逸見エリカに憑依したある青年のお話 (主(ぬし))
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そのエリカ、狂犬につき

ガルパンはいいぞ


 言わずと知れた黒森峰女学園の副隊長、逸見エリカ。
 西住流次期家元と称される西住まほの忠実な副官としてよく知られる彼女だが、この世界(・・・・)では少し事情が違った。

 
 雲一つない晴天の下、眩しい陽光が照り付ける広大な富士演習場を舞台に、二列に並ぶ少女たちが睨み合う。
 かたや強大な敵として眼前に立ち塞がるのは、軍神もかくやの活躍で弱小校を見事導いて決勝戦まで上り詰めた、大洗女子学園隊長にして島田流宗家の一人娘、島田愛里寿(・・・・・)
 かたや彼女と真っ向から正対するのは、その名の知れた強豪校にして、歴代最強と謳われる黒森峰女学園隊長、西住みほ(・・)
 
 そして今この時、みほの後ろに一歩下がり、敵を威圧するように腕を組み仁王立つ()、逸見エリカは、忠犬ではなく、黒森峰の狂犬(・・・・・・)としてその名を轟かせていた。





 時は10年ほど遡り、逸見エリカ幼少時。


 ()は当初、愕然として自らが置かれた状況を飲み込めずにいた。
 もともと、学生の本分たる講義をボイコットし、文字通り休みなくバイトに励み、ガルパンブルーレイボックスやグッズ、聖地信仰、CD、雑誌収集、さらにはガルパン劇場版及び4DX版をそれぞれ13回も鑑賞した、自他ともに認めるガルパンおじさんだった彼は、なんとガルパンのために過労死に至った初の栄誉ガルパンおじさんとなってしまった。二十歳(はたち)にも満たぬガルパンおじさんの死に、世界中のガルパンおじさんたちが天に敬礼を送った。
 しかしこれも本望、と当の本人は死に際の病床で強く目を見開く。ガルパンのために死ぬのならまた一興であると、死にゆく彼は己の若すぎる死を堂々と受け入れて満足気に息を引き取った、はずだった(・・・・・)

 ―――がしかし、彼が次に目を覚ますと、違和感があるのに違和感がない小さな身体で、見慣れないのに見慣れている顔から心配そうに見下ろされ、出し抜けにこう呼ばれたのだ。

「強く頭を打ったみたいだけど―――大丈夫、エリカ(・・・)?」

 そうして、彼の第二の人生―――逸見家の次女、逸見エリカとしての生は唐突に始まった。

 当初は混乱に頭を悩ませて沈みがちになり周囲を心配させていたが、ふと視点を変えてみればこれは僥倖である。愛するアニメの世界を直に体験できるのだ。ガルパンおじさん冥利につきるというものだ。彼は逸見エリカという少女として生きることをまたもや堂々と受け入れ、観客としてしか味わえなかった戦車道への道を喜々として歩みだした。前世では高校大学ともに関東で一人暮らしをしていた彼だが、元は生まれも育ちも逸見エリカの出身地と同じ熊本県熊本市という根っからの九州男児。思い切りの良さと切り替えの速さについては定評がある。特に、熊本県民男子の県民性は激しい気性と愚直さが特徴とされる。その中心たる熊本市なら尚さらだ。前世の分と現世の分、さらには逸見エリカが生まれ持った生来の気質もあったのだろう。前世からして穏やかではなかった彼の性格は見る見る険を増し、日を経るごとに激しくなっていった。なにせ一度死んだ身だ。“死”という根源的恐怖を乗り越えた彼にもはや怖いものなどなかった。その我の強い性格と、工業系大学で身に付けた技術、ガルパン鑑賞で培った豊富な戦車知識が劇的な化学反応を起こした結果、彼は中学生も半ばに差し掛かった頃には戦車乗りとして県大会で優勝するほどの勇名を馳せていた。戦車長として、指揮官として、果ては中破から瞬時に万全の状態まで修理してみせる応急士としても比類ない才を魅せ、九州を超えて全国に噂が流れるほどの実力者となっていた。
 彼は戦車道を大いに満喫した。砲手、操車、車長、指揮官、全てが新鮮で心地の良い経験だった。喜び、怒り、笑い、泣き、全身全霊で楽しんだ。負けることを拒み、ひたすらに勝利を欲し、がむしゃらに強くなることを望んだ。倒される度に強くなって立ち上がり、強敵に挑み続けた。元来、男の子は戦車などのメカが好きで、そして負けず嫌いである。何の因果か、彼はとことんまで戦車道に相性が良かった。
 心身に我流で刻みつけてきた戦い方は、気づけば率先して敵の喉元に喰らいつくというおよそスマートとはかけ離れたものとなっていた。自分が原作の逸見エリカからどんどん乖離しているという自覚はあったが、原作通りに事を進めなければならない理由など無いし、戦いに没頭すればそんなことはすぐに考えられなくなった。
 苦戦を強いられれば強いられるほど、激戦になればなるほど、呼吸が早まり、瞳孔が開き、ぐるると喉が低く唸り、全身の毛が剣山のように逆立つ。砲撃が飛び交う中、腹の底から激情を迸らせるたびに灼熱の充足感が全身を満たす。興奮の絶頂に達した時、戦車が己の手足となり、意識まで融け合って、自分自身が大地を駆ける巨獣と一体化したような万能感に細胞の一片までも燃え上がる。恥も外聞もなく己の凶暴性を曝け出せる戦車道は、麻薬のように全ての矛盾を忘れさせてくれた。
 畢竟、その少女とは思えぬ凶暴な戦い方と荒々しい印象から、彼、つまりこの世界の逸見エリカは、ライバル校どころか仲間からも畏怖の対象となっていった。
 そうして、何時しかこのように賞賛され、または揶揄された。


“熊本に狂犬あり。その名は逸見エリカ。熊をも殺す猛犬なり”


 そうして、あれよあれよという間に時は過ぎ、彼は中学卒業と高校入学の時期を迎える。この時、本人の無関心をよそに、狂犬(・・)というアダ名はもはや全国どころか世界に轟く勢いとなっていた。その年の全国大会、彼は切り込み隊長として敵フラッグ車を次々と撃破し、母校を創立以来初となる準優勝に導いたからだ。最終戦では、包囲された自軍フラッグ車の窮状に見向きもせず、逆に手薄となった敵フラッグ車集団に単騎で踊り込んで敵を恐慌の渦に突き落とした。歴戦の強豪校をあわや敗北かと狂乱に陥れる様はアダ名に負けぬハングリーな戦いぶりであった。
 そんな彼の実績を、低迷する戦車道の再興を目論む各高校が見逃すはずがない。周囲の予想を遥かに超えて、逸見家には日本のみならず世界のあらゆる学園からオファーが殺到した。何を勘違いしたのか、知波単学園からの封筒にはご丁寧に「貴殿の突撃精神に感銘を云々~」と隊長直筆でしたためられ、学園長直々の印まで添えられている。
 テーブルの上にズラリと並んだ封筒の束を前にして、逸見家始まって以来の快挙であると親族一同が宴会まで催して彼を讃えた。選り取りみどり、どこを選んでも子々孫々に語り継がれる栄誉となる。しかし、両親や姉から肩をバシバシと叩かれている当人の心は晴れない。黒森峰女学園からのオファーがそこに無かったからだ。
 無論、受験をすれば良い。戦車道最難関の学園だが、チャンスがないわけではない。本当の逸見エリカであれば(・・・・・・・・・・・)当然ここに行くべきだ。そうすれば、原作キャラたちとも実際に出会うことができる。ガールズアンドパンツァーの物語が始まっていく。
 ―――だが、あの美しい世界に自分などが立ち入っていいものか。ファンは、あくまで第三者として主人公たちの勇姿を鑑賞するからこそファンであり、その環の中に入ってしまってはもはや観客(ファン)ではいられなくなる。役者として舞台を成功させる責任が生まれる。その責任を果たす覚悟など、考えたこともなかった。そもそも、自分のような原作とはかけ離れた邪魔者が立ち入っては、彼女たちの美しい世界を台無しにしてしまうのではないか―――。
 彼は今さらになって、彼にとって神聖不可侵たる原作キャラたちと濃密に関わることに、憧れ見上げるだけだった舞台(ステージ)に泥だらけの足を踏み入れてしまうことに、途方も無い恐れ多さを覚えたのだ。

 気づけば、自分でも理解し難い衝動に突き動かされた彼は、肩まで伸ばした銀髪を振り乱し、驚く親族の制止を振り切って、寒空の下に駈け出していた。
 どのオファーにも返事を出す意味を見つけられず、黒森峰女学園に行くという明確な決意も持てない。かと言ってそれ以外の選択肢も思いつかない。土台、自分の性格も戦い方も規律を重んじる原作の逸見エリカと異なるし、黒森峰女学園の秩序あるそれとも異なる。あちらからしてみれば邪道も邪道だ。到底、伝統厚い学園に受け入れられるとは思えなかったし、自分自身、今さら戦い方を変える気も起きなかった。

(―――私は、なんて空っぽ(・・・)なんだろう)

 自己否定と自己肯定が胸の内で渦を巻き、どちらも素直に受け止められない頭がズクズクと疼く。何を焦っているのか、どうして走っているのか、何をしたいのかもわからず、先延ばしにし続けた悩みから逃げるように、彼は愛戦車の待つ学校を目指して白い脚で地を蹴り続けた。
 彼はただ自由に戦車道がしたいだけだった。自分がここにいる意味など、逸見エリカとなった理由など知ったことではない。戦車道で強くなりたかった。自分がどこまで行けるのか試したかった。強さの高みに登り詰めたかった。彼はどこまでも愚直な二十歳にも満たぬ青年で、彼女(・・)は、この世界ではまだ15歳になったばかりの未熟な少女だった。

 太陽もすでに地平線に隠れ、うっすらと紫色の薄暮が世界を満たす中、彼は歴戦の友たるティーガーⅡの砲塔に腰掛けて己の太ももをじっと見下ろしていた。鋼鉄の装甲は突き放すように冷たいが、走り続けて火照った肉体には心地よかった。ティーガーの巨体に寄り添えば、激戦の臭いと興奮がまじまじと蘇り、雑事を頭から追い払ってくれる。周りを取り巻く煩わしいしがらみは消え去り、戦いの悦に浸ることができる。
 すうっと鼻から深く息を吸い込み、格納庫に滞留する重厚な空気を肺いっぱいに満たす。使い込んだ分厚い鋼鉄と、嗅ぎ慣れた火薬の臭い。瞬間、戦車戦の狂喜を思い出した意識がじわりと熱を帯び始める。瞳孔がギリギリと絞られ、唇からはみ出した八重歯が鋭さを増し、産毛までざわざわと逆立つ。活性化した脳が酸素を求め、浅く早い呼吸がハッハッと肩を小刻みに震わせる。ぐるると喉が低く鳴り、熱い吐息が眼前の大気を白く濁す。
 戦いたい。ただただ戦いたい。もっともっと戦いたい。いろいろな戦場で、いろいろな敵と戦いたい。弱い敵に勝って、弱い敵に負けたい。強い敵に負けて、強い敵に勝ちたい。勝って負けて、負けて勝って、戦い続けたい。ああ―――戦いたい!「戦いたい!!」



「―――なら、我が黒森峰にこそ来るべきよ」



 いつの間に現れたのか。その冷徹な少女の声は、同年代のものにしては奇妙なまでに引き締まり、何より凛々しかった。弾かれるように彼は声の主に向かって一足に跳躍する。心情を声に漏らしてしまっていたことにも気づかず、ましてや他人の接近を許してしまったのも不覚極まる。戦車戦ならとっくに撃破されていた。獣のような俊敏さでティーガーから飛び降りて身構えた彼は、目の前に立つ少女の姿に絶大な驚愕を覚えて思考を空白化させた。


「―――西住(・・)まほ(・・)


 ガールズアンドパンツァーの主人公、西住みほの最強のライバルにして因縁深き実姉、黒森峰女学園の隊長、西住まほその人だった。
 まさか、原作キャラとの遭遇を避ける自分に原作キャラの方から接近してくるとは、まったくの予想外だった。しかも、それがよりによって絶対に受け入れられないと思っていた黒森峰女学園の隊長とは。冷水を頭からぶっ掛けられたような心持ちになり、熱を持っていた細胞が冷えて、逆立っていた髪がしゅんと項垂れるのを感じる。
 動揺を隠せずに一歩後ずさった彼を真正面から見据え、まだこの時点では黒森峰一年生のまほは眉を意外気にピクリと動かす。

「すでに顔と名を知られているなんて私も有名になったものね。まだ副隊長になったばかりなのだけど」
「―――アンタなら、すぐに隊長になれるわ。絶対に」

 西住流の流派を色濃く受け継ぐ西住まほの才能を原作知識で知る彼には確信を持って言えた。それを賞賛と受け取ったまほは、「高く買われたものね」と照れた様子など一切見せない仏頂面のまま応える。

「少し驚いたわ。自身の研鑽のみならず他校の生徒の分析にまで余念がないなんて、貴女への評判は少し的外れかもしれない。皆も私も認識を改めるべきね」

 「もっとも上級生への物言いは考えものだけど」とふっと鼻を鳴らしたまほはアニメの姿そのもので、彼の内側では感動を主とした様々な種類の激情がマグマのごとく噴出していた。しかし、活性化の余熱が残る思考は目まぐるしく回転し、自分の前に西住まほがいることへの疑念を強く訴えた。彼女はようやく二年生に上がる頃で、自分も今年でようやく一年生。黒森峰女学園に入学すらしていないのに、洋上の学園艦にいるはずの西住まほが逸見エリカの前に現れるのは不自然だ。

「なんで、アンタが、私なんかのところに」
「逸見エリカ。貴女は周囲への分析だけではなく、自身にももっと目を向けるべきよ。どんな評価をされ、どんな価値付けをされているのか、もっと知るべきだわ」
「……誰にどう思われようと、興味ないわ、そんなの。私は戦いたいだけだもの」
「そこは評判通りなのね。でも、なればこそよ。戦い続けたいなら、これからの自分の伸びしろを、その実力に見合う居場所を、一緒に戦列を並べるに相応しい仲間を探すべきよ。そうは思わないかしら」

 その台詞が黒森峰女学園への勧誘を意味していることは明らかだった。明らかだったが、やはり西住まほが自分を直接勧誘に訪れることへの合点がいかない。オファーの手紙は来ていない。そも、わざわざ人を寄越すのなら専門のスカウトマンでも寄越せばいい。一流の学園なのだからスカウトマンくらい掃いて捨てるほどいるはずだ。現役の、しかも将来有望な生徒を雑用に使う道理はない。それに、原作の西住まほに似合わない積極さにも違和感が募る。
 未だ訝しむ彼を見て、「戦い以外では鈍いのね」と再び呆れ半分面白さ半分といった溜息を落とし、そして声に少しの恥じらいを混ぜて告げる。

「私は、犬好きよ」
「……は?」

 確かに、劇場版では犬を飼っている描写もあった。しかし、それとこれと何の関係がある? 西住まほは不思議ちゃんというキャラ設定だったか? 

「えっと、その……私も、犬は嫌いじゃない、けど」

 額面通り、バカ真面目に答えてしまう。考えども考えども首が傾いていくばかりでまったくわからない。ますます動揺して目を白黒させる彼に、まほはこの日初めて表情の変化を魅せた。パチクリと目を開け閉めし、クスリと綻んだ頬で笑う。人間味がグッと増し、目の前の原作キャラが等身大の人間(・・)になる。

「なんだ、もしかして、貴女は自分のアダ名も知らないの? 有名人なのに」
「アダ名……?」

 そういえば何度か耳にした気がするが、覚えていなかった。戦車道に熱中する彼にとって自分の評判やアダ名など知るべくもない。そんなことを気にする暇があれば戦車道をやっている。己の将来性豊かな美貌にすら興味を示していないのだからそれも必然のことと言えばそうだが、そこまで戦車道に入れ込んでいる少女もなかなか珍しい。だが、笑われる謂われはないはずだ。
 思わずムッと唇をつきだして表情を顰めるも、まほは怖じける様子もなくクスクスと年頃の少女のように前髪を揺らし続ける。こちらの気も知らずに、と直情的な怒りが込み上げ、声を荒らげようと口を開きかけ、

「―――狂犬(・・)

 スッと見開かれた怜悧な双眸に意識をギクリと縫い止められた。先ほどまでの柔らかな印象を脱ぎ捨て、再び冷徹な声となったまほが続ける。

「“熊本に狂犬あり。その名は逸見エリカ。熊をも殺す猛犬なり”―――自分のアダ名くらい知ってて損はないわ。戦う前から敵を威圧できるし、時にはそれを心理戦にも使用できる。アダ名に実力が伴っていれば、尚さらよ」

 一歩、彼が引いた分の間合いをまほが詰める。澱みのない武芸者の歩みはこちらが退く隙も与えなかった。ジャリ、という音が二人きりの格納庫にやけに大きく響き、鼓膜を震わせる。原作ではまほとエリカの間には小指一本分ほどの身長差があったが、今はまだ両者とも同じ目線だ。眼球の底まで見透かすような強い視線を目と鼻の先から受け止め、彼はゴクリと息を呑む。鳶色の双眸はすでに誰彼なく引き寄せ束ねる“強者”の光を湛えていた。そして、どこか張り詰めたような正体不明の必死さも滲んでいるように見えた。

「私は犬好きよ。どんな犬でも飼い慣らせる自信がある。例え、どんなに獰猛な狂犬でも」
「―――私にリードをつけるっていうの?」
「察しが良いわね。その通りよ」
「―――でも、アンタの学園は、黒森峰女学園はそうは思ってないんでしょう?」
「……それも、察しが良いわね。その通りよ。正直に言うと、こうして貴女に会うのも一苦労だった。家元にも言われたわ。貴女の戦い方は、黒森峰の伝統にも西住流の流派にも合わない邪道だそうよ」

 厳しい言に、「当然ね」と彼は目線を落として肯定する。永遠に続く落とし穴に落ち続けているような空虚感が足元から這い上がってくる。
 今にして思えば、原作の逸見エリカの戦い方こそ、戦車道における正道中の正道だった。規律正しく整然と行動し、隊長の命令に忠実に従い、緊急時には隊長の身を真っ先に案じて駆けつける。忠犬そのものの在りようは、だからこそ、個々のスキルよりチームワークが重要視される戦車道の戦いにおいて“統率の要”という極めて優れた武器となる。中学までは個人のスキルが大いに通用したが、高校からは、特に全体の統一された戦術を重んじる黒森峰では、狂犬の我流は通用しまい。何より、肌に合わない。でも、これからどうすればいいのかもわからない。
 肩を落とした彼に諦観の気配を察したのか、まほは取り繕うように少し早口になって捲し立てる。

「でも、私は貴女を使いこなしてみせるわ。全国大会での貴女の戦いを見たの。ただの自暴自棄の突撃とはわけが違う。貴女が魅せた純粋な攻撃力は世界にも類を見ない。こんな凄い子がいるのかと心から驚いたわ。“これだ”と確信した。あの苛烈さと強さは、我が校にとって絶対に有用になる。間違いないわ。学園は説得してみせる。家元もなんとかする。だから―――」

 熱が篭り出したまほの言葉尻を、彼はすっと掲げた手で制した。彼女が自分に何を見出してくれたのかは定かでないが、自分は大それた期待をされるような人間ではない。しょせんはまがい物(・・・・)に過ぎない。原作キャラの足手まといとなってしまうことだけは絶対に避けたい。自己否定に苛まれながら、卑屈に唇を歪ませる。

「お断りよ」

 落とした視線の先で、まほの指がピクリと震え、花が枯れ萎むようにぎゅっと握りしめられる。小さな拳は今にも格納庫の薄闇に溶け消えてしまいそうだ。胸が締め付けられる思いを味わいながら、せめてなるべく傷つけないよう努めながら拒絶の言葉を紡ぐ。

「西住流次期家元からの直々のお誘いはとても光栄に思うわ。自慢して言い触らしたいくらい。だけど、断るわ。“狂犬”が貴女たちの戦い方に染まれるとは思えない。今さら染まるつもりもない」

 目を合わすことが出来ない。きっと彼女を失望させてしまった。原作キャラと会えた興奮は完全に冷えきり、後に残ったのは寂しさと申し訳無さだけだ。自分のような不純物が逸見エリカになってしまったせいで、我の強い戦い方にばかりかまけてしまったせいで、西住まほは妹以降の忠実な副官を失うことになってしまった。その痛手は物語にどれほどの悪い変化を与えてしまうだろう。せめて、これ以上悪くならないように、自分は身を引くべきだ。

「黒森峰は生徒数も多いし、優秀な生徒ばかりなんでしょう? 私よりもよっぽど良い人材がいるわ。心配せずとも、私なんかがいなくてもアンタならどんどん勝ち上がっていける。聞いているわ、妹さんも優秀なんでしょう? それなら、私がいても迷惑になるだけよ。せっかく来てもらったのに申し訳ないけど―――」

「みほは、優しすぎるんだ」

 唐突にポツリと零れ落ちたそれは、今にも消え入りそうなほどに小さく、苦しげで、思い詰めた声だった。アニメですら聞いたことがないような弱々しい声音にハッと顔を上げた彼は、目の前に晒された表情にドキリと心臓を掴まれた。どんな窮地に立っても精悍さを崩さなかった目が、顔が、今にも泣き出しそうに澱み、引き攣っていた。
 みほ(・・)―――西住みほ(・・・・)。西住まほの妹であり、隊長となった姉を支えることになる未来の副隊長。優しさ故に油断し、学園の敗北の原因を作り、姉の元を去っていくことになる、悲しい宿命を背負った少女。

「みほには―――妹には、戦車道の才能がある。ずっと傍にいた姉の私にはわかるの。私以上の天賦の才能を持ってるわ。いずれ隊長になるに相応しい。でも、優しすぎるの。誰も見捨てられない。それはとても良いことだと思う。けど、時には仲間を犠牲にしてでも勝利する黒森峰の戦い方は、あの娘にはつらいかもしれない。いえ、今もつらさを覚えているかもしれない。私がそれを慮ってあげられるうちはいい。でも、私の責任が増えていくに連れて、みほばかりに目を向けていられなくなる。今ですら副隊長として隊をまとめあげるのに手一杯なの。いつの日か、私の目の届かないところであの娘は孤立していくわ。限界が来たその時、優しいみほはきっと深く傷ついてしまう」

 その通りだ。まほの予感は的中している。これから一年後、記念すべき10連勝がかかった黒森峰対プラウダ戦で、みほの目の前で仲間の戦車が川に落ちることになる。激戦の中でその場に駆け付けられる余剰戦力はなく、回収車も間に合わない。溺れかけている仲間を助けられるのはフラッグ車を任せられたみほだけだった。みほは迷うこと無く戦車を乗り捨てた。結果、動きを止めたフラッグ車は撃破され、戦況を有利に進めていた黒森峰女学園は敗北を喫してしまった。浅慮な愚行で学園と西住流の双方に泥を塗ったとして、みほは周囲からも母親からも激しく責められ、そのせいで強いトラウマを抱えてしまった。意気消沈する彼女は、逐われるように黒森峰を後にすることとなった。隊長だったまほは、その役目と責任からみほを擁護することも出来ず、小さくなっていく背中を見送ることしか出来なかった。
 原作知識で未来の顛末を知る彼だが、姉まほが事前に抱えていた苦しみは原作には描かれていなかった。驚きとともに呆然とする彼を、「だけど、」とまほが再び見詰める。強者の波動が失せ、懇願の色が混じる。

「だけど、優しさを実現させうるだけの“戦力”があれば……。今の黒森峰では、まだ上手く噛み合わないかもしれない。でも、みほが隊長になった時、あの娘の臨機応変な作戦を支える強力な武器(・・)となり、弱点となる甘さを補って余りある攻撃力(・・・)があれば―――」
「―――みほは傷つくことなく、笑ったままでいられる」

 結論を先んじた彼の台詞に、今度はまほが視線を落として頷いた。どうして彼女が直接スカウトに来たのか、その不自然な必死さにも納得がいった。一人が優し過ぎるのなら、その優しさを犠牲にするのではなく、もう一人の激しさで補う。自分にそれが出来ないのなら、それが出来る誰かに助けを求めるしか無い。まほが“狂犬”を必要とした本当の理由は、黒森峰や、西住流や、あまつさえ彼女自身のためでもなかった。妹みほを護り支えるに足る“番犬”として、彼に助力を乞うたのだ。
 黙して何も言わない彼に、まほは絞りだすような声で縋る。

「貴女が、必要なの」

 必要(・・)。その言葉にはたしかに言霊が宿っていた。空っぽだった肉体(タンク)に燃料を注ぎこみ、心臓(エンジン)に火を入れる“熱”が詰まっていた。
 自分の戦い方を、自分の人生そのものを、他ならぬ原作のキャラクターから肯定される。憑依者(にせもの)だった彼を一人のキャラクターとして求め、認めてくれるその言葉は、今まで感じたこともない喜びを、安堵感を、地に足をつける充足感を漲らせた。

「逸見エリカ、貴女が必要よ。貴女の力がいるの。貴女以外では絶対に務まらない。我々には―――、いいえ、あの娘には、きっと貴女こそが必要なのよ」

 お前こそが必要だ(・・・・・・・・)。男なら誰もが鳥肌を立てて覇気を漲らせる、魔性の言葉。魂のギアを全開にし、死ぬまで走る覚悟を与える魔法の呪文。
 西住まほは、無意識かつ本心からそれを使ってしまった。ようやくガールズアンドパンツァーの大地(せかい)を踏みしめたばかりの彼に対して、その呪文がどのような結果を招くかも知らずに。

「もしも貴女が黒森峰女学園に来てくれると言うのなら、私は全力で入学を実現して、我が隊に入隊させて、そして貴女を使いこなしてみせる。貴女の有用性を証明し、周囲に貴女を認めさせ、我が隊の戦力に完璧に組み込んでみせる。だから―――」



 ぐるるるる……



 獰猛な獣が獲物を前に喉を鳴らしたような、地響きにも似た唸り声が格納庫に響いた。ティーガーのエンジン音かと聞き紛うて正面に目を向けたまほは、それが間違いであり正解でもあることを瞬時に悟った。
 今、彼女の目の前にいる少女の皮を被った“狂犬”は、まさしく戦場の王虎と畏怖されたティーガーⅡの心臓部(エンジン)に他ならないのだ。
 闇を切り裂いてギラつく凶暴な瞳孔、触れれば切れそうなほど鋭い八重歯、雪山の白狼の如く逆立つ銀の髪―――。

これだ(・・・)―――!)

 その凄みに気圧されながら、まほはむしろ不敵な笑みを浮かべて武者震いに震えた。紛れも無い。これこそ、彼女が妹のために探し求めた純粋な力―――“狂犬”逸見エリカの真の姿だった。




 ガルパンおじさんなら誰しもが想像しただろう。“もしも、西住みほが黒森峰を去ること無く残留していれば、どうなっていたか”―――。おそらく、みほにはいずれ限界が訪れただろう。少女たちの輝かしいドラマは生まれず、黒森峰に栄光の光は差さなかったかもしれない。
 だが、この世界では少し事情が違った。

 雲一つない晴天の下、眩しい陽光が照り付ける広大な富士演習場を舞台に、二列に並ぶ少女たちが睨み合う。
 かたや強大な敵として眼前に立ち塞がるのは、軍神もかくやの活躍で弱小校を見事導いて決勝戦まで上り詰めた、大洗女子学園隊長にして島田流宗家の一人娘、島田愛里寿。
 かたや彼女と真っ向から正対するのは、その名の知れた強豪校にして、歴代最強と謳われる黒森峰女学園隊長、西住みほ。
 
 そして今この時、みほの後ろに一歩下がり、敵を威圧するように腕を組み仁王立つ彼女(・・)、逸見エリカは、忠犬ではなく、黒森峰の狂犬(・・・・・・)として―――そして、誰よりも西住みほが信頼を寄せる副官兼親友として、このIFの世界にその名を轟かせていた。

 果たして、彼女たちがこれからどんな物語を紡いでいくのか―――それは、ガルパンおじさんの夢のみぞ知ることかもしれない。











 夢の一部を、少しだけ。



『―――大洗女子学園、ポルシェティーガー、89式中戦車、走行不能! 残りフラッグ車一両!』
『―――黒森峰女学園、ティーガーⅠ、ティーガーⅡ、走行不能! 残りフラッグ車一両のみ!』


「―――結局、隊長同士の一対一に持ち込まれたか」


 ティーガーⅡの装甲に背を預け、そういえば原作通りだな、と彼女(・・)は心中に独り言ちた。ぐっと顎を傾けて頭上を見上げれば、焦げだらけの愛戦車の上部装甲で“走行不能”を意味する白旗がのんびりと風にはためいている。
 彼女は、久しぶりに自分がこの世界への転生者であったことを思い出した。この2年間、必死になり過ぎて、自分の正体すら頭からスッポ抜けてしまっていた。苦笑しつつ、土埃に塗れたスカートをパタパタとはたく。世界の修正力とでも言うのか、部外者がどんなに邪魔をしても物語の流れを元に戻そうとするような未知の力でも働いているのかもしれなかった。けれども、結末までは世界の思いどおりにはならない。最後を決めるのは、いつだって人間の底力なのだから。
 ティーガーから伸びた無線機に口を近づけ、崩れかけた廃校舎の方角に目を向ける。時折轟音と猛煙が上がるそこでは、彼女の隊長であり親友が今まさに敵のフラッグ車と一騎打ちを始めようとしている。

「―――隊長、ごめんなさい。やられたわ。残りはアンタのティーガーⅠと敵のⅣ号戦車だけよ」
『ううん、大丈夫。エリカさん、怪我はない?』
「他人のこと心配してる暇があったら、さっさと試合を終わらせなさい。せっかく冷やしてるビールがヌルくなっちゃうわ」
『ふふ、ビールはノンアルコールなんだけどね。―――ねえ、エリカさん』
「なによ?」

 無線機の向こうから、意を決するような気配がした。一拍を置いて、聞き慣れた明るい声が弾ける。

『―――今まで、ありがとう。エリカさんがいなかったら、私はここまで来れなかった。貴女が副官でいてくれて、親友でいてくれて、よかった』

 彼女はまたもや顎を傾けて頭上を見上げる。視界に映る白旗がじわりと滲んで見えた。頬を伝い落ちそうになるのをかろうじて目尻で押し留めながら、絞りだすように応える。

「―――馬鹿言ってんじゃないわよ。試合に集中しなさい」
『うん、わかった』

 くすっと微笑と共に返ってきた返事は、まるで彼女の様子を覗き見ているかのようだった。いや、本当に見えているのかもしれない。入学して、みほと出会って、今日までに結ばれた二人の絆は、それくらい強固なものだから。
 まるで走馬灯のように、今までの思い出が風となって脳裏に流れる。喜怒哀楽、様々な経験を共に味わい、乗り越えてきた。それら全てが、今日この日に向かって繋がり、結集されているのだ。
 だから―――。そう、特別な今日くらいは、照れ隠しなんてしなくてもいいだろう。

「―――私もよ」
『えっ?』
「私も、貴女と出会えてよかったわ。貴女を支えることが出来てよかった。西住みほの副官になれて、西住みほの親友になれて、本当によかったと思ってる」
『―――エリカ、』
「さあ、行きなさい、みほ。どんな結果になっても、私は貴女を誇りに思う。貴女を笑って迎えてあげる。だから、どうか、後悔のない戦いをして」
『―――わかった! 行ってくる!』

 覚悟を決めた返答を最後に、無線は途切れた。それでも、そっと瞳を瞑れば瞼の裏に光景がはっきりと映し出される。親友の言葉を力に変換したみほが、目を見開いて全身全霊の号令を咆哮する。「戦車前進(パンツァー・フォー)!!」、と。


 ああ、私は、なんて幸せなのだろう。ただのガルパンおじさんだった私がここまで至れるなんて、私は世界一の幸せ者だ。



 ドーン、という2つの砲撃音が同時に重なって世界を包み込んだ。Ⅵ号戦車(ティーガーⅠ)とⅣ号戦車が至近距離で撃ち合った音に違いなかった。力強い轟音は、澄んだ空気を伝って遥か地平線まで届くようだ。今日は本当にいい天気だ。こんな日は、きっと、



『―――フラッグ車、走行不能、よって勝者は―――!!』




「冷たいビールが、美味しく飲めそうね」






 なお、今作の逸見エリカは催眠音声の視聴が趣味であり、ことそれを使用した自慰行為に関しての拘りには決して妥協がない。ハンドルネームは「ハンバーグ」である。


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そのエリカ、猟犬につき 前半

>ガンバスター  1話 2016年03月20日(日) 08:15
>みほが隊長で憑依エリカが副官のままなら、まほはどうしたんでしょう?
>対戦相手視点での狂犬エリカの厄介さはどんな感じだったのやらww


だがそれが逆に主(ぬし)の逆鱗に触れた!


夢の続きを、もう少しだけ。








「―――今日から、貴女のチームメイト兼ルームメイトとして世話になるわ。これからよろしく、妹さん」


 副隊長になったばかりのお姉ちゃんが、周囲の反対を押し切ってまでスカウトしてきたというその人は、私とはまるで正反対の女の子だった。同い年とは思えないくらい落ち着いていて、頭もいい。かと思えば、大雑把で、ぶっきらぼうで、仕草もどこか男の子みたい。人付き合いは、苦手というより面倒だと思ってる風で、いつもつっけんどんとしていた。同じ戦車道を選択する友だちともほとんど会話らしい会話をしなかった。せっかくの美人がもったいないと何度も思った。


「―――さすがね。私を撃破するなんて、やるじゃない」


 その人は、強かった。中学の頃から噂は聞いていたけど、本物を前にすると勝手に身体が竦み上がった。戦車をまるで自分の手足のように操り、鈍重なはずの愛機を生き物みたいに躍動させて縦横無尽に奔らせた。生半可な戦術は、その人の前ではまったく意味をなさなかった。怪我も恐れず、それどころか死んでしまうことすら怖がっていないようだった。砲弾の雨に身を晒しながら、幾重に敷いた伏兵や包囲網をいとも容易く噛み千切って肉薄してくるその表情はその人の怖いアダ名(・・・)そのもので、練習試合だというのに私は思わず恐怖を覚えて震えてしまうほどだった。その人と戦う時、私はいつも必死にならないといけなかった。


「―――イヤよ、私は私の好きなようにやる。必要以上に首輪(リード)を付けられるのは御免だわ」


 その人は、誰の言うことも聞かなかった。聞けない、という方が正しいのかもしれない。いざ戦いに投入されたら、あっと言う間に作戦も命令も忘れて本能のままに敵陣深く突入していく。学園やお母さんが入学を渋った理由もきっとそれだと思った。だけど、その人を怖がっても、その実力を疑う人は誰もいなかった。命令を破っても、期待は裏切らなかった。お姉ちゃんでさえ、その人の扱い方に苦労はしても、頼りにしていた。


「―――副隊長へ昇進したそうじゃない。よかったわね。アンタ、指揮は上手いもの」


 副隊長になんか、なりたくなかった。私には荷が重すぎると思った。本当に副隊長になるべきなのはその人なのにと思った。
 私は、その人が苦手だった。






「―――ああ、やっぱりここにいた。こんなとこでなに縮こまってんのよ、副隊長様のくせに。まあ、私も戦車の中は好きだけど」


 でも、どうしてか、その人は私の悩みや苦しみを誰よりもわかってくれていた。
 その時の私は、戦車道を続ける意味が見出だせなくなっていた。流されるままにお姉ちゃんの後を追いかけていたら、あれよあれよという間に副隊長を任せられて、私は息が詰まるような窮屈さに苦しんでいた。副隊長なんて私には無理だと思ったけど、お姉ちゃんに「頼む」と言われたら、どうしても断れなかった。「頼む」なんて、お姉ちゃんの口から聞くのはそれが初めてだったから。ただでさえ、お姉ちゃんも2年生になってすぐに隊長という立場を任されて大変な思いをしているはずだから。顔に出さなくても妹の私には痛いほどわかった。頑張っているお姉ちゃんの負担になりたくなかった。
 ……でも、もう限界だった。どこに向かえばいいのか、どうすればいいのか、なんにもわからなかった。まるで、自分に自分が置いて行かれているようだった。自分の基礎となったはずの西住流のやり方にも疑問を抱えたまま、いつの間にか自分が本当に戦車道を好きだったのかもわからなくなって、私は自己嫌悪に陥っていた。期待してくれる周りの人たちを失望させたくなかった。その気持ちを打ち明けようとした時には、お姉ちゃんの背中はもう遠いところに行ってしまっていて、悩みを言える人が誰もいなくなっていた。身体を錆が蝕んでいくような、じわじわと心が裂けていくような、日に日に心身が軋んでいく息苦しさに苛まれていた。
 私は、一人ぼっちだった。


「―――ほら、ポカンとしてないで、ちょっと場所開けなさいよ。ティーガーⅠは狭いんだから。はい、これ。アンタ、ココア好きだったでしょ」


 そんな私の心を、その人は誰よりも真っ先に見抜いて、呆然とする私の隣にそっと寄り添ってくれた。差し出されたココアは淹れたてで、さっと肩に掛けられたブランケットと同じくらい暖かった。


「―――ボコっていうんでしょ、このクマ。ふふ、実際に見たのは初めてだけど、ホントに趣味が悪いわねぇ。可愛くないし、世間じゃマイナーだし、ちっとも売れてないもの。でも、他人がどう言おうと、それがボコを好きでいることをやめる理由にはならない。そうでしょう?」


 ティーガーの中で二人きり、ブランケットに包まれて肩を寄せ合いながら、その人は私のボコ人形を指先で優しく撫でてくれた。それまで見たこともなかった綺麗な微笑みは、美人な横顔にとてもよく似合っていた。


「―――ねえ、みほ(・・)。アンタはアンタのままでいいの。他人がどう言おうと、誰と比較されようと、何と関連付けられようと、自分を見失わないで。私は知ってる(・・・・)。アンタは、アンタだけの戦車道を持ってる。才能がある。間違いない。私は見てきたように(・・・・・・・)知ってるわ(・・・・・)。だから、もっと自分を信じなさい」


 どうして、そこまで力強く私を評価してくれるのだろう。才能なんて無い。自分の戦車道なんてわからない。だって、自分のことばかり考えて、ルームメイトがこんなに優しかったことにも気がついていなかったのに。苦手だとも思ってしまっていたのに。自信を持てと言われても、私自身の中に、その根拠を見出だせない。


「―――やっぱり無理? 副隊長なんかできない? ああ、もう。まったく、しょうがないわねえ」


 情けなさと不甲斐なさに押し潰されて、立てた膝に顔を埋めた私に、その人は「使い古された台詞かもしれないけど」と苦笑しながら私の頭をさらっと撫でた。


「―――自分を信じられないのなら、それでいい。それもアンタの良さよ。だったら、私を信じなさい。私は全力でアンタを信じる。誰よりも強く信じる。だから、アンタは、西住みほを信じてる私(・・・・・・・・・・)を信じなさい。……これなら、どう?」


 その言葉は、雲間から差し込んできた太陽の光みたいに私の心を暖かく照らしてくれた。見上げれば、その人は赤らんだ頬を銀白色の髪に隠して気恥ずかしそうに目を背けた。
 いつから見ていてくれたのだろう。いつから気遣ってくれていたのだろう。戦うことしか頭にないと思っていたその人は、本当はものすごく優しくて、私のことを深く理解してくれていた。
 私は一人なんかじゃなかった。
 その日から、私は一人じゃなくなった。
 私は、私だけの戦車道を見つけた。親友を信じて、親友に信じてもらって、親友と一緒に力を合わせて勝利を目指す、私の大切な戦車道。




 そして、今日。黒森峰女学園の10連覇をかけた決勝戦。
 私が初めて隊長として挑む戦い。
 



「―――いいわ。命令通り、死んであげる(・・・・・・)、西住隊長」




 私は、親友に死を命じた(・・・・・)






 その人は、暇な時はいつもヘッドホンをつけていた。何を聴いているのかは教えてくれなかったけど、たまにビクビクッと肩を震わせているのがとても気になった。今度、こっそり聴いてみよう。


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そのエリカ、猟犬につき 中編

エリみほはいいぞ


麗しき乙女が岩に立ちて(Die schönste Jungfrau sitzet Dort oben wunderbar,)
黄金の櫛を手に(Ihr goldnes Geschmeide blitzet,)
その美しい髪を梳いている( Sie kämmt ihr goldenes Haar. Sie kämmt)
乙女が口ずさむ歌の音色の(es mit goldenem Kamme, Und singt ein Lied dabei;)
いと妖しき魔力に魂は迷い彷徨う(Das hat eine wundersame, Gewaltige Melodei.)



 それは不思議な光景だった。
 降り続く豪雨にうねる谷川の河心に、ポツンと一つ、歌う少女の上半身が浮いている。成人前の透き通った歌声は遠雷の間をすり抜けて地平の果てまでも届くようだった。肩まで届く銀白色の髪は芯まで濡れそぼち、黒色の衣服が張り付いて肢体の凹凸を強調する様はあらゆる男をかどわかして目を離させない妖艶さを漂わせている。まるでライン川の人魚(ローレライ)伝説を仄めかすよう少女だったが、その下半身は魚の尾ひれのような生易しいものではなかった。豪雨に濁った川水の中に、漆黒色の巨大で硬質な何かが鎮座している。少女はその上部に開いた開口部(ハッチ)から半身を覗かせていた。
 不意に、激しい濁流を物ともしない鋼鉄の塊の内から、少女とは別の少女たちの声がした。

副隊長(・・・)、応急修理完了しました。S装備(・・・)はもう限界です。着水の衝撃が強すぎました。通信装置も浸水にやられてます。なにせ、付け焼き刃の耐水処理でしたから」
「機銃もダメです。衝撃で砲身が曲がってます。主砲の遠距離用照準器(スコープ)も使えません」
「駆動系にも問題があります。機関内にまで少しずつ水が入ってきてますから、いつ壊れるかわかりません」

 哀愁に満ちた歌声がピタリと止み、しばし濁流の轟々とした音だけが世界を支配した。暗闇の中、息を殺して返答を待つ少女たちの気配は、その絶望的な報告の内容とは正反対に猛々しく尖っていくようだった。

「―――へえ、とっても素敵な話じゃない(・・・・・・・・・・・・)

 じわり、と銀白色を帯びた双肩に闘気が立ち昇る。いや、もはや狂気(・・)というべきか。目を潰され、爪を剥ぎ取られ、耳を千切られ手足を失おうと、敵に喰らいつく牙さえあればいい。余計なものを削ぎ落とした方が本来の力を出せる。その熾烈さ、飽くなき闘争本能こそ、彼女が狂犬(・・)と恐れられる由縁だ。そして、この一年間、彼女と共に軍場(いくさば)を馳せてきた少女たちもまた、幸か不幸かその影響を存分に受けていた。狂犬の激情に焙り立てられるように、少女たちの息遣いも獣のように荒く激しく高ぶっていく。狂犬に見出されたアウトローたちが、瞳を光らせ犬歯を剥き出しにして群長(むれおさ)の命令を今か今かと待っている。

「―――行くわよ。火を入れなさい。みほが待ってるわ」
了解(ヤヴォール)、ヤヴォール、フラウイツミ」

 命令に対し一切のタイムラグのない応答を返し、少女たちが弾けるような動きでそれぞれの機器を操作する。瞬間、鞭打たれた海中の獣がゴゥンと力強い咆哮をあげて目を覚ます。もはや枷でしかなくなった壊れた装備を次々にかなぐり捨て、身軽になった戦場の王虎が前進を開始する。水面を掻き分けてゆっくりと姿を露わにしていくそれは、凶悪な破壊力を秘めた人造の巨獣だ。全てを砕き流す濁流を真正面から跳ね返し、轟雷豪雨に負けじと唸り声を轟かせて前進する。

「さあ、作戦開始(・・・・)よ。戦車前進(パンツァー・フォー)



 恐るべき狂犬が背後から迫っていることに、彼女たち(・・・・)は気づかない。








―――ごろごろごろ……


 天上の湖に穴が空いたかのようだった。ドウドウと滝のように降り落ちる雨が泥濘んだ地面にぶつかり、湯煙のような濃密な靄が森林深く立ち籠めている。時折、世界そのものに亀裂が走ったような稲光が暗雲に走ったかと思うと、続け様に大地を叩きつける轟音が鳴り響いて四囲の木々を青白く浮き立たせる。
 そんな激しいスコールの直下にあっても、この動く鋼鉄の茶室(・・・・・・・)には―――聖グロリアーナ女学院フラッグ車、チャーチル歩兵戦車 Mk.VIIの内部には常に一定の静けさと芳醇な紅茶の香りが漂っていた。砲塔を打ち付けるやかましい雨音も、足元で無限軌道履帯(キャタピラ)が石を踏み砕く音も、見当はずれな敵の砲撃が頭上を飛び越えていく音も、特別な防音加工が施されたカーボンコーティングのおかげでまったく不快ではない。グロリアーナの戦車には必須の湯沸し器(BV)が立てるコポコポと小さな音すら聞こえるほどだ。

「……どうせ黒森峰を倒すのなら、西住まほさんと戦いたかったですわね」

 カチャ、と耳心地の良い音を立て、ソーサーにカップを置いた美貌の乙女が至極残念そうな溜息を落とした。砂金色の髪を後ろで丁寧にまとめた少女は、この素晴らしいチャーチル歩兵戦車の車長でもあり、グロリアーナの隊長でもあるダージリンである。半分ほどになった彼女のカップに沸かしたばかりの紅茶を注ぎ足しながら、彼女の腹心でもあるオレンジペコが「仕方ありません」と苦笑を伴って応える。

「西住まほ前隊長(・・・)はこれまでも国際強化選手として文科省から長らくお呼びがかかっていましたから、むしろ前回の準決勝(プラウダ)戦まで隊長の立場に留まっていられたことの方が僥倖なのでしょう。来年の国際大会に向けて政府は国をあげて取り組んでいるようですし、お役人様からしてみれば、大事な人材に怪我でもされたらたまらないというお考えなのかもしれません」
「それは(わたくし)もわかっていますわ。だからこそ、まほさんに対して疑問や不満が残るのです。どうして、このタイミングで隊長を譲って(・・・・・・)しまった(・・・・)のか……。これではまるで、優勝旗を放り渡されたようなものだわ」

 ダージリンは眉根をほんの少しだけ寄せて、シミひとつ無い眉間に有るか無しかというほどの皺を作った。それをチラと横目に入れたオレンジペコは、彼女の慕う冷静沈着な隊長が何時にない苛立ちを覚えていることを察して角砂糖を一つ多めに彼女の紅茶に入れる。そして、自身の紅茶にも同じように一つ余計に角砂糖を落とした。

(ダージリン様のお怒りも無理ないわ。こんな、湿気てしまったクッキーみたいな戦いなんて)

 胸中に不満を吐露し、眼前に備え付けられた視察窓(バイザー)を何気なく覗きこむ。戦闘車両特有の光量を落とした灯火管制灯(ヘッドランプ)が暗闇を弱々しく押し広げ、かろうじて正面数フィート程度の光景を淡く照らしている。しかし、オレンジペコの膝上に広げられたラップトップ・コンピュータには、グロリアーナの諜報力によって作成された現フィールドの綿密な俯瞰図(マップ)が投影され、進むべき進路を精確に表示していた。現在、彼女たちが進んでいるのは巨木が連なる森林に挟まれた幅100フィート(30メートル)ほどの鬱蒼とした藪道だ。その終着点まで視線を這わせれば、敵車両の予想位置を示すマーカーが―――今や見る影もなくなったかつての強豪校の群れが恐怖に身を寄せ合っていた。

「袋のネズミ、ですわね」

 ダージリンの別命(・・)に従って特殊な照準器(スコープ)に視線を注ぐ砲手のアッサムがさもつまらなさそうにボソリと呟く。それは今の黒森峰の例えとして適確に過ぎた。
 遠い昔に落ちた隕石の痕跡だろう。マップには、森のなかに突如ポツンと開けた窪地(クレーター)が映し出されている。追い立てられた黒森峰女学園は、18両の残存戦車をまるで身を縮こませるようにしてそこに無理やり押し込ませていた。彼女たちの背後となる北側には自然の脅威を感じさせる巨大な岩山がそびえ立ち、それ以上の後退を阻んでいる。そこに向かって、クルセイダー巡航戦車5両を率いるダージリンたちの本隊が南側からじわじわと進軍している。それだけではない。本隊とは別に、東西両側からもそれぞれグロリアーナの一隊が木々を薙ぎ倒して迫る手筈となっている。北は壁に阻まれ、南からは敵本隊、東西からも挟み撃ち。まさにネズミ一匹逃げる隙間もない。逃げ場を奪った状態で、各6両編成の3隊が三方から襲いかかる完璧な包囲網だった。
 さらに情け容赦のないことに、その地形特性として窪地は周囲より一段低くなっている。古来より、戦いではより高所を確保した方が有利とされる。低地からは角度のせいで狙いはつけにくく、高地からは逆に狙いやすいからだ。その証拠に、前方の暗闇から放たれてきた砲弾はまたもや的はずれな弾道を描き、遥か手前の樹木の根本を抉るに留まった。前面最大装甲圧6インチ(152.4ミリ)を誇る重防御のチャーチルなら例え正面から直撃しても大したダメージにはならないだろうが、ヘッドランプをつけて真正面から迫る相手に掠らせることも出来ないとは素人同然だ。先ほどから絶えず砲撃音は聞こえるものの、直撃弾は数えるほどもない。「いったいどこを狙って撃っているのかしら」とアッサムが嫌悪感すら滲ませて呟く。黒森峰の砲手たちが冷静さを欠いているのは明らかだった。
 この鬱陶しい森を抜ければ、グロリアーナは高所から黒森峰を見下ろし、一斉砲火で嬲り尽くすことになるだろう。まともな反撃すら来ない状況で、あっと言う間に、一方的に、黒森峰を駆逐してしまうだろう。ダージリンたちは優勝を目前にして、宿敵との決着のあまりの呆気なさに、その後に噛み締めるだろう後味の悪さに、今から辟易しているのだ。
 今の黒森峰に勝ち目などないことは1年生であるオレンジペコにも胸に痛みを覚えるくらい理解できた。世界に名を馳せた強豪校がよりによって決勝戦でこんな無様を晒すなんて。これからの人生でこんな戦い方をする側にだけはなりたくないと、目を背けたくすらなった。


―――ごろごろごろ……


 相変わらず豪雨は止むどころかどんどん激しさを増している。踏破性能の塊である戦車にとって、水たまりや泥濘み程度は何の障害にもならない。問題となるのは頭上で生じる凶悪な放電現象だ。

「東西の別働隊との無線はまだ繋がらないのかしら?」

 雷は、発生すると強力な電磁波を非常に幅広い周波数帯で広範囲にわたって放射するため、無線通信の大敵として知られている。東西から伝わる遠雷の中に時々砲撃音が交じるのは微かに聞こえるが、肝心の通信が出来ない以上、別働隊の動きがまったく把握できていないのが現状だった。

「は、はい。あらゆる周波数を試していますけど、返ってくるのは雑音ばかりですわ。ほんの15分前までは西側の部隊とギリギリ繋がっていたんですけど……。たった数キロしか離れていないのに、この距離で通信すら出来ないというのは初めてです。よほどひどい電磁波が発生しているのかもしれません。この様子では、天候が回復するまで通信は不可能だと思いますわ」
「そう……。通信でタイミングを合わせられないのでは、三方同時攻撃は無理ね。まあ、いいわ。こんなこともあろうかと侵攻速度はあらかじめ揃えておいたのだし、コンピューターマップは全車両に配備されてる。それに、無線が使えない条件は相手も一緒。むしろ、精確な地図で連携をとることのできる私たちの方が有利だわ。私たちの勝利は決して揺るがない。だから、そんなに心配なさらないでいいのよ」

 通信手の気まずそうな報告にもダージリンは揺るがない。不安げな通信手をその微笑みでやんわりと窘めながら「せめて最期は一瞬で終わらせてあげたかったわね」と頬に手を当てる。その表情に、先ほどまでの苛立ちなど微塵も見つけられない。
 敵が失敗を犯せば、そこに全力でつけ込むのがグロリアーナの流儀だ。それは決して卑怯なことではない。手心を加えることこそ悪質極まる侮辱だ。敵に対して真に敬意を払うのなら、全身全霊を持って堂々と完膚なきまで叩き潰すことこそが騎士道。そう信じて疑わないのが、押しも押されぬ強豪校である聖グロリアーナ女学院の隊長、ダージリンなのだ。
 実際、気象によって無線が限定されるという想定外の事態下に遭遇しても、非の打ち所のない指示を配し、状況に応じて部隊を3つに再編し、あらかじめ目星をつけておいた窪地に敵を追い詰めて3方から完全包囲する陣形を整えてみせた手腕は、到底常人に真似できるものではない。少なくとも今のオレンジペコには絶対に出来ない。それほどの神業を成し遂げたにも関わらず、興奮の一端も滲ませることのない人形の如き横顔を見上げ、オレンジペコはあらためて彼女が自分たちの敵でなかったことを運命の神に感謝した。

「そういえば、川に落ちた(・・・・・)という黒森峰の一両(・・・・・・・・・)は、無事なのかしら」

 こうして事故を起こした敵のことを心配する慈愛すら見せつけるのだから、つくづくこの人は恐ろしい。将来、果たして自分はこの偉大な人の後を継げるような逸材となれるのだろうか。今の黒森峰の隊長のように、グロリアーナの歴史に泥を塗ってしまわないだろうか。オレンジペコは内心に焦燥の冷や汗を浮かばせ、それを意地で押し隠して応える。

「わかりません。かなり高いところから落ちたらしいです。目の前で目撃したM3スチュアートの娘たちによると、“見たこともないゴテゴテした戦車が川にまっすぐ落ちていって、黒森峰はそれに見向きもせずに去っていった”とか。スチュアートはその直後に撃破されてしまったので、戦車の車種も、その後どうなったのかも不明です。大会運営側の回収車に助けられていると思うのですけど……」

 茶道華道に並ぶ女子の嗜みの一つとはいえ、元は兵器だったものを使う戦車道には負傷はおろか命を落とす危険も当然存在する。操縦区画用強化炭素繊維防護内壁(コックピット・カーボンコーティング)の技術が向上した現在は危険性もかなり少なくなったが、浸水に対してはさすがの特殊コーティングも無力だ。特別な装備(・・・・・)でもしない限り、戦車は水中を進むようには作られていない。敵同士とはいえ、同じ戦車乗りとして心配に思うのは当然だった。

「そう……。その戦車の娘たちが無事であることを祈りましょう。でも、いくら劣勢とはいえ川に落ちた仲間を助けにも行かないだなんて、悲しい話だわ。私なら助けに行くわ。絶対に」

 それは彼女の本心だ。陶器のような白頬に人間らしい赤みが差したのを見て、オレンジペコとアッサムは一瞬目を合わせて穏やかな微笑みを交わした。こうだからこそ(・・・・・・・)、ダージリンはグロリアーナの全員から慕われている。厳しくて優しい。この人のようになりたいと、心から思える。

「そうそう、こんな格言を知っているかしら」

 この豆知識を披露したがる奇妙な癖さえなければ。

「“人間のなすことにはすべて潮時がある”」
「……ウィリアム・シェークスピアの言葉ですね。人間の人生にも満ち潮と引き潮があるとか」

 ダージリンに付き従ううちに、オレンジペコだけはなんとかダージリンの唐突な問いかけにも相槌を返せる程度には物知りになった。オレンジペコだけは。たしかに偉人たちが残した真理の言葉から学べることは多いが、話が長くなる上に、戦いの途中でのんびり「へえそうなんですか」と感嘆の声をあげて反応するほどの余裕は常人にはない。「お相手は貴女に任せるわ」というようにアッサムはさっさと照準器に目を押し当てて本来の特別任務に戻る。見渡せば、操縦士も通信手も同じように背中で「任せた」とオレンジペコに伝えていた。それらにしかめっ面を向けるオレンジペコのことなど露知らず、腹心の返答に満足気に頷いたダージリンは「そうよ」と続ける。

「“西住流に逃げると言う道は無い”、だったかしら。まさに言うは易し行うは難し。まほさんは隊長として体現できたけど、妹さんには難しかったようね。でも、それも当然のような気がするわ。あの娘、まほさんとは全然違っていましたもの」

 オレンジペコは、試合前の挨拶でダージリンと向かい合っていた気弱そうな少女の顔を思い起こす。冷静沈着を体で表していた前任者の姉と違い、優しくておっとりしてそうで、とても黒森峰の隊長には見えなかった。緊張で随所の動作がギクシャクと覚束ない様子は、決勝戦で突然隊長に任命された1年生の身としては無理もないとは言えあまりに部下を率いる指揮官らしさが欠如していて、オレンジペコの方が頭を抱えたくなるほどだった。

「あの娘は上手に満ち潮に乗れなかったのね。でもね、こんな格言を知っているかしら?“コップを唇に持っていく間隔までには多くの失敗がある”」
「英国のことわざですね」
「そうよ。誰でも最初は失敗するものだわ。大目に見てあげるべきよ。それに、家と姉の余光を受けて隊長になれたとはいえ、私たちの猛追を受けながら未だに18両を残しているだけでも十分に優れたもの。試合の後に賞賛すべきね。私の作戦では、追い立てていく過程で半数程度に討ち減らすか―――」

 唐突に、その声がスッと温度を落とす。

あの一両(・・・・)だけでも仕留めてから、包囲するつもりだったのだけれど」

 “あの一両(・・・・)”。
 そう告げたダージリンの言葉は、たしかに警戒心を越えた感情を帯びて張り詰めているように聞こえた。敵の半数を撃破するにも等しい脅威を有する一両。それがどの戦車を―――否、何者(・・)を差した言葉なのか、オレンジペコは脳で理解する前に本能で理解した。車内の空気が一瞬で冷えきったような錯覚が顔面の皮膚を突っ張らせ、全身の筋肉がギクリと強張る。


 準々決勝で敗れたサンダース大学付属高校曰く―――

「あれは首無し騎士(ヘッドレス・ホースマン)よ。スリーピー・ホロウ村の伝説のように、森の暗闇に潜むあの亡霊は油断した獲物が前を通り過ぎようとした瞬間に血まみれの剣で襲いかかって、その首を狩り盗ってまた闇中に去っていくのよ」


 準決勝で敗れたプラウダ高校曰く―――

「あれはエルミールの悪魔山羊(プロクリャーチ・カズリオーナク)よ。少年エルミールが呪われた水死人の墓で見つけてしまった白ヤギのように、目と歯を剥き出しにして不気味に哄笑しながら獲物をどこまでもどこまでも追いかけてくるのよ」


 そして、それらの戦いを観戦していたダージリン曰く、


「―――アッサム、バスカヴィル(・・・・・・)はちゃんといるかしら?」
「心配ありませんわ、ダージリン様。私の目も暗視装置も良好。先ほど、飼い主に連れられて逃げていく後ろ姿をちゃんと捉えましたわ。魔犬(ヘルハウンド)飼い主(・・・)の傍を離れていません」

 よかった。オレンジペコはホッと安堵の息をつく。アッサムの後ろ姿がこれほど頼りがいがあるように見えたことはない。グロリアーナでもっとも視力に富んだ砲手のアッサムに与えられた別命。これこそ、特別な暗視装置を備えたスコープである特定の(・・・・・)たった一両の戦車(・・・・・・・・)を捕捉し続けるという、通常では考えられないものだった。

「“地獄の犬が我々の後を追ってくる。()こう、ワトソン。悪魔が荒野に出てきたのか、見届けてやろうではないか”」
「……シャーロック・ホームズの『バスカヴィル家の魔犬(バスカヴィル・ヘルハウンド)』ですね」

 有名な英国小説の不気味な一文を引用してみせ、「あの娘にはピッタリでしょう」とカップに口をつける。一見すると余裕そのものの笑みだ。しかし、いつも傍にいるオレンジペコは、彼女の尊敬する隊長が胸中で胸を撫で下ろす気配を察することが出来た。
 それも当然だろうと、オレンジペコはまだ自分が入学する前に起きた出来事に―――ダージリンが銀髪の狂犬に執着することになったキッカケに思いを馳せ始めた。







―――ごろろろろ……


 恐るべき狂犬が背後から迫っていることに、彼女たちは気づかない。



あ、あの、ごめんね? いつもウットリしてるから、どんな音楽聴いてるのかなぁって、ちょっと気になっただけなの。ご、ごめんなさい、もう勝手に聴こうとしたりしないから、怒らないで。何も聴いてないから。ほんとだから。あ、は、ハンバーグ! ハンバーグが美味しいお店を見つけたの。今度一緒に食べに行こう? ね? だから……あ、許してくれるんだ。ありがとう……。………ねえ、女の子にコショコショって囁かれる音楽が好きなの……? きゃあ、ごめんなさい、怒らないで!泣かないで!


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そのエリカ、猟犬につき 後編の前編

エイプリルフール更新


『貴女は、私の夢だからよ』

 私を“夢”と言ってくれた人がいる。その人は、私に可能性を与えてくれた。私だけでは到底たどり着けなかった可能性に、手を伸ばすキッカケを授けてくれた。研ぎ澄まされた剣のような銀髪が視界に輝けば、私は万の砲弾より勝る勇気と希望を得られた。時に鋭く引き締まり、時に木漏れ日のように穏やかな声がこの耳に届けば、私は後ろを振り返らずどこまでも前に進むことができた。
 その人は、私の恩人で、世界で一番の親友。そんな人が、私のことを“夢”と言ってくれた。私と過ごす日々を、まるで死後に垣間見る刹那の夢のように幸せで楽しい夢だと、美しい横顔で囁いてくれた。
 だったら、私のすべきことは決まっている。どうしようもないくらいに単純で簡単だ。
 親友が心から楽しめる、親友と共に全力で楽しめる、最高の(戦場)を作り上げるんだ。
 もう、西住の名には呑み込まれない。私が西住流そのものになるんだ。
 親友の期待を胸に、お姉ちゃんを、西住まほを超える。
 私の歩んだ軌跡こそを新しい西住流とする。


 さあ、一緒に楽しもう、エリカさん。
 私たちの戦場で、存分に、思うがままに、暴れて魅せて。







―――ごろごろごろ……



 その鳴き声(・・・)は、まるで、



 ピクッと、豊かな茶髪が怯えに震えた。唐突に産毛が逆立ち、薄ら寒さが華奢な背筋をズズッと這い登る。突然の不可思議な悪寒に、三つ編みの少女―――グロリアーナ別働隊を預かったルクリリはわけも分からず顔を曇らせた。
 戦車長たる者、不安は常に抱えている。どこかのスピード狂十字軍(クルセイダー部隊)と違い、慎重な行動ときめ細やかな警戒心がチーム全体を救うことをルクリリはよく心得ている。自信家を標榜するからこそ、この最終決戦(リベンジマッチ)において失敗は絶対に許されない。仲間を明るく鼓舞する豪快な顔の裏では、極めて理性的な思考が駆け巡っている。
 しかし、先ほど心身を貫いた怖気は、いつもの予感とは明らかに質が異なっていた。知恵や経験から導き出される予測ではない。まるで、自身が真夜中のサバンナで彷徨う草食動物にでもなったような―――夜闇の中に、獲物(こちら)を見つめる捕食者の瞳を見つけてしまったような―――。

「……ルクリリ様? どうかされました?」
「……何か、不吉な鳴き声が聞こえたような気が……」

 言ってしまって、そんな馬鹿なと自分自身を内心に叱咤する。川沿いから(・・・・・)黒森峰を包囲しようとするこの別働隊を襲う敵などいるわけがない。1輌を撃破してから、黒森峰の残存戦力はすべて遥か前方の山中に集結しているはずなのだ。ここにいるわけがない。もし万が一にもその1輌が生き残ったとして―――川に落ちたというのであり得ないに違いないが―――重防御を誇るこのマチルダII歩兵戦車を含めた6輌に対して何が出来るというのか。
 ダージリン様なら、この不可解な感情の理由を簡単に明文化して、鼻で笑ってみせるだろう。今の自分のように、指揮下の娘たちに不安げな表情をさせてしまう愚行はしでかさないに違いない。サイドテールを軽やかに揺らしてみせ、ルクリリは平常時の自分の顔をトレースしながら笑いかける。

「いえ、なんでもないわ。きっとこの耳障りな雷の音よ。さ、早くダージリン様の下に駆けつけましょう。ローズヒップたちに美味しいところをとられちゃ、悔しいじゃない!」
「「「はいっ!」」」

 戦車長の笑顔に不安を吹き散らされた少女たちが肩を上げて各々の役割に専念する。そうだ、これでいい。きっと大丈夫だ。さっきの、まるで犬の鳴き声(・・・・・)のような音は、雷鳴の聞き間違えなのだ。



―――ごろ ぐる(・・) ごろ……


―――ごろ ぐるる(・・・) ろ……


―――ぐるるるるる(・・・・・・)……



 悪夢のような闇の中に、一対の赤眼が不気味に浮かんでいる。
 恐るべき狂犬が背後から迫っていることに、彼女たちは気づかない。







 半年前―――。

 打倒黒森峰を掲げた聖グロリアーナ学園が満を持して挑んだエキシビジョンマッチにおいて、当時副隊長としてすでに頭角を現していたダージリンは隊長(フラッグ)車の直衛兼補佐としてチームの中核を担っていた。その活躍は凄まじく、進撃を阻む黒森峰の戦車を一輌また一輌と次々に仕留めていった。しかも、ただ目の前の敵を屠るだけではなく、そこには明確な戦術があった。
『機動力に優れた戦車で獲物を追い立て、重装甲の戦車で包囲し、殲滅する。』
 現在のグロリアーナの代名詞とも称される『強襲浸透戦術』はダージリンの手腕によって確立されたと言っても過言ではない。事実、その日、ついに黒森峰の隊長(フラッグ)車を市街地の袋小路に孤立させ、母校の勝利をあとわずかで手の届くものにした功績は間違いなくダージリンにあった。全員が勝利をすぐ指先に感じていたし、ダージリンでさえ気を逸らせてハッチから身を乗り出し、勝利の高揚に総身を昂ぶらせていた。
 それは、動物的な観点で言えば“油断”に他ならず、その獣(・・・)にとってはまさに獲物が無防備な喉を晒した絶好の瞬間だった。

『ぐるるるる……』

 その時、獣が喉を鳴らすような唸り声をダージリンは確かに聞いたという。
 次の刹那、視界の端に並ぶコンクリート壁が轟音とともに爆裂したかと思いきや、粉塵を突き破って“銀髪の獣”が本隊の横合いから猛然と襲いかかってきたのだ。何が起こったのかもわからぬままダージリンは真っ先にその牙に晒されることになり、気づけば目の前には討ち取られた隊長(フラッグ)車が無残に横倒しになって、その白旗を呆然と見上げていたのだった。
 後から聞いた話で、それは「孤立した隊長(フラッグ)車を全力で救援せよ」という隊長命令を無視した当時副隊長の西住まほが独断でけしかけた、たった一輌のティーガーⅡによる強襲だったことがわかった。
 密集し、閉ざし合った複雑な市街地の中で、どうしてまっすぐにグロリアーナの本隊の場所を察知できたのかは定かではない。最初に隊長ではなくダージリンを狙ったのは、獣の勘なのか、それともダージリンがいなくてはチームが成り立たないことを知っていたから(・・・・・・・)なのかも定かではない。ただ一つ確実なことは、ダージリンの勝利を食い破った要因が、練りに練られた作戦でも、考えぬかれた用意周到な伏兵でもなく―――ただ“狂犬の手綱を(・・・・・・)解き放っただけ(・・・・・)”という救いようのない事実だった。その時にダージリンが味わっただろう苦渋を、胸が抉られるほどの自責を、頭が腫れ上がるほどの屈辱を、オレンジペコは想像するだけで痛いほどに奥歯を噛み締める。

 ダージリンの栄光に土をつけたその銀髪の獣こそ、グロリアーナが忌み名で呼ぶ『バスカヴィル家の魔犬(バスカヴィル・ヘルハウンド)』。
 “完璧な戦術で敵を圧倒する”という西住流の影響根強い黒森峰にあって、唯一戦術を果たさないことを認められた者。
 飼い主が首綱(リード)を握る手を離したら最後、作戦も何もかもを台無しにして、獲物を食い尽くすまで暴れまわる狂気の怪物。
 優秀な人材と装備を揃える黒森峰にあって、火砲、装甲、そして乗り手の全てにおいて現有戦力中最強を誇る戦車。
 西住まほすら完全に使いこなせなかった、“黒森峰の狂犬”。勇名悪名両方名高きその狂犬の名を、逸見エリカ(・・・・・)という。

 そんな、解き放たれれば戦況を覆される切り札への対処法は一つしか無い。言ってしまえば単純で簡単な話だ。飼い主が狂犬を(・・・・・・・)解き放てないように(・・・・・・・・・)すればいい(・・・・・)

「新しい飼い主さんは、頼れる犬を自分の傍から離す勇気はないようですわね」

 微かな冷笑を混ぜて呟いたアッサムの目は絶えず最大望遠のスコープに傾注したまま離れない。彼女の鋭い双眼には、闇夜を見通す暗視装置によって暴き出されたティーガーⅡのズングリと角ばった特徴的なシルエットが(しか)と映り込んでいた。隊長車(ティーガーⅠ)の隣にじっと(かしず)いたまま雨に打たれる姿は、新しい飼い主の不甲斐なさに辟易してやる気を無くしているようだった。
 決勝戦前の顔合わせでダージリンと向かい合った新しい隊長―――西住みほの顔を思い出そうとして、オレンジペコは自制する。情けを掛けてしまいそうな自分を恥じて。

「当然ね。どんなに強い狂犬でも、飼い主に扱いきれるだけの度量がなければ駄犬に成り下がる。私たちがまともに狂犬の相手をする必要なんてない。ただ、飼い主の方を攻めて攻めて攻め続けて、考えあぐねる余裕すらも奪ってしまえばいいのよ」

 切り札を有する黒森峰への対抗策としてダージリンが導き出した作戦は極めて明快だった。ここぞというタイミングで切り札を使われるのなら、そのタイミングを奪ってしまえばいい。基本的戦法である『浸透強襲戦術』をさらに激化させた『超・浸透強襲戦術』とも呼ぶべきそれは、出し惜しみなど一切せず、敵に対応を練る猶予すら与えず、優雅も気品もなく全戦力を持ってただひたすら追い立て続けるという、単純なれど容赦のない戦法だった。事実、黒森峰の新しい隊長は切り札の首綱を手放す好機を完全に逸してしまい、行き止まりの窪地に身を寄せあって己と道連れにしようとしている。

「気の毒ね、逸見エリカ。不甲斐ない飼い主を持ったばかりに望まない最後を強いられるなんて。せめてまほさんだったなら、まだまともな戦いをさせてくれたでしょうに……」
「……ダージリン様、相対距離が900ヤード(820メートル)を切りましたわ。いつでも()てます」

 声に少しの緊張を織り交ぜたアッサムが背中で指示を仰ぐ。チャーチル歩兵戦車の主砲であるオードナンスQF6ポンド対戦車砲の有効射程は1,650ヤード(1,510メートル)。普段ならば威力不足は否めない砲だが、この距離まで近づけばいかに堅牢なドイツ戦車の装甲も貫ける。そして、いかに高威力のドイツ戦車砲でも、この程度の距離ではチャーチルの正面装甲は貫けない。敵の残存勢力が全て前方に集中し、装甲の薄い後方から攻撃を受ける心配がない今、チャーチルはすでにこの戦場を制したようなものだ。いや、事実としてそうなる(・・・・)のだ。今から、そうする(・・・・)のだ。

 すうっと鼻孔から深く息を吸い込み、ダージリンは静かに目を閉じて、そして強く開く。一瞬、瞼の裏に映り込んだのは、かつて彼女が味わった屈辱と挫折の光景だ。あの敗北があればこそ、ダージリンは母校をサンダースやプラウダと一線を画する強豪校にまで押し上げる実力を持つに至った。しかし、忌々しい記憶は常に彼女の傍らにあり続けた。それも今日までだ。闇雲に放たれた黒森峰の砲弾がチャーチルの装甲に弾かれて鈍い音を響かせる。否、弾いたのは装甲ではなく、ダージリンの決意だ。
 あの時に失った誇りを取り戻すために、過去を清算して前に進むために、彼女は慈悲も同情も忘れて復讐の修羅となる。

「―――全車に通達、遠距離砲撃戦の用意。オレンジペコ、砲弾は問題ないわね?」
「はい、ダージリン様。強化薬莢と装弾筒付貫通徹甲弾、すでに装填完了しています。次弾装填もいつでも行けます」

 狂犬が駆るティーガーⅡはチャーチルに劣らない重装甲で知られている。火薬と爆薬を強化し、貫通力を極限まで高めた砲弾でなければ有効打は与えられない。その知識を有し、なおかつダージリンの戦術を理解して適確な砲弾を前もって準備できる。まだ入学して間もないオレンジペコが次期隊長候補として隊長車への同乗を許されている由縁だ。
 見事に期待に応えた後継者にダージリンは「さすがね」と誇らしげな笑みで頷く。自尊心を刺激され、オレンジペコの背筋にピリリと熱い興奮が走る。

「各車にも同じ弾種を使用することを通達して。アッサム、狙いそのまま。私の合図で、まずはバスカヴィルの側面装甲を穿ちなさい。その後で隊長(フラッグ)車を確実に撃破するのよ」
「わかりましたわ。一撃で、仕留めてみせます」

 澱みのない決然とした指示はダージリンの覚悟に満ち満ちて、それが見えない球となって全戦車を包み込んで少女たちの心を一つにする。長らく日本戦車道に君臨してきた王者を討ち取る偉業に、さしものアッサムも武者震いに震えていた。一年生のオレンジペコなら尚さらだ。
 緊張の面持ちを浮かべたオレンジペコが、手元のラップトップに視線を注いでゴクリと喉を鳴らす。幅100フィート(30メートル)の鬱蒼とした藪道が続く先に、黒森峰の集団(えもののむれ)が待っている。直線距離にして850ヤード(780メートル)。互いに有効射程内だ。いつ決着がついてもおかしくない。

「バスカヴィルと隊長(フラッグ)車はチャーチルが引き受けるわ。あとは―――“Let slip the dog of war.”」

 その場違いに流暢な台詞の意味を一瞬で理解でき、かつ行動に移せるのは、この場にはオレンジペコただ一人だけだ。短距離用無線機をラックから掴み取り、息を吸うと同時に台詞の引用元に思考を馳せる。シェイクスピア戯曲『ジュリアス・シーザー』第三章第二幕。意味は、『戦いの犬を解き放て(Let slip the dog of war)』。

「ローズヒップ隊、前進してください!!」
『ハイですわァッ!!』

 跳ね返るピンポン球のような即答がスピーカーを震わせ、エンジン音を高鳴らせた風の色の戦車―――クルセイダーMk.Ⅲ巡航戦車が待ってましたとばかりにチャーチルの真横に進み出た。
 小型軽量のボディに高出力エンジンを搭載した結果、最高出力340馬力、規定最高速度30マイル(50キロ)の俊足を誇るクルセイダーは、先頭になって敵陣をかき乱す露払い役には打って付けだ。
 恭しく無線機を差し出すオレンジペコに褒美と賞賛の一瞥を授け、ダージリンは持ち前の涼し気な声を吹き込む。

「ローズヒップ、隊長(フラッグ)車直衛の任を解くわ。作戦通り、クルセイダー4輌を率いて先行なさい。相手をポップコーンみたいに盛大に慌てさせて指揮系統を崩すのよ。我がグロリアーナにも獲物を追い立てる優秀な狩猟犬がいるのだということを、黒森峰の方々に思い知らせてあげなさい」
『了解ですわ、ダージリン様! ―――ところで、優秀な狩猟犬って何方(どなた)が飼ってらっしゃるんですの? 私、まだそのワンちゃんを見せて頂いたことがありませんわ』

 空気が結晶化し、さしものダージリンも口端をピクリと震わせる。そして、アホの子と真正面から相手をするのを諦め、匙を砲手に向かって優雅にぶん投げる。

「後でアッサムが説明してくれるわ」
「ちょッ、ダージリン様!?」
『わかりましたですわ! アッサム様、あとでそのワンちゃんを見せて下さいませ~~~っ!!』

 仰天してダージリンを振り返るアッサムのことなど露知らず、“聖グロの飛び道具”と呼ばれるイノシシ少女が持ち前の甲高い声を跳ね返してくる。顔は見えないが、彼女が目を輝かせていることは鼓膜を震わせるほど楽しげな声で一()瞭然だ。その快速っぷりには鈍足のチャーチルと並走していた鬱憤をようやく晴らせるという気持ちがありありと滲み出ていた。まるで久しぶりに散歩に連れて行ってもらってテンションがおかしくなった犬のようだ。面倒事を押し付けられたアッサムが不快気ではない苦笑を浮かべて「まったくあの娘は」とボヤく。

(勝てる。私たちは間違いなく勝てるわ。ダージリン様はやっぱり凄い……!)

 決戦を前にして士気は漲り、油断は一切なく、張り詰め過ぎない精神的余裕もある。オレンジペコは“完璧な勝利”の確信を肌で感じていた。これこそが優雅を旨とするグロリアーナの在るべき姿だ。これで勝てない方がおかしい。グロリアーナの、ダージリンの勝利は、もはや月の満ち欠けのように決まりきったことだ。完全無欠の勝者にしか作ることの出来ない空気を肺いっぱいに吸い込み、染み込ませ、いつか自分が再現するためにその味と成分を心の奥底に刻もうと必死になった。

『バニラ、クランベリー、ついに見せ場が来ましたわ!全クルセイダー、私に続きなさいませですのよ!』
『『はいっ!!』』

 第2次大戦中の戦車の中では飛び抜けて加速性能の高いクルセイダーと高速戦闘を得意とするローズヒップの組み合わせは、敵の混乱を誘うには最適だ。飛び出してきたクルセイダーの素早さとローズヒップの機敏な指揮に驚き、翻弄された敵戦車は統率に楔を打たれ、連携を失い、各個撃破の的と成り果てる。そうして丸裸となったキングに、こちらのキングがとどめを刺す。

「チェックメイト、ですわね」

 静かに、しかし自信を込めて呟き、ダージリンはカップに唇をつける。その言葉に全員が力強く頷き、各々の機器を握る手に力を込める。オレンジペコのラップトップがついに接近警報を発する。敵集団との相対距離はもう710ヤード(650メートル)もない。クルセイダー(ローズヒップ)にとってはものの数歩分の距離だ。

「“優れた能力も機会が与えられなければ価値がない”。“決戦の後で使用が予定されている如何なる予備軍は、不合理以外の何物でもない”」
「ナポレオン・ボナパルトと、カール・フォン・クラウゼヴィッツの格言ですね。どちらも、戦力の不要な温存は愚策という意味です」

 間髪入れずに返答してみせた忠実な弟子に、師は「その通りよ」と成長を肯定する。

「ここぞという時に、持ちうる最大戦力全てを投入する。相手より一分一秒でも早く。どんなに強い狂犬だって、檻から放たれない限り脅威となりえない。リードを繋がれて動きを制限されたままでは、訓練された素早い狩猟犬に群れには絶対に敵わない」

 狩猟犬の群れが次々と主人の横をすり抜け、獲物に向かって驀進していく。戦いにおいては、常に仕掛ける側に立つことが勝利の基本となる。相手より先に行動することで主導権を握り、さらに味方の闘志も促せる。先に犬を放ったのはグロリアーナだ。戦術的にも、士気的にも、アドバンテージは得た。しかし、勝利を確実にするために、まだやっておかねばならないことがある。

「ローズヒップ、アッサムに道をお開けなさい」

 その言葉に弾かれ、神託者(モーセ)を前にした大海のように4輌の戦車が飛沫を飛び散らせて左右に分かれる。瞬間、アッサムの視界に飛び込むのは憎きバスカヴィルのシルエット。闇のねぐらに隠れて明瞭定かでないが、彼女には十分だ。虎に鎧を着せたようにずんぐりと背中が盛り上がった下品で獰猛な姿は、見間違えようもなくティーガーⅡのそれだ。無防備に側面をこちらに晒しているのは、自身の鎧を頼った驕りだ。今、それを剥ぎ取ってやる。アッサムの漂白されたように白い細首がゴクリとうねる。興奮と緊張が全身を走り狂うも、トリガーに掛けられた指先はそれらと完全に切り離され、微塵も揺るがない。そのために訓練を積んできたのだ。彼女の背中に汗が滲み、そこに早鐘を打つ心臓が透けて見えて、オレンジペコも思わず喉を上下させる。鼓膜が絞り切れるような静寂の中、それぞれの高鳴る心音まで聞こえてきそうだ。不快ではない、むしろ一体感を与えてくれる音色だ。高揚感を高める心音(ハーモニー)が重なり、奏鳴曲(ソナタ)を奏で、重奏曲(アンサンブル)となり、集合し、融合し、壮大な交響曲(シンフォニー)へと至って美しい力場を形成する。
 静謐なコンサートホールに流れるクラシックオーケストラの中、一口、ダージリンが己のティーカップに口をつけ、麗しい唇で音もなく紅茶を啜り、喉を潤す。
 それはまるで、フィナーレを目前に指揮棒(タスク)を頭上高く振りかぶる指揮者。
 そして、純白のカップとソーサーが奏でる口吻(キス)は、撃鉄。

撃て(ファイア)

 轟音が炸裂した。衝撃波が降りしきる豪雨を吹き飛ばし、3.23ポンド(7.1キロ)の砲弾を884メートル毎秒で砲身から叩き出す。放たれた鉄塊はグロリアーナの少女たちの気迫を纏い、暗闇をサーベルのように鋭く引き裂き、騎馬のように雷鎚の間隙を華麗に縫って、暗視スコープの中心―――宿敵の横っ腹に見事着弾した。

「やった……!」

 まさに狙い通り、今までの鍛錬の集大成というべき人生最高の砲撃だった。拳を握りしめるアッサムの視界で、派手な炎が上がり、赤外線の白黒が逆転する。次いで空気を伝わって聞こえる、ドォンという爆発音。分厚いはずの王虎の装甲がわざとらしい(・・・・・・)ほどに広く高く散逸していく。奇妙な手応えだったが、勝利の興奮が感覚を麻痺させているのだと彼女は理解した。
 同じ光景を目撃していた操縦士のルフナが歓喜に震える。

「ダージリン様! アッサム様がやってくださいましたわ!」
「ええ! よくやったわ、アッサム! さあ、全車攻撃開始!」

 初弾でバスカヴィル(イレギュラー)の足を止めさえすれば、もはや恐れる者は無い。
 主君のために雑兵を露払うクルセイダー(十字の騎士)が、軍旗を掲げた中世の騎兵よろしく雄叫びを上げながら目の前の暗闇に向かって突進する。
 鞭打たれたクルセイダー巡航戦車はあっという間にチャーチルを置き去りにして、豪雨のバッドコンディションも何のそのと驚異的な加速を魅せる。事前に速度調整機の足枷(リミッター)を外された愛機が持てる全ての機関出力で乗り手の覇気に応えたのだ。軽量エンジンブロック内で爆炎を哮らせたナッフィールド社製『束縛無き自由(リバティー)・エンジン』が嘶きを上げて、カタログデータを越えた時速38マイル(61キロ)を叩き出し、排気ノズルが燃える炎に輝く。

『さァあ、リミッター外しちゃいますわよォ―――

 いざ、決着の時だ。凱歌を歌うように高らかに、ローズヒップがお決まりの台詞を喉奥から迸らせ、



 ―――あら(・・)?』



 不意に―――優秀な狩猟犬が何か(・・)に気づいて声を上げた。
 その首を傾げる雰囲気が、グロリアーナに流れていた熱い潮流に強烈な違和感を挟んで堰き止めた。


「どうしたの、ローズヒップ」
『あ、いえ、ごめんなさいですわ。何でもないんですの。私の悪い癖ですわ。変なものを目にしたらつい口走っちゃうんですの。本当になんでも、』
「大事なことかもしれないわ。言いなさい、ローズヒップ」
『……ただ、今しがた通りすがりざまに不思議な木を見ただけですの。大きな木の根本だけごっそり削られて、今にも折れそうになっていて―――』

 ダージリンの一瞥を受け、オレンジペコは素早い動きで覗き窓に顔を押し付ける。確かに、自車前方数ヤード先の大木が、まるで巨大なアイスクリームスプーンで掬い取られたように根本をごっそりと失っていた。しかも、道の両脇で、幾本にも渡って。真新しい焦げ跡は整然としていて、明らかに意図的な―――神がかり的に正確無比な砲撃で与えられたものだ。
 オーケストラの途中に耳元で不躾な咳払いをされたような、最良の気分を害された不快感が凶鳥の鉤爪となって思考に引っかかる。張り詰めた沈黙に、雨音と車体が軋む音が木霊する。あれだけ心地よかった静寂の舞台が今は何故だか気味が悪い。突然、「そこはお前たちの舞台ではない」と蹴落とされたような絶望感が足元から這い登ってくる。不協和音がジワジワと少女たちのシンフォニーをかき乱すが、正体を突き止められない。そうこうしている内に、奇妙な木々は目前に差し掛かっているというのに。
 俯いた顔が手元の紅茶に映り込み、焦燥する己と水面を境に目が合う。
 あれは何?何が目的?私は、いったいどんな視点を見落としてしまったの?

『え、ええっと、』

 唐突に、握りしめる無線機からバツの悪そうな声がした。自分のせいで沈んでしまった皆の気を紛らわそうとローズヒップが不得手なジョークを投げかける。

『な、なんだかおっきなドミノみたいですわねっ!? 指先でちょんと押したら今にも倒れそう(・・・・)―――』





……倒れるって、どっち(・・・)に?




ああ、ねえ、待って。待ってよ。
何時から、静寂(・・)なの?
あんなに激しかった黒森峰の闇雲な砲撃は、どうして止まっている(・・・・・・)の?
彼女たちは、何を仕掛けて、何を待ってたの?
教えてください、ダージリン様―――








 記憶の中の西住みほが、三日月のように笑って、
 
 もう遅い(・・・・)と、囁いて、

 圧倒的な砲撃音が、彼女の意識を呑み込んだ。










 悪夢のような闇の中に、一対の赤眼が不気味に浮かんでいる。

 恐るべき狂犬が背後から(・・・・)迫っていることに、彼女たちは最期まで気付かない。



 あ、あの、昨日はゴメンね。勝手にウォークマンの中身聴いちゃって。その、なんていうか、女の子に耳元でコショコショってされるの、好きなんだね。―――わああっ、待って! ここ3階だから! そっちは窓だから! 飛び降りちゃ危ないから!
 えーっとね、別に、おかしなことじゃないと思うよ? 聴いてて、私もドキってしちゃったし。ちょっとくすぐったいけど、ゾクゾクってして、気持ちいいと思う。こういうの好きだってこと、変なことじゃないと思う。だから、ね? 窓から離れて、こっちに来て。ね?
……うん、わかってくれてよかった。本当に。ごめんね、取り乱せちゃって。ううん、勝手に聴いた私が悪かったの。落ち着いてくれてよかった。
 ……と、ところで、なんだけど。この囁いてる女の子たちの声って、なんだか私とお姉ちゃんの声に似てる気がするんだけど、これってもしかして――――……あれ、エリカさん、どこ行ったの?


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