【旧作】腹黒一夏くんと演技派箒ちゃん (笛吹き男)
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【序】『織斑一夏』という名の仮面
【起】クラスメイトは全員間者


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 十年前、この世界に女性にしか操作できない究極のパワード・スーツ、『インフィニット・ストラトス』、通称『IS』が発表された。一斉コンピューターハッキングを受けた世界各国の軍事基地から日本に向けて放たれた2341発ものミサイルを全て駆逐した謎の兵器として世間に知れ渡ったISは、その存在が公になるやいなや、瞬く間に世界を圧巻した。現行の科学兵器を何世代も先行する最強の兵器。唯一の欠陥、『女性にしか扱えない』という特徴を持つものの、ISは世界の軍事バランスを変え、女性はその地位を大幅に向上させた。

 世界はISが支配し、ISは女性だけが使用できる。それが世界の常識だった。今、この時までは。

 

「――――ちょっと君、ここはIS学園の試験場よ。部外者は立ち入りきん――――え? うそ? 動いてる…………」

 

 後ろで聞こえる女性職員の驚きを耳にしながら、件の少年、織斑(おりむら)一夏(いちか)は目の前の事実に動揺する。ように体裁を繕いながら内心ではほくそ笑んでいた。

 

(やはり、そうきたか)

 

 他人にバレないように一人納得する一夏に、興奮した女性職員は肩を掴み詰問する。

 

「これ……どういう事? 君は一体、何者……?」

 

(何者もなにも、世界最強のIS乗りが織斑(おりむら)千冬(ちふゆ)の弟にして、ISの生みの親である篠ノ之(しののの)(たばね)の幼馴染さ。現状の説明にこれほど納得のいく答えなどあるまい)

 

「さあ……俺にもさっぱり……」

 

 一夏は笑いたくなる本心を隠し、いつも通りの『織斑一夏』を演じる。自らの姉がその力を世に示した時から張り付けている仮面は、そう易々と外れはしない。世界を変える事態を前にしても、それをあらかじめ予想していた一夏にとって、『織斑一夏』を崩すには値しない。

 そう。全ては、想定通りに。

 

 

 

 

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 IS学園とは、日本に作られた、IS操縦者を始めとしたIS関係者を育成するための高等教育機関である。同樣の施設は他国にも存在するが、どれもIS学園には及ばない。またIS学園に関しては、外部組織からの介入を受けない、という一種の独立国として認めるような条例が国際法で定められているため、良き学舎として世界にその門戸を開いている。もちろん、それは表向きであるが。

 裏では各国の密命を受けた少女たちが日夜暗躍する策略の世界。他国の介入を受けないとされるIS学園自体も、世界の調整役として何らかの融通を常に通さなければならない。

 けれども実質IS学園に送られてくるのは年端もいかない少女たち。まだまだ精神は未熟であるし、色々失敗もする。そもそも各国がIS学園に見出している価値は社交場としてであり、現実は十代少女たちの花の楽園となっている。自国の虎の子は自国で育て、他国との繋ぎ役となる予定の者たちをIS学園に送る。これが世界の実情であり、現状であった。

 しかし、今年は少し違う。

 一月半ほど前に突如として現れた世界最初の男性IS操縦者。希代の存在がIS学園に入学するということで、各国は如何にしてその男子、織斑(おりむら)一夏(いちか)と接触するか、自国に引き摺りこむかを思案することとなる。

 最も確実なのは、IS学園にエージェントを派遣し、彼と同級生になるということ。あわよくばその子種を手に入れることができれば織斑一夏との関係性は強固なものとなる。けれども、これまでの経験から織斑一夏にハニートラップが効かないことを身を以て知っている各国としては、子種の件は望み薄だと期待はしていない。

 となると取るべき策は、織斑一夏との良質な友人関係。そしてそれならば、IS学園に派遣されている少女たちは問題ない。そもそもとして彼女たちの役割は各国の顔繋ぎなのだから、男子一人それとなく交遊を深めることぐらいやってのける。

 但し、障害はある。

 例えば織斑(おりむら)千冬(ちふゆ)。目に余る接触過多はIS学園に潜む世界最強(ブリュンヒルデ)を敵に回しかねない。

 例えば篠ノ之(しののの)(ほうき)。織斑一夏の幼馴染である彼女が最も彼の近く立つのは間違いない。そして彼女は、全てのISを牛耳る篠ノ之(しののの)(たばね)の妹であり、下手に手を打とうものなら『厄災』を引き寄せる。

 例えば他国の学生たち。彼女たちはライバルというわけだが、如何せん数が多い。

 けれども中にはこの障害を掻い潜ることのできる存在もいる。各国はそういった少女たちを、場合によっては虎の子を改めて投入したかったが、事が発覚したのはIS学園入学手続きが終わったあと。ほとんどの国が悔し涙を飲みながら、IS学園に在住する自国の少女たちに指示を送る中、余裕を見せている国もあった。

 その筆頭は当然日本。そもそも織斑一夏は日本人であるし、いくらIS学園が国際的に開かれているといってもその生徒の半分が日本人である。IS学園自体も日本にあり、IS学園で使用される言語も日本語なのだから、その余裕は当たり前と言える。

 そして次はロシア。現在IS学園の一部を取り仕切っている生徒会の代表、つまり生徒会長は生まれは日本人であるが現在の所属はロシアであるのだ。

 そして最後はイギリス。代表候補生という立場と麗しい容姿を兼ね揃えた少女が運良くIS学園で織斑一夏の同級生となることができたのだ。他国に一歩も二歩もリードしたと言える。

 実は中国がこっそり祝杯を上げているのだが、今はまだ動きを見せず。

 フランスとドイツが逆転の案を練っているが、未だ知られず。

 様々な思惑の下、IS学園は新たな一年を迎えようとしていた。

 それはここ、一年一組の教室も同じである。

 例年に対して男子が一人紛れ込んでいるという違いはあるものの、入学式を終えた今、順調にスケジュールをこなしている。

 諸事情により遅れているクラス担任に代わって副担任がホームルームの指揮をとっていた。

 副担任の名前は山田(やまだ)真耶(まや)。童顔巨乳の眼鏡教師はその様子があまりにも頼りなく、見ている者が逆の意味で落ち着かない。

 あっちにふらふら、こっちにふらふら。時折、そのつぶらな瞳に涙を溜めて。まるで子供が大人の振りを頑張ってしているように、教壇の上でおろおろしながら生徒たちに自己紹介をさせている。

 そんな彼女を見て、少年、織斑一夏は手に入れていた情報との齟齬に頭を抱えていた。

 

(な、なんだあれは? あれが教師だと? それも、かつて『鉄仮面』と呼ばれた元日本代表候補生だと?)

 

 ありえない、と一夏は口の中で呟く。

 一夏が入学前にネットで調べた真耶の現役時代の実践データからは想像もつかない性格の彼女。確かにIS学園の内情に関する情報は厳しく規制されているし、IS関係の情報は軍事情報と同等の扱いを受けている。山田真耶という女が本当に目の前のような人間である可能性もないことはない。

 しかし、それを鑑みても余りにギャップが激しすぎる。

 確かな違和感。一夏はそれを考察する。

 

(いや、仮にも姉貴の信頼する部下だ。あの人畜無害そうな顔はおそらくは仮面。強面や軍隊上がりが多いIS学園の関係者の中でああいった顔を見せることで、一般人上がりの学生のメンタルケアや、生徒の本音を聞き出す役目を担っているのだろう。だとすればとんだ名女優だ)

 

 さすがは姉貴の選んだ女だ、などと納得しつつ、そういえばこのクラスには“魔女”がいたな、と本人の方に視線を向ける。

 

(女優同士、この副担と気が合うかもな)

 

 などと考えていた一夏は、いつの間にか自己紹介が進んでいたのか両目を潤わせる真耶に何度も名前を呼ばれていた。

 突然の大声に慌てて意識を戻した一夏だったが、焦って声が裏返ってしまう。

 そんな一夏に真耶は更に動揺を見せ、まるで震える子羊のように様子を窺ってくる。

 

「あっ、あの、お、大声出しちゃってごめんなさい――――」

 

 そこから続く真耶の怯えた声。予想外の事態に一夏の頭は混乱する。

 

(くっ。この女、一体どういうつもりだ!? 俺を孤立させる気か!? 泣かれでもしたらさすがに不味いぞ)

 

 いくら『鉄仮面』と呼ばれる冷酷無比な女だとしても、このクラスの中では山田真耶は小動物のような可愛い教師である。そもそも『鉄仮面』の名は姉から直接聞いたものであり、一般的ではないのかもしれないことに気づいた一夏は、真耶の真意を探りながら状況打開の策を練る。

 しかし与えられた時間は僅かしかない。とにかく、入学早々副担任を泣かした世界で唯一の男性IS操縦者などという不名誉な称号を得ないために、一夏はひとまず好青年を装って真耶を宥めることにした。

 一夏が被る『織斑一夏』の顔。その仮面の下から吐き出される偽物の言葉で、うろたえる副担任を一夏は相手する。

 しかし敵もさるもの引っ掻くもの。目の前の一夏の両手を掴み、詰め寄ってくる(一夏の座席は教室の最前列の真ん中だった)。演技だとは一切思わせないその所業に一夏は抵抗を諦める。真耶の方が一枚も二枚も上手だと分かったからだ。

 

(おのれ。俺を使って自分のキャラを確立させるつもりか。ふっ、やってくれるじゃないか。完敗だよ。さすがは姉貴が認めた女だ。開幕早々この俺を出しにするとはな。だがまあ、仮にも姉貴のことだ。俺に害ある者を寄越すことはないだろうよ)

 

 一夏は真耶の手を解き、立ち上がった。

 

「えー……えっと、織斑一夏です――――」

 

 必要最低限の自己紹介。名前を名乗り、挨拶をするだけの簡潔なもの。

 客観的に見て、あまり良いものではない。それまでのクラスメイトたちは少量ではあるが自己アピールをしていたし、世界で唯一の男性IS操縦者である一夏の最初の言葉には、教室中が、強いては世界が注目しているのだ。世界最強(ブリュンヒルデ)が弟、『災厄』が幼馴染みの織斑一夏が送る、世界に向けての初のメッセージ。この場で話されたことは直ぐ様教室中の少女たちを通して各国の首脳陣へと伝わるだろう。

 そんな最初の一言を、一夏はまるで関係ないとばかりに捨てた。

 

「………………」

 

 教室中を、驚愕と共に沈黙が支配する。何かの聞き間違いかと一夏を見詰める少女たち。

 しかし、一夏がそれに応えることはない。なぜならそれが『織斑一夏』という仮面なのだから。

 織斑一夏は織斑千冬によって世間から遠ざけられ、一男子として育てられてきた。故に、その性格は姉の影響で一男子として見れば大変喜ばしいものとなっているが、世界の情勢に疎くISについては一般常識すら十分ではない――――ということになっているのだ。

 一夏が『織斑一夏』である以上、一夏は自分の現状を正しく認識していてはいけない。そしてこれまでの十年間の間に作り上げてきた『織斑一夏』の性格と行動パターンから、このような行動をとったのだ。

 だから、一夏は更に続けた。

 

「以上です」

 

 それまで気を張りつめていた幾人かの少女があまりの事態に、がたりと椅子を鳴らす。けれどもそれは仕方がないことだ。織斑一夏に関する情報は、一切の間違いなく本国に届けないといけない。IS学園内で簡単に録音機材を使えるはずもなく、こんな場面での一夏の発言を誤って国に伝えたら大変である。しかも、周りの国と比べて自国だけそんなへまをしたとなると、世界の笑い者だ。少女たちの中でも一部の、エージェントとしての訓練を受けていない、本来は“ただの”IS学園の生徒になるはずだった少女たちは、その重圧によって精神を削られていたのだった。

 

「あ、あのー……」

 

 後ろから聞こえてくる真耶の遠慮した声。

 それを聞き流しながらクラスメートたちの反応を確認していく。

 驚く者、呆れる者、見詰める者。それぞれの様子を簡単に振り分け、一夏はこのクラスメートたちと彼女らの母国との関係を大まかに把握する。といってもその道のプロというわけでもない一夏の推測など当てになるものではないが、それでも意識する切っ掛けにはなるだろうし、間違っている情報は随時訂正していけばいい。今この瞬間は、最初の枠組みを簡単にでも作ってしまうことが大事なのであって、そこまでの正確性を一夏は求めてはいなかった。

 一夏はクラスを見回す。そして数人に脳内でチェックをつけたところで、自身の身の異常に気づいた。

 

「いっ――!?」

 

 目にも止まらぬ速さで降り下ろされた出席簿。それは一夏の後ろからであり、一高校生の身には防ぐことは叶わず、そもそもとして存在に気づくことすらできない。

 それは一夏も例外ではなく、あくまで一高校男児程度の身体能力しか持たない彼は、突如襲いかかった頭痛に思わず素を晒してしまう。しかしそれも一瞬のことであり、すぐに取り繕った『織斑一夏』の顔でアホらしいギャグを飛ばす。

 当然の如くそれは受け入れられず、センスのないボケに対する突っ込みは二度目の出席簿アタックとなって一夏に与えられた。

 

(くそっ。こんなキャラ設定にしたばっかりに。これもそれも、あいつのせいだ!)

 

 じんじんと痛みを訴える後頭部を両手で抱えながら、一夏は地元の友人に対して毒を吐く。ある程度『織斑一夏』という仮面に愚かさが必要だったとはいえ、害にしかならない設定が増えたのは大体その友人が原因であったりした。

 悶絶する一夏の後ろで、襲撃者、織斑千冬が自己紹介と担任としての抱負を述べる。

 そうして、教室は一般人を装う少女たちと本当に一般人の少女たちの歓声によって包まれた。

 

 

 

 

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 記念すべきIS学園での最初の授業が終わり、一夏はあくびを堪えながら肩を回した。

 先ほどの授業内容はIS基礎理論。それも基礎中の基礎であり、IS学園に入学するのなら予め知っておくべき知識の確認であった。

 当然、一夏が分からないわけがない。実姉に世界最強のIS操縦者を持ち、幼馴染みに世界唯一のIS開発者を持つ一夏である。ISに関する知識はそこいらのIS関係者よりも豊富だ。

 しかし、それを表に出すわけにはいかない。『織斑一夏』がISに精通していることを知られてはいけないのだ。

 ISは女性にしか使えない。ISは男性には使えない。それがISにおける大前提であり、世界の常識となっている。

 けれどもそこに織斑一夏という例外が現れた。男性でありながらISを扱うことのできる唯一の存在。

 だが、そんな一夏に疑惑の目を向けている者がいる。なぜか。それは織斑一夏の人間関係が特異過ぎるからだ。

 世界最強(ブルュンヒルデ)の姉に、IS開発者の幼馴染み。ISが台頭した今の時代において、余りにも恵まれ過ぎている。そして本人は世界唯一の男性IS操縦者。何か裏があると思われても仕方がないと言えよう。

 ただ、それを表だって口にする者はいない。現在の織斑一夏の代名詞、世界で唯一の男性IS操縦者という存在が仕組まれた(・・・・・)ものだと声を上げるということは、最悪の場合『厄災』を敵に回すことになるからだ。まだ世界が彼女に追いついていない現段階では、神にも等しい頭脳を誇る彼女と対立した者は皆破滅するしかない。そしてそもそも、その声明には根拠がないのだから下手をすると自身が世界に叩かれることになりかねない。

 このような世界情勢の中で、仮に織斑一夏がIS知識に詳しく、IS操縦が卓越していた場合、世界はどう思うだろうか。

 ISと関われないはずの男性がISに深く関わっている。もちろん、操縦者でないIS関係者の中には男性も少なからず存在するが、ISを動かすことのできない男性の手腕が信じられるまでにはかなりのハードルを越える必要がある。そのために世の男性たちは長い時間を掛けるのだ。故に、男性がIS関係者となることはほとんどない。

 現在、織斑一夏は十五歳である。そんな子供がISと深く関わり合うなどというのは、特殊なケースを除いてまずあり得ない。ISはスポーツの一面を持っているが、その根本にあるのは兵器であり、軍の、国の重要機密である。いくら織斑一夏が織斑千冬の弟であり、篠ノ之束の幼馴染みだとはいっても、今の段階でISに精通しているはずがないのだ。

 であるのに、世界唯一の男性IS操縦者の肩書きを持つ一夏がISに詳しければ、それは一つの仮説を人々に思わせる。

 

 

 

 織斑一夏がISを動かせるのは、篠ノ之束がそうなるように設定したからであり。

 織斑一夏がこの時期にそうなったのは、予め決められていたことなのであり。

 織斑一夏はそのことを最初から知っており。

 ISが男性に反応しないのは、織斑一夏を優遇するためび篠ノ之束が仕組んだことなのではないのか。

 

 

 

 そう世間に確信されてしまえば、篠ノ之束は、名実ともに世界の敵になってしまうだろう。篠ノ之束だけではない、その妹の篠ノ之箒も、そして篠ノ之束の唯一の友人織斑千冬と、その弟である織斑一夏も、世界に淘汰されてしまうだろう。

 そうならないためにも、一夏は今日もこうして『織斑一夏』の仮面を被るのだ。愚鈍であり、その後急激な成長を遂げることで、『織斑一夏』という人間そのもの(・・・・・・)が特異であるために。

 回した肩を撫で、一夏は次の授業の準備をする。

 隣から視線を感じていた一夏は、その露骨さから視線の主が一般生徒であると判断した。ならば、『織斑一夏』が自身に向けられる視線に気づいても不思議はない。一夏がそちらに目を向けると、肝心の彼女は顔を背けてしまった。なかなかに初々しい反応である。

 

(女が皆こんな子だったらいいのにな)

 

 一夏は自身と最も関わり合いが深い同年代の女子を思い浮かべ、胸の内でため息を吐く。

 そして予想通りに、彼女、“魔女”が目の前に現れ声を掛けてきた。

 

「……箒?」

 

 “魔女”の名を口にしながら、一夏は彼女を観察する。

 雰囲気は古き良き日本男児。現代風に言うならバリバリのキャリアウーマン。触れれば切られる、などと幻覚を見せるような刺々しさ。十年前の彼女から、何も変わっていない(・・・・・・・・・)その様子。

 一夏が“魔女”と呼称する彼女、篠ノ之箒は、誰がどう見ても(・・・・・・・)不機嫌そうに一夏を外へと連れ出した。

 といっても廊下に出ただけであり、それ以上教室から離れることはできない。今の十分休みの間であるし、故意か偶然か、二人の周りには少女たちの包囲網が敷かれているからだ。

 最重要人物の織斑一夏と要重要人物の篠ノ之箒の第一次接触は、大観衆の前でもって行われた。

 世界の重鎮たちへと繋がる彼女らが見つめる中、“魔女”はコミュニケーション能力の乏しさを披露し、一夏は『織斑一夏』として対応する。

 その中で嫌な予感を感じながら、チャイムの音と共に教室へと戻るのだった。

 

 

 

 

     3

 

 

(やりやれ、放課後について考えていなかったのは俺のミスだな)

 

 二時間目の授業を受けながら、一夏は先ほどの十分休みを思い返していた。

 “魔女”と“仮面”の三文芝居を繰り広げながら、あの時一夏は周りを観察していた。各国の少女たちが一体どう動くのか。それを知るにはちょうどよいデモンストレーションとなったのだ。

 

(ミーハーを全面に出した野次馬根性の集団戦法でこられれば、身動きすらとれないぞ)

 

 世界は織斑一夏を手に入れたいが、織斑千冬と篠ノ之束を警戒して強硬手段をとることを避けている。IS学園の生徒たちを通して織斑一夏との接触を図ろうとする各国だが、実行担当の少女らも決して自由に動けるというわけではない。そんな彼女たちが一体どのような方法をとるか。

 一年一組に紛れ込むことができた者は比較的織斑一夏との接点がある。しかしそうでない者たちは放課後の時間を狙うしかないのだ。

 更に一夏にとって都合が悪いことに、本物の一般生徒たちが興味本位で行動した場合も放課後に攻めてくる。

 おそらく一夏の住まい等では過度な接触ができないようにされているであろうから、実質織斑一夏との関わりを求めるのならば放課後に襲うしかない。十分休みの野次馬の比ではないだろうし、十分休み程度の規模だったとしても一夏には物理的に捌き切れない。

 ならば、どうするか。

 

(さっそくだが、先ほどの借りを返させてもらおうか)

 

 一夏は机の上に積まれた五冊を教科書をおもむろに開き、隣の生徒に意味ありげに目をやった。

 するとさっそく反応を示し、おそるおそる言葉を交わしにくる。

 二三適当に対応し、それでも教卓からは目立つように顔を動かす。

 そうして、獲物が引っかかった。

 

「織斑くん、何かわからないところがありますか?」

 

 教科書を読み上げていた真耶が一夏を見る。

 その姿は完璧で、新米教師さながらの雰囲気を全身で作り出している。果たして誰がこれを嘘だと確信できるだろうか。誰が演技だと断言できるだろうか。

 しかし、それこそが織斑一夏の前では(あだ)となる。

 

(確かに、あんたのその演技は脱帽ものだ。――――だが、だからこそ役者であるあんたは誘導ができる)

 

「先生!」

「はい、織斑くん!」

「ほとんど全部わかりません」

 

 ............。

 教室中を支配する重苦しい沈黙。

 あまりの事態に一瞬固まった真耶は、演技か素か。

 けれどもそんなことは関係ない。一夏は既に投了したのだから。

 

「え……。ぜ、全部、ですか……?」

 

 ISとは兵器である。高度な専門知識が要求される、現行最大級の精密兵器。IS操縦者が必要となる知識がIS整備者のそれと比べて霞むような量だとしても、それでも膨大な知識を一つの抜け落としなく理解している必要があるのだ。IS学園の生徒たとは入学の時点で既に膨大な量の知識を得ている。IS学園の授業では基本から入るといっても、IS学園に入学するためには入試試験の時点でかなりの知識が必要とされるのが現実だ。たった三年でISという世界最強の兵器担い手を作る学校である。そこに在籍する生徒に求められる水準としては当然と言える。

 そんな中で、織斑一夏は無知を晒した。ISに関して何もわからない、などとほざいてみせたのである。

 もちろん、男性である一夏がISの知識が欠落していても何らおかしなことはない。世の男性にとって、ISという存在は壁の向こうのものなのだから、何ら問題はなかったのだ。

 しかし、ここはIS学園。ISを学ぶ世界最高峰の高等学校。IS知識の欠如など断じて認められない。 かといって織斑一夏を退学にはできない。けれども、授業進度はIS知識有りの前提で進められる。

 ならば、取る道は一つだけだ。

 

「――――入学前の参考書は――――」

「――――間違えて捨て――――」

 

 千冬と一夏の一幕を終えて、遂に真耶が口を開く。

 

「――――わからないところは授業が終わってから放課後教えてあげますから――――」

 

(とった!)

 

 教師による織斑一夏への個人指導。IS知識が欠けている『織斑一夏』への対策としては最も妥当な案。それを山田真耶が行うことは一種の牽制となる。

 

(それであんたがどんな状況になろうと、俺の知った凝っちゃないがな。まあ、何とかするんだろうさ)

 

 山田真耶が『山田真耶』である限り、落ちこぼれの生徒を誰か他人に任せることなどできない。自ら手助けするその性格を演じる内は、織斑一夏の補修授業を担当するのは自明の理。

 こうして、織斑一夏は放課後の安全を手に入れたのだった。

 

 

 

 

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 イギリスからの刺客が動きを見せたのは、二時間目の休み時間だった。

 セシリア・オルコット。イギリス代表候補生にしてイギリス名門貴族現当主。イギリスの第3世代試作機の実働実験を担当するほどの実力の持ち主であり、麗しい美貌と知性を兼ね揃えたイギリスの未来の顔繋ぎ役。IS操縦者としての能力も破格ではあるが、それよりもその政治手腕を買われている少女である。

 十二歳のときに両親が他界してから、その身一つでオルコット家を守り抜いた鬼才。各国とのコネクション作りのために専用機を引っさげIS学園へとやってきた彼女には当然、織斑一夏籠絡の指令が下っている。

 しかし、織斑一夏にハニートラップは通用しない。正確にはハニートラップで入り込む隙がない(・・・・・・・・)のだが、今そのことはどうでもいい。織斑千冬が世界最強(ブリュンヒルデ)になったその日から一夏へは、幾つもの国、組織が取り込もうとさりげなく女性エージェントを送りつけてきた。もちろん、千冬の妨害があって作戦は成功しなかったのだが、それより何より、織斑一夏はまったくといっていいほどエージェントたちに反応を示さなかったのだ。お陰で中には自身喪失により使えなくなった者もいる始末。

 織斑一夏にはハニートラップは通用しない。しかし、女としての長所が使えない程度、セシリアには大した痛手にはならない。セシリアは別に女スパイという訳でもハニートラップ専門の工作員でもない。セシリア・オルコットという少女は、その“人間性”を以てイギリスの権力闘争を生き抜いたのだから。

 作戦は最初から決まっていた。本国から仕入れた織斑一夏の資料から編み出した策。本来なら最初は様子見をしたいところであったが、一ヶ月後には中国の刺客もやってくる。情報通りならば、かなりの強敵となるとセシリアは考えている。だからこそ、先手必勝。入学式当日、まだ誰も織斑一夏の近くに寄れないこの時期に、セシリアは攻める。

 

「ちょっと、よろしくて?」

 

 できるだけ、偉そうに。

 別に織斑一夏を苛立たせても構わない。

 別に織斑一夏に嫌われても構わない。

 必要なのは局地的勝利ではなく大局的勝利。

 

(さて、踊っていただきましょうか。わたくし、セシリア・オルコットの描く(奏でる)舞台(ワルツ)で)

 

 セシリア・オルコットが織斑一夏の女になることは難しい。

 けれども、セシリア・オルコットが織斑一夏の戦友(ライバル)になることはできる。

 織斑一夏と世界で初めて真剣勝負を交わした間柄として、セシリア・オルコットは彼と確かな関係性()を得ることができる。

 その為の下準備として、セシリアは一夏に話し掛けた。

 そして結果は予想通り。

 織斑一夏が『織斑一夏』である限り、IS関連の事情には疎い。セシリアのことを知らなくても不思議はないのだが、彼女はそうは振舞わない。はっきり言ってその言動は、周りのクラスメイトたちからみても嫌な女に見えるだろう。しかし、それが今後マイナス影響を与えることはほとんどない。何故なら、ここにいる少女たちは皆分かっているからだ。これが、セシリア・オルコットによる織斑一夏の攻略作戦であると。

 順調な滑り出しを感じながら、セシリアは今後の作戦に思いを馳せる。種は撒いた。後は、然る時まで丁寧に水をやって育てるだけ。

 しかし、世界はそう甘くはなかった。

 

「――――再来週行われるクラス対抗戦に出る代表者を決めないといけないな」

 

 三時間目開始そうそう、教壇の上でそう告知した千冬。

 何でもないことのように言い放たれたが、その内容はセシリアを動揺させるに十分だった。

 何が? クラス代表の選出がか?

 当然違う。その存在を知らなかったのは、織斑一夏くらいなものだろう。

 セシリアが、クラスの少女たちが驚いているのはそうじゃない。

 

(そんな……早すぎる……)

 

 クラス代表は毎年、入学一週間後に決められる。ある程度クラスメイトの人と柄を把握してから選出されるのであり、だいたいがIS適性の高い少女が選ばれるといっても、一週間という期間は今まで不変だったのだ。

 それが、ここにきてまさかの変更。

 

(まさか、わたくしの策が見破られた!? いえ、そんなことはないはず。仮にそうだとしても、この方法では根本的な解決にはなりえません。ならばどうして? もしかして、織斑一夏を逸早くクラス代表にすることで学園側に何らの益が生じる……?)

 

 セシリアが考えを巡らしている間にも、状況は刻々と変化していく。

 織斑一夏がクラス代表に挙げられ、それで決定しようとしている。

 

(種はまだ植えたばかりですが、仕方ありません)

 

 意を決し、セシリアは戦いの狼煙を上げた。

 

「待ってください! 納得がいきませんわ!」

 

 織斑一夏の当選に反対し、代わりに自分を勧めるセシリア。

 その際に日本に対する、織斑一夏に対する暴言を吐き散らす。決して一夏が無視できないように。決して一夏に逃げられないように。

 代表候補生としてあるまじき態度ではあったが、それが国際問題になる心配はない。

 IS学園に所属する学生は、如何なる組織の制約も受けない。つまり、いくらセシリアが問題発言をしようとも、それはセシリア・オルコットという若干十五歳の小娘の世迷い言であり、イギリスという国家組織とは何の関係もないと判断されるのだ。

 もちろん、実際のところIS学園の生徒はそれぞれの母国に縛られているし、学園内で大きすぎる問題を起こせば国際問題になる。しかし、たかが暴言の一つや二つくらいでは、個人の問題として学園内で処理されるのだ。そして、そのことを外部に漏らした者は、国際法違反の罪に問われることになる。

 セシリアの発言に一夏が噛みつき、そこから二人は口論にもつれ込む。

 内容は幼稚そのものだが、互いに勢いだけはあり。

 上手く盛り上がったところでセシリアはカードを切る。

 

「決闘ですわ!」

 

 ISによる模擬戦の提案。

 千冬の妨害を内心では心配していたセシリアだったが、そんなことはなく彼女の要求は返事二つで承諾された。

 

(ここまでは想定通りですわね)

 

 千冬が今後の予定を話しているのを聞きながら、セシリアは勝利の余韻に浸る。

 織斑一夏との確かな関係を持つための、セシリア・オルコットによる歌劇(オペラ)が始まるのだ。

 

 

 

 

     5

 

 

 一日の授業が終わり、放課後を迎えた。

 やはりと言うか、当然と言うか、織斑一夏が在籍する一年一組には外から大勢の少女たちが集まってくる。その様子を気だるそうに見ていた一夏だったが、当初の予定通り真耶が現れたところで机に伏した身体を起き上がらせた。

 補修授業についてのことだろうと考えていると、どうやら別件らしい。

 

「――――寮の部屋が決まりました」

 

(ほう。一体何処に押し込む気なのやら)

 

 IS学園は外部からの支配を受けないという名目上、生徒は全員寮生活をすることとなっている。しかし、実質女子高であるIS学園には、男子生徒を受け入れる用意はなく、一夏には当分の自宅通学が言い渡されていた。

 

(まあ、妥当なところは姉貴と同室か)

 

 生徒と教師の同室は教育機関としては問題があるだろうが、一夏の境遇と千冬の実力を鑑みれば決して悪い選択ではない。ただ、各国の御偉いさんたちは納得しないだろうが。

 織斑一夏の寮生活において、各国の首脳陣が望んでいるのは自国の女子生徒との同棲だ。もちろん、教育機関であるIS学園にとっては認められるものではないが、利害調整機関としてのIS学園としては何らかの譲歩を引き出す必要がある。

 そういう裏事情を伝えられるはずもなく、真耶は一夏の耳元で表向きの事情を話す。

 

「――――一ヶ月もすれば個室の方が用意できますから、しばらくは相部屋で我慢してください」

 

 真耶の甘い息が一夏の耳にかかり、ふわりと鼻孔に彼女の香りが広がる。一夏に乗り出すように口を近づけている真耶は、柔らかい双丘の先端で彼の背中を軽く擦り、耳たぶに軽く触れる。

 真耶の顔が見えない一夏だが、その小悪魔な笑みを想像することはできる。いつもの頼りなさを捨てた、妖艶な微笑み。その耳に触れるか触れないかのところで蠢く彼女の唇に全神経が集中されてしまい、嫌でも“女”を意識せざるを得ない。

 

(こっ、この女…………!?)

 

 確かに、織斑一夏にハニートラップは通用しない。しかしそれが織斑一夏に性欲がないことには繋がらない。

 一夏は健全な十五歳の男子なのだ。肉体は煩悩に忠実であり、性欲は三大欲求としてその身に宿っている。

 だが。

 それでも。

 

 

 

 織斑一夏にハニートラップは通じない。

 

 

 

「――――荷物は一回家に帰らないと準備できないですし、今日はもう帰っていいですか?」

 

 一夏の冷淡な声が、真耶に向けて放たれた。

 

 

 

 

     6

 

 

 一夏に与えられた部屋の番号は1025。どうやら千冬や真耶と同室というわけではなく、女子生徒と一緒のようだった。

 

(へぇ……)

 

 IS学園は教育機関としてではなく、調整機関としての選択をしたらしい。だがそれはそれで、興味深いことではある。周囲との摩擦をどうやって取り除いたのか。

 一応、一夏にも一つだけ案が思い付く。できればそうではなく、純粋無垢な少女だといいなとあり得ない夢を抱きながら、一夏は1025号室の扉を開けた。

 中は独特の湿気で覆われており、シャワーの音が聞こえる。けれどそれも、一夏が部屋に入ってきたのに気づいたのか止まり、浴室の扉が開く音がする。

 

「ああ、同室になった者か――――」

 

 その声を聞いて、一夏はそれが誰だか瞬時に理解する。

 間違うはずがない。

 

(っく、やられた……)

 

 すぐにその場から逃れるべく身体に命令を送る一夏。

 しかし、それよりも先に。

 

「――――私は篠ノ之――」

 

 “魔女”、篠ノ之箒は現れた。

 白いバスタオル一枚で申し訳程度に隠された豊満な肉体。十五歳の日本人としては破格のバストとヒップ。撫で肩を伝う滴はその曲線美を描き、太股の内側へと流れていく。ポニーテールは解かれ、水を含んだ黒髪が彼女の白さを際立たせる。

 男をその気にさせる女の色香こそ出してはいないものの、“魔女”がその気になればそれすらも容易に操ってみせるのだろう。

 言うならばこれは“魔女”の挨拶。

 『篠ノ之箒』という役を演じる“魔女”からの、『織斑一夏』という仮面を被る“道化(ピエロ)”への挑発。

 IS学園は如何なる組織の指図も受けない。

 果たして誰がそれを信じきれるだろうか。

 少なくとも、ここにいる“魔女”と“道化(ピエロ)”の二人は、そんなものを信じていない。

 IS学園にいる限り、箱庭に閉じ込められている限り、二人は世界から監視される。

 一時も休まるときはなく、一時の休息もなく。

 二人は世界を騙さなければならない。

 真実を隠すために。

 可愛い“彼女”を守るために。

 “彼女”が世界の敵にならないように。

 

 

 

 織斑一夏は『織斑一夏(道化)』となり。

 篠ノ之箒は『篠ノ之箒(魔女)』となる。



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【承】クラス内人間関係決定戦!

     0

 

 

 三年前、セシリア・オルコットという名の少女を悲劇が襲った。

 両親の突然死。

 それが陰謀によるものなのか、事故によるものなのか、当時はイギリスのお茶の間を騒がしたりもしたが、セシリアにとってはどちらも同じこと。

 十二歳の身空で、大物貴族の当主を務める。

 両親の死の真相がどうであれ、その事実は変わらない。

 血を重んじる貴族の家柄は、そう簡単に捨て去ることはできない。事実として、周囲がそうさせなかった。

 オルコット家が取り潰されればその財産は国のものになるが、セシリア・オルコットと結婚すれば己のものとなる。

 両親という最も大きな後ろ盾を無くした十二歳の小娘に、欲に飢えた男たちが獣となって襲いかかる。

 流石に若干十二歳の少女に大の大人が婚姻を直接迫ることはなかったが、セシリアが成長すればそうもいかない。その時の為に、ハイエナたちはセシリアに恩を売り、彼女が逃げられないように退路を塞いでくる。他にも彼らの息子をセシリアに婿入りさせようとする勢力だって存在する。

 セシリアにとって、オルコットの家は両親が残した宝だ。

 セシリアの父は母に対して頭が上がらなかった。しかしそれは事実として母が父より優れていたからであるし、そして母はそんな父と自らの意識で結婚した。政略結婚が常の貴族社会でそれができるほどセシリアの母は力を持っていたのだ。

 ISの台頭によって世界は変わった。しかし、実質的に女が強くなったわけではない。それでも、世間は、イギリス社会は女性の立場向上を求めた。元々女王の統べる国である。男尊女卑への反抗が膨れた国とはまた違った形で、イギリスは女性に力を求められた。

 だからそのために、セシリアの父は自ら退いた。己の妻をより立てるために、イギリス社会が貴族社会に求める要求に答えるために、彼は弱い男を演じた。セシリアの前でさえもだ。

 当然セシリアの母はそれを理解していたし、セシリア本人も子供ながら両親の間に流れる機微を感じ取っていた。

 そしてセシリアの両親が仕事と偽って密会していたあの日、彼らは帰らぬ人となったのだ。

 その全ての現況は、彼らがオルコットの家を守ろうとしたから。

 ISそのものは関係ない。ISであろうと別のものであろうと、似たような状況になれば二人はそうしていただろう。

 セシリアにはまだ、両親がオルコットの家をどんな思いで守ろうとしていたのかは分からない。

 けれども、オルコットの家が奪われれば、それを知ることすらできなくなる。

 だから、彼女は何が何でも守らなければならない。

 セシリア・オルコットという名前を。

 オルコットの家を。

 だからそのために彼女は。

 心さえも捨てた。

 

 

 

     1

 

 

織斑(おりむら)くんって、篠ノ之(しののの)さんと仲がいいの?」

 

 IS学園入学式の翌日、一年生寮の食堂で朝食を食べていた一夏(いちか)に、同席していた女子生徒がふと尋ねた。

 織斑一夏と篠ノ之(ほうき)が学生寮において同室だということは、既に公然の秘密となっている。

 もちろん、学舎としては看過できない事態ではあるものの、この処遇に関しては誰も文句を口にはしない。

 なぜなら、篠ノ之箒は篠ノ之(たばね)の妹であり、実質何処の国家、企業組織にも属していないからだ。篠ノ之箒は篠ノ之束所属といったところだろうか。

 一夏のルームメートは織斑一夏争奪戦において多大なアドバンテージを得る。それ故に、国家、企業の人間は自身の手駒を送ろうと画策し、望み通りにならなければ反発する。

 他者が自分たちより有利になることを認める競争者はいない。しかし、篠ノ之箒は対象外となる。篠ノ之箒の所属先は、彼らの競争相手にはなり得ないのだ。

 

「お、同じ部屋だって聞いたけど……」

 

 一夏と箒の関係を探るべく、女子生徒が恐る恐る質問する。

 織斑一夏と篠ノ之箒が幼馴染みの関係であることなど、彼女たちはとうに知っている。けれども、公然の嘘だとはいえ“一般人”を装う彼女たちは、そのことを知らないかのように白々しい演技を見せる。

 そして、“そういう事情”を認知していない『織斑一夏』を演じる一夏は、“普通に”彼女たちの質問に応じるのだ。

 

「ああ、まあ、幼ななじみだし」

 

 そう答えながら、一夏は彼女たちの意図を推測する。

 確かに、“設定上”彼女たちは一夏と箒の関係を知らない。けれども、実際は既知なわけで、わざわざ改めて確認することではない。

 ならば、この問答にどんな意味があるのか。

 

(俺とあいつの仲の確認か? 確かに、六年経ってるから昔と同じ保証はない。だが、それは昨日の茶番で既に見せつけたはず)

 

 寮室の扉を開け放った状態で披露した一夏と箒の“ラブコメ”は、『織斑一夏』という人間性を示すと同時に、『篠ノ之箒』という存在を認識させる意味を持っていた。一夏と箒の間柄が公開され、箒自身の身体能力の高さと戦闘能力を見せつけることで、周囲への牽制の効果を表し、昨日の夜は一夏に夜這いを仕掛ける女エージェントは現れなかった。

 

(いや、あいつ自体が目的ではないとすれば、この会話は次へ繋げるためのもの。俺とあいつの関係性から発展する問いは――――まずい……)

 

 避けなければならない事態の早すぎる登場に、一夏は仮面の下で大いに慌てる。

 急遽話題を変えようと画策するが、それよりも先に女子生徒が口を開いた。

 

「え、それじゃあ――」

 

 

 

 「織斑くんって、篠ノ之博士とも仲がいいんだね」。

 

 

 

 と、その言葉が放たれることはなかった。

 その女子生徒が仕掛ける前に、寮長が手を叩いたからだ。

 

「いつまで食べている!――――」

 

 織斑千冬(ちふゆ)の恫喝により、一夏の周りに集まっていた少女たちは朝食の残りを急いで片付ける。一夏への質問が続けられる雰囲気でもなくなり、晴れて彼は危機を脱出した。

 

「また、あとでね」

 

 食事を終え、逃げるようにこの場を立ち去って行く女子生徒を一夏は見送る。

 急ぎ足で離れていく少女。いや、正しくは逃げていく少女。

 織斑千冬(世界最強)の怒りを買う前に退散したその女を、一夏は強く意識に留める。

 

谷本(たにもと)癒子(ゆこ)……)

 

 首元のおさげが特徴の一年一組生徒。

 彼女を要注意人物の項目にリストアップしながら、一夏は己れの未熟さに苛立った。

 千冬の視線を背中に感じながら、人の少なくなった食堂で一夏は茶碗の中身を空にする。

 助けられた。そのことを強く自覚する。

 織斑一夏と篠ノ之束の関係性。

 それだけは、幾ら推測されようとも、言質を、証拠を与えるわけにはいかない。

 もしそうなれば、正義は、世界の手に渡ってしまうのだから。

 だというのに。

 

(くそっ……なんてざまだ)

 

 握りこむ箸が掌に食い込む。

 そしてそんな様子の自分が冷笑されているようで、一夏はさらに苛立ちを抱える。

 織斑一夏は『織斑一夏』の仮面を以って道化を演じる。

 しかし、どれだけ一夏が戯けようとも、所詮その中身は十五歳の青二才に過ぎない。

 一夏は世界を知らない。籠の中の鳥でしかなかった一夏がどれだけ足掻こうとも、大空の覇者には到底及ばない。

 織斑一夏は、未だに織斑千冬に助けられている。

 その事実が、一夏を締め上げる。

 “彼女”に認められた、唯一の騎士の存在が、一夏をより惨めにさせるのだ。

 

 

 

 

     2

 

 

「――――次の時間では空中におけるIS基本制動をやりますからね」

 

 三限目の授業が終わり、山田(やまだ)真耶(まや)副担任が教室を出て行くと、一年一組の教室は十五歳の少女たちの活気で溢れかえる。

 その中でも最も騒がしいのは当然、一夏の周囲だ。

 異性に興味深々な娘を装い、中には夜の誘いを仕掛ける者まで。

 十分という短い休み時間は、そんな彼女たちの相手をすることですぐに使い切ってしまう。

 そして四限目が始まり、千冬が教壇に立った。

 

「ところで織斑、お前のISだが準備まで時間がかかる」

 

 千冬の連絡に、一夏はおや、と内心で首を傾げる。『織斑一夏』としても自体を把握してはいないので、久しぶりに織斑一夏と『織斑一夏』の行動が一致した瞬間であった。

 一夏の予想では自身のISは束が彼専用に作ってくれいるはずだった。ISコアを世界で唯一製造できる束のことだ。とっくに一夏の専用機は完成しているものだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。

 

「予備機がない。だから、少し待て。学園で専用機を用意するそうだ」

 

(学園の専用機を使うだと…………あぁ、そういうことか)

 

 篠ノ之束が作る織斑一夏の専用機。その存在は世界が求めるものとなる。恐らくは元々一夏に与えられる予定のISを、束がこっそり改造するのだろう。

 

(考えれば分かることじゃないか)

 

 朝の一幕といい、思うように働かない自身の頭に一夏は苛立ちが立ち込める。

 

(びびっているというのか、この俺が?)

 

 ふざけるな、と拳を握る。

 確かに、今までクラスメイト全員が、学校生徒全体が間者の学校で過ごしたことなどなかったし、織斑家と篠ノ之家という束により守られた聖域が存在した。織斑一夏には安全地帯が存在した。

 しかし、だからといって『織斑一夏』の仮面に穴があるわけではない。

 

(欠けているのは俺自身の覚悟だとでも……)

 

「あの、先生。篠ノ之さんって、もしかして篠ノ之博士の関係者なんでしょうか……?」

 

 口の中で唇を噛む一夏の横から、聞き覚えのある声が聞こえた。

 

(谷本癒子……)

 

 横目でその存在を確認し、一夏は彼女の無謀さに冷静さを取り戻す。

 教室中の視線は千冬と箒の二人に注がれ、誰も一夏を見ていない。そのことも加え、一夏の頭は急速に冷えていく。

 

(そうだ。なにも決定的な失態を犯したわけではない。なんのための『織斑一夏』だ。多少のミスも補えるための仮面だったはず。そしてなにより……)

 

 谷本癒子は、“魔女”に手を出した。

 

「そうだ。篠ノ之はあいつの妹だ」

 

 千冬の言葉にクラス中の女子生徒たちが歓声を上げる。そして授業中だというのに席を立って箒の席に詰め寄っていく。

 

「ええええーっ! す、すごい――――」

「ねぇねぇっ、篠ノ之博士って――――」

「篠ノ之さんも天才だったり――――」

 

 口々に箒に言葉を浴びせる少女たち。

 幼い頃から転校を繰り返し、要人保護プログラムによって満足な対人能力も築けず、天才過ぎる姉を持つ篠ノ之箒の本音を語らせることなど容易いと踏む。

 それを千冬が止めることはない。

 今ここで制しても、どうせいつか同じ事態に陥るからだと、少女たちは千冬の行動に納得する。

 そして、四方八方周囲三百六十度囲まれ質問攻めにされた篠ノ之箒は、数秒もせずに耐えきれず大声で叫んだ。

 

「あの人は関係ない!」

 

 その様はまさに怒号。癇癪玉を抱えた子供のような有り様。

 篠ノ之箒という少女の十五年を鑑みれば、こうなるのも納得というものだ。

 もちろん、その精神形勢に他者の思惑が介していることは言うまでもない。操り人形として御しやすい女に仕立てることで、篠ノ之箒は篠ノ之束に対する楔となるのだ。

 少女たちは箒の反応から、IS学園入学に合わせた篠ノ之束の接触は無かったものと判断する。篠ノ之箒は感情が表に出やすく、そしてその精神は幼稚であるから容易に推測は可能なのだ。

 唯一注意すべきは篠ノ之束であるが、“人の心が理解できない”彼女の前で直接的な行動に移らない限りは問題はない。そして、織斑千冬は所詮一個人でしかなく組織に抗う力はない。何より、織斑一夏という決定的な弱点が剥き出しなのだから。まあ、その弱点を下手に刺激すれば思わぬ災厄を誘き寄せる可能性があるのだが。

 とにかくこうして、谷本癒子が先槍となって篠ノ之箒の操り人形としての価値が再認識された。

 だが。

 

 

 

(馬鹿がぁ!?)

 

 

 

 そんな彼女たちを横目に一夏は心中で嘲笑う。

 

(あの女が、お前らごときに図れるはずがないだろうが)

 

 織斑一夏は知っている。

 他の誰も知らない。

 織斑一夏だけが知っている。

 篠ノ之束ですら知らない。

 その事実。

 篠ノ之箒は『篠ノ之箒』を演じているという事実。

 世界で唯一ISコアの製造技術を保有する希代の人物、篠ノ之束。元来宇宙活動を主眼において作られたそれは、軍事転用によって世界最強の兵器へと変貌する。故に、現行百年単位で技術を先取りする狂気の科学者(マッドサイエンティスト)は、簡単に世界の敵へと成り下がる。正義は数であり、悪は篠ノ之束。そんな世界が容易に想像できるものだ。

 しかし、現実はそうではない。篠ノ之束は未だ“人類”の枠に収められ、世界は束を悪とは断じない。世界を支配できる力を持つ彼女に対して、なぜこうも世界は静かなのか。

 それは全て、“篠ノ之箒という決定的な弱点が存在しているから”である。

 篠ノ之束が篠ノ之箒を溺愛し、篠ノ之箒が篠ノ之束を拒絶し、篠ノ之束が篠ノ之箒の言いなりになる所存で、篠ノ之箒が篠ノ之束の本質を見誤っているからこそ、世界は篠ノ之箒に、篠ノ之束に利用価値を見出すのだ。

 そうでなければ二人はとうに、世界に淘汰されてしまっている。

 箒は、その絶妙なバランスをその身一つで操っているのだ。

 篠ノ之箒は篠ノ之束を求めてはいけない。さもなければ生きられない。

 篠ノ之箒は聡明であってはいけない。さもなければ生きられない。

 篠ノ之箒は愚かであってはいけない。さもなければ生きられない。

 だから、篠ノ之箒は『篠ノ之箒』を演じるのだ。

 実姉すら騙す、“魔女”となって。

 

「……大声を出してすまない。だが、私はあの人じゃない。教えられるようなことは何もない」

 

 彼女のその言葉に込められた本当の意味を、果たして誰が理解できるだろうか。

 “魔女”の正体を知っている織斑一夏ですら、理解することはできないのだから。

 

 

 

 

     3

 

 

 織斑一夏と篠ノ之箒の戯れを眺めながら、セシリア・オルコットは優雅に髪を靡かせる。

 セシリアには心はない。しかし、だからといって感情がないわけではない。

 いくら人間の感情が複雑だといっても、その一つ一つは極めて単純な思いから成り立っている。たとえ心がなかろうと、周囲を注意深く観察すれば対外の“心”を作り出すことは可能だ。

 言うならばそれは、赤子の精神形成の過程に似ている。

 だが、セシリアは赤子ではない。感情というものは知っているし、経験している。心だって捨てただけで記憶には残っている。

 ただ、そんなものは不要だったから捨てただけ。対外用の、他者との円滑なコミュニケーションを可能とすつ程度の“心”があれば、それでよかった。それ以上は、十二歳の少女が大人の中で戦うには重荷にしかならなかったのだ。

 セシリアは両親の死後、ただひたすらに二人が残したオルコット家を守ってきた。その手腕が評価されて今、彼女はイギリス国家代表候補生、実質の将来的対外用国家代表の地位を約束されている。けれども、果たして十二歳の小娘にそんなことが可能なのか。

 確かに、セシリアは天才だった。異才だった。だが、たとえセシリア個人がいくら優れていようとも、セシリアは子供でしかなく、子供ではどうしても戦えない戦場というものが存在するのだ。セシリアには仲間が、実績が、何より社会的地位が無かったのだから。

 もちろん、一度才覚を表せば自身の勢いだけで前に進み続けることができるだろう。だが、その勢いをつける段階において、セシリアは無力でしかなかった。

 そうして、彼女は多大な恩を売られることとなった。

 セシリアの目的はオルコット家を、両親の意志を守ること。今のところはなんとかそれができているものの、あくまで期限付きでしかない。その時がくれば恩を笠に着られ、オルコット家は奪われてしまうだろう。

 だからそれを防がなくてはならない。

 

(方法は、決まりましたわね)

 

 心のないセシリアだからこそ、躊躇せずに行える方法。そして、心のないセシリアだからこそ足元を掬われかねない方法、ではあるが。

 

「オルコットさん、私たちと一緒にお昼を食べようよ」

 

 クラスメイトがセシリアに声を掛けてくる。

 セシリアはにこりとした笑顔を崩さずそれに答えた。

 

「ええ、ご一緒させていただきますわ。谷本さん」

 

 セシリアと癒子らの計四名は、一夏と箒の後に続いて学食に向かった。

 三人と軽く会話をこなしながらも、セシリアの意識は視線の隅に移る一夏に半分以上が割かれている。けれどもそれが問題になることはない。他の少女たちも同じだからだ。

 織斑一夏と篠ノ之箒の関係性の把握。

 それは、織斑一夏と篠ノ之束の関係性へと繋がる重大事項である。

 食堂の係員から注文したイタリアンを受け取ったセシリアは、癒子が手を振る座席へと移動する。どうやったのか一夏と近い場所に陣取っていた三人に近づき、セシリアは腰を下ろした。

 肝心の一夏は三年生に声を掛けられ、そのやりとりに食堂中の生徒が注目しているところだった。

 

「代表候補生のコと勝負するって聞いたけど、ほんと?」

「はい、そうですけど」

 

 一瞬周りの視線がセシリアに移り、また一夏へと戻る。

 そんな中、セシリアは一夏と箒を注意深く見つめる。

 織斑一夏と上級生の会話、その一挙一動に顕著な反応を示す篠ノ之箒。

 何も不審な点はない。情報通りの、予想通りの人物像を覗かせる二人。

 けれども。

 

(なんでしょうか……)

 

 篠ノ之箒は問題ない。しかし。

 

(織斑一夏……。おかしな所は何もありませんのに、どうもしっくりきませんわね)

 

 セシリア・オルコットに心はない。けれども、それが他者の理解を妨げることには繋がらない。それどころか心がないぶん、セシリアはより純粋に他者を理解することができるのだ。人間の感情は、何も突然現れるものではなく、その要因となるものが存在する。他者を心で捉えないセシリアには、その感情の要因すらも見通すことができるのだ。心というフィルターを通さないそれは、膨大な情報処理能力を必要とするが、セシリアはそれをやってのける。

 そんなセシリアの脳が、織斑一夏を受け付けない。記憶の彼方に封印したはずの“心”を揺さぶるような、直感とでもいうべきものが、セシリアの中に徐々に渦巻き始める。

 

「篠ノ之って――ええ!?」

 

 上級生の女優以上の名演技を眺めながら、セシリアは一夏を見つめ続けた。

 

 

 

 

     4

 

 

 織斑一夏は『織斑一夏』の仮面を被っている。しかし、織斑一夏であろうと『織斑一夏』であろうと、その身体能力にそう違いはでないだろう。

 知的能力と違い、身体能力はなかなか偽ることができない。そのため一夏は下手に体を鍛えることができず、あくまで一般高校男児程度の身体能力しか持っていないのだ。

 対して篠ノ之箒は『篠ノ之箒』の人格形成に歪みを与える要素としてその身体能力は常人の粋を越えるに至っている。そもそもの箒の家系上、彼女が強くなるのは何もおかしな事ではなく、そして一夏が無理に強くなるのはあまり道化としてよくないことだったのだ。

 故に、実力を確かめるという名目で箒に剣道勝負を強制された一夏が、今こうして荒い息と全身を襲う鈍い激痛と共に剣道場の床に転がっているのは当然のことだった。

 

(くっそ、“魔女”め。これ幸いと好き放題やりやがって……)

 

 ギャラリーの白い目に晒されながら、一夏は霞む視界に天井を捉える。

 箒と手合わせをして疲労困憊な一夏だったが、実際のところ明日に響くような打ち身や怪我は一つもない。それこそが篠ノ之箒の実力の証であり、一夏が箒に弄ばれた事実であった。

 

「――なおす」

「はい?」

「鍛え直す! IS以前の問題だ! これから毎日、放課後三時間、私が稽古を付けてやる!」

 

(おいおいおいおい…………やはりそういう展開か! いいんだよ別に放課後は。すでに山田真耶とのIS補講が入ってるんだから)

 

 IS学園の女子生徒と過度な接触を控えたいのは何も一夏だけではない。篠ノ之束の妹である箒もまた、同様なのだ。当然一夏はそれを理解している。しかし、だからといって箒と共に一日中過ごすつもりなど一夏はない。

 なぜなら、箒は『篠ノ之箒』が『脳筋キャラ』だということをいいことに、一夏に“制裁”を加える気満々だからだ。ある程度の暴力性は必要だといっても、昨日の様子を鑑みるに箒はわざとその路線を突き進んでいる気がしてならない。

 しかしだからといって箒を邪険に扱うことは論外である。織斑一夏にとって篠ノ之箒は志を同じくするものであり、協力するべき相手であって対立するべき相手ではない。

 

(どういうつもりだ、この女。六年の間にSっ気にでも目覚めたか? しかし、利益がないわけではない。俺の肉体疲労を考えなければ、だが)

 

 一夏が受けられる真耶の補習がいつまであるかは分からない。それでも、あくまで一時的措置であり長期には望めないのが事実だ。

 一夏が箒と常に放課後を共に過ごすのならば、“ただの女子生徒”では間に入り込むことができず、二人の目的は達成される。しかし、『篠ノ之箒』は剣道部に入部することが決まっており、そしてここIS学園における部というのは派閥でもあるのだ。ISの訓練はともかく、肉体面での訓練を剣道場で行うとなればそれはそれで新たな問題を生み出すことになる。

 

(剣道部はどうするつもりだ? 『織斑一夏』と『篠ノ之箒』では分が悪いぞ)

 

 一夏と箒ならば、そのような障害を除くために動くことができなくもないが、生憎と二人は『織斑一夏』と『篠ノ之箒』なのだ。派閥争いを感知できるような“設定”はついていない。

 しかし、そんなことは箒の方も承知のはず。その上でこの提案をしてくるということは。

 

(対策済みとでも? いいだろう。お前のその策、乗ってやるよ)

 

 一夏は承諾の有無を箒に伝える。

 仮に一夏が反対したとしても箒が強制させるのは間違いなく。そもそも『織斑一夏』的に『篠ノ之箒』の頼みを大した理由もなしに断ることなどありえないのだが。

 

 

 

 

     5

 

 

 翌週の月曜日。セシリア・オルコットと織斑一夏のIS対決は、様々な思惑の下始まろうとしていた。

 そんな中、自身のISが運ばれてくるのを第三アリーナ・Aピットで待つ一夏に千冬と箒が声をかける。

 

「――――ぶっつけ本番でものにしろ」

 

 ISには搭乗者に合わせて自身を細かく設定しなおし、専用搭乗者とのリンクを強化するための一次移行(ファーストシフト)というものが存在する。通常一次移行(ファーストシフト)前の機体は反応が鈍く、実力の三割も発揮できない。一次移行(ファーストシフト)以前の状態で戦闘を行うなど、通常ではありえないのだ。

 しかし、千冬はそれをやれと言う。

 

「この程度の障害、男子たるもの軽く乗り越えてみせろ。一夏」

 

 今日のこの戦いの目的は、あくまで表向きはセシリア・オルコットと織斑一夏によるクラス代表の選別。

 しかし、この戦いを以って織斑一夏という人物のIS戦闘における位置づけが決まる。

 一夏が今までISを動かした合計時間は二十分ほどしかない。当然ながら、ISでの戦闘など以ての外。

 織斑一夏は現在、世界で唯一の男性IS操縦者である。但し、まだ“動かせる”だけだ。それだけではまだ、“織斑一夏自身が脅威に成り得ることはない”。

 織斑一夏が世間の注目を集めるには、“彼女”の負担を減らすためには、並以上の実力を示す必要がある。

 けれども、最初から強すぎることは『織斑一夏と篠ノ之束の共犯説』を導き出してしまう。

 弱すぎず、強すぎず、並ではなく、目に止まるように。一夏はISを動かす必要がある。

 この戦いを以って、織斑一夏の道筋が決まる。

 

(ああ、分かっているさ)

 

 一夏は己れの武器を、ISを、“白”を身に纏い、背中側にいる“魔女”に告げる。

 

「箒」

「な、なんだ」

「行ってくる」

 

 何やら迷った表情をしている箒を後に、一夏はアリーナへと向かう。

 ふわりと浮き上がったその機体、白式がゆっくりと前へ進み、鉄のトンネルの奥へと進む。

 短く機械音が走る。そして重く固く閉ざされた扉に光が差し込み、ピット・ゲートが開放された。

 途端に湧き上がる歓声。青い空が頭上に広がり、天へと続いている。

 半径一〇〇メートルの円形状のアリーナ。その中央で浮遊する“蒼”を見つめ、“白”は飛び上がった。

 

(セシリア・オルコット……。イギリスの大貴族、オルコット家の当主にしてイギリス国家代表候補生。初陣の相手にしては少々大物過ぎる気がしなくもない――――だが……)

 

 空中で対面した二人は意味のない言葉を交わし、開幕の合図とばかりにセシリアが主兵器である特殊レーザーライフル『スターライトmkIII』を一発撃ち込む。

 

「さあ、踊りなさい。わたくし、セシリア・オルコットとブルー・ティアーズの奏でる円舞曲(ワルツ)で!」

 

(踊ってもらおうか。この道化(ピエロ)の描く興行(ショー)で!)

 

 

 

 

     6

 

 

 戦闘開始から二十七分。試合はセシリアが一夏を蹂躙するだけのショーとなっていた。

 セシリアが纏う第三世代ISブルー・ティアーズ。レーザー発射口付き遠隔操作ユニットである自律機動兵器ブルー・ティアーズのテスト機体による中距離からの一方的な射撃が続くだけの試合となっている。

 しかし、見るべきところはそこではない。確かに、ブルー・ティアーズの性能はイギリスの力を示すことになっているが、注目するべきところはIS機動時間僅か二十分の初心者が三十分近くもの間銃撃の猛攻を凌ぎ続けているということだろう。

 もちろん、その場にいる全員、セシリアが本気を出しているとは思ってはいない。

 けれども、発射から僅か〇.四秒で目標に到達するレーザーの雨、それもスターライトmkIIIとブルー・ティアーズの四つのビット、計五射による雨あられの攻撃は、容赦なく白式を襲う。到底、初心者が躱せるようなものではないのだ。

 その力の片鱗を見せつつある一夏に、観戦者たちは純粋に驚く。素人にありがちな無駄な機動が目立つものの、一夏のそれは驚嘆に値するものだ。

 しかし、当の本人はそれどころではなかった。

 

(くそ、くそ、くそっ! ふざけるなよ、セシリア・オルコット!)

 

 叫びたいのをぐっと我慢しながら、一夏は白式が示す通りに次の移動地点に飛行する。なりふり構っていられない、無様な飛行だ。

 そして次の瞬間、先ほどまで一夏のいた場所にレーザーが走る。それがビットによるものなのかライフルによるものなのか、確認している暇すら一夏にはない。ただただ白式の指示通りに次のポイントにまで移動する。

 本来ならそれだけで評価される一夏だが、彼の心を占めるのは激しい怒りだった。

 

「っく……」

 

 レーザーを避け、白式の指示に意識を向ける。白式は常にブルー・ティアーズの射撃位置を教えてくれる。セシリアが攻撃するよりも前にだ。

 何故か。

 白式の予測機能が優れているからか?

 いや、違う。

 セシリア・オルコットから次の射撃データが事前に送られてくる(・・・・・・)からだ。

 白式がブルー・ティアーズの猛攻に耐えているのは、実力でも何でもない。

 ただそう踊らされているからだ。それこそ、セシリア・オルコットとブルー・ティアーズが奏でる指示(ワルツ)によって。

 

(おのれっ、おのれっ、おのれっ…………!)

 

 こんなはずではなかった。

 確かに、一夏のIS操作技術は拙い。しかし、それを補えるだけの知識を一夏は持っている。もちろん、そのことを知られるわけにはいかないが、“織斑一夏の華々しいデビュー”のために、それとなく技術は知識で補うはずだったのだ。そして仮にも束が関わったはずの機体である。そんじゃそこらのISとは一味も二味も違う。機体性能だよりになるものの、それでも適正がなければそれを使いこなすことはできない。そして相手は仮にも代表候補生。まさか初心者相手に全力を出すなどというみっともないことはしない。そもそもセシリアの実力は十分に知れ渡っているのだ。彼女が負けたとしても誰もが勝ちを譲ったと思うことだろう。

 道化にされることは一夏として問題はない。重要なのは織斑一夏自身の特異性を示すことなのだ。

 

「二十七分。持った方ですわね。褒めて差し上げますわ」

「そりゃどうも……」

 

 セシリアの言葉に一夏は苦々しげに返答する。

 セシリアの攻撃が止み、二人の間に暫しの静寂が訪れる。

 しかし、裏ではISコアによるデータ通信ネットワーク、その内の秘匿回線であるプライベート・チャンネルを通してセシリアから一夏に通信が入っていた。

 

『ごきげんよう、織斑一夏さん』

『オルコットか。何のつもりだ?』

『積もる話は後でよろしくて? それよりも、そろそろ何か動きがないとあなたとしては色々よくないのでは?』

『っく……』

 

 織斑一夏の特異性は、今の時点で既に示せたといっていい。実際のところは嘘ではあるものの、一夏の“可能性”の片鱗は見せつけることができている。

 しかし、それでは足りない。今の一夏のそれの価値では、彼が求めるところには届かない。

 もっと何かを。突出した何かを。“織斑一夏”だけの価値を。

 それを以って世界の一夏への認識を“織斑千冬の弟”でも“篠ノ之束の幼なじみ”でもなく“織斑一夏”自身に変えなくてはいけないのだから。

 当初、一夏としてはセシリアに何らかの劇的な方法で一矢報いればよかった。流石に代表候補生に打ち勝つほどの実力は必要ないが、一瞬でも危機感を覚えさせればいい。“急成長の可能性”さえ示せれば、その後いくらでも強くなれるのだ。

 しかし、問題が一夏の前に立ちはだかった。

 最適化処理(フィッティング)である。

 搭乗者に最適な状態になるために機体そのものが中身(ソフトウェア)外身(ハードウェア)共に変化・変身・変形する最適化処理(フィティング)中は、本来の機体性能の半分も出せない。それらいは一夏だって知っていたし、届けられたばかりのISを使う彼がこの試合中に最適化処理(フィッティング)を行わなければならないことはセシリアだって分かっている。

 問題は、白式の最適化処理(フィッティング)そのものにあった。

 白式のそれは既に通常のそれの基本時間を大幅に越え、なおかつ振り分けている処理容量が通常のそれを遥に逸脱していたのだ。早い話が、現在白式は本来のスペックを一割も発揮できていなかった。

 そしてこの予想外の事態が、一夏の精神を大きく削っている。

 だから一夏はISコアネットワークでの通信に応えるなどという失態を犯した。

 

『反論がないようなので提案させて頂きますわ。これからブルー・ティアーズの飛行予定座標を送りますので、その刀で破壊するのがよろしいかと。ああ、別に構いませんわよ、断っても。その場合は速迎撃した後に、あなたに射撃データを送った事実を公開しますから』

 

 ISコアネットワークは搭乗者の表層意識を以って行われる。それはつまり、嘘がつきにくいということだ。

 一夏のように仮面を被っているような人間にとって、表層意識は仮面の下そのもの。セシリアのように心を捨てたような人間か、“魔女”のように自身の心さえも偽りきるような人間でなければ、裏と表の顔を持つ場合どうしてもコアネットワークでの通信に違和感が生じる。もちろん普通の人間がそれに気づくことはできないが、心を捨てたセシリアだからこそその違和感に気づくことができた。そしてその前から感じていた“織斑一夏のぶれ”と合わせることで、セシリアは一つの事実に辿り着く。

 織斑一夏は、『織斑一夏』を演じている。

 そのことに気づいてしまえば、そこからは簡単だ。感情の原因を把握することはセシリアの得意とするところ。

 実際のところは賭けだったのだが、そのことを一夏が知る由はない。

 

『……何が目的だ?』

『対等な取引を。わたくし、あなたの力になれると思いましてよ』

 

 一夏に迷っている時間はなかった。

 セシリアの脅しの内容から、一夏は自身の仮面が見破られたことを理解する。

 断ることはできない。このままセシリアに堕とされれば、一夏の計画は破綻する。確かに最適化処理(フィッティング)の件を考えれば一夏が何もできずに堕とされても何ら可笑しくはない。しかしそれでは“織斑一夏はそこまで強くはない”という印象を与えることになる。そして“織斑一夏”が軽んじられれば、“織斑一夏”は“織斑千冬”の、そして“彼女”の付属品に成り下がる。そうなれば、“彼女”を世界から救うことが難しくなる。

 

『――――期待するからな』

『ええ、構いませんわよ』

 

 ISのコアネットワークは表層意識をそのまま通信する。故に、通常の口頭会話よりも短時間でやりとりが可能であるのだが、流石にそろそろ時間切れ。

 

(今は従うしかない…………だが、思い通りになると思うなよ)

 

 一夏は白式を上昇させ、セシリアは右手を横に動かす。

 

「では、閉幕(フィナーレ)と参りましょう」

 

 セシリアの宣言と共に、ブルー・ティアーズが予定通りの軌道を通りレーザーを放つ。そして一夏は示された道筋を通り、少しずつその身にダメージを受けながら配置場所に移動する。

 しかし、その前に。

 

「ぜああああっ!!!」

 

 一夏は白式をブルー・ティアーズに衝突させた。

 

「なっ……――――」

 

(白々しいやつめ……)

 

 IS同士の衝突時に声を上げたセシリアを一夏は冷静に見つめる。

 セシリア曰く、この接触を以って白式は反撃を始めるらしい。現在展開している四つのブルー・ティアーズを順に無力化したところを、残り二つのミサイル型であるブルー・ティアーズに撃たれて白式は墜落。そしてセシリア・オルコットの勝利。

 事前データ収集など『織斑一夏』がするはずがなく、勝負の展開としては決して悪くはない。本当はもう一枚くらい上手に出たい一夏だったが、最適化処理(フィッティング)が終わらない機体ではそれでも十分過ぎる異常な戦果と言える。

 そして舞台は順調に進み、セシリアの弾道型(ミサイル)のブルー・ティアーズが白式へと放たれた。

 

 

 

 

     7

 

 

 それはまさに最高のタイミングと言えた。

 演出するのなら、必ず選ぶであろう瞬間。

 絶対絶命の場面で、白式は最適化処理(フィッティング)を終えた。

 一次移行(ファーストシフト)により白式はその姿を本来のものへと変える。

 流石のセシリアもそのタイミングの良さに驚いたのか、一瞬指示が途切れる。しかしすぐさま復活して、通信を繋げてきた。

 

「ま、まさか……一次移行(ファーストシフト)――――」

『織斑さん。刀が大分変化したようですが、必殺技とかあります?』

 

 口と意識で別々の言葉を発するという高等技術を駆使して一夏にそう尋ねるセシリア。

 しかし肝心の一夏がセシリアに返答する様子はない。

 彼の意識は、その瞬間完全にその右手に握られた太刀に向けられていた。

 ――――近接特化ブレード・『雪片弐型(ゆきひらにがた)』。

 それは織斑千冬が現役時代に使用したISの専用武器と同種の太刀であり、そしてその特殊能力『零落白夜(れいらくびゃくや)』こそは、“彼女”に認められた“騎士”の証。

 ISのシールドバリアーを切り裂く最強の矛。それは、“彼女”の絶対の盾すらも例外ではない。

 だからこそ、この『零落白夜』は意味を持つ。

 “彼女”からのみ与えられる、“彼女”が授ける称号。

 姫を守る騎士のみが得ることのできる、栄光の証。

 一夏はそれを、強く、強く握りしめる。

 

「俺は世界で最高の(・・・)“姉さん”を持ったよ」

 

 初めて“彼女”を知ったのはいつだったか。

 思い出せないほどに、“彼女”の存在は意識の奥底にまで浸透している。

 たまに遠くへ行ってしまったように感じるときもあるが、それでもこうして絆は繋がっている。

 “彼女”を守ることこそが三人の至上。

 だから。

 

「俺も、俺の家族(・・)を守る」

 

 織斑千冬も、篠ノ之箒も、既に“彼女”を守っている。

 少し遅れてしまったけれど、織斑一夏も“彼女”を守る。

 

「とりあえずは――――」

 

 騎士の称号を譲ってくれた千冬に恥じないように。

 “彼女”騎士として笑われないように。

 

「――――千冬姉の名前を守るさ!」

 

 雪片弐型が、零落白夜が降り下ろされる。

 そして――――――――

 

 

 

 

     8

 

 

 誰もいないシャワールームで、セシリアは一人立ちつくす。

 頭上から降り注ぐ雫は、セシリアの肩を打ち、背を流し、髪を揺する。

 セシリア・オルコットにとって、織斑一夏の価値はそこまで高くなかった。仕事であれば接触するが、わざわざ積極的に触れ合うつもりなどなかった。そもそもセシリアは心を捨てた。現にセシリアの友人関係はすべて利害関係を含んだものでしかなく、織斑一夏といえどもそれは変わらない。

 セシリアにとって、織斑一夏の名前さえ手に入ればそれでよかった。オルコットの家を守り抜くために、男を排除するために織斑一夏の威光を着ることができればそれでよかった。そうすれば、もはや国内の有象無象ではセシリアに手が出せなくなる。そうすればオルコットの家を奪われることがなくなるはずだった。

 最初は任務だから近づいた。

 その次は何故か気になったから近づいた。

 そして、今。

 

(――――織斑、一夏――――)

 

 セシリア・オルコットは三年前より、両親の意志を守るためだけに生きてきた。

 幼い心に蓋をして、華奢な体で戦ってきた。

 

(――――家族――――)

 

 それはセシリアが亡くしてしまったもの。

 もう二度と戻ってはこないもの。

 セシリアの胸の奥が、じんと熱くなる。

 

(――――家族を、守る――――)

 

 全身が震える。

 その身を釣り上げられたように肌が張り、体中に熱が回る。

 

(――――家族を――――)

 

 暖かいものが次々に込み上げ、それは止まることを知らない。

 それは忘れていた感情。

 いや、忘れたかった感情。

 三年前のあの日から、押し殺してきた思い。

 セシリア・オルコットは“心”を殺した。

 何のためか? オルコット家を守るためか?

 確かにそうかもしれない。

 けれど、本当は。

 本当は。

 ただ、悲しかったから。

 認めたくなかったから。

 だから、心を殺して。

 セシリア・オルコットは自分を保とうとしたのだ。

 だというのに。

 

「織斑、一夏……」

 

 ああ、彼のせいで。

 セシリアの心は。

 捨てたはずの思いは。

 

「………………」

(……これは、責任を――――責任をとってもらわなくては、いけませんわね…………)

 

 そのまま暫く、セシリアはシャワーに打たれ続けた。



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【転】転校生は仕組まれた幼なじみ

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 世界を圧巻したISの発明者として有名な篠ノ之(しののの)(たばね)と関係を持とうと画策する組織は今も昔も後を絶たたない。

 しかし、諜報目的で篠ノ之家、または織斑(おりむら)家に近づくことは困難を極めた。

 篠ノ之束によって“絶対”の防壁が築かれた二家。悪意を持って訪れようものなら、その者には“災厄”による報復が必ず訪れる。

 少なくない諜報組織を使い潰すことで世界が得た教訓は、“篠ノ之束を刺激するべからず”、というものだ。

 故に、篠ノ之(ほうき)は、そして織斑一夏(いちか)は“災厄”と“最強”の近親者であるにしては“比較的まとも”な生活を送ることができた。

 だがIS発表から四年後、二人を取り巻く環境に変動が起こる。

 

 

 

 その年、篠ノ之束が成人した。

 その年、それまで各国独自で育成していたIS操縦者の教育を公に引き受ける組織、IS学園が篠ノ之束の協力のもと日本に完成した。

 その年、篠ノ之束が“467個目”を以ってISコアの製造を止めた。

 

 

 

 束が何を思ってそのような行動をとったのか、それは彼女本人以外には分からない。事実としてはその年、篠ノ之束は“博士”としての活動を世界に還元することを止め、自身の妹である篠ノ之箒に重要人保護プログラムを受けさせることに同意したということだけ。

 結果、篠ノ之箒は六年間に及ぶ移転生活を強いられ、世界の目は“篠ノ之”と“織斑”の二つに分かれることとなった。

 世界唯一のIS開発者である“篠ノ之”と世界最強のIS操縦者である“織斑”。世界の注目は当然前者に偏り、後者は監視の目が緩くなる。しかし当然“世界最強”の称号はそれだけせ多くの間者を呼び寄せる。“篠ノ之”においては当然のこと、“織斑”においてもその周囲は各国が睨みを利かし、下手に近づくことはできない。

 ところがそんな中で、とある一家族が“織斑”の周囲に現れる。

 日本人と中国人の国際結婚をしたその家族は、日本国籍を取って普通に暮らしていた。そして偶々“織斑”の近くに引っ越してきたのだ。

 いくら世界中が“織斑”の周囲を互いに牽制しているとはいえ、政府や企業と何ら関係のない人間の行動を縛ることはできない。特に今までは篠ノ之束を刺激することを恐れて積極的には動けなかった。以前からそこにある人間関係に割り込むことが一体どんな影響を“厄災”に与えるのか、それが分らない以上“篠ノ之”の周囲を、“織斑”の周囲を買収することは危険だったのだ。

 しかし、状況が変わる。

 篠ノ之束は“織斑”から離れ、何も知らない一般人が外から“織斑”の周囲に現れた。そしてその一般人の取り込むことができれば、その者は多大なアドバンテージを得ることになる。

 それはとても危険な賭けだった。しかし各国が躊躇する中、中国だけがその一家を囲い込むことを決めた。

 こうして僅か十歳にして、(ファン)鈴音(リンイン)は中国政府の傀儡となったのだった。

 

 

 

 

     1

 

 

「よし、飛べ」

 

 千冬(ちふゆ)の指示と共に、セシリアのブルー・ティアーズは急上昇する。一夏は少し遅れて白式に指示を送り、おぼつかない様子で上昇した。

 四月の下旬。セシリア・オルコットと織斑一夏によるクラス代表決定戦(寸劇)から二週間が経とうとしていた。

 ISの基礎知識を僅か半月で詰め込むという荒技を表向き終えたIS学園の一年生たちは、今度はISの基本動作を僅か半月で身に付けるという無茶振りを要求される。当然そのようなことが早々にできるはずもなく、IS学園入学の暗黙の条件としてISの基礎を抑えているというものがあることは明白である。

 織斑一夏はIS学園入学当初、ISに関してほぼ無知で無力あった。しかし、山田(やまだ)真耶(まや)によるIS知識補完、セシリア・オルコットによるIS操縦技術演習、篠ノ之箒による身体能力補強によって、一夏はIS学園の授業を理解できるレベルにまでその実力を伸ばしていた。それはおおよそ一ヶ月で取得できるような内容では到底ないのだが、一夏は“織斑一夏自身の特異性”を発揮することでそのような“異業”を成し遂げているのだ。

 

「何をやっている。スペック上の出力では白式の方が上だぞ」

 

 春も終わりを迎えたある日の午後、空中に浮かぶブルー・ティアーズ()白式()へ地上から通信が届く。

 IS学園一学年一組の本日のIS実習授業内容はISの基本的な飛行操縦であり、授業の始めに専用機持ちであるセシリアと一夏の実演が千冬に指示された。

 一夏自身のIS機動時間はセシリアのそれと比べると無いにも等しいものだ。しかし、それにしても一夏のIS操縦技術の向上度合いは異常であり、“織斑一夏は実はISに精通している”という前提がなければ彼の特異性が甚だ極まって見えることだろう。事実、急上昇したブルー・ティアーズをぎこちない動作で追いかける白式の姿を見ている者たちは、一夏の成長ぶりに驚きを隠せないでいる。

 

「一夏さん、イメージは所詮イメージ。自分がやりやすい方法を模索する方が建設的でしてよ」

 

 ISの急上昇、急下降に必要なイメージを思い浮かべて上昇した一夏の思考がプライベート・チャンネルを流れセシリアへと伝わる。傍受されても問題ないため、否、プライベート・チャンネルの中身を勘ぐられないように、わざとセシリアは一夏へのアドバイスを口頭で行った。

 

「そうは言われてもなぁ――――」

 

 “織斑一夏”はIS知識についてまだまだ抜けがある。そのためISの飛行原理を理解はしておらず、ISでの実際の飛行時に非効率な飛び方をしてしまわなくてはならない。

 けれども本当の織斑一夏は、ISの機動経験は別としてIS知識だけならば並のIS操縦者を軽く凌駕する。故にIS操縦において無意識に熟練者が行う微調整を、一夏もまた無意識に、そして意図的に行ってしまうことがありえるのだ。

 そうなれば織斑一夏がISに精通していることが露見する確率が上がり、“彼女”が淘汰される危険が高くなる。ならばISに関して無知でいればいいかというと、そうも言っていられない。“織斑一夏がISと関わることは確実”であったため、いつの日か“彼女”を守る物理的な力が必要になったとき、織斑一夏がIS(武器)の扱い方を知らないなどという事態は許されないのだから。

 織斑一夏は優秀すぎてはいけないが、愚鈍であってもいけない。

 そんな一夏をサポートするべく、セシリアからプライベート・チャンネルで通信が入った。

 

『IS飛行に慣れておられない方はよく、急加速時の慣性制御機能(パッシブ・イナーシャル・キャンセラー)の設定を自動(オート)にしておりますわ。熟練の方でも半自動(セミオート)が大半ですし、一夏さんは手動(マニュアル)で入力しきれずに自動(オート)を強制発動させるのがよろしいかと』

 

 一夏はIS自体に関しての知識は“彼女”のおかげで豊富だが、IS操縦技術に関する知識はまだまだ乏しいのが事実。IS操縦技術が軍事力に直結するようになった世の中において、ハッキング技術を有しているわけではない一夏がそれを手に入れることは至難の技であったからだ。

 

『――――どうも……』

 

 口頭でセシリアとくだらない会話を交わしながら、一夏はプライベート・ネットワークを通して彼女に素っ気なく応える。

 セシリア・オルコット。イギリスからやってきた国家代表候補生。均整のとれた身体によって作られる美貌は、貴婦人とでも言うべき貴さを漂わせる。一夏は今、そんなセシリアに脅されている状態だった。

 

――――『対等な取引を』

 

 二週間前のクラス代表決定戦において、セシリアは一夏にそう持ち掛けた。

 『織斑一夏』という仮面の存在を秘匿し、織斑一夏の手助けをするというのがセシリア・オルコットが施す内容。

 そして、セシリア・オルコットにその子種を授けるというのが織斑一夏が施す内容。

 本来なら今すぐにでもセシリアに迫られてもおかしくはない一夏だったが、彼女の言によれば成人するまでに事を成せばよいとのこと。セシリアが婚姻を迫ることはなく、自身以外の誰かと一夏が結婚しようとも気にしないというのが彼女の提示した譲歩だった。

 セシリア・オルコットにとって大切なのは織斑一夏をイギリスに引き込むことではなく、オルコット家を守ることである。無理やりの婚姻を避けるためには、現状のところ織斑一夏を婿に迎え入れることが最も望ましい。

 しかし、織斑一夏を手に入れることは非常に困難である。確かにセシリア・オルコットは織斑一夏のアキレス腱となる情報を手に入れた。けれどもだからといって一夏を自由にできるかと言えばそうではない。

 織斑一夏は世界中からその身を狙われているのだ。仮に一夏自身がイギリスに所属する意志を示したところで世界がそれを認めないだろう。さらには強引な勧誘を行えば篠ノ之束を刺激する可能性もある。あくまで自主的に、平和的に織斑一夏に行動してもらう必要があるのである。

 セシリア・オルコットが織斑一夏を夫に迎えることは難しい。かといって他の候補者に当たろうにもセシリアの行動は監視されており、先回りされて潰されるのが落ち。となれば、セシリアと一夏が結婚することなしに彼女に他の男が近づけなくする方法が必要となる。

 そこでセシリアが目をつけたのが、本国から彼女に下された指令だった。

 織斑一夏籠絡命令。可能であれば合法的にその精子を手に入れること。

 織斑一夏の遺伝情報を手に入れるだけならば、わざわざハニートラップなど用いなくとも簡単にできる。抜け毛一本、皮膚の欠片一粒あれば、遺伝情報を入手することは可能なのだ。

 それをせず敢えて正攻法で攻めるのは、一重に“災厄”たる篠ノ之束を恐れているからに他ならない。

 篠ノ之束は裏で動き回る存在には容赦なく制裁を下すが、当事者たちの了解を以って行われたことには口を出さない。それを知っているからこそ世界は、あくまでハニートラップという正攻法で織斑一夏を手に入れようと画策しているのだ。

 仮にセシリア・オルコットが織斑一夏の子供を妊娠すれば、イギリスは彼女を国に引き止めるためにあらゆる優遇を行うだろう。さらに、織斑一夏との同意の上での性交という実績があれば、セシリアが彼と結婚する可能性を消さないために彼女の未婚状態を維持させようとするに違いない。セシリアの全てがオルコット家を守ることであることを知っているイギリスとしては、彼女を自国に縛るために男を宛てがうよりも織斑一夏の妻つなる可能性を残す選択をすると、彼女は考えた。

 当然、織斑一夏がセシリア・オルコット以外の女性と婚約することも大いにありえる。しかし、一夏の子供さえ確保できていればセシリアの目的は達せられるのだ。男性が複数の女性と関係を持っていても男性本人が著名人であればその性関係が一定のステータスとなることがあるのに対し、逆の場合はマイナスイメージにしかならないことがほとんどである。それは、ISが台頭してから経過した僅か十年という短い歳月では覆ることはない。ましてや世界は今、織斑一夏に種馬としての役割を期待してもいるのだ。一夏が誰かと結婚したぐらいでは、世界は一夏の確保を諦めないだろう。

 現状、一夏とセシリアの取引は未だ行われてはいない。セシリアとしても一夏の子供を授かるのが自分だけでは自身の身が危険に晒されることを考えると、一夏には是非正式なパートナーを自分以外に作っておいてもらいたいところである。なんとセシリアは夏休みまで返答を待つという懐の広さを示したのだ。

 しかし当然、セシリアは座して待つだけのなお人好しではない。そもそもの作戦であった“イギリス国家代表候補生セシリア・オルコットとしての織斑一夏籠絡任務”も同時に始めていた。

 当初、セシリア・オルコットは織斑一夏と男女の中になることは不可能だと考えていた。同級生、そして同じ専用機持ちというアドバンテージはあるものの、篠ノ之箒や中国の刺客と比べればセシリアの立場はかなり弱いものとなる。

 IS学園での生活は、『表向き』のものを演じる必要がある。それはセシリアや一夏、箒にだけ当てはまるというわけではなく、ここIS学園に住在する全ての人間に適用されるのだ。『表向き』の世界できな臭い動きを見せてしまえば、世界はそれを咎め制裁を施すだろう。それゆえに強引な織斑一夏への接触は悪手なのだ。もちろん、篠ノ之束に対する警戒も高い。

 セシリア・オルコットが織斑一夏に近づくには理由が必要である。

 世界を三文芝居とはいえ騙し、篠ノ之束を欺く方法で。

 故に、“セシリア・オルコットは織斑一夏との恋に落ちる”。

 クラス代表決定戦という“分かりやすい惚れた原因”が存在し、“他人(ひと)の心が理解できない”篠ノ之束の制裁を逃れることができるこの手段を用いて、セシリアは一夏に近づくつもりだったのだ。そして当初の情報通りならばセシリア・オルコットは織斑一夏の仲間になることができ、確固たる“絆”が生まれる予定だったのだ。さらにはセシリアが堂々とハニー・トラップを仕掛けることで、周りを牽制する効果も発揮する。

 セシリアは偶然にも一夏の弱点を知るという幸運に恵まれた。けれどもそれだけで満足するようなことはしない。

 だから、当初の予定通り“セシリア・オルコットは織斑一夏との恋に落ちる”。少なくとも、表向きは。

 

「一夏さん、よろしければまた放課後に指導してさしあげますわ。そのときはふたりきりで――――」

 

 セシリアは嘘か(まこと)か、頬を赤く染め恥じらうなどという芸当を披露する。

 

「一夏っ! いつまでそんなところにいる! 早く降りてこい!」

 

 山田副担任のインカムを奪い授業妨害をするという篠ノ之箒の幼稚性をハイパーセンサーで確認したセシリアは、ふと一夏の方へと顔を向ける。

 篠ノ之箒が織斑一夏によせる感情。その“分かりやすい”恋愛感情を一夏はどう扱うつもりなのか、セシリアは尋ねてみようかと一瞬考えた。

 

(いえ、確かに中国の方はそろそろ来ますが、下手にこちらが意識するのもよくないですわね。それに、その辺りは本人が一番分かっていることでしょう)

 

 セシリアはプライベート・チャンネルを切り、思考が一夏に流れないようにして思考する。自分の心さえ騙し通せるセシリアならばプライベート・チャンネルを通して心を見透かされるような失態は犯さないが、かといって注意を怠ることもしない。

 

「――――では一夏さん、お先に」

 

 授業を指導している千冬がISでの急降下の実演を二人に求め、セシリアは一夏よりも先に実行する。熟練者と未熟者のペアの場合は、熟練者が先に手本を見せるのが常であるし、その方が一夏のIS技術を強く印象付けることができるからだ。

 事実、セシリアの後に急降下を行った一夏は地面に衝突するという失態を犯すものの、初心者とは思えない急加速を実演してみせた。急停止に慣れていないというのがいかにも初心者らしく、急加速をすぐにでも物にするというのが才能を感じさせる。

 

「馬鹿者――――」

 

 千冬が一夏をそう評価し、そこからバカらしい寸劇が始まる。そして他の女子生徒たちも役者となってそれを演じる。

 本人たちからすれば阿呆らしい一幕の末、授業はISの武装展開へと移る。

 最初に一夏が実演するが数十秒かかってようやく成功させる。初心者が一分を切る段階ですでに素養は抜群なはずだが、千冬はそれを切り捨てる。しかし女子生徒たちの目にはやはり、一夏の“特異性”が垣間見えるのだった。

 

「セシリア、武装を展開しろ」

 

 国家代表候補生であるセシリアの番になり、彼女は一秒以内の“それなりの”速さでスターライトmkIIIの粒子展開を行った。けれどもその銃口は横を向いており、武装展開から戦闘開始まで若干のタイムラグが生じる状態になっていた。さらには追加で求められた近接武装の粒子展開に十数秒も時間をかける、しかも武器名を呼称しての展開という大失態まで行ったのだった。

 

「――――お前は、実践でも相手に待ってもらうのか?」

 

 千冬がセシリアを責める。それに対してセシリアは申し訳なさ一杯の表情で歯切れの悪い言葉を返すだけだ。国家代表候補生の面子は丸つぶれと言ってもいいだろう。

 しかし、この自体がセシリア・オルコットの国家代表候補生としての立場を悪くするかと言えばそんなことはない。なぜなら、ISとは今や各国の軍の重要兵器であり、“自国の戦力を馬鹿正直に公表する”国など存在しないからだ。

 セシリアがIS武装展開において非実践的な癖を付けてしまっているのも、近接戦闘に関して極端に苦手意識があるのも、全てパフォーマンスでしかない。これはもはや通過儀礼であり、IS学園に入学した国家代表候補生は皆態と失態を犯すのだった。そしてそれを女子生徒たちが責めることもない。“ISにはまだ不慣れ”な少女を演じる彼女たちには、それでも国家代表候補生は雲の上の存在だからだ。そして演技を抜きにしても、事実として国家代表候補生たちは雲の上の存在であると知っているからである。

 そんな予定調和のIS学園の日常が、今日も表向き行われていた。

 

 

 

 

     2

 

 

「織斑くん、おはよー。ねえ、転校生の噂聞いた?」

 

 朝。一夏が教室の席に着くなり後ろの席の女子生徒が話し掛けてきた。

 ベリーショートの髪に赤いカチューシャ、そして大きめの眼鏡をかけた少女。一見おとなしそうな少女の名は岸原(きしはら)理子(りこ)といい、谷本(たにもと)癒子(ゆこ)と一緒にいることが多い。その実、気弱そうな外見とは裏腹に意外とアグレッシブであり、座席の位置もあって一夏へと話しかけてくることがよくあった。

 

「転校生? 今の時期に?」

 

 一夏は既にセシリア経由で知っていた情報であったが、『織斑一夏』として驚いてみせる。

 すると一夏の隣の席の癒子が首を伸ばして口を挟んできた。

 

「そう、なんでも中国の代表候補生なんだってさ」

「ふーん」

 

 いつも以上に気をつけながら、一夏は癒子に応える。

 以前朝の食堂で探りを入れられた時から、谷本癒子と同伴の岸原理子の二人は要注意人物として警戒していた。

 今、一夏は四方向のうち二方向を防がれている。しかしすぐにセシリアが一夏の隣に来ることで彼女たちを牽制した。

 

「あら、わたくしの存在を今更ながらに危ぶんでの転入かしら」

 

 セシリアは腰に手を当ててスペースを多めにとることで、癒子と理子を少し奥へと押しやる。そうすることで一夏の前三方向は完全に固められ、これ以上の介入を防ぐ状態となる。

 けれどもその攻防に気づいた様子も見せずに一夏の後ろから、篠ノ之箒が強引に会話に割り込んだ。

 

「このクラスに転入してくるわけではないのだろう?」

 

 箒の行動に癒子と理子は人の好い笑顔を浮かべ、歓迎の意を示す。

 事態の流れを確認しながら、一夏は言葉を紡いだ。

 

「どんなやつなんだろうな」

 

 そこからは“いつも通り”の会話が繰り広げられ、次々の一年一組の少女たちが一夏の周りに集まってくる。それでも一夏と接している四方向の内二方向をセシリアと箒が押さえているので、少女たちはくっつくほど接近することはなかった。

 そうして始業開始時刻が間近に迫った頃、一年振りとなる軽やかな声が一夏の耳に届いた。

 聞き覚えのない声にクラス中の女子生徒たちが教室の入り口に目を向ける。

 そこにいたのは小柄な少女。IS学園の制服を改造して肩を剥き出し、腰まで伸ばしたツインテールはリボンで留めている。そして小型猛禽類を思わせる雰囲気。

 凰鈴音が、そこにいた。

 

 

 

 

     3

 

 

 織斑一夏が凰鈴音と初めて出会ったのは六年前。篠ノ之箒が重要人保護プログラムによって住居を移転することになった後だった。

 その頃には既に一夏は“仮面”を手にし、“魔女”の教えを実行できるようになっていた。

 “魔女”が描いた『織斑一夏』の下地に、『織斑一夏』としての生活の中で追加要素を組み込んでいく。そして“織斑”に、“篠ノ之”に取り付こうとする大人たちが排除されていくのを眺める日々。そんな中で、一夏は鈴音に出会った。

 初対面にして顔面を殴られるという状況に至った一夏だったが、今でもその理由は分からない。けれども、一夏は織斑一夏である。“織斑”である以上、どこでどんな恨みを勝っているかなど把握することは不可能なのだ。

 出会ってから暫くすると、二人は“親友”とでもいうべき仲になっていた。その頃から鈴音が長期休暇期間に中国へ帰省することが多かったが、一夏はあまり考えないようにしていた。

 織斑一夏にとって最も大切な存在は“彼女”である。“彼女”こそは至高の存在であり、“彼女”の笑みこそが一夏の至幸であった。織斑一夏の人生はその頃から既に“彼女”のために捧げられ、“彼女”があってこその『織斑一夏』という仮面だった。

 けれども、当時の一夏は孤独でもあった。僅か十歳の子供が仮面を被り、世界を騙す。“災厄”と“最強”の守る箱庭の中だったとはいえ、一夏にかかる精神的負担は計り知れない。

 だから、初対面で自分を殴りつけた鈴音に、一夏は心の拠り所を求めた。“織斑”を取り込もうと一夏に近づく者たちとの邂逅の中で、鈴音のような憎悪を直接向けられたことなどなかったのだ。“対等な存在”とでもいうべき者を、知らず知らずのうちに一夏は求めていたのかもしれない。

 けれども、そんな甘い考えはいつまでも続けられない。儚い夢を壊す、事件が起こった。

 

 

 

 織斑一夏誘拐事件。

 

 

 

 三年前に人知れず起こり、人知れず解決された、“裏”の事件。己れの破滅さえ覚悟すれば、一時的にでも“災厄”と“最強”の手をすり抜けることができると証明されてしまった事件。

 織斑一夏を守る“災厄”と“最強”は、“守り”には向いていない。彼らは基本的に“攻め”の適応者であるのだ。

 もちろん、“災厄”と“最強”を敵に回した者に先はなく、必ず破滅する未来が待っている。しかし、それさえ覚悟できれば、一時的とはいえ“災厄”と”最強”の手をすり抜けることが可能なのである。

 けれども、それでも“災厄”と“最強”の死角をつくのは容易ではない。

 それはつまり、どこかに穴が生まれていたということ。そして考えられる分かりやすい穴は一夏のそばに確かにあった。

 だからその日以来、凰鈴音の存在は『織斑一夏』にとっての親友になった。

 そして織斑一夏にとっては――――――――

 

 

 

 

     4

 

 

「待ってたわよ、一夏!」

 

 昼の学生食堂で、凰鈴音が声を張り上げる。

 セシリアと箒を連れて食堂に向かった一夏を待っていたのは、自信満々に仁王立ちする鈴音だった。

 大声で元気娘をアピールし周囲を牽制する鈴音に、一夏は『織斑一夏』の親友として対応する。

 その様子をセシリアは、やきもきする乙女を演じながら冷静に観察する。

 

(やはり、厄介ですわね。それに、何やら一夏さんとも因縁がありそうですし)

 

 周囲の注目を集めながら一夏と親しく話してみせることで、鈴音はいきなり自身の立ち位置を確定させた。あまりにもの自然なその所業は、セシリアも舌を巻くほどだ。強引な展開であるはずなのに、『凰鈴音』というキャラクターがその歪を取り除く。もちろん、それは『凰鈴音』に合わせる『織斑一夏』が存在して初めて成り立つものである。

 

「鈴、いつ日本に帰ってきたんだ?――――」

「質問ばかりしないでよ。アンタこそ、なにIS使ってるのよ――――」

 

 二人の会話はとんとん拍子に進み、一年振りの親睦を深め合うその様は見る者を暖かくさせる。

 しかし。

 

(やはり――――)

 

 感情の出自を探れるセシリアだからこそ感じる違和感を以って、『織斑一夏』と『凰鈴音』の関係だけではなく、織斑一夏と凰鈴音の関係性にセシリアは注目する。

 その間にも事態は進み、箒が一夏と鈴音の間に割り込んだ。

 

「一夏、そろそろ――――」

 

 セシリアも注意深く一夏と鈴音を観察しながら箒に続く。

 

「そうですわ! 一夏さん、まさかこちらの方と付き合っていらっしゃるの?」

 

 鈴音の立ち位置をこの場ではっきりさせるために、セシリアはそう尋ねた。

 それに対して一夏は冷静に否定し、鈴音は“恋する乙女”の返答を行う。

 そのやりとりよって鈴音の立ち位置は完全に固定され、編入してきていきなり『織斑一夏争奪戦』においてセシリアや箒と同じ舞台に立つことが保証された。

 セシリアの問いによって鈴音の足場が早々に固定されたが、遅かれ早かれそうなっていたのは確実。なのでセシリアの行動は失態などではなく、より強力なアドバンテージを取られる前に鈴音の立ち位置を固定させた、ファインプレーと言えた。

 凰鈴音。

 思春期を織斑一夏と過ごした少女。表向きは去年一夏と離れてから一年で国家代表候補生に成り上がったことになっているが、それを信じる者などこの学園にはいない。凰鈴音が最初から中国の刺客として織斑一夏の傍にいたと考えるのが当然であった。

 つまり、『織斑一夏争奪戦』における強力な競争相手(ライバル)としてIS学園の少女たちには認識されている。

 

(凰鈴音…………さて、どうしましょうか…………)

 

 一夏と箒、そして鈴音と“表”の会話を繰り広げながら、セシリアは思考の海へと潜り始めた。

 

 

 

 

     5

 

 

 その日の夜。夕食も終えた時間に、一夏と箒が同棲する1025室に来客があった。

 

「というわけだから、部屋代わって」

 

 篠ノ之箒にそう言ってのけたのは、凰鈴音である。

 正直、一夏は鈴音がここまでするとは思っていなかった。

 『織斑一夏』の同棲相手の問題は、大変シビアな事項である。

 どこの国の人間が当たっても、必ず反発が引き起こる。利害調節機関としてのIS学園は、実質“篠ノ之束所属”といえる篠ノ之箒を織斑一夏の同棲相手にすることで反発を押さえこんだのだ。

 そのような状況で、凰鈴音はその均衡を崩すような行動に出た。

 当然、到底容認されることではないし、そのことを鈴音が理解していないはずもない。それでも『凰鈴音』のキャラクターを全面に出して堂々と押し通そうとするとは、流石に予想できなかったのだ。

 確かにIS学園に集う少女たちは皆お気楽な役者を演じている。それでもあまりにも非常識過ぎれば、それを“表”から攻められる可能性がないわけではないのだ。事実はどうあれ、体面は体面で大切なのだから。

 凰鈴音の行動はあまりにも突拍子過ぎる。

 そんな鈴音と箒の対話を眺め、ようやく一夏は彼女の狙いに思い当たった。

 

(今すぐ俺を落とすつもりか)

 

 織斑一夏を狙うハニー・トラップはIS学園に溢れている。しかし本来の目的を考えれば一夜の関係よりも持続的な恋人関係が望ましいのは事実。故に、一夏を狙う少女たちは確実に、着実にその包囲網を縮めてきているのだ。

 世界の連携を崩してまでも一足先に一夏へと迫る鈴音。

 なりふり構わず『織斑一夏』にアピールをし、周囲を威嚇しながら強引に事急ぐその様子を、一夏は冷たい心でじっと見つめる。

 今回の行動で、鈴音はかなり強引に事を進める権利を得た。しかし、それは短期間であり強行すればいずれ世界の制裁を受けるだろう。

 戦略的に考えて、利口とは言えない手口。ハニートラップが効かない『織斑一夏』を攻略するには、“唐変木”を乗り越える方法しか存在しないのだから。

 一夏は鈴音の真意を探る。

 だから、涙を流して駆けて言った鈴音をいつも通り『織斑一夏』としてただ見送った。

 

「馬に蹴られて死ね」

 

 いつも通り“魔女”の言葉を、その身に浴びながら。



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【結】決戦! クラス対抗戦の裏で

     0

 

 

 世界で最も有名であり、世界で最も最強の兵器を生み出した狂気の科学者(マッドサイエンティスト)篠ノ之(しののの)(たばね)。彼女の存在は、その偉業をもってこう評される。

 ただ一言、“天災”と。

 何を考えているのか、何を求めているのか、おおよそ一般的な解釈が通用しない稀代の天才科学者篠ノ之束。現行数世紀分の科学力を先取りしていると言われるその頭脳と、何者にも縛られない自由過ぎるその行動を以て、世界は彼女を異端と定める。

 そして篠ノ之束自身も世界を卑下し、至高にして孤高の存在と自ら到るに至る。

 世界の“敵”として淘汰されかねない危険な存在。それが篠ノ之束。

 “人の心が分らない”とされ、常に異端の道を突き進む束。しかしそんな彼女が心を開いた存在が三人いる。

 実の妹、篠ノ之(ほうき)

 幼少期からの幼馴染、織斑(おりむら)千冬(ちふゆ)

 そして千冬の実の弟、織斑一夏(いちか)である。

 この三人と接する時だけは、篠ノ之束は“天災”から“天才”へと“人の枠に収まる”ことができるようになる。この三人がいるから、篠ノ之束は世界の“敵”になる手前で踏み止まることができるのだ。

 けれども、たとえ彼らと接している時であっても、束の本質が変わることはない。

 “篠ノ之束は他者(ヒト)の心が理解できない”。

 その事実だけは、覆ることは決してないのだ。

 

 

 

 

     1

 

 

『それでは両者、規定の位置まで移動してください』

 

 IS学園第二アリーナ内に、アナウンスが響き渡る。

 五月も中頃になった今日、ここIS学園では今年度最初の大会競技、クラス対抗戦(リーグマッチ)が行われようとしていた。

 クラス対抗戦(リーグマッチ)とはその名の通り、各クラス代表がISを以て行うISトーナメント戦のことである。学年ごとに行われるこの大会は本来、“素人である”十五歳の少女たちが今どのくらいの実力を持っているかを知るためのものだ。

 故に、専用機持ちや国家代表候補生がクラス代表になることは推奨されていない。

 確かにIS学園に通う少女たちは皆IS知識に関して素人であるはずもないのだが、実際にISを動かす能力においては素人同然なのである。ISの数が限定され監視されている以上、ISを用いた実技演習を秘密利に行うことは非常に困難である。一人二人ならまだしも、毎年IS学園に人材を送るとなれば、到底賄えるものではない。そしてそもそもIS学園の価値が外交にある以上、IS操作技術そのものにおける価値は大変低いものとなっているのだ。

 しかしIS学園にはIS操縦者の育成という表の顔が存在する。いくら求められていないとはいえIS操作技能の向上は不可欠なのだ。だからクラス代表の“本当の”実力を知ることで、IS学園側は表の顔を立てることが可能となる。

 つまり、クラス対抗戦(リーグマッチ)は“一般生徒”が出場してこそ意味をなすのである。

 けれども今年はそうではない。一年生においては一組は専用機持ちが、四組は国家代表候補生が、二組においては専用機持ちの国家代表候補生クラス代表を務める事態となっている。

 理由は明確。

 織斑一夏の実力を知る、ただそのための処置。

 世界最強(ブリュンヒルデ)の実弟、織斑一夏。世界唯一の男性IS操縦者の実力は、四月の段階ではまったくの未知数であった。

 そのため、世界の期待に答えるべくクラス代表の選出に補正が掛かる。そして段階的に織斑一夏の実力を計るために、各クラス代表も実力を段階的に調整して選ばれたのだ。

 (ファン)鈴音(リンイン)がIS学園に編入してきたのはその後のこと。

 セシリア・オルコットとのISバトルでその“可能性の高さ”を見せつけた一夏の、最後の対戦相手として相応しいステータスを兼ね揃えた鈴音。その存在はIS学園に“クラス代表の変更”という特例を認めさせたのだった。

 

「一夏、今謝るなら――――」

「雀の涙くらいだろ。そんなの――――」

 

 アリーナの中央で、“赤”と“白”が向かい合う。

 赤を基調として黒のラインが走る攻撃的な配色を施したISの名は甲龍(シェンロン)。そんな中国の第三世代機を纏うのは一年二組クラス代表凰鈴音。

 対して、白に染め上げられた流線型ボディーが目立つ日本の第三世代機、白式(びゃくしき)。鈴音と対峙するのは世界唯一の男性IS操縦者、織斑一夏である。

 本来、このペアは初戦で当たるようなものではない。織斑一夏と凰鈴音の対決は、トーナメントの決勝戦で行われるはずだったのだ。しかし“厳正な抽選”の結果、この対決は第一試合、クラス対抗戦(リーグマッチ)の開幕試合に選ばれることとなった。

 

「――――ISの絶対防御も完璧じゃないのよ――――」

 

 鈴音が向かい合う一夏に脅しをかける。

 けれども、臆することはない。織斑一夏が『織斑一夏』である限り、凰鈴音が一夏に余計な危害を加えることはないのだから。

 一夏はハイパーセンサーを全開して初撃に備える。

 そんな一夏を見て鈴音は不意に儚げに笑い――――

 

『それでは両者、試合を開始してください』

 

 鳴り響くブザー音と共に、クラス対抗戦(リーグマッチ)が幕を開ける。

 

 

 

 

     2

 

 

 凰鈴音と織斑一夏は六年来の友人である。鈴音が一方的に一夏を殴り付けるという出会いではあったが、『織斑一夏』の融和性と鈴音自身の性格を以て“親友”と言える程にまで二人の仲は発展した。

 そんな中で次第に、鈴音は一夏に恋慕の情を寄せ始める。最初はぎこちなかったそれは、中学二年生になる頃には一人前の“乙女”のそれへと至っていた。

 そして両親の離婚という“やむを得ない”事情により鈴音が中国へと帰国することになった時、彼女は一夏にプロポーズをする。

 

 

 

『料理が上達したら、毎日あたしの酢豚を食べてくれる?』

 

 

 

 その言葉に、『織斑一夏』を演じる織斑一夏は快く承諾をした。

 鈴音の告白は『織斑一夏』の中では『毎日酢豚を奢ってくれる』と変換される。故に一夏は鈴音の告白を受け入れ、踏みにじらなければならない。しかしそれは別に問題ない。『織斑一夏』という人間は“そういう人間”だと認知されている。当然、凰鈴音もそれを理解していたはずである。

 だが、鈴音はその確認をしなかった。自身のプロポーズに対して一夏が正確に捉えているかの確認を怠ったのだ。

 プロポーズが成功したから、鈴音は嬉しさの余りその事を忘れていた。そう考えることもできる。

 しかし、それでは一夏は腑に落ちない。

 凰鈴音は中国政府の間者である。その事は一夏の中では確定事項であるし、紛れもない事実であった。

 であるならば、“織斑”との関係性を“絶対”にするような好機をはたしてみすみす逃すだろうか。

 勿論、“織斑一夏に告白をした”というステータスを得るための行動だったと言えなくないわけもない。『織斑一夏』の人間性を考えれば、仮に告白に失敗したとしてもその関係性が悪化するようなことはないのだから。

 しかしそうすると、凰鈴音が“わざわざ”中国に帰国した理由が分からない。

 一年前の時点で織斑一夏の周囲における最も親しい異性は織斑千冬であり、その次の地位には凰鈴音が占めていた。篠ノ之束と直接連絡を取ることはなく、篠ノ之箒は日本政府の方針で音信不通、五反田(ごはんだ)(らん)においてはあくまで友人の妹という認識でしかない。一夏との関係性を考えるのならば、凰鈴音は帰国などせずに日本に残るべきだったのは明白である。そしてその後に鈴音が一夏へ“正しく”プロポーズしていれば、確約はされないもののかなり高い次元での保留となっていたであろう。

 『織斑一夏』は織斑千冬を支える人間を夢見ており、異性間交遊においては子供の頃のそれで止まっている。言うならば『織斑一夏』は織斑千冬に恋しているのだ。だから、『織斑一夏』はハニートラップに引っ掛かる隙がない。

 しかし、中学生にもなれば『織斑一夏』は自身の限界と世界の広さを知ることとなる。世界最強(ブリュンヒルデ)に掛かる重荷を代わりに背負おうと務めたところで、偉大過ぎる姉に対して弟の方はあくまで“人並み”でしかない。そしてなにより“織斑一夏は男性であるが故にISが使えない”。高校生になる前には、織斑千冬の対等に支えるなどという無謀な夢は、一夏の中でも“叶うはずのない夢”として胸の奥に仕舞い込まれているはずであった。

 そうなれば、織斑一夏は成長する。家族愛の限界を知った時、織斑一夏の異性間交遊能力は飛躍的に成長するのだ。その後であるなら、凰鈴音の告白は高確率で受け入れられていただろう。その当時一夏が愛情を向けるベクトルは、千冬か鈴音しかいなかったのだから。

 けれども凰鈴音はそうなる前に恋慕の情を伝え、中国へと帰国。そして一年の後、世界唯一の男性IS操縦者となった織斑一夏は“夢みるべきではない夢”を再び目指すこととなった。織斑一夏の愛情のベクトルは再び、織斑千冬に大きく傾いたのである。

 

 

 

 

     3

 

 

 空間に圧力をかけて生み出される甲龍の衝撃砲・『龍砲(りゅうほう)』。砲身も砲弾も視認できないその攻撃を、一夏は近接特化ブレード・『雪片弍型(ゆきひらにがた)』を正面に構えることで弾いてみせた。

 

「ふうん。初撃を防ぐなんてやるじゃない――――」

 

 『織斑一夏』は対戦前に相手の情報収集をしない。しかしセシリア・オルコットが一夏に“惚れている”ことになっている現状、甲龍の情報が入ってこないはずがなかった。

 当然、一夏自身も情報収集は行っている。けれども一夏が知ることのできるのは“開示された”情報だけだ。ISの知識は豊富な一夏だが、ハッキング能力を持っているわけではない。そのため、『織斑一夏』としてセシリアから手に入る情報は、それなりに貴重となっていたりする。もちろん、セシリアが流すのはあくまで流出しても構わない内容程度であるのだが。

 甲龍の『龍砲』に関する情報は当然、IS委員会が定める規定に基づいて“ある程度”公開されている。故に一夏が予め衝撃砲の存在を知っていても何ら可笑しなところはない。

 しかし、だからといってそう簡単に対策が立てられるようなものでもないのが事実だ。もちろん、それは“織斑一夏に限った話”であるが。

 

「今のはジャブだからね」

 

 衝撃砲による先制攻撃を防いだ一夏の『雪片弍型』は散回から攻勢に移ることを許されなかった。鈴音の降り掛かる青竜刀を受け止めるに留まったところで、甲龍の肩アーマーの中から放たれる『龍砲』の砲撃に白式は無防備にその身を晒す。

 弾き飛ばされた一夏に『龍砲』が追い討ちをかけ、白式は地面へと叩き付けられた。

 その様を見て客席の人間たちは、“織斑一夏がIS操縦において初心者である”ことを改めて認識する。

 熟練のIS操縦者にとって、視界とは眼球が捉える映像ではなくハイパーセンサーが認知する情報である。各種センサーによって三百六十度ありとあらゆる外界情報を様々なレベルでIS操縦者は入手することができる。彼らは“映像”ではなく“数字”を以て世界を認識するのだ。

 無数に表示される視界内の数列を、IS操縦者は取捨選択した上で“視界情報”へと変換する。その方法は選択する情報によって異なるが、その中でも最も基本的な変換方式を現在一夏は行っていた。

 それは、視界情報を基本とし、ハイパーセンサーによる所得情報を映像(エフェクト)化、更にハイパーセンサーの稼働範囲を大きく限定させた状態にするというものだ。

 ISのハイパーセンサーは非常に優秀である。しかし、その入手情報量のあまりも多く、人間であるIS操縦者はハイパーセンサーを十全に扱うことができない。IS初心者である『織斑一夏』にとって、『空間の歪み値と大気の流れ』を映像化したものを自身の視覚情報に上乗せすることが、ハイパーセンサーの利用限界なのだ。

 織斑千冬などは、ハイパーセンサーによる入手数値情報を元に脳内で三次元映像を構築し、自身の視覚情報に上乗せしてみせる。ハイパーセンサーを情報所得だけに特化させ、瞬間瞬間において情報の取捨選択と解析を常に脳内で行い、その卓越した情報処理能力を以て視覚情報と数値情報のリンクを完璧に行ってみせるのである。

 もちろんそのような神業を一夏が使う必要はないのだが、それでも視界外情報の認識が行えないというのは、国家代表候補生と戦うにはあまりにもお粗末と言えよう。

 理論上、IS操縦者には死角が存在しない。ハイパーセンサーによる環境情報の把握能力は、非の打ち所がないと言ってしまえるほどである。

 しかし、織斑一夏はそれを満足に扱えない。だからこそ、“視認できない”などという理由で『龍砲』そのものが脅威になってしまっている。

 セシリア・オルコットの『ブルー・ティアーズ』然り、凰鈴音の『龍砲』然り、特殊兵器を積んでいるのが第三世代機の特徴ではあるが、それらの兵器はISバトルにおいてはあくまでサポート武器である。主兵器(メインウエポン)との連携によって真価を発揮するのであり、その武器そのものを脅威に感じているようでは、到底対等な戦闘は行えないだろう。

 『龍砲』の砲身と砲弾は不可視であるが、ハイパーセンサーを使えばその射線を捉えることは可能である。衝撃砲の価値は視認できないことではなく、ほぼ無制限に射線を回転させることができるその稼働性なのだ。二本の射線が相手のISの行動範囲を限定させ、巧みに甲龍の攻撃範囲へと誘い込む。近接格闘に強い甲龍の主兵器(メインウエポン)は当然ながら青竜刀の『双天牙月(そうてんがげつ)』であり、仮に一夏が領域(テリトリー)内に入ってこようものなら、一対を連結させた両刃状態のそれで鈴音は『雪片弍型』を跳ね除け、白式に大ダメージを与えることだろう。

 一夏は拙い三次元躍動旋回(クロス・グリッド・ターン)を駆使して、鈴音の敷く『龍砲』の射線に捕らわれないよう逃げ回る。ISの高機動戦闘に僅か一ヶ月で適応しているという『織斑一夏』の“異業”を、一夏は“予め機動予定軌道を指定しておく”という方法で偽っているのだ。

 凰鈴音という少女の人間性、その“表向きの”実力、“本当の”実力、中国最新鋭のISである『甲龍』の性能(スペック)を彼の国がどこまで披露するつもりか、そして『織斑一夏』のIS戦闘能力。その全てを鑑みた上での展開予測。

 開幕最初の『龍砲』から『双天牙月』との打ち合い、その後の衝撃砲による機動誘導。凰鈴音のキャラクター性が“戦闘にはいると冷静になるタイプ”であるからこそ、『織斑一夏』は違和感なく道化を描いてみせる。

 

(りん)

「なによ?」

「本気で行くからな」

 

 そう宣言すれば、凰鈴音は一撃目を必ず近距離(ショートレンジ)で受ける。凰鈴音と織斑一夏の実力差を把握しているからこそ近距離戦闘で決着をつけるべく、そして織斑一夏の実力測定のために、“その時点で予測できる”織斑一夏の攻撃を、敢えて受け止めてみせる。だからその上にいくこで、一夏は『織斑一夏の特異性』を世界に見せつけることができる。

 一夏の目的は決して鈴音に勝つことではない。重要なのはその過程であって、結果そのものについては今はまだ求める時ではないのだ。

 もちろん、この試合に『勝った方が負けた方に何でも一つ言うことを聞かせられる』のだが、所詮は子供の口約束であり、一ヶ月前にセシリアが言った『わざと負けたりしたらわたくしの小間使い――いえ、奴隷にしますわよ』と同じように拘束力などあるはずもない。『織斑一夏』としてはある程度応じるとしても、何かしら『織斑一夏を廻る世界情勢』に影響があるような事態になれば対処はするし、何より周りが黙っていないだろう。

 

「――――とっ、とにかくっ、格の違いってのを見せてあげるわよ!」

 

 曖昧な、どこか不安げな、そんな表情を一瞬覗かせて、鈴音は『双天牙月』を構え直す。

 鈴音の様子に一夏は少し気になったものの、彼女のそれが凰鈴音としてのものか『凰鈴音』としてのものか判断がつかない。更には『織斑一夏』がこの緊迫状況下において鈴音の“ぶれ”に気付くはずもなく、一夏は白式の後部スラスター翼を大きく広げた。

 『瞬時加速(イグニッション・ブースト)』。

 IS近接格闘戦術において、上級者は必ず使用する、近接戦闘必須技能(スキル)。それは文字通り瞬時加速であり、大量のエネルギーと引き換えに戦況を覆す可能性を秘めている。

 一度外部に放出したエネルギーを圧縮して取り込み、再度放出することで莫大な推進力を得るこの技能(スキル)は、高度な演算能力を必要とする。エネルギーの再吸収時に生じる不純物の処理や、各部スラクターを初めとしたIS本体の方向調整、周辺大気の成分把握に進路微細調整。絶えず変化する内部、外部情報を“完璧に”予測する必要があり、少しでも入力を間違えれば“墜落”という結果が待っている。

 到底、ISに触れて一ヶ月の素人が手を出せるものではない。

 しかし、それを“感覚で行う”ことで、『織斑一夏』は境界線を越える。

 それは織斑一夏としてもいずれ必要になるだろう技能(スキル)であり、全力を以て習得する。

 

「うおおおおっ!」

 

 大気が()ぜ、世界が揺れる。

 そして白式は『雪片弍型』を降り下ろす。

 

 

 

 

     4

 

 

 乱入者は突然現れた。

 接近してくるまでISのハイパーセンサーを潜り抜け、アリーナを覆う遮断シールドを突き破った、『全身装甲(フル・スキン)』の灰色をした異形のIS。

 その長い両手の先に取り付けられた計四つの砲門から、驚異的な出力を誇るビームが鈴音を襲う。

 

「あぶねえっ!!」

 

 何故か避ける素振りを見せなかった鈴音を抱え、一夏は飛び上がった。

 連射されるビームを避けながら、一夏はセシリアへと秘匿回線(プライベートチャンネル)を繋ぐ。

 

『オルコット。機動誘導を頼む』

『承知しました』

 

 一夏としてはあまりセシリアに借りを作りたくはないのだが、敵はアリーナの遮断シールドを突破するだけの火力を備えている。ISバトルに耐えられるそれを破壊できるということは、襲撃者の武装はISの絶対防御を抜いてくる可能性がある。仮に絶対防御で受け止められたとしても、通常のIS兵器を逸脱したその破壊力の前に、ISはそのエネルギーを直ぐに使い果たしてしまうだろう。

 

「――――援護するから突っ込みなさいよ――――」

「――――それでいくか」

 

 『織斑一夏』は観客席に残る生徒たちを守るため、正体不明のISと戦うことを決める。残存エネルギーと所持武装を照らし合わせ、鈴音の『龍砲』による援護射撃と一夏の『雪片弍型』の力押しという戦法を二人は選ぶ。

 それは救助を待つまでの時間稼ぎではなく、倒すことを念頭においていた。

 『織斑一夏』は無謀にも“実戦”に飛び込み、見殺しにしないために凰鈴音はそれに続く。

 一夏が『織斑一夏』の仮面を被るがために、鈴音はこの場から逃げ出すことができなかった。

 

 

 

 

     5

 

 

 四回目の切りつけを空振りに終わり、セシリアが示すままに一夏はその場から離脱した。

 直後、“絶妙のタイミングで”一夏の後ろをビームが駆け抜ける。その様子に一つの仮説を思い浮かべながら、一夏は鈴音が衝撃砲で牽制している間に敵の射程圏内から抜け出した。

 これまでの間で、学園から援軍がやってくる気配はない。援軍自体はすぐそこまで辿り着いてはいるのだが、敵のISが学園アリーナの防御システムを乗っ取り、アリーナ内を隔離しているのだ。

 一夏たちが勝利するためには、一撃必殺である『零落白夜(れいらくびゃくや)』を当てるしかない。しかし敵は『零落白夜』を重点的に警戒しており、作戦を成功させるのは不可能と言える。

 ならば、敵が警戒していない方法で攻撃するしかない。

 『龍砲』を推進剤とし、“最速で”『零落白夜』を仕掛ける。それで決まればいいし、無理ならばそのままアリーナの遮断シールドを破壊。そして外で待ち受けるセシリアに止めをさしてもらう。

 

「――――容赦なく全力で攻撃しても大丈夫だしな」

 

 敵ISが無人機であるという仮説を持ち出し、一夏は鈴音にそう告げる。

 『零落白夜』は敵対ISの『絶対防御』を発動させ、シールドエネルギーを大幅に消費させる。ISバトルにおいて敗北条件である『シールドエネルギー残量0』は、本当の意味でシールドエネルギー残量0なわけではない。余剰攻撃にも耐えられる程度の『絶対防御』が展開できるだけのシールドエネルギーを省いた上での、『残量0』なのだ。

 しかし『零落白夜』はその“最後の砦”すら破壊しかねない。相手のISを戦闘不能に追い込むとき、白式は“攻撃し過ぎないように”気をつけなくてはならないのだ。そうでなければ、勢い余った『雪片弍型』が相手のISをその同乗者ごと切りつけてしまう。

 だが、そんな斬撃では当然“本気の一撃”に比べて威力も速度も劣る。逆に敵対ISの同乗者を気にしないのであれば、『零落白夜』はその脅威を何段階も上昇させるのだ。

 

「一夏」

「ん?」

「どうしたらいい?」

 

 秘匿回線(プライベート・チャンネル)でセシリアと打ち合わせをする一夏に鈴音が尋ねる。『織斑一夏』らしい無謀なこの作戦は、タイミングと“それぞれの位置”が重要で、一夏は鈴音にまずその役割を説明する。

 

「じゃあ早速――」

 

 作戦内容を説明しようとしたところで、中継室からアリーナ中に“魔女”の声が鳴り響いた。

 

(っな!? 一体どういうつもりだ!?)

 

 箒の“あまりにも”な行動に、一夏はその意図を把握しかねる。いくら篠ノ之箒が『篠ノ之箒』であるとはいえ、それで死んでしまってはもともこもない。ろくな武装もなしに敵の注意を引き着けるなど、自殺行為としか思えなかった。

 

(りん)、やれ!」

 

 “魔女”の思惑が何であれ、助けないという選択肢は『織斑一夏』にも織斑一夏にも存在しない。“ちょうどタイミングよく”箒に狙いを定めるべくアリーナの遮断シールドへ近寄っている敵IS目掛けて、一夏躍すべく『龍砲』の前に躍り出る。

 

「――――何してんのよ!?――――」

 

 凰鈴音は『織斑一夏』しか知らない。そのため“外部エネルギーを『瞬時加速(イグニッション・ブースト)』に利用する”などという、“机上の空論”を実戦で実践するなどとは夢にも思っていなかった。

 しかし、『織斑一夏』はその“神に選ばれし幸運と異常性”を以て、織斑一夏は“いつの日か使うだろうと暖めていた計算式”を以て、99.9999%(シックスナイン)の不可能を0.0001%の可能へと変換させる。

 

「――オオオッ!」

 

 渾身の一撃は敵ISの腕を“切り飛ばす”に終わり、振り抜かれた『雪片弍型』は遮断シールドに穴を空ける。

 そして白式にゼロ距離ビームを叩き込もうとしていた敵ISを、ほんの少しだけ開いた遮断シールドの隙間から『ブルー・ティアーズ』が撃ち抜いた。

 一夏の読み通りエネルギーシールドを展開していなかった灰色のISは、身に纏う物理シールドを爆発させて地上へと落下する。

 その様子を眺めながら、一夏は額に浮かぶ汗を拭った。

 謎のISによる乱入事件でクラス対抗戦(リーグマッチ)は中止になったが、当初の予定通り“織斑一夏の特異性”を世界に見せつけることはできた。切り札を一つ切ってしまったが、その用法を考えればまずまずの使い方だったと一夏は己を評価する。

 ふう、と一息つく。

 「終わった」と口にしようとする。

 しかし、その前に。ハイパーセンサーが異常を捉えた。

 ――敵ISの再起動を確認! 警告! ロックされています!

 

(まさかっ……!?)

 

 その瞬間、一夏は理解する。

 篠ノ之箒の奇行。

 セシリア・オルコットによる射撃。

 そして敵ISの反撃。

 その全てが一本の線となり、一夏の中である結末を想像させる。

 しかしその間にも、片腕となった敵ISは最大出力形態(バースト・モード)に変形して、織斑一夏を狙っていた。

 否。

 凰鈴音を狙っていた。

 

(そういうことか……)

 

 敵ISと凰鈴音を繋ぐ線の間には、織斑一夏がいる。

 そして敵ISと凰鈴音を繋ぐ線の延長上には、篠ノ之箒がいる。

 生身の箒が敵ISのビームに耐えられるはずもなく、凰鈴音がその場を離れるわけにはいかない。

 『織斑一夏』が逃げ出すはずがなく、しかし一夏自身の身は『零落白夜』によって守られる。

 最大出力形態(バースト・モード)で放たれるその攻撃は、白式一体を丸々飲み込んでも余裕があるほど巨大であり。

 『零落白夜』は“織斑一夏しか守れない”。

 そして白式を飲み込んだ特大ビームは、『零落白夜』の効果範囲外から後ろへと突き抜ける。

 そう。

 

 

 

 凰鈴音のみがこの攻撃によって死ぬ。

 

 

 

 それが“彼女”と、“魔女”と、セシリアの思惑。

 “魔女”が凰鈴音の行動を縛り、セシリアが敵ISを“狙い通りの位置に”に吹き飛ばすことで、死の直線(デッド・ライン)は完成する。

 そしておそらく“彼女”が宿っているであろうそのISが、砲門を開く。

 

(俺は――)

 

 凰鈴音の死。それにより『織斑一夏』は完成する。

 鈴音が死ねば一夏が“覚醒する”要因になり、周囲に女が寄り付けなくなる。篠ノ之箒とセシリア・オルコットはより織斑一夏に近くなり、凰鈴音という不確定要素はこの世から消えて去る。

 

(……俺は――――)

 

 眩しい光が一夏を包む。

 

(…………俺は――――――)

 

 『零落白夜』が光を放つ。

 そして一夏は。

 織斑一夏は。

 『絶対防御』を停止(カット)した。

 

 

 

 

     6

 

 

 凰鈴音は中国政府の間者である。

 いつの日か“織斑”を呑み込むべく、織斑一夏の幼馴染となった。

 当時、鈴音には他の選択肢は存在していなかった。中国政府に実家を人質にとられた両親を見て、鈴音は権力に屈したのだ。

 それは人生を奪われたに等しい。

 凰鈴音は織斑一夏の幼馴染でなければならない。それ以外の価値は鈴音には認められず、それ以外の役割を鈴音は求めてはいけない。

 しかしいくら他に道がないとはいえ、僅か十歳の少女がそのことに堪えられるはずがない。

 だから鈴音は、一夏の顔面を殴り付けたのだ。

 それはただの八つ当たりだった。けれども、鈴音にとっては神を呪う一撃だった。

 当然、その事件の後で鈴音は自責の念に駆られた。織斑一夏は鈴音に殴られる理由はないのだし、凰鈴音との関係性が悪化するような事態は避けなけてはならない。

 けれども、嫌なものは嫌だったのだ。

 そんな二人の出会いだったが、次第に鈴音は一夏に興味を持ち始める。勿論“織斑一夏と仲良くしなくてはならない”のだが、元々ただの子供だった鈴音に、そんな器用なことはできない。鈴音は、“純粋な思いで”一夏へと近づいていった。

 おそらくそれは、一夏が“家族を愛していた”から。

 十代になったばかりで、本当の意味で家族の愛を知っている子供は日本にそうはいない。人質という形で家族を再認識した鈴音にとって、織斑一夏という存在は唯一対等に思える存在だった。

 そして凰鈴音は恋に堕ちた。

 織斑一夏の幼馴染であるように、自らの意思で鈴音はそう振る舞った。中国政府からの指示も“現状維持”であり、一夏を騙すこともなく鈴音は日々を過ごしていく。

 しかし、鈴音の元に“災厄”が現れて全ては変わった。

 篠ノ之束。世界を転がす、狂気の科学者(マッドサイエンティスト)

 中学二年の冬、突然鈴音の前に現れた“災厄”はただ一言、こう告げた。

 「いっくんの前から消えて」、と。

 なぜ“今”なのか、そんなことを知る権力は鈴音にはない。ただ“災厄”の言うままに、中国政府は“両親の離婚”という理由を挙げて鈴音を一旦国内へと回収した。

 篠ノ之束の不評を買うわけにはいかず、鈴音はそうそう一夏に会うわけにはいかなくなった。これが今生の別れだと思ったからこそ、鈴音は二年前と同じ台詞で告白(プロポーズ)をした。

 

 

 

『料理が上達したら、毎日あたしの酢豚を食べてくれる?』

 

 

 

 小学六年生のとき、鈴音は一夏への思いを自覚した。

 だから告白(それ)は、『凰鈴音』としてではなく、凰鈴音として織斑一夏を愛するという意思表示であった。

 そして鈴音は中国に帰る。

 それから一年、鈴音に自由はなかった。

 昼も、夜も、政府の言う通りIS戦闘の訓練を受けるだけの日々。

 篠ノ之束が“今になって”横槍を入れてきたという事実から、中国政府は鈴音の利用価値を改めて認識したのだ。

 翌年に篠ノ之箒がIS学園に入学することはその時既に決まっていた。そして数ある可能性のうちから、中国政府は“織斑一夏がISに関わる”という仮説を導き出した。

 その時のために、凰鈴音を国家代表候補生として鍛え上げる。篠ノ之束を刺激しないように、“織斑一夏がISを起動させる可能性”を外に漏らすことなく、計画は続けられた。

 その間、鈴音は一度も父親に会ったことはない。離婚という形を強いられた鈴音の父は、いつの間にか連れていかれ、二度と戻ってくることはなかった。母と会えるのも訓練の間の短い時間だけ。そして一夏と連絡を取ることは“災厄”を刺激するとして禁止された。

 そうして一年が過ぎ、織斑一夏がISを動かした。

 各国が一夏確保のためにIS学園に間者を送り込む中で、中国だけは凰鈴音という秘密兵器を持ちながら行動に移せずに四月を迎える。

 凰鈴音の存在をちらつかせることで“災厄”を一ヶ月様子見していた中国政府は、万を期して彼女を送り込んだ。

 しかし、一度『消えろ』と告げられた以上、鈴音の内心は気が気ではない。

 いつ“災厄”の逆鱗に触れるか、先の見えない間者生活の始まりだった。

 だから鈴音は、消される前に一夏に迫ったのである。

 だというのに――――

 

(助けられた――のかな)

 

 保健室のベッドに眠る一夏を見つめながら、鈴音は思いを馳せる。

 “あの一瞬”、鈴音は完全に諦めていた。

 敵ISのビーム兵器の一撃を、一夏の『零落白夜』で押さえることは不可能だった。仮に避けたとしても、その後に待っているのは“妹を見殺しにした”という理由による“災厄”の報復である。

 篠ノ之束は直接的に他者を殺めることはしない。だからこそ世界は、“災厄”にテロリストの名を着せることができないでいるのだ。

 いつの日か事故に見せかけて殺されるのではないかと、鈴音は一年前のあの日から常々思っていた。

 織斑一夏の幼馴染という、篠ノ之箒の立場を脅かしかねない存在を、果たして篠ノ之束が認めるだろうか。

 答えは、結果として現れた。

 今回は“何故か”助かった鈴音だが、脅威が去ったわけではない。

 一夏の顔を間近で見詰めることができる機会が、今後もあるとは限らない。

 だから鈴音は。

 一夏の顔を記憶に焼き付ける。



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【闇】???

     0

 

 

 

 ISの開発者として認知されている篠ノ之(しののの)(たばね)であるが、その覇道において常に共にした人物が存在する。

 織斑(おりむら)千冬(ちふゆ)世界最強(ブリュンヒルデ)

 幼少期から行動を共にしていた二人は、十年前の『白騎士事件』を境に行動を別にする。しかしその実、IS業界という枠の中では一括であり、それまでと同様、二人は同じ道を進んだのだった。

 織斑千冬と篠ノ之束。この二人の関係性は有名であり、そして不明瞭でもある。

 ただ、彼女たちの過去を知る者が必ずこう口にする。

 篠ノ之束を諌める(御する)のは、常に織斑千冬であった、と。

 

 

 

 

 

     1

 

 

 

(無茶し過ぎだよ、いっくん……)

 

 篠ノ之束は画面に映し出される映像を眺めながら、安堵の息を吐く。

 束の目の前の3Dディスプレーに広がるのは、IS学園第二アリーナの光景である。

 (ファン)鈴音(リンイン)を狙った、無人機ISの最大出力形態(バースト・モード)による必殺の一撃。本来ならば一夏(いちか)の身は『霊落白夜(れいらくびゃくや)』とISの『絶対防御』によって守られたはずだったのだが、あろうことか彼は『絶対防御』を解除した。そのため一夏を殺すわけにもいかず無人機ISの攻撃は『上位命令』によって威力を抑えられ、その結果凰鈴音は生存することができたのだった。

 

(凰鈴音の殺害は、失敗…………)

 

 篠ノ之束は再び安堵(・・)の息を吐く。

 しかし、その間もコンソールを叩く手は止まらない。何かに脅えるような必死の形相で、荒々しく十本の指を振動させる。

 そこに、普段の彼女を象徴する天真爛漫な笑みはない。

 織斑一夏が知るような“篠ノ之束”は、そこにはなかった。

 

(ここまでの流れは、概ね予定通り…………)

 

 小さな体で道化を演じる“彼”を思い浮かべ、束は嘲とも憐れみとも思える笑みを浮かべる。

 織斑一夏は篠ノ之束を守るために“織斑一夏”という名の仮面を被る。けれどもそれは無意味なことであり、道化を演じるその身こそが道化であることを“彼”は知らない。

 

(あとは、いっくんと――――ほーきちゃん次第…………)

 

 既に計画は始動している。

 指示通り(・・・・)、織斑一夏をIS学園の入学試験会場に誘導しISに触れる機会を作った。わざわざそのためだけにとある多目的ホールの建設に裏から手を加え、国家機密施設レベルのものへと設計を変更させた。これによりIS学園の入学試験出張会場に選ばれても問題ない、電工掲示板がなければ必ず迷う多目的ホールが完成。試験会場への入場に伴う個人識別作業を長くすることで必然的に一人になる時間が作られたところで、遠隔操作により電工掲示板の表示を切り替えて誘導した一夏の目の前で、本来なら指紋入力を行わなければ開くはずのないIS学園入学試験出張会場の試験場の扉を開く。そして試験受験者のIS起動率とその適性を調べるためと瞬時に不審者等の情報をやり取りするために担当教官が全員所持している眼鏡デバイスにハッキングを掛けることで、織斑一夏を異物と認識できないようにしたのだった。

 計画としては穴だらけであり、当然失敗する可能性の方が高い。しかしそんな束の意に反して、織斑一夏は世界で唯一の男性IS操縦者となってしまった。

 篠ノ之束は、また負けたのだ。

 束の抵抗も虚しく、織斑一夏は世界中の注目の的となってしまった。

 そうなってしまえばもう、抗うという選択肢は束にはない。織斑一夏を守るためには、指示に従う(・・・・・)しかないのは事実であった。

 そうして指示通り(・・・・)、クラス代表決定戦に、織斑一夏とセシリア・オルコットの戦いに束は介入した。一夏が決定打を受けないように、危ない場面では一夏の意思を先読みして白式(びゃくしき)を遠隔操作する。『一次移行(ファースト・シフト)』のタイミングを劇的に演出し、“織斑一夏”という存在に踏み込むための敷居を大きく引き上げた。

 

「――――ちーちゃん…………」

 

 束のか細い声が、その名を紡ぐ。

 映し出されたIS学園の多数の映像。その中の一つ、ちょうど目の前の画像を束は見つめる。

 篠ノ之束の幼馴染みにして世界最強。篠ノ之束と渡り合える唯一の存在。

 IS学園の中庭を同僚と歩く織斑千冬を束は眺め――――

 

「――――!」

 

 逃げるように映像を切り替えた。

 

 

 

 

 

     2

 

 

 

「――――どうしました? 織斑先生」

 

 IS学園教師、山田(やまだ)真耶(まや)は同僚にして敬愛なる先輩、織斑千冬にそう声をかけた。

 

「いや、なんでもない」

 

 突然振り向いて何もない空を睨んだ千冬は、いつも通りの痺れるような声色で真耶に応える。

 その凛とした佇まいに惚れ惚れしながら、真耶は再び歩き始めた千冬の隣に並ぶ。

 季節は春の終わり。IS学園に入学した若き苗木たちもようやく土地に馴れてきた頃である。青々しい匂いを纏った風が中庭を吹き抜け、二人の女教師を優しく包み込む。

 

「それにしても――――」

 

 真耶は先程までの会話を再開させる。

 

「やっぱり織斑くんは凄いですねー」

「あれは運がよかっただけだ」

 

 クラス対抗戦の最中に突如乱入してきた無人機ISを倒したことで、織斑一夏に対する世界の評価は大きく上昇した。相手を無人機だと見抜いた洞察力と既存の法則に囚われない発想力、外部エネルギーによる『瞬時加速(イグニッション・ブースト)』の一発成功という土壇場での火事場力。それらは確かに“織斑”というべきものであり、その将来性を覗かせる。

 もちろん、現状ではあくまで潜在的なものでしかなく、とりわけて恐れるほどの脅威にはならない。危機管理能力や情報収集能力その他、集団の中で、組織の中で生きていくには致命的な欠陥があることは語るまでもないだろう。

 しかし、群を逸脱する個の力が世界を凌駕したとき、それは世界の敵となる。

 そう、篠ノ之束がそうであったように。

 

「己の身も護れない若造がでしゃばった末路など、知れたことだろ」

「は、はぁ。厳しいですね……」

 

 乱入してきた無人機ISは、ISアリーナの『遮断シールド』を突破してきた。

 『遮断シールド』はISの『バリアー』を強固にしたエネルギーシールドである。『バリアー』を一瞬破り『絶対防御』を瞬間的に発動させる程度の攻撃では破壊できない。一撃でISのシールドエネルギーを使い切らせるほどの攻撃でなければ『遮断シールド』は破壊できない。つまり『遮断シールド』を破壊できる攻撃ならば『バリアー』を容易に突破し、『絶対防御』すらも一瞬しか役に立たない。乱入機の攻撃はISのシールドエネルギーを極端に消費させることで、IS操縦者を死に至らしめるものでもあったはずなのだ。

 しかし、“織斑一夏”はそのことに気づかなかった。『遮断シールド』の破壊による観客の危険には瞬時に理解したのに、自身の危険はほとんど認識していなかったのである。

 そのことを千冬は強く指摘する。他者を優先できることは“織斑一夏”の美点であるが、同時に自身の把握を怠ることは“織斑一夏”の欠点でもある。織斑一夏がこれから進むであろう道程を考えれば、それは致命的とも言える。

 もちろん、事実は異なるのだが。

 

「まあ、あの状況で事態を収束させたことは評価してやるがな」

「はははは…………」

 

 織斑千冬は当然、“織斑一夏”という仮面を見抜いている。しかし織斑千冬は野暮ではない。一夏がそれを望むというのならば、“織斑千冬”は“織斑一夏”を弟とする。

 厳しく評価するも本当は弟を褒め称えたい“織斑千冬”。そんな彼女に尊敬の念と若干の微笑ましさを感じながら真耶は優しい笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

     3

 

 

 

(やはり証拠など、残っているはずもありませんでしたか……)

 

 セシリア・オルコットは自身のIS、ブルー・ティアーズの活動履歴を眺めながら、予想通りの結果に納得する。

 先日、IS学園のISアリーナの『遮断シールド』制御装置に、何者かからハッキングが行われた。無人機ISの破壊と同時にシステムは解放されたのだが、その間に解除を試みたIS学園の精鋭たちは全員惨敗している。

 ここで問題なのは“『遮断シールド』制御装置”にハッキングを受けたことだ。

 『遮断シールド』はISの『バリアー』をより強化したものである。つまりその発動にはシールドエネルギーが使われているのだ。シールドエネルギーを生み出すことができるのは基本的にISコアのみであるが、世界各地に点在するISアリーナは篠ノ之束の手によって特殊な加工が施され、ISコアがなくとも『遮断シールド』が起動するようになっている。そう、ISアリーナにおける『遮断シールド』制御装置は篠ノ之束製なのだ。

 ISアリーナが篠ノ之束によって世界中に作られたのはIS登場初期の、彼女が“博士”として世界に技術を還元していた時期であり、完成から既に何年も経っている。日進月歩に技術が向上する昨今、十年近く前のセキリュティーなど普通は破れないことはない。

 しかし、ISは違う。IS技術だけは、どれだけ世界が切磋琢磨しようとも、篠ノ之束に追い付くことはできない、はずなのだ。

 そんな『遮断シールド』制御装置がハッキングを許したのである。それはつまり、篠ノ之束を越える者が現れたことに他ならない。

 だが、セシリア・オルコットはもう一つの可能性を考慮する。

 

(篠ノ之博士が有するとされるISの上位命令権。果たしてどこまでが真実なのでしょうか――――)

 

 きっかけはクラス代表決定戦。一夏の『一次移行(ファースト・シフト)』の演出的タイミング。そして『ブルー・ティアーズ』の出来すぎた破壊軌跡。

 仮にも篠ノ之束によって改良された白式が、『最適化処理(フィッティング)』に三十分も掛かるだろうか。もちろん、これ自体は大した根拠にはならない。しかし、後者の疑問を含めることで疑いはより深くなる。

 白式によって破壊された『ブルー・ティアーズ』。そのうちの半分が“真っ二つ”に絶ち切られているのだ。

 確かにあの試合において、セシリアは一夏に自身側の予定軌道情報を送っていた。だが、だからといって三次元に高速飛行するビットをIS戦闘初心者がよりにもよって“真っ二つ”に破壊するなどということが起こり得るだろうか。

 それを解決するためにセシリア・オルコットが導きだした解。それは、篠ノ之束によるISへの遠隔操作。

 だが、仮にそうだとしたらそれはまさに世界を敵に回す行為に他ならない。しかし現状としては上位命令権の存在は一部では疑われたことがあるものの、現在ではほとんど否定されている状態である。ISが発表されてから十年。世界に散らばったISがどんな行動をとろうとも、篠ノ之束によるISコアへの直接的な干渉は行われてこなかったからだ。

 

(まあ、ISそのものの技術的策略について調べようにも、限度がありますわね。それに、考慮すべき事案は他にも――――)

 

 ようやく手に入れたIS委員会上層部関係者とのパイプ。セシリア・オルコットの力を以てしても容易なことではなく、そして入手できる情報の質も量も決して良いとは言えない。あくまでセシリア・オルコットのホームグラウンドはイギリスなのだから。

 そんな中でセシリアが知った事実。

 

 

 

 篠ノ之束は、六年前には既に失踪していた。

 

 

 

 篠ノ之束が失踪したとされてきたのは三年前。『篠ノ之束の全世界同時中継生放送インタビュー』にて発見された置き手紙と“467機目のISが据えられていた”ことで彼女の失踪が明らかになったのである。

 篠ノ之束の姿自体は映像によって多くの人間の目に触れてきたが、彼女本人が公の場に現れたことは実は少ない。六年前の時点では既に束が直接顔を出す機会はなく、彼女の出席は映像によるものだったのだ。

 しかし、それでも世界は篠ノ之束の失踪に気づかなかった。何故なら篠ノ之束でしか製作できないISが、世界に還元され続けていたからである。

 篠ノ之束という存在に対する世界の認識はISの発明者であり唯一の製作者なのだ。故に、ISを作り出すのは必然的に篠ノ之束という存在になる。

 それを利用して、世界の上層部は篠ノ之束の失踪を秘匿した。その機密レベルは、当時の織斑千冬ですら辿り着けないほどである。

 

(果たして何のために――――?)

 

 篠ノ之束に逃げられたという情報は、確かに秘匿するに値するものではある。しかし、その三年後には懸賞金まで掛けて大々的に指名手配するに至っている。ならば、当初は数年以内に発見できると思っていて秘匿したのだろうか。それとも他に何か理由があったのだろうか。

 

(他にも懸案事項はあることですし――――)

 

 ログをしまい、セシリアは優雅に伸びをする。金髪が波打ち、腰を跳ねる。

 そしてセシリアはその場から立ち去った。

 

 

 

 

 

     4

 

 

 

 誰もいなくなった病室で、織斑一夏は一人思考に耽る。

 クラス対抗戦(リーグマッチ)に乱入した無人機は、凰鈴音の殺害を目論んだ。一夏はそれを“彼女”の意思だと考える。

 織斑一夏が篠ノ之(ほうき)と結ばれることが最善と考える“篠ノ之束”にとって、凰鈴音の存在は邪魔でしかない。そしてそんな“彼女”の考えに乗ったのが、篠ノ之箒こと“魔女”である。

 共犯者たる篠ノ之束にも、セシリア・オルコットにもそうと気付かれず場を操り、凰鈴音を死に至らしめる死の直線(デッド・ライン)を生み出してみせた“魔女”。その所業は決して悟られることはなく、その意思の執行は他者に代打ちさせる。被害者も加害者も“魔女”の関与に気付くことなく、“ただ偶然その事態を生み出してしまった”者として篠ノ之箒を認識するのだ。

 それが“魔女”のやり口。姉である“彼女”の意思を影で支える、妹の在り方。

 だから箒には、凰鈴音が死ぬことに何の感慨もない。彼女にとっては篠ノ之束こそが至高。“織斑一夏”を慕い、求めるその姿は、“篠ノ之箒”という役者の演技に過ぎないのだ。

 それは、“織斑一夏”も同じであるはず。“彼女”を守り、“彼女”の意を汲む選択ならば、それを選ぶべきなのだ。

 なのに。

 

 

 

 織斑一夏は凰鈴音の身を庇ってしまった。

 

 

 

 三年前、一夏は誘拐された。

 篠ノ之束(災厄)織斑千冬(最強)を以てしても阻止することができなかったこの事件。

 だが、まさか凰鈴音などという小さな穴ごときで、自身を守る壁に綻びが生じたとは一夏は考えていない。災厄と最強の名は何より、報復に大きな意味を持っているのだ。直接的に身を守る手段ではない以上、事件の発生は遠からず起きていただろう。

 けれども、一夏は気付いてしまったのだ。

 織斑一夏が篠ノ之束の騎士になる道程において、凰鈴音という存在は重荷にしかならない。言うならば、邪魔なのだ。

 千冬や箒のように“彼女”と関わり合いのあるような存在ならまだしも、鈴音はまったくの部外者。“彼女”の問題と鈴音の問題が重なることはなく、一夏が織斑一夏である以上、見捨てるべくは鈴音の方なのだ。ならば、最初から心を許さなければいい。所詮、凰鈴音が“織斑一夏”ではなく織斑一夏を認識することはないのだから。

 三年前の事件は、ちょうどよいきっかけだった。

 そもそも一夏が鈴音を意識した理由は些細な事からに過ぎない。織斑一夏という存在そのものに意識を向けられただけで僅かな喜びを感じてしまったのは、一夏が幼かったからだ。思春期の精神が不安定になる時期を終えた今、凰鈴音の価値は過去において織斑一夏の心を人知れず癒したことだけでしかない。

 凰鈴音を庇う必要は、なかったはずなのだ。

 

(――俺は…………)

 

 これは“彼女”への裏切りだろうか、と一夏は自問する。

 しかし、答えは出るはずもない。至高なる“彼女”に、こちらから連絡をとるわけにはいかないのだ。仮に連絡がついたとしても、そもそもそんなことを訊けるわけもない。

 平時においてなら、織斑一夏にとって優先すべきは“彼女”であると一夏は確信を以て言える。緊急時においてもそれは同様であろう。例え“彼女”以外の存在が一夏の前に現れたとしても、“彼女”を越えることはあり得ない。

 ならば、凰鈴音という存在は織斑一夏にとって一体何なのか。

 なぜ、自分は鈴音を助けてしまったのか。

 

(――――俺、は…………)

 

 自身の変化を恐れるように。

 答えを知ることに怯えるように。

 誰もいなくなったベッドの中で。

 一夏は逃げるように眠りにつくのだった。

 

 

 

 

 

     【序】『織斑一夏』という名の仮面 完



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【破】絡み合う少女らの思惑
【起】ボーイ・ステーア・アット・ボーイ


     0

 

 

 

 織斑(おりむら)一夏(いちか)の仮面である『織斑一夏』の人格形成を語るにおいて、外すわけにはいかない同年代の人間が三人存在する。

 一人目は篠ノ之(しののの)(ほうき)。織斑邸と篠ノ之邸という二つの聖域が存在した当時、『織斑一夏』と『篠ノ之箒』の擦り合わせを行うことは容易だった。四年の歳月を以て『織斑一夏』の基本的精神構造、及び織斑一夏の精神性は確立された。

 二人目は(ファン)鈴音(リンイン)。奇しくも織斑一夏そのものに衝撃を与えた人物であり、五年も共に過ごせば『織斑一夏』との関係性も密接になる。

 そして三人目は五反田(ごはんだ)(だん)。貴族でもなければ軍属でもない、間者でもなければ敵でもない、ただの一般人である。

 

 

 

 

 

     1

 

 

 

 IS学園を震撼させた無人機襲撃事件から暫くした六月のある日、一夏は二ヶ月ぶりに地元へと帰ってきていた。

 今や世界で有名となった一夏であるが、その身における拘束はその特異性に反して随分と低い。もちろん一般高校生に比べれば十分な拘束であるし、常に監視の目があることは言うまでもないが、それでも“織斑”と“篠ノ之”がいる以上一夏がモルモットにされることはまずないと言っていいだろう。それゆえにこうして一時帰宅が可能であり、一夏は織斑邸という聖域に帰還することができるのだ。

 

「はぁ……」

 

 自室の中を監視されていないことを白式(びゃくしき)で確認した一夏は、ようやく安堵の息を吐いた。

 『織斑一夏』という名の仮面を被ることには何ら抵抗はない一夏だが、だからといって疲労を感じないわけではない。

 人は誰でも仮面を被るし、本心を隠す。偽りの顔で世界に接し、他人の本心を見透かそうとする。それは誰にでも当てはまることであるし、事実IS学園は間者と外交官の巣窟になっている。しかしそれでも普通は休息の場というものが存在する。IS学園の関係者が裏の顔を持つのは公然の秘密であり、重要なのは表の顔を擦り合わせることであるのだから、既に理解している裏の顔をわざわざ探る必要はなく、少女たちには気を休める機会が必ずあるのである。そもそも彼女たちはあくまで将来の外交担当候補者であり、所持している機密など“僅か十代後半の未熟者に持たせるレベルのもの”でしかないのだ。真に彼女たちがエージェントになり得るのはIS学園を卒業してからであり、今の段階はただの顔見せに過ぎない。探る腹もなければ探られる腹もない。

 しかし、織斑一夏は違う。裏の顔を知られていないが故に、『織斑一夏』が見抜かれることはあってはならないのだ。だから、絶対に監視されていないと断言できる織斑邸と篠ノ之邸という聖域以外では一瞬足りも気を抜くことはできない。

 もちろん、IS学園における一夏の部屋を盗聴することは最悪“災厄”を呼び寄せる可能性はある。おいそれと実行に移せるほど簡単なことではない。だが、後の報復さえ厭わなければ可能なことなのだ。事実、三年前の誘拐事件がそれを証明している。

 

「っと、あった……」

 

 暫く宿主のいなかった織斑邸を彷徨きながら、一夏は目的の物を見つけた。

 何でできているのかよく分からない(金属なのは確かなのだが)手のひらサイズの鉛色のケース。穏やかな色調で揃えられた調度品の中で、それは場違いに輝きを放っている。そして上に取り付けられた蝶番式の蓋の上には、これまた場違いに白の紙が添えられている。

 その紙を視界に捉え、一夏は心臓が逸るのを感じた。

 ケースが何であるかはわかっているし、紙に書かれている内容も予測できる。それでもそれがあるというただそれだけで、一夏は興奮を高めてしまう。

 手を伸ばし、紙を取る。そして質のいい紙に流れるような達筆で書かれた託けをその目に納めた。

 

「……束さん――」

 

 直筆された“彼女”の軌跡に手を這わせ、一夏はその名前を口から溢す。溢れんばかりの熱が込み上げて、じんっと一夏の胸を満たした。

 織斑一夏が剣をとるのは、一重に“彼女”のためである。篠ノ之束という存在は人類を逸脱した技術力と行動力を兼ね揃えた至高の存在であり、本来一夏ごときの手助けを必要とはしない。けれどもそれは世界から孤立するということであり、事実、束は人類を敵になる一歩手前なのだ。

 だから、一夏たちはそんな彼女を引き留める。織斑千冬然り、篠ノ之箒然り、“家族”である篠ノ之束が独りになることを良しとするはずもなく、三人は同じ目的のために世界に立ち向かう。

 しかし、篠ノ之束はそれを望まない。束にとって隣立つ者とは、彼女と同じ次元に並び立たなければならないのだ。そして奇しくもその考えが、一夏たち彼女の“家族”に手を差し伸べる動機となる。

 

「…………」

 

 一夏はケースの蓋を開け、中身を確認した。そしてシートに納められた白い錠剤を一つ取りだし、口に含む。

 慣れ親しんだ味が舌の上で溶け、体内へと吸収される。そうして、『織斑一夏』は完成する。

 『織斑一夏』を構成する要素のうち、現状において最も大きな役割を果たしているものを挙げるとすれば、この一言に尽きる。

 そう。

 

 

 

 織斑一夏にハニートラップは通用しない。

 

 

 

 『織斑一夏』がハニートラップに通用さないのは、そういう“設定”にしたからであるが、だからといって織斑一夏自身にそれをそのまま適応できるかと問われれば首を傾げるだろう。

 『織斑一夏』自体には実態はなく、あくまで思考上の仮想人格に過ぎない。偽りの顔である以上、そう演じればそうなるのだ。しかし、織斑一夏は違う。実体として肉体を持つ織斑一夏には、常に肉体の制約が付きまとう。どれだけ唐変木を演じようとも、どれだけ性衝動を偽ろうとも、物質世界に依存する肉体を意思の力だけで縛ることは不可能なのだ。直接性器を触れられれば、否応なしに反応するように身体はできているのである。

 けれども、だからといってそれを受け入れるわけにはいかない。受け入れてしまえば、則ち敗北を意味する。だからこそ一夏は“魔女”の提案を受け入れ、束の支援を承諾したのだ。

 性欲安定剤。それを服用することによって、織斑一夏は完全に性欲を無くすという異常状態に陥ることもなく、ハニートラップに掛かるような性欲の爆発を起こすこともなく、『織斑一夏』と織斑一夏を擦り合わせるのである。

 

(――『粒子変換(インストール)』)

 

 一夏は篠ノ之束特製の性欲安定剤をケースごと、白式の『秘匿領域(ロスロット)』に粒子化して『収納(クローズ)』する。

 ISの超科学的機能の一つであるこの『粒子変換(インストール)』により、IS操縦者は様々な武器を自由に持ち運ぶことができる。どんな違法品だろうとも粒子化してしまえば簡単に輸送できるのだ。

 勿論、重要施設はそれを許さない。いくら粒子化させようとも、『粒子領域(スロット)』内に存在する以上、『粒子領域(スロット)』の表示データを確認すれば中身を知ることができる。故にIS学園において専用機持ちは外から戻ると、まずISの『粒子領域(スロット)』を開示しなくてはならないことになっている。

 しかし、一夏は検閲を欺き性欲安定剤を持ち込まなくてはならない。故に白式には『秘匿領域(ロスロット)』が備わっていた。

 表には決して表示されない『秘匿領域(ロスロット)』は、篠ノ之束製のISだからこそ存在する機能であり、“存在するはずのない機能”である。だからこそ一夏は性欲安定剤を持ち込むことができ、『織斑一夏』の仮面を被ることができるのだ。

 本来ならば性欲安定剤は最初から白式に全て『収納(クローズ)』しておく方がよいのだが、“完璧な”性欲安定剤を生成するためには定期的に調合し直す必要があるとは束の談である。それ故に一夏はこうして、定期的に性欲安定剤を秘密裏に受けとることになっていた。勿論、念のために一回の支給で数回分の支給量を貰っている。

 

「さて、と……」

 

 そろそろ夏物の服でも出しておくか、と一夏は押し入れへと足を進めた。

 

 

 

 

 

     2

 

 

 

 『織斑一夏』の性格上、久しぶりに実家に帰ったのなら地元の友人に顔でも見せていくのが当然である。しかし、織斑一夏自身としてはあまり気が進まない行為であった。

 

「だから、女の園の話だよ。いい思いしてんだろ?」

「してねえっつの――――」

 

 中学時代の友人、五反田弾の言葉を一夏はあきれ顔で否定する。想定内の問い掛け、予定通りの返答である。

 一般人である弾がIS学園の実情を認識していないのは当然であるが、彼とてまさか一夏が意図してハーレムを築き上げているとは考えていない。『織斑一夏』が無意識にその周囲に女性を集めることを知っているからこそ、弾は定番とでもいうべき台詞を吐くのだ。

 

「つうか、アレだ。(りん)が転校してきてくれて助かったよ――――」

「ああ、鈴か。鈴ねぇ……」

 

 弾は含みを持ってその名を口にする。

 一夏はそんな弾の様子を捉えるものの、『織斑一夏』は答えに辿り着かない。そしてそんな『織斑一夏』を見て、弾は『織斑一夏』の恋愛感情が未だに未発達であることを認識する。

 五反田弾という少年は、『織斑一夏』の中学時代の友人である。企業の回し者でもなく国家のエージェントでもない弾は、だからこそ色眼鏡なく『織斑一夏』という人物を認識する。故に、五反田弾は『織斑一夏』の歪さに気付いていた。

 幼少期に両親に捨てられ、姉を親代わりに育ち。幼馴染みに“災厄”とその血縁者を持ち。姉は世界にその名を轟かす“最強”となる。そんな荒唐無稽な環境で育ってきた『織斑一夏』が抱える歪み。それを弾は“正しく”認識しているのだ。

 しかし、そのことが二人の関係を引き裂く因子にはなりはしない。『織斑一夏』の友人を務めるということは、そういうことなのだ。

 そして一夏としても、そんな弾との関係をそれなりに好ましく思っていた。仮面を被ってでの付き合いではあるものの、あくまで“友人”として付き合える弾との交流は、一夏の精神にほんの少しの安らぎを与えてくれることは確かだった。

 故に。

 一夏が五反田家に来たくなかった理由は他に存在する。

 

「いっ、一夏……さん!?」

 

 ドアを蹴り開けて弾の部屋に入ってきた少女が、実兄と対戦ゲームをしていた一夏を目にし、硬直した。

 タンクトップにショートパンツの格好を必要以上に恥ずかしがる弾の妹を眺め、ああ、やっぱり諦めていなかったのか、と内心で一夏は溜め息を吐く。

 

「い、いやっ、あのっ、き、来てたんですか――――」

 

 あたふたと身体を小さくしながら会話をしようとするその様子は、分かりやすいほどに彼女の心情を表している。

 つまるところ、五反田(らん)は『織斑一夏』に恋をしていた。

 その変わらない事実に、一夏と弾は癖易する。一夏は、蘭に靡くはずがないために。弾は、『織斑一夏』の異常性を理解しているために。

 

「……何で、言わないのよ……」

 

 一夏が自宅に来ていたことを知らなかった蘭が、弾を咎める。

 しかし『織斑一夏』に恋慕の情を抱くことの無意味さを理解している弾は、妹の恋路を応援するつもりはないのだ。一応謝りはするものの、再び同じ機会が訪れた際に蘭へ一夏の存在を伝えることはないだろう。

 そんな兄の心を知ってか知らずか、蘭は一夏を昼食に誘った。

 『織斑一夏』としてその好意に甘えながら、一夏は弾の苦労を少し憐れに思う。だから蘭が部屋を出て行ったところで、『織斑一夏』として唐変木を再び演じてみせる。

 

「――――なんというか、お前はわざとやっているのかと思うときがあるぜ」

 

 弾の的を射た発言に無難に返答しながら、一夏は移動の準備を始める。

 五反田家は食堂を営んでおり、中学時代に一夏と鈴音は度々定食の残りをご馳走になっていた。その習慣に従って一夏と弾は一階の食堂へと移動する。そして二人の予想通り待ち受けていた蘭と共にテーブルに着く。

 運ばれてきたカボチャ煮定食に手をつけながら暫く雑談を交わしたところで、弾が蘭の恋心をへし折るべく一夏へと話題を振った。

 

「でよう、一夏。鈴と、えーと、誰だっけ? ファースト幼なじみ? と再会したって?」

 

 妹の想い人の目の前で、わざと彼と親しい幼馴染みの名前を、それも彼女が知らない名前を挙げる。そこから弾が一体『織斑一夏』に何を望んでいるのかを悟った一夏は、望み通りの展開へと話を発展させる。

 

「そうそう、その箒と同じ部屋だったんだよ――――」

「お、同じ部屋!?」

 

 五反田蘭の恋慕の情を消し去るためには、『織斑一夏』を取り巻く諸々の事情において自身がまったくの蚊帳の外であることを自覚させることが最も効果的であると、弾と一夏は判断する。仮に一夏が蘭を振ったところで、彼女はそれを一層励むためのバネにしてしまうだろう。蘭自身に諦めさせることが最も良い手段なのである。

 

「い、一ヶ月半以上同せ――同居していたんですか!?」

「ん、そうなるな」

 

 蘭自身は『同棲』を『同居』と言い換えたが、『同棲』という言葉が先に出てきてしまった時点で、“自身が置いていかれて”いることを意識的にか無意識的にか自覚したことになる。

 そして一夏の想像通り、蘭は最後に残された道を選びとる。

 

「私、来年IS学園を受験します」

「お、お前、何言って――」

 

 流石にこの展開は予想していなかったのか、慌てて一夏に助け船を求める弾。しかし弾の願いとは裏腹に、蘭はIS簡易適正試験の結果を自慢気に兄へと差し出した。そして更に悪いことに、蘭は自分がIS学園に入学したら、『織斑一夏』に個人指導をしてもらうように約束を取り付けてしまう。

 鬼気迫る表情で一夏に彼女を作るように迫る弾だが、それが無駄なことは彼自身がよく分かっている。それでも蘭を『織斑一夏』から引き離したい弾は心の中で、IS学園の女子生徒たちに最後の希望を託す。

 しかし、そんな弾の心配が杞憂に終わるであろうことを、一夏は知っていた。知っていたからこそ、個人指導という特大の褒美を蘭の前にぶら下げたのだ。

 IS学園はそもそも将来の外交関係者の顔見せ場である。だが『織斑一夏』という存在によってそこに、“世界唯一の男性IS操縦者と接触できる場所”という付加価値が生まれた。『織斑一夏』という“織斑”と“篠ノ之”の両方に深い関わりを持つ存在を各国が放っておくはずもなく、来年度の新入生は全員が何処かの回し者になることは容易に推測できる。特に今年度間者の準備が間に合わなかったところは、より力を入れてくることは疑いようがない。そこに五反田蘭という一般人が入り込む隙間などなく、彼女を間者に仕立てあげることは“織斑”の周囲への過度な干渉として“災厄”の報復を誘き寄せてしまう。

 つまり、五反田蘭がIS学園に入学することは不可能なのである。

 来年それを知った蘭はそのときにこそ完全に、自分が蚊帳の外であることを理解するであろう。彼女が『織斑一夏』争奪戦に参加することは、決して叶わないのだ。

 それが分かっているからこそ、一夏は平然としていて。

 それが分かっていないからこそ、蘭は沸き上がる期待に胸を弾ませているのだった。

 

 

 

 

 

     3

 

 

 

 学年別トーナメントで優勝すると織斑一夏と付き合えるらしい。

 そのような噂が現在、IS学園のあちこちで真しやかに囁かれていた。

 当然デマ情報であるのだが、しかし、一夏にとって事態は既に見過ごせないものになっていた。

 そもそもは『篠ノ之箒』がラブコメのヒロインよろしく『織斑一夏』と交わした約束であり、結果がどうであれ『織斑一夏』と『篠ノ之箒』の仲を縮めるための“きっかけ”として作用するはずだった『学年別トーナメントで私が優勝したら、付き合ってもらう』という言葉をわざと第三者に聞かせたのは、見届け人を作り上げるためだった。だがIS学園の少女たちは学園中に広まったネットワークを利用して、意図的に約束の内容をねじ曲げたのだ。

 最早IS学園の生徒全員が『学年別トーナメントで優勝すると織斑一夏と付き合える』と認識している以上、噂は事実となる。もちろん実際に一夏と付き合えるわけではないが、少なくとも『織斑一夏』との確かな接点が築かれることは間違いない。『織斑一夏』が何らかの形で優勝者に褒美を与えることになるのは確実であり、一夜の過ちを起こせる可能性がないわけでもないのだ。

 そしてこの噂により最も得をするであろう人物は誰であろう、セシリア・オルコットその人であった。

 現状、学年別トーナメントにおいて優勝の可能性があるのは専用機持ちであり国家代表候補生であるセシリア・オルコットと凰鈴音の二人だけ。しかし凰鈴音の方は先月の“先走り”の件がある以上、大きく出ることはできない。暫くの間は大人しくする“制約”が課せられているのだ。つまりセシリアが優勝することは既に確定事項なのである。

 以上より、どのように他の女子を纏めたのかは知らないが、噂の件においてはセシリア・オルコットが黒幕である、というのが一夏の見解だった。

 

(どうする……?)

 

 今はまだ『織斑一夏』が代表候補生を倒す段階ではない。いくら何てもそのようなことは不自然過ぎるし、事実として一夏は未だ思うようにISを使いこなせていない。実力を隠しているのはセシリアも一夏も同様であるものの、仮に“全力”でぶつかったとしても一夏にはセシリアに勝てるとは思えなかった。

 セシリア・オルコットという女は、探れば探るほど底が見えない。伊達にイギリスの貴族社会を生き残っていないということなのだろう。

 とにかく、今一夏にできることは“約束”の対処を考えることだ。まさか『篠ノ之箒』が覚醒するはずもないため(『篠ノ之箒』の覚醒舞台にしては学年別トーナメントは小さすぎる)、一夏がセシリアの相手をしないといけないのは確実である。

 

(逆に考えろ。オルコットが相手だと最初から分かっているのだから、策は探しやすいはず……)

 

 クラスメイトと他愛のない会話(ISスーツについて)を交わして朝のホームルームを待ちながら、一夏は思考する。

 そうこうしている間に時間は過ぎ、服担任の山田(やまだ)真耶(まや)と担任の織斑(おりむら)千冬(ちふゆ)が教室に現れた。

 一夏の周りに集まっていた少女たちは解散し、各々が自分の座席に着席する。

 クラスが静寂を取り戻したことを確認して、千冬は真耶にホームルームを始めさせた。

 

「ええとですね、今日はなんと転校生を紹介します!――――」

 

 突然の出来事にクラス中に動揺か走る。

 それは“噂好きの自分たちが知らなかった”という“表向きの動揺”と、“本当に何の情報も与えられていなかった”という“裏の動揺”を合わせたものであり、少女たちの間を緊張が駆け抜けた。

 

「失礼します」

 

 その中性的な声色と共に現れた人物を目にし、少女たちはまさかの事態に困惑する。

 そこに居たのは“あり得ない存在”。

 少女たちの親玉が推測する“ISの真実”を覆す存在。

 そして『織斑一夏』にとって存在してはいけない存在。

 だから。

 ブロンドの髪を靡かせる二人目の男性IS操縦者の存在を。

 仮面の下で睨み付けるのだ。



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【承】ルームメイトはブロンド牝狐

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 『織斑一夏』の価値は『織斑一夏』固有のものでなくてはならない。

 そうでなければ、織斑一夏が“彼女”を救うことなどできはしないのだ。

 だから、それを邪魔する者の存在を。

 織斑一夏は赦さない。

 

 

 

 

 

     1

 

 

 

「わあっ!?」

 

 Tシャツを脱ぎ捨てた一夏に、シャルルは生娘のような悲鳴を上げた。

 その“あからさまな”様子に警戒心を抱きながら、一夏は『織斑一夏』の仮面を被る。

 場所は第二アリーナ更衣室。二人の編入生を迎えた朝のホームルームは終わり、午前の実習授業のための着替えをしに、織斑一夏とシャルル・デュノアは“男子用に空いた更衣室”で着替えを行なっていた。

 

「――――その、あっち向いてて……ね?」

 

 素肌を晒すこと妙な忌避感を漂わせるシャルルを油断なく観察しながら、それを悟られないように一夏は言葉を交わす。

 

「――――別に着替えをジロジロ見る気はないが――――」

(やはり、男ではないのか?)

 

 突如一夏の前に現れた男性IS操縦者、シャルル・デュノア。しかしそれは一夏にとって有り得ないことだった。何故なら一夏の持つ特異性(アイデンティティ)たる『男性IS操縦者』の称号は、“彼女”によって与えられたものであり、織斑一夏を他者と差別化するためのものであるはずだったからである。だからこそ、織斑一夏は“世界唯一の”男性IS操縦者でなければならないのだ。

 しかし、今ここにシャルル・デュノアという“もう一人の”男性IS操縦者が現れたことで織斑一夏の特異性が減少してしまった。確かにこれは織斑一夏と篠ノ之(しののの)(たばね)の関係性を立証させないことを考えると、悪いどころか十分に上手い状況である。だが、一夏にとって『織斑一夏が男性IS操縦者であるのは篠ノ之束が仕組んだから』という認識がある以上、シャルル・デュノアの登場はその大前提を崩壊させるものであった。

 けれどもそれはあくまで、『シャルル・デュノアは男性である』という前提の元での話。

 

「シャルルはジロジロ見てるな」

「み、見てない! 別に見てないよ!?」

 

 普通に考えて、シャルル・デュノアが男性であることは疑いようのない事実である。疑問に思うべき箇所はシャルル・デュノアの性別ではなく、男性IS操縦者の織斑一夏とシャルル・デュノアの二人における共通項であるのが当然だ。だが、一夏には『織斑一夏がISを動かせるのは篠ノ之束が仕組んだから』という前提認識があり、そして何より、シャルル・デュノアの行動は“あからさま”であった。

 

(しかし男装だとしても、IS委員会の審査はどう切り抜けたんだ?)

 

 『男性IS操縦者は織斑一夏以外存在しない』という前提に基づくのならば、必然的にシャルル・デュノアは男装女子ということになる。だが、すぐに事の次第が露見するであろうそのような事案をIS委員会が通したという事が一夏には腑に落ちなかった。

 故に考えられる可能性は三つ。

 一つ目はシャルル・デュノアのバックボーンが強大で、IS委員会の干渉を排して直接IS学園にシャルルを送り込んできた可能性。この場合黒幕の目的は、織斑一夏との接触、そしてそれによる関係性の確立にあると考えられる。しかしこの場合、事が発覚した際に社会的制裁は免れない。

 二つ目はIS委員会が黙認している可能性。シャルル・デュノアのバックボーンが最終的にこの件において社会的制裁を受けることは確定事項であり、その上で何らかの意図が裏で働いているのかも知れない。シャルル・デュノアを送り出したバックボーンよりも上の次元で権力闘争が行われており、シャルル・ヂュノアの送り主はトカゲの尻尾切りが決まっている、などという展開も有り得る。

 そして三つ目は、まず有り得ないことだが、シャルル・デュノアが本当に男で、篠ノ之束の代名詞であるISに穴が存在していた可能性である。一夏としては篠ノ之束がそのような失態を犯すなどと微塵にも思ってはいないのだが。

 

「これ、着るときに裸っていうのがなんか着づらいんだよなぁ。引っかかって」

「ひ、引っかかって?」

「おう」

 

 顔を赤らめ反応に困っているシャルル・デュノアを見つめ、一夏は観察を続ける。

 一夏にとってシャルル・デュノアが男装女子であることはほとんど確定事項である。しかしその上でなお、シャルル・デュノアの様子は一夏に不信感を抱かせる。

 

 

 

 シャルル・デュノアの行動。その全てがいくらなんでも“あからさま過ぎる”のだ。

 

 

 

 シャルル・デュノアが男装女子と仮定しているのだが、その“あからまなな”様子が逆に一夏を混乱させていた。

 最早隠す気すらないのではないのかという程の大根役者っぷりに、一夏はその裏を探る。まるで自ら正体をばらそうとするようなシャルル・デュノアの行動は、一夏に一際強い警戒心とある懸念を抱かせた。

 もしシャルル・デュノアの目的が男子として織斑一夏に近づくことではなく、男子として近づいた後に男装女子であることを認知させることであったならば、それは『織斑一夏』にとって忌避すべき事態であるのだ。

 だから、より一層注意深くシャルル・デュノアに探りを入れつつ、一夏は仮面を被る。

 

「――――よし、行こうぜ」

「う、うん」

 

 着替え終わったシャルル・デュノアを連れ、一夏は第二グラウンドへ向かうのだった。

 

 

 

 

 

     2

 

 

 

「今日は戦闘を実演してもらおう――――」

 

 一組と二組の生徒を整列させ、実技担当教師である織斑千冬(ちふゆ)はそう述べた。

 専用機持ちということで指名された(ファン)鈴音(リンイン)とセシリア・オルコットの二人の相手として、山田(やまだ)真耶(まや)がISを装着して上空から降下してくる。

 そして第二世代IS、ラファール・リヴアイブに身を包んだ真耶を視界を白式(びゃくしき)で感知した一夏は、その降下予測地点が自身の真上になっていることに気づきその意図を予測する。

 

「ああああーっ! ど、どいてください~っ!」

 

 白々しく声を上げながらも一夏に突撃する元日本代表候補生。

 一夏は白式を展開して衝撃から身を守りつつ、不自然にならないようにその場を離脱しようとする。しかしそれよりも先に、伸ばされたラファール・リヴアイブの手足が巧みに白式を絡め取り、抱き込みながら地面を転がった。その最中において一夏は拘束を逃れようとするが、真耶はISの関節部分を巧く取り押さえ、終いには自身の左胸に白式の右手を強制的に押し付ける。

 

(土煙が掻き消える前に……)

 

 二機のISが転倒することによって発生した土煙が消えた時の体勢が表向きのものとなるために、このままでは一夏が真耶を押し倒す構図が完成してしまう。『織斑一夏』のラッキースケベを考えれば別段不可思議なことではないが、それを真耶が意図的に行おうとしていることが一夏に危機感を煽らせ、拒絶行動を取らせる。

 だが、抵抗虚しく一夏が真耶に乗りかかっている体勢で周囲の視界は晴れてしまった。その一瞬前に一夏を取り押さえていた真耶の四肢は違和感なく解かれており、それに気づいて脱出しようとした頃には既に事態は手遅れになっていた。

 『織斑一夏』は想定外の事態に陥った場合、思考のループと行動の停止に陥ることになっている。織斑千冬の片腕である山田真耶には『織斑一夏』の仮面は知られているだろうが、一般生徒にまで教えるわけにはかない。

 

「あ、あのう、織斑くん……ひゃんっ!」

 

 真耶が官能を言葉に込め、甘い息を一夏の首元に吹きかける。首筋を這う甘美な刺激に一夏は内心で身震いしながらも、おくびにも出さずに『織斑一夏』らしく指先を動かして真耶の胸を揉んだ。

 その指に合わせて身体を震わし麗しの瞳で見つめてくる真耶の意図を読み取れず、一夏は『織斑一夏』では打開できないこの状況を改善させる“外的要因”を望むしかなかった。

 そして。

 

「――ハッ!?」

 

 セシリアの『スターライトmkIII』がレーザーを放つのを起点に、一夏は真耶の元を離れることに成功する。

 その後、嫉妬か演技か一夏に向かって投擲された『双天牙月(そうてんがげつ)』を真耶が華麗に撃ち落とすことで、正しく授業が再開される運びとなるのだった。

 

 

 

 

 

     3

 

 

 

 昼休み。一夏は屋上に居た。

 篠ノ之(ほうき)、セシリア・オルコット、凰鈴音、シャルル・デュノアの四人を連れ添っての昼食である。

 本来ならば『織斑一夏』にとってシャルル・デュノアはIS学園における唯一の同性同年代の人間であることから、シャルルに声を掛けるであろう一夏を気遣って、セシリアたちは男性陣を二人きりにしなくてはならなかった。しかし本日の授業中に篠ノ之箒が一夏を昼食に誘ったことで事態は急変。セシリアも凰も遠慮する必要がなくなり、一夏としても箒とセシリアの助力を得ながらシャルルに探りを入れることが可能となったのである。もちろん二人が無償で手助けをしてくれるわけではないが。

 

「はい一夏。アンタの分」

 

 箒が、作ってきた一夏の分の弁当を抱えてどう切り出そうかと悩んでいる隙に、鈴音が一夏のために作ってきた酢豚を一夏に渡す。

 

「コホンコホン――――よろしければおひとつどうぞ」

 

 セシリアがサンドイッチの入ったタッパーを一夏に差し出し、鈴音の後に続いた。

 通常、一夏たち四人は昼食を学生食堂で食べる。それ故に箒一人が自身と一夏の弁当を作ってこれば、昼食の間織斑一夏と篠ノ之箒の二人だけの空間が作られてしまうことになる。しかしIS学園の寮室にはキッチンがなく、弁当を作るには貸し出されている共用キッチンを使用するため前日に予約をとらならなくてはならないため、見張りを立てていれば抜け駆けを阻止できるのだ。セシリア・オルコットの広げる網に引っかかった篠ノ之箒弁当制作の情報は、すぐさまセシリアの元へ届けられ、そして凰にも伝達された。現在織斑一夏と共に行動をしているのは篠ノ之箒、セシリア・オルコット、凰鈴音の三名であり、その中で一人だけが弁当を一夏に充てがえば、その人物は『織斑一夏』にとって多少なりとも(ちか)しい者となるであろうし、外堀も埋められていく。それを防ぐ最もよい方法は、織斑一夏と関わり合う三名が全員弁当を一夏に与えることであり、これによって『織斑一夏』の中では『昼食=弁当を“一緒に食べる人物”から貰う』という法則が確立されるのだ。肝心なのは弁当をくれる“誰か”が個人に指定されないことであり、本心としては鈴音を除け者にしたいセシリアとしても、今のところセシリアと協力体制を築いている他の少女たちの顔を立てて、この行為が“あくまで篠ノ之箒を抜け駆けさせないため”であることを強調しないといけないのである。セシリアと協力体制にある少女たちの目的はあくまでも織斑一夏の入手であることを忘れてはいけない。

 しかしそんな中でも、セシリアは自身のために布石を打っている。

 

「? どうかしまして?」

「いや! どうもしてない」

「はっきり言わないからずるずるいっちゃうのよ。バーカ」

 

 鈴音がやり過ぎない範囲でセシリアを牽制しようとするが、『織斑一夏』としては好意を無碍にできるはずがなく、織斑一夏としては下手に拒絶してしまうのも今後の付き合いを考えるとあまりよくない。結局一夏としては、これでもかというほどに“変な”味に作られたセシリア流サンドイッチを食べ続けるしかないのである。

 通常、差し出した手作り料理が不味いことがプラスのイメージに繋がることは少ない。しかし、織斑一夏に集う三人の少女たちの中においては、料理が下手という特徴は一種のステータスに成り得るのだ。

 篠ノ之箒、凰鈴音の両名において、その料理の腕は中々のものである。三名の内二名の料理が上手ければ、『織斑一夏』の中では料理の上手い人間よりも料理の下手な人間の方に意識が向きやすい。ましてや自身の料理もそれなりに上手いのならば当然である。こと手作り料理という分野においてセシリアがこの三人の中で一番得をしていた。

 セシリア・オルコットは料理下手である。そのイメージを着実に植えつけていけば料理上手への改善をセックスアピールに利用することもできるし、これがセシリアの狙いなのだが、織斑一夏との二人きりの料理講座を開ける可能性もある。

 故に、そのような流れに持っていかれないために一夏はセシリアの激不味料理を笑顔で食べるのだ。

 

「ええと、本当に僕が同席してよかったのかな?」

 

 シャルルのその言葉は『織斑一夏』を巡る表向きの争いを目にしたからであるが、その実大変的を射た発言であった。

 一夏としてはシャルルへ探りを入れるために場だったのだが実際に繰り広げられようとしているのは『織斑一夏』を巡る争奪戦である。もちろんシャルルが現段階でそこまでの深い事情を理解しているとは考え難いが。

 

「いやいや、男同士仲良くしようぜ――――」

 

 心にもないことを言って、一夏は少し探りを入れ始める。“男子だから”ISと触れるなどと想像もしていなくてISの勉強が追いつかない、と口にするとセシリアがフォローを入れる。

 

「ええまあ――――」

 

 IS学園に入学してくる少女たちも少なくとも中学入学の頃からは勉強をしていることが強調されたことで、一夏はシャルルの反応を見る。“ただの”男性IS操縦者ならここで何か反応がありそうなものだが、シャルルはまるで当然のことを聞いているかの様子だった。

 シャルル・デュノアがどの時期男性IS操縦者になったのかは定かではない。“二人目の男性IS操縦者”というフレーズを言葉通りに受け取るのならば、その事実が発覚したのは織斑一夏がISに触れてからであり、そうであるならば『織斑一夏』よりも遥かにIS知識に富み、IS技術に優れているのは可笑しなことである。しかし一夏よりも先に男性IS操縦者となりその存在を巧みに秘匿されていたとするのならば、その限りではなくなってしまう。もちろん、その場合は篠ノ之束の目をも誤魔化し続けていたことになるため、一夏としてはまず有り得ないと思っているが、もしもの可能性もある。

 こうして一夏の中で益々シャルル・デュノアへの疑念と警戒が強まる中、午後の一時は表向き和やかに進んでいくのだった。



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【転】ブルー・ハイディング/レッド・エスケイプ

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 金、地位、性。

 古来より男と女を結びつける物はこの三つであり、中でも『性』は蛇の交わりに等しい。

 男は女の支配を夢見。

 女は男を惑わし喰らう。

 捕食者が捕食され、捕食される者が捕食する。

 つまるところ、シャルロット・デュノアは実の父と性的関係にあったという、ただそれだけのことだ。

 

 

 

 

 

     1

 

 

 

 シャルル・デュノアの登場はセシリア・オルコットにとっても予想外の出来事だった。

 確かにセシリアの活動拠点はイギリスであるし、貴族社会を牛耳るような影響力を持っているとは言えない。しかしIS関連に関しては他者よりも一歩もニ歩も先んじているという自負はあり、事実としてセシリアはIS委員会の一人に渡りを付けることに成功していた。

 そんなセシリアが事前情報を何ら掴めなかったのだ。

 

織斑一夏()にはあまり得体の知れない女と番になられても困りますし――――)

 

 シャルル・デュノアの経歴は、フランス政府によって完全に秘匿されていた。ただそれだけならば本国(イギリス)の諜報機関が頑張ればどうにかなるレベルだったが、そこにIS委員会が絡んでくるとなると話は変わる。IS委員会とは篠ノ之(しののの)(たばね)がISを世界に還元する際に使用した中継機関であり、その性質上一体何を隠し持っているか分からず、下手に突くと藪蛇となる可能性が高い。

 なにせあのISを生み出した“災厄”のことである。IS以外の発明品が無いとは断言できない。

 IS委員会と篠ノ之束の関係は実は不明瞭である。IS委員会の中でも特に上層部の人間は、一部では篠ノ之束と何らかの取引関係にあるのではないかと疑われていたりするが、残念ながら詳細は不明だ。セシリアが接触できたのは中層部の人間であり、流石に上層部の人間には近づくことはできなかった。

 シャルル・デュノアの事案にはIS委員会の上層部の意向が絡んでいる。それがセシリアの見解だった。

 

(織斑一夏と同室というアドバンテージを得て五日。そろそろこちらも何らかの行動を示さなければ、彼女たちに示しが付きませんわね)

 

 セシリア・オルコットは織斑一夏と協力体制を築くのとは別に、一年女子の中に自身の派閥と情報ネットワークを構築している。より効率的に織斑一夏の情報を仕入れ、織斑一夏との接触機会を増やすために作られたこの関係は、一応現状ではセシリアを中心としている。しかしそれはセシリアが一夏に近く、行動を起こせる立場であるからで、抜け駆けをしようとする“敵”に何の妨害も起こさないのではその地位を簡単に奪われてしまうだろう。

 セシリアは別にその地位に固執しているわけではないが、有用なのは確かであるし、シャルル・デュノアに対する横槍は、自身としても思っていたことだ。

 

(まずは、その性別から明らかにしてもらいましょうか)

 

 一夏に銃の特性を教えているシャルル・デュノアを眺めながら、セシリア・オルコットは思考する。

 場所はIS学園アリーナ。

 土曜日の今日は午後から自由時間のため、篠ノ之(ほうき)(ファン)鈴音(リンイン)を加えた五人はそれぞれISを着用しいつも通りIS訓練を行っていた。

 “篠ノ之箒”や“凰鈴音”、“セシリア・オルコット”らの“キャラクター性”によりIS基礎戦闘のいろはを理解できていなかった“織斑一夏”に、シャルル・デュノアは同性というアドバンテージと気配りキャラという特性を以って“織斑一夏”との良好関係を築きあげていく。時々、見計らった女子生徒が接触事故を起こすことで二人の仲の進展に調整を入れたり接触の機会を得ようとしたりしたが、シャルル・デュノアは意に介することなく“織斑一夏”との距離を縮めていた。

 セシリアはちらりと他の二人にも目を向ける。

 篠ノ之箒には入学以来特に変わった点はない。シャルル・デュノアが織斑一夏に睦まじくISレクチャーを行う様子を見て羨ましそうにしているのもいつも通りである。

 

(彼女からは最近、専用機について訊かれることが多くなってきましたわね。この調子でいけば、篠ノ之博士がそのうち用意するのではないでしょうか)

 

 そもそも“あの”篠ノ之束が妹である篠ノ之箒に専用機を用意していないことに引っ掛かりをセシリアは覚えていた。しかし、可能性としては篠ノ之箒自身が一度は断ったというのも大いに有り得る。篠ノ之箒が篠ノ之束のことをよく思っていないことは広く知られており、“そういう理由で”注目を集めることを嫌ったとしても可笑しくはない。だが現状では入学当初と違い、織斑一夏の周りは篠ノ之箒を除き専用機持ちで構成されている。そのことに対して篠ノ之箒が抱く感情は簡単に推測できる。いくら“人の心が理解できない”と言われる“災厄”であろうとも流石にそのくらいはできるであろうし、そうでなくとも篠ノ之箒の価値が相対的に下がるような事態を許すとは思えない。

 

(そろそろ、付き合い方を変えた方がいいかも知れませんわね)

 

 次に凰鈴音の方にも意識を向ける。

 一時期は織斑一夏の部屋に無理やり押しかけるなどかなり強引な方法をとっていた鈴音だが、最近では鳴りを潜め“織斑一夏包囲網”との協調も行なっている。先月のクラス対抗戦(リーグマッチ)において凰鈴音を抹殺しようとしたセシリアだが、それ以来“そういう事”には手を付けてはいなかった。

 

(凰鈴音の方は、暫くは様子見でも大丈夫でしょう)

 

 そして最後に、ドイツからの刺客を目に留める。

 ISを展開してこちらを、正しくは織斑一夏を睨みつけるラウラ・ボーデヴィッヒを視界に収め、セシリア・オルコットは思惑を巡らす。

 

(凰鈴音の例もありますし、彼女には踊ってもらいましょうか)

 

 右肩の大型レールカノン『ブリッツ』で威嚇砲撃を行うラウラに表向き憤慨しながら、セシリアは心の中で笑を浮かべた。

 

 

 

 

 

     2

 

 

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒとの一幕の後、ISアリーナの閉館時間が訪れたことで一夏たちは今日の練習を終えることにした。

 そしていつも通り一夏を先に着替えさせようとするシャルルだったが、一夏はいつもより強引にそれを拒んだ。

 

「たまには一緒に着替えようぜ」

「い、イヤ」

「つれないこと言うなよ」

 

 織斑一夏にとってシャルル・デュノアが女であることは、ほぼ確定事項である。故に一夏が警戒しなければならないのは、『織斑一夏』がシャルル・デュノアの正体を知る“時期”となる。

 『織斑一夏』の設定上、自力でシャルル・デュノアを見破ることは不可能。『織斑一夏』がシャルル・デュノアについてその真実を知る手段は、不慮の事故か相手側の自白の二つだけだ。しかし後者の場合ペースを相手側に握られることになり、シャルル・デュノアと『織斑一夏』の間に固い友情が芽生えてしまう可能性がある。

 シャルル・デュノアの男裝がそれほど長く世間に通じるとは思えないし、彼女自身も思ってはいないだろう。目的の読めない女であるが、『織斑一夏』にとって最も致命的なのは、『織斑一夏』とシャルル・デュノアの仲が親友レベルに至った状態で男裝女子だとバラされることである。

 現在『織斑一夏』の周囲を固める女は、篠ノ之箒、セシリア・オルコット、凰鈴音、シャルル・デュノアの四名である。このうち最も『織斑一夏』との距離が近いのは凰鈴音であるが、男女の仲かと問われれば首を傾げるような関係だ。『織斑一夏』にとって凰鈴音はあくまで“親友”であって“異性”ではない。対してセシリア・オルコットは最初から“異性”として登場したが、『織斑一夏』という人間そのものとの距離はまだまだ遠く、二人を結び付けるには至らない。篠ノ之箒は幼馴染としての土台と、六年後しの再会による“異性”としての登場の両方をカバーしているが、空白期間が思春期真っ只中であることと篠ノ之箒が『篠ノ之箒』であるが故に、その実『織斑一夏』との“ずれ”が存在する。

 そのような中で男裝女子として『織斑一夏』と仲を深めたシャルル・デュノアが正体を明かせば一体どうなるか。その瞬間を劇的に演出されればされるほど、シャルル・デュノアは両者の特質を併せ持つことになり、先の三名の立ち位置を侵食するだろう。そして、現状一種の三竦み状態で保たれている均衡が崩れることとなる。全てはシャルル・デュノアに利する形で。

 しかし、それを快く思わない者も存在する。一夏と協力体制を築いているセシリア・オルコットは、一夏側の事情を踏まえた上でシャルル・デュノアに対して攻勢に出ることを提案したのだ。

 そして、一夏はその案に乗った。

 

「――――どうしてシャルルは俺と着替えたがらないんだ?」

 

 『織斑一夏』が事を起こすには下地が必要だ。シャルル・デュノアの正体がバレてしまうような“そういう雰囲気”を作っておくことで、織斑一夏は『織斑一夏』の仮面に隠れたままシャルル・デュノアへと攻勢に出れる。

 しかし肉体的接触可能な距離までシャルルに詰め寄ったところで、一夏は首ごと第三者によって引っ張られた。凰鈴音がこれ幸いと間接的にシャルル・デュノアへ手助けをしたからだ。

 

「はいはい、アンタはさっさと着替えに行きなさい――――」

 

 編入時の“先走り”の件以降、鈴音の立場は不安定であった。

 鈴音は当初、自分は“災厄”に殺されるものと考えていたため(もともと中国政府の傀儡として一夏に近づいた経緯から、篠ノ之束のことを警戒していたのだが、中学二年の冬にそれは決定的となった)、後先考えずに一夏に接触し、事態の打開を図ろうとした。そのため周囲との関係悪化は必然であり、鈴音の足場は急速に脆くなっていったのだ。実のところ鈴音はその当時先の生を内心で諦めており、それこそが後の事を考えなかった理由でもあった。

 しかしクラス対抗戦(リーグマッチ)において“災厄”から刺客を差し向けられた鈴音は、何の因果か生き残った。そして生き残ってしまったが故に、鈴音には生への執着が生まれた。それはごくごく一般的な程度のものでしかなかったが、家族を人質に捕られていることと“災厄”を常に警戒しなければならなかったことで疲弊していた凰鈴音は、あの日ベッドに眠る織斑一夏の顔を脳裏に焼き付けたことで“その先”を望んでしまったのだ。

 だからこそ鈴音は、崩れてしまった足場を固め直す。

 “先走り”によって一度孤立してしまった凰鈴音が一定の立ち位置と勢力を得るにはシャルル・デュノアという新たな異分子は都合が良く、また同じ“災厄”に狙われる者同士今後の為に連携をとっておきたいという思いもあった。

 そしてそんな鈴音を、一夏は複雑な思いで見つめる。

 織斑一夏にとっての最優先事項は“彼女”である。織斑一夏は“彼女”のために思考し、行動する。そこに疑問の余地はない。“彼女”と“それ以外の者”を天秤にかければ、迷いなく前者を選ぶのが織斑一夏という存在なのだ。

 だというのにクラス対抗戦(リーグマッチ)において一夏は迷い、そして“彼女”の意に反した。鈴音を助けたのにはもちろん、“篠ノ之束に殺人を犯させない”という目的があったことは事実だ。織斑一夏は“彼女”を信奉するが、決して隷属している訳ではない。織斑一夏が“彼女”を第一とするのはあくまで自分自信の意志決定の末であると、一夏は心に留めている。篠ノ之束は“天才”であるが故に、彼女の導き出した“神の理論”が地表の民には受け入れられないことがある。それを見極めつつ、“彼女”の意志に実現させるのが一夏の役目なのだ。だから表面上ならば一夏が“彼女”の意志に反することが間々ある。

 しかし、凰鈴音の件はそれとは違う。確かに篠ノ之束に殺人を犯させるべきではないが、それはあくまで直接的要因に限る。なにせ束ほどの存在が世界に影響を与えないはずがないのだ。IS登場により生じた世界変動の中で、間接的に束が人を殺しているのはほぼ確実と言える。そもそも人は皆、関わりの大小はあれど他者の生死に何らかの形で関わっているのだ。いちいち数え上げたところで意味はなく、篠ノ之束が直接殺人に関わらなければ、彼女が世界から人殺しとして扱われることはない。

 クラス対抗戦(リーグマッチ)において突如現れた無人機のISが篠ノ之束製であるという証拠がない限り、その無人機のISが凰鈴音を殺したところで、それは事故死に過ぎない。どれだけ世界の上層部に邪推されようとも明確なる根拠がない限り、“災厄”の報復を恐れる彼らはその推測を世界に浸透させはしない。だからこそクラス対抗戦(リーグマッチ)のあの時、一夏が鈴音を無理に救う必要などなかったのだ。

 故に、自分が凰鈴音を助けたのは私事なのだと織斑一夏は理解する。あの瞬間一夏の天秤は“彼女”ではなく“それ以外の者”に、強いて言えば織斑一夏に傾いたのだ。それは一般的には何ら不思議ではないかも知れないが、幼少期から“彼女”のために仮面を被り世界を騙すことを決意した織斑一夏からしてみれば、異常以外の何物でもない。

 しかし、そのことに気を取られている暇はない。凰鈴音など今の織斑一夏には不必要な物のはずなのだから、次の機会に切り捨てればいいのだ。それよりも今は、シャルル・デュノアの対処の方が一夏にとっては差し迫った問題である。そして他にも行動の真意を図りたい相手が、もう一人。

 

「あのー、織斑君とデュノア君はいますかー?」

 

 “フラグ”を建てた後に更衣室で一人着替えていた一夏に、扉の外からおっとりとした雰囲気を纏った女の声が投げ掛けられた。

 瞬間、一夏は改めて周囲の現状を再確認する。ここは更衣室。広さは教室半分ほど。時刻は夕方。室内には織斑一夏ただ一人。仄かに香る学生特有の汗臭さ。自身の立ち位置は扉から二メートル程。遅れてくるであろうシャルル・デュノアが到来するまで、これまでからすると二分ほど。篠ノ之箒、セシリア・オルコット、凰鈴音が外からここにやってくる確率は、先ほど外で窘められていたことから低いと判断。

 

(ふっかけてみるか)

 

「――――着替えは済んでます」

「そうですかー。それじゃあ、失礼しますねー」

 

 そう言って更衣室に踏み込んでくる山田(やまだ)真耶(まや)に合わせて、一夏は数歩前へ出る。

 互いに警戒心の欠片も見せることなく二人は近づき、あと一歩の距離にまで詰め寄った。

 男子の大浴場使用について説明する真耶の話を聞きながら、一夏は悟られないように目の前の女を観察する。

 山田真耶という女について一夏が知っていることはそう多くない。真耶は学生時代に日本代表候補生を務め、その冷静無比の戦闘スタイルから『鉄仮面』と呼ばれていた。しかし日本代表として十分な実力があったにも関わらず、その誘いを断りIS学園の教師となる。その際に今の『山田真耶』になったようであった。当時はまだ麗しい代表候補生を広告塔にするようなこともなかったため、候補生止まりの者たちの存在はあまり知られていないのである。

 山田真耶の変貌に疑問が残るものの、これまで一夏はそこまで彼女を注視はしていなかった。人の過去など探れば他者に理解できないものが一つや二つは出てくるものであるし、そもそもとして山田真耶は織斑千冬(ちふゆ)の“右腕”であったからだ。

 織斑一夏の行動原理は“彼女”を守ることである。それと志を共にする二人の同志の内の一人が、世界最強(ブリュンヒルデ)たる織斑千冬なのだ。その千冬が連れているのだから少なくとも山田真耶という存在は“彼女”の害にはならない。そう一夏は今まで考えていた。

 けれども、そんな考えは自惚れだ。世界を欺く仮面を付けているのが自分たちだけなど馬鹿げている。世界は織斑一夏にとって広大過ぎる。そのことを十年前のあの日、一夏は悟ったはずなのだ。

 だというのに、一夏はそのことを忘れていた。十年間『織斑一夏』の仮面を守り抜き、IS学園に入学できたことで、愚かにも“災厄”や“最強”と並び立っているような幻想を内心で抱いていたのだ。“彼女”の“騎士”の証である『零落白夜(れいらくびゃくや)』を受け継いだことで、一夏は内心で過大な自信をつけた。その時既に、セシリア・オルコットによって『織斑一夏』の仮面が破られていたというのにである。

 愚か、としか言いようがない。ここ一二ヶ月の自分を振り返り、一夏はそう自嘲する。しかし愚行もここまでだ。信じることができるのは“彼女”の関係者だけ。それを再び心に刻み、一夏は目の前の“敵”へと手を伸ばした。

 

「嬉しいです。助かります――――」

「い、いえ、仕事ですから――――」

 

 一夏に両手を握られた真耶が、頬を赤らめて取り乱す。かつて『鉄火面』と呼ばれた女の、初々しい若い女教師としての演技に付け入りながら、真耶の真意を読みとろうとする。

 “彼女”の“騎士”たる“最強”の片腕でありながら、必要以上に一夏へ接触を繰り返す女。間者たちへの牽制にしてはやりすぎであるし、そもそもその役割は篠ノ之箒が担っている。一夏の性感を刺激する行為を主としていることから考えても、真耶が単純に千冬の駒であるとは、最早一夏には思えない。だから一夏は、真耶の目的を知るためにここは敢えてこちらから性感刺激接触を行う。

 もちろん、これは諸刃の剣にもなりうる。しかし今回は“邪魔者”の存在によって、一夏自身がダメージを負う

前の状況打破が可能となるのだ。

 

「……一夏、何してるの?」

 

 予想通りに現れたシャルル・デュノアに、一夏は何食わぬ顔で振り返る。そして『織斑一夏』として対応しながら、釣り出された獲物へと密かに目を走らせた。

 

「一夏、先に戻ってって言ったよね」

 

 不機嫌さを全面に押し出すシャルルに、一夏は推測を確信へと変える。

 

(恋する男装少女というわけか。だが――――)

 

 こちらから先に仕掛けることで、シャルル・デュノアを『織斑一夏』の“片思いする友達”に押し留める。問題はシャルル・デュノアがどういう理由で『織斑一夏』に惚れるつもりなのかが分からないことであるが、『唐変木』を以てしてシャルル・デュノアの“女”を早急に殺すことが一夏の目的だ。

 

(『フラグ』は整えた。今夜にでもその化けの皮を剥いでやる)

 

 真耶に連れられて更衣室を後にしながら、残してきたシャルルを仕留めるべく一夏は腹の中で笑うのだった。

 

 

 

 

 

     3

 

 

 

 部屋に戻ってきた一夏はシャルルがシャワールームにいることを認識すると、クローゼットを開けてボディーソープの予備数を確認した。

 

(減っていない。――――まさか、誘っているのか?)

 

 昨日の時点でボディーソープは切れている。だというのに換えを持たずシャワールームへ向かうのはおかしなことだ。

 何故ならシャルル・デュノアは呆けた十代の少女ではなく、国家代表候補生だからである。そしてほぼ間違いなく男装少女なのだ。“ボディーソープを届けにきた『織斑一夏』に正体がばれる”ような危険を放置することはあり得ない。

 つまりこの現状が示すことは一つ。偶然を装って正体をバラすつもりなのである。

 

(っち、タイミングの悪い。だが、ここで引くことはできない)

 

 『織斑一夏』がシャルル・デュノアの正体を認知するにおいて関門となるのが、どのような根拠を以てシャルル・デュノアを女と認識するか、という問題である。最も確実なのは胸部と陰部を目視で確認することであるが、一夏が避けたいのも胸部と陰部を目視で確認することである。いくら『織斑一夏』が“ラッキースケベ”だとしてもその許される性的接触には限度があるのだ。そのまま押し倒されて一夜の過ちに至るなど、冗談ではない。故に性的接触を謀っていると思われるシャルル・デュノアを避け、シャワールームに向かうべきではない。

 しかし、事態はそれを許さない。既にボディーソープの入れ替えが必要であることを認識している『織斑一夏』を晒してしまった以上、それを覆すわけにはいかない。常に室内は監視されているというのに、シャルル・デュノアだけが監視装置を仕掛けていないということはないだろう。ここで下手に躊躇すれば、『織斑一夏』の綻びを見せることになる。

 そもそも一夏の計画としては、ボディーソープが既に入れ替えられていることに気づかない『織斑一夏』がシャワールームに向かい、擦りガラス越しにでもその造形を確認するなり下着等の物的証拠を見つけるなりするはずだった。それがまさかシャルル・デュノアが仕掛けてくるタイミングとかち合うとは、流石に一夏も予想していなかった。

 

(こちらに合わせてきたのか、それとも偶然か。どちらにせよ、やることは変わらない)

 

 例え性的接触を謀られようとも、そもそも男装少女の正体を暴こうとする時点である程度の覚悟はできている。そして現状を打破するためには行動は必須。

 だから。

 織斑一夏は、『織斑一夏』は、洗面所へと足を踏み入れる。

 

 

 

 

 

     4

 

 

 

 シャロット・デュノアという少女の経歴は至ってシンプルである。大IS企業デュノア社の社長とその愛人との間に生まれたシャルロットは、世間の目を逃れるため田舎での暮らしを教養される。そして母の死後は父親に引き取られ、デュノア社の非公式テストパイロットとして起用。その後経営悪化に陥った社の広告塔として、男性IS操縦者と偽ってIS学園に編入する。一般的とは言い難いものの、そこまで普通を逸脱しているわけでもない。広告塔としての手段が少々逸脱している点を除けば何処にでもある不幸話に過ぎない。

 この身の上話を『織斑一夏』が聞けば、共に親に振り回された者としてシャルロットの境遇を嘆き、デュノア社長に憤慨するだろう。

 そのことを想像して、シャルロットは頭の中で舌なめずりをする。そこにあるのは可憐な幸薄少女などではなく、獲物を前にした貪欲な蛇であった。

 シャルロット・デュノアは確かに妾の娘である。しかしだからといって排斥される存在とは限らない。ことこの件に関して言えば彼女は支配側の人間であった。

 そもそも事の発端であるシャルロットの母は、本来ならデュノア家などという名家と関わり合えるような身分の人間ではない。しかし彼女はその類まれな妙計を以て、“女”としての地位を確立していった。そしてついにはデュノア社長を性的に喰らうことに成功したのだ。

 しかし彼女の侵攻は一端そこで打ち止められる。その支配権拡大の様に危機感を覚えたデュノア夫人の尽力によって田舎に飛ばされた彼女は、復権する時に備えてひとまず次代の育成に専念した。その対象こそがシャルロット・デュノアであり、こうして生まれながらのハニートラッパーが誕生したのである。

 シャルロット・デュノアはハニートラッパーとして育てられ、その成長は母をも凌ぐものであった。そのことに彼女は歓喜し復権を狙うべく再び動き出すが、志半ばに病に伏しその生を終える。そうして庶民から世界的大企業の愛人にまで駆け上った女の人生に幕が下りたのであった。

 残されたシャルロット・デュノアはまだ後ろ盾がない“ただの妾の娘”であり、そのままではただの田舎娘である。しかしそこにデュノア社長が現れたことで事態は急変した。

 その頃には既に自身のかつての愛人が己を破滅させる魔性の女であったことをデュノア社長は理解していたが、その娘に罪はないとして孤児となったシャルロットを引き取りに来たのだ。夫人との間に子が恵まれなかったこともあり、彼はシャルロットに我が子の情を感じていた。

 だが、当のシャルロットにはそのような情など一切存在していなかった。ハニートラッパーとして育てられた彼女の思考は、如何にして男を喰らい自身を高めるかである。

 そうしてシャルロット・デュノアは、己の処女と引き替えにデュノア社長を喰らったのだ。

 

 

 

 

 

     5

 

 

 

 織斑一夏がシャルル・デュノアの正体を知って一時間が経過していた。

 互いのベッドに腰掛けて向かい合う二人の間には、困惑した空気が流れている。

 しかしそれも仕方がないことであろう。男子生徒のはずのルームメイトが、実は女子生徒だったのだ。それが胸部と陰部の直視によるものだと言うのだから、騙されていた方も騙していた方も気不味くなっているのである。

 もちろんそれはあくまで表向きの理由であり、沈黙の中においても一夏は警戒を怠ることはない。

 

(電気ケルトに仕掛けられた妙薬の及ぼす効果は微少だ。下手に意識すると『織斑一夏』の処理限界を越える。だが、だからといって素直に盛られるわけにもいかない)

 

 超科学の産物であるISを利用すれば、簡単な毒物検査も可能である。部屋に入った時点で『白式(びゃくしき)』が示した室内異常によると、電気ケルトの注ぎ口に妙薬が少しだけ仕掛けられていることが分かっている。しかし、それを指摘することは『織斑一夏』にはできない。なぜならIS精密機能の外部利用は、IS操縦者にとって高等技術の部類に足を踏み込むからである。

 それ故一夏がとれる回避行動は自ずと限られてくるのだが、それを簡単に実行することは浅はかと言えた。

 

(やはり妙薬はブラフか? 『織斑一夏』を探りにきているのだとしたら、ここで掛かっておくのも一つの手――――いや、駄目だ。いくら『唐変木』の『織斑一夏』とはいえ、妙薬に反応を示さないのは不味い)

 

 『織斑一夏』は確かに『唐変木』であるが、『不能』ではないのだ。薬物服用による強制性感刺激に無反応では、『唐変木』の設定に疑問が生じてしまう。それが避けるべき事態であることは言うまでもない。

 

(どちらにせよ、『織斑一夏』の性格上そろそろ緊張を解すためにお茶でも淹れるのが通例。ならば、それに乗じて処理をしてしまう方が無難か)

「お茶でも飲むか?」

 

「う、うん。もらおうかな……」

 

 その提案にシャルルはおずおずと承諾し、一夏は電気ケルトでお茶を沸かした後に急須へとそれを注ぐ。そしてそこから先に注いだ方の湯呑みをシャルルへと渡した。

 

「もう大丈夫だろ。はい」

「あ、ありがとう――――」

 

 一夏が湯呑みを差し出し、それを受け取ろうとシャルルが手を伸ばす。そして当然の結果として互いの手が触れ合ったことに、シャルル・デュノアは動揺を見せて手を引っ込めた。

 つまりは、湯呑み落下の誘導である。

 

(妙薬を警戒した? いや、最初からそれが目的で妙薬とは無関係? どちらにせよ――――)

 

 湯呑みを床に落として割らせるわけにはいかない。そうなればせっかくの“脱出手段”が無効になる可能性があるからである。それだけでなく、シャルル・デュノアの正体を問いつめる機会が後にずれれば、基本的に受け身の体勢で挑まなくてはならない一夏が不利になるのは自明の理である。

 一夏はシャルルが外に出ていかないようにするために、落下し始めた湯呑みを間一髪のところで掴み取った。しかし『織斑一夏』の反射限界に達したそれは、手元を狂わし中身が手に掛かってしまった。

 

「あちちっ。水っ、水っ」

 

 一夏は慌てて水道水で妙薬入りの茶を洗い流す。

 本来ならこの機会にISで成分分析をしたいところだったが、流石にシャルルの目の前でそれを行うわけにはいかない。ISの起動は身近にいれば互いに把握できてしまうため、シャルルがシャワールームから出てきてからは『白式』は使用していなかった。

 

「ちょ、ちょっと見せて――――」

 

 慌てたシャルルが一夏の腕を強引にとり、火傷の度合いを確認する。その際に自身の胸部をこれでもかというくらいに押し当ててくるが、そのことを一夏が気に留めることはなかった。何故なら、布越しの胸部接触よりも強烈な性感刺激が一夏を襲っていたからである。

 

(こ、こいつ……!)

 

 シャルル・デュノアが触れているのは織斑一夏の部位は手腕だけである。その上接触における運動は緩慢なものでしかない。しかしシャルル・デュノアは手腕の性感帯をポンポイントに刺激しているのであった。

 シャルルの指圧が、シャルルの胸圧が、一夏の手腕性感帯を悉く刺激する。性感帯を探る様子もなく最初からピンポイントに攻めてきたということは、シャルル・デュノアはこれまでの生活での観察のみで一夏の性感帯を把握したということだ。いくらISの補助があるとはいえ一夏の裸体を調査したわけでもなく、更に今この状況においてISは未使用なのである。恐るべき資質と言えた。

 

(これが目的だったか。『唐変木』を落とすための、外部刺激の性感刺激への変換――――まずいな……)

 

 『織斑一夏』は『唐変木』であるが、不感症ではない。そのため、性欲を伴わない肉体的快楽は『唐変木』のフィルターに引っかかることはない。つまり、シャルル・デュノアが与える快楽への過度な抵抗は、『織斑一夏』の限界を越えるということである。

 

「――――その…………なんだ。さっきから胸が、な。当たってるんだが……」

 

 普段の『織斑一夏』にしては少々直接的な表現でシャルル・デュノアをひとまず引き離した一夏は、冷めた湯呑みを再びシャルルに渡す。仕掛けられた妙薬は当然そのままであり、シャルルの湯呑みにはもちろん、一夏の湯呑みにも含まれている。一応はこの一杯程度で明確な効果を発揮する量ではないことが事前に分かっているが、その成分を実際に調べたわけではない。あまりにも強力過ぎるものを使えば“公に叩かれる”ため、決定打になるレベルの妙薬を使われることはないだろうが、もしものこともある。

 『織斑一夏』の『唐変木』は性欲安定剤によって保たれている。そのためセックスアピールはもちろん妙薬の類も『唐変木』の前では実際のとこと意味をなさない。しかし投与された薬物に対しては、いくら『唐変木』と言えども何らかの反応を示さなければならないのだ。一夏が湯呑みに口をつけるのを躊躇するのは当然である。

 この場において茶を勧めたのは一夏であり、シャルルはそれに与る形となっているため、お客の立場であるシャルルが先に湯呑みに口をつけるのが道理である。しかし、シャルルが身の上話をしやすくするために緊張を解すことが目的であるため、一夏が先に湯呑みに口をつけてみせるというのもおかしな状況ではない。つまるところ、ここでは一夏とシャルルのどちらが先に湯呑みに口をつけても構わない。

 ところがシャルルは戸惑うことなく湯呑みに口をつけ、中の日本茶を口に含んで咽の通した。唾で誤魔化した様子もないことから、妙薬に危険性がないことを判断した一夏も湯呑みに口をつける。妙薬が第三者の手のものであったとしてもシャルルがその存在に気づいていないということはない。何故ならシャルルもまた一夏と同じ高位IS所有者だからである。

 

「なんで男のフリなんかしていたんだ?」

 

 ようやく場が落ち着いたところで一夏がそう切り出し、本題であるシャルル・デュノアの“お涙ちょうだい”な身の上話が始まった。

 妾の娘として実の父親に道具同然の扱いを受けているシャルルの話を聞き、一夏は『織斑一夏』として怒りを露わにする。そしてシャルル・デュノアに“最後の夜”を迫られないように、彼女の居場所を作っておく。

 シャルル・デュノアは自身の正体がバレた以上IS学園にはいられないと口にしたが、そんなことは最初から分かっていることである。在学三年もの間性別を偽ることなど不可能であるし、そもそも一度でも身体検査を行われたらその時点で終わりなのだ。故に、シャルル・デュノアの計画はそのことを含んだものであるはずである。それに対抗するためにはシャルルの退学を防ぐのが効果的であり、一夏の挙げた案ならばシャルル・デュノアを“女”として遠ざけた上で、彼女の計画を破壊できる。もちろん危険因子を側においておくことになるが、男装女子という化けの皮が剥げたシャルル・デュノアならば、その危険性は周りの女たちと変わらない。ただ一つ誤算があったことと言えば――――

 

(奴の性感帯刺激の精度だけは予想外だった。だが、それだけならばいくらでもやりようはある)

 

 そもそもシャルル・デュノアが女として扱われるようになれば、一夏を狙う他の女達との衝突は避けられない。今までよりも肉体的接触は難しくなるはずなのだ。

 

「よく覚えられたね。特記事項って五十五個もあるのに」

「……勤勉なんだよ、俺は」

「そうだね。ふふっ」

 

 屈託なく笑って見せるシャルル・デュノアに一夏は『織斑一夏』として応えてみせる。十五歳の少女の笑顔に、心なしか一夏の心臓の鼓動が速くなる。シャルルの整った顔立ちを視線が上から下へなぞり、その無防備な首もとから開かれた胸元へと落ちる。

 その胸の谷間に引き込まれそうになっていた一夏だが、そこでふと我に返った。

 

(ばかな……。魅了されていたとでもいうのか? いや、妙薬が効いてきた可能性の方が高い。それともあの性感帯刺激に遅延効果でもあったのか?)

 

 とにかく、と一夏は視線を上げる。そこにはこちらを見つめるシャルルの瞳があり、自分を丸飲みしようと狙う大蛇の姿をその瞼の奥に一夏は幻視した。

 

「ん? どうしたの?」

「あ、いや……」

 

 このままではまずい、と一夏は反射的に靴の中に仕込まれた緊急発信機を作動させた。

 

「と、とりあえず、なんだ。シャルル。一回離れてくれ」

 

 IS操縦者達は互いに目の前の相手のIS起動を感知することができる。だからこそこの場においてはISを使用しない通信機が意味を為す。

 

「い、一夏、胸ばっかり気にしてるけど……見たいの?」

「な、なに?」

「………………」

「………………」

 

 沈黙の中、顔を赤らめたシャルルがゆっくりと体を屈めていく。着衣の襟が垂れ下がり、胸部に付随する乳房の白肌が露出する。そして迎え込むように開襟した首元へ吸い込まれそうになったところで、一夏の手配した横槍が部屋の外から投げ込まれた。

 

「一夏さん、いらっしゃいます?――――」

 

 

 

 

 

     6

 

 

 

 学年別トーナメントで優勝すると織斑一夏と付き合えるらしい。という噂を流した張本人はセシリア・オルコットであるが、彼女自身に優勝する意志はなかった。

 先のクラス代表決定戦とクラス対抗戦(リーグマッチ)においてセシリアは“災厄”の介入を強く認識している。それならば当然、次の学年別トーナメントでも何らかのアクションがあると考えるのが当然の帰結であろう。そしてセシリアはこの間の学年別トーナメントにおいて、“篠ノ之箒にとって邪魔となる凰鈴音の抹殺未遂”を目撃しているのだ。しかもセシリア自身、それに荷担してもいる。

 前回は凰鈴音のみが標的だったが、セシリアだって“災厄”から見れば邪魔者に違いない。『織斑一夏』ではない織斑一夏と関係を持っているとはいえ、それが逆に狙われる要因にならないとも言い切れない。シャルル・デュノアが男装女子であることは一夏の協力で確認がとれたので彼女が“二人目の男性IS操縦者”であるという理由で狙われる可能性はないことをセシリアは確信するが、一夏に仇為す者として狙われる可能性もあり得なくはなく、それに巻き込まれる可能性も無きにしもあらずといったところだ。

 つまるところ、セシリアは学年別トーナメントで目立つつもりなどなかった。できれば欠場したいところである。そしてそれに利用できそうな相手として目につけたのが、織斑一夏を敵視するラウラ・ボーデヴィッヒという存在であった。

 

「中国の『甲龍(こうりゅう)』にイギリスの『ブルー・ティアーズ』か。……ふん、データで見た時の方がまだ強そうではあったな――――」

 

 放課後の第三アリーナで表向き、学年別トーナメントに向けて特訓をしようとしていたセシリア・オルコットと凰

鈴音の二人に、ラウラ・ボーデヴィッヒが挑発する。

 ラウラの真意がどうであれ、彼女の様子ならば嬉々して自分たちの求める役目を果たしてくれるだろう。とセシリアは再認識し、鈴音に目配せした。

 学年別トーナメントにおいて“災厄”の介入を恐れているのは鈴音も同じである。いや、鈴音の方が恐怖していると言えるだろう。なにせクラス対抗戦(リーグマッチ)で暗殺されかけた本人なのである。“災厄”の魔の手から逃げたくなるのは当然だ。

 

「ああ、ああ、わかった。わかったわよ。スクラップがお望みなわけね――――」

 

 鈴音は打ち合わせ通りにラウラを煽り、場の雰囲気を荒立てていく。

 互いに牙を剥く中ラウラが一夏を侮辱したことで三人はIS戦闘へと入る。そして途中から一夏とシャルルを加えたこの戦いが“最強”の“生身”の介入によって終了する頃には、セシリアと鈴音のISは学年別トーナメントにでれないほどの損傷を負うことに成功したのだった。



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【結】ファインド・オウト・ユア・エンメティー

     0

 

 

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒの存在が世に認知されたのは、僅か三年前のことである。

 

 

 

 

 

     1

 

 

 

 六月は最終週に入り、学年別トーナメントが始まった。

 本来なら前日にトーナメント表が発表されているはずなのだが、トーナメント方式を今までの個人戦からペア戦に切り替えたことで抽選システムが動かないという理由で、今だ対戦表は明かされていない。

 現在手作業で行っている抽選を待つため、何も表示されされていない会場スクリーンを、(ファン)鈴音(リンイン)は観客席から無言で見つめていた。

 IS学園に付随するシステムは篠ノ之(しののの)(たばね)の防護プログラムによって守られている。そしてこのIS学園の抽選システムが少々の設定変更で動かなくなるなどということはあり得ない。これらのことから考えられる昨日からのシステム不調は、篠ノ之束の外部介入によるものだと鈴音は推測する。

 

(やっぱりきた……)

 

 先月のクラス対抗戦(リーグマッチ)において、鈴音は篠ノ之束に命を狙われた。実際のところ物証は何も無いわけだが、状況証拠だけで警戒するには十分な理由である。そもそも鈴音は過去に束から警告を受けていたのだから、当然襲撃は予測されていた。

 だから鈴音は諦めていたのだ。“災厄”がその気になれば、凰鈴音などという小娘一人は簡単にこの世から消え失せる。織斑(おりむら)一夏(いちか)を監視する間者であった鈴音が今まで見逃されていたのは、監視しかしてこなかったからであり、それ以上の干渉をしようとするのならば“災厄”の敵として葬られる。けれども中国政府に両親の身柄を押さえられている鈴音には、IS学園へ赴いて一夏の子種を入手しろという命令に逆らうことはできない。そのことによって鈴音は“災厄”に消されるかもしれないが、中国政府が認める凰鈴音の価値とは織斑一夏の幼なじみであるという点だけなのだ。今このとき、凰鈴音というカードを使わなくていつ使うというのか。

 故に、鈴音に未来はなかった。そしてクラス対抗戦(リーグマッチ)において乱入した所属不明の無人機との戦闘の裏で、事故死に見せかけた鈴音の抹殺が行われた。

 しかしそれは未遂に終わった。『白式(びゃくしき)』を飲み込み『零落白夜(れいらくびゃくや)』と『絶対防御』に守られた織村一夏を越えて凰鈴音だけを殺すはずのビーム砲は、鈴音の元に辿り着く前に消失したからだ。

 その理由を、『白式』の『絶対防御』停止(カット)によるものだと鈴音は推測する。あの時点で『白式』に残されていたシールドエネルギーでは最後の攻撃は防ぎきるだけの『零落白夜』は発動できない。そこで一夏は『絶対防御』を含むISに備わる操縦者保護システムに使用されているエネルギーをも『零落白夜』に注ぎ込んだのではないか。そしてそのことに気づいた篠ノ之束がビーム出力を調整したのではないか。と。

 

(篠ノ之、束……)

 

 鈴音の命は一旦は助かった。けれども、いつ再び狙われるか解らない。

 以前ならば“災厄”に襲われることについて、鈴音はそれでもよかった。いや、諦めていた。だが一度助かったことで、鈴音には生への執着が生まれた。

 生きたい、と鈴音は願う。

 一夏がほしい、と鈴音は思う。

 凰鈴音は織斑一夏を監視する間者であるはずなのに、本心で一夏のことを慕ってしまっていた。そして前回一夏に間接的に助けられたことにより、その思いはより強くなっていた。

 生きたいという願いと、一夏への思いが絡み合い、鈴音の中で激しく渦巻く。

 

(わたしは……もう負けない)

 

 一ヶ月前と同じ青く澄み切った空を、鈴音は睨む。

 

 

 

 

 

     2

 

 

 

 学年別トーナメントは問題なく開始した。

 第一試合である一年の部Aブロック一回戦一組目は、織斑一夏とシャルル・デュノア対ラウラ・ボーデヴィッヒと篠ノ之(ほうき)となっており、まるで示し合わせたかのような組み合わせである。四人中三人が専用機持ちであり、二人が国家代表候補生であり、二人が男性IS操縦者であり、二人が篠ノ之束に近しい関係者であったが、本人たちにとってみれば表向きのところは織斑一夏とラウラ・ボーデヴィッヒの喧嘩が主であり、それに他二名が付随するといった形になっていた。

 試合は順調に進んだ。量産機を使用していた箒が落とされてニ対一になったところでシャルルが本領を発揮し、一夏が致命打を受けるも二人でラウラを追い詰めることに成功する。

 

「この距離なら、外さない」

 

 ラウラに接近したシャルルが第二世代最強の攻撃力を誇る六十九口径パイルバンカーを超近距離で四連射する。

 そして限界に近いダメージにラウラのISが強制解除の兆候を見せ始めたところで、それは起こった。

 

「なんだよ、あれは……」

 

 思わず本心で呟いてしまいそうになりながら、一夏はラウラを見る。

 シールドエネルギーが切れるかと思えたラウラのISは、操縦者たるラウラ・ボーデヴィッヒを象った漆黒のISへと変貌していた。通常、ISがその形状を変化させるのは『一次移行(ファーストシフト)』か『二次移行(セカンドシフト)』の場合だけである。ラウラのISは専用機であるため既に『一次移行(ファーストシフト)』していることを考えると、このISの形状変化は『二次移行(セカンドシフト)』によるものということになる。しかし、ラウラの右手に握られた一振りの刀がそれを否定する。

 

「『雪片(ゆきひら)』……!」

 

 『二次移行(セカンドシフト)』とはISが真に操縦者と適応する第二形態へと至ることである。その変貌内容は操縦者に完全に由来するものであり、移行と同時に発言する『ワンオフ・アビリティー』を含め、完全に固有のとなる。仮に操縦者がある特定の武装を望んだ末の『二次移行(セカンドシフト)』であったとしても、それにより発現する固有武装は必ず操縦者の情報を含んだものとなるのだ。

 故に、ラウラ・ボーデヴィッヒがどれほど織斑千冬(ちふゆ)に憧れていようとも、千冬が現役時代に使用していたIS武装である『雪片』と瓜二つの武装が、『二次移行(セカンドシフト)』によって発現するはずがないのである。

 原因不明のISの変貌。それは一夏を困惑させるが、それよりもラウラが偽物とはいえ『雪片』を手にしているということが一夏を激しい怒りで包む。

 篠ノ乃束が世に送り出したISは『絶対防御』によって絶対的な防御力を誇っている。故に、ISの生みの親である“彼女”は世界の干渉を跳ね除けることができる。そしてその“絶対”すらも切り裂く『エネルギー無効化能力』こそが、“彼女”から与えられた“騎士”の証なのだ。

 初代の“騎士”たる織斑千冬には『雪片』が授けられ、次代の“騎士”として織斑一夏には『零落白夜』が譲られた。それは他者には決して侵されてはいけない、“家族四人”だけの聖域。

 だから、“騎士”を汚す存在は赦さない。絶対にである。

 

「ぐうっ!」

 

 横一閃に振るわれた敵ISの刀を受けて、一夏は一切の手加減を忘れた。ただ目の前の紛い物を壊す。それだけを目的に『白式(びゃくしき)』を駆使する。

 先ほどまでの戦闘のせいでシールドエネルギーをほとんど消耗していた『白式』は強制解除されてしまうが、その程度は意にも留めない。ISに対抗できるのはISだけというが、それは真にISを使いこなしている場合のみに限る。だから――――。

 

「それがどうしたああっ!」

 

 一夏は怒りに駆られて生身で突進する。例えそれが愚かな行為だと分かっていても、今この瞬間の自分を止めることはできない。

 

 

 

 だからこそ織斑一夏の傍に“魔女”はいる。

 

 

 

 『打鉄(うちがね)』を纏う箒が一夏を取り押さえることで“致命的な事態”になることを避ける。わざと乱暴に扱うことで衝撃を与え、一夏の頭を冷静にさせる。

 

「馬鹿者!――――」

 

 ほんの少しの接触と、ほんの少しの声掛けで、箒は一夏に『織斑一夏』の仮面を思い出させる。それは“災厄”では成せない所行であり、“最強”でも不可能な神業だ。織斑一夏を『織斑一夏』へと調教した“魔女”だからこそできる、篠ノ乃箒だけに許された特権。それによって仮面を取り戻した一夏は、すぐさま自身の行動と『織斑一夏』が取り得る行動を摺合わせる。

 全てはほんの一瞬の間に、違和感なく世界を欺く。

 

「離せ! あいつ、ふざけやがって!――――」

「なんだというのだ! わかるように説明しろ!」

「あいつ……あれは、千冬姉のデータだ――――」

 

 『織斑一夏』にとっては織斑千冬が唯一の家族だ。『織斑一夏』の行動規範は、その殆どが千冬に起因する。故に一夏はそのように道化を演じる。

 そして事態は進行し、『織斑一夏』の活躍によって幕を閉じる。

 

 

 

 

 

     3

 

 

 

 結局、一夏はラウラ・ボーデヴィッヒという女を見定めることができなかった。

 ラウラが遺伝子強化試験体として生まれ、軍人として育てられ、ISの登場による諸々の結果、千冬を崇拝するようになったことは分かっている。強さを追い求めることが唯一の存在証明であり、“最強”の後を追い続けることが唯一の存在意義であったことは知っている。

 変貌したラウラのISを止める際に発生した『相互意識干渉(クロッシング・アクセス)』による意識空間での対話で得た情報によれば、一応そういうことになっている。

 しかし、鵜呑みにはできない。

 確かに意識空間の中では嘘がつき辛いが、決して不可能な訳ではないのだ。意識伝達手段はプライベート・チャンネルと似通っているため、かつてセシリア・オルコットがそうであったように、今回織斑一夏が『織斑一夏』として演じたように、ラウラ・ボーデヴィッヒもまた自身を巧みに偽っている可能性がある。

 

(そうだったとして、目的は一体……?)

 

 学年別トーナメントの翌日の教室で、一夏は一人思案に耽る。朝のホームルームがもう間もなく始まろうとしており、クラス全員が席に着いていた。

 今日の空席は二つ。シャルロット・デュノアとラウラ・ボーデヴィッヒの二人であり、その理由は簡単に推測できた。

 本名を教えて覚悟を決めた様子を顕著に表していたシャルロットが取る行動は、十中八九女子生徒としての再編入だと言える。選択肢としてはフランスへ帰るというのもあり得るが、今の状況で引き上げるとは思えない。この段階で男装をバラすのは、予定通りなのか外部の圧力によるものなのかは不明だが、どちらにしても今までよりハニートラップが使い辛くなったのは確かであろう。女子として行動する以上、“抜け駆け”は厳しくなるのは当然である。ましてこれまで“抜け駆け”していた過去があるのだ。これからも“抜け駆け”するというのならば他の女子たちと敵対することになる。

 ラウラは単純に昨日のダメージが抜けていない可能性が高い。またISが変貌した件は表向き、IS条約で禁止されているVTシステムによるものとなっているので、処罰が決まるまで停学扱いになっていてもおかしくない。

 

(VTシステム、ね……)

 

 ラウラのISが変貌した時のことを思い返す。

 

(例え他者の動きを再現(トレース)したとしても、それだけでISの形状があそこまで変わるはずがない。それができるのは束さんだけだ)

 

 織斑一夏の目的は“彼女”を世界から守ることだ。けれども“彼女”のいる所は遙か高く、その心を知ることはできない。

 だから一夏は考える。“彼女”が何を求めているのか。世界に何を見いだしたいのか。

 そんなことをしている内にホームルーム開始時刻となり、山田(やまだ)真耶(まや)が窶れた様子で教室へと入ってきた。そして予想通りにシャルロット・デュノァの紹介を行う。

 そこから始まる馬鹿騒ぎはいつものことだ。コメディー漫画よろしく壁をぶち破って現れた鈴音は、おそらくセシリアが呼んだのであろう。大騒ぎにしてくれたお陰で、一夏が年頃の少女と一ヶ月近くも同室で暮らしていたことに対する追求は表向きあやふやになる。

 ISを纏う鈴音が衝撃砲を展開して現状可能な最大出力(フルパワー)で放つが、先日のラウラによるダメージが抜けていないため大した威力ではない。故に、『織斑一夏』でも十分防げる一撃であった。

 しかし一夏が『白式』を展開する前に現れたラウラが、自身のISの特殊装備である慣性停止能力――――『A(アクティブ・)I(イナーシャル・)C(キャンセラー)』を以てして一夏を守る。そして何の脈絡もなく唇を合わせてきた。

 

「!?!?――――」

 

 強引に押し入ろうとする舌に対抗すべく唇を固く閉ざすが、強化人間であるラウラの攻勢を押し止めることは不可能であった。一瞬で口内に侵入したラウラは、歯茎を舐めるでもなく舌を絡めるでもなく、その舌の内に巧妙に隠していた“何か”を一夏の喉奥へと淀みなく輸送する。

 

「――――!?!?」

 

 まずい、と思ったときには既に手遅れだった。“何か”は食道を通り胃へと投下される。最早取り出すことは不可能で、“何か”がそのまま体内へと吸収される。

 

(ばかな……)

 

 集団観衆の目の前で、こうも堂々と盛られるとは流石に一夏も予想外である。そもそもあからさま過ぎる行動に対しては、いくら『織斑一夏』と言えどもそれを咎めるという選択肢は存在するのだ。だから一夏はこのままラウラを断罪することができる。

 しかし、それはできなかった。

 

(束さんの薬が……)

 

 『織斑一夏』にハニートラップは通じない。それは束が調合した性欲安定剤があってこそである。篠ノ之束という天才の手によるものであるからこそ、決して破られることのない『唐変木』が生まれるのだ。

 だというのに――――

 

(中和されていく……)

 

 唇に押しつけられた柔らかい感触が触覚を刺激する。

 目の前の少女の首筋から香る仄かな匂いが嗅覚を刺激する。

 口内に混入した甘い唾液が味覚を刺激する。

 両目を閉じた端整な顔立ちが視覚を刺激する。

 互いの唇から漏れる吐息の音が聴覚を刺激する。

 五感が、性欲を刺激する。

 それはあってはならないことだ。篠ノ之束を凌駕する存在が現れたことになるのだから。

 故に、一夏は哮る。

 織斑一夏の敵を、“彼女”の敵を目に据えて。

 

(ラウラ・ボーデヴィッヒ――――!)



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【闇】聡明なる少女らの考察より

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 織斑(おりむら)一夏(いちか)を手中に収めることができれば、その者は“災厄”の庇護を得る。

 篠ノ之(しののの)(ほうき)を手中に収めることができれば、その者は“災厄”の手綱を握る。

 

 

 

 

     1

 

 

 

 IS学園生徒会室に佇む影は三つ。

 袖が異常に長い改造服を着用する朗らかそうな少女が一人。彼女の名は布仏(のほとけ)本音(ほんね)、一年生。

 眼鏡に三つ編みの真面目そうな少女が一人。彼女の名は布仏(うつほ)、三年生。

 肩に掛かる髪に理想的な肉体を持つ毅然とした少女が一人。彼女の名は更識(さらしき)楯無(たてなし)、二年生。

 

「それで、どうだったのかしら」

 

 IS学園生徒会長、“学園最強”の更識楯無が肘をつき両手を組むと、更識家に仕える布仏家の娘であり楯無の専属メイドでもある虚がそれに応じる。

 

「はい。ラウラ・ボーデヴィッヒの専用機『シュヴァルツェア・レーゲン』に搭載されていたプログラムは確かに『VTシステム』でした」

 

 学年別トーナメントにおいて暴走状態に陥った『シュヴァルツェア・レーゲン』は、『二次移行(セカンドシフト)』でないというのにその形状を大きく変化させ、織斑千冬(ちふゆ)のかつての愛刀『雪片(ゆきひら)』までも再現してみせた。その後ラウラが見せた動きが“最強”の焼き写しであることから、過去のモンド・グロッソの部門別優勝者(ヴァルキリー)の動きをトレースする『V(ヴァルキリー・)T(トレース)システム』がラウラのISに積まれていたと考えるのは当然の帰結だ。ISの形状変化が激しすぎることが少々疑問に残るも、『VTシステム』の稼働データが皆無といっていい現状では“そういうもの”として受け入れることもできなくはない。また確かに『単一能力(ワンオフアビリティー)』の複製は有り得ないものだが、今回ラウラが手にしていた『雪片』の模刀は『単一能力(ワンオフアビリティー)』である『エネルギー無効化能力』を発揮していない。つまりその模刀はただ『雪片』の形を模しただけのまったくの別物である可能性が高いのだ。ただの模刀ならばIS装備としてラウラが持っていたとしても可笑しいことはない。

 ただ問題があるとすれば、本来IS学園内に持ち込まれるISはその武装を全てチェックされているはずであり、そこに存在するはずのない武装が存在してしまったことであろう。しかしこの程度は些細な事である

 

「そして、残念ながら会長の仰っていた“改変される以前のプログラム”は発見できませんでした」

 

 IS学園の公式会見では、『シュヴァルツェア・レーゲン』に積まれていたのは『VTシステム』であるとされている。織斑千冬や山田(やまだ)真耶(まや)といったIS学園きっての者達の見立てによるものなのだから、それが覆ることはまずなくそれが“事実”となるのだろう。

 しかし、更識盾無は別の可能性を考える。

 事実、似たような事例は既に起こっているのだ。

 四月のセシリア・オルコットと織斑一夏のIS戦闘における演出された『白式(びゃくしき)』の『一次移行(ファーストシフト)』と、『ブルー・ティアーズ』の破壊軌跡。

 五月の無人機IS乱入におけるISアリーナ『遮断シールド』発生装置へのハッキング。

 恐らくは篠ノ之束によるものだと盾無は予測をつけながらも、それを証明する根拠が一切ない。“災厄”が関与したという記録(ログ)が、存在しないのだ。

 故に、もしラウラのISに搭載されていたシステムに何らかのアクセスを篠ノ之束が行っていたとしても、その痕跡は塵一つも残っていない。

 もちろんそんなのはただの憶測。疑いだせばきりがないことを楯無は分かっている。しかし、ラウラ・ボーデヴィッヒという有象無象の存在如きが“最強”という“災厄”と並び立つ者を真似ようとした事実に、篠ノ之束が何の干渉もしないとも思えないのだ。

 

「――まあ、これ以上どうしようもないわね」

 

 楯無は思考を切り替える。相変わらず“災厄”の意図は読めないが、それならば手近な所から攻略していけばいい話だ。

 

「本音。あの子に伝えておいて。そろそろ出番が近いって」

 

 篠ノ之束を縛る存在は三つ。

 “最強”の織斑千冬。

 世界唯一の男性IS操縦者、織斑一夏。

 そして束の妹、篠ノ之箒。

 織斑千冬を通じて篠ノ之束を抑えることはほぼ不可能だ。IS界における“最強”は文字通り最強であるし、そもそも“最強”は“災厄”と対等であって庇護下にあるわけではない。

 織斑一夏は今や世界中が狙う存在である。その存在価値は着実に大きくなっており、その存在に付随する諸々の問題は対処に困難を極める。

 故に、狙うべきは篠ノ之箒。彼女を抑えることができれば、それは“災厄”の手綱を握ることに等しい。そしてそのための下準備はとうの昔から始まっている。

 完璧すぎる姉に振り回され、自身の境遇に嘆く妹。篠ノ之束と篠ノ之箒の姉妹関係を彷彿させるために調整したその者の名は、更識(かんざし)。更識楯無の妹にして、日本代表候補生。篠ノ之箒を対象とした間者である。

 

 

 

 

 

     2

 

 

 

 シャルロット・デュノアにとって織斑一夏という存在は、自身を着飾る装飾品である。成り上がりを目論むシャルロットには別段織斑一夏に拘る必要はなく、蜜を吸って操ることのできる男ならば誰でもいいのだ。ただ、現在の社会において頂点に立つとも言える“災厄”に近づくためには、織斑一夏という傀儡は大きな利用価値がある。故に父親から奪い取ったデュノア社の権力とフランス政府のコネを使い、シャルロットは二人目の男性IS操縦者としての立場を手に入れた。

しかしその過程で一つ問題が生じた。男性IS操縦者を名乗るからには、IS委員会からの調査を無視するわけにはいかない。性別の偽りがいつまで押し通せるものではないことは当然であるが、真実が判明するのはあくまでIS学園在学中でなくてはならない。IS学園入学以前に正体が暴かれるようなことがあれば、織斑一夏に、“災厄”に迫る機会は失われる。故に、IS委員会内への協力者は必要不可欠である。しかし手を尽くしたものの、シャルロットが接触できたのはIS委員会の中層部の人間までであり、上層部へは手を伸ばすことができなかったのだ。

 そもそもIS委員会の上層部は大きな闇に包まれている。IS委員会は公の機関として世間に認知されているが、世界で唯一、篠ノ之束とISの取引を行った機関としての側面も持ち合わせている。“災厄”相手にそのようなことを行った組織は先にも後にも彼らだけであり、その実態はあまり知られていないことが多い。国際機関としての立ち位置から調整役として各国から役員を受け入れているものの、そういった者たちが着ける位は中層部までで、一般的に上層部については存在すらもあまり知られていない。シャルロットが知っているのは、“災厄”の忌み名を欲しいままにする篠ノ之束を説き伏せるだけの力を持っているということだけだった。

 IS委員会を味方につけることができない以上、男装作戦は失敗する。しかしシャルロットを男性IS操縦者として最終的に仕立てあげたのは、IS委員会上層部であった。

 シャルロットの知らないところで話が進み、いつの間にか彼女は男性IS操縦者としての立場を手にしていた。このことをシャルロットはIS委員会からの取引だと考え彼らからの接触を待っていたものの、そのようなことは一切無く、そのまま彼女はIS学園を訪れることとなったのだ。

そして現在、男装を明かしたシャルロットは一女子生徒として、ルームメイトと共に自身の新たな寮室にいる。

 

「まあ、色々あったけど、これからよろしくね。ボーディッヒさん」

 

 自身の性別を公開したシャルロットは寮部屋を変更され、編入生ということで二人部屋に一人で住んでいたラウラ・ボーデヴィッヒと同室になることとなった。

 

「……ラウラで構わん」

 

 素っ気なく告げるラウラに、シャルロットはにこりと微笑む。

 それに対してラウラは慌てて弁解するように口早に付け足した。

 

「日本では友好の証に名前呼びを許す風習があると聞く。その、色々悪かった……」

 

 少し恥じらいを見せる演技を行うラウラに、その真意を理解したシャルロットはすぐさま脳内で算盤を弾く。

 現在、シャルロット・デュノアの学園内での立ち位置はとても危ういものである。男子生徒としての活動によって『織斑一夏』との良好な関係を構築できているが、周囲を騙していた元男装少女としては女子の、特に一年生女子との関係が非常に薄い状態に陥っている。セシリア・オルコット率いる最大派閥と実質敵対している以上、劣勢は必須。予定していた織斑一夏籠絡が想定通りに進んでいないため、この事態は早急に解決するべき事案となっている。しかし、何も孤立しているのがシャルロット・デュノアだけというわけではない。目の前のラウラ・ボーデヴイッヒもまた、孤立している存在である。

 (ファン)鈴音(リンイン)のようにセシリア・オルコットに近づくべきか、ラウラ・ボーデヴイッヒと徒党を組むべきか。

 判断は一瞬。

 そもそも、シャルロット・デュノアはスタンドプレイを主としている。また、独特なキャラクター性を保有しているラウラ・ボーディッヒの強みもまた、少数行動によって発揮される。

 そしてラウラ・ボーデヴィッヒに関して気になる点が一つ。

 彼女と接吻を交わした際に生じた織斑一夏の変調。そのことに気づいた者は自身を含め一人か二人程度であろうが、確かにあの時、織斑一夏の身に何かが起こった。

 『織斑一夏』と敵対する者として編入してきたラウラ・ボーデヴィッヒであるが、既にその敵対者としての性質は失われている。しかし現状最も『織斑一夏』のライバルたる人物としての立場を強固に固めており、尚且つまだ伏せ札がおる模様。

 ならば、シャルロット・デュノアがどちらと手を組むべきかは明確となる。

 

「それじゃあ、僕のことはシャルロットでいいよ」

 

 

 

 

 

     3

 

 

 

 セシリア・オルコットは本日何回目になるかも分からないため息をついた。

 ルームメイトが出かけているため自身一人しかいない寮室で、セシリアはベットに寝転がり思案に耽る。

 考えることはラウラ・ボーデヴィッヒのことだ。

 セシリアや鈴音(リンイン)と違い生まれも育ちも軍人であるラウラ・ボーデヴィッヒに関する資料は、全くといっていいほど存在していなかった。セシリアが手に入れることができたのは、ドイツ政府がラウラ・ボーデヴィッヒを編入させる際に開示した表向きの資料程度でしかない。シャルロット・デュノアの件がほとんど片付いたといってもいい今、要注意人物は彼女からラウラ・ボーデヴィッヒへと変わっていた。

 そもそも、ラウラ・ボーデヴィッヒに関してはその編入理由すら判明していない。通常IS学園に編入することは認められておらず、事前調整や特別な事例を除いて行われることは有り得ない。

 例えば(ファン)鈴音(リンイン)の場合は、中国政府が“災厄”の反応を知るために、事前に『入学が遅れる旨』を、表向き『専用機の調整のため』としてIS学園に通達していた。シャルロット・デュノアの場合は、世界で二人目の男性IS操縦者ということで、織斑一夏と同様の扱いをするためにIS学園へと送られる『理由』があった。

 けれどもラウラ・ボーデヴィッヒは違う。彼女には編入が認められる『理由』が見つからないのだ。まさか『織斑千冬(ちふゆ)の憎き弟を締め上げる』などという理由が通るはがない。そして、五月の無人機IS襲撃事件を受けての織斑一夏の身辺警護のためという事も有り得ない。仮にそうだとしても何故ドイツの少女が選ばれることになるのか。いくら三年前の織斑一夏誘拐事件での実績があるといってもだ。

 

(織斑千冬と関係が不明瞭というのがネックですわね)

 

 千冬と関係があるという点においては(ファン)鈴音(リンイン)にも当て嵌まることではあるが、彼女に関しては一夏に近づいた頃から監視が行われており、織斑千冬とも所詮表向きの関係でしかないことは把握済みである。

 それに対し織斑千冬がドイツで教導していたという一年間については、ほとんど何も分かっていないのだ。場所が場所だけに得られる情報にも限りがあった。

 つまり、“最強”にとってラウラ・ボーデヴィッヒがどのような位置に存在するのか、不明なのである。

 勿論、セシリアにはラウラ・ボーデヴィッヒの表の顔はほぼ全て理解できている。ただいつもならば裏の事情もある程度は見透かせるはずであるのにも関わらず、ラウラ・ボーデヴッヒに関してはそれが上手くいっていないのだ。

 

(何かが足りない。ラウラ・ボーデヴッヒを知る上で、決定的な“何か”が抜けている……)

 

 普段ならそのような事になることはなかった。これまでの人生経験によって培われたセシリアの人間観察能力は、少々の情報不足を推測によって正しく補えるだけのものを持っていた。仮にそれができなくても、ある程度のパターンは想定できていたのだ。しかし、今回はそれができない。自身の想定を上回る“何か”が抜けている、とセシリアは感じていた。

 

(恐らく彼女はシャルロット・デュノアとの繋がりを強めるでしょう)

 

 セシルアが見たところ、シャルロット・デュノアは仲間として信用できる人間ではない。彼女には恐らく自身を縛り付ける鎖がないのだろう、とセシリアは推測する。

 

(できれば、仲違いして潰れてくれるといいのですけれど。まあ、あり得ませんわね)

 

 シャルロット・デュノアもラウラ・ボーデヴィッヒも、そのような愚行に走ることはないであろう。そして仮にそれが起こったのならば、それは織斑一夏包囲網に何らかの変化が起きている時であろう。

 

(あせる必要はありません)

 

 セシリア・オルコットは『織斑一夏』という仮面の存在を知っているのだ。少しずつではあるが、織斑一夏とセシリア・オルコットの関係は良化している。特にシャルロット・デュノアの正体を見極める際に協力した実績は、他の者たちでは覆すことはできない。

 そもそも、セシリア・オルコットと織斑一夏の関係はセシリア・オルコットの方が上にきているのである。普段は“災厄”を警戒してそれを匂わせないようにしているものの、セシリア・オルコットは織斑一夏を脅している状況なのだ。

 そして何より、自身の目的を履き違えてはならない。セシリア・オルコットの目的は織斑一夏の威を、“災厄”の威を借りることであり、織斑一夏と伴侶になることではない。オルコット家を奪われないように、男共を婿に取らなくて済むようにすることこそが本来の目的である。

 

(まあ、それでも。彼と番になるというのも、それはそれで良いかもしれませんわね)

 

 『VTシステム』に支配されたラウラ・ボーデヴィッヒに生身で立ち向かおうとしていた一夏を、セシリアは思い出す。あの瞬間、確かに一夏は仮面をつけていなかった。そして一夏の『家族への想い』が、殺したはずのセシリアの『心』を刺激する。

 その何とも言えない心地よさに身を任せながら、セシリアは思考の海へと潜るのだった。

 

 

 

 

 

     【破】絡み合う少女らの思惑 完



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【急】彼女が求めた世界の果てに
【起】その心は曇のち雨


     0

 

 

 

 当時小学一年生だった織斑(おりむら)一夏(いちか)は、“魔女”の助けによって『織斑一夏』の仮面を手に入れた。

 

 

 

 

 

     1

 

 

 

 現状、織斑一夏は貞操の危機染みた状況にあった。

 シャルロット・デュノアの男装が明かされたことにより一人部屋となった寮室には、一夏以外にも人の影が存在した。

 当然、その人物はこの部屋の住人ではない。日が昇る前に、勝手に侵入してきたのだ。

 

「ら、ら、ラウラ!」

 

 今目覚めたばかりの演技をしながら、一夏は布団をめくり上げる。一夏の隣に全裸で添い寝していたラウラ・ボーデヴィッヒは、今目覚めたばかりの演技をしながら目をこする。それは、場所は違えどここ最近ではよくある光景だった。

 “学年別トーナメントにおいて『織斑一夏』に惚れた”という設定のラウラ・ボーデヴィッヒは、それ以来接触アピールを異常なまでに繰り返している。それは他の女子生徒への牽制であり、『ラウラ・ボーデヴィッヒ』としての演技であった。当然一夏としてはラウラの存在は邪魔者以外の何者でもない。いかに『織斑一夏』の仮面の弊害があるとはいえ、ラウラ・ボーデヴッィヒの行動を丸々受け入れる必要はないのだ。しかし、それができない理由があった。

 学年別トーネメントの翌日、公開キスに乗じてラウラ・ボーデヴィッヒが織斑一夏に盛った中和薬。篠ノ之(しののの)(たばね)による性欲安定剤を無効化してみせたその事実がある限り、一夏は迂闊な行動はできない(ラウラ以外には有効なため、今の一夏は再び性欲安定剤を服用している)。『織斑一夏』の秘密を知り、そして篠ノ之束に匹敵する“化学力”を持つラウラ・ボーデヴィッヒは、今やセシリア・オルコット以上の危険人物となっている。ただでさえ『織斑一夏』を突破されているだけでも問題であるのに、中和剤の存在がラウラを一層脅威にしているのだ。

 そして更にラウラ・ボーデヴィッヒの存在を難しくしているのが、アプローチの“程度”である。頻度事態は多いもののシャルロット・デュノアと違い一線を越えようとはしないのだ。今現在でも確かに裸であるラウラだが、ここで一夏自身が行動を起こさなければ、直接ラウラが性交を求めてくることはない。

 

(何なんだ、この女は)

 

 目的の読めないラウラの相手をしながら、一夏は相変わらずラウラを訝しむ。

 そもそもラウラ・ボーデヴッヒという少女はその存在からして不明瞭な点が多い。

 一夏が自分で調べた内容とラウラ自身の申告によると、ラウラ・ボーデヴィッヒという少女はドイツ軍によって遺伝子強化試験体として生み出された試験管ベビーであり、これまでは軍人として戦うことだけを教えられてきた。その過程でIS導入の動乱期に軍内での立場が変動し織斑千冬の教導によって再び元の立場に戻れたという経歴から、幼子が母親にするように千冬を慕っている。それが『ラウラ・ボーデヴィッヒ』というキャラクターである。

 ならば裏の顔はどうなのかというと、それがまったく分からないのだ。勿論、『ラウラ・ボーデヴィッヒ』の顔こそがラウラ・ボーデヴィッヒそのものである可能性もなくはない。しかし、ラウラ・ボーデヴィッヒの記録のなさが、それを否定する。もちろん建前上の記録にはラウラの存在は記されているのだが、それはどれも捏造可能なものに過ぎない。幼少期からのラウラ・ボーデウィッヒという存在が世に認知されたのは僅か三年前のことなのだ。ISの世界条約に基づきISに関わる人間はその存在が公にならなければならないという状況下で、ラウラが所属するドイツのIS配備特殊部隊「シュヴァルツェ・ハーゼ」はあくまで公の世界に存在する。しかしセシリア・オルコットからの情報によれば、他の隊員には存在記録が残っているのにラウラ・ボーデヴィッヒだけが三年前というここ最近になってから認知されているらしいのだ。

 

「しかし、朝食までにはまだ時間があるな」

 

 起き上がってシーツで身を隠したラウラが思案顔で呟き、一夏の方へ目をやる。一夏がそれに応えるべく顔を向けると、ラウラは頬を赤らめて視線を逸らして、見つめられると恥ずかしいと口にする。

 そのような馬鹿らしい行為の中で、一夏は改めて目の前の少女、ラウラ・ボーデヴィッヒを視認する。遺伝子強化体としての下地と軍人としての訓練により鍛え上げられたしなやかな四肢は、一夏の身近な人間で言えば千冬のそれに近い。全体的に小柄な身体づきであるにも関わらず、それを思わせない程の覇気。しかし、今でもそうであるが、時折見せる言動が幼少期特有のそれを思い起こさせる。言ってしまえば、ラウラ・ボーデヴィッヒという存在はちぐはぐであった。

 

(そう言えば、昔の俺に似ているかもな)

 

 まだ『織斑一夏』の仮面が完成していなかった頃の織斑一夏は仮面と地が混ざりちぐはぐな存在であった。それが問題にならなかったのは、小学生低学年であるが故の精神性の未発達部分としてその存在様式が許されていたからだ。しかし今のラウラは高校一年生。そのちぐはぐさは異物以外の何者でもなく、現状表向きに指摘されていないのは『ラウラ・ボーデヴィッヒ』というキャラクターの特殊性が故にである。

 そのちぐはぐさが果たして『ラウラ・ボーデヴィッヒ』の設定に必要かと問われれば、一夏としては首を傾げなければならない。『ラウラ・ボーデヴィッヒ』の下地を考えれば、その成長速度故に『ラウラ・ボーデヴィッヒ』の歪さはそれほど時間が掛からずに淘汰されなくてはならない。他の女子生徒達との接触の際にきっかけとして作用することはあるのだろうが、『ラウラ・ボーデヴィッヒ』には“軍隊育ちの世間知らず”というアビリティがある以上絶体に必要とも言えない。しかし現に存在しているということは、何かしらの意味があるということだ。

 

「――――っていうかだな、お前は先月俺にあんなことをしたのに、反省点なしか!?」

「あんなこと、とは?」

「い、いや、だから、その……」

 

 いつものようにラウラの相手をし、『織斑一夏』はラブコメを展開する。そして「隣人愛」と「異性愛」に区別がつかない『ラウラ・ボーデヴィッヒ』の仮面を被ったラウラにキスを迫られた所に篠ノ之(ほうき)が乱入してくるのだった。

 

 

 

 

 

     2

 

 

 

 織斑一夏が初めて篠ノ之束と出逢ったのは小学一年生の時の事だ。千冬に連れられて篠ノ之家が経営する道場にやって来た際に、そこで初めて束と知り合ったのだった。

 道場の門をくぐった千冬に飛びついて来た束を見て、一夏はまず“うさぎ”を思い浮かべた。と言っても“現実の兎”ではなく、”絵本のうさぎ”だ。“寂しいと死んじゃう”うさぎである。当時の篠ノ之束は十六歳であり、一夏の束へのイメージは高校生に対する一般的な物ではなかったが、まだ幼かった一夏にはそのことは分からなかった。しかしそれでよかったと、今の一夏は考えている。そうでなければ“彼女”を守ろうとは思わなかっただろう、と。

 それから何度も束と出会う機会があったが、幼い一夏にも束の歪さは容易に理解できた。束は織斑千冬と織斑一夏、そして篠ノ之箒の三人に対してしか人間としてまともに相手をせず、それ以外には同一的な集団個体として接していたのだ。彼女曰く、区別がつかないのだと。それは一夏にとって理解できないことであった。

 束は一夏たちとしか関わろうとしない代わりに、その関係に親密さを求めた。それはまるで、本来ならば他の者たちと行う交流分を一夏たちに注いでいるかのようであった。そのあまりにもの偏りように、当時の一夏が抱いた感想は“極度の人見知りで寂しがりや”というもの。そしてそれは幼少期特有の傲慢さと相まって次第に“かわいそう”という思いへと変わっていった。

 そんなある日のことだ。篠ノ之束がISを紹介したのは。

 いつもの三人を集めた束は、“まだ未完成だった”ISを自慢げに解説してみせた。当時小学一年生だった一夏にはその凄さが正しく分かるはずもなく、ISを用いて自身をアピールする束が、一夏には“友達作りのために自慢して自身を立たせている”ように見えた。

 そしてそれからしばらくして、『白騎士(びゃくしき)事件』が起こる。

 迫りくる2341発ものミサイルを駆逐するISの姿を、“たまたま現場に居合わせた”というどこの者とも知れない報道局のカメラから送られてくる映像の中に見て、一夏は一つの確信を持ったのだ。

 篠ノ之束とは、これほどまでに不器用な人間なのか、と。

 篠ノ之束という存在は様々な意味で他者から逸脱している。故に束は孤独であり、“自身に臆さない”織斑千冬とその弟、そして自分の妹とだけ関係を築こうとする。しかしそれでも孤独であることは変わりはない。だからこそ求めたのであろう。自身に匹敵しうる存在を。織斑千冬とはまた違った、第二の織斑千冬を。

 織斑一夏はそう考える。それがIS登場の真相だと考える。

 しかし現実には、IS開発者の名を持つ篠ノ之束に並び立つ存在は新たに現れなかった。束の孤独は更に深まるものとなったのだ。

 だから一夏は“彼女”を、守ろうとする。そうでなければ、束は本当に独りになってしまうのだ。そしてその過程を以て一夏は束を理解し、“篠ノ之束”という存在を心に刻む。

 あとはその繰り返しっであった。

 

 

 

 

 

     3

 

 

 

 七月最初の週末。シャルロット・デュノアと共に臨海学校の水着を買いに来ていた織斑一夏の二人と、それを追っていた(ファン)鈴音(リンイン)、セシリア・オルコットは、駅前のショッピングモール『レゾナンス』にてIS学園教師の織斑千冬、山田(やまだ)真耶(まや)の両名と出会った。

 そして真耶が気を利かせて千冬と一夏を姉弟二人きりにしようとする。

 

「――――凰さんとオルコットさん、ついてきてください。それにデュノアさんも」

 

 有無を言わせない態度の真耶に引き連れられて行った三人を見送った一夏は、最後の一人がどこに行ったのかと訝しむ。

 現状、織斑一夏の監視にISを利用できるのは“『恋する乙女』の暴走”という手段を持ち合わせるセシリア・オルコット、(ファン)鈴音(リンイン)、シャルロット・デュノア、ラウラ・ボーデヴィッヒの四人である。それ以外の第三者による間者がこの付近に潜んでいたとしても、IS条約によるIS所在地の公開義務と世界最強(ブリュンヒルデ)の存在によりその諜報活動にISを使うことはできない。

 

(ボーデヴィッヒは何処だ?)

 

 セシリアと鈴音とシャルロットは真耶が引き離したため、一夏と千冬の様子を覗くことができない。仮にもIS学園教員の目の前でISを起動させるわけにもいかないからだ。故に、残る邪魔者はラウラ一人となる。

 そもそも、今日この時この場所で一夏たちと千冬たちが出会ったのは偶然ではない。弟から姉への世間話という形で今日の予定を伝えた一夏に、千冬が合わせてやって来たのだ。

 IS学園において一日中監視されている一夏が『織斑一夏』の仮面は外すことができる場所は、絶対の防壁によって囲まれた織斑邸と篠ノ之邸の二つ。しかし寮生活をしている一夏がそう頻繁に家に帰れるわけもなく、また、それを千冬と共にするなどという行為は長期休暇中でなければほとんど不可能といえる。

 だが、それでも一夏には千冬に確かめなければならないことがあった。他ならぬ、ラウラ・ボーデヴィッヒのことである。

 『織斑一夏』の仮面を構成する“唐変木”を支える篠ノ之束製性欲安定剤を中和したラウラは、一夏にとって危険極まりない存在だ。それにも関わらず、ラウラの存在を知っていはずのた千冬は一夏に何の示唆も行わなかった。

 そのことについて、一夏は千冬の意図を問うつもりだ。そして自身の手には負えないラウラ・ボーデヴィッヒへの対応方法を得る。

 当然それは一夏の“騎士”としてのプライドを大きく損なう行為ではある。しかしそれでも“彼女”を守るという至上目的遂行の前では小さなことだ。

 

「――――お前は彼女を作らないのか?」

 

 水着を選びながら、二人は他愛のない会話を繰り広げる。真耶が例の三人を連れて行ってから時間が経っておらず、周囲の状況把握が完了していない現状では、二人はまだ『織斑千冬』と『織斑一夏』として無意味な言葉を交わしていた。

 

「幸い学園内には腐るほど女がいるし、よりどりみどりだろう?」

 

(そんなわけないだろ)

 

 一夏は内心でそう言葉を吐く。IS学園内の女は織斑一夏を狙う間者でしかないのだ。元一般人も含まれるとはいえ、織斑一夏のIS学園入学が決定した時点で彼女らは国や企業の手先にされ、一夏の敵となった。そんな彼女たちと冗談でも一夏が交際するはずはない。

 もちろん、そんなことは千冬も分かっているからこその、冗談。そう一夏は思っていたのだが――――

 

「そうだな……。ラウラなんかはどうだ?――――」

「いや、それは……」

「それに、キスした仲だろう?」

 

 という千冬の言葉で冗談ではなく催促のように感じられた。

 

(やけにボーデヴィッヒを推すな。何か都合のいいことでもあるのか?)

 

 『織斑一夏』の伴侶として妥当な存在は『篠ノ之箒』であると考えているのは一夏だけではないはずである。だからこそ一夏も千冬も今まで“このような”話題になっても具体的な名前を挙げることはなかった。それは一種の意思表明であり、意志疎通であったのだ。

 だというのに、千冬はラウラの名前を口に出した。その意味を一夏は深く読み取るべく思考するが、先日の公開キス事件がネックとなって思うようにいかない。

 

(おちつけ。焦ったところでここでは“いつも通り”にしているしかない。だいたい、今日IS学園を出てきたのはボーデヴィッヒについて確認をするためじゃないか。姉貴の考えは後で分かるんだ。今は周りへの警戒を重視するか)

 

 一夏と千冬がいる水着売場は当然ながら密談には向いていない。故に盗み聞きされるのを承知で、『織斑一夏』として行動する。

 

「ラウラは可愛いよ」

(ひとまずは姉貴に乗っておくとしよう)

 

 恋を知らない少年を演じながら、一夏は千冬の二三言葉を交わす。その後水着を買った二人は、千冬の先導で『レゾナンス』の中を移動する。そして色々な店を見て回った後、休憩と称して、学生には手が出せない、高めの喫茶店へと入店した。普段の『織斑一夏』ならば決して近寄らないだろう店に千冬のおごりということで入り、店の奥の壁際の席へと腰を落とす。

 適当に注文した物が届いたところで千冬が切り出した。

 

「本題といこうか」

 

 その言葉で、この場所が監視されていないことを世界最強(ブッリュンヒルデ)が保証する。

 安堵した一夏がラウラについて聞こうとしたが、その前に千冬が言葉を続けた。

 

 

 

「なあ一夏、緩み過ぎてないか?」

 

 

 

 冷水を浴びせられたかのように一夏の頭が一瞬真っ白になる。けれども、心のどこかで納得はしていた。なぜならそれは、一夏自身がクラス対抗戦(リーグマッチ)のときから感じていたことだったからだ。

 

「一夏、今のお前に『零落白夜(れいらくびゃくや)』を持つ資格はない」

 

 それは、“騎士”の剥奪と同義だった。



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【承】海についたら行動開始!

     0

 

 

 

 篠ノ之(しののの)(たばね)は世界に天才として認められている。

 故に、彼女の存在そのものが不合理を許容する。

 

 

 

 

 

     1

 

 

 

 臨海学校初日は唯一の自由時間である。そのため、IS学園の少女たちは思い思いに砂浜で一日を遊び倒すこととなる。

 IS学園を出発したバスは数時間で山を超えて海へと出る。その後窮屈な車内から開放され宿泊場所である旅館に着いた少女らは、早速学生服から水着に着替えるため更衣室へと向かう。本心では馬鹿馬鹿しいと思いつつも、『織斑(おりむら)一夏(いちか)』が思い浮かべる“普通の”女子高生を演じるため、彼女たちはそうして羽目を外すふりをするのだ。そんなクラスメイトらに追随する道中にて、セシリア・オルコットは地面に転がる織斑一夏と出くわした。

 

「いてて……」

 

 仰向けの状態で空を見上げる一夏の後に立ち、それとなくスカートの中身を見せる。そして醜態に気づき恥じらう様子を見せながら、セシリアは一夏の格好について言及した。結果、返ってきたのは『ウサミミ』という的を射ない発言であった。

 

「は、はい?」

 

 織斑一夏の『織斑一夏』としての特徴の一つに“伝達における齟齬の発生”がある。今回の『ウサミミ』という言葉もその影響を受けていると考えたセシリアは、困惑の表情を顔に貼り付けながら『ウサミミ』の真意を推測する。

 

(『ウサミミ』とは兎の耳のことですわね。現在一夏さんの知る隠語として兎が適応されるのはボーデヴィッヒのIS部隊『シュヴァルツェ・ハーゼ』ですが、わざわざそれを『織斑一夏』の顔で口にする必要がはありません。兎の耳に似た形状を指している可能性は――――そう高くはなさそうですわね。この付近に青少年が腰の抜かすことになるような物はありませんし。となると、本当に兎の耳が――――ん?)

 

 故意か偶然か一夏の身体によって隠されていたウサミミのカチューシャらしきもの(にしてはミミの部分がやけに機械的であるが)を見つけたセシリアは、この部外者立入禁止のIS学園臨海学校地で生徒の私物でも(私服がファンシーと有名な布仏(のほとけ)本音(ほんね)の衣服には機械的な物はない)学園の機材でもないウサミミを持ち込んだ人物を考え、そしてある可能性に至った。

 

(まさか――――!?)

 

「いや、束さんが――」

 

 自身の推測を肯定する一夏の発言と同時に突如頭上から鳴り響く高度急降下音に、セシリアはISに反応しないステレス性を持った飛来物の存在を認識し、その到来を確信する。

 そして。

 

「あっはっはっ! 引っかかったね、いっくん!」

 

 篠ノ之束が姿を現した。

 

「やー、前はほらミサイルで飛んでたら危うくどこかの偵察機に――――」

 

 自分を無視して一夏と話し始めた束を見つめながら、セシリアは『災厄』と呼ばれる女の認識に留まらないように気配を殺す。内心で冷や汗を大量に描きながらも、それを表に出すこと無くとるに足らない存在と化すように努める。

 何故なら、セシリア・オルコットは篠ノ之束の粛清対象である可能性があるからである。織斑一夏の『織斑一夏』の仮面の存在を知るセシリアは、結局のところ織斑一夏の敵でしかない。現状、協力関係にあると言っても、その実態はセシリアによる一夏への脅迫によるものなのだ。ISの通信機能を使って一夏を脅したため、全てのISコアを支配下に置いているとされる篠ノ之束にはセシリアの所業が把握されていると考えるべきである。そして、記録(ログ)には残っていないものの、クラス代表決定戦において一夏の白式(びゃくしき)の『一次移行(ファースト・シフト)』のタイミングや『ブルー・ティアーズ』の破壊軌跡から、セシリアは外部からのIS干渉があったと考えている。この状態で、一夏を脅している事実を知られていないと考えることなど有り得ない。

 クラス代表決定戦を行った頃のセシリアは確かに篠ノ之束を恐れてはいたが、まさか直接命を狙われることになるなどとは思っていなかった。しかしクラス対抗戦(リーグマッチ)での(ファン)鈴音(リンイン)抹消未遂によって“災厄”の“やり方”を知ってからは、少し深入りし過ぎたかも知れないという後悔が生まれていた。それ故に一夏への脅迫を強めることはしなかったし、学年別トーナメントでは凰鈴音の二の舞いになることを避けるべく、ISにダメージを与えてその修復のために棄権するという作戦に出たのだ。

 

「――――じゃあねいっくん。また後でね!」

 

 短くも長い時間を経て、篠ノ之束はこの場を離れる。“災厄”の姿が見えなくなったことを確認してから、セシリアは恐る恐る一夏に声を掛けた。

 

「い、一夏さん? 今の方は一体……」

「束さん。(ほうき)の姉さんだ」

「え……? ええええっ!? い、今の方が――――」

 

 その後、一夏にサンオイルを塗らせる約束を取り付けたセシリアは早々にその場を離れて一人になった。考えるのは篠ノ之束来訪についてだ。

 篠ノ之束は世界が認める天才である。ISをたった一人で作り上げたとされ、一度世界を作り替えたとも言われる人物。あまりにも一般を解離した天才性故に災厄として扱われるほどの行動様式を持つ。篠ノ之束が関われば、現代科学では有り得ないことがごく当然のように引き起こされる。どのような不合理も、そこに篠ノ之束がいたという理由だけで、真実となるのだ。

 故に。

 

(荒れますわね。確実に)

 

 織斑一夏を巡る世界情勢に、変化が訪れるのではないか。セシリアにはそう強く思えた。

 

 

 

 

 

     2

 

 

 

 昼から遊び続けていた少女たちもそろそろ疲れてきた夕方。シャルロット・デュノアは呼び出しを受け、誰もいない海岸の洞窟へと一人でやって来ていた。

 ISさえも使って尾行されていないことを確認しながら、慎重に足を進める。尾行されていれば、シャルロットを呼び出した人物は確実に現れないことが分かっているからだ。

 シャルロットが呼び出しの連絡を受けたのは昼のことだ。ISを通して行われた文字通信による一方的なそれは、記録(ログ)に残ることなく存在するという異常を併せ持っていたが、差出人の名を確認したシャルロットには不思議でも何でもないことだった。ただ疑問だったのは、何故自分が呼び出されたかだ。確かに粛清対象となる要素をシャルロットは備えているが、目的がそれならばわざわざ呼び出すようなことはしなくてよいはずなのである。呼び出すということは何かしらの交渉があるということだ。一方的な要求ならば呼び出したとき同様に行えばよいだけなのだから。それだけのことを行えるだけの力持っているはずなのだから。

 

「ここだね」

 

 外の陽が照らすのは洞窟の入り口までで、その奥は薄暗い空間が広がっている。

 中へ進んだシャルロットは、奥に人型のシルエットを確認した。岩場を歩きながら、シャルロットは人影へと近づいていく。

 二人が向かい合ったところで指定されていた時刻になり、傾いた太陽の光がこれまでよりも洞窟の奥へと差し込んでくる。そしてその輪郭を確かに現した目の前の存在が、シャルロットへと告げる。

 

「時間通りだね。シャルロット・デュノア」

 

 篠ノ之束が、冷たい視線でシャルロットを一瞥した。

 青と白のワンピースにウサミミのカチューシャという束の格好からは想像もできない冷たい声。身内以外を生物学上のヒトとしてか認識していないと言われるのもシャルロットは分かる気がした。ならば、下手に自分から言葉を発することは藪蛇になることは避けたい。篠ノ之束にとってシャルロット・デュノアとの対面は苦々しい思いを押し込めてのものである可能性があるのだ。しかしこうしてシュルロットを呼び出している事実をアドバンテージとして束に物申すことができる可能性もある。

 どうしようかとシャルロットが迷い始める前に、束は用件を口にする。

 しかしその内容は耳を疑うものだった。

 

 

 

「君は織斑一夏を籠絡してくれればいいの。そうすればこれまで同様IS委員会は君の邪魔をすることはないから」

 

 

 

 何故、という疑問が沸き起こると共に、目の前の人物が本当に篠ノ之束なのか、という懸念がシャルロットに生じる。

 織斑一夏と篠ノ之箒を結ばせようとしていると目されている人物が、よりにもよってこのシャルロット・デュノアにそのようなことをさせるのか。

 偽者による陰謀か、それともこれこそが本当の篠ノ之束なのか。

 実のところ、目の前の女が偽者である可能性は限りなく少ない。何故ならISコアの活動記録(ログ)を操作することができるのは篠ノ之束ただ一人のはずだからだ。ただ、それでも疑ってしまうほどに篠ノ之束の意図は読み取れなかった。

 そんなシャルロットの心相を知ってか知らずか、束は言葉を続けた。

 

「もちろん、箒ちゃんといっくんの仲が上手くいきそうならそれを邪魔する必要はないよ。でも、そうでないなら逆レイプでもなんでもしていっくんを押さえちゃって。特に、ラウラ・ボーデヴィッヒが手を出すより先にね」

 

 突如として名の挙がったラウラ・ボーデヴィッヒの存在で更に展開が読めなくなりかけたシャルロットだが、ふと彼女の脳裏には学年別トーナメント翌日に行われたラウラ・ボーデヴィッヒによる織斑一夏公開接吻事件が思い起こされた。そしてその時起こった織斑一夏の変異を再認識する。

 事の真相の一部を理解したシャルロットは篠ノ之束の要求を飲む意を示す。もっとも、目の前の人物が篠ノ之束である異常、シャルロットには彼女の要求を拒否するという選択肢はない。そもそも織斑一夏を狙う目的は、篠ノ之束に近づくことだったのだから。自身が粛清対象ではなかった時点で、この呼出自体がシャルロットにとって高い価値を持っている。

 そうして用を終えた篠ノ之束は、日が落ちると共に再び闇の中へと消えていった。

 急ぎ、一人帰るシャルロットは一つの確信を得る。

 それは、自らのバックボーンの正体。

 篠ノ之束を敵に回す可能性のある、二人目の男性IS操縦者誕生をIS委員会に認めさせたのは、他でもない篠ノ之束自身だったのだ。

 そのことを知れたことの意味の大きさは計り知れず、シャルロットは人知れず笑みが零れそうになる。

 ただ。

 篠ノ之束自身がわざわざこの場にその姿を現した理由は、終ぞ分からなかった。

 

 

 

 

 

     3

 

 

 

 臨海学校初日も既に夕飯を終え、就寝前の自由時間を残すだけとなっていた。

 そんな中、一夏に呼び出されたセシリアは『意中の男の部屋へ赴く女』の顔で廊下を浮足立った様子で進む。しかしその本心は全くの逆であった。その要因は当然篠ノ之束襲来の件である。

 クラス代表決定戦以降、セシリア・オルコットは織斑一夏を脅している。その際の要求に対する返答期日がもうすぐなのだ。そんな状況下に、しかもセシリアの目の前に現れた“災厄”たる篠ノ之束の存在。そしてセシリアが呼び出された場所には“最強”たる織斑千冬がいる。この状況で何も勘ぐらない方がどうかしている。

 心に不安を抱えながら目的地に到着したセシリアは、部屋のドアの入り口で聞き耳を立てる篠ノ之箒と凰鈴音を見つけた後、一騒動を経て織斑千冬と織斑一夏の部屋へと招き込まれた。

 

「じゃあ、はじめるぞ!」

 

 セシリアが招かれた表向きの理由であるマッサージが一夏によって開始され、うつ伏せになった身体を指圧される。そしてそのまま何も起こらない時間が過ぎ、暫くして織斑千冬が口火を切った。

 

「よし、いいだろう。動くな、そのままの体勢で聞けよ、小娘」

 

 千冬のその声で、セシリアは遂に本題が来たことを悟った。

 

「うちの愚弟が世話になったようだな。今からは私が代わりに相手してやろう」

 

 それはある意味、セシリア・オルコットは織斑一夏に勝利したということでもある。

 しかし本件において、セシリアは最初から一夏だけを狙っていた。織斑一夏が一人で抱え込むであろうことを見越して、彼に取引を持ちかけた。だからこそ、他者の介入を許した時点でセシリアの負けでもある。

 篠ノ之束がISを牛耳れると確信したのはクラス代表決定戦の後であったため、当時のセシリアはISの通信機能を利用して一夏に接触してしまった(といっても他に有効な手がなかったのもまた事実である)。だがその後目立った介入がなされなかったため、この件に関しては完全に織斑一夏個人の問題として処理されているものと考えていたのだ。

 

「――よろしくお願いしますわ」

 

 うつ伏せの体勢のまま、セシリアはそう返す。織斑千冬の介入があったとはいえ、『織斑一夏』の仮面の正体を知っているセシリアの優位性自体は変わらない。しかし、そんなものは知らんとばかりに千冬はセシリアに告げる。

 

「貴様に一夏の子供はやらんし、便宜を図るつもりもない。ただ、下手な真似をしてみろ。死ぬぞ」

 

 交渉でも何でもない、ただの暴力による一方的な宣言。織斑一夏では決して使うことのできない一手。

 死んでしまっては元も子もない以上、この場でセシリアにできることは何もない。“災厄”と“最強”を敵に回せば、いつ消されることになってもおかしくないのだ。セシリアは身を引くしかない。

 しかし何もかもが悪いわけではない。セシリアは確実に、世界の真実へと近づいている。そして今回こうして警告されたということは、“災厄”や“最強”には今すぐセシリアを謀殺するつもりはないということだ。

 確かに今回のことで、一夏に対するアドバンテージを容易に振りかざすことはできなくなったが、それでもセシリア・オルコットが『織斑一夏』の仮面を剥いでいることに違いはないし、『イギリスの密命を受けた間者』としてのセシリア・オルコットの顔がある限り、織斑一夏に近づく機会はまだ多い。セシリアにとって必要なのは織斑一夏の精子ではなく男を寄せ付けないための男の影であるのだから、ある意味保護者公認で一夏との特別性を認められた今の状況は、使いようによっては大きなプラスと成り得ると言えよう。

 

「おー、マセガキめ」

 

 千冬がセシリアのお尻を握り、この話は終わりだと暗に告げる。

 恐らく篠ノ之束製盗聴盗撮盗視防止機器と思われる装置を千冬が片手で操作し終えたことを確認したセシリアは、千冬に浴衣を捲り上げられると同時に外にも聞こえるように悲鳴を上げた。

 その後シャルロット・デュノアとラウラ・ボーデヴィッヒを連れて戻った篠ノ之箒と凰鈴音が加わり、千冬によって一夏は部屋を追い出される。

 そこで行われた一夏を巡る甘い談義の締めに、千冬は言う。

 

「どうだ、欲しいか?」

 

 もちろん、一夏のことである。

 

「く、くれるんですか?」

「やるかバカ」

 

 千冬のその言葉が、何故だかひどくセシリアの中に残った。



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