたしが勇儀さんに成ったことは分かってしまうだろう。そして、それが単純に姿を化かすのではなく、実力含めて成っていることは嫌でも理解出来る。…出来てしまう。

その後で旧都を回ったというお燐さん曰く、勇儀さんはわたしがどのような存在であるか少し気にしているようだけれど、それ以外はほぼいつも通りだそうだ。その他妖怪達はわたしを不気味に感じたり、気味悪がったり、面白半分で突いてみたくなったり、どうでもいいと割り切っていたり…。まぁ、様々だそうだ。けれど、あまりよく思われていないのは確かだろう。

 

「…『禍』」

 

思わず、口から零れ落ちる忌み名。結局、ここも地上と大して変わらないのかもしれないなぁ。そもそもわたしは地上の妖怪。彼ら地底の妖怪達にとっては、結局のところ異物でしかないのだから。異物は取り除かれなければならない。その意志があの一件で膨れ上がっている。そんな感じがする。

 

「違うよ」

「違わないさ」

 

そんなわたしの言葉をこいしは即座に否定した。けれど、少なくとも地上でわたしが『禍』であったのは確かだ。なりたくてなったわけでなくとも、押し付けられた名であろうと、濡れ衣を着せられたとしても、わたしは『禍』であるように行動した。一人殺した。九人殺した。異変を起こした。その瞬間、九十九人の黒は、百人の黒へと変わった。人間共の都合のいい虚構は都合のいい真実へと成り下がった。

 

「違うっ!」

「…こいし?」

 

そう思っていたのに、こいしが続けざまに放った鋭い否定はわたしを震わせた。

 

「幻香は、『禍』なんかじゃ、ないよ」

「…こいし。わたしは『禍』だ。誰もが認めて、わたしも認めた。…そうなれば、どんな嘘だって真実に――」

「わたしが認めない。だから、幻香は『禍』じゃあない。言わせない。させないよ」

 

思わず笑いそうになった。馬鹿にするつもりではなく、ほんの少しだけ、嬉しくて。こいしがそう言ってくれる限り、わたしは真に『禍』と成らずに済むかもしれない。馬鹿みたいだけど、そう思った。一人殺しても、九人殺しても、異変を起こしても、『禍』ではないかもしれないと、そう思った。

 

「…ありがと、こいし」

 

そう言って、わたしは微笑んだ。否定してくれたわたしの友達に。わたしを認めてくれたわたしの友達に。

 



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第403話

「…これ、いつになったら終わるんでしょうね」

「終われば終わるよ」

「まぁ、そうなんですがね…」

「まだまだ時間掛かるでしょ。全っ然片付いてないしぃ?」

 

そうなんだよなぁ…。黙々と瓦礫の撤去作業を結構長いことやり続けているものの、周囲を見渡せばまだまだ瓦礫が大量に残っている。一旦集めていた瓦礫の山を一度灼熱地獄跡地に捨てるのを手伝い、ドンドン運んでは地霊殿の裏にある大穴にドンドン投げ込んだのだが、一度なくなったはずの瓦礫の山はまた大きくなっている。

純粋に瓦礫の撤去作業をしていたり瓦礫の中に紛れている金剛石目当てに頑張っている妖怪達も当然いるが、流石に疲労やら飽きやらの理由で休んでいる妖怪がチラホラと見当たる。一日中休みなしに働けとは言えないけれど、休憩する妖怪がいればそれだけ作業の進みが遅くなってしまう。これは当分終わらなさそうだなぁ…。

 

「…しょうがないなぁ」

「お、何かするの?」

「する。ちょっと頼みたいことがあるんですが、地霊殿に戻って髪紐を持って来てくれませんか?」

「いいけど、どうして?」

「…気合いを入れたいからかな」

 

気分の問題と言われればそれまでだけど、精神面が良好であることはいいことだ。少なくとも、悪いよりはいい。

 

「気合いなら普通捻じり鉢巻じゃない?気合いだ、気合いだ、気合いだぁーっ、って感じで」

「いいでしょ、別に鉢巻じゃなくても。ちょっと邪魔な髪を後ろに縛りたいだけだからさ」

「ふぅん、そっか。髪紐、どれでもいいの?」

「どれでもいいです」

 

金剛石を三十個くっ付けたあのフェムトファイバーの髪紐を頼もうかと思ったけれど、金剛石はそこら辺に落ちているからいいやと考えてそう言った。こいしが地霊殿に向かって飛んでいくのを少しだけ見送り、すぐに作業を再開する。

軽く周りを見回し、こちらに向けられている視線の意思と位置を感じながら歩く。…えぇと、金剛石はこの瓦礫の下だね。近くにきたことで感じ取った金剛石に手を伸ばし、瓦礫の陰に手を隠したまま摘まんで回収。そのまま瓦礫を持ち上げて作業をしている風を装う。…うん、敵意悪意殺意はあれど、金剛石をどうこうしたことはバレてなさそう。

一度目を瞑り、壁の分厚い巨大な空箱を頭の中に思い浮かべる。向かい合わせの側面の対角線に合わせて空箱を斜めに切り落とし、底面を含むほうを残してもう半分を消去。底面の露出した一辺を滑らかに尖らせ、四隅に車輪を埋め込む。最後に、車輪に前に転がるよう過剰妖力と情報を入れる。…よし、こんなものでいいでしょう。即席巨大塵取りの完成だ。

地面に底面を埋め込むように創り、弾き出されたことで地面の上にあった瓦礫が塵取りの中に納まる。塵取りの向きがあの瓦礫の山に向いていることを確認し、わたしは情報に従ってゆっくりと動き出した塵取りの補助をするために、目の前の壁に両手を当てて力いっぱい押した。

 

「ふッ…、っと」

 

地面が平らじゃないからガタガタと揺れるが、大体の瓦礫は塵取りの中に押し込まれていく。時にはなかなか入らずに塵取りに押されている瓦礫もあるが、他の瓦礫とぶつかり合って気付いたら中に入っているから問題ない。細かいものが塵取りに入らずその場に残ってしまっているが、そこは妥協してほしい。

 

「あん、何だこの音――うおッ!?危ねぇ!?」

「なんだこいつ――って、地上のォ!?」

「あー、すみませんね」

 

時折、瓦礫の撤去作業をしている妖怪を轢きかけてしまうが、そこも妥協してほしい。彼らが集めていた瓦礫も一緒に運んであげるからさ。…うへぇ、視線が痛い。

しばらく塵取りを押していると、瓦礫の山まで到着した。瓦礫が入って随分重くなった塵取りの底に金剛石がいくつかあるのを感じたので金剛石ごと回収すると、そこにはもう一つの瓦礫の山が出来上がった。…あら、塵取りの中に瓦礫がこんなに入ってたのね。まぁ、一人の作業量としては悪くないんじゃないかな?

回収した妖力が多くて溢れそうになる前に、握り込んだ右手の中に金剛石を二つ創っていると、横から誰かが近付いてくる音が聞こえてきた。敵意の類はほとんど感じないので、少しだけ立ち止まった。わたしに用がなさそうなら、そのまま次の撤去作業へ行くとしよう。

 

「おーい、ガタガタうるさいと思ったらあんたかい」

「あら、ヤマメさんじゃないですか。家を建て直さなくていいんですか?」

 

そう思っていたら、ヤマメさんがわたしに話しかけてきた。彼女は家の建築が仕事だと思っていたのだけど、ここにいるということは瓦礫を運んでいたことになる。

 

「これだけ瓦礫だらけじゃあ家を建てる場所がないからさ、私もこうしてせっせと瓦礫を運んでるのよ」

「ふぅん、そっか。ところで、この瓦礫の撤去作業はどのくらい掛かると思います?」

「んー…。すぐには終わらないだろうけど、皆やる気あるしいつもより早く終わると思うね。皆も宝石漁りしながら瓦礫を片付けてるし、私も宝石一つ見つけたよ。ほら!」

 

そう言って見せてくれたのは、案の定わたしが創った金剛石。それはそれはよかったですね。…今わたしの右手の中にあることは黙っておこう。

 

「ま、綺麗になった場所も出来てきたし、そろそろ私の本来の仕事も始まるかな?」

「早く復興されるといいですね。そのためにお互い頑張りましょうか」

「そうだね。それじゃ、あんたも頑張ってね!」

「はい、それでは」

 

駆け出して行ったヤマメさんに手を振り、少ししたらわたしも別の場所へと向かう。一本線で瓦礫が多そうな場所は何処かなぁ?…うん、こっちかな。その一本線上で撤去作業をしている妖怪達が数人いたけれど、まぁ、しょうがないね。

旧都の端まで走り、先程創った巨大塵取りを三つ並べた。情報に従って勝手に動き出す塵取りの内、一番右にあるものを押していく。残った二つはゆっくりと進んで少しずつ瓦礫を中に入れていくはずなので、そのまま放っておいた。これを向こうまで運び終えたら、途中まで進んでいるあれを押していく予定だ。

 

「あ、いたいた!おーい!」

「ん、こいし」

「うっひゃぁー、おっきいねぇー」

 

地霊殿から戻って来たらしいこいしを見上げていると、フワリとわたしの隣に降り立った。その手には普通の髪紐が握られている。…うん、少しだけ期待したけれど、よく考えたらさっき溢れそうになったのだからいらないか。

 

「幻香、髪結んであげるから後ろ向いて」

「分かりました」

 

塵取りから手を離し、こいしの前に立方体を創って腰掛ける。チラリと横を見ると塵取りがゆっくりと動いており、反対側を見れば少し遠くに二つの塵取りが隣り合わせでゆっくりと動いていた。…うん、ちゃんと動作してるね。よかったよかった。

後ろ髪が少し引っ張られ、一つにまとめられてから髪紐で結ばれる。それで終わりかと思ったら、ギュ、ギュ、という音が聞こえてくるのだけど、かなりきつく縛ってるのかな?

 

「うん、これなら邪魔にはならないんじゃないかな?」

 

しばらく待っていると、こいしから終わったことを告げられた。縛られた後ろ髪を見てみると、下に垂れている髪が斜め格子状にグルグルと縛られていた。まぁ、邪魔にはならないけどさぁ。普段と髪型が変わり過ぎて逆にちょっと気になってしまう。…ま、少し経てば慣れるでしょう。

 

「いい感じですね。それじゃ、作業を続けましょうか」

「はーい!」

 

わたしが塵取りに手を当てて押すと、こいしも横に立って一緒に押し始めた。…大して役に立っていない気がするけれど、手伝ってくれるやる気があるならそれでいいや。

 



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第404話

こいしと一緒に瓦礫の撤去作業、もとい塵取り押しをしながらお話しをしているのはとても楽しかった。誰かを轢きそうになるたびにきつい目で見られたけれど、そんなことが気にならないくらい。そして何十回と塵取りを押していると、相槌を打ったこいしの口から欠伸が漏れ出て眠いからと地霊殿へ帰っていった。一緒に寝るかと訊かれたけれど、その時は眠くなかったので断った。

 

「はぁ…、はぁ…、はぁ…」

 

それからも、わたしは黙々と一人で塵取りを創っては押し続けている。いい加減疲れてきたのだけれど、まだ体は動かせる。誰かを轢きそうになって文句を言われても気にならなかった。というか、気にしてられない。そんなこと気にする暇があったら押したほうがいい。もういくつの塵取りを創り、そして押しているのかは分からない。というか、数えていない。

少し後ろには情報に従って進んでいる九個の塵取りが斜めに並んでいる。車輪に含めた過剰妖力量を調節し、一旦瓦礫を集めている場所の手前で止まるようになっているから安心だ。ただ、外側から円の中心に向かうように進んでいるため、そのまま放置していると到着地点である瓦礫の山手前でぶつかってしまい、下手すれば倒れてしまうなんてことになりかねない。だから、そうなる前にわたしの手で一つずつ瓦礫の山まで押し、そして回収したほうがいいだろう。

その後もただただ淡々と塵取りを瓦礫の山まで押し、塵取りを回収し、後ろにある塵取りを押す。その繰り返し。瓦礫を集めている妖怪達に何か言われた気がしたけれど、何と言っていたのかはよく分からない。何やら怒っていたような気がしたけれど、碌に聞いてなかった。

塵取りの場所まで戻るとき、何となく遠くを眺めていると、そこでは勇儀さんを中心にしていくつか家を建てていた。おぉ、あそこの瓦礫は綺麗に撤去されているなぁ…。それに対して、わたしが押してた場所はと言えば…、あれ?ヤマメさん達が家を建て始めてる?

 

「…ま、いいや」

 

ようやく旧都の家々が建て直されてきているんだ。旧都の復興も順調に進んでいる。わたしはさっさと塵取りを押そう。

それから残っていた全ての塵取りをようやく押し終え、最後の一つを回収した。溜まっていた空気を一気に吐き出し、大きく伸びをする。肘やら肩やら背骨やらがパキパキと鳴る音を聞きながら、次の瓦礫の撤去作業をする場所を見遣る。…ふむ、ちょうどよく妖怪達がいないじゃないか。文句を言われる必要がないのはよいことだ。

 

「…あ?」

 

そう思いながら、さて次の場所へ行こうかと足を踏み出そうとしたところで、後ろからわたしの肩を掴まれた。後ろの誰かがわたしを力任せに後ろへ向かせようとしてくるが、いくら疲れているからといっても、その程度の力で動かされるほど弱くはない。

 

「ちょっと!先程から何度も何度も何度も何度も私の言葉を無視して!貴女、ちゃんと聞いておりますのっ!?」

 

振り払って行こうかと考えたところで、後ろの誰かの言葉が耳に突き刺さった。あぁ、耳元でそんな大声出さないでくださいよ…。

疲労の所為で自分自身の気が立っていることは分かっていた。特別何かを対象に苛立っているわけではなく、特段対象もなくむかついている自分がいる、ってことを。そして今、その怒りの対象が後ろの誰かに向きかけたところで、その怒りを腹の奥底に無理矢理沈める。ここでそんな態度を取ったらどうなるかを考え、冷静さを取り繕ってからゆっくりと振り向いた。

 

「…すみません、少し集中しててですね。申し訳ないんですが、聞いてませんでした。…それで、貴女はわたしに何の用があるんですか?」

「だから、貴方が使っているその箱を使わせてくれないかと頼んでいたのですっ!」

「はぁ、別に構いませんが…。貴女の後ろで四人待っているようですが、その人もですか?」

「ええ、そうですわ。私達はあまり力がないものですから、これらを捨てに行くのに欲しかったのです。譲っていただけますよね?」

 

そう言われ、改めて細身の妖怪達を見遣る。…まぁ、確かに彼女達はとてもではないが力があるように見えない。事実、片腕でわたしを振り向かせることが出来ない程度には弱かった。そんな彼女達がわたしが使っている塵取りを使い、一度に多くの瓦礫を運べるようになれば撤去作業が早く済むかもしれない。

しかし、わたしが使っている塵取りは回収して瓦礫をその場に落とすのが前提だ。あの灼熱地獄跡地に落とすには自力で塵取りを持ち上げて傾ける必要があり、このままでは非力な彼女達には少し使いづらいだろう。…少し創り変える必要があるかな。

頭の中にさっきまで使っていた塵取りの形と情報を思い浮かべ、彼女達が使いやすくなるように少し変更してから、五個の塵取りを創造した。

 

「まぁっ!」

「この辺りに触れている間、車輪が動きます。多少の補助にはなるでしょう」

 

彼女達が押すときに手が触れるであろう壁の位置の周辺に情報を追加。そこに触れている時に過剰妖力を消費して車輪が動くようにした。勝手に動いてそのまま灼熱地獄跡地に続く穴へ進み、止まることなく落ちていくなんてごめんだからね。

 

「それと、中身を捨てるときはここを押してください。壁が動きますので」

 

また、そこから右に少し離れた場所に小さな突起を付加し、それを押し込むことで一面の壁が前に動き、塵取りの中身を全て押し出すように新たな情報を入れた。必要な過剰妖力が増えてしまったけれど、そこはしょうがないと割り切ろう。

 

「いつか動かなくなると思いますが、その時はわたしに言ってください。動くようにしますから」

「そう。それでは、ありがたく使わせていただきますわ」

 

まぁ、そこら中に散らばった金剛石をかなり回収して妖力はあり余っていたし、このくらいはいいだろう。そんな言い訳じみたことを思いつつ、次の場所へと足を伸ばした。

旧都の端に到着し、塵取りを一個ずつ順番に創造。十個創ったところで、一番最初に創った塵取りに手を当てて押し出す。疲労が溜まった身体が休憩を求めているのが分かるが、休む暇があったら動いたほうがいい。

 

「いた!ちょっとそこで待ちな!」

「…お燐さん?」

 

少し遠くから突然わたしを呼ぶ声が聞こえ、それからわたしに向かって近付く音が聞こえてくる。けれど、待ちなと言われようとわたしは動くべきだ。

少ししたらお燐さんがわたしのところまで駆け寄り、チャプリと揺れる水音が聞こえる容れ物とおにぎりなどの軽食をわたしに突き出した。…何事?

 

「さとり様の命で、旧都の復興作業をしているものに支給品を配るよう言われているのよ。黙って受け取って食べな」

「はぁ、そうなんですか…」

 

首を傾げていると、丁寧に説明してくれた。へぇ、さとりさんがねぇ。そう言われて周りを見回してみると、確かにさとりさんのペット達がそこら中を駆け回っているのが見えた。

食べろと言われたので、塵取りを押しながら片手でおにぎりを一つ食べる。飢餓感はないのだけれども、賞味料も具材もなしな米だけのおにぎりは不思議と美味しく感じた。…いや、塩を少し入れた水で手を濡らして握るとか、中に梅干しを入れるとかすればいいのにとは思ったけど。

 

「ありがとうございました、とさとりさんに伝えておいてください。それでは、わたしは続きをしますから、早くそれを別の誰かに配りに行ってくださいな」

「…あんたさ、まさか休みなしでずっと復興してたのかい?」

「動けるなら動くべきだ。別に行き詰っているわけでもやり方が分からないわけでもないし」

 

そう言うと、お燐さんは何故か片手で顔を掴んで天井を見上げ、わざとらしいため息を吐いた。

 

「…冗談だと思ってたのに、まさか本当だったのかい…。こいし様があんたのことを心配そうに言ってたけどさぁ…」

「当たり前でしょう。この惨状の半分はわたしの責任。勇儀さんも休まず作業しているのだから、わたしに休む権利なんてないよ」

 

たとえそれをやったのがわたしではないとしても関係ない。わたしがこの身体をきちんと支配していれば防げた惨事なのだから。わたしはこの旧都に対し、出来る限りのことをしなければならない責任がある。

お燐さんの目を見詰めると、その見開かれた瞳にわたしの顔がよく見えた。疲れてる顔してるなぁ、と他人事のように思っていると、一歩後退ったお燐さんの指がわたしに向けて突き付けられた。

 

「ッ!ああそうかいっ!ぶっ倒れてさとり様とこいし様に迷惑かけたらあたいは絶対に許さないからね!」

「倒れないよ。…倒れてなるものか」

 

お燐さんがそう言って去っていく音を聞きながら呟くと、わたしに小さな決意がみなぎった。

 



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第405話

塵取りを地霊殿の裏まで押していき、端を持ち上げて灼熱地獄跡地に中の瓦礫を放り込む。一足先に到着していた妖怪達も塵取りの中身を落とし終えたようだ。

 

「…よし」

「これにてお終いですわ!」

 

真横に立っていた細身の妖怪が声高らかに宣言したように、瓦礫の撤去作業がようやく終了した。旧都には細かい破片などはあれど、邪魔になりそうな瓦礫の類はほぼすべて撤去されたことになる。ヤマメさんなどの地底の妖怪達は家々の建て直しをしているだろう。

一つに集まって皆で喜んでいる彼女達を放っておき、その後ろに放置されている先程まで使われていた塵取りをまとめて全て回収し、肩の力を抜き体内を渦巻く熱を抑えながらホッと一息吐く。これで一段落かな。

 

「…お?」

 

そう思って気が抜けたのか、突然体が横に傾いた。慌てて片脚を出して踏ん張り、体勢を整える。体が重い。瞼が重い。疲れた。眠い。けれど、まだ休むには早過ぎる。旧都の復興は終わっていないのだから。

 

「もう、意地張ってないでいい加減休んだ方がいいよ」

「…あぁ、こいし。いたんですか」

「さっき来たところだよ」

 

欠伸を噛み殺しながらこめかみを強めに押して眠気を誤魔化していると、近くに着地した音と共に後ろから声を掛けられてゆっくりと振り向いた。その際にちょっとふらついたけれど、まだ大丈夫。…うん、大丈夫。

重い瞼を持ち上げる気にもなれず、腰に手を当てて怒っているように見えるこいしを半眼で見ていると、こいしの顔がズイッと目と鼻の先まで急接近した。

 

「お燐に訊いたけど、あれからずっと手伝ってたみたいじゃん。しかも休みなしで!」

「分かってるでしょう?あの惨状の半分はわたしの責任。もう半分の勇儀さんは作業してるなら、わたしだってやらないと」

「勇儀なら普通に休んでるけど?」

「あ、そう」

 

こいしの反論に対し、わたしは淡白に答えた。実際のところ勇儀さんの名前は引き合いのために出しただけで、彼女が休んでいようが休んでいなかろうがわたしに関係はない。

 

「ちょっと待ってよーっ!」

 

ふらつく足取りで未だに喜び合っている彼女達の脇を通ると、少し遅れてこいしが走って追いかけてきた。心配してくれるのは嬉しいけれど、心配されたところで止めるつもりは毛頭ない。

家々が数ヶ所にまとまって建て直されている旧都をボンヤリとした目で見回しながら歩く。地底の妖怪達も疲労が溜まっているのか、復興作業が若干遅くなっている気がする。木材を運ぶ妖怪達の数も少ないし、家を建築している妖怪達も前見たときより仕事が遅い。

ふと目が合った地底の妖怪の目付きが一瞬にして鋭くなった。その目にいい感情はなく、明らかに睨まれている。お前の所為だ、とでも言いたいのだろう。知ってるよ。分かってる。だからこうして次の作業をしようとしているんだよ。

 

「幻香ぁー、ちょっと待ってよー。言っておきたいことがあるんだけど」

「何でしょう、こいし?」

 

足を止めず、隣を歩くこいしに訊き返す。

 

「多分、もう少しで復興は滞るよ」

「…ふぅん、そっか」

 

まぁ、予想の範疇だ。可能性の一つとしては考えていた。けれど、実際に起きてほしいとは思わなかった。

 

「だからさ、もう休もうよ。勇儀が休んでる理由もそれだからさ」

「なら、なおさら勇儀さんに用が出来た。急ぎますよ」

 

そう言いながら、わたしは改めて旧都を見回す。…えぇと、勇儀さんは何処だろう?ここから見える場所にいてくれたら嬉しいんだけど、…あ、いた。本当に丸太に腰掛けて休んでる。

勇儀さんの場所が分かったところですぐに足を大きく踏み出した瞬間、踏み出した脚の膝がカクンと折れた。そのまま前のめりになったが、倒れてしまう前にこいしに支えられる。…あのまま倒れてたら顔面から落ちてたかなぁ。

 

「…ごめんね、こいし。迷惑かけて」

「いいよ、これくらい。だから、早く終わらせて休もう?」

「そうですね。さっさと終わらせましょうか」

 

疲れ切った身体に鞭を打ち、今度は倒れないようにゆっくりと歩き出す。もっと急ぎたいけれど、これ以上足を速く動かしたらまた倒れてしまいそうだ。急く気持ちを抑えながら、わたしは勇儀さんの元へ真っ直ぐと歩いて行った。中途半端にしか建て直しが済んでいないがゆえに、曲がり角だとか脇道だとかを考えずに済む。

いつもなら走ってすぐの距離を時間を掛けて歩くこと数分、勇儀さんの周りにいる鬼達の間をすり抜け、勇儀さんの前に立った。さとりさんのペット達に支給されたのか、それともどこかで拾ったのか知らないけれど、酒瓶をチマチマと呑んでいる姿を見ていると、勇儀さん本人よりも早く周りにいる鬼達の視線がわたしに集中した。

 

「姐御に何の用だ、地上の?」

「現状を訊きに来た」

 

わたしが考えた可能性が合っていないことを願う。けれど、おそらく外れない。ここに来るまでに見た旧都の復興作業から、そうだろうと思ってしまう。

 

「で、どうなんですか。勇儀さん」

「…はぁ。これ以上の復興は無理だ。木材が尽きたからな」

「やっぱり」

 

どれだけ人材があろうと、やる気があろうと、材料がなければどうしようもない。

萃香達がわたしに会いに地底まで降りてきたとき、勇儀さん含めた鬼達と派手に勝負をしていた。その結果、旧都の一区画が崩壊した。勇儀さんが妹紅と喧嘩をした。その結果、旧都は半壊した。そして今回、勇儀さん同士の勝負で旧都は全壊した。短期間でこれだけの被害が起きれば、備蓄されていた材木だって尽きてしまうだろう。

わたしの返事を聞いた勇儀さんは眉をひそめたが、すぐに視線をこいしに移した。

 

「こいしちゃん。さとりに材木が尽きてこれ以上の復興は無理だから至急対策を考えてくれ、って言ってくれないか?」

「んー、嫌だ」

「…おいおい、そりゃねぇだろこいしちゃん…」

「だって、復興はこれから終わるから」

 

こいしがそう言うと、勇儀さん含めた鬼達の視線が一気にこいしに集まった。その目はこれでもか、ってくらい見開かれていて少し気味が悪い。

 

「ね、幻香?」

 

改めて周囲を見渡していると、こいしにそう問われた。その瞬間、こいしに向けられていた目がわたしに向けられた。…うわ、怖っ。

…ま、ちょうど半分くらい、ってところかな。ちょうどいい。

 

「勇儀さん、先にいくつか言わせてください」

「…何する気だ?」

「一つ、これからわたしがやることに文句を言わないでください。二つ、何処に何が建てられても文句を言わないでください。三つ、被害を受ける妖怪が何人か出ると思いますが文句を言わないでください。四つ、わたしがこれ以降出来ないと言っても文句を言わないでください」

 

それだけ言い、わたしは目を閉じた。空間把握。妖力を薄く拡げていき、旧都全域をわたしの妖力で満たしていく。何処に何があるか、何処に誰がいるか、家が、木材が、材質が、分子構造が、全て頭に入ってくる。頭に浮かび上がる旧都の全体図。まとまって建てられている家々を、まだ何も建てられていない場所に転写する。それをひたすら繰り返し、わたしが見て歩いて回った旧都を、地霊殿から見下ろした旧都を再現していく。ただし、家の中の構造までは知り得ないから、わたしが再現出来るのは飽くまで外側だけだ。

瓦礫の撤去作業で散らばった金剛石の大半は回収出来ている。その数は優に二百を超えている。それだけあれば十二分。

 

「…さて、帰りましょうか」

 

目を開くと、見覚えのあるようでどこか違う旧都の街並みが戻っていた。そこら中で、そして目の前の鬼達からも騒ぎが起こっているが、知ったことか。わたしは眠い。もう疲れた。半分の責任はこれで果たした。いい加減、もう休んでもいいよね…?

 



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第406話

地霊殿の屋根に腰を下ろし、復興が完了した旧都を見下ろしながら少し怠さの残る体を休ませる。…まぁ、復興が完了したとは言ったが、それは飽くまで見た目の話。道具を使うような賭博はすぐには再開出来ていないだろうし、食事処では食料が足りずすぐには再開出来ないだろうし、家々も家具や調度品、装飾品の類は創ってないからそんなものほとんどなさそうだ。以前と同じ生活水準まで戻るのには、もう少し時間が掛かるだろう。

 

「騒がしそうだなぁ」

 

まぁ、一ヶ所に集まって酒を呑み交わしている地底の妖怪達を見ていると、これからのことなんて深く考えていなさそうだなぁ、と思えてくる。とにかく酒を呑み、呑ませ、酔い潰れている。楽しそうではあるけれど、あの輪の中に入りたいとは思えない。

あれだけの惨状に遭ったくせに、酒はすぐに戻るのだから不思議な話だ。酒虫という生物から簡単に得られることが書斎の書籍に書かれていたけれど、その時のわたしは興味がなかったから詳しく読み込んでいない。そんなに酒が大事か、と思ってしまう。

 

「…はぁ」

 

そんな旧都のことを考えていると、思わずため息が漏れてしまう。これからの旧都のことを憂いたところもほんの僅かにあるけれど、それ以上に疲労からくるものの色が強い。

部屋に戻ってすぐ寝て起きた程度の休憩ではちゃんと疲れが取れなかった。かと言って眠いわけでもないから何となく外に出たけれど、体術の訓練を少ししただけでこれ以上動く気が失せてしまい、この様だ。

 

「…大分使ったなぁ、妖力」

 

少し意識すれば、わたしが創った旧都の家々が把握出来る。過剰妖力を含まない複製の集まりなのだが、数が数なだけに相当使ってしまった。その前準備で旧都全域を空間把握するためにも妖力をかなり消耗したし。どのくらい減ったかはよく分からないけれど、あの時回収したほとんどの金剛石分の妖力を使い果たしたのは確かだ。あの後わたしの部屋に戻ってから創れた金剛石の数は二十六個だったしね。

まぁ、それもこれもわたしが半分原因だし、その程度の損失は致し方あるまい。…うん、仕方ないよね。けど、その代わりにわたしはやれることをしたつもりだ。

両手を組んで腕を大きく伸ばすと、突然誰かが屋根の下から飛び出してきた。庭から跳躍して来たであろうその人は、わたしの横に着地するとそのまま見下ろしながら口を開いた。

 

「…こんなところにいたのかい」

「用は何ですか、お燐さん」

「さとり様が呼んでるから、すぐに行きな」

 

そう言われたので、わたしはゆっくりと立ち上がり庭へ飛び降りようとした。が、それをわたしの肩を掴む手に阻止される。誰が掴んでいるかなんていちいち考えなくても分かる。

 

「その前に言ってやりたいことがあるんだよ」

「…一応聞きましょう。何でしょうか?」

 

肩を掴む手を軽く引き剥がしつつ、わたしは振り返った。お燐さんの表情は怒りに染まっている。

 

「さとり様に、こいし様に、…迷惑かけんじゃあないわよッ!」

 

その叫びと共に爪の伸びた右手が振り下ろされた。そのまま爪で引っ掻かれてしまう前に左手を上げて右手首を掴み取る。掴まれてもなお振り下ろそうと力を込めているようだが、その場所から一向に下りてくる気配はない。

 

「…悪かったですよ」

「あたいは絶対に許さないって言った」

「許されたかったわけでもないし、許されるつもりもない」

「ならあたいの怒り、一発くらい受けなよ…っ」

 

そう呟きながら、お燐さんはグッと力を込めてきた。徐々に右手が下へ下がってくる。が、その爪がわたしの皮膚に触れる前に左手で右手首を強く握り、左腕を力任せに外側へ伸ばしてそのまま捻り上げる。

 

「わたしが悪いと感じてるから問題ないと思った?主人を想う一撃なら甘んじて受けると思った?わたしが疲れていれば抵抗されても押し通せると思った?貴女の憤怒の力があれば必ず通じると思った?」

 

ミシリと軋む感触がする。もう少しだけ力を込めると、お燐さんの表情が分かりやすく歪んだ。もう少し行けば骨に罅が入りそうだし、さらに行けば折れてしまうだろう。まぁ、これ以上やる理由もないし、すぐに手を離した。

 

「駄目だね。そんな程度の理由じゃあ、わたしは傷付く気になれないよ。さとりさんにわざわざ血を見せる必要がないし」

 

そう言い残し、わたしは屋根を飛び降りた。悪いことしたな、とは思う。けれど、知るかそんなもの、とも思う。

さとりさんとこいしにはある程度の迷惑をかけてしまっただろうし、それについても悪かったとは思ってる。しかし、それ以上に旧都を崩壊させた責任のほうが重く感じた。何故だろうか?人里の二の舞にならないようにしたかったのか、善いことをしたとして贖罪の真似事でもしたかったのか、はたまたただの気紛れか…。よく分からない。ただ、わたしの所為でああなったからと思っていた。だから、やれることはしようかなと思った。それ以上深く考えていなかった、と思う。

そんなことを考えながら地霊殿を歩き、さとりさんの部屋の扉を軽く叩いた。

 

「どなたですか?」

「鏡宮幻香です。入ってもいいですか?」

「ええ、どうぞ」

 

返事を貰ったところで中にお邪魔させてもらい、椅子の腰を下ろした。さとりさんが三つの眼でわたしをジィッと見詰めてくる。

 

「…お燐にそんなきつく当たらないであげてください。彼女は私達を想ってくれているからこその行動ですから」

「…えぇ、知ってますよ」

「でしょうね。では、本題へ入りましょうか」

 

本題、ねぇ。まぁ、旧都の復興のことだろうけれども。一体何について言われるのやら。

 

「…正直、貴女があそこまでやるとは思っていませんでした。まさか、数日間休憩をほとんど挟まず働き続けるほどだったとは…。見ていた以上に責任を感じていたのですね」

「はぁ、そうなんですか。貴女に頼まれた時点でやるだけやろうとは思ってたんですがね」

「その結果が、旧都の半分を創造…。その行為の大きさを理解、…してませんね。まったく、貴女という方は…」

 

ため息を吐くさとりさんに言われ、改めて旧都半分の創造について考えてみる。わたしがやれることをしただけだ。それだけのことをする責任があったのだから、しょうがない。

妖力の消費量は重かったけどね、と思っていると、さとりさんの視線を強く感じた。横目で見遣ると、案の定目が合う。若干目を細めていて、鋭いとまではいかないが睨まれていた。

 

「いい悪いはともかく、私は貴女に感謝をしています。あのままでは旧都の復興は当分先の話になり、それだけ不平不満は溜まっていく一方だったでしょうから。…ですが、貴女は少し度が過ぎる行動をした。一軒や二軒ならまだしも、それだけの規模になると話が大き過ぎる。突然の旧都の復元に何事かと問う者が多数いましてね…。その対応にそれなりの苦労をしましたよ」

「お疲れ様です。ありがとうございました」

「分かっているでしょうが、貴女のその能力は一歩間違えれば全てを壊しかねません。くれぐれも何者かに利用されませんように。…出来ることなら、当分の間は騒ぎが落ち着くまで地霊殿に謹慎してほしいくらいですが」

「まぁ、別に構いませんよ。ちょうどやりたいこともいくつかありますし」

 

行き詰っているもの、挑戦したいもの、思い付いたっきりのもの、向上発展させたいもの…。軽く思い出すだけでもたくさんある。改めて一つずつ並べてみると、時折さとりさんの眉をひそめているけれど気にしない。まぁ、生命創造のような危険を感じたのだろう。やるけど。

 

「…はぁ、そうですか。私が必ず伝えておきたかったことは以上です。細かなこともいくつかありますが、聞いておきますか?」

 

そう問われ、椅子から上がろうと腰を下ろす。細かなことかぁ…。何でもありな喧嘩の参加とか、わたしの部屋の扉とかかな?よほど重要なことなら聞いておきたいけど。

 

「…いえ、ほぼ些細なことです」

「ならいいです。時間はまだありますが、有限ですし。それでは」

「分かりました。それでは、また」

 

音を立てないように立ち上がり、仕事に顔を向けたさとりさんに手を振ってから部屋を出た。扉をゆっくりと閉め、屋根にまた行くのは何となく嫌なので、ひとまずわたしの部屋に戻ることにする。

 

「ま、とりあえず魔界かなぁ」

 

誰もいない廊下で、ポロリと言葉が漏れる。いくつか思い付いた空論がありますし、運よくお話し出来たらいいなぁ。…ま、よしんば上手くいったとしても、そこから先が問題なんだよなぁ…。…はぁ。

 



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第407話

魔界は世界の裏側にあるそうだ。絵画の裏側、文章の余白と比喩され、同じ場所にありながらお互いに干渉し合うことが出来ない場所。しかし、何らかの手段を用いれば干渉することが出来る場所。一方通行ではなく、お互いに通じ合える場所。

単純に高次元空間を認識しても、魔界らしき場所は見当たらなかった。つまり、わたしが認識した空間は絵画の表側、文章の本文だけであった、ということになる。同じ場所しか見ていなかった。視野を広げなければならない。考えを改めなければならない。常識は敵だ。非常識の中にこそ、活路は存在する。そうだ。今までだってそうだった。いつも通り、道を踏み外せばいい。

 

「…よし、やるかぁ」

 

なんてどうでもいいことを思いながら、わたしは自分の部屋に籠ってべッドに横になっていた。別に場所なんて何処でもいいのだけれども、何だかんだここが落ち着くのだ。自分がいることが許されている居場所。わたしの部屋。

わたしが思い付いた空論は大きく分けて三つだ。合っていたら嬉しいけれど、外れていたならまたいつか考えよう。…まぁ、正しいとも思っていないけれど。

外側。幻想郷、外の世界、月の都、宇宙などなどをひっくるめた一つの世界。その外側にまた別の世界として魔界が存在する可能性。下手すれば数十次元ズレた位置に存在するのかもしれない。仮にこれが正しいとして、どうやってこちらに干渉してきたのかなんて知らないけれど、おおかた八雲紫みたいな空間を接続出来るふざけた技術があるのだろう。こちらの世界でいうところの魔術に秀でた世界なら、こちらの非常識程度あちらでは常識になってもおかしくはない。以前は途中で止めてしまったから、その先へ進む必要があるだろう。

負数軸。零次元、つまり点のその先。そんなものあり得ない、と言いたいところだけれど。まぁ、このくらい非常識であってもおかしくない。これなら、同じ場所でありながら絵画の裏側足り得る。まったく逆のエネルギーがぶつかり合えば対消滅するはずだなんて理論はこの際なしだ。仮にこれが正しいとして、こちら側に干渉した際には、その存在の次元を丸ごと引っ繰り返して消滅を免れたのだろうか。だとすれば、空間の裂け目とやらはそんな機能も込みで開かれていたのかもしれない。

虚数軸。二乗すると負の数になる、仮想上にのみ存在することを許された数字。ただし、月の技術曰く、伝達されるエネルギーが特定の条件下ではこれまでの理論とまったく異なる運動をし、不自然な減衰、消滅を観測したとのこと。その時の仮定の一つに虚数空間という実数空間と重なっていながらズレている謎空間に飛んでいった、というものが提唱され、すぐに馬鹿じゃないのみたいなノリで潰された。事実、割とすぐに別の原因が発覚したらしいし。…まぁ、とにかくだ。あってもいいじゃない、虚数空間。これなら、同じ場所でありながら文章の余白足り得るのだから。

 

「ど、れ、に、し、よ、う、か、なぁー…」

 

外側、負数軸、虚数軸、外側、負数軸、虚数軸、外側、負数軸…。ふんわりと三つの球体を浮かべ、その三つを順番に指差して回していく。別にどれから試そうと、最終的な結果は変わらない。だから、どれから始めても構わない。

 

「て、ん、の、か、み、さ…、…ちっ」

 

止めた。思い付いた順番にやろう。まずは外側だ。

頭の中に三本の軸を思い浮かべ、新たな軸を突き刺す。それを繰り返していき、一歩ずつ階段を登るように次元を引き上げ続けていく。ひたすら続けた。時間は知らん。そして、上り詰めた失望のその先へ踏み込んだ。世界の果てを踏み越えた。

…あーあ、つまんないの。酷い有様だ。手抜きかよ。神様ってこんなものだったんだなぁ、と思ってしまう。思ったよりも、感じていたよりも、認識していたよりも、ショボいなぁ、って。

まるで夜空を見回しているようだ。まるで朝日を見詰めているようだ。白い闇が広がる。黒い光の中にいる。白いような、黒いような、どちらでもあってどちらでもない。無限が広がっている。無が限りなく広がっている。

夜空で例えるのが一番しっくりくるかな。わたしがいる世界、点が星。それ以外なぁんにもない。もっと先へ上り続ければもしかしたらあるのかもしれないけれど、これ以上は厳しい。少なくとも、今のわたしが認識出来る範囲にはなぁんにもない。無一色。頭が破裂してしまいそうで、何もない何処かに零れ落ちてしまいそうで、不安と失望で一杯になる。

 

「はぁ…ッ!…はぁ、はぁ、はぁ。…ぁぁー…」

 

次元軸をまとめて引き抜き、階段から一気に跳び下りる。ズレる感覚。急降下した次元に付いていけず、嫌でも齟齬が浮き上がる。荒れる呼吸をどうにか整えると、間の抜けた声が喉から漏れ出てきた。

 

「…無理だ。少なくとも、今の、わたしじゃあ…、無理だ」

 

きつく目を瞑り視界を黒一色に染め、割れる頭を押さえながら自嘲する。神様を下に見ていたくせに、この様だ。何様のつもりだよ。

 

「次は、…負数軸」

 

零次元突破。どうすればいい?次元を一つずつ落として零次元に一度身を委ねるか、それとも今ある三次元を丸ごと引っ繰り返すか…。

 

「…零次元、…点、…原点。そうか、原点」

 

世界の基準点。それが分かれば、繋がる。実数軸だろうと、負数軸だろうと、虚数軸だろうと、全てが零となるこの一点に収束する。実数空間も、負数空間も、虚数空間も、原点のみが繋がっている。仮にこの二つのどちらかが正しければ、魔界へと繋がる道となり得る。

魔界といえど、幻想郷の中にあるはずだ。世界の外に存在しないとするならば、繋がる点は幻想郷の中にある。…そう信じたい。どう探す?どう見つける?

 

「ま、やるだけやるか」

 

見つける手段は、虱潰しだ。これしかない。

溜めに溜めた大量の金剛石。その全てを回収し、次元を一気に引き上げる。空間把握。高次元空間全域に妖力を薄く拡げていく。無茶苦茶な速度で妖力が消耗されていくのが分かる。そりゃそうだ。一つ次元を上げれば、消費する妖力量の指数が上がる。だが、知ったことか。世界の中心を、その情報を、原点を見つけてやる。

頭の中に把握した空間の形状、そして情報が敷き詰められていく。気が狂いそうな情報量。何だか笑えてくる。狂えればまだ楽な気がするのに、一向に狂える気がしない。だというのに、逆にこの高次元空間に、膨大な情報量に、適応してきている気がするのは何故だろうか。不思議な感覚だ。この妖力が尽きなければ、何だって出来るような気がしてくる。万能感。全能感。一種の気の迷いかもしれない。けれど、悪くない。

 

「見ぃつけたぁ…。アハッ」

 

まるで書置きでもしてあるかのように、世界の基準点を見つけ出した。というか、まさか本当に分かるとは思っていなかったから逆に驚いた。

わたしは、その原点に膨大な妖力を叩き付けた。その先にあるかもしれない、こことは全く別の空間へ繋がることを信じて。すり抜けた先の未知の領域へ侵入すると疑わずに。

 

「あん?」

 

そして、薄く拡がる妖力が今まで触れたことのない何かを把握した。未知なる物質。何だこれは。そもそも、何処だそこは?…まさか、本当に…?

そう自覚した瞬間、心臓が一つ大きく跳ねた。緊張しているのかもしれない。ひとまず、妖力を拡げていこう。何か分かるかもしれない。誰かいるかもしれない。魔族が、いるかもしれない。

 

「…思ったより、普通?」

 

酸素、水素、窒素、その他諸々…、把握した原子に既知のものが存在していた。空気中に水もあるようだ。しかし、未知の原子も多々存在している。ここが魔界と仮定し、迷い込んだ者が気味の悪い空気と言っていたのはこの辺りが原因かもしれない。得体の知れないものは不気味だ。…しかし、これを摂取したらどんな効果が得られるのだろうか…。もしかしたら、こちら側からすれば毒素と何ら変わらないものかもしれない。魔力として使えるのかもしれない。…まぁ、今はいいか。

ひたすら妖力を拡げ続けていると、ようやく建物と思わしきものを見つけた。人工物を思わせる形状。何者かの手によって作られているということは、つまりその何者かが存在しているということだ。この辺りを調べれば、誰かいるかもしれない。

 

「…あ、い、いた」

 

わたし達と似たような形の生物。頭があって、胴体があって、腕と脚が二本ずつある。そんな人型の生物。髪は長いようで、一ヶ所小さく結んでいるようだ。服と思わしきものを着ている。背中に異形の翼と思わしきものが六枚。そんな何者かが、玉座とでも言えるものに座っていた。

…さぁて、どう話したものやら。そもそも、どうやって会話する?こちらの言語は通じるのか?

 

『…何者だ?』

「は?」

 

え、あ、何?通じるの?…いや、いやいやいや、その前に何故バレた!?

 



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第408話

精神の最も外側、表層は最も変化が激しい部分だ。現在進行形で感じていること思っていることが浮かび上がってくる。さらに奥深くまで潜れば記憶、経験、人格諸々も把握出来るのだが、そうしようとする前に流れてきた情報、言葉によってわたしは妖力の動きを一度止めてしまった。

 

『この力、意図は探知か…。ふむ、何処のどいつだろうか…』

「げ、嫌な予感…」

 

今すぐ引っ込めるか?いや、どうせ既にバレてる。今逃げたところで意味なんてなさそうだ。だったら、むしろここにわざと残る。こちらからどうやってわたしの意思を伝えればいいのかは後で考えるとして、とりあえずこれ以上妖力を内部へ流さずに表層だけ読み取っておこう。

無駄に拡げていた妖力の範囲を必要最小限、つまり現在位置から世界の原点まで一直線、世界の原点から魔界と思われる世界の何者かに一直線の二直線に絞っていると、その中を異物が物凄い速度で逆流して来る感覚がした。身体とは違うけれど、少し気持ち悪い感じがする。

 

『ほぅ?まさかそちら側からとは…。確か、幻想郷だったかな?』

「…うわぁお。そこまで分かるのか…」

 

どうやら逆探知されたらしい。視覚の代替器官としてわたしが何気なくやっていた空間把握だけれど、いざ別の誰かにやられるとちょっと気味が悪いな…。

さて、と。どうやって意思疎通を図るか…。言語は通じたけれど、文字は通じるのだろうか?…よし、試してみようか。向こう側の何者かの近くに、黒色で分かりますかと着色した一枚の白紙を創ってみる。

 

『…創造魔術?いや、違う…。ふむ、これは向こうの文字か。知識としてはあるけど』

「よし、これでどうにか意思疎通が出来そうかな…」

『――面白い。最近暇していたところだし、少し付き合ってあげましょうか』

「は?」

 

今、向こう側の情報と声の二重で聞こえたんですが?…ちょっと待て。まさか、逆探知ついでにわたしに言葉まで伝えているのか?…向こう側が魔界だとして、これが当たり前の技術だとしたら相当じゃないか?わたしは今、かなり危険なところに手を出しているんじゃぁ…。

 

『それにしても、わざわざ世界の基準点を通じてこちらに干渉してくるか…。原始的かつ非効率だが確実でもあるわね。そちら側の者にしてはいいじゃない』

「…何やら評価され出したんですけど」

 

原始的ですか。しかし、馬鹿にしているわけではないようだ。

まぁ、今は経路に関する評価なんてどうでもいい。そちらは何処ですか、と。はい、創造。

 

『知らずにやっているの?ここは魔界よ』

「魔界かぁ…。本当に、魔界…」

 

ただし、同名なだけの別世界である可能性がまだ残っている。わたしの想定していた魔界である根拠が欲しい。…んー、一体何を訊いたら分かるんだろうか?そもそも、わたしが魔界に関して持っている知識が圧倒的に少ない。それらはどれもこれも不確実というか、曖昧というか…。…あ。

 

「…聖白蓮」

 

あの話が事実であるとすれば、魔界に封印されている僧侶。もしも向こう側にいれば、わたしが想定していた魔界でほぼ間違いないだろう。確認ですが、聖白蓮という名の人間の僧侶が封印されていませんでしたか、と。はい、創造。

 

『聖白蓮?…えぇ、いるわ。既に人間を止め魔術師として生きている。なんだ、貴女の目的は彼女を連れ戻したいの?別に構わないけれど』

「ほぼ確定。向こうは魔界か」

 

無論、聖白蓮の存在さえ分かれば後はどうでもいい。当然、連れ戻したいなんて欠片も思っていない。それにしても、向こうの声に対して、わたしはわざわざ紙を創って意思疎通。いちいち面倒臭いな…。向こうに出来るのだし、わたしもどうにかして出来ないかなぁ…。まぁ、とりあえず伝えておこう。違います、と。はい、創造。

 

『あら、違うの?じゃあ、貴女の目的は?まさか、何の目的もなく魔界に干渉してくるはずもないでしょう?』

「げ、目的…。説明が多くなりそう…」

 

つまり、紙をそれだけ多く創造するということだ。あちらに読むのが面倒だと言われて終了、何てのはちょっと嫌だ。これは早急に言葉を直接伝える手段を考えたほうがいいな…。一分考えて、無理なら諦めよう。

言葉を直接かぁ…。言葉、声、振動、波長…。つまり、結局言葉も情報なのだから、向こう側に流し込んでみるか。それが無理なら、諦めて紙を創るとしよう。…よし。

 

「聞こえますか?」

『…何だ、出来るなら最初からやればいいのに』

「まさか本当に出来てしまうとは…。ま、いいや。わたしの目的は、魔界への移住ですね」

『移住、ねぇ…』

 

それだけ言うと、プツリと言葉が切れた。…あれ、どうしたんだろう?妖力は繋がっているんだけどなぁ…。ま、とりあえず精神の表層に妖力が流れているのだから、そこを把握してみましょうか。それも無理なら、何かしらの異常があったのだろう。

 

『――に覚えがある力。無色透明。変幻自在。…まさか』

「なんだ、問題なさそう。よかった」

『却下』

 

…お断りですか、そうですか。一応、こちらの意思とか理由とか説明したほうがいいかなぁ、とも思ったけれど、把握した精神が曲げるつもりがない意志を明確にしてしまっている。

 

「…一応、理由を訊きましょう」

『貴女のような存在を魔界に迎え入れることは出来ない』

「はぁ…。聞き覚えがあるというか、似たようなことを前にも言われたというか…」

 

確か、貴女のような存在がいて堪るか、貴女のような者をこれ以上月の都にいさせたくなかった、だったか。…はは、嫌われるなぁ。

 

『…万が一、勘違いである可能性もあるから訊いておこう。貴女は、幻影人だな?』

「幻影人…?…いや、わたしはドッペ――…あぁー、うん、そうそう。幻影人だったはずだよ」

 

稗田阿求の記憶では、ドッペルゲンガーの別名として幻影人と書かれていたはずだ。どうでもいい情報だと思っていても、意外なところで出てくるものなんだなぁ…。

 

『幻影人は我々魔族の欲望を無差別に喰らい、発展を数千年単位で遅らせた大罪種。同時に抹殺対象でもある。既に絶滅させたが、そのような存在を私が招くわけにはいかないな』

「…そう、ですか。まぁ、多分事実なんでしょうね。そっちにもいたんだ。…いたのかぁ」

 

閻魔様もそう言ったし。魔界の死者の魂がこちらに流れて来るかどうかは知らないけれど、少なくともここでも色々喰らっていたようだから。

はは、駄目かぁ…。結局、異物は異物、と。それは魔界だろうと変わりないらしい。悲しいなぁ。悔しいなぁ。

 

「ありがとうございました」

『そうか。これ以上、貴女に付き合う理由もない。ここから去れ』

 

そう言い残し、接続のようなものが切れた感覚がした。わたしもこれ以上邪魔するのも悪いから、空間把握を止めた。…あぁ、あれだけあった妖力のほとんどを使い切ってしまった。その結果が、これか。残念だなぁ。

 

「もう、無理かも」

 

この世界は、わたしを許してくれそうにない。幻想郷は『禍』として、月の都は侵入者として、地底は地上の妖怪として、魔界は大罪種として。きっと何処にもない。わたしの居場所。存在を許される場所。

…そうだ。この世界には、何処にも存在しないのだ。

 

「…やることが、出来た」

 

正確に言えば、やり残したことが。ごめんね、フラン。ありがとう、妹紅。ありがとう、名も知らぬ魔族。

約束の時が来たら、あるいは切っ掛けがあれば、地上に戻ろう。そのために、わたしはやらなければならないことがある。身に付けなければならないことがある。そのために欲しい時間はもうあまりない。急がないといけない。

居場所がないなら、創ればいい。今までと変わらない、単純な答えだった。

 



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第409話

これまでの失意とこれからの決意がわたしをグチャグチャに掻き混ぜる。上手くいかなかった。上手くいくだろうか。死ななかった。死なないだろうか。生きている。生きていられるだろうか。やることのいくつかが意味をなくしたが、それでもやることはまだ残っている。やらなくては。やり残したこともある。指針は定まった。あとは突き進むのみ。

けれど、その前に一つ、真っ先に済ませなければならないことがある。わたしは部屋を出て廊下に出た。廊下を歩いている途中ですれ違ったさとりさんのペットはわたしを見た瞬間、目を逸され早足で行ってしまった。…まぁ、いいや。

程なくして、わたしは一つの扉の前で立ち止まった。その扉を見詰め、一呼吸してから軽く叩く。

 

「すみません」

「どなたですか?」

「鏡宮幻香です。…一つ、伝えておきたいことが」

 

さんざん悩んで立ち止まって寄り道をして回り道をして後戻りをして紆余曲折してようやく宿した決意。その決断を、決定を、選択を伝えなければ。

 

「伝えたいこと、ですか…。分かりました。どうぞ、中へ」

 

さとりさんからの了承を得たところで、扉に手を当ててゆっくりと押し開いた。紙に何かを書いているようだが、頬杖を突いているところを見るに仕事という雰囲気ではなさそうだ。おそらく、趣味の執筆だろう。

 

「好きに話してください。私は見聞きしますので」

「分かりました」

 

椅子に腰を下ろしたわたしに一瞥もせずに書き続けているさとりさんを一方的に見詰めるのもどうかと思い、わたしは何となく天井を見上げた。細部まで彫り込まれた装飾を眺め、ポツリと端的に結論を零した。

 

「決めました」

「…そう、ですか」

 

手を止めたさとりさんの視線を感じた。きっと、わたしの心を読んでいるのだろう。そして、その結論の詳細を眺めているのだろう。

 

「…平気、なのですか?」

「さぁ…、どうだろうね。どうなるのかな?…どう、なるんでしょうね。もう少し考えてみれば、馬鹿みたいだって思って止めていたかもなぁ」

「なら」

「けど、さ。もう決めたんだ。…決めたんだよ。もう曲げられないし、曲げるつもりもない。曲げたく、ない。…ようやく決まった、ようやく決められた、ようやく決めることが出来た、この決意を。…意思を」

 

さとりさんの言葉を遮って、わたしは口を挟んだ。その先に続いていたであろう反論を無理矢理押し潰す。そして、この内側に秘める決意を、曲げることのない意志を、わざとらしい言葉にして固めていく。自身を鼓舞するように、他者を寄せ付けないように。

見上げていた視線を、さとりさんに向けた。何処か儚いような、そして恐れているような眼だった。その瞳に映る自分の瞳の奥に小さな火が灯っているように見えた。

 

「だから、この決意を鈍らせるようなことを言わないでほしい。この意思を潰えさせるようなことを言わないでほしい。ほんの少しでも、揺らぐようなことを、わたしに言わないでほしい」

「…はぁ。よく分かりました。なら、私から言うことはありません」

「ありがとうございました」

 

さとりさんに一言礼を言い、胸の前に開いた右手を見下ろす。その手をグッと握り締め、席を立った。

 

「それでは」

「…待ちなさい」

 

そのまま部屋から立ち去ろうとしたが、その途中でさとりさんに呼び止められた。ガタリと椅子を慌てて動かす音がし、扉に当てた手をそっと離す。

 

「…何でしょうか?」

 

そう言いながら、首だけ振り向くと、強い意志を宿す三つの眼に突き刺された。痛いほどに優しい意志。そして、胸に手を当てて机を乗り出すさとりさんは、ハッキリとした言葉をわたしに伝え始める。

 

「もしも、私に出来ることがあれば言いなさい。私にすることがあれば言いなさい。私にしてほしいことがあれば言いなさい。私を巻き込むつもりならば言いなさい。…分かりましたか?」

「…はは、そうですか。よく、分かりました。ありがとうございます、さとりさん」

 

これ以上ないほどの言葉を聞き、わたしは再び前を向いた。そして、扉に手を当てる。

 

「だから、地霊殿の主としてではなく、一人の姉として、貴女のことを想う私の妹、こいしのことを貴女に頼んでもいいですか?」

 

わたしは硬く口を閉ざして扉を開き、何も言わずに部屋を出た。後ろ手で音を立てないように扉を閉め、さとりさんの視線を感じなくなったところで扉に背を当て、ズルズルと腰を床に降ろした。硬く閉ざした口から止めていた息を吐き出し、自分の影となり暗くなった床を見下ろす。雑に投げ出された脚を整える気にもなれない。

 

「…最後の最後に何てこと言ってくれるかなぁ…」

 

振り向かなかった。振り向けなかった。その頼みに答えれば、たとえその答えが応だろうと否だろうと答えてしまえば、仮に答えずとも振り向いてしまえば、わたしの決意が揺らいでしまう気がしたから。

悪態の一つでも吐ければまだ楽だったのに、あの言葉に対してどう言えというのだ。蝋燭の火のように揺れる決意が恨めしい。たった一つでここまで揺らぐか。

 

「…やれ、わたし。やるんだ。やるしかない。進め。止まるな。決めたんだ」

 

両手で頭を押さえてうずくまり、そんな馬鹿みたいな言葉をブツブツと呟く。定めた指針がこれ以上揺らがぬよう、つまらない言葉を並べていく。その言葉の一つ一つが指針に纏わりつき、その揺らぎを抑制していく。

…あぁ、もういいんだ。理想は抱くものじゃないって分かっていただろう。不可能が可能になろうと、理想が現実になるとは限らない。幻想の集う幻想郷だろうと幻想は幻想のまま幻想となり消える。

分の悪い賭けだって?あぁ、知ってるよ。本望だ。分の悪い賭けは嫌いじゃあない。確率がいいほうが当然いいが、悪いほうに目的があるなら構わず賭けよう。死んでしまうから止めろ?あぁ、知ってるよ。これまでだって何度も死にかけてきた。冥界だって行った。これで死ぬならそれはそれ。たとえそうなろうと、構わない。上手くいくはずがない?知るかそんなもの。何故貴方にそんなことが分かる。やってもいないのに、やろうともしていないのに、やるつもりもないのに、そもそも考えたことすらないくせに、何故そんなことを言われなければならない。

 

「だから…、わたしは…、やるんだ…」

 

フラリと立ち上がり、両手を頭から離してダラリと下ろす。…あぁ、もういいや。

ふと窓を見ると、薄っすらとわたしが映っていた。その真っ白な顔を見て、わたしは改めて両手を窓に当てて窓の向こうにいるわたしと正面切って向かい合う。

 

「さっきまでのわたしは、迷いがあった。…迷っているなら、するな。諦めろ。別の手段を取ろうじゃないか。…で、どうだ。わたしには、鏡宮幻香には迷いがあるか…?」

 

窓に映るわたしに呟く言葉は、そのままわたしに返ってくる。その問いに、わたしはしばし口を閉ざした。そして、きつく目を閉じる。…どうなんだ、わたし。

そして、ゆっくりと目を開いた。窓に映るわたしは、まるで能面のように無表情だった。

 

「もう迷いはない」

 

宿した決意が黒く染まっていく。揺らぐことのない、染まることのない漆黒の意思へ変貌していく。わたしがどう思われようと関係ない。わたしがどうなろうと関係ない。誰かがどう思われようと関係ない。誰かがどうなろうと関係ない。わたしの目的の成就のためなら、物だろうと価値だろうと基準だろうと倫理だろうと人間性だろうと世界だろうと例外なく切り捨ててみせよう。この目的のためならばありとあらゆる犠牲だって厭わない。

その瞳は漆黒の炎を灯していた。

 



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第410話

これまで辿った軌跡を遡り、その起源の記憶まで到達する。こいしに初めて出会った時の記憶。…否、違う。そのもう一つ前だ。わたしが求めているものは、起源のその先。ドッペルゲンガーは他者の願いを叶えてから捕食され消える。ならば、わたしが生まれてからこいしの願いは捕食されているはずだ。わたしはそれが知りたい。

ただ、これは飽くまでわたしにとって最も高いと思われる仮説に過ぎない。ゆえに、全く関係のない誰かの願いかも知れない。そもそも、この仮説が間違っているかもしれない。だから、確かめておきたいのだ。

およよ?およよおよおよおよよおよおよおよおおよおおおぉぉおおおおぉぉぉぉぉ…――。その先にどうしても進めない。わたしの精神に残されている記憶は、ここまでしかないのか…?

 

「…嫌だ。認めるか。…認めてなるものか」

 

何でもいい。力尽くでも手段でも奇策でも『目』を潰すでも記憶把握でも何でもいい。あと一つ踏み込めればいいんだ。進ませてくれ、起源のその先へ。そう願い、ただひたすら起源の記憶を遡り続けた。

 

『――い』

「…あ」

 

一瞬だが、感じた。ほんの僅かだが、その微かな一部分に触れた。わたしが生まれた理由、その願い。あったんだ。覚えていた。わたしのすぐ傍にいたであろう精神のことを、その願いを忘れずにいたんだ。

そうと分かれば、あとは続けるだけでいい。そこにあると分かっているのならば、諦める必要なんて存在しない。

 

『――――――殺――――な――――――い』

 

まだだ。

 

『決――――――――――な―――が――い』

 

あと少し。

 

『―――自―――――――な――我―――い』

 

深くまで。

 

『決――自ら――――――な―――が――い』

 

届くはずだから。

 

『決――自ら―殺――と―な――我が欲―い』

 

…これ、だけ?

そんな馬鹿な。こんな虫食いにでもあったかのように穴だらけな願いでわたしが生まれたのか?そんなはずあるか。あって堪るか。

 

「ま、さか…」

 

手遅れだったのか?わたしの精神が摩耗して掠れて消えてしまうほど儚い記憶だったのか?…いや、それにしては少し変な感じがする。掠れて消えてしまうような記憶だとすると、残されている部分があまりにもハッキリとし過ぎている。ハッキリしているからこそ、この願いの持ち主だった者がこいしであることも理解出来た。

 

「…ん、虫食い?」

 

ふと、さっき自分で考えた比喩に引っ掛かりを覚えた。…あぁ、そっか。確かに、手遅れだったんだ。わたしの精神が生まれてから、この願いは喰われて消えたのだろう。しかし、わたしの精神が生まれてから記憶を始めるまでに少し時間が掛かり、結果として願いは途中まで喰われていた。一足遅かったのだ。

きっと、正確に穴を埋めることは不可能に等しいだろう。砂場の山を崩して、もう一度砂一粒一粒の配列まで同じ山を作ってくださいとでも言っているようなものだ。それこそ、奇跡でも起きないと無理だ。つまり、究極の偶然が起こらなければいけない。

 

「…それでも、やるしかないかぁ」

 

『碑』で穴だらけの願いを刻み込み、わたしは部屋を出た。廊下を進む間、それらしい情報を思い浮かべて穴を保管していく。記憶、つまり願いは情報の塊。出来るだけのことはしよう。たとえ、不完全で歪なものにしかならなかったとしても。

返さなくてもいいと言われても、それは記憶に存在しないからだ。だから、わたしはこいしに返したかった。この願い、意識の一部を。その上で、もう一度だけ訊いてみたい。奪ったものは返すべきだったかどうか。…まぁ、こいしがどう答えようと消えるつもりはないが。

こいしの部屋の前に立ち止まり、扉を軽く叩く。いないならしょうがないけれど、何故かいる気がした。空間把握をしていないのに。

 

「なぁーにぃー?もぉしかぁしてぇー、お姉ぇーちゃぁーん?」

「…こいし、わたしですよ」

「幻香ぁー!いいよぉいいよぉ、入って入ってぇー!」

 

ひたすら間延びした声に何事かと思いながら扉を開くと、そこには机に突っ伏して顔だけこちらに向けたこいしと目が合った。目がトロンとしていて、頬が真っ赤。この部屋はほんのり酒の香りが漂っている。…あぁ、酔ってるのか…。

まぁ、いいや。別に多少酔っぱらっていても、この程度なら話は出来そうだし。そう結論を出し、わたしは後ろ手で扉を閉めた。

 

「あのね、こいし。一つ、返したいものがあるんだ」

「んー…、返したぁいものぉー?わたしにぃ?」

「うん。ちょっと、いいかな?」

「うひゃぁおっ!こぉんなぁに近くにぃー、幻香がいぃーるぅー!」

 

こいしの頭を両手で触れ、急にはしゃぎ出したこいしの内部に妖力を流し込む。内側を、精神を把握する。前までは流れ作業のように把握した傍から複製するだけだったが、今回は一つ一つ正確に把握していく。ほぼ無意識に支配されているこいしでも情報量は膨大だ。その中から、ドッペルゲンガーが貪ったであろう穴を探す。

…見つけた。かなり奥の方で時間は掛かったが、見つからないなんてことにならなくてよかった。あとは、ここにわたしがそれらしく取り繕った願い、『決して自らを殺すことのない自我が欲しい』を創って穴に埋め込むように入れていく。

 

「…!」

 

ピク、とこいしが僅かに反応した。…まさか、上手くいったのか?

わたしは手を離し、頬の赤みが少し薄れているこいしを見詰める。その三つの眼は閉じられていて、表情が少し読みにくい。

 

「…どう、ですか?」

「…うぅーん、幻香がぁ返したかったのってぇ、これなのぉ?」

「え、えぇ…。いくつか取り返しがつかない部分があって、完全であるとはとても言えませんが…」

「ふぅん、そっかぁー…」

 

そう呟くこいしは両目をゆっくりと開き、わたしと目が合った。…どうだ。どうなんだ。上手くいってくれないか。

 

「何て言うかぁ、不思議な感じぃ?」

 

胸元にある閉じた第三の眼を両手で優しく支えながら、こいしは続きを口にする。

 

「きっとさぁ、これを閉じる前までぇ、その寸前まではぁ、こんなことを考えてたんだろうなぁ…」

「…え」

「昔のぉ、本っ当に昔のわたしならぁ、考えていそうな願いだねぇ、って感じぃ?けどさぁ、今のわたしは今のままでいいよぉ、うん」

「ちょ、っと待ってくださいよ。そんな、他人行儀みたいな…。確かにわたしが勝手に補完、しましたが…、あの、願いは…、確かに、こいし、の…っ」

「だろうねぇ。もう一人のわたしの答え、って感じがするよ。けれど、わたしは違うなぁ、って感じ?…あーあ、すっかり酔いが醒めちゃった。けど、悪くない気分だよ」

 

失敗した。失敗した。失敗した。こいしの言葉がわたしの耳を素通りする。何か喋っているのだろうけれど、その意味を考える余裕がない。最初から思い切り躓いてしまった。

わたしが穴を補完した情報では、こいしの記憶と完全に癒着しなかったらしい。きっと、あの願いは記憶としてではなく、記録として認識されていることだろう。記憶喪失者本人が自ら書いた日記を読んでいるような、あるいは他者が書いた伝記を本人が読んでいるような、そんな風に感じているのだろう。

 

「あれ、落ち込んでるの?…ねぇ、おーい?」

「…いえ、大丈夫ですよ。問題ないです」

 

いや、一度躓いた程度で立ち止まるわけにはいかない。すぐに起き上がり、次へ進まなければ。そうだ。最初から不可能に近いと分かっていただろう。だから、これは、しょうがないことなんだ…っ。

爪が食い込むほど強く手を握り締め、失意を余所に置きながら立ち上がろうとしたわたしを、フワリとこいしが包み込んだ。

 

「ありがとね、幻香。これが前に言ってた『もの』なんでしょ?」

「…っ、…はい。そう、です…。こいし、わたしは、返すべきだったと、思えましたか?」

「そうだね。少し変わっちゃったけれど、返してくれてありがとう。あの頃のわたしにとってはとっても大切な願い。きっと、あの頃のわたしなら返してほしくて堪らなかったかも。…けれどね、決していらないってわけじゃないんだけど、今のわたしにとってはいらなかったかなぁ。今のわたし、無意識なこいしがしっくりくる」

 

そう言うと、こいしは抱き寄せていた体をそっと放し、わたしの背に回していた両手を肩に乗せてニカッと笑った。

 

「だから、わたしは許すよ。たとえ返してくれなかったとしても、わたしは構わなかった。それが、幻香のおかげで分かったんだ。だから、ありがとっ!」

 

その言葉に、涙は流さない。泣き笑いなんて、見せたくなかったから。その代わりに、わたしの両手から赤い血と心にへばり付いていた後悔が一緒に流れていく。

わたしは、失敗した。だけど、ほんの僅かだけど、救われた。そんな風に思うことが出来た。それだけでもう十分だ。

 



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第411話

「こいし、わたしは少し思うことがあるんだ」

「急にどうしたの?」

『幻香は難しいことばっかり考えてるねぇ。もっと気楽に生きればいいのに』

 

長く細い息を吐きながら天井を見上げ、そのまま思うことを口にする。

 

「精神は不思議だ。その名に持つ通り神懸かりだと思うね。まさしく神秘だ」

「どういうこと?」

「こいしの精神、その情報の全てを把握して複製したもう一人のこいし。それを今、わたしは宿している」

『はいはーい!わたしわたし!』

「けれどさ、わたしが同じように情報をひたすら並べて創った精神は、酷く気味が悪かったよ。情報の通り正しく動き続ける。そこに不規則性は皆無。…あぁ、思い出すだけでちょっと吐き気がする気分だ」

 

その不規則性のために、仮に一万分の一の確率で失敗すると情報に入れれば、きっと情報に従って一万分の一の確率で失敗するのだろう。それは最早、不規則の皮を被った規則だ。

整合性と不整合性の両立。矛盾を矛盾なく抱く精神。複製に出来て創造に出来ない一つの壁。それは、神とそれ以外をハッキリと分かつ壁、なのかもしれない。

 

「…つまり、幻香は気紛れが足りないと思ってるの?」

「そんな感じ、かなぁ…。偶然、たまたま、計らずも、思いがけず…。そんな不規則性をどうすればいいのか…。わたしが創った精神には、非常に大切でありながら至極曖昧なものが足りない気がするんだ。それこそ、無意識のようにボンヤリとした何かが」

「だからわたしが欲しかったの?」

『だからわたしを創ってみたの?』

「ま、そうかな。何か、一つのきっかけになればいいと思ったんですけれど…」

 

どうにもよく分からなかった。この身体は少なくともわたしという精神を創ったというのに、創られたわたしには出来ないのが少しばかり悔しい。

だから、わたしは思うのだ。この身体は、神に届き得る可能性を秘めている。それを生かすか殺すか、それは今この身体を使わせてもらっているわたし次第かもしれない、と。

そんな馬鹿なことを考えているところをさとりさんが知ったら、物凄く嫌な顔するだろうなぁ…。神になるのと、神と同等の力を持つのでは別物だと思うんだけどね。

これ以上深く考えるのは捕らぬ狸の皮算用、つまりあまり意味を持たないことだ。思考を切り替え、そしてパッと思い付いたことを実行する。わたしは、右腕の所有権をこいしに譲渡した。瞬間、右腕が変化するのが分かる。少し短く、細くなっていく。そして、身勝手に動き始めようとする右腕を意思の力のみで抑え込んだ。

 

「多重人格者という存在がこの世にはいるそうなんだけどさ、こいしは知ってますか?」

「名前くらいは。見たことはぁ…、んー、多分ないかな?」

「今貴女の目の前にいますよ。けれど、一体誰が身体の所有権を持っているんだろうね?最初に手にした方が持っているのか、より意志の強い方が持っているのか、産まれたその瞬間から上下関係が形作られているのか、それとも共存しお互いに持ち合っているのか…」

「んー…、よく分かんないや」

『ふぬぅ…っ。今はっ、幻香が持ってるんじゃあないかなぁ…っ』

 

頭の中に響くこいしの声は右腕を動かそうと頑張っているようだけれど、どうやらわたしの不動の意思のほうが強いらしい。少なくとも、このドッペルゲンガーという体では意思が強い方に融通が利きそうだ。

ピクピクと不定期に震えている細い右腕に触れ、その脆弱さを感じ取る。今触れている左手で握れば、簡単にポキリと折れてしまいそうなほど弱々しい。一瞬魔が差して、この腕を圧し折ってからこいしの身体に成り代わっている右腕に『紅』が作用するか確かめてみようかなぁ、と思ったけれど止めておいた。…こら、面白そうとか言わない。

…こう、魔が差すなんていうことはわたしが創った精神にはないんだよなぁ。自分自身に対して負けたように感じるという、何とも奇妙な体験をしながら右腕を頭に持っていき押さえつける。そして、そのまま大きなため息を吐いた。

ある程度はこいしから右腕の所有権を奪うことなく動かせるなぁ、とブンブン振り回そうとしている右腕を抑えながら実感していると、こいしと目が合った。

 

「今の幻香が多重人格者なのは分かったけれどさ、その幻香が求める精神を創れるようになって、どうしたいの?」

「どう、かぁ…。特に決まっていない、というわけでもないし…」

『うわぁ、曖昧だねぇ』

 

わたしが神に等しき力を手にしたのならば、真っ先にやりたいことがあるんだけどなぁ…。出来るかなぁ。出来るといいんだけど。

 

「…まぁ、うん。出来ないままは、何となく嫌だから。手札は多い方がいいし」

 

と、前々から思っていることを言ってお茶を濁す。仮にわたしがどうこうする前に八雲紫に捕まりでもすれば、最終的にやることになるだろうし。

…あぁ、そうだ。八雲紫も打倒しないといけないか。以前のわたしが引き起こした異変では交渉だけで封殺してたから、すっかり忘れてた。『境界を操る程度の能力』にどうすれば勝てるかなぁ?あれに対抗するのは並大抵の手段じゃあ足りないぞ…。

 

『無意識に真後ろから不意討ちでザクゥーッ』

「却下。それより、おそらく刃物で斬る程度じゃあ勝てないよ」

「誰と戦うの?勇儀?」

「…勇儀さんとはもう戦いたくないです」

 

せっかく復興が済んだのに、また崩壊させるとか考えたくない。一体わたしはどう扱われることになるやら…。下手すれば、さとりさんにも捨てられそうだ。そうなれば、きっと集団私刑待ったなし。流石に笑えない。

 

「そうじゃなくて、想定していた相手の他にまだいたってだけですよ」

「ふぅん。けど、幻香なら勝てるよ」

『そうそう。幻香なら負けないよ』

「…どうしてそんな自信満々に断言出来るんですかねぇ…」

 

『境界を操る程度の能力』は、以前萃香が言っていた通り万能だ。昼夜さえも自在に操るそれは、わたしが考えているよりも使い道が多そうである。…ただ、萃香はそれと同時に万能であっても全能ではない、と言っていた。そこに隙があればいいんだけど…。

それ以外にも、単純な戦闘能力も高そうだ。スキマも相まって、八雲紫は縦横無尽を超えた神出鬼没に攻めて来るだろう。あの風見幽香に敗北はしたが、拮抗はしたらしいし。勇儀さんに負けるわたしが、風見幽香と渡り合った存在にどう立ち向かえばいいのか…。ちょっとやそっとでは思い付かなさそう。

あと、馬鹿げた計算能力もあったなぁ…。あれだけの空間認識能力と思考速度も単純に脅威だ。それだけ策の構築が速いことになる。こちらの考えていることを丸ごと読み切ってくる、何てこともあり得ないわけではなかろう。…まぁ、最悪幻想郷と逃亡を天秤に掛けてやるのもありか?…いや、一度やった手はもう通じなさそうだ。止めておこう。

…やはり、対八雲紫用の手段をいくつか模索しておく必要がありそうだ。他にもやらなければならないことがあるのに、今になってまた増えてしまうとは…。まぁ、気付かずに時間が尽きてしまうよりはマシか。

 

「だって、幻香は強いもん」

『だって、幻香は強いもん』

「わたしはまだ弱いですよ。負けるし、死ぬ。だから、まだ足りない」

「けど、そればっかりになって他のことを蔑ろにしちゃあ駄目だよ?前にも言ったよね?」

「言われましたねぇ。…まぁ、今はやることに対して時間が圧倒的に足りない。切り捨てるものは切り捨てるよ」

「むぅ…」

 

むくれるこいしの頭を左手でわしゃわしゃと撫でた。くすぐったそうに笑うこいしを見ていると、やることを早急に済ませよう、という意思が固まった。さとりさんに頼まれているからこそ、なるべく早くことを終わらせる必要がある。

わたしがわたしの居場所を手にするために。

 



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第412話

地霊殿の屋根から旧都を眺めていると、地底の妖怪達が気楽に旧都を歩いているのが見える。精神的に大分安定してきた証拠だろう。復興が終了してすぐは、軽くぶつかると即喧嘩、何か食べていると集られる、脇道に入るとズタボロになって脇道を出る、店に入ると叩き出される、などなど荒んだ様子がよく見えたものだが、今では鳴りを潜めている。

 

「…ま、いい加減時間も流れたしね」

 

大分涼しくなってきて薄着だと少し肌寒い。焼き芋を食べている妖怪も見えるし、もう秋も深まってきただろう。

まぁ、時の流れも理由の一つだろうが、さとりさんと勇儀さんの奔走もこの結果に結びついているのは間違いないだろう。少し前までは庭で体術、複製、創造などなどをしていると、さとりさんのペットが地霊殿と旧都を頻繁に行き来していたし、鬼達が旧都を見回りしている様子も散見していた。統治者として色々と苦労していたようだけど、詳しくは知らない。

 

「さて、どうしようかねぇ…」

 

見た目に反して異様に重い立方体のような何かを片手に握り込みながら、いくら考えても上手くいく実感が湧かない八雲紫戦を考える。幸い、八雲紫が欲しているものはわたしという精神が内包されているドッペルゲンガー。よっぽどのことがなければ肉体的に、あるいは精神的に殺されることはないだろう。しかし、拘束、束縛、捕獲、拷問、屈服、等々…、殺害以外なら割と遠慮なくやってきそうだ。

何より、わたしに勝利以外の選択肢を選ぶことが許されていないのが問題だ。以前わたしが引き起こした異変は、勝利しても、敗北しても、逃亡しても、最悪死亡しても問題はなかった。どれを選ぼうと、わたしの目的は達成出来た。しかし、今回はそれがない。だから厳しい。

 

「…やっぱり、どうにかして『境界を操る程度の能力』に対処しないと駄目だよなぁ…。能力の全容を把握して対策を練りたいところだけど、そんなこと出来ないし…」

 

能力の全容を把握するということは、八雲紫に干渉することと同義だ。無差別に幻想郷全域を空間把握したときとは違い、明確に八雲紫を狙って妖力を伸ばす必要がある。そうすれば記憶把握で能力の解明だって出来るだろうが、魔界の誰かのようにこちらの存在がバレかねない。だから、その手段はあまりやりたくない。さんざん考えて無理そうならやるだろうけれど。

…まぁ、あまりやりたくない理由は八雲紫にバレるからよりも、八雲紫対策に八雲紫を出すという手段を取りたくない、という理由のほうが強いのだが。それでは、わたしでは勝てないと証明しているようなものだからだ。わたしが勝利したことにならない。

 

「抑制、あるいは無効化する術はあるのかなぁ…」

 

真っ先に思い浮かぶものは妖力無効化の呪術だったが、やり方を知らない。そういう情報を捻じ込んだものを創って使おうと考えたけれど、残念ながら刺された者の妖力の使用を禁ずる、なんて単純な情報で制限は出来なかった。右手に刺しても普通に複製も創造も出来たからね。…まぁ、何度か試した結果、確かに妖力の使用を禁じてはいたが、大した妖力量ではなかったことを理解し、それと同時に取り返しのつかないものを代償にしているだけの力はあったのだなぁ、と実感させられた。八雲紫の総妖力量がどの程度かは知らないが、あの時創ったものでは一万は必要な気がする。

 

「霊夢さんだけだったらまだ楽なのになぁー、…はぁ」

 

わたしが地上に戻る理由なんて、それだけだ。…いや、だった、のほうが正しいか。わたしが地底に逃げたのは、再び地上に戻るためだ。博麗霊夢を打倒し、勝利を収める。その過程に逃亡があり、ここにいる。

無想転生対策は出来ている。仮にこれで対処出来なくても、それ以外の手段もいくつか考えてある。わたしの代わりに封印されている彼女が捨てさせようとした甘さを捨てた博麗霊夢を相手にしたとしても、負けるつもりはない。

正直言えば、あれだけ時間がある霊夢さんと、最近になって考え始めた八雲紫でどちらのほうが面倒かなんて考えるまでもない。それに、霊夢さんは博麗の巫女で人間。八雲紫は大賢者で妖怪。この時点で差があり過ぎる。

 

「…あーあ、どうしよ」

「…またこんなところにいるのかい」

「お燐さんですか。こんなところに何の用ですか?」

 

後ろから声を掛けられ、考えを一旦中断する。その代わり、少し頭が暇になったので立方体のような何かを人差し指と中指で弄ぶ。

馬鹿と煙は高いところが好き、という単語がボソリと聞こえてきたが、無視することにした。別に馬鹿でもいいよ。それに、煙にも成ろうと思えば多分成れるから。

 

「さとり様が奇妙なことをおっしゃったんだよ」

「奇妙なことぉ?…ふぅん、少し気になるなぁ」

「何でも、こいし様が戻った、って。第三の眼は閉じたままなのに、何が戻ったのかあたいにはサッパリ…」

「あー、ふぅん。そうなんだ」

 

結局、こいしの願いを補完しても記録にしかならなかった。だが、こいし曰く、記憶でも記録でも意識の一部だったことには変わりないそうで、一度濃くなった無意識が再び薄くなった。…いや、正しくは薄くしたらしいのだが。

つまり、こいしは再び記憶されるようになった。今まで通り気配はまるでないが、無意識を無意識に操る元覚妖怪で現無意識妖怪であることには変わりないが、二度と第三の眼を開かなくてもいいと選択をしたが、それでもさとりさんが言っていた二度目の変化は戻ったのだ。

 

「あんた、何か知ってるのかい…?」

「…いえ、推測なので。確証はないのでいう必要もないでしょう」

 

ただし、制約がある。飽くまでわたしが補完した願い。本来の願いではなく、本来の意識ではない。完全に戻ったわけではない。

こいしは『こう、フワフワァー、って浮かんでいるものを掴んで押さえ込む感じ?けれど、しばらくするとすり抜けてまた浮かんじゃう。すぐにもう一度掴んでも、押さえ込めなくてすぐにすり抜けちゃうんだ。それに、少し疲れるからね』と表現していた。

時間制限、並びに精神疲労。そして連続使用は不可。わたしは以前の練習が不足していた頃の『紅』みたいなものだと勝手に解釈している。ついでに言えば、こいしがわざわざそれを押さえ込んで記憶してほしい、と思う近場の相手が地霊殿のペット達くらいしかいなかったらしく、今ではやろうともしていない。『幻香の友達といつかまた出会う日が来れば、またやるかもね』と笑っていた。

 

「知ってるならあたいにも言いなよ。あんたが知っててあたいが知らないなんて癪だからね」

「で、間違っていたらわたしの所為に出来る。素晴らしい考えだ」

「は、…ハァッ!?誰がそんな捻くれた考えで言ってると思うんだい!?」

「わたし」

 

平然とそう返しながら、弄んでいた立方体のような何かをお燐さんの無理矢理押し付けた。多少怒っていても、わたしが出したものを律儀に受け取ってくれることはいいところだと思う。

 

「お、重いっ!?」

「六次元物体だからね。単純に、重さは二乗だよ」

 

わたしの創造能力だって成長している。以前は頭が痛くてやってられなかったけれど、この程度なら最早苦ではない。今なら鏡符「百人組手」を情報なしで操作出来そうだ。きっと、世界の外側に至る超高次元を認識し、その領域を空間把握し、原点から虚数空間である魔界まで把握した代償として精神に余裕が生まれたのだろう。…いや、まぁ、あれをもう一度やりましょうとか考えたくもないんだけどさ。

時間はかなり使われてしまった。長いと思っていた時間も、これだけ減ってしまった。時間が足りない。約束の時は、地上へ戻る時は近い。だというのに、肝心の八雲紫の対処の名案が浮かばない。急がなければならない。

 



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第413話

腕を突き出せば大気が押し出され、地面の落ち葉が風に乗って吹き飛んでいく。腕を振り下ろせば大気を押し潰し、落ち葉の禿げた地面が僅かに凹んで土が舞う。片足を軸にして回し蹴りを放つと周辺の落ち葉が一気に舞い上がり、竜巻の中心にいる感覚を味わえる。軽く跳んで空中縦三回転の加速を乗せた踵落としを叩き込むと地面が大きく陥没し、土が辺り一面に飛散する。

 

「…衝撃波にはまだ至らないなぁ。まだ弱い。まだ強くなれる」

 

舞い散る落ち葉の内、目の前に落ちてきた一枚にピンと伸ばした人差し指を突き刺す。続いて中指、薬指、小指を同様に繰り返した。右手に突き刺さった四枚の落ち葉を眺め、握り潰して粉にしたのちに軽く払う。そして、頬に流れた一筋の汗を指先で拭った。

体術の訓練で温まった身体に冷えた空気が心地いい。しかし、かなり動き続けているとはいえ、これから秋も深まり一気に冷え込むことを考えると、もう少し温かな服装をしたほうがいいかもしれない。さとりさんのペット曰く、今年の秋は今までよりも温かいそうだが…。

休憩をしてまず真っ先に頭を過ぎるのは、八雲紫である。スキマをどう封殺するかに関して、未だにこれといった決定的な対策もない。だからといって何もしないわけにもいかないので、ひたすら自力を向上させようとしているところだ。

 

「スキマ…。わたしの能力でどうにか潰せたりしないかなぁ…」

 

例えば、スキマが開いた瞬間に何でもいいから敷き詰めるとか。…いや、どうせ別のスキマが開いて同じことを起こすだけか。これではただのいたちごっこだ。もっと根本的に使用不可能に陥らせる手段が欲しい。直接的、間接的は問わない。物理的、あるいは精神的にでもいい。

…まぁ、そんな簡単に出来るならば大賢者などと呼ばれないか。味方らしい味方になった覚えはほぼないが、敵になると厄介極まりない。…あぁ、本当に嫌になる。

 

「どうしたものかねぇ、…はぁ。…あ」

 

ため息を吐いたとき、首元にぶら下がっている金剛石がぶつかり合う音がした。…そういえば、最近創ってなかったなぁ。すっかり忘れてた。膨大の妖力を消費するだろうと考えていた魔界への干渉という目的が済んでしまったからなぁ。

妖力は自然に回復する。それが最大まで回復する前に妖力を外に出して妖力塊として貯蔵していたのに、これでは自然回復する妖力が溜まることなくもったいないことに。

 

「…あれ?そういえば、自然回復が出来ないなら、その超過する分の妖力はどうなってるんだ?」

 

そういう時は自然回復を休んでいるのだろうか。それとも、体力を妖力に変えられるように、妖力を体力に変えて疲労回復に充てているのだろうか。実は超過した分はわたしが知らないうちに垂れ流しにしていたのだろうか。…いや、流石に垂れ流しはしていないはずだ。していたら困る。

ちょうどよく体術の訓練後で少し疲労していたところだ。試しに妖力を体力にしてみようかな。…おぉ、出来る出来る。思ったよりも少ない妖力量で疲労が回復するぞ。けど、体力と妖力を行ったり来たりさせることで最終的妖力量が増える、なんてことは流石になさそうだ。逆に減る。

 

「…ま、いいや。普通、妖力とは妖怪の生命。ホイホイ使い潰す方がおかしいか」

 

別に無駄になっていたならしょうがないか。何かに使われていたならそれもよし。これからは思い出したときにすればいいや。本来の目的である妖力枯渇対策は既にここにあるわけだし。

 

「さて、続きといきましょうか」

 

先程妖力を体力に変換したことで疲れはすっかりなくなったのだし。…まぁ、これからやる訓練は体力よりも妖力を使うのだが。

空間把握。地霊殿に向けて妖力を拡げ、その内部構造を把握する。…さとりさん、執筆頑張ってるみたいだなぁ。旧都に出掛けているはずだからこいしはいない。さとりさんのペット達は相変わらず地霊殿を忙しなく動き回っている。ふむ、誰か調理してるな。…あ、わたしが飛び降りた窓が閉められてる…。

わたしの妖力使用量が多くなりがちな空間把握で拡げる妖力は、これまでよりもより少なく、より薄くして同体積に必要な妖力量を少しずつ減らせるように訓練している。やっていることは酷く地味だが、これが出来れば相対的に妖力量が多くなるようなものだ。

 

「んー、やっぱり地霊殿全域程度の広さだと訓練にならなさそうか。いっそ、旧都全域に変えるか?…いや、流石に止めとこう。何十倍になるかなんて考えたくもない…」

 

空間把握する範囲が広がればどれだけ変わった、という実感は生まれやすいだろうけれど、それだけ消費する妖力量が跳ね上がる。自然回復する妖力量を超えるようなら駄目だ。止めておこう。…少なくとも、まだ。

 

「おーい、幻香ー!美味しいもの買ってきたよぉー!」

「随分早かったですね、こいし。何を買ってきたんですか?」

「焼き芋だよー。早速食べる?」

 

地霊殿の空間把握を止め、旧都から帰ってきたこいしを迎える。はいこれ、と手渡してくれた焼き芋はほんのりと温かい。

一枚の薄い板を地面に創って置き、そこに腰を下ろしながら軽く問う。

 

「旧都はどうでした?」

「んー、表面は元に戻ったかなぁ。けど、まだまだ元通りとは言い切れないかも。何て言うか、何処かぎこちないような気がするんだよねぇー…。上手く言えないや」

「ふぅん」

 

すると、こいしからすぐに答えが返ってきた。屋根の上から見ていた感じでは大分元通りになっていると思っていたけれど、旧都に足を踏み入れたこいしから見るとまだ足りないらしい。…そういえば、何となく旧都へ出かける主な理由だった娯楽をする余裕もなさそうだったから行かなかったけれど、謹慎って何時までだっけ?旧都が落ち着くまでだっけ?…ま、どうでもいいや。

今は、それよりも大切なことが差し迫っている。…ま、ひとまずこれを食べるとしましょうか。真ん中で二つに割り、小さな湯気と香りを楽しんでから一口頬張る。

 

「…うん、美味しい」

「けど、ちょっと蜜が少ないなぁ。前より小振りだし」

「その辺はしょうがないでしょ。食料事情だって、ある程度損害を受けていたわけですし…」

 

具体的には知らないけれど、何処かにあるらしい食料の生産をする場所もわたしと勇儀さんの勝負で少なからず被害を受けた。地霊殿に貯蔵されていた長期保存食を普及するなどして対処していたようだが、生産量が減ってしまったのはどうにもならなかったみたい。材木も作らなければならないし、まだまだ元通りとはいかなさそうだろう。

ちなみに、さとりさんにわたしが材木を創ろうか、と一度言ってみたことがある。しかし、考えることもなくすぐに断られてしまった。旧都の半分を創って、さらに追加で材木までお世話になるつもりはないそうな。…まぁ、言外にわたしの能力への依存をしたくない、という意思が伝わってきたので、これ以上わたしは何も言っていない。使えるものは使ったほうがいいと思うけれどなぁ。

 

「こいし、旧都の妖怪達のことですが」

「ん?ふぁに?…んぐっ」

「余裕がないんだよ、きっと。今まで出来た些細なことが出来ないから、心が痩せている。ほら、ちょうどこのさつまいもみたいにさ。…なぁんてね、ふふっ」

「あっはっはー。それは、ひもじいねぇ…」

 

まぁ、それでもまだマシになったほうだ。もう少し前なら、このさつまいもすらなかっただろうし。あるだけマシなのだ。

それからは黙々と焼き芋を食べながら、わたしは八雲紫のことを考えていた。…はぁ、どうすればいいのやら。そうやって悩んでいると、皮の色が無性にむかついたから先に食い尽くした。

 



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第414話

とある酒の呑める店に当たりを付け、凍えた風を防寒具の上から受けながら急いで行ってみると、そこには目的である勇儀が一人で高価な酒を何本も空けていた。あたいはその隣の席に腰を下ろし、一つ安い熱燗を注文した。今の旧都は何かと物価が高い。

 

「勇儀、あんたこんな高い酒呑んで…。大丈夫かい?」

「いいんだよ。手に入れた金を使う。これも仕事の内さ」

 

そんな軽いやり取りをしている間に、あたいが注文した熱燗が置かれた。グッと一気に飲み干し、少し冷えた体を温める。

さて、今日は幸先がいい。さとり様に任された仕事を手早く済ませるとしよう。

 

「で、今の旧都はどうなんだい?」

「大分マシになった、って言っといてくれ。思ったより早く立ち直りそうだ」

「…そもそも、あんたが旧都を崩壊させるような被害を出すような喧嘩したのが原因でしょうに」

「そう言うなよ。私だってまさかあんな隠し玉が出るとは思ってなかったさ。むしろ、地霊殿をぶっ壊さなかっただけありがたく思えよ」

「…はぁ、はいはい。それじゃ、用は済んだからあたいはこれで」

「酒代は私が払っといてやるよ」

 

そう勇儀に言われ、その好意をありがたく受け取る。居酒屋の店主にもそのことを伝えていると、その店主から一本の純米大吟醸が入った一升瓶を手渡された。

 

「好きに呑め」

「えっ、本当かいっ!?」

「熱燗一杯じゃあ寂しいだろ?」

 

思いがけない勇儀からの土産物にあたいの気分は一気に急上昇し、居酒屋を出る足が普段の何倍も軽くなった。

 

「にゅっふふーん」

 

いつもなら歌うことのない鼻歌すら出てくる始末。きっと鏡を覗けば頬が緩んだだらしない顔をしているに違いない。肌を流れる冷えた空気のことなんか一切気にならなかった。そのくらい、あたいはこの酒瓶が嬉しかったのだ。

この酒を誰と呑もうかなぁ。地霊殿でさとり様のために共に働いている仲間達と呑むのには、残念だけど量が足りないかな…。ならば、ここはやはりさとり様と一緒に呑もうか、それともこいし様と一緒に?…うーむ、悩みどころだ。

つまみになる軽い食べ物はあっただろうか、何てことも考えながら地霊殿に帰ると、そんな上機嫌が一瞬にして素に戻された。

 

「な、な、な…」

 

地霊殿の三階の壁に大穴が空けられていた。そこから地霊殿に戻っていく人影が一つ。見覚えのある防寒着を着た赤髪の後ろ姿。間違いない。

 

「何をしてるんだい、あんたはアァーッ!」

 

ここ最近、地霊殿の庭を毎回ボコボコに荒らして部屋に帰るを繰り返す厄介者、鏡宮幻香。その被害は庭だけに留まらず、遂に地霊殿まで広がったか!

この状況で一升瓶を落としていなかった自分を褒めながら一升瓶を脇に抱え、一目散に地霊殿へと帰還する。そのまま全力疾走で廊下を走り階段を上がり、あの大穴が空けられた場所まで駆け抜けた。

 

「そこで待ちなぁーっ!」

「え?」

 

呑気に伸びをしている幻香にあたいは大声で止まるよう叫び、その前でどうにか停止する。

 

「…あぁ、お燐さんですか。どうしました、そんなに慌てて?」

 

色々な意味で荒れた呼吸を戻すべく、肩で息をしていると、対する幻香は反省の欠片も感じさせないのんびりとした仕草で壁を背に当てて休み始めた。…本当にどうしてくれようか。ひとまず、さとり様にはキチンと報告。絞ってもらうように頼むとしよう。

そうと決めたところで荒れた呼吸が大分落ち着き、あたいのことなんかまったく気にしていないかの如き余裕さでこめかみを軽く押している幻香に、人差し指を真っ直ぐと突き出した。

 

「あんたねぇっ!ここの壁に大穴空けてよくそんな平然としてられるねぇっ!?」

「大穴ぁ?…あー、それかぁ。貴女、見てたんですね」

「ああ見てたさ!あたいのこの目でバッチリとね!」

「じゃあ、その目でこの壁をバッチリ確認してくださいね」

 

トン、と背中を押されて咄嗟に片脚が前に出た。それから、小さな空気の流れがあたいの顔を撫でる。…幻香が、消えた?…いや、見えなかったのだ。あたいの後ろをコツコツと歩く音が廊下に響いている。

幻香の部屋の扉が閉じる音が聞こえた瞬間、ブワッと冷や汗が噴き出し心臓が暴れ出した。思い出したのだ。幻香と初めて相対し、そして思い切りボコボコにされた時のこと。そして、その後にさとり様に殺されていたかもしれないと言われたこと。不可視の挙動で背後に回り込まれ、あたいの背中を軽く押した。もしも、そこに殺意があったら?…あたいは、何も出来ずに死んでいた。理屈じゃなく、本能がそう言っている。

あたいは鏡宮幻香に恐怖を抱いている。

 

「はぁ、はぁ、はぁ…」

 

脇に抱えていた硬いものを両腕で抱きかかえながら蹲り、荒れ狂う恐怖の感情をどうにかして押さえ込む。そうだ。非常に癪ではあるが、鏡宮幻香はあたい達に殺意がない。さらに言えば興味も然程ない。それは、さとり様があたい達に散々言って聞かせてくれたことだ。あの時がそうだっただけで、これからはまずないだろう、と言っていたではないか。幻香は未だに信じきれないが、さとり様なら信じられる。

どうにか気を持ち直し、それでも震える脚で壁を支えにしながら立ち上がる。一つ大きく息を吸い、恐怖と共に吐き出す。…よし、もう大丈夫。

 

「…うげっ、純米大吟醸…」

 

さっきまで抱きかかえていたものが一升瓶だったことに今更になって気付き、罅でも入っていないだろうかと確認してしまう。…よかった、漏れていない。けれど、人肌で温くした酒を誰かに呑まれる気になれなかったし、そもそもこれを誰かと呑む気になれなかった。

 

「…あぁ、そうだ。壁、確認しないと…」

 

それから、幻香が言い残した言葉を思い出す。大穴が空けられた壁。それを確認しろ、と。…そうだ。僅かでもいいから粗でも見つけて、それを肴に呑むのも悪くないかもな、何て卑屈なことを思いながら壁を観察する。

 

「…へ?」

 

ない。もう一度見ても大穴どころか、蟻一匹通れるような穴すらない。罅の一つすら、入っていない。押しても、叩いても、ビクともしない。けど、確かに、ここに、幻香が、大穴を、空けて、いた、はず、なのに…。

創造能力で壁を創って嵌め込んだ?…いや、それにしてはおかしい。さっき押してもずれたりしなかった。偶然押してもずれなかったとしても、大穴の形に沿って線が走っていないとおかしい。なら、ご自慢の創造能力で癒着までさせた?…いや、壁の汚れまで周囲とまるで変わらない。しかも、ここはよく見たらこいし様が昔爪で削っていた落書きが薄っすらと残っているではないか。しかも、ちょうどその落書きの真ん中を大穴の外周が通っていた覚えがある。ご自慢の創造能力で、こんな目を凝らさなければ見つからない、しかも壁の汚れと裏側にあった落書きまで丁寧にまったく同じに創った?…そんなことがあり得るのか?記憶力が無駄にいいことは知っている。だが、そんなことまで覚えてられるとは思えなかった。

 

「何者よ、あいつ…」

 

確認終了。異常、なし…。大穴が空いていた、という結果そのものが覆されたかのように元通り。ハッキリ言って不気味だ。こんな気分になるなら、ここまで綿密に確認しなければよかった…。

上機嫌だった気分は何処へやら、あたいは沈んだ気分でさとり様に与えられた部屋に一人トボトボと戻ることにした。今日はこの酒を呑んで嫌な気分を無理矢理忘れよう。そうしよう。…この件も含めたさとり様への報告は、申し訳ないけれど明日に回させてもらうとしよう。もう、そんな気分じゃない。

手元にあるこの酒が安物ではない事だけが、唯一の救いだった。

 



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第415話

強風に煽られた部屋の窓が立てるガタガタという音を聞きながら、わたしは情報を入れた複製(にんぎょう)を創っていた。しかし、人が作業をしている時に音を立てられると気が散るというもの。一つため息を吐き、今まで複製に入れていた情報の頭に待機を入れて作業を中断。

 

「…今日も酷いなぁ」

 

風向きは相変わらず、地霊殿の裏にある灼熱地獄跡地の穴のほうだろう。庭で体術などの訓練をしていると、いつも同じ方角から風が来るので嫌でも分かる。今の時期ではただの強風で済んでいるが、これが冬になれば地霊殿からの強風で旧都が吹雪くことになるので、旧都の妖怪達はいい迷惑だと思っているかもしれない。

 

「さて、続けますかぁ。…ん?」

 

しばらく音を立てている窓を見ていたが、そんなことをしていてもしょうがないと気持ちを切り替え、複製に入れる情報を考える作業に戻ろうと思ったところで、わたしの部屋の扉を開錠する音が聞こえてきた。どうやらお客様らしい。

 

「やっほー、幻香!」

「あぁ、こいしですか。いらっしゃい。とりあえず、扉は閉めてくださいね」

「はぁい」

 

こいしが扉の鍵を閉めるのを見届けつつ、わたしは創っていた複製を部屋の隅に置いていく。やはり作業は中断だ。

 

「うわっ、何者?」

「え?…あぁ、これですか。そう言われると、名前は決めてなかったなぁ…」

「んー、本当にただの人間、って感じの見た目だねぇ。黒、夜、鴉、墨…」

「どうせ動作確認したら回収するし、いちいち考えなくていいですよ…」

「えー、もったいない。ところで、これは何のために創ったの?」

「…まぁ、戦力増強、かな?数が必要な戦闘もありますから。わたしの身体は一つしかありませんからね」

 

ちなみに、中に入れた情報は完全に戦闘用の情報ばかりだ。一つの生命としてではなく、最早ただの道具の一つとして創っている。無論、生命創造を諦めたわけではない。ただ、今は道具としての利用だと考えて創ったほうが気が楽であるから。生命創造に関しては、わたしの居場所を得てからゆっくりと極めるとしよう。

誰か、というかほぼこいしのために用意してある急須と湯呑を棚から取り出し、大きめの容器に入れてある水を適当に創った金属製の器に入れる。そして、先程創った器に非金属で熱伝導率の低い取っ手を付け足し、器の金属分子を超高速で振動させ水を沸騰させる。あとは急須に茶葉を入れ、急須と湯呑にお湯を注ぐ。

 

「お茶は少し待ってください。ま、とりあえずこれでも飲んで温まってくださいな」

「ありがと、幻香。…熱っ!ふぅー、ふぅー…」

「沸騰直後ですよ…?」

 

小さな氷を創造してお湯に入れて少し冷やし、飲みやすい温さにしてから飲み干す。溶けた氷は喉を通るときに即座に回収されるので問題はない。

 

「それで、今日は何の用ですか?」

「遊びに来たの」

「ん、そうですか。わたしとしては、遊ぶなら旧都でようやく再開の目途が立ったっていう賭博場に行ったほうが早いと思いますが…」

「えぇー、そこには幻香がいないじゃん」

「謹慎中ですからね」

 

ま、もう既に解かれているかもしれないけど。しかし、今は特に行く理由がないから、解けたかどうかも訊いていない。

こいしは遊びに来た、というが、ここにある娯楽品はこいしに部屋にあるものをいくつか創ったくらいだ。つまり、こいしの部屋に行ったほうが種類は明らかに多い。そう思って湯呑を必死に冷ましているこいしを見ると、ニッコリと微笑まれた。…はい、出るつもりはないと。

 

「また作業を見てるだけになりかねませんよ?」

「いいよ。一緒にいるだけで楽しいから」

「あ、そう」

 

まぁ、知ってた。ほぼ毎回似たようなやり取りをしているのだし。そう思いながら、わたしは急須からお茶を注いだ。それを見たこいしが慌てて湯呑の中身を一気に飲み干したが、飲み干してすぐにひぃひぃ言ってる。…だから沸騰直後だから、冷めるのは時間が掛かるのに、と思いながらこいしの湯呑にもお茶を注いだ。

最後の一滴まで注ぎ切った急須を置き、部屋の端に置いた複製を持ち上げる。さて、作業再開だ。相変わらず風が窓を揺らしているが、気楽にやろう。

 

「今日も風が強いねぇ」

「ですね。訓練の時に目に砂が入るのがちょっと嫌なんですが…」

「それはしょうがないよ。たくさんの瓦礫を焼却したせいだろう、ってお姉ちゃんが言ってたけど」

「…ふぅん」

 

復興の際に旧都に発生した大量の瓦礫は灼熱地獄跡地に放り棄てられたことで、灼熱地獄跡地に膨大な熱が発生。そして、旧都と灼熱地獄の大気の温度差によって大気が一気に上昇した。その結果、送られた大量の大気が強風となっているのかもしれない。当然、灼熱地獄跡地の大気は温かいため、今年は今までより温かい、と言っていたさとりさんのペットの言葉にも繋がる。…まぁ、真実かどうかは知らないが。というか、今はどうでもいい。

打撃が敵対象に接触した瞬間、過剰妖力を炸裂させるようにするか?…いや、そうなると消費妖力量が急上昇し、戦闘継続時間が大幅に短くなる。止めておこう。あ、部位欠損の際の動作を考えてなかった。けど、一ヶ所ずつ、しかも欠損範囲ごとに入れるのは面倒だなぁ…。そうだ。そこは自爆で対処しよう。欠損範囲が一定を超えた場合、敵対象に急接近し自爆。少しもったいないけれど、いちいち面倒なことをせずに済む。とりあえずはこれで。

 

「楽しそうだねぇ」

「そうですか?」

「うん。今の幻香の顔、凄く楽しそうだよ」

「…楽しいのかなぁ、これ。ま、悪くない気分ですよ」

 

量産型人型戦闘用兵器。完成したら『碑』で覚えるのも悪くない。八雲紫に通用するかは知らないけれど、それ以外になら意外と効きそうだ。雑魚相手なら特に。

 

「ほら、やっぱり楽しそう」

「…どんな顔してます?」

「すっごい悪い顔してる。目がキュッて細くなって、頬がニヤァーッて吊り上がって」

「あ、そうですか…」

 

そんな顔してたのか。んー、気を抜くとよく表情に出るとは言われていたけれども。

一旦複製から手を離し、両頬を軽く叩いて気を引き締める。…よし、続けるか。射撃はいくつかの段階に分けるとしよう。弾幕で場を制圧するのもいいけれど、強力な妖力弾で撃ち抜くのもいい。相手の戦法で使い分けるようにしたいけれど、さてどうするか…。

 

「あと、最近の幻香は何だか気楽だよね。切羽詰まってる感じがしないし」

「そうですね」

「やることがあるから急いでる、って言ってなかった?それはもういいの?」

「ええ、ほぼ終わりましたよ。あとは、まぁ、趣味の領域ですね」

 

対八雲紫用の手段はもう出来上がった。『境界を操る程度の能力』を完全に封殺出来るわけではないだろうが、ほぼどうにか出来るだろう。たった一つのつまらない意地を捨てるだけで出来るなら、非常に安い買い物だ。

わたしはもう約束の時間が来るか何か切っ掛けが出来るまで、細かな研鑚をするだけでいいのだ。よりよい体術、よりよい複製、よりよい創造、よりよい発想…。それらを少しずつ昇華させる時間だ。つまり、趣味の領域である。だったら生命創造をしろ、と考えた頃もあったのだが、どう考えても時間が足りないので今はいいと判断した。それよりも、少しでも強くなり、八雲紫戦の勝率を上げたほうがいい。

 

「そっかぁ。じゃあ、これからは色んなことを楽しめるんだねっ」

「そうなりますね。…ま、時が来るまでは」

 

時が来れば、わたしは地上に戻る。それはこいしも知っているはずのことだ。

 

「帰るの?」

「どうだろ。けど、また会えますよ」

 

けれど、こいしは少し寂しそうな顔を浮かべていた。分かっていても、寂しいものは寂しい。わたしだって寂しいよ。

 

「地上と地底の不可侵があるのに?」

「あはっ。それを貴女が言いますか?」

「だーよねーっ」

 



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第416話

地面に一枚の板を敷き、真ん中に焚き火を一つ。その後ろに大きな傘を差している。わたしとこいしは、その傘の下で串刺しの焼き林檎を頬張りながら、薄っすらと雪が降り積もる地霊殿の庭を眺めていた。

 

「行けーっ!そこだそこ!」

「さてさて、どうなるかなぁ…?」

 

そこでは肉と肉がぶつかり合う鈍い音が、肉に被弾する音が断続的に響いていた。赤髪と青髪の二体がお互いを攻撃し続けているのだが、一向に流血の気配はない。当然だ。血なんて流れてないのだから。あれらは区別を容易くするために髪の毛の色をそれぞれ赤と青に着色した複製(にんぎょう)

お互いの性能は大きく異なる。赤髪は射撃を主とし、青髪は打撃を主とする。ゆえに、赤髪は距離を離し、青髪は距離を詰める。赤髪のほうは過剰妖力を妖力弾として外に出す必要があるため妖力消費量は多いが、攻撃を受ける頻度は少ない。青髪のほうが過剰妖力を移動のためにのみ使えるため妖力消費量は少ないが、攻撃を受ける頻度は多い。

わたしは赤髪が勝利すると予想し、こいしはそれなら逆をと青髪が勝つと言った。勝負を見届けていると、急に青髪が動きを止めて倒れた。過剰妖力がなくなって動けなくなったのではなく、累計一定以上の衝撃を受けると機能を停止するようになっているから止まったのだ。

 

「うなーっ、負けたーっ!最後の一個は幻香のかぁ…。残念っ」

「ふふっ、楽しそうですね」

「それはそれとして、これで完成?」

「どうかなぁ。ま、実用出来るくらいにはなったと思うよ。…思いたいなぁ」

 

傘の外に出たくなかったので座ったまま、動かなくなった青髪に射撃を繰り返している赤髪を回収し、死体撃ちを喰らい続けた青髪も回収する。空間把握で拡げた妖力を身体の一部とみなし、霧散した妖力を絡め取るように吸収してわたしの元へ引き戻すことで遠隔で妖力を回収することが出来るようにした。最初に拡げる妖力が全て回収出来るわけではないため僅かに損失はあるが、回収のためにわざわざ複製に触れに行く必要がなくなったのは非常に実用的だ。

勝者の景品となった焚き火の横にある焼き林檎を手に取り、齧り付きながら次の複製を創り出す。今度は完全に同じ性能で、打撃を主としている。区別のために髪の毛を緑と黄に着色した。

 

「どちらも同じですが、今度はどちらが勝つと思いますか?」

「じゃあ、緑で!負けたらぁ…、調理場から何か持って来よっか。焼いて美味しいの」

「分かりましたよ。わたしは黄色にしましょうか。それじゃ、始め」

 

そう言いながら、二体の複製に入っている情報の頭にあった待機を取り除く。瞬間、二体はお互いに向かって走り出し、同時に右腕を突き出した。そして、同時に右拳が頬に突き刺さり、雪の上を転がる。しかし、足場の僅かな差異からか、黄髪のほうが若干強い拳を受けたように見えた。

 

「ところで、名前は決まってるの?」

「名前ですか。決まってますよ」

「ありゃりゃ、まだ決まってなかったら、わたしが名付けてあげようと思ってたのに」

「すみませんね。既に『兵』と名付けさせていただきました」

 

『兵』。複製の中に入れる戦闘用情報の羅列。『碑』を使用し、その情報の全てを精神に刻み込んだ。この情報と過剰妖力を人型の複製に入れれば、簡単に量産型人型戦闘用兵器に早変わりする。兵士とも兵隊とも雑兵とも取れるが、どう取ろうとも別に構わない。好きにしてほしい。

緑髪の連打を受けながら、黄髪は重い一撃を捻じり込んだ。大きく吹き飛ぶ緑髪だが、痛覚なんてものはないためすぐに起き上がる。そして、緑髪は接近のために跳び蹴りをかまし、それを黄髪は横に跳んで躱した。『兵』の防御、敢えて受け反撃、回避などは喰らいそうな攻撃の威力を推測して決めている。

 

「こうして見ると、まるで生きてるみたいだよね」

「そうですかぁ?あれらに意思なんてありませんよ。ただ、決められた情報に則って決められた通りに動くだけの人形に過ぎないのに、生きてるだなんてわたしにはとても言えませんね」

「だから、まるで、だよ。前よりも変な違和感なく動いてるし、途中で急に止まったりしないし」

「…まぁ、そこはかなり努力しましたからね…」

 

どんな複製の身体だろうと、両腕両脚の長さが不自然に歪でない五体満足ならばちゃんと動かせるように情報を調整し、数多の情報の選択に手間取って不自然な挙動をしないように調節し、数多の情報から同時に二つ以上の選択をして矛盾を引き起こし動作が停止しないように調節した。何度も何度も確認を続け、ようやくここまで出来上がったのだ。苦労したなぁ…。

ちなみに、ようやく成功した、と思って『碑』で刻んでから不具合を起こし、再調整なんて両手の数では足りないほどあった。…つまり、思い出そうと思えば、失敗作だって思い出すことが出来る。使い道はなさそうだけど。

 

「おっ、いい蹴りが入ったんじゃない?ねぇ、幻香!どう思う?」

「んー、確かにかなり重いのが決められたなぁ…」

 

緑髪の回し蹴りを黄髪は躱そうとしたが、間に合わず側頭部に直撃。回転しながら地面に転がされ、黄髪が起き上がる前に追撃の踏み下ろしを喰らわせようとする緑髪から雪の上を転がって躱しているのが見える。あと一、二発重いのを喰らえば黄髪の機能は停止するだろう。一応賭博なので、情報から読むなんてことはしていない。

緑髪が振り下ろした脚を転がって躱し、黄髪はその脚をガッシリと掴んだ。そして、そのまま転がって緑髪を転倒させた。どちらかが起き上がろうとすると攻撃され倒されてしまうと判断したためか、二体が掴み合って転がり始める。

 

「頑張れーっ、緑-っ」

「…心配だなぁ」

 

お互いに上を取ろうとしているのは、これを見れば誰だって分かるだろう。あの様子では上を取れた方が勝つだろうが、この二体は同性能。はたして勝負は決まるのだろうか…?

そんなことを考えていたのだが、しばらく転がっていると緑髪が黄髪に跨って拳を振り下ろし出した。…あぁ、なんだ。掴み合って転がっている時の取っ組み合いで衝撃が一定を超えた黄髪の機能が停止し、それから動ける緑髪が動けない黄髪に跨れたわけか。既に機能が停止した黄髪に容赦なく拳を振り下ろし続ける緑髪から目を逸らすと、隣に座っているこいしと目が合った。

 

「わたしの勝ち?」

「ですね」

「やったー!」

 

妖力を糸のように伸ばして二体の複製に接触、吸収して回収する。あらら、負けちゃった。特に悔しいとかは感じない。ただ、今のところ不具合が起きていないことにホッとしている。

これからも何度かこうして創っては戦わせ、不具合が起こらないことを願うを繰り返す予定だ。…まぁ、百回やって起こらなければいいな、と思っている。

 

「それじゃあ、幻香は調理場ね!」

「何を持ってきましょうか…。今更ですがもう冬ですし、軽く鍋でも茹でましょうか?」

「いいねぇ。確か、いい野菜をこの前貰ってたはずだよ。白菜、人参、大根、蕪なんかがあったかなぁ」

「…ふむ、鶏が数羽いますね。絞めて調理するのかな?」

「じゃあ、一羽貰って一緒に食べちゃおう」

「いいんですか、そんなことして?」

「いいんじゃない?」

 

そう言って笑うこいしだけど、それをして許されるのはこいしだからだと思うんだよなぁ…。調理場に本当に野菜があるか空間把握して確かめないほうがよかったかも、なんて思いながら、焚き火の上に鍋を吊るすための道具を創って置いておく。

 

「…ま、いっか。鍋と水、野菜をいくつか、鶏を一羽。向こうである程度準備してから戻りますから、少し遅くなりますよ」

「分かった。けど、出来るだけ早く帰ってきてね」

「善処しますよ。出汁の味は醤油があれば十分かなぁ…」

 

鍋の味付けについて考えながら、わたしはゆっくりと立ち上がる。さて、寒さ対策のために窓は全て閉められている。しかし、地霊殿の入り口まで回るのはちょっと手間だ。けれど、そんなものはもう関係ない。

壁に手を触れ、妖力を使う。瞬間、壁が外側に引っ張られるように歪み、人が通れる程度の大穴が空いた。

 

「それじゃ、行ってきますね」

「いってらっしゃーい!」

 

大穴から地霊殿に入ると、大穴はゆっくりと元に戻っていく。そこには、何一つ変化した様子のない壁が残された。床に僅かに積もった雪がゆっくりと解け、その場を濡らした。

 



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第417話

正面から迫る拳を掴み取り、そのまま右側へ放り投げて一体巻き込んでおく。二体が立て直す前に左を向き、顔へと伸びてくる回し蹴りを屈んで躱しながら肉薄。下手に回避などをされる前に脇腹へ右腕を大きく振るい、相手の上半身を破壊する。…あれ、もう少し硬く創ったつもりだったんだけどなぁ。ま、いいや。

残された下半身を掴み、起き上がった二体のちょうど間に向けて投擲。両側に広がって回避されたところで、左側へ走り出す。わたしが近づいてくることを把握したらしく、あちらもこちらへ走り出した。お互いの距離は僅か数歩で埋まる。その距離を強く踏みしめた右脚で地面を思い切り蹴り、一瞬で埋めた。突然の急加速に反応が追い付いていないところに、速度の乗った貫手を繰り出し、胴体を肩まで貫通させる。

残りの一体に目を向けると、既に左膝が顔に迫っていた。咄嗟に貫いたままの一体で防御し、その勢いのまま旋回して宙に浮いていた体に脚を叩き込んで吹き飛ばす。地面を転がっている間に肩にある一体をズルズルと引き抜き、その辺にポイっと投げ捨てておく。そして、起き上がろうとしている一体をその場で待った。ここで一つ深呼吸。攻撃対象である存在を意識し、腰を捻り右腕を限界まで引き絞る。

息を吐き切ったところで呼吸を止めた。時の流れが緩やかになり、意識が加速する。右腕に力を込め、ようやく起き上がった対象に焦点を絞った。距離は大きく離れている。

 

「…今日は、なんだかいけそうな気がするよ」

 

しかし、届かないとは思わなかった。わたしの腕数十本分はありそうなほど距離があるのに、問題があるとは思えなかった。

一歩足を踏み出した瞬間、引き絞っていた右腕を解放した。大気が爆ぜるような感覚。次の瞬間、地面に浅く積もっていた雪が吹き飛んで濡れた地面が真っ直ぐと伸び、その先にいた一体は地面と水平になって飛んでいった。地霊殿の壁に叩き付けられたところで、グッタリと動かなくなる。…おぉ、遂に出来ちゃったよ。拳圧による衝撃波。

 

「ふぅ。やろうやろうと思ってはいたけれど、実際に出来ると少し驚きだなぁ」

 

そんなことを呟きながら妖力を拡げ、機能が停止している三体の『兵』を回収する。やっぱり体術の訓練は相手がいたほうがやりやすいけれど、相手が『兵』であるがゆえにどう動くか簡単に予測出来てしまうのが難点だよなぁ…。それに、結構硬めに作ったつもりなのに、拳一つで容易く壊れてしまったのもよくない。

 

「いっそ鋼鉄の複製(にんぎょう)でも創ってしまおうか…?」

 

『兵』は人型の複製なら特に問題なく動く。そう、人型なら動くのだ。生物の複製が望ましいのは分かっているが、物は試しと一度地霊殿の壁から人型に切り取って創った石像に『兵』を入れてみたら関節に罅を入れながら動き出した。きっと、木像や銅像でも動くだろう。もしかすると、泥人形や藁人形でも精巧に創れば動くかもしれない。…まぁ、やるとしたら関節の問題を解決してからかな。

 

「ん?」

 

さて次は何をしよっかなぁ、と思いながら思い切り伸びをしていると、誰からわたしの横を走り抜けていった。去っていく後姿を見ると、どうやらお燐さんだったらしい。その後姿はどんどん離れていき、地霊殿の庭を出て旧都へと向かっていった。

はて、普段ならわたしと顔を合わせれば何かと突っかかってくることが多いのに、今日はわたしのことを気にすることなく行ってしまうとは。わたしなんか気にする余裕なんてないような急用でもあったのかなぁ?…ま、いいや。

 

「『兵』とわたしが操作する複製で試合をさせようかなぁ」

 

お燐さんは放っておき、同じ体格の複製を二体創造する。そして、片方には『兵』を入れ、もう片方にはわたしの意識を向ける。胴に放たれた左拳を後退させて回避。相手の腕が伸び切ったところで前へ跳び、左拳を蹴り潰す。が、その前に引っ込められてしまった。

しばらく複製で攻撃、防御、回避と操作し、ようやく『兵』の脳天に踵落としを叩き込み、機能を停止させた。…んー、視界が違うとやっぱり動かしにくいなぁ…。

お互いに複製同士だから位置を頭の中で正確に把握出来、ほぼズレなく攻撃や防御をさせることが出来るけれど、これが本来の試合だと相手の位置をわたしの視界で把握することになる。そうなると、些細なズレが致命打になりかねない。複数体同時操作もあるし、まだ訓練のし甲斐がありそうだ。

 

「わぷっ」

 

そう意気込んだ瞬間、わたしの顔に雪が叩き付けられた。続いて熱風が吹き荒れ、雪を溶かしていく。当然、わたしの顔はすっかり濡れてしまった。しかし、地霊殿の裏から吹く熱風のおかげで寒くない。…ん?熱風…?

 

「今、冬だよね…?」

 

少しとはいえ雪降ってるし、落ち葉はほぼ落ち切ったし、秋は既に過ぎ去ったし、春が訪れた気配もないし、まだ冬のはずだ。…あ、雨だ。熱風のせいで雪が空中で溶けて雨に変わったらしい。

積っていた雪もすっかり解け切り、出来た水は地面を濡らし泥のようにぬかるませる。…えぇと、どういうこと?異常気象?…いや、違うか。

 

「灼熱地獄跡地」

 

あそこが暴走でも起こしたのだろうか?管理しているはずのさとりさんのペット、霊烏路空はどうしたんだろうか。まさか、膨大な熱を受けて倒れてしまったのだろうか?…まぁ、わたしにはあまり関係ないか。

 

「うお…っ!?」

 

そう考えて訓練を切り上げて部屋に戻ろうとしたところで、地面が突き上がるように大きく揺れた。縦揺れの地震かな。結構大きいな…。すぐに地霊殿を見上げてみるが、これといって目立った損傷は見られない。…ふぅ、よかった。あれで地霊殿が崩れるなんてことがあると、こいしやさとりさん、数多のさとりさんのペット達が非常に困ることになる。

一応、ここから見える範囲を隈なく見直していると、三階の窓の一つが大きく開いた。

 

「え?」

「幻香ぁーっ!受け止めてっ!」

「いや飛べば――お、っと」

 

わたしの反論空しく、そのまま落下してきたこいしを両腕で受け止める。その癖に、わたしの腕から離れる際には浮遊した。…おい。…ま、いっか。

 

「凄い揺れだったけど、幻香は大丈夫!?」

「この通り、平気ですよ。そちらは大丈夫でしたか?」

「少し頭をぶつけちゃったけど、このくらいなら大丈夫」

 

そう言ったこいしの帽子を取り、軽く頭をさする。くすぐったそうにているこいしは少し放っておき、頭に傷がないか確かめる。…うん、切り傷やかすり傷、たんこぶなんかもないね。ホッとした。

帽子を頭に返すと、こいしはすぐにそれを手に取り団扇代わりに顔を仰ぎ始める。

 

「それにしても、ここはあっついねぇ…」

「冬ですよね?」

「冬だよ」

「ですよね」

 

気温は夏並みとまではいかないが、急激な寒暖差のせいで余計に暑く感じる。一応、元々の冷えた大気と混ざるから旧都にはここまでの熱気にはならないだろうが、それも時間の問題かもしれない。このまま熱風が供給され続ければ、気温なんてあっという間に急上昇しかねない。

 

「幻香は原因分かる?」

「さぁ、わたしには分かりませんよ。けど、灼熱地獄跡地が非常に怪しいとは思います」

「えっ。それだとお空が大変じゃん!」

「かもしれませんね。ただ、これは下手すればかなり大事になりそうだ」

 

この熱風が灼熱地獄跡地の暴走であると仮定する。そうなると、問題は自然災害か、人為災害かだ。人為災害なら原因となる者を排除、あるいは降伏させればどうにかなるかもしれない。しかし、自然災害だと打つ手がないかもしれない。自然の影響力はわたし一人でホイッと対処出来るような容易いものではないのだ。

それに、仮にわたしが解決しに行くとして、問題は他にもある。それも、かなり重大な問題だ。

 

「ところで、灼熱地獄跡地に行くとして、どのくらい熱くなっているのかな?」

「えぇっとぉ、どのくらいだろ?」

「底が見えないほど深い灼熱地獄跡地の大穴。その遥か下には超高温の地球の核があり、その温度は五千度を軽く超える。人間なら即蒸発して即死。わたし達も下手すれば死にかねない場所だろうねぇ」

 

灼熱地獄跡地が落ち着いているならそこまでの熱はなかっただろう。しかし、とてもではないが今の状況をそんな風に考えることは出来ない。最悪、わたしが覚えていた知識を遥かに超えるかもしれないのだ。

 

「さて、どうしましょうかねぇ…?」

「んー…、どうしよ…」

 

正直言って、このまま無策で超高温の空間に耐えられるとは思えない。行くとするならば、何かしらの手段が必要だ。

 



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第418話

ひとまずこいしの手を取り、地面から少し浮かび上がる。再び地震が起きた時に地に足をつけていると、まともに動けない。それなら、最初から浮かんでいたほうがいい。

 

「とりあえず、さとりさんと話をしましょうか」

「お姉ちゃんと?」

「そう。この異常事態だ。さとりさんだって考えなしじゃあないでしょう。情報はまとめたほうがいいし、統治者としてわたし達がどう動くべきか決めてほしいからね」

 

勝手に動いて後になってから度が過ぎた行動であったと言われるのは避けたい。だから、最初からさとりさんに決定権を委ねたほうが色々と楽だ。それに、そもそもわたしがこのまま灼熱地獄跡地に行けば最悪死にかねない。そのあたりの手段をさとりさんが知っているかもしれないからね。

さて、空間把握。地霊殿全域に妖力を拡げ、さとりさんが今何処にいるかを確かめる。…ふむ、いつもの部屋で本棚から飛び出た本を整理しているようだ。あと、二人のさとりさんのペットがその手伝いをしている。すぐに別の場所へ移動することはなさそうだけど、わざわざ遅く向かう理由もない。

 

「さ、行きますよ」

「うん、分かった」

 

こいしの手を掴んだまま屋根の上まで急上昇し、さとりさんがいる部屋の真上の屋根に手を当てる。そして妖力を使用。屋根が外側へひん曲がり、大穴が開いた。少しばかり雨が入ってしまうが、この異常事態だ。許してほしい。

 

「よ、っと」

「水音…、って!えぇぇーっ!?」

「ささささとり様!屋根!屋根が!」

「屋根ですか?…え、幻香さん?」

 

騒ぐさとりさんのペット達のことは気にせず、天井に開けた大穴を閉じる。床に足を付けないようにさとりさんに近づき、目を皿のように見開いて驚いているらしい顔を見下ろした。さとりさんの第三の眼がこちらを向き、徐々にさとりさんの表情が驚きから険しいものへと変化していくのが分かる。

 

「…事情は分かりました。貴女達、本棚はもういいです。地霊殿にいる私のペット達に自らの身の安全の確保をするよう伝えなさい。ある程度広めたと判断したならば、貴女達自身の身を守るのですよ」

「は、はいっ!」

「了解です、さとり様!」

「うわぁお、迅速ぅ」

 

さとりさんが二人のペットに命じ、部屋から出ていくのをこいしが感心した目で見ていた。扉の閉まる音が部屋に響き、足音が遠ざかっていくのを聞いていると、さとりさんは一つ小さな息を吐いた。…まぁ、いわゆる人払いだ。ここから先に話すであろうことは、さとりさんのペット達には少しばかり事が大き過ぎる。

足元に積み上がっている本を避けながら椅子に座ったさとりさんと顔を見合わせ、わたしはここに来るまでに多少考えた可能性を頭に並べておく。それを読んでいるであろうさとりさんの表情は、さらに険しいものへと変わっていった。

 

「…恐ろしい可能性ですね。旧都、ひいては幻想郷の滅亡ですか」

「もしかしたら、ですよ。そうはならないと思いたいですが…」

「滅亡!?ここが!?」

「可能性ですよ。この異常事態の規模が未知数ですからね」

 

灼熱地獄跡地が暴走し、そこに存在する地球の核が活性化。膨大な熱と共にマグマが上昇し、旧都ごと旧地獄を飲み込みながらさらに上昇を続け、幻想郷の火山が大噴火。幻想郷に火砕流が雪崩込み、全てが火の海と化す。そんな可能性だって考えられるのだ。

流石にそうはならないと思いたいが、それでも異常事態に変わりはない。出来ることならば、早急に対処するべき案件であろう。

 

「お空はどうしたのかしら…。心配ね…」

「だよね、お姉ちゃん。大丈夫かなぁ…」

「基本的にそこに籠りっぱなしだと前に聞きましたが、少々不安ですね…」

 

さとりさんとこいしは純粋に霊烏路空のことを心配しているのだろう。わたしも心配だ。ただし、わたしの場合は多少中身が異なる。

わたしの心配は、霊烏路空の安否だけではなく、この異常事態が人的災害であった場合の首謀者である可能性を心配している。それも不調や偶然ではなく、故意的にこの異常事態を引き起こしている可能性だ。

 

「…幻香さん。お空にそのようなことを出来るほどの強力な能力を持っていません」

「可能性は可能性。ふとした時に急成長したのかもしれない。怨霊を喰らい続けて進化したのかもしれない。実は最初からそんな強力な能力をひた隠しにし続けていたかもしれない。…さとりさん。これは飽くまでもしもだ。だが、その可能性を最初から切り捨てられるほど、わたしは霊烏路空を知らない」

「幻香…」

 

未知は危険だ。知らないまま放っておくと、後で痛い目に遭うことがある。

…これ以上、嫌な可能性ばかり考えていると、気分まで悪くなる。話を無理矢理でもいいから切り替えよう。

 

「…この話はとりあえず置いておきましょう。今は、この異常事態の原因の究明と解決についてだ」

「…そうですね。しかし、今年の気温の上昇、そして灼熱地獄跡地から吹く熱風…。私もこの異常事態の原因は灼熱地獄跡地であると考えています。しかし、具体的に何故かは分かりません」

「あ。そう言われると、あの風のあそこから吹いてきてたね」

「原因は当初の推測通り灼熱地獄跡地としましょう。…どうしますか?」

「無論、旧都で起きたことは旧都で解決します。…そこで、幻香さん。貴女を地上の妖怪であることを承知で言います。私達に協力してくれませんか?」

「元よりそのつもりですよ、さとりさん。出来ることはしますよ」

 

黙ってみていろと言われれば、わたしは部屋に戻っていただろう。しかし、この状況で何もしないというのはあまりしたくなかった。直接解決をすることが出来ずとも、それ以外にやることはいくつもあるだろう。

そう考え、わたしに今すぐ出来そうなことを思い浮かべてみる。旧都の妖怪達の精神に情報を入れ込んで異常事態を強制的伝達なら出来る。膨大な超低温の気体を創造して気温を中和も出来そうだ。噴火に耐えうる密閉空間の創造は流石に厳しいか…。

 

「…あの、そのようなことはしなくて結構です」

「あ、そうですか…」

 

即座に否定されて少しばかりへこむ。…まぁ、さとりさんにやってほしいと言われたことをすればいいか。

再び大きな縦揺れが起き、本棚の中身や机の上に置かれていた物が飛び散る。しかし、さとりさんはそんなことをほとんど気にせず、わたし達を見上げて口を開いた。

 

「こいし、幻香さん。お燐を見かけませんでしたか?」

「お燐?わたしは見てないよ」

「見ましたよ。この異常事態が起きる少し前に」

「…!そうですか…。お燐は旧都へ…」

 

わたしが思い出したことを読んださとりさんがそう呟くと、そのまま顔を伏せて考え込み始めてしまった。

さとりさんが考えていると、わたしはどうしようもない。なので、ふとした疑問をこいしに問うことにした。

 

「どうしてお燐さんを?」

「お姉ちゃんにとっていわゆる右腕みたいだから、っていうのもあると思うよ。けれど、今回はちょっと違うかなぁ」

「何が違うんですか?」

「お燐は灼熱地獄跡地に降りてお空の様子を確認する係でもあるからね。お燐から話を聞きたかったんだと思うよ」

「ふぅん」

 

そう言われれば、そんなことを酔った席で口走っていたような…。確か、お空の様子がおかしいとかなんとか。あの時は特に気にしていなかったけれど、もしかしたらその時から何かがあったかもしれない?

そこまで考えたところで、さとりさんは顔を上げた。…何か決まったらしい。

 

「幻香さん。ひとまず、旧都に行ったお燐から何か気づいたことがあったか訊いてきてください」

「分かりました。…こいし、行ってきますね」

「いってらっしゃい。急いだほうがいいよ」

「分かってますよ」

 

そう言うと、わたしは扉と窓を蹴破って外へと飛び出した。破壊した瞬間、破壊する前のものを複製して創り直したので問題はないはずだ。…うげ、さっきより暑くなってないか?これは本当に急いだほうがいい。

 



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第419話

予想通りこの辺りまで来ると灼熱地獄跡地から吹き荒れる熱風は大分冷え、ただの吹雪となっている。そんな旧都を上空から俯瞰してみると、やはり人影はかなり少ない。まぁ、好き好んで吹雪いている中を出歩く趣味を持つ妖怪はほとんどいないのだろう。

 

「…さて、何処にいますかねぇ」

 

軽く見回したが、視界が吹雪いて白くなっていて正直見づらい。人が少なくて探しやすかったとも言えるのだが、建物の中にいたらどれだけ見回しても見つからない。急いだほうがいいのはよく分かっている。

というわけで、空間把握。旧都全域という広範囲に妖力を拡げるわけだが、思ったより妖力消費は軽い。しかし、それは飽くまで以前と比較したらの話。実際のところ、割と使っている。不必要に妖力を消耗したくはないので、さっさと頭の中に浮かぶ形状の中からお燐さんを探し出す。

 

「…あれ?いないんだけど」

 

が、いなかった。外にも中にもいなかった。探す時間を妖力消費だけで減らせるなら別にいいか、と考えたのだが、これでは旧都に肝心のお燐さんがいないことになる。じゃあ、何処にいる?

いくつか思い浮かぶ可能性。とりあえず、追い風に乗りながら顔を叩き付ける雪も気にせず進む。お燐さんを見ているかもしれない人の場所へ。

細めた視界にその人を視認した瞬間、そこに向かって真っすぐ自由落下よりも速く降下し、雪を撒き散らしながら橋の上を滑る。把握してから来たとはいえ、今回はここにいてくれて助かった。こんな吹雪の中でも橋の上にいるあたり、非常にらしいと思う。

 

「っ!…随分なご登場ね」

「お燐さんを見ませんでしたか、パルスィさん?」

「それを言って何になるのかしら?」

 

…冷たいなぁ。吹雪と相まって余計に寒く感じる。けれど、今は事を急いでるんだ。

わたしは、ピンと伸ばした人差し指をパルスィさんの額に当てた。事前に指先に集めていた妖力をパルスィさんに直接流し込み、その記憶の表層付近を把握する。把握している最中にわたしの右手を払われたが、妖力を流し終えているため記憶把握に支障はない。

 

「…急に何よ」

「別に言わなくていいや、と思ってるだけ。それでは」

 

パルスィさんの記憶曰く、少し前に慌てた様子のお燐さんがこの橋を走り抜けていき、それからまだ戻ってきていないらしい。一言声を掛けたようだが、答えることなくそのまま行ってしまったようだ。そんな余裕もなかったのだろう。

知りたかった情報は知れた。あまり人の記憶を覗く行為はしたくないのだが、今は一分一秒を争う事態の可能性があるんだ。自身の嫌悪感と相手の反感だけで済むなら安い。

 

「ハッ。人に訊いておきながらその態度…。いいご身分ね」

「答えてる時間も惜しい。時間がないんだよ」

「…妬ましいわ、本当に」

 

念のため歩いてそっぽを向いて呟くパルスィさんから距離を取り、右足で地面を蹴りながら、進行方向へ一直線に伸びる棒をわたしに重ねて創造。瞬間、わたしの身体が棒の端から端へと弾き飛ばされる。体が棒から離れる瞬間に回収し、目的の場所へ滑り込んだ。

 

「いた。探しましたよ」

「…どうして、よりにもよって、あんたがここに来るのよ…っ」

「訊かなきゃならないことがあるからですよ、お燐さん」

 

お燐さんの周囲に怨霊が浮かんでおり、地底と地上と繋ぐ大穴を昇っていく。その様子を見上げるお燐さんにわたしは詰め寄った。上を見ていた顔がこちらに向いた瞬間、何故か彼女は一歩後退っていく。一歩踏み込むと、一歩後退る。それを繰り返し、遂に壁まで到達したところで引きつった顔の横の壁に腕を突き出した。退路を断つことと、脅迫のために。

青ざめた顔の鼻と鼻がぶつかる程近づき、わたしは訊こうと思ったことを口にする。

 

「質問に答えろ。一つ、灼熱地獄跡地で何があった?」

「……………」

「二つ、霊烏路空はどうした?」

「……………」

「三つ、怨霊を地上に飛ばして何をするつもり?」

「……………」

「…答えなし、か。はぁ。それならそれでいいよ」

 

完全に沈黙。できれば嘘でも虚構でも妄言でもいいから言ってほしかった。そうすれば、わたしは記憶把握を僅かでも躊躇ったと思うから。

 

「…灼熱地獄跡地は霊烏路空の手によって過剰稼働している。…大分前から霊烏路空の様子がおかしかった。…怨霊を地上に飛ばして萃香に助けを求めた」

「っ!あんたっ、何でっ!」

「現行不手際を起こしている霊烏路空がさとりさんに殺処分される可能性を恐れた。しかし、自分の手による解決は出来なかった。そして、事は大きくなり過ぎた。だから、解決出来そうな人に助けを求めた」

「そ…、そうだよっ!何か文句でもあるのかいっ!?」

「いやぁ、これぞ友情だよ。感動的だね」

 

壁に当てていた手を放し、一歩後ろに踏み込みながら乾いた拍手をする。お燐さんの顔に血が僅かに巡り、青ざめていた顔に僅かだが色が付く。そして、胸元に手を当て、ホッとしていた。

 

「か…ッ!?」

 

瞬間、わたしはお燐さんの鳩尾に拳を捻じ込んだ。筋がプチプチと千切れる感触はするが、骨が折れる音も内臓が潰れる感触もしていない。

 

「げほっ!ごほっ!」

「ふざけんな」

 

感動的と言ったな。すまん、ありゃ嘘なんだ。うずくまるお燐さんを、わたしは冷めた目で見下す。

 

「貴女は怨霊を何処まで正確に操れる?仮に正確に操れるとして、その怨霊は萃香の元に一直線に辿り着ける?そして、他の誰にも勘付かれることはないと言える?地上と地底の不可侵条約が破られることは決してないと言える?余計な奴らが異変だと言ってやってこないと言える?…まぁ、この辺りはいい。わたしにとっての不都合がかなり混じってるからね」

 

わたしが言っているのは、この結果が悪い方向に転がった場合の話をしているにすぎない。だが、必ずしもいい方向にのみ転がるなんてことはない。そんな都合のいいことはそうそう起こりえないものだ。

 

「しかし、どうにも気になることは、何故さとりさんに伝えられなかったかだ。殺処分される?…ま、されるかもね。ペットに対して子孫のいくらかを食料として譲渡する契約を交わすような人ですし。けれど、そうだとしても、貴女はさとりさんの善性を信じ切れなかったことは確かだ。…酷い話だね。さとりさんが知ったら、どう思うかなぁ。…あまり気にしないのかな?それとも、意外と気にするかもなぁ?」

 

咳き込みながらだが、お燐さんはゆっくりと起き上がった。非常に痛そうな顔をしている。だが、その痛みはわたしに殴られたからだけではなさそうだった。…とても、悲しい表情だった。

一つため息を吐き、わたしはお燐さんに背を向けた。さとりさんに言われた通り、気付いたことを訊いた。もう用はない。けれど、わたし個人の用はさっき一つ出来た。

 

「貴女がこれからどうしたいかは知りませんし、わたしは貴女のことをさとりさんに読まれるつもりはないです。これは貴女が自分でやるべきことだ。他人を挟んではいけないことだ。事が終わってからでもいいけれど、わたしは一度二人きりで話し合ったほうがいいと思いますけどね」

 

それだけを一方的に言い切り、わたしは旧都の入り口である橋の上まで棒を伸ばし弾かれる。棒を回収して橋の上を滑りながら静止すると、パルスィさんが濁った緑色の瞳でわたしを睨んできた。

 

「…用は済んだかしら?」

「まぁね。…あ、そうだ。ここに地上からの来訪者が来るかもしれません。お気をつけて」

「そう。…ま、覚えておくわ」

 

意外にもパルスィさんは軽く受け入れてくれた。これ、一応勇儀さんにも伝えておいた方がいいかなぁ?けれど、いつになるか分からないし、そもそも来るかどうかも分からないしなぁ。…ま、大事をとって伝えておきますか。

 



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第420話

わたしの記憶が正しければ、勇儀さんはかなり遠くの建物の中にいる。空間把握したときに瓶の中身を注いでいて、なおかつ近くに空瓶が転がっていたから、おそらく居酒屋の類だろう。そこに向かって吹雪の中を飛んでいくのだが、どうにも遅い。向かい風ということもあるのだが、どうしてもわたしは走ったほうが速いらしいのだ。しかし、今は地に足を付けては駄目だ。…ほら、また揺れたよ。

よし、着いた。どうやらこの建物、以前わたしが創ったものだったようなので、扉を回収しながらそのまま突撃する。中に入ったら扉を再び創るのも忘れない。床には割れた酒瓶の破片が散らばっていて足の置き場に困るのだが、今は浮いているからさして問題はない。店内を見回していると、酒特有の匂いが染みついた空気が鼻につき、思わず顔をしかめてしまったが、今は気にしている暇はない。

まばらにいる妖怪達の中に勇儀さんがいたことにホッとしつつ、わたしは彼女にゆっくりと近付いた。

 

「…よかった、いた」

「あん?…幻香か。どうした、そんな顔して?」

「話がある」

「ふぅ…。一応聞こうか」

 

一杯呑んだ勇儀さんが隣の席をバシバシと叩き、そこに座るように促された。少し迷ったけれど、座らせてもらうことにする。

 

「おい、酒を一つ追加だ」

「あの、わたしは…」

「あんたのじゃねぇ、私のだ。…それに、その顔見れば面倒事だってのは分かるさ」

「そうですか。では、何から話しましょうか…」

 

小さな地震がカタカタと空瓶を揺らす中、わたしは勇儀さんに顔を向けた。さて、どの情報を開示し、どの情報を秘匿するか…。先にさとりさんのところに戻ってからのほうがよかったか?…いや、いいか。時間に余裕はないと思った方がいい。

 

「まず、近々地上からの来訪者が来るかもしれません。飽くまで可能性ですが、覚えておいてください」

「また萃香達が来るのか?」

「そこまでは分かりません。…んー、この地震から色々とあって、地上にいくらかの影響があるようでしてね…。その原因である地底に来訪者が来るかもしれない、と予想しています」

「はぁーん…。ようするに専門家が来る、と?」

「ま、そうですね」

 

いくらか誤魔化しながらの説明だったのだが、一応の納得はしてくれたようだ。その納得をした勇儀さんは実に面倒くさそうに髪をガシガシと掻き毟ると、残り少なくなった酒瓶から口の中へ酒を直接流し込んだ。一気呑みしてからのため息が非常に酒臭い。

 

「話が通じない奴が多いんだよなぁ、専門家ってのは…」

「仮に来たとして、貴女はどうしますか?」

「気に入ったら生かすし、気に入らなかったら殺す。それだけさ」

 

そう言ったところで、先ほど注文していた新しい酒が置かれた。これも酒虫とやらから作り出したものなのだろうか、とそれを半分ほど呑んだ勇儀さんを見ながら思った。

さて、次に話すことは何か、と思ったところで地面が大きく突き上がるように揺れた。体を一瞬浮かび、そのまま落下する前に浮遊して対処する。対する勇儀さんは床に根でも張ってるのか、と思いたくなるくらい微動だにしていなかった。いくつかの瓶が割れる音を聞きながら、わたしは元の席に戻る。

まだ話すことが決まったわけではないが、とりあえず勇儀さんのほうに目をやると、勇儀さんもわたしを見つめていた。あの目は追究だ。何か訊かれるな。

 

「ところで、この地震は何だ?知ってるだろ、あんた」

「…口封じされてます」

「さとりにか?こりゃあ思ったより大事らしいな…」

 

まぁ、実際は口封じなんてされていないのだが…。ただ、何となく言わない方がいい気がしたから言わなかった。けれど、完全に情報を閉ざしてしまうのもよくないだろう。さっきの誤魔化しに矛盾が起こらないように注意しながら、わたしは言葉を選んでから口を開いた。

 

「…ただ、この地震が原因となっていくらかの怨霊などが地上に噴き出てしまったようです。専門家が来るとすれば、それが理由になるでしょうね」

「あぁ…、そりゃ来るな」

「怨霊ってそんなに悪いんですか?」

「そりゃあそうだが、理由は別だよ。あちらが覚えてるかどうか知らんが、地上と地底の不可侵条約には怨霊の管理が含まれてる」

「…そうだったんですか」

 

知らなかった。さとりさんの書斎にそんなことを書いていた書籍はなかった。おそらく、当時はそんなもの当たり前過ぎて記載するまでもなかったとか、記録として残すという考えに至らなかったとか、そのような理由がいくつか思い浮かぶけれど、今はどうでもいいか。

しかし、お燐さんがそのことを知っていたのならば、はたして地上に怨霊を飛ばしただろうか?…分からない。知っていたかどうかすらも知らない。そういった記憶はさらに深い層にあるから、把握していない。それに、記憶という情報は非常に複雑だ。わたしが把握した情報は常に正しいわけではない。もしかしたら、萃香が来ることを強く望んでいたけれど、実は心の何処か、例えば無意識では解決出来る者ならば萃香でなくてもよかったと思っていたのかもしれない。…まぁ、そんな推測をしてしまうのはもっと深く記憶を把握しなかったわたしの所為だ。

口を閉ざしたまま考え込んでいると、残り半分を飲み干したらしい勇儀さんがわたしに問いかけてきた。

 

「話は終わりか?」

「…そうですね。これ以上は話していいかどうか分かりません」

「そうかい。ま、いいさ。警戒はしておく、ってさとりには伝えといてくれ」

「分かりました。伝えておきますね」

 

わたしの独断で動いてしまったわけだし、このことはしっかりと伝えておかねばなるまい。しかし、お燐さんのことを読まれずに話すのはちょっと難しいんだよなぁ…。それに、霊烏路空が過剰稼働させているらしい灼熱地獄跡地もどうにかしないといけないわけだし…。やるべき問題はまだまだ多いなぁ…。

席を立ちながらため息を吐き、店を去ろうとした時、ふと訊いてみようかと感じたことが浮かんだ。けれど、唐突にこんなこと訊いたら少し、いやかなり怪しいよなぁ…。ま、怪しまれたら怪しまれたでいいや。

 

「ところで、勇儀さん。熱いのは平気な方ですか?」

「なんだよ、急に?」

「あー…、もしかしたら必要になるかもしれないことでしてね。個人的に訊いておきたいんですよ」

「…熱いってどこまでの話だ?」

「炎で丸焼きとか、溶岩に突き落とされるとか…?」

「どんな状況だよ。…まぁ、溶岩くらいならいけるな。ずっととはいかんが」

 

いけるんかい。どんな状況で溶岩に入ったのかこっちが訊きたいわ。

けれど、勇儀さんは溶岩を耐えられるのか…。灼熱地獄跡地に行くために勇儀さんの身体を貰うことも検討しておこう。

 

「ありがとうございました。それでは」

「じゃあな。さとりにちゃんと伝えておけよ」

 

そういう勇儀さんと別れ、店を出ると吹雪が体に吹き付けてきた。しかし、ここに来た時と比べると寒さが薄らいでいる気がする。雪も若干減っているような?…異常事態が旧都にまで広がるのは、思ったより時間がないかもしれない。

しかし、灼熱地獄跡地に入るための手段は出来たのは一つの収穫と言えるだろう。ただ、次はどうやって霊烏路空を止めるかだよなぁ…。言葉で説得する?力尽くで捻じ伏せる?どうするのかさとりさんに訊きたいけれど、お燐さんのことを読まれずにどうやって訊けばいいのやら…。

ふわりと浮かび、ちょっとした難題に頭を悩ませながら、わたしは吹雪に逆らって地霊殿へと飛んでいく。ビシャビシャと顔に当たる吹雪が少し水っぽい。やっぱり、影響は出ているようだ。これはちょっと急いだほうがいいかなぁ。

 



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第421話

「…これは酷い」

 

蹴破ったことで割れた窓にわたしが創ったガラスが綺麗に嵌め込まれているのだが、破断面が分かりやすく浮かんでいる。当然だ。わたしはガラスを創ったが、その際に分子構造が癒着するように創っていない。やろうと思えば出来るのかもしれないが、やったことがないので分からない。…まぁ、つまりだ。この奥の扉もまともな修復もせずに飛び出して来てしまったわけで。蹴破ったほうが早かったとはいえ、やり過ぎたかなぁ。

軽く頭を抱えながらガラスを回収し、空いた窓から地霊殿の中へと入った。そして、割れたガラスを空間把握し、その全てのガラスに重なるように複製。即座に炸裂させる。粉砕されたガラス片が飛び散り、床と外に広がった。窓枠に僅かに残ったガラス片に対して空気を一転に複製し、圧縮された空気が一気に膨張してガラス片を吹き飛ばす。そこに新たなガラスを創造し、窓を修復した。…うん、これでいいだろう。

 

「さて、と。問題はここからだなぁ…」

 

蹴破った際に飛び散ったであろう木片を踏み締めつつ、雑に取り繕ったような扉を見ながら呟く。これの修復も問題だが、お燐さんのことをどう読まれずに会話をするかだ。正直、読まれてしまったならしょうがないと割り切って嘯くつもりだが、ああ言ったからには必要最低限度は読まれないようにしたいとは思っている。

…よし、覚悟は決めた。さとりさんには申し訳ないけれど、ちょっと考え事をしながら話すとしよう。必要なこと、不必要なこと、可能性のこと、これまでの経緯、これからの推測、これからの行動、何でもかんでも考えながら。

破壊した部分の扉を回収し、そのまま部屋の中へ入っていく。座っていたさとりさんがビクッと跳ねたが、それは突然扉が消えたからか、それともわたしの頭の中を読んだからか…。ま、どうでもいいか。

 

「ただいま戻りましたよ、さとりさん、こいし」

「幻香、おかえり!ちょっと遅かったけど、何かあった?」

「…幻香さん。少し落ち着いたらどうですか…?」

「さとりさん。この異常事態で落ち着く暇があると思うなら、それは悠長ですよ。で、こいし。道中で勇儀さんに話しておきたいことがあったので、勝手な独断で話してました。その詳細はこれから話す予定です」

 

などと言い、思考量を過剰に増やす理由として誤魔化しておく。…なんか、二枚舌どころか三枚舌を使っている気分だ。

こいしの隣に腰を下ろし、一息吐く。多少の揺れを感じるが、もういいや。これからすぐに移動するわけじゃないだろうし。

 

「さて、さとりさん。お燐さんから訊いたことと、わたしが勇儀さんと話したこと。どちらを先にしますか?」

「お燐からでお願いします」

「分かりました」

 

さて、わたしはお燐さんのことを読まれないと言ったわけだが、それはお燐さんがさとりさんの善性を信じず行動に移したことだ。

 

「霊烏路空が灼熱地獄跡地を過剰稼働させ、意図的に暴走させているようです」

「っ!そんな…」

「お空が!?それって本当!?」

 

つまり、霊烏路空に関することを隠すつもりなんてさらさらないのだよ。

さとりさんは机に突っ伏すように俯き、こいしはわたしに体を傾けてきた。ひとまず体重を掛けてくるこいしを押して元の位置に戻しつつ、さとりさんに続きを語る。…いや、騙るか?ま、いいや。

 

「理由は不明。ただ、お燐さんはこの異常事態は自分の手に負えないと判断し、鬼に協力を依頼しに行ったようですね」

「勇儀にですか?」

「…えぇ、この異常事態について話をしました」

 

お燐さんが助けを求めたのは萃香で、勇儀さんと話したのはわたしだが。鬼という単語から勇儀と勘違いしたのはさとりさんだ。たとえそうなるように言葉を選んでいたとしても、わたしは悪くない。

 

「ですが、この異常事態で怨霊が地上へ昇ってしまいましてね…。今、お燐さんがその怨霊を操っているようですが、もしかしたらいくらか漏れてしまったかもしれないですね」

「そう、ですか…。それは少々、いやかなり問題ですね…。地上に怨霊が…」

「お姉ちゃん、これって相当まずいんじゃない?」

「えぇ、まずいです…」

 

怨霊を操って止めているのではなく、怨霊を操って昇らせているわけだが。もしかしたらではなく、ほぼ確実にだが。ちょっと順序を入れ替えるだけで簡単に勘違いさせることが出来てしまう。…まぁ、それだけお燐さんが信頼されているのだろう。まさかお燐さんが怨霊を地上に向かわせるはずがない、という信頼。

頭を抱えてしまっているさとりさんには申し訳ないけれど、そうやって考え込んでいる時間が惜しい。わたしは次の話を投げかけた。

 

「で、わたしが勇儀さんと話したことですが」

「あ、はい。話してください」

「地上に怨霊が昇っている可能性を伝え、地上からの来訪者を警戒してほしいと伝えておきました」

「それで、勇儀は何と?」

「警戒はしておく、とのことです」

「そうですか」

 

まぁ、ほぼ確実に来るだろうなぁ…。しかも、その来訪者はおそらく専門家。つまり、霊夢さんや魔理沙さんがここに来るということだ。…ん?これはこれでいい切っ掛けじゃあないか?少し考えておくか…。

 

「あと、あまり関係ないと思いますが、この異常事態、主に地震の原因を知らないか、と訊かれましたね。答えていいのか分かりませんでしたので、答えませんでしたが」

「別に隠すようなことでは…」

「それがわたしには分からなかったので、とりあえず秘匿しておいたんですよ。次に会う機会があれば正直に答えておきますね」

 

まぁ、口封じされていると言ってしまっているから、非常に言いづらいのだが。いや、これは口封じが解禁されたとでも言えばどうとでもなるか。…会う機会、あるかなぁ?

さて、と。わたしが旧都へ行った内容は大体話し終えた。ここからは、これからのことだ。

 

「で、さとりさん。これからどうしますか?」

「…そうですね。無論、この異常事態の解決をしますが…。お空を止めればこの事態は終息するでしょうか?」

「さぁ?灼熱地獄跡地が霊烏路空の制御下にあるなら収めることは可能でしょうが、既に制御下から外れていたらどうなることやら…」

「もしかして、ドッカーン?」

「かもしれませんねぇ。今のうちに遺書でも書きます?一緒に燃えますが」

「書かないよ」

 

ま、遺書なんか書く暇があれば自分に出来ることをした方がいいですよね。…ところでこいし。わたしにそんな期待しているような目を向けて何をしたいの?解決なら出来るかどうかまだ分からないよ。だから、期待されても困る。

しかし、霊烏路空を止めると言うなら、あの超高温の灼熱地獄へ向かわなければならない。少なくとも、無策で降りれば軽く死ねる環境だろう。

 

「で、誰が行くんですか?」

「お燐は…、手に負えないと判断したんですよね…。勇儀に頼みましょうか…。いえ、彼女は旧都で警戒しているのですよね…」

「幻香はどうにか出来ないの?」

「このまま落ちたら多分死にますね。…ただ、手段なら一応ある」

 

ここに戻るまでにいくつか考えた。ただし、正直に言うと成功する可能性はどれもあまり高くない。出来ることならもう少しいい手段を考えたいのだが、そんな時間もないかもしれないのだ。

 

「どんな手段?」

「一つ、わたしの周囲に適温の大気を創造し続ける。二つ、超高温に耐えることが可能でなおかつ熱伝導率が非常に低い物質で防護する。三つ、わたしが超高温に耐えられる存在に成り変わる」

「えっと、どういうこと?最後は何となく分かるけど」

「一つ目は、超高温の大気に触れなければ問題ない、という理論で無理矢理行きます。二つ目は、確かそんな素材が月の技術にあった気がするので、どうにかして再現します。三つ目は、例えばお燐さんに成ればおそらく灼熱地獄跡地に行くことが可能でしょう」

「んー、いまいちよく分からないや」

 

一つ目は膨大な妖力を消費するため、妖力枯渇すれば即お陀仏だ。二つ目はそもそも曖昧な記憶からその素材を創造出来るかが怪しく、さらに言えば思い出したり考えたりするのに時間がかかりそう。三つ目は、わたし自身の意思より創った意思のほうが強いと勝手に動いてしまう。妖力、時間、意志と、どれも欠点が分かりやすい。

そんなことをこいしと話していたら、それを聞いていたらしいさとりさんがわたしに顔を向けた。かなり難しい顔を浮かべている。

 

「…幻香さん。貴女に無茶をさせるようなことは出来ることならばしたくありません。ですが、もしもの時、貴女にそのようなことを押し付けることを許せますか?」

「この責任はわたしのものだ。…成功しようと失敗しようと、さとりさんに非はありませんよ」

 

元より行くならどうするかで考えた手段だ。さとりさんが勝手に責任を感じるなら別に構わないが、わたしの分まで奪わないでほしい。

そして、せいぜい勘違いしていてください。後で面倒なことになりそうだけど、この責任も全部わたしが担うから。

だから、さとりさん。貴女は何も悪くない。

 



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第422話

さとりさんはもしもの時と言った。だから、わたしはその時が来るまで部屋で待っていますと言い、ベッドで横になっている。

わたしが部屋に行った理由は主に二つ。一つは、わたしが思い浮かべる耐火耐熱素材の創造の過程をさとりさんに読まれないようにするため。これはさとりさんの負担を減らすのが目的だ。二つ目は、わたしがさとりさんから離れるため。これはお燐さんのことをさとりさんに読まれないようにするのが目的だ。

わたしが必要になれば、誰かがわたしの部屋の扉を叩くだろう。その時のために、月で読んだ覚えがある耐火耐熱素材を思い返している。扉を叩かれた時に創れなさそうならば、別の手段を取るだけだ。わたしが不要ならば、この異常事態はさとりさん達の手によって終息するだろう。それならそれでいい。というか、そちらの方が霊烏路空のためだろう。初対面の何処かの誰かさんでしかないわたしが解決するより、お互い知った仲の誰か止めてあげるべきだと思う。

 

「…暑い」

 

そして、今ではそれなりの時間が経過し、それに伴って気温が徐々に上がり続けている。既に真夏なんかよりずっと暑い。雪が解けた分が湿度になっているのか、非常に不快な暑さだ。…大丈夫かなぁ?

さて、このまま暑くなり続けてしまうと灼熱地獄跡地に入らずとも耐熱素材が必要になるかもしれない。えぇと、どんな分子構造だったかなぁ…?なんかよく分からない名称だったのは覚えてるんだけど。というか、どれもこれもよく分からない名称だった。規則性のある専門用語。どんな規則性だったかなぁ…。うすぼんやりとは覚えてるんだけど、思い出すとなるとかなり厳しい。

駄目だ、思い出せない…。この手段はもう止めとくか?…いや、もう少し考えるか。けれど、思い出すのは時間が掛かりそう。というか、思い出そうとするほど遠ざかっていくような感じ…。ざるで水を掬っているような気分だ。

 

「もういっそ、わたしが創るか…」

 

このまま考えても埒が明かないだろう。もういいや。前例なんか知るか。分子構造なんか知るか。理論なんか知るか。思うだけ。創りたいものを創ろう。創造は出来る。後は身勝手な希望を押し通す。それだけだ。願え、望め、希え。燃えることのない物質を、熱を伝えない物質を、そんな都合のいいものを。

『防熱』『不変』『防炎』『耐火』『燃えず』『難燃』『変わらず』『防熱』『不変』『燃えず』『防炎』『耐火』『防火』『防火』『防熱』『防火』『燃えず』『防炎』『耐火』『防熱』『不変』『不燃』『耐火』『耐熱』『難燃』『不変』『防炎』『耐火』『燃えず』『難燃』『変わらず』『防熱』『不変』『燃えず』『防炎』『耐火』『耐熱』『防炎』『耐火』『不変』『防炎』『耐火』『燃えず』『難燃』『変わらず』『防熱』『不変』『燃えず』『防炎』『耐火』『防火』『不変』『防炎』『耐火』『燃えず』『難燃』『変わらず』『防熱』『不変』『燃えず』『防炎』『耐火』『防熱』『変わらず』『防熱』『防火』『不燃』『耐熱』『防火』『難燃』『変わらず』『不燃』『耐火』『燃えず』『防火』『燃えず』『防火』『燃えず』『防炎』『変わらず』『不変』『防炎』『耐火』『燃えず』『難燃』『防炎』『耐火』『防熱』『不変』『不燃』『耐熱』『防炎』『難燃』『変わらず』『燃えず』『難燃』『変わらず』『防熱』『不変』『燃えず』『防炎』『耐火』『変わらず』『防熱』『不変』『燃えず』『防炎』『耐火』『防熱』『防火』『難燃』『不変』『燃えず』『防炎』『耐火』『防火』『不変』『防炎』『耐火』『燃えず』『防炎』『耐火』『防熱』『不変』『不燃』『燃えず』『耐熱』『防炎』『耐火』『変わらず』『防熱』『防熱』『防熱』『不変』『不燃』『耐熱』『変わらず』『耐熱』『防火』『変わらず』『防熱』『不変』『燃えず』『防炎』『耐火』『防火』『防熱』『防火』『燃えず』『防炎』『耐火』『防熱』『不変』『不燃』『耐熱』『不燃』『耐熱』『防火』『難燃』『燃えず』『防炎』『耐火』『防熱』『不変』『不燃』『耐熱』『不燃』『防火』『不燃』『燃えず』『難燃』『耐熱』『難燃』『不変』『燃えず』『防炎』『耐火』『防熱』『難燃』『変わらず』『不燃』『難燃』『変わらず』『耐熱』

ただひたすら、そんなことを考え続けた。望みしか頭に残らないほどに、思考に思考を重ね続けた。燃えない。熱を通さない。そんな変わることのない物質。

 

「――っ、はぁ…っ。…どうだ?」

 

散々考え続けた思考の末に手袋の形を思い浮かべ、それを流れるままに創造した。まともな形を思い浮かべずに創ったせいでまるで紙のように薄い。…大丈夫か、これ?

 

「ま、いいや」

 

とりあえず装着。…暑い。気温とわたしの表面温度がそのままだからしょうがない。ということで、手袋の口を締め付けて密封し、分子振動を極力抑えた気体を手袋の中に創造する。

 

「うげっ、冷たっ!」

 

氷なんかよりずっと冷たい!冷た過ぎて逆に熱く感じてしまうほどに冷たい。これは駄目だ。一度回収して、もう少し分子振動が大きな気体を創る。…よし、涼しい。このくらいがちょうどいい適温だ。気体を創り続ける手段を選んだ時は、このくらいの気体を創り続けるとしよう。

しばらく放っておくと、少しずつ手袋の中が温くなってくる。手袋の中の気体はわたしの体温より気温が低いから、少しずつ上がって当然だ。だが、外の暑さが伝わっているのならば、もっと早く熱くなるだろう。さらに言えば、体温よりも熱くなるだろう。

 

「まさか、いや、本当に…?」

 

出来たのか?そんな都合のいいものが。こんな簡単に出来てしまっていいのか?

この手袋の分子構造はどうなってる?それを把握してそのまま増やしていけば、全身を覆うのも容易だろう。

 

「…え、何これ…?分、子?粒は?」

 

のっぺりしてた。まるでフェムトファイバーのように満ち満ちていた。しかし、フェムトファイバーは割と簡単に熱を受け取る。では、何が違う?というか、そもそもこの物質は何だ?月の技術では、あらゆる物質を原子で理解することが出来るはずだ。では、この原子のない物質は何だ?

わたしの能力が自分で分からない。思えば創れた。分子構造なんていらなかった。…いや、前からいらなかったじゃあないか。そんな情報を知らない頃から複製を創れた。出来の悪い創造だって出来た。その頃のわたしの複製に分子構造なんてあっただろうか?そんな概念がわたしに存在しなかった頃の複製。残念ながら手元にはない。

だったら、把握すればいい。わたしが創り続けてきた地上の小石。それらを思い浮かべると、遥か上空に大量に転がっているのが分かる。その中の一つに意識を集中し、分子構造を把握する。

 

「はは…。何だよ、これ」

 

なかった。のっぺりと満ち満ちていた。フェムトファイバーのように満ちていながら、過剰妖力をほんのりと宿していた。可変性があった。

望んだ通りに成長していたつもりが、振り返ると道を大きく踏み外していたことに今更になって気づかされた気分だ。

 

「…あーあ、ほら出来たよ。耐火耐熱性の防護服…」

 

手袋と同じ素材を使い、気密性のある服を創った。中の空気を循環させなければいつか呼吸も出来なくなってしまうのだが、わたしが着るのならば特に問題ない。中に気体を創って回収してを繰り返せばいいのだから。

出来上がったものを放り投げ、枕に顔を押し付ける。思い切り気分が沈む。どこからわたしは道を外れたんだろう?出来るようになりたいと思ったことは、大抵出来るようになった。出来ないを減らしてきた。手札は増え続けた。だが、その成長は違ったものだったのではなかろうか?

しかし、今はこんなことを考えている余裕はない。これを考えていたら、明らかに時間が足りなくなる。思い止まれ、わたし。今はこの異常事態のことを考えてればいい。だから、これは後だ。

わたしは枕から顔を離し、ベッドの端に座り直す。放り投げた防護服を手繰り寄せ、手元に畳んで置き、呼ばれるかもしれない扉をじっと見つめて待ち続けた。

 



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第423話

ゆっくりと肺が一杯になるまで息を吸い、その倍以上の時間をかけて息を吐き切る。一回の呼吸にかける時間は約一分。扉を見詰めてから始めた深呼吸。暑さでジワリと滲む汗を気にせず続け、三百まで数えて少し経った頃、扉を叩く音が部屋に響いた。

 

「何でしょう?」

「さとり様、が、お呼び、です…」

 

すぐに扉を開けると、今にも倒れてしまいそうなほどフラフラなさとりさんのペットにそう言われた。…そっか、呼ばれたのか。

すぐに向かうことを伝え、防護服を手に廊下を歩く。部屋で待っているときは気にしていなかったけれど、さらに暑くなっている。水を金属製の鍋に入れておいたら、いずれ水泡が浮かび出しそうだ。

道中、窓を一瞥し旧都を見遣る。明確な言葉にすることが出来ないが、何だか嫌な予感がする。最悪の事態が起こってしまう前触れとは違う、もっと他の危機的何かが近づいてくるような感覚。

 

「あぁ、そういう…」

 

さとりさんの部屋の一歩手前。窓の向こうで一筋の光が伸びた。見覚えがある、何処か懐かしいような、けれど身近にあるもの。あれはマスタースパークか。つまり、異変解決者が既に地底に下りて来ている。嫌な予感の正体はこれか。

一つため息を吐きながら扉を叩き、返事を待ってから開く。足元に流れる僅かに冷えた空気が心地いいが、どうしてこの部屋は涼しいのだろうか?少し気になって部屋を見回すと、普段ならいないであろう兎の妖怪が二人、部屋の隅で何かしらの力を振るっていた。きっと、彼女達がこの冷気の元なのだろう。

こいしが別の長椅子で横になって目を閉じているけれど、どうやら眠っているらしい。…流石に死んではいないか。よかった。それと、さとりさんの隣に相当沈んだ表情のお燐さんが立っていた。…へぇ、二人きりとはいかなかったかもしれないけれど、もう話したのか。

部屋を見回すのを止めて扉を閉め、さとりさんの正面にある椅子に腰を下ろした。さとりさんの三つの眼の視線を感じながら、わたしは防護服を横に置く。…まぁ、呼ばれたってことは行けということなのだろう。

 

「お待ちしていました、幻香さん。…もう、大体予想は出来ているようですね。おおむねその通りです。地上からの侵入者が来たため、急遽貴女に任せることとなりました」

「そうですか。さとりさん達でどうにか出来なかったんですね?」

「…えぇ、そうです。そもそも、灼熱地獄跡地に下りることが出来る者が極僅か。その中で、最もお空と仲がよく、実力が伴っているお燐が既に諦めています。…お空は常軌を逸した力を宿し、その手に太陽を浮かべていた、とのことです。まるで別人のようだった、とも。…ですから、お燐は地上にいる萃香にそれを引き剥がしてもらおうと考えたようです」

「ふぅん、そっか。そこまでは知らなかったよ」

 

わざと勘違いさせたことについて言及されるかもなぁ、と一瞬頭に過ぎったが、そんなものはさとりさんの言った内容と比べれば非常に些細なものだ。手に太陽ですか。核融合によって膨大なエネルギーを作り続けている恒星。表面温度は約五千五百度。中心温度に至ってはなんと約千五百七十万度。確かに常軌を逸した力だ。それをわたしに止めろと言うのか。どう止めろと。

そもそも、その道中だって心配だ。燃えないように、熱と伝えないように、変わらないようにと思って創ったこの防護服だって、五千度に耐えられるかどうか分からないのだから。まぁ、耐えられないのならば別の手段に変えるだけの話だが。

 

「何か訊いておきたいことはありますか?」

 

言及されると思いきや、さとりさんの口から出たのは質問の有無の確認だった。お咎めなしなのか、今は横に置いておくだけかは知らない。どうでもいい。…んー、訊いておきたいことねぇ…。

 

「さとりさんは、どう解決したいと思っていますか?」

「多少の荒事は仕方ないと考えています。ですが、最悪の場合は、…構いません」

 

そう言い切った瞬間、隣に立っていたお燐さんがビクリと反応した。交渉による解決が望ましいが、力尽くの鎮圧もよし。そして、どうしようもなければ殺害も許可する。一人死んだけで解決出来るのならば、それは悪くないことだろう。…まぁ、しょうがないよね。そうならないようにはするつもりだけど、その時はその時だ。諦めてほしい。

 

「ところで、もしもわたしが諦めたら?」

「…その時は、地上からわざわざ来たという異変解決者を試してみるとしましょう」

「ま、善処はしますよ」

 

やれと頼まれたんだ。やるよ。少なくとも、現状不可能ではない。ならば、わたしはやるさ。霊烏路空を止め、灼熱地獄跡地の過剰稼働も止める。出来れば霊烏路空を止めるだけで終わってほしいのだが…。ま、そこは行ってからか。

訊きたいことを大体訊き終えたところで、わたしは防護服を手に立ち上がる。さて、準備をしよう。今着ている服は邪魔になるだろうから回収し、フェムトファイバー性の肌着は防御用、金剛石が付いたネックレスは妖力回復用に残す。防護服に妖力を流して形を把握し、わたしの身体に合わせて創造し着用。同時に手に持っていた防護服を回収する。適温の空気を中に創造すると、防護服が膨らんだ。目の周辺は色を抜いた透明な生地になっているため、視界はそこまで悪くない。

 

「あー、あー。…聞こえますか?」

「えぇ、聞こえますよ」

 

音が伝わるようで何より。これなら交渉の余地がある。妖力を流して精神に直接情報を入れるのもありだけど、やっぱり言葉を交わす方が楽だからね。

実際に着てみて思うことは、この状態でどうやって攻撃するかだ。普通に体を動かす分には問題ないが、殴る蹴るとなると少し防護服が引っ掛かるかもしれないから注意。わたしが直接妖力弾を放つと、防護服を突き破ることになるから却下。そこは『幻』任せにすればいい。

 

「あぁ、そうだ。さとりさんにいくつか頼みたいことがあったんだ」

「私にですか?…そう、ですか。よく、分かりました」

 

こういう時、さとりさんの読心は助かる。わざわざ口にせずとも伝わってくれるから。

準備は終えた。後は、灼熱地獄跡地へ行って解決するだけ。少しばかり緊張するが、改めて決意を固めると、自然と緊張はなくなった。

 

「さとりさん。それでは、行ってきますね。お互い頑張りましょう」

「そうですね。…お燐。念のため、幻香さんを灼熱地獄跡地へ案内してあげてください。入口までで十分です。共に行けとは言いません」

「っ!…はい、さとり様」

 

案内なんて必要ないと思うけれどなぁ…。ま、いいや。別にいない方がいい、というわけでもないし。

さとりさんに軽く手を振ってお燐さんと共に部屋を出る。きっと暑いのだろうけれど、防護服のおかげで何ともない。わたしの前を歩くお燐さんも平気そうだ。まぁ、灼熱地獄跡地に行けるくらいだし、このくらいは問題ないのだろう。

階段を下りる途中、先行するお燐さんが唐突にポツリと呟いた。

 

「…さとり様と、話したよ」

「ふぅん。…どうでした?」

「怒られた。…そんなこと進んでするはずないでしょう、って。馬鹿だよ、あたいは」

「そっか」

 

それっきり、お燐さんは口を閉ざしたまま灼熱地獄跡地へ続く大穴まで到着した。ここまで来たが、暑さは全く感じない。この調子で最後まで防熱の役目を果たしてくれることを願おう。

大穴を覗くが、底は見えない。これからここを下りるわけだ。そして、そこにいる霊烏路空を止める。

 

「それじゃ、行ってきますね」

「…お空、助けてよ。…そうじゃないと、あたいはあんたを許さない」

「それは知らん。許されるためにやるわけじゃないんだ」

 

振り向くことなくそう言い、わたしは大穴に飛び込んだ。さぁて、やりますか。

 



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第424話

随分長いこと下り続けていると、初めて地底へ下りた時のことを思い出す。新たな地に居場所を求め、大きな不安とほんの少しの期待を胸にしていた覚えがある。受け入れられるだろうか、殺されないだろうか、何処に住むことになるだろうか、一人くらい友達が出来るかな、そんなことを考えていた。…まぁ、まさか大切な待ち人がそこにいるとは思っていなかったけれどね。

ただし、今回下りて到着する場所は旧都ではなく灼熱地獄跡地、待ち人はこいしではなく霊烏路空だ。どう止めればいいか、止められるだろうか、死んでしまわないか、殺してしまうのではないか、そんなことが頭を過ぎるが、不思議と不安はない。止める。その使命が決意と共に胸に灯っている。

 

「…今のところ問題なし、と」

 

わたしが着用している防護服のおかげで暑さは全く感じない。時折、新たな空気を創造しなくてはならないのが面倒だが、息苦しいという感覚もない。期待通りの働きをしてくれていることにホッとした。

首を曲げて底を見下ろしていると、その奥に僅かな光が見えてきた。白に僅かに橙を混ぜたような色は、確かに太陽を思わせる色合いだ。灼熱地獄跡地に、霊烏路空に確かに近づいている。

 

「…大丈夫かな?上のほうは」

 

わたしのほうは別に不安はない。ただ、旧都で暴れているであろう異変解決者のことが心配だ。異変解決者の推測だが、魔理沙さんがほぼ確定。おそらく霊夢さんもいるだろう。他にも何人かいるかもしれないけれど、この二人がいないということはわたしには考えられない。

その彼女達がまさか殺されてしまうのではないだろうか、という心配もあるだけど、彼女達がここまで来てしまうことのほうがわたしは心配だ。この状況で鉢合わせになりたくない。何せ、彼女達からすれば封印されているはずの存在が何故か灼熱地獄跡地にいるのだ。さとりさんに頼んだことの一つに彼女達の足止めがあるのだけれど、それもどのくらい持つだろうか…。

ついでに、無意識に変なことを口走ってしまう恐れと、顔を見ることで一時的とはいえ記憶が蘇ってしまうこいしに決して合わせないようにすることも頼んでおいた。この環境でこいしを部屋に閉じ込めるのは非常によくないだろうが、わたしの今後のために身を隠していてほしい。

そんなことを考えながら下り続けていると、底からの光がより一層強くなった。灼熱地獄跡地は近い。

 

「…どう、お燐?私と一緒にやる気に――って、違ったわ。誰、貴女?変な服」

「貴女が、霊烏路空ですね?」

「そうだよ。私に何か用?」

 

ほぼ自由落下の同じ速度で下りていたわたしが音を立てて着地すると、振り返った彼女はそう言った。ザッと灼熱地獄跡地を見回すと、かなり広い空間だった。足場となる場所が用意されているが、地球の核と思われるマグマが真下に見える。しかも、足場を踏み外せば落ちてしまう。最初から飛んでいたほうがいいかもしれないなぁ…。あと、変な服は放っとけ。

さて、目の前にいる彼女が霊烏路空だろう。まず真っ先に目が行ったのは右腕に装着されている多角形の棒。そして右脚の鉄塊。それから鴉を思わせる漆黒の翼。最後に胸元の真っ赤な瞳。太陽を浮かべているという話だったが、今はそのようなものは見当たらない。さとりさんのペットの一人なのだから、きっと鳥系統のペットなのだろう。苗字にも入っているし、最初に浮かんだ鴉が妖怪化した存在かもしれないな。

一通り観察をし終え、無邪気ささえ感じられる彼女の眼を見つめる。さて、ひとまず交渉を始めよう。

 

「目的は灼熱地獄跡地の過剰稼働の停止だ。貴女が止めてくれるなら話が楽になるんだけど、どうかな?」

「わざわざここまで来てくれた見ず知らずの誰かさんにこんな事を言うのは心苦しいんだけど…、もう遅い。遅過ぎたわ。止めるつもりなんて全然ないし、もう決して止まらない」

 

止めるつもりはない、と。つまり、彼女は灼熱地獄跡地の過剰稼働を止めることが可能であるらしい。正直、ホッとした。仮に彼女を生かしても殺しても止まりません、では困るところだった。ただし、彼女を殺せば止まるのかは不明だが。

見ず知らずの誰かさん、と言われて名を名乗ろうかと考えた。しかし、止めておいた。わたしの名前何てわざわざ覚えてもらう必要はないだろうし、仮にわたしが彼女を生かして解決した後で異変解決者がここに来て、その時に彼女にわたしの名を言われると非常に困るから。

 

「さとりさ…様が、貴女が引き起こしていることに頭を抱えています。具体的には、異常なまでの気温の上昇と度重なる地震に」

「さとり様が?…んー、けど、しょうがないよ。私が貰ったこの究極の力を使うたびに灼熱地獄の炎がより強くなり、それに伴って間欠泉がより強く噴き出す。熱は炎が生み出す副産物で、地震は間欠泉の勢いが生み出す副産物。…えぇ、しょうがないわ」

「それを止めてほしい、と頼まれてわざわざ来たんだけどなぁ…」

「じゃあ、諦めて帰ればいいと思いますよ?」

「そういうわけにもいかないんだよなぁ、これが」

 

はい、この自白で異常事態の主犯者が彼女であることがほぼ確定した。ただし、究極の力を貰った、という点が一つ引っ掛かる。誰かがここに来て、彼女に力を与えた。一体誰が?何のために?…いや、今はどうでもいいか。

それにしても、さとりさんの名を出しても駄目か。一番楽に止められると思ったんだけどなぁ…。あまり好かれていないだろう、みたいなことをさとりさん自身が言っていたし、駄目なら駄目で次の手段だ。

 

「貴女がその究極の力とやらで何をするつもりかは知らないけれどさ、今のさとり様は最悪の事態を考えている。ここのマグマが急上昇して、旧都が丸ごと燃え尽きること。…まさか、そんなことが起こるだなんて言いませんよね?」

「起こるよ」

「…は?」

 

今、何て言いました?聞き間違いだと思いたい、…いや、信じたいが、わたしは今確かに起こると聞こえた。…え、本当に?本気で?

 

「起こすんだよ。この究極の力で、地上の全てを融かし尽くす…」

「最悪だ…。嫌な可能性が当たってしまった…っ」

「そして、地上を破壊し新たな灼熱地獄を生み出す…!私の完璧な計画!地底の皆も大喜び!」

「は?」

 

何処がだ。何処が大喜びだ。何処にそんな要素がある。話が一気に飛躍していないか?…おい、何故勝ち誇ったような顔でふんすと言わんばかりに鼻息を吹き出す。意味が分からない。

まあ待て。一旦落ち着こう。とりあえず、彼女曰く完璧らしい計画を推測してみようではないか。地上を破壊すると地底の皆が喜ぶらしい。…あぁ、確かに喜ぶかもしれない。何せ、旧都に住む妖怪たちのほとんどは地上に疎まれ恨まれ嫌われた者達。滅べば喜ぶ者もいるだろう。新たな灼熱地獄を生み出すと地底の皆が喜ぶらしい。…まぁ、喜ぶ、のか?旧地獄に住む者が新たな地獄に移住する。環境はともかく、字面は大して変わらない。…喜べるか、これ?

そもそも、その過程で旧都が丸ごと滅ぶんですが。大喜びする皆が死んでしまうんですが…。何処が完璧なんだ。ちょっと教えてほしい。

 

「…あの、その前に旧都が滅ぶんじゃあないですか…?」

「うにゅ?大丈夫でしょう?私もお燐も平気だから」

 

基準がおかしい。散々おかしいと言われてきたわたしが言うのも何だけど、それは明らかにおかしい。あまりにも早計過ぎるだろう。完璧とは…。

…少し話をして分かった。この感じ、これ以上話しても止める気はない。彼女の中でお粗末な計画を実行することは決定事項であり、それを止めるのは言葉ではおそらく不可能。つまり、だ。

 

「…何、私とやる気なの?確かに私がいなくなれば灼熱地獄は元通りになるけれど…」

「それを聞いて安心したよ。これで、心置きなく攻撃出来る」

 

一歩踏み出したわたしに対し、霊烏路空は空いている左手に小さな太陽を生み出した。…はは、本当に太陽を浮かべちゃったよ。

しかし、ここで怯むわけにはいかない。既に覚悟は決まっている。決意は固めている。まさか、躊躇いは残っているのか?…ないな。さぁ、やろうか。

 

「黒い太陽、八咫烏様…。我に力を与えて下さり、感謝いたします…。さぁ!私の究極の核エネルギーが全てを融かし尽くす!どうやって私を倒すつもりかしら!?」

「それはこれから考えるよ。…けれど、付け入る隙は思ったより多そうだ」

「不可能ね!この究極の核融合で身も心も何もかもフュージョンし尽くすがいい!」

 

両手を軽く握り、わたしはさらに一歩踏み出す。…さぁて、異変解決者が来る前に片付けないとなぁ。上はどうなってるかな?ま、出来るだけ急がないとね。

 



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第425話

畳に胡坐をかきながら星熊盃を煽る。幻香曰く、地上から専門家が来るかもしれない。鬼達には旧都を隅々まで見回りさせ、見覚えのないものを見つけ次第ここへ報告するよう伝えてある。杞憂ならそれでいい。しかし、何故だと問われても言葉に出来ない感覚だが、杞憂では済まないだろうと肌で感じていた。

事実、かなり遠いが外が騒がしい。私達がする喧嘩とは明らかに違う戦闘音、最近流行らせた弾幕遊戯に近しい音がする。…来たのか。そう感じ、新たな酒瓶を開けて星熊盃に注ぎ込んだ。

ポタ、ポタと最後の一滴まで酒を落としていると、廊下から慌ただしい足音が響いてくる。そして、すぐにこの部屋の障子が勢いよく開けられた。

 

「姐御ォ!専門家だ!専門家が出た!」

「数は?」

「人間が二人!だが声は四人いる!」

「場所は?」

「橋から地霊殿へ続く道を真っ直ぐ進んでる!急いでくれ!かなり速い!」

「そうかい。それじゃあ、行くとしますか」

 

声は四人、というところに引っ掛かりを覚えたが、とりあえず相手は二人。それだけ分かれば十分。星熊盃を手に腰を上げ、報告をした鬼を押し退けて部屋を出る。さぁて、どんな連中かな。技術、得物、才能、実力…。どれだけ強ぇ奴等か、楽しみだ。

屋敷から外に出た瞬間、膝を曲げ腰を落とし、旧都を見渡せる高さまで跳ぶ。…いた。大半の妖怪を抜き去りながら真っ直ぐと飛び抜けていく紅白と白黒。あの二人か。へぇ、確かに速い。

それだけ確認したところで、その二人の行く少し先に両足を踏み締めて馬鹿でかい音と共に着地する。星熊盃の水面が激しく波打つが、軽く左手を動かして飛沫を拾う。そして、私の前で一度止まった二人を見遣った。

 

「急に前に下りてきて…。邪魔よ」

「だな。さっさと終わらせてゆっくり温泉に浸かろうぜ?」

『霊夢、話くらい聞いてあげたらどうかしら?』

『魔理沙、せっかく話せそうなのが来たんだから、情報の一つでも仕入れるわよ』

 

確かに声は四人だな。驚いた。しかも、一人は聞き覚えのある声じゃないか。こりゃあ少し面倒なことになりそうだ。

 

「つれないねぇ。地上から専門家が来るって聞かされて、こっちは楽しみにしてたのにな」

「知らないわよ、そんなの。…魔理沙、アンタは先にあの偉そうなのがいそうな館に行ってなさい。コイツは私が片付けるわ」

『…霊夢、私の話も聞いてほしいのだけど?』

「そうか?それじゃ、お先に行かせてもらうぜ!」

『霊夢、魔理沙の代わりに何か訊いといてよ!』

 

そう言うや否や、白黒の方が箒に跨り、すぐに急加速して飛び出した。

 

「まぁ待てよ」

「うおっ!?」

 

そのまま私の横と抜き去ろうとした箒の先を右手で掴み、無理矢理止めた。急に動きを止められた箒から勢いよく投げ出された白黒が地面を派手に転がっていく。掴み取った箒の穂にくっ付いていたものから魔力を放出し加速していたようだが、少しすると自然に停止した。

 

「痛ってぇな!急に何しやがる!」

『ちょっと魔理沙!一体何があったのよ!?』

「逃げんなよ、つまんねぇな。一人より二人だろ?…ほらよ」

 

箒を持ち主に投げ返しながら、私は既に警戒している紅白の方へ顔を向けた。

 

「そっちから話してくれなさそうだし、こっちから聞こうか。あんたらは何故ここに来た?知ってるかどうかは知らねぇが、地上と地底は互いに進入禁止だ」

『その条約は貴女達が地底の怨霊を鎮める約束でもあるはずよ。でも、間欠泉と共に地上に怨霊が湧いてきている。約束が違うんじゃないかしら?』

「怨霊、ね。ま、私は知らん。そういうのはさとりに訊いてくれ」

 

後ろ髪を掻き毟りながら肩を竦め、星熊盃から半分ほど酒を煽る。少し時間が経っていくらか質が落ちてはいるが十分美味い。そして、後ろへ大きく一歩踏み出し、コソコソと箒に跨ろうとしている白黒の首根っこを掴み、紅白の方へ放り投げた。

 

「ぐぇっ!…くそっ、やるしかねぇか?」

『大丈夫、魔理沙?』

「ちょいと痛むが問題ない」

 

元の位置に歩いて戻っているうちに立ち上がった白黒は、体中に付いた土を手で払いながら笑った。…へぇ、いい顔するじゃあないか。

 

「とりあえず、そのさとりってのに吐かせればいいわけね」

『目の前にこいつがいる限り、先へは進めないと思いなさい。相手は強いわよ、霊夢』

「アリス。援護、頼むぜ?」

『分かってるわよ』

 

紅白の周囲に四つの陰陽玉が浮かび、その手にお祓い棒を持って私に向ける。白黒の周囲に人形が八体浮かび、その手に箒の穂にくっ付いていたものを持って私に向ける。二人が臨戦態勢に入ったところで、私は右手で首を鳴らした。

 

「私は強い奴が好きだからな。気に入ったら生かしてやる。気に入らなきゃ殺してやる。…思いっ切りかかって来な、人間」

「言われなくてもこっちから行くぜっ!恋符『マスタースパーク』ッ!」

 

その白黒の宣言の瞬間、手に持っていたものから膨大な魔力が迸る。しかし、あの時の幻香が放った漆黒の砲撃と比べると、どうしても見落りしているように見えてしょうがなかった。

迫りくる魔力を前に右手を軽く握り、左肩の上まで引き絞る。そして、右腕を真横に振るった。瞬間、白い魔力が横に裂けて霧散していった。

 

「効かねぇなぁ、今のじゃあ」

「嘘だろ?さっきのはこれで楽に済んだのに」

『相手はおそらく鬼よ、魔理沙。さっきの橋姫と一緒にしない方がいいわ』

「…つまり、萃香と同類か。確かに強いでしょうね」

 

何だ、こいつらも萃香の知り合いか?しかし、専門家というならばそれはもう実力者であるはずだ。強い奴が相手となれば戦いたくなるのが本能。…まぁ、一応殺すのだけは避けとくか。

そう思っている間に迫ってきていた霊力を纏い空色に巨大化した陰陽玉を右拳で殴り粉砕する。殴りつけた瞬間、拳がジンジンと痛んだ。この感じは退魔か。だが、その程度じゃあ足りねぇな。

人形から放たれる小綺麗な弾幕を受けながら大きく踏み出し、陰陽玉を打ったばかりの紅白に脚を突き出した。

 

「おらぁ!ボサッとしてんな!」

「ッ!?」

 

目を見開いた紅白に横へ転がるように回避されたところで、その隣に浮かんでいた一体の人形に右肘を突き刺す。瞬間、人形の内側から大量の弾幕が綿を食い破りながら破裂した。破壊されても反撃するのか。しかし、しょぼいな。皮膚の色が少し変わる程度。見た目ばかり小綺麗で威力がなってない。

人形が破壊されてから白黒も私から大きく距離を取った。箒に跨り宙を舞う白黒を見上げ、次に札を数枚取り出した紅白を見遣る。

 

「…まずいな。アリスの援護、碌に効いてねぇぞ」

『…分かってるわ。まさかこんなに頑丈な相手が出るとは思ってなかったのよ』

「あれを容易く壊すのね…。厄介だわ」

『相手が誰であろうと、貴女なら勝てるわ』

「お話しはもう十分か?こっちはあんたらに合わせて盃から溢さないよう優しくやってるんだ。期待外れだけは止めてくれよな…!」

 

右手を固く握り締め、上に浮かぶ白黒に向けて右腕を打ち出した。放たれた拳圧が衝撃波となり、大きく体勢が崩れた。

 

「ぐ…ッ!?何だ、これは…!」

『魔理沙ッ!』

「魔理沙!」

 

二つの悲鳴をよそに跳び上がり、白黒の目の前で右腕を軽く引く。今更気づいてももう遅ぇよ。

 

「まず…っ」

「ほら、よっと!」

 

ぐわぁん、と硬い壁に阻まれる感触。だが、それも一瞬のことですぐにガラス片のようなものを飛び散らせて破壊する。しかし、その一瞬の間に白黒は私の攻撃から逃れていた。

飛び散ったものが空中で消えていくのが見え、私は紅白を見下ろした。そして、その足元に貼り付いている破れた札を見て察する。へぇ、結界か。だが、こんな柔い壁で阻めるほど私は弱くないぜ?

自然と頬が吊り上がる。あの紅白は確実に強い。そして、白黒もまだ上げれそうな雰囲気がある。これから続く勝負が楽しみだ。

 

「面白い。二人共、駄目になるまでついて来なぁ!」

 



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第426話

「ほら!ほらほらほらぁ!」

「危なっ…。…うん、変形してないな」

 

漆黒の翼を広げてはるか上空に浮かぶ霊烏路空は左手で支えながら右腕に装着された棒をわたしに向け、直接被弾すれば丸ごと火炙りにされてしまうほどの火炎球を放ち続けてくる。その軌道がいまいち不安定に揺らめいていて少しばかり読みにくく、躱しているつもりが防護服のすぐ隣を通り抜けていった。しかし、流石は耐熱耐火の基に創った素材。かなり近くを火炎球が通ったにもかかわらず、特に変化した様子はなかった。…正直、かなりホッとしている。

ただし、このまま安心しているわけにもいかない。何故なら、彼女が放ち続けている炎が当たった足場が赤熱し続けているからだ。つまり、このままだと足場が融け落ちて穴が空くし、それが続けば当然足場はなくなる。…やっぱり飛んだ方がいいのかなぁ。空中戦はあまり得意ではないのだが、相手が空中にいる以上、わたしもその高さまでいかなければならないわけで…。

 

「しょうがない、なっ!」

 

右足から思い切り踏み出すと、赤熱していた足場がグニャリと歪む。だが、もうこの足場に用はない。火炎球が降り注ぐ中、真っ直ぐと走り抜ける。そして、わたしは壁に着地した。重力に逆らうため、そのまま半球に近しい形状の内側をグルグルと回るように走り続ける。…よし、この高さだ。今、重力に対してほぼ垂直に立っているわたしの頭上に霊烏路空が飛んでいる。

その場で急停止した瞬間、重力がわたしをマグマへ落下させようと目論む。だが、その前に壁を蹴って勢いよく跳んだ。その先には当然霊烏路空がいる。わたしは何もない空中から飛び出すよりも、何かから蹴り出したほうが明らかに速い。そして、速度はそのまま威力となる。

わたしは防護服の中に入っていた空気を全て回収した。膨らんでいた防護服が肌に吸い付く。そのまま攻撃していれば膨らんでいる防具服が抵抗を受けて減速してしまい、さらに空気の層を挟んだ攻撃をすることになり、その結果威力が落ちてしまうから。

 

「オラァ!」

「馬鹿ね!飛んで火にいる何とやら!」

 

…あぁ、確かにそうかもね。左手に支えられながら真っ直ぐと向けられた右腕の棒を眺め、その先端に炎が溜まるのを見詰めた。このままならあちらのほうが早い。だが、知ったことか。燃えたならそれまでだ。また創ればいいだけだから。

目の前で放たれた火炎球の中を突き進む。そして通り抜けた。…変化なし、ゆえに問題なし。勝利を確信していた表情から崩れ始めているその鼻っ柱に掌底を叩き込んだ。ペキャ、と軽い音と共に潰れる感触。その場で横に旋回し、追撃の回し蹴りを横っ面に振るう。初撃で怯んでいた体は思ったよりも軽く、真っ直ぐと吹き飛んでいった霊烏路空はそのまま壁に激突した。

 

「…ふぅ。想像以上だなぁ、この素材…」

 

その場に浮かんで両腕を下ろした自然体を取り、防護服の中に新たな空気を創りながら、あの火炎球の中を通り抜けてなお変わりない防護服を思う。耐熱耐火を思って創ったが、太陽を生み出すような存在が放つ炎を耐えるほどとは。これは少し楽になりそうだ。

パラリ、と砕けた壁が落ちる音を聞いてそちらに目を向けると、壁に激突していた霊烏路空が起き上がっていた。そして、開いた左手に新たな太陽が生み出されていく。…さっきまでの攻撃手段は火炎球だったが、これからは太陽になりそうだ。

 

「これが私の究極の力…。貴女に受けられるかしら?」

「…さぁね。試したことないから分かんないや」

「当然、試すまでもない!」

 

そう言い放ち、わたしに向けて太陽が射出された。一瞬、視界が白色に塗り潰される。体を大きく左に傾けると、その後ろの壁が融ける音が響いた。チラリとその音の元に目を向けると、壁が白く発光しながらドロリと融け落ちていた。…うげぇ、あれが五千五百度か…。

次々と射出される太陽を躱し背後の壁を融かしながら、わたしは『幻』を一つ浮かべた。先程の炎と比べて軌道が真っ直ぐで躱しやすいな、と思いながら『幻』から一発の妖力弾を撃ち出す。しかし、その途中で霊烏路空が放つ太陽と接触し、そのまま飲み込まれてしまった。…流石に妖力弾で太陽を貫くのは厳しそうだな。

 

「これならどうだっ!」

「数撃ちゃ当たるかな?なら、こっちも増やしてみるか」

 

霊烏路空が左手を大きく振るうと、数多の太陽が生み出された。わたしもそれに対抗し、『幻』の数を二百個に増やす。次々と射出されてくる太陽を左右に大きく飛んで躱しながら、『幻』の弾幕で彼女の周辺を狙う。わたしは動き続けることで太陽を掠めることもなくよけ続けているが、対する彼女はいくつかの妖力弾を太陽で飲み込めずに被弾していく。しかし、これといった決定打にはなっていない感じだ。これがスペルカード戦、もしくは弾幕遊戯ならわたしの勝ちで終わってるのになぁ…。ま、この場に全く関係ない規則を持ち出してもしょうがないか。

 

「えぇい、ちょこまかと…!これなら、どうだぁーっ!」

 

わたしに対して全く攻撃を当てることが出来ず痺れを切らしたらしい霊烏路空がそう叫びながら左腕を上に掲げると、その上に新たな太陽が浮かび始める。その太陽はその質量をどんどん増やし続け、遂に引力を持つまでに至った。僅かだが体が太陽に引き寄せられている。今は少しの抵抗で済んでいるが、このままではいつか引力に負けてしまう可能性がある。そうなってしまうと、わたしは太陽に飲み込まれてお陀仏だ。

それは避けなければならないのだが、『幻』から放った妖力弾が太陽に吸い寄せられる。あの引力に勝る妖力弾はそう簡単には撃てない。しかし、だからと言って近づくのは相当危険だ。子の防護服が炎を耐えられても、太陽を耐えられるかはまだ未知数なのだから。

 

「この究極の力で全て融かして混ぜて合わせてあげる…!」

「そいつは御免だね。貴女を止めれなくなる」

「だからもう止まらないのよ。私は誰にも止められない…!」

 

しかし、何もせずにただ黙って見ていても状況は悪い方向に傾くばかり。…やるか。

わたしは意を決し、その場から霊烏路空に向かって飛び出した。引力に引っ張られることで、さらなる加速を受けながらどんどん近付いていく。

 

「これに飲み込まれちゃえ!えーい!」

 

その発言と共に、霊烏路空は左手に浮かべていた巨大な太陽を投げ飛ばした。その巨大さゆえか、彼女の手を離れた太陽はゆっくりと動き始めた。近づけば近づくほど引力が強くなる。ここまでくると、もうこの引力に逆らうことは出来そうにない。

ただし、それはわたしの力ではの話だ。わたしは自分の身体にこの耐熱耐火素材で創った棒を重ねて創造し、強力な引力に逆らいながら外側へ弾け飛んだ。回収しようと思ったがそもそも肌で触れることが出来ず、また妖力を拡げる余裕もなくそのまま太陽に吸い込まれていってしまったが、そんなものはどうでもいい。

勢いよく弾かれたことで太陽から距離を取り、引力からの影響が弱くなったところで再び霊烏路空に向かって飛び出す。彼女にはもう太陽はない。だから、この拳は問題なく当てられる。わたしは防護服の空気を全て回収し、右手を固く握り締めた。

 

「この時を待っていた…ッ!」

「え?」

 

瞬間、彼女の前に先程と変わらぬ大きさの太陽が出現した。…まさか、これほど早く生み出せてしまうとは思っていなかった。過信した。油断した。…ごめん、さとりさん。死ぬかもしれない。

そして、わたしは成す術なく引力に引き寄せられ、太陽に飲み込まれてしまった。

 



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第427話

「ゥオアアッ!」

 

飛来する数多の針に咆哮し、その全てを散り散りに吹き飛ばす。ついでにその延長線上にいる紅白への牽制も兼ねていたのだが、僅かに顔をしかめた程度で大した効果はなさそうだった。

踏み出す右脚を地面に振り下ろし、底を中心として大地が陥没し、周囲に大きく罅が走る。その衝撃は大地を揺るがし、紅白の体制が一瞬だが崩した。その隙に右腕を引きながら距離を詰め、空いた腹に狙いを定める。多少の防御はされるだろうが、丸ごとブチ抜く。

しかし、その途中で異変に気付く。影の向きが背後から前へ変わった。

 

「喰らえッ!星符『ドラゴンメテオ』ッ!」

 

咄嗟に左脚を地面に突き出し、急停止しながら体を反転。白黒の声がした方を見上げれば、遥か上空から先程よりも強力な白の魔力が降り注いでくる。紅白をブチ抜くつもりだった右腕を真上に打ち出し、その中央を衝撃波で引き裂くように相殺させた。

 

「…っ」

 

背中に鋭痛が走る。対象を変更した僅かな隙に、紅白が私の背中に針を放ったのだろう。ただの針ならこの程度どうってことないのだが、当然針にも退魔の力が宿っていた。すぐに刺さった辺りの背中の筋肉を締め付け、僅かに流れる血を止める。はっ、やっぱこうでなくっちゃあなぁ。

 

『霊夢、やるなら普段の数倍は強力に。過剰なくらいでちょうどいいわ』

「霊符『夢想封印』」

 

紅白の宣言と共に、色とりどりに輝くいくつもの霊力弾が飛び交う。並の妖怪なら一つ触れただけで致命傷になりかねないだろうが、右手を軽く握るように人差し指から小指の四本を親指に引っ掛けながら突撃する。

 

「ふっ!」

 

目の前に迫る三つの霊力弾に対し右手を出し、四本指を一気に弾いた。バン、と空気が爆ぜる音と共に霊力弾が弾け飛ぶ。残る霊力弾はここから当たることはない。

 

「んな…っ」

「おらっ!」

 

瞬く間に肉薄し、右脚を腹へ突き出した。その蹴りは咄嗟に構えられたお祓い棒で防御されたが、気にせずそのまま吹き飛ばす。…硬いな。圧し折るつもりだったが折れなかった。霊力で強化されているらしい。

すると、遥か上空で距離を取っていた白黒が吹き飛ばされた紅白の元へ駆け寄ってきた。

 

「大丈夫か、霊夢!」

「げほっ!…なんて馬鹿力よ…」

『それが鬼って妖怪よ』

 

白黒が咳き込む紅白を介抱しているところ悪いが、私はゆっくりとわざとらしく地面を揺らしながら近づいた。白黒が服の中から取り出した小瓶の中身を紅白が飲み干したところで、振り向いた白黒が私をキッと睨みつけてきた。…いいねぇ、まだまだ出せそうじゃあないか。

 

『魔理沙、一つ提案しておくわ。耳を近づけて』

「何だ、アリス?――へぇ、分かった。試してみる価値はありそうだ」

「…こほっ。紫、アンタも何かないの?」

『…そうねぇ。では、こんな策はどうかしら?』

 

それぞれが助言を聞き入れるのを待ち、聞き終えたところで右手をバキボキと派手に鳴らす。その音で二人は私に意識が向いた。

 

「もういいか?」

「…あぁ。わざわざ待ってくれるなんて優しいな」

「私はな、実力を出し惜しみしてる奴が嫌いだ。相手の全力をこの身で受け、その上から力で叩き潰す。その方が楽しいだろ?」

「へっ、違いない」

 

そう言って笑う姿は、その精神のあり方が間違いなく強者だと感じ取れた。今はまだ実力が伴っていなくとも、将来伸びる。そう感じさせるものがあった。

 

「…気に入った。白黒、名を聞こうか」

「霧雨魔理沙だ。覚えとけよ」

「山の四天王が一人、力の星熊勇儀。…さぁ、思いっ切りかかって来なぁ!」

 

そう咆えた瞬間、魔理沙が隣に浮かべていた人形の一体を掴み取ってこちらに投げつけてきた。拳を振るおうとしたその前に、人形がキュッと縮むのが見えた。閃光、衝撃。私を丸ごと飲み込むほどの爆発。皮膚が焼ける感触を覚えたが、それよりも星熊盃の中身が吹き飛ばないように掴む。…ふぅ、危ねぇな。

右手を軽く払い、視界を塞いでいる黒煙を吹き飛ばす。すると、そこにいたはずの二人が忽然と消えていた。…まさか、この隙に地霊殿へ向かったんじゃああるまいな?

 

「…いや、そんなことねぇか」

「そういうことよ…ッ!」

 

急降下しながら振り下ろされたお祓い棒を角の先で受け止め、体を後ろへ逸らしながら星熊盃を握る左手の甲を地面に付け、全身を振り上げての蹴り上げをかます。

 

「そぉらっ!」

「ぐ…っ!」

 

肉同士がぶつかり合う鈍い音。紅白が派手に吹き飛ばされていくが、喰らうと同時に吹き飛ぶ方向へ飛んで衝撃を大分逃がされてしまった。しかし、喰らった衝撃で取り溢したのか、大量の札が私の周りに散らばる。…いや、違う。

 

「縛」

 

一言の宣告と共に飛び散っていた全ての札から霊力が伸び、私の体を雁字搦めに縛り付ける。腕を動かそうとするがギリギリと軋む感触がするばかりでピクリともしない。…やはり、あの札はわざとだったか。小癪な真似を。

吹き飛ばされた先で紅白が立ち上がりながら呟いた声が聞こえてくる。

 

「…普段あんな風に使わないし、使うとしてもあんな数は使わないのだけど…」

『言ったでしょう、霊夢。過剰なくらいでちょうどいいのよ』

「あ、そう。…魔理沙、あとよろしく」

「ああ、ちょうど溜まり切ったところだ。魔砲!『ファイナルスパーク』ッ!」

 

紅白が視線を向けた方へ目を遣ると、魔理沙が私に凝縮された激しい光を秘めた八角形のものを向け叫んだ。そして、さっきまでのは一体何だったのか、と思わせてくれるほどの白の魔力を撃ち出した。解放された白の魔力が私の視界を埋め尽くす。

私はニヤリと口端を持ち上げて一人笑っていた。

 

 

 

 

 

 

「お見事だ。霊夢、魔理沙」

 

中身が零れてしまった星熊盃の縁を左手の指先でクルクルと回しながらそう言った。尤も、言われた二人は納得のいかない顔を浮かべているのだが。

 

「いい連携だったよ、お二人さん。気に入ったからあんたらは生かすことにした」

「…紫、過剰じゃ足りなかったわよ」

『正直、あれを振り解かれるのは予想外よ』

「…なぁ、アリス。弾幕はパワーだけどさ、ちょっと自信なくなってきた…」

『なら、私と一緒にもっと強くなりましょう。えぇ、そうしましょう…』

 

私が白の魔力を喰らう寸前、星熊盃のために抑え込んでいた力を一瞬解放し、私を頑丈に縛り付けていた霊力を蜘蛛の糸のように引き裂いた。そのまま腰を捻り右腕を引き絞り、迫る白の魔力に右拳を叩き付けその全てをかき消した。しかし、その勢い余って星熊盃から酒が丸ごと零れてしまったわけだが。

座り込んで落ち込んでいる二人に前にしゃがみ込み、顔の高さを合わせて近づける。しかし、二人は私からスッと体を引いて距離を取りやがった。…あぁ、角が刺さりそうだったのか。悪いことしたな。ま、いいや。

 

「地霊殿なら向こうだから、行きたきゃ行けよ」

「…えぇ、そうするわ。行きましょう、魔理沙」

「そうだな、霊夢。随分時間食っちまったから急ごうか。さとりってヤローに会いに行くために」

 

私が指差した方向には馬鹿でかい館、地霊殿がある。二人は私に背を向けて歩き出した。その向かう先はもちろん地霊殿。二人の背中が遠ざかっても、私はその場で仁王立ちをし続けた。あの二人を逃がすことの証明と、周囲にいる妖怪達への牽制のために

さて、これでは私は地上からの侵入者を取り逃がしてしまったことになるわけだが、ま、どうにかなるだろう。私がわざと逃がしたことなんて、二人を通して一瞬で看破されるだろうが、いくつか小うるさい注意をペットを通して言われるくらいで済むと思う。幻香には警戒しろとしか言われなかったし、さとりにも旧都のことは任されているし。

ふと、私は天井を見上げた。その遥か先にある地上を想い、そこへ出て行った友を想い、私は一つ長い息を吐いた。

 



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第428話

上も下も右も左も前も後もなくなった水の中にいるような気分だ。呼吸は出来ないし、もはやする必要もない。白く染まった世界に少しずつ押し潰され、そして消えていくのだろう。わたしはてっきり太陽に飲まれた瞬間から、三途の川を船に乗せられて死神と共に渡り、閻魔様と顔合わせしたのちに黒、有罪、地獄行きと宣告されるものだと思っていたのだが、思ったより余裕がありそうだ。もしかしたら既に死んでいるのかもしれない。わたしのような創られた存在に、地獄行き何て豪華過ぎるかもしれないな。消滅。ただ、それだけ。それにしても、死の直前には走馬灯の一つくらいあるかと思っていたが、思ったより思い返すことがないらしい。…まぁ、思い返さなければならないことなんて四つだけだ。古明地こいし、フランドール・スカーレット、八意永琳、星熊勇儀、そのドッペルゲンガー達。彼女達のことを想おう。わたしの最期の瞬間まで。ただ、黒く染まると思っていたが白く染まるのはちょっと予想外だなぁ…。

 

「…ん?」

 

思ったより長いな、と思ったところでふと違和感に気付いた。視界の端に白ではない色。そして、今更ながら自分にへばり付くように存在しているものが思考の隅っこに浮かんでいることに意識が向いた。…これ、防護服だ。…え、わたし死んでないの?太陽に飲み込まれたのに!?

そう自覚した途端、つい先ほどまで想っていた四人のことを放り投げる。思うのは今ではない。その代わり、現状の把握に努める。空間把握。…霊烏路空、この太陽のすぐ傍で高笑いしてるわ。これは完全に勝利を確信していますねぇ…。それと、少し遠くに回収出来なかったこの防護服と同じ素材で創った棒の存在を感じる。あれも太陽に飲み込まれたはずなんだけどなぁ…。ちょっと耐熱耐火性能高過ぎませんか?あと、呼吸が出来ないと思っていたが、防護服の中に入れていた空気を全て回収したせいだった。しかし、今創っても周囲からほぼ均等に感じる強烈な圧力によって潰されてしまうだけな気がする。

よし。ひとまず、この太陽からの脱出だな。とりあえず生き延びるために、肺の中に必要最低限の空気を創ってはいらなくなったものを回収しているが、ここから出ないことにはどうしようもない。しかし、飛んでいこうにも太陽の中心に引っ張られる引力の方が圧倒的に強くて抜け出せない。ものを重ねるにしても、この状況では引力の方が強いだろう。さて、どうしたものやら。

 

「ん?」

「ハーッハッハッハッ!これで私を邪魔するものはいな――いたーっ!?え!?なんで!?」

 

そう思っていたら、太陽が消えた。もう融かし尽くしたと思ったのか、それとも邪魔だと感じたのか…。まぁ、脱出する術を考える手間が省けたわけだし、結構ありがたい。

 

「…あ、どうも。太陽を消してくれてありがとうございました」

「こちらこそどういたしまして…、じゃっなーい!違う!どうして生きてるの!?」

「さぁ…?実はわたしにもさっぱり」

 

まさかあの条件下でも問題ないなんて誰が想像出来る。わたしは思ったよりとんでもないものを創っていたらしい。素直に驚いてる。

ま、いいや。難は去ったわけだし、わたしは続きを再開しよう。すなわち、目の前で癇癪を起こしている霊烏路空を止めるのだ。

 

「ふん!」

「ご…ッ!?」

 

こちらに意識が向いていない隙に接近し、右脚を振り上げて顎を蹴り抜いた。突然の衝撃に何が起きたのか分かっていなさそうな顔をしているところ悪いけれど、別に分からなくて結構だ。そのまま縦に一回転してから、がら空きの鳩尾に右拳を捻じ込んだ。

 

「うぶ…っ」

「いなくなる、ってのは何処までやればいいと思う?」

 

答えなんて全く期待していない問いを投げかけながら、わたしは反撃の隙を与えないように左右の拳で乱打を叩き込んだ。吹き飛ばすなんて衝撃を逃がすような行為をさせないように、出来るだけ相手をその場に留めるように殴り続ける。

 

「ぐ…っ、げほっ!?」

「このまま殴り続けて気絶させればいいのかな?」

 

最初は悲鳴らしい声を上げていたが、途中からは声を出すための息を吐き切ったらしく、呻き声すらまともに出てこなくなっていく。それでもわたしは拳を振るい続けた。たとえ声が出なくなろうと、この手を止める気はさらさらない。だって、まだ霊烏路空に意識があるのだから。手を緩めれば反撃される可能性があるから。あと、再び太陽の中に閉じ込められると面倒だし。

 

「っ、…っ」

「ここから引きずり上げなきゃいけないのかな?」

 

その場に出来るだけ留めるように殴ってはいるものの、霊烏路空はジワジワと後退し続けていき、やがて壁際まで追い詰めた。しかし、わたしは碌に気にすることなく殴り続けた。むしろ、これ以上後退することがないから楽だとすら思いながら。

 

「…っ、…っ!?」

「それでも止まらないなら殺さないと駄目かな?」

 

そう言い放ちながら、人差し指から薬指の三本指を三角に揃えた地獄突きを一撃だけ突き刺す。…何今更になって絶望しました、みたいな顔を浮かべるかなぁ?地上を丸ごと融かし尽くすと言うのなら、それによって自分自身が殺されることだって覚悟のうちだろう?決意したのだろう?意思を固めたのだろう?なら、どんな結末だって受け入れるはずだ。…違うかな?

 

「…っ、っ」

「さとりさん、悲しむだろうなぁ…」

 

ま、安心しなよ。流石に殺すのは最後の手段だ。やるとしても、まずは気絶させて、次にここから地霊殿まで引きずり上げて、それでも灼熱地獄跡地の過剰稼働が止まらないことを確認してから、さとりさんの目の前で確実に息の根を止めてから細切れにして焼き尽くしてあげるから。何処までやれば止まるか分からないなら、単純な死でも徹底的にやってやる。

 

「っ…………」

「ま、いいや。一旦沈んでろ」

 

自分の全体重と縦三回転の加速を全て踵に乗せた踵落としを意識が潰える一歩手前まで消耗させた霊烏路空の頭に叩き込み、完全に意識を刈り取った。そのまま落下していくその手首を掴み取り、マグマに沈むのを阻止した。

 

「…はぁーっ、疲れた…」

 

防護服の中に新たな空気を創造し、久し振りにまともな呼吸をする。何百発と振るい続けた両腕が重い。けれど、そんなものを理由にこの手を放すわけにもいかないよなぁ…。

傷の治療は、まぁ要らないだろう。この程度で死ぬとは思えない。元動物だったとしても、今は妖怪なのだから。…一応妖力を流して確認。…うん、心臓は動いてる。ちょっと脈拍が弱い気がするけれど、この程度なら許容範囲内だろう。きっと。

 

「さて、灼熱地獄跡地はどうなるかねぇ?」

 

霊烏路空の意識は確かになくなった。だったら、これで灼熱地獄跡地の過剰稼働が止まる可能性がある。しかし、その場に留まって少し見回してみても、これと言って収まったといった感じはしない。まぁ、すぐに止まるわけじゃないかもしれないか。じゃあ、時間を経過させるついでに距離を取らせるために、ここから引きずり上げるとしましょうか。距離を取る必要がなかったとしても、霊烏路空を生かすつもりなら地霊殿で休ませたほうがいいだろうし。

しかし、今上がって異変解決者と鉢合わせするなんてことがあったら嫌だなぁ…。けれど、それを恐れて待機していたらここにやって来ました、なんてことがあったら目も当てられない。

 

「…上がるかぁ」

 

待っててもしょうがないし。空間把握をしながら慎重に移動すれば異変解決者を回避出来る、と思いたい。そう思いながら、掴んでいた霊烏路空を引き上げて背負い、ぐったりと垂れている首を肩に乗せてから顔を上に向ける。…ここを上がるのか。下りるのも結構時間かかったよなぁ…。

願わくは、ここを上がっている間に異変解決者が地上へ帰還していますように。…ま、こんな都合のいい期待ってものはよく裏切られるものだ。期待せずにいこうか。…はぁ。

 



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第429話

机に頬杖を突いて待っていると、四度扉を叩く音がした。この叩き方は玄関口で待機していたお燐が異変解決者を連れてきた合図。…はぁ、本当に来てしまったのね。幻香さんが言う異変解決者を勇儀が旧都に押さえてくれるのが私としてはよかったのだけれど、現実はそうもいかないらしい。気になることは、勇儀が異変解決者を見逃したのか、それとも異変解決者が勇儀を負かしたのか…。まぁ、それはこれから分かるか。

 

「どうぞ」

「お邪魔するわ」

「邪魔するぜ」

『霊夢、警戒を怠らずに』

『訊けることは訊くのよ、魔理沙』

 

…ふむ、何やら声が二人分多いのだけれども。しかし、心は読めない。おそらく、遠隔地から声のみを届ける道具があるのでしょう。その二人分の心を読めないのはこの状況では多少の痛手だが、おそらく行動の主であろう異変解決者二人の心は問題なく読める。…へぇ、声の主は八雲紫とアリス・マーガトロイドですか。

 

「まぁ、そう警戒なさらず。私個人としては貴女達を争うつもりはありませんので。さぁ、お二人とも好きにくつろいでください。…お燐、この環境では困難かもしれませんが、お客様にお茶を用意してきてくれますか?」

「…了解しました、さとり様」

 

そう言って頭を下げながら退室したお燐の心は、異変解決者を前にしている私の心配と幻香さんと相対するお空の心配が大半を占めている。上の空で失敗することがないことを祈ろう。

 

「はぁーっ、しっかしここに近づくほどに暑くなったな…。ここは涼しいみたいで助かったぜ」

「気を引き締めなさい、魔理沙。ああ言ってはいるけれど、何してくるか分からないわよ。地底の妖怪達がそうだったでしょう?」

「ありゃ言ってすらいなかっただろ」

 

さて、礼儀正しく座っている方が博麗霊夢、その隣に座りながら本棚に目移りしている方が霧雨魔理沙ですよね。…地底に下りてきた目的は、間欠泉と共に湧き出した怨霊の排除と温泉を楽しむこと、ですか。怨霊に関してはお燐がもう止めたので、既に地上に湧き出てしまった分は知らないがこれ以上湧くようなことはないはずだ。温泉は知らない。

 

「さて、一応訊いておきましょうか。貴女達がここに来た理由を教えてくれませんか?場合によっては、っ!」

「うぉっ!」

「…一際強いのが来たわね」

 

話している途中だというのに、下から突き上がるような揺れが来た。しかも、これまでよりも遥かに強烈なものだ。…大丈夫かしら、幻香さん。お空のことももちろん心配だけど、あそこへ単身向かった彼女も心配だ。

 

「こほん、失礼。場合によっては穏便に事を済ませることが出来るかもしれません」

「ああそうかい。それじゃあ、もっと温泉が湧くようにしてほしいんだがどうすればいいんだ?」

『あの忌まわしき間欠泉を今すぐ止めなさい』

「早速仲間内で意見が分かれているのですが…。まぁ、間欠泉に関して私は何も知りません。ただ、怨霊なら沸くことはないでしょう。ですから、既に忌まわしきなどと頭に付ける必要はありませんよ、八雲紫さん」

 

名指しでそう答えると、僅かに霊夢さんに反応があった。…ふぅん、違和感を既に感じ始めているようね。対して魔理沙さんは本棚の中身と湧き出した温泉とそこで呑むお酒のことを考えている様子。…ふむ、見逃された鬼から酒を盗めるだろうか、ですか。止めておいた方がいいと思いますよ。それと、やはり見逃したのですか…。はぁ。

 

『ちょっと魔理沙。彼女、変よ』

「あん?何処がだ?」

『私達は紫の名前を一度も出してないのに言えた。どう考えてもおかしいわ』

「…そうですね、アリス・マーガトロイドさん。まだ名乗っていませんでしたね。申し遅れました。私は古明地さとり。この地霊殿の主をしています」

『っ、さとりですって!?地上から追放された心を読み取る危険極まりない能力の持ち主よ。馬鹿なこと考えてたらすぐに改めたほうがいいわ』

「心を…?…うへぇ」

 

…やはり、心を読まれる気分はよろしくないようで。隣で黙って聞いていた霊夢さんは、…便利そうだとは思うが好き勝手読まれるのは御免ですか、そうですか。幻香さんのようにそれはそれ、とはいかないようですね。まぁ、知っていましたが。分かり切っていても、少し悲しい気分になる。

 

「『心を読めるなんて嘘っぽいな』ですか、魔理沙さん。嘘ではありませんよ、非常に残念ながら。『それにしてもお茶はまだかしら』ですか、霊夢さん。それに関しては少々お待ちください」

「げっ、本当かよ…」

 

そこまで引かれてしまうと、嫌な記憶を思い出す。…あぁ、里の全住民から投げつけられた石は痛かった。何故、どうして、と呟きながら涙を流すこいしと繋いだ手が血に塗れていたことを思い出してしまう。

…止めよう。これ以上思い返すのは気分が悪くなるだけだ。そう思い、気分を無理にでも切り替えるために長く息を吐いた。

 

「…ま、いいわ。怨霊がもう湧かないと言うならそれで。…紫、実際どうなの?」

『…確かに今は湧いてないわ。ただし、一時的である可能性を否定出来ない』

「怨霊を地上へ向かわせたのは私の指示ですから、用が済めば止めるのが道理。そうおっしゃられても、信じてくれなければこちらも困るのですよ」

『怨霊を湧かせた?貴女が?』

「いえ、直接湧かせたのは先程お茶を任せたお燐です。私はそうするように指示しただけ…」

 

無論、嘘だ。お燐の独断である。ただ、こちらにはこちらの目的が多少あるのだ。このままはいさよならでは困る。主に幻香さんが。

紫さんの声からただならぬ雰囲気を感じた三人が口を閉ざす中、私は意外と楽に釣れたな、と思った。心が読めないから多少不安だったのだが、流石は幻想郷の管理者。不穏の種は見逃さないようで。

 

『古明地さとり。貴女、地上と地底の不可侵のことを知らないとは言わないわよね?』

「えぇ、知っていますよ。怨霊の管理が条約に含まれていましたねぇ…」

『知ってたなら――』

「ですが、破った。余計なものしか釣れなかったようで残念です。…まぁ、これはこれでありですね」

 

そこまで言い切ったところで、二、三度続けて大きく揺れた。私の動揺を映しているようだ、と小説らしいことを思い浮かべてしまう。

 

『…目的は?』

「顔も姿も心も見せないような者に語る言葉なんてありませんよ。そこで、今度一つ話し合いの場を設けませんか?」

『………えぇ、構わないわ。後日、ここに参上させてもらいましょう』

「楽しみにしていますよ。お互い、話すことが一つ二つでは済みそうにないですからねぇ…」

 

ふふふ、と笑っていると、ちょうどよく扉が二度叩かれた。お燐だ。中に入るよう指示すると、お茶と湯呑を二人の前に置いてから私の隣に立った。…戦闘が始まったら私を守ろうと思ってくれているようだ。まぁ、もうその心配はない。

 

「さて、ここで話せるようなことはこれでお終いです。そのお茶を飲んだら帰ってくれませんか?」

「んぐっ!?…帰れ、って。まだ早いだろ?」

「…いえ、間欠泉を止める理由は怨霊を止めるため。それが無用ならここに用はないわ。…それでいいわね、紫?」

『…えぇ、あとのことはこの私に任せて頂戴』

 

…ふぅ、終わった。幻香さんに頼まれたことの一つ、異変解決者の足止めもしくは帰還。多少の嘘も含め、信じてくれたようで何よりだ。霊夢さんの甘さに付け込ませてもらった形になるが、問題はないだろう。

隣で表情に出さないようにはしているがホッとしているお燐をチラリと見遣り、席を立った霊夢さんに視線を戻す。

 

「そういうこと。帰るわよ、魔理沙。温泉、さっさと入るんでしょう?」

「えー、あー、…もう少しここにいないか?外は暑いしさ」

「…何か盗むつもりなら、貴女の身の安全を保障することは出来ませんよ。人間一人なら容易く捕食出来る私のペット達で、貴女を手厚く歓迎します」

「よし帰ろう!霊夢、急ごうぜ!」

「ちょっと、待ちなさい!」

 

そう言ってすぐに放棄に跨り、扉と窓を突き破って飛んで行ってしまった魔理沙さんを霊夢さんが追いかけていく。…あの扉と窓、また破られるんですね。幻香さんと違って直されることはないので、すぐに直してもらうとしましょう。

 

「お燐、あれらを直しておいてくれますか?」

「…そうですね、さとり様」

 

そして、もう一つ。八雲紫をここに呼び寄せれたらそうして欲しいと頼まれた。どうやら、決着をつけるつもりらしい。具体的にどうとは読めなかったが、避けて通るつもりはないそうだ。

…彼女との別れは近そうだ。

 



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第430話

見上げた先に見える光が僅かずつだが強くなっている。入口まで拡げていた妖力の範囲も大分狭くなってきた。つまり、この地霊殿の庭と灼熱地獄跡地を繋ぐ長ったらしい大穴もようやく上がり切ることが出来る。そうすれば、この重要な荷物、もとい霊烏路空を降ろすことが出来るわけだ。

誰かを背負いながら移動するというのはなかなか苦労する。その背負っている者がわたしよりも背丈が高く、さらに意識がないとなれば尚更だ。霊烏路空の首が変な方向に曲がって痛んだりしないよう慎重に浮かび続けながら、さっさと目覚めてくれれば楽なのに、と自分がやったことを棚上げしつつ思ったが、今目覚めるとそれはそれで面倒そうだと考えを改めた。

 

「ふぅ…。やっと着いた」

 

地に足を付けると上がり切ったことを実感する。ベシャベシャと雨が降る中、わたしは庭を含めた地霊殿全域に妖力を拡げた。異変解決者がいるなら、ここにわたしがいることを決してバレないようにしなければならない。…まぁ、最悪バレても対処のしようがあるが、出会わないに越したことはない。…ん、いないのか?まさか、まだ旧都で足止めを喰らっている?…いや、さとりさんの部屋の扉とその先にある窓が壊されている。つまり、異変解決者が一度来て帰った後なのかな?だったら嬉しいんだけど。

ま、もしもの時のために人気のない場所を選んで壁に手を当て妖力を使い、わたしが通れる程度の大穴を空けて地霊殿に入ることにするけどね。念には念を、だ。

 

「…この雨、ちょっと変だな…」

 

大穴を閉じてから雨に濡れた防護服を払っていると、その時に床に落ちていく雫の音が明らかに水だけではなかった。よく目を凝らすと、ほんの僅かだが氷が混じっているのが見える。…つまり、あの雨は霙だったのか。ということは、地底の熱が収まったのでは?

そこまで考えたところで、わたしは防護服を回収した。瞬間、まだ防護服に付着していた水がわたしを濡らす。そして、生温い空気が濡れた体を冷やしていく。…おぉ、どうやら上手くいったらしい。霊烏路空が気絶したからか、霊烏路空を灼熱地獄跡地から離したからかは知らないが。まぁ、二度と起こさないならどちらでも構わない。

 

「ん?二度と…?」

 

そう考え安堵したところで、再び同じ異常事態を起こす可能性を今更ながら思い至った。このことに関してもさとりさんと話す必要がありそうだ。

話すことが一つ増えたなぁ、と思いながら霊烏路空が着ていた服を創ってそのまま着用し、廊下の左右を見渡してから歩き出す。濡れたままで歩くのは少し不快だが、拭うものがないからしょうがない。創ればいいのだろうが面倒だ。それに、背負っている霊烏路空も濡れているのだ。わたし一人拭いたところで大して変わらない。だったら、降ろしてからでも別に構わないだろう。

それからも周囲を警戒しながら出来るだけ音を立てないように歩き、ようやくさとりさんの部屋の前まで到着した。耳を澄ませながら妖力を拡げ、さとりさん以外誰もいないか確認してみる。…ふむ、部屋を冷やしていたと思われる兎妖怪が二人いるだけか。ま、それならいいや。内側から破棄された扉を見てから、わたしは部屋の中にお邪魔した。

 

「お邪魔しますよ、っと」

「幻香さ――お空…。どうしたのですか、その姿は…?」

 

さとりさんがわたしが背負っている霊烏路空に気付いた瞬間、目を見開いて唖然とした。…まぁ、これだけボロボロになってたらそんな顔しますよね。

 

「殴り尽くして気絶させました。とりあえず横にさせたいんだけど、何処かいい場所はありませんか?ついでに濡れた体を拭くものも欲しいですね」

「そこの長椅子を使ってくれて構いません。…貴女達は拭くものを用意してきてくれないかしら」

 

さとりさんに言われた通り背負っていた霊烏路空を長椅子に降ろしている間に、二人の兎妖怪がピョコピョコと部屋を跳び出していった。濡れたまま放置するのはあまりよくないから、出来るだけ早く戻ってきてほしい。

さて、さとりさんと二人きりになったわけだけど、何から話せばいいものやら。

 

「…ひとまず、感謝を。ありがとうございました」

「…どういたしまして」

 

そう言って頭を下げたさとりさんに、わたしは少し戸惑いながら返す。やれと言われてやっただけだから、感謝されると少しむず痒い。それに、さとりさんのペットである霊烏路空がこの有様だし。

これ以上続くのを回避すべく、話題を変えることにする。心を読んでくれるさとりさんなら、無理に続けようとはしないはずだからね。

 

「さとりさんの方がどうでしたか?」

「異変解決者である霊夢さんと魔理沙さんを灼熱地獄跡地へ向かわせることなく帰還させました。また、八雲紫をここに呼ぶ件ですが、彼女と直接話が出来る状態であったため、思ったよりも楽に出来ましたよ」

「え?直接、話が…?」

「遠隔地から声を伝え、そして聞くことが出来るものを霊夢さんが持ち歩いていたようです」

 

つまり、電話みたいなものか。地上と地底の不可侵条約を破る人数を減らし、なおかつ適切な助言をすることが出来ると考えればなかなかいい手段かもしれない。さとりさんの能力を知っていたのならば、心を読まれないという利点もあるだろう。…まぁ、八雲紫がここに来るのならば、そんなものはどうでもいいか。

細く息を吐く。瞬間、腹の奥底からふつふつと煮え滾るものを感じる。自然と頬が吊り上がっていくのが抑えられない。…あぁ、ようやくここまで来た。アハッ、彼女と話すのが楽しみだなぁ…。

そんなことを想っていると、廊下からドタドタと慌ただしく走ってくる足音が聞こえてきた。…誰だろう?あの兎妖怪の足音とは明らかに違うのだけど。

 

「さとり様!お空をどうするんですかっ!?」

「…お燐」

 

大量の拭きものを抱えたお燐さんが部屋に飛び込んできた。心配なんだろうけれど、まだ決まってないんですよ。多分、これから話すと思うけど。

 

「ちょうどいい。お空についても話さなくてはいけませんね」

「そうですねぇ…。お燐さんを同席させますか?」

「させましょう。…仮に貴女の理想とはかけ離れた決定を下したとしても、受け止められるだけの覚悟はしておいてくださいね」

「…分かり、ました。…さとり様」

 

もしかしたら殺処分するかもしれない、と遠回しに言われたお燐さんは苦汁を飲んだような顔をしながら頷いた。霊烏路空はそれだけのことをしているのだから、わたしとしてはどうなろうと知ったことではない。さとりさんの決定に委ねるだけだ。

霊烏路空の元へ駆け寄るお燐さんがわたしの横を通り抜けようとしたところで拭きものを一枚手早く掠め取り、濡れて冷えていた体を拭き取っていく。別に創ってもよかったのだが、回収する際に拭き取った水が残るのを避けるために使わせてもらう。

 

「さて、幻香さん。灼熱地獄跡地であったことを、出来る限り詳細に思い返してくれませんか?」

「はぁ、分かりました。飽くまでわたしの視点ですよ?」

「構いません。判断材料に変わりはありませんから」

 

ふぅん、そっか。さてさて、さとりさんはどんな決定を下すことになるかなぁ?わたし個人の意見としては、別に殺処分されたとしても構わないのだけど、そうするとお燐さんから何やら色々と言われそうだ。過程がどうであれ、助けられなかったわけだし。正直な話、わたしとしては霊烏路空が殺処分されることよりもそちらの方が面倒くさい。

そんなことを前置きに考えてから、わたしはさとりさんとお燐さんの視線を感じながら、灼熱地獄跡地に到着したところからわたしが見て、感じ、考え、そして行ったことを思い返し始めた。

 



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第431話

まず、わたしが灼熱地獄跡地で霊烏路空が語っていたことを一字一句違わず思い返す。その時にわたしが言ったことも含めて全部だ、かなり吹っ飛んだ自称完璧な計画に関しても、わたしが思ったことを添えて思い返した。

 

「…そうですか。お空は、自らの意思で、計画的に、引き起こしたのですね」

「っ!…そんな…っ」

「ですが、貰った、ですか…。お空が目覚めたら訊いてみる必要がありそうですね…」

 

何時、誰が、何故と気になることは浮かんでくるが、わたしの場合はどうやってが一番気になる。地底の妖怪たちが誰一人気付くことなく灼熱地獄跡地にいた霊烏路空と会い、そして気付かれることなく去っていったわけだ。そんな手段はあるのだろうか。真っ先に浮かぶのは八雲紫だが、それをする理由が不明だ。仮に八雲紫がやったとすると、その結果として大事な幻想郷が丸ごとお陀仏になりかけたことになる。流石にそんなことをさせるとは思えない。

それと、貰ったということは、与えた側も同等以上の力を有しているのだろう。核融合を簡単にさせる力を超えた力、かぁ…。一体どんな力なのやら。対生成と対消滅かな?…対生成、わたしがやってることじゃないか。ちょっと原理が違うっぽいけど。

 

「…何時、誰が、何故、どうやって。それはお空が覚えていることに期待しましょう。…お燐、貴女はお空に何か語っていませんでしたか?」

「え、っと…。な、何をでしょうか?」

「あぁ…。例えば、私達は地底に追いやられている、いつか地上に上がりたい、みたいなことです。お空が灼熱地獄跡地を暴走させた理由は、端的に言うと地上侵攻でしたから」

「そんなことは…、言ってましたね…。大分前の話になりますが、地上から落とされた妖怪の話をした覚えがあります。他にもお喋り程度の会話でいくつか…」

「…そうですか」

 

そう言うと、さとりさんは目を強く瞑った。深い思考の中に沈もうとしているようだけど、次のことに移っていいのかな?…あぁ、駄目だ。既に周りのことが気にならない深みに沈んでる。考えがまとまるまで放っておこうか。

さとりさんの意識が戻ってくるまでの間に核融合も再現出来そうだなぁ、と考えていると、霊烏路空を拭き終えたらしいお燐さんの顔がこちらに向いた。その顔はあまりいい表情とは言えないもので、少なくとも今から口にする言葉にいい感情があるとは思えないものだ。

 

「…お空をこうしたのは、あんただよね?」

「こう、とは?」

「こんなに傷だらけにしたのは、だよ。そのくらい分かってるでしょう?」

「いや、もしかしたらこうするように誑かしたのは、かもしれないじゃないですか。それとも、こんな強力な力を与えたのは、かもしれませんね…。流石にそう思われたとなると、言いがかりだと言いたくなりますが…」

「答えなよ。…早く答えろッ!」

「やりましたよ。あんま大声出さないでくださいよ…」

 

考え続けているさとりさんに指差しながら言ったが、お燐さんはわたしのことを睨むばかりだ。…まぁ、睨みたくなる気持ちは分からなくもないけれども。

そう思いながら、一つため息を吐くと、ガッと襟首を掴まれて思い切り引き寄せられた。お燐さんの顔が近い。怒りに染まったその顔を、わたしは冷めた目で見ていた。

 

「ここまでやる必要はなかったんじゃあないかいッ!?」

「逆に、ここまでやる必要はなかったと何故分かるんですか?」

「なっ!こんなに傷だらけにしといてその言い草は何だい!?」

 

更に詰め寄ってくるお燐さんの顔を見ながら、わたしは一つ例え話をした。

 

「仮に、だ。霊烏路空が百で止まるとする。ただし、その数値は見えないものとする。わたしはきっと、五百や六百ぐらい、もしかしたらそれ以上の過剰な数値で止めたのかもしれないね。けどさ、これ以上傷つけたくないから、何て甘い考えで八十で終わらせてもう大丈夫だ、何て言ったら地底は地上も巻き込んで丸ごと滅んでいたんだよね。…その場合、貴女は責任を取れますか?」

「っ、それでもお空が死んだら――」

「死んでもいいんだよ。それで止まるなら、わたしは殺すよ。心臓を潰し、首を刎ね、細切れにし、灰一つ残さず、殺し尽くす。過剰なくらいでちょうどいい。さとりさんにはこう言うよ。『必要な犠牲でした』とね」

 

そもそも、さとりさんが最悪殺しても構わないと言ってたでしょうに。そう続けようと思ったが、椅子の背もたれに押し付けられた衝撃で口を閉ざす。…あぁ、酷い顔だなぁ。許せない、って書かれてる感じ。

 

「…許されるつもりなんてない。わたしはそう言ったはずですよ…?」

「っ!あんたって奴はぁっ!」

 

襟首を掴んでいた手で押し付けられる。首が絞まる感触。息が詰まる。呼吸が出来ない。…何だ。霊烏路空が死ぬのは嫌でも、わたしが死ぬのは許せるってか。別にいいけど。

 

「ッ!?…っ、ぶ…ッ?」

「駄目だなぁ…。こんなんじゃあわたしを殺すには程遠いよ」

 

ただし、やられっぱなしでいるほどわたしは優しくないんでね。右手でお燐さんの顔を掴み、両側のこめかみを中指を親指で挟んだことで首を絞めた手が僅かに緩んだ。その瞬間にお燐さんを引き剥がし、そのまま後頭部を床に叩き付けた。顔を掴んでいた手で口を押さえておいたので、悲鳴はほとんど漏れることはなかった。

頭が大きく揺れたせいか、何が起きたかよく分かっていないらしいお燐さんを霊烏路空を寝かせている椅子の横に置いておく。まぁ、少しすれば正常な思考が戻るだろう。

 

「…幻香さん、暴れるなら外でやってくれませんか?」

「すみませんね。まさかこんなところではしゃがれるとは思ってなかったので」

 

いつの間にか考えがまとまったらしいさとりさんにそう言われたが、あちらから始まったことだ。わたしに言われても正直困る。廊下に出すくらいしていればこう言われなかったのだろうか?…ま、お燐さんが今の霊烏路空から離れたいとは思わないだろうから、ここで始まってもしょうがないか。

 

「そうですか…。まぁ、お燐にはお燐の言い分があります。どうか許してあげてくれませんか?」

「わたしなんかに許されたいなんて思ってないでしょ」

 

そもそも、どうでもいいから。許す許さないの範疇じゃない。ただ、殺すつもりなら殺されることも意識しておいてほしい、とは思ったけれど。

多少乱れた服を軽く整えつつ、わたしはこの話題を打ち切ることにした。これ以上話しても意味がない。それよりも重要なのは、霊烏路空をどうするかだ。そのために次のことを思い返す必要があるか。

 

「…いえ、貴女がお空をどう止めたかは思い返さなくて結構です。後は、お空が目覚めてからということになりますね」

「はぁ、そうですか。すぐ目覚めてくれるといいんだけど」

 

未だ目を覚まさない霊烏路空を見ながらそう言うが、言ったから目覚めるというわけではないだろう。かなり殴りましたからねぇ。いつ起きることやら、わたしには分かりませんよ。

そんなことを話している間に、お燐さんが咳き込みながら起き上がった。意識がまともになってすぐにわたしを睨むあたり、やはり許されたいなんて思っていないのだろう。そもそも、彼女もそういう範疇じゃないのだ。わたしを許さないでお終い。それ以上はない。

この軋轢はそう簡単には埋まらないだろう。わたしはわざわざ埋めようと思っていないし、彼女も埋めようなんて思わないだろう。わたしが許しを請えばもしかしたら埋まるかもしれないけれど、するつもりがないからしょうがない。

とてもではないが口を開く気になれない雰囲気の中、わたしは霊烏路空が目覚めるのを待った。部屋に戻るという選択は、その時は不思議と思い浮かばなかった。

 



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第432話

時間潰しのために頭の中で対八雲紫戦を想定して考えてきた手段をひたすら思い返していると、小さくくぐもった声をわたしの耳が捉えた。…お、やっと目覚めるかな?

眠っている霊烏路空に目を移すと、微かに身動ぎをし始めた。そして、一歩遅れて気付いたらしいお燐さんが慌ただしく床に膝をつき、顔の高さを霊烏路空の顔の上に合わせ固唾をのんで見守り始める。時折わたしに横目で睨みを利かせてくるけれど、特に何かするつもりはないから気にしないでほしい。少なくとも、今のところは。

 

「ん…っ」

 

どうやらわたしが見ること自体が嫌らしい、と感じたので軽く天井でも見上げて待っていると、霊烏路空が目覚めた確かな声が聞こえてきた。…もう少し見上げとくか。感動の瞬間を見てたら後で何か言われるかもしれないし。

 

「……お燐…?」

「お空…っ!そうだよ、お燐だよっ!」

「あれ、私、どうしてこんなところに…――ッ!?」

 

何時まで見上げてればいいかなぁ、と思っていると、突然ドカンバタンと長椅子が派手に倒れる音が響き、ゴロゴロと床を転がる音の後で壁にぶつかる音までした。…一体全体、どうしたんでしょうねぇ。

強烈な視線を感じる。首の横のあたりがチリチリとする感覚。しかし、その視線に内包された感情は悪意や殺意といった敵意ではなく、明らかに恐怖や畏怖に起因するものだと感じ取れた。

いい加減、もういいだろう。わたしは視線を前に戻し、右手で首を、左手で心臓を庇いながら壁を背にして震えている霊烏路空を見遣る。その横でわたしと霊烏路空を交互に見ているお燐さんは突然のことに頭が回っていなさそう。…あ、わたしを睨みますか、そうですか。ま、そうなりますよねぇ。さとりさんは頭に手を押し当てて重いため息を一つ吐いていた。

 

「やぁ、霊烏路空さん。お目覚めですか?」

「ひぃ…っ」

「ま、あれだ。ここは止まってよかった、と言っておきましょうか。貴女にとっては悪かったんでしょうが、ね」

 

わたしはそう言って微笑むが、対する霊烏路空は異常事態が収束してから大分時間が経ち、ようやく本来の寒さを戻り始めてきているにもかかわらず、血の気の失せた真っ青な顔から汗を吹き出していた。…もしかしなくても、精神的外傷(トラウマ)になっちゃった感じかなぁ?たかが数百発拳を振るい続けただけなのに。

両手を広げてヒラヒラさせて見せるが、特に効果はなかった。その癖して、軽く手を握ればビクリと反応する始末。やだなぁ、今の貴女は攻撃する理由がないっていうのに。

 

「…幻香さん」

「何でしょう?」

「少し退室してくれませんか?」

「えぇ、いいですよ。必要があれば呼んでくださいね」

 

唐突にさとりさんにそう言われ、わたしはそれに従う。とてもではないがいいとは決して言えない顔色をしながらそう言われてしまっては、逆らおうとは思えない。…きっと、わたしに絶えず殴られ続けたところでも読んでしまったんだろうなぁ。精神的外傷(トラウマ)を見るということは、それを経験するようなものだ。痛かったのかなぁ。辛かったのかなぁ。けど、しょうがないよね。

静かに席を立ち、即座に背を向けて部屋から立ち去る。…あ、そうだ。一つ言い忘れてた。思い出したことを伝えるべく、わたしは部屋を出る一歩手前で振り返った。

 

「もしも、もう一度やろうと考えているようだったら、その時はわたしが彼女を殺し尽くします。さとりさん、よろしくお願いしますね?」

「え、えぇ…、分かったわ…」

 

 

 

 

 

 

「――以上で、報告を終わりにします。何か質問はありますか?」

「いえ、特には。わざわざありがとうございました。それじゃ、元の仕事に戻っていいよ」

「分かりました。最後にこれを渡してほしい、と。それでは、失礼します」

 

わたしに封筒を手渡してからペコリとお辞儀をしたさとりさんのペットは、わたしの部屋の扉を閉めて帰っていった。その扉に鍵をかけ、ベッドに背中から跳び込んでゴロンと転がる。…ようやく終わった。窓の外の積雪を見ながらふぅーっと長く息を吐いて緊張を解いた。

わたしの部屋で対八雲紫戦を想定して考えてきた手段を並べることを再開して待っていると、扉を叩く音がしたのですぐに開けると、先ほど去っていったさとりさんのペットが扉の前にいたのだ。呼び出しかなぁ、と思ったら事後報告でしたよ。別にいいけどさ。

結局、霊烏路空は許されたようだ。もう二度とこんな真似はしません、とのこと。彼女は元の仕事に戻り、今まで通り灼熱地獄跡地の管理を続けていくそうな。甘くないかなぁ、とは思うけれど、わたしの知らない強く深い繋がりがあるかもしれないし、わたしからとやかく言うつもりはない。

また、霊烏路空に究極の力を与えた者の正体は掴めなかったそうだ。いくら思い返そうとしても、もはや顔の印象すらも分からないほどぼやけていたらしい。確か鴉って頭よくなかったかなぁ?三歩歩いたら忘れる鳥頭じゃああるまいし、と思ったけれど、大分前に会った人の顔を思い出してください、と言われて正確に思い出すのは難しいかもしれないな、と思い直した。

 

「封筒の中身、何だろ…」

 

中を透かして上端に中の紙がないことを確認してから、一発の妖力弾で上端を吹き飛ばす。それから封筒を引っ繰り返して中身を取り出し、折り畳まれた紙を開いて読み始める。

 

「ふむ、後日かぁ…」

 

八雲紫が話し合いに合意したことが書かれていた。確かに何時呼ぶのか聞いてなかったけれど、これでは具体的に何時なのか分からないなぁ…。唐突にスキマを開いて現れるかもしれないから、さとりさんの部屋には当分近付かないほうがいいかもしれない。けれど、肝心の時に気付かないでは困る。どうしたものやら…。

クシャクシャと紙を丸め、部屋の隅に放り棄てる。別に読まれて困る内容ではないので焼却する必要はない。…まぁ、近々この部屋を掃除するつもりだし、その際にその他のごみと一緒にまとめて捨ててしまおう。

胸の上に手を当てると、心臓の鼓動が伝わってくる。僅かだが普段よりも早く、そして強い脈動。上手くいくかな?失敗しないかな?…いや、そんなこと考えても仕方ないか。やってみないと分からないし、やらなければならないのだ。

のっそりと体を起こし、ベッドから這い出て窓へと向かう。ガラスの向こう側に雪が降っていて、そのガラスには薄っすらとだがわたしの姿が映っていた。真っ白だ。雪に負けないほどに。唯一、二つの瞳だけは薄紫色に色づいている。

 

「…そろそろ、だなぁ」

 

別れは惜しいし、悲しいし、辛いし、苦しいし、そして何より痛い。けれど、しょうがないのだ。この世界にわたしの居場所はない。ほんの僅かにあっても、それはこのガラスなんかよりも脆弱な薄氷のように儚い。正常者には当たり前なものが、異常者のわたしにはない。

それでも、わたしは、欲しいのだ。わたしの存在を許してくれる、当たり前の居場所を。

 

「…そろそろ、か」

 

ふと目を閉じて、そう呟く。惜しむな。悲しみは捨てろ。辛さも捨てろ。苦しみも捨てろ。痛みも捨てろ。感じなければ、それは存在しないと同義なのだから。

目的は既に決まっている。決意は固めた。意志を貫け。やり通せ。やれ。手段を選ぶな。受け取るのではなく、もぎ取れ。勝ちに拘らず、負けに屈せず、ただひたすらに結果のみを追い求めればいい。決めたことは、決して曲げるな。不要なものは捨てろ。邪魔なものは排除しろ。目的の成就を確実のものとするまで足掻き続けろ。

来いよ、八雲紫。わたしの目的のために、わたしの全てを賭けよう。…あぁ、とても分の悪い賭けだ。まったくもって悪くない。

ゆっくりと目を開くと、何にも染まらぬ漆黒の意思がわたしの瞳を黒く灯していた。

 



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第433話

創造、創造、創造…。カラコロと硬いものが次々と机の上を転がる。小さな山が出来る程度に積み上がったそれは薄い虹色の光を反射している。過剰妖力を満たした金剛石。

 

「…はぁ」

「疲れた?」

「いえ、まだ平気ですよ。…えぇ、平気です」

 

隣でわたしの肩に寄りかかっているこいしに答える。体力を妖力に変換しながら創造しているため多少の疲労感はあるが、体力的にはまだ大丈夫。もう少ししたら休めと言われるかもしれないが、あまり時間がないのだ。多少の無茶は許してほしい。

しばらく金剛石を創り続け、視界がチカチカと明滅し始めたところで一旦止める。瞬間、体力と妖力の大半を持ってかれた体から一気に力が抜けた。寄りかかっていたこいしにわたしも寄りかかる形になってしまい、少し悪いことしたかなぁ、と思いながら疲労感の入り混じった息を吐いた。

 

「大丈夫?」

「…大丈夫ですよ」

「ならいいんだけど、幻香は平気で無茶するからなぁ」

「そうかなぁ?」

「そうだよ」

 

無茶してるならこんなところで休まないんだけどなぁ。そうすれば、追加で五、六個は創れるだろう。…まぁ、また創る予定だから倒れる前に休んでおこうと思ったのが主な理由だけど。

そんなわたしの考え込みで無茶の範疇に入れているらしいこいしは、口先を尖らせて髪先をクルクルと弄っている。ご不満らしいこいしに思わず苦笑いしながら、あらかじめ注いでおいたお茶を口に含んだ。すっかり冷めてしまっていたが、味に支障はない。

寄りかかっていた姿勢を正し、両手を組んで真上に伸ばしていると、手先を髪から金剛石に移したこいしがわたしを見上げた。

 

「お姉ちゃんに聞いたんだけどさ、幻香は八雲紫ってのとやり合うつもりなんでしょ?」

「ま、そうですね」

 

今創っている金剛石も、そのためのものだ。こいしが摘まんでいる一つでは大した妖力量ではないかもしれないが、塵も積もれば山となる。数を増やせばいい。八雲紫相手に妖力が多過ぎて困るということはない。出来るだけ多い方がいいのだが、いくつ創れるだろうか?

 

「どうしてやり合うの?」

「…どうして、ですか」

「うん。博麗の巫女の霊夢となら何となく分かるよ。あれでしょ?負け逃げしたから次こそ勝つぞ、みたいな感じでしょ?けどさ、八雲紫のはよく分かんない。前は脅迫して押し込めたんでしょ?なら、今回もわざわざ戦う必要があるのかなぁ、って」

「ただの自己満足ですから、ないと言えばないですよ。…ま、あれだ。それらしい言い方をするならば、博麗霊夢と戦う際に手出しされる前に潰した方が楽そうだから、かな。色々と言ってやりたいことがあるし」

 

そう言いながら天井を見上げる。細く吐いた息には、疲労感よりもやり場のない怒りが込められているのが嫌でも分かる。次いで頭に浮かぶのは、成長した道について。気づいたら相当歪んだ成長を遂げていたことを、見返してしまったこと。

わたしは、別に間違っていてもいいとは思っている。過ちからしか得られないものだって存在するから、完全に無価値であるとは思っていない。きっと、正答よりも価値のある誤答だってある。だから、わたしが外れた成長をさせられたとしても、そのことについてどうこう言うつもりはない。事実、創造の確かな一歩はその外れた成長からだ。

けれど、心情的に穏やかでいられていないのも事実。かなりむかついている。…まぁ、このやり場のない怒りはやる気の着火剤にでも転嫁して昇華させることにしよう。そうでもしないと、今後に支障が出そうだ。

 

「あとは、諦めてもらうため、かなぁ」

「諦める?」

「そう。あの時、わたしは全てを賭けた。目的を成就しなければ、わたしの全てを八雲紫に譲渡するという口約束。わたしの目的は博麗霊夢と戦うことだったけれど、八雲紫は博麗霊夢に勝利することだと思っていそうなんだよなぁ…」

 

というか、そう思わせるような言い方をした。あの時は勝敗なんてどうでもよかったし、どう転んでもよかった。けれど、今回は下手に転ぶと後がなくなる。過去を持ち出されると困るかもしれない。

 

「そのことを説明してもいいけれど、それでも力尽くで取りに来てもおかしくない」

「そうなの?」

 

八雲紫がここにわたしがいると知れば、取りに来てもおかしくはないかなぁ、と頭をよぎったのだ。何せ、今のわたしは封印されているはずの存在。つまり、幻想郷に存在していないのだ。存在しないものをどうしようと、誰にも何も言われることはあるまい。見方を変えれば、とても都合のいい状態である。

 

「それだけわたしには価値があるらしいですよ。自分で言うのも何ですが、わたしって結構便利ですからね」

 

未だに生命創造には至らないが、わたしが博麗霊夢の精神を複製してしまえば、博麗の巫女は途絶えることなく続く。博麗の巫女は才能によってのみ務まるのならば、その才能のみを切り取ることだって出来るだろう。そうすれば、好きなだけ量産することだって夢ではない。…まぁ、流石に量産はしないと思うけれど。

自嘲するように笑っていると、こいしに頬を突かれた。チクリと爪が刺さって少し痛い。

 

「自分のことでも、ものみたいな言い方はしてほしくないかなぁ」

「悪かったですよ」

 

たかが精神だけのわたしはものですらない、とは言わない方がいいだろう。体に至っては借り物だし。

 

「ま、それでだ。わたしは八雲紫の所有物になりかねない」

 

さっき謝ったが、わざとものであると言う。こいしの目が細くなったが、気にせず続ける。

 

「けれどさぁ、所有物にするなら制御出来て当然でしょう?扱えないものなんて使えない。わたしの全てを得ても使い物にならないことを証明するために、わたしは八雲紫を打ち負かす。完膚なきまでにね」

 

そう言いながら、わたしは静かに嗤う。頬が吊り上がるのが止められない。あまりいい顔をしていない自覚はあるが、それを取り繕う必要もないのでそのままだ。

 

「うわぁお、悪い顔してるねぇ」

「…ま、そんな理由かな。納得出来た?」

「出来たよ。大丈夫、幻香なら勝てるよ」

「そう言ってくれると嬉しいです」

 

ま、簡単に勝てるとは思っていないけれど、勝つための手段は大量に考えてある。後は、準備を出来るだけしておき、上手くいくことを願うだけ。

こいしの頭に手を乗せると、こいしの一息吐く音が聞こえた。嬉しいような、寂しいような、そんなどっちつかずな音だった。

それからはお互いに何かを口にすることはなく、静かな時間だけが流れていった。わしゃわしゃとこいしの頭を撫で、寄りかかってくるこいしの体重を感じ、お互いの呼吸を聞くだけ。生産性だとか、利益だとか、必要だとか、そういうのとはかけ離れているこの沈黙に支配された時間が不思議と心地いい。

しばらく緩やかな時を味わっていると、扉を叩く音が静寂を破った。空間把握。念のため、誰が扉の前に立っているのか把握しておく。…ふむ、さとりさんのペットか。もしや八雲紫かその関係者ではないかと考えたけれど、そんなことはなかったらしい。

寄りかかっていたこいしの身体を正しながらゆっくりと腰を上げ、カチャリと鍵を開け扉を開いた。

 

「何の用ですか?」

「これを。さとり様からです」

「分かりました。ありがとうございます」

「確かにお渡ししました。それでは」

 

封筒を手渡したさとりさんのペットは、ペコリとお辞儀をしてから静かに扉を閉めた。わたしが鍵を閉めるころには、既に遠ざかる足音が聞こえてきていた。封筒の上端を妖力弾で吹き飛ばしながら、元いたこいしの隣に腰を下ろす。

 

「お姉ちゃんは何て書いてたの?」

「えぇと、…え、本当に?」

「八雲、藍?誰それ?」

「八雲紫の式神ですよ。従者と言い換えても構いません」

 

数刻前に八雲藍が地上と地底を繋ぐ大穴を下りて旧都を通り、地霊殿まで訪れていたらしい。八雲紫は二日後の日付が変わると共に参上する、と伝達だけして去っていたそうだ。日付が変わる瞬間って、この昼夜の存在しない地底でどうやって知ればいいんですか…。

万が一にも読み違いがないように数度読み直し、手紙を折ってから机の上に放る。…期日は決まった。胸の奥からふつふつと沸き上がるものを感じながら、右手のひらを見詰めた。…ついに、決まったんだ。ようやくだ。

 

「…とうとうだね」

「ですね」

「あーあ、早かったなぁ…。もう、幻香とお別れかぁ」

「…ですね」

 

確かに別れは近い。けれど、今のわたしはそれに対してどうとも思えない。漆黒の心は既に凍てついている。

わたしを見上げるこいしと目が合った。目を逸らせない。逸らしてはならない。…零しては、ならない。

 

「…また、会えるよね?」

「会えるといいですね」

 

確約は出来ません。けれど、希望だけは。

 

「約束出来る?」

「…しましょうか、約束」

 

ごめんね、やっぱりわたしは嘘吐きだから。この約束だって、結局破るかもしれないんだ。

そう思いながらも、わたしの顔には微笑みのみが浮かんでいる。小指を結んだ約束を、わたしは守れるだろうか。守らせてください。

 



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第434話

もう少しで日付が変わる時間のはずだ。約束の時は近い。緊張からか、心臓の音が普段より大きく感じる。だが、それを動揺として相手に伝わってしまえば、こちらにとって不利になりかねない。平静を装わなくてはならない。

そう考えて深呼吸をして気持ちが落ち着き始めたところで、目の前の空間に一本の線が走った。その線は目を見開くように大きく広がり、スキマの向こう側から麗しき少女然とした妖怪が現れる。その背後からは先日こちらに来訪した九尾の式神も付いていた。八雲紫と八雲藍である。

 

「約束の時間ちょうど、ですね」

「えぇ、始めましょうか。お話し合いを」

 

あちらは私と違って随分と余裕がある。心を読まれるという多少の不快感はあるようだが、それに関しては特に問題ではないと考えているようだ。いざとなれば心の壁を作り、私の能力の妨害が出来るらしい。完全に閉じてしまえば会話もままならないらしいが…。

そこまで読んだところで、私は机の横に新たに置かれたやけに意匠が凝らされた鈴を鳴らす。少し待つと扉が数度叩かれ、狸妖怪が部屋の扉を静かに開けた。会釈に近いお辞儀と、用は何かと問う心の声。

 

「お客様にお茶を用意して頂戴」

「かしこまりました、さとり様」

 

扉が静かに閉められ、私は一息吐く。…はぁ。

 

「ひとまず、直近の話題から話しましょうか。地上の人間が旧都に侵攻したことについて」

「貴女が地上に怨霊を放ったことについて、でしょう」

「別にどちらでも構いませんよ。大した差ではありませんから」

 

本当にどちらでもいい。そもそも、ついでに話し合いをしたいと思ったのは私だが、それはただのおまけなのだから。

そんな感情を表に出さないよう、一つ頬杖を突いて優雅に座っている八雲紫を見遣る。

 

「私達が呼びたかったのは萃香です。彼女なら怨霊を見つければすぐ飛んできてくれると思っていたのですが。…『怨霊を放つこと自体が罪』ですか。まぁ、それなら貴女達も同じでしょう。お互いに破り合った。それでいいじゃあないですか。…はぁ、全くよろしくないですか、そうですか」

 

ああは言ったものの、私もよくないと思ってる。けれど、話し合いの場を設けたからには伝えておきたいことだってあるのだ。通すかどうかは向こう次第だが。

八雲紫が口を開くよりも早く、私は矢継ぎ早に言葉を放つ。

 

「地上と地底の不可侵条約。地上と地底、互いの侵入を禁ずる。旧地獄の生活を認める代わりに、地底の怨霊の管理をする。…まぁ、細々とした内容を排すれば、大体こんな感じでしたね」

「…えぇ、その通りだわ。…貴女、まさか」

「ご明察。萃香は地底から地上に上がり、私は怨霊の管理を放棄し、地上の人間二人が地底に侵攻した。その際に貴女が送った人間二人は多少なりとも旧都の破壊行為を犯しましたね。…ふふっ、どうですか?この短期間に、条約は穴だらけです」

「つまり、不可侵条約の撤廃をしたい。…そう言いたいわけね」

「無論、すぐにとは言いませんよ。撤廃してからも当分の間は通る者をこちらで選定をするつもりですし、貴女方が地底の妖怪達を受け入れる体制が整ってからで構いません。私が意図的に破った怨霊の件に関しては、多少の処遇も受け入れましょう。…正直に言うと、地上から落とされたために再び地上に足を踏み締めたいと願う者、新たに産まれた者の一部に外を見たいと願う者が非常に多いんですよ。萃香という例外が出来てしまったことで、ね。それらの対処が面倒くさいんです」

 

実際のところ、萃香とその友人達が来てから増大したのだが。まぁ、その程度の差は大した差ではない。萃香が地上に上がってからも僅かにあったし、その前からも僅かにあった。

 

「萃香は怨霊のことをすぐに気付かない程度に、あるいは気付いても無視する程度には地上に馴染んでいるのでしょう?…ふふっ、『幻想郷は全てを受け入れる』ですか。いい言葉ですね。まぁ、検討してくださいな」

 

そこまで言い切ったところで、扉が数度叩かれた。部屋に入ることを許すと静かに扉が開かれ、狸妖怪がお茶を持ってきてくれた。急須から湯呑にとぽとぽとお茶を注ぎ、温かな湯気と共に八雲紫と八雲藍の前に置く。そして、お盆と空になった急須を余所に置いてから私の右後ろに静止した。

二人がゆっくりと一口お茶を含むのを眺めつつ、私はとりあえず伝えておきたいことを済ませたことで肩の荷を下ろす。…いや、これからが重大か。巻き込まれることを望んで巻き込まれたのだ。これから起こることを思うと、少しだけ笑みが零れそうになる。…まぁ、零さないようにはするが。

 

「…ふぅ。それでは、私達から貴女達に言い渡すことが――」

「さ、前置きはこのくらいにしましょうか」

「んな…っ」

 

八雲紫が口を開いてすぐに私は手を叩いて乾いた音を鳴らし、続く言葉を無理矢理断ち切る。…何と無礼な、ですか。ふふっ、無礼で結構。目的は既に達成しているのに、わざわざ無駄話を続ける理由もない。

 

「私が貴女に伝えたいことなんて実は割とどうでもよかったことですし、貴女が何を言おうが私にはもうどうでもいいことです。むしろ、貴女に余裕なんてすぐになくなります。貴女に会いたいと願う者がいたので、私は貴女に話し合いの場を設けるように伝えたんですよ。あの時は余計な者が釣れましたが、そこはあれです。雑魚で鯛を釣る、ですか?」

 

そう言って微笑むと、八雲紫の憤りが嫌でも伝わってくる。…大事な可愛い今代の博霊の巫女を雑魚呼ばわりしたのは相当頭に来たらしい。しかし、表情には出ないように取り繕っているようですが、端々に漏れていますよ?

私は後ろに立っている狸妖怪を見遣る。…はい、分かりました。

 

「命じます。…勝ちなさい」

「委細承知」

 

瞬間、狸妖怪の心に地霊殿の全域が浮かび上がる。その掌握された空間の範囲は加速度的に拡がり続け、遂には旧都の全域にまで拡がった。だというのに、拡大は一向に収まる気配はない。…あぁ、頭が痛い。こんなものを平然と頭に入れてしまえる貴女はやはり特異ですよ。

 

「幻――ッ!?」

「紫さ――ッ!?」

 

狸妖怪――否、既に私の外見に戻りつつある幻香さんは、私と八雲紫の間にある机を回収しながら突撃していった。それと同時に、目の前の二人の腹部に無数の穴が空き、そこから血が噴き出す。…あぁ、先ほどのお茶に含まれた過剰妖力を炸裂させて腹を突き破ったのですか、そうですか。不意討ち上等。貴女らしい。

八雲紫が腰を下ろしていた椅子が霧散し、体勢がまともではないその瞬間を狙う前蹴りが腹に直撃する。瞬間、爆音を轟かせ目の前の壁を丸ごと粉砕するほどの衝撃と共に八雲紫を真っすぐ旧都に吹き飛ばしてしまった。…え、幻香さん、あんな怪力があったのですか…?

 

「貴様…ッ!」

「邪魔」

 

先程の衝撃に耐えながら幻香さんに反撃しようとした八雲藍の顎に何かが突き上がる。それは床から突如湧き出すように現れた人型の石像。その掌底に怯んだ瞬間、八雲藍の周囲に七体の私のペット達が現れた。計八体に袋叩きにされ、その対処に手間取っているうちに幻香さんは踵落としを叩き込んだ。私には軽い動作に見えたのだが、その威力は床に大穴が空き、地面に衝突した衝撃で地面が大きく揺れるほど。

飛び散る破片が頬を掠めたことも気にならないほど放心していると、幻香さんが私に目を向けながら長い髪を払う。

 

「それじゃあね」

 

そんな簡素な別れの挨拶を最後に、幻香さんは壁を吹き飛ばした向こう側に見える旧都へと飛んで行ってしまった。

これは後処理が面倒くさそうだなぁ、などと考えて目の前の惨状から目を逸らしながら、私は幻香さんの願望の成就を心から祈った。敬愛する彼女に成功を。

 



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第435話

八雲紫の位置は把握している。このまま真っすぐ飛べばいい。周囲に群がり始めている地底の妖怪たちが邪魔になりそうではあるが、そんなものは巻き込まれる方が悪い。立つ鳥跡を濁さず?そんなもの知ったことか。

既に立ち上がり、わたしに目を向けている八雲紫に嗤う。ガラス棒を重ねて創造した瞬間加速を駆使し、急速に距離を詰める。

 

「そらァ!」

「ふ…っ」

 

加速をそのまま利用して縦回転し、その端正な顔面に踵落としを振り下ろす。が、わたしの脚は手に持っていた閉じられた扇子に受け止められた。ミシミシと軋む音はするのだが、どうにも圧し折れそうにない。妖力か何かで強化されているのだろうか、それとも元から強度が高いのか。…どうでもいいか。

 

「シッ!」

「グッ…!」

 

防御されたと認識した瞬間、即座に横に旋回して回し蹴りを横っ面に叩き込む。今度はまともに入り、八雲紫は旧都の家々を貫きながら吹き飛んで行った。…やっぱり、変だ。感触がおかしい。さっきもそうだった。まるで、膨らませた革袋でも蹴っているようなスッカスカな手応え。攻撃は確かに入っているのだが、有効打かと言われるとそうではなさそうな気がする。

右側の首のあたりにチリチリとした感触を覚え、それから右側の空気の流れが急に変化した、と感じた瞬間、わたしは右腕を伸ばして即座に妖力の砲弾を放出した。すると、八雲紫を吹き飛ばした家々の遥か向こう側で薄紫色の妖力が迸った。…どうやら、わたしの右側にスキマが開いていたらしい。

あの程度の威力で勝てるなんて微塵も思わない。両手を軽く握り、八雲紫の元へ足を踏み出す。

 

「何事だ――…幻香」

「邪魔だから退け」

 

その途中、この惨事を知って駆けつけてきたらしい勇儀さんの呼びかけを拒絶する。そして、わたしは一度足を止めて勇儀さんを見遣った。心が凍てつく。目先にいる鬼が、山の四天王が、ただの障害物にしか見えない。

 

「そこから後一歩近付いてみろ。その瞬間、貴女は敵だ」

「なん――ッ」

 

わざわざ宣告したにも関わらず一歩踏み出そうとした瞬間、わたしは妖力弾を撃った。頬を掠め、裂けた皮膚から鮮血が流れ出る。避けた頬を撫で、その手に付いた血を見て獰猛に笑う星熊勇儀。…あーあ、面倒な。

 

「駄目だよ、勇儀」

 

もう一人増えるのか、と思った矢先、勇儀の背後からゆらりと現れた者がいた。こいしだ。近くにいることは把握していたけれど、まさか口出ししてくるとは。

自分の前に右腕を伸ばしたこいしに気付いた勇儀さんは一瞬目を見開き、わたしとこいし、そして吹き飛んだ家々を見てから大きなため息を吐いた。

 

「…理由は?こいしちゃん」

「最後だからかな」

「最後…?」

 

そこまでは聞いたが、それ以降は足を進めたので聞いていない。説得が出来たならそれでいいし、乱入されるようならその時はその時だ。割り切ろう。

吹き飛ばした家々の先まで歩くと、八雲紫は優雅にスキマに腰を下ろして待っていた。多少の木屑は付着しているものの、やはり傷らしい傷はなかった。

フワリ、とスキマと共に浮かび上がる八雲紫を見上げ、わたしを見下ろす目と合わせる。

 

「…一つ、訊ねてもいいかしら?」

「別に、構いませんよ。一つと言わず、三つくらいまでは」

「そう。なら遠慮なく。…あの時の約束は?」

「知らんなぁ。…おっと、冗談ですよ。目的の成就ならしましたからね。目的は、博麗霊夢と戦うこと。それだけ」

 

そう言い切ると、目に見えて顔が歪んだ。…まぁ、屁理屈みたいなものだ。餌に眩んで確認を怠ったそっちが悪い、と言ってもいいのだけど、目的と言って曖昧にぼかしたわたしも悪いのだろう。だからどうした、という話だが。

 

「まぁ、信じる信じないは貴女に任せますよ。貴女はわたしの言葉を鵜呑みにして諦めてもいいし、嘘偽りと言い切って奪おうとしてもいい」

「…ふふ、そう。手間が省けてよかったわ」

「アハッ、そうですか。それはよかった」

 

互いに嗤い合う。嗤い声が木霊する。群がっていた地底の妖怪達が、不思議と距離を取り始める。邪魔しないのはいいことだ。…さぁ、続けましょうか。

わたしの周囲に刀、脇差、包丁といった刃物類を数十本複製し、過剰妖力を噴出させ八雲紫に向けて射出する。が、その一本一本の先に小さなスキマが開き、その出口であるスキマの全てがわたしに切っ先を向けて開かれた。見事な反撃だ。だが、意味ねぇよ、そんなの。全方位から迫る刃物はわたしに触れる前に霧散し、即座に回収された。

数多のスキマが閉じると同時に軽く握られた右拳を八雲紫に向けて打ち出す。その拳圧は八雲紫を叩き、腰を下ろしていたスキマから落とした。が、バスン、といった感触と共に右拳が切断された。…スキマだ。私の右手首に開いたスキマの開閉で綺麗に切られたのだ。今更になって血が流れ出す。

 

「ふふ」

 

新たに開いたスキマに腰を下ろした八雲紫の右手には、わたしの右手を乗せられていた。…何を愛おしそうに見ているんだ。気持ち悪い。ひとまず、目の前に実物があるのだからそれを複製しておこう。…よし、動く。血は止めた。問題ない。

右手を握り締めているところで首の裏側で何かを感じ、即座に横に跳ぶ。瞬間、視界の端に見覚えがあるようなないようなものが伸びた。白く塗装された鋼の棒の先に赤い三角形で白文字の止まれ。

 

「まず…っ」

 

そんなものに目を向けている間に、そこら中にスキマが開いていた。黒い直方体の一面にガラスが貼られたもの、開閉可能な二枚板の内側に二枚の黒ガラスと多数の突起、白い箱型の中に規則的な穴が開けられた金属の筒、真っ白な板、六つの羽が半球にくっ付いているもの…。見たこともないものが次々と飛び出してくる。当たったところで大した怪我にはならないだろうが、好き好んで当たるつもりはない。

大量の突起がある黒い板を躱しながら、体内に流れる妖力を全身に薄く広げる。

 

「はぁっ!」

 

そして、その妖力を飛び交うものに向けて炸裂させた。わたしを中心に爆発するように、全てのものが破壊される。すると、わたしの目の前に巨大なスキマが開かれた。その先は眼が大量に浮かぶばかりで何も見えない。…いや、何か来る。揺れている。奥から二つの光が迫ってくる。とんでもない速度で迫るそれは白く丸く膨らんだ鉄の塊で、把握した形によるとその後ろには中身は空洞だが座席がいくつもあり、外を眺めるためにあるような窓が並んでいるものがいくつも連なっていた。

即座にそれを丸ごと複製し、衝突させる。耳をつんざくような爆音を轟かせ、連なっていたものの接続部が壊れ、それぞれが横転していく。…何だったんだ、あれは?…ま、いいや。これ以降、多質量による攻撃も警戒しておこう。

 

「あらあら、新幹線の大事故ね」

「ッ!」

 

突然右耳に囁かれた言葉に反応し、その発声した場所に向けて裏拳を放った。が、フワリと布団でも叩いたかのような柔らかな感触と共に掴まれてしまう。

ゆっくりと目を向けると、そこには案の定スキマから出た八雲紫の上半身と左腕があった。

 

「初見のものも容易く、そして外見中身共に寸分の狂いなく複製。…やっぱりいいわねぇ」

「知るか。…離せよ」

「あら、嫌よ。どうして離さないといけないのかしら?」

 

瞬間、八雲紫の左手の甲から刃物が生えた。

 

「ッ!?」

 

…否、貫かれたのだ。だから言ったのに。わたしの右腕の中に入る程度の大きさの短刀を複製し、内側から弾き出された短刀の切っ先はわたしの右手を掴んでいた八雲紫を貫いたのだ。その際に、複製であるわたしの右手も一緒に貫かれているが、大した問題ではない。

右手を回収しながら側転し、顎を蹴り上げる。その一撃だけを与え、わたしは大きく距離を取った。…『紅』発動。グチュグチュと肉が蠢き、右手が生え切ったところで『紅』を解いた。

その間に短刀を引き抜いた八雲紫を見遣る。…傷、もう塞がってるよ。もう治るのか。羨ましい限りだ。

 

「…そろそろいいや」

「何がかしら…?」

「つまらない意地を張ることさ」

 

短い間の攻防だったが、わたしじゃあ八雲紫には簡単に勝てなさそうだとすぐに分かった。効いてるんだか効いてないんだか分からないし。

 

「悪いね、勇儀さん。先に謝っとく」

 

だから、もういいや。つまらない意地を切り捨てる。わたしが八雲紫に勝つ、という単純なものを。

わたしは旧都の半分の家々を全て回収し、地霊殿に置いてきた金剛石を回収し、さとりさんの部屋に仕掛けた数多くのものを回収し、空間把握範囲を一気に拡げた。地底に留まらず、遥か上にある地上、幻想郷全域まで。

何百、何千、もしかしたら何万まで届くかもしれない膨大な数の精神が頭に浮かぶ。人間妖怪妖精吸血鬼幽霊宇宙人式神閻魔死神河童天狗鬼天人仙人神…。それらを片っ端から複製していった。頭が軋む。わたしの領域が侵されていく。体は変容し続け、グチャグチャにかき混ぜられ続ける。だが、知ったことか。

 

「喜べよ、八雲紫」

 

声が揺れる。同じ声を出しているつもりなのに、その瞬間と一つ手前、そして一つ先ですら異なる。酷く異様な言葉に聞こえたかもしれない。

だが、それも途中からなくなった。…いや、気にならなくなるほど小さくなった、が正しいか。変わり果てたその姿は、意外にも何処にでもいそうな普通の少女の姿。

 

「貴女の望んだ最果てだ」

 



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第436話

『何処だここ『『禍』に捕らわれお『急に何『眠い』味しいお肉はなぁ『助けて』『年明けも近『何事!?』うな『『禍』『お姉さんなの?』じゃあないか』ぁ!?』処なん『疲れてるっ『意味分かんな『旧都『はっはっ『愉快痛『旧都が…』は紛い物なの…?』つーわけ『どういうこと!?』えてよ!』幻香『理解したくない』『あぁ…あ…『旧都を壊しやがった!』たくない』て『ん?』か『楽しそう『最強なんだから!』だねぇ』ィィィ…』寝てたのに』ってやろうじゃね『嫌『こんな時『あやややや』幻香の精神中か…』るさいわ』いうこ『助け『数奇な出来事だわ』たくなかった!』れは…』られたの…?』『魔術研究は中止ね』ゴゴ…』ウサ『『禍』だ『ああ!遂に幻香と『消えた!?』『意味不『出してよ!』ことなんだ』か教えて『賢者様?』くれ!』して『…こんな運命は知ら『紅茶を』こから出してく『もう!』ッせェなァ!』『私は『どういう…ことだ…?』なる!』けてくれ!』か『禍』の『落ち着け…『…ヒッ!』ア『こりゃあ『ん?』面白いことになっ『創られた存在…』てじゃ『喰われる!』ねぇか』雲紫じゃ『眠いん『あら?』させてく『…嘘』ぁぁぁぁ…』『死にたく『一緒に頑張ろ!』しえてく『信じられ『え?』ない!』り得な『誰か教えてくれ!』るの…?』にたくない!』ァァァアアア『んぁ?『嫌ぁ…っ』とが起こるな『一体全体『お師匠様、これは『あらあらあら』ぅん…』どういう『まさか…』しょう?』こと『旧都が消えた』かな?』思議体『とりあ『祈りを…』生きてるの…?』『喉乾いた…』いしょ『ウッガ『助けてくれ!』こっているの…?』『は?』ったよ』『よぉし、やる『真夜中だってのに』『禍』か『憎い…ッ』喰われ『妖怪風情が!』死ぬ…?』『…殺され『まさに奇跡!』スーさん』にたくな『ふむ…』まどかさん!』『紫様!?』…ッ』様、こんなことが許されると思っ『私、偽物ってこと…?』だここは!?』『どういうことだオイ』であるぅ!』『ちょっと『凄いことになってるわね』ち着け、俺』ってんだ!?』りたく『旧都が消『…ウフフ』『冬もまだ『酒はねぇのか?』だ嫌だ嫌だ嫌『…これは』にゃぁ』『…『禍』『え?』ってのに!』なんだよ!』

 

「…あぁ」

 

まるで雑踏の中心に投げ込まれたようだ。悲鳴、号泣、慟哭、絶望…。頭の中で数多の声が響き続けている。視線が一点に向かず、いつまで経ってもぐらついたまま。呼吸も吸ってるのか吐いてるのか分からない。体が幾千幾万に分裂し、そのまま各々勝手に動き出してしまいそう。内側から破裂してしまう。

 

「うっせぇんだよッ!」

 

だから、激情のままに咆哮した。地底に響き渡り、反響した声が何度も伝わってくる。瞬間、頭の中は静かになった。…あぁ、やっと黙ったか。遅いんだよ。

未だ抵抗する少数派を押し退け、わたしは身体を操作する権利を強奪する。改めて見た世界は、当たり前だか少し違って見えた。軽く動きながら、体の長さを確認する。…少し縮んだかな?腕と脚がほんの少しだけど短くなってる。…まぁ、この程度の差異なら大丈夫かな。

 

「ふぃー…。さ、続けましょうか」

「…貴女」

「まずは試し打ちだ」

 

クイッと人差し指を曲げると、それだけで地面に浸み込んでいた水分が湧き上がる。雪を溶かして水嵩を増やしてからわたしの周囲に浮かべ、右手を軽く握ればいくつもの水球が一瞬で凍った。

 

「『水を操る程度の能力』からの『冷気を操る程度の能力』と『寒気を操る程度の能力』と『ものを凍らせる程度の能力』。…うん、記憶にはないけれど、記録通りだ。経験してないけれど、経験通りだ。思ったより上手くいってる。そして、次は『風を操る程度の能力』に『鎌鼬を起こす程度の能力』」

 

氷球が突風によって撃ち出され、その中に生じた鎌鼬によって切り刻まれることで鋭利な破片へと変貌した氷片が八雲紫を襲う。わたしの変化に追いついていなかったのか、回避に一歩遅れた身体に数多の切り傷が刻まれた。だが、こんな浅い傷はすぐに治るだろう。…ほら、もう治ってる。

右手に一つの精神の手に馴染む刀を創造し、その柄を軽く握る。鞘のない抜身の刀では居合が出来ないが、大した問題ではないだろう。

 

「『距離を操る程度の能力』。そして『剣術を扱う程度の能力』」

「ッ!?」

 

点と点を結ぶように、たった一歩で八雲紫の前から遥か後ろへ到達する。すれ違いざまに放った斬撃はこれまた不可思議な感触だったが、刀身は血で赤く塗れている。こんな風に扱えばよかったのか、と他人事のように思いながら用済みの刀を回収した。こびり付いていた血が雪上に落ち、赤色が広がった。

振り返ると、目の前に大きなスキマが開いていた。それは蛇の顎のようにわたしを喰らおうとしている。…ふぅん。

世界が灰色に染まる。わたしと彼女を除く全ての動きが停止した。

 

「『時間を操る程度の能力』。…うん、確かに何でもありだ。けれど、何かに締め付けられる気分でもある。乱用は控えとこ」

 

三歩横へ歩いてスキマの前から離れ、時間停止を解除する。再び動き出す世界。スキマは何もない空間を虚しく喰らった。

『千里先まで見通す程度の能力』を左目に付与し、苦い顔を浮かべる八雲紫を間近で見遣る。空間把握と違って視点を一ヶ所に定めることが出来るのはいい。しかし、わざわざ使うまでもないかなと思い、左目を元に戻した。

『火を操る程度の能力』『炎を扱う程度の能力』『ものを燃やす程度の能力』『発火させる程度の能力』など炎系統の能力をいくつか試し、どれも似たり寄ったりだなぁ…、という感想を抱いているところで、開き始めたスキマに気付いた。開いたスキマを見上げていると、そこから八雲紫が現れて優雅に腰を下ろす。だが、その表情はあまり優雅とは言い難いものだった。

 

「…貴女、まさか全幻想郷民の力を振るえるとでも?」

「いいえ、二人だけ除いてる。一人目は博麗霊夢。そして、もう一人は貴女だ」

 

流石にこれからやろうと思っている相手と今やっている相手の精神を貰うのはどうかと思うからね。貴女に勝った暁には、貴女の精神を貰うとしますよ。使うかどうかは知らんけど。

 

「どうかな?全ての代替品と化したわたしは?」

「最高よ」

「それはよかった」

 

わたしの成れの果てはお気に召したらしい。わたしは気に食わないが。…まぁ、いい。

わたしは記録に則り、呪文を唱える。精霊に対する強制命令。わたしでは通じないだろうが、わたしに宿る一つの精神がそれを可能とする。

 

「火水木金土符『賢者の石』」

 

多重に組み込まれた精霊魔術が互いに補い合い、そして強め合いながら八雲紫を襲う。魔力ならぬ妖力が消費されているのだが、やはり精霊を介するだけあって規模の割に消費が軽い。やっぱり便利だなぁ。わたしも使えたらよかったのに。

 

「大したことないわね」

 

精霊魔術が炸裂した跡地を見遣ると、そこには結界を四重に張った八雲紫が佇んでいた。…ま、防御だってされるよね。

 

「きゅっ」

 

ガシャァン、と薄いガラスが割れるような音が四重に響く。極一部の『紅』と違って完全な『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』だ。『目』の数が、そして精度が違う。

防御が空いた瞬間に跳び、肉薄して懐に潜り込む。打撃は碌に効かない?どうせ傷はすぐ治る?知ったことか。

 

「『形や大きさを自在に変える事が出来る程度の能力』と『密と疎を操る程度の能力』。…癪だが『奇跡を起こす程度の能力』で一応補助しとくか」

 

大きく引いた右腕が急激に巨大化、変形、変質する。眼前の獲物を喰らわんとズラリと並ぶ牙。その姿は龍の咢。目を見開く暇があったら避けたほうがいいよ。手加減出来そうにない。既に手じゃあないからね。

ガヂン、と噛み合わさった牙が鳴る。…口の中に触感がない。ちっ、逃げたか。奇跡なんぞに頼るもんじゃあないなぁ、やっぱ。

右腕を元に戻しつつ、わたしはふわりと着地する。空間把握の範囲に八雲紫らしき存在はいるのだが、やけに遠い。旧都のほぼ端じゃあないか。

『距離を操る程度の能力』を使用し、現在地と八雲紫の位置を結び、その距離を大幅に縮める。そして一歩踏み出した。

 

「…あれ?」

 

届いてない。半分程度しか進んでいない。能力は問題なく使用出来ている。だが、いくら足を踏み出しても一向に八雲紫との距離が詰まらない。むしろ、徐々に近付き辛くなっている。

そして、今更になって空間把握の範囲が縮小していることに気付いた。具体的に言うと、わたしが先程結んだ点を中心として八雲紫に向かって三分の二程度の半径の球体状に把握出来る程度。…いや、徐々に拡がってはいるが、これも一向に八雲紫まで届かない。

 

「…ようやく、貴女を捕らえたわ」

 

そんな八雲紫の隠しきれていない歓喜が内包された言葉がわたしの鼓膜を揺らした。

 



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第437話

「『火を操る程度の能力』『水を操る程度の能力』『雷を起こす程度の能力』『風を操る程度の能力』『大地を操る程度の能力』『毒を操る程度の能力』『光を屈折させる程度の能力』…駄目か」

 

炎を発し、水を撃ち、雷を放ち、風を吹かせ、大地を隆起させ、毒を拡げ、光を伸ばしても届かない。特に光は八雲紫の一歩手前まで届いたのだが、そこから先がどうにも動かない。

…そういえば、こんな感じの現象が何処かの記録にあったような…?

 

「『幻と実体の境界』か。それに似てる」

「あら、よく知ってるわね。えぇ、その通りよ。貴女が幻想の者である限り、この結界は抜けることは出来ない」

「あ、そう。わざわざ教えてくれて、どうもありがとうございます」

「どういたしまして。さぁて、これから少しずつ狭めてあげるわ。一歩も動けなくしてあげる。身動ぎも出来なくしてあげる。降伏して屈服して忠誠を誓うまで、いつまでも…」

 

…ふむ、理論は分かった。『心を読む程度の能力』で八雲紫の心を読んでみたところ、中心点から外に出ようとすると、空間が引き伸ばされて距離が伸びるようだ。具体的には、半分の距離に到達するころには残りの距離が二倍に引き伸ばされ、そこからさらに半分進めばまた二倍になる。その繰り返し。実質無限に引き伸ばされることで脱出を不可能としている。対象は幻想の存在。

なるほど。無限に引き伸ばされては『距離を操る程度の能力』でどれだけ縮めようと無限のままだ。最速であろう光でも、それが妖精の能力で屈折させた代物ならば外に出ることも敵わない。

もしも外の世界に空間把握を拡げることが出来たならば、わたしの身体を幻想から実体に比率を傾けて抜けることも出来そうだけど、残念ながらわたしの中にある精神はどれもこれも幻想郷にいる者ばかり。しかし、そもそも外の世界に空間把握を拡げられないのでそれは無理だ。

だが、その程度で詰ませたと思われているようじゃあ、誠に遺憾だ。舐めるなよ、八雲紫。

 

「『怨霊や死体を操る程度の能力』」

「…へぇ」

 

上空をふらついている怨霊を操り、八雲紫の元へ向かわせる。既に外側にあるのなら、どうとでもなるんだよ。だが、たかが怨霊だ。目視出来て、しかもかなり遅い。容易に躱されるし、しかも大半がスキマの中に吸い込まれてしまった。何処へ行ったかは知らないが、まあいい。

本命は別だから。

 

「…っつ」

 

八雲紫の頬を、右手が叩いた。そう、スキマに切り離されたわたしの右手だ。わたし自身はまだ生きているが、あの右手は既に死んでいる。つまり死体だ。ならば、操れる。わたしが変質してから切り離されていたのなら、好き放題に形を変えて飲み込むことも出来たと思うけれど、そればっかりはないもの強請りだろう。

ほんの少し赤くなった頬を擦りながら、まだわたしに抵抗する意思があることに対し、まるで悪戯する子供を見つけたような笑みを浮かべてくる。わたしに大したことが出来ず、ゆえに容易く対処出来るからこそ、逆に今のわたしに何が出来るか楽しんでいるような、そんな感じ。

さて、次は、と。彼女が普段使っていた二つ折りの機械を創り、カシャリと機械音を鳴らす。画面に映るのは、目の前にいる八雲紫。それから、記録に則った呪文を詠唱する。…上手くいくかな?ま、やってみれば分かるか。そう思いながら、詠唱を終えてすぐにガシャリと機械を握り潰した。

 

「あ、ぐ…ッ?」

「『念写をする程度の能力』。そして、黒魔術。…思ったより強力だなぁ。怨念ってのは怖いね」

 

体を折り曲げながら苦痛に歪む姿を見るに、ある程度の効果はあったらしい。まさか、通じるとは思わなかった。けれど、この程度では駄目だ。全然足りない。

 

「ふ、ふふ…。その状況でもまだ抵抗出来るのね…」

「止めだ、止め」

「あら、もう諦めるの?」

「…あー、まぁ、うん、そうだね」

 

気付けば結界の範囲も相当狭まってきている。かき集めた精神に宿る能力をこれ以上引っ張り出しても無理がありそうだ。

こんなに早くこの手札を切らないといけなくなるとはなぁ…。霊夢さん相手に見せつけてやるつもりだったのに、残念だよ。

一つ長いため息を吐き、わたしが妖力を使った。

 

「え?」

 

そして、目の前で起きたことが信じられないとでも言いたげな顔を浮かべる八雲紫の元へ悠々と歩く。そして、わたしは結界から脱出した。

腕を伸ばせば触れられるほど近付き、動揺を隠せていない八雲紫に嗤いかける。

 

「悪いね、こんな檻じゃあ貧弱過ぎる」

「…まさか。…貴女、まさかッ!?」

「うん。世界を創った」

 

心の叫びに肯定しながら後ろに手を伸ばし、この世界を押し退けるように拡がるわたしの世界に触れ、回収した。瞬間、結界に無理矢理抉じ開けられた穴が閉じて元に戻る。

そして、わたしは八雲紫の左腕に触れた。その場に即座に左腕を複製する。

 

「『何でもひっくり返す程度の能力』」

 

消滅、閃光、轟音。気づいたら、わたしは地面に転がっていた。全身隅々まで痛む体を起こし、周囲を見回す。

 

「…酷い有様だなぁ」

 

何もない。旧都が丸ごと吹っ飛んだ。地霊殿もほぼ瓦礫と化した。端っこの方に地底の妖怪達が転がっている。もしかしたら、何人か死んでいるかもしれない。八雲紫は…、なんだ、生きてるのか。ま、あの程度で死んだら逆に困るんだけどさ。

八雲紫の左腕の複製を引っ繰り返し、反物質にした。瞬間、正物質である八雲紫の左腕と対消滅を起こし、全てがエネルギーと化して周囲に炸裂した。流石、核融合なんかよりも効率がいいだけあって凄まじい威力だったね。

自然に体を委ねると、パッと身体を転移する。そして、左肩の断面からとめどなく血を流し続け、皮膚が灼けて爛れている八雲紫を見下ろした。息は荒く、とてもではないが起き上がれるようには見えない。

だが、もしもがあったら駄目だ。だから、わたしはハッキリと告げる。

 

「この世界に歪みをもたらすことは許しませんよ、八雲紫。そう、貴女は少し傲慢過ぎる。…さ、白黒ハッキリつけましょうか。…ま、わたしはどう足掻いても灰色だがね」

 

『白黒はっきりつける程度の能力』。世界に干渉する行為を封じた。これにより、この地底空間で時と空間を歪めることは不可能となる。すなわち、八雲紫の能力の代名詞たるスキマは使えない。…まぁ、すぐに戻るさ。多分、数時間くらいで。

何も言わない八雲紫の横にしゃがみ込み、目の前に一つの杭を創って見せる。

 

「…さぁ、これで詰みだ」

 

呪術の儀式を始めよう。形は杭。効果は妖力無効化による封印。贄はわたしの中に溢れるほどある。

『嫌だ!』にた『止めろ!』くない!』『死んで『ヒ『消えてしまう!』るさんぞォ!』くれ!』な運命は視れな『呪って『『禍』…ッ』ォオオォオ!』生贄…?』てや『殺『助けてくれ!』めてく『死『嫌だァ!』げられ『死にたく『頼『アアアァアアァア!』めてくれぇ!』えちゃ『嫌だ嫌だ嫌だ』けて!』対に許『嫌『お姉さん!?』『嫌だ!』アアァアア!』てく『死にたくない!』め!』けて『ギャアァ『助けて『死にたくな『私達が生贄…?』て!』ァァアアア!』さん『嫌だ嫌だ嫌『頼む!許してくれ!』ォォオオ!』たくなぁ『誰か助『嫌だ嫌だ嫌だ』けて…』『殺す殺『殺される!』『消える!』やる…ッ!』達が生贄な『嫌だ嫌だ嫌『殺してやる…ッ!』い…』か助け『死んじゃうの!?』たく『消えて『嫌『ヒィ!?』なァい!』しま『ギャア『助け『死にたく『『禍』めがっ!』けて!』ァァアアア!』さんぞ『嫌だよ『助けてくれ!』ォォオオ!』ィ『誰か助『嫌だ嫌だ嫌だ』けて…』っと死ねるの『ギャアア『お願い許し『アァアァァァアアァ!』どかさん!?』だ嫌だ嫌『助けて『殺してや『呪い殺『…死は初めての体験ね』む!』して』けてお願い!』ォォオオ!』い!』めてく『助けてく『『禍』が!』アアア『消え『止めてくれ!』『ガァ!?』だ!』『呪っ『『禍』…ッ』ォオオ!』るし『殺『助けて!』めて『死ん『嫌だァ!』してや『死にたくなァ『ギャアアアァアアァア!』くれぇ!』願い『嫌だ嫌だ嫌だ!』ってやる…ッ!』け『死に『止めろ!』る!』くない!』アァア『許して『消えて『これが、消滅…』だ嫌だ!』んじゃう『死んでし『私達が『消えてしまう!』捧げられるの!?』るさんぞォ!』くれ!』ろしてや『ギャアァ『助けて『死にたくな『私達が生贄…?』て!』ァァアアア!』さん『嫌だ嫌だ嫌『頼む!許してくれ!』ォォオオ!』たくなぁ『誰か助『嫌だ嫌だ嫌だ』けて…』『助けて…』『消えてしまう!』『許して…』『お願い…』『殺す…ッ!』『絶対に許さんぞ…!』『『禍』め…』……………。

…そして、誰もいなくなった。幾千幾万の精神を捧げて作られた呪具。見ているだけで呪い殺されそうなほど、歪んだ怨念が宿っているように感じる。

それを、心臓に突き刺した。

 

「う…ッ!?…が、あ、ぁ…」

 

不思議と血は流れなかった。だが、八雲紫の意識が徐々に薄れていく。やがて、その目は何も映さなくなった。

八雲紫の瞼を下ろしてあげ、ついでに脈拍や呼吸を確かめる。…うん、やっぱり生きてるね。今の彼女は、休眠しているようなものなのだろう。これを引き抜かない限り、彼女は眠ったままだ。

 

「さぁて、と。どうしましょうかねぇ」

 

朝日にはまだ早いし、ここには居辛いし、どうしたものやら。

 



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第438話

まずは一つだ。厄介な存在をどうにか出来た。けれど、まだ続きがある。辛いか?…全く。痛いか?…全然。苦しいか?…微塵も。やれるか?…やるよ。

眠る八雲紫の頭に手を伸ばそうとしたところで、こちらに向かってくる気配をいくつか感じ取った。そのうちの一つが途轍もなく速く、一直線に飛んできている。八雲紫の記憶を把握するのはひとまず後回しにし、わたしは振り返りながら見上げた。

 

「紫様ッ!」

「…一足遅かったかな?」

 

その視線の先から急接近してくる存在は、主を想い憤怒と悲愴が入り混じった表情を浮かべる従者。さて、次へと進む前にやり残したことがあったわけだし、先にこれらを処理しないといけないかな。

目測で速度と距離を測った結果、わたしの元まで五秒と経たずに到達するだろうと推測出来た。しかし、それだけあれば余裕があり過ぎる。わたしは膝を折り曲げてしゃがみ込み、八雲藍に思い切り背中を晒し出した。

 

「ッ!貴様…ッ!」

「ま、そりゃ止まるよね」

 

ただし、八雲紫のだが。救うべき主を盾にされれば、その振り上げた腕も、開いた手の上に集められた膨大な妖力も、振り下ろせずに収めるしかないよねぇ?

無理に急停止させたところで、立ち上がりながら反転し、回し蹴りを脇腹に叩き込む。降ろしていた腕に防御はされてしまったが、その腕ごと圧し折ってしまえば防御なんざ関係ない。

腕の骨を粉砕された苦痛に歪む八雲藍を見遣り、それでもなお反撃しようとする手の先に八雲紫を差し出して止めてしまう。辛そうだね、切り捨てることが出来ない者が相手の手中にあると。…ま、どうでもいいか。次が迫ってるし、急がないと。

 

「変化『巨腕の鉄槌』」

 

肥大化させた左腕を振り下ろし、八雲藍を押し潰す。肉が潰れ、骨が砕け、血が爆ぜ散る感触。断末魔の声は一切なかった。…ま、仮にも九尾の狐だ。この程度で死ぬなんてことはないでしょう。

左腕を戻すと、血の海に沈みながらも強い意志を持ってわたしを睨む八雲藍がいた。視線に威力があるなら風穴が空いてしまいそうだ。体はまともに動かせないのか、ビクビクと痙攣させている。このまま放っておいても問題ないかもしれないが、もしかすると回復してしまうかもしれないし、確実に再起不能になってもらうかな。

八雲紫に突き刺した妖力無効化の杭を内部に含まれた情報まで複製し、グチュリと突き刺した。刺した瞬間に目を見開きもがき始めたが、やがて動きを止めた。

手に持っていた八雲紫を八雲藍の隣に並べて置き、八雲藍の瞼を下ろしておく。二人揃って眠ってろ。

 

「…ふぅ。あー、疲れた」

 

贄に捧げたものが多いせいか、これ一本創るのに相当量の妖力が必要になる。正直言って、こんなものこれ以上創りたくないわ。

さて、次だ。一応、貰えるものは貰っておこう。わたしは八雲紫の横にしゃがみ、頭に手を当てて内部に妖力を流し込む。表層は何も動いておらず、何の情報もない。…うん、これに関しては封印されているわけだから予想通り。目的は、さらに奥だ。

 

「…あぁ、やっぱりそんな感じだったのか」

 

目先の餌に食いついたのは確かにわたし自身だけど、歪んだ成長の道を歩む原因に八雲紫が一枚噛んでいた。最果ては成れの果て。最も外れているからこそ、八雲紫が望むもの。けれど、残念だったね。仮説は貴女の記憶によって証明された。貴女に捻じ曲げられた道は既に戻り終え、そしてわたしが望む道を歩き始めている。

それからも出来るだけ急いで読めるだけ読み込んでいったが、わたしの元へ来ている数多の気配が近付いてきたのを感じ、一旦記憶把握を止めた。気配がする方角を見遣ると、地底の妖怪達が何処か恐る恐るといった足取りでこちらに歩いてきている。わたしはゆっくりと立ち上がり、彼らに微笑みかけた。…あぁ、頬が吊り上がる。ちょっと抑えられそうにない。

先頭に立つ勇儀さんがわたしの前で立ち止まりながら両腕を広げ、その後ろにいる地底の妖怪達を制する。すぐに殴り掛かってくると思ってたけれど、意外と慎重なんだなぁ。いや、勇儀さんが前にいるからかな?…ま、どうでもいいや。

 

「…おい、幻香。話がある」

「いいですよ、勇儀さん」

 

探る気の一切ない威圧的な言葉。けれど、不思議と脅威だとは思えなかった。相手は山の四天王なのに、可笑しな話だ。

ふと改めて地底の妖怪達を見回してみると、憤怒よりも畏怖が色濃く見えた。何故だろう?…あぁ、突然旧都が半分消滅したと思ったら、すぐに丸ごと吹き飛ばされたんだ。怒りよりも恐れが前に出てもおかしくないかも。

そんなことを考えていると、勇儀さんがドカリと腰を下ろし胡坐を掛いた。それに倣うべきか少し迷ったけれど、わたしも腰を下ろすことにする。

 

「先にいくつか言っておく。こいしちゃんがあんたを必死に庇ったからちょいとばかり考えてやるが、場合によっちゃああんたを潰さないといけなくなる。…だからな、幻香。正直に答えてくれよ」

「そうですか。わざわざ考えてくれるだけ温情、としておきましょう」

 

考えるまでもないと思うんだけどなぁ。けれど、こいしの行為を無下にはしにくいし、受け取ることにしよう。

わたしは鋭く目で射貫く勇儀さんを眺めていると、重々しく口を開いた。

 

「単刀直入に問おう。…何故、旧都を更地にした?」

「戦闘の結果だから、何故と訊かれても困りますよ。そうなったからそうなった、としか言えませんから。…ま、あれだ。仕方なかったんだ」

 

そう答え終えた瞬間、八人の地底の妖怪が跳びかかってきた。勇儀さんを跳び越えてきた二人は勇儀さんに足を掴まれ無理矢理止められたが、それ以外の六名は拳を固く握り締め、わたしに迫り来る。その顔を眺めると、怒りで我を忘れているように見えた。

ガガガガガガ、と六つの鈍い音が響く。目の前の勇儀さんの顔が奇異なものを見る目で見開かれた。左右から呆けた声がいくつか漏れ聞こえてくる。その様子に、わたしは思わず首を傾げた。

 

「何を驚いているんですか?」

「…急に腕が増えりゃ、誰だって驚くわ」

「今更でしょ」

 

わたしの両肘から先が三又に分かれ、それぞれ伸びた手が六人の拳を掴んで止めただけなのに。両腕を大きく振るって左右に投げ飛ばし、わたしは腕を元に戻した。体が変容する感覚なんざもう慣れた。

わたしの腕が戻ったことで意識も戻ったのか、再び鋭く睨まれる。ただし、その目はわたしだけではなく、投げ飛ばされた六人と押さえつけた二人の地底の妖怪にも向けられていた。

 

「…悪かったな」

「いえ、気にせず続きをどうぞ」

「そうかい。なら遠慮なく。戦闘の結果か。よく分かった。…それで、あんたはこれからどうする?」

「地上へ上がる」

「これを放ってか?」

 

勇儀さんは全てが吹き飛ばされた旧都だったものを見回しながら言った。ふむ、なるほど。

 

「放ってですね」

 

そう答えると、勇儀さんは確かめるようにわざとらしく問い重ねた。

 

「何かしようとは思わんのか?」

「全く」

「こんなにしちまったのにか?」

「全然」

「悪かったとは思わんのか?」

「欠片も」

「責任も感じんのか?」

「微塵も」

 

えぇ、必要な犠牲でした。八雲紫相手に出し惜しみも手加減も出来ませんでしたからね。スッパリ割り切らせてもらおう。

そう思いながら微笑んでいると、勇儀さんは盛大なため息を吐いた。

 

「…情状酌量の余地なし、か。悪いな、こいしちゃん。正直、私だってこんな最期は出来れば避けたかったんだがなぁ…。あーあ、もったいねぇなぁ…。萃香に何て言われるやら…」

 

地上を見上げながらそう呟く勇儀さんは、のっそりと重い腰を持ち上げた。わたしを見下ろす瞳は、酷く冷たい。

 

「鏡宮幻香。あんたはあまりにも度が過ぎた。…潰すぞ」

「やれるもんならやってみな」

 

何故かな。負ける気がしないんだ。

 



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第439話

「ふんっ!」

 

腰を下ろしたままだったわたしは、腰を深く下ろしながら地面と水平に放たれた拳を受けた。視界が明滅する。中身がグチャグチャになり、そのまま爆ぜ散ってしまうんじゃないかと錯覚するほどの衝撃。

 

「げほっ…。あー、痛たた…」

 

気づけば地面を転がっていて、咳き込んだ際には赤い飛沫が飛んだ。起き上がろうとする体は思ったより深刻で、腕も足もふらついてしまっている。それでもどうにか地面を踏み締めて立ち上がり、唇の端から零れる血を拭いながら、わたしの元へ歩いてくる勇儀さんを見遣った。固く握られた拳と冷たい眼差し、そして吊り上がる口端。…あぁ、流石は山の四天王。強いなぁ。

だというのに、体はこんなになってしまっているにもかかわらず、わたしの方が劣っていることは明白だというのに、何故だかこのまま負けてしまうとは思わなかった。そして、それがおかしいとも思わなかった。

 

「次はあんなもんじゃあねぇぞ」

「…ふぅん、そっか」

 

勇儀さんが間合いに入ったところで立ち止まり、わたしに言った。さっきのでも軽い方なんですか。うん、わたしはまだ弱いなぁ。もっと強くならないと。

顔に真っ直ぐと伸びてくる右拳を紙一重で躱し、その先に迫る左拳は地面を転がって逃げる。先程受けた拳のせいで体中が痛むが、そんなものは無視だ。痛覚遮断。痛まなければ、無傷と何ら変わらない。

転がった先で素早く立ち上がり、その間にわたしに向かって跳んでいた勇儀さんをその場で迎え討つ。

 

「せらぁっ!」

「シッ!」

 

横薙ぎに振るわれた跳び蹴りに対し、わたしは脛に向けて殴りかかる。脛に叩きつけた拳には、鉄なんかよりも何倍も硬い骨の感触が伝わってきた。ビキ、と嫌な音が響く。どっちの骨の音だ?…あぁ、わたしか。ま、どうでもいいな。

拳と脚は一瞬だけ拮抗したのだが、すぐに勇儀さんの脚が力任せにわたしの拳を押し出し、そのまま派手に吹き飛ばさてしまった。空中で一回転して両足を地面に付けて着地し、片手を地面に擦り付けながら静止する。脚に弾かれた手を見遣ると、傷らしい傷は見当たらなかった。なら、まだ戦える。

 

「力。まずは、それが必要だ」

 

ボソリと呟いてから、わたしは勇儀さんの元へ真っ直ぐと駆け出した。それとほぼ同時に勇儀さんもわたしの元へ真っ直ぐと走り始める。勇儀さんの歩幅とわたしの歩幅からわたし達がぶつかり合う地点を推測し、そこに合わせて右腕を引き絞る。迫る勇儀さんも同様に右腕を引いている。

 

「おらぁっ!」

「ハァッ!」

 

互いの右拳がぶつかり合う。右拳から全身に伝わる衝撃。そして、僅かに右肘が曲がり押し出される感覚。…駄目だ。まだ足りない。

そう判断した瞬間、右腕を一気に引きながら体を回転させた。押し合っていたものが急にいなくなり、空振った右腕がそのままわたしのすぐ隣を通り抜けていく。そして、折り畳まれた腕による肘鉄を勇儀さんに叩きつけた。…まともに効いちゃいないな、この感触は。

 

「ははっ、いいねぇ!」

「…貴女、愉しんでませんか?」

「当ったり前だろ!?目の前に強ぇ奴がいるんだぜ!?これが最後だって言うなら、味わい尽くさねぇのは損ってもんだろ!」

「わたしはそこまで強くないっての」

 

少なくとも、まだ。案の定わたしの攻撃なんかじゃ怯みもしない勇儀さんが左拳を振るい、わたしはそれに裏拳を叩き込んで弾く。無茶苦茶重い。攻撃の向きを逸らすだけでこれか。先はまだ長そうだ。

勇儀さんが斜めに体を旋回させ伸ばした脚で踵を振り下ろし、わたしは咄嗟に後ろに跳んで回避する。が、振るわれた脚から飛んでくる衝撃波が、後ろに跳んでいたことも相まって宙に浮かんでいたわたしを容易に吹き飛ばした。吹き飛ばされながら、わたしは勇儀さんの踵が振り下ろされた地面を見遣る。陥没、そして周囲に広がっていくひび割れ。その威力に思わず頬が引きつった。

両足で地面を削りながら着地したところで、どくりと心臓が一つ高鳴る。漆黒に染まった意志がわたしの奥底から溢れ出すような感覚。その衝動に任せ、わたしは跳んだ。不思議と体は軽かった。

 

「セリャァ!」

「ふん!」

 

わたしが突き出した渾身の跳び蹴りは勇儀さんが交差した両腕に防御された。両腕を勢いよく開かれ、わたしは弾き飛ばされる。背中から地面に落ちるわけにはいかない。即座に体を縦に回転させて左手を地面に押し当てて地面を掴み、そのまま回転させて両足を地面に叩きつける。

 

「オラァ!」

「おらっ!」

 

すぐに跳び出し、今度は左拳を打ち込む。が、それは開かれた右手に掴まれてしまった。すぐに右拳を打ち込むと、今度は左手に掴まれる。ギリギリとわたしの両拳を掴む力が強まる。このまま握り潰すつもりらしい。

だが、そのまま潰されるわけにはいかない。だから、わたしは勇儀さんの手の中で拳を開き、その指を勇儀さんの指と互い違いにして握り締めた。そして、わたしも両手に力を込めていく。

 

「…へぇ、力比べか?」

「案外、悪くないと思いますよ…?」

「勝てると思ってんのか?」

「さぁね。…けど、不思議と負ける気がしない」

 

そう言った瞬間、勇儀さんの両手に込められた握力が一気に強まった。手の平が本来曲がるはずのない方向に無理矢理曲げられ、わたしの指先が勇儀さんの手から離れていく。…そうはいかない。歯を食いしばり、指先と手の平に力を込めて抵抗する。…力がまだ足りていない。

ビキ、バキ、と骨が軋む音が断続的に響く。どうでもいい。そんなことより、力だ。勇儀さんの力に負けることのない、怪力、剛力。それが必要だ。ぬるりとした僅かに滑る感触。手汗にはない鉄臭い香り。皮膚が裂けて出血したらしい。知ったことか。まだだ。もっとだ。出せよ、身体。無理だなんて、言わせねぇよ…?

 

「ぐ…っ!」

「おい、音を上げるにはまだ早ぇよな?」

「…あぁ、全くもって、その通り…!」

 

アハッ、と狂った嗤いが零れる。見上げる勇儀さんは愉し気に笑っている。勇儀さんの握力が一つ強くなるたびに、わたしは漆黒の意思を滾らせて抵抗する。また、一つ強くなる。

それは階段を上るように、壁を一つ飛び越えるようなもの。階段を数段飛ばしで駆け上がるように、壁をまとめてブチ抜いていくようなもの。わたしの身体の使い方。願え、望め、希え。求めた先に、進むべき道がある。

 

「ふ…ッ!」

「うお…っ!ははっ、まだ出るか!そうだ、全部出してみな!」

「悪い、けど…っ!わたしは、全てを、出さない!…決してッ!」

「あぁん?そりゃあ手抜きか?」

「違う、ねェッ!」

 

グシャリ、と肉が潰れ骨が砕ける音。血飛沫が舞う。両手が、潰れた。

 

「あん…?」

 

勇儀さんの両手が、わたしの両手に握り潰された。…そうだ。出せるじゃあないか、身体。だが、まだこんなもんじゃあない。全く足りない。さらに上だ。登り詰めた先の、さらに上へ。終わりなんて許さない。…分かってるよな?

握り潰された、と気づいた勇儀さんの行動は素早く、砕けた両手をずるりと力任せに引き抜き、そして回し蹴りを放ってきた。咄嗟に左腕で防御し両足を踏み締めて踏ん張ると、ぐぐぐ・・、と拮抗する。そして、衝撃を受け切った。

 

「…はあーっはっはっはっはっ!この短期間でよくぞここまで!いいぞ!駄目になるまで付き合ってやる!」

「いーや、そこまで付き合うつもりはない!」

 

潰れたままの拳を握る勇儀さんに対し、わたしも拳を固く握り締める。右拳を放てば、右拳が衝突する。続けて左拳を放てば、左拳が衝突する。時折、お互いの拳が衝突することなくお互いの身体に届く。圧倒的な威力。だが、両脚で踏み締めて耐え切り、次の拳を放つ。それがひたすら続けられた。

殴り合っている間に勇儀さんの拳が徐々に治っていき、それと共に威力が増していく。それでもわたしは拳を振るい続けた。ぶつかり合う拳の皮膚が裂け、血がそこら中に飛び散る。殴られた箇所は痛くはないが妙に熱い。だが、そんなものはどうでもいい。拳を振るえ。目の前の相手が倒れるまで…!

 

「…いい加減、倒れろっての!」

「はっ!味わい尽くすには、まだまだ足りねぇよ!」

 

どれだけ続けたか、数えていない。けれど、ひたすら長い時間だったのは何となく分かる。いい加減両腕も重くなってきていたし、わたし達の周りの地面は赤黒い血で染め上げられているし。けれど、わたしは振るい続ける。…ほら、まだ足りなかっただろう?だから、更なる力を出せよ。限界なんざ、決めちゃあいない。

そして、わたしが振るった右拳が、勇儀さんの右拳を弾き返した。そして、続く左拳も同様に弾き飛ばす。胴が、がら空きだ。

 

「オラアァッ!」

 

わたしは右拳を鳩尾に捻じ込んだ。衝撃が確かに伝わる感触。そして、そのまま右腕を振り抜いた。思考が加速しているのか、ゆっくりと宙を舞う勇儀さんの身体を眺め、ドサリと地面に落ちた。

 

「――はぁっ!ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…」

 

呼吸が乱れる。両腕がだらりと落ちる。固く握り締めていた拳を開くと、もう再び握る気にもなれない。

ふらつく足取りで、勇儀さんの元へ向かう。そして、わたしは地面に大の字で倒れている勇儀さんを見下ろした。

 

「…なんで、そんな顔、浮かべるかなぁ…」

 

そんな顔されるとさ、勝った気になれないじゃないか。

嬉しそうな顔、しやがって。

 



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第440話

「姐御ォ!」

「勇儀さん!」

「姐さん!」

 

鬼達が勇儀さんを呼びながら駆け寄り、周囲に群がってくる。すれ違っていく彼らに睨まれながら、わたしはその場に立ち尽くしていた。そして、彼らが勇儀さんを担ぎ上げ、遠くへ連れて行くのをボーッと眺め続けた。最後の最後まで睨まれ続けながら。もしかしたら報復されるかもしれないなぁ、という考えが頭を過ぎっていたけれど、そんなことにならなくてよかった。しないで済むならそれでいい。

去っていく姿が小さくなり、それからしばらく経ってから天井を見上げた。これから戻るつもりの地上を思い返す。置いて来た友達、切り捨てた関係、これから会いに行く相手。…あぁ、楽しみだ。

開いた両手を見遣り、それから八雲紫の元へ向かう。記憶把握の途中だったんだ。まだ知っておきたいことは山ほどある。

 

「…えぇと、あそこか」

 

妖力無効化の杭の場所から判断し、ゆっくりと足を動かし向かう。八雲藍と並べて置いておいた場所から、大分遠くに転がってしまっているなぁ。ま、その程度じゃ抜けないだろう。…抜けてないよね?

少々不安になりながら八雲紫の元に辿り着き、その横に腰を下ろす。至る所に見え隠れする擦り傷が痛々しい。どうやら、地面を転がった際に素肌の一部が薄く剥けてしまったようだ。少し遠くには同じように擦り傷だらけな八雲藍が転がっている。…ま、二人共目覚めていないならどうでもいい。念のため、突き刺していた杭をもう少し深くまで押し込んでおくことにしよう。

八雲紫の額に手を当て、内部に妖力を流し込む。精神を曝き、その記憶を把握する。

 

「さ、続きだ」

 

途中から、とはいかなさそうだなぁ、と思いながら再開した。八雲紫の記憶が非常に大きく、深く、広い。重要なこと、秘匿すべきこと、知るべきではないこと…。そんなこと、わたしには関係ない。雑多なこと、日常風景、愛するもの…。そんなもの、わたしには関係ない。

わたしはこの身体について知りたいだけだ。さっきは途中の、どちらかというと最初のほうまでしか把握していなかったんだ。他にもいくつかあるけれど、最重要はそれ。

 

「…うん。…そっか。…へぇ。…あぁ、うん、そうだよね」

 

どのくらい時間が経ったか分からないけれど、わたしは全てを全て読み尽くした。知りたかったこと、知りたくなかったこと、全て知った。一人の妖怪の人生を、彼女がどれだけ幻想郷を愛していたかを、わたしは理解した。わたしをどう扱うつもりだったのか、わたしが一体何なのか、わたしは把握した。…うん、貰えるものは貰ったよ、八雲紫。

そして、わたしはこれからとても惜しいことをしようとしているんだなぁ、と感じた。けれど、それだけだった。もう少し感傷に浸ったり、もしかしたら決意が揺らぐんじゃあないか、とも考えたけれど、そんなことは全然なかった。心は凍てついたままだった。…それでいい。

 

「…幻香」

 

ゆっくりと立ち上がろうとしたところで、隣からわたしの名が呼ばれた。声がした方へ顔を向けると、こいしがそこにいた。何時からいたのだろうか?…分からない。

 

「どうしました、こいし?」

「もう、行っちゃうの?」

「…さぁ、分かりませんね。出来れば、日の出と共に向かおうと思ってるんです」

「そっかぁ。それなら、あと少し時間がありそうだね」

 

何故分かるんだろう、と思ったけれど、こいしがそう言うのならそうなんだろうな。

僅かに上がっていた腰を下ろし、体をこいしの方へ向けた。対するこいしは、笑っていた。けれど、その端々に寂しさが香る、少し痛みを感じるような笑み。

 

「わたしはね、幻香がここに来てくれてとっても嬉しかったんだ」

「わたしも、こいしと再会出来たときは嬉しかったですよ」

 

穴だらけだった記憶が元通り埋められた瞬間、思い出させられた最初の友達と大切な約束。二度と忘れないために記憶に刻み込むため、わたしは『碑』まで形成した。

 

「いつかまた地上へ戻るつもりだ、って言ってたけれど、まだずっと先の話だと思ってた。遠い未来の話で、訪れることはないって、そう思ってた。そんなはず、ないのにね」

「…わたしも、百年先まで残ることを視野に入れてましたからね。考えていなかったわけじゃあないですが、かなり前倒しになったな、と思ってます」

 

地上からわざわざやってきた友達と約束しましたからね、と頭の中だけで言う。けれど、これからその友達に会いに行けるかどうかは分からない。生きているか死んでいるかも、わたしには分からないから。

 

「こうして目の前に迫ってきてるのに、まだ大丈夫、って思ってる。お別れだ、って知ってるのに、また会おうね、って約束したのに、まだそう思ってる。おかしいよね。きっと、わたしは別れてから、失ってから、気付かされるんだろうなぁ」

「今は何も思えないけれど、冷静になって振り返ってみれば、わたしが切って捨てたものだらけ。…わたしも、きっと、事が済んだ後に後悔するんでしょうね」

 

どう選んでも後悔は付き纏うものだ。よりよい方法、よりよい選択、よりよい行動…。もっと正しかったことがあったんじゃあないか、って馬鹿みたいに考える。そんなもの、あるはずないのにね。不思議だ。そうだと分かっていても、今この瞬間は何も思わなくても、わたしは後悔するだろうって確信がある。

 

「だけど、幻香」

「はい」

「まだ実感がないけれど、まだ少し早いけれど、それでももう一度言わせて」

「うん」

「…また会おうね、幻香」

「…さようなら、こいし」

 

そう言って顔を伏せてしまったこいしの頭に優しく手を乗せ、慈しむように撫でる。わたしは、何も感じない。わたしは、何も聞こえない。わたしは、何も見ていない。振るえる体も、上下に揺れる体も、無理矢理噛み殺した嗚咽も、零れた水滴が跳ねる音も、地面を濃く濡らす色も。

 

「…そこはっ、またね、って、言ってよ…」

「ごめんね」

 

それは、確約出来ないから。約束したけれど、結局破るかもしれないから。最後のちっぽけな予防線。ズルいなぁ、わたし。分かってるよ。知ってるから。わたしは、そんな奴だって。

しばらく、頭を撫でていた。この瞬間だけは、わたしとこいしの二人だけがわたしの世界の全てだった。この瞬間で時を止めて、永遠のものにしたらどれだけ素晴らしいだろう。けれど、残念ながらこの地下空間は時を止められない。

 

「…もうそろそろだよ、幻香」

 

唐突に、こいしがそう言った。一瞬、何のことか分からなかったが、それが日の出の時間であることを思い出した。…そっか。もう、そんな時間かぁ。早いね。時の流れは残酷だ。

わたしは立ち上がり、地面を転がっている八雲紫と八雲藍を持ち上げて一ヶ所に置いた。そして、改めて世界を把握する。…うん、閻魔様の力は薄れて消えようとしている。あと一分も持たないだろう。何て切りのいい。地上と地底を繋ぐ大穴をわざわざ上る必要がなくなりそうだ。

 

「それじゃあ、行ってきますね」

「うん、いってらっしゃい、幻香」

 

こいしに別れを告げ、わたしは目の前の世界に指を突き刺した。八雲紫から理論は把握した。そして、わたしを知った。問題は、ない。出来る。可能だ。やれ。さぁ!

両腕を勢いよく広げると、目の前の世界が破れた。その先に見えるのは、博麗神社の境内。そして、何やら険しい表情を浮かべている博麗霊夢の姿があった。

両手に一人ずつ持ち上げ、わたしは破れた境界を跨いだ。渡り切ったところで、背後の破れた境界がゆっくりと閉じていく。わたしは境界が閉じ切るその瞬間まで、こいしの視線を背中で感じていた。

またね。たった三文字を言葉に出せないわたしを許してください。

 



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第441話

真夜中に強烈な予感を覚えて目が覚めた。眠気は一瞬で吹き飛び、掛け布団を蹴飛ばしながら床を転がり、即座に針や陰陽玉といった道具の類を手に取った。全身の鳥肌が立つ。寒さからではない。これから、何かが起ころうとしている。

 

「ッ!?」

 

そして、起きた。幻想郷が軋みを上げ始めた。外の世界からの侵略?…否、決して違う。私が管理している博麗大結界に全く不備はない。紫が管理しているはずの幻と実体の境界が大きく揺らいでいる。

紫に何かあったの?…あの紫に?まさか、そんなはずは…。あの紫よ?けど、確か、今日は地底でさとりと話し合う日ではなかったか?そこで何かあった?幻想郷を放っておかなければならないほどのことが?…そんなはずはない。紫は自身と幻想郷なら間違いなく後者を選ぶ。そういう奴よ。

つまり、紫は攻撃された。地底の連中に?けれど、後れを取るような相手が地底に潜んでいたようには思えない。

 

「…いえ、考えは後回しよ」

 

ひとまず、私が今なすべきことは決まっている。幻想郷の結界の補強。博麗大結界と幻と実体の境界は別々だが密接に繋がっている。紫の分を、私が補う。幻と実体の境界が潰えてしまえばそれまでだが、まだ残っている。その残っている部分を、私が引き上げる。

少なくとも紫は死んでいない。それは、幻と実体の境界に干渉した感覚と勘で分かった。それまでに、何らかの理由で境界の維持が困難となった紫を助け出す必要がある。しかし、これは飽くまで延命措置。おそらく、二、三日も経てば幻想郷は崩壊してしまう。ゆえに、博麗大結界の補強が済むと同時に地底へ向かおう。急げば夜明け頃には済むはずだ。

時間の感覚が消失するほど集中し、気付けば遥か遠くの地平線から日が昇り始めていた。…もう少しよ。気を緩めてはいけない。途中で切り上げるような真似をすれば、その脆弱な部分から崩壊が加速してしまう。最後までやり切らなくてはならない。

 

「…ふぅ。よし」

 

終わった。しかし、慌ててはいけない。相手は未知数だが、紫を降した相手。こんな寝間着のままではいけない。そう思い立ったらすぐ行動し、手早く紅白の巫女装束に着替え、手元に置かれていた道具を収める。

そして、私は外に出た。朝日が目を突き刺し、思わず目を細める。そんな時だった。

 

「…え?」

 

その音は、何枚も重ねた障子紙を一気に破るような音だった。目の前の参道に歪んだ線が走り、そして引き裂かれた。歪なスキマ。その奥に見えるのは何処までも広がる更地と、私だった。

目の前の私は足元に転がっていた二人の誰かを両手で掴み上げ、歪なスキマを跨いで現れた。背後の歪なスキマが音もなく閉じていくのを見遣り、それから私の前に現れた私に目を向ける。見覚えがある。お互い知り合っている。生死を賭けて戦った。しかし、それはあり得ない存在のはず!

 

「あ、アンタは…、どうしてッ!?」

「そこは初めてにしては上出来だ、と褒めてほしかったですね。…ん?もしかして、封印されているはずよ、って続くつもりだったんですか?博麗の巫女」

 

鏡宮幻香。間違いない。私がこの手で封印したはずの鏡宮幻香が、今私の目の前で不敵に笑っている。

 

「あ、お土産です。どうぞ」

 

そう言って、幻香が両手に持っていた二人を転がした。それが誰か分かった瞬間、私の背筋にゾワリと悪寒が走った。紫、そして藍。遠目で見え辛いが、二人の心臓に漆黒の杭が突き刺さっているのが見えた。あれは一種の封印。紫が封印されたから、幻と実体の境界が揺らいだ。それを理解したと同時に、この異変を引き起こした首謀者が特定出来た。

 

「そう、アンタがやったのね…。幻香ッ!」

「えぇ、わたしがやりました。何を怒っているのか分かりませんが、八雲紫をこんな風にしたのは確かにわたしですよ」

 

そう言いながら、幻香は参道に横たわる紫と藍を蹴飛ばして脇に追いやった。その様子に目が言っている隙に、私の背後からくぐもった破砕音が響いた。音のした場所は、私が幻香を封印している場所。すぐさま振り返ると、破壊された場所から糸を引くように勢いよく引っ張られた人影が出てきた。

 

「うっわ、ズタボロじゃあないですか…」

「ゲホッ!…こ、こは…?」

 

幻香の隣に手繰り寄せられたのは、また私だった。封印された時のまま体中傷だらけの見るに堪えない私。そんな傷だらけの私が、幻香にゆっくりと顔を向けた。そして、何かを悟ったような表情を浮かべる。

 

「…そう」

「ありがとうございました」

 

そして、消えた。残されたのは零れ落ちた血痕だけ。それも、しゃがみ込んだ幻香がサッと手を払うと消えてしまった。

私を跡形もなく消し去った幻香は、私に微笑んだ。だが、その微笑みに温かみは一切なく、ドロリと全てを飲み込むような深淵を覗いている気にさせる。これは博麗の巫女以前に、人間以前に、一つの命としての本能が警鐘を鳴らす。コイツは、危険だ。

警戒を最大限まで引き上げたにもかかわらず、目の前の幻香はそれこそどうでもいいと言わんばかりに、のっそりと立ち上がった。そして、両手を組んで大きく伸びをしてから脱力し、一息吐いてから口を開いた。

 

「種明かしをしましょう。見ての通り、身代わりを創りました。だから、わたしは封印されずに済んだ」

「そんなこと見れば誰だって分かるわよ」

「アハッ、そうでしたか。じゃあ、わたしがここにいる理由も分かってたりするんですか?分かってるなら説明しないで済んで楽なんですけれど」

「知らないわ。けど、幻香。アンタを叩きのめす。そして、紫を救う。それで十分よ」

 

そう言い放ち、お祓い棒を幻香に向けた。しかし、目の前の幻香は不満げな表情を浮かべ始める。そして、わざとらしいため息を吐いた。

 

「不十分ですよ。間違いだらけだ。まず、叩きのめすじゃあない。殺す、だ。生死を賭けて、再戦といこう」

「…ッ」

 

濃密な殺意。きっと、幻香は朝に目覚めるように、空腹で何か食べるように、それこそ息を吸って吐くように、当たり前のように私を殺す。瞳の奥に小さな漆黒の炎を垣間見た。目的のための全てを捧げる、真っ直ぐ過ぎて逆に歪んで見える、そんな強烈で絶対的な意志。

 

「次に、紫を救う必要はない。わたしはもしかしたら邪魔になるかもしれないからやっただけ。事が済めば、キチンとお返ししますよ。ほら、お土産って言ったでしょう?…あれ、それだともう返したってことになるのかな?」

 

そう言いながら、先程脇に蹴飛ばしていた紫と藍を見遣った。事が済めば返す?お土産?思わず歯を噛み締める。ふざけるな。

 

「そして、知らないってのもよくない。未知は愚で、不知は罪だ。だから、言わせてもらおう。今度こそ貴女に勝つために、そして清算を済ませるために、わたしはここに来た」

 

芝居がかった口調だ、と私は感じた。けれど、それが事実であろうとも感じた。勘に過ぎないが、これが外れているとは思えない。

 

「最後に、幻香。これも違う」

「は?」

「…まぁ、別に間違いは間違いのままでもいいとは思っていますが、これだけは正しておきたかったんでね。わたしは、これから濡れ衣を着るよ」

「アンタ、何を」

 

何を言っているのか分からない。そんな私を置き去りにしたまま、幻香はふわりと浮かび上がり、そして私を見下ろした。

 

「わたしは鏡宮幻香じゃあない。…そうだなぁ、幻禍(まどか)。わたしの名前は鏡宮幻禍。しがない『禍』だ」

 

瞬間、目の前の存在が変わった。名乗った名前は変わったように聞こえない。だが、同じ音でも、何処か違うものに聞こえた。見た目が変わったわけじゃない。だが、確実に何かが変わっていた。もっと根本的な何かが。

 

「始めようか、博麗の巫女。貴女は小綺麗な正義を掲げて華々しく死んでくれ。わたしは小汚い悪を引っ提げて惨たらしく生きるから」

 



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第442話

目の前の幻香が人差し指を空に向けてピンと伸ばした。その指先から細く伸びる黒紫色の妖力。そして、一瞬で天高くまで伸び上がった妖力を振り下ろした。背後から博麗神社が崩れる音が響き、私の真横ギリギリを深々と真っ直ぐ切断した跡を見下ろす。

当たれば豆腐を切るより容易く千切れ飛んでいた。それを自覚した瞬間、一筋の冷や汗が頬を伝った。

 

「…やる気あります?」

「…えぇ、今ハッキリと」

「それはよかった」

 

そう言って嗤う幻香に数十本の針を放ち、右に躱したところを接近し、お祓い棒を振り下ろす。が、人差し指を中指に先端を挟まれて止められてしまった。咄嗟に引き抜こうとするか、びくともしない。

ならば押し通す、とさらに力を込めようとしたところで、ガッシリと握られた。ミシ…、ミシ…、と軋む音が伝わってくる。コイツ、こんな力が…?

 

「く…ッ!」

「折るよ」

 

そう宣言したと同時に、お祓い棒がパキリと儚い音を立てて圧し折れた。真ん中で圧し折られたお祓い棒を呆然と見遣る。…嘘。私の霊力を纏わせた、しかも退魔の力を持つお祓い棒を、こんなにも簡単に圧し折れられるなんて。

カン、と額に固いものが当たった。そして、くしゃくしゃになった白いものが視界を覆う。幻香に折られたお祓い棒。

 

「ふっ」

「ガッ!?」

 

瞬間、鳩尾に幻香の肘が深々と突き刺さった。ミシミシと骨が軋む音が響かせながら、博麗神社へ吹き飛ばされた。障子を突き破り、卓袱台を吹き飛ばし、いくつかの部屋を突き抜け、そして博麗神社を抜けたところで地面を転がる。

 

「げほっ!…ごほっ」

 

粘ついた唾液を吐き出し、必死に新たな空気を求める。一撃が重い。使い物にならなくなったお祓い棒を放り棄ててから痛む胸を押さえ、私によってブチ抜かれた穴の向こう側にいる幻香を見遣る。

そして、目の前の博麗神社が丸ごと吹き飛んだ。一瞬の出来事で、体中を叩きつける木屑や塵のことなんか気にしていられない。

 

「うん、すっきりした。さ、続けよう」

「ッ!宝具『陰陽鬼神玉』ッ!」

 

咄嗟の宣言と共に、霊力を纏わせた陰陽玉を投げつける。水色に発光し巨大化しながら急速回転する陰陽玉が幻香へ迫る。

 

「複製『陰陽鬼神玉』」

 

そして、私達の間で拮抗する。やがてお互いの陰陽玉の動きが止まり、霊力の尽きた陰陽玉が地面に落ちた。…飛び道具の類は悪手か。そう判断したところで、私の陰陽玉を踏み砕きながらこちらに歩いてくる幻香を睨む。

私と目が合った幻香は、両手を固く握り締めながらポツリと言った。

 

「一応もう一度訊いておきますが、…やる気あります?」

「正直、舐めてたわ。…そうよ、貴女は殺さなくてはならないのよ。私のこの手でッ!」

「いい台詞だ。感動的だなぁ」

 

…甘かった。いざ目の前にして、まだお互い手を取り合えると思ってる私がいる。初めて会った頃の幻香が、私の脳裏にこびり付いている。つくづく私は甘い。たった一人だけでいいから非情になり切れるように、過去に負の遺産を遺さないために、この手で確実に殺せるようになると決めたはずだ。

…えぇ、そうよ。まだまだ私は甘っちょろい。言われた通り、蜂蜜漬け。芯まで甘い考えが付き纏っている。だが、今までだ。

皮肉だが、その決意だけはコイツに倣おう。

 

「つまり、敵でいいのね…。アンタはッ!」

「最初からそう言ってるでしょうに」

 

何処からともなく創り出された刀が迫る。避けようにも間に合わない速度。しかし、刀身は私の身体をそのまますり抜けていった。

 

「遂に出たか。夢想天生」

 

夢想天生。声が少し遠く聞こえる。ゆっくりと息を吸い、息を吐く。身体は痛むが、維持に支障はない。もう、私にアンタの攻撃は通じない。

 

「かかってきなさい、私の敵。最後まで殺し尽くすわ」

「よく言った。じゃあ、わたしもやれることをしましょうか」

 

そう言って、幻香は棍棒を創り出した。細長い棒の先端に武骨な四角形がくっ付いている。だが、妙だ。持ち手から先端にかけて、薄っすらとだが徐々に透けていっているように見える。

だが、関係ない。当たるはずがない。相手の攻撃に合わせ、私が攻撃する。それだけで相手の無防備な体に私の攻撃が直撃する。いつも通りだ。

 

「ハァッ!」

「シッ!」

 

お互いに駆け出し、間合いに入ったところで右掌底を突き出す。迫る棍棒を無視し、そのまま幻香の鳩尾に叩きつけた。もちろん、棍棒は派手に空振った。

 

「ぐ…っ」

「無駄よ。アンタの攻撃は決して通らない」

「さぁー…、どうだろうねぇ…」

 

アハッ、と嗤う幻香が先程作った棍棒を回収し、再び同じものを創り出す。無意味だと分かっていないのか、それとも意地でも張っているのか…。だが、もう関係ない。このまま、一方的に、作業的に、敵を、屠る。

棍棒が振るわれた。すり抜けた。回し蹴りを叩き込む。新たな棍棒が創られる。振るわれた。すり抜けた。左掌底を叩き込む。新たな棍棒が創られる。振るわれた。すり抜けた。顎を蹴り上げる。新たな棍棒が創られる。振るわれた。すり抜けた。鼻っ柱に肘を突き刺す。新たな棍棒が創られる。振るわれた。すり抜けた。首に手刀を振るう。新たな棍棒が創られる。振るわれた。掠った。…掠った?

 

「…ふふ、思ったより調整が難しかったけど、どうにかなりそうでよかったよ」

 

そう言い放ち、幻香は新たな棍棒を創造した。その棍棒は、何故かいつもより近く感じた。…まずい。何がとは分からないが、何かがまずい。この棍棒は、避けねばならない。

 

「くっ!」

「そらァ!」

 

攻撃の手を止め、すぐさま後ろへ跳ぶ。私の前髪を風が撫でた。この風は、あの棍棒から放たれたもの。…確信した。あの棍棒は、私の夢想天生に侵入している!

 

「あら、避けるんですか。ま、避けるよね。当たったら痛いもんねぇ…」

「…アンタって奴は」

「二十七次元の内、十二次元目を約三尺と割と早い段階でよかったですよ。虚数軸でもなくて助かりました。…ま、次元数はわたしが勝手に名付けたものですがね」

 

幻香が言っていることはサッパリなので聞き流し、視線を棍棒へと向ける。どういう原理かは知らないが、あれは今の私に触れ、そして攻撃出来る代物だ。つまり、あれは警戒に値する。…いえ、幻香は何でもかんでも創造してしまう。警戒すべきは、突然創られるであろう武器全てだ。

 

「そして、把握出来れば後は容易い」

 

そう言って、人差し指を私に向けた幻香は妖力弾を撃った。ピッ、と頬の皮膚が一瞬遅れて痛みを覚えた。頬を拭うと、手の甲が真っ赤に染まる。血だ。頬が裂けた。

前言撤回しましょう。武器だけじゃない。警戒すべきは、幻香そのものだ。

 

「いい目だ。これで殺意がもっとあればさらにいいんだけど。…ま、防御しな」

 

幻香の右腕が漆黒に輝く。膨大な妖力。その右腕が地面すれすれから突き上がるように私に迫る。右腕自体は問題ない。だが、あの妖力をまともに受ければ消し飛ばされてしまう。

 

「夢境『二重大結界』ッ!」

 

そして、解き放たれた。結界を挟んだ向こう側が漆黒に染まる。圧倒的妖力量による暴力。

破壊され続ける結界を継ぎ足すことでどうにか防御し切り、溜まった息を吐き出しながら空を見上げる。あの妖力が通ったであろう穴が雲をかき消していた。

 

「ちぇっ。これで済めば楽だったのになぁ…。ま、いっか」

 

いつの間にか距離を取っていた幻香が呟いた声を拾い、思わず頬が引きつる。想像以上に凶悪と化した幻香相手に夢想天生も対応されたこの状況。私は勝てるのか?…否、勝つのよ。

博麗の巫女に、二度と敗北は許されないのだから。

 



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第443話

これはスペルカード戦ではない。ゆえに、回避する隙を排した弾幕を放つが、幻香に被弾する軌道の霊力弾は被弾する一歩手前で相殺されてかき消されてしまう。そして、幻香の周囲に浮かぶものから放たれる弾幕を結界で防ぐ。

そうやって弾幕を放ちながら接近した幻香が振り下ろす棍棒を手の甲で往なし、もう片方の掌底で幻香を狙う。だが、その軌道上に突如現れる脇差を見て、即座に掌底を引きながら大きく後退する。真っ直ぐと撃ち出された脇差は途中から重力に従って落下し、遥か下にある地面に深々と突き刺さった。

チラリと見降ろした地面には、既に三十は超える刃物が突き刺さっている。さっきから似たような攻防が繰り返されている証拠だ。お互いに有効打がない。

だが、幻香は確実に妖力を消耗し、私は体力を消耗している。長期戦になるが、はっきり言ってアイツのほうが分が悪いだろう。ここまで派手に妖力を消耗する行為を繰り返していれば、あちらのほうが底を突くのが早くなる。

 

「…ふぅ。もう少し自棄になってくると思ってたんですがね。思ったより冷静で落ち着いてて…、拍子抜けだよ」

「そう言うアンタも随分と余裕ね。何が目的か知らないけれど、私の夢想天生に侵入しても、私にはまだ届いていないわ」

「いやぁ、わたしを殺すという割に、貴女は致命打を狙わないものだからね」

「それを言うならアンタもよ」

 

夢想天生に侵入し、何でもかんでも創造してしまう今のアイツなら、回避不可能な即死攻撃なんていくらでも出来るはずなのだ。分かってる。この殺し合いですら、アンタにとっては遊びに過ぎないことくらい。私は、遊ばれているのだ。

しかし、私の攻撃を受けるために刃物を創るあたり、今の私と違って殺すことに躊躇はしていないのだろう。私はアイツを殺す決意はある。だが、それを実行する覚悟が、未だ出来ていない。芯の甘みが抜け切らない。淡い理想を、棄て切れない。

 

「ま、いいよ。これでも貴女とのお別れはちょっと寂しいからね。思い出は少しでも多いほうがいい」

 

そう言いながら、幻香は棍棒を新たにもう一本創造し、両手に一本ずつ握る。

 

「ッ!?」

 

一瞬で肉薄され、顔面に真っ直ぐと突き出された棍棒を、上体を大きく逸らして避ける。続けて振り下ろされたもう一本の棍棒は、逸らした状態からそのまま回転しながら蹴り上げた。

跳び退りながら放った針は容易く避けられたが、これ以上の追い打ちは阻止出来た。それだけで十分な成果。

 

「霊夢!防御しろぉッ!」

 

そんな時だ。私達の遥か上空から声がした。見上げてみると、私達を丸ごと飲み込む真っ白な魔力が降り注がれていた。私は夢想天生をしているから防御の必要はない。だが、もう一人の幻香はそうはいかないだろう。

 

「星符『ドラゴンメテオ』ォ!」

「模倣『マスタースパーク』」

 

私を真っ直ぐと見ていた幻香の宣言と共に右腕を真上へ伸ばし、薄紫色の妖力を放った。白と紫がぶつかり合い、互いを飲み込み合い、そして相殺された。

 

「チィ!」

「おやおや。乱入かなぁ?」

 

そう言って、幻香は強襲してきた魔理沙を見上げて嗤った。

突然、魔理沙が胸をきつく押さえつけた。サッと血の気が失せ、グラリと体が大きく傾く。そして、そのまま魔理沙は跨っていた箒から落ちた。

 

「魔理――ィぎ…ッ!?」

「敵を目の前にそりゃねぇよ」

 

すぐさま落ちている魔理沙の元へ飛んでいこうとしたところで、背中に強烈な衝撃が走った。

 

「ゲホッ!――ヴ…ッ」

 

そのまま抵抗する余裕もなく吹き飛ばされた私は地面に叩きつけられ、それからすぐ落ちてきた魔理沙の下敷きとなる。

痛む体に鞭を打ち、私の上に圧し掛かる魔理沙を退ける。しかし、魔理沙にこれといった言葉も抵抗もなかったことに違和感を覚えた。そして、焦点の合ってない魔理沙の頬が赤い。

 

「…霊、夢」

「ちょっと魔理沙!どうしたのよ!?」

「体…、寒い…、熱い…、重い…、痛い…。どう、なってんだ…。…くそっ」

「寒くて熱い?…ッ!魔理沙、アンタ凄い熱よ!?」

 

額に当てた手がとても熱かった。明らかに重病人のそれ。さっきまでの威勢のよさは何だったのか。まさか無理してここにやって来たの?

 

「当たり前でしょ」

 

そこまで考えたところで、背後から声がした。すぐさま振り向き、幻香を睨む。対する幻香は嗤うのみ。

 

「アンタ、魔理沙に何したのッ!?」

「何も、と言いたいところだけど、したよ。わたしは鏡宮幻禍、しがない『禍』だからね」

「幻香…、だと?…霊夢、封印、解いたのか…?」

「説明は後!…さっさと吐けッ!」

 

息も絶え絶えな魔理沙の問いを後回しにし、大量の札を放つ。しかし、それらの札は地面から飛び出した壁に阻まれてしまった。そして、その壁を脇に投げ捨てた幻香は小さなため息を吐きながら答えた。

 

「吐け、って言われてもなぁ…。もう分かってるでしょう、人間代表?わたしは鏡宮幻禍、『禍』だよ?」

「だから何だってのよ!?」

 

思わず叫んだ私を、幻香は鼻で嗤った。

 

「『禍』は魂を削り、生気を削ぎ、不幸へ堕とす…。大規模感染症の原因であり、災厄の権化。…ねぇ、本気で分かってないの?」

「…!まさか、アンタ…」

 

すぐに魔理沙の魂を確かめた。…削れていた。僅かだが、確かに抉れていた。さっきも自分で思ったじゃないか。重病人のそれだと。でも、だけど!

 

「アンタはそんな妖怪じゃあないでしょう!?ドッペルゲンガー!」

「そう。わたしはドッペルゲンガーで幻影人。そして『禍』だ。…貴女達が望み、求めていたことだぜ、人間さん」

 

…そうだ。里の人間達は、確かに求めていた。全ての不幸の原因として罪を擦り付けられる存在。そんな都合のいい『禍』を。

 

「否定してたよ。けど、もういいや、って思った。だから、貴女達が用意した濡れ衣を、わたしは着た。これで白々しい真っ赤な嘘は肯定され、そして真実へ昇華する」

 

確かに言っていた。濡れ衣を着ると。しがない『禍』だと。だけど、そんな簡単に…?

そこで、私の脳に電流が走った。紫が言っていた、ドッペルゲンガーの特性。願いを奪い、代わりに叶える。願いは精神から奪う。精神は魂と密接している。それを奪う。…つまり、魂を削り取る。精神に対応した肉体を形成する。『病は気から』の究極形態。幻香は『禍』であることを求めた。その精神に肉体が対応し、精神が肉体を引っ張り、『禍』として新たに形成された。

そうして鏡宮幻香は『禍』と成ったのだ。里の人間達の願いを叶えながら。

 

「…幻香、アンタ、まさか、そんなッ!」

「気付いてくれて何よりだ。そう、わたしは元からそうだった。気付くのが遅過ぎただけで、いつでもそうだったんだよ。…そして、思った通りだ。わたしは、こうして『禍』と成った」

「幻禍ァ!」

「そう、わたしは鏡宮幻禍だ。ようやく呼んでくれたね、霊夢さん」

 

そう言って、幻禍は嗤う。私は立ち上がりながらそのむかつく顔面へ激情のままに掌底を打った。だが、体を捻じって躱されてしまい、横から迫る棍棒をまともに受けて地面を転がされる。受けた肩がいかれる衝撃。骨が砕けていないのは何故かと言いたくなる。

 

「霊夢…ッ!幻禍、テメ…」

「はじめまして、霧雨魔理沙さん。そう、わたしは鏡宮幻禍です」

 

重病で身体をまともに動かせないが、それでも幻禍を睨む魔理沙に、幻香は嗤いながら自己紹介をする。そこに霊力を纏わせた陰陽玉を投げつけたが、幻禍に当たる直前に粉砕された。飛び散る破片の奥に右腕を振るった後の姿勢で立っている幻禍がいて、ただただ嗤うのみ。

そして、幻禍は何故か私達に背を向けて上空を見上げた。

 

「…思ったより多いなぁ。これは」

 

そんな呟きが聞こえ、私も立ち上がりながら見上げる。

そこには、十六夜咲夜が、魂魄妖夢が、西行寺幽々子が、アリス・マーガトロイドが、東風谷早苗がいた。そして、幻禍に気付いた瞬間、各々が苦しみ始める。幽々子は特に苦しそうに見える。

しかし、それでも彼女達は舞い降りた。

 

「…神社から黒い柱が立ったから見に行って来い、とお嬢様に頼まれて来てみれば…。一体何なんですか、これは?」

「げほっ、ごほっ!…幽々子様、大丈夫ですか…?」

「はぁ、はぁ…。正直、全然大丈夫じゃないわ。…けど、あそこに紫がいるの。このまま、何もせずに去るわけにはいかないわ」

「魔理沙…っ。何よ、これ…。それに、まさか、幻香が…?」

「…これは早苗ピンチですか…?体は怠いし、動くのも億劫…。ですが、そんな時こそ私の奇跡の出番ですよねっ」

「ま、派手に打ち上げたんだ。来るとは思ってたよ」

 

そう言いながら、幻禍は新たな五人を見遣り、大きく伸びをしていた。

 



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第444話

「錚々たる顔触れだ。いやぁ、久し振りですねぇ。…はじめまして、皆さん。わたしは鏡宮幻禍。しがない『禍』です」

 

幻禍は咲夜、妖夢、幽々子、アリス、早苗に自己紹介をして嗤う。その微笑みに苦い顔を浮かべたり、一歩後退ったりと反応はそれぞれだが、早苗だけは明らかに違うものだった。両眼を輝かせ、一歩どころか二歩三歩と自信満々に前へ歩み寄る。

 

「へー!貴女が噂の『禍』なんですか!あの霊夢さんが封印するしかなかったという?」

「まぁ、そうみたいですね。東風谷早苗さん」

「ふぅーん。なぁんだ、大した事なさそうじゃないですか!けど、ピンチはチャンス!『禍』を討伐すれば東風谷早苗と守屋神社の名を広める大チャンスですよね!」

 

大胆不敵。早苗の言葉に思わず頬が引きつる。嫌な予感しかしない。むしろ、この状況で好転すると思える奴はきっと異常者だ。

対する幻禍は表情を崩さず微笑み続けている。そして、両手に持った棍棒を回収してから乾いた拍手をした。

 

「いいねぇ。そうなんです。実はわたし、大したことないんですよ」

「やっぱり!けど、私のために倒されちゃってください!」

 

そう言って早苗はふわりと浮かび上がる。私達は誰も付いていけず、ただ茫然を見送るしか出来ていない。何も出来ない理由は、幻禍にまるで隙が無いからだ。あんなに平然としているのに、臨戦態勢を取っているわけでもないのに、私からすれば背中を向けているにもかかわらず、踏み出すのを躊躇してしまうほどに。

幻禍を見下ろす早苗は、声高らかに言い放った。

 

「弾避けの奇跡!ふっふーん、これで貴女の攻撃は私に通用することはありません!勝ち確ですね!」

「馬ッ鹿ヤローッ!げほっ!…早苗!弾避けなんざ、意味ねぇよ!」

 

魔理沙は叫んだ。だが、その返事はなかった。

 

「奇跡?知らんな」

「ぇ…?」

 

既に早苗は幻禍の踵落としを喰らい、地面に叩きつけられていたからだ。何が起きたかよく分かっていなさそうな顔を浮かべたまま、早苗は幻禍の追撃を背中にもろに受けた。右足で踏みつけられ、肺の中身を全部吐き出したような悲痛な声を上げる。

 

「まさかスペルカード戦なんて甘い決闘で勝敗を決めるとでも思ってたんですかねぇ…?」

「ッ!幻禍ァ!」

 

右脚を上げ、再び早苗を踏み潰そうとした幻禍に柄を握った妖夢が跳んだ。一瞬で肉薄し、楼観剣を煌かせる。すると、居合を受けた幻禍は吹き飛ばされた。

 

「斬れてない…!?」

 

楼観剣の刀身を呆然と見る妖夢を放っておき、私は早苗の元へと向かう。すぐに介抱してやるが、残念ながら既に気を失っていた。起こすことを諦め、代わりに倒れた早苗を結界で覆う。ないよりマシだろう。

吹き飛ばさながら体勢を戻し、両脚を地に付けて停止した幻禍を、周囲に突然現れたナイフが襲う。が、爆発したような音と共にナイフが散り散りに吹き飛ばされた。

そんな時、首の横のあたりがチリチリとする感触がした。勘に従い、すぐさま屈む。頭上を通り抜ける脚。攻撃された側を見れば、そこには私がいた。当然のように夢想天生に侵入している。だが、その目は明らかに生きたそれではない。

 

「コイツ、いつの間に!?」

 

右掌底を受け流しながら、私は周囲を見回す。咲夜には咲夜、魔理沙には魔理沙、とそれぞれ同じ姿の者がいて、戦い始めている。偽物は武器の類を何も持っていないから分かりやすいが、その体術は威力、速度共に相当強い。

 

「この程度ッ!」

 

そんな中、妖夢は早々に自身の偽物を斬り伏せ、その道中にいた幽々子の偽物を斬り伏せながら幻禍の元へ駆け出した。

妖夢はひとまず後だ。目の前の偽物の前蹴りを躱し、反撃の回し蹴りを叩き込む。が、見た腕で簡単に防がれてしまった。が、その防御されている脚から霊力を炸裂させ、防御の上から攻撃を加える。…案の定、これといって効いている印象はない。破壊して止めるしかなさそうだ。

 

「霊符『夢想封印』」

 

宣言と共に五色の霊力弾を放ち、偽物に叩きつける。相手が妖怪ではないから効果は薄いだろうが、壊す程度なら問題はない。予想通り被弾した箇所に大穴を空け、頭や左肩を消滅させた。

動きを止めた偽物が倒れたことを確認し、周囲の様子を伺う。偽物相手に負けそうなのはいない。フラフラな魔理沙は丸ごと消し飛ばし、その横にはアリスが付いていた。咲夜は大量のナイフで全身を突き刺している。幽々子は紫と藍の元へと向かっていた。

 

「うん、遅い。太刀筋が見える。分かる」

「はぁっ!…くっ!」

 

幻禍の方を見遣ると、妖夢の斬撃をヒョイヒョイと躱していた。助太刀すべく、私は幻禍の元へ駆け出した。

 

「ガ…ッ!?」

「残念でした」

 

瞬間、幻禍の姿が視界から消え、背後から声がした。そして咲夜の短い叫声。

しかし、何が起きたのかを考える暇はなかった。辺り一面からナイフが飛来したからだ。私は夢想天生で全てのナイフがすり抜けていき、百を超えるナイフが地面に転がる。

 

「な…んで…」

「確かに貴女の時間だ。だからわたしの時間だ」

 

咲夜と交戦する幻禍の元へ向かおうとするが、その前に咲夜が幻禍の肘を鳩尾に喰らい、それから十何本の腕の残像を見せるほどの速度で殴られ続け、最後の一撃を横っ面に受けて吹き飛ばされる。

そして、私と顔が合った。相変わらず、嗤っている。そんな幻禍の真横に妖夢が跳んできた。妖夢の腕が動く。が、居合で抜いた楼観剣は親指と人差し指の二本で止められていた。

 

「なッ!?」

「もう知ってる。だから、さよなら」

「が…ッ!?」

 

そして、地面すれすれから噴き上がる右拳を妖夢は腹に喰らい、そのままグッタリと動かなくなった。

そんな妖夢を投げ捨てた幻禍は、改めて私に顔を向けた。両手にあの棍棒を創り、ゆっくりと私へと歩き出す。お互いの間合いに侵入した瞬間、横から迫り来る棍棒を屈んで躱しながら足を払う。幻禍の体が浮く。すぐさま追撃の手を打つが、その軌道に数多のナイフが出現して跳び退る。対する幻禍は、浮かんだ体を一回転させて着地していた。

 

「…幻、禍ァ!」

「ん?」

 

突然叫んだ魔理沙の方へ顔を向けた幻禍はニヤリと頬を吊り上げた。魔理沙からただならぬ雰囲気を感じた私も魔理沙の方を向いた。アリスに背中を支えられながら立つ魔理沙は、真っ直ぐとミニ八卦炉を幻禍に向けている。

 

「…しっかり支えてくれよ、アリス!」

「…えぇッ!」

「はぁ、はぁ…。喰らいやがれぇ!魔砲『ファイナルマスタースパーク』ッ!」

 

宣言と共にミニ八卦炉から放たれた圧倒的な魔力が幻禍に向かって迸る。対する幻禍は、自身の周囲に数え切れないほど膨大な数のふわりとしたものを浮かべた。

 

「独創『カウントレススパーク』」

 

そして、その一つ一つから薄紫色の妖力が放たれた。その一つ一つが重なり、混ざり合い、まとまった妖力が、魔理沙の魔力とぶつかり合う。

 

「ウギ、ギ…。踏ん、張れ…っ、アリス…!」

「分かってる、わよ…ッ!」

 

拮抗する魔力と妖力。激しい衝撃で周囲を巻き込みながら、お互いを打ち消さんとしている。

 

「必死ですねぇ」

「ッ!?」

 

突然、私の耳元から幻禍の声がした。すぐさま裏拳を放つが、棍棒で受け止められてしまう。硬いものを打った手の甲に痛みが走る。

ニヤニヤと嗤う幻禍は、棍棒で上を見上げるように促した。そちらに目を向けると、そこには幻禍の周囲に浮かんでいたものに酷似したものがいくつも浮かんでいた。…魔理沙とアリスの上に。

 

「アンタッ!魔理沙、アリス!逃げ――」

「アハッ!遅いっての」

 

薄紫色の妖力が魔理沙とアリスに降り注ぐ。一歩早く気付いたアリスが大盾を持った人形を出して防御したが、それすら丸ごと飲み込んでしまった。そして、拮抗していた魔力と妖力は魔力を妖力が押し退け、そして貫いた。

 

「あ…あぁ…」

 

しばらくすると妖力が収まり、そこに残ったのは倒れて動かなくなった魔理沙とアリスだけ。傷だらけで、血だらけで、見るからに、痛々しい。

 

「…ま」

「いやぁ、不運だねぇ。不幸だねぇ。一体、誰の仕業かな?」

「幻禍アァァアアァァァ!」

「そう。わたしの仕業だ」

 

もう、許せない。許すわけにはいかない。コイツを、野放しにするわけには、いかないッ!

決意は一歩踏み出され、一線を越え覚悟となる。

 

「幻禍ァ!私は!アンタを!『禍』を!この手で!絶対に!殺すッ!」

 



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第445話

大量の札を放ちながら駆け出し、空気が爆ぜる音と共に札を吹き飛ばした幻禍に肉薄する。振り下ろされる棍棒を紙一重で躱しながらの掌底。軌道上に現れた包丁に対し、掌底を急停止。腕を引くと同時に体を回転させ、回し蹴りを放つ。

 

「ハァッ!」

「お、…っと」

 

棍棒で防御しようとした幻禍だったが僅かに間に合わず、あらゆる障害をすり抜けて脇腹に深く入る。直撃した脚に霊力を送り、即座に放出。炸裂した霊力に吹き飛んでいく幻禍の元へ走り出し、隙を与えず追撃を図る。

 

「ッ!」

 

が、その目論見は勘に従って止め、即座に後転を繰り返して距離を取る。瞬間、幻禍付近の地面から大量の刃物は跳び出した。先程まで私がいた場所も当然その範囲に入っていて、あのまま飛び出していたら、と思い一筋の冷や汗が流れた。

代わりに霊力弾を放つが、それらは幻禍に被弾する前にかき消されてしまう。そんな最中で幻禍はゆっくりと立ち上がり、私を見て嗤う。

 

「まだだなぁ…。わたしを殺すには、あまりにも弱過ぎるよ。威力、速度、そして殺意。どれも足りてない」

「…あっそう。すぐ埋めたげるわ」

「それは重畳。全くもって悪くない」

 

そう言い放ち、幻禍は私の頭へ棍棒を振り下ろした。コイツ、この距離を一瞬で、しかも私が気付けない速度で!?

 

「ソラァッ!」

「くっ」

 

咄嗟に結界を張って防御を試みたが、棍棒がぶつかった箇所から全体に罅が走り、儚く砕け散ってしまった。棍棒が結界を破壊するまでの一瞬の間に身をよじって躱したが、続くもう片方の棍棒の振り上げをまともに喰らってしまった。

身体が浮かび、ほぼ無防備となった私の腹に棍棒が思い切り捻じ込まれ、そのまま吹き飛ばされた。

 

「げほっ!…はぁ、はぁ」

 

地面に叩きつけられながら転がり、思わず吐き出した唾の色はない。内臓は無事だ。身体を動かすたびに激痛が走るが、気力で無理矢理抑え込み、両脚を踏ん張って立ち上がる。そして、両手の棍棒を弄りながら嗤う幻禍を睨んだ。

 

「どうしたんですか?かかって来なよ」

「言われなくともッ!」

 

挑発する幻禍に接近し、霊力を込めた陰陽玉を投げ飛ばす。それを私から見て左に跳んで躱した幻禍へ札を一枚放つ。その札は一発の妖力弾で細切れにされたがそれでもいい。その隙に肉薄し、思い切り蹴り上げる。その軌道上にまたもや脇差が現れたが、足に簡易の結界を張って弾いた。

 

「てぇッ!」

 

そのまま顎を蹴り上げて浮かんだ幻禍の鳩尾に全力の掌底を叩き込んで吹き飛ばす。派手に地面を転がっていき、行きついた先には大量にばらまかれた札がある。そこに吹き飛んでいくように狙った。

 

「縛」

「ぐ、おっ?」

 

地面に散らばった札から霊力が伸び、仰向けとなった幻禍を雁字搦めに拘束する。勇儀相手には引き千切られたが、今回はそう簡単にはいかせない。幻禍の身体を一緒くたに縛るのではなく、各部位に分けて縛り上げる。そうすることで、一ヶ所破っただけで拘束を剥がされる、なんてことは起こらない。

ふぅー、と肺に溜まっていた息を吐き出し、一歩ずつ幻禍の元へ近付く。

 

「おや、もしかして勝ったつもりで?」

「…いえ、まだよ。まだ、アンタを殺せていない」

「そりゃそうだ」

 

そう言って幻禍は嗤い、そして幻禍を中心に爆発した。

 

「う…ッ!?」

 

爆発の衝撃で地面が大きく抉れ、砂煙が舞う。そこに一筋の風が突き抜けて砂煙が掻き消えると、そこには服を多少傷物にしながらも拘束を破った幻禍が浮かんでいた。

 

「まぁ、あれだ。ご自慢の夢想天生を攻略しただけで、ここまで弱く感じるとは思っていなかったよ」

「…何ですって?」

 

その言われ方に思わずカチンときたが、すぐに冷静になる。悔しいが、事実だったからだ。私の奥義である夢想天生は破られた。だが、そうだからと言って夢想天生を解除するわけにはいかない。そんなことをすれば、幻禍本人の攻撃まで喰らうことになってしまう。

そう考えながら幻禍に対する殺意を滾らせ、右脚を一歩踏み出した瞬間、幻禍が忽然と視界から消えた。

 

「え――ガッ!?」

「そしてこの様だ」

 

突然こめかみに衝撃が走り、地面を転がされる。速い。速過ぎる。

叩かれたこめかみを手で押さえ、グラグラ揺れる視界とふらつく足で立ち上がる。そんな私に意識が向いていないらしい幻禍は、私がさっきまでいたところに立って呟く。

 

「うん。この速度で反応出来ないみたいなぁ…。なら、速度に関してはもう十分かな?」

「ふざけないで。すぐに慣れるわ」

「ん?聞いてたの?…ま、いいや。慣れたならまた対処するからさ」

 

そう言って余裕そうに嗤う。…今に見てなさい。幻禍を確実に殺す方法。それさえ思い付けばいい。

どうすればいい?正直に言えば、このまま幻禍の攻撃を耐え続けて妖力枯渇を狙うのは、この調子では厳しいだろう。時間を掛ければ掛けるほど私は幻禍の攻撃を多く受け、倒れてしまいかねない。それに、工程が多ければ多いほど、幻禍に見抜かれる可能性も上がる。ならば、取るべき方法はやはり一撃必殺。

そうと決断したら、自然と胸の奥に黒い炎が灯った気がした。…あぁ、これが、アイツに宿る、理解してはならないと思っていた、漆黒の意思。幻禍を殺す。殺せる。

 

「いい目だ。殺意は十分と見た」

「…そうね。今なら、アンタと分かり合えるかもしれないわ」

「そりゃ無理だ」

「分かってたわ」

 

身体中を走る激痛は忘れた。身体が軽い。目の前の殺すべき対象のみが視界に鮮明に浮かぶ。私が思い描く最高の動きで幻禍の元へ駆け出した。

地面から何かが飛び出てくる、と勘が告げる。瞬間、世界が緩やかに流れていく。地面から大量の刃物の切っ先が僅かに表れるのが見える。だが、それにはむらがあり、また両刃ではないものも混じっている。飛び出す刃物の僅かな隙間に体を合わせると、体の数ヶ所から血が舞う。だが、斬れたのは皮のみだ。多少の傷はどうでもいい。今は、真っ直ぐと幻禍へ。

一枚の札を手に取り、躱せると思っていなかったのか軽く目を見開いている幻禍に肉薄する。振り下ろされる棍棒。気にしない。無視だ。

 

「は?」

「私を舐めないでほしいわね」

 

そして、棍棒はすり抜けた。札を持った手を伸ばし、その軌道上を飛ぶ刀も当然すり抜ける。

私はさらにもう一つ浮いた、…いや、一歩踏み出したのだ。感覚的ではなく、意識的に。未だに夢想天生の理解は出来ていないが、それでもその場に留まることを止め、世界からさらに遠ざかったのだ。

 

「私は、博麗の巫女よ」

 

そう言い放ち、私は幻禍の胴体に札を張り付けた。幻禍はニヤリと笑った。

 

「破」

 

たった一言、発する。パン、と乾いた音を立てて上半身が爆ぜた。血飛沫が舞う。グラリと下半分が傾き、そして倒れた。断面から臓器と血が流れ出る。幻禍だったものを中心に、血の海が広がる。

 

「ぁ」

 

殺した。

 

「あぁ」

 

私は殺した。

 

「あぁあ」

 

私は幻禍を殺した。

 

「あぁあぁぁぁ……」

 

殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。…殺して、しまった。

理想が音を立てて砕け散る。にわか仕込みの漆黒の意思が真っ赤な血で染まり、後悔が私を染め上げる。そして、私の目の前に現実が広がる。気持ち悪い。吐き気がする。嫌だ、嫌だ、嫌だ。だが、私がどう思おうと、どう足掻こうと、目の前の光景は決して変わらない。

幻禍は死んだ。私がこの手で殺した。もう理想は叶わない。あるのは、目の前の死体だけだ。

 

「…霊、夢」

「…紫?」

 

後悔の最中、紫の声がした。ふわりと倒れそうになった体をどうにか持ちこたえ、振り返った。そこには、黒い杭を引き抜いたらしい幽々子に支えられながら横になっている紫がいた。その奥には杭を抜かれたが未だ目覚めていない藍もいた。

 

「…ねぇ、私、やったわよ。…紫」

 

そう言って、私は無理矢理笑う。そんな私を、紫と幽々子は恐ろしいものを見る目で見た。…ねぇ、どうしてそんな目で私を見るの?今、私は否定されてしまったら、きっともう駄目だ。

 

「…嘘」

「…そ、んな」

 

…違う。この二人は、私を見ていない。私を通り越した何かを見て、恐れている。

 

「…あーあ」

 

背筋が凍る。馬鹿な。有り得ない。殺した。確実に。私が、この手で。何故その声が背後からする…!?

私は震える体を抑えることなく振り向いた。

 

「んっんー…。わたしは何にも傷付いちゃあいないのに、何をやり遂げたようなこと言ってんだか」

 

殺したはずの幻禍が、傷一つない体で血の海の真ん中に立っていた。

 



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第446話

「おや、もう目覚めちゃいましたか。…まぁ、別にいいか。邪魔してこないなら」

 

幻禍は私の後ろにいる紫を見ながらそう言ってその場にしゃがみ込み、血の海の中から何かを拾い上げる。血の滴るそれは布に見えた。どうやら肌着だったらしいそれを、幻禍は平然と着始めた。袖を通した腕が血に濡れ、襟を通った顔や髪の毛も当然血に染まる。そんな光景を見せられ、私は素直に気持ち悪いと思った。

しかし、それでも私は言わなければならないことがある。訊かなければならないことがある。意を決し、私は声を張り上げた。

 

「何で生きてるのよッ!?」

「はい?」

「私はアンタの上半身丸ごと吹っ飛ばして確実に殺した!…そのはずなのに、どうしてッ!」

「死んだぁ?もしかして、わたしのことですか、それ?」

「当たり前でしょう!?」

 

何故生きてる。私の覚悟が完全に無駄になってしまう。また殺さなくてはならない。だが、一度殺した感覚が未だにこびり付いて、とてもではないが出来そうにない。…けれど、やらなくては、いけなくて、私は、博麗の巫女で、敗北は、二度と、許されなくて…。

頭の中をグルグルと回って気持ち悪い。けれど、私はせめて幻禍を睨み続けた。最後の戦う意志だけは折れてはいけない。

 

「んー、私はこの通り無傷ですし、そもそも痛くも何ともないですよ?」

「…アンタの、その周りに流れた血は、どう説明するのよ?」

「血ぃ?…あー、確かにそうですね。…一体何なんでしょうね?」

 

そう言って、幻禍は首を傾げた。…とぼけてるのか、コイツ。それとも、頭が吹っ飛んで記憶も一緒に飛んだのか。

両腕を組んでしばらくの間唸っていた幻禍は、唐突にあっ、と声を上げた。そして、何故か嬉しそうに微笑み始める。

 

「そう!わたしは貴女に殺されたんですよ!札から注がれた貴女の霊力によって内側から上半身を丸ごと吹き飛ばされて!いやぁ、死ぬかと思いましたよ。というより、あれは確実に死んでたね。わたしの精神、…魂が残された下半身から離れようとしましたから」

「なら――」

「ありがとうございました」

 

追究の言葉は遮られ、幻禍は私に礼を告げた。意味が、分からない。

そして、幻禍は私を見詰めながらゆっくりと口を開き、独白を始めた。

 

「時折、不思議に思ったんだ。『幻』の数は増えた。妖力弾も自在に操れた。力はどんどん強くなった。脚だって速くなった。視力の代理器官を得た。把握範囲は次元を超えて拡大した。失った腕を戻せた。さらに腕を増やせた。『禍』に成った。妖力から複製を創れた。複製の複製が出来るようになった。複製から創造へ昇華した。遂には世界そのものを創造してしまった。出来ないことは、いつか出来るようになっていた。これっておかしくないかな?出来ないことが、出来ないままになることだってあるはずなのに」

 

そう言う幻禍が私を見ながらまるで別のものを見ているようだと錯覚した。酷く遠くにいるように感じた。

 

「八雲紫の記憶を読んで、仮説は信憑性を大いに増した。そして、死んで蘇ったことでそれは証明された。この身体は魂が求めたことを忠実に叶えてくれる。この身体は痛みがなければ無傷と同義、なんてふざけた理論も満たしてくれるほどに、魂の思うがままだ」

 

戦慄する。精神に対応した肉体を形成する、と紫は言った。だが、まさかそこまでだとは思っていなかった。それと同時に、紫がこんな化け物を欲していたことに気付いて思わず震えた。

 

「おかげで確認は終わった。知りたいことも知れた。見たいものも見れた。改めて言いましょう。ありがとうございました」

 

そして、私は今最悪の化け物を敵にしていることを思い出し、足が竦んだ。殺せるのか、これを?…否、殺さなくてはならないのだ。私は、博麗の巫女だから。

竦む足を無理矢理前に出して地面を思い切り踏み締める。下がったら、きっと折れる。だから、一歩前に踏み出した。折れかけていた戦意が持ち治り、さらにもう一歩踏み出した。

対する幻禍は、嗤うのみ。

 

「…殺してやるわ。何度でも」

「もう死なないよ。二度と死んでたまるか」

 

私は幻禍へ走り出し、右腕を大きく引き絞る。夢想天生は進化した。単調に浮くだけだったものから浮き沈みが可能となったことで、幻禍が創るものを回避することが可能となった。もう捕らわれることはない。全てをすり抜け、全てを叩き込む。

 

「ハァッ!」

 

全力の掌底を打ち込み、パァン、と乾いた音が響く。

 

「…え?」

 

幻禍の手のひらから。掴まれた。私の手。引き抜く。動かない。なんで。どうして。

 

「きっと、いつか出来るようになった。けれど、見て学んだ方が圧倒的にやりやすい」

 

そう言って、幻禍は私に嗤い掛ける。グイ、と掴まれた手を引かれ、体が幻禍の方へと倒れていく。そして、幻禍の蹴り上げた脚が私の首に直撃した。

 

「ァ…ッ?」

「案の定、別次元軸の移動が出来るまで成長してくれたね。欲しかったんだよ、その技術が」

 

そう言って幻禍は片腕で私を振り回し、そして地面に叩きつけられた。息が詰まる。

この衝撃で動揺していた意識を取り戻し、僅かに浮くことで、幻禍に掴まれていた手をすり抜けて距離を取る。追ってくる幻禍の跳び蹴りはそのまますり抜けると思っていたが、足から脛あたりまではすり抜けていったが、膝の手前で接触され、無防備だった腹に衝撃が走る。

 

「げほっ!」

「おいおい、まさか自分の技術を理解してないのか?ちょっと移動した程度だと簡単に喰らっちゃうよ?」

 

蔑むような声色だった。絶対的優位が崩れ、ほぼ真横に引かれ、そして下に落ちた。それをこの僅かな攻防で理解してしまった。

だが、それでも負けるわけにはいかない。痛む腹に力を入れて痛みを抑え込み、回し蹴りを放つ。幻禍が私の夢想天生で触れることが出来るか判断するのは見てもよく分からない。だが、今まで寄り添い続けてきた勘が補ってくれる。

 

「ここッ!」

「アハッ…。いいねぇ、続けましょうか」

 

片腕で防御されたが、つまり当たったということだ。勘は当たった。なら、まだ戦える。

幻禍の攻撃を大きく浮くことですり抜けて回避し、沈みながらの掌底。が、幻禍が一気に遠ざかる感覚がし、そして掌底はすり抜けて空振りした。そんな私の背中に幻禍の踵落としが振り下ろされようとしたが、さらに沈み込んでどうにか回避した。

空振られた踵は地面を大きく陥没させる。…あんなもの、受けてたまるか。

 

「さぁて、付いて来れるかな?」

「アンタが付いて来たのよ…ッ!」

 

お互いの攻撃がすり抜けて空振りし、時折当たるのだが防御される。どちらがより多く当てられているかと言われれば、悔しいが幻禍の方が圧倒的に多い。それでも、私は攻撃を続けた。

 

「…はぁっ、はぁっ、はぁっ」

「おや、お疲れのようですねぇ」

 

進化した夢想天生にまだ慣れない。幾度と繰り返した浮き沈みは、私の気力を徐々に削っていった。対する幻禍は何ともなさそうに見える。隠しているのか、それとも本当に何ともないのか…。

そんな迷いを断つべく、歯を食いしばりながら掌底を繰り出した。だが、その手はガッシリと掴まれた。そして、私の指と指の間に幻禍の指が無理矢理捻じ込まれ、さらにきつく握り締められた。

 

「…気付けば、他の方々も目覚め始めましたねぇ。ほら、見てくださいよ」

 

そう言われたが、私は幻禍を睨み続ける。しかし、一瞬骨が軋むほど握られ、口外に見ろと言われた。そのまま見回すのは癪なので、キッときつく睨んでから周囲を見回す。…確かに、幻禍が倒した面々が起き上がり、私達を見ている。手を出してこないのは、手を出しても無駄だと分かっているからだろう。

 

「今のわたしは貴女で手一杯なんだよなぁ…」

「させないわ、絶対に…ッ!」

「しないよ。わたしは、ね」

 

そう言った幻禍は、空いている腕を真横に伸ばし、人型のものを創った。人里を探せば何処にでもいるような、しかしあまりに普通過ぎて、凡庸過ぎて、平均過ぎて、逆に見つけられなさそうな容姿の少女。

そんな少女の眼が見開かれ、パチクリと瞬きし、そして幻禍を見詰めた。そして、深々と頭を下げてから口を開いた。

 

「私を誕生させていただき恐悦至極です。主様っ!」

「…あれ、こんな性格になるの?」

 

その少女は、生きていた。

 



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第447話

全身が茹で上がっているように熱くて、それでいて冷水に浸っているように寒い。身体はまるで鉛を流し込まれたように重く、そして怠い。そんな体が大きく揺らされて気持ち悪く、吐き気が込み上がってくる。

 

「げほっ!…けほっ、こほっ」

「魔理沙!?」

 

…声が聞こえる。いつも聞いている声だ。その声が、私の名を呼んでいる。

重たい瞼を持ち上げ、ぼんやりとした視界を見遣る。ポタリ、と頬に何かが落ちた。

 

「…ア、リス?」

「よかった、起きたのね…っ」

「あぁ…。どう、なってんだ、今…」

「…霊夢と幻禍が戦ってるわ」

 

私を見下ろしているアリスから戦う音がする方へと首を傾ける。そこではアリスの言うとおり、透き通った霊夢と幻禍が互いに攻撃し合っていた。空振りの方が圧倒的に多いが、それでも時折ぶつかり合う音がこちらに聞こえてくる。

そんな二人の死合を見て、思い出す。突然、頭上から降り注ぐ妖力。私の出来る最高火力は拮抗し、それでいて幻禍は役割を分ける余裕まであった。…私の、負けだ。

そう自覚した途端、胸の奥が軋んだ。重たい手を持ち上げて胸のあたりを握り込むが、とても収まりそうにない。私では追い付けない。私では届かない。私では触れられない。悔しい。悔しい。悔しい…っ。

 

「おや、お疲れのようですねぇ」

 

どの程度、歯噛みしながら見入っていただろうか。唐突に幻禍の声がしてハッと意識が戻る。

 

「…気付けば、他の方々も目覚め始めましたねぇ。ほら、見てくださいよ」

 

そう言った幻禍の言葉に思わず周りを見回した。…確かに、早苗も咲夜も妖夢も紫も目覚め、二人を黙って見ていたようだ。突撃したくても出来ないから、見ているしかなかったんだと思う。

そんなことを考えながら視線を戻すと、霊夢と目が合った。闘志と殺意が混ざり揺れている。だけど、それは危うく、儚く感じた。

 

「今のわたしは貴女で手一杯なんだよなぁ…」

「させないわ、絶対に…ッ!」

「しないよ。わたしは、ね」

 

そう言った幻禍は、空いていた腕をスッと真横に伸ばした。そして、人型のものが創られた。黒髪くらいしか特徴らしい特徴がない。あまりに平凡過ぎて、個性がなさ過ぎて、逆に違和感を覚えてしまうような少女。

そんな少女がゆっくりと目覚め、パチクリと瞬きし、そして幻禍を爛々と輝く瞳で見詰めた。何をするかと見詰めていると、ペコリと深くお辞儀をした。

 

「私を誕生させていただき恐悦至極です。主様っ!」

「…あれ、こんな性格になるの?」

 

なんだ、あれは?少し前に私達の前に創られた人形とは明らかに訳が違う。というか、主様?

幻禍が創ったものが理解出来ない。それはアリスも同じように見える。そんな私達を置いていくように、それは私達を見回してから言葉を続けた。

 

「状況は何となく把握しました。主様、他の相手は私にお任せくださいっ!」

「あ、うん。…ま、好きにしていいよ」

「好きにしていいのであれば、まず一つ、私に名前をくれませんか?」

「名前ぇ?必要ですか、それ?」

「必要ですよっ!このままでは名乗りを上げれないじゃあないですかっ!」

「あ、そう…。それじゃあ、香織と名付けよう。初めての誕生祝いだ。わたしの棄てた名を継いでほしい」

「香織ですねっ!ありがとうございましたっ!」

 

そう言うと、香織と名付けられたそれは私達の方へ歩いてきた。…いや、歩いてと表現したけれど、実際は近付いてきたわけではなく、透き通っていた体が実体を得てきた、といった方が正しい。だが、それはまるで私達の場所まで歩いているように私は見えた。

そして、それは私達の前で優しく微笑んだ。

 

「はじめまして、皆様。私は香織と申します。今から主様の代わりに貴女達を倒します」

 

その宣言を言い終えた瞬間、姿が掻き消えた。ガギン、と金属音が響き、慌ててそちらへと顔を向ける。

 

「く…ッ!?」

「やっぱりまだ難しいですね、こうして動くのは」

 

妖夢が香織の脚を楼観剣で受け止めていた。…熱いとか、寒いとか、重いとか、怠いとか、気持ち悪いとか、そんなこと言ってられないな。私達は攻撃されている。

地面に手を付き、私は痛む体を起こし立ち上がる。さっきまで感じていた悔しさをばねにして、私は新たに創られた敵を睨みつけた。そして、右手に握ったミニ八卦炉を突き付ける。

 

「妖夢ッ!そこから動かすなよッ!」

「無茶、言いますね…ッ!」

「…まさか『禍』は…?いえ、今はそんなこと考えてられませんね!助太刀しますよ!」

 

妖夢が香織を逃がさぬよう楼観剣を振るい、早苗も弾幕と共に飛び込んで牽制をする。その間に魔力をミニ八卦炉へ送り、増幅させる。

 

「恋符『マスタースパーク』ッ!」

「そこね」

「よし、今ッ!」

 

そして、十分に充填された魔力を解き放った。それと同時に妖夢と早苗は跳び退り、咲夜が香織の両側の空いた空間へナイフを素早く投擲し、アリスの人形が頭上へ弾幕を張る。そして、私が放った魔力が逃げ場をなくした香織に直撃した。

だが、それは一瞬のことで、膨大な魔力は真ん中から引き裂かれる。程なくして魔力の放出が終わり、そこにはピンと伸ばした右腕を振り下ろした香織が平然と立っていた。

 

「うん、大体分かってきましたよ。主様が創られたこの身体の動かし方が」

 

そう言うと、その場から動かず右腕を大きく引き絞る。そして、一気に突き出した。

 

「ぐふっ!?」

「アリスッ!?」

 

隣に立っていたアリスが突然吹っ飛んだ。髪の毛の一部が突風に持ってかれる。拳圧による衝撃波か。力は鬼並みか…。

身体の所為ではない冷汗が流れるのを感じていると、急に幽々子に支えられながら心臓を上から押さえた紫の震えた、しかし歓喜が混じり、だが悲哀に満ちた言葉を告げた。

 

「まさか、貴女、生命を創ったの…?」

 

その言葉は、私達ではなく、香織にでもなく、幻禍に向けられていた。霊夢と戦いながらそれを聞いていた幻禍は、霊夢の攻撃をかわしながら返事をした。

 

「えぇ、創りました。よ、っと。…今、話し中だから、っと。攻撃緩めてくれるとっ、嬉しいなぁ」

「黙らっしゃいッ!」

「あぁ、そう、かいっ!」

 

そうは言うものの、幻禍は余裕気に霊夢の攻撃をかわして続きを語った。

 

「…ま、わたしが創るべきは、精神じゃあなかったってことですよ。もっと大事な、それでいて曖昧な、魂だったってだけの話。いくつかの魂を喰らって、わたし自身が魂であることを感じ、実際に創ってみて、確信した」

 

…幻禍が、生命を、創った…?あの能力で?

 

「そんなの、神様になったようなものじゃないですか…」

 

早苗の呆然とした声が耳に入る。神。幻禍が、神…?そんな馬鹿な。

紫の放心した顔。しかし、それは一瞬のこと。すぐにくしゃりと顔が歪んだ。…あんな紫の顔、初めて見た。悔しくて悔しくて堪らない、そんな気持ちが見るだけでいやってほど伝わってくる。

 

「話は終わりましたね?それでは、続けますよ」

 

私達の間に流れる空気をぶった切る発言。どうやら、幻禍の言葉が終わるのを律義に待っていたらしい。

私は即座に反応し、ミニ八卦炉を構える。咲夜はナイフを携え、妖夢は鞘に収めた楼観剣の柄を握る。アリスの人形を何体か出したが、早苗は何故か動かない。幽々子は紫に付きっ切りで、そして紫はとてもではないが戦えそうにない。

香織が左腕を引いた瞬間、私は弾幕を放った。跳び出した妖夢が香織に肉薄し、咲夜は離れた位置から常に隙を狙い続けている。アリスが私の隣に立つと、不思議と闘志が湧いてくる。

幻禍が創ったこいつは私達が絶対に倒す。だから、霊夢。悪いが幻禍を任せるぜ…!

 



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第448話

魂を創った、と紫に返した幻禍は颯爽と空へ逃げ、私はそれを追う。その間、私は早苗が思わずといった風に呟いた言葉を思い返していた。神様になった、と。…幻禍が?アイツが、神様?…ふざけるな。

奥歯を噛み締め、私を見下ろす幻禍を睨む。認めない。認めてなるものか。神はそんな軽いものじゃない。決してだ。

 

「ハァアッ!」

「随分とやる気のようで。よかったよかった」

 

急加速しながらの両脚を揃えた飛び蹴りを片手で受け止められ、右足首をガッシリと掴まれる。即座に浮くことですり抜けようとするが、それに合わせて幻禍も浮いてくる。そのせいで逃れることが出来ない。

 

「そぉぅらっ!」

 

それでも逃れようと何度も浮き沈みしている間に、幻禍が私を片腕で豪快に振り回し、遠くへと投げ飛ばされる。その勢いを自らの力で軽減させようにも殺し切ることが出来ず、そのまま地面に叩きつけられた。

 

「ぐはっ!」

 

そこは博麗神社から相当離れた位置にある、人気のない森の手前だった。叩きつけられた背中が痛むが、それもすぐに気にしていられなくなる。

 

「シッ!」

「ッ!」

 

真っ直ぐと飛んできた幻禍の伸ばした脚を横に飛んで躱し、それからすぐに空へ飛ぶ。幻禍の一撃によって陥没した地面を見遣り、近くに生っていた樹が巻き込まれて倒れていく。

空を飛んで距離を取りながら考え、そして少しだけ分かったことがあった。幻禍はどちらかと言うと地上を好む。空中でも戦えるようだが、地上戦と比べるとどうしても劣るように見える。ならば、私が得意とする空へ連れて戦った方がいい。

わざとらしく同じ速度で追ってくる幻禍を見遣り、そしてゆっくりと止まった。少し離れた場所に幻禍も止まる。

 

「いやぁ、随分と離れてしまいましたねぇ」

「…アンタがそれを言う?」

「それもそうだ」

 

そう言うと、幻禍はくつくつと嗤った。そして、私と目が合った。全く同じ顔のはずなのに、全てを飲み込む深淵を覗いているような気分にさせられる、冷たい漆黒の瞳。

 

「けれど、もうそろそろ十分かなぁ、って思うんだ」

「十分、ですって…?」

「うん。思い出には、もう十分だって」

 

次の瞬間、幻禍が掻き消えた。

 

「…そう思いませんか?」

 

そして、耳元で囁かれた。即座に声がした右側に裏拳を放ちながら振り返るが、そこにはすでに幻禍はおらず、元の位置でへらへらと嗤っていた。

 

「今日は、いい天気だ」

 

唐突に、幻禍は言った。

 

「太陽は昇り、空を照らす。微風は草を撫で、小鳥は歌う」

 

空を見上げながら呟く幻禍の手に新たな武器が創られる。これまで創っていた棍棒ではなく、長刀。振るえば、もちろん斬れる武器。その切っ先が私に真っ直ぐと向けられた。

 

「そんな日にこそ、赤い花がお似合いだ」

 

斬撃。その予感がし、私は横へ飛んだ。瞬間、先程まで私がいた場所に刀が振り下ろされていた。

一旦距離を取り、刀を持ち上げた幻禍を見遣る。あれは、確実に本気だった。当たり前だが、改めて思い知らされた。

 

「あらまぁ、躱されちゃった。ま、次斬ればいっか」

 

そう言って幻禍は嗤う。そして、幻禍は私の前に一瞬で近付き、横薙ぎに刀を振るった。首の高さに合わせられていたそれを、上半身を後ろに逸らして躱す。そんな私の真上に、いつの間にか幻禍が移動していた。

 

「ふッ!」

「ッ――ガッ!?」

 

回転しながら振り下ろされる脚を見てから僅かでもいいから浮くが、それにピタリと合わせられてもろに腹に蹴りを入れられた。捻じり込むように、埋め込むように入れられた脚は、私を下へ吹き飛ばすことすら許さない。

幻禍の脚が離れた瞬間、激痛が走る腹を想わず左手で押さえ込む。あまりの痛みに声が出ない。まともな言葉を発することが出来ない。

 

「オラァッ!」

 

そんな無防備な私の鳩尾に、再び幻禍の脚が突き刺さった。左手の上から無理矢理に蹴りを捻じ込まれ、今度は体をくの字に曲げられながら吹き飛ばされる。

 

「ソラッ!」

 

が、最後まで吹き飛ばされる前に背後から衝撃を受け、今度は上へと吹き飛ばされた。そして、その先には既に幻禍の姿があった。

 

「ハァ…ッ!」

 

その場で縦に回転し、ちょうどよく上へと吹き飛ばされて来た私の腹へ踵落としを叩き込んだ。グシャバキ、と硬いものがひしゃげて砕けて折れる嫌な音が私の身体から響く。口から吐き出た飛沫が赤く染まる。

 

「ぐは…ッ!げほっ、ごほっ!」

 

私は地面に叩きつけられ、その場で大きく咳き込む。痛い。痛い痛い痛い。思わず痛む胸を押さえ、さらなる激痛が身体中を駆け巡った。この痛み、確実に肋骨あたりが折られている。口元を流れる血が、体の傷の深さを物語っている。

だが、痛みに悶えている暇なんてない。私はその場から転がるように遠ざかった。すると、私がいた場所に刀が深々と突き刺さる。幻禍が私へ向けて投擲したのだろう。幻禍が直接来るだろうと考えて動いたが、これなら少し浮けばよかったかもしれない。

いや、やはり動いていて正解だった。私が転がりながら立ち上がっている間に、刀の元へ幻禍が落ちてきたのだから。あの場にいたら、きっと踏み潰されていた。

 

「…へぇ、まだ動けるんだ」

「当たり、前でしょ…ッ。私は、…博麗の巫女。敗北は、許され、ない…ッ!」

「ふぅん、それは悪いことをするねぇ」

 

そう言いながら、幻禍は刀を引き抜いた。そして、私に近づきながら無造作に振るう。それを私は後ろに跳んで躱し、それと同時に空へと浮かび上がる。それを追いながら、再び振り下ろされる斬撃を、加速することで回避する。

私は後退しながら幻禍の斬撃をどうにか回避し続ける。浮き沈みによる回避はもう危険だ。幻禍は既に私の進化した夢想天生に合わせることを可能としているのだから、その場に突っ立ったままでいたら案山子と大差ない。動くたびに激痛が走る。だが、動かなければ殺される。反撃しようにも、この身体では厳しい。それに、あんな無駄の多い動きで振るっているにもかかわらず、何故か幻禍から隙を感じることが出来なかった。

 

「きゃっ!」

「アリス!…くそっ!」

「もうお終いですか?…これはまた、随分呆気ないものですね」

 

後ろから魔理沙達の声が聞こえてくる。気付けば、博麗神社付近まで後退していたようだ。だが、僅かに聞こえてきた内容を察するに、圧倒的に香織とかいう奴のほうが優勢らしい。

しかし、悔しいことに私は今目の前にいる幻禍で手一杯。助太刀にでも行こうとすれば、その瞬間斬り伏せられてしまうだろう。

 

「ぇ…っ…?」

 

そんなことを考えていること自体が、致命的な隙だった。ピッと私の左側に刀が振り下ろされ、私は落ちていく何かを見遣る。左腕。私の左腕。違和感を一切感じさせず、私の左肩から先が斬り飛ばされた。不思議だ。痛みはない。

 

「――ァァァアアアアアッ!?」

 

だが、それは僅か一瞬のこと。すぐに焼けつくような激痛を感じ、思わず喉が張り裂けるほど叫ぶ。存在しない左腕を掴もうと右手が空を掴む。ない、ない、ない。私の左腕。今まで当たり前にあったはずの、私の一部。そして、右手が遂に左肩の切断部に接触した。ぬるり、と血が滑る。

 

「痛いよね。分かるよ」

「アアァアアァァッ!?」

「…聞いてないか」

 

私は飛んだ。左腕の元へ。それ以外のことが考えている余裕はなかった。そして、博麗神社の端に転がるそれを掴み取った。綺麗に切断された左腕。それを左肩に押し当てようとし、だがそんなことをくっ付くはずがない、と僅かに残された理性が私の右手の動きを止めた。

そんな私の背後に、誰かが近付いてくる。振り返るまでもない。…幻禍だ。

 

「これで詰みだ」

 

ゆっくりと振り返ると、幻禍が私に真っ直ぐと右腕を伸ばしていた。その手には私を殺すには十分過ぎるほど漆黒に染まった妖力が輝いている。私がこの場を離れようとしても、浮いても沈んでも、今の幻禍は正確に放ててしまう。

私は自身の死を悟り、だが目を見開いた。閉じてたまるか。最後の最期まで。

 

「さよなら、霊夢さん」

 

瞬間、視界は黒く染まった。

しかし、幻禍の攻撃は来なかった。

 

「主様っ!」

「…魔理、沙?」

 

魔理沙の背中。息も絶え絶え。既に血だらけ。満身創痍。そんな私の友達が、私の目の前で両腕を広げて立っていた。

 

「死にますよ」

「…知ってる」

「壁にすらなってない」

「…知ってる」

「死体が一つ増えるだけだ」

「…知ってる」

「無駄死に、って奴ですよ。魔理沙さん」

「んなこと知ってらぁ!」

 

魔理沙の声が響く。ボロボロのはずの身体で、幻禍を真っ直ぐと見ながら、魔理沙は叫んだ。

 

「ここで動かなかったら一生後悔する…。だからッ!」

「あっそ」

 

そう言うと、幻禍は何故か白けた顔をして右腕を下ろした。右腕に溜められた妖力が既に霧散していた。

 

「もういいや」

「…どういうことだよ」

「私の負けでいいよ、別に。どうせ、もう意味のない死合だったし」

 

そう言い放つと、幻禍は私達に背を向けた。その背は酷く寂しく、そして遠く感じられた。

 



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第449話

…いつもと違う天井だ。博麗神社ではない別の場所であることを認識し、それから迷いの竹林の奥にある病院、永遠亭に運び込まれたことを思い出した。そして、左腕が切断されたことも。

敗北感。それが私の心を満たす。確かに負けなかった。けれど、勝てなかった。アイツが負けを認めたから私は勝ちました、と言われても、あの状況で私は勝ったと豪語出来るほど私の神経は図太くない。

しかし、得られたものもあった。…いや、得た、何て前向きな言葉を使うべきではないわね。普通に生き返りやがったが、それでも一度は確かに殺したのだ。私の芯まで染み付いた甘さが抜け切った、にわか仕込みの漆黒の意思。それを背負ったのだ。

 

「…朝」

 

甘かった頃、迷った頃、そして今。窓から見える景色は普段となんら変わったようには見えなかった。そんな単純なことなのに、とても心が安らぐ。私に変わりはない。そう思えた。

そうやって外の景色をぼんやりと眺めていると、静かに扉を叩く音が部屋に響いた。

 

「起きてるわ」

「そう、それはよかった」

 

返事をすると、永琳が扉を開けて部屋に入ってきた。片手に持っていた診察道具と思われるものを机に置き、それから私の横に置かれていた椅子に腰かけた。

 

「それじゃ、いくつか調べさせてもらうわよ」

「はいはい。早く終わらせてよね」

 

永琳に瞼を広げられたり、首に手を当てられたり、胸に何か押し当てられたりと、色々された。そして、私の左腕に触れる。ほんの僅かだが、触れられているような感覚がした。

 

「どう?」

「触れられてるのは何となく感じるわ」

「そう。それなら後は時間と努力次第ね」

 

切断された左腕は、永琳の手術によって繋がれた。しかし、すぐに元通り、とはいかないらしい。ままならないものだ。

そう思いながら左腕を睨んでいると、わざとらしいため息が聞こえてきた。

 

「…あのねぇ。一度離れた腕を繋いで、また動かせる。それだけで儲けものなのよ?」

「異変は待っちゃくれないわ」

「完治するまで他の、例えばあの白黒魔法使いにでも任せなさい。これは医師としての命令よ」

「…分かってるわよ。治してくれたことには感謝してるわ」

 

分かっていても、気は逸るばかりだ。しかし、どれだけ気が逸ろうとも左腕はほとんど持ち上がらないし、左手を握ろうとしても指先がピクピクと動くだけ。

 

「ちゃんと動かせるようになるまで私達が付き添うから、そう焦らないでほしいわね」

「…期間は?」

「さぁ、そればっかりは貴女次第よ。…ま、腕は綺麗に切断されてた。私は最善を尽くした。これから貴女が最善を尽くす。そうすれば早く済むわ」

 

そう言われ、私は両手を固く握り締めようとした。しかし、やはり左手は握ることが出来なかった。どれだけ時間が必要だろうか?出来るだけ早い方がいい。しかし、焦って過剰にすればよくないことを、時間を努力のみで埋めるのは到底無理であることを理解している。焦ってはいけない。落ち着いて、少しずつ、元に戻していけばいい。

気持ちが落ち着いたことで、ふと先程永琳が言った言葉に引っ掛かりを覚えた。

 

「綺麗に切断されていた?」

「えぇ、そうよ。何処の誰がやったかは知らないけれど、本気で貴女の腕を欠損させたいなら切れ味は悪い方がいいに決まってるじゃない。手術した私からすれば、まるで治してください、って言わんばかりに切断面が綺麗過ぎたもの。運がよかったわね」

 

そう言われ、思わず顔が歪む。まるで治してください?…えぇ、きっとそうだったんでしょうね。本気で腕を吹き飛ばすなら、わざわざ刀である必要なんてないのだから。とことんむかつかせてくれる。

吐き出す先のない怒りが込み上げ、右手を固く握り締める。だが、ものに当たったりは決してしない。

 

「そうカリカリしないでほしいわね。治りが悪くなるわよ」

「…そう。分かったわ」

「分かってないでしょう?…はぁ。まぁ、いいわ。私は出て行くけれど、すぐに別の人が会いに来るから。貴女を心底心配している人がね」

 

そう言い残し、永琳は扉を開けて部屋を出て行った。開けっぱなしの扉を閉めようと思い、腰を浮かしたところで、永琳が言っていた会いに来た人が部屋に入ってきた。

 

「霊夢…」

「紫…。どうしたの?」

「貴女に伝えておかないといけないことがあるわ。質問は最後にしてちょうだい」

 

まだ顔色が優れていない紫は、やけに真剣な表情で先程まで永琳が座っていた椅子に腰を下ろしてからそう言った。伝えておかないといけないこと、ね。つまり、あの後どうなったかだろう。

 

「まず、博麗神社は新しく建て直しているわ。ま、貴女がここを出るより早く終わる予定よ」

「なら、その予定を狂わせてあげるわ」

「…そうね。狂わせてちょうだい」

 

私の冗談に対して微笑む紫を見て、少しだけホッとした。明らかに本調子ではない紫の気が少しでも紛れたのならいいことだ。…あと、出来ることなら本当に狂わせてやりたい気持ちもある。

 

「次に、貴女も察しているでしょうけれど、今の私は本調子とは言い難いわ。時間が解決してくれるでしょうけれど、体力も妖力も能力も十全に扱えない。けれど、幻想郷を覆う結界はギリギリのところで成り立っている。貴女のお陰よ。ありがとう、霊夢」

「そう。…どういたしまして」

 

やはり、紫も完治とは言い難いのか。スキマを利用してここに侵入してこないところが既に違和感しかない。あの漆黒の杭による封印は、思っていたよりも深刻だったようだ。けれど、幻想郷は問題ないことが知れて安心した。

 

「次に、魔理沙達。彼女達は既にそれぞれがそれぞれの手段で治療して日常に戻ったわ。腕を斬られた貴女が一番重傷で、他の皆は血を流したり、鼻が潰れたりしてたものの、まだ軽傷だったもの」

「…なら、よかったわ。…魔理沙に言っておいてほしいことがあるのだけど、いいかしら?」

「質問は――えぇ、いいわよ」

「私が治るまで任せる、って伝えといて」

「彼女のことだからすぐ見舞いに来るでしょうけれど、私からも伝えておくわ」

 

この左腕が治るまで、私はここを出ることが出来ないでしょうからね。そう思うと、やはり出来るだけ早く…、いえ、焦っては駄目よ。最善を尽くす。それが私がやるべきこと。

 

「最後に、あの子…幻香のことよ」

「…ッ」

 

来た。出るとは思っていた。だが、分かっていても、冷静ではいられない。様々な負の感情が渦巻く。だが、深く息を吸って吐きながら、それらを出来るだけ抑え込んだ。…よし、もう大丈夫。

 

「…続けて」

「あの子は幻想郷から消え去ったわ。あの子が創った香織と共に」

「消えた、ですって?」

「えぇ。使える式神を全部使って幻想郷中を調べさせたわ。もちろん、今の私が出来得る力も尽くした。けれど、何処を探しても見つからなかった」

 

消えた。幻禍が、消えた?…また何処かに隠れているだけじゃないの?

そう思っていると、紫は一つため息を吐いた。そおれから、まるで見透かされているような目で見詰められる。

 

「…隠れているだけじゃないのか。…えぇ、私もそう思う、…いえ、思いたいわ。けれど、地上はもちろん、地底も隈なく探した。危険を承知で魔界まで探させた。けれど、何処にもいないのよ。それらしい痕跡もなかったのよ」

「痕跡?…じゃあ、最後に付けられた痕跡は何だったの?」

 

ふと思いついた疑問。ここから、何かが分かるのではないか。根拠はないが、そう感じた。

 

「博麗神社の階段を最後の段まで下り切ったところまで足跡があった。…それが最後よ」

 

つまり、外の世界。本来ならば脱出不可能な博麗大結界と幻と実体の境界がある。だが、私と紫が衰弱して緩んだ隙なら、あるいは…。

そこまで考えたところで、頭を軽く振るう。結局外の世界に出たところで、幻想の者は外では生き残ることが出来ない。存在を完全に否定され、そして消滅するだけだ。

けれど、もしかしたら、規格外と化したアイツなら、あるいは…。…いえ、止めましょう。いくら考えても、これは妄想に過ぎない。

 

「…消えたのなら、もういいわ」

「…残念ね。…とっても、残念よ」

 

そう呟いた紫の声が、冷たい空気に溶けて消えた。

 



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第450話

わたしは彼女達に背を向けて博麗神社を後にし、階段を下りていく。もしも付いて来るようなら、その時はその時だ。

わたしはやることをほぼ済ませた。世界を創造した。紫の能力である『境界を操る程度の能力』を使った。死を体験した。博麗霊夢の夢想天生の成長を促し、そして学習した。生命を創造した。博麗霊夢の甘さを取り除いた。そして、最後に残されたことを、これからする。

 

「ん?」

 

階段を半分ほど下りたところで、後ろからわたしの元へ駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。さてどうしようかと意気込みながら一度足を止めて振り返ると、わたしが創った一つの生命である香織だった。

隣に来るまで待っていると、彼女はわたしを通り過ぎ、そして二段下に下りたところで立ち止まった。わたしを見上げる顔は優しく微笑んでいる。

 

「これから何処に行くんですか、主様っ」

「場所は決まってないよ」

 

そう言いながら階段を下りる。さっきまでよりもゆっくりと。香織には話しておかないといけないことがあるから。

 

「貴女には選択肢がある」

「それは主様が決めることですよ」

「貴女に決めてほしい。それが命令だと思ってくれて構わない」

「…分かりました」

 

そう言うと、香織は神妙な顔つきで頷いた。出来ることなら、その主様って呼び方からどうにかしてほしいんだけど…。確かに貴女を創ったのはわたしだけど、むず痒いったらありゃしない。

ま、いいや。そんなこと、別にどうでもいい。これから話すことと関係なんざないのだから。

 

「一つ、ここに残る。幻想郷は全てを受け入れるそうですから、きっと貴女だって受け入れてくれるでしょう。きっと貴女はこれからも自由に選択して生きていける。二つ、ここで消える。わたしが責任持って魂まで完全に分解還元して消滅させます。冥界にも天国にも地獄にも行くことはないでしょう。三つ、わたしに付いて来る。一緒に生きるかもしれませんし、一緒に死ぬかもしれません。もしかしたら、わたしだけ死ぬかもしれないし、貴女だけ死ぬかもしれません。…ま、好きなものを選んでくださいな」

「主様に付いて行きます」

 

即答かい。せめて、もうちょっと考えてほしいんだけど。考えている振りくらいしてもよかったんじゃあないかなぁ?

そう思いながら呆れていると、後ろ足で階段を下りながらわたしを見上げる香織は右手を胸に当てて言葉を続けた。

 

「当たり前じゃないですか。主様に創られたこの魂は、主様のためにありますから」

「…そういう考え抜きに決めてほしかったんだけどなぁ」

「そうだとしても、私は主様に付いて行きますよ」

「はぁ…。そっか。貴女が決めたのなら、それでいいや」

 

まぁ、いてもいなくても大して変わらないでしょう。もし謀反を起こすようなら、それこそ消滅させればいい。わたしにはそれが出来る。…出来てしまうのだから。

そう思ったところで、ちょうどよく階段を下り切った。一息吐いてから振り返り、階段の遥か上を見上げる。

思うことはたくさんある。振り返ってみれば、そこには切り捨てた輝くものがたくさん散らばっていて、これから進む道に深い影を差していく。分かってるよ。分かってるさ。そうなることくらい。きっと後悔するだろうね。けれど、こうでもしないと手に入らない。

この世界には何処にもない、わたしの居場所。わたしを認めてくれる、わたしの居場所。

三本軸が頭に浮かび、そこに一気に二十五本の実数軸を突き刺す。計二十八次元。最も高次元の軸へ視線を向け、そして世界の外側を見詰めた。この世界は実数軸二十七次元、虚数軸二十七次元、なんとたったの五十四次元で構成されている。そして、それを超えてしまうと何もない。白だか黒だかよく分からない、無が広がっている。きっと、無限に。

霊夢さんの夢想天生から学習し、発展させた別次元軸移動。それを、世界を構成する二十七次元より高次元軸に適応させる。ちょっと軸が変わるだけだ。大して難しくない。

最後に、わたしは空を見上げた。声に出さないが言葉を発する。さよなら幻想郷、と。そして、心の中でまたいつか、と。

 

「さ、行こうか」

「はい、分かりました」

 

香織の手を取り、そして世界の外側へと歩き出した。無の中へ飛び込む。何にもない。この中にずっといたら気が狂いそうだ。だけど、長居するつもりはない。とりあえず、把握している次元軸を一気に増やし、そして目に映った光景に思わず目を瞬いた。

 

「うわぁ…」

 

以前、夜空と表現したことがある。無が空で、世界が星。その比喩は大体合っていたかもしれない。星が、無数に光っていた。万とか億とか、その程度の数じゃない。数える気が失せるほど、たくさん。世界って、本当はもっとたくさんあったんだなぁ…。少し、…いや、かなり驚いた。あの全てが世界だと思うと、一体どんな世界なのか少し気になってくる。

ぼんやりと眺めていると、視界の中心にポンと星が一つ増えた。少し驚いて目を逸らすと、今度は星が一つ消えた。うわぁお、世界って意外と簡単に増えたり減ったりするんだなぁ…。わたしがさっきまでいた世界も、いつかポンと消えたりするのかもしれないなぁ。

いや、そんなこと今はどうでもいいか。幸い、この無にはエネルギーが満ち満ちている。不思議とわたしが持つ妖力と大差ない、というかほぼ同質なもの。妖力枯渇なんて無様な終わり方はせずに済みそうだ。

少し周りを見回し、近くに他の世界はないことを確認する。…よし、ここにしようか。

 

「ここが、わたしの居場所」

 

わたしは足元に世界を創った。そして、八雲紫から覚えた『境界を操る程度の能力』を行使し、世界の境界を安定させる。…出来た。出来てしまった。わたしの世界。わたしの居場所。誰にも阻害されることのない、わたしの存在が許される居場所。

創ったばかりの地面に横たわり、創ったばかりの空を見上げる。青一色で簡素な代物だが、これから創っていけばいい。まだ敷地が狭いが、必要になったら拡げればいい。たった三次元空間だが、必要になったら増やせばいい。

…あぁ、ついにやり遂げた。これで今日は気持ちよく眠れそうだ。そう思い、このまま少し眠ろうかと思ったが、わたしと同じようにこの世界に足を下ろしていた香織に頬を軽く叩かれた。

 

「…何?」

「これからどうしますか、主様っ?」

 

…どう、だって?閉じようとしていた瞼を少し持ち上げ、寝転がったまま香織を見上げる。

 

「…決まってるでしょ。創るんだよ、世界を」

「分かりました!…では、私は何をすればいいでしょう?」

「…私が起きるまで、待ってて。あと、何かあったら起こして」

「了解です、主様っ」

 

それだけ告げ、わたしは改めて目を閉じる。

これからやることは既に決まっている。切り捨てたものを、再び拾い直すのだ。わたしの友達を、ここに呼べるように。手段は考えている。後は、試行錯誤を繰り返すだけ。

もし友達がここに来るのなら、こんなつまらない世界だと流石に悪いよね。せっかく来てくれるなら、楽しい世界のほうがいい。美味しい食べ物を創ったほうがいいかな。いい景色とか創ろうかなぁ。何か面白いものも創ってみたい。訓練場とか創ったほうがいいかな。生物を創ろうかな。生態系も創るべきかな。植物も創らないと。太陽を創ろう。雲も創ろう。昼と夜を創ったほうがいいかな。

そんなことをぼんやりと浮かべながら、微睡みの中に沈んでいく。夢は夢のまま終わらせない。一つずつ、現実のものとする。そう思いながら、わたしは眠りに就いた。

起きたら、とりあえず世界を拡げるところから始めよっか。

 




お疲れ様でした。
あとがき:https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=201095&uid=130833


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小話
待ってるから。


前半、妹紅視点。後半、フラン視点。
幻禍が世界を去ってから数日後の小話です。


「新聞、号外でーす。受け取ってくーださい」

 

庭で肉の燻製を夜中から明け方まで続けていたら、私の家にまで飛んで来たらしい天狗が開けていた窓に新聞を投げ入れてきた。私は外にいるんだが、どうやらあの天狗は私に気付かなかったらしい。わざわざ迷いの竹林までご苦労なこった。…それにしてもあの声、いつもの天狗じゃなかったな。

温度調整があるからここからあまり離れたくないのだが、号外で、かついつもと違う天狗が書いた新聞という代物にほんの少し興味が湧いた。早足で家に入り、投げ込まれた新聞を手に取った。

 

「…『禍』?」

 

すぐに戻ろうと考えていたのだが、見出しに書かれたその一文字に目が引き寄せられる。…嫌な予感がする。

一度目を瞑り、気分を落ち着かせる。…ひとまず、戻ろう。燻製の適温から外れたら、せっかくの肉が駄目になるかもしれないから。そう思うことで、意識を無理矢理新聞から逸らす。

家から出てすぐ庭にドカリと腰を下ろし、燻製の火を確認する。…この様子なら問題ないな。さて、…読むか。

 

「…ッ」

 

『博麗の巫女、『禍』を討つ』。その見出しを読み切ったところで自然と両手に力が入り、新聞がクシャリと歪む。…待て、まだ読み切ってない。ここで感情に任せて引き千切るのは後でも出来る。そう考え、意志を持って両手を広げた。

両手を脱力させてから膝の上に落ちた新聞を改めて手に取り、続きを読み込む。曰く、博麗の巫女が『禍』の封印を自ら解き、死闘の末に『禍』を討ったそうだ。将来への不安を断つことが出来た、という言葉で締めくくられている。そして、死闘の痕跡として、跡形もなく吹き飛ばされている博麗神社跡地の白黒写真が貼られていた。

 

「幻香が、死んだ…?」

 

そう言葉に出すが、いまいち現実味がない。待てよ、待ってくれ。あの幻香がだぞ?贔屓目に見ているかもしれないが、並大抵の相手なら負けるとは到底思えないし、後れを取ることはあっても死ぬ気がしない。そう感じていたのだが…。

それに、そもそも幻香は地底にいるんだろ?まさか、見つかったのか?それとも、もう自ら地上に上がったのか?…分からない。

 

「死んだ。…死んだ、かぁ…」

 

幻禍が死んだと考えると、自然と心に悲しみが満ちていく。涙は出ない。ただ、もう会えないと思うと、惜しい奴を亡くしたと感じる。不思議な奴だった。楽しい奴だった。痛々しい奴だった。けれど、そこまで思っても、それでも私はあの幻香が死んだと信じることが出来なかった。

 

「…あぁー…。慧音、何て言うかなぁ…」

 

新聞から目を離し、空を見上げる。この新聞はきっと人里にも配り歩かれているだろう。また宴会騒ぎになるかもなぁ…。あの頃の慧音、私と会うときはあんまいい顔してなかったんだよな、あれ。けれど、外じゃあそんな顔出来ないから、貼り付けた笑顔を浮かべてた。…嫌なんだよ、ああいう顔。

気が付けばクシャリと握り締めていた新聞を改めて見遣ると、博麗の巫女が重傷、という文章が目に付いた。…そう言えば、数日前に迷いの竹林を慌ただしく移動する音が聞こえたな。あれはそういうことだったのか。…号外、っていう割に、結構前の話じゃあないか。

 

「フラン、荒れるだろうなぁ…。押さえるのに苦労しそうだ…」

 

迷い家に住んでるフランにこの新聞を知るのはもう少し後になるだろう。だが、私達の誰かが迷い家に行けば嫌でも知るだろう。行かなかったとしても、橙という化け猫から伝わるだろう。だったら、暴れるフランを止められる私か萃香が伝えたほうがいい。

だが、幻香の訃報を伝えるのは、正直言ってきつい。この訃報が嘘だと思いたい。その根拠が欲しい。…あぁ、そうだ。天狗の新聞なんて半分以上法螺吹きじゃあないか。いつも通り嘘っぱちなんだよ。文々。新聞なんかそうだろ。同じ天狗の新聞だし、これだってそうだろ。

なんて、意味のない妄想が頭を巡る。ふぅー、と肺に溜まった重たい空気を吐き出しながら、クシャクシャになった新聞を広げる。もう一度読んだ。さらに読んだ。一字一句余さず読み込んだ。しかし、内容が変わることはない。

 

「…終わったら、出るか」

 

これ以上読み返すのを諦め、新聞に火を点けて燻製の火種にし、重たい頭を押さえる。今すぐにでも出るべきなんだろうが、途中で放り出すわけにはいかない。そんな言い訳をしながら、少しでも先送りにしようとした。

…新聞、燃やさない方がよかったな。

 

 

 

 

 

 

扉を叩く音が聞こえ、微睡みの中にいた私の意識がゆっくりと浮上する。…まだ眠いよ、橙。それに寒いし。

そう思いながらのっそりと布団から起き上がり、寝ぼけ眼を擦りながら扉を開ける。

 

「…あれ、妹紅じゃん。…どうしたの?」

「…あー、あれだ。ひとまず、中に入っていいか?」

「あ、うん。いいけど…、っとっと」

 

妹紅は返事の途中で私の横を割り込むように入ってきた。…どうしたんだろう、急に?それに、なんか顔色も悪いし。そんなことを目覚めたばかりでいまいち回らない頭で考えていた。

扉を閉めて振り返ると、妹紅は既に椅子に腰を下ろしていた。頬杖を突き、片脚で床をカタカタ鳴らしながら机をジーッと見つめている。…やっぱり変だ、今日の妹紅。落ち着こうとして、けれど全然落ち着けないような感じ。

妹紅の向かい側の椅子に座り、妹紅を真っ直ぐと見る。すると、妹紅が長くて重い息を吐いた。

 

「…フラン、落ち着いて聞いてくれ。くれぐれも騒ぐなよ」

「う、うん」

「幻香が死んだらしい」

 

ガタン、と椅子を引く手間を惜しんで勢いよく立ち上がる。倒れた椅子なんて無視だ。今、妹紅は何て言った?お姉さんが、死んだ?死んだって言ったの?

立ち上がった私を妹紅は真っ直ぐと見詰めてきた。その瞳は暗くて、冷たい。

 

「…落ち着けよ」

「落ち着いてなんていられないよッ!」

「落ち着け、フラン。…頼むから、落ち着いてくれよ…ッ」

「…あ、…うん」

 

固く握り締められた妹紅の手を見て、そしてそこから香る血の匂いを嗅いで、荒ぶる心に冷や水が掛けられた。…そうだ。落ち着いて、って言われた。騒ぐな、って言われた。私が暴れたら、妹紅も抑えられなくなるかもしれないから。だから、嫌でも冷静にならないといけないんだ。…けれど、さ。分かってても、辛いよ。

倒れた椅子を戻してから腰を下ろす。膝の上に両手を握り締めて置き、私は妹紅の言葉の続きを待った。

 

「…さっき、新聞の号外が配られてな。博麗の巫女が『禍』を討った、って書かれてたんだよ」

 

霊夢が、お姉さんを、殺した。封印だけじゃあ飽き足らず、お姉さんの命を絶った。

じんわりと視界が紅く染まっていくのを感じる。手、握り締めててよかった。開いてたら、きっと何でもかんでも壊してたから。そして、そのまま霊夢の元へ飛んで、私がお姉さんの仇討ちをしてただろうから。

目を固く閉じ、爪が手のひらの皮膚を突き破るくらいきつく握り締める。…駄目、暴れちゃ。落ち着いて。落ち着け。

目を開くと、いつも通りの視界に戻っていた。握り締めていた手を緩めて、天井を見上げる。そして、ふと思い出したのはお姉さんが言っていた約束。

 

「…お姉さん、地上に戻って来てたんだね」

「ま、多分な。…けど、何も言わねぇで逝っちまった」

「みたい、だね…」

 

信じられない。信じたくない。

 

「…ねぇ、本当なの?…真実なの?」

「新聞にはそう書かれてた。それしか私に言えることはないよ」

 

そう言われ、ふっと心が軽くなるのを感じた。そっか、新聞にはそう書かれてたんだ。

 

「なぁんだ。じゃあ、私はお姉さんは生きているって信じるよ」

「…だよな。私もそう思ってる」

 

そう言うと、お互いに噴き出した。さっきまでの重苦しい空気が嘘のように霧散し、けらけらと笑い合う。なぁんだ、やっぱりそうなんだ。妹紅だって、その新聞のこと、信じてなかったんだね。

お姉さん、私、待ってるから。ここで、ずっと。

 



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主様のために残った私が出来ること

香織視点。
幻禍が示した選択肢から幻想郷に残ることを選択したIF小話です。


「当たり前じゃないですか。主様に創られたこの魂は、主様のためにありますから」

「…そういう考え抜きに決めてほしかったんだけどなぁ」

 

そう主様に言われ、私は少し考え直すことにしました。主様のためではない私がしたいこと。私自身が心からやりたいこと。そう言われても、いまいちよく分かりません。私は主様のために生きたいのですから。

主様のため…。…そうです!それです!私、決まりました!

 

「私はここに残ることにしますっ」

「そうですか。貴女が決めたのなら、それがいいよ」

「ここに残って、主様のご友人の方々に主様がこの世界から逸脱されたことを伝えに回ります。その後は、主様がいつこの世界に戻られてもいいように活動し続けますから、ご安心してくださいっ!」

「あ、そう…?そこまで頑張らなくてもいいと思うけど…」

 

私の決意を聞いた主様は頬を引きつらせてしまいました。何故なんでしょう?

しかし、すぐにまあいいやと言って納得してくれたようです。そして、階段を下り切った主様は空を見上げてから私に顔を向けました。

 

「それじゃ、後はよろしく」

「はい、任されました。主様っ!」

 

主様はそう言い残し、この世界から去っていきました。…さて、まずは主様のご友人の方々に会いに行きましょうか。ですが、何処にいるのでしょう?主様から極僅かに引き継がれた記憶では、残念ながら何処に住んでいるのか分かりません。

私にはこの世界でまともに生きていける程度の知識とこの身体の動かし方、そして主様の記憶がほんの少しだけ混じっています。出来るだけ私個人の魂であるように創るよう努力されていたようで、主様の記憶の量は全体から見ればほとんどないと言ってもいいほど。私にあるのはその知識と、主様のご友人、残り少々。それくらいです。その努力は非常に嬉しい限りなのですが、今回ばかりは悲しいです…。

知っている人に訊けばいいのでしょうけれど、その人が何処にいるのかも分かりません。…仕方ありませんね。探すしかないでしょう。

 

「人がいる場所は、…あちらですか」

 

耳を澄ませると、周囲の音が明確に拾えます。主様が私のために創ってくださったこの身体は、非常に素晴らしいのですよ。五感のどれかに意識を集中されれば、その感覚がとても強く感じられます。遥か遠くの喧騒だって問題なく聞こえるのですから。

グッと両脚に力を入れて走り出せば、一分足らずでその場所まで到着しました。門の前に立っていた人間が私を見て目を見張っていますが、どうでもいいことです。

 

「…な、なぁ、お嬢ちゃん?」

 

ですが、ちょうどいいですね。この人間に訊いてみましょうか。

 

「私は人を探しているんです。藤原妹紅、フランチェスカ・ガーネット、古明地さとり、古明地こいし、上白沢慧音、伊吹萃香、パチュリー・ノーレッジ、チルノ、大妖精、ミスティア・ローレライ、ルーミア、リグル・ナイトバグ、サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイア、橙、姫海棠はたて。この中で知っている方はいませんか?」

「い、いるにはいるが…。流石に何処の誰とも知らない子に教えるわけにはなぁ…」

「香織、と言います。一応人間ですよ?」

 

主様は私の生物種を人間として創られました。一般的な人間の能力から明らかに逸脱していますが、それでも人間として創られたのですから人間です。

そう思いながら人間に微笑みかけましたが、あまり反応がよくありません。…何がいけなかったのでしょう?

微笑みながら人間の様子を観察していると、視線が私と遠くを行ったり来たりしています。その方角は、主様と別れた方角です。…あぁ、もしかしたらあそこでの騒動の主犯と考えているのかもしれません。ですが、私は主犯ではありません。共犯です。

 

「…あの、さ、お嬢ちゃん」

「はい、なんでしょう?」

「向こうから来たけれど、明け方あそこで何があったか知らないかい?」

「いいえ、知りませんよ」

 

明け方には私はまだ誕生していませんでしたから。明け方に何があったかなんて、私は知りません。主様が何かしたのでしょう、と推測することは出来ますが、わざわざ言う必要もありません。

微笑みを絶やさず受け答えをすると、この人間は頭をガシガシと掻きながら唸り始めました。何やら考えているようです。こういう時に自分の要求を通すには、悩んでいる隙に畳みかけて迷わせる、です。

 

「実は、出来るだけ早く見つけないといけないのです。どうしても言えないのであれば、私一人でも探します。…なので、どうかここに入れさせてもらえませんか?」

「…あぁー、…分かった。分かったから。教えてやるからそんな目で見ないでくれ…」

 

やりました。これでひとまず、何人か主様のご友人の居場所が分かります。そこからはご友人に別のご友人のことを訊いていけばどうにかなるでしょう。

 

 

 

 

 

 

人里にて慧音さん。迷いの竹林にて妹紅さんと萃香さん。霧の湖にてチルノさん、大妖精さん、ルーミアさん、リグルさん。大図書館にてパチュリーさん。森の中でサニーさん、ルナさん、スターさん。屋台を引いていたミスティアさん。迷い家にてフランさん、橙さん。私のことを何故か知っていたはたてさん。ふらっと現れたこいしさん。最後に旧都復興中のさとりさん。最後の方々にはかなり時間が掛かってしまいましたが、全員に私の口から伝えることが出来ました。

それからしばらく経ち、今の私は人里に居を構えています。私は人間なのですから、当然ですよね。

 

「いただきます」

 

それにしても、空腹とはなかなか辛いものです。主様に創られた際に受け取ったエネルギーは数週間活動し続けられるだけの量がありましたが、途中から心許なくなってしまったのです。その際に覚えた飢餓感は、食事の大切さを嫌でも覚えさせられました。…いや、必要であることは知っていたのですけれどね。知識としてあるのと実感するのとでは違うのです。

毎日朝昼夜と三食欠かさず食べるようにしています。酒は呑みません。黙々とよく噛んで食べて食器を空にし、手を合わせてごちそうさま、と口にしてからお茶を一服。そして、窓から差す陽の光を浴びながら一つ決意を呟きます。

 

「…さぁ、今日も幻想郷の平和維持ですね」

 

これだけ長く広く活動していると、嫌でも主様のことが耳に入りました。主に嫌な方向の。最初は別の誰かのことだと思っていましたが、それらの大半が主様のことだと知ったときは愕然としたものです。

きっと、主様は悪で構わないとお考えなのでしょう。ですが、私は嫌です。ここに残ると決めた時には具体的に決まっていなかった、主様のために残った私がしたいこと。愕然としたと共に、心に決めました。主様に創られた私が、幻想郷のために活動しましょう。主様の代わりに、私が知らしめてやることにします。

食べ終えた食器を洗って干していると、突然ドンドン、と力強く扉を叩く音がし、私が開ける前に外から扉が開かれました。玄関に靴を脱ぎ捨てながら慌ただしく駆け寄る人間を見遣り、私は一つため息を吐いてしまいます。勝手に中に入ってくるなと再三言っているんですがねぇ…。まぁ、いいです。

 

「香織さん!広場で悪酔いした鬼が暴れているのです!助けてください!」

「はぁーい。それじゃあ、案内してくださいっ」

「は、はい…っ!」

 

私は既に有力な異変解決者の一人に並べられているのですから。これから貴方達はこの私に助けを求め続けるでしょう。そして、私の存在が次第に大きくなるでしょうね。そうしたら、言ってやりましょう。私という存在は、貴方達が嫌いに嫌い続けている主様によって残された存在であることを。

その時、貴方達はどうするでしょうね?私を認めれば主様を認めることとなり、私を認めなければ人里に必要な存在が欠ける。せいぜい悩み、大いに後悔するがいいですよ。主様を悪に仕立て上げたことを。

貴方達のことを、主様の代わりに私が鼻で嗤ってあげますからね。

 



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頭のおかしな釣り人

レティ視点。
春雪異変の際に出会ったと言っていたドッペルゲンガーの小話。


これは二十年以上昔に釣り馬鹿と出会った話。

 

「…え、なにあれ…?人間?…こんな時に?」

 

最初は頭がおかしいと思った。釣竿を持った青年が霧の湖にふらっと現れたのだが、その時は真冬で氷が張っていたし、さらに言えば軽く吹雪いているくせに防寒具はほとんど着ていない。肩に積もった雪を素手で払いながら歩くその姿は、死にに来ているようにしか見えなかった。

そんな青年を見つけて、その時の私はちょうどいいと思ったのだ。あの人間を襲うもよし、放っておいても勝手に死んで私の餌になってくれそうだと。だけど、それと同時に興味が湧いたのだ。こんな頭のおかしな人間、滅多にいない。放っておいてもどうせ死んでくれるのなら、少し見てからでも遅くないかもしれないと。

だから、私はその青年と接触することにした。近くで拾っていた大きめの石を両手で振りかぶっている青年の背後に近づき、そして気さくに挨拶をしてみた。

 

「こんにちは~」

 

しかし無言。返事なし。チラリと私に振り向いたのだが、たったそれだけで氷の張った霧の湖に向き直り、石を振り下ろして氷を叩き割った。飛び散る氷の破片と湖の極寒の水飛沫。しかし、そんなもの意にも介さず、しかも平然と雪の上に腰を下ろし、釣糸を湖の中に放り込んだのだ。

振り返った際に少しだけ見えた青年の唇が紫色で震えていたのを覚えている。そんなに震えるなら、ちゃんと寒さ対策すればいいのに、と私からすればおかしなことを考えてしまったことも。

それからしばらく、青年は体をガクブルと震わせながら釣りに没頭していた。私はその隣に立っていたのだが、とてもではないが釣れるとは思えなかった。あんな大きな石を放り込んで、しかも氷を叩き割って、その近くに魚が近付くとは考えにくい。

 

「…駄目か」

 

そう呟いた青年は腰を持ち上げた。ようやく諦めたかな。…そう思っていた時期が私にもありましたよ。

帰るのならささっと寒気を増して凍死させてあげよう、と思ったのだが、予想に反して歩いて来た方向とは真逆にふらっと歩き出す。しかも、さっきと似たような大きさの石を拾いだす始末。そして、案の定、別の場所の氷に石を落として穴を空けて釣糸を垂らしたのであった。

体を震わせながら釣糸が引かれるのを待っている青年に、思わず私は訊いてみた。

 

「ねえ、釣れるの?」

「…釣るんだ」

 

そう言い切った青年は、それっきりだんまりである。とは言ったものの、やはり釣れるはずもなく、釣糸は吹雪に煽られるだけだった。

そして、また駄目かと呟いて立ち上がり、ふらっと別の場所へ歩いて穴を空けて釣りを再開する。それを何度も繰り返していた。…馬鹿だと思うし、それに付き合っていた私も相当馬鹿だったと思う。けれど、その時の私は、何となく最期まで見届けてあげようかなぁ~、なぁんて思っていたのだ。

そして、十個目の穴を空けた頃。私は遂にこの静けさに耐えられなくなって、今度は会話をしてみることにした。けれど、きっと、その時の私は静けさよりも湧き上がる興味を抑え切れなくなったんだと思う。

 

「あのさ」

「……………」

「…えーっと、その、なんでそんなに釣りたいのかな~?」

「……………」

「それに…、ほら!こんな季節だし、湖に氷が張ってるし、吹雪いているし。悪条件ばっかでしょ?」

「……………」

「しかも格好もおかしいし。別に、今じゃなくてもよかったんじゃないかなぁ~、なぁんて?」

「……………」

 

しかし、青年の口を開くことは出来なかった。意地でも口を開いてもらおうか、と意気込んだのだが、青年の湖を見詰める真剣な目付きを見て、私は口を閉ざしたのだった。

 

 

 

 

 

 

そして時間は流れていき、既に真夜中。隣に焚き火を置いた――なんと、私も手伝ったのだ。この時点で私も相当おかしくなっていると思う――とはいえ、人間には堪える寒さだろう。吹雪が止んだとはいえ、十二分に寒い。

 

「……………」

「釣れないわねぇ~…」

「………そうだな」

 

思わず口にした私の言葉に、その青年が返事をしたことに私は驚いた。あの凍り付いて貼りついてしまったんじゃないかと思っていた口を開いたのだから。

だから、私はその調子で言葉を続けることにした。もしかしたら、今度こそ会話が成立するかもしれないと思ったから。

 

「あのさ、こんな真夜中になるまで粘ってるけれど、どうしてそんなに釣りたいのかなぁ~?」

「………子供の頃、ここで一際巨大な魚を見た。そんな大物を、いつか釣ってやると思っていた時期もあった。だが、齢を取ってそんなことをしている余裕はなくなった。…しかしなぁ、今でもどうしても釣ってみせたいんだよ」

 

青年は震える唇で、囁くようにそう言った。あれだけ無口だったのに、これだけ長々と喋ってくれるとは思っていなかったから、少し驚いてしまった。

そのままジィーッと青年を見詰めていると、青年は口端を僅かに持ち上げた。

 

「思い立ったが吉日、という奴さ」

 

そう言って、青年は口を閉ざした。けれど、やっぱり今の時期に釣りに出たのは馬鹿だと思うわ。

それからは、私はその青年の釣りに付き合いながら会話を楽しんだ。そのほとんどに返事がないから、この光景を見ている誰かがいれば私が勝手に独り言をしているようにしか見えていなかったと思う。

けれど、その青年が里で有名な家具屋を継ぐために父の元で朝から夜まで日々努力していることとか、会心の出来を父に褒められたこととか、去年妻との間に娘が産まれたこととか、子供の頃無断でここに来たせいでしこたま叱られたこととか、そんなことを話しているこの時間を気に入っていた。

けれど、それと同時に疑問も感じていた。私みたいな妖怪でもこの青年の数少ない言葉からも察することが出来るほどに家具職人として努力をしているのにも関わらず、思い立ったが吉日だからという理由でこんなところに来るものなのかと。

そんな疑問は違和感となって燻ぶっていたけれど、この時間を楽しんでいたかった私は無視しようとしていたのだ。事実、私はペラペラと口数を多くし、出来るだけ気にしないように努めていた。

そして、空が僅かに明るくなり始めた頃。

 

「――ということなんだよね~」

「…む」

「あれ、どうし――あ」

 

私が青年に一方的に話し続けていたら、遂にその時はやってきた。釣糸が勢いよく湖の中に引きずり込まれたのである。すぐに釣竿を握り続けていた青年の両手に力が入ったのだが、いかんせんこの極寒の中ではあまり力が入っているように見えなかった。

 

「っ、私も手伝うよ~!」

 

青年の最後を見届けたくて、私は咄嗟にその釣竿を掴んだ。仮にも妖怪で、しかもこの寒さ。この時の私の腕力はそこら辺の人間相手と比べれば明らかに強かった。だから、釣竿の先が重いとは感じても、無理だとは感じなかった。

力いっぱい釣竿を引き上げると、湖の張った氷に大きな罅が走る。湖の中で暴れていた魚であったが、氷に叩きつけた所為か急に静かになった。その隙に青年と共に一歩後ろに下がりながら釣糸を引っ張った。そして、私達は氷に空けた穴を広げながら氷塊と水飛沫と共に巨大な魚を釣り上げた。

 

「…うわぁ…、本当に釣れちゃったよ」

「ああ、そうだな…」

 

そう呟いた青年は、すぐに巨大な魚を両腕で持ち上げてその場を後にする。…え、ちょっと、それだけ?

 

「何か言うことないの~?」

「…助かった」

 

私の言葉に振り返った青年は、淡々とそう言った。もう少し言い方が、とは思ったけれど、素直に嬉しかった。

そして、楽しい時間が終わったことを自覚し、抑え込んでいた違和感が一気に浮上する。だから、私は去っていく青年の前に素早く回り込んで歩みを止めた。

 

「…ねぇ、貴方、本当に人間?」

「人間だが」

 

そもそも、まともな人間がこんな時期にこんなところには来ない。それこそ、頭がおかしい人間でなければ。

そして、頭がおかしい人間であっても、この極寒の中まともな防寒着もなしに日を跨いで釣りを続けられるものだろうか。

最後に、私が訊いていたこの青年は朝から夜までずっと家具を作り続けている。努力し続けている。そんな青年が、思い付きなんて理由で釣りに来るなんて思えなかった。

そんなことを思いながら、私は青年を睨み付けた。しかし、睨まれた青年は私の横をふらっとした足取りで素通りしていく。

 

「…人間だ。ただし、ドッペルゲンガーだが」

「…へ?ど、ドッペ…?」

 

私の隣を通り抜ける際、小さな声でそう言った。呆気に取られてしまった私は、去っていく青年を見送ることしか出来なかった。

それっきり、その青年がここに現れなくなったことは言うまでもない。

 



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祝え、新たな神の誕生を

幻禍視点。
新たな世界で一眠りして少し経った頃の小話です。


「起きてください、主様っ!」

 

頬をベシベシとかなり強めに叩かれ、ゆさゆさと肩を思い切り揺さぶられる。…気持ちよく寝ているっていうのに、一体何があったの?

目を軽く擦りながら眠気がまだ抜け切っていない体を起こし、ボーッと前を見詰める。何だ、何もないじゃあないか。そう思っていたら、突然両頬を手で挟まれ、グリッと真横に捻られる。

 

「やっと起きたのねん」

「…誰?」

 

無理矢理向けられた視界に、見覚えも創った覚えもない人が映った。…え、本当に誰?

その人は実に珍妙な格好をしていた。真っ先に目に付いたのは、頭に乗っかっている独特な色合いの赤い球体。その両側には地球と月を模したものが浮かんでいる。赤い髪の毛に赤い瞳。そして、着ている黒地の服にはWelcome Hellという、わたしでもすぐに分かる誤字が書かれていた。

わたしの後ろに隠れている香織が何とも言えない雰囲気を醸し出している。正直に言うと、威嚇している子猫のような感じがした。警戒してるなぁ…。

とりあえず、目の前にいるのは敵ということでいいのかなぁ。…んー、やっぱり今は様子見かな。敵意は感じないし。

 

「私はヘカーティア・ラピスラズリ。一応、貴女の先輩、ってことになるわ」

「はぁ、ヘカーティア・ラピスラズリ、ですか…」

 

片仮名の名前の人って大体長ったらしいなぁ…。何て呼べばいいのやら。それに、先輩?…ま、そんなのはどうでもいいか。

 

「それで、貴女はここに何の用ですか?出来ればさっさとご退場願いたいんですが…」

「えー、嫌よ。つまんない」

「…力尽くが好みならそれでもいいんですが」

「今の貴女じゃあ私に勝てないわよ」

 

わざわざ教えてくれたようだが、そんなもの既に分かってる。だが、今勝てなくても、次勝てる。死ななければいい。そして、死んでもいい。…念のために『永』も用意しておこう。

腹の奥底に漆黒の炎が灯る。覚悟を決め、意思を固め、決意に満たされながらゆっくりと立ち上がると、目の前の相手は何故か両手を顔の両側に挙げ、ひらひらと手の平を見せびらかした。

 

「けど、私は貴女と戦わない。私と戦うと、貴女は私を軽ーく超えちゃうからね」

「…なら、用件を言ってほしいんですけど」

「んもう、せっかちなんだからー」

 

そう茶化されながら、ふわりを浮かび上がるヘカーティア・ラピスラズリを見上げる。そして、何故か嬉しそうに微笑みながらわたしに告げた。

 

「鏡宮幻禍。私は貴女を祝いに来たのよ。新たなる神の誕生を」

 

一瞬、思考が止まる。…今、何と言いましたか?

 

「…神ぃ?」

「主様が、ですか?」

「えぇ、そうよ」

 

わたしが神、ねぇ…。いやぁ、流石にそんなわけないでしょ。少なくとも、わたしは神を名乗るつもりはない。

空中に浮かびながら寝そべる、という器用なことをしているヘカーティア・ラピスラズリを呆れながら見上げていると、ゆっくりと降下してきて目線の高さが合った。そしてニコリと微笑まれる。

 

「私が贔屓してる世界から誰かが零れ落ちたと思ったら、さらっと新たな世界を創っちゃうんだもの」

「…いや、その前にわたしは神でも何でもないですよ」

「ただの『禍』だから、かしらん?」

 

続けようと思った言葉を言い当てられ、思わず目を見張る。読心?…いや、名乗っていないわたしの名前を既に知っていたようだし、元いた世界から抜け出した瞬間も認識されている。最初から知っていただけかもしれない。

そんなことを考えながら、両腕から力を抜く。いつでも跳び出し、攻撃出来るように。…まぁ、無用で済むならそれでいい。

対するヘカーティア・ラピスラズリは、微笑みからキュッと口端を吊り上げた。

 

「そんなのこれっぽっちも関係ないわよ。創造神、創世神、造化の神、創造主、造物主、始まりの者、始祖…。様々な呼び方はあれど、結局のところ、俗に言うところの神であることに変わりはないもの」

「…あ、そう」

 

…どうやらわたし、神になってしまったみたいです。おかしいなぁ…。わたしはただ、わたしの存在が許される居場所を創っただけなのに。…ま、あれだ。そう呼びたいなら勝手に呼んでろ。

 

「自己満足、愉悦、趣味、惰性…。どんな理由だろうと、貴女が新たな世界を創るも壊すも自由。…あぁ、外にある世界の素は好きなだけ使っていいのよ。あれは元から世界を創るために無尽蔵に存在するのだから」

「…とりあえず、分かりました。要件が終わったのならさっさと帰ってください」

 

曲がりなりにも神になってしまったのなら、わたしはやるべきことがある。

わたしはクルリと反転し、背中に隠れていた香織の肩に左手を乗せて一つ頼み事をする。

 

「香織。少し出掛けますから、留守をお願いしますね」

「了解です、主様っ!」

「これから何するのかしらー?」

「アハッ。神様、ってのを全力でぶん殴ってくるに決まってるじゃあないですか」

 

どうしてわたしを創ったのかは知らないが、いつかそうしてやりたいと思っていた。元の世界であったことを思い返し、世界に失望させてくれた元凶。遂に真横、手の届く距離。もしも実体がないなら、わたしが創ってあげる。痛覚をキッチリ付けた簡単には壊れない丈夫な身体に入れ込んでね。

 

「無理よ。いないもの」

 

そう思っていたところで、ヘカーティア・ラピスラズリが水を差してきた。ギリギリと首から嫌な音を立てそうな動きで振り向き、哀愁を感じさせる何とも説明し難い表情を浮かべている顔を見遣る。そして、わたしは乾いた口を動かした。

 

「…どういうことですか?」

「いないのよ、もう。既に殺されてるの」

 

サッと目を逸らされながらそう言われ、わたしは固く握り締めていた右拳をゆっくりと解いた。…もういないのなら、殴れないか。…はぁ。

 

「…死んでるなら、もういいです」

 

流石に知りもしない存在を創るのは無理があるし、仮に殺された神様をわたしが創ってぶん殴ったとしても、それに一体なんの意味があるのだろうか。やったとしても、あまりにも虚し過ぎる。

一つため息を吐き、気持ちを切り替える。それなら、これからわたしはこの居場所を好き勝手創らせてもらうとしましょうか。そう思い、わたしはヘカーティア・ラピスラズリを睨み付けた。

 

「それじゃあ、用がないなら帰ってくださいよ」

「えー、気になるじゃない。最期の遺物である貴女が創る世界がどうなるのか」

「…興味深そうなこと言って喰い付かせようとしてるのかもしれませんが、心底邪魔なんで帰ってくれません?」

「ケチねー。…はいはい、帰りますよーだ。また来るからねん」

 

そんな不穏なことを言い残し、ヘカーティア・ラピスラズリはこの世界を去った。…また来るのかい。来なくていいよ、まったく…。

両手を組み、両腕をグッと上に引き伸ばす。わたしが微睡みの中で考えたことを思い返し、ひとまずやることが決まった。

 

「さて、と。眠気は吹っ飛んじゃいましたし、これから世界を拡げましょうか。…香織、貴女はどのくらいあればいいと思いますか?」

「パーッと拡げられるだけ拡げちゃえばいいと思いますよ」

「…そういうものですかねぇ」

 

ま、この広さじゃあ流石に狭過ぎるよね。使っていいと言うのなら、勝手に使わせてもらいましょうか。

妖力を糸のように伸ばし、世界の外側からヘカーティア・ラピスラズリが世界の素と呼んでいたエネルギーを吸い寄せる。そして、わたしは世界の敷地と次元数を一気に拡げた。…本当に無尽蔵だなぁ。これだけ創ったっていうのに、枯渇する気配を全く感じさせない。

地平線が見えるほど拡がった世界を眺め、さて次は何を創ろうかなぁ、とわたしは胸を躍らせた。

 



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紅葉の陰

霊夢視点。
とある未来の秋が深まった頃の小話。


秋の深まり、少し肌寒くなってくる時期となった。博麗神社から外に出ると、綺麗に赤く染まった紅葉が目につく。そして、その根元に散っている落ち葉を見遣り、今日の仕事が決まった。

箒を手に境内中に散っている落ち葉を掃いていると、私の元へ飛んできた魔理沙が集めた落ち葉の山を吹き飛ばしながら静止した。また集めなければならなくなった落ち葉を見遣り、その原因である魔理沙を半眼でジロリと睨み付けるが、当の本人は何処吹く風である。

 

「何しに来たのよ、魔理沙」

「いや、別に用はないぜ」

 

用がないのなら吹き飛ばした分手伝え、と喉元まで上がってきた言葉を飲み込む。どうせ言ってもやってくれるはずがないのだ。一つため息を吐き、私は落ち葉の掃き掃除を続ける。何事も諦める時にスパッと諦めることが大切だ。

 

「…なぁ」

「何よ」

 

そう考えていると、魔理沙に呼び止められた。箒を吐く手を止めて振り返ると、魔理沙は何とも言えない表情を浮かべていた。よく感情を映していた瞳は帽子の陰に隠れて見えず、その内心が分かりづらい。

暫しの沈黙。口を閉ざして魔理沙の次の言葉を待っていると、ようやく重たい口を開いた。

 

「…何時まで、続けるつもりだ?」

「それ、去年も言ってたわね。答えは変わらないわ。紫が次代の博麗の巫女を見つけるまで、よ」

「ああそうかい。…それじゃあ、私はもう行くぜ」

「…そう」

 

飛び去って行く魔理沙を見上げ、それから今日の日付を思い出し、私は深いため息を吐いた。…あぁ、もうこの日が来たのか。季節が一周するのが早く感じる。この境内の落ち葉を掃き終えたら、私も出掛けるとしよう。

そう意気込みながら掃き続けること小一時間。ようやく落ち葉掃きを終えた。

 

「さて、行きましょうか」

 

ふわりと宙に浮かび上がり、真っ直ぐ人里へ向かう。きっと魔理沙はもうやることを済ませて帰ってしまっているだろうが、だからと言ってわたしがやらないという理由にはならない。…正直言えば、やりたいわけではないのだが。

目的地の近くに音を立てず着地する。ここから先は徒歩だ。近くに置かれてある手桶に水を入れてから柄杓を中に突っ込み、それ以外何も用意していなかったことを思い出してすぐに首を軽く振るう。わたしにはこれだけで十分でしょう。どうせ、他の誰かが色々やってくれているのだから。

手桶の水の撥ねる音、柄杓とぶつかる音がよく聞こえてくる。静かで、厳かで、寂しい。ここにはわたしの他に誰もいないと錯覚させる。そんな石畳の上を歩いていく。

 

「…着いた、っと」

 

ようやく目的地に到達し、わたしは手桶を傍に置く。そして、目の前にあるものを見詰めた。それを見ていると、体に冷たい木枯らしが吹き抜けていくような気持ちになる。

 

「一年振りですね。…霊夢さん」

 

わたしは、彼女の眠る墓石にそう呟いた。

わたしは鏡宮幻香。…ただし、今は博麗霊夢で、同時に八雲紫の式神の一人だ。

 

 

 

 

 

 

こうなった経緯には。何も特別なことがあったわけではない。わたしが八雲紫に捕まり、都合のいい式神を強制的に憑かされ、隷属させられているだけの話。そして、今のわたしの役目が博麗霊夢として博麗の巫女の中継ぎをすること、というだけだ。

ついでに言うと、実はわたしは霊夢さんの死に目に会えていない。その時は、地上と地底の間に立っている役目に就かされていたから。そして、その死と同時にこの役目を言い渡された。…まったく、計画的なんだか無計画なんだか。大賢者様の名が聞いて呆れる。

 

「…もう掃除は終わってる、か」

 

まだ僅かに濡れている墓石を眺めながら、ここに来るのはもう何度目だろうか、と思う。…多分、二十回目。つまり、もう二十年か。長いなぁ、本当に。そりゃあ、魔理沙さんも呆れるわけだ。

まぁ、そんなことは水に流そう。既に綺麗になっている墓石に水を掛け、服が汚れることも気にせず腰を下ろす。

 

「…ねぇ、貴女はわたしをどう思いますか?」

 

わたしが博麗霊夢として活動を続けていると、人里ではまるで若い頃の霊夢にそっくりだ、と言われる。そっくりも何も本人だ、なんて口が裂けても言えない。もしも言ったらどうなることやら。

そして、博麗霊夢を知っている者からすれば気味の悪い存在だろう。何せ、この前亡くなり別れを済ませたばかりの人が、若返ってそこに存在しているのだから。最初の数年はその視線が嫌だったが、もうお互いに慣れてしまったのだろう。…だが、魔理沙さんに霊夢という名で呼ばれたことは一度もない。

毎年のように起こる異変を解決した。もちろん、博麗の巫女として。時に一人で、時に仲間と共に。だが、その仲間との間には薄い壁を感じるのだ。その中の一つでレミリアさんが紅霧異変を再び引き起こしたのは、わたしを試したのかもしれない。そして、対峙したときのあの表情は忘れられない。…酷く、寂しいものだった。

 

「…ま、答えてくれるわけもないか」

 

死人に口なし。八雲紫は閻魔様に博麗霊夢の魂の裁判を特例で済ませるよう無理強いをしたと言っていた。極楽浄土へ昇ったのか、それとも魂の洗浄を受けたのか…。それについては聞かされていない。…まぁ、つまりだ。きっと、もう会えないのだろう。

 

「あら、霊夢――いえ、幻香と呼んだ方がいいかしら」

「…あぁ、随分と久し振りじゃあないですか。八雲紫様?」

「…貴女に様って呼ばれると嫌味にしか聞こえないわね」

「当たり前でしょ、大賢者様」

 

わたしの隣に開いたスキマから一本の酒を持って現れた八雲紫を見遣り、サッと目を逸らす。わたしは、相変わらず八雲紫が嫌いだった。

別に、彼女に捕まったこと自体には何も言うことはない。どんな過程や理由があれど、結果としてわたしは八雲紫に完膚なきまでに敗北したのだから。だが、主従関係ではなく隷属契約のための式神憑きと、それによる成長限界が未だに許せない。

つまり、わたしは八雲藍の式神とは大きく異なる、わたしという存在に首綱を付けて八雲紫が手綱を握れるように調整するための式神を憑けられたのだ。きっと式神も泣いている。

 

「貴女も呑む?」

「…いえ、いりません」

「釣れないわねぇ…。霊夢は呑んでくれたのに」

「あっそ」

 

三つ用意されていたお猪口の一つは使われない。これもいつものことだ。博麗霊夢として振る舞うなら呑むが、鏡宮幻香としては呑みたくない。そして、八雲紫はここではわたしを鏡宮幻香として扱う。だから、呑まない。

注がれた酒を呑み干すまで待ち、もう一杯を注いでいるところで一つ問う。

 

「で、何時になったら見つかるんですか?」

「あら、何をかしらぁ?」

「決まってるでしょ。次代の博麗の巫女ですよ」

「残念だけど、そればっかりは難しいわねぇ…」

 

そう言って、お猪口を傾けた。頬を薄っすらと赤く染めた妖艶な表情は見る者を引き寄せるのだろうが、そんなものはどうでもいい。興味もない。

 

「…いい加減無理のある希望を下げろよ。というより、わたしが博麗の巫女を創ればそれで済む話じゃあないですか」

「却下よ、却下。そんなのつまらないじゃない」

「だから行き詰ってんでしょうが。もう二十年ですよ、二十年」

 

何のためにわたしは生命創造を体得させられたのやら。こういう時のためじゃないのかよ。

それに、今のわたしが友達と会うときは博麗霊夢としてしか会えないし。早くこの役目を終わらせて鏡宮幻香に戻らせてほしい。そうすれば、役目の合間に会うことだって出来るのだから。

 

「…そもそもねぇ、なかなか見つからないのよ。その才能を持つ子」

「歴代最強の博麗の巫女であった博麗霊夢級の、を取り外せって言ってるんだよ。千年に一人の才能、って自慢してただろうが。…あれか?わたしに千年やれと?」

「うふっ、それも悪くないわね」

「ふざけるのも大概にしろ」

 

これをあと五十倍とか考えたくない。それに、人間である博麗霊夢に成っているわたしがそんなに生きていたら、それはもう名実共に妖怪巫女と化してしまう。

 

「あのさぁ…。阿天ちゃんももう五歳ですよ?新たな御阿礼の子がすくすく育ってるのにさ、こっちはまだですなんて恥ずかしくないんですか?」

「知られてないから恥ずかしくないわ」

「言い触らしてやろうか…」

「駄目よ」

「…はいはい。分かってますよ」

 

どうやら、当分わたしは博麗の巫女であらねばならないようだ。

 




IF:八雲紫の道具END

リクエストBOX:https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=201148&uid=130833


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おねーさん?おにーさん?

幻香視点。
第63話で幻香が食事している最中に話していたという設定の小話。


「おねーさんってさ、実はおにーさんだったりしない?」

「ぶふっ」

 

むせた。思いっ切りむせた。その拍子に喉へと転がり落ちた茸の欠片をどうにか飲み下し、一旦スープモドキが入っている食器を机に置く。急に何てこと訊いてくるのフランさん…。

 

「けほっ、こほっ。…何がどうなってそんなことを考えたんですか、フランさん?」

「いやね、私にそっくりだからおねーさんのことをおねーさんって呼んでたけれど、本当は雄かもしれないなぁ、って思ったの。おねーさんがおにーさんだったら呼び方変えないといけないと思って」

「…あぁー、そういうことですか」

 

納得した。まぁ、気になる人は気になるかもしれない。別に気にしなくていいと思うけれど…。

けれど、わたしの性別かぁ…。どう説明したらいいかなぁ…。あ、ちょうどいいものがあった。

 

「フランさん。そこの本棚にある『医術教本』って本を取ってくれませんか?」

「分かった。…えっと、これ?」

「そう、それ」

 

フランさんが取ってくれた『医術教本』を受け取り、パラパラと捲っていく。そして、目的の項目が書かれているところで止めた。その項目は、生殖器について。

…後ろにいる咲夜さんの視線が若干冷たくなった気がする。解せぬ。

 

「これは飽くまで人間の図ですから、もしかしたらわたし達妖怪とは違うかもしれませんけど…。まぁ、そこはしょうがないと思ってくださいな」

「いいけど…。へぇー、こっちが人間の雄でこっちが雌なんだね」

「そうですね」

 

わたしの隣に身を寄せて『医術教本』を覗き込むフランさんの言葉を肯定する。

まぁ、わたしにとっては体の構造的に急所となる部位を知るために読み込んだものだが…。生殖器なんかは男女共に急所の一つで、男性に対しては特に有効である。滅茶苦茶痛い、らしい。

そんなことを思い出しながら、わたしは『医術教本』の図を指差しながら説明を始めた。

 

「で、男性はこの精巣で精子を作ってこの陰茎から排出するみたいです。鳥肉の白子なんかが精巣に当たりますね。…食べたことありますか?」

「多分ないと思うけれど…。どんな見た目なの?」

「その名の通り、白色の楕円球ですね。薄っすらとした桃色が混じっているかな?」

「美味しいの?」

「美味しいですよ。トロッと濃厚で」

「へぇ…」

 

…フランさんは白子を想像しているようだけど、見て食べたほうが早いと思う。とは思うものの、腐るのが早い部位はさっさと食べてしまうか捨ててしまうため、残念ながら手元にはない。

おっと、想像しているところ悪いけれど、早く次の説明に移りたい。そう思い、わたしはフランさんの肩をチョイチョイと突いた。

 

「で、女性はこの卵巣から卵子をこの子宮に排出するみたいです」

「あ、これ私にもあるよ。触ると変な感じがするところ」

「ふぅん、そうなんだ。まぁ、そんな記述も――」

 

その発言の途中で、わたしの首筋にヒヤリとした何かを感じて口を閉ざす。キョトンといった風に首を傾げているフランさんに気にしないでいいと伝えながら、わたしはチラリと背後を伺う。…どうしてナイフを仕舞っているんですか、咲夜さん?使う機会はなかったはずですよね…?

…さて、気を取り直して続きの説明へと移ろう。発言には注意した方がよさそうだが、何に注意すればいいのやら…。

 

「…えっと、鳥肉のちょうちんなんかが卵巣に当たりますね。…これも食べたことないですか?」

「うん、聞いたことないなぁ…。ねぇ咲夜、おねーさんが言ってる白子とちょうちん、私って食べたことある?」

「…いえ、お出ししたことはありませんね」

「そっか。あのさ、今度食べてみたいんだけど、いい?」

「…検討しましょう」

 

一匹の鳥から取れる量が少ないし、性別によって取れるかどうかが分かれる部位だからなぁ…。咲夜さん、苦労しそうだ…。まぁ、フランさんの食の経験が広がること自体はいいことだろう。きっと。

…あぁ、今は白子もちょうちんも関係ないか。これ以上外れる前に軌道修正して、説明に戻らせてもらおう。…また外れる気がするけど。

 

「生殖の際に男女が番いとなってお互いの生殖器を使って性交して子孫を作るわけですが…」

「じゃあ、私は雌ってことでいいのかな?」

「そうなんじゃないですか?ま、詳しくは同じ吸血鬼のレミリアさんに訊いたほうが早いと思いますが…」

「…えぇー、お姉様に訊くの?」

 

そう言って嫌な顔をするフランさんだけど、わたしには分からないのだからどうしようもない。知っているであろう人がいるのなら、その人に訊いたほうがいいだろう。

それにしても、さっきから背後にいる咲夜さんの視線が突き刺さって痛いったらありゃしない。わたしの説明の何が悪いって言うんだ…。確かに説明不足なのは認めるけども。

 

「で、この男女差の一つとして存在している生殖器なんですが…。わたし、どっちもないんですよね」

「え、ないの?」

「はい、ないですよ。見せろと言われれば見せますが…」

「んー…、別に見せなくていいよ」

 

そう言いながら、フランさんは右手でわたしの本来生殖器があるべき股間を服の上からまさぐってきた。あぁ、わざわざ見せなくても触れば分かるか。多少くすぐったいが、まぁ気にしても仕方ないだろう。

…そういえば、見せても見れないじゃないか。多分。

 

「本当だ。どっちもなさそう…」

「でしょう?ですから、わたしは男女どちらか、と問われても非常に答えにくいんですよね」

「…えーっと、それじゃあおねーさんとおにーさん、どっちで呼べばいいのかな?」

 

ほぼ似たような問いだ。答えにくい。けれど、訊かれたのに答えないのはよくないよなぁ…。

少しの間考えていると、それらしい理由が浮かんだので答えることにする。

 

「…まぁ、今まで通りおねーさんでいいと思いますよ。身体はともかく、わたしの精神は多分女性と思いますから」

 

異変の勝敗を決める際にも使われているスペルカードルールは女子供の遊戯である、という考えもある。わたしはそれに対して不快感や拒絶感はない。なら、わたしは女か子供のどちらかに該当していいだろう。わたしはまだ子供と言ってもいい年齢だろうが、まぁ女性でも構わないと思いたい。

…正直に言えば、男女のどちらかである必要があるのかと思うのだ。わざわざどちらかに片寄らなければならない理由が思い付かない。今までどちらでもなかったのに、どちらかにならなければならないのが理解出来ない。だから、わたしはこのままでいい。男性でも女性でもない、無性でいい。

 

「じゃあ、これまで通りおねーさん、って呼ぶね!」

「是非、そうしてください」

 

そう言いながら『医術教本』を閉じた。そして、フランさんに本棚の元の位置に戻しておくように頼む。

フランさんが『医術教本』を持って本棚へと向かったのを見てから、食事中だったスープモドキに手を出そうとしたところで、背後から肩をトントンと叩かれた。すぐに振り返ると、何とも言えない表情の咲夜さんがわたしを見下ろしている。

 

「…そういう話はもう少し齢を重ねてから、とお嬢様はお考えだったのですが…」

「あぁー…、そうだったんですか。それは申し訳ありませんでした…」

「いえ、いいです。…いいんですよ、ええ」

 

若干諦めの混じった声色でそう締めくくると、咲夜さんはスッと音もなく一歩下がっていった。それと同時に『医術教本』を本棚に仕舞ったフランさんがわたしの隣に戻ってくる。

 

「それじゃ、早く食べ終わって一緒に遊ぼっ!」

「そうですね、そうしましょうか」

 

早く食べ終わるよう促されてスープモドキを口にする。…相変わらず、微妙な味だなぁ。はぁ。

 



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こうしてわたしは鏡宮幻香と成る。

幻香視点。
誕生の瞬間から始まる小話。


「およよ?何これ?うわぁ!わたしそっくり!」

 

この瞬間、わたしは誕生した。何故かは分からない。だが、確かに産まれたことだけは理解した。両足をだらりと伸ばし、硬い何かを背にしている。何故そんな姿勢なのかは分からない。

そんなわたしの頬をベシベシと叩く人がいる。痛い。ゆっくりと目を開くと、そこには淡い緑色の瞳があった。

 

「って、動いた!…あれ、生きてるの?そっかぁ、驚いた驚いた」

 

ビクリと後退り距離を取った少女をぼんやりと眺めていると、恐る恐るといった仕草で再びわたしに近づいてきて、頬をちょいちょいと突いてくる。痛くはないが、今度はくすぐったい。

楽し気な少女の頬弄りをそのまましばらく受け入れていると、今度は頬を摘まんでぐいぐい伸ばし始めた。痛い。けれど、悪くない。

 

「貴女、名前は?わたしに教えてくれないかなぁ」

 

ようやく頬を離してくれたと思ったら、今度はわたしの名前について訊かれた。名前。そんなものはない。わたしはわたしだ。

思わず首を傾げると、少女は驚いたらしく目を見開いた。

 

「え?名前ないの?」

 

頷く。すると、少女は腕を組んでうんうん唸り始めてしまった。

 

「んー…、簡単に決められないよねー」

 

どうやらこの少女、名前がないわたしなんかのためにわたしの名前を考えてくれるらしい。

少女が考えてくれている間に、わたしは周囲の様子を確認する。鬱蒼と生い茂る樹々。背中には他の樹々と比べて一回り大きな樹。地面が少し傾いている。空は青い。そのくらいだ。

そんなことをしていると、少女は名字だけでも決めたいなぁ、と呟いてからわたしに人差し指を向けて言い放った。

 

「じゃあ、鏡宮!鏡みたいだし、ちょうどいいよね!名前は、また今度ね!」

 

 

 

 

 

 

…わたしは何故ここにいるのだろうか。わたしは何だ…。 ここは何処だ…。何故産まれた…。分からない。分からない。分からない。

ただ、わたしが鏡宮と名付けられたことは朧気ながら覚えていた。何処の誰に名付けられたかは分からないけれど、大切な人だった、気がする。そんな気がするのだが、結局のところ思い出すことが出来ない。そもそも、本当に名付けられたのかすらも怪しい。

わたしは今日も大木を背に脚を投げ出し、木漏れ日を見上げる。空は青くなり、赤くなり、黒くなり、そしてまた青くなる。その繰り返し。ここが何処だか疑問には思ったが、ここを移動しようとは思わなかった。ここに何か大切なものがあった気がしたから。ここで何かが現れるような気がしたから。誰かを待っているような、そんな気がする。けれど、その記憶も指の隙間からスルリと抜けてしまいそうなほどに曖昧で不確かで頼りない。

時折わたしを見る人がいたが、すぐに目を逸らして去っていった。きっと、不気味なほどにそっくりだったからだろう。…あれ、どうしてそんなこと知っているんだろう?…まぁ、知らないよりはいいか。

空の色が三週ほど回った頃、目の前に一本の線が浮かんだ。ぼんやりと眺めていると、グアッと空間が裂けて大きく開いた。そこから見覚えのない妖怪が顔を覗かせている。上半身のみを出した妖怪はわたしを見て目を見開き、しかしすぐに妖しく微笑んだ。

 

「ようこそ、幻想郷へ。歓迎するわ、ドッペルゲンガー」

 

そう告げた妖怪は、わたしを隅から隅まで舐め回すように見つめてくる。…初めてだ。わたしに話しかけてきた人は。…あれ、わたしは名付けられたはずではなかったか?…なら、きっと気の所為だったのだろう。

話しかけてきた妖怪に対して何か言うべきだったのかもしれないが、結局わたしは口を動かすことが出来なかった。ただ、何とも言えない不快感と嫌悪感を覚えていた。何故だろうか。…とても、気分が悪い。

最初の言葉を最後にお互い何も話すことはなく、ただひたすら観察されただけで終わった。出していた上半身を戻しながら裂けた空間がスゥ…と閉じ、そして何事もなかったかのように消え去った。

彼女は、わたしの何を知っているのだろうか。…まぁ、どうでもいいか。彼女の発言からここが幻想郷で、わたしはドッペルゲンガーという妖怪らしいことだけが分かった。しかし、分かったからなんだと言うのだ。

そして、今日も空の色が変わっていく。

 

 

 

 

 

 

「…ドッペルゲンガー?ふぅん、貴女ってドッペルゲンガーなんだ!」

 

頷く。何処の誰とも知らない不愉快な妖怪はそう言っていた。きっとわたしはドッペルゲンガーなのだろう。

そう告げると、少女はまた腕を組んでうんうん唸り始めた。前回決められなかった名前を決めてくれるのだろうか。

 

「ゲンガー…、げんがぁ…、げん、かぁ…、現、厳、玄、弦…、火、花、佳、華…」

 

ドッペルゲンガーのゲンガーからわたしの名前を決めるつもりらしく、さっきからげんげん、かぁかぁと繰り返し同じ音を呟いている。何を迷っているのだろうか?

…そういえば、この少女の名前をわたしは知らない。わたしの名前を必死に考えてくれている心優しい少女のことを、わたしはまるで知らないではないか。そう思うと、少し恥ずかしい気持ちになる。

 

「幻、香…。うん!幻に香る、って書いて幻香(まどか)にしよう!」

 

この少女の名前を訊こう、と決めたと同時に、少女もわたしの名前が決まったらしい。幻香。鏡宮幻香。…それが、わたしの名前。すんなりとその名を受け入れることが出来、ストンと何かに収まった気分になる。

そこでハッとし、わたしは慌てて少女の名を訊いた。わたしの名付けで満足して忘れてしまうだなんてとんでもない。

 

「え?わたし?あー、忘れてた!わたし、こいし!古明地こいし、って言うの!」

 

古明地こいし。わたしの名付け親。初めての人。決して、忘れないようにしよう。

 

 

 

 

 

 

…わたしは何故ここにいるのだろうか。わたしは鏡宮幻香。 ここは幻想郷。何故産まれたは、未だに分からない。

別に何かあったわけではないはずなのだが、不思議と気分がいい。相変わらずここから別の場所へ行こうとは思わないけれど、わたしなんかに一体何が出来るのか知りたくなった。以前空間を裂いて現れたあの妖怪のような何かが、わたしにも出来るかもしれないと、何となく思ったのだ。…まぁ、流石に同じものが出来るとは思わないが。

出来ること、出来ること、出来ること…。わたしに出来ること。ぼんやりと夜空を見上げながら考える。だが、いまいちピンと来なかった。具体的に何が出来る、という実感もなかった。しかし、何も出来ないとも思えなかった。では、わたしには何が出来るのだろうか?

そのまましばらくの間瞼をそっと閉じ、全く微動だにせず考え続けていた。どのくらい時間が経ったかはよく分からない。空の色が何度変わったか数えていないから。けれど、そうしているうちに、何となく出来そうなことが出てきた。

わたしは、同じものを創れる気がする。…何故、そう思えたのだろう。不思議だ。そして、瞼を開いて真っ先に目に付いた小石を増やすことが出来てしまった。それはまるで、その昔に似たようなことをしたことがあるように、すんなりと出来てしまった。わたしにそんな過去なんて存在しないのに。

 

 

 

 

 

 

久し振りにこいしがここに来てくれた。わたしは自慢するように、出来るようになったことを見せびらかす。右手に乗せた小石の左手に創り、そしてこいしの被っていた帽子をわたしの頭の上に創ってみせた。

 

「ものを増やせるの?…凄いじゃん!」

 

そう言ってくれると、とても誇らしくなる。凄い、のかな…。今となっては、それが出来るのはまるで当然であるように思えるから、凄いと言われてもいまいちピンと来ないのだ。

そう思っていると、こいしはわたしが被っていた帽子を手に取り、自分が被っていた帽子を見比べ始める。手で触れたわけではないから細部が少し違ってしまっている帽子だ。その粗が見つけられてしまうのではないか、と少しドキドキする。

 

「んー、本当に似てるね。まるで複製みたい」

 

その言葉を聞いて、わたしはホッとした。どうやら見つからずに済んだらしい。しかし、これ以上見詰められてはいつかバレてしまうかもしれないと思い、わたしはこいしから帽子をサッと奪い取るように回収してしまう。

…そんなに頬を膨らませないでほしい。あんまりジロジロ見られたくなかったのだ。

 

「幻香は凄いこと出来るんだなぁ…。これはちょうどいいお土産になったんじゃないかな?」

 

お土産…?一体何なんだろうか、と思いながらこいしを見詰めると、何やら透明なものに液体が入れられているものを取り出した。

 

「じゃーん!お姉ちゃん秘蔵の鬼殺し!」

 

鬼殺し、と言われても何がなんだかサッパリ分からない。鬼、とは何だろうか。その鬼という者を殺してしまうものなのだろうか?…わたしが鬼でなくてよかった、と思った。

これは一体何なのか、と問うと、こいしは悪戯でもするようにニヤニヤ笑いながら答えてくれた。

 

「これはねー、ちょーっぴり強いお酒だよー!ささ、呑も呑も!」

 

こいしはそう言いながら、手振りでわたしに口を開くように促してくる。酒と言われても何か分からず、また強いと言われても何が強いのか分からない。ただ、口を開けばいいのなら、わたしはそうしよう。

そう思い、わたしは口を開いた。そして、鬼殺しと呼ばれた酒がわたしに注ぎ込まれていく。口内が熱い。飲み込んでしまうと、喉まで灼けるようだ。

…あれ、あたま、くらくら、する。ふわふわ、くらくら、くるくる、くろくろ、まっくろ。

 

「え?あれ?ちょっと幻香?大丈――」

 

 

 

 

 

 

…頭が痛い。ぶつけたといった感じではなく、内側から響くような痛みだ。身体を動かそうにも、何やら重く怠い。酷く調子が悪い。

…わたしは酒を呑めない。何故そう思ったのか理由は不明だが、わたしはそう心に刻み込んだ。

 



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派遣建築業者

勇儀視点。
さとりにとある仕事を頼まれた小話。


夕暮れの空を見上げながら、私は建材を手に取る。…茜色の空どころか、空自体を見るのが久しい。ふと、これから夜になることを思い出し、それが当たり前であることを思い出し、私には地底が染み付いていることを思い知らされる。

そんなことを考え、私は一つ大きなため息を吐いた。そして、思わず口が開く。

 

「…なぁんで私達がこんな事させられてんだか」

「…勇儀。文句を言わずに働いてほしい、と頼んだはずですが?」

「ここまでくると一つや二つくらい言いたくなるわ」

「建材は全て向こうが準備してくれていて、見取り図も完成予想図も完備してあって、これ以上何が必要だと言うんですか?」

 

…いや、そこには不満はないんだがな。私はそれ以前のことに不満があるんだよ。

さとりに指名されて付いて来たと思ったら、碌な説明もなしに地上で神社を建築させられていた。しかも、命じたさとりは木陰で休みながら私達を見守るだけ。せめて何か手伝え、とでも言ってやりたいところだが…、非力だしいてもいなくても大して変わりゃしないか…。

そう考えていると、さとりはハッとした表情を浮かべた。スッと立ち上がり、木陰から出て私の近くまで歩み寄ってくる。

 

「…あぁ、そういえば大した説明もなしでしたね。急ぎでしたので、つい」

「つい、じゃねぇよ。働かされてる身にもなれ」

「私も働いてるんですが…。まぁ、いいです。説明してあげますから、働きながら聞いててくださいな」

 

休ませるつもりは毛頭ないらしい。私は大丈夫だが、一緒に指名された三人の妖怪は少しへばってきている。せめて、こいつらは休憩させてやりたいんだが…。

チラリとさとりを伺うが、視て視ぬ振りされた。…あー、はいはい、そうですか、っと。代わりと言っちゃあ何だが、障子作りなど力仕事ではないものをするように伝えておく。そして、私はあいつ等の分まで建材を肩に担いだ。

 

「簡単に言えば、八雲紫に依頼されたんですよ。博麗神社の建設をしてほしい、と。…ま、相手は式神でしたがね」

「はぁ?紫がぁ?…どうして?」

「私達が都合のいい人材だからですよ。報酬が建材と食料という大安値で済みますからね。…まぁ、本来は萃香に頼むつもりだったのを断られたからのようですが」

 

そう言ってから、さとりはわざとらしくため息を吐いた。つまり私達は萃香の代わりか。あと、どうやら建材が貰えるようで、ただ働きというわけではないようだ。そりゃあよかった。

ほぼ更地になった旧都に建材はほとんど残されていない。ほとんど原形を留めていない地霊殿にあったなけなしの建材を使い、旧都に住む妖怪達半分くらいが横になれる程度の仮宿舎があるだけで終わってしまうほど。ちなみに部屋なんてものはなく、だだっ広い大広間があるだけだ。食事だってまともな量がないし、いつ枯渇してもおかしくない現状。当然、旧都の妖怪達の不満は破裂しかねない状況であり、一刻も早く復興を始めたいと思っていたのだ。

 

「…ま、他にはいわゆる慰謝料のようなものも兼ねていますね。幻香さんが八雲紫をズタボロにしましたので」

「私達は幻香の尻拭いかい」

「私の、でもありますね。八雲紫と旧都がああなったのは、実行した幻香さんが八割、許可した私が一割、原因の八雲紫が一割、といったところでしょうか」

「アンタのもかよ!」

 

思わず叫ぶが、さとりは既に耳を塞いでいやがった。…こんにゃろう。

それにしても、幻香が八割、さとりが一割、紫が一割、ねぇ…。旧都を丸ごと吹き飛ばすようなことを幻香にさせてしまう紫。幻香と紫の間に何があったんだか。

 

「…結論から言えば、八雲紫は幻香さんの所有権を奪おうとしたんですよ。いわゆる奴隷ですね」

「はぁ?」

「どの程度縛るつもりだったかまではあまり知りませんが、幻香さんは便利な道具として有能だそうですから」

「…道具、ねぇ」

 

そう言われ、何とも言えない気分になる。確かに、幻香は一度旧都の半分を一瞬で復興させた実績がある。そう考えると、さとりの言い分は理解出来てしまう。…道具、という言い方はあまり好かないが。

 

「詳しく話しましょうか?」

「…いや、いい」

 

私はさとりの言葉を断り、首を振る。詳しく知ったところで意味のない話だ。それに、いい気分になれるような話ではないことくらい、誰にでも分かる。なら、聞かんでいい。

 

「それと、これは貴女達のためでもあるんですからね?」

「私達のためだぁ?…何処がだよ?」

「あそこにいる三人は、地上に興味を抱いていましてね。だから彼らを指名しました」

 

…あぁ、だから建築仕事のあまり携わっていない妖怪も選ばれたのか。…しかしなぁ。

 

「…初の地上が仕事で一杯じゃあ寂しいと思わねぇか?」

「全然。どうせこれから地上と地底の不可侵条約は緩和されていきますので」

「おいちょっと待て。初耳だぞ」

「言ってませんでしたので、初耳でないと私が驚きます」

 

待て待て待て。そんなサラッと言っていいもんじゃないだろ。しかも、堅物なさとりの口からこんな言葉が出てきたのか。二重三重に驚愕だわ。

その事実に思わず作業の手が止まってしまう。だが、さとりの目が途端に細くなったことで、私の動きが止まっていることに気付き、慌てて作業を再開する。

 

「まぁ、あちらも思うことがあったのでしょうね。…とにかく、この一件は不可侵条約の緩和の足掛かりですから。貴女にはもしもの時に取り押さえの役目もあるんですから、キチンと見張っていてくださいね」

「はぁ…。何かドッと疲れた…。分かったよ、見張りゃあいいんだろ」

「えぇ、そうしてください。私も貴女達の見張りを続けますので」

 

そう言うと、さとりは私の元から離れ、木陰に腰を下ろした。…最初に働いている、と言っていたのはそれか。あと、指名された妖怪達はどちらかと言えば非力な部類な者ばかり。こう言うところも見て選ばれたんだろうな…。心をさとりが、体を私が押さえつける、ってわけか。

それにしても、地上と地底の不可侵条約の緩和、か…。何百年も続いていた条約が終わりを迎えようとしている。そう思うと、何だか嬉しいような、寂しいような、不思議な感情が胸の中を渦巻く。

いつか、地上に上がっていった萃香と自由に酒が呑める日が来るのだろうか?萃香の友人である妹紅と再び手合わせする日が来るのだろうか?そう思うと、寂しさよりも嬉しさが膨れ上がっていく。

 

「…あぁ、そういえば」

 

そんなことを考えていた矢先、さとりの言葉が割って入ってきた。…何だよ。せっかくいい気分に浸ってたっていうのに。

 

「言い忘れていましたが、この仕事の期日は十二月三十日の正午です。急いでくださいね」

「…なん…だと…?」

 

十二月三十日の正午だぁ…?今日の日付は十二月二十九日。…おいおいおい、待てよ。待ってくれ。

空を見上げれば、既に濃紺色に染まっている。夜だ。明かりとして焚き火があるとはいえ、かなり暗い。しかも、当然のことながら寒い。

 

「なんでも年越しの際に人々がここを訪れるそうで、遅れることは許されないそうですよ。ですから、頑張ってくださいね」

「お前らあーっ!チンタラやってんじゃねぇーっ!一秒たりとも休めると思うんじゃねぇぞぉーっ!?」

 

即座に三人の妖怪に向けて叫ぶと、ビクリと体を振るわせた後で気の弱い返事がくる。…滅茶苦茶頼りねぇ。せめて後二人くらい多くてもよかったんじゃあないか、さとりよぉ!

その後、私達は不眠不休で馬車馬のように働き続け、どうにか正午一歩手前で終わらせることが出来た。

何が不可侵条約緩和の足掛かりだ!もう少しいいもんがあっただろ!?

 



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鏡宮幻香、司書となる

幻香視点。
事前に紅魔組と知り合っていて紅霧異変に協力したIF小話。


わたしは妖怪の山を下りた。何かがある気がしたから。大切なはずだけど朧気で気の迷いかもしれないけれど、それでもわたしは下を目指した。一人の優しい天狗に教えてもらった、人間の里を目指した。

…見えてきた。あれが、人間の里。あそこにいると言っていた優しい半人半獣の妖怪に会って、あそこの何処かに住むことを許してもらって、それからゆっくりと探すとしよう。…何を?誰を?…分からない。けれど、何かが待っている気がするんだ。誰かが待っている気がするんだ。

 

「…私、かしら…?…いえ、もしかして、これがお嬢様の言っていた…?」

 

人間の里にどうやって入ればいいだろうか、と考えていたその矢先だ。わたしの前に、銀髪の人間が歩いてきた。片腕に引っ掛けている手提げ袋に色々入っているようだが、中身は見えない。見るからに帰宅途中、といった風な彼女は、わたしをじろじろと見詰めてくる。

 

「ま、違うなら違うでそれもいいわね。少なくとも私からすれば『実に奇妙なもの』だもの」

 

その言葉を最後に、わたしの首筋に衝撃が走る。そして、わたしは意識を失った。

 

 

 

 

 

 

起きたら目の前に青みがかった髪をした少女の真っ紅な瞳がわたしを見詰めていた。実に嬉しそうな表情で笑っている口から覗く歯がキラリと尖っている。…えぇと、ここは何処でしょうか?

 

「うちの咲夜が突然すまなかったね。ここは紅魔館。そして私は主であるレミリア・スカーレットよ」

「…はぁ、そうなんですか」

「咲夜にしては中々のものを見つけられたようでね。…貴女の運命は実に奇妙で、不可思議に満ちている」

 

どうやら椅子に座らされていたらしく、背もたれがふかふかとして柔らかい。ここは紅魔館で、目の前の少女はレミリア・スカーレットさん、ね。…奇妙とか運命とか不可思議とか言っているけれど、そんなものはどうでもいいや。

周囲を見渡そうとしたが、ズキリと首が痛んだ。首筋に走った痛みで、わたしは人間の里手前で起きたことを思い出す。人間の里で半人半獣の妖怪にまだ会えていないではないか。それから人間の里に住んで、…えぇと、何を探そうとしていたんだっけ?…思い出せない。…気のせいだろうか?

さっきから見詰めてくる視線が若干鬱陶しい。そう思いながら、わたしはレミリア・スカーレットさんに目を向けた。

 

「あの、わたしに何かありますか?」

「…ふふ、気に入った。どうだい?よければここに住まないか?」

「はい?」

 

 

 

 

 

 

パタリ、と最後まで読み終えた本を閉じて本棚に仕舞う。そして、わたしは与えられた服の複製をササッと手早く整えながら、相変わらず読書を続けているパチュリー様の元へ歩み寄る。わたしに気付いたパチュリー様は栞を挟んでから魔導書を閉じた。

 

「はじまりましたね、パチュリー様」

「…えぇ、そうね。まったく、付き合わされる身にもなってほしいわ」

「そうですが、その準備では結構ウキウキだったじゃないですか」

「…黙ってなさい、幻香」

「はぁーい」

 

プイと顔を背けてしまったパチュリー様の赤く染まった耳を見ながらへらへら笑う。ちょっと話している間に体調を窺ったけれど、今日の調子はあまりよくなさそうだ。

そんなことを考えていると、机に置かれている球がキラリと輝いた。どうやら大図書館に来客が一人訪れたらしい。わたしはすぐに入口へ向かうと、そこには妖精メイドが慌てた様子で駆け寄ってきていた。しかし、その妖精メイドから話を聞くことは出来なかった。

 

「…んな…っ!?」

 

バギャアァッ!という爆砕音を轟かせ、目の前の扉が爆発したからだ。飛び散る木屑を受けながら、茫然と目の前で起きたことを眺めていると、煙の中から二人の少女が現れた。一人は紅白の巫女服を着た人間、もう片方は黒色の三角帽に黒色の服と白色のエプロンを身に纏った、いかにも魔法使いらしい服装を着た人間だ。

 

「扉はちゃんと開けてください、お客様…」

「ちゃんとノックしたじゃない」

「…失礼しました。貴女達は客ではなく襲撃者のようですね」

「あぁ、紅い霧の首謀者退治だ。さっさと首謀者を出して、ついでにここの本をありったけくれれば痛い目見ずに済むぜ」

 

わたしは二人の襲撃者をザッと観察し、小さくため息を吐いた。…あぁ、頭が痛い…。

頭を抱えながら天井を見上げていると、パチュリー様がわたしの隣にふわりと降り立った。先程とは違い、鋭い目付きで襲撃者である二人を見詰めている。しばらく見た後で、パチュリー様はわたしに顔を向けた。

 

「…この二人は?」

「襲撃者」

「なら、片方頼んだわよ」

「了解です、パチュリー様」

 

どちらを任されたのかは、パチュリー様の視線で分かった。即座に腰にある留め具を外し、片手に収まる大きさの魔導書を開く。パチュリー様お手製の、わたしだけのために作ってくださった魔導書だ。

開いたところに描かれている魔方陣を複製し、即発動。魔方陣から閃光が放たれる。

 

「くっ!」

「うぉっ、眩しっ!」

 

二人の襲撃者が目を閉じている隙に近付き、胸元をグイと引っ張りながらその場を離れていく。その途中で背後に魔術結界が生成された。二人の襲撃者を分断するためにパチュリー様が張ったのだろう。

走りながら複製した魔方陣を発動させて一時的に身体能力を強化してから、もがき始めた襲撃者を思い切り投げ飛ばす。そのまま床に落ちていくと思ったら、空中で箒に跨りながら静止してしまった。…あら、そう上手くはいかないか。

 

「痛ってて…。いきなり何しやがる!」

「投げ飛ばしました、襲撃者二号」

「そんなこと訊いてねぇし、私は襲撃者じゃない。魔法使いの霧雨魔理沙だ、そっくりヤロー!」

「そうですか。…まぁ、貴女達が壊した扉代くらいは働いてもらいたいですね」

 

さっさと終わらせて、捕獲して咲夜様に渡すとしよう。数日間メイドとして働けば返せると思うから。

そんなことを考えながら、わたしは箒に跨って浮かんでいる襲撃者を見上げながら本棚の上に立つ。スペルカード戦はあまり得意ではないのだけど、まぁ、しょうがない。それが幻想郷の決闘なのだから。

 

「喰らいやがれっ!」

「お、っと」

 

降り注いできた星形の弾幕を大きく後ろに跳び退って回避し、新たに魔方陣の二つ複製する。そして、二枚の魔方陣を襲撃者に向けて投げ、魔方陣が並んだ瞬間に一発の妖力弾で撃ち抜く。

 

「増符『ミリオンブラスト』」

 

手前の魔方陣を貫いた妖力弾が数十倍に増幅されて撃ち出される。そして、次の魔方陣を貫いた瞬間、巨大な妖力弾が数百発に拡散した。

 

「ハッ!そんなちんけな弾幕、当たりゃしねぇな!」

「ふぅん、そっか」

 

そう言って大きく横に飛んで弾幕のない空間まで避けたのを横目でチラリと見遣り、すぐに先程放ったばかりの弾幕を見遣る。そして、その妖力弾全てを視界に収め、躱した襲撃者へ向かうよう複製する。

あちらからすれば、突然躱したはずの弾幕が分裂して襲ってきたように見えただろう。目を見開いて驚いてるよ。…まぁ、同じように飛んで躱されてしまったけれども。

 

「危ね…。ま、問題なしだ。さて、お返しだっ!魔符『スターダストレヴァリエ』!」

「げ、面倒な…」

 

大量の巨大星形弾幕の展開か。サッと周囲を見渡し、距離を取って弾幕の間を抜けていく。スペルカードの時間は基本的に三十秒。これが意外と長いんだ…。

先程と同じ二枚の魔方陣を複製して重ねて持ち、手元で妖力弾を撃って貫く。拡散した弾幕が目の前の星形弾幕をズタズタにしながら飛んでいくが、残念ながら襲撃者には届きそうにない。

それを繰り返すこと二十数秒。先にわたしのスペルカードの時間が尽き、残り数秒を躱してあちらのスペルカードの時間も尽きた。ここまでお互い被弾なし。

 

「…大丈夫かな、これ?」

「この私が相手なんだ。無事で済むわけないだろ?」

「いや、それはどうでもいいです」

「何だとっ!?」

 

歯噛みしているところ悪いけれど、一発妖力弾を放つ。が、僅かに横にずれるように動いて紙一重で躱されてしまった。…まぁ、この程度大袈裟に避けないでも十分なんだよ、とでも言いたいのだろう。どうでもいいが。

わたしが心配しているのは、次の魔方陣を使ったスペルカード。引っ掛かってくれるだろうか?…引っ掛かるな。大丈夫でしょう。きっと。最悪、自ら発動させればいい。

 

「置符『スーパーマイン』」

 

宣言と共に、次々と同じ魔方陣を複製しては投げ捨てていく。ばらまかれた魔方陣はうんともすんとも言わない。そういう魔方陣だからね、しょうがないね。

何事も起きないスペルカードを見て、襲撃者は噴き出した。

 

「プッ…。何だよ、ひょっとして外れか?」

「さて、ねッ!」

「っとぉ!」

 

複製を続けながら、左手の五指から最速の妖力弾を五発同時に撃つ。が、これも簡単に躱されてしまった。

 

「ショボ過ぎるぜ!こう撃つんだよッ!」

 

そう言い放つ襲撃者は、わたしに向かって黄緑色に輝く円錐状の弾幕を大量に撃ち込んできた。…撃ってくれたね。よかったよかった。

わたしは放り投げる予定だった魔方陣を迫り来る弾幕に向けた。そして、その弾幕を魔方陣が片っ端から吸収していく。

 

「何ッ!?」

 

そして、爆ぜるように炸裂弾が飛び散った。炸裂弾の一部が放り棄てた魔方陣に吸収され、また炸裂する。その炸裂弾の一部が別の魔方陣に吸収され炸裂する。吸収と炸裂が次々と連鎖的に巻き起こる。

触れた魔力を吸収し、増幅して炸裂させる魔方陣。元は踏んだ魔法使いの魔力を奪って爆破するための罠であるらしいが、それをパチュリー様が改良してくれたものだ。

 

「扉の分だ。爆ぜ散れ」

「クソッ!――ッ!」

 

爆発的に増幅された弾幕が襲撃者を打ち上げる。突然の出来事に動転でもしたのか、派手に巻き込まれていく。別の魔方陣を複製して結界を張り、防御しながら爆発が収まるのを待つ。…あらら、服がボロボロになっちゃったね。

 

「痛ッ!」

 

そう思っていたら、一発の魔力弾が結界を貫いた。思い切り額に被弾し、ジワリと痛む。人差し指で被弾した場所に触れると、指先に血が付着した。すぐに治療用の魔方陣を複製して発動し、傷を塞いだら回収する。

 

「へっ、お返しだっての」

 

そう呟いてニヤリを笑う襲撃者。薄れていく結界が消え切る前に破りながら距離を取る。…えぇと、非スペルカード用の魔方陣は、っと、…あったあった。

一枚の紙に十八の小さな魔方陣が描かれているものを複製し、それを一発の妖力弾を撃ち込む。すると、それぞれの魔方陣から撃ち込んだ妖力弾と同等の妖力弾が放たれる。単純に十八倍。次々と妖力弾を撃ち込んでいき、増幅させていく。

 

「お前はこれに付いて来れるか?彗星『ブレイジングスター』!」

 

そう宣言した襲撃者は、箒の穂から膨大な魔力を噴出させてこちらに突っ込んできた。それはもう物凄い速度で。撃っていた妖力弾をかき消しながら突撃され、思わず頬が引きつる。まるで効いちゃいないじゃないか…。

咄嗟に横に跳んで回避したが、大きく旋回した襲撃者が再びわたしの元へと飛んで来る。…これは止めるしかないな。

しゃがみながら足場にしている本棚を左手で触れ、迫り来る襲撃者に向けて右腕を伸ばして本棚を複製する。

 

「止まれぇ!」

「ハッ!甘いな!」

「…ぇ?」

 

襲撃者の威勢のいい声が本棚の複製の向こう側から聞こえてくる。そして、すぐにバギッと粉砕される音が響いた。その音は止まることなくこちらに近付いてくる。呆然としていると、真っ二つに壊れた本棚から襲撃者が現れた。

 

「ガハッ!?」

 

もろに喰らった。吹き飛ばされて本棚から落ち、背中から叩き付けられる。滅茶苦茶痛い。咳き込みながらどうにか立ち上がると、襲撃者がわたしを見下ろしていた。それはもう、愉快に嗤いながら。

 

「おーおー、大丈夫か?んなわけないよなぁ?」

「ゲホッ、ゴホッ!…あー、そうだね大丈夫じゃあないね」

 

…もう、いいや。この戦況ではどう足掻いてもわたしが圧倒的に不利。おそらく負けるだろう。なら、わたし一人でこいつを止めればいい。安い安い。

よっぽどのことがなければ使うな、と言われていた魔方陣なのだが、しょうがないよね。…そう思いませんか、パチュリー様?

わたしは魔導書の一番最後を開く。そして、最も緻密に描かれた魔方陣を複製し、ありったけの妖力を注ぎ込んで発動させた。

 

「終符『スーパーノヴァ』」

 

閃光、そして轟音。わたしの妖力の大半を飲み込んでようやく発動することが出来る、惑星の終焉を模倣した超威力の爆裂魔方陣。身が灼ける。痛みはない。意識が朦朧とする。しかし、わたしを見下していた襲撃者も随分黒焦げになって落ちてきた。…意識は、なさそう。

それなら、いいよ。後は、よろしく、お願い、します…。ぱ、ちゅ、り…さ……………――。

 



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退院祝いの宴会

霊夢視点。
左腕治療退院祝いの宴会の小話。


「全員酒はあるな?それじゃあ、霊夢の退院を祝って、乾杯!」

 

魔理沙の音頭に合わせて各々が乾杯をし、それぞれ酒を呑み始める。私も一緒に呑もうと口を付けた瞬間、鋭い視線が頬に突き刺さった。視線の元へ目を向けると、私の左腕を治してくれた永琳がヒヤリと冷えた目で睨み付けていた。…はいはい、分かってるわよ。呑み過ぎるな、でしょ?

永琳がこの宴会に来ている理由の大半が、私の監視だと言うのだから笑えない。…まぁ、酒の呑み過ぎが原因で左腕が不調になりました、では私も困る。事実、まだ日常生活で休みながら扱える程度。完治はまだ先の話なのだから。

左手を軽く開いたり閉じたりするのを見ていると、大きな日傘が近付いてきた。そのすぐ後ろに付いて来ていた咲夜に会釈をされ、私は日傘の主であるレミリアを見下ろす。その視線が私の左手に向かっているのが嫌でも分かる。

 

「それにしても、霊夢は人間でしょう?その左腕、本当に動くのかしら?」

「動いてるでしょう。人を妖怪みたいに言わないで頂戴」

「こう、スパッと斬られたのをこの目で見てしまったもの。私も少々驚いてるわ」

「これぞまさしく奇跡ですよ!…ささ、これを機に守屋神社を信仰しませんか?」

「しないわよ。もう一度ぶっ飛ばされたいかしら?」

 

突然左側から割り込んできた早苗を蹴飛ばし、それから持っていた酒を呑み干す。度が低めのものを選ばせてもらってはいるものの、だからといって呑み過ぎても問題ないわけではないのだが…。

痛たた…、と尻もちをついた早苗を見て、少しやり過ぎてしまった、と感じる。あれ以来、左側からの接近に過敏になってしまっている。今までなら無視を決め込むか、それとも少し押し退ける程度だっただろうに。

レミリアが咲夜に無茶ぶりを言い始めたところでこの場を離れ、距離を取ってから一息吐く。左腕をジロジロ見られるのは、正直言ってあまり愉快ではない。

 

「…お嬢様、それは流石に無理がございます」

「何よ、まさか出来ないって言うつもりかしら?」

「…姫様もああいう命令をしなければ楽なんですけどねー」

「幽々子様も調理中に食べたいものを言ってくるんですよ。…作りますけど」

「ぷはっ!…はっ、もうお終いかい?」

「はっ、そっちこそさっさとくたばるなんて興醒めだからね?」

「あやや、神の呑み比べですか!これはこれはいいネタになりそうです!」

 

一人になったところで、改めて私の退院祝いである宴会に来ている人達を見ていると、出会った時は敵同士だった者ばかりだった、と思う。けれど、今となってはこうして私の退院を祝い、そして酒を呑み合う仲。

ふと、砕け散った理想を思い返し、思わず苦笑する。

 

「――で、結局見つかったのかしら?」

「全ッ然見つからないわぁ!あぁんもーぅ、こぉれだけ探して見ぃつからないとなるとぉ、もぅ私の手の届かなぁい存在になっちゃったぁー、って実感しちゃうわぁん…」

「紫様、ヤケ酒は止めてください」

「藍。私がどぉーれだけあの子を欲していたか知ってるでしょーぅ!?…はぁ…、あの子にとって幻想郷は狭過ぎたのかしらぁ…」

 

ふと、興味を引く会話を耳が拾った。紫と幽々子の幻禍に関する会話。左腕の斬り離された場所がチリ、と疼いた。

自然と足がそちらへ向き、私はその輪の中に入る。酒瓶を一気呑みして酔っぱらい頬が赤くなっている紫が私に気付き、抱き着こうとした寸前で止まる。そして、代わりに両手で私の右手を絡み付くように握り締めた。

 

「あぁーら霊夢ぅー!ちゃぁんと治ったのねぇん?…まぁー、ここより早くとはぁ、いぃかなかったみたいだけどぉー?」

「うっさいわね、紫。これでも驚異的早さだ、って言われてんのよ」

「知ってるわよぉ、そぉのくらぁい!」

 

鬱陶しく絡み付いてくる両手を振り解き、ついでに擦り寄ってきていた紫の額に人差し指を弾く。ピン、とかなりいい音が鳴った。

 

「ぁうっ!」

「えぇい、酒臭い!」

「酷いわ霊夢…。私ってばこぉんなに傷心なのに…およよ」

「あらあら、傷付いた乙女の心は繊細なのよ。霊夢、もう少し労ってあげたらどうかしら?」

「これの何処が乙女なのよ」

 

芝居がかった仕草でさめざめと泣いている振りまでしている紫に付いていけない。幽々子はよくもまぁこんなかなり悪い酔い方をしている紫に付いていけるものだ。

しかし、いくら一升瓶丸ごと一気呑みしていたとはいえ、こんな酔い方をしている紫はハッキリ言って非常に稀有だ。何かあったに違いない。…まぁ、どうせ幻禍のことでしょうけど…。

けれど、付き合い切れないというだけで聞く耳を持てなくなるほど、私の興味は安くなかったらしい。紫が幻禍を欲していたことは知っているが、あんな化け物をどうやって手懐けるつもりだったのかが気になったのだ。

 

「ところで、紫。アンタ、あの幻禍をどうやって得ようとしてたの?」

「あら直球」

「知りたいのぉ?気になるのぉ?私の大失敗をぉ?けど教えちゃぁう!」

「…紫様、少々落ち着いてください…」

「こぉれが落ち着いてられるわぁけなぁいでしょぉーう?」

 

そう言いながらスキマから引っ張り出した洋酒を開けてカッパカッパを呑み始める。ROMANÉE-CONTIと書かれている葡萄酒のようだが、私は英字が苦手だ。何と読むかよく分からない。

そんなことを頭の端っこで考えながら、幽々子が勝手に注いでくれていた酒を一口含む。…う、強い…。その瞬間、首のあたりにチクリとした感覚がし、誰かが私を睨んでいることが嫌でも伝わってくる。それが誰かなんて、わざわざ考えるまでもない。

…まぁ、紫には悪いけれど、少しくらい酔っぱらってくれていたほうが口が軽くなってくれそうだ。鬱陶しいけど。

 

「あの子に必要なのはぁ、…常識よぉ。じょ、う、し、き!」

「常識?…そのくらい、いくらアイツでも持ってたでしょ」

「分かってないわねぇ霊夢ぅ。あの子はぁ精神がぁ全てをぉ決めるぅ身体をぉ持ってる…。そうであることがそうであってぇ、そうでないことはそうでないのよぉ?事実『食べなければ飢える』という常識さえ、とある時期まで持ちえなかったがゆえに、何一つ口にせずとも生きていたのよ?」

「それはもったいないわねぇ。こんなに美味しいものがたくさんあるのに」

 

は?絶食してなお生きていた?…それは生物としてあっていいことなのだろうか?少なくとも、私は一日だってしたくない。というより、そもそもそれは誰もが持つべき要求の一つのはずで…。

そんな小難しいことを考えていたのだが、紫は私なんか気にせず言葉を続けていく。酔っぱらってもなお、やはり幻禍のことに関しては相当饒舌なようだ。

 

「ものの複製だって『出来るから出来た』のよぉ?それだって『どのようにものが存在しているか』を知らなかったがゆえに、この世界の法則から大きく外れてた」

「ふぅん。だからあの包丁モドキに驚いてたのねぇ」

 

…何だろう。若干話が外れている気がしてならない。しかし、私が間に入る隙は一切なく、紫は言葉を連ねていく。

 

「複製が創造に昇華出来ることはあの子本人が証明してたもの。だから、私は常識で枷をはめたのよぉ。月の技術というこの世界の最高峰の知識で上限を定めて、私の手に収まるように。…まぁ、もののついでに向こうの知識も欲しかったしぃ?」

「あら、いつの間に侵入してたのね。気付かなかったわぁ」

 

上限、ね…。どうやら、紫は私の知らない場所で色々としていたらしい。ただ、正直に言えばもう少し簡潔に語ってほしい。

そんな私の思いは露知らず、紫はガックシといった音でも立てそうな感じに首を落としながら続ける。

 

「…けど、気付いたら既に自ら常識を破ってた。…力尽くで捕まえようとしても、もう遅かったのよ」

「だったら早めに捕まえておけばよかったわねぇ」

「…私だって最初から上手くいくとは思ってなかったわよぉ。…飼う意味のない愛玩動物は、いらないもの…」

 

そう言い残すと、紫は緩やかに横に倒れていく。慌てて藍が支えていたが、既に安らかな寝息を立てて眠っていた。

…きっと、語っていない部分はまだまだあったのだろう。けれど、今は聞くことは出来なさそうね。

残っていた酒を一気に呑み干し、一息吐く。すると、幽々子は私にまた酒を注ぎながら、なんとも言えない表情を浮かべながら言った。

 

「…紫は万能だわ。けれど、幻禍はきっと全能だったのよ。足りないところ、全部埋められる。紫が欲しがるわけねぇ」

「…味方にいてくれれば、これ以上ないほど頼もしかった、って言いたいわけね」

 

一度だけ、一緒に異変を解決したことがある。あの頃の幻香なら、もしかしたら――、

 

「…ないわね」

 

幻香は酒を呑まない。

私とアイツが同じ酒を呑み合うことは、最初から有り得なかったのだ。

 



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同志をくださいっ!

幻禍視点。
新たな世界で一ヶ月ほど経過した頃の小話。


大地を隆起させて即席で創った高山の頂上から世界を見下ろす。この前創った海のようなものを眺め、ふと、月にあった生命なき海を思い出す。確か、豊かの海だったか。それと同じように、あの海モドキも生命が一切棲んでいない。塩すらない。ただ沈降した大地に水を張っただけなのだから。

 

「…はぁ。いざ創る側になるとこんなに難しいとはなぁ…」

 

思わずため息が漏れる。どれだけ時間が経ったかは数えていないから分からないが、それなりの時間を使っているだろう。しかし、未だに地形と環境を創るので四苦八苦しているのが現状だ。

悔しいが、元いた世界はかなり完成されていたと実感してしまう。生命の成長と進化は単純なようで複雑怪奇だ。原子の結合と分離は嫌になるほど緻密な法則に支配されていた。輪廻転生は非常に神秘的だ。生態系も、原子も、魂も、エネルギーも、何もかもが循環し続けていた。

 

「とりあえず、参考に出来そうなことは出来るだけ拾っていこうか」

 

全力でぶん殴りたかった神だったが、こうして同じような立場になると案外凄い存在だったと思えてくる。悔しいけど。非常に悔しいけど。

まぁ、いいところは使わせてもらうとしよう。悪いところは、…場合によるかな。

 

「はぁっ、はぁっ…。主様ぁーっ!」

「香織?」

 

次は何に手を付けようかなぁ、と考えていると、両腕に以前何となくで創った犬と猫を足して二で割ったような試作生物を抱えた香織が山を登ってきた。この高さを登るのは結構時間が掛かる気がするが、何かあったのだろうか?

 

「またヘカーティアが来ましたか?」

「…い、いえ、そういう、ことじゃ、ないんです、けどね…?」

 

呼吸を整えながら否と答えられ、わたしは軽く首を傾げる。たびたび勝手にやって来る彼女ではないのならば、一体何の用だろうか?

香織の腕から跳び出した名前を付けていない試作生物がわたしに擦り寄ってくる。そしてウォンと甲高く鳴いた。生物種を一つ創るのも食性やら他種との関係やらで苦労するのだ。…まぁ、これを創るときはそんなこと考えていなかったが。

特に理由なくわしゃわしゃと試作生物の頭を撫でていると、香織がズイッと顔を近づけてきた。

 

「あのですねっ」

「…はい、何でしょう?」

「私、主様にお願いがあるんですっ」

「…はぁ、お願いですか」

「私、同志が欲しいんです!今すぐにでもっ!」

 

同志、志を同じくする者。あるいは、同じ仲間。互いに同じ種類のもの。…えぇと、つまり、魂を持った知的生命体を創ってほしい、ということなのかな?一応、この試作生物にも魂はあるんだけどなぁ…。知的生命体か、と言われると違うだろうけど。

 

「それはまた突然ですね…」

「…駄目ですか?」

「こんな殺風景な世界に誕生しても殺生なだけだと思うんですけど。いわゆる文明を発展させるにしても、今の世界にはあまりにも何もなさ過ぎる。現状、石器くらいしか作るものないですよ?…いや、石器すらも怪しいかなぁ。鉱物類創ってないし。さらに言えば、動物も植物も創ってないから、やることがない。探せばあるかもしれませんが、せめて選択肢を広げてからでもいいと思いませんか?せっかく知的生命体なんですから、考えるものが出来るだけ多いほうがいいと思うんですよ。だから、まだ早いんじゃあないかな?」

 

見渡す限り広がっているこの世界はまだつまらない。だから、友達を招待するにはまだ早い。そう感じる間は知的生命体を創るのは止めておこうかな、と考えているのだ。

そういう意味を込めつつ軽く説明を兼ねて言ったのだが、香織は納得してくれなさそうだ。少しむくれている。

 

「そ、そういうことじゃなくてですねっ」

「じゃあ、どういうことか説明してください。検討しますから」

 

試作生物の顎を撫でながら問う。半端な理由だったら知らん。

しばらく見詰めていると、意を決したらしい香織は口を開いた。

 

「…私、友達が欲しいんです。主様とずぅっと二人きりなんて、寂しいじゃないですか…」

「まるでわたしが相手じゃあ嫌みたいな言い方ですねぇ…。悲しいなぁ」

「そういうことじゃないですよっ!?」

 

慌てて訂正しているけれど、そのくらい分かってるよ。冗談だって。

…まぁ、香織はそんなつまらない世界にいる知的生命体なんだよなぁ。わたしはこの世界を創ることが出来るけれど、香織にそんな能力はない。そこにいることしか出来ない。…そう思うと、結構酷いことをさせているよなぁ。何もしないをさせている。

これから一人創るとすれば、その被害者が一人増えるわけで…。けれど、たった一人しかいない現状も悲惨だよなぁ…。どうしまじょうかねぇ…。

 

「…分かりました。創りましょう」

「本当ですかっ!?ありがとうございます、主様っ!」

 

少し考え、お望み通り創ってあげることにした。どちらの方がいいか、なんてわたしには分からない。けれど、少なくともわたしはいないよりいた方がよかったから。

輝くような笑顔を浮かべている香織に試作生物を投げつけつつ、一応一本釘を刺しておく。

 

「ただし、どんな子になっても文句言わないでくださいよ?」

「はいっ!」

 

さて、香織はわたしが創った体にほぼ真っ新な無垢の魂とある程度の知識を入れて創ったものだ。同じように創れば同じようなものが出来上がるはず。…ただし、性格がどうなるか分からない。全く同じになるかもしれないし、違うものになるかもしれない。

ま、あれだ。創れば分かる。容姿はある程度香織と違うものにしよう。黒髪黒眼の少女である香織に対し、白髪灰眼の少女でいいかな。

 

「…え、と」

「うわぁ…っ」

「はじめまして」

 

若干戸惑いの色が見える少女。それを見て感無量、といった風で悶えるのを押さえているように見える香織に思わず小さなため息が漏れそうになるのを飲み込んだ。

キョロキョロと周囲を見渡す少女を見ていると、香織とは違う性格になったみたいだなぁ、と思う。そして、灰色の瞳と目が合った。

 

「…貴女が、私の、主様…?」

「…まぁ、そういうことになりますね。貴女の名前は、真白にしましょうか」

「真白。…私は、真白?」

「えぇ、真白です」

 

名付けが安直過ぎる気がするけれど、今までだってそんなものだったから許してほしい。

おっと、同志の紹介もしておかないとね。わざわざお願いされたことだったんだから。

 

「で、こちらは香織」

「私、香織だよっ!これからよろしくねっ!」

「…え、と。うん、よろしく…」

 

二人の若干ぎこちない握手を見届けてから、わたしは二人で好きにしているといいと伝えてから山を飛び下りる。…まぁ、好きにしろと言われても、こんな殺風景な世界では困る気がするが…。

平坦な大地に降り立ち、遠くの地形を思い付くままに変動させる。先程考えた鉱物類もどうにかしないとなぁ…。石英とか、鉄鉱石とか、金鉱石とか、その他諸々。何処にどのくらい含有させようか、何てことを考える時間は意外と楽しい。ただし、それを実際にやるとなると話は別だが…。

 

「おや?」

 

わたしと違ってゆっくりと歩いて山を下りたらしい二人が、わたしの元へ向かってくるのを感じた。…ただし、何やら不穏が雰囲気と共に。

 

「私が主様の一番ですっ!」

「…違う。私、負けない」

 

…え、何でこうなってるの?二人で何を話してたの?というか、一番とか二番とか考えたことないんですけど。創った順番なら香織が一番だろうけれど、そういう意味じゃないことくらいは分かる。

そんなことを考えていると、急に二人は立ち止まった。そして、お互い向き合った姿勢で睨み合う。しばらく二人の様子を窺っていると、開始の合図もなく同時に跳び出し、互いの拳をぶつけ合った。それを皮切りに殴る蹴る撃つ投げる…。

 

「どうしてああなった…」

「何あれ修羅場?」

「…急に湧いて出ないでくださいよ、ヘカーティア」

「あらあら、いいじゃなぁい」

 

突然現れてすぐけらけら笑い始めるヘカーティアを軽く睨んだが、すぐに二人に視線を戻す。一進一退の攻防。創った側からすれば見た感じ、かなり長くなりそうだということが分かってしまう。二人の性能は容姿と性格以外ほぼ同じなのだから。

…とりあえず、二人に破壊されていく地形をどうするかを考えておこうか。はぁ。

 



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堕ちた鴉天狗は何を視る

椛視点。
幻禍が世界を去ってから少し経った頃の話。


最近、私には大きな悩みが二つある。

 

「…今日は人間一人と妖精が三人。いつもの者だが、警戒を怠らないように」

「了解です、椛隊長!」

 

私に敬礼してくれる白狼天狗の仲間に軽く指示を出し、白狼天狗が全員持ち場に就いたことを千里眼で確認してから小さくため息を吐く。

一つ目は、天狗という種そのものの品性を落としかねない射命丸文さん。…昔は様と呼んでいたのだが、気付いたらさんになっていた。そろそろ呼び捨てになりそうな気がするのは何故だろう。

 

「…ふぅん、射命丸文さまは今日も元気にネタ集め中みたいですねー。鈴奈庵で何か調べてたみたいですよー。…あ、もうそろそろ帰って来るかなー、椛たいちょー」

 

この場に唯一残り、私の隣にしゃがみ込んでいる覇気のない天狗が、気の抜けた口調で私にそんなことを報告してきた。

 

「…そんな情報、今は関係ありません」

「えー、だって考えてたでしょう?文さまの事」

「…確かに考えていましたが、それとこれとは別です。貴女は能力があるのですから、真面目に働いてください」

 

そう注意したものの、まるで気にすることなく遠くを視詰めながらけらけらと馬鹿にしたように笑う。

 

「…はぁ」

「ため息すると幸せが逃げますよー、椛たいちょー」

「既にここ最近の幸福は尽きていますから、気にしないでください。…はたて様」

 

二つ目は、天狗社会の異端児である元上司で、私の部隊に所属している唯一の鴉天狗の姫海棠はたて様。

…胃薬、処方してもらおうかなぁ。

 

 

 

 

 

 

そもそも、何故はたて様が私の部隊に所属することになったのか。そうなった原因は、無断で脱走したはたて様が地下牢で拘禁されていた頃に遡る。

 

『…つまんな』

『話し相手くらいにならなりますよ、はたて様』

『話し相手よりカメラが欲しいわ。没収されたやつ』

『申し訳ありませんが、それは出来ません』

『チッ』

 

私は上司に一週間この黴臭い地下牢の見張り番をするよう命じられ、はたて様を見張っていた。既に一年近く拘禁されているはたて様は、酷くやつれているものの、不思議と活力のある目をしていたことを覚えている。

はたて様の思想は他の天狗とは大きく外れていた。上下関係は忌まわしく、年功序列は疎ましく、種族序列は馬鹿らしい。秩序よりも混沌。中立よりも善悪。部数競争からいち早く抜け出し、死んだような日々を送っていた。

 

『…ま、いいや。それじゃあ話し相手になってよ』

『分かりました』

 

きっと、はたて様でなければ脱走したことに対してここまでされることはなかっただろう。その情報戦で圧倒的有利を得られる能力はあまりにも危険過ぎて、他勢力に奪われることを危惧されていたのだから。

だからこそ、天狗社会から抜け出すことを許されなかった。少し出かけることすら、裏では厳しく管理されていたらしい。どれだけ貶されようと、蔑まれようと、関係なかった。

 

『正直言ってさぁ、貴女くらいよ?私と話そう、何て言う天狗』

『そうですか』

『…ま、悪くないわ。それにしても、外は相変わらず大変ねぇ。いつも通り新聞振り撒いて情報操作。博麗の巫女が『禍』を討つ、だなんてお笑い種もいいところよ』

 

ふと、小さな引っ掛かりを感じた。だけど、それが何なのか分からなかったから、流すことにして話を続ける。

 

『『禍』の噂が本当ならばいいことではないですか?』

『あ、そう。…ふぅん、私生活までカッチリ真面目ね、貴女』

 

そう言われ、ゾクリと背筋に言いようのないものが走る。どうして私の私生活について知っている?憶測による言葉?それと同時に、先程の引っ掛かりが激しく主張してくる。

はたて様は外界の情報を知る機会はほどんどない。この地下牢は外からの音が漏れて聞こえるような場所ではないのだ。ならば、何故『禍』の新聞について知っている?前の見張り番から聞いた?…いや、違う。さっき言ってたではないか。私くらいだ、と。

 

『…はたて様』

『何?』

『…何を、視ているのですか?』

 

これは、予感。はたて様の目がどこか遠くを視詰めている気がしたから。私と似た能力を有しているような共感覚。

 

『あの子を視てるのよ』

 

そのことを上司に伝えると、私の部下になっていた。意味が分からない。

 

 

 

 

 

 

念視をする程度の能力。…要は、道具を介して写すことから、自らの目で視るように変化したらしい。かと言って、念写が出来なくなったわけでもないそうだ。…ハッキリ言えば、私の千里眼のほぼ上位互換である。ただし、ちゃんと使えばだが。

千里眼で妖怪の山を隅々まで監視しながら、私ははたて様に訊いた。もう何度も同じことを訊いていることを。

 

「…戻ろうとは思わないのですか?」

「何に?それとも、何処にかな?椛たいちょー」

「その能力を上司に売れば元の地位、…いえ、それ以上の地位にだって就けるはずです」

「興味ないわ、そんなもの」

 

そして、答えはいつもと同じだった。何度訊いても、変わらない。

鴉天狗が白狼天狗と同じ立場、場合によっては下にいる現状。はたて様は堕ちるところまで堕ちた、鴉天狗の面汚し、などと同じ鴉天狗に蔑まれている。白狼天狗達も元上司がここまで落とされたことを裏で馬鹿にしていたのを知っている。それに関して、はたて様はどうでもよさそうに聞き流していた。…本当に、どうでもよさそうに。

けれど、見ている私は嫌な気分になる。はたて様が傷付きもしないことと、そうやって馬鹿にしている周囲の存在に。

 

「…あぁ、楽しそうなことしてるわねぇ…」

「何か見つけたんですか?」

「いいえ、なぁんにも」

 

…まただ。また、はたて様は何かを視ている。きっと、あの子、なのだろう。何処の誰かは知らないが、随分お気に入りのようだ。これが愛のなせる業、だそうだが…。

 

「うふ。うふふふふふ…」

「…監視、忘れないでくださいよ?」

「してますよー、椛たいちょー。左目で」

「…はぁ」

 

幸せが尽きているのなら、いっそため息が出なければいいのに…。

一人の人間と三人の妖精がいつも通り迷い家へと行ったことを確認して一息吐いたところで、急速にここへ飛んでくる存在を視認した。

 

「あやや、今日もご苦労ですね」

「…文さん」

 

文さんだ、と思うときには既に私の前に降り立っていた。手帳とカメラを手に愉しげに笑っているのを見るに、いいネタが見つけられたのだろう。

そして、文さんの視線が私の隣でしゃがみ込んでいるはたて様に向けられていく。…明らかに侮蔑の色を孕んだ眼で。

 

「貴女もご苦労様ですねぇ、はたて」

「ふふっ。美味しそう」

「…無視ですか、そうですか。ここまでつまらない存在になり果ててしまうのは、全く嘆かわしい…」

「今度私も料理して――…あ、いたのね、文さま。ネタ探しご苦労様ー」

「…ッ!…ふん」

 

クシャリと顔を歪めながら去っていった文さんを見送り、対するはたて様は何事もなかったかのように変わらずいることにまたため息が零れる。…また文さんははたて様に突っかかってきた。これで何度目だろうか。

…いや、理由は知っているのだ。煽るだけ煽って反骨精神でのし上がってほしい、と深酒に酔い潰れかけていた席で私に愚痴っていたから知っている。はたて様が書いていた花果子念報には他とは違うものがある、と柄にもないことを言っていた新聞を止めて逃げたことに苛立っていることも。

けれど、結果はご覧の有様だ。もはや誰が何と言おうと、はたて様は二度と花果子念報を刷ることはないだろう。

 

「…けれど、あんな果実あるかしら…?」

 

はたて様は名前の知らないあの子にご執心のようだから。

 



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私とお嬢様と大きな恩

美鈴視点。
災禍異変後のとある夏の頃の小話。


「ふぅんっ!」

「ぐ…ッ!…なんのォッ!」

「お、いいねぇ!」

 

その小さな拳から繰り出された重い一撃を両腕を交差させて防御し、受け止めた拳を両腕を解き放ちながら弾き飛ばし、その隙に回し蹴りを叩き込む。が、私の右脚は上半身を大きく後ろに逸らされて躱されてしまった。そして、そのまま数回後転して大きく距離を取られてしまう。

私は呼吸と気を整え、僅かに揺れた闘気を立て直す。対する萃香さんは瓢箪から酒を煽る。さて、次はどう出るべきでしょうか…。

 

「…相変わらず暑苦しいわね、貴女達は」

「あぁ、パチュリー様。お出掛けですか?」

「えぇ」

 

次の手を考えていた私に水を差してくる声がして振り返ってみると、照り付ける太陽に辟易ながら歩くパチュリー様だった。

 

「今日は数日空けると思うから、妖精メイドが妙なことしないように咲夜に伝えといてちょうだい」

「分かりました。しっかりと咲夜さんに伝えておきます」

 

妹様がフランさんに変わってからというもの、大図書館を空ける機会が多い傾向にある。絶縁されたにもかかわらず、お嬢様が心配しているに違いない。

門から出て行くパチュリー様を見送り、さて再開しようと振り返ると、萃香さんが若干不機嫌そうに眉をひそめ口をへの字に曲げた顔で私を見上げていた。

 

「ったく、空気読めよなぁ…」

「はは…。なんかすみません」

「そうぶうたれるなよ、萃香。ほら、機嫌直せって」

 

少し遠くで私達の組手を見物していた妹紅さんが、萃香さんの頭をわしゃわしゃと揺さぶる。萃香さんはすぐさま軽く拳を突き出し、それを妹紅さんは軽く受け止める。そして、二人で笑い合った。

そんな言葉のない会話を見ていると、萃香さんがドカリと腰を下ろしながら私を見上げて言った。

 

「ま、今日はこのくらいでいいだろ」

「えぇ、そうしましょう。萃香さん、ありがとうございました」

「おう、これからに期待してるからな」

 

萃香さんに深く頭を下げて礼をし、門の横に立つ。そして、闘気と共に細く息を吐き出した。

極めれば極めるほど、次の一段が高くなっていく。しかし、どれだけ高くとも次があるなら上って見せよう。

 

「ところで、美鈴よ」

「なんでしょうか、妹紅さん?」

 

少しずつだが着実に成長している実感と共に胸に拳を当てていると、隣で壁を背にくつろいでいた妹紅さんに声を掛けられた。

 

「前にも訊いたがよ、どうして門番なんかしてるんだ?」

「前にも答えましたが、お嬢様に恩があるからですよ」

「それだよ。その恩、ってのが気になるんだ。不躾な問いなのは分かってるんだがなぁ」

「はは。別に構いませんよ。聞かれて恥ずかしい話でも、…いえ、少し恥ずかしい話ですね。あの頃の私は若かったもので…」

 

そう言いながら、私は妹紅さんの視線から目を逸らしながらポリポリと頬を掻く。あれは、若気の至りというか、何というか…。改めて思い返すと結構恥ずかしいですね、これは…。

思わず苦笑いをしながら口を開いたり閉じたりしていると、言い難いことを察したらしい妹紅さんは歯切れの悪い口調で言った。

 

「あぁー…、言いたくなけりゃあ無理に答えなくてもいいんだぞ?」

「いえ、せっかく組手をしてくれているのですから、このくらいは答えますよ」

「ん?何か面白そうなこと話してんじゃん。私も聞いていいか?」

「いいですよ、萃香さん」

 

酒を呑みながら近寄ってきた萃香さんに頷きながら、私はあの頃のことを思い返す。んー、何処から話せばいいだろうか…。

 

「まず、私には人外の血が流れています。父母や祖父母の代よりもっと昔のことで、その血は大分薄れていましたが、私にはかなり濃く浮き出ていたそうです」

「ま、だろうな。どんな血統かは知らんが」

「実は私もまだ知りません。これまで知ろうともしませんでしたから。…若かった頃はもっと」

 

そう言いながら、私は若かった頃の自分を思い返し、顔から火が出そうになる。…あぁ、あの頃の私は何て馬鹿なことを考えていたんでしょうか…っ。

 

「元々武闘家の家系でして修行をしていたのですが、その濃く浮き出た血が私を誰よりも早く成長させ、そして誰よりも強くしてしまったんです…。一月足らずで兄弟子姉弟子を一撃の下で打ち負かし、一年もあれば師であった祖父を超えてしまったんですよ…」

 

あの頃の私は、能書きばかり垂れる祖父が嫌いだった。そんなことを言っているが、結局私よりも格段に弱いではないか、と。

 

「はぁーん。そりゃ凄い。正直羨ましい気がするな」

「そんだけ血の影響が強いとなると、大体どんな血か割れる気がするんだが。もしかすれば、鬼の血でも混じってるかもな。ははっ」

 

そう言って萃香さんは笑っていますが、何となく違う気がするんですよね…。具体的な根拠はないのだが、不思議とそう直感する。

 

「そして、私は『私よりも強い者に会いに行く』と言って、一人で外へ旅立ったんです…」

「…お前、そりゃ流石にないんじゃないか…?」

「そう思いますよね…?私もそう思います…。しかも、誰も私に敵うはずがない、何て余裕かましてたんですから。あぁ、あの頃の自分が恥ずかしい…っ!」

「はっはっはっ!で、その一人旅はどうだったんだい、美鈴さんよ?」

 

豪快に笑われるといっそ清々しい。呆れている妹紅さんも、この際だから昔の私を笑ってほしい…。

 

「長い間、負けなしでした。時に闘技場に飛び入りで出場して勝ち残り、時に依頼されて悪党共をなぎ倒し、時に私に挑んできた者を返り討ちにし…。どんどん自信がついて、やはり私は間違えていなかったと思い上がって…」

 

そう、あの頃の私は若かった…。最初に出鼻をくじかれればまだよかったかもしれないけれど、幸か不幸かそうはいかず、私が挑んだ相手も私に迫り来る敵もバッタバッタとなぎ倒して勝ち続けてしまう。積み重なっていく勝利が私を驕り高ぶらせていく悪循環。

 

「そして、ある時ですね…。私はとある人外に挑み、完膚なきまでに負けてしまったんです…」

「へぇ、そりゃ凄い。どんな奴なんだ?出来ることなら、一度手合わせ願いたいものだが…」

「吸血鬼、お嬢様の母ですよ。で、死にかけた私の血を全て吸い尽くそうとされた手を止めたのが、幼い頃のお嬢様なんです」

「ふぅん。そのレミリアに生かしてもらったのが恩か?」

「いえ、少し違います」

 

確かに、私がこうして生きているのもお嬢様のお陰だ。けれど、そうではない。

 

「生かされた理由は、お嬢様に気に入られたからです。ですが、私は塞ぎ込んでしまいまして…。たった一度の敗北ですが、あの頃の私にとっては、これまで積み上げ続けてきた勝利を一瞬で瓦解させてしまう衝撃です。私一人では立ち直れませんでした」

「…若い頃のあんたの支えがなくなったんだな。強者であることの自信が、根元から折れちまったわけか」

 

それはもう、ポッキリと。これまでの私の全てが否定されてしまったような気分だった。失意、そして絶望感。底のない闇の中に落ち続けていくような感覚。

そんな私に、幼いお嬢様は付き合い続けてくれた。拒絶しても、否定しても、口を利かなくても、ずっと。…まぁ、その理由はいも、…フランさんを止めることが出来る運命を視たからだそうだが。

 

「それからお嬢様と紆余曲折あったのですが、突然吸血鬼狩りの襲撃がありましてね。それなりに関係が深くなっていたお嬢様に迫る銀の刃を、咄嗟に片腕で防いだんです。そして、私はお嬢様を背に迫り来る吸血鬼狩りと戦ったんです」

「勝てたのか?」

「…辛くも。…お嬢様といも、…フランさんしか守れませんでした…」

 

次々と襲い掛かる吸血鬼狩りを倒していったのだが、その時の私は今までより体が軽く感じ、強い力を感じた。片腕に銀の刃が突き刺さって使いものならなかったにもかかわらず、不思議に思ったものだ。

けれど、今ならその理由が分かる。あの時の私の背にお嬢様がいたからだ。技術も身体も十分だった私に欠けていたもの。心。祖父が散々言っていた、心技体。それの意味が、その時にになってようやく知ったものだ。

だから、お嬢様が私を必要としたように、私にもお嬢様が必要だった。そうして私を更なる高みへと引き上げてくれた。

 

「背中に守りたい者がいて、私は武闘家としてより強くなれた。お嬢様がいて、だから私がいる。…とても辛い過去ですが、私はそれを機に生まれ変わったと思うんです」

「今のお前がいるのがレミリアのお陰、ってわけか。…そりゃあ大きな恩だな」

「えぇ、とても。返し切れるようなものではありません」

 

最後に思い返すは、息絶えようとしていたお嬢様のご両親の遺言。『レミリアとフランを頼む』。だから、私は今日もここでお嬢様を背に守り続けている。…ただ、フランさんを守れなくなってしまったことを、お詫びしなくてはならないだろう。

次の満月の夜に謝罪しよう。雲一つない青空を見上げながら、私はそう誓った。

 



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訪れる小さく大きな異変

霊夢視点。
東方天空璋後の夏の終わり頃の小話。


ザッ、ザッと箒で参道の砂を払う。真上に太陽が昇る雲一つない青空で、少し夏の暑さが残っているものの、カラッと乾いていて心地いい。幻想郷に四季折々の彩りを見せた異変を解決したばかりだから、このような異変が当分起こらないことを願う。あと、今日こそは参拝客がお賽銭を入れてほしいと思いながら手を動かしていると、ここに何者から向かってくる気配を感じ取った。

 

「…萃香?」

「あん?…あぁ、悪ぃが邪魔するよ」

 

見上げてみれば萃香が浮かんでいて、そのまま私が掃いていた参道に着地する。掃き掃除しているところを思い切り邪魔され、文句の一つでも言ってやろうかと見詰めていると、何やらそわそわしているように見えた。

 

「やることないなら掃除の手伝いでもしてくれない?参道の塵を萃めてくれると大助かりなんだけど。私が」

「人を待ってて忙しい。あいつ、こんなところを待ち合わせに指定しやがって…」

「アイツ?」

「誰だっていいだろ」

 

参道から外れながらクイッと瓢箪を傾けた萃香は空を見上げ始めた。…まぁ、何もしないなら別にいい。私は掃き掃除を続けよう。

 

「アタイがいっちばーん…、じゃっなーい!?」

「待ってよー!チルノちゃーん!」

「ぜぇ、ぜぇ…。チルノ、夏のくせに早くない…?」

「この前インチキしてた影響でしょ…」

「まぁまぁ。私達はのんびり行きましょーう?」

「…なんで私の神社に妖精が集まってくるのよ…?」

 

そう思いながら手を動かしていると、やかましく会話をしている五人の妖精達がこちらへと真っすぐ飛んで来た。しかも、チルノの言葉から察するに、萃香の待ち人は彼女達のようである。萃香が妖精達に手招きすると、そちらにわらわらと集まっていく。

一気に騒がしくなったのを聞き流しつつ、箒を動かしていく。萃香が移動しないあたり、まだ誰かやって来るのだろう。

 

「…ったく、泊まりっておかしいだろお前ら…」

「別にいいではありませんか、妹紅さん。部屋ならあり余っているでしょう?」

「そうだよぉ、固いこと言わないの!」

「そのくらいいいじゃないか、妹紅。案外悪くなかったんだろう?」

 

裏手から四人の声がして振り向いてみると、寺子屋にいるはずの慧音と、人里で稀に見かける妹紅、ようやく復興の目途が立った地霊殿の主のさとりと、さっきのさっきまで忘れていたこいしが現れた。それぞれから言われた妹紅はプイと顔を逸らし、三人に弄られていたようにも見える。

それからすぐに萃香と妖精たちの集まりに気付き、そちらへと歩いていく。コイツらも萃香の待ち人なのね…。しかし、これで終わらないだろうと勘が告げている。

 

「あっ、妹紅、萃香!それに皆も!」

「大ちゃんとチルノもいるぞー?」

「サニー達もいる!早いなぁ…」

「うわぁ、私達結構遅れちゃった感じ?」

 

その矢先、頭上から声がして見上げてみれば、大きな日傘を差したフランと、その後ろにはルーミア、リグル、ミスティアが付いて来ていて、萃香を中心とした集まりへとゆっくり下りていく。

ここまでくると集まっている者達の関係性から察するに、これがどんな集まりか大体察してしまう。ほぼ幻禍関連だ。チリ、と治ったはずの左肩が痛む。…まさか、私か神社に何かするつもりじゃあないでしょうね?

 

「…ふぅ。もし違ってたら無駄足になるから嫌なのだけど…」

「あっ、パチュリー!こっちこっち!」

「分かってるわ、フラン」

 

箒を掃う手を止めて袖に仕込んである札に手を伸ばしながら睨んでいると、別の方向から大図書館で引きこもっていそうなパチュリーがガサガサと音を立てながら歩いてくる。…これはもう本気で怪しい。もうそれだけの理由で退治の方向でいいのではなかろうか…?

しかし、この一対多の状況では手出ししづらい。あと、私が袖に手を伸ばした瞬間から萃香と妹紅、それとフランが私に警戒の目を向けてしまっている。しかも、さとりが三つの眼で私をジロリと見詰めている。先制攻撃はもう出来ない。

どうすれば、と攻めあぐねていると、萃香が瓢箪を煽りながら何やら愚痴り始めた。

 

「言い出しっぺが一番遅い、ってどういうことだよ。…ったく」

「えっと、はたてさんは仕事がありますから…」

「慧音は来てるよ?」

「私は事前に休みを通達していたからな、フラン?それに、私とあちらでは中身が違うだろう」

「むぅ…。アタイ、行ってくる!」

「ちょっと待ちなチルノ!」

「どうせ行き違いになるだけだー」

「来る、と言っていたのでしょう?なら、待ちましょう」

「ですね。…まぁ、落ち着けないのは分かりますよ」

「はっやく来っないっかなぁ…っ!」

 

…どうやら、あと一人来れば最後であるらしく、それははたてという者のようだ。少なくとも、私は聞いたことがない。

札の感触を確かめながら頭の中でどう動くか考えていると、何者かが超高速で急接近してくる音がした。すぐに振り向いた時にはズドンと大きな音を立て、砂煙を撒き散らした人影しか見えない。

 

「けほっ、こほっ…。ごめんね、皆」

「遅ぇ」

「あー、抜け出すのに手間取って」

「あの、大丈夫なんですか?」

「昨日に今日の分の仕事終わらせて、たいちょーに休むって言ったから平気」

 

砂煙の中から咳き込みながら出てきた、何故か白狼天狗の格好をしている鴉天狗がはたてなのだろう。チラリと私を見遣ったはたてだが、すぐに集まりの中へと入っていく。

 

「本当に今日なんですか?」

「そのはずよ。ちゃんと視たから」

「読唇術、ですか…。しかも、このためだけに…」

「うげ、それって本当?やっぱり危ない人なんじゃぁ…」

「愛よ…。これも全て愛なのよッ!」

「…うわぁ」

 

突然叫んだはたてにかなり引きつつ、今日ここで何かが起こることを視た、ということは分かった。もしも異変だと言うのならば、私が出る必要がある。

そう考えて一歩踏み出した瞬間、集まりの中からスルリとさとりが抜け出し、私の前に立ち塞がる。

 

「…異変ではありませんよ、霊夢さん」

「根拠は?」

「…あー、よく考えれば異変ですね。貴女にとっては」

「何ですって!?」

「まぁ、気にしなくて結構ですよ」

 

さとりは不穏なことを言い残し、集まりの中へと戻っていく。異変が起きる?ここで?しかし、情報が圧倒的に足りない。…やはり、とりあえずコイツらを退治して情報を引き出すべきか…。

意を決して袖から札を引き抜くと同時に、はたてがカッと目を見開いて立ち上がった。瞬間、私の警戒がそちらへ集中する。しかし、彼女は何かするでもなく、ただ声を張り上げただけだった。

 

「ッ!来るわ…っ!」

「えっ、何処何処?」

「見えねぇぞ…?」

 

集まった者達がキョロキョロと周囲を見回す中、私も周囲に警戒を強めていく。…何が来る?何が起こる?

その時、勘が降り立った。…ま、まさか――、

ガチャリ、と鍵を開けるような音がした。それと同時に、参道の上に長方形の線が浮かび上がる。そして、その長方形がまるで扉のように動いていく。その扉の先には不可思議な空間が広がっていて、何者かが参道の上に歩いてやって来た。

 

「ここが、幻想郷…」

「ふむ、多数おるようですなぁ、主様よ?いかがなされますか?」

「手は出すな、との命でしたよね?」

「ッシャァ!まず殲滅だな!」

「黙れ豪。主様の命に従え」

「はいはーい、皆お静かにーっ!」

「…主様、通る」

 

そこから現れたのは、騒がしい者達だった。だが、そんなものは気にならなかった。私の意識は、その中にいるたった一人に集中してしまう。

 

「あぁ、久し振りだなぁ…。何年振りだろ」

 

そう言って微笑む私の姿。忘れもしない。勘は外れない。さとりの言った通り、確かに異変だ。少なくとも、私にとっては。

幻想郷から消え去ったはずの、鏡宮幻禍がそこにいた。

 

「…ん。ちょっとお邪魔しますよ、霊夢さん」

「お姉さんっ!」

「幻香ぁーっ!」

「って、うおっ!?」

 

私に何か言った瞬間、フランとこいしが幻禍へ跳びかかり抱き着いた。二人を受け止めた幻禍はそのまま背中を叩きつける。…え、と、今、幻禍はお邪魔します、と言ったの…?

何をどうすればいいのか若干困惑しているうちに、幻禍の後ろにいた香織達とここに集まっていた者達が各々騒ぎ出す。いくつも声が重なっていて、何と言っているのかサッパリ分からない。

しかし、それもやがて収まり、幻禍が言った言葉でシンと静まった。

 

「それでは、招待しますよ。…わたしの世界に」

 

そう言い残し、幻禍は全員を引き連れて消え去った。

異変はこれだけ。何事もなかったかのように終結してしまったのだ。

 



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訪れた小さく大きな世界

慧音視点。
新世界に招待された幻禍の友達の小話。


私達は幻香に連れられて不思議な通路を歩いていく。妖精達は流れるように色めく空間を眺め、そわそわと落ち着かない様子だ。ここに入る際には身体全体が無理矢理捻られたような錯覚があったので訊いてみると、次元軸を一時的にひん曲げた、といまいち理解し難い説明をされた。

 

「さ、そろそろ到着しますよ」

「どんな世界なの?」

「それは見てのお楽しみ」

 

それにしても、幻香が遂に世界まで創ってしまうとはなぁ…。しかも、幻香に付いてきた七人も幻禍が創ったと言う。なんだかんだ色々創ってきたのを見てきたが、ここまでの領域に至ると誰が想像出来ただろう。少なくとも、私には出来なかった。

おっと、あれが出口だろうか?その向こう側にあるのは、幻香が創った世界か。幻香の幻香による幻香のための世界。さて、どのような世界なのだろう?

 

「ヒッ!?」

「きゃぁっ!」

「何事ーっ!?」

 

突然、その出口から爆発音が響いてくる。それも一度や二度では済まない数だ。…本当に向こうで何が起きているんだ…?

その音は幻香も予想外だったようで、足を止めて首を傾げていた。しかし、しばらく考えていたら思い出したらしく、軽く手を叩く。

 

「あ、戦争の真っ只中だった。忘れてた忘れてた」

「…主様、忘れんぼ」

「いやちょっと待て。戦争ってなんだよ、戦争って!」

「あ?戦争は戦争に決まってんだろ」

「口を慎め豪。相手は主様の御友人だ」

 

幻香の言った単語に突っ込んだ妹紅に、心中で私も同調する。もう少し落ち着いた世界を想像していたのだが、かなり殺伐としているのかもしれないと考えを改める。…大丈夫なのだろうか?

緩んでいた気を引き締めていると、幻香に付いてきていた黒髪の少女と目が合った。そしてニコリと微笑まれる。いや、笑って済むようなものではないだろう普通に考えて。

 

「幻香ぁー、なんで戦争なんてやってるのぉ?」

「…わたしが暮らす場所を決めるため、かな」

「主様に任せっぱなしは嫌ですからねっ!」

「…戦闘経験、大事」

「えっと、いまいちよく分からないんですが…?」

 

そんな受け答えをしている間に、私達は通路の出口を抜けた。足を付けた場所は小高い山の頂上であり、山ノ下を見下ろしてみれば何十人の人々が突撃し合っていた。爆発音も向こうから聞こえ、平然と殺し合いにまで発展している。

 

「…おい、ありゃ確実に死んでるぞ…」

「おー、体がバラバラだー。ねぇ幻香ー、あれって食べていいー?」

「食べれませんよ。事が済めば全員蘇りますから」

「え?」

 

そんなことはどうでもいい、とでも言わんばかりに幻香は付いてきた七人のうち五人に持ち場に帰るよう伝え、黒髪の少女と白髪の少女を遺して山を飛び降りていく。そして、その五人はあの戦争に参加してしまった。

 

「…なぁ、幻香。すまないが、あの戦争について説明を頼んでいいか?」

「いいですよ、慧音。先程言ったとおり、あれはわたしが暮らす場所を決めるために戦ってるんです。いくつかある集団には一つずつある社があるんですが、勝利した集団の社にわたしが暮らすんです。…まぁ、殺し合いまで発展させやがった原因の根元はこいつらなんですがね」

「な、何のことかなー、主様ーっ?」

「…私、知らない」

 

幻香にジットリとした目を向けられた二人は、サッと目を逸らす。…この二人に何があったというんだ…。

 

「それも気になるけど幻香。蘇る、とは?」

「社には各集団の知的生命体の肉体情報と魂を記憶し、適合する身体を創造することが可能な通称巫女と呼ばれる存在を与えてましてね…。戦争が終結すると同時に、儀式を行う社の一室にて蘇生されることになってるんですよ。まぁ、そういう世界なんです。…気付いたら、そうなってたんです…」

「…蘇身の儀、ですか」

「凄かったわぁ…っ。あんなこと出来るなんて…、私も驚いちゃった」

 

幻香は遠い目をしながら、蘇りの件について語った。…創った本人として止めなかったのだろうか?それとも、放っておいたのだろうか?…まぁ、きっと幻香には幻香の苦労があったのだろう。

 

「…さ、戦争なんていつ終わるかも分からないものはもういいでしょう?皆には来てほしい場所があるんですよ」

 

無理矢理戦争から逸らそうとする幻香に、私は従うことにした。これ以上突くのは幻香にとってよくないことだろう、と察したからである。他の皆も幻香の気苦労を察し、山の麓で起きている戦争から目を逸らしていく。

 

「それで、何処に行くの?」

「本来ならば主様と私達二人しか侵入ことを許されていない、最も神聖な場所なんですよ?」

「…主様の友達、特別」

「ま、あそこに色々準備したんですよ。皆を迎えるために、ね」

 

そう言う幻香は誰が見ても嬉しさで溢れている、とてもいい笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

「…うわぁ…っ」

「綺麗…」

 

思わず息を飲むほど美しい色とりどりの花々が辺り一面に広がっていた。微風が草を撫でる音に耳を傾けながら羽ばたく蝶々に目を遣れば、心が安らいでいくようだ。黒髪の少女が最も神聖な場所、と言うだけのことはある。

そんな花畑を眺めていると、幻香は若干顔を引きつらせながら私達に言った。

 

「ま、大事な戦利品ですよ。枯らすと神殺しが出張ってくる、ね」

「…神殺し?」

「あぁ、気にしないでいいですよ。ちょっとやそっとじゃ枯れませんから」

 

そんなのっぴきならないことを言いながら、幻香は花畑の中心にある広場へと足を向ける。そこには山積みにされた動物や野菜、果実と思わしき食料、様々な容器や瓶が安置されていた。

 

「せっかく招待したんですから、まずは宴会としましょうか。わたしの世界を味わってくださいな」

「まどか!何から食べていい!?」

「好きなものを取っていいですよ」

 

そう言われ、妖精妖怪達はそれぞれ好きなものを手に取り口に放り込んでいった。口にしたものはどれも美味しそうで顔を綻ばせている。

 

「あぁ、調理したいなら道具も創りますから」

「んじゃ、とりあえず火と金網を出してくれないか?」

「私にも頂戴!」

「分かりました。はい、どうぞ」

 

幻香が創った調理器具を手に肉などを焼いていく。一体、どのような味がするのだろうか?香ばしい匂いを嗅いでいると、とても食欲がそそられる。

 

「酒はあるのかい?」

「一応。気付いたら醸造してましたので、献上してもらいました」

「お姉さん、どれがお酒なの?」

「あそこら辺に置かれてるやつですよ」

 

指差した場所に置かれていた酒瓶や酒樽から酒を掬い、喉に通していく。様々な種類があるようで、見たこともない色合いをしたものまである。

そうやってはしゃいでいる皆を一歩後ろから眺めながら微笑んでいる幻香にそっと近寄り、肩に手を置いてから声を掛けた。

 

「どうした。せっかく用意したのに混ざらないのか?」

「…いえ、もう少し見させてください。…さ、慧音もどうぞ?おすすめは白くて丸い果実ですよ」

「そうか。それでは、いただくとしよう」

 

食料の山から幻香が勧めていた白くて丸い果実を手に取り、口に入れるにはちょうどいい大きさのものを口に含む。噛んでみると林檎に似た触感がし、上品な甘さとほんの少しの酸味のする果汁が口いっぱいに広がっていく。…これは生でも十分に美味しいが、少し火を通せばまた違ったものになりそうだ。

串焼きを作っている妹紅の元へ向かう前に幻禍に目を向けると、両手いっぱいに果実を持ったこいしに苦笑いを浮かべていた。だが、嫌だといった印象を一切感じさせない、とても微笑ましい絵だった。

しばらくは二人の世界に浸らせてあげるほうがいいだろう。そう思いながらすぐに二人から目を離し、妹紅の元へ向かう。

 

「お姉さーんっ!これ凄く美味しいね!」

「そうですか?それはよかった」

「むっ、幻香はこっちのほうが美味しいと思うよね?」

「え?…好みは人それぞれじゃあないかなぁ…?」

 

…まぁ、すぐに終わりを迎えたようだが。フランとこいしがそれぞれ真っ赤な果実と黄緑の果実を押し付けながら睨み合っているのを眺め、思わず笑いが込み上げる。

やはり、宴会とは騒がしいほうがいい。ふふっ、これを軽く炙ったら、私も混ぜてもらおうかな?

 



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幻影から幻想へと至る第一歩

董子視点。
小学校中学年の頃の小話。


「それじゃあ、皆真っすぐ家に帰るんですよー?」

 

先生のさよならの挨拶を待ってましたとばかりにクラスメイトの皆が騒ぎ出す。ほんの少しでも早く帰るために、既にランドセルを背負っている男の子もいる。

 

「はーい!」

「分かってるよ先生!」

 

そんなことを大声で言う男の子の声を聴きながら、クラスメイトの皆がガタガタと椅子を引きながら立ち上がり、一斉に教室の外へと向かっていく。

 

「さようならー!」

「また明日!」

「さよなら先生!」

「バイバイ!」

「じゃあねー!」

 

教室と廊下を挟む扉の前で笑顔を浮かべながら手を振っている先生への挨拶を忘れない。忘れたら挨拶するまで外に出してくれないから。…馬鹿みたいだよね。クラスメイトも、…先生も。

 

「一緒に帰ろうぜ!」

「おうっ!今日こそ負けねー!」

「よっしゃ、今日は何色にするー!?」

「帰ったら遊ぼうねぇ」

「うん、そうだねぇ」

 

帰りながら、あるいは帰ったら何をして遊ぶか騒がしく話し合っている声が聞こえる。壁の向こうではジャンケンをしている男の子五人が見えた。…あれは、ひょろっちい一人を嵌めるつもりなのだろう。…ほら、負けるが勝ちだなんて多数決という名の暴挙で荷物を一人に押し付ける。

その光景に馬鹿らしくなって視線を切り、昔から読んでいることわざ辞典を見遣る。もう何十回と読んでいるから、書かれている内容はすべて覚えてしまっているのだが、別に構わない。

もう少し静かになったら帰ろうかな、と思いながら読んでいると、チョンチョンと肩を突かれた。…はぁ。パタリと辞書を閉じてランドセルの中に仕舞い、そのまま背負いながら私の肩を突いた先生を見上げる。

 

「董子ちゃん、どうしたの?」

「何でもないよ、先生」

 

…そろそろ、読書以外で一人になれる理由が欲しいな。

 

 

 

 

 

 

幼い頃の私は、どうしてでいっぱいだった。どうして、手で物を持っているのか理解出来なかった。どうして、地に足を付けて歩いているのか理解出来なかった。どうして、扉に鍵を必要としているのか理解出来なかった。どうして、タバコの火をライターで点けているのか理解出来なかった。どうして、壁の向こう側が見えないのか理解出来なかった。どうして、どうして、どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうして…。

そして、私は分かった。私は特別な人間なのだと。周囲の他の人間とは一線を画する、優れた人間であると。けれど、それをひけらかすつもりはない。能ある鷹は爪を隠す、とことわざ辞典に書いてあったから。

 

「…誰もいないよね」

 

だからと言って、使わないわけじゃないけどね。

校舎裏でキョロキョロと周囲を見回し、誰もいないことを確認する。前には壁、上には屋根と視線を切ることが出来る絶好の場所だ。透視込みで近くに人がいないことを確認し、それからテレポーテーション。一瞬で視界が切り替わり、人気のない神社の裏側に瞬間移動した。

 

「さ、帰ろ」

 

学校から家まで普通に歩けば十分。だけど、校舎裏から神社裏にテレポーテーションして

から家に歩けば二分で済む。

神社の裏から表へと出て参道を歩いていると、トン、と軽い着地音が背後からして、私はビクリと体が跳ねた。恐る恐る振り返ると、そこにはちょっぴり大人な私がいた。…え、私?そっくり過ぎて、逆に不気味だ。…それより、どうしよう。…いざとなったらサイコキネシスでどうにかしよう。うん、そうしよう。

 

「…何か、用ですか?」

「驚いた」

「…ぇ…っ?」

 

ポカン、と口が開く。何に驚いた?…まさか、見られた?私がテレポーテーションした瞬間を?

心臓が一気に暴れ、手足の先が冷たくなる。喉がカラカラに乾き、頭がガンガンする。一秒が何倍にも引き伸ばされるような感覚。そんな中、目の前で微笑むちょっぴり大人な私は言った。

 

「まさか、ここでそんな能力を持つ人間がいると思ってなかったからさ」

「ィヤッ!」

 

サイコキネシス全開。咄嗟の判断で変な声が出てしまったが、目の前のちょっぴり大人な私を地面に叩きつけた。きっと記憶も飛んでくれる、…はず。そうよ、きっとそう。そうに決まってる。

そんな希望的観測をしながら一歩後退る。…動かない、よね?動かないでほしい。

 

「…急に酷いなぁ」

「な、んで…?」

 

そんな淡い希望は簡単に崩れ去った。再びサイコキネシス全開で叩きつけようとしたのだが、僅かに揺らいだ程度で碌に動かせなかった。まるで、地中深くまで根差した大木を引き抜こうとしているような感覚。そして、そのままちょっぴり大人な私はサイコキネシスを受けたまま立ち上がってしまった。

その額からはタラリと真っ赤な血が流れていたのだが、サッと親指で拭っただけで治ってしまった。それを見て私は思わず目を見開く。

 

「一発やり返してもいいけれど、まぁ止めといてあげる。面白いもの見れたし、ね」

「…貴女、何者なの…?」

「何者かぁ?知らない人とは話さない、がここの子供の規則みたいでしょ」

 

ちょっぴり大人な私はそう言いながら、私の額にピシッと人差し指を弾いた。滅茶苦茶痛い。

けれど、そんな痛みはほとんど気にならなかった。

 

「そんなのどうでもいいッ!」

 

叫んだ。目の前に、私以外の特別な存在がいる。そんなつまらないお約束よりも、一瞬で傷を治癒出来る超能力のほうが重要だった。

顔を上げてちょっぴり大人な私を睨み付ける。しかし、肩を竦めながらふらりと背中を見せて去っていく。

 

「待ってッ!」

「…気になるなら、まず言うことがあると思うんだよねぇ」

「っ…。それは、その…っ」

「それに、これから家に帰るんでしょう?さ、帰った帰った」

 

私が言い淀んている間に、ちょっぴり大人な私は片手を軽く振りながらそう言い、そのまま神社の中へと消えてしまった。

 

「……………」

 

これが、私とドッペルゲンガーとの出会い。幻影から幻想へと至る第一歩。

これから長い時間を掛けていい話し相手になるまでのお話もあるけれど、それはまた別のお話、ということで。

 

 

 

 

 

 

時折、思い返すことがある。季節が三周ほどしたはずだから、もう三年前の話になるかなぁ…。多分。

 

『ちょっと。逃げるのは勝手だけど、私を巻き込まないでほしいわね』

『残念ながら、貴女の力が必要なんだ。もう少しの間、諦めてほしいですね』

『…あーっ、もう!終わったら私の身体、創ってくれるんでしょうね!?』

『えぇ、創りますよ。…そのくらい、もう分かってるんでしょう?』

 

頭の中に響く霊夢さんの声にそう答えながら、真っ直ぐと幻想郷の端まで飛んでいった。そして、わたしはこの身に宿した霊夢さんの力を行使し、博麗大結界と幻と実体の境界を力任せにひん曲げた。…よし、これでわたしを阻む壁は取り除かれた。

幻と実体の境界を超えると同時に、この身に宿した霊夢さんの精神を創った複製(にんぎょう)側へ押し込みながら排出して分離。わたしは外の世界へと逃亡を果たしたのだった。

 

『それじゃ、行ってくるわ』

『それじゃ、あとよろしく』

 

わたしという存在が本当に無垢の白だというのならば、わたしの身体は幻でありながら幻でなく、実体でありながら実体ではない存在だ。旧地獄行きからの急な予定変更であり、かなり分の悪い賭けだろうが、これはこれで悪くない。再び幻想入りするようならば、それはそれとして諦めようではないか。

 

『さよなら、幻想郷』

 

幻と実体の境界に負けたのならば、わたしは八雲紫に敗北したのとほぼ同義なのだから。

そして今、わたしは常に抵抗している。いつからか見えない手に引っ張られているような感覚があり、それに抗い続けている。これ以上強くなりでもすれば、この力は強くなるだろう。これ以上弱くなりでもすれば、この力に抵抗出来なくなるだろう。そんな気がする。

 

「…ま、悪くない」

 

外の世界は平凡で、人間の域を逸脱した人間はいないと思っていた。けれど、いた。これは面白い。彼女もいつか、その能力から幻想入りするのだろうか?…まぁ、そんなことはどうでもいいか。

彼女は明日になればまた来るだろう。視れば分かる。その時、彼女は何を話すのだろうか?わたしは何を話そうか?…これからは、ほんの少しだけ、生活が変わりそうだ。

 

「アハッ。楽しみだなぁ…」

 

まぁ、これがほんの少しでは済まないと気付くのはもう少し先の話だ。

 




幻香視点。
災禍異変の際に旧地獄ではなく外の世界へ逃亡したIF小話。

リクエストBOX:https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=201148&uid=130833


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年越し屋台

フラン視点。
大晦日の真夜中にて屋台で店主と語り合う小話。


深夜、月明かりと提灯に照らされた大晦日の屋台。おでんと八目鰻のたれが香る中、私はグッ、グッ、と大きな盃に注がれた酒を一気に呑み干した。

 

「…ぷはっ!」

「呑み過ぎはよくないよ、フランさん」

「これが呑まずにいられるか、って話よ!」

 

空になった盃を持ったままで拳を屋台に振り下ろす。咄嗟に力は抑えたけれど、ミシリと嫌な音を響かせてしまった。申し訳ないとは思うけれど、物にでも当たらないと人間に当たりに行きかねない私がいる。だから、と言うのはおかしな話だけど、今回ばかりは許してほしい。

おでんの人参と大根の紅白からそのままとある人物を連想してしまい、私は二つまとめて口の中に放り込んだ。少し冷ましていたとはいえ、まだまだ熱い。けれど、火傷した口内は勝手に治っていく。

そんな私を若干頬を引きつらせながら見ていた店主であるミスティアは、一つため息を挟んでから言った。

 

「霊夢さんが『禍』を討った、って話?」

「そう!それよ!」

 

妹紅に事前に聞かされていたから衝撃はやや薄かったものの、お姉さんが霊夢に討伐された旨が記載された新聞を読んでから、落ち着いていつも通り過ごそうと思っても落ち付いてられない。

 

「夜中に幻想郷中を少し探し回ったけど、全ッ然見つかんないのよ…。おかげで魔理沙に捕まるし、本ッ当に散々!」

「それは大丈夫だったですか?」

「一応大丈夫。…ま、魔理沙も知らないってことが分かったからそれはそれかな」

 

以前、お姉さんが私達にほぼ無断で地底へと下りて行った際には私のリボンに書置きを残してくれた。けれど、今回はそういった類のものは一切存在しないのだ。縋れるものがないのは、私が思っていたよりも辛い。

無論、私はお姉さんが死んでいないと信じている。しかし、ただ何もせず信じて待つ、なんてやってられない。だが、結果として収穫はほぼ零。探してもお姉さんがいないことが分かっただけ。

空になっている盃をミスティアの前へ無言で突き出し、そこに新しく酒をトポトポと注いでもらう。その音を背景に、ミスティアは静かに話し始めた。

 

「…フランさんは訊きたくないかもしれないけどさ」

「うん」

「人里では年明け前に禍根が断たれて大喜び。馬鹿みたいに大はしゃぎしてるところもあるくらい。…そのくせに、ちょっと嫌なことがあれば未だに『禍』の仕業。本当、どうかと思うよ」

「ふぅーん…。そう言ってる割にミスティアはとっても落ち着いてるじゃん」

「そりゃあ、商売柄こういう私情は表にしないものだからね。一応」

 

そう言って微笑むミスティア。しかし、その微笑みは私が見てもすぐに分かるくらい上っ面だけだった。

そんなミスティアに注いでもらった酒を呑んでいると、ガサゴソと奥の方を漁るミスティアが一本の酒瓶を取り出した。

 

「気分を上げたいなら雀酒もあるよ?」

「…いい。流石に無理矢理上機嫌になっても虚しいだけだもん」

「あはは、だよねー…」

 

好意は嬉しいけど。いや、本当に悪いとは思ってるんだけどね。けれど、一回踊り狂ったくらいじゃあこの不安は晴れそうにないし、だからと言って常飲するのは鳥頭にも劣ると思う。それに、千鳥足にはなりたくないからね。

酒を半分ほど呑んだところでトン、と盃を置く。そして、私はミスティアを真っ直ぐと見詰めた。

 

「…で、ミスティアはどう思ってるの?」

「幻香さんのこと?」

「そ。お姉さんのこと」

 

訊いてみると、ミスティアは寂しげに笑った。そして、おでんの鍋をゆっくりとかき回していく。その手は徐々に遅くなっていき、やがてカタリとお玉を置いた。

 

「…まぁ、新しい友達が一人いなくなったのは寂しいよ。幻香さんは、よくも悪くも飛び抜けてたから。けれど、どんなに凄くても、どんなに強くても、死ぬときは死ぬんだなぁ、って改めて思い知った、かな」

「…思ったより、軽いね」

「封印されてたもの。もう二度と会えないかも、って覚悟くらいしてたよ」

「あ…っ。…そう、だよね」

 

ミスティアはお姉さんが封印されていなくて、地底で過ごしていたことを知らないんだ。どうして気付かなかったんだろう。私とミスティアの間にあるズレ。

 

「…けれど、こうも思ってる」

 

頭の中が大きく揺れている中、ミスティアがお玉を手に取りながら言葉を続けた。

 

「もしかしたら、飛び抜けて、突き抜けて、誰も届かないところまで到達して…。私達の想像もしない場所で笑ってるかも、なぁんて思ってる私がいるの。それが幻想郷か、天国が地獄か、はたまた別の何処かかは分からないけれど、ね」

 

クルクルと鍋を回しながら、そう答えてくれた。ただの想像だ。ただの空想だ。ただの妄想だ。けれど、私と事情が異なっているにもかかわらず、私と同じように心の何処かではお姉さんが生きていることを信じてる。

それが分かって、私は少し嬉しかった。

 

「そっか」

「あ、いい笑顔」

「そう?」

「うん。とっても」

 

そう言われ、私は空を見上げた。月と星が夜空を飾っている。この夜空を、お姉さんも見上げているだろうか?それとも、見ていないのかな?…まぁ、どっちでもいいか。

 

「あ、そろそろ新年だよ」

「そうなの?」

「そうだよ。今年は屋台で年越しだね」

 

唐突にそう言われ、私は思わず振り返った。すると、やけに高価そうな置き時計を見せられ、その時刻は十一時五十八分を指している。私も懐中時計を開いてみると、ほとんど同じ時刻を差していた。…そっか。今年ももうお終いかぁ…。

 

「じゃあ、たくさん頼んじゃおっかなぁー」

「いいよー。どれを注文する?」

「全部」

「全部ね。…え、全部!?」

 

冗談で言ったのだけど、本気にしてしまったみたい。すぐに訂正しておすすめを頼み、私は二つの時計を眺める。チク、タク、チク、タク…。一秒ごとに針が進んでいく。もう少しで今日が終わる。今年が終わる。

カチリ、と三本の針が十二を指した。チク、タク、チク、タク…。一秒ごとに針が進んでいく。今日が始まった。今年が始まった。

 

「あけましておめでとう、フランさん」

「おめでと、ミスティア」

 

今年はどんな年になるかなぁ?楽しいこと、嬉しいこと、いっぱいあるといいな。悲しいこと、辛いこと、少ないほうがいいな。…ま、嫌な運命なんてぶっ壊すけどね。

それと、お姉さんは何処にいるのかな?…私、待ってるから。だから、帰ってきて。お願いだから。

 

「はい、八目鰻の串焼き」

「ありがと」

 

受け取った八目鰻を口にし、いつもと変わらず肉厚な旨味を感じ取る。おすすめと言うだけあって、また自慢の一品だけあって、とても美味しい。

 

「ところで」

 

一本食べ切り、次の一本に手を伸ばしたところで、ミスティアが急に私に顔を近づけてきた。とても近い。鼻と鼻がぶつかりそうなくらいだ。

 

「お金、あるの?」

「ないよ?」

 

首を傾げながら即答すると、身を引いたミスティアはまた頭を抱え始めた。

 

「またなの…?」

「うん。だからツケ?ってやつで」

 

そう言ってケラケラ笑うと、眉間にきつく皺を寄せながらミスティアは私をジットリと見詰めてくる。

 

「…貴女が払わないのは勝手だけど、この代金は誰が代わりに払ってくれると思ってるの?」

「妹紅」

「そうよ、妹紅さん。焼き鳥売って稼いでる妹紅さん。…あのさ、自分で払おう、って気はないの…?」

「お金、どうやって作るか分かんないもん」

 

盛大なため息がミスティアから漏れ出た。何度言われても、お金の作り方が分からない私には払う術がない。そんな私にも品物を提供してくれるミスティアはとても優しい。

…けれど、今日は何やら雰囲気が違う気がする。

 

「これ、食べ終わったら私のお手伝いね」

「えっ、お手伝い…?」

「そ。お手伝い。ちゃんと働けば、キチンと対価を支払うわ。せっかく新年なんだから、新しいことに挑戦しましょ?」

 

この後、今日のお代分を支払うために数日間ミスティアのお手伝いをする羽目になった。けれど、これはこれで悪くないかな、とも思うのでした。

 



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世界創造は神のみぞ知る

幻禍視点。
新世界創造に行き詰っている様子の小話。


雑に創った正方形に腰を下ろし、頭の中で生態系を構成していく。とりあえず、食物連鎖を中心にして考えてみようか。日光や土から栄養を得る植物があり、植物を捕食する草食動物があり、草食動物を捕食する肉食動物があり、動植物の死骸を分解する微生物などがあり、分解されたものを得る植物へと戻る。

ただ、一概にもそうであるとは言えない生物も存在するため、あくまで大きく考えて、の話であるが…。それを考えていると頭がこんがらがってくる。

 

「…とりあえず、簡単なものから創ってみるかなぁ」

 

植物創ろう。しかし、単純に植物と言っても多種多様。植物の中でも生存競争を生き残るために様々な進化を遂げている。どれから創ればいいものやら…。

パッと思い付いた葉っぱを創り、それを少しずつ変形させていく。こういう形一つとっても、中々難しい。…よし、こんな形の葉に成長するようにしようかな。えぇと、種子の形状からどうやって成長し、種子を増やし、繁殖していくんだっけ…?

 

「うぐっ!…ぐっ、げほ…っ」

「よ-しっ!もういっぱぁーつっ!」

 

そうやって悩んでいると、わたしの目の前を真白が吹っ飛んでいくのが見えた。思わず目を向けると、地面を数回跳ねながら転がっていくのが見え、そんな転がっていった真白を追いかけていく香織の姿があった。…相も変わらず、何やってんだあの二人。

真白が吹っ飛んできた逆側を見遣ると、また無残に破壊された地形の数々があった。せっかく隆起させた山の上半分が見事に粉砕されてしまっている。いい感じに創ったつもりの滝があった場所が見る影もない。…あれ、もういっそ放っておこうかなぁ…。

 

「あーら、大変そうねぇ」

「…また急に何の用ですか、ヘカーティア」

「ヘカテーでもいいのよ?」

「それはまたの機会に」

 

呼び名なんて今はどうでもいい。今は植物について考えてるんだよ。しかも、その数は膨大だ。そんな時に相手をしている余裕はほぼない。

 

「…で、暇じゃないから帰ってほしいんですが」

「釣れないわねぇ…。思い悩んでる後輩に助言の一つや二つくらいしてあげようかなぁー、って気紛れに思って来たのにぃ」

 

そう言われ、手に持っていた笹の葉に似た何かを握り締めた。助言?いや、貰えるものは貰っておきたいけれど…。その前に、一つ不安な要素がある。

 

「貴女、自分の世界は持ってない、って言ってませんでした?」

「持ってないわよ?けれど、それとこれは別でしょう」

「…創造主に対する助言が未経験者に出来るんですか?」

「これでもたくさん見てきましたから」

 

…まぁ、見ている側だから分かるものもあるか。そう思い、わたしは体をヘカーティアに向けた。相変わらず奇抜な服を着ているなぁ、と思いながら見上げていると、その手にはいつの間にかわたしが先程創ったばかりの笹の葉のようなものが握られていた。

笹の葉のような何かを表裏両面じっくりと観察され、そしてそれをわたしの目の前に突き出してきた。

 

「これが貴女の創りたかったものなのかしら?」

「…まぁ、今は。それも一要素ですし」

「なってないわねぇ…」

 

やれやれ…、とでも言いたげに両肩を持ち上げながら首を左右に振られた。地球と月が両側の手にそれぞれ乗っているあたり、若干狙っている気もする。…しかし、なんだろう。物凄く苛つく。

そんな内心は表に出さずにだんまりを決め込んでいると、ヘカーティアの人差し指の先端がわたしの目にビシッと突き出された。

 

「一番創りたいメインを創りなさい!オードブル、スープ、ポワソン、ソルベ、ヴィヤンドゥ、デセールは飽くまでメインを引き立てるためのものよ!」

「コース料理は食べたことないので、その比喩はあまり分からないんですが…。まぁ、具体的には?」

「貴女が元いた世界は幻想郷を創るために創られた世界よ。世界の原点が幻想郷の中心にあったでしょう?」

「…は?」

 

ヘカーティアが挙げた具体例がわたしの思っていたよりもブッ飛んでいて、思わず首を傾げてしまう。いや、まぁ、確かに世界の中心点とも言える原点は幻想郷内にあったけれど。…えぇ?本当に?

首を傾げたままでいると、ヘカーティアは気にすることなく話を続けていった。

 

「まぁ、一口に幻想郷と言っても既に数える気が失せるくらいあるわよん。どれが幻想郷の原典か、と問われても私には分からないけど。それぞれの神が、別の神が創った世界を真似て、あるいは自己流に手を加えて、私だけの世界を創ってる。似たような世界は探せばいくらでもあるし、まるで似ていない世界も探せばいくらでもある。けれど、どれもほぼ共通しているのは、神が創りたい世界を創っている、ということ。だから、最低限の舞台を創ったら自分の創りたいものを創ればいいのよ」

「…最低限、とは?」

「それは貴女が決めるべきことよ。少なくとも、貴女が元いた世界の神は馬鹿みたいに膨大な時間を掛けて下準備を整えた慎重派だったのだけどねん」

「…具体的に、どのくらいの時間を?」

「ざっと百三十七億年くらい。…ま、そんな時間掛ける神も珍しいわよぉ?」

 

百三十七億年…。気が遠くなる数字だ。一体、わたしの全人生を何倍すればいいのでしょう…。しかもそれが下準備。あぁ、駄目だ。あまりの長さで想像もしたくない。

頭の中がよく分からないもので埋め尽くされていくのを感じていると、ペシペシと頬を叩かれた。

 

「おーい、聞いてるかしらぁー?」

「え、あ、はい、一応」

「たった七日で世界を創った神もいる。百億年以上掛けて世界を創った神もいる。幾多の世界を同時に創った神もいる。世界が自己増殖するようにした神もいる。自分が遊ぶために世界を創った神もいる。他の神と競うように世界を創った神もいる。神の手を一切借りずに回る世界を目指した神もいる。世界の創り方は神のみぞ知るなのよん」

 

神のみぞ知る、ね。全く、その通りだ。

しかし、一つ気になることがあった。

 

「じゃあ、その一要素を創るのは舞台作りの一環じゃあないですか?」

「…じゃあねーん」

「おい」

 

…言うだけ言って逃げやがった。いや、まぁ、別にいいんだけども。

まぁ、そうだなぁ。舞台作りにどれだけ時間を掛けるか、かぁ。あまり掛けたくないんだよなぁ…。友達、待たせちゃってるし。

 

「それじゃ、創るとしますか」

 

呼んでも恥ずかしくない世界。当面は、これが目標かな。そう思いながら、先程思い浮かべた植物を足元に生やしながら歩いていく。ひとまず、何種類か創ってみよう。そして、一度生態系を完成させよう。それから欲しいと思ったものを追加していく方向で。

 

「あが…ッ!?」

「ぶふっ」

 

その矢先、わたしの目の前に香織が落ちてきた。その衝撃で地面が大きく抉れ、せっかく創ったばかりの植物が土ごと捲れて何処かへ飛んでいく。…まぁ、あれはあれで遠くに繁殖してくれる、ということで。

 

「痛ったた…」

 

土煙の中、傷だらけの香織は立ち上がって真上に浮かんでいる真白を真っ直ぐと見上げた。…いや、その前にわたしの目の前に落ちたという事実に気付いたほうがいいと思うよ。あの速度で落下してくる貴女にぶつかったら痛いから。

そう思いながら香織の背中を見詰めていると、真白との戦闘に集中していた香織はようやくわたしの存在に気付いたらしく、バッと振り返った。

 

「って、主様!?少々お待ちを!これから私が一番の従者であると証明して見せますのでっ!」

「…そんなのどうでもいいから。ほら、余所行って余所」

「ど、どうでもっ!?」

 

どっちが一番の従者とか考えて創ってないから。それよりも、わたしが弄った地形を大量破壊するのをどうにかしてほしい…。遠くの方はあまり弄ってないから、是非そっちで暴れてほしいものである。

 



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漆黒は真紅に染まる

幻禍視点。
漆黒の意思が目的を広義に捉えたIF小話。


「これで詰みだ」

 

右腕を霊夢さんに向けて真っ直ぐと伸ばし、わたしは嗤う。右腕には人間一人を殺すには明らかに過剰量を超える漆黒に染まった妖力。多少動こうと、夢想天生で浮こうが沈もうが、それら全てを丸ごと飲み込んでしまう。

振り返った霊夢さんは、わたしを見て死を直感したようだ。しかし、その瞳は閉じることなくわたしを睨み続けており、どうやら最後まで折れるつもりはないらしい。…まぁ、思い出はもう十分だ。

 

「さよなら、霊夢さん」

 

死の宣告。漆黒に染まった妖力を解放しようとしたその刹那、わたしと霊夢さんの間に割って入った存在がいた。

 

「主様っ!」

「…魔理、沙?」

 

突然、香織がわたしを呼ぶ声が聞こえた。そして、その答えの正体は目の前に現れる。

両腕と両脚を大の字に広げ、まるで霊夢さんの盾にでもなっているつもりの魔理沙さん。息も絶え絶え。既に血だらけ。満身創痍。こうして立っていることが、ましてやここにやって来れたこと自体が不思議なくらいだ。

 

「死にますよ」

「…知ってる」

 

どうやら、助けてくれるとは思っていないらしい。

 

「壁にすらなってない」

「…知ってる」

 

どうやら、盾にならないことを自覚しているらしい。

 

「死体が一つ増えるだけだ」

「…知ってる」

 

どうやら、死ぬことを理解しているらしい。

 

「無駄死に、って奴ですよ。魔理沙さん」

「んなこと知ってらぁ!」

 

魔理沙さんは血反吐を吐くように叫んだ。ボロボロのはずの身体で、わたしを真っ直ぐと睨みながら。

 

「ここで動かなかったら一生後悔する…。だからッ!」

「あっそ」

 

…別に博麗の巫女を殺したいわけじゃあないんだよ。殺せば再び幻想郷が荒れてしまい、間接的にわたしの友達が被害を受けてしまうから。そう思うと、色々なものが冷めていく感覚がした。

しかし、どうもそう単純にはいかないらしい。ごぽり…、と腹の奥底からヘドロが湧き上がるような感覚。何故だろうか。無性に目の前の二人を殺したくなった。わたしの瞳に灯る漆黒の炎は、目の前の二人を焼き尽くさないと収まりそうにない。

 

「さよなら」

 

目の前が漆黒に染まる。二十七次元を穿つ必殺の砲撃。逃げ場なんてありはしない。

たっぷり一分間放ち続け、ようやく終息する。目の前にあった何もかもが消え去った。無論、魔理沙さんも、霊夢さんも。ふと、ふわりと漂う二人の魂を感じた。…あれ、喰っちゃおうか?…いや、止めておこう。わたしの、せめてもの慈悲だ。

 

「霊、夢…?ねぇ、霊夢?」

「…嘘。魔理沙が、そんな…っ」

 

遠くの方で、二人の声がする。誰の声だろう?…まぁ、いいや。そんなことより、胸の奥で燃え続ける漆黒の炎が収まらない。おかしいなぁ?やりたいこと、全部済んでるはずなのに。おかしいなぁ?わたし、何かやりたいことを忘れてたかな。

グルリ、と振り返った。両膝をついて涙を流す誰か。それを支える誰か。誰かと必死になって戦っている誰か達。その中の誰かが、ふらふらとした足取りでわたしの近くを歩いていく。

 

「魔理沙。…嘘よね?貴女が死ぬなんて、そんなはずないわよね…?」

 

全てが消えた大地にしゃがみ込み、必死に何かを探している誰か。虚ろな目で地面を見下ろし、両手を使って必死に土を漁っている。僅かでも痕跡があるはずと盲目的に信じたその姿は、実に滑稽に映った。だって、わたしはそんなものごと全てを消し去ったのだから。

わたしの脚が一歩踏み出される。何処に?喜劇の役者に。わざとらしく音を立てながら近づき、その隣にわたしはしゃがみ込んだ。そして、目の前の誰かの耳元でそっと囁いた。

 

「いないよ」

「嘘っ、嘘よッ!そんなはずないッ!」

「だって、わたしが殺したから」

「アアアァァアアァアッ!」

 

喉が張り裂けそうな叫声が響く。けれど、わたしはどうとも思わなかった。ただ、右手を軽く振り上げ、淡々とその首を落とした。

血が噴き出す。ゴロリ、と地面の上を転がった頭とわたしの目が合った。…何が起きたかよく分かってない目だ。そして、首が切断されてこれから死ぬことを理解してしまった目に変わった。口が動く。だが、言葉にならない。何故なら、声を発するための空気を供給する肺がないから。

 

「…アハッ」

 

そして、誰かの、命が、また一つ、潰えた。

…あぁ、そうだ。分かったよ。わたしの奥底に眠っていた、とっても簡単なやり忘れていたこと。敵対する者は殺す。そうやって爺さんを殺した。そうやって若者共を殺した。

 

「ハ、ハハッ」

 

殺してしまえば、襲撃は起こらない。

 

「アハ、アハハッ」

 

世界の外側へ追ってくることもない。

 

「アーハハハハハハハハハハハハハハッ!」

 

そんな、もしもを考える必要もない。

 

「…決めた。全員殺そう」

 

彼女の遺した真紅の衝動が、わたしの中で脈動するのを感じた。

…あぁ、周りがさっきから鬱陶しい。うるさいんだよ。何言ってるか、よく分かんないや。

急接近してきた誰かの袈裟斬りを螺指で受け止め、そのまま火花を散らしながら削り切って刀身を半分にする。宙を舞う刀の一部を掴み取り、目の前で目を見開く誰かに突き刺した。しかし、ただ刺しただけでは死んでいない。だから、グリッと手首で捻ってから引き抜くと、刺突痕から激しく血が噴き出た。グラリ、と力なく倒れる。次。

色鮮やかで、かつ神秘的な弾幕が迫る。その全てを複製し、打ち消した。一瞬にして全弾幕が消滅した現実に目が揺れる。その一瞬で十分。音を置き去りにして誰かに肉薄し、右手を突き出した。服を破き皮膚を裂き骨を砕き肉を押し退けた先にある臓器を手に取り、そのまま貫く。千切れてもなお鼓動を続けるそれを握り潰し、ズプリ、と湿った音を立てながら腕を引き抜く。光なき瞳と目が合った。次。

世界が灰色に染まった。数本のナイフが迫り、躱すと背後で停止する。次々と迫るナイフの数々。その内の一本を人差し指と中指で挟み取り、わたしの隣にある倒れかけたところで止まった何かを誰かに投げつけた。ナイフが突き刺さりながら飛んでいく何かを、誰かは受け止めた。その瞬間、全力でナイフを投げつける。音を置き去りにしたナイフは、そのまま眉間に突き刺さり、内側を破壊した。次。

わたしの周りを蝶々が舞う。その操り手はあそこにいる誰か。真っ直ぐと突き進む途中、蝶々に触れた。意識が混濁する。あぁ、死ぬのか。それが?わたしは死にながら駆け抜け、その体に触れる。瞬間、体が抉り取られるように消えていく。亡霊が、魂が、捕食者であるわたしに敵うと思うなよ。そして、全てを喰らい尽くした。次。

足元に転がる隻腕の誰かを踏み潰し、そのまま踏み砕く。どうして気に食わないんだろうね。理由なんかないと思ってたけれど、そうじゃないんだ。わたしを利用し尽くすつもりの目。それが気に食わなかったんだ。だから、目を潰した。絶叫。うるさいなぁ。歯を蹴り砕いた。もう片腕を落とした。両脚を千切り取った。随分軽くなった誰かを投げ上げ、先程得たばかりの妖力を右腕に収束させて撃ち抜く。誰かは消え去った。次。

杭を抜かれることなく、今ここで何が起きたかも把握出来ず、眠り続けている誰か。封印されているから殺されないとでも思った?何も知らないのならば生かすと思った?眠っていれば許されると思った?…あぁ、許してあげる。ただし、それは永遠の眠りに変わるけど。顔を踏み砕いた。色々な液体が弾け飛ぶ。次。

 

「…あれ?」

 

いなかった。誰もいない。まだあと一人いたはずなんだけど。

そう思っていると、肩を軽く叩かれた。即座に振り向きながら拳を振り抜こうとし、その一瞬前に目の前の誰かがわたしが創った存在であることに気付く。拳がぶつかる前に腕を引き抜こうとしたが、それでも急には止めることが出来ず、交差された両腕に受け止められた。

 

「…香織?」

「おかえりなさい、主様っ」

 

胸の中を、乾いた風が吹き抜けた。揺らめく炎はなく、ただただ空虚な穴がポッカリと空いていた。

しばらく、何かする気になれず立ち尽くす。周囲には死骸、死骸、死骸。漂う死の香り。けれど、凍てついた心が一切動くことはなかった。ただ、これで煩わされることはない、と思うだけだった。

ふと、世界が悲鳴を上げる音がした。それは幻想郷の終焉。結界を担う博麗の巫女と境界を担う八雲紫の死によって、箱庭は今終わりを迎えようとしていた。

 

「さ、貴女はどうしたい?ここで残る?ここで消える?それとも――」

「主様に付いて行きます」

「…いいの?生きるか死ぬかも分からないよ?」

「当たり前じゃないですか。主様に創られたこの魂は、主様のためにありますから。選ばせてくれると言うのなら、私は主様に付いて行きますよ」

「そう。じゃ、行こうか」

 

切り捨てたものは、もう二度と拾われることはない。わたしは全てを切り捨てて、凍てつかせた心に一筋の罅が走らせながら、世界の外側へと旅立った。

きっと、この罅は治らない。

 



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神殺しのご挨拶

幻禍視点。
新世界の舞台が整った矢先の出来事の小話。


開けた大地に横たわり、薄い雲が流れる空を見上げる。小鳥が歌いながら空を舞い、遥か高みには自ら薄紫色に発光する尾の長い鳥が羽ばたいている。顔の横で最初期に創った試作生物が眠っている。微風が心地いい。

思い付いたものを好きなように創り続けた。世界を創った。大地を創った。空を創った。海を創った。太陽を創った。天候を創った。鉱物を創った。植物を創った。草食動物を創った。肉食動物を創った。分解者を創った。個を創った。群を創った。この世界の繁殖の法則を設定した。季節の巡りを設定した。他にも、様々なものを創り、色々と設定した。

 

「主様っ。私はこんなに大きな獲物を仕留めましたっ!」

「私、もっと大きい。…ね、主様?」

「私の方が大きいですー!」

「違う。…ほら、長い」

 

…さて、わたしが遠方に創って生息させた巨大肉食動物が二頭並べられているではありませんか。この二頭は一応、あそこ周辺の食物連鎖の頂点付近にいる強者なんだけどなぁ…。残念ながら、香織と真白には敵わなかったらしい。二頭仲良くお亡くなりである。

のっそりと起き上がり、香織が仕留めたらしい丸々と太った獣と真白が仕留めたらしい強靭な尻尾を持つ獣のそれぞれの体積を把握する。…ふむ、意外と似たり寄ったりだなぁ。全体の百分の一以下の差だし、これはもう誤差でいいんじゃないかな?

 

「一応、真白のほうが大きいけど」

「…勝ち」

「大した差じゃないし、誤差でしょ誤差」

「…むぅ」

 

実質引き分けを言い渡し、若干むくれる真白とあからさまにホッとした香織を見遣り、わたしはまた横になる。さっきの間に起きたらしい試作生物が、わたしの頬に顔を摺り寄せてきた。…ちょっとくすぐったい。

試作生物の顔をわしゃわしゃと撫でてあやしていると、突然日陰になった。見上げてみると、ニヤニヤ笑っているヘカーティアと目が合う。…また来たのか。

 

「あらあらぁ。今回も引き分け?」

「そうですね」

「あの子達ったら健気ねぇ。もう百回くらい続けてるでしょ?」

 

実際はヘカーティアが言うよりも遥かに多く、このような勝負はわたしが把握している数だけで既に四桁に迫ろうとしており、勝敗はほぼ五分五分。なお、引き分けは七割を超える。正直、ここまで来ると多少勝利を重ねても大差ないような気がしてくる。別に、どっちかが勝ってほしいとも思わないが…。

そんなことを思いながら、あの二人が仕留めた獣をどうするか話し合っているのを見ていると、ヘカーティアはグルッと世界を見渡していた。

 

「んー、舞台は十分って感じかしらん?」

「…まぁ、そうですね。そろそろ知的生命体をある程度の集団で創ってもいいかな、とは思ってますよ」

「それを眺めていたいのー?」

「いえ。わたしはこんなものを創ったんですよ、ってちょっと自慢したいだけかな」

 

あと、全部自分で創るのは少しつまらないから、知的生命体達がどんなものを作っていくのか見てみたい、とも思っている。…さて、どんな容姿と能力を持った知的生命体にしようかなぁ、なんて考え始めた矢先のこと。

 

「ッ!?」

 

世界が崩壊する音がした。即座に起き上がって破壊された方角を向く。

 

「…え?」

 

その正体を視認し、わたしは思わず呆けた声を出してしまった。信じられない。なんで、貴女がここにいるんですか…?

 

「…風見幽香」

「フフ。殺しに来ちゃった」

 

四季のフラワーマスターが、わたしの世界に大穴を開けて襲来してきた。どうやって、よりも、どうして来た!?わたし、きっと貴女より弱いですよ!?化けて出てないですし!どちらかと言えば、貴女のほうが出て来ましたよね!?

どうしたものか、と頭を悩ませていると、風見幽香を見ているヘカーティアの顔色がすこぶる悪いことに気が付いた。

 

「どうかしましたか?」

「ちょっと!どうしてあの神殺しが貴女なんかを追ってくるのよ!?」

「神殺しぃ?」

「彼女は貴女の元の世界の神を殺した張本人よ!下手したら私も殺されるわ!」

「…あ、そうですか」

 

もしかしたら、わたしが創造主になってしまったから追って来たのかもなぁ、なんてことが思い付いてしまった。そうではないと思いたい。けれど、わたしが何をどう思おうと、こうして風見幽香が現れた事実からは逃れられない。

是非ともお帰り願いたいなぁ、と考えていると、ザっとわたしの前に香織と真白が立ち塞がった。ビリビリとした敵意が風見幽香に向かっているのが伝わってくる。

 

「主様っ!ここはわた――」

「…任せて、ある――」

「邪魔」

 

目の前で二輪の真っ赤な花が咲いた。ペチャリ、と生温い何かが頬に付着する。手に取ってみると、それは肉片であった。誰のかは分からないが、きっと二人のどちらかだろう。

香織と真白が木端微塵になって死んでいた。酷く呆気ない最期である。…え、あんなあっさり死んじゃうの?

 

「――ハッ」

「――ぇ?」

「…あら」

 

まぁ、認めないけどさ。目の前に浮かぶ二つの魂に肉体を創り直した。死んだと思ったら生き返った、といった気分だろう。その通りだよ。わたしが生き返らせた。

二人の方を両側に押し退けながら一歩踏み出し、風見幽香を見上げた。随分な威圧感だ。けれど、不思議とどうとも思わない。

 

「用件は?」

「挨拶よ。鏡宮幻香」

「幻禍だ。…まぁ、いいや。…へぇ」

 

悪いとは思うけれど、記憶把握させてもらった。表層のみ把握し、本気で挨拶しに来たらしい。ただし、普通の挨拶ではないことは確かなようだが。

もう少し深い層を把握しようかな、と思ったのだが、わたしの薄く浸透させていた妖力が弾かれた。…どうやら、これ以上把握させてはくれないらしい。

 

「フフ。貴女のこと、気にしていたのよ」

「…心臓潰したくせに?」

「死んだらそれまで。けれど、こうして生きている。私の心臓を創って、ね」

 

…どうやら、バレていたらしい。しかし、それならどうして見逃してくれたんだろうか?

そんなことを考えていると、急に風見幽香の嗜虐的笑みが深まった。

 

「小さな芽吹きを垣間見たのよ」

「芽吹きぃ?」

「そして、今は花開く寸前の蕾。さて、どんな花を咲かせてくれるのかしら?」

「開かないし、咲くつもりはない」

 

そう言い終えた瞬間、目の前に日傘が迫ってきた。真っ直ぐと眉間に突き刺さる刺突を横に跳んで躱し、日傘を複製しながら接近して思い切り振り下ろす。が、片手で掴み取られてしまった。…んー、力が足りない。全然。もっと力が必要だ。

即座に日傘を回収して跳び退ると、先程までわたしがいた世界が日傘によって破壊されていた。その衝撃がわたしの全身を叩き、思い切り吹き飛ばされる。…うげ、いざ目の前で見せられると滅茶苦茶だ。三次元じゃ飽き足らず、全次元軸にまで伝達し、そして世界が耐え切れず壊れてしまうほどの破壊力。夢想天生なんか関係ないわけだ。

両脚で着地し、右手を固く握り締める。そして、わたしは嗤う風見幽香に言った。

 

「アハッ。悪いけど、生憎今は暇じゃない。それに、今日は挨拶なんでしょう?…だから、一発全力で来い。受け切ってやる」

「フフフ…。言うわね。けれど、確かに挨拶。…いいわ、魅せて頂戴」

 

お互い同時に飛び出し、拳を放つ。だが、その拳がぶつかることはなく、風見幽香の拳は世界に叩きつけられ、そしていとも容易く崩壊させた。

しかし、破壊の衝撃は一切伝わってこなかった。

 

「手加減してくれてありがとうございました」

「…フフ、蕾のままも悪くないわね」

 

わたしの拳は世界を創り続けていたのだ。風見幽香によって世界が破壊された傍から新しく創り、世界を補修し続けて衝撃を打ち消したのだ。…まぁ、本当に全力なら今のわたしでは到底敵わないだろう。今は、だが。

 

「さて、挨拶も済んだから帰ってくれませんか?」

「そうするわ。けれど、その前に」

 

トン、と日傘で大地を突いた。瞬間、風見幽香を中心に色とりどりの花々が咲き乱れた。おいおい、簡単に創りやがって…。

 

「花が潰えたら、また来るわ」

 

二度と来るな。

 



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紅い想い出

さとり視点。
幻香と『破壊魔』に関する小話。


最後の一文字を書き終え、私は筆を置いた。今日の仕事はこれにて終了。すっかり温くなってしまったお茶を一口含み、ふぅーっと一息吐く。

さて、これからは趣味の時間。これから執筆するのは、最愛の友との別れの場面。どう書けば悲痛な思いが伝わるだろうか…。あ、そうだ。

 

「幻香さん」

「…何ですか?」

 

長椅子に座りながら私が執筆した作品を読み込んでいる幻香さんに訊いてみることにした。ついでに訊いてみたかったことでもあるのだし、ちょうどいい。…ただ、それは幻香さんの精神的外傷(トラウマ)に関連しているから、好き好んで訊こうとは思えなかったのだ。

けれど、私は少し疑問に思ったのだ。…いや、そこまで明確なものではなく、違和感と言うか、少し引っ掛かっているような、喉に小骨が刺さってしまったような、そんな感じ。

 

「これから人と人の別れを書くのですが、少し参考にしてもいいですか?…出来れば、出会いと別れの両方を聞いて深みを増してほしいのですが」

「別に構いませんが、誰との出会いと別れですか?わたしはそれなりにいますけど…」

 

確かに、幻香さんは地上に何人もの友人と出会い、そしてその友人を遺して一人旧都へ下りてきた。その友人と再び出会うのは、またいつかの未来の話となるだろう。…しかし、私が訊きたいことはそれではないのだ。そう思いながら、もっとそれらしい理由を含めながら問うた。

 

「そうですね…。…書いている結末は相方が死ぬのですから、フランドール・スカーレット、八意永琳、そして博麗霊夢の三人のどなたか。…よろしいですか?」

 

瞬間、幻香さんの心に三つの精神的外傷(トラウマ)が蘇る。しかし、それを表に出すことはなく、幻香さんは持っていた作品をパタリと閉じる。そして、少し遠くを見るような目で私を見詰めてくる。

 

「…まぁ、いいですよ。誰がいいですか?」

「一番印象深い、心に来るものがあったのは誰ですか?」

「それは、まぁ、…『破か――フランかなぁ。…うん。霊夢さんもそれなりに来るものがあったけれど、フランの方が大きい」

 

赤い表紙を瞳に映しながら寂しげな笑みを浮かべる幻香さんからは、その表情通りの強い哀愁を私に伝えてくる。…まぁ、そうでなくては困る。私は貴女と『破壊魔』の別れが気になっていたのだから。

手に持った本を弄りながら、幻香さんは頭の中で話すことをまとめ始める。それに対して私は特に言葉を発することなく、幻香さんが語り始めるのを待つ。催促するようなものではない。心を読むだけでいいだろう、と言われるかもしれない。けれど、言葉を聞くからこそ分かるものもある。私はそう思っている。

そして、まとめ終えた幻香さんは、ゆっくりと口を開いた。

 

「そうだなぁ…。最初は、厄介なものが現れた、と思いましたね。見るもの何でもかんでも壊したがる、見ずとも何でもかんでも壊したがる。人が内側から破裂する様子とか、真っ二つに引き裂かれる様子とか、そんな感じ」

 

黙っていた。心で読んでいた通りだ。それを語る声色から嫌と言うほど伝わる辛さ。だけど、それだけ辛くても精神的外傷(トラウマ)ではないのだ。幻香さんにとっては、些細なことなのだ。

 

「少し休むと、彼女はわたしを塗り潰すんです。壊すために、わたしが邪魔だから。だから、気も抜けない。眠るなんて以ての外。どのくらいか知りませんけどね、まぁ、あれはきつかったかな」

 

黙っていた。心で読んでいた通りだ。それを語る声色から嫌と言うほど伝わるきつさ。だけど、それだけきつくても精神的外傷(トラウマ)ではないのだ。幻香さんにとっては、些細なことなのだ。

 

「ある時、萃香がわたしを隅に押し退けて保護したんですよ。そして、彼女は目覚めた。…まぁ、具体的にどうなっていたかは聞いた話でしかないので…。まぁ、うん、妹紅を相当数殺し続けていた、らしいです」

 

黙っていた。心で読んでいた通りだ。それを語る声色は実に空虚でまさしく他人事であり、決して精神的外傷(トラウマ)になり得ないのだ。幻香さんにとっては、些細なことなのだ。しかし、その事実こそが幻香さんにとっては精神的外傷(トラウマ)なのだ。

 

「その時、さ。私のお姉さん、って言って消えていったんですよ。確かに辛かった。きつかった。その世に解き放ってはいけない者だと思った。けれど、彼女を消すべきじゃないと思った。彼女に明け渡すべきだと思った。少しずれてるけど、代わりに一緒に死んであげようとも思った。…でも、消えちゃった。満足して、願いを叶えて、…消えちゃった。わたしを、残して」

 

黙っていた。心で読んでいた通りだ。天井を見上げながら語る声色は酷く痛々しかった。心が叫びたがっていた。幻香さんにとって、それは大きな精神的外傷(トラウマ)なのだ。

 

「わたしはね、さとりさん。この身体に違和感を覚えるんですよ。四角い箱に丸いものが収まっているような、確かに収まっているけれどもっと適したものがあるような、そんな些細な齟齬。ドッペルゲンガー。彼女は、そう言った。彼女の方が適している、ってすぐに分かった。わたしが消えるべきだった。…はは。けれど、ご覧の有様ですよ」

 

黙っていた。心で読んでいたけれど、言葉にして聞くとより深刻に感じ取れた。幻香さんは、消えたがっている。…いや、消えるべきである、と感じている。人並み以上の破滅願望、消滅願望。

この齟齬こそが、幻香さんから死への抵抗を失わせているのかもしれない。傷付けば痛い。けれど、構わない。妖力枯渇は死ぬかもしれない。けれど、構わない。何故なら、わたしはこの身体の持ち主ではないのだから、と。

幻香さんは精神寄生体である、と言っていた。産まれたことを後悔している、と視ていた。つまり、本来の持ち主へ返すべきである、と言いたいのだろう。幻香さんが消えてしまえば、きっとドッペルゲンガーはドッペルゲンガーらしく復活する…、かもしれない。

 

「ま、貴女に生きろと言われていますし、他にも色々と言われてますから、わたしは死ぬつもりはないですがね」

「…一応、でしょう?」

「そうですね。出来る限りは」

 

そう言って微笑む。…さて、幻香さんはまとめた話を語ってくれた。けれど、わたしは訊きたいことが残っている。本当に訊きたいことが。

 

「…それだけ辛くて、苦しくて、貴女を塗り潰そうとしたにもかかわらず、彼女との別れがつらかったのですか?貴女を殺そうとした相手の死を、貴女は泣くのですか?…所詮他人事と言われればそれまでですが、私からすればその感情は何処か変に思ってしまいますよ」

 

これだ。確かに死にたがりかもしれない。消滅を望んでいるかもしれない。けれど、だからと言って、そうした張本人との別れを悲しく思えるのだろうか?彼女の消滅が初めての殺害よりも深い精神的外傷(トラウマ)となっているのが、妖力枯渇で死にかけた精神的外傷(トラウマ)があるのに自分自身が塗り潰されても精神的外傷(トラウマ)ではないのが、私にとっては不思議で仕方ない。

 

「そうかもね。けれど、わたしにとっては初めてだったから」

「初めて、ですか…」

「本当の初めてはこいしだろうけれど、それでもわたしにとっての初めてはフランだ。最初ってのはやっぱり印象深い。わたしの知らないところで身勝手に産まれて、けれどそれはわたしが原因で、そしてわたしよりも残るべき者が目の前で消える。誰も知らないところで、身勝手に消される。わたしの所為で。…それって、とても悲しいことじゃないですか?」

 

よく分からなかった。心を読んでも、その時に感じた感情を読んでも、私には何故そう思えたのか理解出来なかった。

 

「よく分からない、って顔ですね。いいですよ、分からなくても。けれど、わたしは決して忘れない。わたしが身勝手に創った命だ。ものじゃない、命なんだ…」

 

そう自分自身に言い聞かせるように胸を握り締める。その瞳には、強い決意が宿っていた。

命。…あぁ、もしかしたら、これは責任か。母親が子を慈しみ、死を嘆くように…。

 

「これで満足ですか、さとりさん」

「…えぇ、そうですね。…ですが、これには活かせなさそうです」

「それは残念だ」

 

そう言って、幻香さんは閉じていた作品を再び開いた。

さて、分かっていながら答えてくれた幻香さんにも悪い。この作品はちゃんと考え込んで執筆するとしましょうか。

 



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幻想郷縁起 鏡宮幻香

阿求視点。
年越しの大掃除で幻想郷縁起の鏡宮幻香を読む小話。


新年を清々しく迎える準備として蔵の掃除をしているのだが、この広さでは私一人では無理があったかもしれない…。しかし、他の者は別の場所の掃除を任せているし、この蔵に私以外が入ることは滅多にない。間取りを知っている者が手を付けるべきだろう。…そうとでも考えないととやっていられないのだ。

 

「んー…っ」

 

背伸びをしながらはたきをうんと伸ばし、上の段から埃を落とすべく動かしていく。すると、思っていたよりも埃っぽく、パタパタと叩いたところから大量の埃が舞い落ちてくる。

 

「けほっ、こほっ!」

 

若干の黴臭さを感じながら思わず咳き込んでいると、ふと幻想郷縁起が目についた。無論、私の代のである。

掃除の手を止めてそれを手にし、パラパラと捲っていく。

 

「色々と書いてきましたねぇ…。レミリア・スカーレット、西行寺幽々子、蓬莱山輝夜、八坂神奈子、比那名居天子…。はは、思い返せば懐かしい」

 

様々な異変があった。様々な事件があった。様々な変化があった。これを読み返していると、次々と思い返してしまう。

 

「…鏡宮、幻香」

 

そして、唯一自分自身が巻き込まれた異変の首謀者の項目に辿り着いた。

 

 

 

 

 

 

災禍の鏡映し

鏡宮 幻香 Madoka Kaganomiya

 

能力     ものを複製する程度の能力

危険度    極高

人間友好度  極低

主な活動場所 魔法の森、妖怪の山など

 

目の前に不気味なほどに自分自身とそっくりな存在がいたら、それは鏡宮幻香であると考えたほうがいいだろう。この妖怪は人間に対する情は欠片ほどもなく、陰湿な性質と特異な能力を振りかざして肉体、精神共に滅ぼしにかかるため危険極まりない。

長髪で服装は無頓着であり、男性とも女性とも言い難い中性的な体つきをしている。しかし、前述したとおり、その容姿は見た者に左右されているため、あまり意味を成していない*1

幻影人との関連性が濃厚だが、詳細は不明*2

 

 

【挿絵表示】

 

 

見た者を不幸にする性質を有し、間接的かつ無作為に被害をもたらす。不幸の度合いは未知数で、小銭を落とす、転んで膝を擦りむくといった軽度のものから、病気や骨折、あるいは命に係わる重度のものまで多種多様。

ものを複製する程度の能力を持ち、文字通りものを複製することが出来る。例えば、机からは机が、水からは水が、空気からは空気が創られる。また、複製の際の度合いはある程度自由に操れるようで、机から形状の要素だけを選んで複製、油から液体の要素だけを選んで複製、空気から特定の気体のみを選んで複製など、その応用性は高い。究極、頭の中にのみ存在するものを複製してしまうことさえ可能であるようだ。

 

―この妖怪に纏わる逸話―

・大規模感染症

幻香の存在が人間の間に大きく知れ渡った異変ならざる異常事態である。

人間の里に現れた途端、幼い子供や老齢の方々、さらには健常な若者までも見境なく病毒で侵した。近くにいた者の気分を害し、病を患わせ、そこから彼女の存在を見ていない別の者に病を移していった。

 

目的は不明であり、存在を知れ渡らせるにしては自らの名を名乗ることもなく、ただ人間の間で通称である『禍』の名が独り歩きするのみとなった。

 

・第二次紅霧異変

幻想郷が再び紅く深い霧に包まれ、事情には日の光も届かず、春なのに気温は上がらないという異変があった。この霧は吸うだけで気分が悪くなり、人間達は人里どころか家からもまともに出られなくなったであろう。

 

霧の原因は幻香であり、異変を起こせば博麗神社の巫女が現れるからという、過程と結果が逆転しているような動機により、引き起こされた異変である。

最終的には博麗神社に住む巫女が、彼女を封印することで解決した。

 

―目撃報告例―

・朝方に人里をふらついていた。慌てて逃げようとしたら足首を挫いてしまった。気味が悪いからさっさと消えてほしい(匿名)

一時期、人里に出没していた。大変危険である。

 

・霧の湖で妖精らと戯れていた(匿名)

・吸血鬼と笑い合っていた。あまりの恐ろしさに夢に出て来やがった。勘弁してほしい(匿名)

意外にも人間以外との仲は悪くないようである。

あるいは、多少なにかあったところで妖精はすぐに忘れてしまうため、妖怪は一種の刺激として受け入れてしまうため、気にしていないだけかもしれない。

 

・異変がある時にはいつも近くにいる気がするぜ。敵なんだか味方なんだかハッキリしてほしいな(霧雨魔理沙)

その異変自体を引き起こした直接的原因ではなくとも、遠因である可能性は否定出来ない。

まぁ、どちらにしても私達人間の敵であることは確実である。

 

―対策―

まず、人間の里の外を不用意に出歩かないことだろう。そうすれば、滅多なことがなければ顔を合わせる心配はない。

仮に遭遇してしまった場合は、気付かれているかどうかが問題である。もしも気付かれていないようなら、何食わぬ顔をしながら退散するといい。もしも気付かれているようならば、諦める他ないだろう*3

生き延びた後も問題であり、何が起きるか分からない。お払いをしてもらうか、数日の間は日々の生活に細心の注意を払うしかない。

 

いくら腕に自信があっても、この妖怪に対しては勝負を挑まない方がいい。何故ならば、勝負を挑む前から既に被害を受けることは確定だからである。仮に勝利したところで、その後の人生がどん底に叩き落されてしまうであろう。

 

ただ、現在は博麗神社の巫女によって封印されているため、よほどのことがなければ遭遇することはないだろう。

 

 

 

 

 

 

「…はぁ。嫌なことを思い出してしまいましたね…」

 

基本的に真実を書き記す幻想郷縁起だが、少なくともこの項目に関してはあまりいい気分になれない。事実以上に不安を煽る内容、事実以下に抑え込んだ内容、秘匿した内容…。ここに記載されている内容は極一部分でしかない。

しかし、私は編纂家。事実に手を加え、編集する者。事実をありのままを記載する者ではない。必要な時は、必要なことをするだけだ。

そして、鏡宮幻香の項目を読んでいると、ふとこの前受け取った新聞のことを思い出した。

 

「…まさか霊夢さんが自ら封印を解くとは思いませんでしたよ。長い間封印されるようなことを言っていたのに…」

 

私は就寝していたので見ていないのだが、寝ずの番で見張りをしていた者が博麗神社から伸びる漆黒の柱を目撃したという。その者はその手の知識が多少あるようで、あれは超高密度の妖力とのこと。喰らえば大抵の人間、妖怪はひとたまりもないだろう、とも。末恐ろしい話である。

もしもそうなると分かっていたのなら、何故封印を解いたのだろうか?その後の人生が不幸に満ちる可能性もあるのに、それでもなお相対する必要性はあったのだろうか?

 

「…まぁ、どうでもいいことですね」

 

きっと、それ相応の理由と覚悟があり、凄まじい攻防があったのだろう。しかし、関係者達は口を閉ざしており、詳しい話は聞けていない。だが、それでも僅かながら話してくれた内容、博麗神社に残された痕跡、新聞に記載された内容から多少の推測は出来る。

 

「…あぁ、そういえば追記が必要でしたね」

 

そして、私は蔵の掃除のことを放り投げて自室へと戻っていくのであった。

 

 

 

 

 

ただ、現在は博麗神社の巫女によって封印されているため、よほどのことがなければ遭遇することはないだろう。

 

ただ、現在は博麗神社の巫女によって討伐されているため、決して遭遇することはないだろう。

もしも遭遇するとすれば、それは偽物である。

 

*1
カメラなど意志を持たないものを間に挟むことで、真っ白な姿を確認することが出来る。

*2
幻影人は本来自我を有さない。もしかしたら、自我を有した特異な幻影人の可能性もある。

*3
不幸にも命を落としてしまう。



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戦え、競え、そして勝て

香織視点。
知的生命体が創られてすぐの小話。


主様は世界に空けられた穴を塞ぎ終え、今はこの世界の様々なところに知的生命体を創り終えました。主様はとても楽しそう。世界はこれから大きく動こうとしています。

 

「…はぁ」

「…ぅう」

 

けれど、私はそれを素直に喜べる気分じゃなかった。隣にいる真白も、私と同じように沈んでいる。私達は突然襲来した者にいとも容易く殺されてしまった。私は、私達は、無力です…。

ふと主様が何か考え事をしていると、突然現れたヘカーティアと嫌な顔をしながら話し始める。それを見て、私はそっと目を地面に逸らした。

 

「…ねぇ」

「何ですか…?」

「…弱いね。…私達」

「ですねー…」

 

真白の声に対し、半ば上の空のまま答える。私達の口は再び閉ざされ、何かするでもなく落ち込んでいた。挫折。私は折れてしまったのだ。

塞ぎ込んだまま、昼と夜が二、三度回る。思い返すのは、私達がこの世界でやって来たこと。あの頃は、ただひたすら二人で競い合っていた。主様の従者として私の方が優れているんだー、って示したかったんだ。

 

「あーあ。一番とか、二番とか、馬鹿みたいですよねー…っ」

「…うん」

 

けれど、駄目だ。成す術もなかった。何も出来なかった。私達の身体は粉微塵になって辺りにぶちまけられたのだ。主様のために私がするべきこが、何一つ出来なかったのだ。こんなに悲しいことはない。

 

「もっと、強くなりたいなぁ…」

「…うん」

「もっと、強くならなきゃなぁ…」

「…うん」

「私達二人なら、なんとかなったかな…?」

「…ううん」

 

分かってる。二人いても、意味なんてなかった。羽虫の一匹や二匹、大して変わらないようなもの。私達は、あまりにも弱過ぎた…。

何をするかも思い付かず、ぼんやりとした目で地上を見下ろした。主様によって創られた知的生命体が、至る所にいくつかの集団を形成していた。彼らは、早くも自分達が生きる場所を作り始めていた。生きる糧を得るために動き出していた。

それを見ていると、目の前が少しだけ、ほんの少しだけ明るくなったような、そんな気がした。

 

「けれど、私達なら…、十や百じゃない私達なら、変わるかな?」

「…分かんない。けど、やろう」

「うん、やろう。だから、まずは私達二人でっ!」

 

あそこには、希望の種が無数に芽吹いているのだから。

 

 

 

 

 

 

傷心からようやく復帰し始めた矢先、珍しく主様が私達に命じました。曰く、住む場所創るの忘れてたから貴女達で用意してみて、とのこと。確かに、主様はこの世界でずっと野晒し生活でしたね…。しかし、どうして私達に命じられたのでしょうか…?

 

「ま、そんなの関係ないですけどねっ」

「…期限、三十日。…長い?…短い?」

「どうなんでしょう?けれど、建てるならやっぱり主様に相応しい豪華な社がいいですよねっ」

「…どうする?」

 

そう言われても、私達には主様のような創造能力はありません。せいぜい、既に存在するものを加工するくらいしか…。しかも、私達二人だけでは間に合うか心配です。

 

「なら、皆に協力してもらいましょう!」

「…皆?」

「ここにいる、主様の世界を生きる皆に!」

 

…そうです!私達二人だから不安なんですよっ!ここには希望の種が何百何千といるではありませんか!

見渡せば、拙いながらも集落を形成している集団がいくつもある。彼ら彼女らに協力してもらって、それはもう素晴らしい社を作るのですっ!

 

「私はこっち側へ話に行きますから、真白は反対側をっ!」

「…分かった。それじゃ、行ってくる」

 

パン、と右手を合わせて私達は二手に分かれました。そして、私は少し飛んだ先にある集落へと急降下。中心にあった広場に派手な音を立てて着地し、軽く周辺を見回す。…おぅ、視線がたくさん。

しばらくその場で佇んでいると、色黒な大男が威圧的な雰囲気を纏いながら私の元へ近付いてきました。きっと、この集落で最も地位が高いものなのでしょう。多分。

 

「オゥオゥ!何もんだテメー!」

「香織です」

 

グイ、と顔を近づけてくる大男に微笑みながら私の名を名乗る。主様の名を継いだ、大切な名前を。

 

「俺は豪だ!んで、香織さんよぉ…。突然落ちて何の用だ、アァン!?」

「主様が住む場所を建てたいんですっ。それはもう、立派な社をっ!」

「ほぉーぅ、立派な?」

「立派な!」

 

そう言うと、豪と名乗った方はニヤリと頬を大きく吊り上げた。そして、グルリと私に背中を向け、周囲の人々へ声を張り上げる。

 

「野郎共ォ!我らが創造主様の住まう社、建ててやろうじゃあねぇかぁ!」

「「「オォーッ!」」」

 

よかった。ここの集落の協力は得られそうです。さて、私はさらなる協力を得るために次の集落へと向かうことにしましょう。

 

「それでは、よろしくお願いしますね、豪さんっ!」

「オゥ!任しときな!」

 

力強い言葉を受けて、私は次の集落へと飛び立ちました。次の集落も協力してくれたら、それはとっても嬉しいなっ!

 

 

 

 

 

 

そうやって、私達は二日ほどかけて全ての集落を飛び回り、そして全ての集落から協力を得られました!皆が皆、主様のために社を建ててくれるのですっ!

 

「あ、あれー…?」

「…おかしい」

 

けれど、それはそれぞれの集落で、でした。おかしい…。私の考えでは、皆が協力し合って一つの素晴らしい社を建設するつもりだったのに…。

けれど、既に基礎部分まで作り終えてしまった集落もあり、これを崩してください、なんてとても頼めません。

 

「真白、どうしましょうっ!?」

「…これは、どうしようもない…?」

 

目を逸らさないでっ!…あぁ、やっぱりこっち見ないでっ!違うんです!こんなつもりじゃなかったんですっ!説明不足だったのは認めますから!

頭の中がグルグルと回ってしまう。えぇと、どうしたらいいんでしょう?どうすればいいんでしょう?ここから私達がたった一つを選ぶなんて、他の集落に申し訳ないです。だけど、どれも使わず新しく建てましょう、だなんてとてもとても…。

そんな時、ピカン、と一つの閃きが浮かびました。

 

「私達が選ぶから迷うんですっ!ここは皆に選んでもらいましょうっ!」

「…どうやって?」

「決まってるじゃないですか。戦って、勝ち残った集落にですよっ」

 

けれど、私の中では少し違う理由でこうしようと思い浮かんだ。私達二人じゃ駄目だった。だから、皆で強くなってもらおう。そのために、皆で競い合って、皆で高め合って、皆で強め合って…。

そうすれば、二度と主様に無様を晒すことはないと思うから。

 

「すぅー…っ」

 

大きく息を吸う。肺と喉に意識を集中させると、その部位が普段とは比べ物にならないほど強化される。

 

「皆の衆ーッ!」

「…っ!」

 

叫んだ。それはもう、思い切り。全力で。隣にいた真白が耳を塞ぎながら私を睨んでいるけれど、こればかりは許してほしい。ごめんねっ。

 

「主様の住まう社は、貴方達が決めるんだーッ!」

 

すると、近くの集落から喝采が聞こえてくる。きっと、遠くの集落にも届いているはずだ。

 

「戦え!競え!そして勝て!勝者に栄光を授けようーッ!」

 

 

 

 

 

 

「ふざけんな」

「「…ごめんなさい」」

 

絶賛反省中です…。二人並んで綺麗に正座。主様、かなり本気で怒ってますよね。これは…?

 

「別にね、それぞれの場所で社を作らせて競わせることは構わないんだ。けれどさ、戦死者が出たんだよ、戦死者が!それも一人や二人じゃなくて、集団丸ごとだよ!せっかく創造した生命を、魂を昨日の今日でこれだけ散らせたのは流石にわたしも怒るよ…?」

 

はい、私もここまで過激な結果になるとは思っていなかったんです…。煽った私が何言ってるんだ、って言われそうですね。本当に、本っ当にごめんなさい…。

目をきつく瞑り俯いていると、私の額からこつり、と軽い音がした。目を開いてみると、目の前には主様の握り締めた拳。ほんの少しだけ痛む額に触れていると、隣の真白にもこつりと握り拳が当たった。そして、大きなため息を吐きました。

 

「…まぁ、結果がどうであれ貴女達に任せたのはわたしだ。だから、これ以上は言わない。後は自分達で反省して」

「…はい」

「…うん」

 

そう言うと、主様は地上へと下りていきました。その途中でヘカーティアが主様の元に現れましたが、それよりも反省です。

最終的に、主様が全集落に蘇生を行う巫女を創りに回ったそうです。面倒をかけて申し訳ありませんでしたっ!

 



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世界の外側のその向こう側

フラン視点。
新世界に招待されてからいくらか時が経った頃の小話。


寝起きでうすぼんやりとした頭のまま布団からのそのそと出て、日光に当たらないように気を付けながら窓の外をボーッと眺める。何か特別なことがあるわけではない、奇妙な事象が発生しているわけでもない、平々凡々な朝である。

 

「ふぁー…、今日は何しよっかなぁー…」

 

込み上がってきた欠伸を一切我慢せずに大口を開けながら、私は今日の予定を思い出していた。けれど、特に何もなかった。何かしようって目的とか、何処か行こうって約束とか、そういうのはなかったはず。…うーん、どうしよっかなぁ。

椅子に腰かけながら腕を組んでうんうん唸って考えてもいい考えが浮かんでこない。…とりあえず何か食べようかな、と思ったけれど、そういえばこの前ちょうど食材を切らしたんだった。…橙から貰う?最近独り立ちする宣言しちゃったのに?それは嫌だな。うん。

 

「あ、そうだ」

 

ピンと思い浮かぶもの。そうだ、私にはこれがあったんだった。どうして最初に思い至らなかったんだろう?

私は立ち上がり、壁に引っ掛けてある金属質の鍵を手に取った。頭の部分には紅色の宝玉が嵌め込まれている以外に飾りっ気のない、探せば似たようなものがいくらでも見つかりそうな鍵。けれど、これは私にしか使えない特別な鍵なんだ。

 

「えい」

 

宝玉に妖力を流し込みながら何もない空間に向けて鍵を突き出すと、ズプリと空間が鍵を飲み込んでいく。そして、何もない空間で鍵を捻れば、ガチャリと開く音が響いた。そして、空間に私一人が余裕で通れるほどの大きさの長方形の線が走る。

空間に浮かぶ長方形を扉のように開くと、様々な色が流れていく不思議な空間が広がっている。私は空間に開かれた長方形を通り抜け、それから鍵を引き抜く。すると、長方形は音もなく閉じてしまった。これで知らない誰かがここに来ることはない。そう思いながら、不思議な空間に伸びている通路を歩いていく。

この鍵を使えば、お姉さんが創った世界に行くことが出来る。より具体的には、お姉さんが住む社に繋がる。この鍵は宝玉に触れてDNAを判定しつつ妖力を流すことで識別して本人ならば扱うことが出来る、って言ってた。お姉さんから私達に一本ずつ配られた特別な鍵。

 

「あっ、フランじゃないですかっ」

「おはよう、香織。お姉さんはいる?」

「いますよ。ささ、こちらですっ!」

 

通路の出口を抜けると、そこにはちょうど香織がいた。お姉さんの従者の片割れの黒い方。そんな彼女にお姉さんがいるかどうかを訊けば、部屋に案内してくれる。

日の当たる場所を避けながら廊下を歩く香織に付いていきながら、私は窓から外を眺める。…うわぁ、真っ青な空が一面に広がってる。しかも、雲が遥か下にあるよ。どうやら、今のお姉さんの社はとんでもなく高い場所にあるみたい。

そんなことを考えながら歩いていると、緑黄色の羽毛を持った鳥と人間を足して二で割ったような人とすれ違った。すれ違い際に会釈すると、向こうは嬉しそうに羽を振るわせてくれた。わぁ、あの人がここの集団の種族なんだ。

 

「主様っ!ご友人が遊びに来ましたよっ!」

 

お姉さんがいる部屋に着いた香りが扉を叩いてそう言ったけれど、返事がこない。…どうしたんだろう?

少し不安になっていると、香織が少し呆れ顔を浮かべながら振り返った。

 

「えーっと、ごめんなさい。最近の主様は外を見るのが趣味で、熱中のあまり…」

「そうなの?」

「はい…。この部屋にいますので、どうぞごゆっくり」

 

そう言うと、香織はそそくさと立ち去っていった。その背中を見送ってから、私も部屋の扉を数度叩いた。…確かに返事がこない。許可は貰っているし、私は返事を待たずに部屋に入ることにした。

部屋に入ると、茣蓙にお姉さんが座っていた。その前には見たことのない野菜と果実が器に盛り付けられているのだけど、手を付けたようにはとても見えない。だって、お姉さんはそっぽ向いて壁のほうをジーッと見詰めていたのだから。窓じゃなくて、壁。どう考えても外を見ているようには見えないんだけど…。

 

「お姉さん?」

 

そんなお姉さんに声を掛けたけれど、返事がない。

 

「お姉さーん?」

 

もう一度、もう少し声を大きくして呼んでみた。やっぱり返事がない。

 

「お姉さんッ!」

「んぉ?…あ、え、フランじゃあないですか。いつの間に」

「さっき来たばっかだよ、もう」

 

耳元で名前を叫んでようやく気付いてくれた。目をぱちくりしながら私と顔を合わせてくれたお姉さんは、器に盛られた食材に気付いてため息を吐いた。

 

「…また悪いことしちゃったなぁ。気付かなかった」

「さっき香織が言ってたけど、外?を見てたんでしょ?どう見ても壁を見詰めてるようにしか見えなかったけど」

「壁の向こう側を…、いや、実際に見てもらったほうが早いか」

 

そう言いながら器を脇に置いたお姉さんは、私の頬を両手で優しく挟んだ。暖かな熱が伝わってきて気持ちがいい。

…じゃなくて!見てもらうって、何を?

 

「お姉さん、外なら窓が」

「ちょっとごめんね」

 

言葉の途中で、私の首が本来曲がってはならない何処かへひん曲げられた感触がした。それと同時に、視界に映るものが一瞬にして切り替わってしまった。

 

「…なに、これ」

 

白とも黒ともつかない空間が広がっていて、見渡す限りキラキラ輝く星のような点々が無数に散らばっている。その景色に驚きながらおそるおそる周囲を見回して、目に見えたものにギョッとする。それは、まるで無理矢理絵の中に閉じ込めたように平べったくなった、お姉さんの部屋だったから。

 

「世界の外側だよ。で、遠くに点が見えるでしょう?あれらは全部、世界なんだ。わたしの世界に来る前にいた幻想郷も、この無数の点の中の一つに過ぎない。無論、わたしの世界もね」

 

お姉さんはそう言いながら、私の頭をまた動かした。首が凄く変な感じ。きっと、また変な方向にひん曲げたんだと思う。私には到底理解出来ない領域に。

 

「フラン。左目を閉じて」

「う、うん」

 

お姉さんに言われるまま、私は左目を閉じた。その次の瞬間、私の右こめかみにズプリと何かが入り込んでくる。

 

「ぇ、ぁ…?」

「落ち着いて。ちょっと右目を創り替えるから。大丈夫。わたしが責任持って元通りに創り直してあげるから」

「そ、そうなの?」

 

急に右目を創り替えるなんて言うからビックリしちゃった。けれど、お姉さんそう言うなら大丈夫。私はお姉さんを信頼している。だから、何の問題もない。

 

「うわぁ…っ!」

 

そうして創り替えられた右目に映ったのは、遥か遠くに見えた点の一つだった。つまり、私の右目は世界の一つが見えたのだ。

そのまま右目を動かしてその世界を見回そうと思ったのだけど、何故か動かなかった。

 

「お姉さん、右目動かないよ?」

「超高倍率のまま動かしたら見せたいもの見せれないでしょ?だから、右目は私が動かしてるんだ。ほら、まだ倍率上げるよ」

 

そう言われ、右目に映る世界がどんどん近付いて見えた。お姉さんが言った通り、倍率が上がっているのだろう。やがて、その世界に浮かぶ地球の中のある一区画、そのさらに近付いた一つの大きな館が視界の真ん中に映った。

 

「…え、紅魔館…?」

「そう、紅魔館だ。けれど、驚くのはまだ早い」

 

視界がさらに近付いていき、紅魔館のバルコニーに向かう。そして、そこに映る四人の姿に私は目を見開いた。

私だ。私がいる。それに、レミリアと咲夜まで。しかも、私とレミリアはどうしてあんな風に嬉しそうに笑い合っているの?意味が分からない。それに、私とレミリアの間にいるあの桃色の髪をした吸血鬼は誰?あんな吸血鬼、私は知らない。

 

「知らなくて当然だ、フラン。彼女はフィルシー・スカーレット。愛称はフィル。『理想を体現する程度の能力』を持った、スカーレット家の次女。…当然、貴女の血縁にそんな存在はいない」

「じゃあ、あれは何処の誰なのよ?」

「あの世界の幻想郷にいるスカーレット家は三姉妹なんだ。あの世界は、わたし達の知る幻想郷とは違う幻想郷。そして、あの次女はあの世界に生まれて、生きている、れっきとした存在」

「…違う、幻想郷」

 

幻想郷が、二つ?…ううん、あの点々全てが世界なのだから、幻想郷だって無数にあるに違いない。

 

「わたしはね、フラン。ああいう別の幻想郷を見つけては観察しているんだ。そうやっていくつも見ていると共通点が浮かんでくる。博麗霊夢がいる。霧雨魔理沙がいる。上白沢慧音がいる。藤原妹紅がいる。フランドール・スカーレットがいる。パチュリー・ノーレッジがいる。伊吹萃香がいる。古明地さとりがいる。古明地こいしがいる。チルノがいる。大妖精がいる。サニーミルクがいる。ルナチャイルドがいる。スターサファイアがいる。ルーミアがいる。リグル・ナイトバグがいる。ミスティア・ローレライがいる。姫海棠はたてがいる。風見幽香がいる。八雲紫がいる。八雲藍がいる。橙がいる。紅美鈴がいる。十六夜咲夜がいる。レミリア・スカーレットがいる。西行寺幽々子がいる。魂魄妖夢がいる。アリス・マーガトロイドがいる。因幡てゐがいる。鈴仙・優曇華院・イナバがいる。八意永琳がいる。蓬莱山輝夜がいる。射命丸文がいる。犬走椛がいる。メディスン・メランコリーがいる。小野塚小町がいる。四季映姫・ヤマザマドゥがいる。東風谷早苗がいる。稗田阿求がいる。黒谷ヤマメがいる。水橋パルスィがいる。星熊勇儀がいる。火焔描燐がいる。霊烏路空がいる。レティ・ホワイトロックがいる。リリーホワイトがいる。ルナサ・プリズムリバーがいる。メルラン・プリズムリバーがいる。リリカ・プリズムリバーがいる。ヘカーティア・ラピスラズリがいる。極一部例外はあれど、この辺りの同じ名前を持つ、よく似た容姿の存在がね」

 

私とレミリア、咲夜もいたんだ。それ以外だっていても何もおかしくない。そう思った。

 

「そして、もう一つ。さっきのスカーレット家の次女のような、他の幻想郷にはいない存在が一人くらいはいるんだ。そういう存在は、その世界でやけに強かったり、誰もに好かれていたり、あるいは逆にとことん弱かったり、嫌われたりしている。不思議だと思わない?」

「…よく、分かんないよ」

「分かんなくてもいいよ。わたしが見てたものを、フランにも見せてあげたかっただけだから」

 

お姉さんはそう言うと、私の右目を元に戻してから頭をグイグイと二度曲げた。すると、わたしの視界は元のお姉さんの部屋を映していた。…さっきまでの不思議体験はもうお終いみたい。

まだちょっとだけ違和感を残している首を擦っていると、お姉さんが食材が盛り付けられた器を私に差し出した。

 

「さ、一緒に食べよっか。ま、わたしへの供物なんだけど」

「え、それって私が食べていいものなの?」

「いいんだよ。わたしに献上されたものなんだし。それに、お腹空いてるでしょ?」

「あ…」

 

そう言われて、今更ながら空腹であったことを思い出した。そういえば、私は朝起きてから何も食べていない…。

お姉さんが差し出した器の野菜を手に取って口に運ぶ。トマトに似た見た目だったけれど、食感も味もほとんどトマトと同じでとても美味しかった。

 



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