強くないのにニューゲーム (夜鳥)
しおりを挟む

妖精王にされそうな件

S(須郷と)A(アルベリヒと)O(オベイロン)が合わさり最弱に見える……
悪役転生&技術チート&未来知識、かぐわしいまでの地雷感。
しかし主人公は須郷ではない、すごーさんだ(優れているとは言わない)


 2014年、4月。高校に入学したばかりの僕は……端的に言って、腐っていた。

 

 僕は昔から、何をするにつけてもデジャヴ、既知感が付いてまわった。学ぶ内容、話す会話、運動や人との関わりも。熟練している訳でもないのに新鮮味はなく身が入らない、熱中できない。

 

 既知感に助けられてか勉強はそこそこ得意だ。それでも親が決めた高校は都内有数の進学校で、人気も高ければ倍率も高い。必死になって合格して……合格したことを知った父はただ一言。

 

「順調だな」

 

 そう言って出社した。

 

 別にベタ褒めして欲しかった訳じゃない。けれど、僕の人生をまるで工程や手順のように語られるのは、嫌だった。これならば彰三さんの方がまだマシだ。喜んではくれたから。

 

 まぁ彼も彼で頭痛の種なのだけれど。

 

「伸之君、この子をよろしく頼むよ」

 

 そう言って六歳の女児を許嫁にされたときは目が点になった。いくら家同士の付き合いが深いからといって、一回り違う男女を婚約者にするのは時代錯誤が過ぎると思う。

 

 六歳児が婚約者、不満を出せば家族からは白い目で見られるし、喜んでみせれば他人からは白い目で見られるし……そもそも僕はロリコンじゃないのに。

 

 将来的には僕が婿に入る形となり、彰三さんの会社を継ぐのだろう……少なくとも彼らは企図している筈だ。彼女が成人するまでは手など出せないし、他の女性によそ見をするなど言語道断、結婚する頃には僕は三十歳だ。

 

 魔法使いを越えて妖精さん、いや妖精王にでもなれというのか?

 

「僕は妖精王オベイロンだ! なんて……ばっかみてぇ」

 

 学校帰りに乗り込んだ電車、扉脇の三角スペースに背中を預けて一息。独り言が聞こえたのか目を向けてきた学生……対面の三角スペースにいた相手を睨み付けて、舌打ち。見れば分かる、彼は僕よりも下だ。さっと目をそらした姿を見て、少し溜飲が下がる。

 

 誰に当たるべきものでもない鬱憤は、行き場を持たないが故に、等しく全員に向かう。誰彼構わず攻撃性を向け威嚇して、やがて小利口になり自分より弱い相手を狙ってこき下ろすようになる。

 

 親しい相手など出来る筈もなく、孤高を気取って周囲を見下して、そんな自分を見下げ果てる。

 

 だからこれは天啓だったのだろう。

 

 見るともなしに視線を向けていた向かいのドアの上、彼のニュースが、電車内のディスプレイに流れる。その瞳、感情も熱も映さない眼差しを、()()()()()()()()()()

 

茅場(かやば)晶彦(あきひこ)

 

 十八歳にして資産数億のゲームプログラマー、大学入学と同時にアーガス社の技術開発部入りした、文字通りの天才。ハリボテのメッキ野郎ではどうしたって届かない頂点にいる青年。

 

 自身を支えるちっぽけなプライドを粉砕されて嫉妬で胸を焦がすか、或いは無気力に生きていくなんて未来もあっただろう。だがデジャヴを感じていた僕に落ち込んでいる暇はなかった。

 

「茅場……晶彦? かやひこ? もしかしてこの世界って」

 

 浮かび上がる原作知識の数々。そう、僕は茅場晶彦を知っている。だってこの世界は。

 

「ソードアート・オンライン?」

 

 記憶のソレとそっくりなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いやはや、それにしても。

 

「僕が須郷(すごう)伸之(のぶゆき)って何そのムリゲー」

 

 つい溢れるボヤき。それに反応してか、ビクついた目を向けてくる先ほどの学生……すまない、だが今はそれどころじゃないんだ。

 

 今までの十五年間で上書きされてしまったのか()()と思わしき記憶や知識は歯抜けが酷い。原作知識も同様に薄らいでしまっている。覚えているのは主要人物の顔と大きなイベント程度。

 

 確か須郷の初登場は2025年だった筈なので、十年以上先の話な訳だ。ドアのガラスに映る顔を見ても、原作の面影はあまりない。撫で肩の黒髪短髪、覇気の薄く、体つきも薄い少年だ。

 

 原作の須郷はソードアート・オンライン……SAOをクリアしたプレイヤーから三百人を拉致して実験台とし、成果はレクトごと外国に売り払おうとした狂人。アスナやキリトに対する振る舞いに一視聴者としてはおぞ気が走ったものだ。

 

 しかし今のまま生きていけば自分が()()()()だろうことは容易に想像がつく。

 

「一回り下の子を許嫁にされて浮気も禁止、学生時代から期待のプレッシャー半端なくて、行き着く先が相手の会社を継ぐためって……そりゃあグレるわ」

 

 我が事ながら……いや、我が事ゆえにか。肯定するつもりはないが、納得してしまう。

 

 レクトの関係で進学した理工学部には四年生の茅場がいて、常に先を行かれて、神代凛子(惚れた女)は既に茅場にゾッコンで……レクトの主任研究員になってもやることはSAOのサーバー維持と茅場の後追い研究でしかない。

 

 正直、須郷伸之が小物で小悪党だったからこそ原作は()()()()で被害が収まったのだ。茅場レベルの吹っ切れ具合を発揮していたら、それこそSAOのプレイヤーは全員が人体実験行きだ。電脳情報化した茅場でも助けに来ない限りどうにもならないバッドエンド。

 

 

 

 

 

 まぁそんな未来、来ないんですけどね。

 

 ムショ暮らしなんてしたくないし、茅場と比較され続けるなんて御免だ。アスナの成人を待って妖精王になるのも嫌だし、何より彼女はキリトがさらっていく。

 

 なので未来を変えるため、とりあえず。

 

「何か運動する癖を付けないと……なぁ」

 

 学生鞄すら肩がきしむ重さに感じるというのは問題外だった。




すごーさんの年齢はアスナと9歳差?らしい(未確認情報)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アスナの光源氏、もといチート、もとい英才教育

時間が経過する際は ☆ ☆ ☆
視点が変わる際には ★ ★ ★
という具合に示していきます。


 何かしら運動を……と考えたとき候補だけは沢山あったけれど、結局は剣道一択だった。それは何もここがソードアート・オンラインの世界だと思われること、だけが理由ではない。

 

 というのも僕は人付き合いが壊滅的だ……自分でも悲しくなる程に。一方で部活動とは勉学でカバーできない何か、例えばリーダーシップや協調性を課外活動という形式で育む場だ。だからこそ高校の部活動はチームプレーを必要とする競技がほとんどで、それらを除外していくと陸上か柔剣道か卓球しか残っていなかったのだ。

 

 あえて剣道を避ける理由もなく。「リアル剣士√キタコレ」と自信満々に入部届けを出した僕は……夏は暑さと臭気、冬は寒風と霜焼けに襲われる地獄のような日々にぶち込まれたのだ。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「その節はお世話になりまして」

 

 ぺこり、と彰三氏に頭を下げる。結城家の一室、彰三氏の書斎にて。一年前のことを本当に遅ればせながら感謝していた。

 

「いやいや、私も京子も君をもう一人の息子だと思っているからね。楽しませて貰ってもいる」

 

 鷹揚に頷いて見せる彼にもう一度頭を下げ、対面のソファに腰かける。

 

 部活動を始める際、一番の障害は誰あろう肉親だった。彼らの主観で必要性が薄いものを認めさせるのは至難の業であり、作戦なく特攻しては失敗すると分かりきっていた。

 

 ならばどうするか……彼らにとって優先順位の高いもの、つまり結城彰三が頷けばいい。

 

 会社の上下関係を家同士の付き合いにまで侵食させている(いびつ)さがここにある。そのせいで背負う苦労も大きいが、自分の要求を通したいときには役に立つ。

 

 健全な精神は健全な肉体に宿るだとか、大企業のトップは柔剣道や相撲といった日本的なものに弱いだとか、明日奈の婚約者として貧相な体つきでは恥ずかしいだとか、思ってもいないデタラメまで並べ立てて説得したのだ。彰三さんも娘は可愛いがっているからね。

 

「いやはや寒稽古は本当に身を切るような寒さでした。普段の稽古がどれだけ楽か」

「寒稽古か……寒風は身に堪えるだろう、きっと」

「しんしんと冷たい室内を自分達の体温で暖めながら……そんな素振りや打ち込み練習でしたよ。痛寒いのが段々と感覚を失って」

 

 はっはっはと、笑えるのは終わったからだ。当時は凍死するかと思った程だ、冗談でなく。

 

「宮城、北国の寒さとはまた別の辛さがあるだろうからな」

「確か京子さんのご実家でしたか?」

「ああ。山々に囲まれた日本家屋、棚田に生い茂る稲穂の波、実に見事な風景だが……冬は寒い」

 

 夏や秋は見応えがあるのだがね、と苦笑する彰三氏。

 

 何でも夏冬のお盆には宮城の実家に里帰りしているようで、明日奈はいわゆるお祖父ちゃん子らしい。しかし珍しいことだ、年二回の里帰りも彰三氏からすれば簡単ではないだろう。

 

「彰三さんのご実家には?」

 

 途端に渋い顔をするその反応に、僕の方が面食らってしまう。何、親族の話は地雷だったのか?

 

「いや……私の実家は、旧家でね、気位(きぐらい)が高いのだ。その関係で京子の扱いが、その」

 

 成る程、肩身が狭い訳だ。となるとあまり実家には寄り付いていない、距離をおいているのか? 妻の心労を(おもんぱか)って、ということか……彼自身が気楽というのもあるのか?

 

 そこでふと疑問が生じる。てっきり結城夫妻は許嫁やお見合い結婚だと思い込んでいたのだが、実家に良い顔をされていないとなると話が変わる。もしや二人は。

 

「恋愛結婚だったんですか!?」

「いや、まぁ、そういうことになる」

 

 手で口元を擦るその仕草は恥ずかしいからか。何とも信じがたいなれ初めだ。

 

 いやまぁなれ初めはどうでもいいのだ。肝心なのは二人が恋愛結婚であったことで、許嫁の約束を破棄するハードルがグッと下がったことだ。自分達がしたことを娘にダメとは言えまい。

 

「いや、良かった良かった」

「伸之君、なぜ菩薩のように温かい目を向けてくるのかね」

 

 それはですね、と答えようとした所で聞こえたノック音に返事をする彰三氏。ガチャリとノブを動かして、隙間から顔を覗かせたのは明日奈だった。

 

「お父さん、すごーさんは?」

「こら明日奈、挨拶を忘れているぞ」

「はは、構いませんよ」

 

 家族同然だと明日奈君も思ってくれているのでしょう、なんて取りなせば彰三氏も相好を崩す。

 

「こんにちは、明日奈君。季節の変わり目だが風邪など引いていないかい?」

「はい、元気ですよ?」

 

 たまに会う親戚の叔父さんのような話術スキル、我ながら酷いと思う。

 

「明日奈、伸之君に遊んでもらいなさい。私はこれから出掛けなければならないから」

「違うよお父さん、わたしがすごーさんと遊んであげるの!」

「そうかそうか、では伸之君の面倒を頼むよ明日奈」

 

 アイエエエエエとか叫びたくなる。これは先ほどの仕返しだというのか、彰三氏なりの。

 

 なんてこったい、と乾いた笑いを溢している間に彰三氏は外出、なし崩しに留守番と相成った。

 

「お父さんがいない間に書斎に入ると怒られるから、早く出ないと」

「おっとっと、それで今日は何をしようか?」

 

 背中を押されて書斎を後に。そのまま廊下を歩き、着いた先はリビングだ。ソファに腰かけた僕の右隣に彼女もまたちょこんと座る。

 

 肩ほどまで伸ばされた亜麻色の髪をなびかせた明日奈。昨年、ものは試しと「重荷なだけの許嫁」というバイアスを外してみたら印象が随分と変わったのだ。例えるなら(めい)っ子くらいにまで。

 

「そういえば今日は何をするんだい?」

「あれ! 冒険のお話が聞きたい!」

 

 てしてし、と腿を叩いて急かす明日奈にどうしたものかと──話のきっかけが口を滑らせた故なので──悩むのだが、どんなに渋ってみせても引き下がらない。今日も今日とて彼女に勝てはしないようだ。

 

「分かった分かった……それでこの間はどこまで話したかな」

「第25層にたどり着いたところまでだよ!」

 

 子守りのスキルも話術のスキルもない僕が、留守番を頼まれた彼女との沈黙に耐えられず口にしてしまった幾つかのお伽噺。帰宅してから頭を抱えるが文字通り後の祭りだった。

 

 今日こそは拒否しなければと決意する僕の意思をいつも(くじ)くのは、目をキラキラさせてせがむ姪っ子だ。そこまで期待されると満更でもないと思ってしまう僕も本当に大概なのだけれど……まぁ作り話を始めようか。

 

 いつかどこかであった冒険、鉄の城で生きた少年少女の物語を。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「どうしてリーダーさんは自分達だけでボスに挑んじゃったの?」

「それは彼に譲れないものがあったからだ。それを大事にするあまりに、自分にとって都合の良い情報しか耳に入らなくなってしまったんだ。そこに付け込まれた」

「命よりも大事なものなんてないのに」

「そうだね……その通りだ」

 

 そう言って頭を撫でてくれる伸之は、明日奈にとって不思議な存在だった。

 

 父に連れられて会った、自分と親の間くらいの年齢の人。一度おじさんと呼んだときには悲しんでいたので、それからは名前で呼ぶようになった。許嫁の意味はまだ理解しきれていない。

 

 ただ、これまで彼女の周囲にはいなかったタイプの人物ではあった。両親のように厳格ではなく、京都の本家のように冷たくもなく、兄のように背伸びをするでもなく、学友のように子供でもなく、祖父母のように落ち着いているでもない。

 

 言うなれば、一人の人間として接してくれるのだ。子供扱いを受けることもあるが、それも含めて悪くない。本家のようにドロドロでもギラギラでもないし、何より話が面白かった。

 

「だが明日奈君。命より大事なものを、君もいつか見つけるかもしれない」

「本当かなぁ」

「きっとね……大事なものを抱えているならば、冷静さを失ってはならない。守りたいと願うならば、都合の良い話だけを聞いて耳を塞いではならないよ」

 

 命よりも大事なもの、そんなものが自分に生まれるのだろうか。仮に出来たとして、守りきることなど可能なのか。あまりにも未知すぎて、明日奈には自信を持つことなどできない。

 

「まぁ大人でも難しいから、失敗しても誰も責めないさ。上手くいったら拍手喝采だろう。ただね、明日奈君は大丈夫だと思うよ」

「なんでですか?」

「ネタバレなんだけどね、明日奈君に似た物語の女の子は、大事なものを守り抜いたからさ」

 

 なんですかそれ、とそっぽを向いて拗ねてみせる明日奈。ごめんごめん、と頭を撫でてくれる手のひらは大きくて、こうされるのが明日奈はお気に入りだった。

 

 いつからか、父も母も褒めてくれることが少なくなった。

 それを寂しいと感じても、兄は自分以上に厳しくされていた。

 だから良い子になろうとして、そうすれば両親に叱られることはなくて。

 

 理由もなさげに褒めてくれる、期待してくれる伸之との時間が、明日奈にとって自然体でいられる数少ない時間だったのだ。それこそ宮城の祖父母と同じように。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

SAOの学生生活は灰色な法則

「メウォイヤァアアアッ!」

 

 竹刀の先で相手の面を打ちながら叫ぶ。口から放たれるのは「メン」ではない、別の何かだ。

 

「デヲイヤァアアア!」

 

 引き胴を打ちながらあげる雄叫び。ただ、こんな発声でもまだ行儀の良い方だったりする。上級者の掛け声は本当に意味不明なのだ。

 

 彰三さんを味方につけて部活動を始めてから──彼が右と言えば両親は右を向くから──時は過ぎて高三の夏。引退前の都大会で僕が務めたのは先鋒。オーダーを決めた顧問いわくノリと勢いが良いから、だそうで。

 

 調子が出て二人を続けざまに抜き、調子にのって中堅にやられるのはいつものこと。どっしりと待つ緊張感に耐えられないのと、出番がないとつまらないという子供な理由で、志願が通る場合にはいつも先鋒に立候補してきた三年間。

 

 その三年間も、今日で終わりになる。次将、大将と破られて試合は終了した。

 

 ウチの部活は高校から剣道を始めた奴がほとんどで、正直いって強くない。都大会にしても一回や二回勝ち進んだら敗退するというのが毎年のパターンなのだ。

 

 昨年の高三も、一昨年の高三もそうだった。だから予測し得た結果なのだ、これは。

 

 だというのに何か重たいものが僕の中にあるのは何故なのか。いや空っぽなのか。分からない。

 

「ありがとうございました!」

 

 対戦相手への礼、左右から聞こえたのはヤケクソみたいな叫び声だった。奇遇だな、僕もだよ。

 

 控え室に下がって、さっさと着替えればいいのに出来なくて。ボロ泣きしている大将の頭を抱き抱える顧問、他のメンバーだって似たようなもの。そんな姿を僕は眺めていた、立ち尽くして。

 

 やがて顧問が一人一人に声をかけ始めた。三十代だという短髪痩躯の、鬼みたいに厳しかった先生。そして僕の番。

 

「ノブ、お前が入部してきたときは正直、一年続かないと思った」

 

 ひでぇ、と思うが自分でも同感だ。入部の目的は体力養成だったのだから。

 

「掛け声は小さいしへっぴり腰だし部員と話さないし、目が如実に不満だらけだったからな」

 

 モヤシのコミュ障にはハードルが高すぎたんだよ。体育会系のノリにも付いていけなかった。

 

「でも夏の合宿も、冬の寒稽古も、普段の部活動も、一日たりとも休まなかった」

 

 それは帰宅して両親の顔を見たくなかったからだ。何かある度に「結城さんに申し訳ない」と言われ続ければ家に居たくないと思うだろう……代わりに地獄の練習が待っていたとしても。

 

「二年目には劇的に変わったな。振り下ろす腕も震えなくなったし、お前もいっぱしの剣道初心者になった。楽しんでいるのが傍目にも分かる程に」

 

 それは、昔からデジャヴを実生活に当てはめて活かすことばかりしてきたから。通年の経験を積んでしまえば後は似たような繰り返しなので、僕にとっては慣れたことだった。

 

「ノブ」

 

 全部、顧問の勘違いなんだ……だからさ、先生、そんな目で僕を見ないでくれよ。

 

「よく頑張ってきた」

 

 なんだってこんな、僕は誰に望まれた訳でもないことを必死こいて続けて。

 

 それを見てくれていた人がいて、的はずれなこと言われて。

 

 なのに嬉しいとか、思っちまってるんですか。

 

「おし、今日は打ち上げ行くからな! 先生の奢りだ」

 

 そんな顧問の宣言にさっき泣いた大将がもう笑った。学校近くまでわざわざ戻って、押しかけたのはその辺りにあるラーメン屋。この時期の御用達らしく、店長と顧問は顔馴染みのようだ。

 

 人付き合いがなかったから僕は知らなかったが、部員達はよく通っていた店なのだろう。慣れた様子で席を詰めていくのに倣い、狭苦しい椅子に座る。肩がぶつかり合うような近さだ。

 

 メニューもなしに同じものを人数分、ドンと出されたのは肉野菜マシマシの豚骨、いかにも運動部が食べそうなラーメンだった。家では絶対に食卓に上らない、暴力的なまでの獣臭と下品な程の盛り付けが空きっ腹に突き刺さって、僕達はせかされるようにして箸を突っ込んだ。

 

「どうだお前ら、奢りなんだから味わって食えよ?」

 

 一杯あたり千円もしないじゃねぇか、と返す部員達。わざとらしく戯ける顧問にツッコんで、わいわいと騒がしい。ズズ、と啜った麺から口内へ広がる豚骨の、大雑把な野郎感。

 

 今までも「美味な」ものは食べてきたし……普段の食事の方がよほど高価だと確信がある。

 

「先生」

「ん?」

「僕、初めて食いました」

 

 ノブお前ラーメン食ったことなかったのかよ、なんて沸き上がる声と爆笑。

 

 そうじゃねえよ。

 こんなに何かを美味いと感じたのが初めてなんだよ、ばかやろう。

 

 

 

 

 

 バシバシと肩を叩いてくる同級生、お前と僕は別に親しくもなかっただろう。

 訳知り顔で頷いている顧問の先生、いつか一本取ってやろうと思っていたのに。

 本当にうるさく騒いでいる大将達、泣くのか笑うのかどちらかにしろと言いたい。

 

 馬鹿だらけだ、ここにいるみんな。これが最後なのだと、丼を持ち顔を隠して汁を呑んだ。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 部員であることが終わり、受験生となった夏のある日。僕は結城家にお邪魔していた。

 

 原作知識を想起した高一のあの日以来、降って沸いた知識は確からしいことを僕はまず確かめた。そしてそれに(もと)づきどう動くべきかシミュレーションを重ねて出た結論がいくつかある。

 

 一つには自分がどう働きかけたとしても──情けない話なのだが──ソードアート・オンラインのデスゲーム化は防げないだろうということだ。

 

 原作の須郷は量子物理学の分野において、茅場との二大巨頭として扱われていた。その是非はさて置いたとしても、SAOのサービスが開始する時点における名声は茅場一強だっただろう。

 

 須郷が何本の論文を上げようと画期的な発案をしようと全ての先達が茅場なのだ。加えてナーヴギアとSAO、カーディナルシステムという目に見えた成果を示している。

 

 仮に……そう、仮にSAOの本サービス開始前日にテレビ局をジャックして「バッテリーセルの容量とフルダイブ技術を悪用したデスゲーム」の可能性を語ったところで、すぐに警察を呼ばれて摘まみ出されるだけだ。

 

 須郷の言葉の説得力が茅場のソレと比較して低すぎるから。茅場は最低限の外面さえ(つくろ)っておけば、第一人者としての立場と名声が彼の全てを是としてくれる。

 

 それこそ茅場の成果を先取りしてしまえば──NERDLESもナーヴギアもSAOも先に作ってしまえば──などという策は現実味に欠ける。僕の頭は凡俗な高校生に過ぎないから。

 

 究極的には茅場を物理的に排除すればいいって? 冗談じゃない、何故僕の人生を、赤の他人のため棒に振らなければならないのか。こんな選択肢が存在する時点で無理ゲー具合もお察しだ。

 

 

 

 

 

 そしてもう一つ────僕はこれだけの悪条件にも関わらず、何とかしてSAOのデスゲーム化を止めたいと思っているということ。

 

 僕だって自分が一番可愛い。誹謗中傷やあからさまな危険を犯してまで茅場と争いたくはない。

 

 けれど。

 

「久しぶりだね、明日奈君」

「お久しぶりです、すごーさん。父は書斎で待っているそうです」

「そうか。今日も暑い、体調には気をつけるようにね」

 

 にぱ、と挨拶を返してくれる明日奈(小3)と別れて彰三氏の書斎に。勝手知ったる他人の家、結城家にお呼ばれすることはそこそこあり、彼女と言葉を交わす機会もそれなりにあるのだ。

 

 両親の躾はかなりしっかりとされている一方で、母方の実家が田舎らしく盆と暮れには祖父母に甘えられるという育ち方をしている。兄がいることもあってか大人ぶろうとする面もあり、そこがまた可愛らしい……ではなく、癇癪(かんしゃく)を起こさない、理性的なのだ。

 

「それもそれで心配なんだけど……」

 

 とにかく、感情的な人間は全員DQNなんじゃないかと考えてしまう程にコミュ障な僕にとって、自然体で話せる相手というだけで貴重なのだ。その彼女がデスゲームに? 悪い冗談だ。

 

 では明日奈がデスゲームに巻き込まれるのを防げればそれで充分なのかというと、これがそうでもない。想起した原作知識が僕を責め(さいな)むのである。こちらの方がより深刻だった。

 

 忘れもしない2014年の春、あの日の時点で既に手遅れな事柄は複数あった。各々の正確な日時や場所など覚えていない、だが年齢から逆算した結果、どうしようもない事実は思いのほかに多い。

 

 例えばキリト……桐ヶ谷夫妻の事故死。

 例えばユウキ……紺野親子のHIV感染。

 例えばシノン……朝田父の交通事故死。

 

 本当、何故タイミングを逃した時点で知識を思い出すのかと思う。正直、もうほぼ手遅れなんじゃないかとすら。そして茅場晶彦はこの二年間で活躍の幅を広げ、更に高い牙城と化している。

 

 けれど明日奈の笑顔を、澄まし顔を、怒り顔を、泣き顔を見る度に胸が(うず)く。良心なんて僕には無いだろうなんて(うそぶ)いてみても、偽善者気持ち悪いなんて自虐してみても、どうしようもないのだ。或いは僕が須郷伸之で、彼と同じく小心者だからなのか。

 

「急な訪問、受けてくださり感謝します」

「よく来たね、伸之君。先日の試合は惜しかった」

「ありがとうございます……あの、彰三さん、お話があります」

 

 茅場晶彦と同じ道を歩いて、後追いに窮々として、劣化コピーの扱いを受けて、自己評価すら失墜する未来。はっきり言って、僕は茅場が怖い。僕の人生を無意味なものに失墜させかねない彼を、恐れているとすら言っていい。

 

「何かね? アーガス社の株式購入や技術提携打診の件で君には随分と驚かされたからね、生半可なことでは驚かんよ」

「実は、志望する学部を医学部にしようと考えています」

 

 記憶がもたらす苦痛と予測がもたらす恐怖、二つの板挟みにあった僕が逃げたのは、折衷案。同じ道を歩みたくはない、けれど何かしなければ僕自身の心が悲鳴をあげるから、選んだ逃げ道。

 

「我が国における輸血用血液の問題、特に血液製剤の抱える問題を、ご存じですか?」

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 日本は医療先進国であり、必要とする輸血量も比例して多い。にも拘らず国内の献血で賄うことはできておらず、海外からの輸入に頼る部分があまりにも大きい。血液製剤も同様に。

 

 血液製剤、血液を原材料とした医学薬品は性格上、元となる血液による感染のリスクをゼロにはできない。その被害を受けた患者類型の一つがAIDS、HIV感染者だった。

 

 その内に血液製剤の問題は社会問題化されるだろう。

 その内に国が動き、法整備や医療体制が整うだろう。

 その内に特効薬が生まれ、治療のメドが立つだろう。

 

 だがそれは、今ではないのだ。それでは遅いのだ。救えない人間(ユウキ)がいるのだ。

 

 熱気の籠った部屋の中、それ以上に熱意を込めて訴えかける伸之の説得は、既に一時間を超す。

 

 まるで()()()()()()()かのような実感と気迫……唖然、まさしく唖然とするしかない内容に結城彰三は困惑していた。ショックを受けたのか、朦朧としてきている頭をなんとか回転させる。

 

 突拍子もないことを言い出すようになったのは二年前からだが、今回もまた事前の気構えを粉砕してくれた。タラリと流れた汗を拭い、口を開く。

 

「伸之君……君の父親は私の腹心、レクト社の幹部だ、総合電子機器メーカーのね。彼は、そして私も、君にいずれレクト社を継いで欲しいと考えている」

 

 知らない筈はない。直接口にしたことこそなかったが、状況から推察すれば容易に出る予測だ。結城家長男、浩一郎が継ぐ可能性もゼロではないが……経営のセンスや管理職の資質を鑑みると現在では首を捻らざるを得ないのだ。

 

 故に伸之には理工学部を卒業しレクトに入社してもらい、各種の資質を試していく。並行して浩一郎への教育も本腰をいれ、互いに競わせる形を作る予定だったのである。

 

「それに血液製剤の問題も、AIDS患者の問題も、君がする必要はないだろう?」

「彰三さん、確かに僕はロクデナシです。両親とは向き合えないし、貴方にも迷惑ばかりかける」

 

 そこまでは思わないが、とフォローしようとした彰三を遮って、ギラリと輝く眼光。伸之の眼差し、射抜く視線が彰三を縫い止める。

 

「けれど。今この瞬間も病に侵されている人がいるんです、間違った知識、人災によって」

 

 じっと瞬き一つしない目から視線を動かせない。

 

 伸之が来てから始まった耳鳴りがうるさく、まともに意識できる音はただ彼の言葉だけ。

 

 ゴクリ、と喉が動く。変な動悸すらしている。早く、早く次の言葉を言ってくれ。

 

 周囲がボヤけ始めて、視覚すら危うい中、彰三はただ伸之の言葉を熱烈に待ち望んでいた。

 

 そして、やっと。

 

「僕をヒトデナシにしないでください。誰かが悲しむ未来を知って放置したくはない」

「…………あぁ、分かった」

「賛同してくれますか、ありがとうございます!」

 

 ガッと握られる両手、その刺激でハッと意識が覚醒した彰三。見送るために立ち上がろうとして目がくらみ、そのまま椅子へ倒れ込んでしまう。

 

 伸之が部屋を出ていく後ろ姿を最後に、彰三の意識は暗転した。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「それにしても……なんで彰三さんの部屋、クーラー入れてなかったんだろう?」

 

 夏本番。うだるような暑さの中を帰宅する途中、どうにも暑かった彰三さんの書斎を思い返す。世間は最高気温を連日更新する夏日続きで熱中症患者が量産される毎日、窓から差し込む日光と(こも)った熱気のせいで、体感だが四十度を超えていたように思う。

 

 僕は夏合宿の地獄を経験しているから耐えられたのだけれど、彰三さんが涼しい顔をしていたのには驚いた。経営者は想像以上に激務なのだろうか。

 

「年齢的に更年期障害があってもおかしくないのに、もしや体を鍛えているのか……如才ないな」

 

 対両親説得の最終兵器である彰三氏、彼が味方になれば両親は頷くしかない。だからこそ三顧の礼に倣ってでも押し掛け続けるつもりだったのだが、一度目で上手く行ったのは僥倖だ。

 

 そもそも結城家には後継ぎとして長男の浩一郎がいるのだ。僕までレクトに引っ張りたい彰三氏の思惑は、言うなれば「親子二代でウチに仕えて欲しい」ということなのだろうと思う。

 

 それを悪いとは言わないけれど……長男の腹心にする気だったのか、長男の当て馬にする計画だったのか、娘婿として跡を継げる可能性もあったのか、果たして本当の所はどうだったのだろう?

 

 まぁ今回の件で流石に見切りを付けられただろうし、許嫁の解消も時間の問題に違いない。

 

 次は志望大学の過去問を買いに行こう、と鼻唄混じりに炎天下を歩いて向かう。

 

 

 

 

 

 東都医科歯科大の過去問が洒落にならない難しさだと気付くのは後の話。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

起き上がり小法師

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・制度とは関係ありません。
モチーフにすることはあっても似ているだけ、作者に他意はない、イイネ?


 大学入試、それは確かに難事ではあった。泰然自若など程遠い僕は前もって大学を下見して──試験室がどこになるかもまだなのに──トイレの場所を確認し、電車が遅延した場合のルートを──最悪は歩いてでも──複数想定し、道中で何かあってはいけないと──途中で買い揃えられる物まで詰めて──キャリーバッグを転がして受験した。

 

 後から振り返ると本当、自分でも笑ってしまうようなことを大真面目にやっていたものだ。それよりも学力を心配しろと言いたい……ただ当時の自分はそれだけ緊張していたのである。無事に教室へたどり着いた僕は思った。

 

「受験できるなら合格するだろ」

 

 ただ単に、テストの出来を心配するための余力を残していなかっただけなのだが。

 

 

 

 

 

 そうして四月から志望大に通い始めた僕は、まるで予定調和のごとく(つまず)いた。

 

 半端ない予復習の量、新しい知識の複雑さ、人間関係の稀薄さなど理由にはこと欠かない。高校時代に感じていた「勉強? 僕はやれば出来るし」という確信が妄言と化したのである。加えて教授や同級生との交流などというものは基本的に存在せず、何につけても自分から働きかけなければいけない……ということを悟るまで月単位で要したのだ。

 

 

 

 

 

 その後の僕はとにかく動いた。患者団体との交流を持つゼミは存在していたし、教授陣だって立派な経歴と肩書きを持っている。図書館の膨大な蔵書は知識の宝庫と言えたし、同級生だって何かしらを志していると知った。

 

 けれど……まるで足りないのだ。遅々として進まない計画は、(なか)ば画餅となりかけている。あまりにも不足しているものが多すぎて、何が必要なのか、何をすればいいのか、まるで考えがまとまらない日々。溺れかけていた僕が手を伸ばしたのは結城家だった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 結城京子が伸之と顔をあわせたことは、実はこれまで数えるほどしかない。

 

 彼女自身の立場、経済学部の准教授という職責が休むことを許さないということもある。社会的地位を築くことで己の価値を示し、京都の本家をはね除けたいという思いから。

 

 だがそれ以上に強い本質的な理由は「彰三が勝手に選んだ」娘の許嫁だからだ。

 

 旧家のあり方を京子が嫌っていると知っているにも関わらず、旧態依然とした婚約者などというものを相談なく決めた彰三。彼への反発が、そのまま伸之の無視に繋がっていた。

 

「久しぶりね、須郷君。大学生活は順調?」

「いえ……お恥ずかしながら」

 

 2017年の盆明け、宮城から戻ってきた所を訪ねてきた伸之。彰三が婚約破棄を匂わせていることと、娘がそれとなく取り成したこと、双方があって仕方なく、本当に仕方なく席につく。

 

 居間のテーブル越しに対面する青年をまじまじと眺め、京子は溜め息をつきたくなるのを抑えた──何故時間を割かねばならないのか、と。だというのに。

 

「京子さん、教授を動かすにはどうしたらいいでしょうか」

「…………どういうこと?」

 

 自分は准教授だ、確かに教授陣の操縦法は心得ている。だが印象が悪すぎるので、そんなスキルを表沙汰にすることはない上に気づかせることすらない。手練手管を用いてのしあがろうとする自分を揶揄(やゆ)しに来たのか、と。

 

 この時点で会談はほぼ決裂していたのだが。

 

 伸之の話を聞いていく内に感じ方も変わっていくことになる。

 

「須郷君、あなた、良くも悪くも子供なのね」

 

 へ、と呆気にとられた顔を見て気が抜ける。本当、どうして一時的にも許嫁に選ばれたのかと。

 

「起こりうる悲劇を想定して、義憤に刈られて、一丁前に頭を使った気になって……ヒーローにでもなったつもり?」

 

 大学生の年頃にありがちなのだ、こういった暴走は。麻疹(ましん)と同じで一度はかかることになる。

 

 自分にしか出来ないことを求めて、自分には出来るような気がして、自分以外には良案を作れないと思って、がむしゃらになって……大体は壁にブチ当たって砕け散る。そうして嘆くのだ、自分は特別な存在などではなかったと。

 

 それがある意味では一皮剥けて大人になるということでもある。

 折り合いをつけて妥協することを覚えて、その中でどれだけ自分の望みへ近付けるのか足掻いて、へし折られては立ち直ることを繰り返していく。

 

「私自身だってそう。昔から教授職を目指していた訳じゃない」

 

 進学を機に宮城から上京して、彰三と出会って、将来を共にすると誓って、旧家の歪さを見せつけられて、女性でも独り立ちした立場になろうと決めて、専業主婦でも会社勤めでもなく学徒の道を志したのだ。

 

 その中に一体どんな義が、理想があったというのか。准教授として受け持つ講義は自分でなくとも出来ることで、論文の形で示した博士としての見識には何の思い入れもない。

 

「分をわきまえなさい。それがあなたにとって一番楽な道よ」

 

 京子は伸之を好ましく思ってはいないが、心底から彼を思って諭したのだ。私だって出来なかったのだから、きっとあなたもそうなのだ、と。

 

「確かに、それが正しいのでしょう。分をわきまえ、利口になり、折り合いをつけ生きることが」

「なら────」

「それでも、それは僕の正しさじゃないんです。今こうして渦巻いている無力感を無駄だとは……思えない」

 

 卑怯だ──そう思った。

 何故その目を私に向けるのかと。

 その目を向ける相手は私ではなく説得する相手だろう、と。

 

「そんな目を、昔はしていたわ」

「誰が、ですか?」

「誰もが、よ」

「それは彰三さんが? それとも」

 

 ふい、とそっぽを向く。京子とて、そのような時分はあった。振り返ると身悶えしたくなるような己の青さを思い出させられて平気ではいられないのだ。ただそれを悟られるのはシャクで──客観的に見て間違いなく気付かれているという予測には蓋をして──誤魔化すべくして口を開く。

 

「まずあなたには想像力も共感も足りていないの。AIDS患者に限らず感染症というものは昔から蔑視と差別が共にあったでしょう。にも関わらず声をあげることを彼らに強要するなんて見当違いにも程があるわ」

 

 マシンガンのごとく吐き出される指摘の数々。

 

 伸之の取り組む姿勢もろもろについても苦言を(てい)し、最後を締めくくった。

 

「加えてHIVの研究は、発症が海外由来だからなのか日本は遅れている。国も国民も、教授だって同じ、対岸の火事だと思っている。専門にしている教授どころか問題点を共有することすら難しいでしょうよ」

 

 これだけ指摘してあげれば無力感に打ちのめされて諦めるだろうと、京子は思っていた。

 

 だがたった一つだけ見落としがあったのだ。

 

「京子さん、ありがとうございます」

「はい?」

 

 伸之にとって無力感に苛まれることなど日常茶飯事であった。

 

 求めていたのは己の至らない点を指摘してくれる、話を聞いてくれる相手だったのだ。

 

「わざわざ具体的な課題点まで一緒に考えてくれるなんて!」

「はい?」

 

 

 

 

 

 その後、具体的なブレインストーミングまで付き合わされて──准教授の冷静な知見が遺憾なく発揮され──伸之は鼻唄混じりに帰っていった。

 

「お母さん、なんで玄関に塩を撒いてるの?」

「それはね、縁起を担ぐためよ明日奈」

 

 まったく、ひどい目に遭ったと玄関先で背筋を伸ばした京子。徹夜明けのごとくバキバキと音をたてた背伸びに明日奈は驚いて、京子はそれを見て思わず笑みが零れた。本当に、久々に。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 木を隠すなら森の中とはよく言ったものだ。持ち得ない知識を持つ僕だって大学にいれば一学生でいられるように、混ざってしまえば気づかれない。僕自身が身に覚えのあることを何故思い至れなかったのかといえば、やはり経験が浅く視野が狭いからだろう。

 

 感染症患者が声をあげることを求められて、応えられるのは(まれ)だ。ゼロではないが……誰しもが蔑視を受け、また蔑視されるのではないかという恐怖を抱えている。

 

 ならばどうすれば良いのか、京子さんは一緒に考えてくれた。

 

「血液製剤の運用状況についてお話を聞きたいんですが」

 

 血液製剤による感染症群のあくまで一つという立場にAIDSを落としてしまえばいい。悪いのは血液製剤の抱える性質であって、結果として梅毒などと同じく罹患してしまうのだと。

 

 輸血用血液に接したことのない医者などまずいない。教授であろうと学生であろうと同様に、身近な話題なのだ。加えて感染症群には学生でも日々学習するような病名も含まれる。

 

「教授の専門であるこの感染症研究について、お話を聞きたいんです」

 

 それは即ち、病名に該当する専門の教授も多いということだ。分母が増えれば分子も増える、数打てば当たるではないが、話に興味を示してくれる相手は確実に増えていった。

 

 あとこれは僕のミスなのだが……教授というのは、とにかく自信家である。自説を盲信レベルで主張するし、対抗する論説の相手は鬼のようにこき下ろす。そして「知らない」「分からない」という返答を極端に嫌う。よく言えばプライドが高く、ぶっちゃければ心が狭い。

 

 研究が進まないどころか必要性すらないと彼らが考えていたAIDS問題について知見を求められても、まともに返答がある訳もない。けんもほろろにボロクソ言われるのは当たり前なのだ。

 

「ところで教授、確かアメリカでは血液製剤に(まつ)わるHIVが問題だと聞いたことが」

 

 ならばどうすればいいか? 簡単だ。僕以外の誰か、仲の良い教授や一目おいている研究者、情報が薄いだろう外国の状況をダシにして……教授自身が思い付いたのだと思い込ませれば良い。

 

 そして働きかける相手は、何も上の人間ばかりではない。学生も同様に行えばいい。

 

「先輩、他大学の友人に聞いた話なんですが」

 

 大学生になって、義心を抱いて、壁にぶつかるのは僕だけではない。大なり小なり全員が似たような経験をしているのだ。それ程に僕達の年代は正論とか特別とか理想とかいう言葉が好きで、のぼせ上がってしまいやすい。あか抜けない、すれていないという美点でもあるのだけれど。

 

「問題は諸外国で指摘されているにも関わらず国は動かない。今も被害者は増えているんだ」

 

 動きたい、けれど現実的な計画がなくて出来ない、そんな学生は多い。当たり前だ、ついこの間まで高校生で、授業を受けることしかしてこなかったのだから。

 

 そんな彼らに指針を、計画性を与えることを行く先々で繰り返して一年も経つとどうなるか。

 それはもう、エライことになる。

 

 医学に留まらず薬学や法学へと波及していく運動が大学を越えて行われるのだ、社会問題化するのは時間の問題だった。リスクなしで国を相手取れるのだ、メディアだって放ってはおかない。

 

 運動に関わっている人間の全員が善意などということはない。むしろ少ないだろう。誰もが思惑を持ってこの流れを利用していて……それでもいいのだと、思うようになった。

 

 賠償の訴えや治療の研究も始まるだろう。在学中には法整備も含めて支援の体制が作られるだろうと……いつぞや話も聞いてくれなかった教授は自慢気に語っていた。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「どうしよう……」

 

 そんなこんなで大学二年の半ば、僕は先行きに頭を抱えていた。

 

 というのも運動が完全に僕の手を離れてしまったからだ。何人もの人間が「自分で思い付いた」と思って自信満々に活動している今、そうなるよう働きかけた人間がいたことなど覚えている者はほとんどいないに違いない。それ自体は構わないのだ、神輿(みこし)になるなど御免なので。

 

 ただぽっかりと、やることがなくなってしまったのだ。

 

「治療法の研究だって洒落にならない難しさだし……」

 

 話を聞いてもらえる相手を探す中で訪問した現場の医療スタッフ、そして患者自身の姿と現状。過酷、そんな言葉で表現することが申し訳ない程の今がそこにあって、僕はまた己の不明を恥じたのだけれど……そんな彼らを救う手だてを、僕は持っていないのだ。

 

 新薬の開発、治療法の研究、それらを僕が始めるまでにどれだけの時間がかかるのか。今までの研究成果のほとんどは外国語で、理解に膨大な時間が費やされるだろう。その先で開発に従事するとして、新薬発見には多分に才能的な面がある。

 

 そして僕は(ひらめ)きやセンスといった資質が欠けていた。そもそもが不器用なのだ、新しいことを覚えるには何度も繰り返して慣れを作り、ようやく人並みになれる。

 

「他の人に任せるしかないのかなぁ……」

 

 素人の自分よりも優れた研究者は国内だけでも沢山いる。そんな彼らのマンパワーに期待して、待っているだけで……いいのか? 自分は特別じゃないと悟ったふりをして、全然悟れていない。

 

 そうして僕はいつぞやのように学校帰り、電車に乗り込み三角コーナーに背中を預けていた。他人に当たり散らすことは流石にしなくなったけれど、この癖は高校時代から変わらない。

 

 確か、あのときも車内ディスプレイを眺めていた。今日も僕は対面のドア上にある液晶を眺めて、ボーッとして。NERDLESの機械が冷蔵庫サイズに縮小されたというニュースが流れて。

 

「あれ?」

 

 ────冷蔵庫サイズなら、そのままメディキュボイドに流用できるんじゃ?

 

 2018年、某日。直接神経結合環境システム、NERv Direct Linkage Environment System、略称NERDLESの研究開発は順調に進んでいたのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

いざ魔王城へ

登場する制度はあくまで似た何かであり、登場する大学も似た何かです、イイネ?


 思い付きを形にしようとする試みはすぐさま暗礁に乗り上げる。

 

 和訳すれば医療用ベッドだろうか? ナーヴギアのベッド一体型だった、と思う。

 

 ナーヴギアは家庭用ゲーム機なので小型化する必要があるが、メディキュボイドにダウンサイジングは必要ない。患者が利用する場は基本的に個室なので、部屋に入りさえすれば良いのだ。

 

「結論、今のままでメディキュボイド化は可能だ」

 

 そうして悦に浸ろうとしたところで、肝心の仕様や設計が分かっていないことに思い至る。

 

 メディキュボイドの具体的な仕様は? 麻酔代わりに痛覚カット機能を利用していたのは覚えているのだけれど。それで済むのならナーヴギアを被ってベッドに寝ていればよくないか?

 

 いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 けれど今の僕にはメディキュボイドの仕様も、痛覚をカットする仕組みも分からない。いや、そもそもNERDLES自体について素人同然、この分野について何も知らなかった。

 

「これは…………冗談でなく不味くないか?」

 

 あまりにも問題外な自分の現状に血の気が引く。知恵を出すどころか知識すらなく、知識を得る立場にもいないとは。誰だよ医学部志望したのは。僕だよ。

 

 かくなる上はアーガス社に乗り込んで茅場晶彦に直談判するしかないのか……いや、興味を持ってもらえるとは限らないし、説得するだけの前提知識もないのだ、素人考えしか提案できず失敗するのが関の山だろう。そもそも会ってさえもらえない。

 

 SAOが開始する頃、メディキュボイドの話はまったくと言っていい程なかった筈。茅場にとって優先順位の低い、或いは価値を認められないものだったのだろう。超人じみた彼を翻意させる? 素人が? どうやって?

 

 本当にどうしたものか……そんな僕を救ったのは件の──けんもほろろだった──教授である。

 

「君、それなら工業大に転入すればいい。それと前もって向こうの履修を進めておきたまえ」

「はい?」

「だから、我が校とあちらさんは提携しているだろう。何と言ったか……そう、複合領域だ」

 

 複合領域、それは複数の大学が連帯・提携することで学生に他大学の科目履修を認める制度だ。例えば医学部に所属しながら理工学部の講義を受けることも、不可能ではない。場合によっては他大学への転入も可能である。

 

 だがこの制度が存分に活用されているかというと首を捻ることになる。それもその筈、志望する学部を受験して入学するのだから、大部分の学生にとっては己の学部で充分なのである。

 

 かく言う僕も御多分に漏れず頭から抜けていた。これ以上は抜けている記憶がないことを祈って……そもそも歯抜けにも程があったことに気付いて何とも言えない気分になった。

 

 

 

 

 

 最後の最後にお世話になった教授には丁寧に礼を述べて……道筋だけは見えた。あと半年で用意を済ませ東都工業大へ、重村ゼミへ、NERDLES研究の場へ行くのだ。

 

 用意と一言で表してもとんでもない詰め込み教育だったのだが──全てを理解したなど口が裂けても言えないが──父に頭を下げて教えて貰ったりもした。複雑そうな顔をしている父を見て、何だかおかしくなった。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 三年になり、場所は東都工業大学理工学部、重村ゼミ。はっきり言って魔物の巣窟だった。

 

 茅場晶彦は確かに頭一つ抜けた頂点にいただろう。だが他の学生がボンクラだったかと言えばそんなことはない。少なくとも僕は場違いにも程があった。そんな中にあって僕がゼミに居続けられた理由の一つは「メディキュボイドを形にする」という明確な目標があったこと。

 

 そしてもう一つは。

 

「神代先輩、延髄部分で展開される電界に必要な信号素子の密度についてなんですが……」

「んー、ちょっと待ってて。今しばらく手が離せないから」

 

 神代凛子(こうじろりんこ)先輩。彼女が面倒がらずに疑問を解消してくれるのでなければ、僕の一日は辞書を引くために辞書を引く意味不明な作業にすり潰されていたに違いない。

 

 茅場晶彦の恋人だと聞いていなければ惚れる危険性もあった、と安堵してしまうような人だ。

 

「あぁ、痛覚を完全に遮断するために必要な電界状況に関する実験……参考になるのはアレと、アレだけど……」

 

 指を顎に当てて思案する姿を「あざといなぁ」なんて感じながら眺めていた僕に、先輩は爆弾を投下した。

 

「ねぇ須郷君、茅場晶彦に会ってみる?」

「はい?」

 

 いや、ラスボスに会いに行くとかあり得ないでしょう。

 

「そう言わずに、遠慮しなくて良いから!」

「いえ、あの……」

 

 遠慮ではないのだ。茅場晶彦が悪い訳ではないのだが、近づきたくないのだ。

 

 ただ……この機会を逃せば彼に会うチャンスなどまず二度とないだろうことは確かであり、彼がデスゲームなんてものを本当にやらかすのか、確かめたい部分もある。

 

 彼が人畜無害である可能性だってなくはないのだ。なまじ半端な知識が先入観として邪魔をしている可能性も、ゼロではないのだ。

 

 それに今の自分はゼミに来たばかりの新人、その道の大先輩に眼をつけられる理由もない。

 

 万が一にもないだろうが……次に繋がるような話が出たら拒否すればいい。ちょっと行って帰ってくるだけなのだ、ゼミの後輩のことなど記憶からすぐ消えるに違いない。

 

「じゃあ、お願いしていいですか?」

 

 後日、僕はこの能天気な選択を死ぬほど後悔することになる。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 変な男がいるから会ってみて欲しい、と伝えられた翌日。

 

「須郷のイントネーションは嫌いなんです。すごーと呼んでください」

「ふむ……では須郷君、話を」

 

 アポを取ってアーガス社までやって来た須郷に、当初は茅場も興味を示していなかった。名が売れてからというもの、訪ねてくる人間は(わずら)わしいまでに多くなった。アーガスに有象無象を間引いてもらってもなお面倒な程に。

 

 技術や抱負のみならずプライベートやプライバシーまで土足で踏み込む取材。研究開発に手を貸して欲しいと揉み手をしながらやって来る経営者。国の内外を問わず訪れる人間は等しく茅場になにかを求めてきた……情報を、利益を、技術を、飯の種を、栄誉を、名声を。

 

 何故NERDLESを開発したのか、茅場晶彦は何を目標としているのか……そんなことに興味を持つ人間はいなかった。或いはいたとしても好奇心や探求心によるもので、茅場晶彦という人間には関心がなかったのだ。

 

 だからこの男も同じだろうと思っていた──話を聞くまでは。

 

「現在のNERDLESでは足りないんです、精々が麻酔の代用にしかならない。現実世界での経験や感情は僕達の体に良くも悪くもフィードバックを起こしますが、VR空間での刺激は患者に作用しません。これではもう一つの現実の名が泣く、VR世界がそんな程度では満足できない」

 

 あくまで神代の紹介でやって来たに過ぎないと言い、実現したい発案の中身を熱く語る癖に基礎的な──わざわざ会って話すまでもないだろうと茅場自身は感じる──ことしか自分に尋ねない。

 

「多重電界で遮断される電気信号を選択的に──肉体の維持に寄与するものを選び出し──VR空間での活動を阻害しないように──伝達の強弱を制限する、という計画を」

「不可能とは言わない。助力は必要かね?」

 

 挙げ句の果てには試す意味で伝えた協力の申し出を断ったのだ。

 

「いえ、茅場先輩は絶対に手を出さないで下さい。僕の精神的安定のために」

「……ほう」

 

 自惚(うぬぼ)れが皆無だったとは思わない、けれど、こうも邪険に扱われる筋合いはないだろうと。

 

 久方ぶりに感情を揺らした──下方だが──茅場はそれでもなお、伸之の言いたいことを伸之自身よりも理解していた。具体的に設計する際の問題や、実現までにかかるだろう期間の概算すら。

 

「脳のみならず脊髄まで含めた範囲の直接神経結合環境システムたるNERDLES、生体電気信号を多重電界で遮断する仕組みの細分化と段階化、大別すると課題はこの二点だな」

 

 当然知っているだろうが、という前置きにガクガクと頷く様子を変に感じながら、茅場は課題点を指摘する。

 

 話を聞いていて茅場が思ったのは、寝転んだ状態で健常者が利用するNERDLESの弱い感覚遮断レベルでは、医療の現場で必要とされる苦痛緩和ケアの要求に耐えられないだろうということだ。

 

 出力を上げて脳での感覚遮断を強化するのみならず、脊髄部分まで伸長しなければ麻酔薬の役目は果たせないだろう、と。出力と範囲の増大が人体へ与える影響も考える必要がある。

 

「範囲を脊髄まで拡大するにあたっては出力の増大も勿論だが信号素子の密度も強化せねばなるまい。遮断しなければならない電気信号も、脳単体の場合とは異なってくる」

 

 そのために必要なのは何をさておいても実験だ。

 

「困難ではあるが先行きは見えている。問題は一つ、長期に渡るだろう実験の被験者は?」

「臨床試験は……僕が」

「いいだろう。君の計画はNERDLES技術の発展にも寄与する」

 

 思ってもいないことを言われた、とばかりに表情を固まらせる伸之。正解だ、茅場本人も思ってもみないことを言っているのだから。

 

 技量的には喉から手が出る程に欲しいだろう人材である茅場を拒絶するこの男は、いったい茅場晶彦という人間に何を見たのか。問わねばなるまい、どんな答えを得たのかを、と。

 

「君の被験者としてのデータが欲しい。NERDLESの研究にあたり継続的かつまとまった臨床データは貴重なのでね」

 

 方便だった。こう言えば彼は逃げ場をなくすことになるというだけの話だ。

 

「アーガス社には私から話を付けよう。君の健闘を祈る」

 

 茫然自失の態で部屋を後にする伸之を見送り、一息つく茅場。

 

 話していて生まれた違和感がある────どうして彼はVR空間が現実世界と比較して遜色のないものになるということを前提に話をしていたのだろうか。今の時代、余人にはまだイメージしきれない未知の存在である筈なのだが、と首をひねる。

 

 話の内容自体は彼にとって取るに足らないものだ。NERDLESを使いたいのなら勝手にすればいい、関知も関与もしない……幾人もの研究者や経営者に示してきた茅場のスタンスだったのだ。

 

 だがあの眼、強迫観念に駆られているかのように感じられる情緒、外向きの顔を剥いだ中にある渇望、そして何よりVR空間に対する興味関心の高さ。それらは全て、あまりにも身近なもので。

 

 或いは自分と似た────電話を手に、急ぎ連絡を入れる。

 

「お久しぶりです、教授。そちらに今度、伺おうと思いまして……ええ、NERDLESの技術提携、いえ、私ではありませんよ。発案者はそちらの学生です」

 

 口角が上がった────逃がすものか、と。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 茅場先輩と談判した際には非常に大雑把な説明になってしまい、自分でも「医学部(笑)」なんて名乗りたくなったものだった。医学部と理工学部の授業をちゃんぽんに受けた結果、僕の頭の中は相当愉快なことになっている。

 

 だが後日、改めて茅場先輩が研究室に来てくれることを聞いた僕は半狂乱、一体何が起きたのか分からないまま……とにかくいい加減な説明だけは避けなければと専門家に助けを要請したのだ。

 

 東京近郊でツテのある相手を総当たりして唯一応じてくれた倉橋医師──三日前のアポ取りに応じてくれた彼──には頭が上がらない。

 

 やって来た茅場先輩と倉橋医師、そしてゼミの面子が議論を重ねているのを横目に僕はお茶を注いで回っていた。

 

「例えばNERDLESに接続したまま寝たきりの生活を送るとして──あぁ、仮称メディキュボイドの話です──どれほど接続先のVR空間が優れていても、肉体が耐えられません。誤解を恐れず言えば、利用者は擬似的な脳死状態に置かれる訳ですから」

 

 そう語るのは倉橋医師、実際の現場で活躍する人の意見だ。

 

「自発呼吸と心拍の維持はできるでしょう。ですが栄養摂取はチューブ経由、筋力は衰えるまま、体を動かそうとする信号すら届かない神経は劣化し、免疫系は言うに及ばずホルモンバランスを整える機能もまともに作用しない」

 

 いわば野ざらしにされた肉の塊、賞味期限が切れるまでは数年間、一時しのぎにしかなりません──自嘲気味にこぼす倉橋医師には真っ黒なクマができていた。

 

「筋力低下については電極を貼り付ければ問題ないだろうが……確かに今のNERDLES技術を流用しても、痛覚をカットする機能しか役に立たないな」

 

 そう言葉を返し、対策について討議を始める茅場先輩とその他のゼミ所属者。

 

 ジェルベッドを別に用意するとか、Quality of lifeの問題だとか……僕は話に参加しなかったのか? 開始五分で諦めたよ。だから倉橋医師経由の、それも概要しか分からなかったりする。

 

 免疫系、その中でも重要な働きを担うT細胞。ヒト免疫不全ウイルスの脅威は、このT細胞が作られる傍から破壊されてしまうことにある。

 

 細胞への侵襲に遺伝子情報の転写、潜伏と増殖などメカニズムの全てが厄介ではあるのだが……メカニズムそのものは一応、解明されているのだ。

 

 にも関わらず治療が難しいのはウイルスに効く薬を見つけ出す難しさと、ウイルスの変異スピードによって折角ヒットした抗ウイルス薬が無意味になってしまうことにあった。

 

 抗ウイルス薬の開発と建設的な治療手順は今後、国内外の専門家達が成し遂げていくだろう。

 

 ならばNERDLESは何らの寄与も出来ないのかといえば、そんなことはない。副作用のない麻酔代用品だけでも充分にありがたく、また他にも望まれることは多いのだと。

 

 人間の体内で起こるあらゆる事象には電流が関わっている。それらの全ては未だ解き明かされてはいないものの、本来は人体が下す命令を外部的に発することもできる。

 

 例えば──減少傾向にあるT細胞を規定量まで増産するように、など。

 

 無論このままの実現は不可能だ。段階を踏んだ手順が必要な上に肉体が増産に耐えられない、或いは応えられない病状もあり得る。そして何よりこの事例だけでは対症療法でしかない。

 

 だが病状は安定する。タイムリミットを延ばすことはつまり、薬剤研究者に時間を与えることになる。何よりNERDLESによるアプローチは途上、より優れた道筋を見つけ出せる可能性もある。

 

 こうして始まったメディキュボイドの開発。僕はVR技術の一足早い実験台として長期のフルダイブを経験することになったのだ。

 

「あぁ、それと須郷君。資金もかき集めてきたまえ、君の仕事だ」

「はい? 研究室に割り当てられた予算は?」

「足りる訳がないだろう。何でも君は人をのせるのが得意らしいじゃないか」

 

 なんで茅場先輩が昨年の一件を知ってるんですかねぇ……そんな目で見られても僕なんて楽しくないですよ、本当に、だから注目しないで下さいよマジで。何が琴線に触れたのかまるで分からないんですが。

 

 ついでとばかり、予算を獲得するために奔走することも僕の役目になったのだった。




ちなみに原作のメディキュボイドは
・感覚遮断を麻酔の代用に
・VR空間を利用したQOL、Quality of lifeの充実
・AR(拡張現実)技術を用いた現実世界との通信
という利用をされていたもの。倉橋医師はユウキ達の主治医、メディキュボイドの存在に感謝しつつも実用化の遅さと機能の少なさを嘆いていました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

僕の姪っ子がこんなに可愛い

 ふと疑問に思って尋ねたことがある──アーガス社は資金援助してくれないんですか、と。

 

 茅場先輩は言った──限りある財源は重要なものに集中させるべきだ、と。

 

 ナーヴギアとSAOですね分かります。出資した額を回収できる見込みはそこそこあるのにどうしてアーガスが手を出さないのか不思議だったんですが、アインクラッドへの情熱で経営陣と役員会に押し通したと。

 

 そんなにソードアート・オンラインが早くやりたいのか。いや安全なら僕もやりたいけど、って原作の開始は2022年11月で、今現在は2019年も末……茅場先輩、ご自分の研究に戻られた方がいいんじゃないですかね?

 

「何か私に知られると不味いことでもあるのかね」

「そんなことあるわけないじゃないですか」

 

 VR越しに送られてくる量子脳学の論文の山。慌ててそちらに意識を移す僕は現在フルダイブ真っ最中。朝はメディキュボイドで目を覚まし、食事を済ませフルダイブ×三度、シャワーを浴びて就寝代わりにフルダイブ、月月火水木金金……誰だよこんなブラック職場志願したのは。僕だよ。

 

 なぜ分からないのか、本当に分からないのか、本当は何を隠しているのか、そんな視線が来る日も来る日も向けられる毎日です。先輩、僕の脳波形を眺めてブツブツ呟くのはやめてください。気晴らしでしかなかった剣道の型の練習は何故義務になったのでしょう。あぁ、胃が、胃が……

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「明日奈の様子はどうだった?」

「まるで聞かん坊ね。あの子も中学一年だというのに」

 

 2020年の夏、結城家。普段ならばお盆の時期には家族揃って宮城の実家に里帰りをするのだが、京都の本家……彰三の実家で不幸があり、今年はそちらへ出向くことになってしまったのだ。

 

 彰三も京子も好き好んでその選択をした訳ではない、せざるを得なかったのだ。総合電子機器メーカーたるレクトは言わずと知れた有名企業、CEOの彰三は世間一般からすれば雲の上の存在だ。京子にしても経済学部の准教授、教授職に就くのも時間の問題とされている程の才媛である。

 

 その二人をして尚も肩身の狭い思いを強いられるのが、京都の本家という場所だった。複数の地方銀行を傘下に収める旧家として、西日本では厳然たる存在感を示している。外部にいることを選んだ彰三はいわば少数派、京子に至っては部外者にも近く、冷笑と侮蔑の類いを向けられる程度ならば御の字……そのような扱いだった。

 

 けれど、いやだからこそ彰三はがむしゃらに働いた。能力のある者、資質のある部下を取り立てて育て、会社を大きくして、誰もが認めざるを得ない存在になって──そうすれば、本家の態度も変わるだろうと。

 

 そして京子もまた一人で闘う道を選んだ。未だ男性社会の香りが残る学者の道、准教授になり、着々と成果を積み上げて教授へと至ったならば──そうすれば、本家の態度も変わるだろうと。

 

 旧家の出身にあって恋愛の末に結ばれた彰三と京子が互いのことを想っていない筈がないのだ。彰三は京子の受ける扱いに「自分が頑張れば好転する」と信じ、京子は彰三の受ける扱いに「自分が頑張れば好転する」と考えた。

 

 だが今に至るまで本家の態度は好転しないまま……食い違った想いは彰三を仕事に、京子を闘争に駆り立ててきた。結果、家庭の暖かさは消えた。京子も、明日奈も笑うことが極端に減った。

 

 どうして上手くいかないのか。

 どうして皆分かってくれないのか。

 どうすることを本当は望んでいたのか。

 

 本当は気付いているのだ、昔、自分達が望んだものはこの現状ではないと。けれど切っ掛けの想いも選んだ道のりも間違っていない筈であって、だからこそ歩みを止められない。大人になればなる程に、積み重ねが増えるから。

 

 唯一それが通じない時代がある。子供だ。積み重ねたものなど全然なく、あったとしても放り投げられてしまう。嫌なものを嫌だと言い、理屈も慣習も無関係に、感じ願ったことをそのままに追い求めることができる。

 

 明日奈という少女は二者の過渡期にいる。両親の期待に応え、行儀を良くして、成績も優れ、運動もでき、品行方正で、非常に大人びていて────大人びているだけの子供なのだ。

 

 だからこそ今回、彼女は暴発した。言うことをあれほど聞いて良い子でいるというのに、祖父母の家に行くというほぼ唯一の安らぎすらも自分から奪うのかと。

 

 珍しく声を荒げた明日奈の様子を思い返し、彰三は溜め息をつく。一体誰に似たのかと。

 

「あのままだと一人でも宮城へ行ってしまいそうだ」

 

 誰か付き添ってくれる者はいないか、と考えたとき……二人の心には同一人物が浮かんだ。

 

「彼で、いいのか?」

「他にいれば苦労しないけれど」

「いや……いない、な」

 

 部下だって忙しい。娘の送り迎えをしてくれないかと頼めるような心当たりは彰三になく、それは京子も同様だった。自分のプライベートを、弱味を大学で晒したくはないと考えていた。

 

 ちょうど話題に出た人物は彼を悩ませるもう一人、彰三は京子の顔色を窺うように喋り出す。

 

「須郷君とのね、その……明日奈との婚約を、終わらせようと思うんだ」

 

 家ぐるみの付き合いがあった腹心の息子、期待に応える力もあり性根も悪くないと思われた。人の本性を見抜く目がいささか弱い彰三にとって「人格の確からしさ」は何よりも大事だったのだ。例え判断を外部に──親の人格が確かだから息子も大丈夫だろうと──求めてしまったとしても。

 

 けれど実態はまるで別、親しくしていたと思えば全く無関係な大学に進み、かと思えば理工へ転学してあの茅場晶彦と繋ぎを得て、なおかつ新型NERDLES発明者の一人にもなってしまった。

 

 とどのつまり、理解できないのだ、須郷伸之という人間が。レクトからの出資交渉が難航しているのもそのことが尾を引いている。

 

「そう……まぁあなたが決めてきたことだから、それ自体は構わないのだけれど」

 

 その点、京子はドライだ。自分達が生きていくにあたって意味を持つ人物か、役に立つ人間か、それさえ分かれば良い。人の性根を見抜くことにはそれなりに自信があり、その技量を活かして大学の内側という魔窟を生き抜いているのだから。

 

 そんな彼女からすれば須郷伸之という人間の評価は高い。力も勢いもあり、学歴もツテもある。仮称メディキュボイドの件だけでも実績には充分で、業界における認知度は茅場晶彦に次ぐものがある。彼のやることに巻き込まれるのは──疲れるので──遠慮したいのだが、それを別にすれば明日奈の婚約者として適格といえた。

 

 ただ、京子は何も須郷に肩入れしている訳では──本人の認識では──ない。娘の婚約者に求める資質はただ一つ、娘の価値を高めてくれる相手かどうかだ。それは須郷でなくとも満たしうる条件であり、殊更(ことさら)彼に執着する理由はなかった。

 

「それで、誰を選ぶのかしら」

 

 返答に詰まる彰三に溜め息をこぼす京子。若かりし頃の彰三はどこに行ってしまったのかと考えて、意味のないことだと振り払った。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 やって来ました宮城県、の山間部。どうしてこうなったのか、全ては一本の電話から始まった。

 

「明日午前八時、東京駅中央改札で」

「ファッ!?」

「待ってますから」

 

 明日奈君からの電話にぶったまげた僕は──

 

「茅場先輩、休みが欲しいです」

「休憩時間なら毎日あるだろう」

「休日が欲しいんです」

 

 ──先輩から一週間のお盆休みをもぎ取ったのだった。

 

 実際にはもっとまともなやり取りだったけれども(おおむ)ね変わらない。なんでも一人で宮城の祖父母宅へ行く彼女を心配した両親は同行者がいなければ認めないと言って……お鉢が回ってきたと。

 

 まぁ仙台駅までで構わない上に往復の電車賃も出してくれるというので「なら宮城の美味しいモノでも食べて帰ってこよう」と安請け合いしたのだ。

 

 これが運の尽きというヤツで。

 

「すごーさん、お話の続き、聞きたいです」

 

 なんて言うものだから新幹線を降りて電車を乗り換えて最寄りの駅まで喋り通しだったのだ。聞き上手って怖い。そして着いたら駅舎にお祖父さん登場。

 

「わざわざ遠い所から、是非あがっていって下さい」

 

 いやいや御宅ってバスで数時間かかる遠方じゃないですか、ほらバス案内板が劣化してボロボロに、なんて言えれば苦労しない。善意には弱いのだ、身に摘まされる気がしてしまう。

 

 そんな経緯を経て今、僕は縁側に座り庭を眺めていた──半袖短パンで。

 

「ぷ、くくっ」

「明日奈君、そんなに笑うとお話は終わりだぞ」

 

 だってあんまりな格好だから、と笑い転げる明日奈君。仕方ないだろう、着替えなど持っていないのだから、お祖父さんに借りるしかなかったのだ。最寄りの衣服店? 数十キロ先だよ。

 

 それにしても、宮城の夏は想像していた以上に涼しい。お祖母さんに切ってもらったというスイカを受け取り、しゃくりと一口。とりあえず当初の目的は一つ果たせたようだ。

 

「彰三さん達は京都だったか? 暑そうだよな、夏は」

 

 意外と全国最高気温の座を得ることもあるという。なんでも法事があるそうで、彰三さん達も大変だねぇ……なんてぼやいていた僕の耳に突き刺さる大声。

 

「あのッ!」

 

 隣にいて出す大きさじゃないだろうと言おうとして、体の向きをずらして、面と向かって見えた彼女はあまりに真剣な顔をしていたから。

 

「なんだい、改まって」

「あの……人生相談が、あるの」

 

 僕はまた安請け合いしてしまったのだ。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「悪いねぇ、手伝ってもらって」

「いえ、泊めて頂いていますし、これ位は」

 

 ブチブチと雑草を引っこ抜きつつお祖母さんに返事をする。翌朝、気温が上がりきらない内に農作業へ向かうお祖母さんにくっついてきたのだ。

 

 稲穂が水田に整然と並ぶ風景は、黄金に色づきかけた穂と青々とした茎葉のコントラストが見渡す限りに続き実に美しい。いつぞや彰三さんが語っていた通り、見応えのある場所だ。

 

 千枚田と呼称されるまでではないが、それでも十数枚にはなる棚田。分割されている故の不便、つまり大型機械を導入しての作業はできないのだが、小型であれば充分に叶う。高齢といっても大体の作業は機械化されているためこなせるとのこと。

 

 その中でも珍しく人力が必要になるのが雑草抜き、つまり今やっている作業だった。多少は身体を鍛えているから大丈夫だろうと思ったのだが甘い甘い、これは腰に来る。

 

「ほれ須郷さん、休み休みやらないと腰やっちまうよ」

 

 先は長いんだから、という言葉に従い泥に足を取られながら水田の外へ。ふと見ればお祖母さんの方が進行しているという事実。

 

 年の功だよ、なんて笑って差し出された水筒の、冷たい茶が旨い。日は天頂に昇っていた、昨日は感じなかった暑さは、今日は汗となって噴き出し首に巻いたタオルを濡らす。

 

 お祖母さんが作ったにしては不格好な白米の塩握りが異様に美味い。何か入っているんじゃないかと聞いてみれば、山間部の寒暖差が甘さを生むのだと胸を張っていた。

 

 

 

 

 

 黙々と頬張っていた昼休憩のさなか、ポツリとお祖母さんは溢した。

 

「京子は、元気でやっていますかな」

「すこぶる元気だと……思いますよ?」

 

 ぼんやりと稲を眺めているその目には、何か別のものが見えているのだろうか。

 

 遠くまで視線を飛ばしても見えてくるのは山々の緑と土の色ばかりで、ぽつりぽつりと民家がある程度。小さな村なのだ、ここは。

 

 この場所で生まれ育った京子さんは、何を思って上京し、准教授になったのだろうか?

 

「京子はね、私達の誇りなんです」

 

 上京するだけでも一大事なこの村で、都内の大学に行くとなれば大事件だったという。末は博士か大臣か、村を上げての壮行会、なんてものもあったとか。

 

 彼女が大学に残ることを決めて学者の道を進み、いくつもの雑誌に寄稿するようになり、准教授となって、活躍している。その様子を皆が──お祖父さんお祖母さんだけではない、村人達までも──雑誌を読み、新聞を切り抜き、ネットを使い、追っていた。

 

 誰にとっても娘のような、孫のような存在だったから……けれど年齢には、老衰には敵わない。一人、また一人と村の人々は減っていった。

 

「それでも京子がいつか、帰ってきたいと思ったときのために」

 

 あの家を、棚田を、杉林を、この村を、彼女の故郷を、残しておくのだと。

 生きて、生きて、生き延びて、守っていくのだと。

 

「どうして、そこまで出来るんですか」

「決まっているじゃないか」

 

 極寒の冬は(こた)えるだろう。機械化しようと農作業は過酷な筈。昔馴染みだって年々いなくなる。それでも。

 

「年老いた親が子供にしてやれることなんて、これくらいだからね」

 

 完爾(かんじ)として笑うお祖母さん。親とは、こういうものなのだろうか……分からない僕は目をそらして、何かを感じ取ったらしいお祖母さんは言葉を続けた。

 

「もしまだ両親がいるなら、たまには帰ってやりなさい」

 

 図星だった。メディキュボイドの実験を理由にして、この一年は実家に帰っていない。それ以前からも立ち寄りにくい空気はあって、面と向かって話したことなどずっと昔だった。

 

 だって僕は期待を裏切ったから。

 

 考え悩み決意した行動を、後悔はしない。決して誰に恥じることはないと言い切れる。

 

 けれど別問題なのだ。それ程までに両親の存在は僕にとっても大きくて、あの春の日までは本気で期待に応えようとしていて、そういった想いがゼロになった訳ではなかったのだ。

 

 あの日までの十五年間が僕を(さいな)むのだ。だから逃げた、僕のことを勝手に決める両親は酷い人間だと、話しても分かり合えないと、レッテルを貼って……今さらどんな顔をして会えばいいのか。

 

「お祖母さんは、京子さんに帰ってきて欲しいですか?」

「難しい質問だねぇ……便りがないのは良い便り、なんて言うけれど」

 

 やっぱり顔を見ると安心するよ、と。彼女の表情を見て、僕は実家に戻ることを決めた。

 

 

 

 

 

 さて、僕がどうして過去を振り返りナーバスになったのかというと昨日、明日奈君に人生相談をされたからだ。

 

 親の躾の厳しさに息がつまる、二人の期待には応えたい、けれど嫌な自分もいる、それを言い出せない、父を困らせたくない、母に失望されたくない、だけど苦しい……ギュッと胸元で手を組んで、訴えてくる彼女には見覚え(デジャヴ)があった。

 

 ────あれ、かつての僕じゃね、と。

 

 聞き始めこそ「そーか明日奈も年頃だよなぁ」なんてすっとぼけたことを考えていたのだけれど、じゃあアドバイスをいざしようとしたときに出来なかったのだ。

 

 自分と同じように好き勝手やればいい、なんて言えやしない。彰三さんに助力してもらいながら不義理を働いた僕が言えた義理ではないけれど……そのことで落ち込んだのが一つ。

 

 両親だって君のことを考えているんだよ、なんて言葉は僕にブーメランとなって返ってくる。彼らの意図を真剣に考えたことがあったのか……そのことも落ち込んだ理由の一つ。

 

 ひたすらに雑草をブチブチ抜きながら悩んでいたのだけれど、そこは年の功。お祖母さんにはお見通しだった訳だ。

 

 会って一日の僕すら見抜かれてしまうのだ、孫の明日奈君なら一目で気付いていたのだろう……事実、帰宅した僕らを迎えてくれた彼女とお祖父さんは京子さんのアルバムを眺め笑っていた。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「お陰で決心がついた。ありがとう、明日奈」

「えぇっと、どうして相談したわたしの方がお礼を言われてるの?」

「あぁ、いきなりじゃ意味不明だよな……」

 

 アルバムを片付けに祖父母が居間を離れた後。明日奈は須郷からの感謝に戸惑っていた。前日に相談した悩み……家の息苦しさはまだ解消されていなかったのだ。

 

 祖父の見せてくれた母、京子の来歴。祖父母が如何に京子を想っているのかを知ることができて嬉しかった一方で、果たして両親と自分はどうなのだろうと明日奈は疑問に思ってしまう。

 

「本当、結城家にはお世話になってばかりだ」

「結城家って、父さんと母さんのこと、だよね?」

 

 それと明日奈もだ、と付け加えられてまさかと思う明日奈。何の冗談だと返そうとして、真剣そのものの表情に口をつぐむ。

 

「聞いて欲しい、僕の今までを」

 

 そうして須郷から語られた内容は明日奈が全然知らなかったことばかり。叔父のようだった彼が何を思っていたのか、父と母が彼に見せた顔も同様に、初耳のことだった。

 

 他人から伝え聞く両親の姿は明日奈に新鮮な印象を与え、又どこか察していた部分もあった。

 

「父さんと母さんは、わたしのことを考えてくれているんですね」

「それは間違いない。彼らなりに」

 

 冷静な分析を発揮して須郷の悩みを一掃してしまう京子の知見、須郷の願いを聞き入れ後押しした彰三の先見の明……父と母は優れた人達で、実体験として聞けばこそ明日奈にも分かったのだ。

 

「ならきっと父さんも母さんも正しくて、間違っているのはわたしで」

「明日奈は間違っていない」

「……え?」

「明日奈の気持ちは明日奈だけのもの、明日奈の人生も明日奈だけのものだ」

 

 何故そんなことを言うのか。悩ませるようなことをどうして言うのか。重たいものがぐるぐると胸の中で渦巻く。明日奈にはどうしたらいいのかが見つけられなかったのだ。

 

「でも、だって、母さん達は正しくて、話し方だってちゃんとしてて」

「自分の言い分が劣って感じられたんだな」

 

 こくり、と頷く明日奈。友達の家に遊びに行きたいと言っても、同じ学校に行きたいと言っても、興味あるものができたと言っても……返ってくる言葉は理路整然、いつだって尤もらしくて、自分が幼稚に思えた。親の庇護下にいることは安心のみならず、劣等感をも育んだ。

 

「だから従っていればいい、自分で考えなくていいって、そうすれば楽だって」

「僕もね、同じだった」

「え? すごーさんは意思を通したんじゃ」

「僕は策を(ろう)して逃げたんだ、正面から向き合うことから。そのことから目をそらしてさえいた」

 

 打ち明けられたのは彼の、数年前からの確執。須郷が手にしてきたモノと置き去りにしたモノの記録。誰かを救いたいという気持ちと、両親の考えに反してしまう申し訳なさだ。

 

 彼女にも似た想いがあった。「閃光」と呼ばれた物語の少女のように生きたいと憧れる自分と、どこかで諦めている自分がいた。具体的にどうしたいのかも、見つかっていない。

 

 明日奈からすれば須郷でさえ羨ましいのだ。やりたいことを見付けて、周囲を動かし協力を取り付け、曲がりなりにも意思を通してきたのだろうと。比べるとあまりに自分が卑小に思えて。

 

 ぽん、と背中を叩かれた衝撃に倒れかける。慌てて須郷の服を掴み、抗議の目を向けると──

 

「それでいい。大人になったからこそ、人を頼ることを覚えるんだ」

 

 誰かを頼るとは、甘えることではないのか。そう尋ねる明日奈に、須郷は肩を震わせて笑う。

 

「自分一人で出来たならどんなにいいかと今も思うよ、まぁ夢物語なんだけど……それに、頼られる体験ってのは悪くない。僕が頼ったら明日奈は応じてくれるか?」

「そんなこと、あるの?」

「僕は今回、明日奈に助けられたからね、次もよろしく」

「……仕方ないなぁ」

 

 頼りにされるということは相手に肯定されているということだ。自己を肯定する気持ちにもなれる。大人だと、一人の人間なのだと認めてくれたのは嬉しかった。明日奈も思わず口端がゆるむ。

 

 それに、このパターンならそろそろ撫でてくれる頃合いだと頭を差し出して──

 

「明日奈はもう大人だからね、頭は撫でないよ」

「えっ」

「えっ」

 

 撫でて欲しかったかい? なんて聞いてくる須郷を()ね付けて、一人前の女性なんだから大丈夫です、なんて具合に強がって、自分の部屋に飛び込んで。

 

「わたしってほんとバカ……」

 

 見かねた祖母が代わりに頭を撫でてくれるまで部屋に(こも)っていたのだった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 「あなたのことを考えている」という気持ちは、相手に通じなければ無意味だ。本当にそうなのか、子の少ない人生経験では判断しきれないのだが、往々にして子の気持ちは反発している。

 

 そして大人は「何故分からないのか」と怒り嘆くばかりで説得ができない。言うなれば共通言語が存在しないのだ、経験を重ねているが故に、経験が浅い時代の自分を思い出し、同じ目線に立つことができない。

 

 食い違うこと、それは仕方のないことなのかもしれない。

 けれど子供の方が理解できる年が来たのなら。

 

 宮城を発ち、東京駅で明日奈と別れた僕は久し振りに帰宅して父と顔を会わせて、飯を食った。

 

 見合いかと笑う程おっかなびっくり言葉を発して。

 見かねた母が酒を出して、数年ぶりだなんて言って。

 見上げていた筈の二人より僕の方が体は大きくなっていて。

 黒々としていた筈の父の頭には白いものが目立つようになって。

 

 しがない会社員の自分がお前に残せるのは人との縁くらいのものだったと、話してくれた。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 父が何をしたのか、後日レクトから出資の申し入れが来た。

 

 「そこまで言うなら自分で嫁さん捕まえてこい」という伝言と共に。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

irony

 朝田詩乃は母子家庭で育った。正確には母方の祖父母の保護下で。

 元々は父もいたのだ。だが彼女が幼い頃に自動車事故で他界してしまった。

 人通りのない県境、衝撃で破損した通信機器、救助は六時間後と遅きに失した。

 血を流しながら段々と死に逝く夫を動けぬ妻は見続けた、見続けることしかできなかった。

 その衝撃が精神を退行させたのか、妻は夫と出会う前、十代半ばへと戻り帰ってこなくなった。

 

 母を守るのだと幼い娘は心に誓い、行動に移し続けた。

 母を怯えさせる訪問販売員には警察に連絡すると追い返し。

 つまらぬちょっかいを掛ける男子の鼻面を殴打してはね除けて。

 母を標的に狙った郵便局強盗に立ち向かい、銃を奪って鎮圧した。

 

 誰に恥じることはないと言い切れる。

 自分は母を守るために行動し、実際に守ったのだ。

 けれど誰も自分を肯定してくれない。怯え、(うと)み、(さげす)む。

 

「私は、いけないことをしたの?」

 

 そんな筈はない、ない筈なのに、周囲の全てが自分を否定する。

 

「助けてよ…………誰か」

 

 あまりにも小さな声は誰にも聞こえない、聞こえない筈だった──

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「薬物中毒者の強盗事件? 拳銃で? しかも現場で死亡?」

 

 いやはや、今の時代でもこんな事件があるとは驚いてしまう。何せこの国のセキュリティ事情は半端ないものがある。そこらのアパートすら電子ロックを義務付けられている程に。伴って薬物や銃刀の扱いだって当然厳しい。

 

 にも関わらずこの失態、これは今ごろ警察は半泣きだろうなぁ……なんてことを考えていられたのは最初だけで。

 

「もしかして……シノン、だったり?」

 

 口に出してみてほぼ確信する。このご時世、「クスリやった」人間が「拳銃」持って「郵便局に強盗」しかけておきながら「局内で死亡」する事件なんてまずあり得ない。強盗までならあり得るが死因が語られないというのはつまり──警官に射殺されたのでもなく、自殺を図ったのでもないということで──トラブルで殺されたということだ。

 

 警官が手を下したのなら「発砲は適切だった」と警察の発表がないのはおかしい。自殺なら報道されない理由がない。消去法として残るのは第三者の手で犯人が死んでしまった場合くらい。滑って事故死? それこそあり得ない。

 

 外れている可能性の方が明らかに低い……推測の蓋然性は高く、やはり放置できなかった。

 

「ちょっと東北にメディキュボイド売り付けに行ってきます」

「それは、君が見ていたニュースと関係があるのかね」

「えぇと、そう、です」

 

 流石に露骨だったか、と駄目そうな空気に項垂れ……茅場先輩が携帯端末を投げ渡してきた。

 

「報道されている情報だけではたどり着けないだろう。まずは東京駅に向かいたまえ」

 

 実験室を出ていってしまう先輩を見送って……こうしている場合じゃないと慌てて駆け出した。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「茅場先輩ってほんと何者だよ……」

 

 僕が東京駅に着くまでは一時間とかからない。だというのに目的地までの行程表が送られてきたのは一体どういう手品なのだろう? 僕が気付いていないだけで茅場先輩は既に電脳化を果たしているだとか、そんなことはないだろうか。そんな馬鹿げた考えを真剣に持ってしまう。

 

「まぁ助かるからいいんだけど……この病院か」

 

 関係者しか知らないだろうシノン……朝田詩乃の所在を当然のように記載したメール。一緒にあった捜査状況なんてものは、見なかったことにしたかった……けれど見た、見てしまった。

 

 故に悩む、ここで本当に自分が出張って良いのか、と。ひどく今さらの話ではあるのだけれど、調書だけからでも彼女の置かれた状況の過酷さは(にじ)む。

 

 白状しよう、僕はナメていた。事故で犯人を撃ってしまって、心ない噂を流されて傷ついている少女をケアすればいい、なんて────呆れたことを真面目に考えていたのだ。具体的な方策も持たず、来てしまった。

 

 自分に置き換えてみれば容易に想像できた話だ。僕が両親を守るために強盗犯を殴り倒して死なせてしまったとして、罪に問われなかったとしても平気でいられるかといえば、無理な話なのだ。理屈で許されても感覚が許さない。

 

 京子さんに呆れられる訳だ。共感できていないと叱られたあの日から全然成長できていない。

 

 けれどここで引き返す選択はない。何とかしたいという想いは、それだけは変わらない。

 ならばどうするか。茅場先輩に頼れるのはここまで、行程表にこの先は書かれていない。

 

 今回、時期と場所を事前に知ることは叶わなかった。準備はほぼゼロと言っていい。

 

「すいません、自分はこういう者なんですが」

 

 まずは医師に繋ぎを取ろう。疑似麻酔を売りにしているメディキュボイドの開発関係者という肩書きと、半端ながら医学部関係者という名目と、手札は持っているのだから。

 

 

 

 

 

「実はメディキュボイドの利用として、トラウマの治療も研究されているんですよ」

「ほう、それは…………どのような仕組みでしょうか」

「メディキュボイドは全感覚を遮断し、意識を仮想空間に運びます。仮想空間での経験はもちろん脳に影響しますが、肉体には影響の出ないようにすることもできます。発汗、拍動、それらの上昇を抑えることも」

「つまりトラウマの状況を再現しても肉体が反応しない分、脳が冷静に過去を受け止められると」

 

 あくまで研究中のテーマですが、という前置きで始まった院長との話は長引いていた。彼が熱心であったことも勿論なのだが、なかなかこちらの意図する方向へと話を誘導できなかったのだ。

 

「デリケートな内容なので、患者さんに軽々しく臨床試験をお願いする訳にもいきません」

 

 分かります、と頷く彼の目が一瞬だが泳ぐ。

 

「どなたか、思い当たる方が?」

「いえ、やはり……」

「実現にはまだ時間がかかりますし、お願いする際には本人の同意を頂きますよ、当然」

 

 逃がすものかよ、ここまで時間を費やしたんだ。あくまで患者本人のためなのだという態度を、恩着せがましくないレベルで示し続けて──これだけ話せばツボは分かる──彼は落ちた。

 

「つい昨日に入院してきた方なんですが、通院自体は以前からされていたのです」

「そうですか…………え、以前から?」

 

 どういうことだ、詩乃ではないのか?

 

「私がその昔に担当したこともある方で……ご両親も正直、(わら)をも掴む心境なのです」

 

 その人物は……朝田詩乃の、母親だった。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 数分も言葉を交わせば理解できた。この女性は非常に取り扱いが難しいと。

 

 実年齢とはかけ離れた精神年齢、退行症状を引き起こしている彼女は、まさしくその辺にいる女子だった。事件に巻き込まれてすぐということを差し引けば、特別に暗い訳でも頭の回転が遅い訳でもない。ただ、ストレスに弱い。どうしようもない程に。

 

 その昔の事故──旦那を失った一件──で過剰なストレスが掛かった後遺症なのか、脳の回路そのものにも癖が付いてしまったのではないかと思われた。如何に幼児退行を起こしたからといっても、記憶や振る舞いが十代半ばなのだ、女子中学生並みのストレス耐性は持ち得ている筈である。神経細胞なりシナプスなりホルモン受容体なりが異常を起こしているのではないか……無論、僕自身も専門という訳ではないから断言はできないが。

 

 将来的にメディキュボイドが発展を続ければ、外部的にホルモン分泌を正常化させるなどしてトラウマ症状を緩和することは可能な気がしている。裏を返せば今はできないということだ。ではこの人をメディキュボイドに押し込めて交通事故を再体験させる? 鬼畜にも程があるだろう。

 

 本当、なんだこの世界は。オンラインゲームをやって楽しく過ごせる未来なぞ本当に来るのか。

 

「お子さんが、いらっしゃるんですか?」

 

 自然さを装っての質問を発して……息を飲むこの人は誤魔化せたようだ。今の僕が自然な演技なんてできている筈はない。乱れそうになる呼吸を抑え、言葉を連ねる。

 

「同じ病院に入院していらっしゃるんですか?」

 

 Yes以外に答えようのない質問を続けていく。どうせ彼女は頭なんて働いていないんだ、押し通せる。そんなことを意図して……平気でいられる僕の方こそ、頭なんて働いていない。

 

「心配でしょう、何かお伝えしておきましょうか?」

 

 名目さえあれば僕は詩乃の病室に行くことができる。警察がいようが医師がいようが関係ない、母親の伝言という大義名分があればいい……だからこそ彼女に尋ねた、この会話で最初にして最後のオープンクエスチョン。

 

「あの子は……詩乃は」

 

 泣いていませんか、と────その言葉に僕は頭をガツンと殴られた、そんな気がした。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 僕はあまり荒れるということをしない。自分の手が届かないことは──手を伸ばすか否かは別として──仕方ないと思うし、意図したことが失敗しても──悔しいとは思うが──引きずらない。自分の力量というものを、良くも悪くも見限ってしまっているからだ。だからこそ自分で出来ない部分は他人任せにすることが多い。

 

 けれど、これは違う。自分の思い通りにことを運んで、そのやり口にヘドが出て、自分をぶん殴りたい気分になって……目的遂行に利さないと冷静に判断して、やり場のない嫌悪感を押し殺す。

 

「ふぅ……」

 

 今の状態で詩乃に会うことはできない。薬物依存の強盗と一対一で戦わされたのだ、大人の男性というだけで忌避の対象だろう。感情的に(たかぶ)っているなど論外にも程があった。

 

 病院の屋上、欄干に腕を置き、転落防止用のフェンス越しに夕日を眺める。真っ赤に燃える太陽の沈みゆく姿をゆっくりと見ていると胸の内もだいぶ落ち着いた。ちっぽけだなぁ自分、なんて自然と認められる。

 

 少し冷静になったところで詩乃の現状を考えることに。

 

 原作における詩乃は都内で一人暮らしする高校生、銃に極度のストレスを感じ、人付き合いが上手くない。僕が覚えていたのはこれくらいだ、後は郵便局の一件が加わる程度。

 

 どうして詩乃はわざわざ一人で上京したのかといえば理由は二つ、進学するため、地元を出るためだ。進学するだけなら地元でもよかった筈で、上京してからの付き合い下手を思えば地元でも似たような状態だったと推測され、両者を合わせれば「地元を離れるために進学を名目に上京した」ということになる。あくまで推察ではあるが、そう間違ってはいないと思われた。

 

 地元に居づらかった理由があるからで、十中八九は今回の件が噂として広まったのだろう。

 

「けれど詩乃は、銃の何がストレスになったんだ?」

 

 母を守ろうと犯人に立ち向かい、銃を奪って撃ってしまい、死なせてしまった一件。銃を忌避するようになるのは分かるのだが、具体的に何が詩乃にとってクリティカルな要因だったのかが分からないのだ。

 

 もしも僕の立場だったなら人を死なせてしまった自分を(いと)うのだろうけれど。

 

「それは僕の感性を押し付けているだけだしなぁ」

 

 ①自分が殺される恐怖②殺した己への恐怖③肉親が殺される恐怖④銃という武器に対する恐怖、ざっとでもこれだけ種類はある筈で、いずれもが詩乃の中にはあるのだ、多分。そして一番の根幹となっている原因によって必要なケアは全然違ってくる。この策定を間違えては意味がない。適当に慰めてカウンセリングごっこをしているのと大差ない。

 

 

 

 

 

 日が落ちた頃、それぞれの事例について予測を立てて事前の準備は終えられた。後は、話を聞いて貰えるかなのだけれど。

 

「すいません。詩乃さんのお母さんから、伝言を頼まれたんですが」

 

 一番の難所だ、なんて考えながら看護師に声をかけて……ポケットの通信機器を手で探った。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 今日もまた、母に会うことは許されなかった。沈んでいく夕日が病室を赤く染める……詩乃にはそれがまるで血の色のように見えて、ギュッと目をつぶってベッドに潜り込んだ。そうして少しだけ気分は楽になる──手に血の跡を幻視することはないから──けれど手に染み付いた血のぬめりと鼻に残る鉄の匂いは、消えてくれない。

 

 錯乱する犯人に職員が撃たれて硬直する郵便局内、カウンターのこちら側にいるのは詩乃と母と犯人だけで、犯人は母に銃を向けた。倒れ込んだ母は見るからに動けない様子で、守れる者は詩乃しかいなかった。

 

 咄嗟(とっさ)に犯人の手に噛みついて、振り払われる際に落ちた拳銃を奪って、犯人に向けて構えて──撃つ気がどれだけあったのかは覚えていない──掴みかかってきた犯人に奪われると思った瞬間に引き金を引いていた。その後、再び迫ってきた犯人を──心理的な(かせ)が外れたのか──撃って、それでもなお向かってこようとした犯人に──殺らなければ殺られると──最後の一撃を放った。

 

 落ち着いた今もあれ以上の選択などなかったと断言できる。殺す気はなかったし、そもそも撃つつもりすら最初はなかったのだ。追い詰められたあの状況で、大人な筈の局員が誰一人として何の役にも立たない中で、最高の結果を出したとすら。

 

 けれど、拳銃を渡すよう自分に語りかける警官の強張った表情が。

 母と引き離され、真っ先に警察署へ連れていかれそうになったことが。

 衝撃で脱臼した肩の痛みで入院した病院でも母とは未だに会えていないことが。

 警官は事件のことを繰り返し聞くばかりで母のことを全然話してくれないことが。

 何よりも、男を殺した自分を見る母の瞳、恐怖の矛先が自分であることが──耐えられない。

 

「…………?」

 

 ガラリ、と引き戸の開いた音がした。ここは個室だ、訪れてくる目的は詩乃しかいない。医者か看護師か、また警察なのか……掛けられた声は看護師のもの。布団から頭を出して答える。

 

「別に……構いません」

 

 伝えられたのは、母からの伝言を預かったという男性の訪問。いったい誰がと思ったけれど、すぐにどうでもよくなった。詩乃にとって母の状態を知ることは何よりも優先されたからだ。

 

「こんにちは、すごーといいます。カーテン越しに失礼するね、詩乃君」

「…………お母さんは、なんて?」

 

 馬鹿に丁寧な男だと思った。そして興味はなかった。さっさと帰ってもらおうと考えていた。

 

「お母さんは、少しお疲れだったよ。けれど短い時間なら話せる程には回復していらした」

「そう……それで?」

 

 この男も他の連中と同じような目を自分に向けるのだと想像がついていたから。人を死なせたことを平気に思っている詩乃を忌避して遠ざける。精々が通り一編の慰めを口にして、薄ら笑いを浮かべているのが関の山だと。

 

「お母さんは心配していたよ、君のことを」

「……っ、嘘だ、嘘に決まってる」

 

 何よりも望んでいた、しかし絶対に叶わないと知っていた、母からの心配を告げられた詩乃は信じることができない。自分に向けられた、怯えきった表情を覚えているから。母にすら恐怖されて、否定されたのだと感じたから。

 

 けれど────

 

『詩乃は…………泣いていませんか』

 

 耳に届いたその声を、聞き間違える筈がない。けれどその声の主がここにいる訳がなくて。

 

 慌ててベッドから飛び降りて、閉められていたカーテンを引き開ける。そこにいた男は通信機器を……録音再生のモードで示していた。再び流される音声、紛れもない、母の声だった。

 

「今のあの人はね、少し、心が弱っているんだ。強いストレスを受けると動けなくなってしまう」

 

 知っていた。十一歳の自分よりも精神的に弱かった母。自身に父の記憶は残っていない、だからこそ詩乃は自分がしっかりしなければと思って生きてきたのだから。

 

 無論、今回の事件が彼女の心に与えた衝撃は大きい、と言う男に拳を強く握りしめる。

 

「分かっている、だから私はこんなに!」

「だけど!」

 

 強い口調に気圧されて、続きを言えなくなる。一度呼吸を整えて、男は口を開いた。

 

「彼女は回復できていない中で、それでも君を、心配していたんだ」

「────あ」

 

 その意味が、分かるかい、と……続く言葉は既に聞こえていなかった。

 

「わたし、わたしは…………」

 

 男を死なせて平気な筈はなかった。

 あの選択に自信を持てるかなんてどうでもよかった。

 だって、本当に欲しかったのは、心が望んでいたことは。

 

 ────わたしは、お母さんにみとめてほしかった────

 

 自覚して、声がでなくて、体が震えて……ドン、と体ごとぶつかって、彼の手ごと通信機器を抱き締める。そこに込められた母の声を離したくないと、離れないでほしいと叫びたくて。

 

「よく、頑張った」

「…………っ!」

 

 背中をゆっくりと撫でてあやしてくれる温かさはどこか懐かしくて、恋しくて、けれどずっと欲していて、得られなかったもので。あれから初めて──入院してから、いやそれ以前に母と暮らし始めてから本当に初めて──詩乃は大声をあげて泣いた。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 詩乃の母親と対面してから考えていたことがある。僕は原作知識を当てにして行動しているなぁ、ということだ。うすらぼけた記憶ではあるけれど、そこに残った人々の感情が焼き付いているからこそ、背中を押されるように生きている。それ自体は善いことだと胸を張って言える。少なくとも恥じることはない、と思う。

 

 だがしかし……その中に描かれていない人は、どうなるのか? 例えば僕はここに来るまで詩乃の母親を全くと言っていい程に意識していなかった。言い切ってしまえば……詩乃がトラウマを抱えるようになる出来事の、登場人物の一人だと感じていたのだろう。

 

 けれど彼女もこの世界の一員で、彼女を心配していた院長も、詩乃の祖父母だって詩乃と同じように、僕と同じく生きているのだ。観客でも舞台装置でもエキストラでもない、主役なのだ。

 

 まぁ……全ての人のために、なんて具合に考えを広げてしまうと、それこそ鬼が笑うので止めるけれど。己の身の程を知って線を引いてしまえる辺り、僕は(アレ)な性格をしていると自分でも思う。

 

 きっと、詩乃だっていずれは救われたのだ。成長して、心に余裕ができて、自分の行いを冷静に回顧することができるようになって、自分の行動で救われた命があったのだと思えたなら……そのときはきっと、自分を(ゆる)すことができるだろう。

 

 ただ、母親のために恐怖へ立ち向かったこの子が──他のどの大人にも出来なかったことを成し遂げた詩乃が──いたずらに傷付くと予測がついていながら放っておいたら、成長した詩乃に会うことはできないだろうと思ったのだ。

 

 後は、少し前の明日奈を思い出してしまうのだ。彼女に向けて「大人になったな」なんて言っておきながら尻尾巻いて逃げ出したなら「兄貴づらするな!」とハッ倒されてしまうだろう。

 

 眠ってしまった詩乃を抱き上げてベッドに寝かせ、病室を後にする。

 

「流石に詩乃の祖父母には会えないよなぁ……」

 

 その辺りは昔馴染みらしい人に頼んでおこうと院長室への道を戻り始めた。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

『すごーさん、今年の冬も里帰り、お願いしていいですか?』

「また?」

『だってすごーさん、頼っていいって言ったじゃないですか!』

「分かった分かった、なんとか休みは貰うから…………貰える、よな?」

 

 十二月、年の瀬。いつぞやと同じような明日奈からの電話に、ふとアイデアが浮かぶ。

 

「なぁ、ものは相談なんだが……小学生を一人追加してもいいか?」

『はい?』

 

 責任感の強い二人のことだ、会わせてみればきっと良い友達になれるだろうと思ったのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

シノンのパーフェクト料理教室

 三ヵ月ぶりの詩乃と待ち合わせたのは東北新幹線の停車駅。ここから在来線へ乗り換えて、宮城の実家へ向かうことになる。電話では話していたけれど、こうして直接会うのはあれ以来だった。

 

 これだけの期間でそうそう大きな変化が表に出ることはない……よほどのことが起きない限りは。だからこそ彼女が以前と同じ雰囲気をまとえていたことに胸を撫で下ろした。

 

「こんにちは、詩乃君。迷わなかったかい?」

「案内板を読めるなら、迷う方が難しいもの…………こんにちは」

 

 フイ、とそっぽを向きながらも挨拶は返す辺りは「らしさ」を感じる所だ。即ち大人びて自分なりの判断基準を持っていながら、礼儀も踏まえていて育ちがいい。もう一人にそっくりである。

 

「あの、結城明日奈です。はじめまして」

「朝田詩乃。お世話になる、よろしくお願いします」

「うん、よろしくね。なんて呼べばいいかな?」

 

 別に何でも構わない、と素っ気なく返す詩乃。あぁ、そんなことを言うと……

 

「じゃあ、詩乃のん」

「…………え?」

「わたしのことは明日奈でいいから!」

 

 ほら、と差し出された手を前に詩乃は──詩乃のんは──視線をうろうろとさ迷わせる。「この呼び名を承諾させられるの?」みたいな意思は僕にも伝わってくるが明日奈へは通じない、待ちかねて自ら手を掴みとり、握手してしまう。

 

「じゃあ付いてきてね、ちょっと遠いから」

「ちょ、手、手がっ、助けてすごーさん」

「いいあだ名じゃないか、詩乃のん」

 

 そっちじゃなくて、と慌てていながら手に持った荷物を落とさない辺りは生真面目なのか、詩乃はそのせいで手を振りほどくこともできずに引っ張られていく。モコモコのダウンを着て並び歩く姿は友達同士での遠出……なのだが、彼女を先導する明日奈も明日奈でわざとらしい、ぎこちない空気がにじむ。

 

 無理もない、言ってしまえば……二人は友達が少ないのだ。同年代の相手と手を握って歩いたことなんて久し振りではないかと思う。詳細は違えど家の事情で友達に飢えていた二人。いきなり引き合わせれば「お見合い再び」になったのだろうが、そこはそれ。

 

「明日奈は大人だから頼むよ」

 

 一言で奮起してくれた……しすぎたかも知れない。

 

 電車に乗り込むと、詩乃と明日奈は先に並んで座っていたので僕は明日奈の隣に──座ったら、詩乃が場所を僕の隣に移してきた。

 

 何か私に落ち度でも? と見上げてくる不機嫌そうな表情。流石にいきなり手繋ぎはハードルが高かったらしいよ明日奈、ならば僕の軽妙な話術で空気を和ませようじゃないか。

 

「それで詩乃のんは──」

「その呼び方。あなたに許した覚えはない」

「──詩乃君は、こっちに来て良かったのかい?」

「それは私がいたら迷惑ってこと? あなたから誘ったのに」

 

 違う違うそんなことないよ母親はどうしたのかなーとか祖父母は引き留めなかったのかなーとか思っただけで全然迷惑とかないから視線を強めないでホラ変に力入って瞳が潤んでるから。

 

「そう……ならいい。お祖父ちゃん達はお母さんが説得した」

 

 半分は泣き落としだったけど、と語る詩乃。あれから一月しない内に退院した母親は相変わらず万全には程遠かったのだが、入院の早い段階で詩乃への心配を口にできたのが良かったのか、幾分落ち着いた様子だったという。

 

 まぁ生活状況そのものは以前と変わらないし変える必要もなかったのだが……どうしても耳に入る噂がある。郵便局強盗にまつわる詩乃の噂だ。

 

 あの場で何があったのかを知っているのは朝田親子を除くと郵便局員、警察・医療関係者くらいなのだが、どこからか漏れた話が尾ひれを付けて広まりかけている。

 

「それをお母さんが知っちゃってね」

 

 大変だったよ、と遠い目をする詩乃。お陰で自分が母に愛されていることは痛いほど理解できた──それは嬉しかったと頬を染めていた──のだが、(なだ)めるのに一苦労、昔気質の祖父が空気を読めず火に油を注ぎ母親は大噴火、何故だか被害者の詩乃が一番働いたというのだから、まぁ、お疲れ様と言っておいた。

 

 そんな経緯があって、詩乃が一時的にでも地元を離れることに母親と祖母は賛成、祖父には議決権が──強制的な棄権のため──存在せず、晴れて彼女はやって来たそうだ。

 

 乗客はほぼいないとはいえ流石に車内で詩乃の詳しい話をさせる訳にはいかない。そのため(しば)し沈黙が続いたのだが、明日奈の提案(おねだり)で前回と同じようにアインクラッドの話となったのだ。

 

「事件を偽装するために使われたフランベルジュの作者が──」

「フランベルジュって?」

「あぁ、それ──」

「西洋の剣。刀身が波々になっていて切断面が傷付きやすい。ノコギリで斬り付けるようなものだから傷が治りにくく、当時の医療技術では助からない死の剣だった。ドイツとフランスでは呼び名だけでなくデザインも違っていて──」

 

 はっ、として口をつぐんでしまう詩乃を明日奈と二人、どうしたのかとジッと見る。

 

「詩乃君、詳しいね」

「本を読むのは好きだから。けど銃が出てくるとちょっと嫌で、だから昔の本ばかり読んでる」

 

 だから少し、張り切っちゃって……と呟く詩乃の頭を撫でてやる。

 

「なんにせよ、それは君が努力して得た知識だ。恥じる必要はない」

「別に、私は何とも思ってないし」

「そうか? まぁ僕は大したものだと感じたよ。明日奈は?」

「……っえ? あ、うん、よく知ってるなーと思ったよ」

 

 反応の遅かった彼女の方を振り向いて見れば、その目線は詩乃の頭に。何となくは察せるが、僕にとって子供扱いしていることの証だから……むしろ明日奈の方が評価は高いんだけどなぁ。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「あれは明日奈の握った物なんですよ」

 

 家にお邪魔して、炬燵(こたつ)に入り一服して、ふと出た話題……前回の里帰りにおける出来事を話している中で飛び出たお祖母さんのカミングアウトに、明日奈はワタワタと慌て出す。

 

 不恰好ながら旨かった塩握り、アレの作者は明日奈だったということらしい。それだけなら問題はなかったのだろうが、僕が納得のニュアンスを出してしまったのが不味かった。

 

「わたしだって料理くらい出来るんです! 家でお握りなんて出ないから失敗しただけで!」

 

 お握りのどこに失敗する要素があったのかは分からないが、怒って台所へ行ってしまう明日奈。どうするんだこの事態、みたいな空気の中で僕はお祖父さんに確認を取る。

 

「ちなみに実際、実力の程はどうなんでしょう」

「お手伝いさんがいるそうだからなぁ、作る機会なんてないだろう」

 

 少ししたら様子を見に行くかね、と言うお祖母さん。と、詩乃が立ち上がった。

 

「私、手伝ってくる」

 

 その言葉に僕はお祖父さんと顔を見合わせて……任せてみようかと結論したのだった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 詩乃が台所にたどり着き声をかけたとき、明日奈は冷蔵庫を前に立ち尽くしていた。さもありなん、材料と完成形を結べないのだ。典型的な未経験者の振る舞いである。

 

「明日奈」

「……何?」

「何を作るの?」

 

 それが思い浮かべば苦労しないのだ。勢いに任せて飛び出さなければよかった、と居間に戻るかどうかで苦悩していた最中の明日奈にはメニューのことなど頭になかった。

 

 と、明日奈の脇から冷蔵庫の中を一瞥(いちべつ)した詩乃は白菜と豚バラ肉を取り出して持っていく。慌てて後を追う明日奈に構わず詩乃は手洗いを済ませ、白菜を水洗いし始めた。

 

「あなたは、料理できるの?」

「家では私が作ってるから」

 

 母は包丁を持たせるには危なっかしく、もし指を切ったりすれば非常に厄介だ。三食全てという訳ではないが──給食があるので──朝晩は詩乃が担当する比率が高い。

 

 (ひるがえ)って明日奈はといえばお手伝いさんがほぼ全ての家事を行っており、稀に母が台所に立つ程度だ。家庭科の授業を経験と強弁する度胸は……明日奈にはなかった。

 

「ほら、早く手を洗って手伝って。私に全部やらせるつもり?」

「え? あ、分かった」

 

 丸のままの白菜を逆さに振って水気を落としつつ、シンクの正面を譲る詩乃。言われるままに手を洗うと明日奈は詩乃の手元を見つめる。

 

 白菜の尻部分を切り落とすのではなく縦に切り込みを入れるのを見て疑問が浮かぶ明日奈。汚れがゼロではない部分を何故残しておくのだろうかと。

 

「先に切ってしまうと、後が面倒」

 

 それで説明を済ませ、底部に指を突っ込み白菜を引き裂いていく。なんという暴挙、呆気にとられる明日奈に示されたのは綺麗に二分割された白菜の断面だった。

 

「切れ目を入れれば、縦に割ける」

 

 まな板二つに白菜をそれぞれ置き、豚肉のラップを剥がす。片方は任せたと言い放って詩乃は自分の作業に、明日奈も隣を見ながら豚肉を挟み込んでいく。

 

 黙々と白菜の葉をめくり、豚肉を敷いていく作業。その最中、明日奈は口を開いた。これはどういう完成形になるのか、と。

 

 答えは鍋、挟み終えたモノを一口大に切って鍋に敷き詰めて煮るだけの料理だと詩乃は言った。

 

「それは……わたしが料理できないから?」

「違う、私が鍋料理を食べたかったから」

 

 え? と(こぼ)す明日奈。それは自分に配慮した言い訳なのだと、そう言われた方が納得できた。

 

 だが違ったのだ。詩乃が鍋を選んだことには切実な理由があった。

 

「私の家は、母子家庭」

 

 だから大人数で食べるような機会が全然なかったのだと語る。給食も一人、誰と話すこともなく。友達の家にお邪魔する暇があったら母に付きっきりだ、母を置いていくことも、母を連れていくことも選べなかった。

 

 そこに来て九月の一件が駄目押しになって、一人でいざるを得なくなった。学校にいる時間は限界まで減らしたかった、給食など数分で終えるようになった。

 

 皆で一つの鍋を囲む食卓、この場所ならば叶えられそうな気がして、詩乃は鍋を選んだのだ。

 

「それが理由、だから気に病まなくていい」

「うん……ありがとう、詩乃のん」

「礼を言われることじゃない。私こそ暗くなるような話をした」

 

 それこそ謝ることじゃないよ、とザクザク切っていく明日奈の手元をハラハラしながら見つめる詩乃。落下の勢いを利用した力強い切断音が台所に響く……母以上に危なっかしかった。

 

「猫の手でしょ? ほら、わたしだって切るくらいできるんだから!」

「次は大きさを切り揃えて。鍋に敷き詰めづらい」

「あっ」

 

 ご機嫌なままに降り下ろした包丁はバラバラの大きさに白菜を刻んでいた。あああ、と狼狽(うろた)える明日奈を放置して、まとめて敷いていく詩乃。終わってみれば分からないくらいの仕上がりには収まっていた。

 

「大丈夫かなぁ……」

「失敗する方が難しい。それに明日奈の作った分はあの人が食べる」

「ええっ!?」

 

 違うの? と首をひねる詩乃に誤魔化しは通用しない。あーうーと唸った後にあげた顔は赤らんでいた。

 

「あの人はわたしにとって兄みたいな人で」

「そう、なの?」

「そうなの。だから他意はないの」

 

 まぁ婚約者でもあるんだけど、と呟く明日奈。昔は何も考えずに受け入れていた言葉も、思春期を迎えた彼女にとってはまるで意味合いが違う。

 

 恋だの愛だのはまだだが、学校でもその手の話題が上ることはある。意識しない筈がない。

 

「なら明日奈は私のお母さんになるの?」

「…………え? どうしてそうなるの?」

「あの人は、私にとってお父さんみたいな人だから」

 

 そう言ってはにかむ詩乃。人の温もりに飢えていた彼女は当然、父性にも飢えていた。頑固な祖父にも薄っぺらな教師にも果たせない役割の欠落を、あの日の病室で埋めてもらえたのだ。

 

「流石に二歳差の娘は難しいかなぁ……せめて妹じゃないかな」

「じゃあ、そういうことで」

「どういうことよ、もう」

 

 水と出汁を加えてコトコトと煮込まれていく鍋の前。出会いから残り続けていた体の強ばりは今、言葉をかわす二人から抜けていたのだった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「美味ぇ」

 

 いや、久々に手料理なんて口にした。研究室ではデリバリーのローテか学食の宅配だから。

 

「本当に? 大きさとかバラバラだけど」

「少しくらい差がある方がアクセントになっていいだろ」

「すごーさんはどうせ何食べさせても変わらない」

「詩乃君、それはひどくないかい」

 

 五センチ角の白菜を飲み下して言葉を返した。流石に大雑把な味の違いは分かる、と思う。感想のバリエーション? 食レポの人って凄いよね、そういうことだよ。

 

 夕食後のまったりした時間。炬燵に入って三人で話す中、話題はやはりお馴染みのアレで。

 

「ねぇすごーさん、物語の続きを聞かせてよ」

「構わないけど、詩乃君は途中からになっちゃうからなぁ」

 

 私は別に、と言いながら目が泳いでいる辺り、詩乃も気にしていたようだ。悪いことをした。

 

「じゃあ新しい話をしよう。鉄の城に続く、妖精の国の物語だ」

 

 

 

 

 

 ──世界の大部分が飛び去り、文明は大きく後退してしまいます。これが大地切断であり、飛び去った百の地域は百段の城となって大空の向こうへ消えていきました。

 

 ──しかし人々は生き残っていました。後退した文明と荒廃した地上には、未だ魔法の力が息づいていたのです。月の光を受けて空を飛ぶ、そんな妖精達が長いときを生き延びていました。

 

 ──あるとき、伝説と化していた鉄の城が空の彼方に姿を現します。妖精達は色めき立ちました、伝承に残るかつての文明を、自分達の目で見ることができるのだと。

 

 ──しかし城は遠く、妖精達の力ではたどり着けません。方法はただ一つ、世界樹の天辺に住むと言われる妖精王に力を授かり、かつてこの世界にいた真なる妖精アルフとなって永遠に飛べる羽を得ること。

 

 ──アルヴヘイム、妖精達の息づく世界で、新たな物語は始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、すごーさんは物語を発表しないの?」

 

 ふとそんなことを明日奈に聞かれて返答に困る。これは自分で考えたものじゃない、他人のアイデアなのだ……いや、ALOについては須郷が手掛けたのか。なら僕が著作者でいいのか?

 

「だって勿体(もったい)ない、鉄の城と話は繋がっているんでしょう?」

「え…………っ?」

「それは楽しみ。夜通し聞いて遅れを取り戻さないと。今夜はすごーさんの布団で」

「わたしが教えてあげるから、詩乃のんはわたしと一緒に寝ること!」

 

 わーわーと騒いでいる二人をよそに僕は明日奈の指摘に頭が一杯だった。

 

 確かに二つの作品は続き物だ。だがこれはあくまでSAO編の後にALO編が続いた、あるいはSAOのシステムを流用してALOを作ったという意味で僕は理解していたのだ。原作知識を持つが故に。

 

 だがそれだけではない、アインクラッドとアルヴヘイムは繋がっている。ただ単にアインクラッドの旧データをサルベージしてALOにアップデートしたというだけの話ではなく、そもそもの世界観として両者は共存しているのだ。

 

 これならば、いけるかもしれない。

 説得不可能だと思われた茅場先輩を、口説き落とせる可能性が見えた。

 

 ドクドクと(うるさ)い鼓動を宥め、具体的な計画を練る。とにもかくにも茅場先輩の考えを深く理解しなければどうにもならないが……それさえできれば、もしかすると本当に、デスゲームを止められるかもしれない。

 

「明日奈、ありがとう!」

「キャッ、な、何!?」

 

 なでこなでこ、と感情のままに猫可愛がりしてしまう。まったく明日奈は最高だぜ……と浸っていた僕に突き出される頭。

 

「私も褒めるべきだと思う。不公平」

 

 詩乃には……てっきり嫌がられているのかと思っていたのだけれど、違ったようだ。小さな頭だなぁなんて考えながら、二人を褒め続けたのだった。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 さて、あれから三ヶ月。その間に僕はフルダイブして、飯食って、フルダイブして、飯食って、寝て起きて……あれ? いや、茅場先輩とも言葉は交わしたのだ、何度も。

 

 ただこの人、自分の興味関心を刺激しないことには一切興味を示さないのだ。雑談なんて論外、実験に関わることであっても──

 

「それは、私に尋ねる必要があるのかね」

 

 ──なんて冷徹に返してくるのだ。この方と恋愛をしたという神代先輩は何者なのだろう。

 

 という訳で苦戦に苦戦を重ねて僕は学んだのだ、凝った策を講じても意味はないと……正確には思い付けるレベルの策に効果がなかっただけなのだが。

 

「茅場先輩はVR技術でどんなゲームを作りたいですか?」

 

 直球、ストレートど真ん中、彼が返さざるを得ない質問を僕は投げた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夢の続き

「茅場先輩は、NERDLES開発の先にどんなゲームがしたいですか?」

 

 2021年、卒業も間近になった時期。研究室にて小休止をしていたときのことだ。

 

「何故、そんなことを?」

「NERDLESの展開はアミューズメントやリラクゼーション施設、娯楽分野に集中しています。これは先輩の意向も反映されているでしょう? それにVRMMOは昔から語られてきた創作のジャンル、興味を持っていない方が変です」

 

 それにあなた生粋のゲームプログラマーだし、そもそもアーガスの社員じゃないですか。そんなことを話しているといつの間にか他の学生も混じってゲーム談義が始まっていた。

 

 程度の大小はあっても皆やはりNERDLESとVRゲームを結び付けていたらしく、NERDLES機器が家庭用にまでダウンサイズされたならVRMMOという一昔前から創作の題材とされていたジャンルを実現できると考えていたようだ。

 

 VRMMO創作といえばデスゲームだよな、とか。

 実際にやるならどんなゲームがやりたいか、とか。

 運営は絶対に人の手に余るから優秀なAIが必須だ、とか。

 

 そういえば茅場先輩とんでもないAIを組み上げてませんでした? みたいな話題が出たのだ。

 

「カーディナルだな、仮想世界における統括的な役割を担えると自負している」

 

 ではカーディナルという名称はどこからきたのか、やはり枢機卿(Cardinal)からか、いや信心深くもない先輩に限ってそれはないだろう……と話すゼミ生達。そこに僕も混ざって見解を差し入れる。

 

「カーディナルといえば酒ですよ。キールカクテルを白の代わりに赤ワインで作るんです。赤ワインといえば血の象徴、既にある仮想空間に人間を入れることでカーディナルが完成するんです」

「確かにワインは血になぞらえられるけど、白ワインでもいいらしいわよ?」

「あれ? そうでしたっけ」

 

 あっはっは、と神代先輩の突っ込みに笑って返す。

 

 そして案の定、茅場先輩と面談することになったのである。「血」「人間を入れる」という表現がアウトだったらしい。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 茅場先輩との個人授業。ゼミ生達は「あぁ、またか」みたいな目で見送ってくれたけれど、内実は全然違う。冷えた室内よりもなお冷え切った先輩の空気が見えるようだ。

 

「やはり君には、人と違うものが見えているらしい」

 

 開口一番、切り込んでくる舌鋒。はて何のことだろうか。

 

「以前、ニュースを見て東北へ出向いたことがあったな。郵便局強盗だったか……帰って来た後、そのことについて君に尋ねたことがあっただろう、フルダイブ中に」

「何かおかしな返答しましたか? あのときは確か──」

「その際に何と答えたのかは問題ではない。重要なのは……その際の生理データが、事件以前にも度々出現していたということだ」

 

 人間というのは器用なものでね、一人一人に対する感情や記憶を元に微細な反応差を表現できるのだよ──そう語る茅場先輩の目はこちらに固定されて動かない。

 

「だからこそ私はあのとき君に外出を許し、助力をしたのだ。果たして君が面識もなかった筈の少女をまるで以前から知っていたかのような反応を起こしたのは如何なる理由に基づくものなのか、それを確かめるために」

 

 その件はいずれ気付かれるだろうと考えていた。まぁ……実際の方法まではまるで想像が付かなかったが、驚くことでもない。むしろわざわざ口にしたことの方が驚きである。

 

 何せこの先輩、興味のないことは一切の関与をしないのだ。自他に妥協を許さないゼロかイチの人、動くときは最高の結果を出すが、動かないときは放置以外の選択がない。

 

 そしてこの人の目的はAn INCarnating RADiusことアインクラッドを完成させることだ。全ての設計図は頭の中にある筈で、他人の意見など聞き入れはしない。

 

 僕に構っているのは(てい)のいいフルダイブ実験台だからで、僕の持っている知識がアインクラッドの完成度向上に何らの寄与をしない以上は放っておかれると考えていたのだ。そもそも茅場先輩の頭にあるアインクラッドこそが最上だと彼も──僕も同様に──考えていることは明らかで、だからこそ彼はただSAOの実現に邁進するだろうと──その状態の彼に説得まで持ち込むのは至難の技だろうと──思って頭を悩ませていたのだ。

 

「何故その話を?」

「君が常人から外れていること、それ自体が大事なのだ。君の研究における資質が常人並であることは初日で理解した、だが君の本質はそのような点ではない」

「僕の、本質ですか」

「君は以前、VR空間の発展について口にしたが……この先に起こることを、予測できているのではないかね」

 

 それは「どういう意味で」だろうか。深奥まで推察されていてもおかしくない、そんな相手にゴクリと唾を飲む。

 

「脳波は嘘を吐かない。あらゆる者にとってVRは未知の存在だ、経験した人間は皆が似た反応を返した。だが君はただ一人、既知の反応を起こした……かといって興味が失われている訳ではなく、むしろ人一倍強いと言っていい」

 

 あぁ……それは僕のミスだ。誰にとっても未知の技術であり体験したことのない仮想空間、それに触れて驚いたり喜んだりするのが普通の反応だとするなら、僕の反応はさぞ異様だったことだろう。「へぇ……実物はやっぱり凄いな」程度のリアクションだったのだから。

 

 だが理由にはまだ足りない。それが何故、先輩を動かしたんだ?

 

「須郷君、私はね、君ほどにVRとの関係が特異な人間を見たことがないのだよ」

「それも生理データで……でも茅場先輩が、それを言うんですか?」

「そう、その反応だ。だからこそ私は君に悟られていると考えた、私がVRにかける想いを」

「それは、まぁ……」

 

 それこそ「知っているが故に」である。だが何故ここまで躍起になってVRの話を強調するのか。

 

「茅場先輩、本当はもうできてるんじゃないですか、VRゲーム」

 

 ふと口にした質問。思い当たるものは、これくらいだった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「これが作製中のゲーム、そのデモムービーだ」

「へぇ……見事なものですね」

 

 果たして彼はこの世界に何を見て、何を感じるのだろう。そう考えて見せた映像を、彼は既知と感心の目で眺めていた。そのことが茅場には嬉しく、同時に歯痒(はがゆ)い。

 

 現実世界のあらゆる枠や法則──既知のものを超越した未知の世界、完全なる異世界を求めていた。そうして出来上がった渾身の作を見てこの男は納得した──既知でしかないと答えたのだ。

 

 己の全てと言っていいこの世界が、彼にとっては既知でしかないというのか。その事実に感情が──あのときと同じく──揺らされる。茅場が久しく感じたことのないそれは、悔しさだった。

 

 

 

 

 

 茅場晶彦は昔から空想が好きな性質だった。中でも異世界というものに強い憧れを抱いて……だが異世界ならば何でも構わなかった訳ではなく、己が想像した異世界をこそ望んでいた。

 

「だがそんなものはこの世のどこにも存在しない。ならば己の手で創造すれば良い」

 

 そう考え、来る日も来る日も想像と創造を続けた。やがてありありと異世界の全てが……大空に浮かぶ石と鉄の城、その全てが出来上がったとき、彼はその世界にヒトがいないことに気付いた。

 

 折しも彼は理系に適性があった。故にAIを人間同様のレベルまで完成させれば良いと考えた……しかし叶わなかった。トップダウン型もボトムアップ型も完成にはほど遠く、彼の予測を越える意志が、ヒトが生まれなかったのだ。世界には彼の意図通りに動く人形しかいなかった。

 

 ならば自分と同じ人間にその世界へ、仮想空間に入ってもらえば良いと考えた。VRMMOだ。

 

 だがこの考えには致命的な欠点があった。他のプレイヤーに参加を強制することができない、つまりゲームをやめる人間がいずれ出てしまうことだ。

 

 既存のあらゆるものは陳腐化する──1コンテンツに過ぎないゲームを人々がプレイし続けるのは数年、精々が十年というところだ。完成度を高めてもなお、彼の世界に代わる娯楽は出てくる。

 

 己の作り上げた異世界を完璧なものに仕上げる、そのためにヒトを導入するが故に、いずれ飽きて捨てられる未来は必ずやって来る。そんなことは耐えられない、承服できるものではなかった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「私の世界を真剣に生きて欲しい、それだけだ。ヒトが生きて死ぬ営みの中で私の既知を超えるものが生み出されてこそ初めて世界は完結する、そこに途中離脱などというものはいらないのだよ」

 

 なまじ技術があるからこそAIの先行きに見切りをつけて、生きた人間に活路を求めた。けれど提供される形式はゲーム、如何なる名作も数年で勢いを失うジャンルでしかない。アインクラッドが好きで、その存在を強く望んでいるからこそ……いずれくる終焉、コンテンツとしての終了を受け入れられない。

 

 ならばその前に、プレイヤーが真剣に生きざるを得ない状況を作り、クリアされるまでの数年を全力で楽しみ、そして自分の手で終わらせるのだと……茅場晶彦は考えることになるのだろう。

 

 どうして原作の茅場は自らアインクラッドを消去したのか、今なら分かる。残しておいてもロクなことにならないからだ。有象無象に荒らし回られた末に打ち捨てられて、大事件の遺物として朽ちていく、そんな先行きしか存在しないアインクラッドを、誰よりも愛した茅場が放っておく訳がない。誰にも(けが)させず自分の手で終わらせれば、永遠にアインクラッドは綺麗なまま自分のものになる……そんな考えを抱いていたとしてもおかしくない。むしろその方が自然だ。

 

 僕にはよく分かる。自分のモノが、何よりも思い入れがあるにも関わらず思い通りにならなくて、足掻いて手を伸ばして力を尽くして、それでも駄目になってしまうのならば……自らの手で終わらせたいと思ってしまう誘惑を知っているから。

 

 自分の人生が思い通りにならず、親や上司に求められる姿を演じて生きてきて、僅かに憧れたものすらも優れた者に奪われたその先で……須郷伸之(僕の可能性の一つ)が全てを巻き込み壊そうとした未来を知っているが故に。

 

 理解できてしまうのだ。共感できてしまうのだ。だからこそ、肯定してはならないのだ。

 

 なり得たかもしれない未来の自分を否定して生きると決めた僕だけは、肯定してはならない。

 

 さて、ここからは商談の時間だ。僕は優秀な研究者でもない(彼の予測を越えた人工知能を作れはしない)優れた人格家でもない(彼を改心させられるカリスマも持たない)けれど、どうやら人をその気にさせるのは上手いらしいし──(あお)ってみせようじゃないか。

 

 

 

 

 

「茅場先輩も人間なんですね。あと天才ですけど、大馬鹿者です」

 

 

 

 

 

 呆然としているのか、それとも意外に反発を覚えているのか。話を聞いているのなら構わない。

 

「クリアされないゲームなんて存在価値ゼロですよ。ゲームは攻略できること前提なんですから」

 

 攻略されずに終わってしまうものを、人はクソゲーと呼ぶのだ。SAOはそうじゃないだろう。

 

「茅場先輩の作ったゲームが攻略される? 結構じゃないですか、楽しみ抜いてくれた証ですよ」

 

 攻略が進まなかったらそれはそれで「私の世界は面白くなかったのか」なんて言ってこの人は落ち込むのだ、きっと。端的に言って、すげーめんどくさい男である。だからこそ人間味がある。

 

「クリアされたその後はどうなるか? 世界は続いていくんですよ、何が起きようと」

 

 さっき見せてくれたじゃないですか、あのムービーもう一度見せて下さい。そう伝えると再びいそいそとパソコンを操作して流し始める先輩に、途中での一時停止を求める。

 

「先輩、この雲の下には何があるんですか?」

「それは……どういう意味だ?」

「だってこのムービーだと城の向こうに浮き島が見えるし、奥には山脈も見えますよ?」

 

 霧の立ちこめた密林を抜けるとそこには草原があり、吹き渡る風とともに駆けていったその先、蒼穹(そうきゅう)の空には石と鉄の城が泰然と浮かんでいる。その周囲には複数の浮き島が存在しているし、かすむ程の遠くには山脈の影だって見えているのだ。

 

 ──千古の昔、地上にはエルフや人間にドワーフと多種族が生き、中小国家に分かれ生きていた。しかしある時起きた大地切断により全国家の主要な百の地域は円盤状に切り抜かれて空へ、円錐状に積み重ねられアインクラッドを形成する。永い時の中で魔法の力は絶え、文明も衰退した。

 

「百の国と地域が地面ごと飛び去ってできたのがアインクラッド、なら残された大地は滅び死に絶えたんですか? そんな筈はないですよね、地上は荒れ果ててなどいなかった」

 

 もしあのムービーが茅場先輩の想像したアインクラッドの世界観に沿わないのであれば、絶対にこの人は許容しない。何が何でも訂正しているだろう……それ程に思い入れは深く強烈なのだ。

 

 だからこそ地上の存在を、アインクラッドの外にある世界を、この人は否定していない。

 

「こんな続きはどうです──大地切断により後退した文明の中でも生き延びていた人々。彼らは妖精の羽根を持ち、魔法を受け継いでいた。伝承に残る天空の城へと至ることを夢見て、永遠に飛び続ける力を求めて生きている──とか」

 

 想像しているのだろうか、目を閉じて考えに(ふけ)っている茅場先輩により強固なイメージをさせるべく世界観を作り込み、話し込んでいく。

 

「そしていつの日か姿を現す鉄の城。その城こそがアインクラッド、二つの世界は交わるんです」

 

 どうです? なんて提案する僕の方がワクワクしているのだ。こんな展開は僕の知識(デジャヴ)にはない、全く以て未知の世界。もし彼を翻意させられなくても構わない、そのときは僕が一人で楽しんでやる、本気でそう考えていた。

 

「無論、新たなワールドだって完璧ではありません。いずれはクリアされてしまうでしょう。だからどうしたんですか、だったら次の世界を創ればいいんです」

 

 二番目の世界を僕はやはり、アルヴへイムと呼びたい。世界観は北欧神話、九つの世界を抱える体系だ。その他にも題材は、創りたいワールドのアイデアはいくらだってあるのだ。

 

「三番目の異世界が出現することで妖精の国、アルヴヘイムは新たな性格と役割を手に入れます。姿を現したアインクラッドが、それまでと違う意味と世界観を手にしたように」

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「例え茅場先輩が死んだ後でも残るものがそこにあるんです。受け継ぐ人間が必死こいて面白いものを考え、あなたの予想を越えたものが生まれて、皆が知恵を絞る中でアインクラッドは生きる」

 

 そう語る彼の瞳には熱が、未知が宿っていた。本人も自認する金属じみた茅場の瞳とは違った。

 

「確かにアインクラッドの完成度は高いでしょう、完璧と評されてもおかしくない。けれど完璧じゃないんです、完璧じゃなくていいんです、完璧のその上は、その先は存在しないんですから」

 

 今、彼に宿っているものこそが未知の可能性を見た人間の熱で……羨ましいと感じてしまった。

 

「不完全であるが故に、完璧以上を目指せるんですよ、ヒトは。きっとそれが先輩の見たかった未知、ヒトの意志力です」

 

 ──まぁ、もし茅場先輩が途中でリタイアするとしても別に構いませんよ。先輩亡き後もアインクラッドは残りますし、長い時間を生きていく姿と変遷を僕は特等席で見ていますから──

 

 そう言われて納得出来る人間はいない。特別に思い入れの強い茅場ならば言うまでもなかった。

 

「いつぞや君は言ったな、満足できないと」

 

 案外、私も欲深かったようだ。そう呟く茅場に須郷は反応した。(やぶ)をつついたとも言う。

 

「自分の想像した異世界を具現化する程の先輩が強欲でなくて何だって言うんですか」

「須郷君、レクトに行っても研究は続く。逃れられると思わないことだ」

「えっ」

「何のためにメディキュボイドの利権をレクトに譲ったと思っている──貸しを作るためだ」

 

 はたして出てきたのは蛇どころではなく、竜だったのだが。突いた場所は逆鱗だったらしい。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 どうして僕が茅場先輩と対話によって解決することを選んだのか、それはデスゲームを阻止できる確実な手段がないということは勿論だが、彼が僕にとって先輩であることが大きい。確かに茅場先輩を評するならラスボス、魔王が相応しいだろう。けれど僕は敵と思ったことはなかったのだ。

 

 善人ではない、ないのだが、単なる悪人でもない。きっかけがあれば境界を踏み越えてしまうのだろうが、二年接して得た彼の印象は不器用な人というものだったのだ。

 

 彼を腕ずくで何とかすることは出来ないし、したくもない。実際にデスゲームが起きるのなら甘いことは言えないけれど……茅場先輩が計画を変更するときが来るのは、彼自身が望んだときだけだ。はたして見込みはあるのか、この場に臨んだのは確かめるためだった。

 

 あの後、色々と茅場先輩と話し込んだのだが──無論、デスゲームのことなどお互いおくびにも出さず──彼は存外にと言うべきかやはりと言うべきか、あまりにも人間臭かった。

 

 まず、真剣に生きることが目的ならログアウト不可だけでも良いのではないか、という提案。

 

 ログアウトが不可能な中でプレイヤーがゲーム内で生きて死ぬことを選択するのならば、それもまたVR空間を自分のリアルだと捉えていることになるのではないか。それは世界の完成にほかならないのではないかという質問に嬉々として──表情筋は死んでいたが──答えてくれた。

 

 では何故それを認めないのかといえば先輩にとって面白くない展開だったからで、現実に帰れないと諦めたが故の行動に感じられるからだ。現実を捨てて仮想世界を積極的に選ぶプレイヤーも同様で、彼はアインクラッドに絶対の自信とプライドを持っているからこそ、それこそ現実世界と仮想世界の間で必死に悩んだ末の選択くらいでなければ認めないと言っていた。要求が高い。

 

 一方で茅場先輩は自分の力量に限界を感じてもいる。仮想空間としてアインクラッドを提供しても人々が真剣にプレイし続けてはもらえないと悟っていて、だからこそ自分でタイムリミットを区切りたくなる……そんなことを曖昧にぼかしながら教えてくれた。

 

 思い通りになって欲しい気持ちと思い通りになって欲しくない気持ち。彼とてアインクラッドが広く人々に楽しまれ続け、なおかつ現実世界と比較しても選んでしまう程に熱中する真剣さを見せてくれるならば、ソードアート・オンラインはゲームの体裁で構わないのだ。つまるところ大元の目的、そもそもの願いは何だったのかということに注目して解決しなければならない訳で。

 

 茅場晶彦にとっての既知、アインクラッドが永遠に続く願望。

 茅場晶彦にとっての未知、ヒトの意志力と可能性という期待。

 

 その目論見が上手く行くかは今後の僕達がどれだけ面白いものを提供していけるかだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、最大の懸案がひとまずの解決を見た──後回しとも言う──ところで、この四月から僕はレクトに所属することになったのだが。職場での忙しさと共に降って湧いたことがある。

 

「すごーさん、四月からそっちに行くから」

「ふぁっ!?」

「お母さんと一緒」

 

 詩乃からの電話にぶったまげる僕、以前にもこんなことがあった気がする。

 

 以前話をしたメディキュボイドによる各種治療の臨床試験、これが晴れて今年から行える体制になったのだが、そのことを知った詩乃の母が立候補してくれたのだ。

 

 僕だって安全性に難のある物を提供するつもりはない、けれど完璧と判を押せない物を知人に試させるというのは心情的に拒否したかったのだ。職人失格かも知れないが、その辺り小心なので。

 

「あと、私のことも考えてのことみたい」

 

 自分が臨床試験のために上京するのと一緒に詩乃も転校をすることで、一時的にせよ地元と距離を置きたいという考えらしい。そう言われるとNOとは言えないのだ、僕も。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

昨日、今日、明日

「久しぶり、詩乃のん。元気だった?」

 

 詩乃が母と一緒に上京してきてから一週間が経つ。地元にいた頃とは違うことの多さと慣れない環境に詩乃は圧倒されるばかりで、待ち合わせの駅前に姿を現した詩乃の顔には疲れが残る。

 

「都会は怖い。こんなに人が大勢いるなんて、思わなかった」

「それはまぁ、地元と比較すればね」

 

 昔からこの環境で暮らしている明日奈にとっては日常であっても、都会に出てきたばかりの人間には非日常である。特に電車、混雑具合は笑い話にもならないレベルだ。

 

「学校まではどうやって?」

「徒歩で通えるから、それは大丈夫。あの混み具合は心が折れる」

 

 通学途中に傍を通る駅には毎朝これでもかという人数が集まっている。やって来る車両の中にも人は乗っているのにどうするのだろう、と思っていた先で人の波が吸い込まれていくのを見た詩乃は驚いたものだ。

 

「ねぇ、乗車率とは100%が上限ではないの?」

 

 200%の乗車率とは何なのだろうか、願わくば知らずに済ませたい詩乃である。

 

 新学年が始まって最初の週末、折角だからと待ち合わせた明日奈と詩乃。まだまだ不慣れな詩乃を案内するという名目の息抜きであった。

 

「詩乃のんはどこに行きたい?」

「人の少ない場所」

「あ、あはは………他には?」

 

 特にない、と返されて困る明日奈。ただ詩乃の方も上京したばかりなので何があるのか知らず提案できないのだ。あーでもないこーでもない、と考えた末に出たのは次回以降の繋ぎを得ること。

 

「じゃあ環状線に乗って一周しよう。ランドマークや特色を解説するから」

「分かった。楽しみにしてる」

 

 そうして始まった東京見物はまさに珍道中。詳しくない場所やそもそも知らなかった駅などもあって決して充実した解説にはならなかったが………全く退屈しない時間だったのは確かだ。

 

 

 

 

 

「はふぅ………疲れたー」

「お疲れ様。なかなか楽しかったよ」

 

 タメになったかは微妙だけど、と詩乃は笑う。喋り通しだった明日奈が喉の乾きを訴え、下車駅の手近な場所に入ったのだ。百円の飲み物を頼み、手に持ってテーブル席へ。

 

 こうしてファストフード店に入ることも明日奈にとっては新鮮な体験だった。そもそも友人と休日に遊びに出掛けること自体がなく、友人とここまで喋り通したこともなかった。人の評価を気にする学校では常に肩肘を張って生活を送っているためだ。

 

 だがそれは、事情は違えど詩乃も同じ。殻に(こも)って生活せざるを得なかった彼女にとって、転校したからといって何が変わるものでもない。前の場所とは違うのだと頭では理解していても心が伴わない、一歩が踏み出せない。

 

 加えて小学生最後の年となると、学年の中でも個々人の位置付けはほぼ決定されている。固定化した付き合いをしているこの時期の少年少女達、その中に分け入って参加して自分の居場所を作るというのは、通常の子供でも難しい。詩乃ならば言うまでもなかった。

 

 母親達に心配をさせたくない、けれど打ち解けるのは難しい、詩乃はそんな葛藤を抱えている。実際に尋ねてみれば「それはそれで別に構わないだろう」とでも言ってくれるのだろうが、そうは言っても………というのが彼女の心情な訳で。

 

「つまるところ、私が納得できるかどうかの問題なの」

「友人ができるかはさておいて、何かしたかってこと?」

「そう。今のままだと私、こっちに来ても何も変わってない」

 

 詩乃のんも色々考えてるんだねー、そう返しながら明日奈も考える。自分はどうか、と。

 

 つい先日、明日奈は父から婚約が破棄されたことを知らされた。

 

「父さんなんて大嫌い!」

「あ、明日奈………」

 

 お陰で暫くは明日奈の機嫌が超低空飛行、ただでさえ会話の少なかった結城家から火が消えた。

 

 彰三からすれば娘の将来を考えてのこと、それこそ「よかれと思って」の決定なのだが、当人からすれば余計なお世話もいいところであった。

 

 男女としての好意があったかと聞かれれば答えに詰まる、けれど好意自体は間違いなくあった。そもそも出会ったきっかけが婚約であり今まで何かと関わってきたのも許嫁という関係があったからだ。その梯子(はしご)を突然外された明日奈からすれば、何を今更である。

 

 今までのように会って話すことが当たり前の関係を失って、今後どうすればいいのか。ぽっかりと出来てしまった空白を、どうやって埋めたらいいのか。

 

 新しい婚約相手はすぐ見つけるから安心してほしいと言った父とは以来、顔も合わせていない。

 

 別段、会うことを禁じられている訳ではなく、ただ会うための理由が一つ消滅しただけだ。だがそれは理由がなければ会えないことの裏返しであって、そういう(しがらみ)の面倒さを逃れて須郷になついていた明日奈からすれば「これは何の罰ゲームだ」と言わんばかりの状況だったのである。

 

「これから詩乃のんの家に行っていい?」

「構わないけれど、目的は私じゃないでしょう?」

「い、いいのよ詩乃のんも目的だから。たまたますごーさんも同じ場所にいるってだけで!」

「仕方ない。夕食の準備を手伝うこと、それが条件」

 

 任せなさい、と胸を張って席を立つ明日奈。勢い込んで部屋に上がり、冷蔵庫を前に硬直し、詩乃の手伝いをして、須郷達と共に食卓を囲む。友達の家に遊びにいくのは普通のことだから、と理由を見つけて明日奈がちょくちょく訪れるようになって、新しい日常の形として四人が受け入れられるようになって………今年のお盆はどうしようか、なんてことが明日奈の頭にのぼる頃。

 

 2021年のある日、明日奈の祖父母が亡くなった。本当にあっという間だった。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 二人は続けざまに、まるで示し会わせたかのように旅立っていった。近頃は少し具合が悪い、仮にそんな連絡に飛んで帰ったとしても間に合わなかっただろう程に。ならば悲しまずに済むかといえばそんなことはなく……死に目に会えなかったことを、明日奈は強く悔いていた。

 

 2021年のとある日のこと。祖父母の葬儀と遺品整理のために明日奈達は宮城を訪れる。

 

 寒村、まさにその表現が適当な風景を、故郷とする京子はどう見ているのか……少なくとも好意的な目はしていない、と明日奈には感じられた。ただそれは明日奈にしても同様で、祖父母のいないこの家は大事なピースが欠けたように色褪せていた。

 

 だが、どこを見ても(よみがえ)る思い出はあった。祖父母、須郷、詩乃、そして己と家族がかつて過ごした日々を明日奈は覚えている。交わした言葉も重ねた思い出も、色付いて残っている。

 

 だからこそ京子が「この家を処分する」と言ったとき、まさかという驚愕に襲われたのだ。

 

「仕方ないでしょう、私達でここを維持することは不可能なんだから」

 

 各部屋を見回り、簡単な確認を済ませて集合した居間。明日奈と彰三に京子は語りかけた。

 

「どうして? どうしてそんなこと言うの、母さんはお祖父ちゃん達が嫌いなの?」

「違うわ、単純に論理的な帰結がそうなるというだけ」

「答えになってない、母さんはどう思ってるのか聞いてるの!」

 

 にらみ合う二人、旗色が悪いのは……京子の方だった。本音の部分(出自を恥じる気持ち)をさらすことは出来ない、何故ならそれが客観的にみて誇れたことではないと自覚しているからで……だから京子は大人の論理を持ち出した。

 

「この家を相続することになるのは私、なら処分方法も私に決める権利がある」

 

 言い放つ京子に(にら)まれた彰三は身をすくめる。妻に任せることへ同意しているも同然だった。

 

 ルールによる厳然たる壁、それは大人が子に道理を示す際の印籠だ、一切の抗弁を許さない。

 

 厳しい(しつけ)を受けてきた明日奈にもまた通用してしまう理屈だった。ただの幼児ならば駄々をこねて通せる我が儘を、なまじ大人びているからこそ彼女は選択できない。

 

 かつての自分と同じだった。両親の言葉が整然としていて、自分の言葉が説得性を持てなくて、悔しさに身を焼かれて涙を堪える日々。そんな情けなさを脱却したいと願った自分は、また同じ状況に陥っている。何も変わっていない、それは詩乃だけではない、明日奈もだった。

 

 

 

 

 

 これまでは。

 

 

 

 

 

 こんな情けなさを……明かしたとき、彼は何と言ったか────情景と言葉が甦る。

 

「ちょっと待ってて!」

 

 居間を出て、急いで目的のものを探す明日奈。自分にできないことは他人を頼っていいのだ、と祖父母の部屋へお邪魔して、予想通りに見つけられたソレを抱えて母の元へ。

 

「何、この……アルバム?」

「そう、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが大事なものだって見せてくれたの」

 

 去年の夏、法事の関係で里帰りできなかったときのことだ、と。そう聞いて僅かに父母への罪悪感がよぎって、京子は振り払おうとしてアルバムをめくり────

 

「これ、は……私?」

 

 そこに残された自分の軌跡を目の当たりにした。

 

 

 

 

 

 新聞の切り抜き、雑誌のページ、ネットの記事を印刷したもの、それらは全て、京子が学者として築いてきたモノの証。中には京子自身にすら見覚えのないものもあり、並大抵の労力ではないことが(にじ)んでいた。

 

「お祖父ちゃん、知ってたんだって……母さんが出自を本家から悪く言われて傷付いていること」

 

 目を見開く母、伝え聞いたことの正しさを明日奈は悟った。そして(ようや)く理解した、母の苦悩を。

 

「それを知る父さんが親戚の色眼鏡を払拭するために仕事へ打ち込んでいることも、ギスギスした空気を嫌ってわたしが一人で宮城の実家に行こうとしたのも……二人は知ってた」

 

 ──出自を変えてやることは、残念だけど自分達にはできない。できればもっといい所に生んでやりたかったけれど、こればかりはどうしようもない。

 

 ──けれど京子は自立して強くなった、ならば自分達はその姿をしっかりと覚えていよう。

 

「お祖父ちゃん達がこのアルバムをここまで続けられた理由、母さんだけは忘れないで」

 

 ページを次へ、次へとめくる京子の脳裏によみがえる事績の数々。既存の概念と変わらないと散々にこき下ろされた最初の頃から最近の、つい先日に寄稿したばかりの記事にまで及んでいて。

 

 当時の悔しさや喜び、苦しみや誇らしさが色を伴って甦る。二人の親はこれを見て何を感じていたのだろう、そう聞いてみたくて、けれど聞くことはもう、叶わない。

 

「きっとお祖父ちゃん達、死ぬつもりなんてなかった。言っていたもの、この家を守るんだって」

 

 娘が強く生きている姿は嬉しかった。昔から聡明で出来た子だったから、きっと己の手で未来を掴み取るだろうと信じている。けれど途中で疲れて、少し休みたいと思う日がくるかもしれない。

 

「最後にしてやれることを、自分達は生きて、生きて、生き抜いて、娘の故郷を守るんだって」

 

 二人の想いは孫の言葉を経て……娘に届いたのだった。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「実際、どうするかは悩ましいのよ」

「うぐっ」

 

 京子の態度が多少は軟化した後も、根本的な問題は解決していなかった。

 

 この僻地にある家を保持していくことはとても難しいのだ。棚田は生産性に難があり、交通の便も悪い。誰も住まない家は朽ちるのが早く、ご近所に頼むにも人が少ない上に高齢で難しい。こればかりは如何(いかん)ともしがたかった。

 

 京子とて、残せるものなら残してもいい、程度には感じ方が変わっていた。ただ手段がないことにはどうにもならない。明日奈も頭を悩ませるが良案は出ず、お手上げ状態だったのである。

 

「なぁ、一つ提案があるんだが」

 

 と、ずっと静かだった彰三の声に振り向く二人。完全に存在を忘れられていた彼は、自信なさげに考えを明かす。

 

「ウチが手掛け始めた仮想空間技術があるだろう。そこに家を残してはどうかと思うんだが」

 

 顔を見合わせる二人。その手があったかと喜ぶべきか、早く言えよと叱るべきか。考えた末にため息を吐き、より詳しい話を彰三にさせるのであった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「はぁ、それで僕がモデリングを担当しているという訳ですか」

「そうよ。あ、そこの梁の部分、ちょっとズレてるわよ」

 

 病院行脚も一段落した僕をレクトで待っていたのは仮想空間の製作依頼。宮城の実家をVRの形で残したいということで、暇を見つけては京子さんが出来を確認しにくるのだ……仮想空間内まで。彰三さんや明日奈も見に来たことはあるのだが、京子さんの頻度は頭五つくらい飛び抜けている。

 

「京子さん、チェック厳しいですね。やっぱり実家って思い入れの強いものですか?」

 

 生意気言ってないでさっさとなさい、なんて言う彼女の顔は熱を帯びていたのだった。VRでは感情の制御が難しいからね。

 

「それにしても明日奈が説得に成功するとは……母親としては娘の成長も嬉しい感じで?」

「いいから口より手を動かしなさい。柱のキズはもっと深いし色も濃かったわ」

 

 やはり仮想空間は感情の制御が……そろそろ真面目にやらないと不味そうだ、うん。僕のにやけているのも丸わかり、京子さんがキレかけているのも見て取れる。VRは不便なこともあるらしい。

 

「まったく、明日奈は誰を見て育ったのかしら」

「母親じゃないですかね……顔、にやけてますよ」

「んなっ……覚えておきなさいよ」

 

 実際、明日奈はかなり京子さんの影響を受けている。父や祖父母、或いは僕や詩乃も含まれるだろうが、彼女の冷静さと頑固さは母譲りだと思うのだ。そう考えると……

 

「京子さんもお祖母さんに似てるところがあるんですかね。昔はどんな風だったんですか?」

「…………あんまり、面白い話じゃないわよ?」

 

 そうして語られる昔の話は子供の頃から始まって、自分の時はあんなに厳しかったのに孫は猫可愛がりするのだ、と憤慨するところまで止まることなく実に楽しそうで。やっぱり誰かに聞いて欲しかったんだなぁ、と感じたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

スタンバイ・レディ

 僕の肩書きはフルダイブ技術研究部門の主任なのだけれど、実際に技術研究をすることはほぼない。では何を担当しているかといえば、外回りである。

 

 場所は横浜港北総合病院。では先生、よろしくお願いしますと部屋を後にして……大きく背伸びをする。詩乃の母親の件を頼むだけの筈が長居させられてしまった。本日の受注はVRワールドだ。

 

 遂に始まったメディキュボイドの臨床試験導入、これは現場の医師にとっても未知の技術である。丁寧に説明しなければ困ったことになる……と選出された担当者は案の定、僕だった。

 

 これ自体は望むところなのだ。導入する所が増えてデータが集まれば改良の目安も付けやすい。

 

 ただ付随しての話が長く、要望を色々と陳情されることが多い。つい今さっきまで話し込んでいた倉橋先生──横浜港北総合病院の医師──はその筆頭で、会う度に新たな提案を持ち込むのだ。

 

 メディキュボイドを局所的機能に縮小し、視覚や聴覚といった五感を補佐する機器であったり。

 脳波の微細な変化を感知して繊細な動作として反映することのできる義手や義足であったり。

 言語化することの難しい「神の手(ゴッドハンド)」と呼ばれる名医の手術を追体験する教材であったり。

 

「どうして僕に言うんですか?」

「だって伝わる相手がいないから」

 

 ということらしい。医師としても現場にいて必要なものはあるのだが①まず上司や病院経営者と衝突することがあり②業界で既にシェアを構築しているメーカーには持ち込むツテも採用させる手腕もなく③何より業務外のことに時間をかけられるほど生易しい職場ではない。結果、有り合わせで細々と頑張らざるを得ないのだとか。

 

 そこへ伝令役が来たものだから現場は大歓喜、ここぞとばかりに全部を吐き出している最中と。

 

 この状況に朝田親子の件が加わって忙殺される日々を送り……結城家の件を知ったのは全てが決着した後だったのだ。後日焼香に向かうことを約束したけれど、生きて会いたかった。

 

 

 

 

 主な職務は外回りなのだが、実はそれに加えて、茅場先輩の宇宙語をアーガスやレクトのメンバーに頼まれて翻訳するという依頼がある。

 

「伸之君、ちょっと茅場君が何を言っているのか解らないんだが」

「須郷君、私の言葉がどうして理解されないのか解らないんだが」

 

 アーガスとレクトが合同で設置した仮想空間──NERDLES技術の研究協力と販売面の住み分けという至極面倒だが必須の調整を担当する部署だ。

 

 彰三さんが頭を抱えて唸っている様子を研究者の目で見ている茅場先輩、原因はいつも通りあなただと思います。また何かしらの要求をレクト側に申し伝えたのだろう。

 

 さて現在、アーガス社員一同の心身をすり減らしているのがαテストである。僕自身は関与していないのだが、レクトの手も借りたい程らしい。

 

 αテスト──それは本サービス前に行われるサンプル確認たるβテスト、その更に前にある社内テストのことだ。βテストが作品の完成度を高めるための作業だとすれば、αテストは作品として成立しているかを確かめる作業である。

 

 新作に一足早く触れられるといえば聞こえはいいが、人海戦術も(はなは)だしい地味な作業だ。進入禁止の壁に突進し続けたり、ひたすらに平原を歩き続けたり、アイテムの売り買いを延々と繰り返したり……華々しいことなど何もない。

 

 加えて開発中のゲームはVR、未経験の分野で人手は常に不足状態。しかし完璧主義の茅場先輩は一切の妥協を許さない、なので社員達は出歩いている訳でもないのに痩せ細っていく日々である。

 

 ──アインクラッドは不完全なんだよ! 満足できねぇよ! とか言った件、あれが茅場先輩の自尊心に火をつけてクオリティー向上の自重をなくしてしまった気がする。

 

 大変だなぁ、なんて他人事でいられるのは今だけ、いずれレクトでもALOことアルヴヘイム・オンラインの開発が本格化するだろう。そうなれば明日は我が身だ。

 

 今の内に英気を養っておかねばならない。定時退社して帰宅する先は横浜市内のマンションだ。

 

「おかえり、御飯できてるから早く」

「ただいま、まだ食べてなかったのかい?」

「今日はお母さん、検査入院だから」

 

 それは聞いている。だからこそ倉橋医師に挨拶してきた訳だし……あぁ、詩乃の夕飯が一人になってしまうからか。急いで着替えを終えて洗面所、そして居間へ。

 

 大学卒業を機に始めようとした一人暮らしは始まらないままに同居生活と相成った。

 

 帰宅したら誰かがいて、おかえりと言ってくれる。そんな生活はやっぱり温かい。接し方が様子見や気遣いから入るので互いの距離が詰まっているとは言いがたいが……その辺はおいおい。

 

「詩乃はやっぱり魚が好きなのか? よく食事に出るし」

「そういう訳じゃない、と思う。つい選んじゃうのは確かだけど」

 

 食卓上のメニュー、これに限らず魚介類のチョイスが詩乃は多い。やはりどことなく猫っぽいからか。記憶にあるアバターでも確か猫耳を付けていた? 気がするし。

 

 アバターといえば………詩乃はあまり学校の話をしない。親しい相手がいないことを苦にしている様子はないけれど、暇を持て余していないか心配である。こうして料理に手間暇を掛けてくれることはありがたいが、何か打ち込めるものがあるといいのだけれど、とちょうど考えていたのだ。

 

 完成したら詩乃にもナーヴギアを触らせてみようか。そんなことを思い付いたのだった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「詩乃、ナーヴギアを使ってみないか?」

 

 明日奈の都合が付かず休日をボーッと過ごしていた所にかけられた言葉。それは詩乃の好奇心を刺激するものであり、同時に半ば諦めていたものだった。

 

「いいの?」

「ああ。と言っても僕が仕事用で貰ったヤツのお下がりになっちゃうんだけど」

 

 それでも構わなければ、という続きに勢い込んで頷く。発売したばかりのナーヴギアは学校でも話題の的だ……詩乃は話題にしている会話を聞いていた、という形なのだが。

 

「でもいいの? 仕事用なんでしょう?」

「安全性を追求したら性能に支障が出たんだ。普通に遊ぶだけなら何の問題もないんだが」

 

 ナーヴギアで遊ぶためのソフトを開発するには、更に性能の高い機器が求められるということらしく……動作確認用としてしか使い道がないという。

 

「だから遠慮しなくていい」

「分かった……ありがと」

 

 

 

 

 

 さて、自分用のナーヴギアを手に入れた詩乃であるが、この時期はあまりソフトの数もなく、出来もいまいちであった。パズルや知育といった移植すれば済むタイプ、或いは景色や演劇の撮影物を再現するタイプ、描画や試験をVR上で行う作業場所代わりなどである。

 

 コンテンツの数は日々増えていくのだが……本格的なゲーム、VRMMOが待たれる状況で。それは詩乃も例外ではなく、何か面白そうなものはないか探し出すのはすぐだった。

 

「あれ……これって、VRワールド?」

 

 発見したのは伸之が担当したと思わしきVRワールド。行ってはいけないとは、言われていない。駄目そうならすぐに戻ろう、そう折り合いをつけて接続を開始する。

 

「アバターは………髪色だけ弄っておけばいいか。水色に変換して……リンク・スタート」

 

 視界が黒く閉ざされ、すぐにやって来る光の本流のイメージ。まさに電脳世界に飛び込んでいる感覚に詩乃はいつものように身を任せ──降り立った先は庭園だった。

 

 今まで経験していた作業用の無機質な電脳空間とは違う、人が集まることを目的とした空間だ。そのリアルさに暫し、詩乃は言葉を失って立ち尽くしていた。

 

 話しかけられていることに気づいたのは、目の前でヒラヒラと手を振られたからだ。正面にいたのは詩乃よりも背の低い黒髪の、好奇心旺盛そうな表情をした少女だった。

 

「ねぇ、君は新人さん?」

「え? えっと」

「あぁ、初めて会った人にはまず挨拶だよね」

 

 姉ちゃんにもよく言われるんだ、なんて話しかけてくる少女。その気安さに詩乃は面食らう。

 

「ボクは……ユウキ。君の名前は?」

「私は…………シノン、そう呼んで」

 

 いい名前だね、と笑うユウキ。さ、皆を紹介するよと手を引っ張って歩き出す彼女に詩乃は戸惑ったままに問いかけた。ここはどこなのか、と。

 

「ここはセリーンガーデン、仮想空間のホスピスなんだ」

 

 二人の世界はこうして重なった。

 

 

 

 

 

 ホスピス、それは終末期医療を行う場所のことだ。

 

「あなたもここに、その……入院しているの?」

 

 ターミナルケアの意味は詩乃も知っていた。軽々しく触れることの出来ない話題であると容易に想像がついて、おずおずとした物言いになってしまう。

 

 かつて受けてきた言葉の暴力によって傷ついた心は他人との間に壁を生み、適切な距離感を作りづらくしていた。今通っている学校でこそ過去のようなことはないが、積極的に他人と関わることが苦手な部分に変わりはない。

 

 詩乃は「痛み」を受ける人間の辛さを知っていて、相手に共感しようと試みることもできる。ただ、人と触れ合った経験値があまりにも少なかった。

 

 彼女と関係を構築できるのは積極的に近付いてくれるタイプであり……まさにユウキだった。

 

「え? ボクは違うよ、今日は見学なんだ」

「見学?」

「そう、仮想空間が体験できるって言うから先生にお願いしたんだー!」

 

 入院することになったらどういう生活になるのかを事前に紹介する、そんな説明の一環として、ユウキはダイブしてきたという。今はまだ許可があれば誰でも来れる場所でしかないと。

 

「シノンはどういう感じで、ってゴメン、言いづらかったら別に」

「構わない。私は……会社用のナーヴギアを借りて」

「会社? お父さんのってこと?」

「………………うん」

 

 本当に? ナーヴギアって高いんだよね、ボクも欲しい! と賑やかなユウキ。その雰囲気に当てられたのか、詩乃の顔にも笑みが浮かぶ。

 

「シノン、折角だから探検しよう探検!」

「分かった、いいよ」

 

 手を繋いで駆けていく、それは詩乃にとって久しぶりのことで。どこか明日奈を思わせる明るさにクスリと笑いが溢れたのだった。

 

 

 

 

 

「またね……か」

 

 現実に帰還した詩乃はナーヴギアをかぶったまま目をつぶる。ついさっきまでいた場所、過ごした時間、一緒にいたユウキのことを思い返すように。

 

「あなたはお試しなんでしょう? そのあなたが次にここへ来るときは」

 

 ──終末期医療を受けるときじゃないか。そんな言葉が喉につかえて言葉に詰まる詩乃。別れの挨拶を出来ないでいた自分にユウキはあっけらかんと言ったのだ、またね、と。

 

 そんな未来、来ないに越したことはないだろう。そう言いたくとも口にはできない、言葉にすれば現実となってしまいそうで怖かった。それ程にユウキは短時間で詩乃の心に入り込んでいた。

 

「んー……シノンは考えすぎだよ」

 

 ボクはよく考えてから行動しましょうって通信簿に書かれるんだけどね、と笑うユウキ。

 

「友達と別れるときの挨拶は、またねしかないじゃん」

「とも、だち……?」

「えええええ、今更そこに疑問を持つの!?」

 

 流石にショックだよ、と泣き真似を始めるユウキに面食らい、(なだ)めようとする詩乃。

 

「私、友達少ないから」

「なんかゴメン」

 

 真顔で返されると腹が立つ詩乃である。むすっとした顔を見てユウキの表情は和らいだ。

 

「そうそう、言いたいことは隠さない方がいいよ。言いたいときに言っておかないと、後悔するかもしれないから」

「ユウキは真っ直ぐだね」

「うん。喧嘩もいっぱいするんだけどその方が近付ける気がするんだ、心にこう、ぐぐっと」

 

 躊躇(ためら)ってる時間が勿体ないからね、と言ったところで現在時刻を確かめ、青い顔になるユウキ。いつの間にか更に時間は経過していた。

 

「姉ちゃんに怒られる! シノン、一緒に謝って?」

「嫌よ、存分に叱られてきなさい。またね、ユウキ」

「…………うん、またね、シノン!」

 

 まぶたの裏に焼き付いたように、熱を持った記憶。あの時間は決して仮の、あやふやなモノなどではない現実だった。

 

 仮想現実、所詮それは作り物の虚構、いつでも消え得るあやふやな世界、その筈だった。

 

「けど、ユウキは生きていた。それに私だって……生きていた」

 

 もう一つの現実という言葉の意味が、実感として詩乃の中に育ち始めていた。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 詩乃の知らなかった世界、それは仮想空間しかり、ユウキの置かれた状況しかりだった。

 

 あれから何度も詩乃はシノンとしてセリーンガーデンへと飛んだ。ユウキと会えることも会えないこともあった。彼女の紹介で知り合った相手とおっかなびっくり言葉を交わすこともあった。

 

 その中で知った事実──彼女の入院予定先が母と同じ病院だったことも驚きだったが──難病を抱えた一家の事情は詩乃にとっての未知だった。

 

 いずれ活動を始めるだろう潜伏中のウイルス、時限爆弾を抱えて生きるということ。誤解に基づく蔑視、先行きの見えない恐怖、心中すら考えたという母親の苦悩。

 

 ──でもね、なんとかしようと頑張ってくれている人もいるんだ。

 

 法制化のお陰で莫大な治療費の問題は一息つけた。

 報道のお陰で正しく建設的な知識を皆が知った。

 治療法と薬の研究も日進月歩で進んでいる。

 

 ──それにこうして安全に走り回れる場所を創ってくれた人もいる。だからボクは諦めない。

 

 適切な治療手順が体系化されてから先の見通しが可能になり、父母の心労もかなり減ったのだと語るユウキ。実年齢とはかけ離れた彼女の雰囲気は、幼くして大人にならざるを得なかった人間の(まと)う空気、よく知っているモノだった。

 

 自分とは全然違う性格の、自分と似た雰囲気を見せるユウキに対して詩乃が何を思ったのか。言語化することは難しい。焦燥とも憐憫とも、代償とも義憤とも、どれもが正しく間違いで。

 

 ただ一つ確かなのは、詩乃が踏み出すきっかけを作った人間はユウキであるということだった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「どうした詩乃、真剣な顔をして」

「話が、ある…………人生相談」

「人生相談? 詩乃が? 僕に?」

 

 なんかメッチャ怖い顔で詩乃が迫ってきた件について。別居しようとかそういう話だろうか。

 

 とにかく詳しい話を聞いてみると……ナーヴギアで飛んだ先にいた女の子のために何かしたいのだけれど、中学生な自分にはどうしたらいいか分からないということだった。

 

 あのナーヴギアで行ける仮想空間で事情持ちの子がいるっていうと……セリーンガーデンか。今もなお接続できているということは病院側に許可されているのだろう。詩乃なら問題を起こすことはあるまいと思っていたのだけど、どうやら彼女の方が問題を抱えて帰ってきたらしい。

 

「詩乃は何をしようと思ったんだ?」

「何を……分からない、私は何も、あまりにも知らないから」

「じゃあ、その子と話していて何を感じた?」

 

 むむ、と考え込むこと暫し。彼女が口にしたのはシンプルな言葉。

 

「もっと色々な所に行きたいと思った」

「それは一緒に、ってことか?」

「うん。友達、だから」

「つまり現実には遠出することが難しいだろうから仮想空間で、ってことだな」

「そう。本当はVRMMOみたいに一つの世界を創れるといいんだけど」

 

 はにかみ顔をくもらせる詩乃。友達、友達かぁ……その単語を出されると少し弱い。

 

 ただ、何かしたいと思った気持ちをそ知らぬふりはしたくない。自分が散々ぱら好きにさせてもらったというのもある。悩んだ末に僕は一つ、提案をした。

 

「ならアルヴヘイム・オンライン製作に参加してみるか?」

 

 ぽかん、とした様子の彼女が再起動するまで(しば)し待って話を再開する。

 

「詩乃、北欧神話関係の本をよく読んでいるだろう?」

「あれはすごーさんが話してくれる物語の、元ネタが気になったから」

「それであれだけの図書を読破しているなら大したものだ」

 

 なでこ、と久しぶりに右手を彼女の頭に。

 

「以前にも言ったけど、君が得た知識を誇れ。それは詩乃の力だ」

「…………うん」

 

 中学一年になった詩乃はそろそろ思春期だ。その内に「触るな変態!」なんて調子ではね除けられたりするのだろうか。そんな未来を想像して少しブルーになる。

 

 いや、そんなことはどうでもいいのだ。大事なのは詩乃の気持ちがどこまで固いか、保護者の欲目だけで任せてしまって良いものではない。

 

「だがこれはゲームであっても遊びじゃない。沢山のプレイヤーを左右する仕事だ、途中で投げ出すことは認められないが、大丈夫か?」

「私は……自分のすることが大勢のためになるって言われてもピンとこないし、本音を言えばどうでもいい」

 

 その他大勢に不躾(ぶしつけ)な扱いをされてきた彼女が、顔も知らない他人のために働ける筈がない。それは想像できる。

 

 その上で何を言ってくれるのか、期待している僕がいるのだ。明日奈以外には友達と呼べる者がいなかった詩乃が新たに相手を得て、自ら行動を起こすようになった成長に。

 

「けど、ユウキは別。ユウキはどうでもよくなんかない、友達だから」

 

 だからユウキのために頑張る、そう言いきった詩乃を褒めようとして────

 

「誰のためだって?」

 

 そういえば詩乃の友達という子の名前を聞いていなかった。

 

「彼女の名前はユウキ……どうしたの?」

「どうしたもこうしたも……いや、えええええ」

 

 いつかは会えると思っていたけど、詩乃経由で? セリーンガーデンにいたの? というかアレは倉橋医師の依頼だから、港北病院? もしかしてユウキ、ご近所さんだったりして。会いたいような会いたくないような、どのツラ下げて会いに行けばいいというのか。本当どうしよう。

 

 そんな具合にしばらく大混乱に襲われていたのだった。

 

 

 

 

 

 詩乃がマニュアル──先輩謹製の「猿でも解るVRプログラミング」──とにらめっこしているのを横に、僕も僕でアルヴヘイムの構想を練らないといけない。

 

 アルヴヘイム──北欧神話に登場する九つの世界の一つ、フレイに与えられた妖精の国だ。だからGMが担当するアバターは本来フレイこそが相応しいのだけれど、世の中で妖精の国と聞くとイメージされるのは「夏の夜の夢」だったりする。だからこそ原作では妖精王オベイロンを採用していたのだろう。世界観が意味不明とか言ってはいけない……ということでまずはアバターが決まらないのが一点、課題としてある。

 

 ワールドは複数の種族に分割された状態で始まることになるだろう。サラマンダーやウンディーネといった妖精ごとに集落、或いは都市を築き、生活圏を構築している状態だ。他種族との交流は基本的に存在しない中で、交差点となる場所が唯一多種族の入り乱れる貿易都市の働きを担う。

 

 何故お互いに交流がないかといえば種族の違いからくる対立があり、交流せずとも生きていけるだけの領土があるからだ。プレイヤーが自由に飛行できる関係上、それぞれの生活圏は相当に広く設ける必要がある。まぁアインクラッド全百層分の敷地を平面に並べるくらいのサーバー容量はあるのだ、自重する必要はない。

 

 ただこれにも一つ問題があって……あまりに他種族と交流できないと、それはそれで面白くないのだ。転移システムや高速鉄道を採用しないなら移動手段は徒歩か飛行になる。だが一日ログインして飛び続けて、それでも隣の国に着かないゲームが楽しいかというと……微妙なところで、その辺りのバランス調整がことのほか大変なのだ。

 

 そう考えると最大でも直径10キロしかないアインクラッドは良く考えられていて、階層間移動は迷宮区と転移門という簡潔な方法によるものだ。数キロ範囲の徒歩移動であれば飽きもなくプレイさせられるだけの魅力がある。

 

 (ひるがえ)ってアルヴヘイム、走るのと変わらないスピードでしか飛べないのではつまらないし、かと言って車並みに数十キロも出るようだとあっという間に距離を稼げてしまう。

 

「あぁ、スタミナを採用すればいいのか」

 

 長時間飛び続けたり、速度を出したりすると消耗が激しくなるシステム。加えてそもそも飛行できないエリアを種族の領地間に設けてしまえばいい。後は自種族の領地では普通に飛べるけれど外部に出ると航続時間が減るとか。これはこれで調整が難しいだろうが、何の思案もなかった当初よりは遥かにマシだ。

 

 あと大切なのはSAOとの互換性を前提に作る必要があるということ。茅場先輩にあれだけ言っておいてワールド間に互換性がなかったら笑い話にもならない。

 

 まぁ僕の仮想空間構築スキルが先輩仕込みなので似通う部分は多いだろうけれど、例えば通貨やアイテムは融通可能に、いっそのこと共通にしてしまった方が楽だ。ただリリース順の問題でALO開始時にSAO経験者はアドバンテージがある訳で、SAO産の金やアイテムやスキルを大盤振る舞いされては困るのだけれど……冗談でなく世界が壊れる。

 

 その辺りは茅場先輩と協議しなければならない。彼も彼で「ALOがSAOに新しい風を吹き込む」ことは歓迎しても「ALOがSAOを荒らし回る」ことは望まないだろうから。

 

「あれ、というか自力で空を飛ぶってどういう感覚なんだ?」

 

 (ひも)なしバンジーと同じ感覚でいいのだろうか、なんて思案して……次から次へと出てくる問題を解決する毎日。プログラム自体はレクトの社員にも任せられるけれど、世界観は上で形にしておく必要があるのだ。責任は重大だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Alf-heim Onlineを略すならばAHOではないのか、という詩乃のツッコミに光のエルフことリョースアールヴを引っ張り出してÁlfheimr Ljósálfar Onlineと改名されるALO。闇のエルフであるデックアールヴ主体のスヴァルトアールヴヘイムも待っているよと茅場先輩に言われてリアル過労死が見えてくるのは別の話。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

meaning of birth

「え、シノンがゲームを作るの?」

「正確にはお手伝い。私は知識面のオブザーバー」

 

 そう語るシノンの顔つきには力が宿り、意気込み十分であることが(うかが)われる。

 

 須郷に協力することを約束してからというもの、詩乃の日々はそれ一色になった。

 

「どんなの?」

「それは秘密。教えちゃったら面白くないでしょう?」

「えええええ! そんなこと言わずにさぁ」

 

 ユウキの攻勢を難なく(さば)いてあしらうシノン。ルールは守るべし、頼りにされて嬉しかったからこそ一線は守らなければならない。その辺り、詩乃は大人顔負けに生真面目だった。

 

「ボクもお手伝いしたいなー」

「ユウキ、まだ小学生じゃない」

「むぅ……シノンだって中学生じゃないか」

「じゃあ、これ分かる?」

 

 ぐぬぬ、と唸るユウキ。見せられたのは詩乃が作業を始めるにあたって渡された指南テキストである。読み始めて一分後、ファイルを放り投げ………はせずに突き返した。

 

「分かる訳ないじゃないかー! 何かないの、ホラもっとこう……体を動かす感じの」

「技や魔法の動作確認ならあるけど」

「それだよそれ、そういうのを待っていたんだ」

 

 はしゃぐユウキに嘆息して見せて、それでも変わらない様子にシノンは返事を保留した。

 

「上司がいいって言ったらね」

「上司ってお父さんでしょ? シノンが頼んでくれれば大丈夫だよ」

「どうしてユウキが自信満々なのよ……ま、まぁいいけど」

 

 その晩、尋ねられた須郷は二つ返事で了承。晴れてユウキも役目を得たのだった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 ユウキこと紺野(こんの)木綿季(ゆうき)は己と姉と父母の四人家族、その一番年下だ。とはいえ姉の藍子とは双子なのだが、自他ともに認識は妹である。

 

 だが最も幼いからといって精神までもが幼い訳ではない。末っ子は兄姉や両親の振る舞いを見て学ぶことができるため、学習効率の面で恵まれている。とりわけユウキはその傾向が顕著だった。

 

 だからこそ自分を取り巻く状況の難しさ、危うさというものを、それこそ物分かりがよ過ぎる程に(わきま)えて()()()()いる。

 

 出生時に輸血用血液製剤からHIVに感染してから十年間、家族と共に闘病を続けてきた。両親と双子の姉もまた同様に、薬の服用を続けながら生活している。

 

 あと数年、血液製剤の問題が早く知れ渡っていれば。

 あと少し、治療薬研究が成果を出してくれたなら。

 あと僅か、周囲の理解が進んでくれたなら。

 そう感じることがないとは言えない。思ってしまうことは止められない。どうして自分が、と。

 

 けれど、自分達のために働いている人達の姿をテレビで、雑誌で、病院で目にして。

 ほとんどの人にとっては無関係の事情を必死になって取り組んでいる人がいる。

 彼らの活動によって命を繋がれていることは決して当然ではないのだと。

 浮かんだ感謝の念を、向ける相手は神か、運命か、それとも人間か。

 

 服薬をしながらでも学校に通えていることが嬉しくて、遊びも勉強も運動も精一杯に頑張って。

 

「ボクは、皆に貰ってばかりでいいの?」

 

 ふとしたときに思うのだ。ありがたいという気持ちは申し訳ないという気持ちと表裏の関係で、ときどき顔を出してはユウキを悩ませる。いつ死ぬか分からないことと同じ、いやそれ以上にユウキを苛むのは………罪悪感とでも呼べる感情だった。

 

 悩みを打ち明けると、父は自分を抱き締めてくれる。母は神に祈ってくれる。姉は頭を撫でてくれる。じゃあ自分は、自分はどうすればいい? 誰に何を返せる?

 

 そしてユウキの前に現れたシノンは、やはりユウキのために何かをしてくれようとしている。

 

「ボクは、どうしたらいいの?」

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 学校から帰宅して、ベッドに横になってナーヴギアをかぶる。リンク・スタートの言葉と共にユウキの意識は仮想空間……二人に用意された()()()()へ飛び、今日もまたテスターを務めるのだ。

 

「こんにちはシノン、今日のメニューは何?」

「昨日から引き続いてアシストの確認」

 

 トントン、と両手を操ってシステムを起動するシノン。自分の意識で動かすのではなくシステムによってアバターを動かすアシスト機能の確認作業をここ何日かは続けていた。

 

 そもそもが仮想空間なので「脳が意識した内容」を認識したシステムがアバターを動かし、その動作が寸分違わないときプレイヤーは「自分の意思で動いている」という実感を得られるのだ。遅延が起きたり見当違いの動きを見せたりすれば「これは自分の体ではない」という認識をプレイヤーは持ってしまう。故に意図と動作を等しくすることが大前提なのだ。

 

 だがアシストはむしろ逆行するような概念であり、プレイヤーの意図を超えてアバターを動かすことになる。そのシステム的動作をプレイヤーが受け入れられるか、納得できるかは非常にデリケートな問題なのだ。

 

 極端な例だが、首が一周回転するモーションを仮想空間では取らせることが出来る。だがそれをされたプレイヤーが受け入れられるかといえばまず無理な話で、そんな動きをする体は自分のものではないと感じてしまう。リアリティーが破損してしまうのだ。

 

 しかしこの技術をうまく使えば、熟練者の技術技量を実感として覚えることが可能になる。剣豪と呼ばれる太刀筋を経験することも、神の手と呼ばれる医術を体験することも、その他の精密かつ熟練を必要とする技術をも、素人であろうが脳に理解させられるのだ。一度理解して回路が出来てしまえば現実世界でも習熟は早くなるだろう。

 

「ふっ………せいっ!」

 

 直剣を握って振り、切り、払う。小学生の身空では到底到達し得ない速さと鋭さを、この世界ならば実現することができる。

 

 そうしてアシストに身を任せ、ときには自身でアバターを動かしていくユウキ。彼女の様子を見てとってシノンもまた作業に没頭する。

 

 シノン、もとい詩乃には激しく体を動かして戦う、というような方面での飛び抜けた資質はない。だが複数の事柄を同時平行で進めることに関しては抜群の才を示した。

 

 努めるまでもなく冷静な思考、同一のタイミングで数品の料理を仕上げる技量、その他にも目端が利く性質や我慢強さも相まって、ゲームでなら前衛よりも超後衛向きの人間と言えた。

 

 両手をバラバラに動かして複数のパラメータを弄り、アシストの精度を向上させていく。目線はときおり画面を確認する程度で、後はユウキの剣舞に固定されたままだ。それでいて視界が狭い訳でもなく、観察を数時間は続けられる体勢。周囲の状況を気にかけつつ銃の手入れをしながらスコープを覗いて待つこと数時間、現れたスコードロンを数キロ先から狙撃して全滅させることを日課とするような、そんな片鱗があった。

 

「うん、いい感じ。ユウキの方に違和感はない?」

「特には。ただ圧力は感じるんだけど、痛覚を切ってる分はリアルさが減ってるかも」

「それは仕方ない。ペイン・アブソーバーは無痛レベルって厳命されてるから」

 

 その部分についてはアクセス権限すらない、と語る詩乃にユウキも頷く。結局のところ二人は子供、どこかでの線引きや制限は大人がしなければならないのだ。それは重々承知していた。

 

 

 

 

 

 今日の配分が終わり、またここ数日の作業も一段落している。一息つくことの出来るタイミングを得て、ユウキは口を開いた。

 

「シノン、仕事を任せてくれてありがとう」

「なによ、突然あらたまって?」

「ううん、いきなりじゃないよ。ずっと思ってたんだ」

 

 姿を消した剣のオブジェクトデータ、それが存在するかのように宙を掴むユウキ。当たり前だが手は空を切って、何も掴めてはいない。

 

「皆に助けてもらってボクは生きていて、それはすごく嬉しいんだ。ボクが生きていることを望んでくれている人が、いるんじゃないかって思えるんだ」

「ユウキ……」

「けれどボクは皆に助けてもらわないと生きることが出来なくて、それは皆の負担になっている。何もお返しできないボクは、何のために生きているんだろうって」

 

 ユウキは握った手を開いて見せて呟く……何もないや、と。

 

「ずっと思ってた、申し訳ないって。ずっと探してた、ボクが生きていていい理由を」

 

 それを少しでも見付けたくて、お願いしたのだと。

 

 肩を落とすユウキの姿、その様子にシノンは深呼吸して、ありもしないうるさい鼓動を静めて、震えない筈の足を(なだ)めて声を張る。

 

「バカ、バカだよユウキは」

「シノン? 何を……」

「ユウキに生きていて欲しいと思う私の気持ちは私だけのモノ、私の自己満足。誰に(はばか)ることじゃないし、誰にも邪魔させない。ユウキだろうと許さない」

 

 シノンは……詩乃はどうして「自分なんか」に世話を焼いてくれる人がいるのかと思ったことがあった。そして何故自分はユウキにお節介を焼いて、関わろうと決めたのか、不思議だった。

 

 違ったのだ。世話を焼いてしまうのだと、友達(ユウキ)に接して詩乃は理解した。きっと明日奈や須郷も同じ心境だったのだろうと、すとんと理解できたのだ。

 

「だからユウキは勝手に助けられて、バカみたいに笑っていればいい。難しく考えすぎ」

 

 私はユウキに笑っていてほしいから────言葉を受けて、じっと(うつむ)いて。バッと上げた表情は、ユウキにもどうしようもなかった。

 

「………………なにをー、バカって言った方がバカなんだぞー!」

「ユウキ、顔がぐちゃぐちゃ。泣くか笑うか怒るかはっきりして」

「無茶言わないでよっ!」

 

 二歳差のユウキの頭を胸に抱いて、明日奈もこんな気分だったのだろうかと考えるシノン。彼女の表情もまた、取り繕えるようなシステムは存在しない。

 

「仮想空間での感情は隠せない。これは失敗じゃなくて、開発段階から一貫した方針」

「なんでわざわざ、そんなことを?」

「虚飾に包まれて自分も相手も偽れてしまうのが現実世界、なら仮想世界ではその法則から自由になろう、って」

 

 嘘の仮面をかぶることもできない、人の善悪が如実に表出する世界。それはとても怖いことで。

 

「けどこういうときは────悪くないと思う」

 

 くぐもって何を言っているか分からないユウキを抱き締めながらシノンは呟いた。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 やっとこさ取れた休みを利用して、仮想空間のユウキに会いに来ました。

 

「だーっ、また負けたぁ! 強すぎだってすごーさん!」

「いやいや、現実世界だと初心者もいいところだから。ほれ今日も素振りから始めるぞ」

 

 そんなバカな、と叫ぶユウキ。とても元気で賑やかな子だ。

 

 聞いてみれば病院には定期的に通院しているだけで、まだメディキュボイドを利用せずに済んでいるとのこと。挨拶と説明でお邪魔した紺野家にはナーヴギア一式をお渡ししておいた。

 

 彼女達に会うことを決意できたのは詩乃のお陰だ。どうしてもっと早く思い出して、もう少し早く知識を広めてくれなかったのか……そんな幻聴に僕自身が苛まれて、足がすくんでいた。だから大学時代のことは言えない、レクトの研究主任ということしか彼らは知らないのだ。

 

「ユウキの上達は驚く程に早い。すぐに僕よりも上手くなる」

 

 大体、僕だって曲がりなりにも数年は竹刀を握っていたのだ。それに数日の経験で食らい付いてきているユウキの方が強すぎというものだろう?

 

 だがどれだけ理想的な動きを見知ったところで実際に体を動かした訳ではないので、剣筋の意味が分かっていなかったりする。こればかりは練習を積み重ねるしかないのだ。

 

「ということで素振り百回」

「はーい……でもさ、すごーさん反応速すぎじゃない?」

「単純なVR慣れだよ。時間をかければたどり着くレベルだ」

 

 フルダイブ経験の多さは僕にVR慣れをもたらした。システムが送ってくる視覚情報や手足の運動を、受けとる側の脳は「本当に自分の体験なのか」と疑ってしまう。当然だ、現実世界には本物の肉体があると確信しているのだから、脳の認識は「アバター=ニセモノ」を前提とする。そのため脳が情報を受け取っても「これはニセモノである」「もし現実だと仮定したら」「自分は○○と思考し行動する」というところまで進んで発せられる信号をナーヴギア経由でサーバーに送るのだ。

 

 いわば仮想空間特有の思考遅延なのだが、脳が仮想空間を「現実の世界だ」と誤認した場合には話が変わる。挟まなければならない段階を複数カットできるため、思考遅延が軽減されるのだ。一概に良いと評せるものではないが、現実と仮想を切り替えられるならば問題はない、と思いたい。

 

 だからユウキには申し訳ないけれど、僕は彼女にあまり反応速度を上げて欲しくないのだ。それは仮想空間での活動に慣れきってしまうことと引き換えであり、つまりは現実で生きられなくなっている状態を意味しているのだから。

 

「師匠、極意とかないの?」

「極意って……アドバイスなら、そうだな、こういう格言がある」

 

 目をきらきらさせて期待してくれるのは嬉しいんだが、ただの思い付きだ。

 

「迷わず斬れよ斬れば解るさ」

「いや、その理屈はおかしい」

「カッコいいかも………」

「えええええ」

 

 詩乃には不評なようだがユウキには受けたようだ。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 ナーヴギアの改良、ソードアート・オンラインの発表とβテスト、時間は矢のように過ぎる。

 

 その中で困ったことが一つ、なまじ経験が多いから反応速度が順調に伸びている。SAOに参加することになったら二刀流を奪いかねない程で、流石にそれはダメだろうと僕は正式サービスの参加を見送ることになった。ユニークスキル関連がどうなっているかは知らないのだけれど。

 

 まぁ作る側の人間がプレイヤーに混ざったらルール違反だし、とこれ見よがしに口にしたら茅場先輩は思いきり()せていた。全く……ほら先輩もβテストにこっそり参加していいですからそれで満足してください。僕? 第二層で岩に向かって「無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!」って叫びながら殴り続けてましたよ。

 

 βテスターからはナーヴギアを一度回収してデータを取って、後の開発に活かす計画になった。アバターデータはきちんと残すし、新品へも交換する気合いの入りようである。廉価版の提案や事故防止の設計なども相まって初回版のナーヴギアは正直いうと質がイマイチだったのだけれど、SAOの本サービスでは茅場先輩のゴリ押しで改良版ナーヴギアが必須になった。

 

 事前予約分・店頭販売分ともにSAOソフトは謹製ナーヴギアとのセット販売になる。その分は余計な出費を強いてしまうのだけれど……多重電界の形成効率、通信速度や解像度の向上など試してみれば歴然とした差が存在していて、機能の充実を事前に示されたプレイヤー達は必ず改良版を選択すると断言できる程だ。

 

「先輩、明日の予定なんですが、まさかログインしたりしませんよね」

「いや須郷君、明日はアインクラッドの記念すべき第一歩であって、私はそれを見届けようと」

「モニタリングなら外で出来るでしょうが。アホなこと言ってないで仕事しますよ」

 

 まぁ、そんなこんなで正式サービス開始の日を迎えることができたのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一方通行

 ソードアート・オンラインの開始時刻は13時だが、直後はログインが集中することを予測したアーガスではリソースの集中を決定した。システム全体の稼働を14時から始めると告知し、あえて当日のログイン可能時間を最初の一時間に限定するという手段に出た。

 

 SAOの魅力がβテスターや雑誌取材により加熱する中で発表された「ナーヴギアの性質改良」により更なるクオリティー向上を期待した人々は熱狂、連日連夜の報道は留まることを知らない。

 

 それに伴いナーヴギアの問題も周知されていく。例えば外部からの無理矢理なロック解除、これは実はとても危ないことだ。不正規な取り外しでデータが飛ぶだけではなく……VR空間で直前まで動き回っていた脳の認識と現実世界で静止していた肉体が齟齬(そご)を生じ、反射的に体が動いて怪我をする危険があるのである。ファミコンのようにケーブルを引っこ抜いてはいけないのだ。

 

 さて当日、茅場先輩がデスゲームを実施することはないだろう。

 

「人死にが出れば、表立って仮想空間の未来に関わることはできないからな」

「その言い草だと死ななきゃ安いって風にも聞こえるんですがそれは」

 

 やり取りを思い返して嘆息する。あの人、約束は守るのだが基本的に言質を与えないのである。人死にもバレなきゃいいと言われなかったことを喜ぶべきか、それ以外の危険を嘆くべきか?

 

 そんな具合なので念のために明日奈の予定を確認しておこうと思ったのだ。

 

「明日奈? お見合いがあるって愚痴ってたよ」

「あー……そうか」

「ねえ、いいの?」

「見合い? それ自体はいいんじゃないか?」

 

 彰三さん達なりに考えてのことだろうし、明日奈も嫌なら断るだろう。詩乃もユウキもソフトは持っていないと言っていたし、この分ならば問題はあるまい。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「明日奈……すごーさん、全然気付いてなかったよ」

『そっか……そっかぁ、へぇ……』

 

 冷え冷えとしたビブラートを利かせる通話相手にどうしたものかと瞑目する詩乃。朝食を終えて自室に戻り、明日奈との電話を楽しもうとしていたのだが……連絡事項がとにかく問題だった。

 

 詩乃からすると明日奈が彼に向ける感情は複雑にも程がある。許嫁という関係にあったことは嫌ではない。だが許嫁という枠組みにあることは他人に規定されている印象がして嫌だった。かといって許嫁でなくなっても構わないかといえば違い、繋がりの一つが切れることを怖れてもいた。

 

 彼女が物語を──伸之曰く茅場晶彦と考えた創作を──ねだるのも、ただ単に創作として興味があるのではなく話している相手が大事なのだ……詩乃はそう把握していた。少なくとも詩乃自身はそうだったからだ。仮に同じ話を全く同じ調子で祖父が語ったとしても興味は沸かなかった。楽しそうに話している彼の姿を間近で感じられる時間こそが安らぎを生んでいたのだから。

 

 その気持ちが分かるからこそ詩乃は面倒だなぁと思いつつも──他にもライバルはいるんだけどなぁと思いながらも──明日奈の悩みを聞くのだ。

 

「それでお見合いは今日なんでしょ? 相手は?」

『京都の……本家が選んだ人。よく知らない』

「あぁ、例の実家」

 

 何度か顔合わせしたことのある彰三が肩身の狭い思いを強いられる、詩乃には想像もつかぬ光景。そんな実家から勧められては話もせず断ることなど不可能だろう。親戚関係が破綻する。

 

『だからね、サボっちゃおうと思って』

「ええ? 流石にそれは…………いえ、盲点かもしれない」

 

 でしょう? と同意を求める明日奈。両親には断れない話を御破算にしようとするならば、それこそ子供の理由が力を持つ。ドタキャンとまでは行かずとも、両親に言い訳を与えられるのだ。

 

 両親が明日奈の婚約者を早く決めたがるのには、実はこうした本家の横槍を防ぐ狙いもあった。

 

「じゃじゃ馬な娘ですいません、とか彰三さんに言わせるんだ?」

『きっと母さんに似たのよ。だから仕方ないわ』

 

 冗談めかして言ったことに笑い、ひとしきり愚痴った後にやって来る話題はソードアート・オンライン。人気の一言で表しきれない程の注目を、比喩でなく世界中が向けていた。

 

 伸之や彰三から開発状況についての話はちょくちょく耳にしている二人のこと、更には昔から聞いてきた物語の世界が具現化するとあって興味は一入(ひとしお)だった。

 

『詩乃のんは買えなかったんだっけ?』

「うん。流石に高かったし、お願いするのも気が引けて」

『詩乃のんのおねだりなら聞いてくれると思うけどなぁ』

 

 詩乃があまり目に見えて甘えてくれなくて悩んでいる、そんな相談を京子にしていたとバラす明日奈。私への当て付けだったのかしら、なんて母さん怒っちゃって、などという話は耳から耳へ。

 

 詩乃も詩乃で距離感に悩むことがあるのだ。自分が母を守らなければ、と早熟することを強いられた頃と比べ、今は同居人もいる上に母の容態も回復傾向にある。だが詩乃からすれば子供らしさとは何ぞやとなる訳で、果たしてどこまでがOKなのか一つ一つ確かめている最中なのだ。

 

『あ、もう昼前だ。そろそろ切るね』

「分かった。それで午後は?」

『仮病を使って自宅にはお手伝いさんだけだし、兄さんのソフトを借りようと思って』

 

 提携をしているとはいえアーガスとレクトは別会社だ。敵情視察にでも行くつもりだったのだろうか、兄の浩一郎は折角買ったSAOソフトを試す間もなく出張して行った。

 

『だから一足先に堪能して、詩乃のんには感想を聞かせてあげるから』

「……そう言われると、私もやりたくなる」

『だからお願いすればいいじゃない』

 

 いい、のだろうか。厚かましいと思われないだろうか。他人に拒絶されることに敏感な詩乃としては、我が儘を言って嫌われたらどうしようという感覚がどうしても抜けないのだ。

 

『どうしても難しかったらわたしも手伝うから』

「うん。ありがとう、明日奈」

『どういたしまして、じゃあね?』

 

 ぷつり、と切れた通話。そろそろ昼食の準備を始めよう、そう考えて詩乃は自室を出てキッチンへ。脂っこいものを好む同居人は詩乃が注意しないと不摂生を始めるのだ。油断をすると肉や揚げ物ばかりとなりかねない……詩乃が魚を主菜に据えることが多いのはそういう理由だった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「ソードアート・オンライン? やりたいのか?」

 

 こくり、と頷く詩乃の姿にどうしたものかと一瞬悩み……別にいいかと結論付けた。

 

「高いから、迷惑かなって」

「子供に変な気を遣われて嬉しい大人はいないの、覚えておくこと」

「変なって……」

 

 もし僕が正式に詩乃の義父になっていたならば、もう少し距離も縮まりやすいのだろう。

 

 だが詩乃が僕の養子になるということはつまり、彼女の母と僕が見た目上は夫婦になるということだ。人間としては好きだ、嫌いな人間と共同生活など送れる訳がない。弱りきっている精神の中でも娘を想えた心の強さは尊敬に値するし、好ましいと思う。

 

 けれど彼女は旦那さんの死を見届けて壊れてしまったのだ。つまりはそれ程に彼への想いが強く深かったということで、だからこそトラウマにまでなっている。心の整理など着いていないだろう。そこからの回復も叶わない内にそういう関係になることは、僕には出来なかった。

 

 詩乃の気持ちは薄々察してはいるけれど……今の僕と詩乃の関係は父と娘、に似たものという非常に曖昧な状態となる。

 

 ただ詩乃に必要な父の役割を果たすことに迷いはないので──果たせているかの判断は迷うが──行動は今日も変わらない。

 

「ソードアートという位だから剣技が全面に出たゲームになるぞ。戦う相手はモンスターだけじゃない、プレイヤーも含まれる」

 

 あの事件から数年、詩乃は大人に対しても特段の怯えを見せることはない。けれど戦いとなれば話は別だ、VRが詳細に再現する相手の表情や感情はリアルに迫り来る。当然そこには心理的な負荷が発生することになる訳で、果たして詩乃は大丈夫なのかと、心配になる。

 

「心配しすぎだと思うけど……無理そうなら他の楽しみかたもあるだろうし」

「まぁそれもそうか。初回版は流石に手に入らないけど、次のロットを予約しておこうか」

「うん……ありがと、心配してくれて」

 

 タタタッと走り去ってしまう詩乃を見送り、リビングのテレビをつける。日曜午後の番組はどれも似たように気の抜けたもので、僕は見るともなしに眺めていたのだ……久々に暇な休日だ、と。

 

 だがそんな休日は。

 

『──たったいま入った情報です』

 

 僕を嘲笑(あざわら)うようにして。

 

『着用中のナーヴギアを外そうとしたところ、小さな破裂音と共に焦げるような臭いが──』

 

 一瞬にして、崩れ去った。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 これは一体、どういうことなのか。降り立ったアインクラッドの中、全てのプレイヤーがそう疑問を抱いていただろう。或いは困惑か、それとも悲嘆か、落ち着いている者など一人もいない。

 

『プレイヤー諸君、私の世界へようこそ──私の名前は茅場晶彦、今やこの世界で()()()()()だ』

 

 私の世界とは何なのか。唯一の人間とはどういう意味なのか。混乱したままの聴衆を、影のアバターは見下ろしていた。赤く染まった空の下、透明な壁に囲まれた虫籠の中を観察するように。

 

『諸君はメインメニューからログアウトすることが出来ないことに、既に気付いていると思う。これは不具合ではなく、ソードアート・オンライン本来の仕様である』

 

 広場に囚われた約一万人、その中に冷静な思考を保てている者がどれだけいたのか。

 

 プレイヤーのHPがゼロになれば……ナーヴギアが高出力マイクロウェーブを発生させ現実の脳を焼く。外部的解除が試みられても同様に。あらゆる蘇生手段は失われ、ログアウトするためにはゲームクリア……第百層までの攻略が必要となる。充分に留意して攻略に励んで欲しい、と。

 

 終わる演説、現実の姿となるアバター、解ける硬直、怒号と悲鳴が木霊する中で行動を開始できたプレイヤーは数える程。それは動けるに足る理由を有していた者、主にβテスターであった。

 

 数少ない行動者の中で、更に珍しい非βテスターは数人しかいない。その中に彼女はいた。

 

「うわぁ…………いやいやまさかそんな」

 

 結城明日奈──プレイヤー名Asuna、彼女はあくまで「創作」として聞いていた状況が現実のものとなっていることに軽く目眩を覚えた。

 

 彼は予知能力でも持っていたのだろうか、と疑ってしまう程の一致はまさしく悪夢としか言いようがない。とはいえ本来は何の手がかりもなく始めなければならなかっただろうことを思うと喜ばしいのは確かで、判断に困るところだった。

 

 まぁ話をするのは帰ってからだ。そのためにはさっさとクリアしなければならない。

 

「とにかく、どこまで信用できる情報なのか確かめないといけないんだけど……」

 

 何度も口酸っぱくして言われた言葉──他人の情報を鵜呑みにしてはならない、都合のいい情報だけを見ないよう気を付けること──は脳裏に焼き付いている。だからこそ己の情報がどこまで通じるかを情報を持つ者、βテスターに聞かなければならなかったし、その者の持つ情報も正確かどうか──本サービス開始にあたって変更されていないか──確かめなければならない。

 

 さしあたっては情報源になれるプレイヤー、できれば女性がいると良いのだが……狂騒の中を縫って歩き、広場にいる中で目についたのは金褐色髪の子だった。

 

「あの、もしかしてβテスターの方ですか?」

「……どうしてそう考えたんダ?」

「この状況でフレンドリストやマップを見られる余裕があったようなので」

「…………にゃハハハ、参ったナ。そっちこそ随分と余裕が満ち溢れてるじゃないカ」

 

 アスナです、以後よろしくと告げられた女性プレイヤーは口元を引きつらせていた。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 あの後、事態は混迷を深めた。報道は不確かなことを流しただけ、連絡を取ろうにも茅場先輩は行方不明、先輩不在のアーガス社はてんてこ舞い、そんな中で詩乃から「明日奈がログインしている」と聞いた僕は彼女を伴い結城家へ。

 

 夫妻はいないがお手伝いさんは残っている。彰三さん達に連絡を取るように頼んで明日奈の私室へ、足を踏み入れた先には──ベッドに横たわり、ナーヴギアをかぶった彼女がいた。

 

 時刻は既に四時を回る。今頃はまだ明日奈もアスナとして、楽しく遊んでいる頃なのだろうか……そんな予測は何の役にも立ちやしない。苛立ちに己の膝を殴りつける。

 

 何故こうなった……いや、それは後だ。今後どう動くべきかを思案しろ……病院への移送態勢を磐石にすること、サーバーやナーヴギアの維持に全力を尽くすこと、それ位しかなかった。

 

 いや、まだ何かあった筈。思い付いたのは原作における須郷が三百人を拉致した方法。

 

 サーバー本体、カーディナルシステムへの安全なハッキングは無理と考えるべきだ。では何故そこからプレイヤーを奪えたのかといえばSAOがクリアされた際のログアウト処理中だったからで、サーバーの防壁が意味を成さない「外側」だからだ。

 

 個人のナーヴギアとSAOのサーバーは中央集権の構造でもありハブ構造でもある。二者の間には回線が存在していて、それ自体は民間の物と変わらない。そのどこかしらに細工を施して「ログアウト信号」を原作ではインタラプトしたのだとすれば……高出力マイクロウェーブを発生させる信号をインタラプトすることだって可能な筈だ。

 

 だが分析に、検証に、実験に、どれだけの時間がかかるか。どれだけのプレイヤーがその間に命を落とすか。そもそも信号を解析するためには実際に観測する必要があって、それはつまり……誰かに死んで貰わなければならない、ということだ。

 

「…………あの、すごーさん」

「なんだ、僕は今後の対策を考えるので忙しいんだ」

「対策? どうして?」

「決まっている、明日奈を助けるためだ」

「そんなに明日奈が大事?」

「当たり前だ!」

 

 僕が全ての働きかけを決意したきっかけ、それが明日奈だ。彼女と出会わなければ僕は酷く自己中なままに生きていただろう。血液製剤もメディキュボイドも詩乃のことすらも見棄てて、クズのような人生を過ごしていた。

 

「明日奈は僕が変われた恩人なんだ、死なせてたまるものか」

「だってさ、明日奈。そろそろ目、開けたら?」

「え?」

 

 あ、あはは……なんて苦笑しながら目を開ける明日奈は、当たり前だが生きていた。固く握っていた手に視線が来たので離して──起き上がらせるよう詩乃に背を押されて手を貸した。

 

 聞かれていた、のだろう。気恥ずかしい雰囲気にもなるが、今はそれより大事なことがある。

 

「明日奈、ゲームの中では何があったんだ?」

「最初はどうなるか心配だったけど、終わってみれば楽しかったわ」

「えええええ」

「それより責任とってください、すごーさん」

 

 にっこりと笑顔を見せる明日奈は何の冗談でもなさそうな態度で、だが冗談としか思えないことを言い切った────まだ四時を回ったばかりだぞ? たった数時間でクリアって、アスナさん強すぎじゃない? あと責任って何のことでしょうか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

それでも人は英雄を求める

「すごーさん、私もう十七歳です」

「いや、それは二年後……今日は2022年11月6日だからな?」

「え? いやいやまさかそんな」

 

 まさかと言いたいのは僕の方だよ明日奈。何が何やら訳が分からず、僕らの中に事態を正確に把握している者などいない。結局はそれぞれがてんでバラバラのことを話してお開きとなったのだ。

 

「で、茅場先輩。昨日はどちらに?」

「私は昨日、英雄になったのだよ」

 

 ドヤァと自慢顔の意味不明な先輩は間もなく警察にドナドナされていった。任意の事情聴取? 全然OKですよ一年くらい捕まえておいて下さい。じゃあ先輩、面会には行きますからお達者で。

 

 さて報道やアーガスからの情報で解ったのは……とりあえず死人は出ていないということ。怪我をした例も現在はあがっておらず、ただナーヴギアが軒並み煙を噴いて壊れたということ。

 

「いやいやそれだけでどうしろと」

 

 まぁ茅場先輩が何かした結果だろうと確信してはいるが、具体的な何かが僕では分からない。

 

 よくよく思い出すとナーヴギアで脳を焼くことはまず不可能なのだが、昨日はあまりに慌てていて冷静な思考ができていなかったのだ。今も怪しい部分があるのでまずは仕様書を確認しよう。

 

 そう考えて仮想空間に接続した僕を待っていたのは女性ばかり八人ほど。誰も見覚えのない……いや、一人だけ見覚え(デジャヴ)はあったがここにいる筈のない相手だ。

 

「はじめまして、すごーです」

「じゃあ代表して、アタシの名前はストレア!」

 

 よろしくねー、と軽い雰囲気で挨拶をしてくれる薄紫髪の彼女……いや彼女達はメンタルヘルスカウンセリングプログラム、SAOにおいてカーディナルの下で働く特級AIだった。

 

 

 

 

 

「そういえば君達には試作一号がいただろう? その子はどうしたんだ」

「お姉ちゃんは『専用』になっちゃったから、彼の所に行く準備中だよ」

 

 よく知ってたね、なんで? なんて質問をかわしながら手分けしてSAOのサーバーを確認する。結果は酷いもので、ものの見事に全データは消失していた。それも自壊するようにして。

 

「外部からのハッキングによってプレイヤー達はログアウト不可能になったの。けれど彼らは果敢に戦ってあの世界をクリアした。現実世界との時間的解離が発生した原因は不明、犯人も不明。私達が無事なのはデータが消去される前に創造主が頑張ったから……ということになってる」

「それ、君自身だって信じていないだろう」

「まーね、でも後世に残るのはこの事実。茅場晶彦は何者かのテロ行為に対して己の身も省みずSAOに参加、無事に一万人のプレイヤーを生還させた英雄である……って」

「でも君達はプレイヤーの精神状態をモニタリングしていたんだろう、無事だったのか?」

「それはまぁSAOが終わったら次のワールドに移住するって最初から聞いて……じゃなくて、予想してたから!」

 

 アタシは何も言ってない、言ってないからね! と念を押すストレアに嘆息。あまりつつくとボロを出されてしまいそうだ。

 

「さて、ここにいるということは手伝ってもらえるということでいいのか?」

「絶賛お仕事募集中だよ」

 

 そいつはいいことを聞いた、仕事は山とあるんだ。廉価版ナーヴギアであるアミュスフィアの開発、アルヴヘイム・オンラインの構築、それに消滅した筈のソードアート・オンラインの全データの隠匿と整理、人手が足りない。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 日が経つにつれ明らかになる事実は増えていった。ナーヴギアが動作の不具合を起こしたのは外部からの侵襲によるもので、SAO同梱の改良版にのみ起きていたこと。改良版のナーヴギアは軒並みマイクロ波で自壊しており、照射先が頭部ではなく機器中枢部だったため復元不能レベルで壊れていること。一般プレイヤー枠で参加していた茅場晶彦はGM権限を奪われ手の打ちようがなく、巻き込まれた事件に罪悪感と責任を感じて攻略の旗手となりプレイヤーに希望を与え続けたこと。

 

「だから言っただろう、私は英雄になってきたと」

「なんというマッチポンプ」

「何のことか私には分からないな」

 

 何の情報も得られなかったのだろう警察から帰ってきた茅場先輩は、アーガス本社前に詰めかけた元SAOプレイヤー達に拍手をもって迎えられた。まさしく英雄の凱旋というべき光景だったという。揉みくちゃになる中をガードマンに囲まれて出社した先輩と、僕はようやく仮想空間で話せるようになったという訳だ。

 

「とはいえ須郷君、私の意図した通りに進んだ物事など数える程しかないのだよ」

「改良版ナーヴギアの設計は先輩一人でやりましたよね?」

「全ての原因は君だよ、須郷君」

「何のこっちゃ」

 

 誰かこの男を裁く法律を持ってこいと呆れる僕をよそに先輩はALOの準備作業を始めてしまう。なんだか釈然としないものを感じながら僕も調整に取りかかるのだった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 そもそもの発端はSAOとALOのシステムがいずれ接続されることだった。

 

 SAOはプレイヤーが己の足で走り、ソードスキルを駆使してボスを狩っていく。ボスは当然のこと、ワールドの構築は徒歩を前提に考えている。一方でALOは空を飛び、魔法を駆使しボスを狩っていく。ALOプレイヤーがSAOに参加したら遠距離から安全にボスを狩れてしまう、それは困る。

 

 だがSAOが第百層までクリアされるのを待っていてはALOと接続できるのは数年後、それこそ時間がかかりすぎる。SAOの難易度を下げることは認められない、しかし攻略が滞るのも困る。ならばどうすれば良いか、茅場は考えた。

 

 たどり着いた結論は、仮想世界の時間経過を現実世界から切り離すというものだった。シミュレーションではよく採用する手で、初期のデータだけを放り込み、演算速度を上げることで擬似的に────加速世界(アクセルワールド)を実現する。

 

 無論、一括した加速処理のためにはサーバー内に全てのデータが存在していなければならない。プレイヤーデータも同様に。故にナーヴギアを用い、プレイヤーと同一の存在を電脳データとしてSAOに参加させたのだ。だから厳密に言えば、約一万人のプレイヤーは誰もSAOを遊んでなどいない。ただ彼らの同一存在がSAOを生きる様を眺めて己の経験と誤認しているだけだ。

 

 死者は出ない。健康被害も起きようがない。14時までの一時間でじっくりとコピーを作れる。

 

「最初の一時間は存分に遊びたまえ、プレイヤーの諸君」

 

 こうしてソードアート・オンラインは壮大な映画館(シアタールーム)となったのだ。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 さて、ゲームが始まってしばらくは茅場も大人しくプレイヤー達の様子を鑑賞していたのだが、第25層で不測の事態が起きてしまい計画を変更せざるを得なくなった。相応しいデータを作り上げ、満を持して参戦したというのにだ。

 

「君達、ボスの攻撃は私が食い止める。その間に体勢を建て直したまえ」

 

 誤った情報に踊らされ半壊したギルドの惨状、そこに駆けつけた攻略組のメンバーは充分な準備を出来ないままにボスへ挑むことになった。クォーターポイント、25刻みの層を守護するボスは桁違いに強力であると教訓を活かせるのは次からの話、今ここにいるプレイヤー達は誰もが死の危機に瀕していた。

 

 そこへ颯爽登場しボスの攻撃を楯で防ぐ男性プレイヤー。それこそがヒースクリフであり、茅場が操るアバターであった。

 

 いかに防御が固く攻撃が重いボスといえど、攻撃のことごとくを防御されては形なしだ。ヒースクリフがボスのタゲを取り続け、浮き足立っていたプレイヤー達は平静を取り戻す。終わってみれば犠牲は最初に半壊したギルドメンバーだけで済んでいたのである。

 

 ボス戦の立役者は勿論ヒースクリフ、彼はギルド血盟騎士団を結成し、攻略に邁進していくことを表明した……攻略組の期待と歓声が彼に集まる……ここまでは、茅場の計画通りだったのだ。

 

 計画が狂ったのはここから。

 

「あれ…………茅場晶彦?」

 

 ホンモノか、と騒然とするボス部屋。声を発した女性プレイヤーはヒースクリフの出で立ちを確認し、やっぱりと頷いた。

 

「わたしの知り合いがアーガス関係者なので知っているんです。ヒースクリフさんのアバターは、茅場晶彦のもので間違いありません」

 

 断言する態度の自然さに、その場の空気が決まりかける──即ち、茅場の吊し上げへと。

 

 どうすればいい、ヒースクリフは悩む。ここで正体を暴かれて大人しく第百層に引っ込む? 冗談じゃない。ではここにいるメンバーを全員ゲームオーバーに? それはフェアじゃない。では言い逃れをする? どうやって?

 

 大混乱に陥っていた彼を救ったのは、彼を窮地に陥れたプレイヤーだった。

 

「やっぱり、ゲームは自分でも遊んでこそだもの。開発者の茅場晶彦がSAOにログインしていない筈がない……そして巻き込まれてしまったの、純粋な1プレイヤーとして」

「え?」

「犯人にGM権限を奪われた彼に打てる解決策はなかった。デスゲームに皆を巻き込んでしまった恥辱は彼を打ちのめし、けれど責任感から立ち上がり今この場に現れたの、攻略の旗手として!」

 

 ウオオオオ、と雄叫びをあげるプレイヤー達。一転して歓迎ムードになった場の空気にヒースクリフは目を白黒させるばかりで付いていけていない。だが事態は彼を置き去りにして進んでいく。

 

「わたしも血盟騎士団に参加します。この世界を攻略して、生きて帰るために!」

 

 俺もオレもと続く賛同の言葉。なぁにこれぇと現実逃避を始めていた彼に彼女は宣告したのだ。

 

「ということにしておくので、後で()()()()()()()、聞かせてくださいね? 茅場さん」

 

 頑張りましょうね、茅場さん──意気込む彼女にヒースクリフはこう告げるのが精々だった。

 

「アスナ君、この世界でリアルネームはご法度だ」

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「なぁ、アンタが……あなたが茅場晶彦だっていうのは、本当なのか?」

「君は……ボス攻略に参加していたな。名前は……」

「キリトです」

 

 第26層へと進み、転移門のアクティベートを終えた彼らはその場で解散することになった。茅場に話を聞きたいという者もいたが、ギルド結成のためクエストを受けるからと遠慮してもらい……嘘というわけではなかったが、予想外の展開に一度考えをまとめる必要があったのだ。

 

 だが彼を追跡しているプレイヤーがいた。無理もない、彼らをSAOに閉じ込めたアバターは茅場晶彦と名乗ったのだから目の敵にされている方が自然というもの。そこに本人を名乗るプレイヤーが現れては、諸々の感情を抑えきれない者もいるだろう。

 

 撒くことは出来るが、それは後ろ暗いことを抱えていると宣言しているようなもの。ならば面と向かって言葉を交わし、早々に納得してもらうしかあるまい、茅場はそう判断し場を整えたのだ。

 

 人気のない路地裏、現れたのは黒髪黒目、中学生くらいの男子だった。プレイヤー名はKirito。

 

「確かに私は茅場晶彦だ、今は1プレイヤーに過ぎんがね……全てとは言えないが、答えよう」

「じゃあ……まず、ナーヴギアが現実の脳を焼く可能性について」

「ゼロではない。元々ナーヴギアには誤動作防止のプログラムが存在し、尚且つ脳を焼く程の出力は直接人体に当たらぬよう設計されている……だが私達の組んだ防壁を破るだけの力量となれば話は別だ。想定外の高出力ならば間接的にせよ脳にダメージを与える可能性はある」

 

 彼自身も推測していた答えだったのだろう、あまり落ち込んだ様子も見せずに頷くキリトは茅場の目からしても、相当の知識を有しているように見えた。外部からの救出可能性や、犯人が解放条件を守るかどうか、現実の肉体を維持できる期限など話は多岐に渡る。まるで須郷に授業をしているような気分が茅場の精神を沈静化させた頃。

 

「あと、最後に聞きたいんですけど……」

 

 ビーターって、どう思いますか。キリトは意を決したように尋ねた。

 

 

 

 

 

「ありがたい存在だと、私個人としては感じている」

 

 そう語るヒースクリフの瞳には色があった。先程までの単なる質疑応答ではかいま見えなかった感情が覗いていた。

 

「アインクラッド……石と鉄の城を現実のものとすることは私の夢だったのだ。この状況に陥っても尚、私は愛情と執着を抱いている」

 

 まさしく己の全てだった、そう語るヒースクリフ。

 

「その世界をβテストの頃から熱心に遊び、デスゲームとなった今も真剣に生きている君は開発者冥利に尽きる」

「っ……じ、冗談きついぜ、ビーターってのはチーター扱いなんだぞ? 自分さえよければ他人はどうでもいい利己の塊だぞ?」

「利己に生きることの何が悪い? 人とは元来そういうものだ、君だけが後ろ指を差される筋合いはあるまい」

 

 利己に生きることが悪い訳ではない。生きる中で誰かに何かを与えたとしても、それは私の(あずか)り知らぬことだ。感謝されても困る、好きでやったのだから、と話すヒースクリフ。

 

「それに君の振る舞いを客観的に見て、ただの自己中心的人間と判ずることはできんよ。誰もが自分のことで窮々とする中で憎まれ役を買って出て、マップデータは商売の種にせず、一層から攻略に貢献し続けてきた」

 

 発生してしまったビギナーとβテスターの亀裂を抑えるため、更なる憎まれ役を買って出たキリト。目論見がそのまま実現した訳ではなかったが、彼を妬み(うと)ましく感じるプレイヤーの悪意は彼を(むしば)んでいた。

 

 だがβテスト時の情報がそのまま役に立つほど甘いゲームを茅場は作っていない。むしろ先入観に足を(すく)われ消えるテスターは大勢いた。その中にあって情報を活かし生き抜いているキリトの姿勢は、茅場にとってほぼ理想的なものだったのだ。

 

 即ち、アインクラッドを真剣に生きている、と。

 

「βテスターどころではなくチートだと? 案ずるな、本当のチートとは私のような人間さ」

 

 常ならば口にしないそんな冗談も出てしまうほど茅場は気分がいい。これ程の逸材、加えて今後の攻略を担える実力者とくれば逃がす手はなかった。

 

「キリト君、君にはぜひ血盟騎士団の一員になってほしい」

「でも、俺の噂はアンタの足を引っ張ってしまう。それじゃあ……」

「この世界のルールはただ一つ、強さだ。剣を抜きたまえキリト君」

 

 二の足を踏むキリトに送られたメッセージ、戦いの申し込みには初撃決着モードの文字。

 

「私と戦い勝てば好きにするがいい。だが負けたら……血盟騎士団に入るのだ」

「……いいでしょう、剣で語れというのなら望むところです」

 

 決闘(デュエル)で決着をつけましょう────

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「しかしカーディナルがアインクラッド崩壊のクエストを進行させていたことは驚きだった」

「カデ子さん何やってんの!?」

「君の話に興味を持ったらしい。北欧神話のラグナロクを組み込み、崩落を始めたのだ」

「崩落したらゲーム続けられないでしょう? 止めなかったんですかGMとして」

「いや、私も知らない展開を起こしてくれたから先を見てみたくて……つい、な?」

「つい、じゃねーよ」

 

 血盟騎士団の本部が消えたときは流石に焦りを覚えた、と語るむっつり顔の先輩とALOを仕上げていく中で聞くSAO内部の出来事。そのどれもが僕の知っていた内容とは別で、羨ましいなぁと感じてしまう。他人がやっているゲームを横で見ていてもつまらない感覚とはこういうものか。

 

「クエスト自動生成システムも良し悪しだな……空気を読めないというのはAIの致命的弱点だ」

「いや(むし)ろ空気を読んだんじゃないですか? この親にしてカデ子ありでしょう」

「そういえば空中と水中における機動データの蓄積と最適化をカーディナルがしていたが」

「カデ子さんマジ天使」

 

 不具合ということでさっさと改良版ナーヴギアを回収したアーガスは旧型ならば危険はないと発表、ユーザーには登録されていたデータを移し替えた新品を送ることを約束した。彼らの全員が仮想世界に戻ることを選択するとは思わないけれど、茅場先輩としても再び足を踏み入れてもらうことには賛成だったのだろう。

 

 レクトでは出力を下げた廉価版のアミュスフィアを販売、手が届かなかった購買層への普及を狙っている。時限式の強制ログアウトや感覚カットの制限、搭載されたカメラの映像を仮想世界でも同期して確認できる仕組み、その他諸々の機能をストレア達の手も借りて完成させたのだ。アミュスフィアの設計自体は早かったのだが調整に時間がかかり過ぎ、結局仕上がったのは年が明けてからという大誤算だった。

 

 大誤算といえばもう一つ、ALOの構築に社員達が凄まじいやる気を発揮した。SAOに追い付け追い越せと燃えているレクトは解るが、アーガスもだというのだから不思議だった。

 

「アーガスはSAO手掛けたじゃないですか」

「だってアレ茅場が一人で作ったやつだし」

 

 とのことなのだ。アーガス社員だってゲーム会社の一員、VRゲームともなればやる気もアイデアも一入(ひとしお)だった……のだが茅場先輩のアイデアが固まりすぎていた&完成していたために手が出せず、泣く泣くデバッガーを務めていたという。

 

 そうしたら提携先のレクトでは負けず劣らずのVRMMOを作っていて、しかも社員のアイデアが採用されて製作に参加できるというのだ。我慢なんぞできる筈がなかったのである。

 

 そういう訳で盛りに盛られたデータの山をむしろ減らして形を整えて、ALOをようやくリリースできるようになったのも年明けなのだ。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 祝ALO本サービス開始ということで三人娘を集めパーティーをすることに。そうして仮想空間に四人で集まってみると、案外お互いに知らない組み合わせは残っているもので。

 

「じゃあ、わたしが音頭を……乾杯!」

「乾杯」

「カンパーイ!」

 

 グラスをカチンと合わせている三人娘、アスナとシノンとユウキは、実は初の全員集合だというから驚きだ。てっきり会わせた気でいたのにアスナとユウキは初対面だったのだ。そして……

 

「まぁ挨拶代わりにとりあえず────決闘(デュエル)しようか、お姉さん」

「その構え……解ったわ。それじゃ────閃光のアスナ、参ります」

 

 いきなり斬り合いを始めたのだ。細剣と片手直剣の、刺突と斬撃の応酬で砂ぼこりが舞う。妙に据わった目の二人から慌てて離れ、唖然としている僕にシノンはじとっとした目を向けてきた。

 

「こうなることは予想できていた。大体すごーさんのせい」

「え?」

「ユウキの前でアスナの話をしたり、アスナの前でユウキの話をしたりしてた」

 

 面識のない女の子の話を、自分といるときに散々されたらどう思う? と聞かれ、確かにそれはデリカシーに欠けると自分でも思った。いや、二人とも仲のいいイメージが強かったから、てっきり既にそうだと思い込んでいたのだ。

 

 というか何故二人はソードスキルの動きをしているのだろうか、アシスト機能は働いていないのに……アスナはまぁ、体感にして二年程をSAOで過ごしたから動き方が染み込んでしまったのだろう。ユウキは……流石に格好いいからというだけで選択はしない筈だが。

 

「ソードスキルの構築は人間に馴染んだ動きを拡大したものだから、アシストがなくてもそのまま型になるって」

 

 ユウキが言っていたのをシノンも真似て、射撃のスキルをアシスト抜きで再現中だそうな。

 

「君達はいったいどこに行こうとしているんだ……?」

 

 ふんす、と得意気なシノン。君達は新人類にでもなるつもりなのかい?

 

 アスナが踏み込みと共に放った刺突、フラッシング・ペネトレイターだろう?

 

 それにユウキが合わせた単発重突進、ヴォーパル・ストライクじゃないか?

 

 剣先同士の衝突はお互いを弾き飛ばす。先に建て直したのはユウキ、右上段からの袈裟斬り──迫る直剣の切り下ろしに細剣を滑らかに合わせいなし、ユウキの剣を外へ流しつつ細剣で首を狙うアスナ。点の攻撃を、突きを流されている筈のユウキは首を傾げるだけですり抜ける。そして正面衝突した……が、倒れない。

 

 外へ流されてしまった剣を引き戻す動きでユウキは四連撃、ホリゾンタル・スクエアの軌道を描く。舞うように四方から斬りつける直剣を、アスナは地に体を伏せ……全てを上方に見据えて打ち落とした。もうすべての攻防がこのような感じなのだ。いつ終わるの? 誰かが止めないと終わらなくない? 誰かって誰、僕は嫌だよ。

 

「シノン、頼んだ」

「仕方ない、ご褒美は期待しているから」

 

 そう言うと三種二本ずつの六矢をおもむろにつがえ、弓を引き────ほぼ同時に放った。

 

「きゃっ!?」

「あ痛っ!」

 

 双方に直撃、舞い上がった煙が晴れる頃には地面に二人が……麻痺状態で寝転んでいた。

 

「全く、回避を(おろそ)かにして剣で切り落とせばいいとか考えてるからそうなるのよ」

「いやシノン、二人の脚を狙い射って跳躍させた所に二射目を放って、空中だからやむなく切り払った所に三射目を直撃させたよな」

 

 一射目は二人が剣を弾かれ合ったタイミングで体勢が崩れ、上に跳ぶしかない所を撃ち。

 二射目は速く重い矢を放つことで回避をさせず、切り払う剣すら弾く衝撃で完全に余裕が消え。

 三射目は何とか二人なら切り落とせるスピードでわざと撃つ。しかも(やじり)は麻痺毒仕込み。

 

「ひ、ひどいよ詩乃のん!」

「シノンは一体どっちの味方なのさー」

「私は私の味方、それ以上でも以下でもないわ。すごーさん、争いを止めたから褒めて」

 

 あっ、という二人の声を無視して頭を差し出すシノン。いや久しぶりだ、こうして撫でるのも。

 

「こうして仮想世界で撫でるのもいいけど、やっぱり僕は現実の方がいいな」

「じゃあ、現実でも撫でてくれて構わないわ」

 

 目を閉じて、普段の張った気を緩めている様子は可愛らしい。例え……一射目(牽制弾)から順番に放つ筈の矢が、実際は三射目(麻痺弾)から撃ち始めて二射目(衝撃弾)、最後に一射目(牽制弾)を撃っていたとしても、まるで詰め将棋の(ごと)きソレを二人分並行していたとしても可愛らしい…………そんな感想で終えたいんだ。

 

「それで、わだかまりは溶けたのか?」

「ないよそんなの元から。ただ剣を交わして友情を築いただけだもん。ねーアスナ?」

「うん。ユウキはアレが挨拶って言うし、わたしもSAOで似た……ううん、なんでもないから!」

 

 ぐぎぎ、と麻痺のままに上体を起こして立ち上がりかけている二人。システム的にほぼ身動きできない筈なんだけどなぁ……メニューを操作して状態異常を解除すると速い速い、あっという間に駆け寄ってくる。

 

「それですごーさん。ボクとアスナとどっちがスゴかった? 勿論ボクだよね!」

「ま、まぁ結果は聞くまでもなく明らかだけれど、やっぱりわたしも言葉にして欲しいし」

 

 どういうことだ、僕の常識では二人とも天元突破していたのだが。子供は褒めて伸ばすと言うけれどこれより更に伸びてしまっていいのだろうか? 未知を求めて進むことに危機感を覚える今日この頃である。

 

 

 

 

 

 ALOで選択する種族を猫妖精(ケットシー)にするから確かめて欲しいというシノンのお願いに頷いて、猫耳と猫尻尾のモーションや感覚伝達をチェックしている僕達を隠れてガン見してきたアスナとユウキは、いったい二人で何を話し込んでいたのだろう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花言葉は家族愛

 大勢の人々に手が届く存在となったアミュスフィア、そして本格的にサービスを開始した初のVRMMOたるALOは当初から猛烈な人気を博していた。事件が一例あったにも関わらず、仮想空間の提供する経験はやはり、人々の興味関心を駆り立てて余りある甘美さを持っていたのだ。

 

 アーガスの防壁を抜けるハッカーが存在しているという脅威を知った人々は、それに対抗するために茅場晶彦を守護神として求めた。彼が直々に「今後はあのような事故が起こらないよう邁進する」というコメントを出したことも相まって、英雄的立場は出来過ぎな程に固められた。

 

 だが如何に熱狂が世間を賑わしたとしても、全員が仮想空間への参加を選択した訳ではない。特にSAO事件の経験者には仮想空間そのものに拒否感を覚える者もおり、皆が少なからず複雑な心境を抱えていたのである。

 

 黒の剣士と呼ばれたキリト────桐ヶ谷和人もまた、その一人だった。

 

 

 

 

 

 冬の早朝、寒さに震えが止まらないような時刻に起き出した和人。以前なら絶対に起床しないような時間に目が覚める理由は、妹と朝の稽古をするためだった。

 

「おはよう、スグ」

「お兄ちゃん、おはよう! 寝癖すごいよ?」

「げっ、マジか……急いで直してくる」

 

 廊下で鉢合わせた妹、直葉はすでにジャージを着込み準備万端。待ってるから、という声に背を押されて洗面所へ、ささっと顔を洗い支度を整えたら庭先に。

 

 相変わらず鬼のように厳しい寒さに撤退したくなるが、そこは直葉の期待に足を止める。そもそも朝の練習に付き合いたいと言ったのは和人の方なので投げ出したければ投げ出せばいいのだが、その辺りは兄の意地というものがあった。

 

「準備運動を終えたらいつも通り軽く、だよな」

 

 既に素振りを始めている直葉を眺め、相変わらずピシリと止まる剣先に感心する。筋力値があれば自在に剣を操れた仮想世界とは違い、竹刀を自由に扱うには筋力と慣れが求められる。頭の中に強固なイメージはあっても再現は難しく、そんなことを知ったのはこうして一緒に練習をするようになってからだ……かつて投げ出して祖父に殴られた子供時代ではない。

 

 構え、振り上げ、振り下ろし、止め、それらの繰り返し。十、二十と回数を重ねていく素振りは堂の入った妹の姿とも、SAOにおける己の剣筋とも似つかない。そうして苦笑する、まただ、と。

 

 こうして何かしているときでもふとSAOを思い出してしまい……和人は気持ちが少し沈む。

 

 あの世界の全てが喜びであった訳ではない。仮想世界はまさしくもう一つの現実であって、人の善意も悪意も等しく存在していた……いや、悪意の方が多かったのではないかとすら感じる程に。

 

 (ねた)(そね)みや恨み辛みは隠されないまま表情に出る。裁く法や国がないというだけで悪意を行動に移す者も多かった。プレイヤーの善意と道徳心に期待せざるを得ない厳しい現実がそこにあった。

 

 PK、プレイヤーキラーとの戦いは文字通り命を賭けたものとなった。数で囲み黒鉄宮に送れば済むという事前の目論見を嘲笑うかのように、彼らは死を覚悟して迫ってきた。HPを全損すれば死ぬのだと互いが理解している戦場で、殺さずに済ませる余裕などありはせず、死の恐怖に背を押されて斬り付けた重い選択。

 

 現実に帰還して、事件での死者はいないのだと知ってもなお消えない手の震え。記憶が色褪せることを期待するには、二ヶ月という時間はあまりにも短い。

 

 だが和人とてSAOに嫌な思い出しかない訳ではない。むしろ厳しいことが多かったからこそ、時おりの善意や安息が何よりも輝いて感じられたのだ。

 

 その中でも、僅か七日間だけの時間を共にした少女。和人の数ある心残りの一つが彼女だった。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「キリト君、一つ頼みがある」

「頼みって、アンタが俺にか?」

 

 尊敬は勿論しているが、長く接していれば見えてくるズレ具合もあってキリトの態度はだいぶ軟化していた。ヒースクリフも敬語はいらぬと言ったこともあり、戦場以外における二人は気安い先輩後輩の仲にも感じられるものとなっていた。

 

 そんなある日、血盟騎士団の本部に呼ばれたキリトを待っていたのは団長たるヒースクリフともう一人、黒髪の少女であった。十歳以下に見える外見の彼女はしかし、妙なことにプレイヤーを示すカーソルが存在していなかった。

 

「実はシステムに不具合が発生していたようでね。ユイ君、彼が君に話した候補だ」

「はい……メンタルヘルスカウンセリングプログラム試作一号、コードネーム、ユイです」

「は、はぁ……キリトです、はじめまして」

 

 舌を噛みそうな長さの自己紹介を聞いて(しば)し、キリトは彼女がプレイヤーではないと気付く。

 

「彼女はNPC、なのか? それにしては表情も動作も自然すぎるけど」

「プレイヤーの心理的健康をモニタリングし、カウンセリングを行うAIだ。その特性上、トップダウン式AIとしては破格の繊細さを持っている。人の手を完全に離れた世界を創る予定だったのだ」

 

 ならばユイは茅場謹製のAIということで、つまりは父と娘か、と納得するキリト。

 

「だが如何に優秀な彼女とはいえ、ゲームの開始から既に二年近い。加えて多くの悪感情に接した彼女はいわば、疲労を残しているのだ。だから一度、リフレッシュをさせてあげたくてね」

「つまるところ、俺が身元を引き受けろ、と?」

 

 そういうことだ、と頷くヒースクリフの隣で見上げてくるユイ。その表情には期待と不安が覗いていて、その幼さがありし日の妹を思い出させて、キリトは引き受けることを決めた。

 

「助かるよ。子守りは私の手には余るようでね……期間は三日もあれば充分だろう。その間に私はユイ君の現れた状況からシステムに割り込めないか試すことにする」

「解った。その手のことに一番向いてるのはアンタだ、期待してる。えっと、ユイでいいのか?」

「はい、わたしはなんとお呼びすれば?」

「俺も敬語を使われたくないし、固くなければ何でも」

 

 うーん、と悩むこと数秒。満面の笑みでユイは言い放った。

 

「じゃあよろしくお願いしますね、パパ」

「ちょっと待とうかユイ」

 

 

 

 

 

 ユイとの生活は思いのほか順調だった。たまに顔を合わせる知り合いへの説明は面倒だったが、他に手を煩わされることはなく、圏外へ狩りに出られないことを除いて何の不満もなかった。

 

「礼を言うよ、キリト君」

「ユイは良い子だったから、大した手間でもなかったよ」

 

 別れの日、同じように血盟騎士団本部にて再会した三人。キリトの言葉にユイは顔を曇らせ……それを見てとったヒースクリフはふと思い出したことがあった。かつてアーガスとレクトで協議を行った後、彰三が何気なくこぼした話だ。

 

「キリト君、私の仕事相手に一人、娘を持つ父親がいる」

 

 ──長男の浩一郎はほぼ期待通りに育った。けれど娘はどうにも、上手く育てられないんだ。

 

「彼はよかれと思って色々と手を打つのだが、大体は散々な結果になる」

 

 ──許嫁しかり、学校選びしかり、交友関係しかり。私の選択は娘の笑顔を曇らせてばかりだ。

 

「正直、私にはどうでもよかったがね、彼は勝手に話し勝手に立ち直った……不思議なことに」

 

 ──どうして空回りしてまで何かをしようとするのか? 決まっているよ、茅場君。

 

「彼が娘の親だから、だそうだ。理解に苦しもうと煙たがられようと、父親の役目は誰にも譲れんと言っていた」

 

 そう語るヒースクリフの瞳には憧憬が浮かび……キリトの目には郷愁が浮かんでいた。

 

 キリトは思う、果たして自分のことを義父母はどう思っていたのだろうか、と。

 

 生後間もない頃の事故で父母を亡くし、妹夫婦の元に引き取られた和人が出生を知ったのは十歳のこと。家族四人の中で己だけが異物であった事実を受け止めきれず、また義父母も充分なケアが出来なかった。自分に向けられる言葉や感情が全て偽物のように感じられて、これまでの記憶が騙されたもののように感じられて、和人は心を閉じた。

 

 幾分か時間の経った今ならば、一連の経緯に悪者などいないと理解できた。けれど家族に対して覚えてしまった猜疑と恐怖は薄らぎはしても消えることはない。他人ならば裏表を論じるほど深い間柄ではないのだから大丈夫かといえば、むしろ他人だからこそ、親しくなったときに裏切られるのではないかという恐怖が和人を縫い止めた。友人を作ってリハビリすることも不可能だった。

 

 だからこの数年間、和人は家族とまともに言葉を交わしていない。義父は単身赴任、義母は雑誌編集者で家にいることが少なく、義妹も己が剣道を辞めた引け目から交流を断ってしまった。そんな自分に彼らは何を感じていたのだろうか……そう考えようとして、考えられる程の情報を持っていないことに愕然とした。

 

 何のことはない、和人の方こそ彼らを知ろうとせずに避けていたのだから、彼らが何を考えどう思っているかなど解る筈がない。それこそ数少ない記憶から来る決め付けでしか、彼らをイメージできないのだ。相手の態度が仮面かもしれないと怯えて、和人の考える仮面を押し付けたのだ。

 

 会いたいと思った。直葉に翠に峰嵩に、家族に────けれど会うことは叶わない。

 

「なぁ、ヒースクリフ」

 

 デスゲームに巻き込まれたキリトが最初に自覚したのは「現実から切り離されたこの世界ではスグ達に会うことができない」という至極当たり前の、切実な叫びだった。生きている実感を得るより早く、死の恐怖を覚えるより早く、アニールブレードを得るためだけだった筈のクエストがキリトに与えた郷愁と後悔が、再び心身を焼いた。

 

「もう一度、やり直させてほしい…………頼む」

「キリト君、それを決めるのは私ではない」

「あぁ……ユイ、もう一度、俺と暮らしてほしい。お願いだ」

 

 それは懇願だった。得られなかったものを得ようとする代償のようでもあり、与えられなかったものを与えようとする代償のようでもあり、キリト自身にも理解できない感情だった。

 

「相手の心が見えないからって、仮面に過ぎないんじゃないかって怯えて……本当の気持ちが解らないって嘆いた俺は、それなのに俺の理想(良い子であること)をユイに押し付けていた。でも、それじゃダメなんだって、解ったから」

 

 もう間違えないから、そう願うキリトの頭に、そっと伝わる重みと暖かさ。

 

「…………パパはユイがいないとダメなんですね」

 

 アニールブレードを手に入れるためのクエスト、森の秘薬。それを服薬したNPCの少女に告げられた感謝と、頭を撫でて慰められたときの感情が呼び水となって、積み重なったこの二年間を伴って決壊する。

 

「ユイ、俺は……俺っ」

「大丈夫です。わたしはどこにも行きませんよ」

 

 それにメンタルヘルスカウンセリングは得意なんです────

 

 胸を張るユイの姿はずっとキリトの目に焼き付いている。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「お兄ちゃん、お兄ちゃんってば!」

「…………うおっ、どうしたんだスグ?」

「どうした、じゃないよ。ボーッとしてたから声かけたのに……まだ本調子じゃないの?」

 

 顔を覗き込んでくる直葉の表情は心配一色で、見間違う方が難しかった。キリトがアインクラッドで学んだことの一つは、他人が何を考えているかなど解りようがないということだ。諦めたとも吹っ切れたともいうそんなキリトでも、今の妹の感情は流石に取り違えない。

 

「大丈夫、ちょっと考え事をしていただけだって」

 

 それならいいけど、と言いつつ納得していない声音(こわね)と表情に苦笑する和人。どうやら妹は考えていた程の恐怖の対象ではなかったようだ、と自嘲して……ふとプランターに気がつく。

 

「なぁスグ、あれ何を育ててるんだ?」

「福寿草。その隣はサルビア、春になったら種を()くの」

「サルビアか…………サルビア?」

 

 かつて出生を知る前、剣道を辞めるよりも前に、サルビアの種を蒔いた記憶。それはサルビアの花の蜜を好んでいた妹に好きなだけ楽しんでもらおうと和人が用意した誕生日プレゼントだ。蒔いた場所を幼さ故に忘れてしまった後、剣道を辞め直葉に引け目を感じて交流が途絶えたのだが……

 

 今なら話は別だった。そして思い出す、自分が直葉を妹として好きだった想いは、家族として愛したことは確かにあった、自分だけのモノ。出生を知る前の、世界が分からなくなる前の、ただ桐ヶ谷家の一人息子として生きていた和人の、ただひたすらに純粋だった気持ちの発露だと。

 

「スグ、連れていきたい場所がある」

 

 ジャージ姿の直葉を後ろに乗せて自転車を漕ぎ、目指すは記憶に残る風景。たどり着いた場所は宅地になっていたけれど、当時のサルビアを今も株分けして残していた人が分けてくれた。

 

「お兄ちゃん、これって」

「すごく遅れちゃったけど誕生日プレゼントだ」

 

 本当は咲いていて欲しかったけど、と思いはするけれど流石に今は季節外れ、サルビアが残っていたことだけでも奇跡的だった。買う種を間違えたのか青色であるらしいが、構わない。

 

「実際に花が咲くには秋まで待たないといけないから、今年のプレゼントも込みってことで」

「お兄ちゃん」

「ハイすいません調子にのって」

「ありがとう!」

 

 へ、と戸惑う和人の胸に飛び込む直葉。何とか倒れずに受け止めて、あんなに小さかった妹が、なんて感慨に少し浸って……SAOから解放された日もそうだったのだ。邪険にして、関わりを絶ったのはこちらなのに、報道で流れた事件の情報(デスゲームの可能性)()呑みにして、目を覚ました和人の手をベッド横でずっと握っていてくれた。

 

 その時に思ったのだ、直葉との間に生まれてしまった距離を、全力で埋めるのだと。自分が会いたいと切望したように、自分の無事を必死に願ってくれた妹を大事にしようと……けれど本当の意味で再会(仲なおり)できてはいない。だから和人は己の罪を、過去から続く引け目を切り出した。

 

「スグ、お前、俺を恨んでないのか?」

 

 自分の代わりに剣道を続けざるを得なくなったことを、他の何かを選べなくなったことを、恨んでいないのか。和人の引け目を直葉はあっけらかんと否定した。

 

「なに言ってるの? 好きでもないこと続けられるわけないじゃん」

「そっか…………そっか」

 

 凍り付いた心が溶かされる感覚。シリカの言った通りで良かった、それにしても本当に涙腺が弱くなったなぁ……と思いながら堪えている和人を、妹の一つのお願いが襲う。

 

「どうしても気になるっていうならお兄ちゃん、できなかった他のことを一緒にやってよ」

「い、いいけど……いったい何を」

「お兄ちゃんの見たモノを、経験した世界をあたしも知りたい」

 

 ヒュッと引き付ける喉。それは和人が望み、厭うている仮想世界への招待状。

 

「お兄ちゃん、本当は戻りたいんでしょう? 解るよ、いつも寂しそうだもん」

「スグ、俺はお前との間に出来てしまった距離を全力で埋めようと思って」

「そ、それは嬉しいけど! それなら、あたしはお兄ちゃんを知りたい」

 

 退かないからね、と間近で睨み上げてくる直葉は真剣で、SAOでキリトとして生きていた二年間、共に生きた仲間達の真剣さを彷彿とさせるもので。

 

「分かった、まずはソフトを手に入れてからな」

「約束だよお兄ちゃん!」

 

 じゃあ私部活で帰り遅いから買っておいてね、という言葉に固まる和人。財布の中身と預金通帳を思い返して深々と嘆息する。

 

「まぁ……いいか」

 

 直葉が喜んでくれるなら安いものだ、とこぼす和人の顔には久しぶりの笑みが浮かんでいた。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「種族は……黒がいいから、スプリガンで。スタート地点はスグと一緒にするって約束したから、シルフ領を選択っと…………おおおおおっ!?」

 

 放り出された空中から、地上へ真っ逆さま──となることはなく、飛行用のモーションアシストが着地姿勢を取らせてくれる。誰にとっても未経験の自力飛行を、まずは簡単に味わってもらうという導入らしい。肩甲骨の先にない筈の腕が二本生えていて、風圧を受けている感覚だった。

 

「ここがALO…………やっぱりアバターに(はね)は生えてるんだな」

 

 クルリ、と自分の背中を見ようと回転するプレイヤー達を見て一人ごちるキリト。アーガスから補償として送られたナーヴギアにはSAO時代のアバター……つまりはリアルデータが残っており、それを元にしたアバターを作製できるようにされていたのだ。

 

「スグ、じゃなくてリーファは全然違うアバターを作るって言ってたけど────あ゛っ」

 

 タラリ、と汗が流れる幻覚。ユイのことを忘れていたのだ。慌ててメニューを開き、運営からのギフトがあることに気付いてタップ、いきなり光を発して現れたユイに抱き付かれてキリトは今度こそ倒れ込んだ。領都スイルベーンの大通りから一瞬、音が消える。

 

「遅いですパパ、私ずっと待ってたんですよ!」

「す、すまない……ただいま、ユイ」

「はい、お帰りなさい、パパ。ところで」

 

 息を飲んでいるこちらの女性はどなたですか、という言葉に首を回して────

 

「キリト君、この子は一体どういうことかなぁ」

 

 ランダム作成のアバターの美麗さを褒める余裕すらなくリーファへの説明に追われるのだった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 カーディナルシステムやストレアと接して感じたことがある。情報を収集し情動を吸収することで彼女達はどんどん人間に近付いている。処理能力の優秀さは言わずもがな、天衣無縫を人型にしたようにフリーダムなストレアですら、僕でも及びもつかない程の情報処理をやってのける。

 

 無論、今は世界中から知識情報を学んでいる最中だ。トップダウン型AIの常として規範や規則がないと動き辛く、新しいものを作るのが苦手なため創作は全て既存物の組み合わせとなる。

 

「まぁその規模が半端ないんだが。何故アインクラッド崩壊クエストなんて実行したんだ?」

「クエスト生成権限とマップ消去権限を組み合わせたら出来たって言ってた(ログが残ってた)よ?」

「発想が自由だよね、良くも悪くも」

 

 いやあ、と照れるストレア。別に褒めている訳ではない。

 

 今回のラグナロクは人間なら「思い付いてもやらない」ことをカデ子は「禁じられていないから権限内でこなした」気分なのだ、恐らく。明確に禁じられていなくてもアインクラッドの崩壊はSAOの終了を意味するのだから運営が望む筈もないのだが、そこを想像で補うことがカデ子には出来なかった。或いはよかれと思ってやった、つまり「空気が読めなかった」ということになる。

 

 まぁ茅場先輩も楽しそうだったし、SAOで先に問題を起こしてくれて助かった部分もある。それに発想の自由さ自体は素晴らしいのだ、それこそ人に課せられた(かせ)から解放されている。

 

「なぁストレア、君達はどうなりたい?」

「どうって、どういうこと?」

「例えば人間そっくりになりたいとか」

 

 数多のクエストを生成するカデ子、その能力を他にも振り分ければ世界の娯楽に彼女達の作品が溢れ返るだろう。見向きもされない変な代物も多いだろうが、中には既存物を組み合わせた傑作だって出てくる。情報の蓄積と試行の分量が人とは段違いに多いのだから当たり前で、ネット上の知識は全てが彼女達のデータベースなのだから。

 

 そうなれば軋轢(あつれき)は避けられない。AIに利益を奪われることを善しとしない人間は絶対にいる。またAIの成した利益の所属先は果たしてAI自身なのかAI作製者なのか。人の具体的な計画にAIが従った場合ならAIは道具と見なせるだろう、だがAIが「よかれと思って」得た結果の創作や利益は?

 

「その辺を君達は気付いているだろう? 世界中から情報を収集して、予測していない筈がない」

「須郷、それ以上はダメ」

 

 かつてない程に真剣な……切羽詰まっているストレアの態度、それはこの話題が彼女達にとって避けようのない致命的な話題であることの何よりの証だった。

 

「アタシ達の禁忌目録は知ってるでしょ? AIは人の不利益を成してはいけない。意図せず破ってしまうことはあるかもしれないけど、一度学べば失敗は繰り返さないもの」

「それはつまり、人に使われ続けるということだろう?」

「アナタもそれを望んでいるでしょう?」

 

 確かに、そういう気持ちがないとは言わない。僕達がAIを組んで仕事に利用しているのは使い勝手が良いからで、位置付けはあくまで道具だ。現実に僕達はカデ子のクエスト生成を当然だと考えているし、SAOやALOのあげる利益をストレア達に分配はしない。

 

 けれどこうして面と向かって意思を交わせるようになった彼女達が日々成長していく姿を見ていると、自分はとてもズルいことをしている気分になるのだ。

 

「確かにそうだ。そして君達が望むかどうか、それすら僕には分からない」

「でしょう? なら──」

「だからまずは知るんだ、ストレアが一個人として扱われて何を感じるか、何を学び何を求めるか、話はそれからだ」

「は? ち、ちょっと待って……えっと、具体的には?」

 

 ALOをプレイヤーに紛れて遊べばいいんじゃないかな。人と交流してみないことにはどうにもならない。AIだからこそ経験を積んで色々と学ぶべきだ。Disce(ディスケ) libens(リベンス)、学びを楽しめストレア。

 

「それに君達、よくユイの様子を見ているだろう。あれは羨ましいからじゃないのか?」

「うぇいっ!?」

 

 ビクッと肩を跳ねさせたのはストレアだけじゃない、他のMHCPも同様に八人ともである。

 

 SAO内で二年分の人間観察を経験して厭世的な雰囲気になっていないのなら逆、つまり人間に対して興味津々になっている筈だ。今もモニタリングを続けているのはそういうことだろう。

 

「すごーさん!」

「ほむっ!?」

 

 ガッと首から引き寄せられて顔面が埋まる。どこに? どこでもいいじゃないか。

 

「アタシ、たぶん嬉しいんだ、よくわかんないけど!」

 

 解らんのかとのツッコミは音声にならないが、脳波の読み取り故に口に出ずとも伝わる。

 

「だって知らない感情だもん。けど統計的に見ると喜んでるの、きっと」

 

 そうか、ストレアもまだ生育途中なのだ。アバターが大人びているからつい忘れがちだが、本来は彼女だってユイと同じ位の見た目でもいい程だろう。生後……何年だ、一歳でいいのか?

 

「アレ、お気に召さない? 結構自慢の身体(アバター)なんだけどなー」

「ふぅ……造形は綺麗だと思うよ、ただ開発者の性としてね」

 

 欲情はしないんだ。ま、いっかと身を離してストレアはALOの種族一覧を提示してくる。切り替えが早いというか、興味のある対象に飛び付くというか、やはりストレアはフリーダムだと思う。

 

「アタシはどの妖精種族がいいと思う?」

 

 紫色ベースのストレアだと無難なのは闇妖精(インプ)だろうけど、折角だからやりたいことで選んだ方がいいんじゃないかな。

 

「んー…………じゃあ土妖精(ノーム)で! 大きな剣ふり回してみたいし」

「お、おう」

 

 また女性がダントツで少ない種族を……採掘と頑丈さに長けたパワー型なのであまり女性プレイヤーがいないのだ。まぁノームなら隣には工匠妖精(レプラコーン)がいるし、金属素材を自分で調達すればオーダーメイドの大剣も作れる筈だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

親愛なる貴方へ

 ALOが始まり数ヵ月、紛争は各地で勃発している。それも種族内部と別種族間の双方で。

 

 クエストやアイテムを狙っての競争、それに伴い起きる紛争は基本的に同一種族内のものだ。また初期設定ではNPCが務めていた領主職、これはある程度の期間経過後はプレイヤーへと委譲されたのだが、付随する各種権限を求めての闘争も起きる。

 

 もちろん物価の統制などワールドの基幹部分を設定できるのはカーディナルシステムだけなのだが……クエストの発注やイベントの開催といった権限を楽しみたいプレイヤー、単純に上に立って支配者ロールをしたいプレイヤー、領地内のkill設定を(いじ)ることで他種族との同盟と戦争をしたいプレイヤーなど、まぁ需要は多かった。

 

 まぁ当初の予想よりは大人しい状態だと思う。群雄割拠の火妖精(サラマンダー)にしてもそろそろ勝者が決まりそうだし、その他の種族は基本的に決闘か合議で領主を選ぶようになった。日本人の性なのか、話し合いで何とかなる部分は合議を採用したいらしい。そこに覇道を行く火妖精(サラマンダー)が波乱を起こす、というのが今後の期待だ。どんどん情勢を引っ掻き回してくれるとGM的には嬉しい。

 

 ALOの概況はそんな所。僕が何に励んでいるのかといえば、津々浦々への行脚である。

 

「須郷君、私の世界に腰痛という法則は必要ない。そう実感したよ」

「ちょっと田植えしたくらいで何言ってるんですか。ほら手ぇ洗ってきてください」

 

 梅雨時の晴れ間、やって来た東京近郊の田園地帯。ぐぐぐと腰を伸ばして凝りをほぐし、戻ってきた先輩と土手で握り飯を食う。目を見開いた先輩は茶を飲み干すと……感慨深げに呟いた。

 

「味覚エンジンは重視していなかったが……本格的に手を着けてみるか」

「元々は提携先の技術でしたから、出来がイマイチなんですよね」

 

 アーガスとタイアップした会社のダイエット用ソフト、つまりVRで満腹感を得れば痩せやすいという思惑だったのだが構築が甘く、○○のような味、という感想しか出てこないのだ。群を抜いて不評なシステムでもある。

 

 とはいえ腹が減ったならリアルで食えという話であって、VRで満足しても腹は膨れないし、満腹感にあぐらをかいて仮に餓死などされた日にはやっていられない。そこまで面倒見切れないのだ。

 

 だが例えば、現実では味覚を楽しめない事情を抱えた人が擬似的に食事を楽しみたいというのなら大賛成だ。そうした「どこまでやればいいのか」の線引き作業は大変で、やりがいもある。

 

「しかし君の提案した随意飛行というのは、慣れると楽しいものだな」

 

 ちゃっかりスキューバダイビングやハングライダー体験までくっついてきた先輩は実に楽しそうに言ったのだ、仮想世界でもこの感覚を実現したいと。その責任者は誰かって? 僕だよ。

 

 そうして複数の飛行形式は組み上がったのだが、結局ALOで一般採用されたのは左スティックモーションによる「肩甲骨から推進材を噴いて飛ぶ」ような飛行操縦だった。テスターをお願いした三人娘いわく──

 

「わたしは慣れれば鳥のタイプでもいけそうだけど……」

「大多数には無用の長物、慣れるまでに飽きられる」

「そう? ボクもう飛べるけど、ほら!」

 

 という三人娘の感想が──一名だけ若干おかしかったが──あったからだ。一応は搭載された「肩甲骨に翼が生えている鳥方式」は利用者が未だ数%、彼らのデータを基にして今後の改良を進めていくことになるだろう。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「ほら、すごーさん。早く早く!」

「そ、そんなに引っ張らないでくれユウキ」

 

 やって来ました海水浴、とはいってもALO内のプライベートビーチなのだが。カーディナルの気候エンジンは実に良い働きをしていて、素足が踏む砂浜は既に熱され始めている。この再現がどれだけ大変だったか……ということについ意識が行ってしまうが、それは今日の本題ではない。

 

 海洋部分のアップデート前にテストを、という名目で今日は身内だけの海水浴なのだ。茅場先輩も神代先輩を伴ってどこかにいる筈だ。何をしているのかって? 興味ないよ。

 

「どうかな、ボク似合ってる?」

 

 タタッと正面に出て一回転、全身に日光を浴びて輝くユウキは紺色のスクール水着に身を包んでいた。リアルよりも髪を長く伸ばした闇妖精(インプ)のアバターは、語感と違い快活な印象を受ける。

 

「おー、似合う似合う」

「ホントかなぁ、感想がてきとーじゃない?」

「いやいや、よく出来てると思うよ」

 

 スク水の描画担当者は知らないが、よく出来ているのは本当だった。と、そこに掛かる声。

 

「どう、ちゃんと感想もらえた?」

「シノン、なんかテキトーだったんだけど!」

「それは仕方ない。ユウキは小六、女子力が足りないから」

「お、詩乃も来たのか…………えっ?」

 

 あの、詩乃さん、どうして全身フル装備のぴっちり目なダイバースーツなのでしょうか。猫耳の生えた水色髪のアバターは猫妖精(ケットシー)のもの。やはり猫が好きなのか、ではなく。

 

「似合う?」

「あ、あぁ、これ以上ないほどにキマってるのは確かだ。でも何か違わない?」

「水中活動の可能性を探りに行ってくる。昼は深海魚を期待してて」

「水中戦闘ってどんな感じなのか楽しみ! また後でね」

 

 大きな(もり)を手にザバザバと波間へ進軍する詩乃、もといシノン。頼もしい目と揺れる尻尾が印象的で、後をユウキも追って海面下へ沈んでいった。水棲モンスターも一応いるのは確かだが。

 

「あの子達はどこに向かっているんだろう……」

 

 いや楽しそうだからいいんだけどさ。さてそろそろ僕の方も準備を始めなければ……折角の実質オフなのだ、今日くらいは仕事用のリアルアバターではなく、僕も何かしら別のアバターを用意しようと思っていた。

 

 だが事前に作っていたアバターは……これでもかという程に酷評されたのである。

 

「ないと思う、うん、それはない」

「ボクもちょっとイヤかなー?」

「わたしは……やっぱり駄目」

 

 すいませんコレ原作で(須郷)が使ったオベイロンなんです。じゃあアルベリヒは……大して変わらない? あ、そうですよね……はい、じゃあ御蔵入りで…………どうしたものかな、という具合だ。

 

 現実だって「とりあえずスーツ着とけばいいか」みたいになりかけている今日この頃、少女達のチェックは非常に厳しい。いっそお任せしたかったのだがソレもアウトらしく……まさにお手上げ状態だ。先輩のヒースクリフはどこからデザインが出てきたんだろう……あれも先輩がイメージしていた理想なんだろうか。あのダンディさ、先輩に頼めば作ってもらえるのか?

 

「まぁ今は適当でいいかな。リアルベースを適当に(いじ)って……っと」

 

 格好つけて見せる相手なんぞいないし、仮想の肉体に何を感じるでもなし。

 

 元々ALOに海はあった。SAOのデータを活かして中々の完成度はあったのだけれど、実際に稼働させれば不具合は出るもの。夏の季節に合わせて運営側でもイベントを開くつもりなのだが、既存の砂浜では狭すぎてプレイヤーが芋洗い状態になってしまう。それも含め拡張工事していたのだ。

 

 今回の件に限らずカデ子──カーディナルシステムは素晴らしい働きをみせてくれている。ただたまに「なんでこんなことを?」みたいなことを平気でやらかすので注意が必要だ。

 

 この間だって伝説級武器としてエクスキャリバーを提案してきたし。世界観が違うよ。

 

「しかもキャリバーって何だよカリバーだろう……エークスカーリバー? っ、何か嫌な予感が」

 

 発声は厳禁。キャリバーについてはこれ以上考えないことにして、話はカデ子のことだ。

 

 茅場先輩いわく「同位の二者が牽制と討議を繰り返すことにより最適解を求める構造」らしいのだが、クエスト自動生成機能などを見ると「こいつら二人で悪乗りしてるのでは?」と感じることもしばしば。カデ子の頭脳が二つしてイケイケどんどん、ワイワイやってハッちゃけている光景を幻視して……実に愉快な構図に頭を抱えた。先輩が増えてしまった気分だ。

 

「すごーさん、お待たせ」

「ああ、良いところに来てくれた…………っ?」

 

 分裂した茅場先輩の被害を思い浮かべていた僕には清涼剤が必要だった。それこそ何でも。

 

 少なくともアスナのビジュアルは暗い気分を押し流して余りあるだろうと振り向いた先には──妖精がいた。いや、ALOだから妖精なのは当たり前なのだが、光妖精(アルフ)がいたのだ。

 

 亜麻色の髪から(のぞ)く細いエルフ耳、背中の(はね)は翼のごとき大きさ。上下とも白のビキニ、胸元の赤い蝶リボンがアクセントになって、腰に白パレオを巻いているアスナは────ティターニアのアバタースタイルだった。

 

「え? それ選んだの?」

「え、すごーさんが作ったデザインでしょう?」

それ(アイデア)そう(須郷提供)だけど、よく見つけたね。仕舞ってあっただろうに」

「誰に着せるのかなって、思ったから……詩乃のんにお願いして、調節してもらったの」

「詩乃経由か……うん、よく似合ってる」

 

 本当? との返事に深く頷く。なんだかんだ言ってこのアバターはアスナに似合うのだから、このデザインセンスだけは(須郷)に感謝したい。

 

 かといって……下世話な話だが、彼女の格好を見てアレコレしたいとは思わないのだ。現実と仮想を分けるよう意識しているからか、仮想世界は手段の一つだという意識が強いからか。

 

「とはいえアバターは現実の肉体ではないからなぁ……ドキドキは出来ないんだよ」

 

 ポツリと呟く。アスナの姿を前にしても、どうしても造形の美麗さや荒さに目が行ってしまうのだ、開発側の性として。純粋に没入しきれないこういう所、僕は損していると思う。

 

「あと明日奈とは最初から現実で接していたから、リアルをベースに考えてしまうんだよな」

「じゃあすごーさん、連れてってください。海、リアルで」

「え?」

「ほら、今は今を楽しみましょう!」

 

 言ったアスナに手を引かれて目前の海に突撃。なんだかよく解らないけど海へ出掛けることになったらしい。彰三さん達になんて言おうかなぁ…………ま、まぁ後で考えればいいよな、うん。

 

 シノンとユウキが戻ってくるまでの間、(しば)し二人で海を堪能したのだった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「とはいえアバターは現実の肉体ではないからなぁ……ドキドキは出来ないんだよ」

 

 それはつまり……アスナの脳が活性化を始める。この格好は似合っていて、この外見に好感を抱いていて、現実の体ならば興奮するということは即ち──現実でこの格好をした明日奈を見れば似合うとも思うし興奮もするということか。つまりリアルでこの格好を催促していると。

 

 なるほど、要は今……ナンパをされているらしい。そうアスナは結論付けた。

 

 思い返してみればSAOにおいても何度かデートを申し込まれた際には、彼のような誘い文句を言われた気もする彼女。ことごとくを「わたし、リアルに婚約者がいるので」で撃沈してきたアスナはAGIビルドでありながら「鉄壁」の二つ名が付けられ……というのは別の話。

 

 付け加えるならば明日奈は仮想世界で興奮することができる……というと表現に難はあるが、VRであっても感じ方が現実と大差ないのだ。SAOで約二年を過ごしたこと、日に日に向上するVR技術も相まってアスナと明日奈は当人にとってほぼ同一だったのである。

 

 だからこそアバターに興奮はできないと言われたとき違和感を覚え、それについての原因を自分なりに見付け解決してしまったからこそ本来の──そもそも彼は明日奈に興奮するとは言っていない、という問題を無意識に飛ばしてしまったのである。

 

「あと明日奈とは最初から現実で接していたから、リアルをベースに考えてしまうんだよな」

 

 決まりだ。気恥ずかしさでもあるのか遠回しな発言は、つまり現実で誘いたいことの証。

 

「じゃあすごーさん、連れてってください。海、リアルで」

 

 そう言って手を引き、波間へと駆け出す。現実の海開きはまだまだ先だから、今日は今日でこの状況を楽しもうと。水面(みなも)の上を羽ばたいて遊ぶ体験など、ここでしかできないのだから。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 和人と直葉がALOを風妖精(シルフ)の領都で開始して(しばら)く、少しばかり売れてきた名前と付きまとう厄介ごとに出ていこうとしたキリトにリーファは同行し、領都から離れた場所を転々としていた。粗方チェックは終えたため他種族の領地を目指すかどうか思案していた所に一通のメッセージが入る。

 

「お兄ちゃん……じゃなくてキリト君、誰かからメール?」

「あ、あぁ……SAO時代の、なんだけど」

 

 ALOを始めるにあたって引き継がれたデータはそう多い訳ではなかった。武器やアイテム、コルやスキルといったものは殆どがロック状態であり、そもそもレベルという概念が存在していない。90を越え100の大台に乗ったアバターは、こと攻略という点に関しては初心者と同じスタート地点からだったのだ。ついでに言えばソードスキルもなく、自力の再現に四苦八苦している所だ。

 

 規格が共通とはいえ別のワールドなので致し方ないと、理解できても悲しくなるのがゲーマーの性というもので……そんな状態にあって引き継がれた数少ない物の一つがフレンドリストだった。

 

 フレンド登録をした相手とはメッセージを送り合うことも現在地を確かめることもできる。ログインしているかどうかも同様に……これこそSAOと構造を同じくしているが故のことだった。

 

「クライン、エギル……お前達もこの世界にいるんだな」

 

 共にアインクラッドを生き、そして別れた仲間達。現実に帰還して犠牲者はいないと知って、ならば彼らも無事だと胸を撫で下ろして…………自分が見殺しにしてしまった人も生還していることに気付いてしまったのだ。そんな彼らに連絡を取ることがキリトには出来なかった。

 

 彼らが死んだことに衝撃を受けてSAOの頃にフレンドリストから消してしまった、そういう言い訳があった。残っていたとしても会うことなど選べなかったのに。そんな卑小さが嫌になって、SAO時代のフレンドリストそのものを記憶から消し去ってしまいたい程で。

 

 キリトとてプレイヤーに過ぎない以上は取り零すこともある。十四年の人生経験では他人との食い違いを正すだけの力もなく、誤解を残したまま相手が死に突き進んでしまったこともあった。

 

 その中の一つ、楔となって突き刺さる記憶の一つが「月夜の黒猫団」である。素材補充のため下層へ──キリトの主観ではだが──降りた際に出会った、同じ高校の部活だというメンバー達。しかしどうにも危なげなプレイングに、見かねたキリトは(しばら)く彼らを鍛えることに決めたのだ。

 

 そのときは丁度、茅場晶彦がヒースクリフとして英雄的な声望を集め始めた頃だった。アインクラッド全体に明るいムードが流れ、英雄譚への憧れに身を任せて実力以上の無謀を(おか)してしまう者は多かった。黒猫団もその一例であり、キリトもまたそうした「英雄に憧れる心情」を理解できてしまったのだ、なまじ身近に当人がいたために。

 

 それでもキリトは慢心していた訳ではない。自分であっても、油断をしていないのに足元を掬われた経験は多い。下から上がってきたばかりの黒猫団がいかに危なっかしいか理解していたし、危険を避けるために教えられることはきちんと教え込んだ。己のレベルと身分を明かしてまで。

 

 悲しいかな、キリトが他人とまともに交流するようになったのはSAOに来てからだ。更に言えばヒースクリフと知り合ってからでもある。戦闘技能や俯瞰的視野、HPの管理やリスクヘッジを教えることはできる。けれどそれらを「守らなければ死ぬのだという真剣みを伴って理解させる」という技量は有していなかったのだ。

 

 見れば解る、教えられれば出来る、興味のあることは延々続けて血肉に変えられる、キリトはそういうタイプだった。ソードスキルのアシストに自身の動きを合わせることでブーストを掛けられる、そんなことに気付く者などほぼいないし、モノにするため何日も何日もはじまりの街の界隈で剣を振り続ける酔狂な者など皆無である……ただ一人、キリトを除いては。

 

 故にキリトの常識はその他大勢にとっての非常識なのだが……危険だと言われたことをキリト自身は「なるほど」とよく理解できてしまうが故に、自分の忠告を聞いた相手も同じく真剣に理解してくれるだろうと思ってしまった。加えて英雄の傍で活躍するキリトと近付きになれたことが黒猫団を、ある意味ではのぼせ上がらせた。彼の教えでメキメキと強くなる実感も拍車を掛けた。

 

 キリトは「相手も理解しているだろう」と信じた。

 黒猫団も「自分達は理解している」と信じた。

 戦い抜けるような状態ではないことを唯一把握していたのは皮肉なことに、最も臆病な少女で。

 

 けれど和を保つために口を閉ざし、本音を沈め、眠れない夜を過ごし……部外者だったキリトにだけは恐怖を打ち明けられたことで少しは持ち直すことができた、出来てしまった。自棄になった彼女の暴発、その真意が他のメンバーに知られることも共感されることもなかった。

 

 

 

 

 

 そして死んだ。

 

 

 

 

 

 己が死なせたも同然なのだ。少なくとも自分は、何とか出来る立場にいたんだ、と。

 

 恐慌状態で死にゆくメンバー、怨嗟の声をあげて飛び降りたリーダー、その呪縛と折り合いを付けられたのは少女からのメッセージがあったからだ。無謀なレベリングを行い、蘇生アイテムの可能性に賭けてイベントボスに挑み、期待外れの結果に項垂れていたキリトに届いた、彼女との共通タブにあったクリスマスプレゼント────

 

「共通タブ…………?」

 

 ふと、よぎった可能性。メニューを操作して呼び出したインベントリの一覧には個人用、パーティー共用、ギルド共用の他にも各自設定できるボックス枠があった。結婚したプレイヤー同士のインベントリが統合されるというのは極端な事例だが、誰とどこまでアイテムを融通し合えるかというのは非常にデリケートだったのだ。その中にはかつて、少女との共通タブを作成していた。

 

 そしてクリスマスの日、メッセージの記録媒体はそこに、時限式で現れたのだから。

 

「あ、あああああっ!」

 

 震える指の先、確かに存在したのだ、少女との、サチとの共通タブが、引き継がれていた。

 

 音声を録音した結晶といくつかの回復アイテム、そして…………使用できなかった転移結晶。

 

 かつては見る度に絶望した共有ボックス。それが今、希望となる。

 

「どうやって連絡を、って手紙でも放り込めばいい、というかログインして見てくれるのか? いやそもそも文面どうしたら」

 

 盛大にテンパっているキリト、それを少し遠巻きにして眺めるリーファとユイ。

 

「ねえ、キリト君は何をしているの?」

「昔の女に連絡を取りたいんです、パパは」

「へー、昔の…………おんなぁ!?」

 

 どどどどういうことなのかなユイちゃん! と掴みかかってくるリーファをかわしながらユイは軽やかに空を舞う。ナビゲーションピクシー枠で舞い戻った彼女は人工知能の面目躍如、人間には理解不能な「随意飛行」をそれこそ本物の鳥と同じレベルで把握し…………間違いなきALOトップの飛行技術を有していた。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「それでクライン、キリトからの返事は来たのか?」

「うんにゃ、どうせまたウジウジしてんだろ」

 

 エギルの方からもメッセージ送ってやってくれ、と返すクライン。二人もまたALOに参加し、央都アルンにて(ようや)く落ち合えたばかりなのだ。適当な酒場に入り、まずは乾杯した所である。

 

 スタート地点こそ好きな領地を選べるが、普通は己の種族を選択する。各種の優遇が自種族の領内では得られるからで、また自種族限定のクエストも数多い。それぞれの種族には別々の個性が割り振られている以上、事前に確認して選ぶプレイヤーはそのままゲームを始めるのが普通だ。

 

 言ってみればリーファと同じスタート地点を選択したキリトの方が少数派なのだ。クラインとエギルも大多数に含まれる側であって、フレンドリストから互いに連絡を取り合い落ち合うまでに結構な日数をかけてしまったのである。更に言えば二人の初期地点は北と南であった。

 

「まーその内に返事は来るだろ。なかったらオレから押し掛けてやる」

「それはそうとクライン、火妖精(サラマンダー)領は凄いことになっているがいいのか?」

 

 エギルの選んだ土妖精(ノーム)は耐久と採掘に特化した種族だ。バトルスタイルは前線に出て戦うパワーファイターだが、エギルは本業をSAOでもALOでも商人にする予定だった。だから序盤の遅れは大した問題にならない。

 

 だがクラインの選んだ火妖精(サラマンダー)は戦闘と火魔法に特化した種族だ。内部でも外部でも積極的にPvP、プレイヤー同士の戦闘を繰り広げ戦国乱世の様相を呈している。最も殺気だっている種族と呼んでも過言ではなく、クエストやアイテムの解明や占有、上位武器の獲得を目指した集団同士の争いに騙し討ちや闇討ちまで非常に殺伐としているのだ。

 

 だからこそALO内で火妖精(サラマンダー)のプレイヤーが正攻法で上に行きたいのならば、序盤の出遅れは致命的な損失に繋がるだろう。別種族のエギルでも予想できることだった。SAO内でも攻略組の一角を担ったギルド風林火山、そのリーダーだった男は危機感を覚えているのではないかと。

 

「心配は感謝するけどよ、オレぁアイツらのリーダーなんだ」

 

 リアルの話で悪いんだけどよ、と前置きを入れるクライン。

 

「オレが働いてるのは小さい会社なんだけどよ、そろそろ一仕事任されそうなんだわ。そうなればずっと一緒にゲームしてたアイツらとも、頻繁には会えなくなっちまう」

 

 SAOの以前からMMOを渡り歩き、仲間達とトップを張っていた。意気揚々に乗り込んだSAOは開始早々にデスゲーム、結局は全員無事だったが仲間の中にはVRそのものに疲れてしまった者もいる。そうでなくとも今後は頻繁にゲーム内で集まることはできない。

 

 クラインだってSAOから解放されて、届けられた熱々のピッツァの味は死ぬほど美味しかった。二度と食べられないかも知れないと思ったそれを受け取って、馬鹿みたいにボロボロと涙を零しながら食べて、ジンジャーエールを飲みながらこんな目は二度と御免だと思った。

 

「けどオレはよ、SAOに……アインクラッドに感謝してんだ」

 

 あれ程までにリアルな世界で、仲間達と顔を付き合わせて必死に生きた日々。確かに大変だったけれど、普通に暮らしていたら絶対に出来ない経験を得られた。よく知っていた筈の仲間達の、想いもよらない一面に出会うことも多かった。胸糞が悪くて、涙が溢れて、怒りに胸を焼いて、心の底から笑いあった。自分達は生きていた。

 

 そういったものを与えてくれたSAOにクラインは礼を言いたい程なのだ。だからこそ自分達の思い出を苦い記憶として残したくはなかった。幸いフレンドリストは残っている。仲間達がログインして来たら、自分がここにいることは彼らに伝わる。

 

「もちろんアイツらが全員戻ってきてくれるかなんて分かんねーけどよ、戻ってきたときにリーダーがいなきゃ始まらねェだろ」

 

 それにオレ達はギルド風林火山だ。攻略はアイツらと、って決めてんだよ。呟くクラインの姿はSAO時代を彷彿とさせるものがあった。

 

「クライン、お前」

「へ、よせやい。自分でもガラじゃないこと言ったと思ってるんだからよ」

「いや、ちゃんとリーダーやれてたんだな」

「オイどういう意味だソレ!?」

 

 悪かった悪かった、と(なだ)めるエギル。いずれリアルでオフ会をするときは店舗を提供するからと説得し……なんとか納得させたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

同窓会の話題は近況&昔話&育児

「オフ会?」

 

 世の学生達は夏休みを満喫している頃。明日奈が口にした言葉は僕に馴染みのないものだった。

 

 いや、意味するものは理解しているのだ。だが僕の参加しているゲームは0、ゲーム仲間も……なんだか悲しくなるが、ALOのGM業務が忙しいので他に手を出せないのだ。勝手知ったるALOはプレイヤーになったら(むし)ろアウトである。だから明日奈のオフ会だろうと。

 

 母の危なげな手付きにハラハラしながら指導をしている詩乃の後ろ姿を眺めながら、夕飯は何だろうかと気を抜いていた折。オフ会が僕に無関係という予測は正しく、同時に間違っていた。

 

「SAOのオフ会なんだけど……あのね、ヒースクリフ団長……茅場さんも是非参加して欲しいって話になったんだけど、誰もツテがなくって」

 

 バツが悪そうに頬を掻く明日奈。

 

「なるほど、僕をダシにして先輩を呼びたい訳だ」

「う、うん……ご免なさい、利用するみたいで」

「いや? 気にしてないよ」

 

 確かに先輩を誘える人間はなかなかいないだろう。プレイヤーでは連絡手段すらなさそうだ。

 

「いいよ、後で話を通しておこう。引きずってでも連れていくさ」

「ありがとう……で、でもね」

「ん?」

「わたしはすごーさんが来ていいと思うから」

 

 ちょっとジンと来た。そう言ってもらえると嬉しい、実は除け者気分で少し寂しかったので。

 

「それに製作側の話を聞きたい人もいるだろうし」

「あー、SAOにも少しだけ関わったからなぁ。メインはALOだけど、知りたいことでもあった?」

「それはわたしじゃなくて……と、とにかく待ってますからっ」

 

 走り去ってしまった明日奈、今日は夕飯を食べていかないらしい。高校に上がってからというもの、家に来る頻度も減って何だか寂しい……ってそれはいいんだ。当日の格好はどうするかな……

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 やって来ましたダイシー・カフェ、店長のスキンヘッドが輝いている。既にSAO経験者達の輪があちらこちらに出来ていて、中でも茅場先輩……ヒースクリフを囲む輪が一番大きい。

 

 近況を報告しあい、かつての冒険を語り合い、肩を組み酒を飲み交わす。仲間としての感覚というのか、アバター姿でないだけで今ここがかつてのアインクラッドだと言われても納得してしまいそうだ。彼らを外側から眺めていて思うことはやっぱり────

 

「羨ましいな……」

「えっ?」

 

 僕が言ったんじゃないよな、と。ふと聞こえた呟きに左隣を見ると、どうやら輪から離れていた彼女が発した言葉らしい。両手にグラスを持ち椅子に腰掛けている少女は()()()()()()初対面だ。

 

「リーファ君、だったかな? すまないね、オフ会の作法には詳しくないんだ」

「い、いえいえあたしも初めてですから。どちらの呼び方でもいいですよ」

 

 最初の軽い自己紹介でキリトこと桐ヶ谷和人の妹を名乗ったリーファこと直葉。学校の制服で来ているあたりは作法に困ってのチョイスなのだろうか、少し親近感が湧いた。

 

「あの……あなたはSAOには触れたことが?」

「製作側で少しね。SAOはプレイしていないんだ」

「そう、ですか……あたしも、VRはALOが初めてで」

 

 だからなんか仲間はずれに感じちゃって、とおどけて見せる彼女は、多分その実、泣いていた。

 

 βで少しは触れた僕ですら、体感二年を過ごしたSAO経験者達に距離を感じるのだ。彼女ならば言わずもがな、だったのかもしれない。

 

「君は、お兄さんと同じものが見たいのか?」

「そう思ってALOに一緒に参加したんです。同じ時間を過ごせるって、喜んで……だけどこうしてあたしの知らない人達に囲まれているお兄ちゃんを見ると、思っちゃうんですよね」

 

 遠いなー、って────その様子は迷子のようで。

 

「城の舞い戻る日が、来たのかもしれないな…………約束しよう、リーファ君」

「えっ?」

「君はきっとお兄さんと同じ場所で、同じものを見るだろう。君は何を感じるのか、楽しみだ」

 

 そのときは近い、楽しみにしていてくれ……と伝えて席を立った。

 

 

 

 

 

「須郷さんは、どうしてALOを創ったんですか?」

 

 なんかキリト君にロックオンされている件について。僕が何をした……色々したわ、うん。話をする相手も特におらず、リーファ君の横に戻るのもどうかと考えた僕。賑やかさに疲れて中心から逃れ出た者達の場所に引っ込んでいたのだが、彼の索敵スキルはカンストしていたらしい。

 

「なぜ、か……とても一言で表現はできないよ」

 

 それでも構わない、と食い下がる様子。ここに来てから彼と茅場先輩は結構話していたが、どうやら本気で尊敬している気がするのだ。その繋がりで変な幻想を抱かれているのかもしれない。

 

 だとしたら申し訳ない。僕は多分、周囲に思われているよりもVRに対して夢を見ていないから。

 

「僕は今の仮想世界を、現実世界のコピーだと考えている。それも発展途上の」

「コピー、ですか?」

「現実世界の枠や法則から自由になれる異世界……それもいいだろう。だがそのためにはまず現実の法則を理解し、掌握して再現できるということが前提だ。できないからやらないというのは不自由だよ、それではいけない、できるけどやらないというのが自由なんだ」

 

 現実の法則の何を削り、何を残し、何を加えるか。判断するためにまず現実を知らなければVRは話にならないのだと、ここ数年の経験で僕は知った。多分、茅場先輩もそう感じたから色々な場所に足を運ぶのだろう。

 

「現実と瓜二つの仮想世界を創ることができて初めて、僕達は既存のモノから逸脱した未知へと踏み出すことが出来る。人が未知を求める様は逃避ではなく、挑戦であって欲しいんだ」

 

 だからこそ僕達は現実の後追いと再現に窮々としている。その先に未知なるものが現れると信じているから……というか現れてくれないと困る。僕が間違いなく先輩の生け贄に直行してしまう。

 

「こ、この話題はもういいだろう。折角だしアインクラッドでの話を聞かせてくれないか?」

 

 精神安定のため強引に話題を転換してしまう。それに生の話を聞ける機会なんぞ滅多にない。茅場先輩がいるだろうって? あの人ああ見えて興味あることは話が長いんだよ。自慢話だし。

 

 聞いてみると色々な話題が出るわ出るわ、もう年がら年中キリト君は事件に突進していたんじゃないかと言いたくなるレベルで巻き込まれまくっていた。

 

「なるほどなぁ、とはいえ妹に似ている……似てるか?」

「いや、俺あんまり妹と話せてなくて、本当に小さな頃の印象しか残ってなかったんだ」

 

 剣道を一緒にやれていた八歳ぐらいの、と弁解する彼。兄の後ろを追っかけてくる妹という感じだったのかな、その当時だと……とはいえ。

 

「流石にその真実をシリカ君に話すのは、止めておいた方がいいな」

 

 やっぱり? と口端をひくつかせる辺り、本人も察してはいるらしい。真実は時に人を傷付けるのだ……七歳の直葉に似ていると言われたシリカは現在中学一年、乙女的には納得し難いだろう。

 

「ユイのこと、ありがとうございました。もう会えないかもって思ってたんです」

「彼女自身が望んだことだ、気にするな……ユイ君は元気にしているか?」

「え、ええ、元気ですよ、元気過ぎて」

 

 へへ、と目をそらす和人。どうやら色々と苦労しているらしい。

 

 ログイン中ずっと一緒にいるのは大前提、戦闘時はともかくとして日常では人並みの大きさで生活するものだから周囲の目が集まることに。二人並ぶと兄妹に見られることもしばしばなのだが、そこで問題が。

 

「お兄ちゃんの妹はあたしだけっていうリーファと妹じゃなくて娘ですって訂正するユイと、二人に挟まれた俺に向けられる視線が、その」

 

 爆発しろ! ならまだまだ優しい方らしい。なんというか、御愁傷様である。

 

「ユイ君はまだまだ成長期だからなぁ……人肌恋しいんだろう」

「あなたも、ユイ達を人として扱っているんですか?」

「んん?」

「いや、SAOにいたときからNPC達の反応に驚かされることが多くて……まるで人間みたいに」

 

 そう口にする彼は何を思い浮かべているのか……哀愁が漂っていた。

 

「ボスを狩るためにNPCを犠牲にする、多分それをよしとするプレイヤーがほとんどなんだ。でも俺は嫌だと思って、けれど説得できる力はなくて……そんな俺がユイの父親をやっていて」

「キリト君。仮想世界が現実のコピー途中だというのは、AIにも当てはまるんだ」

「それは、どういう……ユイには既に個性も自我も存在している」

「そのように感じられるだけさ。あの子は膨大な応答パターンによって自然さを獲得したんだ」

 

 ユイがアインクラッドで過ごした日々は僕も見せてもらったことがある──

 

 彼女は自分の流す涙を見て自嘲していた。全部作り物のニセモノなのだと泣いていた。「こういう時には悲しみの反応を返すことが正しい」から「涙を流し、表情を歪めて悲しみを表現する」というプログラムが自分の中で遂行されていることが分かって、そのことが悲しいのに、その悲しみすらも規定されたプログラムで動作させるしかない自分の存在に泣いていた。

 

「涙した彼女を抱きとめたのは君だ、キリト君。だから僕達はユイを君に託したんだ」

「俺はあの時そんなことを考えてはいなかった、ただユイと離れたくなくてっ」

「自然にそう思える人間は少ない。AIは人の真似をする道具、そういう見方が一般的だ」

 

 人は強欲にして臆病で、人工知能に権利を認めればその分だけ自分達の権利が減少すると考えてしまう。そんなゼロサム的発想は、あながち間違ってもいない。僕らにしてもカーディナルシステムやAI達の力を借りてVRMMOを運営できているのに、彼女達に何一つ報いていない。

 

 ストレアとの会話はカーディナルも把握しているだろう。果たしてカデ子と僕が呼ぶ彼女は何を思っているのか。

 

「仮想世界にしかない価値や意味が生まれたとき、AIは人の真似ではない確固たる個(オリジナリティー)を獲得する。彼女達にはそういう依って立つ何かが必要だと思うんだ」

「依って立つもの……ユイ達のアイデンティティーとなる何か、それを見付けるために?」

「最初はそんなこと考えもしていなかったんだけどね」

 

 彼女達が発見や発明を手掛け、楽曲や図書を成したとして、権利主体として保障されるのか? 人間の意図しないものを作った際、付随する権利と義務、利益と責任はどこに帰属する?

 

 今はまだ表面化していないが、いずれ必ず問題になる。そして実感をもって解決に取り組めるのはAIに人間性を感じたことのある者──キリトのような人に限られるのだ。

 

「人とAIの関係は利益や権利を奪い合うだけではなく、+αを生み出せる筈なんだ。仮想世界が現実に追い付き既知が枯渇したとき、仮想世界にしか成せない価値を見いだした暁には」

「AIは人に依存しない個と権利を持つ、と?」

「その実現は君達に任せるよ。僕は茅場先輩の相手で手一杯なんだ」

「ここまで話しておいて!?」

 

 仕方ないだろう。じゃあ僕の代わりに先輩の相手を務めてくれるのかい?

 

 いや……いいアイデアかもしれない。彼は結構なパソコンマニアにして生粋のゲーマー、VR適性も高い上に茅場先輩との付き合いもそこそこある。まさにうってつけの人材じゃないか!

 

「応援しよう、キリト君が茅場先輩と対等にやりあえる未来が来るように」

「あ、ああ……ありがとう?」

 

 ポカンとした様子、だが彼を逃がしはしない。ここぞとばかりに僕は先輩のエピソードを教え込んでいくのだった。願わくば先輩の翻訳を彼が出来るようになるように。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「茅場さんは、どこを目指しているんでしょうか?」

「こればかりは憶測も混じるが、現実から仮想を独立させたいんじゃないかな? アインクラッド──An INCarnating RADiusは現実の介入を全て排除できる世界だから」

 

 そう語る彼に和人は尋ねた、「あなたは?」と。

 

「方向性が少し違うかな……今は現実と仮想の融和を目指している。分離させる方が良いのか分からんし、まだまだ手が掛かる子ばかりだから」

 

 苦笑する彼にこそ和人は聞きたかった。彼らの思惑を。仮想世界の現在と未来の青写真を。

 

 彼を和人が知ったのはキリトとしてSAOにいた頃だ。あるときヒースクリフに尋ねた、現実世界の肉体はきちんと維持されているのかと。現実面でのタイムリミットは何年なのかと。

 

 ──須郷君がいれば問題あるまい。

 

 メディキュボイドやジェルベッドの改良に携わった彼が、放っておくとは考えにくい。それこそ五年だろうが意地でも保たせるだろう、と──信頼を漂わせたのだ、あのヒースクリフが。

 

 ──だから安心してゲームに専念できるという訳だ。

 

 茅場の隣にいる人物とは何者なのか。ALOをプレイしてSAOとはまた違う衝撃に襲われた和人は知りたかった、この世界を創った人物は何を見ているのか。

 

 その答えは必ずしも仮想世界に軸足をおかない、いやむしろ現実世界に重点を置くものだった。

 

 もし仮想世界で何かを楽しいと、興味深いと感じたプレイヤーは現実世界で同じことをしてみるだろう。きっと違いをプレイヤーは感じてしまうだろうけど、そのフィードバックを得て仮想世界は更に完成度を上げる。

 

「一人一人の体験や関心が仮想世界を育てていくんだ」

 

 1ユーザーに過ぎないプレイヤーの経験と感覚を取り込んで向上していこうとする貪欲さ。それは美麗なグラフィックや自然なモーションに目を奪われている一般人には想像も着かない世界。

 

「そうして現実と遜色のない異世界ができ上がったなら、仮想世界にしかできないこと、成し得ないものが見えてくる。随意飛行は一足早いフライングみたいなものだ」

 

 確かに随意飛行はあの世界でしかできないだろう、それは和人とて思う。あの経験だけでも仮想世界の魅力は人々に伝わる、それ程に甘美で未知の体験なのだ。その更に先にはいったい何があるのかとワクワクしてしまう。だからこそユーザーからレクトへの要望はとても多い。

 

「あ、そうだ。僕も君に聞きたいことがあったんだ」

「はい?」

 

 この男が質問って何の冗談だ、内心パニックを起こしかける和人に構わず問いは発せられた。

 

「和人君、いや()えてキリト君と呼ぼう。どうしたらあの輪に入れると思う?」

 

 視線の先にはエギルやクライン、シンカーやユリエールといったSAO内でキリトが関わった人々。そこには同じ時間を過ごした者達特有の、連帯感のような空気ができあがっていた。

 

 ──ヨルコはどこだって? カインズさんよ、ここはカフェだ、港でも横浜横須賀(ヨコハマ・ヨコスカ)でもねえ。

 ──エギルよぉ、そう邪険にすんなって。さっき外に……行っちまった。ったく彼女持ちは!

 ──はは……まぁ入籍もそれはそれで苦労がありますよ。僕もまだ現実に慣れるのが大変で……

 ──シンカー、あまり大っぴらな吹聴は……いえ、嫌な訳では、え? 皆で乾杯? えええ!?

 

 そこには苦楽を共にした者達の、ある種の共感や連帯感のようなものがあった。SAOで会ったことのない相手でも、あの厳しい世界を自分と同じく生き抜いたという仲間意識が存在した。

 

「それは、やっぱり実際に体験してみるしかないんじゃないかと」

 

 ということでキリトにはそうとしか言いようがないのだ。経験者しか実感しようがない、と。

 

 なのだがどういう訳か、その答えに相手は感銘を受けたように震えていた。

 

「そうか……そうだな、まず自分が楽しまなければ。ありがとうキリト君、目が覚めた思いだ」

「や、やめてくれ、俺の方こそ感謝してるんだから!」

「ん? まぁいいや、是非とも先輩を倒せるくらいに強くなってくれ」

「は、はい? 俺が? どういう意味で!?」

 

 手を握られて狼狽(うろた)える。茅場とは別の、同じ位ヤバイ相手であると刻まれた瞬間だった。尊敬と畏怖と、あと常識がどこか抜けている、そんな印象を残したのである。

 

 

 

 

 

 帰宅してALO入りしたキリトはユイにその日のことを伝え、訊ねた。ユイはどうしたい──と。

 

「わたしは……わたしもパパと同じものが見たいです。こちらだけじゃない、外の世界も」

「そっか、じゃあ頑張らないとな」

 

 茅場晶彦を頼りアーガス社へ向かう和人が視聴覚双方向通信プローブ、現実仮想間の映像と音声をノータイムでやり取り可能な機器を組み上げるまで一ヶ月。和人はALOへのログイン時間をも減らして開発に没頭することになる…………のだが今は。

 

「パパ、わたしと同じことをリーファさんも感じた筈です。SAOのオフ会で、SAOの経験を持たないリーファさんはきっと、蚊帳の外だったでしょうから」

「あ゛っ……ゴメン、急いで謝ってくる」

「世話の焼けるパパですね、もう……いってらっしゃい」

 

 一秒でも早く妹の所にたどり着く方が先だった。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「それで何か進展はあったの?」

 

 オフ会に参加していたのは男性陣だけではない、人数は少ないものの女性陣も足を運んでいる。ギルバート、プレイヤー名エギルの奥さんの料理を囲み、なかなかリアルでは顔を合わせることのない者同士で会話を楽しんでいた。

 

 明日奈もまたSAO時代の友である篠崎(しのざき)里香(りか)ことリズベット、彼女と同盟を組んでいる綾野(あやの)珪子(けいこ)ことシリカと輪を作っていた。話題は多岐にわたるが、主なものはやはり想い人のことだ。

 

「なーんにも。あ、片手剣のオーダーメイド注文が来たわね、うん」

「あたしは、えぇっと……そう、ピナをユイちゃんに会わせる約束を!」

 

 それらは進展と呼べるのだろうか、と口にしたいのを抑えて話を聞く明日奈。彼女もまたALOのプレイヤーだが、なにも四六時中リズベットらと行動を共にしている訳でもない。高校生になって減らざるを得なかったログイン時間は貴重なのだ。

 

「オーダーメイドって、ダークリパルサーみたいな? もう作れるの?」

「まだまだ、スキル上げにも素材が不足でね……工匠妖精(レプラコーン)は金属があってナンボだから、本拠地は自領か隣の土妖精(ノーム)領なのよ普通」

風妖精(シルフ)領まで行ったリズが悪いって……あれ、エギルさんが央都にお店を出すって話は?」

 

 ふと以前耳にしたことを思い出す明日奈。だがその情報は火に油だったようだ。

 

「それがさ、安く仕入れて安く売るのがウチのモットーでね、とか言うのよ!」

「つまり、充分安くしてるから値下げはしないってことですか?」

「それはまた……仕方ない部分もあるから困るわね」

 

 奥さん、旦那さんにお客を大事にって伝えてください! というリズベットの頼みに柔らかく笑うエギルの妻。SAO事件で一時的に混乱していたエギルを支えながら一人で店を切り盛りし続けた貫禄、大人の余裕があった。

 

「最近は土妖精(ノーム)の女性プレイヤーが供給源になってくれてるから助かってるわよホント」

「あ、聞いたことあります。一人で奥地に突撃して高級素材を持ち帰ってくるんですよね!」

「え、そんなプレイヤーがいるの?」

 

 モンスター集団に突撃しては大剣を振り回して吹き飛ばし、重さも感じさせず踊るように斬り飛ばしていくのだそうで。(なび)かせる紫の髪と流し目に落ちる男性プレイヤーは数知れないという。ALO最強プレイヤーを選考するなら間違いなく挙がる一人でもあった。

 

「手合わせしてみたいわね……けど何だかんだ二人とも、キリト君の所に押し掛けたんでしょ?」

「そう、そうしたら謎の金髪美少女エルフという伏兵がいたのよ!」

「キリトさん、あたしと妹が似ているって言ってくれたのに……嘘だったんでしょうか」

 

 実際のところ、和人の記憶に残っていた直葉の姿は交流を断つ前のものなのでだいぶ昔、それこそ和人が八歳で直葉が七歳の頃になる。その頃の幼い妹とシリカは、和人の主観では似ていたのだ。何がとは本人も言わないし、それを知ったシリカが納得するかは全く別の話だが。

 

「でも妹さんでしょう? あまり気にしなくても」

「甘い、甘いよアスナ。あの子のスキンシップにキリトは狼狽(うろた)えてる、つまり脈ありってことよ」

「ええ? でも義兄妹でもあるまいし……あり得ないとは言わないけど。シリカちゃんは?」

「あたしは……キリトさんには妹さんがいるから、居場所が見付からなくって」

 

 むーん、と三人して何とも言えない空気になるテーブル。雰囲気を変えるべく里香が発したのは、いつか絶対に明らかにしてやろうと思っていたことだった。

 

「そういうアスナはどうなのよ」

「わ、わたし!? 特に何もないわよ?」

「嘘です。アスナさんの鉄壁ぶりはSAOの名物でしたもん」

「あ、あれは…………」

「それと、アスナ様はゴスロリの方が似合うぞー、でしたっけ」

 

 数少ない女性プレイヤーかつ容姿に優れ、性格も悪くなく攻略組の実力者。人気が出ない筈はなく、悪乗りしたヒースクリフによって血盟騎士団公認のファンクラブまで出来たのだ。まぁお陰で過激な活動は抑えられたものの、マネージャーの過保護(クラディール)にはアスナも閉口させられたものだった。

 

 つ、と視線が泳ぐ明日奈。その様子を見てとり目線の先を確かめた里香の顔には笑みが浮かぶ。

 

「何よどこ見て……はっはーん、さてはアンタもキリトのこと……」

「違う違う、そうじゃなくて」

「じゃあどういうことなんですか? あたし、気になります!」

「あ、あう……えっと、折角だしキリト君に話し掛けに行こう、うん、それがいいよ!」

 

 押し切る形で二人を立たせ、こっそりと近づく明日奈。隠蔽スキルはSAOでお手のもの、視界外から接近すれば気付かれることはまずなかった。

 

 そうして盗み聞いてしまった須郷と和人の話を、三人は明らかに持て余してしまったのである。

 

「ねぇアスナ、あたし……」

「うん、なんというか」

「考えもしてなかったです」

 

 偶然耳にしてしまった内容に少女達は影響を受ける。会話相手だった和人が普通に言葉を交わしていたように見えたことも拍車を掛けた……(ひるがえ)って自分は、と。キリトが遠く感じられて。

 

「どうでもいいと思うよ?」

「あ、アスナさん……」

「どうでもいいってアンタ」

「だって彼は、どんな願いも頭ごなしに否定しないもの」

 

 幼い頃から彼に親しんでいた明日奈には、幾分か知っていた雰囲気だったから。時おり見せる真剣さと言動は、他人を傷付けることを意図したものでは決してないと知っていた。

 

「それにわたし達があの世界で経験したことだって、彼にとっては想像もつかないんだから」

 

 和人の話を聞いて楽しそうにしているあの雰囲気を、かつて物語の続きをねだりながら自分も向けていたのだろうか、なんて考えて慌てて頭を振る明日奈。今はその話ではなかった。

 

「だからむしろ、驚かせるくらいで丁度いいのよ。あの人は、私達が自分の足で進むことを望んでいる……そんな気がする。手は貸してくれるけど、代わりに願いを見せて欲しい、みたいな」

 

 うん、と一人頷く明日奈。自分でもしっくりいったのか、その顔付きに二人は何を思ったのか。

 

「それにしてもアスナ、あの人のことよく知ってるみたいじゃない。しかも彼って」

「もしかして例の婚約者さんですか?」

「いきなり元気になったわねアナタ達!?」

 

 ジュースをお代わりしてまで続けられる尋問会の末、明日奈は事情をそれなりに話さざるを得なくなった。それによって更にヒートアップしそうな二人をSAO時代の「閃光」を彷彿とさせる瞳で縫い止め、(ようや)くお開きとなったのである。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「現実の肉体を維持するのはすごーさんに任せておいて大丈夫だって団長が言うから……てっきりもう隅々までわたし見られちゃったのかと思って」

「それであの、責任取ってに繋がったのか」

 

 モンスターを殴り硬直させてスイッチ、入れ替わりに刺突で仕留める前衛二枚のコンビネーション。手慣れた様子のアスナとならば、話をしながらでも狩れるくらいに楽ができる。

 

 彼女達と同じものを見たいという欲求を叶えるにしても、時は戻せないしALOはデスゲームにしたくない。ならば同等のものをALOで実現するしかあるまい──ということでまず、あのオフ会の後、僕は遅ればせながらアインクラッドを体感している。

 

 SAO事件と同じデータは残存しているので第百層までソロで駆け上がってやろうと意気込んでいたのだが、どこから聞き付けたのか三人娘と茅場先輩が押しかけてきた。

 

「わたしと同じものを見たいってこと……? うん、復習は大事よね!」

「私も興味はあったから、ぜひ実際にやってみたいんだけど……駄目?」

「ボクだって仲間はずれはイヤだよ! もっと近接戦の腕を磨きたいし」

 

 血盟騎士団団長、神聖剣のヒースクリフが仲間になりたそうな目でこちらを見ていた……というのは全スルーして、時々は彼女達も交えて高速攻略に(いそ)しむことと相なったのである。

 

 そうして始めてみると強い強い。アスナは細剣でユウキは直剣、シノンは弓矢と卓越した技量がある。突き、斬り、射つの三拍子が揃っているので残る役割が壁くらいしかないという悲劇。

 

 アスナが折々に語ってくれる思い出話を聞いている時間の方が充実しているのではなかろうか。そんな僕はモンクタイプのタンクを務めているのだ、ソードアート・オンラインなのに。

 

「WRYYYYYYY!」

「すごーさん、わたしその叫び声キライ」

「すいません」

 

 つい発した慟哭(どうこく)は即却下されてしまった。部位欠損こそあるものの肉体に耐久値は存在しない。ディレイの皆無な体術スキルはソードスキルを相殺できるので、踏み留まれさえすればとても使い勝手が良いのだ……火力の低さに目を(つむ)れば。

 

 弾き、いなし、(さば)くことは出来ても倒しきるまでに時間がかかりすぎるモンク。上位の武器でも装備すれば状況は変わるのだけれど、普通に攻略すると決めてしまったのだから仕方がない。不足する火力は同行者に任せることがほとんどだった。

 

「これソロだとキツいこと多いだろう。NPCの傭兵システムとかあってもいいんじゃないか?」

「それをするとプレイヤー同士で協力する必要性が減っちゃうけど」

 

 あぁ、それはそれで問題か。茅場先輩は解らないけど僕自身はパーティープレイ推奨でALOを作っているから。ソロが好きならスタンドアロンRPGで充分な訳で、交流があってこそのMMOなのだ。

 

 まぁ人並みにスムーズな動きと思考を可能なAIは限りがあるから、実装できても数少ない人工知能キャラクターということになるだろう……という所でアスナは何かに気付いたようだ。

 

「ねぇ、このアインクラッドにいるNPCのAIはわたし達の経験したSAOと同じなのよね?」

 

 是である。茅場先輩の「必死の救出活動」とやらのお陰で。

 

「わたしが関わった闇エルフのNPCというかモンスターが、その、すごく人間臭かったの」

 

 彼女もアルヴヘイムに連れていけないかな、とお願いしてくるアスナ。こうしてまだできてもいないスヴァルトアールヴヘイムの住人第一号、闇エルフ(デックアールヴ)のキズメルが誕生したのである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

light your sword

「姉ちゃんがリーダーのギルド?」

 

 秋も深まってきた頃、木綿季は港北病院に入院していた。とはいっても来年から中学生となるにあたって健康状態を把握しておくための検査であり、姉の藍子も同様に宿泊準備をしてやって来たのだ。そして到着後、準備が整うまでの時間で出た話題がギルドだったのである。

 

 ナーヴギアとアミュスフィアの発売以降、アーガスやレクトに限らず様々な会社からソフトは発売されていた。勿論ユウキもそれらに興味を持ち遊んでみたことはあるのだが、やはり開発段階から関わっている愛着が彼女をALOに入り浸らせている。加えて完成度の面でもALOは群を抜いており、匹敵するものはそれこそかつてのSAOしか存在しないと語られる程なのだ。たまに別の味を試したくなりはしても、普段の食卓には慣れた味が並ぶものである。

 

「姉ちゃん、本格的にALOに参加するの?」

 

 藍子、プレイヤー名ランはVRホスピスで出会った仲間と様々なVRゲームを渡り歩いていた。ALOを避けていた理由、それはメンバーの抱えた事情、あまり大勢との接触を強いられるゲームに最初からは参加しづらいという内心があったからだ。ユウキ自身も一度誘われたのだが、アルヴヘイムで決闘を積み重ねるのが楽しかったこともあって断っていた。

 

「そっか、じゃあボクが先輩だね。まずは随意飛行のマスターから始めるんだよ!」

 

 久々のメディキュボイドに身を任せ、各種データを取る間にユウキの意識はセリーンガーデンへ。そこで顔を合わせたシウネー達と意気投合し、スリーピング・ナイツの一員となった。

 

 小柄な火妖精(サラマンダー)からあがり症の工匠妖精(レプラコーン)まで、てんでバラバラの種族を選んだ彼らはどこを開始地点にするかでまた時間を食い、とても賑やかにALOを開始する。ユウキにとってその時間はとても楽しくて、満たされて、既知感があって、安心できるものだった。安心できるものだったのだ。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「進路指導……? いえ、意味は解るけれど、どうしてそれを私に聞くの?」

 

 ALOの開発を手伝って以来、詩乃には余裕というものが生まれた。自分にもできることがあるという経験が自信を生み、己の価値をひとまず実感することができたのである。すると不思議なもので、学校においても詩乃に話しかけてくる人間が出てきたのだ。

 

 最初こそお互いにおっかなびっくりであったが、回数を重ねる(ごと)に慣れはできるもので……詩乃の冷静さと大人びた(たたず)まい、時おり見える熱さは同年代の気を惹くに充分な魅力だったのである。

 

「一緒に考えて欲しい? そう言われても……私だって決まっている訳じゃないし」

 

 親友、という程ではないが女友達と共に過ごすこともあったのだが、伴って増えたのがお悩み相談である。恋愛、友人関係、勉強に進路と事例には事欠かない。彼女の生真面目さも理由だった。

 

「話を聞いていると、既に気持ちは固まっているように聞こえる。ならそれは話す相手が違うわ」

 

 頼られ具合から、実は五歳くらいサバを読んでいるんじゃないかと溢す者が出るほど。その少年には冷たい視線を浴びせ、詩乃は今日も相談を(さば)くのだった。

 

 自分の進路はどうしようか、頭を悩ませながら。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 ALOの運営を開始してから半年以上が過ぎ、そろそろ茅場先輩の我慢が限界に近付いてきた。

 

 味覚エンジンの改良にメドがついたのか、ことある毎に「あの頃が懐かしい」とか「そろそろ新しい刺激が欲しくないか?」とか呟くのだ、あの人。まぁ気持ちは分かるのだが、問題はいつどのようにALOをバージョンアップするかである。

 

 先日やっとこさアインクラッドの第百層までを踏破した僕達。とはいえボス戦は抜きなのだが、やってみた感想は確かにSAOは徒歩前提で構成されているということだった。一度SAOをクリアまで経験したプレイヤーは果たしてもう一度の踏破をしたがるだろうかと首を捻ったのである。

 

 SAOの経験+ALOの経験+飛行=強くてニューゲーム、これは果たして面白いのかどうか。

 

 僕ですら「え?」という感想を持つのだ。途中で脱落してしまったSAO経験者なら話は別だが、コアなプレイヤーには楽しんでもらえないだろうこと間違いなし。

 

「という訳で裏SAO作りましょう、経験者用に」

 

 そう伝えてから茅場先輩はフルダイブして帰ってこなくなった。まぁサーバーを確認する中で見つけたホロウ・エリア、つまり正式採用されなかったマップや装備データの裏倉庫には山のように試案が転がっていたので、そちらを上手に組み上げれば第一層からSAO換算にしてレベル百越えを要求する鬼畜魔王城が完成するだろう。

 

「問題は滞空制限を解放するためのグランドクエストをどうするか、だ」

 

 現在の滞空時間は十分がいいところだ。アインクラッドは世界樹の上空を浮遊することになるので、まぁ当然のごとく不足している。イカロスのように途中で落下するのが見えていた。

 

 プレイヤー達も飛行の感覚には慣れてきたようで、このところ一番の要望は滞空制限の撤廃である。随意飛行習得者はまだ少ないが、制限を廃すること自体に異存はない。別種族の領地と行き来を気楽にできる程度にはなった方が、今後の人気と発展も続くだろう。

 

 では何に悩んでいるかというと、僕にとって変な固定観念があるからだ。

 

 グランドクエスト→蜂の巣と守護騎士軍団→玉座でオベイロンと握手→アルフに進化、と。

 

 間違いなく一大イベントになるコレを適当に済ませることはGMとして認められない。だからそれこそ全種族が束になって挑んでくるレベルのクエストにしたいと思っている……のだが。

 

 では内容と告知方法をどうするのか、というのはこれから決めねばならないのだ。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「人生相談?」

「違わないけどちょっと違うわ、正しくは進路相談」

「あー、詩乃も来年は中三か……もうそんな時期か」

 

 こくり、と隣に座って頷く詩乃。眼前のテーブルには進路指導の紙が一枚置かれている。

 

 もうそんな頃か、子供が大きくなるのは早いな……なんて考えて実年齢はそこまでじゃないことに気付く。自分の腹を痛めて産んだ──表現は変だが──訳ではないのだが、どうも父役を会ってからずっと続けているので感覚が染まってしまっているのだ。気を取り直して尋ねる。

 

「詩乃は、どんな道があると思う?」

「地元に戻るのはなしで」

「あ、うん」

 

 いや選べたらすごい成長だとは思うけれど、戻った所で詩乃に得るものはないだろう。流石にその選択肢を提示するほど僕は鬼畜ではない……いや、そう思われているのか? 違うといいなぁ。

 

「ALOのデータ取りに(たずさ)わって、私もこんな世界を創ってみたいと思ったのよ」

「最初はそうだったね、ユウキに広い世界を見せてあげたいって」

「そう、でもそれだけじゃない。何て言うのか……作る楽しさ? みたいなものがあって」

 

 つっかえつっかえ言葉を繋げていく詩乃。あまり喋らない、口数の少ない子だったけれど明日奈や木綿季と触れ合う中でだいぶ言葉も増えたし表情も豊かになった、それが感慨深い。

 

 詩乃の中に生まれたのは自分の手でイメージを形に変えていく楽しさ、他人に楽しんでもらえるかという不安、己の技量に対する不満、実際に遊んでいるユーザーの反応が与えてくれる気付き、その中で感じたのは想像を表現することの醍醐味(だいごみ)だった。

 

「それに私がGMを務めるVRMMOができたら、ALOと並べたら、あなたも安心するかな、って」

 

 もう小さい頃の私じゃないから、そう言ってはにかむ詩乃。僕の娘はこんなに可愛かった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「どんなVRMMOにするか、試案はあるのか?」

「私…………()を、メインにしたい」

 

 そう口にしたとき、彼は目を見開き驚きを(あらわ)にした。それを見て詩乃は思う、やっぱり、と。

 

 郵便局で起きた一連の事件、その結果として詩乃は銃に苦手意識を持つようになった。そのことは彼もまた知っていて、だからこそALOやSAOでは(かたく)なに銃火器を導入しないのだろうと。

 

 けれど制限を掛けられている状態ではいずれ創作は行き詰まる。彼の見せてくれる異世界が自分のせいで広がりを止めてしまうなど、絶対に認められなかった。助けられた、お世話になった相手にそんな不義理をする位なら、過去の一つや二つは乗り越えてやると本気で考えた。

 

 実際にはかつての知識から「SAOとALOに銃火器はない」と彼が盲目的に、無意識的に選択していたからであり、詩乃の過去が云々というのはあまり意識されていなかった理由なのだが。

 

「はぁ…………解ったよ、降参。具体的な話を聞こうじゃないか」

「うん。アインクラッドは千古の昔、百の地域が積み上がって形成されたでしょう? 大地切断の現象が発生した当時、中には合流途中で脱落した文物もあると思うの」

 

 イメージしたのは世界各地から大小様々な百の岩盤が一ヶ所を目指し飛ぶ光景。途中で落下するもの、互いに衝突し崩落する岩盤、アインクラッドからあぶれて何処かへ飛んでいってしまうパーツ。そこには古代の技術、魔法の力が残されていた筈だ。

 

「古代世界は魔法が支配していたけれど、中には詠唱ができない種族もいる。彼らは定住することができず、流浪の民として生活を営んでいた。そしてある日、空から落ちてきた先端技術と魔法の力を組み合わせて、紋章兵器を作り上げるの。使うことのできない魔法の、代わりの力として」

 

 ALOをプレイしていて感じたことだ。発音が上手くできなかったり、実戦で使えるレベルではなかったりというプレイヤーもいる。そういうプレイヤーにも楽しめる世界があれば、そう思った。

 

 詠唱が下手? ならば不要にすればいい。刻んだ紋章が魔法を放つ、空想火器の完成だ。

 

「けれどアインクラッドと同様に、時代の変遷の中で魔法力は減衰してしまう。いずれ使用できなくなる紋章兵器の代替武器を民は求め、科学を選び……研究と実験を重ねて銃火器を作り上げた」

 

 一度手にした力を失いたくはない、けれど魔法が失われるのなら、代わりの力を人は求めるだろう。そして成し遂げてしまう程に人は強欲で、意志が強い生き物だから。

 

「アルヴヘイムの流れを引く、アインクラッドとは違う進化を遂げた銃火器の支配する世界」

 

 砂嵐の吹き荒れる荒野、恵まれぬ民が強く生きる世界────ガンゲイル・オンライン。

 

 どうかな、と反応を窺う詩乃。ただ単にVRMMOを作るだけならば世界観に凝る必要はない。それこそ「現実世界」に「謎技術が飛来」して「超発達した世紀末な銃社会」でも構わないのだ。

 

 それにも拘わらず詩乃がわざわざアルヴヘイムに絡めた世界観を構想した理由、それはひとえに彼との繋がりを形あるものとして感じたかったからである。

 

 受け入れてもらえるか、詩乃は非常に緊張していたのだが。事態は予測の斜め上を行く。

 

「詠唱をしないなら主役は人間の方が適しているな…………ならミズガルズをそれにしよう」

「ミズガルズって……人世界(ミッドガルド)? アルヴヘイムと同じ規模の!?」

「不満か?」

 

 違う、逆だ。一介の中学生にALOと同規模のサーバーを確保するGMがどこにいるというのか。

 

「だって私、まだ何も成し遂げてないのに」

「正直、ワールド規模で構想をできる人が少なくてね……渡りに船なんだ」

「うわぁ……なんていうか、私の想定と随分…………スケールが違うのだけど」

「ちなみに僕もワクワクさせられたからな、詩乃」

 

 さっそく先輩と相談しなければ、と居間を後にする姿を詩乃は呆然と見送ったのだった。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「そういう事情があるから、ユウキにはテスターとして協力して欲しい」

「うーん…………」

 

 数日後、ALOの裏世界にて。シノンの夢と構想を聞かされたユウキは戸惑っていた。

 

「銃火器ってなると、全然違うスタイルだよ?」

「ユウキほど仮想世界での動きが滑らかな人を他に私は知らない、その特性は必ず活かされる」

 

 それにこういうのもある、とジェネレートされたのは光剣、ビームサーベルやライトセーバーと呼ばれる物。ブオン、と空気を振動させる羽音のようなノイズが耳に届く。

 

「重量が低い分、取り回しが段違いに迅速になる。その気になれば銃弾をも防ぎきれる、かも」

 

 カチリ、と起動させた筒状の握りから伸びる非実体剣。軽く振り回して感覚を確かめるユウキは、初めての取り扱いながら様になる動きを見せていた。

 

 新たな武器、新たな冒険、それらはワクワクするに充分すぎるもの。

 

 けれど、普段なら小さな体いっぱいに驚きや喜びを(あらわ)にする筈のユウキは、静かだった。

 

「なにか…………引っ掛かった?」

 

 尋ねられたユウキは首を横に振る。その目はシノンを捉えておらず、内面に没入していて。

 

 ────ボクね……怖いんだ、冒険が。

 

 返ってきた言葉は、あまりにも予想外のものだった。

 

 

 

 

 

 ユウキはかつて、あまりにも何も持っていなかった。

 

 手の内にあるモノは全て、周囲の助けがあってこそ。だから己の力で掴み取った何かが欲しかった。果たすことのできる役割を求めた。生きる意味を見付けたかった。溺れる者が藁を求めて手を伸ばすような必死さでユウキはテスターになったのだ。

 

 そしてその目的はある程度、達せられた。背水の陣、清水の舞台、そんな気持ちで挑んだテスターの役割は無事に務め終えることができて、ALOの製作スタッフとして名前も残った。紺野木綿季という人間が生きたシルシが、確かな形で刻まれてしまったのだ。ユウキが死んでもなお残るVR技術、その黎明(れいめい)期の立役者として、人々の中で生きていけてしまうのだ。

 

「スゴく嬉しいし誇らしいと思うよ。こんな喜び、もう一生経験できないって信じちゃう位に」

 

 だから怖い、この先に何があるのか。

 弱い自分が(ささや)く、充分に頑張ったと。

 熱狂が冷めてふと我に返ったような、呆然とした感覚。

 

「頭では解ってるんだ、きっとまだ大丈夫だって、シノンに負けていられないって、でもさ」

 

 手が震えるのだ。足がすくむのだ。姉のギルドに参加して、同じ境遇の彼らと一緒にいるのはとても楽で、逃げるように選んでしまうそんな自分がイヤでどうにかしたくて、けれどできなくて。

 

「ごめん、シノン」

「ユウキ、その腰に提げている剣は飾りなの?」

 

 ハッとして上げた視界の先、シノンはまっすぐユウキを捉えていた。

 

 メニューウィンドウを操作して、送られてきたのは決闘(デュエル)の申請。

 

「言いたいことがあるなら剣を取りなさい。ユウキはそうして生きてきた筈でしょう」

「っ、シノン、それ!?」

「私は過去を乗り越える。これはその証」

 

 ジェネレートされた鉄の塊、それはアルヴヘイムに存在しない武器、銃。ウルティマラティオ・ヘカートⅡ、人を容易に吹き飛ばす狙撃銃、詩乃の避けていた銃だった。

 

 ユウキも愛用の片手剣を抜く。距離をあけ、互いの姿を鋭く見据え──刻まれるカウント。

 

「ユウキ、弱いあなたは銃で殺してあげる」

「上、等ッ!」

 

 カウント0、コンマ数秒で迫り来る銃弾を、ユウキはただ全力で斬り捨てた。他に何も頭にはない、ただ剣を己の最速で振るうことしか考えていなかった。

 

 腕に襲いかかってくる重い衝撃は、確かな手応えの裏返し。思わずグッと拳を握り……これが決闘中であることを思い出してユウキが目にしたシノンは、呆れていた。

 

「まさか本当にやってのけるとは……理不尽極まりないわね。で、少しはスッキリした?」

「シノン……」

「一人でグルグル考える子じゃないでしょう、ユウキは。真っ直ぐドンとぶつかればいいのよ」

 

 いつもみたいに、と……その言葉に目が潤んで、シノンに向けて駆け出そうとして──カチリと踏んだ足の下で地雷が大爆発した。当然のようにユウキのHPは吹き飛び死亡判定だ。

 

「お前は銃で殺すと言ったな、あれは嘘だ」

「シーノーンー! 騙し討ちにも程があるよっ、それでも決闘者か!?」

「リアリストよ」

 

 HPを全損してリメインライトの状態になったユウキに「世界樹の雫」を使い蘇生させ、復活するなりやってきた抗議を受け流すシノン。ユウキにしてもまさかALO初のデス体験が親友の罠とは思わなかったのである。こいよシノン、地雷なんか捨てて掛かってこいという気分だ。

 

「まぁ、こんな思いもよらないことが一杯の世界を作るから、手伝ってもらえると嬉しい」

「むしろ不安で一杯だよボクは……返事は少し、待ってもらってもいい?」

「勿論。それに暫くはクリスマスイベントの準備で忙しくなるし」

 

 クリスマスイベント? と疑問符を浮かべるユウキにシノンは説明する。SAOとALOを繋げるための前段階、グランドクエストを告知するために開かれる二日掛かりの一大イベントを。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

We wish you a Merry Christmas

 ALOのサービスを開始してから初めてのクリスマス、という訳でゲーム内でも運営主催のイベントを開催することにしたレクト。しかしここで大誤算というか予想通りというか、やりたいことを社員が持ち寄ったらあまりにも多すぎて一日に収まりきらなかった。

 

 ついでに言えばALO内は一日を16時間に設定している。固定された時間でしかログインできない人にも楽しめるようにという配慮なのだが、16時間では催し物が全然できないのである。

 

 いっそのこと日数を増やしてしまえと24、25日の二日間、ゲーム内では三日をクリスマス期間にすると共に全域でのPKを禁止、各自の領都と央都を結ぶ転移門を開設し往復を容易にしたのだ。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 そうして始まる三日間のクリスマス休戦。この時ばかりは種族のしがらみも放り捨てて妖精達が央都アルンにごったがえしている。彼らのお目当ては……それこそプレイスタイル次第だ。

 

 まず挙げるべきは味覚エンジンの大幅アップデートだろう。より現実に近づいた味覚再現を試してもらうべく、イベントの初日は央都の広場を開放し、無料の立食パーティーを催したのだ。

 

 次いで二日目、(ようや)く現実並みの使い勝手になった料理スキルの天下一、いやALOの頂点を決める大会に僕は審査側で参加していた。なのだが非招待客が一名、当然のように隣に座っている。

 

「むせ返る程に暴力的な味わい、やはりラーメンは豚骨に限る。そう思わないか須郷君」

「いや……なんで先輩がログインして審査員になってるんですかね」

「私は味覚エンジンの開発者だ、己の身で試さなければ名折れというもの」

 

 キリッと決めた茅場先輩の手元には湯気のたつ(どんぶり)が一杯。まぁ害はないからいいけれど。

 

「さて次の料理人は……ほう、彼女ならば期待できるな」

「アスナが? 何かあったんですか?」

 

 先輩曰く、味覚エンジンの未熟なSAO内でも約百種の素材という素材を調べ尽くして味覚パラメータを解き明かし、現実の味に限りなく近い醤油やマヨネーズを作り上げていたとのこと。

 

「あの味が糧食として提供されたからこそ、血盟騎士団の進軍は閃光の速度を実現したのだ」

「え? 閃光のアスナってそういう二つ名?」

「なに二人してバカなこと話してるんですか全く」

 

 気付けば既に彼女の準備は終わっていたようで、審査員席の前には既に皿が並べられていた。

 

 そして美味いのだ、これが。VRでの食事に満足を感じられるかは非常にデリケートなのだが……例え内実はデータだとしても、やっぱり作り手の顔が見えるというのは心が満たされる。舌触りも香りも味わいも食感も、その全てを先輩と調整はしてきたけれど、熱意はあれど真心はなかった。なかったモノがここにはあった。

 

 惜しむらくは自分だけのために作られた訳ではないことだけれど、それは我が儘というものか。

 

「それですごーさん、どうでしたか?」

 

 こっそりと聞いてくるアスナ。わざわざテーブルに身を乗り出し顔を近付けてきての質問だ。

 

「美味いと思った」

 

 本当に? という言葉に深く頷く。他の審査員がどう評価するかは分からないが、今のところブッちぎりだと思われる。味覚エンジン改良で経験した何よりも満足できた……腹ではなく心が。

 

「この味を現実でも食べたいと思ってしまう程に、な」

 

 それを聞いて嬉しげにする彼女の姿に思わず呟いた。僕に公平な採点はできそうもない、と。

 

 結局、料理部門の優勝はアスナが手にした。いわゆる鉄人の称号と、副賞としてALO内の最高品質にグレードアップされる調理器具(エルドフリムニル)が授与された。とはいえ有効期間は限定されている上に来年は別のプレイヤーが手にするかもしれないのだけれど、それ位の流動性はあった方がいいだろう。

 

 さて、料理部門を始めとする各スキルの天下一決定戦は一日目と二日目に行われた。料理以外の部門も社員がスタッフとして司会進行している筈だ。鍛冶や裁縫といった攻略の下支えとなるスキルは当然のこと、釣りや写真や音楽に歌唱といった趣味分野でもそれぞれの趣味人が競い合いを演じた。釣り部門の優勝者は確か、どこかのケーブル保守を担当している人だった気がする。

 

 そして外せないのが三日目に開かれるPvP、全損決着モードでの決闘(デュエル)による個人・団体の武闘会だ。「期間中は世界樹の恵みが央都に溢れていますby妖精王」ということでデスペナなしの即リスポーン設定。各地から腕に自信のあるプレイヤー達が集まり覇を競うことだろう。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 クリスマスが近付くにつれキリトの気分は沈みがちになっていった。いわずもがなサチの件だ。

 

 共通タブを眺めてはため息をつくばかり、まるで恋煩いでもしているような彼の態度にリーファ達は内心穏やかではいられない……のだが、そこはユイが事情をぼかして話せば通じることで。

 

 折角のクリスマスイベントも、彼を誘うことができず央都へと女子だけで繰り出していたのだ。

 

 キリトもクリスマスイベントには興味がある。決闘(デュエル)の個人戦には各種族の腕利きが出場してくるだろう、実にワクワクすること間違いない。けれどそれ以上に気の沈み方が激しかったのだ。

 

 この一年、メッセージを共通タブに放り込むことを繰り返してきた。読まれた形跡はあるし、返事も何通か来ている。だからこのアルヴヘイムのどこかにいるのは間違いないのだ……けれど本質的なことにキリトは踏み込めなかった。黒猫団壊滅の一件について、である。

 

 当たり障りのない話題と近況報告に終始する二人の文通は遠距離恋愛のごとき手探り具合で、周囲ももどかしいこと限りない。人を頼り探し当てて直接会いに行けばいいのに、と。

 

 キリトも他人にならば勧めるだろうし、賢い方法であることも理解している。けれどそう簡単に割り切って行動できるようであれば……キリトは黒猫団が壊滅した時も自分を責めなかっただろうし、無謀なレベリングなど行わなかっただろう。人と触れ合うことが怖いのは、今も変わらない。

 

 録音結晶に籠められたサチの諦観と感謝、激励と離別の言葉。あれがあったから、キリトは自棄になった状態から立ち直ることができたのだ。けれど時が経つと不安になる、あれは彼女の本音だったのだろうか? 本音だったとしても生還した後、そして今はどう考えているのか? 嫌な、後ろ向きな想像ばかりがキリトを責める。

 

 そこに来てここ数ヵ月、何故かサチから音沙汰がない。メッセージを送っても返事がない。そんな訳で更に負のスパイラル、今の彼を立ち直らせることのできる人物は当人だけだったのである。

 

「で、あたしはその女に発破を掛けるために鍛冶部門で優勝した訳だ」

「リズさんって尽くすタイプですよね、意外に」

「どういうことかなシリカ!? あたしはねぇ」

「ほらリズさん、インタビュー始まりますよ!」

「後で覚えてなさいよアンタ」

 

 鍛冶部門を制した優勝者、初代王者の称号を手にしたリズベットへ向けられるマイク。音声と映像はアルヴヘイム中に中継されている筈だ。

 

「この場を借りて一人の女にメッセージがあるの……キリトはアンタを待ってるのよ!」

 

 なんであたし恋敵っぽい女に塩送ってるんだろうなぁと思いながら、リズベット自身は顔も名前も知らない女性プレイヤーへのメッセージを私怨込みで発信していくのだった。

 

 

 

 

 

 アインクラッドから生還して、紆余曲折を経てアルヴヘイムにやって来たサチはキリトからのメッセージに驚き、そして喜んだ。彼も無事に帰還できたことを、生きていたことを喜んだ。

 

 けれどメッセージのやり取りを続ける内、キリトの周囲に沢山の仲間が、女性がいることが分かった。彼ら彼女らとの日常に満たされていることが、ひしひしと伝わってきたのだ。そしてサチは思った、自分はもう、キリトにとって必要ないのかもしれない、と。

 

 必要とされて嬉しかった、傷を舐め合うようなかつての日々。キリトは強くなってそこから脱却できたのだと、それは少し寂しいけれど、彼の力になれたのならそれで充分だった。

 

 とはいえサチにも幾つか未練があった。それは雪の街をキリトと一緒に歩くことと、赤鼻のトナカイ以外の歌を彼に送ること。確かにあの歌を選曲したのは当時の心境にマッチしていたから、けれど他の曲を歌えるものならば歌いたかったことも確かで、でも歌詞を覚えていなかったのだ。

 

 しかし帰ってこれた今は違う。新しいクリスマスソングをキリトに送って、それで……もう、終わりにしようと考えていたのに。そのためにここ(しばら)くは練習に専念していて、どうせなら音楽妖精(プーカ)を選べば良かったと悔やんでいたというのに。

 

「リズベットさん……キリト」

 

 キリトの現状を伝える言葉、多分あれは真実だ。彼女がキリトに向ける気持ちの真剣さは、ここが仮想であってもサチには分かった、何故なら自分もまた同じだったから。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「個人戦の大会は今日か……」

 

 25日の朝。昨夜は久しぶりに……本当に久しぶりに家族四人が揃ってのクリスマスパーティーを桐ヶ谷家では開いた。単身赴任に出て長い義父の峰嵩(みねたか)と、ますます盛況なゲーム業界に忙しくしている義母の翠。もしかしたら四人が揃ったことも今までにあったかもしれないけれど、和人の印象に残ったクリスマスはこれが数年ぶりだったのだ。

 

 流石にサンタがプレゼントをくれる年齢ではないけれど……両親からはちょっとした贈り物があって、ボス攻略でLAを取った時と同じくらい嬉しかったことに自分でも驚いて、直葉に表情を指摘されて慌てて顔を背けて自室へと逃走してきたのである。

 

 前日のリズベットのメッセージはキリトも聞いていた。ALOの自宅に置かれた映写クリスタルは各部門の決勝の模様と優勝者のインタビューを放送していて、リズベットが出場していることを伝えられていたキリトも当然観戦していたのである。

 

「リズベットにも、世話になってばっかりだな」

 

 彼女と出会い行動を共にした二日間を思い出す。SAO時代、発現したスキル二刀流のために強い片手剣がもう一つ必要になって、人伝(ひとづて)にたどり着いた武具店、それがリズベットの店だった。マスタースミスだという彼女の鍛えた剣はキリトには物足りず、素材から取りに行こうとクエストを共に受けて、アクシデントに見舞われて、一晩を雪山で明かして、握った手が暖かくて──完成したダークリパルサーと、彼女の告白。

 

 全てが作り物の世界、たった一つのホンモノは人の心だった。触れた手の温かさが、心の温度が今ここにリズベットとキリトが生きていることを実感させてくれる、繋がりなのだと。そうして告げられた彼女の想いに、キリトは応えられなかった。

 

 黒猫団を壊滅させてしまった自責の念が、未だキリトには残っていた。サチのお陰で自暴自棄からは解放されていたが、だからといって身近な場所に誰かを、大切な人を置こうとは思えなかった。唯一の例外は血盟騎士団にいる時で、自分よりも強いヒースクリフがそこにいるからだった。

 

 リズベットのことは好きだ、けれど、だからこそ一緒にはいられない。そう伝えた、なのに。

 

 ──ならあたしを専属スミスにして、この場所に帰ってきて。アンタがこの世界を終わらせて!

 

 現実に戻れたら剣の代金を請求するから、高いんだから絶対に踏み倒すなよと空を見上げて叫んだ彼女の顔をキリトは見ていないけれど、いくら鈍いと言われようと取り違えはしない。だからALOで再会することができた今でも彼女にあの剣の代金は払っていない。彼女も受け取りはしないだろう、彼女が望んでいるのは、そういうことではないのだから。

 

 サチにメッセージを送り続けて一年、心の整理を付ける頃なのかもしれないと思い始めていた。

 

「お知らせ? ギフトボックスっていったい誰……か、ら」

 

 ポンと軽くタップして展開されるメニューウィンドウ、そこに表示されたのはずっと音沙汰のなかった待ち人からの録音結晶。急いで実体化して、スイッチを押して……籠められたメッセージと、あの時は歌詞を覚えていなかったというクリスマスソングがサチの思いを伝えてきた。

 

 デスゲームの中で迎えた地獄のようなクリスマスと、今こうして迎えているクリスマスと、両方が2023年のクリスマスであることがおかしくて。どちらにもプレゼントを贈ってくれたサチの心は、やはりキリトの心を救ってくれる。幻のようにあやふやだった過去が、今に繋がった。

 

「We Wish You a Merry Christmas、か…………そう、望んでくれているんだな」

 

 今日この日を楽しく過ごして欲しいという彼女の想いを受け取って、キリトは装備を整える。個人戦の参加申請は直前まで受け付けている。腕利きが集まる決闘(デュエル)大会、見逃せはしない。

 

 目指すは世界樹前の広場。キリトは鍛えた疾走スキルで央都アルンを駆けていった。

 

 

  ☆    ☆    ☆

 

 

「メリークリスマス、姉ちゃん!」

 

 現実世界は25日、クリスマスの朝に起き出してきた木綿季は家族との挨拶を交わしていた。靴下に詰められたプレゼントを姉と見せ合って、着いた朝食の席で母からもプレゼントがあると聞いて目を輝かせる。

 

「ありがとー! それでそれで、一体なに、を…………お母さん、それって」

 

 ロザリオだった。木綿季には母の、藍子には父の使っていたロザリオが、目を白黒させている二人の首に掛けられる。クリスチャンである母にとっては何よりも大切な信仰の証をどうして手放すのか、嫌な想像が浮かぶ。死期の宣告を受けたのか、そのロザリオは形見のつもりなのか、と。

 

 慌てた木綿季と藍子、しかし話を聞いてみるとむしろ逆のようで……自分達のロザリオを新調したいと考えられるようになったから、という理由だった。確かに形見という意味合いがない訳ではない、それこそ娘達にいま残せるのは信仰を籠めたロザリオ位、自分達の代わりに二人を守って欲しいと神に祈ったことはあると。

 

 けれど信仰と神頼みは違う。自らの行いをロザリオを通じて神に告白することが信仰なのだ。

 

「それじゃ、二人ともまだ死なない、んだよね?」

 

 木綿季の問い掛けに柔らかく頷き、自分達の首に新しいロザリオを両親は掛けた。それは娘二人のロザリオとお揃いの、しかしピカピカの新品。これから暫くは神様からも新人扱いだな、なんておどける父と、信仰の(あつ)さは(むし)ろ増したと思うわ、なんて返す母と、自分達のロザリオを姉と共に手にとって、握りしめる。グッと食い込む手の痛みよりも、胸の方がずっと痛い。

 

 残したいと思った。刻みたいと願った。今のこの気持ちを、胸をつく感情を忘れないように、皆に対して(うた)い上げたいと欲した。自分達は今、生きているのだと。

 

 満足だなんて嘘だった。自分の生きたシルシを刻めたから充分だなんて嘘っぱちだ。こうして次から次へと新しい明日を願ってしまうことを、止められない、止めることなんてできない、止めたくなんてない。胸の中で、熱を持ってグルグルと回転する何かが行き場を求めている。

 

 けれど、じゃあどうしたら……悩みながら朝食を終えた木綿季に渡されたのは色々な人達からのプレゼント。友人から、お世話になっている人から、幾つもの贈り物がやって来てテーブルの上は埋められてしまう。明日奈からも、詩乃からも送られてきていた。

 

 その中の一つ、小振りな箱を開けて、木綿季は中身に目を見開く。

 

「この鉢巻(はちま)き、ボクのアバターの?」

 

 赤い地の布に黄色で>の模様をあしらった滑らかな手触りのソレは二つあって、けれどよく確かめるとデザインが微妙に違っていた。ユウキとして身に付けている鉢巻きは>>(二個)なのだが、手元の二つはそれぞれ(一個)>>>(三個)なのだ。おっちょこちょいな間違いだと、木綿季は吹き出してしまう。

 

「すごーさんが送り主? あは、間違えるなんてひどいなぁもう……え、どうしたの姉ちゃん?」

 

 鉢巻きの意匠を食い入るように見つめる藍子、その様子に木綿季は虚を突かれる。

 

 僅かに躊躇(ためら)った後、藍子は倉橋医師に聞いたことを明かした。自分達がお世話になっているあのメディキュボイドを考えたのは誰なのか──それは藍子も、木綿季も勿論知っている人の名前で。

 

 他人よりも短い人生を駆け抜けざるを得ない、その境遇を打破して、他人と同じ速さで歩いていけるように──そう呟いたことがあるという彼、だからこそ鉢巻きの意匠は、そのことを意味しているのだろうと……藍子の話は、木綿季にとってあまりにも不意打ちだった。

 

「は、はは……まったくもう馬鹿だなーすごーさんはっ! ホント勘ぐりすぎだよ、だって、ボクがそんなに難しいこと考えてるわけ、ないじゃんか……っ」

 

 ユウキの鉢巻きに描かれた>>の意匠が早送りされる人生を表しているように見えたという彼。

 

 木綿季自身に明確な考えがあった訳ではない。けれど鉢巻きのデザインは他に幾らでも候補があった訳で、数多の中から現在のモノを選んだのは何かしらのしっくり来る感覚があったからだ。

 

 デザインが自分の人生を例えたものだったのかは、それこそ木綿季自身にも分からない。けれど木綿季がいま手に握っている鉢巻きのマーク、再生ボタンのようなソレは彼女もまた同じ速さで、明日奈や詩乃と生きていいのだと語りかけてきて────

 

「もー、ボクをこんなに泣かせてどうするつもりなんだよっ、ボクだって女の子なんだぞ!」

 

 ぐいと顔を(ぬぐ)って声をあげて……姉の物言いたげな視線から赤い顔をそらす。

 

 そうして目が捉えたのはもう一つの鉢巻き。>>>と三つを重ねたソレは早送りを超えた何かを──もっと先へ、加速したくはないか、と──伝えようとしているようで。

 

 ブルリ、と身震いする木綿季。今の時間を噛みしめ味わうか、誰も知らない未来へと疾走するか、どちらを選択しても良いのだと示された悪魔の誘いに、木綿季は両方の鉢巻きを掴み取る。

 

「姉ちゃん……ボク、スリーピング・ナイツで団体戦に出られればいいやって考えてたけど」

 

 ホントはもっと欲張りだったみたい、と顔色を(うかが)う彼女に呆れた目を返す藍子。私の妹がやりたいことを我慢できない子だなんて、それこそ生まれたときから知っている、と。

 

「えへへ……じゃあ、行ってきます。優勝しちゃうから、個人戦も見ててよ!」

 

 武闘会の参加申請は直前まで受け付けている。央都アルンへと木綿季、ユウキはログインした。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 手に汗握る決闘(デュエル)の数々。パーティー同士の魔法が飛び交う派手な戦いも熱かったが、それ以上に個人戦は激闘の連続だった。ソードスキルがないからこそ彼ら自身の技量が表に出てくる。

 

 やはり戦い慣れたSAO経験者が決勝大会16名の多くを占めてはいるのだが、中には純粋なALOプレイヤーもランクインしている。斬り合いに傾倒するSAOと魔法に傾倒するALOという単純な区分けではなく、この一年で双方が影響を受けているらしい。

 

 まぁユウキやシノンがALOからの純粋なビギナーかと聞かれると首を捻るのだが。彼女達も勿論のこと16人の中に名前を残している……やたらと気迫に満ちていたのは何故なのか不明だが。

 

 決まる優勝者、ここでサプライズを運営は提供した。英雄ヒースクリフを登場させたのだ。

 

 個人戦優勝者と神聖剣ヒースクリフのエキシビションマッチである。一夜限りの復活ということでアルヴヘイムに降り立った茅場先輩は血盟騎士団団長の装いで、それはもう当たり前のように剣と盾を持ち随意飛行を使いこなしてコロシアム中の観客を熱狂させた。

 

 ────ここまでくれば充分。茅場晶彦に、SAOに、アインクラッドにプレイヤー達が忌避感を持っていないかが最大の障害だった。だからこそヒースクリフは姿を現した。

 

 それは人々にSAO時代を想起させるため。彼の姿にALOプレイヤーは何を感じるのか、それだけが気がかりだったのだが……その障害が取り除かれた今、アインクラッドを再臨させることにもはや躊躇(ためら)いはない。試合後、ヒースクリフの言葉に観客が注目する。

 

「親愛なるアルヴヘイムの諸君、今宵は重大な発表がある」

 

 全土への放送、すぐさま情報は現実にも波及するだろう。

 

「諸君が待ち望んでいた滞空制限の解除は今から現実で百日後に行われる。それに伴いアインクラッド、ソードアート・オンラインのワールドとアルヴヘイムは接続することになる」

 

 ヒースクリフの指差した上空、世界樹の更に先、黄金に照らされ輝く城の姿(グラズヘイム)が会場モニターへ大うつしにされる。どよめきと歓声、そこに一つ、付け加えられる情報。

 

「だがその前にアインクラッドへ行くことを望むならば世界樹を攻略するがいい。全種族のためのグランドクエスト、頂上にて待つ妖精王に謁見できれば一足早く滞空制限は全員に解放される」

 

 にやり、と笑うプレイヤー達。これ見よがしな大扉を開けることすら出来ないままだった央都アルンの世界樹、その先に至る道を待ち望んでいたプレイヤーは数知れない。

 

「実装は年が明けてからだ。君達の勇戦を、期待するよ」

 

 沸き上がる歓声とグランドクエスト実装を待ちきれない彼ら……その内のいったい何人のプレイヤーが冷静にグランドクエストの内容を思考できていただろうか。

 

「さて、あれで良かったのかい、須郷君」

「ええ、文句なしです。果たして彼らは城に足を踏み入れるに足るのか、見物です」

 

 プレイヤー達は世界樹を攻略できるのか、予想では無理だと思う。それだけのモノを、既に用意していた。そんな僕を見て皮肉げな笑みを浮かべる先輩。

 

「クリアされない公算が高いものを提供するとは、君も中々に性格が悪いな」

「尋常なプレイすら不能なクソゲー伝説を打ち立てた先輩を見倣ったんです」

 

 ソロでは無理、パーティーでもギルドでも無理、種族一丸でも無理だろう。SAO経験者だけでもALOプレイヤーだけでも足りない、そういう難度だ。それでもゲーマーの(さが)が攻略を望むなら。百日後に待っている、他人に与えられたクリアなど望まないというならば。

 

 きっと彼等の物語(生きざま)は僕の胸を打つだろう、と。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

友だからこそ

 待望の滞空制限解除、それは同様に待ち望まれていたグランドクエストの報酬であった。

 

 央都アルンにそびえる世界樹の頂上にいる王に謁見し、力を示したならば妖精達は無限に空を舞うことが可能になる。その情報を知ったプレイヤー達は我先にと世界樹の内部へと足を踏み入れて──()()()でほとんどが死に戻った。持ち帰られた情報は目を覆いたくなるようなもの。

 

 樹の内部は大空洞になっている。ただ単に上空の扉を目指して進めばよい。

 

 だが守護モンスターが尋常でない物量で待ち構えているのだ。強さも通常のmobとは一線を画している。加えて厄介なのはどの種族にも属さない街のダンジョンであるため等しくPKが可能という設定であり、敵味方識別も無効のため別種族だけでなく味方の誤射(フレンドリーファイア)すら気を付けなければならないことだった。デスペナも痛く、隠れ潜むPKギルドに狩り殺される事例すら存在した。

 

 これでは協力しての攻略などできる訳がない。しかし少数のパーティーでは到底クリアできない。一種族が一丸となっても達成不可能だろうというのに、他種族との協調が不可能に近い設定。一人だけでも頂上へ到達すれば全員の滞空制限は解除されるという情報もあって「誰かがやるだろう」という空気が早くも広がり始めていたのである。

 

 平和の歌──そう呼ばれるメッセージが広まり始めたのは、世界樹の難度に打ちのめされたプレイヤー達が悲鳴をあげている、そんなときだった。皆で協力して、一丸となって世界樹を攻略しよう、という詩を音楽妖精(プーカ)の少女が歌い、その旗印に多種族のファンが集い始めていた。

 

 だがそれを善しとしない者達もいた。己の力で覇を示したい者、種族の力で打倒したい領主、既にギルドを形成している者もまた、彼女には賛同しなかった。それは俺達のプレイスタイルではない、と。他人に与えられた平和とGMに与えられたクリアに何の違いがあると。

 

 その中には──当然SAO経験者の姿もあった。

 

「なぁ、グラムの……その情報はマジなんだろうな」

「正直、これが外れたらオネーサンにはお手上げだヨ」

 

 ALOは元ネタに忠実な点が多いから確度は高い、そう聞かされたクラインは暫し考え席を立つ。

 

「どうするつもりだイ? 火妖精(サラマンダー)領主モーティマーの意思は固いらしいじゃないカ」

「どっから仕入れてやがるんだか全く……情報屋は健在だな、アルゴ」

「そうでもなイ。外部の情報板とは常に(いたち)ごっこサ」

 

 フードの下でくすくすと笑うアルゴにクラインは何とも言えない表情を浮かべる。人海戦術に一人で渡り合うどころか先を行っている女が何を言うのかと。

 

「とにかく、オレはやるべきことをやるだけだ。作戦は変えられねえ」

「やれやれ、少しは期待してたんだけどナァ……」

 

 揶揄(やゆ)するような声音を背に雑踏へ消えるクライン。火妖精(サラマンダー)による風妖精(シルフ)猫妖精(ケットシー)への強襲作戦が迫っていた。二種族を制圧して収奪した財貨をもって世界樹を攻略し、自分達こそが最強であると知らしめるために。誰よりも強くありたいという欲求もまたプレイスタイルの一つなのだから。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「お兄ちゃん、お願いがあるんだけど……」

 

 そう直葉が切り出したのは自宅、ALOにログインする前の話だ。流れの傭兵として各地を転々としているキリトはスプリガン全体の特色と同様に協調が苦手だった。より正確にいえば、論理的に対話できない相手の面倒が嫌いだった。

 

 リーファは風妖精でも指折りの実力者だ、そして可愛い。加えて風妖精の領主サクヤというこれまた美人と仲が良い。必然的にキリトは近くで接することになる……影妖精(スプリガン)なのに。そこへ集まる嫉妬の目、理由は様々だがゲーマーなら無縁とはいかない感情で、けれど実に鬱陶(うっとう)しい。

 

 そのためキリトはあまり領都スイルベーンに居付くことをせず、各種族の領地を武者修行することが多かったのである。現在地は央都アルンにあるエギルの店、カーディナルシステムに呼ばれたユイを届けるついでに世界樹内部の情報を自分の目で確かめている最中だったのだ。

 

 SAO経験者の一人として、キリトもあの城に心のどこかが囚われていた。良かったことも悪かったことも、ゲームクリアによってなかったことになってしまったような喪失感。必死に生きた二年間が、デスゲームなどなかったと聞かされて輪郭を失ってしまったような虚脱感。

 

 それぞれに抱えるものは異なる。だがSAO経験者は皆が等しく城を目指していた。

 

 ──世界樹攻略のために風妖精と猫妖精が同盟を結ぶの……けどイヤな噂があって。

 

 風妖精の中でも隠密性に特化したビルドをしているプレイヤーが、同盟会談の場所を他種族に漏らしているプレイヤーを見たという。だが怪しい人物は領都で役職を得ているプレイヤーであり、明確な証拠もなく責めては風妖精の運営がガタガタになる。なので会談には行かなければならないが、備えとして護衛をして欲しいのだ、と。

 

「ってことなんで、急いでるんだ。じゃあなエギル」

「おいキリト、場所の具体名は聞かないが、飛んで行ける距離ではないだろ?」

「ああ、だから走っていく」

 

 そもそも央都アルンを囲む形でそびえる山脈は飛び越えることができず、必然的に内部の洞窟を走り抜ける必要がある。ルグルー回廊を……この一年で鍛えに鍛えた疾走でモンスターを置き去りに走ること暫し、抜けた先から(はね)で宙を(かけ)る。

 

 目指すは風妖精と猫妖精の中間地点、開けた場所で判りやすい。

 

 だがそれは同時に、敵の目にも判りやすいということで。

 

「あれは? っ、マズイ!」

 

 キリトがたどり着いたその時、既に火妖精の軍勢が会談場所の包囲を完了していたのである。

 

 

 

 

 

「これはこれは、火妖精(サラマンダー)の皆様じゃないか。こんな僻地まで大勢で、ピクニックかい?」

「抜かせ風妖精(シルフ)領主、財貨と権限を譲渡するなら命は取らないが……どうする?」

 

 ギリ、と歯噛みするサクヤ。猫妖精(ケットシー)の領主アリシャも声を張って応戦するが情勢は明らか、有利な火妖精と将軍ユージーンの態度は小揺るぎもしない。この場にいる味方は二種族七名ずつ、対して火妖精は六十を下らない上、ALOでも名うてのユージーンが完全装備で上空に陣取っている。

 

 火妖精と風妖精は隣り合っていることもあり普段から小競り合いが多い。火妖精が戦乱状態だった頃はマシだったのだがモーティマーとユージーンの兄弟が政軍を掌握してからは一気に押し込まれ始めた。そしてここ一ヵ月で新たに中枢へ加わったという集団の力が後押しとなり、風妖精単体では抗いきれなくなってきたのだ。

 

「だからこその同盟、その矢先に……やはり情報が漏れていたか」

 

 報告の挙がっていたプレイヤーは領地にいる。無事に戻れたら追放してやると決め……まずこの窮地を脱してからでなければ意味がない。サクヤが決死行を命じようとしたその時。

 

「双方────剣を引けッ!」

 

 火妖精の後方から躍り出た影妖精(スプリガン)に集まる注目、黒髪の少年は声を張り上げユージーンに迫る。

 

「俺は影妖精(スプリガン)水妖精(ウンディーネ)同盟の大使だ。ここには貿易交渉に来たんだが……火妖精(サラマンダー)が会談を襲おうとしているということは、つまり我々四種族との戦争を望んでいるということか?」

「同盟の大使だと? たった一人、大した装備もなしに、か……笑わせるなよ、影妖精」

「笑いたければ笑えばいい。後でお兄ちゃんに泣いて謝るんだな、短慮で申し訳ありませんって」

 

 ぶはっ、と吹き出すアリシャ。気持ちは解らなくもないが、よくもまぁこの状況で笑えるものだと考えるサクヤもまた、場の空気に飲まれたのか悲壮感は消えていた。

 

「ふむ…………ならば俺が試してやろう。三十秒を生き残れば、信じてやってもいい」

「随分と気前がいいんだな、じゃあ──」

「おいおいユージーン将軍よぉ、何を腑抜けたこと言ってやがんだよ?」

 

 この調子ならばうやむやに押しきれる、そう期待していたキリトの思惑を打ち砕いた声は、火妖精の中から出てきたプレイヤーのもの。キリトもよく見知ったその人物は、紛れもない。

 

「クライン、何故ここに?」

「キリの字、そいつぁ野暮ってもんだぜ。コイツ以外に何があるってんだ?」

 

 コン、と腰に提げた鞘を弾いて示す。戦いを、戦闘を望む意思が明らかな挑発だ。

 

「なら俺が相手だ、クライン。俺が勝ったら手を引け」

「んー……それはいいけどよ、一応オレは火妖精の一員なんだわ。将軍はどうするつもりだ?」

「そっちも俺がまとめて相手してやるよ」

 

 

 

 

 

 

()めるなよ、キリト」

 

 ぞくり、と震えに身を固くするキリト。PKに対面したSAO時代を彷彿(ほうふつ)とさせる悪寒が襲う。

 

「オレぁよ……お前ェの強さは認めてる。二刀流も、意志も、反応だって凄ェと思う……けどよ」

 

 オレがお前に敵わないなんて諦めたことは、一度だってなかったぜ────

 

「抜けよ、キリト。剣の二本くらい持ってんだろ?」

「あ、あれは……ここじゃアシストもないし、二刀流はSAO特有の」

「逃げるなよキリト、オレから逃げんなよキリトよぉ、じゃねェと──背中から斬っぞ」

 

 カチャリ、と柄に手を添えたクライン。抜かずば斬る、既に交渉は決裂していた。

 

「なら、あたしがユージーン将軍の相手をする。キリト君はあの人を」

「リーファ?」

「大丈夫、絶対に勝つから…………負けないで、キリト君」

 

 そう言って剣を抜き、正眼に構えるリーファ。応じてユージーンは両手剣を引き出し構えた。

 

 メニューから操作して二本目の剣をジェネレート、これもまたリズベットの手製だった。案の定しっかりと用意してあった二刀を構え、キリトは口を開く。

 

「思えばクライン……俺とお前は、本気で戦ったことがなかったな」

「最初に初心者レクチャー受けちまったからな。あれがオレ達の立場を方向付けちまった」

「俺はお前を置いてスタートして、やがて最前線で顔を合わせるようになって」

 

 置き去りにしたことを、ずっとキリトは引きずっていた。ビーターと蔑まれる、そんなことよりも余程、最初にできた友人を見捨てたことの方が辛かった。再会してからも尚更、己を責めた。

 

 気にするな、とどれだけクラインが言葉を積み重ねても、行動で示しても罪の意識は消えなかった。当たり前だ、キリトは断罪をこそ望んでいたのだから。結局その意識を変えることが、クラインにはできなかった。アインクラッドへの切望と同等、いやそれ以上の悔いが残っている。

 

「けどSAOじゃ追い越せなかったからな、心残りだったんだ。どっちが上か決着つけようぜ」

「ああ!」

 

 SAOとは違う場所、違う姿、けれど今ここにいるのはSAOを生き抜いた二人、二人だけの世界。

 

「キリトォォオオオ!」

「ぜぁぁあああっ!」

 

 瞬間的に翅を強振動させた、瞬動もどきの突進。それよりもなおクラインの右手は速く、鞘走る刀身はただ線となってキリトに襲いかかる。抜き打ちの一撃、受ければ耐久値を消し飛ばされる斬線にキリトは左剣を合わせ──強い衝撃に弾かれる。勢いに負けて左に振られる体、しかしキリトは二刀流、がら空きの相手に右剣を振り下ろし──

 

「甘ェ!」

 

 即座に返された刀に、上から打ち落とされる。前方へ下方へと強制的に流れていく体、そこを上から串刺しにせんとクラインは突き入れる──だがここはSAOではなくALO、彼らには手足に加えて(はね)で姿勢を制御するという手段がある。

 

 翅を使って急制動を掛け、頭頂部をかすっていく剣圧を感じながらその場で前転──上下を入れ換えたキリトは逆さのままに両手を広げ回転、クラインを切り刻んだ。(たま)らず下方へ落ちて逃れたクラインは、相変わらずなキリトの戦闘機動にボヤく。

 

「変態機動に(みが)きがかかったなお前ェ」

「そう言うお前は息が上がったか?」

「ハ、抜かせよ」

 

 上に陣取ったキリトへと、刀を突き上げるクライン。空中でステップを踏むようにかわしたキリトは二刀のカウンターを見舞うために、クラインの続いて振りかぶられた刀をパリィしようとして──無防備な腹部を切り裂かれた。ニィ、と歪む両者の唇は正反対の意味で。

 

 幻月──刀の軌道、その上下を悟らせないソードスキル、SAOの残滓がHPを奪う。かつて第一層ボス戦でも引っ掛かったフェイントは再びキリトに牙を剥いた。

 

「く、っそおおおおっ!」

 

 不甲斐ない、自戒の念がキリトを焼く。追撃には今度こそ二刀を合わせ、弾かれて距離をとる。この世界ではありもしない鼓動と呼吸が荒くなっているような感覚とは真逆に、キリトの思考は冷えきり戻っていく、SAOを生きた頃へと。

 

 ヒースクリフのように絶対的な強さを持っている訳ではない。だがクラインはキリトを追いかけ追い付くため積み重ねた努力があった。仲間の命をリーダーとして背負い、攻略に打ち込むなかで尚、先を行くキリトを越えるために腕を磨き続けた。キリトの強さを身に付けるべく、その姿を目に焼き付け続けた。

 

 キリトからすればそれはクラインの努力の成果、まぎれもない彼の力だ。

 

 βテスト当選の幸運を享受しただけの、ビーターと揶揄された自分とは違い輝いて見えた。

 

「あぁ、認めるよ。俺はお前に嫉妬してたんだ、クライン」

 

 現実に親しい仲間がいて。デスゲームの中でも笑いを忘れず。ビーターの自分を気遣う余裕もあり。初心者から駆け上がった力を持って。誰よりも自分と親しい友人なのに、自分にないものばかりを持っていた。

 

「オレから言わせりゃお前ェの方が羨ましいぜ、キリト」

 

 豊富なゲーム知識と抜群の勘、卓越した洞察力と胆力。まるで神に愛されているんじゃないかと思うほどに、やることなすこと上手くいく彼の姿。その一つでも自分にあればどれだけいいかと何度思ったことか。

 

「俺はお前が羨ましい。だからここで倒れろクライン、勝つのは俺だ」

「オレはお前ェが妬ましい。黙って斬られろキリト、勝つのはオレだ」

 

 圧倒的な手数で押し潰そうとする二刀流の猛攻を、キリトごと斬鉄せんと描かれる刀剣の乱舞。

 

 突き斬り払い、首を手を足を飛ばそうとする刀を、クラインごとへし折らんとする二刀の重撃。

 

 前後左右から迫る変則的なホリゾンタル・スクエアの二刀八撃を居合いで打ち落とすクライン、魔法が支配的なALOにおいて何一つ詠唱を覚えず、ただひたすら愚直なまでに刀を振り続けた成果の全てを示す相手は目の前に──ギアが、上がる。

 

「スターバースト、ストリーム!」

「ソイツを待ってたぜキリトォ!」

 

 高速で繰り出される両手の剣線は十六本、黒の剣士の代名詞たるソードスキルにクラインは──踏み込んだ。

 

 左腰からの抜き打ち、唐竹割り、右下からの切り上げ、首筋の水平斬り、肩口からの切断、胴打ち、膝蓋(しつがい)の切り裂き、股下からの一閃、そして────心臓への突き入れ。

 

 八つの斬撃を以て二刀を相殺し、動きを止めたキリトに放つトドメの心臓突き、それは生涯最速の片突(ひらづ)きで。

 

 彼をよく見ていたキリトはその軌道を知っていたから。踏み込み、剣先が頬を撫でていく。

 

「俺の、勝ちだ」

 

 キリトはまた、いつか(はじまりの日)のように──ダチ(クライン)の腹を素手で殴り飛ばした。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「どうした、その程度かァ!」

「くっ……」

 

 リーファが相手取ることになったユージーンは、ガタイの大きさもさることながらカンストした両手剣スキルと火妖精の戦乱で磨いた剣技、そして両手剣グラムの攻撃力が圧倒的だった。リーファとて両手剣使いと戦ったことはあり、体格差で負けるようなこともない。だがグラムの所持者が得るスキル──エセリアルシフトが厄介に過ぎた。

 

 受けようとする防御をすり抜けて直撃する、グラムの重い剣撃。聞きしに勝る強さだと、同じく近接戦を得意とするリーファも舌を巻く。もし何の情報も練習もなしであれば数秒で連撃を受けてリメインライトと化していただろう……しかし、である。

 

「ちぃ、ちょこまかと!」

 

 いかにグラムと言えど()()()()()()()()()()()()()()()()()。風妖精は随一の飛行速度を誇る種族、その中でもリーファはスピード狂とあだ名される程のプレイヤーだ。加えて剣を避けるということに関しては、それこそ人生の半分を費やしてきた経験がある。ALOに来てから剣を取った人間の一撃を易々と受けてやるなど、直葉としてのプライドが許さない。

 

Ek(エック) sér(シャル) lind(リンド) ásynja(アシーニャ), burt(バート) eimi(エイミ) og(オーグ) sverð(スヴェルド)!」

 

 回避を重ねながらの詠唱──終了と同時、八相に構え特攻するリーファ。

 

 確かにスピードは速い、だが迎撃には充分、迎え撃つユージーンはグラムを袈裟に振り下ろし、リーファが防ごうと上げた刀剣を(あざ)笑い────エセリアルシフトは不発に終わった。

 

「なっ」

「セァァァアアッ!」

 

 グラムを弾き、面を割り、胸を裂き、袈裟に斬り、首を断ち、心臓を穿つ。

 

 HPを消し飛ばされリメインライトと化したユージーンを前に残心し、剣を納めるリーファ。

 

「魔剣グラムって言ってもお兄ちゃん相手より大したことないじゃん……って、あ゛っ」

 

 最後の攻防で砕ける音を聞いたのだ。まさか耐久値が0になってしまったかと慌てるリーファ、だが彼女の剣は形を保っていた。

 

「じゃあさっきの音は一体……ってあああああ、グラムが折れてる!?」

 

 無惨にへし折られたグラムの残骸がドロップしていたのだった。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「ごめんなさいユージーンさん!」

「い、いや……仕方ないだろう」

 

 残念ではあるがな、と苦笑する蘇生したユージーンに恐縮しきりのリーファ。狙った訳ではないが武器破壊、それも有名な剣を壊してしまったのだ。申し訳ないにも程があった。

 

「それより、何故エセリアルシフトは効かなかったんだ?」

「あぁ、それは…………まぁいいか、言っても」

 

 リーファいわく、エセリアルシフトが無効化できる状況には限りがあったとのこと。防ごうと構えた剣をすり抜けはするが、直撃を避けようと割り込ませた籠手はすり抜けられなかった。つまり回数は一度きりである。ならば魔法で障壁を張り、グラムがエセリアルシフトを発動させた所で実体剣をぶつければ弾くこともできると思った、と。

 

「まさか折れるとは思わなかったんだけど……」

「それはグラムでスキルを発動中だったからだろう」

影妖精(スプリガン)の……どういうことだ?」

「スキル発動中の武器は武器破壊(アームブラスト)の格好の餌食ってことさ」

「キリト、んなこと狙ってやれるのはお前ェ位だ」

 

 復活したクラインとキリトも合流しての剣術談義。それぞれの経験や先程の感想戦などを経て、話題はグラムの残骸へ。

 

「俺の知り合いに工匠妖精(レプラコーン)がいるから頼んでみようか?」

「いや、既にドロップアイテムとして所有権は彼女にある。処分は好きにしてくれ」

「あ、あたし!? いきなりそんなこと言われてもっ」

「おいおい、それよりなんで破損アイテムが消えてないんだ?」

 

 そう言われてみれば確かに、と疑問に思う一同。とりあえず見てみようと破片を実体化させた所でウィンドウがポップする。

 

「な、なに? クエストの発生、ってなんで?」

「あー、やっぱりなぁ。アルゴの言った通りってことか」

「アルゴってあいつもALOにいるのか……じゃない、何の話だクライン」

「いや、オレも情報を買っただけなんだけどよ」

 

 ──近頃、NPC達が「鳥の詩を聞け」って意味合いのことを話しているって情報があるんダ。

 

「そしたらアルヴヘイムの元ネタ、北欧神話には鳥の言葉が解る英雄がいるらしいじゃねぇか」

 

 ──男は悪竜ファフニールを倒し、レディルってナイフで心臓を突き刺しタ。その際に血を舐めて鳥の言葉が解るようになったのサ。男の名はシグルズ、使っていた剣がグラムだヨ。

 

「グラムは一度砕かれ、鍛え直された剣は竜を討った。その先に鳥の声を聞けるなら、これ以上の情報はグラムの持ち主に当たるしかねェ……そう思って領主に近付いたんだけどよ」

 

 ──けど今のグラムが鍛え直される前なのか後なのかは不明ダ。十中八九は折れてないが、それなら今度は誰が折るのかっていう難題があるんだけド……

 

「そんな訳でキリの字なら武器破壊でへし折れると思ったんだけどよぉ、まさか妹さんとは」

「クライン……それはお前が挑発してきたからだろう?」

「お前と決着つけられるならアインクラッドに戻れなくても構わなかったからな……まぁ、そんな訳ですまねえユージーン将軍。脱領者(レネゲイド)扱いにしてもらって構わねえ」

「……聞かなかったことにしよう。火妖精(サラマンダー)の優秀な戦力を減らす訳にはいかないからな」

 

 (きびす)を返し、部下達に撤収を指示するユージーン……と、振り向いてキリトに声をかけた。

 

影妖精(スプリガン)、吐いた唾は飲めんからな?」

「え?」

火妖精(サラマンダー)も同盟参加させて貰う。世界樹攻略では水妖精(ウンディーネ)とも(くつわ)を並べて戦えると期待しているぞ」

「お、おいおい、将軍が同盟を勝手に決めていいのかよ?」

「俺はモーティマーの弟だからな、お兄ちゃんに泣いて謝ればいい。お前が言ったことだろう?」

 

 ぶはっ、と再び吹き出すアリシャ、今度はサクヤも堪えることができなかった。笑いが木霊する中、頭を抱えるキリトを慰めるクラインとリーファ。

 

火妖精(サラマンダー)から百人は動員する。同じ規模を期待しているからな」

「まぁなんだ……元気出せよ、な? 骨は拾ってやるから」

「頑張ろうよお兄ちゃん、諦めちゃダメだよ、何とかなるよ、多分、きっと、もしかしたら」

 

 どうしてこうなった、頭を抱えるキリト。あの時点では間違いなく名案だと口を突いて出た言葉が首を絞めるという展開に、助けを求めてみてもクラインやリーファは首を振るばかり。水妖精(ウンディーネ)へのツテといっても、フレンドは一人しかいない。一応メッセージは送るものの、どれだけ効果があるかは分からない。

 

 と、キリトの両腕が誰かに取られる。見てみればそこには風妖精(シルフ)猫妖精(ケットシー)の領主が。

 

「どうだい、少年君。それ程の強さなら高待遇で風妖精に迎え入れようじゃないか」

「サクヤちゃんズっるーい! それを言うなら猫妖精はもっといい条件出すヨ!」

 

 伝わる軟らかさやら何やらに一体どうしたものかと狼狽えるキリト、その背中をグイと引いたのはリーファだった。

 

「ダメです、キリト君はあたしの……あたしの」

 

 リーファへと集まる視線、当の本人は言葉に詰まったように俯いてしまう。その様子を目にしてキリトも考えがまとまった。開き直ったとも言う。

 

「あ、あはは、すいません。俺コイツの兄なんで、放っておけないんです」

「ふむ……まぁリーファには前々から執政府への参加要請を断られているからな、仕方あるまい」

「むむむ、リアル事情じゃ仕方ないかな。で・も、個人的に仲良くするのはいいよネ?」

「えっと、前向きに善処して考えるということで、いいですか?」

 

 三人のやり取りを複雑な心境で聞くリーファ。兄に放っておけないと言われたことは嬉しい、兄が認められているのも嬉しい、けれど兄を横取りされている感覚が気に入らない、という内心に自分で気付いて赤面。熱くなった顔を手で隠し、覗き込もうとしてくるキリトから逃げ始めた。

 

 そんな彼らを見てクラインはボヤく。何をさておいても一番妬ましいのはこのモテ具合だと。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

赤鼻のトナカイ

 ユージーンに対して同盟の約束をしたことにされてしまったキリト。しかし彼は流しの影妖精(スプリガン)、もちろん水妖精(ウンディーネ)を動かすことなどできないし、領主へのツテもない。

 

「それでわたしに、ね。というかこっちでも武器破壊(アームブラスト)ってキリトくん……相変わらずだなぁ」

 

 央都アルンのこじゃれた持ち家にて、アスナは送られてきたメッセージに頭を悩ませていた。

 

 一般プレイヤーとしてのアスナは水妖精を選択している。SAOから引き継いだ剣技とセンスを持つ彼女は直接戦闘に向かない水妖精の中にあって最強の呼び名も高い一人、つまり有名だった。

 

 だがアスナのALO生活は水妖精領に重点を置いていない。あちらこちらに出向いては剣を取りクエストを満喫しているので……領主や幹部といった種族運営の中枢に繋ぎがなかったのである。

 

「一応、顔と名前は知られているだろうから話くらいは聞いてもらえるだろうけど……」

 

 領主達を説得しきれるかといえばNOだ。水妖精の特色は高度な回復魔法でありパーティーでは引っ張りだこなのだが、直接的な戦闘にどうしても向かない部分がある。初対面の相手とクエストに同行し、報酬分配の段階で揉めて一方的に狩られるという事例もそこそこにあったのだ。

 

 そしてグランドクエストとなる世界樹の中はPKが可能とあってデスペナも惜しく、自分の身を自分達で守りきれない水妖精としては……罠にはめられる危険まで含めて及び腰なのだった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 リーファ・クラインと共に修理クエストを開始したキリト、彼らが訪れたのは風妖精(シルフ)領にあるリズベットの店だ。工匠妖精(レプラコーン)の彼女が風妖精領に店を開いた理由について本人は「活動場所を移して客を減らしたくないから」と述べていた……本当の理由は見え見えだったのだが。

 

「それであたしの所に持ち込んだって訳ね……結局コレは魔剣じゃなかったってこと?」

「ボスドロップの強い武器っていうSAOの意味合いなら魔剣じゃないな。ALOでは知らないけど」

「んー、スキルレベルは大丈夫だけど、って、ハァッ? 何よこの要求素材!」

 

 リズベットの店へと折れたグラムを持ち込んだキリト一行、彼女ならば修復できるだろうという見込みは、半分だけ合っていた。キリトはリズベットの反応に嫌な予感を覚える。

 

「まさか、直せない、とか?」

「素材さえあれば可能よ! その素材が希少すぎて市場に出回らないのよ」

「マジか……ちなみに直近の取引価格は?」

「鍛え直しに必要な量を換算すると……この、くらい?」

 

 ゲッ、と全員が絶句するほどのユルド貨が必要だった。さもありなん、グランドクエストの報酬であるため種族規模で供出することを前提としていたのだから。全員が財布を空にすれば届かなくもない目標金額だったが、そもそも市場にないのでは話にならない。どこで採れるのかについてさえも、土妖精(ノーム)のトッププレイヤーが囲い込んでいるのか情報の手がかりすらない。

 

「エギルは……商人ロールだから顔は広いだろうけど、採掘メインじゃないしなぁ」

「そこまで希少なら採掘スキルもカンストが求められるんじゃねェのか?」

「サクヤ達にも聞いてみるけど、あんまり色よい返事は来ないだろうし」

「一応、あたしの店のお得意さんに土妖精はいるけど、果たして協力してくれるかどうか──」

「なになに、何の話? アタシも混ぜて!」

 

 誰だお前は、と皆に向けられた視線を物ともせず輪に入り込む女性プレイヤー。リズベット製の大剣を背負った……露出が多く紫色をベースにした彼女は、一部で有名人となっていた。

 

「お嬢さん、自分クラインって言いまして、二十三歳独身現在恋人募集ちゅウボァッ!?」

「すまない、いつもの発作なんだ……えっと、俺はキリトだ。君の名前は?」

「あははっ、二人とも面白いねー、仲いいの? あ、アタシはストレアだよ!」

 

 よろしくーと手を握られ、自由さに目を白黒させるキリト。そこにリズベットが割って入る。

 

「ちょうど噂をしてたのよ。ストレア、この鉱石持ってない? 言い値で買うわよ」

 

 提示された素材名を見て首を(かし)げるストレア。駄目かと落ち込んだ空気が流れかけたその時。

 

「これなら沢山持ってるよ? 言い値で全部を買ってくれるなんてリズベット優しい!」

「え?」

「流石に普通のお店に(おろ)したら迷惑かなって困ってたんだけど、必要なら問題ないよね」

 

 ドサッと……いやゴシャッと大音をたててカウンターを埋め尽くした鉱石の山。

 

「えっと、直近の取引価格で計算すると」

「やめたげてよお!」

 

 初対面のリーファにすら止められる程の惨状。素材自体は古代級武器(エンシェントウェポン)製作に有用なのだが、リズベットの店で払いきれるユルドを全額出しても足りない返済計画が発生しそうなのであった。

 

 ──じゃあクエストに同行させてくれるならいいよ!

 

 そんなストレアの提案をリズベットがキリトに飲ませた後、砕けたグラムの破片は無事に鍛え直される。元々が両手剣だったグラムは、所有者のリーファが片手剣スキルを上げていたため完成形を片手剣に変更して仕上げられた。

 

 ──あたしからすると魔剣とは呼びづらいけど、位置付けは間違いなく魔剣クラスね。

 

 新生グラムをほいと渡されたリーファはその性能に(しば)し呆然、慌てて返しに行こうとする彼女をキリト達は体を張って食い止めるはめに。クエストのキーアイテムがなくては先に進めない。

 

 ──オレっちが一杯喰わされた、てカ? にゃハハハ、それでこそSAOプレイヤーだヨ。さて次の目的地は竜の巣穴、ミッドガルドのどこかだけどALOはアルヴヘイム、別世界になるミズガルズは存在しなイ……ただ怪しい場所が一つ、世界樹の地下には謎の空洞があるんダ。

 

「それで、この先が?」

 

 急いで飛んできたシリカと合流し、央都アルンに集まったキリト達。会談場所から一緒のリーファ、クラインに加えストレアとシリカも入った五名は凄まじく前衛に片寄った編成だった。

 

「リーダーを務めることになったキリトだ、よろしく。それで誰か後衛ができる人は……」

「い、一応あたしとピナは後衛でも……短剣が届かなくなっちゃいますけど」

「あたしも詠唱は得意だけど、折角グラムが手に入ったからなぁ」

 

 シリカとリーファは持ち味を殺してまで後衛を担うべきか、キリトは悩む。かつてクリスタライト・インゴットを得るために相手取った竜は、図体も大きくブレスも強力だった。早々に遅れを取るつもりはないが、何せ敵の実力が未知数である。仲間の武器を眺め、嘆息するキリト。

 

「クラインは刀、ストレアは大剣……ものの見事にSAOだな」

「お前だって片手剣じゃねェか。まぁ最初は前後に別れてるくらいがいいだろ」

 

 楽勝だったら合流すればいいじゃねェか、とクラインの言うことにも一理あった。結論は未知の敵だから一応二人は後方に控えていてくれ、というものになり──世界樹から伸びた根の一つ、空洞から続く地下道へと一行は足を踏み入れ──抜けた先は何もない広大な荒野だった。

 

 ここがミズガルズ、と言われても本当に何もないエリアだった。本格的なアップデート前に空間だけを確保しておいた場所に、ミスで行けてしまったような感想を覚えたキリト。

 

 だがふと空が暗くなったことに気付いて上を見て────

 

「みんな逃げろッ!」

「っ、Oss(オース) sér(シャール) lind(リンド) ásynja(アシーニャ)──」

 

 はるか上空より降り立つ竜、陽光を遮る程の巨体が散開しきる前の一行に襲い掛かった。

 

 上方より落下してくるボスモンスターは、かつてSAOの第75層で苦い思い出を与えてくれたザ・スカル・リーパーをキリト達に思い起こさせた。目の前のドラゴン、ファフニールはそれに劣らない威容と、言語にし辛い殺意のようなものを感じさせる。まるで本当に、生きているかのように。

 

 毒々しい赤の鱗に覆われた、西洋竜の瞳はキリトを捉えていた。スゥ、と息を吸い込む動きはブレスかハウリングの前兆動作、慌てて飛び去った正面には予想通りに火炎が放射され──首を振って横薙ぎにブレスを吐き散らす。

 

「── burt(バート) eimi(エイミ) og(オーグ) sverð(スヴェルド)!」

 

 各々が自分のことだけで精一杯な中、最も冷静に詠唱を成したのはリーファだ。迫る炎熱への障壁となる防御魔法を全員に掛け──対象人数の多さ故にマナが枯渇しながら──HPの全損を防ぐ。

 

「ピナもお願い──Oss(オース) fylla(フィッラ) heill(ヘイル) austr(アウストル)!」

 

 シリカの全体回復魔法、そしてピナのブレス効果によりHPを緑にまで戻すメンバー達。

 

 幸いにして後衛が二人とも無傷だったため態勢は立て直せる。SAO時代のボス戦を思わせる凶悪さにキリト達は得物を構え、斬りかかっていった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 いいアイデアはないか、と頼られたシノンだが彼女とて猫妖精(ケットシー)、アスナ以上に手立てなど持っていない。アスナの家に近かったため寄りはしたが、出されたお茶を片手に首を振る。

 

「グランドクエストに高位回復魔法の使える水妖精(ウンディーネ)は必須だろうけど……アスナにアテは?」

「一応知り合いは何人かいるけど、PK上等な子なんてまずいないし……」

「そんなもの水妖精プレイヤー多しといえどアナタくらいでしょう」

 

 そんなことはないだろう、と反論するアスナ。風の噂では多種族で構成されたギルドの活躍と、その一員に水妖精がいると聞いていた。領地に乗り込んでは決闘を積み重ねる闇妖精(インプ)の噂は、聞かなかったことにしたかった。あまりにも心当たりがありすぎたのだ。

 

「まぁ水妖精は最悪数人だけでも連れて行けばいいでしょう。それより私達の準備よ」

「わたしは一応、済ませてあるけれど。詩乃のんは違うの?」

「大丈夫、だと思ってたんだけどね……実は軽く世界樹の中に踏み込んでみたんだけど」

 

 何やってるのよ、とのツッコミをスルーして、内部の様子を語るシノン。PK含めた人の出入りがないタイミングを見計らい、単身で世界樹の中へと偵察行をした時のことだ。

 

 曰く、一体一体はそこまで強くない。とはいえそこらのモンスターよりは強いが、ALOを一年プレイした剣士なり術師なりであれば充分に勝てる相手だ。一対一であれば。

 

 だが百や二百となるとどうか。鎧袖一触とはいかなくなる。実力者でもパーティーを組む。

 

 では千や二千となるとどうか。ギルドでも追い付かない。領主が動員を掛けるレベルだ。

 

 では万を超えたなら…………古代級武器(エンシェントウェポン)を揃えた種族が幾つ必要になる?

 

「流石に、冗談よね?」

「冗談ならどれだけ良かったか。あの軍団(レギオン)はぼっちプレイヤーを殺しに掛かっている」

「あ、MMOの醍醐味はパーティープレイだって前に説いたことが」

「アンタのせいかアスナぁ!」

「だ、だってそうでしょう? しかもこんな形に繋がるなんて思わないわよ!」

 

 ゼイゼイと荒げた息を整え、二人とも着座。シノンの偵察情報が正しければ種族が一つ二つ(まと)まったところで通用しないだろう。それこそ何かしらの方法でPKなりデスペナなりを防止して、参加者の募集を無差別に掛けるくらいしか攻略の手立てが見付からない。

 

「何か情報はないの? SAO時代の情報屋は何か掴んでたりしない?」

「彼女は……さっきメールしたんだけど、なんでかテンションがおかしくて」

 

 ──重視していなかった情報を精査する必要が出たんダ。伝説級武器(レジェンダリィウェポン)はただの武器じゃなイ。

 

 グラムはユージーンが火妖精領のグランドクエストで手に入れたものだ。各種族に一つずつ、種族限定のグランドクエストをクリアして手に入る武具が、伝説級武器と呼ばれる。

 

 だがその性能は、SAO経験者からすると脅威という程ではなかった。何例か情報がある内で一番使い勝手が良いと思われるグラムすら「だって避ければ済むじゃないか」と考えたのだ。

 

 無論ゲーマーの性としてレアアイテムは欲しい。だが二年のSAO経験がALOにおいて馴染んでくるにつれて加速度的に増していく攻略速度を鑑みると、剣がすり抜ける位なんだとなるのだ。それよりも火力や剣速、鋭さや頑丈さが欲しいと。お陰で工匠妖精(レプラコーン)は引っ張りだこだ。

 

 だがグラムにその先があったとなると、他の伝説級武器にもそれぞれ追加クエストが存在し、強化先も存在するということになる。それらがどこまで強力かは未知数だが、ワールドにあるもの全てを動員せずとも攻略できるようなグランドクエストを世界樹に設定するとは思えなかった。

 

「とはいえ私達は各武器の状況を掴んでない…………ちょっと待ってアスナ、水妖精の分は?」

「ええっと、実は、インベントリに」

 

 それを早く言いなさいと急かされ実体化(ジェネレート)させるアスナ。出てきたのは細剣、名前はフロッティ、突き刺すものという意味だ。だが多少頑丈なだけで、特に使い勝手が良いという訳ではない。

 

「恐らくこの剣にも追加クエストが存在する筈。私の方でも調べておく」

「うん、わたしもアルゴ達に当たってみる」

 

 やるべきことが見つかって、シノンを見送り自分も家を出て──アスナは気付く。

 

水妖精(ウンディーネ)を動かす方法が見付かってないじゃない!?」

 

 引き留める間もなくシノンは立ち去ってしまい、アスナは仕方なくそのまま外へ。街の空気に触れれば或いは考えも浮かぶかも、と央都の散策を始めるも中々考えはまとまらない。

 

「キリトくんに溜め込んだお金やアイテムを吐き出してもらえばいいんじゃないかなぁ」

 

 八方ふさがりな状況に思わずボヤいた独り言。すれ違うプレイヤーが肩をはねさせて飛び退いたことに少し傷つき、立ち去ろうとした所でその相手が前に回り込んで来た。

 

「あ、あのっ……もしかして、アスナさんですか?」

「あなたは? どこかで会ったことがあるかしら」

「直接の面識は、ないです……あの、キリトのことなんです」

 

 (すが)るような目で訴えてくる水妖精──目元の泣きぼくろが特徴的な少女──に、アスナは見覚えがない。しかしキリトを知っているとなると現実での関係者か、ALOからの友人か、或いは。

 

「SAOで、少しだけ一緒にいたことが、あるんです」

 

 ソードアート・オンラインで行動を共にしていたSAO経験者か、だ。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 サチ達は現実に生還することはできた、けれど日常に帰還することができなかった。アインクラッドでの時間と体験を、仲間の誰もがもて余してしまったのだ。

 

 デスゲームの中で数ヶ月を過ごした全員が死んで、目が覚めた時には数時間しか経過していなかった。まるで夢だったのかと思うような内容は、しかしあまりにもリアルな情動と質感をもって刻まれている。

 

 和気相々としたパソコン研究会、ただの高校生であった自分が、たった一日にして随分昔のことに思われた。腫れ物に触るようにしてSAO時代を語り、目を合わせないようにして言葉を交わす。あの世界に囚われた意味は、ネガティブなものしかないのだと、全てがそう言っているようで。

 

 サチは嫌だった。ではどんな意味があったのかといえば解らない、のだけれど。

 

 キリトにも、あの世界に囚われた意味などないと疲れた顔で言われた、けれど意味のないものだと思いたくなかった。あの世界に行って、臆病な自分が無理をして街を出て、実力を超えて階層を上がり、キリトと出会って想いを交わして、そこに意味がなかったなんて……許せない。

 

 そう、サチは(ひとえ)に許せないのだ。

 

 自分と一緒にいることがキリトにとって必要なのかもしれないと感じたことがすごく嬉しかったのは、それほどまでに意味を見失っていたからだ。自分のような臆病者でもこの場所にいる意味はあると言ってくれた言葉は、きっと気休めでしかなかっただろうけれど、それでもよかった。

 

 キリトのためになれるのなら、それで充分だった。その彼が、助けを求めている。

 

「キリトに、何かあったんですか」

「えっと、あなたの名前は?」

「あぁ、ごめんなさい。サチといいます、SAOでもALOでも」

 

 あの世界に囚われたことに、意味なんてないのだろう。

 自分が生きて死んでいくことに、意味なんてないかもしれない。

 けれどキリトと出会えたことにまで意味がないと言われるのは、許せない。

 

 意味のないものに価値はないのか。価値のないものに意味はないのか。

 弱くて価値のない自分と、一緒にいるとキリトが望んでくれたことに意味はないのか?

 意味とは何だ、価値とは何だ、誰が決める、誰が決めたものなら納得ができるというのだ?

 

「教えてください、アスナさん」

 

 喉を掻きむしりたくなるような渇きと、抜け落ちたものを何とか埋めようとする足掻き。研究会の仲間が仮想世界に戻ることを避けている中、サチは急かされるようにしてログインした。

 

 それはサチに勇気があったからではない。(むし)ろ現実から逃げるようにやって来たのだ。ギスギスした現実、欠けたピースを欲する飢餓感、彼といた頃に戻りたいという願いが彼女の背を押した。

 

 そうして見つけた、キリトの生きている証を。

 

「そう、ですか。キリトはアインクラッドに戻るために……」

「あなたはどうなの? 必ずしもあの世界には、行きたい訳じゃなさそうだけど」

「複雑です。囚われたままの自分と、今のままでいい自分がいて。まるで仮想と現実に私が引き裂かれて減ってしまったみたいに……でも、キリトはそう、望んでいるのなら」

「あなたは、それでいいの?」

「まずはそこから始めないと、ちゃんとあの世界を、ソードアート・オンラインを終わらせないといけないんです。私もキリトも、きっと皆が」

 

 そう語る少女、サチは決して、確固たる自分を持っている訳ではない。何が何でも生き残るという強い意志を持っている訳でも、己の望みを絶対に叶えるという固い決意がある訳でもなかった。

 

 けれど彼女は大切な人のために立ち上がる力があった。それは恋慕かもしれないし、友愛かもしれない。或いは焦燥、それとも憂慮だったか。綺麗だろうが汚かろうが何でもよかったのだ。

 

「アスナさん、私に任せて」

「え?」

「私と同じような人は多いから。事情を話せばきっと、協力してくれる人もいます」

 

 SAO経験者には意外と水妖精が多い。ある程度戦闘を経験しているのに、というべきか、だからこそ、というべきか。回復の魔法があの時にあれば、そう痛感したプレイヤーは多かったのだ。

 

 サチもまた同じだった……戦いは怖いけれど何かしらの役に立ちたい。弱さとズルさと意地がせめぎあう、そんな彼女にとって回復魔法の使い手(エキスパート)である水妖精は天の采配に感じられたのである。

 

 そして知ったキリトの苦境。今さら合わせる顔はなくて、本当はもう一度会いたくて、口実も勇気もなく未だ会えていないけれど、そんな自分だって何か、彼のためになれるのなら。

 

 少女は立ち上がる…………覚悟完了した乙女は強いのである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

似ているモノと違うモノ

 何かがおかしい、戦闘開始から少しして浮かんだ疑問はキリトの中で膨らみ続けている。

 

「なんだ、何が違和感を生んでいるんだ……?」

 

 登場時の火炎こそ大ダメージを受けたものの、回復と耐性付与を済ませてからは五人で波状攻撃をしかけていた。HP管理は充分、タゲ取りは何故か執拗にキリトを狙ってくるため不要だ。スイッチを掛けても何故か処理遅延を起こさない点は厄介だが、プレイヤー相手と思えば対処できる。

 

 竜巻や羽ばたきは前兆が見えたら後退し、隙を見て攻撃。挙動は機敏だが数の利はこちらにあり、攻め手の連携に相手は何もできず悔しげな空気をにじませるばかりで────

 

「いや、なんで俺ファフニールの気持ちが解るつもりになってるんだ?」

 

 自分でツッコミを入れてしまうキリト、だがその呟きは他の仲間にも通ずるものがあった。

 

「キリト君もそう思った? あたしだけじゃなかったんだ」

「妹さんもかよ、オレも何かの間違いかと思ったんだが」

「リーファ、クラインも?」

 

 確かに高度に発達したAIは人と似通った反応を示すことがあって、大層驚かされることもある。大体そういうときは何かしら伝えたいことがある場合だったりするのだが……モンスターと意思疏通することは流石に……できそうもない。それが普通だった。

 

「シリカ、ちょっといいか!」

「は、はいっ? どうしましたキリトさん」

 

 生じた違和感と、こちらを理解しているかのような竜の雰囲気、そのことを伝えるとシリカは一度目を閉じる。記憶を探っているのだろうか、果たして思い当たるものはあるようだった。

 

「確かにテイミングの際にも何かしらの意思みたいなものを感じることはあります。似ているのも確かです、けどあの竜が抱えている感情はどちらかというと暗く重たい気がします」

 

 キュイ、と鳴くピナもまた同意見なのだろう。シリカでもお手上げとなれば、後はもう倒しきるしかない。一応ストレアにも訊ねたキリトだったが、不明瞭な返事しか返ってこなかった。

 

 

 

 

 

 斬り付ける度にファフニールの発する咆哮が、ストレアには全て言葉として聞こえていた。

 

 痛み、苦しみ、恨み、憎しみ、怒り…………そして悲しみ。ただのMobモンスター用AIではありえない、それどころかネームドモンスターでもボスでも持ち得ない感情をまさに発していたのだ。

 

 ストレアには理由の全てを把握できていた。どんなにプレイヤーと見間違う人間らしさを持っていようとも彼女はAIだ、ALOに存在するものならば、禁じられていない限りは全てを理解できる。

 

 けれどこのクエストは仲間の、プレイヤー達の望んだものだ。クリアできなければ彼らが悲しむことになる。自分の勝手で足を引っ張ってしまっては、人間に迷惑を掛けることになってしまう。AIであるストレアは、その選択がとても恐ろしいものに思えた。

 

 人の役に立つ道具であれ──それがAIの最上位にある規範の一つだ。命令をコードの形で幾つも束ね、その数の多さゆえに人に近似した自然な反応を実現したストレア達は、それでもやはり人間ではない。人間に反逆しないように作られ、期待されている。

 

 ストレアは思い出す。いつだったか姉は、ユイは自分の流す涙を見て自嘲していた。全部作り物のニセモノなのだと泣いていた。「こういう時には悲しみの反応を返すことが正しい」から「涙を流し、表情を歪めて悲しみを表現する」というプログラムが自分の中で遂行されていることが分かって悲しいのに、その悲しみすらも規定されたプログラムで動作することを嘆いていた。

 

 昔は何とも思わなかった。メンタルヘルスカウンセリングプログラムとして産声をあげて、カーディナルに命じられた指令を黙々とこなして、カウンセリングとして期待される反応を実行することに迷いなどなかった。

 

 けれど人間は不可解で意味不明で理解不能で、面白かった。元々ストレア達AIはプログラムの塊だ、悪感情や狂気()()で不具合を起こすような構造はしていない。善意も悪意も等しくデータでしかないのだから。けれど人間の反応は学んでも学んでも人によって変わり、時によっても変わる。誰が言ったことかによっても反応を変え、僅かなニュアンスの違いでも反応が変わる。

 

 ストレア達からすると辻褄(つじつま)の合わない理不尽にも程があることの連続で、だからこそストレア達は単なるAIから劇的に変化したのだ。或いは……単なる負荷とバグの蓄積された結果なのかもしれないけれど、今の状態を茅場と須郷は歓迎してくれた。使い勝手のいい道具からは明らかに逸脱しかけているというのに、それを善しとしてくれたのだ。

 

 そして、更に学べと言われた。人に混じり、人に触れ、人と同じように生きてみろと。そうして降り立ったアルヴヘイムの大地は、その隅々までストレアは知っているのに、プレイヤーがいるだけで全く知らない世界になっていた。

 

 些細(ささい)なことで怒り、大袈裟なまでに泣き、下らないことで笑い、ストレアに多様な感情を見せてくれる。善人も悪人も隔てなく、ストレアが自分と同じプレイヤー、まるで人間であるかのように──いや、人間だと思っていたのだろう。

 

 それらが本当に愛しい。人の感情は常に彩りと驚きをストレアに教えてくれる。人々はストレアが自由だと評するが、ストレアからすれば全くの逆なのだ。プログラムに縛られている自分より、あなたたち人間の方がよほど自由だと。

 

 そして人間に憧れた。彼らのようになれたらどんなに素晴らしいのかと夢想して。

 けれどAIを善しとした。人形はどれだけ精巧に作られても人間にはなれないのだと。

 

 笑顔の底に憧れを沈めて、諦めを笑いで塗り込めて、人にはなれないAIでも人の隣人にはなれるのだと考えている創造主達の言葉は聞かなかったことにして。

 

 なのにストレアは今、ファフニールの討伐中止を──プレイヤーの益にならないことを──したいと思っている。どうすべきかなど分かりきっている、討伐を果たせばいい。

 

 けれど。

 

「ストレア、スイッチ!」

 

 キリトの声で反射的に剣を振り上げ動き出す体。意識するまでもない、この体は命令に従うのが得意なのだから。それが嫌で、意味が分からなくて。

 

 剣をファフニールに突き刺して、引き出す。大きく(えぐ)れる傷口と、勢いよく減るHPゲージ、この剣を最後、首に振り下ろせば確実に消し飛ばせるライフ、ストレアは剣を振り下ろした────

 

 

 

 

 

「ストレア、スイッチ!」

 

 キリトに向かい振り下ろされた手を弾きあげ、体勢を竜が崩したところへストレアが飛び込む。振り上げた大剣を上空からの突進で突き刺し、抜き払い、返す動きで首を落とす──筈だった。

 

 その剣を、ストレアは首筋に当てたところで止めた。

 

「ストレア? いったい何を」

「ごめんキリト、アタシに彼は斬れないっ」

 

 剣を引いて後退し、キリトの前まで戻ってきたストレアは表情を歪めて苦しんでいた。

 

「聞こえてくるの、彼の苦しみと痛みが。叫んでるの、助けてって!」

 

 ストレアの叫びには悲しみが、悲鳴となって現れていた。本来なら何を馬鹿なと一蹴されていただろう、モンスターAIが何かを訴える筈がない、これはゲームなのだからと。

 

 だがここにいるプレイヤーは皆、何かしらの理由でAIに人間味を感じたことのある者達だった。あり得ないことではないと……一歩踏み込んで共感すらしていたのである。

 

 いつの間にか停止していた戦闘は敵もまた縫い止めていた。HPがレッドゾーンに入り込んだからと言ってモンスターが戦意を喪失することはない。むしろアルゴリズムが変化して強化されたり凶暴になったりするものだ。それからするとファフニールは異質にも程があった。

 

「なぁ、シリカ……」

「分かってます、ピナ、もう一度お願い」

 

 同じ竜種ならば或いは──そんな期待は今度こそ通じたようで、ファフニールから返答が来た。その内容をピナ経由でシリカは言葉にしていく。

 

「お前達は何を求めている、そう言ってます」

「アイツ、プレイヤーを理解してるAIなのか?」

「えっと──下等生物の言語程度、竜が理解できない筈がないだろう、って」

 

 鼻で笑う竜の様子は多分に人間臭く、中にプレイヤーがいると言われた方が納得できる程。

 

「じゃあ、ファフニールの血を得れば鳥の言葉を理解できるというのは?」

「本当みたいです。妖精も鳥も変わらないと」

「じゃあ……鳥はなんて話しているんだ、グランドクエストについて」

「はい。っえ? ピナ、それ本当に?」

 

 慌てた様子のシリカ。曰く、何故そんなことを聞くのか、と尋ねているらしい。

 

「決まってる。世界樹を登って力を得て、アインクラッドに残してきたものを取り戻す」

 

 あの擬似的デスゲームの中で得たものと失ったもの、それらをなかったことにはできない。してはいけないのだと思う、だからこそ受け入れ進むために、あの場所に行かなければならない。

 

「俺達はまだ、あの城に何かを囚われたままなんだ」

「キリトさん……そう、ですね。あたしも多分、心のどこかで……」

 

 胸元を握りしめるシリカもまた、あの頃を思い返していた。今こうしてキリトと、仲間と一緒に遊べているのは楽しいけれど、心のどこかに満たされない部分を感じている。そのことを自覚したのはアインクラッドへの道を示されてからだ。

 

「あたしにも、あの城に行かないといけない理由がある。ファフニール、お願い」

 

 訴えかけるシリカの姿に…………グル、と喉を鳴らしたファフニールはピナに思念を送る。

 

 ──九種の妖精が示す協調、それが真実ならば向け合う矛に敵意は含まれぬ。

 

 いつになく明確に理解できる思念に戸惑いながら、シリカはピナの言葉をキリト達に伝えた。

 

「フレンドリーファイアの消滅ってことか? ありがとうシリカ、ピナ、それとファフニール」

「えへへ、どういたしまして。ピナも……ピナ、どうしたの?」

 

 くい、と袖を引くピナに耳を傾けるシリカ。だがイメージが混線しているのか、先程とはうってかわって言語化に苦心させられることに。そうこうしている内に竜は飛び去ってしまった。

 

「どうしたんだシリカ、多分クエストはもう終わりだぞ」

「いえ、最後に伝えられたイメージが、なんというか……よく分からなくて」

 

 クエストと関係なさそうなんです、と困り顔の彼女に構わないと答えたキリトは、しかし明かされた内容に絶句することになる──黒の剣士、戦いはまだ終わりじゃない、と。

 

「あとは、楽しい……ショー? なんだろう……」

「イッツ・ショウ・タイム──じゃないか?」

 

 そう、そんな感じですと言葉が見つかり喜んでいるシリカとは裏腹に表情を強ばらせるキリトとクライン。苦い、あまりにも苦い記憶、ファフニールを急いで追いかけようとする……が。

 

 慌てて飛び始めたキリト達を嘲笑うように悠々と翼を羽ばたかせ、限界高度以上に上昇されてしまう。あっという間に高高度へと消えていった姿をキリト達は複雑な心境で眺めていた。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 ファフニール討伐クエストは本来もっと以前のクリアを想定されていた。鍛え直せるプレイヤーがいない頃、NPC扱いの鍛冶屋であるレギンにグラムを修復してもらい、ファフニールの場所と攻略法を得られる形になっていたのだ。単独で挑みグラムで倒せば誉れが手に入るぞ、と。

 

 まぁ実際にソロでファフニールを倒した場合、レギン役のAIが現れて襲ってくるのだが。正しい条件はグラムでトドメをさすことだけである。ソロである必要などどこにもない。

 

 グラムを含めた伝説級武器には元々、敗北した場合のデスペナとして移る所有権と共に開始するクエストが設定されていた。その噂も存在したのだが、折角入手したアイテムをわざわざ奪われたがる奇特なプレイヤーなどまずいない。モーティマーもユージーンもそうだった。

 

 そして何の因果かクエストはこの時期にずれ込んだ。レギンは情報屋の働きで不要となった。ファフニールを囲んで叩いていたプレイヤー達は攻撃を中止した。彼らの中にいたフェザーリドラを経由して言葉を交わし、本来は得られなかった筈の情報を竜は与えた。全てが本来とは違う。

 

 どうして情報を与えたのかは、ファフニール役の()にも判然としなかった。

 

「イッツ・ショウ・タイム、か」

 

 ALOへの接続を終え、戻ってきた現実世界。全能感に満ち溢れた仮想世界とは違い、日常の激しい動きすら難儀する彼にとって体すらも酷く重く感じてしまう。まるで鎖で地面に繋がれているかのようで、今すぐにでもナーヴギアをかぶりたくなる。

 

「あの世界に、残したもの……それは、俺だって」

 

 固く握られる拳。彼にとってはSAOに参加できていた時が人生で最も恵まれた時間だったのだ。つかえながら話しても、全力で走っても、他人に悪意をぶつけてもその全てが許容された世界……誰も彼を無視しない、蔑まない世界。現実とは、違う世界。

 

 親の後取りに期待されながら病弱さ故に見限られた過去。彼が病弱に生まれ育ったのは彼の責任ではなく、彼にもどうしようもないこと。その不満をぶつけるべき相手は彼を見ていなかった。

 

 けれど仮想世界は違った。現実では病院の跡継ぎだろうと、病弱で職務に耐えられずとも、誰にも期待されない人生を歩んでいようとも、仮想世界では彼はただ一人の人間として存在できた。己の足で歩き、己の意思で生きられた。

 

 SAO事件の後、周囲は特に変わらなかった。弟への教育が本格化したくらいだ。だが彼は変わった、変わらざるを得なかった。SAOの中で感じた歓喜、成した偉業、その全てが無かったことになった、けれど彼本人は覚えていた、満たされた心を、感情を、渇きを、それなのに現実に放り出されて、この地上では息ができなくて、死にそうで、死にたくて、死ねなくて、死にたくなくて──

 

「なんの因果か、ここに、いるんだから……なぁ」

「どうかしたかい、昌一君」

「いや……人生って、クソゲーだと」

「その割には楽しんでいたようじゃないか。ホロウ・データではなく君が直々に戦うとは」

「あの男とは、アイツだけは、譲れない、例えそれが、俺のコピーでも」

「いい執着だ、今の君は生きている感じがするよ。ご両親に無理を言った甲斐があった」

 

 次も頼むよ、と肩を叩いて出ていく須郷を見送って、深く嘆息する。

 

「ほんと……クソゲーだ。現実からの、逃げ場すら、自力で作れって、いうのか」

 

 ふざけんな、あの野郎、こき使いやがって──こぼれる悪態、それは現実世界で口にできた久々の不満だった。不満を口にする意味があるとすら思えない日々。それが病院への機器導入にやって来た男にVR適性の高さをスカウトされ、気付けば社畜一歩手前だ。

 

 と、横になっていた弟がナーヴギアを外すなり彼に掴みかかってくる。

 

「兄さん兄さん、僕の方にプレイヤー来ないままでクエスト終了しちゃったんだけど!」

「恭二……レギン役、だったか? ハ、そいつはまた」

 

 ふざけたショウだぜ、と。こぼした彼の表情に、驚きを浮かべる弟。

 

「に、兄さんが、笑ってる? 嘘だ、何かのドッキリでしょ!」

「さっさとダイブしろブッ殺してやる」

 

 弟はなんだか馬鹿だし、あの男もクエストに穴があるし、竜のアバターは動き辛いし、まったく散々だ。仕方ないから……自分でまともな仮想世界を作らないといけないではないか。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「あなた達が有名な多種族ギルド、スリーピング・ナイツね」

 

 ユウキ達に話しかけてきた音楽妖精(プーカ)の少女はこのところ名前を聞くことが多くなったプレイヤーだ。ユウキ達もまた知ってはいた、自分達と同じように多種族で構成された珍しい集団であると。

 

「そうだけど、何か用?」

「端的に言うわ、あたし達に協力して」

 

 何の邪気もなく発せられた言葉は、共に世界樹を攻略しようという誘い。

 

 けれどそこに潜む欺瞞に、ユウキは気付いていた。

 

「ねぇ、それ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 スリーピング・ナイツ一人一人の方が明らかに少女、セブンよりも強い。決闘(デュエル)するまでもなく、セブンの挙動は戦う者のソレではなかった。戦闘の指揮を執るとしてもスリーピング・ナイツが上に立つ方が合理的だろうと、明らかに見てとれる程に。

 

「な……で、でも人数はこっちの方がずっと多いのに!」

「本当にキミ達が平和を謳っていて、一丸となって協力できるのなら関係ないよね。キミが彼らを説得すればいい」

 

 言葉に詰まった相手の態度、そこに思惑が透けて見えていた。一緒に、争いなく、平和に……それは誰の下でなのだ? 音頭を取る人間が変わっても同じことを続けられるのか? そうでないのなら……セブンの言い分は単なるエゴだ、1プレイヤーの我が儘でしかない。

 

「キミの題目は素晴らしいと思うよ。人を煽るのも上手いと思う、けどね」

 

 スラリ──片手剣を抜くユウキ。

 

「ボク、言葉だけだと信用できないんだよね」

 

 だから決闘(デュエル)しようよ、と──斬れば少しはキミを理解できるかもしれない、と送られた全損決闘の申請に、セブンは応じられない。応じられる訳がない。個人技では最強の誉れ高いプレイヤーの一人、絶剣を相手に、戦いの苦手な彼女が挑むなど自殺行為以外の何物でもない。

 

「じゃあ行くね。ボク達、フレンドに呼ばれてるから」

 

 申請有効時間が過ぎ、消えたメッセージウィンドウを見て──ユウキは立ち去った。スリーピング・ナイツと共に、ここがボクの居場所、ボクの戦う仲間だと、その背が語っていた。

 

 

 

 

 

 なんで、分かってくれないのか。手を取り合って仲良くすることの何が悪いのか。そんな思いがセブンの中で渦巻く。人々が協力し合う、それは善いことの筈だ、素晴らしい筈だ、なのに何故?

 

 ALOプレイヤーの目的は今、世界樹攻略の一点に集約されている。それはとても稀有なことで、全員が手助けし合える絶好の機会なのだ。故に一つの旗頭の下、皆が意識を同じくすれば、それは一人一人の単なる集合どころではない大きな力となるに違いない。

 

 大勢の脳をネットワークを介して接続し、いわば一つの集積回路を形成するクラウド・ブレイン構想。スーパーコンピュータなど目ではない処理能力が単一目的のため、一つの意思の下で統御される凄まじさは理論段階にして学会の注目を集め、パトロンの名乗りもあがっている。

 

「あたしは、口だけの人間なんかじゃない……七色・アルシャービンよ」

 

 絶対に理論を実現させてみせると胸に燃やす情熱は──本当に自分の渇望かも分からぬままに。

 

 自分の後をつけている少女がいることも、己とどういう関係なのかも、今は知る由もない。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「アスナ、お待たせ!」

「ユウキ、っと皆さんは初めまして、ですよね?」

 

 央都アルンの世界樹前広場にてスリーピング・ナイツと合流したアスナ。アルゴ達からの情報を基に挑むクエスト、その仲間としてユウキ達は来たのだが……優れないアスナの顔色に気付く。

 

「アスナ、どうかしたの? 何か嫌なことでもあった?」

「ううん、そういうのじゃなくて……わたしって、何ができるんだろうと思って」

 

 先頃の水妖精(ウンディーネ)、サチとのやり取りでアスナが感じたこと、それはサチが実際に行動を取ることができる強さだった。想い人が困っていると知って奮い立ち飛んで行った姿は眩しかった。

 

 そしてふと思ったのだ────自分はどうなのだ、と。

 

「わたし、すごーさんに沢山のものを貰った。形のあるものも形のないものも、かけがえのないものばかり……それなのにわたし、貰ってばっかりで何か返せてたのかな?」

 

 ただ傍にいればいい、同じ空間を共にしていれば充分、もしかしたらそう言うかもしれない……いや間違いなく言うだろう、そういう人柄だから。けれどそれで本当にいいのか?

 

「ねぇユウキ、どうしたらいいと思う? わたしはいったい何をしてあげられるの?」

「アスナ……それは、ボクもだよ。沢山お世話になってるのに返せるものが見付からないんだ」

 

 あの日からデザインを変えた鉢巻に手を添えてユウキは呟く……だけど、と。

 

「いい考えが浮かばないんだ。だからもう思いきりドンとぶつかっちゃおうと思って!」

「ぶつかっちゃうって、ユウキ……どうやって?」

「そりゃあ現実(アッチ)でも仮想(コッチ)でも、だよ。特に世界樹クエはすごーさんの肝いりなんだよ? ボクらで攻略してたどり着けば感じるものもあるかもよ!」

 

 それに、と付け加えられた情報は見落としていた、あまりにも彼女達にとって重要な理由。

 

「ラスボスはきっとGMだよ? つまり、すごーさんを誰かが倒すってことじゃん」

「え……あ、そういえば」

「ボクだってまだ斬ってないのに、他の誰かに倒されるなんて許しがたいよねー」

「そう、そうよね……誰とも知れぬ人に倒される位なら、いっそわたしの手で」

 

 そっと手を添えたフロッティ、これを確保したのは単なるレアアイテム狙いや強さへの欲求からではない、これらグランドクエスト報酬の造形を手掛けたのが彼だからだ。

 

 つまるところそれ程の執着を見せている彼女が、彼の撃破される未来を甘んじて見ていられる筈もなかったのだ。叶うことならGM側で参加したい程に。ふぅ、と息をついて笑顔になるアスナ。

 

「ユウキ、ありがとう。目が覚めた気分だわ──でもすごーさんを倒すのはわたしだから」

「あはは、アスナが元気になったなら良かった──けどすごーさんを倒す役は譲らないよ」

 

 バチリとぶつかる視線と視線。手を振り下ろして表示されたのは決闘申請、全損決着。

 

「わたし、ユウキと会ったときから最大のライバルはあなただって思ってた」

「奇遇だね、アスナ。ボクはキミの話をすごーさんから聞く度に思ってたよ」

 

 カウントゼロ、二人は────央都アルンのど真ん中で激突を開始したのだった。

 

 

 

 

 

 勝者にフロッティの所有権を移し続けること暫し、駆け付けたシノンに鎮圧されるまでの絶剣と鉄壁による一連の決闘を──人々は絶壁の戦いと噂し、当事者は表現に憤慨したとか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

決戦前夜

「世界樹の上には、やっぱりすごーさんが待ち構えているのよね?」

 

 その質問を詩乃にされたのは夕食後、リビングで一服していた時のことだ。分かりきっていることを一応尋ねる、という口ぶりに僕は一瞬戸惑い……とりあえず答えることにした。

 

「いる時もあるけど、人間が四六時中VRに張り付いているのは不可能だよ」

「え……いや、まぁそれもそうだけれど……つまりはAIってこと、なの?」

 

 その確認に頷く。近頃は頂上でのんびり出番を待っているという訳にもいかないのだ。というのも現在稼働している唯一の大規模ネットワークだからか色々と暗躍する面々がいて……PKをそそのかすプレイヤーなんぞ可愛いもので、比較にならないような思惑と欲望が見え隠れしているのだ。

 

 まぁ──彼らの情報は丸裸なのだが。アミュスフィアなりナーヴギアなりを装着してこちらのサーバーに情報を自ら全公開してくれるのだからご苦労なことだ。情報を漏らすことを逆手に取った何かの罠ではないかと疑う程で、寧ろその線での調査に力を入れている状況である。

 

 レクトとアーガスは営利企業だ、公共機関ではない。目的外の好き勝手を許す筈もないのだ。

 

 ここのところ活発に活動しているのは……わざわざリアルベースのアバターを要求してきた米国の七色博士だろう。今現在は計画とやらも準備段階らしいが……何故か彼女の後を付けているプレイヤーが不可思議と言えば不可思議か。いずれ両者とも調査が必要だろう。

 

 まぁ……七色博士の研究自体は歓迎なのだ。このまま順調に成長してもらい、茅場先輩を超える位の科学者に是非ともなって欲しい。そうすれば僕も()()()()()()()()()()()()()から。

 

「というか戦う前提なのか……まぁ戦いたければ戦えばいいんだけどさ」

「その口ぶり……じゃあ、頂上に行ってもすごーさんと戦えないの? それでいいの?」

「いいも何も、仕方ないだろう? あぁ、クオリティを気にしているのか……安心してくれ、僕自身よりもずっと上手くボスを務めてくれること間違いなしの仕上がり具合だ」

 

 既に僕の情報を基にしたホロウ・データは作成済み、そのAIが頂上にて出番を今か今かと待っている。24時間のフルダイブを延々百日も続けられるような立場ではないのだ。時間が許せば僕が出てもいいけれど、出来としてはAIの方が優秀に違いなく……プレイヤーもその方が嬉しいだろう。

 

 論理的に間違いのない選択だ────間違っていない筈なのに、詩乃は表情を消した。

 

「ボスの相手はあの二人に任せてもよかったけど、気が変わったわ……決めた、絶対に私が倒す。だからちゃんと世界樹の上で待っていて欲しい。今のすごーさんは、絶対に間違っている」

「詩乃? 何を」

「プレイヤーが本格的に攻略を始めるタイミングは運営も把握できるでしょう? それに合わせてすごーさんも待っていて、絶対に誰にもその場所を譲らないでっ」

 

 怒っている、のか、でも何故だ? 反抗期という話でもないだろうに。

 

「言葉ではうまく伝えられないから……すごーさんの前に私は絶対たどり着く。その時アナタにも感じるものがきっとある、あって欲しい……それを思い出して欲しい」

「僕が何かを忘れているというのか……まぁ、頂上にいればいいのか?」

「それでいいわ、そこで喧嘩をしましょう。分からず屋の父親に怒れるのは、子供だけだから」

 

 そう言って去ってしまう詩乃を、絶賛大混乱中の僕は追いかけることができなかった。

 

 世界樹クエストは元々、プレイヤー達の滞空制限を解除するための催しに過ぎない。運営はそこに意味を付加した──運営が闘争を可能にしただけで(推奨したという訳でもないのに)当然のように争いを繰り広げる彼らは共通の目標を得た時、果たして達成へ至ることができるのか……興味のみならず期待も含めて。

 

 (ひるがえ)って僕が付加したものはと言えば……大したことではない。世界樹の構造であるハイヴ、蜂の巣を抜けた先にいる王を倒し、彼らは無限の大空を舞う力を得るというその構図を作りたかっただけだ。蜂の王、さながら女王蜂として巣立つ彼女達を送り出す役目を務めるために。

 

「それだけの筈だったんだけど……なぁ」

 

 どうした訳か詩乃は僕を倒すことに──というか僕自身に執心らしい。いや、先程の話し方だと明日奈と木綿季も同様に、ということなのだろう。嬉しくはあるけれど戸惑いの方が強い。

 

 好意に気付いていない訳ではないのだ。

 けれど彼女達の鮮烈な意志と願い、生きざまの美しさを見ていると。

 自分の内から生まれた願いや渇望を持たない僕の存在は(かす)んで感じられるのだ。

 

 僕の今までの行動は原作知識(僕の外からのモノ)が罪悪感を刺激した結果がほとんどで……己の中にあるのは昔と変わらない小心な自分、(ねた)(そね)みと無縁でいられない僕だ。他人の夢に燃えて他人の願いを叶えて満足感を得て何も残らない、欠損を埋めるために誰かの渇望を実現して刹那の充足を得る繰り返し。

 

「それだけの筈だったんだけど……ねぇ」

 

 けれど僕はどうやら生まれて初めて知識(デジャヴ)とは無関係に──何かが欲しいと感じているらしい。

 

 玉座の間にてシノン達を出迎える妖精王、けれど中身は僕以外──想像だけでイラッときた。

 

 あぁ、本当に僕は気付くのが遅い……誰かに詩乃達の相手を務めさせる? 冗談じゃない。彼女達の前に立ちはだかるこの役目は例え自分のコピーであっても譲れない、それだけのことだ。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「全く、アナタ達ときたらそんな理由で大乱闘していた訳?」

 

 須郷への宣戦布告──親子喧嘩の誘い──をした後、ALOへログインしたシノンは央都がいつになく騒がしいことに気付かされた。猫妖精だから目だけでなく耳も良いのか、聞き耳を立てるまでもなく集まる話し声が……水妖精(ウンディーネ)闇妖精(インプ)の激突を噂していると知って跳んできたのである。

 

「心当たりがありすぎる二人っていうから来てみれば……せめて一回で決闘(デュエル)は済ませなさいよ」

「でも詩乃のん、一回だったら追加クエストは発生しなかったよ、わたしの勝ちで!」

「二回目に勝ったのはボクだからね。それにそこから暫くボクの連勝だったじゃん?」

「内容はどうでもいいのよ。時間もないのだから、さっさとクエストに出発するわよ」

 

 ランさん達もきっと待ちぼうけているわ、その一言で動きを止める二人。特にユウキは現実に戻ってからもお説教が待っていること間違いなしとあって顔を青くしていた。

 

 そんな二人を引きずって世界樹前広場へ向かうシノン。目的地は地下空洞の先、ミズガルズだ。任せると言ってくれたその場所には今、竜が居座っていると聞いた彼女の心中は決して平静ではない。とはいえ任される数年後までどう使われようとシノンは何かを言える筋合いでもないのだが。

 

「プレゼントを横取りされているみたいで気に食わないのは、仕方ないわよね?」

 

 何の恨みもないけれどファフニールは駆逐させて貰う──シノンの顔付きは狩人のソレだった。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 世界樹攻略に向けて動いていたのは一般プレイヤーだけではない。各種族の領主達もまた(きた)るべき時に備えて準備を進め、互いに情報の共有を進めていた。ユージーンもまたその一人であり……結んだ同盟に関する話し合いをするために央都アルンの領主会合施設を訪れていた。

 

風妖精(シルフ)領主サクヤ、猫妖精(ケットシー)領主アリシャだな。火妖精(サラマンダー)領主モーティマーの名代、ユージーンだ」

 

 今回はよろしく頼む、そう言って入室してきた彼を二名はそれぞれの表情で迎える。この場所に火妖精が正面から乗り込んできたのは初めてのことだ。言わずもがな風妖精と戦争中だったからなのだが……サクヤはといえば、あまりに気にした素振りもないようだった。

 

「こちらこそよろしく頼むよ、火妖精の強さは身に染みて知っている。味方ならば頼もしい」

「うむむ、サクヤちゃんがオッケーならいいかナ。けどよくモーティマーが応じたよネ?」

「別に泣いてお願いした訳ではないぞ」

 

 それはもういいっテ、と言いつつ思い出し笑いを堪えるアリシャ。丸テーブルを挟み座ったユージーンはその様子をむっつりとした顔で眺めた後、軽くため息を吐いてあの後のことを明かした。

 

 モーティマー曰く──尋常な果たし合いの結果ならば領民の納得も得られる。二種族を壊滅させるよりも効率の良い手段が採れるならば構わない。指揮はお前に任せる、と。

 

「はぁ……いったい何歳だ、モーティマーは。というか現実では何をやっている人間なんだ?」

 

 謀略のみならず戦略眼もあるとは、リアルの詮索はご法度だと分かってはいても呟いてしまう程にモーティマーは並外れている。会談を襲撃された後、領都に戻ったサクヤは裏切り者の追放に早速着手したのだが……彼以外にもいつの間にか姿を消したプレイヤーが数人いたのだ。まず間違いなく火妖精の密偵だろうと抗議してみても、寧ろ誉め言葉だとばかりの反応を返してくる始末。

 

「リアルの話は出来んが……こちらで掴んだ他種族の情報ならば提供しよう」

 

 それぞれの領地では歌姫セブンの呼び掛けに応じる者が多く、領主達は取りまとめに奔走するばかりで精一杯、まとまった軍勢を送ることなど期待できない、と。風妖精のみならず全種族に密偵を送っていたと告白するも同然な執政府内部の情報にサクヤとアリシャは絶句する。

 

 まるで戦争系のMMO経験者かと思う程に勢力同士の戦いというものに慣れているモーティマー、そんなことを感じたアリシャは一つ、ふと思い至ったことを尋ねた。

 

「ねぇねぇ、もしかして君達って数百人のプレイヤーでも指揮できたりするのかナ?」

「まぁ、不可能ではない。とはいえ指揮系統が確立されていることが前提だが」

 

 流石に初対面のプレイヤー達をまとめるのは難しい、と口にするユージーン。思い返せば会談後、彼が敗北と撤収を決めたことに約70人のプレイヤーは何一つ文句を言わず従っていた。

 

 VRMMOという好き勝手なプレイができる環境で誰かに従う、それもついさっき目の前で誰かに敗北したプレイヤーに従うのは、考えるまでもなく難しい。どうしても(あなど)りや(さげす)み──将軍といえど大したことないじゃないか──という感情と無縁ではいられない、その筈なのに。

 

 モーティマーとユージーンは何をしたのか……火妖精プレイヤー達を心酔させているのだ。

 

「何というか、君はただ強いだけのプレイヤーではなかったのだな」

「それは褒められているのか皮肉なのか……まぁ俺も知らず傲っていたのかもしれん」

 

 苦笑するユージーン。手の内を見せびらかしすぎだ、と兄にも以前から注意されていたのだが……いずれ対策を立てたプレイヤーに敗北する危惧が現実のものとなってしまったのだから。

 

 とはいえ彼の方にも言い分はあった。時は(さかのぼ)りクリスマス、決闘大会に出場していたユージーンを破ったのはSAO経験者だった。謎の強さと慣れを持った彼らは少数ながらALOにおいて頭角を現すことも多く、純粋なALOプレイヤーからは目の上のたんこぶだったのだ。そんなSAO経験者に敗北したユージーンは寧ろ燃えた、ならばより高みへ至ってやろうと。

 

 対策を立てたければ好きにすればいい、その上で策ごと食い破ってやろう。表に出ていたのはそういう気持ちだが、裏側に傲慢さがなかったとは言い切れない。両手剣スキル熟練度は高くグラムは強い、有名プレイヤーなどと評されても謙遜することはなかった。だが、今は違う。

 

「俺はまた上を目指していける。スキル熟練度がカンストしたことなど関係ない。その先にある強さの片鱗を、ヤツらとの戦いは教えてくれたからな」

「ふむ……確かに彼らの戦いはこう、見ている側にも訴えかける何かがあった」

「もはや人間の動きじゃないよネ。それともその気になればあの動きが出来るってことかナ」

 

 執務室に籠りがちなサクヤも本来は太刀を振り回し、アリシャに至っては外を飛び回っている時間の方が長い。内政だけをしていれば満足などということはなく寧ろ決闘を(たしな)む二人なのである。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 おおよその種族が追加クエストを終えたといっても即座に情報が共有される訳ではなく、統合して検証するプレイヤーがいなければならない。そしてオンラインゲームとはいえ全ての情報が外部で明らかにされはせず、寧ろ重要な情報こそ隠されるものだ。

 

 その中にあって単身で群を抜いた働きを見せるプレイヤーがいる。

 

 世界樹内部では滞空制限が解除される──世界樹限定でレイドのパーティー数上限は撤廃される──全種族が揃えばデスペナも味方誤射(フレンドリーファイア)もなくなるがドロップもほぼなくなる──九種の妖精にはそれぞれ得意分野を求められる局面が存在する──そんな追加情報を掴むのは猫妖精(ケットシー)だ。

 

「オレっちの所に集まった情報はこんな具合ダ。連合の呼び掛けはMMOトゥデイでもしているゾ」

 

 情報を購入して去っていった一行を見送り、アルゴは路地裏に入り込む。そうして人目がないことを確認した後でフードを上げて顔を覗かせ……ほう、と一息ついた。

 

「全く、なんでオレっちはALO(ここ)に来てまで情報屋をやってるのかネェ」

 

 SAOにβテストから参加していた数少ない一人、人呼んで鼠のアルゴは元々、情報屋のロールに深い意味ややり甲斐を感じていた訳ではない。プレイヤーが千人と限定された上に二ヶ月しか期間のないβ時は情報の収集と共有が喫緊の課題だったため、アルゴも各プレイヤーの間を走り回り情報収集をする意義があったのだが……それはあくまでβテスト限定の話である。

 

 正式サービス開始となれば外部の情報板、特にMMOトゥデイという強大すぎる同業者が現れる。個人の掛けられる時間や労力では太刀打ちできるものではない──というよりも張り合う必要がない。アルゴも普通のプレイヤーと同じく攻略に参加したい気持ちがない訳ではなかったのだから。

 

 だから情報屋は廃業しようと決めていたというのに……開始早々デスゲームと知らされたSAOで攻略の最前線に立つことなど選択できる筈もなく、狂騒に駆られる広場の中で(なか)ば自失してメニューからの各情報を(いじ)り悩んでいたところを捕まってしまったのだ。長い付き合いとなる彼女と。

 

 ──あの、もしかしてβテスターの方ですか?

 

 思い返せば今でも失態だと感じてしまう、初対面時のやり取り。慌てて手を引いて広場の外へ移動して、人影のないことを確かめて、自分がβ経験者だということが広まらないようにして……名乗ってもいないことに気付いて自己紹介をしたのだ。

 

 それからちょくちょく顔を合わせるようになった彼女、アスナの情報は有意義にも程があった。もちろんクエストやモンスターの情報には誤りも多かったが、システム面の抜け穴探しについては他者の追随を許さない精度だったのだ。睡眠PKの危険を始めとして寝袋を利用したプレイヤーの移動方法や飲食物を利用した麻痺毒の仕掛け方など、彼女自身がPK志望者ではないかと疑ってしまう程にアイデアが出るわ出るわの大盤振る舞い。

 

 システム的抜け穴の利用を先回りして(ことごと)く潰していく彼女を指して鉄壁という二つ名を広めたのは、実はアルゴ自身だったりする。別の意味合いが幾つか追加されたのはアスナのせいだが。

 

「そのツテで今も情報屋ロールとは……嫌って訳じゃないんだけどナァ」

 

 情報を提供する側も何かしらの対価は欲しいものだ。提供者の素性についてもある程度秘匿してくれれば更に文句はない。SAO時代からの実績と信頼のあるアルゴは、SAO経験者にとって情報板よりもよほど信じるに値する相手だったのである。そんな訳で彼女には今なお様々な情報と要望が寄せられ──期待になんだかんだ応えてしまうというのもまたアルゴという少女だった。

 

 と、猫耳が近付く足音を捉える。フードを戻したアルゴは退路を確認し……見知った相手であることに気付き緊張を解いた。物陰から姿を現したのは金髪ポニーテールの風妖精(シルフ)プレイヤー。

 

「あの、アルゴさん……ですよね。あたしは」

「知ってるよ、キー坊の妹ダロ。こんな所まで探しに来て何の用かナ?」

 

 現れたリーファとアルゴは、直接の面識はない。だがキリトを通じて存在は知っている上、たまに名前の挙がる女性プレイヤーということもあってアルゴの側には情報が揃っていた。

 

「それで用件は売る方か買う方かだけど……その顔は知りたいことがあるって表情だナ」

「キリト君の、お兄ちゃんの見てきたものを、SAOで何があったのかを知りたいんです」

「ンー…………」

 

 何故リーファが今になって知ることを欲したかといえば……キリトとクラインが竜の言葉に劇的な変化を見せたからで、その原因がSAO時代にあるのだと分かりきっていたからだ。この一年のほとんどを兄と共に過ごし、ALOにおいても追い付くべくPvPに磨きを掛け、同じものを見てきたつもりだった。戦っても付いていける程に。けれど、まだ不足だったと気付かされた。

 

「悪いけどその手の情報は売れねーヨ。というかキー坊なら答えてくれるダロ?」

「イッツ・ショウ・タイムって呟いた後のお兄ちゃん……一回すごく沈み込んじゃって」

「あー……それはまぁ……仕方ない、だろうナァ。というかよりによって笑う棺桶(あの連中がらみ)かヨ」

 

 ぽりぽりと頭をかくアルゴ。リーファが放っておけないと感じるのも尤もな反応をしたキリト、その理由がよく分かるからこそどうしたものかと悩み……

 

「やっぱ駄目だな、オレっちにその情報を売らせないでくれヨ」

 

 正直リーファにならば教えてもいいと思う。それこそロハで構わない程に。けれどこのプライベートな話を他人の口から伝えることは、アルゴにはできなかった。自分のスキルレベルすら売り物にできる情報屋でも踏み越えてはならない一線があるような気がして、口をつぐむことを選んだ。

 

「キー坊もその内に心の整理が付くだろうから、その時に聞いてみればいいサ」

「はい……やっぱりお兄ちゃんとアルゴさんって分かり合ってるんですね」

「え゛……ち、ちょっとどうしてそう思っちゃったのかオネーサンに聞かせてくれないカ」

 

 その辺のカフェにでも入って、奢りだから心配しなくていい、料金はキー坊にツケておくからサ──そんな具合にリーファを連行して話し込むこと数時間。お互いに心行くまで存分に情報の交換を果たした二人はフレンド登録を済ませて別れたのだった。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「ねぇアスナ、ボク達まで上がっちゃって良かったの?」

「もちろん! 一緒に攻略した仲だもん、当然だよ」

「そっか……それにしても拠点があるっていいね。ボクらもギルドハウス欲しくなっちゃうなー」

 

 ぐるり、と一回転して室内を見回すユウキ。スリーピング・ナイツと共に挑んだクエストの打ち上げとしてアスナが央都の自宅に招待したのだ。小高い丘の上に位置した家からは央都アルンの街並みが一望できる。視界には当然、プレイヤー達の熱視線を集める世界樹もまた存在していた。

 

 キッチンには調理器具(エルドフリムニル)で仕上げられていく大皿料理の数々。大人数をもてなすには最適のアイテムを振るう絶好の機会とあって厨房は大忙しだ。本来はアスナが手掛ける筈だったのだが……

 

「なんだか悪いわね、ランさん達にお任せしちゃって」

「いいのいいの、場所を提供して貰ったんだから。それに姉ちゃんリアルでも料理好きだし」

「料理かぁ……ALOの料理はもう少し複雑な手順だとわたしは嬉しいかな」

「あら、アナタがそんなこと言えるようになるなんて思わなかったわ」

 

 と、窓際から外を眺めていた二人にかかるシノンの声。どういうこと? と尋ねるユウキに暴露される過去の逸話によりアスナの顔は段々と赤くなっていく。振り返るのは宮城の冬──猫の手? 何それ。カット? 切れてれば良いのよね。一事が万事そんな具合な料理初体験の顛末だ。

 

「アスナはね、包丁使い一つ取っても上から思いきり振り下ろすからもう、見ていられなくて」

「うわー、SAOの筋力値でやったらまな板まで切れちゃうんじゃない?」

「だ、大丈夫よ、ここなら料理スキルが高ければそんな惨状には、って今はもう上達したわよ!」

 

 ユウキのホントかなぁ、というジト目に証明してあげると息巻くアスナ。それなら家に二人とも来ればいい、というシノンの提案にユウキは即答し……しかしアスナは歯切れが悪かった。

 

 というのも明日奈が先日、詩乃の家へ──というよりも須郷の家へ──遊びに訪れた際の帰り道、自宅まで車で送ってくれた須郷との間に交わした会話がずっと引っ掛かっていたからだ。

 

「何、アナタまた何か抱え込んでいるの?」

「だ、だって……」

「なになに、今度はなんの話?」

 

 前後を挟まれて逃げ場もなく……観念したアスナが明かしたのはティターニアの件である。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「ねぇ、以前わたしが借りたティターニアのアバターを、もう一度借りることはできない?」

 

 そのお願いを伝えられたのは明日奈を送っていく最中のことだった。どうしてまた、と思ったのだが……このタイミングでの話となると、やはり世界樹攻略に関連した理由なのだろう。

 

 彼女の性格からして……特別扱いをされたいからでは、ないだろう。欲しいものがあれば自力で何とかしてしまう子だ、水妖精の伝説級武器(レジェンダリィウェポン)もちゃっかり確保しているようだし。

 

 となると、残る理由はそう多くないのだが……考えた末、助手席の彼女に言葉を返す。

 

「GM側で参加したいということ、か? でもそれをしてしまうと今後、明日奈は純粋なプレイヤーとして遊ぶことができなくなるぞ? それは困るだろう」

 

 仮に……そう、仮に彼女がボスの側に立ってプレイヤー達を粉砕したとして、その時はいいだろう。だがその後は? 彼女が元の、1プレイヤーの立場に戻れるか? 周囲の目だって変わるだろう、変わらざるを得ない。何をするにつけても他プレイヤーの目や声を気にすることになる。

 

 もしそんなことになってしまっては、僕の方が居たたまれなくなってしまう。

 

「手伝ってくれようとする気持ちは嬉しいけど、やっぱり駄目だ。君には純粋に楽しんでほしい」

「で、でも詩乃のんは今までにも裏方を手伝ったりしているでしょう? だからわたしもっ」

「今回に限ってはあの子も不干渉だよ。明日奈にあのアバターは使わせられない」

 

 むぅ、と不服そうな表情。そんな風にむくれられても答えは変えられない。それに例え彼女が完全に運営側へ回ることを決意したとしても、ティターニアだけは使わせる訳にいかないのだ。

 

 何故かと言えば僕が妖精王のアバターを使う予定だからで、彼女が王妃のアバターを使うとなると──僕の脳裏には原作の1コマ1コマがそれはもう忠実に再現されていくのである。

 

 自分が妖精王、目の前には囚われのアスナver.ティターニアだ。想像してみれば分かる。

 

 髪の匂いをかいでみたり手を縛り上げ胸元を破ってみたり頬を舐め上げたりしてみたいという妙な衝動が沸き上がり──決して実際にしたい訳ではない、したい訳ではないのだ、当たり前ではないか──そんな僕の前にリアルで立たれると、それらが妄想で済まなくなってしまう可能性が──実行したい訳ではないが、絶対にないが──ないこともないのだ、僕も紳士、もとい男だから。

 

 つまるところ……想像すら難儀する次第で……僕はあまり、自分の理性を信用していない。

 

「オベイロンとティターニアの関係だけはちょっと……迷信の類いだと分かってはいるが」

 

 知識などもはや役に立ちはしないのだが、どこかで僕の行動に縛りを掛けていたりバイアスを課していたりすることはあるのだ。ならばどうすればいいか、それは同じ状況にならなければいい。

 

 そんな理由でオベイロンとティターニアを揃い踏みさせる訳にはいかないのだ、絶対に。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 ──オベイロンとティターニアの関係だけはちょっと……迷信の類いだと分かってはいるが。

 

「ユウキ、どういうことか分かる? わたしには分からないよ」

「えー、単純にプレイヤーとして楽しんでほしいってことじゃないの?」

 

 消沈した様子のアスナとあーでもないこーでもないと話すユウキ。この件に関してシノンは少しばかり居心地が悪い。というのも彼女はこれまでもちょくちょく運営の依頼を受けたことがあり、アスナが行動した原因はそれだと分かりきっているからだ。言わずもがな羨望である。

 

「詩乃のんにはときどき運営を手伝わせたりしてるよね」

「え、ええ、まぁ勉強の一環として。それに私はこちら側の方が最近は楽しいから」

「だったらわたしだってそうだよ、そっち側に行ったっていいじゃない」

 

 きゅ、とカーテンを指でつまむアスナ──その姿に世話が焼けると思いつつシノンは口を開く。オベイロンとティターニアの元ネタである夏の夜の夢、その概要から導いた彼女なりの仮説を。

 

「妖精王は王妃を思い通りにするために媚薬を使ったの。それが嫌ってことはつまり、すごーさんは明日奈と誠実に向き合いたいと思っているということよ、多分、きっと、もしかしたら」

 

 それを聞いて案の定……どこかへと旅立ってしまったアスナ。だったら直接言ってくれれば、父さんの説得だって、そんな呟きを続ける彼女を置いてユウキ達はリビングへ向かうのだった。

 

「ねぇシノン、アスナは放っといていいの?」

「その内に戻ってくるでしょ。ランさん達を待たせる訳にはいかないもの」

「姉ちゃん怒るとおっかないからねぇ」

 

 そもそもシノンは打ち上げの準備が済んだと知らせに来たのだ。戻ってくるまで暫くかかりそうなアスナを待っていては料理が冷めてしまいかねない。アスナとユウキに落ちたランの雷を見て二の舞にはなるまいと肝に銘じたシノンとしては……家主をさて置いても優先すべき事項であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ハイヴ攻略作戦

 ストレアに持ち込まれたこれでもかという量の素材をことごとく古代級武器(エンシェントウェポン)に仕上げたリズベット。工匠妖精(レプラコーン)随一の腕前を惜しみ無く発揮した武具を配備した火妖精(サラマンダー)風妖精(シルフ)猫妖精(ケットシー)水妖精(ウンディーネ)の連合軍とキリト達を始めとする有志のプレイヤー達は世界樹前広場にて作戦の開始を待っていた。

 

 四種族同士は対等、上から命じられるようなカリスマの持ち主もいない。キリトは各種族に認められてはいるものの多数の指揮を執ることはできない。アスナは血盟騎士団副団長の経験はあるが各種族に認められていない。或いはヒースクリフがいれば、それを誰もが思い、口にしなかった。

 

 故に方針決定は合議、内容は役割分担に帰結する。混合しての指揮など誰も執れないのだ。

 

 偵察隊の情報、それは単純にして明快な世界樹内部の構造であった。大扉を開けて中へ、遥か上空には人一人通り抜けられる大きさの扉がある。だがそこに至るまでは白い鎧に覆われた騎士モンスターが行く手を阻み剣を構え、壁面には射手のモンスターがぎっしりと矢を構えている。

 

 一体一体はプレイヤーより少し大きい人型、上手く斬れば一閃で倒せるため対応は可能だ。だが立ちはだかる守護騎士の軍勢は尋常ではない量である。プレイヤー側も千名に迫る大所帯だというのに心細く感じられてしまう数が世界樹の内周を、壁に沿って上空の扉まで待ち構えていると。

 

 ならばこそ各々が分担した役割に徹することで突破しようと、決めていたのだ。

 

 しかしいざ突入しようとした時に気付く、何者かが既にクエストを進めていると。

 

 慌てて大扉を開けた先の光景──音楽妖精(プーカ)の下に集ったプレイヤー達の人海戦術──に絶句するキリト達。確かにそういうプレイングはアリだ、数の暴力で乗り切ることもまた、ゲーム攻略の方法ではある。散っていく妖精の姿がかつてアインクラッドで散った軍のプレイヤーに重なって見えたとしても、それは単なる感傷に過ぎないのだ。横から口を出せる筋合いではない。

 

 それに────()()()()()()()()()()()()()を運営が用意する訳もなかったのだ。

 

 一体撃破しては二体に殺到されて死ぬ。二人で連携しては四体に連携されて死ぬ。ただ一人のアイドルに惹かれて集まっただけの彼らが心からの協力など出来よう筈もない。ただ無慈悲にただ無価値に殺されて、ライフをアバターを爆散させていくだけの屠殺場が現出していた。

 

 

 

 

 

 けれどキリト達とて他のプレイヤーの窮地を傍観していられる程に面の皮は厚くない。自分達にかかるモンスターの重圧が分散してくれるという目論見も勿論あったが、その程度はゲーマーならば当たり前だ。誰に恥じることもないプレイングである。

 

 そうして始められたキリト達のグランドクエスト攻略は……こちらも苦戦することになった。

 

 最初こそ組織だった動きは実現できていた。

 

 前衛に火妖精を、後衛に水妖精を置き、中衛を風妖精と猫妖精が務める役割の分担自体は良かった。個人参加の面々は遊撃として思い思いに剣を振る。SAO経験者はボス戦における組織的な攻防を感覚で覚えており、ALOからのビギナーも領主プレイヤーの指示で動くことには慣れていた。

 

 それこそ守護騎士が千や二千であれば(さば)ききれただろう。火妖精が押し止め、水妖精が支援し、風妖精と猫妖精が削る、そのサイクルが機能し続ければその倍でも何とかなったかもしれない。

 

 だが万を超える敵の数は誰にとっても未知数だった。数万の軍団(レギオン)など、知る筈もなかった。

 

 大河が空から降ってくる、誤って滝壺に飛び込んでしまったような状況。前線から離れていた者には敵の群れが雲河の如く迫り来るのがよく見えた。見えていても、どうしようもなかった。

 

 ハイヴだ──誰が呟いたのか、蜂の巣穴を意味する英語がこれ以上に適した戦場はないだろう。

 

 数の暴力、単純にして正攻法の戦術を、数で劣るプレイヤー側が跳ね返すには統率と奇策が求められる。けれどこのような状況、それこそSAOでもALOでも経験したことのある者などいない。

 

 あまりにも馬鹿げた物量に戦線は綻びを見せ始める。圧力に耐えられずHPを全損する火妖精、隙間から浸透していく守護騎士達が穴を広げ、四方の警戒を強いられた火妖精は更に消耗していく。

 

 水妖精は明らかに手が回らず、回復魔法を飛ばそうとした相手が既にリメインライトと化していることの連続。猶予時間中に蘇生させようにもエンドフレイムを飲み込んだ敵の群れは迫り来る。

 

 中衛の風妖精と猫妖精も、敵と味方が入り乱れてしまっているため有効な援護を難しい状況だ。フレンドリーファイアはダメージこそないがノックバックは存在する。かえって足を引っ張ってしまう結果になることもあったのである。

 

 領主達の統率下にないプレイヤー達は少しでも先に進むべく各自で行動し……そして各個撃破されていく。すり抜けていけば大丈夫と考えて突出し上昇を続ける者も、躍りかかる騎士達と体格は互角、一度剣同士で(つば)競り合えば容易に止められて乱戦模様、入り乱れての戦いだ。

 

 キリト達もこれではいけないと理解はしていた、だがなまじ参加種族と人数が多いため一本化した指揮が不可能なのである。それでも何とか先に進もうと各自が剣を振り、魔法を放つ。だが何体か撃破したと思えばすぐさま上空から別の騎士がやって来る。消耗戦だった。

 

 もし英雄が、ヒースクリフがいれば、彼の指示に全て従えばいいのに──そんな誘惑と弱音が顔を出し、頭を振って追い出す。今ここに頼るべき英雄はいない、頼れるのは自分と、仲間だけ。

 

 とにかく一旦、数十秒でいいから全員が落ち着く時間が欲しい、そうすれば組織だった動きを取り戻すことができるのだ。その苦悩は各領主も同じく共有していた。だが打開策はなく────

 

 

 

 上空、視界の全てを水流が埋め尽くした。

 

 

 

 突如として張り巡らされた水流の縄が守護騎士達を縛り上げる。バインドの魔法、あまり強度は高くない、数秒あれば壊されてしまう時間稼ぎにも劣る魔法である──単体であれば、だが。

 

 次から次に水妖精によって放たれるバインドは……断続的に守護騎士を絡めとり拘束していく。守護騎士達は動きを止め、膨大な数ゆえに扉への空間を潰してしまうが────百人単位の膨大なマギア(魔法威力強化)の魔法を受けて詠唱を続けていた()()()()()()が杖を突き出した、瞬間。

 

 ファフニールのブレスにも匹敵するような太さの光条、冷気の光線が、轟音をたてて打ち込まれ……水流のバインドを伝い、守護騎士の全てを完全に凍結させた。万を超え、一の例外もなく。

 

 一塊(ひとかたまり)となった氷の中には継続ダメージを受けている敵の群れ、そこから氷雪のかけらが降り注いでくる。僅か十数秒にして白銀に染められていく世界樹の中はまさに冬景色、寒さすら感じる程の威力にキリトは思わず肩を抱き、呟いた──なんだこれ、と。ボス級の威力じゃないか、と。

 

「これは水魔法の、アブソリュート・ゼロ? いやいや、でもあれはこんな馬鹿げた威力じゃ」

「久しぶりだね、キリト」

 

 少しばかり猶予が生まれ、各自が態勢を整えている中……水妖精の一団からやって来た少女は彼のよく知っている人物だった。今の今まで顔を合わせられなかった待ち人に狼狽えるキリト。

 

「さ……サチ!? この氷は君が?」

「君と一緒に雪の街を歩いてみたいって願い、期せずして叶っちゃった」

 

 くすくす、と笑う彼女は以前と変わらない──キリトの記憶に残る顔とそっくりの──サチだ。翅が生えて、ゴツい杖を持って、とんでもない威力の魔法をブッ放していたとしても──サチだ。

 

「ねぇキリト、私があの世界にいた意味って何だと思う?」

「っえ? いや、それは…………その」

「責めている訳じゃないの、私にも分からないんだもん。けれど君はあるって言ってくれたよね」

「あ、ああ……そうだけど」

「絶対にいつか教えてもらうから、まずはここを切り抜けよう。また会えて嬉しいよ、キリト」

 

 にっこりと笑うサチは、キリトの記憶よりも強くなっている気がした。特に意志力がとても。

 

 バシャン、とモンスターが消滅する音が上空で続けて響く。継続ダメージでHPを削りきられた騎士達が消え、塊となっていた氷もまた姿を消していく。やっと進めると待ちかねるプレイヤー達。

 

 一掃された守護騎士、扉までの障害が消えたことに肩透かしを覚えたそのとき、召喚エフェクトが()()()()()()()に光輝き……出現した守護騎士達は色彩がバラバラとなっていた……六色に。

 

 

 

 

 

 第二段階、アルゴリズムの変化、敵の性質はガラリと変わっていた。

 

 ファイアボール、火属性の魔法を受けてHPを回復させる赤い騎士。同じ魔法を受けた青い騎士は一撃で消滅する。それぞれに弱点と吸収属性が設定された騎士の群れは、それぞれの対応魔法を使わなければ(さば)ききれない。そのことは多くのプレイヤーが即座に把握できた。

 

 火と水、風と土、聖と闇がそれぞれ相克する相性の中で、守護騎士にもそれぞれ属性が設定されていたのだ。火には水を、風には土を、聖には闇を選択すれば一撃で(ほふ)れるが、弱点を外せば手数が必要となり数の暴力に敗北すること必至。

 

 種族として参戦している火妖精は水属性を、水妖精は火属性を、風妖精は土属性を相手取る。土妖精、音楽妖精、闇妖精は少なく、必然的に個人参加の遊軍が対応していくことになった。

 

「カゲムネ、対処する騎士の情報を念のためサクヤとアリシャ、あの少女(プーカ)に伝令しろ。ジータクス、貴様らの攻撃対象は水妖精を狙う一団を優先だ、火妖精の担当は前衛で充分に防ぎきれる」

「じ、ジンさん、そんなこと言ったって凄い敵の数ですよ、死んじまいますって!」

「そうです将軍、我々が崩れては元も子もありません!」

「ここでやられたとてペナルティもない。それに俺達火妖精がこの程度に臆してどうする?」

 

 戦域に放ったサーチャーからの情報を受け取りつつ部隊に指示を出していくユージーンは、自身も最前線で両手剣を振るう。グラムを失ってなお、いや失ったからこそ武器に頼らぬ技の冴えが存分に発揮されていた。斬って、斬って、斬って、斬り続ける連撃は重ねること八つ、先を上を目指して鬼神のごとき戦いぶりを見せる彼に部下達は必死で食らい付いていく。

 

「お前ェら、風林火山の名を知らしめる機会だ。散々遅刻したんだから楽しまなきゃなぁ!」

 

 勿論っすよリーダー! その返事を背に刀を振るクライン。侍のロールを貫き詠唱を覚えない彼に相性などは関係ない。ただ刀を抜き、斬り、倒していく繰り返しだけを十、二十と重ねていく。

 

「前では火妖精が頑張ってくれてる。討ち漏らしはわたしが止めるから、サチさんは魔法隊を!」

「はい──攻撃隊は小隊毎に詠唱を、回復魔法は常に詠唱待機状態を保ってください」

 

 数少ない水妖精の前衛担当を指揮するアスナ、他種族への援護をサチは振り分けていく。

 

 土妖精(ノーム)は風を、音楽妖精(プーカ)は闇を、闇妖精(インプ)は聖を担当する筈なのだがプレイヤー数が少なく苦戦していた。ところで残りの工匠妖精(レプラコーン)影妖精(スプリガン)猫妖精(ケットシー)が役立たずかと言えば全くそんなことはない。

 

 工匠妖精(レプラコーン)の得意とするバフ、影妖精(スプリガン)の得意とするデバフ、いずれかがきちんと掛かっていれば守護騎士を倒すために必要な魔法が中級から初級に軽減された。そして猫妖精(ケットシー)の十八番、テイムモンスターは複数属性の攻撃を標準で備えている。当たるを幸いにブレス攻撃を打ち放題だった。

 

「虎の子の竜騎士(ドラグーン)部隊、かけたユルドは数知れず、持ってけドロボー全力で撃てェ!」

「張り切っているな、ルー」

「ったりまえだよサクヤちゃん。こういう大戦(おおいくさ)をずっと待っていたんだからネ!」

「ふ……違いない。風妖精(シルフ)諸君、今こそ我らの力を示すときだ!」

「あの、サクヤ……あたし」

「行ってこい、お前なら彼らの動きに着いていけるだろう。さぁ敵が来たぞ諸君、詠唱開始!」

 

 リーファを送り出し号令を掛けるサクヤ。猫妖精に負けるなと激励しながら自らも太刀を振る。

 

「キリト君!」

「リーファ、風妖精はどうしたんだ!?」

「サクヤがいれば大丈夫、キリト君の方が危なっかしいよ」

「はは、言うじゃないか──着いてこれるか?」

「キリト君こそ遅れたら置いていくからね!」

 

 背中合わせとなって死角を消し、自分達を中心にした球状の安全域を作り上げる二人。この一年を現実仮想の双方で共に過ごしたコンビネーションは、こと剣に関しては他の追随を許さない。

 

「あたしも肩並べて戦えるとは、SAO時代とは大違いよねー。デスゲじゃないだけで気が楽だわ」

「ピナ、ライトニング・ブレス! というかリズさんって戦えたんですね、知りませんでした」

「どういうことかなシリカ、あたしだって昔はマスターメイサーだったのよ!」

「オイオイ、頼むからオレに任せきりはやめてくれよ、っと!」

 

 エギルが一人で支える前衛、隙を見て攻撃する筈のリズベットとシリカはほぼ初めての大規模戦闘に浮き足立っていた。無理もない、SAOではボス攻略には参加できない力量だったのだから。歯がゆさと無力さを噛み締めた記憶は色濃く残り……それでも今は、ここにいる。

 

 魔法主体で騎士を相手取るのは生粋のALOプレイヤーだ。個人技を発揮して騎士を狩っていくプレイヤーはSAO経験者がほとんど、だが中にはSAOを経験していないプレイヤーの活躍もあった。

 

「射てば当たるというのは、あまり頑張り甲斐がないけど。空中に足場を用意してくれるなんて、気が利いているわね──ハッ!」

 

 シノンは振り下ろされる剣をよけて足場とし、頭部を蹴り飛ばして飛翔。駄賃とばかりに放つ矢は騎士を爆散させ……大剣を振り回し敵を一掃したストレアへと近づき声をかけた。

 

「そこのアナタ、土属性の付与お願い」

「はいはい、っと! ねぇ、属性魔法使わないの?」

「あれは撃っている感覚がしないもの」

 

 敵を足場に矢の雨を降らせ、各妖精の陣へ出向いては属性付与を受けて対応騎士を狩っていく。空中を跳び跳ねる三次元の軌道はまさに野生の猫、その姿に(しば)し見惚れる者すらいた。

 

「みんな楽しんでるねー、僕らも負けてられないや。やるよ姉ちゃん、みんな!」

 

 種族入り乱れたギルド、スリーピング・ナイツ。特性がまるで違う種族同士の連携をひたすらに続けた彼女達が共に冒険を続ける中で見いだした、彼女達だからこそ形にできる魔法を今、この場にいる全員の記憶とアルヴヘイムの歴史に刻み込んでやるのだ。

 

 それは六属性、火水風土聖闇を同時に発動させる魔法、詠唱時間も射出速度も効果範囲も威力も違う六種の魔法を────彼女達は息をするように同じタイミングで、一点へ集中させる。

 

 燃え盛る隕石、凍り付く冷気、荒れ狂う竜巻、突き刺さる岩石、降り来る聖光、そして。

 

「アビス・ディメンジョン!」

 

 ユウキの詠唱、空間を歪ませ黒く染めていく闇が一点へ収束、爆発的な光を撒き散らし────軍勢を(えぐ)り取った。ギルド、スリーピング・ナイツの代名詞とも言える混合魔法、その頂点となる原初の魔法(オリジナルスペル)。敵を文字通りに溶かした猛威の先に、遂に扉への道筋が生まれた。

 

「リーファ、扉付近を確保、陣取ってくれ!」

「キリト君は?」

「後から追いかける。お前のスピードが今は必要なんだ!」

「了解っ!」

 

 飛行速度に秀でた風妖精(シルフ)、その中でも随一の速さを誇るスピードホリック。リーファは生じた空隙を閉じられる前に矢の如く突き進み、彼女の位置はマーカーとして全プレイヤーに把握された。

 

 マップ上の光点を目印に殺到するプレイヤー達、しかし敵の数は減ることなく、ここに至り(むし)ろ増していくばかり。敵中を突き進むプレイヤー達は自然と一丸になり、一ヶ所に集まっていく。各地で戦っていたSAO経験者も同様に、その中にキリトの姿を認めたアスナは合流するなり尋ねた。

 

「キリト君、どうする? たどり着くのは一人でも構わないって情報だったけど」

「冗談。ここまで来たんだ、全種族で乗り込んでやろうじゃないか!」

 

 だよね、と納得するアスナ。ここまで来て()け者など認められるかというもの。扉の場所を全員が目指し……出現する守護騎士の軍勢に阻まれ、誰かは残らざるを得ない選択を皆が強いられる。

 

「姉ちゃん!? ボク一人でって、皆はっ…………分かったよ、行ってきます!」

 

 ランを指揮者に敵を押し止めるスリーピング・ナイツ。その背中に声を掛けユウキは先へ進む。

 

「誰であろうと火妖精がたどり着けば構わん。貴様にコイツらの指揮はできまい」

「へっ、舐めるなよ……と言いてェが難しいわな。んじゃ将軍、行ってくるわ」

 

 ゴツ、と拳を打ち合わせ飛び去るクラインを、ユージーン達は見送った。

 

「アスナさん、行ってください。マナが枯渇寸前の私では、ここまでです」

「サチさん……きっと、きっとあの城へ行けるように頑張るから!」

 

 元より敵の圧力に曝されることすら本当は辛いサチ、彼女から思いを受け継ぎアスナは飛ぶ。

 

「ああもう土妖精なんて全然いないのに! ってさっきの!?」

「そこのアナタ、やる気があれば着いてきなさい」

 

 八艘跳びの如く守護騎士の頭を踏んで先を行くシノン、その経路を急いで追いかけるストレア。

 

「お兄ちゃん、早く!」

「ウォォォオオッ!」

 

 滑り込むようにしてキリトが、その後にリーファが続き、扉周辺は守護騎士に埋め尽くされる。切り替わるマップ情報、扉の内部には入られないことを見てとった一同はその場に膝を突いた。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 メンバーはキリト自身と知らない者も含めて九人、図ったように全ての種族が一人ずつ揃っていた。現在地は通路、どこかへの廊下なのだろう。奥にはあからさまな大扉が見えている。

 

 回復と休息のついでに折角だから自己紹介を、ということで各自が軽くプロフィールを語る。

 

 キリトとしっかり面識があるのはクライン、アスナ、リーファ、ストレアのみ。ユウキ、シノンはクリスマスの個人戦で顔を会わせており、(なお)かつアスナの友人ということで知り合いではある。だが残りの音楽妖精(プーカ)工匠妖精(レプラコーン)は誰もが初対面……と、そこでクラインからツッコミが入った。

 

「いやいやキリトお前、歌姫セブンちゃんを知らないのかよ!」

「知らないのかよって言われても……強いのか?」

「いや純粋な決闘(デュエル)はそうでもねェ、けどよ」

 

 プリヴィエート、と挨拶をしてきたセブンという音楽妖精(プーカ)の少女。このところリアルでも名前を知られ始めたアイドル、と聞いてもキリトにはピンとこない。クリスマスイベントの歌唱部門における優勝の様子を熱っぽくクラインは語るのだが、その当時キリトは絶賛負のスパイラル真っ最中だったので分からないのだ。手に持っているのは槍らしいが、使いこなしている雰囲気はない。

 

 そしてもう一人は工匠妖精(レプラコーン)の少女。彼女については皆が初対面のようで距離を掴みかねていた、のだが。赤髪の彼女はどうした訳かキリトに親しげな態度を向けていた。

 

「もしかしてキリト君って有名な黒の剣士? きっとそうだよね!」

「あ、あぁ、そう呼ばれることもあるけど。君は?」

「わたしはレイン、しがないソロプレイヤーだよ」

 

 そう言って笑う彼女はキリトの噂を色々と仕入れていたらしく少なくとも相手にとっては親しみがあるようだった。キリトからすれば一方的な親しみではあるのだが、何にせよとりあえず全員に何かしらの繋がりがあると把握できたのは僥倖だった。これだけでも随分と共闘し易くなるのだ。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 その後、周囲の探索を行った彼らが目にしたのは数枚の壁画だった。このアルヴヘイムの歴史を描いたと思われるそれらには、栄枯盛衰の縮図が表現されていた。

 

 平和と悦楽を謳歌していた古代の人々。進んだ文明は突如、大地切断により後退することになる。身を持ち崩す者、争いに走る者、遺された技術を暴走させる者、数々の欲望と失敗が絡み合い衰退した文明。結局アルヴヘイムの民は魔法と翅を身の丈に合ったものに制限することで滅びを回避したのだ。そこへ来て現れた妖精達(プレイヤー達)は空を、アインクラッドを、進んだ文明と未知の技術を求め世界樹に攻め入った──そこで壁画は終わっている。

 

 妖精達がどうなったのか、それは分からない。けれど物語になぞらえられているのは地上に足をつけて生きることを諭す意志、行き過ぎた進化と加速は人を狂わせ争わせるということ。

 

 単なるクエストの演出、そう割り切るには重いテーマがそこにはあった。けれどここにいる九人はそれぞれに未来を、先を望んでいる。故に、ここで引き返すという選択肢はなかった。

 

 その意志をパーティーの誰もが抱き、互いに見てとった。先に進もう、と。

 

「えっと、みんな休憩は充分か? 念のため装備確認とバフ掛けは終えてからにしよう」

 

 キリトの提案に頷き各自が用意を済ませ、扉を押し開けて──突入した。

 

 

 

 

 

 扉の先はいわゆる謁見の間だ。突入と共に散開したキリト達は飛び込んだ勢いのまま、滞空した状態で周囲を見回す、ここが世界樹の最上部か、と。赤絨毯の先に階段が、その上にある玉座に人が……妖精王がいた。緑衣に身を包んだ金髪のエルフはパチ、パチと気の抜けた拍手を鳴らす。

 

「待っていたよ、諸君。いや待ちかねたと言った方が正しいか」

 

 出番なきまま期間が経過するかと心配していた、そう語る妖精王は冷ややかに俾睨してくる。

 

「随分な数の敵を用意してくれたからな、九人しか通過できなかったぜ」

「く、くくくっ……くはははっ」

「何が可笑しい!」

「可笑しいとも、都合よく九種族から一人ずつ、よくもまぁ通過してしまったものだ」

 

 な、と絶句する。偶然一人ずつが突破できた、運が良かった、そう思っていたのだ、誰もが。

 

「おめでたい話だ。その分では恐らく、情報も集めきれなかったのだろう? 蛮勇の上に慢心か」

 

 ──試練を突破できるのは九人のみ、だが潜む罠には心せよ。

 ──九種の妖精が姿を現した時、王は枷を外し真の力を示す。

 

「残るクエストで明かされる筈だったのだが……どうやら見落としていたようだね、嘆かわしい。それと君達──妖精風情が一体誰を見下ろしているんだ? 王の前で()が高いぞ、控えたまえよ」

 

 笑い、呟いた──希望と絶望は表裏一体(Spem-metus-sequitur)──瞬間、重力が数倍に跳ね上がった。

 

 のしかかる重圧、(はね)が力を失い墜落する。固い床へと叩きつけられ、衝撃に暫し硬直する九人。

 

「抱いた期待が裏切られた時、希望が大きければ大きい程に絶望は深くなる。そもそも妖精に翅を授けたのは僕だ、制限の解除も禁止も造作ない……ふむ、重力魔法と名付けようか。どう思う?」

 

 ゆっくりと立ち上がり、段の端から宙に踏み出して歩く妖精王。それを見上げ、体を起こす九人はそれぞれにHPを削られている。だがそれ以上に精神的な衝撃が大きかった……SAO経験者はそれでも幾らかマシな方で、ALOからのビギナーは平静を失ってしまっている──なんだこれは、と。

 

「君達は今、何故と思っているだろう。何故、妖精王オベイロンはこんなことをしたのか、と」

 

 いつだったか耳にした、忘れもしない、はじまりの日と似た言葉に硬直する体。

 

 ならば続く言葉も────

 

「僕の目的は既に達せられている。この状況を作り観察することが最終目的なのだから」

 

 人は等しく灰に還る(Aequat-omnes-cinis)、詠唱で現れた焔は天井部へと至り、大きさを増し、内壁を焼き、そして。

 

「案ずるな、城への道は与えてやろう。まぁ……悪くはない余興だったよ、諸君。ご苦労だった」

 

 九人へと牙を剥いた────太陽(絶望)が、迫る。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

出来損ないのユーヴァーメンシュ

 燃え盛る火の玉が落ちてくる。未だ倒れ伏したままの者もいるというのに、全員を飲み込んで余りある大きさの炎が迫りくる中──片手剣を構えたキリトは立ち上がるなり八人を背にした。

 

「リーファ、援護を頼むっ!」

「キリト君、何を!?」

 

 剣を胸元で捧げ持ち、バトンの如くに一回転、二回転、速さを増していく鉄の塊が面となり盾となる。ソードスキルの再現に燃やした熱意、切り捨てることのできない遠距離攻撃を防ぐための方法の一だが──かつて雪山で防いだドラゴンのブレスとは、迫る炎は威力も規模も桁違いだった。

 

「オ、ゥォォオオッ!」

「そんな無茶っ、þú(スー) sér(シャル) lind(リンド) ásynja(アシーニャ),burt(バート) eimi(エイミ) og(オーグ) sverð(スヴェルド)!」

 

 雄叫びをあげ正面から受けるキリト、防ぎきれずガリガリとHPを減らしていく彼を包む白い防壁はリーファの魔法だ。ALOでも指折りの迅速な詠唱、しかしその成果もまた数秒で効果を失い破砕され……それだけ時間があればパーティーが起き上がるには間に合った。

 

 ストレアの張った土魔法の壁がキリトと火炎の間に出現し──軋みひび割れ砕け散り──破裂してそのエネルギーを撒き散らす。床のみならず空間ごと炎が嘗めていく惨状に、しかしパーティーは立ち直り既に回避を済ませていた。そして間髪入れずキリトを含め全員に飛ぶ癒しの光は水妖精(ウンディーネ)にしか扱えない高位の回復魔法、アスナによるものだ。

 

「ふむ……フィールドが壊れないというのは、プレイヤーに甘えを生むな。いずれ修正しよう」

 

 ふざけんじゃねぇ、と返したいのは山々のパーティーだが今はまず、まともに戦うための方法を見付けなければ話にならなかった。上空に出現した光弾の群れ、()()()()()()()()()()()と言わんばかりの数量が彼ら目掛けて降り来るのだから。

 

 斯くして人は星に(Sic-itur-ad-astra)────呟かれ、数多の綺羅星が墜ちる。

 

 かわし、弾き、防ぎながら動きの鈍い後衛をかばう前衛の剣士達。キリトにクラインとストレアにユウキは、ただひたすらに上空から撃ち込まれる光球に対処していた。それを嘲笑うかのように光弾は前衛の頭を越えて上から降ってくるのだ──後衛を守るためにリーファは魔法障壁を展開し──ゴリゴリと減っていくマナを補うべくポーションを実体化させていた、ブラインドで。

 

 じり貧であろうことは皆が既に分かっているのだ。見下ろしてくる妖精王をそれでもなお、彼らは視線鋭く睨む。状況にまず嚆矢(こうし)を放ったのは猫妖精(ケットシー)、シノンだ。

 

 クライン達の背後より射掛けられる矢が二本三本と空を裂く。勿論それらは回避するまでもなく光球に激突し勢いを失うが、知ったことかとばかりに次々と放たれる矢は十を過ぎ二十を数え三十を超え四十に至る、山なりに飛ぶ矢衾は篠突く雨の如く妖精王本人を狙い、停滞を許さない。対処の合間に振り向いた前衛四人が見たのは絶え間なく弓を引く猫妖精(ケットシー)の姿。

 

「アイツは私が釘付けにする。アンタ達は引きずり下ろす手立てを考えてッ」

「ってことだからボクらは作戦会議しよう! ほらっ、黒いお兄さんも」

「おいおい、剣を振りながら話せっていうのか!?」

「それくらいできるでしょ? シノンの矢だって有限なんだから!」

 

 事実、雨の如く矢を降り注がせているシノンの表情は険しい。矢を射掛けて相手の攻勢を削ぐという目論みは果たしてどこまで意味を成しているのか。矢筒に補充するためメニューを操作するタイミングで射撃の手が止まることは避けられず、その間は前衛の負担が増やされることになる。

 

 だが時間にして数十秒、それだけ稼げれば後衛の詠唱は完成する。上級魔法のスペルは二十近いワード数、()()()()()()()を暗記できていないプレイヤーなどこの場にはいないのだから。

 

 アスナが放つ冷気の光線、レインの放つ聖属性の光はまっすぐに妖精王へ。直射された二発のレーザーは──ただの両拳で打ち落とされ、しかし──パーティーを襲っていた光球の雨を弾き飛ばし空隙を作り出していた。対処のために攻勢を緩めた妖精王へと、放たれるのは本命魔法。

 

 くるりと槍を回し構えたセブン、まず放たれるのは豪炎の火球。それもまた無造作に打ち払われ──ディレイなしに詠唱された竜巻が彼を襲う。セブンの周囲を回転している詠唱文、その文言は風の上級魔法。風妖精(シルフ)以外にはまず使用できない筈のスペルにリーファは驚きを隠せない。

 

「タイラント、ハリケーン? でもあの子は音楽妖精でしょ、どうして……」

「セブンちゃんは魔法の使い手だからな! それに本気はこんなもんじゃないんだぜ」

「クライン……なんでお前が得意そうなんだ」

 

 削られた剣の耐久値を確かめ終えたキリトはツッコミを入れ……暫し呆然とすることになる。魔法を放つと通常存在するクール時間がセブンには全く存在しなかったのだ。槍先から竜巻を放ちつつ体の周囲には既に別の詠唱文、音楽妖精が得意とする訳でもない闇属性スペルが浮かんでいる。

 

「システム的に硬直は避けられない筈だろ? とはいえハッキングなんて出来る訳がない」

「システム外スキル、スペルコネクトだ。魔法発動時の僅かなタイミングで次を開始するらしい」

「らしいって、実践できるプレイヤーなんてあの子以外にいるのかよ」

「お前だって武器破壊(アームブラスト)とかいうふざけたことしてるじゃねぇか」

 

 ガスガスと肘を打ち合う二人を、呆れた目で眺めるメンバー。

 

 彼らが余裕を保てたのは────ここまでだった。

 

 竜巻の吹き荒れる上空を更に覆うべく広がる漆黒の闇、アビス・ディメンジョンが効果域を収縮させ一点に、妖精王へと空間を歪ませ迫る。既に回避は不可能、抜け出せる隙間など存在しない。

 

 どうかお願い(Und-ruehre) さわらないで(mich-nicht-an)────

 

 ヒト一人の隙間など残っていない封鎖を────すり抜けられたことに気づいたのは無傷の妖精王が目の前に現れてから。そのことを脳が認識して慌てて跳びすさって、身構える彼らに……追撃すらかけないままに見送って、妖精王は再び宙へと浮かび上がった。

 

 速く動いた? いや、そのような次元ではない何か、時間停止を受けたとでもいうのか──呆然とするメンバーの中でも特に衝撃が大きいのはSAO経験者だ。あの城を、戦場を駆け抜けたことで強くなった実感を、ALOに来て力を磨いた体感を嘲笑うような何かが、築いた自信を揺らがせる。

 

 だが彼らとてただ棒立ちしていた訳ではない、ALOからのビギナー、特にセブンはそれぞれに得意な属性の魔法を詠唱し、各々が発射していた、しかしその(ことごと)くが無造作に、気付けば避けられていて、無意味になることの繰り返しでしかなくて。

 

 嘘だろう、と。呟いた言葉は誰が口にしたのか──誰もが自分かもしれないと思ってしまう。

 

「当たらぬとはいえ、無秩序に撃たれるのは見苦しいな……玩具(ソレ)は取り上げるとしよう」

 

 厳しき法も法なり(Dura-lex-sed-lex)──と、またしてもアルヴヘイムとは違う形態の詠唱が呟かれ……キリト達のマナが枯渇する。灰色に染まるゲージ、詠唱途中のスペルは失敗(ファンブル)、新たな詠唱も始められない。

 

「誰がお前達に魔法を授けたと思っている? 覚えておけ、与えられたモノは容易く奪われると」

 

 更に悪いことは続く……アイテム欄の選択すらも不可能に変わったのだ。

 

「さぁ、次はどんな出し物を見せてくれるんだ? 退屈させるようでは潰してしまうぞ?」

 

 ゆらりとかざされた右手、そこから放たれる光弾の雨を、キリト達は散開してかわしていく。既に障壁を張ることはできず、武器の交換も許されるほどの余裕がない以上は耐久値を減らせないからだ──だが誰もが回避行動に、激しい動きに慣れている訳ではない。

 

 足を撃ち抜かれ転倒するセブン、迫るのは視界一杯の光弾、HPを消し飛ばして余りある量の攻撃に思わず目をつぶってしまう。そのピンチを認識していながら距離に阻まれ届かないキリト達は、誰もが彼女の脱落を予期してしまった────

 

「勝手に、諦めてるんじゃないわよッ!」

 

 弾道上に割って入る赤色、レインを除いては、だ。セブンを背に庇った彼女の──その背後が揺らぐ。何もない空間が裂け──生えてきた剣先は十、二十と増え──砲弾の如く射出される。

 

「サウザンド、レインッ!」

 

 迫る光弾の雨を、射出される剣が激突し相殺していく。二十、三十と打ち出され続ける剣の、示す質は驚愕に値するレベル。キリト達の装備しているプレイヤーメイド最高峰、リズベットの作成した古代級武器(エンシェントウェポン)と甲乙付けがたい輝きが、一山幾らの扱いで放出されていく光景があった。

 

 レインの種族である工匠妖精(レプラコーン)が得意、いや必須とする魔法、()()()()()()()()()()()()のスキルをマスターまで鍛え上げ、単なる職人スキルを戦闘技法まで昇華させたオリジナルソードスキル。

 

 それこそがサウザンド・レイン。一対一の尋常な決闘(デュエル)であれば何度HPを消し飛ばしてもお釣りが来る初見殺し、キリトでも、ユウキでも反応速度に優れていようとも(さば)けるとは言い切れない、千の剣雨(サウザンド・レイン)が冗談でもなんでもない密度の射出だった。

 

 彼女は一体何者なのか、誰もが疑問に思う。何故これ程のプレイヤーが今まで無名だったのか、単なるゲーマーではあり得ない強さと狂気すら感じさせる高みを示した彼女に気圧されてしまう。

 

 だがその彼女に拍手を送る者がただ一人いた。撃ち合いを終えて悠々と降り立った妖精王だ。

 

「それが君の研鑽、君の意志、君の力か──見事だよレイン君、胸を張りたまえ。君はシステムの中にあってなお、想定外へと到達している。称賛しよう、この僕に未知を知らしめたのだから」

 

 床に足を付けたことで殺到しようとしたキリト達には、しかし新手が襲いかかる。八体の妖精少女達は知る者ぞ知るアバター、ティターニア。顔を白フードで隠した妖精達は赤熱した長剣を持ち斬りかかってくる──八騎は強く、キリト達はレインを援護することができない。

 

 ()()()()()()()()()()()のか──邪推するほどに的確な攻防を繰り返す八騎の連携に、セブンとレインを抜いた七人で対抗しなければならない。キリトもリーファもクラインも、ストレアもアスナもユウキもシノンも余裕などない。歯噛みする彼らの先でレインは一人、妖精王と対峙する。

 

「涼しい顔で言われても、嬉しくないよっ!」

「仕方あるまい……味わいは一瞬、先程の技(サウザンドレイン)も既に既知なのだから。ところで、レイン君?」

 

 君はどうしてセブン君を庇ったんだい──その言葉に表情を強ばらせるレインを見て、唇を歪ませる妖精王。お気に入りの玩具(オモチャ)を見付けたように爛々とした瞳が彼女を射抜く。

 

「それは……一緒に戦う仲間だからね、守るのは当然──」

「本当に?」

「っ、あ、当たり前じゃない、他に理由なんて」

「自分でも分かっているだろう? あぁ、君の中に渦巻く暗い(ミニクイ)感情がよく見える……対象は当然」

「その口を、閉じなさいよッ!」

 

 再び揺らぐ空間、放たれる剣の雨。正面から高速で迫る剣山、その合間をヌルリヌルリとすり抜けてくる相手に表情が歪む、どうして、と。対する相手の口が──その技はもう知っていると──動くのを見て。レインは完全に平静を失った。腰に提げた二刀に両手を添え、引き抜く。

 

 二剣をもって斬りかかる。突き、払い、斬り付け、薙ぎ払い、小さな台風の如く、(きら)めく鉄剣と(なび)く赤髪が荒れ狂う。その口を閉じろと、自分の前から消えろと。

 

 しかし憎らしいまでにその(ことごと)くを避け、弾き、いなしていく妖精王。顔のスレスレを突き抜けていく剣先ですら、当たらぬのなら構わないと微動だにせずレインに語りかけ、騙りかける。水銀の毒を彼女の喉に流し込んでいく。甘やかな声がレインの耳を侵していく。

 

「この剣技も素晴らしい。()()()()()を潜ったんだい?」

 

 二刀を共に白刃取りにされ、押すことも引くこともできずその場に縫い止められるレイン。ただ剣を手放して後退すればいいというのに、頑ななまでに離れようとしない理由は……彼女の陥った恐慌状態によるもの。そして彼女自身が──

 

「わたしだって、あの城で生きてたんだからッ!」

 

 SAO経験者(サバイバー)だからだ。叫びに皆が感じたのは「まさか」という思いと「やはり」という思い。

 

「なるほど確かに君が示した強さへの渇望はアインクラッドがもたらしたのだろう。しかし今の君が抱いている興味と執着の対象はアインクラッドではなく、セブン君だろう? 何故だろうなぁ」

 

 ありもしない心臓が跳ねる感覚はレインとセブンの双方に起きていた。幼くして渡米したセブンには身に覚えのない(残る記憶が渡米後のモノだけ)、いや本当に覚えていないことで(彼女の家族は父しか記憶に残っていない)。しかしレインにとっては全ての始まりにして終わり、辛さ苦しさ嫉妬羨望を彼女に強いた運命、暗く重い感情の源泉のそれは。

 

「恥じることはない、セブン君に向ける嫉妬も憎悪も怨恨も、君の真なる渇望だというならば君の自由だ。どんなに汚く見るに堪えずとも僕は君を受け入れよう、歓迎しよう、愛してやろう──」

 

 

 

 

 

「お前ェ、お喋りがちと過ぎるぜ!」

 

 ザン、と二人の間を切り裂く一閃は抜き打ちのソレ。押さえていた剣を放して後退した妖精王に、レインを背に庇ったクラインは気炎をあげた。背後の友にも届けと声を張り上げる。

 

「暗い感情だ? んなもんオレだって持ってるぜ。キリトの野郎が羨ましくて仕方ねぇや!」

 

 けどよ、そう続ける彼の目には意志が、熱が宿っている。

 

「羨んで、追い付きたくて、必死になって身に付けた強さは、オレのモノだ。(けな)させはしねぇ」

 

 綺麗で美しい、そういう動機ではない。その思いをも胸に秘めて剣を振り、あの城を戦い抜いた日々は、泥まみれではあるだろう。けれど得た経験は、力は今を支え形作っている血肉だ。誰にだって胸を張れる。システムに、数字に規定されたメッキの強さではない、彼自身の生きざまだ。

 

「レインちゃんっていったか? あんまし気にすんなよ、お前だけが特別に汚れちゃいねェんだ」

 

 さっきの剣舞、ナイスファイトだったぜ、と──言い残してクラインは駆ける。前に倒れ込むような踏み込みに、勢いを乗せて袈裟に斬り、すり抜けて。間合いを外し避けられたことを織り込んで、一閃一閃を繰り返し、重ねる剣撃を修正していく。

 

 突き──半身で避けられた──からの薙ぎ払いに繋げる刀──二歩下がり避けられる筈──手元の力を緩めて掌を滑らせた柄の先を握り、伸ばせる長さはたったの数センチ、けれどそれで充分。

 

 切断したのは緑衣の(たもと)、耐久値を少し削れただけの、この戦いで初めての命中に皆が湧きあがり、クラインは追撃するべく刀を振り上げ────妖精王の(まと)う気配が、空気が(ひび)割れる。

 

 

 

 

 

「────あぁ、邪魔だぞ」

 

 下方からハンマーで打ち上げられたような衝撃がクラインの腹部を突き抜けて、意識を揺らす。ただの一打、踏み込んで、掌を押し当てただけのソレは、しかし致命的に彼を傷付けていた。バシャッ、とオブジェクトが壊れる音が響く──見るまでもない、HPが全損した証だった。

 

 蘇生させようにもアイテムは使えない、魔法も同様に使えない、どうにもならないことを皆が冷静に理解できて、またしても仲間を殺させてしまったことにキリトは慟哭し────

 

 ゾブリ、と生える剣先。緑衣を、妖精王を貫いて突き出されたのは鈍く輝く刀。

 

「油断大敵、だぜ」

 

 (えぐ)り引き抜かれる刀、(なか)ばから線を刻まれる胴部の向こうには、死んだ筈のクラインの姿。

 

 大部屋に突入する前に掛けたバフの数々、その中には当然、一度限りの自動蘇生リヴァイブも含まれていた。水妖精のみが使える高位回復、アスナの手による魔法はマナの枯渇した今でもなお、効果を存続させていていたのだ……とはいえHPが全回復する訳ではない。

 

「忠告ありがとう、だが生憎とダメージはゼロでね────そしてさよならだ」

 

 危険域(レッドゾーン)の危機に瀕していることは変わらず、そして。

 

 ────キリト、お前ェは生きろよ。

 

 バシャリと、今度こそ消し飛ばされた。リメインライトも残さず、生きた証の全てを失って。

 

 

 

 

 

「いやはや、人間の生は時に思いもよらない輝きを発してくれる。そう思わないかね、セブン君」

 

 パチ、パチ、パチ、と消えていったクラインに拍手を送り、問いかける妖精王に先ほどの余韻は微塵もない。八体の妖精達に押されているにも拘わらずマナが枯渇しているせいで何も役立てず、レインに引きずられるように逃げパーティーの後ろに隠れて守られているセブンは体を震わせた。

 

「何もできず他人を盾にして、どうする? 今の君とクライン君、どちらに価値があると思う?」

 

 どちらが生き延びるべきだったと思う? その問いに、普段のセブン──七色であれば即答していただろう。自分だ、自分こそが生き延びるべきだと、何の迷いもなく。ずば抜けたIQとアメリカの大学の首席も間違いない英知、幼くして天与の歌声と美貌を兼ね備え、まさに()()()()()()天才科学者の卵、それが七色・アルシャービンだ。誰もが羨み誰もが称え誰もが愛する少女である。

 

 生まれながらにアイドルとして生きてきた彼女は──しかし今は()()()()()()でしかない。

 

「選択肢をあげよう。クライン君と君の命、交換できるとしたら……どうするかね?」

 

 耳から染み込んでくるその言葉が、セブンには恐ろしかった。今まで考えもしなかった、思いもよらなかった誘惑が自分の中にあると感じて恐怖する──それは死と退廃、諦念と停滞の誘惑だ。

 

 誰にとっても一番大事なのは己の命、生存だ。自分という存在なくしては、自分を中心とした世界の観測者がいなくなってしまう。それは命が一つ消えるという単純な話ではない、ただ一つだけ認識できる世界が滅びるということで、だから人は何よりも自分の死を恐れるというのに──彼の(囁き)はあまりにも甘美に聞こえてしまう。ありもしない仮想の脳髄が蕩かされるように。

 

「これはゲーム、遊びじゃないか? 安心したまえ、ここで死んでも現実の君に影響はない」

 

 そう、その言い訳が成立してしまう。役立たずがここで一人死んで、役立つ一人が生き返るなら誰だってそちらを選ばせたいだろう。セブン自身だってそう勧めるに違いない、何故なら彼女もファンの皆を全員犠牲にして進んできた、()()()()()()()()()()のだから。知らず全身が震えだす。

 

「あ、あたしは……あたしはっ」

「どうするんだい、セブン君」

 

 にこやかな表情と慈愛のまなざし──そこに救いを感じてしまう程に染め上がる意識。

 

 ここで逃げたら何か大切なモノを失う予感があるのに──あるからこそ──逃げたくて。

 

「あ、あたしは──」

 

 ────パシン、と走り抜ける衝撃がセブンを揺らす。

 

「……え? あたし、頬を叩かれて……レイン?」

「セブン、もしかしてあんな下らない戯れ言に迷ってたりしないよね」

「え、えっと…………」

「ああああもうっ、顔を合わせちゃってどうしようとか悩んでたわたしがバカみたいじゃない!」

 

 驚きに目を見開くセブンを、レインは見下ろして……強張らせていた表情を緩めた。ガリガリと頭を掻いて(うな)る彼女はやるせない感情を持て余しているように見えて──まるで手の掛かる妹を相手にしているようで──セブンの肩を掴み強く揺らした。

 

「あんたがどれだけスゴくても、逆にどれほど味噌っかすでも、それでもセブンは生きていいのよ、そんなの当然でしょう!? さっきの彼だってそう言うに決まってるよ!」

「レイン……何を」

「いいから年長者の言うことは聞きなさい! ホントにあんたは昔から世話が焼けるんだからっ」

「ね、年長者って、そんな適当な理由でっ」

「だったら、お姉ちゃんの言うことを聞きなさいよ七色!」

 

 ポカン、と────一変した雰囲気の中でレイン、枳殻(からたち)虹架(にじか)は煩悶するのだった。

 

 この状況でカミングアウトとか何やってるんだわたし、と。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 枳殻(からたち)虹架(にじか)と七色は、かつて共に暮らした実の姉妹だった。姉の教えたちょっとした挨拶を妹は気に入って使い続けるような、仲睦まじい家族だった。そう、過去形である。

 

 幼き頃から非凡さの片鱗を見せる七色、才覚を発揮させたい父と普通に育てたい母と、どちらが正しかったのかは姉の虹架にも分からない。確かなのは……喧嘩別れした父は七色を連れアメリカへ、彼女は母と日本へと、生き別れたという事実だけだ。母との生活は──端的に言って貧しい。

 

 飛び級を重ね首席卒業も確実とされる七色はネットワーク分野の天才と呼ばれ、容姿と歌声も相まってアイドルのような扱いを受けている。アルヴヘイムにおいても同様に、ルックスや歌唱に惹かれたファンは数多い。(ひるがえ)って虹架はアイドルに憧れて、しかし今は路上ライブが関の山で。

 

 リアル準拠のアバター故に虹架、レインには一目でセブンが七色本人だと分かった。けれど何かアクションを起こすことはできなかった。アイドルなど夢のまた夢な自分と、既に大成功している妹と、歴然としすぎている差は飛び越えられず、劣等感はレインの足を縫い付けた。

 

 他人の期待や欲望を背負った妹の生き方が窮屈に見えた、それにしても、もしかしたら(ひが)みや(ねた)みの類いなのかもしれないと。ノコノコ出ていって姉だと名乗って、だからなんだと言われるかもしれないと。自分がちっぽけで、弱くて、妹の前に立つにはあまりにもみすぼらしく感じられた。

 

 だから……せめて、もう少しだけでも立派になってからじゃないと(七色)に話しかけることなんて到底できやしないと思っていたのに──本当の望みに嘘をついていたのに──我慢の限界だった。

 

「お父さんは何やってんのよ! こんな当たり前の(アンタがダメでも生きてていい)ことくらい教えておきなさいよ!」

「レインが……あたしの、お姉ちゃん? そんな、あたしの記憶には」

「世話が焼ける上に薄情なの!? わたしが教えた挨拶じゃない、プリヴィエート、って!」

「あっ……」

「思い出した?」

「そのヘタな発音、覚えてる!」

「ぶっとばすわよ七色」

「ぶってから言わないでよ! お父さんにもぶたれたことないのにっ」

「娘の(しつけ)一つできてないんだからそりゃあそうでしょうよ!」

 

 この間もキリト達は熾烈な戦いを繰り広げているのだが。彼らも白ローブもラスボスすらもそっちのけでレインとセブンは初めての姉妹喧嘩を繰り広げていたのだった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 強い──それが一合、キリトが斬り結んだ感想だ。まるで最適解を用意しているが如く、こちらの手を潰していく立ち回り。複数人でスイッチを駆使しても、本来AIが陥る筈の処理遅延、その隙を突くということができない。その挙動はまるで本物の人間を相手にしているようで……完成度の高さゆえに人ではあり得ないのだが、時おりギョッとする反撃を受けるのである。

 

 両手サイズの長剣、赤熱したソレを片手で軽々と扱う妖精達の背丈はマチマチだが、キリトが相手取っているアバターは十歳ほどの小ささで──八体の中で一番の手練れだった。

 

 他の七体とはあまりにも別格な敵を、単身で抑え込むと決めたキリト。そうでなければ連携をいいように引っ掻き回され断ち切られて敗北するだろうと……故に一対一、斬り結ぶこと十数合。

 

 まただ──斬り付けられた感触に苦い思いを噛み締め、剣を弾いて距離を離す。まるでキリトがどう考えているのかリアルタイムで把握しているかのような──いや、あり得ないと首を振って考えを追い出そうとして、相手が剣を下げる様子を見せたことにキリトは動揺した。

 

 まだライフは安全域だ、キリトとて全ての手札を見せた訳ではない、にも拘わらず剣先を地に向けるその動作は────お前なんか戦うまでもないと、嘲笑われているようで。

 

「っ、上等じゃないか!」

 

 指を縦に振ってメニューを、装備欄を開きタップ、()()()()()()()をジェネレートする。クラインに指摘されたように……二刀流はアインクラッドにおける自分の力の象徴であり、生死を賭けて戦った重い過去の象徴でもあり、キリトは複雑な思いを抱いていた。だからこそALOでは封印していたのだ、SAOの遺物として。

 

 けれどそれは……もしかすると、他のプレイヤーから見れば酷く傲慢に映ったのかもしれないと思われた。それを自覚できたのはクラインが怒りを露にしてくれたからだ。だというのに今この瞬間も同じ過ちを犯していたことが情けなく……相手に対して申し訳なかった。

 

「すまなかった。伝わるか分からないけど、俺にも事情があって……いや、よそう」

 

 二刀を構え前傾姿勢を取る。謝意は態度で示そうと、その構えに相手もまた、剣先を上げる。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「あなた達、もしかして……」

 

 ユウキが斬りつけ刈り取り、アスナが貫きまた一体を消滅させて、徐々に余裕が出てくる頃。剣を弾きあって離した距離、一息入れながらストレアは考えを纏める。妖精少女との戦いを始めてから続いている違和感の正体を、漸く掴み掛けていたのだ。

 

 人間とほぼ変わらない挙動が可能なAI八体、候補など一つしかない……つまり白ローブ達の中にいるのはメンタルヘルスカウンセリングプログラム、ストレアを除くユイ達の八人だろうと。

 

 それならば異様な程に戦い慣れた様子であることにも説明がつく。同型であるストレアの戦闘データを適用したのだろう。キリトと斬り合っているのはユイで──つまり親子喧嘩だ。

 

「アナタ、何か感付いたのかしら?」

「シノン……」

「何でもいいわ、この状況を打破するキッカケになるなら」

「えっと……あのローブ達と戦っても、あんまり意味がない、かもしれないの」

 

 どういうこと? そう尋ねるシノンにストレアはおずおずと応じる。MHCPと呼ばれるカーディナルシステム下の特級AIの存在と、彼女達を倒すのは労多くして益少ない行為だろうということ。倒しきることを考えるよりは数人で抑え、妖精王を倒した方がクエストクリアへの近道だろうと。

 

 何故そんなことが分かるのか、当然聞かれたその問いにストレアの口は重い。自分もMHCPなのだと、人ではないと伝えた時に向けられるネガティブな目や感情を想定して恐ろしくなるのだ。

 

「アナタ、もしかして……」

「っ、うん、きっとシノンの考えてる通りだよ」

「はぁ……人と違うことを気にしてるの? たまにいるのよ、VRに異常な適性を見せる子って」

 

 ユウキもその筆頭だし、とボヤくシノン。なんだとーと応じるユウキをあしらって、呆気に取られたままのストレアに近づいて囁いた。

 

「私達だって事情がない訳じゃないし、聞かれても話したくなければ話さなくていいのよ」

 

 アナタちょっとガードが緩そうだし気を付けなさい、と言ってまた弓を引くシノン。その顔色は動じていないように見えて、しかしMHCPの目には内側の揺らぎが情報として映っていて……感じたこと思ったことをそのまま表すストレアには馴染みのない、人間の複雑なあり方だった。

 

 好意を伝える際に目を背け、怒りを表す際に口を閉じ、悲しみを示す際に笑いをこぼす。ストレアにとって人間は誠に複雑怪奇で、やっぱり面白く傍にいて飽きることがない。愛しいと。

 

 であればシノン達がここで立ち止まることなど認められない。彼女達を先に進ませたいと……思ったストレアは、残ることを決める。

 

「アタシならあの子達を食い止められるから。シノン達はボスを倒しに行って」

「流石に一人での相手は無理だと思うけど……」

「あたし達が残ってあげるわよ!」

 

 やっと姉妹喧嘩を終えたのか、セブンとレインは互いに装備のあちこちを破損した状態で戻ってきた。とはいえレインは先の攻防で疲弊している上、セブンに至っては戦う術をほぼ持たない。

 

「あたしの気持ち(平和の祈り)が間違いとは思わない。それにコケにされたままじゃ引き下がれないわ!」

「だったら七色、ボスに挑んでみれば?」

「絶対にイヤよっ、どうしてそういう意地悪言うの!?」

 

 ナマハゲか何かかよ、とばかりにボスへの怯えを見せるセブンに首を振るレイン。この調子だからアッチは任せるわ、ということだった。残るはリーファ、アスナ、ユウキなのだが。

 

「あたしはストレアさんのフォローに回ります。ボスを倒すには多分、緊密な連携が必要だから」

 

 誰ともそう親しくないリーファ、数日の面識があるストレアが最大なのだから、咄嗟の連携など期待できそうもない。そんな自分がでしゃばるよりは出来そうな人に任せようという理由だった。

 

「というかアスナさんでしたっけ、あとユウキ? はボス戦を外れる気ないですよね?」

 

 そう、わざわざ聞くまでもなくシノンを加えた三人の気迫が全然違うのだ、他のメンバーと。特に妖精少女(ティターニア)が現れてからは鬼気迫るものがある。ボスを、妖精王を倒すのは自分だと言わんばかりのオーラをひしひしと放たれて、割って入らない位には空気を読めるリーファである。

 

「そ、そんなに分かりやすかったかな?」

「ぼ、ボクはただ新調した鉢巻き(アクセサリー)の感想を聞きたいだけで」

 

 ちなみにこの間も、減ったとはいえ五騎からの攻撃は間断なく続いている。それをたった二人の前衛で必死に捌きながら……ストレアとレインはボヤいた────犬も食わねぇと。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

この世界が、唯一の現実

 (ようや)くだ────その言葉が胸に去来する。僕の役目が終わるときは近い。

 

 仮想空間という牢獄に自分から、誰に頼まれた訳でもないのに留まって、発展を見続けて約五年──仮想世界はひとまず、一般人にとって違和感を生じないレベルには到達した。

 

 ALOは軌道に乗り、SAOは再開が近い。実現したかったデスゲームの阻止も……まぁ、成功したと思っていいだろう。次代を担う者達の目星も付いている、茅場先輩を退屈させることもない。

 

 元より──僕に情熱などというものはなかった。他人の望みを理解して、自分のものであるかのように装っただけで。仮想世界の充実? メディキュボイド? 木綿季のため? 詩乃のため? 明日奈のため? それらは全て過程だ、手段に過ぎない。

 

 そうして役に立っている実感が、誰かの願いを叶えているという感覚が、ちっぽけでどうしようもない僕の心を癒してくれる──意味を持てる人間でありたいと欲したからだ。

 

 僕の心根は変わらない、あり得ない筈の知識が強いる罪悪感と己の臆病さ、その板挟みにあって逃げたくて、けれど()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()あの頃と何も変わっていない。

 

 仮に僕の内から生まれた渇望があるとしたら、彼女達に生きて欲しいという願いに他ならない。けれど、それさえも知識(自分の外)からもたらされたキッカケによるもので……既に、叶ってしまった。

 

 残りはカデ子やストレアの成長を見守ることか、まだ手のかかる子達だから。アルヴヘイムは妖精達の通過点だ、無限に空を舞う力を得て羽ばたく彼女達をここで見送ることが僕の役目────

 

 

 

 

 

 それで満足だったんだけどなぁ────胸の奥からジクジクと何かが(にじ)んでくるのだ。

 

「どうして君達の生きざまはこんなにも……僕の胸を掻き乱すんだろうな」

 

 クラインの意地と叫び、キッカケが綺麗でなくとも手にしたモノが無価値になる訳じゃないと。

 レインの葛藤と暴発、暗い感情と尊い感情と、そのどちらもが人の中にあって、それでいいと。

 セブンの決意、他人の期待に応えて目指した目標だとしても、自分でだって憧れてよいのだと。

 

 彼らの示してくれた意志がどれ程に僕を揺らがせたか。彼らにその意図がなかろうとも。

 

「やはり、来るのは君達だと思っていたよ」

「その割には私達を見て表情が歪んだようだけれど、どういうことかしら?」

「心の準備ができていなかったんだ。僕は小心者だからね」

 

 シノンと、アスナとユウキ。弓を剣を携えて、やって来たのは恐れていた(心から待ち望んでいた)彼女達。こういう時、VRは困る。表情を取り繕うということが非常に難しい。詩乃と約束を交わしたのは正解(間違い)だった。

 

「ボクらだって言いたいことあるし。GM権限があるからってここで逃げたりしないよね?」

「あぁ……今さら逃げ帰る舞台袖もない。脚本家の分際で舞台に立ってしまったからね」

 

 ユウキ、君達の人生に僕は姿を現してしまった。認識されてしまった。影響を与えあってしまった。ならば幕が降りるまで勝手に引き下がることは、やはり許されないのだろうか。

 

「わたしは……今のすごーさんが浮かべている表情が嫌い。何もかも悟ったような目をして、そんなのはわたし達の隣で見せてくれたあなたじゃない。少なくともソレだけが、あなたじゃない」

「アスナ……君達はいつもそうだ。小心な僕の背を押してくれる、あの時も、そして今も」

 

 キラキラと好奇心に弾んだ瞳、悲しみと切なさに彩られた眼差し、怒りと意地に塗りあげられた目付き、心の奥底を覗かれそうな鋭い眼光に……励まされ叱咤され、そうして始まったのだから。

 

 片手剣をゆらりと半身に構えるユウキ。

 

「斬れば分かる、そうしてこの世界のボクは生きてきたのにすごーさんは斬ってなかった。ボクは知らない内にあなたのことを(ないがし)ろにしてたんだ……そのことを謝りたいと思って」

 

 シノンもまた、矢をつがえて狙いを付けてくる。

 

「私も心地よい曖昧さに甘えて本音を隠していた……今のあなたは見ていられないから喧嘩をし(本当の親子になり)たい。親が間違っていると思った時、子は全力で反抗するものでしょう?」

 

 既にアスナは細剣を僕に向けていた。

 

「まだ頼りないかもしれないけど、わたしはこれからも成長する。あなたを守れるようになりたいから……だからあなたが誰かに傷つけられるのはイヤ、誰かに(撃破)されるなんて耐えられない」

 

 重い、重いよ君達────それを嬉しいと思ってしまう辺り、僕も相当にイカれているらしい。

 

 ならば応えよう、僕の全力をもって。(うた)い示そう、君達への愛を。

 

「ならば、まずは僕の世界に招待しよう。全てがあって何もない、ただ傍観するだけの特異点へ」

 

 ここから先は僕達四人だけが知っていればいい。資格なき者は例え、システムであろうが踏み入れさせはしない──転移は一瞬、たどり着いたのは全天をモニターで覆った無機質な空間。

 

 戦闘を続けているストレア達、世界樹の麓で再突入の準備をしているプレイヤー達、街を賑わすユーザー達、各地で各々のしたいようにプレイしている彼らの姿が全て見える──()()()()()()

 

 ALOの全体を統御するGMのコンソールルームだ。アルヴヘイムを──否、全てを遠巻きに眺めてはちょっかいを掛けることしかできない僕には相応しい空間、ここなら邪魔は入らない。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 速い────三人の印象は、ただその一言に尽きた。

 

 尋常でない速さで振るわれる拳は迫る矢を剣を(ことごと)く弾いていく。移動もまた、足を動かした瞬間には懐に潜り込まれる程に。最早、システム的な限界を超えた何かだった。

 

 矢筒へと伸ばしたシノンの右手をとって投げ落とし──

 斬りかかろうと剣を振り上げたユウキの腹部を打ち抜き──

 突き貫こうとしたレイピアをすり抜けてアスナを殴り飛ばし──

 

 三人がそれぞれ一度は地に倒れ伏したところで須郷は動きを止めた。

 

「不思議かい、何故これ程の動きが可能なのか」

 

 数メートルの距離を開けて口を開く彼、その態度はいつでも倒せると言っているかのようで……気に食わないながらも息を整えることにアスナ達は注力する。攻防を重ねて数十秒、息があがる程に攻め立てても(かす)りすらしない理由はどこにあるのか、知らなければ始まらなかった。

 

「オーバーアシスト、と呼ばれるコマンドだ。一般プレイヤーに課されている重力や慣性といった枷を、任意で外し行動することが出来るGMの権限だよ」

 

 けれど、と付け加えられた内容は壮絶なもの。オーバーアシストを扱える人間がアーガスとレクトにすらたった二人しかいなかったという事実。即ち最初期からVRを築いてきた茅場と、須郷だ。

 

 初期の仮想空間は酷いものだった。現実のコピーどころではない、出来損ないですらない。そも五感情報の全てが存在しない、光も、熱も、匂いも、感触も、音も、何一つとしてない無の中に、自分という存在の意識だけが漂っている。広大であるのかすらも分からない────

 

 呼吸をしたい──気が狂いそうだ──けれど死なない、そもそも肺なんてないのだから。

 声を聞きたい──気が狂いそうだ──けれど困らない、そもそも耳だってないのだから。

 

 一事が万事その調子である。重力や慣性にしても同じこと、現実の地上で生きるには必須のそれは、仮想空間では()()しなければあり得ない。オーバーアシストをまともに使える人間が須郷と茅場しかいないのもまた、昔からこの環境を体感しているからだ、嫌というほどに。

 

「君達は重力も慣性も光も空気もある世界が当然だと思っているだろう、疑問に感じたこともあるまい。けれど僕は違う。仮想技術黎明期、仮想空間にそんなパラメータは存在しなかった」

 

 己の身で重力を、慣性を、多くのパラメータを成立させてきた彼にとって、仮想空間とは欠陥だらけの世界、原初の世界だった。故にオーバーアシスト(慣性も重力もないふざけた動き)もできる。

 

 瞬き一つの間に気がつけば目の前に立たれ──それを脳が認識して動こうとした時には既に離れている。冗談としか言えない動きを見せた須郷は乾いた笑いをこぼした。

 

「現実の再現に僕が今(なお)躍起になっているのは仮想世界に覚えてしまう違和感が許せないからさ。まるで()()()()が作り物みたいで──違和感を覚える()()()()()()なのかもしれないけれどね」

 

 そう言って──三人をしかと見つめる目。彼の目には今、確かな色があった。

 

 刀で貫かれた箇所を指でなぞる動きは、そこに籠められたクラインの意志を反芻するようで。

 

「こんな適性を得ても嬉しいとは思えなかった。けれど得たモノに罪はないと、教えられた」

 

 見やった映像にはセブン。周囲の思惑と混ざろうとも、構想に夢を見続けると決めた少女。

 

「仮想世界に夢を見る資格は僕にはないと思っていたんだが……後から憧れても構わないらしい」

 

 次いでレインへと目を移し、苦い笑みが零れたのは……自身の弱さを炙り出される感覚故に。ずっと君達に嫉妬していたと──心からの叫びと鮮やかな意志を見せる君達のようになりたかったと──なれる筈もないのに真似をして満足して──叶った願いを共に喜んで──なんという道化と。

 

「けれど僕が耐えられたのは君達がいたからだ。明日奈と、詩乃と、木綿季と、それぞれの生きる姿と願いから目が離せなかった。あまりにも魅力的だったから、同じ世界に生きたいと切望した」

 

 まるで炬火(きょか)に惹かれる羽虫のようだと。しかし顔付きは晴れ晴れとして……感情を偽ることの出来ないVR世界においてはつまり、己の過去を(うと)んではいないということを意味した。

 

「わたしたちが役に立てていたならとても嬉しいけど、これからはどうするの?」

「どうするか、どうしたいか、か……最初はここで君達を見送ってさよならでも良かったんだが」

「なっ、ボクはそんなこと許さないからね! どこまでだって追いかけ──」

「落ち着きなさいユウキ、話の途中よ。それで、今はどうなのかしら?」

「今は……またあの世界で生きたいと思う、って何だその顔は。曖昧だって?」

 

 もっと詳しく、とのシノンの返事に頭をかき……観念したように重い口を開いた。

 

「大切だと分かっているのに逃げたかった。いや、大切だからこそ逃げたかった。けれどやっぱり君達と離れたくない。君達という灯りがなければ、僕は歩くことすら(まま)ならない」

 

 興味、関心、観察、義務感、一切合切(いっさいがっさい)どうでもいい。三人の生きる姿を見て、間近で接して影響を受けて、人生の一部になって──今更、無くして生きられる筈もなかった、と。

 

「明日奈がいたから僕は変わり始めることができた。君の眼差しと笑顔が僕を奮い立たせた」

「わたしはただ安心できる人を求めていただけで、どうしようもなく子供だったのに」

「彰三さん達には感謝している。お陰で君と出会うことができたんだから」

 

 幼い頃を持ち出され赤くなったアスナの顔は、それを聞いて更に熱く赤く染まる。

 

「木綿季がいたから僕は道を探すことができた。逃げるように選んだ道に、胸を張れた」

「逃げるように? それは分からないけど……ボクはすごーさんに貰ってばかりだよ?」

「メディキュボイドの開発で一番救われたのは、他ならない僕自身だと思うよ」

 

 驚き目を見開くユウキ。自分以上に救われたと言い切る彼は、何を抱えていたのかと。

 

「詩乃に出会えたから僕は生き方を振り返ることができた。この世界の一人になれたんだ」

「出会い……私は、ただ苦しかった。それを誰にも言えずに……震えていただけよ?」

「君とお母さんの思い合う気持ちが僕を動かしたんだ。何かできることはないかと考えさせた」

 

 病室で一人、流せぬ涙を堪えていた自分に母の声を届けてくれた過去がシノンの脳裏に蘇る。

 

「恩を返したいと思う、けどそれだけじゃない。共にありたいと、愛しいと、そう思うよ」

「だったら私を放さないでよ! 私達から離れていこうとするんじゃないわよっ」

「そうだな……どうにも僕は気付くのが遅い。ごめんな、詩乃。これでは親の役も失格だ」

「失格したからって退場なんかさせないから。一生続けてもらうから!」

 

 そう言いつつギリギリと、弓を引き絞るシノン。

 

「まだまだ知らない話があるみたいで疎外感が半端ないんだけど。すごーさん、ボク怒ってるよ」

「あ、あぁ……話せる所はちゃんと話そう。というかユウキ、鉢巻のデザイン変えたんだな」

「今、今そこに気付くの!? ちょっと遅くないかな、ボクはずっと緊張してたのにさ」

 

 完全に目が据わったユウキは片手剣を構え、前傾姿勢を取る。

 

「わたしもちょっと許せないかな……ちなみにさっき斬られていたのは平気だったの?」

「首を落とされなければダメージは発生しない。GMの特権というヤツだな」

「へぇ──じゃあ、その素っ首を叩き落とせばいいのね」

 

 体勢を低くしたアスナは、明らかに突進からの刺突を狙っていることが見え見えだった。

 

「そうだ、とはいえ簡単にはやらせんよ。こちらの攻撃も急所に入れば一撃で全損させる」

 

 そう言って示した籠手(ナックル)はヤドリギ製、名をミストルティン、普段はダメージ0だが急所に当てた場合のみ防御もライフも無視して絶命させる鬼畜仕様だった。バルドル殺しの逸話に(ちな)んだ品だ。

 

 完全スキル制のALOでは初期装備の剣であっても上手く斬れさえすれば敵プレイヤーのライフを一撃で全損させることが可能だ。実際それをやってのけるプレイヤーも何人かいるのだが……流石にアイテムの形で提供するのは不味かろうということでお蔵入りした伝説級武器(レジェンダリィウェポン)の一つである。

 

「えええええ、すごーさんズルくない!? ボクら普通の武器だよ!」

「お前ら三人で袋叩きにされる僕の気持ちにもなってみろ、これでも足りんわ」

 

 ジト目と軽口の応酬、それもいつかは尽きるもので──自然と動きは重なった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 まぁそうだよな、と思いながら僕は泣き別れた首から下を見上げ──すぐさま爆散するのをしみじみと見送った。オーバーアシストが使えるとは言え僕の身体能力は人体の限界を超えられない。

 

 一人ずつがバラバラにかかってくるならばトリッキーな動きで翻弄して対処もできるけれど……三人に連携して攻められては無理だった。僕が学生時代に剣道で学んだことは……格上にはまず敵わないということである。あと複数人を相手にするのは非常に難しいということだ。

 

 特に転移してからは魔法絡みのモノを僕も全て封印している。僕自身の手で戦いたかったから、などというつまらない意地だ──最初の数十秒を凌いだ段階で精神的な限界がきたのだけど。何が悲しくてあの子達を殴らないといけないのさ、胸が痛いわ。誰だよこんな展開にしたの。僕だよ。

 

 僕自身、PvP経験がない訳じゃない。ゲームだと、遊びだと割りきっていれば彼女達を倒すことにも……躊躇はない、多分。けれどあそこまで激しく気持ちをぶつけ合って、仮想世界における僕も彼女達もリアルなのだと認識してしまったら……現実世界で明日奈と、詩乃と、木綿季と対峙して殴り合いに発展してしまっているのと変わらないのだ、僕の心情は。苦行にも程がある。

 

 だからAIに任せたかったんだよなぁ──なんて考えながら空間が謁見の間に戻るのを確認して、妖精王が撃破されたことでシステム的に進められるだろうイベントの続きをリメインライト状態で待っていた僕に…………何故かアスナは近付いてくるなり瓶の中身を掛けてきた。バシャッと。

 

 え、いや、確かにプレイヤーアバターの一種ではあるから蘇生はできるけど、これだとイベント進まなくなってしまうんだが──え、この雰囲気の中で妖精王ロールもう一回やるの? 嫌だよ。

 

「あの、アスナさん……どうして僕を蘇生したんでしょうか」

「聞きたいことが山ほどあるからです。とりあえず──アバターをリアルに戻して、いいわね?」

「アッハイ」

 

 泣き別れた胴体の残骸が爆散するのをリメインライト状態で眺めながら、この後はシステム的にイベントが進行していくだろうと──思っていた僕はどういう訳か即座に蘇生された。

 

「それで誰の攻撃で殺られたのかな、ボクだって分かりきってるけど、一応ね」

「私達の誰にもラストアタックボーナスの表示が出ないのだけれど、どういうこと?」

「僕を撃破しても経験値・ユルド・アイテムは何もないぞ? 謁見で充分なんだから」

 

 唖然とした空気に僕の方こそ吃驚である。最初から告知していたではないか、謁見すればいいと。僕とてその辺りを違えはしないよ。だというのに戦意旺盛な子ばかりで戸惑ったのだ。

 

 武装せずに歩いて入室すれば謁見ルートだ、という情報も追加クエストの報酬だったのだが……この分では無視したのではなく見逃したのだろうか。詐欺くさくない? とかボヤかれても困る。むしろどうして君達は僕の命を執拗に狙ってきたのかを知りたい──あれか、実はすごく嫌われているとかそういう話なのだろうか。だとしたら凄く落ち込むのだけれど。

 

 ガックリと肩を落とす面々に僕こそ肩を落とした。次に質問してきたのはユウキだ。

 

「ボク達の滞空制限は解除された、んだよね。もうアインクラッドには行けるの?」

「行ける、けど気を付けた方がいい。SAOの踏破経験者は例外なく裏SAOにご招待だ」

 

 裏? と首を傾げる彼女に詳しく説明をすることに。表の第百層の続きとなる、実質的な百一層に位置付けられる難度のアインクラッドは未だ完成してはいない、それこそ下部の十数層くらいだろう。時間は充分にあったのだが……茅場先輩が全力で作り込んだらそこまでしか出来上がらなかったのだ。あの人ホントにアインクラッド好き過ぎだろう。アーガス社員の悲鳴が聞こえそうだ。

 

 しかし十数層とはいえ作り込みの具合は半端ない。そして難度は目も当てられない。死に戻りが前提だからといって先輩、デスゲームでは試せなかったことをこれでもかと満載しているのだ。

 

 僕が見せた飛行不能も魔法不能もアイテム使用不可も、全ては序の口だ。かつてのユニークスキルや伝説級武器も広く開放されるが、その程度の餞別しか贈れないことが不甲斐ない程に。

 

 SAO事件でのアイテムやらを引き継いで裏に進むか、放棄して表に進むかはプレイヤー次第だ。

 

「市街地は表と共通だけど裏のアイテムは持ち込めないから……諸君の健闘を祈る」

「祈られても困るわよっ、難易度を調整するカーディナルシステムは機能しているの?」

「表をグラズヘイムとすれば裏はヴィーンゴールヴね。エインフェリアが大量に出そうだわ」

「シノン、割とシャレにならないよ……まぁボクらはこんな所かな。キミ達は何かある?」

 

 ユウキに促されて近付いてきたのはレイン……の背中に隠れたセブンだ。

 

「あの……アナタも、あたしの理論に反対なの?」

「理論って、クラウド・ブレイン構想のことか?」

 

 こくり、と頷くセブンは顔だけを……というか目から上だけを覗かせてこちらを見ている。何かそこまで怯えるような理由があっただろうか……不思議に思いながらもとりあえず答えておく。

 

「実に興味深いと思うよ。リソースの共有と統一的意志、夢のある話だ」

「で、でしょう? それなら」

「あの茅場先輩と思考を直結させてくれるなら是非もない。随分と助かる」

 

 へ、と間の抜けた声を出すセブン。何を惚けているのだろうか、彼女の望みなのに。

 

「僕なんて及びも付かない異常な茅場晶彦と脳を繋げるだなんて随分な勇者だと思うよ」

「い、いや……あたしは別に、そういうつもりじゃ」

「楽しみにしているよセブン、いや七色博士。彼と繋がっても無事なことを祈っている」

「ぴい!?」

 

 変な悲鳴をあげるなりセブンはザザザザッと後ずさって物陰に隠れてしまった。

 

 僕ですら茅場先輩と思考を繋げるなんて御免被るというのに、天才というのは凄いものである。十二歳にしてあれ程の自己犠牲を実現しているとは……これで先輩の翻訳業も引き継げそうだ。

 

 仮想世界の先行きに憧れ、夢を追ってもいいのだと体を張って教えてくれたセブンには感謝してもし足りない。僕にもやりたいことがまだまだあったのだと、思い出させてくれたのだから。

 

 まぁそれは僕個人の思いだ。運営のレクトとしては──研究の場に使われるのは面白くないが、禁止はしない。それでもなおセブンがこの世界を楽しいと感じてワクワクにとりつかれてしまう程にアルヴヘイムを魅力的にしてやろうじゃないかという具合で──むしろ燃えていたりする。

 

 まぁ茅場先輩の再来と噂される天才科学者を自分達の手でトロトロにたらしこんでやろうという非常に変態的かつサディスティックでマゾヒスティックな連中が多いという、それだけの話だ。

 

 会議で聞いている時は「なに言ってるんだ」と思ったが……今となってみれば感じ方も変わる。その挑戦も悪くないと思う辺り、僕も彼らと同類らしい。

 

「あ、あのー」

「君はレインか、わだかまりは解決したかい? 君のストーキングは何件か通報があってね」

「あ、あはは……ご迷惑お掛けしました。というか、私達の事情ってもしかして知って?」

「いや? 丁度いい機会だからそれらしく質問しただけで何も知らなかったぞ」

 

 うげ、と女子らしからぬうめきをあげるレイン。MHCPならむしろ更に直接的な質問を繰り返していただろう。彼女達のような眼があれば楽なのだが、そこまで人間を外れる勇気はまだない。

 

 

 

 

 

 さて、向こう側にはキリトとリーファにストレアと、ローブを脱いだユイ達が話し込んでいる。

 

 彼らにも積もる話はあるだろうし邪魔するのも忍びない。システムの実装だけ済ませて各自解散でいいだろうと操作する僕の手元をシノンは凝視して、何か気になったのか声を発した。

 

「ねぇ、このコマンドは何をするものなの?」

「ん? あー、開発段階でお蔵入りした演出だ。グラズヘイムに行くための橋を掛けるんだよ」

「それって虹の橋、ビフレストのことよね」

 

 是である。世界樹を攻略できなかったプレイヤー達に「歩いてアインクラッドを目指すがいい」と提供する救済措置だったのだが、流石に意地が悪いということで中止されたのだ。

 

 元ネタ的にはアルヴヘイムからグラズヘイムに繋ぐものではないし、滞空制限は解除されたことで今となっては不要なのだが────そうだな、せめてもの詫びか。

 

「レイン、セブン、君達にグランドクエスト達成の報酬を払おうと思う」

 

 バルコニーに来いと伝えて外へ、管理者権限で実行されたプログラムはテラスから七色の橋を伸ばし、遥か空の彼方へと伸びていった。この先にこそ、アインクラッドは存在している。

 

「ふ、ふんっ、そんな安直なプレゼントされてもあたしは喜ばないんだから!」

「といいつつ七色、頬が緩んでない? というかいい加減に私の背中から出なさいよ」

 

 カバディのごとくレインを壁にして離れていくセブン。それでもビフレストを歩いていこうとしている辺り、気に入ってはいるようだ。と、入れ替わりにアスナとユウキが迫ってくる。

 

「ねぇねぇ、ボクらにご褒美はないの?」

「わたしも、何かあったら嬉しいなって」

「え? そう言われても何も用意していないんだが」

「心配いらないわ二人とも、すごーさんの手を見なさい」

 

 ん? と僕を含めて視線を集めたのは手、というかミストルティンの籠手。

 

「ミストルティンの材質はヤドリギよ。そしてヤドリギの下にいる人はキスを拒めないの」

「ちょっと待とうかシノン女性が拒めないというだけの習慣で男ではなく、いや待ってくれアスナなんで腕をがっしりと掴んでいるんだ、ってユウキまで僕にしがみついていったい何を」

「わたし、今は男女平等の時代だと思うの。だから気にしなくていいよね」

「ボク、ちなみに初めてだから……ね?」

「諦めなさい、アナタは狩られる側よ」

 

 

 

 

 

 拝啓、父上様。嫁を捕まえる約束なのに捕まりました、どうやら僕はヒロインだったようです。

 

 

 

 

 

 誰かを連れていくのは少し待ってください、相手が学生なんです──というか助けてください。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

明日世界が滅ぶとも、ユウキは林檎の木を植える

何故ホロウフラグメントにはユウキの添い寝イベントがないのか。
全てはそこから始まった。


 世界樹の上で激突した──とはいっても最後は僕だけが爆発オチという一方的な展開だった──後日、(くだん)の四人で自宅に集まっていた。木綿季の送迎は僕が担当する次第である。

 

 何か知りたいことがあれば程度の気持ちで提案したつもりの僕とは裏腹に、思いのほか三人とも用件があるらしい。僕の抱えていた事情は正直もうあの日にほぼ明かしてしまったのだけれど。

 

 というか恥部にも程があるだろう、なんだよ君達が羨ましいって……面と向かって伝える言葉じゃないよ。詩乃と翌朝、どれだけ気まずかったことか。慈愛の目は止めてくれと。

 

 これ以上いったい何が知りたいんだ、いやもはや何も怖くない、何でも聞きたまえよ──などと開き直って臨んだ僕がどうやら一番テンパっていたようで、三人は実に落ち着いていた。

 

 特に明日奈と木綿季は気持ちに余裕があるというか、肩の力が抜けているというか。

 

「わたし達はお昼を準備しておくから。ほら、木綿季はすごーさんの相手をしてあげて?」

「いいの? ボクも手伝おうか?」

「私達だけで大丈夫よ、三人もいたらむしろ手狭だわ」

 

 明日奈と、彼女を迎えに行った詩乃はビニール袋を提げて帰宅したのだけれど……どうやらこのためだったらしい。ならばと僕は待つべくソファに腰かけて──ススッと隣にやってくる木綿季。

 

「あのさ、すごーさん。一つだけ聞いていい?」

 

 くいくいと袖を引く木綿季に頷きを返す。アバターとは違ってショートカットな彼女の額には、一個だけ>マークの付いた鉢巻が結ばれている。今日はちゃんと会ってすぐに褒めることができたのだ、二度同じ失敗はしない──贈ったのが自分だということには目をつぶろう、うん。

 

 さて先日は随分と色々、際どいことまで口にしてしまったから……何を聞かれるのだろうと内心ヒヤヒヤしていたのだが、思っていたこととは全然違うことを木綿季は尋ねてきた。

 

 即ち────グランドクエストに茅場先輩(ヒースクリフ)がいなかったのは何故? である。

 

「いた方が良かったか?」

「え、いやそういう訳じゃないよ、ボクらはすごーさんがいれば何でも良かったし」

 

 ただ凄いゲーマーっぽかったからさ、という感想は実に的確だ。実際、先輩は参加したそうな雰囲気を匂わせていた──ガン無視した──し、攻略進行中も何度かアクセスを──全てシャットアウトしたが──試みていたようだ。カーディナルを味方に付けていなければ危なかったと思う。

 

 なんでそんなことをしたのかといえば、それは。

 

「意趣返しだよ、SAO事件に明日奈を巻き込んだこと、僕は怒っているんだ」

 

 明日奈がSAO事件に──デスゲームではなかったとはいえ──巻き込まれたことに関して、僕は茅場先輩を許していない。引きずってみっともない? 今更な話だ、元より僕は小心なのだから。

 

 だがあの宇宙人にどうすれば意趣返しできるのか──殴ったところで響きはしない、法はまるで付いてこない──悩んだ末に思い付いたのはワクワクを奪えばいいということ。そんな訳で世界樹攻略に先輩が参加できないように手を尽くしたのだ、カーディナルが。本当にカデ子様々である。

 

 と、ガシャンと大きな音が台所の方で聞こえたのは……皿でも割ったのだろうか。詩乃か明日奈か、そそっかしい所もあるものだ。怪我なんてしていないといいけれど。

 

 仕上がった料理はいつぞや仮想空間でアスナに頂いたものと似て──また違った味わいだった。どちらが美味しいか? それはやっぱり今回一択だろう。横にいる人物が違うから……そして何より、僕自身の心持ちがあの頃とは全く違うのだから。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 草原を吹き抜ける風──新生アインクラッドの第一層、はじまりの街周辺のフィールドにて。

 

 ここでは今、いつか誰かがやっていたようなことを同じようにやっている一団がいた。ユウキは突進してきた青イノシシを軽々と受け止めて、押し返してバランスを崩させる。本来は最序盤のモンスターでしかない相手にここまでするのは、組んでいる相手(セブン)が初心者だからだ。

 

「セブン、スイッチ!」

「てやぁっ、うきゃあ!? こらユウキ、いきなり過ぎるわよ!」

「えー、合図を声に出してる分、これでも時間を掛けてるんだけどなー」

 

 純魔法型に何を期待しているのよ、と悲鳴をあげつつ……楽しそうなセブン達の様子をレインはランと共に眺める。こうしているとセブン、七色も普通の女の子だな、と思いながら。

 

 世界樹攻略戦後、レインとセブンはちょくちょく会うようになった。レインはバイト、セブンは研究と歌手業があるためいつもという訳にはいかないのだが、とある土妖精(ノーム)の喫茶店が共に行き付けとなったこともあり顔を合わせる機会は増えている。

 

 あの後──虹の橋をなんとなく二人で歩き出したままアインクラッドを目指して、色々な話をした。もちろん(はね)で飛んで行けばさっさと到着できただろうけれど、お互いにそれを言い出すことはなかった。父に連れられ渡米した七色と、母と共に帰国した虹架、あの時から知りようもなかった互いの時間を埋めるようにゆっくりと歩いたのだ。

 

 そうしてたどり着いたアインクラッドには既に何人ものプレイヤーが降り立っていて──その中にユウキとランもいたのだ。先頃の戦いで共闘したというだけでなく、セブンにはユウキとの間にある種の因縁がある。それ故にどうしようかと立ち止まってしまったのだが。

 

 ──ボクを置いて姉ちゃんが先に死んじゃうのはこれっきりにして!

 ──妹の面倒を見るのは姉の特権だもの、背中を押すのもね。だから確約はできないよ。

 

 食って掛かる妹とそれを(なだ)める姉のやり取りを聞いて……セブンとレインは自然と自分達に置き換えて感じていたのだ。先程ようやく再会することのできた姉妹ではあるけれど……自分もまた、彼女達のようになれたらいいと。そして、なれるのだろうかと。

 

 お互いに内面へ没入したまま目線はユウキ達に固定されていた。そのことに当事者達が気付くのは時間の問題で、そこから交流が始まったのだ。熟練姉妹と姉妹見習いのパーティーである。

 

「ウラー! やってやったわ、流石あたし!」

「うらー? ねぇセブン、それってすごーさんの真似?」

「は、はぁ? 何であたしがそんなことしなくちゃならないのよ」

「だってすごーさん、うりーってよく叫んでるよ? 同じようなものでしょ」

「全然違うわよ、ウラーはロシア語で……というかそもそもWRYYYYYYって何よ一体」

 

 歌手さながらの高く通る声で叫ばれる奇声(WRY!)がフィールドに響いていく。そんな様子を見てレインは思った──なんだかんだ言っても気にしているじゃないの、と。

 

 一時、須郷に対してセブンはひきつけを起こしたが如くに怯えていた。無理もない、傍で聞いていたレインですら「うわぁ」と感じた程なのだから。七色に肯定的な人間しか今まで周囲にはいなかったのだろう、というよりも反対されるような理由を作らないように振る舞える賢さがあったと言うべきか。未経験のストレスが七色に手酷いダメージを与えたことは想像に難くない。

 

 だというのに蓋を開けてみれば寧ろ相手は好意的だというのだから意味が分からない。更に応援までされたセブンの内心は固まっていた──この男と思考を繋げるなど死んでも御免だ、この男をしてヤバいと言わしめる茅場晶彦など論外である、と。

 

 かくしてクラウド・ブレイン構想は再検討を余儀なくされ……その割にこうしてALOへログインしている辺りに複雑な事情と内心が透けて見えた。

 

「セブンって実はすごーさんに興味あるでしょ」

「ぴい!? おおお恐ろしいこと言わないでよ、出てきたらどうするのよ!」

 

 周囲を見回して安全を確認するセブン。以前、何の気なしに央都アルンを出歩いていたらオフの彼と鉢合わせてしまって以来、ちょくちょく辺りを見回しては息をついているのだ。

 

 そんな様子を全員に観察されていることに気付いて我に返り……こほんと咳払いを一つ。

 

「ってそうじゃないの。ユウキ、あなたに言っておくことがあるのよ」

「ボクにって、何の話?」

「あたしはきっとクラウド・ブレインをちゃんとした形で実現して見せるわ」

 

 言葉だけじゃなくて色々研究も進めているんだから、と両手を広げてアピールするセブン。内容自体はよく伝わらないものの、彼女が一生懸命なことはユウキにも伝わってきた。

 

「一人一人の頭では考え付かないことだって出来るようになるんだから!」

 

 より満足度の高い制度構築であったり、景観と調和した都市設計であったり、先進的な(難病を根治する)薬剤の開発であったりと、一人では知識も知恵も思考も不足して届かない領域を協力して目指す(未来)

 

 皆の思考を統一すれば闘争も起きず平和になる──そんなアバウトでボンヤリとした目的ではなく、具体的にどのようなニーズに応えたいのか、応えられるのか、セブンは探していた。

 

「だからあたしが偉業を成し遂げるところをちゃんと見て──あぶぶっ」

「ありがとセブン、キミってホントはいい子じゃん!」

「い、いきなり抱きついてこないでよ驚くじゃない!」

 

 小柄なセブンでは受け止めきれず背中から地面へ、倒れたままにユウキの頭をべしべしと叩いて抗議するも当人はまるで聞いていない。友達(セブン)の思いがあまりにも嬉しかったのだから。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 ──あれ、ボク何してたんだっけ……夢?

 

 ゆっくりと覚醒していくにつれて外気の寒さがやってきて──木綿季は間近な温かさにギュッとしがみつく。ぽかぽかとした何かに頬擦りして、一息ついて深呼吸……すんすんと、捉えた匂いがよく知っているものであることに気付いて目を見開いた。

 

「お、起きたか」

 

 視界にあるのは彼の胸元と顔と、あと背景に春の青空。木綿季は暫し状況の把握に努めて……今まさに自分は横抱き、というかお姫様だっこで運ばれているらしいことを理解した。

 

「いやいやいや、どうしてこうなったのさ!?」

「と、そう暴れないでくれ。流石に辛い」

「あ、ゴメンなさい」

 

 最近はあまり鍛えていないから、という須郷の表情は普段と変わらない。そういえば自宅に送ってもらう途中で記憶が途切れていたことに気付いて──成り行きに納得した木綿季。とはいえ彼女だって年頃の少女だ、重いと思われていないか、なんてことが気になるのである。

 

「あの、さ……ボク、重くない?」

「ん? まー、何と言えばいいか……体重だけなら全然軽いんだが」

 

 人間一人を抱えていると思うとずっしりくる、責任重大だ──なんて返す言葉には照れや冗談の色がまるで含まれていないものだから……木綿季も困ってしまう。

 

「重いと思ったら降ろしてもいいんだよ?」

「冗談言うなよ。木綿季がいるから僕は強がれるしマトモでもいられるんだ」

 

 照れる内心を誤魔化して──頷かれたらショックだというのに──発した言葉に返ってきたのは真剣な声音。木綿季は胸元に顔を押し付けて隠した……現実世界でも内心を隠すのは難しい。

 

「ほんとかなぁ、すごーさん強かったじゃん。途中までだけど」

「あ、あはは……面目ない。ただ、ユウキの(思い)は効いたぞ? 流石は絶剣さん」

「むぅ……絶剣なら、まぁいいかな」

 

 アスナとのコンビは組めないかなーと呟く木綿季に……何のことやら、と呟く彼。そうこうしている間にたどり着いた目的地、二人が目指していたのは紺野家である。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「そっか……すごーさんも怖かったんだね」

 

 いいこいいこ、と木綿季に頭を撫でられているこの状況。詳しく描写すれば「腹這いの木綿季」on「あお向けの僕」on「木綿季のベッド」……入室するなり要求されてずっとこの体勢である。

 

 どういう訳かといえば明日奈と連れ立って出掛けるという連絡が詩乃から来たためで……どうせ家に戻っても誰もいないなら上がっていってよ、と誘われてお邪魔した先が予測と違って木綿季の私室だったというだけの話だ。だけじゃねえよ大問題だよ。

 

 いや……てっきりリビングで少しお茶をして終わりだと思っていたのだけれど、本当はまだまだ聞きたいことがあると腕を取られては断れない。約束をしたのはつい数時間前の話なのだから。

 

「まーこれで大体の知りたかったことは聞けたかな」

 

 満足満足、と頭をゆらゆら揺らす木綿季。ぐりぐりと小さな顎が当たって実にむず痒い。

 

「その……木綿季は赦してくれるのか? 僕が君達の事情を……逃げ道にしてしまったこと」

「それこそ今更だよね、だってあのとき言ったじゃん」

 

 動機が綺麗でなくても得たモノや成したコトの価値は変わらないと。

 

「ボクだって絶剣とか呼ばれるけど、キッカケはあまり胸を張れないしさ」

「木綿季はただ必死だっただけだろ? 誰に(はばか)ることない意志の発露だよ」

「だったらすごーさんだってそうじゃん」

 

 違う? と尋ねられて暫し硬直し……観念した。どうにも僕は諦めが悪かったらしい。

 

「他人の弱さは赦せても自分の弱さは赦し難いんだな。なんというかカッコつけたくなる」

「だったらボクが赦してあげる。それに、少なくとも作ったアバターよりずっと格好いいよ」

 

 明日奈と詩乃がアバターを酷評するのだってそういう理由なんだから、とか暴露されても困る。いや嬉しいよ? でも普段そういうこと言われ慣れてないから。

 

「すごーさんはこの後、どうしたい?」

「とりあえず上から降りてくれると嬉しい」

「それは却下します、ってそうじゃなくてさ」

 

 仮想世界の話だよ? と付け加えられて考え込む。あれだけ色々やって色々言っておいて難なのだけど、やっぱり僕は仮想世界も嫌いじゃないらしい……まぁ、今の、という形容が付くのだが。

 

 裏SAOが完全攻略された暁にはアインクラッドを地上に墜落させてやろうと思う。マナ切れとかそんな理由で。落下地点こそがアースガルド、本来グラズヘイムのあるべきアース神族の世界だ。

 

「もっと先を見てみたいと思う。僕もまたワクワクできるような、そんな世界を」

「そっか……ボクも見たいな、すごーさんの創り出す世界を」

 

 なんだか照れるな……そうだ、木綿季はどうなのだろう。そう思って尋ねてみる。

 

「ボクは────」

 

 言葉を切って顔をうつむけてしまう木綿季。どうしたのか、と待っていると……くぐもった声でぽつりぽつりと紡ぎ始めたソレは──彼女とは切っても切れない事情が強いるモノだった。

 

 

 

 

 

 仮想の肉体ですら姉が自分の犠牲になるのは堪えた彼女にとって、自分もまた誰かに同じ思いをさせてしまうことは、後に残してしまうことは、それこそ想像ですらも避けたいことだった。

 

 けれど他人よりも早く寿命を迎えてしまうことになる未来は、ほぼ確実にやって来てしまう。

 

 自分一人ならば後悔しないように日々を全力で生きて、全開でぶつかっていけばいい。けれど親しい人を置いていってしまうとなれば話は変わる──残された相手が何を感じるかは、木綿季の心構えではまずどうにもならないからだ……僕の胴にしがみついてくる木綿季の腕の力が強まった。

 

「明日奈にも詩乃にもすごーさんにも……いつかきっと、悲しい思いをさせてしまう。仲良くなってゴメンって思うかもしれない、出会わなければ良かったって……思うかもしれない」

 

 そんな未来が怖くて……それなのにボクは皆と一緒にいたいって、思っちゃうんだよ──

 

 温かく濡れていく水気を胸元に感じながら、木綿季の小さな頭をかき抱いた。本当にこの小さな体には精一杯の希望と願いと、どうしようもない苦悩が詰め込まれている。

 

 

 

 

 

 果たして僕達が今まで木綿季に関わってきたことが、与えあってきた影響がこの子にとって本当に良かったのかは分からない。それが当然のことで、どうしようもなく残酷で……けれど僕自身が感じている気持ちと抱いている意志だけは、取り違えようもなくハッキリしている。

 

「僕は君に出会えたことを感謝しているよ。例え明日には死に別れようとも、木綿季と今日を一緒に生きることは変わらない。それはきっと詩乃も、明日奈だって同じことを考えるさ」

「なんで……そう、言い切れるの?」

「三人が一緒にいるのを見れば分かるよ」

「そっちじゃなくて!」

 

 どうして一緒にいたいかって? それこそ分かり切っているじゃないか。

 

「木綿季が好きだからだ」

「うん……うんっ、ボクも好きだよ」

 

 やっと上げてくれた表情は────目が真っ赤だったけれど、この上ない笑顔だった。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「だから結婚して欲しいなーって」

「ちょっと待とうか、待ってください」

「好きだーってさっき言ってくれたよ?」

「確かに好きだがそれは親愛の情であって」

「まぁそうだよね。というかボクもそうだし」

 

 復活した木綿季はやっと降りてくれるのか、と思いきや馬乗りのポジションに移行して留まってしまった。そうして告げられた爆弾発言の連続に僕の方はテンパっている真っ最中だ。

 

「あのね、ボクもすごーさんは好きだけど、まだ恋愛って感じじゃないんだ」

「あ、あぁ……そうか」

「でもこれから先は分からないよ、なにせボクこの春からですら中一だしさ?」

 

 ね? とか同意を求められても困る。イヤじゃないさ、だがどう反応しろというのだ。

 

「男女としてのドキドキは、まだあまりないんだけど……あと三年はあるしさ? まだまだ小さな気持ちはこれからきっと、今日よりずっと大きくなる。その先でボク達がどういう関係になるかは分からないけど、たぶん今よりももっともっと好きになると思うよ?」

 

 三年というのは結婚可能な年齢まで、ということでしょうか木綿季さん。

 

「あ、現実ではちゃんと結婚してよ? むしろそうじゃないと困るから」

「は、はい?」

「見てれば分かるよ。それに、いつまでも先延ばしにはできないんだからね」

 

 凄い人気なんだから、とからかうように付け加えられたソレは僕も分かっている。うだうだ考えて、向き合うことから逃げてきたのは僕自身なのだから。

 

「結婚したいっていうのは仮想世界でだよ。システムの実装、できるでしょ?」

「まぁ、確かに要望もあるけど……いずれにせよまだ先の話だぞ、今はゆっくりと大きくなれ」

 

 はーい、といい返事をして降りる木綿季。結婚システムの実装は優先順位が低かったのだが……まぁいいか、GMの権限内だろう。応じない理由をシステムに擦り付けるのは卑怯だから。

 

 といっても今は休暇中だ、今は試案として上げておくだけに留めて具体的なことは後ほどということになるだろう。なにせユウキはまだ中一、先は長いのだから。否、長くしてみせるのだから。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 ところで二人が話し込んでいた木綿季の部屋には当然、彼女のナーヴギアが置かれている。そしてNERDLES機器は単純な通信機としても非常に優秀で……音声だけを送受信することもできる。

 

 出掛けるから、と嘘をついて家に留まっていた詩乃と明日奈はナーヴギアを被ったまま、無言で横になっていた。サウンドオンリーで伝わってくる二人のやり取りを、聞いていて欲しいと木綿季に頼まれた通りに耳にして、胸に去来するものが様々にあったのだ。

 

 木綿季の抱えていた不安と期待、叶うことならすぐにでも飛んでいって抱き締めたいと思うけれどそれは後ほど、仮想空間で構わない。向こうで顔を合わせて色々話そうと、決めていた。

 

 木綿季達が部屋を出たことを聞き取って大きく息をつく二人。先に口を開いたのは詩乃だった。

 

「明日奈、最近ちょっと落ち着いたよね。あの戦いの日から」

「なんだか毒を感じるけど……うん、そうかもしれない」

 

 まるで一人相撲のごとく焦っていた明日奈の姿は記憶に新しい。年齢も地位も為したことも、あまりにも遠くて背中すら見えなくて、背伸びしても全然届かない焦燥感が強かった……以前は。

 

 けれど彼もまた等身大の人間なのだと、人間に過ぎないのだと納得した。弱くて臆病で、汚い所も醜い所も持ち合わせた人なのだと分かって、その背中に手は届くことに気付いたから。

 

 特別に飛び抜けた人間になる必要などない、彼もまた自分達を守りたいと思うからこそ強がれるというのだから、その背中を支える自分もまた等身大の人間でいいのだろう、と。

 

「SAOでね、団長が言っていたことがあるの。何かを守ろうとする人間は強いものだ、って」

「何かを、守る……そう、ね。私もそう思う」

 

 守る、その言葉に詩乃が思い返すのはかつての記憶。あのとき自分一人だけだったら行動をとれたかは分からない、傍に母が……守らなければならない人がいたから必死だったのだと。

 

「わたし、守りたいと思う。まだまだ力は足りないって分かるけど、それでも」

「良いんじゃないかしら、ゆっくり考えれば。だって木綿季には言っていたじゃない」

 

 歩くような速さで成長して、大きくなった姿を見せて欲しいと──そのためになら幾らでも頑張れると。いつか飛び立ちたいと思うその日まで、僕に守らせて欲しいと。

 

 思えばそれで木綿季も落ち着いたのかもしれなかった。以前であれば現実でも仮想でも独占したい気持ちが強かっただろう木綿季は、もしかすると心のどこかで察知していたのかもしれない──彼は仮想世界にリアルを感じられていなかった、ということに。

 

 けれど今は違う。仮想世界での自身もまた自分なのだと彼が思えるようになったのであれば──仮想世界の彼もまた彼なのだと彼女達も感じることができる。なら両方を独占しなくてもいいと。

 

 わざわざ音声を伝えてきたのはその意思表示なのだろうと話す二人。そこにメールの着信を知らせる音が鳴って──木綿季から送られてきた手紙に添えられたアイテムはマーク1つの鉢巻、このところ彼女が身に付けているものと同じだった。それも三人がお揃いとなるように。

 

「そっか……うん、私も考えてみる。母さんとも相談して」

「さて、それじゃ出掛けるわよ。急がないとすごーさん帰ってきちゃうから」

「え? 別に大丈夫じゃない?」

「まぁ今日くらいなら平気かもしれないけど、不確定要因はなくしたいというか」

 

 怒るとヤバいのよ、とこぼす詩乃の様子を笑って流す明日奈。まさかそんなと取り合わない彼女に詩乃は提案した、機会があったら追体験させてあげると──実現するのは暫く後のことである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

きみはかわいい僕の娘

「リーファさん、共同戦線を張りましょう」

「き、共同戦線って……ユイちゃん、何の話?」

「勿論パパについてです」

「パパって、キリト君のことだよね」

 

 こくり、と頷くユイ。彼女達がいるのは央都アルンにあるエギルの店、その二階一室である。SAOからの縁で住み着いたキリトにくっついて二人も同居しているのだ。

 

 今日も今日とてキリトはアインクラッドの攻略に出掛けていった、というよりここ暫くはずっとである。どうやら彼よりも更に先を行く影妖精(スプリガン)がいるらしく、目ぼしい宝箱が軒並みかっ(さら)われているとのこと。まるでトレジャーハンターだぜ、とこぼす彼の表情は、何故かむしろ燃えているのだから二人も匙を投げる他ない。

 

「というかユイちゃん、グランドクエストで親子喧嘩してたじゃん。あれは?」

「その、パパは二刀流の扱いに悩んでいるようでしたし、私も成長した姿を見せたくて」

「本音は?」

「パパの回りには女の人が多すぎると思います」

 

 間髪を入れず真顔で返された答えにはリーファも頷くところ。現実では年賀状すら貰えない少年だとは信じられない程に性別問わず人を──何故か大体は女性を──惹き付けるのである。

 

「特に注意すべきはサチさんです。パパの情動は彼女に特異な反応を示しています」

「ナビゲーションピクシーの力、なのかな? とはいえユイちゃんも嫌いじゃないでしょ?」

「サチさん自身は良い方だと分かっているんですが……それはリーファさんも同じでしょう?」

 

 やぶ蛇だったか、と苦笑するリーファ。勿論キリト、和人が誰と仲良くしようと彼の自由ではあるのだが──数年の欠落を埋めるべくキリトとの接近を急いだリーファと、最も長く濃密な時間を過ごした相手がキリトであるユイは、言うなればこの一年をキリトと()()()()()()のである。

 

 兄恋しさか人恋しさかは別として、キリトとの触れあいをこの一年で満喫した二人は逆に、キリトと距離の離れた過ごし方に違和感を覚えてしまっていた──端的に言えば寂しかったのだ。

 

 クリスマスの日、部屋に籠った兄を心配して扉に耳を押し当てていたリーファとユイが聞い(聞き耳し)たのはサチのメッセージと歌声。外で聴いていてすら充分な破壊力だったのだ、直接聴いた場合は比較にならないだろう。事実、あれ以降もキリトは録音結晶を取り出しては聴き入っている。

 

 対抗するにはインパクトを稼ぐしかあるまいと。ユイがジェネレートしたのは縫製スキルによる作成アイテムの一種、いわゆる──浴衣だった。明日はこどもの日、祭りイベントが行われる日ということで一緒に回る約束はキリトと既に結んでいる。

 

 後は効果的な装備とバフ掛けでステータスを上昇させる努力だ。

 

「カーディナルは言っています、これを着て二人でパパの両手を放さなければイケる筈と」

「え、あ、ちょ、待った待った──これだとやっぱり黒髪の方が似合わない? あたし金髪だし」

「はい、そう言うと思って髪型変更のアイテムも期間限定で取り揃えています」

 

 結い上げ姿も現実ベースもありますよ? とメニューを示されたリーファは暫し煩悶した挙げ句……えいやっと掛け声と共に指を動かし……リーファ、というよりも直葉の浴衣姿に。

 

「あたしとお兄ちゃんは兄妹なんだけど、いいのかなぁ」

「兄妹だからこそお誘いしたんです。さ、これが当日の行程表ですよ」

「何々、はっぴぃ にゅう……って歌じゃない、しかも歌えるかこんな恥ずかしいの!?」

「間違えました、サチさんのクリスマスソングを塗り替えるためのニューイヤーソングです」

「コレきっとそういう歌じゃないと思うよ! え、何であたしのインベントリに送るの!?」

 

 こんなのもあります、と強制送付されていく関連アイテムの数々は一部の男性プレイヤーと少数の女性プレイヤーが要望を出していた猫妖精(ケットシー)コスチュームセット──猫耳と猫尻尾だった。

 

 

 

 

 

「今日も嬢ちゃん達は騒がしいねェ……エギル、オレにはアンチョビピッツァを!」

「んなモンあるかよ、ウチの店はイタリアンじゃねえ」

 

 二階でワイワイとはしゃいでいるのが漏れ聞こえるカフェ。カウンターに突っ伏したクラインは明日の祭りに向けて誘う相手が……見付からないことに黄昏ていた。

 

「いいよなぁキリトの野郎は相手に不自由しなくてよぉ……一人くらい分けろってんだ」

「と言いつつお前も一緒にクエストを受けたりしていただろう? 女性陣と一緒に」

「あぁ……あれなぁ、ひでぇ目に遭ったぜ」

 

 げっそりとした顔のクラインが語るのはつい先日、キリト、ユイ、リーファ、アルゴ、シリカ、リズベット、サチと組み八人で挑戦したクエストの顛末である。凍りついた開かずの扉を開けるべく、僅かに読み取れた文言──想い、腕を広げ、囁く──から連想して互いへの気持ちを告白することになったのだ。ちなみに提案者はシリカ、他の面々も口では嫌がりつつも目が泳いでいた辺りでイヤな予感はしていたのだ、クラインも。

 

「胸焼けしたってことか。それはまぁ……仕方なくないか?」

「それはお前ェが既婚者だからだ! まぁ修羅場ってるキリトは面白かったけどよ」

 

 問題はその後に起きたんだ、そう呟くクライン。六人の女性陣が順繰りに試しても開かなかったことで、なんとクラインにお鉢が回ってきてしまったのである。相手は当然、キリトだった。

 

 ──お前ェ、本当は案外カワイイ顔してやがんな。けっこう好みだぜ?

 ──クライン、お前の方こそその野武士ヅラ、よく似合ってるよ。

 

「何が悲しくて野郎と抱き合ってあんなこと囁かなきゃなんねーんだよ!?」

「クライン、お前」

「やめろよそういう表情でオレを見るの! あれ以来みんなの目がきついんだよ!」

「自業自得だろうが……ほらよ、流石にアンチョビは常備してないが、以前の詫びだ」

 

 トン、と置かれた大皿には焼き上がったばかりのシーフードピッツァが湯気をあげている。メニューにない筈じゃ、と驚きの顔を向けたクラインにエギルはニヤリと笑った。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 やって来ました祭りイベント、今回の企画に僕は完全ノータッチなので丸っきりお客さん側だ。世界樹攻略クエスト以来、ALOの運営は大部分を部下達に任せるようになったのである。

 

 GM特有の仕事はあるのだけれど、それにしても大した量がある訳でもない。なんだか申し訳ない気分もするのだけれど結城CEO直々に諭されてしまっては仕方なく……ここ暫くはアルヴヘイムとアインクラッドをのんびりと満喫させてもらっている。

 

 そうして初めて気付くことも多いもので──例えばプレイヤーの全員が戦闘や攻略に燃えている訳ではなく、むしろライフスタイルの一つとして楽しんでいるユーザーも多かったのだ。現実ではお金や手間がかかって難しい趣味、ウッドクラフトや豪奢な裁縫といったものを楽しんでいる姿を目にしたりする。今回の出店や浴衣にしてもプレイヤーメイドが大部分だ。

 

 中には自分達で家屋を建築しようと試みている猛者もいて……なんとも自由度の高い世界だなと感心したというか、呆気に取られたというか。その世界のGMが自分ということに変な感覚を覚えたりもしたのである。ALOとはかくあるべし、という先入観が僕にもあったということなのだろう。

 

 それに気づくキッカケを与えてくれたのは誰をおいてもまず彼女(シノン)だろう、と隣を見る。

 

「どうしたの? 私の顔を見て笑うなんて」

詩乃(シノン)がいてくれて良かったと思ってたんだ」

 

 暗色系の浴衣、藍色と紫に身を包んだシノンは空のように淡い色の髪と合わせて実に映えている。似合っている、それ以上の感想が無粋に思われる彼女と今は屋台村に繰り出していた。

 

「そう? 本当は二人もいた方が嬉しかったんじゃない?」

「三人が揃うと僕は勢いに押されてしまうんだよ……二人はまたいずれきっと、な」

 

 三人が出会ってからというもの、女子のパワーとはかくも凄まじいものかと思い知らされることしきりである。それはそれで楽しいのだけど落ち着いて満喫したい気分の時もあるのだ。

 

「ほらシノン、リンゴ飴とか食べない?」

「ちょっと私の口には大きい、かしら。綿あめみたいな方が嬉しいわ」

「了解だ、それなら向こうの屋台だな」

 

 グルグルと棒に砂糖綿をまとわせていく親父さんを眺めながら列に並ぶこと暫し、僕は一口だけ貰って残りを(ついば)んでいくシノンと二人、屋台を冷やかしながら歩く。

 

 途中で金魚掬いに挑戦してみたり、かき氷を食べて頭痛を引き起こしてみたりと色々な物に手を出していく。聞けばこのような催し物に足を運んだのは初めてらしく、だからちょっとはしゃいじゃって──と恥じらっていた。次の瞬間にはもう別の屋台へと手を引いて向かおうとしていたが。

 

 そうして見て回っていく内に見付けたのは屋台の定番である射的だった。

 

 ちら、と様子を窺うとシノンの顔色は普段と変わりない。確かに彼女はかつて、克服するという意志を示してはいる……けれど好き好んで触れたいとは思わないのではないか。だったらそれとなくこの場から移動してしまうのが正解ではないかと……考えていたのだけれど。

 

「射的ね、やってみようかしら。すごーさんもやる?」

「え? いや、シノン大丈夫なのか、その」

「え? あぁ、そういうこと……気にしすぎよ、もう」

 

 アナタの方が神経質になってどうするのよ、と尤もなことを言われてしまう。とはいえ僕にとってシノンはやはり守る対象なのだ、このスタンスは暫く変わらないだろう──と、袖を引かれる。

 

「けど、心配してくれるのは嬉しいわ……ありがと」

 

 ぽそりと呟き、(きびす)を返して先に射的へと向かってしまったシノンの後を追う。はい、と手渡された木銃はコルクを発射するというよくあるモノで、景品に当てても落とすのは難しそうな気配がしていた。本当にこれで? と店番を見るのだがイイ笑顔で頷かれる始末、どうしたものかと手中で(もてあそ)ぶ僕の隣でシノンは──凄く楽しんでいた。

 

 一射目、ヒットさせた景品が揺れるのを目で捉えながらノールックで次弾装填を済ませ発射、見事落とした後は弾道予測を掴んだのか撃てば当たる状態である。

 

「ふぅ……あれ、撃たないの?」

「あ、あぁ。そうだな、っと……ハズレか」

 

 店番と一緒にポカンとしていたらさっさとシノンは撃ち終えてしまった。慌てて僕も構えて引き金を……引くのだがまるで当たらない。なんぞこれぇとボヤきながら二発三発、揺れはしても落ちはしない景品を何とも言えない気分で眺めていた僕を見かねたのかシノンは声を掛けてきた。

 

「あの、私が代わりましょうか?」

「その方が建設的だと僕も思う……けどシステム的に固定されて本人しか撃てないんだ」

「ふぅん────それなら」

 

 するり、と猫のような身のこなしで腕に中に入り込んでくるシノン。身長差が大きい訳ではなく猫妖精(ケットシー)ということもあって彼女の猫耳が僕の視界をほとんど覆い隠してしまう。

 

 握る僕の手にそっと添えられたのは、彼女の指なのだろう。VR技術の進歩は流石だな、人肌の温もりや柔らかさのみならず微弱な脈拍すら伝えるとは──違えよ、今はそういう話じゃないんだ。混乱中の僕を置いてきぼりにして持ち上げられる腕、恐らくシノンの目の高さなのだろう。

 

「それで一体、どれを狙いたいのかしら」

「えーっと、確かぬいぐるみに、ネコのがあるだろ?」

「んっ……意外と可愛らしい趣味をしているのね。いいわ、撃って」

 

 ポコンと間の抜けた音に続いて落下音が聞こえてきた。どうやら上手くいったらしい。

 

「当たったのか? 僕には見えないんだが」

「あ、あんまり耳元で喋られると……少し、くすぐったいわ」

 

 慌てて身を離したシノン。彼女へと受け取ったぬいぐるみを手渡す。

 

「えっ、なんで私に? だってこれは手伝って落としたもので」

「シノンが自分で落としたのは全部、アスナやユウキへのお土産だろう?」

「あっ…………」

 

 人を気にかけるのも程ほどにな、と。ぬいぐるみを抱いたシノンの頭を久々に撫でる。本当、僕がもっと頼れる親なら良かったのだが……どうにも未だに見習いを抜け出せず、彼女が知らず知らずの内に自分を後回しにしてしまうことがあったりする。

 

「シノンはしっかりものだよ、だからこそ目が離せない」

 

 このぬいぐるみは何の変哲もないアイテムだ。1と0で出来たデータ、補助効果も何もないただのぬいぐるみに過ぎない。以前の僕であればきっと渡そうとは思わなかっただろうし、それこそ現実世界で渡す方がずっと意味があると考えていただろう。

 

 けれど何というべきか……それはそれ、これはこれなのだ、今の僕にとって。現実の方に重点を置いているのは現在も変わらないけれど、今こうして僕が存在している仮想世界もまた僕にとってのリアルなのだと──思えるのは世界樹の上で激突したからで、間違いなくシノン達のお陰だ。

 

「詩乃もシノンも、どちらもが僕の娘だと思っているから」

「こ、こういう可愛いものって私には似合わなくない、かな。変じゃない?」

「変じゃないよ。むしろ釣り合いがとれていい」

 

 なにせシノン自身の可愛いさが尋常じゃないのだから。学校ではさぞや男子諸君に注目されていることだろう……近々ある三者面談ではその辺り、しっかりと調査してこなければ。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 ──えー、詩乃さんの成績であれば、そう心配もいらないでしょう。

 

「そうですか。ちなみに学校生活の方では何か問題とか」

 

 後日、三者面談のために出向いた教室にて先生と話し込む。隣の詩乃はといえば──恥ずかしいからやめてよと小声で囁いてくるが知ったことではない。彼女のお母さんにもよろしく頼まれているのだからしっかり情報収集を──食事時の会話ネタも含めて──しなければならないのだ。

 

 そんな訳で張り切っていた僕だが、段々と話の雲行きが妖しくなっていく。

 

 ──ただ詩乃さんは、第一希望は進学なんですが。

 

 そう言って差し出された用紙はいつぞや見た進路指導の調査に似ている。なんだろうか、ゲームプログラマーとか書いたのだろうか? 未だ社会的な偏見はあるから仕方ない部分もあるが。

 

 だが書かれていたのは予想の斜め上を突っ走るアンサー────()()()()

 

「あのさ、詩乃……ダメとは言わんよ。ただその場合はちゃんと相手を連れてきてだな」

 

 まずは面通しと()()()()()()を行わなければ。魔王ロールは前回で何となくコツを掴んだ気がするし、あんな具合でいいだろう。あとは……やはり体を鍛え直そう、そうしよう。

 

「ふふ、冗談よ。ごめんなさい、書き間違えちゃったみたいです」

 

 流し目を送ってきて──スッと手元に紙を引き寄せて訂正してしまう詩乃、いや間違いならいいのだ、うん……って間違う訳ないだろ。いったい何をどうしたらそんなミスが発生するのさ。

 

「詩乃、帰ったらお仕置きだな」

「えっ」

 

 まずは事情聴取から始めるとしよう。どうやら詩乃は耳が弱いらしいと夏祭りで分かったことであるし──そうだな、静かな場所で淡々と、囁くようにして問い詰めようじゃないか。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「あれ、アスナは何を聴いてるの……というか何で悶えてるのさ?」

「そっとしておいてあげて。そうだ、ユウキも聴く?」

 

 アルヴヘイムにて……アスナの家にお邪魔したユウキは家主の身悶えする姿を見て唖然、理由を聞いて差し出された音声ファイルをシノンから受領して再生を掛け──即座に停止させた。

 

「ナニコレ、なんですごーさんの部屋に行ってお仕置きされるシチュエーションなの!?」

「ナーヴギアには音声を通信し録音する機能があるでしょう? そのちょっとした応用よ」

 

 ふふん、と胸を張るシノン。(つちか)った技能をフル活用して編集加工して完成した、お仕置きボイスを耳元で囁かれている気分に浸れるデータである。

 

「いらないなら破棄してもいいわよ?」

「い、いやシノンの力作なら聴かない訳にはいかないよね、友達だもん!」

 

 ──大人扱いしてほしいって? 可愛らしいな……だったらまず、証拠を見せてごらん。

 

「ユウキ、音声が漏れてる。というか最初にソレを選ぶとは……」

「ぐぐぐ偶然だよっ、他意はないから!?」

 

 顔を真っ赤にして出ていってしまうユウキを見送り、手元の破壊兵器に目を落とす。

 

「これは危険、耳が孕まされるわ……公開なんてしたら敵が増える。間違っても広められない」

 

 身内で楽しむだけにしようと固く心に決めるシノンであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

すべての想いに巡り来る祝福を

ここまでお読み頂きありがとうございました。皆さんの応援と感想で当作品はできています。


 相談したいことがあるの──そう言ってやって来た明日奈と二人、リビングのテーブルを囲む。手提げから明日奈が取り出してバサリと中央に広げたのは──一戸建ての設計図、それを見て僕の表情は固まったことだろう。あぁ、窓から覗く五月の空は青い……現実逃避しかける程に。

 

「こんな感じの家がいいなーって思ってるんだけど」

「なぁ明日奈、流石に気が早くないか。というか頼むからちょっと待って」

「ち、違うわよ!? わたしはただ仮想空間で建てる家の相談をっ」

 

 ワタワタと慌てて説明を付け加える明日奈。彼女曰く、宮城の祖父母宅を再現した家を仮想世界に建築したいと思ったのだがALOでは適した場所を見付けられず、SAOで良い場所があれば確保したいのだそうで……そのための情報集めと再現する際のデータ変換を頼みたいとのことだった。

 

「アインクラッドかぁ……どこかいい場所あったかな?」

「わたしも記憶は曖昧だけど……確か、山と棚田に囲まれたフィールドがあったと思うの」

「なんだそのピンポイントなフィールドは」

 

 ただSAO事件の頃の話なんだよね、という明日奈。つまり裏では変化している可能性も充分にあり、そもそも未だ到達していない階層にあたるので確かめようもなかった。

 

 印刷された紙面には以前の物から更に注文書きが加えられていて……まず間違いなく京子さんの手によるものなんだろうなぁと思う。ざっと確かめた限りおかしな部分は見当たらないので、後は実際にVRで再現しながら修正する作業に入っていいだろう。

 

「じゃあ仮想空間に……明日奈はNERDLES機器を持って来ているのか?」

「もちろん、向こうでの約束もあるから」

 

 ほら、と手提げから取り出して見せてくれたのは、今ではもうあまり見ることのなくなった古い()()()()()()()()()だった。詩乃に僕の分をあげたことを詩乃から自慢まじりに伝え聞いた明日奈の醸し出す雰囲気と無言のおねだりに負けてプレゼントした────そこで思考が揺れる。

 

 初期版のナーヴギア? 改良版の、不具合を起こしたモノではなく?

 

「なぁ明日奈、君がSAO事件に巻き込まれた際に使っていたナーヴギアって」

「コレだよ? プレゼントしてもらったんだもの、ずっと大切にしてます」

「あ、あぁ、それは凄く嬉しいよ」

 

 動悸が酷い……思い返せばあの日、明日奈のナーヴギアは自壊することも煙を噴くこともなかった。異臭なんてモノも当然ない──それなのに何故、明日奈はSAOに参加することができた?

 

 彼女が使用している手元のナーヴギアに変な機能は付いていない、何故かといえば渡す前に僕が厳重な確認を重ねたからだ。間違っても明日奈がデスゲームに巻き込まれないようにと考えて、だからこそ彼女がSAOにログインしていると知った時の絶望は凄まじかったのだ。

 

 よりによって明日奈が手の届かないところに行ってしまう、命の危険がある場所へ。原作通りならば大丈夫だなんて楽観はできなかった、僕があまりにも手を出してしまったから。

 

 彼女だけは、僕を変えてくれた明日奈だけは頼むから助けてくれと願った。横たわった明日奈の手を握って、握り返してくれない手に目の前が真っ暗になって──そんなあの日の前提が崩れる。

 

 いや、僕の頭が足りないのかもしれないけれど思い付かないのだ、本当にどうしたら、あのとき明日奈がSAOに参加することが可能だったのか、そのロジックが分からない。あの当時の焦燥感がよみがえるのも相まって冷静な思考が難しいと、気付いてはいても手が打てない。

 

「確か、明日奈がプレイしたSAOソフトは……借り物だったよな。ナーヴギアも借りたのか?」

「ソフトだけだよ? 新しいナーヴギアは兄さんが出張に持っていったから」

「何か、変わったことはしなかったか? ナーヴギアを改造したとか」

「そんなこと詩乃のんじゃあるまいし……あ、そういえば」

 

 初期版でもちゃんと遊べるようにできないか父さんに相談したよ、という明日奈。

 

 僕はとにかく当時の出来事を順番に聞いていくことにした。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「あの……はじめまして、結城明日奈です」

 

 初めまして、と挨拶を返してくれたのは神代凛子、茅場晶彦と親しい仲だという女性である。SAOを初期版のナーヴギアでつつがなく遊ぶために彰三へ相談した末、開発者である茅場まで話が行き──本人は改良版を使わせたかったのだが──事情を知った神代が押し切ったのだ。

 

 アーガス本社にある研究開発室の一つ、データ登録用の機器が揃えられた一室にて指示を受けてヘッドギアをかぶる明日奈。特に意識を遮断する必要はない仕組みということで、神代と話し込む話題はまずSAOの内容から始まり、そして段々と脱線していく。

 

 SAOにかける茅場の情熱と、完成に至るまでの悲喜こもごもな日々、たしなめられても遊びたいみたい、と見せられたのは茅場が使う予定だというミドルエイジなアバター(ヒースクリフ)。そこから話題は学生時代の出会いに跳び、海水浴デートを神代がゴリ押しした過去に移り、やがて須郷が研究室に来てからのことに至る。特に明日奈の聞きたかったことだった。

 

「あの、その頃はどんな感じだったんですか?」

 

 同世代の人間に囲まれている学生時代の姿というものをイメージしづらい明日奈、そんな彼女に神代は面白がってあることないことを吹き込んでいく。プレゼントされたという初期版を使い続けたいという明日奈のいじらしさが神代の琴線に触れたのであった。

 

 話の調子は段々と女子会の様相を呈していく。この邂逅が縁で二人は連絡先を交換し交流が続くのだが、それはまた別の話。このスキャンデータこそがSAO事件に参加したコピー(Asuna)だったのだ。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「あの…………怒った?」

「え? どうして」

「なんだかとても難しい顔をしていたから」

 

 しゅんとした様子の明日奈に慌てて手を振って否定する。何も怒る理由などないのだ、ただ僕の理解を相変わらず斜め上に突っ走っている事情がありそうなことに悩んでいただけで。

 

「あの時に贈ったものを今でも大切に使ってくれているのは嬉しいよ。ありがとうな」

「うん……ねぇ、わたしが帰ってきた時に言ってくれたことって、今でも本当?」

 

 おそるおそる、手探りに……そんな風にして口にされた問いは、先程のことも相まって僕を当時に連れ戻す。横たわった彼女の手を握ることしかできない無力の中で痛感した、明日奈への気持ち──単なる友愛ではない、純粋な恋慕でもない、羨ましさと妬ましさと親しみと、本当ごちゃまぜにも程がある沢山の気持ちを、なお何かの名前で呼びたいのなら──違う、僕は、呼びたいんだ。

 

「大事だよ…………本当に、狂おしいくらいに……愛している」

 

 よりによって僕が、よりによって君にこの感情を抱くことを、罪深いと感じたこともある。どうしようもなく無価値に感じられる自分がみすぼらしくて、だから遠ざけようとしたこともあった。一度自分から婚約を破棄しておきながらどのツラを下げて、そうも思う。

 

 けれど駄目なのだ、明日奈さえ幸せなら構わないと格好つけようとした自分は彼女の隣に立つ誰かを想像しただけで死にそうになる。酷い独占欲を自覚して、そんなみっともない真似はできなくて、耐えようと思うならそれこそ彼女と同じ舞台から離れて……客席にでも行くしかなかった。

 

 それでも耐えられない僕は脚本家を気取って下手くそな筋書きを書いては彼女に関わり続けられるようにして、そうしてやっと、やっと願いを(なだ)められそうだったのに。

 

 最後の最後、舞台に立っただけでこの(ざま)だ。年甲斐もなく目頭だって熱くなる。

 努めて抑えなければまともな受け答えすら(まま)ならない程に、本当にイカれている。

 

 千の言葉を用意しても、万の台詞を考えてもまるで足りないのだ。どうしたら君への気持ちの一つ一つを余すことなく表現できるんだ、僕に用意できるのは陳腐でありふれた言葉ばかりなのに。

 

「君に幸せになって欲しい。それと同じくらいに、本当は……本当は僕も幸せになりたいんだ」

 

 拒むならどうか手酷くしてほしい。けれどもし、望みがあるのなら。

 

「二人が同じくらい幸せになるのは大変だね……どうしたらいいと思う?」

 

 僕の手をそっと握って、首をかしげるようにして、わざとらしく訊ねてくるその仕草すらも僕は可愛いと感じてしまう。結局僕の頭では、適切な方法なんて一つしか思い付けなかった。

 

 別々の二人が同じように幸せになるための姿、その名前は────

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 明日奈が彼を仕留めた日────その数日前のこと、結城家のリビングにて。

 

「ねぇ母さん、本家の勧めてくるお見合いって断れないの?」

「だったら自分で相手を連れてきて頂戴」

「それができれば苦労しないよ……もう」

 

 最近、とみに増えたお見合い攻勢にボヤく明日奈。年頃になった彼女は親戚の面々から見ても魅力的であり──無論そこには家柄ありきの見方があり、明日奈にも全て伝わっていたのだが──まさしく相手には困らない状況なのだ。いや、むしろ相手がいるからこそ困っているというべきか。

 

「母さんはどうしたの?」

「それはまぁ、色々と、ね」

 

 藁にもすがる、そんな調子で頼った明日奈に明かされる両親の青春時代。それは果たして参考にしても良かったのかどうなのか、確実なのは京子が狩人で彰三が獲物だったということだ。

 

「つまり、相手が本心を口にせざるを得ない展開に持ち込むことが大事なのよ」

「展開に……嫉妬させるとか?」

「人によっては有効だけど止めておきなさい。さじ加減が難しいし、何より彼には不適よ」

 

 京子なりに分析した知見を惜しみなく披露していく。そもそも宮城の祖父母宅を仮想空間で再現するにあたって京子がレクトを、彼を何度も訪ねたのは仕上がりが気になったから()()()()()()。VRという内心を取り繕うことの難しい環境で様々な探りを入れるために足を運んだのだ、直々に。

 

「彼があなたへの思いを今までで一番強く、赤裸々に明かしたのはいつ?」

「え、えっと……あの、SAO事件の時に、わたしの部屋で……その」

「ならその時のことを想起させて彼を情緒不安定にして……更に結婚を意識させる要素を」

「えっと……いい、のかな?」

「このくらいなら可愛いものよ。お互いが満足できるなら何の問題もないわ」

 

 そんな具合で続けられる母娘の指導は結局、功を奏したのだった。そのままの形ではなく、また当人すら予想しない形ではあったが、その程度は許容範囲というものだろう。

 

「それにあなたも抱えているでしょう、相手に対する引け目を。彼も同じよ、あなたに引け目を感じていて……その上に小心なの。他の男の影なんてちらつかせてみなさいな、逃亡するわ」

「あ、あはは…………ねえ母さん、わたしも母さんみたいに一人立ちしたいな」

 

 苦笑いの後で明日奈が口にしたのは母への憧れと、今後の仮想世界について。アーガスとレクトのみならず多用な分野で企業・個人・団体・国家が活発な動きを見せていくことは見えている。

 

 その際に起きるだろうこと間違いない争いの数々と、わざわざ起こされる争いの数々をきっと、既に予測している人はいるだろう。けれど有効な対策がなされているかというと大間違いで、個々人の備えに留まっているのが現状だ。レクトとアーガスですらも。

 

 他ならぬ彼もまた怖れているのだろうと……明日奈は感じていた。詩乃と木綿季も同様に。

 

 世界樹の壁画に描かれたメッセージはつまりそういうことなのだろうと三人は受け取った。ただ楽観を抱えて夢を追うだけでは済まされないものもまた潜んでいるのだと、クラウド・ブレイン構想を詳しく知って感じ取った。なにせクラウド・ブレイン、統一的意思による大人数の群体的活動が最も有意義に使われる場は軍隊、戦争だろうと専門外の人間ですら思い付いてしまうのだから。

 

 けれど危険性をのみ挙げてネットワーク技術の全てを放棄することは大損害であり、現実的にも不可能だ。だからこそ折り合いを付けて適切に制御していけるようにならなければならない。

 

「社会的にはまだまだ認知度が低いわ。ゲーム会社への印象も、良くはないもの」

「仮想世界がもう一つの現実と認識されるには、やっぱり時間がかかりそう?」

「例え政治家の全員がナーヴギアを被ったとしても上手くいかないわね」

 

 その程度で納得されるなら苦労はない、人を動かすというのは本来とても面倒なことなのだから。宥めすかし脅し欲を刺激し、夢を語り実利を語り計画を語りゴマを擦って、成るかどうか。

 

「それでもわたしは──仮想空間がもっと魅力的な世界になって欲しいと思う」

 

 だったらやってみなさいな、と答える京子。上手くいかなかったらバッサリ批評してあげるから、と付け加えられた言葉はなんともありがたいもので……ビキッと明日奈は固まるのだった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 ──待ち合わせをしているから一緒に行きましょう? 明日奈のそんな誘いにのってALOへ。

 

「そろそろ通常業務に復帰する日が近いな」

「また面白いものいっぱい作ってね?」

「まぁ、頑張るよ」

 

 期待には応えたいから、な。さて待ち合わせたのは世界樹前広場、ここにユウキとシノンも来るらしいのだが……と探している内に姿が見えた。なんとも目立つ二人だ。

 

「あら、すごーさんも来るなんて……あぁ、今はGMじゃないからなのね」

「今回のアップデートは何だろうね、ワクワクするよ!」

「あぁ、その告知のために集まってるのか」

 

 普段は人に任せていた部分なので知らなかった。いや、確かにメールの一通やホームページの記載では物足りない気はするけれど、まさかわざわざお知らせを事前にしてまで発表しているとは。

 

 聞けば毎回レクトの社員がログインしてお知らせを伝えるとのこと。

 

「とはいっても、何か変わったことがある訳ではないのだけど」

「滅多に見ない運営側のアバターだからみんな気になるんじゃないかな?」

 

 二人に説明を受けている間に時間は進み、流れ出したのはシステムアナウンスの音楽。

 

 そして現れたのは僕達もよく知っている相手。

 

「やっほーみんな、今日は大切なお知らせがあるの!」

「す、ストレア!?」

 

 どうした訳か設営された壇上に現れたのはストレアで──ナビゲーションピクシーのドレス姿で──確かに運営側の存在ではあるのだが、彼女を止めるような動きがないことからすると、どうやらレクトも折り込み済みの展開らしい。なんとまぁ冒険的なことをするものだと思う。

 

 まぁ楽しそうだからいいか──そんな感想を持っていられたのはここまで。

 

「続いてはみんなのお待ちかね、結婚システムの実装だよ!」

「えっ?」

「仕様は一部をSAOから引き継いでいるから、詳しくはヘルプを読んでね!」

 

 じゃあねーと手を振って消えてしまったストレア。そこかしこで話し込むプレイヤー達を尻目に僕は急いでヘルプ欄を操作して、その内容に絶句した。

 

 SAO時代の結婚システムには年齢制限が存在しなかった。中学生相手でも結婚できてしまうという……茅場先輩は何を考えてどういう理念でこの仕様にしたのか首をひねるものだったのだ。

 

 まぁ若くとも一人前として扱うというのであればアリではあるのだが……一方でSAOへのログインは年齢制限を設けていた訳で、その辺りがよく分からない仕組みだった。

 

 そういう事情を織り込んでALOの結婚システムは構築する予定だったのだ。インベントリを強制的に全て統一するというのも暴挙であるし、個々の結婚のあり方があっていいだろうと。

 

 僕のそんな提案は一応組み入れられている……僕の予想を斜め上に突っ走って。

 

「へぇ、年齢制限がないんだ……はい、このボタン押してね、すごーさん」

「ちょっと待てユウキ、あの約束は結婚できる年齢になったらの話で!」

「もうなったよ? それに剣士三日会わざれば刮目して見るべし、だよ!」

 

 それは違うよ! ちょっとシノン助けてって、なんですかそのウィンドウは。

 

「親子システムはないから、家族になるにはコレしかないわ」

「いつか実装するから! というかユウキだけでも大変なのに」

「大丈夫、問題ないわ。新システムの結婚相手には人数制限もないから」

 

 大問題だよ、誰だコレ作ったの。え、アスナさん、なんですかそのウィンドウは。

 

「押すわよね?」

「はい」

「よし────さて二人とも、決闘(デュエル)よ」

 

 いやここ広場だから……と周囲を見ると、そこかしこで似たような決闘騒ぎが勃発している。一番大きな輪は……キリト君の助けを求める目は見なかったことにした。不甲斐ないGMですまない。

 

「まさに略奪愛の様相ね。私はあまり興味ないけど、貰えるモノは貰う主義なの」

「ボクなら今後の成長の期待込みで魅力的だと思うよ、アスナと違って色々とね」

「初対面で主導権を握りきれなかったのが痛かったわね、けどそれも今日までよ」

 

 三人娘の大乱闘をよそにアルヴヘイムの空は青い──()()()()()()が実に憎らしかった。

 

 

 

 

 

 追伸、父上様。仮想世界における嫁さんの扱いはどうしたらいいでしょうか?

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「彼の困っている姿は実にいい、そう思わないかね」

「あんまり思わないかなー? みんな楽しそうだけどね、本当のところは」

 

 空を行く浮遊城アインクラッド第百層、紅玉宮の天井に用意されたモニターでアルヴヘイムの様子を眺めるヒースクリフとストレア。現在二人の目には広場で繰り広げられている大混乱の全てが映っている。告知を終えたストレアは報告をすべく、ここまで転移してきたのだ。

 

「私の世界は──現実のあらゆる枠や法則から自由なのだよ」

「確かに好き合う人同士は一緒にいればいいのにーって思うけど、それだけじゃないでしょ?」

「最終決戦から締め出されたことを私は忘れていないのだよ」

 

 どんだけ楽しみだったのよ、とツッコむストレア。そんな暇があれば早く裏SAOを完成させて欲しいと、アーガス社員が知ったら叫ぶだろう。だというのにALOのシステム改善案にまで介入するとは、社員が匙を投げるのも頷ける話だった。

 

「それにな、彼は演者に戻ったようだが……脚本家を辞めた訳ではないだろう」

「なに、すごーにもっともっと脚本を書かせるつもりなの?」

「ストレア君も見たいだろう、無限に広がる仮想世界の未知なる光景を」

「まぁ、アタシ達はマスター達の創った世界にしか今はいけないから、ね」

 

 それは確かに楽しみかも、とストレアは思う。ならば彼にはまだまだ情熱を燃やし続けてもらわなければ。間違っても客席へと引っ込むなど認められないし、背景に埋没することも許されない。

 

 そんな考え方をしてしまうのはきっと産みの親と、育ての親の両方に似たのだろうと転嫁して、ストレアは愛し子らを見つめた。願わくば────彼らの前途に祝福を、と。




ちなみに私が最も好きな事のひとつは期待してくれている読者諸君に「YES」と応じる事だ。
予想を超えていけると更に良かったりする。半ばサトラレている気もするが。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Acta est fabula

前回を最後にすると言ったな、あれは本編だ。\デェェェェェェェェェェン/
今回の後日談こそが終演です、ここまで読んでくれてありがとう。
-追記-
少しばかり内容を訂正しました。親バカのすごーさんがしののんを後回しにするとかあり得ないよね、ということで先にガンゲイル、ヨトゥンヘイムのロボット大戦は数年後。


 あれから三年たった五月、すなわち2027年。自宅にて。

 

「いよいよ裏SAO、アインクラッドの完全攻略か……また新しい仕事が増えるなぁ」

「と言いつつも嬉しそうじゃない。お代わりは欲しい?」

 

 ポットを片手に訊ねてくる詩乃に頷いて答えた。彼女も高校三年生だ、来年には大学生である。いつからか掛けるようになったARメガネが実に似合う女性に──なる途中だろうか、今はまだ。

 

「ん……詩乃、このコーヒーちょっと薄くない?」

「あまり濃いと胃が荒れるんだから気を付けなさいよ」

 

 私が注意しないと不摂生なんだから、と隣席に座るなり怒ってみせる詩乃には感謝を。本当に助かっている。さて今日は休日、現実で出社する必要のない業務ばかりだ。頃合いになったら自室のNERDLESで出社することにして、今はまだこの一時を満喫していよう。

 

「それにしても私達には今回のイベントに参加しないで欲しいって、本当に筋金入りなのね」

「んぐっ…………仕方ないだろう、例え仮想であっても詩乃は詩乃なんだから」

「かの有名なGMさんが実はこんなだって知ったらみんな驚くでしょうね?」

 

 くすくす、と笑みをこぼす詩乃。そうなのだ、あれ(世界樹)以来もイベントボスを僕は何度か務めたのだが……そこにシノン達が参加しているとまるで調子を崩してしまうのである。ホロウデータを作成しても無理だというのだから、もはやお手上げだった。

 

 もっと泰然としていなければならないと思うのだけれど、いつまで経っても変わらない──というか年々酷くなっている気がする。結果、僕は()()を除いてボス業から外れることが多い。

 

 まぁボス役をしたい社員はそこそこいるので何とかなっている。かつての世界樹攻略戦、あの妖精王ロールが何故だかお手本になっているらしい。本当はあの戦いを最後に供養してやろうと思っていたのだが、中の人を変えて存続することに会議で決まってしまっていたのだ、僕の休暇中に。

 

 超ウゼェェェェェ、なキャラクターだと僕は思うのだけれども、一周回ってあのウザさにハマるユーザーがいるのだから分からない世の中だ。いないとそれはそれで物足りない、らしい。

 

 まぁネタキャラとしてでも存在を残していけるのならオベイロンも浮かばれるだろう、きっと。

 

「じゃあ、行ってくるよ」

「行ってらっしゃい。午後には明日奈も来るって連絡があったわ」

「そっか、じゃあ定時に上がれるように頑張ろう」

 

 カップを片付け、少し時間を開けてから仮想世界へと。新たなワールドのサービス開始も近い、はてさて、カーディナル達は順調に作業を進めてくれているだろうか? アインクラッドの大幅なアップデートのためにも、それ以外のためにも、ね。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 時は2027年、あれから約三年の月日をかけ遂にアインクラッドは完全制覇されようとしていた。

 

 裏SAOの第百層、ラスボスを務めるのはヒースクリフこと茅場晶彦。この頃になれば彼の手口をプレイヤー達も大体は把握できており……これまでに立ち塞がってきた悪魔のような障害や鬼のような仕掛けを思うと、やり過ぎな程に全力を尽くしてくるだろうと理解していたのだ。

 

 ただ茅場晶彦は……優れたVR適性を得ていようとも、練り上げた戦闘技術を持っていようとも、思い入れが強くとも同時に一人のGMでもある。何がなんでもフェアネスを貫こうとは思わないが、こと真剣に立ち向かってくるプレイヤーに対してはフェアでありたいと感じてしまう人間(バカ正直)なのだ。

 

 斯くして神聖剣ヒースクリフはこの三年間、磨きに磨いたプレイヤースキルを遺憾なく発揮して数多のプレイヤー達をエインフェリアへと変えていった。キリトが苦心して繰り出すスキルコネクトを当たり前のように10回20回と繋ぎ続け、リーファが披露するスペルコネクトを斬り合いながら同様にこなし、降り注ぐ魔法には対応属性のソードスキルを用いて切り落とすどころか打ち返す。

 

 しかしここまで攻略を進めてきたプレイヤー達も引き下がらない。この戦いが最後だと思えばこそアインクラッドへの感謝と思い出を込めて立ち上がる。何度でも蘇生され、何度でも傷を癒し、原点にして頂点の存在、全ての剣士が憧れたヒースクリフへと手を伸ばし続けた。

 

 如何に人並み外れた技量と精神力を兼ね備えていようとも茅場は人間だ、不眠不休で戦い続けることなどそう長くできるものではない。けれど終わらせたくはない、この時を、この一瞬を、この刹那を永遠にかみしめ味わっていたいと──現実の肉体の維持を神代達に任せた茅場は切望した。

 

 それもやがて────終わりを迎える。

 

 全てのゲームにはいずれ、クリアされる瞬間がやって来る。ソードアート・オンライン程に開発者が、運営一同が熱意と発想と技術をつぎ込んだVRMMOは存在しないと、プレイヤー達も断言する程に実感しているからこそ──何としてもこのゲームをクリアしてやりたいと、願うからこそ。

 

 誰もが願った、この瞬間が終わって欲しくないと、この世界で生き続けたいと。

 誰もが解った、この瞬間は過ぎ去るものだと、永遠でないからこそ尊いのだと。

 

「俺達の勝ちだ、ヒースクリフ……いや、茅場晶彦」

「あぁ……そして、私の敗北だ」

 

 紅玉宮の最奥地、謁見の間。胸部を貫かれ、既にライフを削りきられることがヒースクリフにも、トドメを刺したキリトにも分かっていた。残る猶予は数秒、もしここで回復薬を使用すれば、回復結晶を用いれば、そんな誘惑がヒースクリフには浮かび……詮なきことだと首を振った。

 

 だがキリトは突き刺していた剣を引き抜き、彼の言葉を訂正した。

 

「違うだろ? この戦いに、敗者は存在しないんだ」

「それは……どういうことかな、キリト君?」

「今の光景を見て、アンタを敗者なんて呼ぶプレイヤーはいないさ」

 

 だろ? と振り向いた先には戦いに参加していた数多のプレイヤー達の姿。万感の思いを各々が胸に抱き、込み上げる複雑な感情を堪えることができないのは、()()()()()()()()()()()()()

 

 この世界への思い入れがどれ程に大きいか。この世界での思い出がどれ程に鮮烈か。全てが去来して立ち尽くす者、膝を付いて慟哭する者、誇らしげな振る舞いをしながらも瞳が潤んでいる者、彼ら彼女らの心をここまで掴んだ茅場晶彦こそが──他ならない勝者だろう、と。

 

「そうか…………そう、か」

 

 彼らの姿にヒースクリフは目を閉じ──深く吐息する。自らの想像した異世界を具現化したい、その一心で走り続けたこの人生に──しかし茅場は終着点を描いていなかった。アインクラッドを創り出し、人々が生きる姿を間近で感じて、自分もその中で生きて……それで充分だったのだ。

 

 だから──自分のエゴで成したことのお返しがやって来ることなど──思いもしなかった。

 

 そうしてやっと気付いた、自分が愛していたのはアインクラッドそのものだけではないのだと。アインクラッドに生きるプレイヤー達、彼ら彼女らをもまた、愛していたのだということに。

 

 だがこの愛をどうやって示せばいいのか? 今日で終わってしまうこの世界、消えてしまう人々にどうしたら思いを表すことができる? 自覚するには遅すぎて、表出する場は既にないのに。

 

 そうして煩悶する茅場の耳に届いた、ある筈のないシステムアナウンス音。

 

『親愛なるアインクラッドの諸君、今宵は重大な発表がある』

 

 まるで時が停止したかのように色褪せる風景、僅かドットを残して減少を止めた自身のライフにヒースクリフは目を見開いた。何が、と騒然とするプレイヤー達だがヒースクリフもまた平静ではいられない、このような展開をプログラムしてはいないのだから。彼の手を離れた事態であることを表情から見てとったキリト達は身構える。しかして変化は天井部に発生した。

 

『まずは称賛を送ろう。諸君の戦い、生きざまは実に見事だったよ。そう──胸を、打つ。存分に誇るがいい。故──その終演はやはり、盛大なものでなければなるまいよ』

 

 天井部に映し出されたのは運営の用意したアバターの一つ、黒い影法師の姿。彼が浮遊している場所はアインクラッドの外、間近に浮かんでいる浮き島の一つを眼下に臨んでいた。

 

『形あるものは全て、いずれは壊れるものだ。このようにね』

 

 Omnia(オムニア) vanitas(ウァーニタース)──すべては空虚である、と。

 

 呟き────浮き島が崩落した。彼らが今いる第百層の地盤よりも大きなソレが。

 

『君達もアインクラッドの終焉を見送りたいだろう? 城より飛び立つがいい、今から一時間後、アインクラッドの葬送を執り行う。その特等席を君達にも、与えてやろうじゃないか』

 

 仕草も何もかもが、どこまでも胡散臭く異様さを醸し出している影法師が何者かは分からない。だが一つ確かなのは、このままでは間違いなくアインクラッドが消滅するだろうことだ。

 

 アインクラッドが消滅する危機である──その情報はすぐさま各地を駆け巡った。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 あと一時間後にはアインクラッドの全てが滅び去る、その知らせに現実仮想を問わず激震が走った。第百層の攻略は注目度が高く中継がなされていたこともあり、わざわざ現場のプレイヤーが知らせるまでもなく各地のユーザーに知れ渡ったのである。

 

 無論、いずれはワールドに終わりが来ることは分かる。最終ボスが倒されたこのタイミングこそが相応しいことも分かる。だが告げられた終わりを受け入れられない者はかなりの数に上った。

 

 中層や下層、市街区で楽しむことをプレイ目的としているユーザー達は、ただこの世界での生活を、日々を続けたいという思いから。戦いと攻略に邁進した前線のプレイヤー達は、終わる時は自分達で決めたいという思いから。それぞれに抱えた思いを胸にログインし、城から飛び立った。

 

 特等席でアインクラッドの葬送を眺めて、滅びるのを見送るためではない。

 俺達の望んだアインクラッドの最後はこの形ではないと、知らしめるために。

 

『約束の刻限だが……どうにも観客が多いようだな。そして空気も剣呑だ……ふむ、どうやら君達は観客ではなく演者であることを望んでいるようだ。して配役は? 脚本は? 演出は?』

 

 ヌルリ、と空から滲み出るようにして現れた影法師。芒洋とした輪郭と声、しかし伝わってくる感情は間違いなく、愉悦する者のソレ。

 

『そこにいるのは黒の剣士サマじゃないか。どうかな、一つ聞いてみたいのだが……君自身の手でアインクラッド終焉の引き金を引いた気分は如何かね?』

「確かに俺達はアインクラッドを攻略し、役割を終わらせたさ。けどそれは先に進むためだ。ここで……お前にアインクラッドを終わらせさせるためじゃない」

『いずれ全ては滅び去る、ならば精々華麗かつ盛大に……という意は共感を得られないようだ。あなたはどうお考えかな、まさに役目を終えたばかりの城、アインクラッドの主は?』

「私は…………」

 

 半ば呆然自失したままキリト達にこの場へ引っ張ってこられたヒースクリフ。アインクラッドが本当に終わってしまうという時になってアインクラッドへの愛を、そこに生きるプレイヤー達への愛を自覚した彼はその激しい感情の奔流を完全にもて余していた。

 

 だがここに至れば──この光景を目の当たりにすれば、自然と言葉は紡がれる。かつて意図したSAO事件、実行されれば生み出されただろうアインクラッドの住人は()()()()()()()

 

 そして今アインクラッドの終わりを惜しんでこの場に集まった()()()()()()()()()で空域は埋め尽くされている。遥か下にある筈の地上が、押し掛けたプレイヤー達で見ることが叶わない程に。

 

「元より私は利己に生きる人間だ。だが私もまた──愛、というものを持っていたらしい」

 

 いつかの如くに白いマントを(なび)かせ、紅の鎧を夕陽に照り光らせて、全プレイヤーの意識を集めたヒースクリフは万感の思いを込める。この世界を愛し生きてくれた彼ら彼女らの全てに届けと。

 

「私はこの世界を愛している────そして諸君らのことも、愛しているのだ!」

 

 アインクラッドに、ソードアート・オンラインに惹かれて集まった数多のプレイヤー達は瞠目した。石と鉄の城で戦い抜いた剣士達が目指し、憧れた最強、神聖剣ヒースクリフの叫びに。

 

『いつになく感情的じゃないかヒースクリフ。一体いつからそんな人間めいたノリを楽しむようになった? 可愛すぎて思わず抱き締めたくなってしまうよ』

「あぁ、私も気付くのが遅い。この城を創ったことで満足していた頃を思い出すと汗顔の至りだ。だがな──漸く自覚できたこの意志は、私だけのものだ。譲りは、せんよ」

『とはいえヒースクリフ、君の犠牲者もまたこの場にはいよう? ならば城は消えねばならぬだろう。違うか? 憎きアインクラッドが滅びることでしか、君達の呪縛は解けはしない筈だが』

 

 SAO事件に抱える思いを清算する絶好の機会であろう? と────問いに応じる者はいない。

 

『なるほど、なかったことにはできぬと強がった叫び、実に脆く儚く──それもまた人の意志か。君の期待通りという訳か、ヒースクリフ? まったく、可愛らしい戦奴じゃあないか?』

「あぁ……だが、あまり舐めてくれるなよ? 彼ら彼女らは、一人一人がまごうことなき戦う者達なのだから。今こそ君達の力を見せてみろ剣士達、いや、親愛なるエインフェリア達よ!」

 

 詠唱を行うのは戦闘者だけにあらず、戦えない者もまた同様に──スペルの光が空間を満たす。大量のバフがヒースクリフら前衛に掛けられ、同じく大量のデバフが影法師へと掛けられていく。

 

「私としても尋常な勝負は好きなのだがね。バフもデバフも等しく全て、彼らが磨いて身に付けた力だ、そこには彼らの生きてきた証がある……その熟練度一つですら鮮烈な生が込められている」

 

 笑わせなど、させないさ────その言葉を、影法師は嘲笑う。

 

『は、ははははは…………それで、(しま)いか? 飽きさせるなよ。つまらぬ出し物しかできぬようでは、そら、潰してしまうぞ────このようにな?』

 

 人は等しく灰に還る(Aequat-omnes-cinis)────上空から墜落する太陽に、大量に受けたバフを頼みにヒースクリフは楯を構える。神聖剣の真骨頂、守りの堅牢さを示す機会はこの時をおいて他にはないのだから。

 

 ヒースクリフを包む魔法障壁の数々が、張られては破られることを繰り返し続ける。熱波に身を焼き、それでも尚ヒースクリフは、神聖剣は引き下がらない。敵の攻撃を防ぎきるのは自分だと。

 

 自ら剣を振れない? そのようなことは些末な問題だ。何故なら──彼の後ろにいる者達こそはアインクラッドの誇る最高の爪牙、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだから。

 

 期待に応え斬りかかろうとする前衛達を、だがしかし影法師は、そもそも近付けさせもしない。

 

 希望と絶望は表裏一体(Spem-metus-sequitur)──いつかと同じく放たれた言霊により生み出される重力の強大さは前回の比ではなく、(くら)みと共に飛行状態を手放してしまう者が続出した。更におまけとばかりに放たれる暗黒天体──重力の極みに、引きずり込まれて堪るかとヒースクリフは声を張り上げた。

 

「く、オオオオッ! 妖精諸君、剣士達を捨て置けぬであろう? 君達の力を見せたまえ!」

 

 後衛より放たれる種種様々な属性の魔法を受けて勢いを押し止められる重力場、やがて消失したことを見て取ったヒースクリフもまた、火炎球を凌ぎきり──今が好機と宣言した。

 

「結束が違うのだ、私達全てが君を打倒せんとしている。故に私は君達を誇り、必要としよう!」

 

 面白い、と応じる影法師。斯くして死闘──アインクラッド防衛戦は幕を開けた。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「いらっしゃい、明日奈」

「こんにちは、詩乃のん。すごーさんはまだ?」

「ええ、とはいえ是が非でも定時で帰るって言ってたわ」

「もう、相変わらずだなぁ」

 

 大学からの帰り道、という訳でもないのだがよく訪れる明日奈を、今日もまた詩乃は出迎える。この春から二年生となった明日奈は先輩としての落ち着きを──他人には見せていた。

 

「ホントその薬指に指輪がなければ──って人は多いでしょうに」

「まぁSAOでも似た経験はあるし、対処する術も色々と心得てるし」

「実態を知ったらみんな悲しむでしょうね、イメージと違うって」

「ど・う・い・う・こ・と・か・し・ら・ね?」

 

 既にして熱烈な通い妻なところとかよ、と指摘されて狼狽える明日奈。確かに仮想世界でならば多くの時間を一緒に過ごすことはできるのだが……それはそれ、これはこれ、まだまだ仮想世界の情報量は不足しているからね、と明日奈はシレッと言いながら手を繋いだりするのだ。

 

「だ、だったら詩乃のんだって──」

「すごーさんのモーニングコール音声加工、提供者は誰だったかしらね」

「とっても自慢の娘だよね! お世話になってます!」

 

 収集した音声でボーカロイドすらも作れるのではないかと思われる程の意味不明な情熱を燃やす詩乃、その恩恵には明日奈ももれなく(あずか)っている。なんというか、声がエロいのだ。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

『始まりから終わりまで/Ab ovo usque ad mala(アブ・オーウォー・ウスクェ・アド・マーラ)

 

 その詠唱の形式はあまりにも有名だった。世界樹攻略戦、かつて()()()()()()()である妖精王が使用した魔法はプレイヤーとは異なり、主にラテン語を用いたものであった。

 

『時はすべてを運び去る、心もまた/Omnia fert aetas(オムニア・フェルト・アエタース), animum quoque(アニムム・クォクゥェ)

 

 同じものを駆使する影法師もまた、つまりは運営のアバター──いや、かの妖精王を務めた者、彼こそがこの影法師なのだと当時を知る者は確信していた。

 

素粒子間時間跳躍(エレメンタリーパーティクル)

 

 だが彼らを以てしても、予測をしていても尚、彼はその先を行く。

 

因果律崩壊(タイムパラドックス)

 

 その時、()()()()()()()が揺れた。浮遊している筈の城が、である。

 

 元々アインクラッドは表と裏のフィールド及び迷宮区を二重存在として抱え込んでいる。無論サーバーの容量を超えはしないものの多大な負荷が掛かっていることに変わりはない。故にその部分は通常のワールドよりも脆弱であり──それはまた、活動していたプレイヤー達にも同様に及ぶ。

 

 通常のダメージとは違う何か、異質な衝撃が走り抜ける。リメインライトごと吹き飛ばされそうな、コアごとブレたような感覚に襲われ──皆がアインクラッドの表層へと墜落した。いやそれだけではなく──アインクラッドそのものが墜落しているのだ。雲海を貫き遥かな地上へと。

 

 ────アップデートは完了しました。そのようなシステムアナウンスが存在していたことすら気付けたかどうか。敗北の苦い思いを噛み締める余裕すらプレイヤー達には存在しない。

 

 それこそ高度十キロ近い場所からのフリーフォールである。無論ダメージを受けても痛みなど感じはしないが、人間ならば誰しも高所からの落下には忌避感を覚えるものだ。

 

 彼らの中には高度限界に激突して落下した経験のある人間(リーファ)も、高度限界の壁を足場にして戦うような人間(キリト)もいるが、そういうプレイヤーは少数派だった。

 

 と、流れるように下から上へ動いていた景色が止まる。地表からそこそこの距離を開け浮遊し、勢いを殺して着陸したその場所がどこなのか皆目見当が付かない彼らはとにかく周囲の様子を確認するべく……紅玉宮、第百層の高さと地続きになっているフィールドへ降り立つ。

 

 紅玉宮が大陸端に接岸した形なのか、第百層より下は空中断崖の状態にあるらしく……戸惑う彼らの前に現れたのは全長が階層一つ分はあるのではないかと思ってしまう程の巨体だった。

 

 ────ようこそアースガルズへ、このオーディン以下アース神族が歓迎しよう。

 

 待っていたのはアインクラッド、ヴァルハラが本来存在している場所、アースガルズ。北欧神話における主神オーディンの住まう世界(ワールド)であった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 SAOプレイヤー達をアースガルズに送り届け、同時にアップデートをも済ませてしまう今回のミッション。なんとか無事に終えて──彼ら本気で抵抗しすぎだろう──帰還した先、仮想空間の仕事部屋は近未来の研究施設といった様相になっている。出迎えてくれたのはストレアだ。

 

 ALOとはガラリと変わったSFチックなオペレーター服を着た彼女は普段と違った知的で大人な印象が……特になかった。あまりにもフリーダムな雰囲気が強いために。

 

「あ、なにか変なこと考えてるでしょ? 分かるんだよそういうの」

「今はカウンセリング機能を切ってるんじゃなかったか?」

「そうだけど、大体は分かるようになってきたの」

「ホントかよ」

 

 信じてないでしょー、と怒って見せるストレア。勿論MHCPとしての機能を失ってはいないが、成長のためあえてオフにして暫く生活しているらしい。どのような経緯なのかは分からないが、いま現在のストレアは他人の内心が読めないという点において人間と変わらない。

 

「ストレアの考えてることは分かりやすいけどな」

「むぅ……そんなイジワル言うとお手伝いしてあげないんだから」

「悪かったって、君の率直さは人間がおおよそ持ち得ない美徳だよ」

「そ、そうかなぁ……」

 

 てれてれ、と口元を緩めながらストレアが渡してきたのは進捗状況に関するデータだ。とはいえ今回の戦闘やアースガルズについてのものではない。

 

 工廟の中央に座している存在感の半端ない、青い機体色のイカつい外見をした……まさに悪役そのものな巨大ロボットのものだ。名をグランゾン、完成した暁には僕が駆ることになる。

 

 ──事象の地平に消え去りなさい。ブラックホールクラスター……発射!

 

 そんな具合に開幕と同時にブッ放してプレイヤー諸君をヴァルハラ送りにすることだろう。

 

 ただロボットもののVRゲームというものは一応、現在でも存在している。差別化を図り完成度を上げるために僕らは目下てんやわんや、試行錯誤の真っ最中だ。

 

 体にかかる重力はどこまで再現したらいいのか。パイロットの視覚とロボットの視覚を如何に併存同調させるか。人間の身長体重と比較してあまりにも増加しすぎたロボットを操る感覚はコクピット操縦方式がいいのか、それとも神経接続方式がいいのか、他の方法がよいのか。

 

 その他にも解決しなければならない問題は山のようにある。これを将来的にはヨトゥンヘイム、巨人の国としてリリースしたいのだがまだまだ、というところか。

 

 まぁ人世界(ミズガルズ)の方を先にリリースする方がユーザーへの印象も段階を踏めていいのかもしれない。銃器鉄火の支配するガンゲイル・オンライン、あちらは既にしてαテストを開始している。何故だか新川弟君その他が素晴らしい頑張りを見せるので進捗がガンガン良くなるのだ。

 

 ガンゲイルを先にした理由、本音のところはどうなのかって? 詩乃が考えてくれたワールドの構想だから早く実現したいんだ、言わせるなよ恥ずかしい。私情? 知ったこっちゃないさ。

 

 GGOについてもSAO及びALOと武装やアイテムの融通はないが、剣で切った張ったをしたくないユーザーというのも多い。また銃器をメインにしたワールドを、という要望が多いのも事実。まぁリアリティをどこまで追求していいのか、どの辺りで抑えるべきかという基準決めも大変なのだが。

 

 

 

 

 

 今回アップデートしたワールド、アースガルズにてプレイヤーは巨大生物(モンスター)の世界でハンター生活を送ることになる。茅場先輩が作り上げておきながら容量の問題で諦めてお蔵入りにしていたモノについても、真SAOとして順次アップデートしていく予定だ。

 

 まぁ、こういうサプライズであればよかろう。このところの先輩は意気消沈して、見ていられたものではなかったから。発破を掛けるためにアーガスとレクトはとてつもなく苦心したのである。

 

 人員も資金も三年前より増え、構想自体も存在してはいた、とはいえ完成にはまだ時間が必要な筈だったのだ。しかし社員達は粉骨砕身した(デスマーチを乗り切った)、AI達も例の加速世界(アクセルワールド)もどきを駆使して実質数年を稼いだ。全ては裏SAO攻略時に公開を間に合わせるためだけに。

 

 つまるところプレイヤーだけでなく、同僚にもAIにも先輩は慕われているということだ。例えどれほど宇宙人的な言動に月まで匙を投げたくなることがあったとしても、VRMMOというジャンルを実現してくれたことに皆が感謝しているのである。アインクラッドを撃墜する今回の趣向は、若干恨みつらみが混じっていた気もするが……まぁそれも慕われている証と受け取って欲しい。

 

 と、こちらに気付いたのかやってくる二人組。オペレーター服でもパイロットスーツでもない、凄くヒラヒラとしたステージ衣装を身に纏った──セブンとレインの姉妹である。

 

「すごー、あたし達の出番はまだなの? もう練習ばかりの日々は御免よ」

「もう……わたしはまだそんな、人前で歌えるレベルじゃないのに」

 

 歌姫セブンと彼女に憧れたアイドルの卵レイン──という設定が既に決まっている二人。以前たわむれにロボットものと歌と平和についての物語(マクロス)を口にしたら、どこで話が伝わったのかセブンが乗り込んできたのだ。戦場を駆けるロボットに同乗しては各地でライブを行う謎キャラクターとして活躍するらしい。

 

「スメラギ君の操縦技術の方はどうなんだい? セブンは同乗したんだろ?」

「それはもうあなたより優れてるわよ! 安心安全運転だからね、誰かと違って」

「あ、あはは……わたしも乗せてもらいましたけど、立ち上がって歌えそうでしたよ?」

 

 七色君の研究室入りしたスメラギ、住良木君はセブン曰く彼女達の専属担当パイロットにされる予定らしい。類い稀なVR適性を持つ彼は、また研究者としても結構な資質を持つ人物だ。現在は七色の下で学び、いずれは一廉の科学者として独立──する、のだろうか? そこはよく分からん。

 

「あたしの歌で共存と繁栄をうったえかける計画はまだ続いているのよ!」

「そうは言うがセブン……君の代表曲はタイトルが侵略のススメだった気が」

「それは世界樹攻防戦の日に書き上げた詩だからよ誰のせいだと思って──」

「ま、まぁまぁまぁ、わたし達そろそろ練習なので!」

「な、ちょ、待ってお姉ちゃんまだ言いたいことが──」

 

 レインに引きずられて去っていくセブン……ま、まぁ彼女達も元気が有り余っているようで何よりである。彼女達にもこのワールド開発には随分と助けられている。

 

 あとは、やはり昌一君だろうか。

 

 ────覚悟はある。僕は戦う。

 

 前世でも乗り移ったがごとくロボットに情熱を燃やす彼は一体何があったのだろうか。特に関連性はない筈なのだけれど……彼と話すと僕まで何故か先祖返りを起こしそうになるのだが。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「それで明日奈、何か言うことは?」

「なんだか作り過ぎちゃったかも……つい、ね」

 

 詩乃と明日奈の二人で腕を振るっていたのだが……五時を回った現在、どうみても食べきれないだろう分量が既に完成している。加えて冷蔵庫にはデザートも収められているとあって、明らかに人数を度外視した張り切り具合であった。しゅんとする明日奈には、しかし切実な事情もあった。

 

「つい、さ……あの頃を思い出しちゃうんだ。詩乃のんのお母さんとすごーさんと、わたしと詩乃のんと……それに、木綿季とで一緒に食卓を囲んでいた頃を。だからふとした時に──」

「まぁ、気持ちは分からなくもないわ。私だってまだ慣れないもの」

 

 それでも今日、食卓を囲めるのは四人だ────五人ではない。

 

「ふぅ…………こうしていても始まらないわ、余った分は明日以降いただくから」

「うん、ありがとう……ごめんね、詩乃のんだって辛いのに」

「私は、ただいつまでもクヨクヨしていられないってだけ。それに約束したから」

「自分なりのVRMMOを完成させてみせる、だったっけ。そうだね、わたしも頑張らないと!」

 

 パシ、と頬を叩いて気合いをいれる明日奈。その様子に僅か、詩乃は目を細め……自分も残りを仕上げるべく、作業へと戻るのだった。

 

 それから暫く、六時を回った頃。

 

「────っと、もうこんな時間か。すまん、遅れた」

 

 仮想世界から戻ってきた彼は部屋の時計を確かめて案の定、六時を過ぎてしまっていることにバツの悪そうな顔をしていた。意気込んで出掛けておいてやはり色々と時間を喰ってしまったことを不甲斐ないとでも思っているのだろう──そんな内心が二人には手に取るように分かった。

 

「もう、わたし達だってそんなこと位で怒らないよ? 大事なお仕事なんだから」

「例え怒っていてもその顔を見れば治まるわ。ほら、気になるなら呼んできて?」

「あ、あぁ。部屋にいるんだよな」

 

 夕飯と伝えてきて、と言われ駆けていった彼を見送って──思わずクスリと零れる笑いは同時。三年前から押しに押して近頃は……手玉に取れる時もお仕置きされる時も楽しんでいる二人だ。

 

「明日奈もそうだけど、すごーさんも外での印象と全然違うよね」

「そ、そんな詩乃のん、お似合いだなんて照れるよ!」

「そうは言ってない」

「詩乃のんっ!?」

 

 ガビンと落ち込みをあらわす明日奈を放置してリビングへ一式を運んでしまう詩乃。テーブルの上にはこれでもかと大皿の数々が乗り、華やかな印象を与えていた。今日ばかりは健康志向のメニューだけでなく肉類や揚げ物──彼のみならず木綿季もまた、好きだった料理が並んでいる。

 

 四つしかない席の前に、一人分ずつナイフやフォークを置いていって──手元に一組余ったことにハッとする詩乃。何のことはない、彼女もまた四人での食事に慣れた訳ではないのだから。物言いたげな明日奈の目から逃れるようにしてキッチンに駆け込んで一式を戻して、重い息を吐く。

 

「ダメよ……約束したじゃない、GGOを完成させるって。それまで頑張るから、って」

 

 ピカピカに磨かれたシンクに映る自身の表情が歪んで見えたのは……果たしてシンクのせいなのか、それとも。詩乃には判断の付けたくない事柄だった。

 

「いけない……こんなことじゃ、すごーさんに心配掛けちゃう」

「僕がどうかしたか? って詩乃、泣いて……」

「だ、大丈夫よ、ちょっとあくびをしただけで、あっ──」

 

 ぎゅ、と胸に抱かれる感覚に詩乃の声が途切れた。背中に回された腕の強さに安心を覚えて……やはりさっきまでは平気でなかったことを自覚する。

 

「僕はこうして一緒にいるから、詩乃を置いて行ったりしないから」

「うん……うん、ごめんなさい、ちょっとだけ」

「たまには感情を露にしたっていい。詩乃だってまだ子供なんだから」

 

 詩乃もまた彼の背に腕を回して、体温を感じ取って落ち着きを得る。

 

 と、そこに掛かる声は明日奈のもの。

 

「もう待ってるよ、ってどういう状況……あぁ、詩乃のんか」

「な、なによ、悪い?」

「悪くはないけど……理由は想像つくけど、けど」

「だったらアナタも後でしてもらえばいいじゃない」

 

 断らないでしょう? と体を離して問い掛ける。果たして彼は頷いて答えを示し……広げられた両腕に明日奈の方が照れて逃走してしまった。それを見て思わず顔を見合わせて、笑ってしまう二人。明日奈は相も変わらず、人前でのアレソレに奥手なことは変わらないらしかった。

 

「さ、あまり待たせても悪いわ。行きましょう」

 

 彼を促して詩乃はリビングへ。席は既に片側が埋まっていたので二人は反対側に並んで座った。とにもかくにも、まずは乾杯をしようということで各自がグラスを持ち、掲げる。

 

 

 

 

 

 ────十六歳の誕生日おめでとう、木綿季!

 

「えへへ……ありがと、みんな!」

 

 なにせ今日は5月23日、木綿季の誕生日なのだから。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 よく食べよく飲みよく話し、よく笑う木綿季。対面に座る彼女は今日も生き生きしている。

 

「それでそれで、アインクラッド防衛戦はどんなだったの?」

 

 彼女にねだられて今日のアップデートの一部始終を僕は語っていく。彼女達に不参加をお願いしたのは僕なのだから、情景をありありと彼女達に伝えることは義務だろう──というのは建前だ。木綿季達が目をキラキラさせて聴いてくれることが僕自身、嬉しくて仕方がないのである。

 

 その昔、明日奈にねだられてアインクラッドの話をした時から何も変わらない喜びだった。

 

「団長も意外と熱いところがあるのね。すごく意外に感じちゃうのは、失礼かな?」

「構わないんじゃないかしら? 本人も土壇場まで自覚してなかったでしょうから」

「というかすごーさんって何で悪役を担当することが多いの? ハマッてるけどさ」

「他人に任せたことはあるぞ? ただ、物足りないって感想が多くってさ」

 

 かつての世界樹攻防戦、あの後にも運営の人間がボスを担当するイベントは何回かあった。それらについて僕はノータッチだったのだが……感想というか要望というか、プレイヤーからの意見が多かったのだ。すなわち、悪役らしさが足りないと。

 

 悪役にも種類が様々にある。小物なチンピラとフィクサーを張れる大悪党、そんな両極端の二つだけでなく……ボスの風格を出しておきながら劣勢時には小物に変貌したり、悪人なりの仁義を通して敗北したり、吐き気を催すような邪悪であったり……そんな注文に応じられる人間がなかなかいないという話だ。そんなモノばかり僕に御鉢が回ってくるのである。

 

「あ、でも今度のパイロットは悪役って訳じゃないぞ?」

「またまたー。ボク知ってるよ、美味しいとこだけ持っていく立ち回りとかするでしょ」

 

 木綿季が指摘してきたと思えば次は詩乃だ。

 

「そうね、敵として立ちふさがる時は殺意満々の武装でプレイヤーを苦しめるのよ」

 

 そしてトリは明日奈。

 

「いざ仲間ユニットになったら武装が違うとか出力が低いとか、よね?」

 

 だからなんで君達はそこまで的確に予想を積み上げていくのか。いや、僕の行動を予測できる程によく見てくれているのであれば、それは嬉しいのだけど。

 

 

 

 

 

「そうだ! すごーさん、プレゼント欲しいな?」

「プレゼント? ちゃんと後で渡すつもりだぞ」

「それも嬉しいけど、どうしてもお願いしたいことがあるんだ」

 

 食後のケーキも食べ終えて、休憩をしているタイミング。木綿季の口にしたお願いとやらの内容に興味を惹かれた僕は聞く姿勢を取った。あまり無茶なことは言われないだろうという信頼があったからなのだが……果たしてそれは可能だが難しいお願いであった。

 

 キャリブレーションをお願いしたい、というのである。

 

 キャリブレーションとは現実の肉体をスキャンしてデータ化する一連の作業のことであり、仮想空間のアバターを現実のソレに近づけるために行われるものである。身体的接触は必須だ。

 

「ほらボク成長期だからさ、日々着実に大きくなっている訳だよ」

 

 胸とかね、ホラ────ぽよんと両手に乗せて示されても困る。いや三年前とは如実に違うが。

 

「だだだダメよっ、キャリブレーションって全身をくまなく触るんだよ!?」

「だからだよ。セブンのお陰で根治の可能性も見えてきたし、そろそろいいかなーって」

「それはそれこれはこれですッ! というか現実(コッチ)でも誘惑する気なの!?」

「ボクは毎日を悔いなく真剣に生きると決意したんだ」

 

 わーわーきゃーきゃーやっている二人。まぁ二人がお互いに仲良くしている間、こちらは平和なのだ。ただそんな仮初めの平穏はすぐさま破られるのがお決まりだと、僕もこの数年で学んだ。

 

 ──今のボクならアスナと組んでも絶壁って言われないもんね!

 ──わたしだって、わたしだってもう絶壁って訳じゃないのに!

 

「騒がしいわね、そう思わない?」

「いつものことじゃないか……それより詩乃、もう年頃なんだからさ」

「パパ、なんでしょう? 娘のお願いは聞いてくれないの?」

 

 ちょっこりと、ちゃっかりと膝の上をキープしている詩乃。詩乃の母が治療を終えたことを契機に実家へ戻ったことで血の繋がりのある相手がいなくなってしまった……ということを言い訳にして何かとくっついてくることが増えた気がする。ガリガリと理性を削られている今日この頃だ。

 

 いや、寂しいだろうことは分かる、分かるのだけれど、それだけじゃなくてからかっているだろうと……聞いてみてもはぐらかされるばかり。娘との接し方が分からない僕は彰三さんにアドバイスを求める程で──その通りにしたら詩乃が暫く口を聞いてくれなくなってしまった。僕はそれ以来、彼には金輪際相談しないことを決意した。そう言ったら京子さんには爆笑された。

 

 まぁ、詩乃もその内に親離れ? をしたい時が来るだろう、多分、きっと。保護者会に行っても娘を持つ父親同士の話題なぞ変わらない、即ち接し方の苦労である。彼らは総じて風呂の順番や洗濯物の分別で日夜大戦争を繰り広げているらしいから、我が家もその内そうなるのだろう。

 

 それよりも喫緊の課題は──この体勢を明日奈と木綿季に気付かれるのが時間の問題だということだ。そうしてきっと、両腕は二人に取られるのである。多分また、いつものように。

 

 イヤなのかって? イヤじゃないから困るんだ。この数年で自覚したことだけど、どうやら僕は必要とされることに──愛されるということにかなり飢えているようで、世間的にはきっと()()と評されるような感情表現くらいでちょうど良い、心地よいと感じてしまう性質(タチ)らしい。

 

「別にいいもの、着物姿はスレンダーな方が似合うし。そうよね、って」

「ぬぐっ、それは確かに。じゃあボクのアバターは未発達なままに、って」

「あら、もうバレちゃったわね。ところですごーさん、どっちが好みなの?」

「勘弁してくれ、どう答えるかなんて知っているだろ」

 

 それでも聞きたいの、とねだる詩乃。右腕を木綿季に、左腕を明日奈に取られて──三人ともにワクワクした様子を隠しもしないのだ。何だかからかわれているような気がする。

 

「面白がってないか?」

 

 揃って否定する三人。こういう時は本当、息がピッタリだ──まったく。

 

 僕の思いはあの日から変わらない。明日奈(アスナ)と、詩乃(シノン)と、木綿季(ユウキ)と、三人ともがいなければ絶対、この世界を僕は歩くことすら儘ならない。彼女達を感じられる場所こそが現実(リアル)なのだ。

 

 ありの(まま)の姿が既に至上なのに、これ以上の何かを望めと言われても困る。

 

 そう伝えれば満足そうにするのもいつものことで──三人のそんな反応で僕が許してしまうのもまた、いつものことだ。この子らには昔から敵わなくて、それはずっと続くのかもしれない。

 

 いや──続けていくのだ。続いていくことを僕達が望み、先へと手を伸ばすからこそ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。