ガンショップ店主と奴隷との生活 -てぃーちんぐ・のーまるらいふ- (奥の手)
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本編
プロローグ 1日目 「ある日のガンショップ」


プロローグはおっさんとおっさんのむさくるしい商談です。
奴隷ちゃんがガンショップに拾われる経緯なので、ちょっとだけガマンして読み進めていただければ彼女はやってきます。



そこそこ大きな国の、そこそこ大きな町に、小さなガンショップがありました。

 

その店の主は身の丈2メートルを越し、丸太のような太い腕に浅黒い肌。「現役の傭兵」と言われても誰もが信じる偉丈夫です。傭兵ではありません。

そしてこのお店は、その男一人で切り盛りしていました。

 

30歳を過ぎた辺りから独り身のさみしさを感じ始めていました。しかし店の経営が波に乗り、徐々に成功し始めたのと同時期です。仕事が楽しかったのです。

 

あれよあれよという間に40を過ぎたガンショップのマスターは、その恐ろしい顔に似合わずさみしい生活を送っていました。

 

ある日、店に一人の男が訪ねてきます。

 

「ご無沙汰ですマスター。こいつの弾は扱っていますかね」

 

男は自らを商人と名乗り、今度自分の商品に拳銃の弾を扱いたい旨を言ってきました。

 

この国の都市部には大きなガンショップもありますが、地方の町にはそうそう銃器類を扱っているお店がありません。このお店は小さいですが、良く名の売れた店でした。

 

「扱っているし、売ってやってもいい。まとめて入荷したら卸してやるよ」

「ありがとうございます」

 

深めに帽子を被った男は、怪しい雰囲気を出しながらも、店のカウンターにひじをのせて店主を見ました。

 

視線に気が付いた店主は訝しげに眉をひそめて聞きます。

 

「なんだ。契約ならモノが入ってからにした方がいいぞ。おたくも素人じゃないんだろ」

「ええ、もちろんですとも。正式な契約書は後日改めて……今日はその、以前にも商談に載っていただいたお礼をと思いまして」

「?」

「いえいえ、大したものではありませんが、少しお話を聞いて下さると嬉しいのです」

 

立ち話も何ですから、と男は言い、懐から一枚のメモを取り出しました。

 

「このカフェに、午後八時、足を運んでいただいてもよろしいですか?」

「礼の話ならここですりゃいいだろ」

「少々長くなるかもしれないのです。ただ悪いようにはなりません。食事代もこちらで」

 

晩飯の金が浮くのか。店主はそう思うと、別に悪い話では無いように思いました。

特に危険があるわけでもありません。扱っている商品が商品なだけに、店主は、どんな相手が危険でどんな相手がまともかは若い頃から見極めていました。

 

目の前の男は、そう危険な臭いはしていません。晩飯を食べるがてら話をするくらいどうと言うことはありませんでした。

 

「それでは八時に」

「おう」

 

怪しそうな商人は店から立ち去り、暖かい木造作りの店内には、ドアベルのチリンチリンという音だけが響いていました。

 

 

 

 

午後八時。約束のカフェに集合した商人の男と強面の店主は料理を頼みました。

商人はサンドイッチとコーヒーを、店主はメープルホットケーキとミルクティーを頼みました。

 

「んで話ってなんだ」

 

ドスの効いた声でそう切り出した店主に商人が答えます。

 

「突然のことですが、奴隷の需要はありませんか」

「奴隷?」

「そうです。私事ですが以前、ちょっとした事で奴隷を扱う機会がありまして、その奴隷は町の医者に引き取って貰ったのですが、似たような形でもう一人扱うことになってしまいまして」

 

商人は困ったような口調でそう言いました。強面の店主は、黒々とはやした口ひげをさすりながら返します。

 

「んなこと言ったって、奴隷もピンからキリだろ。うちの店は俺一人でやっていけるし、別に働き手に困ってるわけじゃねぇぞ」

「いえいえ、その通りなのですが、今回お話に挙げるのは働き手としての奴隷ではございません」

「?」

 

店主が首を傾げたのと、食事が運ばれてきたのは同時でした。

 

「お食べ下さい」

「遠慮無くいただく」

 

ホットケーキを小さく切り分け、店主は口へ放り込みました。紅茶にもミルクを入れ角砂糖を二つ投入します。甘いミルクティーの完成です。

 

商人の男はその様子を一片ももらさず観察していました。強面の店主も見られていることに気が付いています。でもお互いに何も言わず、しばらく運ばれてきた料理に手を付けていました。

 

先に口を開いたのは店主の方です。

 

「その奴隷ってのが礼のことか?」

「はい。簡潔に言えばそうです」

「じゃあいらねぇ。さっきも言ったが働き手に困っているわけじゃねぇんだ。物を取らせるのに三食飯代を払うのは割に合わん」

「まぁそう言わずお聞き下さい。先程ちらりと出ました町医者の話です」

「それがどうした」

「その医者は長いこと独り身でして、まぁ、余計な世話ですが私の目から見てもさみしそうにしておりました」

「ほんとに余計だな」

「それで私が引き取った奴隷なのですが、前の所有者に酷く虐待を受けておりまして。心を閉ざすと言えば聞こえはよいのですが、感情の起伏が無いに等しいのです。人としての感情が欠落していました」

「奴隷はぜんぶそんなもんだろ。下手に感情があって反抗されちゃたまらんからな」

「成人もしていない少女ですよ」

「…………なに」

「使用目的は完全に玩具でした。痛めつけて楽しんでいたのです。あ、前の所有者がですよ」

「そんで。その町医者はどうしたんだ」

「奴隷を引き取りました。その後は上手くやっているそうです」

「奴隷としての使用価値がないぞ。愛玩道具にでもしたのか」

「いいえ。奴隷の少女の心を開き、本当に、主従関係としてではなくお互いを必要として暮らしています。求め合っていると言いましょうか。幸せそうでした」

「…………そうか」

 

強面の店主は複雑そうな心情を顔に出しながら甘いミルクティーをすすっています。

 

「それではここからが本題です。新たに入ってしまった奴隷を、引き取っては頂けないでしょうか」

「俺に渡そうとしているそいつ(奴隷)もそんななのか」

「年はわかりませんが成熟はしていません。まだ子どもに近いです。髪は金髪……なのでしょうが、栄養失調でくすんでいます」

「力は? 働けそうなのか」

「重い物は持てないでしょう。銃器を何丁も運ばせることは出来ないかと」

「ふむ……」

 

眉を寄せて口ひげをさする店主は、そのまま数秒考え込み、口を開きました。

 

「俺が引き取らなかったらどうするつもりなんだ。その奴隷は」

「未定です。買い手が付けば売りますが、処女でもなければ体の傷も酷い。簡単には見つからないでしょう」

「商品価値のない奴隷をよく俺に押しつけようと思ったな」

「私は商売人ですが、かけらほどの良心は残っています。商品価値のない奴隷を、少しでもまともな取引先へ渡したいとは思うのです」

「施設に投げればいいじゃねぇか」

「法のいづれにかかる心配があります。人間を商品にすること自体は合法ですが、何にせよやっかいなのは変わりません。私の身を案じるのが第一です。」

「そりゃそうか」

 

店主は残った最後のホットケーキの切れ端を、皿に着いているメープルシロップをすくい取るようにして口へ放り込み、飲み込みました。

 

「引き取った後に奴隷をどのように使うかはお任せします」

「まともな使われ方を望んでるんじゃなかったのか」

「一番いいのは、と言うだけです。それに、私だって商売人の端くれです。人を見る目は鍛えてきました」

「この俺が、商品価値のないガキを引き取っても、痛めつけない人間に見えるのか」

「私は自分の目を信じています」

 

数秒の静寂。お互いに視線を投げつけ合うその空間は、一般人が見れば異質な物だったかもしれません。

 

沈黙を破ったのは強面の店主の豪快な笑いでした。

 

「がははははは――――わかった。だが少し考えさせてくれ。いろいろと天秤に掛けて考えたい。俺も商人の端くれだからな。損得勘定抜きに取引は出来ん」

「もちろんです。お引き取りいただけなくとも結構です」

 

商人の男は先に席を立ち、支払いを済ませて出て行きました。

机の上には、あらかじめ用意されていたのか、三日後に返事を聞きに店を訪ねる旨のメモが残されていました。

 

一人、洒落たカフェのイスに座る恐ろしい顔の店主は考えます。

 

 

商品価値の無い奴隷がこの先どうなるか。自分も商売をしている人間、どうなるかなんて明らかである。

しかし引き取ることにメリットを感じない。

奴隷には維持費が掛かる。飯代は大きい。別に金がないわけではないが、奴隷に金を掛ける気はもうとう無い。損得勘定で言えば奴隷を手にすることそのものが愚策である。

 

だが、だがさっきの商人の話。町の医者とそいつが引き取った奴隷の話だ。

にわかには信じがたいが、奴隷をそのようにするという考えは俺にはなかった。奴隷はもっぱら労働力であり、女であれば売春の金稼ぎ。それが上等な使い方だと思っていた。

 

12の時に親が死んだ。行商人に拾われて商人として生きるための修業時代から、人肌を恋しくは思っている。独り身にさみしさを覚えている。

店を構えて軌道に乗った今、仕事も商売も板に付いてきて余裕が出てくると、そのさみしさはいっそう増す。

朝起きて、顔を洗い、ヒゲを整え、飯を作り、大事な商品たちを磨いてやる。その全てがこの数年、どれ一つとして他人と過ごすことのない日常である。

 

話にあった町医者のように、愛を受けたことのない奴隷に愛を注ぎ、自分もまた愛される。感情のない少女に感情を与える。人生をやり直させる。

そんな生活もいいかもしれない。

 

偽善や自己満足なんて言葉はお門違いだ。

俺の引き取らない先にその奴隷の未来はない。それよりは、俺が引き取る方がマシだ。だいぶマシだ。

 

 

カフェの店員も思わず目を反らすほど恐ろしい形相で考え事をしていた店主は、店のメニューを手に取ると、呼び鈴を押しました。

 

強面の店主は追加注文で、デラックスイチゴパフェとハニーワッフル盛り、ロイヤルミルクティーを頼みました。

 

 

 

 

三日後。

まだ日が昇って間もない朝でした。

 

筋骨隆々、浅黒い肌にぴっちりとしたシャツとジーパン姿の黒ヒゲ店主は、商品のライフルやリボルバーをきれいな布で磨きながら、商人の男を待っていました。

 

ドアの鈴が澄んだ音を立てて鳴り、入ってきたのは三日前と同じ格好をした男です。

 

「決められましたか」

「あぁ。まぁ、ちょうど一人の生活も飽きてきた頃だ」

 

商人の男は一つ頷くと、振り返って店のドアに呼びかけました。

 

「入ってこい」

 

ドアを開け、おずおずといった調子で姿を現したのは、伝え聞いたとおりの少女です。

 

痩せた体。くすんだ金髪。顔を含めて手、腕、肩、首、足。治療は出来ても消すことは難しい切り傷や火傷、刺し傷のあとが目立ちます。

ボロ布一枚に包まれた細い体は、その痛々しい傷跡をほとんど隠せていませんでした。

 

「……」

 

強面の店主はますます恐ろしい顔で少女を睨みます。

本人は別に睨んでいるつもりはないのですが、凄惨な少女の状態に眉をひそめた結果、睨んでいるように見えます。

 

「まぁそう怖い顔しないで下さい。これが礼の品です。お引き取りいただけますね。ではこの書類にサインを」

 

商人が鞄から出してきた紙切れにくまなく目を通し、どこにも意に違える点が契約内容に入っていないことを確かめると、強面の店主はサインをしました。

 

紙切れを受け取った商人の男はサインを満足そうに眺めた後、鞄にしまって奴隷の少女の背中を軽く押します。

 

「ほれ。新しい主人だ。挨拶しなさい」

「はい。これから宜しくお願いします」

 

商人は、鞄から別の紙を取り出すと、カウンターの上にそっと置きました。先程の紙切れよりとても丁寧な扱い方です。

 

「こちらは取引していただく弾丸の種類とその量です。追加で何丁かライフルもお願いできますか」

「弾はあるがこの手のライフルはもう少し待ってくれ。2週間もすればそろう。また来てくれ」

「わかりました」

 

強面の店主はカウンターの中から取っ手付きの木箱を取り出し、ラベルを貼って商人の男に渡します。商人の男は鞄から茶封筒を取り出すと、カウンターに、これまた丁寧に置きました。

 

茶封筒の中身を確認し、カウンターの書類の全てをよく読み、店主はサインを入れると商人の男に渡します。

 

「ありがとうございました。また来ます」

「あぁ。まいど。2週間以後の今ぐらいの時間帯に来てくれればいい」

「わかりました」

 

商人は一つ頭を下げ、鈴の音を残して立ち去りました。

 

木造の狭い店内には、カウンターと、その奥の壁に大小様々な銃器が掛けられています。ただ、その前に立つ浅黒い巨大な男がその面積の四分の一を占めているので、客側からは銃があまり見えません。

 

「あの……」

 

くすんだ金髪の小さな少女は、おずおずと、カウンターの内側で腕を組んでいる店主に話しかけます。

少女がふた言目を放つ前に、店主が口を開きました。

 

「ここは銃器を扱う店だ。いずれは手伝えるようになって貰うが――――今日からお前は、俺が面倒を見る。いいな」

 

言った後、店主は、先程までの恐ろしい顔から一転、不器用ながらもニカッと白い歯を見せて笑いました。少女の緊張をほぐすためです。

 

ボロ切れの裾を掴んだまま少女は、その笑顔を見ました。

 

そして光の消失した大きな瞳を嬉しそうに細めながら、

 

「叩いたり、蹴ったり、焼いたり切ったり刺したりして、たくさんいじめて下さいね、ご主人様」

 

くすんだ金髪の少女は乾いた笑みでそう言いました。

 

 

 

 

 



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2日目 「夢のイチャラブ生活(嘘)の始まり」

奴隷の少女がガンショップに来た日の翌日。

 

太陽は顔を出し、町の商店通りは、ゆっくりとお客で賑わい始めました。レンガと石造りのきれいな町並みが朝を迎えます。

 

そんな中、強面の店主はとある本屋にいました。

レンガ造りの大きな書店で、たいていの物はここでそろいます。ジーパンにピチッとしたTシャツ姿のマッチョな巨人は、ある本のコーナーにもうかれこれ1時間も居座っていました。

 

「どれを買うか……」

 

本のコーナーは育児・教育に関しての書籍がまとめられているところです。

 

黒ヒゲ禿頭の身の丈2メートルを越すマッチョが育児本のコーナーに1時間も立っていると、さすがに本屋の店員も声をかけます。

 

「どのような本をお探しですか?」

「ん? あぁ、いやな、子どもを一人預かっているんだが、どう接したらいいかわからなくてな」

「べ、勉強熱心なのですね」

 

本屋の店員の顔が引きつっています。何を思っているのかはわかりませんが、変な汗を掻いているのは間違いありません。

 

「んでよ、なんかオススメのやつとか、無いか?」

「そ、そうですね。預かる期間はいかほどで」

「たぶん一生だ」

「それはまた長いですね……では、こちらの本なんてどうでしょう」

「〝児童期から青年期までの子どもの心理〟――――青年期ってのはなんだ?」

「10代中頃から後半にかけての子どものことです。接し方が一番難しいと言われています」

「そうか。だが児童期ってのはアレだろ。ガキだろ。俺の預かってるのはいうほどガキじゃねぇんだ」

「そ、そうですか。児童期はだいたい6歳から10代前半を指します。その……この本はカバーしている知識が幅広いので、子育て入門として持っておくのはよろしいかと」

「そうか。じゃあ一つはこれだ」

 

強面の店主は〝児童期から青年期までの子どもの心理〟という本を手に取ると小脇に抱えました。

 

「もう一つ、子供用の本はどこにある」

「あちらです。お子さんの年齢は……?」

「わからねぇ。たぶん子どもだ」

 

店員がもう帰りたそうな顔をしました。それでも本屋の店員です。絵本から児童書まで幅広く置かれているコーナーに来ると、三つほど本を手に取りました。

 

「こちらの三冊は当店でも人気の品です。絵だけで書かれているものと、絵と簡単な文字が書かれているもの、最後のは文字だけですが、難しい言葉ではないので少々字の読める子にオススメです」

「たぶんあいつは字が読めない。絵だけのやつをくれ」

「かしこまりました」

 

強面の店主は〝児童期から青年期までの子どもの心理〟という本と〝あめちゃんあげる〟の2つを買って店を出ました。可愛らしい女の子が小さなあめ玉を差し出している表紙の絵本です。それを小脇に抱えた浅黒いマッチョは、妙に存在感がありました。

 

 

 

 

「なんだ起きてたのか。ただいま」

「お帰りなさいませご主人様」

 

ガンショップに帰ってきた強面の店主は、カウンターの向こう側でイスに座っている少女を見ました。

 

くすんだ金髪。火傷のあとが目立つ顔。生々しい切り傷の跡が残った腕や足。

それらを隠すことは出来そうにないボロ切れをまとった少女は、イスに座って足をぷらぷらさせながらニッコリと笑います。

 

「ご主人様。今日はどんな痛いことをするのですか?」

「その前にとりあえず朝飯だ」

「はぁーい。今日は何か、すごく痛いことですか?」

「なぜそう思うんだ」

「ごはんが食べられるときは、いつもより痛いことをする日ですよね」

「いや、違うぞ。と言うか昨日も食べただろう」

「はい。でも昨日は痛いことしませんでしたね」

「今日もないぞ」

「?」

 

小首を傾げて少女は疑問の表情を浮かべますが、すぐに笑顔になりました。その目に光はありません。

 

「じゃあ、苦しいことなんですね。痛くないけど苦しいやつ」

「二階に上がるぞ。今日の朝飯はホットケーキだ。生クリームもある」

「なんですかそれ?」

「食えばわかる」

 

一階の店舗フロアから、二階の居住フロアへ二人は移動しました。

 

 

 

 

「これがホットケーキ? 生クリーム?」

「そうだ。うまいだろう」

「はい、甘いです。ふわふわしていますね。初めて食べました。私死なないかなぁ……大丈夫かなぁ……」

 

少女はぶつぶつと呟きながら、もそもそとホットケーキを食べています。

強面の店主はミルクと砂糖のたっぷり入ったラベンダーティーをすすりながら、その様子を見ていました。

 

昨日からずっとこの調子です。

何かことあるごとに痛いことがあるのかと聞いてくる少女を、強面の店主はどうしたらいいのかよくわかりませんでした。だから本を買ってきたのでしょう。

 

接し方もよくわかりません。商人の男の言う「町の医者に引き取られた奴隷」は無感情だったそうですが、この今目の前にいる少女は、全くそんな様子はありません。

 

光のない目。乾いた笑顔。色のない表情。

でも感情がないようには見えません。長年培ってきた商売人の目から見ても〝無感情〟には見えないのです。

 

確かに普通の人間とは違う気もしましたが、強面の店主は思いました。たぶん子どもってこんなもんだろうと。

 

「ご主人様。ごはんのあとはどうするのですか? 地下室ですか?」

「ここに地下室はないぞ。店番があるから、お前は適当に遊んどけ」

「遊ぶ? 何を入れておけばいいのですか?」

「…………?」

 

強面の店主は少女の言葉の意味がわかりませんでしたが、とりあえず無視しておきます。

 

「本を買ってきた。それでも読んでろ」

「本? 本って、でも私文字は読めません。あ、それでも声に出して、一文字間違えたら一発叩かれるやつですか?」

「そんな遊びがあるのか。なかなか子どもの世界はバイオレンスだな」

「???」

 

少女も少女で店主の言葉の意味がわかっていません。でも気にとめている様子もありませんでした。

 

二人共が食事を終えると、強面の店主は一階のカウンターの内側に座ります。その横では少女が立ってじっと店主を見ていました。

 

「ほれ、これが買ってきた本だ。絵だけだから、文字がわからなくても大丈夫だ」

「…………?」

「お前のだよ」

「私の、ですか? どういう意味ですか?」

 

少女は困惑の表情を見せています。本気で事態を飲み込めていない顔でした。

 

「俺がお前に本をあげるんだ。わかるか? 取引じゃないから、金も物も要らないぞ」

「か、体は…………それとも、悲鳴の方がよろしいですか?」

「お前の言っている意味が俺はよくわかんねぇんだが、とりあえず、俺はお前で何かしようとは思ってねぇ。それとも痛いことがされたいのか?」

「はい。痛いことをされないと、私はきっと死んでしまいます」

 

(どういう意味なんだ……?)

 

店主は困りましたが、顔には出さず、いつも通りの恐ろしい顔でカウンターの下をゴソゴソとあさります。

 

(子どもってのはよくわからんが、まぁ本があるからそれ見りゃなんかわかるだろ)

 

少女の分のイスを取り出してそこに座らせ、店主は本を開きました。

少女は未だに困惑の表情を浮かべていましたが、おずおずと、貰った絵本のページを開いて見始めました。

 

 

 

 

日が高く上った昼頃。

 

そこそこ大きな町の一角にある小さなガンショップには、二人の人間がカウンターの内側で仲良く読書をしていました。

 

一人は大柄で筋肉ムキムキの黒ヒゲ男。この店の店主です。

一人は小柄で痩せていて、くすんだ金髪に生々しい傷跡がたくさん付いている少女。この店の奴隷です。

 

「…………」

「…………」

 

二人は静かに本を読んでいました。店内には、時々二人がめくるページの音と、古い振り子時計の秒針の音だけが聞こえてきます。

 

奴隷の少女は、絵だけで描かれた本を見つめていました。その瞳に本の絵は反射していますが、嬉しそうな光は入っていません。ただ、食い入るように、無表情で絵本を眺めていました。

 

その様子を自分の本を見ながらちらちらと横目で観察していた店主は、思います。

少女の見せる笑顔がどう考えても作り笑顔であることはわかりました。商売人ですから人の表情を読むことは得意です。

ただ少女の言っていることが本心から出ているのも同時に読み取りました。言葉のまんまを読み取れば、この少女は〝ご主人様に痛めつけて欲しい〟のです。

 

強面の店主は困りました。痛いことをされたい人間がこの世にいるのかと。この少女は虐待されることを望んでいるのかと。

少女は言葉がわからないほど幼いわけではありませんが、奴隷としての生活が長かったために言葉を上手く使えていないのかもしれません。真偽は不明です。店主にはよくわかりませんでした。

 

ただ、少女が望んでいようとそうでなかろうと、店主は少女を虐待する気持ちはありません。したいのは互いに思いを寄せ合い、互いに相手を求め合う、いわば夫婦の関係です。奴隷と主人の関係は別に欲しいわけではありません。

 

「…………ふう」

 

太陽がやや西に傾いた頃、店主は本を読み終わりました。

 

いろいろとわかりました。子どもについて。子どもの考え方について。

この少女がちょっとおかしいということも。

 

 

 

 

日が沈みかけた頃、店に一人の人間が訪ねてきました。

 

「いらっしゃい」

「どうも」

 

白いハットを被った、金を持っていそうな貴族です。細身です。

 

「おや? その子は?」

 

訪ねてきたの男の目線は、カウンターの内側でスヤスヤと寝息を立てている少女に向きました。

強面の店主は一度そちらを見て、

 

「昨日からうちで預かることになった。んで何のようだ」

 

むりやり話題を変えました。その間に、カウンターの中からブランケットを一枚取り出し、くすんだ金髪の少女にそっとかけてあげます。

 

「修理してもらいたい銃があって」

「タイプは?」

「拳銃だよ。内部がいっちゃってね。ついでに弾も用意して欲しい」

 

白いハットの男は傷だらけの少女から興味を失ってはいませんでしたが、店主の顔を見て深入りするのをあきらめました。素直に自分の用件を伝えます。

 

アタッシュケースをカウンターに乗せると、店主の方へ向けて開きました。

 

「…………こりゃまたずいぶん古いな」

「フリントロック式に見えるが、モデルは新しい。パーカッションだ」

「似たようなのはあるがこれと同じものは作れねぇよ。部品がない」

「撃って当たればそれでいい」

「何に使うんだ? あんた、戦争屋じゃねぇだろ」

「息子へのプレゼントなんだ。うちの家系は成人する男に銃を渡すんだよ。こいつは私が成人したときに親父から貰ったものだ」

「なるほどな」

「直せるか?」

「…………金は。今持ってるのか」

「どのくらいだい」

「これなら前金20、後金30だ」

「はいよ。しょーもないのは作らないでくれよ」

「これでもここいらじゃ名が通ってんだ。金がありゃいいものは出来る。無いならそこそこいいものが出来る」

 

白いハットの男は満足そうに笑うと、ポケットから札束を出し、適当に掴んでカウンターに置きました。指定した前金よりどう考えても多いです。

 

「ずいぶん羽振りがいいじゃねぇか」

「金があればいいものが出来るんだろう? 頼むよ」

「……あいよ。期待して待っててくれ」

 

強面の店主はカウンターの中に金と預かった銃を入れ、書類にサインを書かせました。

 

「出来上がるのは一週間後だ」

「また来る」

「まいど」

 

今日一人目にして最後の客が、ガンショップから立ち去りました。

 

 

外は日が落ち、柔らかな電灯で照らされている店内には、寝たふりをしている少女の寝息と、預かった古式銃をいじる音だけが、静かに響いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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3日目 「とりあえず服買うか」

奴隷の少女がガンショップに来た日から三日目の朝。

 

この家にはベッドが一つしかありません。2メートルの巨体を毎晩毎晩支えていたご苦労なベッドは、ひとが二人並んで寝ることの出来るタイプのものでした。ダブルベッドです。

 

筋骨隆々としたドでかい店主の隣では、華奢で小柄で傷だらけの少女が、肩をふるわせて眠っています。

 

毛布は、とても大きなものを二人で一緒に使っています。店主が自分一人だけで取ってしまわないよう細心の注意を払いながら少女を横に寝かせているので、別に少女が震えているのは寒いからではありません。

 

「ン…………朝…………?」

 

少女が浅い眠りから目を覚ましました。外はまだ暗く、太陽が町の端っこからほんの少し顔を出している頃合いです。ボロ切れの隙間から、やや肌寒い冷気が全身をなめてきます。

 

少女は毛布の中に深く入り込み、隣でまだ寝息を立てている大きな店主の方を向きました。

 

店主はこちらに背中を向けています。筋肉質で、強そうで、とっても怖いその体に、少女はこのガンショップに来たときから怯えていました。

今もまだ、肩の小さな震えが取れません。

 

(こわい…………こわいよ。もしこんな、おっきな腕で殴られたら、きっと私、死んじゃうよ)

 

ここに来て三日目の朝を迎えました。少女はほとんど寝ていません。いつ殴られるかわからないので、いつも身構えていなければいけないからです。

 

(また前みたいに、安心しちゃダメなんだ。安心して、殴られて、ずっとつらい思いをするくらいなら、初めから〝痛い思いをしたいんだ〟って思ってないと)

 

少女は震える小さな肩を自分で抱き、今度こそもう絶対に、人を信じないと、そう強く心に誓いました。

 

 

 

 

「ン…………フゥ……朝か」

 

太陽が半部ほど顔を出した頃、強面の店主は目を覚ましました。

 

「おはようございます。ご主人様」

「おう。おはよう。早いな」

「ご主人様より早く起きて、いろいろな準備を整えておくのは奴隷の勤めです」

「そりゃ結構だが……俺は起きてからちょっと時間が経たないとメシを食う気にならんのだよ」

「あ……その、私、料理は作れないんです。私が準備をしたのは――――」

「言っとくがそんな趣味はねぇ」

「ではどのように…………?」

「どうもしねぇよ」

 

強面の店主は頭をポリポリとかきながら「どうしたものか」と小さく呟きました。

 

呟いて、何か違和感があることに気が付きます。なんだろうかと頭をひねります。

 

「…………どうされましたか?」

「ん……? いや、なんか昨日と違う…………あ、お前、昨日は俺より起きるの遅かったじゃねぇか」

「ッ!」

 

少女の顔が一瞬、本当に一瞬でしたが、怯えをはらみました。すぐにいつもの乾いた笑顔に戻りましたが、その変化を店主は見逃しません。

 

自分の中でもっともやさしいと思う口調と顔で、少女に話しかけます。

 

「べつに起きるのは遅くても早くてもかまわねぇ。奴隷としての勤めってやつも、今日からしなくていい」

 

あまりいつもの口調と変化がありませんが、少女は、

 

「…………はい」

 

乾いた笑顔すらも消えた顔で、小さくそう頷きました。

 

 

 

 

「腹減ってるか?」

 

ベッドから起き上がり、ぐぐっと背伸びをして体をほぐした強面の店主は、冷蔵庫を開けながらそう聞きました。

 

「い、いえ、大丈夫です」

「そうか」

 

店主がバタン、と冷蔵庫を閉めたとき。

 

キュルルルルル――――。

 

少女のお腹が鳴りました。店主は少女の方を見たまま、再び冷蔵庫を開きます。

 

「…………ご主人様。私は奴隷の分際で嘘をつきました。ば、罰を与えて下さい」

 

震える声でそう言う少女から目線を外し、冷蔵庫からりんごを一つ取り出すと、店主は少女のほうに近づきました。

 

身長差が60センチほどあります。見上げるような形で少女は店主の顔を見ます。その小さな肩は、少女本人は気付いていませんが震えていました。

 

「…………嘘はいけねぇな。俺も商売人だから嘘の一つや二つ付いてきたが、基本的にはお互いが利益になる嘘だ。利益にならねぇ嘘はついちゃいけねぇ。信用が無くなる。それは不利益だ」

「…………」

 

光のない目で見上げてくる少女に、強元の店主は、かがんで目線の高さを合わせました。

 

「だから嘘はなるべくつくな。いいな。あと、嘘をついたからって俺が罰を与えることはねぇ。ついて良い嘘と悪い嘘は、これから自分で判断していけ。わかったか?」

「…………」

 

少女は、目の前の恐ろしい顔の店主が言っている意味を理解するのに苦労しました。

それでも頑張って頭に入れて、言葉をつないで、自分の言葉として出て来たのは、

 

「わ、私を殴って下さい。いま、今殴られないと、あとでまとめてなんて、私は、私の体じゃ、たぶん死んでしまいます」

 

強面の店主は眉間に手を当てて本気で悩みましたが、とりあえず持っているりんごを少女のために剝いてあげることに決めました。

 

 

 

 

むいたりんごを皿に出されて目の前に置かれた少女は、わずかにですが困ったような表情をしました。

 

強面の店主が言います。

 

「食って良いぞ」

「嘘を……ついたのに、ですか? 私、悪いことをしたんですよ?」

「悪いかどうかは自分で判断すりゃいいんだが、腹が減ったらメシを食うのは当たり前のことだ。あと、よくよく考えればさっきのは〝遠慮〟って言って〝嘘〟じゃねぇ」

「…………」

「本当は欲しいけど相手のことを思って貰わないでおくってやつだ。優しいことだから、何も悪いことじゃねぇ」

「…………そう、なんですか」

 

お? 

 

強面の店主はほんのちょっと、少女の反応が素直なことに気づきました。

 

でもここから何か広げるつもりはありません。心を開かせる…………と言うのかどうか店主にはわかりませんでしたが、今までの反応と少しだけ違うというこの瞬間を、今後もゆっくりと活かしていこうと思っただけです。

 

「食ったらちょっと買い出しに行こう。昨日の注文品を直すのに鋳物屋に行かなきゃならねぇ」

「はい。――――いただきます」

「おう」

 

 

 

 

少女がりんごを食べ終えてから、強面の店主は寝巻きから仕事服へと着替えました。いつものピチッとしたTシャツに今日は黒いジャケットを羽織ります。少し冷えるからでしょう。

下はいつものジーパンです。

 

 

強面の店主が着替えている間、少女は後ろでじっと店主の様子をうかがっていました。

 

着替え終わった店主が少女に気付きます。

 

「なんだ? お前も着替えねぇのか?」

「私の服はその…………これだけです」

「あ」

 

よく見ればこの少女、ここへ来たときから一度も服を着替えていません。少しくさいのはそのせいか、と今更ながら店主は気が付きます。

 

うすく血が染みついたボロボロのワンピースに、穴の開いた革の靴。少女が身につけているのはこれだけです。

 

この三日間は風呂屋にも行っていません。体を拭いただけですが、少女は体を拭いたあと同じ服を着ているわけです。においがきつくなるのは当たり前です。

 

「…………鋳物屋の前に服屋へ行くぞ」

 

 

 

 

外は少し冷え込んでいました。強面の店主は奴隷の少女に、自分のもう一着持っているカーキ色のジャケットを着せています。だいぶ大きいのでそでが余ってだらんと垂れていますし、ジャケットのすそが少女の膝下くらいまで伸びています。

おかげで温かそうです。

 

「いいの……ですか? ご主人様の服を貸していただけるなど……」

「ちと大きいが風邪引かれちゃかなわんからな。まぁ、服屋までの辛抱だ」

「…………? なぜ服屋へ? あ、もしかして、布を使った――」

「締め上げとかか? でも高い布でわざわざ縛らなくても縄で十分だろ」

「…………」

 

少女は自分が言おうとしたことを先に言われたので何を言えばいいのかわからなくなってしまいました。

かわりに、

 

「……では、その、なぜ……?」

「ついてからのお楽しみだ」

「あ……はい。ごめんなさい。深入りしてごめんなさい。殴――――」

「殴らねぇから安心しろ」

「…………」

 

少女の表情が明らかに困惑しているのですが、強面の店主は少女の扱いにだんだん慣れてきました。

 

 

 

 

服屋は、この町の中心にある噴水広場に面しています。

 

「ここが服屋だ」

「…………? 何のお店かわかりませんよ……?」

「外面はな。俺も初めて入ったときには驚いたんだが、ここは女物の服を中心に扱っててな。品揃えが良いから良く来るんだ」

「え…………」

 

女物の服が中心なのにイカツイ店主がよく来る理由が少女にはわかりませんでしたが、

 

「あ、別に俺が着るわけじゃねぇぞ。銃ってのは女でも扱えるようになってきたからな、ホルスター……銃の入れ物のデザインなんかをここでやってもらってんだ」

 

少女は納得がいったようです。

だいぶその表情の変化に気がつけるようになった強面の店主も、満足そうに一つ頷くと、店内へと入りました。

 

 

 

 

中に入ると、確かに女物の服がいろいろと並んでおかれていました。アクセサリーなども見られます。

 

妙齢の店員が一人いました。

 

「あら、いらっしゃい。そちらは?」

「うちで預かることになった」

「あなたのジャケットを着せるなんて無粋な真似ですこと。――――ほら、脱いでくれるかしら」

 

長くツヤのある金髪に白いドレス、同じく白い大きな帽子を被った不気味な雰囲気の店員は、少女の着ているジャケットを脱がせると、強面の店主に渡しました。

 

そのまま少女を見ています。

 

「今日はこの子のお洋服を見繕うのでしょう? そうよね? そうに決まっているわ。じゃあ早速あわせていきましょう。ほら、こっちへいらっしゃい」

 

不気味な店員は半ば強引に少女を店の奥へと連れて行きました。

 

「相変わらず強気の商売をしやがる…………ま、だからやっていけてんだろうけどな」

 

 

 

 

数十分後。

 

「まったく。年頃の女の子にあんなボロ切れ一枚着せておいて町中を歩かせるなんて、あんまりですわね。はやっているのかしら?」

 

小言をいいながら出て来た不気味な店員と、その後ろをおずおずとついてきた少女に、強面の店主は驚きました。

少女の服装がかなり綺麗になっています。

 

「見違えたじゃねぇか」

「ちゃんとお風呂に入れてあげてくださいな。あと、髪もといてあげてください。そうすればもっと綺麗になりますわ」

 

くすんだ金髪の少女は、白を基調とした長袖のワンピースに、黒いカーディガンを羽織っています。髪は細めの黒いピンで前髪をとめており、肩口ほどの長さの金髪はそのままです。

 

靴も変わっていました。黒い革靴です。靴下の白色と対照的で、良く映えています。

 

「つい数ヶ月前にも似たようなお客さんがいらっしゃいましたわ。同じように、ボロ一枚だけ着た、ヤケドだらけの女の子を連れて」

「そうか。そいつにも見繕ったのか?」

「ええ。それ以来常連さんですの」

「俺もホルスターのデザイン以外の用事で、また来るかもしれん」

「そうしてくださいな。ほら、お嬢さん」

 

背中を軽く押し出された少女は、おずおずと、そして申し訳なさそうにいいました。

 

「ご主人様……その……」

「なにも痛てぇことしねぇってば。もともとお前の服を買うためにここに来たんだ」

「え…………? わ、私の服を、ですか?」

「そうだ。だからお前はありがたくもらっとけ。昨日の本と同じ。俺からのプレゼントだ」

「…………い、いただけません。こんな高価な……」

 

そうでもねぇよな? と強面の店主は不気味な店員に聞きます。

 

「ええまぁ、あなたの収入で考えたら大したものじゃありませんわ」

「ほらな」

「でも…………」

 

なおも少女は遠慮しますが、強面の店主は続けます。

 

「いいか? お前がまともな服装をしていないと、さっきみたいに俺が怒られる」

「別に怒ってはいませんこと」

「だからな、お前の服は俺が買うし、俺が好きにやってることなんだ。お前がなにかこう……後ろめたさを感じる必要はねぇんだ」

「…………」

 

少女はどうすればいいのか困惑しているようでしたが、不気味な店員はその様子に違和感を持ちました。

 

「ちょっといいかしら?」

「なんだ」

「詳細を無神経に聞くつもりはありませんけど…………様子がおかしくありません?」

「わかってら。まだ俺もどうすりゃいいか手探りなんだ」

「…………困ったことがあったら、いつでも相談に乗りますわ」

「ありがとな」

 

見違えるようになった少女を連れて、強面の店主は店を出ました。

 

 

 

 

石畳の街道を歩いていると、後ろからついてくる少女が、恐る恐る訪ねてきます。

 

「ご主人様……」

「なんだ?」

「どうして、何も痛いことをしないのですか? 私、悪いこと、いっぱいしていますよ」

「例えばどんな」

「ごはんを食べました。嘘をつきました。服を着ました。どれも、ご主人様の物と、お金を減らすことです。私は……私は……」

「まぁ、一回で全部理解しろってのは難しいか」

 

強面の店主は苦笑しましたが、悪い気分ではありません。

足を止めて振り返り、少し腰を曲げて少女の目線の高さに合わせます。

 

「これからゆっくり慣れていけばいい。ガキが他人のやっかいになるのは当たり前のことだ。メシも、嘘も、服も、普通の人間には当たり前のことだ。そこんとこ早くわかるようになれ」

「…………」

 

光のない目に困惑の色をたたえながら、少女はどうすればいいのかわからない様子で、それでも、強面の店主のあとをついていきました。

 

 

 

 

その日の晩。

強面の店主は風呂屋へ行こうとしましたが、あいにくの休みだったので体を拭くだけで寝仕度を進めました。

 

鋳物屋の帰りに少女の寝巻きも買いました。相変わらず困った顔をしていますが、ここへ来たときの乾いた笑顔よりは偽りのない表情だな、と店主は思っています。

 

「さ、寝るぞ」

「はい、ご主人様……」

 

ガンショップに来たときよりも、少女の言葉は弱々しいものになっています。

それに気が付かない店主ではありません。しかしまた、そこを聞いてしまってもいいものかと悩んでいます。

 

(どんなこと考えてんのか話してくれりゃあ、少しはやりやすいんだがなぁ)

 

同じベッドに入り、同じ毛布にくるまって、すぐ目の前にいるのに本心が見えない少女に対し、店主はどうすれば腹を割って話が出来るかを考えました。

 

考えて、考えて、それは今すぐに出来ることでもないかな、と言う答えを出した頃には、目の前の少女は寝息を立てています。

 

「…………物で心が開けるほど、人間ってのは甘くねぇもんな。商売も奴隷も、難しいもんだ」

 

独りごちたその言葉は、しっかりと、少女の耳に届きました。

 

 

 

 

 




なんということでしょう。銃が一丁も出て来ていません。なぜだ。


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4日目 「てっぽう」

傷だらけの少女がガンショップに来て四日目の朝。

 

太陽は未だ顔を出さず、空がほんの少しだけ紫色になっている、そんな肌寒い早朝です。

 

清潔で柔らかい真っ白な寝巻きに身を包んだ奴隷の少女は、浅い眠りから覚めました。

 

(…………昨日、この人が言ってたこと、どういう意味だろう)

 

〝物で心が開けるほど人間は簡単じゃない〟――――恐ろしい顔の店主が昨晩独りごちたその言葉の真意を、少女は毛布の中で考えます。

 

確かにたくさんの物を貰いました。

 

食べ物、絵本、服、寝巻きまで。

 

「…………」

 

経験があると思いました。

少女の人生では、こうやって誰かに良くしてもらったことが一度だけあります。

 

前のご主人様です。

 

(あの時はこんなにも大切にされて、私はきっと幸せなんだと思った。でも……)

 

その後にされた思い出したくもないおぞましい出来事に、少女はぎゅっと目をつむって考えないようにします。

 

しかしそれでも、つむったまぶたの内側に焼き付く、凄惨で暗く絶望的な光景が流れ出てきてしまいました。

 

鎖、ナイフ、火、鉄棒、ノコギリ、薬品――――。

 

「ぁ………ぃ…………ぃゃ……」

 

毛布の中で身を縮こまらせます。

 

(…………私、もう……どうしたらいいのかわからない。もう痛いのいや…………わからない、わからないよ)

 

もらった物よりも遥かに多い、欲しくなかったものの記憶に押しつぶされて、少女は、小さな嗚咽と共に泣き続けていました。

 

 

 

 

太陽が町を照らし始めた頃。

 

「ンン…………ァァ、よく寝た」

 

浅黒い筋肉のかたまりが目を覚ましました。店主です。

 

強面の店主は目をゴシゴシとこすりながら体を起こし、自分の横を見ます。

 

「起きてるか?」

「はい……起きてます。おはようございます」

 

白い寝巻きで毛布にくるまっている少女を見て、店主は一度頷くと、ベッドから降りて軽く背伸びをした後に冷蔵庫へ向かいます。

 

扉を開けて取り出したのは梨です。今日の少女の朝食でしょう。

 

「いま朝飯を用意してやる」

「…………ありがとうございます」

「食べる前に顔洗ってこい。そこの戸の向こう側だ」

「……はい」

 

少女の顔に涙の後があることに店主は気付きましたが、それを直接本人には言いません。

 

「泣くほど腹減ったんなら勝手に食えばいいのにな……って、言わなきゃ食わねぇかあいつは」

 

何か勘違いしてます。

しかし少女がお腹を空かしているのは事実でした。

 

強面の店主は梨を串切りにすると皿に盛りつけ、上からハチミツと粉砂糖をふりかけます。

 

それをテーブルに置いてから湯を沸かし、紅茶を二人分用意しました。

 

朝食の用意が出来上がった頃、少女が帰ってきます。

 

「座りな。んで食え」

「はい。いただきま…………す? ご主人様、これは……」

 

白い寝巻きのまま食卓に着いている少女ですが、今自分が着ている服と同じ、真っ白の粉がたっぷりかかった梨を見て驚いていました。

 

「そいつは粉砂糖って言ってな。砂糖なんだが目が細けぇんだ。甘いし、見た目が良い。雪みたいだろ?」

「はじめて見ました」

「んじゃ食うのも初めてか。まぁただの砂糖だ。期待するもんじゃねぇよ」

「…………いただきます」

「あぁ」

 

フォークで刺して一口食べた少女は、

 

「あまい……」

 

ちょっと複雑な顔をしていました。

 

 

 

 

「今日は、どのようなご予定で……?」

「火薬屋と…………服屋に行くか」

 

朝食を終えて、仕事着に着替えた店主は黒のジャケットと黒いハットを被っています。

背格好もあいまって、どこぞのマフィアにでもいそうな恐ろしい姿ですが、この町では防寒着として主流な服装です。怖いことに変わりはありませんが。

 

「火薬屋には前に頼んどいた弾がそろそろ入るだろうから、それを取りに行く」

「行ってらっしゃいませ」

「なに言ってんだ? お前も行くぞ」

「あ……はい。わかりました」

 

少女は、昨日買った白のワンピースに黒のカーディガンを羽織り、黒い革靴を身につけます。よそ行きです。

 

「女はいくつも服を持つもんだってあそこの店主が言ってたしな。今日も服を見に行こうぜ」

「わ、私のですか?」

「おめぇ以外に誰が女物を着るんだ。行くぞ」

「あ、え、わ、わかりました」

 

有無を言わさず居住フロアから一階に降り、店の外に出る店主ですが、出入り口のところでちゃんと待ってあげる辺りは気が利いています。

 

 

 

 

「ちと冷えるな。その服じゃ寒いだろ」

「いえ、そんな事は……くしゅん」

「ほらな」

「あ……私、また嘘を……殴――――」

「らねぇよ。んなもん嘘のうちに入るかよ。冗談にもなってねぇ」

「…………ごめんなさい」

 

くすんだ金髪の少女からは、ガンショップへ来た時に見せていたあの乾いた笑みが、もう消えていました。

 

店主はその事に対して最初は良い方向に向かっているのかと思っていましたが、少女の口調がだんだんと弱々しくなるにつれて首を傾げたくなっています。

 

(何かにつけて殴って欲しいという癖はまだあるみてぇなんだが、どうも来た時よりは何かが違うんだよな…………わかんねぇな)

 

変化には気付けてもどうすれば良いのかわからない。

強面の店主は誰かに相談したく思い、そしてちょうど今から行くところはその相談相手がいると気が付きます。

 

「今日はお前が自分で服を見てみるか」

「え? そ、そんなの…………ご主人様、なぜ……?」

「ちょっとあいつと話があるからだ。まぁ、ゆっくり選べばいい」

「あぁ…………えっと、私、服なんて選んだことが無くて、その、ご主人様のお気に召す物を選べるかどうか……」

「いやおめぇが気に入ったのを着れば良いんだよ」

 

苦笑しながら後ろ頭をボリボリと掻き、強面の店主は続けます。

 

「俺の好みなんざ俺もよくわかってねぇんだ。だからお前の好きなの選んでこい。あぁ、あと金の心配もいらねぇ」

 

店に着きました。

 

 

 

 

「あらいらっしゃい。昨日の今日で来るなんて、よっぽど羽振りが良いのですわね」

「儲かってるからな」

「…………ほんとですの? あなたの店が賑わってるところなんて見たことありませんわ」

「俺の店が賑わっちまったらこんな所でのんびり服なんか売ってられなくなるぜ」

「あらお上手」

 

不気味な雰囲気の店員は優雅に微笑むと、昨日買った衣服に身を包んだ少女に視線を移しました。

 

「お嬢さん」

「……はい」

「本当は今日も見繕ってあげたかったのですけど、私少しばかりこの人とお話がありますの。生地だったり、服だったり、アクセサリーだったり好きなように見ていいから、ほんのちょっと、二人だけにしてもらえるかしら?」

「わかり、ました」

 

ぎこちなく頷き、店の奥へと入っていった少女を、強面の店主と不気味な店員が店の入り口で見送ります。

 

「お前、人の心を読む力でも持ってんのか?」

「なんのことですの」

「俺はまだ話があるとは伝えてねぇと思うんだが」

「昨日の今日でやって来たってことは、つまりそう言うことですわ。だいたい、あなたの考えだけであの子をどうにか出来るとは思いませんの」

「失礼なやつだな」

「現にあぐねいているのがまるわかりですわ。それで? 具体的には何に行き詰まっているのかしら?」

 

不気味な店員は大きな白い帽子のつばから少しだけ目を覗かせて、強面の店主の顔を見ます。

 

店主の顔はやや困っていましたが、相談したい内容をそのまま言うことにしました。

 

「うちの店に来てからというもの、あいつはことあるごとに〝殴って欲しい〟という。危害を加えられることを望むように言いいやがる」

「それで殴ったんですの?」

「いいや。んなことするつもりもねぇよ」

「では、あなたはどうしたいのかしら、あの子を」

「結婚したい」

 

一瞬で店内が凍り付きました。店員の顔も引きつってます。

 

「私の聞き間違いかしら」

「いや、本気だ。俺はあいつのことを気に入っているし、奴隷として扱うつもりはねぇ」

「あなた鏡見たことある?」

「あるぜ」

「あなた自分の年齢知ってる?」

「四十とちょっとだ」

「…………あの子の年齢は?」

「いやわからねぇ」

「おそらく10代前半よ。栄養を取ってないから体が小さいけれど、これからちゃんと食べさせれば人並みには戻るわ。でも、常識的な話で言ってあなたとあの子が結婚って…………ごめんなさいちょっとめまいが」

「そんなにかよ」

 

店員は眉間を押さえながら近くのイスにすり、しばらく沈黙した後に口を開きます。

 

「…………まぁ、いいわ。あの子があなたをどう思ってるかはさておいて、あなたがしたいことは、詰まるところ求愛なのね?」

「いや、とりあえず俺に心を許して欲しい」

「あたりまえよ」

「俺は段階を踏んだ方が良いと思っている」

「それも当たり前よ。…………最終的に求婚するところを目指すのは、変わらないのね」

「そのつもりだぜ。そのために俺はあいつと本心から語り合いたい」

 

不気味な店員は明らかに引いていますが、なんとか表情には出さないように頑張っています。

でも口元が引きつっています。

 

強面の店主は近くにあったイスをたぐり寄せて、不気味な店員の前に座りました。その目をまっすぐに見て、あくまで真剣な表情で告げます。

 

「俺はあいつを幸せにしたい。あいつが幸せになれば、それは俺の幸せだ。そのための投資だったら金だろうと時間だろうといくらでも掛ける覚悟がある」

「それを投資と呼んじゃう辺りがあなたらしいですこと。…………いいわ。私も相談に乗るといった手前、断る理由も見あたりませんの」

 

不気味な店員は紙切れを一つ取り出し、さらさらと何かを書き、それを強面の店主に渡しました。

 

「これは……?」

「そこを訪ねてみなさい。あなた一人で」

「ここに何かあるのか」

「と言うより、たぶん解決に直結する人物がいますわ。女の子よ。その子に、今私にしたようにちゃんと話をして、いろいろ聞いてくるといいですわね」

「そうか、そうか…………助かる。本当に助かる」

「紹介料として銀貨一枚」

「カネ取るのかよ」

 

 

 

 

その後、少女は赤いワンピースと白いリボンを買ってもらい、帰りに火薬屋で黒色火薬と弾丸を仕入れた店主は、店に戻ってきました。

 

服屋の店員から紹介された所には、明日行く予定です。

 

太陽の日が沈みかけた頃、ガンショップに客が一人入ってきました。

 

「こんばんは」

「おう、いらっしゃい」

 

細身の若い女性でした。

 

露出の多い服装です。ネイビーブルーのタンクトップに、濃い藍色のジーパン、腰には二丁のパーカッションリボルバーがホルスターに収められています。つばの広いカウボーイハットも被っていました。

 

「どんな用だ」

「液体火薬が欲しいの。あと、あまり整備しなくてもちゃんと弾が出るライフルはあるかしら」

「どっちもあるぜ。ちょっと待ってな」

 

強面の店主は一度カウンターから出て、

 

「あぁ、そこのイスにでも座ってちょっと待っててくれ」

「はーい」

 

奴隷の少女がちょこんと座っている隣に客の女を座らせて、店主は店の奥へと入っていきました。

 

 

女が少女に話しかけます。

 

「君は?」

「ここの奴隷です」

「…………ほんとに? ずいぶん可愛いわね。服も、顔も」

「ありがとうございます」

 

くすんだ金髪の少女は全く笑わず、光のない目と抑揚のない声で淡々と答えています。

 

細身の女は、そのヤケドだらけの少女の顔を見て、最初はここの店主が付けたのかと疑いました。

だったらこの店にはもう二度と来ないようにしようとも思いました。

 

しかし近くで見るとかなり古い傷跡です。女はすぐに考えを改めましたが、ではなぜこの店は奴隷を、しかもここまで綺麗に着飾った奴隷を飼っているのか気になりました。

 

「あなた本当に奴隷なの?」

「私はここのご主人様に買われました。お金のやりとりは…………無かったと思います。よくわかりませんが、とにかく私はここの奴隷です」

「そう、まぁあなたがそういうならそうなのかしら」

 

怪訝そうな表情のまま細身の女は続けます。

 

「でも、あの人結構優しいでしょ? あたし何度かこの店に来てるけど、顔に似合わず良い性格してるのよ。タイプじゃないけど」

「…………」

「いくら奴隷でも手を挙げる人じゃないと思うから、そのへんがもし心配なら、大丈夫よ」

 

少女はうつむけた顔をゆっくりと上げて、無言で女の顔を見つめ始めました。

 

「ん? どうしたの」

 

至って無表情ですが、女には少女が何か言いたそうなのがわかります。

 

しばらく待ってあげていると小さな声で、

 

「…………お姉さん、てっぽう、撃つの?」

「撃つよ。あたし商隊の護衛やってるの」

「ごえい?」

「人を守る仕事よ。行商人のキャラバンに馬でついていって、もし山賊とか盗賊の輩が出たら撃ちころ――――あー、やっつけるの」

 

言葉を選んで自分の職業を教えてあげた女ですが、少女はその内容より、銃に興味を持ったようでした。

 

「てっぽうって、女の人でも撃てるの?」

「撃てる撃てる。余裕」

「私でも?」

「練習すればまぁ……あぁでも、口径が大きいと手首痛めちゃうから、そうね…………あの人に頼んでみれば? 銃に関してはプロだし、撃ちたいって言ったらいろいろ教えてくれるわよ」

「奴隷にてっぽうの打ち方を教えてくれるでしょうか?」

「あぁ、無理かも」

 

女の人が苦笑したのを見て、少女はちょっと残念そうな顔をしました。

 

 

 

 

ライフルと液体火薬を取引した後、女は奴隷の少女に手を振って店を後にしました。

 

「なんだ? いつの間にか仲良くなったのか」

「ううん。違います。お話ししただけです。…………あ、勝手にしゃべってごめんなさい」

「客と、ってことか?」

「はい」

「あー…………まぁ、そうだな、これからはちょっと気を付けろよ」

 

店主の反応にほんの少しだけ少女は驚きました。今までの調子から行くと〝別にそんな事いいって〟と言われると思ったからです。

 

「勝手にしゃべった罰はありますか……?」

「ねぇけど、ちょっと注意はある。よく聞けよ」

「はい」

 

イスに座っている少女は立ち上がり、頷きます。

強面の店主はカウンターの中でイスに座って自動拳銃を磨いていますから、少女の方は見ていません。

そのまま店主が注意をします。

 

「ここに来る客の中には危ないやつもいる。さっきのあいつはここ2年ほど前からうちに来てる、つまり信頼できるやつなんだが、まぁ……そうだ。たまにヤバイのも来る。俺が撃たなきゃならねぇ時もあった」

「…………ご主人様が、ですか」

「おうよ。まぁ詳しく話すつもりはねぇが、来た客に見境なく話しかけたらケガするかもしれねぇ。俺の目で見てこいつはヤバイと思ったらお前を奥にやる。まぁ、だから滅多に危険はねぇだろうけど、一応な」

「はい。気を付けます」

 

少女は思いました。もう自分から痛いことを望むような口ぶりは避けようと。

もしこの人の気が変わって〝よしじゃあ今日からお前で遊ぶ〟なんてなったら、物理的に耐えられないと悟ったのです。

 

さっきの女の人は言いました。この人は危険な人ではないと。

 

でも少女は、少女が前にいた屋敷の主人は、外面は善良なお金持ちでした。

 

人の言うことなんて当てに出来ません。もし信じて取り返しがつかなくなるのは、その時に傷つくのは自分です。

 

信じられるのは自分だけ。なら、その自分が、少しでも強くなくちゃだめ。

 

頼れるものが強くないと、頼ることが出来なくなる。

 

だから少女はいつかこっそりとこのお店にある銃を隠し持とうと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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5日目 「町医者の奴隷(上)」

原作の奴隷ちゃんが出てきそうなサブタイなのにまだ出てこないという。


太陽が半分ほど顔を出し、この町の住人の大体が目をこすりながらベットから降りる頃。

 

ガンショップの店主が目を覚ましました。

むくりと起きて、一つ大きなあくびをして、隣を見ます。

 

「…………」

 

白く柔らかな生地に包まれる、ややくすんだ金髪の少女が、穏やかな寝息を立てていました。

 

(今日は俺の方が早く起きたか……)

 

少女を起こさないようにそっとベットから降りて、軽く腕を伸ばして脱力、足音を立てないように気を付けながら、冷蔵庫へと向かいます。

中からとりだしたのは白いパックでした。

 

(今日のこいつの朝飯は、桃の蜂蜜漬けでいいだろうか)

 

白いパックをそっと開けると、蜂蜜と桃の合わさった濃密な香りが辺りに広がります。

 

スプーンでいくらか取り出して皿に盛りつけ、しかしちょっと量が少ないと思ったのか、冷蔵庫からりんごを取り出すと半分に切って片方を皿にのせました。もう半分は冷蔵庫に返還です。

 

たった今盛りつけた皿にラップを掛けて、これも一緒に冷蔵庫へと入れると、白い紙を一枚取り出して『朝食は冷蔵庫に入っているから取り出して食え』と書き置きをします。

 

店主は少女の起床を待たずに出かけるつもりです。目的地は昨日服屋の女性に教えてもらった場所ですが、いくら何でもこんな早朝に訪れるのは非常識だということは、店主もわかっているようです。

 

なので今から向かうのは別の所でした。

 

強面の店主はいつものシャツにジーパン、少し丈の長い黒コートを羽織って、一階の店舗フロアへ降りていきます。

 

奴隷の少女は、そんな店主の様子を、寝たふりをしてうかがっていました。

 

 

 

 

「さて、と」

 

ガンショップの入り口から出た店主は少し辺りを見回すと、コートのポケットにある紙切れに触れてから、町の大通りへと歩いて行きます。

 

適当に時間を潰してから紹介のあった住所を目指すつもりですが、その時間つぶしに使う場所は一件の火薬屋でした。昨日寄ったところです。

 

「おーい旦那、いるか?」

「あいよ、ってお前さんか。昨日来たばっかだってのにどうしたんでい?」

「液体火薬が売れちまってよ。在庫がねぇから仕入れに来た」

「あいにくさんだがうちも昨日売れちまった。また来てくれ」

「おいおいまじかよ」

 

強面の店主は大げさに肩をすくめましたが、こんなことはよくあることで、ここを訪れたのには別の目的がありました。

 

「ところで旦那よ」

 

強面の店主は至って真面目な顔つきで、ポケットから取り出した紙切れを火薬屋の店員に見せます。

 

「この住所、どこだかわかるか?」

「あぁん? どれどれ…………おめぇさんこりゃ町外れだ。ちとこっからだと歩くことになるぞ」

 

どうやらガンショップの店主は紹介された住所がどこのことを指しているのか分からなかったそうです。

 

火薬屋の店員からそんな事を聞かされた店主ですが、特に困ったような表情はしませんでした。

 

「そうか。んじゃあ今から向かえばちょうど良い時間につくかね」

「だろうよ。でもよおめぇさん、そこは医者の住所だぞ? ケガでもしてんのか?」

「あぁ、いやケガじゃねぇよ。ちょっとここの人間に話があるだけだ」

「そうかい。まぁ、今から行きゃいいぐらいだろうよ」

 

火薬屋の店員はそういいながら店に入り、ゴソゴソと何やら麻袋のようなものを取り出します。

 

「液体火薬はねぇがおもしれぇもんが手に入ったんだ。これ見てくれよ」

「なんだこれ?」

「こいつはブランデンブルク侯の跡地から引っ張ってきた――――」

「ほうほう――――」

 

太陽が完全に姿を現し、本格的に町が目覚め始めた頃、ガンショップの店主と火薬屋の店員はお互いに取り扱う品物をみて談笑に興じ始めました。

店主が町外れの医者の元へ向かうのは、このあとだいぶ経ってからです。

 

 

 

 

その頃、ガンショップの居住フロアでは。

 

白い寝間着から赤いワンピースへと着替えた傷だらけの少女は、机の上の書き置きに従って冷蔵庫からお皿を取り出しました。

 

「…………なんだろ、これ」

 

食卓に着いてラップを取り除き、用意されていたスプーンで皿のものをすくいます。

 

「すごく甘い香り…………これ、果物?」

 

誰もいないからこそ無意識のうちに独り言を呟く少女は、おそるおそるスプーンを口へ運びました。

 

ちゅるん、と簡単に滑り込んできたそれは、少女の想像を遥かに超える甘さです。

 

「あ、あまい、なに、これ、こんな果物あったんだ」

 

蜂蜜がかかっていることを少女は知りませんが、皿の上に添えられてあるりんごの味がわからなくなるほどの甘さに、驚愕しているようです。

驚きの表情のまま二度、三度とスプーンですくって口へと持っていきます。

 

しかし半分ほど食べたところで、

 

「…………なんで、ご主人様ってずっと甘いもの食べてるんだろ」

 

気持ち悪そうな顔をしています。胸の辺りを何度かさすっています。

 

「でも残したら怒られるかも…………うん、がんばろ」

 

スプーンを置き、皿を両手で持った少女は、そのまま皿を傾けて一気に口へ流し込みました。

 

ここへ来てからの五日間。奴隷の少女は、朝昼晩とほぼ全てが糖分で出来た食べ物でお腹を満たしています。

 

いままでの人生で少女は、充分と呼べる食事をほとんど与えられたことがありませんでした。与えられたのは一つ前の家でです。それも極々短い間でした。今となってはあの食事は少女の心を開かせるための罠だったと、少女自身は理解しています。

 

このガンショップに来てからの初めの三日間ほどは、この甘すぎる食生活に特に疑問は持っていませんでした。またこうやって付け入ろうとしているのだろうと思った程度です。

 

ですがさすがにこうまで続くと、一体何が目的でご主人様がこんなにも甘いものを出し続けているのか考えてしまいます。

 

「甘いものは……今まであまり食べたこと無かったし、食べさせてもらったあの家では…………う、ううん、考えちゃダメ。あの家のことはもう考えちゃダメ」

 

苦しそうに顔を歪め、イスの上で体を小さくする少女ですが、なんとか耐えきって呼吸を整えます。

 

「…………嫌いじゃないし、あまいの美味しいから好きだけど、こんなにいっぱいだと、なんだか胸がむかむかする…………これが、狙いなのかな……」

 

少女は知りませんでした。

ここの店主は糖分が大好きで、そして店主が読んだ本には〝児童期の子どもは甘いものを好む〟と書かれていたことを。

 

店主自身が相当に甘党で、そのうえ本には〝子どもと言えば甘いもの〟みたいな内容が書かれていればとるべき行動は一つです。

強面の店主はあまり深く考えずに、少女の食べ物全てを砂糖漬けにしていました。

 

「もしかしてここのご主人様は、甘いものをいっぱい食べさせて、私の口がおかしくなるのを楽しんでるのかな…………」

 

斜め上の発想で少女は膝を抱えて、たった今自分が食べた白いお皿を眺めながら、そんな事を呟きます。

 

しばらくそのままじっとしていて、だんだんと胸のむかむかが薄れてきたので、お皿とスプーンを片付けました。

 

水で少し流した後、シンクから振り返った少女は、がらんとした部屋を見回します。

 

今、この建物には、少女以外誰もいません。

一階はもちろん、二階の居住フロアも、少女の立てる音と時計の針の音以外何も聞こえません。

 

「…………」

 

今? いま取っちゃう?

 

昨日、自分で自分に約束しました。強くならなくちゃいけない。

頼れるのが自分だけ、信じられるのが自分だけで、その自分が暴力に負けないようにするためには。

 

てっぽうがあれば強くなれる。

 

少女は銃のことを知っていました。もうずいぶん前のご主人様でしたが、奴隷を的にして銃で撃ち殺すのを楽しみにしている人でした。

少女に銃口が向けられることはありませんでしたが、まだ幼かった彼女の目の前では、少なくない数の奴隷が苦しみながら死んでいました。

 

大きな音が出て、目に見えない速さで何かが飛んで、当たった人は「いたいいたい」って言いながら転がるんだ。

それから、血がいっぱいでて、死んじゃうんだ。

 

少女は銃に対してそれほど鮮明な記憶はありませんでしたが、そんな感じの道具だと言うことは覚えています。そして昨日のお姉さんの話です。

 

女の人でもてっぽうは使える。男の人を殺せる。

 

「…………どこにあるのかな」

 

赤いワンピースのすそを揺らしながら、少女は一階へと下りていきました。

 

 




原作の奴隷ちゃんの名前は〝シルヴィ〟と言いますので、もし気になる方はお手元の端末でグーグル検索されることをオススメします。
あわよくば共にシルヴィちゃんを愛でましょう。


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5日目 「町医者の奴隷(下)」

原作奴隷ちゃん登場。


「この辺だな……」

 

強面の店主は一人呟きながら辺りを見回しています。

その手には、ここへ来る途中に買った昼食のフルーツサンドが、紙袋に入って下げられていました。

 

鳥のさえずりが辺りに響き、上り詰めた太陽がやや傾き始めた頃、強面の店主は目的の住所付近に到着します。

 

周囲は町の中心に比べると静かなもので、ちらほらと人通りのあるそんな場所でした。

 

あちこちに目を配らせ、しばらくすると診療所らしき建物が建っているのを、強面の店主は目にとめます。

表の看板に診療所の文字が見えるのを確認し、一つ頷きます。

 

「よし」

 

特にケガや病気でもないのに病院を訪れるというのは不思議な話ですが、そんな細かいことはこの店主の頭にはありません。

しいて言うならお悩み相談で片付くだろう、程度の考えです。

 

木材を加工して作られた質素な扉を押し開けると、木造の持ち合い室がすぐ目の前にありました。

ただ中には誰も居らず、静かでがらんとしています。

 

「…………だれかおるかい」

 

低い声で呟いた強面の店主は、その声が診療所の奥に吸い込まれるのを感じ、

 

「こりゃ失敗したな」

 

誰もいないことを悟りました。

 

ここまでそこそこ距離のある移動です。

日が出てきたとはいえ風が冷え込んできたために、あまり楽な道のりとは言えませんでした。

このまま何も無しに帰るのは少しもったいない、と店主は思いましたが、誰もいないのでは話を進めることは出来ません。

 

「しかたねぇ、帰るか」

 

踵を返して入ってきたドアに手を掛けたときです。

人の気配がしました。奥からパタパタと誰かが走ってくる音もします。

 

強面の店主は最初気のせいかと思いましたが、ハッキリとその耳に足音が聞こえ出すと、胸をなで下ろしました。

誰か居るのなら事情を話して、目的の少女とコンタクトも取れそうです。

 

(人相ぐらい聞いときゃよかったな)

 

今更考えても仕方のないことですが、店主は後ろ頭を掻きながら振り向き、そして少し驚いてしまいました。

 

「あの、すみません! 先生はいま往診中でいないんです」

 

現れるやいなや頭を下げたのは、顔にヤケドの跡が目立つ少女でした。

元気な声でそういいながら、深いお辞儀をしています。

 

揺れている綺麗な銀髪に、強面の店主は目を引かれました。

その髪は、青い大きなリボンでまとめられています。

服装は黒のナース服。

足元は生地の薄いソックスを穿いていて、顔と同様のヤケドの跡が目立ちます。

 

強面の店主が迎えた奴隷と、ほぼ同じ背格好です。恐らくは年齢もそう変わりません。

 

顔や手足の傷、纏っている雰囲気から店主は直感で、この子も同じ奴隷だったのだろうと悟りました。

同時に、数日前の商人から聞いていた〝町医者に引き取られた奴隷〟の話も思い出します。

 

恐らくはこの子のことでしょう。

そうであれば、似たような境遇であることを知っている服屋の店員が、この奴隷の少女を紹介した理由も頷けます。

 

奴隷のことは奴隷に聞け――――もとい、〝元〟奴隷に聞け、です。

 

「えぇっと、急患ですか?」

 

ナース服の少女はやや困ったような表情のまま、店主の顔を見ています。

身長差が実に60㎝以上あるので、少女からすれば見上げるような形になるのですが、強面の店主の怖い顔を見てもあまり怖がっている様子はありません。

 

こうして診療所の手伝いを重ねるうちに、接客のスキルが身についたのでしょう。

店主は目の前の少女の立ち居振る舞いが様になっている様子からそう判断しました。

 

そしてうらやましいと思いました。いつかは自分の所の娘も、こうして接客を任せられるようにしてあげたいと。

 

強面の店主は少女の方を見ながら答えます。

 

「今日来たのは診察じゃねぇんだ。急患でもねぇぞ」

「あ、はい。ではどのようなご用件でしょうか?」

 

銀髪の少女はカウンターからクリップボードとペンを取り出し、いくつか書き込みをし始めました。

若干ですが訝しげな表情をしています。

 

小首を傾げながらサラサラと記入をしている少女ですが、診察をしに来たわけじゃないのに診療所を訪れる意味がわからない、と言うような顔をしています。

 

その表情は、強面の店主の言葉で固まりました。

 

「お嬢ちゃんにちょっと付き合って欲しくてな」

 

せわしなく動いていたペンは止まり、おずおずと、銀髪の少女が強面の店主を見上げました。

 

「あの……それは、どういうことで……?」

「いや、ちょっとしたツテでお嬢ちゃんを紹介されてな。ここは一つ話に乗って貰いてぇんだが」

「あ、えっと…………そ、それは……」

 

クリップボードを胸に抱いたまま硬直した少女は、心持ち頬が赤くなっています。

目線があちこちをむき、落ち着かない様子で何かを言おうともじもじして、しかし言い出しにくいのか口をぱくぱくさせては躊躇っています。

 

「どうした?」

「あの、その話は、その……お受けできません」

 

強面の店主も一瞬固まりましたが、しかし商談ではよくあることです。

話が出来ずに収穫の無いまま引き返すことは、今までの人生でも多々ありました。

 

別段ショックを受けたわけではありません。もともと諦めかけたところだったので、ほんの少し期待を裏切られた程度です。

 

(そうかだめか……相談相手は余所を当たるとして、では誰にすりゃいいんだか……)

 

内心では次の行動指針を模索している店主でしたが、銀髪の少女はそんな悩み顔の店主を見てワタワタし始めました。

 

外側から見れば怒っているように見えるのです。

少女は眉尻を下げながら申し訳なさそうな表情で、クリップボードをきつく抱きながら勢いよく頭を下げました。

 

「ごめんなさいッ!! 私は先生だけが好きなんです!」

 

 

 

 

「説明が悪かった」

「い、いえ。私の方こそ勘違いしてしまって……すみません」

 

付き合って欲しい、の意味を盛大に履き違えた少女は、恥ずかしそうに、そして申し訳なさそうにそう言って、再び頭を下げました。

 

「気にすんな」

 

診療所のテーブルには店主の買ってきた昼食と、少女が煎れた紅茶が一緒になってならんでいます。

二人はそれを挟むような形で向かい合わせに座って、店主の申し出通りの話し合いをしていました。

 

「まぁ、遠慮せずに食ってくれ。相談料金だと思ってくれりゃあいいぜ」

「お腹も空いてますし……はい、いただきます!」

 

買ってきたものはサンドイッチで、間に生クリームやフルーツがふんだんに挟まっている食べ物です。

フルーツサンドと呼ばれるものでした。

 

銀髪の少女――――シルヴィは物珍しそうな表情でそれを両手でもっています。

 

「こんなすごいものが町に……初めてみました」

「ケーキ屋の裏メニューだ。頼めば出してくれるが言わなきゃ出てこねぇもんでな。まぁ今度寄ったときに注文してみな」

「先生におねだりしてみます!」

 

はむ、とかじりついたシルヴィは、頬に生クリームを付けながら幸せそうに食べています。

 

正直言うとガンショップの奴隷より嬉しそうに食べています。

満面の笑みで、心底幸せそうな表情で口の周りを生クリームだらけにして食べるシルヴィの姿は、あまり金髪の少女とは重なりません。

 

(あいつも、これくらい嬉しそうに食べてくれりゃあな……ここまでは喜んでくれぇんだよなぁ。なんでだろうな)

 

強面の店主も手際よくフルーツサンドを食べていき、ある程度テーブルの上が空いてくると、話を切り出しました。

 

「おめぇさん、名前は?」

「シルヴィとお呼び下さい。皆様からも、そう呼ばれていますから」

 

丁寧で大人びた口調とは裏腹に、口の周りに白ヒゲを生やしたシルヴィは、両手に着いた生クリームをぺろぺろとなめ取っています。

 

その光景に自然と頬がゆるむ店主でしたが、用件を伝えます。

 

「俺は先日、奴隷を引き取ってな。アンタと同じぐらいの年で、髪は金髪だ。知り合いじゃあねぇよな?」

「金髪……いえ、記憶にはありません」

「まぁそりゃいいんだ。問題はそいつがな、自分から痛い事を望むような口ぶりで接してくるんだ」

「…………? どういう事ですか?」

「ことあるごとに殴って欲しいと言ってきたり、殴らないのかと尋ねてきたり……とにかく自傷願望が見え隠れするんだ」

「それは……あの、その子は、私みたいでしたか?」

 

至って真面目な顔でそう聞いたシルヴィの表情は、言外に〝私のように虐待の跡がありますか〟と聞いていました。

口の周りの生クリームを指ですくってぺろぺろしていなければ、あまりにも重すぎる話です。

 

「そうだな。ヤケドもあるし、切り傷や刺し傷も多い」

「そうですか…………」

 

目線を伏せたシルヴィは、そのまま数秒黙ったまま、机の上の一点を見つめています。

視線の先には最後に残ったフルーツサンドが。

 

生クリームとイチゴを挟んだ、強面の店主一押しのひと品です。

 

「…………食って良いぜ」

「え、あ、はい、いただきます!!」

 

単に考え事をしていただけでしたが、勧められれば断る理由はありません。

再び口の周りと両手を白く染めながら、ニコニコとシルヴィは答えます。

 

「その子がどうして自分から痛い事をされたいのかはわかりませんが、でも、いままで痛い事をされてきたなら、本当に心から痛い目に遭いたいとは思ってないはずです」

「そりゃあそうだよな。俺は別に、あいつをそんな風にしたいとは思ってねぇしな」

「えっと…………奴隷として、丁寧に扱うと言うことですか?」

「いんや。あぁ、おめぇさんの前で言うのは……いや、そうだな。ちゃんと言うべきだよな」

「?」

 

イチゴを口いっぱいに含んでもごもごしながら首を傾げたシルヴィに、強面の店主は真面目な表情で伝えます。

 

「俺はあいつを幸せにしたい。もっと言うなら結婚したい。一生を共に過ごして、同じ墓に入りてぇんだ」

「わぁ……」

 

イチゴサンドを手に持ったままキラキラと瞳を輝かせたシルヴィは、本当に嬉しそうな表情で、

 

「そんなにも想ってくれるのなら、きっと幸せだと思います! 私も、初めは今のご主人様に何も感じていませんでした。また同じような生活が始まるのかなって。つらくて、苦しくて、どうしようも無い生活が始まるのかなって」

「あぁ」

「でも、違ったんです。先生…………ご主人様は、私に痛いことをしませんでした。悲鳴をあげさせて楽しむようなことも、酷い言葉で罵倒することも。それどころか、たっくさん、いろんなものをいただきました」

「物、か。服とか飯か?」

「それもあります。でも目に見える物だけじゃないんです。本当に、上手く言えないんですけど……いろんなものです」

 

伏せ目がちに頬を赤らめ、シルヴィは少し足をすりあわせましたが、すぐに誤魔化すように笑いながら残ったイチゴサンドを口へ運びました。

 

店主は思います。たぶんそれは、俺には難しいと。

 

果たして目に見えない物をどう相手に与えるのかは、それは商業とはまた違った視点で考えなければなりません。

 

目の前の少女が言う〝目に見えないもの〟の正体が店主にはわかっていました。

そもそもそれは、自分が望んでいたもので、同時に与えたいものです。

 

すなわち愛情です。

 

ただ、そんな目に見えないものをどうやって与えればいいのかわからないからここに来たのです。

現状あのくすんだ金髪の少女には、何も届いていないのですから。

 

いくら本をあげ、ごはんをあげ、服を買い与えても、根本的には愛情を与えたことになりません。

 

愛するがゆえに与えていることを理解してもらえれば話は変わるのですが、今はそれどころか、心すら見えません。これではいつまで経っても意味がないことは店主もわかっています。

 

「どうすりゃいいんだろうな……」

「なにがです?」

「俺はあいつと心から話がしたい。あいつは…………商売人の目からしてみれば、かなり上辺面なんだ。たちが悪いのは〝殴って欲しい〟と言っているときは、本心が見え隠れしている」

「それは……あの、これは、私自身の考えなのであっているかはわかりませんが……」

 

シルヴィはそう前置きして、おずおずと口を開きます。

 

「痛い事を自分から望めば、心が少し楽になるからかも知れません」

「……どういうことだ」

「私もそうだったんです。痛い事から逃げようとするから苦しいんだ。だから、もう何も感じないでいようって。痛いのも、苦しいのも、嫌なことも、嬉しいことも、幸せなことも、何もかも捨てて、何も感じないようにしたら、すこし楽になれたんです」

「じゃああいつは、それすらも行きすぎて、自分から望むようになった……ってことか」

「いえ、違います! 望んでるのではなく、〝望まないと〟って自分に言い聞かせているんだと思います」

「言い聞かせる……か。なるほどな」

 

強面の店主は何度か頷き、腑に落ちたように肩の力を抜いて、シルヴィが煎れてくれた紅茶に口を付けます。

 

ほのかに甘い香りが漂う紅茶は、上品で、とても美味しい物でした。

 

「その子がどのような環境を過ごしてきたかはわかりませんが、きっと心細いと思います。私もここに来た最初の頃は、もう何も感じないようにしていましたし、もし今のご主人様に何かされても、もうどうでもいいやって気持ちでした」

「今は?」

「今はえっと……何をされても良いよ、って気持ちです」

「んん、どういう意味だ?」

「あの、ええっと……私は先生が好きで、だから、先生になら、何をされても嫌じゃないって事です。昔のつらかった頃とは全然違う気持ちです。…………うまく言えなくてすみません」

 

照れたようにえへへ、と笑ったシルヴィは、紅茶を一口飲んで続けました。

 

「私もそんなにすぐには、先生の事を信用できたわけではないんです。いろんな所に連れて行って貰って、いろんな事を教えて貰って、それから……あ、私引き取られてしばらくしてから、重い病気にかかったんです」

「病気にか。でもおめぇさんの主人は医者だろ?」

「はい。それはもう、だからこそだったのかわかりませんが……一晩中看病して下さって、それで今度は一人で寝てると寂しくなって、だんだん、先生と一緒になって……その頃には、もう先生を疑うようなことはありませんでした。今思えばあのとき一生懸命看病してもらえたから、私は先生の事を信じられたのかも知れません」

 

納得のいく話だと店主は思いました。

体が弱っているときに、側に居てやれればそれはきっと気持ちが伝わるだろうと。

 

でも同時に、そんな打算で看病をしてもそれを愛情とは呼ばないと思いました。

下心が丸見えの看病をしたところで意味はなく、まして引き取った彼女が体調を崩すことを望むようなことがあってはならないと。

 

ただもちろん、シルヴィの主人にそんな打算があって看病したわけではないのはわかっています。

目の前の少女が嬉しそうに自分の主人のことを語る姿に、そのような影は全く見えないからです。

 

――――結局の所、何かきっかけがあれば心から話をすることは出来るかも知れません。

 

でもそのきっかけを自分で作ることを、店主としてはしたくありません。

商売なら儲けるために何でもします。でもこれは商売じゃありません。

 

自分から機会を設けてどうこうしようとする考えは、店主の頭から消え去りました。

 

「結局、俺はどうすりゃあいつの心が見えるんだろうな」

「時間がかかると思います。たくさん、いろんな所に連れて行ってあげて下さい。私はそれが嬉しかったんです。それから、いろんな事を教えてあげて下さい。知らないことは怖いけど、でも、それを教えて貰えば、もう怖くないんです。だから、ずっと一緒に、いろんな事を教えてあげて下さい」

「なるほど。…………わかった。ありがとな、シルヴィ」

 

金髪の少女の心をどう開くかではない。

問題はもっと別の所にあって、それは俺とあいつで一緒になって探すべき。

 

強面の店主の悩みは、確実に一歩、解決へ進めることが出来ました。

 

 

 

 

強面の店主とシルヴィが話し合いをしている頃。

 

ガンショップの一階では、赤いワンピースの少女がゴソゴソとカウンターをあさっていました。

 

一階の店舗フロアの壁には、いろいろな銃器が掛けられています。

 

それは大型の拳銃であったり、ライフルであったり、一風変わったマシンガンであったりするのですが、どちらにしても少女が手に持てるような物ではありませんでした。

 

なので少女はカウンターの内側、拳銃やその部品などが入っているところをあさっています。

 

「たぶんここにあるのかな……」

 

正直どれを手にすればいいのかわかりません。

 

そもそも使い方がわかりませんし、よしんば手に持てそうな物を見つけても、あの店主から隠れて持ち続けることが果たして出来るのか気になりました。

 

ただまぁ、そんな事は後から考えようという結論に至ったのです。まずは見てみることから始めようと。

 

「てっぽうって、気を付けないと死んじゃうんだよね……間違えて自分を撃たないようにしないと……」

 

どうすれば弾がでるのか、その仕組みを知らない彼女はカウンターの中をあさる手つきも慎重です。

 

頭の中には、昨日のお姉さんが腰に下げていたパーカッションリボルバーが浮かんでいます。

少女はもちろんそんな銃の名前は知らないのですが、間近で見た拳銃と言えば浮かんでくるのがそれなのです。

 

「あ、これ」

 

そういいながら少女が手に取ったのは、紛れもなくパーカッションリボルバーでした。

 

銃身が鈍く鉄の色をした、無骨でやや大きいそれは、少女の知るところではありませんが、中口径のパーカッションリボルバーです。

 

「どうやって使うのかな……」

 

数年前のご主人様が使っていたように見よう見まねで手に持ってみます。

引き金に指をかけたまま立ち上がり、

 

「ここから……なんだっけ、あ、弾が出るのかな?」

 

銃口を覗き込みます。

絶対にしてはいけないことなのですがそれを止める人はここにいません。

 

「ん…………よくわかんない」

 

覗き込んだ銃口から目を離し、もとあった場所に戻しました。

 

幸いなことに、パーカッションリボルバーは弾を込めるまでの工程が複雑なので、この少女が扱えるような物ではありません。

また、強面の店主は銃をすぐに撃てるような状態で保存することは希で、とくにカウンター内にある物には弾すら入っていません。

 

そんな事はつゆ知らず、少女は相変わらずカウンターをあさっています。

 

「これなんかどうだろ……」

 

今度は小さいです。ダブルアクション式リボルバーで、銃身が極端に短いモデルです。

上着のポケットなんかにも隠し持てる感じです。

 

「小さいし、これなら使えそう……? でもやっぱ、どうやって撃つのかわかんないや」

 

引き金に指をかけたままいろいろといじって、結局は元の場所にしまいます。

 

「他には……あ」

 

ふと、少女の目に、昨日店主が入っていった奥の部屋がとまりました。

 

のれんで仕切られたその部屋は、店主が工房にしている場所です。

弾を込めたままにしている銃はやはりほとんどありませんが、中には店主が護身用においてある銃も存在します。

そいつは弾が入っています。

 

「…………」

 

少女はカウンターの中からのれんをじっと見つめ、入ろうかどうしようか悩みました。

奥の部屋には行ったことがありません。もちろん見てみたいです。

 

ただもし、入ったのがばれてしまったら、自分の命が危険な目に遭うかも知れないと考えました。

 

「やっぱやめとこう」

 

のれんを睨んでいた少女はふっと肩の力を抜き、トボトボと二階へ上がっていきました。

 

銃を手にしても使い方がわからないと学習した少女が、その手に握るのはまだ先になりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




世界観といいパーカッションといい……「キ〇の旅」を彷彿とさせますね。


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6日目 「ガンショップの奴隷(上)」

金髪の少女がガンショップへ来て6日目の朝。

太陽がほんの少しだけ顔を出し、街に幾本の光が見え始めたころ、ガンショップの二階では二人の人間が同時に目を覚ましました。

 

「………一緒に目が覚めるなんぞ珍しいことだな」

「はい、おはようございます」

 

肌寒い朝です。厚手の毛布にくるまった二人は、向かい合わせのままお互い眠そうに朝のあいさつを交わしました。

 

筋骨隆々で浅黒い肌の店主はむくりと立ちあがり、改めて肌を包んでくる冷気にほんの少し肩をすくめます。

 

「一気に寒くなったな。もう冬が来るぞ」

 

言いながらベッドの少女の方を見ます。

寒そうに毛布から出てこようとする少女に、

 

「何だったら今日はそのまま寝続けてもいいぞ。今日は店を開けずにゆっくりしてぇからよ」

「お休み、ということですか……?」

「まぁそうだな。この部屋でゴロゴロする日だ」

 

店主はしゃべりながらも服を着替え、いつものジーパンに厚手のトレーナーを着こみました。

またタンスから何やら引っ張り出して、少女のほうへ放ります。

 

「一応それ着とけ。あったかいぞ」

 

ニット生地の上着でした。店主のものなので少女には大きすぎますが、身体をすっぽり覆うので保温性は抜群です。

 

「あ、ありがとうございます」

「おうよ。さて……飯にするか」

「あ、て、手伝います!」

 

少女は自分の白い寝巻の上からニットセーターを羽織り、慌ててベットから降りようとしますが、店主はそれを手で制しながら、

 

「いらねぇよ別に。俺一人で十分だ」

 

と冷蔵庫から梨を取り出しました。

 

金髪の少女が手伝うといったのは、ご主人様だけに用意をさせるのが嫌だったからではありません。

 

(また甘いご飯になっちゃう……)

 

割と切実な悩みだったので自分で何とかしようとしているだけでした。

ですが座っていろと言われれば座っているしかありません。少女は複雑な心境の中、顔には出さないように努めてテーブルに着きました。

 

数分して出てきたのは、カットされた梨と紅茶でした。梨には何もかかっておらず、紅茶にはミルクだけ入っていました。どちらも砂糖が使われていません。

 

相当に甘すぎる食事を覚悟していた少女は目の前の皿を見て少なからず驚き、そして店主はその表情の変化を見逃していませんでした。

 

「やっぱりか」

「……?」

 

店主のつぶやきに首を傾げた少女。

強面の店主は白い歯を少し見せながら、後ろ頭をバリバリとかいて続けます。

 

「実は昨日、おめぇと同じくらいの年頃の奴と飯を食ってな。フルーツサンドっつう甘いサンドイッチなんだが、まぁその……嬉しそうに食うんだわ。そんで思ってよ、おめぇはなんであんまり嬉しそうに食わねぇのかって」

「ご、ごめんなさい……」

「いや待て、怒ってるわけじゃねぇよ。まぁなんだ、ちと考えたら俺はお前に甘いものしか出してねぇと思ってな」

 

店主も自分の紅茶をもってテーブルに着き、少女のほうをまっすぐに見ました。

 

「俺は甘いものが好きでよ。食うものは甘いに越したことねぇと思ってんだ。でもそれは俺の場合であってお前がそうとは限らねぇからな」

「あ……」

「だからよ、今日は部屋で休むって言ったが気が変わった。市場でお前の食いたい物を買って、好きなだけ食う日にしよう」

「えぇ、あ……はい……」

 

目を白黒させている少女の内心は慌てふためいていました。

見透かされたかのように、しかもすべて当たっている店主の言葉に戸惑いを隠せません。

 

数えるほどしか一緒に食事をとっていないのにそこまで気が付かれていることにも驚きでした。

 

そして何より、自分の心持ちが不安定でした。

昨日の今日で、です。

 

金髪の少女は、自分を守るために銃を手にしようと考えていました。

出される食事が甘いものばかりなことに、何か裏があるんじゃないかと勘ぐっていました。

 

それが、一夜明けた朝食でこの状況です。

 

ほんの少し、ほんの僅かだけ、金髪の少女の心で何かがチクリとしました。

 

(なんで、こんなに……)

 

良くしてくれるのか。

 

心の隅に湧き、ふっと走ったその情念は、しかし一瞬にして消え去りました。

 

(ちがう。良くしてくれているんじゃない。信じちゃだめだ)

 

金髪の少女の目にともりかけた光が、すぐに消えてしまったその変化を、店主はしっかり見ていました。

 

 

 

 

朝食を食べ終えた二人は外行き用の服に着替えます。

 

店主はジーパンにトレーナー、黒い外套と黒いハット。

少女は白いワンピースに黒いカーディガンを羽織っていますが、

 

「それ、寒いだろ」

「正直に言ってもいいですか……?」

「あぁ」

「寒い、です」

 

正直に言いました。

店主は市場の前に服屋へ行くことに決め、服屋への道中は店主の上着を少女に貸すことにしました。

 

大きすぎる黒い外套に包まれた金髪の少女は、トレーナー一枚しか着ていない店主を申し訳なさそうな顔で見上げます。

 

「本当に、いいんですか?」

「なにが」

「その、私なんかが、ご主人様の上着を借りるなんて……」

「俺は頑丈だがお前はひ弱だ。風邪ひかれちゃそっちのほうが迷惑だ、と言えば納得か?」

 

確かにそうかもしれないと思い、少女はおとなしく強面の店主の後についていきました。

 

 

 

 

「あら、いらっしゃい。またそんな服を着させていったいどんな趣味をしてらして?」

「急に冷え込んできたから服装に困ってんだ。なんでもいいから暖かいやつを着させてやってくれ」

「はいはい」

 

服屋の店員は肩をすくめながら店の奥へと入っていき、厚手の、それでいて軽い素材のジャケットを持ってきました。

 

白を基調としながらところどころに黒いフリルの着いた、暖かさとかわいらしさを同調させた上着です。

 

「これなんてどうかしら? 白のワンピースには合うわよ」

「何でできてんだそれ」

「企業秘密よ。よそ様には作れないものですわね。だからこそオススメしますわ」

「そうか」

 

強面の店主は金髪の少女のほうを向き、買うかどうかはお前が決めろといったそぶりで背中をそっと押してやります。

 

「え、えっと……かわいい、です」

「あらあら、じゃあきまりね。もう着ていく?」

「あぁたのむ。このあと市場へ行くんだ」

「果物屋ではなくて? 砂糖が切れたのかしら」

「ちげぇよ、今までこいつには甘いもんしか食わせてなかったからよ。なにか食いたいものがあったら食わせてやろうと思ってな」

「それで市場に。でも一ついいかしら」

「なんだ」

「市場で買ったものは調理しないと食べられないわよ」

「あ」

 

大事なことに今更気が付いた強面の店主に、服屋の店員は心底あきれた顔でため息をつきました。

つきながら、視線の隅で金髪の少女が上着を嬉しそうに撫でているのを見て、まぁいいかと思うことに決めました。

 

 

 

 

市場改め、目的地はレストランとなりました。

 

「わりぃ、俺は料理がとんとできねぇんだ」

「でも、用意していただいているご飯はとってもきれいですよ」

「ありゃ料理とは言わねぇんだ」

「そうなんですか……」

 

果物を切って砂糖なりハチミツなりを掛けただけのものなので、そこはなんとなく少女にもわかりました。

 

しかし、物心ついた頃からの食事を考えると、少女はまともに調理された料理というものを数えるほどしか食べていません。

そして意図的にその記憶はなくしているので、もはや〝料理〟というものがなんなのか、イマイチぴんときていませんでした。

 

当然、レストランというものも、店主がこれから行くところだという知識のみで、そこがなんなのかはわかっていません。

 

「……ご主人様」

「なんだ?」

「〝れすとらん〟って、何をするところなんですか?」

 

人通りの多い目抜き通りを歩きながら、おずおずと少女は店主を見上げて質問します。

 

「飯を食うところだ。ちょうど昼時だし俺も腹がすいてきたからな」

「お昼ご飯を食べるところ……ですか?」

「まぁそんなところだ」

 

よくわかりました。ご飯を食べるところのようです。

少女は皿に乗った硬いパンや茹でただけの野菜を思い浮かべながら、店主の後をてくてくとついて行きました。

 

 

 

 

「ご注文がお決まりでしたらお呼びくださいー?」

「おう」

 

店員が持ってきたメニュー表を見ながら、店主はどれにしようかと考え始めます。

 

一方金髪の少女ですが、渡されたメニュー表を見ても、

 

「……?」

 

なんて書いてあるのか読めません。

 

どうすればいいのかわからず困った少女は、一度店主のほうを見ますが珍しく店主はこちら側を観察している様子がなく、食い入るようにメニューを見ています。

 

(あ……これ、もしかして私は食べちゃいけないやつかな……)

 

店主に心を開いたつもりではありませんでしたが、しかし無意識のうちに、自分が奴隷であることを少女は忘れかけていました。

 

ここにきてあまりにも自分の態度が図々しいものだったと思い返します。

 

服を買ってもらい、寝床を用意してもらい、ごはんまで与えてもらっているのに、私はその食事が気に入らないなどと言ってしまった。

 

なんてことをしたんだろう。奴隷の分際でありえない。

 

(でも、どうしたら……)

 

ちがう。

 

ちがう、そうじゃない。

 

私は奴隷だから。ご主人様のモノだから。

でも、だから、何もしないんじゃない。

 

もう前のようにつらい目に合わないために、誰も信じず、自分だけを信じる。

人に何かされることを喜んだりしない。

ここに来たのもきっと、服を買ったのもきっと、私が気を許したのを見計らって酷いことをするためだから……。

 

(……)

 

読めないメニューを握る手は、いつの間にか小さく震えていました。

 

そして。

 

朝感じた、チクリとした胸の痛みが自分を襲ってきます。

目の前の筋骨隆々とした、これまで一度だって自分を殴らなかった強面の店主を、彼のことを疑うたびに、針を刺すような胸の痛みが襲ってきます。

 

彼は一度でも殴ったでしょうか。

彼は一度でも怒鳴ったでしょうか。

 

少女の記憶には、目の前の浅黒い強面の店主の本当に怖い姿など、欠片もありません。

 

(それでも、私は……)

 

疑うの? 本当に?

ずっと? いつまでも?

 

ご主人様を信じれば、裏切られた時にもう戻れなくなる。

信じなければいい。でも、いま、すごく胸がチクチクする。

 

自分は一体何を考えているのか。どうしたいのか。

それすらもわからないまま、しかし金髪の少女は考えることをやめられませんでした。

 

「注文、いいか?」

 

唐突に、強面の店主の声が少女の耳に響きます。

店主は手を挙げながら、先ほどの店員を呼んでいました。その声に現実へと引き戻された少女は、ひとまず考え事をやめて顔をあげます。

 

「ご注文どうぞー?」

「これとこれ、それからこっちも頼む」

「かしこまりましたー?」

 

イントネーションのおかしい奇妙な店員はすたすたと奥へ入っていき、その様子を目で追っていた店主は少女のほうに視線をやりました。

 

「文字、読めねぇだろ?」

「はい……」

「本当はお前の食いたいものを食わせてやりたかったんだけどな。メニュー表には文字しか書かれてねぇから、俺もどんなのが来るのかわかんねぇんだわ」

 

だからまぁ、楽しみだよな。と快活に笑う店主を、少女は複雑な目で見ています。

 

後悔、疑い、戸惑い、困惑。それらがない交ぜになり、少女自身、自分が今何を思っているのかわけがわからないまま、視線はテーブルに落ち、無意識のうちに肩を震わせていました。

 

 

 

 

「お待たせしましたー?」

 

数分後。

 

いつもよりも暗い表情のまま視線を落とし続けていた少女と、その様子を黙って見守っていた店主のテーブルに、先ほどの店員がやってきました。

 

大量の料理をふらふらと運んできた奇妙な店員は、手際よくテーブルに並べるとすたすたと立ち去っていきます。

 

「……え?」

 

テーブルには、色とりどりの、スープからサラダ、鶏肉、牛肉、豚肉のステーキ、ハンバーグ、お米、パン――――どれもおいしそうな香りを漂わせ、店主と少女の挟むテーブルに余すところなく広がっています。

 

目の前の光景に、少女は目を丸くして、

 

「なん……ですか? これは……?」

「なにって、飯だ。好きなだけ食え。何食ってもいいし、何なら全部食ってもいい」

「あ、あの、でも、こんな……」

「胃が小さくてたくさん食えねぇならいろんなモンをちょっとずつ食べてみな」

「あ、え…………」

 

金髪の少女は言葉を失いました。

 

「肉はナイフとフォークで食うんだぜ。切ってやるから、フォークで食べな」

 

奴隷の少女は、店主からフォークを受け取りました。

 

「野菜やスープからいくのが本来なんだが、細けぇことは気にすんな」

 

店主がさっとステーキをカットし、少女の目の前に置いてやります。

 

「いい所の牛肉だ。さぁ、熱いうちに食った方がいい」

 

そう言われ、おずおずと少女は口へ運びます。

 

「ほら、な。美味いだろう」

 

店主はニカッと笑いながら、

 

「――――やっとその顔を見せてくれたな」

 

少女に聞こえない声でそう呟きました。

 

 

こんがりと焼けたステーキを頬張っている少女は、嬉しそうに笑っていました。

 

金髪の、今は光の灯った瞳を持った元奴隷の少女は、たしかに嬉しそうに笑っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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6日目 「ガンショップの奴隷(下)」

強面の店主のもとへ金髪の少女がやって来た日から6日目の夕方。

 

太陽は美しいオレンジ色となり、ちりばめられた雲とともに空を染め上げています。

町の家々は明かりをともし、街路上は柔らかな街灯で照らされ、空と煉瓦道の茜色がきれいなコントラストになりました。

 

冷たい風があたりをさっとなでる中、街の人々は帰路へ着いたり、あるいは仕事帰りに一杯かけたり、中にはこれから仕事の人もいるのでしょう。

 

そんな中に二人の姿はありました。

 

筋骨隆々とした浅黒い肌に笑う子も泣き出す強面の顔。黒い外套を着こんだ齢40を過ぎる禿頭の店主。

 

細身に少しくすんだ金髪、可愛らしい白のワンピースと上着を羽織った、快活な笑みを浮かべる少女。

 

二人は、さながら休日の買い物から帰る親子のように、にこやかな表情で夕闇迫る街道をゆっくりと歩いていました。

 

「なぁ」

「はい! なんですか?」

「風呂行かねぇか。なんだかんだで行ってねぇからよ」

「お風呂ですか? 私、入ったことがないのでどんな場所なのか知らなくて……」

「どーんと湯があってだな。まぁ……行きゃあわかる。いいところだぞ」

「はい!」

 

二人並んで歩く姿に、この関係が、元奴隷とその主人だったなどとは誰も想像できません。

 

金髪の少女はやめました。自分の主人を疑うことを。

 

信じて心を開いても、裏切られたら今度こそ耐えられない。

少女はずっとそう考え。どこへ行こうと、誰に買われようと決して信じないと決めていました。

 

それがまるで嘘のような、明るい笑顔を浮かべられたのは、少女の知るところではありませんがガンショップ店主の作戦でした。

 

店主は、医者の元奴隷――――シルヴィとの話の中で、商談に使うようなスキルで金髪の少女の心を開くのはやめておこうと思っていました。

 

ですが、商売に関わる考えを捨ててしまえば店主には何も残らないのもまた事実であることに、店主本人がすぐに気が付きました。

 

医者は医者らしい方法でシルヴィを奴隷から解放した。

 

ならば。

 

商人は商人らしい方法で、つまり俺のやり方でこの子を救い出すべきだ。

 

腹の決まった熟練の商売人は緻密かつ正確な作戦を立て、どうすれば金髪の少女が〝心からの感情〟を見せてくれるのかを考えました。

 

そうです。〝心からの感情〟でよかったのです。

 

それがたとえ恐怖であったり、恨みであってもかまわないと店主は決めていました。

 

(結果的には最高の出来だったな)

 

少女から引き出せた〝心からの感情〟が、あの笑顔なら。

光の戻った瞳なら。

 

店主の作戦は大成功です。

 

(まぁ、それでもここからだ。この子はいま〝信じてみよう〟と決めただけだ。信じ切ったわけじゃねぇ。そしてここで俺が裏切るようなことがあれば、こいつは間違いなく壊れてしまう。)

 

だからこそ期待に応えてやるし、俺もこいつを守ってやれる。

 

強面の店主は偽りのない少女の笑顔を、守り切る自信がありました。

なんせそれを望むのは店主自身です。要するに、仲むつましい普通の夫婦の関係です。

 

「ご主人様」

 

考え事をしていた店主はいったん思考を外へやり、少女のほうを見ました。

 

「どうした?」

「えっと……また、正直に言ってもいいですか?」

「おう、遠慮すんな」

「…………捨てないでくださいね」

 

〝何を〟〝だれを〟は一切言いませんが、少女はそれだけ言いました。

 

十分に店主には届いています。

 

 

 

 

「ここが風呂屋だ。大衆浴場ってのが正確な名前だけどな」

「おぉ~」

 

目を見開いた少女は、目の前の建物を見上げています。

高い煙突が特徴的なレンガ造りのそれは、この町でも一位二位を争う大きさの建築物です。

 

「入るぞ」

「はい!」

 

金髪の少女は元気よく返事をして店主の後について行きました。

 

中に入るとそこは広場になっており、カウンターと、男湯女湯に分かれる通路が続いています。

 

店主はカウンターへ行き、

 

「大人一人と子供一人。着替えとタオルも頼む」

「かしこまりました」

 

必要なものを買って金髪の少女のほうへ向き直りました。

 

「さて……入ってから気が付いたんだが、風呂屋には男湯と女湯ってのがあってだな」

「おとこゆ? おんなゆ、ですか」

「あぁ。そのまんまだが男湯には男が入るし、女湯には女が入るんだ。そんでおまえなんだが……」

 

そこまでいって少女の表情が変わったことに気が付きました。

先ほどまでの快活な笑みは徐々に消えてしまい、今にも泣きそうな、不安に塗られた表情が見え隠れし始めます。

 

「……いっしょに入るか」

 

ぱぁ、と花の咲いたように明るくなった少女を見て、店主はひとまず胸をなでおろしますが別のことを心配し始めました。

 

 

 

 

「俺から離れるなよ、いいな」

「あ、はい……」

 

脱衣所へ着いた二人ですが、ここは男湯の脱衣所です。

中にはちらちらと女性もいますが、それは女性というよりは女児で、要するに小さな子供を親が連れている形です。

 

夕暮れ時ですからちょうど人も増えてくる時間帯でした。その辺のことを考えていなかったと、店主は今更になって後悔します。

 

金髪の少女の年齢はギリギリアウトな感じです。この年なら一人で女湯に入れるはずです。

 

少女自身、やや恥ずかしそうに頬を赤らめていますが、打って変わって内心ではそんなことどうでもいいと思っていました。

店主から離れたくない。物理的に離れてしまうのが怖い。

 

なぜそう思ってしまうのか少女にははっきりとわかりませんでしたが、とにかく今は離れたくない。

だからこそ多少の恥ずかしさなど気に留める事ではありませんでした。

 

強面の店主はざっとあたりを見回し、とりあえず自分の服を脱いでから、大きめのバスタオルを取り出して金髪の少女に渡しました。

 

「服脱いだらそれを体に巻き付けな。男どもに肌を見せるなよ」

「はい」

 

一瞬、店主は言葉を間違えたかと思いました。

なにせ少女は傷だらけです。それを他人に見せるんじゃないという意味で取られてしまわないかと思いましたが、少女は別にそんな風にはとらえていませんでした。

 

手際よく服を脱いでタオルを巻きつけると、二人は浴場へ入ります。

 

「わぁぁぁぁぁぁ……わぁぁぁぁぁ!!」

 

そこには少女の知らなかった世界が広がっています。

 

湯気の立ち込める広い空間と、暖かな空気が肌をやさしく包み込み。

耳朶を打つのはそこかしこから聞こえる湯の音と、洗面器が置かれて鳴る〝かぽーん〟という音。

活気づく人の話し声とその様子が、ありありと目に飛び込んできます。

 

また湯船の種類も多彩でした。

 

大人数が一度に入っても余裕のある大きなものから、一人用のくつろげるもの。奥のほうには何やら小部屋もあります。

ブクブクと泡の立つものや、手すりの組み入った湯船まで。

それはもう、どうやって入るのか想像のできないものもあります。

 

「すごいですね、すごいですね! ご主人様!」

「ま、普通の家にはねぇところよな」

 

ガンショップ店主の家には風呂がありませんが、一般家庭にはあるところもあります。

ですがこうも広い浴場はそうそうないでしょう。

 

「もう一度言うが、俺から離れるなよ」

「はい、離れません。絶対に」

 

なぜ先ほどからそう繰り返すのか少女は気になってましたが、浴場に入ってわかりました。

 

視線が集まっています。奇異の目で見られていることに少女も気が付きました。

店主から離れれば何が起きるのか、なんとなく想像がつきました。

 

 

 

 

二人は一緒に身体をあらい、頭を洗い、少女はタオルを付けたまま移動します。

その間にじろじろと見ようとする者もいましたが、となりのマッチョで恐ろしい顔の人物に気が付くと誰もが目線をそらしました。

店主がいるだけで安全そうです。

 

二人はまず一番大きな湯船につかりました。

入るときには少女もタオルを外し、さっと湯船に身体を隠します。

 

「うぃ~」

「はぁぁ~……これが、お風呂なんですね……溶けちゃいそうです……」

「いいもんだよな。うちにもほしいんだが、二階に作るのは大変でな」

「あ、でも私はご主人様に背中を拭いていただくの、とっても気持ちいいですよ?」

「そいつはよかった」

 

にかにかと笑いながら店主はあたりを見回して、次はどこへ入ろうかと考えます。

 

「ご主人様」

「どした」

「あれ、あれなんですか? あの部屋です」

 

少女が指さした先には小部屋がありました。

木製の板で囲まれたそこはドアが一つだけで、そこから人が出入りしています。

 

「ありゃサウナだ」

「さうな?」

「部屋の中全体が熱くてな。汗をかいて、かいた汗を冷水で流すところだ。これがまたなかなかいいんだぜ」

「は、はいってみてもいいですか?」

「おう、んじゃ行ってみるか」

 

二人はサウナへと向かいました。

 

 

 

 

ドアを開けて入った瞬間。

 

金髪の少女を、体験したことのない熱気が包み込みました。

 

「――――けほっ」

「鼻から息吸うと苦しいからな。口で吸って口で吐くんだ」

「わ、わかりました」

 

言われたとおりにやってみると、なるほど確かに大丈夫そうです。

 

小さな部屋の中には木造のベンチが並べられており、数人の男性客が座っています。

少女が入ってきたことに最初こそ驚きますが、皆特に気にしない様子でした。

 

「あつい、ですね」

「これがサウナだ。体力を持っていかれるからな、出たいと思ったらすぐに言うんだぞ」

「はい」

 

店主は長時間入っていても大丈夫ですが少女は別です。

 

木製のベンチに腰かけて、タオルが徐々に汗で張り付いてくるのを感じつつ、少女は初体験のサウナを存分に楽しみました。

 

五分ほど入っていると、

 

「ご、ご主人様……もう出たいです」

「おう」

 

二人そろってサウナを後にし、すぐ横の水風呂から桶一杯の水をくみ上げて頭からかぶります。

その時の恍惚とした少女の顔に、店主は連れてきてよかったと思いました。

 

その後、薬草風呂や泡風呂を堪能した一行は、日がとっぷりと暮れたころに風呂屋を出て、ガンショップへと帰路につきました。

 

 

 

 

就寝前。

 

ガンショップの二階はテーブル上のランタンに照らされており、その周辺を柔らかなオレンジ色が温かく包みます。

窓の外では明るい月が浮かんでいる、そんな静かな夜でした。

 

少女は白い寝巻に着替え、店主もゆったりとしたTシャツとズボンを身に着けます。

 

風呂でしっかりと洗った少女の金髪は見違えるようにきれいになっていました。

艶やかな金髪がちゃんと乾いていることを確認し、店主は少女を先にベッドへ寝かせます。

 

「ご主人様? 一緒に寝ないのですか?」

 

毛布の中から不安げな声音で聞いてきた少女に、店主は苦笑しながら答えました。

 

「寝るさ。だがまぁその前にやっとかなきゃならねぇことがあってな」

「?」

「おまえ自身の事なんだが」

 

その言葉に少女は起き上がり、すぐ横に立つ店主を見上げます。

 

瞳を向けられた店主は言葉を促されていることに気づき、そのまま続けました。

 

「お前の名前、聞いてなかったよな」

「あ……」

 

出会い、寝食を共にして6日間。

ここに来てやっと店主は少女の名前を訊きました。

 

店主はわざと尋ねていませんでした。

目の前のこの子が本心から接してきた時に、その時こそ名前を訊き、名前で呼ぶべきだと。

 

それが今です。

今日、あのレストランで少女の瞳に光が戻ったことを確信し、この日の終わりに訊こうと決めました。

 

一方少女ですが自分が名乗っていないことに今更ながら気が付きます。

思い返せば自分から名乗るべきタイミングは、自分の心を守るために放った言葉で埋められていました。

 

「おまえ、名前は?」

 

訊かれた少女は大きな瞳をうれしそうに細め、満面の笑みで答えます。

 

「〝アイビー〟と、両親から名付けられました」

「…………ん?」

 

一瞬、店主は首をかしげましたが目の前の少女――――アイビーは気付きませんでした。

 

「両親からもらった、大切なものです」

「あぁ、いい名前だな」

 

しかし店主は何事もなかったかのように笑顔で、何度もうなずきました。

そしてゆっくりと、今度は自分の名前を告げます。

 

「〝ソカー〟だ。昔はソカー・フォン・シュミットって名前だったが、いまは貴族でもなんでもねぇから、ソカー・シュミットって名――――」

「え?」

 

店主が言い終わる前に、アイビーは表情が固まったまま、そう大きく漏らしました。

震える声で訊き返します。

 

「ご主人様……名前、〝ソカー・シュミット〟って、本当ですか……?」

 

その問いに、こんどこそ店主も顔をこわばらせました。

 

「なぁ、アイビー」

「……はい」

「お前、奴隷になる前の、ファミリーネーム覚えてるか」

「…………〝ガルシア〟です」

 

アイビー・ガルシア。

それが金髪の少女のフルネームでした。

 

そして店主はその名前に聞き覚えがありました。

いえ、それどころか。

 

「俺は、12の時に親を亡くして、そんな俺を拾ってくれた行商人一家がある。俺はそこで商業を教えてもらい、15年前に独立した」

「…………」

「――――俺を拾ってくれたのは、ガルシア家だ」

 

アイビーの目は瞬く間に揺れ、こらえきれなかった涙が頬を伝っていきました。

 

店主も震える声で続けます。

 

「俺が独立する三年前、ガルシア家に長女が生まれた。そいつは」

「アイビー……ガルシア、ですね……?」

 

アイビーは耐え切れず滂沱の涙を流しながら、ソカーに飛びつき、その胸のうちで泣き続けました。

 

いつまでも、泣き続けました。

 

 

 

 

 

 

 



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エピローグ 7日目 「ガンショップ店主と奴隷の新生活」

――

――――

――――――○――――――

 

 

今から三十一年前。

ソカー・フォン・シュミットという少年は、わずか12歳で両親を亡くしました。

 

貴族であった彼の家は、派閥争いで敵対していた者に焼かれ、少年の両親は少年をかばい命を落としました。

 

少年は命からがらその場を逃げましたが、貴族の子とはいえ着の身着のまま、12歳の子供では何もできません。

 

身分の証明もできず。

手持ちのお金もなく。

職を探す力もなく。

 

彼は町の端で死を待つだけでした。

旅の行商人一家が彼を救わなければ、明日を迎えることはありませんでした。

 

彼は、生涯を行商人一家――――ガルシア家に捧げると決めました。

 

月日は立ち。

 

ソカーはガルシア家の商業技術を受け継ぎ、商人として十分にやっていける腕を持ちながらも、ガルシア家のため共に旅を続けていました。

 

彼が25歳の時。

 

ガルシア家に一人娘が産まれます。

名をアイビー・ガルシアとつけられた彼女は、美しい金髪と整った相貌を持つ、聡明な女の子でした。

 

ソカーはよく遊んでやりました。アイビーもまた、彼のことを慕い、本当の兄妹、あるいは親子のように接していました。

 

その三年後。

 

ソカーが28歳の時。

 

ガルシア家は何の前触れもなくソカーを勘当しました。

形式上はガルシア家からの追い出しでしたが、ソカーに落ち度はありません。

 

彼は、ガルシア家が取引で痛手を受けたことを知っていました。

そのままガルシア家に残れば多額の負債を共に抱えてしまい、ソカー本人の未来は無きものとなる。

 

ガルシア家は彼を守るために、無理やり独立させました。

勘当の意図を知っていたソカーは何とかしてガルシア家を助けようとしましたが、商売が軌道に乗ってきた30歳の時、ガルシア家は消息を絶ちます。

 

負債を巻きなおせたのか、それとも逃げ切ったのか、いずれにせよソカーからは確認の取れない状況となり、次第に彼の心の中から、ガルシア家への憂いは薄れていきました。

 

真相はガルシア家の全滅でした。

父、母、そしてアイビーの三人は奴隷として落とされ、別々に買われました。アイビーが5歳の時です。

 

 

――

――――

――――――○――――――

 

 

「じゃあなんですかい。マスターとあいつ……アイビーは知り合いだったと」

「そうなるな」

 

町の一角、ちいさな喫茶店で二人の客が話をしていました。

 

片方は筋骨隆々の浅黒い肌。体躯は2メートルを超す強面の人間。

齢40を過ぎるガンショップの店主、ソカー・シュミットです。

 

一方は中肉中背。年は50に近く怪しい雰囲気が絶えない男。

目深にかぶった帽子を取ろうとしない、自称しがない商人です。

 

「十五年前に生き別れた義理の兄妹を、今度は奴隷として迎え入れる……世界は一等狭いものですね」

「俺もそう思うぜ」

 

ニヒルに笑う怪しい商人は、手を挙げて店員を呼ぶとメニュー表から二つ三つ品を頼みました。

 

「以上ですねー? かしこまりましたー?」

 

どこかで見たイントネーションのおかしい店員が奥へとすたすた去って行くのを待って、商人はソカーへずっと気になっていた質問をします。

 

「にしても、どっちかが気付きそうなもんですがね。十五年前とは言え、少なくとも三年は一緒にいたんでしょう?」

「アイビーは当時3歳だ。逆算して今……18歳か」

「まったくそうは見えませんがね。12、3歳ぐらいかと」

「そこだよ。年と見た目も合わねぇし何より15年もありゃ顔は変わる。まぁ、どっかで見たような気はしたが、まさかアイビーだとは気づかねぇよ」

「えぇ、確かにそうですね」

「おまたせしましたー?」

 

紅茶とケーキを持ってきた店員に一言礼を言って、二人は手元のカップに口をつけます。

 

ソカーは生クリームのたっぷり乗ったシフォンケーキに、砂糖とミルクを入れたミルクティー。

商人は濃い目のブラックコーヒーと濃厚な味のチーズケーキです。

 

適当に口へ運んでからひと段落すると、今度はソカーから切り出します。

 

「なんにせよ、今後の俺の方針が決まった」

「ほう?」

「店は火薬屋の若い息子に任せて、俺とアイビーは旅に出ようと思う」

「……なるほど。ですが生きているとは限りませんぜ。とくに父親のほうは」

「わかっている。生きていれば俺が助けるし、死んでいればその確認も必要だ。いずれにせよ、俺の命の恩人を救わずして、俺の生きる価値はない」

「大層なことです。私もマスターにはひいきにしてもらっている身、できることは少ないですが必要な時には言ってください」

「あぁ」

 

 

 

 

金髪の少女、アイビーがガンショップにきて一週間。

 

七日目の深夜、店の前には一台の馬車が止まっていました。

 

大きな幌付きの荷台には、商品である武器を中心に弾薬や雑貨、日用品が詰め込まれ、それ一台でキャラバンとして十分に商業ができるものです。

 

「はぁ、これ別にあたしがいかなくてもいいんじゃないかしら?」

「俺は操舵と商談、お前は護衛。アイビーは家事。ちゃんと役割があんだよ」

 

馬車の前には二人の人間が立っていて、何やら話をしています。

一人はこの店の元店主、ソカーです。

 

もう一人は数日前にここを訪れた、露出の多い服装をした商隊護衛の女でした。

 

ガンショップの前に他の人は見当たらず、アイビーの姿もありません。

 

「まぁいいわ、きっちり報酬が出ればあたしは満足だし」

「前の商隊はどうしたんだ?」

「待遇悪いから抜け出してきたのよ。マスター……って、もうマスターじゃないわね」

「銃売るのは変わねぇから、べつにそれでもいいぜ」

「そう、じゃあマスターで……そんで、マスターが旅に出るっていうから、鞍替えしたのよ」

「だよな? お前から言いに来たんだよな?」

「こんなに武器積むなんて聞いてないわよ。マスターだって戦えるんだからあたし必要なくない?」

「商談しながら自分とアイビーと商品を同時には守れねぇだろ」

「あぁ……そう言われればそうね」

 

納得したのか、女は腰のホルスターをそっと叩き、自信に満ちた顔でソカーを見上げます。

 

「まぁ、任された以上はきっちり守るわ」

「腕は期待している」

「期待以上の仕事になるよう努めるわね」

「おまたせしましたー!」

 

深夜のため控えめの声量ながら、アイビーの元気な声がガンショップの入り口から聞こえてきました。

 

「これで全部か?」

「はい、必要なものはこれで全部だと思います」

 

両手に抱えた紙袋には、アイビーの服とソカーの小物がいくつか入っていました。旅に必要なので忘れないように持っていこうとまとめていたものです。

 

それらを荷台へ乗せると、アイビーは女に気が付き、

 

「あれ? お姉さん、あの時の」

「数日ぶりねお嬢ちゃん。なんかずいぶんきれいになっちゃって、お姉さんびっくりしたわ」

「えへへ……」

 

照れ笑いを浮かべるアイビーに、女は近づいてかがみこみ、視線を合わせました。

 

「自己紹介がまだだったわね。レミア・アンダーソンよ。レミィって呼んで」

「アイビー・ガルシアです。えっと……アイビーって呼んでください。よろしくお願いします!」

 

ぺこり、と頭を下げたアイビーとそれをほほえましく見ているレミィに、ソカーは後ろから声を掛けました。

 

「そろそろ出るぜ。夜の間に街はずれまで行って、明日の早朝には隣町で商売だ」

「はい!」

「了解」

「え?」

 

アイビーが目を丸くしています。

 

「レミィさんも行くんですか!?」

「そうよ? 言ってなかったっけ」

「わぁ……! じゃ、じゃあ、てっぽうのこと、聞いてもいいですか!」

「ええ、もちろん。自分の身くらいは自分で守れるようになって頂戴ね」

 

レミィの言葉に「いらんこと吹き込むなよ……」とソカーが呟きますが、レミィは無視して、アイビーは楽しそうに笑っていました。

 

 

 

 

 

 

 

そこそこ大きな国のそこそこ大きな町に、一台の馬車が走っていました。

 

時刻は深夜。馬車には三人の人間が乗っています。

 

一人はその馬車の主。筋骨隆々とした巨躯の持ち主。黒ひげ強面の元ガンショップ店主。

 

一人はその馬車の家事担当。細く小さな体にきれいな金髪の持ち主。整った相貌のかわいらしい少女。

 

一人はその馬車の護衛。細身ながらも引き締まった筋肉の持ち主。美しくも強そうな女性ガンマン。

 

三人を乗せた馬車は明るい月闇のなか、静かにゆっくりと走っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

――完――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




○あとがき○

半分エタっていました(汗)

かれこれ一年近くですか。
受験期真っ最中に息抜きを……などと無謀な考えで始まったこの作品。当初は完結させるめどもなく、事実エタる寸前で放置しておりました。

そして最近は忙しく、また指のケガから活動そのものがしんどくなって「ちょっと休憩ちょっと休憩」を繰り返すうちにだんだん書けなくなってしまい、結果的には長期放置となってしまいました。

それが、先日感想欄からコメントをいただき、待ってくれている方がいる。読みたいと言ってくれている方がいる、ということにハッとさせられ、なんだか勢いで書いてしまった感じです。

作品の完成度としては如何ほどかわかりませんし、よく考えたら私が人生で初めて完結させた作品になっちゃいます。

一応完結という形にはなっていますが、ソカーもアイビーも(ついでにレミィも)キャラクター的にまだまだ描き切れていない感満載なので、実生活との調子を見つつちまちま書いていくかもしれません。
そうなると旅の様子かな…………?
ただでさえ『キノ○旅』が見え隠れする世界観ですがそこに旅となるともう……(ボソッ


――以下、小ネタ――


・名前について

ソカー →ドイツ語で「砂糖」の意味。また「フォン」は世界史的に貴族の称号。「シュミット」はドイツ語で「鍛冶屋」を指すファミリーネーム。

アイビー →花の名前。花言葉は「信頼」。また「ガルシア」はスペイン圏で最も多い苗字。つまりガルシア家はもともとスペイン出身。(物語の舞台はドイツをイメージしていますが、旅の行商人なので遠いところからきているんです)

レミア →どうしても愛称が「レミィ」になるようにしたかった。

また、物語序盤~中盤に誰一人として固有名詞を出していなかったのは「登場人物の心が通って初めて名前で呼び合える」というソカーの信条を物語全般で表そうと思ったからです。ここは書く前からはっきりと決まっていました。(なおシルヴィは原作キャラクターなのでその対象から外れます)


・食べ物のあつかい

実は「ソカーが甘党」「アイビーが肉食」というのはこの物語のスタートから書きたかったことなのですが、十分に書き尽くせないと思い「アイビーの心が百八十度変わる転換点にしよう」となりました。


・旅エンドにした理由

奥の手(作者)は『キノの旅』という本が好きです。どんな内容かというとひたすら主人公が旅をする話です。(かなり大雑把な紹介文)
そこに少なからず影響を受けていますし、そもそも物語の雰囲気がまんま『キノの旅』っぽいですから、クロスオーバーしちゃっても違和感が仕事しないレベルなんです。
要するに旅エンドにすると今後の話が広がりやすくてなんかいいなと思ったからです。にっこり。


○最後に○

細々と書いていた(途中音沙汰すら消していた)この作品ですが、応援してくださった方、感想を書いてくださった方、読みたいと励ましの言葉を贈ってくださった方、それらすべてが私のエネルギーとなりました。ひとえにその応援のおかげで完結っぽいところまで持っていけた、と言えるでしょう。
心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。













たぶん続き書きます。


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蛇足編
蛇足編 「盗賊の町(上)」


まえがき

お久しぶりです。奥の手です。
『ガンショップ店主と奴隷との生活 ―てぃーちんぐ・のーまるらいふ』をご愛読いただき誠にありがとうございます。
たくさんの方から感想、コメント、メッセージ、評価をいただきまして、またふとランキングを見た時に日間7位となっておりました。正直に申し上げますとうれしすぎてその日は寝つけず、最近の早朝の冷え込みを直に肌で感じた次第です(訳・うれしすぎて風邪ひきました)

さて、ここにきて前書きらしいことを述べていこうと思います。以下の通りです。

○ 本編を飛ばして蛇足編を読むことはお勧めしません。作者の能力的に「蛇足編から本編という流れでも読めるようにする」という書き方に自信がないからです。(「いや別にワシはかまわんよ!」 という猛者はこのままお進みください。ありがとうございます)

○ 蛇足編ですので「全体としての明確な完結」は期待できません。なんというか……ビジョンが見えないんです……すみません。小話ごとの内容はきっちりさせます。

○ 本編ほどしっかりとした統制はせず、あくまで蛇足編として自由な空気を出していきたいと思います。主にクロスオーバーについてですが大雑把に計画しています。そしてもちろん、クロス先の作品を知らなくても楽しめるよう心がけます。(むしろクロス先の作品が読みたくなるような、そんな物語にしたいなぁと壮大な夢を抱いております)



皆様のご期待に添えられる様な作品になるかはわかりませんが、私本人が楽しんで書いています事、伝われば本望かと思います。

それではどうぞ。



蛇足編 「盗賊の町(上)」





「ここらの草は寒さに強くてな。冬でも青々としてるんだ」

「なるほど、これが草原ですか!」

「ちとちげぇがまぁ似たようなもんだな」

 

凛とした冷たい空気の中、一台の馬車がのんびりと進んでいました。

 

左右に遠く見える山々は山頂を白く染め、抜けるような青い空にきれいなシルエットを描いています。

 

馬車は土を踏み固めた一本道をのろのろと進んでおり、その道を囲うのは足首ほどの高さの草原です。

底冷えする冬にふさふさと生い茂る明るい緑は、この馬車の主、ソカー・シュミットの言うとおり冬に強い植物でした。

 

町を旅立って二週間。

 

外はすっかり冬になり、一行の移動した距離もそこそことなりました。東の方角へ進んでいますがあたりは山に囲まれており、行ってしまえば都市部というより田舎のほうへ進んでいます。

自然豊かな旅路と言えば素敵なものかもしれません。

 

「ここらへんだな。休憩にするか」

「はい。じゃあ昼食の用意をしますね」

「おう頼む。おーいレミィ飯だぞ」

「はいはい聞こえてるわよ」

 

荷台からの応答と同時にソカーは馬を草原へ進ませ、土の道から馬車をどかせます。

御者台にはアイビーとソカーが並んで座っていましたが、馬車を止めるとアイビーは飛び降りて、小走りで荷台から調理セットと椅子を取り出します。

 

「俺はちっと休憩するぜ」

「見張りは必要かしら?」

「俺の顔を見張るってか。危険だと思うなら見張ってろ」

「四六時中目が離せないくらい危険だとおもうわ。あなたの顔が」

「言ってろ」

 

御者台で大きく伸びをしたソカーはのっそりと降りると、すぐそこの草にムキムキの巨躯を横たえて、浅い眠りに入りました。

 

「人っ子一人いない草原よ。見晴らしもいいし、警戒するほどでもないわね」

 

ひとりごちたレミィはすたすたと歩き、アイビーのほうへと向かいます。

 

季節は冬の初め。

あたりはすっかり冷たい空気が立ち込めていますが、レミア・アンダーソン――――レミィの服装は軽いものでした。

さすがにショートパンツとタンクトップといった苦行装備ではありませんが、ジーパンに白の長袖シャツ、軍用のブーツだけといった動きやすい服装をしています。カウボーイハットはかぶっていません。

 

背中の中ほどまで伸びた茶髪は毛先に若干の癖があり、薄いシャツ越しにわかる細いシルエットと相まって、妙齢の雰囲気が漂っています。

 

「アイビーちゃん、何か手伝うことある?」

「あ、レミィさん! すみません、あそこの箱を取りたいんですが背が届かなくて……」

「まかせて」

 

荷台の高いところに積まれていた木箱を、背伸びをしながら取ろうとしていたアイビーですが、10センチほど手が届いていませんでした。

 

アイビーよりもずっと背の高いレミィは楽々と木箱を取って、笑顔でアイビーへと渡します。

 

「ありがとうございます!」

「いいのよ。ほかに何か取って欲しいものとかあるかしら?」

「いえ! この調味料でそろうのであとはお任せください!」

「そう、じゃあ銃の手入れでもしてるわね」

 

アイビーは荷台から少し離れたところで火をおこし、干した肉をあぶる準備に取り掛かりました。

 

「よっと」

 

幌付きの荷台、その後方に腰かけたレミィは、自分の身長の半分ほどの大きさのライフルを手に取って、その中程(なかほど)から手際よく分解していきます。

 

ただ、視線はちらちらとアイビーのほうを向いています。手元の作業はまるでついでかのように、アイビーのほうに注意を向けていました。

 

黒い長ズボンに厚手の鼠色トレーナーを着込んだアイビーは、服装こそかわいらしいものではありませんでしたが、ちょこまかと動く様子にレミィの頬は自然と緩みます。

 

「ほんっと、かわいいわねあの子」

 

小さな声でつぶやきながら、レミィは手元のライフルに油をさしていきました。

 

 

 

 

もともとアイビーは料理ができませんでした。

それは、料理というものがなんなのかを知らなかったというのもありますし、意図的に豪華な食事を記憶から排除していたせいもあります。奴隷になる前の記憶も例外ではありませんでした。

 

しかしソカーとの食事。

肉やスープ、サラダを目の当たりにした今の彼女には、料理というものがどのようなものかしっかりと頭に入っています。

 

「うまそうだな……」

 

その結果、アイビーは一行の胃袋をすっかりつかんでしまいました。

 

肉のおいしそうな脂と香辛料の香りに目を覚ましたソカーは、のそのそとアイビーのもとにやってきて自然とそう漏らします。

 

「もう少し待ってくださいね。火力をあげて表面をカリカリにしますから」

「すげぇな……」

「えへへ」

 

一流レストランで出せる、というとすこし言いすぎですが、二流やファミリーレストランでは目玉商品にできるほどの腕前にはなっていました。

 

 

 

 

絶妙な焼き加減の程よくスパイシーな肉。それとキノコで作ったスープが出来上がると、一行は輪になって各々食べ始めました。

 

骨付きのそれをしっかりと持ったアイビーは、ど真ん中からかぶりつきます。

表面をカリッと焼き上げ、中はホクホクとした肉、しかし噛めば噛むほど閉じ込めた肉汁があふれるそれを、口いっぱいに満面の笑みで頬張(ほおば)りました。

 

「相変わらずうまそうに食いやがる」

「はっへ、ほんほうひ――――」

「飲み込んでからしゃべるんだ」

「はひ」

 

嬉しそうにかじっては飲み込み、かじっては飲み込んで時々スープをすすって再びかじるアイビーを、残りの二人も胃袋を満たしながら笑顔で眺めました。

 

 

 

 

「そろそろ出るが、アイビーはどうする? また前に座るか?」

「あ、いえ、今度は後ろにします! 読みたい本があるので」

「おう。レミィは?」

「あたしも後ろで」

 

レミィとアイビーが荷台へ乗ったのを確認して、ソカーは馬車を進めました。

 

前と後ろにどこまでも続く草原の中、一本だけ走っている茶色い道。踏み固められただけのそこを、三人を乗せた馬車がのんびりと進みます。

 

荷台ではアイビーが本を開いて静かに読み、レミィはまた別の銃を整備していました。

 

「…………」

 

整備していますが、ちらちらと、本を読むアイビーのほうへ視線が動きます。

 

(…………この子、字が読めないはずなんだけどなぁ。まぁ、気にすることじゃないか)

 

降って湧いた疑問ですが文字通り、レミィは気にも留めずアイビーの観察兼銃の整備に意識を向けました。

 

 

 

 

「ふぅ……おもしろかった」

 

お日様がそこそこ傾いた頃。

馬車の荷台に小さく、そんな声が響きました。

 

「お? 読み終わったのか」

 

御者台と荷台の間には仕切り板があり、そこが開けられてソカーの声が届きます。

 

荷台の端ではライフルを抱えたレミィが座り込み、葉巻をふかしてボーッと景色を眺めていましたが、二人のその声に視線だけ反応したようです。

 

「はい! 最後のほうの理論はちょっと分からなかったのですが、〝かわせ〟についてはちゃんとわかりました」

「あぁ、信用創造のところはめったに使うもんじゃねぇから今は気にしなくていい。五冊目読破おめでとう」

「ありがとうございます!」

 

二人のやり取りを聞いたレミィは表情には出さず、()ました様子で後方の景色を見ていますが、内心は大嵐でした。

 

(えええ、どういう事かしら!? しんようそうぞう? かわせ? あたしでも何のことかピンと来ないのにこの子何言ってんの? っていうか字読めるの?)

 

「マスター、次の町ってどんなところなんですか?」

 

レミィは心底気になることができてしまいましたが、本人に直接聞く前に話題が移ってしまったようです。仕方がありません。聞くのはまた今度です。

 

「次の町はな、ちぃとばかし良くねぇところなんだ」

「よくない、ですか」

「なんでも盗賊が定期的にカモにしているらしくてな。町の周りに城壁まで作ってるって噂だ」

「へぇぇ……でも、盗賊さんって城壁までは超えられないんじゃ」

「やつらは身軽だからな。夜の暗がりを上手に使って町へ忍び込むんだ。んで、金目の物を取ってトンズラする」

「城壁意味ないじゃないですか……」

「誰もが思ってるぜ」

 

微妙な顔をしたアイビーとニヒルな笑みを浮かべるソカーに、レミィは声を投げました。

 

「それちょっと古い情報だわ」

「ん?」

 

御者台からソカーが振り返ります。すぐに前を向きましたが、興味がそそられたのか弾んだ声で訊き返します。

 

「そりゃ本当か?」

「えぇ。盗賊団は数か月前に潰されたそうよ。ただ、その潰した組織が今度は問題になってるわ」

「組織? 討伐隊が動いたとかか」

「だったら良かったんだけど、戦争屋崩れの敗残兵が寄せ集まってできた集団なのよ」

「うっわ……」

「え? え? レミィさん?」

 

ひとり、話についていけないアイビーがレミィのほうへ向き直ります。

 

「えっと、盗賊さんはいないんですよね?」

「そうよ。今じゃその〝盗賊さん〟より好戦的で強い集団がはびこってるの。まぁ、わかりやすく言うと〝平気で人を殺すやつら〟ね」

 

それを聞いたアイビーの顔が不安の色で染められますが、レミィには予想通りの反応でした。すぐに続けます。

 

「でも大丈夫よ。そいつらは数か月に一度しか動かないらしいし、この馬車とアイビーちゃんを守ることくらい造作もないわ」

「俺は入ってねぇのかよ」

「体長2メートルを超えた筋肉山が、だれに守ってほしいって?」

「それもそうだな」

 

くすくすと笑うアイビーに、レミィもつられて静かに微笑みました。

 

 

 

 

「レミィさんて、昔から商隊の護衛をしていたんですか?」

「いいえ、もともとは国軍の指揮官だったわ」

「こくぐん?」

「そうね……旅の間お世話になるし、あたしの身の上話くらいしてあげてもいいかしら」

「あんま変なこと話すなよ」

「そんな変な人生じゃないわよ失礼ね」

 

どこから話そうかしら……、と宙を見るレミィに、アイビーは食いつくような視線を向けます。興味津々といった様子でした。

 

「そう、とりあえず15歳の時に家出したわ。原因は何だったか忘れたけど、家が嫌いだったのは間違いないわ」

「家が……家族が嫌いだったんですか?」

 

開口一番からアイビーにとっては衝撃的な内容でしたが、レミィはそれに気が付いている様子ではありません。

 

「えぇ、あたしにとって家族は鎖でしかなかったの」

「そうですか……」

「あくまで〝あたしにとって〟だからね、アイビーちゃん。だからそんな悲しそうな顔しないで」

 

言われたアイビーは自覚していませんでしたが、肩を落としたような表情をしていました。

家族のぬくもりをわずか5歳で奪われたのですから、当然と言えば当然の反応です。レミィもそのことに気が付いたのでうまくフォローをして、話を続けました。

 

「それからあたしは海を渡ってこっちの大陸に来たの。家を出るときに持って行った銃があってね、どこだったか忘れたけど狩りをして生計を立ててたら、たまたま軍のヘッドハンティングにかかってお呼ばれしたわけ」

「じゃあ、それがきっかけで軍隊に?」

「そう。それもチンケな民間風情じゃなくて正規の国軍にね。あ、国軍の意味は分かるかしら?」

 

前後の話からそれが何であるか、なんとなくわかったアイビーはそのことを伝え、続きを促しました。

ソカーも御者台から何度か振り返り、レミィの話を聞いているようです。

 

「で、それが確か16の時ね。そのあと一年で上位組織の部隊に入ったわ」

「入隊一年で昇進かよ。何したんだ?」

「あたし射撃は昔から得意だったのよ。早く大量に正確に当ててたらすぐに昇進したわ」

「わかりやすいな」

「あたしもそう思う。まぁそんな感じで、上位部隊入隊後もあたしは手を緩めなかったし結果も出していったわ。で、気が付いたら部下がたくさんいたのよ」

「何人くらいだ?」

「直属は千人前後ね」

「マジかよ大隊長クラスじゃねぇか。じゃあ階級は――――」

「少佐よ。18の時」

「なんなんだこいつ」

「史上最年少とかって言われたけど、どうでもよかったわ」

 

本当に、心底どうでもよさそうな顔でそう語ったレミィに、アイビーが質問をします。

 

「でも、そんなに凄いのにやめちゃったんですよね?」

「まぁね。なんというか、あたしには合わないなぁって思ってきたの。階級が上がると実際に戦場で撃つ機会は減っていく一方だし、書類提出とか情勢報告とか本当に面倒だった」

 

その面倒さを思い出したのか、顔をしかめながらゆっくりと首を振ったレミィは、手元のライフルに視線を落とすと微笑みながら撫でました。

 

「やっぱりあたしは銃を撃つほうが向いてるって思ったのよ。だから20歳になった時に自主除隊して、この職に就いたってわけ。今年で五年が経つわね」

「デスクワークや部下を従えるようなタマには見えねぇもんな」

「バカにしてる?」

「事実、頭使うのそんな得意でもねぇだろ。二年も見てりゃわかってくる」

「まぁその通りなんだけどね」

 

苦笑して肩を揺らすレミィは、ひとしきりするとアイビーのほうをまっすぐに見て言いました。

 

「こんなだから、戦うことと守ることに関しては信頼してくれて結構よ。あなたたちは絶対に死なせないわ」

 

 

 

 

「あれだな」

 

太陽がだいぶ傾き、空が茜色に染まりだしたころ。

草原の緑がオレンジ色に変わる中、地平線の向こうに何やら塊が見え始めました。

 

「あれが城壁ですか?」

「おうよ」

「アイビーちゃん、これで見てみる?」

「はい!」

 

レミィから望遠鏡を受け取ったアイビーは、荷台と御者台を仕切る板の間から、馬車の揺れに転ばないように気を付けつつ望遠鏡をのぞきました。

 

前方五キロほど先。

たしかにそびえたつ灰色の城壁が、弧を描いて佇んでいるのが見えます。

 

「日が落ちる前に壁まではいけるだろうが、中へ入れるかは怪しいな」

「その場合町のすぐ脇で野宿ね。一晩中警戒することになるから、あたしは今のうちに寝とくわ」

「おう。アイビーも、何があるかわかんねぇから今のうちに寝とけ」

「わかりました!」

 

 

 

 

太陽は西の空へ沈み、わずかに残った残滓が空を淡く染める中、一行を乗せた馬車は城壁にたどり着いていました。

 

「ようこそ、わが町へ」

 

旧式のマスケット銃を背中に背負い、腰にはサーベル、手には槍を持った門番がソカーに一礼して話しかけます。どこか疲れた表情を浮かべています。

 

「入町でしょうか?」

「まだ入れるか」

「えぇ、ギリギリですが手続きはすぐに終わります」

「じゃあ頼む」

 

門番の言う通り数分で門は開き、ソカーの操る馬車はゆっくりと町の中へ入っていきました。

 

入ってすぐ右手には詰め所があります。その先は馬車2台分、つまりすれ違えるだけの広さの道が町の中心部へと伸びていますが、あまり人影は見えません。

 

ソカーは詰め所の近くで、外にいた門番と同じような格好の人間を見つけました。若いです。彼も門番でしょう。

そしてやはり疲れているように見えます。

 

「ちょいとそこのあんちゃん」

「はい。何でしょうか……」

「近頃この辺は物騒だと聞くが、あんちゃんのその重そうな装備は何に使うんだ?」

「ご想像のとおりかと思われます。ここから山を5つ超えたところで大規模な戦闘があり、その敗残兵がこの近辺に居座ってしまったのです」

「どおりで重武装なわけだ」

「24時間体制で城門を警備しておりますが、この一か月で二度も襲撃されています」

 

なるほど外の門番も目の前の若者も疲れた顔をしているわけです。

 

レミィの情報とも違っていました。数か月に一度しか動かなかったというのはどうやら過去の話で、今では頻繁に襲撃されているようです。

 

(運の悪い……しかし引き返すのも悪手なんだよなぁ)

 

前の町で買い付けた武器は、何かと物騒なうわさの立つこの町では高値で売れるものでした。情勢が変わっているとはいえ売れるのであれば売りたいものです。

 

ソカーはそのいかめしい顔に苦悶の色を浮かべ、続けて質問しました。

 

「一番最近の襲撃はいつだった」

「ちょうど一週間前でしょうか……ここの門が破られ、周辺の家々から金品が略奪されました」

「門が破られたのによく町が奪われなかったな」

「はぁ……それは、まぁ、何とか防げたといいましょうか……」

 

言葉を濁す若者にソカーは違和感を感じました。

 

(ふつう自分のトコの軍隊が敵を追い返したら、もうちっと自信もって話しそうなんだがな)

 

商人の勘でしょうか、まだ聞きたいことはありましたが完全に暗くなる前に宿を取らなければいけません。

あまり時間がありません。

 

「まぁ、いいか。大変だろうがしっかりやってくれ。お前さんの背負ってるものは矛じゃなくて盾だからな」

「は……え……?」

「そのうちわかるさ」

 

〝守るものがあるほど戦う人間は強くなる〟

 

という教えでしたが、例外がすぐ後ろの荷台で寝ているのを思い出してソカーは複雑な気持ちになりました。

 

 

 

 

すっかり日も落ちて、あたりは街灯の弱々しいオレンジ色で照らしだされる頃。

一行は馬車を止められる宿屋に着きました。

 

古く黒ずんだレンガで作り上げられるこの町は、よく言えば歴史ある、悪く言えば古臭い町でした。

 

それは宿屋も例外ではありません。

馬車を預け、やや大きめの部屋を一つとったソカーたちは、だいぶ使い込まれてヘタってしまっているベッドに腰かけながら一息つきます。

 

荷台の商品はこの町の商会に預けました。旅の行商人の商品を一手に管理する組織であり、別の町にも同じ名前の商会があります。いわゆる支店というやつで、この町にもその一つがありました。

 

「何はともあれ、数日ぶりのベッドだな」

 

三人が入ると少し手狭に感じるこの部屋には、ベッドが二つしかありません。ソカーとアイビーはいつもくっついて寝るので問題はありませんが、あまり大きなものでもないので少し窮屈そうです。

 

ただ、地面に寝袋を敷いて寝たり、荷台の堅い床にマットを敷いて寝るよりは幾分かマシですから、誰も文句なんて言いませんでした。

 

「マスター、おなかがすきました」

「おう、そうだなアイビー。通りがてら酒場があったから、そこでなんか食えるだろう。レミィはどうする?」

「あたしは寝とくよ。万が一襲撃が来たらコトだしね。ここで番しとく」

 

ホルスターに収めた二丁のパーカッションリボルバーを枕元に置き、ボルトアクション式のライフルをベッドに立てかけると、レミィはそのままごろんと横たわりました。

 

「んじゃ、行ってくる。後は頼むぞ」

「はいはい、おやすみ」

「おやすみなさい、レミィさん」

 

 

 

 

町は中心部にもかかわらずあまり人が出歩いていませんでした。

街灯として吊るされているランタンの、暗いオレンジ色と相まってこの古臭い路地はなかなかの雰囲気を出しています。

 

「特に何もねぇと思うが、万が一のためだ。俺から離れるなよ」

「はい」

 

二人は来る時に見かけた酒場を目指して歩き、しばらくするとたどり着きました。

 

中に入ると人はあまりおらず、とてもにぎわっているような様子はありません。

 

「仕事の終わり時、ほかの町なら一番客が集まる時間帯だ。それでこの閑散っぷりか」

「流通が止まっているのでしょうか?」

「あり得るな。略奪沙汰で支払い能力の落ちた所に、分かっててものを売るアホはいねぇ――――っと、メニューはこれか。お前も好きなの頼みな」

「ありがとうございます!」

 

カウンターの椅子に座りながら、まるで商人同士がするような会話を交えて、ソカーとアイビーはそれぞれメニュー表を眺めはじめました。どちらも文字しか書いていません。

 

「じゃあ、私、この〝ビーフストロガノフ〟っていうのにしてみます。ビーフってことは牛のお肉を使ってるんですかね?」

「そうだな、肉を煮込んだ料理だ。元は北のほうの国のメシらしい」

「楽しみです!」

「俺は……あぁ、これにするか」

 

そうしてアイビーはビーフストロガノフ、ソカーはフルーツパフェとレモネードを注文しました。

 

 

 

 

「お待たせしました。ビーフストロガノフとフルーツパフェです」

 

給仕の女性は料理を持ってくると、アイビーのほうへパフェを置きました。

 

「あ、ねぇちゃんそりゃ俺のだ」

「はい――――えァッ? あ、はい、申し訳ございません」

 

一瞬驚愕の表情を浮かべて何やら変な声が出たお姉さんでしたが、すぐに真顔に戻ってそれぞれの前に料理を置き直しました。

 

黒ひげ禿頭筋肉ムキムキのマッチョマンが晩飯にフルーツパフェを食べるとは誰も思いません。お姉さんは悪くないでしょう。

 

給仕の女性が去ったあと、アイビーは心配そうに訊きました。

 

「マスター、あまり甘ものばかり食べていると体調を崩しませんか?」

「大丈夫だ。むしろ元気になる」

 

いったいどんな体の構造をしているのかアイビーはとても気になりましたが、かすかな遠い記憶、アイビーがまだ奴隷になる前のソカーの食事も、よくよく思い返せばこんなものばかりだったような気がします。

 

(いやでも私が作る料理くらいはせめて健康的なものにしよう……そうしよう)

 

固くアイビーは決心しました。

 

 

 

 

食事を終えた二人は宿へと帰ります。来た時と同じ道、ランタンの不気味な光と仄暗いレンガの道です。

 

あたりに人影はちらほらとしか見えず、夜も相まって気分が沈んでしまいそうですが、打って変わってアイビーとソカーはご機嫌でした。

 

「おいしかったですね! マスター!!」

「あぁ、てっきりひでぇもんだと決めつけていたがそんなことは無かった。流通が止まっているようでもねぇしな」

「お肉がとっても柔らかかったです!」

「そいつはよかった。作れそうか?」

「味も見た目もばっちり覚えました。何度か試させていただければ、作れる自信があります!」

「ぜひ頼む」

「任せてください!」

 

にこにこと満面の笑みでうなずいたアイビーと、同じく黒ひげの口角を嬉しそうに上げたソカーは、薄暗い街道を明るい雰囲気で歩き進めます。

 

「ところでマスター」

「おう、どうした」

「次に読む本なんですがどうしましょう? 何を読んだらいいですか?」

「そうだな……為替と流通と貨幣は読んだし……まぁ、自分が読みたい本を読めばかまわねぇんだが」

「どんな本が良いのかまだよくわからないんです」

「だよな。んじゃあ今度は文学作品でも――――」

 

ソカーが言い終わる直前。

腹の底から響くようなけたたましいサイレンが、町中からあふれかえりました。

まるで地獄の開放を警告するかのような、嫌に危機感をあおってくるそのサイレンに、アイビーはたまらず耳を押さえます。

 

「チッ、最悪だ――――こりゃ襲撃か何かの警告音だ! アイビー、走るぞ!!」

「は、はい!!」

 

今にも泣きだしそうな顔で怯えていたアイビーは、ソカーの丸太のような腕に一瞬で抱えられ、その場を去りました。

 

 

 

 

「レミィッ!」

「起きてるわよ。趣味の悪い目覚ましだこと」

 

蹴破る勢いで部屋の扉を明けて入ると、レミィはそんな軽口をたたきながら迎え入れてくれました。

しかしその表情は真剣そのもので、手にはボルトアクション式ライフルを抱えています。

 

「十中八九、野盗どもの襲撃よ。どうするつもり?」

「逃げようったってそうはいかねぇよな。何とかして馬車と商品を守る」

「つまり商会へ行くってこと?」

「とりあえずそうだ。もし統制が敷かれて外出できねぇなら――――」

 

レミィの目が変わりました。

ソカーが言い終わるより前に、彼女はたった今ソカーとアイビーが入ってきた扉に向けてライフルを構えます。一瞬です。

 

「撃たれる前に姿を現しなさい。そんな扉じゃ紙も同然よ」

「ひ、ひい! 頼む、ううう撃たないでくれぇ!!」

 

レミィに言われるや否や部屋に転がり込んできたのは、赤いチョッキを着た中年の男です。整えられていない髭がまるで盗賊か何かのような不潔感を醸し出しています。

 

「五秒時間をやるわ。つけて来た理由を話しなさい。5――――」

「ま、まってくれ! 悪さをするためにつけたんじゃない!」

「4――――」

「おおお、俺は、ボスに言われて!」

「3――――」

「この町を守る手助けを呼べって! 今日町に入ったやつらが使えるからって!」

「2――――」

「あああ、あんたら、武器商人だろ!? いい武器持ってんだろ! 助けてくれって!!」

「1――――いいわ。城壁まで案内しなさい」

「へ?」

「一刻を争うのよ。アホ面晒してないで早く案内しなさい。一番近い道を使って」

「わ、わかりましたぁ!」

 

赤いチョッキの男はがくがくと体を震わせながら部屋から出ていき、レミィはソカーのほうを振り返ります。

 

「って流れになったわね」

「おうよ。どうするつもりだ?」

「とりあえず現状を把握してくるわ。どうにもならなさそうだったらここに戻ってくるから、アイビーちゃん連れてすぐに逃げられる準備をして」

「任せとけ。戻らなかったときは?」

「なんとかできてるわ。その時はゆっくりコーラでも飲んでていいわよ」

「了解。おまえの分はどうする」

「ビールで」

「あいよ」

 

二丁のパーカッションリボルバーを腰のホルスターに入れて、ボルトアクションライフルを肩に担いだレミィは、そのまま颯爽と走り出ていきました。

 

部屋の中。

 

外では尋常ならざるサイレンが鳴り狂い、ところどころから大口径の銃声が聞こえてきます。

ランタンのオレンジで照らされた室内には、二人の人間が居ました。

 

「さて、夜逃げの準備だ。銃よし、靴良し、コーラは……あぁ、下の荷物の中だな。頃合いを見て冷やしとくか」

 

浅黒い肌のもりもり筋肉。いかつい黒ひげに恐ろしい顔のウェポンディーラーと、

 

「……えっと、マスター? 何があったのかよくわからないので、教えてもらってもいいですか??」

 

目を点にして固まっている、金髪碧眼のかわいらしい少女だけが、静かに取り残されました。

 

 

 

 

 



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蛇足編 「盗賊の町(下)」

長らくお待たせしました。続きです。


「なるほど……ね」

 

青白い月が夜のとばりに降りかかり、弧を描く灰色の城壁を薄く照らすような、そんな明るい夜の中。

てんでバラバラに立って、旧式のマスケット銃をめちゃくちゃにぶっ放している衛兵を見て、レミィは呆れた様子で呟きます。

 

「配置もなく、連携もなく、統制やカバーも考えない。町のおまわりさんはそろって無能ってわけね」

 

自分のボルトアクションライフルを肩からおろし、ボルトを開いて初弾を込めて。

予備の弾倉も忘れず持ってきていることを確認して、ひとしきりの射撃準備が整うと、レミィは再びあたりを見回しました。

 

そこそこ高い城壁の上。

馬車がすれ違えるくらいの、つまり人が動き回るには十分な幅のある城壁の上には、弾除けや射撃装置、弾薬の詰まった木箱などが配置されていました。

その間を縫うように、赤い軍服に身を包んだ衛兵たちが、慌てふためいた様子で走り回っています。

 

「彼らがあてにならないのはわかったけど……奴らは何者?」

 

レミィが目を細める先。

ここまで案内してくれた無精ひげの男と同じような、赤いチョッキを身につけた男たちが、城壁の上にほんの少数ですがちらほらと見えます。

レミィは彼らが何者なのか、なぜ衛兵と同じように城壁の上にきているのか、とても気になりました。

 

息を切らしている案内役の男に振り返り、質問を投げかけます。

 

「あなたたち、何かの組織でしょ? 何者か言いなさい」

「お、俺……ぜぇ……ぜぇ……俺たちは、この町を守ってる……ぜぇ……傭兵みたいなもんだ」

「傭兵がこの程度の距離を走ったくらいで息切らしてどうするのよ」

「俺はちげぇんだ……ぜぇ……書類仕事担当なんだよ……」

 

そういうと座り込んでしまった男に幾分かあきれたレミィですが、もう一度あたりに散らばる――否、計画性のある配置をしている赤いチョッキ集団を観察します。

 

どう見ても素人ではありません。

城壁の外にいるであろう外敵の予測位置に対して、あえて正面の狙いやすいところを避けて左右に戦力を配置しています。

少数戦力が最大限火力を活かせる、いわゆる〝不意打ち〟を狙った配置でした。

 

(傭兵風情が〝事務処理〟の必要な作戦を立てている……? なんか薄気味悪いわね。まぁ、後でマスターに知らせとこう)

 

とりあえずその疑問は後回しにして、レミィは望遠鏡を取り出しながらそっと城壁の外側の様子を伺います。

 

高い視点から望む、月明かりに照らされた草原はキレイな景色でしたが、その地平線の向こう側。

薄く土煙をあげながら、けっこうな数の騎馬兵がこちらに向けて走ってきているのが見えました。

 

「多いわね……まぁでも、あの程度なら」

 

ボルトアクションライフルを構えます。敵はまだ射程内に入っていません。

 

「ふぅー…………」

 

深く息を吐きだして、片目をつむってスコープを覗きます。

 

黒い十字線だけのシンプルな照準に、先頭の男の頭をとらえます。しっかりと、とらえます。

 

そのまま数秒後。

 

――――敵が、射程内に入りました。

 

ばがんッ!

 

腹の底に響き、夜の空に消えていった発砲音とほぼ同時に。

 

「……」

 

スコープ越しの男の頭が、一瞬にして消えました。

 

着弾を確認するや否や、レミィは目にもとまらぬ速さでボルトを操作。次弾を薬室に詰め込みます。

 

「ふぅー……」

 

肺にある空気を一度すべて吐き出して、それから少しだけ息を吸い。

 

ばがんッ!

 

前から二列目にいた男の頭を飛ばします。

主が居なくなった馬は、徐々に失速し、来た道を優雅に戻っていきました。

 

ばがんッ!

 

ばがんッ!

 

ばがんッ!

 

――。

 

――――。

 

――――――。

 

「…………」

 

撃っては給弾。撃っては給弾を繰り返し。

弾倉内の弾を撃ち尽くすとすぐさま装填。

再び撃っては給弾。撃っては給弾を繰り返すこと計3回。

 

合計射撃回数32回。

 

月明かりに照らされた草原には、主を失った馬が32頭、むしゃむしゃと優雅に草を()んでいました。

 

赤いチョッキを着た男たちは、レミィの様子を、ただただ遠目に見ていました。

 

 

 

 

「報告は以上よ。ビールもらうわね」

「おう」

 

先ほどまでのサイレンが嘘だったかのように、静まり返った古臭い町。その一角。

 

古びた宿屋の二階の一室、オレンジ色の暖かな光に満たされているその部屋で、三人の人間が飲み物を片手に話していました。

 

柔らかい生地の黒ズボンに白いセーターを着たアイビーは、コーラ瓶を片手に。

いつものジーパンに黒のトレーナーを着たソカーはレモネードを片手に。

同じくジーパンに白のブラウスを着たレミィはビールを片手に。

 

へたり込んだベッドに腰掛けて、ひざを突き合わせていました。

 

「にしても妙な連中だな。赤いチョッキの奴ら」

「ええ。というか、この町自体がなんか変よ。外敵を片づけて1分もせずに警戒を緩めるし。衛兵はびっくりするほど役立たずだし。その衛兵は赤いチョッキの連中と関わりたくないようなそぶりだったし。なんなのかしら」

「謝礼の話とかなかったのか。ほとんど一人で片づけちまったんだろ?」

「それなんだけど」

 

ビールを一口傾けたレミィは、さも疑問気な表情で口にします。

 

「明日、あたし一人で町の端にある建物に来てくれって。住所はこれね」

「おまえ一人でか」

「えぇ。……あら、もしかして心配してくれるのかしら?」

「誰の心配をするって? 死神め」

「ありがとう」

 

ハッハッハッ! と豪快に笑いながらレモネードの瓶に口を付けたソカーでしたが、ひとしきり笑うとまじめな顔つきで、アイビーとレミィに視線を合わせました。

 

「…………冗談抜きで、すぐにこの町を出るぞ。とっととズラからねぇと何かやばい」

「でも、前の町で買った商品を売らないと赤字になりますよ?」

 

心配そうな顔で聞いたアイビーに、苦い顔でソカーが答えます。

 

「仕方がねぇ。赤字じゃすまねぇ可能性もあるからな。まぁ別のところで稼ぎゃいいってもんよ」

「じゃあ、レミィさんの謝礼も……」

「行く必要ねぇ。ガン無視して、商会の開く時間になったら預けた荷物もっておさらばだ。レミィ、それでいいか?」

「いいわよ。どうせお礼ってのも、あたしの欲しいものじゃないでしょうし」

「ほう、何が欲しいんだ?」

 

ソカーは興味を持った様子で質問しましたが、返ってきたのは、

 

「ふかふかのお布団と温かいシャワー」

 

 

 

 

翌朝。

 

太陽が顔を出し始めるよりも少し前。

レンガ作りの古びた町には朝もやがかかり、それをほんのわずかな太陽の光が照らし出しています。

 

ひんやりと肌寒さの感じる宿屋の一室で、アイビーが毛布にくるまったまま、少しだけまぶたを開けました。

 

「……ます……たー? おはようございます」

「おう、おはよう」

 

すでにソカーは起きており、外に出るための身支度も済ませているようでした。

その後ろではレミィが、自分のホルスターをいじっています。

 

「もしかして私、寝坊しちゃいましたか……?」

 

小さな声でそう言いながら、アイビーはゆっくりと起き上がりました。

でもまぶたが徐々に降りて来ます。まだまだ眠たそうです。

 

「いや、寝ててもいいぞ。商会が開くのはもっと後だしな」

「……? でも、なんで、着替えて……?」

「一応な。お前を抱えて逃げ出す必要があるかもしれねぇし」

「!」

 

一瞬で目を見開いたアイビーは、今度こそしっかりと覚醒し、ベッドから降りました。

 

「そんな、私だけ寝ているなんてできません! すぐに着替えます!」

「いやまぁ一応の警戒だからそこまで切羽詰まっているわけじゃねぇぞ」

「でも、です!」

 

手際よく寝巻を脱ぐと、昨日の夜も身に着けていた柔らかい素材の黒ズボンと白いセーターを着こみ、アイビーも出発の準備が整いました。

 

太陽が完全に顔を出したころ。

 

町にはちらほらと人の姿が見え始め、散歩をする者や巡回の衛兵、店開きの準備をする者が現れます。

 

一行もこれから宿を出て、馬車に乗って商会へ行こうとしていました。

 

「忘れ物はねぇな?」

「優雅な町滞在を忘れてるわね」

「ハナから持ってねぇよ」

「また来た時に、というのはどうでしょうか?」

「いつになるやら……」

「えへへ、そうですね」

 

ボルトアクションライフルは麻布に包まれ、その他荷物も一つにまとめられたのを確認すると、ライフルと荷物はソカーが、部屋の鍵をアイビーが持ちました。レミィは手ぶらです。

 

「そいじゃ行くか」

 

ソカーが言ったその時でした。

 

こんこん、と控えめに、部屋のドアがノックされました。レミィが右手でリボルバーを抜き、ゆっくりとドアの前に立ち、

 

「どちら様?」

 

まるで出のいい貴族のように、丁寧な口調の返事をしました。しっかりと銃口を向けています。

言葉の優雅さと見た目の物騒さで、何とも言えない状況です。

 

「ごめんくだせぇ、昨日の謝礼の件であがらせていただきやしたぁ」

 

随分と口調にクセのある男の声がします。昨日この部屋に来た男とは違っていました。

 

「謝礼? 何の事かしら」

「そりゃあねぇですぜお嬢さん。しかとその腕、この目で見させていただきやした。ぜひ、お連れさんも一緒でいいですから、ボスのところに顔出してくだせぇ」

「…………」

 

レミィの表情が険しくなりました。ソカーとアイコンタクトをして、ドアの前にソカー、部屋の奥にアイビー。レミィは部屋の端にあるガラス窓から、外の様子をそっと伺いました。

 

囲まれています。

赤いチョッキを着た連中があからさまに通りを歩いており、向かいの建物の二階にも、チョッキこそ着ていませんがこの部屋をちらちらと見ている者がいます。

 

レミィはドアの前に立ち、

 

「ご丁寧にお迎えまでくれるのね。謝礼は期待してもいいって事かしら?」

「受け取ってもらわなきゃ困るんでさぁ。まぁ、確認はすんだようですし、そちらに〝ついてくる〟以外の選択肢、ないんじゃありやせんか?」

 

レミィの目に一瞬殺気が宿りましたが、ソカーが優しく肩を叩き、首を横に振ったので、いつもの様子に戻りました。

 

「どうしやす? もう出られますか?」

「えぇ、一分待ってくれるかしら」

「かまいませんぜ」

 

レミィとソカーはドアから離れ、アイビーも近くに寄せて小さな声で話し始めます。

 

「どうしようかしら?」

「どうもこうも囲まれてんだろ。ついて行くしかねぇよ」

「どう考えても罠よ? 道中で片づけるって手も、なくわないわ」

「町の中で騒ぎはマズい。腐ってても衛兵は追ってくる」

 

レミィも納得したのか、一度うなずいてアイビーのほうを見ます。

 

「アイビーちゃん、これを渡しておくから、もしもの時にはためらわず使うのよ。教えた通りに」

「は、はい…………なるべく、使わなくて済むように祈っています」

「えぇ、それが一番なんだけどね」

 

レミィは腰のポーチから小型のリボルバー拳銃を取り出して、アイビーに渡しました。

 

そうこうしているうちに一分が経ちました。

三人はドアを開けて、そこにいた男の案内で、朝もやの残る街の中を歩いていきました。

 

 

 

 

「いやはやようこそ! 我が商館へ」

 

城壁に囲まれた町の、端っこのほうの一角に、その建物はありました。

白い壁が緑のツタに侵食され、ろくに手入れされていないのか、ところどころに苔が生えています。

 

高さは三階建て。城壁の影がちょうど一日のうちの大半をその建物にかぶせているせいで、この区画はひどくじめじめした空気でした。

 

そんな建物の入り口。木造の二枚開きになっている扉の前で、神経質そうな目をした男が立っています。

濃い紫の燕尾服に真っ赤なネクタイ。白みがかった髪をオールバックにし、レンズが一つしかない片眼鏡をかけていました。

 

男は、決して本心などではない貼り付けた笑みを浮かべながら、続けてソカーに話しかけます。

 

「馬車と荷物は向かいの建物へお入れください。倉庫になっております」

「おう」

 

白い手袋をした手で指さされた方向を見つつ、ソカーはなるべくぶっきらぼうに返事をしました。

 

馬車と商品を倉庫に入れ、ここまで案内役としてついてきた赤いチョッキの男に再び先導されながら、一行は三階建てのじめじめした商館へ入っていきました。

 

中は薄暗くこれまた湿った空気ですが、しかし営業している様子はうかがえるほどに、数人が書類や紙束を手に行き来しているのが目に入ります。

 

一階の奥の部屋に通され、少々高そうな扉の前に来ると、赤いチョッキの男がノックをしました。応接室のようです。

三人は部屋の中へ入りますが、赤いチョッキの男だけはそのまま立ち止まり、一言「では」とだけ言って、どこかへ行ってしまいました。

 

部屋の中には低いガラス製のテーブルをはさんで、革でできたふかふかのソファーが向かい合わせに置かれています。片方には、先ほどの神経質そうな男が座っていました。

 

「どうぞおかけください」

「遠慮なく」

 

そう言いつつ座ったのはソカーとアイビーだけでした。

アイビーは首をかしげながら、ひそひそ声でソファーの後ろに立つレミィに話しかけます。

 

「座らないんですか?」

「あたしはいいわ」

 

レミィの視線は、部屋の隅で立っている、腰に自動拳銃を装備した男に向けられていました。

部屋全体を見渡せるような、というやつです。レミィはずっと、その男をにらみ続けました。

 

 

 

 

「単刀直入に申し上げましょう。あなた方に仕事の依頼がしたい」

 

片眼鏡を付けた神経質そうな男は、やはりニタニタとした笑みを張り付けたまま、開口一番そう言い放ちました。

 

「その前に確認してぇことがある。あんたらのことだ。それがわからなきゃこっちとしては米粒一つ取引するつもりはねぇ」

「ええ、わかっていますとも。我々がここにあなた方を招いたのは、決して何かたくらみがあっての事ではないとだけ、先に伝えておきたかったのです」

 

嘘だな、とソカーはあっさり見破ってしまいましたが、しかしこの男のたくらみがなんであるかは今のところ分かりません。

ソカーは話を促します。

 

「とりあえず質問だ。うちの護衛が言うには、あんたらはこの町の傭兵のようなものだと言ったそうじゃないか。それがなんだ? 傭兵風情が商館を名乗るってのは、どういうことだ?」

 

ソカーはわざと、ケンカ腰で話を始めました。胡散臭い彼らと友好関係を気付くつもりはさらさらなく、なるべく多くの情報を引き出すために、わざと相手の神経を逆なでしようという魂胆です。

 

「そうですね。もう隠してもあまり意味がないので明かしてしまいましょう」

 

もったいぶった様子で片眼鏡の男は言いました。

 

「我々は盗賊です。いえ、〝元盗賊〟と言いましょうか」

 

レミィの目が険しくなりました。いっそう凄みの訊いた眼で部屋の端にいる男をにらみつけます。

 

「我々はこの町の周辺で活動していた盗賊団です。ここ数か月でなわばりを荒らされ、命からがら逃げついた先がこの町でした」

「自分らがカモにしていた町に助けてもらおうってのは、ちょっと虫が良すぎやしねぇか?」

「確かにそうですが、我々はこの町の住民をだれ一人殺してはいません。そのことはこの町の住民もわかっています」

「だからってお前らを(かくま)ったのか? そいつは信じられねぇな」

「そういわれるのも無理はありません。誰も殺していないという事実だけでは、我々を信用してもらうことはできなかったでしょう」

 

小さく首を振りながら、過去の苦労を思い出しているような表情で男はそう言いました。その時の表情は、本物の、本心からのものでした。

そして片眼鏡の男は指を二本立てて、続けます。

 

「二つです。我々がこの町で生活するために、この町全体と契約したことは」

「ふむ」

「ひとつ、町の経済産業のために商館を経営する事。これはわれわれがこの町で食べていくためにも必要なことでしたし、なにせこの町は城壁に囲まれた閉鎖的な土地柄です。外の町との流通を担う組織が必要でした」

「それなら預り商会の連中がいるだろ?」

「彼らは行商人が仕事相手であって、この町の連中とはあまり仲が良くありません。そこで我々です。輸入した品々を適正価格で市場におろす。これをしている商会は、今のところ我々だけです」

 

なるほど、とソカーは納得しました。

 

盗賊の連中も生まれた時から盗賊というわけではありません。

様々な理由で故郷へ帰れなくなった者たちが集まって、それでできるのが〝盗賊〟という集団です。

元が敗残兵なのかそれとも失敗した商人なのかでその性質は大きく異なりますが、彼らの大部分が元商人だったのでしょう。

人を殺さず物だけに執着しているところも、生活のためだったと考えると筋の通った話でした。

 

「お察しのとおり、我々はもともと商人でした。実力不足が原因で破産し、負債を抱え、どうしようもなく盗賊に落ちた身です。ただ一度失敗しているので、その経験を活かすことに成功しました。人間、どん底を知っていると思い切った行動ができるわけです」

「確かにその通りだ。そして新しい事業ってのは思い切った行動が必要になる。同じ商売人として、そこは賞賛するぜ」

「ありがとうございます」

 

片眼鏡の男は一度頭を下げ、それから指を一本立てて、話をつづけました。

 

「この町との信用を取り付けるために我々のやったことのもう一つは、戦力の提供です」

「なんとなくわかってきたぜ。さっきあんたが言った〝大部分〟に属さねぇのが、その戦力ってことだな?」

「お察しが良くて助かります。我々の約二割が、元兵士、あるいは傭兵でした。はじめはこの商館を守るために使おうとしていたのですが、あー……この町の衛兵はご覧になられましたか?」

「どいつもこいつも腰抜けばかりだったわ」

 

ソファの後ろからレミィが横やりを入れます。片眼鏡の男はレミィを見ながら「そうでしょう」とうなずきました。

 

「彼らには実戦経験がありませんでした。我々が盗賊として活動していた時に、ほんのちょっと我々と追いかけっこをした程度です。そんな様子で町の防衛が務まるわけもありませんでした」

「それであんたらがこの町の防衛戦力になっていたってわけか」

 

町に入るとき。

 

ソカーが城門脇の衛兵に感じた〝違和感〟の正体が判明しました。

一週間前、この町を力ずくで襲った連中を撃退したのは、衛兵ではなく、元盗賊の連中だったのです。

 

(そりゃ衛兵からしてみりゃ誇れるようなことじゃねぇわな。なるほどな)

 

得心がいったソカーは小さく首を縦に振り、

 

「あんたらのことはわかった。商館のくせして妙な戦力を抱えてるなら取引は無しだと思っていたが、具合が違げぇようだ」

「と、言いますと……?」

「取引してやってもいい。あんたらの言う〝依頼〟を受けてやる」

「ありがとうございます」

 

恭しく礼をする片眼鏡の男を、ソカーとレミィは一切油断のない視線で見つめ、アイビーは終始、じっと黙って空腹に耐えていました。

 

 

 

 

「依頼というのは、端的に言いますと〝盗賊の討伐〟です」

 

いくつかの羊皮紙と、そして紅茶にお茶菓子の並んだローテーブルに、男とソカーとアイビーは顔を見合わせました。

アイビーの口にはシフォンケーキがパンパンに詰まっています。

 

「ここから東へ進み、山を二つ超えたところに奴らの拠点があります。我々は奴らのことをノマッド(放浪者)と呼ぶようにしています」

「えらく憎しみが籠っているな。盗賊とは呼んでやらねぇのか?」

「盗んでも自分の物にならないものを盗みとは言いません。命は盗っても自分のものになりませんからね。彼らを盗賊などとは呼べません」

「なるほど、盗賊なりのプライドか」

「左様です。我々のポリシーですからね」

 

ソカーがうなずく横で、アイビーはもごもごと口を動かしています。

 

「ところでなんだが、そのノマッド(放浪者)はどれくらいの規模なんだ?」

「ざっと百は超えているかと。なので、討伐に当たって我々からもいくらか戦力を派遣します。町のはずれに偵察隊が居ますので、彼らと合流してください。もちろん、ここから出発する際にもいくらか護衛を付けます」

「手厚いな。装備は?」

「あなた方に比べるといささか見劣りしますが、標準的な兵士よりは少々いいものを持たせます」

「そうか、いや、そこでなんだがな。うちの武器を買わねぇか? 前の町で仕入れた新式の小銃があるんだわ。いくらか売ってやってもいいぞ」

「本当ですか!? ぜひお願いします。そろそろ装備レベルを一新したいと思っていた頃合いですゆえ」

 

片眼鏡の男は心底嬉しそうな表情をしました。ソカーの目にも、この笑顔は本心のものだとわかりました。

その横でアイビーが、物欲しそうな顔で未だ手つかずのソカーのシフォンケーキを見ています。

 

その視線にソカーと、片眼鏡の男が気付きました。

 

「……食っていいぞ、アイビー」

「え、いいんですか!? やったぁ!」

「そういえば、もしかしてお食事がまだでしたか? これは大変失礼しました。こんな朝早くからお越しいただいて食事も出さず、私としたことが――――おい、すぐに何か持ってきてくれ」

 

部屋の隅でレミィとにらみ合いをしていた護衛の男は、言いつけられるや否や一礼し、その場を離れました。

 

拍子抜けしたのか、レミィは一つ肩をすくめ、とりあえずこの成り行きならそこまで警戒することはないかと、安堵の息を吐きます。この部屋にはもう、この商館側の人間は片眼鏡の男しかいません。

 

完全に信頼するわけにはいけませんし、レミィには気を抜くという選択肢がハナから頭にありませんが、それでも、たった一人の護衛を部屋の外に遣わすということは、この商館側に敵意はないということです。あくまで今の段階では、ですが。

 

しばらくすると、先ほどの護衛の男がトレイに乗せて、干し肉とサンドイッチを持ってきました。

アイビーの目がキラキラしています。

 

「羊の干し肉と卵サンドです。どうぞ」

 

護衛の男がそう言いながらローテーブルに置き、トレイに乗った皿のうちの一つをレミィにも手渡しました。

 

レミィは一瞬驚きましたが、警戒の色を薄くして、ほんの少し微笑みながら受け取ります。

 

「いただくわ」

「どうぞ、レミアさん」

 

護衛の男は再び部屋の隅へ行き、しかし今度はレミィをにらむこともなく、穏やかな表情で部屋の中を見渡し始めました。

 

数分後。

 

一行は羊の干し肉と卵サンドをしっかりと平らげ、再びノマッド(放浪者)討伐の作戦会議に取り掛かりました。

 

 

 

 

「そいじゃあ、作戦の概要をまとめるぜ」

「はい」

「俺たちはレミィを戦力として基軸に置き、そのサポートをあんたら商館側の兵士がする。悪いが俺たち三人から戦力として出せるのはレミィだけだ。俺とアイビーは馬車に残る」

「それで構いません。それと、この町から出るときには騎馬兵をふたりつけます。山を一つ越えたところで偵察隊が居るでしょうから、彼らも使ってやってください。数は全部合わせても20ほどしかいませんが、馬の扱いと森の中での戦いになれた者ばかりです。戦力比で言えば互角以上の戦いができます」

「装備は俺が売ったやつを持たせればいいな」

「はい。代金はこちらにあります」

 

片眼鏡の男はソファーの横に置いていた革のカバンから、札束を三つと、黒い縦長の箱を取り出しました。

 

ソカーは黒い箱には触れず札束のほうを数えます。新式小銃22丁と討伐依頼の前金として、十分な価格と言えました。

 

「よし、取引成立だ。もしまたこの町に立ち寄ることがあったら、そん時は一度顔を出すぜ」

「ありがとうございます。それからこちらなんですが……」

 

片眼鏡の男はソカーが黒い箱に一切触れなかったことに若干のショックを覚えた様子で、しかしおずおずとその箱をアイビーに差し出しました。

 

「なんだ、それは?」

「開けてみてください」

「えっと……マスター、開けていいですか?」

 

困った表情でソカーを見るアイビーでしたが、ソカーがうなずいたので、ゆっくりと、慎重に箱を明けました。

 

「…………わぁ」

 

箱の中には二対のネックレスが収められていました。赤く輝く宝石が先端に一つ、主張しすぎない程度の大きさで付けられています。

 

「本当は一つしかご用意していなかったのですが、ご婦人が二人見えましたので、急いで用意しました。昨晩のお礼です」

 

アイビーは生まれて初めて間近に見る宝石に、先ほどの食事が出てきたときと同じくらい目を輝かせています。

レミィも、ソファの後ろからその宝石をちらりと見ましたが、しかしさしたる興味はないようで、すぐに顔をあげました。

 

「ほんの気持ちです。またこの町へいらした際に、ぜひとも当商館へお越しください」

「ありがとな」

「いえいえ。あぁ、それと、ノマッドを無事討伐していただければ、さらに東へ行ったところにわたくしの部下がやっている商館があります。そちらへ顔を出していただければ成功報酬もお支払いできます」

 

失敗したときのことを言わなかったのは、その時は全員死んでいるから、という意味合いが言外に含まれていました。

 

 

 

 

城壁に囲まれた古臭い町を後にした一行は、冬の低い日差しが照らす草原の中を、やや急ぎ足で進んでいました。

馬車の両脇には騎馬兵が二騎ずつ、同じ速度で走っています。赤いチョッキに白っぽい布を口元に巻いた、そしてソカーから受け取った新式の小銃を背中に背負った騎馬兵です。

 

馬車の荷台にレミィとアイビー、御者台にはソカーが座っています。

 

「レミィさん、商館の方々が町からついてきたのは、私たちが逃げ出さないためですかね?」

「さぁ? あたしにはよくわからないわ。でもそうかもね。前金だけ取って逃げちゃわないように、ってことかもしれないわね」

 

ゴトゴトと揺れる(ほろ)付き馬車の荷台で、レミィはボルトアクションライフルを小脇に抱えながら後方を警戒。

アイビーは荷台の奥のほうで、小さなリボルバーを大事そうに両手に持っています。その人差し指はちゃんと伸ばされていて、銃口も床に向けられています。

 

「一つ目の山が見えてきたな」

 

御者台からソカーの声が聞こえました。

 

 

 

 

森の中。

 

冬の日差しがまばらに差し込み、高い針葉樹林がそこかしこに生い茂る森の中。

うっすらとあたりは白く雪が積もり、赤茶けた一本の林道以外は、右も左も木の幹と雪のじゅうたん以外何もありません。たまに、野ウサギやリスが顔を出しますが、林道をゆっくりと進む馬車とお付きの騎馬兵にはどうでもいいことでした。

 

差し込む光が矢のように降り注ぐ森の中、その茶色い木々の合間にちらちらと、赤いものが見え始めました。

 

「いやした。偵察隊です。見つけやすいように赤チョッキを着てくれてますぜ」

 

騎馬兵の一人が望遠鏡から目を離しつつ、すぐ隣の御者台に話しかけました。

 

「おう、このまま進めばいいんだよな?」

「えぇ。我々が居るのですぐに向こうも認知すると思いやす。あとぁ武器のやり取りをして、ひたすら進軍するのみでさぁ」

 

ほどなくして馬車は偵察隊と合流しました。伝え聞いていた通り、その数はちょうど20騎です。

全員が馬に乗っていました。

 

手早く荷台から小銃を取り出し、偵察隊の装備が整うと、ソカーの合図で出発します。

 

荷台を中心に円を作るような配置です。商業輸送集団などが使う陣形によく似ていました。

 

ひたすら進みます。

 

雪と、木と、道の風景が延々と続きます。

 

凛とした冷たい空気があたりに立ち込め、聞こえるのは馬車の車輪が言わすゴトゴトという音と、馬が雪を踏みしめるシャオシャオという音だけです。

 

太陽が最も高いところに来た時。

 

馬車の荷台の中ではアイビーとレミィが、粘土のような携帯食料をモソモソとかじっています。

 

馬車より30メートルほど前を行く騎馬兵が、手綱を引いて馬を止めました。

全体の進行が止まります。レミィは半分ほど残っていた携帯食料をアイビーに渡し、何も言わずボルトアクションライフルを持って、荷台から飛び降りました。

 

すぐにあたりを見回します。全身の感覚を研ぎ澄ませ、物音ひとつ、気配一つを誰よりも早く見つけられるよう、レミィは一層集中しました。

 

馬車の周囲では同じように、騎馬兵は馬から降りて小銃をすぐに撃てる状態にしています。

 

誰も一言も話しませんが、敵が近くにいることは全員が察知しました。

 

頭上高くから差し込む細い光が、白い雪に遠慮がちに反射します。その反射光あってこそ、目視で森の中を索敵できるようでした。

右を左を前を後ろを、レミィ含める23人の視線が這いまわります。

 

そのまま十分が経過しました。

 

気配を感じるのみで、発砲音どころか足音一つ聞こえません。当然、敵影も見当たりません。

レミィはほんの少し首をかしげながらも、殺気のにじみ出た凍てつく目つきで、静かに、これまた凍てついた声音で命令します。

 

「…………徒歩で索敵。離れすぎず、互いの射線をカバーせよ。進行方向、北東」

 

レミィが指揮を執るようにはなっていませんでしたが、そのあまりにも場慣れした指示に、元兵士である商館の連中は従いました。

 

赤いチョッキはいつの間にか全員が脱いでいます。白銀と茶色しかない世界でそんなものを着ていては、的になるだけです。

 

「…………」

 

レミィを先頭に、ゆっくりと、小銃で武装した集団が雪を踏みしめて進みます。

 

10メートル。

 

20メートル。

 

30メートル。

 

――――そのまま進み続け、荷馬車から100メートル離れた時。

 

レミィは神速の勢いでボルトアクションライフルを真後ろ(・・・)に構え、

 

ばがんッ。

 

「ぐぅ――――」

 

すぐ後ろでレミィを撃とうと小銃を構えていた男(・・・・・・・・・・・・・・・・・)にぶっ放しました。

 

「なッ……!」

 

他の男達から驚愕の声が漏れます。全員、例外なく、銃口がレミィに向いていました。

 

反応が早かったのは一番後ろにいた男。引き金を引き、小銃から弾が連射されましたが、その先にレミィの姿はありませんでした。

 

鋭い踏み込みでレミィは真横にいた男の懐に入りつつ、反対側の横にいた男に向かってライフルをぶっ放します。

 

撃たれた男の頭が無くなり、身体が地面に崩れ落ちるよりも前、レミィはライフルをその場に捨てて、潜り込んだ先の男のノドにナイフ突き立てました。

 

男はうめき声を一つ上げますが、まだ絶命していません。

 

レミィが男の身体から離れた瞬間、その、ほんの少し前までいた場所に、小銃の弾が数発抜けていきます。ノドを刺された男の胸にはいくつかの穴が開きました。

 

「なんだ、なんなんだこの女ァッ!!!」

 

誰かが叫ぶと同時。

 

小銃とは比べ物にならない重い発砲音が、雪の森に連続して響きます。

 

レミィのリボルバーでした。右手に一丁持ったそれを連続して撃ち、あっという間に全弾六発を使い切ります。

レミィの周囲には、見事なまでに首から上のない死体が六体、オブジェのように直立していました。

 

「残り、13」

 

生き残っている商館の連中の数を口ずさみながら、風のように雪の上を走り、やや遠くにいた男の首をナイフで一閃します。

 

「残り、12」

 

左の腰に吊ってあるリボルバーの装弾数は6発。右腰のは弾切れです。

 

「こんの、化けもんがぁッッ!!!」

「よく言われる」

 

叫び、レミィに向かって小銃を連射しますが、木と死体の合間を攪乱するように走り回るレミィに、弾は一発も届くことがありません。

 

最接近して男の目にナイフを突き立てつつ、そのナイフから手を離します。

 

「ふッ!」

 

鋭く息を吐いたかと思うと、レミィはその場にぺたりと伏せました。その上を弾がピュンっと鳴りながら通り過ぎ、その先にいた別の男の腹に突き刺さります。

 

「やっぱり、挟み撃ちだったわね」

 

予想はしていました。

だからこそ、警戒もしていました。

 

もし。

 

もしも、外にいるノマッド(放浪者)が。

 

あの町の中にいる盗賊と同じ組織だったら(・・・・・・・・)

 

レミィは頭を使うのが苦手ですが、戦うことに限定すると、ちゃんと考えて動ける人でした。

 

その考えというのが〝挟み撃ちかもしれない〟という思考に行きついたのです。

 

なんで自分が襲われるのかとか、どうしてこんな回りくどい方法で殺しに来るのかとか、その辺のことはよくわかっていませんでしたが、ただ何となく、自分がこういう目に会うかもしれないということは、うすうす気が付いていました。

 

「不意打ちは悟られたら不意打ちにならないのよ、おバカさんたち」

 

森の中に小銃ともリボルバーとも違う銃声が響いています。それは紛れもなく、先ほどまで討伐しようと向かっていたノマッド(放浪者)の連中のものです。

 

レミィは大体どの角度から狙撃されているかがわかりましたし、自分を馬鹿正直に狙ってくれていることもわかりました。

 

これを使わない手はありません。

 

わざと逃げ出すかのようなそぶりで背中を見せ、数歩、直線で進み、勘を研ぎ澄ませて一気に横に飛びます。

 

一瞬前までいた所を弾丸が抜けたかと思うと、その先にいた男の右足を弾き飛ばしました。

 

「失敗したわ」

 

すぐさま駆け寄り男の頭をブーツで踏み抜きます。

 

間髪入れず方向転換し、右手にナイフを持ち替え、左手でリボルバーを抜きました。

 

「残り、9」

 

目の前にいた男の頭に一発お見舞いします。

 

そのまま駆け抜け、左に急転換しつつ飛び込み前転。雪が全身に付きますが構う様子も余裕もありません。

 

左手をピンと伸ばし、目の前の木の幹から急に右側に飛び出します。

 

同時に男が顔だけを出してこちらの様子を伺っていました。一瞬後、男の顔は無くなりました。

 

「あと、7」

 

左手のリボルバーにはあと4発しかありません。ひとりに一発ずつでも三人は残ってしまいます。

使うのがリボルバーだけだったら、の話ですが。

 

瞬発的に駆け出し、木の幹の向かい側に飛び出すと、そこにいた男の手首を切りつけました。

 

「ぐっ!」

 

懸命にも男は距離を取ろうとします。右手は負傷しているので使えません。左手に持ち替えようと小銃に目線を落とした瞬間。

 

「だめね、目を離しちゃ」

 

両眼を切り付けられました。そのままレミィはナイフを捨て、男の小銃を奪います。

予備のナイフはもうありませんが、代わりに残弾たっぷりの小銃を手に、再び駆け出します。

 

木々の合間をノマッドの狙撃弾が縫うようにして通りますが、どれ一つレミィには掠りません。

 

その後、左手のリボルバーで二人を立て続けに崩したのち、まだ弾は残っていますが、レミィはリボルバーをホルスターに収め、両手でしっかりと小銃を構えます。

 

「森の中、接近戦…………あんまりいい選択ではないわね」

 

などと独り言を漏らしつつ、走りながら前方に射撃。

 

こちらを狙おうと木の影から出てきた男の額に刺さります。

 

「あと3人」

 

振り返り、わざと背中を見せて誘った相手が、まんまと引っかかっていました。撃ちます。

 

「あと2人」

 

見回し、残りの2人を補足します。

 

「…………」

 

逃げようとしていました。小銃をうち捨て、全力で、無我夢中で、まるで化け物が背後にいるかのように、泣き叫びながら逃げ出していました。

 

「…………やっぱり敗残兵ね、あなたたち」

 

二発の弾丸がレミィの手から放たれ、二つの頭が無くなりました。

 

 

 

 

雪山の奥。

少し高い位置にある岩の突き出たその真下で、三人の人間が白い息を吐きながらある一方を見ていました。

 

ちょうど傾斜の下側、見下ろすような位置を、固唾を飲むような表情で見ていました。

 

三人のうち一人は大型のライフルを持ち、一人は大型の望遠鏡を持ち、あとの一人はマグカップに熱々のコーヒーを入れて持っていました。カップからは湯気が立ち上っています。

 

「隊長、残存兵力2人です――――あ、逃げ出しました」

「どっちが?」

「町の連中のほうです」

「だよなぁ。そりゃそうだ」

「隊長、全滅しました。あとすみません、一発も当たりませんでした」

「だよなぁ、まぁしょうがねぇ。残弾は?」

「ライフルはもうありません。サイドアームはありますが。どうします?」

「勝てねぇよ、無理無理」

 

隊長と呼ばれた男はカップに口をつけ、ずずずー、っとコーヒーを飲みました。うまそうに飲みました。

 

「……謝って許してくれるかなぁ」

 

隊長と呼ばれた男の口からは、真っ白い吐息が上がっていました。

 

 

 

 

周囲三十メートルは、白い雪と赤い血がちりばめられ、死体からはほんのわずかに湯気が出ていました。

 

「ふぅ……」

 

レミィは一つため息をつくと、自分の身体に負傷がないことを確かめてから、北東の方角をにらみます。

 

かなり遠くから狙撃されていたようですが、今はもう、弾丸の風切り音も重苦しい銃声も響きません。

凛と、静かな、来た時と同じような空気があたりを支配しています。違うのは22体の血塗れた死体がそこら中に転がっていることだけでした。

 

「……待とうかしらね。向こうから来るかもしれないし」

 

十分後。

 

レミィの予想通り、バカでかいライフルを背中に背負った男と、バカでかい望遠鏡を背中に背負った男と、マグカップを二つ持った男が表れました。

 

レミィから話しかけます。

 

「百人規模だって聞いたけど、あたしの聞き間違えかしら?」

「いやいや、合ってますよ。残りの約97人はアジトで待機させています。彼らも死にたくはないでしょう」

「百人いれば、あたしを殺せるわよ」

「そのために何人死なせなきゃいけないのかって話ですよ。昨夜は32人もやられているんですから」

「賢明な判断ね」

 

マグカップを持った男は片方をレミィに渡すと、腰のポーチからハンディポットを取り出して、レミィのカップにコーヒーを注ぎました。続いて自分の分にも目いっぱい入れます。

 

「どうぞ、お飲みください」

「いただくわ」

 

と言いつつ、レミィは毒を警戒して男が先に口をつけるのを待ち、それから自分も飲みました。

程よい温かさのコーヒーが、体の芯から染みわたります。

 

「激しい運動の後に熱いコーヒーはあまりよくないかもしれませんが……」

「そうね、気の利いたことを期待するなら、あたしはビールがよかったわ」

「さすがに持ってません」

「分かって言ってるわよ――――それで? わたしがこのコーヒーを飲み干す前に、要件を言っときなさい」

「そうさせてもらいます」

 

男は苦笑しつつ、レミィの目をまっすぐに見ました。一切の邪心や偽造のない、真摯な視線です。

 

「もうお気づきでしょうが、町の中の盗賊集団と町の外の盗賊集団はグルです」

「やっぱり、そうね」

「なぜそんなことをしているか、とは聞かないんですか?」

「聞いてどうするの? 正義感あふれるあたしがどこかに言いつけるわけ? どこに? ……そもそもあたしに正義感なんてないわよ」

「えぇ、まぁ、そうですよね。昔からそうですね」

「で、続きは」

「はい、まぁこの際なので言ってしまいますが、こうして我々は、あの町に悪い噂を流して〝人を寄せ付けにくく〟しているのです。そうすれば乗っ取りやすいですからね」

 

レミィは何度かうなずき、やはり自分の予想が正しかったことに満足しました。

 

「じゃああたしは、その〝町一つ乗っ取り計画〟にどんな水を注せばいいわけ?」

「武器を扱っていると風のうわさで聞きました。どうでしょう、適正価格で取引してはもらえませんか。我々に新式の装備を譲ってほしいのです」

「それを決められるのはあたしじゃないから、まぁマスターに相談ね。悪いようにはしないわ」

 

レミィの口から〝マスター〟という言葉が出てきたことに、隊長と呼ばれていたマグカップの男は少々驚いた様子です。

そして安心したように表情を和らげ、浅くお辞儀をしました。

 

 

 

 

その後、荷馬車に呼ばれた隊長の男と他二人は、その場で金の延べ棒と新式小銃30丁、弾薬6千発とを交換しました。

 

雪の森、あたりは白いじゅうたんの中、一本の赤茶けた道が森を割るように這っています。

 

その道をゆっくりと進みだす馬車に、隊長とその他ふたりの男は、

 

「お元気で、少佐殿」

 

国軍制式の敬礼をしました。

 

 

 

 

数日後。

にぎやかな町の昼下がり、大通りに面したカフェの席に、一人の女性が座っています。

 

茶色がかったセミロングの髪は毛先にほんの少し癖があり。

端麗な顔立ちに灰色の瞳。長い脚はその女性が背の高いことを意味しています。今は、その脚は組まれていました。

ロングのデニムパンツに白いTシャツ。革製の茶色いジャケットを羽織っています。

右の腰には大型リボルバーの入ったホルスターが、ベルトを通して付けられていました。

 

カフェのテーブルにはカップが一つ、中身はコーヒーです。

 

「ふむ……」

 

女性の手には紙束が握られていました。この近辺の町の時事ニュースを取り扱う、俗にいう新聞というやつです。

 

女性の視線には〝盗賊の町、国軍に開放される!〟という見出しの記事。

 

記事の内容をじっくりと眺めた女性は、

 

「…………潜り込むの得意だったものね。あの子たち」

 

おだやかな、昔を懐かしむようなほほえみを浮かべながら、コーヒーを一口すすりました。

 

「レミィさん!? なんか、あまり見ない顔をしていますよ!?」

「おうよ、どうしたそんな物憂げなツラぶら下げて。恋か?」

「新聞ながめて恋煩いにかかる女がどこにいるのよ」

 

カツサンドを持ってきたアイビーと、クリームパフェを持ってきたソカーが席に着き、三人は仲良く午後のお茶会を楽しみましたとさ。

 

 

 

「盗賊の町」~おしまい~




蛇足編の第一話として書いたこの「盗賊の町」ですが気付かれた方もいるでしょうか。
レミィにおもっきし視点を振っています。彼女は本編から言うと〝新参〟ですから、性格とか能力とかその辺の情報が一切、本編中には書けませんでした。
で、やはり蛇足編とはいえここで書かなきゃどこで書く(使命感)という次第でございます。

一個小隊クラスの騎馬兵を狙撃で全滅させたり、簡易包囲状態から二個分隊を全滅させたりと少々オーバースペックかもしれませんが、旅の商人の剣となり盾となる人物です。このぐらいの腕がなければ護衛としては務まらないかなとも思います。敵も今回は敗残兵崩れの、言ってしまえば烏合の衆ですしね。

物語を書くにあたって、伏線をいつも以上に頑張って織り込みました。そこかしこに「ん?」となるような場所があったと思います。そんなあなた、ありがとうございます。奥の手の思うツボです。うへへへへへへへ。


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蛇足編 「レンガ積みの三人の男」

短いお話を一つ。


よく晴れたとある街を、大きな男と小さな少女が歩いていました。

 

大きな男は浅黒い肌にモリモリの筋肉を持つ、とてもこわい男です。

小さな少女は真っ白い肌に傷跡を持つ、とてもかわいい少女です。

 

二人は仲良くならんで街を歩いていました。

 

ふと見ると、二人の前にレンガを積んでいる男が表れます。小さな少女は尋ねました。

 

「どうしてレンガを積んでいるんですか?」

「お金を稼ぐためにだよ」

 

少女は続けて訊きました。

 

「あなたはこの仕事が好きですか?」

「まぁまぁ好きだよ」

 

 

 

 

よく晴れたとある街を、大きな男と小さな少女が歩いていました。

 

大きな男は浅黒い肌に立派なひげを持つ、だいぶ強面の男です。

小さな少女は真っ白い肌にきれいな金髪をもつ、だいぶかわいい少女です。

 

二人は仲良くならんで街を歩いていました。

 

ふと見ると、二人の前にレンガを積んでいる男が表れます。小さな少女は尋ねました。

 

「どうしてレンガを積んでいるんですか?」

「教会を建てるためにだよ」

 

少女は続けて訊きました。

 

「あなたはこの仕事が好きですか?」

「そこそこ好きだよ」

 

 

 

 

よく晴れたとある街を、大きな男と小さな少女が歩いていました。

 

大きな男は太い腕に大量の荷物を持った、とても筋肉質な男です。

小さな少女は細い腕に数冊の本を持った、とても知的な少女です。

 

二人は仲良くならんで街を歩いていました。

 

ふと見ると、二人の前にレンガを積んでいる男が表れます。小さな少女は尋ねました。

 

「どうしてレンガを積んでいるんですか?」

「お金を稼いで、教会を建てて、恵まれない子供たちを助けるためにだよ」

「あなたはすてきな人ですね」

 

少女は続けて訊きました。

 

「あなたはこの仕事が好きですか?」

「大っ嫌いだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とある街の、とある一角。

ひとつの教会が建ちました。この街で唯一の教会です。

 

教会には子供たちがたくさんいます。

親のいない子供たちがたくさんいます。

 

教会の神父は言いました。

 

「私は自分でこの教会を建てたんだ。レンガを積み上げて建てたんだ」

 

子供たちは訊きました。

 

「たいへんだった?」

「あぁ、大変だったとも。雨の日も、晴れの日も、雪の日も、風の日も、どんな時でもレンガを積んだ」

 

子供たちはおどろいて、それから目をキラキラさせて、口々に「すごい」とか「かっこいい」とか「ありがとう神父さん」と言いました。

 

一人の子供がまた訊きました。

 

「どうして神父さんは自分で建てたの?」

 

神父はとっても優しい笑顔で応えました。

 

「お金を稼ぐためにだよ」

 

 

 

 

 

 

 



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