魔法と人の或る物語 (シロ紅葉)
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オープニング

 斜陽の差し込まない暗い世界。瞬く星が無くなった夜空に放り込まれたかのような印象。

 立っているのか、浮いているのかすら曖昧な場所。

 どこまでも長く続いている限りの無い世界は、圧迫されそうなほどに狭く感じる。

 目を覚ますと、意識はそこに在った。

 その閉じられた世界に亀裂を生むかの如く、一筋の光が差し込み、人の形を象ったものに形成される。

 

「来たんだ。こっち側に――」

 名乗ることもなく、その人物はそう言った。

 声はこの無味乾燥した世界に反響し、どこまでも響いていく。

 

「……こっち側? 何? なんのこと」

 

 意味不明。

 光だけの姿だし、目がどの辺にあるのか分からないけど。ただ、こちらを見ているような気がする。視線……? ぽい気配を感じる。

 えーと……。何か会話を続けないと場が持たないなと思うけど、どう切り返せばいいか分からない。

 私が言葉を探していると光が反応する。

 

「まだ気付いていないんだね。でも、それでもいいよ。

 だったら、あなたが何を思ってあなた自身の世界にやって来るのか。ここで楽しみに待たせてもらうよ」

 

「? あ……はい? ――じゃなくて、何? 何なの? どういうことなの?」

 

 あぶない。あぶない。あまりにも飛躍しすぎてて、つい流されてしまいそうだった。

 私が呆気に取られていると、世界が闇に包まれ、光を塗り固める。

 

「あ、ちょっと勝手に消えないでよ……というか出会ってすぐにそんな不吉なことを言われるなんて」

 

 閉ざされた世界に途方に暮れてしまう。

 光が消え失せ、再び暗闇になっていって心細くなっていく。

 あんなわけの分からない存在でも、気持ち的にはいくらか余裕が出来ていたことに気づく。

 

 ――その時、霧が晴れるかの如く世界が割れた。

 

 暗い路地裏に二つの白い霧の塊が見えた。私はそれを上空から俯瞰していた。

 

「あれ、私浮いてる?」

 

 や、ヤバい落ちる。どこかにしがみつかないと。なのに辺り一面はなにもない。絶望的だ。迫り来る死を直感し、無事に落下できますように神頼みをして目をしばらく瞑っていたが、一向に落ちていく気配が感じられない。瞼を開けると先程の俯瞰していた場所から世界は変わっていなかった……ものすごい取り乱してしまった。恥ずかしい。

 上空からの俯瞰映像だと気づき、パニックになってしまって、今頃顔が赤くなっているはずだ。

 

「言っておくけど高所恐怖症ってわけじゃないからね」

 

 周りには誰もいないが、さっきの人物がどこかで観ているんじゃないかと思い、ついそう言ってしまった。

 さてと、気を取り直し映像を眺める。よく見れば白い霧の塊は人の形をしていることに気づく。

 

 しかし映像は突然に切り替わり、私は暗い路地裏の中にいた。目の前には先ほど上空から見えた人形の白い霧が横たわっていた。

 

「急に変わらないでよ、びっくりするなあ」

 

 とりあえず白い霧に近付こうとするが、水面に足を浸けたかのような感触がして、不意に足の動きが止まった。

 暗くて分かりにくいけど、二人の白い霧から血が流れている。壁一面にも赤い塗料の入ったバケツをぶちまけたかのように血が飛び散っていた。現場の凄惨さに、不意に込み上げてくる吐瀉物を必死に耐えた。

 

「誰がこんなことを。そもそも倒れているこの二人は誰なんだろう?」

 

 暗い路地裏ということもあってか、急に寒気と恐怖が押し寄せてきた。正直に言ってかなり怖い。

 鉄の匂いと二つの死体にそれを彩る暗黒の世界。唯一の救いはあまりの暗さに目が周りの風景を鮮明に写し出さないことだけだ。それ故にその場から一歩も動けず、立ち往生していた私に追い打ちをかけるように、後ろから足音が聞こえてきた。

 一定のタイミングで鳴り続けていた音は私のすぐ後ろで止まり、崩れ去る音とともに泣き声が聞こえてきた。

 私は鼓動の止まらない心の蔵を身体で感じ取りながらも、恐る恐る後方に目を遣る。その瞬間私は、目を疑った。

 怖くて声が出なかったわけじゃない、ただ驚いただけ。だって後ろにいた人物は私自身だったのだから。

 

「……()が、いる」

 

 あまりの驚きにかすれた声がでてしまい、思わず口元を手で押さえる仕草を取る。しかし、私の声に反応した様子はなく、もう一人のわたしは白い霧に対してひたすらに泣き続けている。

 果たしてこの白い霧に包まれた人物は私に関係のある人物なのだろうか。もしそうなら、きっとこの二人は大事な人なのだろう。だから泣いているんだ、わたしは。

 そう考えると、途端にこの二人の正体を知るのがすごく怖くなった。知ってしまうときっと元には戻れなくなる、そんな恐怖に駆られた。

 気持ちが暗くなっていくなか、一発の銃声が路地裏に響き渡った。一発の銃弾は泣いているわたしの方の心臓を貫いていた。

 

「……え、何?! これってどういうことなの。どうして、わたしが撃たれたの」

 

 映画……じゃないよね。

 私は、わたしの返り血を浴びたことによって、すぐさまそうじゃないと決めつける。

 頭が真っ白になっていき、思考が止まる。だって仕方ないじゃない、わたしがたった今、殺されたんだから。

 いつもの陽気な状態ではいられなかった。何もかもが非現実で、こんなことが現実に起きるはずがない。たった今起きた悲劇を否定し何も考えないようにする。

 同時に私の意識もなくなっていき、やがて意識は完全に無くなった。

 

 そして、本来の()()()の意識が覚醒した。

 



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1話

1章の始まりです。

奪われた未来。
夢も希望も救いもない未来を妥協して生きていくのは辛い。
だが、それでも未来は続いていく。どこまでも。絶望を彷徨いながら。
生きるか、死ぬか。選択を迫られている人生。
考える余地があるのなら、まだ大丈夫。
奪われた未来を取り返す最後のチャンスだ。
だったら、精一杯あがいてみないか。



 眩しい日差しが部屋中に差し、十二月の寒い外気が部屋を満たす。外では人々の安眠を邪魔するかのように鳩の歌声が鳴り響き、私こと――雨宮彩葉の睡眠を邪魔してくる。

 なかなか覚めない目をこすりながら体を起こし、大きなあくびとともに伸びをする。

 眠い。それもそのはず、時計を見るとまだ六時。私が普段起きる時間は七時なので、二度寝が出来る時間だ。

 あと一時間は寝れる。もう少しだけ……。

 そう自分に言い聞かせて、もう一度布団をかぶり直し、眠ることにしよう。

 鳩の鳴き声も慣れれば、自然の一つとして数えて気にならなくなった。

 

 

 二階へと続く階段を地響きが駆け巡り、それが私の目覚ましとなった。それと同時に部屋の扉が吹き飛ぶんじゃないかというぐらいの勢いで扉が開いた。

 

「起きなさーい! 朝よ」

「……っ!!」

 

 あまりの大声に体が勝手に飛び上がってしまい、一気に眠気が吹き飛んでしまう。朝から元気なことである。

 

「もう何時だと思ってるの?」

 

 私の母、雨宮奏が少し焦った口調で尋ねてくる。それに反応し、すかさず時計をみる。

 時計の針は短針が七、長針がもうまもなく三十を差そうというところだ。つまり時間は午前七時三十分。……ということは――。

 

「うわあ! もうこんな時間。どうして起こしてくれなかったのー!?」

「今、起こしたよ」

 

 遅いし! 普通に遅刻一歩手前じゃん。と言いたいところだけど、起こしてもらった手前、そんなことも言えず素直に感謝しておく。

 

「でも起こすんだったら、もう少し静かに起こしてよ」

「彩葉はこれぐらいしないと起きないでしょ」

 

 ごもっとも。まったくもって反論できない。

 

「ほら、さっさと着替えて顔を洗いなさい」

「あ、そうだった。すぐ準備するよ」

「そうそう早くしないと遅刻するわよ」

 

 ドタバタと忙しなく動き始める。だけど、さっきからずっと扉の前で経っている母さんが気になって、動きが止まった。

 

「なんで見張ってるの?」

「こっちの方がテキパキと動けるでしょ」

 

 私は囚人なのかな。

 

「そんなところにいられたら恥ずかしくて着替えられないよ! いいから出ていって! すぐに行くから」 

「ちょっ……分かったってば。出ていくから押さないでよ。母さんこけるわよ」

 

 さっさと出ていけと言わんばかりの勢いで、背中をぐいぐいと押して母を追い出し、すぐに冬用の制服に着替える作業に移る。

 

「茜ちゃんももうすぐ来るから早くするのよ」

 

 母の声がドア越しから漏れ出てくる。

 小学校からの唯一無二の親友、楪茜《ゆずりはあかね》。いつも決まった時間には迎えに来てくれる大切な存在だ。そんな人物をこの時期に待たす訳にもいかず、自然と焦りが出てくる。

 着なれた制服なのに普段以上に手間取ってしまうことに焦れったくなり、上の服を持ち、階段をかけ降り先に洗面所で用を済ますことにした。

 

 

 午前七時四十分。

 歯を磨きながら制服の裾を通すという器用な作業を事も無げにこなし、寝癖のついた私の自慢の鮮やかな栗色の髪を整え、髪型は決まってゴムで結うだけの簡単な物に仕上げる。鏡に写し出される自分の髪に寝癖がないか確認。うん、今日もバッチリ。さあ、居間に急げ。

 いつもならこの時間に朝食も食べ終え、学校に行ける準備が出来ているのだけど、今日は寝坊したせいで遅めの朝食になる。

 トースト一枚に熱い紅茶の組み合わせの筈だったのだが、トーストは乾燥した米粒のようになり、紅茶は完全に冷めきっていた。まぁ冷めていても問題はないのだが、寒い朝に冷たい紅茶はちょっとした罰ゲームのようでもあった。

 

「ううぅ、硬い……」

「ちゃんと食べなさいよ」

 

 硬くなったトーストをぼそぼそと齧る作業に没頭しているとインターホンが鳴る。

 

「茜ちゃんが来たわよ」

 

 どうやら私の親友が迎えにきたようだ。ものすごいタイミングに驚いたが、思考はすぐさま前向きな物持ちに切り替わる。

 迎えが来て朝食を食べる時間が無い。ということは、この鈍器みたいなトーストを食べずに済むということでは。

 そう思って私は用意してもらった紅茶を飲み干して、トーストはそのままに急いで玄関に向かおうとするが、母さんの冷ややかな声が足を留めた。

 

「ご飯。ちゃんと食べていきなさいよ」

 

 笑顔の似合う母さんではあるが、こういうときの笑顔は大体怒りの籠った圧力のあるものである。

 

「……はい」

 

 やっぱり逃げられなかったか。でもここで逆らうと後が怖いのでしぶしぶ鈍器トーストをくわえて外へ飛び出す。

 

「じゃ、行ってきます」

 

  こうして騒々しい私の一日の幕が開けたのであった。

 

 

 外に飛び出すと、そこには野原高校の制服を身に纏い、長い黒髪をした高校生とは思えないほどの美しさと清楚さを併せ持ち、大和撫子という言葉がしっくりくるような少女、楪茜が寒さに耐えながらも健気に待っていてくれた。

 

「ご、ごめんね。遅れて」

「ううん、そんなに待っていなかったから平気ですよ」

 

 寒い季節特有の白い息を吐きながら、かじかんだ手にふーっと息を吐き、擦りあわせて少しでも暖まろうとしている様子を見るとなんだか胸の奥がちくりと痛む。

 

「いや、ほんとごめん。今日は寝坊して遅れてしまったの」

「もう、また寝坊ですか? 早く寝ないとダメですよ」

「それは大丈夫なんだけど。朝早くに目が覚めてしまって、それで余裕こいて二度寝してまいまして。――で、寝坊と」

 

 寒いし、起きれなかったというのもあるんだけどね。

 

「お布団、暖かいですもんね。それに、彩葉ちゃんのことだし二度寝は仕方ないですね。でも、遅刻ギリギリまで寝るのはよくないですよ」

 

 時間にして約五分ほど待たしてまったかな。短い時間に思えるかもしれないが、この時期ではさすがに辛い。しかし茜ちゃんは、嫌な顔一つしないでやさしく叱ってくれる。

 

「はーい。気を付けます。あ、そうだ! 対策として次からはモーニングコールとかしてくれると嬉しいな。私、絶対目が覚めると思うよ」

 

 我ながらナイスアイデアだ。こんな美少女に朝起こしてもらえると思うと、どんな乙女でもイチコロだろう。しかし、そんな私の思惑を見透かしていたかのように、

 

「そんなことはしませんよ。自分で起きないとダメです」

 

 親が子に叱りつけるようにズバッといい放たれた。

 

「えー、いいじゃん起こしてよー。この冬限定でもいいから」

「ダメなものはダメです」

 

 ここで引いたら負けという謎の強迫観念に駆られて、その後も何度かお願いするが断固拒否されてしまう。強情だ。あ、私か! それは。

 

「そういえば、そのパンって朝ご飯ですか?」

 

 ついには話題を変えるために、その手に一口しか囓っていない例の鈍器トーストに話の矛先を変えてくる。

 

「そう、これ朝ご飯。でもカチカチなんだ、だから半分食べて」

 

  はいっと、半分と言っておきながら全て差し出す。

 

「もらってあげてもいいのですけど、私はもう食べてお腹一杯ですし。それに、朝ごはんはしっかり食べておいた方がいいですよ」

「分かってるけど、硬いんだよね」

 

 文句を言いながらも再びトーストを口に運ぶ作業を再開する。……やっぱり硬い。パサパサする。冷めたトーストなんて食べるもんじゃないな。

 家を出て自動車が一台が通れる程の細長い道路を歩くこと十分。その間にトーストをくわえて素敵な王子様に出逢うようなハプニングも起きず、最後まで食べきってしまう。

 しばらく歩いて行くと公園がある。

 滑り台があって、ブランコが三つあり、一見すると定番の遊具が置いてある公園だが、中央には煉瓦で組み上げられた高さ十メートル程の建築物があり、その頂点には学校に置いてあるような時計が掲げらている。

 定番の遊具があるなかで、それはこの公園には似つかわないシンボルのような場違い感が漂っている。それ故に、一際目立つ町の名所となりつつある。

 私達にとっては小学生の時によく遊んだ馴染みのある場所で、よく茜ちゃんとここへ来ていた。

 小学生の後半辺りになってからはめっきり来ることはなかったが、通学路なので前を通り過ぎることはある。

 いつもの習慣で公園のシンボルを見上げると時刻は八時十五分を回ったところだった。

 

「わ、大変。もうこんな時間ですよ。急がないと遅刻するかもしれません」

「ほんとだ!? 走らないと間に合わないかも」

「ですね、急ぎましょう」

 

 ここから歩いて行くと二十分は優にかかる距離だが、走ると五分、いや十分は短縮できる筈だ……多分。

 

「よーし! 走るぞ。遅刻しない程度に」

「彩葉ちゃん待ってくださいよ。私、走りは苦手なんです」

 

 気合いを入れて走り出した私に、一応注意してから後を追う茜ちゃん。

 残された時間は十五分。長いようで短い時間を駆け抜けた。



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2話

全四十七に区分けされた島国の西方に位置する三十区。

 三十区の中でも最も土地が広く、緑の多い町であることからここは野原町と名付けられたらしい。

 朝の日光で生命力に満ち溢れた木々が、今日も目に優しく映り込む。

 十二月下旬。空は晴れ渡り、寒風の吹く朝。おおよそ学生をあまり見かけない時間帯を私たちは走った。

 前を行く通行人を避け、自転車を追い越し、やがてだだっ広いグラウンドとその横に開校しているのが信じられないほどの古びた校舎が見えてくる。

 三十区私立野原高等学校。私たちの通っている学校であり、来年で創立百周年を迎える学校だ。

 校内には、古くなった機材や錆びた運動用に使う道具などが廃棄予定となり、ゴミ置き場には、文字道理ゴミの山となっている。

 校門から入って正面にある校舎は百年の歴史を感じさせるような古風さが残り、随所に修繕の跡がある。それも再来年の西暦二千年までにきれいな校舎に建て替わるということらしい。

 

「や、やっと着きました」

「さすがに疲れたね。少しゆっくりと行こ」

 

 到着した時点では、まだ登校者がいたから本鈴は鳴っていない。時間ギリギリだと思うけど、とりあえず間に合ったから良し。

 それにホッとして、乱れた息を整えながら、歩調は駆け足に切り替えて下駄箱を目指す。サッと上履きに履き替え、校舎二階にある二年二組の教室にたどり着き、ようやく間に合ったことを実感することができた。

 

 

 午前八時二十五分。本鈴の鳴る五分前の到着だ。

 

「間に合ったー」

「ギリギリだね」

 

 室内にはほとんどの生徒が揃っており、あちらこちらから賑やかな談笑が飛び交っている。その窓際の一角に、百七十前後はあるだろう長身に、華奢な体をした藍色の髪をもつ少年がいる。その横には、反対に高校生らしいしっかりとした体格と綺麗な灰色に染まった髪の少年達がいた。

 

「よう、遅かったな」と藍色の少年。天童纏《てんどうまとい》が挨拶。

「おはよう。彩葉、茜」と灰色の少年。近衛覇人《このえはると》が挨拶。

「おはよー!」

「おはようございます」

 

 四者四様による挨拶が交わされる。

「なんだ、走ってきたのか?」

 

 十分に息を整えてきたつもりだったが、微かに漂う疲労は隠せなかったみたい。

 

「うん、二度寝してね。遅刻しそうだったから」

 

 疲れた体を窓際に預け、一息つきながら答える。

 

「あんまり茜に迷惑かけないようにな」

「でも、そのおかげでなんと!! 茜ちゃんにモーニングコールをしてもらうことになったんだよ」

「していません! そんな約束」

 

 私が適当なことを言ったら、茜ちゃんは誤解を解こうと必死になってきた。

 

「……本当、あまり迷惑かけないようにな」

 

 同じセリフを呆れたように纏が言った。

 

「それにしても、彩葉が二度寝で遅刻寸前になるなんて珍しいんじゃないか?」

「お、そういやそうだな。二度寝はよくあるくせに、意外にも時間だけは余裕持ってきてるのにな」

 

 覇人の物言いが気になって、すぐさま訂正をいれる。

 

「意外って失礼だね。時間を守るのは当然だよ。そして二度寝は仕方ない」

 

 時間が有り余っていたんだから、そりゃあ寝るよね。

 

「というか、覇人はどっちも守れていないことの方が多いじゃん」

「俺は大人の夜を過ごしてるからな。仕方ねえよ」

「また、夜遊びですか。ダメですよ」

「……二人とも少し反省した方がいいな」

 

 真面目な子が二人いる。

 

「覇人くんも彩葉ちゃんみたいにしっかりと睡眠をとらないといけませんよ」

「だよねー! 私悪いことしてないよね。むしろいいことじゃない? 寝る子は育つっていうし」

「う~ん……。間違ってはいないんだけど、年頃の女の子が寝過ぎるのはよくないから、次からは気を付けましょうね」

 

 子供を諭すかのようにやんわりと注意する茜ちゃんに素直に返事をしておく。

 

「茜は彩葉に甘過ぎるんじゃないか?」

「そんなことはないですよ。ダメなときはきっちりと注意したり、厳しく躾けたりしてるから大丈夫です」

 

 指摘する纏に対し、まるで私の保護者のように力説する茜ちゃん。

 私のことをこんなにも気にしてくれていたなんて嬉しいなあ。でもあれ……私って躾けられてたの。

 

「……いい友達をもったな、彩葉」

 

 若干、憐れんでいるような言い方をされたような気がしなくもないけど、前向きに考えると羨ましいのかな。

 

「ははーん。さてはあれですな、私と茜ちゃんの仲良しさに嫉妬してるんだね」

「は?」

「あー、うん。分かるよ。こんなにも美人な人に心配してもらえるんだから、私でも嫉妬するよ」

「……いや、心配されるようになったら迷惑だろ」

 

 あきれというかなんというかもう、色んな感情がごちゃ混ぜになったような発音で纏に言い返されてしまった。

 そこに朝のホームルームを告げるチャイムが鳴り響いた。

 それに反応し、そそくさと各々の席へと着く。と、同時に担任が入室してきた。

 今日は終業式。

 朝のありがたい話を聞いて、そのあとにも校長からありがたい話を聞く。そして、明日からは冬休み。そんなありがたい年内最後の学校生活。

 

 

 滞りなく式が進んで、説教のような注意事項と配布物さえもらってしまえば今日は終わり。

 明日からの冬休みで浮足立って騒ぐ教室。

 休み中にどこに行くのか? 何をするのか? 年末の予定は? 

 そんな会話でもちきりとなった教室から私たちは普段通りに下校する。

 通学時は私と茜ちゃんペア。纏、覇人の二人でそれぞれ通学しているのだが、帰り道は四人が別れる公園まで下校することになっている。これは中学の頃からずっと続いている習慣だ。

 本当なら朝も公園で待ち合わせして通学しているのだけど。私が朝の余裕をもっていない行動に付き合っていられなくなり、通学時は別々で通学することになったのだ。茜ちゃんだけがこんな私に付き合ってくれている。いい友達を持ったものだ。

 

「バイトを始めて一年半だったか。結構頑張っているみたいだな」

「まあね、せっかく茜ちゃんに無理言って雇って貰ったんだからしっかりと働かないと」

 

 高校生と言えば、アルバイト。そんなイメージから始めて早一年半が経とうとしていた。

 

「彩葉ちゃんは接客が上手だからお客さんにも評判よくて助かりますよ」

 

 茜ちゃんの実家は野原町の商店街にあり、そこで楪生花店を営んでいる。そこで私は長年の付き合いのよしみで、働かしてもらっている。

 

「確かにそうだな。その明るさは接客に向いていると思うぜ」

「他にもあるよ。風邪も引かないし、遅刻もしたことないし、美人だし、スタイルいいし」

 

 指を一つ一つ折り曲げて自分の美徳を数え上げていく。結構あるねー。

 

「そういうのはちがうんじゃね。――後、美人とかっていうのは茜には完敗していると思うぞ」

 

 反論が出来ない。確かに茜ちゃんは女のわたしから見ても美人だからなあ。チラッと茜の方を盗み見て改めて敗北を感じる。そんな私の視線に気付き茜ちゃんは、

 

「彩葉ちゃんも可愛いと思いますよ」

「ありがとう。でも可愛い……か。可愛いと美人だとなんだか子供っぽいと大人っぽいっていうイメージがあるのは私だけ?」

「また微妙な疑問を持ったな。けど、なぜだろう。彩葉には美人という言葉はあまり当てはまらないな」

「そりゃあそうだろ。彩葉は童顔で子供っぽいからそう見えるんだよ――美人はさすがにねぇな。あ、ちなみに俺は美人な人の方がタイプだな」

「いや、誰も聞いてないから」

 

 可愛いの部分を否定しないところをみると、少なからず覇人も可愛いとは思ってくれているのだろう。

 だけど、どちらかと言うと子供と大人だとやっぱり大人と見られたいという気持ちの方が強い。もう、高校生だしね。

 

「覇人はなんか、夜遊びとか酒飲んだりとかちょっと悪ぶってる子供みたい」

「大人の階段を登りきっちまってるから、もう子供じゃねえよ」

「あのなあ、そもそも未成年だろう覇人。大人の階段はまだ登るもんじゃないよ」

 

 すごく自慢気にしている覇人に纏が正論を浴びせた。

 

「相変わらずお堅い頭してるねえ」

「悪い子です」

 

茜ちゃんも呆れ気味。覇人はそのままこの話をなかったかのように話題を逸らしてくる。

 

「……ところで、稼いだ金は何に使ってるんだ? 無駄遣いとかしてねーよな」

「大丈夫、お金は貯金用と使うようと分けてるから」

「随分としっかり管理してるんだな。将来何かに使う予定でもあるのか?」

 

 感心したように頷く纏。

 

「うん、できれば中心地である二十三区に行ってみたいなって思うんだ」

「二十三区。ということは町をでるのか?」

 

 おかしなことでも言ったのか、怪訝そうにたずねてくる纏。

 

「だって、二十三区には魔法使いがいなくて、平和な区だって有名じゃん! そりゃ住むんだったら平和な場所で暮らしたいでしょ」

「えっ! 彩葉ちゃんここから出て行くのですか」

 

 彩葉の突然の告白にびっくり仰天する茜。

 

「まだ考えているだけだからどうするかは決めてないけどね。あ、でも茜ちゃんがどうしてもっていうなら行かないけどね」

「もう、彩葉ちゃんってば」

 

 拗ねているような照れているような微妙な表情になる茜ちゃん。こういう表情を見せられると、なんだか悪いことをしているような気がしてきた。 

 

「その話しは有名だけど、どういう場所になっているかは分からないぞ」

「そうだな、世界中のどこにでも現れては不思議な力を使う連中だ。いないなんて一言で言われても実感がねえよな」

「でも、実際に現れた経歴はないって聞いたよ」

「そういわれるとそうなんだけど」

 

 歴史が安全を証明をしているが実際のところは、魔法使いはいるにはいるけど、騒ぎを起こしていないだけなのかも知れない。

 しかし四十七区画中、二十三区のみ魔法使いの被害にあっていないという話を聞いたのはたしかだ。

 一説には、魔法使いを撃滅する組織。退魔力殲滅委員会(アンチマジック)の拠点が建てられているからだという話しがある。その存在だけで十分な抑止力となり、魔法使いもうかつに手が出せず隠れひそんでいるだけなのではというもの。

 

「そういえば、二十三区ってすげえ家が高かったはずだぞ。バイト代の貯金程度じゃあ全く足りないと思うけどな」

「そうですね。安全が一応保障されているので他の区よりもお高めになっていましたね」

「夢の話しだよ! 夢! 平和な場所ってだけでどんなところか気にならない?」

 

 理想論から現実的な話題に流れていき始めたところで中断させる。現実の厳しさは聞きたくないのだ。

 

「当分はここで暮らすことになりそうだな」

「ですねー。夢は遠いですなー」

 

 それでもいつかは叶えたい。平和な世界で生きて、いつ襲い来るかも分からぬ存在に怯えないような毎日を過ごすためにも今日のバイト、そして明日以降も頑張っていこうと胸に強く刻むのだった。

 

 

 やがて、大通から車一台分通れるような脇道を曲がり、今朝通り過ぎた公園前までたどり着く。

 

「そんじゃ、俺は用事があるから先帰るわ」

「え、おい。ちょっと待ってくれよ」

 

 いつもの帰所で覇人はさっさと帰宅しようとする。

 

「気を付けて帰ってくださいね」

「まったく。あいつはたまに早く帰るけど、いつもなにしているんだろうな」

「さあ?」

 

 覇人は中学の頃から時折早く帰ることがある。そして、何日も音信不通が続くこともあった。もう慣れていることだし、聞いても適当にはぐらかされてしまうからもう聞かないけど。

 

「それじゃあ、俺も帰るとするよ。彩葉、茜。仕事頑張れよ」

 

 最後の纏の励ましを耳にし、二つのグループに分かれ、それぞれの帰路に着いた。



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3話

お昼をファーストフード店でお持ち帰り。

 何気ない話題で茜ちゃんと私の家で夕方まで時間を潰した後、一緒にバイト先である茜ちゃんの家に帰る。

 勤務先である楪生花店のある商店街は、ここから徒歩五分もかからない距離に位置しているので、急ぐほどでもない。

 商店街はスーパーや百円均一の店に薬局などが建ち並び、行き交う人々は子供から年寄りまで様々だ。

 目的地である楪生花店は商店街の出入り口に位置している。

 茜ちゃんの先祖代々続いているだけあって、店自体は古くなっているがそれを補うほどの花が美しく彩る。商店街の出入り口としては上等な出迎えといえるだろう。

 そこに今日はいつもの看板娘に加え、アルバイトとして私が店に立つ。

 茜ちゃんにそっくりな顔立ちにまっ黒な髪をショートカットに切りそろえられた四十前後の女性。茜ちゃんの母、楪桜(ゆずりはさくら)から本日の業務内容が告げられる。といってもいつも通り接客に専念するだけで、それ以外だと店回りの清掃などをするだけだ。

 

「それじゃ、今日もよろしく頼むわね」

「はい!  任せてください」

 

 コートを脱ぎ、その上に楪生花店の赤いエプロンを身に着けて、お仕事モードに切り替える。

 店内に顔を出して接客に専念する。その横では茜ちゃんが花の手入れに集中する。二人の若い少女が店内に、桜さんは店の奥に引っ込み裏方の作業に専念する。これが私がいるときのいつもの風景だ。

 

 

 一人、また一人と順調に愛想よくお客を捌く。

 一年半もやっていれば手馴れたもので、中には常連の人もいて顔も覚えられた。

 私の性格も合わさってか、入って一週間も経たぬ内に商店街に溶け込むことが出来た。以来、ここで買い物をするときなんかは周りのお店からサービスもしてもらえたりしてる。色々とラッキーだ。

 

「さすが彩葉ちゃん。今日もお疲れさまです」

 

 横で見ていた茜ちゃんも満足気だ。

「私にとって意外と天職なのかもね」

「いつでも歓迎しますよ! あ、あとはお掃除だけやっておいてください」

「はーい」

 

 日も黄昏色から月光に照らされる闇に移り、点々と発光しはじめる街灯が夜闇を彩っている。

 各店舗では店仕舞いの準備をはじめる時間でもある。

 それに倣い楪生花店も店を畳はじめる。

 散らかった花びらの清掃をして、今日の業務もおしまい。冬のせいなのか、あっという間に時間が過ぎ去ったようにも感じた。

 

「これで、一日も終わりか」

「ごくろう様。あとで温かい飲み物でも出しますね」

「ありがとー」

 

 人通りも少なくなり、活気づいていた商店街は今では不気味な静寂が支配している。

 と、そこに囁くような小声で話し声があちらこちらから聞こえてきた。

 

波紋のように、人から人へと流れていき、不安を煽らせてくれる。

 

「なんだろう……なにかあったのかな?」

「そうですね。気になるから聞いてきます。彩葉ちゃんは片づけを続けておいてください」

 

 桜さんは買い出しに行き、一人残された私はせっせと店内、店回りの掃除を再開した。

 近所で物騒なことが起きたりすると嫌だなあ。明日から冬休みなのに、鬱屈としてしまうよ。

 なんて考えていたら手が止まってしまっていた。バイト一人残して、店を任されているということは信頼されている証拠だ。

 帰ってくるまでは私が守ってあげないと。

 

「大変だよ! 彩葉ちゃん!」

 

 辺りに漂う不穏な雰囲気が気になり、近所の八百屋を営んでいる店主と話をしていた茜ちゃんが血相を抱えながら帰ってくる。

 

「どしたの? そんな慌てて」

「事件です……事件!!」

「事件?」

 

 傷害事件、はたまた強盗でもあったのだろうか。どちらにしてもあまりいい話ではないだろうなと予測してみる。

 しかし、茜ちゃんの物々しい語調は静寂に包まれつつある商店街と相まって、それ以上のなにかを感じさせる。

 

「八百屋のおじさんも詳しくは知らなかったみたいなんですけど、火事があったらしいですよ……それも町全体を飲み込むような大きなのが」

「火事?」

 

 大きな事が起きたんだろなとは思ったが、まさか火事とは。町全体だとどうやら普通の火事でもなさそうだ。

 

「隣の三十一区の東部が焼けたそうよ」

 

 不意に背後から声が聞こえてくる。

 そこには、夕食の買い出しに行っていた桜さんが、重そうに買い物袋をさげながら疑問に答えてくれた。

 

「え!  焼けた!?  ……焼けたって、えぇぇぇぇぇ!?  なにそれどういうこと?」

 

 あまりの突拍子のない出来事に驚きを隠せない。茜ちゃんも同じ気持ちなようで続きを急かす。しかし、桜さんも相当困惑しているようで、なかなか話し出せなく一旦情報の整理をするべく一息ついてから語りだすことになった。

 

 

 凍てつく夜。

 妙な沈黙が支配する部屋。こころなしか暖房が利いているにもかかわらず、温度が外と同じぐらいまで下がっているような気がする。

 それはきっと、いつまでも黙っている桜さんの気迫のせいだろう。表情は強張り、いつ話そうかタイミングを見計らっているような気がする。

 そういう間がしばらく続いた。

 やがて、桜さんが意を決したように言葉を漏らした。

 

「魔法使いがね……現れたらしいの」

「! ……あの魔法使いが」

「それってテレビでニュースになるあの魔法使いだよね」

 

 それは、世界の秩序を壊す者。動く天災。人間兵器。など色々な呼ばれ方をされる人類の敵。

 魔法使いはどこにでも存在し、どこにでも現れる存在。それはもしかしたら隣人が、もしくは友人が、という可能性もあり得る存在。外見上はただの人間なのだが、人類を超越した不思議な力を使う。それは、町を焦土と化すような力や手品師のようになにもない場所から物質をだすような力など様々なものがある。そのなかでも、一際目立って情報誌を賑わすものが今回のような災害じみた被害が多い。

 人々はそんな力を、魔を宿した技法を魔法といった。そしてそれを行使する者を魔法使いと呼んだ。

 桜さんはその魔法使いが三十一区に現れたのだと言う。町民が驚きを隠せないのも仕方がないね。なにせ、手を伸ばせば届くような距離にそれはいるのだから。

 

「そうよ。その魔法使いが暴れ、結果町一つが燃え尽きた。噂では魔法使いはその後行方をくらまし、消息をたったらしいの」

「じゃあ、まだこの辺にいるかもしれないってこと?」

「可能性はあると思うわね。ここと三十一区は隣接してるから」

 

 三十一区がなくなったことで、それに隣接する三十区または三十二区のどちらかに移動する可能性は極めて高かった。しかし、今回の被害地はどちらかというと三十区よりで起きたので、遠い三十二区の方に移動するとは考えにくかった。かといってそのまま騒ぎの起きた三十一区に滞在するのはおかしいと考えられた。

 なので、私の予想はあながち間違いでもなかった。その証拠に桜さんが同意を示したのだった。

 可能性の話ではあるが、すぐそばに破壊と混沌をもたらす者がいるという事実だけで、この場にいる者に不安を与える。

 

「こんなときってどうすればいいのかな?」

 

 初めての体験にどう対応すればいいのか分からない。

 

「落ち着きなさい。……まず、彩葉ちゃんは早めに家に帰って両親を安心させること。きっと心配しているはずだから」

「なるほど、それもそうだね。それじゃあすぐに着替えて来ます」

 

 そう言ってコートを取りにいこうと席を立ち上がる。

 

「でも、外に出ても大丈夫なのですか。この辺りにいる可能性もあるから危険かも知れませんよ」

「平気だよ。すぐ近くなんだし、何も起きないよ」

「それでも心配です」

 

 心配症な茜は一人で帰ろうとする私を必死で止めようとする。

 

「だったら、おばさんが家まで送ってあげるよ」

「大丈夫ですって。五分もあれば着く距離だから迷惑なんてかけられないよ」

「絶対無事に帰ってくださいね」

「うん。わかってるよ」

「知らない人についていったらダメですよ」

「それは安心して。私、茜ちゃん以外の人についていくことなんて絶対ないから」

 

 これだけは自信をもてる。

 

「それはそれで別の意味で心配ですね」

「はいはい、じゃれあうのはそこまでにして早く帰らないと時間だけが過ぎていくわよ」

「はっ! そうだった。それじゃ、そろそろ帰るね」

「はい、気をつけて」

 

 最後まで私の心配をしていたが、これ以上引き留めているわけにもいかないので、時間の都合で茜ちゃんが折れることとなった。

 私はそんな茜ちゃんのことを見かねて最大限の笑顔で安心させて帰路に着いた。

 



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4話

その日は冷たく、静かな夜だった。

 閑散とした帰り道では、すれ違う人なんてだれもいない。

 歩調はいつもより早く、まっすぐに家へ向かう。たかが数分の短い距離だが、静寂に満ちた夜は自然と得体の知れない恐怖心みたいなのがある。特に今日のような嫌な話を聞いた時は倍増だ。

 心強い街灯の下をまっすぐに進むと、道の角に築三十年はあろう風情に色褪せた白い外壁が目立つ二階建ての家がみえてくる。あれこそが我が家である。

 

「ただいまー」

「おかえり、ご飯できてるわよ」

 

 家に戻ると母さんが待ちかえていたかのような手際のよさで出迎えてくれた。

 

「今日はなにかなーっと」

 

 一仕事を終えてお腹はすっかり空腹状態となっており、気分はすでに夕食モード。

 冷めた体的には鍋物あたりがいいなと思いながらリビングへと向かう。

 

「帰ったか。おかえり彩葉」

 

 そこには無精髭を生やし、群青色の着物が年代を感じさせる中年の風体をした人物。父の雨宮源十郎が酒をぐいっと煽っていた。

 父さんは仕事の都合上、基本的に自宅で部屋に籠っていることが多い。それゆえに髭も剃らず、髪はボサボサの状態だ。

 誰がどうみても不衛生に見え、着物も仕事着兼へや着として扱っている。

 

「ただいま……って、あ! 鍋じゃん。やった」

 

 いそいそとまずはコタツに入り込む。

 食卓には、野菜にお肉、締めのうどんになんとカニまである。なんとも豪勢である。それらがコタツ一杯に広げられ、中心にはぐつぐつ煮えている土鍋が置かれている。

 今日は水炊きのようだ。

 タイミングよく帰って来れたおかげで、具材はすでに煮えており、すぐに食べれる状態になっていた。

 

「彩葉のために準備しといてやったぞ」

 

 どうだ! 気が利くだろ、っといわんばかりの語調で語り掛ける父さん。うんありがとね。

 

「でも、先に食べてるじゃん」

「これは……その……あれだ! 早くしすぎたみたいで最初の方のやつを食べて――」

 

 しどろもどろになりながら言い訳を始める父さんだが、途中でお腹がなり、話しが途切れる。焦った顔に一瞬なって、すぐに視線をそらす父さん。

 

「遅くて悪かったね」

「すまない、僕が悪かった。肉やるから機嫌直してくれ」

「いや、新品のお肉がいい」

 

 がっくりと肩を下げて残念がる父さん。中古はさすがにね。

 

「源十郎さん。それは私でもいやよ」

 

 母さんがはしとお椀をもってきて着席しながら私に同意する。

 

「奏までそんなことをいうのか……! まあ、奏は仕方ないとしても、彩葉なんか小さいときは父さんが冷まして食べさせてやってたのに、今ではこんなにも嫌がられるようになってしまったか……」

 

 遠い過去におもいを馳せるように虚空を眺める父さん。

 

「可愛げがなくなったっていうの」

「いや、そんなことはない。さすがは僕の娘、奏に似てすごく可愛く育ってくれた。……ただ娘に嫌がられるのは親としてはショックだと思ってな」

 

 ここでもまた可愛いと言われてしまう。嬉しいのは嬉しいんだが、帰り道での会話が脳裏によぎり、複雑な気分になってしまう。ちなみに母さんは可愛いというよりも美人だ。

 

「女子高生に対する行動ではなかったからよ」

「難しい年頃になったんだな」

「女の子は一度は通る道よ。大丈夫! もう二、三年もして大人になったらまた甘えてくれるようになるわ」

 

 あごに手を当て難題にぶつかったように唸る父さんにやさしいフォローが入る。

 女子高生といえば、一番難しいお年頃でもある。自分でもどういうわけか、父さんにはなんだかちょっと冷たく当たってしまう。ほんと、難しい年頃である。

 

「ところでお酒飲んでるけど、仕事は終わったの? キャパシティ……だっけ? なんか医療の研究って話しだったけど」

「いや、まだだ。これは息抜きってやつだ」

 

 そういって再びグラスに注いでぐいっと飲み干す。酒に溺れたくなるほど煮詰まっているのかな。

 

「お酒もほどほどにして仕事、早く終わらせたほうがいいんじゃないの」

「分かってるよ」

 

 最後の一本っと言ってもう一本ねだる父さん。

 母さんは「これで最後だからね」と言って三本目を渡した。

 

「そんなに大変なの? そのキャパシティって仕事」

「……彩葉。キャパシティっていうのは医療研究機関の名であって僕の職場の名。仕事内容じゃない」

 

 お椀に野菜をたっぷりとよそいながら、そうだっけ?  と自分の曖昧な記憶のに尋ねる。

 あまり親の仕事を把握していないことに父さんは嘆かわしい表情になった。

 しかし、理解していないならいないで、これを機に知っておいてもらおうと熱弁に語り始めた。

 

「今は、亡くなった人の命を存命している人の役に立たせることはできるかという医療の開発研究をしていてな、それが少し難解なもので行き詰まっているんだ。しかし、この研究が成功すると世界を揺るがすほどの大きな功績となるだろう。なにせこのご時世だ。魔法使いやアンチマジックの戦闘の被害によって死者は山ほどでる。その死者を今、この時代を生き抜いている人の役に立てないか、そう思い至って始まった研究だ。僕は必ずこの研究を成功させ、この争いの止まない世界に新しい風を呼び起こしたい」

 

 それは一歩間違えれば、人の尊厳を、道徳を犯す重大な違反につながるかも知れない危険な研究だと締めくくった。

 父さんはそれを承知の上で実験を行い、人の法を踏み外さないギリギリのラインに立って、未来のため、世界を変えるきっかけになると信じている。

 父さんはキャパシティ内でも上位の立場の人物でもあり、このプロジェクトの立案者でもある。

 自分を信じてついてきてくれる部下たちの想いと責任を背負って、世界救済の道を突き進む父さんは期待の星なのかもしれない。そう思うと誇らしくなってしまう。

 

「な、なんかすごいことをやっているんだね……でも死体を扱う研究なんて怖いかも。祟られたりとかしないよね」

 

 予想だにしていなかった父さんの途方もない大きな仕事に呆気に取られる。しかしそれと同時に道徳上、かなり問題のある内容に不安を感じずにはいられない。

 

「それはわかっている。けど、安心してくて構わない。死者を扱うに当たって研究前にはお祓い、供養を行い、親族や亡くなる直前の本人からも許可を得て行っているから今のところは問題は起きないはずだ」

 

 安心しろとはいうが、そうは簡単に納得はできない。

 死者を扱うとはそれほどのことだ。

 

「源十郎さん。自分の研究を語るのはいいけど、場所と状況は考えてよね」

 

 私もそれに同意して奏に便乗するが、元々話しを振ったのは自分であると気づいてあまり強くは出られなかった。

 父さんはと言うと、今が食事中であることをすっかり忘れていたようで猛反省していた。

 途中、食卓には合わない会話もあったがカニを投入してからは、そんなことも忘れ、黙々とカニと格闘を始める。

 

「……」

「……」

「……」

 

 無機質な沈黙が続く。

 リビングに置かれている四十インチのブラウン管テレビからはコメディ番組が流れ、お茶の間に笑いを届けるが、それも虚しく雨宮家の食卓には届かなかった。

 すべて平らげ瞬く間になくなってしまったカニ。満腹感と達成感に満たされ、ようやくリビングに声が漏れた。

 

「うーん、これで全部かあ。今日はいつもより多かったような?」

 

 集中のあまり、指や肩に溜まった疲労を実感しながら声を漏れた。

 

「奏の宝くじが当たったからな」

「え、マジで!? すごいじゃん、いくら当たったの」

 

 突然の朗報にびっくり仰天する。

 いつそんなものを買ったのか気になりもするが、それ依然に金額が気になって仕方がない。小遣いとかもらえないかな。

 

「ふふ、内緒」

 

 唇に人差し指を当てて可愛らしく話しをそらす母さん。

 その様子から相当な金額だろう。

 

「さ、そろそろ締めのうどんといきましょうか」

 

 こたつに置かれていた三人前のうどんのビニールを破っていく。

 彩葉と源十郎も同じく、ビニールをひとつずつ破って鍋に投入していく。

 そんななか私は母さんのある異変に気づいて問いかける。

 

「母さん、その指の怪我どうしたの?」

「ん、ああこれのこと? 今日、鍋の準備をしてるときにね」

「準備って……カニ? カニにやられたの?」

「ざ~んねん。正解は包丁でスパっときれたのでした~」

 

お気楽に言っているけど、結構大事だよね。それ。

 

「もっと酷いのだった!? 大丈夫なの?」

「そんなに深くはないから大丈夫よ。絆創膏も貼ったしね」

 

 怪我をした指を上下に動かして無事をアピールする奏。

 しかし、先ほどのカニと格闘した際に汁が沁みて多少の痛みが残っているのか、どことなく動きがぎこちなかった。

 

「それだけ動けたら大丈夫そうだね」

 

 テレビは依然としてコメディ番組を流していたが、突然ニュース番組に切り替わった。

 たまたま、父さんの近くにリモコンが置いてあったので犯人は言わずもがな。

 父さんは女子たちのジトッとした視線を感じながらも必死に無実を訴えていた。

 しかし、速報で切り替わったのだとわかると目線は一気にテレビの方に向いた。ホッと安堵しながらもつられて父さんもテレビの方に顔を向ける。

 テレビには見渡す限り黒く焼け焦げ、半壊した建物がいまにも崩れ落ちそうな映像とともに、現地リポーターが商店街で聞いた三十一区の大火災の報を告げていた。

 

 泣き叫ぶ幼子とあやかす親。

 

 自暴自棄になってる者とそれを奮い立たせようとする者。

 

 散乱した瓦礫に埋もれた人を救助する者と我が身を守るべく無視する者。

 

 鎮火活動に精を出す町民の姿が勇ましい。

 

 まるでこの世の終わりでも見てるような痛々しい光景。 

 

 こうして魔法使いの残した爪痕をみると、いかに危険な存在なのか一目瞭然だった。

 

「これって、魔法使いの仕業らしいよ」

「――! どこで聞いたんだそれは」

 

妙に気迫のある表情で父さんに詰めよられた。

 

「バイト中に商店街で噂になってたんだけど」

 

 そう言ったら、父さんと母さんはお互いに顔を見合わせて納得したような表情をしていた。

 

「彼女の仕業かしらね」

「多分、そうだろう。一応、連絡は聞いていたが、まさかここまで大きな事を起こすとは。彼女らしいと言えばらしいが」

 

 二人だけにしか分からない会話。一体、何のことなんだか。

 ともかく、あまり驚いてはいなさそう。やっぱり父さんたちぐらい長く生きていたら魔法使いの事件にも遭遇したことがあるのかもしれない。

 

「そういえば、もうこの町にも来ているかもしれないって茜ちゃんのお母さんが言ってたけど、実際はどうなのかな?」

「多分、来ているだろうな。おそらく、すでにアンチマジックが動いているはずだ」

 

 対魔法使い戦のスペシャリストであるアンチマジックは、四十六の支部とそれらを纏め上げる一つの本部から構成されている巨大な組織と言われている。

 日常生活をしていく上では、あまり見かけるような存在ではない組織で、普段なにをしているのかなんてのは知らない。

 そもそも魔法使いなんて存在、噂程度にしか聞いたことがないし、出会ったことなんてない。アンチマジックが密かに魔法使いを葬っているからだとかなんとか。

 

詳しくは知らないけど、この事件ももしかしたらいつの間にか解決してしまうのかもしれないね。

 

「そうね。彼女が見つかるかどうかは分からないけど、もう一人の魔法使いは早めに見つけてもらえそうだしね」

 

 いま、聞き逃してはいけないことを聞いたような。

 

「魔法使いって一人じゃないの?」

 

 二人揃って神妙な顔つきになる。それだけでもう一人――話題にすらなっていない存在がいるんだと露骨に表していた。

 

「彩葉が気にすることじゃないよ。僕がなんとかしてみせるから」

「う、うん。信頼してるから大丈夫」

 

 深刻な言い方に不安が募った。けど、これでも一家を支える大黒柱である父さんだから、心配する必要はないのかも。

 

「源十郎さん……私たち、本当に大丈夫かしら」

 

 母さんが心配そうな声で話す。

 

「ああ、そっちの方も安心しろ。僕が必ず守り切ってみせる」

「……ごめんなさい……あなたに任せてしまって……」

 

 母さんは沈痛な面持ちになり、そっと呟いた。



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5話

 退魔力殲滅委員会(アンチマジック)

 

 人類に害を為し、未知なる力を使う超常の存在――魔法使い。彼らは社会の裏側に潜み、人知れず人間社会に溶け込んでいる。

連中を捜索し殲滅することによって、社会に平和と安全を確立するために組織されたアンチマジックは、世界の中心地である二十三区に本部を置いている。そこから全四十六区画に支部を置き、それぞれの区を守っている裏の防衛組織である。

 

 

 三十区支部。人通りの多い繁華街で灰色に塗られた外装に三階建てのビル。一見すると事務所のようにも感じられる建物だが、玄関前の札には退魔力殲滅委員会の文字が彫られてる。

 そこに、一人の男が入っていく。

 男は着慣れた黒スーツをしっかりと着こなし、決して隙の無い立ち振る舞いから相当な実力者だと窺がえた。

 一階はオフィスビルの受付のようになっており、一般市民による情報提供、魔法使いによる被害の援助を求める人が集まっていた。

普段であれば、閑散とした殺風景な空間と化しているのだが、今日はわずかだが人が入っている。

隣接されている警察署から警官が訪ねていた。

表の治安維持組織と行動している警察とはお互いに協力関係の立場にある。

裏で起きた騒動は表にも影響を与えるため、今後の展開について語りに来たようだ。

男は警察の会話に耳をたて、行方不明となっている魔法使いの情報がないか盗み聞きしながら二階のフロアに続く階段を目指した。

 二階は関係者用フロアとなっており、膨大な量の資料が貯蔵されている資料室などいくつもの個室が並んでいる。

 男はすれ違う同僚に挨拶を交わしながら、目的地である監視室とかかれている部屋へと入る。

 そこは薄暗い部屋だった。

 部屋中に小難しい機材が敷き詰められ、正方形のモニターが壁一面に何十個も並んでいる。

 モニター画面には、三十区の監視カメラの映像が写っていた。

 部屋の光源はといえば、そこからあふれ出る光がこの部屋を照らしているだけだ。

 

「いい加減、ちゃんとした照明設備を設置したらどうだ。こうも暗いと気分が滅入らないか? 鎗真」

「それができたら今すぐにでもしたいんですけどね。ここの責任者が照明に使う資金をケチって全部武装に充ててるんですから、こっちには予算が回って来やしないのですよ」

 

 来訪者に背を向け、モニター画面を眺めながら鎗真と呼ばれた男――樹神鎗真《こだまそうま》が答えた。

 二十代くらいの年齢で顔つきも悪くない。短くカットされた髪に黒縁のメガネがよく似合い、知的な雰囲気が感じられる。

 

「おかげで、ここに配属されてから一気に視力が落ちて嫌になってしまいますよ」

 

 男の方に振り返り、恨みがましさが全開の声音でつぶやく鎗真。

 

「似合っているではないか、メガネ。お前のイメージに嵌まっていると思うがな」

「嫌味ですか。毎日レンズを拭く苦労が貴方にわかりますか」

 

 そういってメガネをはずし、ズボンのポケットからクリーナーを取り出し、レンズを拭き始める。

 メガネを装着し始めたのはここ最近のことだった。

 

「こんなものをかけるよりも、やっぱりコンタクトにしておいた方がよかったですかね」

「やめておけ、もう見慣れているんだ。今さら外されると違和感を感じてしまいそうだ」

 

 鎗真は「そうですかね」といい、メガネをかけ直す。

 

「やはり、そっちの方が似合っている」

「もういいですよ。これからもこれでやっていきますよ」

 

 ふてくされた態度で言い放ち、再びモニターの方へ顔を向ける鎗真。

 依然として変わらない映像を右へ左へ視線を動かし、様子を見ていく。

 そこで、ふと男が何をしに来たのか気になり尋ねる。

 

「そういや、こちらへはどんな用事で?」

「あれから何か変わったことはないか気になってな。様子を見に来ただけだ」

「今のところは変わったことはなしですかね」

「……そうか。なら、しばらくはここで待機しているとしよう」

 

 ただ、ボーっと立っていることに疲れ、光源がなければ部屋と同化しているんじゃないかと思われるほどの黒いソファーに腰掛ける。

 

「A級の称号を持つ貴方がこんなところで油を売っていているとはね。ずいぶんと暇なようですね」

「いくら全七段階中、上から二番目の称号だからといっても敵がいなければ、やることもないのでな」

 

 男は眼前のソファーと同じく黒い長机の上に置かれているコーヒーメーカーに手を伸ばし、二人分注ぐ。

 それを鎗真に手渡すと自分はソファに戻り、鎗真は煙草に火を点けた。

 吹かされた煙が充満し、コーヒーを啜る音がしてから男が口を開いた。

 

「この業界に入ってからもう五年か……」

「たった五年でA級までいったら大したもんですよ」

「そう褒められるものではないのだがな。私はただ、為すべきことがあって、ここまでがむしゃらにやってきたに過ぎないのだよ」

「いえ、貴方は確固とした信念をもってやってきていると思いますよ」

「信念……か」

「その証拠として、胸にA級のバッジをつけているじゃないですか。わずか五年でここまでの魔法使いを殲滅し、多大な功績を残してきたわけですし」

 

 鎗真がアンチマジックに入ってから、二年は経つ。

 戦闘力があまり高くなかった為、戦闘員である男とは違う部署への配属となったが、男の成し遂げてきた功績は部署を隔てて広まっている。

 それを知っている鎗真は、男が考えなしでやってきたとは思えなかったのだ。

 しばらくの沈黙のあと、男が昔を思い出すようにゆっくりと語り始めた。

 

「私は五年前に魔法使いに妻を殺されている」

「……それは初めて聞きましたね」

 

 魔法使いに身内を殺され、アンチマジックに入るものはたくさんいる。というよりは、三分の一はこういった理由でやってくる者が多い。

 男もそんな一人だった。

 

「それ以来、私はそいつを探しているが、一向に見つからない。ただ、ひたすらに目当ての人物に当たるまでここまでやってきた結果、こんな称号をもらうまでになってしまっただけに過ぎなかったのだよ」

「復讐ですか……」

 

 同情の意を込め、うなずく。

 

「復讐……か。もうそういった感情は湧かなくなってしまったよ。ただ、許せないだけだ。あれが私たちの前に現れてからすべてが変わってしまった。息子は、亡くなった妻に変わって家事全般を引き受けてくれている。私も職業柄なかなか家に帰れなくてな、つらい思いもさせてきた……だからだろうか、もう私たちと同じ境遇になる人がいなくなるように、そう願ってアンチマジックに入った」

 

 語り終えた男は、渇いたのどをぬるくなったコーヒーで潤す。

 魔法使いという悪を滅ぼし、人類を救う。男の野望は、五年前の悲劇が元となって、生まれたものだった。

 数々の魔法使いを退け、幾多の人たちを救ってきた原動力はここにあった。

 

「たしか、息子はもう十七でしたか」

「そうだ。卒業したら私と同じ道をいくつもりのようだが、できれば違う道を歩んでほしいものだ」

 

 普段は仕事のことで一杯になり、魔法使い出現となれば、真っ先に出撃していき結果を残して帰ってくる仕事の鬼のような男だ。だが、たった一人の息子の将来を想う考えは、一人の父親のものだった。

 

「そうでしょうね。この仕事は常に死が付きまとっていますからね。相応の覚悟がないと厳しいでしょうね」

「……親の仇を打ちたいんだって言って聞かなくて困りのだよ」

 

 鎗真は、もう一本タバコに火をつけ煙を吐き出して答えた。

 

「さすがは親子ですね。考えることが同じとは」

「ああいうところは妻にそっくりだ」

 

 男は妻のことを思い出し、微笑しながら答えた。

 

「愛されていますね、奥さん。その、奥さんを殺害した魔法使いには、特徴などはなかったのですか? 俺も監視官になって二年です。これでも様々な魔法使いをみてきたつもりなんでね。なにか協力できることもあるかも知れませんし、教えてもらえないもんですか」

 

 監視官とは、監視室にてその区画内に設置されている魔力検知器――魔力の熱源を感知する装置――から得た情報の解析や監視カメラからの映像を基に戦闘員に指示を出したりする。いわば、オペレーターのような活動をする役職だ。

 

「そうだな。わかっていることと言えば、ブロンズ色の髪をした女性だということぐらいか」

「……それだけだとなんともいえませんね」

 

 あごに手を添えながら、過去二年間の記憶をさかのぼる。数えられるほどだが、何回か現れた例はあった。しかし、いずれもすでに殲滅済みであったのであえてそのことは口にしなかった。というよりも殲滅したのは、この目の前にいる男だった。

 それ以外にもなかったか、しばし黙考していた鎗真だったが、不意にバイブ設定になっている携帯の振動で考えを遮られてしまう。

 

「失礼」

 

 机に置いてあった携帯を手に取り、電話にでる。

 何度かのやり取りのあと、急に鎗真の顔つきが変わる。よほどのことがあったのか、険しいものになっており、声にも緊迫感が包まれていた。

 緊急性の高い連絡だろうことは容易にうかがえた。自然と高まる緊張感。男は表情を崩さず、黙って会話が終わるまで待っていた。

 通話時間はそれほど長くはなかった。要件だけを手短に話し、相手から電話を切られたようだ。

 

「何があった」

「三十一区支部からの連絡ですよ。先ほどまで例の魔法使いと交戦していた戦闘員との連絡が途絶えたらしいです」

「よくない報告だな」

「皮肉にもそのおかげで現在の所在地が判明したようですけどね」

「ほう?! 聞かせてもらおうか。――どこに現れた」

「場所は――」

 

 鎗真が言いかけたところで、今まで変わることのなかったモニター画面の一つが赤く発光し始めた。

 監視カメラとセットで設置されている魔力検知器に反応があった証拠だ。

 

「ああ、こちらの検知器にも引っかかったようですね」

「あのモニターに映っている場所は――」

「はい、三十区の両端《ターミナル》付近。そこに、います」

 

 最大の災害を起こした人物が三十区にやってきた。

 交戦した戦闘員はC級が三名だったようだ。その全員と連絡が途絶えたということは、まずやられたとみて間違いないだろう。

 これで、相手の実力はわかった。C級、いや少なくともB級以上の力を持った戦闘員でなければ、太刀打できない相手ということだ。

 

「すぐに責任者に報告としよう。行くぞ、鎗真」

「あら、ちょうどよかったわね」

 

 いつの間にそこにいたのか。

 振り向けば肩下まで伸びているきれいな金髪を携え、サイズの合っていない服が短パンを隠し、腰辺りにスカートのように上着を巻いた少女がいた。

 

「蘭。きていたのか」

 

 蘭と呼ばれた女性は、内側に開いていたドアにもたれていた体を離し、鎗真たちのほうへと歩いてくる。

 

「いつもおもうんだけど、気配を殺して背後にくるのはやめてくれよ」

「悪かったわね。あたしの戦闘スタイル上、くせになっているの。頑張って慣れればいいでしょ」

「俺は戦闘の適性がないから、監視官に配属されているんだよ。慣れるとかの問題にすらなりゃしないよ」

「監視官でも戦闘員の人数が減れば、そっちへ移動になることもあるわ。だから、もしものときの為にも最低限の力は身に付けておきなさいよ」

 

 厳しいことを言っているようだが、蘭は五年前から戦闘員として戦ってきている。そのなかで、何度か転属になった者と手を組んだこともあるが、ほとんどが早死にしている。その経験から鎗真へのアドバイスのつもりで言ったのだ。

 戦闘員は監視官と違い、常に戦場に身を置き、そのせいで死者も山ほどでる。ゆえに、人事不足になることも多々あるのだ。そうなれば、必然的に非戦闘員である監視官を戦闘員に回し、人数のバランスをとることになる。

 

「じゃれあうのはそこまでにしろ。それと、ちょうどよかったとはどういう意味だ」

「誰がこんなガキとじゃれ合っているというのです?」

 

 ぶつくさと鎗真が何か言っているが、蘭は一瞥しただけで男の質問に答えた。

 

「責任者が呼んでるわ。あたしたち三人が」

 

 

 一行は三十区のアンチマジックを統括している責任者が在籍している三階へと続く階段をのぼる。

 三階はコの字型になっており、左右に休憩フロア、トレーニングルームなどが入っている。

 目的の責任者が居座っている部屋は中央にあり、漆黒に塗られた扉が特徴だ。

 なかは無骨な装飾と家具で揃えられており、重々しい印象だ。

 部屋に入って真正面の椅子に初老の男性が鎮座していた。

 

「連れてきたわ。それで、要件って何?」

 

 最初に言葉を発したのは蘭だった。

 

「今から話す……そうだな、まず始めに三十一区を全焼させた魔法使いの居場所が分かった」

「それは三十一区支部の連絡ですでに知っている」

 

 男が答える。

 

「もう知っていたか! ならば、説明は不要だな」

 

 耳の速さに驚きを含めた語気で話す責任者。

 

「現在、三十区に二人の魔法使いが潜んでいる。内一名は野原町のシンボルでもある時計塔付近で観測された。こいつを仮に識別名をAとする」

「Aって言うのは、今朝の野原町全土の魔力感知器が一斉に反応した際の魔法使いの事でいいんですよね」

 

 監視室に数十台あるモニターが不可解なことに一斉に赤く発光し、全土に魔法使い反応が出ていた。初めは故障か何かかと疑っていたが、夕方ぐらいになって時計塔付近に現れた反応によって、一人の魔法使いによる。全域に魔力を流したのではないかという結論に至っていた。

 

「そうだ」

 

 責任者は一度言葉を切ったあと、男を見据えた。 

 

「そこでだ、天童君には地元である野原町の魔法使いの殲滅に向かってもらいたい。そして、御影蘭C級戦闘員、樹神鎗真監視官、両名は天童守人A級戦闘員の補佐にまわってもらう」

 

 それは、現在三十区支部にて最も戦闘力の高い人物を筆頭とした編成だ。

 

「それだともう片方の魔法使いはどうするんで? これだけの戦力をぶつけると手薄になると思いますが?」

 

 鎗真が怪訝な顔になって即座に疑問を尋ねる。

 

「分かっている。しかし現状明確な所在が割れているのはAだけだ。だから、逃げられる前にこちらを総力を上げてつぶし、そのあとにもう片方の捜索に全力に取り掛かることにした」

「なるほどな。そういうことなら話しは早い。さっさと片付けてしまうか」

「そうしてくれるとありがたい。天童君ももう片方の魔法使いには興味もあると思うからね」

 

 もったいぶった物言いで守人を煽る責任者。

 

「……というと」

「識別名B。ブロンズ色の髪をした女性だという報告だ」

「ほほう。いい報告だな」

「よかったわね。前回から半年ぶりくらいだったかしら。今度こそ当たりだといいわね」

 

 衝動的に鼓動が高まっていく気持ちを押さえつけながら、守人は久しぶりの目当ての魔法使いの発見に闘志を燃やす。

 

「本来なら天童君にはBの捜索にまわってもらうんだが、状況が悪い。BとA、二人もいる現状ではどちらかは先につぶしておかねば、結託されても困るからな。今回は我慢してもらうぞ」

「さすがに一身上の都合で同僚に迷惑をかけるつもりは毛頭ない」

「悪いな。では、早速Aの方に取り掛かってくれ。相手は戦闘力が未知数な存在だ。くれぐれも無茶だけはしないように」

「了解です」

 

 三人は威風堂々と声高らかに返事をし、その場を去った。

 

 

「それで、どう動くの?」

 

 肌寒い夜の中、三人は屋上に出て、今後の方針を練っていた。

 わざわざ、屋上にまででたのは、三人にしか知らされていない情報でもあるので、誰かに聞こえるような場所ではできなかったからだ。

 時刻はすでに日付が変わろうとしていた。

 どう動くにせよ、今からでは動きようがないことは明白だった。だからこれは明日以降の行動方針の作戦会議だ。

 

「まずは、時計塔付近の捜索からだな。敵の姿が分からない以上、鎗真は監視室でそれらしい人物をマークしておくべきだろう」

「了解。しばらくは徹夜作業になりそうですね」

 

 守人は鬱屈な表情になっている鎗真の肩をたたき、励ましの言葉をかけた。

 

「蘭は私と一緒に時計塔付近で徒歩での捜索と狙撃ポイントの確保だ」

「分かったわ」

 

 蘭は軽く頷いて答えた。

 

「ほかに何か聞きたいことはないか?」

 

 守人の問いに二人は無言の返事を返す。

 

「……それでは今日のところは解散としよう」

 

 それを合図に蘭と鎗真は屋上から出ていった。

 一人取り残された守人はフェンスから三十区の風景を眺める。

 繁華街の夜はいまだライトが灯り、十二月の夜景に相応しい、美しいイルミネーションに彩られていた。

 

「明日からは、忙しくなりそうだな」

 

 誰に聞こえることもなく、小さくつぶやいた。



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6話

 枕元から同じリズムでけたたましい音が鳴り響く。

 いつまでも、いつまでも。いい加減飽きて黙ってくれたらいいのに。

 もうかれこれ一分ぐらいは続いていてさすがに我慢の限界が来た。

 

「……うるさい」

 

 朝に弱い私は、開ききらない目をこすりながらアラームを止める。

 大きな欠伸を一つ残す。

 昨日の晩に魔法使い出現の報を聞き、眠れぬ夜を過ごしてしまうかと思われたが、存外ぐっすりと眠れたようだ。

 意外にも図太い自分の体質に驚きながらも、昨日の二の舞にならないようにのそのそとベッドから体を起こす。

 制服に着替え、朝ご飯を食べる。至ってシンプルな朝。昨日のことは夢だったよと言われたら。あ! やっぱりそうだよね。と頷くと思う。

 思うのだが――リビングに流れていたテレビには、昨日のニュースを繰り返し報道していた。

 なんか実感がないなあとを眺めていると、昨日と同じ時間にチャイムがなる。

 この時間にやってくるのは、茜ちゃんだけだ。

 私は鞄を持って玄関へと向かう。すると、そこには予想通りの人物が待っており、挨拶をお互いに交わして、通学を始めた。

 

 

 昨日の件で町中は騒がしいことになっているのかとも思われたが、特にこれといった変わり映えしなかった。

 隣の区で起きた火災だし、他人事ようにしか感じられない事件ということもあって、そこまで騒ぎ立てることでもないのかもしれない。

 だけど、私と茜ちゃんからしたら、ある噂が流れ込んできていたからこの町の雰囲気には飲み込まれなかった。

 

「昨日は無事に帰れたみたいで良かったです。何かあったらどうしようと心配だったんですよ」

「大丈夫って言ったじゃん! 心配しすぎだよ~茜ちゃんは」

 

 少し心細かったことは話さず、何もなかったと平常運転で答えた。正直な気持ちを言ってしまえば、茜ちゃんがより過剰に反応してしまうと思ったからだ。

 そのままいつものように他愛のない話しで笑い飛ばしながら、歩行を進めていくと時計塔のある公園にたどり着く。

 そこで、黒いスーツを身に付けた四十代くらいに見える男性が、ラフな格好をした十代の少女を連れ立った二人組がいた。

 傍から見たら親子のようにもみえたが、顔は全然似ていない。養子っていうのともなんか違うような。かといって誘拐されているようにも見えないし。ちょっと怪しいから視線がついそっちに向いてしまう。

 二人は時計塔を眺め、周辺をしきりに見回していた。何やら一言、二言会話した後、私たちの方へと歩いてくる。

 一瞬目があったようにも感じられたが、そのまますれ違う。

 

「今の人たちって……」

「多分、アンチマジックの人だと思いますよ。二人とも胸にバッジを身に付けていたから間違いないです」

 

 私が疑問を差し挟む前に、茜ちゃんが答える。

 

「あっ! 確かに。そんなのがついていたような……てことは、私たちと同じ年くらいに見える女の子もそうなのかな?」

 

「そのはずですけど……でも、もう一人の男の人はどこかで見かけたような」

 

 記憶を探りながら答える茜ちゃん。

 

「うーん、確かに聞いたことがあるような……ないような」

「何度かニュースでも取り上げられることがあったはずなんですけど……誰でしたっけ」

 

 なんとか思い出そうとしていくうちに、しきりに頭をひねり出す茜ちゃん。

 

「そのうち思い出すよ! というか、思い出せないのなら実はそんなに大した人じゃないんだって」

「待って! もう少しで思い出せそうなのです。えーと、まりと? でしたか」

「なんか外国人みたいな名前だね」

「いやっ……ちがいます! えーと、まりお? まりも? いや、こんなおもしろい名前じゃなかったはず」

「それでもいいんじゃない? 可愛いし」

「確かに可愛らしいですけど……男の人の名前ですよ。彩葉ちゃん」

「それもそっか」っと次の名前を考えてみる。

 

 その後も色々な名前を出してみるが、結局、学校につくまで思い出すことはなかった。

 

 

 教室に着くと、隅の方で男子生徒が二名陣取っていた。

 一人は、百七十を超えた高身長で華奢な体型をしており、もう一人は高校生らしい体格に灰色の髪をした人物だ。その正反対な体型で遠くからでも目立つ二人組は、私たちの中学時代からの友達である天童纏《てんどうまとい》と近衛覇人《このえはると》だ。

 二人は朝早くから通学しており、いつも端っこの方で固まって楽しそうに会話をしている。

 邪魔をするのも悪いけど、せっかくだから挨拶ぐらいはしとかないと。

 

「纏くんにしては、珍しく眠たそうですね」

「今日は、纏が夜更かしでもしていたのかな」

「いや、そういうわけではないんだ」

 

 ここぞとばかりに昨日の仕返しをしようと突っかかってみたけど、纏がそれを否定して話しを続ける。

 

「親父が朝早くに急に帰ってきたから、出迎えであまり目が早く冷めただけさ」

「朝早くって……夜の仕事でもしているの?」

 

 真面目な纏と違って、お父さんはいかがわしい仕事にでも手を出しているのかな。

 

「纏の親父さんは、アンチマジックの人間だ」

「えっ!? そうだったんですか」

 

 纏、覇人と出会って四年になるが、纏の父親が謎多い組織の一人だったとは初耳だった。

 

「別に黙っていたわけではないんだ、親父もそこそこ有名人だから喋って騒ぎにしたくなかったんだよ」

「ふーん、そうだったんだ。って、そういえば朝、時計塔前でアンチマジックの人とすれ違ったけどあの人がそうだったのかな」

「確か私たちと年の差がなさそうな女性を連れてましたけど」

 

 時計塔前で出会った二人組の容貌を詳しく説明して纏に問いかける。

 

「それは間違いなく俺の親父だな。女の人の方はC級戦闘員の御影蘭って名乗っていたな。確か、俺たちとそう年が離れていなかったはずだ」

「その年でもアンチマジックに入れるんだ」

「アンチマジックに入るのに年齢制限はないからな。しかし、それにしてもあの若さでC級ってことは、ワケありってことっぽいな」

 

 覇人が彩葉の疑問に答える。

 C級とは階級でいうとちょうど真ん中に位置している。その階級にあの若さでたどり着いているといことは、戦闘能力が高く早い段階でC級に昇格したか、幼いころから魔法使いと戦い続けてきたかのどちらかだ。

 

「私たちの一個上ですか……大人びていて、それでいて少し怖い印象がありましたね」

「俺もあの人のことは詳しくは知らないよ。というより今日初めて会った人だしな」

「あ、そうなんだ。でも、お父さんの方は有名なんだよね。確か名前は「もりる」だったけ?」

「一体誰と勘違いしているんだか……守人だよ。天童守人。どう覚えたらそんなに可愛らしい名前になるんだ」

 

 通学途中、茜ちゃんとともに必死で思い出そうとした結果、一番しっくりきた名前だったがどうやら間違えていたみたいだ。

 纏が盛大なツッコミを入れている横で、覇人はあごに手を当てて、

 

「はは、マスコットキャラクターみたいな名前でいいじゃねえか」

「全然よくないから」

「ごめんなさい。男の人の名前なんてよくわからなくて」

「ねー」

 

 茜と彩葉はお互いに顔を見合わせて、うなづきあう。

 

「二人共、ネーミングセンス無さすぎだろ」

 

 やり取りを見て、短い嘆息とともに吐き捨てるように纏は言った。

 

 

 下校時間になる。

 今日は、魔法使いの出現という噂もありバイトは休みとなった。

 朝はいつもと変わらぬ光景だったが、帰り道ではあちらこちらから天童守人の姿が発見されているからか、話題がアンチマジックのモノになっていた。

 アンチマジックが野原町にやってきていることによって、何事かと反応しているんだろう。

 基本的にアンチマジックが動くときは、魔法使いが現れたときくらいなものだ。普段は支部に詰めて、緊急時にいつでも出動できるように体制を整えている状態である。

 しかし、今回はそのアンチマジックが動いているのだ。C級戦闘員とA級戦闘員という高ランクの二人が来ているという時点で、魔法使いの危険度もかなり高いということがうかがえる。そのうち、A級戦闘員である天童守人は、よくニュースサイトのマイナーなジャンルのところに載っている凄腕の戦闘員だ。

 つまり、魔法使いに関わる何かが起きようとしている、あるいはすでに起きていると町の人たちは捕えていることだろう。

 もしかしたら、先日の三十一区全焼のような災害が降り注ぐかも知れないという不安と、それを未然に阻止できるかも知れないという二つの感情が芽生える。

 高ランク戦闘員の介入はそれだけの影響を与えるのだ。

 

「纏のお父さんの影響力ってすごいんだね。どこもお父さんの話しばかりだよ」

「最近では結構な有名人だからな」

 

 さして、自分の親を自慢することもなく淡々と話す纏。

 

「この状況だと悪い意味でしか感じねえな」

「そんなこと言ったら纏くんのお父さんに失礼ですよ」

「悪い意味……ね。実際こうしてみると事実だしな。A級の戦闘員がきたからと言って、周りが全部安心するかと言ったら、そういうわけでもない。むしろ、敵の強大さをアピールしているようなものでもあるのか」

 

 纏が親の仕事を間近でみるのは、これが初めてらしい。今まで数々の魔法使いを殲滅し、大勢の人々を救ってきた父親の背中をみて育ってきた纏にとっては、信じられない光景なのかもしれない。

 もっと、周りから称えられ、期待の眼差しを向けられていると思っていたが、現実はそうでもなかった。

 

「なんか、あんまり報われないんだね。アンチマジックって」

「……そうだな」

 

 周りの緊迫した雰囲気に飲み込まれそうになるも、家路についた。

 

 

 私が家の前までたどり着くと、いつもと違う印象があった。

 普段は空いているリビングのカーテンが閉じられていたのだ。それだけではない、家中の窓にカーテンがかけられており外からの光を遮断していた。まるで、外敵から身を守るように、静かに、人の気配を感じさせないような趣があった。

 誰もいないのかな?

 しかし、玄関に入ると人の話し声が聞こえてきた。

 

「ただいまー」

 

 おそるおそる声をかけてみる。

 靴があるので、両親がいることは間違いないはずなのだが、反応がなかった。

 靴を脱ぎ、声の発生源であるリビングへと近づいていく。

 次第にはっきりと聞こえるようになっていく話し声。

 雰囲気からいって大事な話をしていることは感じられる。

 このまま引き返して自室に戻ってからもう一度来ようかとも考えたが、今までに感じたことがない異常な気配に好奇心が抑えられない。

 一体何を話しているのだろう。リビング前に立ち、ドアを開いた瞬間だった。耳を疑う衝撃の事実が両親の口から放たれた。



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7話

 日も完全には暮れていない夕方。家中の窓から入る光を遮断し、リビングだけ電気が点けられていた。

 外から中の状況がばれないよう、念入りに、すべての窓にカーテンをかけられている。もちろん、戸締りも完璧にされている。

 そこで、二人の人物が声を潜めて話し込んでいた。まだ明るさの残る時間帯にそこだけ陰鬱な空気が漂っていた。

 二人はコタツを間に挟み、向かい合いながら言葉を交わす。

 

「まずいことになったな」

 

 源十郎は、苦虫を噛み潰したような表情になって奏に話しかけた。

 

「……そうね。まさかあそこまでの大物が来るなんて」

「ああ、これで僕たちもいよいよ動き始めないと取り返しのつかないことになるだろう」

「けど、その前にやることがあるわ」

 

 忘れてはならない、親の役目を果たさなければならないことがあると、奏は目で訴えた。

 

「分かっている。あの子に、彩葉にすべてを打ち明ける時がきたみたいだ」

「いつかは話さないととは思っていたけど、こんな形で打ち明けることになるなんて。十七年も黙っていたことを今さら話したところで……あの子、怒るかしら」

 

 内に秘めていた隠し事への罪悪感に押しつぶされてしまいそうな、そんな感覚に囚われていく奏。

 

「それは、彩葉が生まれたときから覚悟は決めていたはずだ。それに、もう十七だ。彩葉も大きくなった。今の彩葉なら僕たちがいなくても、きっと、うまくやっていける。心配することなんて何一つない」

 

 意気消沈していく奏を元気付けるように、強く断言する源十郎。

 

「そうね。それに組織が融通を効かせてくれるみたいだし、もしかしたら彼女も手を貸してくれそうね」

「そういうことだ。何も心配する必要はない。僕たちは上手くカムフラージュが出来るように最善を取るだけだ」

 

 奏は指に巻いた絆創膏を手で抑えつけながら、決意を固めた。

「そのためにも親の役目をしっかりと果たさないとダメね」

「困ったものだな。僕たちが魔法使いだとどう切り出せばいいのか――」

 

 予期していない事態が起きた。こうも部屋が暗ければ、時間の感覚が潰されてしまうのは必然的だろう。

物音がし、一思いにしてリビングの扉が開かれた時には、自分達の過失を攻めるべきか、或いは手間が省けたと思うべきか――。

 扉の前に立ちすくんでいたのは、驚きのあまり茫然としている彩葉の姿があった。

 

 

 くぐもった声がはっきりと聞こえた。それは、想像していなかった衝撃の一言だった。

 両親が魔法使い。人にとって、最も恐れられている存在。人類の敵。

 一体いつからだったのだろう。疑問が湧き上がるが、それを口にする前にどう問いただせばいいのか分からなくなって黙り込んでしまった。

 母さんと父さんも突然の私の入室に戸惑い、目線を合わせず下を向いて口を開こうとはしなかった。

 お互いに言いたいことも言い出せず、沈黙が流れる。

 そして、意を決して先に声をだした。

 

「えーっと……その……父さんと母さんが魔法使いっていうのは本当なの?」

「……本当だ」

 

 出来れば聞き間違いであってほしかった。嘘でもいいから違うって言って欲しかった。魔法使いではないと。すなわち、私の敵ではないと言って欲しかった。

 一縷の希望を望み、問うてみたが、返ってきたのは無常にも肯定の言葉だった。

 ショックのあまり次にでる言葉が紡げなくなる。

 

「話せば長くなる。だから、一度座ってもらえないか。そんなところにいたらまともに話しもできないよ」

 

 父さんの手招きに黙って従った。それと入れ替わるように母さんが立ち上がり、温かいお茶を入れ、家族会議が始まった。

 

 

 コタツを三人で囲む。

 奏と源十郎が向かい合うように座り、間に私が入る。

 再び沈黙が流れる。

 気まずい雰囲気を誤魔化すように音を立ててお茶を一口啜った。

 母さんはどう切り出せば良いのか分からず、おどおどした様子で父さんの方へと顔を向ける。

 父さんは母さんの視線に対し、すべて自分に任せろとでも言いたげな様子で軽くうなづいてから、話し始めた。

 

「まず始めに、僕たちは彩葉が生まれる前から魔法使いだ。だけど、彩葉。お前は魔法使いではない、ということだけは理解していてくれ」

 

 それは、私自身も分かっていることだった。

 そもそも魔法なんて使ったこともなければ、見たこともない。目の当りにするのはいつもその被害だけだ。

 魔法使いではないことなんて至極当然のことだ。

 しかし、父さんは念を押すように、力強く言った。まるで、そこが一番大事なところであるかのように。

 

「魔法使いから生まれたからといって、同じ力を持っているとは限らないんだ。そもそも、魔法使いというものは自然に発生するものであって、生まれた瞬間になっているというわけではない」

「自然に発生?」

「いずれは分かるときがくるわ」

 

 それまで一言も話さず、成行きを見守っていた母さんが父さんに変わって答えた。

 ようやく、母さんも口にする踏ん切りがついたみたい。

 

「出来れば一生こない方がいいのだけれど」と付け加えて、続きを引き継いだ。

「今までこんな大事なことを私たちが彩葉に黙っていたのは、世の中には知らない方が幸せでいられることがあると思ったからなの。知ってしまえばもう、普通の女の子ではいられなくなる。彩葉には幸せに生きてほしかった。ただ、それだけなの」

 

 十七年間の想いのすべてをぶちまけるかのように言葉を吐き出した。

 二人は私のことを第一に大切にしているということは分かっている。だからこそ、両親が人類の敵だなんて知らない方がいいと自分たちに言い聞かせてきた。それがどれだけ自分たちが苦しめられていたのかは分からない。

 けど、私は十七年間もの歳月、そのことには気づかず魔法使いを蔑んできた。表面上は平静を装っている母さんと父さんだが、知らず知らずに傷つけてきたのかと思うと、胸が締め付けられるかのように痛んだ。

 心に眠るモヤモヤを手で抑えつけるように胸におき、今までの言動を思い返していた。

 

「彩葉、僕たちは今日、この家から出るつもりだ」

「……え!?」

 

 突然の宣言に戸惑いが隠せない。表情にもでていたようで、父さんは落ち着かせるように穏やかな口調になる。

 

「彩葉も見かけたかも知れないが、アンチマジックの戦闘員が二名、この町に来ている。おそらく、僕たちを探しているのだろう。もし、見つかってしまえば戦闘は避けられない」

「戦うの? それって昨日のようなことになるかも知れないってこと?」

 

 脳裏に先日の魔法使いによる被害の跡がよみがえる。一面廃墟と化した、この世の終わりのような世界を。

 

「そんなことにはさせない。ここは、僕たちが育った場所だ。だが相手が悪すぎるため、最悪の展開も想定しなければいけない。だから、そうなる前にここからでなければいけないんだ」

「でるって……どこに行くの? 行くあてなんてあるの?」

 

 父さんは年中家にいることが多い印象だ。そんな人に頼る場所なんてないとあるのかな。

 

「僕の所属しているキャパシティで身を潜めるつもりだ。あそこは、魔法使いもいる場所だから安全だ」

「え? じゃあ、私はどうすればいいの?」

 

 二人がいなくなれば、一人ぼっちになってしまう。不安に押しつぶされそうになっていく心に追い打ちをかけられる。

 

「彩葉はお留守番よ」

「……どうして!? 安全なところなら私もついて行っても平気でしょ!」

「さっきも言ったが、戦闘が起きる可能性もある。いや、間違いなく起きるだろう。やつらは的確にこの周辺を捜索している。ほぼ見つかっていると考えていいだろう」

 

確かに、あんなことになってしまったら、私なんて何にも出来やしない。かえって足手まといになってしまう。だから付いていかない方がいい。

でも、それは嫌だな。

 父さんは私の身を案じて言ってくれているとは思うけど。

私からしたら、二人が危険な目に合う可能性の絶対高いはず。

 

「大丈夫よ。うまくやり過ごして、ほとぼりが冷めたころに帰ってくるから。だからね、彩葉はお留守番なの。私たちがいない間、家を守ってて。家族三人で暮らした、大切で、思い出のたくさん詰まったこの場所を、ね」

 諭すように言いつける。そうして、母さんは私を強く抱きしめた。娘のぬくもりを体で感じ取るように、強く、強く抱きしめてきた。

 

「なに? それ。そんなこと急に言われても、どうすればいいか分からないよ。それに母さんたちが魔法使いなら、娘である私はどうなるの? 私が魔法使いじゃなくても、人類の敵の子供だってばれたらどうなるかわから――」

 

 ない、と言おうとしたところで体中に重みを感じる。この感覚は眠気だ。突然の睡魔に目がトロンとしていく。

 

「……はれ?」

「やっと利いてきたか」

 

 力が抜け、抱かれていた母さんに体を預けるように沈み込んでいく。

 

「……な、何をしたの?」

「ごめんね。彩葉のお茶に睡眠薬を入れたの。私たちの正体を話せば、黙って行かせてくれないと思って。本当に……ごめんね」

 

 母さんは涙交じりに耳元で囁いた。そうして、生まれたての赤ん坊を寝かしつけるように、ゆっくりとやさしく、髪をなでながら床に倒された。

薄れていく意識の中、父さんと母さんがリビングを出ていこうとしている姿が端に写っている。

 

「私たちが帰ってくるまで、何者にも負けない心を持って、強く生きて。決して絶望には囚われないで。私たちはずっと彩葉のそばにいるから」

 

 その言葉を最後に、意識は夢の中へと落ちていった。

 

 

「では、間違いないんだな」

 

 時計塔前にて、守人はアンチマジック三十区支部の監視室詰めとなっている鎗真と連絡を取っていた。

 

『検知器に反応した時間帯と貴方が仕入れてきた情報と照らし合わせて、当てはまる奴なんて、雨宮奏しかいませんね』

 

 守人と蘭は時計塔付近での聞き込み捜査を行っていた。昨日の検知器に反応した当時、周辺の民家、出歩いていた人物を洗い出し、そこから過去の監視カメラの映像と照らし合してようやく見つけ出したのだ。

 

「家族構成の方はどうなっている」

『娘が一人いるが、無関係でしょうね。しかし、男の雨宮源十郎の方だが……プロフィールを偽装していやがったようです』

「どういうことだ」

 

 怪しくなっていく雲行きに眉間にしわがよる守人。それを横から見ていた蘭は、守人の変化に緊張を走らせる。

 

『詳しいところまでは分からないんですけどね、あの野郎はキャパシティに所属している魔法使いです』

 

 あまりの驚きに思わず言葉をなくしてしまう守人。

 表向きには、医療研究機関キャパシティと名乗っているが、その実態は構成員が魔法使いで構成されている秘密犯罪結社だ。

 現在、この事実は世間には公表されていない。それどころかそれを把握しているのは、一部のアンチマジックメンバーのみだ。

 

『この件、上に報告しておきましょうか?』

「ああ、よろしく頼む。私はこれから二人を追う。おそらく、今夜にでも動くだろう。引き続き監視の方も頼んだぞ」

 

 そういって通話を切った。

 

「で、どういうことになったのよ?」

 

 蘭の問いに、守人は鎗真からの報告をキャパシティのことも含めて簡潔に説明した。

 

「そう、ということは敵は二人ね」

「ターゲットは雨宮奏。そして、雨宮源十郎だ」

 

 

「あんな別れ方で良かったのかしら」

 

 奏と源十郎は家を出奔し、街道を歩いていた。足取りは慎重に、暗い夜闇に紛れ、人通りの少ない道を歩く。

 

「今はあれでいいんだ。あまり情を持った別れ方をすると、再会した日が辛いだけだ」

「だけど! 彩葉のあんな最後をみたら、本当に正しかったのか分からなくなるよ!」

「静かに、声のトーンを落として」

 

 隠密行動中にも関わらず、声が高まっていたことに気づいた奏は反省した。

 

「次に彩葉と再会した時には、あの子は僕たちの敵になっているかもしれないんだ。そのことを考えるとあれぐらいで丁度いいと思う」

「……そうよね」

 

 人類の敵である魔法使いの奏と源十郎。そして、普通の女の子である彩葉とではお互いに対立しあう存在である。別れ際が名残惜しいものになればなるほど再会時に迷いが出てしまい、本来の対立が瓦解してしまうかも

しれない。それを恐れた源十郎は、あんな別れ方を決行したのだ。

 

「それよりも今は僕たちの身の方が優先だ」

「A級戦闘員にC級戦闘員。どちらも一筋縄ではいかないわね」

「C級の少女の方は正直言って僕の敵ではないだろう。だが、どんな戦い方をするか分からない以上、警戒は怠らないように。それよりも問題は――」

「A級戦闘員の方ね」

 

 源十郎の言葉を遮り、奏が先に口にする。

 源十郎は軽くうなづいた。

 A級戦闘員天童守人。殲滅した魔法使いの数は優に百を超え、戦闘慣れしている。いざ戦闘になれば、間違いなく両者ともに怪我程度では済まないだろう。

 

「ここを無事に逃げ出すためには、遭遇しないようにしないとね」

「その通りだ。目下、僕たちとって最大の障害は、天童守人だ」



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8話

 目が覚めると、激しい虚脱感に襲われた。体がだるい。意識はしっかりとあるが、眠りに就く前の記憶があやふやになっていた。

 部屋に明かりが灯っているところをみると、外はすでに暗くなっているのだろうと推測する。

 あれ、そういえば電気は元々ついていたような。だとすると眠る前から暗くなっていたのだったっけ?

 そもそもどうしてこんなところで寝ていたのだろう。普段ならこんなことは絶対にしないのに。それに父さんと母さんはどこにいったんだろう。父さんはともかく、母さんなら怒って叩き起こしそうなものなんだけども。

 色々腑に落ちないことがあるが、寝起きで喉も渇いてきたところなので、手元のコタツに置かれていた湯呑に入ったお茶を飲もうとする。

 そこで、ふと手が止まった。

 湯呑が三つ。二つは母さんと父さんのものだ。ここには三人いた。

 瞬間、記憶がよみがえる。

 母さんと父さんはここで自らの正体を明かした。そして、危険から遠ざけるため私を置いていった。だけど本当に危険なのは母さんと父さんだ。なぜなら、二人は魔法使いなのだから。

 そう考えたときには、体は動いていた。家を飛び出し、外に出る。

 無我夢中に――それは考える間もないと勝手に判断したから。

 目的地はキャパシティ。どこにあるかは知らないけどなるようになる。それに時間もまだそう経っていない。運がよければどこかで会えるかもしれない。

 正直言って意味が分からなかった。

 突然魔法使いだと告白し、家を任したと言って出ていった。私が聞き入れられないことを見越して睡眠薬を飲ませるというオマケつきだ。

 何もかも納得出来なかった。もう一度会って詳しく問い詰めてやりたい。そんな想いが私を突き動かした原動力としてあるのかも知れなかった。

 それを止めるのは上書きできるほどの上位の原動力。

 

 ――激しい地響きが鳴る。

 

 

「な? なにが起きたの」

 

 止まる体。何事かと震源を探る。同時にあの時の会話を思い出す。

 戦闘が起きる可能性がある。

 もし、この地響きの原因が戦闘なのだとしたら戦っているのは母さんと父さんしかいない。

 

「急がないと――」

 

 二人の無事を祈り、再び駆け出した。

 

 

 源十郎と奏は路地裏を歩いていた。

 ここならば、人の目に付かないので堂々としていられ、仮に戦闘になったとしても周囲に人がいなければ心置きなく戦える。そう判断してのことだった。

 

「だれかいるわね」

「……もう気づかれたか。慎重に行動していたつもりだったが、流石はA級といったところか」

 

 歩みを止め、正面から迫りくる人物と対峙する。

 

「魔法使い、雨宮奏。そして、キャパシティ所属の魔法使い、雨宮源十郎だな」

 

 二人の魔法使いを見据え、天童守人は静かに告げた。

 

「もう源十郎さんのことまで知っているなんて……」

 

 完全に偽装していたプロフィールを解き明かしてしまった、アンチマジックの情報解析力に驚きと感嘆の声が奏から漏れる。

 キャパシティに所属している魔法使いメンバーは、全員戸籍上に登録されている内容は偽装している。普通はばれる筈がないのだが、今回に限ってはばれてしまった。それは、背後に優秀な監視官がいることを意味している。

 先日からまだ二十四時間足らずで所在を的確に割り当て、正体を暴いてしまったのがその証拠だ。

 

「……」

「どうしたの? 源十郎さん」

 

 険しい面持ちで辺りを視索している源十郎。

 右、左、上、視界に映るすべてに警戒を張り巡らしているのが伝わってくる。その様子に奏は気づいた。

 

「おかしい。敵は二人のはずだ。もう一人はどこにいった」

 

 言われて奏は気づく。この場には、奏、源十郎、守人の三人しかいないことに。

 

「本当ね。どこにいったのかしら」

「これを好機と取るのか、罠とみるべきか、いずれにせよ今は目の前に集中するべきだ。一瞬の気の緩みが命取りになる」

 

 そう言いつつも源十郎は見えない敵への警戒は緩めない。奏は目の前に敵意を強めた。

 

 

「一応聞かせてもらうが、生きていることに対しての罪悪感は持ち合わせているのか?」

「……何の話だ」

「魔法使いとしての自覚の話しだよ」

 

 意味することに気づいた源十郎は渋い顔つきになる。

 予感する残酷な真実だと分かったからだ。

 

「人は誰しも欠陥を抱いている。それがないものなど存在しない。いや、それを失くした時点で人間ですらないのだよ。

 欠陥――それは人間に備わる負の側面。

 完全でないからこそ、人は人でいられるのだよ。だが、それを罪悪で塞ぎ、魔力を生み出しては隙を失くす。

 最早、堕ちるところまで堕ちきり、欠陥を魔法という名の力で代替して振りかざす。

 ほら、人間ではないだろう。

 魔法――それは罪悪感と同義の意味を持つと言えるだろう。

 魔法使いは生きていることこそが罪悪なのだ」

 

 悪や善に振り回される不安定な存在こそが人間。  

 そう捉えている守人からすれば、なるほど魔法使いは人間とは別種の存在と呼べるだろう。

 あるいは化け物という代名詞すら与えたとしても当てはまるだろう。

 

「あなたの哲学的な意見には興味はないわよ。たとえ、私たちがどんな存在であったとしても、一児の母親と父親であることに変わりはないもの。

 私たちはそれだけで十分なの」

「同意だな」

 

 二人の化け物《まほうつかい》の気持ちは一つだった。

 親という称号こそがすべて。

 たとえどのような存在であったとしても、変えようがない生涯付き纏う不滅にして、最高の呼び名だった。

 

「生きていることに対して罪悪感はあるか? て聞いたわよね。もちろんないわ。

 あるのは、ただ――可愛い可愛い彩葉への愛情だけよ。 

 いちいち罪悪感なんて感じていたら、楽しく生きていけないわ」

 

 幸せで塗り替えた奏には喜びしかなかった。何が楽しくてそんなにも根暗に生きていかないといけないのか。

 たった一度きりの人生を。奏はこれでもかというほどに、充実させていた。

 だが、守人にはそれが理解できるはずがなかった。

 黒い感情に身を任せて、人間をやめた分際で。なぜそこまでらしく振舞おうとするのか?

 

「ならば、それを摘み取ってやろう。魔法使いに幸福は不似合いだ」

 

 締めくくると、刹那の内に奏の懐へと詰め寄った。

 想像を絶する奏と源十郎をよそに、守人は拳を繰り出した。

 反応しきれずに大きく吹き飛ばされる奏。

 

「奏っ!!」

 

 叫ぶ源十郎。

 守人は続けざまに源十郎へと肘打ちを仕掛ける。

 すさまじい速度での連撃。それを寸でのところで、手のひらで受け止めた源十郎に衝撃が痺れとなって襲った。

 そして、反撃が始まる。

 距離を空け、なりふり構わず空いているもう片方の手から、ぼんやりと白くひかる光球が生まれる。

 魔力弾――魔法使いが魔法を使う際に使用する魔力を固めたモノ。その一撃は込めた魔力量によって威力は大きく変わる。

 

「外したか…」

 

 魔力弾は守人がいた地面を砕いた。

 戦い慣れている。源十郎はそう思った。決して速い弾ではなかったが、魔力弾を正確に見切って避けた。その一連の動作には淀みがなく、身体能力はかなりのものだと推測できる。

 

「さすがはA級ね……」

 

 大地に平行して浮遊しながら源十郎のそばにやってくる奏。

 

「よかった。無事だったか」

「無事なわけないじゃないのよ! あばらが何本か折れて、内臓のほうにもダメージがきてるのよ……私じゃなかったらあの一撃で身動き取れずに終わってたわ……――っ!」

「大丈夫か!? 奏!」

 

 突然吐血する奏に寄り添おうとする源十郎に「平気」と手で制する。

 

「一撃でしとめたつもりだったが、まだ動けるとはな。魔法に助けられたな。だが、次で終わらせる」

 

 丈夫な布地で作られた籠手を着用し、闘志を漲らせる。

 守人は思考する。魔法使いが二人。男の方は秘密犯罪結社の一員、間違いなく女の方よりも危険度は高いと即座に判断した。まずは使い物にならなそうな女の方を手早く沈め、一対一の状況を作り出す。いや、この場にはいないバックアップを含めれば二対一になる。

 数々の魔法使いと戦闘してきた守人は事務的に考えをまとめた。

 

「来るわね」

「そうだな……奏、今度はこちらから仕掛ける。それと、無茶はするな」

「分かったわ」

 

 奏は先ほどの魔力弾で破砕したアスファルトの欠片を宙に浮かせ、守人へとぶつける。守人は事もなげに拳で欠片を砕く。そして、一気に駆け出す。

 猪突猛進で向かってくる守人に源十郎は魔力弾を放つ。しかし、魔力弾を守人は手で掴んだ。

 

「返すぞ」

「……!?」

 

 キャッチボールでもするかのように投げ返す。源十郎は魔力弾をもう一発撃ち、相殺する。二つの魔力がぶつかり合い、小規模の爆風が起きる。それに紛れ、奏は浮遊した状態で風のように守人へ接近し、跳び蹴りの要領で蹴り飛ばした。

 

「まさか魔力弾をつかむとはな。やはりあの手袋は魔具だったか」

「魔法が通用しない魔具なんて! これじゃあ、まともに戦うこともできないんじゃあ……」

 

 魔具――アンチマジックが開発した魔力が込められている武具の総称――を装着した今の守人には魔力弾は通用しない。それどころか、逆に利用されてしまっている現状だ。

 

「だったら戦い方を変えるまで」

 

 今度は球状から光線のような魔力弾を放つ源十郎。蹴りの衝撃から立ち上がった守人は初めてみる戦闘法に驚嘆し、器用な奴だと思った。得体の知れない魔力弾に対し、まずは回避する。続けざまに放たれる光線状の魔力弾。さらに回避。二発目を避けたところで守人は理解した。球状で放たれていたモノが光線状に形が変わっただけであるということに。

 来る三発目に備える守人。だが、直前であるもう一つの脅威に気づく。奏は避けられた二発目の光線状の魔力弾を操っていた。前方から源十郎が放ったモノと後方から奏が操作しているモノに挟み撃ちにあう守人。

 

「コンビネーションは抜群だな。だが――」

 

 先に前方から迫る魔力弾をつかむ。そのまま後方から舞うように迫る魔力弾に当て、相殺した。

 

「甘い」

「それはどう――か・し・ら……っ!」

 

 いつの間にか上空にいた奏は重力に任せ、守人へと落下する。――が、頭部で腕をクロスして防がれる。

 源十郎はその一瞬を狙った。両腕が使えなくなる瞬間を待っていたとばかりだ。 おかげで守人は前方からの放たれた魔力弾を無防備な状態で受けることとなった。

 

「やったの!?」

「いや。A級がこの程度でやられるはずがない」

 

 果たして、源十郎の予想どうりダメージこそは負ったが、まるでピンピンしていた。

 息も乱れていなけば、体力が落ちているようにも感じられない。悠然と立ち尽くしていた。

 

「まずいな。今のであれだけしか効いていないとなると、一度引いた方がいいかもしれないな」

「……そうしてくれると……ありがたいわ」

 

 源十郎のそばで魔法を解除し、悲痛の表情で答える奏。

 

「大丈夫か!? 奏」

「やっぱり……さっきのは無茶だったかな」

 

 あばらが折れ、内臓が破裂した状態で重力に任せての急降下は、奏の体に大きく負担をかけた。吐血し、その場でへたり込んでしまう。

 

「だから無茶はするなと言ったのに……これ以上の戦闘は無理だな」

「でも、そう簡単に逃げられるかしら。あの男……どこまでも追いかけてきそうよ。仕事一筋って感じだもの。私の苦手なタイプだわ」

「それは……好みの問題じゃないのか?」

「違うわよ! 女の感ってやつよ」

 

 自身満々で答える奏に苦笑交じりで源十郎は「そうか」と返した。

 

「さて、どう逃げるべきか」

 

 前方には手負いの猟犬。だが、正面突破しようにも奏が内面に傷を負っている以上、容易ではない。なれば、後方に逃げようにも、守人の身体能力では奏と源十郎にすぐ追いつくだろう。

 

「上はどう?」

 

 考えを張り巡らす源十郎に提案する奏。押しても引いても駄目なら空へ行く。

 奏の魔法は自身、そして生物以外の物質を浮かすことができる。

 源十郎は上をみて、頷きで返答した。それしかないといった様子だ。

 奏は魔法をかけ、源十郎は魔力弾を構えた。

 

「何とか隙を作ってみせるから、その瞬間に逃げろ。ぼくも後で追いつく」

「分かったわ」

 

 魔力弾を守人に向けて撃つ。案の定それは受け止められてしまう。その瞬間源十郎は駆け出した。すかさず守人は魔力弾を返す。それを避けさらに守人へと肉薄する源十郎。

 

「近接戦でもするつもりか」

「君の得意分野じゃないのか」

 

 守人は困惑する。今まで遠距離攻撃のみだった源十郎が近接戦に持ち掛けてきたことに。

 奏の動きにも注目するが、その場から動いた様子がない。

 目的が今一つ分からないまま守人は源十郎を迎え撃つ。近距離での魔力弾と攻防を繰り広げる。守人は避けながら拳を繰り出す。だが、それが仇となった。魔力弾によってアスファルトが砕け、足場が悪くなってきた。守人は魔力弾に集中するあまり足を取られてしまい、バランスを崩す。

 

「……!? く、しまった!」

 

 その瞬間を逃さず、魔力弾を撃ち込み、追い打ちをかけた。守人が身動きが取れなくなったところを確認し、奏は空へ舞った。

 

「まさか!? 逃げるつもりか」

「悪いけどそうさせてもらうよ」

「……果たしてそう上手くだろうか。――蘭」

 

 守人が名前を口に出した瞬間だった。

大きく飛翔した奏の肉体から、赤い雫を溢しながら。無気力なまま、重力による落下を始める。

 

「奏!?」

 

 遠目からでも分かる。今のは銃による狙撃だった。奏は魔法でゆっくりと地面に着き、胸を抑える。

 

「もう一人の子は狙撃兵だったか。一体どこにいる」

 

 周囲に立ち並ぶ高い建物に目を張り巡らせる源十郎。ふと、そびえ立つ野原町のシンボル、時計塔が目に入る。

 

「まさか……あそこから」

「断罪の時だ――」

 

 一瞬、頂上が光った。

 

「奏! 逃げ――」

 

 源十郎が言い切る前に奏の額から血しぶきが上がった。そして、そのまま大地に倒れ伏し赤い絨毯が沁み渡る。

 奏はピクリとも反応せず、物言わぬ骸と化した。



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9話

 時計塔頂上付近にて、少女はスナイパーライフル越しに奏の死を確認した。

 魔法使いといえど、通常の人間よりも重厚な魔力を所持しているだけで、特別体の構造が変わっているわけでもない。ゆえに、死んでいるかの判別は出来る。

 風で流れる硝煙。なびく金髪を手で抑えながら、蘭は監視室詰めになっている監視官、樹神鎗真と通信を取った。

 

「――まずは一人ね」

『……こっちでも死亡を確認』

 

 鎗真は数ある監視カメラの中から、最も現場に近い映像から確認した。

 

『それにしてもよくその距離から当たったな。今日は風も強く、天気も荒れるっていう予報だったけど』

「この仕事に就いてからずっとやってきてることだから、これぐらい簡単よ」

 

 さもそれが当然のことのように言ってのける蘭。

 

『そうですか。せっかく褒めてやったのに可愛げがないな』

「今ので褒めていたの? もっと素直に言ってくれればいいのに」

『悪かったな、素直じゃなくて。それと、年上には敬語だろ』

「けど、この業界ではあたしの方が一年上だからあんたの方こそ敬語じゃないの」

『相変わらず減らず口を。そんなんだと将来苦労するぞ』

 

 それは、年上からの注意というよりも親が子を叱りつけるような言い方に近かった。

 

「あーもう。あんたはお小言ばかりでうるさい。そんなことよりももう一人の魔法使いはどうするの」

 

 苛立ち交じりで蘭は言い放つ。再三いわれてきていることにうんざりしているようだ。

 

『……そうだな。今ので警戒されているだろうから二度も同じ手は通じないと思うが、しばらく様子を見てみるか――!? いや、今すぐそこから離れろ!!』

 

 状況が変わったのか、鎗真は最後の方を強い命令口調で発した。

 

「なにそれ。どういうこと――」

 

 瞬間、時計塔が揺れる。強風が吹いているが、その程度で揺れるほどのヤワな造りにはなっていない。まるで横からダンプカーにでも突っ込まれたような感じだ。それに付け加え、下層から火の手が上がってきていることが最上階から確認できた。

 

「一体どうなっているの」

『あいつだ! 識別名B。ブロンズ色の髪をした魔法使いが真下にいる』

 

 今もっとも警戒すべき魔法使いの出現を確認し、声を荒げて答える鎗真。

 

「別部隊が捜索しているんじゃなかったの」

『最悪なことにこっちにきていたみたいだな。取りあえず巻き込まれる前にそこから脱出しろ』

「そんなこと言われても」

 

 気づけば炎は時計塔全体を包み込んでいた。焼死体となるまでの時間が回りだす。

 蘭のいる最上階の地盤が崩れ始める。意を決して飛び降りようとするも炎が遮っている。突っ込めば、衣服に燃え広がりだろう。たとえ、飛び降りに成功したとしても火だるまになって燃えカスとなってしまう。

 蘭がどうしようか迷っているそのとき、ついに塔が崩れ去った。

 

「……!? きゃあああああ」

『蘭!? おい蘭!』

 

 鎗真は必死で呼びかけるも蘭の悲鳴を最後に通信は途絶えた。

 

 

 源十郎は奏に駆け寄り、何度も呼び掛けていた。だが、返ってくる言葉はなかった。

 額からドロドロと流れる血液。止まることもしらず、みるみるうちに奏の顔や地面を赤く染めていった。

 源十郎は歯噛みし、己の浅慮さを悔いていた。敵は二人いることは分かっていた。罠だということも想定した。気の緩みが奏を死に至らしめてしまった。

 だが、後悔してももう遅い。失った命を戻すことなんて出来ない。

 奏を強く抱きしめたあと、源十郎は守人と向き合う。

 静かに怒りをたたえ、研ぎ澄まされた殺気が守人へと向けられる。

 双方が臨戦態勢を整えたそのとき――源十郎の眼前、守人からすれば後方に位置する高さ十メートルを誇る時計塔が突如として炎に包まれる。

 

「な!? 何が起きている」

「……あの魔法は」

 

 源十郎にはあれが同業者の仕業だとすぐに気づけた。偶然にもあの魔法を扱えるものが近くにいることを知っていたから。

 

「あそこには蘭が待機しているはず」

 

 守人が蘭の心配する束の間、時計塔が崩れ去っていく。大きな音をたて、直立していた時計塔は瓦礫となっていく。轟音とともに衝撃が地を伝わってくる。

 

「一体どうなっている。これほどの大規模な火災を起こせられるやつなんているはずが――」

 

 そのとき、守人の脳内に先日の三十一区の全焼を思い出す。そこから導き出される人物は一人しかいなかった。

 

「蘭は無事なのか」

 

 無事なわけがない。それでも蘭の無事を祈らずにはいられない守人。同時に仇がすぐそばにいるかもしれない可能性に闘志を燃やす。

 

「いや、蘭のことも気になるが、まずはお前からだな」

 

 突然の事態に臨戦態勢は解けたが、再び両者は向き合った。

 

 

 源十郎からみた守人への考察――魔力弾を捕えることが出来る魔具を使用。よって、魔力弾はやつの武器にもなる。体術はかなりの物で近接戦は得意分野。常に近づいてからの攻撃で遠距離攻撃はなし。女の身であるとはいえ、一撃で奏のあばらと内臓にダメージを与えたところをみると、暗殺拳の類だと想定。

 

「本気を出さないとこちらがやられるな……」

 

 源十郎は魔力弾を撃つ動作に入る。それをみて、守人も構える。

 両者の殺気が場を支配する。共に相手の出方を伺う。

 初手、源十郎が魔力弾を放つ。

 

「馬鹿の一つ覚えにそれか」

 

 最早幾度となく見てきた戦闘法に受け止める気にもなれず、回避し直進する。だが、源十郎のいた場所には避けたはずの魔力弾があった。

 守人は背後に人の気配を感じた。そこには、源十郎がいた。

 ガラ空きとなった背中に魔力弾を放つ源十郎。

 回避した手前、思いのほか守人のすぐそばにいた源十郎の攻撃に反応できず、魔力弾を浴びる守人。

 衝撃で吹き飛んだ体を立たせようとしたところに、源十郎は冷血な面持ちでその隙を逃さず立て続けに仕掛ける。

 矢継ぎ早に繰り出される魔力弾を掴んでは投げて相殺させる守人。断続的に続いていた魔力弾に隙が生まれ、この程度ならと慣れてきたのか片手で弾き飛ばして一気に肉薄する。

 

「……くそ。このままではまずい」

 

 直前まで迫った守人は拳を繰り出すその僅か、それが源十郎に当たる寸前で魔法が発動する。

 源十郎と守人がお互い背中合わせで入れ替わる。源十郎の方が一瞬早く動き、反転する動作に合わして魔力弾を放つ。だが、守人は少ない動作で魔力弾を放たれる手を払う。狙いが逸れ、地盤が砕ける。

 続く挙動では、近接戦で遥かに源十郎を越えている守人の渾身の一撃が繰り出される。

 為すすべもなく、胸の前に払われていた源十郎の左手は骨が砕け、ダランと垂れ下がる。

 

「なんてやつだ。ぼくの魔法にもうついてこれるとは」

 

 源十郎は侮っていたわけではないが、守人の動きが予測を大きく上回っていた。

 相手はいくつもの修羅場を潜り抜け、幾多もの魔法使いを殲滅してきた男。そんなやつがまともな戦闘能力をしているわけがない。経験と感が武器となり、素早い順応力を見せつけた守人。

 砕けた腕を支えながら、よろよろと立ち上がる源十郎。その間に守人は魔法分析を行う。

 

 ――自身と物体の位置を入れ替える転移魔法。範囲は自身から半径五メートルといったところ。先刻の攻防の最後、転移しなかったところをみると連続の使用は不可。次回発動までに数秒の間隔が必要と推測。

 これだけ分かれば十分。いくらでも対応はとれる。守人がそう思ったところに源十郎から光線状の魔力弾が放たれる。

 魔力砲。魔力を固めて撃ち放つ魔力弾と違って、魔力そのものを切らすことなく流し続ける魔力弾の高位型。

 戦闘経験から魔力砲は一直線上にしか突き進めない。ゆえにタイミングを見極めて避けるだけでどうとでもなる。

 

「これならどうする」

 

 そのとき、源十郎は魔力砲を横に薙ぎ払い、避けた守人の方へとスライドする。反則じみた動きに動揺するも冷静に対応する守人。胴体寸前まで迫った魔力砲を手で押しとどめ、そのまま押し返す。軌道が逸れ、大地が削られる。

 

「――まさか!? これを押し返されるとは。なんてデタラメなやつだ」

 

 驚愕に顔を歪める源十郎。その間に接近戦に持ち込まれる。回避のために魔法を発動。先読みした守人は魔力砲が逸れた地点にいた源十郎に回し蹴り。だが、源十郎の方も素早い対応で後退する。遠距離型である源十郎

はなるべく敵から距離を置くしかなかった。

 守人の推測通り、源十郎は魔法を使わず避けた。ならば、今が好機。

 置き土産のつもりでバックと共に撃たれた魔力弾を守人は左腕を犠牲にし、捨身の攻撃に出る。これが決め手となった。守人の拳が源十郎の額を砕き、鈍い音が響く。バランスを崩した源十郎の腹部を殴りつけ、壁面に蹴り飛ばす守人。

 ぐったりとした源十郎のそばに歩み寄る守人。

 

「……なぜ、殺さない」

「魔法使いは一人残らず殺すさ。が、お前には聞きたいことがある」

 

 守人は源十郎を見下ろしながら冷やかに告げる。

 

「キャパシティについて。そしてお前たちが秘密裏に進めている計画について」

「どちらも……教えるわけには……いかないな」

「そうか、ならば場所を変えてからゆっくりと聞かせてもらおうか」

 

 守人はしゃがみこみ、源十郎の首に手を当ててゆっくりと圧迫していき、意識を奪った。

 二人の魔法使いの無力化を確認した守人は達成感に満ちていた。と、そこに通信が入る。相手は鎗真だった。

 

『無事に終わったようですね』

「少々手こずったがな」

『さすがは秘密犯罪結社の幹部クラスといったところですか』

「今まで戦ってきたなかでも一番強い相手だった。まさかここまで追い込まれるとはな」

 

 死闘を繰り広げた結果、守人の勝利で終わったが気を抜いていれば、ここで倒れているのは守人だっただろう。それほどまでの傷を負った。

 

「ところで、蘭は無事なのか」

『ええ、うまく逃げれたようですね。いまそっちに向かっているところですね』

「そうか。合流次第、一旦支部に戻る。私も少し休みたいからな」

 

 そういって通信を切ろうとした守人を慌てて止める鎗真。

 

『それともう一件。というより、これからが本題なんですけども。例の少女がそちらに向かっています』

 

 例の少女というのは奏と源十郎の子、彩葉のことだ。

 

「もう来たのか。もしや、両親の正体を知っていて追ってきた可能性もあるな」

『どうするのです?』

「仕方がない。最悪の場合はこいつを使うか」

 

 守人はズボンのポケットに入っている硬い感触を確かめる。

 そこには一丁の拳銃が入っていた。

 魔法使いを両親にもつ子が反乱の意思を示したとき、もっとも最小限の被害で息の根を止める為に持ち合わせているものだ。

 そのとき、一人の少女と思われる気配を感じ取った守人は通信を切り、気配を殺して来訪者との対面に備えた。

 



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10話

 人波に揉まれながらも、私は魔法使いとアンチマジックの戦闘音と思われる場所へとたどり着けた。

 実際の戦闘音なんて聞いたことはなかったけれど、地面が砕けるような音や何度かちらりと見えた光の玉をみた感じ、普通の人間が起こせれるはずがないと思う。だから、その衝撃音を頼りにここまでやってこれることが出来た。

 だけど、その音はもう聞こえない。きっと、戦闘が終了したんだ。

 

「ここだ」

 

 ここまでの全力疾走で乱れた息を整え、落ち着かせる。

 

「……よし」

 

 高まる鼓動を抑えつけながら、街灯の明滅する路地裏内へと入っていく。

 まず最初に感じたのは、この先に何が待ち構えているのかという恐怖。続けて鼻を抑えたくなるような鉄分の臭い。

 やめておけばよかったかな。けれども、自然と足は前に進んでいく。好奇心もあるのかも知れない。

 ゆっくりと一歩一歩進んでいく。所々に砕けたアスファルトの欠片があり、地面も抉られたような跡が残っている。

 

「なに、これ……一体どうやったらこんなことになるの」

 

 やっぱりここで魔法使いとアンチマジックが戦っていたんだ。多分父さんと母さんが。

 と、そこで足元で変な違和感を感じた。水たまりに足を入れたときのような、ぴちゃっと跳ねる音が聞こえた。けど、昨日も一昨日も雨が降っていないのに雨水なんてあるわけがない。

 ――よく見れば赤かった。

 

「……血?」

 

 最初に感じたのはもしかしたらこれなのかもしれない。

 胸を突き破る勢いで高鳴る心臓。視線だけで流れを追っていく。そこには、人が横たわっていた。

 ソレを見せたかったのか、一瞬の光と鳴り響く雷鳴。そのおかげではっきりと誰なのか確認できた。

 

「母さん……? 父さん……?」

 

 見間違えるはずがない。母さんと父さんが離れた距離で倒れていた。私は何も考えず、母さんのそばに駆け寄った。

 母さんを抱き起して必死で声をかけてみるも返事がない。体は冷たかった。唇も紫になって、顔には生気がなかった。

 ポツポツと降り始める雨。それはやがて、大粒のものに変わっていく。まるで私の心情を表しているみたいで、涙は雨に流される。

 何度もゆすって声をかける。認めたくなかった。母さんが死んでいるなんて。だから、何度も何度も声をかける。

 その一方で、激しさを増していく雨。現実を否定したくても脳が、触ったときの冷たさが、残酷にも母さんの死を突き付ける。

 

「どうして、母さんと父さんがこんな目に」

 

 ザワっと嫌な感じが駆け抜ける。

 母さんと父さんは何もしていない。町の人を傷つけたわけでもない。毎日楽しそうに生きて、おいしいご飯を作ってくれる母さん。何の仕事しているのかよく分からなかったけど、毎日頑張っている父さん。そんな人として当たり前の日々を過ごしてきた母さんと父さんが、魔法使いということだけでどうしてこんなことにならないといけないの。

 

 ――誰がこんなことを。いや、犯人は分かっている。今日一日で何度も聞いた名前、天童守人だ。私の友人、天童纏のお父さん。

 

 頭ではこんなことを考えては駄目だと分かっているのに負の想いが止まらない。

 

 仇を取りたい――憎い。

 

 二人を返してほしい――悲しい。

 

 私にもっと力があれば、母さんと父さんを守れるだけの力があればいいのに――恨めしい。

 

 許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。

 

 ――何が?

 

 もうなんだかどうでもよくなってきた。

 その時、背後から声がしてピタリと止まる。

 

「やはり、こうなってしまったか」

 

 人の気配。――コイツダ。元凶はコイツにチガイナイ。

 あふれ出てくる想いや思考に駆り立てられ、その人の顔を一目見てやろうと振り向く。

 

 

 ――それは叶わなかった。

 

 パンっと渇いた音が鳴ったと思ったら、私の胸の辺りに赤い染みが出来た。

 あれ、どうして私、血を流しているのだろう。

 激しく叩きつける雨に体が弱っているせいか、それとも過剰なまでの憎しみで満たされて、感覚がおかしくなっているのか、撃たれたのに不思議と痛みは感じなかった。血流を止めるように胸に手を当てるけども止まらない。そのまま体の力が抜けて、母さんに覆いかぶさるように倒れる。

 私、死ぬのかなあ。もっと生きてみんなと一緒にいたかったなあ。

 ああ、でも悔しい。こんな残虐なことをした人物の顔すら見れずに逝ってしまうなんて。

 最後そんなことを考えながらやるせなさと共に私の意識はそこで終わった。

 



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11話

私が次に意識が戻ったのは暗い世界だった。見渡す限りが黒く染まっていて、目を瞑っていると錯覚するほどに暗い世界で意識はあった。

 

「あれ、ここ……見覚えがあるような」

 

 うーんと頭を捻って、考えてみた。

 ダメだ。数秒も経たない内に諦めてしまう。

 

「まあ、いっか。忘れているってことはたいしたことじゃないよね。うん」

 

 すでに状況的には現実離れしているようなものだし、どうせ夢の中だろうとあまり深く考えないようにする。だからといってこの暗闇の中、動き回ることのもなんだか怖いし。……さて、どうしよっか?

 とりあえずやることもなく、頬をつねってみたりする。残念なことに痛みがあった。

 

「いたい。もしかして現実? でも私撃たれて血がいっぱいでてたような。ということは死んだの! もしかして、天国? でも痛いってことは現実。あ、そっか天国って現実にあったんだ」

「そんなはずないでしょ」

「……!? だれ!」

 

 突然聞こえた声に思わず身構えてしまう。右へ左と顔を動かすも暗くてなにも分からない。上下左右があるのかも怪しい。

 そんなときだった。まるで天使が降臨したかのように、私の目の前で光が収束し、人型に形作られていく。その姿はわたしだった。

 

「わ、私!? ん、違う。こんなの私じゃない」

「なにを言っているの。あなたよ」

「全然違うって! なんか小悪魔っぽくなっているし、偽物すぎるというか、怪しすぎる」

 

 姿かたちは私そのものだが、瞳の色は赤く、髪は黒い。着ている服もデザインは同じだが、私の好んでいる暖色系の色合いとはかけ離れ過ぎている。やっぱり偽物だ。

 

「当然じゃない。私はあなたの負の感情の塊みたいなもんなんだから」

「??? 負の感情? 塊?」

 

 なにを言っているのか分からない。

 

「分からないの? あなたが想ったことなのよ。あんなにも憎しみや絶望を溢れ出していたじゃない。そのおかげで私はここまで大きく育ってしまったのよ」

「憎しみや絶望って……母さんたちのこと?」

「そうよ」

 

 あっさりと肯定する黒いわたし。あまりにも淡々と進んでいく会話にどう対応していいか分からなくなる。それ以前に内容についていけず困惑する。

 私はふと何気ないことが気になって切り出す。

 

「……ところで、最初に聞いておきたかったんだけど、あなたは何者なの」

「考え込んでいるなと思ったらそんなこと気にしていたの。簡単なことよ。私はあなたの魔の力。悪意や憎しみ、狂気、絶望、悲しみ、辛苦。そういった負の感情が募って集まった力」

「だからそんなに黒いの?」

 

 下から上まで全身眺めてから尋ねる。

 

「初めはここまで染まってなかったのよ。だけど、あなたが強く願ってしまったから。ほら、こんなにも染まってしまったわ」

「なんなのよ。それじゃあ私が原因ってことなの――」

「せっかく二度も忠告してもらえていたのに、あなたはそれを聞き入れなかったからこの事態を招いたのよ」

「二度の忠告?……あ、」

 

 思い出すのは昨日の夢。ここと同じ場所で私は目の前の人物と対面した。そして、先ほどの光景がフラッシュバックする。

 脳の奥底に封印されていた記憶がズルズルと引き出されていくような感覚。今まで忘れていたのが不思議なくらい鮮明に思い出していく。

 

「思い出した? そう、あれは私からの警告。予知夢という形で見せたの。まあ、あなたからすれば悪夢の類になるかしら」

「そんな……だって……私、何も知らない。あんな恐ろしい夢が現実になるなんてあり得ない」

 

 次々と溢れてくる記憶。そのすべてが先刻の事態を表していた。

 

「そして、二度目は奏の言葉よ」

「え、母さんの言葉?」

 

 突然の母さんの名前に思わず、聞き間違えていないか確認するように尋ね返す。

 

「言っていたでしょう。絶望に囚われないで。何者にも負けない心を持って強く生きてって」

 

 確かに母さんはそういっていた。あの時、意識も朦朧としていたが、母さんの感情のこもった言葉をはっきりと覚えていた。

 

「なのにあなたは、それすらも無視しこちら側に堕ちてきた。魔法使いの根源。魔の領域に」

「魔法使い? 何を言っているの?」

「人は誰でも善と悪を持って生きている。それが人が人でたり得る証。だから、この世に悪を持っていない人間なんていない。だけどね、より強い悪意は人を壊してしまうの。魔力の根源は憎悪や妬み、狂気。ほら、全部壊してしまいたい、滅茶苦茶にしてしまいたいという感情があるでしょう。それが魔力。魔法使いの力の源」

 

 黒い彩葉はうっすらと微笑を浮かばせながら語りきった。

 

「そんなことない。確かにあの時、私はそういった感情があったかもしれないけど、そんなことまでは考えてない!」

 

 叫ぶ。間違いであると言ってやりたかった。

 

「考えていなくても、一度強い感情を出してしまえばもう戻れないの」

 

 黒いわたしは言葉を切り、私に抱き付き顔と顔がくっ付きそうな距離で甘美なる声で告げた。

 

「受け止めなさい。あなたの抱いた罪を――さあ、これがあなたの欲した魔力《ちから》」

 

 そして、黒いわたしは私を強く抱きしめると体が溶けるように中へと入っていく。

 心の蔵から入り、そのまま血液とともに体を循環していく。どす黒い感情が体を汚染しているのが分かる。

 

 胸が苦しい……っつ! 張り裂けそう……っ。

 

 

 ――黒 ――黒 ――黒 ――黒 ――黒 ――黒 ――クロクソメアガッテイク――

 

 眠っていた魔力が呼び起こされて、与えられた黒い衝動に支配され。

 溜まった欲望の解消に駆り立てられた。

 



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12話

 守人はこの場での為すべきことをやり遂げたことに達成感を感じていた。

 魔法使い二名、うち一名は全身ボロ雑巾のような状態で気絶している。そして、魔力を形成しつつある彩葉の処罰。一日で計三名もの魔法使いを倒したことに対してだ。

 

「これで、この町に巣食う害悪を排除できた。あとは、あいつを殺せばこの件に片は着く」

『まさか、一日で三名もの魔法使いを殲滅してしまうとはね……!』

 

 不意に鎗真からの通信が入る。

 

「手ごたえのある魔法使いは一人しかいなかったからな」

 

 自身の負った傷と雨宮源十郎を一瞥する守人。

 

「雨宮源十郎。キャパシティ所属の最高幹部の一人か……この強さの魔法使いがあと何人いることか」

『有益な情報に期待しときましょう』

 

「それよりも鎗真。蘭はあとどのぐらいで着くことになっている?」

 

『もうそろそろ到着する頃かと』

「なら、撤収準備をしておくか」

 

 守人は三名の魔法使いを回収するべく、黒いビニール袋を取り出す。

 通常魔法使いを殲滅し終えたあとは、表の治安維持組織である警察に任せるか、自分たちで死体回収までを行う。

 それを以て、各所属の支部に戻り事後処理を行う。そうして魔法使い殲滅の業務が終わる。

 守人が源十郎をビニールに詰め込むべく近づいた時、通信機から鎗真の荒げた声が守人の耳に響いた。

 

『天童さん! 後ろ! 彼女が生きています!』

 

 振り返ると、そこには禍々しい邪気を漂わせた、幽鬼の如く彩葉がゆらりと立ち上がった。

 

「完全な死を確認していなかった私のミスだな。まさか、あの状況からその力を手にするとは」

 

 最後で犯してしまった自らの失態に嫌悪する守人。

 死の間際、生と死の境界線上から彩葉は帰還した。

 

 

 ――新たな力を持って。

 

 

 土砂降りの雨の中、虚ろな瞳に明確な殺意を持って静かに守人を見据える彩葉。憎しみと悲しみと絶望に打ちひしがれた彩葉は、存在そのものが危険で破壊と災厄を振りまく魔法使いへと成り下がった。

 そこに彩葉の自我などない。溢れ出る膨大な魔力に取り込まれ、感情のままに体が動き出す。

 彩葉は腕を差し出し、その手の先から魔力が収束され一本の刀を形作る。白と黒の織り交ざった色をしている。刀身三尺、彩葉の胸辺りまである刀を両手に構える。

 自然と守人も戦闘態勢を取り、来たる戦いに闘志を漲らせる。

 

「悪いが雑魚に用はない。一瞬で終わらせてやる」

 

 その瞬間、血に飢えた狼の如く駆け出す彩葉。その手に握る刀には、獲物を一太刀で切り伏せる鬼気迫るものを感じる。

 

「遅いな」

 

 子供の遊戯に付き合っているような感覚でたやすく体を反る少ない動作で避ける。

 虚しくも空を斬るだけで終わった彩葉は、諦めず二振り目に入るも守人の手刀によってガラスの割れるような音と共に砕け散る。彩葉がもう一本刀を造ると同時に守人の拳が彩葉を襲う。大きく吹き飛ばされる彩葉。

 一瞬早く刀が出来上がったおかげで防御に間に合う。が、刀は砕け、その先を通り越して彩葉にまで届いた。守人にとっては鈍らの刀以下の所詮ガラクタに過ぎず、まるで防御になっていなかった。しかし、先の刀によって威力は緩和され致命傷にまでは至らなかった。

 それでも衝撃はかなりのもので体中にガタがくる。

 

「反応は大したものだな。このまま放置しておけば、後々厄介なことになりそうだ」

 

 守人は素直に彩葉の運動神経を褒める。同時に危険度を再認識し、次の一撃で仕留めるべく全神経を研ぎ澄ます。

 彩葉は軋む体を奮い立たせ、再び立ち上がる。

 両腕に魔力が収束され、二本の鋭く尖ったレイピアを生成する。

 ダーツの矢のように守人という的へ向けて投げる。時間差でもう一本のレイピアも投げる。

 守人は二本の指の隙間で迫りくるレイピアを挟み込むようにして捕え、そのままもう一本のレイピアを叩き落として彩葉に投げ返す。悲鳴をあげた彩葉の肉体では満足に動くこともできず、せめてもの致命傷を避けるべく体を捻り、彩葉の肩を掠める。

 彩葉は力が抜けたように両膝を地面につけ、杖代わりに生成した刀で体を支えた。

 



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13話

 暗く深い闇の中で、彩葉は殻に閉じこもった赤子のように膝を抱えていた。

 外の世界では彩葉と守人が戦っている。止めたいと思っても体は糸で支配された操り人形のように動き、彩葉の意志など働かない。

 なんて無力な存在なんだろう。たった一つの肉体を、世界で一つだけの己の肉体すら取り返せないなんて笑いものだ。

 一度、魔に魅入られただけでこうもたやすく精神は瓦解するものだったのか。

 

「なんで……こんなことに……こんなこと、したくないのに」

 

 無惨な姿に変えられた両親。

 善意の塊のようでしかなかった二人が、悪意と認定されて世界に殺される。

 どんな人間であろうとも、家族を亡くした彩葉の心境が正常に保っている訳がなかった。

 母の優しさが遠い。父の暖かみが遠い。

 

 ――心を強く持って絶望に囚われないで。

 

 あれはこのことを言っていたのか。今になって母の言うことをちゃんと聞いておけば良かったと後悔する。

 いつだってそうだった。母は大抵正しいことを言ってくれていた。失ってみて初めて、有難みに気持ちを痛める。

 ならばこそ、同じことを繰り返すことは学習をしないことと同意ではないか。たったいま、親の偉大さを深く身に染みたところだ。そうして、肉体の主導権を自分の狂気の赴くままに動かされている。

 このままでいいわけがない。せっかく貰ったアドバイスを一度ならず、二度までも無駄にするわけにはいかない。

 ようは、何もかも嫌になって、無茶苦茶にしたくなって。親の死を誰かに当たり散らかしたくて、理性の抑制が止められずに欲求のままに暴れまわっているだけだ。

 だったら、ちょっと現実と向き合って自分を鎮めてやろう。絶望に負けた自分自身を希望を持たせてやろう。そうすれば、元通りになるはずだ。

 

「母さん。ありがとう。――私はもう間違えたくないっ!」

 

 母は彩葉のことを心配して言葉を送った。けれど、聞き入れられなかった彩葉は闇に染まった。

 おまけに大事な肉体まで、支配されている。

 

 

 ――私が肉体《ワタシ》を取り戻すためにも、ここで諦めるわけにはいかない。

 

 カレイドスコープのように黒い感情たちが彩葉を中心に見つめる。

 

 ――まずは落ち着いて。

 

 この想いをだれにぶつけよう。

 

 

 ――冷静にならないと。

 

 

 今なら仇を討てるよ。

 

 

 ――希望があればそんなの必要ない。

 

 

 殺してしまえば気持ちいいよ。

 

 

 ――心を強く持って。

 

 

 一線を越えてしまいたいよね。

 

 

 ――狂気の一線を越えた、それ以外はもう沢山。

 

 

 ワタシはこんなにも望んでいるのに。

 

 

 ――うるさい。私はそんなの望んでいないっっ!!

 

 

 迷いを振り切り、薄汚れたわたしを言葉の全否定でカレイドスコープごと叩き割る。

 砕けた欠片が誰もが持っている人の欠落を埋めていく。

 善《わたし》が悪《ワタシ》であるように。悪《ワタシ》も善《わたし》の一部。

 私とワタシで一つ。裏表のある正しい在り方。

 

 

 これが本当の在るべき姿。

 

 悪意に身を委ねて激情に奔ってはいけない。元より、肉体には善意と悪意が宿る。

 ただほんの少し、隙間にへばりついていた負の感情が刺激されただけ。希望を持てばこの通り。

 

 

 ――ほらね、母さんの言った通り。

 

 

 ――心を強く持って絶望に囚われないで。

 

 

 いま、彩葉は変質した世界を目の当たりにする。



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14話

「……い、……て」

 

 弱く、か細い声が聞こえる。激しく降り付ける雨に打たれるその様は泣いているようにも見えた。

 

「何を言っている」

「お願い、私を助けて」

 

 自我を取り戻すことができた彩葉は必死で救済を求める。しかし、相手を間違えていた。

 天童守人はアンチマジックの戦闘員だ。役目は魔法使いの殲滅。そして、彩葉はその殲滅対象。

 そんな彩葉が嘆願を求めたところで死という名の救済が待っているだけだ。殺してくれと言っているのと同義だ。

 守人は不気味に笑う。

 

「いいだろう。その望みを叶えてやろう」

 

 苦しませる必要などない。死を望むのならば、一撃で楽に終わらせる。

 刀をも粉砕する拳が彩葉に襲い掛かる寸前、二人の間を割るように炎が舞い降りる。

 地についた炎が激しく渦を巻き、人影が覗ける。

 

「……だれ?」

 

 夢か何かかと思った。違うのならば、天国へと連れ行く神か。冥界へと誘う門か。いずれにせよ、すでに死に体を漂わせる彩葉にはそう思わせるには十分すぎる状況だった。

 炎が勢いを弱め、中から女性が現れる。その容姿はブロンズ色の髪をしており、琥珀色の瞳をした女性だった。

 

「まさか……お前が」

 

 驚きの表現。だが、明らかに彩葉とは違う意味合いでの表現となっていた。 

 守人は思わぬ人物に目が釘づけになる。特にその髪色にだ。

 女性は守人の方へは一瞥もくれることなく、雨に打たれて脆弱した子犬のような彩葉をみつめる。その瞳は優しく、彩葉には救いの手に見えた。

 

「たすけて」

 

 女性は柔和な笑顔を見せて答える。

 

「もちろん。だけど、ごめんね。ちょっとだけ手荒くなってしまうわよ」

 

 小規模の魔力弾を彩葉に撃つ。衰弱した彩葉には、それだけで意識を失くしてしまうほどの威力があった。

 そこで初めて守人の存在に気づいたのか視線を感じ取った。

 

「どうしたの? わたしのことをみつめて。どこかで会ったことがあったかしら?」

 

 記憶にないようで、何のことだか分かっていない様子で頭を傾げる女性。

 

「間違いない。その髪色、その若さ、随分と成長したようだがお前だな」

 

 守人は脳裏に焼き付いたあの日の記憶を呼び覚ます。忘れもしない炎のなかで佇む、当時十五歳だった少女の姿を。

 

「あら。もしかしてわたしのことを知っているのかしら? だとしたら、ごめんなさいね。あなたのことは覚えていないわ」

「ああ、覚える必要はない。ただ、この私に殺された、という事実だけ覚えておけ」

 

 猛々しく襲い来る守人を炎の壁で遮る。だが、障害物など意にも介さずすり抜けてくる。とっさに女性は彩葉を抱きかかえ、逃走を図る。

 

「逃がすか」

 

 女性を追う守人。月光の下で始まる追いかけっこ。さながら、獲物を追う捕食者と我が子を守りながら逃走する動物界の食物連鎖のようでもある。

 市街地へ出ると、銃を女性に向けて放つ。それが脅威となり、群がっている民衆は蜘蛛の子を散らすが如く去っていく。 

 弾は命中しなかったようで、女性は怯むことなく逃げ足を緩めない。

 結果として、無関係の人間を追い払えただけでも良しとして、再び追跡を始める守人。 

 炎の魔法を槍状、球状、波状、壁状に使い分けながら応戦する女性。

 次第に町中に拡がる炎。

 だが、守人にはあらゆる魔力に触れる魔具がある。

 

 

 時には破砕し。

 時には掴み取り。

 時には盾と化す。

 魔法に対して絶対なる掌握が行われる無敵の魔の手。

 恐れることはない。如何様にも阻害されない、攻めと護りを一対とする手段。

 

 

 炎を投げ飛ばしていては、周りに伝播していき被害が拡大していく。いくらでも噛みつける攻撃と防御があっても、それは一個人だけが有するものだ。ゆえに避けられないものだけを掴んでは人的被害に及ばない方向へ放り投げるしなかなく、それ以外は運動神経で避けながら追う。

 瀕死の少女を背負いながらとはいえ、女性と違って周囲に気を配りながらでは、そうそう追いつけるようなものではなかった。

 そして、ついにその姿は視認できないようになった。

 



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15話

「あれ、ここは?」

 

 目を覚ますとそこは見慣れない部屋だった。周りには家具もなく、生活臭が一切漂ってこない殺風景な部屋だ。

 一目でここが空き家だとことは寝起きでも分かる。

 体を起こすと、激しい痛みが襲ってきた。肩には包帯が巻かれていて、そこから痛みを感じ取る。

 

「だれが治療してくれたんだろう」

 

 痛む肩をさすりながら、記憶を辿る。心当たりといえば――。

 

「あ! 起きたのね! よかったわ」

 

 ブロンズ色の髪をした女性が突然入室して、私のそばまで寄って胸を撫で下ろす。

 

「もしかしてあの時助けてくれた人?」

 

 女性は覚えてくれていたことが嬉しかったのか明るい表情になる。

 

「正解。わたしは穂高緋真《ほだかひさな》。あなたと同じく魔法使いよ」

「あ、えっと……私は雨宮彩葉《あまみやいろは》です。助けてくれてありがとうございます」

「彩葉ちゃん……か。可愛い名前ね。とりあえず彩葉ちゃんでいいわよね」

「え? あ、はい。それでいいです」

 

 有無を言わせぬ強引さのある言い方にたじろぎながらも言葉をつなぐ。

 出だしからペースを持っていかれている。

 なんとか、こっちからも話しかけないと。といえば、そうだ!

 

「私……魔法使いになったんだ……よね?」

「そうよ。同じ魔法使い同士仲良くやっていきましょって言いたいところなんだけど。まずは彩葉ちゃんの意志を確認しておくべきかしらね」

 

 それまで笑顔を絶やさなかった穂高さんが、一転して真面目な表情になって私に詰め寄る。

 その変化に身構えながら、続く言葉に耳を傾ける。

 

「彩葉ちゃんはこれからどうしたい?」

「……え?」

 

 思わず不意を打たれる言葉。

 

「どうって言われても。私は……」

 

 言葉が見当たらず言いよどむ。

 両親がいなくなり一人ぼっちとなった。そして、魔法使いとなった。

 つまりこれからは全人類が敵となる。仲の良かった友人すらもこれからは敵同士となる。

 帰る場所もなければ、安息の場所もない。それ以前にどう生活していけばいいのかも分からない。

 いつアンチマジックに見付かるかという恐怖に怯えながら生きていかなけれならず、このままだと見つかれば両親と同じ道を辿ることになるのかな?

 それに付け加え身寄りの人物もいなければ、頼れる人もいない。考えれば私にはありとあらゆる意味で救いようがなかった。

 魔法使いとなった今なら分かる。

 両親が、魔法使いがどんな気持ちで生きているのかを。

 恐怖と不安に押しつぶされそうになる私にそっと優しい温度が重なった。

 その手は私の気持ちを和らげるように――

 そして、しっとりとした声がかけられる。

 

「もし彩葉ちゃんさえよければ、私と一緒に来ないかしら?」

 

 それは私にとっては予想だにしていなかった救いだった。

 俯いていた顔を緋真に合わせて目をみる。

 どうやら嘘は言っておらず、本気で迎え入れようとしていることが伺える。

 

「魔法使いとしての生き方。魔法の使い方も教えてあげられるし悪い話しではないわよ?」

 

 普通に考えれば誘いに乗るべきだ。だが、一つの懸念があった。

 

「どうして、初めて会ったばかりの私にそこまで優しくしてくれるんですか?」

 

 私の疑問に対して、きょとんとする穂高さん。まるで何を言っているのか分からないといった様子だ。

 変なことでも聞いたのか、私が混乱してしまいそうになった。そして、柔和な笑みを浮かべて答えてくれる。

 

「そんなの決まってるじゃない。困っている人を助けるのに理由なんていらないわよ。それに、私のことを疑わずに名前まで教えてくれたじゃない。それって私に対して心を許しているってことになるわよね?」

「……あ」

 

 その言葉だけで十分だった。そもそも危険を犯してまであの戦場に入り、私のことを助ける必要などなかったはずだ。穂高さんは好意で助けてくれたんだ。

 無礼を働いた自分を思いっきり責めたくなる衝動を抑え、穂高さんと向き合う。

 

「変なことを聞いてごめんなさい。それから――」

 

 もはや穂高さんの誘いに断る必要なんてなかった。だから、私の中にはもう答えは決まっていた。

 

「これからはお世話になります」

 

 夢も希望も将来も何もかも失くして失意の中に堕ちそうなところに、光り輝く希望を追い払う必要性なんてない。

 差し伸べられた救いは私にとっての生きる気力だった。

 

「ふふ、こちらこそよろしく」

 

 

 一九九八年 一二月 

 

 雨宮彩葉《わたし》はこれまでの生き方と決別し、人としての生を終える。

 そして今――新たな魔法使いとしての第二の人生を歩んでいくために、未来への一歩を進めた。

 



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16話

2章の始まりです。

繋がる世界。
見える先は幸か不幸か。
どっちでもいい。
ありもしない未来へ向けて、走り出す。



 澄み渡った空。前日の大雨がなかったかのように感じられる。

 耳を澄ませば小鳥のさえずりが聞こえてきて、気分的には平和そのもの。

 だが、この町は魔法使いによる戦闘の被害によって町並みは荒れていた。燃え焦げた家屋が立ち並び、ひどいところでは瓦礫と化している家もあった。幸いにも大雨のおかげで鎮火は素早く済んだのか、広い範囲での被害ではなかった。

 

「ひ、ひどい。私たちの町が滅茶苦茶になっている」

「あ、ごめんなさい。こんなことになったのは半分ぐらいはわたし……かも」

「え!? うそ!」

 

 この惨状をみて、そして穂高さんの柔らくふんわりとした雰囲気からして、ちょっと信じられないかも。

 

「ごめんね。あの真面目そうな男の人に付きまとわれて、逃げる時についやっちゃった」

 

 えへっと舌を出して、お茶目にしてみせる穂高さん。

 

「そんな軽いノリで壊されるとなんかショック」

「そんなにしょげないで欲しいわ。あれは正当防衛だったのよ。彩葉ちゃんを守った代償だと思って欲しいわね」

 

 そういわれると、反論できないから言葉に詰まる。そのまま、会話のない時間が過ぎる。

 散乱した瓦礫やら地盤の割れた道路を歩きながら、ぼんやりと今後のことを考えてみる。

 みんないなくなって、私と穂高さんの二人だけ。

 茜ちゃん、纏、覇人。みんなどうしてるんだろう。

 あと家。あれから家を飛び出してきてしまったけど、なんともないのかな。

 父さんと母さんが魔法使いで、とうぜん家の場所もばれていると思うし。家宅捜査とかされたるするのかな。

 

「彩葉ちゃん。ぼうっとしてたら危ないよ。ほら、足元」

「うおっとっと! セーフ」

 

 足を引っかけ、つまずきそうになるも上手くバランスを取って転倒にはならない。

 運動神経には少し自信があるんだよね。

 

「ちゃんと前向いてないと危ないから気を付けるのよ」

「ごめんなさい。ちょっと考え事をしていて」

「考え事?」

 

 頷いてから、前を行く穂高さんに話しかける。

 

「ねえ、穂高さん。これからのことなんだけども」

「緋真でいいわよ。長い付き合いになるんだし」

「え!? いきなり呼び捨てでいいの?」

 

 出会ってまだ一日しか経ってが、実にフレンドリーな対応を求めてくる穂高さん。

 

「あら、もしかして彩葉ちゃんってそういうところ気にしちゃうのかしら?」

「そういうわけじゃないんだけど、一応年上だし」

「だったらお姉ちゃんにする? わたし的にはそう呼ばれるのも悪くないかなって思うのだけど」

 

 しばらく一緒に過ごし、穂高さんという人物は世話好きな人だと思った。

 昨日一日は傷の手当から食事の準備まで一通りのことをこなしながら、アンチマジックからの追っ手にまで気にかけてくれたし、それに付け加えて一晩中そばにいて他愛のない話しをして私を元気づけていた。

 私には姉妹はいないが、お姉ちゃんがいたらこんな感じがするのかな、と思っていた。

 でも――

 

「じゃあ、緋真さんにしとくね。なんかそっちの方が気楽に呼べていいし」

「あら、残念」

 

 本当に残念そうな顔だった。少なからず、姉と呼んでくれると思っていたのだろう。

 けど、それは私が言いにくいからヤダ。

 

「それで、なにか言いかけていたわよね? どうしたの?」

 

 ハッとして本来の話題を引っ張り出す。

 

「そうだった。これからのことなんだけど、とりあえず一旦家に帰ってもいいかな?」

「いいけど、どうして?」

「母さんに家を任せたって言われているから。私、あの時無我夢中で外に飛び出したから、せめて戸締りだけでも確認したくて」

 

 緋真さんは迷っていた。家には沢山の想い出が詰まっている。きっと、辛く、悲しい思いをするんじゃないかと思っているんだろう。

 ごめん、それは余計なお世話になる。

 分かっている。けど、帰ってみたい。これからどうなるのかは分からないけど、やっぱり自分の家には一度帰りたい。

 そんな気持ちが通じたのか緋真さんが歯切れ悪く答えた。

 

「そう。それじゃあ彩葉ちゃんの家に行きましょうか」

 

 

 自宅に着き、ドアノブを回すと鍵は開いていた。

 荒らされている形跡はなく、リビングでは規則正しく動く時計の針がいやにうるさく響く。

 時は未来へ刻んでいるが、この家だけ時間を凍結されているかのよう感じられ、あの時から何一つ変わっていなかった。

 

「ただいまー」

 

 長らく放置していたかのような雰囲気に、慣れている自宅なのに、自分の家じゃないような錯覚を感じた。

 柄じゃないなぁ。

 なんで自宅でよそよそしくしないとダメなのか。

 今日はお客さんがいる。案内しないとね。

 

「ここが彩葉ちゃんの家か」

 

 緋真さんが遅れてからリビングに顔を出し、部屋を一望する。昨日のまま湯呑が置かれており、部屋は多少散らかっていた。

 

「散らかっているわね。よかったら洗い物ぐらいは手伝うわよ」

「いいの?」

「もちろん。その間彩葉ちゃんは戸締りを確認してきたらいいわ」

 

 緋真さんは服の袖を捲り台所に向かったことを確認して、私は二階の階段を上った。

 二階には私の部屋があるけど、先に別の部屋を確認してから自室に向かった。

 ぬいぐるみが数体置かれ、ブラウンの色を基調にした家具が取り揃えられ、落ち着きのある部屋になっている自分の部屋に戻ると、不意に。

 

 

 ――ああ、やっぱり落ち着く。

 

 

 まるで遠出して帰ってきたかのような感覚だった。

 窓の鍵を確かめると、机の上に手紙が置かれていることに気づく。

 

「なにこれ手紙? 誰からだろう」

 

 裏面をみると、奏と源十郎の名が書いてあった。おそらく、私が眠りに就いてから家を出るまでの間に書き残していたのだろう。

 封筒の封を破って開く。そこには三つ折りにされた一枚の手紙とカードが入っていた。

 カードの方も気になるが、まずは手紙を読み始める。

 

 

 ――彩葉へ

 この手紙を読んでいるということは今日を生きて明日にたどり着いたということですね。まずはそのことについて嬉しく思います。そして、私たちが魔法使いであったことを黙っていたことを謝ります。だけど、それは彩葉のことを想って黙っていたことなの。魔法使いというのは人類に敵視されおそれられている存在。彩葉には私たちがそんな存在であることを知られたくなくて、また私たちの正体を知ってしまうと彩葉は普通の女の子として生きていけなくなるから。真っ白なまま何も知らずに無垢に生きてほしかったから。でも、この手紙を書き残すということはその必要がなくなったということです。彩葉は優しい子だから心配して私たちの後を追って来て、今頃魔法使いになっていることだと思います。魔法使いは残酷な生き方を強いられるけども、決してくじけないで。時には、悲しくも辛くなるときもあると思います。だけど、それと相応に楽しいことも沢山あります。私たちが彩葉とともに十七年も一緒に生活が出来たように。だから、どんなに辛くても生きていれば必ず報われるときがくるから、生きることを諦めないで。次に私たちが再会した時には、立派で元気に育っていることを願います――

 

 

 PS

 いつか来るこの日を想定して貯金が残っているから、同封されているカードを大事に持っていてね。

 

 

「母さん……宝くじが当たったっていうのは嘘じゃん」

 

 母さんと父さんは一昨日の夕方、アンチマジックに見つかった時点でこの事態を想定していたのだろう。その時点で、残されていた時間は僅かしか残っていなかった。

 あの日の夕飯をわざわざ豪華な食事にしたのは、唐突に迫った別れの時を少しでも楽しいものにしようと母さんと父さんなりの配慮だったのかもしれない。

 最後に皆で囲んだ鍋。あの風景がフラッシュバックする。いつもと同じように振舞っていた両親。

 だが、その心はきっと泣いていたのだろう。

 今まで築きあげてきたものが一瞬で崩壊していったのだ。辛いはずがない。それでも、二人は楽しそうに笑っていた。

 

「……ばか」

 

 くしゃっと手紙を握りしめ呟く。

 ドアがノックされる音がして扉が開かれる。

 

「彩葉ちゃん。どうしたの? あんまりにも遅いから心配して様子を見に来たのだけど」

 

 知らない間に流れていた涙をこすって、なんでもないと返した。

 

「やっぱり辛いことを思い出したのね」

「……」

「悲しかった泣いてもいいのよ」

「……え!?」

「女の子なんだから我慢する必要なんてないのよ。ほら、わたしの胸でよければ貸してあげるから。今はただ、泣いていいのよ」

 

 その言葉はとても優しく、慈愛に満ちていた。

 止めて。そんなことを言わないで……っ。

 それ以上は、みっともない姿を見せてしまう。

 そう思って、必死に溢れ出す気持ちをこらえる。

 

 

 だけど、緋真さんのぬくもりが私を包んだ時――。

 

 

 胸が緩んで、気持ちを溶かした。

 

 溶けてしまえば水になる。

 

 自然なことなんだ。

 

 止まらない。止まらない。止まらない。

 

 もう一度、固まるまで――。

 

 いまはただ、泣きたい。 

 

 固まるまで。

 

 ううん。

  

 枯れてしまえば、待つ必要もないや。

 

 だから、思い切り泣こう。

 



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17話

 あれからどれぐらいの時間が過ぎたのかは分からない。十分、もしくは三十分以上も続いているかも知れない。

 嗚咽が止んだ後も緋真さんは落ち着かせるべく、ずっと、いつまでも抱き続けていた。

 辛い時は泣いた方がいい。悲しみは分かち合った方がいい。数年も前に一度体験していた緋真さんには私の気持ちが痛いほど分かってくれている。

 本当に感謝しかでてこない。

 今の私に必要なものは、ほかでもない心の整理だったんだ。

 たった一晩で親を失くし、人生を失くし、日常を失くし、幸せを失くし、すべてを失くした。

 代わりに得られたことといえば、人間の敵となってしまった烙印とも呼べる魔力だけだった。

 この数十年の生き様は何だったのか? やってきたことに意味はあったのか? 

 形成されてきた評価や人格を築き上げるまでは長く、瓦解するのは一瞬だった。

 空いた心の隙間を埋めるように、緋真さんは我が子を慈しむように私の頭を撫でててくれた。

 もう何年も前。 

 母さんが小さい頃によく撫でてくれた感触によく似ていた。

 

「泣くだけ泣いたら楽になったよ。ありがとう」

 

 

 私の気持ちの整理がついたことを確認した緋真さんは、私と一緒にリビングに移動した。

 リビングの片付けをしていた際、茶葉の位置でも把握していたのか緋真さんは、言ってもないのにお茶を入れてくれた。

 

「お腹すいたでしょ。何か作ってあげる」

「え、緋真さんって料理出来るんだ」

「これでも魔法使い歴五年ですからね。大抵のことは一人でやってきてるからお姉ちゃんに任せなさい」

 

 胸を張って自信ありげに答える緋真さん。

 頼りにはできるから、任せてしまってもいいんだけど。

 ここは私の家であり、緋真さんはどちらかというと客人の立場である。そんな緋真さんにすべて任せてしまうのは悪いよね。

 鼻歌交じりで台所に向かう緋真を追いかけ、隣に立つ。

 

「私もおやつ程度のものなら作れるから手伝うよ」

「あら、いいの。それじゃあ、ホットケーキでも焼きましょうか。彩葉ちゃん。必要な材料を出してくれる?」

「オッケー」

 

 意気揚々と準備に取り掛かる。

 母さんの手伝いをしていたから慣れた手つきで作業する。

 緋真さんと作業分担しながら仲睦まじく進めていく。

 昨日今日の付き合いしかないが、この短い間で数週間分にも感じられる濃い時間を過ごしていた。

 なんだか家族みたいだなぁ。

 お互いに料理経験もありスムーズに生地が出来上がった。あとは焼くだけ。その段階にきて、私はおもむろに冷蔵庫からチョコチップを取り出した。

 

「それは?」

「料理と言えば創作でしょ!」

 

 歪んだ思考を持って喜々と組み合わせていく。上手くいったときほど嬉しいものはないんだよ。料理は楽しくしよう!

 抵抗があるのか、緋真さんは嫌な顔を見せている。

 でも、ここは先にペースをつかんだ方が勝ち。

 やってしまえば、開き直ってくれるだろうと思って、レッツクッキング!

 

「ホットケーキで創作はまずいんじゃないかしら」

「いやいや、創作こそ料理の真骨頂! 出来上がるまでどんな味になるか分からない。名付けてロシアンクッキング!」

「すごく嫌な予感のする名前ね」

 

 未知なるものを作ることが好きだ。

 成功例もあるが、もちろん失敗例もある。それでもやめられないのは新たな境地を切り開く。そこに大きな好奇心と冒険心をくすぐられるからだ。

 緋真さんは私の暴走を止めたくて仕方がないようだけど、ここは私に任せてもらいたい。

 わくわくドキドキのロシアンクッキングを開始。

 まずチョコチップを生地に混ぜる。

 

「このパチパチするやつも入れてみよう」

「それも入れるの!?」

 

 アイスや飴などに含まれる口に入れると弾けるトッピングを付け足す。

 きっと弾けるホットケーキになるはずだ。

 生地の中は、こげ茶色のチョコ。青、黄、緑、赤などの色でカラフルに仕上がっている。みるみるうちに闇鍋のような光景が織り交ざってしまった。

 それを焼く。責任もって面倒みたいという理由で私が焼く。緋真さんもそれには異論がなかった。

 しっかりとキツネ色まで焼き上げる。見た目はデコレートされた装飾品のように色鮮やかだ。

 試食はとうぜん私の役目で一口大に切って口に放り込む。

 

「お味はどう?」

「……普通。パチパチするやつはいらなかったかな」

 

 失敗も創作の醍醐味。私にとってはそれだけでも満足できた。

 

「それはやりすぎだと思ったわ」

 

 創作なんて絶対にしないと心に誓う緋真さん。

 しかし、作ってしまったものは仕方がなく残りもすべて焼き、小休止とすることにした。

 

 

 私は手紙のこと、昨日までの家族との思い出をネタに緩やかに和やかな時間を過ごす。

 私自身が魔法使いであることやいやなこともすべて忘れ去ることができるような時間だった。

 

 

 ――束の間の休息。

 

 

 これが終わると再び町に出ることになる。

 そろそろ夕方になる。これ以上暗くなってしまう前に出発しなければならなかった。

 アンチマジックによる魔法使いの捜索が続けられている現状で、いつまでもこの近辺にいることは危険があった。

 私たちは町中の散策を開始するため、家を出た。

 

「これからどうするの?」

「そうねえ。魔法の使い方を教えないといけないし、どこか人目が付かなくて広い場所に行きましょう」

「そんな場所あったかな……て、あれ?」

「どうしたの? いい場所でも思い出した?」

「そうじゃないんだけど……いまの人」

 

 二人して玄関前で思索していると、前方の曲がり角にて見覚えのある人物が通り過ぎる。

 黒真珠のような長い髪の前髪を髪留めで抑え、凛とした歩行をしていたのは紛れもなく茜ちゃんだった。

 

 

――CHANGE

 

 

「私、どうすればいいの? それにこんな力なんて」

 

 焼け崩れた廃屋の前で茜は沈痛な面持ちでつぶやいた。

 商店街の入り口に位置し、散った花びらが地面に散乱している。アスファルトに焦げ付き、押し花のようになっており花びら本来の美しさは微塵もなかった。すっかり見る影を失くしているが、ここが茜の家であることが想定できた。

 遠くから聞こえる呼び声。振り向けば、小走りが駆け寄ってくる彩葉の姿があった。

 

「彩葉ちゃん!?」

「よかった無事だったんだ」

「彩葉ちゃんこそ。怪我とかしていませんか?」

「ご覧のとおり、ピンピンしてるよ!」

 

 ぐっと力こぶをつくり、力が有り余っていることを示す彩葉。

 安堵の息を漏らす茜。 

 彩葉よりも体力のない緋真はやや遅れてやってくる。

 乱れた吐息は妙に色っぽかった。

 

「この人は?」

「紹介するね。私を助けてくれた穂高緋真さん」

「初めまして。気楽に緋真でいいわよ」

「彩葉ちゃんの友人の楪茜です」

 

 心なしか茜の声音は小さく、普段の茜とは違って覇気がなかった。

 

「元気ないね。そんな暗いのは茜ちゃんらしくないよ。ほら、スマイルスマイル。笑う門には福来る」

 

 茜を元気づけるべく手品でもしてみる彩葉。

 コインを親指で上空に打ち上げ、両手をクロスして取る。そして、どちらの手の中に入っているのか当てる手品だ。

 地面にチャリンという落下音が鳴る。

 苦節一か月、彩葉の渾身の手品は失敗に終わった。

 そんな彩葉の様子をみて、はにかむように笑う茜。

 

「やっぱり彩葉ちゃんはすごいです。こんな状況でも明るく振舞えて……私には無理です」

「こんな状況だからだよ。暗くなっていてもしょうがないじゃん。生きているだけでも喜んでおかないと」

「そんなこと言われましても、私にはお母さんがもういないのですよ」

 

 残骸となった家を視線で示し、下敷きになって焼死体となったことを語る茜。

 

「――おばさんが!? そうなんだ。茜ちゃんの気持ちも知らずにごめん」

 

 最初に屋根が崩れ落ち、木片が積み重なり業火が包む。その状態になってしまっては一人の女性の力ではどうすることもできないだろう。ゆえに助けることもできず、目の前で死にゆく様を見届けてしまった。

 緋真は二人の話しを横で聞きながら、家内を見渡す。

 そこでところどころに小さな穴が空いていることに気づく。

 助けるときについたのだろうが、尖ったもので打ち付けたような跡だった。

 だが、それは可笑しな話だ。人を燃やし尽くす炎に包まれている中、何度も何度も打ち付けるような時間などあるだろうか。そんなことをしていれば、茜自身もこうして無事でいられるわけがない。

 そこで緋真は一つの結論に至った。

 

「茜ちゃんでいいわよね」

「は、はい。そうですが、どうしたのですか緋真さん」

 

 険しい面持ちで緋真は問いかける。

 

「もしかして、力を手に入れたわね」

「……!? どうしてそれを」

「見れば分かるわ。わざわざ穴の空いた木を使った建築なんてあるわけがないもの。近づくことすら出来ない炎の中にこんな穴なんて空けれるはずがないでしょ。そうなったら遠くから何かを当てるしかないわよね」

 

 緋真の洞察力は鋭かった。次々と言い当てられ、やがて茜は観念したかのように口を開く。

 

「そこまで分かっているんでしたら、緋真さんもそうなんですよね」

 

 緋真はうなずく。

 

「? 何の話? なんで二人だけで分かりあっているの?」

 

 茜と緋真の顔を交互にみながら一人疎外感を感じる彩葉。

 

「実は……彩葉ちゃん、私ね……」

 

 一瞬言おうか言うまいか躊躇う。

 この一言で彩葉がどういうリアクションを取るのか不安で一杯になる。

 だが長年の付き合いがある親友の彩葉に重大な隠し事を抱え続けるぐらいなら、いっそのこと打ち明けて楽になるべきだと考えて、意を決して重々しく口を開く。

 

「――魔法使いになってしまったの」

 



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18話

 彩葉と茜が初めて出会ったのは小学四年生に進級したてのときだった。

 見かけは満身創痍となっている年季の入ったタイル。

 使用された備品は使い古されていても丁寧に磨き抜かれ、新品みたいに輝いていた。

 新しい教室。新しいクラスメイト。新しい出会い。

 生徒たちは不安と期待に胸を弾ませて、この4―1の教室に集まっていた。

 その日は初日ということもあって、自己紹介が進められていた。

 出席番号一番である雨宮彩葉は何を言えばいいのかも分からず、端的に名前だけを告げて終わらせた。

 後に続く者も一番手があまり凝ったことを話さなかったことにつられて簡易的に済まされていく。

 淡々として進んでいく自己紹介だったが、そのなかで唯一彩葉の気を引いた人物がいた。

 出席番号三十番。最後の自己紹介だ。

 彼女は誰よりも美しい姿勢で立ち上がり、誰よりも美しい髪を持ち、誰よりも緊張していた。

 

「ゆ、楪茜です。よ、よろしくお願いします」

 

 そして――誰よりもぎこちない挨拶だった。

 

 

 あれから一週間が経った。

 すでに新たな友人ができ、新たな生活に慣れ始めようとしている時期だ。

 新しい繋がり。新しい流行り。新しい思い出。誰もが新しさに手を伸ばして、置いて行かれない様にとしがみ付く。とにかく進級したてというのは向こう一年の始まりでもある。

 元からある繋がり。元からある流行り。元からある思い出。付いていけなければ元からあるものにしがみ付くしかない。

 彩葉は置いて行かれた。新学期に乗れなかったのだ。べつにそれはそれでもいい。小学校なんてのは進級したてでも古い付き合いのある人間がいれば、クラス替えをしたところでわざわざ新しい付き合いを求める必要なんてない。

 だから彩葉は全くもって気にしていなかった。以前より付き合いのある人間が二人いたから。

 ただ、一つ。気にすることがあるとすれば、それは孤独な少女。同じ年代にもかかわらず、大人びていて、可愛らしさという印象はさほどない。大きくなったらきっと美人になるんだろうなあという妙な確信。

 他と違う子。いつも一人で寂しそうなあの子のことを彩葉は自己紹介の日から気にしていた。

 

 ――楪茜。清楚で礼儀正しい女の子。彩葉とは正反対なイメージなあの子。彩葉には無い物を茜は持っている。茜には無い物が彩葉は持っている。

 

 仲良くなれそうとかの問題ではなくて、ただ印象に残っただけ。そこが惹かれたのかもしれない。

 始めのうちは話しかける者もいたが、言葉遣いが丁寧語で会話しづらいという理由が大半で、すぐに近づいていく者はいなくなった。

 幼少のころから家庭の手伝いをしていた茜は接客のため、丁寧語になっていった。

 それだけではなく、親の働く背中をみてきて育ったこともあり、自然とそういう言葉遣いが身に付いたということもある。

 小学生らしからぬ対応に周りが付いていけなくなった。それに付け加え、茜は友達作りが得意ではない。

 時折、自分から話しかけようとするが、自身の言葉遣いを気にかけており上手く話すこともできず、結局なにもできずに自分の席で外の景色を眺めるだけになってしまう。

 傍からみれば、クラスに馴染めず孤独でのけ者にされているようにもみえる。

 だが、用事があれば話しかけられるし、勉学が優秀で頼りにされることも多々ある。それだけだ。

 いたら頼りにされ、いないならいないで構わない。ただ、そこに存在しているだけ。

 虚しくも空虚な生活を茜は続けていた。

 

 

 そんな日々がさらに続いたある日の放課後。彩葉は思い切って声をかけることにした。

 

「ちょっと待って。あ・か・ね・ちゃんっ!」

 

 二階から一階に下る階段を一段飛ばしで追いかける彩葉。

 

「っと、あぶないあぶない」

 

 勢いつけすぎたあまり、茜に激突しそうになる。

 そんな彩葉を優しく支える。

 

「ど、どうしたのですか? 雨宮さん」

「うん、あのね……の前に私のことは彩葉でいいよ」

 

 普段の茜を知っている彩葉は出来るだけフレンドリーに接する。

 

「い、いろは?」

 

 茜は彩葉の呼び捨てで呼んでほしいというお願いに口ごもりながらも何とか口に出す。

 

「そうそう、そんな感じ! ところで茜ちゃんってお花屋さんで働いているの?」

 

 唐突の質問にきょとんとする茜。

 

「商店街で何度か見かけたことがあるから」

「そうだったのですか。はい、あそこが私のお家だから、お手伝いをしているんです」

「家が花屋なんていいなあ! 毎日お小遣いもらえるじゃん」

「あ、あはは。そんなことないですよ」

 

 茜は羨まし気に話してくる彩葉に謙遜した。

 

「あ、じゃあさ。私の家とも近いからよかったら私と一緒に帰ろうよ」

「え!?」

 

 茜にとっては生まれて初めての誘いだった。おもわず顔がほころんでしまう。

 一緒に帰る。それだけの行為が嬉しかった。

 

「お邪魔でなければ……ぜひ……」

「邪魔なんてとんでもない! 帰り道が同じ友達なんていないから私いっつも一人だったんだ。よかった。一緒に帰れる友達がいてくれて。これで帰り道も楽しく帰れそうだよ」

「……友達?」

「うん。同じクラスでこうやってお喋りして一緒に帰るんだからもう友達でしょ!」

「そう、ですよね……友達、なんですよね」

「だから私も茜ちゃんって呼ぶから茜ちゃんも私のことは気軽に彩葉って呼んで」

「はい! えっと彩葉、ちゃん」

 

 恥ずかしそうに彩葉の名前を呼ぶ。他人の名前をこんな呼び方をするのも茜にとっては初めてだった。

 

「うん。それでよし」

 

 よくしゃべる彩葉としっかり者の茜とのファーストコンタクトだった。

 

 

 茜は魔法使いだと名乗った。

 それは魔に魅入られたということ。おそらくは母親が目の前で死にゆく様を無力にも見届けてしまったからだろう。

 原因は魔法使いによる災害。だが、心優しき茜は魔法使いを恨んだわけではない。

 何もすることが出来ず、母親を見殺しにしてしまった。焼き尽くされる生身の人間。女手一つで育ててくれた母親が、どれほどの苦痛を受けていたのだろうか。唯一の救いといえば、娘が無事で生き残ったことぐらいか。力尽きる寸前まで茜の姿を瞼に、脳に刻み込みながら逝った。

 結局、母親は娘のことだけ一杯だった。茜はそんな母親を助けたくて、必死でもがいて、手段を探して、ついには自身の無力さに罪悪感を感じた。

 どうして助けれなかったのか。どうしてこんなにも自身を恨めしくなってしまうのか。どうしてこんなにもか弱いのか。

 

 ――もし、力があれば。あるいは助けることも可能だったかもしれない。

 

 それが引き金だった。

 

 

「私と彩葉ちゃんは敵同士。もう、彩葉ちゃんとは一緒にいられなくなってしまったの」

 

 茜が魔法使いだと明かしたときには、驚きがあった。同時に彩葉には安堵もあった。

 また一緒に過ごすことが出来る。

 同じ魔法使いだから争う必要もない。手を取り合っていける親友がいるだけで胸が楽になる気がする。

 

「どうしてそんな顔しているの?」

 

 まるで出会う前の二人のようだった。

 あの頃のように茜は空虚さがあった。また一人ぼっちの世界に取り残されたように、たしかにそこにいるのに心だけはあの頃に戻っている。

 

「だって、私は魔法使いで彩葉ちゃんは人間。言わなくても分かるじゃないですか……っ」

 

 茜の声には悲壮感があった。

 

「初めて出来た友達だったのに……こんな形で終わるなんて……もう、私、どうしたらいいのか分からないんです」

 

 友達も出来ず、日々家の手伝いで一杯だった茜。

 同年代の人と遊ぶこともなく、笑いあうこともなく、楽しいことも知らなかった茜。

 何も描かれていない真っ白なキャンバスのような人生を彩ってくれたのは、他でもない彩葉だ。

 その彩葉との別れ。色彩が抜けて元の真っ白なキャンパスに戻っていくような空虚な表情になっていく。

 

「大丈夫。私は茜ちゃんと一緒にいるよ」

「そんなこと、無理です!」

「無理じゃないよ。――なんと! 実は私も魔法使いになってしまったんだよね」

 

 明るくそう言う彩葉。

 

「うそ!?」

 

 驚愕に顔を染め、開いた口が閉じない茜。

 

「うそじゃないよ。証拠は……えーと……魔法ってどうやって使うんだろう?」

 

 身振りだけで魔法を使うそれっぽい動作をする彩葉。

 

「あとで使い方を教えてあげるわ」

 

 それまで黙って話しを聞いていた緋真が言った。

 茜は口元に手を当て、微笑する。

 

「本当に魔法使いなんですか」

「笑われた!? ほんとだよ。私だってまだ魔法使いになったっていう実感が湧かないからよくわからないんだけど。昨日魔法使いになったはず」

「じゃあそういうことにしてあげます」

 

 なげやりな感じの茜に彩葉は含むところもあったが、とりあえずは納得してもらえたかなと思う彩葉。

 

「あ、そうそう。緋真さんも魔法使いなんだよ」

「それは気づいていますよ」

「もうばれてたかあ……て、えええええ!? なんで? いつ気づいてたの?」

 

 魔法使いは基本的には誰にもばれてはいけない。

 超常的な力を持ち、人為的に災害を引き起こすことが出来る力がある。さらにいうと、人ならばだれでも持っている負の感情、誰かを恨みたい、妬みたいなどの心の闇の部分が刺激され、悪の化身となった存在。

 その存在が気づかれると、アンチマジックによる魔法使いの殲滅が始まる。

 つまり命の取り合いに発展してしまうからだ。

 緋真は平然とした顔つきで見詰めてくる彩葉に応えた。

 

「彩葉ちゃんだけだと思うわよ、気づいてないのは」

「さっきの私と緋真さんのやり取りの意味が分かっていませんでしたしね」

「やり取り?……あぁあれってそういうことだったんだ」

 

 難しい難題が一つ解けたような納得した顔つきになる彩葉。

 

「そういうことです」

「じゃあ、この場にいる全員が魔法使いってことなんだ」

「そうね。私と彩葉ちゃんはもうアンチマジックに正体がばれているけども、茜ちゃんはまだ見つかってないと考えると……あまりここにはいたくないわね」

「うーん。そうなると一旦隠れた方がいいのかな」

 

 夕暮れの空の下、三人の魔法使いは唸る。

 

「とりあえずは日も暮れそうなことだし、昨日借りた家に戻りましょうか。それからまた考えましょう」

「あれは借りたというよりも……不法侵入なんじゃあ……」

「いまはそんなことはどうでもいいのよ。死活問題だから神様も許してくれるわ」

「えーと、私の知らないところでどんなことをしてきたんですか」

「ひ、み、つ」

 

 緋真は人指し指で自身の口元に手を当て、ウィンクして答える。怪しさしか感じられなかった。

 

「さて、暗くなる前に帰りましょう」

「うん。茜ちゃんも行うよ」

「え? 私もですか?」

「茜ちゃんももう魔法使いなんだし運命共同体だよ。一緒に魔法使いとして生きていこうよ。茜ちゃんがいてくれたら楽しいし」

「彩葉ちゃんの言う通りよ。それに、もう一人妹が増えたみたいで私は歓迎よ」

「彩葉ちゃん……緋真さん……」

 

 母親が死んで、もう駄目かと人生を諦めていたところに現れた二人の魔法使い。

 その二人が持ちかけてきた話しは茜にとっての救済だった。

 

「それじゃあ、不束者ですがよろしくお願いします」

「私、茜ちゃんがいてくれると落ち着くよ」

「私もです、彩葉ちゃん。もう誰も頼れる人がいないと思ってました。彩葉ちゃんにももう二度と会えないかと思っていたから、こうしてまた一緒にいられてすごく嬉しいです」

 

 感動の再会を分かち合うように二人ははしゃぎあった。

 緋真はそんな二人の絆を微笑ましく思いながら眺めていた。

 

「こちらこそよろしく。私のことはお姉ちゃんでいいからね」

 

 二人の間を割って入るように手を差し伸べる緋真。

 茜はその手を握り返し、

 

「お姉ちゃんは……ちょっと遠慮しときます。緋真さんでいいですよね」

「彩葉ちゃんに続いて二回もフラれたわ。遠慮なんてしないでいいのよ?」

 

 諦めが悪いことこの上ないなと彩葉は思った。

 

「緋真さんってモテそうでモテないよね」

「これでも中学生ぐらいのころはモテてたのよ」

「昔の話しを出してきても今がダメだから説得力なしですよ」

「あ、茜ちゃんまで! ひどい妹たちだわ」

 

 怒る緋真に茜は苦笑を漏らす。

 それは出会ったばかりのモノではなく、活気を取り戻した茜の心の底からの笑顔だった。

 目が焼けつくような赤い夕焼けの下、三人の魔法使いの談笑が続いた。

 



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19話

 野原町は木々が多く、緑が溢れている町だ。

 今は先日の火災で一部が燃え尽きて消し炭となってしまっているが、無事な場所は変わらず緑と色鮮やかな花が咲き乱れている。

 象徴である時計塔から徒歩三十分ぐらいの場所には木々が立ち並び、緑で一杯の風景が広がっている。

 それを彩るように洋風の家が立ち並び、その先には大きな屋敷が建っている。

 荘厳かつ美麗。

 築百五十年の歴史を持ち、ダークブラウンでシックな色の外観をもつ野原町一古い家屋だ。

 黒色に塗装された門は幾度となく塗り直されているおかげで色あせておらず、幾度となく改装工事をされた家は百五十年の歴史を感じさせないほど真新しく直されているが、敷地内の倉庫などは当時のものが置かれていた。

 背景には山があり、屋敷の周囲を塀で囲っている。

 敷地内には咲き乱れるバラ庭園が来客をもてなす。

 野原町の特色を存分に発揮された庭と言えるだろう。

 そこに二人の少女と一人の女性。言い換えると三人の魔法使いが門をくぐった。

 

「ここを出る時にもおもったんだけど……すごく豪華な家だよね。これ、絶対誰か住んでいる家だよ」

 

 遠目から建物の全体像を見上げながら彩葉がつぶやく。

 

「借りるなら豪華のところの方がいいでしょ!」

 

 喜々として答える緋真。

 

「ここって……もしかして、区画代管理者のお屋敷じゃないですか?」

「え!? そうなの」

「あら、そうなの? 私って目の付け所がいいのかも」

 

 思わぬ大物の名を出した茜の方に振り向く彩葉と緋真。

 茜はそんな二人の視線を集めながら口を開く。

 

「そんなこと言っている場合じゃないですよ。管理者の家に居座るなんて失礼すぎますよ。私、野宿でもいいですから別の場所に行きましょう」

 

 管理者は各区画を統括している責任者という立場の人間である。

 主に区画内で発生した問題の解決に努め、人民をより良い暮らしを構築させることに意味がある。あくまでも表向きの役割だが。

 ――もう一つの役割は、魔法使いによる被害の事後処理を行い、最終報告を首都二十三区へと伝達する役目を担っている。

 ここ、三十区における最も地位の高い人物の家への無断侵入に慌てふためく茜。

 

「大丈夫よ。この辺一帯は誰もいないから安心よ」

「誰もいないの? なんで? 集団で家出?」

「そんなことはないと思いますけど……もしかしたら神隠しかもしれませんね」

「ちょ、そんな怖いこと言わないでよ!」

 

 茜が神妙な面持ちで言ったことで雰囲気と迫力があった。

 

「ふふ、冗談ですよ。彩葉ちゃんは相変わらずこの手の話しには弱いんですね」

 

 人をからかった笑みで楽しそうにする茜。

 口元に手を当てた上品な笑みには嫌味さは無く、軽犯罪クラスの事をしでかそうとした二人に対する戒めのような意が込められているように感じられる。

 彩葉はぞくりと肌がざわめき立つ体をさするようにしながら恨めしそうに茜を見詰めた。

 しかし、町の一角に人っ子一人もいないとさながらゴーストタウンのようにも思える町並みである。何も知らなければ、そういった類の現象が起きたと考えられなくもないだろう。

 

「魔法使い襲撃の際に一時的に避難しているのよ。たしか……彩葉ちゃんと茜ちゃんの家の近くにある時計塔の辺りよ」

 

 魔法使いによる襲撃があった後は、住民には避難区域が設けられている。

 襲撃の際に離れ離れになった家族や安否確認の取れない身内も出る為の考慮として用意されている。

 そこで住民たちは完全に安全が確保された後、町の復興や身内の捜索に入る。

 

「皮肉なことですよね。町の人たちにとっての危険区域が私たちにとっては安全地帯になるなんて……」

「そういうこと。だから今の内に私たちがお邪魔になるわよ」

 

 見知った人の家にお邪魔するように玄関に入っていく緋真。

 

「すごいなあ。自分の家みたいに入っていったよ。あれはそうとうやりなれているとみた」

「い、彩葉ちゃん。感心しちゃダメですよ。アレはれっきとした犯罪ですよ」

「私たちもこれからあんな生活が続くのかなあ。さすがに毎日だったら私の良心が痛むよ」

「私もです。ごめんなさい。お邪魔します」

 

 彩葉と茜は罪悪感を感じながらも緋真のあとを追った。

 

 

 高級シャンデリアに床には赤い絨毯が敷かれ、中世の有力者の屋敷を連想させた。

 玄関先は広いホールとなっており、その正面には有名な画家が描いたと思われる線の細かい絵画が飾られている。権力者としての風体を醸し出されている。

 その絵画たちよりも彩葉たちが目を付けたものがあった。

 地図だ。

 一つの大きな大陸が描かれており、無数の線が引かれている。大陸内での各地方を区切ったものだ。囲まれた中心部分には、その地方を表す地名が書かれていた。

 この地図を彩葉たちは知っていた。いや、学生ならば一度は目にしたことはあるものだった。

 

「これって……たしか、昔の地図だったよね。四十七の区画に分けられる前の」

「信じられませんよね。昔は一つの大陸になっていたなんて」

 

 現在は四十七に分割された大陸となっている。当然ながら、島と島をくっつけることなどできる筈もなく、苦肉の策として橋で繋ぐことによって以前の姿に近づけているだけ。と、彩葉たちは学校で習っていた。

 

「二人とも、良く勉強しているわね」

「といっても、一般常識の範囲内だけどね」

 

 他の区画内ではどうなっているのかは知らないが、少なくとも三十区に住まう者ならば、誰もが知っていることだ。

 

「五百年前の戦争がきっかけでこんな形になってしまったらしいですけど、そのことはあまり詳しくは分かっていないみたいですけど」

「戦争が終結した当時は何も残っていない凄惨な荒野のような状態だったらしいわ。それに、ここまで姿かたちが変えられてしまっては、当時の遺物なんてものは簡単には発見されないのよ。だから、歴史家たちも苦戦しているのよ」

 

 つまりは、何も分かっていることはないということだった。

 

「歴史って奥が深いからねー」

 

 難しい話は彩葉の専門外でもあり、すでに興味は屋敷内に戻っていた。

 一階には部屋が三つ――食堂、来賓室、入浴施設。

 二階にも同じく部屋が三つあり、個室となっていた。

 彩葉が昨日過ごした部屋もこの二階にある一室だ。

 彩葉たちは屋敷内を探索、緋真は屋敷構造、逃走する場合の脱出経路を探りながら一通り回ったあと、来客をもてなす部屋である来賓室へと向かった。

 テレビ、ソファ、机、書棚が置かれており、四隅には観葉植物も植えているこの部屋は家主のリビングとしても機能している。

 緋真は入室するなり辺りを見回したあと、カーテンを閉めた。

 

「何してるの?」

「この部屋をしばらく使わせてもらうことにするわ。広く使いたいから余計なものはよけるわよ。さ、彩葉ちゃんと茜ちゃんは邪魔の机を端にうごかして」

 

 邪魔とはいっているが、いま緋真がうごかそうとした机は最近入れ替えたもので、細部に細かい彫刻がなされているものであり、みるからに値を張る逸品である。

 緋真の価値観にずれた物言いに嘆息する茜。

 

「管理者の私物を存外に扱うなんて……帰ってきたら卒倒してしまいそうです」

「そんなことないわよ。ちょっとした模様替えだから大丈夫だわ」

 

 平気平気といった様子でテキパキと行動する緋真。

 

「でも、さっき邪魔だからどけるって言ってたよ。それにこんな大胆な模様替えしたら部屋の原型がなくなるような……」

「それでいいのよ。あなたたちの為なんだから頑張って働くのよ」

 

 彩葉と茜は意味も分からずにせっせと模様替え、もとい家具の片付けを進めた。

 有力者に対する敬いの気持ちがあるのか、茜は一つ一つの家具を丁寧に取扱い、芸術性を思わせるほどに綺麗に端に積み上げていった。

 やがて、子供が部屋内で駆けまわれそうなぐらいのスペースが確保でき、緋真は満足気にうなづいた。

 

「結構広いね! 私の部屋二つ分ぐらいはありそうだよ。いいなあ。うらやましい」

「管理者の家ともなるとさすがに一室が大きいですね」

 

 それぞれ感嘆な声とともに感心する二人。

 

「ふふ……これだけあれば十分ね。二人とも頑張ったわ」

「でも、これから何を始めるんですか?」

 

 広いスペースが欲しいだけなら外にある庭があるが、そちらを使わず、わざわざ屋内に場所を空けたということは、人には見られるわけにはいかないことを始めるだろうことは容易に予測できる。

 カーテンまで閉め、照明が部屋を照らす。

 完全に外界からの視界を妨げた状態である。

 

「これからのことも考えて、まずは彩葉ちゃんと茜ちゃんには自分の身を守るための力――魔法の使い方を覚えてもらうわ」

「こんなところでやるの!? 魔法って危険な力なんだよね。家……壊れたりしないよね」

「大丈夫よ。彩葉ちゃんたちが失敗しなければだけどね」

「たとえ失敗しなくとも魔力検知器で見つかってしまう可能性もあるんじゃないんですか?」

 

 魔力検知器はアンチマジックが開発した魔具の一つであり、その性能は周囲で発生した魔力を感知し、そのデータをアンチマジック監査室にまで送られる。

 それを元にアンチマジックは戦闘員を派遣し、監査官の指示を受けながら魔法使いを捜索する。

 茜の疑念は魔法を発動し、それがアンチマジックに知れ渡り身の危険が迫るのではないかというものだった。

 

「あなたたちは知らないと思うけど、有力者の敷地周辺には置かれていないのよ。これはどの地区にいっても同じことだから覚えておくといいわ。あと、アンチマジック支部周辺にも置かれていないけど、ここは私たちが不用意に立ち寄っていい場所じゃないからあまり関係ないわね」

 

 古くからの契約で各区画の管理者の家元周辺には設置してはいけないという決まりがある。

 管理者は身元をはっきりとさせた上で一般市民から選出しており、その人物にその区画を任せることが信頼できると定めた者であることを形として証明するために、魔力検知器を設置しないことになっている。

 

「ふーん。だったら安心かな。でさ、魔法って使うのは難しいの? 長い呪文みたいなのを唱えたりしないといけないのかな? 私自慢じゃないけど暗記って苦手なんだ」

「彩葉ちゃん……全然自慢になってないですよ」

 

 なぜか胸を張って答える彩葉に憂いを込める茜。

 

「安心して、使い方はとっても簡単よ。ただ念じるだけ。誰でもすぐに出来るわよ」

「それだけ……? なんだか心配して損したかも」 

 

 それを聞いて彩葉はホッと胸を撫で下ろす。

 

「口で説明するよりも実際にやって見せた方が早いかしらね。みてて」

 

 そういった瞬間、緋真の手のひらから発光する魔力弾が現れる。

 

「なんかでたっ!」

「綺麗……もしかしてこれが魔法ですか?」

「そうよ。と言ってもこれは誰にでもできる魔法だから彩葉ちゃんたちもやってみなさい。魔力を手のひらで固めるようなイメージをするの」

 

 緋真は展開していた魔力弾を消滅させながら彩葉たちにアドバイスをする。

 ごくっと息を飲み、魔法の発動に昂ぶる鼓動を感じながら、見様見真似で彩葉たちは魔力弾を展開させる。

 

「うわ! 出てきた。思ったよりも難しくないかも」

「私も出来ました」

 

 初めての魔法に歓喜を表す二人。

 束の間――茜の魔法弾は小さいながらも球状を保っていたが、彩葉の魔力弾は脈を打つ心臓のような動きに変わっていく。

 

「あれ? 何か茜ちゃんのと比べるとフヨフヨしてるんだけど……何で?」

 

 彩葉は自分の魔力弾と茜の魔力弾を見比べながら言った。

 

「力のコントロールが上手くできてない証拠なのよ、彩葉ちゃん」

 

 魔力弾は魔力を固めるだけの簡易なもので、込める魔力量の調節をするだけで小威力のモノから高威力のモノまで変幻自在に作ることができる。

 だが、調節を上手くできていなければ魔力弾は安定せず、彩葉のように不格好のモノになり、本来の威力を発揮することは出来ない。

 それゆえに扱う者によっては最強の魔法にもなり、最弱の魔法にもなる。

 

「けど、二人とも初めてにしてはよく出来てるわ。魔力弾は繊細な調節が必要になってくるから人によっては得手不得手があるの」

「私は苦手かも……」

「私はそうでもないかもです」

 

 二人は魔力弾を霧散させながらどんよりとした表情になる彩葉。

 

「そんなにがっかりしないで……彩葉ちゃん。慣れればすぐに出来ますよ」

「魔力弾は出来ないなら出来ないでいいのよ。無理に苦手なことをすることはないから固有魔法の方を頑張ったらいいわ」

「固有魔法?」

 

 二人の励ます声音のなか、聞こえた新しい単語に若干の希望をもつ彩葉。

 

「そう。魔法は大きく分けると魔力弾と固有魔法の二つがあるの」

「固有魔法。個人のもつ魔法ってことですか?」

「そうよ」

「なんか特別感のある響きだね。私の固有魔法ってどんなんだろう」

 

 魔力弾のことはすっかり諦め、固有魔法に興味をもつ彩葉。

 茜も同様に表情には出ていないが、気になっているようだ。

 

「あなたたちはもうすでに固有魔法を使ったことがあるはずよ。魔法使いになったときのことを思い出してみて」

 

 蘇るのはあの日の絶望の光景。

 理性が飛び、魔性に満ちた闇のなか、浮かび上がるは魔の世界。

 

 無垢なる深淵にて煌めく一振りの白と黒に彩られた刀。

 すべてを拒絶するかのような漆黒の柄にありとあらゆるものを切り裂くような純白の刃。

 雪のように真っ白な刀に黒が加わることである種の芸術性を窺わせる。

 それこそは、絶望の中で宿した希望の力《かたち》。

 

 何者にも模倣されない唯一無二の固体《オリジナル》。

 何者にも触れられない固有の本性。

 何者にもなれない真なる個人。

 

 内に眠る魔力によって、精製される絶対無敵の魔法が姿を現す。

 

 

 魔法《イメージ》を掴もうともがくように手を差し伸べる。

 不思議としっくりくる感覚があり、まるで初めから自分のモノであるかのような使い込まれた不思議な感覚。

 たった一度の顕現でそれはもう、彩葉の一部であり、自己の力そのものである。

 気付けば彩葉の右手には、その刀が具現化していた。

 

「わわ! 出てきた。すごい、これが固有魔法」

 

 頭の中で想像した物質が創造されたことに驚きと戸惑いを感じる彩葉。

 

「ねえ、茜ちゃんはどんな魔法なの――」

 

 茜の方を振り向いた彩葉はその美しさに声を失くした。

 

 

 煌めく無数の粒子。

 凛として透過される聖なる結晶。

 あらゆる角度から覗いてもなお美麗。

 そこから連想されることはなかった破壊の美。

 幾何学模様の描かれた半透明の拳銃は、構造の無い形だけの武器。 

 この世には存在しない圧倒的な存在感に幻想的な輝きをもって顕現した。

 

 

「きれい……」

「彩葉ちゃんの魔法もすごく美しいですよ」

 

 お互いの魔法を称賛しあう。

 横で見ていた緋真もその二つの魔法の存在感に圧倒された。

 

「これがあなたたちの固有魔法か……でも、そうね。もしかして、茜ちゃんはその銃でお母さんを助けようとしたんだよね」

「はい、そうです。引き金を絞ったとき、魔力弾のような力が射出されたんです」

 

 茜の説明を聞き、緋真は考え込む。

 やがて、何かを理解したように口をひらいた。

 

「そっか。銃というデバイスから撃ちだすことによって魔力弾の性質を銃弾の威力に変換したってことなのかしら」

 

 魔力弾は着弾すると火薬を用いた爆弾やミサイルのような一撃をもつ、いわば爆撃のような威力をもつ。

 しかし、茜のもつ銃というデバイスから撃ちだされた魔力弾は材木に穴を穿っていた。

 つまり魔力弾の性質が爆撃から弾痕を残す銃弾のようなものに変換されているということになる。

 

「よく分からないんだけど……ようは、なんかすごい銃ってことでいいの?」

「そんな言い方するとすごく頭が悪そうですよ。いいですか、彩葉ちゃん。私の銃から撃ちだされる弾は、銃弾の代わりに銃弾の性質を持った魔力弾が射出されるということですよ」

 

 分かっているのか分かっていないのかふんふんと曖昧に頷きながら話しをきく彩葉。

 

「ということは、普通の銃と変わらないってこと?」

「身もふたもない言い方をするとそういうことになります」

 

 実際には魔力弾の性質変化を可能とする魔法は数少なく、かなりレアな魔法である。

 魔法使い歴五年となる緋真でさえ、魔力弾の変化を可能とした人物は茜で二人目であるほどだ。

 事は重大な案件だが、魔法使いになったばかりの彩葉たちには実感が湧かず、客観的な感想しか出なかった。

 

「茜ちゃんは銃。彩葉ちゃんは刀ね。茜ちゃんの魔法は少し特殊だけど、二人とも創造魔法のようね。一番使える人が多くて、使いやすい魔法よ」

「創造魔法ですか? 固有魔法って言ってませんでしたか」

 

 聞き間違えではないことの確認も込めて聞き返す茜。

 

「創造魔法は固有魔法の一つで、無から有を創り出す魔法のことを創造魔法と言うのよ」

 

 固有魔法には大きく分けて四つに分類される。

 

 創造魔法――無から有を創り出す魔法。最も発現率の高い魔法であり、自身の練度によって力の差が大きく出やすい。

 

 属性魔法――自然界に宿る事象を意のままに操る魔法。最も破壊に特化した魔法。自然現象を引き起こし幅広い範囲に影響がでる為、最も危険な魔法でもあり、魔法使いが生きた天災と呼ばれる所以でもある。

 

 特殊魔法――上記二つの魔法に分類されない規格外の魔法。最も発現率が少なく、使い勝手が難しい魔法。

 

 

「ふーん。じゃあ、私が使える魔法はこの剣を出す魔法一つしかないってことなんだ。あ、そうだ。同じ創造魔法なら茜ちゃんのように銃を出すこともできるのかな?」

「それは無理なの。創造魔法に限らず、すべての魔法にはその人にあった魔法一つしかないから。彩葉ちゃんの場合は刀を出す以外には同種類の剣を出すことができる筈だよ。ほら、レイピアを出したことがあったでしょ」

「つまり……どういうこと?」

「彩葉ちゃんは剣ならどんな種類でも創造することができるってこと」

 

 彩葉のように剣を創造する魔法の場合は、刀、レイピア、大剣、小太刀、ナイフなど剣全般を使用することが可能。

 ただし、剣全般が使用できるからといってその人物が軽いナイフから重量のある大剣まで使いこなせるというわけではない。

 ようは力量をはき違えないことだ。

 同じ剣であっても刀は使えるが、小太刀のような小回りの利く得物が不得手であったりする。

 自身が一番得意とする得物を使い、状況に合わせて様々な得物で対応することが可能と出来ることが創造魔法の魅力の一つといってもいいだろう。

 その論法でいくと茜の場合は銃なら、拳銃だけではなく、アサルトライフル、スナイパーライフル、ショットガン、サブマシンガンなど銃器なら一通り創造することが可能となる。

 

「そっかあ。でもちょうどいいかな。私こう見えても中学の頃は剣道をやっていたから、刀ぐらいならなんとか使いこなせそうだよ」

 

 感を取り戻すように一振り、二振りと刀を振るう。

 ブランク三年。意外にもあまり腕は鈍っていないようで空を斬る音が耳に響く。

 

「あら、すごいじゃない。様になっているよ」

 

 思わぬ剣捌きに拍手と感嘆の色を含む緋真。

 

「けど、彩葉ちゃんが剣道なんて意外だなあ。武道なんて興味ないと思ってたから、意外な一面みちゃったな」

 

 彩葉は刀を霧散させ答える。

 

「武道には興味ないんだけど、剣道はテレビで観てなんとなくカッコいいって思ったから始めただけなんだけどね」

「そ、そうだったの……思ってた以上に適当な理由で始めたのね」

「でも、一か月でやめちゃったんですよ」

 

 それを聞いて驚きを隠せないでいる緋真。

 

「早すぎるわ! 彩葉ちゃん。けど、考えてみたら一か月でそこまで刀を振り回せるようになったってことだよね。そこはすごいかも……」

「ノリと勢いだけで始めたからすぐに飽きてしまって……でも、人間って不思議だよね。気合さえあれば、なんとかなるもんなんだなあってこの時にすごく思ったよ」

「それは人間が不思議ではなくて、彩葉ちゃんが不思議なだけだと思いますよ」

「えー、そうかなあ」

 

 誰でもできるようなもんだと思っていた彩葉は首を捻った。

 

「だったら、魔力弾も気合で上手く扱えるようになるんじゃないかしら」

「う……、それは、その、なんといいますか……これとは別というか……」

 

 墓穴を掘ってしまった彩葉は口をごもごもしながら言いよどむ。

 そんな彩葉に、ここぞとばかりに畳みかけるように言葉が浴びせられる。

 

「不思議ちゃんの彩葉ちゃんならなんとかなるはずだと思うのだけどなあ」

 

 意地悪くなじる緋真の表情には意地悪そうな顔が張り付ていた。

 

「……調子に乗りました。ごめんなさい」

 

 言い逃れが出来ないと悟った彩葉は謝罪に逃げ込んだ。

 素直な謝罪に緋真も顔がほころび、彩葉の頭を撫でた。

 そうして、一区切りがついたところで茜は気になっていたことを問いかけた。

 

「そういえば、緋真さんの固有魔法ってどんな魔法なんですか?」

「あれ? 教えてなかったかしら。まあいいわ。いい機会だから見せてあげるね」

 

 そう言うと、緋真の手から赤く、揺らめく炎が浮かび上がってきた。

 自然界の事象を起こす属性魔法だ。

 

「おぉ! なんか一番具体的な魔法って感じがするね」

「ですね。私たちの魔法よりもよっぽど魔法らしいですね」

 

 いままでにも魔法は見てきたが、人にみせて一番魔法らしい能力に感激する二人。

 

「いいでしょう! けどね、こんな魔法が使えたところで結局は人を殺す力なんだから、誇れるようなモノでもないのよ」

 

 過去に幾度となく使ってきた魔法で幾度となく犠牲になった人々がいたのだろう。

 緋真は低く、悲しみに満ちた声音だった。

 彩葉たちもそれを聞いて、先刻のハイテンションから一気に下がる。

 魔法はどれだけ幻想的で便利なモノでも所詮は人を殺すことのできる道具でしかない。

 元は人であり、絶望し、悪意に駆り立てられ、魔に魅入られた者が手にする魔性の力。

 どこまでいっても破壊しか生まず、持たざる者にとっては畏怖の力となる。それゆえに人々から怖れられ、この世から殲滅せねばならない存在であり、秩序を保つ為にアンチマジックという専門組織が存在する。

 不意に自分たちが手にした力に恐怖を抱く。

 そんなときだった――天井が緋真の魔法によって焦げ始め、部屋中に臭気が襲う。

 

「ちょ、ちょっと上! 天井燃えてるよ!」

「あらー。これはまずいかもねえ」

 

 顔を引きつらせながら緋真は時すでに遅しと諦めモードに入り始める。

 

「なにのんきに構えているんですか!? 早く消火しないと大変なことになりますよ!」

「大丈夫よ。なんとかなるから」

 

 緋真は手をひらひらさせながらオロオロする茜を落ち着かせようとするも返ってそれが逆に焦燥感を煽っている。

 

「なんとかってどうするの――!」

 

 余裕をもって悠々自適に構えている緋真に何か策でもあるのかと、彩葉が期待に問いかけようとしたその時――それは起きた。

 スプリンクラーが作動し、シャワーの如く降り注ぐ。

 低温度に保った緋真の魔法は消え、彩葉たちは突然の放水に冷たっと漏らす。

 

「ね! なんとかなったでしょ」

 

 狭い屋内にて降り始めた雨に打たれながら、緋真はヘラヘラと笑いながら言った。

 彩葉と茜はジト目を向け、無言の抗議で返した。

 長い抗議の末、緋真は深い謝罪とともに今後屋内での魔法の使用を禁じられた。

 



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20話

 人は二つに別れた。

 生と死――生をもがくからこそ壊れにくく、死を求めるからこそ壊れやすい。

 

 善と悪――善行の心をもつからこそ正道であり、悪を行使するからこそ邪道である。

 

 希望と絶望――希望を追うからこそ美しくあり、絶望を抱くからこそ醜悪になれる。

 

 二律背反する動物はやがて、二つの人格を持ち始める。

 

 あらゆる破壊の手段を持つ魔の法力――魔法

 凶悪なる力の源となる元素を魔の力――魔力

 魔力でもって魔法を行使する、その魔性に取りつかれし異形のモノを人は――魔法使いと呼んだ。

 

 其の者は我々人類にとって、危険極まりなく罪の烙印を捺されし者。

 我々は持てる力を結集し、力無きか弱い人類を魔の手から救うべくこれを処すべきである。

 

 退魔力殲滅委員会 規約第一項より

 

 

 緋真はゆっくりと本を閉じた。

 聖書のように書かれた文章の朗読に疲れを感じ取った茜は、麦茶を労いとともに手渡した。

 緋真は辞典ほどの分厚さのある黒いカバーの本を机に置いた。表紙には金色の文字で magic extermination と書かれている。

 重量のあるソレは鈍い音をたてる。

 それなりの重量があることは音だけで分かった。

 手に疲れが溜まっていたのだろうか軽くほぐした後、麦茶を一気に飲み干した。

 

「これがアンチマジックの行動理念とわたしたちの関係よ」

 

 彩葉と茜は何も言えなかった。

 今まで人として生活をしてきた二人にとっては、それはあまりにも残酷でどれだけ人としての生活が幸せなものなのかを思い知ったからだ。

 魔法使いは人類を脅かし、災厄を起こす存在のはずだった。

 しかしその正体は、元は人間であり、ともに生活をしていた仲間であった。

 魔が人を変え、魔が生活を変えた。人生を一変させたのは他でもない自分自身の感情の変化。他人の干渉によって引き起こされる自分自身の在り方の変化。

 仲間との断絶。幸せの断絶。在り方の断絶。全てが断絶し、零になる。

 そうして彼らは一から幸福に満ちたあの頃を取り戻すように、必死にもがいて罪をひた隠しにして生きていく。

 全ては自分の行いが招いた結果だ。自業自得だと言われればそれまでだが、それでも魔法使いはあの頃に戻りたい。

 生きていたい。レールから外れた列車が線路に戻ろうと足掻くように、必死に罪と向き合いながら人という名のレールに復帰しようとする。

 だが、背負った罪を断罪するべくアンチマジックが立ちはだかる。

 人のレールから外れた外道を復帰させる道理がない。

 いまだ秩序を守りながら、日々を営んでいる人々の中に混ぜるわけにはいかないから。

 

「私たちはもう……人には戻れないのでしょうか」

 

 沈痛な面持ちで茜は言った。

 

「そうね。罪は一生消えないものだから魔力も消えることはないのよ」

「そうだよね。悪いことをしたら怒られるのは当然だよね」

「怒られて済むような話じゃないけどね」

「ごめんなさいしてもダメかな? おなじ人間なんだから反省してますって気持ちを見せたら許してもらえるんじゃない」

 

 存在は変わろうとも、人という一つの人種に変わりはない。

 

「ダメなものはダメなのよ」

「未成年でも?」

「それは、関係ないんじゃないですか」

 

 茜はそうだったらいいのにという希望と疑惑ありげに突っ込む。

 

「そうね。魔法使いは社会を脅かす存在だからね」

「でも、私たちはそんなことはしません!」

 

 茜が強い語調で言った。

 

「たとえそうであってもよ。言ったでしょ。罪は一生背負っていかないといけないのよ」

 

 きっぱりと言い切った。もう、未練は捨てて今の現状を受け入れていかなければいけないという意味も含めての言い方だった。

 場が静まり返る。

 反論の余地がなくなったからだ。

 

「父さんと母さんも昔、悪いことをしたってことなのかな」

 

 小さく呟いたつもりだったが、静まり返った部屋では十分に聞き取れる声音だった。

 

「彩葉ちゃんの両親も魔法使いだったの?」

「うん。といっても、一昨日私も知ったばかりなんだけど」

 

 毎日を楽しそうに生きていた両親がまさか魔法使いだとは思いもしなかった。

 

「そうね。過去に何らかの罪を背負ったことは間違いないと思うわ……ってちょっと待って! 彩葉ちゃん。一昨日知ったって言わなかったかしら」

「そうだよ。母さんと父さんが家を出る前に聞いたの」

「ということは両親の口から直接聞いたってことなのね?」

 

 神妙な面持ちで尋ねる緋真に疑問を持ちながらも頷きで答える彩葉。

 そのまま緋真は黙り、思考の海を泳ぐ。

 奇妙な沈黙が漂い、何て声をかけようか迷っていたとき、緋真が話し出した。

 

「普通魔法使いであることは子供にも話すことはないの」

「どういうことですか?」

「もし、両親が魔法使いだと知っていたら。両親が死んだとき、犯人は誰になると思う?」

 

 数秒の間隔が空いた後、茜が答える。

 

「アンチマジックですか?」

「正解。そうなると子供は反感を持ち、アンチマジックからしてみれば反乱因子が生まれることとなるの」

「なるほど。アンチマジックは魔法使いを殲滅する組織だから……えーと……つまり何? どういうこと?」

 

 膨大な情報量についていけず、頭がパンクする彩葉。

 

「子供が反抗の意志をみせると、アンチマジックにとっては邪魔な存在でしかなくなるの。だから、子供を殺すしかなくなるの。それはアンチマジックにとっても好ましくないことだし、魔法使いである親も子供が殺されるようなことにはなってほしくないでしょ」

 

 親は子には正体を明かさない。

 そうすることによって子は何も知らず、無垢なままでいられる。不運な事故によって死亡したということになれば、孤児として生きていくことが出来る。どっちにしろ辛い人生を歩むことになることには変わらないが、死を回避することは出来る。

 

「だけど、彩葉ちゃんの両親は正体をばらしたのよね。彩葉ちゃんのことを想っているのなら普通は教えないのに」

 

 一瞬、彩葉の顔が陰った。

 私は両親に見捨てられたのだろうか。

 だったらなぜ、あの時母さんは泣いていたのだろう。

 あれは非情の涙ではなく、心の底からの悲哀の涙のはずだ。

 

「大丈夫? 彩葉ちゃん」

 

 彩葉の表情をのぞき込むように話しかける茜。

 それにハッとしてすぐに元の明るめの表情を取り戻す。

 

「平気だよ! 教えようと思ったらいつでも話せたのに今まで黙っててくれたんだからきっと何か理由があるんだよ!」

「そうね。少なくとも十七年間彩葉ちゃんを守り通したという事実に変わりはないわ。立派な両親じゃない」

「自慢の両親だよ」 

 

 危機が迫る直前まで、両親は自分たちがいつ襲われるかという恐怖と戦いながらも影では彩葉のことを大事にしてきた。

 感謝こそすれ、恨むことなど何一つとしてない。

 彩葉は懐に忍ばせていた手紙を取り出す。

 

「それは……?」

「あ、うん。母さんからの手紙。私がこんな風になることもお見通しだったみたい」

 

 そこには今の現状を見透かし、励ますメッセージが綴られていた。

 両親は罪を背負ってもなお、人としての生活を生き抜いた。

 辛いことがあってもこの手紙が支えてくれる。そんな気がして肌身離さず持ち歩いていた。

 

「そういえば、変なカードも入っていたっけ。貯金が入っているって書いてたんだけど」

 

 封筒の中の固い感触を手で感じながら言った。

 

「カード……ですか? 貯金ということは金融機関のってことでしょうか?」

「さあ。なんかみたことない感じだったかな」

 

 みたことのないカードに驚きこそはしたが、現金とくれば真っ先に思いつく用途は銀行だろう。だが、金融機関の名も書かれていない露骨な怪しさのある物だった。

 彩葉は封筒に入っているカードを取り出し、茜と緋真に見せる。

 

「――ッ!!」

「確かに見たことがないカードですね。真っ白で何も書かれていない」

「でしょ。一体なんのカードなのかなあ」

 

 茜はもの珍しそうにカードをまじまじと見つめる。

 

「透かし絵みたいに光に当てたり、角度を変えてみたら何か変わるかもしれませんよ」

 

 天井の光に当ててみる。変化なし。

 今度は顔を近づけたり、斜めから眺めてみる。変化なし。

 

「何も起きないね」

「あとは……炙ってみたりしたらどうでしょう」

「そうだね。ってそれはまずいと思うよ茜ちゃん!」

 

 肯定してから否定するまで漫才の如し。

 

「冗談ですよ。多分焦げるだけだと思います」

「ですよねー。もちろん分かってたよ」

 

 おどけていってみせる彩葉。しかし、まったく隠せてなくクスクスと笑う茜。

 そんなとき、緋真はおそるおそるといった感じで口を開く。

 

「彩葉ちゃん。そのカードは誰の物?」

「多分……父さんか母さんのだと思うけど」

 

 誰、と言われても分からない。手紙に同封されていただけで両親の物なのかも曖昧だ。

 ただ、文面からして両親の可能性が高いだけで確証がないから疑問を抱いた語調で答える。

 

「お父さんとお母さんの名前って教えてもらってもいいかな」

「父さんが雨宮源十郎で母さんが奏」

 

 その瞬間――緋真に驚愕の仮面が張り付く。

 信じられないことを聞いてしまったそのものの表情だ。

 

「げん……じゅう……ろうって本当なの?」

 

 普段の柔らかな声音と違って絞り出すような声音だった。

 

「そうだけど。どうしたの?」

「もしかして、昨日のあの場所に倒れていたのは源十郎さんと奏さんなの?」

「……うん」

 

 うなだれて答える彩葉。

 思い出したくもないあの光景。

 血みどろになって倒れていたのは紛れもなく両親だった。

 

「あの二人が亡くなったの?! 彩葉ちゃん!」

「多分。でも、母さんは間違いなく……」

「そう……だったんだ。ごめんね。辛いことを思い出させて」

 

 彩葉を抱きしめ、落ち着かせるようにつぶやく緋真。

 

「もういいの。悲しんでいても父さんたちに悪いし。それよりも緋真さんって父さんたちの知り合いだったりするの?」

「そうね。二人とも一応知り合いよ。というよりも一部の魔法使いの間では、雨宮源十郎の名前は有名よ」

「え!? そうなの?」

 

 今度は彩葉に驚愕の仮面が張り付く。

 普段源十郎は自室に引きこもり、何らかの研究をしている変人ぐらいの認識だった。

 ひょっとしたら、彩葉の知らないところで研究成果が評価されていたのだろうか。

 茜も雨宮家とは親交が深く、ある程度のことは知っていたので口をポカーンと開けて信じられないような表情を見せる。

 

「まあ、知らなくても当然かしら。魔法使いの事情だし、娘に話すようなことでもないわね」

「もう、全然知らないよ。キャパシティっていう研究機関で働いているってことぐらいしか知らなかったし」

「あら。それは話していたのね。ちょっと意外だったわ」

 

 彩葉から正体不明のカードをもう一度みせてもらい説明を始める緋真。

 

「このカードはキャパシティで使う認証カードなの。中でも白色のカードはある特別な人物しか与えられていないのよ」

「……特別な人物」

「そうよ。源十郎さんは組織内でも幹部の内一人、様々な研究の最高責任者でもある人物よ」

 

 にわかには信じられない話だった。

 自分の父親がそこまでの人だったとは。人は見掛けによらないとこの時ほど痛感したことはなかった。

 

「でも、どうして認証カードなんてものがあるんですか? キャパシティってあまり聞いたことのない組織ですけど、そんなにも有名な研究機関なんですか?」

 

 ほとんど無名な研究機関で使われるにしてはあまりにも凝った仕様だったことに疑問を持つ茜。

 なにせ、娘である彩葉ですら何をしているところなのかすら理解していないぐらいだ。

 

「キャパシティは表向きには医療研究機関……というか、正確には病院なんだけれど。どっちも兼任しているから間違いではないわね。だけど、その実態はアンチマジックに敵対する秘密犯罪組織よ」

「え!? 犯罪組織? じゃあ、父さんは犯罪組織の幹部やってるってことなの?」

「そういうことになるわね」

 

 衝撃の事実に対してやけにあっさりと答える緋真。

 

「変な研究やってて、幹部もやってるなんてマッドサイエンティストみたいじゃん! 父親が極悪人だったなんて、なんかショック!」

「とてもそういう風な人には見えなかったんですけど、意外ですね。ということは奏さんもなんですか?」

 

 どきりと心臓が高まる。

 まさか、両親揃って犯罪組織の一員だとは思いたくもなかった。

 

「ううん、奏さんは違うわ」

「よかったあ。母さんまでだったらどうしようかと思ったよ」

 

 胸を撫で下ろす彩葉。

 

「でも、そういうことだったのね。源十郎さんは彩葉ちゃんを魔法使いにすることによって、キャパシティで保護させようと考えたわけね」

「保護って。犯罪組織なんじゃないの? 私を悪者にするつもりだったってこと?」

 

 いくら自分が所属している組織だからって危険な組織に保護させるなんておかしい。

 たしか、父さんたちもキャパシティを目指していたはずだ。それだったら最初から連れて行ってくれればよかったのに。

 

「決まっているじゃない! 彩葉ちゃんを守るためよ」

 

 緋真は一切の淀みもなくはっきりと断言した。

 

「私の……ため?」

「キャパシティは魔法使いだけで構成されている組織なの。だから、あえて彩葉ちゃんに正体をばらして魔法使いになるように誘導した。彩葉ちゃんを一人にさせない為にね。カードはそれを見越した上で用意したんだわ」

 

 魔法使いにとっては一番安全な場所でもあるキャパシティには人はいない。

 アンチマジックに刃向う組織でもあるので、必然的に所属するメンバーは魔法使いであり、戦いの意志を持った者だけが集まる。

 

「父さん。そこまで考えていたんだ。あれ、じゃあ貯金が入っているっていうのはどういうことなの?」

「多分研究費用よ。それに、たとえ彩葉ちゃんが魔法使いにならなかったとしてもそれで満足な生活が送れるようにと、二重の意味を込めて用意したんだと思うの」

「彩葉ちゃんはお父さんとお母さんに愛されていたんですね」

 

 涙がこみ上げてきそうになる。

 散々、魔法使いに対して悪態をついてきて、知らず知らずに二人を苦しめてきた。にもかかわらず、自分たちに危機が迫っても最後までたった一人の娘のことを想い、守り通そうとした。

 娘を魔法使いにするなど、やり方はともかくとして。これも魔法使いの両親であるからこそ出来る一つの愛の形なのだろう。

 

「そうなると、ここは源十郎さんの目論見通りに目的地はキャパシティに決まりね」

「キャパシティってどこにあるのですか?」

「隣の二十九区よ。歩いてでもいける距離だから。気長に安全に行くわよ」

 

 二十九区は三十区から東に位置している。

 区の端までは交通機関も通っているが、現在の状況を考えれば厳重な監視が入っていることだろう。安全性を考えれば多少時間がかかっても徒歩で行くのが最も最適な手段と言える。

 

「今から行くの?」

「さすがに今日は遅いし、疲れもたまっていると思うから明日の日が暮れてからにしましょう。それまではたっぷり疲れを取るのよ。長旅になるからね」

 

 そういうと緋真は椅子から立ち上がり、消灯にはいる。

 消灯といっても本来、今はこの周辺に人は住んではいない。

 明かりを点けると光が外に漏れ出す危険性がある為、夕食を済ませてからはストーブの灯を明かり代わりに使っていた。

 彩葉たちも欠伸を一つ残し、毛布を取り出す。

 暖房器具が消え、急速に部屋の温度が下がっていくのを体で感じながら、三人は固まって何枚もの毛布に包まって眠りについた。

 



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21話

「さむー」

 

 冷える手をホットの缶で温めながらつぶやいた。

 先ほど、家を出た後に町のコンビニで買った物だ。

 緊急を要した避難だったために戸締りもしておらず、電気が働いていたので、自動ドアが私たちを迎え入れた。

 当然、店員などいない。だが、だれもいない店内に入っただけで自分たちが悪いことをしているような気がして、手早くホットの缶を棚から取り出した。

 そのあと、金だけ置いてきたらいいものを律儀にも茜ちゃんがレジ打ちをし、レシートを張り付けて手に入れてきたものだ。

 

「やっぱり朝は冷え込みますね」

 

 茜ちゃんもかじかむ手をホットの缶で温める。

 白い吐息がその日の寒さを物語っているのが伝わる。

 

「どうしてこんな朝から外に出ないといけないの。昼頃からにしたらもう少しマシなのに……」

 

 人の気配一つしない町並みでは、いつも以上に気温が下がっているように感じた。

 冷たい風が頬を流れ、体を縮こまらせる。

 

「そういえば、彩葉ちゃんが寝坊した時もこんな寒さだったんですよ」

 

 むくれた様子で茜ちゃんは三日前に私が寝坊して外で待ちぼうけしていた日を話題にだす。

 袖で手を隠し、少しはみ出た白い指を吐息で温めていた姿を思い出す。

 

「うう、嫌な記憶を思い出した」

 

 朝早くに目が覚め、時間に余裕がありすぎたあまりに二度寝をしてしまった。

 というより、寒くて布団から出たくなくてそのままじっとしていたら寝てしまったわけなんだけども。あえてそれは言わないでおこう。絶対に怒られる。

 

「ごめんね。こんな寒いなか待たしてしまって。でも、よく我慢して待ってくれたよね。ありがとうね」

「そ、そんな。私と彩葉ちゃんの仲ですし……それに彩葉ちゃんが遅いことなんてたまにあることだからすっかり慣れてしまってますし」

 

 茜ちゃんは本当によくできた子である。

 文句ひとつこぼさず、真摯に待ち続けるのだ。そのたびに私は何度も謝り、しっかりと反省の色をみせるのだが、やはり朝は弱くギリギリになってしまう。

 ごめんね。何度も何度も同じことを繰り返して。

 いつしかそれは、冬の日の定番のやり取りにもなっていた。

 かくいう今朝も日の昇っていない時間帯に目覚め、二度寝をした。

 

「それも今日で最後になるね。いざとなったら茜ちゃんに起こしてもらえそうだし」

 

 猫なで声でお願いしてみる。

 

「もう、そうやっていつも甘えて……でも、仕方ないですね。これからのことを考えるとお寝坊さんでいられると困りますし……」

「やった! それじゃあ、明日からよろしくね!」

 

 これで朝の悩みが解決されるかと思うと、つい浮かれてしまう。

 自分で止めるまでうるさくなり続ける融通の利かない時計のアラームなんかよりも、よっぽど快適な朝を迎えることが出来るよ。

 

「ただし……」

「ただし?」

 

 一度言葉を切る。

 こういうタメがあるときは大抵何らかの条件があるんだよねぇ。簡単なやつだといいけど。

 

「たまに、ですよ」

「えー。いつもじゃないの?」

「だめです。彩葉ちゃんはすぐに調子に乗るんですから。それに、女の子なんですから、朝ぐらいは余裕をもって行動できるように早起きの練習もしましょう! 私、頑張って彩葉ちゃんを更生させてみせます」

「茜ちゃん。怖い……」

 

 凄みと迫力のある言い方に観念する。

 これからは毎日――波乱の朝がやってくる。そんな気がした。

 心なしか、体が冷めてきたような気がする。

 気付けば、カイロ代わりにしていたホットミルクティの缶が冷めてきていた。

 缶のプルタブを開ける。かじかんでいた手も温められていたおかげで、すんなりと開くことができた。

 一口含み、軽く一息。白い吐息が缶の上底を曇らせる。

 ああ、心地いい。

 

「そういえば、」

「うん?」

 

 二口目につけようとしたとき、茜ちゃんが話しかけてくる。

 

「緋真さんは大丈夫なんでしょうか。クマもできていましたし……あまり寝ていないのですよね」

「うーん。平気そうにはしていたけど、昨日も警戒してくれていたみたいだからさすがに今日は辛そうだったね」

 

 緋真さんはアンチマジックの戦闘員に対して、昨日に引き続き夜通しで警戒していた。

 戦闘員が襲撃をしてくる最も可能性の高い時間帯が町が寝静まった深夜だからだ。

 魔法使いとて、人に違いはない。休息を取るならば当然夜となる。逆に裏をかいて日中を休み、深夜から動き始める者もいる。その方が即座に対処ができるかららしい。

 まったく、これじゃあ休む暇なんてないじゃない。

 

「私たちもあれぐらいの警戒心をもたなければいけませんね。いつまでも緋真さんに負担はかけられませんし」

「そうだね。昨日は昼間も私たちに付き合ってくれていたし、申し訳なくなってくるね」

 

 一昨日の私が魔法使いになってから今朝までで、締めて三十時間以上は活動していることになる。

 常人ならば倒れてもおかしくはない状態だ。

 だが、五年もの間続けていれば慣れてるとはいえ、見ていて痛ましいことはこの上ない。

 

「いまは寝かしといてあげて、私たちは緋真さんに頼まれている買い物を済まさないとね」

 

 家を出るとき、緋真さんは眠りにつく前に旅立ちに必要なものの買い出しを命じられていた。

 

「私たち、これからどうなってしまうのでしょうか。こんな生活……生きた心地がしませんよ」

 

 この先、どんな過酷な運命が待ちかえているのか想像もつくはずがない。

 いままでは、雑誌やニュースなどで魔法使いの情報は知ることはあったが、どれもアンチマジックによる、魔法使い殲滅に成功し、平和と秩序が保たれたニュースばかりだ。

 どう考えても、先行きは真っ暗だよ。

 

「心配することはないよ。生きていればいつかきっと、楽しいことができるはずだよ!」

「彩葉ちゃん……?」

 

 弱気になる茜ちゃんを元気づけるように、明るく言った。

 

「私の母さんと父さんがそうだったから。毎日楽しそうに生きて、一緒に笑いあって、どんな時も支え合ってきたんだから」

「それは、……そうですね。彩葉ちゃんの言う通りかもしれませんね」

「かも、じゃなくてそうなんだよ」

 

 きっぱりと断言する。

 雨宮家の家族三人は誰がどうみても、幸せな家庭のはずだ。きっと隣近所みんなが口をそろえて言ってくれる。

 子供一人に、仲の良い夫婦。昼間は学校へ行き、母は専業主婦。夫は家庭を支える大黒柱として活躍していた。話に描いたかのような順風満帆な生活を送っていた。

 魔法使いや人の関係もなく、一つの人間としての生活を享受していた。

 すべての魔法使いたちの理想そのものが、そこにはあったんだ。

 

「私たちもいつかなれるでしょうか。この騒動が終わったその先に、幸せな未来を築いていけるのでしょうか」

「なれるって! 母さんと父さんが出来たことが私たちに出来ないはずがないよ。そのためにも、いまはとりあえず生きておかないと」

「そうですね。纏くんや覇人くんともできれば今日中にでも会っておきたいですし」

 

 纏と覇人は私と茜ちゃんが中学時代に出会ってから、以来共に助け合ってきた友達だ。

 あのすべてを失った日の学校の帰り道以来、一度もあっていない。

 連絡の取れない現状では、無事なのかどうかさえも不明だ。

 せめて、旅立つ前にもう一度会って安否確認と別れの一言だけでも言っておかなければ気が済まなかった。

 

「私たちのことを知ったら、纏くんと覇人くんはどんな風におもうのでしょうか……」

 

 親しき仲の人物が魔法使いだと分かった時、自分たちを温かく迎え入れてくれるのか。それとも、手のひらを返したように避けられてしまうのか。

 再会したときの反応が恐ろしく感じる。

 不安が茜ちゃんの心を支配し、再会を拒もうとする。

 

「そんなに心配する必要ないと思うけどな。私たちの友情がそんな安っぽいものな訳ないじゃない。ちょっと怒られてまたいつもの関係に戻れるよ」

 

 私が力強く言ったおかげで、茜ちゃんの不安を消し飛ばしてやった。

 たとえどんなことがあってもこの四人で過ごした日々は、固い鎖で結ばれたかのように、決して簡単には引きちぎれない頑丈さがあると信じ切った想いが含まれていた。

 

「……はい! 一緒に怒られちゃいましょう」

 

 屈託のない笑みを浮かべて答える茜ちゃん。その表情にはさっきのような翳ったものはなく、吹っ切れた様子だ。

 

「それじゃあ、早く二人を見つけよう! しばらく離れ離れになるから、別れの挨拶ぐらいはしておかないとね」

 

 私たちは今晩ここを立ち、魔法使いたちが集う秘密犯罪組織――キャパシティへと向かう。

 行けば、しばらくは戻ってこれないだろう。

 だが、行かなければいけない。魔法使いとなった私たちがいま、安全に生きていけるところはそこしかないのだから。

 そして、父さんはそこへ向かうようにお膳立てをしていた。

 

「二人のことも大事ですけど、緋真さんの頼みの方も忘れてはダメですよ」

「分かってるよ。夜頑張ってもらった分、私たちは昼間に活動して、緋真さんの手助けになるようにしないとね」

 

 昨夜はひどい疲れがあって、いまごろはぐっすりと眠っていることだろう。

 緋真さんは私たちのそばに寄り添い、ずっと外からの来訪者に警戒を配っていた。

 いまだ、魔法使いになったばかりとはいえ、緋真さんに任せっきりとなっていたのだ。その結果、今朝は体調を崩し、旅立つその時まで休んでおくことになった。

 

「家をでて、すぐに愚痴をこぼしていたセリフとは思えないですね」

「いや……それはほら……看病して付いていてあげるべきかなぁって思っていたわけで……。それにあまりの寒さについ口をついて出てしまっただけでして……」

 

 狼狽しながらも言葉を紡ぐ。

 違うよ違うからね。

 誰だって寒いのは嫌に決まっている。それも朝だ。

 昼ごろまでは緋真さんの面倒をみて、そのあとは纏、覇人の捜索に行くべきだと思った。

 どっちみち、こんな朝早くではあまり人も集まっていないだろうし、情報源がなければ捜索のしようもないことは明らかだと思ったからだ。

 

「冗談ですよ。彩葉ちゃんが緋真さんのことを心配している気持ちは分かっていますから」

 

 試したような口ぶりで茜ちゃんは言った。

 

「私も緋真さんことは心配ですし、帰りに何か果物でも買って帰ってあげたほうが良さそうですね」

「だね。何がいいかなぁ」

 

 私は残っていたミルクティを飲み干し、バケツ状の網目の入ったゴミ箱に缶を投げ入れた。 



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22話

 閑散とした町並みから歩くこと二十分。

 立ち入り禁止のバリケードを抜け、さらに歩いていくと、人の気配漂う商店街までたどり着く。

 先日の火災により、崩壊した商店街に活気はなく、いまは修復作業の真っ只中だった。

 私と茜ちゃんは買い物をするべくここまで戻ってきたのだが、無論この状況では営業している店なんてなかった。

 

「みんな大変そうだね。……よし! 私たちもなにか手伝おうか」

 

 町の一員である以上、手伝いぐらいはしたい。

 それに、ここはよく通っていた場所でもあり、茜ちゃんの実家もある。

 

「いえ。今はやめておいた方がいいと思います」

「なんで? 茜ちゃんの家もあるんだよ」

 

 視線の先には、無惨に崩壊した楪生花店がある。

 以前には、色とりどりの花が咲き乱れ、見る者を引き付けてやまない魅力あふれる店だった。

 それがいまでは、枯れ果てて見る影もない。

 色彩のない灰色の商店街になってしまっていた。

 

「私だって手伝いたい気持ちはあるのですが、いまは私たちのやるべきことを優先するべきです」

「だけど……」

 

 やるべきこと――それは今日中に纏と覇人の安否確認と今夜旅立つための買い出し。家に戻れば、緋真さんと今夜の話し合いも兼ねている。

 時間はそう残されていない。

 茜ちゃんの言う通り、町の復興の手伝いに時間を割いている場合ではなかった。

 

「分かった。茜ちゃんの言う通りだね。まずはなにから片付けていこうか? 買い物? 纏と覇人探し?」

「そうですね。探そうにも手掛かりもないですし、買い物を先に済ませておきましょう」

 

 手荷物で邪魔になりそうだが、捜索を兼ねての買い物なら一石二鳥となると考えた。

 

「彩葉ちゃん。なにを買えばいいか覚えていますよね」

「バッチリよ。布多めでしょ。あとお昼ご飯」

 

 自分で言っておいてなんだが、なんて大ざっぱなお使いなんだろうと思う。

 

「はい。でも、一体どこに行けばいいんでしょうか。ここから離れたところになると……帰りが大変になりますし……困りましたね」

 

 もう少し先を行けば、被害にあっていない場所にでる。

 しかし、徒歩だとさらに二十分ほどかかってしまう。

 ほとほと困り果てていたところに、電柱に貼られた一枚の紙を見つけ、茜ちゃんを呼び止める。

 

「時計塔前でバザーがやっているみたいだよ。ほら! ここだったらそんなに遠くもないし行ってみようよ!」

 

 時計塔前までは徒歩五分。私の家のすぐ近くにある。

 茜ちゃんは促されるように一枚の紙に目を通す。

 

「バザーですか。確かにここならお目当ての物もあるかもしれないですね」

 

 隅から隅まで読み通し、一つ頷いたあと、私に向き直る。

 

「さすが彩葉ちゃん。よく見つけましたね。早速行ってみましょう!」

 

 

 時計塔前――いや旧時計塔前と言った方が正しいかもしれない。

 町のシンボルとして目立っていたそれは、無惨にも瓦礫の山と化していた。

 魔法使いとの戦闘中の最中、突如として崩れ去ったことは記憶に新しく、この近辺に住む人ならば、誰もがその目に刻んだ出来事だった。

 その旧時計塔では、事件の遺恨すら感じさせないほどに子供が無邪気に駆け回り、大人たちはそれに活気をもらっているように見えた。

 テントが張られ、商店街で経営していた商人がバザーを開いている姿も確認できた。

 思っていた以上に活気に満ちていたことに驚きもあったが、それ以上に目を引く驚愕のものが目に飛び込んできた。

 

「うわ!? なにあれ? あんなものがあったなんて……!?」

「びっくりです……。まさか地下に埋まっていたんでしょうか……?」

 

 私たちが目にしたのは、地中から生えた簡易住宅だった。

 よくみれば、遊具の位置も少しずれており、その跡には地下へと続く階段もあった。

 開いた口が閉じずに、そのまま公園の見る影もなくなった場所を眺める。

 

「あら。もしかして、ここに避難しに来た人かしら?」

 

 突っ立ていると、一人の女性が話しかけにきた。

 

「あ、えっと、はい。そうなんですけど、あの……これって?」

「驚いたかしら。なんでも、今から五百年前ぐらいの建物らしいのよ」

「五百年ですか?! どうしてそんなものがこんなところに埋まっていたのですか?」

「よくは分からないけど、昔魔法使いとの間で起きた戦争のときに建てられたものらしいわよ」

 

 鈍色を放つ建物の外見にはいくつもの傷跡が残っていた。ということは、その時についた傷なのだろう。

 そして地下には、人が住み着くような構造となっているらしい。

 そのおかげで現在は、魔法使いによって被害を被ったための避難所として機能できているようだ。

 

「カビ臭いところだけど、もし使いたければ自由に使っていいからね」

 

 女性はそれだけ言って、地下の階段へと歩いて行った。

 それを目で追いながら、朽ち果てることなく形を保ち続けた過去の建造物に目を通す。

 

「五百年前の遺物ですか……。途方もない話ですね」

「なんかロマン感じちゃうね。というよりこの町って何気に謎が多いよね。簡易住宅もそうだけど、時計塔も変に目立つ建物だったし。もしかして、時計塔も五百年前の物だったりするのかな?」

「どうなんでしょう。確かに最近建てられたようには見えませんから彩葉ちゃんの言うとおりかもしれませんよ」

 

 時計塔があったはずの虚空を見上げながら茜ちゃんが同意する。

 

「じゃあ、結構歴史的価値があったんだね。うわぁどうしよう。私普通に落書きとかしてたよ」

 

 時計塔の一面を使ってチョークで落書きをしたことがある。そして、そのあとに両親にひどく叱られたのを今でも覚えている。

 あの頃は遊び盛りの年だったし、しょうがないよね。

 

「そんなこともありましたね。あとは、時計塔の壁をよじ登ろうとしたこともありましたね」

「あったあったそんなことも。いやぁ、若い時の過ちは誰にだってあるものだね!」

 

 高さ十メートルを超す時計塔を無謀にも素手で挑んだ。当然、登れるわけもなく、早々に諦めて降りようとしたときに盛大に尻餅をついたこともあった。

 

「あのときはすごく心配しましたよ。もう、二度とあんなことはしないでくださいね」

 

 茜ちゃんに釘を刺されながらも昔の思い出に耽っていると、目当ての布を見つける。

 商店街で経営していた洋服店の素材のようだった。

 私たちは頼まれていた布を探し、購入する。

 多め、なんて曖昧な量に困惑しつつも適当に生地の薄い布を買っておく。

 文句は言わせない。第一使い道を知らされてないから、買い物のしようがないし。

 

「こんなもの買って何に使うつもりなのかな? 裁縫でもする趣味があるのかな」

「ふふ、似合いそうですね。だけど、こんな時に趣味を優先するとは思えませんけど……」

「だよねー。旅先で使うとしたら……タオル代わりに使うとか?」

「それでしたら初めからタオルを買いますよ」

「それもそうだよね。もしかして、頼むもの間違えていたりしないよね」

「不安になるようなことは言わないでください。大丈夫ですよ。私たちが旅なんて出たことがないだけで、きっとすごいサバイバル術に活用するんだと思います」

「そんなハードな旅になるんだ!?」

 

 あれこれ考えるも、とてもこれから必要になってくると到底思えない物に困惑が隠しきれない。

 一応買い物を済まし、あてもなくバザーをうろつく。

 右を見ても左を見てもほとんどが日用品ばかりが売られていた。

 

「なんかイメージしていたものと違うなぁ」

 

 バザーと聞いたときには、物珍しいものでもあるのかと思ったが、ただ商店街に売られていた商品があっただけだった。

 普段と変わらない陳列に飽きてきたころに、声がかかる。

 

「茜ちゃんじゃないか。それに彩葉ちゃんも。無事だったんだね」

 

 白いエプロンのよく似合う年配の男性がそこにいた。

 あれ? あの人見覚えが――

 茜ちゃんにはその人物がすぐに分かった。楪生花店のすぐ近くで八百屋を経営している店主だったからだ。

 ああ、あの人ね。思い出した。

「お隣のさんの……無事だったんですね。よかったです」

 

 やっとのことで知り合いに出会えたことで感激の意を表す。

 

「二人が生きていてくれてよかったよ。彩葉ちゃんの両親も無事なのか?」

「あ、えっと、その分からないです……」

 

 言葉を濁す。実際のところ、両親は死んでいる。だが、二人は魔法使いだ。たとえ、顔なじみの人であっても、うかつにしゃべるわけにもいかないだろう。

 

「そうかい。桜さんは残念だったが、せめて彩葉ちゃんの両親だけでも無事でいてくれたらいいんだが……」

「はい。私たちも彩葉ちゃんの両親を探しているところなんです」

 

 答えにくそうにしていた私に代わり、茜ちゃんが答えた。

 

「あと、纏くんと覇人くんも探しているんですけど、どこかで見ませんでしたか?」

「ああ、その二人なら昨日見掛けたぞ」

 

 ――!! 意外なところで目撃情報ゲット?!

 

「と言ってももうこの周辺にはいないとは思うがな」

「え? そうなの? どこに行ったか聞いてない?」

 

 急かすように尋ねる。

 

「纏なら親父さんと一緒だったな。そんで、覇人のやつは親戚の人と一緒だったぞ」

「そうなんだ。じゃあ二人は無事なんだね」

「ああ、そのはずだ」

 

 その話しを聞いて胸を撫で下ろす。

 会えなかったことには残念だが、生存が確認できただけでも十分な結果だ。

 ともかく、これで心残りは消えたことになる。

 

「それと、彩葉ちゃんの両親だが、慰霊碑に名前がなかったからまだ生きているはずだ。諦めなければきっと見つかるさ」

「慰霊碑? そんなものあったっけ?」

 

 長年この周辺で生活しているが、慰霊碑が置いてあるなんてことは初耳だ。

 茜ちゃんにも尋ねてみるが、首を横に振り、知らないですと答える。

 

「そりゃそうだろ。昨日の晩に出来たばっかりだからな。そこに、判明している犠牲者の名前が載っているんだ。桜さんの名前もあったから……茜ちゃんも一度行って挨拶してきたらどうだ」

「そう……ですね。行ってみます」

 

 そう言って、私たちは慰霊碑のある瓦礫の山になっている時計塔に行く。

 そこには犠牲者を弔う慰霊碑が建てられており、黒塗りの石碑の前に色鮮やかな花が供えられている。

 名前のない石碑。

 この町で終えた数々の物語達の主人公の名前が載る石碑。

 多すぎて何枚にも分けて張り付けられている上質な紙。

 これから刻まれる犠牲者《しゅじんこう》の一覧だ。

 結果などとうに分かっていることだが、自然と目で追ってしまう。

 すると、そこには楪桜の名前が書かれていた。茜ちゃんのお母さんだ。

 茜ちゃんは何度も何度もその文字を食い入るように眺める。私も同じようにして眺めた。

 茜ちゃんにとっては辛い現実。

 手を伸ばせば届く距離。だけども、決して届くことのない距離。

 茜ちゃんと桜さんの間には炎の障害が立ちふさがり、無力にも最期を見届けた。まるで茜ちゃんに与えられた拷問のようでもあった。

 

「どうして? まだ涙がでるんでしょうか?」

「茜ちゃん……」

 

 あの日に十分泣いたはずだった。それなのにまだ溢れる。その気持ちはよく分かる。

 辛いよね。悲しいよね。

 悲しみは心の奥にしまったはずなのに。鍵はゆるく、簡単に決壊してしまうものだよね。

 多分まだ、悲しみを乗り越えれていないということだろう。

 あの日を引きずっていては未来へは進めない。流すべきものはここで流してしまった方が楽だよ。

 

 ――だから、私は茜ちゃんを抱き寄せた。

 

 茜ちゃんは私に支えられながらむせび泣いた。

 

「悲しいときは泣いたらいいんだよ。我慢なんてしなくていいから」

 

 緋真さんが言ってくれたように、私も同じことをしよう。

 泣くだけ泣いたら楽になった。

 簡単なこと。

 私は茜ちゃんのすすり泣く声が聞く。  

 辛さが伝わってくる。

 私もまた泣きそうになる。それをこらえる。

 つられたら意味ないよ。受け止めてあげないと、いけないんだから。

 思えば、ここまで私と茜ちゃんはいつも一緒だった。

 分かち合ってあげられるのは私が一番だ。

 受け止めるのも私が一番だ。 

 崩れたいのは茜ちゃん。

 支えてあげるのは私。

 

 

 そうして――時間はゆるやかに過ぎ去った。

 

 

「……もう平気です」

 

 いまだ頬を滴り伝う涙を細い指で拭い、私に顔を向ける。

 

「それよりも彩葉ちゃんの両親の名前はどうだったんですか?」

「なかったよ」

 

 八百屋の店主の言った通り名前はなかった。それはつまり、死が確認されていないことを意味する。

 だが、私は知っている。忘れようもない。この手で抱きしめ、氷のような体温を肌で感じ取ったのだ。

 

「おそらく情報規制がかかっているんだと思います。このすぐ近くに魔法使いがいた、なんてことが知れたら大変なことになりますから」

「そうだよね。私だって知らなかったんだから」

 

 上手く隠してきたんだと思う。細心の注意を払って周りに溶け込んでいた。だから、誰も疑わなかった。

 八百屋の店主の反応がそれを証明する。母さんと父さんの生存を信じてくれている人がいる。だが、この世を去ったことは伝えることが出来ない。それがひどく悲しい。

 名前の載らない石碑。

 時と共に記憶は劣化されていく。その時には二人の存在はどうなっているのだろう。

 私はポケットから両親からの手紙を取り出し、石碑の前に埋める。

 

「彩葉ちゃん? どうしたの」

「母さんと父さんの名前だけがないなんて悲しいから。だから、この手紙が二人の証。それにこれがあったら母さんと父さんに甘えてしまいそうだから」

 

 あの日を越える為、未練も想いも弱さも涙もここに残していこう。

 

 ――次に私たちが再会した時には、立派で元気に育っていることを願います。

 

 そうだ。必ず戻ってくるんだ。ここが始まりで終わりの場所。

 私たちが帰ってくる場所はここだ。残した物を受け取りに、胸を張ってただいまって言えるように。二人に心配されないような立派な姿になって帰ってくる。

 私は手についた土を払い、腰を上げる。

 心地いいそよ風が髪をさらい、陽が差し込む。

 眩しいとは思わなかった。道が照らされているんだと思った。

 勢いのある風が吹いて、まるで背中を押してくれるような感じがした。

 



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23話

 要件を済まし、私たちは家路を辿っていた。

 公園ではお昼の配膳をしており、避難民たちや商店街で作業をしていた者が集まり、人口密度が増していた。

 そこで三人分の昼飯をもらってこようかと思ったが、そもそもこの状況を招いたのに私たちが関係しているのだから、昼食をもらうのは気が引けて、朝寄ったコンビニで買い物をしていくことに決めた。

 

「よかったね! 商店街の人たちが無事で」

「はい! 纏くんと覇人くんの無事も確認できましたし、お母さんとのお別れも済ませたので、これで思い残すことはありませんね」

 

 永遠の別れと祈りを捧げ、肩の荷が下りたことで気分は晴れていた。

 

「だね! それじゃあ、早く緋真さんのところに戻ってお昼を食べよう。きっとお腹空かして待っている――よ!?」

 

 意気揚々と前を先導する。

 しかし、角を曲がったところで、衝撃が体に襲う。

 

「いったぁ――!? ご、ごめん。だいじょうぶ?」

 

 衝撃の正体は少女との衝突だった。

 尻餅をつき、うなだれている少女に私はあわてて手を差し伸べ、立たせた。

 身長は私よりも小さくて、中学生ぐらいに見える。

 腰下辺りまである黒いマントを背負い、水色の髪が映える容貌をした少女だ。

 

「ありがとう、お姉ちゃん。月が前を向いてなかったせいでぶつかちゃった」

 

 少女は深々とお辞儀をして、礼と謝罪を述べた。

 

「二人ともけがはしていませんか?」

「平気だよ」

「月も大丈夫だよ」

 

 月――と名乗った少女は、ほこりでも払うかのように服をはたきながら答えた。

 

「よかったです。でも、痛いところがあったらちゃんと言ってくださいね」

「お尻がいたいです」

 

 みたところ、外傷はなかったが、尻をさすっていた。

 おそらく、尻もちをついたときの衝撃の痛みだろう。

 不可抗力といってもやはり私の方が悪いような気がした。

 ここは、何とかしてあげないと。

 

「よし! 私がさすってあげよう」

「お姉ちゃん。セクハラいやだよぉ」

 

 気合十分に少女へと近づき、少女は一歩後ずさる。

 

「もう一人のお姉ちゃん助けてー」

「気持ちは分かりますけど、怖がっていますよ、彩葉ちゃん」

「えー」

 

 これ以上やって嫌われるわけにもいかないので手を戻す。

 

「月、セクハラって初めてされちゃった」

 

 段々と痛みが引いてきて、平然とした状態で言った。

 

「何事も経験だよ!」

「犯罪はダメですよ彩葉ちゃん。それよりもあなたの名前は月、ちゃんでいいのかな?」

「うん。――月は、水蓮月《すいれんつき》っていうんだ。この先にある公園に用事があってきたの」

「月ちゃんって言うんだね。なんだか神秘的な響きがしてカッコいいね」

 

 月ちゃんはたったいま、私たちが出てきた公園の方をみて言った。

 

「もしかして、避難にきた人ですか? だったらいまお昼を配っているところでしたので、早くいけばもらえるかもしれませんよ」

「ほんとう!? お腹すいていたからよかった! なにがもらえるのかな? やっぱり温かいものかなぁ?」

 

 メニューはなんなのか、想像しながら期待を膨らましている月ちゃん。

 元々もらう気がなかったので、何が配られていたのかなんて知らないけど、温かそうな熱気があったので汁物だ。

 月ちゃんのお腹は限界なのか先ほどから空腹を訴えている。

 

「こんな年端もいかない少女が飢えに困っているのですし、私たちはもらってこなくて正解だったかもしれないですね」

 

 私も思う。

 だけど、あの人ごみだ。

 明らかに私たちよりも年下の少女が一人で行って、無事にもらえるか不安になってくる。

 ん? ひとり?

 

「そういえば、月ちゃんって一人で来たの?」

「ちがうよ。一応、保護者? みたいな人も一緒にいるんだけど……」

 

 そのとき、後方から男性の声が上がった。

 

「悪いな。俺のお供が迷惑をかけたみたいだな」

 

 長身の男で歳の頃は二十代ぐらい。黒いコートに青紫の長髪をした人物が月ちゃんの背後から現れた。

 物騒な雰囲気をしていて、月ちゃんとは正反対のようにみえる。多分、月ちゃんが言っていた保護者? のような人とはこの人物のことだろう。

 男は謝罪をしたが、あまり覇気と誠意が伝わらない。面倒事ができたな、ぐらいとしか捉えていないような感じだ。

 

「ちがいますー。殊羅《しゅら》のお供ではなくて、月が殊羅のお供をしているの」

「どっちでもいいだろう……そんなもの」

「いくない。殊羅は見張ってないとすぐにサボるんだもん。だから月がわざわざ傍についていてってお願いされたちゃったんだよ」

「分かったよ。俺が悪かった」

 

 子供らしく、キャーキャー騒ぎ立てる月ちゃんの相手に面倒くさく感じたのか、適当な言葉で殊羅と呼ばれた男は答えた。それに対し、月ちゃんは邪険に扱われたと思ったのか、キッとにらみ上げている。

 身長差が十センチはあるので、自然と見上げるような形になっていて。その必死さがなんだか可愛い……。

 

「えーっと、仲のいい兄妹だね」

「兄妹じゃないもん」

 

 言っておいてなんだが、覇気のない男と年相応な明るさを持つ少女。顔もまったくといっていいほど似ていない。

 もちろん、兄妹とは思ってはいないけど、二人のやり取りがあまりにも自然すぎて、打ち解けあっているような感じがしたからのこと。

 

「これが仕事じゃなかったら、殊羅とコンビなんて組んでなかったんだよ」

「仕事……ですか? 私たちよりも年下に見えますけど、何をしているんですか?」

「んっとね。月はアンチマジックの戦闘員をしているんだよ」

 

 そういって身分証明にもなる、左胸に嵌められているバッジを見せつける月ちゃん。

 銀色でmagic exterminationの文字が彫られた円形の物で橙色をしている。

 それを確認した瞬間――鼓動が跳ね上がる!!

 

(まさか、もう嗅ぎ付けてきたのですか。いえ、あれから二晩も経っているのだから、魔法使いの正体について見当をつけていてもおかしくはないのかもしれませんね)

 

 私の耳の側で茜ちゃんはいやな予感を言って、月ちゃんの背後にいる殊羅の方にも目を向ける。

 案の定、殊羅にもバッジは付いていた。ただ、月ちゃんの橙色とちがって赤色をしていた。

 おそらく身分の差の違いだろう。どちらが上なのかは分からないが、橙色には見覚えがあった。

 天童守人――あのA級戦闘員が身に着けていた色と同じだ。

 

「ま、そういうことだ。俺たちは怪しいやつってわけじゃねぇ。二日前に現れた魔法使いを探してるんだが、見掛けてたら教えてくれると楽できるんだがな」

 

 来た!! もしかしたら聞かれるのかもしれないとあらかじめ身構えていてよかった。

 動揺することなく、平静を保って答える。

 

「魔法使いってどんな姿をした人なんですか?」

 

 完璧な受け答えだ。これで魔法使いの容貌が分かり、なおかつ自然な問いだ。

 私、天才。

 

「一人はブロンズの髪をした女の人で、もう一人はお姉ちゃんと同じぐらいの身長をした魔法使い。お姉ちゃんたちは何か知らないの?」

 

 そういって月ちゃんは私を指で差して答える。

 ばれている――そう思ったが、平常心を乱さない。

 それに――二人だ。

 つまり、茜ちゃんのことはまだ見つかっていないということだ。

 茜ちゃんは私よりも頭の回転が速いから、すぐに気づいているだろう。

 

「うーん。見覚えがない……かな」

「私も知らないです。ごめんなさい。お役に立てなくて……」

 

 最大限の演技で、心底悔やむように答える私と茜ちゃん。

 

「そっかあ知らないのかぁ。じゃあ仕方ないね。あ、でもでも! もし、ブロンズ色の髪をした人を見かけたらすぐに連絡をして。あの人は危険だから」

「どういうこと?」

 

 危険――その言葉を言った部分には危険以上の感情が込められていた。

 

「あの魔法使いはたくさんの人の命を奪い、傷跡を残した。絶対に許せないの!」

 

 最後の言葉には強い意志が感じられた。

 たしかに、先ほどそれらを見てきたところだ。

 だが、私たちは知っている。

 ブロンズ色の髪――緋真が悪い魔法使いではないことを。

 

「もし、その魔法使いを見つけたらどうするのですか?」

「成敗するに決まっている。あの被害でたくさんの人が悲しんでいるんだもん。誰だって自分の居場所が壊されるのはいやに決まっているんだから。もう一回あんなことが起きないようにするための戦闘員《わたしたち》だから」

 

 そういう月ちゃんの瞳には哀しみが込められていた。

 それがひどく歪に感じられた。

 戦闘員は魔法使いを殲滅する部隊のはずだ。

 魔法使いとは人類の敵。人々に危害を加え、危険を晒す存在。強烈な負の感情が溢れ、魔性に魅入られた存在。

 

 

 ――それが魔法使いだ。

 

 

 だが、月ちゃんには魔法使いを殲滅することに躊躇いのような感情が含まれているように感じる。

 だからこそ聞いてみたくなった。

 

「月ちゃんは魔法使いが憎いの?」

「嫌いじゃないよ。けど、あの魔法使いは人を傷つけた。だから、月が力のない人たちに変わって戦うの」

「だったら、どうしてそんなに悲しそうな顔をしているのですか? 本当は戦いなんてしたくはないのですよね」

 

 月ちゃんの表情は変わらない。

 そして、心の内に秘めている気持ちを吐露するように、

 

「うん。魔法使いでも人でも誰かが死ぬ姿なんてみたくない」

 

 どうにもやりきれない様子で答える月ちゃん。

 それは至極当然の回答。だが、戦闘員としてそれは正しいことなのかな。

 人の死は見たくない。そして、魔法使いの死にも悲しむ。それは魔法使いを殲滅するという戦闘員の行動方針として矛盾している考えなんじゃないの?

 

「アンチマジックにいる以上は大抵の連中が闇を抱えているもんだと思うぜ」

 

 ズボンのポケットに手を突っ込んだ状態で殊羅が口を挟む。

 

「それって……どういうこと? 月ちゃんも昔、魔法使いと何かあったってこと?」

 

 月ちゃんは何も言わず、口を濁す。

 

「……お嬢ちゃん。……それ以上は止めときな」

 

 鋭くどすの利いた声。まるでこれ以上は踏み込むなと言いたげだ。

 

「ごめん。余計なことを聞いてしまったみたいだね」

 

 詮索はしない方がいいだろう。

 誰にだって一つや二つの胸にしまっておきたい思い出があるものだし。それを掘り返すことは辛いことだ。

 

「……で、話しを戻すが、魔法使いのことについては何も知らねぇんだな」

「ううん。知らないよ」

 

 首を振って答えた。

 茜ちゃんも「ごめんなさい……」と謝辞を入れて否定。

 

「……仕方ねぇな。他を当たるか」

「うん。あ! その前にねぇ、殊羅。月、お腹すいた」

「へぇ、いいタイミングだな。俺も眠くなってきたところだ」

 

 そういって欠伸を漏らす殊羅。

 

「昼寝がてら飯食いに帰るか」

 

 踵を返し、来た道を引き返そうとする。

 咄嗟に月ちゃんは殊羅の袖を握り、引き止める。

 

「だめー! まだお仕事終わってないでしょ! 殊羅はそうやってすぐにサボろうとするんだから。それに昼前まで寝てたのにまだ寝足りないの?」

「お前が耳元で騒いで無理やり起こしたんだろうが」

「だってああいう起こし方したらすぐ起きるって教えてもらったから」

「最悪の目覚めになったがな。というか、誰に聞いた」

「守人」

「あのオッサン……」

 

 吐き捨てるかのように舌打ちを零す殊羅。

 殊羅の眠そうな姿を見ていると、つい自分と重ねて同情の気持ちが湧き上がる。

 しかし、こうして二人を見ていると戦闘員なのか疑わしくなってくる。

 少なくともこの前に会った天童守人と御影蘭のようなピリピリとした感情は伝わってこなかった。

 

「お昼前まで睡眠をとるなんて彩葉ちゃんみたいな人ですね」

「いやいや、いくら私でもそんなに寝れないってば。遅くても十時ぐらいには起きるように体が覚えているんだよ」

「誇らしげに言っても意味ないですよ」

 

 胸を張って堂々と答えた。

 どれだけ遅い時間に寝ようとも自然と決まった時間に起きてしまう。アラームすら必要がないほどに。それが特技でもあった。

 体が覚えているんだよね。最適なタイミングってやつをね。

 だが、学生が十時に起きるからといってそれがまったく役に立たないことは明白でもあるので、自慢できるようなことでもなかった。

 殊羅はいまだ、やる気のなさそうにしていたが、月ちゃんの懸命な引き止めに諦めがつき始めて月ちゃんの言われるがままになっていた。

 

「目的地の公園も目の前にあるんだから、早く行こ! ご飯も食べれるから急がなくちゃ!」

「めんどくせぇな」

 

 殊羅の袖を引っ張りながら公園に向けて足を動かす月ちゃん。それに釣られるように殊羅も足を動かす。

 私たちとすれ違う間際、月ちゃんは眩しい太陽のような笑顔を浴びせてきた。

 

「バイバイ! お姉ちゃんたち。まだこの辺にいるならどこかで会えそうだね」

 

 月ちゃんと殊羅が時計塔のある公園へと溶け込んでいく。

 それを目視で確認し、この場には私と茜ちゃんだけが取り残される。

 

「月ちゃんかぁ……すごい人懐こい子だったね」

「そうですね。彩葉ちゃんなんて好かれてそうでしたよ」

「人徳ってやつかな」

「うらやましいです」

 

 ただの買い物と人探しで家を出てきたつもりが、思わぬ情報が手に入った。それも最悪な部類のものだ。

 近くに戦闘員がいると分かり、緋真さんの容姿も割れている以上、今後の行動を改める必要がある。

 もしかしたら、まだ近くに別の戦闘員がいる可能性も考慮しながら家路を辿る。

 

 ――気づいたのはその時だった……

 

 前を行く茜ちゃんの後を血の紋が追いかけていた。

 

「茜ちゃん……その腕……!」

「どうかしましたか?」

「その怪我……どうしたの?」

「怪我……? ですか? 私がいつ――っ!!」

 

 私が示した左の甲に視線を移して、茜ちゃんは戦慄する――!

 そこには刃類で切り裂かれた跡があり、流血が滴り落ちて薔薇の花弁に似た紋が大地を色づけていた。

 

「いつの間に……痛みも感じませんでした」

「多分月ちゃんたちと別れた後だと思うよ。私の記憶が間違ってなかったら公園をでた時には何もなかったはず……」

 

 血はまだ乾いていない。それどころか今なお流れ続けている。

 ついさっきついた傷であることは疑いようがない。

 お互いに顔を見合わせ、先ほどのやり取りを思い出す。おそらくは最後のすれ違った一瞬――最も距離が近づいたその時だと思う。

 

「月ちゃんはA級だよね。……といことは、月ちゃんが……」

「いいえ。あの時、私の側を通ったのは男の人でしたから、月ちゃんではないはず。それに、月ちゃんの反応からして理由もなく人を傷つけるとは思えません」

 

 月ちゃんの目的は緋真さんだろう。それ以外の魔法使いには害を加えるように見えなかった。茜ちゃんの言う通り、殊羅と言われていた男だということは明白だ。

 だが、私たちにとっては茜ちゃんは一般人という認識になっている。にもかかわらず、危害を加えてきた。

 アンチマジックの方針は魔法使いの殲滅であって、一般人を傷つけることはない。むしろ、守るべき保護対象ですらある。

 その一般人である茜ちゃんに刃物で切り付ける真意は分からないが、嫌な予感だけはした。

 茜ちゃんはもう一度、月ちゃんたちが入った公園に目を配る。

 

「戻ってくる気配はなさそうですね」

「これで戻ってきたらどんな顔をすればいいのか分からないよ。それに茜ちゃんの怪我の方も心配だよ」

 

 血は止まっていたが、このままにしておくわけにはいかない。

 茜ちゃんは布を千切り、応急処置代わりに傷口に巻く。普段花で手を切ることもあって、このぐらいは慣れた手つきで進めた。

 

「これでとりあえずは大丈夫です。あとは緋真さんに診てもらったほうがいいですね」

「それがいいよ。よしっ、それじゃあ早めに帰ろう」

 



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24話

玄関に入り、靴を脱ぎ棄てる。

 足音を嗅ぎ付けたのか緋真さんがすぐに出迎えてくれた。

 だが、茜ちゃんの手に巻かれている布を確認するなり、客間へと移動し棚から救急箱を取り出す。

 他人の家にずかずかと入り込んだり、リフォームと称して家具を移動させたり大胆な行動が目立つ緋真さんだが、意外にも丁寧に布を解いていく。 

 ホッと胸を撫で下ろす緋真さん。

 簡易的な処置を施すぐらいだから大きなけがとも思ったが、それほど深い切り傷ではなかったみたい。

 それでもナイフのような物で切られたぐらいだから、生々しさが見て取れる、

 

「よかったわ。このぐらいの傷なら直ぐに完治するわよ。――とりあえず、簡単な治療だけはしとくわね」

 

 水で傷周りについた血を洗い出し、救急箱から絆創膏を取り出し貼り付ける。その上にガーゼで覆い、包帯で固定していく。その手際さといったら相当慣れていることが分かる。

 簡単な治療と言っていたわりには、かなり手厚くするようだ。

 

「私だったら適当に絆創膏だけ貼って、ハイ、お終いってな具合で済ますのだけど、それじゃダメなの?」

「彩葉ちゃんも女の子なんだから、けがの治療はしっかりしておかないとダメよ。二人とも可愛いんだから跡が残ったりしたら可愛さ半減よ」

 

 確かにそれは嫌だ。元々けがなんてあまりしないからこういう時に手本を見て勉強しておくべきかな。

 その時――ふと思った。

 私たちは魔法使い。だったら魔法で治すことだって出来るんじゃないかと――

 

「怪我を治す魔法ってないの?」

「ないと思うわ。魔法っていうのはね、魔力――つまり負が力の源になっているの。分かるかしら?」

「なんとなく?」

 

 善行で大半を占めている心が悪行で上回った場合、強烈な負が生まれて魔力が生成される。その先に待っているのは魔法使いという人であって人ではない存在。

 私の場合だと母さんの死を目撃して負の感情が爆発し、深い悲しみの渦に飲み込まれて戻れなくなった。

 そこには悲しさの他にも、肉親が殺された怒りや復讐心もあったと思う。

 それが私の魔力を生成するきっかけとなった。

 

「魔法には破壊する力があっても、癒す力なんてないのよ。――それは、負の感情から生まれてくるものだからね。そんなものは治療の役に立たないもの」

 

 納得。

 確かにそれでは無理だ。

 説得力のある話に私は押し黙る。

 やがて絆創膏を貼り終え、緋真さんが包帯を取り出し、茜の手に巻いていく段階になる。

 

「痛かったら言ってね。我慢はよくないからね」

「はい」

 

 一言断りを入れて丁寧に巻いていく。 

 手際よく進めていく姿はまるで医者のようだ。民間療法の専門医《スペシャリスト》といってもおかしくはない。闇医者ぐらい名乗ってもいけるかもしれない。

 闇医者緋真。わりとしっくりくる二つ名ではないかと。

 

「茜ちゃんもそうだったけど、緋真さんも手馴れているよね。もしかして、これって乙女の必須スキル?」

「そんなことはないわよ。出来ないなら出来ないで問題ないことよ。でも、女子力は高いとみられるかもね」

 

 なるほど。女子力……ね。日ごろから創作料理だの寝起きが悪かったりと私には無縁な言葉だなと思う。

 

「なに? 看護の仕方でも覚えたいの? 彩葉ちゃんって尽くすタイプ?」

「うーん。どちらかと言うと尽くされるタイプかな。ほら、私って馬鹿で適当な性格してるからさ。いや――馬鹿は余計だったかな」

「彩葉ちゃん。それって自分を苦しめているわよ。でもいいわ。お姉ちゃんが付いているからこれから頑張っていきましょ」

「なんか励まされたんだけど。まあいいや」

 

 実際頭を使って考えたところでなにか答えが出るわけじゃない。せっかくなので甘えておこう。

 

「彩葉ちゃんにもいいところはありますよ。人を引き付ける魅力があるところは羨ましいです」

「フォローしてくれてるの? さすが付き合いの長い茜ちゃんは私のことがよく分かっているみたいだね」

「いいわね二人とも仲がよくて。私からしたら二人の関係の方が羨ましいわ」

「そういう緋真さんは何でも出来てスキがないよね。茜ちゃんも気遣いも出来て。そっちのほうが羨ましいよ」

 

 三者三様に称賛しあっていく。

 私には無いものがあって。私にはあるものが二人にはない。魔法使い一人一人にはみんな違っていていいところはたくさんあるんだ。

 

「お互いにない物ねだりですね」

「ふふ。そうね。

 ――はい! 完成。手、動かしにくいところはないかしら?」

 

 最後にテープでしっかりと張り付け、治療は終了。

 為すがままにされていた茜ちゃんは言われた通りに手を握ったり開いたりと動作確認。

 実に滑らかな動きで動かしにくさを感じさせてくれない。

 やっぱり闇医者ぐらいやっても平気かも。

 

「問題ありません。――すごいですね。あっという間に出来ちゃいました。ありがとうございます!」

「礼なんていいわよ。大事な妹のことだからこのぐらいは当然のことなんだし。――それはそうと、」

 

 治療が終わって息つく暇もなく、ニコニコした表情から一変して真面目な顔つきになる。

 

「外に出て、こんな怪我して帰ってくるなんて何があったのかしら? 切り傷なんて、まさか誰かに襲われたりしたの?」

 

 襲われた――そんなことを言われても心当たりなんて一つしかない。

 

「帰り道で二人組の戦闘員と会ったときだと思う。気づいたのが別れたあとだったから……多分その時かな」

 

 二人が刃物のような物を持っていたようには見えなかった。

 いまいち確信はないけど、それしか考えられなかった。

 

「戦闘員と会ったのね!? ということは、その二人でまず間違いないわね」

「ごめんなさい。バッジをみて、戦闘員だと気が付いていたのですけど、油断してしまって……」

「謝らなくていいのよ。二人が無事だっただけでお姉ちゃんは安心したわ」

 

 ホッと安堵の息を漏らす緋真さん。

 

「私たちを探しているみたいだったよ。特に緋真さんは危険視されていたよ」

「そう……。まあ、それはいいわ。私たち魔法使いが危険視されるのは慣れていることだから。いまはそれ以外のことに注意しなければいけないわね」

「というと?」

「茜ちゃんが戦闘員に傷をつけられたことよ。知っていると思うけど、戦闘員は魔法使いを狩ることを第一に動く人たちなのよ。話しを聞けば、探していたのは私と彩葉ちゃんだけだったのでしょう。――つまり、茜ちゃんは魔法使いだとばれていないことになる。

 ――多分、確かめたかったのでしょう」

「確かめるってどういうことですか? もしかして、私のこの怪我と関係があるのですか?」

 

 茜ちゃんはそっと包帯を巻いた手を撫でた。

 

「そうよ。魔法使いと人間の違いなんて魔力があるかないかしかないのよ。それを手っ取り早く見分ける方法が、血を流すことよ」

「血? それだけ? みた感じは赤い血が流れていたけど」

 

 人間が流すソレと同じ真っ赤な血液が茜ちゃんの手から流れていた。

 おかしなところは何もなかったはず。

 

「順序良く説明していくとね。魔法使いの魔力の根源は心の奥深くに宿る感情という名の不可視の器官。

 ――全ての贈り物で満ちた世界(パンドラワールド)――と呼ばれているところがあるの。

 全ての魔法使いが必ず訪れる世界。彩葉ちゃんたちも見たはずよ。黒く染まった世界に潜むもう一人の自分と」

「うん。見たよ。夢のなかと二回。私そっくりだった」

「二回、ですか? 私は一回です」

 

 漆黒の世界で色付きの私と色なしの私。

 様々な嫌な感情が私を汚染していった。

 

 ――流れ込み。

 ――溶け込み。

 ――浸透していく。

 

 二度は体験したくない感覚だった。

 

「夢? おかしいわね。魔法使いになる寸前の一回だけのはずよ」

「で、でも魔法使いになる前。えーっと、三日前になるのかな? 朝、夢で見たよ」

「――どういうことかしら。あの世界に行けるということは魔力が生成されて魔法使いになったということのはず。そんな話きいたことがないわ」

「そうなんだ」

 

 では、あれはいったい何だったんだろう。寝ぼけていただけだったのかな。

 緋真さんは難しい顔をして唸っている。相当おかしなことだったんだ。

 

「考えても仕方がないわ。この際、そのことは置いておいて話しを進めるわ。あなたたちがみたアレの正体は負の感情よ。それが魔力へと変換し、災いや人智を超えた力――魔法となるの」

 

 

 ありとあらゆる感情で満たされて、気持ちに呼応して違った想い(かお)をみせてくれる感情の世界。

 輝きに包まれし宝石。満ち満ちて溢れ、零れる幾重もの魅力。同じものにして決して同じにはならない異なった世界体系。

 

 ――――それは。

 

 夢幻にして無限に広がる表現の箱庭に眠る、魂震わせる極大の贈り物。

 ゆえに、――全ての贈り物で満ちた世界(パンドラワールド)――

 自己の表現に留まらぬ感情は、他者に贈る自分の気持ち。

 

 

 ――あるいは安心 ――あるいは感謝 ――あるいは期待 ――あるいは勇気 ――あるいは愛しさ ――あるいは嬉しさ ――あるいは苦しみ ――あるいは恐怖 ――あるいは怨み ――あるいは憎悪 ――あるいは絶望 ――あるいは殺意 ――あるいは

 

 

 そして、零れだした負の想いは際限なく。無限に近い底知れないエネルギー。

 

 

 ――力は魔法となる。

 

 

「分かったような分からないような……」

「彩葉ちゃんは難しいお話しは苦手ですもんね」

 

 そもそも昨日今日でいろいろなことが起こり過ぎていて、おかげで私の頭はパンク寸前だ。

 私と違って茜ちゃんは学力が高い分、ここまでついてこれていることに素直にすごいなあと称賛してしまう。

 

「うーん……そうね。分かりやすく言えば、後ろめたい気持ちが具現化したと思っていいわよ」

「隠し事とか、嘘を吐いたとか?」

 

 そんなことならいくらでも思いつく。

 特に嘘なんて子供の頃に叱られたくなくて沢山ついた。

 その大半がつまらないことだった。いまではなんであんな面白おかしい嘘がつけたんだろうと自分の嘘に自画自賛できそう。

 

「それもあるわね。だけど、それだけじゃ足りないわ、もっと強い負の力が必要になるの」

「具体的にはどういうことですか? 私にもそんな力があった、ということなんですか?」

「強いといっても人によるわね。そうね――

 

 人間は過剰な筋肉の力を抑えるために心理的なリミッターがかかっているのは知っているかしら」

 

「火事場の馬鹿力ってやつのこと?」

「あら、彩葉ちゃんにしてはよく分かったわね」

 

 答えたことが意外だったのか緋真さんは感嘆の声を漏らす。

 まったく心外だ。私はただのおバカとみられていたらしい。けど、これで一本とれたなと思う。

 

「そんなに怒らないでよ。――で、その力が出る条件なんて人それぞれでしょ。魔力も原理は同じよ。人間に元々備わっている心理機能。何らかの要因がきっかけで蓋が開いた状態になっているのが魔法使い」

「それじゃあ――あの時、私たちのなかを通っていったモノって、」

 

 ここでようやく本来の話題に入れる流れになって緋真dsんは表情に真剣なものになっている。

 

「さすが茜ちゃんはお利口さんだわ。やっぱり気づいたちゃったのね――そう、その力こそが魔力。それは血管を通り、血液に混じって体中を循環していっているのよ。普段は皮膚という防護壁に包まれているのだけど、そこを破ると血。つまり魔力が流れるの。あとは、魔力検知器にかけるだけで一発よ」

「そんな……ではあの時にはすでに私が魔法使いだと分かっていた、ということだったんですか」

「さすがに昨日の今日で彩葉ちゃんと一緒に行動していたら怪しまれてしまうのも無理はないかも知れないわね。これは完全に私のミスだわ。ごめんね」

「緋真さんが悪いわけじゃないです。それに先に言われていたとしても、彩葉ちゃんと別行動なんて出来ませんっ! たとえ、怪しまれたとしても私は彩葉ちゃんと一緒にいます」

「やさしいのね。茜ちゃんは」

 

 茜ちゃんが嬉しいことを言ってくれている。 

 だけど、なぜだろう? その話しを聞いたとき私は別の違和感を感じた。

 記憶の片隅に残る一つの思い出が再生されていく。

 

 ”母さん、その――――――どうしたの?”

 ”ん、ああこれのこと? 今日、鍋の準備をしているときにね”

 ”準備って……カニ? カニにやられたの?”

 ”ざ~んねん。正解は―――――――――――――――”

 

「どうしたのですか? 彩葉ちゃん?」

「あら? ボーっとしちゃって。気分でも悪くなったのかしら?」

 

 私が黙り込んでいたら心配したのか二人が気遣ってくれた。

 だけども私の意識は記憶の洪水に飲み込まれていて、ぼんやりと聞き流す。

 

 ”母さん、その指の怪我どうしたの?”

 ”ん、ああこれのこと? 今日、鍋の準備をしているときにね”

 ”準備って……カニ? カニにやられたの?”

 ”ざ~んねん。正解は包丁でスパッときれたのでした~”

 

 そうだ。思い出した。

 あの日、母さんの指にも傷があった。

 血の染み込んだ絆創膏。包丁による切り傷。

 血液には魔力が混じっている。確かにそう聞いた。

 そして――母さんは魔法使いだ。

 不吉な予感が全神経に奔る。

 

「ねえ、緋真さん。母さんが魔法使いだと見つかった日に指を包丁で切ったんだけど、もしかしてそれが原因で見つかったのかな」

「そうなの!? 奏さんがそんな失態をするなんて、予想もしていなかったわ。けど、そこを切ったとしてもあまり血が流れないとは思うのだけど……」

「どれだけ流れていたのか知らないけど、絆創膏は貼ってたよ」

「……。そんな微量な魔力で発見されるなんて聞いたことはないけど……もしかして私の知らない秘密がまだあるのかしら」

「緋真さん?」

 

 ブツブツと何か呪詛めいて呟き始める緋真さんを呼び戻す。すると、何事もなかったかのように元通りになる。

 

「そうね。魔力検知器に反応したということは間違いなさそうだわ」

「やっぱり……そうなんだ」

 

 思い返してみれば、母さんはどことなく指の動きがぎこちなかった。多少は痛そうにしながらも動けていたから私は安心したんだっけ。

 きっかけは些細なことだったんだ。

 ちょっとした不注意が私たちの暮らしを反転させた。

 常に自分の体に気にかけながら、一瞬の油断も出来ない。

 生きていることを確かめられないほどに。

 なんて息苦しい世界で母さんたちは生きてきたんだろう。

 

「あまり気を張りすぎても生きにくいだけよ。もっと気楽にしていたらいいわ。奏さんだって気楽に生きていたでしょう」

「それは――そうだけど」

「だけど、日常生活だけよ。戦闘員と会ったときは今日みたいに上手く切り抜けなさい。その点は茜ちゃんがいれば問題なさそうね」

「えーー。なに、私ってそんなに心配なの」

 

 何気にショック。

 

「普段の生活には気にしていないのだけど、彩葉ちゃんには緊張感があまりなさそうなのよね」

「あはは……けど、彩葉ちゃんは人と話すことに慣れていますから、杞憂に終わりますよ」

「だといいのだけれど――そういえば、その戦闘員ってどんな人たちだったか覚えているかしら。見た目でも雰囲気でもなんでもいいわ」

 

 それならすぐに思い出せる。

 インパクトの強い二人組だっただけに。

 特に女の子のほうはわたし好み。

 

「女の子と男の人だったよ。黒いマントみたいなのを羽織って水色の髪をしていて、身長はこのぐらいかな。あと、私と仲がいいの。まあ、スキンシップしようとしたら距離を取られたんだけど」

 

 私は首元より下ぐらいの位置に手を合わし、具体的な容姿を表現してみせる。

 

「随分と打ち解けているみたいじゃない」

「可愛かったから」

「確かに可愛らしい子でしたね。無邪気というか、人懐っこい子でしたね」

 

 正直言って男の人が羨ましいぐらいだった。

 ああ、出来れば立場が逆になればいいのになと思う。

 

「女の子の方は分かったわ。男はどうだったのかしら」

「なんか眠そうな人」

「……ちょっと、分からないわね」

 

 そんなことを言われても、それが一番印象が強かったんだから仕方がない。

 他に何かあったかなと思えば、私とおなじで朝が弱いぐらいしか出てこない。

 あとは、っと特徴らしいものを模索していると茜ちゃんが変わって説明してくれた。

 

「物騒な雰囲気をしていました。覇気のない裏側に底知れない何かを秘めているような。さっき言いました月ちゃんとは正反対の印象です」

 

 茜ちゃんは包帯の巻かれた手に手を重ねて、あの出来事を思い出しているように見える。

 痛みすら感じさせないほどに切り付けられた一瞬のことだったんだと思う。

 隣にいた私にもその瞬間のことは見えていなかった。

 自然な動作ですれ違っていってしまった男はそこが印象に残る場面だったのかも知れない。

 

「うーん。記憶にないわねぇ。――ん? 茜ちゃんいま、月ちゃんって言ったかしら。それって水蓮月って名前じゃないかしら」

「はい。女の子はそう名乗っていました。男の人は殊羅って呼ばれていましたけど、もしかして心当たりがあるのですか?」

 

 そういわれて緋真さんの顔色が段々と険しいものになっていった。

 それほどに危険な二人なのだろうか。

 確かに私と茜ちゃんは月がA級だというところを確認したけど、A級というのがどういうものなのかいまいち分かっていない。

 

「月に殊羅、ね。殊羅には聞き覚えはないけど、水蓮月は知っているわ」

「そうなんだ。可愛い子だったでしょ」

「私が知っているのは名前だけで、とても有名な子よ」

「月ちゃんが、ですか? とても悪い子には見えませんでした。人の命を大切にしているいい子だと思ったのですが」

 

 月ちゃんは魔法使いを嫌っているわけではなかった。

 戦闘員であることが不思議に感じられる考えをしていた。

 

「確かに。狙う相手は人の命を奪った魔法使いだけだと聞いているわ。けど、問題なのはそこじゃないのよ」

「じゃあ、なに? A級戦闘員だというところ?」

「そう。彼女はA級の中でも特別な存在なの」

「確か、A級戦闘員は世界中でも十数人しかいないって教えられていますが、その中で特別ってどういうことなのですか?」

「十数って少なっ! どう考えても嫌な予感しかしないのだけど」

「そのとおりよ。

 ――水蓮月は十数人しかいないA級の頂点に立つ、最強のA級戦闘員よ」

 



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25話

「いやーまったくどうなっちまうのかとドキドキしたぜ」

 

 同日、人気が失せた通り道で灰色の頭髪が冬の寒さを一層際立たせている少年。近衛覇人は現れた。

 そこは、先刻までとある四人組が集っていた場所。

 少女が三名、男性が一名。

 顔見知りという雰囲気ではなかった。

 そもそも少女、雨宮彩葉と楪茜と所縁のない知り合いであることは明白だ。

 覇人は二人とは五年前からの付き合いである。

 そこから今日までであのような二人組と一緒になっているところはおろか、そういう知り合いがいる話など聞いたことがなかった。

 極め付けの最後の一幕。

 あろうことか男性は茜を斬りつけ、何食わぬ顔でその場を少女とともに去っていたのだ。

 

「あの反応からすると茜までなっちまったみたいだな。――厄介な奴まで現れちまったみたいだな」

 

 覇人は少女のことを知っている。

 水蓮月――その風体からは誰にもわかり得ないであろうその正体は、アンチマジックのA級の戦闘員だ。そして、その頂点に立つ最強の戦闘員。 

 その場に居合わせていたわけではないが、四人の様子を眺めている時分には、まだ確証はなく手探りな状態であると思われた。

 

「覗き見とは趣味が悪いのではなくて」

「汐音《しおん》か……」

 

 覇人の背後から女性の声が響く。

 振り返れば、銀糸と見紛うほどの細く整った長髪を背に流し。首元にはネックレス。手首にはシルバーのリングといった装飾品を身に着けた女性。悠木汐音《ゆうきしおん》が優雅に立っていた。

 

「あの二人はお友達かしら?」

「ああ、そうだ――って、見てたのかよっ!」

「見ていない、とは一言もいってませんことよ」

 

 意地悪く笑う汐音。

 

「あの接触の仕方、ほぼ間違いありませんわね」

「ああ。そうだろうな。仮にもA級の戦闘員だ。下手なことをするわけがねえしな」

 

 覇人は茜の流した血で濡れたアスファルトに手を置き、精神を集中させる。

 検索《リサーチ》。

 感じ取るは気配。

 魔法使いの血液には魔力が宿っている。

 覇人は間違いであってほしいという懇願とともに全神経を研ぎ澄まし、指先で触れた血液の内部を探る。

 構造の中に宿る元素には不必要な存在を探る。

 穢れた汚染物質は秒数を置かずに、触れると同時に感覚として分かる。

 そんなものがあるはずがねえと思いたい気持ちは十分にあった。けど、結果としては目に見えて分かっていたはずだった。やる必要性の欠片もねえことは知っていたはずなのに。心のどっかでは確かめずにはいられなかった。

 

 ――やっぱりな。確かめる必要もなかったな。 

 

 

 あっけなく、希望的観測は星屑となって散り行く。微弱ながらの魔力を感じ取ってしまったからだ。

 

「どうでしたの?」

「……予想通りだ。楪茜は魔法使い。二日前に覚醒した彩葉を含めて、三人の魔法使いがこの場にいることになる」

「やはりですの……。私には関係がないけれども、覇人にとっては残念な報せではなくって」

「まあな。茜には悪いことをしたと思っているよ。……あいつは俺たちが巻き込んだも同然だ」

 

 覇人は指に付着した血を汐音からハンカチを受け取って拭う。

 そのまま、ハンカチをその場で捨てる。

 持ち歩いて魔力を辿られないようにするためだ。

 

「それにしても、あの二人の戦闘員からはただならぬ気配を感じましたわ。特に男性の方はA級、あるいは――」

「よせよ。最悪の展開ほど当たるってもんだぜ」

 

 汐音のその先の言葉を発する前に覇人が遮る。

 

「ふふ、分かったわ。本当に最悪なのは――今夜、ですものね」

 

 最初に魔法使いが現れてから三日は経っている。

 その後のアンチマジックの展開は恐ろしく早かった。

 戦闘員を集め、翌日には雨宮源十郎と奏の二名が散った。

 残すは一人。否、新たに追加された分を含めると二人。

 だがその所在も割れている。こうして、戦闘員を的確な場所に送り込んだことが証明している。そして、たったいまその片割れの魔法使いと接触していた。

 覇人と汐音の最悪が当たれば自ずと先は予見できる。

 

「間違いないな。俺もあんたも今夜は死ぬ気で挑まねえとな」

「不吉なことは言わないで下さる。気分が滅入ってしまいますわ」

 

 憂いの籠った溜息を零す汐音。

 

「そりゃあ、俺だって同じ気分だっつーの。ま、取り合えずはこの場では大事にならなかったのが幸いだったな」

「心配なら手助けしてあげればよかったのではなくて。お友達なら怪しまれることもないのでは」

「まだ俺のでる幕じゃねえよ」

「カッコつけちゃって。律儀にもあの人のお願いを守っている、ということですの?」

「それが俺の役目でもあるからな」

「覇人も苦労しているのではなくて? 面倒事を二つも三つも押し付けられてしまうなんて」

 

 同情の意も込めて汐音は言った。

 

「苦労はしてるけどな。だが、その見返りに俺の目的の手助けもしてくれたんだ。安いもんだと思っているぜ」

「覇人がそれで納得しているのなら良くってよ。ただ、私なら絶対に断ってますわ」

 

 断固拒否の意で返す汐音。

 汐音にとってはそれだけ嫌悪することを覇人が平然と行っていることが信じられないようだ。

 

「あんたならそういうと思ったよ」

「トゲのある言い方をしますわね。そもそも汚れ仕事は女性の仕事ではなくてよ」

「はいはい、分かったよ」

 

 覇人は適当に同調して、切り上げる。

 

「ところで、汐音」

「なにかしら?」

「俺はこのまま頼まれごとを続けるが、あんたはどうするんだ? 本来の予定とは狂っちまっているが」

 

 汐音は少しばかり考え込む。

 

「……そうですわね。世話好きの緋真のことですから、このままあの子たちにくっ付くんでしょうですし。今夜をやり過ごしたら一旦、私一人で戻ろうと思いますわ」

「確かに、緋真ならそうするだろうな」

「まったく。あの女は誰彼かまわず、助けようとするのですからっ! おかげで何もかも滅茶苦茶ですわ! だから嫌いなのですよ」

「相変わらず、緋真とは仲が悪いな。仲間なんだから仲良くしろよ」

「断固拒否しますわ! 何度あの女に振り回されているとお思いで。両手の指では足りませんことよ」

「そうは言ってもだな。あれがあいつのいいところでもあるんだしよ。もちろん汐遠のスケジュールに沿って動くところも評価できるぜ……」

 

 積年の恨みが溜まってるのか、怒りのボルテージが急上昇していく汐音。

 それでもなお、口調な静かなもので沸々と湧き出してきているような印象である。

 間欠泉の如くいつ爆発するかも分からず、なんとか気を落ち着けさせようと覇人は努力してみるが、結果的には火に油を注ぐだけとなってしまった。

 

「あの女にいいところなんてありませんわ。無駄に世話焼きなだけでこちらのことなど何も考えていませんのよ。特に年下相手に。保母……なんて天職なのじゃなくって」

「意外と向いてそうだな」

 

 緋真は昔から年下相手となればすぐに手を出していく性質がある。

 そうして打ち解けるのも早く、気づけば子だくさんの母親のようになっている。

 その様子からすれば、なるほど言いえて妙だと納得する覇人。

 

「もうここで別れて、後は三人にさせてあげればよろしいのではなくて? 緋真なら一人で連れてこられるでしょう。これなら私たちも危険な目にも遭いませんし……名案ではなくて?」

「おい。今夜、マジで頼むぜ。彩葉と茜は俺の友達《ダチ》でもあるんだからな」

「本気なわけないでしょう。私も一応引き受けた手前、不本意ながらやりますわよ」

「そうか。だったら話しは決まりだな」

「ええ。今日一日はよろしく頼むわ」

 



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26話

 日が暮れ始める冬の夕方。

 屋敷内はカーテンを閉め切っていて、暗く、ジメジメした雰囲気にわずかな陽が差し込む。

 完全な闇がやってくる前に、雲の裂け目から覗いている陽を部屋の明かり代わりにして、早めの夕食を取ることになった。

 

「今日買ってきたインスタントのうどんがあるからそれにしましょう」

 

 緋真さんは台所の棚に入っていた袋を取り出す。

 中には、カップのうどんが三人分入ってた。ちなみに全部同じものである。

 

「今日……って、いつの間に買ってきたの?」

「彩葉ちゃんたちが出かけているときによ」

 

 袋から取り出したカップの包装を剥きながら答える緋真さん。

 

「お湯沸かさないといけませんね」

「私がやるから茜ちゃんは座ってなさい」

「いえ、これぐらいはやります」

 

 そのまま緋真さんの言葉に背を向け、お湯を沸かし始める茜ちゃん。

 これ以上緋真さんに頼りっきりにするのが悪いと思っているのか、それとも単純に自分の出来ることがあったからなのか張り切って台所へといってしまう。

 私も何か手伝おうかな。

 

「お姉ちゃんとしての面目が……」

「そんなの気にしてたの?」

「そりゃ年上だもの。こういうことは私がやるものなのよ」

 

 自分のやるべき仕事を取られたことにムスっと膨れる緋真さん。

 そこまでお姉ちゃん意識高めなくてもいいような気がするのだけど、何かプライドのようなものでもあるのかも。

 年下の子と一緒に作業することなんてほとんどなかった私には分からない感覚だ。

 

「それにしても、茜ちゃんはよく働くわね。昨日も散らかした部屋の片づけも率先してやってくれてたし」

 

 部屋の片づけというのは、昨日魔法の扱い方を教えると言って、客室の家具を動かした後のことだ。

 結局私はあまり役に立てず茜ちゃんがほとんどやってしまった。

 一寸の狂いもなく、元の状態へと戻してしまったのだ。脳に写真でも焼き付けているのではないかというほどに完璧だったと思う。

 

「茜ちゃんは花屋で産まれて、ずっと手伝いをしていたからじゃないかな」

「あら、そうなの。道理でよく動くわけだわ」

 

 火のお守りをしている茜ちゃんの姿を横見にしながら緋真さんは言った。

 そうこう話しつつもカップの準備をする手を止めない。

 と、その時。

 

「お湯が沸いたので、そちらに持っていきますね」

 

 茜ちゃんが私たちの方に振り向き、確認を問いかけてくる。

 それと同時に三人分の準備が整ったから、茜に「いいよ」と迎え入れる。グッドタイミングだ。

 熱湯が注がれ、フタを閉じ、何をするわけでもなくボーっと湧き出る湯気を眺める。五分は長い。

 秒針の振れる無機質な音色を聴きながら、緋真さんと茜ちゃんも同じく無言で時間が過ぎていくのを待っている。

 

「たまには、こうして作ってもらうのも悪くはないかもね」

 

 不意に緋真さんが口を開いた。

 

「どうしたのですか? 急に……」

「ずっと作ってあげる立場だったから……こうしてインスタントとはいえ、誰かに食事を用意してもらうのは本当に久しぶりだわ」

「作るって誰に? 男?」

 

 興味津々に聞いてみる。

 緋真さんは男という単語に反応したみたいで、少し慌てた様子になる。

 

「そ、そんな色っぽいことじゃないわよ。妹よ。い・も・う・と」

「え!? 緋真さんって妹がいたの?」

「といっても従妹だけどね。けど、姉妹同然のように育ってきたからあまり従妹って意識したことはないわね」

「一度会ってみたいですね。――いまはどうしているのですか?」

「さあ。どうしているのかしらね」

 

 きっかり五分経ったフタをめくりながら、憂い交じりで虚空を眺める緋真さん。忘れてきたものを気遣うように感じられる。

 その様子があまりにもぼんやりしていたので心配して茜ちゃんが呼びかける。

 

「……緋真さん?」

「……三年前に生き別れたのよ。たしか、茜ちゃんたちと同じぐらいの年齢になるはずよ」

「――ごめんなさい。立ち入った話に触れたみたいですね」

「いいのよ、気にしなくて。

 ――そうね、代わりにもし会うことがあれば仲良くしてくれると嬉しいわね。あの子、すっごく世話の焼ける子だから迷惑かけるかもしれないけど」

「全然問題ないよ。緋真さんの従妹っていったらやっぱり大抵のことはなんでもこなしてしまうタイプなのかな」

 

 面倒見がよく、家事ができて、おまけに医者の真似事もできる。

 そんな大抵のことは苦もなくこなしてしまうお姉さまと一緒に生活してきたのなら、こっちが迷惑かけることになるかもしれない。

 

「あら、褒めてもなんにもでないわよ」

 

 口では言うが、心底嬉しそうに答える緋真さん。

 

「それにあの子は私にベッタリで可愛らしい子よ」

「三年前と言うと中学生ですよね。それほどの月日が経っていたら、見違えるように変わっているかもしれませんよ」

 

 茜ちゃんの言う通りだ。

 中学生から高校生になるということは外見はもちろんのこと。中身も成長する。

 かくいう私もオシャレが出来るようになったり、体型を気にしたり、料理も出来るようになった。あと、ついでに言えば父さんのノリがうざく感じてしまうこともあった。

 だけど、これは仕方がない。――私だってもう十七歳。恋する乙女真っ只中なのだから。

 

「あの子の成長は嬉しいけど、それはそれで寂しいわね」

 

 儚げさと喜ばしさの二つが入り混じった言葉だ。

 やっぱり姉妹同然として育ってきた仲だと思うところもあるのだろうか。

 私にもそんな存在がいたら同じ気持ちになるのかな?

 会話が途切れ、沈黙が降り注ぐ。代わりにスープを飲み干す音だけが響く。

 

「あの頃もこうしてインスタントばかり食べていたわね……」

 

 カップを静かに机に置いて緋真さんが口を開く。

 

「どうしたの? 急に?」

 

 会話の切り口としては唐突すぎて何のことなのか分からなかった。

 

「三年前のことですか?」

「もっと前よ。……妹と過ごしていた頃のことよ。あの時もこうしてインスタントばかり食べていたのよ」

「体に悪そう……。でも緋真さんって料理できたよね。作らなかったの?」

 

 一度家で一緒にホットケーキを作った。

 あの時はいかにも慣れた手つきで、ああこの人出来る人だ! って思ったぐらいだ。

 それぐらい洗練されていて、鮮やかだった。

 

「何か理由でもあるのですか?」

 

 緋真さんは翳った表情をしていたが、不意に決心つけたように語り始める。

 

「私は四十七区画の中でも、治安の悪い四十二区で二年過ごしていた時期があったのよ」

「四十二区ですか……!? そんなところで二年だなんて……、何があったのですか?」

 

 私たちが住む三十区から東に行けばいくほど数字が一に近くなっていき。逆に西の方へいけば、四十七に近づいていく。

 四十二区は貧富の差がある場所で、治安の悪い場所では犯罪紛いの事件が多発している地域として浸透している地区だ。

 そんなところで二年も過ごすとなるとよっぽどの深い事情があるということに他ならないことでもある。

 

「昔ちょっとしたことがきっかけとなってね……仕方なく四十二区に妹と移り住んだのよ」

「それって緋真さんが魔法使いになったことと関係したこと?」

 

 緋真さんは一瞬の躊躇いを見せた後に、肯定した。

 

「ひどいところだったわよ。彩葉ちゃんたちが想像も出来ないような環境だったわ。まるで人のどん底を見たような気分で、毎日のように生きるための犯罪が当たり前だったわ」

「生きる為って……食料のこと?」

「そうね。食料の調達が一番苦労したわ。何せ私を含めた十人分も集めなくてはならなかったのよ。私が町に出て、死にもの狂いで働いて、やっとのことで食料を買っていたわ。その中でも一番安く手に入ったのがインスタントだったのよ。それを私や妹、私が面倒をみていた小さな子と分けていたのよ」

 

 いま、緋真さんの今までの行動力の起源を見たような気がした。

 私たちが眠っている間の警戒や怪我の治療。

 自分が一番疲れているはずなのに食料の調達、そして常に年上だからと言って私たちに楽をさせようとしてくれていたこと。

 言葉では言い表せれないほどの感謝はできる。だけど、そこに緋真さんの楽しみっていうのはあるのか心配してしまう。

 誰よりも頑張って。誰よりも疲れて。

 もしかしたらそれは、私が気にかけることではないのかもしれないけど。やっぱり苦しいはずだったんじゃないかと思う。

 

「緋真さんがそこまで苦労する必要ってあったの? 十人もいたんだったらみんなで手分けしたら十分な生活が出来るんじゃないの」

「したわよ。下の子たちには自分たちの住む環境を守ってもらっていたわよ」

「そうなのですか。――いえ。ですが、四十二区は暴力や盗みが多く起きていたと聞いています。小さい子たちだけでは危険なのではないですか?」

「その心配はないわ。あそこには私のような行き場を失くした魔法使いも隠れ住んでいたから。私と同じ魔法使いの人に付いてもらっていたからむしろ安心していたわ」

 

 それはそのとおりなのかも。

 秩序なんてあってないような場所なら、魔法使いという存在はある意味で圧倒的な用心棒になるわけだ。

 

「それでは、そういった被害には合わなかったのですね」

「そんなことはないわ。何も四六時中、見守っていたわけではないわ。ちょっと目を離したすきに寝床が荒らされていたり、暴力沙汰に遭った子もいたわよ。当然、やり返してやったけどね」

「えーー!? 途中まですごく立派だなと思っていたのに……」

 

 自分のことを後回しにして小さい子の世話をしてすごいなと感激していたところだった。

 当時は私よりも年下のはずなのに、たくさん苦労して、頑張ってきて私だったらそんな真似が出来るのかと考えたぐらいなのに。

 何か感傷に浸れていたのが一瞬に覚めて、感心したのがバカみたいじゃん。

 

「当たり前じゃない。家はいいとしても、私が面倒みていた子が襲われたらやり返したくもなるわよ。その時に親の気持ちが分かったような気がしたわ」

「あーうん。そういわれるとそうなのかもって思う……かな?」

 

 親の気持ちなんて全然分からないけど、茜ちゃん、纏、覇人がひどい目に遭うことを考えたら少しは同情の気持ちもきっと起こる。それと同じ理屈なんだろう。

 

「気持ちは分かりますけど、やり返すのはあんまりだと思います。そんなことをしても双方が傷つくだけです」

「茜ちゃんらしい考えね。けど、私たちが住んでいた世界ではそんな甘い考えでは生きていけなかったわ。私たちには力があると、私たちに手を出したら痛い目に遭うわよ、って力を誇示しないと何度も何度も標的にされるだけだったわ。現に力のなかった人たちは恰好の餌食とされて、憂さ晴らしや食料の強奪にあって衰弱死していったわ」

 

 それは、その日々のことを哀れみ、悲しみに満ちた痛切な言葉だった。

 誰もが生きるために戦った。弱肉強食の世界。それが四十二区。

 魔法使いとして人の社会に溶け込めなかった果てにたどり着く競争社会。

 敗者は早々に立ち去っていく命の取り合い。

 

「だから……緋真さんはそんなにも逞しいのですね。こうして罪のない人の住む場所に入り込んで……まるで自分の家のようにできるのもその時の生活環境のことを考えると仕方のないことなのかもしれませんけど……私はそれでもこういうことはしたくないです」

 

 いままでの生活から想像も出来ない環境がそこにある。

 そこには人も住んでいて、魔法使いもいる。けれど、こことは違う在り方。

 同じ国なのに地区によって差異がある。

 そんな違いが茜ちゃんには受け入れられなくて、悲哀の叫びが漏れ出てきている。

 

「安心して。あそこは訳ありの人たちが住む場所。そんな人たちにとっては居心地のいい場所なのよ。住めば都っていうでしょ。――それと、私を不法侵入者みたいに言わないの。あなたたちを守る為に一時的にやっているだけで好きでやっているわけじゃないのよ」

「……ごめんなさい。言いすぎました」

「分かればいいのよ。大体、家は借りたとしても食べ物などには手を出していないでしょ」

「あっ!? そういえば」

 

 よくよく思い返してみれば、寝床を借りただけでそれ以外の物には手を出していなかったような気がする。

 あーでも。昨日客室の天井を緋真さんの魔法で焦がしていたっけ。スプリンクラーのおかげで酷いことにはならなかったけど。ま、結果的に大事にはならなかったから気にすることはないか。

 

「食べ物を盗っちゃうとこの家の家主が困るでしょ。私たちの都合で苦しむ人がでたら後味が悪いじゃない」

「家に入られるのも迷惑だと思うけど」

「混ぜっ返さないの。それはそれ。これはこれ。いいじゃない減る物じゃないし」

「……そだね。減ったら増やして置いておけば許してくれそうなもんだし。そういうことにしとけばいっか」

「もう、彩葉ちゃん……っ! それはなにか違うような気がしますよ。減らないから増やせば良いだなんて……。でも、寝床を借りるぐらいなら下宿……と考えれば良いのでしょうか。そうですね、食費はこちらで用意しているのであとは、お部屋の掃除でもすれば許されますよね」

 

 茜ちゃんは一人、納得のいく答えを求めてブツブツと自問自答へと堕ちてしまっていた。

 そんなことにも気にせずスープを飲み干した緋真さんは、カップが入っていた袋へとゴミを捨てる。

 そのなかは、具の一粒も残さず綺麗な真っ白な器となっていた。まるでそこには何も入っていなかったかのように。

 それは緋真さんの性格なのか、育ちが関わっているのか私には判別もできなかった。

 



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27話

 食事を終えた後、陽はすっかりと落ちてしまい、屋敷内に夜が訪れる。

 現在、この周辺に住民はなく、街灯だけが不気味に照らしている。

 魔法使いの被害により、旧時計塔へと避難しているため、すべての家には明かりはない。

 本来誰もいないはずの場所なのだから、明かりを点けるわけにはいかない。仕方なしに蝋燭に緋真さんの魔法で火を点ける。

 仄かに灯る火が、真っ暗な客室が薄暗いものへと切り替わる。その部屋で私は毛布に包まってソファで小さくなっている。

 

「さ、寒い」

 

 冬真っ只中の一月。

 暖房の一つもつけていないので、冷え切っている。

 

「我慢しなさい。あともう少しでここを出るのだから、余計な危険は犯したくないのよ」

「昨日はストーブ点けてくれたのに……」

 

 部屋の隅っこに置かれている石油ストーブを横目に未練がましくぼやく。

 昨日の夜はあれで過ごしていたのだ。

 

「戦闘員に大体の場所を特定されてしまったのだから、あきらめるしかないわ。ほら、蝋燭の火をみてみなさい。あったかく感じてこないかしら」

 

 ジーっと見つめてみる。

 ゆらゆらと揺らめく火が蝋燭をポタポタと溶かしていく。

 うん。全くあったかく感じない。

 

「気持ち的に落ち着くだけなんだけど。これってキャンドルセラピーってやつなんじゃないの」

「そうかもしれないわね。でも、同時に寒さも紛らわせれたんじゃないかしら」

「気持ち的にはね」

 

 そういって蝋燭から目を離して再び小さくなる。

 みていたら段々と眠気が襲ってきたからだ。

 けど、しばらくするとやっぱり寒いってことを実感して眠気も覚めてしまう。

 そんなとき、茜ちゃんが客室に入室してくる。

 上着のポケットにはふくらみがある。

 暖房器具が使えないということなので、茜ちゃんが近所の自販機で買って来てくれたホットの缶がはいっているのだ。

 茜ちゃんはソファで体を丸めている私の様子が目に入って、缶を取り出し渡してくれた。

 

「はい、彩葉ちゃん」

「ありがと」

 

 かじかみかけていた手をミルクティの缶で温めるように両手で握りしめる。

 缶の熱量を手のひらが奪い取り、体に熱を帯び始めていくのが分かる。

 茜ちゃんも外の寒さに負けてしまった体を私と同じようにミルクティを両手でしっかりと握りしめる。

 やっぱり冬と言えばやるよね、それ。

 

「このあとの予定はどうするのですか?」

 

 私の隣に腰掛けた茜ちゃんがプルタブを開いて一口飲んでから言った。

 

「どうしようかしら」

 

 ちらっと壁掛けされた時計で時刻を確認する。

 

「まだ七時か……。そうね。とりあえず私たちが動けるのは深夜零時を回ってからになるわね」

「あと五時間か……」

 

 散々弄んでぬるくなり始めた缶を開けて口をつける。

 この時間帯だと外には一般市民が町を闊歩しているため、むやみに動くことはできない。

 私たちがこの周辺にいることはアンチマジックに昼間に気づかれているので、今頃は戦闘員がうろついているはずだ。

 もし、出会えば戦闘になることは必然的なことになることは間違いない。

 そうなってしまえば無関係な人たちが巻き込まれてしまう可能性もでてしまう。

 現につい二日前にそれは起きているのだ。

 だから、人通りが薄れる深夜を狙って移動するのだ。

 

「屋敷を出たらそのまま二十九区に向かうのですか?」

「そうね。特にやることもないし行きましょう。――ところで、二人は三十区からでたことはあるのかしら?」

「学校の修学旅行ぐらいしかないです」

「私も。あ、いや……何回か父さんたちと旅行で出たことはあったかも」 

 

 何年前のことだったかは忘れたけど。

 各区にはそれぞれの特色をもって独立した生活を送っている区がある。

 別の区に行くときは大抵、観光目的か住む場所を変える時ぐらいで、基本的には自分の住んでいる場所からでることはほとんどないから数える程度しか私は出たことがない。

 

「用がなければ出ることはそうそうないわよね。……学校の修学旅行ということは高校生の? それとも中学生かしら?」

「中学生のですね。もう三年前ぐらいだったと思います」

 

 私もそのぐらいの時だったと記憶している。

 

「魔障壁は見たことは覚えてるかしら?」」

「確か、区画の外周を囲んでいるのですよね。そして、各区画間を橋でつないでいる、と知識としてはあるのですが」

 

 実際に通ったことがあるから私も覚えているし、知っている。

 私たちの住んでいるこの国では全部で四十七の区に分かれていて、それぞれが壁でぐるりと囲まれ、外から見ればまるで一つの巨大な要塞のような形となっている。区画を跨ぐには、関所から橋を渡っていくのだ。

 

「橋、と言っても今はもうそうは言わないわね。どこも西暦二千年に向けて改修されているから、外観も見違えるようになっているわよ」

「そういえば、三十区のは最近終わったって聞いたかも。見たことはないけど」

「テレビでやっていましたよ。ガラス張りの長い通路のような道に変わっていましたよ。とても綺麗でした」

 

 茜ちゃんが大絶賛している。ちょっと興味が湧いてきたよ。

 

「接続の道と言うのよ。区画の両端《ターミナル》から反対側の両端《ターミナル》まで繋ぐ長い渡り廊下のことよ」

 

 そんな名前だった。

 橋から接続の道。

 関所から両端《ターミナル》。

 どちらも前までは石造りで建てられていたけど、二千年という時代の節目に合わせて全区画が近代的にリニューアルされたのだ。

 私が通っている学校も建て替えをする予定にもなっていた。

 

「あの……関所になっていた時は、身分証明書とか必要でしたけど、魔法使いの私たちでも通れるのですか?」

「いけるわよ」

 

 さらっとさも当然であるかのように答える緋真さん。

 

「私たちの正体がばれないようにすればいいだけのことよ」

「もうばれてるじゃん」

「それは、一部のアンチマジック関係者だけよ。全員が知っているというわけではないのよ」

「そういえば、今日時計塔に行った時も、私たちのことや彩葉ちゃんの両親が魔法使いだったということも皆さん知らないようでした」

 

 言われて思い出す。

 むしろ心配してくれていたのだ。そもそも母さんたちは私が生まれる前からこの区で生活をしていたのだった。

 

「魔法使いの正体が世間にばれると混乱を招くからだそうよ。だからしっかりとした資料も残していないから、時間が経てば私たちの正体も忘れられるわ」

「じゃあ、安心できそうだね」

 

 心配する必要なんてなかったみたいだ。

 ようはヘマをしない限り無事にこの区からでることができるということなのだから。あとは、運次第ということなのだろう。

 

「出発までに何かすることってあるかな?」

「とりあえず休みなさい」

「え?!」

 

 聞き間違えていなければ休めっていわれたような気がする。

 確かにそれだけの時間はあるけれど、何もやることがないってことはないだろうに。

 

「そんなことしていていいの? 言ってくれれば私、何かやるけど……」

「あなたたちは昼間に体力を使ったから夜に向けて休みなさいってことよ。何が起きるか分からないのだから、休める時に休んでおく。大事なことよ」

 

 そんなことを言われると反論なんて出来ない。

 それに疲れが溜まっていることも事実だし。このままの状態では足を引っ張てしまう確率の方が高い。

 

「それは分かりましたけど、緋真さんはどうするのですか?」

「私はやることがあるから、あとからにするわ」

 

 そう言った緋真さんは布で膨れた袋を取り出した。

 

「あ、それって」

「彩葉ちゃんたちが買ってきてくれたものよ」

 

 袋を逆さにして、布が吐き出されていく。

 机いっぱいに広がって、それを眺めながら結局なにに使うのか分からずに買ってきたことを思い出した。

 

「適当に多めに買ってきといたけど、それで何するの?」

「もしもの時のための保険をかけておくのよ」

「保険……ですか?」

 

 布だけで? 更に謎が深まるけど、それを訊く前に緋真さんが話し出す。

 

「用心は必要だからね。まあ、さすがに相手がA級ともなると通用するかどうかは分からないわね」

「そんなにすごいんだ。A級って……」

 

 実際に戦闘員が戦っているところなんて見たことがないから、どれほどの危険なのかは分からない。

 でも、緋真さんが言うからにはやっぱり手強い相手なんだろう。

 

「そうよ。もし戦うことになったら逃げることだけに専念しなさいよ。殺されてしまうかもしれないから」

 

 低い口調で言った緋真さんには凄みがあった。

 

「――っ!!」

「ころ……っ!? ってそこまでするの?」

「不思議なことじゃないわよ。アンチマジックは魔法使いを斃して社会の平和を守る組織だってことは知っているでしょ」

「そう……でした。私たちはもう魔法使いなんですよね……」

 

 今まではアンチマジックという存在は私たちを守ってくれていた。

 それが立場が逆転してしまって社会を脅かす側になってしまった私たち。

 何人もの魔法使いが殺されたニュースは散々見てきたんだ。

 当然、殲滅を執行する戦闘員は手加減なんてしてくれるはずがない。

 急に襲いかかってくる恐怖。

 多分、一切の容赦もなく、躊躇もなく執行してくる。

 父さんと母さんと戦闘員の戦いも大きな地響きと唸りを上げていた。

 あの時にも恐怖を感じていたけど、いまの方がもっと怖い。

 

「安心しなさい。私がどんな手を使ってでも、絶対にあなたたちは守ってみせるから。怖がらなくてもいいのよ」

「緋真さん……」

 

 頼もしい笑みを作って余裕を見せつけてくれる緋真さん。

 萎縮していた茜が少しだけ元気を取り戻したように見えた。 

 

「だからね。いまはゆっくりと休んで、体力を温存しておきなさい。体が保たなくなるわよ」

「うん……わかった」

 

 いつものようにお姉さんぶって私たちを安心させてくれる。

 暖かみがあって、優しさで包まれた声色には、私たちを落ち着かせるまじないが込められていた。

 不安は抱えきれないほどあるけれど、緋真さんの存在が。言葉が。それを打ち消してくれるかのようで心強かった。

 



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28話

 同日 アンチマジック三十区支部

 

 

 相も変わらず、照明の一つも付いていない部屋。

 複数の液晶のモニターから漏れ出される唯一の光源を浴びながら、樹神鎗真《こだまそうま》は報告を聞いていた。

 

「――ということになっちゃったんだけど、どうだったの?」

 

 内心ドキドキしながら、水蓮月《すいれんつき》は鎗真に詰め寄るように結果を急かす。

 

「そんなに近づくんじゃない。話しづらいだろっ!」

 

 至近距離にいる月の頭を手で抑えつけて、引き離そうとする鎗真。

 

「早く教えてよ! やっぱり無関係の人だった? それとも――」

「心配しなくとも。鑑識に回した結果、付着した血には魔力がこもっていた。魔法使いだよ」

「……そっかあ」

 

 一瞬の間が開くもののすぐに応える月。

 市民の味方であるアンチマジックが一般人を理由もなく、ナイフで切り付けるなんてことになっていたら大惨事である。

 しかし月にとっては、朗報とも取れるし、そうでもないことにもとれる。

 脱力して黒ずくめのソファに座り込み、安堵の息を漏らす。

 

「よかった~。関係ない人だったらどうしようかと思っちゃったけど、魔法使いだったんだ」

「一応、確かめておいてよかったな」

 

 隣に座っている神威殊羅が口を開く。

 

「魔法使いでもお姉ちゃんたちは悪い人じゃないよ。なんで悪くない人を傷つけるの?」

「なにを言っているんだか……。悪いから魔法使いになっているのが分かって言っているのか」

「そんなことないよ。月の周りにはいい魔法使いだっていたもん。だから、そんなことで怪我させたらダメだよ」

 

 鎗真は呆れたように溜息を零す。

 

「いい加減その考え方をやめろ。人間は守りたい。魔法使いも守りたい。いいか、俺たちは魔法使いを殺す組織だ。過去になにがあったかは詳しくは知らないが、いつまでも引きずっている場合じゃないだろ」

「違うよ。月には魔法使いなのに、優しくしてくれた人がいたの。そんな魔法使いは守りたいっていってるだけだもん。けど、ブロンズ色の魔法使いみたいな人は許せないよ」

 

 歪な考え。

 闇に憑りつかれた魔法使いの中から善悪の区別をつけて、悪だと判断した者のみを殺すやり方。

 悪だからこそ魔法使いであり、生かす必要のない存在だと割り切る殺伐としたやり方。

 どちらが正しいというわけでもないが、アンチマジックは魔法使いを殲滅する組織である。

 月の考えはある意味で組織の考えに背いたやり方ではあり、鎗真には気に入らなかった。

 互いに異なる正義心を持ち、自分の正しいと思う正義を主張する二人。

 段々とヒートアップしていく口論は、第三者の口によって冷めていった。

 

「どっちでもいいんじゃねえか」

「あなたは少し黙ってくれませんかねえ。そもそも普段から何もしていないクセを直したらどうです? 自分の立場というものを自覚してほしいんですが、」

「…………」

 

 殊羅としては目の前で騒がしくされることに嫌気がして、静かにさせようとしたつもりだった。

 しかし、鎗真の矛先が自分に向けられ、めんどうなことをしてしまったな、と内心後悔した。

 

「まあ、あなたに何を言ったところで変えられる者なんていませんので、これ以上は言わないでおきますけど」

 

 やる気もなく、話を聞いているのかどうかも分からない殊羅の無言の態度にようやく落ち着きを取り戻す鎗真。

 

「――鎗真。落ち着いた?」

「元々はというとお前が原因だろうが」

「えー違うもん。鎗真が勝手に怒ってるだけだったよ」

 

 不思議そうに鎗真を見詰める月。

 鎗真は反論する体力も尽きて、溜息を一つ零した。

 

「――ところで、新開発された魔具を使ってみた感想はどうだった?」

「あれか。軽すぎて持った気がしなかったぜ。月あたりなら使いこなせるんじゃねぇか」

「月? そんなに軽いの? だったら月も使ってみたーい!」

 

 新しいおもちゃをちらつかせられた子供のように、魔具に興味を示す月。

 

「お前には血晶があるでしょうが。一人であれだけの量を使用していて、まだ別の物を欲しがるのか」

「だって誰も使わないんだもん」

「そういう問題じゃないんだよっ! 使いすぎだって言ってるんだよ。ほとんどお前のために生産しているようなもんなんだってことを分かってるのか。そこに新しい魔具なんて与えれるわけがないだろ」

「ケチー。月も新しい物に興味あるのに」

 

 駄々をこねそうな勢いでムスっと膨れる月。

 どうやってなだめようか困っているところに、ふと、監査室の扉が開かれる。

 そこから、サイズが一回り大きく感じられるトレーナーを着こなし、下には短パン。腰にスーツの上着をスカートのように巻いた女性が現れる。

 

「なに子供をいじめてるのよ」

「あ、蘭ーーっ!」

 

 猫のように扉から現れた御影蘭の傍にかけていく月。

 

「鎗真が月に怒って、いじめてくるのよ」

「いじめてないだろ」

「ドアの前から月の声が聞こえてきたわよ。あんたも大人なんだから子供には優しくしなさいよ」

 

 月の頭を撫でながら蘭は鎗真に向き合う。

 蘭を味方に付けた月は意地悪そうな笑顔を鎗真に向ける。

 イラっとする感情を理性で抑えつけて、鎗真は月を見て見ぬふりをする。

 

「だったら、お前は俺の方が年上だから敬語でしゃべったらどうだ」

「いやよ」

「――ああ、どいつもこいつも! というか、そこのクソガキはいつまでにやけているんだ」

 

 結局我慢できずに、月にまで叱咤する。

 すぐさま月は顔を背け、知らない振りをする。

 

「年上でもここではあたしが先輩なんだからそっちが敬語でしゃべればいいじゃない。それに、月が一番の大先輩になるんだから月にも敬語を使いなさい」

 

 ない胸を張る月。

 

「冗談だろ。どうして俺がガキを敬わらなければいけないんだ。人生の先輩を立てるのが普通だろ」

「生意気な先輩ですね」

「それが通るとでも思っているのかお前は」

 

 語尾にです、ますを付けておけばとりあえず敬語になるだろうというのが蘭のなかでの敬語だった。

 だから、まちがっているかしら? と本気の抗議をする蘭。

 

「どうでもいいんじゃねえか? 先輩」

「あなたたちは俺を馬鹿にしているのか。――まだ地位を言い訳に無茶苦茶なことを言わないだけマシだが、どうしてこうも上の人間はこんな適当なやつが多いんだ」

 

 殊羅は空気をよんだつもりだったが、返って悪化してしまったことに、まためんどうなことになったなと後悔する。

 無言を貫き、耳に流れてくる説教をつまらない講義を聞くかのように聞き流す。

 

「そういえば、蘭は何しに来たの? 月と遊んでくれるの?」

「それは後で相手してあげるわ。――とりあえず、先にこっちの話しをさせて」

 

 パンっと柏手が部屋内に響き、鎗真と殊羅を自分に注目させる。

 

「支部長からの指令が入ったわ。ブロンズ色の魔法使い、その側近にいると思われる魔法使い二名の殲滅よ。そこで、二十三区から応援に来てくれた殊羅と月が守人の代わりに向かうように言われているわ」

「なんだ? お前は行かないのか」

「あたしは先日の時計塔崩壊のときにやられた足の治療のため待機よ」

 

 蘭の足首には包帯が巻かれている。

 時計塔が崩落していく中、なんとか無事に脱出することには成功していた。しかし、その際に破片が直撃していた。

 歩行には差支えがないのだが、痛みが伴っているので、今回の殲滅作戦には不参加となった。

 

「うーん。でも月はブロンズ色の魔法使いしか倒さないよ。あのお姉ちゃん二人は関係ないもん」

「雑魚相手だと乗り気がしねえが……、仕事なら仕方ねえな」

「……この二人で大丈夫なのか」

 

 月は完全に二人の魔法使いには眼中にはなく、殊羅は全くやる気がない。

 どう考えても大丈夫ではない二人に頭を抱えたくなる。

 

「しょうがないじゃない。守人も先日、雨宮源十郎との戦いで左腕が使えない状態なんだから」

 

 魔法使い――雨宮源十郎との戦闘の中、最後に捨身として左腕を犠牲に勝利した。

 だが、その一撃は重く、全快するまでには時間がかかるために、絶対安静を言いつけられている。

 

「場所は分かっているのか? 旧時計塔周辺としか分かっていないんだろう」

「それに関しては俺のほうで見当は付いている」

 

 液晶のモニターを見るように三人を促した鎗真は、時計塔周辺の監視カメラの映像を再生させる。

 それは今日の映像で、時刻が昼過ぎになったところで画面が薄い赤に染まる。

 監視カメラ内に仕掛けられている魔力検知器が作動した証拠だ。つまり、魔法使いの魔力をこの周辺で感知したということだ。

 

「殊羅があのお姉ちゃんを傷つけたときだよ。これ」

「そうだ。続けてこっちの写真を見てくれ」

 

 今度は三枚の写真をデスクの引き出しから取り出す。

 監視カメラで捉えた物だ。

 その三枚には血痕が映し出されており、写真の右端には赤いペンでチェックが入っている。

 魔力検知器が反応したことを表している。

 

「なにか気づいたことはあるか?」

「……これってもしかして。区画管理者の方に向かっているのかしら」

「よく分かったな」

 

 最初に見せた一枚目は商店街付近のもので、赤い血が点々と写っている。

 そこから二枚目、三枚目に連れて血痕が減っていっていた。

 つまりは止血されたことによって、血痕量が減少しているというこに他ならない。そこから導き出される答えは一つ。

 区画管理者の住まう方向へと向かっているということだった。

 

「あそこに住んでいる人は全員、旧時計塔に避難しているはずだわ」

「そうだ。あそこに用事のある住民なんていないはずだ。――で、調べてみたら面白いことがわかってな」

「なになにー。教えてー」

 

 鎗真は一つ間を開けてから、

 

「昨日の夕方に区画管理者の自宅でスクリンプラーが作動していた。当然、その時間帯の管理者は旧時計塔に避難しているから作動することはおかしい」

「よく分からないけど、頭がいいんだね鎗真は」

「なるほどな。とんだヘマをしたじゃねぇか」

「あそこは検知器を置いていないから格好の隠れ家となったわけね」

 

 あの後、公園で昼食と情報収集を行い、そのあたり一帯と被害のあった地域を回っていた。

 それだけを調べまわっていた内に陽が傾いていき、捜索を断念して帰ってきたので、未だ捜索はしていない地域だった。

 

「向こうも君たちと遭遇したことで何らかの行動を起こすだろう」

「そうね。行くとしたら今夜ね。指令も入っていることだし、丁度よかったわね」

 

 モニターの右端で時刻を確認する。

 午後八時。

 

「どうする? すぐに行った方がいいかな? 月はいつでもいいよ」

「お前たちの戦い方は派手すぎるから、深夜にここをでて行った方がいい。この時間だといくら離れているからと言っても騒ぎになるだけだ」

「そういうことなら、俺は寝ておくとするか」

 

 黒ずくめのソファに横になって、だらしなく足を伸ばす。両端にある肘掛の片方を枕代わりに、もう片方に足を乗せてゆっくりと目を閉じる。

 鎗真は呆れたようにそれを眺めた。

 

「月はどうしようかな。そうだ! 蘭。暇だから月と遊んでよ!」

「はいはい、分かったわよ。でも、先にご飯を食べてからよ。いくら月がA級でもしっかりと体力は付けておかないと」

 

 忙しなく蘭の手を引っ張って、部屋からでて行こうとする月。

 部屋を出る間際、一度振り返る。

 

「出発前にまた来るね」

「来るな。あ、おいっ! ちょっと待て。出て行くなら殊羅も連れて――」

 

 鎗真が何か言いかけようとするが、これ以上しゃべるなとばかりに勢いよく扉がしまって遮られる。

 これで何度目か分からない溜息を零す。

 殊羅の眠るソファへと近づき、どうしたもんかと頭を掻く。

 ここは監査室で、鎗真は監視官である。鎗真にとっては職場となる場所で関係のない人間に居座られると仕事をやる気も出ない。

 

「安心しな。邪魔をするつもりはねぇから」

「あなたに限ってはそんな心配はしてませんけど、目障りだから出て行ってくれ」

 

 指で部屋の唯一の出口を示す。

 

「それは無理な相談だな。ここが一番暗くて、眠るには打って付けの場所なんだからよ」

「俺の仕事場であなたの寝る場所ではないんだが」

「…………」

「おい」

「時間になったら起こしてくれや」

「何しに来たんだあなたは」

 

 その言葉に返事はなく、無言で鎗真を突き放す。

 それ以来鎗真は諦め、濃いコーヒーを入れてデスクに向き合う。

 

「さて、俺は俺の仕事でも進めるか」

 

 モニターには崩落した三十区と三十一区の壁。

 鎗真はそれを眺めながら一人呟いた。

 



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29話

 規則正しい針の音色が無音の客間に響く。

 ゆっくりと、しかし確実にその時に向けて、一秒を刻んでいく。

 

「いよいよだけど。彩葉ちゃん、茜ちゃん、ゆっくりと休めたかしら?」

「バッチリだよ」

 

 目は冴えわたり、夕方までの疲れた表情は綺麗さっぱりと消えた表情で答える彩葉。

 

「彩葉ちゃんはずっと寝ていましたもんね。すやすやと寝息もかいていましたよ」

 

 彩葉と同じ部屋で休んでいた茜は、隣で緊張感の欠片も感じられないような彩葉の寝顔を直接見ていた。

 

「図太いというか、緊張感がないというか、度胸だけは大したものね」

 

 半ば、呆れたように話す緋真。

 だが、それもこの状況では逆に心強くもあり、感心もあった。

 

「どこでも寝れるのってある意味特技だよね」

 

 頭を掻きながら、苦笑いとともに応える彩葉。

 

「茜ちゃんはそうでもなさそうね」

「さすがにこの状況では眠るなんてことは出来ませんよ。ですが、体の疲れは十分に取れていますので、いけます」

「無理はしないでね」

 

 

 客間をでて廊下に出る。

 カーテンが靡き、外からの寒風が入り込んでいる。

 冷却されている屋敷。もう随分前から開いていたのだろう。

 屋敷周りに建っている街灯、雲の切れ間から差し込む月が廊下を仄かに照らす。

 

「さむ……っ! なんで開いてるの? それに……なにか臭くない?」

 

 風に乗って、鼻孔を刺激する臭いが彩葉たちに不快感を与える。

 

「この臭いは――灯油、ですか。でも、どうして……?」

「もしもの時のための保険をかけておくって言ったでしょ」

「灯油で? 嫌な予感しかしないんだけど……」

 

 充満していた臭いは窓から出て行っていたが、微かに漂う残り香から彩葉と茜は不安を覚える。

 

「この屋敷にはなにも仕掛けていないから、安心しなさい」

「では、外に?」

「そうよ。だから外では私の言う通りに動きなさい。勝手なことをしたら巻き込まれてしまうわよ」

 

 二人に疑問符が浮かぶ。

 巻き込まれるほどの大きなものを仕掛けているのか、と。

 それはもはや保険と言えるのかどうかは曖昧だ。

 そんなことを考えながら、歩いていく。

 廊下を突き当りまで進んでいくと、扉がある。

 開いた途端、空に浮かぶ黄色い天然の光源が失われた。

 玄関前の広間には窓がないためだ。

 緋真はすぐさま人差し指に魔法を駆けると、闇を切り裂くように、広間が炎の明るみに包まれた。

 まるで幽霊屋敷を探索しているかのような錯覚を覚え、彩葉は言葉もなく、気づかぬうちに茜の裾を掴んでいた。

 

「彩葉ちゃん。くっ付き過ぎですよ」

「……だって、不気味じゃん。絶対に何かでるよ……っ!」

 

 恐怖で声が裏返りそうになる彩葉。

 

「ぐっすり眠れる度胸はあるのに、こういうのはダメなのね」

 

 

 ――と、その時。

 

 

 木造の古びた柱時計のすべての針が、頂点を指した。

 

 

「あ――っ!」

「零時を回りましたね」

 

 三人は緋真の魔法で照らされた柱時計を確認する。

 

「――時間ね。行くわよ」

 

 玄関に向かう。

 足がそちらへと一歩踏み出した。

 その刹那。

 

 ――深夜零時を告げるかのように一本のコール音が広間に響き渡る。

 

「「「―――っ!!!」」」

 

 彩葉はビクつきながらも、三人はほぼ同時に反応する。

 

「もうやだー。怖いこの屋敷」

 

 かつてないほどに萎んだ声を張り上げる彩葉。それに反比例するように茜の裾を握る力は強まる。

 

「こういう仕様ってことではないですよね」

「そんな不気味な電話は嫌ね。しかし、この時間――いや、なぜ誰もいないと分かっている屋敷に電話が鳴るのかしら?」

 

 本来はありえない現象。

 相手はこの家の主が滞在していないことを知らないのか。はたまた礼儀知らずのものか。どちらともつかないが、緋真の頭にはそれ以上に最悪の予感がよぎった。

 

 ”……まさかね”

 

 無機質になり続ける電話の呼び出し。

 もう一分以上は鳴っている。

 恐らくはこの家に誰かがいる、と分かった上でやっていること。

 緋真はこれ以上待ってても鳴りやまないだろうと判断し、恐る恐る受話器を取った。

 

「こんばんわ。ブロンズ色のお姉ちゃん。

 ――隠れんぼはお終いだよ」

 

 その直後だった。

 

 外と内を遮断している玄関が木端微塵に弾け飛ぶ――ッ!!

 

 壁がバラバラのブツ切りにされた欠片《パーツ》が転がる。

 

 コール音の遮断が合図だったかのような瞬く間の出来事。

 

 目を塞ぐ爆たる突風、耳を潰す破砕音。肌を撫でる派生された熱。鼻孔に火薬が染みた臭気。口に注がれる味気ない空気。                                                                 占めて五感を支配する感覚機能。

 

 三人は理解する必要もなく、一瞬の遅れを取って振り向く。

 屋敷の外壁の破壊が終了され、緋真は直感的に正体を理解した。

 

 それが可能な類――爆発。硝煙がそれを表す。

 

 そこから一つの小さな人影が現る。

 シルエット上に映るその正体を緋真にはすぐに分かった。

 会ったことはないが、噂は聞いている。

 爆発の類を主武器《メイン》にする戦闘員。

 一言の警告をいれる辺り、実に彼女らしい。

 だから、驚きなどはない。                             

 

――それは想定された最悪の結末。

 

 昼間に聞かされた時点で、必然だったのだ。

 

「み~つけた。お姉ちゃん!」

「月……ちゃん……」

 

 晴れていく硝煙から姿を見せたのは――最強のA級戦闘員。水蓮月。

 

「やはりあなただったのね」

「初めまして。ブロンズ色のお姉ちゃん。――もう、逃がさないよ」

 

 捕縛。

 明確な殺意の乗った言葉に、逃れは出来ず、帰り道はなく、ここでお終いという絶対の意志。

 

「また派手にやりやがったな」

 

 その背後から一人の男が付いてくる。

 

「あの人は……私に傷をつけた人です」

「――! そう。あの男が茜ちゃんを――」

 

 やはり緋真には見覚えのない人物だった。ただ、戦闘員であることは分かっている。

 察するに、月と同等クラスの実力はあるだろうことは。

 だが、その推測は裏切られることになる。

 

「もう、おそいよぅ。殊羅はS級なんだから、月にもしものことがあったら殊羅のせいになるんだからね」

「S級、ですって……っ!?」

 

 一切動揺を見せなかった緋真が驚愕に張り付いた。

 現状、もっとも危険な存在。それはA級をも上回る最上級の階級。

 

「なるほどな。あんたがオッサンからガキ一人連れて逃げ出した魔法使いか。……そうは見えないがな」

 

 外見からして、緋真には凶悪さの一欠けらの微塵もない。

 細く、しなやかな肢体。見る者をも圧倒させるほどのブロンズの髪。あらゆる人を落ち着かせてくれる色合い。整った顔立ちは並の女性以上だろう。

 

「人を見掛けで判断すると痛い目に遭うわよ」

 

 絶望的状況に精一杯の強がり。守るべき存在がいるだけで、どこまでも強気になれるのが緋真の強みでもある。

 目の前にはA級とS級。

 一体全体どんな星の下で生まれたらこんな不運に巻き込まれるのか。

 いまは、彩葉と茜の魔法使いなり立ての新人がいる。そんな二人にこの境地を切り抜ける術などなく、勝算は薄い。

 

「痛い目に遭うのはそっちだよ。ブロンズのお姉ちゃんの所為でたくさんの人が死んだんだから。絶対に許さないっ!」

 

 一人は殺気立つ。

 そんな月を見て避けては通れないことだと悟る緋真。

 

「そう。だったら許さなくてもいいわ。だけど――この子たちに手を出したら、子供でも手加減はしないわ」

 

 魔法を発動。

 緋真の腕にとぐろを巻くように炎が発生する。

 

 そして、腕から発射された炎は大地をすべり、龍の吐く息《ブレス》の如し。

 

 炎は月、殊羅の横を駆け抜け、屋敷の塀を焼失させた。

 

「す、すごいです……。これが、緋真さんの魔法の威力ですか」

「こんなの人に当たったら絶対死んじゃうよ」

 

 緋真は本気の一撃で威嚇した。

 もとより当てるつもりなんてない。ただ、自らの力を誇示するため。そして、茜を傷付けたことへ対する怒りだ。

 

「やっぱり、危険な魔法使いだ」

 

 過ぎ去った炎の軌跡から熱を感じ取りながら月は言った。

 殊羅は消し飛んだ塀を呆然と見つめ、やがて喜々とした笑みを浮かべた。

 

「こいつはいい……予想以上だ。久しぶりに俺を楽しませてくれそうな奴だ」

 

 

 死んだ壁の残骸を踏み越えて、外に出る。

 そこで、改めてその脅威が伝わる。

 

 塵となった草花の生命。焼却された大地。殺された塀。

 

 すべてがたったいま起こったことだと、彩葉と茜が受け入れるには時間がかかった。

 

「魔法って……こんなことが出来るの?」

「信じられません。これが……こんなことが人間に可能だなんて……!」

「怖い思いをさせてしまったてごめんね。これもあなたたちを守る為に、こうするしかなかったのよ」

 

 三十一区、最東端が三日前に焼失したことは耳に新しい。

 原因は目の前にいる魔法使いによるものだ。

 その魔法使いの背中は頼もしい。

 新しくできた二人の妹たちには弱気なところは見せられないという姿がありありと窺がえる。

 例え、どれだけ格上の相手がいようとも守り抜くためには、自分がどれだけの力を持っているか分からせる必要があった。

 

「月、お前さんには少し荷が重そうだな」

「そんなことないよ。確かにすごく強そうだけど、月の方がもっと強いもん」

 

 胸を張って断固として答える月。

 

「それに、あのお姉ちゃんは、月の戦闘員としての誇りにかけて絶対に許したくないのっ!」

「やれやれ、少し興味が出たんだがな。今回は譲ってやるとするか。お守りがいるようだと、全力も出せねえだろうからな」

「今回って……。次回があったらダメなの。ここで終わらせなきゃ、もっと色んな人が辛い目に遭うんだから」

「……だとよ。くく……せいぜい生き残ってくれよ」

「殊羅~~~っ!!」

 

 期待の意味も込めて殊羅は楽しげに笑った。

 昼間に見かけた時とは違って生気があり、愉しみを見つけたようだ。

 

「これが、戦闘員ですか……? 私、もっと容赦のない人たちだと思っていたのですが、」

「そうだよね。私ももっとこう、遠慮なさそうな人だと思っていたよ」

 

 彩葉たちが直接戦闘員とぶつかるのはこれが初めてだった。

 いままでは人間として、戦闘員をみてきた。その様子からすれば、魔法使いに対して余計な感情を持たず、機械のように殲滅するだけだという印象しかなかった。

 

「油断していないで。彩葉ちゃん、茜ちゃんは魔法を発動して。――そして、私が合図したら屋敷に沿って裏に逃げて」

 

 普段は余裕そうに構えている緋真がこの時は切羽詰まっているようだ。

 それだけに彩葉、茜にも緊張感が増し、すぐに魔法を発動する。

 彩葉の右手には純白の刃と黒の柄が織りなすコントラストが映える刀を創造する。

 続けて、茜もクリスタルのように透明感漂い、幾何学模様が描かれた銃を創造する。

 その様子をみた殊羅は感嘆の声を漏らす。純粋に感心しているようだ。

 臨戦態勢の整った三人を確認し、月は懐から真っ赤な血のような小石を取り出す。

 

「――それね。たまに戦闘員が使っているところをみるけど、一体何かしら?」

「火薬の練り込まれた魔具――血晶だよ。これで、さっきそこの玄関を壊したんだから」

 

 月の目線の先には、瓦礫の山。

 これほどの規模の爆発をあの小さな石ころで出来ると考えると、彩葉と茜はゾっとした。

 

「お姉ちゃんたちには何もしないから安心して――!」

 

 その時――小石が緋真目がけて投擲される。

 瞬時に緋真は炎で飲み込み、月と殊羅の視界を遮るように襲い掛かる。

 

「走って!!」

 

 疾――――ッ!!

 

 ほぼ同時に彩葉と茜は駆け出す。

 先頭に体力のある彩葉が茜を連れて、失速することなく無我夢中に。

 あんなものを見てしまえば、いかに自分たちが無力であるかを思い知らされた。

 この場を生き残るには緋真の指示だけが頼りだった。

 

 戸惑うこともない。

 

 考えることもない。

 

 振り向くこともなく。

 

 ただ、走るだけ。

 それがいま出来ること。

 その後を緋真は追いかける。が、その眼前に血晶が横切る。

 崩落する屋敷の壁。

 もう少し、早く駆けていたら巻き込まれるところだっただろう。

 

「ブロンズのお姉ちゃんは逃がさない」

「あの二人はいいのか?」

 

 一歩も動かず、成行きを見ていた殊羅が訊く。

 

「――って! こら~っ! どうして殊羅はそこにいるの。早く追いかけなくちゃいけないんだよ」

「……雑魚に用はないんだが。ま、任務でもあるから行ってやるか」

 

 ダラダラと動き始める殊羅。

 

「ただし、殺してもダメ。怪我をさせてもダメだからね。お姉ちゃんたちは魔法使いでも悪い人たちじゃないから」

「……面倒くせぇな」

 



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30話

同日 三十区野原町 某所 某五階建てのマンション屋上

 

 築二十年のマンションに二人の人影があった。

 白い外套を身に纏い、闇に沈んだ町には少々目立つような色合いである。

 時間も遅く、見る者が見れば幽霊のような風貌にも見える。

 その片割れは悠然とした足取りで目前の女性に話しかけた。

 

「早かったな」

「遅いんじゃなくって。もう零時になるところでしてよ」

 

 目前にいた女性――汐音は振り返り覇人の姿を確認すると、苛立ちのこもった口調で返す。

 もう随分と早い内に来ていたのだろう。足元には三本の缶が積まれていた。

 

「いや……お前いつから待っていたんだよ。零時と言ったって、まだ余裕はあるはずだぜ。これでも飛ばしてきたんだからな」

 

 悪びれることなく、屋上の柵で待っていた汐音の元へと近づき、隣に立って眼下を見下ろす。

 深夜零時を回る直前の野原町に明かりは消え去り、町は眠りについていた。

 先日の魔法使いの襲撃のため、この数日間は電気が消えるのが早かった。

 

「町が静かですわ。まるで息絶えたような……町が壊れた後は、どこも同じですわね」

 

 遠くを見渡せば、明かりはある。

 眠っている場所と起きている場所で境界線が引かれ、さながら空が地表にも産まれたかのような。

 

「そりゃそうだろ。あんなことの後にバカ騒ぎする基地外はいねえだろ」

「そうですわね。いるとするなら、あなたのお友達ぐらいですわね」

「はは、かもな。大人しくしててくれっと助かるんだけどな」

 

 叶わぬ願いだと分かっていても、願ってしまう。

 景色を一望する覇人には感慨深いものがあった。

 彩葉と出会い、茜と出会い、纏と出会った。思うところも色々あるのだろう。

 それを汲み取った汐音は黙っていようとするも、事態がそれを許さなかった。

 

「それにしても、あの男がS級とは思いもしませんでしたわ」

「ああ。――神威殊羅。七段階あるうちの最高ランクであるS級戦闘員……か。

 

 連中の魔法使い殲滅執行部隊――戦闘員。その全戦闘員の中でも最強と謳われている魔人らしいな」

 戦闘員はF級~A級までの段階に分かれている。上の階にいけばいくほど当然ながらその実力は高く、人数も少なくなっていく。

 しかしそれはあくまでも国民の認識である。

 非公式ではあるが、そのさらに上にS級という世間には認知されていない階級があった。

 圧倒的戦闘力を持つS級は、アンチマジックにとっては切り札のような存在である。

 S級がその場にいる。ただそれだけで、その周辺にS級が動かざるを得ないほどの危険な存在がいることを表す。

 そのために、表向きにはA級が最高ランクと称し、国民の危機感を煽らないようにする必要があった。

 

「本当にいやになりますわ。最強の二文字を持つ戦闘員が二人も来るなんて……」

「ま、仕方ねぇだろ。壁の破壊に野原町の一部を焼いちまったんだ。連中も黙ってはいられなくなったってことだろ」

 

 視界に被害にあった場所を収める覇人。つられて汐音もそちらに目を配る。

 闇に包まれていて判別はできないが、元々時計塔があった場所は把握しているので、大体の位置は分かっていた。

 

「あれは緋真が勝手にやったことでしょうに。……そのせいで私たちもこんな苦労をすることになって、あーもうなんてことをしてくるのかしらね」

 

 思い出していくだけで段々と腹が立っていく汐音。

 と、その時。電子音が屋上内に響き渡る。

 音量は小さかったが、静寂に包まれたここではやけにうるさく聞こえた。

 

「アラームか……相変わらず時間にはきっちりしているんだな」

「そうしないと、せっかくスケジュールを決めたのが台無しになってしまいますわ」

 

 アラームを切って、深夜零時を回ったことを確認する。

 早速行動に移そうとしたところで、

 

 ――微量な衝撃音が二人の耳に流れ込む。

 

「――!! おいっ! 今の聞こえたか?」

「ええ、聞こえましたわ。――すこし離れているのではなくてっ!」

 

 二人は全神経を、感覚を研ぎ澄まして身構える。

 夜目が利くわけでもないので、先ほど聞こえた辺りを中心に次に起きる何らかのアクションを見逃すまいとする。

 

 そして――それはすぐに目撃した。

 

 暗闇にはあまりにも目立ちすぎる照明が眠った町に灯る。

 閃光の如く、真っ赤な炎が一直線に奔り抜けた様を見逃すことの方が難しい。

 

「あれは緋真の魔法ではなくって!」

「ついに始まっちまったか」

 

 炎の軌跡は一瞬で消え去り、再び静寂が夜を支配する。

 

「つーか何だよあの威力。こいつは間違いなく、例の戦闘員の二人組だな」

「のんきなことを言っている場合ではなくってよ。急がないと緋真が危険ですわよっ!」

 

 大地を照らした炎の規模を見ればいかに緋真が追い詰められているかは一目瞭然だった。

 相手もおそらくは覇人が言っていた人物で間違いはないだろう。そのせいで汐音には焦りが足されて口調が早くなっていた。

 

「分かっているよ。あそこには彩葉と茜もいる筈だろうからな。緋真は無事だとしてもあの二人には荷が重すぎる」

「緋真でも荷が重すぎますわよっ!」

 

 汐音は魔力弾で柵を破壊して、出口を作り出す。

 

「行きますわよ!」

「おう!」

 

 マンションの屋上から瓦張りの屋根へと堕ち、屋根から屋根へと伝い渡る。

 今宵、月の綺麗な空の下を白き魔法使いが、霊を想起させるように舞った。



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31話

区画管理者自宅 玄関前

 

 昼間までは綺麗な花が色とりどりと咲いていた庭は、見事なまでに原型を失くしていた。

 ある場所では焼け潰れ。ある場所では陥没しており、そこで戦争でもあったかのような状態になっていた。

 

「さすがにA級の称号は伊達じゃないわね。このままだと地形が変わってしまうわ」

 

 緋真は飛んでくる血晶をただひたすらに、躱して炎で飲み込むだけの作業を続けていた。

 機械のように繰り広げられるその行為で、みるみるうちに凄惨な光景へと変貌を遂げてしまった。

 

「ブロンズのお姉ちゃんが避けるからこんなことになっちゃうんだよ」

 

 空から降ってくる光源に濡れた水色の髪を靡かせながら、月は火薬の練り込まれた爆弾式の魔具――血晶を次々と放り投げていく。

 両手の指の隙間に四つずつ――計八つ。

 片方を贅沢に四つ同時に投げつける。

 

 ――退路はなく ――左右もなく ――向かうすべもなく

 

 分散された血晶は緋真の動きを完全に封じる。

 緋真は最善の手段でもって、対抗する。魔法で薙ぎ払い、空を飛んでいるうちに無力化させたのだ。

 間髪入れずに続けて月は残りの四つの血晶を緋真に的を絞る。

 

「―――!」

 

 拡散されずに集中して投げ出された数発の血晶は、単発の威力とは比べものにもならない。

 あれをまともに受ければ致命傷は避けられないと判断した緋真は、咄嗟に指先に魔力を練り始めた。 

 血晶は衝撃によって爆発する。その認識は間違えてはいない。すなわち、魔力弾では必ず爆発してしまうということだ。

 だが、それは正規の場合という話しだ。

 魔力が凝固していき、魔力弾を形成。

 その中に炎を練り込んでいく。それはまるで太陽のような、緋《あか》い炎の魔力弾。

 密集した血晶を音もなく粉々に散らして、そのさらに奥にいる月へと向かっていく。

 

「――わっ!」

 

 横へ勢いよく転がって躱すと、月のいた場所の背後に炎の魔力弾は焦げ跡を残して着弾した。

 

「そんなものを使うなんて危ないよ! 月じゃなかったら死んじゃってたかもしれないんだからっ!」

「大丈夫よ。あなたが避けることを計算して使ったんだから」

「どうしてそんなことしちゃうの。ブロンズのお姉ちゃんのイジワル」

「子供のくせにそんな危険な物を使うからでしょ。そんな悪い子には、お仕置きをするのが当然じゃない。……まったく、せっかく可愛いんだからもっとお淑やかにしなさい」

 

 敵味方問わず、月の暴虐の限りを尽くすような戦闘方法が気に入らない緋真。

 余計なおせっかいなのかもしれないが、今後の月の成長に関わるような案件なので手は抜かず、再教育のつもりで放った一撃だった。

 

「そんなことお姉ちゃんには言われたくないよ。悪いのはお姉ちゃんの方なんだからッ――!」

 

 更に血晶を取り出す。そしてまた、緋真は魔法で掻き消して月へと襲う。

 荒れ狂う猛き炎に対して、血晶が振りまかれるその姿はまるで遊戯の如し。

 

 取りこぼした血晶は地表に花火の音を奏で――弾ける。

 

 踊る炎。歌う爆発。

 燃える音が、爆発音が旋律《メロディ》を生み出し、二人の表現に加わる。

 死の舞台に降り立った炎の精霊(緋真)と爆弾魔(つき)は、互いに一歩も譲ることもなく、自分を魅せ付け合う。

 静寂に包まれた町に突如として開催されたステージに観客はいない。

 終幕を迎えるのは疲弊し、ネタを切らしたとき。

 

 ――終局を迎えるまでは……あともう少し先のこと。

 

「ちょっといくらなんでも多すぎるんじゃないかしら。一体いくつ持ってきてるのよっ?!」

「んー……分かんない!」

 

 律儀にも思い出そうとしながら答える月。

 実際のところアンチマジック三十区支部を出る時、月は魔具倉庫から適当に持てるだけ持ってきたのである。把握なんてしているわけがない。

 

「でも、ちょっと数が減ってきたかな?」

 

 感触を確かめながら、最初とはずいぶんと減っていることはすぐに分かる。

 

「月……ちゃんだったかしら? そんなこと敵である私の前で言っていいのかしら」

「あ――! こ、これぐらいは、ハ、ハンデだもん。お姉ちゃんと月はこれぐらいで丁度いいのっ!」

 

 時には魔法が飲み込み。時には血晶による破砕が周囲を震わす。

 これではとてもではないが、割り込む者などいないだろう。

 完全に二人だけの世界で演技《ちから》が交錯しあい、攻防一体の接戦を繰り広げる。

 

「これじゃあ、どうしようもないわね。早く終わらせて彩葉ちゃんの方にも行かないといけないのに」

 

 緋真は内心焦っていた。

 彩葉と茜の元には目の前にいる月よりもさらに上のS級戦闘員である殊羅が向かったのである。

 どう考えても相手にならないことは明白だった。

 

「安心して。お姉ちゃんたちが傷つくことはないから」

「そんなことを信じられるわけないでしょう」

 

 どうして敵の発言を鵜呑みにしなければいけないのか。至極当たり前のことなのだが、月には「なんで?」と、問いたげな表情になっているのが緋真には不思議だった。

 

「だって、月がやっちゃダメって言っておいたもん。だから大丈夫だよ」

 

 ガクッと肩を落としたくなるような答えに脱力感が湧いた。

 

「えーっと……根拠はそれだけなのかしら。それだと全然信用できないわね」

 

 過去の経歴からして月は害の無い魔法使いを襲撃したこともなく、殲滅したこともなかった。

 そして、害のある魔法使いであっても殲滅はしたことがなかった。ただ、致命傷を与えて無力化するだけの戦闘員。

 

 それが――水蓮月だ。

 

 そんな月が彩葉たちの元に向かっていたのならば、致命傷は避けられないとしても、殺されることは断じてありえないことは経歴が物語っている。

 しかし、殊羅に関しては何も情報がなかった。

 見かけで判断するならば、やる気のなさからして大事には至ることはなさそうではあった。が、それはあくまでも素人からの偏見の感想になる。

 幾度となく戦闘員との対決を潜り抜けてきた緋真には分かってしまった。あの男には得体の知れない、未だ出会ったことのない最凶最悪の力を秘めていることを直感的ながらも感じていた。

 

「疑り深いお姉ちゃんだね。ちゃんと返事してたから大丈夫だよ」

 

 殊羅はただ、面倒くさがっていただけなのだが、月にとってはそれで十分信頼に足るもののようだ。

 

「あのねえ、あなた大人になったら苦労するわよ。私……あなたが悪い大人に引っかからないか心配してきたわ」

 

 月は中学生ぐらいの風貌をしている。それに付け加え、人を疑うことのない純粋な心を持っていた。

 緋真にはそれだけで、いつもの姉としての本能が目覚め、不安を覚えた。

 

「余計なお世話だよーだ」

 

 べーっと舌をだして挑発する月。

 その可愛げのある仕草に緋真の母性本能のようなものがでてきそうになるも、ぐっとこらえた。

 

「そんなことよりも自分の心配をしたほうがいいよ」

 

 懐に手を突っ込み、血晶を確認する。

 だが、そこで気付いた。

 

「あれ? あとこれだけしかない」

 

 残りの血晶数は三発。

 念には念をもって多めに持ってきたつもりだったのだが、予想以上に使いすぎてしまったようだ。

 

「でも。これだけあれば――」

 

 勝てる。

 

 ここまでの戦闘で緋真は魔法による相殺と回避しか行ってこなかった。

 緋真は遠距離タイプの魔法使いであることは明白だ。

 加えて連続に続けた回避は緋真の体力を奪い、動きは鈍くなっていた。

 ここから一気に近距離に持ち込むことが出来れば勝負は着くだろう。

 消極的になった月から血晶の残数が僅かだと悟る緋真。

 

 そして――不意に動きを止めた月によって、奇妙な静けさが支配した。

 

 一気に戦いの幕を閉じに来るのだろうことを緋真は感じ取る。

 

 緊張感が増して、次の月の行動に備えた。

 

 手の平に握りしめられているであろう、血晶から目を片時も外すことはない。

 打ち合いは終わった。残数を考えれば、一手一手確実に仕留めていく算段でくるだろう。

 緋真は一つ残らず撃ち落とすつもりでいるが、このまま膠着状態がつづくようであればこちらから手を出すしかない。何せ、相手の攻撃手段が限られているのだから。

 先に手を出すのはどちらか? 出方を窺がい、思い思いの決着までの道筋を夢想する。

 

 途端、月が静から動へと変わった――!

 

 

 ――第一の投擲

 風を切るように、真っ直ぐに一粒の血晶が緋真へと襲い掛かる。

 すぐさま魔法を発動し、直線状に突き進む血晶を炎が飲み込み焼き消される。 

 

 ――第二の投擲

 それは第一の投擲から僅かのこと――放物線を描いて緋真の上空にそれはあった。

 気づいた時にはすでに眼前にまで迫っていた血晶を、緋真は瞬間的に魔力を練り上げ、魔力弾でもって粉砕。

 直後に爆風が顔を撫でるも、前方に視線を持っていくと、月が距離を詰めて来ていた。

 俊足の速さで駆け付けた反動で月の羽織っている黒のマントが翻る。

 一瞬だが、その時に腰のあたりに差し込まれているソレを緋真は見てしまった。

 

 その刹那――

 

 月は腰に差してあった脇差を疾く抜き放つ――ッ!

 

 胴を狙った鬼気迫る一閃を前に緋真は咄嗟に飛び退く!! 

 虚空を切り裂くに留まったものの、月は諦めない。

 

 ――第三の投擲

 飛び退いてバランスを崩したところを、最後の血晶が終わらせる――が、

 あともう一歩も踏み込めばという至近距離で絶対に当たると思っていた月は、緋真の圧倒的な反応に驚愕した。

 燃え上がる炎が緋真を覆い、結界のようにして生まれた炎が血晶を無力化したのだ。

 

 

「――そんな……ここまで追い込んだのに……」

「惜しかったわね」

 

 決して油断をしていたわけではなかった。間違いなくこの算段で緋真に致命傷を与えることができるという確信が崩れ去り、ただ驚きだけが残った。

 

「さて、血晶もなくなったようだし――どうするのかしら? このまま続けるの?」

 

 月の戦闘の主流は血晶だ。

 それがなくなったのならば、残された手段としては先ほど抜いた脇差ぐらいだろう。

 

「当たり前だよ。お姉ちゃんが魔法使いで月が戦闘員なんだから見逃すわけがないよ」

 

 再び抜いた脇差を胸の前にかざし、戦闘の意志をみせた。

 

「どうして、そこまでして戦うのかしら。聞いた話だとあなた、魔法使いを一度も殺したことがないそうね。それで戦闘員なんておかしいいんじゃないかしら。戦闘員っていうのは魔法使いを殲滅する部隊のはずよ」

 

 それを聞いた途端、月の表情が強張った。

 

「そんな……殺すなんて簡単に言わないでよ!」

 

 予想していなかった発言に緋真は目を丸くした。

 魔法使いを殲滅し、社会の歪を正すことこそが戦闘員だというのに、目の前の少女はそれを否定した。

 とはいえ、魔法使いを生け捕りにしておくこともあるそうなので、そうおかしいことでもないかもしれない。付け加えるなら、幼いゆえに死者に対する痛ましい心があるからなのかもしれないが、真意は不明だ。

 しかし、月はこう見えても最強のA級戦闘員だ。一度も魔法使いの殲滅を行わずにその階級まで上り詰めた経歴に、緋真は疑問を持った。

 

「月はただ、魔法使いに反省してもらいたいだけなの。だから殺す必要なんてないの。きっと何か事情があってそういうことをしてしまったんだと思うから」

「それは戦闘員の言う言葉じゃないわね。ただの子供のわがままよ。とても、裏側の世界ではそんなことは通用しないわよ」

「分かってるよ。けど、月は知ってるもん。魔法使いにもいい人はいるんだってことを」

 

 その言葉に嘘偽りは感じられない。まるで、魔法使いを間近で見たきたかのようだ。

 それゆえに、月は魔法使いを殺すことに抵抗があるんだと緋真は感じた。

 

「……やっぱりあなたは戦闘員に向いてないわ。悪いことは言わないからやめなさい。でないと、いつか魔法使いに堕ちるわよ。それに見たところ、中学生ぐらいのようだし、まだまだやり直せれるわよ。普通に学校に行って、友達を作って、あと、可愛いんだから素敵な男の子にも会えるわよ。――これ、お姉さんからの忠告と未来の予言」

「ほら、お姉ちゃんもいい魔法使いだ」

 

 確信を持って、月は微笑みを付け加えた。

 年相応の可愛らしい素顔に緋真も釣られて頬が綻びそうになる。

 

「……だったらこれ以上はもうやめましょう。私だってあなたと戦いたくなんてないわ。月ちゃんも私のことをいい魔法使いだって認めてくれるなら、無理に争う必要なんてないわよ」

「それは無理だよ」

 

 首を振って、残念そうに月は否定した。

 

「どうして? 私がこの町の人たちに被害を与えたことがそんなに許せないの?」

 

 すでに百名にもあがろうかという死傷者が出ている。

 その現状からすれば、月の怒りも分かる。

 だが、月は魔法使いを殺したいのではなく、捕えたいだけだ。それにここまでの流れからして、月は戦闘を嫌っているのだと思った。

 

「人間は絶対に間違ったことをする生き物で、そんな人たちに魔法使いっていう罰が与えられるんだと月は思うんだ。けど、魔法使いが悪いことをしたら罰を与える物がないから、その為に月たち戦闘員がお姉ちゃんたちを捕まえて、反省させるの。だから、月はお姉ちゃんを逃がすわけにはいかないの」

 

 緋真の目を見て答える月の視線に、真摯に向き合いながら応える。

 

「そう……立派な考えだと思うわ。けど、月ちゃんがその年でそんな考えをもつ程のことがあったのだとしたら、やっぱり私はこれ以上月ちゃんとは戦いたくないわ」

「じゃあ、大人しく捕まってくれるの?」

 

 やわらいだ表情で問いかける月。

 それにつられて緋真も優しい眼差しになり、微笑を漏らす。

 

「……そういうわけにはいかないわね。――じゃあ、こうしましょう! 私は精一杯逃げるわ。だから月ちゃんは私を精一杯追いかけてきなさい。お姉ちゃんと追いかけっこよ」

「え! え?! なになに? どういうこ――」

 

 緋真は屋敷に沿って、彩葉たちの逃げた方向へと走り出す。

 

「私についてこられるかしら」

「よーし、こうなったら月も本気を出すんだから――」

 

 まるで子供の遊戯に付き合っているかのような光景だ。

 

(ふふ、やっぱり笑っている顔が一番似合うわね)

 

 無邪気に追ってくる月の姿は、年相応のものではあったが、片手には脇差を手にしており、戦闘員としての意識は忘れてはいないようだ。

 

「あれがなければもっと良かったのだけれどね……」



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32話

 屋敷の外周に沿ってひたすらに走り続けていた。

 外には緋真さんが仕掛けたという保険があるらしい。結構自信のあるもので、指示に従わなかったら巻き込まれる恐れがあるということだ。

 戦争とかやっていた時代にありそうな地雷原を歩かされることをさせられているみたいで、すごく怖い。

 そんな指示をだした緋真さんは私たちの後ろにはいない。

 突然、屋敷の壁が壊れるような音がして、振り向いたときには緋真さんとはぐれてしまった。

 けど、緋真さんなら無事だという確信があった。だってあれだけの魔法が使えるんだから、何とかなるんだと思う……。

 それよりも私と私の後ろからついてきている茜ちゃんが無事に逃げ切ることの方が優先だと思って、指定された屋敷の裏側を目指す。

 

「茜ちゃん。もうすぐで裏側に回れるよ」

「はぁ……はぁ……。は、はい」

 

 体力にあまり自信のない茜ちゃんが息切れしながら追いついてくる。

 本当はもう少しペースを落としてあげたいのだけど、それが無理だと分かっている茜は一生懸命になっていた。

 無事にゴールが目前に見えてくる。きっと緋真さんがあの後、足止めをしてくれているんだ。

 何もできない無力な自分がいやになってくるけど、緋真さんの足を引っ張ることはもっといやだった。

 

「あと、もう少し……」

 

 半分を超えた辺りで、突然私たちの真横を風圧の塊みたいなのが飛んできた。

 

「な、なに……!?」

「きゃあ……っ!」

 

 多分、当たっていたら体が飛んでしまったかもしれないぐらいの風で、唐突のことで足が止まってしまった。

 

「……やっと追いついたぜ。面倒だから逃げるなよ」

 

 振り向いたらそこには、殊羅と言われていたS級の戦闘員がいた。

 この風を起こしたのもあの人なんだと思うんだけど、やっぱり手には何も持っていなく、初めて出会った時のような覇気のない感じで私たちと対峙した。

 

「緋真さんはどうしたのですか」

「あの炎の女なら今頃月とやり合っているところだろう」

 

 それはなんとなく想像できた。月ちゃんは緋真さんのことを狙っているんだから、戦うことにはなることは当然だと思う。

 

「それで殊羅……、が私たちのところにきたってこと?」

 

 確か、緋真さんはS級戦闘員だと言っていた気がする。

 ということは月ちゃんよりも上で、私たち程度だとどうしようもない相手ということなんじゃない!?

 ど、どうしたらいいんだろうか。

 

「雑魚の相手をする気はないんだが、あのメガネをかけた阿呆がうるさいだろうからな。ま、暇つぶし程度で相手をしてやるよ」

「べ、別にいいよそんなの。というか、私たちだと暇つぶしにもならないと思うんだけどなぁ」

 

 S級と魔法使いなり立ての私たち。天と地ほどの差もあるはずだから、絶対無理な気がする。

 

「それとも本当に暇つぶしで飽きたら逃がしてくれるのかな?」

「そ、それはさすがにないとは思います。けど……彩葉ちゃんの言う通りです。あの、どうして私たちを襲うのですか? S級の人でしたらもっと上の魔法使いを狙うのではないのですか?」

「仕方ないだろ。月にあのデタラメな魔法使いを取られちまったんだ。お互いに運が悪かったと思うしかないな」

 

 殊羅は残念そうにしていた。

 私たちにとっては本当の意味で運が悪いんだけど、殊羅にとっては私たちみたいなのが相手で運がなかったってことになるのか。

 残念なのは私たちの方なのに、私たちが悪いことをしてしまっているような気がしてきた。

 

「そんな理由で争うなんてあんまりです! お互いに望んでいないのですから、無理に戦う必要はないと思います」

「出来れば俺もそうしたいがな。お前らには悪いが、こっちは一応任務でもあるしな――」

 

 殊羅をそういって鞘に入れた状態の刀を取り出した。

 

「雑魚相手にやる気はないが、あの阿呆にごちゃごちゃ言われるのも面倒だ。

 ――加減はしてやるから抗ってみろ」

 

 さっきまでとは変わって、激しい闘気がむき出しになる。

 

「何ですか?! これは」

「滅茶苦茶強そう。これって私たちで何とかなるの」

 

 次第に汗ばんでいく手は、恐怖が溢れ出している証拠。本当に私たちだけで相手にできるのか分からない。

 けど、やるしかない。握っている刀が、わが身を守る大切なお守りのような気がしてくる。

 真剣を使うのはこれが初めてのことで、人の命を奪う武器だということを改めて認識して急に重みを感じるようになる。けれど、自分の命を守ることが出来るとしたら、これしかない。

 本当は今すぐにでも逃げ出したいのだけど、それは絶対に無理なことなんだと本能が告げる。

 戦うしかない。そう、覚悟を決めなくちゃいけない時なんだ。

 

「――茜ちゃん!」

「はい。援護は任してください」

 

 魔法を発動して、クリスタルのような輝きを持った拳銃を手に構えていた。

 それを確認して私は駆け出し、後から茜ちゃんが付いてくる。

 そして、一気に殊羅との距離を詰めて刀を振るった。

 だが、感触はなく。ただ、虚空を切り裂いただけだった。

 

「何を躊躇していやがるんだ。迷いを捨てて敵を切ることだけに集中しろ」

 

 そんなことを言われても体が上手く動くはずがない。

 一歩間違えたらこの人を殺してしまうかもしれないというのに、集中なんてできない。

 刀の重みに振り回されるように、滅茶苦茶な攻撃になってしまう。

 

 一振り――

 

 二振り――

 

 三振り――

 

 ガチガチに強張ってしまって思うように刀が振るえない。

 これが戦い。剣道やスポーツなんかと違う。命の取り合いになる行為。こんなにも怖いことなんて知らなかった。

 怯えながら刀を振るっていると、殊羅は退屈そうに躱すだけだったのが、飽きてきたのか右手に握っている漆黒の鞘で私の刀を押しとどめられてしまった。

 

「やはりこの程度か……」

 

 殊羅がそっと呟いた後、突如としてものすごい力が私の刀を通じて流れてきた。

 

「……え?!」

 

 どこにそんな力があるのかと思ったのも束の間、体がフワっと浮いたような感覚がして――いや、実際に足は地面を踏みしめてなくて、それに気づいた時には私は鞘で押し返されていた。

 滑空していた体の一部が大地に激突し、そのまま

 

 一転、二転、三転

 

 と数度に渡って回転して止まった。

 一瞬何が起きていたのかも分からなかった。けど、痛みがまだ生きているんだと実感できた。

 

「彩葉ちゃん……!」

 

 茜ちゃんの声がして意識を前に向ける、その時には目の前には殊羅がいた。

 

「――!」

 

 ほとんど無我夢中で刀を下段にして構えた。

 生命の本能だろうか、それに従うようにして下から斬りあげた。

 その瞬間私は目を疑った。

 

「……う、そ……」

 

 ガラスが飛び散った時に似た音が耳に流れる。 

 横なぎに振るわれた鞘が魔法で創造した刀を砕いたのだ。

 思わぬ事象に手がしびれる感覚と共に力が抜けて、ゆっくりと地面に膝をついて倒れる。

 その間にも、殊羅は鞘を無慈悲にも私の方へと向ける。

 

「ま、意外と反応は悪くなかったが、この程度か――」

 

 やばい。もう一度刀を造らないと――殺される!

 そう思った瞬間――

 音もなく弾が殊羅と私の間を過ぎ去った。

 

「――あ?」

 

 さして驚いた様子もなく、殊羅がそっちを見た。つられて私も見る。

 

「彩葉ちゃんから離れてください!」

 

 茜ちゃんが魔法で創造した銃を構えて、殊羅の方を睨んでいた。

 だが、その手はひどく震えていて、照準があっていない。

 茜ちゃんも私と同じで、自分の持っている凶器を自覚しているんだろう。

 それに心優しい茜ちゃんのことだから、躊躇いも大きんだと思う。

 その証拠に次に発せられた言葉は震えていた。

 

「次は……当てますよ」

「そんな震えた手で誰を当てる気でいるつもりだ」

 

 言われて茜ちゃんは震えた手を抑えるように、銃を握る力を込めた。

 それでも止まる様子もなく、力がこもっている分、持ち方が固くなっていた。

 あれだと余計に当たらなくなるだろう。

 

「話にならないな。ま、初めてだとそんなもんだろうな」

 

 狙いを完全に茜ちゃんに変えた殊羅は鞘を大きく振りかぶった。

 

「せめてもの情けだ。痛みも感じないうちに終わらせてやるよ」

 

 闘気が高まっていき、鞘に威圧感を感じる。

 なにをする気か分からないが、あれを振り下ろさせてはいけない。直感的にそう判断するも体が動かない。

 情けないことにまだ、さっきの反動から腰が抜けてしまっているみたいだ。

 これじゃあ、ダメだ! 茜ちゃんがやられてしまう。

 

 ”これからのことも考えて、まずは彩葉ちゃんと茜ちゃんには自分の身を守る力――魔法の使い方を覚えてもらうわ”

 

 そうだ。怯えている場合じゃない。

 自分の身を守る力。そのために緋真さんはこの力の使い方を教えてくれたんだった。

 だったらいま使わないと。

 

 魔法を使って、手に刀を創造して立ち上がるだけの簡単なこと。

 

 四肢に力を入れて、恐怖を捨てる。一番怖いのは斬れないことじゃない。

 

 ――私を

     茜ちゃんを守れないこと――!

 

 ――お願い! 動いて! 動いて! 動いて! 動いて! 動いて! 動いて!

 

 ――――動けーーーーーーー!!!!!    

 

 甲高い音が響く。

 鉄と鉄をこすり合わせたような音だ。

 気づいた時には体が弾け飛び、電光石火の如く駆け付けて振り下ろされようとしていた鞘を受け止めていた。

 

「へぇ。やれば出来るじゃねえか」

 

 愉しそうに嗤う殊羅に距離を置いて、茜ちゃんの傍による。

 

「大丈夫!? 茜ちゃん」

「はい。私はなんともないです。彩葉ちゃんの方こそ、大丈夫……なんですか」

 

 腰を抜かしたことを言っているのか、不安そうに茜ちゃんが聞いてくるのに対して頷きで返す。

 

「私も平気。それよりも戦えそう? 茜ちゃん」

「は、はい。ですが、私たちだとどう頑張っても勝てませんよ。どうするつもりですか」

 

 茜ちゃんが不安そうに聞いてくる。

 無理もない。あれだけの力の差があったら絶望的な気持ちにもなるよね。

 だから、あえて私はそれを吹き飛ばすぐらいの勢いで茜ちゃんに答える。

 

「秘策なんてないよ。けど――

 どうせ勝てないんだったら全力で戦ってみようよ」

 

「――! む、無茶ですよ。相手はS級ですよ!」

「だからこそだよ。このまま何も出来ずにやられるぐらいなら、私と精一杯抗おうよ。それにS級だよ。どれだけ無茶なことをやっても倒れることなんてないんだから、胸を借りるつもりでやろうよ」

 

 茜ちゃんは目を丸くして私を見つめ返した。

 その言葉に安堵したみたいで、強張っていた表情がフっと和らいでいた。

 

「いいんじゃねぇか。そういうの。あっちの戦いが終わるまでのいい暇つぶしになりそうだしな。いいぜ、もうすこしだけ遊んでやるよ」

 

 くつくつと愉悦が混じった笑いが響ていたけど、それに屈するような心はもう持っていない。

 

「せめて、緋真さんが来るまでは頑張りましょう」

「うん! やるよ、茜ちゃん!」

 

 再び、それぞれの得物を構える。

 迷いが晴れたからか、さっきよりも刀が軽く感じる。茜ちゃんもその手に震えがなくて、吹っ切れたようだ。

 いまなら十分戦える。

 

「――」

 

 闇に煌めく白銀の一閃を漆黒の鞘が抑える。

 ひるんではダメだ! 

 ここで引かずに、もう一歩――全力で斬り込む!

 

「太刀筋はマシになったな。やれば出来るじゃねぇか」

「これでも……剣道をやっていたことがあるからね」

 

 まさか、こんな形で役に立つとは思ってもいなかった。こんなことならもっとまじめにやっておけばよかった。

 けれど、付け焼刃だけの知識だけど、それが活かされている。

 少なくとも刀は使いこなせている。それだけでも役に立つ。

 途中何度か刀が折れそうになるけれど、何度も立ち向かう。

 殊羅は攻撃はしてこない。ただ、こちらの一方的な剣戟を防ぐだけだ。

 

「……――!」

「そろそろ限界がきているな」

 

 最初は防ぐ一方だったが、いつの間にか私が押されてきていた。

 一撃、一撃を暴風の如く、鞘を振り回してくる。

 そのたびに刀が手から滑りそうになる程の衝撃が襲い来る。

 

 殊羅は防ぐ――から弾く。に変わっていた。

 

 斬り込んでは返され、斬り込んでは返され、その動作を繰り返していくうちに、ついには立っていることすらも辛くなってくる。

 最早完全に弄ばれている状態。ううん、殊羅にとっては遊び、なんだろう。

 私の言葉がどこまでやれるのかを確かめているような感じだ。

 

「……こ、の!」

 

 息切れしながらも、絞り出した声とともに体力の限界が来た。

 ついに刃は殊羅には届くことがなく、空ぶってしまい、そのまま前のめりに倒れ込んでしまう。

 その直後――頭上を音もなく魔力弾が通過する。

 弾丸の如し速さで吹き抜けたソレは、茜ちゃんの持つクリスタルの魔法の銃から射出されている。

 完全に倒れ込んで、続けざまに吹き飛ぶ魔力弾を眺める。

 

「逃がしません」

 

 瞬間的に後退する殊羅を追って、計五発の魔力弾が流れる。

 弧を描くようにして跳躍した殊羅に当たることはなく、そのまま振りかぶった鞘を地に叩き付けるようにして着地した。

 

 その瞬間――目に見えるようにして大気が動いた。

 

 魔法を使ったわけでもなく、何の冗談か腕力だけでやってのけたのだ。

 直感する。あれは最初に私たちを掠めた暴力的な風だ。

 吹き飛んでしまうのではないかというほどの威力を肌先で感じたことを思い出す。

 

 あれは避けないとダメだ。

 

 防御―― 回避―― 直撃―― 

 

 危険を察知して、どの行動を取るべきか脳が働く。

 それよりも悲鳴上げる身体が、地面に張り付いて立ち上がることを許してくれない。

 

「きゃぁぁぁぁぁ――!!」

 

 激しい衝撃が襲う。

 

 痛いとか。苦しいとか。そういったことは感じない。

 

 何が起きたのかさっぱりわからない。

 上を向いているのか。下を向いているのか曖昧で、景色が加速していることだけが視覚としてかろうじて分かる。

 映画やアニメのワンシーンとかであるような、大型のトラックなんかで吹き飛ばされるキャラクター。まさにあれになりきったみたいだ。

 

「――――きゃ!!」

 

 何かにぶつかって失速したのも束の間、何かに抱き留められる感触がある。

 止まってみて初めて理解した。どうやら真っ直ぐにに飛ばされたみたいだ。

 

「大丈夫ですか?! 彩葉ちゃん」

 

 反動で尻餅をついて、心配そうに私を見詰めている茜ちゃん。

 体中に痛みは感じるけれども、クッションのようにして身を挺してくれたおかげで怪我はなかった。

 

「へいき……だよ」

 

 ゆっくりと片膝を立てて、痛みをこらえる。

 もう節々に限界がきていて、この体制が一番楽に思える。

 本当はこのまま茜ちゃんに体を預けている方が楽なんだけど、あれだけの衝撃だったんだ。茜ちゃんのか細い腕が少しばかり赤くなっていたから申し訳なくなったからだ。

 

「――っと。もう終わりか」

 

 まだまだ余力をたっぷりと残してそうな殊羅が呆れ交じりに呟いている。

 

 ……! こんなのどうしたらいいの? このまま戦う? 

 

 それとも逃げた方がいいのかも。でも、どっちにしろあの様子だと追いつかれて戦闘になる。ってこれじゃあ選択肢は一個しかないも同然じゃん。

 

「つまらねぇ戦いだったが、最後のは、まあよかったんじゃねえか」

「……どうも」

 

 精一杯強がって見せる。

 けど、どういうことだろう。私たちを褒めてくれるなんて。

 

「――にしても、キャパシティの娘だというからどれ程の奴かと思ったが、この程度なら大したことないな」

 

 キャパシティの娘? それって私のこと?

 ということは――。

 

「もしかして、父さんのことを知っているの?」

「雨宮源十郎だったか。直接の面識はないが、この前オッサンと互角以上にやり合った魔法使いらしいな」

 

 緋真さんが言っていた通り、有名な魔法使いのようだ。

 

「彩葉ちゃんのお父さん。とても有名な人みたいですね」

「悪い意味でだがな。そんじゃ、あとは大人しくしていてくれや。そうすれば、親父と同じ所へぐらいなら連れて行ってやるからよ」

 

 父さんと同じところ。つまり、私たちを殺すつもりでいるということになる。

 

 それだけは――嫌だ……っ!!

 

 魔法を使って、刀を創造する。全身を奮い立たせて、再び立ち上がる。

 

「彩葉ちゃん……!」

 

 茜ちゃんが怪訝そうに見上げてくるけど、私はそれを無視して殊羅を見返す。

 

「おいおい。やめとけって」

「そんなことを言われて大人しくしているわけがないじゃない!」

 

 私の立ち上がりに驚いたのか、殊羅が意外そうな顔をするが、すぐに表情が元に戻る。

 

「お前ら相手だと張り合いがないんだがな――」

「だったら早々に退散したらどうなの」

 

 聞き慣れた声が聞こえてきたかと思ったら、激しい炎が殊羅を襲った。

 振り返り鞘で炎を弾く。その瞬間には女性が殊羅の前にいた。炎を纏った左手による掌底。さすがの殊羅も敵わないのか、身を捻ってかわす。

 

 交錯する二人。

 

 女性はステップを踏むようにして振り返る。その右手には太陽のような灼熱の弾を構えていた。

 間髪入れずに射撃。

 殊羅の反応は早く、後方に飛び退いた。

 

「大丈夫だった? 彩葉ちゃん。茜ちゃん」

「緋真さん!」

「よかった、来てくれたのですか!」

 

 物凄い攻防を繰り広げたその姿は紛れもなく緋真さんだった。

 

「安心しなさい。これ以上は姉として、私の可愛い妹たちには指一本触れさせないわ」

 



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33話

「……」

 

 殊羅は緋真さんの炎の魔力弾を難なく避け、着弾して焼け焦げた大地を興味深そうに目を落とした。

 喰らっていたらいくらS級と言えど、死は免れなかったかもしれない威力だ。

 だがそれでもなお、殊羅は少しばかりの愉悦を覚えていた。

 死を恐れていたわけでもなく、ただ自分を楽しませてくれるほどの実力を持った者が現れたことに対しての歓びを感じているみたいだ。

 

「はあ……はあ……急に逃げ出すなんてずるいよ」

 

 緋真さんとの攻防のあと、遅れて月ちゃんが殊羅の元へとやってくる。

 

「どうした。まさかとは思うが、お前さんには荷が重かったか?」

「そんなわけないよ。急にお姉ちゃんが「追いかけっこしようって」逃げたから追いかけていただけだもん」

 

 ぷくーっと頬を膨らませながら月ちゃんが騒ぐ。

 

「あら? 血晶を全部使い切って戦う手段を失くした子を相手にするのは大人げないと思って手を引いてあげたのよ」

「別にあれが無くてもこれさえあれば十分だもん」

 

 腰に差している脇差に手を当てる月ちゃん。

 血晶の他にもあんな物を持ち歩いているなんて。

 子供らしい部分があるのか、そうじゃないのか。

 外見とは裏腹にギャップの強い子だっただなんて。可愛い外見が台無しだよ。

 

「あの、緋真さん。これはさらに状況が悪くなってしまっているのではないですか」

「でも、あの血晶ってやつはもうないって言ってたから。なんとかなるんじゃないかな」

 

 爆弾のようなあれがないということは少なくとも月ちゃんの力は半減しているはず。

 あんなものを目の前でホイホイ投げられたりすると、生きている心地なんてするわけもないし、ちょっぴり安心できちゃう。

 

 ――っと、月ちゃんが私たちの様子に気づいたみたいで目があった。

 

「ああ! お姉ちゃんたちが怪我をしている。殊羅~! お姉ちゃんたちには手は出さないって約束したのになんで怪我させちゃったの!」

「捕えるのに多少荒くなるのは仕方ないだろうが。それに約束はした覚えはないがな」

「でも、殊羅なら本気だしたら無傷で捕まえることも出来るんだからそうしてくれたらいいのに」

「わざわざ本気を出すのが面倒くせぇんだよ。けどま、あの炎の女がいたら少しは楽しくなりそうだな」

 

 鞘を取り出す殊羅。やる気を出してくれたことに嬉しくなったのか顔を綻ばした後に、月ちゃんも脇差を抜き出す。

 

「追いかけっこの続きだよ」

 

 目を爛々と輝かして、わくわくしている。

 なにがそんなに楽しみなのかと思ったけど、たぶん構ってもらえることに喜びがあるんだろう。

 いま思えば出会った時もあんな風に笑顔で私たちになついて、くっ付いてきていたし一人でいると寂しい性格なのかもしれない。

 

「うわぁ……すっごく生き生きしてるよ」

「それでも私たちの敵、なのですよね」

 

 あまりにも戦意が無いように見えるから、私たちも身構えた方がいいのか躊躇ってしまった。

 けど、なにかしなければと思って刀を創造する。そして一歩前に出ようとしたところで、緋真さんが遮るようにして手を私たちの前にだす。

 

「彩葉ちゃんたちは私の後ろにいなさい。危ないわよ」

「心配しなくてもお姉ちゃんたちには手は出さないよ」

「分かってるわよ。この子たちを前に出させないのはね、その一帯が私の領域になっているからよ」

 

 魔法を発動し、月ちゃんたちがいる場所から少し前に出たところの地面を焼く。

 だが焼けてはいなくて、まるで侵入を阻むバリケードのようにして火柱が数本跳ねた。

 

「目が……焼けそうです」

 

 一度似たような経験をしている茜ちゃんは、手を傘のようにして視界を狭めている。

 

「すごい……! こんなことも出来るんだ」

「普通はできないわよ。ちょっと小道具を使っただけよ」

「もしかしてあの布、ですか?」

「正解。魔力は魔法使いにとっては筋力のようなものなの。だから、鍛えればそれだけ魔力は変化して、魔法も強くなるわ。その他にもね。道具を使うことによってより強い力になるのものもあるのよ」

「火は火でも、ガソリンや灯油を使うことによって、もっと強力な火になるということですね」

 

 へー、なんかすごい。ということは、屋敷で灯油の臭いがしたのはこのためだったということになるわけだ。

 

「じゃあさ、あの辺に灯油の染み込んだ布が散らばってるってこと?」

「そうよ。ふふ、お姉ちゃんの言う通りに動かなかったら危ないところだったのよ」

 

 ゾッとするようなことをさらりと言いのける。言う通りにしてなかったら、本当に地雷の上を歩いているようなものだったじゃん。

 

「さて、仕上げといきましょうか」

 

 緋真さんは赤く塗られている一枚の布を取り出す。

 よくみればそれは血で、布によく染み込んでいるようにもみえるから随分前についた物だと分かる。

 

「それって、私の手に巻いていた布、ですか?」

「よく分かったわね」

 

 見覚えがあると思ったら、昼間に殊羅から傷つけられた際に、茜ちゃんが簡単に応急処置した時に使った布だった。

 

「それをどうするの?」

「こうするのよ――っ!!」

 

 やはりというか、その布にも灯油をかけていたようでよく燃える。だけど、様子がおかしかった。

 まるでマグマのような、ドロドロとした赤い液状になっていた。

 

「な!? なにそれ! 反則だよ」

 

 月ちゃんが驚愕の表情を浮かべる。

 無理もない。間近でみている私だってこの光景が信じられないぐらいで茜ちゃんも驚いていた。

 

 ただ、一人。

 

 ――殊羅だけは興味深そうにしてそれを見ていた。

 

「この一枚はね。茜ちゃんの魔力が籠っている特別性なのよ」

 

 なんか意外。

 大胆な行動の多い緋真さんが、茜ちゃんの布を巻くときに丁寧に剥がしていたわけはこういうことだったのか。

 ボタボタと垂れそうになっているマグマの布を地面へと放り投げた。

 すると、敷いていた布に引火して噴水のようにして、マグマが吹き荒れる。

 それに続き、飛び散ったマグマが他の布に付着して、次々とマグマの柱が立ち上がった。

 

「――――!」

 

 赤い赤い液体がドロドロと流れている。局所的に赤い海が出来上がり、大地が悲しんで怒っているかのようだ。

 

 これって現実? 夢? 

 

 とんでもない展開に頭が追いついていけず、感覚が口を無理やり開けさせられているようで呆然とそれを眺めた。

 

「ひ、緋真さん……これはいくらなんでもやりすぎなのでは」

「これだけやっていたらもう安心でしょ」

 

 

「なにこれ。ずるーい。これだと追いかけられないよー」

 

 この世の水分を根こそぎ干からびさせるかの熱気とマグマの柱から逃げるようにして、安全圏まで退いている殊羅の元へと、トテトテと走り寄っていく月。

 

「逃げられちゃうよ、殊羅。どうしよう。ねえ、殊羅~」

「どうもこうもしねえだろ。飽きちまったし帰るわ」

「え? え?! なにそれどういうこと~殊羅」

「ちったあ張り合いのありそうな奴だと思ったが、小道具を使ってまで逃げようとするやつを追う趣味はないだけだ。それに、雑魚二人背負った状態だと全力も出せないだろ」

「そんなのダメー! ここまでやって逃がすことなんてしたらいけないんだよ」

「だったら、あとはお前に任せるわ。――確か、脇差(ソイツ)があれば十分やれるんだろう」

 

 腰に提げている脇差を見て、殊羅は言った。

 

「えー!? こんなマグマだとさすがにどうすることも出来ないよ。ねえ、殊羅も手伝ってよー。ねえってばぁ」

 

 子供がおもちゃをねだるように殊羅の袖を握ってブンブンと振り回す。

 

「だぁから。面倒くせぇんだよ」

 

 振りほどこうと邪険に扱う殊羅に、なおも食い下がろうとする月。

 

「ケチー。いいよ。そんなこと言うんだったら、蘭に約束を破られたって言いつけるもん」

 

 蘭は月に甘い。基本的に月の味方をする蘭は、保護者のようでもあり、月の意見の処理係でもある。

 ゆえに、蘭からのいちゃもんをつけられることを嫌った殊羅は渋々といった形で了承した。

 

「……分かったよ。適当に手を貸してやるよ」

 

 鞘を取り出す。

 そこに禍々しい闘気が集まり、鞘が黒く染めあがっていた。

 

「よーし。いけー。やっちゃえー」

 

 傍らで騒ぐ月を無視し、鞘で空を斬るように振り下ろす。

 

 激しい黒の衝撃が空気砲の如く飛びだし、文字通りにマグマが消失した。

 

 

「さ、今のうちに行くわよ」

 

 緋真さんの号令と共に逃げ出そうとしたその時にそれは起こった。

 

「「「――――!!」」」

 

 突然何かが弾ける音がして、マグマを背にしていた体を疾く振り向かせた。

 そこに見えたのは、ありえない光景。

 

 消失? 焼失? 

 

 分からないからどっちでもいいや。ともかく、そこには何も残されていなかった。

 さっきまで辺り一帯に敷き詰められて、噴水のようなマグマは突如として無くなった。

 よくみれば地面が削れていて、周囲に張っていた仕掛けもろとも吹き飛ばされたとしか思えない。

 

「化け物……なの」

 

 そっと緋真さんが呟いた。やはりこれは想定外の出来事なんだということは、緋真さんの絶望的な掠れた声を聞いて分かる。

 

「そんじゃ、あとは任せたぜ」

「よーし……って、殊羅も行くのー!」

 

 また月ちゃんと殊羅が言い合っている。仲がいいのか悪いのか分からなくなってくる。

 

「何を呆然としているの? 二人共!」

「え?! あ、……ええっと」

「後ろは守っているから、先に行きなさい」

 

 緋真さんの叱咤を耳にして、ようやくその場から動き出す。

 

「茜ちゃん! 行くよ」

「はい」

 

 私を先頭にして、逃げ出す。

 二人は依然として言い合っていて、今が絶好のチャンスと言える。

 このまま気づかないでくれるといいのになあと思いながら、全力で駆け出す。

 不思議なことにあれだけ軋んでいた身体が自由に動く。

 絶望的状況に立たされて、おかしくなってしまったかもしれない。

 

「へえ、あの嬢ちゃんたちまだ動けたのか」

「あ……っ! あー! もう殊羅が言うこと聞いてくれないから逃げられちゃうよー」

「……悪かったな」

「先に行っているから、絶対に来てよ」

 

 地を蹴り飛ばし、陸上選手も斯くやのスタートダッシュで疾走り(はし)だす。

 

SYURA START―――

 

「さて、先に帰ってるとするか」

 

 月を見送った殊羅は踵を返そうとする。

 

 ――その時

 

「……ん?」

 

 気配を感じ取った。

 

SYURA END――

 

「はやっ! なにあれ」

 

 あれだけの遅れを取っていたはずなのに、気づけば距離が縮まりつつあった。

 子供との追いかけっこというレベルの話しではないような気がする。野生の陸上動物に追いかけ回されている被食者になったみたいだ。

 

「このままだと追いつかれてしまいます」

 

 体力にあまり自信のない茜ちゃんは切羽詰まったように見える。

 

「いいから、あなたたちは前だけを向いてなさい。後ろのことは心配する必要はないわ」

 

 魔法を発動し、迫りくる月ちゃんに炎が舞う。

 小柄な体型を活かし、細かい動作で躱しながら急接近してくる。

 

 距離――三メートル。ほぼ、目前。

 

「追いついたよ。お姉ちゃん」

 

 腰の脇差に手を付ける。

 

「あら! 早いわね、月ちゃんは。お姉ちゃん驚いたわ! ――けど、少し遅かったわね」

「――!!」

 

 刹那――月は急停止した自動車のようにその場に踏みとどまる。

 

 瞬時――その場から飛び退いた。

 

 

 それを追うようにして、幾筋もの不可視の槍のような物がシャワーの如く降り注いぐ。

 

「きゃっ! もーっ! 誰? 月とお姉ちゃんの邪魔をするのは」

 

 空を見上げる。

 すると、二つの人影が舞い降りてきた。白い服を纏っていて、月の光に照らされてまるで幽霊でも落ちてきたのかと思った。

 けど、それは間違いなく人で。男性と女性だった。

 

「何とか間に合いましたわね」

「ギリギリセーフってとこか」

 

 一体誰だろう? こんな夜中に。

 それも私たち魔法使いと戦闘員の間に割ってくるなんて普通の人ではないことは分かる。

 

「いいタイミングに来てくれたわ。ありがとう。汐音、覇人」

「――えっ」

 

 名前を聞いて、私と茜ちゃんはほぼ同時に男性へと目を向けた。聞き間違えでなければ覇人と言った。

 

 それは私と茜ちゃんの友人の名前。

 こんなところにいる筈がない。

 

 彼は人間でかかわりのない人。

 

 そうして、目と目があった。

 

「覇人……くん」

「よう。無事だったか。彩葉。茜」

 

 よく見知った顔。聞き慣れた声。

 

 その姿は間違いなかった――

 



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34話

 夢を見ているようだった。

 突然現れた二人組。

 一人は女性。綺麗な人だと思った。緋真さんも綺麗な人なんだけれども、また違う美しさ。

 ロングの銀髪。光に反射して水に濡れたような艶は儚く幻想的で、風で流されてしまいそうなほどな質感は羨ましい限りで思わず見惚れてしまいそう。首元にはシルバーのネックレスが気品さを醸し出していて、まるでどこかのお嬢様みたい。

 

 そして――もう一人。彼は私たちの友人で、中学生の頃からの付き合いのある男の子。――いや。少年っぽさはなくて青年そのものだから男の子ではなくて男性か。

 その人はこの魔法使いや戦闘員といった、おおよそ表向きにでると騒ぎが起きるようなメンバーにはいてはおかしい人のはず。

 それが、現状を分かっているようで私たちを颯爽と助けてくれた。

 まったく意味の分からない展開に頭が混乱してしまう。

 

「な、なんで覇人がここにいるの!?」

「話せば長くなっちまうんだが、簡単に言ってしまえば成行きってやつだな」

「なにそれ……?」

 

 ものすごい省略されて言われたような気がする。まあ、長くなるような話なら分かりやすく結論だけ言ってくれた方が、難しいこと考えなくて済むから楽でいっか。

 

「それでは、そちらの女性の人は誰なんですか? もしかして、公園で聞いた親戚の人ってこの人なのですか?」

 

 それも気になるところ。こんな美人さんが覇人の親戚だなんて……なんか似合わない。

 

「私はあなたたちの同類ですわ。覇人も含めてですけど」

「私たちと、ですか?」

「色々話すことはあるが、今はこの状況をなんとかしてからだな」

 

 そう言って、覇人は手を前にかざし、突如空間が収縮された。

 

 

 ――歪曲された空間に浮かびあがる鋭利。立体化される透明の領域。

 無にして個なる造形。

それこそは有。それこそは無。

始めからそこに在るという約束。固形という概念。無かったという矛盾。可能な限りという法則。肯定という主張は揺るぎない。

 疑う必要はなく、起こりうることこそが真実。有無を云わせぬ確かなる存在。

今ここに――完成された大気が顕現する。

 

 両先端に形成されし矛は引き千切り、穿つために用意されたもの。

 斬、刺、射といずれに用いるかは千差万別。

 刮目せよ。異質なる御業にして、最上の創造魔法を――

 

 

 実体はなくとも触れることを許される。

 中身のない虚構の物質は風を切り裂く音とともに空間から切り取られた。

 

「な、なに? あれ……。どうなってるの?」

「もしかして、魔法ですか!?」

 

 いましがた起きた現象に、ただ驚愕の表情と言葉だけが漏れる。

 

「そうよ。その二人も私たちと同じ魔法使い。だからこうして助けに来てくれたのよ」

 

 空間に実体のない半透明の物質を生み出す――それが覇人の魔法。

 さっき月ちゃんの元に降ってきたものと同じだった。ということは、覇人が助けてくれたんだ。

 

「そういうことですわ。ですから、あなた達はさっさとお逃げなさいな。ここは私たちで抑えておきますわ」

 

 銀髪の綺麗な女性。名前はたしか、汐音と呼ばれていたっけ。

 その人は指を弾くと、それが鐘となり合図となる。

 

 

 ――それは、地表から咲き誇る。築かれし紛い物。世界の法則性を覆す事象を呼び覚ます。

 精巧なる魔力の宿る人形。その姿は本体《リアル》と一寸の狂いもない完成されし神秘。

 生み出された常識に、もはや否定は意味を成さない。

 その生誕に拍手と喝采こそが相応しい。

 この世の枠組みに囚われない、夢幻にして無限の造成魔法。

 いま――数多の魔力人形が全となり、一の生命として。主の元に馳せ参じた。

 

 

「こっちは犬……ですか」

「そうみえるけど……でもなんかゾンビみたい」

「私の魔法で創ったシェパードをゾンビ呼ばわりとは失礼なのではなくて」

「ご、ごめんなさい……」

 

 物凄い睨まれてしまった。

 地面から生まれたからか知らないけど、ところどころに草が生えていて、そのせいで余計にゾンビっぽく見えてしまった。

 

「というより、この犬はシェパードだったんだ」

 

 なんでもいいような気がするけど、妙なところでこだわる人なんだなあ。

 

「お兄さんたちが誰かは知らないけど、月とお姉ちゃんたちの邪魔をしないで」

 

 犬たちの射殺すような視線を一身に受けながらも月ちゃんは気丈に振舞う。

 

「おら、これ以上厄介なことになる前にとっとと行け!」

「そうね。彩葉ちゃん、茜ちゃん先に行きなさい」

「え! ですが、あの強い二人を相手に覇人くんたちを置いていくのですか!」

「あの二人なら心配はないわよ。お姉ちゃんが保証するわ。それよりもあなたたち二人の安全の方が優先よ」

「そういうことだ。俺たちのことは気にするな」

「覇人……」

 

 私たちの方は振り向かず、背を向けるその姿は死地に赴く兵士のようで不安になった。

 

「お前たちとは近い内にもう一度会うことになるはずだ。その時までは元気でいろよ」

「約束だからね……!」

 

 無事を祈りつつ、覇人から目線を逸らすとその場から去る。

 

「行くよ。茜ちゃん」

「彩葉ちゃん。いいのですか」

「うん。覇人は私たちの友達で仲間なんだから、信用しよう。それに私たちがここにいてもあの二人には何も出来なかったんだから、かえって邪魔になると思うの、だから……」

 

 本当にいいのか逡巡する茜ちゃんの手を強引に握りしめて、駆けだす。

 

 ――絶対に振り向かない。

 

 ――だって、約束したんだから。

 

 振り向いたらそれを破ってしまいそうで、いまは明日へ向かって走っていくことに集中しよう。

 

 AFTER

 

「二人には迷惑をかけるわね」

「もう慣れましたわ」

「さすがは私の親友ね」

「……早くあの二人を追いかけなさいな」

 

 照れくさそうに汐音は顔を背けて言った。

 

「緋真、しばらく頼んだぜ」

「任せなさい。姉の威厳にかけて何がなんでも守り抜いてみせるわ」

 

 ウィンクを残して、覇人、汐音から遠ざかっていく。

 

「あ、待って。逃がさないんだから~」

「行かせはしませんわ」

 

 月が緋真を追おうと走り出す。

 

 ――が、

 

 汐音の合図を元に、行く手を阻むようにして犬たちが前に出る。

 

「ワンちゃんたちそこをどいて!」

 

 犬たちに叱咤するも、さらに攻めよってくる人形にたじろぐ月。

 そうこうしているうちに緋真の姿は闇に溶けてしまう。

 

「あー! 逃げられちゃった……」

 

 釣った得物を逃したようながっかり感をだす月。

 

「さて、どうする? 俺としては時間稼ぎさえできたら十分なんだけどな」

「そうですわね。さすがにS級相手に敵いそうにありませんし」

「そいつはどうだろうな。そっちの灰色の小僧は少なくとも月と同等かそれ以上に強そうだがな」

 

 おもしろいものを見るように覇人を一瞥する殊羅。

 

「買被りすぎだっつーの。それにあんたが相手だと絶対に勝てそうにないしな」

「意外と冷静だな。お前」

「負け戦に正面から挑む度胸なんて持ち合わせちゃいねえよ。格上相手だともう少し戦略を練ってからやり合うもんだぜ」 

 

 腹を探り合うようにお互いを注視しあう二人に騒がしく声が挿し込まれる。

 

「そんなことよりもどうして邪魔をするの? 月はあのお姉ちゃんを捕まえないといけないのに」

「お前たちにとっては敵かもしれないが、あいつらは俺たちにとっては仲間だ。そんなやつらをみすみすお前らに追わせるわけねえだろ」

「その通りですわ。どうしても追いたいのでしたら、もう少しあとにしてくださる?」

 

 地団駄を踏むような勢いで月はさらに喚き出す。

 

「そんなことをしたら追いつけなくなっちゃうからダメだよ!」

「でしたら、どうするつもりですの?」

 

 汐音はあえて、どう行動にでるのか試すような口振りで言った。

 月にとって害悪だと思われる魔法使いにしか手を出してこないことは分かっている。今のところは月に敵とみなされるようなことはしていないので、この場で月との戦闘は起きないことは分かっていた。

 

「月はお姉ちゃんたちと戦う理由がないから、代わりに殊羅が相手になるもん。殊羅! いっけーー!」

 

 まるで犬とじゃれ合うように手をビシっと覇人と汐音に向ける。

 汐音は自分の軽率な発言に後悔する間もなく、犬たちを自分の周りに集める。

 そうして、殊羅に備えるが、

 

「いや、時間切れだ」

「ふえ? なに? ――わっ……わっ……!」

 

 月が殊羅に何事かと振り返ると、携帯を投げ渡される。

 二度、三度と手のひらでバウンドし、危うく取り落としそうになるも何とか受け止めることに成功した。

 

「物は投げたらダメなんだよ!」

「鎗真からの連絡だ」

「え? 鎗真から? もしもし、月だよ~」

 

 通話相手は監視官――樹神鎗真からのものだった。

 しかし、そのことは覇人と汐音には知るすべはなく、アンチマジックの関係者であろうことだけは推測できた。

 二人は固唾を飲んで通話が終わるのを見守り続けた。

 やがて、二言三言話した月が通話を切り、口を開いた。

 

「あのね、近くに住んでいる町の人が騒ぎになっているらしいから、戻ってこいだって」

 

 現在、戦闘が起きている管理者の住まう近隣にはバリケードが敷かれ、立ち入りを禁止されている。

 その奥から激しい戦闘音が聞こえてくるとなると、不安や魔法使いに対する畏怖が住民を煽っているようだ。

 

「ま、あれだけ派手にやっちまったら仕方ないか」

「私たちはそのおかげでここが特定できたのですけどね」

 

 マグマに爆発。それだけのことが起きればいやでも目に付くものだろう。住民もそのせいで不安を募らせてしまっているのだ。

 

「せっかく見どころのあるやつが現れたと思ったんだがな、楽しみはあとに残しておくか。――それじゃあ俺は帰るわ」

「あ! 置いてかないでよー! もう、帰るときはすっごく早いんだから殊羅は」

 

 パタパタと後を追いかけていく月。

 ――が、忘れものを思い出したように足が止まり、覇人と汐音に振り向いた。

 

「バイバイ。お兄さん、お姉さん。今度会えた時は仲良くできたらいいね」

 

 それだけ言って再び、殊羅の後を追った。

 その姿が完全に見失うまで監視しつづけて、安堵の息とともに汐音が口を開いた。

 

「命拾いできましたわね」

「まったくだ。それでも、彩葉たちを逃がすことが出来たことだし、とりあえずは俺たちの目的は達成できたな」

 

 それまでの戦闘が嘘のように静まり返り、いまだ死にきれない草花や残り火が微かに戦場跡を臭わせていた。

 

「そうですわね。それで、私たちの今後の動きはどうなるのでしょうね」

「それに関しては組織からの連絡を待つしかねえな」

 

 気づけば空は暗く、黒色に染まっていた。雲が月を覆ってしまったせいのようだ。

 

 光が潰え、無となった世界に零からの始まりを予感させた。

 

「彩葉と茜は魔法使いになっちまったし、あとは纏だけか。

 ――さて、アイツはどう来るかね」



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35話

 魔法使いと戦闘員による死合いから一夜明けた午前。

 アンチマジック三十区支部に一人の若者が支部長室に呼び出されていた。

 しわの一切ない新品の黒いスーツ。着慣れていないのか初々しさが全面に出されていた。

 

「話には聞いていたが、君が守人君の息子か」

「はい。天童纏です」

 

 藍色の髪を持ち、高校生にしては少し華奢な体型をした青年――天童纏は緊張気味ながらも名前を名乗った。

 

「優秀な守人君の息子が入ってくれて助かるよ。使えそうな人材は大歓迎だ」

「その、親父と比べられるとまだまだな所もあるかと思いますが、俺で役に立てそうなら遠慮なく使ってください」

「いい覚悟だ」

 

 纏は真摯とした態度に整える。緊張感はすっかりと消え失せていた。

 支部長はその変化に笑みを零し、新たな人材に期待を寄せていた。

 

「さっそくだが、これを受け取ってもらいたい」

 

 支部長は事務机の上に、重厚な黒い小箱を蓋を開けた状態でスっと滑らした。

 そこには”magic extermination”という文字が彫られ、紫色の円形をしたバッジだった。

 

「これは、親父も持っていた。たしかこれで階級などが分かるんですよね」

「そうだ。同時に君の身分証明にもなる。今後はそれを肌身離さず持っていなさい」

「分かりました」

 

 纏は受け取った小箱を胸ポケットにしまいこんだ。

 それを確認した支部長は咳払いを一つし、腕時計で時刻を確認した後、纏に向き合う。

 

「天童纏。本日付でアンチマジックF級戦闘員に任命する。以後は魔法使い殲滅に尽力してくれ。期待しているよ」

 

 

 三階建てとなっている三十区支部の二階には監視室や資料室といった部屋が並んでいる。

 その端っこには休憩室といわれる大きめの部屋がある。自動販売機やダイニングテーブルなどが置いてあり、主に食事や人を待っているときなどに使われている部屋だ。

 壁はガラス張りとなっており、景色が一望できるようになっている。二階からだと見渡せる範囲はたかが知れているが、周囲には高い建築物は建てられていない。これはここから魔法使いの仕業と思われる異変を見つけれるように配慮されてのことだ。

 

 そのガラス張りの一角に男女五名の姿があった。

 

「今日から戦闘員としてここに所属することになった天童纏です。よろしく」

「樹神鎗真だ。監視官をやっている。こちらこそよろしく」

 

 纏の紹介のあとに一番最初に反応したのは鎗真だった。

 

「それにしても君が守人さんの言っていた子ですか。このイカレタ連中のなかにようやくまともそうな人材が来てくれて助かりますね」

 

 感きわまるように言いながら、鎗真は残りのメンバーを見渡した。

 

「なにこっちを見ているのよ。あんたも敬語敬語って怒ってばかりなんだからイカレタ連中のひとりでしょ」

「お前らと同列するなよ。俺はまともだ」

 

 ソファに座り込んでいた蘭が冷静に言い返した。それに対して、隣にちょこんと座っている月もうんうんと頷いて蘭に同意していた。

 

「えーっと。そういえば君は一度会ったことがあったな。たしか――御影蘭、だったか」

「あら。覚えてくれていたの。あの時はすぐに帰ったから忘れていたと思っていたわ」

 

 蘭は立ち上がってから意外そうに纏に答えた。さすがに座っている状態での挨拶は悪いと思っているのだろう。

 

「前に会った時もそうだったんだが、服のサイズが合っていないんじゃないか?」

「ああ、これ? 昔から知り合いや身内のお下がりの服を着ることが多かったから着慣れているのよ。それに、ぴったりとした服ってなんだか気持ち悪いじゃない」

 

 相変わらずの一回り大きいサイズを着用しており、下には短パン。上が大きすぎるせいで、短パンの裾だけがみえている状態だ。

 ほかのメンバーに関しては見慣れている様子で特に気にしているようには見えなかった。

 腰には上着も巻いていたが、直視するには恥じらいがあった纏は目を背けて、話題を変えた。

 

「それと、そっちの子は?」

「月だよ。水蓮月。えへへ、新しいお友達だね。仲良くしてね」

 

 月も蘭に倣って立ち上がると、満面の笑顔と共に自己紹介した。

 

「えっと、そうだな。俺の方も仲良くしてくれると助かるよ」

 

 輝かしい姿に若干押され気味になりながらも、纏も笑顔で返す。

 それにしてもこんな小さな子まで戦闘員なのかと感じた。

 周りにいる人間を見渡してみると蘭はおそらくは同じ年ぐらい。そして、鎗真は年上だということは見た目で分かった。月はその中でも格段に年下だと感じる。おそらくは四、五さいは下だろう。

 だが驚くところはそれだけではなく、胸にあったバッジの色から判断するに月が一番上の階級だということも分かった。

 そこからさらに視線をずらしていくと、ガラス壁にもたれかかって目を閉じている青年の姿が目に映る。

 

「あんたも自己紹介ぐらいはしておいたら?」

「……」

 

 返事がない。

 

「お~き~ろ~」

 

 月が青年の体をゆすって目を覚まさせようとした。

 右へ左へゆらして、服を引っ張る。すると、あっさりと目を覚ました。どうやら深くは眠っていなかったらしい。

 

「あ、おきた」

 

 青年は月を見下ろす形で睡眠を妨げた存在を確認すると、大きな欠伸をだした。

 

「……ふあぁぁ。なんだよ、またお前か。こっちは寝不足で眠みぃんだ。大人しくしていてくれ」

「この場面でよく寝ていられますね。降格でもさせたらちょっとは変わるんじゃないか?」

「あんな時間に帰ってきたんだし、気持ちは分からなくはないけどね」

「お寝坊さんだね。殊羅は」

 

 昨日――日付で言えば今日になる――は深夜一時を回ってから支部に帰還し、睡眠を取った。

 普段から暇さえあれば、寝ている男にとっては相当に眠いらしい。

 月はといえば、朝からご覧の状態で眠気など微塵も感じさせない。子供は元気なものである。

 

「とりあえず名前だけは名乗っておきなさいよ。これからあたしたちと同じ戦闘員の一員なのだから」

 

 眠気を押し殺し、目の前の青年――纏に目を向ける。

 

「俺は神威殊羅。――階級はS。一部の連中からは”魔人”とも言われている」

「S級……! 親父よりも上なのか」

「親父? ああ、たしかオッサンのガキだったか」

 

 殊羅は思い出し、興味深そうに纏を眺める。実力を測るかのように人を物色しているようだ。

 

「どれほどのものかと思ったが、かなり小物っぽいな」

「いまはそうかもしれないが、いずれはあんたたちの領域にたどり着けるように努力するつもりだ」

 

 殊羅の目に見えて分かる失望ぶりにあえて舐めるなよとばかりに強気に出ている。

 向上心はありそうだと一同に印象付ける。

 

「素晴らしい発言だ! 纏。その向上心はさすが守人さんの息子というだけはあるようですね。この連中とは格が違いますよ。俺は君となら上手くやっていけそうですよ」

 

 感動しきった鎗真が纏に詰め寄る。それは殊羅や月、蘭には決して取らない態度であった。

 

「ねえねえ、月もこーじょーしん? いーっぱいあるよ! だから月とも上手くやれるね」

「お子様にそんなものがあるわけないだろっ」

 

 一蹴された月はむくっと膨れながら「あるもんっ」っと蘭の手を握って呟いた。

 そんな時、扉が開く音とともに男の声が部屋に入り込んだ。

 

「自己紹介は済んだようだな」

 

 全員がそちらを振り向く。

 入室してきたのは、身だしなみのしっかりと取れた天童守人だった。

 

「ええ、丁度終わったところですよ」

「そうか。不十分なところも多いだろうが、よろしくやってくれ」

「分かったわ」

「月とはもう仲良しだよね!」

 

 今度は纏の背中にしがみ付く勢いで後ろから抱きしめる。

 馴れ馴れしく無邪気にしてくる月に頭を撫でるように手のひらを置いた。 

 傍から見れば、仲睦まじい兄妹のようにも見えるだろう。

 守人はフっと微笑を零して、二人の様子を眺めた。

 

「で、オッサンはなんのようだ」

 

 守人は緩んだ表情をいつもの不愛想の物に戻すと殊羅の質問に答える。

 

「我々の次に取るべき行動を伝えにきたのだ」

 

 まず、殊羅と月を視界に入れて続ける。

 

「殊羅と月は本来の予定通り、”回収屋”の捜索に回ってもらおう。――そして」

 

 今度は蘭に目を配る。

 

「蘭は私と引き続き例の魔法使い共を追う。鎗真は私たちと殊羅のバックアップだ」

「了解」

 

 鎗真だけが返事をする。

 

「例の魔法使いってブロンズの人のことよね。……たしか、それ以外にも魔法使いが現れたらしいじゃない。そっちのほうはどうするのよ?」

 

 殊羅と月が帰ってきた深夜、待機していた戦闘員は一通りの結果を聞かされていた。その内容のなかに、白い外套を身に付けた二人の魔法使いが新たに出現したという報告があった。

 

「その二人に関しては同時進行で捜索する。なにしろ手掛かりが少なすぎるのでな。対処のしようがない」

「そう。分かったわ」

 

 会話に一区切りつき、方針が決まる。そのタイミングを見計らってか、それまで黙って聞いていた纏が口を挟む。

 

「親父。――俺はどうしたらいいんだ?」

 

 守人は纏を一瞥をすると、試すような口調で問いただす。

 

「お前はどうしたい? 殊羅に付くのもいいだろう。それとも、私と付いて母さんの仇の魔法使い、ひいてはお前の友達の魔法使いを殺しに行くとでもするか?」

「――っ! 俺は……」

 

 纏は歯噛みをして俯いてしまう。どうすればいいのかが分からなかったから言葉がすぐには出なかった。

 

「ちょっとっ! それを選ばせるのはひどいんじゃないの?! これだと見殺しにするか、自分で殺すかを選べって言ってるようなものじゃないのっ」

 

 まさしくこれは究極の選択だろう。どちらを選んでも纏には得をすることもなく、ただ損をするだけだ。

 ゆっくりと思考を止めると心が冷静になっていく。これは考えてでることではない。

 

     ――自分がどうしたいのか? 

きっとこれに答えはない。本能に問いかけるしかないのだ。

 

 それは纏にとっては数十分にも感じられ、あるいは数時間にも及ぶ自問自答だった。だが、実際には数秒のことでしかなかった。

 ゆっくりと目を開き、毅然とした瞳で守人を見詰め返す。

 

「俺は親父に付いていく」

「ほう。では、友人を殺す覚悟が出来たということだな」

「そんなものは出来てはいないさ」

 

 言葉はよどみなく流れる。迷いなどなかった。あの長いようで短い時間で浮かんだ選択だ。

 

「ただ、あいつらを俺以外の誰かに殺させることなんて許せない。俺は彩葉や茜の友として、魔法使いとなったあいつらともう一度会わなければいけないんだ。

――大体、こんな訳も分からないうちにバラバラになってたまるかっ」

 

 最後は吐き出すようにして叫んだ。

 魔法使いが現れて町が壊れた日。同時に四人の運命も捻じれ、満ち足りた日常は狂い出した。

 それは、取り戻したくても取り戻せない日々であった。

 

「……」

 

 守人は当然の如く、ほかのメンバーも黙って纏の覚悟に耳を傾けていた。

 

「それに、覇人ととも連絡が取れていないしな。多分、あいつも俺や彩葉、茜を探すと思う」

「なぜ、そう言い切れる?」

「俺たちが友達で、最高の仲間だからだ。――それ以上の理由はない」

 

 変わったことはたくさんある。だが、纏にとってはそれだけは変わらないことだと確信があった。

 単なる付き合いが長いだけではないだろう。これまでに培ってきた思い出が纏をそう思わせたのだろう。

 

「後悔をしなければそれでいい」

 

 守人はそれだけ言い放ち、扉に手をかけて後ろを振り返ることなく、業務連絡を告げるようにして纏たち全員に言い聞かせる。

 

「出発は昼だ。それまでに準備をしておくといい」

 

 部屋を出る。

 蘭たちもあとを追うように出口へと向かう。

 すれ違うなか、言葉を発する者はいない。無言で過ぎ去ったおかげで平穏が訪れた。

 纏はガラス壁に近づき、景色を一望する。

 都会の喧騒とまではいかないが、賑やかに走る車や人波が耳に届きそうだ。

 

 変わらない景色。

 

 守人に連れられて何度か足を運んだことがあった。

 ここから覗ける世界のどこかに三人がいる。

 いまはまだ会えない距離にいるかもしれないが、いつかきっと四人が再会する時が来る。

 

 その日を前にして、纏は戦闘員としてその手で決めなければいけなかった。

 

 彼らはお互いにすれ違った人生《みち》を進み出し、運命の歯車が回りだす。



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36話

 三十区は緑と草花が多い自然の豊かな区だ。

 東側には二十九区がある。キャパシティと呼ばれる秘密犯罪組織の本拠地があると、魔法使いの間ではまことしやかに囁かれているが、実態はごく一部の魔法使いしか知らないという。

 西側には数日前に魔法使いによって、三十一区の東側が全焼した事件が起きたばかりである。

 スポットライトで照らされた真新しい関所。

 ――通称、両端《ターミナル》。

 唯一の出入り口が見上げる位置にあるが、下からでは当然、全貌は把握できない。

 そして、向こう側からも暗がりである眼下を捕えることは出来ない。

 せっかくの新施設をお目にかかれないことが悔やまれるが、今宵の目的を遂行するにはこの位置で丁度良かった。

 

「そろそろ時間じゃねえか?」

「ええ、そろそろですわ」

 

 汐音が左手に巻いた腕時計を確認する。

 

 二十三時五十七分。

 

 時刻は深夜零時を回ろうとしていた。

 

「なあ、こんな早くに待っていなくてももう少しゆっくりしてからでもよかったんじゃねえか? 夜遊びが足りねえよ」

「覇人は身分上学生ですわよね。そんなことをして学校側にはばれていないでしょうね。これ以上スケジュールが狂うようなことはごめんですわよ」

「そんなヘマはしねえよ」

 

 覇人は余裕たっぷりで答えた。

 

「でしたらいいのですけど。……一応聞いておきますけど、任務中ずっとそんなことをしていたわけではないですわよね?」

「たまに、な。それに、夜遊びって言ってもギャンブルや居酒屋に入り浸ってただけだぜ」

「ちょ、ちょっと待ちなさいな。あなた、任務中にまた堂々と……。とても組織のトップ5とは思えませんわ」

 

 覇人は高校二年生のれっきとした未成年者である。にもかかわらず、堂々とギャンブルや居酒屋に入り込んでは任務を放棄している話に汐音は呆れともとれる態度になる。

 こういうことは日常茶飯事だったということだろう。

 

「情報っていうのは人の多いところにこそ集まるもんだぜ。任務に支障はでてねえよ」

「それ以前に居酒屋なんて場所を選ぶことに問題があるのですわよ」

「そうは言ってもだな。次の日、学校をサボる理由にもなるだろ」

「学生に二日酔いは怠ける理由にはなりませんわよ」

 

 当然のことながら、飲酒は二十歳を超えてからである。それを高校生がサボる理由で持ち出すということは自滅だ。

 至極馬鹿のやるようなことに怒りなど湧くこともなかった。

 

「「サボるならもっとマシな理由を言ってくれ」って纏にもいわれたことがあったな」

 

 感慨深げに覇人が言ったのに対して、いま出た纏なる人物に同情を覚える汐音。

 二人が話し込んでいると、木々に覆われた闇から地を踏み鳴らす音が聞こえた。

 

「騒がしいぞ。お前たち。連中に感づかれるような真似をするな」

 

 覇人、汐音と同じく白い外套を身に纏った者が現れる。仮面を着用しており顔の判別が出来ないが、声質からして男性のものだ。

 

「お、来たか。第一番」

「……時間通りに来てくれることは嬉しいのですけど、なぜいつも一秒の狂いもなく丁度なのですの? まるで機械のようですわ」

 

 時刻は見るまでもなく深夜零時だ。

 この仮面の男の到着はそれを表していた。

 

「性分でな。それよりも――」

 

 仮面でくぐもった声で男は続ける。

 

「それが例の破壊した壁か……」

「そうですわ。組織が結成されてまさかこんな日が来るとは思いませんでしたわ」

 

 各区を囲うコンクリートの壁は高さは数百メートルはある。

 しかし、三人の背後には巨大な円状にくり抜かれていた。

 溶けたアイスをスプーンで掬いあげた跡のような、断面は灼け崩れ、熔けていた。

 仮面の男が手で撫でると降り落ちる砂時計の如く、サラサラと零れては地面に積もっていく。

 

「しっかし、魔障壁って壊せるもんなんだな。これも魔具の一つなんだろ」

「魔法によるダメージを極端に落とすだけで一応魔法は通じる壁ではあるからな」

 

 いまは亡き壁の奥を見据えると、さらにもう一つ焼け落ちて何もない空虚な穴の開いた壁がある。

 遠目からでも察しが付く。現状は同じ。全く同じ手口で殺した壁がそこにある。

 その向こう側にあるのは、間に海を挟んだ三十一区。

 

「それはそうと、組織としてはどう動いていくつもりですの?」

 

 汐音の問いかけに仮面の男は二人に対面する。

 

「先導者《マスター》からの伝言を預かってきている。あとはその指示に従ってもらおう」

「「――!」」

 

 二人は一瞬のどよめきをみせた。

 

「悠木汐音。貴様は第二番の捜索及び救出の任に就いてもらう。組織の頭脳だ。奴がいないことには計画が遅れる」

「それはいいのですけれど、私一人ですの?」

「必要があれば他の人員も回す。ともかく、捜索は貴様の十八番だろう」

「分かりましたわ。見つけ次第連絡を入れますわ」

「頼んだ」

 

 男は汐音の了承を確認すると、覇人にも続ける。

 

「そして、組織の柱でもある導きの守護者(ゲニウス)第四番である近衛覇人には、引き続き監視の方を続けてもらう。特に緋真の奴は何をし出すかは見当もつかないからな。キャパシティ幹部として、最悪の事態には常に備えておいてもらうと助かる」

「ま、俺の方は元々そういう話しを付けているからな。のんびりとやりながら、いざって時には颯爽と出るぐらいのことは任せておけ!」

「分かっているとは思うが、あの男と出くわしても下手に手を出すなよ」

「――。安心しろって。プライベートとキャパシティのことはちゃんと別にするつもりだ」

「それならいい」

 

 言い終えると、二人の間を通り抜けて行く。

 その去り際に汐音が口を挟む。

 

「第一番のあなたは何をするつもりですの」

「俺はキャパシティへと戻って先導者《マスター》のお傍で待機している」

「って、一番楽な役割じゃねえか。羨ましいっ! 俺ら幹部連中の中で一番の使い手なんだし、戦闘員の一人でも減らすとかしといてくれよ」

「組織とあの方に忠義を誓った俺は、この剣を己の義とあの方の命以外では抜くつもりはない」

 

 白の外套と明かりのない深夜で分かりにくいが、腰にある僅かな膨らみに手を掛けた。

 

「それに、キャパシティに戻るのは報告も兼ねてだ」

「魔障壁のことですの?」

「我らにとって最大の障害を崩せることが確認できた以上、計画は次の段階へと進めることが出来る。先導者《マスター》も喜ぶだろう」

 

 男の声が弾んでいる。仮面の下から喜色の顔が目に浮かぶような気がした。

 

「現時刻を以て、計画を第二段階へと移行する。

 ――全ては先導者《マスター》と今を生きる魔法使いの未来の為に」

 

 



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37話

3章の始まりです。

あのとき、手を放すべきじゃなかった。
あのとき、手を掴むべきだった。

私がもっとしっかりしていれば良かったんだ。


 あれから三日が経った。

 区画管理者の裏手から脱出した私たちは二十九区に向かう為、三十区の東側へと移動中だ。

 通常ならば、公共交通機関を使えばすぐに行けるのだけど、いまは使えないということで徒歩になった。

 しかも、私たちが逃げたことでアンチマジックによる捜索が続けられているらしい。おかげで公衆の面前に姿を現すのはあまり得策じゃないって言う理由で、公道を逸れて葉の抜け落ちた木々の間を横断することになった。

 

 だいぶ、奥まで入り込んだみたいで、見渡す限りが樹しかない。ジャングルみたいな同じ風景が続いている。あとは何もない。

 緑が豊富な野原町なだけあって、この時期になったらすべて枯れて茶色くなっている木々を見てると殺風景な感じですごく淋しくなる。

 でもその反面、これはこれで野原町の特色にもなっていてもう年中特色だらけだ。

 

「日が暮れてきたわね。今日はここまでにしときましょう」

「今日もまた野宿かあ……。ふっかふかのベッドが恋しい」

「ごめんね。彩葉ちゃんたちはこんなことには慣れていなくて辛いわよね」

 

 緋真さんは本当に申し訳なさそうに項垂れてしまった。

 

「緋真さんは悪くないですよ。むしろ、助けてもらっているのですから、感謝しているぐらいです」

「そうそう。それに、これも魔法使いとして生きていくための修行だと思えば余裕だよ!」

「そういってくれると、お姉ちゃんも気持ち的には楽になるわ」

 

 緋真さんは努めて明るく答えた。多分罪悪感で一杯でそれを隠すようにしているように感じられた。そう思うと私もわがままなんて言ってられない。

 近くにあった太い樹を背もたれにして一息つく緋真さん。

 それが合図となって私と茜ちゃんも適当な樹にもたれる。足は疲れて投げ出したくもなるけど、さすがに地面が土だと座る気も起きない。

 元々足場が悪いところでもあったし、三日かけてもここから出れそうにはなく、精神的にも体力的にも相当な疲れが溜まってきていた。

 

「食料もだいぶ減ってきましたね」

 

 茜ちゃんの手にはコンビニで買ってきた三日分ほどの食料が入っている。

 それをのぞき込んで確認したところ、もって明日の朝までだった。

 

「私の分を半分減らすわ。そうすれば、もう一日ぐらいはもつでしょう」

「えっ!? そんなことしたら緋真さんの体力が持たなくなるよ。私たち、緋真さんがいてくれないと困るよ……」

 

 たしかに言われた通り、そうすれば明日は持つと思う。けれど、そんなことをすれば一番最初にへばってしまうのは間違いなく緋真さんだ。

 もし、そんなことになってしまったら生きてここからでることも難しくなるだろうし、何よりもこの状況で、私では緋真さんを助けてあげることなんてできない。

 

「別に死にはしないんだから平気よ。それにこの調子だと明後日にはここから出れだから、少し我慢すればいいだけよ」

「あさってかあ。ここから出たらもう三十区の東側になるんだよね」

「そうよ。そうしたら、まずは彩葉ちゃんの希望通りにふかふかのベッドで寝ましょうか」

 

 あ――! それはいい名案。この木々の間に入り込んでからは毎日、地べたで寝ていたからさぞ格別のものに感じられるだろう。

 

「ですが、いいのですか? どこかの宿を借りるということですよね。目立たないようにするべきなんじゃないんですか?」

「さすがに五日も経てば、ある程度のほとぼりは冷めているわよ。魔法使いというのは毎日のようにどこかで見つかって、その度にアンチマジックが動いて、どこかで戦っているのよ」

「ということは、今この瞬間にもアンチマジックが私たち以外の魔法使いを追っている可能性もあるということですね」

「そういうことになるわ。戦闘員もそう多くいるわけではないから、一人の魔法使いに固執するわけにはいかないのよ」

 

 そう言われて内心ちょっとホッとした。可能性としては、もうすでに私たちのことも追いかけてきていないかもしれないということだから。

 

「だから、このままやり過ごすことが出来れば私たちの勝ち。 ――逆に見つかってしまえば振出しに戻るだけよ」

「……時間が解決してくれるってことかあ。簡単なようで難しそうだね」

 

 空を見上げると、徐々に暗くなってきていた。時間にしたら五時か六時ぐらいの夕食まえぐらいだと思う。

 ゆっくりと流れる時間。けれど、体感的にはもう随分と遅い時間のような気がする。そう思わせてくれる冬の季節に感謝してもいいぐらい。

 静寂に包まれる木々。まるでこの世界にはたったの三人しかいないような錯覚。

 

 冬の風が削ぎ落とされた木々の間を通り抜ける――

 

「いま、なにか音がしなかったかしら」

「風の音じゃないの?」

「私は何も聞いてませんけど」

 

 もちろん私も聞いてない。

 それ以前にこんな人も寄り付かないような場所で怪談じみたことを言われるとゾッとする。

 それでもアンチマジックが追って来ているかもしれないと思い、耳を澄ましてみる。

 なにも聞こえなければそれでよし。だけど、そんな楽観を打ち砕かれて、かすかに音が流れていることを耳が感じ取る。

 

「あ……! ほんとだ! 私にも分かった」

 

 自然のノイズのような、どことなく安心できるという心地よい音色のような、とにかくいやな感じがしなかった。

 茜ちゃんにもそれは聞こえたようで、しきりに目を瞬かせて驚いている。言われなければ聞き漏らしていたかもしれなかった。

 そんな私たちを見て、ねっ! と自分が正しかったんだと確信を緋真さんは得たみたいだ。

 

「あまり遠くの方ではなさそうですね」

「そうね。とりあえず確認はとっておきましょうか」

 

 私たちの有無も聞かず、暗闇の中を歩き出した。

 

「ちょ、ちょっとまってよ!」

 

 慌てて追いすがり、緋真さんの手を握る。そうして、私の手を茜ちゃんが握る。

 縦一列になって電車のように並ぶ。

 

「甘えん坊ね。彩葉ちゃんは」

「こうしておかないと迷子になるし。そうなったら私、泣くよ? 叫ぶよ? パニックおこすよ?」

 

 必死に主張すると、緋真さんは苦笑交じりで手を握り返してくれた。

 

「……それは困るわね」

 

 そう。困る。ただでさえおぞましい何かがうろついてそうなのに、一人になったときは、そりゃもうどうなるかは私にも分からない。

 

「彩葉ちゃんはこういう雰囲気は苦手でしたからね。私も後ろからついていますよ」

「ありがとう!」

 

 今の私は三連結の真ん中。 

 

 隣に誰かいる。触れている感触がある。挟まれている。

 

 それが安心感を与えてくれて心強いことこの上ない。

 怖い物なんてあるわけがない。心に余裕という隙間ができて、何が現れても平静でいられる気がした。

 

「もし、怪しい人影や霊がみえた時はすぐに伝えて。お姉ちゃんが焼いてあげるから」

「いや……その言い方はちょっと……」

 

 隙間は埋まった。



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38話

 生命の息吹すら感じられないような殺風景な木々の巣窟を抜けると、景色が一変した。

 と、同時に足を踏みしめる感触が固くなり、そこに小石程度のものが転がっているんだと分かる。

 そこまで行ったところで、流れる音の正体が鮮明に優しい音楽として、耳を癒した。

 

「こんなところに河があるよ」

 

 空に浮かぶ宵の光に濡れて、銀色に化粧される水面の波。幻想的な輝きを前にして――詳しく判別は出来ないけど――きっと濁りの無い、綺麗な河なんだと確信した。

 

「あら。ほんとね。――ちょっとまってて!」

 

 緋真さんは魔法を発動する。例の紅い炎の魔法だ。

 指先をろうそく代わりに明るい温かみのある炎が生まれる。

 影が伸び。瞬く間に光源が広がって、周囲の視界が確保される。

 出張できる照明器具。停電が起きた際とかでも緋真さんがいてくれたら、怖い物なしな気がする。

 

「水がきれいです。魚がいるかもしれませんね」

「え、いるかなあ。魚」

 

 じーっと水面を見つめてみる。魚影とか水しぶきでそれっぽい反応があるかもしれない。

 

「いたら食料にできるね」

「もし見つかったとしても、釣竿がないと釣れませんよね」

「……鷲掴み? しかないよね……。

 ――どうしよう、私手で触るのはちょっと苦手なんだけど……」

 

 触れないことはないけど、あの鱗を触った時の感触が気持ち悪くてすぐに手を離してしまいそう。それに手が鱗だらけになったこともあって、ちょっとしたトラウマもあったりする。

 

「私は触れないことはないですけど、鷲掴みをする勇気がないです」

「じゃあさ、手で弾くように魚を救い上げるっていうのはどうかな? ――こう、サッと!」

「イメージは熊なんですか?! ……多分、人間では無理だと思いますよ」

 

 ショベルカーのアームのように、機械的にこなせるな熊の真似事なら何とか! って考えてみたけど、無理そうだと諦めた。自分で言っておいて、茜ちゃんのリアクションには納得してしまった。

 それはそれとして、仮にいたとしたらどうするべきか。

 うーんと唸る。こうサバイバル生活が続いていると、意地でも見つけたら、なんとか捕まえておきたい。

 けれど、鷲掴みや熊の真似事が出来そうな人なんてそう簡単に見つかるわけが――って、いたかもしれない……! 

 確証はないけど、なんとなく緋真さんなら出来そうだと思った。

 

「周りには人もいなさそうだから、ここならいいかもしれないわね」

「魚でも鷲掴んでくれるの?」

「……? 魚? いや、そんなことはしないわよ。――それよりもいたの?」

「さあ。なんかそんな感じがしたから、もしや! っておもっただけだけど……」

「そう。それじゃあ、見つけたら言ってね。お姉ちゃんが捕まえてあげるから」

 

 やってくれるんだ……。まあ、緋真さんならそれぐらいのことなら簡単にできそうだし。よし、ここはいっちょ積極的に探してみようか。

 

「緋真さんはさっき「人もいなさそう」って言ってましたけど、ここで何かするのですか?」

 

 そういえば、魚目当てじゃないなら何だろう?

 緋真さんはしばらく考えたあと、悪巧みのようで嬉しそうな表情で答えた。

 

「彩葉ちゃん。茜ちゃん。お風呂、入りたくないかしら?」

「お風呂!? ぜひ!」

「私も入りたいです。――ですが、この辺りに銭湯なんてありませんよ。どうするのですか?」

 

 枯れた森林を抜けたとはいえ、河原に銭湯なんて当然見当たらない。

 それぐらいは分かるはずなのに。一体どこで入るつもりなんだろう。

 

 ――そんな時、なぜだか川が目に入ってしまった。

 

 実は温《ぬる》かったりして……。手を入れてみたけど、普通に冷たかった。そんな都合がいいわけがないよね。

 前向きな考えは程ほどにしておくとして、近場にお湯が出る場所もないのにどこで入る気なのか。

 そもそも他にあるわけがないし……。

 

 いや、でも……まさかね。そんなわけがない、よね。……ないはず。だと思うけど、聞かずにはいられない。

 

「……もしかして……ここ……?」

「そうよ。それほど深くもないし、肩ぐらいまでならいけると思うわ」

 

 やはりというか、なんというか。悪い予感は的中するという法則が成り立ってしまった。

 由々しき事態だ。ついさっき、お風呂と聞いてはしゃいでしまって悪いけど、なんとしてもこれは阻止しないと。

 

「お風呂って――。

 ……まさかの水風呂ーっ!? 無理無理! ひいたことないけど風邪ひくよ!?」

「そんなことするわけないじゃない。もちろんお湯に入るに決まってるでしょ!」

「ですが、川ですよっ! お湯なんてどこにもありませんよ」

 

 必死で茜ちゃんも抗議する。よし、いい流れ。いくらなんでも水風呂という発想は無理。

 

「なければ作ればいいのよ。――私の魔法でね」

 

 あ、なるほどね。その手があったか! 緋真さんは炎が出せるんだから水さえあれば沸騰させることも出来るんだ。

 きっと私たちの慌てふためく姿は楽しいものだったんだろう。

 

「分かった! ドラム缶風呂だね。それなら先に言ってくれればよかったのに」

 

 そうと決まればやることは一つ。ドラム缶を探すだけ。

 

「あるのでしょうか……ドラム缶」

 

 茜ちゃんも一応は納得してくれているみたいで、探すのを手伝ってくれるようだ。

 

「違うわよ。この川に作るのよ」

「――えっ!? ここ……ですか? どうやって作るのですか?」

「まずは、岩で囲いを作って。

 ――三人分が入れるぐらいでいいわよ」

「それって、あのなかに入って作らないといけないんだよね」

 

 静かに波打つ水面が光を反射している。夏に見かけたら、涼しく映るんだろうけど。

 

「寒いかもしれないけど、我慢してね。お姉ちゃんはたき火とお湯の準備をしているから」

 

 言うだけ言うと、緋真さんは枝を集め始めた。

 

 私と茜ちゃんは靴と靴下を脱ぐと寒風が素足を撫でた。

 冬真っ只中の川。考えたくもない水温の低さ。這寄って来る冷たさへの抵抗。

 

 大丈夫。大丈夫。人間気合を入れたら何とかなるもんだ、と自分に言い聞かせて、おそるおそる川に足を入れてみる。

 

「―――っ! 冷たいです」

「だ、大丈夫! そのうち慣れるよ。我慢我慢」

「仕方、ないですね。早く、終わらせて、温かい、お風呂を、用意、してもらいましょう」

 

 歯がかみ合っていないのか、途切れ途切れに震えた声を出している。

 茜ちゃんは涙目になりながら、すり足で歩き出して手ごろなサイズの岩を積み上げていく。

 

「こっちの方は、私が積んでいきますので、彩葉ちゃんはそっちのほうからお願いします」

「オッケー。ちゃちゃっと終わらせて出よう」

 

 茜ちゃんが左端から順に積み上げていき、私は右端からすることになった。

 最終的には川辺を軸にして、半円形に繋げて完成だ。

 入った瞬間は足裏に石の痛みがあったけど、しばらくすれば感覚が麻痺してきて痛みすら感じなくなってきた。

 

 これはチャンス! このおかしな感覚を活かす時だ! 

 ついでに手も浸けた状態にしておく。なぜなら、出したら風に当たって冷たく感じるからだ。

 

 人体の構造を活かした発想だ。もしかしてすごく頭いいんじゃない? 私。

 などと自画自賛をしていたら、やがて半円の中心で茜ちゃんと鉢合わせる。つまり――完成。

 

「終わったー!」

 

 右と左を見比べると、明らかに茜ちゃんが手掛けた方が綺麗に積まれていた。

 パズルのように形と形を合わせて、丁寧に積まれた石壁はもはや芸術といっても差支えないぐらいの完成度。というか、よくそんなバランスのいい石を見つけたねと感心するほど。

 それに対して私の方はところどころに隙間ができていて、攻め込まれたら一瞬で瓦解してしまいそうだった。

 作業中は結構出来てるんじゃない? と手ごたえがあったのに、こうしてみると勘違いだったようだ。

 

「なんか歪だね……」

「ですね」

「だけど、一応形にはなっているし、大丈夫だよね」

「囲いは上手く出来てますし、大丈夫だと思いますよ」

 

 あまり深くは考えない方がいいよね。茜ちゃんもこう言ってくれていることだし。うん。バッチリ。そういうことにしておこう。

 

「よしっ。それじゃ、出ますか」



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39話

 川辺に上がり、一仕事を終える。

 足に纏わりついていた水滴が夜風に吹かれて、局所的な絶対零度を味わっているような気分。

 

「あ、これダメかも。凍りそう」

「怪我をするかもしれませんので、石を踏まないように気を付けないといけませんね」

 

 靴下は足が濡れているので、靴だけをサッと履く。

 少し行ったところで緋真さんは暖を取っていたので、そこまで震えながら進む。

 緋真さんは三日前に買っておいた未使用のタオルを渡してくれる。

 

「ご苦労様。お風呂の準備が出来るまでもう少し時間がかかるから、たき火で温まっておきなさい」

「出来るだけ早くしてくれると助かるかも」

「ですね。濡れてもいないのに、体全体が冷えているようです」

「ふふ、分かったわ。彩葉ちゃんたちの期待に答えれるように熱めにして、手早く済ますわ。それまではここでゆっくりとしていていいわよ」

 

 緋真さんと入れ違うようにして、私たちがたき火の前にイスとして用意されていた大き目の岩に座り込む。

 血気盛んに燃え上がるたき火に、生きている心地を得るようだ。

 

「はぁー……あったかい」

 

 靴を脱ぎ、足が地につかないように靴の上に乗せて、受け取ったタオルで水滴を拭きとる。

 凍えた足を放り出して、素になっている部分にタオルを置いておく。茜ちゃんも同じようにしてしばらく無言が続く。

 カラダ中に暖が戻り始めていき、ここから一歩も動き出したくなってしまう。

 自然の炎は斯くも暖かい。ストーブや暖房器具なんかよりも風情があってこういうのも悪くないなと思った。

 

 

 ――と、その時。

 

 

 川に大きな音が沈み込んだ。

 やけに響いて、周りの暗さも相まって、びくんと体を震え立つ。

 何事かと波紋を上げる水面の先に目を凝らす。 

 どうやら何かが落ちたようだ。いや、落ちたのではなく落としたんだとすぐに分かることになった。

 緋真さんは足もとに転がっている漬物石ぐらいの大きさの石に手を当てて、焼いた。

 その後、転がすようにして川に沈める。

 

「何してるの?」

「焼いた石を入れて、温度の調節よ。これで入れるような温度になると――お風呂の完成よ」

 さらにもう一個投入。

 私たちの作業と違ってなんだか楽そう。

 

「手伝うことはありますか?」

「平気よ。それに焼いているから私以外が触ったら火傷するわよ」

 

 続けて大小様々――とは言っても、すべて最低でも手のひら大ぐらい――の石を何個か放り込み、温度を測る為に手を入れて確認する。

 それの繰り返し。

 

「これぐらいでいいかしら? 

 ――彩葉ちゃん。茜ちゃん。入れるわよ」

「え! もういいの。――それじゃ、早速」

 

 タオルを置いて、服を脱ぐと素早くバスタオルを巻きつける。

 一瞬にして体中に寒気がするが、それ以上に目の前の露天風呂に心が躍っていた。

 なんだろう……ドキドキする。私たちで作った即席のお風呂。これはぜひとも一番乗りで頂きたい。

 逸る気持ちにドギマギしながら、足をそっと入れてみる。

 

「お? 意外といけるかも!」

 

 そのまま体をすべり込ませ、肩まで一気に入れる。

 

「~~――っ! 感・激!」

 

 身に染みる温かさ。これほどとは思わなかった。

 疲れた身体。もう何日も湯を浴びることなんてなかったこともあって、感激度がさらに増した。

 あー……生きているって実感がするよ。

 

「茜ちゃんも早く入ってみなよ。全然いけるよ!」

「それでは……お邪魔します」

 

 恥ずかしさもあるみたいで、ものすごい勢いで服を脱ぐと、タオルを手早く巻いた。

 そうして、私と同じようにおそるおそる足を踏み出す。

 

「……!」

 

 一瞬目を見開いた後、湯につかるまでは時間はかからなかった。

 

「丁度いい温かさでとても気持ちいいです」

「でしょー! それに自然のお風呂っていうのもいいよね。こんなの一生体験するかも分からないよ」

「ふふ、喜んでもらえてよかったわ」

 

 いつの間に脱衣したのか、気が付けば湯につかって私の隣に緋真さんが沈んだ。

 

「はやっ! いつの間に……! さては裸を見られるのを嫌がったな」

「あら。見たかったの? 別に減るものでもないし、見せてあげてもいいわよ」

「えっ! いや……! そんな積極的にこられると逆に反応に困る……」

 

 そこまで大きく出るとは。この人には恥じらいというものがないのか。

 あ、でもそこまで自身満々に言うからには、ちょっと見てみたい。……けど、隣で茜ちゃんが恥ずかしそうに顔を赤らめて湯に顎まで埋めていたのを見て、これ以上の追及はしないでおく。

 

「それにしても、魔法でこんなことが出来るなんて。便利だよね、魔法」

「使い方にもよるけどね。でも、魔法が危険ということに変わりはないわよ」

「どうして? お風呂が作れちゃうぐらいなんだから、危険ってことはないんじゃないの?」

「そうですね。たき火やお風呂と生活の役に立っている以上、むしろ社会的貢献に繋がっているのではないですか?」

 

 魔法使いという職業があってもいいんじゃない? と思わせれるぐらいに役立っている。

 業務内容は魔法を使った便利屋、的な感じで。

 

「結果を見ればそう言えるわね。実際、私もこの力には何度も助けられているわ。けどね、本来は人間の負の感情が具現化されて生まれた力が魔法なの。それは同時に破壊の力を持っていることになるわ」

 

 緋真さんは手元に転がっている小さな石を手に持つと、魔法を使って石を焼き始めた。

 近くにいると、汗でも出そうなほどの高温が石を焦がす。

 すると、赤みを帯びていき、ひびが入っていった。

 

「だから、人々は魔法を恐れて私たちは人間社会に上手く溶け込めずに、こういう生活をしていくことになるのよ」

 

 ひびに力を加えると、真っ二つに割れた。

 それは、魔法使いと人間が決して混じりあわないことを表しているようでもあった。

 石という世界に二つの人物が生まれて、別たれる。

 両者は一つの世界を共有しているように見えて、その実、寄り添っているだけ。再びくっ付くことなんてもってのほか。

 同じ世界でも、互いに見えている世界は違う。

 

 

 人間にとっては、過ごしやすく。社会の敵(まほうつかい)は専門家が抹殺して平和を造り上げる。

 夢も希望もあって、活気がある。平等に与えられた最適な人生。――何も知らなければ。

 さながら、仮初と虚偽の安寧。

 

 

 魔法使いにとっては、いつ何時に命を絶たれるか、殺らなければ殺られる殺伐とした殺戮の世界。

 夢も希望もないようで、夢も希望も持って生きていくことも出来る。

 さながら、窮屈な世界の極み。

 

 

「確かに、私も魔法使いになるまで魔法は危険な存在だと思っていました」

「魔法使いにとって、魔法は力でもあって、道具でもあるの」

 

 道具……か。初めは戸惑いもあったけど、今ではそれが当たり前のように持っている魔法《どうぐ》。

 

 だとすれば、それは――魔法使いはみんな違う魔法《どうぐ》を持っているってこと。

 人に例えてみれば、それぞれが持っている特技みたいなものなのかもしれない。

 

「でもさ、道具なんだったら使い方次第ってことでしょ。言ってみれば、刃物みたいなもんじゃん。正しい使い方をしたら便利だし、悪い使い方をしたら人を傷つける」

「そう例えると、魔法使いは刃物を持って外を出歩いていることになるわ。どういう使い方をするにしても、そういう存在と一緒に生きていこうと思う人間はいないわ」

 

 焼いたり、切ったり、撃ったり。

 たしかに物騒で危険かも。

 

 だが、考え方によっては逆の発想もできるんじゃない?

 

「だったらさ、生きていこうって思ってもらえるようにしたらいいんじゃないの?」

「どういうことですか? 恐怖の対象としか見てもらえていないのですよ。魔法使い(わたしたち)は。彩葉ちゃんだって、魔法使いは危険な存在なんだと思っていたじゃないですか」

「それは、私が魔法使いがどういう存在なのか知らなかっただけだよ。

 

 でも――今は違う。

 魔法使いになって初めて分かったことだってあるじゃない」

 今日起きたことを思い返してみる。

 お風呂が造れる。明かりの代用も出来る。

 それだけじゃなく、私の魔法でも小さな刀を出せば、ナイフの代わりにはなるだろうし、武道の教えにつなげれるかもしれない。

 茜ちゃんの魔法にしたっても、地域の治安維持を頑張る警察のようなことも出来る。魔力によって、銃弾の威力が調節できるのだから、大事になることなんてない。一躍、正義のヒーローにもなれると思う。

 

 その結論から分かることは――。

 

「魔法が人間の助けになるってこと」

「それって、今日のことですか?」

「こうやって露天風呂が作れたりするんだよ。こんなのが私たちだけしか味わえない贅沢だよ」

「そうね。魔法使いの特権かもしれないわね」

「だから、人間社会に広まれば魔法使いの見方も変わるんじゃないかな」

 

 茜ちゃんと緋真さんは驚いたような、でも意外そうな顔で見返してくる。

 

「……! たしかに、私たち人間は魔法の危険な使い方しか知りませんでした。でも、今日のこれを見ると、考え方も変わりますね」

「彩葉ちゃんの言う通りかもしれないわね」

 

 二人とも納得してくれている。

 

「だけど、人に植えつけられた恐怖はそう簡単に消えるものじゃないわよ。それは――分かっているの?」

「分かってるよ。それでも、やるだけの価値はあると思うな。魔法がどれだけ人の役に立って、便利なものなのかを知ってもらえたらきっと、世の中は変わるはず」

 

 魔法使いを殺すのは危険な存在だと思われているから。なら、その認識が変わったらどうだろう?

 

「心の闇に囚われて手に入れた魔性の力を人助けに使うなんて面白い考え方ね」

「魔法ってそういう力なんだと思う。悪い感情に流されて魔法使いになってしまった私たち。だから、今度はこの力を使って魔法の持たない人間の役に立って罪滅ぼしをしていく存在なんだよ」

「絶望を振りまく力は、逆に希望を与える力になるということですか。前向きな考えで素敵です。彩葉ちゃんらしいですね」

「それが私の取り柄でもあるからね」

 

 どうだ、と胸を張る。長所は活かさないとね。

 

「いい考えだと思うわ。だけどね、すべての人間が受け入れてくれるとは限らないわよ」

「うん。それでも、少しの人間だけでもいいから魔法使いの認識を変えてくれたら私は嬉しいよ!」

「そう。お姉ちゃんもそういう日が来たら嬉しいわ――」

 

 緋真さんは湯から出て、川辺に向かっていく。

 

「風も出てきたことだし、そろそろ上がった方がいいわ。こんなところで風邪を引いてたら、元も子もないわよ」

「そうですね。せっかく私たちなりの魔法使いとしての生き方が出たんですから、風邪なんて引いてられませんね」

「よし! それじゃあ出よっか」

 

 勢いよく立ち上がり、夜風が体をさすらう。

 ――かと思いきや、吹き抜けたのは魂凍えるほどの黄泉の風だった。

 

「さっむー!! 無理無理! こんなの無理! 出れないよ」

 

 鳥肌たつ体を腕で包み込みこんで、条件反射でもう一度湯に身を浸す。

 湯しぶきが盛大に噴きあられ、茜ちゃんの顔を濡らす。

 

「あーっ! ごめん!」

「いえ。平気ですよ」

「こらこら、お風呂ではしゃいではだめよ。ただでさえ、下は石になっているのだから冗談抜きで怪我するわよ」

 

 緋真さんは周囲に炎を生み出して、熱気を浴びながら悠然と振り向いて言った。

 

「えー! それずるくない?!」

「魔法の使い方が上手いですね」

「そこ褒めたらダメ! 卑怯だよ! ずるだよ! 炎っていいなっ! 便利でっ! 欲しい!」

「最後に妬みと願望が入ってますよ……」

 

 そりゃ言いたくもなる。私も剣じゃなくああいう使い勝手が良さそうなやつが良かった。

 

「仕方ないわね。温めておいてあげるから、素早くでて着替えてしまうのよ」

 

 私たちが脱いだ服とタオルを置いてある辺りに、カーテンのように炎を敷いてくれた。



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40話

 予想外の露天風呂を満喫したあと、夕食にかかった。

 残念ながら川には魚がいなかったので、宣言通り緋真さんが夕食を少し削ることになる予定だった。――が、

 見ていて申し訳なさが大いに私と茜ちゃんの心を満たしていって、私たちの分を緋真さんに分けることにより、これを解消することを目論んだのだ。

 もちろん、緋真は

 

「お姉ちゃんなんだから、いいわよ。二人で食べなさい」

 

 ――と言って頑なに断っていたけど、そこはそれ。

 見かねた茜ちゃんが、

 

「緋真さんだけ量を減らすのはやっぱり納得いきません。これ――緋真さんの分。食べないのでしたら、捨てますよ?」

 

 という、半ば脅迫じみた説得でついに折れてしまった緋真さん。

 さすが、店員をしていただけあって交渉は慣れたものである。それにしても、死活問題を盾にしたやり方とは。考えたなと感心してしまう。

 茜ちゃんが必死になってくれたおかげで私の出番はほとんどナシとなってしまった。

 結果的に、食事は仲良く三等分にして、明日一日ぐらいは余裕で持ちそうな勢いとなった。気持ちも軽くなって、これで安心。

 残すは睡眠を取るだけとなったが、わざわざ林の中に戻る必要もなく、今日は川辺で寝ることになった。

 

 

 夜に溺れた木々の独特な神秘性。

 霊気感じる冷たい空気による演出。

 気味の悪い自然の湿った臭気。

 ホラー映画の撮影と間違えてもおかしくないような寝床から変わって、安心して眠れるような気がした。

 

 

「…………ん、……」

 

 持っていたカバンを枕代わりにして眠っていたが、不意に目覚める。

 でこぼことした自然の敷布団にレジャーシートを敷いただけの雑な寝床からのろのろと起き上がる。

 瞼をこすり、目の前でメラメラと揺らめく温かい炎が迎えてくれた。

 

「あら、起きたの?」

 

 側近で火の番。――兼、見張りをしていた緋真さんが声をかけて来てくれる。

 

「おはよ……?」

「まだ夜よ。それに、交代の時間までまだ時間はあるわ。もう少し寝ていなさい」

 

 いつ何時に危険が迫るかも分からない為、一時間交代で見張りと火の番をすることになっている。

 最初に緋真さん。その一時間後に茜ちゃん。その次の一時間後が私の番。

 私の番がくるまでは最低でも一時間以上はまだ残っているはず。いま寝ておかないと、見張りの時が辛くなってしまう。というのは分かっているのだけど、お得意の二度寝は発動しない。

 地面が悪いせいで寝付けない、と勝手に石のせいにしておく。

 

「あれ? 茜ちゃんは?」

 

 すぐ隣では次の番のために、寝ているはずの茜ちゃんの姿が見えなかった。

 どこに行ったんだろうと、辺りに目をさまよわせると川辺から茜ちゃんがこちらに向かって来ていた。

 

「おかえり」

 

 緋真さんが出迎える。

 

「緋真さん。お待たせしました。

 ――あれ? 彩葉ちゃん目が覚めたのですか? いつもなら起こすまでは起きないのに珍しいですね。

 もしかして、眠れないのですか?」

「まあ、ね。私だってどこでも寝れるってわけじゃないよ。茜ちゃんこそ寝ておかないと、見張り番しんどいよ? 次でしょ」

「私も眠れなくて。だめですね……。あの木々の香りに慣れたみたいです。寝る環境が変わると中々眠れないですね」

「うぇ……。私あれ無理。なんかホラーっぽいじゃん。逆に落ち着けないよ」

 

 なんか物凄い納得した顔で私の方をみてるよ!

 ずっと、カバンやら茜ちゃんやらにしがみ付いていた状態で寝ていたから、そんな目で見られるのも仕方ないかもだけど……

 私にとっては生き地獄にも等しいのに、なんであんなところで安眠できるのかなあ? 

 それはたしかに。地面はここよりはマシだけど。美点と言ったらそれしかない。

 茜ちゃんは私の隣に座り込むと、レジャーシートの上にピンと伸ばした包帯を置いて、乾かし始める。

 

「あ、包帯洗いに行ってたんだ。傷の方はどんな感じ?」

「もうほとんど治っていますよ」

 

 茜ちゃんが左手を差し出して、傷跡をみせてくれる。

 綺麗な手にうっすらと目立つ、ふさがりかけた切れた皮膚。

 殊羅とかいうやる気ゼロの戦闘員につけられた跡である。生々しくも深い裂傷がここまで回復するなんて……緋真さんの治療は医者以上なのかもしれない。 

 

「それだけ治っていれば包帯はもう必要なさそうだね」

「そうよ。だから、包帯は洗ってもしものときの為に使いまわすのよ」

「なるほど。リサイクルね」

 

 資源は大切に。

 サバイバル生活をしている以上、何があってもおかしくないしね。

 

「それにしても数日で完治するまでに回復するなんてね。さすがに驚いたわ。茜ちゃんって怪我の治りがはやいのね」

「そんなことないですよ。緋真さんの治療が良かっただけですよ」

 

 それにはまったく同じ意見。

 

「そっか。まだ数日しか経ってないのかぁ。なんか色々あり過ぎて昔のことのように感じるよ」

「ですね。あまり実感が湧きませんね」

 

 私と茜ちゃんが魔法使いになって――

 

 緋真と出会って――

 

 たくさんの人の悲しみと生きている喜びを見て――

 

 初めて殺されそうになったり――

 

 覇人と知らない魔法使いが助けてくれたこと――

 

 覇人が魔法使いで――

 

 覇人と緋真が知り合いだったり――

 

 ――あれ? そういえばなんで緋真さんと覇人が顔見知りなんだろう?

 

「ねえ。すっかり忘れてたんだけど、あの時助けてくれた覇人と……あの、えーっと……。汐音だったっけ? とどういう関係なの? そもそも私、覇人が魔法使いってこと自体知らなかったんだけど、もしかして覇人って有名な魔法使い?」

「私も気になります」

 

 二人で緋真さんを問い詰めるような視線を送る。

 

「汐音は友達よ。ちょうど彩葉ちゃんと茜ちゃんのような関係よ。それと覇人は……そうね。私が戦闘員と戦闘中に助けてくれて、それ以来の付き合いね」

「へー。覇人が人助けかあ。あ、いや。魔法使い助けか。どうせ覇人のことだから狙ったようなタイミングで助けてくれたんじゃないの。覇人って昔からタイミングだけはいいから」

「そんなところよ。それと、お姉ちゃんも会って初めて知ったんだけど、彩葉ちゃんの言う通り。覇人は有名な魔法使いよ。といっても、源十郎さんと同じ悪名高い魔法使いとしてだけどね」

「何それ? 友達と身内が悪名高い魔法使いってなんかショック……」

 

 私の周りって危険人物しかいないような気がする。こんな事実なら知らない方がよかった。

 

「覇人くんと彩葉ちゃんのお父さんが心配ですね。人に迷惑をかけるようなことでなければいいのですけど」

「大丈夫よ。二人共そういうことはしていないから安心していいわ」

「緋真さんがそういうならそういうことでいっか。それに二人がそんなことをするわけないしね」

「ですね。ちょっとでも疑ってしまった私……。反省です」

 

 あんまり気にしなくてもよさそうだけど、茜ちゃんは些細なことでも謝罪は欠かさない。よく出来た親友である。

 

「あ、そろそろ時間じゃないですか? 交代しますよ」

「そうね。それじゃあ、あとは任せて休憩させてもらおうかしら。

 

 彩葉ちゃんももう一度、寝ておきなさい。夜はまだまだ長いんだから」

 

「うん。分かった。茜ちゃん。無理はしないでね」

「何かあったらすぐにお姉ちゃんを起こすのよ」

「はい」

 

 茜ちゃんの返事を最後に私たちのガールズトークは幕を引いた。

 茜ちゃんは緋真さんと場所を入れ替える為に立ち上がる。

 それに合わせて私もレジャーシートの端っこによって、緋真さんと二人が寝れるようなスペースを開ける。

 

 

 だけど、丁度そんなとき――息を吹き返したように木々が啼きはじめた。

 

 

「「「――――!!!!!」」」

 

 

 とっさに侵入者を拒むような闇の迷宮の入り口に目を向ける。

 眠りについていた鳥たちも鳴いて空へと逃げ去る姿が慌ただしい。

 木々が倒されて、破壊されてしまったせいなんだと思う。

 さっきのはその音のはずだ。

 

「まさか……! もう追いつかれたのかしら……!」

「そうみたいですね。――緋真さん。どうしましょう?」

「そうね。幸いにもこの戦闘音は私たち以外の魔法使いと交戦中と考えてもよさそうね。

 

 誰だか知らないけど、おかげで敵の居場所が分かることが出来たわね」

 敵が追って来ているのにも関わらず、緋真さんは相変わらず落ち着いた余裕を持って答えてくれる。

 おかげで、あんまり不安が襲い来ることはない。

 でもよくよく考えてみれば、その襲われている魔法使いは、私たちを追って来ていた戦闘員にとばっちりを喰らっていることになるんだよね。

 

「大丈夫なんでしょうか。その魔法使いは。私たちも戻って助けに行くべきですよね」

 

 茜ちゃんの判断を緋真さんに提案する。

 同じ魔法使い同士、目の前で襲われているのを見て見ぬふりをするのはさすがに出来ない。

 そのせいで、魔法使いが戦闘員に殺されたとなったら後味が悪すぎる。

 私の意見も当然、茜ちゃんと同じで緋真さんに進言してみる。

 

「――いえ。私はあなた達の安全を確保しないといけないわ。それが覇人ととの約束でもあるのよ。だから悪いけど、この機を逃さず私たちは逃げるわ」

「そんな――っ! 私たちも戦う力ぐらいはあります。見捨てるなんてあんまりです……っ」

「そうだよ。また、父さんと母さんみたいに知らないところで誰かが死ぬなんて嫌だよっ!」

 

 あの時は何も出来ず、わけも分からずに母さんと父さんが殺されてしまった。

 けど、今回は違う。

 いま、まさに襲われていて、助けることが出来るかもしれないんだ。

 

「彩葉ちゃんたちの気持ちは分かるわ。だけど、勘違いしてはダメよ。誰かを助けるという行為はね、まずは自分の身を守ることが出来るようになったからこそできる行いなのよ」

 

 理解させるための落ち着かせるような力強い声色。

 あなた達はそれすら出来ていないと言いたいんだろう。

 一度しか戦闘経験がないんだから、まったく以てその通りかもしれない。

 

 保証なんてない。

         絶対なんてない。

                 出来るなんて言いきれない。                   

            ――分かっている。

 

 あの時もそうだった。知っていたところで助けることなんて出来はしなかっただろう。あの後、私は殺された……はず。

 いま、私は同じ過ちを繰り返そうとしていることを緋真さんは止めてくれているんだ。

 

「それに相手の階級《クラス》も分からなければ、規模も分からないわ。そんな中に飛び込むのは自殺行為に近いわ」

「でも、緋真さんなら何とか出来るんじゃないの。私と茜ちゃんと緋真さん。それともう一人の魔法使い。こっちは四人だよ」

 

 やはりそれでもあきらめるという選択肢は選べない。

 可能性が零ではない限り、たとえ一パーセントしかない可能性だとしても。縋り付きたくなるのは人間の性なんだと思う。

 

「一か八かの賭けのようなことをやっても確実に生き残れるのは私だけよ。三日前のことを忘れたの? 私と彩葉ちゃんたちが離れ離れにされたらどうするの? あの時は相手が甘かったから助かったけど、今回も同じようにいくとは限らないのよ」

 

 それを言われると何も言い返せなかった。

 緋真さんの言うことは多分正しい。

 数の問題じゃない。二人と三人だった。

 

 ――けど、相手の方が実力がさらに上をいっていたから、私も茜ちゃんも死にかけた。

 思い返しただけでも怖い。

 

 

  ――結局、まだ私たちには助けることも。

  自衛すら出来ない。

 

 

 そんな私たちが助けに向かったところで、邪魔でしかないのかもしれない。

 ただ、唇を噛んで、弱さを恨んだ。

 そんな私たちの様子を汲み取ってくれたのか、緋真さんは優しい口調で語り掛けてくれる。

 

「分かってちょうだい。お姉ちゃんにとっては彩葉ちゃんたち二人の命が最優先なのよ。だから、いまは逃げましょう。あなた達が強くなったら、その時は仲間である魔法使いを助けてあげなさい。お姉ちゃんが彩葉ちゃんを救ってあげたように――」

 

 うなだれる私たちの頭に濁った心を洗いさらしくれるような手のひらが重なる。

 とても暖かく、心地の良いもの。

 私を助けてくれた救いの手。

 

 いつか――なれるかな。この手に。

 いつか――救えるかな。この手で。

 

 私の目指すべきはこの人なのかもしれない。

 魔法使いを助けることができて、人間の救いになれて、そんな魔法使いに――なれるだろうか。

 ううん。なれるかどうかじゃない。なりたい。

 

「分かった。いまは我慢する。いつか強くなれたその時まで――」

 

 茜ちゃんもすべてを悟って逃げることを決意する。

 了承と納得を得た緋真さんは、微笑み。

 

「なれるわ。必ず。お姉ちゃんがその時まで面倒を見てあげる」

 

 振り向いて、遠ざかる背中。

 私と茜ちゃんは背中《あこがれ》を追いかける。

 後ろめたさは残るけど、振り向かない。

 

 

 名前の知らない魔法使いさん。願わくば――無事に生き残れますように。



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41話

 落ち葉を踏みしめるリズムが響き、木々の中を突き進む影二つ。

 一方は全身に擦り傷を負いながら。

 

 

  ――駆《はし》る。

  ――――奔《はし》る。 

  ―――――疾走《はし》る。

 

 

 時折なる銃声が男の動悸をさらに揺るがし、傷を残す。

 そして、もう一方はぴったりと後をつけながら。

 

  ――駆《はし》る。

  ――――奔《はし》る。

  ――――――疾走《はし》る。

 

 

 時折なる銃声を味方につけて。 

 

 後ろに纏わりつく少年に到達されぬように――男に減速は許されない。

 先を行く男に至れるように――少年には加速を可能な限り。

 

 男は息を切らして追っ手との距離を測る。

 大丈夫。追いつかれることはない。明らかに少年の方が遅かった。

 だが、問題は別にあった。それは先ほどから恐ろしく正確に命中させていく狙撃手の存在であった。

 その姿は目視では捉えられず、ただ音の流れる方向に当たりをつけるしか手段がなかった。

 後ろを振り返り、追って来ている少年の姿を視界に入れては気配を探る。

 

 淡々とした作業の合間におまけの魔力弾を叩きこむ――ッ!

 

 追う少年との距離を稼ぎ、速度を速める。そこに、未確認の存在の追撃。

 

 

 ”どうしてこんなことになっているんだ”

 

 

 先日から続いている魔法使い騒動。

 逃げた魔法使いの行方を探るべく、戦闘員が闊歩していることを知った男は、身を隠すために枯れた木々に潜めた。

 それがこのような結果だ。

 どうやら目当ての魔法使いを追っている最中、偶然にも見つけた獲物についでと言わんばかりに処理されそうになっているということらしい。

 こんなバカなことがあってたまるかと男は憤慨し、騒動の中心となった魔法使いを恨まずにはいられない。

 巻き込まれただけに過ぎない男は不憫としか言いようがなかった。

 しつこく背後に迫る戦闘員《きょうい》。一人ならば立ち止まって抵抗も可能だが、二人も相手となると、男には対処のしようがなかった。

 早く諦めてくれと再度、魔力弾を装填。

 魔力が凝固され、明るい球体が浮かぶ。

 だが、これが命取りとなっていることに男は、いまだ気づけずにいなかった。

 追う者と見えざる存在からしては、闇を照らして迷子を導く灯台のように――恰好の的である。

 

 

 銃声が轟く。

 それまで速度を保っていた男の動きが鈍る。

 足を撃ち抜かれ、もたついて地に這いつくばる姿が滑稽だ。

 

「やっと……追いついた」

 

 生死の伴うチェイスバトルはこれにて閉幕する。

 互いに顔を認識できるほどに迫り、少年――天童纏は追っていた魔法使いに黒く発光した剣を突きつける。

 闇に溶け込みそうな漆黒の刀身は、そこに在るということをおぼろげにに証明していた。

 

「なぜ、俺を殺そうとする? 俺が何をしたっていうんだっ!」

 

 魔法使いは先端に迫る押し殺されそうな重圧に怯むことはなく、ただことの理不尽さに怒りと反感を持って押し返す。

 

「すまない……。君に怨みがあるわけではないが、俺が戦闘員である以上、魔法使いを無視するわけにはいかなかったんだ」

「それだけの理由で俺を殺すのか?」

「抵抗さえしないでいてくれたら殺す必要はないさ。だから君は黙って拘束されて欲しい。俺だって無意味に殺したくはない」

 

 それは本心だ。

 纏は殺人を犯したことはない。こうして剣を突きつけているのも相手に抵抗の意志を失わせる様に抑圧する行為だ。

 だが、それは無意味な行為であることも分かっていた。

 命の瀬戸際に追い込まれた生命《どうぶつ》が大人しくしている道理なんてない。

 纏が戦闘員になって最初に教わったことだ。

 

 ――殺られるまえに前に殺ってしまえ。

 

 ――魔法使い相手に油断はするな。

 

 ――感情も躊躇いも捨てて、それが人々の社会を護るためだと割り切って――殺せと。

 

 しかし、いざその場になってみたら、怖気が出てきたのだ。たとえ相手が人の敵であろうと、簡単には躊躇いを捨てることは出来なかった。

 故に、最後通牒とばかりにこういう形をとった。

 

「勝手に襲撃しておいて、黙っていられるわけがねぇだろーーーー!!」

 

 瞬間――魔法使いは切っ先を掴み取る。血が滝のように流れ出すが、気が動転しているこの状況では痛みすら感じない。

 すかさず開いた手で魔力弾を構える。

 その本能による感情的な行動に、纏はどうすることもなく形勢をひっくり返される。

 こうなることは予想していた。動けば即座に首を刎ね飛ばす覚悟はしていたつもりだったが、剣を掴まれてしまってはそれも叶わぬこと。

 

 しまったと反応したところで遅い――。

 すでに魔力弾の砲口は纏に向いていた。

 絶体絶命の刹那――狙撃手《ほけん》が働いた。

 宙を舞い散る鮮血は脳天から吹き荒れ、展開されていた魔力弾は撃ちはなたれることもなく霧散した。

 発する言葉もなく、魔法使いは呆気なく事切れた。



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42話

「この魔法使いはどうするんだ? 支部に連れて行かなければいけないんだろう」

「本来ならね。けど、いまはそんなことをしている余裕はないから鎗真に連絡だけ入れて、あとで回収してもらうわ」

 

 蘭は携帯を取りだし、監査室に繋げる。数度のコール音の後、一言、二言で簡潔に話を終わらせる。

 

 ――と、

 

 今度は睨み付けるかのような凄みを持って纏に詰め寄る。

 

「――それはそうと……何を考えているのよあんたはっ。魔法使い相手に油断しないでって教わっているでしょう。あたしがいなかったら、あんた――今ので死んでたかもしれないのよ」

「……すまない……。俺の完全な失敗だったよな。次は気を付けるよ」

 

 冷たい声音に怒りを含めて言い放つ蘭はよっぽど心配していたんだろう。確かにアレは危なかった。纏もそれは後になってから自覚した。自分がどれだけ蘭に不安にさせたのかは反応を見る限り一目瞭然だった。

 

「まあ、問題点は多かったが、あれはあれでいい経験だろう。連中が如何にして、自らの生命を守ろうとしているのかを理解出来ただけでも収穫だ。蘭の方は……とりあえずはよくやったと言っておこうか」

 

 蘭と纏の戦闘の状況を見ていた守人は不愛想な顔で二人の評価を入れる。

 

「まさか、あんな風に戦況を切り返そうとするとは思わなかったんだ」

「それが死に際に立たされた動物の本能だ。如何様にして反撃してくるかは魔法使いによって様々だがな。基本的に連中は魔力弾、魔法を使って反撃してくる。中でも一番やっかいとなってくるのが魔力弾だ。あれは魔力量によっては威力は千差万別だからな。あの状況での魔力弾は大抵自制が利かなくなって途方もない魔力を練ってくる。さっきの奴は……まあ、典型的なパターンの一つだ」

 

 動かなくなった魔法使いに一瞥をくれてやると、纏もつられてそっちを見てしまう。

 最後に構えた魔力弾。数度撃たれた魔力弾ではあったが、最後のは格別だった。逆境した魔法使いの馬鹿力とでもいえばいいのか。いままでで一番の危機感を覚えた瞬間であったことを纏の体に刻まれた。

 

「だけど、何も殺す必要はなかったんじゃないのか? あの魔法使いはただ、巻き込まれただけにしか過ぎないだろ。せめて、致命傷を避けるぐらいのことはして、生かして連れて帰った方が魔法使いとの関係性もよくなると思うんだが」

「あのね……纏。それが出来たら苦労はしないのよ」

「どういうことだ?」

 

 魔法使いを連れて帰ることにどんな不都合なことがあるのか、想像も出来ない纏は首を捻る。

 その後を継ぐように、守人が口を開いた。

 

「なに、簡単なことだ。魔法使いを生かしておく必要性がないからだ」

「必要性って……なんでそんなことが言い切れるんだ。元々は人間なんだろう。もっと協力していくことだって可能だろ」

「お前は根本的に何も分かっていないようだな」

「……なに?」

 

 バッサリと切り捨てる。

 出来の悪い生徒でも見ているようだと、守人は一からの説明をしておかねばなと話し始める。

 

「魔法使いとは負の概念が高まり、凡人の悪意《ソレ》とは一線を越えた状態になった時に発症する災害だ。それゆえに、危険きわまる生物を処理する対魔法使い戦を専門にした我々が無害の人間を守るのだよ。魔法使いは生まれたその瞬間にもう相容れることのできない存在なのだよ」

「それは決めつけじゃないのか。俺にはさっきの魔法使いも彩葉たちのこともそんなに危険だと思えない。なにより、あの魔法使いは死の間際、必死だった。本当の意味で無害を証明しているようだった」

「なるほどな。確かにアレは危険ではなかったかもしれないな。……だが、絶対という保証はない。――お前に魔法使いを一目見て脅威度が測れるのか」

「それは出来ない。けど、戦って会話を重ねていけば、そいつの素性だってわかるだろ。それから逃がす逃がさないを決めることだってできるはずだ」

 

 先ほどの戦いで感じたことをぶつける。

 あの最後を見てしまえば、纏には納得が出来なかった。これでは自分たちが殺戮機械となんら変わらない。

 

「判断をする必要はない。中にはお前のいうような魔法使いもいるかもしれないが、根本的に負の感情から生まれたことに変わりはない。一つ聞こうか? なぜ魔法使いを無差別に殺す必要があると思う?」

「あんたがさっきから言っているだろ。人間にとって危険な存在だからなんだろ」

「そうだ。それともう一つ。負の感情を持った者が魔法という強力な破壊の力を手にして、更なる負に取り込まれる者がいるのだよ」

「どういうことだ?」

「人智を越えた力を前にすると、常人のときでは為し得なかったことを試そうと、その力を使ってみたいという欲に溺れるということだ。

 精神に異常をきたした快楽的な殺人者であれば、その力でいまもどこかで残虐に無実な人間を嬲る。突発的な感情の揺らぎで魔法を手にしたものでも、その強力な欲《ちから》に負けて、暴力に駆り立てられる。あるいはきっかけを作った者への報復。感情が揺らぐということは、必ず他者が関与しているものだからな」

「……」

 

 すべてはこの世の裏側で起きている事実。表向きには魔法使いという存在は、殲滅完了の報告だけを流して、国民を安心させる。その実は、目を覆い隠したくなるような血みどろな戦闘が起きていた。

 

「理解したか。魔法使いとの対話というプロセスは必要ない。誰が有害で誰が無害なのかは知ったことではない。ただ、魔法使いというだけで殲滅の価値がある」

 

 等しく魔法使いは悪だと言い切る。元が負の感情を抑えきれずに堕ちてしまった存在なのだから、それだけで社会的に不安要素になると。守人はそう言った。

 

「本当にそれしか手段はないのか」

「あるというならば、お前が証明してみせろ」

 

 話しは終わりだと去ってゆく背中が語る。

 この世の理不尽さ、表向きには平和そうに成り立っているが、実際は数多の犠牲者たちの上で成り立った世界だった。

 自分はとんでもない世界に足を踏み出したんだと実感する瞬間だった。同時に、父親は何年も前からこの世界に浸透していたことにも驚いた。



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43話

「あんまり気にしない方がいいわよ。あれはあの人の考え方だから。あんたはあんたのやり方で戦闘員としてやっていくといいわ」

 

 それまで黙って二人のやり取りを見守っていた蘭が、守人の姿が闇に溶けていくのを見計らって声をかける。

 

「俺のやり方……か。それは俺がさっき言った魔法使いとの対話で殺す以外の方法を取ろうとしたやり方のことをいっているのか」

「それがあんたの正しいと思うやり方なら有りよ。さすがに守人のやり方は少し殺伐としているというか、容赦がないような気がするから。あたしはあんたのやり方のほうが納得よ」

 

 それは予想外の反応だったので、纏は驚いた様子で答えた。

 

「意外だな。容赦なく魔法使いを射殺したから、てっきり蘭も俺の考えは甘いと思っているのかと思ったよ」

「そんなことはないわよ。あんたのは結構まともだと思うわ」

「そうなのか……?」

「そうよ。うちには、直接自分の目で見て、危険だと判断した魔法使いしか処罰しない戦闘員や面倒くさがって自分が興味を持った魔法使いしか眼中にないような戦闘員もいるのよ。そういった連中と比べたらあんたはまともで真面目なやり方よ」

 

 刹那的に纏は、水蓮月と神威殊羅の姿が脳裏に引き出される。それだけ印象深い二人で強烈に刻まれていたということだろう。

 

「はは、あの二人か」

 

 微苦笑気味に答える纏。直接聞いたわけではないが、月の魔法使いに対する見方は噂程度で聞いていた。殊羅はというと、あの言動と態度からして妙に納得してしまったのだ。

 

「あの二人と比べたらあんたは難しく考えすぎなのよ。もう少し肩の力を抜いたほうがいいわ」

 

 そうかもしれないなと纏は思った。

 月は自分よりも年下で戦闘員としての格も違う。なのに、纏と違って自分のやり方を絶対に曲げず、貫こうとしている。そこは立派だ。

 だが、殊羅に関して言えばあまりにも適当すぎて、参考には出来ない類だろうことは考えるまでもない。

 

「蘭はどうなんだ? 自分の在り方を決めているのか?」

「あたしは……べつに……」

「? どういうことなんだ、それは……?」

 

 そっけない言い方に、何かあったんだろうかと不審に思う纏。ここ数日間、蘭とともに行動することが多かった纏だったが、このような反応をするところは初めて見たからだ。

 その様子から察するに、これ以上聞くのは悪いことなのかと気を使った纏は話題を変える方向に切り替える。

 

「そういえば、俺とあまり年の差があるわけでもないのに射撃も完璧だったし、随分と戦い慣れている様子だったな」

「そんなことはないわよ。ただ、今まで生き残ってきた結果。自然と力が付いてきただけよ」

 

 物悲しそうな声音。先ほどまで悠然としていた態度が誰にでも分かるほどに萎んでいた。

 

「……そうなのか。いや、でも大したことじゃないか。今回の戦いで思い知ったんだが、この業界で生き残れるということはそう簡単なことではないと思う。それでも、今日までやってこれているんだから、すごいことだと思うぞ」

「全然すごくもなんともないわよ。こうして生きてきたからこそ、大切な人や仲間たちはみんな、あたしを置いて先に逝ってしまったんだから。新しい出会いと別れのループに嵌まった気分だわ……」

「すまない。少し無神経すぎたな……」

 

 戦闘員というのは魔法使いと日々戦い続ける。当然、そこには絶対の勝利はなく。敗北もある。

 敗北。すなわち死を意味する。この少女は纏とは違う生き方をして、違うものを見てきていることを改めて思い知ることになる。

 

「別にいいわよ。気にしなくて。――そうね。あんたの教育係も兼ねて、少し話をしてあげる」

「話? いや、蘭のプライベートに関わるような話なら無理にしなくてもいいんだぞ。さっきは俺も悪かったと思っているしな」

「いいから。聞きなさいよ。どっちかというとあんたの今後に関わることだから」

 

 蘭は有無を言わせないような気迫で押し通す。

 自分の今後。それは戦闘員としての話しだろうということを察した纏は続きを促すことにした。

 

「四十二区のことは知っているかしら?」

「ああ。三年前に自然災害とガス爆発で閉鎖区画となった区のことだな」

 

 四十二区。現在は閉鎖区画と名を変えた区は、三年前に突如ガス爆発と天候の悪化により、その姿を廃墟に変貌を遂げた区だ。

 当時は全国的に話題となり、生き残りはほぼ0だろうと壊滅的な現状だったという。まるで荒廃したSF映画の舞台を上空から撮ったような映像として流れていたことを覚えていた。

 

 

 ――ここまでは、誰もが認知しているお話し。

 

 

 つい先日。纏が戦闘員に就任してから、支部の資料室で見た裏のお話を付け加える。

 

「けど、その実態は魔法使いと戦闘員による激しい戦闘によって、区画そのものが崩壊したって話だったな」

「その通りよ。命を奪い合い、泣き叫ぶ住民は無力にも巻き込まれて、皆死んでいった。真実はあまりにも残虐すぎて、裏社会でのみ片付けられることとなった案件よ」

 

 それは想像するには容易かった。なにせ、四十二区まるごとを巻き込んだ抗争だ。そこにどれだけの戦闘員と魔法使いが投入されていたかは計り知れないが、激しい戦いだったということは誰にでも分かる。

 これが人智を超えた戦いだと国民に知れれば、絶大な混乱と衝撃が伝わることは必至と言える。あえて、大きな嘘で塗り固めた報道は妥当なところだろう。

 しかし、蘭が語ったことはまるでリアルに体験したかのような言い方だったことに、纏は疑惑を持つ。

 

「やけに詳しいな。何か思い当たることでもあるのか?」

「そりゃそうよ。だってあたし――その時の生き残りだから」

「……えっ?」

 

 一瞬聞き間違いかと思い、固まる纏。

 

「相手が悪かったせいであたしはほとんど何も出来なかったんだけどね。それで気が付けば、アンチマジックのベッドの上でほとんどその時のことは覚えてないわ」

「そうだったのか。……相手が悪いと言っていたけど、そんなに手強い魔法使いたちだったのか?」

 

 世間を震撼させ、閉鎖区画となった四十二区の裏話に興味を持ち始める纏。

 

「キャパシティ、と呼ばれる秘密犯罪組織の構成員が混じっていたのよ。そのせいで戦闘は激化していき、最終的には崩壊した」

「キャパシティ……聞いたことがないな」

 

 その組織の名は、一般人はおろか、戦闘員ですら存在を隠蔽された名前である。

 構成員、目的、規模。そのすべてが謎に包まれた未知数な組織のため、情報規制が敷かれており、アンチマジック上層部と一部の戦闘員しか存在を聞かされていないのである。纏が知らないのは当然だった。

 

「決して表舞台に出ることのない凶悪な事件や被害の大きい事件の裏側にこの組織が関わっていることが多いわ。

 ――特にあんたにとっては無視できない存在になるかもしれないから、覚えておきなさい」

 

 いままで、テレビや報道誌なので魔法使いによる被害はいくつも見てきたが、どれも実際に見たものではなく、想像の域を越えない。中には四十二区のように配慮して意図的に改ざんされたものもあるかもしれなかった。

 いまいちピンと来ない纏。

 しかしふと、連日して話題を集める魔法使い騒動があることに気づく。

 

「俺が無視できない。……もしかして」

「そうよ。先日、守人。あんたのお父さんが戦った魔法使い――雨宮源十郎がそのキャパシティの一人よ」

「やっぱりあの大火事の日のことか! いや、それよりもちょっと待ってくれっ……! 雨宮って……もしかして彩葉の親父なのか?」

 

 直接の面識はないが、苗字の一致、魔法使いである彩葉。それらの符号からまさか……と嫌な予感が纏の頭をよぎった。

 蘭は感情が高まりつつある纏を落ちつかせようと、頷きだけで返す。

 そして、ゆっくりとその先を話す。

 

「分かったかしら。あたしたちが追っている魔法使いたちはキャパシティと繋がっているか、背後に潜んでいる可能性があるわ」

「――信じられないな。あの彩葉がそんな組織と繋がっているだなんて……」

 

 嘘だと思いたい。だが、父親が組織の一員だとするならば、何らかの形で関わっているかもしれなかった。

 彩葉は源十郎の一人娘。そんな子供を放っておくとは到底思えないことでもあった。

 

「まだ、決まったというわけでもないから、そんなに気にする必要はないわ」

 

 混乱を始める纏に、少々言い過ぎたかなと思った蘭は少々罰が悪そうだ。

 

「けど、万が一ということもあるわ。その時に備えて、油断だけはしないで。この話をしたのはもう少し危機感を持ってもらう為よ」

「……ありがとう。俺のことを気遣ってくれたんだな」

「別に礼を言われるようなことじゃないわ。ただ、あんたの教育係として、死なれたらあたしの気分が悪くなるわ」

「そうならないように蘭が色々教えてくれるんだろう。しばらくは世話になるな」

 

 これからもよろしくっという意味も込めて、手を差し出す。

 しかし、その手は握られることはなく、残酷な言葉で返す。

 

「それはいいのだけど、あんた。お友達と再会した時、どうするつもりなの?」

「――それは……まだ、分からない」

 

 痛いところを突かれて、うまく言葉が回らない。

 実際のところ、何も考えていなかったりする。

 彩葉、茜、覇人たちがバラバラになり、どうすればいいのか打ちひしがれていた時、思い当たったのが戦闘員だった。それは同時に彩葉、茜の敵に回ることを意味していたが、このまま行動せずに友情が破棄されることはもっと嫌だった。

 それに、無関係の人間に手を出されるよりかは、自分の手で何とかしなければという思いが纏を突き動かした結果のことだ。

 

「あんたがどういう選択をするかは勝手だけど。後悔のない選択をしなさい」

 

 揺らぐ精神。これは早急に答えをだす問題ではない。いや、出さずとも答えは再会した時に自ずと出るだろう。

 真の友情と言うのは、面として向かわなければ得られないだろう。

 

「あたしになにか出来るとは思えないけど、最低限のサポートはしてあげるわ。戦闘面も含めてね。だから、頼ってくれていいわよ」

 

 ぎこちなく、自信のない言葉。あまりこういう経験はないのだろう。

 蘭にとって年の近い纏との出会いはある意味嬉しい出会いでもある。まだ十代という若さで戦闘員になる人間自体がすくないのである。出来ることなら、協力したいという気持ちがあった。

 

「ああ、その時はぜひ、頼らせてもらうよ」

 

 気持ちのいい笑顔。

 引っ込めていた手を再び差し出す。今度はその手をしっかりと握り返す蘭。

 色々きついことも言われて嫌われているのかと思っていたが、そうではなかったと認識を改める。

 共に戦う仲間との距離が縮めれたのは、大きな前進と言えることは間違いなかった。



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44話

 三十区の崩落した魔障壁前で悠木汐音と別れた後、彩葉たちを追っていた途中のことである。

 

 騒がしい戦の終りは告げられた。

 荒れていた空気は緩和されて、元の静けさが戻ってくる。それが在るべき姿とでも云うように。

 

 なぎ倒された木々の連なり。穿たれた穴の数々が大地に痛みを残していることを教えている。

 

 そこに一人の少年が一本の木から降りてくる。

 少年――近衛覇人は横たわった魔法使いの遺体に目を通すと、深く祈りを捧げる。

 

「助けてやれなくてわりぃな」

 

 そう口にはしていたが、語弊がある。覇人は助けてやれなかったわけではなく、助けなかったのだ。

 戦闘員から逃げ惑う魔法使いを終始見届けていた。

 キャパシティの幹部である、位階第四番の枠に収まっている覇人からしてみれば、救いだすことは容易なことではあった。

 

 では、なぜそうしなかったのか? 決まっている。二人の戦闘員のうち、一人は天童纏であったからだ。

 

 いまはまだ、出会うときではない。覇人が魔法使いである以上は戦闘は避けられないだろう。それに、彩葉たちがいないところで解決することでもなかった。

 

「本業の方が忙しいんでな。このまま置いていかせてもらうが、せめて奴らに利用されないようにはさせてもらうから、それで許してくれねぇか」

 

 魔力弾で空けられた穴に、遺体を労わる様に棺の中に寝かせる。

 弾け飛んだ土をかき集めて蓋をする。その上にカモフラージュとして落ち葉で敷き詰める。

 懐から一本の煙草を取り出し、線香代わりに死者を慰める。

 

 そして、もう一度。

          死者に祈りを――。

 

「にしても、やっぱりそう来るよな。――纏」

 

 予想の範疇であったことではあったので、驚きは当然ない。むしろ、それが当然の選択だったと思っているほどだ。

 父親が戦闘員であることは知っていた。それも、あのA級の戦闘員だ。流れ的にいって同じ道をいくだろうことは予測できる。

 それに以前はこう話していたことも覚えていた。

 

 ”母親が魔法使いに殺された”

 

 覇人と纏が出会ってそれなりに打ち解けあった時のことであった。

 本当に色々なことがあった仲だった。

 登下校は常に一緒。クラス内でも基本的に一緒にいることが多かった。そして、彩葉たちとも一緒だった。

 

 長い長い夢のような時間は終わりを告げて、悪夢が襲い来る。

 

 纏と出会った時からいつかは来るだろうことは分かっていた。それでもあえて、気づかぬふりをして青春を楽しんだ。これは覇人に対する罰なのかもしれなかった。

 

「俺も甘かったな……。こうなっちまったら余計にやりづらくなりそうだ」

 

 一人つぶやく。

 過去の思い出に耽って、自分が思った以上に楽しんでいたんだなと改めて感じ取る。

 過ぎてしまったことを悔いていても遅い。分かっててやってきたことなのだから、受け入れることはすんなりといく。

 

 纏は彩葉たちを追う。だとしたら三人はいやでも再会することになる。

 覇人は彩葉たちの監視をしなければならない。纏に手を出すのは覇人の役目ではない。いまは自分のやるべきことに着手しなければいけなかった。

 

「あいつは彩葉たちに任せておけばどうにでもなりそうか。――しっかし、あとの二人は厄介だな」

 

 C級戦闘員――御影蘭。

 A級戦闘員――天童守人。

 

 どちらも一筋縄ではいかないはずである相手だ。

 覇人はさきほどの戦闘の風景を思い浮かべては思案する。

 

 正確無比な射撃。この暗闇の中であれだけ見事に後衛を努めきれていることには素直に感嘆するしかなかった。

 守人は言わずもがな、A級としての実力は先日、雨宮源十郎を屠った時点で二人とは一線を画していることは明らかである。

 

「こっちも面倒な連中に追っかけまわされているっていうのに、緋真の方もヤバいな……これは」

 

 緋真と守人は多少の因縁がある。それを考えれば必然だと思えるが、懸念はまだある。

 纏は完全に敵に回った。それはまだ、彩葉たちは知らないはず。もし三人が再会すれば、何が起きるかは想像もつかない。

 そして、蘭は()()と面識がある。当然、纏が彩葉、茜の友達であることも知っているだろう。その上で、纏のサポートをしている。

 嫌な予感しかしなかった。

 

「今回ばかりは緋真ひとりでは厳しいかもしれねえな……。仕方ねぇ、連中に見つからねえ程度に急ぐか」



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45話

急いだ甲斐もあってか、予定よりも一日早い四日目で木々を抜けると、のどかな田園広がる田舎が見えてくる。

 なーんにもないところだったけど、私たちの魔法使いという騒動は広がっていないようだ。

 緋真さん曰く、西部で起きた事件のため、東部にまで大事にしたくないだろうからと話は広まっていないとのことだった。なんでも魔法使いが現れた場所でのみ住警戒態勢を布くようにしているだけで、それ以外の場所ではそれすらないらしい。 つまり、熱心に捜索をしているのは野原町だけということになる。ま、そのおかげで束の間の安堵を手に入れることができたから良かったけど。

 安心という名の薬に漬かりきってしまう前に、公共交通機関を使って三十区東部に到着することになった。

 

「ここが三十区東部、咲畑町かー……」

 

 バスから降りると、広がるのは大型のデパートや忙しそうに行き交う人々に自動車の軍勢が大通りを占めていた。そして、シクラメンやらスイセンやらと多種多様な花弁が町を一層色濃く、飾っている。それもそのはず、ここは咲畑町の中心部。一番活気のある場所だ。

 三十区そのものは、緑が多く、花きらびやかな区として他の区にも有名である。

 中でも西部はどちらかというと緑のほうが多い。対してこちらは花の方が多い印象だ。

 私たちの野原町が季節によって緑や茶色と色合いのいい落ち着く町だとしたら、咲畑町は時期によって化粧を塗り替えてバリエーションに富んだ優雅でおしゃれな町だ。春になると一面花吹雪となって、おとぎの国のような景色になるのかもしれない。

 

「何度か来たことはあるのですけど、この風景はやっぱり癒されますね」

「あ、確か店の手伝いかなんかだったよね。言ってくれれば私もついていったのに、こんなにいいところなら喜んでいくよ」

「……お店の事情だったので、連れていけなかったんですよ」

 

 そりゃ仕方ないか。バイトをしていたとはいえ、そういうところは部外者である私がどうにかできることでもないよね。

 

「確かにいいところね。三十区って住み心地が良さそうだわ」

「じゃあもういっそのこと、ここに住んじゃう? ある意味でばれないかもよ」

「こらこら、そうもいかないでしょう。私だっていつまでも彩葉ちゃんたちの面倒を見てあげられないんだから。源十郎さんの指示通り、キャパシティまで連れていくわよ」

 

 ここまでごちゃごちゃあって生き残ることだけで精一杯になりながらも東部までやってきた。だけど、目的はキャパシティ。隣の二十九区だ。ここは通過点であって、さきは長い。

 

「とりあえずどうしたらいいの? さすがにすぐに三十区に行くってことはないよね?」

「そんなことはしないわよ。森の中でも言ったけど、彩葉ちゃんの要望通りにフカフカのベッドで一旦休憩を取りましょう。休むことも大切よ」

「やったっ! あ、でもあまりゆっくりはしていられないよね。アンチマジックに追いつかれる危険性もあるわけだし……」

 

 予定よりも一日早い到着だったけど、危険なことに変わりはないはずだ。

 名も知らない魔法使いが襲撃されてから二日。まだ追いつかれることはないとは思うけど、やっぱり不安だ。

 ここまで来てまた戦闘員との闘いなんて、疲れている状態では勘弁してほしいものである。

 

「焦っても仕方がないわ。魔法使いだって、しっかりとした休養が必要なのよ。それは相手も同じこと。慎重な行動を心がけておけば十分持つわ」

「そういうことなら大丈夫そう……かな。――よし、善は急げって言うし、さっさと休めるところを探そうよ。もう、疲れたよ私」

「……」

 

 茜ちゃんもそうとう疲れているようで首を縦に振って反応してくれた。

 

 早速行動開始。ということで、ブラブラ歩きながら辺りをきょろきょろ。

 別段珍しいものがあるわけでもないが、あまり行ったことのない土地ということもあって、目移りしてしまう。

 

「よそ見しているとぶつかるわよ」

「大丈夫だってば。ちょっといつもと違う風景だから何かないかなーと思ってさ」

 

 私たちが住んでいたのは野原町最西端。そこで一番大きくて人が集まる場所と言えば、茜ちゃんが住んでいた商店街ぐらいだ。もう少し行ったところには、アンチマジック三十区支部がある中心部。

 私は遊びに行く程度でたまにしか行かなかったけど、ここはそこと同じぐらいの賑わいがあって、中心部はどこも同じような雰囲気なんだなと違いの差のなさに驚くぐらいだ。

 

「変わった物でもあるのかと思ったけど、そうでもないんだね」

「同じ区画内だから、違いはそうないと思うわよ。別の区と比べたら大きな違いも出てくるわ」

「そうなんだ。……言われてみれば、テレビなどではここよりもっと都会な感じなところとか、華やかさの無い区画だったような」

「ここ以上に緑があって、華やかな区なんてないわよ。よそから見たら、この区は驚くような美しさよ。お姉ちゃんもビックリしたぐらいなのよ」

 

 私たちにとっては当たり前のような光景でも、外からと内からでは見方が変わるんだなと思った。ここに来るまでの間に色々な区を回ったであろう緋真さんが驚くぐらいだからちょっぴり誇らしげにもなったり……。

 それにしても、同じ区画内といっても少しぐらい違う部分があってもよかったのに。華やかか、落ち着けるかの違いぐらいである。

 中心地らしく、一般家屋なんてものは見当たらず、大型の書店買い物目当ての人しかうろついていない。なんて変わり映えしない平和な光景。

 そこに溶け込んで、目当ての場所を探して散策すること二十分。

 

「泊まれるところってこの辺にあるのかなぁ? 家電やデパートばかりでどっちかというと買い物客ばかりじゃない?」

「そうねぇ……この区にきたこと自体が初めてだし、何がどこにあるのかもよく分からないわねぇ」

 

 二人揃って田舎者のような発言。

 

「茜ちゃんはこの町にきたことがあるんだよね? どこかに泊まれるところって知らない?」

「えっと……ごめんなさい。私、日帰りだったから、よく分からないですけど……たしか、あっちの方に見える高いビルの周辺に宿泊施設があったはずです」

 茜ちゃんが指を差した方角を見ると、一際高い雑居ビルが群がってそびえているのが見える。私たちの近くにあった時計塔もう一個分ぐらいの高さでよく目立つ。

 

「あそこかぁ……そんなに遠くなさそうだね」

「まずは部屋を確保するわよ。それから十分な休憩を取ったら、今後の動きについて少し話したほうがいいわね」

「はぁぁぁ。やっと休憩できるよ。とりあえずぐっすり眠りたい気分」

 

 ここ数日、見張りの交代で二時間おきに起きての繰り返しだったからほとんど十分な睡眠が取れていなかった。辛かったけど、おかげで少しは寝起きがよくなったと思う。そうでも思っておかないと、あんなの絶対に耐えられない。

 

「さすがにホテルのなかにまで襲撃してくることはないと思うから、存分に羽を伸ばしておくといいわよ」

 

 途端に気を張っていた集中力が切れ始めて、大きなあくびが出てしまう。同時に引きずり回してきた肉体が悲鳴を上げる。それだけ私は限界を迎えつつある身体が休眠と癒しを求めていると気づく。

 

「ここまでよく頑張ったわ。もう少しの辛抱だから、それまでは耐えてちょうだい」

「……ん。ちょっと緩んだだけだから、大丈夫」

 

 一生懸命に体を奮い立たせて、気を張り直す。こんなところで油断して、水の泡になってしまったら台無しだもんね。

 

「……よしっ! 茜ちゃん。あともう少し頑張ろう――って……茜ちゃん?」

 妙に静かにしている茜ちゃんの顔を見ると、心ここにあらずといった様子で私たちの後ろにいた。

 

「どうしたの? 疲れた? あ、それとも何か気になる物でも見つけたの?」

「無理してはダメよ。お姉ちゃんにとってはあなた達の方が心配なんだから」

 

 ボーっとしていて、まるで魂が抜けきった様相で私たちを見つめ返す。

 言葉は届いているようで、明らかに無理をしていることが伺える笑みを零す。

 

「……へいき、です。このぐらいは……」

「平気なはずはないわよ。辛そうじゃない茜ちゃん――ってどうしたの!? 顔が赤いわよっ」

 

 夕日が傾いてきて、そのせいで赤くなっているようにも一瞬思ったが、表情からしてただ事ではないと感じ取れる。

 念のため確認しようと茜ちゃんの顔をのぞき込んで、その真っ赤な頬に手を触れてみる。

 

「あつっ! えっ?! ちょ、ちょっとどうしたの? こんなの普通じゃないよっ!」

 

 触れた手からはっきりと伝わる熱さ。尋常じゃない温度を保っている茜ちゃんに混乱してしまう。

 緋真さんにどうするべきか視線で訴えかけようとしたところ、不意に私に温かい体が預けられる。

 

「――あ、茜ちゃんっ! しっかりしてっ!」

 

 糸が切れたようなぐったりとした茜ちゃん。耳元から伝わる荒い吐息が限界を告げている。

 茜ちゃんが私の身を焦がすような体温を保って、ごめんなさいとつぶやく声が聞こえた。

 緋真さんが駆け寄ってきたころには、私は呆然と茜ちゃんの熱を吸収するために抱えることで精一杯だった。



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46話

 中心部からやや外れた雑居ビルの周辺はビジネスホテルや古いビル群が連なっている。

 私たちはその中から周りの雑居ビルとは真新しさのあるちょっと豪華そうなホテルを選んだ。

 来年で西暦2000年を迎える節目である為、古い建物は改築されつつあるホテル群のなかでも一番最初に行われたホテルらしい。どうせならという理由で綺麗なところを選んだまでである。そういえば、私の学校も古くて改修工事なんてしていたなとどうでもいいことを思い出した。

 倒れた茜ちゃんを背負っていた緋真さんを見て、迅速な対応でホテルの最上階を借りる。

 ここならもし、外の景色も一望できるし、何かあった時に対応ができるようにするために、下の方の階は遠慮しといたのだ。

 三人部屋の高そうなベッドに茜ちゃんを横たえると、ようやく一息つけた。

 

「熱がひどいわね。……どこか痛むところとか、辛いところはあるかしら?」

「……関節と喉が痛みます」

 

 さっきまで聞いていた茜ちゃんの声が、はっきりと聞き取れるようになって初めて変質した声音に驚く。

 咳き込みながら答える茜ちゃんの額に手を添えながら、緋真さんが診察をしている。こんなとき何も出来ずにみているだけが私にとっては辛い。

 

「……多分、ただの風邪だと思うわ。二、三日は安静にしていた方がいいわね」

「ごめんなさい。ここまで来て私が足を引っ張ってしまいました……」

 

 弱気な声で萎んでいく茜ちゃんに緋真さんは頭を振る。

 

「そんな心配はしなくていいのよ。茜ちゃんは風邪を治すことだけを気にしていたらいいのだから」

「……はい。私、頑張って治します」

 

 気丈に振舞っているけど、それが限界で咳き込んでしまう。

 これはしばらくかかりそうだなと客観的に判断する。

 

「ねえ、病院に連れて行った方がいいんじゃないの? 見てて茜ちゃんがかわいそうだよ」

「ダメよ。私たち魔法使いは病院には出来るだけ行かない方がいいのよ」

「どうして? ばれていない今ならチャンスだと思うんだけど。それに、ちゃんとした医者に診てもらった方が茜ちゃんのことも安心出来るし……あ、いや緋真さんの診断を疑っているわけじゃないよ。ただ、こんな辛そうな茜ちゃんは見てられないから、早く治してもらいたいと思っているだけだから」

 

 診察をして、薬をもらっておいた方が病気の治りは早いはず。もちろん緋真さんがいてくれるのだから、心配することは何もないとは思えるんだけど、普段こういうことに慣れていない私には不安しかない。

 

「魔法使いの体の中に魔力が流れているのは知っているわよね」

「うん。怪我をしたりして血が流れると、魔力が一緒に流れてしまってばれてしまうかもしれないんだよね」

 

 茜ちゃんは手を怪我して、アンチマジックに正体がばれてしまった。それがきっかけで戦闘員がやってきて戦いになったのがつい数日前。血を流すことがどれだけ私たちにとって、危険きわまることなのか身をもって確認済み。

 私が自信をもって答えると、緋真さんはうなずいてくれる。

 

「その通りよ。例えば、病院に行ったりすると診察を受けるわよね。その時に体の中を調べられてしまって、内容によっては魔力が漏れてしまう可能性があるのよ」

 

 そこでふと思い至った。簡単なことだった。魔力が体内に流れているのなら、何かの手違いで発見される可能性があるということだった。

 

「そっか。もし体の中に医療器具を通したり、血液検査とかされると一発でばれてしまうね」

「そういうことよ。私たちにとってはね、病院は墓場なの。生きて帰ってこれる保障なんてないから、利用することなんて滅多にないのよ。いやでしょ? 棺桶が病院なんて」

 

 洒落になってない洒落に引きつってしまう。 

 それにしてもなんて理不尽な体なんだろう。行けるに行けない。私たちの健康の為の施設が私たちを脅かす施設になるなんて。手に入れた力は大きいけど、その分制約の大きい縛られた人生になってしまっていた。

 

「そういえば、父さんと母さんも病院に行っているところは見たことがなかった……かも。いつも市販の薬とか果物におかゆを食べてゆっくりと寝ていたっけ。私も体調が悪くなった時も母さんが側で看病してくれていたんだった」

 

 母さんは身の回りの整頓とバランスのいい食生活を心がけていたような気がする。あれはこの為だったんだな。

 昔は散らかしたものを片付けるようによく怒らていた。懐かしむように過去の記憶を辿る。

 

「魔法使いは医者に頼れない以上、自力で回復できるような最低限の民間療法ぐらいは身に付けている人が多いわね」

「えー、やっぱり必須じゃんそれ。私も何か勉強しないとっ」

 

 座学は苦手だけど、人間やろうと思えばなんとかなるもんである。夏休みの宿題を期限ギリギリで終わらせる。それと似たような感覚だ。

 やらなければいけない。その強い想いが力となって、なんとかなるのである。それを私は身を持って分かっている。

 最近のことでいえば、殊羅に殺されそうになった時だ。あの時も、気が付けば無我夢中で対抗していた。それを勉学に当て嵌めるだけ。

 

 茜ちゃんのため。自分のため。みんなのため。

 

私が苦手を克服すれば、こんなときでも手伝うことが出来るのだから。

 

「それもいいのだけれど。まずは自分の体調管理。それと、身の回りの安全の確保がしっかりと取れること。この二つさえ出来ていれば、無理しなくてもいいのよ」

「いや、それでも私は覚えておきたい。この先なにが起きるかも分からないし。それにほら、覚えておいて損はなさそうだし。簡単なところまででいいから、やってみたい」

 

 知識は力なり。

 広く浅くで全然いい。出来ることなら深いところまで理解したいのだけど、頭が壊れてしまう。呪文を詠唱するように単語をポンポン言って、高度な技術を身につけれたら、どんなにカッコいいことか。やろうと思えばなんとかなるとは言ったけど、限度はある。私の場合は、ものすごい低い限度だけど。

 

「分かったわ。お姉ちゃんが協力してあげるわ。とりあえずは民間療法さえ覚えておけば、なんとかなるわよ」

「あ、それ私の持論」

 

 世の中、大抵のことに不可能はないと思っている。何か行動すれば、何かが変わってくれるはず。気を張って生きていくよりも、多少の楽観的な生き方の方が疲れないし、望みを持っていられるというもんだ。

 

「……ふふっ」 

 

 口元に手を当てて、咳き込む茜ちゃんは微笑んだ。

 嬉しそうで楽しそうな、だけど、病人らしい控えめさが残るもの。

 

「彩葉ちゃんなら案外なんでもやれそうな気がします。いつだってそうでしたし。進学する高校を選ぶ時でも、少し上のレベルである私と同じところに行くために、頑張って勉強して一緒に入学できた結果が残っています」

「いやー……あはは……。あの日々は思い出したくないなぁ……」

 

 忘れようと思っても忘れられない日々が鮮明に蘇ってくる。

 ほぼすべての学生が通るであろう、半年間に渡る狂気の特訓。死にもの狂いでやっただけあって、成果は出たのだ。

 その代償に睡眠時間を削られ、体力的にも精神的に削られた。おもにメンタルが。

 

「あら、そうなの。すごいじゃない。今のを聞いて、彩葉ちゃんなら本当になんとかやってしまいそうな気がするわ」

 

 思いのほか、称賛を浴びる。

 

「ですが、あとから答案を見せてもらったら、ほとんど記号問題だけで点数を稼いでいたのです」

「いや、ほら。運も実力の内っていうわけだし、普通にすごいことじゃない?」

「――確かにすごいことだと思うわ。だけど、世の受験生が聞いたら妬みや羨ましさを掃除機のように吸い集めそうね」

 

 嫌だなぁそれは。そこまでの吸引力が私にはないと信じたい。

 

「私たちだけの秘密にしておかないと、彩葉ちゃんがパンクしてしまいそうですね」

 

 二人して私の方を見詰めている。この瞬間にでも二人の想いを吸い込んでいるのだろうか。だとしたら、このまま秘密もろとも記憶を私の中に閉じ込めてしまいたい。

 緋真さんの圧力《プレッシャー》と恐ろしいことを言った茜ちゃんが生み出した居心地の悪い雰囲気に、とりあえず話題を変えて逸らすしかないと即座に決断する。

 

「私のことはもういいでしょ。そんなことより、茜ちゃんが風邪を引くなんて……何が原因だったのかな? やっぱり体力の低下が原因?」

 

 体力の少ない茜ちゃんにとっては、苦痛な道のりだったはず。

 私ですら音を上げそうになるほどの経験だったのだ。

 

「それもあるかもしれないけど、一番の原因はアレだと思うわ……」

 

 アレと言って、緋真さんの表情が変わっていく。緋真さんにとって悪いことなのか、きっかけが緋真さんにあるのか、そのどちらかだと思う。

 

「露天風呂……ですよね」

 

 図星だったようで、緋真さんの顔色が変わった。

 

「やっぱりそうよね。川なんて見つけたから、湯を浴びれると思って調子に乗り過ぎたみたいだったわね。二人共慣れていないのに、真冬に露天風呂を用意したのが悪かったみたいだわ。お姉ちゃんがもっとしっかり気を使っていたらこんなことにはならなかったかもしれないわよね」

「そんなことないですよ。私にとってもいい思い出ができたので、緋真さんは悪くないですよ」

「そうだよ。あんなロマンチックなお風呂に入れることなんて一生涯ないと思うし、なにより緋真さんが私たちのことを想ってやってくれたんだから、感謝しかでないよ」

 

 あんな経験ができない一般の人たちにも体験させてあげたいと思えるほどに、気持ちのいいものだった。

 おすすめの露天風呂スポットとして名を売り出してもいいぐらいだ。

 

「ほめ過ぎなような気もするけど、満足してもらえたのなら良かったわ。けど、風邪を引かせたのはお姉ちゃんの責任でもあるから、最後まで看病するから茜ちゃんは大人しくしているのよ」

「責任なんて感じてくれなくてもいいのですけど……私の所為で迷惑をかけたくもないですし、頑張って早く元気になれるように。緋真さん。お世話になります」

 

 朗らかな笑み。和やかな時間に気分が落ち着ついてきているのかもしれない。

 

「茜ちゃんはもう寝ていた方がいいよ。微力ながら、私も手伝うから。あとは任せて」

「彩葉ちゃんにはいつも助けられてばかりですね」

「今さらじゃん。付き合いも長いんだし、心配しなくてもいいよ」

 

 今までに何度かお見舞いとして、茜ちゃんが学校を休んだ日に顔を出したことはある。

 けれど、風邪がうつると言われて、少し会話したら帰る程度のものだった。

 だが、今回は違う。正真正銘の看病をしてあげるのだ。不安はあるけど、頑張ってみようと思う。

 

「とりあえず、何か食べ物を用意した方がいいよね。コンビニの残りがあるけど、それだと病人にはよくなさそうだし。あと、風邪薬も用意しないと」

 

 手持ちはサバイバル開始前に買ったコンビニのパンしか残ってない。菓子パンや総菜パンはさすがにまずいだろう。

 

「いまから買いにいくのですか?」

「ん? そうだけど。欲しい物でもあるの?」

 

 いま行かずしていつ行くというのか。

 出かける準備をしていると、緋真さんも驚きの様子をしていた。

 

「大丈夫なの? 疲れているでしょう。お姉ちゃんが行ってくるから、彩葉ちゃんも大人しくしていた方がいいわよ」

「平気だって。買い物ぐらいならすぐだから――」

 

 途端に視界がぼやけて、世界にモザイクがかかったような景色が一瞬通り過ぎる。

 足に力が抜けて、おぼつかない足取りで沈み込む。

 ぐらつく脳髄。シャッフルされて弾ける思考。空白になった頭に何も思い浮かぶことがない。

 悲鳴をあげる神経が私の動きを封じ込める。

 気付いた時には、ベッドに腰掛けていたことを理解するまでに時間がかかっていたことに驚く。

 

「ほら。無茶しないで。彩葉ちゃんも疲れているのだから、今日はゆっくりと休んでまた明日考えましょう」

 

 一度落ち着いてしまったら、もう動くことすら敵わない。

 自分の体《もの》がこれほどまでに操作が出来ないなんて。手足を縛られているような感覚に口だけを動かす。

 

「……分かった。今日は茜ちゃんの介護でもしとくよ。――だからなんでも言ってね。出来ることならなんでもやるから」

「ですが、彩葉ちゃんだって疲れているのに私の所為で、苦労しなくてもいいのですよ」

「気にしなくてもいいって。友達が寝込んでいるのに何もしないわけにはいかないし。それに、これもこういうことぐらいは出来るようになっておきたいから、任せてほしいな」

「……それでは、無理しない程度に頼らせてもらいます」

 申し訳なさそうにする茜には悪いけど、こればかりは放っておけない。

「それじゃあ、あとはよろしくね」

 

 スタスタと扉に手をかけようとする緋真さん。

 その躊躇いの無さに思わず声をかけてしまった。

 

「――って緋真さん?! どこ行くの? さっき明日考えるって言ったのに。緋真さんは休まないの?」

「そうです。緋真さんこそ無理しないでください」

 

 てっきり、今日はみんなでゆっくりするもんだと思っていたのに、またみんなのお姉さん役として、体を張るつもりなのかな。

 それは絶対に止めさせたい。さすがに申し訳なさすぎる。

 

「今日はホテルで食事を取るから、その話をしに行くだけよ。さすがに外には出ないわよ」

「ほんと?」

「お姉ちゃんってそんなに信用ないのかしら。ちょっと悲しいわ……」

 

 表情は笑っているのに、わざとらしく口調だけそれっぽい声をだす。

 はめられているような気がするけど、ここは乗っておいた方がよさそう。

 

「嘘だって。帰ってきてよね」

「それじゃあ、行ってくるわ。大人しくしているのよ」

 

 念を押して、主に私の方を見詰めながら話す。

 信用されていないのは、むしろ私の方なんじゃないかと思えてきた。

 

「行きましたね」

「行ったね。緋真さんも限界のはずなのに、どうしてあんなにも余裕を持っていられるんだろう」

 

 まったくもって謎である。緋真さんの七不思議だ。一個しか知らないけど、他の六個はこれから出てくるはず。

 

「栄養ドリンクの飲み過ぎかもしれませんね」

「いや、それは……ないと思う……多分」

 

 それだけであんな無尽蔵に動けるはずがない。……だけど、そうと否定できないのはなぜだろう。あ、これも緋真さんの七不思議に入れておこう。

 



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47話

「これで買う物は全部かな」

 

 晴れ渡る蒼穹のキャンパス。

 雲一つ残ってない快晴は、私の疲労が抜けきった姿の様。

 そんな私はというと、一枚のメモを手に取って上から順に眺めていく。

 

「薬も買ったし、飲み物も買ったし、あとは……お昼ご飯を用意して完璧かな」

 

 慣れない町をあっちこっちとうろつきながら、目当てのお店を探しだすには苦労した。ついでにちょっと観光もできたからこれはこれで良かったかな。

 ともかく思った以上に時間がかかってしまっが、それも次で終わり。

 町中に我こそはと構えている大きいデパートに入れば一括で済んだんだろうけど、普段から商店街を利用していただけあって、デパートに入って買い物をするには抵抗があった。

 慣れ親しんだというわけではないけど、近所の商店街のような感覚で買い物をしたかったから、わざわざめんどくさいけど、地理も分からない町を散策しながら、いくつものお店に入って物色していくことにしたのだ。

 手には数種類の袋を引っ提げながら、入っていくことになったけどあんまり気にしない。ただ、両手が塞がってしまう状態になってしまったから、カバンを持って来たらよかったなと。只今、大絶賛後悔中である。

 

「さて、そろそろ帰ろっかな。茜ちゃんと緋真さんも待っていると思うし」

 

 今日の朝、茜ちゃんの熱を測ると昨日ほどではなかったけど、まだ熱が残っていた。

 顔色はゆっくり休んだこともあって、大分よくなっていたからそこは安心した。

 ということで、緋真さんは茜ちゃんの看病をして、私は昨日立てた予定通り、必要な物の買い出しへと繰り出すことになった。二人で買い出しをするという案もあったけど、誰か一人は茜ちゃんの傍にいてあげないと何かと不便なこともある。

 本当は私が残りたかったのだけど、もし茜ちゃんの容態が悪化した時はどうしようもなかったから、必然的に私が出かけるしかなかったのだけど――。

 

「にしても、重い……。特に飲み物が。女の腕力でこの量はちょっと無理があるかも……。いやいや、この程度で弱気になってられないよね。茜ちゃんはもっと大変だし、緋真さんも苦労しているんだから。頑張りますかっ!」

 

 地べたに置いて、手を休めて気合を入れ直してもう一度持ち上げる。

 平日から人通りが多い大通りの人波をかいくぐりながら、ホテルへの道を辿ろうとしたとき――。

 

 不意に背後から服を引っ張られた。

 

「――? どこかに引っかかったかな」

 

 危うく荷物を落としそうにながら後ろを振り向く。

 

 すると、なぜかそこには――。

 

「久しぶりだね! お姉ちゃんっ!」

「えっ! つ、月ちゃん」

 

 太陽の輝きに負けないぐらいの笑顔を私に向ける少女。

 

 見覚えがある。はっきりと。確かに。

 

 時計塔前で一回。区画管理者の自宅前で二回目。そして、三回目の出会いが町の中心部だなんて思ってもみなかった。 

 

 即座に思考を切り替える。

 月ちゃんは戦闘員。つまり、私たちの敵。

 あの日、森の中で襲った名前の知らない魔法使いを斃したのは月ちゃんなのかもしれない。

 警戒心を高め、月ちゃんへと攻寄る。

 

「もう追いついてきたんだ。けど、月ちゃんが私よりも強いからって黙ってやられると思わないでよ」

「え、えっと……お姉ちゃん? 月。お姉ちゃんと争うつもりはないよ」

「嘘でしょ。月ちゃんが戦闘員なんだから、私たちを無視するわけがないよね。油断させてから襲うつもりでしょ」

 

 そんな子供にしか騙されないような嘘を吐かれても、困る。吐くならもっとマシな嘘じゃないと。

 

「もうっ! そんな卑怯なことはしないよ。それに、お姉ちゃんと戦う理由なんてないもん」

「なっ! 理由がないなんてそんなことは――」

 

 言ってからハッとする。

 緋真さんから聞いたことだけど、月は自分の目で見て、有害だと判断した魔法使いしか狙わないらしい。

 ということは、月ちゃんにとって私たちは有害でもなんでもない、一人の人間だと見られているということになるのかな。

 

「じゃあ、え!? ほんとに私とは戦わないの? 見逃してくれるの?」

「うん。もちろん。月は戦闘員だけど、今日はお姉ちゃんたちとは関係ないの。だから安心しちゃっていいんだよ」

 

 邪気のない言葉。むしろ、親しみのあるような、馴れ馴れしさすらもある。

 そんなのを前にしたら、自然と警戒心を緩んでしまう。

 この女の子は、戦闘員なんて肩書がなければ、一人の可愛い少女であることは間違いない。

 今日は女の子として会っているのだから、私もそれ相応の態度で迎えるとしよう。

 

「ねぇねぇ。そんなことよりも一杯袋を抱えて、お買い物でもしてたの? 月も一緒にいきたーい」

 

 買い物袋に目をつけて興味津々といった様子で提案してくる。――けど、残念。

 

「ごめんね。もう終わってこれから帰るところだったから、また今度ね」

「えぇー。つまんなーい。せっかくお姉ちゃんとショッピングが出来ると思ったのに……」

 

 すごく残念そう。誘われたのは嬉しいんだけど、戦闘員と魔法使いが買い物なんて絵面的にどうなんだろうって気もしなくはない。

 別に私としては気にはしないんだけど、もし誰かに見つかったらと思うと止めておいた方が無難かもしれない。

 

「うーん。それじゃあね。お話ししようよ? 丁度、お姉ちゃんにも聞きたいことがあるの」

「はなし? それぐらいならいいけど」

 

 敵なのか味方なのか。どちらか見当はてんでつかないけど、その話しの内容次第で決まるかもしれない。

 それなりの覚悟を持って臨むべきかと悩んでいると、クーっと可愛らしいお腹の音が聞こえた。

 それは私からではなく、きょとんとした顔の月ちゃんだった。

 

「お姉ちゃんっ! 月ね。お腹空いちゃったっ」

「私に言うの?! どうしよっかなー? 何かあったっけ」

 

 時間としてはもうすぐお昼。

 これから昼食を買って帰ろうとしていたところだから、いまは食べ物なんてない。あるとすれば薬ぐらいだ。

 

「あっ! あれ! あれが食べたい」

 月ちゃんがはしゃぐように指を差す。

 その先に視線を這わせると、たい焼きの屋台があった。

 

「……」

 

 目をきらきらとさせて、私を見てくる。

 たい焼きが食べたいらしい。

 月ちゃんはいいかもしれないけど、私たちはこれからお昼。さて、どうするべきか。

 買ってあげるのはいいんだけど、私はどうするかという問題だ。

 月ちゃん一人分だけ買ってしまうと、多分――乙女特有の甘味センサーが反応することは間違いなし。つい、私も食べてしまうことだろう。

 けど、年下の女の子が食べたいというのだから、付き合ってあげるのが出来る女。と、過ちは正当化しておこう。

 

「食べよっか? たい焼き」

「わーい!」

 

 バンザーイして喜びの表現。つい数日前まで緋真さんと殺し合いをしていた姿は似ても似つかない。 

 そんな姿と反したこのはしゃぎっぷりをみていると、そんなことはどうでもいいことなんだと思えてくる。

 帰りが遅くなってしまうけど、緋真さんと茜ちゃんにはお昼を豪勢にしておけば、なんとか言い訳にはなるよね?



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48話

 近場の公園のベンチに座って一休み。

 ざっと見ただけでは、私の近くにある時計塔の公園よりは遊具が多いような気がする。ど真ん中に時計塔がない分そう見えるだけなのかもしれないけど。

 

「あまーい! おいしーい! こんなおいしい物ならいくらでも食べれちゃうよ!」

 

 横ではがっつくようにたい焼きをほおばる月ちゃん。

 安い出費でそんなにも喜んでもらえるとは。買って良かった。

 結局、お昼前だと言うのに我慢できずに私も一個買ってしまい、かじりつく。

 ちなみに私はあんこで月はカスタード。

 

「お姉ちゃん。もう一個頂戴っ!」

 

 月ちゃんはこれがお昼ご飯となるようで、二つ買ってあげた。ちなみに二つ目もカスタード。

 

「そんなに焦らないでってば。……はい。って月ちゃん顔にカスタードついてるよ」

「え? どこ?」

 

 私の右頬辺りを指で指し示してこの辺りだと教えてあげる。すると、月ちゃんは何故か左頬を舌で舐め取ろうとした。当たり前だけど、全然届いてない。

 

「それじゃ、届いてないよ。ちょっと待って」

 

 ここで乙女の必需品であるポケットティッシュを取り出す。まあ、薬局で風邪だと分かっておまけでもらったやつだけど。それは内緒で。

 月ちゃんは礼を言って、ティッシュを二枚ほど抜き取ると、同じく何故か左頬を必死で拭いている。

 その姿が可愛くて、暖かく見守りたい気持ちになってくる。

 

「あれ? と、取れてないっ?! もしかして――お姉ちゃん騙したでしょーっ!」

「だましてないよ」

「だって笑ってるもん! お姉ちゃんのイジワル」

 

 ついつい顔に出てしまったみたいで、月ちゃんは少し不機嫌。

 

「月ちゃんそっちは左だよ。ついているのは右だから逆を拭かないと」

 

 反対側の頬を教えてあげると、月ちゃんは疑り深く拭くと黄色いカスタードが取れた。

 

「あ、あれ? お姉ちゃん右側だって言ってたのに、なんで左についてるの?」

 

 そんなことは一言も言ってないんだけど、なんて純粋な子。

 

「なんでって言われても鏡みたいなもんだよ。月ちゃんの右側についていたから右の頬を触ったけど、月ちゃんから見たら左側についているように勘違いさせてしまったみたいだね。ちょっと……分かりづらかったかな?」

「? そんな難しいことはよくわかんないもん」

 

 口で右側についているよって教えた方がよかったかな? 右を触って教えたから、月ちゃんも右側だと思ってくれているんだと思ってたんだけど。

 

「ごめんごめん。これでも食べて機嫌直してよ」

 

 たい焼きを差し出すと、そのままかぶりついてきた。まるで獲物を見つけた小動物の様に。なんだか餌付けしているような気分にもなった。

 やがてしっぽの方までたどり着くと、身の危険を感じ取る――。

 

「びっくりした! 私の手まで食べる勢いだったでしょ。いまの」

「えへへー。さっきの仕返し」

 

 仕返しどころか倍返しぐらいの勢いがある行為だったような気もするんだけど。

 ともあれ月ちゃんはお腹が膨れたこともあってか満足そうにしている。とするならば、本題にそろそろ入ってもいい頃だろう。

 

「ねえ、月ちゃん。話って何の話なの?」

「うん。月のお仕事のことだから、あんまりしゃべっちゃダメって言われているんだけど、いま、ある魔法使いを探しているんだ」

 

 汚れたティッシュを丸めて、たい焼きの入っていた紙袋に入れながらあっさりと話してくれる。

 

「魔法使いって、私たちじゃないんだったら誰? ……もしかして緋真さんのこと?」

 

 屋敷前のときは、明らかに緋真さんだけ集中的に狙っていた。

 私と茜ちゃんは全く眼中になかったことから、今回も緋真さんを追って来てのことになるんだろうか。

 多分、私と緋真さんが一緒に行動していることなんてお見通しだと思うけど、あまり色々話さない方がいいかもしれない。

 

「いまは……違うよ。月は強い戦闘員だから、いろんな魔法使いと戦わくちゃいけないんだ」

 

 冒頭の重く強い口調。諦めているというわけではなさそう。

 一時的にターゲットから外してもらえているみたいだけど、安心は出来ない。

 もしかすると、あの魔法使いのようにとばっちりで狙われるかもしれないんだ。

 

「いまは……かあ。じゃあ、どんな魔法使いかな。A級戦闘員の月ちゃんが戦わないといけない魔法使いだったら、相当危険な魔法使いだってことでしょ」

 

 危険はあるかもしれないけど、戦闘員の事情を知るまたとないチャンスだし。ここは上手く話しに乗って、せめてどんな奴を目的にしているのか情報を抜き出しておいた方が対策も取れるというもの。

 

「すっごく危険な魔法使いだよ。でも、顔も見たことがないからどんな魔法使いなのか誰も分からないの……」

「え? なにそれ。それだと探しようがないんじゃないの」

「うん。だからお姉ちゃんだったら知っているかなって気になっちゃったんだ」

 

 そんなこと言われても、私が知っている魔法使いなんて茜ちゃんと緋真さん。それに屋敷前で会った覇人と綺麗なお姉さんしか心当たりはない。

「月たちの間では『回収屋』って呼んでいるだけど、お姉ちゃんは聞いたことがないかな?」

「ないね。それに私って魔法使いになってから一か月も経ってないから、あまり裏の事情とか聞いたことがないしね」

 期待の当てが外れたのか残念そうにしている月ちゃん。

 アンチマジック。その魔法使い殲滅部隊である戦闘員ですら把握できてない魔法使いなのだから、同じ魔法使いである私なら何か知っていると思ったわけなんだね。

 

「でも、回収屋って何かゴミ集めしている人みたいな呼び方をするんだね。ほら、丁度あんな感じの人みたいに」

 

 たまたま通りかかっていた清掃員のような人を例えに出してみる。

 

「お姉ちゃんの言っていた通り、回収屋は魔法使いを回収する魔法使いだよ。丁度あの人みたいに回収してどこかに連れて行っちゃうんだよ」

「それって人さらいなだけなんじゃないの」

 

 まさかの誘拐犯だったとは……。魔法使いとか関係なしで、結構やばいことをやってそう。

 

「ううん。ちがうの。回収屋は月たちがやっつけた魔法使いを奪っていっちゃうんだ。おかげでたくさんの戦闘員が被害に遭っちゃって大迷惑になってるの」

「そりゃ大変そうだね。――あれ、でもちょっと待って。戦闘員にやられた魔法使いを回収しているんだったら、どこが悪い魔法使いになるの。ただ、仲間を助けに来ているってことになるよね」

「違うの。お姉ちゃんたちだったらいい魔法使いになっちゃうけど、月たちにとっては、戦闘員を殺してでも連れて行く悪い魔法使いなんだよ」

 

 ああ、そうか。魔法使いの思考からしたら、味方になるんだけど。月たち戦闘員からしたら、殲滅した魔法使いを敵側に取られるということになるわけだ。

 人間と魔法使いの相違の見解ってことになるんだ。私もこういう考え方にたどり着く辺り、すっかり魔法使いとしての自覚が出てきているのかもしれない。

 

「最近はあんまり活動しているお話は聞かなくなっちゃったんだけど、少し前だったらいきなり研究所を襲ってきたこともあるんだよっ」

「け、研究所?! それがどんなところなのかは知らないけど、回収屋って魔法使いは一人でしょ。もしかして、桁違いにヤバい奴なんじゃないの?」

 

 予想していたレベルを超えてそうな魔法使いかもしれない。

 A級の月ちゃんが討伐の指示を出されているぐらいだから、軽く緋真さんと同じぐらいの強さはあるってことじゃない!?

 

「だから月みたいなA級以上の戦闘員しか戦っちゃダメって言われているの。それ以下の戦闘員の人たちはみんなやられちゃっているから」

「月ちゃんはさ、そんな魔法使いを見つけたらどうするの?」

 

 言って気づく。どうしてこんなことを聞くのだろう? 月ちゃんは戦闘員で敵のはず。

 答えなんて分かっている。けど、私よりも年下の女の子が緋真さんと同じぐらいの魔法使いを相手に無事でいられるわけがない。

 私はこの子にどうしてもらいたいんだろう。

 

「もちろん――――殺すよ」

 

 一瞬、戦闘員としての月ちゃんの姿が現れた。どちらが水蓮月なのか。無邪気な顔と死を運ぶ顔。豹変した、というよりは。表裏一体って言った表現の方が近い。

 傍にいるだけではっきりと伝わる明確かつ、底冷えする驚異的な死の気配。どこに向けられているのかも分からない。目に見えない敵に対するソレは、周囲にも伝播していた。

 

 散歩途中の猫。

 

 木々で安らぎを得ていた雀が一目散に蜘蛛の子を散らすように去っていく。

 

 敏感にとらえる柔肌を持つ赤ん坊が、たまたま通りを過ぎただけで泣きじゃくる。

 

 これが――A級。

 

 だけど、そういうことは関係なく。こんな、普通にしていたら可愛らしい女の子が物騒なことを言っていることに対して、怯む。

 何か間違っている。そんな気がする。だから、私は。

 

 この子を、否定する――!!

 

「どうして、月ちゃんがそんなことをしないといけないの。もっと、女の子らしく普通にしていたらいいじゃない。その手を殺人に染める必要がどこにあるの?」

「――え? それは、月が戦闘員だから。みんなが笑顔でいられる楽しい暮らしができますようにって。だから、月が頑張らなきゃいけないんだもん」

 

 それは本当にあなたのやりたいこと? そう問いただしたくなるようなぐらい、自分に課した使命のようなニュアンスが含まれていた。

 

「みんなが笑顔になるぐらいなら他にも方法があると思わない? 例えば、さっきみたいに月ちゃんが笑って、はしゃいでいてくれるだけで、皆ハッピー、私もハッピーな気持ちになったよ。ま、私の手を齧ろうとしたりと、お茶目な所もあるけど、それも含めて愛らしいと思うし」

「違うのっ。月は、みんなを笑顔にしたいわけじゃないの。みんなが悲しむ顔から守ってあげたいだけだもん。月にはそんなことが出来る力があるんだから、そのために戦わなくちゃいけないの!」

「そういうことは、大人の役目だよ。月ちゃんはまだ中学生ぐらいでしょ。私がそのぐらいの年の時なんて、まだ遊び盛りな年頃だったよ。だから月ちゃんもそれらしく、無邪気にはしゃいでいていいんだよ」

 

 少なくとも、中学生で仕事とかそういうことは何も考えないもの。

 ――違う。考えたくないものである。

 

「月は、アンチマジックのみんなのおかげで楽しくやっているからいいの。それに、お姉ちゃんだってアルバイトをやってたって知ってるよ」

「私は高校生だからいいの。あのね、高校生っていうのはね、大人への階段を上り始めている年頃だからね。そりゃ、大人ぶってみたくなるよ。大きくなれば分かることだってあるんだよ」

「なによ。お姉ちゃんったら急にえらそうにしちゃって。いいもん。月は好きでやっていることなんだから、お姉ちゃんには関係ないもん」

 

 ぷいっとそっぽを向かれてしまった。

 少し、言い過ぎたのかもしれなかったかな。これが大人げないというやつか。

 

「そうだね。私には関係なかったね。だから、これは私のお願い」

「お願い? 月が魔法使いを殺すことを止めてほしいってこと?」

「魔法使いを殺すということに否定するつもりはないよ。私たちが勝手に後ろ向きになって、魔に憑りつけれただけなんだし。それで騒いで、魔法を使って、誰かに迷惑をかけているんだから。アンチマジックはそんな私たちから、一般市民を裏から守っている立派なことだと思うよ」

 

 そう。全て私たちが悪い。魔法使いは強力な、怨み、妬み、怒り、殺意、嫉妬や精神が不安定になるような負荷がかかって、魔法使いに堕ちている。一度はそんな感情に魅入られたからこそ、こうして危険な存在となり果ててしまったのだから。すべては自己責任。誰の所為でもなかった。

 やり方はひどくても、アンチマジックのやっていることは間違ってない。

 

「だけど、月ちゃんが戦闘員をやるにはまだ早いと思う。子供は子供らしくしているのが一番ってね。そうしたら、月ちゃんとももっと仲良くなれそうなのになあ」

「たしかに。お姉ちゃんと仲良くするのもとっても楽しそう。……でも、月はいまの生活や、アンチマジックのみんなが大好きだから、お姉ちゃんのお願いは聞けないよ」

「……そっかあ。うん。じゃあ、しょうがない」

 

 これ以上言うのはよそう。アンチマジックとして、戦闘員としての生活に慣れ過ぎている。私の知らない世界で長く生きてきているせいだろう。

 たかだか裏の世界に入って数えれる程度の日数しか経っていない私には、想像も出来ないことを見て、学んできている。

 だからこれ以上のことは私がもっと裏社会に馴染んで、月ちゃんと同じ土俵に立てた時――言えることなのかもしれない。

 その時が来るまで、おあずけにしとこう。

 

「そろそろ行くね。お姉ちゃん。お仕事もしなきゃダメだし、月の保護者も来ちゃった」

 

 おもむろに椅子から立ち上がった月ちゃん。

 釣られて私も立ち上がる。すると、公園の入り口から一人の男が入ってきた。

 

「……勝手にうろちょろするなよ。探す手間が増えてめんどくせえだろ」

「殊羅がなかなか起きてくれないのが悪いのー!」

 

 前見た時と変わらない。気だるげで覇気の感じられない風貌にもかかわらず、圧倒的なまでの戦力の威圧感を感じさせる。S級戦闘員という肩書を持っている男。

 

「――神威殊羅。月ちゃんが来ていたから、もしかしてとは思ってたけど、やっぱりいたんだ」

「ん……。ああ、そっちはしばらく見ない内に顔つきだけはマシになったようだな」

「おかげさまで、ここまで来るのに苦労したからね」

 

 嫌味っぽく言ってみる。実際大変だった。人生で初めての経験で得難いこともあったけど、二度は体験したくない数日を送ってきたわけだし。

 

「それで、月ちゃんから聞いたけど、私たちのことは見逃してくれるってことでいいんだよね」

「まあな。こっちは別の要件で動いているもんでな、さして興味があるわけでもないから、好きなようにすればいいぜ」

 

 嫌な言い方をするなあ。興味って……嬉しいような嬉しくないようななんとも複雑な気分にさせてくれる。

 

「そうそう……って、あーっ! 殊羅! お仕事だよ。回収屋をさがさなきゃっ」

「人探しならお前ひとりの方が上手くやれるだろ。子守りも意外と楽じゃないんだがな」

「一緒じゃないとダメって言われているからしっかりとやらなくちゃ。怒られちゃうんだよ」

 

 うーん。これだとどっちが年上なんだか分からない。

 しかし、殊羅も口では面倒くさがってそうだけど、月ちゃんを探しに来たりしたぐらいだから、意外と面倒見がいいのかも。

「いいなあ。月ちゃんと仲が良さそうで妬けそうだよ」

 

 あんな妹がいたら、毎日賑やかそう。あんな男にはもったいないとつい口からこぼれてしまいそうになる。

 あ、親目線で子を見る気持ちが分かったかも。

 

「……そういうことだ。お前さんらを追っている連中には加担するつもりはないし、あとは好きにしてくれや」

「え?! ちょ、ちょっとまって!」

 

 気だるげに踵を返して去っていこうとしていた背中に声を浴びせる。

 いま、なんと言ったか。聞き捨てならないことを口走っていたような。

 

「追っている連中って……あなた達以外にも戦闘員がいるってことなの?!」

「なんだ? 気づいていなかったのか。森の中であれだけ派手に殺りあっていたら、分かると思うがな」

「いや、それは知っているけど……。もしかして、もうここに到着していたりするの?」

 

 あのすぐ近くで休憩を取っていたから、気づかないわけがない。というか、月ちゃんたちもあの森にいたの? 

 半狂乱して慌ただしく鳥たちが飛び交ったから、森の外にまで伝わっていたか、どっちかとだ思うけど。

 何にせよ、あんなところで月ちゃんたちと出会ってなくて良かった。

 

「うーん。月たちよりも一日遅れて来ちゃったみたいだから、多分今日あたりには来ているはずだよ」

 

 確信した。あの魔法使いは殺された。そして、いま、この町のどこかで身を潜めている。

 

「どんな戦闘員か教えてくれたりしない……かな? 私だって回収屋のことで教えたんだから、今度はこっちの質問にも答えてほしいな」

 

 さすがに無理があるか……。だけど、ここはぜひともフェアでいきたいところ。こっちだけ何も知らないなんてずるい。

 

「いいよ。お姉ちゃんたちには死んでほしくないから、特別に教えてあげる」

「ラッキー。ありがと」

 

 死んでほしくないってところが相手の強さを表してそうで、引っかかるけど、どうでもいっか。緋真さんが付いていたら、怖い物なしな気がするし。

 

「えっとね。三人組でね。守人と蘭。あとは――」

 

 顎に指を当てて、思い出していくかのように一人、また一人と名前を上げていく。

 

 そして――耳を疑った。

 

「さいきん新しく入った纏って人」

「――――え」

 

 それはとても親しく、側にいた名前。

 不意に頭が真っ白になる。それだけ、衝撃的な一瞬だった。

 数十秒。いや、数分間にも及んで頭が機能することを忘れてしまったかのような感覚に襲われる。

 

「あの炎の女が付いてりゃ乗り切れるだろう。新人の方もお前さんらと互角ぐらいのはずだ。ま、あとはせいぜい頑張ってみることだな」

「蘭たちにも死んでほしくないし、お姉ちゃんたちにも死んでほしくないし……月、どっちを応援しちゃおうか迷っちゃう」

「……」

 

 何か言っているけど、よく分からない。依然として空っぽになった脳内に轟くのは、残響していく二人のやり取り。

 

「どっちが勝ってもいいだろうそんなことは。めんどくせえことはあいつらに任せて、俺たちはこっちのことをとっとと済まして帰るぞ」

「待って、月を置いていかないでよ殊羅~! お姉ちゃんっ! またね! ばいばーい」

「あ、うん。バイバイ」

 

 たった一言、別れの言葉だけが私に響く。

 纏が戦闘員で私が魔法使い。

 月ちゃんの笑顔に複雑な気持ちで、愛想笑いで見送った。



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49話

「ただいまー。体調の方はどんな感じ?」

「もうほとんど治ったみたいです」

「え?! もう?」

 

 ベッドの上で体を起こした状態で、茜ちゃんは安心させる声音で答えてくれる。

 その様子は明らかに昨日よりもマシになっていて、声なんか枯れたものではなくなっていた。

 

「多少咳はしてるけど、熱も引いているみたいだから安心できるとは思うわ」

 

 茜ちゃんの額に手を当てて、肌で感じ取りながら緋真さんが答える。

 

「そっか。でも一日で風邪って治るものなの?」

「みんなに迷惑をかけないように、頑張りました」

 

 ぐっと力を張って元気な様子を表す。

 病気に詳しいわけではないが、余裕を見せるほどなら十分だと言える。

 

「そんなこと気にしなくてもいいのに」

 

 そりゃあ、確かに早く治ってくれることに越したことはないと思うけど。

 変な所で気を遣う茜ちゃんを見ていると、調子も戻ったようで一安心。と思いきや、途端に咳き込む茜ちゃん。やっぱりというか、茜ちゃんのことだから見栄を張っていただけだったようである。

 

「ほら。まだ完治したとは言えないのだから、今日は大人しくしていなさい」

「そうそう。薬も買ってきたから、あとは寝てたら大概病気って治るもんだよ」

 

 母さんや私の実体験からの確かなる証拠である。ただし、個人差ありとみた。

 私は忘れないうちに三つある袋の内、薬局で買った薬とポケットティッシュとマスクの入った袋を緋真さんに手渡しておく。

 

「どんなのがいいのか分からなかったから、CMでよく見かける風邪薬にしといたけど……それで大丈夫?」

「ええ。いいわよ。――あら、マスクも買っておいてくれたの? 気が利くわね。ありがとう」

 

 風邪っと言われてパッと思い浮かぶイメージといえば――マスク。思い切り偏見が入っているけど、とりあえず予防として使えるかとついでに買っておいたものだ。

 緋真さんはさっそく梱包のビニールを破り捨てて、いつでも使えるようにしておいた。

 その間に私は昼食の入ったコンビニの袋の中身をばら撒く。

 

「おにぎりとかパンとか色々買ってきたけど、どれがいい?」

「お姉ちゃんはあまりものでいいから好きなのを先に選んでいいわよ」

「そう? じゃあ――」

 

 人それぞれの好みが分からないので、菓子パン、総菜パン、おにぎりをそれぞれ二種類ずつ買っておいた。一応、一人二個計算だ。それと、飲み物を三種類。その中から迷うことなく菓子パンと総菜パン、ミルクティーに決めた。

 

「私はこれにしよっと。茜ちゃんはおにぎりの方がいいかな?」

 

 茜ちゃんはパンよりも米派である。そのために、具も茜ちゃんの好みの物にしておいた。

 

「はい。

 ――あ、もしかして。私のためにわざわざ用意しておいてくれたのですか?」

「茜ちゃんの好きな物は分かってたからね」

 

 ベッドから降りて、いつも通りの足取りで備え付けの椅子に座る茜ちゃん。合わせて、おにぎり二個とお茶を手元まで持っていってあげる。それを確認すると、ありがとう、と口にした。

 

「決まったわね。それじゃあ、お姉ちゃんは余った物をもらうわ」

「どうぞー」

 

 菓子パンと総菜パンと紅茶を緋真さんが手にする。こうして、以外なほどにあっさりと昼食の選別が終わった。

 とりあえずは、パンの封を解いてかじりつく。たい焼きを食べた後もあって正直なところあまりお腹は空いていない。

 

「そういえば随分と帰りが遅かったけど、なにかあったのかしら?」

 

 鋭い。と言っても最早誰にでも分かるほどに帰りが遅かったはずだ。

 後から気づいたことだけど、二十分は有に話し込んでいたようだったからだ。

 

「あったといえば、あったけど……何といえばいいか……困る」

 

 濁すような言葉に、茜ちゃんが不審げな様子で見詰めている。

 

「曖昧な言い方ね。もしかして、寄り道でもしていたのかしら?」

「彩葉ちゃんなら本当にしてそうですね」

 

 このまま黙っていたら変な誤解がもたれそうなので、もったいぶるのは止めておこう。今後に関わる。

 べつにやましいことをしていたわけではないし、話しても問題はないんだろうけど、戦闘員と仲良くしてましたー。なんてことは、立場を考えれば言いづらかっただけ。

 

「実は月ちゃんと偶然に会って、公園で少し話し込んでいたんだ」

「月ちゃんって、あの月ちゃんですか?!」

「うん。それと、神威殊羅っていう男も来ていた」

 

 二人の名を告げると、改めてあのひと時を思い出す。性格や戦闘員らしからぬ態度をした二人組だが、曲がりなりにも最上級ランクの戦闘員だ。茜ちゃんもそれを理解しているわけで、驚きの様相が伺える。

 事が重大なことなだけに、次第に私と茜ちゃんは緋真さんの顔色を窺うようにして反応をみる。

 こういうとき、緋真さんが一番頼りになってくる。

 

「そう。あのふたりがね」

 

 なーんだそんなこと。っという風に答える緋真さん。飄々とした態度は依然として変わらず、それが至極当然だと言わんばかりだ。

 

「『蒼の弾幕』水蓮月と『人外魔人』神威殊羅。

 出来れば、もう二度と相手にしたくはないのだけれど、追ってきたからには仕方ないわね」

「蒼の弾幕と人外魔人……ですか。どちらもイメージ通りの二つ名ですね」

 

 蒼の髪をもって、弾幕のように血晶の雨を降らす月ちゃん。

 まさに人外のような底知れない圧倒的な力で捻じ伏せてきた殊羅。

 なるほど、言い得て妙。

 

「月ちゃん、だったかしら。あの子相手なら私でもあしらえることが出来るけど、さすがに魔人の方はどうしようもないわね。……困ったわねぇ」

 

 一応相手は、A級だと言うのにさすがの余裕っぷり。動揺もなければ、怯えもない。警戒は殊羅だけだということなのだろう。

 でも、あの子から聞いた発言からすると、そんな心配はないと思う。

 

「月ちゃんたちは私たちを追ってきたわけじゃないから、見逃してくれるらしいけど」

「え?! どういうことですか?」

「彩葉ちゃんたちは無事だとしても、私は月ちゃんから完全にマークされているはずよ。それとも、別の標的でも現れたということかしら?」

「たしか、回収屋って魔法使いを探してるって言ってたかな」

 

 結局何者かは知らないけど、もしかしたら緋真さんなら何か知っているのかも。

 

「――そうだったわね。その件があったわ。となると、ここに来ているということになるかしら」

 

 ぶつぶつと小声で何かを呟く緋真さん。

 緋真さんにしては珍しく、気難しそうな表情をしていた。これは何かあるはず。

 

「緋真さんは知っているのですか?」

「? ええ。知っているわ。だけど、こればっかりは彩葉ちゃんたちには教えられないわ」

 

 いつもとは違った真面目な口調なだけに、茜ちゃんは怪訝な表情になって問い返した。

 

「どうしてですか? 私たちと何か関係があるからですか? それとも、私たちを不安にさせたくないからですか?」

「そういうことも含めて、想像に任せるわ。ただ、いまは……まだ知るべきではないということよ。いずれ分かるときがくるわ」

 

 その頑なな否定は、教えられないというよりは、教えたくない。って言ったほうが正しくも取れるような物言いだった。

 なら、そこまで気にするほどのことではないということで捉えておこう。いずれ、分かるときがくるなら今はどうでもいい。それよりも、もっと重大なことがあるから、それを言っておくべきかな。

 

「あの二人が戦闘の意志を見せていないのなら、多分放っておいても問題なさそうだわね。でも、あれだけのことをしておいて、誰も私たちを追って来ていないておかしいわね。上手く撒けたか、それとも別の戦闘員を派遣しているかのどちらかということかしら」

「あ、それなら月ちゃんとは別の戦闘員がこの町に着いている、かもしれないらしいよ」

 

 緋真さんの疑問に補足するように、すかさず後から付け加えておく。

 余程驚いたのか、緋真さんと茜ちゃんは目を丸くした。

 

「あら。そんなことまで聞き出したというの? すごいじゃない彩葉ちゃん。よくやったわ」

「まぁ、ね。私と月ちゃんの仲だからね」

「さすがです。これで何か対策が取れそうですね」

 

 なんというか、月ちゃんと殊羅だから教えてくれたような気がしなくもない。

 でも、喜んでいてくれているところ悪いのだけど、あまり気分的には私はよくなかった。

 

 だってそのうちの一人は――。

 

「人数や名前までは聞いてないかしら? それが分かっていると、こちらも動きやすくなるわ」

「それは……」

 

 つい口ごもってしまう。

 ちらっと茜ちゃんの方を窺ってから、ゆっくりと続ける。

 

「天童守人って言う戦闘員と、蘭って人。あと、私たちの友達の天童纏の三人」

「纏くんですか?! まさか、戦闘員になっていただなんて……」

 

 その意味するところを茜ちゃんも分かってくれているようだ。

 戦闘員と魔法使い。それは、互いに戦うことを宿命づけられた存在だからだ。

 

「私たちが魔法使いになっていることは知っていると思うよ。じゃないと、ここまで来ないはずだから」

「……こんな形で再会することになるなんて。会った時にどんな顔で会えばいいのでしょうか。……私たちの関係を考えれば、むしろ会わない方がいいかもしれないんじゃないですか?」

「何言ってるの。せっかく向こうが探してくれているんだから、ここは見つかってあげようよ。それに戦闘員と魔法使い以前に、私たちは友達関係じゃない。会わない方がいい理由なんてどこにもないよ」

 

 纏とは中学時代からの繋がりがある。短い時間ながらも一緒に笑いあって、楽しんできた。それが最後はあんな別れとなった。

 悔いはあった。結局一日使って見つからずに、永遠の別れとなりかけていたのだ。

 それがいまでは手の届く範囲にいることが分かっている。切れかけている縁を結び直すには、これ以上にないチャンスなんだから、見逃す手はない。

 

「そうですよねっ! 彩葉ちゃんの言う通り、私たちは友達なんですから。戦いになるとは限らないですよね」

「その通り。たとえ、向こうが戦う気だったとしてもその時はその時だよ。どうせいま考えても意味ないし、なるようになるって!」

 

 もしもの時なんていらない。気にしてられないし、する必要もない。そんなことは実際にその状況になった時に出てくることだから。言いたいことがあれば面と向かって言葉を交わせる存在。友達なんてそんなものだと思っている。

 

「どうやら、彩葉ちゃんたちが探していたお友達が見つかったみたいなのね。ふふ、良かったわね」

「うん。それで……だけど。わがままになるかもしれないけど、纏には手を出さないでほしいの」

「もちろん。そんな真似はしないわよ。さすがに彩葉ちゃんたちの交友関係に口を挟むなんて悪いじゃない。彩葉ちゃんたちの問題は彩葉ちゃんたちで解決するといいわ。お友達は大切にするのよ」

「ありがと」

 

 言われなくてもそうするでいた。

 茜ちゃんもそれは是非とするところは顔を見れば分かった。

 

「そうと決まれば、残りの天童守人と蘭はお姉ちゃんに任せなさい」

「一人でも大丈夫なのですか? A級とC級の戦闘員ですよね。相手にしておいてくれるのは助かるんですが、あまり無理はしないでくださいね」

「茜ちゃんが心配するようなことじゃないわよ。お姉ちゃんが強いのは知っているでしょう」

 

 たしかに、緋真さんは屋敷前でA級戦闘員の月ちゃんと互角に戦っていたのを見ている。それに天童守人にしても、気絶した私をかばいながらも逃げ切ったほどの実績がある。もう、十分というほどにその力を理解しているから、緋真さんならたとえ二人がかりでもなんとかしてしまえるという確信が持てた。

 

「それは知っているけど、無理だけはしないでよね」

 

 一見すると、余裕そうにしているけど。その裏返しとして、お姉ちゃんだから弱気を見せつけない様に自分を鼓舞していることがあることを一緒に過ごしてきた時間の中で、分かってきたことだ。

 だから私は気づかないふりをする。きっと、プライドのようなものがあるのだから。それを壊してはいけないから。

 

「これから忙しくなりそうですね」

「だね。纏ともう一度会ってちゃんと話をしないと。ここから先は進めるわけがないよ」

 

 もう何も思い残すことなんてしたくない。どうなろうとも、その結果を受け止める覚悟は出来ている。

 

「まさか、こんな日が来るとはね」

 

 窓際から景色を眺めながら、物耽ったようすで緋真さんが何かを呟いた。



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50話

 消費された今日が終わりを告げ、新たな今日を迎えた直前のホテルの一室。

 散りばめられた星が彩る暗闇の空。その中でも大きい光源を放つ月を一身に浸らせながら、緋真は窓から覗ける眠らずの町を一望する。

 いま、緋真は景色を楽しんでいるのではなく、携帯を片手にして通話相手に事のあらましを話し終えたところだ。

 

『なるほどね。そっちも色々苦労したみたいだな』

「多少のトラブルはあったけど、なんとか茜ちゃんも体調の回復に向かっているみたいで安心したわ」

『いや……、それはお前がこの真冬の中で露天風呂なんか用意したのが悪いだろ』

「仕方ないじゃない。あの子たちには無理をさせてしまったのだから、お風呂ぐらい入らせてあげたかったんだもの」

『だからって露天風呂って……。相変わらず大胆っつーか。誰かに襲われても知らねえぞ。ったく、羨ましいことこの上ないな』

「あなたは相変わらずねー。けど、安心していていいわよ。あの子たちに指一本でも触れたら、即焼き尽くしてあげるわよ。もちろん、あなたもよ」

『冗談だ。勘弁しろって。……にしても、だいぶあの二人に情が湧いているみたいだな』

「そうね。あの子と年も近いってこともあって、放っておけないのよ」

『あれから三年……か。運命ってやつは残酷なもんだな』

「そのことはいまはいいわ。私にも心の準備が欲しいのよ」

『へー、お前にしては随分女々しいことを言うのな。てっきり、飛びついていくもんかと思ったんだが』

「そうしたいのだけれどね。やっぱり緊張はするわ」

『普段からそのくらい淑やかにしてくれているといいんだけどな。俺に対する扱い方ももう少し優しくしてくれたっていいんじゃね?』

「もう、あなたは男の子でしょ。甘えてばかりだと、女の子を守れないわよ」

 

人に焼き尽くす宣言をしておいて、甘えなどあったものかと言いたくもなる覇人。この扱いの差を何とかしてほしいものである。

 

「それはそうと、単刀直入に聞きたいのだけれど、

 ――一体、茜ちゃんは何者なの?」

 

 声音の変化から、覇人は訝しみながら先を促す。

 

「左手に受けた傷といい、風邪の早期回復といい。尋常じゃないほどの回復力よ。まあ、茜ちゃんの体質、と言ってしまったらそれまでかもしれないけど……。少し気になるのよね」

 

 違和感を感じ始めたのは一番初めからだった。

 初め――茜が殊羅から受けた傷のことだ。決して浅くはない傷であり、数日中の内に完全完治にまで至るとは考えにくいほどであった。

 

 二つ目は今回だ。緋真はただの風邪と称したが、あれは嘘だ。

 緋真とて数々の経験をこなしてきたが、あれはただの風邪というには、高熱過ぎた。インフルエンザか、もっと性質の悪い病であったはずだ。それは、茜が高熱で倒れたことから想像がつく。

 彩葉や茜に真実を告げないのは、体力も精神も摩耗していた状態に、追い込むかのように起きた事態の所為で不安を煽りたくなかったからだ。

 

『いや。そいつは俺も知らねえな。彩葉なら知っているんじゃねえか? あの二人は妬けるぐらいに仲いいからな』

「さりげなく彩葉ちゃんの様子を探ってみたけど、多分何も知らないと思うわ。それどころか、疑ってすらいないようだったし、やっぱりそういう体質なのかしら?」

『俺に聞かれてもなあ……彩葉で知らねえなら、気にしすぎなんじゃね』

「そう……かしら。私の思い過ごしだといいのだけれど、何か茜ちゃんの体内でよくないことが起きているんじゃないかと思うと心配だわ」

 

 心当たりなら一つ。殊羅が付けた切り傷。あの時に使われたのが魔具の一種であり、傷口から何らかの奇怪なものでも流し込まれた。ということぐらいである。

 だが、そんな荒唐無稽な性能を持った魔具など聞いたことがなかった。ゆえに、自分で思い至った結論に即座に否定を入れた。

 

『ま、そいつは考えてもどうにもならねえだろ。それに心配つったら、自分の心配の方が先じゃねえか?』

「そうね。天童親子に御影蘭。明らかに何か思惑があるとしか思えない二人を送ってくれたものだわ」

『纏は彩葉たちに。残りの二人はお前に向けてか……。アンチマジックの連中もえげつないことをするようになったもんだな』

「ええ、本当に。確実に私を殺すつもりでいるわね。それと、あの件に関わることも狙いかしら」

『……それ以上は止めとけって。嫌な予感ほど当たるもんなんだよ』

「あなたがそれを言うと、説得力があるわね。キャパシティを支える柱の第四番さん?」

『当たっても嬉しくねえよ』

 

 クスクスと失笑を零す緋真。

 

「纏くんは彩葉ちゃんたちが自分たちの力で解決するとは言っていたけど、あなたはどうするつもりなの? お友達……なんでしょう。もう、隠す必要はないはずよ」

『そうだな。仲間外れにされるのも寂しいし、片方の顔ぐらいはばれちまってもいいかもしれねえな』

「それは――どちらの顔のことを言っているのかしら?」

『組織の方だよ。遅かれ早かれ教えることになるだろうしな、頃合いを見て話しておくよ』

 

 覇人の顔を伺い知ることは緋真には不可能だが、秘め事を露わにすることに、踏ん切りがついたであろうことは言葉から伝わった。

 

「そう。なら、私は私で自分の過去と向き合うわ。だから、あなたもこちらのことは気にしないでいいわよ」

『そうかい。だったらそうさせてもらうとすっかな。

 ――連中の方も到着しているみたいだし、動き始める頃だろう』

 

 そう。アンチマジックの送り出した三人の戦闘員はすでに咲畑町に巣食っている。

 緋真は眼下に広がる町並みを見下ろす。

 まばらに明かりの灯る町角に、赤く明滅するランプが夜を走り抜けていく様相が際立った。

 あれは、パトカーだろうか。もしくは救急車かもしれない。いずれにせよ、緊急の事態がこの町で起きたことは分かる。

 

「いえ、もう遅いぐらいかもしれないわ」

 

 深夜に事件性の含まれるような事態が起こる。それは魔法使いにとっては放置できない事態である。

 戦闘員が狩りを始めるのは、人気の少ない深夜である。ゆえに魔法使いが最も警戒をしなければならない時間帯でもある。

 緊急車両の出動は、魔法使いが殺された後だという可能性の一つとして浮かび上がらせる。

 おそらくは、表の治安維持組織に死体を拾わせ、あとからアンチマジックが引き取るという算段だろう。こういった手段を取る場合、その魔法使いは無名であることの方が多い。

 アンチマジックにとって危険極まる高名な魔法使い――雨宮源十郎のような魔法使いのような、要注意しなければならない手合いは、戦闘員がそのまま回収していくことになっている。

 

『そうみたいだな』

 

 通話先から、サイレンの音が緋真の鼓膜に流れ込む。現場付近にいることは明白だ。

 

『さて、忙しくなってきそうだ』

「ええ、本当に。気の早い人たちだわ」

 

 静寂に満ちた一室の中で緋真は迫りくる運命の予兆に心をざわつかせる。視界に映る彩葉たちは寝息を立てて、眠りについている。何も知らない二人が先に襲われる事態だけは避けねばならない。

 

 

 サイレンの音が止んだ付近にて、覇人は予感した。この地に血の雨と因果が結ぶ凄惨な結末が来ることを。

 

 

 魔法使いと戦闘員の沈黙の争いが始まろうとしていた。



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51話

「……ちゃん」

 

 優しく囁きかける声が聞こえる……ような気がする。けれどもそんなことは気にならず、優先される睡魔に負けてしまう。

 

「彩葉……」

 

 今度は名前。私だ。用があるのだと思うのだけれど、あとにしてほしい。

 

 ただ――優先される睡魔に負けてしまう。

 

 声が聞こえなくなる。もう、諦めたみたい。我慢比べは私の勝ち!

 でもその入れ替わりとして、頬に伝わる感触。ぐぐっと押し込まれ、頬がへこむ。

 そうして、私は瞼を開く。すると、そこにはのぞき込まれる顔があった。よく知った顔。

 

「……茜ちゃん……?」

「あ、起きましたか! 気持ちよさそうに寝ていたから、迷惑かなって思ったんですけど……もう、みんな起きてますし」

「そっかあ、起こしてくれたのか。何時ぞやのモーニングコールの約束が叶ったみたいだね」

「……えっと。その約束、断ったはずなんですけど……でも、彩葉ちゃんがちゃんと起きてくれるのなら、アリかもしれないですね」

 

 お?! おー?! こういう展開に発展するなら、これからの寝起きは百倍よくなるかも。生活態度を改めよう。

 

「眠気が取れたみたいですね。さ、早く着替えてください。緋真さんが待ってますよ」

 

 茜ちゃんがカーテンを左右に引っ張る。のどかな朝日が窓を通り越して、閃光のように日差しが瞳を刺激する。

 とっさに閉じた瞼をもう一度開く。

 ああ、そうか。もう朝か。脳がそう認識するのに時間はかからなかった。

 

 グッモーニン、新しい日と私。そして――

 

「おはよう、茜ちゃん」

 

 

 朝食をホテルの料理で済まし、朝の支度を調えた頃には九時を回ろうとしていた。

 一旦自室に戻り、今日一日の行動が決められる。

 

「じゃあ、茜ちゃんはもう体調の方はよくなったんだ」

「もう完璧に治りました。迷惑をかけてしまってごめんなさい」

「そのことはいいって。風邪ぐらいは誰だって引くもんだし、気にしてないよ」

「そうね。何事もなく済んだことだし、無事に回復してくれて良かったわ」

 

 今度こそはもうバッチリのようだ。昨日のように元気に振舞っているだけではないようだと思える。なんといっても緋真さんのお墨付きなのだから。

 

「ずっとホテルに籠りっぱなしだったし、今日は茜ちゃんの気分転換も兼ねて、町の中を二人で回ってきたらどうかしら?」

「私はいいけど、茜ちゃんはいいの?」

「私も問題ありませんよ。……ふふ、せっかくなので町の中を軽く案内するぐらいなら私にさせてください」

 

 茜ちゃんは咲畑町には店の用事で何度か来たことがあるのだった。当然、町のことも人一倍知っているだろうし、観光がてら回ってみるのもアリか。といっても、昨日一人駆け回ってみたところ、これといって気になる物があったわけじゃないけど、茜ちゃんなら意外な穴場みたいなのを知っているのかもしれない。

 

「ついでに纏も見つけれるといいんだけど」

「纏くんも探しているのでしたら、どこかですれ違うかもしれないですし、探してみる価値はありそうです」

 

 この町のどこかにいる可能性がある以上、ここで引きこもっている理由なんてあるわけないね。 

 

「決まりね。ゆっくり楽しんでくるのよ。ただし、無茶はしてはダメよ。何かあった場合は、ここに戻ってくること。いいわね」

 

 なんとなく子供扱いされているような気がする。緋真さんもすっかり保護者属性がついたみたい。

 

「それは分かったけど……緋真さんはどうするの? ついてこないの?」

「お姉ちゃんは少し用事があるから、終わったら回ってみるわ」

 

 その用事ってのが何か気になるけど、どうせ何も教えてくれなさそうだし、敢えて聞かないでおく。多分、私たちには関係ないことだろう。あったとしても知らないふりされそうだし……別にいいや。

 

「それじゃあ、行ってくるよ」

 

 

 目的は纏の捜索という方針であっちこっち回ることになった。

 茜ちゃんの道案内のおかげで、昨日のように同じ道を何度も繰り返してグルグルすることもなく、スムーズに連れまわしてくれる。

 ホテル周辺、買い物客で賑わう町の中心地、住宅街と人が多そうな場所を重点にして探してみた。けれど、手掛かりなんて見つからず、無駄な時間と体力を消費しただけだった。

 これといった見るべきものもなかったけど、歩道を見目麗しく着飾っている花の数々に心を奪われる。嫌なことも忘れられそうで、この町の住人にはストレスといったものを感じることなんてなさそう。いいなあ。癒される。

 町並みを進み続けて歩き疲れた頃には、最終地点となる、月ちゃんと語らった公園にやってくる。

 

「結局、成果はなかったね」

 

 四か所を回っても纏どころか、戦闘員らしき人物の一人も見当たらなかった。姿を隠すのが上手いだけなのかもしれないけど、ここまで分かりづらいと本当に来ているのかも疑わしくなってくる。

 

「ですね。纏くんたちも私たちがいることに気づいていると思いますし、気長に探してみるしかないかもしれませんね」

 

 自動販売機で飲み物を二本買って来てくれた茜ちゃんが、ベンチに腰掛けて差し入れしてくれる。もちろん、ミルクティーを。

 

「いっそのこと、魔法でも使ってしまえばいいんじゃない? 向こうも探しているんだし、おびき出してやろうよ。そっちの方が手っ取り早いって」

「だ、ダメですよ。そんなことしたら緋真さんが、すっごく怒りますよ。ここまでお世話になっているんですから、迷惑かけないようにしましょうよ」

「冗談だってば。もしも出来たら楽できるのになぁって思っただけ。うん、思っただけ」

 

 疑わしい目でこっちを見てくる。私は誤魔化すようにミルクティーに口を付ける。

 

「少し、お時間を頂戴してもよろしいでしょうか?」

 

 唐突に聞こえた声に顔を振り向くと、二人の人がいた。

 一人は女性。整った顔立ち。穢れを知らない清楚な立ち姿。透き通った声色と融合して神々しさすら感じる。

 もう一人は男性。まるで従者のようにして隣に立ち尽くす。しかし、その風貌はどこか冷たさというか、儚さのようなものを感じさせる。それは憂いを帯びた瞳がそう感じさせているからなのかもしれない。

 二人を一言で表すとしたら冷たい。氷と冷水のような印象。冬の寒さが余計に印象を強めているだけかも。悪い人たちではなさそうだけど、風貌だけで判断するなら、なんとも近寄りがたい雰囲気だ。

 

「雨宮彩葉さんと楪茜さん、ですね」

 

 見ず知らずの他人に困惑していると、さらに追い打ちをかけるように混乱させる一言が投下された。

 

「茜ちゃんの知り合い?」

「いえ、初対面です」

 

 顔を突き合わせて、首を捻る。私も茜ちゃんも面識がないというのにどうして私たちの名前を知っているのだろうか。

 

「えっと……どこかでお会いしたことありましたか?」

 

 私たちが挙動不審にしていると、すかさず女の人が謝ってきた。そして、続けて。

 

「驚かせてしまったようですね。私《わたくし》は如月久遠《きさらぎくおん》。こちらが零導珀亜《れいどうはくあ》と言います」

 

 紹介された零導珀亜は一言もなく無言で佇む。その代わりというか、如月久遠が手を差し出してきた。

 粉雪で装飾されたような真っ白な手。茜ちゃんも色白なほうだけど、負けず劣らずいったところ。

 悪意などは感じられず、友好を示そうとしているだけの握手という感じがする。いきなりの出来事に恐る恐ると手を握り返すと、氷でも触っているかのような冷たさが伝わった。

 

「警戒はしなくてもよろしいですよ。私《わたくし》たちもあなた方と同じ

 ――魔法使いですので」

「――!!」

 

 魔法使い。その一言に胸が激しく揺さぶられた。どうしてそのことを――。いや、それよりもこの人たちも魔法使い? 

 

「なぜ、私たちの正体が分かったのですか?」

「ふっ。それすらも気づいていなかったとはな。あの男の関係者とは思えんな」

 

 出会って初めて珀亜が口を開くと、久遠が補足してくれた。

 

「簡単なことです。

 雨宮さんから魔力が漏れているので、辿らせてもらいました」

 

 女の人はちょっぴり楽し気に種明かしをするのだった。



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52話

 結論からすると、魔力漏れは原因に傷を受けたことではなかった。

 体中をまさぐる様に確かめたし、間違いはない。そもそも全く身に覚えがないんだし。

 では、魔力漏れの正体は何だったのかというと、一枚のカードだった。予想の斜め上の物が出てきたことで、これ?! と疑ってしまったけど事実らしい。

 そのカードは父さん。いや違うのか。母さん……からの手紙に入っていたキャパシティで使うとかいうカードだ。持ち主は父さんとのこと。てことはやっぱり父さんの物か。なんかややこしいね。

 

「ふーん。じゃあこれに魔力が塗られていて、それを追って来たってことなんだ」

「ええ。その通りです」

 

 カードには魔力が極薄にコーティングされているとのこと。魔法使いは魔力を感じ取ることが出来るので、それを追って来れば自然と魔法使い同士で出会うことになる。

 えっと……如月久遠《きさらぎくおん》と名乗った女の人はそう指摘してくれた。

 

「けど、そんなものを持ち歩いていたのなら、アンチマジック……ううん。魔力検知器に見つかってしまうはずなんじゃあ」

 

 魔力検知器はその名の通り、魔力を探るアンチマジックの開発した魔具の一つ。魔法使いにとっては気にかけておかないといけない大事なこと。

 

「流れているのはごく微量の魔力なので、魔法使いでしか感知できないような代物のようです」

「あ、だったら安心だね」

 

 そうならそうと先に言ってくれたらいいのに。“私を見つけて”って歩き回っていたのも同然なのかとドキッとした。

 

「ほんとです。微かに感じます」

 

 カードを表裏にして弄びながら気配を感じ取ってみる。言われてみれば確かに魔力の気配がする。意識的に探ってみないと分からないレベル。これなら気づけなくても納得。というか、そんな機能があったなんて。何気に便利アイテムなのね、これ。

 

「仮にカードがなかったとしても、あなた方は少々話題になっておられるので、目に留まりやすいのです」

「そうなの?」

 

 裏社会、もとい魔法使いのネットワークは侮れない。

 

「野原町での火災事件。続けて管理者宅の敷地内でA級、S級戦闘員との戦闘。どれも裏社会では十分すぎるほど目立つ話題だ」

「すべて、知っているのですね」

 

 思い返せば波乱の日々だった。もう、ずっと昔のような気がする。

 

「ええ。私《わたくし》たちは――全てを把握しています。この数日で亡くなられた魔法使いたちのことも」

 

 ――!! それには心当たりがある。一つだけ。それは逃亡生活中に森の中で見捨てた魔法使いのこと。

 

「ごめんなさい。……迷惑、かけているよね」

 

 謝って何とかなるようなことでもないけど、謝らずにはいられなかった。

 しかし、如月久遠は頭を振った。

 

「あなた方が悪いわけではありませんよ。同じ魔法使いとして、救いの手を差し伸べられなかった私《わたくし》にも非があるのです」

 

 意外な一言だった。

 

「あなたが責任を感じる必要はないと思うが、……言っても無駄なことなのだろうな」

 

 零導珀亜は嘆息を込めて諦めを感じさせていた。

 

「悪い人たちじゃなさそうみたいだけど、これからどうするつもりなの」

「どうやら私たちを追って来てくれたようですけど、非難するためというわけではないのですよね」

 

 魔法使い同士での交流を目的にしているようには思えない。さっきの態度からすると、私たちを責めるわけでもないし、何の用だろ?

 

「本来ならあなた方に助力させていただきたかったのですが、私《わたくし》の立場上、叶わないのでせめて助言だけでもと思いまして」

「それって戦闘員が私たちを狙っている話のこと?」

 

 如月久遠は首を縦に振って続けた。

 

「すでに存じていましたか。現在この町には五人の戦闘員が隠れひそんでいます。そのうち三名があなた方を標的としています」

 

 三人。多分、纏たちのことだ。やっぱりこの町に着いているみたいだね。

 

「彼らは捜索の傍ら、目に付いた魔法使いの殲滅も行っています。本日の深夜にも一名、亡くなられた方がいます」

「!! そうなのですか……。また、私たちの知らないところでそんなことが起きていたなんて」

「さすがに続けてだと嫌になってくるね」

 

 私たちが悪くないなんて言われたけど、森の中でのこともあって、間接的には繋がりがあるんだと思うと胸が痛い。

 

「それを責めていては何も始まりはすまい。これぐらいのことは裏社会では日常的だ」

「その通りです。魔法使いとアンチマジック。この両者の争いは日々激化しつつあります。

 ――三年前の四十二区の崩落以降ですが」

「その地区はたしか――」

 

 緋真さんが元々住んでいた地区の名前だったはず。そして、謎のガス爆発と天候の悪化によって閉鎖区画となって立ち入り禁止となった場所だ。当時はテレビでも騒がれていたことを幼いながらも覚えている。

 

「あれは魔法使いと戦闘員の争いの結果です。

 双方と住民を含め、死傷者五十万人。惜しみなく投与された上位戦闘員数十名と大量破壊兵器ともなりかねない魔法の入り乱れた大災厄です。その傷跡は深く、二種類の屍の山を築き上げ、四十二区そのものを崩壊へと追いやりました。

 後の世に“屍二《しに》の惨劇”と呼ばれるようなり、四十二区は閉鎖区画となり果てたのです」

 

「なにそれ……聞いていた話と全然ちがうじゃない」

「世間には公表できない類の裏社会を揺るがす事件でもある一件だ」

 

 世界の裏側は、私の想像の遥か上をいっていたということか。それに、五十万人といえば、四十二区に住んでいた人たちはほぼ全滅に近い数字だ。公表も出来ないわけだ。

 

「あれ以来、しばしの安息が迎えられましたが、結局私たちは相いれない存在。アンチマジックはさらに強力な魔具を手に入れ、再び各地で争いが起きるようになったのです」

 

 裏の住民にとっては息苦しさすら漂う世界の状態。どこまでいっても私たちは危険な存在で、一般の人々からすれば魔法は区を壊すほどの怖れられる力なんだと突きつけられた。

 

「そういえば最近、天童守人さんの噂をよく聞きますけど、それと関係があるのでしょうか」

「うん。たしかに。具体的にどう有名なのかは知らないけど、名前は見るね」

 

 といっても、名前自体はつい最近まではっきりと覚えていなかったけど。

 

「あの男を筆頭にして、魔法使い狩りが激しくなっているのは明らかだ。いずれにせよ、あの壁がある以上はもう逃れることは叶わないだろう」

「……壁」

 

 各区画は周囲に見上げるほどの高い壁で囲まれていて、一つの要塞と化した島が続いている。区画から出ようと思えば、門を潜り抜けないといけないけど、魔法使いとして逃亡している今なら、警備も厳重にされていることだろうし、言っていることは最もなことだろう。

 

「あれは他所の区から逃亡してきた魔法使いの容易な侵入を防ぐ役割を持ち、区画内の住民の安全を約束されているものです」

「そんな役割があったんだ」

 

 初耳だ。でも、そっか。そのために区画内で必要な物が揃うようになっているのか。

 

「ちょ、ちょっと待ってください。それって逆に言えば、区画内で魔法使いが見つかった場合、安全なんて保障なんてされな――あ、そのためのアンチマジックということですか」

「その通りです。一度、魔法使いとして見つかった以上は、彼らは執拗に追いかけてきます。あなた方は逃げているようで、あの壁で挟み込むようにして追い詰められていたのです」

「区画内に逃げ場がなければ、他所の区に逃げるしかなくなる。必然的に壁の方へと追いやられることになるのは道理だということだ」

「住民を守る要塞が、一転して牢獄にもなるのです。……私《わたくし》が檻を解くことが出来ないせいで、あなた方には辛い思いをさせてしまうことに、心を痛めるばかりです」

 

 痛切な言い方に、本気で心から思っていることなんだと伝わってくる。

 

「そんな……気持ちだけでもありがたいですよ」

「こっちにも事情があるから、逃げも隠れもするつもりはないよ」

「命を落とすことになったとしてもだな」

 

 言われるまでもない。そんな危険があるのは十分に承知している。

 

「それでも大切なことがあるから、

 ――私は逃げない」

 

 この想いだけは絶対に変わることはない。たとえ、死ぬようなことになったとしても、纏との繋がりを絶ちたくはない。それは茜ちゃんも同じ気持ちでいてくれる。

 

「やはり、あなた方はこれからの時代に欠かせない存在となりそうです」

「え?」

 

 時代? 存在? 一体何のことなのか?

 

「こちらの話しです。それでは、あなた方の無事をこの青い空の下で祈らせてもらいます」

 



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53話

彩葉たちが去った後。

 

「彼女らが天童纏と友人関係にあると分かっていて、わざわざ煽るような真似をするとは、相変わらずいい趣味をしている」

「ほめ言葉と受け取っておきましょう」

「気分を害したのならば、済まなかった」

 

 変わらない表情をしていたが、言葉からは皮肉さを受け取った珀亜は冷笑と共に吐いた。

 

「相変わらず律儀ですね。そのようなことは気にはしませんよ」

 

 涼し気に返す久遠。険悪な様子は見られない。水が氷を作るように、氷が水を作るように。冷めた様相の二人には相性が良さげだ。これぐらいのやり取りは手馴れているようですらある。

 

「ただ、彼女たちには改革の時を迎え得る可能性を感じましたので、そこに期待をさせて頂きました」

「しかし、あの調子ではそこまで上り詰めるとは思えないが、……あなたならば、当然それを見越しての算段をしているということか」

 

 薄く研ぎ澄まされた瞳が、女性を見抜く。まるで心を切り裂いて心中を覗いてきたかの様子で。

 久遠は物ともせずに、答えた。

 

「天童守人、御影蘭、穂高緋真、雨宮彩羽、楪茜、天童纏、近衛覇人。この者たちが辿ると思われる展開はおおよそ予測しています」

「――どこまで先を読んでいるのかは知らないが、あまり考えすぎない方がいいのでは」

 

 翳る顔つきからいい方向へと進んでいくとは思えなかった。なぐさめのつもりで男は優し気な口調で言った。

 

「今回の戦闘はすべての者にとっての試練となります。それがどのような結末となろうとも、責任は私《わたくし》がとるつもりでいます」

「たとえ好ましくない結果であったとしても、それぞれの過程による失態なのだから、あなたが負い目を感じる必要はないのだが……どうやら聞き入れてはくれないようだ」

 

 分かってはいたことだが、主のように慕っている久遠が毎度毎度、自分がすべてを背負い込もうとする姿だけは痛ましいものがあった。

 

「それで――俺たちは次にどう行動を起こすつもりだ」

「そうですね――ここまでやってこられたのは、数々の犠牲者を出した上で成り立っています。そのことを踏まえて、私《わたくし》たちは次の段階の調整に入るべきでしょう」

「そうか。ついに動き始めるのだな」

 

 珀亜は楽しみに待っていた物がようやく手に入る。それに近い感傷に耽った。

 

「――古代の遺産は崩壊し、新時代の荒波で飲み込むことは可能となりました。

 よって、私《わたくし》たちは次の世代に向けて、過去と向き合いにいきましょう」

 

 強い決意を感じさせる凄みがある。

 

「……彼女が破壊した壁と地下に眠っていた遺物を見せる用意はすでに出来ている」

「では早速、見せてもらいましょうか」

 

 青空の下、二人の魔法使いは歩を進めた。

 



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54話

お昼の腹ごしらえを済まし、ウィンドウショッピングと合わせて、もう一度町の中を見て回ってみた。

 戦闘員は五人。その中に纏がいることはどうやら確実みたいなので、希望をかけてみたわけで。

 天童守人と御影蘭と纏。三人グループで行動をしているのか、単独行動をしているのかは分からない。

 蘭と纏は年が近そうだったので、カップルを装っているのかもしれないし、守人と纏は親子でもあるので、家族連れのような形でいるのかもしれない。

 というのが、私なんかよりも遥かに頭のいい茜ちゃんが考えてくれた。

 午前中よりも捜索の仕方が変わって、ターゲットは三人組の親子かカップルで探してみる。別々の場合はもう無視。人も多いし、一番見つけづらそうだったから。

 そんな感じで進めて意外とイケそうと楽観的にいたのが間違いだった。

 帰宅で浮足立っている会社員と仲良さそうに雑談に余念がない学生が町を埋め尽くしていき始めた。

 さすがに人が多くなりすぎて、一気に捜索が困難になってしまったので今日のところはこれで終わることとする。キリがいいところで引き上げるのも大事だよね。

 ゾンビのようにズルズルと足を引きずって、ホテルの部屋へと帰ってくる。

 

「あれ? 緋真さんはまだ戻ってないみたいだね」

 

 真っ暗な部屋に照明をつけて、ベッドに腰掛ける。半日ぐらい歩き回って、疲れが限界まで来ている。筋肉痛とかになったらどうしよう。

 

「どうやら、帰りは遅くなりそうですよ」

「へ? そうなの?」

「はい。ここに――」

 

 机に置いてあった一枚の紙きれを取り上げて、ざっと流し読みをした茜ちゃんが紙をひらひらさせる。

 

「「先にご飯とお風呂に入って、休んでおくのよ。寒いからしっかりと温まってから、夜更かしはしないこと!」 と書いてますね」

 

 緋真さんっぽい口調で茜ちゃんは短く読み上げる。地味に上手い。

 

「ふーん。そういうことなら先に休ませてもらおっかな。……はぁー疲れた」

 

 ベッドに大の字で転がる。ふかふかの弾力が心地いい。

 

「先にご飯にします? お風呂にします? どちらでもすぐに行けますよ」

 

 ほほう。どちらでも行けると……。理想の主婦像がそこにはいた。といってもどちらも可能にしてくれるのは茜ちゃんでも誰でもないホテルの従業員なんだけど。

 ありがたいことに選択肢を用意してくれたが、茜ちゃんはもともと体力があまりないこともあって、疲れた顔がありありと窺がえる。となれば、お風呂から行くべきか。

 

「じゃあとりあえずは――て、何してるの?」

「彩葉ちゃんがどちらを選んでもいいように、準備はしっかりとしとかないといけませんから」

 

 さっきからガサゴソと漁る音が聞こえるなと思いきや、ちゃっかりと私と茜ちゃんの分の着替えが用意されていた。

 それはあれかな? 食後のあとでもすぐにお風呂に行けるように準備をしてくれているのかな? そんなわけないよね。

 二択のはずがいつのまにか一択になってるよ。

 

「お風呂にしとこうかな」

「はい! そうですね。そうしましょう!」

 

 顔が綻んでいるよ。よっぽど、入りたかったのか私の手を引っ張って連行された。

 ああ、これが誘拐される児童の気持ちか。

 

 

 まだ早い時間でもあって周りに人はいない。完全に貸し切り状態だ。

 人目に付かないことをいいことに、洗いあいなんてしてみたり。

 思えば、茜ちゃんと二人きりで入浴するなんて出会った小学校四年生以来となる。お互いに成長した体。私の方が遅れ気味なような気がするのは置いておこう。

 たっぷり長風呂を堪能した後は、彩り豊かなホテルの晩ご飯。

 バイトをして昼休憩の時以来に二人きりでの食事。ここ最近は、緋真さんを含めて三人で食べることが続いていたから、寂しさもあった。

 それを紛らわすように、他愛のない話やウィンドウショッピングの感想なんかで花を咲かす。

 それは、数週間前まで当たり前だったような日常。久々に思い切り、素を出せた一日となった。

 

 

 pm21:00

 

 一日が終わりへと近づいていく。夕食も取って、入浴も取ってあとは寝るだけとなる。

 今日一日は何も得る物はなかったはずなのに、気持ちはどこか充実感に満たされていた。

 

「こんなことを言うのも変だけど、なんか今日は楽しかったな」

「一応、人探しが目的だったのですけど、久しぶりに羽を伸ばすことが出来ましたので、私も楽しかったですよ」

「結局見つからなかったけどね。……一体どこにいるのかなぁ」

 

 窓から映る照らされた町並み。地元では見れない光景だ。

 

「今もこのどこかで私たちを探してたりするのかな?」

「戦闘員の活動が激しくなる時間帯が、人気の少なくなる深夜だそうなので、これからだと思いますよ」

「そっか」

 

 近いのに遠い。ここから姿が見えたらいいのに。

 そうしたら、飛んで会いに行けるんだけど。

 

「次は、皆揃って今日みたいな日が送れたらいいね」

「ウィンドウショッピングをですか?」

「うん。そう。絶対楽しいよ」

「私たちだけが盛り上がって、纏くんと覇人くんが退屈になりそうですね」

「あの二人なら付き合いもいいし、付いてきてくれるって。それに、買い物は女の子が振り回してしまうものじゃない。それで、退屈させずに楽しんでもらえるようにすればいいだけだよ」

「えー、それはちょっと違うと思いますよ。男の子を疲れさせるだけじゃないですか。ちゃんとお互いに行きたいところを決めてから回るべきですよ」

「そっかなぁ」

「そうですよ。女の子同士なら遠慮はいりませんけど、男の子もいるのなら当然です」

 

 こういうことは女の特権みたいなやつが発動できる唯一のタイミングで間違いなしのはずなのに(私の主観ではだけど)、茜ちゃん的にはそうでもないみたい。

 

「茜ちゃんって、早めに結婚とかできそうだよね」

「私が……ですか? 彼氏もできたことがないのにできるでしょうか」

「茜ちゃんのことをずっと見てきたから問題ないって。なんだったら私がもらってもいいし」

「女の子同士じゃないですか」

「愛は性別の壁を超えることも出来るんだよ」

「すごいですね。愛って。気持ちは嬉しいですけど、相手は男の子がいいですね」

「速攻でフラれたっ!」

 

 部屋に笑いが溢れる。いつまでも続くはずの時間がここにはあった。

 一しきり笑い合って、部屋を見渡す。

 ここにはいないもう一人、新しい友達? 知り合い? 人生の先輩? が増えた。みんなとも仲良くしていけるはず。そうすれば今以上に楽しくなりそう。

 

「まだ時間もありますし、もう少し帰ってくるまで待ってみませんか?」

「ほどほどにしとかないと、緋真さんが怒りそうだから日付が変わるぐらいまではそうしてよっか」

 

 早めに休むようには言われていたけど、十分に起きていられる時間でもあった。

 

 

 Am1:00

 

 日付が変わって一時間が経った。

 もう、帰るだろうと辛抱強く待ってはみたものの、とうとう緋真さんは戻らなかった。

 

「いくらなんでも遅すぎるよね」

「なにかあったのでしょうか」

 

 遅くなるようなことを書いてはいたけど、ここまでとは。

 昨日、今日で戦闘員が入ってきていることは緋真さんも知っていることなのに、さすがに心配になってくる。

 

「探しに行ってみよっか」

「危険ですよ。深夜は戦闘員が仕掛けてくる時間帯でもあるのですから」

「まあ、そうなんだけど。ここにいても朝になるまで眠れそうにないし」

 

 なにより落ち着かない。

 

「……そうですね。私も同じ気持ちですし、行ってみま……しょ……う――」

 

 茜ちゃんが反応したことに、私も一緒にその理解できる力に反応する。

 濃密で重厚な気配。薄汚れた力の源。同志だけが分かってあげられる荒い瘴気。

 

 これは――魔力だ。

 

「もしかして――緋真さんっ!」

「ここからそう遠くはなさそうです!」

 

 ほとんど明かりが消えていて、はっきりとは分からないけど、多分公園の方だ。 吸い込まれそうな黒色に、浮かび上がる紅蓮が太陽のように映えている。まるで真下に宇宙が構築されたみたいな光景に――

 

 彼女はいる。

 

「すぐに行こう――」

 

 緋真さんが襲われている。躊躇なんてしてられない。

 

「――っ! 彩葉ちゃん待ってくださいっ!!」

 

 静止の叫びと共に茜ちゃんが身体に覆いかぶさり、地面へと勢いよく押し付けられる。

 その間もない瞬間に窓ガラスの破片が飛び散り、刃のような残骸が散乱する。

 

「怪我はないですか?」

「あ、うん。大丈夫。それよりも何があったの?」

「狙撃です」

 

 遅れて理解する。小さく空いた穴と波紋のように広がる窓のひび。どうやら、間一髪のところで助けられたらしい。

 

「もうここはばれているみたいです。急いでここから出ましょう」

 

 立ち上がると同時にもう一発銃弾が流れ込んでくる。

 地面にめり込み、茜ちゃんから血が流れていないところをみると、外れているようだ。良かった。

 それも束の間の安心でしかない。

 もたついていたらハチの巣にされてしまう。急がなければ次が来てしまう。

 小さな処刑場となったこの部屋にいつまでも隠れていたってしょうがない。

 目測だけでも出口まではそう遠くない。次が来る前に逃げ切ってやる。

 

「茜ちゃん――!!」

 

 命に瀕した私の足は、おそろしいまでの瞬発力が発揮される。

 電動でアシストされているかのような軽さで、硬直していた茜ちゃんの手を取る。

 眼前には行く手をふさぐ扉。いちいち開ける時間が煩わしくてしょうがない。こんなものついてなければいいのにと初めて思った。

 

「私に任せてください」

 

 茜ちゃんは空いたもう片方の手から魔力を練り上げると球体の形へと留めた。

 

 

 ――――壊ッ!!

 

 

 最小限の被害で抑えられて穿たれる障害。音を立てて原形を留めきれなくなった扉。その視界から消え失せた先に待つ射程外《ろうか》が安全圏。

 撃ち殺してやるという殺気を漲らせた銃弾が、急かすように追いかけてくる。

 

 行くんだ――! 立ち止まっていたら狙い撃ちにされてしまう。

 

 疾く動き出した体は前へと進むことに戸惑いを見せない。

 左手に茜ちゃんの手をしっかりと握ったまま、開けた大穴《でぐち》に駆け込んでいく。

 前に広がった廊下の壁に銃弾が直撃した音を最後に、ホテルからの脱出に成功した。

 



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55話

「中々いい反応するわね」

 

 彩葉たちが隠れ家としているホテルから、直線距離およそ八百メートル先のショッピングセンター。

 

 ――その屋上。

 

 寒風にさらされながら御影蘭は、もぬけの殻となったホテルの一室から目を外した。

 

「殺さない程度にするつもりではあったけど、かすりもしないなんて。やるわね」

 

 仕留め損じたことに思うところはなかった。むしろ、仕留めてしまっては作戦が狂ってしまうからだ。

 携帯を取り出し、手馴れた手つきで天童纏に電話を繋げる。

 待ちわびていたのか、ワンコールもしないうちに携帯から声が溢れ出す。

 

「蘭か! 二人の様子はどうなっている!?」

 

 出るなり、単刀直入に結果だけを催促する。最早、そこにしか興味がないようだ。

 

「急かすんじゃないわよ。安心しなさい。二人とも無傷で降りて行ったわ」

「……そうか」

 

 安堵の息が漏れている。気が緩んだことは確かだ。先刻までどれほど張り詰めていたのだろうか。

 蘭は凄腕の狙撃手だ。殺さずに部屋から追い出す様な真似をするぐらいなら、楽勝なことだというのに。

 ここ数日、ともに行動し、纏はそのことを理解はしていたつもりだった。だが、相手が纏の友達ともなれば、話は別だ。信頼しているとはいえ、気になって仕方がなくてもおかしいことではない。

 

「まさか、本当にここにいるとはね。ここで張っていて正解だったわ」

「ああ。あの情報提供者には感謝しないとな」

 

 纏と蘭が魔法使いの所在を掴めたのは、とある二人の人物からの目撃情報だった。

 

 

 昨日深夜――いまから二十四時間ほど前になるか。

 咲畑町で目当ての魔法使いを捜索していた折に、偶然にも一人の魔法使いを発見し、殺害した後のことだ。

 夜は長く、無駄な時間を浪費したくなかった戦闘員の一行は、警察に人間の死体発見の一報を入れた。

 アンチマジックは対魔法使いの専門組織だ。ゆえに、魔法使いを殲滅後、そのまま各区に駐屯している研究所に連行する手筈となっている。

 これは、魔法使いという存在そのものが、表舞台に晒されないようにするためであり。内密にすることによって、民間人に余計な不安を与えないようにするための処置である。

 だが、時と場合によっては、警察に遺体の回収だけを行ってもらうことがある。その場合はあとから警察署に向かい、身元を魔法使いだと明かした上で回収させてもらっている。

 警察の到着と殺人の現場で辺りは祭りの様相となっていた。その隙に乗じて現場を後にした矢先に、とある二人組が現れた。

 

「魔法使いと思われる方を目撃したのですが……」

 

 女性が透き通った美しい声で話しかけてきた。

 その二人は連日の魔法使い騒動の中心となった野原町からやってきたと告げる。そして、この町でソレと思しき人物を発見したと言うなり、用事があるとさっさと去っていった。

 纏たちは藁にも縋る思いでその話しに飛びつくと、速攻で監視室詰めとなっている樹神鎗真《こだまそうま》に連絡を取り、ホテル周辺の監視カメラを洗い出すと、件《くだん》の魔法使いが写っていたことから発覚した。

 

 

「よく俺たちがアンチマジックの戦闘員だと気づけたものだよな」

「あんた、何のためにそのバッチを持っているのよ」

 

 纏の胸には紫色で染色された戦闘員を表すバッチが付けられている。

 艶のある磨かれた証。分かる人が見れば、一目で新人だと見抜くことは容易だ。

 

「あ、……そうか。こいつがあったからか」

 

 そのことにまだ馴染めていないのか、纏は思い出したかのようにバッチを認識した。

 だが、蘭はそれでも不意には落ち着かなかった。

 なぜなら、その二人組はあまりにも浮き過ぎていた。

 人間、事件の一つや二つ起きただけで、野次馬のように騒然となっている場に溶け込もうとする。あるいは、何があったのかと目を引かずにはおれず、事態を把握したがるものだ。

 自分には関係ないことだと分かりきっているくせに、当事者になりたがろうと事件に群がる有象無象の人――人――人。

 

 ただ、『知りたい』という欲求に突き動かされた存在。

 

 生まれながらに持ち合わせている本能がそうさせているのだろう。

 収束を見せるまで、あるいは飽きてしまうかするまでは、何も行動をしない群衆の中から、その二人は軽く黙祷を捧げただけで、あっさりと興味を失くし、戦闘員のもとへとやってきたのだ。

 関心が有るのか無いのか。どちらともつかない。こういった風景は見慣れているのかもしれなかった。

 

「気にしすぎかしら」

「手掛かりもない中で、示された光だ。せっかくの好機を逃すわけにもいかなかったし、事情聴取ができなかったのは仕方がないことだ」

 

 訳ありの様子とも思えたのだが、情報提供をしてくれた手前、深くは追及することは出来なかった。

 

「――彩葉たちが出てきた」

 

 ホテルのエントランスから夜逃げでもしているかのように吐き出されていく彩葉と茜が姿を現す。

 

「これより、追跡を開始する」

「あたしがそっちに向かう前に、決着を付けておきなさいよ」

 

 その言葉を胸に秘めた纏は、謝辞を残す。

 友情という糸を手繰った先に待つ綻びは。

 

 

 引き裂かれるのか――。繋がれるのか――。

 

 

 忘れられない夜が始まる。

 



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56話

 息も絶え絶えに路上へと飛び出す。

 階段を全速力で駆け降りてきて、一息を入れたかったけどそうも言ってられない。

 どこに潜んでいるのかも分からないんだ。止まっていたら撃ち抜かれてしまうかもしれない。考えるよりも先に、体が動く。

 とりあえず走っておけばいい。そうすれば、弾も命中しにくいだろうし。

 

「どこから狙撃してきたのかな?」

「多分……っ、ショッピング、センターの……っ、方からだと、思います」

 

 乱雑になった息継ぎで、途切れ途切れに最後までなんとか言い切ってくれる。

 私はそんな茜ちゃんを一瞥した後に、そのショッピングセンターを見上げる。

 周りの建物のせいで頂上だけが、ちらりと顔を出していた。

 これならその辺の影に隠れてしまえば見つかることはなさそう。

 

「ここまで来たらもう大丈夫そうだね」

 

 街灯の下で膝をついて、大きく深呼吸。茜ちゃんも壁に手をついて死にそうなまでになった息を整えている。

 一段と低下された空気が染み込んできて、火照った体が冷却されていく。

 茜ちゃんには相当応えたみたい。たっぷりと時間を取って、体を休めている。

 こういう時どうすることも出来ないし、私は回りに誰かいないかと警戒をしておく。

 深夜ということもあって、道路は無人となっていた。すれ違う人なんていなかった。寂しすぎるけど、それは都合が良かった。きっと、女の子二人が深夜の町を駆け回っていたら、悪目立ちしてしまっていたはずだから。

 

「ごめんなさい。彩葉ちゃん。だいぶ落ち着いてきました」

 

 多少、咳き込みながらも調子は戻ってきていた。そういえば、茜ちゃんは病み上がりだった。

 無理させ過ぎてしまったかもしれない。これで再発とかしたらどうしよう。

 不安そうに見ていた私をよそに、茜ちゃんは周囲を見渡して、

 

「緋真さんとも合流しないといけませんし、どこに逃げましょうか」

 

 緋真さんは私たちとは正反対の方向にいる……はず。

 ショッピングセンターのある前を通過していかないといけないことを考えるとこっちから行くのは危険すぎるような気もする。

 

「相手は戦闘員だよね。てことは、纏かもしれないし、どこかで待ち伏せて迎え撃ってみた方がいいんじゃないかな」

「そうですね。屋上からここまで追いついてくるまでしばらく時間はかかるはずですし、いいかもしれませんね。」

「でしょ! 早速行動に移ったほうがいいね」 

 

 たしか、三人いるらしい。そのうち一人は緋真さんの方に行っていて、もう一人はショッピングセンターの屋上。最低でも二つのグループに分かれているということになるんだよね。

 

「天童守人さん。御影蘭さん。纏君。三人組で二グループ。あるいは、全員個別に行動しているのかも。もし個別だったら、今頃は――!!」

 

 言いかけたときに、私も茜ちゃんも即座に感じ取った。

 私たちの後ろ側の曲がり角の付近。暗闇の中、明らかに踏みとどまったような足音。普通の人ならそんなことをするわけがない。間違いなかった。

 

 

 ――いる。確かにソコに存在がある。

 じっと息を潜めて、油断を待っている。 

 

 

「三人別行動をしているみたいだね」

 

 そちらの方に目を向けることなく、まだ気づいていないことを装いながら、何気なく茜ちゃんに話を振る。

 

「そうみたいですね。多分……一人、です」

「まさかこんなことに気づけるなんてねえ。サバイバル生活がいいところで活かされてるじゃん。ここまで計算している緋真さんってすごいね」

「さすがにそこまで計算しているようにも思えませんでしたけど。でも、おかげで助かりました」

 

 記憶に閉じられた血の滲む一週間近い時間を紐解く。

 暗い森の中、逃げ続けてきたんだ。これぐらいならどうとでもなるに違いない。

 相手は一人。このまま撒いてやろうとも思ったけど、ここまで追跡されてしまったからには、多分振り切れない。だったら迎え撃ってやるまで。

 でも、そのためにはもう少し広い場所。そして、絶対に人が近づきそうになさそうな場所がいい。

 

「誰か知らないけど、とりあえず移動したほうがいいよね」

「でしたら、私についてきてください。この辺りなら、いい場所があります」

 

 先陣切って歩き出す茜ちゃん。その間にもピッタリと付いてくる足音。聞き逃すわけにもいかないので自然と無言の行進が続く。

 ミラーの一つでも置かれていたら、それを頼りにすることが出来るのに……。残念なことにそう都合のいいものはなかった。

 距離は縮まることなく、一定の間隔を付いてくる。

 

 ――ずっと。

 

 見えざる影がベッタリと歩調を合わしてくる。

 光を遮断した夜空の下を外灯だけが照らしている冬の道路は、私たちを安心させるには不十分すぎる。

 点々と等間隔に設置された外灯が先を照らし、まるで道案内でもしているかのよう。

 一度、二度の曲がり角を折れて、建設地帯に入る。

 真っ直ぐにここに向かっていれば、もっと早くに辿り着けそうな距離だった。無理とは分かっていても、もしかしたらという気持ちで、入り組んだ道順で遠回りをしたみたい。

 それでもやっぱり、気配は途切れることなくずーーっと付き纏っていた。まるで、私たちの影にでも憑依しているんじゃないかと言うほど。

 老朽化の進んでいたホテルの工事現場に足を踏み入れる。ここならまず誰も寄り付くことはないし、人が通ることもなさそうで、都合の良さそうな場所であって良かった。気を回すことなく、思う存分にやれる。

 ふと、気配が止まる。敷地内には入ってくるつもりはないのかな。

 すぐそばの壁際で立ち止まっていることが分かる。

 茜ちゃんと顔を合わせる。静かに続いた追いかけっこはここまでのようだね。

 

「そこにいるのは分かっているよ。そろそろ姿を見せてくれてもいいんじゃないの」

 

 未だに鳴りを潜めている正体不明の人物に投げかける。

 こっちは二人で相手は一人。数的には断然に有利だ。

 なにも恐れることなんてないし、恐れる必要もない。

 経験の差はあったとしても、あのサバイバル生活のおかげで少しは身も心も成長しているんだし。

 だから自分でも驚くほどに心は穏やかに波打って、余裕を持って強気に出てみた。

 

「やっぱりばれていたみたいだな」

 

 男の声。

 ドキリとした。だけど、同時に懐かしい感じがした。

 ゆっくりと近づく足音が嫌にうるさく響く。

 工事現場前に設置されたスポットライトに姿が滑りこんだ。

 予期された理想。一番在って欲しかった形。

 舞台の袖から現れた姿に、ここに来るまでに渦巻いていた予感が確定された。

 

「やっと会えたね――纏」

「こんな日が来てくれて良かったです」

 

 おそらく、緋真さんのところには天童守人が行っているだろうと思った。あの緋真さんがあれほどの大規模な魔法を使うぐらいなんだから、あの人以外にはいないはずだ。

 

 残りは二人。

 

 屋上で狙撃してきた人は多分違う。もう一人、私たちを追いかけてくる人物といえば、その人しか考えられなかった。

 道中、茜ちゃんと話し合った通りだ。

 殺すつもりなら、わざわざ追い回す必要なんてないのに。後ろから黙って殺ってしまったら良かったんだ。

 それをしなかったのには理由がある。いや、もしかしたら単純にしたくなかっただけなのかもしれない。

 いまとなってはもうどうでもいいけど。とにかく、こうして出会えた。

 

「久しぶりだな。彩葉、茜」



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57話

 黒いスーツに光り輝くバッジ。

 意外に高い背丈に不気味なほどに黒く染まっている鞘を右手に持っている。

 優しい顔つきをしているが、どこか頼りがいのありそうな雰囲気。

 藍色の髪の毛がライトによって映えている。

 何度となく、再会を願った姿がそこに在った。

 

「そういえばこんなにも長い期間、顔を会さなかった日なんてありませんでしたね」

「そうだったな。なんだか懐かしい感じがするよ」

 

 あの日、訳も分からない内になにもかもが無茶苦茶になってしまってからもう大分日が経った。

 生きているということは確認済みだったけど、こうしてお互いに無事だったということをこの目で見ることが出来て本当に良かった。

 それを喜び合える。苦難を乗り越えた仲間たちで。

 纏はそれ以前と変わらない、まるであんな事がなかったように。いつもと同じような自然な態度で安心できた。

 

 

 いまは――まだ。

 

 

「それにしても、そのスーツはどうしたの? 全然似合ってないけど」

「ハッキリと言うんだな。俺もまだ着慣れていないんだ」

 

 照れた様子で愛想笑いを浮かべて、服を正す纏。

 嘘。冗談。意外と似合っているよ。

 だけど、それは言いたくない。私なりのささやかな嫌味。

 だって、私たちにとってはまるで死刑執行人か命を刈り取る死神の衣装でしかないんだから。

 単純に認めたくない。

 ただ、それだけ。

 

「一応……確認しておきたいのですが、やっぱり……その服装は、戦闘員になった。ということですよね?」

 

 聞きたくないことを聞いてくれる。

 耳をふさいでしまいたい。その事実を聞きたくない。

 でも、前へ進むためには必要な手順だということは分かっている。

 私は纏から目を離さない。全身黒一色の姿を。

 

「ああ――その通りだ」

 

 予想通りの回答。

 

「そういう彩葉と茜は魔法使いなんだな?」

「そうだよ。でも、それが何?」

「何……って。――もう、分かっているだろう。俺は戦闘員、彩葉と茜は魔法使い。だったら取るべき選択は一つしかないだろう」

 

 腰に提げている漆黒の鞘と同色の、だけど少し違って、黒光りしている太刀を抜き取る。

 一目で分かる。あれは何か得体の知れない力があるってことを。

 

「こうして向かい合うことが魔法使いと戦闘員のあるべき姿だということは分かっていますが、纏くんはそれでいいのですか? 私たちは友達じゃなかったんですか」

「分かっている。だから、君たちと会うまでに俺なりに考えてみたんだ」

 

 黙って話に耳を傾ける。

 気になる。纏がどんな答えを出したのかを。

 

「友達だからこそ。戦闘員になって、魔法使いとなった彩葉と茜を俺の手で救いたかった」

「その答えが私たちと戦うということですか?」

「知っているだろう。魔法使いは一般人にとっては恐怖の対象でしかないんだ。この短期間で魔法使いによる被害は増えている。その騒動の中心にいるのが彩葉たちだ。不安定になっている裏社会を平常に戻すためにアンチマジックは動き回っているところだ。

 俺は――彩葉たちが奴らの手に渡ってしまうぐらいなら、自分の手でこの騒動の幕を下ろすと決めた」

 

 太刀の切っ先を私たちに向ける。

 今までの思い出や友情もなにもかも斬り捨てるつもりだ。

 

「出来れば、戦いたくはない。だから、大人しく捕まってくれないか? その後は、上を納得させて、彩葉たちには危険はないってことを分からせてみせるから」

「それは、無理だよ」

 

 アンチマジックが魔法使いに情けをかけてくれるわけがない。

 緋真さんが言ってたんだ。魔法使いの子供でも、危険性があれば抹殺するって。仕事熱心なのはいいけど、そこまで徹底していたら説得なんて意味がないことぐらい分かる。

 

「あの日、父さんと母さんを亡くして、私たちが魔法使いになってしまってただ命を狙われてしまうだけになってしまった。そんな絶望な中でも、生きる気力だけは持ち直すことは出来た。

 私たちは生きたい。まだ、やりたいことが一杯あるんだから」

 

 想いが、魔法となって応える。

 白と黒の色彩を帯びた一本の刀を手に顕現させる。

 同時に茜ちゃんも魔法を発動して、幾何学模様が彫られた半透明の拳銃の銃口を纏に向けた。

 

「戦闘員の俺と戦うということは、どちらかが倒れるということだぞ。分かっているのか」

「分かっていないのそっちだよ」

「――!」

 

 そう。分かっていない。肝心なことを見落としているよ。纏。私たちはそんな関係じゃない。

 だから、次の言葉は淀みなく流れた。

 

「魔法使いとか戦闘員とかそういう難しいことは関係ない! だって、私たちは友達じゃない。殺し合うような関係じゃないんだから。

 いまから私たちがすることは、ただの喧嘩だよ――」

 

 纏は自分にとって正しいことをしているんだと思う。事実、戦闘員として当たり前の行動だということは理解できるから。

 

 

 それでも――

    私たちはそれに抗いたい。

 

 

 お互いの身分上では殺し合いに発展してしまうのだろうけど、私たちはもっと別の関係がある。

 ただ単に意見が合わないだけ。感情を込めた言葉でぶつかり合っても一向に解決することはない。

 

「そうか――だったら。

俺は間違いを犯した友達を救うためにも……その喧嘩、

 買わせてもらう――!!」

 

 雰囲気が変わった。あれは覚悟を決めた表情《かお》だ。

 戦闘の意志がはっきりと伝わってきて、いままでに見たことがないぐらいの迫力がある。

 

「思えば、私たちって。喧嘩なんてしたことがありませんでしたね」

「ああ、そうだな。こうして、剣を向ける時がくるなんて思わなかったよ」

 

 それはこの場にいる全員がそう思っているはずだよ。

 

「女の子二人が相手なんだから、手加減ぐらいはしてよね――っ!!」

 

 交わす言葉はこれ以上なく、私自身の気持ちをぶつける。

 あとは、運命に身を任せてみようと思う。 



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58話

 先に動いたのは彩葉だった。

 悩むことも忘れ、突貫的に体だけが前へと動き出す。手には白と黒の刀。 

 空いた距離を埋めるにはいささか遠い。

 何十歩踏み出せば届くのか。そんな溝を埋めるべく、左手に脇差を造ると、彩葉は無造作に纏へと投擲した。

 闇夜に煌めく黒漆の太刀を眼前に構え、脇差を斬り捨てる。

 その僅かな時間で距離を詰める。彩葉の足ではその数秒で事足りた。

 彩葉は両手で握りしめた刀で斬りあげる。が、纏の反応が思った以上に早かった。

 

「……もう少しだったのに」

「これでも一応、戦闘員として鍛錬を積んでいるんだ。そう上手くはいかないぞ」

 

 鍔迫り合いからあっけなく押し負けた彩葉は大きく後ろへとよろめく。

 纏の剣を受け止めきれなかった彩葉は、殊羅と戦闘を繰り広げたときを思い返していた。いくら手加減されているとはいえ、斬り合うことすらなく、弾かれてただ翻弄されていただけだったことを。

 闇雲に振るうだけでは、埋めようもない力の差があることは分かっていた。

 

 

(だったら、真っ向から挑まなけばいいだけのこと――) 

 

 

 空いた胴に纏の太刀が横なぎに来る。彩葉は右手の刀を消し去ると、瞬時に左手に同一の刀を創造して、受け止める。

 

「……! これなら……なんとかなりそうかな……!」

 

 間一髪のところで止められる。だが、そうながくは保ちそうにない。

 腕力では完全に負けている彩葉の左手が小刻みに震えだし、抑えつけている時間に限界が来ている。

 これ以上は保つことは不可能と感じ取った彩葉は、右手に魔法を発動し、上空に掲げた刀が滑り下りる。

 

「――!」

 

 数度の魔法使い戦がここで活かされたのか、纏は素早く反応することが出来た。

 展開から振り下ろしまでの時間はわずか数秒の動作。そこからの神速に見紛う一閃は空を斬ることとなったが、纏の胸に取り付けられていたバッジを両断し、スーツを薄く切り裂くまでのことは出来た。

 纏が後ろへと下がったことによって、距離が開く。

 

「……っ。それが彩葉の魔法の力か。中々使い方が上手いじゃないか」

「……はあっ……はあっ……。まだ、全然慣れていないんだけどね。それに、そっちこそ、戦闘員として結構経験を積んでいるみたいだね――!」

 

 息も継げないほどの緊迫の攻防から、一瞬の緩みもなく、彩葉は二刀流から右手の一刀に持ち直す。

 

 煌めく黒刀と模造された幻想の刀が夜に響き渡る。

 

 力負けする彩葉はすかさず片手を柄から離すと、二刀流の構えに持ち直す。

 纏はそれを読んでいたのか素早く対応して、彩葉が振り切る前に天高く弾き飛ばす。そのまま、太刀を返して、流れる動作で斬り下ろす。

 ここで刀で防いだところで、繰り返しになることだということは彩葉は分かっていた。いや、そもそも出来ない。ならば、取るべき行動は一つ。

 元々、運動神経に秀でていた彩葉はこれを難なく躱した。

 一刀流から二刀流へ。二刀流から一刀流へ。間に挟み込まれる回避と忙しなく変化される彩葉のスタイルに纏は食らいついていく。

 刀による防御を一切見せない彩葉の戦闘は、剣と剣のぶつかり合う響きはほとんどない。あるにはあるが、それは纏が防いだ時だ。

 二人の隙のない斬り合いに茜はただただ成行きを見守ることに徹するしかなかった。

 それゆえに、戦況が刻一刻と変わりつつあることにいち早く気づけることになった。

 

 

(……くっ! まずい)

 

 

 纏は身のこなしが軽くなっていく彩葉に翻弄されつつあった。息が上がり始め、次第に焦りが生まれていく。

 数度の斬り合いの中、彩葉は自分の戦い方に慣れ始めていた。一つ一つの動きを覚えていき、急速に成長を遂げる。

 そこが戦況の変わり目だった。

 太刀の動きに合わせて振られた刀が交差するその寸前に――それは起こった。

 突如として彩葉の刀身が消え去り、身体を反り返して太刀を躱し切る。

 視界から外れた彩葉に驚愕する間もなく。たとえ目で追えたところで、隙を生み出してしまっては続く動作に為すすべはなかった。

 刀身の消えた柄で横腹を殴打すると、纏の体が崩れる。

 

 更なる連撃。

 

 彩葉の手にはすでに柄はなく、細剣に変化している。

 軽く、疾い刺突にかろうじて太刀で受け身を取るも、疾風《はやて》の如き鋭い突きに転がるようにして吹き飛ばされる。

 更にもう一撃。

 

 

 その刹那――。

 

 

 彩葉は異常を感じ取り、反射的に駆けだし始めた足が地面を強く踏みつけて静止する。

 異質に感じる黒い瘴気が纏の太刀を包み込んでいた。

 

 

(この感じ……どこかで……! もしかして――)

 

 

 背筋に寒気が奔り抜けていく感覚を味わいながら、彩葉はその濃密なエネルギーに釘づけにされた。

 

 ただの一振り――

 

 何人たりとも寄せ付けぬ、黒き刃が空間を切り裂いていくかのようにして解き放たれる。

 斬る。裂く。断つ。分類はいずれになるかは計り知れぬ脅威だ。

 太刀を執ったその瞬間が別離の時だった。

 千差万別の境界を取り払うただ刹那的な威力。

 その前には何ものも阻むことはないだろう。

 夜を斬り開く突飛な一撃は、彩葉の戦闘思考を鈍らせるには十分だった。

 対処する手段も思い浮かばないまま、咄嗟に取れた方法といえば、二本の刀で防ぐことだった。

 だが、そんな手段も功を喫することもなく、呆気なく弾き飛ばされてしまった。

 

「な、なんだったの?! いまのは」

 

 地面に打ち付けた体を労わっている彩葉の元に、茜が大丈夫ですか? と駆け寄ってくる。

 彩葉は平気そうな素振りで立ち上がる。

 

「そんなことより、茜ちゃん。さっきの気配って?」

「彩葉ちゃんも分かりましたか。間違いありません。魔力です。多分、あれが纏くんの魔具なんだと思います」

 

 魔力の発生源は纏からではなく、太刀の方からのものである。アンチマジックが保有している対魔法使い用の秘密兵器――魔具。

 その太刀からはすでに魔力の気配は失っている。

 

「そうだ。よく分かったな。この鞘とセットで一つの魔具になっている」

 

 纏は腰に据えている鞘を分かりやすいように掲げてみせる。

 

 

 漆黒の鞘と眩い光沢が太刀を飾る。

 壊すことに特化された魔力を、斬ることに特化させる魔力へと変換させる。

 切っ先の鋭さを殺さず、鋭利な形が死を運ぶ投擲の刃。

 数多の剣士が夢見る究極の剣技。

 最早――到達不可と思われた境地が技術によって、ここに為し得られた瞬間である。

 

 

「こいつの名は――散りゆく輝石の剣(クラウ・ソラス)

 たった三度きりの飛ぶ刃を放ち、代償に光を失う魔剣だ」

 

 煌々と瞬いていた太刀は、一回り輝きが減少していた。

 察するに、三度目には面白みのない黒々とした剣《つるぎ》と化すのだろう。

 

「あと、二回は放てるということですか」

「範囲も広いし、私じゃあ防ぐことは出来ないよ。どうしたらいいんだろう」

 

 茜に相談したところで、いい案は出てこなかった。

 ――あと、二度は残っている。

 彩葉はそのことを頭に叩きこんでおいた。

 

「それにしても、彩葉もそろそろ体力の限界じゃないのか? 体も痛めてしまったようだし、終わりにしないか」

「そうだね。私も疲れてきたよ。けど、終わりには出来ないよ。それだと私が納得しないから」

 

 だいぶ息が整ってきてはいるが、見るからにへばってきていることは分かる。

 だが、それでも諦めるわけにはいかなかった。

 こういうことが起きるのは、一生に一度かもしれない。勝つにせよ、負けるにせよ。喧嘩である以上は、お互いにわだかまりを無くしておきたかった。

 それは、友達だからと一言で終わらせれるほどのちっぽけな理由。

 この後がどう転ぼうとも、いまは悔いの残らないようにしておきたくて、彩葉は喧嘩を続行させた。

 

「この喧嘩。私も入っているのですから、ここから先は手を出させてくださいね」

「もちろん。男の子相手に一人は厳しかったんだし、頼りにしてるよ。茜ちゃん」

 

 二対一。数的には有利に思えるが、彩葉はすでに疲れ切っている。茜の援護がどう働くかによって状況は変わるだろう。

 

「そっちがその気なら、最後まで付き合うよ。だが、これだけは言わせてくれ。

 この喧嘩に俺が勝てば、俺のやり方に従ってもらう――!!」

「だったら、私たちも同じ条件でいくよ」

 

 語る言葉は尽きた。あとは三人が直にぶつかるのみとなった。

 茜は銃を扱う。近距離と遠距離の二人だ。

 おそらく、近距離に持ち込めば、茜は彩葉に誤射することを恐れて手を出しづらくなるだろうということは、先ほどの攻防で察することが出来る。これで茜を封じることは可能だとしても、近距離戦だと同じことの繰り返しとなることは馬鹿でも分かることだ。

 一応、纏には遠距離用の戦術も持ち合わせてはいるが、回数が制限されている。使いどころが肝心だろう。

 だが、その一撃は彩葉でも茜でも抑えることは容易ではないはずだ。

 すべては二度の刃にかかっていると言える。

 接近戦に持ち込まれれば、彩葉のことだ。更なる戦術で纏を翻弄するし、それを捌き切る自信などは持ち合わせてはいなかった。

 なれば、彩葉を一撃で仕留めたのち、茜と一対一へと持ち込む。纏も茜に体力がないことぐらいは付き合いの長さで知っている。

 

 やはり、今度も先に動いたのは彩葉だった。

 

 この場で唯一、接近戦しか出来ないのだから、当然と言えば当然の行動といえる。

 馬鹿正直に突っ込んでくることしか能がない彩葉を遠ざけるべきと判断した纏は、散りゆく輝石の剣(クラウ・ソラス)を構え、魔力を帯びさせる。

 彩葉を迎え撃つは魔力の刃。

 回避か。防御か。はたまた斬り伏せるか。彩葉にはどれかを選択するような考えなどは持ち合わせてはいなかった。元より、取れる行動など一つしかないのだから。

 彩葉は力で制御できないほどの大剣を造りだし、それでも力の限りを尽くして地面へと杭のように打ち付けた。

 それに全体重を預けて軸にし、空中へと跳躍する。ほぼ、同時に大剣と刃が衝突し、後ろで控えていた茜も大剣によって守られた形となる。

 纏は好機と見た。着地のタイミングに合わせ、もう一度黒き刃を放つ算段を付ける。

 万が一、回避される恐れもあったが、その間に接近して一撃で仕留めることは出来る。

 だが、その目論見は失敗となった。

 宙へ躍り出た反動を活かして体を捩る。まるで舞っているかのように華麗な回転とともに、刀を纏目がけて投げ放たれる。

 真っ直ぐに飛ばされた刀は散りゆく輝石の剣(クラウ・ソラス)で払われるも、その頃には地面へと着地していた彩葉は手ぶらで勢いよく駆け出した。

 纏は返す刀で最後の魔力の刃を放った。

 そこに速度を殺すことなく立ち向かう彩葉。

 避ける素振りを見せない。血迷ったのかと纏は不審に思う――それが油断だった。

 

「私もいるのですよ」

 

 茜の手に握られたクリスタルの拳銃。それが共鳴しているかのような光を帯びている。

 充填《チャージ》。

 魔力弾の要領で拳銃に魔力を溜めていた。纏は目の前の彩葉の相手だけで精一杯だったせいで、完全に標的から外れてしまっていた。

 射出された魔力の銃弾は、風を切って彩葉を追い越す。

 変換された魔力。刃と特大の銃弾がガラスに似た音で砕け散る。

 街灯に照らされて、幻想的な輝きを放っている欠片の雨の中、さらに加速した彩葉が突っ走る――!!

 彩葉は纏が払って側近に刺さった刀を拾い上げ、素早く斬り込む。

 その驚異的な速さの前に、完全に虚を突かれる形となった纏に万全な構えの時間を許されることはなく、押し倒される形を取られた。

 最後に、終わりを告げる刀の切っ先が顔面に突きつけられたことで、纏は敗北を認めざるを得なくなった。

 

「……私たちの勝ちだね」

 

 笑顔を浮かべて、勝利の宣言。

 邪気はなく、ただ嬉しい。それだけの感情が溢れていた。反面、纏は悔しそうな表情を浮かべた。

 

「俺の……負けか。まさかあんな切り札を隠していたなんてな……さすが、親友同士なだけあって、チームワークが良かったよ」

「ふふん。当然だよ。私と茜ちゃんの連携は最早、言葉なんてなくても心で通じ合っているからね」

 

 すがすがしく、試合終わりのスポーツマンのように座り込んでいる纏に手を差し伸べる。

 

「立てる? 喧嘩の後は仲直りをしないと」

 

 手を握り返して纏は立ち上がる。

 そんな二人を見ていた茜は、自分も輪に入ろうと寄っていこうとしたその瞬間――。

 

「よけてっ!! 彩葉ちゃん――っ!」

 

 視界の中にかろうじて写り込んだ揺らめく影が、彩葉に銃口を向けていたことにいち早く気づいた茜が叫んだ。

 だが、それよりも早く弾丸が彩葉の肩を貫いた。

 

「――きゃっ!!!」

 

 短めな悲鳴と共に肩を抑えつけながら脱力する。

 彩葉の傷も気になるが、何よりもその正体の影を誰もが見た。

 

「負けてしまったのね。纏」

 

 女の声だ。

 護身用に常に携帯している拳銃をポケットにねじ込んだ御影蘭が姿を現す。

 

「あの人は纏のお父さんと一緒にいた……」

「C級戦闘員の御影蘭さんですね」

「ふーん? 自己紹介は必要なさそうね」

 

 さっと一目、彩葉と茜に目を通した。

 

「あたしが付けた傷だけだわ。――あんたは一撃も入れられなかったのね」

「これでもいい勝負にはなっていたんだ」

「そうみたいね。最後の方だけ見てたわ」

 

 丁度、決め手となった攻防の辺りから遠巻きに眺めていた。すぐに手を出さなかったのは、纏に気を使ってのことだ。

 

「――で、どうするのよあんたは。あたしは戦闘員としてこの二人を処罰しないといけないのだけれど」

「それは待ってくれっ! もう少し時間をくれ」

「あたしもあんたの気持ちは分かるけど、そんな時間はないわ」

 

 工事現場の周囲に炎の柱が湧き立ち、激しい地鳴りと共に三人の人物が現れた。

 

「ふー。なんとか間に合ったみたいだぜ」

「良かった。二人だけにしてしまったから心配したわよ」

 

 彩葉と茜の元に頼りにしていた緋真と覇人が駆けつけた。

 

「緋真さん! 覇人!」「緋真さん! 覇人くん!」

 

 彩葉と茜の掛け声が重なった。

 

「怪我しているじゃない! ちょっと待って――そのままじっとしているのよ」

 

 肩から血を流している彩葉を確認すると、自分の着ている服を破り、巻き付けて止血する。

 

「これで良し。他は大丈夫そうね。茜ちゃんの方は特になさそうみたいね」

 

 胸を撫で下ろす緋真。わが身よりも可愛い妹分の方がよっぽど心配だったのだろう。

 

「情に流されたか。それとも力不足だったのか?」

「正々堂々と喧嘩して俺が負けた。それだけだ」

 

 A級戦闘員の天童守人が息子の纏の失態に叱るでもなく、淡々とした口調で尋ねていた。

 

「彩葉と茜は数日ぶりだが、――纏! 久しぶりだな」

「ああ、久しぶりだ。でも、どうして俺の親父と戦っていたんだ? まさか――お前もそうだったのか?」

「わりぃな。ずっと前からこっち側だ」

 

 纏はしばらく口を開けなかった。無理もないだろう。友達全員が自分と立場の異なる存在だったのだから。

 

「にしても、なんだよこの顔ぶれ。さすがに全員揃っちまうとすげえな」

 

 A級戦闘員、C級戦闘員、F級戦闘員。対して、裏社会を賑わす三人の女魔法使いとキャパシティ所属の魔法使い。

 

 今宵、この地に集った役者が一同に会する場が生まれた。

 この状況。はたして何が起ころうともおかしくはないだろう。

 いま、町の命運はこのメンバーの行動次第に懸かっていることを――町の住民は知る由もない。

 この緊迫した状況の中、緋真はある人物に呼びかけた。

 

「ねえ、ちょっと待ってくれないかしら。

 ――あなた……もしかして。蘭、じゃないかしら?」

「――!!」

 

 蘭は不意に名前を呼ばれたことでビクついていたが、視線は吸い込まれたかのように緋真から離れていなかった。

 

「やっぱり……やっぱりそうなのよね。あたしは……生きていると信じていたわ」

 

 声が震えていた。

 その異様な様子に全員が不思議そうな顔で口を閉ざす。 

 やがて、我慢しきれなくなった蘭は緋真に抱き付き、緋真は身体で包むようにして優しく抱きしめた。

 

「ずっと会いたかったのよ――緋真お姉ちゃん!」

 



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59話

 これは――数多の人々を襲った幾つものの悲劇。

 その一端で戦った、少女たちの記憶を少しばかり紐解いた物語である。

 

 

 三年前。

 四十二区。そう、当時は呼ばれていた。

 商業が発展しており、誰もが成功を収めようと日々躍起になっていた。外壁周りに多数の金持ちの家が建ち並び、中心地には破産した者や金を持っていない貧しい者が住み着き、貧富の差がある区画だ。

 その間にまるで境界を引くかのように店が建ち並び、貧しいものと富んだものが分けられていた。

 中心地には使い捨てられた物や盗品などで溢れかえり、荒んでいた。ゆえに、隣接した区画から、人には言えない秘められた事情などを抱えた者たちの格好の隠れ家にもなっていた。

 

 少女――御影蘭。

 魔法使いの女性――穂高緋真もそんな訳ありの人物の一人だった。

 

 緋真は身分を隠し、従妹の蘭と暮らし始めた。

 日々の生活は辛かったが、そこで出来た知り合いの助けもあって、裕福とは言えないがそれなりに居心地がいい場所だった。住めば都というやつだ。

 だが、裕福というのは一生続くものではない。

 

 

 屍二の惨劇――。

 魔法使いと戦闘員の大規模な抗争によって、一夜にして何もかも無に帰すこととなった大災厄だ。

 以降、閉鎖区画と呼ばれることとなる。

 緋真と蘭もその抗争の真っただ中にいた。魔法使いである緋真は、蘭を守るべくその力を余すことなく使い続けた。

 だが、あらゆるランクの戦闘員と魔法使いの乱闘に、蘭はあまりにも無力過ぎた。

 一般人の避難が行われ、蘭や共同していた仲間たちの無事を祈り、皆と仲良くして待っているのよ。と蘭をそこに参列させることになる。

 

 

 それが――蘭と緋真が共有した最後の思い出となった。

 

 

「大きくなったわね」

「ええ」

 

 壊れ物を扱うように、蘭の頭を撫でる。

 いいにおいがする。温もりを感じる。蘭は気持ちよさそうに緋真に身を委ねていた。

 

「こんなにも可愛くなって。お姉ちゃんは感激だわ」

「従妹だから、似ただけよ」

「そう。お姉ちゃんに似てしまったのね。それなら仕方ないわね」

 

 自分の容姿が素直に認められないのか、緋真のせいにする。その様子が愛くるしくて仕方がないのか、苦笑する緋真。

 

 この金色の髪を梳くように撫でる温かい手。

 この腕に収まる抱き心地のいい一回り小さい体。

 

 ああ――すべてが懐かしく、愛おしい。

 

「でも、この服装はダメよ。全くサイズがあってないじゃないの。減点ね」

「お姉ちゃんのお下がりばかり着てたから、ゆとりのある方が着慣れているのよ」

「……そういうところは変わらないわね。なんだか、ちょっと嬉しいわ」

 

 そう言ってまた苦笑した。

 事実を聞いて、最初は驚きが隠せなかった彩葉と茜も再会を見守った。

 

「噂は聞いていたわよ。戦闘員として、頑張っているみたいね。そのことを聞くだけで。良かった、蘭は元気でやっているのねって安心したわ」

「あたしはお姉ちゃんが死んだって聞かされていたわ。でも、信じなかった」

 

 あまりにも大量の死者が出過ぎてしまったため、生死が曖昧に記録されていた。事実、死亡したと思われていた人物が生きていたという事例も、三年の間で見てきた。

 だから、蘭はこの目で確認するまでは、死を確定させていなかった。

 

「良かったではないか。仕組まれたことであったとしても、家族の再会が果たせてさぞ嬉しいだろう」

「……守人?」

 

 嬉しいに決まっている。なにせ三年ぶりだ。だが、気になったのはそこじゃない。

 

「引っかかる言い方をするわね。まるで、あなたが会わせてくれたように聞こえるわよ」

「そう言ったつもりだったが、分かりづらかったようだな」

「ええ、分かりづらいわ。もっとはっきりと言ったらどうかしら?」

 

 せっかくの再会に気分を害する言い方をされて、緋真は強めの語調で問い返す。

 

「三年前。私は四十二区の外側で倒れていた蘭を保護させてもらった。その際に、蘭に関するプロフィールをすべて調べさせてもらったのだよ。

 奇しくも、妻の仇である穂高緋真は蘭の従妹。私は使えると確信したよ」

 

 嘲る。流れは完全に守人が掴んでいた。

 

「身寄りのなくした蘭には戦う技術を教え、姉の生存を仄めかし、名を上げさせることによってお前をおびき出したのだ。

 偶然かどうかは知らんが、結果的にお前は野原町に現れた。成功してなによりだ」

 

 緋真との出会いから喜色に満ちていた蘭の顔色が青ざめていた。

 

「待ちなさいよ。あんた……、あたしにお姉ちゃんは死んだって言っていたじゃない。あんたは生きているって知っていたの?」

「知らなければこんな計画は立てるまい」

 

 もう何も言えなかった。自分が利用されていた? そのことが、蘭の頭を上手く回転させなかった。

 

「あなたね……っ! 私の可愛い妹になにひどいことをさせているのよっ」

「別に何も。一人で生きていく術を持たない子供に、生きる喜びを見出させてやっただけだが」

 

 我慢の限界が来た。緋真は魔法を発動し、怒り狂う炎が守人に放射される。

 両手に魔具を装着していた守人は事もなげに振り払った。

 

「厄介ね。あの魔具。蘭、彩葉ちゃんたちも少し離れていて――蘭?」

 

 うわ言のようにぶつぶつと繰り返す蘭に、異常性を感じる緋真。

 

「あたしが……あたしのせいで、お姉ちゃんに苦しい思いをさせているの? あたしのせいでこんな怪我をさせたの? あたしのせいで……あたしのせいで……」

「蘭! しっかりしなさいっ。悪い方向に考えてはダメよ。悪いのは蘭を利用した天童守人よ。お願い……! しっかりするのよ! 蘭までこっち側に堕ちてはダメよ」

 

 肩を掴んであなたは悪くない、と必死で諭す。

 

 必死で――。必死で――。

 

「さっきから黙って聞いてたけど、ちょっと酷いよっ! 同じ仲間なんでしょ。どうしてそんなに人を道具みたいにして、いじめたりしてるの?」

 

 二人の様子を見ていられなくなった彩葉が守人に怒鳴る。

 

「真実を隠していたとはいえ、蘭は姉との再会。私は仇の再会。同じ目的を持った者同士、協力して魔法使いを探していただけだが?」

「だったら蘭ちゃんは嬉しそうにしていないとおかしいよ。あなただけが得をして、女の子を泣かして……最低……っ! どうして……あなたみたいな人が魔法使いじゃないのっ!」

 

 もう、どっちが悪なのか分からなかった。

 

「私が魔法使いでないのがそんなにおかしいか?」

 

 守人は嘲笑して続けた。

 

「戦場でなぜ堂々と人を殺せるか。それは何かを守る為、自己の行いを正当化しているからにすぎないのだよ。それこそが絶対的な正義だと妄信しているからだ。

 私も同じだ。たとえ、どんな手段を用いようとも、貴様らから住民を守ることこそが私にとっての善行であり、決して悪意ではないということだ」

 

 彩葉たちは絶句した。

 

 こんな――こんな行いがまかり通っても、魔法使いに堕ちないとは。

 

 人間性が違い過ぎた。もう、何を言っても言葉は通じることはないだろう。

 

「さて、蘭。手柄を立てた褒美に選択肢をやろう。

 姉を殺して、こちら側で生きていくか――。

 姉と戦いここで死ぬか――。

 好きな方を選ばせてやろう」

「耳を貸すな! 蘭」

 

 纏が叫ぶ。だが、何も聞こえはしない。蘭の中では、すでに答えは出ていた。

 

「ふざけるんじゃないわよ。どっちも選ぶわけがないでしょう。褒美ならもっと良いモノを貰うわ」

「……そうか。ならば、どうするつもりだ」

 

 生気の感じさせない、冷たい声音を放った蘭。守人は興味深げに促した。

 

「あたしが死ぬその前に――」

 

 心の奥底で蠢く何か。吐き出す。一思いに。蘭は自分の欲求を爆発させた――!

 

 

「まずあんたが先に死ね――ッ!!」

 

 

 言葉を放つとともに駆り立てられた悲しみと怒りと絶望が人間性の一線を越える。

 この感情は力に作り替え、蘭の腕から魔力の光線が守人を射抜く。

 激しい爆風が一帯を駆け抜け、彩葉たちは目を覆った。

 

「嘘でしょう……蘭」

「まいったな、これは」

「何? なにが起きたの?」

「魔力を感じましたが、もしかして……!」

 

 彩葉と茜は一度体験しているが、その変貌の時を目の当たりにするのは初めてだった。

 

「こうなったら止められないわ。彩葉ちゃん。茜ちゃん。よく見ているのよ。あれが魔法使いの誕生の瞬間よ」

 

 解き放たれる禍。終点の朱。霧散していく善。不可逆の理による拘束。陰と陽の反転に逆らえない自我。

 それは感情という名の不可視の器官の扉を亡き物にし、逆行して混じる。

 

 ――全ての贈り物で満ちた世界(パンドラワールド)が蘭を迎え入れる。

 

 

 見届けしもの共よ、怖れ慄け――!

 あれこそは人の道を外れ、限界を超えしもののなれの果て。

 終わりにして、始まりの瞬間の産声を聞き届けよ。

 

 その醜悪なる姿の名は――魔法使い。

 



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60話

 湧き上がった魔力を一気に吐き出したせいで、激しく疲弊した蘭を緋真が落ち着かせる。 

 

「めちゃくちゃにやりやがるな」

「親父……」

「もしかして、死んだのかな?」

「分かりません。けど、この威力だと」

 

 すさまじい魔力量だということは、この一撃で分かる。

 魔力の光線が過ぎ去った後には、擦り削られた大地が痛々しく裂傷を残していた。

 彩葉たちはその威力で立っていられるとは到底思えなかった。

 

「生きているわ。あたしには分かる」

 

 蘭が断言した。

 なぜ? 誰もがそう聞きたくて、眉をひそめていた。だが、それよりも蘭の身に起こったことに、質問の順位が変わった。

 

「蘭?! その目。一体――」

 

 

 一重、二重、飛んで幾重の環は視力。

 魔性に呪われた瞳に色彩が移り変わりしは探知。

 それこそは遥か彼方の有限を観測し、あらゆる万物の息吹を捉える索敵の魔眼。

 人の生を代償とし、ここに――開眼を果たす。

 

 

 全員の注目を浴びたのは蘭の異様な両目が原因だった。

 魔力の顕現と発生したそれは魔法で間違いなかった。

 

「お姉ちゃん。あたしこの目で分かるわ。あそこに魔力の気配がある。その向こう側の景色、そこに集まる小さな魔力の気配も」

「どういうことだよ、そりゃあ」

「この世に完全に善意だけで構成された人間などいない。必ず悪意も持っているものだ。その微弱な魔力を感じ取ったのだろう」

 

 晴れる煙から、守人が何事もなかったかのように立ち尽くしていた。

 左手には爆撃の跡。こうなることは予想していたのか、防御をしていたようだ。

 

「そんなわずかな魔力を探知したっていうの? そんなものを見てしまったら、発狂してしまうわよ。蘭、魔法の使い方は分かるわよね、いますぐ解除しなさい」

「簡単に言ってくれるわ。制御が難しいのよ。この目はよく見えすぎる……っ」

 

 遠近感を掴みづらくなり、やがて眼を開けておくには疲れてきた蘭は視界を瞳を閉じた。

 そうして、いくらか時間が経ってから瞳を開けると、そこには一重の環と色の滲んだ瞳があった。

 

「大丈夫? 蘭ちゃん」

「平気よ」

 

 目をのぞき込む彩葉を手で追い返す。あまり、見られたくないのだろう。

 

「一体、何が見えていたのかしら?」

「魔力。あと、あのホテルの部屋の中が見えたわ」

「ここからだと数百メートルは離れているぜ。どんだけ視力が上がってんだよ」

 

 そう驚愕するのも無理はない。

 常人の視力では、窓ガラスが壁面に並ぶ建物としか映らない。蘭にはそれがはっきりと見えていた。その中に住む人の数。更には窓の数すらも数えられることも容易であった。

 

「視界の調節と優れた魔力探知能力が大幅に強化された魔眼ということね。

いや、違うのかしら? 元々、魔力探知能力が高いのね。ともかく、魔眼を持った魔法使いなんて珍しいわよ。私は蘭で二人しか知らないわ」

「俺もだ」

 

 覇人も同意する。どうやら共通の認識でよさそうだ。

 摩訶不思議な眼は彩葉たちの興味も惹いた。

 

「いいなあ。そんなに簡単に視力が変えれるなら何だって見えるんでしょ。便利な魔法で羨ましいよ」

「でも、見えすぎると視界の感覚がおかしくなってしまいそうですよ」

「慣れれば、気にならないって」

「いや、気にしてくれ。いくら視界が変わると言っても魔法だぞ。使い勝手が良さそうな物でも、危険な力であることには変わりはないのだからな」

「もう、纏は相変わらず真面目だね」

 

 観察しては、口々に感想をもらす彩葉たち。それゆえに、守人がどこかと連絡を取っていることに対して、無頓着になりすぎていた。

 

『会話が聞こえていたわけでないので、どうなっているのかイマイチ把握しきれませんが、蘭が魔法使いになったようですね』

 

 暗い部屋のモニターから発せられている蛍光は、この現場を映し出していた。

 通話相手の樹神鎗真は成行きを見守っていただけだ。蘭は日々口が悪く、何かと反発してくることが多かった。それが原因じゃないかと疑える。もっとも、それは鎗真に対してのみの扱いだったが。

 結局のところ、魔具が内蔵されている監視カメラでは会話なんて聞こえるわけではないから、過程が分からない。

 

「蘭は自ら壊れていったのだ。そう気にすることではあるまい」

『壊れた?』

「私に対する、敵意に押し潰されたのだよ」

『裏切りですか? あの性格ならいつかはやりそうだとは思っていたが、本当にするとはね。まあ、珍しい映像が取れたついでに、偉そうなガキがいなくなって精々しましたよ』

 

 淡々としているが、本心ではそうは思い切れてはいない声で応える。日々、言い合うことが多かった仲だ。

 うっとうしい奴。うるさい奴。聞き分けの無い奴。可愛げのない奴。色々とあったからこそ、淋しさを見せつけない様に強がって言い張る。

 

『にしても、あれだけの数の魔法使いを相手にするとなると、殊羅と月の応援を呼んでおきましょうか?』

「あの二人が来ると、本当に町一つが潰れかねん。ここは、私一人で十分だ」

 

 通話を切る。

 そこにいるのは、戦闘闘争がむき出しにされたA級戦闘員の姿だ。

 こうも人は変わるのか。迫力がある。

 魔力による気配に頼らずとも、彩葉たちは殺気を肌で受け止めた。

 

「やる気は十分みたいじゃねえの」

「そう、殺気立つな。まずはそこの女を殺してからだ。

 ――纏。友人たちの相手をしておけ」

「――!!」

 

 指名された纏は困惑する。

 この場にいるのは天童親子を除けば全員が魔法使い。纏の役職のことを考えれば、戦えるのは纏しかいない。

 果たして、自分に友を斬ることは出来るのか。否。彩葉は戦闘員だとか魔法使いとかそういう関係以上に友達だと言った。だから、喧嘩をした。

 戦闘員としてのやり方を通そうとしたが、出来なかった。負けたうえでどうして再戦を望まなければいけないのか。

 それ以前に、喧嘩の後と前では覚悟が変わっていた。

 

「どうした? 何を迷っている。お前は戦闘員だろう。なら、役目を果たす時だ」

 

 浴びせられる言葉に纏は太刀を強く握りしめていく。それに纏は気づかない。

 

 向けるべき刃は誰か――

 斬るべきは誰か――

 

 纏の表情は窺い知れないが、何かと戦う意志はあるにはあるのだろう。

 

「何勝手に纏の相手をさせようとしていやがる! 俺はお前に用があるんだけどな」

「はて? 私には身に覚えがないが……いや。その顔。どこかでお前と会ったことがあったか?」

「覚えていねえなら構わねえよ。どうせ、俺の勝手なこだわりだ」

 

 大気が捻じれ、両先端が矛となった一本の半透明状の物質を形成。

 直線上に敵はいるが、所詮当たるまい。守人がどういう魔具を使うのかは分かっているが、なりふり構わず放つ。

 

 

「そう、焦るものではない。あとで思い出したとき、必ず相手はしてやろう。いまはこれで我慢するがいい」

 

 反射的に掴んだ槍を返す。

 

 ――速い。

 

 放った本人である覇人をも凌駕する。だが、恐れる必要はない。それは覇人の魔法だ。魔法を解除すればいいだけのこと。

 しかし、覇人がそれを行うことはなかった。

 分散する大気の物質。斬り裂いたのは纏の散りゆく輝石の剣(クラウ・ソラス)だった。

 

「人の身でありながら、魔法使いに荷担するというのか」

「――ああ。そうさせてもらう」

 

 機敏とした動きに迷いは持ち合わせていないようだった。

 

「残念だ。我が息子ながら、成長を期待していたのだがな」

「それには答えられそうにないな」

「いいのだな。私たち人間を相手にする以上、もう戻ってはこれないことになるということは分かっているな」

「構わない。俺は人として、魔法使いに近づき、世界を見て回る。

 魔法使いと戦闘員。そのどちらでもない俺だからこそ、得られることがあるはずだ。

 自分にしかできない道を歩む――悔いの無い人生ってそんな道だと思うんだ」

 

 人であって、人というコミュニティから除外される。そして魔法使いですらない。

 

 完全に孤独。

 纏は自ら、茨の道を行くことを選び取った。

 それは、誰も挑戦しなかった前人未到の道。

 

「愚かな。せっかく貰ったバッジを捨て、か弱き民になるどころか、更に堕ちるとは」

「俺の人生だ。――こればかりは親父にも止めさせない。

 それに、バッジならもう斬り捨てた」

 

 あるべき場所には、それはなく。スーツに切れ込みが入っている。

 彩葉との喧嘩の最中、真っ二つに割れたバッジはスーツの内ポケットに納めていた。

 

「はは、……カッコいいこと言うねえ」

「うんうん。あんなのは纏には似合わなかったし、こっちの方がいいよ。斬ってしまって正解だったね」

「私たちは纏くんの味方です」

「あんた……とんでもない新人ね」

 

 孤独ではないかもしれない。彩葉や蘭たち仲間がいれば、それだけで一人ではない実感は出来る。

 

「どこまで行けるか見せてもらおうか。……手始めに、この場を生き抜いてみせるがいい」

 

 両手に魔具を装着した守人が、数多の魔法使いを屠った障害として立ちはだかる。

 

「あの男の一番の狙いは私だわ。だから覇人。私が気を引いている間に彩葉ちゃんたちを連れて逃げなさい」

「待てよ。俺にだって、アイツに用はあるんだよ」

 

 炎を発動して、守人と対峙した緋真を覇人が話を聞けよと言わんばかりの勢いで止める。

 

「あなたの事情は知っているわよ。だけど、この場は我慢して私に任せてほしいわね。それに、覇人にはあの子たちを見守る任務があったはずでしょう」

「それは……そうだけどよ」

 

 覇人がここに来たのは守人と戦うということではない。本来の目的は組織から下された命令。彩葉たちの無事を確保することだ。

 プライベートと組織のことは別として考える。覇人はその方針を守ることにした。

 

「……仕方ねえな。こっちのことは任せな。そっちは倒せちまうのなら倒しちまっても構わねえよ。あーだけど、無理だけはしないでくれよ。お前になにかあったらあのお嬢様になに言われるか分からねえしな」

「分かったわ。四番さん」

 

 お嬢様とは悠木汐遠のことだ。緋真とは古い仲の人物でもあり、その名を聞いて苦笑した。

 

「緋真さんを一人にするつもりなの?」

「安心しろ。あいつは滅茶苦茶強い奴だ」

 

 覇人がそういうのならば、そうなのだろうと彩葉は思った。

 最強のA級戦闘員である水蓮月とも互角に戦えている。疑う余地もなく強いことは明白だ。

 

「月相手でも問題なかったみたいだが、いいのか? 親父はあれでも討伐した魔法使いの数なら月よりも上だ。かなりの場数を踏んできているぞ」

「心配しすぎだっつーの。まあ、見てろって。灼炎の名は伊達じゃねえってところを見せてくれるよ」

「灼炎ってなによ」

 

 聞き慣れない緋真のもう一つの名に反応を示したのは蘭だ。それに彩葉と茜も同調した。

 

「あれ? なんだ教えていねえのか?」

「その必要はないと思っていたのよ」

 

 視線だけを送られた緋真は、言葉を添えて視線と一緒に返す。

 だが、彩葉と茜と蘭の説明を求めている様子に。

 

 “言った方が良かったのかもしれないわね”

 

 と思った。

 そうして、躊躇いの後。心に決心をつけた。

 

「そうね。教えておくわ。私は――」

 

 これ以上隠す必要などはないだろう。事情を知らない者、おそらくは天童守人ですら知らないであろう正体を晒すにはいい機会である。

 

「秘密犯罪結社キャパシティ。導きの守護者(ゲニウス)第三番を任せてもらっているわ。

 それと、もう一つの名前の方は私は気に入っていないのだけれどね」

 

 組織を支える幹部の一角を担う導きの守護者(ゲニウス)。それを聞いて理解できるものなどはこの場では限られた人物しかいなかった。

 だが、彩葉と茜はキャパシティという単語にだけは反応できた。

 それはつまり、雨宮源十郎。彩葉の父親と同じところに所属していたということだからだ。

 

「緋真さんも……父さんと一緒だったの?」

「隠すつもりはなかったのよ。ただ、源十郎さんが彩葉ちゃんに正体を話さなかったから、私も正体は黙っていたのよ」

 

 それで色々と合点がいった。

 

 なぜ、秘密犯罪結社であるキャパシティに対して、異常なまでに事情に精通していたのか?

 

 なぜ、その組織の構成員である父親と知り合っていったのか?

 

 なぜ、組織と繋がりのない母親との知り合っていったのか?

 

 なぜ、父親と母親のことを詳しく知っていたのか?

 

 それは全部。父親と同僚だったからと一言で片付くことだった。

 

「そうか。お前もあの男と同じ魔法使いだったのか。それだけで生かしておく価値は出る。あの男ともども組織について話してもらおうか」

 

 あの男とは勿論、雨宮源十郎のことだ。

 緋真と同格である父親が目の前の男に敗れた。

 緋真が強いということは纏を除く全員が認識している。だが、無事に切り抜けることが出来るのか。彩葉は無性に心配になった。

 

「緋真さん。やっぱりみんなで戦った方がいいよ。私も少しぐらいは役に立てるよ」

「心配してくれてありがとう。けど、ダメよ。下がっていなさい。あなたたちでは手に負えないわ」

「それは、お前も同じことだがな――」

「どうかしらね。

 炎すらも焼き尽す焔《ほむら》の魔法使い。その由来を見せてあげるわ」

 

 格闘戦に特化された肉体が緋真に迫る。

 迸る幾筋もの火炎が矢の如く乱れ撃つ――。

 守人は殴り消しながら強引に攻め入り、数多の魔法使いを屠ってきた殺人拳が緋真に牙を向ける――!

 

「……っつ!」

 

 いやな音が響き、苦悶の表情を浮かべる。それもそのはず、保護として炎を纏った腕ごと砕かれたのだ。

 この機を逃さず、守人は右手を引き、続いて左手の拳を繰り出そうとするよりも一瞬――。

 

「近接戦はあまり得意じゃないのよね」

 

 緋真とて歴戦を掻い潜ってきた魔法使いだ。メインは遠距離戦だが、近接戦も一応は心得ている。

 魔具によって防がれない足元へと、燃え盛る焔が襲い掛かる。踏み場を失くした守人の隙を付き、炎を纏った掌底が守人の腹部を焼き、そのまま押し飛ばす。

 だが、浅い。

 咄嗟に後方に飛んだゆえに、押し飛ばしたかのように見えただけだ。しかし、炎を直に喰らっている。ダメージは通っていた。

 

「すごいです……!」

 

 感嘆をもらしたのは茜だった。

 緋真は対守人戦の攻略は二度の戦いで理解していた。

 

 丈夫な布地で織られた籠手の魔具。それはあらゆる魔法に触れることが可能だ。それに付け加え、並外れた体術を用い、その一撃は骨を砕き、最悪内臓の方にまで被害が出てくる。

 気を付けるべき点は魔具と体術だけだ。体術の方は緋真ではどうにもならないが、魔法の使いどころを上手くやれば、緋真には勝機を見出すことが出来るかもしれなかった。

 だが、分かったところで魔法使いの取り柄である魔法を防御されてしまうと勝機は限りなく低い。

 

「あの魔具、厄介すぎるわね」

 

 紅玉《プロミネンス》

 

 魔力弾に炎を混ぜ込んだ緋真だけのオリジナル魔力弾だ。

 緋真の最大の持ち味は、火力による破壊力の大きさである。

 魔具も所詮は道具。いずれは朽ち果て、壊れゆく。ならば、最大火力で以て、あれを破壊するほかない。

 辺り一帯の温度が急上昇し、熱気が彩葉たちの肌を撫でる。

 と、緋真の元から紅玉が放たれる。

 

「あれは、まずい……っ!」

 

 守人の経験からして、紅玉がどれほどの破壊力が秘められているかは直感的に分かる。

 この区域から出てしまえば、死人が山のように積みあがることは有に及ばず、周囲が消し飛ぶ。

 利き手である右手で紅玉を捕える。じりじりと魔具が消し炭になっていく。完全に抑え込める範囲外だった。

 かろうじて、右手を振り払って紅玉を隅に投げ遣り炎上する。

 その瞬間を緋真は見逃さない。魔具が擦り切れている。まさに、灼炎の名が垣間見せる状態となっていた。

 朱き螺旋が渦巻く紅玉《プロミネンス》を再度展開し、発射する。

 

「……くそっ」

 

 直撃したように見えた。

 耳を防ぐほどの大爆発が轟き渡った瞬間。噴水の如く、炎が空へと駆け上がる。

 

「今よ! 覇人。お願い! 全員を連れて逃げて」

「ちょっと! お姉ちゃん。また……、あたしを置いて行くの!?」

 

 悲痛の叫びである。

 三年前と同じ状況になりつつあることを蘭は嫌悪した。それだけは避けねばならない。もう二度と、緋真と離れたくはなかった。

 

「これでも戦闘員として三年間生き延びてきたわ。あの時と違って、あたしは戦える」

「知っているわ。お姉ちゃんは蘭の活躍を耳にしていたのよ。けど、ダメよ。私は蘭を巻き込まないように出来る自信がないのよ」

 

 蘭は歯噛みした。

 この惨状。もはや、兵器同士がぶつかり合っているとしか思えない現状に、凶器にもなり得ないような少女に入るべき余地などはない。

 

「彩葉ちゃんたちは優しいし、可愛いし、一緒にいて楽しいのよ。きっと仲良くなれるわ。お姉ちゃんが保証する。だから、私が帰ってくるまで、良い子にして待っているのよ。

 ――必ず、会いに行くわ」

 

 惜しむように、それでいて力づけるように蘭を言い含めた。

 

「必ず、よ」

 

 迷いを振り切った蘭は、崩壊した工事現場の柵へと彩葉たちは足を向ける。その背中に――。

 

「頼んだわよ。彩葉ちゃん!」

「任せて! 蘭ちゃんのことは私たちで守って見せるよ」

 

 遠ざかっていく彩葉たちと入れ違い、守人が火柱から現れ出る。

 

「逃がしたか。だが、まあいい。お前には価値がある。キャパシティの導きの守護者(ゲニウス)よ」

 

 

 劫火――大切な者を守るための災害は許されて然るべきだ。

 

 

 暴虐――善人の民を守るための悪逆は許されて然るべきだ。

 

 

 後付けでいくらでも正当化される理由をナイフみたいに振りかざして、この決死の場に二人だけが取り残される。

 

 地を砕き、天高く燃え上がる焔が注目を浴びる工事現場を後にして、彩葉たちはどこまでも遠くを目指して逃げ去った。



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61話

咲畑町から死にもの狂いで抜け出して、人の手が入らないような森林へと逃げ込んだ。

 空が明るみ始めて、冷気が吹きすさんで私の体の感覚をおかしくさせる。

 覇人を除いた全員が、まるで命を削って気力だけで生きているかのように引きずってきた身体を労わる。

 

 もう、疲れた。

 

 ここまで一睡もしていないし、傷だらけだしで何も考えられない。

 あの後、緋真さんと守人がどうなったのかなんて分からない。気になって仕方がないのに頭が働かない。

 

「……もう、ダメ……」

 

 大木を背もたれにして、ズルズルと座り込む。

 

「私も……です」

 

 隣に茜ちゃんが寄ってくる。手と手とが合わさりあって、身体を密着させた。手を握りしめて、温度を上げる。暖かい。それが生きているんだという何よりの証になった。

 

「俺たちも少し休んでおこうか」

「そうすっか。緋真から連絡が来るまでは動きようがねえしな」

 

 まだまだ余裕を残してそうな覇人と纏が少し距離を離したところで座り込む。前から付き合いのある私たちの輪に入れなさそうにどうしようかと迷っていた蘭が一人、膝を抱え込む。

 

「蘭ちゃん。――こっち。みんなでくっ付いてたらあったかいよ」

 

 手招きで呼び寄せてみる。すると蘭はこっちを見て、よそよそしく私の隣にやってくる。三人で固まって、更に温度が高まった。氷のような凍った手を握って、温度を共有し合う。かじかんだ手が溶けていく。

 そうして深い息を吐いて空を見上げてみる。

 長かった夜が明けようとしていた。

 

 そういえば、日の出ってちゃんと見たことがなかったような。見てみたい。けど……視界が狭まって、暗くなっていく。日の出がはっきりと見えない。

 

 ボロボロになった体も銃弾で撃ち抜かれた肩もどうでもよくなってきた。

 

 

 いまは、ちょっとだけ……目を……閉じていたい。

 

 

「彩葉ちゃん。おはよう」

「……おはよ」

 

 寝ぼけ眼をこすりながら、状況がどんなことになっているのか思い出しつつ、周囲を把握していかないと。

 まず、隣に茜ちゃん。手はしっかりと握られている。少し距離の離れたところで警戒心をむき出しにして木々を眺めている蘭。

 目の前にたき火。その向こう側に。

 

「ゆっくりと眠れたみたいだな」

 

 纏がいた。

 そうか。必死で逃げてここで力尽きるようにして全員が眠り込んだんだった。

 

「あれ? 覇人は」

「覇人なら町に戻って情報収集に行ってるよ。蘭は周辺の状況を見てもらっているところだ」

「そっか」

 

 今頃はきっと、大混乱になっていそうな気がする。あの時点でも逃げる際に大勢の野次馬の間を掻い潜ってきたぐらいだし。

 

「ああ、あんた。やっと起きたの」

 

 私たちの話し声に気づいて、蘭がたき火の前にやってくる。目には魔眼を発動していた。環の数は三。

 あれが視力を表しているということだから、そうとう遠くの方まで見えているんだろうな。

 

「蘭ちゃん。おはよう」

「……」

 

 あれ? 無視? 嫌われているの? まだ、出会って日が浅いから馴染めていないからなのかな。うん。そういうことにしておこう。

 

「そういえば、たき火があるってことは緋真さん。帰ってきてるの?」

 

 緋真さんとのサバイバル生活を送った数日間を思い出す。あの寒い夜の日々、このたき火に何度お世話になったことか。これほど火の存在をありがたく思ったことはない。

 

「ああ、俺が一番に目を覚ましてしまったからな。みんなが起きたときに温かい方がいいと思って用意しておいたんだ」

「一人で?」

「ちょっとした眠気覚ましになったから気にする必要はないぞ」

 

 朝からよく働けるものだね。早く起きたなら二度寝をするよ。普通は。

 

「とてもありがたいですね。……彩葉ちゃんだったら、二度寝しそうですよね」

「え?! なんで分かったの」

「彩葉ちゃんのことなら大体わかりますよ」

「……さすが親友。なんでもお見通しなんだね」

 

 隠し事とか絶対に出来そうにないね、これは。でも、こんなにも理解力のある親友を持ててある意味嬉しい。

 

「一人、昼近くまでゆっくりと寝て。あんた、危機感とか全然ないのね」

 

 いつの間にやらそんな時間になっていたみたい。空を見上げたって、薄暗い雲が覆っているだけだから、時間の感覚なんて分からなかった。

 

「あんなことがあったっていう……実感があまり湧いてこないから、かな」

 

 いまにも降ってきそうな空を眺めながら、つぶやくように漏れた。

 

「あたしに撃たれたその傷があるのによくそんなことが言えるわね」

「そうだけど……あの後、力尽きるように寝てしまったから、まるで夢でも見ていた感覚なんだ」

「いいわね。そう言う風に考えられて」

 

 かなり嫌味っぽく言われた。私がおかしいのかな。

 

「これから一緒に行動をしていくのですから、仲良くやっていきましょうね」

「……」

 

 また、そっぽを向いてしまう。

 仲良くやっていくには時間がかかりそう。でも、大丈夫。こういうのは自然と距離が縮まっていくものだから。諦めなければいいだけ。

 

「――灰色の髪の男が帰ってきたわ」

 

 その魔眼で捉えたんだろう。もう、その状態にしておく必要が無くなったようで、元の瞳に戻った。

 足音が聞こえてくる。

 蘭の言っていた通り、正体は覇人だった。

 

「お、全員起きてるみてえだな」

「おかえりなさい。危険なことはありませんでしたか?」

 

 夫を迎える妻を想像させる対応で茜ちゃんが出迎えた。

 

「いまのところはな。警察が総出で町中に張って、事態を沈静化させたみたいでな。騒動にはなってねえよ」

「随分と対応が早いんだな。もしかして、先日の魔法使いを捕えたときに駆け付けた警察に根回しをしていたのか」

「あの時点でこいつらと戦うことが決まっていたようなものだからね。守人なら町民に被害が少なくなるように対策していてもおかしくないわ」

 

 治安維持組織――警察。

 アンチマジックは魔法使いを倒すための専門組織であって、魔法使いとの戦闘になったら当然、周囲に被害は結構出る。

 そうなったら人々の間に騒動が起きてしまう。それを避けるための裏方みたいな役割が警察。

 裏社会の揉め事は裏社会に通じる人が対応して、表向きの社会には表向きの社会に通じる人たちが対応するってことだったはず。

 アンチマジックと関わる様になったのも魔法使いになってからだ。ちなみに、私は良識のある人間だったから警察のお世話にもなったことはない。

 

「みなさんが無事でホッとしました。あとは、緋真さんと守人さんの戦いはどうなったのかは分からないのですか?」

「……」

 

 覇人は顔を歪めた。しばらくの沈黙のあとで服の内側から一枚の新聞紙を取り出した。

 

「そいつはこれを見てもらった方が早いな」

 

 新聞紙を受け取る。みんなで顔を寄せ合って、一面に書かれた大きな文字が目に飛び込んできた。

 

 

 ――ホテル街全焼。

 

 

 その周りに続く文字を眺めると、事実と違うことが書かれていた。

 内容はこの時期によくある、ストーブによる火災が原因で周囲に伝播していったというものだった。

 

「これって……どういうことなのかな?」

「規模が大きすぎるから、報道規制がかかっているのよ」

「そういうこった。さすがにあれほどの火災を魔法使いの仕業だと報道しちまったら、民間人を驚かせちまうからな」

「あの被害にしては迫力に欠ける記事だとは思うのですが……」

 

 火柱が吹き荒れたり、黒ずんだアスファルトの道路。せっかく改修された建物も無意味に終わってしまっている。まだ新しくなっているはずなのにまるで耐えることすらなかった。そんな光景が白黒の画像から見て取れる。

 嘘を吐くにしても無理がある。

 

「そいつに関しては、緋真がキャパシティ所属の魔法使いっつーことも配慮に入れられてんだろうな」

「四十二区の事件と同じ扱いを受けているということか」

 

 世の中に起きている事件の中には、事実が危険すぎる内容のものは全年齢向けに改竄されてしまう。

 裏社会で暗躍する秘密犯罪組織が起こした全焼なんて、とても聞かせれる話ではない。衝撃が強すぎると、魔法使いに対する恐怖なんかでパニックなったりするから当然の処置なんだね。

 

「でも、これだと。あの戦闘のことは一切触れられていないのじゃあ……」

「読めば分かるぜ。結果がな」

 

 小さい文字で書かれた詳しい詳細の記事を読み進めていく。

 そこで、ある一行から先に目が進まなかった。

 

「――……え?!」

 

 私の一言がみんなを代弁していた。茜ちゃんは口元に手を添えて、視線を新聞紙から外して現実逃避に移ってしまった。蘭と纏は新聞紙に取り込まれているんじゃないかと思うぐらい凝視している。

 私が字面を理解する前に、紙面が濡れた。雪が降ってきて、紙面にふわりと付着しては溶けて染み込んでいった。

 

 それは、彼女への手向けか、追悼か――。

 もしこれが、神以外の何者かが流した涙だと錯覚出来ていたのなら、多分、私もつられて泣いた。

 

 

 ……どうして……こんなことになってしまったの……?

 

 

 つい数時間前まで一緒にいた人が、今では紙面を騒がす記事の一部。

 刻まれている名前を脳が吸収した時、不意に喪失感が襲ってきた。

 

 

 死者一名  穂高緋真

 



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62話

「先日の咲畑町の件。ご苦労だった」

 

 アンチマジック三十一区の統括を任されている責任者の部屋に、二人の男性が労いの言葉に表情を変えることなく立ち尽くす。

 本日、呼ばれた内容をある程度は把握していた天童守人と樹神鎗真にとってはただの社交辞令にしか過ぎない出だしだ。

 

「なに、私は戦闘員としての行動に忠実に従っているだけだ」

 

 魔法使いを狩ることを戦闘員の役目である以上、当然のことと言えば当然だが。強大な相手を一人で打ち取ったとなれば、礼を尽くすほかないだろう。

 

「キャパシティの幹部とやらは全員あれほどの実力を備えてやがるのですか。いちいち戦う度に町を半壊されてちゃあ世話無いですよ」

 

 野原町の雨宮源十郎、咲畑町の穂高緋真。両名によって生死を彷徨い、住む場所を失った町民の被害は多大な物だった。

 毎回のようにこうなってしまってはまるで意味なんてないに等しいのではなかろうか。

 

「犠牲者には申し訳ないが割り切ってもらわざるを得ないな。我々も万能ではない。救えなかった者は少なからずは出てしまうものだ。その埋め合わせとしてこういう手段を取っているのだ」

 

 責任者は手に持っていた新聞を机の上に放り投げた。

 その内容はもちろんの如く、守人と鎗真も把握している。

 

「それも嘘の情報でしょうが。穂高緋真は死亡したのではなく、捕虜としたのでしょう。雨宮源十郎と同様に」

「裏社会に強大な権力を持つキャパシティの幹部だ。長年われわれと争ってきた組織の情報を知る為には活かしておく必要があるからな。それに、こういうことは町民が知る必要はない」

 

 何も知らずに生きていけるということは時と場合によっては幸福だ。

 危険な裏側に首を突っ込ませることはどういった状況になるのか。それが分からない鎗真ではなかったようで、納得はしている。

 

「あの記事を書いたことで一番衝撃を受けたのは組織に連なっている魔法使い共だろう。あとは、あの彼女たちか」

 

 言われて鎗真はすぐに理解できた。ああ、そういうことですかと。

 

「彼女たちを導いた炎が消えたとき、どう行動に出るのか見物だと思わんか」

 

 下卑た笑みを浮かべた守人。魔法使いに対してはこと容赦ない性格だ。

 

「殊羅と月の報告にあった魔法使いだったな。……話を聞く限りでは、そこまで脅威になるとは思えんが、一応用心するように手配はしておくか」

「ええ。私個人としても、少し引っかかることがあるのでな、可能な限り目を張っておいた方がいいだろう」

 

 先日、守人はとある魔法使いに異常なまでに敵意を向けられていた。数々の魔法使いを屠ってきた守人だ。同族である魔法使いからなにかしらの怨みを買っていても然るべきことだが。今回、かんじた違和感はそれではなかった。

 あの灰色の髪をした魔法使いとは、昔どこかで会っている。

 それがどこなのかは思い出せないが、切っ掛けは間違いなくそこに在るはずだ。

 

「彼女たちの対処は追々考えていくとしよう。とりあえず、今回の報酬を受け取ってくれ」

 

 責任者は机の上に置いてあった二つのバッジを手にする。

 銀色に煌めき、それぞれ赤と紫の文字が彫られており、二人は恭しく受け取った。

 

「S級とF級――それがお前たちへの報酬だ」

 

 赤色は最上級の色。武功の数が積み重ねられ、評価されただけの価値があるバッジ。

 対して紫色は最下級の色。零から数字を稼いでいき、一歩を踏み出したばかりの始まりのバッジ。

 

「まさか、俺にもこれを付ける日が来るなんて思いませんでしたよ」

 

 胸に貰ったばかりの紫のバッジを装着し終えた鎗真は、アンチマジックに訪れた日を思い返した。

 

「二名も戦闘員が抜けられてしまっては仕方がないだろうよ。上からの異動命令だ。まあ、よくあることだと思っておけ」

「これで、お前も晴れて魔法使いを狩る側に移れたということだ。良かったじゃあないか」

 

 守人は赤色のバッジを橙色のバッジと取り換えた。何度も何度も取り換えてきた経験を持つ守人は、以前までのバッジを感慨深げにするでもなく無造作にポケットに突っ込んだ。

 

「一応、俺は戦闘員として不採用された身なんですけどね」

「使えそうではあったが、早死にしそうであったのでな。使い捨てにするわけにもいくまい」

 

 戦闘員は毎日のように必ず誰かが死ぬ。そして、新しく戦闘員が補充される。その繰り返しが続く。

 誰でも適当に補充すればいいというわけではない。適性のない者はサポートに回し、死者の数を出来るだけ減らす方向性に持っていく方が遥かに効率がいい。

 だが、それでも戦闘員不足には陥る。使える者がいなければ、サポートを戦闘員に使い回していくしかないのだ。

 

「理由はともかく、お前たちはこれから忙しくなるぞ」

 

 事務的な態度に戻した責任者は、期待の眼差しを浮かべた。

 

「樹神鎗真は監視官からF級戦闘員へと異動。

 天童守人はS級戦闘員への昇格。

 二人には今後の活躍に期待させてもらうよ」

 

 特に喜びに満ちた様子を見せることもなく、だが、それでも期待には応えるつもりはあった。

 その証拠に二人は気のいい返事を返したのだった。

 そうして、用が済み、新たな職場へと向かうべく部屋を出ようと踵を返したところを責任者が呼び止めた。

 

「待て。まだ、話は終わってない。――守人君。君にはこの区画から離れてもらうこととなった」

 

 タイミングを示し合わせたかのように、二人は歩を止めて振り返った。

 

「この周辺の区画はS級の殊羅とA級の月が回収屋捜索の任でしばらく滞在することになってな。ここにS級は二人もいらないという命令だ」

 

 階級は上になっていくほど、数が減っていく。とりわけ、S級なんて位は数名ほどしかいない。

 現状見れば、確かに戦力が集中しすぎていることは言うまでもない。

 

「なるほどな。殊羅がここに来ると言うならば、私の行先は――」

 

 その先は責任者が紡いだ。

 

「魔法使いの被害が最小限に抑えられてきた全四十七区画の中心地にして、最高戦力と上層部が居を構える区画。

 ――二十三区だ」

 

 変わった者と変わらなかった者。

 幾千幾夜の果てに待ち受けた小さな物語達は、個別に終息《エンディング》を迎えた。

 物語を共に紡いできた者たちは、分解されて別の物語へと合流し、あるいは個人の物語へと進み始める。

 今回の一件で裏社会が新しい動きを見せ始めることとなった。



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63話

 緋真の死が魔法使いを、災害が人々を騒がした日々も過去のものになってしまった。悲しい事件ではあったけど、いつまでも後ろ向きでいられるわけではない。裏の世界はどこまでも非情だった。

 いつ、どこでまたアンチマジックと鉢合わせるかも分からないから、私たちはすぐに移動を始めた。

 

 次々と繰り返される朝と夜。

 

 慎重に行動して――ついには三十区最東端の両端《ターミナル》に繋がる高架下まで逃げてこられた。

 周りには特に施設のような類なんてなくて、さすがに誰かと会うこともなかった。絶好の隠れ場とも言える場所で、数日はこうして近辺の様子をうかがいながら生活をしていた。

 頭上では今日も今日とて、二十九区に渡る電車と車が出入り口になっている両端《ターミナル》に吸い込まれていく。あれにも魔法使いが乗っているのだろうかと思案してみたりする。

 

「彩葉ちゃん。二人が帰ってきたみたいですよ」

 

 お、どうやら戻ったみたい。

 二人。というのは、纏と覇人のことだ。

 蘭の便利な魔眼で姿を捉えたみたいで、茜ちゃんが代弁して教えてくれた。

 

「すっかりその眼の使い方に慣れたみたいだね。蘭ちゃん」

「そのちゃんを付けて呼ばないでって言ったわよね」

「似合ってるのに……?」

「そういう呼ばれ方をするのがあたしは嫌だっているのよ」

 

 通常の眼に戻して、ちょっと怒りっぽくなってしまっている。

 嫌っていうよりは、なんだか恥ずかしいから止めてって言っているような感じがした。だけど、これ以上この言い方をすると本当に怒ってしまって、口を聞いてくれなさそうだから止めとこ。

 

「蘭さんが嫌がることをしちゃダメですよ」

「あんたもそんな呼び方じゃなくて、呼び捨てで良いって言ったわよね? それと、敬語も止めてって。なんか、慣れないのよ」

「茜ちゃんの場合はこれが素だから困らせたらかわいそうだよ」

「ごめんなさい。私、家が接客業をしていて、常にお客さんの相手をしていると、これが普通になってしまったので……。タメ口は……その、私が慣れないのです」

 

 うん。そうだと思う。茜ちゃんが敬語じゃなくなる相手と言えば、お母さんと話している時ぐらいしか知らないし。

 前に一度、私と話す時に普通にしてみて! て頼んだことがあるけど、違和感がありすぎて、すぐにいつも通りに戻してもらったことがある。

 

「ああ、もう……っ! 分かったわよ! 好きにしなさいよ。あたしの降参よ」

「ちゃんもオッケー?」

「それは嫌だって言ってるわよね」

 

 降参したのに。これだけは譲れないみたい。仕方ないから諦めるよ。

 連日、降り注いだ雪は何層にも積み重なって、雑草で広がっていた足元を白い道に作り替えていた。

 緑と花で豊かな三十区も雪景色となっているけど、微妙に隠れ切れていない雑草が生命の力強さを訴えているみたい。まるで私たちと同じだ。決して裏の世界に負けたくない。

 重みに耐えきれなくなった木から雪が暴力的に落ちてきた。当たったら痛そうとか思っていたら、ひょっこりと人影が見えた。

 地表に生まれた白い天然物の大地を踏みしめる足音のリズムを伴って、纏と覇人が帰ってきたところだった。

 

「おっと、雪に殺されるかと思ったぜ」

「大げさだな。でも、気を付けてくれよ。さすがに殺されるまではいかなくても、怪我ぐらいはするかもしれないからな」

 

 この区画は木が多いから、降り積もった雪の下敷きになってしまう事故がたまに起きるのである。

 笑いごとで済んで良かった良かった。

 

「おかえりなさい。関所の様子はどうですか?」

 

 出迎えるのは茜ちゃん。もう、これはお約束のようなものになった。

 

「そのことはとりあえず、小屋に戻ってからにしようぜ」

「そうだな。こんなところで話すこともないだろう。彩葉たちも外で待っていて寒かっただろ。一度、暖を取ってからゆっくりと話し合うとしよう」

「賛成」

 

 雪が降り始める。早く帰れと言わんばかりに神様が告げている。

 では、お言葉に甘えて戻らせてもらおうっと。

 

 

 ジャングルと見間違いそうな木々を歩き始める。

 しばらく行けば、途端に広い場所に出てきて。もう随分と古めかしさを感じさせる木造の小屋が建っていた。お洒落な花壇は白い化粧を被ってしまって埋もれてしまっている。それ以外に外を飾る物はなく、寂しげな感じ。

 開けた空を暗い表情をした雲が覆い、綿毛のようにフワフワした雪がゆっくりと舞い落ちる。

 

 息を飲んでしまいそうな――鮮やかで儚い光景。

 

 まるで童話の建物をそっくりそのまま再現したような建物。

 周りがこんな環境じゃなかったら最高にいい物件なのに。欠陥があるからこそ、この建物が映えるんだろうけど、ちょっと残念。

 中に入ってまずは何を置いても暖炉。ここに逃げ込んだ当初に、集めておいた木をくべる。火は覇人がタバコを吸うために持っているライターでつけた。

 凍えた体に温もりが染みてくる。

 

「ここって年数回しか使われていないんだよね。せっかくいい物件なのにもったいなくない?」

「三か月に一回のペースだな。アンチマジックが魔障壁の補修、点検の時に利用するために設立したらしい」

 

 生活感が一切漂っていない部屋には机と台所、あとはベッドぐらいしかない。部屋も二部屋と少ない。少人数の規模でやっているんだね。

 

「区画の外周を防護している壁よ。等間隔にここと似たような小屋が建っているわ」

「大変そうですね。それじゃあ、ここは休憩も兼ねて建てられたということですね」

「にしても、敵の基地みたいなもんだろ。監視とかされてんじゃねえの?」

「雨風しのげたら細かいことはいいじゃん」

「いいのか……それで」

 

 あれ? 不安をさせた? 見つかったらその時はその時で対処したらいいと思うけど。元々私たちは魔法使いという名の悪人に認められているんだし。開き直ってそれっぽく振舞えばいいんじゃない。

 

「それほど重要な施設でもないからしてないわね。魔障壁の調査に日数がかかるから建てたらしいわよ」

 

 魔障壁――見上げてもてっぺんがよく見えないぐらいの高さで、横にも長い。長いと言うより一つになっている。等間隔に小屋が建っているということは、そこまでが調査範囲なんだろう。どのぐらいの距離があるかは分からないけど、ご苦労様。

 役目としては、魔法使いが簡単には区画から逃げ出せない様にしていること。魔法使いを見つけた場合、その区画内だけを探すだけで十分になるからだとか。

 私たちにとっては最大にして難関の障害。

 

 

 そして、もう一つの役目。

 これこそが――数多の魔法使いの逃亡を放棄させた最たる所以。

 

 

「魔障壁ってさ、魔法で壊せないんだよね。それができたらすぐにでも二十九区に渡れるのに」

「さすがに無理だろうな。

 歴史上――ただ一人の魔法使いを除いてな……」

「――! そんな魔法使いがいるのですか? 聞いたこともありませんよ」

 

 茜ちゃんが驚くのも分かる。私だってそんな話を聞いたことがない。壁が壊されるようでは、自由に魔法使いが行き来できてしまうことになる。今の私たちの状況からすればいい話だけど。そうじゃなかったら、最悪な話だ。

 なのに、纏と蘭が平静でいることが気になった。

 

「俺たちを変えたあの日の前日。三十一区と三十区の壁を突破してきた魔法使いがいたらしい」

 

 バイトをしていた時に、商店街で聞いた三十一区の全焼事件を思い出す。

 

 

 炎が町という町を――

 残骸が人という人を――

 

 

 苦しめて、悲しませて、泣かせて、殺して――

 

 

 ただただ、何かを失くしただけの災厄で最悪の紅く燃え尽きた日。

 

 

 その原因は魔法使いの炎の魔法。――次の日も野原町で同じような事件が起きた。どうやら同一人物がやったということだけど。

 そういえば、野原町のことは緋真さんがやったって白状してくれていたっけ。

 

「……あれ? じゃあ、その事件を起こした魔法使いが犯人ってこと? それって――!」

 

 一人、思いつく人がいた――!

 

「キャパシティ一の破壊力を持つ魔法使い。緋真の仕業だ。元々、あいつが小細工使って壁を壊せるかどうかのテストの為だったんだよ。彩葉と茜も一回みたはずだぜ。ほら、管理者の屋敷で緋真が使ったマグマ。あれだな」

「む、無茶苦茶やる人だね……。普段は優しい人なのに。怒らせたら怖いタイプだ」

「確かにあれなら壊せそうですけど、やることが派手すぎますよ……!」

 

 緋真さんの魔法は炎。どんな時に使ってもかなり目立つ。ましてやマグマだなんて自然に発生するもんじゃないし。屋敷で覇人と汐遠さんもあれが目印で助けに来れたって言ってたっけ。

 

「お姉ちゃんは相変わらず大胆なことをやるわね。でも、大体分かったわ。全焼事件はお姉ちゃんを追ってきた戦闘員との戦いで巻き添えを喰らっただけのようね」

「まあ、そうなるわな。あいつ、見境ねえし」

 

 満場一致の納得。ただし、面識のない纏を除く。

 

「その魔法使いがどういう人なのかは知らないけど、俺たちでは真似できそうにないな。となると、俺たちがこの区画の終点から出発地点に立つには、両端《ターミナル》を乗り越えるしか方法はなさそうだ」

「そうね……まさか、キャパシティが隣の区にあったなんてね」

「目的地が近くていいじゃん」

「ですね。

 ――でも、そういうことになりますと、正面突破をするということですか」

 

 壁をよじ登っていくなんてことは当然できないし、やれることなんて一つしかないよね。

 

「あそこを守っているのは二十人ほどの警備兵だったはずよ。あんな騒動のあとだから、戦闘員がいるかもしれないけれどね」

「いや、それらしいやつはいなかったぜ。平常運転って感じだ」

 覇人と纏は両端《ターミナル》の近くまで寄って調査してきてくれた。初めの頃は頻繁に両端《ターミナル》に警備兵や戦闘員が行き来していたけど、それはないらしい。

 結果としてはいつも通り。

 両端《ターミナル》前に二人。残りは中で雑用か事務的な何か。あとは両端《ターミナル》に寄った一般人の応対ってところかな。業務内容なんて知らないけど、そんなところだと思う。

 

「でも、反対側にもいるのですよね。合わせると総勢四十人もいるのですから、無策に行ってしまえば、返り討ちに合いますよ」

 

 茜ちゃんの言うことももっとも。人数的には向こうの方が多い。確実に攻略するには厳しいかもしれない。

 

「その通りだ。正攻法で落とすには無理があり過ぎる。そこでだ――

 両端《ターミナル》には毎日、最終便に貨物列車が通ることになっている」

「毎日ですか? それほど物資が不足しているのですか」

「一般人の滞在スペースもあるのよ。こんな端っこの方だと、簡単には食材なんかを揃えづらいのよ」

 

 あー、なるほど。ここからだと隣町までも結構な距離があるしね。夜に一気に運んでもらう方が楽ってことなんだね。

 

「作戦としては、その貨物列車に密航して直接内部まで運んで行ってもらうってわけだ。あとは最小限の戦闘に抑えて制圧。“接続の道”から先は出たとこ勝負になっちまうが。ま、一番安全なやり方だろうぜ」

 

 接続の道は各区画間を繋げる長い渡り廊下。当然、一本道なのでそこから先は運しだいになるかもしれない。

 

「警備兵とも戦わないといけなさそうだね」

「魔法使いとの戦闘を想定されていない警備兵でも戦闘の訓練は受けている。油断はできる相手じゃない」

 

 警備兵は戦闘員とは違う。一般人が利用する施設なだけあって、警備兵は警察の組織の一部になっている。

 

「私はそのやり方に賛成です。争いはやっぱり……いやです」

 

 茜ちゃんは辛そうに目を伏せた。野原町や咲畑町のことも含めて、争えばロクなことにはならない。茜ちゃんはきっとそれがいやなんだろう。

 

「とりあえずは、攻略できそうね。それじゃあ、あとはあんたたちで頑張りなさいよ。あたしは抜けさせてもらうわ」

 

 話しが纏まってきたところで蘭が一抜けを提案してきた。

 

「抜けるって。どこに行くの? 私たちと付いてくるんじゃないの?」

「いつそんなこと言ったのよ。大体、あたしがあんたたちとなれ合う理由なんてないわ。特に――あんたとはね」

 

 私にするどい眼光を向けてくる。ここ数日で少しは距離が縮まっていると、少なくとも私は思っていたけど、蘭にとっては全然そんなことはなかったっていうの。

 

「蘭さん。彩葉ちゃんは楽天的で適当なところもあるかもしれませんが、私はそんな彩葉ちゃんが好きで、とても頼りになる優しい人なんです。だから仲良くやっていきましょうよ」

「こいつが悪い奴じゃないなんてことぐらい分かっているわよ。……けど、あたしは一緒にいるなんてことはこれ以上は無理よ。あたしが耐えられないわ――っ……!」

 

 ――! 心が締め付けられるように痛む。蘭の本音を聞けた様な気がしたから。

 

「ごめん。……もしかして、わたし……ウザかった?」

「――っ!」

「蘭はいつもわたしのこと遠ざけるけど。でもそれって、恥ずかしいだけなのかなって。

 緋真さんが言ってたんだよ。蘭は「すっごく世話に焼ける子だから迷惑かけるかも」って。そしたらほら! いつも寂しそうにして、元気もなさそうだったから。ここは少しだけお姉さんである私が人肌脱ぐしかないかなって思ってしまって」

 

 流れるように言葉が出た。だってこれが私の本心。

 一緒に眠ったあの夜明け前。蘭は意識していなかっただろうけど、私の手をぎゅっと握って放そうとはしなかった。それどころか暑苦しいほどにくっ付いてきたり。

 頼りになるように振舞っているけど、じつはとっても寂しがり屋で優しい女の子。

 

「あたしだって、あんたのことは嫌いじゃないわよ。――けど、あたしは出来るだけあんたとは関わりたくないのよ」

 

 はっきりと言い切ってそのまま一人でどっかにいってしまった。なにか気の利いたことで呼び止めれたら良かったんだけど、何も思い浮かばなかった。

 

「蘭は優しい女の子だから仕方ないか。本当のことを言ってしまえば、彩葉を傷つけると気遣ったんだろう」

「……え?」

 

 私が傷つく? なんで? どうして? 蘭は私に何かを隠していた?

 

「纏くんは事情を知っているのですね」

「……」

 

 沈黙。それが答え。

 

「ま、だいたい察しはつくっちゃあ付くけどよ。……あの日のことだな」

「同じ魔法使いの覇人なら知っていてもおかしくはないか。

 ああ、そうだよ――あの事件に関わっている」

「ねえ、それって何のことなの? 教えてよ」

 

 蘭との関係を一歩踏み込むためには、何としてでも聞き出さないと。

 

「茜と彩葉。とくに、彩葉にはこの事実を受け止めておかないといけないだろう。多分、彩葉にとっては辛いことだとは思うけど……。

 ――覚悟はしていてくれ」

 

 言葉を切って意思表示の眼差しを向ける。

 大丈夫、覚悟は出来てる。どんな話が出ようとも、ギクシャクした関係のままでいたくない。

 

「野原町の災害時、親父と彩葉の両親が戦い、命を落としたことは知っているとは思うが。

 あの日――彩葉の母親を殺したのは蘭の狙撃だ」

 

 絶句した。てっきり殺したのは天童守人だと思っていたのに。

 私の――勘違い……?

 

「私といるのが辛いってそういうことだったの……。言ってくれれば良かったのに。わたしだけ何も知らずに蘭と一緒にいて、これじゃあ辛かったのは蘭の方だったってこと?!」

「……彩葉ちゃん」

 

 馬鹿じゃないの。

 耐えられないって言ったくせに……私が辛いからって自分はどうでもいいってことなの。あんなにも壊れそうになっていたのに。

 ほんと、緋真さんの言っていた通り、世話の焼ける女の子だ。

 

「人や物、時間に命。この世にある大抵の事柄は自動的に終わっていってくれるものだ。

 だが、そうじゃないこともある」

 

 うん。何となく言いたいことが分かってきたような気がする。

 

「分かるだろう――縁だよ。

 継続させるも、終わらせてしまうことも。これは当事者たちが自発的に解決しないといけないことなんだ。

 彩葉。――君はどうしたい?」

 

 どういう経緯であっても、一度繋がってしまった以上は簡単には切り離したくない。

 蘭がどう思ってくれていようとも、まだ繋がっている。

 終わらない。逃がさない。

 私が認めない限り――。

 

「ちょっと様子を見てくるよ」



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64話

小屋を飛び出して辺りを見回してみる。

 

 どこ――どこ――どこに行ったの。

 

 すっかり日が暮れてしまって、視界には暗く染まった薄気味悪い木々の入り口。

 まだそう遠くには行ってない筈。せめて、どっちに行ったのかだけでも分かれば――。

 手当たり次第に探すしかないかと思ったけど、降り積もって出来上がった雪原には足跡が残っていた。

 これを辿っていった先に蘭がいる。

 行先は一度入ったら二度と出てこれなさそうな悪魔の入り口。だが、ためらうことなく乗り込む。いまは一刻も早く追いかけないと!

 樹海の中を突き進み、すぐに行動に出たことが良かったのか。目当ての人物は呆気なく見つかった。

 目的を見失い、呆然と立ち尽くし。雪を身に纏った蘭はこの自然界に溶け込まれてしまいそうだった。

 

「なに追いかけて来てるのよ」

「足跡残ってたし、追いかけてきてほしかったのかなって」

「そんなわけないでしょ。さっさと戻って、あんたたちはキャパシティに行く準備でもしてなさいよ」

 

 あんな話を聞かされては、そういうわけにはいかない。

 一人、罪悪感を背負い続けた女の子。

 その罪悪感を取り除いてあげられるのは私だけだ。

 いま、解決しておかないと。これからも一生、蘭は背負い続けないといけないんだから。

 

「纏から聞いたよ。蘭が私の母さんを殺したって。それをずっと抱え込んでいたんだよね」

「――そう、聞いたのね」

 

 蘭は俯きながら答えた。やっぱり、事実だったんだ。

 

「追いかけてきたってことは、仇を取りに来たのね」

「そうじゃないよ。少し、話がしたかったから」

 

 間を置かずに、落ち着いた声音で返す。

 

「なによ。あたしはあんたのお母さんを殺した。これは事実よ。それ以外に何があるのよ」

「私たちと一緒に行かない? っていう提案があるんだけど、どう?」

「あんたふざけているの?! あたしはあんたのお母さんの仇よ。そんなやつと一緒にいたいっていうの――!」

「じゃあ、蘭は私たちと離れて一人で生きていくつもりなの?」

「あんたが仇を取らないっていうならそうするわよ」

 

 もちろん、そんなつもりはない。そして、一人で行かせるつもりも当然ない。

 

「この数日間、蘭がどんな気持ちで一緒にいてくれたのかは知らないけど、少なくとも私は楽しかったよ。どうせ行くところなんてないんだしさ、私たちに付いてきた方が楽しいし、一人より全然いいよ」

「それはあんたの勝手でしょ。あたしは嫌よ」

「本当に嫌なら、こんなところまで付いてきてくれないよ。なんで蘭は着いて来ようと思ったの?」

「それは――」

 

 言いよどむ蘭。言葉が見つからないといった様子。

 しばらく自問自答のためか、黙り込んだ蘭を待っていると、伝えたい言葉が見つかったようで口を開いた。

 

「あんたたちが二十九区に渡りたいって話だったから、協力してちょっとでもこの気持ちを和らげたかった……だけなのかもしれないわ」

 

 歯切れが悪い。何とか言い繕ってみたという感じがする。

 

「でも、これ以上は無理よ」

「無理? なんで? これからも協力してくれたらいいじゃん」

 

 人数は多い方がいいしね。

 

「あんたといると、この感情に押し潰されそうになるのよ。いまだってそうよ。こんなことを聞かされていつも変わらずに楽天的でいる。そんなあんたといるだけであたしは胸を締め付けられそうなほどに苦しいのよ」

 

 みれば分かる。必死に悩んで、もうどうしようもなくなったから気楽に生きれる道を選ぼうとしている。

 

 

「だから――逃げ出して一人になるの?」

 

 

 分かっている。私がそういう風に知らない間に蘭を追いこんでいたってことぐらいは。

 だけど、初めて一緒に寝たあの日から、私の中ではもう友達のような感覚になっていた。このままで終わりにしたくない。

 

「一人でだって生きていけるわよ」

 

 その通りかもしれない。緋真さんと蘭はあの四十二区で生活していたのだから。生き延びる手段ぐらいは持っているんだろうけど。

 

「あたしたちは別で行動した方がいいわ。その方がお互いに気持ち的にも楽でしょう」

 

 そんなことはない。そう思っているのは蘭だけだ。

 

「それじゃあね。同じ魔法使い同士、いつかまた会う時が来るわよ」

 

 寂しそうな表情。

 自分で自分を追いつめて、それが最善だと。さも当たり前のように言う。

 私の気持ちを知った風にして、勝手に決めつけて。

 緋真さんが死んで、さらに辛いくせに。

 かつての仲間たちもいまでは全員敵。

 味方なんて誰もいないから、一人で悩んだんだよね。

 だったら私がなるしかないじゃない。

 

 

 なによりも伝えないと――私の気持ちを。

 もっと、もっと踏み込んで。

 

 

 私たちの関係はまだ――スタートラインにすら立っていない。

 

 

「ねえ、聞いて。蘭。私ね、母さんが死んだことに関してはもう、気にしていないんだよ」

「そんな嘘ついてどうするつもりよ。身内が殺されて何も感じないなんて、あんた頭おかしいんじゃない」

「それは違うよ。

 とても、とても悲しかった。

 胸が何度も震えて、嗚咽こぼして、枯れそうになるまで――泣いたんだよ。

 蘭だって緋真さんが亡くなったことを知った時、悲しくて、寂しかったでしょ。

 何も感じない人なんていないよ」

 

 強がっていたのか、それとも壮絶な過去を送ってきた蘭にとっては、もう何度も繰り返されてきたことなのか。蘭は泣かなかった。

 もしかしたら、隠れて泣いていたのかもしれないけど、少なくとも私たちの前では泣かなかった。

 だけど、表情には出ていたんだよ。

 

「辛くはあったけど、緋真さんのおかげで乗り越えた。そのおかげで、復讐とか、恨んだりとかはしなかったんだよ」

「冷たいわね。普通、思うわよ。目の前にいるのよ。あんたのお母さんの仇が。復讐ぐらいはしたくなるはずよ――!」

「だって、そんなことしても意味ないし」

 

 声を少し荒げた蘭が目を見開いた。信じられないことを聞いて驚愕した表情《かお》をしている。

 

「やり返したところで父さんと母さんは悲しむだけだよ。二人は私に立派で元気に育ってくれることを願ってくれているんだから」

 

 手紙に書いてあったこと。私はそのことを忘れない。

 復讐は一番の親不孝な行為だと思っている。

 

「じゃあ、あんたはあたしのことは何とも思わないっていうの?」

「ううん。一つだけ。それだけで私は満足できる」

「結局あるんじゃないのよ。遠慮せずに言いなさいよ。あたしは何だってやってやるわ」

 

 本当に何でもやりそうな勢いを見せているけど、怯えた風にも見える。

 何を言われるのか、親に叱られそうな予感を察知したようなそんな姿。

 

「ごめんなさいって一言いってもらえると嬉しいな。それでこの言い合いはお終い」

「――は……!?」

 

 上手く口が回らずに口パクでなにか言っている。でも無視。先に言いたいことを言いきってやる!

 

「お母さん……蘭の場合は緋真さんかな。どっちでもいいけど、悪いことをしたらまず、謝らないとダメって教わらなかった?」

「それとこれとは悪さのスケールが違うじゃないのよ! あんた、ほんっとーに頭おかしいんじゃないの?」

 

 頭おかしい。頭おかしい。って何回言われるんだろう。自慢じゃないけど、頭がおかしくなったことなんてないし、おかしいとも思っていないんだけどなぁ。

 

「いいんだってば。これで。ほら! 謝るだけでいいんだよ。それで全部終わろう。

 ――ね」

「――いや……その……あんたは本当にそれでいいっていうの?」

 

 ただ、困惑することを隠せない蘭。仕方ない、もうひと押し必要かな。

 

「母さんが死んだのは、魔法使いだから。そして、蘭は戦闘員。この裏社会のルール通り、蘭は当然のことをやっただけだよ。だから、蘭は悪くないし。母さんだって何か悪いことをしたわけじゃない。

 みんな悪くないのに、蘭がそうやって自分を責めるから。ごめんなさいの一言で私は許したいし、蘭も自分を許したらいいんだよ」

 

 自分で自分を締め付けていた鎖を引き千切り、表情がものすごく緩んだような気がした。

 もしかしたら、完全に呆れたのかもしれない。

 

「……本当にあんたって頭おかしいわね。――けど、あんたのそういうところが、あたしを楽にさせてくれたわ。いままで、一人でずっと悩んでいたのが馬鹿らしくなってくるわ」

 

 ゆるんだ表情から、硬い表情へ。

 そうして、聞きたかった言葉が紡がれる。

 

「ごめん。あたしが悪かったわ。

 ――それと、今後も迷惑かけるかもしれないけど、あたしも付いていっていいかしら。あたしと離れてから、お姉ちゃんが所属していたキャパシティに行ってみたいのよ。

 いまさら、ダメ……かしら?」

「全然オッケーだよ。というか、ダメなんて言った覚えなんてないし。蘭が勝手にどっか行こうとしたのが悪いんだから」

「……そうだったわね」

 

 あ、笑顔がこぼれている。

 初めて見せてくれた優しい顔。

 そんな顔がなんだか愛らしかった。

 緋真さんの従妹。笑顔が似ている。そう、思った。

 

「ところで、さっきから覗き見している三人。

 ――もう、解決したから出てきていいわよ」

 

 魔眼を解放して、木々の先を見通しながら蘭が言った。

 私も釣られてそっちを見る。

 三人って、もしかして――。

 

「ばれてしまいました」

「蘭から隠れることは難しそうだな」

「全くだぜ。つか、その眼で見ねえでくれよ。すげえ、迫力あって怖えよ」

 

 ぞろぞろと三人が出てくる。

 覗き見をしていたわりには、全く悪びていない。別に気にはしないけど。

 色々なことを話していたから、全部聞かれていたんだとしたら、恥ずかしい。

 

「そこにいたのなら話は聞いていたわよね。コイツと……えっと、彩葉たちと一緒に行動することにしたわ。よろしくお願いするわ」

「おお、名前で呼んでくれた。一歩前進したね」

「あんたは黙ってなさいよ。調子乗っていると元に戻すわよ」

「もう、戻ってるし」

 

 余計なことを言ったみたい。

 せっかくいい感じになってきたんだし、壊したくない。ご希望通り、ちょっと黙ってよっと。

 

「わたしは歓迎です。みんなと一緒にいた方が賑やかになりますよ」

「いやーしっかし。そうなると相当クセのある面子になっちまったな」

「いや、これはこれでかなり問題がありそうなパーティだと思うのだが……」

 

 うーん、確かに。

 魔法使いが四人。人間が一人。比率もすごいしね。

 

「人間と魔法使いがお互いの素性を知りながらも手を取り合っていることが一番、変わっているね」

 

 あの日をきっかけに、私たちの立場は一変した。でも、何も変わらないこともあった。

 それは私たちの関係性。

 新しい友達も増えて、またみんな揃うことが出来たことが嬉しい。

 

「元戦闘員の姉ちゃんに、戦闘員の裏切り者。それと魔法使いに転職した乙女二人――」

 

 転職って……言い方が嫌だなあ。

 纏も微妙なリアクション。

 あとの二人は普通。なんとも思ってなさそう。

 

「で、この俺だな!」

 

 親指を自分に向けて、何かしらのアピールのポーズ。

 で、どうすればいいんだろう?

 

「あのねえ、あんたの素性が一番知れないのだけど、……ちゃんと紹介したらどうなのよ」

「そうですね。離れ離れになってから分からないことも出てきました」

「ある意味で一番謎が多いかもしれないな」

「そうだね。ということで何か話して」

「お前ら一気に捲し立てすぎだろ」

 

 矢継ぎ早に攻める言葉の数々。

 観念したように覇人は話し始めた。

 

「しゃあねえな。お仲間も増えたことだし、この機会に改めて自己紹介させてもらうとすっか」

 

 真面目な顔つきになった、覇人に全員の注目が集まった。

 そして、覇人は言った。

 

「秘密犯罪結社キャパシティ所属の魔法使い。組織を支える導きの守護者《ゲニうウス》第四番。

 近衛覇人だ。

 ――そういうことでよろしくな」

 

 まるで新学期が始まったばかりのクラスの自己紹介。そんな気軽さで最後に締めくくった。

 

「やっぱりそうなんだ」

「そんな気はしていましたが」

「そんなところだろうとは思ったよ」

「……」

 

 予想していた正体だったことで全員驚きはなかった。

 

「なんだなんだ。もうちょっと、派手なリアクション期待したんだが、さすがに薄すぎじゃねえか」

「同じキャパシティの緋真さんと知り合いみたいでしたし、その辺りから大体の予想は着いてしまいましたので……ごめんなさい。そんなに落ち込まないでください」

「仕方ないって、ヒント多すぎただけだよ」

 

 分かりやすいぐらいにテンションが変わってる。

 私たち、悪くないよね。

 

「ま、まあ。こうしてお互いの関係性が見えたことだ。気を取り直して、全員で協力してあの壁を乗り越えよう」

 

 牢獄のように閉じ込められた三十区から出るには、魔障壁を越えなければいけない。

 それが出来るだけのメンバーがここにいる。

 

「今日はもう遅いから、作戦決行は明日の最終便としよう。

 全員それまでは準備と英気を養っておいてくれ。

 ――俺たちで行こう! 

 壁の向こう側へ――」

 



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65話

 満月が綺麗な夜だった。

 白い銀河を照らす光に酔ったのか、その者は人を殺した。

 躊躇うことなく、好きでやった。

 魔力弾で男だか女だか判別できないような姿に作り替えられた死体。

 両端《ターミナル》へと続く高架に降り積もって出来た雪原が赤く染め上がっていた。

 

 魔法使い――

 暗い感情が押し寄せ、あるいは人格が壊れるか。社会性に合わなくなり、自分で自分の自我を保てなくなり、ついには崩壊した人格者。

 ちょっとしたアクシデントがきっかけで、ふっと湧いた感情に流されてなってしまった者や自ら狂気に憑りつかれていった者など多種多様な理由で堕ちていった。

 男は後者だった。

 

「……今日はまだ、いけるか」

 

 つい最近まで、三十一区全土の裏社会を騒がせていた魔法使いの首謀者格と見られる穂高緋真。

 彼女を追うため、アンチマジックが捜索の範囲を広げていたせいで、男にはストレスが溜まっていた。

 やりたいことをやれなかった苦痛を和らげるには、いささか数が足りないというものである。

 遊び飽きたおもちゃと化した死体を見下ろす。

 また、別の存在を見つけにいかねばと気持ちを切り替えたところに、苛立たし気な声が聞こえた。

「まさか両端《ターミナル》の側に馬鹿がいやがったとはな……。

 ――ち……っ。それもかなりヤバいタイプの方かよ!」

 

 俊敏に声がする方に振り向いた魔法使いの先に、黒い服装に身を固めた若い女性が無防備にも突っ立っていた。

 戦装束に身を包んだ戦闘員であることは黄色のバッジと併せて、魔法使いは判別することが出来た。

 

「ふむ……今度は女か――!」

 

 その口ぶりから察するには、判別不能な死体は男だったのだろう。

 

「かなり殺気立ってるみたいだな。まるで獣かよ」

 

 興奮に耐え切れなくなった魔法使いが魔力弾を撃ち放つ。

 生者《おもちゃ》は遊べるからこそ存在意義を持たれる。

 だが、これはそっとやちょっとでは壊れない頑丈な生者《おもちゃ》だ。

 

 遠慮なく。暴虐的に。

 

 何でもない風景の一つとしか見えていないのか。女性には魔力弾がどう映っているのか?

 呆然として立ち尽くしていた女性は腰に手を当てると、一気にソレを引き抜いた。

 

 

 その刹那、閃く一本の線が奔り抜ける――!!

 

 

 魔力弾は女性に到達するまでもなく、その線状で絡めとって投げ捨てる。

 高架の白い絨毯が爆ぜて、吹雪のように舞った。 

 線は女性の手元へと帰っていき、魔法使いはそれが何のかを把握した。

 握られていたのは鞭だった。

 

「絞殺か……いい趣味だ」

「いや、うちにはコイツもあるんだよ――」

 

 抜き出したのは拳銃。

 片手には鞭。

 もう片手には銃を携え――即発砲。

 

「届かないな……。人殺しに手馴れていないようだ」

「ああ、気にするなよ。うちはめっちゃくちゃ射撃の腕がわるいだけなんだよ」

「それでも拳銃を使うとはね……そうかなるほど、いや失礼。殺し方にもこだわりを持っているような人だとは思っていなかったのでね」

「んなもん持ってねえよ。てめえと一緒だと思うなよ」

「殺人は息をするのと同じことのように、繰り返し、繰り返し行っている集団が言うことじゃないんじゃないか?」

「息してんのと同じだと……。そうかよ。――だったらよ、無意識に殺せるようにその場から動くなよ。うちはなぁ、てめえの言うところの呼吸が上手く出来ないんだよ」

 

 愉悦を浮かべた魔法使いは望み通り動きを止めて的になる。

 

 命のやり取りは遊び。

 

 死ぬか――。

 

 生きるか――。

 

 どっちでもいい。

 

 殺しは楽しいものなんだと理解してもらえれば魔法使いにとってはそれでよかった。

 共感を求めている。

 

 果たして、弾は当たるのか。

 狙いを定めて撃った弾は魔法使いの頬を掠めて、少量の流血だけに留まった。

 

「……っかしぃな? 絶対に当ると思ってたんだけどな、また外れかよ」 

 

 頬を掠めて流れた血を舌で舐め取った魔法使いは、魔法を発動。

 ノコギリを手にして、猛々しく女性に襲い掛かった。

 

「また外れ……か。戦闘員と言ってもまだ赤ん坊のようだ。仕方がない。俺は優しい大人だからな、一から教えてあげようではないか」

 

 リロードして再度、拳銃で狙いながら撃つも全弾外れ。

 見当違いの方向に流れる銃弾になんて恐れる必要はなく、魔法使いはただ、走った――。

 それだけで、ゆうに接近できた魔法使いはノコギリを振りかぶる。

 

「あーあ。――やっぱこっちでいくか」

 

 弾かれるノコギリ。

 女性は鞭で打ち付け、魔法使いの腕にあざを残す。

 波のようにしなった鞭を今度は胴にお見舞いされた魔法使いは、雪原に弾き飛ばされる。

 

「こいつなら当たるんだけどなぁ。なんで拳銃は当たらねえんだか」

 

 相当強く撃ち込まれたのだろう。

 魔法使いはのたうち回って、なんとか這い上がろうともがく。

 それを女性が愉快そうに見守った。

 完全に立場が逆となり果てているように見えるが、魔法使いは強気にも笑みを返してやった。

 

「銃殺を諦めて、絞殺に戻すか。いい、いいね……! 君にはそっちの方が向いていそうだ。だが、しかし。そう簡単に首を取れるかな」

「だからコイツがあるんだろ」

 

 片手に持った拳銃の存在を見せる。

 

「当たりもしないのにか?」

「こうすりゃ当たるだろ」

 

 伸ばされた鞭が魔法使いの体を巻き付け、手元にまで引き戻した。

 

「鞭ってのはな、ただ打ち付けるだけじゃなくて、こうやって縛り付けることもできるんだぜ。

 更に言わせてもらうとな、うちの使う魔具――終末無限の世界蛇(ヨルムンガンド)は伸縮自在ってやつでな。

 だからこうやって簡単に縛ることも出来るんだよ」

 

 両手ごと縛られた魔法使いの体を足で踏みつけ、拳銃を眉間に合わせる。

 かなり近い。

 合わせるというより、零距離といった方が意味合い的には正しいかもしれない距離。

 

「面白い! そんなやり方もあるとは……。俺には思いつきもしなかった」

「空っぽの脳みそじゃあ、そりゃ出てきやしないだろうよ」

「ああ、そうだ。そして、君が新しいやり方を教えてくれた。感謝するよ」

 

 本人は喜々とする。女性からすれば狂った野郎にしか過ぎないが。

 

「そうかい。なら、ありがたく受け取りな」

 

 まるでゴミと対話でもしているのか、ひどく無機質な声を発した。

 

「いい冥土の土産ができたよ」

「じゃあな。そいつ持ってとっとと消え失せて、詫び入れてこい」

 

 一発に納めず、残った数発の弾丸をありったけぶち込んだ。

 超至近距離から放ち、血しぶきが舞う。

 たちまち、雪原が赤く濡れていくが、あとから降り積もっていく雪でいずれ隠れるだろう。

 

 ――あとには何も残らない。自然が証拠をすべて隠滅してくれる。

 

 鞭と拳銃をそれぞれ腰に戻したところで、足音が三つ雪を踏みしめた。

 

「ご苦労様です」

 

 それぞれが蒼い軍服のような服装を身に纏っている。腰に吊るすのは警棒。

 手に持っている懐中電灯が女性を照らしつける。

 その奥側に脳天ぶち抜かれた死体。

 

「タイミングがいいな。ちょうど、終わったところだぜ。コイツの死体、そっちで処理しといてもらっても構わないよな」 

「元より三十区の問題です。わざわざ二十九区の戦闘員の方に手助けしてもらったのですから、後始末ぐらいは任せておいてください」

 

 三人のうち一人が死体に詰め寄って、遺体収納袋を広げだす。そこにもう一人が死体を抱きかかえて袋に突っ込んだ。

 

「じゃ、うちのコッチでの役目は終わりだな。だったら、帰らせてもらうぜ」

「ご協力感謝します」

 

 立ち去ろうとする女性。

 

 その足が不意に止まった。

 

 背筋を駆け上がらせる謎の違和感。

 

 正体の名を知っている――殺気だ。

 

 女性は拳銃を反射的に構えながら、疾く――振り向いた。

 

 あまりの異様さに三人の警備兵が竦みを上げる。だが、照準はその向こう側を狙っていた。

 

「げっ! 気づかれたか。後ろからサクッとやっちまうつもりだったんだけどな。いやー失敗したぜ。まさか、そこまで反応がいいなんてよ。

 お前、結構やり手の戦闘員なんじゃねえか」

 

 声がしてようやく誰に向けられた拳銃なのかを理解した三人の警備兵は、背後に忍び寄っていた人物にスポットを当てる。

 光が目を覆われ、眩しそうにしている近衛覇人の姿が浮かび上がった。

 

「だ、誰だ……?!」

「ばか! てめえら! さっさと離れやがれ!」

 

 怒声が三人を浴びせる。

 動揺し、ただ事ではないと分かったとき。更なる恐怖が三人に襲いかかる。

 鋭く尖った、殺意に満ち溢れている表情を浮かべる覇人がいた。

 

「――遅え」

 

 刹那、空間が歪むと同時に刃を手にした覇人が警備兵の一人を斬り裂いた。立て続けにもう一人の警備兵の首を刎ね飛ばし、土砂降りの朱い雨が降り注ぐ。

 そこで、ようやく惨劇を理解した最後の警備兵が逃げ出そうと背を向けたところに――投擲された刃が心臓を貫いた。

 一瞬の虐殺を見終えたところで女性は怯むことはなく、むしろより警戒心を高めた。

 

「てめえ、何者だ? ただの魔法使いじゃねえだろ」

「通りすがりの魔法使いだ」

「てめえ……っ。うそを吐くならもっとマシな嘘を吐けよ」

「いや、マジだっつーの。強いて言うなら、そこの袋に入っている魔法使いに用があったぐらいだな」

 

 遺体収納袋には魔法使いが入っている。どうやら、それが目的らしい。

 

「お仲間を助けに来たってか。――は………! 笑わせてくれる。こんなくそ野郎でも助ける価値があるなんてな。てめえも頭湧いているみたいだな」

「こいつと一緒にするんじゃねえよ。むしろ、殺してくれたおかげで手間が省けたぐらいだ」

「どういうことだ」

 

 同族の死を喜ぶことはどう考えてもおかしい。

 人間の倫理観で言えば、見ず知らずの他人が事故で亡くなった姿を見て、あいつは死んで良かったと言っているようなものだ。

 

「誰かを殺すことでしか快楽を得られねえようなやつを庇うほど腐った魔法使いじゃねえってことだよ」

 

 快楽殺人。そういった類に入る魔法使いは、表や裏側ですら手を焼くほどの厄介な存在であるらしい。

 どちらの世界においても、早々に処分しなければならないという認識は同じということだ。

 

「そうかよ。だけどな、警備兵を殺したことは言い逃れ出来ないぞ」

「――やるのか? 俺の方がお前よりは強いぜ。B級だろ。そのバッジ」

 

 月で淡く照らされた胸元には、黄色に輝く戦闘員の証がある。

 覇人は以前にA級とS級と対峙している。

 そのことを女性は知らないが、本能が格上だということは理解出来ていた。

 

「だからなんだよ。うちらは敵同士だろ。たとえ、てめえの方が強くてもな。やれるところまではやってやるよ」

「やれやれ、無謀だろ」

「言ってろ。あんまり、うちを舐めるなよ――!」

 

 鞭が躍る。

 さながら、大蛇のように――

 

 覇人は即座に魔法を発動。

 捻じれた空間から半透明状の刃を生み出す。

 

 喰いかからんとする鞭に、餌でもやるように刃を迎え撃たせる。

 直線上に動いた鞭の軌道を逸らすことは叶わなく、女性はその刃を捕えるしかなかった。

 だが、しかし。それこそは覇人の放った罠だ。

 

 餌に絡みついた鞭はその一瞬だけ――動きが止められている。

 

 駆け出した覇人はすでに、女性との距離を詰めようかとしていた。

 

「……くそっ」

 

 毒付きながら、刃を放り投げると迫った覇人の振るった刃を後退して回避。

 だが、それだけに留めない。

 すでに女性の射程圏だ。

 後退しながら、拳銃を取り出して数発発砲。確実に当たる距離。

 しかし、見事なもので覇人は返す刃で斬り伏せた。

 少しの開いた距離は投擲でカバーできる――のだが。

 B級を甘く見過ぎている。振るってからの投擲までの動作に時間がある。その間に体制を立て直して、真っ直ぐに飛ぶ刃ぐらいを躱すことは造作もない。

 

「結構やるじゃねえか」

「うちを舐めるなって言っただろ」

 

 言うだけのことはある。

 B級ではあるが、その中でも飛び抜けて強い。A級に勝るとも劣らない実力だ。

 このままでは、長引くことは必至だろう。

 ここは一気に片を付けるほかない。

 それに、覇人には時間が残されていなかった。

 

 女性には内心、焦りが出ている。

 もうすぐ、最後の時間が来るが。その時までがこれほど長く感じたことはなかったからだ。

 

「悪いな。少し本気出させてもらうぜ」

 

 覇人の全面に横一列として浮かび上がる五本の刃。

 一つ一つが威圧を放ち、その目標先である女性を捉える。

 

 射出は一瞬――

 

 五本同時では鞭如きでは、すべてを防ぎきることは不可能だ。

 ならば、どうするかは必然的に決まっていた。

 女性は柔らかい雪原を横に転げる。

 だが、その先を見据えていた覇人は次の攻撃を仕掛けた。

 

 縦回転をかけた刃を繰り出す。

 

 高速の回転は雪を舞い踊らせ、さながらジェットスキーの軌跡を生み出す。

 迫った一本を鞭で絡めとる。

 

 女性が一連の攻防を退けたときには、飛び上がった雪が風に攫われ、落ちてくる雪と合わさってカーテンのように視界を遮っていた。

 この分では覇人にも見えてはいないはずだ。

 

 果たしてどこに行ったのか。

 

 感覚を研ぎ澄まして、次に来る攻撃に備える女性。

 ――その時だった。

 

 風が哭いた――

 

 雪のカーテンを斬り裂いてきた先は天《そら》。

 予感はしていた。

 こうも視界が悪ければ、見える位置から繰り出すほかには考えられない。

 女性は先ほど鞭で絡めた刃で刃を相殺させる。

 そのまま、先を目指す――

 

 狙うは街灯の頂点に立っている覇人。

 その届く距離。

 

 覇人は飛び上がって躱した後。急降下で叩き付けるように刃を振るった。

 入れ違いに街灯に絡まってくれたおかげで、女性は直撃を喰らう前に終末無限の世界蛇(ヨルムンガンド)の「縮」を使って街灯へと飛び退く。

 空中で振り向きながら街灯の拘束を解いて、着地した覇人へと向けると、ついには腕を捉えることに成功した。

 

「やっと捕まえた」

 

 このまま、いつもの戦術通りに獲物を近寄らせて拳銃で撃ち抜けば決着はつく。

 

 たったそれだけのことであった。

 

 しかし――

 

「戦場では、油断が一瞬の隙になるってことを知らねえみたいだな。

 ――いいぜ。俺が教えてやるよ」

 

 捕まった腕に刃を地面に突き刺して固定すると――

 

 残ったもう片方の腕で終末無限の世界蛇《ヨルムンガンド》を手繰り寄せ始める。

 

「――! な、なんだよそいつは……っ?! 無茶苦茶すぎんだろ! お前……」

 

「縮」の力で対抗するが、惜しくも体を固定していた覇人の力任せさに負ける。

 釣りあげられた魚のように宙へと投げ出される女性。

 

 瞬時――二人は薄暗い闇に灯る光を見た。

 

 まるで夜の向こう側に在る満月のような。

 そんな光が二つ加速して近づいてくる。

 その日、線路としての労働を果たすことになる最終便――貨物列車である。

 同時に、ふたりの戦いの終わりを告げる時間切れの合図でもあった。

 割って入りくる貨物列車の上空に到達した女性は、覇人の腕の拘束を解き、コンテナの上に着地する。

 

「いいタイミングに来てくれた!」

 

 覇人は追うことはなく、そのまま貨物列車が過ぎ去っていく姿を眺める。追う理由すらもないからだ。

 今夜、この場で戦うことになったのは成行きでしかない。

 

「それにしても、あいつ……。最後まで全力を出さなかったな。

 ――あー疲れた……っ! あのままやり合っていたら、間違いなくうちが殺されていたかもな。

 ほんと、いい仕事してくれるよ。サンキューな――」

 

 腰を下ろし、疲労した身体に冷えたコンテナの温度が伝わる。

 火照った状態では丁度いい気持ちになった。

 

 

 貨物列車が去り、一人残された覇人。

 もう、手の届かない距離にまで消えた。

 覇人は未練がましいくらいの声でつぶやいた。

 

「あれが二十九区で活躍するB級戦闘員か。……俺以外ではまともに相手できそうにねえな。いや、そういやあの姉ちゃんはたしか……元C級だったな。てことは、二人だけってことか。

 先行きは明るくなさそうだぜ」

 

 これから向かう先を拠点にしている戦闘員は、思っていたよりは強い。

 だが、ここで争ったことで相手のおおまかな実力が得れたことには運が良かったと言えるかもしれない。

 覇人は転がった死体に目を向けた。

 

「さて、魔法使い(こいつ)はこっちで処分できるとして――この三人はどうしたもんかねぇ」

 

 頭が亡い死体。心臓が亡い死体。胸が亡い死体。

 

 警備兵である三人の死体の駆除は、魔法使いである覇人にはどうすることも出来ない。

 数も多い。陽が明ければ両端《ターミナル》では騒ぎが始まるだろう。

 

「余計なことしちまったな」

 

 凄惨な現場に能天気な声が響く。

 だが、このぐらいのことは裏社会では日常茶飯事である。

 星の数ほどの死体を見てきた覇人は、もう見慣れていた。

 こういうときの対処は放っておくに限る。

 警備兵は表の治安維持組織、警察の一部だ。ならば、ここは表側に任せることが得策である。

 

「とりあえず、こいつは持ち帰っておくか」

 

 話し相手がいないこの現場で、覇人は遺体収納袋を持ち去った。

 

 今日もまた――死体が量産された。

 

 



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66話

 日が昇って、私たちの午前中の行動は、徒歩で咲畑町に向かう。

 覇人は朝起きたらすでにいなく、咲畑町で大人の時間を楽しむとのメモ置きがあったから、私たちもそれに合わせることにしたまでのこと。

 というのは建前で、本音を言うと時間まで暇だし、何よりも前回と違って、今回はみんながいる。

 それだけで行くには十分すぎる理由になった……んだけれども、纏は覇人を探してくると言ったきり着いてすぐに別行動。

 残った女の子組で時間つぶしとなった。

 前回と違って、今回は蘭がいる。

 どうせ、やることもないんだし、いろんなところを回ってみよう。

 

 洋服店で着せ替えしてみたり。

 

 アクセサリーを眺めてみたり。

 

 ゲームセンターなんかを回ってみた。

 

 そうすると、見えてくることもあった。

 

 蘭は、ラフで動きやすい服装が好みみたい。でも、なぜか一回り大きいサイズの服ばかり選んでいた。どうやら、緋真さんのおさがりを着ることが多かったらしくて、そのせいで一回り大きい服ばかり着ていたんだとか。

 

 アクセサリーには興味なし。そういうのとは無縁だったみたいなので、適当なやつで着飾ってあげた。あまりにも似合っていたから、茜ちゃんと褒めちぎっていたら、素っ気なくされた。でも、なんか照れていた。

 本人はずっと戦闘員や四十二区での暮らしもあって、おしゃれとは無縁だったみたいでこういう機会があまりなかったから、いざ女の子らしい付き合いとなったら気恥ずかしさがあるのかもしれない。

 

 あと、ゲームセンターには行ったことがないと言っていたわりには、ものすごく場慣れしている感があった。特にUFOキャッチャーは上手かった。ぬいぐるみとかだと荷物になるから、おやつにと思ってお菓子にしてみたんだけど、これがすごいことにワンコインで大量に落としてくれた。おやつどころか夜食にもいける量。

 土砂崩れのように流れ出てきたお菓子の数々をみて唸ったのは私たちだけでなく、たまたま通りかかった一般人も遠目に驚いた様子をしていた。

 なんだか、誇らしげに蘭を自慢してやりたくもなったけど自重して置いた。

 あまり騒ぎ立てると蘭、怒るしね。怖いし。

 

 手に着替えの服とお菓子の袋をぶら下げて、休憩がてらに喫茶店に入る。

 荷物を置いて、軽い物を頼んでから、一息ついたところで手近にあった雑誌に手を出してみる。

 ちょっと前に話題になったホテル街全焼の記事が掲載されている雑誌も残っていた。そんなことはどうでもよくて、どうせなら最近起きた事件について載っている記事がないかと探していたら――あった。

 

「……なに、この記事……」

 

 ――両端《ターミナル》付近にて三名の遺体

 

「この事件、別の日にも起きてますよ」

 

 茜ちゃんはそのことが載っている記事を見せてくれる。

 

 連日して続く、謎の連続猟奇殺人事件。

 遺体は爆薬のようなもので肉片が飛び散り、大量出血死。あるいは鋭利な刃物で切断されたのち、そのまま放置。ただ、殺人を愉しんでいるだけの快楽殺人鬼の仕業と見られているとのことだった。

 

「……うげ……っ。こんなことをする人がいるなんて信じられない。しかも、これ。わたしたちが隠れているところに近いし」

 

 場所は毎回違っているけど、どれも咲畑町郊外だった。林の中だったり、高架だったりと。

 

「まだ、こんなひどいことが続くようでしたら、ここを出る前に私たちで捕えて、咲畑町の人たちに安心してもらえるようにしておきたいですね」

「――いや、その必要はないわよ。この事件……今日の深夜に解決してるわ」

 

 蘭が記事のある一部分を指示してくれる。その部分を読むと確かに書かれていた。

 

 犯人は死亡していて、しかも自殺をしたとのことらしい。

 

「どういうこと? なんで自殺なんかしたんだろ」

「たぶん、こいつ……魔法使いよ」

 

 周りに聞こえないように、ささやくように蘭が声にだす。犯人に驚きはあったけど、内容が魔法使い絡みなので、ちいさく反応した。

 

「分かるのですか」

「まあね。こんな頭おかしい奴が人であるわけないわよ」

「じゃあ、自殺っていうのは嘘で戦闘員にやられたってことなんだね」

「そういうことになるわね」

 

 こんな人格破綻者のことなんて全然分からないけど、危険人物に間違いない。殺されて良かったというわけではないけど、少なくとも私たちや町の人たちが安全に暮らせるようになったことはいいことだと思う。

 

「殺人が娯楽となった人間……ですか。言われてみれば、普通の人間なわけがないですよね」

「こういう連中は表の社会ルールに縛られることに対して、苛立ちとかストレスがきっかけで魔法使いになっているパターンがほとんどね」

「たしかに、殺人が愉しみになってしまえば、自由気ままに生きれず、窮屈な生活かもしれませんね。その点、裏側に来てしまえば、これが当たり前なんですよね」

「表の規則では警察に取りしまわれて、罰を与えられることになるわ。だけど、こっちではアンチマジックに命を狙われる代わりに、誰も殺人を罪に問うことはないわ。常に誰かが殺し合うんだもの。

 殺人は――合法とされるのよ」

 

 物騒な話になってきた。

 私は魔法使いになってしまってから、みんなとも離れて、辛い想いしかしていないのに。中には、魔法使いになったおかげで楽しく生きていられる人間がいる。

 

 表と裏。

 

 表側って幸せなのかな。

 裏側って幸せなのかな。

 もうどっちがどっちなんだか分からないや。

 

「思ったんだけど、こういう魔法使いがいたら、やりたい放題に生きているってことなんじゃないの。ねえ、もしかしたら、そのうち魔法使いも殺したりするのかな」

「魔法使い殺しなんて実際にあるわよ」

「……やっぱりあるんだ」

 

 蘭は戦闘員としていろんなことをみたり、体験してきたりしてるから、そういうところも見てきてるのかな。

 普通に生活したいのに、人からも命を狙われて、魔法使いからも命を狙われる。

 大抵の魔法使いって生きている心地なんて実感していないんじゃないのかな。そう思うと、人とも魔法使いとも仲良く出来ている私たちって、けっこうおかしな集団かもしれない。

 

「だからこそ、アンチマジックは手当たり次第に魔法使いを殺していくのよ。

 裏側に善悪なんてものはないのよ」

 

 いくつもの死体をその手で築き上げてきたからなのか――

 蘭はひどく無機質で、冷たく、それが当然のように言った。

 その姿は、私たちとは違う血みどろな蘭の人生の一端。

 

「今夜、両端《ターミナル》に挑むときには、その今朝の戦闘員とすれ違うかもしれませんよね。ということは見つかり次第、見境もなく襲われるということになるのでしょうか。出来れば、争いなんてせずに済めばいいのですけど」

「どんな奴が来ていようとも、少なくとも見逃してもらえることはないわ」

「……困りましたね。これじゃあ、一気に両端《ターミナル》の攻略が難しくなりましたね」

 

 段々と雲行きが怪しくなっていく。

 昨日まではけっこう簡単そうだったのに、やっぱり本職がいるとなると場慣れしているから、そう簡単に通れないよね。

 

「暗くなってもしょうがないよ。それにさ、ほら。こっちには元戦闘員の蘭と纏もいるし、意外となんとかなるかもしれないよ」

「……あんたは、ほんとにもう。どれだけ気楽に考えているのよ。

 こっちの区に残っている戦闘員は、A級の天童守人と最強のA級の水蓮月。

 そして――S級の神威殊羅。

 だれと当たってもロクな眼に合わないわよ」

「……あー……そういえばそんな格上しかいなかったね」

「なにも考えてなかったのね」

「でもさ、こっちには覇人がいるよ。月ちゃんと殊羅とも一回戦っているし、私と茜ちゃんも一度殊羅とは戦っているんだし、なんとかなるって」

「あんたたちは手も足も出なかったって聞いてるわよ」

「ボコボコにされて、危機一髪のところで助けてもらいましたもんね」

「それは……うん……そうだけど、これでも私たちだってちょっとは強くなったつもりだし、なんとかなるって。うん。なる……なんとか……ね!」

「不安だわ」

 

 あれから色々あって私の戦闘手段もだいぶ、形になってきている。茜ちゃんだって、魔法の扱い方も上手くなっているし、体力もついてきているから、見違えるほどに成長できているはず。

 

「サバイバル生活もやりましたしね。身も心も以前とは成長できましたから、手も足もでないなんてことにはもう、なりませんよ」

「……はぁ、あんたたちみたいに生きれたら、あたしもよかったのだけれど」

 

 溜息一つ零す蘭。

 幸せが抜けたかのような重い表情をする。

 そこへ見計らっていたようなタイミングで幸せ運ぶウェイターがやってきた。

 机に並べられる食事と甘い物。

 ともかく、これで蓋をさせておこう。

 

「このことは考えてもしょうがないよ。当たって砕けろってことでやっていこうよ」

「そうです。彩葉ちゃんは勢いで殊羅さんと戦っていたのですから、今回もきっと大丈夫ですよ」

 

 加減されていたけどね。でもその通り。あんな感じの戦闘員が待ち構えていると、いまは思っておけばいいよね。

 

「茜が一人だと楽なのだけど、あんたたち二人が揃うと、なんか疲れるわ」

 

 そう言うと、蘭は手元の料理を口に運んでいく作業に入った。私たちもそれを合図として食べ始める。

 うん。おいしい。今度、纏たちも連れてきてあげよう。

 

 

 

 



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67話

 夜が深まっていくにつれて、少しづつ緊張感が表面化し始めてきた。

 昼間に咲畑町で買ってきた、新しい服に着替えていつでも出る準備は整っている。だけど、まだ時間はこない。

 高架下で待ち続けているのも落ち着かないので、散歩がてら茜ちゃんと辺りを歩いてみる。

 ふと見上げた黒い景色には、大小さまざまな光が散らばっている。

 あれはなんていう名前の星なんだろう。

 天体には詳しくないから、ただただ綺麗だなぁと眺めた。どこまでも広がる光たちはあの壁の向こう側にまで続いている。

 

 あっちの方もこんな綺麗な空をしてるのかな?

 

 そんなことを言いながら歩いていたら、上着のフードを被って、高架の柱を背もたれにしながら空を見上げている蘭を見つけた。

 新しい服装をしてる。いままでは戦闘員としての名残で喪服みたいな黒を基調としていたけど――今日からは違う。

 

 魔法使いとして、これから旅立つ服装だ。

 

 だけども上半身は一回りサイズが大きいというところは変わってない。

 

「こんなところで何してるの?」

「別に何も。ただ、綺麗な空だと思っていただけよ」

 

 なんだ、私と同じことを考えていたんだ。

 

「あ、それ着けてるんだ」

「あんたたちが似合ってるっていうからよ。せっかくだし、あたしも年頃らしくしてみようと思っただけ」

 

 首には茜ちゃんと選んだ星が吊ってあるシルバーのネックレス

 記念にということで色違いで買ったブラウンの星が吊ったネックレスを私も首にしている。茜ちゃんは薄い赤。

 

「気に入ってもらえているみたいで良かったです」

「あたしにはこういうのはよく分からないけど、悪くはないと思ってるわ」

「おしゃれなんてノリだよ。ノリ。似合っていればそれでいいんだよ」

 

 私と茜ちゃんもコンクリートでできた柱に背中を預けてくつろぐ。

 そのまま、何を話すでもなく緩やかに過ぎていく時間。

 高架下に漂ってくる満ち満ちた静謐が妙に居心地がいい。

 わたしは頭の中を空っぽにしてこのひと時を味わう。

 満天の空に何を想うわけでもなく、感慨に耽るわけでもなく。

 

 ――ただ、空を見上げる。

 

 心を奪われているかのように――ただ、無心になっていた。

 

 二人はこの瞬間に何を考えているんだろう。

 両隣にいる茜ちゃんと蘭もまた、私と同じように無心になっているのかな。

 

 どう思っているのかは知らないけど――

        共有しているこの空間に――

          奇妙な一体感を覚える時――

 

 まるで、この世にはびこる生命を一切なくして、私たちだけの世界を造っているみたいで。

 世界は三人しかいないんじゃないかと思えるほど。

 

 奪われた心が取り戻されたきっかけは、静寂を壊す音。

 蘭が首にしているネックレスをいじった時に響いたものだった。

 

「あんたたちに聞きたいことがあるんだけど、いいかしら」

 

 ぽつり、と零れる声。

 たったそれだけの声音でもこの場所ではよく通る。

 

「蘭からなんて珍しいね。なに? なんでも聞いていいよ。なんでも答えるよ」

 

 少しの間が空いたあとに蘭は話し出す。

 

「お姉ちゃんとあの咲畑町まで一緒にいたのよね。よかったら、一緒にいたときの話を聞かせてもらえないかしら。

 あんたたちとどんなことをして。

 なにを見て。

 なにを話して。

 あの日、お姉ちゃんとあたしが再会するまでのあんたたちの物語を聞かせてほしいのよ」

 

 私は茜ちゃんと顔を合わす。

 

 私たちと緋真さんの物語。

 

 長いようで短かった日々。

 

 そう錯覚させたのは、一日一日が充実していた何よりの証拠となっている。

 あまりにも多すぎて、何から話せばいいのか選ぶことなんて出来ない。

 

「長くなってしまうと思いますけど、それでもいいですか?」

「いいわよ。時間が来るまでやることがないもの。あんたたちと過ごしたお姉ちゃんの最期まで聞かせて欲しいわ」

「じゃあ――そうだね。何から話そうかな」

 

 ゆっくりと、紐解いていく記憶の一ページ。

 思い返してみれば、本当に沢山のことがあった。

 出会いは、魔法使いになった時だから、この人生が始まったスタートラインからになる。

 

 一緒に料理をして、ご飯を食べたり。

 

 魔法の練習をした時に、勢い余って屋根を焦がしたことがあったり。

 

 病気や怪我を医者のように面倒みてくれたり。

 

 戦闘時には、身を挺して庇ってくれたり。

 

 自然を使った露天風呂なんかを作ってくれたこともあった。

 

 大切で――貴重な体験の数々は、決して忘れるなんて出来ない一生の想い出をくれた。

 溢れ出してくるだけ、茜ちゃんと一緒に語り続けた。

 

 時には羨ましそうにして――

 時には微笑んで――

 時には呆れたり――

 

 私たちなんかよりも、はるかに緋真さんのことを知っている蘭は、実にいろんな反応を見せてくれた。

 

「やっぱり、お姉ちゃんはお姉ちゃんのままね。五年前とまったく変わってないわ」

「四十二区で暮らしてたんだよね。緋真さんから聞いたよ」

「その時から、面倒見が良かったんですね」

 

 蘭を含めて、何人かの世話をしていたって言ってた。だとしたら、今と変わっている部分なんて見つける方が難しいかもね。

 

「なんでも出来る人なのよ。だから、お姉ちゃんは常に誰かと一緒にいたがるのよ。一人だと、いつも寂しがるのよ、あの人は」

「そんなところも含めて、素敵ないいお姉ちゃんじゃないですか。私もあんな世話ができる素敵な人になりたいなと、目標に出来る人です」

「そう言ってもらえると、嬉しいわね」

 

 誇らしげにする蘭。その気持ちは分かるような気がする。あれだけ何でもこなせたら自慢できるような姉だと思う。

 

「それはそうと、あんたたちに迷惑をかける様なことなんてほとんどなかったと思うけど、一応、お姉ちゃんの身内として礼は言わしてもらうわ。

 ――最期までお姉ちゃんと一緒にいてくれてありがとうね」

「礼ならこっちが言いたいぐらいだよ。私たちが魔法使いになって、途方に暮れていたところを拾ってくれたんだから」

「そうらしいわね」

 

 助けて、助けられる関係。

 魔法使いの中でも良い魔法使いと悪い魔法使いがいる。

 それは、人の世界でも言えることなんじゃないかと思う。

 

「今度は、私たちが蘭さんを助けてあげる番ですね」

「なんであんたたちはあたしのことをそんなにも気に掛けるのよ」

「世話の焼ける人だからですよ」

「なによそれ」

「緋真さんの言葉だよ」

「それと、もし会うことがあれば仲良くしてあげてとも言ってましたよ」

「そう……お姉ちゃんがそんなことを……」

 

 緋真さんはいつだって、従妹である蘭のことを気にかけていたのかもしれない。こうして、私たちにお願いをするぐらいだし。

 思い出話に華を咲かせていたら、私たちの頭上の闇を斬り裂くように電車が走って、華が散る。

 流れゆく光を伴って電車は、この先の終点である両端《ターミナル》がある夜へと溶け込んでいった。

 入れ違いに、纏と覇人がやって来る。

 

「やれやれこんなところにいたのかよ。探したぜ」

 

 呆れ気味に言う覇人。どうやら私たちを一生懸命に探してくれていたみたい。息が上がっているようにも見えたことが証明してくれる。もしかしたら、冬によくあるただの白い息かもしれないけど

 どっちでもいっか……でも、勝手に行動して迷惑――かけたかな。

 

「さっきので通常運行の便は終わりだ。そろそろ両端《ターミナル》攻略の準備を始めよう」

「うん。分かった」

 

 次は貨物列車が通る番。これに乗り込んで内部から攻め落とす。

 仮に戦闘が起きたとしても、乗客がいなければ心置きなく戦えるというものだ。

 

 いよいよ、三十区を離れる時が来た――



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68話

 ここは、高架まで伸びる長い木の上。そこに私と茜ちゃんと蘭。

 さすがに五人もここに登れそうにもなかったから、後ろの木には纏と覇人が登っている。

 静けさに包まれた夜に色づく冷気。

 奔る鼓動が落ち着きを失くしていくと共に時間も過ぎていく。

 周りを見渡してみても線路が続いているだけでまだ来る気配もない。予定ではもうそろそろ来てもいいのだけど、ただ待っているだけというのは妙に落ち着かない。

 気を紛らわすように、私は魔眼でずっと両端《ターミナル》を観察している蘭に話しかけてみた。

 

「どう? 様子は? いい感じ?」

「どんな感じよ……。気が散るから、彩葉は黙ってなさいよ」

「あまり適当なことを言って、蘭さんを困らせてはダメですよ」

「はい……ごめんなさい」

 

 当然のように怒られた。というか、茜ちゃんって私と同調してくれるときは蘭が苦労して、蘭に同調した時は私がひどい目にあっている。

 世渡り上手過ぎだよ茜ちゃん。

 事前に打ち合わせをして、蘭の力で見張りの警備兵を沈黙させたあと、騒ぎを聞きつけた中の警備兵を外へとおびき出す作戦となった。

 ただ、欠点としては、私たちには何も見えてないし、何が起こっているのかも分かっているのは蘭しかいないということ。

 どうやら、蘭の魔眼は暗い景色であったとしても、見ている場所が明るければ見えているらしい。

 ここに来た時点で両端《ターミナル》には二人の警備兵が見張っていると蘭から聞いたけど、そこからの進展はほとんどなく、見張りの交代があったぐらい。

 

『蘭、そろそろ約束の時間だ。始めてくれて構わないぞ』

「分かったわ」

 

 通話状態にしていた私の携帯から、周りに聞こえるぐらいの音量で纏の声を発してきた。

 

「彩葉と茜も準備はいいわね」

「うん」

「はい」

 

 目線は両端《ターミナル》から離さない蘭に言葉で返した。向こうにいる纏と覇人にも聞こえていたみたいで、了承の返事が返ってくる。

 いよいよだね。

 

「――行くわ」

 

 伸ばした腕の先から魔力弾を構える。

 いまの蘭は、戦闘員の頃に使っていた狙撃銃のような状態になっているらしい。

 視界を調節して、微弱な魔力すら感知してしまう望遠と索敵の魔眼。そして、魔法使いなら鍛錬しだいでは最強にもなって、最弱にもなる初歩中の初歩である魔力弾。

 瞳が光学照準器と例えるとしたら、腕は銃身のような感覚だって蘭が言ってた。

 

 気配が死んだ自然。

 障害となるものはすべて消えて、感覚を研ぎ澄ますには丁度いい夜。

 

 出来ることは、ただ成行きを見守り、結果を見届けること――!

 

 蘭が狙いすますのは開戦の合図となる二人の鐘。

 横目に眺めて驚く。そこに生命の形が在るというのに、息遣いすら感じられない。

 

 ここにいるのは人間/魔法使い。そのどっちでもないみたい。

 

 いま、目の前にいるのは。人にして人にあらず。

 無機質な武器が鎮座しているという表現が相応しいと呼べる存在。

 

 暗闇に灯った光《いろ》が、その先を見据えてついに――

 

「大丈夫。当たる――!」

 

 破壊の理を担った最強の超々遠距離射撃が猛威を振るい出す――

 立て続けの二連続。

 遅れて遠くの方で爆発音が響いてくる。遅れてわずかに聞こえる悲鳴にも似た声が木霊している。

 

 当たったのかな。私たちではどうにも分からないから蘭にどうなったのか聞こうとしたところで、蘭が振り返る。その顔を見るからには成功したということかな。

 

「成功よ」

「おぉ……! さすがだね!」

 

 周りには木々が建ち並んでいるのに、それでも見事たった二発だけで当てたんだから、すごいと褒め言葉しか出てこないや。

 

「彩葉ちゃん、蘭さん。――来ましたよ」

 

 線路の後方から光が映えてきた。

 ついに来たんだ。

 私たちが乗り込む予定の貨物列車だということはすぐにわかった。

 

「彩葉、茜、蘭。あれだぞ。乗り遅れるなよ」

「分かってるって」

「そんじゃ、コンテナの上で会おうぜ」

 

 携帯を切って、ポケットにしまう。

 もうすぐそこまでやってきている貨物列車に飛び移る為に、私たちは三人で顔を合わせる。

 どうやらみんな心の準備は出来ているみたいだね。

 飛びやすい位置に移動して、落ち着かせる。

 

 大丈夫 ――大丈夫 ――大丈夫。

 

 飛べる ――飛べる ――飛べる。

 

 後ろの木がざわめくと、纏と覇人が飛び出してきた。

 

 次は私たちの番。

 

 良し――! 飛べる――!

 

「行くよみんな――!」

 

 コンテナの上を目指して勢いづけ、一斉に跳び出す――。

 着地した衝撃がコンテナに振動する。思った以上に大きな音が鳴ったけど、どうせこの辺には誰も乗っていないんだし、問題ないはず。

 

「全員乗り移れたな」

「うん。あとは、このまま到着するまで待つだけだね」

 

 足元から伝わってくる列車の振動を味わいながら、列車は出入り口へと向かっていく。

 並走して映る景色は白銀の荒野と白い化粧を纏った木の先端。

 道路にはまばらに足跡やタイヤの跡が残っているから、今日だけでも両端《ターミナル》への出入りはそれなりにあったという証拠になっている。

 

「――! 全員隠れるか、身を潜めて!」

 

 蘭が小声だけど、強制力のある強い語調で警戒をだした。

 

「どうしたのですか?」

「前から人が来るわ。このまま突っ立っていると、すれ違ったときに姿を見られるかもしれないわよ」

 

 それは大変だ。ここまできて失敗する可能性は出来るだけなくしておきたい。

 でも、隠れるか身を潜めろって言われたって、どこにいけばいいの?

 

「この状況を潜り抜けるとしたらあそこしかねえな」

 

 覇人が指示した場所はコンテナとコンテナの隙間。

 

「あんなところか――しょうがない。よし、みんな早く行くんだ――」

 

 纏の合図を元に、コンテナの上から列車の連結部分にある足場に身を滑らせる。

 五人で密着してなんとかギリギリといったところ。

 この隙間なら上にいるよりかは、道路側からしたらいくらかは見えにくい位置になっているはずだから、大丈夫だよね。

 加速していく列車から発生する肌を叩くような強い風が吹きすさぶ。

 隣人のかすかな息遣いを聞きながら、コンテナに張り付いていると、蘭の言った通り懐中電灯で道を照らしている警備兵が来た。

 魔眼を解放した状態の蘭がじっと警備兵を見つめ、やがて安堵の息をもらした。

 

「大丈夫。気づいた様子はなさそうだわ」

 

 良かった。とりあえずは危機は去ったみたいだね。

 

「これで無事に到着できそうだな」

「そうね。けど、安心するのはまだ早いわよ」

 

 その通り。ここからが本番だ。

 このあとに待ち受けているのは難攻の砦。

 事前に二人の警備兵を倒しているとは言っても、まだまだ数は控えている。

 そう簡単には通れることもないだろうし、本当の危機はこれからだった。

 

「両端《ターミナル》の方がどうなっているのか分かんねえのか」

 

 事前に蘭が魔力弾で入り口を見張っていた警備兵を二名無力化したことで、現状がどうなっているのかは知らない。だって私たちでは見えないし、見えるのは蘭だけ。

 

「先に倒した二人とさっきすれ違った二人。そして、入り口前に三人。併せて七人外に出てるわ」

「もう行動に出ているのですか? 早いですね」

 

 こんなところまで動くということは、大体の狙撃地点に気づかれているのかもしれないね。

 

「……それでもまだ、両端《ターミナル》に十三人残っているのか。向こう側と合わせると三十三人いることになるな」

「――いや、三十人だ」

 

 覇人の言葉に私たちが驚く。計算上は纏の言う通りの数字になるはずだけど……

 

「どうして三人減るのですか。警備兵は各両端《ターミナル》に二十人が滞在しているんじゃなかったのですか」

 

 茜ちゃんの正論に覇人は少し黙った後に、口を開いた。

 

「……いや、な。きょう、町の居酒屋で過ごしていた時にたまたま聞いたんだよ」

 

 いないと思ったら、そんなところで時間で潰していたんだ。別にいい……いやあまりよくないんだけど、この際はどうでもいいとして、それが本当だったら三十区側は半分に減っていることになるから、随分と楽になりそうだね。

 

「……まったく。未成年なのに毎度毎度なんかい同じことを注意をしていると思っているんだ。……でも、今回は役に立ったから許すとして、次はないぞ」

「相変わらず硬いねぇ。もちっとこう、大人の愉しみというのもお前も覚えたらどうだよ」

「遠慮しとくよ」

「覇人くんは悪い人です」

 

 全面的に覇人が悪いよね。でも、だれも憎めないから普段よりはあまり責められていないから良かったね。

 

「……」

 

 一人、蘭だけは険しい目つきで覇人を見ていた。魔眼で何かを探る様に、それが妙に気になったけど、すぐに目を逸らしたから私もあまり気にしないでおくことにした。

 

「おしゃべりはそこまでにしといたら。――もう、着くわよ」

 

 緩やかなカーブを抜けると、直線状に天にまでそびえる様な高い壁が見えてきた。こうして真正面から見ると、異様な存在感がある。

 魔法使いを徹底的に拒んできた最恐の護り。

 

 抜けられる場所はただ――一つ。

 

 両端《ターミナル》と呼ばれる出入り口。その中は私たちが唯一切り抜けられる場所にして、区の最後の防衛拠点。

 

「あれが――両端《ターミナル》なんだね」

「関所の頃には何度か来ましたが、改装されてからは初めて来ました」

「外観は変わっているわけでもねえけど、中身はえらく変わっちまってるんだぜ」

 

 壁に大きく空けられている入り口。外観を変えようと思ったら、壁そのものをリニューアルしないといけないもんね。

 

「それでも突破口があそこしかない以上は、俺たちは挑むしかない」

「そうね」

 

 徐々に減速を始めていく列車に合わせて息を殺す。

 そのころには、私の目でも外にいる警備兵の数が見えるようになってきた。

 完全に沈黙している二人の警備兵に一人が寄り添っている。あとの二人は襲撃に警戒しているのか道路を捜索しているのが分かった。

 懐中電灯であっちこっちと照らしているところも見ると、警戒はかなり強そう。

 一瞬、列車の方にも当てられて、寿命が縮むような気がしたけども、私たちが隠れているところには照らされなかったから、とりあえずは何事もなく通り抜けれた。

 

「いよいよだね」

「ああ。必ず……無事に突破しよう――!」

 

 中にいるのは残り十人。

 ここを抜けることはそんなに難しくないはず。

 そして、その先にはまだ見たことがない新しい区。

 立ち向かう私たちは五人。

 相手は二十九区と合わせて三十人。

 

 数は多いけど関係ない、別に相手にする必要はないんだし。

 勝利条件――それは、ただ向こう側に辿り着くことができたら勝ちだということ。

 

 さぁ、切り抜けよう。

 私たちが生きていくために――

 



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69話

 両端《ターミナル》のホーム内は閑散としている。

 ここで今晩を過ごしている旅行客もすでに寝静まっているみたい。

 だからなのかな。足音がやけに響いている。

 明かりが消されているから顔は見えないけど、制服からして多分、警備兵だと思う人物が二人。先頭車両にいる運転手の側までやってきた。

 何やら一言二言と会話をした後に、警備兵と運転手が改札口の方へと歩いていった。

 

「荷ほどきもあるから、ここで一泊してから朝一にここを出ていくつもりよ」

 

 残ったもう一人の警備兵が資材チェックでもするつもりなのか、先頭の方からコンテナの中を確認し始めた。

 

「ね、ねぇ。ここにいたらまずくない?」

「ですね。いつまでもここにいたら見つかってしまいますよ」

 

 しばしの沈黙。そして、纏が口を開いた。

 

「行動を開始するなら今しかなさそうだな」

「まぁ、待て。それなら先に俺が行かせてもらうぜ」

「え?! まさか、一人でいくつもりなの」

「いくら覇人くんがキャパシティの幹部でも危険ですよ」

 

 目の前にいるのはたった三人だけだけど、それでも一人で行かせるのはちょっと、止めざるを得ない。

 

「行かせてやりなさいよ。フォローならあたしがするわ」

 

 閉じていた魔眼を再び開いて、戦闘態勢をとる蘭。

 

「よし……っ! そんじゃ、任せたぜ」

 

 ホームに躍り出た覇人は、背を向けて改札口を抜けようとしている二人に感づかれない様に、一息でコンテナの中をチェックしている警備兵に手刀を浴びせて昏倒させた。

 小さな悲鳴を残した警備兵に気づいた二人はとっさに振り向く――!

 

「――! な!? お前、何者だ――!」

 

 懐に差した警棒を身構えた警備兵は敵意をあらわにして叫ぶ。

 だが、一瞬にして途絶える。

 隣では蘭がすでに魔力弾を撃ちだしたあとだった。

 唐突の襲撃に驚いて、みっともなく改札口を抜けだそうとする運転手を、覇人が手にした半透明の刃で殴りつけて気絶させた。

 

「い、一瞬で終わったね……」

「さすがに二人は場慣れしているな」

 

 静けさを取り戻したホームに降り立って、辺りを見回す。この辺にはもう誰もいなさそうだね。

 

「さ、のんびりしている暇はないわよ。急がないと残った警備兵がこっちに来るわよ」

 

 駆け出して改札口を飛び越えていく蘭と覇人。

 

「茜ちゃん。行くよ――」

 

 しゃがみこんで、気絶した運転手に情を抱いている茜ちゃんに呼びかける。

 

「はい。――巻き込んでしまってごめんなさい」

 

 改札口を抜けると広間に出た。

 内装は石畳で出来ている地面だけを残して、過去の記憶と大きく変わっていた。

 

 以前までなら無骨な受付に、重々しい鉄製の扉。夜には虫が群がるときもあった、壁掛けの蛍光灯。まるで清潔感がなかったんだけど、その面影すらない。

 でも、いまでは洒落っ気のある受付。木製の扉。天井にはめ込まれた照明からは、温かいオレンジ色が淡く石畳を着飾っている。なんというか、ホテルのロビーのような感じ。

 

 完全に観光客をお招きするように改修したような印象。各区画の玄関口としては、それはもう綺麗な方がいいんだろうけど、もう別世界としか思えないよ。

 けど、私的にはこっちのほうが断然いいかな。

 茜ちゃんも変貌ぶりに口を開いて、感傷している。うん、私も同じ気持ちだよ。

 

「二階から残りの八人の警備兵が降りてくるわよ」

 

 さすがにちょっと騒がしすぎたのか、それとも外の様子が気になったのか。蘭は魔眼で観察した状況を教えてくれる。

 

「私が相手をします」

 

 二階に続く階段は、入り口の近くにある。茜ちゃんは、魔法で生みだしたクリスタル状の銃を構えると、ほどなくして警備兵の姿が見えた。

 

「――」

 

 二発の射撃。一発は外れたけど、二発目は見事に肩を貫いた。そのまま、手すりに体が傾いていって落下する。

 あまり高くなかったのがせめてもの運。たぶん、骨折ぐらいで済んでいると思う。

 茜ちゃんは、ちょっと心を痛める様な表情をする。いくら敵だからと言っても、やっぱり無関係な人を傷つけることには抵抗があるんだね。きっと良心が痛んでいるんだ。

 

「まさか、魔法使いか――!? くそ、二十九側に連絡を取れ!」

 

 階段から怒号が聞こえる。

 夜の静けさが一気に目を覚まして、途端に騒がしくなる玄関口。

 敵意をあらわにした警備兵が警棒を構えて現れる。

 同時に、外で捜索していた警備兵が騒ぎに気づいて戻ってこようとする。

 

「これって、ピンチなんじゃないの。どうする? アレは無視して、さっさと二十九区側に逃げ込んじゃおうか?」

「で、でもそれだと追いつかれてしまったら、挟み撃ちに合いますよ」

 

 まだ見えないけど、増援を呼んでいたから、後ろ側からも襲われる危険性が出てきてる。

 立ち止まっていても挟み撃ち。進んでも挟み撃ち。

 しかもあっちにはまだ、二十人もいるからかなり状況は悪くなってきてる。

 出来れば、残った警備兵を倒して前へと進む方がいいんだけど、あまりゆっくりと相手にもしていられない。

 

「全員で前の警備兵を全力で倒してから、さっさと橋を渡ってしまうよ」

「そうするしかなさそうですね」

 

 私は刀を創って、茜ちゃんは銃を手にする。 

 

「待ちなさい――! あたしが一気に正面を蹴散らすわ」

「どうするつもりなんだ」

 

 正面というのは、階段にいる三人とその辺に潜んでいる四人の警備兵。そして、いまこっちに向かってきている五人の警備兵。

 

 占めて――十二人。

 

 いくらなんでも数的に無理なんじゃないかなと纏と同じく思う。

 

「――こうするのよ!」

 

 手の平から撃ち出されたのは魔力による光線。

 両端《ターミナル》のロビーの天井を横なぎに払っていき、やがてはすぐそばにある階段にまで――

 

 破壊/開拓/浪費の三拍子を担った脅威が軌跡を描き切る――!

 

 崩落の悲鳴と絶望の悲鳴が重なり合い、悲痛の叫びとなってロビーを震わす。

 入り口は塞がれた状態となって、外にいる警備兵はこちら側に来れなくなった。ついでに、二階にいた警備兵も崩落とともに全員落下して、下敷きに――

 

 その暴力を――私たちは目に灼き付けていた。

 

 単純に魔力を凝縮させる魔力弾とは比べものならない上位の技術《センス》。

 魔力弾自体をうまく使いこなせていないからこそ、その難しさが分かる。

 

 凝縮ではなく、放出――。

 

 内側から練り上げた魔力を固めるぐらいなら、得手不得手の領域。だけど、これはそこからはみ出た極みの境地。

 

 光線は、常に一定量の魔力を絶え間なく流し続けなければいけない。稼働を止めない魔力は、疲弊を生みだすだけ。

 例えるならマラソン。それは、ただひたすらに体力を消費し続けることと同義の結果を残すこととなる。

 変幻自在に威力を調節することが強みとなる魔力弾とは違って、魔力砲は体力が持ち続ける限り、半永久的に持続する。

 

「ら、蘭さん! やり過ぎですよっ!」

「大丈夫よ。全員死んでいないわ」

 

 蘭の魔眼では、瓦礫の中に魔力が検知されたらしい。私ではまず分からない。

 魔法使いではなかったとしても、人だったら誰でも微量の魔力は持ち合わせてるから、それが検知されたのなら。状態はどうであれ、生きていることは間違いない。

 

 ひとまずは……助かったの……かな? 私たちも襲われることもなくなったし、警備兵も生きているみたいだし、これで良かったということにしとこ。あまり考えすぎても裏の世界ではもう常識が通じるとも思えないしね。

 

「ねえ、蘭……これはやっぱりやりすぎだと私もいま、思ったよ」

「奇遇だな、俺もだぜ」 

 

 この騒音のなかで、眠りについていた観光客が「何事だ!」と心配気味に部屋から溢れてくる。

 子連れの親は子供を部屋に押し返して、大人たちはみんな一様に崩落した入り口に目を向けた。

 騒ぎは波紋のように広がって、あちらこちらの扉が開かれてはロビーに人が密集し始めてる。

 

「この場を鎮めないとまずいな。この人たちを巻き込んでしまうぞ」

「そんなことになってしまっては大問題ですよ」

 

 さながら町の喧騒のようになっていって、もはやちょっとやそっとじゃ収まりそうにもなくなってきた。

 

「よっし! ここは俺に任せときな!」

 

 覇人は一歩前に出て、一声上げた。

 

「安心しな。俺たちはアンチマジックだ!」

 

 真っ赤な嘘を堂々と宣言して、私たちは唖然となる。その反応とは真逆に聴取の様子に切り替わった野次馬たち。

 

「覇人くん! いきなり何を言っているのですか!」

「嘘つくのっていいの? 後々、アンチマジックにばれたりすると、大事になりそうなんだけど」

「嘘じゃねえよ。な、纏。見せてやれよ」

「――え?」

「これよ、これ。あんたも一応、まだ持っているのでしょう」

「あ、ああ……これか」

 

 蘭と纏が取り出したのはアンチマジックのバッジ。

 私が綺麗に真っ二つに斬った纏のバッジはそのままで、チャックのついた袋に入った状態で見せびらかす。

 それにしても、蘭は「元」戦闘員なんじゃなかったっけ? あ、纏も「元」だったね。

 もちろん、そんなことを知らない野次馬たちは信じてしまう。

 

「俺たちがいるってことはもう分かっちゃあいると思うが、魔法使いとの戦闘が始まっている。俺たちが連中を仕留めるまでは、全員部屋に立て籠もってな」

 

 集まれば早ければ、解散も早い。まるで、潮が引くように野次馬たちは帰っていく。

 魔法使いの脅威は、メディアで報じられている通りのこと。人々はただ、無事に平和を造ってもらうことに身を任せるしか何もできないのだから。

 

「やり方はともかく、一応なんとかなったね」

「よくとっさに思いつくもんだわ」

 

 思いっきり騙していたことになるんだけど、まあいいよね。結果的にお互いにいい形で落ち着いたんだし。

 

「どうよ、俺の悪知恵は――! 役にたっただろ」

「……まったく。そういうことに関しては頭の回転が速いんだな。でも、礼は言わせてもらうよ。覇人のおかげで無事に切り抜けれた。ありがとう」

「ま、お前もちょっとは理解できただろ。これが大人の世界での生き抜き方だ」

「だからって、真似して酒やギャンブルに手を出す気はないぞ。俺は、誠実に生きていくって決めているんだからな」

「真面目だねぇ」

 

 本当にそう思うよ。

 覇人ほどとはいえ、もうちょっと適当に生きてみればいいのに……。

 でも、こういう人が一人はいてくれないと、このチームはどんどんカオスになっていきそう。

 

「……いつまで話し込んでいるのよ。先、行くわよ」

「待ってよ……置いてかないでって」

「蘭さん、一人で先に行くと危険ですよ」

 

 覇人と纏のやり取りに付き合いきれなくなった、というよりも多分興味もなさそうな蘭は、接続の橋へと向かう。

 こっちはこっちで単独行動に出ようとするから、あっちこっちと振り回される。

 

「ここで立ち止まっていても仕方がないな。せっかく覇人が好機を作ってくれたんだ。今は先を急ごう」

 

 石畳となったロビーから接続の橋を遮っている、開閉バーを跨ぐ。

 目前に迫った接続の橋からは再びアスファルトで出来た道路に切り替わった。二車線の幅に加えて、線路が敷かれている。

 周囲は安全のためにガラス壁が天井まで覆っており、橋というよりは長い渡り廊下のよう。

 空を見上げれば満天の星々が照明代わりにもなっていて、まるでプラネタリウムみたい。

 横を眺めれば視界一杯に広がる黒い海。こんな静かな深夜では、波打つ音色が一層際立って、目を閉じれば優しい子守唄のように聞こえる。

 

「海なんて久しぶりに見たよ」

「ここじゃないと見れない景色ですよね」

「前はトンネルみたいだったけど、ガラスに変えたおかげで観光客が一気に増えたのよね」

「あんときは両端《ターミナル》の屋上に登らねえと見れない景色だったしな」

「そう考えると、この改装はかなり良い仕事をしたみたいだな」

 

 区画内には川や池、湖があったとしても海はない。なぜかというと、魔障壁が囲っているから。

 だから、唯一この場所だけが海を拝むことができる特別な場所になっているため、観光名所の一つとして数えられるようになったんだよ。

 とは言っても、ほかに何かがあるのかと言われると何もないから、私はこの場所に来ることなんてほとんどない。

 だって、わざわざ海だけを眺めるためだけにこんな区画の端っこまで行こうとなんて思わないし。

 そんな目的を持っている人は大抵、ロマンチストな思考をしているカップル。月の綺麗な夜だと、星も散らばっている。ベタだけど、私もそんな人たちと同類だったりするんだよね。なんかいいよね、そういうの。

 

「全員、止まって――。来たわ」

「こりゃ、大勢いやがるな」

 

 橋を渡っていくと、見えてきたのは大勢の人影。

 服装からして、警備兵だということが分かる。ということは、多分、二十人が待ち構えているということになる。

 

「やっぱり、避けては通れないみたいですね」

「だが、ここを通らなければ明日は来ない」

 

 茜ちゃんが銃を構え。

 蘭が魔眼で見据える。

 そして、覇人が半透明状の刃を手に執る。

 臨戦体制になった私たちに対して、警備兵たちからどよめきの声が走った。

 とりあえずはといった雰囲気で警棒を構えている。

 警備兵の本分は魔法使いとの戦闘ではないから、対処のしようがないし、どう戦えばいいのかも分からないに違いない。

 

 そこに私たちの勝機があるはず――

 

「ん? 一人、別格のやつが潜んでいるみたいだぜ」

「――え。いるの? そんな人」

 

 全員、一様にして同じ構えをしているのに、私には分からない。あ、もしかすると、真ん中に少し装飾の違った偉そうな人。二十九区の両端《ターミナル》の責任者だと思うからその人かもしれないね。

 

「――! 気を付けるのよ。一人、最悪な奴がいるわ」

 

 人影が割れて、明らかに異質な人物が現れる。

 

 服装も違う。喪服みたいな色を身に纏った戦装束。

 何度も襲われて、その色から逃げてきた。

 とうとう、こんなところでまで出会うことになるなんて。

 見慣れたその姿は、アンチマジックの魔法使い殲滅部隊――戦闘員だった。

 

「よう、久しぶりにみる顔だと思ったら、やっぱ蘭だったか。と、そっちの野郎は先日の……」

「あの姉ちゃんか。とっくに帰っちまったんじゃねえのかよ」

「覇人。知っているのか?」

「昨日、ちょっとあってな。ま、気にすんな」

 

 なんか怪しい。そういえば、夜から今日の朝にかけていなかったから、その時間に何かあったんだろうね。

 

「――柚子瑠《ゆずる》……あんたとこんなところでまた会えるなんてね。思っても見なかったわ」

 

 感動の再会? には見えないけど、一体……。

 

「誰? 蘭の知り合い?」

「見たところ、戦闘員だと思いますけど……蘭さんの戦闘員時代での付き合いのあった人なんですか」

 

 事情を窺う眼差しを向ける。

 

「華南柚子瑠(かなんゆずる)。元三十区所属の戦闘員よ。そして、あたしと同期でもあるわ」

「その同期がそっち側に堕ちるとは、聞いた時は何かの冗談かと思ったよ」

「……一通りの事情は知っているみたいね」

「まあな」

 

 蘭とは違って、ちょっとおっかない感じがする。蘭もおっかないといえばそうなんだけど、また違う雰囲気。なんというか、暴力的な印象。適当に茶化したりすると多分、受け付けてくれない感じ。

 

「B級戦闘員のあんたがわざわざこんな端っこの方まで見回りに来るなんてね。そっちは暇なのかしら」

「あ? そんなわけないだろ。てめえんとこの区が人手不足だって嘆くから、使いに出されてやったんだよ。で、その帰りってところでこの状況ってわけ」

「そう。それは迷惑をかけたわね」

「ほんといい迷惑だよ。戦闘員が二人も抜けて、守人とかいうクソ真面目そうないけ好かない野郎が異動するわで、いまそっちには監視官上がりの戦闘員しかいないんだろ」

「……! なによそれ。守人って異動したの? それに、監視官上がりって、まさか鎗真のこと?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。割り込んで済まないんだが、親父が異動ってどういうことなんだ?」

 

 纏のお父さんである天童守人は、ずっと三十区にいる戦闘員。纏と二人暮らしだから、いままでは離れることが出来なかったということ。

 その息子である纏が親から離れたんだから、異動したってことなのかな。

 

「そいつがクソ真面目の息子で、裏切りの戦闘員だったか」

「俺のことは、いまは置いといてくれ。それより親父のことについて教えてほしいんだ」

「そっちで起きた魔法使い騒動の解決後に、S級に昇格したついでに、中心地の二十三区に行ったぜ。鎗真とかいう奴は守人の後釜ってことだろうな」

 

 一旦、整理してみよう。

 

 天童守人がS級で異動。

 鎗真っていう誰か知らない人が戦闘員なり立て。

 蘭が魔法使いになって私たちの大切な友達になって。

 纏がアンチマジックを裏切ったことになっているということだね。

 

「じゃあ、三十区にいる戦闘員はその鎗真って人と月ちゃん、殊羅だけになるの?」

「ううん。月ちゃんと殊羅さんは回収屋という魔法使いを探して、あっちこっちと行き来しているみたいだから、三十区にいるとは限らないと思いますよ」

 

 そういえば、そんなこと言ってたね。月ちゃんと殊羅ももう、ここにはいない可能性もあるんだね。

 

「……あーあ。まったく……てめえらのせいで、うちはこれから残業に入ることになってしまったんだからよ。

 責任取っててめえら全員――大人しく捕まってくれるぐらいのことはしてくれよ――」

 

 腰元から取り出した鞭を激しく地面に打ち付ける。

 小気味いい音がなって、闘争心をむき出しにしてくる。

 

「同期のよしみで逃がしてくれたりはしないのかしら」

「甘いこと言ってるんじゃねえぞ――どっちかというとうちは、一度てめえとは力比べがしてみたかったからな。丁度いい機会だぜ」

 

 続いて、反対側の手に拳銃を構える。

 雨と鞭ではなく、銃と鞭。

 ただただ、暴力しか見せつけないね。

 

「終末無限の世界蛇《ヨルムンガンド》――。あの鞭は伸縮自在の鞭よ。どこまで逃げても追ってくるから気を付けるのよ」

「何言ってるの。私たちは逃げも隠れもする気なんてないでしょ。

 だって、前しか行く場所がないんだから――!」

 

 私は刀を創造する。

 白と黒の私が造りだす一振り。

 何色にも染まれる白紙。

 切り開かなければ色彩は乗らない。

 つまり、何もしなければ白紙のままだということ。

 斬るのは行き損ねるという絶望だけ。

 その色だけで十分。

 先行き明るい未来のために――

 この刀を希望で塗り替えてみせる。

 

「ああ、その通りだな。

 ――たとえ、誰が相手であったとしても、降りかかる火の粉は払ってみせる」

 

 纏は背中に担いでいた竹刀袋から太刀を抜き取る。

 夜に咲いた星の光が降り注ぎ、光沢のある黒塗りの太刀が淡く濡れる。

 

 

「魔法使いが四人と散り行く輝石の剣(クラウ・ソラス)の使い手かよ。いいモノを使わせてもらえてんだな。

 ――これはうちらの方に分が悪いな。けど、てめえらはここから生かすわけにいかねえんだよ。

 覚悟しな――! 一人、二人ぐらいの命は貰っていかせてもらうぜ」

 



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70話

 陣形は大きく乱れ行く。

 彩葉、纏が己が刀剣を手に執りながら、敵陣へと突進し。その後に、覇人が半透明の刃を携え、そのさらに後方に銃を構えた茜と魔眼で見据えた蘭が付いていく。

 その動きに合わせ、二十人の警備兵も動き出した。

 まずは、小手調べとばかりに十人が迫って来る。

 ガラス箱の観測者からすれば、これをどう捉えるべきなのか。

 

 災害に挑む愚かな人――

 殺し屋に首を差し出す自殺志願者――

 

 橋の上では――いま、まさに十人と二人が武器を交えようとしていた。

 

 だが、相手は所詮警備兵。

 対魔法使い戦に特化された部隊ではない。

 警棒が纏の太刀とぶつかり合うが、魔法使いではないとはいっても、根本的に格が違った。

 魔具――散りゆく輝石の剣(クラウ・ソラス)で警備兵を薙ぎ払う。

 防御として構えた警棒は、ただの棒切れとしか機能はせず、みっともなく床に体を擦りながら転がった。

 彩葉も負けじと、襲い掛かる警備兵の攻撃を華麗に避けては斬り伏せていく。

 

「ねえ、相談なんだけど。殺すのは止めとかない? 魔法使いの評価をこれ以上落としたくないし……」

「ああ、それでいいさ。俺だってそんなことはしたくない」

「つっても、半殺しの時点で評価わりぃけどな」

「それはそれ。向かってくるんだから正当防衛ってことで。とにかく、相手の身動きが取れない程度までにしとこう」

 

 もうすでに魔法使いは絶対悪という印象が世間には付いているが、彩葉にとってはそうではなかった。

 魔法使いの中にも色々いる。それを知ったからだ。

 

 例えば、自分の両親。

 例えば、穂高緋真。

 例えば、いま、隣り合っている仲間たち。

 

 先日のような凶悪な魔法使いもいれば、そうではない魔法使いもいるのだ。

 

「まずい! 一人抜けられた」

 

 さすがに十人を一気に相手にするには厳しすぎた。

 彩葉と纏の前衛を抜けた警備兵が覇人へと牙をむく。

 しかし、その過ちに気づけるわけがなかった。

 

「行かせるかよ――」

 

 刃状の透明物質で腹部を突き刺し、勢いを殺すことなく線路と道路を分け隔てている柵へと杭で差し押さえるように叩き付けた。

 標本みたいにされた人体が柵を飾る。

 血反吐はいて、うめき声を漏らしていたところをみると生きてはいる。

 

 いまは――まだ。

 

 いずれは大量出血で死ぬことは間違いない無しといったところか。

 このメンバーの中でも突出した力を持った、覇人の無情な一撃が残った警備兵を黙らせる。

 誰もが慄いた一瞬だった。

 

「や、やりすぎじゃないですか……」

 

 その気持ちを理解できるという共感を持てた者は果たしてこの場で何人いただろうか。

 

「……ボサッとするなよ」

 

 状況の動きに気づいたのは蘭だった。

 魔力弾を彩葉目がけて撃ち放つと、そこに迫っていた終末無限の世界蛇(ヨルムンガンド)に絡めとらせる。

 

「……ちっ! やっぱ、てめえが動くよな。蘭」

「あたしの眼を甘く見ないでほしいわ」

 

 彼女らもまた、戦場の場数を踏んでいるだけあって、この膠着した状態を見逃す手はなかった。

 

「殺したくないって気持ちも分からねえわけでもないけどな、プロもいるってことを忘れんなよ」

「そうよ。出来る範囲で手助けはするけど、さすがに毎回は約束できないわよ」

「う……うん。気を付けるよ」

「ごめんなさい。こういう時こそ、後方の私がしっかりしないといけませんよね」

 

 覇人の忠告と今しがたの命拾いを体験した彩葉たちは、ここが命の取り合いの場だという認識に持ち直した。

 もう二度とヘマをするわけにはいかない。

 一瞬、一瞬を見極めて行動をすることこそがこの場で生き残る為に必要な手段である。

 

「茜。あたしたちは援護に徹するわよ。よく、状況を見ておきなさい」

「はい!」

 

 残った敵が一斉に猛攻撃を仕掛ける。

 こちら側は数が五人と少なめだが、優秀なバックアップと中衛がいる。前衛の戦力に乏しさを感じさせるが、この程度の敵ならば彩葉と纏でも十分戦える相手ではある。

 

 一対一で圧倒しながら斬り伏せる纏。

 回避を軸に戦う彩葉は、向かってくる敵の攻撃を流れるように避け、抜けざまに一撃浴びせる。

 

 しかし、彩葉の刀は軽すぎるゆえに、痛みをこらえて、転びそうになりながら抜けていく警備兵も少なからずいた。

 その先に待ち受けていた覇人が弱った連中にとどめとばかりに刃状の物質でぶん殴る。無傷で抜けてきた敵には斬り伏せ、大地に転がる。覇人の後方には倒れ伏した警備兵が量産されるだけだった。

 ある程度減らしていったところで、その道のプロが動きをみせた。

 柚子瑠の鞭は警備兵が彩葉たちに寄ってたかっているうちでは、真価を発揮できなかったから手を出す機会をうかがっていたのだ。

 

「……やばっ!」

 

 蛇のように這いずって来る鞭をどう対処するべきか。

 受けよりも躱す方が得意な彩葉は、もちろん回避に出た。

 ガラス張りになっている壁を蹴りあげて、宙がえりに飛び上がる。壁にバネでも埋まっているのではないかと錯覚するような鮮やかさが映える。

 方向転換の利かない鞭はアーチ状に飛んだ彩葉の下を虚しく潜っていく。

 攻撃に特化している柚子瑠にとっては、そうくるとは思っていなかったために一瞬、目を奪われた。

 いまこそ、反撃の時だ。

 驚異的な跳躍を成し遂げた彩葉はとっさに手に刀を造りあげると、柚子瑠に投擲する。

 矢のように飛んだ刀と伸縮自在の鞭の縮む速度。

 

 さて、どちらが速いか――

 

 答えはすぐに出た。

 捩った身体に靡いた頭髪が散ったことを柚子瑠は感じ取る。

 そうだ、間に合わなかった。しかし、手遅れになるのかといえばそうではない。実力のなせる判断が自身を救う結果に落ち着けたのだ。

 だが、彩葉には気を抜く暇すら与えられなかった。

 着地と同時に、警備兵が二人警棒で殴りかかって来る。

 

「――――!」

 

 両手に刀を携えた彩葉は、しゃがみこんだ状態から回転を加えて切り刻みながら跳躍。鮮やかな剣舞を魅せた彩葉はついに体力の限界か、一瞬の隙が作られた。

 そこへもう一人、警備兵が畳みかけようとするが、その一撃は彩葉を襲うことはなかった。

 

「今度はちゃんと守れたみたいですね」

 

 先ほどの失態を取り返した茜は怪我のない彩葉にホッとする。

 銃を生みだした魔法から魔力の弾丸が胸を狙い撃ち、彩葉を救うことが出来たのだ。

 

「さすがに噂の魔法使いだけあって、舐めてかからない方が身のためってか。クソ、厄介な連中が野放しにされていたもんだぜ」

 

 悪態を呟く柚子瑠。気づけば、ほとんどの警備兵が倒れ伏していた。

 格下だと思っていた魔法使いたちに、柚子瑠は危険度を改めておく。

 

「あんたの方が不利になってきてるわね。このまま戦っても結果は見えてるわよ。大人しく、そこを通らせてくれないかしら」

「職業柄、たとえうちが負けることになったとしても、その願いだけは聞けないんだわ」

「雑な仕事をする割には、いつもあんたって律儀に役割は果たそうとするわね」

「雑だろうが丁寧にやろうが、魔法使いはとりあえず殺しておく。これ以上にラクな仕事は早々ないからな。失業だけはしたくないんだよ」

 

 柚子瑠の鞭が道路と線路を隔てる柵を捉える。

 伸縮の力で強引に引き抜くと、網目になっている部分からへしゃげて原形が無くなっていった。

 

「え?! うそ!? なにあれ、メチャクチャ過ぎない!」

「どうやらB級は伊達ではないみたいだ」

「こんな力を持っていてもまだB級だなんて……」

 

 驚くにはまだ早かった。

 蘭はかつて、柚子瑠とともにアンチマジックの戦闘員として活躍してきた。

 その戦闘スタイルから、かなりの力任せな手段で攻勢に出るだろうと身構える。

 

「ほらよ! これならどうするつもりだ!」

 

 軋みを上げながら泥のように付着した地盤ごと柵が亡くなっていく。

 鞭が荒れ狂うとともに、前方から次々と柵が波と化して彩葉たちに襲い来る。

 

「仕方ない――解放するしかないか」

 

 誰よりも一歩前に歩み出た纏は、静かに佇んでは柵と対峙する。

 

「おいおい。一体何するつもりなんだよ」

 

 訝しんだ覇人が纏の背中から語りかけた。

 

「この太刀の前では、所詮ただの障害だ。この力なら道を切り開ける――」

 

 鞘に納められた太刀を居合いの構えで、機をうかがう。

 その視野が捉えるのは荒波の柵。

 何も難しいことはない。纏がその手に持つのは散りゆく輝石の剣(クラウ・ソラス)

 ならば、その名の如く散って魅せようか――

 

 ――――断!!

 

 抜き放った一瞬、阻害されることを許さない黒き刃が前面の障害を断ち切った。

 失うものは光。だが、代償に得るのはあらゆる断絶。

 一段階――美麗なる輝きを落とした太刀は確かに役目を全うしたのだ。

 

 横に綺麗な割け跡を残した柵は上下に両断される。

 片方は両者の間に横たわる様に落下し、もう片方は彩葉たちの上空を通り過ぎて後ろで落下音が響いた。

 

「もう本調子になっているみたいね」

「ああ、あと二発は撃てるさ」

 

 対峙したのは初めてのことだったが、噂には聞いたことがあった柚子瑠はその太刀の能力を知っていた。

 

 ただ、三度限りの一閃とともにあらゆる物質を引き裂く飛ぶ刃。

 断/裂/斬の三拍子が重なれば、防御に必要性はなくなる。

 元来、攻撃に特化されている魔力に鋭利性が加わっているのだ。

 その力は遠ざけることこそが最善の防御となる。

 障害に障害を重ねた柵の荒波は、事実――柚子瑠には届かなかった。

 それ以外に防ぐ術があるとするならば、同じ魔具をぶつけてみるか――

 

 終末無限の世界蛇(ヨルムンガンド)は魔力を絡めとることが可能だ。だとするならば、同じ魔力である、あの刃ですら絡めとることは出来ないことはないだろう。

 しかしながら結局のところ、考えてもどんな結果になるかなんてやって見なければ分からない。魔力弾と同じであれば、鞭で捉えることが可能。そのまま自分の武器として使うことが出来る。

 無理ならば、魔具そのものを使わせなければいい。或いは壊すか? それとも取り上げてしまうか? 

 次に来た攻撃次第で出たとこ勝負で対処すればいい。柚子瑠にはそれが出来るだけの戦闘経験もあった。

 

「その飛ぶ奴って、また使えるようになったんだ」

「充電が完了したからな」

「充電……ですか?」

 

 一回り輝きを失った太刀を掲げてみせる纏。

 

「この魔具は刀身と鞘で一対なんだ。

 太刀は刃を撃ち放ち、光を失う。そして、鞘の役目は光の復元だ。

 消え去った輝きは三日三晩。鞘に納めることによって、再び太刀に真の力を発揮させる。さしずめ、鞘は充電器と言ったところだな」

 

 失ったものは取り返せる。

 一晩につき、一つ戻り。三日目にすべてを完了させる。

 前回の使用から、すでに三日以上も経っているために。今はフル充電されていた。

 あと、二発。切り札が放てるということは、彩葉たちの戦局からすれば非常に有利だといえよう。

 

「裏切り者の戦闘員のくせにいっちょ前にいいモノを使いやがって。

 ――返してもらうぜ。

 もう、てめえには持つ資格なんてないだろうがよ――」

 

 纏の腕に終末無限の世界蛇(ヨルムンガンド)が食らいつく。

 振り解くことも出来ず、ギリギリと締め付けられていく腕に痛みが増していった。

 と、同時に柚子瑠は駆け出した。

 鞭の伸縮を利用し、纏側へと引っ張られるようにして加速されたその速度に、片腕を封じられた纏にどうすることの出来なかった。

 距離が縮まったことで、柚子瑠の拳銃が二発火を噴いた。

 銃弾に苦痛をあげる纏。

 すかさず、柚子瑠は顔面に蹴りを入れる。

 衝撃で締め付けられていた纏の腕から太刀が手を離れ、それを柚子瑠は収納した拳銃から持ち替えた。

 

「借り物は返してもらうぜ!」

「――ちょっと! それは纏のだよ!」

「ほざけ! こいつはアンチマジック(うちら)のもんだよ!」

 

 振り回した太刀で彩葉の刀を押し返す。

 遠心力の利いた一振りに、彩葉はいとも簡単にガラス壁へと叩きつけられ、苦痛の声を聞かせる。

 受けた痛みが残留している彩葉は身動きが取れなくなり、その場でうずくまった。

 

「残りはてめえらだけだな」

 

 散りゆく輝石の剣(クラウ・ソラス)の切っ先が蘭たちへと向けられる。

 

「――剣は慣れてないけどな、コイツをぶっ放す分にはそんなものは必要ねえ」

 

 魔力が刀身に乗る。

 目の前にいるのは三人の魔法使い。

 周囲に味方がいない今、まとめて屠るには丁度いい攻撃だ。

 対処方はもちろん、蘭は知っている。しかし、その術がなかった。

 なにせ切断の属性に変換された魔力になんていまだ出会ったことがないのだから。

 当たり前だ。魔法使いの魔力には切断なんてものはない。有るのは爆撃。

 茜のように銃を造りだして撃ち出された魔力であれば、銃弾の性質に変換《クラスチェンジ》するタイプもあるが、それは銃から撃ち出されたものに限る。これは防げる。防弾チョッキでもいいし、仮に撃たれたとしても即死するわけではない。すでに前例として警備兵が撃たれている。

 さらに言えばいま、目の前に刀を魔力で作っている人物がいる。しかし、これは魔力そのものではない。

 

 魔力を糧にして生みだされた技法――魔法だ。

 

 鉄そのものでは鈍器にしかならないが、加工次第ではそれ以外にもなる。もちろん優れた刃にも変えれる。

 だから、あれは剣そのものなのだから、斬れて当然である。

 しかしあの刃は魔力そのものだ。切れ味もさっき見たばかり。防げなければおそらく致命傷は免れない。

 蘭が保有しているのは魔眼。こんなものでは防ぎようがない。

 

 だが、一人だけ。防いだ人物がいる。

 

 膨大な別の魔力が一点に集中し始めていた。それは茜の銃からだった。

 

「――そうね! その手があったわ」

「一度だけ、纏くんが放った刃をこれで相殺したことがあります。だから、今回もこれでいけるはずです」

「あの時の喧嘩か……。前例があるんだったら、大丈夫そうだな。俺も加勢するぜ」

 

 蘭が魔力砲を構え――

 茜が充填し終えた銃を構え――

 覇人が魔力弾を構え――

 

 それぞれが別ジャンルの魔力で柚子瑠と対峙する。

 

「……へー……そうくるのかよ! だったら、二倍はどうなんだよ!」

 

 散りゆく輝石の剣(クラウソラス)がさらに魔力を帯びる。禍々しいまでの黒き奔流が包み込み、その微塵も許さない一振りで決着を付けることに決めた。

 

「すごい魔力ですね……」

「上乗せね。単純に残った二発分を一発にまとめてるだけよ」

「魔力が尋常じゃねえな。……もう少し、魔力を上げておくか」

 

 覇人にも魔力が足され、自由自在に操れる魔力弾の威力が膨れたことは魔法使いでなくとも、見れば分かる。

 

 そして、この場に集った魔力が一斉に解き放たれる――

 

 破壊の限りが尽くされることは必至。

 

 散りゆく輝石の剣(クラウ・ソラス)は限りある輝きのすべてを支払う。その十分に見合った対価は暴風の如く、荒れ狂った刃となって発揮された。

 

 迎え撃つのは、三者三様に惜しげもなく投与された魔力の嵐。

 

 蘭が放った魔力砲が地を開拓し、通り過ぎたあとには焼け跡のような砕かれた石畳。

 茜の変換された魔力が、弾丸の形式に変えて風を切っていく。

 覇人は凝縮した魔力弾を撃ち放ち、その姿形からは到底想像も出来ない暴威が大気を震わす。

 

 砲と弾と爆が混ぜ合わさって、それらすべてを斬り裂く刃が接触する。爆音と暴風が吹き荒れ、ガラス壁に覆われた橋の隅から隅まで駆け抜けていく。

 ゴミくずみたいに散乱する石畳だった欠片。断ち切れて、剥がれる線路。それを庇いきれなかった役立たずの柵は見るも無残に潰れた。だが、それでもガラス壁は余裕で耐えきった。

 細長いガラス箱のような橋には爆煙が視界を奪い、内からでも外からでも視認は不可能な状態になっている。

 

 ただ、一人を除いてだが――

 

 その眼は観測の魔眼と呼ばれ、天性から備わった探知能力と合わさって“観測と索敵の魔眼”として開眼を果たしている。

 捉えた微量の生命の息吹へ、煙を薙ぎ払って魔力砲が柚子瑠を貫く。光を失った太刀で威力を和らげる動作を入れる辺り、さすがはB級と呼ぶべきか。受け身を取った柚子瑠は敵を視認できると同時に反撃へと転じた。

 確かに手ごたえを感じていた蘭に生じた一瞬の安堵が、迫った鞭への対処が遅れる。

 その時だった。蘭の失態をカバーしたのは彩葉だった。

 彩葉の腕を鞭が巻き付く。あざが残るかもしれない締め付けに苦悶の表情を浮かべた。

 そのまま柚子瑠は鞭を引き戻し、宙へと投げ出される彩葉。空を泳いでいるような感覚を味わっている彩葉へと向けられる一丁の拳銃。

 距離はそう遠くない。柚子瑠の射程範囲内だ。これだけ近ければ当たるはずだった――しかし。

 それを見越して彩葉は大剣を造りだすと、その重みで下へと引っ張られることによって、照準をずらす。

 空を撃った弾はガラス壁にぶつかって音が弾ける。

 

 直後――墓標みたいに突き刺した大剣の柄に逆立ち状態で降り立った彩葉は、柚

子瑠に向かって飛び跳ねる――!

 

 上空からの斬撃を柚子瑠は拳銃を彩葉に向けながら、後ろへと下がって躱す。

 躱された彩葉は空いた手にレイピアを造りだし、踏み込んでの刺突――と、同時に拳銃が炸裂する。

 

 どちらが速かったかなんてのは当事者ですら分かってはいない。ただ、終わった後には、胸に血の花を咲かせた彩葉と肩を貫通したレイピアが決着を物語った。

 

 魔法を霧散させた彩葉は柚子瑠と共に果てる。

 すぐさま、ほかの四人が駆けつけて、茜が彩葉の介抱にかかった。

 

「柚子瑠……あんたの負けよ。あたしたちはここを通らせてもらうわ」

 

 蘭が肩からの出血を抑えている柚子瑠に冷やかに告げる。

 敗者に情けは必要はない。本来なら、魔法使いと戦闘員がぶつかり合った時点で、どちらかが死ぬというような結果が待ち受けていることが大抵だが、彩葉たちは柚子瑠を殺すつもりなんてない。

 この橋を通り抜けることこそが一番の目的だからだ。それが達成でき、死人すら出ていないのであれば、十分だった。

 

「もう、てめえらを止める気はねえよ。完全にうちの力不足だ。

 ――さっさと行きな。うちは、見逃してやる」

 

 疲れ果てた柚子瑠は絞った体力で必死に立っている様子だ。

 

「それと――おい! その魔具はてめえに預けておいてやるよ。魔具だけ回収して魔法使いを討ち損ねたなんて報告はしたくねえしな。どうせなら、両方一辺に奪ってやるよ」

 

 魔具――散りゆく輝石の剣(クラウ・ソラス)を鞘に納め、竹刀袋へと入れた纏を睨み付けて言った。

 

「悪いけど、コイツは俺の人生を切り拓くために必要な力だ。そう簡単に明け渡す気はないぞ」

「……そうかよ」

 

 柚子瑠とすれ違い、背を向けて歩き出す。

 これは与えられた戦利品。その獲得は裏社会に則ったルールだ。

 生きるか、死ぬかの選別に勝った彩葉たちは前へと進む。

 

「あんたとはこんな立場になってしまったけど、いつかまた会えるといいわね」

「そん時はてめえが地面に這いつくばるときだぜ」

「やれるものならやってみなさいよ。あたしたちのチームワークに勝てるのならね」

「……言ってろ」

 

 互いに背中越しに語り合う蘭と柚子瑠。

 柚子瑠が戦闘員を続け、蘭が死亡しない限りは。いつまでもあり得る可能性の邂逅。

 再び会いまみえるときは、本分を全うしなければならないかもしれないが、ひとまずはこの勝利に酔うべきだろう。

 

 さぁ、道は開かれた。

 これより先は、絶望か――希望か――

 未だ見ぬ先へと突き進む。



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71話

 橋を突破した私たちは二十九区側の両端《ターミナル》を走る。

 この先をくぐれば、もうそこは見知らぬ土地。

 一体、何があって。どんなことが待ち受けているのか。魔法使いである私たちはうまくやっていけるのか。

 不安と興味心がごちゃごちゃになって、なんだかよく分からない気持ちが胸を浸している。

 

 二十九区――

 

 テレビや雑誌なんかで魔法使いの殲滅結果の話しをよく聞いたことがある。それは多分、裏社会で大きな影響力を持っているキャパシティという秘密犯罪結社の拠点があるからなんだと今ならなんとなく分かる。

 私たちの目的地。

 そこに父さんと緋真さん。あと、覇人は所属している。きっと、私たちのことも受け入れてくれるはず。

 秘密犯罪結社に助けを求めに行くなんて、周りに関係者がいなかったら絶対にありえないシチュエーションだよね。

 人生ってなにが起きるか分かんないや。

 

 そう――本当にわかんない。

 

 両端《ターミナル》を抜け、拡がった暗闇の景色に私たちは足を止める。

 歩道があって、線路があって、整備されている道路。三十区側の両端《ターミナル》前と変わらない道だった。

 それだけなら普通なんだけど、足を止めた。ううん……止めさせられてしまった。

 道から外れた場所も含めて、映る視界一杯から浴びせられる光。眩しさに思わず、目を遮ってしまう。

 当然ながら、歓迎されている雰囲気でもない。

 敵意を向けられている。

 右から、左から、正面から、どこからでも感じる殺してやるというような凄み。

 

「なんで、こんなにいるの……?」

「まさか、俺たちが来ることを想定して待ち伏せしていたのか!?」

 

 夜に溶け込む喪服みたいな衣装をした集団。身に付けている様々な色のバッジこそが、この状況を説明する何よりの証拠。

 

「――アンチマジックか。また随分と対応が速いじゃねえの」

「そんな……?! ついさっき、B級戦闘員と戦ったばかりですよ。彩葉ちゃんや纏くんなんて、もう怪我だらけですのに、連戦はさすがに厳しいですよ」

 

 ほとんどが紫色のバッジ、ちらほらと藍色のバッジが目立っている。その中でも一番、厄介そうなのが青色のバッジ。

 構成されているメンバーはF級がほとんどに数名のE級。そして、一人だけD級が混じっている。

 

「柚子瑠を筆頭にして、あたしたちを狩るつもりだったみたいね。……なんなのよ。見逃してやるなんて言っておきながら、見逃す気なんてないじゃないの」

「いや、「うちは」って言ってたぜ」

「それ以外は関係ないって言いたいわけね。ほんと、仕事熱心なのか、違うのか掴めないわね」

 

 言葉の意味を正しくとらえるとそうなるよね。

 あの人って攻撃的な人で、頭の回転が速そうに見えなかったたんだけど……意外と切れ者みたい。私と一緒でなにも考えてなさそうだったのに、なんか意外。

 

「どうでもいいけど、通り道を邪魔されるのは困るし、ここはどいてもらうしかないよね」

「何をするつもりですか?」

 

 そんなことはもちろん決まっている。だから、私は刀を構えた。

 

「正面突破していくしかないよ。柚子瑠よりは格下なんでしょ。だったら、なんとかなるかもしれないし――」

 

 言った途端、D級戦闘員が歓迎のつもりなのか、持っていた銃を夜に響かせた。

 それを合図に他の銃を持っている戦闘員が遅れて、発砲してくる。

 しかし、撃っているのは実弾じゃない。まるで、蘭がよく使う魔力砲のようなレーザーが襲ってくる。

 どうもこうも出来ない私たちは慌てて両端《ターミナル》に引き返して、入り口付近に隠れる。

 

「なんとかならなかったね」

「あんた、頭おかしいでしょ。あいつらは警備兵と違って戦闘員よ。あたしたちを殺す気でいるのだから、無闇に突っ込んだら死にいくようなものなのよ!」

「ご、ごめん。私が悪かったから、怒らないで」

 

 私たちが姿を隠したことで容赦のない銃撃が止んだ。

 外にいる警備兵が何か騒いでいる。

 元戦闘員である蘭と纏が相手でも、情けをかけるつもりはないらしい。むしろ、こっち側に通じている相手だから、油断はするなとか言っている。

 纏はF級だけども、蘭はC級。戦闘員の間でも蘭の戦闘能力は知られているみたいで、一層警戒心が強まっている。

 

「それにしても、どうなっているのですか? あの銃は」

 

 紅い光線が放たれた銃はどう見ても普通じゃない。地面を焦がしてた。当たれば痛いなんて感覚で済むようなものではないことは間違いなし。実弾よりもはるかに危険だってことは分かる。

 

「あれは銃弾を撃っているのではなくて、特殊な成分が配合された液体状の魔具よ」

「なにそれ?! そんな物もあるの? もう銃って言わないよ。どっちかというと兵器だよね。それって」

「いいえ、ちゃんと実弾も撃てるから銃であることに変わりはないわよ。ただあれは、レーザー銃のような使い方も出来るっていうことよ」

「? ということは、水鉄砲みたいな感じなのかな」

「そういうのに近いかもしれないわね」

「ふーん。それじゃあ、どっちにしてもいま無闇に飛び出るのは危険に変わりはないんだね」

 

 同じ原理なら中身の水的な何かしらが無くなれば撃てなくなるってことなんだと思う。でも、補充されたら終わりかな。

 何かいい案でもあればいいんだけれど。

 

「蘭。君の魔眼で敵が何人いるのか把握してくれないか。それから、何か戦略を立ててみる」

「分かったわ」

 

 二重の環が蘭の瞳に刻まれる。同時に私たちで感知出来ない微弱な魔力も探れるようになる。

 壁際から顔をのぞかせる蘭に取り付けられているライトが当たる。

 瞬間、一斉砲撃が始まる。

 即座に顔を引っ込める蘭。

 着弾した地面から微かな煙が漂っていた。焼け焦げているのかも。ううん……もしかしたら溶けているのかもしれない。

 どっちでもいいけど、当たれば火傷なんかじゃあ済まなさそうな跡だった。

 

「ほんとうに殺す気みたいですね」

「そりゃそうだろ。連中からしたら抹殺対象だしな」

 

 反応が良かったおかげで蘭に傷は見当たらないことで安心した。

 

「――済まない。危険な目に遭わせたみたいだな」

「危険は承知よ」

 

 あらかじめ、こうなることは予想済みだったみたい。だからあんなにも反応良かったんだね。私ももっと場慣れしないとダメだなぁ。

 

「一瞬しか見れていないけど、敵の数は多分三十人はいるわね。武装は銃ね。あとは分からないわ」

「そうか。ありがとう。それだけ分かっただけでも十分だよ」

「――で、どうするの? そんなにも数がいたら、ここから一歩も動けないんじゃない? 後ろに戻るわけにもいかないし。やっぱり、なんとかして正面突破するしかなさそうだよ」

 

 敵はいないと思うけど、戻ったってどうしようもない。前しかないんだけど、その前も通れそうにない。

 

「こっちは五人で。向こうは三十人ぐらいなんだよね。だったら、一人で六人を相手にして、散らばって動いたらどうかな?」

「止めとけ。そいつは無謀だぜ」

「なんで?」

「俺と蘭ならそれでも生き残れるだろうけどな、お前らじゃあ、六人も相手に生き残れる確証がねえだろ。向こうは殺しのプロだ。そんな確立に低いやり方じゃあ――殺されるぞ」

 

 そのことは頭に入ってなかった。最底辺の階級とはいっても、警備兵とはまた実力も違うよね。武装も魔具なんだし、覇人の言うことのほうが正しそう。

 

「どうしましょう。こんな状況を打開する方法なんて何も思いつきませんよ」

「……絶望的ね。希望も救いもなさそうだわ」

 

 そういえば、纏は何か戦略は立てれたのかな? 私は気になって、纏の方をみてみた。何か思いついたのか、不意に声を出した。

 

「いや、希望は絶望のなかでこそ光るものだ。そして、そんな光《きぼう》を生みだす手段なら一つ、あるにはある」

「――! ほんと?!」

 

 ちょっと語尾の歯切れが悪く言った纏。どんな手段でもいいよ。可能性があるだけ文句はない。

 

「覇人――君なら六人どころではなく、この人数ぐらいなら一気に相手にできるんじゃないのか?」

「そ、それは無理がありますよ。三十人ですよ?! 多すぎます」

 

 茜ちゃんだけが反対する。覇人と蘭は反対するわけでもなく、肯定するわけでもなく続きを待っている。私はというと、正直どうすれば一番いいのか分からないし、とりあえず黙っておく。

 

「キャパシティの幹部と言えば、アンチマジック上層部が最も危険視している魔法使いだ。それは、蘭も知っているだろう」

「もちろんよ。敵対するときは必ずA級以上が向かうわ。それぐらいの戦闘員でないと、まともにやり合えない実力を持った連中らしいって噂なのよ」

 

 キャパシティ幹部って言ってた緋真さんがA級の月ちゃんや纏のお父さんと互角に戦っていた。それじゃあ、覇人もあれぐらい強いってことになるんだ。

 

「……確かに、俺ならF級程度が束になったって負ける気はしねえよ。そこにDやEが混じっていたってな」

「そうか。だったらお願いだ――俺たちの光《きぼう》を引き受けてくれないか?

 この状況を打開できるのは君しかいないんだ」

「……ま、友達《だち》の頼みを断れるわけはねえよな。――いいぜ、任せときな」

 

 肌を強く叩かれているような魔力が覇人から溢れ出す。

 濃密すぎる……! 魔力弾みたいに、魔力が可視化出来ている。

 これが秘密犯罪結社キャパシティの幹部の力。いつだったか、緋真さんが魔力は鍛えれば鍛えるほど強くなるって言ってた。だったら、このすさまじい魔力はそれだけ覇人の強さを表していることにもなる。

 

「さて、行くか」

「……くれぐれも気を付けてくれ」

 

 魔力を纏った覇人が照明の前に姿を出す。

 紅い光線が――実弾が――覇人を襲う。だけど、それらすべては目前で弾かれるように四散した。

 覇人が掲げた手の先に、薄ぼんやりと空間に何かが壁のように立ちふさがっている。

 あれは、覇人の魔法に間違いない。

 その後も立て続けに撃ち続けられるけど、まるで意味がないことだと悟ったみたいで射撃が止まった。

 

「そんなことも出来るのね」

「俺の魔法は空間に干渉する。そうして、不可視の物体を生みだす魔法だ」

 

 普段は斬るのか、殴るのか、刺すのかよく分からない棒状の物質だったけど、形を変えたら障壁みたいなものも作れるってことなんだ。

 

「驚いたな。そんな便利な使い方も出来るのか。だったら、丁度いい。その力を使いながら、強行突破しよう。

 ――覇人、任せたぞ」

「つっても、お前らも気を抜くなよ。何を仕掛けてきやがるか分からねえしな」

 

 障壁を張った覇人を先頭にして、纏と私が続く。その後ろに茜ちゃんと蘭。

 怒号と罵倒が混ざる中、雨みたいに注がれる光線と銃弾。ぶつかって弾けて、シャワーみたいに拡散されていく。自然と通ったあとの周囲の地盤に焼け跡が残っていった。

 すべて、覇人が防いでいてくれるから私たちに危害が及ぶこともないけど、かなり居心地の悪い通り道。

 好転することがないと見たD級戦闘員が射撃の中止を命令した。そうして、次に各自短剣を構え始めた。

 

「まさか……あれって試作品の?! もう完成していたのね」

「試作品……ですか?」

「殊羅が茜を斬ったときに使った新型の魔具よ」

 

 ほとんどの戦闘員が短剣に持ち替えて、狩人みたいに私たちに襲い来る。

 

「こっちに来るよ!」

「気をつけなさい。あれは使い捨ての魔具――取捨の魔剣(アゾット)。斬った魔力を吸い取る魔剣よ。そうして、柄に嵌められている結晶体に充填した分だけ、結晶体の破壊とともに魔力弾と同等の威力を発揮するわ」

「もっと分かりやすく――!」

「あの短剣の前では、魔力は通用しないどころか。逆に強くさせてしまうってことですか」

「端的に言うとそうなるわ。……でも、限度はある」

 

 戦闘員が覇人の魔法で創られた壁を斬りつける。いままで、攻撃を返していた壁に初めて傷がついた。いや、傷……ではなさそう。まるで、氷でも溶かしているみたいにちょっとずつ、食い込んでいってる。

 柄に付いている結晶体が少しづつ、焔のような水のような渦を巻いて溜まっていっている。食い込んでいってるのではなくて、覇人の魔法を食べているんだ。

 

「……くそ。また厄介なもん作りやがって」

 

 障壁を解いた覇人は例の棒状の物質に切り替えて、戦闘員を斬った。

 

「来るぞ! 全員で迎え撃つんだ」

 

 ぞろぞろと喪服を想起させる黒い集団が周囲を囲うようにしてやって来る。

 結局、こうなってしまうんだね。

 ぐちぐち言っても仕方がないし、やるしかない。

 私と纏はさっそく、みんなよりも前に出て迎え撃つ。柚子瑠と戦ったときと同じやり方でいくしかない。

 ただ、纏はいいとしても、私の刀は短剣で止められてしまうと、腐食していくように刀が食べられる。

 元から、私は受け止める気もないんだけど、こっちが刀を振る度にいちいち、短剣で防ごうとしてくるのが困りもの。

 おかげで何度も何度も刀を造り直した。

 それにしても、強い。警備兵がこれだけ束になってきてもなんとか出来たんだけど、戦闘員ともなれば、そう簡単には倒せなかった。

 ただ、覇人だけは別格だった。次々と素手で殴っては、怯んだそのすきに魔法で葬っていく。あんな真似は私にはできそうにもない。

 

「さすがにあいつは違うわね」

「でも、私たちはついていけそうにもありませんよ。こんなの、ただの消耗戦としかなってませんよ」

 

 蘭と茜ちゃんは魔力を撃っている。けど、あの短剣の前では意味なんてない。代わりといってはなんだけど、銃を構えている戦闘員もいるから、そっちの方を相手してくれていた。

 

「こ、の……! やばい……ちょっと、疲れてきたかも……」

 

 さっきの戦闘のこともあって、動き回り続けていたら息も切れてくるし、体力も限界に近い。

 はやく、終わらせないと全滅してしまう……

 

「……! おい彩葉! 避けろ――!」

「――え」

 

 何人もが一斉に襲ってきたせいで、そのうちの一人から手を斬られた。流れた血の一部が短剣を潤している。魔法使いの血液には魔力が流れているから、これも短剣が飲んでいるってことみたい。その証拠に結晶体が赤く渦巻いていってる。

 やがて、一層明るみを帯びてくる。

 

「あの魔力量は……まずいわ!」

 

 私を斬った戦闘員が短剣を振りかぶる。次に何をするのかすぐに分かった。

 

「伏せなさい!」

 

 短剣が投げられる。地面に着弾したかと思ったその瞬間――

 

 轟音とともに地面が爆ぜた。

 

 爆風に身体が持っていかれて一転、二転と何回転も転げ飛ぶ。アスファルトに打たれた痛みで思わず咳き込む。

 あんな機能は普通、短剣に有るわけがない。

 言っていた通り、あれは魔力弾と同じ性能そのものだった。

 充填された。ということだけど、あんな威力は結構溜まっているはずだ。

 

 ……痛い。

 ……苦しい。

 ……辛い。

 

 転がったときに足を擦りむいたみたいで血が流れている。

 それでも、泣き言なんて言ってられない。

 なんとか、自力で立ち上がろうとしたところ、茜ちゃんが手を貸してくれた。空いた片方の手からは同じように爆風に巻き込まれたんだと思うけど、擦りむいていた。

 

「茜ちゃん……それって」

「こんなのはかすり傷ですよ。さ、彩葉ちゃんも立ってください」

「……ありがと」

 

 気にはなるけど、とりあえず礼を言って立ち上がる。他のみんなも怪我はしてるけどそこまで大きな怪我ではなさそう。覇人だけは、さすがというか、無傷で立っていた。

 

「構えとけよ。まだ、敵はいるぜ」

「分かってる――よ……?」

 

 周囲にいる戦闘員に気を向けようとしたその時――。

 

 一筋の紅い光が側にいた茜ちゃんの足を貫いた。

 

「茜ちゃん……っ!!」

 

 凶弾に撃たれた茜ちゃんをとっさに支えようと駆け寄る。だけど、それは遮られた。

 無情にも数発の弾丸が茜ちゃんを撃ち抜く。

 声を発することもなく、静かに――血だまりを作って、そのまま地面に倒れ伏した。

 膝を付いて、触れた茜ちゃんの温かい液体が現実を突きつける。

 

 緋真さんの時も、母さんの時も。そして、今回もまた――私は何も出来なかった。 

 

 いつも、守られるだけ守られる。目の前で別れが来てしまう。

 何度も何度も同じような体験をさせられる。こんなことはもう嫌なのに、どうして私には防ぐ力がないんだろう。

 もっと、もっと早く気づけていれば――自分の弱さが悔しくて抱きしめる力が強くなる。

 殺気を感じて、意識を無理やりそっちに向けたとき、戦闘員の一人が留めとばかりに短剣を振り下ろした後だった。

 

 その瞬間、血が舞った――



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72話

 リーチの差なんだと思う。

 振り下ろされた短剣よりも先に、私は創りだした刀で相手の腕を斬り飛ばす。

 盛大に悲痛の声を叫ぶ戦闘員。

 あまりにもうるさいから、そのまま刀を振り下ろして戦闘員を黙らせた。

 初めて人を殺したというのに、罪悪感なんかは感じなかった。溜まった何かを吐き出したことで、むしろすっきりとした。湧き上がった衝動のままにしたのが良かったのかもしれない。

 次に短剣を構えて襲ってくる戦闘員。足を引きずっていようと関係なく、逆にこれがチャンスなんだとばかりに向かってくる。ほんとに容赦がないね。でも、殺す気で来ている相手からすれば格好の的かもしれない。

 だからって黙ってやられるつもりもないからね。

 

「――っ!」

 

 向かってくる戦闘員に刀を振るけど、魔具である短剣で防いでくる。ちょっとづつだけど、食べられていく刀。切れ込みが入っていって真っ二つにされるのは時間の問題になってきた。

 ううん。考えるのはナシ。むしろ丁度いい。このまま全部食べさせる。

 切れ込みが入っていることで、力を入れたら簡単に折れた。いや、ちがうのかな。食べられたのか。細かいことはどうでもいいとして、断面はなめらかに斜めに切れた。

 その刀を戦闘員の胸に突き刺す。ずぶりと奥まで貫通して、背中から刀が見えていた。

 その時、短剣が手から滑り落ちていった。あれはたしか、結晶体の部分が壊れたら魔力弾と同じ効果があるんだった。

 無我夢中で落ちる前に受け止めると、遠くにいる戦闘員目がけて投げた。

 私の刀から魔力を吸い取っていたおかげで、着弾したのと同時に小規模だけど爆発した。そんなに魔力を吸い取っていなかったみたい。

 これを機に私は引きずった足が痛みに耐えきれなくなって、倒れ込むようにして茜ちゃんに寄り添った。

 

「茜ちゃん! しっかりして!」

「だ、大丈夫ですよ……。彩葉ちゃんを置いてなんて、いけませんからね……」

 

 呼びかけると、たどたどしく返事をしてくれた。咳き込みながら微笑んで、私を安心させるつもりなのか、手を握り返してきてくれた。まだ、暖かい手。

 

 生きている。

 生きている。

 生きている。

 

 それだけが分かっただけでも十分に嬉しい。息をしているなら、まだ助かる可能性もあるんだから。

 

「でも、……どうしよう……これ……私……っ! どうしたらいいの?」

 

 流れるだけ流れる血。このまま放っておくわけにもいかないし。かといって、私に何がきるんだろう。

 

 分からない。

 分からない。

 分からない。

 

 助けたいのに助ける手段が分からないことほど辛いことはない……っ。

 

「どきなさい彩葉!」

「……蘭」

「お姉ちゃんの見様見真似でしかないけど、止血ぐらいならあたしでもできる筈だわ」

「うん。お願い!」

 

 魔眼で茜ちゃんを見る。魔力が濃く出ている腹部からやるみたい。

 何かあった時のために常備していた包帯で、その場しのぎで手荒くやっていく。

 覇人と纏もそれぞれ戦闘員と対峙してくれている。数名、動きの良い戦闘員が覇人と戦っている。D級とE級、そしてF級戦闘員が数名いる。

 纏の元にはF級戦闘員が二人がかりで挑んでいた。

 戦力からしたら、それが妥当だと考えたんだろうね。

 みんな、頑張っているんだし、私も何かしないと。ただ、見ているだけなんて絶対に嫌だ。

 

「――彩葉! 後ろ!」

 

 蘭が叫ぶと同時に疾く反射的に振り向く――

 また、戦闘員が来た。ほんとに私たちを殺すためなら、どんな時でも関係ないんだね。

 

「邪魔しないで――っ!」

 

 短剣を創って、こっちに来る前に投げて突き刺すと戦闘員はうめき声をあげて倒れる。あの人もF級戦闘員だ。もっと上の階級ならあれぐらいは多分、避けられているはずだし。

 とにかく、私は足を引きずりながら近づいて、刀を掲げる。

 

「もう……いいよ。そっちが殺す気でくるんなら、私だってもう遠慮はしないよ。私たちだって、生きるために必死なんだから――!」

 

 みっともなく叫びをあげた戦闘員に止めを刺した。

 一人殺すのも二人殺すのもそう変わらない。正当防衛ということにしておけば数なんてどうでもいいや。

 ここに一般人がいなくてよかった。裏社会のことなんて何も知らない人たちだから、出来れば魔法使いの印象は悪くしたくなかった。けど、ここの人たちからは最悪な印象をもう受けているんだから、今更どうだっていい。だから、遠慮なく。

 

 私は生きるために殺した。

 大切な人を守るために殺した。

 そういう殺人は、神様だって理解してくれるよね。許してくれるよね。

 

「――私は間違ったことはしていないよね」

「そうね。少なくとも彩葉はいま、あたしたちを守ってくれたわ。それに、元々あたしたちは殺し合う立場なのよ。あたしはそういうのを、彩葉よりもずっと前から体験してきてるのよ。悔やむことはないわ」

 

 そう。そうだよね。これが本来の私たちの立場。緋真さんだってあの時、月ちゃんと殊羅から私たちを守ってくれた。それと一緒だ。

 安心したら、力が抜けた。

 痛む足。立っていられるのも限界に近付いてきて、刀に体重を預けて楽な姿勢になる。まだ、敵はいるんだから、倒れるわけには行かない。私が出来るのは戦うことだけ。蘭が茜ちゃんの介抱するだけの時間を稼ぐ。

 

「――木の上よ!」

 

 あんなところにも隠れていたなんて思ってもいなかったし、引きずった足ではどうあがいても避けきれない。

 

 それでも足掻いてやる。 

 

 紅い光線がやってきて、私は支えにしていた刀を押して横に倒れ込んだ。

 わき腹辺りに焼けるような痛みが走る。手で抑えて感覚を紛らわす。

 覇人はまだ余裕を残してそうだけど、纏はもう満身創痍な状態になっている。私も立ち上がる力もなくなってきてるし、蘭は茜ちゃんの介抱で動けない。

 本格的にこれはまずい状況になってきていた。

 

「なに――?! なんなのよ? この数は……」

 

 蘭が魔眼を見開いて何かに怯えたような、驚いているような声を出した。

 一体、その眼に何が写っているのかな? いやな予感をさせてくれる。

 

 その時だった――

 

 爆発音が響き、木々がなぎ倒されて、私を撃った戦闘員が墜落してきた。

 どうして、突然こんなことが起きたのか状況が飲み込めない。

 訳も分からず、地面を這いずっている戦闘員を呆然と見ていたら急に弾け飛んだ。

 この木々も含めて、いまのは魔力弾の一撃だった。

 更に続けてくる魔力弾が、次々と戦闘員を蹂躙していき、絶叫の悲鳴を哭かせていく。

 

「誰なの? あの人たち」

「嘘でしょう……!? 全員、魔法使いよ」

 

 数えたら十人いた。

 あれがすべて魔法使いなんだったら、二十九区側に住んでいる魔法使いってことなんだろう。

 

「同族の危機なようだ。勝手ながら手を出させてもらうぞ」

 

 このメンバーを引き連れてきたと思われる男性魔法使いが言った。

 

「あれだけの大人数が徒党を組んでくるってことは、グループの魔法使いたちか」

「知っているのか? 覇人」

「まあな、一応、害のない連中ってことは間違いねえよ。とりあえず、手を貸してくれるってみたいだしよ。ここは任せちまった方がいいんじゃんねえか?」

「そうだな。茜もあんな状態だ。彼らの力を当てにして、一気に駆け抜けるぞ」

 

 纏がそう言うと、魔法使いたちもさっきの男性の合図のもと、一気に動き出す。

 なけなしの気力を使って、茜ちゃんの傍まで寄る。

 

「私が、茜ちゃんを運んでいくよ」

「なに馬鹿なこと言ってるのよ! 足を怪我しているのだから、あんたは自分のことを考えなさいよ。茜はあたしが連れていくわ」

 

 茜をそっと背中に預けて持ち上げる蘭。

 いまの私では歩くだけでもしんどいのに、その上茜ちゃんを運んでいくことなんて出来ないし、ここは蘭に任せてしまおう。

 私と蘭は並んで走り出す。お互いに全力疾走が出来ないのが悔やまれる。そんな私たちに合わせて、覇人と纏が先導してくれる。

 戦闘員と代わりに戦ってくれている魔法使いたちの間を抜けていく。

 

 すれ違う戦場。

 

 行き交う銃弾と魔力弾の暴風――

 舞い散る赤い雨と雷鳴のように轟く悲痛の連鎖――

 

 犠牲となった人と魔法使いの死体を踏み越え、掻い潜り、私たちは嵐を離脱する。

 

「よく持ちこたえたな。あとのことは任せてくれていい」

「すまない。見ず知らずの俺たちのためにわざわざ……」

「別に気にすることはない。同族を救うための親切心だとでも受け取ってくれて構わない」

 

 理由はどうであれ、助けてくれたことは本当にありがたい。感謝してもしきれないほどに。

 当然のことをしているだけと言い張るリーダー格の男が、別の若い魔法使いを呼び寄せる。

 

「この先に俺たちが住んでいる隠れ家がある。そこのお嬢さんもどうやらヤバそうなことだし、そこでしばらく滞在してくれていい」

「なにからなにまで悪いわね」

「こんな時だからこその助け合いの精神だ。あとで俺たちも合流するから、先に行っててくれ。

 ――道案内は任せた」

 

 呼び出された魔法使いは、付いてこいと先頭に立って走り出す。

 一刻の猶予も争う事態、私たちは魔法使いの後を追って駆け出した。



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73話

 付いていった先は、ネオンが怪しく光るいかにも大人の雰囲気が出てるバーだった。その二階は経営者の住居にもなっているらしく、そこを案内してくれた。

 真っ白のシートが敷かれたベッドの上に瀕死の茜ちゃんを横にして、蘭と一緒にいた女性魔法使いたちで簡単な治療をしてくれる。

 その間に私たちも手当てをしてもらう。

 擦り切れた足首の生々しい傷。腹部を襲ったレーザー光線の焼け跡。こんなものを見たら、緋真さんなら何て言うのだろう。きっと軽く叱りつけた後に丁寧に手当てをしてくれるんだろうな。

 幸いにも傷跡は残りそうもなく、完全に消えるということらしいから良かった。それよりも、重体に陥っている茜ちゃんの方も命に別状はないけど、しばらくは目を覚まさすことはないんだって。

 なにはともあれ、生きている。ただ、それだけの現実を受け止める。

 私たちの手当が終わったころには、空は明かりを取り戻し始めていた。

 

「全員、命はあるようだな」

 

 片手にお盆を乗せたリーダーの魔法使いがやってきた。

 

「私たちは無事だけど、……あの後、あなたの仲間はどうなったの?」

 

 結局、逃げることでしか被害を抑えることのできなかった私たち。厄介ごとを押し付けるような最後だっただけに、先の顛末は気になるところ。

 

「何人かは死んだよ」

「――! その、ごめん。私たちが原因だよね……」

「別にお前らが気にするようなことじゃない。俺たちが勝手にしたことだ」

「いや、それでも俺たちにも非はあるはずだ」

 

 私と纏が落ち込んでいく中、リーダー魔法使いは煙草をくわえて火を点けた。

 

「お前らにはまだ分からないかもしれないがな。若造守って死ねるんなら、良い死にざまと言える方だ。

 それに、この世界で死人はよくある話だ」

 

 たくさんの死を見てきたからなのかな。慣れているようにすら見えた。

 

「ま、確かにな。このおっさんの言う通り、よくある話だぜ。裏社会では毎日のようにどこかで死んでまた誰かが魔法使いになっちまう。その繰り返しだ」

 

 そうかもしれない。けど、そう簡単に割り切れるものなのかな。私にはまだよく分からないや。

 

「死んだ魔法使いはどうなるのかしら。一般には公に出来ないんじゃないの?」

「それぞれ家庭持ちだったんでな、事実だけ伏せて、あとはその家庭ごとに済ませてもらう手筈になっている」

「そう……なんにせよ、魔法使いだとばれない限り、その家庭には危害が及ぶことはないものね」

 

 身内が魔法使いだと知ったら、当然殺されたってことに気づかれるかもしれない。そうなったら、犯人は自然とアンチマジックだとばれる。最悪の場合、怒りに身も心も任せて、アンチマジックにやり返しにいくようなことにもなるし、魔法使いに堕ちることだってあり得る。

 それはアンチマジックにとっては都合がよくないし、魔法使いにとってもよくない。

 人知れずところで、争いが起きることは誰も望んでいないんだから。

 

「そっちのお嬢さんはあまり顔色が優れ無いようだな。

 ――水でも入れて来てやったから、これでも飲んで楽になったらどうだい」

 

 さっき、持ってきていたお盆から水をコップで手渡してくれた。

 

「ありがとう」

「下はバーになっていてな。あいにくと酒しか持ち合わせは無いもんで、これで我慢してくれ」

 

 受け取った水を飲んで生きている心地を感じた。

 

「場所も含めてだが、何から何まですまない。おかげで仲間の命も取り留めることが出来た」

「気にするなよ。たまたま、両端《ターミナル》で騒動が起きているという情報が入ってきたから、様子を見に行ったついでに若い連中が死にかけてたから、手を貸しただけだ」

「たまたまでもなんでもいいよ。とにかくありがとね。助けてくれて」

「礼はもう聞き飽きた。何回言えば気が済むんだお前らは」

 

 そうは言っても、それだけの感謝の気持ちがあるんだし、何回言っても足りないぐらい。だって、命を助けてくれたんだから。

 世の中にはいい魔法使いはやっぱりたくさんいるんだということを改めて実感した瞬間だったよ。あのときは。

 

「そういや、自己紹介がまだだったな。俺は近衛覇人」

「俺は天童纏だ」

「あ、私は雨宮彩葉です」

「……御影蘭よ」

 

 それぞれ自己紹介を済ます。助けてもらっておいて、名前も名乗らないのは失礼だったね。

 

「バーかがり火を経営している篝竜童《かがりりゅうどう》だ。この辺りを縄張りにしているグループのリーダーをやっている」

 

 目に縦線の傷痕が入った男の人は篝竜童と名乗った。バーテンダーが本職らしい。それにしても、かなり体格がいいし、一見するとヤクザみたいな柄の悪さを感じさせる。とてもじゃないけど、バーテンダーだと言われても、そうなんだとはならない雰囲気が出てる。身なりはそれなりにしっかりしてるのに、なんだか残念感ただよっている。

 

「覇人も言っていたが、グループってどういった集団なんだ?」

「あ、それ私も気になった」

「あんたは嘘でしょ。思いっきりべつのことを考えてそうな顔してたじゃない」

「ばれた……?」

 

 完全に見透かされていた。

 

「簡単に言えば、日々変わり続ける裏社会に適応していくために、魔法使い同士が情報の共有やアンチマジックから逃れるという共通の目的で協力関係を結んだ集団のことだ」

「そんな集団がいるのね。初めて聞いたわ」

 

 蘭でも知らなかったんだ。じゃあ、それなりに上手く姿を隠してこれているんだねどれほどの規模なのかは知らないけど、チームワークが取れているんだ。

 

「勝手に生きて、勝手に野たれ死ぬような魔法使いもいるが、大体の連中は集団で生きている奴らがほとんどだろうよ」

「裏社会で生きていく知恵ってことか」

「ふーん。なんか、草食動物みたいな生き方だね」

 

 魔法使いは敵が山ほどいるし、一人では生きていくことも結構難しそう。それは緋真さんと一緒に過ごした時間で感じたこと。誰かと一緒にいる方が心強い。

 ん? でもそういう意味では私たちもグループを作っているってことにもなるのかな。

 

「俺のことはもういいだろ。そんなことよりも、お前らの方こそ、なんで両端《ターミナル》を抜けてこようとしていたんだ? そっちの方がよっぽど気になるんだがな」

 

 それを聞かれると、どうしようってなる。キャパシティに行きたくてこっちに来た。なんて正直に言ってもいいのかな? 一応、秘密犯罪結社ってことになっているし……。魔法使いの間でもあまりいい印象には無い様子。

 

「三十区の方で騒動を起こしてしまってたんだ。そのせいで、アンチマジックの狩りが始まってしまってから、抜け出してきたところだ」

 

 うん。まあ、一応事実だね。上手くキャパシティのことは逸らせているし、中々機転がいいじゃん。

 納得はしてくれているみたいで、篝さんは黙って何かを考え込んだ後に言葉を発した。

 

「連日、話題を呼んでいた魔法使い騒動のことか」

「知っているのか?」

「あっちで起きた事件に関してはある程度は知っている。中心人物となっている穂高緋真の死で表向きには解決ってことになった事件のことだったか」

「……」

 

 その名前を聞いて、もう一度つらい現実を突きつけられた。

 胸が締め付けられるような痛み。

 傷跡を抉り返す様に想い出の端々が溢れ出す。

 蘭なんか、悟られない様に目を伏せている。

 いままで、必死で頑張って目の前のことを片付けていくうちに忘れてしまえたらと記憶に鍵をかけていたけれど、やっぱり無理みたい。

 忘れられないものは忘れられない。

 この苦しみは生涯一生忘れることは出来っこないんだ。

 

「……なるほどな。その様子だと穂高緋真はお前らと関係しているってことか。たしか、その事件の関わっているという魔法使いは、いまもまだ捕まっていないようだしな」

「そうよ。……その、悪かったわね。あたしたちの都合でこっち側にも迷惑かけてしまったわよね?」

「いや、お前らが気にすることじゃねえよ。それよりも、その若さで魔法使いになっているってことは、相当苦労してきたんじゃねえのか」

「色々あったよ。大切な人を亡くして、さらにはこんな過酷な世界に生きることになって――」

「あー……語らなくていい」

 

 溜めこんできた感情をさらけ出すように熱くなり始めたところを止められた。

 良かった。たぶん、止めてくれなかったら、いらないことまで喋ってしまっていたかもしれない。

 

「裏社会に属している奴らは大体、なにか抱え込んでいる奴がほとんどなんだよ。そんなもん、いちいち語られても同情してやることなんて出来やしないんだよ」

 

 そういえば、前に殊羅も言っていた気がする。他人の過去は詮索するのはよくないって。

 

「おっさん。あんた、長くこの世界に居座ってるみてえだな」

「おっさんはよせよ。まだ二十代だ」

「まじかよ! そうは見えねえよ」

「失礼な若造だな」

「いや、わりぃ。なんかつい口にでちまった」

「いいさ。俺は若い連中には優しいし、歓迎の態度で迎えてやるぐらいの懐の深さはあるつもりだ。……だが、いまはちょっと、間が悪かったな」

「なにかあったのか?」

 

 えー……またなのかな。いつまでたっても安心してゆっくりとすることが出来ない。

 篝さんの苦い表情からすると、都合が悪いことなんだということぐらいはなんとなく分かるけど。

 

「最近、どこぞの魔法使いがお仲間を探して妙な動きをしているらしくてな。……と言っても、ただの噂として流れているだけだがな」

「噂程度なら、そんなに気にすることないんじゃないの?」

「いや、それが誰もソイツを見たことがないらしい」

「なによ。それ。信憑性に欠けるわね。やっぱりただの噂じゃないのよ」

 

 もっと悪い話かと思いきや、そうでもなさそう。心配して損した。

 

「姿かたちは見せやしないが、現に戦闘員が何名かぶちのめされている。戦闘員が密かに探しているらしいが、続報がないところをみると、手掛かりの一つもつかめていないんだろうよ。だが、被害がある以上、ソイツは亡霊のように存在していることは間違いないと見ていいだろうよ」

「きゅ、急に怖いこと言わないでよ」

 

 ゾッとする。もしかしたら、この場にもいるのかもしれないってことでしょ。もしかしたら、呪い殺しているんじゃ……。亡霊なんてたとえするから、そんな感じの悪い魔法使いを想像してしまう。

 

「――気になる話だな。……よし! 茜が目覚めるまで特にやることもねえし、ソイツの捜索。俺が引き受けてやるぜ」

「え、えー! 何言ってるの覇人? 私たちに害があるわけでもないし、放っておこうよ」

「これから、害があるかもしれないでしょ。気になることがあるなら、時間があるうちに解決してしまったほうがいいわよ」

「賛成だな。覇人なら、この辺りの地形も把握してだろうから、任せても大丈夫なはずだ」

 

 覇人はキャパシティの魔法使いだし、たぶんここにいる誰よりも強いし、地形にも詳しいんだ。

 

「気にはなっていたが……お前……名前忘れたが、灰色」

「色で呼ぶなよ」

「お前もおっさん呼ばわりだろ。――ともかく灰色。お前だけあの窮地を無傷で乗り切ってやがったよな」

「ま、これでも戦闘に関する経験なら人一倍あると思っちゃいるけどよ」

 

 そうだよね。なんて言ったってキャパシティの幹部やっているんだし。魔法使いには言えないような境地に達しているはずだよね。

 

「えらく自信があるようだな。……いいだろう、お前に任せてみようか」

「そうしてくれると助かるぜ」

 

 なーんか考えてそうな顔をする覇人。

 

「……一応、言っておくけど、誰もいないからってサボるんじゃないぞ」

「俺、そんなに信用ねえの?」

 

 とりあえず無言で返事して置く。

 何も知らない篝さんだけ、よく呑み込めていない様子でいる。せっかく任せてもらえたんだから、余計なことは言わないでおこっと。

 

「それじゃあ、あたしはここの負傷者の手当でもしてるわ」

「私も……上手く出来るかどうかは分からないけど、足を引っ張らないから手伝ってもいいかな?」

「いいわよ。あたしだって、見様見真似でしか出来ないし、そんなに大きなことは出来ないわ」

「ありがと。私もやれるだけのことはやるつもりだよ」

 

 何もやらずにただ、うずくまっているだけなんて嫌だ。

 それに何かしらやっておかないと、気分も晴れない。

 茜ちゃんが起きたとき、こんなことも出来るようになったんだよって自慢しよう。そうだ、いつまでも暗くなっていても仕方ないし前向きにやろう。それが私らしい。

 

「そうだな。ただ、世話になりっぱなしというのも悪いな。たしか、バーをやっているんでしたよね。それ、俺にも手伝わせてくれませんか」

「あいにくと未成年にやってもらう仕事はねえよ」

「いや、でも、それだと俺の気が晴れないんだ。雑用でもなんでもやらせてくれませんか」

 

 相変わらずの真面目っぷり。いくらなんでもバーで高校生なんて雇ってくれないよね。あ、でも戦闘員は歳関係ない職業か……。そう考えると、別にバーで働く分もそんなに悪いことじゃないような気がしてきた。

 

「はは、いいんじゃねえか。この際、いっちょ大人にしてもらってこいよ。なぁ、おっさん。コイツにも色々仕込んでやってくれよ」

 

 すごい必死の説得だ。

 もしかして、そうやって纏に酒やたばこなんかを合法的に許してもらおうとか考えてるんじゃないかな。

 

「……まあ、それぐらいは構わないが、こっちだって一応大人の商売やっているんだよ。若造を働かせるとなったら、問題があるだろ」

「いいじゃない? どうせ裏社会の関係者なんだし。今さら問題とかそういう話しはどうでもよさそうだけど。ねぇ、蘭?」

「なんであたしに振るのよ」

「蘭はどっちがいいと思う?」

「どっちでもいいわよ。好きにしたらいいんじゃないの。彩葉の言う通り、あたしたちは裏社会に属しているのだから」

 

 賛成2、やや反対1、曖昧な答え1.これは可決だね。

 

「……仕方がないか。今日はお前らのせいで休業になってしまった分、その借りを返してもらうことにさせてもらおうか」

「ああ。遠慮なく、こき使ってくれて構わないよ」

 

 纏がバーテンダー……か。なんだか想像つかないね。

 

「よし、そんなら俺はちょくちょく疲れを癒しに客として出入りさせもらうとすっか。纏のおごりでな」

「あのなぁ……俺がそれを許すと思っているのか」

「いいじゃねえか。一番安い奴でもいいんだぜ」

 

 覇人の狙いって分かりやすすぎるね。横では、蘭も「あきれた……」とか呟いてる。

 

「アホ言え。うちは若造が飲めるような酒なんざ置いていねえよ」

 

 去り際に覇人の方に手を置いて、つぶやくように喋った。

 

「もう少しでかくなってから来な。その時は、俺がおごってやるよ

 ――おい小僧! 今日からやってもらうことにするから、お嬢さん方らとちょっと休んでいることだな」

 

 言われてから、急に眠気と疲れが襲ってくる。

 そうなんだ、もう朝を迎えるんだった。

 深夜に命からがら逃げて来たとは思えないほどの濃密な時間だったから、感覚がおかしくなっている。

 仕事の準備なのか知らないけど、篝さんが部屋を出てから、ベッドは茜ちゃんが使っているのでソファに座り込んだ。

 

「やれやれ、見かけによらず意外と硬いところがあるおっさんだな」

 

 たばこの火を点けて、手近にある椅子に座る覇人。そんなに飲みたかったのかな。でも、ここがダメなら結局、違う店で飲むんだろうな。

 

「あんたたちは夜からやることがあるんだから、今の内にゆっくりと休んでおきなさいよ」

 

 ソファを背もたれを倒して、ベッドのような形にする。

 二人分が寝るぐらいなら十分なスペースが空いた。

 そこを私と蘭で使わせてもらう。

 

「俺たちは床か適当に空いているところを使うか」

「そうすっか」

 

 そんなやり取りが最後に聞きながら、眠りに落ちた。

 



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74話

 その日の夜から、それぞれの行動を始めた。

 バーテンダーの服に着替えた纏は、元々背が高いということもあって、中々に様になっていた。戦闘員の服装をしていた時よりも全然いいよ。

 篝さんに連れられて、宣言通りに雑用をさせられていた。本人的には恩返しができればそれでいいということだから、何でもいいんだね。

 そして、相変わらず行先も告げずにフラッとどこかへいなくなる覇人。本当に亡霊みたいな魔法使いを探しているのか不安にはなるけども、さすがにサボったりすることはない……とは思いたい。

 というのも、帰って来た時に微妙に酒の臭いがした日があったから、ちょっと疑わしくなってしまったわけで。でも、一応はちゃんと探しているみたいでその日の出来事を話してくれるからやることはやっているみたい。特にこれと言った変わったネタはないようだけど。

 私は蘭やグループに所属している魔法使いたちと一緒に負傷者の手当をしている。病院で診てもらうのが一番いいんだけど、言い訳が出来ないほどに傷が付いているし、何より血も流しているから病院には行けない。

 だから、私たちで何とかしないといけないんだ。こういう時って、私たちの身体って不便だなって思う。

 そんな日々が数日も続いて、私はまだ不安が残っている。

 

 ――茜ちゃんは、まだ目を覚まさない。

 

「本当に、私、茜ちゃんを守れたのかな?」

「なによ、急に」

 

 夜も更けて、纏と覇人はいつものように自分の役目に出ている中、私と蘭だけが残って茜ちゃんの側に寄り添っていた。

 

「……誰かを殺してまで守ったのに。こうして生きているけど、死んでいるみたいにされたら……守れたのかどっちなのか分からなくなってくるの」

「命が残っているのだから、守れたって言うわよ。自分に自信を持ちなさいよ。彩葉は、何も考えずに目を覚ましてくれることだけを祈っていなさい。あんたが前向き思考でいたら、必ず茜も応えてくれるわ」

「そう……かな?」

「そうよ。後ろ向きに考えるのはらしくないわ」

 

 自分のことは一番自分がよく分かっているって言うけど、こういう時って自分のことは他人が一番よく分かっているような気がする。

 

「ねえ、蘭。話し相手になってくれる?」

「いいけど、何よ。愚痴は聞かないわよ」

「ちょっとした質問……みたいな? 違うかな? 相談? かな?」

「どれよ……」

 

 呆れたように蘭が言った。さて、どれだろ。

 

「私ね、茜ちゃんを守った時、初めて人を殺したの」

「……そう」

 

 返事に迷って間が空いたあとに、蘭は一言だけ声に出した。

 

「そのとき、驚いたの。人を殺したのに、悪いことをしたなって思わなかったんだ。そうすることが一番いいと思ったから。茜ちゃんのために犠牲者を作って、それで良かったんだって思っている。……こんな私っておかしいかな?」

「そんなことはないわよ。殺さないと殺される、そういう世界よ。ここは。彩葉は裏社会で最も最善のことをしただけじゃない」

「えー……なにその物騒な世界。表側ではそんなことないのに、こっち側は怖いね」

「そうね。それに慣れることが大事よ。でないと、明日は生きていくことも出来ないわ」

 

 殺伐としているね。まだ、怖いって思えるということは、まだまだ魔法使いの生き方に馴染めていないって証拠なのかもね。

 

「これから先もずっとこんな日が続くのかぁ。私ね、一人やった後に、二人目を殺す時は、もう何人殺したっていいやってなってしまったの。あの時は、無我夢中だったけど、自分の意志でってなったら、とっさに出来るかな? 蘭だったら、出来る?」

 

 こんな質問はおかしいよね。表側の世界でしたらただの異常者でしかないことだ。

 

「……あんたね。あたしがどれだけの人を殺してきたと思っているのよ。もうそんなのとっくに出来るようになっているわ」

「あ、そういえばそうだったね。戦闘員としていままでやってきていたんだし。魔法使いになったのが私よりも後だったから、なんか感覚的に私の方が先輩みたいな感じになってたよ」

「魔法使いならね。でも、裏社会では彩葉よりもずっと前から生きてきているわ」

 

 言われてみて、そうだったってなる。寝る時もそうだったけど何かと蘭からすり寄ってきていたから、つい私の方が上かと思ったよ。

 

「じゃあ、先輩に質問」

「あっさり下に付いたわね。それでいいの?」

「いいんじゃない? 別に気にしないよ私は。……って、そんなことはどうでもいいとしてさ、どうやったらこの世界に慣れて行けるの。私、このままだとまたうじうじしてしまいそうだし、先輩に悩みをサクッと解決してもらいたいな」

 

 ことあるごとにこうやって考え込んでいたら、精神的にどうかなってしまいそう。みれば、蘭も覇人も篝さんもこれが当然なんだと受け入れている。そんな風になれないと、上手くやっていくことなんて出来ないんだろうね。

 

「そんなの簡単よ。殺しはね、手段と思えばいいのよ。弱肉強食よ。そうやってあたしはここまで生きていられたわ」

「ワイルドな生き方だね。でも、そっか蘭はそうなんだ。そんな風に私も考えたら、ちょっとは楽になれそうだよ。どうせ、茜ちゃんは優しいから、そんなことは出来ないと思うし、私が倍頑張らないと。もう、だれも亡くしたりなんかしたくないためにもね」

「たしかに、茜には向いてなさそうだわ」

 

 茜ちゃんは常に弾丸の威力を非殺傷で抑えていた。死なない程度に痛めつけるように。出来るだけ死人は出したがらないんだ。

 

「あ、でもこれは裏社会でだけだからね。緋真さんはこの力は自衛のためだって言ってたから、表側の人たちを殺す様なことはしたくないよ」

「それは好きにしたら良いわ。あっち側はあたしたちとは無関係なんだから」

 

 私たちと対峙した警備兵の人たちは怯えて、震えて、まるで殺気なんて感じなかった。そんな人たち相手にこの力で傷つけることは自衛とは言わないかもしれないし。緋真さんにも怒られそうだよ。

 

「ありがとね。相談に乗ってくれて」

「いいわよ、別に。もう彩葉はあたしにとっても大切な仲間なのよ」

「……」

 

 まさか、蘭からそんなことが聞けるとは思わなかった。

 

「初めて会った時は、あんなにも私のことを嫌っていたのが嘘みたいなこと言うんだね。それがいまではこんな素敵なことを言ってくれて、嬉しいなぁ私」

 

 やっぱり、開いた距離感は時間が縮めてくれるもんだね。

 

「変なことを言うんじゃないわよ。あんたとだけ縁を切るわよ」

 

 魔眼を出して睨まれた。助けて茜ちゃん。超怖い。

 

「そんなことしたら、また繋げるよ。しつこいからね、私は」

 

 凄まれても負けないよ。こういう付き合いは何度もあったし、ちょっと押してみよう。

 

「……とにかく、あんたたちはあたしにとっても、もう二度と失いたくないから、一緒に生きていけるようにお互いに協力しあうのは当たり前だって言いたいだけよ」

「そっかぁ……うん、そうだね。私も同じ気持ちだよ」

 

 きっと、それは纏と覇人。もちろんの如く、茜ちゃんだって同じことを思っていてくれていること。

 運命共同体となった私たちには必要不可欠な要素。

 

「蘭に今日、色々話しが出来て良かったよ。おかげで気持ちの整理も出来たし」

 

 そう、こんなにも晴れやかになっている。

 

「良かったじゃない」

「ありがと。おかげで私が殺される理由があるように、私にも誰かを殺す理由が出来たんだから」

「……」

 

 蘭は黙って聞いてくれる。

 

「私を守る為。

 大切な人たちを守る為。

 私はそんな理由で裏社会に適応して、刃向ってくる人たちを殺していく。

 自分たちさえ良ければそれでいいって言うつもりはないけど、守りたいものがあるから、そっちを優先したい」

「それでいいと思うわよ。

 彩葉は彩葉のやり方で。

 あたしはあたしのやり方で、適応していくしかないわ。

 生き方に正解なんてないのだから、自分にしか出来ない生き方をすることが一番いいと思うわ」

 

 みんな違うんだ。

 そりゃ、そうだよね。私は私。蘭は蘭。

 自分を大切に、素直に、生きていくために。

 緋真さんは多分、蘭と私たちのために、そして、自分のために戦って命を落とした。

 それでもいいんだ、きっと。

 精一杯やったっていう何よりの生きた証拠となるんだから。

 

「さすが、先輩。言うことが違うね」

「あんたにそんな呼ばれ方すると、気持ち悪いわね」

「ひど……っ!」

 

 結構、本気で嫌そうにされた。ちゃんで呼んでいる方がまだマシなリアクションをしている。

 蘭は呼び捨てが一番だ。



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75話

 私の腕元に何かが蠢く感覚がして、目が覚めた。

 いつの間にか、ベッドの上で腕枕をして眠ってしまったみたい。

 まだ睡眠を欲しているのに、眩しい日差しがまるで起きろと言わんばかりに私を照らすから、仕方なく寝ぼけた頭を上げた。

 

「――あ……っ! 起こしてしまいましたね」

 

 いつも通り開きにくい瞼をこすって嫌そうに目覚める私。その視界に飛び込む陽気な朝と……――驚きを隠しきれていないその表情。けど、すぐに柔和な顔を浮かべて、私にその声を聞かせてくれる。

 

「おはよう。彩葉ちゃん」

 

 一瞬、理解を追いつかずに食い入るようにその姿を捉える。

 それこそが、待ちに待った私が望んだ日。

 嬉しさのあまりに胸が震え、それを隠すように私は茜ちゃんにしがみ付いた。

 

「――良かった……。本当に、心配したよ……」

 

 

 茜ちゃんが目を覚ましたことは、すぐに皆にも知れ渡った。

 寝起き一杯のコーヒーと軽めの朝食を用意してもらって、全員で部屋に集まった。

 ここがどこなのか。それを知らない茜ちゃんに、あの後の経緯と命の恩人である篝さんの素性について説明しておいた。私が説明するとあっちこっち話が飛びそうだから纏に任せた。すると簡潔に纏めてくれた。纏なだけに。どうでもいいね。

 ある程度の事情を把握した茜ちゃんは、篝さんに礼をしていたけど、いつもの如く勝手にやっただけと突っぱねられる。

 素直に受け入れたらいいのに……とは思うけど、あえて口には出さないでおいた。

 

「お嬢さんも無事に目を覚まし、全員揃ったわけだが。お前らはこの区に来てどこへ行く気でいるつもりだ。命からがら逃げだしてきたんだろう。良かったら、俺のところで面倒を見てやってもいいが……」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、一応、行くところはあるの……けど」

 

 気になることがあって、茜ちゃんの方をみる。

 あれだけの出血と傷を受けたんだから、すぐに動き始めるのは茜ちゃんの体に悪いんじゃないかな。

 

「私なら、もう平気ですよ。いつでも出発できます」

 

 みた感じは本調子に戻ってそう。でも、もしかしたら気を使って無理をしてるんじゃないかと勘ぐってしまう。

 前も熱があるのに、無理したせいで寝込んでしまうこともあったし、心配になる。

 

「彩葉ちゃんたちのおかげで傷ももうほとんど治っているようなものですし」

 

 包帯を外して、怪我をした部分が露わになる。

 手当てをしていたのは私と蘭だから、その怪我の治り具合は知っていた。だから、それほど驚くことはないとは思っていたけど、もうほとんど塞がりかけているところを見せられると、さすがに驚きを隠せなかった。

 

「早いな……もうそこまで塞がっているのか」

「いや、これはおかしいだろ。――いや……まてよ。……そうか、これがあいつの言ってた例の件か」

 

 後半、ぶつぶつ小声で何か言っていた覇人はちょっと怖い雰囲気。

 でもやっぱりどう考えてもこれは早いみたい。病気もすぐに治ったし、茜ちゃんって変わった体質をしているんだね。けがや病気はよくするのに、なぜかすぐ直る。何気に凄い身体をしてるね。

 

「うちの連中でもお嬢さんより浅い傷を負った奴ですら、完全には治りきってはいないんだが、お嬢さんの魔法か何かか?」

「え、えっと……多分、似たようなものだとは思いますけど……ごめんなさい、私にもよく分からないのです。――あ! もしかしたら、小さいころから軽い怪我ぐらいならよくしていたので、そのせいで治りが早いんだと思います」

 

 茜ちゃんは花屋を経営していたから、よく手に擦り傷を作ることはあったんだよ。でも、それも小学生の頃の話しまでなんだけど。

 

「そういうもの……なのかしら」

「こうして無事に治ったんだし、細かいことはいいじゃん。それよりもどうするの? 茜ちゃんもこう言ってるし、今夜辺りにでもここを出とく?」

 

 何を言っても茜ちゃんは平気だって言ってくるだろうし。意外と頑固なところもあったりするんだよね。

 

「そうだな。これ以上、世話になり続けるわけもいかないし、彩葉の言う通り、今夜ここを出るとしようか」

「早いとこ、目的地に移動した方が良さそうだしな。そうすっか」

「あたしもそれでいいわ」

 

 茜ちゃんもそれで賛成なようだし、結論が出た。

 

「そういうことなら、今日は店を開けといてやる。どうせ、出るのは深夜だろ。それまでここで休ませてやろう」

「ありがと。――さぁ、どうする? 深夜まで特別やることなんてないし、暇つぶしにどこかに行ってみる?」

「どう過ごそうと、俺の知ったことじゃないな。お前らの暇つぶしに付き合ってやるほど俺も暇じゃないんでね。店の物にさえ勝手に触れなければ、好きにしていたらいいだろ」

 

 

 とりあえず、やることもないので外に出た。

 覇人はやることがあるとか言って、どっか行くし。纏は女の子たちの間に男ひとりで割って入るのも照れくさいようで待機。

 仕方なく、女の子三人組で出てくることにした。

 私たちは茜ちゃんが起きるまでほとんど外に出ていなかったから、久々に空の下に降りることになる。

 ぶらぶらと歩いて、何かしら目新しい物がないかと探していたら、遠くからでも視認できる見覚えのある建物が見えて来て、そこへと向かってみた。

 近くまできて確信する。

 この建物は――野原町にもあった。

 

「時計塔――私、てっきりあの町のシンボル的なものかと思っていたけど、そうじゃなかったんだ」

「何言ってんのよ。こんなのは確か、どこの区画にもあったはずよ」

「そうなのですか? 私も彩葉ちゃんと同じで野原町だけの物だと思っていました」

「そういえば、ほかの区画に行ったことがほとんどなかったのよね、あんたたちは」

 

 他所の区画のことは、メディアとかで取り上げられたことぐらいしか、ほとんど知らないって人のほうが実は多いんだよ。

 実際に行くこと自体がないんだし、行ったとしても観光とかが大半。だから、観光名所となるような案内ぐらいしか雑誌とかには載っていないの。三十区の案内本は知らないけど、他所の区画のには時計塔が載っていた記憶はなかった。

 

「建てられたのが、五百年前の戦争後よ。その時に、全四十七区画に作られているわ」

 

 戦争後ということは知っている。野原町の時計塔がそうだし。

 時計塔について書かれている石碑にも建てられた日付は書かれてるから、読めば誰だって分かるよ。

 

「じゃあさ、この下にも野原町にもあった謎の建築物が埋められたりしてるのかな?」

「さぁ。それは聞いたことがないわね。そもそもあんなのがあったなんてこと自体、あの事件で初めて知ったわ」

「あれも五百年前。それも、戦争時の建物らしいですね。何か、時計塔と関係がありそうですけど……」

 

 一応は、家? なのか住めるようになっていた。あそこで被害にあった人たちがしばらく住むことになっていたんだから、居住地としての機能はあるんだと思う。

 みんな今でも、あそこで暮らしているのかな? 

 

「あの……ちょっといい?」

 

 聞き覚えの無い声を掛けられて、私が後ろを振り向くと、そこには小柄な女の子が立っていた。

 丁度、月ちゃんと同じぐらいの背丈で歳も近そう。だけど、月ちゃんと違ってまるで表情の乗らない顔は一級品の人形のよう。しかし、髪を左右で編んで結ばれている部分には手が込んでいて、人形とは違うんだと実感させてくれる。月ちゃんとは正反対のような印象を感じる。

 

「その姿……間違いなさそう」

 

 控えめなクールボイスで勝手に納得される。

 

「えっと、どこかで会ったことあったっけ?」

「……ない」

 

 首を振って答える女の子。

 

「あなたたちのことなら、すでに裏社会では知っている人は知っている」

「また、私たち話題になっているみたいですね」

「二十九区に来たのは数日前なのにもう知られてるのね」

 

 しばらくの間、大人しくしていたのに、何かスター性を感じる。あまり、嬉しくないけど。

 

「両端《ターミナル》襲撃は十分に話題になる」

「そうですね。……今さらですけど、あとのことなんて何も考えずに行動してましたね」

「でもさ、あれしかやり方がなかったんだし、そんなこと考えても意味ないって」

「彩葉に賛同するわけではないけど。どっちにしろ、あそこを抜ける以上はある程度の話題性は避けては通れないわ」

 

 道は一つしかなかった。だったら、しょうがない。裏社会を賑わす程度になっただけだし、別にいいよね。

 

「ところで、あなたも裏社会のことを知っているということは、魔法使い……なのですか?」

 

 襲撃事態はもう裏表関係なく、知れ渡っているだろうけど。私たちの素性を知っているということは、魔法使いかアンチマジックのどちらかになる。

 

「あなたたちと一緒」

 

 それを聞いてホッとした。

 

「そっか。じゃあ、この先もし何か縁があったら、仲良くしようね」

「うん。その時は必ず――」

 

 弾みのない声に感情は乗っていない。ずっと同じ調子で話す女の子は、表情までも一切変わらずに答えた。

 

「ちょっと待ちなさいよ。いくら小さい子だからと言って、信じるの? こんなこと言うのも悪いとは思ってるけど、騙している可能性もあるのよ」

「こんな小さな子に限って、そんなことはないですよ。それにその言い方は酷いです」

「甘いわ。月のような年齢でもアンチマジックなのよ。もし、この子が関係者だとしたらどうするのよ」

 

 傷つくようなことを言われた女の子は無表情を貫いた。この年なら嫌そうにするか、不快感を出しそうなのに。そう、まるで感情が抜け落ちているんじゃないかと錯覚を覚えるほどに変わらなかった。

 

「私を疑っているの」

「当たり前でしょ。あんたが本当に魔法使いだというなら、証明してみせることね」

「そんなことは出来ない」

 

 抑揚のない声。強気に出ている蘭を意に介していない様子。

 

「このお姉さんはすぐ怒るから、ちょっとだけでもいいから見せてあげてよ」

「彩葉は余計なことを言わなくていいのよ。第一、怒ってないわよ。あんたたちが無警戒すぎるから、あたしが代わりにこうして疑っているのよ」

「……だってさ」

 

 茜ちゃんに振ると、困ったように微笑をたたえた。

 

「こんなところで魔力を出してしまうと、黒服に気づかれる」

「黒服?」

 

 何かの隠語?

 

「戦闘員のことよ。戦装束が黒服だから、一部ではそういう言い方をされているらしいわ」

 

 そのまんまの意味だった。

 でもそっか。どこかに魔力検知器が潜んでいるから、魔力を出してしまえばアンチマジックに狙われることになるんだね。母さんたちが確か、それで見つかったんだっけ。

 

「でも、あなたたちは遅すぎた。もう手遅れ」

 

 女の子が口を開く。相変わらず、表情は変わらないから緊迫感がいまいちわかない。それでも、言い放った一言には重みがあったせいで、続く言葉にはただならぬ嫌な予感を引き寄せられた。

 

「――来るよ」

「何が……かな?」

 

 その先を聞く必要なんて多分ない。私たちと関わってくるような存在なんて限られているんだから。それでも、口には出てしまった。聞かずにはいられなかった。

 もしかしたら、勘違いかもしれないという淡い期待を込めて。

 

「……」

 

 女の子は答えてはくれなかった。

 もう、分かっているんでしょ。と言わんばかりに。

 出会った時と同じく、言葉もなくその場を去っていった。

 

「あたしたちも戻りましょ。あの遊び人は夜まで帰ってこないだろうし、それまで待機してましょ」

 

 遊び人というのは、もちろん覇人のこと。ふらふらとどこに行ってるのかは分からないけど、今夜でて行く予定だから帰ってくることは間違いない。

 

「ごめんなさい。私のせいで余計な迷惑をかけてしまってますよね」

「そんなことないよ」

 

 誰かが責められるようなことなんかじゃない。あんなことをしてしまったのが、そもそもの原因なんだから。これは、連帯責任だよ。

 

「どうせさ、今日でていくつもりだったんだし、丁度いいじゃん」

「そうね。あとは、運しだいだわ」

 

 私たちの安寧はどこにあるのか。短い休息の時間は、終わりを告げた。



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76話

 夜のバーかがり火。

 客を入れる気は全くないのに、店先をネオン灯で色づけ、シックな雰囲気の造りになっている店内にも電気が点く。

 あれから、予想通り覇人は日が完全に暮れた後に帰ってきた。

 いまは、私たちとマスターである篝竜童の六人で集まっている。

 荷物を纏め上げ、ここを出る準備を済ませた後だった。

 

「どこに行くつもりかは知らないが、せいぜい気を付けることだな」

 

 グラスに注いだ店の酒を片手に見送る篝さん。

 

「例の魔法使いもここ数日は鳴りを潜め続けていて、動向は掴めていないんだろ? 若造」

「まぁな。オッサンの言っていた通り、姿どころか噂の一つも聞くことはなかったぜ」

 

 タバコを吸って、煙を吐く覇人。

 篝さんたちとは別に覇人は個人で亡霊みたいだと噂されている魔法使いを一人探していたの。幅広く情報を手に入れる為にも、一人で行動している方がいいとか言ってた。

 でも、それは建前でこの区画はキャパシティがある場所。色々と裏について探るには、一人じゃないとやりにくいんだとかなんとか。

 

「怪しいわね。丁度、あたしたちがここに来たのと同時に、噂すら聞かないなんてね。あんた、真面目に探していたのかしら?」

「……」

「どうしてそこで黙るんだ」

 

 纏が不安を隠せない様子にしている。やっぱり、いつもの如くサボっていたのかもしれない。本当は一人の方が気楽でサボり放題だからとかそういう理由なんじゃないかな。

 覇人には労働とか向いてなさそう。将来の職業は遊び人ってことで、割と似合うと思う。

 

「……そんなに疑わなくてもちゃんと探したっつーの」

「そう……か。いや、疑うつもりじゃなかったんだけど、悪かった」

 

 謝罪をした纏に何の反応も見せずに、覇人は煙草を大きく吸ってはいた。充満した煙にむせ返りそうになる。

 

「姿を消したのも、あんな事件を起こしちまったから。案外、動こうにも動けなかっただけかもしれねえしな」

「そうですね。見つからないのはそういう理由があるからかもしれないですね」

「ふーん。じゃあ、その魔法使いもまだこの辺にいたりするのかな?」

 

 最後に目撃されたのは篝さんによると、この辺りらしい。もし、動けないのならまだ近くにいる可能性だって十分にありそう。

 覇人はしばらく考え込むように黙った後にもう一度、煙を吐いた。

 

「……だと思うぜ。多分、そいつはまだ生きて、息を潜めているだろうな」

 

 長く伸びた灰が根元から折れる。とっさに茜ちゃんが灰皿で受け止めてくれたから、落ちずには済んだ。ナイスキャッチ茜ちゃん。

 

「――悪い」

「落とすなよ。小僧」

 

 そんなにもなるまで灰殻を捨てないなんて、覇人らしくはなかった。何か、思いつめることか、気になることでもあるのかな。

 

「難しい顔をして……何か心配事でもあるのか?」

「いや。なんでもねえよ」

 

 付き合いの長い私たちからすれば、何かしら抱えていることは嘘を吐かれても大体は分かる。でも、話す気がないのなら、無理には聞き出さないで置いた方がよさそう。出発前に悪い話しだったら嫌だし。

 

「なんにせよ、ここを出ていくのなら俺は止める気はねえよ。例の魔法使いも狂った奴ではなさそうだし、お前らが狙われることもないだろう。むしろ厄介なのは……あの秘密犯罪結社か」

 

 その名を聞いて、反応せずにはいられなかった。犯罪結社と聞いて、思いつく組織名は一つしか思い当たらない。

 

「その組織って……キャパシティのこと?」

「なんだ、知っていたのか? その名を知っていることは、裏社会に深く馴染んでやがる奴だと思うのだがな……。お前らのような若造共にも知られているとは、あいつら……そこまで派手な動きを見せていたのか」

 

 実は目の前にいるこの、覇人こそがキャパシティ所属の魔法使いだよ。と明かしてしまいたいけど、キャパシティはアンチマジックと魔法使いそれぞれからあまり良い印象を持たれていないみたいだから、あえてそのことは教えないでおこう。

 

「オッサンの方こそ、組織のことを知ってるとは思わなかったぜ」

「俺が知っているのは、連中が裏社会に大きな影響を与えるような事件ばかり起こすはた迷惑な奴らってことぐらいだ。それ以外の詳しいメンバーや目的なんざ聞いたこともねえよ」

 

 いままで聞いてきた噂通り、実態すらほとんど掴まれていない組織みたいだね。

 三十区と三十一区で起きた事件だって、あの裏側では緋真さんが関わっていた。あの一連で何人もの名前も知らない魔法使いが死んで、一般人の人たちも巻き込まれては死んでいった。

 三十一区の焼失事件の映像が脳内で再生されて、悲惨さを思い返す。

 たしかにあんなことを起こして、表と裏の両方に大打撃を与えるようなことをキャパシティのメンバーが起こしていると分かれば、誰だって嫌悪するだろうし。

 裏社会の情報を結構、把握している篝さんならもしかすると、あれら全部キャパシティが関わっていると何となく感づいているのかもしれない。

 言葉からにじみ出るうっとうしさがそれを感じさせた。

 

「だがしかし、それだけ裏社会を揺るがしているのにも関わらず、正体を掴ませないとなると、ますます得体がしれないな」

「あれだけ話題性の高いことをやらかしているくせに、その尻尾すら見せやしない組織だ。だが、それでも唯一分かっていることがある。連中の拠点がこの二十九区にあるってことだ」

 

 それはアンチマジックですら知られていないことなのに。

 この区画に住んで、情報通ならそれぐらいのことなら把握していてもおかしくはないかもしれないね。

 

「詳しいわね。ひょっとしてあんた、連中とどこかで会ったこととかあるのかしら?」

「いや、知らんな。そもそも、秘密主義の連中が自分から正体をバラすような真似をすると思うか?」

「それもそうね」

 

 私の母さんと父さんも秘密犯罪組織の一員だとは死んでから初めて知ったこと。それに、緋真さんと覇人もそうだったと分かった時は驚いたもんだったよ。

 

「この区画にきて初めて出会った魔法使いが篝さんで良かった。聞く限りだと、キャパシティとは全くの無関係そうな雰囲気ですし」

「どちらかと言うと、俺たちは毛嫌いしているぐらいだ。あいつらのせいで罪のない魔法使いがどれだけ被害を受けたことか。だからこそ、お前らの無事を祈ってやりたくなるのさ」

「その祈り、ありがたく受け取らせていただきます。ではこれ以上、長居するわけにいきませんし、そろそろ俺たちは出発します」

「そうかい。気ぃつけてな」

 

 話しもまとまり、祈りを受けながら出発のために席から離れようとしたとき、扉がノックされた。

 表には営業していない張り紙が張り出されているはずだから、お客さんというわけではないだろうし。あ、もしかすると店内のに明かりが付いているから営業中だと勘違いしているのかも。

 それ以外となると、他のバーかがり火に関係している魔法使いなのかな。でも、それだとわざわざノックしてくることが不思議に思える。

 こちら側からわざわざ声を掛ける前に、扉が重々しく開き、まるで見知らぬ家の門をくぐるような。よそよそしい衣を纏いながら、顔だけを覗かせてくる。

 

「あのー……こんばんはー……」

 

 おそるおそるといった風に挨拶をする来訪者。

 だけども、篝さんを除いた私たちは。

 

 その声を――

 

 その姿を――

 

 誰なのか認識したとたん、驚きの声を発する。

 向こうも反応して、私たちの存在に気づくと扉を空け放って、店内に入り込んできた。

 なんで……? どうして……? あの子がこんなところにいるの? 聞き出したかったけど、無邪気に抱き付いてきたこの子を邪険にすることも出来ずに、私はただ迎え入れることしか出来なかった。

 

「蘭もお姉ちゃんたちも久しぶりだね!」

 

 大人の雰囲気漂わせるバーに場違いな程、幼さのある声が響き渡らせたのは、A級戦闘員の月ちゃんだった。

 

「あん? お前ら、こんなところで何してやがんだ」

 

 後から、突っ走った月ちゃんをめんどくさそうに追いかけてきたS級戦闘員でもあり、月ちゃんの保護者役である殊羅がやって来る。

 

「……騒がしい客だな。悪いが、今日は休みだと外に張り紙を出していたのを見ていないのか?」

「張り紙だぁ……? そんなもの張っていなかったがな」

 

 扉の外側では、地面に破り捨てられた張り紙が風に攫われていったところだった。

 強引な客相手に篝さんの目つきは鋭くなり、突然の来訪者に対して不信感を抱き始めていた。

 



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77話

 夜のバーかがり火。

 客を入れる気は全くないのに、店先をネオン灯で色づけ、シックな雰囲気の造りになっている店内にも電気が点く。

 あれから、予想通り覇人は日が完全に暮れた後に帰ってきた。

 いまは、私たちとマスターである篝竜童の六人で集まっている。

 荷物を纏め上げ、ここを出る準備を済ませた後だった。

 

「どこに行くつもりかは知らないが、せいぜい気を付けることだな」

 

 グラスに注いだ店の酒を片手に見送る篝さん。

 

「例の魔法使いもここ数日は鳴りを潜め続けていて、動向は掴めていないんだろ? 若造」

「まぁな。オッサンの言っていた通り、姿どころか噂の一つも聞くことはなかったぜ」

 

 タバコを吸って、煙を吐く覇人。

 篝さんたちとは別に覇人は個人で亡霊みたいだと噂されている魔法使いを一人探していたの。幅広く情報を手に入れる為にも、一人で行動している方がいいとか言ってた。

 でも、それは建前でこの区画はキャパシティがある場所。色々と裏について探るには、一人じゃないとやりにくいんだとかなんとか。

 

「怪しいわね。丁度、あたしたちがここに来たのと同時に、噂すら聞かないなんてね。あんた、真面目に探していたのかしら?」

「……」

「どうしてそこで黙るんだ」

 

 纏が不安を隠せない様子にしている。やっぱり、いつもの如くサボっていたのかもしれない。本当は一人の方が気楽でサボり放題だからとかそういう理由なんじゃないかな。

 覇人には労働とか向いてなさそう。将来の職業は遊び人ってことで、割と似合うと思う。

 

「……そんなに疑わなくてもちゃんと探したっつーの」

「そう……か。いや、疑うつもりじゃなかったんだけど、悪かった」

 

 謝罪をした纏に何の反応も見せずに、覇人は煙草を大きく吸ってはいた。充満した煙にむせ返りそうになる。

 

「姿を消したのも、あんな事件を起こしちまったから。案外、動こうにも動けなかっただけかもしれねえしな」

「そうですね。見つからないのはそういう理由があるからかもしれないですね」

「ふーん。じゃあ、その魔法使いもまだこの辺にいたりするのかな?」

 

 最後に目撃されたのは篝さんによると、この辺りらしい。もし、動けないのならまだ近くにいる可能性だって十分にありそう。

 覇人はしばらく考え込むように黙った後にもう一度、煙を吐いた。

 

「……だと思うぜ。多分、そいつはまだ生きて、息を潜めているだろうな」

 

 長く伸びた灰が根元から折れる。とっさに茜ちゃんが灰皿で受け止めてくれたから、落ちずには済んだ。ナイスキャッチ茜ちゃん。

 

「――悪い」

「落とすなよ。小僧」

 

 そんなにもなるまで灰殻を捨てないなんて、覇人らしくはなかった。何か、思いつめることか、気になることでもあるのかな。

 

「難しい顔をして……何か心配事でもあるのか?」

「いや。なんでもねえよ」

 

 付き合いの長い私たちからすれば、何かしら抱えていることは嘘を吐かれても大体は分かる。でも、話す気がないのなら、無理には聞き出さないで置いた方がよさそう。出発前に悪い話しだったら嫌だし。

 

「なんにせよ、ここを出ていくのなら俺は止める気はねえよ。例の魔法使いも狂った奴ではなさそうだし、お前らが狙われることもないだろう。むしろ厄介なのは……あの秘密犯罪結社か」

 

 その名を聞いて、反応せずにはいられなかった。犯罪結社と聞いて、思いつく組織名は一つしか思い当たらない。

 

「その組織って……キャパシティのこと?」

「なんだ、知っていたのか? その名を知っていることは、裏社会に深く馴染んでやがる奴だと思うのだがな……。お前らのような若造共にも知られているとは、あいつら……そこまで派手な動きを見せていたのか」

 

 実は目の前にいるこの、覇人こそがキャパシティ所属の魔法使いだよ。と明かしてしまいたいけど、キャパシティはアンチマジックと魔法使いそれぞれからあまり良い印象を持たれていないみたいだから、あえてそのことは教えないでおこう。

 

「オッサンの方こそ、組織のことを知ってるとは思わなかったぜ」

「俺が知っているのは、連中が裏社会に大きな影響を与えるような事件ばかり起こすはた迷惑な奴らってことぐらいだ。それ以外の詳しいメンバーや目的なんざ聞いたこともねえよ」

 

 いままで聞いてきた噂通り、実態すらほとんど掴まれていない組織みたいだね。

 三十区と三十一区で起きた事件だって、あの裏側では緋真さんが関わっていた。あの一連で何人もの名前も知らない魔法使いが死んで、一般人の人たちも巻き込まれては死んでいった。

 三十一区の焼失事件の映像が脳内で再生されて、悲惨さを思い返す。

 たしかにあんなことを起こして、表と裏の両方に大打撃を与えるようなことをキャパシティのメンバーが起こしていると分かれば、誰だって嫌悪するだろうし。

 裏社会の情報を結構、把握している篝さんならもしかすると、あれら全部キャパシティが関わっていると何となく感づいているのかもしれない。

 言葉からにじみ出るうっとうしさがそれを感じさせた。

 

「だがしかし、それだけ裏社会を揺るがしているのにも関わらず、正体を掴ませないとなると、ますます得体がしれないな」

「あれだけ話題性の高いことをやらかしているくせに、その尻尾すら見せやしない組織だ。だが、それでも唯一分かっていることがある。連中の拠点がこの二十九区にあるってことだ」

 

 それはアンチマジックですら知られていないことなのに。

 この区画に住んで、情報通ならそれぐらいのことなら把握していてもおかしくはないかもしれないね。

 

「詳しいわね。ひょっとしてあんた、連中とどこかで会ったこととかあるのかしら?」

「いや、知らんな。そもそも、秘密主義の連中が自分から正体をバラすような真似をすると思うか?」

「それもそうね」

 

 私の母さんと父さんも秘密犯罪組織の一員だとは死んでから初めて知ったこと。それに、緋真さんと覇人もそうだったと分かった時は驚いたもんだったよ。

 

「この区画にきて初めて出会った魔法使いが篝さんで良かった。聞く限りだと、キャパシティとは全くの無関係そうな雰囲気ですし」

「どちらかと言うと、俺たちは毛嫌いしているぐらいだ。あいつらのせいで罪のない魔法使いがどれだけ被害を受けたことか。だからこそ、お前らの無事を祈ってやりたくなるのさ」

「その祈り、ありがたく受け取らせていただきます。ではこれ以上、長居するわけにいきませんし、そろそろ俺たちは出発します」

「そうかい。気ぃつけてな」

 

 話しもまとまり、祈りを受けながら出発のために席から離れようとしたとき、扉がノックされた。

 表には営業していない張り紙が張り出されているはずだから、お客さんというわけではないだろうし。あ、もしかすると店内のに明かりが付いているから営業中だと勘違いしているのかも。

 それ以外となると、他のバーかがり火に関係している魔法使いなのかな。でも、それだとわざわざノックしてくることが不思議に思える。

 こちら側からわざわざ声を掛ける前に、扉が重々しく開き、まるで見知らぬ家の門をくぐるような。よそよそしい衣を纏いながら、顔だけを覗かせてくる。

 

「あのー……こんばんはー……」

 

 おそるおそるといった風に挨拶をする来訪者。

 だけども、篝さんを除いた私たちは。

 

 その声を――

 

 その姿を――

 

 誰なのか認識したとたん、驚きの声を発する。

 向こうも反応して、私たちの存在に気づくと扉を空け放って、店内に入り込んできた。

 なんで……? どうして……? あの子がこんなところにいるの? 聞き出したかったけど、無邪気に抱き付いてきたこの子を邪険にすることも出来ずに、私はただ迎え入れることしか出来なかった。

 

「蘭もお姉ちゃんたちも久しぶりだね!」

 

 大人の雰囲気漂わせるバーに場違いな程、幼さのある声が響き渡らせたのは、A級戦闘員の月ちゃんだった。

 

「あん? お前ら、こんなところで何してやがんだ」

 

 後から、突っ走った月ちゃんをめんどくさそうに追いかけてきたS級戦闘員でもあり、月ちゃんの保護者役である殊羅がやって来る。

 

「……騒がしい客だな。悪いが、今日は休みだと外に張り紙を出していたのを見ていないのか?」

「張り紙だぁ……? そんなもの張っていなかったがな」

 

 扉の外側では、地面に破り捨てられた張り紙が風に攫われていったところだった。

 強引な客相手に篝さんの目つきは鋭くなり、突然の来訪者に対して不信感を抱き始めていた。

 



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78話

 何事もなかったかのように、ただ、悠然とお客さんとしてカウンター席につく殊羅。その隣に月ちゃんが足をぶら下げて、座り込んだ。

 

「お前ら、何者だ? もちろん、ただの客ってわけじゃないんだろ」

「仕事途中での息抜きに来ただけだ。――営業はやっているんだろう?」

「……張り紙を破って置いて、よく言えたもんだな」

 

 悪人面をしている篝さんが言い負かされているところをみると、なんだかシュール。

 張り紙がなくても、店内に光を灯していかにも営業中を装っていたのが悪いんだから、仕方なくといった感じで二人を迎え入れた。

 

「ねえねえ、ジュースを置いてないの?」

「悪いな。うちは子供が飲めるようなものは置いてないんだ。ジュースが飲みたいなら、そこの若造にファミレスにでも連れて行ってもらうといい」

「おいおい……客をいきなり追い返すのか?」

「うちは、バーだ。保護者ならその辺りを理解してもらいたいもんだ」

 

 どう考えても未成年者がここにいるのに、それは通用しないんじゃないかなと思う。

 ほら、その証拠に殊羅がこっち見てるじゃん。

 あいつらはいいのか? そんなことを言いたげに。

 覇人はここぞとばかりに成人を気取ってちゃっかりタバコを吸う。堂々と吸っているところを悪いんだけど、年齢はばれているはずなんだけどね。

 篝さんも頭を抱えるようにしてうなだれていた。

 

「仕方ないな。今日だけは特別だ。ただし、酒しかうちは出せねえぞ」

 

 現場証拠がある以上、篝さんが折れた。

 

「ああ、それでいい。そうだな、一番高い奴とこのガキには水でも出してやればいい」

「えー……月だけお水なんて嫌だぁー! ねえ、オジサン! ほんとにジュースないのー! あ! それとかジュースじゃないの?」

 

 殊羅に出すための酒が注がれているグラスを見て、月ちゃんが疑いをかける。

 たしかに、パッと見た感じだとそれっぽい。

 

「ここにあるのは、すべて大人のジュースだ。おチビちゃんにはあと十年早いな」

 

 反論も出来ず、月ちゃんはふて腐れてしまった。足が地面からだいぶ離れているせいで飛び降りるような形でカウンター席から離れてしまう。

 

「コーヒーぐらいは出してやった方が良かったか……」

「今さら酒以外あるなんて言い出したら、騒ぎ立ててめんどくせえことになる。放って置け」

 

 子供扱いされた月ちゃんは、バーが珍しいのかあちこちと眺めて回っている。私の美的感覚がおかしいのか、芸術センスがあるかどうかもよく分からない壁掛けされている絵なんかを見てる。

 

「おい! 水が入ったが、お前、飲まないのか?」

「そんなの要らないよーだ……っ!」

 

 纏が傷心している月ちゃんを宥める口調で話しかける。

 

「完全に子供扱いされてしまったな」

「……月も早くお酒が飲めるようになれたらいいのに……」

「止めておきなさい。あんなろくでもないやつになるわよ」

 

 蘭が指さした先にはタバコを片手に、酒の入ったグラスを丁度、飲み干した覇人がいた。

 

「あれ? それって篝さんの酒じゃなかったっけ」

「まあな。せっかくいい雰囲気の店なんだしよ、どんな酒出してるのか気になるじゃねえか」

「もう、覇人くん。小さい子の前でそんな悪いところを見せてはダメですよ。月ちゃんの教育に悪いじゃないですか」

 

 カランと中に入った氷が良い音を立てて、机に置かれる。纏が溜息を吐きながら、またかと言いたげに覇人を見ていた。

 

「おい若造! お前、なに勝手に飲んでいやがる。タバコは良しとしてもだな、ここがバーである以上、未成年が酒飲むようなことは俺が許さねえよ」

「タバコは良いんだね」

「ダメに決まってますよ」

「そうだ。たとえ篝さんが許しても俺は認めないぞ」

「だってさ。覇人」

「お前ら、なんで俺責める時に限ってそんなに協調しあっているんだよ。俺、なんか辛いぜ」

 

 はい、みんな揃ってのダメ。私的には別にどっちでも構わないんだけど、少数派になるのは何となく嫌だから、茜ちゃんたちの意見に乗っただけ。

 

「……はぁ。ほんと馬鹿ばかりだわ。それはそうと、殊羅。あんたたちは何の用事でこんなところに来たのよ」

 

 私たちが無駄口を言い合っている間に話を進める蘭。

 さぁ、ここからが本題だ。

 

「別に……息抜きに来ただけだ」

「だとしても、戦闘員は狩りを始める時間帯のはずよ」

 

 外の町並みはすでに夜が飲み込んでいる。魔法使いが最も警戒をし始める時間帯でもあって、戦闘員が活発に動き始める頃だ。

 

「なるほどな。お前ら、戦闘員だったか。通りで只者じゃないとは思っていたが。特にお前――尋常じゃないぐらいに強いだろう」

「そういうあんたこそ、その辺の魔法使いとは桁外れに見えるがな」

「お前ほどじゃねえよ」

「どうだろうな。別件がなければここで確かめてみてもいいんだが」

 

 やる気のなさそうなところしか見せない殊羅が初めて、関心を出している。S級戦闘員の強さは身に染みて分かっているつもり、そんな殊羅に興味を持たせるなんて、偏見でしかないけど篝さんってやっぱり強い魔法使いだったんだ。

 

「ここで戦ったらお店が潰れちゃうよ。月たちのお仕事は回収屋を見つけなくちゃいけないんだから、そろそろ行こうよー」

「……めんどくせえ」

「なんでー! お仕事の時間なんだから、行かないとダメなんだよ」

「だったら、お前さん一人に任せるわ」

「だーかーらーダメなのー! また、上の偉い人に怒られちゃうよ」

 

 無邪気に騒ぐ月ちゃんを他所に酒をゆっくりと飲む殊羅。

 ずっとそうしていてくれるのなら別にそれはそれでいいし。仕事放棄なら大歓迎。だけど、その仕事内容には聞き捨てておくわけにはいかない単語が含まれていた。

 

「月ちゃんたちってまだ、その回収屋っていう魔法使いを探しているの?」

「そうだよ。えっとね、つい最近になってこの辺りで被害が出ちゃったみたいなの。それでね、今日はこの辺りで探すんだ!」

 

 回収屋はアンチマジックから、魔法使いの死体を強引に奪っていっているらしい。ということは、ここ最近でもアンチマジックがやられているんだ。

 亡霊の魔法使いと回収屋。せっかく、三十区から逃げて来たのに、裏社会はいつだって賑やかだね。平和なんてものとは無縁過ぎる。

 私たちとは無関係っぽそうな二人だけど、これからのことを考えるとちょっと迷惑。

 

「……ま、そういうことだ。お前さんら、丁度いいところで出会ったんだ。情報提供でもしてもらおうか」

「うわぁ、覇人と一緒でサボる気しかないよね。この人」

「コイツと一緒にすんなっつーの。ちゃんと自分の足で歩いて、あっちこっちと動き回ってるんだぜ。俺は」

 

 嘘か本当か分からないけど、必死で違うと言っているから信じよう。

 

「私たちもちょっと前に、二十九区に来たので詳しいことは何も知りませんよ」

「そういやそうだったか。……ああ、そういやお前さんら、両端《ターミナル》を襲撃してコッチ側に渡ってきたんだったな。……中々面白いことをやるもんだな。ま、ちょっとは見直したぜ」

 愉しそうに笑いだす殊羅。

「そのことは、もうあなたたちにも知られているのですね」

「ま、知っているのは俺らしかいないと思うがな。今頃、連中は犯人捜しと両端《ターミナル》の建て直しで手一杯だろうよ」

 

 まだ私たちがやったってことまでは調べられてないんだ。時間の問題かもしれないけど、とりあえずは朗報……かな。

 

「本当は、ここでお姉ちゃんたちを殺しちゃうつもりだったんだけど、月たちは回収屋を見つけなきゃいけないから、特別に許してあげるんだからね」

「あ、うん。ありがと?」

「なぜ、疑問形で礼を言っているんだ」

「いや、なんとなく」

 

 月ちゃんは自分が悪だと決めつけた魔法使いしか殺さないらしいし、それだったら本来、私たちは月ちゃんの怒りを買って、大惨事になること間違いなかった。回収屋に感謝しとかないとね。

 

「それじゃあ、お客さんらには仕事があるようだし、酒はほどほどにして本職に戻ったらどうだい」

「いや……ここで待機しているのも仕事の内に入るんだがな」

「あんた、相変わらず動こうとしないわね。そんなことしている間にも、回収屋は遠くに行ってしまうかもしれないわよ」

 

 いつそんな話を聞いたのか知らないけど、結構時間も経っているんだろうし、ここに居られても落ち着けないし早めに退散してくれた方がいいんだけどね。全面的に蘭に賛成。

 

「あのね、蘭。回収屋はね、絶対にまだここにいるんだよ」

 

 強く、はっきりと断言する月ちゃん。それは十分な確証がないと口には出来ないほどの想いが込められていた。

 

「お姉ちゃんたちが、両端《ターミナル》を襲ちゃったときにね、いっぱい魔法使いが死んじゃったでしょ。だからね、回収屋はその魔法使いを連れ戻しにここまできてるはずなんだ」

「あれから随分と時間が経っているはずよ。今頃は腐っているんじゃないかしら」

「でも、死んだ魔法使いはここに運ばれちゃったんだよね?」

 

 否定を許さない口調。可愛い見た目とは裏腹に迫力は物凄い。これがプロ。A級の魅せる気迫なんだ。

 

「――月。あんた、知っていたのね」

「うん。お姉ちゃんたちもうまく隠れながら移動してたみたいだけど、両端《ターミナル》に残っていた血と魔力検知器があればここに逃げちゃったことぐらい、すぐ分かっちゃったよ」

 

 血と魔力検知器。どっちも魔法使いを追う為には必要な物。そこまでさすがに頭が回らなかったし、あの出血だとどう工夫しても血は流れてしまうし、仕方ない。

 全員が余計なことを話してしまわない様に口を閉じる。

 緊張感が走るこの空間で先に口を開いたのは殊羅だった。

 

「まだここにあるのか。死体? それとももう処分しちまったか。あるいは、引き渡した後か。……一体どれが正解だ?」

「俺たちの手で丁重に弔った後だ。残念だったな。お前らの探し人は何時までたってもここに現れやしないぜ。ほら、要件は済んだろ」

「そうか。それなら、別にいいんだ。少なくとも、奴がここには現れないことさえ分かれば十分だ」

 

 たったそれだけのようで、殊羅は金を適当に机に置いて席を立った。

 

「しょうがない。このガキがうるさいし、めんどくせぇけど動くか」

「やっと、その気になってくれたー。もう、最初からそうやってちゃんとしてくれなきゃダメなんだからね」

「おい! 若造、ちょっと待ちな――」

 

 月ちゃんを連れて、外に出ようとする殊羅を篝さんが引き止めた。

 

「この場所のことをお前らはどうするつもりだ。事と次第によっては、お前らをここから生きて帰す保証は約束させないぜ」

「安心しな。めんどくせぇし、上には黙っておいてやるよ」

「ねえ、アンチマジックってあんなノリでいいの? 職務放棄じゃん。いや、それならそれでいいんだよ。お世話になったから、むしろそうしてあげてほしいぐらいだし」

 

 普通の社会人ならクビにされそうなものだけど。いいのかな? まぁ、裏側って色々こじれた人たちの集まりみたいなもんだし、細かいところは気にすることでもなく、意外とその辺は適当なのかもね。

 

「うーん。いまの月たちは回収屋を見つけちゃうことが第一だから、月も何にもお話ししないよ。それに、お姉ちゃんたちのことは特別に許しちゃうって決めたもん」

 

 笑顔で答える月ちゃん。その裏側が真っ黒でないことを祈るよ。

 

「信じても大丈夫……なのでしょうか」

「いいんじゃない? だって、ほら見てあの顔。嘘言ってなさそうだよ」

「ま、そうだな。こいつらなら問題ねえだろ」

「そうなのか? 一緒にいた時間が短かったからどういう戦闘員なのか詳しいことは知らないが」

「極めて自分勝手な戦闘員ってところだな。こっちから余計な手出しさえしなければ、普段は大人しい二人だぜ」

 

 果たして本当なのか、会話中ずっと月ちゃんにしがみ付かれていた蘭に顔を向けて、どうなの? と無言で聞いてみる。

 

「そうね。あたしは月に関しては信頼してるし、殊羅は元々あんな性格だから放っておいても大丈夫だと思うわ。そうよね、月」

「うん。月のことは信じちゃってもいいよ。絶対に誰にも言わないって蘭と約束する」

「そう。ありがとうね。月」

 

 月ちゃんの頭を撫でる蘭。こうしてみると仲睦まじい姉妹に見えなくもない。うん。あれだったら、変な心配しなくてもよさそうに思えてきた。

 

「さて、別の店で聞き込みでもするか」

「じゃあね。今度はファミレスがいい! ジュースが飲みたい!」

「めんどくせえな」

 

 来た時と同じように、何事もなく帰っていった。

 まるで台風が去ったあとみたいに静まり返ったバー。

 殊羅と月ちゃんは、ああ言ってくれてたけど、念のために出発は明日に持ち越すことにした。



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79話

 暗い暗いどん底に飲み込まれる。

 深海を泳ぐように下る闇の中。そう思っているだけで実際は侵されているのかもしれないけど、なんとなくどこかに進んでいるんだなという感覚が付き纏う。

 辿り着いたその先が本当にどん底なのか、まだ更に下があるのか。暗すぎてよく分からない。

 果たして底に辿り着いたのか。

 まるで霧が晴れるようにして視界が取り戻されていくと、そこはどこかの建物の中だった。

 廊下が迷路のように入り組んでて、歩いているうちに同じところを実は回っているんじゃないかとすら思えてきた。目印となるような物でもあればいいのに……変な建物。

 適当にあっちこっちとうろついていたら、階段があった。そこでなんでか知らないけど寒気がした。

 私にとっては都合がよくない場所で、今すぐ離れたいという気持ちが表れてくる。

 それを更に強く駆り立てさせたのは、下から這い上がって来る衝撃音。

 何かが暴れているような、爆発でも起きたみたいな。そんな感じ。

 

「ここは……止めとこっかな。うん。そうしよ」

 

 振り向いて戻ろうとすると、視界にノイズが走った。

 眼が気持ち悪い。景色がはっきりと見渡せないことがこんなにも苦痛だなんて知らなかったよ。

 何もかもがブレる。焦点が上手く合ってくれないことで、余計に気持ち悪くなってきた。

 ふらつく足元をそれでも何とか耐えきって前を見ると、すでに廊下は消え去っていた。立ちくらみにも似た感覚のあとで、一瞬でワープでもしたみたいに。入り口のような場所で七人の人が立っていた。

 後ろ姿でノイズが走っているから結局だれなのか分からないんだけど、それでも誰なのかはっきりとさせたくと、一歩一歩よく判別できるぐらいの距離まで移動しようとしてみる。

 突如、朱い何かが入り口付近まで飛んで行ったかと思うと、鼓膜を破るような轟音と震え上がる風が肌を叩きつけてくる。

 炎上し、視界が朱く染まる景色は夕焼けを見ているように鮮烈で、瞳に焼きついてしまうほど。

 直視するには、あれはあまりにも鮮やかすぎる。

 目のダメージ防ぐため、私は視界を手で遮ってしまう。

 指と指の隙間から覗いてみると、こっちに人が飛んできた。まるで、キャッチボールのように綺麗な軌道を描いて、そのまま受け取り手もなく地面に落ちた。

 ボールみたいにバウンドなんてしなくて、ぐったりとしている人。

 目の前の七人がようやく視界に慣れてきたっぽくて、我先にと駆け寄っていく。

 一体誰が飛んできたのか、知りたかった私はノイズがかかった七人の間から覗くようにして見てみた。

 

「え――? この女の子……あのときの……」

 

 私は知っている。この子のことを――

 その女の子にはノイズが走っていなくて、はっきりと姿が写っている。

 ダミー声みたいな変に聞き取れる謎の七人の会話。

 慌てふためいているということぐらいしかこの人たちの状況は分かんない。でも、それは私もだよ。

 

「ねえ、あなたは何者なの?」

 

 自称魔法使いを名乗った――時計塔で見たあの女の子が横たわっていた。

 綺麗に整った顔つきで、表情が亡くなった女の子。

 出てきたのが炎上しているところからだから、えっと……ああ、頭がパニックになってくるよ。

 つまり、七人の内の一人がさっき投げていた朱い何かでこの子を攻撃したってことだよね。

 じゃあ、この人たちは戦闘員? でも、なんでこの人たちは慌ててるの?

 あの時、蘭が疑っていたみたいに本当にこの子は魔法使いなのかな。それとも、戦闘員なのかな。

 どっちか分からないから、もうどっちでもいいけど。とりあえずこの状況はどうしたらいいんだろう。

 炎上した中から更に二人のノイズ人間が出てくる。次から次へとなんであんなにも人が出てくるの? もしかしたらあの炎はどこか別の世界と繋がっているんじゃないのと変な考えがよぎってしまった。

 せめてノイズさえなければいいのに……私が観たい視界を邪魔しないで欲しいんだけど。

 

 二人いるノイズ人間の内、背が高い方が腕を振りあげた瞬間――

 

 一度味わったことがあるような、そんな吹き飛んできた大気が天井を壊す。

 砕けた部分から連鎖して、ひびが入り。やがては土砂降りの雨のように落ちてくる天井。

 

「ちょ、ちょっと?! メチャクチャすぎだよ」

 

 逃げないと……っ! そう思って二人のノイズ人間がいるところに駆け出そうとすると、その先に人型の光が見えた。

 おかげで足が止まり、食い入るようにその姿を凝視してしまった。

 

 あ、いま。不敵に笑ったような……

 

 降って来る瓦礫に気を掛けずに、私はふと感じるものに意識を向ける。

 

 うん。やっぱりそうだ。この感じ、前に一度あった。

 

 まるで本当のことのように思える現実。

 嘘を嘘だと否定できるように。真実のような現実を捻じ曲げるために。

 あの光はきっと、知らせに来たんだ。

 

 ――私は知っているよ。

 

 光で形作られているのは私自身。私の心の奥底に眠っていた魔力の根源。

 魔法使いになったあの日、私の前に現れた存在。

 

 ああ……そっか。

 またなんだね。

 また、何かが起きるってことでいいんだね。

 

 これは悪夢――虚構の世界が見せる不幸の一端。

 

 目を覚ますといつも通りの私が出迎える。

 その時には、全部綺麗さっぱり忘れていると思うけど、それでいい。

 怖いものは覚えていたくなんてないしね。

 絶対にこんなことが起きるとは限らないよね。だって、夢なんだし。

 瓦礫に潰された私はもう一度、あの日のように意識が途絶えた。

 



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80話

 頬に痛みが走る。

 何度も何度も右から左からとしつこく。

 

「ちょ、ちょっと五発は多すぎだってばぁ……」

 

 目を開けると、そこには不機嫌そうな顔。そして、降りあげられた腕。

 

「数えてる暇があるなら、さっさと起きなさいよ」

 

 適当に言ったんだけど、当たってたんだ。

 

「いたい……。もう、起きたってば」

「……寝過ぎよ。この一撃は罰だとでも思いなさい」

 

 暴力的な目覚めの一発をもらって気分爽快にはならないよ。起こしてもらったから文句は言わないけど。

 

「ごめんなさい。彩葉ちゃんを起こすのは私の役目なのに……」

「だよね。なんで、蘭がその役目を奪っているの?」

「うっさいわね。茜が身体をゆすったり、語り掛けたりしてるだけだから。じれったくなったのよ」

 

 そうそう。茜ちゃんはそんな感じの優しい目覚ましを提供してくれるの。だけど、蘭ときたらとりあえず暴力に出てくる。もう、やだ怖いし。痛い。でも、愛の鞭なんてこともあるかもしれないし、そういうことにしとこ。

 

「これで目が覚めたでしょ。さっさと着替えなさい」

「そんなに急かしてどうしたの? もしかして、今からどっか行くの?」

 

 いつになく積極的な蘭。私と友好の距離が縮まった証拠だね。

 

「無駄口叩いてないでさっさとしなさい」

「分かったよぅ……。それよりも、あんまり見られていると着替えづらいんだけど」

「見張っていた方が彩葉はすぐに着替えるでしょ」

 

 デジャブだ。母さんみたいなことを言っている。意外と子育てとか出来るタイプ?

 

「囚人みたいな扱いですね。でも、彩葉ちゃんはやれば出来る子ですから、外で待っていてあげましょうよ」

「そうだよ。人ってね、急いでいるときはびっくりするぐらいテキパキ動けるんだよ」

 

 私の経験則からなる人の心理。これがあるから、やろうとすれば大抵のことはやれるんだよね。

 

「もう分かったわ。先に下に行っているからすぐに降りてくるのよ」

「みんな揃っているから、私も先に行ってますね」

 

 なんだろう。なんだか知らないけど、急がないといけないなと思った。

 

 

 一階のバーに降りると、茜ちゃんと蘭。あと篝さんと纏もいた。

 みんな私の登場を待っていたようで、最後に来てしまったことにちょっぴり罪悪感があった。

 

「揃ったな……」

 

 纏が重い口を開く。

 悪い何かがあったってことは口ぶりから分かった。

 

「どしたの? そんなに怖い顔して。あと、覇人もいないみたいだけど」

「覇人が来る前に、彩葉には話しておくことがある」

 

 周りの反応をみた感じ、状況を理解していないの私だけなんだ。一体寝ている間にどんな深刻なことがあったのかな。

 

「昨日の夜。正確には今日の夜ですね。そのころから、篝さんのグループに所属していた魔法使いが数名行方不明になっているらしいのです」

「なにそれ……どういうこと? なんでそんなことになってるの」

「昨日――殊羅さんと月ちゃんが帰った後のことなのですけど、篝さんたちの隠れ家がアンチマジックに知られたことに警戒して、数名がかりで二人を追っていったそうなんです」

「でも、月ちゃんたちはこのことは話さないって約束してくれたよ。みんなだって、大丈夫だって言って、納得してたじゃん」

「それは、あの子たちのことを理解していた私たちだけよ」

 

 蘭が話に加わる。言われてみれば、月ちゃんたちの経歴を知っているのは私たち。特に蘭と覇人はよく分かっているはず。

 だからこそ、気にも掛けていなかったし、私もそのことは実際に会って人柄を知っていたから別にいいかな。と思ったんだ。

 でも、二人と初対面で経歴とか知らなければ、驚異的な存在であることに間違いはない。だから、不安で先走った行動に出たことも理解は出来なくはないね。

 

「ったく。俺が止めてやったのに聞きもしないで勝手なことしやがって。……若造と子供が相手とはいえ、さすがに生きて戻って来るとは思えないな」

「ま、まだ分からないよ。遠くに行き過ぎて道に迷っただけかもしれないし」

「はぁ……そんなわけないでしょう」

「地元で迷子になんてなるようなガキが追いかけたわけじゃねぇぞ。いい年して迷子になんてなってやがったら、俺はもう面倒も見切れねえよ。勝手に野たれ死んでも責任は取ってやらないし、こんなにも心配なんてしてやるか」

 

 なんだかんだとグループのリーダーなだけあって、所属の魔法使いのことは心配しているみたいだけど、勝手な行動を取ったことに対しては苛立ちがあるんだね。

 しばらくしてると、ドアが開く音がする。

 

「帰ってきたんじゃない?」

「おう、帰ったぜ」

 

 遠慮なく、開かれたドアから姿を出したのは覇人だった。

 朝から見なかったけど、また夜の内に抜け出して何かやっていたのかな。

 

「灰色か……。あいつらと一緒じゃあないようだな」

「……ま、一応は見つけたっていやぁ、見つけたんだけどな」

 

 歯切れ悪く答える覇人。そっか、この区画に詳しい覇人が探しに行ってあげてたんだ。

 

「その様子だと、悪い報せを持ってきているようだな。聞かせてくれないか」

「連中とやり合った痕跡が残ってる場所は割り当てたんだけどよ。そこには、死体なんて残っちゃいねぇみたいだ。たぶん、連中に捕まったか運が良ければ逃げ出せたかのどっちかだろうよ」

「そうか。教えてくれて助かった」

「わりぃな。何も出来なくてよ」

「いや、いい。元はといえば、あいつらが勝手な行動を取ったことが原因だ。今頃、死んで悔やんでるところだろうよ」

 

 淡々と死んだということに決着つけさせた篝さん。あれだけ、心配していた様子をみせていたのに、覇人の報告を聞いた途端に祈りを捧げるように黙祷をした。

 

「ひょっこり帰って来るかもしれないのに、そんな決めつけてしまっていいの? あの二人はとてもいい戦闘員だよ、私が保証するよ。だから、死んだなんて決めつけたらダメだよ」

「お嬢さん。戦闘員に良い奴も悪い奴もないんだよ。一度、奴らと戦闘を起こせばどっちかが死ぬ。特に今回の場合は、戦力差が開き過ぎている。逃げ出すことなんざ、奇跡でも起こせねえよ。

 そこの灰色ぐらい強ければ別だろうけどな」

「ま、そいつは否定しねえよ」

 

 実際、覇人は月ちゃんと殊羅から逃げ切っているしね。自信満々に言わないのは、組織の一員だから目立たないように抑えているんだね。

 

「てな具合なんだが。纏」

「なんだ」

「せっかく場所が分かってるんだしよ。ちょっとそこまで見に行ってみねえか」

「……そうだな。このまま何もしないでおくわけにはいかないし。行ってみようか。現場状況を確認次第、そのまま本来の目的地にも向かえることだから、丁度よさそうだな」

「いいんじゃない? どうせ、今日こそ行くつもりだったんだし、それぐらいやってあげようよ」

「ですね。もしかしたら、グループの魔法使いも発見できるかもしれませんね。バーに連絡を入れてあげれば、篝さんも安心しますし。私はそれでいいと思います」

 

 全員、異論はないみたい。

 

「悪いな、世話になる」

「いえ、こっちこそ私が倒れている間にお世話になったのですから、恩返しです」

「礼なんざ、この若造に十分に支払ってもらった。貸し借りは俺たちはもうねえよ。借り一つってことにさせてもらうぜ」

「そんなのいいのに。私たちが勝手にやったってことにしとけば、貸し借りなんてないよ」

「お嬢さん方にタダで世話になるわけにはいかないな。そいつが言えるのは大人になってからだ、子供は素直に大人に借りを作らせておけ」

 

 大人のプライドってやつなのかな。意地なんて張らなくてもいいのに、そういうところはお子様な私にはちょっと分かんないや。

 

「その借り。あとで後悔しなければいいわね」

「無茶な言い分でも大抵のことは返してやるよ。それが、出来る大人の例だ」

 

 朝から、店の酒を空けて飲んで、タバコ吸ってる大人に言われてもあまり説得力がないけど、まあいいや。

 お子様には分からない優雅な朝なんだね。出来る大人は身体に悪そうな朝を迎えていた。

 

「じゃあな。悪い報告でも、お前らが気に病むことはない。いつでも連絡してくるといい」

 

 私たちのことを気遣って言ってくれているんだと思うけど、やっぱり悪い報告になったら後味が悪くなりそうだから、良い連絡を入れて上げられたらいいな。

 



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81話

 バーかがり火を出て、覇人が魔法使いと月ちゃんたちの戦闘現場に案内してくれた。

 町から少し離れた場所にある川の土手だった。

 

「ここなのか?」

「ああ、そうだ」

 

 雑草がこれでもかというぐらいに生えていると、足元に魔法使いが隠れ潜んでいたりしそうだね。

 

「特に戦闘の跡のようなものはありませんけど……」

「そうだね。魔法使いと戦闘員が戦ったら、もっとこう、ハチャメチャな現場になるもんじゃないの? ほら、私たちの時みたいにさ」

 

 どこか荒らされていたり、台風でも通り過ぎたような感じに荒らされていたりするもんだと思ったけど、全然そんなことがなさそうに見える。

 誰かに騙されてたりするってオチ……なわけないよね。

 

「戦力差が開き過ぎていただけよ。あの二人が相手だと、何も出来ずに殺されていったと考えていいわね」

「抵抗すら出来なかったのか。実際にあの二人の強さがどれほどのものなのかは知らないが、圧倒的すぎるな」

 

 その感想、間違ってないよ。なにせ、私と茜ちゃんは経験者ですから。

 刀を簡単に叩き折られて、こっちは一生懸命にやっていたのに、向こうにとっては遊んでいるだけ。子供のチャンバラごっこに無理やりつき合ってもらったような感じだった。

 

「確か、この辺で待ち合わせしていたはずなんだがな……お、いたいた」

 

 一歩一歩、伸びすぎた雑草をかき分けるように進んでいくと、一気に開けてくる。

 その先に人影が見えた。

 

「遅いですわよ。もう、五分も過ぎてますわ」

「五分ぐらい許してくれよ」

「い・や・で・す・わ。仮にもあなたは私よりも身分が上ですのよ。時間厳守ぐらいはしてほしいですわ」

 

 出会って、早々怒りむき出しの女の人。

 どこかで見たことがある人だなと思ったら、屋敷前で一度だけ見掛けたお嬢様みたいな気品のある魔法使い。名前は悠木汐音さん。

 

「あ、えっと。あの時の、緋真さんの友達の魔法使いですよね。どうして、こんなところにいるのですか?」

「私のことは何も教えられていないのですのね」

「まぁな。ちょっとしたサプライズも兼ねてな」

「誰の?」

 

 私たちは一度しか会っていないのに、そんなこと言われても。驚いたって言えば、もちろん驚いたけど。

 そんな私たちのリアクションを差し置いて、覇人は蘭を見ていた。

 

「汐音ちゃん……。やっぱり、生きていたのね?!」

「久しぶりですわね。蘭。ああ、あの頃は緋真にくっ付いて、小っちゃかった蘭もこんなにも大きくなったのですわね」

 

 熱く抱きしめ合う二人。まさかの知り合い? それもかなりの親密な関係なの?

 

「彩葉、あの人は誰なんだ」

 

 こっそりと纏が耳打ちしてくる。

 そういえば、纏だけこの人と初対面になるんだっけ。

 私も詳しくは知らないから、とりあえず名前と緋真さんの友達の魔法使いだということを教えてあげた。

 

「なるほどな。覇人の知り合いでもあるのか。……あれ? そうなるとこの魔法使いもキャパシティの関係者になるのか?」

「あ、言われてみれば、そういうことになってしまうのかもしれませんね」

 

 覇人と緋真さんはキャパシティの魔法使いになるから、汐音さんも同じでもおかしくないね。

 

「そっちは雨宮源十郎の娘の雨宮彩葉さんですわね。そちらの二人は、お友達の楪茜さんと天童守人の息子であり、裏切りの戦闘員――天童纏さんでよろしいかしら」

 

 自己紹介した覚えはないけど、私や茜ちゃん。纏のことまでちゃんと名前まで知っていた。

 それに、父さんのことも知っているみたいだし、やっぱり――

 

「改めて自己紹介させてもらいますわね。

 キャパシティ所属の魔法使いの悠木汐音。

 緋真と蘭は四十二区で共に暮らして以来の付き合いですのよ」

 

 覇人や緋真さんと同じ。だけど、幹部である導きの守護者(ゲニウス)ではないみたい。ということは、汐音さんはただの構成員ということになるんだ。

 

「そこの覇人とは下の身分になるのですけど、組織内に上下関係のようなものはありませんわ。ですので、変に気を使われるのも嫌ですから、気楽に話してくれてよろしくてよ」

 

 身分関係なしだなんて、気楽な組織で良いね。

 だけど、いかにもお嬢様っぽいお洒落な服装したお姉さんを呼び捨てっていうのも何だか変な感じがするけど、郷に入っては郷に従え。呼び捨てでいいなら遠慮なくそうさせてもらおっと。

 

「じゃあ、汐音。まず、これだけは聞かせて。蘭とはどんな関係なの?」

「他にもっと気になることはあるでしょう。なんであたしと汐音ちゃんの関係が気になるのよ。見ての通りってわかるでしょ」

「いや、全然分かんないし。なんでそんなになついてるの? 私にもそんな感じで接してほしいな」

「いやよ」

「即答だ」

 

 ほとんど間を置かずに言われた。

 

「緋真と蘭が四十二区に来て以来、屍二の惨劇が起きるまで共同生活をしていた仲ですのよ」

 

 四十二区と聞いて思い出すのは、緋真さんが体験してきていた日々のこと。

 緋真さんと一緒に連れ添っていた子供たちを支えていたというもう一人の魔法使い。

 

「もしかして、緋真さんが言ってた四十二区で出来た友達って汐音のことなの」

「緋真から聞きましたのね」

 

 屍二の惨劇のあと、緋真さんと蘭は離れ離れになって、お互いに消息不明になっていたんだっけ。

 そして、緋真さんと汐音は覇人に連れられてキャパシティにスカウトされたってことになるんだ。

 

「その……緋真さんのことは、汐音さんは知っているのですか?」

「……知っていますわ。あの場面に覇人がいたのですから、一通りの話しは聞いて組織の方にも詳しい説明は入れてますわ」

 

 緋真さんの死を受け止めれている様子。やっぱり、この世界では親しい人たちが死んでいくことはごく当たり前のことで、受け入れも早いんだ。

 

「蘭は辛い目にあったでしょうけど、よく頑張ったわね。ですが、安心なさいな。緋真はそう簡単に死ぬような女じゃありませんわ。それは、蘭が一番分かってることでしょ」

「……当たり前よ。汐音ちゃんやお姉ちゃんと離れたあの日から三年。私は一度たりとも二人が死んだって思ってなかったわ。あたしはね、この目でちゃんと確認するまでは信じるつもりはないのよ。だから、きっとあの記事は誤報だと思ってるわ」

「ええ、その通りよ。あんな記事、真に受けてはいけませんわ」

「ポジティブだね。もちろん、私も全然信じてないよ」

「おまえ、泣きそうになってなかったか?」

「見てたの!? ちょっと恥ずかしいんだけど」

 

 そりゃあ、ちょっとはウルっとしたけどさ。でも、いいじゃん。気持ち的にそうなるもんだよ。

 

「なるほどな。たしかに、あの記事は誤報の可能性はあるな」

「え?! なになに? どういうこと?」

 

 誤報って。あの新聞には火災でホテル街が全焼。その被害者として緋真さんの名前が載っていた。でも、実際は天童守人との戦闘で亡くなった――あれ?

 

「そうですよ。あの報道自体が嘘だということは私たち全員知っているのですよ。そして、纏くんのお父さんとの戦いの決着は、私たちは最後まで見ていない。

 状況証拠と合わせて、あの記事を読んで私たちはただ、思い込んでいただけかもしれません」

 

 火災の原因は緋真さん。炎を自在に纏って、操っていた緋真さんが自分の魔法で焼け死ぬなんてことは絶対にありえない。

 

 被害者は緋真さん。ということは、流れ的に天童守人に殺されたんだと思った。

 

 でも、記事自体は嘘。どこまでが嘘なのかが分からないだけ。

 

「緋真はキャパシティの魔法使いだ。それをわざわざ俺たちに教えるような真似をすること自体がおかしくねえか。考えてみな。彩葉、お前の親父もキャパシティの魔法使いだぜ。なのに、報道はされなかっただろ」

「――あ、本当だ。言われてみれば、確かに。緋真さんだけ報道して、一体何がしたかったんだろ」

 

 まったく気にしていなかったことが大事になっていく。もしかして何か見落としていたってことなのかな。

 

「考えられそうなことはいくつかあるな。

 覇人が俺たちの側にいることで戦力が大幅に強化されているから、今後の動きを追いたかっただけなのかもしれない。他に考えられそうなことと言えば、魔法使いに対しては容赦のない親父のことだ。全員が緋真さんとの付き合いがあることを利用して、俺たち、そしてキャパシティを挑発させて、所在を炙りだそうとしているのかもしれないな」

「挑発……ね。案外そうかもしれねえな」

 

 確信を得たような、そんな口ぶりで覇人が言った。

 

「そうですわね。緋真はキャパシティの幹部。私たちにとっては、いてくれないといけない重要な戦力でもありますわね」

「組織の重要人物を手のひらの内にあると明かす目的。

 ――つまり、取り返しに来い。ということなのか」

「何なのそれ! いいよ。だったら、望むところじゃん。行こうよ」

「落ち着きなさいよ! 彩葉。お姉ちゃんが餌に使われたことはムカつくけど、それなら彩葉の父親でも条件は一緒じゃないのよ」

 

 それを言われたらそうなんだけどね。父さんだって同じ組織の魔法使いなんだから、どっちの名前をだしても挑発の材料にはなるし。

 

「それについては、汐音から説明をしてもらうとすっかな」

「私に放り投げましたわね」

 

 怒りっぽい口調で汐音が言ったあと、諦めたような嘆息を漏らす。

 

「……そうですわね。まずは、歩きながら話させてもらいますわ。私に付いてきてください」

 

 汐音のあとから川沿いの道を歩く。朝も早いから、ちょっとした散歩気分。

 

「まず、あなた達と屋敷前で別れたあと、私と覇人は組織からそれぞれ任務を与えられていましたわ」

「二人だけですか。緋真さんもキャパシティの魔法使いなんですよね」

「緋真は独断で動きましたのよ。本来、あなた達をキャパシティまで連れていく役目は、覇人だったのですわ。ですが、緋真が魔法使いになった彩葉さんを救出し、関わりを持ったことで、その役目が緋真に移っただけのことですわ」

 

 覇人の方をみて、確認してみる。すると、ヘラヘラ笑いながら覇人は返してきた。

 

「いやー仕事が無くなっちまったことで、楽できると思ったんだけどよ。その後に、組織からお前らの監視。特に独断専行の目立つ緋真を見張っとけって言われてな。そんで、お前らを追いかけて来たってことだ」

「私の方は、アンチマジックに連行された雨宮源十郎の捜索ですわね」

「父さんを?」

「敗れた魔法使いはアンチマジックの研究所に連行されることになっていますのよ」

「研究所ですか?」

 

 それは、月ちゃんもポロッと言ってた。なんか不穏な感じしかしないけど。

 

「研究所は魔法使いの収監施設でもあり、魔具を生産している場所でもありますのよ」

「そうね。研究所は各区画に一つずつあるって聞いてるわ。極秘施設でもあって、巧妙に隠してるらしいわね。そのすべての場所を把握してるのは上位の戦闘員だけよ。C級であるあたしも担当区画の分しか知らないわね」

「じゃあ、三十一区のは知ってるんだ」

「そうよ」

 

 魔法使いを収監しているぐらいなんだから、一般人には決して見つけられないようなところにあるんだね。

 十数年あの区画に住んでるけど、そんな話や場所なんて見たことがない気がする。

 

「でも、どうして魔法使いを収監しておくのですか?」

「それは聞いたことがないわね。何しろ、研究内容はトップシークレットになっていて、上層部か上位の戦闘員しか聞かされてないらしいわ」

 

 一応、アンチマジックって裏社会の正義のヒーロー的な存在なんじゃなかったっけ。一気に怪しさが出てきてしまった。

 

「私たちでもその全容は把握していませんけど、生かして捕えられた魔法使いもいることは確かですわ」

「戦闘員をやっていたころから疑問だったのだが、魔法使いを生かしておくメリットって何があるんだ? 一般人にとっては脅威となるから排除するための組織じゃなかったのか?」

 

 私の認識も一緒。生かしておけないから、対魔法使い戦の部隊。戦闘員がいるはずなのに。

 

「それは魔法使いであるわたしたちが知るようなことじゃありませんわ。重要なのは、生かされている魔法使いがいるということ。この意味が分かりますか?」

「さぁ。なんか重要なことなの? 私、もうアンチマジックが考えることなんてさっぱり分からなくなったよ」

 

 だんだんと謎が深まってきて、頭の中はぐちゃぐちゃだよ。

 

「ま、こういうこった。源十郎のおっさんはキャパシティの幹部だ。アンチマジックにとっては、敵の重要な情報を持った魔法使いってことになる。そいつを殺して捕える必要があると思うか?」

「え……! え、ちょ、ちょっと待って! それってどういうことになるの?」

「彩葉ちゃんのお父さんは、アンチマジックからすれば貴重な情報源になりますね。……あ、そういうことですか」

 

 茜ちゃんは分かったみたい。驚きと嬉しさが入り混じった顔を浮かべて私の方をみる。うすうす何を言われるかは分かってきたけど、現実味がなさすぎて、理解が追いつかない。

 

「――雨宮源十郎は生きている。

 そして、研究所でキャパシティの目的や拠点などを吐かされるような拷問を受けている可能性がある。そういうことだな」

「――う、うそ……。だって、あのとき……父さんはあんなボロボロで、血もあんなに出てたのに――じゃ、じゃあ母さんは? 母さんも生きているってことになるよね!?」

 

 鼓動が早く打つ。

 あんなにも絶望の淵に立たされて、もうどうしたらいいのかも分からなくなって、魔法使いになって、訳も分からない内に全部終わってしまったあの日。

 景色がフラッシュバックしてきた。

 確かに死んだと思っていた二人。

 あれは、私の勘違いだったんだ。

 

「源十郎さんが生きていることは、幹部の一人が確認してきてましたけど。奏さんのことはおそらく……」

 

 汐音は最後まで口にはしてくれなかった。

 

「ごめん。彩葉。本当に……ごめん。あたしが、あたしがこの手で撃ち殺したわ。頭に一発。あれで生きているはずがないわ。彩葉も確認……したのよね」

 

 震える腕を抑えて、蘭は伏し目がちにしていた。

 そうだ。そうだった。

 父さんは確認してなかったけど、母さんの最期は私がこの手で感じ取った。

 生暖かい血。けど、身体は冷たい。

 あの感じ。忘れようにも忘れられない。忘れるわけがない。

 ちゃんと、私は確認してしまっている。

 そして、ここに来る前に蘭はあんなにも自分を責めて、私から逃れようとひと悶着を起こしてしまった。

 

「そう、そうだったね。私の方こそごめんね。蘭。

 分かってる。分かってたのに。こんなバカなこと言って、また蘭に罪悪感を思い出させてしまって、ごめん。

 仲直りして、私はもう蘭のことは許してるから。だから、気にしないで。そんなに辛そうな顔しないで……。

 あのことは全然蘭は悪くなかったんだから。気にしないでいいんだよ」

 

 蘭の震えを抑えるように、私は身体をくっつけて抱きしめる。

 一瞬、ビクッとしてたけど構わずに強く。

 

「このことは、もうおしまいにしたから。次、そんな顔したらダメだし、思い出すのも禁止。分かった?」

「なによ? 彩葉のくせに偉そうにして」

「お姉ちゃんですから」

「うざい。あんたみたいなお姉ちゃんなんて嫌よ。あたしのお姉ちゃんは一人しかいないわ。彩葉に代わりなんて務まらないわよ」

 

 せっかく、抱きしめてあげたのに突き返された。温かかったのに残念。

 でも、蘭はいつも通りの怒りっぽく私に対応してくれた。

 しんみりとした蘭なんて、私も見たくないから、これでいいんだ。

 

「そうそう、蘭はそんな調子でいてよ。ね、気楽にいこ。まだまだやることは一杯あるんだからさ」

「……分かったわ」

「じゃあ、仲直りのハグでもする?」

「いいわよ。そんなもの。気持ち悪い。近寄らないで」

「ひど……っ! そんなにメチャクチャ言わないくてもいいじゃん。さっき嬉しそうにしてたくせに」

「適当なこと言ってるんじゃないわよ」

 

 本当かなぁー。また照れてるだけなんじゃないの。

 

「いい友達を持ちましたわね。四十二区で暮らしていたころとは比べ物にもならないぐらい、楽しそうに見えますわよ。緋真がみたら、喜ぶでしょうね」

「違うわよ。彩葉とはそういう関係じゃなくて――」

「――さ、話を戻しますわよ」

 

 さっきまでの会話のやり取りはどこへ行ったのやら。

 華麗なスルーに私は驚き、蘭は何か言いたそうにした言葉を無理やり喉元に押し込んでいた。

 

「源十郎さんの生存が確認され、私はまず最初に三十一区の研究所周りの見張りを行うことにしましたのよ」

「研究所は巧妙に隠されていたのではないのですか?」

「長年住み着いていた源十郎さんが場所を特定していましたのよ。だから、組織側も源十郎さんを介して、場所だけは知っていましたわ。実際にこの目で確認しに行ったのは今回が初めてですけど」

 

 私が物心ついたころにこの区画に引っ越してきたらしいんだよね。元々はどこの区画で住んでいたのかは知らないけど。

 

「その言いぶりからすると、彩葉の父親はそこにはいなかったようだな」

「ええ。どうやら緋真の件もあって、三十区に収監させておくのは危険だと判断したのでしょうね。この二十九区側の研究所に連れていったらしいですわ」

「父さんがこの区画にいるの?!」

 

 衝撃の事実に胸が高鳴る。

 こんな嬉しいことが聞けるなんて夢にも思わなかったよ。

 

「隠密に調査した結果、それは間違いありませんわ」

「いや、お嬢。隠密って言うわりには、ムチャクチャ話題になってたじゃねえか」

「話題……ですか?」

 

 それって、もうばれているのと同じ意味なんじゃないかな? 

 

「何を隠そう、このお嬢こそが二十九区を恐怖のどん底に叩き落とした、あの噂の――亡霊の魔法使いだ」

 

 溜めを作ったあとに覇人がばらした正体。

 その存在は、ずっと覇人が夜な夜な捜し歩いていた魔法使い。

 篝さんも気にかけていたけど、結局見つけることが出来なかったのに、こんなにもあっさり目の前に噂の魔法使いが現れてしまった。

 

「まったく、失礼な呼び名ですわよね」

「そりゃ、仕方ねえよ。夜中にお嬢の生物魔法で奇襲を掛けまくっていたら、誰だって怖え思いすんだろ」

「だからって、そんなオカルトのような扱いはあんまりでなくて! 実に不愉快ですわ!」

「まあ、そういうのから縁遠いお嬢からすれば、そら不愉快だわな。けど、けっこうしっくりくる名だと思うぜ」

「あなたねぇ……いちいち挑発するような発言は止めてくださるかしら」

 

 うーん。すっごく怒ってるね。

 だけどさ、汐音の魔法と言えば、屋敷前でみた草が生えた犬の集団を創った魔法だよね。見た目は完全にゾンビみたいな犬だったけど、それを言ったら機嫌を悪くされたやつ。しかも、シェパードなんて犬種までしっかりと決めていたらしい。

 あんな魔法で夜中に襲われたら、亡霊なんて言い方されても文句は言えないような……。

 

「俺たちがここに来たのと同時に、消息を絶っていたのもすべて覇人の指示になるのか?」

「そういうこった。茜があんなことになっちまったことで、しばらく俺たちは動けそうになかったからな。鳴りを潜めてもらい、俺と一緒に連中の研究所を漁っていたわけだ」

「それで、見つかったのかしら」

「丁度、昨夜な」

 

 タイミングがいいね。そのせいでなにか、引っかかるものがあるんだけども。

 

「この場所で戦闘員と魔法使いの争いがありましたのよ。私が着いた時にはすでに決着がついたあとでしたのですけど。ですが、そのおかげで戦闘員のあとを追ってようやく、研究所の場所が判明したのですわ」

「篝さんのグループの魔法使いは犠牲になってしまったのですね」

「あの二人が相手の時点で、分かりきっていた結果よ」

 

 篝さんもそれは覚悟していたから、あんまり悲しんだりすることはないんじゃないかな。それでも、ありのままのことを教えるのは胸が痛いね。

 

「着きましたわよ。あそこが研究所の入り口になっていますわ」

 

 汐音が指を差した場所には草むらが一層群がっていた。

 分かりづらかったけど、その向こう側に巨大な空洞があって、まるでカーテンみたいに草で遮っている。

 川の水が出入りしているところをみると、あれは用水路のようにも見えた。

 

「……あれ……なの?」

 

 まさか……とは思って汐音の顔をうかがってみる。

 

「ええ、そうですわ……」

 

 心底嫌そうな顔して言われた。

 あの小汚いところが研究所だと分かって、一気に気分が滅入ってきた。

 



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82話

 大空洞とも呼べるような大穴になっている水路を進んでいくと、突き当りで扉一つだけが私たちを出迎えた。

 

「ここで行き止まりかぁ」

「扉がありますね。ということは、この先が研究所になっているのですね」

 

 ところどころに苔や気味の悪い虫がいて、もう生理的に辛い道のりだった。中でも一番嫌悪感を出していたのが汐音。

 ぶつくさと嫌そうにして歩くもんだから、かなりギスギスした雰囲気になってしまっていたことを本人は多分理解してなさそうだった。

 私や茜ちゃんはその気持ちも理解してあげられた。やっぱり、女の子にとってはこんなところに長居はしたくないよね。

 

「そのようね」

「さっさと中に入りますわよ。こんなかび臭いところから一分一秒でも早く抜け出したいですわ」

 

 非常口のような趣のある扉を開け放って一番に入り込む汐音。よっぽど嫌だったんだね。

 私たちもさっさと汐音に続く。

 外の大空洞と違って、中は意外にも綺麗にされていた。人の手が入り込んでいる何よりの証拠である。天井には水銀灯が吊ってあり、光を灯している様子から誰かいるはず。

 アパートの廊下みたいに、幾つものの部屋がある細長い道を歩いていくと、曲がり角が出てきた。

 

「先に言っておくけど、あたしは中の構造がどうなっているかは知らないわよ」

「困りましたね。どっちに行けば彩葉ちゃんのお父さんがいる場所に繋がっているか分かりませんね」

「じゃあ、私の勘を信じて適当に進んでみる? 親子の絆パワーで無事着くかもよ?」

「遠慮しとくわ。第一、適当って言ったわよね。彩葉のそのいい加減な発言には不安しかしないわ」

 

 そんなこと言われてもねぇ……。分からないなら、適当しかないと思うんだけどなぁ。

 

「……ともかく、ここはすでに敵の領地なんだ。あまり騒がず、静かに行動しよう」

「蘭……シー……分かった?」

 

 人差し指を口元に立てて、蘭に静かにするように注意すると思いっきり睨まれた。怖い怖い。

 

「仕方ねえな。来い。俺が道案内をしてやるよ」

「どうやら、覇人に任せた方が良さそうですわね。この子たちじゃあ、迷子になってしまいそうですもの」

 

 先頭に覇人が立って、汐音が付いていく。なんか、手馴れている様子で自然な行動だった。

 

「覇人。道が分かるのか?」

「ま、だいたいはな。任せとけって。たぶん、どっかに地下に降りる階段があるはずだ。そいつを見つけたら、彩葉のおっさんのところまで来れる筈だ」

 

 なにその自信。いつになく頼れそうな雰囲気が出てる。

 

「どうして、そんなことが分かるのよ? あんた、まさか研究所に来たことがあるっていうの?」

「……ああ、あるぜ。何回かだけどな」

 

 驚きを隠すことができない。それって、覇人も研究所でひどいことをされてきたってことになるんだから。

 

「心配されるようなことじゃねえぞ。俺の場合は、任務で自分から入り込んでいったんだからよ」

「な、なんじゃそら。自首?」

「あほ。んなわけねえだろ」

「ですよねー……」

 

 言ってみただけ。でも違うとなると、何しに行ったんだろう? 覇人って謎が多すぎるからいまいち理解できないことが多い。

 

「――研究所襲撃事件」

「蘭さん。それは一体なんですか?」

 

 不吉な単語。意味をそのまんま解釈すると、いやするまでもない意味なんだよね。きっと。

 

「聞いたことはあるな。確か、二十九区と三十二区。それに四十二区の計三件に渡って、研究所を壊滅された事件だな」

「あら、良く知ってるわね」

「資料で読んだ程度の知識しかないんだけどな」

「十分よ」

 

 三十二区って私たちが住んでいる区のすぐ隣だ。なのに、全然そんな話は聞いたことがないね。

 

「ねえねえ質問いい? するよ?」

「自己完結するぐらいなら、聞くんじゃないわよ。……で、なに?」

「私と茜ちゃんは何のことだかさっぱりなんで、簡単に説明してほしいな」

「研究所が襲撃されたのよ。分かった?」

「簡単すぎっ!! やっぱりさっきのは嘘。もうちょっと詳しく」

 

 絶対にバカにされてるよね。私。しかも茜ちゃんもなんか微妙になんとも言えないような顔をしてるし。

 

「彩葉ちゃんにはあとで私の解釈で伝えますから、遠慮なく知っていることを教えてください」

 

 ……悔しい。絶対理解してやる。

 

「そうは言われても、アンチマジックの方でもあまり詳しくは把握していないのよ。生き残った研究員は一人残らず殺され、保管されていた魔法使いは全員何者かに連れ去られていたのよ」

「何者か……襲撃した魔法使いの特定ができていないということですね」

「特定……という言い方もどうかと思うわ。一応、犯人は回収屋と名乗る魔法使いらしいわよ」

「あーなるほどね。目的は魔法使いを回収するってことだったんだ」

「彩葉にしては、鋭いじゃない」

 

 そんなに意外そうにされてもリアクションに困るんだけど。

 

「その通りよ。でも、その他にも証拠として、三度の襲撃と各地で襲われた戦闘員の前に現れたのが決まって白い外套を羽織った魔法使いだったのよ」

「アンチマジックが長年追いかけ続けている要注意人物……ですか」

 

 月ちゃんと殊羅の最強コンビに追われるほどの魔法使いってどんな人なんだろう。ちょっと、興味があったりする。

 

「その回収屋もここまでのようね。そろそろ正体を明かしたらどうかしら? 覇人」

 

 呼ばれた覇人は不意に立ち止まった。

 

「……やっぱばれちまってたか」

「研究所から抜け出せる魔法使いなんて、回収屋しかいないわ」

「――ああ、そうだよ。

 キャパシティの幹部という肩書とは別に、特別任務中に使っている名前。それが――回収屋であり。俺のもう一つの姿だ」

 

 各地で襲われた戦闘員。そして、三度の研究所襲撃事件。これだけのことをやってのける魔法使い。大きな何かが起きたときは大抵、裏にキャパシティが絡んでいるっていうのは本当だった。

 

「でも、覇人くんが三十一区で私たちと行動をしているときにも、この区画には回収屋が現れていたんですよね。回収屋って二人いるのですか?」

「それは覇人がしばらくあなたたちから離れられないから、私が自分の任務と合わせて代わりに引き受けていたのですわ」

「狙った戦闘員って魔法使いを連れていた戦闘員だったのね」

「情報も得られて、回収屋の方も同時に行える。一石二鳥でしょ」

 

 迷路みたいに複雑な通路を勝手知ったる様子で突き進んでいく覇人と汐音。私たちはただ、迷子にならないようにひたすらに付いていく。

 曲がり角も多いし、ちょっとでも目を放したら生きてここから出られる自信なんてなさそう。

 もう何度も何度も右へ左へと進んでいって、気が付いたら覇人が言っていた下に続く階段があった。

 

 その瞬間――

 

 頭にノイズが走った。

 あるべき形が失われ、新しく造り替わる。それはスクリーンに電波の悪いテレビが上映されるのに似て、砂嵐のような嫌な音が両耳に無理やり流れ込んできた。

 

 四方に展開された劇場の幕があがり、それぞれが別のシーンを繰り返す。

 

 一つは、満ち溢れた火炎に死滅《ロスト》していく焦熱の世界《シーン》。

 

 一つは、どこまで行っても果てに辿り着けない袋小路《ループ》に捕まった世界《シーン》。

 

 一つは、数人分の人影《シルエット》が乱れる活劇の世界《シーン》。

 

 一つは、崩落が飾る終幕《バッドエンド》に抗う世界《シーン》。 

 

 どれを取っても救いようのない世界《シーン》に頭の整理が追いつかず、ついには足元もふらついて、視界が歪曲されていく。

 頭が壊れたんだ。テレビと同じような要領で叩けば少しは楽になるのかもしれないと思って、軽く小突いてみた。

 すると、さっきまで再生されていた映像が綺麗さっぱり無くなって、元通りになった。

 私の頭は壊れたテレビと同じなのか。残念すぎる頭に私はひどくショックを受けたけど、そんなことよりも気持ち悪さから解放されたことで、どうでもよくなった。

 

「どうかしましたか? 彩葉ちゃん」

「ん? ううん。何でもないよ。ちょっとした立ちくらみだよ」

 

 茜ちゃんはそれで納得してくれたみたい。

 けど、私はいまのを知っている。

 既視感があったんだから。

 

 あの感じ……一度味わっている。

 

 思い出そうとすればするほど頭が痛くなってきて、すぐに考えることは止めた。こんなことでみんなを心配させたくない。特に気にかけてきてくれる茜ちゃんには。

 私はいつも通りを装って付いていく。やることはまだまだあるんだから。

 目的は父さんを救い出すこと。それと比べれば、いまの訳わからない映像なんて気にしない気にしない。

 階段を下りても同じ通路になっているだけだった。

 ここも電気が点いているんだけど、さっきから人とすれ違う気配がない。もしかして、誰もいないのかな。

 

「迷うことなく道を進んでいってるが、研究所というのはどこも同じような造りになっているのか?」

「さぁな。けど大体は似たような造りになってんじゃねえか。こんなややこしい造りになってんのも生け捕った魔法使いの脱走や侵入者を防ぐためらしいぜ」

「一階は研究員の私室になってますのよ。そして、ここ地下一階で魔具研究を行っていますわ」

「それじゃあ、この階に捕えられた魔法使いもいるんですね」

「ついでに研究員もいることになるわ」

 

 廊下を進んでいくと、不意に覇人が手で制しながら立ち止まった。

 曲がり角から足音が響いている。

 

 ――誰かくる。

 

 とっさに身構えて、待ち続ける。

 緊張に胸が張り裂けそうになりながら、先頭にいる覇人が動き出すまで息を殺す。

 そうしていると静けさが一層高まって、響く足音がやけにうるさく感じられた。

 トンネルを歩いているような反響が近づき、壁際から白衣を着た人が姿を現す。

 刹那――覇人は首を締め上げると、声にもならない声が白衣の人から漏れる。同時に魔法で造られた半透明の刃で腹部を刺し、ゆっくりと寝かしつけるように地面に倒した。

 

「こっから先はあまり声を出すなよ」

 

 私たちは頷いて了解の意を示した。

 

「蘭。魔眼を発動して、周りの様子を探ってちょうだい。もし、敵がいたらすぐに教えなさい」

「分かったわ」

 

 開眼した蘭の瞳が色を変える。視界を探るだけだから、環は出ていない。蘭は今、研究員の魔力が見えている。これで、安全に見つからずに行動が出来るってもんだね。

 蘭の指示に従いながら、廊下を歩いている研究員をやり過ごしながら動き回る。

 地下一階は研究施設になっていて、壁越しから悲鳴のような声が聞こえたりする。薄暗いこともあって、かなりのホラーだ。

 深夜の廃病院なんかの肝試しよりも、よっぽどこっちの方がスリルもあって怖い。

 研究所と名乗っているぐらいだから、亡霊の一匹や二匹がいてもおかしくなさそう。長居すると呪わるという思い込みを常人には刷り込ませることが出来そうな感覚がする。

 自然と茜ちゃんの手を握ってしまっていた。それを強く握り返してくれる茜ちゃん。正直心強い。

 

「生け捕りにされている魔法使いの人体実験ってとこだろ。こいつらには悪いが、見なかったことにしとけ。おっさん見つけた後で生きていたらついでに助けてやればいいだろ」

「……そう、ですね。騒ぎを起こしてしまえば、彩葉ちゃんのお父さんも救えませんし、私たちも危険な目に合いますしね。分かってはいるのですが、見て見ぬふりは心が痛みますね」

 

 祟られそうな悲鳴と悪臭に身をすくめながら更に廊下を進む。

 こんな環境下では精神が蝕まれそう。非人道的な研究を続けてる施設の人たちは、きっと壊れてしまった人たちばかりなんじゃないのかな。

 普通は耐えることなんて出来ないよ。

 精神に異常をきたしたり、暗い感情に支配されたりすると魔法使いになってしまう。でも、研究員たちは魔法使い化していないところをみると、自分たちがやっていることに一切悪気を感じていないということになる。

 ここにいる人たちは、これが正しい正義なんだと洗脳されてでもいるんじゃないの。そんな疑問も湧き出る。

 そんなのは絶対におかしいとは思うけど、魔法使いという悪を倒すための研究なんだから、これこそが善行なんだと信じて疑っていないんだね。

 悲しいような悲しくないような。モヤモヤとしてくる。

 

「突き当りの部屋から大きな魔力反応を一つだけ感じるわ。ここに……強力な魔法使いが捕えられているわ」

「そうですわね。蘭でなくても、私でも魔力を感じましたわ」

「俺には未知の感覚だが、蘭以外でも分かるなら彩葉の親父である可能性は高そうだな」

 

 魔力の反応を探ることが苦手な私でも、かすかに感じられた。茜ちゃんも含めて、この場にいる魔法使い全員感じ取れるほどの大きさ。

 期待が膨らんできて、駆け出したくなる。けど、輪を乱してしまってはせっかくのチャンスが無駄になってしまうから、ここ正念場だと思って慎重に動く。

 

「開けるぞ」

「待って! 私に任せてもらってもいいかな」

 

 纏がドアノブに手をかけようとしたところを止めて、私が触れる。

 この先に父さんがいるんだ。

 自然と心臓が高まる。

 ただ、ドアを開けるだけなのに、こんなにも心臓がおかしくなるなんて。

 いつもよりも重く感じられるドアノブは、いとも簡単に捻れた。

 中は真っ暗になっていて、壁にあるはずのスイッチの感触を手探りで押した。

 一瞬で明るんだ部屋に飛び込んできたのは、机の上に乱雑にしておかれた書類の数々。

 医療機器みたいな物に手術台。

 謎のケーブルが生き物みたいにして手術台に繋がれていた。

 

「拷問部屋みたい……それに何、この臭い……」

 

 血なまぐさくて、鼻がおかしくなってしまいそう。いつかの母さんと同じ血の臭いだ。

 

「こんな、こんなことを平気で行ってるのか。アンチマジックは――!」

「酷いです。魔法使いだって、同じ人ですのに……。こんなの、全然正義でもなんでもないです。

 ……なんだか、気持ち悪くて、吐きそうになってきました」

「無理しなくてもいいわよ。茜はちょっと楽にしといた方がいいわ」

 

 乱雑に積まれた書類の机に手をついて、茜ちゃんが苦しそうにしてる。

 早く、父さんを見つけてこんな場所から出ないと、茜ちゃんが可哀想だ。

 

「……いろ、は……なのか?」

 

 微かに掠れた声が聞こえる。

 どこから聞こえたのかと発信源を探してると、鉄格子で遮られている部分があって、そこに人が鎖で繋がれていた。

 

「――! 父さん」

 

 鉄格子を叩きつけるようにしがみ付き、中にいる姿をはっきりと確認する。

 ああ、間違いない。やつれているけど、あの姿と声は間違いなかった。

 

「良かった……生きてた」

「……心配……かけたな。許してくれ」

「そんなのどうでもいいよ。生きていてくれただけで、私は、もう、その……泣きそうだよ」

 

 そうは言ったけど、実際泣けはしない。涙はあの慰霊碑で流し尽くしてしまったせいなんだろうね。

 でも、本当に良かった。

 こんな日が来るなんて夢にも思わなかったんだから。

 

「待っててね。いまそこから出すから」

 

 牢屋の扉には南京錠が掛けられていた。なんとか壊せないかといじってみるけど、びくともしない。

 こんなときに焦らせないでほしい。誰かが来る前に早く抜け出さないと大変なことになるのに……

 

 その時――

 

 締めた扉が急に重々しく開き、白衣を着た研究員が現れた。

 

「――な! だ、誰だ!」

「ノックぐらいしなさいな」

 

 汐音はとっさに魔法を発動し、コンクリート製のシェパードが生まれる。

 突然の侵入者に慌てふためく研究員の喉元に、シェパードの牙が食い込み押し倒してしまう。

 しかし、研究員の悲痛な叫びは、引き裂かれた喉では鳴かせることはできはしなかった。

 おかげで人が寄って来る気配はなさそうだった。

 

「丁度、時間だったようだ。僕を牢から出すカギはその男が持っているはずだ」

 

 覇人が白衣をボディチェックのように探ると、すぐに目当ての物は見つかって私に手渡してくれた。

 それをためらいなく南京錠に差し込み、中にいる父さんに抱き付いた。

 

「……ありがとう」

 

 感動の再会に口を挟む人はいない。

 私はただ、夢にまでみたこの瞬間の感動に、身を浸すことに時間を十分に注がせてもらった。

 



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83話

「さて、まずは覇人。無事、娘をここまで連れて来てくれたことには感謝しよう。君のおかげで娘も一回り大きく成長している様子だ」

「いいってことよ。それに、半分ぐらいは緋真のやつが連れて来たようなもんだけどな」

 

 緋真さんとは、右も左も分からなかった私たちに生き方と魔法の使い方を教えてくれた。感謝してもしきれないほどに助けてもらって、ここまでやってこれたんだよね。

 

 ――私たちと別れるその日まで。

 

「……僕がいない間に外では色々と事態が進展しているらしいな」

「ええ。緋真の件もありますけど、何よりも収穫が大きかったのは三十一区の歴史の遺物ですわね」

「はは、あれにはさすがに驚いたぜ。組織の方も一番が直々に動くぐらいだったしな」

 

 うーん。何やら私には分からないところで良いことがあったみたい。

 

「やはり、僕の勘が的中していたということか……。いよいよ本腰入れて変革に向けて動き始めていく段階にまできているのだな」

「そのために、あなたを連れ戻すように組織から指示が降りたのですわ」

 

 父さんは組織の中でもかなり重要な立場にいて、見捨てられない存在でもある。とは言っても、秘密犯罪結社のだけど……。

 まったくもって自慢できるような親ではないけど、魔法使いであるからには、そんなことはどうでもいっか。どうせなら、上の地位にいて、何かしらのすごいことをやっていることを褒めたたえてあげるべきだよね。

 

「とりあえずは、ここから早めに出ないか? せっかく合流出来たんだ。このままキャパシティまで一緒に行きましょう」

「そうね。いつ奴らに潜入されていることがバレるかも分からないわ」

「じゃ、帰りの道案内も覇人お願いね」

 

 当然ながら、複雑な道のりをただ付いていくだけとなっていた私たちでは帰りの道も覚えてるわけがない。

 

「待ってくれ。ここを出る前にもう一つやるべきことがある」

「どうしたのですか? 何か心残りがあるのですか」

「えー。なに? あんまりゆっくりしてる暇ないんだよ。父さん」

 

 蘭も言っていたように、父さんを助ける過程で何人かの研究員を倒してきている。見つかったら騒ぎになることは間違いない。そんなことになったら、脱出が一気に難しくなってしまうんだから。

 

「数日前のことだ。ここにある魔法使いがやってきた」

「助けろってか? 回収屋は休業中なんだぜ。いまは彩葉たちをキャパシティまで連れていくことが最優先だろ」

「そういうわけにもいかないな。彼女は必要な人材だ。君たちにとっても放っておけない存在だよ」

 

 父さんはもったいぶったような口調で焦らす。

 そして、その忘れられない人生の救済者の名前を教えられる。

 

「キャパシティ幹部の一人。穂高緋真の救出が最優先だ」

 

 

 行きと同じく、蘭が魔眼で周囲の研究員の索敵をしながら、どうしても避けられずにすれ違ってしまう場合だけ、無力化しながら父さんを先頭にして突き進む。

 

「お姉ちゃんをここまで連れてきたのは多分、あの女ね」

 

 蘭が独り言としか思えないような小さい声を出す。それに合わせて私も声の音量を下げて聞き返す。

 

「あの女……?」

「蘭さんの知り合いですか?」

「あんたたちも一回あったことがあるでしょ」

 

 心当たりは……ないと思うけど。……あったっけ? よく分かんない。

 

「橋の上で戦った華南柚子瑠(かなんゆずる)よ」

「……あいつか」

「蘭の同期でB級戦闘員だったな」

 

 あー、あの肉食系風の人。凶暴さがにじみ出ていた戦闘員で、正直勝てたのが奇跡だとでも思えるような強さだった。

 

「この区画で重要な戦力であるはずの柚子瑠があんな端っこの方まで来るなんて、一体どんな厄介な任務に関わっていたのかと思ったら、お姉ちゃんの移送任務だったのね」

「そういえば、華南柚子瑠がこの辺りを徘徊している時期がありましたわね。B級でしたから手を出しづらかったのですけど、あれは緋真の移送でしたのね……」

「移送先がここで良かったです。いままで何度も助けてもらいましたから、次こそは絶対に私たちで助け出してあげたいですね」

「当たり前よ」

 

 緋真さんは生きている。それを伝えられた時は、不覚にもあまりの嬉しさで叫んでしまいそうになったけど、茜ちゃんがとっさに機転を気かして口を押えてくれたから何とか声には出なかった。ようはそれだけ嬉しかったってこと。

 少なからずもあの時。実力不足で緋真さん一人を置いてあんな結末を迎えてしまったことに罪悪感は感じていた。

 だから、この朗報を聞いて、絶対に助け出したいと思った。この前の無力さをここで返したい。いままでお世話になった大切な人だから、私たちの頼れるお姉ちゃん分をこの手で救い出したい。

 蘭にとってはたった一人の残された家族でもある。人一倍に心配になって、悲しんでいた姿を私は知っている。だからこの朗報が聞けたとき、きっと一番心が揺れているのは蘭だよね。

 それを欠片ほども見せず、冷静になって魔眼で索敵だけに徹している。この救出劇にかける想いは誰よりも負けていないのは見て分かった。

 やがて、蘭が強い魔力を感知し、周囲に研究員がいないことを確認したうえで、一気に突っ走っていった。

 迷子になった子供が母親との再会を果たしたような勢い。無理もないよね。五年間も離れ離れになって、再会できた途端にまた別れることになったんだもんね。

 私や茜ちゃんも色々と面倒を見てもらった身分でもあって、蘭にならってつい遅れて駆け出してしまった。

 着いた先は、父さんがいた部屋と同じ造りをしていて、だけど明かりを点けるまでもなく、中にはすでに先客がいた。

 

「汚い手でお姉ちゃんに触るな――!」

 

 研究員が悲鳴を上げるよりも先に手を出す蘭。

 速攻で構えた魔力弾をお見舞いされた研究員は、吹き飛んで壁に叩きつけられると気絶してしまった。怒った蘭の怖さを知らない研究員には、残念だけど同情はしてあげられない。私でも多分、先に手が出たと思うから。蘭の行動はとても正しい、感情に任せたものだった。

 

「……蘭?」

 

 錆び付き、清潔感が蚊ほども感じられない汚らしい椅子型の診察台に括り付けられている緋真さんは、すでに手遅れとも思えるほどに力強さを失い、虚脱した声を出した。

 慌てて側によった蘭は、縛り付けられている鎖を豪快にも引き千切ろうとするが、無理に決まっていた。

 

「その鎖も魔障壁と同じ原理で造られている代物だ。それで括られている以上は、魔法使いは自力で抜け出すことはおろか、魔法を使うことも出来ないようになっている」

 

 抵抗をしないで、大人しく実験材料になるしかないのはそういう理由だったんだね。

 この鎖にも南京錠で閉じられているから、鍵があるはず。

 そのことをいち早く気づいていた纏が、研究員の白衣から鍵を取り出して南京錠を解いた。

 身体の自由を取り戻せた緋真さんは、我が子のように蘭を抱きしめた。生きている実感を取り戻し、現実を受け止める緋真さんの顔には、たちまち生気が宿り始め、ついには笑顔が零れていた。

 私たちのことはそっちのけで、熱い抱擁を交えている二人を邪魔かなと思いながらも蘭の肩を叩いて振り向かせる。

 皆に見られていたことが恥ずかしいのか、顔をちょっと赤くして抱擁を解く蘭。

 そして――新しい得物を見つけた肉食動物のような様相で、私と茜ちゃんに喰いにかかる勢いで抱きしめてくれた。

 

「良かったわ。彩葉ちゃんたちも無事で。お姉ちゃんもう、ここに連れられてから心配で心配で……ほら、二人ともこんなに服を汚してしまって……まったく。蘭もちょっとはお洒落な服を着ているかと思ったら、またそんなサイズに合っていないものにして……もう」

 

 この感じ。随分と久しぶりで懐かしく思える。

 

 いつも私たちのことを気にかけてくれて。

 いつも私たちのことを叱ってくれて。

 いつも私たちのことを見てくれていて。

 

 妹分である私には持っていない。不思議な不思議な魔法を操る緋真さん(お姉ちゃん)。

 

 暖かくて、優しい言葉が耳を通して、心の奥底を刺激する。

 

 どうしてだろう。なぜ? こんなにも赤の他人だった緋真さんに惹かれてしまったんだろう。

 

 想いが溢れて口に出来ないこの気持ち。なんて名付けたらいいのかな?

 

 分からない。ただ、いつか緋真さんが教えてくれた。

 涙は気持ちを切り替えるには丁度いい表現方法。

 

 だからこの滴は、嬉しさや喜びに変換されて流れている。口には出さなくても、ちゃんと気持ちは伝わっているよね。

 

「無茶ばっかりしちゃって、ほんとに……。でも、助けてくれてありがとう。お姉ちゃん嬉しいわ」

 

 その言葉はこの場にいる全員に向けられてものだった。

 

「お、それじゃあ、礼に俺とも一発熱い抱擁でも交わしてくれんのか?」

「するわけないでしょ。可愛い子限定よ」

「そりゃ、残念」

 

 当たり前の返答が戻ってきても、本人は分かりきっていたみたいで口振りとは真逆に残念さはない。言わなければいいのに……期待、したのかな?

 

「あなたは勝手な行動を取ったかと思えば、今度は研究所送りにされてしまいますわで……ほんとに何度、私に迷惑をかければ気が済みますの?」

「ふふ、汐音には悪いとは思ってるわ。でも、なんだかかんだ言ってこうして私に付き合ってくれるのよね」

「何年の付き合いがあると思ってますの。こう何度もあっては、さすがに諦めが付きますわよ。……はぁ」

 

 こういったやりとりは昔からよくあるのか、嘆息の混じった呆れがこもっている。この人も苦労人なんだね。

 

「せっかくの再会に水を差す様な真似をしてしまって、悪いのだが……あまりグズグズしている時間はないことだけは頭に入れといてくれないか」

「あ! そうだったね」

 

 纏が言ってくれなかったら、多分いつまでもここで無駄話をしてしまっていたかもしれないね。

 

「……緋真。体の調子はどうだ? 君の方も大量の血を抜かれたのだろう」

「ええ、そうね。何が目的なのかは知らないけど、嫌ってほど抜かれたわ。おかげでちょっと気分が悪いわね」

 

 診察台の上には血液が入った試験官が何本も置いてあった。献血ってことはないとは思うけど、見ていて気持ちが悪い量が抜かれている。

 

「こんなにも沢山……。大丈夫ってことはないですよね。よければ肩を貸しますよ」

「遠慮しておくわ。可愛い妹分の前で弱いところなんて見せられないもの。お姉ちゃんはこの程度じゃあ、弱音は吐かないわよ」

 

 もうすっかり、私たちと一緒に行動を取っていた時のような元気な姿が戻ってきている。お姉ちゃんだからしっかりしていないと、て言っている割には足元がふらついているようにも見える。

 見ていられないところもあるけれど、これはお姉ちゃんというプライドがあってのことだから、見て見ぬ振りをしてあげるべきだね。

 

「ねえ、この血はどうするの? いっそのこと全部緋真さんの中に戻してしまえばいいんじゃない? やっぱりそういうことはダメなのかな?」

「どうなんだろうな。医学の知識なんて持ち合わせてはいないから余計なことはしない方が良さそうだが」

 

 この場で唯一、医者っぽいことが出来そうなのは緋真さんぐらいかな。もしかしたら父さんも出来るのかもしれないけど、実の娘ながらその辺のことは知らないんだよね。

 

「どっちにしろ、そんなものをもう一度体内に戻したいとは思わないわ。生理的に受け付けられないわよ」

「あ、なんか分かるかも」

 

 いくら自分の血だからと言っても、目の前で抜いた血をまた入れ直すなんてことは可能でも抵抗はあるよね。

 

「必要がないならこれは破棄させてもらおう。奴らにとって魔法使いの血液は、最強の武器になり得る物だからな」

「へえ、そりゃまたどういうことで?」

「もしかして、あの研究についての進展がありましたの?」

「……そんなところだ。詳しいことはキャパシティについてから、リーダーに報告するついでに話させてもらう」

 

 父さんの研究は医療関係らしい。ちょっと非人道的な部分にも触れているようで、祟られるだとかなんとか家で話していたことが懐かしく思える。

 

「ついに、アレの正体が解明されたのね」

「アレ? あれって何? 父さんの研究って医療がどうとか、っていう奴だよね。たしか、亡くなった人が生きている人の役に立てるかどうかっていうやつ」

 

 裏社会でしばらく生きてきて、日常とはかけ離れた数の魔法使いが死んでいった。何の理由もなく、魔法使いというだけで殺されてしまった人たち。もし本当に研究の成果で生者の人たちの役に立てるのなら、無念にも亡くなった魔法使いたちもちょっとは気が晴れるのかもしれない。

 

「娘には上手く誤魔化して説明してたのね」

「あの頃の彩葉に真実を話してやる訳にもいかないだろう。だが、今なら話してもいいかもしれないな。いや、伝えておかなければいけないことか」

 

 元々魔法使いなんだから、言えないことの一つや二つぐらいはあって当然なのかもしれない。人間をやっていた私には言えない何かが。

 

「彩葉。よく聞くんだ。僕の研究内容。それは――」

 

 父さんの言おうとしたことは、不意になり始めたけたたましいアラーム音によって掻き消された。まるで真実を遠ざけようとしているかの如く、神の悪戯が働いた。

 

「私たちの侵入が見つかってしまったのでしょうか」

「さすがに長居しすぎたようですわね」

 

 おまけに研究員を何人も倒してしまっているから、見つかってしまうのも仕方ないよね。だけども、敵の施設の奥の方にまで来てるのに、全員冷静にこの状況を受け入れていた。

 人数が物を言わせているのかもしれないし、頼れる人たちが側にいてくれるから心強さもあるのかもしれない。

 いずれにしても、このメンバーなら怖い物なんてない。

 

「次々と魔力反応が動き回っているわね。たぶん、研究員の連中が私たちを探しているんだわ」

「敵が押し寄せてくるのも時間の問題だな。全員、いますぐここから脱出しよう。話はそれからでも遅くはないだろう」

「僕と緋真は衰弱しているが、それでも大した脅威にもならないだろう。多少なりとも強引に突き進むことは可能だ」

 

 キャパシティの幹部が三人。

 構成員が一人。

 確かにこれだけの実力派が揃っていたら、ただの研究員なんて敵じゃないよね。

 

 捕えられた人たちを奪い返すことに成功し、あとはここから抜け出さないと。

 研究所も荒らされて、研究員も何名か失ってしまったアンチマジックにも一泡吹かせてやることも出来る。

 

 まさに私たちの大勝利。

 

 少しばかり早い祝砲となるアラームが私たちの背中を押し、研究所の入口へと這い上がっていく脱出劇が始まった。

 



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84話

 まずは、研究所の一階に繋がる階段を目指す。

 いまはもう止まっているけど、警報が鳴ったせいで騒然とした研究員が、にわかに動き始めている気配を蘭が探知してくれた。

 複雑に入り組んだ通路では、曲がり角がいくつもあるせいで、どこからともなく研究員が現れるかも分からない造りになっている。私たちは内部の構造をこれっぽっちも把握していないせいで、不意な襲撃に遭ったりする可能性がある。

 だけど、気にしてなんていられない。

 見つかってしまった以上は、こそこそ移動していても仕方ないし。向こうから襲ってくると分かっているから、最低限の対処をするための適応力だけ身に付けておけばいい。

 入り口まで一直線にただ進むだけ。

 邪魔をするなら蹴散らす。

 簡単な脱出劇になりそうだと思った矢先――目の前に石ころが飛び込こんだ瞬間に視界が黒く染まった。

 同時に耳を一時的に機能停止にまで追い込む爆音。

 派生して生み出された爆風は、凪いだ通路を震わした。

 以上。三つの現象は、私たちの足を止めさせるには十分な理由となった。

 

「この威力……血晶か」

「ああ、あれね。月ちゃんが得意としてる宝石みたいなやつだよね」

「屋敷前で見た威力そのままですね」

 

 行く手を阻んできたのは、白衣を着た複数の研究員。

 手にはそれぞれ、何らかの武器を持っている。アンチマジックの使う武器ということはすべて魔具でいいよね。

 

「何を持ってきても構わないわよ。すべて、燃やし尽くしてあげるわ――ッ!」

 

 久しぶりに見る、緋真さんの炎の魔法が狭い通路を飲み込んでいく。

 広範囲に拡がった炎は、研究員たちの避ける術を与えることもなく瞬く間に終わったと感じた。

 だけど――。

 研究員たちはその場から一歩も動くことなく、悠然と立ち尽くしていた。

 その手にはお守りのような物を掲げ、空間に膜のようなものが覆っている。

 

「守護天使《ガーディアン》。あらゆる災厄を切り離し、所有者に安全圏を約束する盾よ。あれがある限り、あたしたちの魔法は一切通用することはないわ」

「まるで魔除けですね」

「原理的には魔障壁に近いらしいわ」

 

 そんなのと一緒にしてしまうと、私たちを阻んでいるのはまさに難攻不落の盾。

 一番威力の高い緋真さんの魔法を防がれて、私たちにそれを砕く矛なんてあるのかな。あ、でも緋真さんは魔障壁を壊して三十一区に来たんだっけ。

 じゃあ、突破することは簡単なのかも。

 

「あのときは魔障壁にちょっとした細工をしていたおかげで破壊出来たのだけれど」

「細工……ですか? あの魔障壁に?」

 

 そんなことが出来るなんて、もっと早くに知りたかったな。そしたら、あんな苦労せず、楽に通れたのに。

 

「詳しい原理は未だ検証中だ。だが、あの魔具が魔障壁に近い性能を有しているとなると、現時点では破る術は思いつかないな。それよりも――」

 

 気にかけておかないといけないのは前だけではなかった。

 さすがに魔眼持ちなだけあって、蘭も危険にいち早く気づけていたみたいだけど、私が刀を創ったのを見て手を引いた。

 

「――!!」

 

 T字路となっている通路から研究員が襲ってくる。私は誰よりも疾く対応して、創った刀を振り下ろす――!

 しかし、刀身は研究員を斬ることもなく、吸い込まれるようにして消えた。

 消えた刀身で確信する。手に持っていたのは使い捨ての魔具。“取捨の剣”(アゾット)だ。

 

「油断しない――!」

 

 割って入ってきたのは蘭だった。邪魔だったのか、私を押し倒して間髪入れずに研究員を蹴り飛ばす。

 

「魔法が通じないなら、体術で対応しなさい」

 

 とっさの判断はすごいけど、だからって蹴り飛ばすかなー。普通。相手が私とか関係なくすぐに手を出すのは悪い癖だと思うな。

 

「蘭ってば。しばらく見ない内に随分とやんちゃな子に育ったのね」

「何言ってますの? 緋真もあんな感じですわよ」

「え、私?」

「ああいう大胆なやり方をするところが一緒ですわ。まったく、無茶な戦法ばかり選んで……格闘戦に持ち込む魔法使いなんてそうそういませんわよ」

 

 そういえば何度か戦闘員を相手にしていた時、緋真さんは掌底を叩きこんでいたような。

 

「しかし、全員が魔法を封じる魔具を使っているようなら、彩葉たち魔法使いは本領を発揮できそうになさそうだな」

「ここは魔具の研究所だ。すなわち、奴らにとっては魔具の保管庫にもなっていることを意味している。武器が尽きることはないだろう」

 

 楽観的にいたのに、一気に絶望的な状況へと早変わりしてしまった。

 前から、後ろから。そして、横から研究員が迫ってきている。

 

「でもさ、戦闘員じゃないなら一般人とあんまり変わらないんでしょ。魔具を使う分ちょっと厄介なだけって思えば何とかなるって」

「ま、よくて警備兵と同等ぐらいだろうぜ。戦闘経験がない分、魔具もまともに使えねえだろうけどよ」

 

 対魔法使い戦に特化した戦闘員でなければ、まともに戦うことも出来ないはず。警備兵と同じで、根本的に場慣れしているわけがないんだ。

 

「で、では蘭さんの言う通り、格闘戦をしなければならないのですか。私、人に暴力を振るったことなんてありませんし、不安になってきました」

「安心しなさいな。私も野蛮な行為はありませんわ」

 

 茜ちゃんと汐音は見掛け通りなかったみたい。当然、私も殴ったり蹴ったりしたことがない。拳と拳で語り合うような喧嘩なんてしたことないし、下手したら研究員たちに返り討ちにあったりするかも。

 だからこそ、私にしか出来ない手段で戦うしかない。

 

「私に任せて、茜ちゃんは下がってて」

 

 逃げ場を完全に囲まれた状態の最中、研究員たちは血晶を飛ばし、取捨の剣《アゾット》を構えて襲ってくる。

 三方向からの襲撃でも、私たちは持てる力の限り戦うしかない。

 唯一、魔法使いじゃない纏は魔具で対抗している。とは言っても、魔力を帯びた刃は飛ばせないから、太刀としての扱い方に留まっているけど。

 そして、私は短剣を創りだし。相手の動きに合わせて、身を捻る。回避して横をすれ違う様に、撫でるように斬りつけて次の標的に目を合わせる。

 踊るようにすり抜け、蝶のように剣の舞を披露する。

 誰も捕えることは出来ない。

 私の独壇場となったステージで一人、また一人と無駄な動きをすることなく、鮮やかに斬っていく。

 気づいた時には、痛みでうずくまる研究員で埋め尽くされていた。

 他の人たちも十分な活躍をしていた結果が数で現れている。

 残った研究員たちは、恐れをなして刃向うことすらしなくなっていた。

 

「だいぶ、数を減らせたな」

「あの、もうこれ以上は無駄だと思います。だから、大人しく私たちを通してください」

 

 茜ちゃんの心からのお願いが果たして聞き届けてくれたのか、魔具を放棄する研究員たち。

 意外とあっさりと降参してくれたのかと気が緩みそうになった矢先――二名の研究員が白衣から謎の赤い液体が入った注射器を取り出した。

 

「あれも……魔具なのかしら?」

「いや、あれは……まさか……」

 

 父さんが動揺を見せるも、研究員は注射器を自分に差し、赤い液体が流れ込んでいった。

 すると、狂気に駆り立てられたような痛ましい叫びが木霊し、濃密な負の気配が辺り一面を満たしていく。

 

「嘘でしょう……。この感じ。何が起きているのよ」

 

 魔眼を所持している蘭じゃなくても、私にでも分かる。

 おそらく、この場にいる纏を除いた全員が同じことを思ったはず。

 こんなのって……あり得るの? 

 私は自分で見ている目の前の現象にただただ、疑問符だけが浮かび上がってくる。

 

「どうなっていますの?! どうして彼らから魔力を感じますの?」

 

 そう、たったいま。謎の赤い液体を注入した研究員たちからどういうことか、魔力を感じている。

 唐突に、不可解な魔法使い化に戸惑いを隠し切れるわけなんてないよ。

 

「魔法使いになる魔具……ということなのでしょうか?」

「違うな。あれは、魔具なんかじゃあない。魔法使いの血液を取り入れてる」

「つまり?」

 

 赤い液体の正体が分かったところで、それが魔法使い化に繋がるなんてどういうことなんだろう?

 魔法使い化は、人が負の感情や過度な情緒不安定に取りつかれた時などに発生する異常事態。突発的な人の精神崩壊がきっかけになるんだよね。なのに、血を取り入れただけなんていうのは、そのどれとも一致していない。

 

「魔法使いの血液には、魔力が宿っていることは知っているだろう。元々は、破壊衝動が具現化されて発生している力だ。それを正常な人に取り入れた場合、狂気に駆られ、精神崩壊を起こす」

「魔力が精神を侵し、人を狂わすというのか……。だが、いいのか? 無理やり精神を壊す様なことをしてしまって……」

「無論、正常な方法で魔法使い化に至っているわけではないから、かなりのリスクを負ってしまう。不意に湧き上がった破壊衝動に憑りつかれ、精神は完全に崩壊する。その先に待ち受けているのは、魔力を抱えた虚ろな人の抜け殻だよ」

 

 私は一度、魔法使い化を体験しているから分かる。心の片隅に眠っている嫌な感じが徐々に身体を汚染していき、ちょっとずつ新しい自分に作り替えられていくような感覚。

 大切に積み上げてきた人格が変わっていくには時間がかかるように、魔法使い化も蓄積した負の感情が一線を越えて初めて生まれ変わる。

 でも、血液を取りいれると、それをすっ飛ばして豹変する。

 人が変わる。という文字通りのことが起きる。

 

「あの人たちは、もう……元には戻れないのですね」

 

 茜ちゃんは、ひどく悲しい声音を出した。

 

「そうまでしてでも、俺たちを逃がしたくなかったのか」

「同情する必要はないさ。連中はそれを覚悟して実行に移している。僕たちという存在は、人の手には余るものだ。取り逃がさずに済ませる方法としては、それしかなかったんだろう」

 

 血走った瞳で私たちを射抜いてきた研究員たちは、やり場のない破壊衝動をぶつけたくて魔力弾を展開した。

 ストレス発散をするかのように撃たれた魔力弾は、その対象に茜ちゃんが選ばれる。

 

「――え……!」

 

 あまりにも自然かつ、遠慮のない一撃に身体を縫い付けられたように動けなかった茜ちゃんは絶句した。

 でも、その瞬間。私も唖然とすることになる。

 暴力の矛先は、予想もつかない場所で発散された。

 死を覚悟した茜ちゃんの前には父さんがいて、代わりに父さんがいた場所には魔力弾が着弾している。

 

「……」

 

 父さんはまるで表情が変わることもなく、明確に殺意のこもった魔力弾で、こっちに襲い掛かろうとしていた研究員に撃ち返す。

 高度に圧縮された魔力弾を受け止めきれず、回避せざるを得ない研究員。直線上に飛んだ魔力弾は、避けるだけなら特に難しいことでもなかった様子。

 しかし、次の瞬間――

 避けて研究員の後ろ側に飛んだ魔力弾と父さんが入れ替わっていた。

 目の前にはさっきの魔力弾が、駆け抜けた軌跡を辿りなおしてもう一度研究員の方へと飛んでいく。

 ――再度、着弾するまでの時間。その短い間に父さんは次を仕掛けていた。

 無防備に背中を見せている研究員に魔力砲を放ち、倒れる前に白衣から一本の短剣を抜き取った。

 そのころには、自分で放った魔力弾に直撃寸前まで迫られている。だが、直前になって霧散することになった。

 振るわれたのは使い捨ての魔具“取捨の剣”(アゾット)

 今度は、魔力を宿した“取捨の剣”(アゾット)をもう一人の魔法使い化した研究員に投げ放ち、相応の強力な爆撃が襲った。

 私が息を飲んで傍観していた内に、一方的に戦闘が終わらせられていた。

 

「あなたたちは、初めて見ますわよね?」

「オッサンの魔法は対象と自身の位置を入れ替える魔法。……よく、あんな使いにくい魔法を使いこなせるもんだぜ」

 

 その場から消えたり、現れたりしていたのは目の錯覚ではないみたい。

 

「なんか、反則すぎない? それ。瞬間移動みたいなもんでしょ」

「いや、これがそういうわけではないんだ。僕の魔法はあくまでも入れ替えだ。対象となる存在がなければ魔法は発動しない」

 

 火が出せたり、剣や銃などの単純な魔法とは違うんだ。いままで見てきた魔法の中でも一番変わった魔法だね。

 

「なるほど。それで魔力弾を入れ替え対象として使ったのですね。魔力弾と入れ替え魔法を上手く使いこなさなければいけない。たしかに、使いどころの難しそうですね」

「条件下でのみ発動する魔法……か。そういうのもあるんだな」

「僕の魔法を止めたければ、方法は二つしかない。

 魔力弾を受け止めるか、相殺するかだ。僕の魔力弾を回避するということは、移動先を与えてくれているようなものだ」

 

 便利そうだと思ったけど、そう簡単なものではなさそう。意外と頭を使った戦法を取るしかないみたい。なんだか、ホッとする。私の魔法が剣を出して振り回すだけでいい単純なもので良かった。

 

「やはり、非戦闘員の我々が魔法使いには敵わないらしい」

 

 降参にも聞こえる言葉かと思えば、研究員の一人は白衣から例の試験官を取り出す。

 

「さっきの奴らを見ていて、まだ懲りない人たちなのね。馬鹿じゃないの? あんたたち」

「もう、止めてください。同じことを繰り返すだけです」

 

 たとえ、何人が襲ってこようともキャパシティの幹部が三人もいる限り、研究員たちには手も足も出ることはないはず。結果が見えているからこそ、余計な犠牲が出ることを茜ちゃんは嫌がった。

 

「これでも、我々はアンチマジックの一員だ。外の世界に毒となる素材は、ここで殺処分するしかあるまい――」

 

 残っている研究員たちは一斉に注射器を取り出し、その中身をすべて体内に取り入れた。

 次第に具合が悪そうな患者のようにうずくまり、狂気じみた声が通路内に響き渡る。

 

「我々は……ここで死に近い状態に追い込まれるだろうが、せめて……お前たちを道連れにすることが……出来れば、本望だ」

 

 生命を削った、力の限りの咆哮。

 重なり合った発狂音に精神を蝕まれそうになる。

 嫌な合唱。聞くに堪えない歌声に耳を塞ぎたくなってくるけど、身体が居竦まってしまっていることに、今更のように気づいた。

 怖いんだ。いま、わたしは自分を棄ててまで、役目を守ろうとする謎の必死さに圧倒されている。

 やがて、力尽きて抜け殻のようになった研究員たちには、人を終えた証が溢れていた。

 

「全員が魔法使い化しやがったのか」

「厄介なことになりましたわね」

 

 人がすべて、魔法使いに変わった瞬間だった。

 この施設にはもう、纏以外に人はいない。みんな、変わってしまったんだ。その証拠に当たりから魔力が漂っている。

 

「自らを被検体とするのはいいが、命を粗末にするよう必要はないだろう」

「研究者の気持ちは私には分からないわね。それよりも、どうしようかしら? 魔法使い同士の戦闘なんて初めての経験だわ」

 

 T字路になっている部分に立ち尽くしている私たちの前、後ろ、横を魔法使い化した研究員がバリケードのようにして塞がっている。

 やるせない気持ちがあるけど、私たちは諦めるわけにはいかない。なんとしても突破しないと――!

 魔法使い化した研究員たちは、早速手に入れた魔力の使い道を私たちに向けた。

 一体、どれだけの研究員がこの場にいるのだろう? ざっと数えただけでも十人以上はいる。

 その全員が、命一杯に込められた魔力弾を一斉に構えている。

 全方位に逃げ場を失くしてしまって、立ち往生をしなければならなくなった現状に、この剣一本で何とか道を作らないと。

 ほぼ限りなく、難しいと思うけど、人間追い込まれればなんとかなるって思う。だから、諦めない。

 

「そちらが銃口なら、こっちは砲口で対抗させてもらう――」

 

 絶望を希望に変えようと勇んだところで、纏が魔具“散りゆく輝石の剣”(クラウ・ソラス)を構えていた。

 そして、残った二方向には――。

 茜ちゃんの最大充電されたクリスタル状の銃。蘭の得意とする魔力砲がそれぞれ向けられていた。

 発射はほぼ同時。

 雨のように撃ち込まれる魔力弾を纏たちは、大砲の如き一撃で迎え撃つ。

 

 “散りゆく輝石の剣”(クラウ・ソラス)から放たれた漆黒の刃が魔力弾を切り刻み――

 

 銃弾というよりは、砲弾に近い威力を放った一撃が魔力弾を打ち砕き――

 

 開拓にはうってつけの魔力砲が魔力弾を飲み込んでいき――

 

 敵の更に上をいく力で捻じ伏せてしまった茜ちゃんたちの前には、致命傷を負った研究員たちが倒れ込んでいた。

 

「やるじゃん!」

「感想はいいから、今のうちに出口に向かうんだ」

 

 道を把握している覇人が先頭に立って走り出し、私たちはそれに続いていく。

 しかし、魔法使い化して正気を失っている研究員たちは、ゾンビのような生命力で立ち上がって追跡を始めてきた。しかも魔力弾まで撃ちながら走って来る。

 茜ちゃんの銃と蘭の魔力弾で撃ち落としながら進んでいくけど、このままでは追いつかれてしまう可能性まで出てしまう。やっぱり一人一人相手にして、ここで気絶でもさせてしまった方がいいのかも。

 

「あの人数だと逃げ切るのも難しいわね。ここは、お姉ちゃんに任せなさい!」

 

 急に立ち止まった緋真さんが、後ろを向いて研究員たちを見据える。私たちも緋真さんを置いて行くわけにもいかずに、その背中を見つめた。

 

「……緋真。まさかとは思うけど、アレをやるつもりですの?」

「仕方ないじゃない。こんな時ぐらい文句は言わないでくれるかしら」

「い・い・ま・す・わ・よ! どうして、そうあなたたち姉妹は大胆な方法しか思いつきませんの? もっと別のやり方にしなさいな」

「大丈夫よ。威力は抑え気味にしとくわ」

「そういう規模の話しじゃありませんのよ。アレは――」

 

 汐音が言い終わるよりも前に、緋真さんはアレと言われていたモノの準備に取り掛かっていた。

 

「お姉ちゃんに任せないって言ったでしょう。最小限に加減はするけど、一応用心はしておいてくれると助かるわ」

「……もういいですわ。緋真の後始末はいつも私ばかり……ほら、彩葉さんたちも巻き込まれない内に走りますわよ」

 

 訳が分からないやり取りの中で、父さんと覇人は理解していた。なんだか諦めきった様子で汐音の言う通りにしろと言うから、雰囲気に流されて付いていかざるをえなくなる。

 でも、言われなくても嫌な予感だけは直感した。

 緋真さんが構えていたのは、見覚えのある球状の形をした魔法。

 炎を閉じ込めたかのような、太陽を連想させる朱い螺旋を描いた魔力を私たちは一度見ていた。

 

 ――紅玉

 

 アレは一撃で天童守人の魔具を半壊状態にさせ、工事現場を滅茶苦茶に焼き尽した驚異的な魔法。

 汐音が恐れるのも分かる。私だって、あんな威力だと知っていると止めたくもなってくる。

 生きてここを出れるのか不安を感じ、自然と足が速く動いてしまう。

 そして――紅玉が放たれる瞬間を見てしまった。

 研究員たちの魔力弾は一つ残らず消し炭となってしまい、威風堂々とした紅玉の前には、何者も阻むことは出来なかった。

 紅玉は研究員たちを素通りした後方で弾け、閉じられた炎が一気に爆ぜて一面に紅い景色が広がった。

 炎すらも灼きつくすような炎がうねる様に迫り、研究員たちは存在を掻き消されていく。あの炎が通った道にはたぶん、生きている人は誰もいないはず。緋真さんは除いて。

 野原町からそうだけど、炎には恐怖を覚えさせられることしかない。たまには便利だなと思うけども、割合的には怖さの方が勝っている。

 頼りになる一面もある緋真さんだけど、こういうのはもうやだなぁ……と思いつつも一階に繋がる階段前までたどり着く。

 だけど、炎は肌で熱を感じ取れる距離にまで差し迫り、登り始めた瞬間には、生きている心地は感じれなかった。

 



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85話

 爆風に追いやられるように一階へと駆け上がる。

 振り返ると、火だるまになった緋真さんが昇ってきて、その姿に驚愕してしまった。火傷とかそういう軽い症状で済ませれそうになかったけど、本人が言うには、炎を操る魔法を使うので服を着ているようなものなんだとか。冬場だと快適に過ごせそうで良いね!

 研究員たちは全員、緋真さんと同じ状態に合わされていると考えられ、下からの襲撃には心配はないらしい。

 無惨な姿に変えられ、そこから更に黒こげにまでなってしまっているのだから、とことん救いようがない結末になってしまった。

 半分ぐらいは自業自得とも言えなくはないけど、緋真さんのやり方は加減を知らない。危うく、私たちまで巻き添えになりそうになったのだから。

 おかげで、汐音がグチグチ緋真さんに突っかかっていく様子が見れた。あの時、嫌そうにしていたのはこういう理由があったんだね。

 まあ、でもこうして無事に一階へと昇れたし細かいことはいいや。終わりよければすべて良しってね。

 兎にも角にもあとは入り口に向けて走っていくだけとなり、行きと同じく覇人に道案内してもらいながら目指す。

 確か、一階は研究員の私室があるという話しになっていたはずだけど、どうやら全員下の騒ぎで駆け付けたらしくて、もぬけの殻になっていることは蘭が魔眼で確認してくれた。

 その蘭が、入り口まで差し迫ったところで小さめの声音を出した。

 

「気を付けて、二人待機してるわ」

「まだ、二人も残っていたのですか」

「たった二人じゃん。そんなに気にすることもないって」

 

 どうでもいいけど、みんな下に行ったのにまだ上に残っているってことは、サボりなんじゃないの?

 

「その敵はまだ目に見えて来ないのか?」

「あたしの眼に透視能力はないのよ。魔力反応だけは探れても、障害物が邪魔で姿までは視認できないのよ」

 

 巨大迷路を体験しているような現状では、一面壁で到底入り口なんか見えて来ない。いまはまだ蘭が確認したという魔力反応の位置が入り口だというところまでしか分かりきっていない。

 それを頼りに進んでいくと、やがて曲がった先に大きな広間に辿り着き、蘭の魔眼で敵の姿を確認するまでもなく、すでに待ち構えていた二人組の方が出迎えた。

 

「あ! やっと来た。もう遅いよ。お姉ちゃん。月ったら暇すぎて死んじゃうところだったんだよ」

「寝てれば退屈も凌げただろうに……」

「殊羅、そればっかり。子供はね、遊んでなきゃ退屈しのぎにならないんだよ」

 

 最強で最悪の二人組。天使と悪魔。悪魔は言い過ぎかもだけど、強さ的には悪魔級。でも片方の容姿は天使。未知の生物と出くわしたかのような圧倒的な存在に待ち伏せされていた。

 

「あんたたち……なんでこんなところにいるのよ」

 

 天使と悪魔とはバーで会ったばかりで、そのあと汐音の報告だと篝さんの仲間を殺害したという話しだった。

 

「なんでって言われてもな……仕事で立ち寄っただけだ」

「今朝のアレのことですわね」

「わぁ……! 綺麗なお姉ちゃんだね」

 

 初めて汐音と知り合った月ちゃんは、私が最初に思った事と同じ感想を漏らしていた。汐音はまだA級戦闘員月ちゃんの生態をよく分かっていないこともあって、どう反応したらいいの分からずに沈黙を貫いていた。

 

「でも、アレを見ちゃったってことは、ここまで月たちを追って来てたのは、お姉ちゃんなんだね」

 

 さっき話題に出ているアレっていうのは、篝さんの仲間を殺したときのことだよね。

 

「やはり、ばれてましたのね。A級とS級戦闘員の追跡があまりにも上手く行き過ぎていたものだから、おかしいとは思っていましたのよ」

「汐音。お前、どうやら嵌められちまってたみたいだぜ」

「そのようですわね。けど、まさか秘密裏にしている研究所を教えるような真似をするとは思ってませんでしたのよ」

 

 同じ戦闘員ですら、知らされていない場所を魔法使いに晒すようなことをするなんて、裏切り行為になったりしないのかな。

 

「わざわざ俺たちを罠にまで嵌める理由。月、君たちは何がしたかったんだ?」

「えー……だって。月たちが魔法使いを殺して、研究所まで案内してあげたら、探している回収屋に見つけられると思ったんだもん」

「しばらく姿を消してはいたが、まだこの辺りにいることは分かっていたからな。ちょっと隙を見せてやれば釣れると思ったが……こうも上手くいくとはな。探す手間が省けたぜ」

 

 私たちがこの区画に到着すると同時に、覇人の指示で汐音は回収屋の代替わりも含めて、身を潜めていた。そして、私たちがいざ動こうとした矢先に篝さんの仲間が襲われた。それは運悪く汐音が組織から出されていた命令である、私の父さんの捜索。その囚われていた研究施設と重なっていたんだ。

 相手からしてもラッキーなのかもしれないけど、私たちからしても研究所を探す手間が省けてラッキーという状況になっている。

 お互いに得をしたと言っていいのかも。

 

「さて、回収屋はどいつだ? 尾けてきた方か? それとも――銀髪の男の方か?」

 

 殊羅の中では、覇人か汐音のどちらかに正体を絞っている様子。

 私や茜ちゃん。元戦闘員である纏と蘭が回収屋であるわけないしそうなるよね。 

 

「俺だよ。汐音には代役をさせてただけだ。本物がしばらく動けねえ状態だったもんでな」

 

 隠しきれないことを分かってか、覇人は堂々と正体をばらした。

 

「やっぱりお前だったか。屋敷前で一度、見掛けたときからお前は頭一つ抜けていたからそうではないかと予想はしていたがな」

「やれやれ。お前みたいなおっかない奴に目つけられるのは勘弁願いたいんだけどな」

「殊羅だけじゃないよ! 月も目を付けてるもん」

「お子様でも勘弁だっつーの。ったく、なんで俺ってこう変な奴にばっかり目を付けられるんだよ」

 

 出来れば庇ってあげたいけど何もコメントできないね。だって、今度は私に火が飛んできそうだし。それは私も嫌だし。

 

「ま、ここで出くわしたのも巡りあわせだろ。大人しく引き返して牢に閉じこもってくれや」

「な、何を言っているのですか?」

 

 冗談なのか本気なのか、いまいち判別が付きにくい提案に呆気に取られた茜ちゃんが確認の意味も込めて聞き返す。

 

「どうせ俺らを越えていくことは無理だろ。俺も格下の相手をするのはめんどくせえもんでな、お前らが引き下がってくれたら、それでこの件はすべて解決するだろ」

 

 悔しいことに、この人数でも殊羅と月ちゃんを倒して先に進むのは難しいかもしれない。私や茜ちゃん、纏や蘭もまともに相手にされることはない。せいぜい、緋真さん、覇人、父さん、汐音の四人ぐらいしか戦える魔法使いはいない。

 

「手間を掛けたくなかったのなら、研究員と共に戦えば良かったものを。おかげで彼らは禁忌の研究の被検体となったというのだぞ」

 

 この施設にいた研究員は全員、魔法使い化して狂気に駆り立てられながらも私たちを逃がさない様に必死になっていた。来てほしくはなかったけど、もし殊羅と月が駆けつけて来たなら無駄な命を落とすこともなかったと思うのに。

 緋真さんが地下一階全土を焦がしてしまった後では、もう何も言えないけど。

 

「ああ、それはだな――」

「殊羅がサボったんだよ。月はね、行かなきゃって言ったのに……地下は研究員に任せて、入り口で待ってようって殊羅が提案したから」

「あんなややこしい道を探し回るのはめんどくせえだろ。どうせ、出口はここしかないんだしよ。ここで待ち伏せしていたほうが楽でいいと思うがな」

「殊羅のバカー!! そうやって面倒くさがるから、いっぱい人が死んじゃったんだよ」

「……じゃあ、かたき討ちでもしたらどうだ? こいつらまとめて相手にするには、お前さんが戦う理由には十分だろ」

 

 殊羅が恐ろしい提案を出してきたが、たしかに月ちゃんが魔法使いを倒す理由としてはそれだけで十分すぎる。

 証拠に月ちゃんもそれには一応納得したようで、しぶしぶながらもやる気を見せている。

 

「……そうだけど。それじゃあね、殊羅も今度はちゃんと協力してくれる? このお仕事はね、月と殊羅に任されたことなんだよ」

「仕方ないな……少しだけならな」

 

 殊羅が纏っている外套から鞘を抜き出す。

 まだ刀は納められているというのに、まるでむき出しの刀のような、鋭利な威圧を漂わせている。

 ただ鞘を握っているだけの所作にこんなにも怯えてしまう私がいる。

 それは一度、体験した恐怖が染みついているからなのかもしれない。

 だから、次に何をされるかなんてことはあらかじめ予測が付いてしまった。

 鞘を振ったその一瞬、天地震わす圧倒的な存在を伴って射出された衝撃波は、私たちの真上にある天井を砕いた。

 弾丸のように降り注ぐ天井の欠片に翻弄されながらも、私たちはなんとか前へと走り抜けることで回避する。

 おかげで、殊羅と月ちゃんとの距離が縮まってしまうことになったのだけど。

 

「みんな、無事……ですよね」

「うん。なんとかね」

 

 他の人たちもそれぞれ無傷であることを教えてくれる。

 それは良かったんだけど、後ろには瓦礫の山が出来上がり、ちょっとした山登り感覚でないと戻れなくなってしまっている。

 

「力任せなやり方ですわね。緋真そっくりですわ」

「心外だわ。私はちゃんと周りの被害のことも考えてるわよ」

「あなた……さっき下で何をしたのかもう忘れましたの?」

「……悪かったわよ。そんなことよりも、これで退路は断たれてしまったわね」

 

 緋真さんの言う通り、いよいよ後ろには戻れなくなってしまった。もう、目の前にいる最強コンビを乗り越えるしか私たちには道がなくなった。

 そもそも後ろに戻る気はなかったから、別に塞がってしまったこと自体は全然問題ないけどね。これはこれで覚悟を決める良いきっかけになったんじゃないかなとすら思えてくるよ。

 刀を創り、構える。

 たとえ私の格上であったとしても、退くに引けない状態になってしまっては無理でも押し通るしかない。

 大丈夫。こっちにはすごい魔法使いが何人もいるんだから、絶対に負けない。まじないのように言い聞かせて勇んだところを蘭に突然呼び止められる。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい! 彩葉」

「な、なにかな? 別に玉砕覚悟で挑もうとしていたわけじゃないよ」

「あんたねえ……はぁ、もういいわ。それよりも――」

 

 うっかり零してしまった本音《さくせん》に蘭はため息を交えて答えた。だけど、魔眼を発動させた蘭の瞳にはすでに私は映していなく、最強コンビの方に向いていた。

 

「殊羅。一つ、確認を取らせてもらうわよ」

「……あ?」

 

 魔眼の眼力で睨み付けるように見据えた瞳で何かを感じたんだね。だいたい蘭が怖い声だして睨んでる時って、そういうことがある。

 

「あんた……さっきの衝撃波は、どう見ても魔力を放っていたわよね。ただの人であるはずのあんたが」

「……」

 

 誰もが耳を疑っている。私や茜ちゃんは何度かあの一撃を見たことがあるけど、一度たりとも魔力なんて感じていない。蘭の魔眼だからこそ感じ取れる一瞬のことなんだろう。

 いや、それよりも。殊羅が魔力? みんなが疑ってしまうのはそこだよね。

 すべての人間には少なからずの魔力が宿っている。だけど、魔力を扱えるのは魔法使いだけ。となると、魔力を放ったと言った蘭の言葉を信じると、殊羅は魔法使いということになってしまう。

 アンチマジックで――それも魔法使いを狩る戦闘員なのに魔法使いを雇っているの?

 

「あたしの眼は誤魔化せないわよ。魔力を使う戦闘員なんて聞いたことがないわよ! ……あんた、一体何者なのかしら?」

 

 蘭が問いただしても、沈黙を貫く殊羅。その後、補足するように纏が流暢に付け加える。

 

「アンチマジックに入った当時に殊羅の資料を呼んだことがあるのだが、経歴不詳になっていたな。出生からすべて過去が隠蔽されていた。分かっていたのは名前と性別。それから階級だけだった。しかし、アンチマジックに入っているということは人であることは間違いがないはずだ。過去、魔法使いを雇ったという前例はないからな」

 

 前例がないってことは、初めは魔法使いじゃなかったけど、途中からなったってことになるのかな。

 ここにいる蘭のように。と言っても蘭は戦闘員から抜けてしまったんだけど。でも、そのまま隠し続けて戦闘員としてやっていけてたら、もしかしたらあり得るのかもしれないね。

 

「もし、この件がアンチマジックに知れ渡れば、あんたは戦闘員としての地位を失うどころか、俺たちと同じ。狩られる側になるはずだ。最強のS級戦闘員――神威殊羅。あんたは、魔法使いなのか? それとも人なのか? どっちなんだ」

 

 次々と明らかになる謎について、黙って聞いていた殊羅はついに口を開いた。

 

「俺が何者なのかだと……答えは――両方だ」

 

 人と魔法使い。ハーフ……で解釈していいのかな。

 

「まさかとは思うが……いや、一応この場はそのままの意味で理解させてもらうとしようか」

 

 研究者である父さんだけは、話の展開に付いていけていた。

 

「人と魔法使いの境界線に立った俺は、人でもあるが同時に魔法使いでもある。それが、魔人と呼ばれる由縁だ」

「……人外……魔人。それがあんたの通り名だったわね」

「魔人とはいうが、正確にはどちらでもないらしいがな」

 

 人でもなく、魔法使いでもない。その間を取って魔人。魔力を操ることが出来る人ということでいいんだよね。

 

「うーんとね、月も難しいお話はよく分かんないんだけど、殊羅が魔力を全部出しちゃったら、誰も手出しできないぐらい凄いんだよ!」

「いまの状態でも十分に凄いのですけど、魔力を出せば更に強くなってしまうのですか?」

「月もみたことはないんだけどね、殊羅が特別になっちゃった理由は、人だけど魔力が引き出せるからなんだって」

 

 天上を崩した程度の魔力だとまだまだほんの一部ってこと? 私の下手くそな魔力弾を全力で撃ったとしても、たぶん天井を崩すどころか、柱の一本でも壊すことぐらいしか出来そうにないのに……なんだか魔法使いとしての面目が丸つぶれな気がしてきた。

 

「ま、安心しろ。本気なんざ滅多に出す気はないんでな。しかし……数名興味が持てそうな奴がいるが、その状態では満足にやり合えそうにもなさそうだし、今回のところは手を引いてやろう」

「ちょっと殊羅! またサボっちゃうの?」

 

 鞘を外套の中に戻し、完全に戦意を失くした殊羅。

 

「退路は塞いどいてやったんだ。あとは、お前さん一人でもいけるだろ」

「また月一人でやるの? 殊羅、ちょっとしかお仕事してないじゃん」

「仮にも最強のA級戦闘員を名乗ってぐらいなら、こいつらの相手ぐらいなら十分任せちまってもいけるだろ。……まあ、仕事上“回収屋”の相手だけならしてやってもいいが」

「もう……じゃあ、回収屋を捕まえるお仕事はしてよ。残りは月が全部やっつけちゃうから。ちゃんと血晶もいっぱい持ってきたし、月が本気出しちゃえば、お姉ちゃんたちは一人でも倒せるもんね」

 

 殊羅と対照的に敵意をむき出しにした月ちゃんから殺気が迸る。

 使うのは、血晶と見えない様に腰に差している一本の脇差。いまはまだ抜いておらず、居合のように使いこなすらしい。

 前回、緋真さんが戦ってくれたおかげで戦法だけは分かっている。

 離れていたら血晶を使い、不意に接近してきては脇差で斬り伏せる。つまり、月ちゃんの小柄な体型を活かした速度に対応しきらないと接近戦にまで追い込まれることになるってこと。

 

「――さすがにちょっと血を抜かれ過ぎたみたいだわ。いくら、前回互角に相手したとしても、今回ばかりは厳しいわね」

「本調子であればまだ可能性はあったが、今の僕と緋真の状態では本来の力を引き出すことは叶わないだろうね」

「そうね。頼みの綱となる覇人は、神威殊羅の相手で手いっぱいになるし、さすがに弱ったわね」

 

 やっぱり二人とも無理をしていたんだ。そりゃそうだよね。見つけたときには衰弱していたんだし、ここまで頑張ってくれた方だと思う。

 だから、今度は私たちが頑張る番だ。

 

「足りない分の力は俺たちで埋めさせてもらうよ。個人で見ればまだまだ未熟な力だが、チームワークならば誰よりも優れていることには自信がある」

「私たちだけでB級戦闘員を倒したこともあるしね。実績は十分にあるよ」

 

 父さんと緋真さんの力が弱まっていたとしても、私たちが加勢すれば張り合えるぐらいの力にはなるはず。

 緋真さんにはあのとき、庇いながらじゃ戦えないから逃げろと言われたけど、今度は何も言ってはくれなかった。それは、私たちの成長を感じ取ってくれたからなのか、止めても無駄だと分かってくれているからなのか。どっちか分からないけど、ただ黙って炎を展開させていた。

 それを共闘の許可を貰えたんだと思った私は刀を創り、他のみんなもそれぞれの武器を手にする。

 

「頼もしい子たちですわね」

「でしょ。私の可愛い妹分たちだもの。当然よ」

「そう言われると、なんだか妙な説得力がありますわね」

 

 地面から大量の犬人形が生まれてくる。何度見ても死者が蘇ってきているような光景にしか思えない魔法は、汐音のものだね。

 これで私たちの準備は整った。

 目の前にいる圧倒的な力を持った存在に対抗するための、数に物をいわせた戦略でどこまで通じるのか。

 こればっかりはやってみないことには分からない。

 でも、きっと通じる。根拠はないけど、人の思い込みって時にはすごいまじないのような力にもなるんだと思う。

 そう思っている間は、負ける気がしない。戦いは、気の持ちようでも左右されるもんなんだよ。

 

「それじゃあね、改めて。研究所を攻撃して、悪い魔法使いになっちゃったお姉ちゃんたちを月の敵にしちゃうね」

 

 来る――! そう思った瞬間、目にも止まらぬ速度で魔力弾が月ちゃんの後ろから襲い掛かる。

 撃ってきたのは入り口の方からで、もちろんやったのは私たちの誰かじゃない。

 魔力弾が直撃する寸前、月ちゃんは命の危機に瀕した獣の如き勢いで反応していた。だから、月ちゃんは生きている。あの一発程度では無傷のまま立っているはずだ。

 予感は見事的中していた。なんともなかったように立ち尽くしていた月ちゃんだったけど、その刹那――立て続けに魔力弾が降り注いだ。

 疾風を纏った速度で機関銃のように撃ち放たれる魔力弾。瞬く間に月ちゃんと殊羅を飲み込み、爆ぜる音の連鎖が耳に流れ込む。

 やがて、弾薬切れを起こした魔力弾の嵐は止んでいく。だがそれでも、そこにはむせた月ちゃんと埃を払う動作を入れた殊羅の元気な姿が在った。

 

「もう、誰なの? 不意打ちしちゃうなんて、ズルはいけないんだよ」

 

 向いているのは入り口側。

 太陽の光が地面を煌々と照り付け、眩しさからピンボケした写真に映った人のような姿が見えた。

 徐々に光から外れて、暗がりになっている研究所内に足を踏み入れてくれたことで、ようやく姿を拝めるようになる。

 

「……」

 

 その身体は小さく、幼さのある可愛らしい顔には無表情の仮面が張り付いている。

 時計塔の前で出会い、私が体験した恐ろしくリアルな夢の世界でも再会した女が立っている。

 この子とは私と茜ちゃんで打ち解けあい、蘭が常に正体を疑い続けていた女の子。

 でも、この状況下の私たちを助けてくれた女の子は間違いなく魔法使い。その女の子は初めて出会った時と変わらず、無表情なまま、そして無言を貫いてこの場に乱入した。



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86話

「……紗綾。あなた、どうしてここに居ますの?」

「組織からの命令で助けに来た」

「この件は私に一任していると聞いてましたけど、まあとりあえずは助かりましたわ。それにしても、よくここだと分かりましたわね」

「覇人が外に出掛けていくのを見たから、それに付いて行ったらここに着いた」

 

 汐音に紗綾と呼ばれた女の子は、無表情なまま淡々と答えた。

 

「なんだ、お前もあの町にいたのかよ」

「うん。覇人が夜な夜な遊んでいたことは組織にも報告しておいた」

「ちょ、おま……! それは黙っといてくれよ。いや、そもそもサボっちゃいないんだけどよ」

 

 茜ちゃんの怪我が治る間、覇人は亡霊のような魔法使いを探していた。その正体は汐音で、探す必要性すらなかったらしいだけどね。で、そのあとは一緒に研究所を探していたはずなんだけど、やっぱりちょいちょいサボってたみたい。

 

「覇人くんや汐音さんと知り合いということは、もしかして組織の魔法使いなんですか?」

「うん」

 

 端的に、短い返事をする紗綾ちゃん。あらかじめ、その言語を返すようにプログラムされたロボットみたい。

 

「私は伊万里紗綾。キャパシティ所属で汐音と同じ立場の構成員」

 

 覇人や緋真さんとは下の立場になるんだね。あ、でも上下関係のようなものはないんだっけ。

 それにしても、見たところ月ちゃんと同じぐらいの年齢に見える女の子が魔法使いだなんて、ちょっと信じられない。

 しかも、一応秘密犯罪組織の構成員だというから余計に信じられない。

 

「なるほどな。妙な奴が混じっていやがるとは思ったが、組織の関係者だったか」

「月たちもあなたのことには気づいてたもんね」

 

 あの町に潜んでいた戦闘員や魔法使いって意外と多かったんだね。全然知らなかった。というよりも他の存在がいる可能性なんてまったく気にもしてなかったんだけど。

 

「知ってる。だから、見つからない様に頑張った」

「わあ、隠れんぼが得意なんだね。月も得意なんだけどなぁ……全然見つけられなかったよ」

「……」

 

 いつから競技になっていたんだろう。月ちゃんは悔しそうにしている。それに対して紗綾ちゃんは勝ち誇るでもなく、無言で返した。興味なしって感じ。

 

「どうした? 紗綾。意外にも打ち解けあっているようだな」

 

 入り口から新しく誰か現れた。

 今度は全身に鎧を着込み、仮面で顔を隠している。声からしてたぶん男の人。それぐらいしか特徴がない……けど、なんだろうこの感じ。

 殊羅とはまた違った雰囲気を感じる。うまく言い表せられないけど、殊羅が怖いというイメージだとすると、この人からは対峙しただけで圧倒させる威圧を纏っている。巨大な滝を間近で見たときのような、息を飲み込み、押し潰されるかのような威圧。そんな感覚がある。

 怖くはないけど、優しくもない。誰も寄せ付けようとしない、歩み寄ろうとさせない凄み。誰も大自然の驚異に逆らおうとはしないのと同じ、ただ対峙した者に有無を言わせないほどの雰囲気がある。

 

「……お前強いな。この場にいる誰よりも。ひょっとすると、俺と同等ぐらいはあるんじゃんねえか」

「噂のS級戦闘員だな。貴様のような男に認められることは悪くないが、買被り過ぎだ。どうも、貴様の内に秘めた力には勝てる気がしないのでな」

「どうだかな。お前さんのその気迫。どう見てもそこらの魔法使いとは一線を画しているだろ」

 

 喜々としている殊羅を初めて見た。私が見て来た限りだけど、緋真さんと対峙していたとき以上の歓びをみせているような気がする。

 

「殊羅にあそこまで興味を持たせるなんて……彼、何者なのかしら?」

 

 長く付き合いのありそうな蘭でも驚愕している。やっぱり相当珍しいことなんだね。

 

「彼はキャパシティの導きの守護者(ゲニウス)第一番であり、私たちのまとめ役よ。そして、キャパシティリーダーである先導者(マスター)の側近に仕える人物でもあるわ」

「緋真さんたちと同格の魔法使いですか」

「それもまとめ役ってことは幹部の中の幹部。副リーダーってことになるの?」

「そういうことになりますわね」

「なるほど。実質組織のナンバー2か」

 

 さらっと紹介されているけど、これってそれなりに重要なことだよね。

 裏社会の脅威になっている秘密犯罪組織――キャパシティ。そこの副リーダーともいえる魔法使いが姿を現したんだから。

 

「わざわざ俺が出向いたのは、先導者(マスター)からの指示だ。五体満足で同胞たちを連れ戻す。そう命じられている」

 

 頼もしい一言。ぜひともそうして欲しい。見ての通り、父さんと緋真さんはすでに中身が酷い有様になっている。そして、いま絶体絶命の状況。これを打開してくれるのが副リーダーだっていうんだから、これ以上にない助っ人だ。

 

「俺らは回収屋を確保してくるように上からの指示が来ているんだがな……やれやれ、どうしたもんかね」

「どうしたもこうしたもないよ。回収屋もお姉ちゃんたちもみんな月たちの敵なんだから、連れていかれちゃったら困るよ」

「おいおい。目的が全員なのはお前さんだけだろ。俺は何もそんなめんどくせえことする気もねえし、回収屋さえ引き渡してくれるなら残りは構わないけどな」

「もう、そんなのダメだよ。戦闘員は悪い魔法使いをやっつけるのがお仕事です。だから、回収屋以外もみんなやっつけないとダメなんだよ」

 

 完全に私も月ちゃんの敵になってしまったみたい。そりゃ、そうだよね。ここまでのことをしておいてまだ「お姉ちゃんは優しい魔法使いだよ」なんて言われるとは思ってもないよ。……ほんとはちょっと期待している部分もあるんだけどね。

 

「貴様らの手に渡ってしまっては、先導者(マスター)の命を守れなくなってしまうな。それはこちらとしても困る。先導者(マスター)のため、障害として立ちふさがるのなら――この剣を抜かせてもらうしかなくなるが……」

 

 腰に差していた白塗りの鞘に手が触れた。

 刃物のような鋭い眼光が殊羅たちに注がれる。きっと、あの刀を抜けば、その眼光と同じように斬り裂くような刀身をみせるのだろう。

 

「回収屋の前にやることができそうだな。ま、それも悪くはないか。お前みたいな奴が相手だと、さすがに退屈はしないだろうからな」

 

 殊羅も臨戦態勢に入って様子で気迫が溢れる。

 

「私は緋真の手伝いに行く。それでいいよね」

「任せよう」

 

 緊迫とした雰囲気が流れる。もう、私たちがこの場にいること自体が場違いなんじゃないかと思うほど、戦力差が離れすぎている。

 余計な手出しをしない方が邪魔にならないんじゃないかな。助けに来てもらっておいて、指をくわえて待つだけなんて悪い気がする。けど、それほどまでに割り込めそうになかった。

 

「ねえねえ殊羅。あの紗綾ちゃんって子の相手もしてあげてよ。月、あの子とは戦えないから」

「そのめんどくせえプライドはどうにかならないもんかね。振り回される方の身にもなって欲しいもんだ」

「……これだけは絶対に捨てちゃいけないことなんだもん。お願い殊羅」

「仕方ないか。その代わり、回収屋の件は全部任せちまうけどいいよな」

「やったぁ。殊羅は優しいね」

 

 なんか、私たちをそっちのけで変な方向に話が決まってしまったよ。

 

「結局こうなるんだね。正直、見てるだけで終わってくれると良かったんだけどなー」

「都合の良い話にはならなかったみたいですね」

「諦めることね。月に目を付けられた時点で、あの子は地の底まで追ってくるわよ」

 

 これからは一生月ちゃんに付き纏われる人生になるんだね。こんな関係じゃなかったら悪くはなかったんだけど。

 

「最強のA級戦闘員――水蓮月。話に聞く通りなのね」

「? 何のこと?」

 

 敵と認めた魔法使いしか襲撃しないという月ちゃんの方針のことを言ってるんだと思うけど、本人はまるで気づいていない様子で小首をかしげている。

 

「なぜ、戦闘員なのに魔法使いと戦わないの」

「だってね、魔法使いには悪い魔法使いと悪くない魔法使いがいるんだよ。月はね、悪い奴だって認めないと戦わないって決めてるの」

「私には害がないって言ってるつもりなの」

「うん! 月の中では、紗綾ちゃんはまだ悪い魔法使いじゃないもん」

 

 何だろうこの会話。

 静けさに満ちた声と活気に満ちた声。温度差の激しい会話だ。

 

「……意味が分からない。私たちは内面的に壊れてしまったから魔法使い化した。だから、魔法使いは生まれた瞬間から悪しかいない。この認識は、絶対に揺るがない」

 

 紗綾ちゃんは変わらず声のトーンを低く告げる。自分自身がその魔法使いになっているのに、何も気にせず悪だと決めつける。

 確かに、言っていることは間違っていない……よね。

 私だって一度その内面的に壊れる体験しているんだから。そこには少なからずの魔法使い化してもおかしくないような感情は抱いていた。だから、私たちは悪。

 うん。間違ってはいない。私はいけないことに触れてしまったから罰を受けた。悪だと罵られても構わないとすら思っている。だって、私だって逆の立場の時にはそう決めつけていたんだから。

 だけど、それは違うんだと頑なに否定し続けている人がいる。そして、魔法使い化してしまってから私もその意見に同意できるような気持ちもある。

 戦闘員という身分なのにも関わらず、魔法使いは善悪に分かれていると信じ続けている女の子。

 その真っ直ぐなまでの思い込みを真っ向から叩き切られた月ちゃんは、反感の意を持って紗綾ちゃんと正反対の声質で言い返した。

 

「違うよ! 魔法使いがみんな悪いだなんて嘘だもん! だって……月の、月のお友達だった魔法使いは、とても優しくて、いい人だったもん……」

 

 最後の方につれて段々と声は小さくなっていった。だけど、ちゃんと言葉は聞こえてたよ。

 月ちゃんは昔の友達に魔法使いがいたんだってことを――。

 それは、月ちゃんの過去の話し。暗く、覇気がなくなってしまった月ちゃんの様子からして、触れてはいけない部分だってことぐらいは分かるよ。

 裏社会に属している人間は、何かしらの闇を抱えている。

 これはその部分に触れていた。

 

「……あなたも私と似た経験をしているのかも」

「――え! 月と紗綾ちゃんが!? じゃあ、紗綾ちゃんも月とおんなじお友達がいたの?」

「教えたくない。あなたもでしょ」

「あ……えっと。うん。そうだったよ。月もあんまり言いたくない」

 

 誰一人として二人の心情に口を挟もうとしなかった。

 私だって、魔法使いになった経緯なんて知られたいとも思わないし、聞いてほしいとも思わない。もっと言えばあまり話したくない。

 心の傷を抉られるようなことはされて嬉しいものじゃないしね。

 

「……気を止んでいるところに口を挟んで悪いが、僕から一つ提案をさせてもらってもいいだろうか」

 

 すっかり冷めた場に、父さんの言葉が染み込む。

 返事の声はなく、黙って耳を貸す。

 父さんは続きを待っているんだと理解して、言葉を紡いだ。

 

「そちらの少女は紗綾と戦う意志がないことは明白だ。だがしかし、最強の名を持つ君たちと数の方では上だが、疲弊した僕たち。これでも、おそらく戦力差は五分と五分。完全に膠着状態だ。さてこの事態。どう収拾つけようか」

「……俺は先導者(マスター)から貴様らを五体満足で連れ出すように命令されている。この状況では、為すことも難しいかもしれないが……」

 

 組織のナンバー2と殊羅。

 月ちゃんと私たち。

 残った紗綾ちゃんは、私たちに加勢してくれるみたいだけど。月ちゃんは、紗綾ちゃんの相手をする気はない。

 私たちだけで月ちゃんの相手をするのは厳しい部分もあったけど、紗綾ちゃんがいてくれるなら、たぶん互角かそれ以上ぐらいはあると思う。と言っても、紗綾ちゃんの実力は未知数だけど、構成員らしいから汐音と同じぐらいかな。

 私たちはもうほとんど戦力外みたいなもので、月ちゃんには触れることも出来ずにやられてしまうし、父さんと緋真さんは弱っているせいで、屋敷前で見せてくれたようには行かないって言っている。

 そこに紗綾ちゃんが入れば丁度いい戦力になってくる。

 

「そこでだ、そちらにも色々事情があるだろうが、この場は一旦手を引かないか」

 

 父さんの提案はこの膠着状況を打開するための手段だった。

 

「……白けちまったし、俺は別にいいけどな」

「しゅ、殊羅! そんなのはいけないんだよ。やっと、お仕事がちゃんと出来るのに、逃がしちゃうなんて……そんなの、ダメだよ……」

「つってもな……。お前さんも過去に触れて、動揺してるじゃねえか。最悪――堕ちるぞ」

「――!」

 

 月ちゃんが魔法使いの善悪にこだわる理由。

 友達だった魔法使いとどんな過去があったのかは想像もつかないけど、きっとよくないことがあったんだね。

 人と魔法使いの友達。

 ちょうど、私たちと纏の関係のようなものだったのかも。そう考えると、何か複雑なことがあったんだろうなって思ったし、他人事でもなさそうな理由がありそうだとも思った。

 

「回収屋の顔は覚えたしな、次からは探しやすくもなるだろ」

「殊羅……。うん、分かった。――お姉ちゃんたちは逃がしてあげる。でもね、月がお仕事をサボっちゃうのは今日だけだからね。次はぜーったいに捕まえちゃうから。お姉ちゃんたちは、月に見つからない様にちゃんと隠れておかないとダメだよ」

 

 調子を取り戻した月ちゃんは、遊びの約束を取り付けるように宣言してきた。

 

「望むところだよ。大人の本気を見せてあげようかな」

「彩葉ちゃん。大人げないですよ」

「何事も真剣にやらないとね。特に月ちゃんと遊ぶなら、手抜きしたら機嫌悪くしそうだし」

「そうね。いざとなれば、あたしの魔眼で探知して逃げ切ってあげるわ」

「ら、蘭さんまで……」

「わあ、楽しそうだね。蘭と遊ぶのも久しぶりだし、月も頑張って本気だしちゃうよ」

 

 戦闘員に追いかけ回されるんだから、これは遊びであっても命が懸かっているんだよね。月ちゃんの経歴上、本気でやらないとまずい。

 

「話はまとまったようだな」

「いやー、正直こういうオチが付いて助かったぜ」

 

 もう、この場に戦闘の意志を見せる人はいなくなっていた。

 私たちは、生きてここから脱出することが出来る。そう決まった瞬間だった。

 

「先導者(マスター)からの命が守り通せるならば、無理に相手をする必要もなくなる。この場は譲ってやろう――紗綾、帰るぞ」

「うん」

 

 二人が出口に向けて歩いていく。それを見て私たちも出口へと一歩を進めた。

 研究所の襲撃から数時間を掛けて、本来の目的を達成したころには、すでに日は高く昇っていた。



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87話

 研究所襲撃の深夜のことである。その日、男は憤慨していた。

 表面的には落ち着いた様子をみせてはいたが、内に渦巻く秘められたやりようもない感情は、確かに憤慨だった。

 全四十七の区に分けられたこの世界を影から平穏を守ってきている一大組織。

 ――抗魔局(アンチマジック)。

 世界の中心地である二十三区のアンチマジック本部には、C級以上の戦闘員が在籍している。魔法使いに関する案件に対して、各地で駐屯している戦闘員で対応ができない場合、すぐさま上級の戦闘員を派遣できるような仕組みとなっているためだ。また、世界の中心地であるため、最高の戦力を集めておく必要性も兼ねている。

 在籍している戦闘員たちは、いずれも一癖も二癖もある曲者ぞろいだが、その実力は本物であり、全魔法使いたちが最も恐れなければならない人物たちが揃っている。

 当然の如く男もその一人であった。

 

「一体どういうつもりなのだ」

 

 アンチマジックを束ねる局長室はビルの上層に設けられており、なるほど権力者たる者には相応しい景色が一望できる位置である。

 その部屋の主たる局長の背中に男は静かに尋ねた。

 

「いきなり押しかけて来ておいて、随分と機嫌が悪そうではないか。天童守人」

 

 まるでガラスのように、脆く、儚く散ってしまいそうなほどに張り詰められていた空気は壊れることなく、なお一層増していく。

 局長はこれから何を問い詰められるのか、ある程度の予想はしていた。だが、あえてはぐらかすようにしたのは、あまりその件に触れられたくなかったからだ。

 それを分かっていた天童守人は、くどい回り道はせずに局長の秘した部分に斬り込んでいく。

 

「決まっているだろう。例の研究所襲撃事件とこれまでの不可解な指示についてだ」

「……」

 

 やはりか……と局長は内心でつぶやく。魔法使いには一切の容赦がない天童守人のことだ。いつかは問い詰められるだろうとは思っていた。

 局長はどう返答すべきかと思案に耽ったのち、あまり刺激を与えないように言葉を慎重に紡いでいった。

 

「あの命令に何か不服なところでもあるのか」

「無い、とでも?」

「……」

 

 押し黙る局長に天童守人は内心に抱えた疑問をぶつけていくことにした。

 

「なぜ、キャパシティの魔法使いを生かしておく必要があった?」

「それは、連中の拠点を探るための情報収集をするためだと説明したが? 聞いていなかったとは言わせんぞ」

「私は異を唱えたはずだ」

 

 捕えた二人の魔法使いは、何を隠そう天童守人の手柄なのだ。しかし、それは組織の方針で仕方なく受け入れてやったまでのことだ。魔法使いの殲滅を最優先としている天童守人にとっては、これほど理解の出来ない指示はなかった。

 

「連中を確保したのはいいが、結局拠点は最後まで吐くことすらなかったではないか。それどころか、奴らに奪い返される体たらくだ」

 

 欲をかいて捕えた結果、研究所は崩壊させられ、挙句の果てには逃亡までも許してしまっていた。すなわち、裏社会で暗躍する秘密犯罪結社の一員を再び、野に放ってしまったのだ。天童守人の怒りももっともなところだろう。

 

「確かに最悪の事態に陥ってしまったかもしれないが、今まで素性が全く知れなかったキャパシティの副リーダーが現れたのだ。亡くなった者たちには悪いことをしてしまったが、組織の今後の運用としては、上々な成果が得られたことも確かだ」

 

 対立しあっている組織の構成員との接触が行われたこと自体には、アンチマジックに多大な影響を与えたことだろう。

 

「奴一人と我々の損害が天秤に吊り合うとは思えんな」

「足りない部分は副リーダーの戦闘能力及び、キャパシティの危険度を再認識出来たことで補える。まさか、神威殊羅と同等の魔法使いがいるとは……」

 

 アンチマジックの誇るS級戦闘員。その頂点に立つ男に張り合うほどの魔法使いの存在には慄くばかりである。

 

「脅威的だろうな。だが、そもそもは幹部級の二人を生かしておいたこと自体が間違っていたのだ。連中の最高戦力である以上、奪い返しにくることは容易に想像できたはずだ」

「――その通りだ。だから、穂高緋真を捕えた際にメディアで報道させて、奴らを誘ってやったのだよ」

 

 その件のことを知らされていなかった天童守人は、急に顔色を変えた。

 

「キャパシティが動くと分かっていたのならば、なぜ私をこちら側へと異動させたのだ。S級が二人がかりで挑めば研究所の襲撃どころか、副リーダーすらも無力化できただろう」

「確かに君がいれば、可能だったかもしれないだろう。しかし、今はそれどころではなくなったのだ」

「……どういう意味だ」

「外部で問題が発生した」

 

 局長が発した言葉の意味。天童守人は、その意味を示すところを理解していた。

 

「……興味深いな。一体何事だというのだ」

「魔障壁を破壊されたあとぐらいからだったか。この国と同じように、世界各地で暗躍している秘密結社が何やら動きをみせているらしい」

「海の向こう側にある外の世界。そっちでも似たような組織が存在していると聞いたことはあったが……」

 

 記憶を手繰り、その名前を引っ張り出してくる。

 

「――連合結社。そんな名前だったか」

「十にも満たない組織の集まりだがな。ちなみに非公式だが、この国で活動しているキャパシティもその連合結社の一端を担っている」

「……まさか」

 

 天童守人は疑いを持つ。なぜならば、この国は長年閉ざされてきているのだ。外の世界と関わりを持っていたとは到底信じられなかった。

 

「キャパシティの上層部もおそらくは、何らかの方法で海を渡った先との交流を行っていたのだろう。そう、我々アンチマジック上層部と同じように」

「なるほど、すでに交流手段だけはアンチマジックの方も確保しているのか。いや、していた。の間違いか」

 

 天童守人の驚きは続いたが、今まで伏せられていた世界の様相に興味を奪われた。

 

「この国が壁で塞がれる以前からな」

「なるほどな、”あいつ”の言っていたことは真実だったか……」

「……? 一体誰の話しをしている?」

「いや、こちらの話しだ。……すべて事実なのだとしたら、局長も過去の災厄にはさぞ詳しいのだろうな」

「……! そのことまで……。貴様、どこまで知っている?」

「……ふふ、さあ、どこまでだろうか。想像にお任せしよう」

 

 不吉な笑みを浮かべた天童守人に局長は畏怖を覚えた。S級とはいえ、本来は知らされていない深い事情にまで潜りこんでいたからだ。

 どこでそれを知り。どこまで知っているのか。

 いくらS級とはいえ、知らなくてもいい事実をどうやって聞きつけたのか、疑問が積もるばかりだった。

 

「まあ、その件に関しては置いておくとしよう。それよりも、そろそろ話しを戻させてもらおう。君をこちら側へと呼んだ訳。それは、キャパシティと連携してうごめき始めた連合結社の動向を、外部のアンチマジックと協力して調査してもらいたい」

「……」

「キャパシティを含めて、今まで鳴りを潜めていた連合結社が壁の崩壊と共に活発に動き始めたのだ。連合結社に動きが見られる以上、こちらも結託して対抗する必要があると考えた」

 

 遠い遠い彼方、そびえ立つ壁の更に向こう側を見通すようにしていた局長は、天童守人の名を呼んだ。

 

「国内でもっとも多くの魔法使いを殲滅してきた男。その数は三百を超え、情け無用の戦闘員――天童守人。

 君は国内代表として、外部に存在するアンチマジックの母体から要請が来ている」

 

 天童守人は魔法使い殺しの成績は国内一位。その素性が明らかになっているからこそ、天童守人にはまさにうってつけの人材と言えた。だが、しかし。

 

「その申し出。断らせてもらう」

「……ほう」

 

 淀みなく却下の意を示す天童守人。彼にとって、この新天地はまさに己が才覚を存分に振るえるはずだった。

 局長は渋い顔をして天童守人の話しに耳を傾ける。

 

「おそらく、キャパシティはこの国で外部と連動した計画を仕掛けてくるつもりなのだろう。ならば、いまは外部のことよりも、国内に目を向けているべきではないかね」

「君の言い分も理解できるが、それはこちらが困る。悪の芽は早々に摘んでおかなければ、後々取り返しのつかないことになりかねんからな。それは、すべてを知った君なら理解ができるだろう」

「……世界の成り立ち。なるほど、その件を含めば確かに放っておけるような事態ではなかろうな」

 

 事情は呑み込めた。しかし、天童守人にも譲れない物もあった。そう簡単には首を縦に振ってやる訳にもいかないのだ。

 

「だが、やはり今は他所を気にする必要はない。外部のことはアンチマジック母体に任せておけばいいだろう。局長が外部を気にかけていたせいで、国内ではキャパシティが猛威を振るい始めているのだからな」

 

 研究所の襲撃。いままで詳細すら明かされていなかった副リーダーの登場。これは、アンチマジックとしては、実に由々しき事態と言える。

 

「キャパシティも連合結社の一角を担っているのなら、まずはそこを叩けばいい。そのあとに、世界の連中と結託して連合結社と関わればいいだけのこと」

「現状にとらわれ過ぎだ。過去を顧みろ。貴様はあの災厄を繰り返そうとしているのだぞ!」

 

 とうとう声を荒げる局長。だが、天童守人は冷ややかに無言で返した。何を言われようとも天童守人は自国のことを優先するつもりでいる。

 そして、それは取り出した銃器によって証明される。

「何の真似だ」

 

 天童守人が常に携帯している止めの銃器。拳銃を取り出した天童守人は照準を局長に合わせる。

 

「過去の繰り返し。大いに結構! 魔法使いを根絶やしにするためには、丁度いい手段じゃないか」

「貴様……! 正気か!」

「無論」

 

 淀みのない返答にただ脱帽を隠せない局長。この男は自身のこれから取る行動の一切の責任を取り、過ちを受け入れる気でいる。

 

「局長。あなたは私の為すべき大望の邪魔だ。即刻、我が舞台から降りてもらおう」

 

 轟く銃声はただの一発。やけに反響した銃声は、きっと外まで漏れ聞こえていることだろう。

 胸に穴を空けられ、溢れ出す流血に苦悶の表情を浮かべた局長をゴミみたいに見下している天童守人。

 彼は局長という存在に情を持つことなどはなかった。

 

「貴様は……世界の、命運を……破滅へと追いやろうとしているのだぞ」

「あの歴史を繰り返すかどうかは、現時点では誰にも分からんよ。それよりも、”今”を解決するべきだ」

 

 外界を覗ける窓際にもたれ掛かった局長は、すでにいつ死を迎えようともおかしくはない状況である。だが、それでもなお倒れるわけにはいかないと経ち続けるその姿は、痛々しさを越えて見苦しい。いや、もしかすると執念か。

 天童守人を見返す瞳には、いまだ気力の灯は消えていなかった。

 倒れられない。局長としてアンチマジックを束ねている以上、この男の愚行を見過ごすわけにはいかない。

 だから、倒れられない。

 絶対に果てるわけにいかない。

 それこそが局長の執念だ。

 

「……これより先は、私が局長としてアンチマジックの義務を果たさせてもらう。安心して逝くがいい」

 

 自分の死が近づこうとも、天童守人を止めるため。局長は、ありったけの力を込めて口を動かした。

 

「これは、立派な反逆行為だ……。貴様が局長の座につくなど、誰が……認めるものか……」

「誰もが認める。私には、それ相応の実績があるからな」

 

 国内で最も多くの魔法使いを屠り、最高ランクのS級にまで昇り詰めた男。その業務姿勢はまさに戦闘員の鑑とも言えた。

 だからこそ、局長には返す言葉もなかった。局長が奏でた歯ぎしりには悔しさが滲んでいた。

 

「――守人さん」

 

 不意に開かれた扉から、一人の青年が現れる。青年はこの現場を目の当たりにしたが、何も驚くことはなかった。まるで、この状況を理解できているかのようだ。

 

「まだ終わらせていないのですか。さっさと仕上げに入って頂けないと、人が来ますよ」

 

 血まみれになっている局長に目を配る青年。そのとき、二人の目が丁度あった。

 

「お前は……たしか、天童守人の子飼いだった、な――樹神鎗真。……なぜ、F級如きの貴様がここにいる。本部は、お前のような底辺が招かれるような……場所じゃないぞ」

「さあてね。これからアンチマジックから抜けるお前に話すことなんざ何もありませんよ。元、局長さん」

「……若造が」

「一応、敬意は表しておいてやれ。抜けるとは言っても殉職をしてもらうのだからな」

 

 再び、拳銃を局長に定める。その言葉を現実のものへと変えるために。

 

「ほざけ! 今に見ておけ、騒ぎを聞きつけた職員や戦闘員らが、俺の死体を目撃すれば……お前らもただでは済まんぞ……」

「叶うといいがな。その望み――」

 

 簡素に、息苦しく生きている局長よ、安らかに眠れ。と最後の弾が送られた。

 それは本当に、あっけなく終わった。

 

「鎗真。逃げた魔法使いの駆除と拠点を探れ」

「キャパシティの……いえ、正式には”教団”のですね」

「そう、”教団”だ。それと”アレ”の調整が済み次第、試験運用も兼ねて動かしておけ」

「……”アレ”、ですか。フっ……了解です」

 

 悪巧みを企む餓鬼のような笑みを零す樹神鎗真。すでにアンチマジックの支配権を握った二人にとっては、組織の運営はたやすいものだ。

 これより、数多の戦闘員たちが一斉に放たれる。

 脱獄したキャパシティのメンバーを抹殺、及び運悪く目を付けられた魔法使いたちが犠牲となる粛清が行われるだろう。

 

「それでは、今回の件を片付けた後に我々も動き始めるとします」

「手筈通りに事後処理を頼むぞ」

「お任せを」

 

 樹神鎗真は簡潔に返事を返した。

 

「さぁ、キャパシティよ。戦の火種はばら撒いてやった――運命の日まで、どこまで抗うか見物だな」

 

 今宵、アンチマジックの支配権は移り変わった。それを静かに称えるは、傍らに寄り添う従順なる僕のみ。

 だがしかし、それは夜が明けるとともに組織一大を挙げた祝福となる。

 同時に、裏社会に大きな変化が起きることも確かである。

 これまで以上に死人が多発するであろう裏社会の前日は、静かに幕を閉じた。

 



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88話

 研究所を飛び出した後、父さんたちと一旦別れることになった。

 キャパシティまで同行してくれるのかと思っていたのだけど、アンチマジックからの追跡の可能性を考慮に入れて、けが人二人は組織の副リーダーと紗綾ちゃん、汐音が連れて帰るとのこと。

 そして、私たちは普段のメンバーに戻って覇人の道案内でキャパシティへと向かうことになった。

 だけど、アンチマジックの対応は早く、その日の夜には活発に動き始めていた。

 あの研究所襲撃事件が一石を投じ、夜の静寂は瞬く間に波紋を広げていくように壊れていく。

 ざわめき始めた裏社会に夜の狩人が粛清を上げ始める。

 彼らの手によって、この辺りに隠れ潜んでいた魔法使いが次々と犠牲になっていった。またしても、私たちが起こした騒動のせいで罪なき魔法使いたちが命を散らせていく。

 そして、今日もまた知らないところで誰かが亡くなっているんだろう。

 初日よりも数を増していく戦闘員たちとの戦闘は人知れずところで行われている。

 研究所から離れたところにあるホテルの一室。そこで滞在すること数日、いまだ出発へのチャンスは訪れることはない。

 

「父さんたちは無事でいてくれてるのかな」

「そいつは大丈夫だろ。一番が付いてんだから、万が一のことなんてねえよ」

 

組織の副リーダーのことだね。雰囲気からして只者ではなかったから、安心はできそう。

 

「ですが、彩葉ちゃんのお父さんと緋真さんは大分弱っていましたし、やっぱり気になりますよ」

 

 血液を抜き取られている二人は、体力的な部分での心配がある。別れた直後の時点で、すでに辛そうにしていた。アンチマジックが活発に動き回っている現状、あんな状態でうまく逃げきれているのか。そこが気になるポイントだね。

 

「いまは気にしてもしょうがないわよ」

「蘭は緋真さんのことは気にならないの? せっかく会えたお姉ちゃんだよ」

「ああ……お姉ちゃんなら無事に決まってるわよ。あたしのお姉ちゃんはそんなに簡単に倒れたりしないわ。長年お姉ちゃんと暮らしてきたあたしが無事を保証してあげるわ」

 

 蘭が言うと、妙に説得力があるのはなぜだろう。まあ、緋真さんならちょっとやそっとじゃあ、倒れるような心配はないかもね。なにせ、四十二区で逞しく生き延び、研究所から脱走することもできたから。

 

「緋真さんなら大丈夫そうだけど、父さんはちょっと心配かも。私、魔法使いとしての父さんのことは全然知らないの」

 

 私の中では、父さんはずっと家でなんだかよく分からない研究に没頭している姿ぐらいしか知らない。家にいることが多いせいで、体力がなさそうなイメージしかないから、不安しかないよ。

 

「でも、研究所内で見た彩葉ちゃんのお父さんは、すごく強かったじゃないですか。それに、研究者なだけあって戦略の切れもよさそうでしたし、この状況でも上手く切り抜けていると思いますよ」

「うん。私も実の娘ながら、うちの父さんって意外とやるなあって思ったよ。それでも、私の中での父さんのイメージが邪魔して不安があるの」

 

 魔法使いとしての父さんはきっと優秀なんだと思う。でも仕事とはいえ、家に引きこもってばかりいるから、いまいち実感が湧いてこない。

 

「キャパシティで再会する約束をしたんだ。いまは信じていよう。それよりも、俺たちがどう切り抜けて行くかを考えてくれ」

 

 アンチマジックが警備を強めているせいで、困ったことに私たちはずっと立ち往生してしまっている。

 そもそもは大人数で動くこと自体が危険だと判断されたから、二手に分かれてキャパシティを目指すことになったんだけど。そのほかにも敵の戦力を分断させる狙いもあったりする。

 するんだけども、どう見ても私たちの方に戦力が集中しすぎているような……? と言うほどに警戒が強すぎる。

 夜でも昼でも外に出ると、まず間違いなく遭遇してしまうぐらいにいる。

 

「敵はよっぽどの数を導入しやがったみてえだな。それか、単に一番の方への追手が少なすぎるだけかもしれねえけど」

「確かに多すぎますね。戦力を分散させるつもりで私たちも別れましたのに……」

「研究所が襲撃されただけじゃなく、重要な魔法使いにも脱走されているのだから、必死にもなるわよ」

 

 父さんと緋真さんはアンチマジックがわざわざ生きて捕えた魔法使いだ。その上、組織の幹部という立場でもあって、アンチマジックからすれば大物魔法使いを確保出来たことになる。

 その二人が揃って脱走してしまったんだから、必死になる理由が分かる気もしなくもない。

 

「総力を上げて捜索をしている様子みたいだな。それなりの作戦を立てなければ、キャパシティに向かうことも難しいだろうな」

 

 難航しそうな状況。

 相当な数の戦闘員が徘徊しているいま、できる限り戦闘は避けて通りたい気持ちがある。でも、そう簡単には行かないことこそが事実。

 たった一人にでも見つかってしまえば、たちまち他の戦闘員が駆けつけてくるはず。その瞬間、大乱戦が始まってしまう。

 ここ数日の間で、幾度となく繰り返されてきている。それを私たちは知っているから、うかつには動けない。

 敵は要所ごとに待ち伏せしており、それとは別動隊で町中を徘徊している戦闘員がいる。ほとんど私たちには逃げ場なしであり、ホテルで滞在していても、見つかるのは時間の問題となってきそう。

 何もいい案が思い浮かばず、ただ頭を抱えているだけの時間が過ぎていく。

 そんな中、携帯のバイブ音で悶々とした思考が弾け飛んだ。

 

「……っと、わりぃな」

 

 携帯の持ち主は覇人だった。組織内で連絡を取り合う為に、一部のメンバーには持たされているらしい。ということは、通話相手は何となく想像ができそうだった。

 社交辞令のような会話を一言、二言交わした後、覇人はスピーカーを起動させて、私たちにも聞こえるようにしてくれた。

 

『……私の声が聞こえてかしら?』

「お姉ちゃん?!」

 

 聞こえてきた声は緋真さんだった。

 

『その声は蘭ね。覇人から聞いたのだけど、ホテルに滞在しているんだってね。そこに全員いるのかしら?』

「ええ、いるわ」

 

 蘭が代表して答えてくれる。

 

『そう、良かったわ。全員、まだ無事でいてくれているのね』

「うん。こっちは大丈夫だよ。緋真さんの方はどうなの?」

『私と源十郎さんは何とか本調子に戻りつつあるわ。彩葉ちゃんたちに心配されるようなことは何もないわよ』

 

 向こうの状況はどうなっているのか分からないけど、無事ならそれでいっか。元気そうな声が聴けて良かった。

 

「本当にそうなんだろうな? あれから戦闘員がやけに大量に動員されていやがるけど、どうなってやがんだ?」

『そのことね。確かに、いままでの比じゃないぐらいに動員されているわね』

「何度か回収屋として研究所を襲撃してきたが、今回ほど騒ぎ立てて追ってくるようなことはなかったはずだぜ」

 

 そういえば、覇人は過去にも三回襲撃しているんだった。その時と今回を比べると、やっぱり戦力に違いがありすぎるみたい。

 

「言われてみるとおかしいわね。あたしが戦闘員をやっていたころには、ここまでの数が一斉に動くなんてことは一度もなかったはずだわ」

「そうなのですか?」

「これだけの規模を動かすなんて、あたしが知る限りでは屍二の惨劇ぐらいかしら」

「それじゃあ、もしかすると緋真さんと彩葉ちゃんのお父さんが脱走したことが関わっている可能性とかはどうなのでしょうか」

裏社会に潜む謎の秘密犯罪結社の幹部級である二人。アンチマジックからすると、再び野に放つわけにはいかない人物たち。研究員たちは自分を魔法使い化してまで、全力で阻止しようとしてきたぐらいに危険人物扱いされている。

 

「最重要の人物だからな。その可能性もありそうだな」

『残念だけど、すべて違うわ』

 

 茜ちゃんたちの推理を一蹴した緋真さん。ただ、言葉には何らかの確信めいたものがあったから、私たちは思わず口を閉じた。

 

「そっちでは事情が掴めてるみたいだな」

『大体はね。だけど、あまりいい話ではないわ。というより、事態は最悪の方向に向かってると言っていいわね』

「――? 一体何があったって言うんだよ」

 

 緋真さんが沈黙する。相当言いづらいことなのかな。口を閉ざされてしまっては、かなり悪い話なんだろうってことには想像がついた。

 しばらく黙っていた緋真さんは、ようやく重い口を開いた。

 

『アンチマジックの組織内で動きがあったらしいわ』

「本当なのか?」

『具体的に言えば、リーダーの変更よ』

 

 組織の長が変わる。それってつまり、今後の組織の動き方が変わるってことだよね。

 

「新リーダーは誰だ?」

『元S級戦闘員の天童守人よ。そこにいる纏くんのお父さんね』

「――な! 嘘だろ……」

 

 纏が絶句する。それだけじゃなく、私も驚きのあまり言葉が出なかった。

 

『生け捕った戦闘員から、この異常な状況を聞いてみたのだけど、どうやら研究所襲撃の夜に組織内で何らかの騒動があったらしいわ。その次の日には、リーダーが変更されたみたいね』

「よりによって、あの野郎か」

「守人は魔法使い殺しには一切手を抜かない戦闘員だわ。その守人が指示なら、この異常な数の戦闘員が動員されていることにも納得できるわ」

「新リーダーに親父が就いたということは、おそらくこの事態に一刻も早く終止符を打ちたくて、全力で俺たちを狩ろうとしているんだろう」

 

 天童守人のことなら、実の息子である纏が誰よりも理解している。たぶん、纏の予想は当たっているんだと思う。

 

「まずいわね。もしかすると、今後の裏社会の動向が大きく変わるかもしれないわ」

「ですね。魔法使いに対して一切の容赦がない人がリーダーなのでしたら、私たちにとってはかなり脅威的な組織になってしまいましたね」

 

 魔法使いの殲滅がいままで以上に加速していってしまう。非常に困ったことになってしまった。

 

『そういうことだから、彩葉ちゃんたちの方も――』

 

 突如、緋真さんの言葉が途切れ、激しい戦闘音が鳴り響く。

 

 爆発音……かな。

 血晶と呼ばれる魔具を用いられた様子が脳内に描けてしまう。

 

 怒声……らしき声も聞こえる。

 かなりの数の戦闘員から襲撃を受けている様子が脳内に描けてしまう。

 

 こちらの部屋でも茜ちゃんが心配になって、必死に通話口に向けて呼びかけている。

 一分ぐらいかな。それほど待っていなかったのかもしれないけど、体感的には長く感じた緊張の時間を過ごした後、不意に戦闘音が途切れる。

 やや遅れて、緋真さんからの声が返ってきた。

 

『……心配かけたわね』

「怪我はしていませんか?」

『平気よ。こっちにはキャパシティの最高戦力が集まっているのよ。滅多なことではやられたりしないわ』

「まあ、お前らに限ってそんなことにはならねえとは思ってるよ。つーかそんなことより、まさかとは思うが戦闘員からの襲撃だよな。今のは」

『そうよ。奴ら、とうとう昼夜問わずに仕掛けてきたわ』

 

 魔法使いとの戦闘は基本的に深夜だ。昼間だと人目に付きやすく、かえってパニックを煽ってしまう可能性もあるため、住民が寝静まった深夜が丁度いい。なのに、昼間に襲うだなんて。

 

「お姉ちゃん、いまどこにいるのよ」

『組織への道中、人気のない道を選んで進んでいるわ。だからこそ、連中に眼を付けられてしまったのかしらね』

 

 町中では全面的に戦闘員が見張っている。だからこそ人気のないところを選ぶ手段もあるけど、失敗したみたい。

 戦闘を起こしたということは、一般人さえいなければすべての場所が戦場になっているんだね。 

 纏が言っていた通り、もうなりふり構わず隙さえあれば襲ってくるんだ。

 私たちが首を差し出さない限り、いつまでもこの状況は続きそう。でも、当然ながらそんなことをする気はない。

 何とかして事態が収拾される方向に進んでくれるといいけど、待っていたって終わるわけがない。こちらからも行動を起こしてみるべきかも。

 

『覇人。お互いに組織で再会できるように、私たちの方で敵を引き付けておくわ。その間にあなたたちは組織へと向かいなさい』

「無茶よ。どれだけの戦闘員がいると思ってるのよ」

『あのね、蘭。戦力的には、こちらの方があなたたちよりも遥かに上なのよ。現に蘭たちは身動き取れずにホテルで滞在しているじゃない』

「それはそうだけど」

 なにせ、キャパシティの副リーダーに幹部が二人もいる。私たちとの戦力の差は歴然だね。

 

「引き付けておくって言ってもよ、何するつもりだよ。……お前が言い出すと、あまり良い予感がしねえんだけど」

『それは秘密よ』

 

 研究所の地下を丸ごと焼き払うようなことをするぐらいだし、確かに派手なことをしそう。

 

「策があるというのなら、俺たちの方は逃走する準備をして待っていた方が良さそうだな」

『ええ、そうしておいた方がいいわね。また近い内に連絡するわ。それまで、無事でいなさいよね』

「緋真さんもですよ」

『あなたたちのお姉ちゃんは不滅だから心配ご無用よ』

 

 謎の説得力がある言葉を残して通話が切れた。

 あまりいい状況とは言えないけど、緋真さんが打開策を用意してくれるらしいから、あとのことは任せておくしかない。

 私たちには、その時が来るまでただ待っているしかなかった、

 



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89話

天童守人がアンチマジックの新局長の座に就いてから数日。

 これまでの間に毎日のように裏社会では争いが絶えることはなかった。その日ごとに魔法使いや戦闘員たちが次々と亡くなっていき、表の社会を守っている警察は隠蔽活動に勤しんでいるようだった。

 こんな状況を招いてしまったのは、研究所襲撃事件がきっかけで、私たちがこの事態を作り上げてしまった。

 もちろんアンチマジックの狙いは発端である私たちであり、それ以外の魔法使いは全員、巻き込まれているだけ。だから、私たちさえ死んでしまえば賑やかな裏社会は、元の静けさに戻るはずだ。

 だけども、私たちは死にたくない。

 魔法使いなんて忌み嫌われて、蔑まされようとも生きたいと願ってしまうのはしょうがないこと。

 だって、それこそが人間である所以なのだから。人間として当然の権利を使うことは悪いことじゃない。

 誰だって生きることを放棄したくないし、積極的に死んでやろうとなんて思わない。人生諦めてしまった人や自殺志願者ぐらいしかいない。

 私、いや他の人たちも死を渇望しているわけじゃないから、生き抜いてみせる姿勢をしている。

 だから、それ以外の方法で事態を収拾させるためにある結論を私たちは出した。

 これ以上の被害の拡大を防ぐためには、私たちがアンチマジックの前に姿を現すこと。そして、無事に逃げ切ってやること。

 自分たちで招いた種は自分たちで解決する方向性で決まった。

 そこまで決めたとき、緋真さんからの連絡が入った。

 内容をまとめるとこんな感じ。

 

 今日の深夜に何をするかは知らないけど、緋真さんたちは派手な陽動を仕掛けてくれる。狙い通りなら、それで戦闘員たちの大多数を引き付けることができるらしい。その間に私たちも行動を開始し、残った戦闘員たちを蹴散らしながらキャパシティへと向かう。――以上。

 

 なんだか物凄い雑な作戦のような気がするけど、まあ任せておこう。

 というわけで、時間が来るまで逃走ルートを打ち合わせすることになった。

 

「いまさらだけどさ、キャパシティってどうやっていけばいいの?」

 

 一番、肝心な部分が実はまだ何も分かっていなかったりするんだよね。

 

「二十九区に存在するとは聞いていますけど、具体的な場所までは把握していませんね」

「そうだな。出来れば、俺たちも経路ぐらいは把握しておきたいところだな」

「隠していたって仕方ないのだから、さっさと教えなさいよ」

 

 唯一、知っているのは覇人だけなので、自然と質問の集中攻めにあうことになっている。

 

「なんだ? お前ら、気づいていなかったのかよ」

「気づく? 一体、何のことだ?」

 

 もしかして、すでにキャパシティに関連した場所に近かったりするのかな。

 たしか、父さんは医療研究機関だとかなんとか言っていたような気がするけど……。詳しい事業内容とかもあんまり聞いていないし、そもそも親の仕事なんてはっきりと分かっている子供なんて少数派だよね。

 父さんの業務内容って何だっけ? ぼんやりとしか覚えてないけど死者を扱った新しい医療に関するなんとかって感じだった。

 うーん。医療……医療……ねぇ? そういえば、父さんの部屋には胡散臭そうな薬品があったっけ……。あれ? キャパシティ、薬品。医療。なにか、引っかかるような。

 

「ねえ、キャパシティ……てさ、確か薬のラベルにそんな名前のメーカー名が書かれてなかったっけ?」

 

 何気ない一言のつもりだったのだけど、思いのほかみんなのリアクションが大きかった。私の疑問は間違ってなかったっていう証拠かな。

 

「そういえば、私が倒れたときに彩葉ちゃんが買ってきた薬にも書いてあったような気がします」

「秘密犯罪結社を名乗っている割には、随分と分かりやす過ぎないか?」

「そうは言うけど、普段はあまり目にしない部分なのだし、逆に分かりにくいような気もしなくもないと思うのだけど」

「さすがに彩葉は気づいちまうか」

「うん、いま思えばサンプルみたいなのが父さんの部屋にあったなぁって思って」

 

 それと、父さんと母さんが私の元から去っていったときに、お茶に混ぜていた睡眠薬も多分、父さんが調合したやつなんだろうね。

 

「待って! それはおかしいわよ。そのキャパシティならアンチマジックがすでに内部にまで潜り込んで調べたはずよ」

「ああ、何十年か前に捜索があったって聞いてるぜ。ま、裏の事情ってこともあって秘密裏に行われたらしいけどな」

「らしいわね。あたしもその調査結果を読んだことがあるのだけど、キャパシティは医療研究機関と病院が併設されているそうね」

「そうだが? んなもん、ちょっと調べりゃ誰だって分かることだぜ」

 

 そうなの? まったく興味なかったから、病院が併設されていたのは初耳だ。これ口にしたら馬鹿にされそうだし、黙っとこ。

 一応、親が関わっている場所でもあるしね。

 

「確認の意味も込めて聞いてみただけよ。それとあんたの言う通り、裏の事情だから大々的には捜査していないわ。ただ、研究員や従業員のプロフィール。事業内容ぐらいは調べ上げていたわ」

「何か、分かったことでもあったのですか?」

 

 茜ちゃんに対して一拍の間をおいた蘭は、困った風にして言った。

 

「それが……何一つ違法性のない極めて合法的な事業を行っていたのよ。むしろ、余計に謎が深まっただけだったわ」

「秘密犯罪結社キャパシティは、薬品メーカーでもあり、病院業もやっているキャパシティとは無関係だった。ということなのか」

「無関係かどうかはまだ確証はないわ。だからこそ、存在が謎めいていたのよ」

 

 たまたま、父さんがキャパシティ製の薬品を愛用していただけってことで、私の思い過ごしってことになるのかな?

 考えてもしょうがないし、とりあえず目の前に関係者に直接聞けば分かるよね。

 

「実際のところはどうなの? 覇人」

 

 みんなが覇人に注目して、答えを待つ姿勢になった。

 

「あと一歩踏み込めていりゃあ正解だったのにな」

「それでは……」

「例の組織とその病院の名は同じだ。つまり、お探しのキャパシティは……とっくの前に見つけていたんだよ」

 

 じゃあ、最初からすべてさらけ出していたってことなんだ。名前も判明していたし、住所も何もかもラベルに書いてあった。

 でも、だったらなんでアンチマジックは気づかなかったんだろう。

 

「デタラメなこと言ってるんじゃないでしょうね」

「アンチマジックが調べた物はすべて事実だ」

「事実なら、違法性のない組織ということになっていますけど……」

「表向きはな」

 

 いろいろと手の込んだことをしている以上、さすがは秘密犯罪結社ってところだね。

 

「組織の正式名称は“白聖教団”(はくせいきょうだん)。キャパシティはただの目的遂行のための手段ってところだ」

「教団……ですか」

「怪しい宗教団体みたい」

「そんな話なんて聞いたことがないわよ」

 

 蘭が知らないってことは、アンチマジックですら把握していない新事実なのかな。確かに、キャパシティのことですら、あまり詳しいことは分かっていないらしいし、知らなくてもおかしくはないのかもしれないけど。

 

「だろうな。ここまでのことを知っている奴らなんて、ほんの一握りしかいねえだろうしな。全容を把握している連中なんて、組織のトップクラスだろうぜ」

「内部にまで秘密主義なのか。情報規制は徹底されていそうだな」

「まあな。幹部級の俺ですら、外部のことは詳しく知らねえしな」

「外部……? なにそれ?」

「ああ、こっちの話しだ。到着したら親父か、先導者(マスター)にでも教えてもらえ」

 

 うちの父さんも結構秘密主義なところがあるし、あまり期待できなさそう。

 

「話を聞く限りですと、相当大きい組織なのようですね……」

「“白聖教団”は世界最大級の秘密犯罪結社だ。その構成員は全土に散らばり、数に任せた独自の情報網によって、正体を隠し続けてきている組織だ」

 

 口で言われても想像もつかない規模だけど、実際いままで存在が見つかっていないことを考えると、とんでもなく統率の取れた組織なんだってことが分かる。

 

「そんなお前たちには、一体何の目的があってこれまで活動をし続けて来てるんだ?」

「それはいずれ分かるだろうよ。……いずれな」

「――」

 

 何かを言い返そうとした纏だったけど、結局は言い返せずに黙ってしまった。たぶん、私たち……ううん。アンチマジックですら予想にもつかせない大掛かりなことを仕掛けるんだと思う。

 覇人の思わせぶりな言い方に室内が静寂に包まれたが、それとは対照的に外では騒がしくなってきた。

 

「――時間か」

 

 時刻も深い夜に包まれた頃。

 夜に飲み込まれた町が炎に焼かれている光景が見え、赤々と照らされていた。それはまるで、町が血を流しているようで、傷跡として残りそうなほどの激しい痛みを見せていた。

 やがて静かに、静かに眠りについていた町は、駆け回る緊急車両のサイレンと人々の困惑で目を覚ます。

 

「……これは」

「この炎……緋真さんですか?」

 

 大規模な火災。かつて、私たちの町を焼き尽した勢いに勝るとも劣らない炎。

 だけど、燃え移っていく様子は見られず、町の至るところに点々と炎が上がっていくだけだった。

 偶然にも同時に火事が起きるなんてことはあり得る筈がないだろうし、間違いなく人為的に行われている。

 そんなことが出来る魔法使いといえば、私たちの中で知っているのは緋真さんだけだ。

 

「これが合図だというのか?」

「そうらしいわね。お姉ちゃんの姿が見えるわ」

 

 魔眼でこの光景を眺めている蘭が確認してくれた。

 

「それじゃあ、私たちもそろそろ行こっか?」

「緋真さんたちが陽動をしてくれている間の今しかありませんからね」

「ま、待って! これって……」

 

 外へと出ようと歩こうとしたら、蘭が動揺しながら呼び止めた。

 

「どうかしましたか?」

「もしかしたら、これだけじゃないのかもしれないわ」

「十分やってくれちゃいると思うが」

 

 こうしている間にも、また一つ火の手が上がっていく。あれら一か所一か所にアンチマジックが向かっているはずだ。

 

「確かに各所に戦闘員が向かい始めているけど、それよりもこの炎の並び順。変と思わないかしら」

「並び順? 普通に真っ直ぐに伸びてると思うけど」

「そうね。真っ直ぐね。じゃあ、どこに真っ直ぐなのかしらね?」

 

 私たちが居るホテルからどんどんと炎は遠ざかっている。それはここからもよく見える高層ビルを目指して突き進む。

 深夜でもそこだけはずっと光が灯り、まるで鷹の目のように町並みを見下ろしている建物。

 緋真さんたちの目的地――それは、アンチマジック二十九区支部。

 

「まさか……」

「嘘……ですよね」

 

 二十九区支部に近づくにつれ、舞い上がる炎の数は減り、やがて不気味に静まり返っていく。

 さながら、花火大会の最後の打ち上げを今か今かと待ち構えるような――そんな静けさ。

 そして――。

 

 今日一番の炎上が始まった。

 

 煌々と火の手が上がり、二十九区を守護する支部は巨大な松明へと早変わりした。

 瞬く間に闇夜を斬り裂いたその光景は、どこか幻想的で夢幻のよう。いまこの瞬間を目撃した人たちはきっと、誰もが現実感を味わうことなく、呆気に取られていることだろう。

 

「お姉ちゃん……。一体何をしてるのよ」

「ある意味でこの区画の支部に宣戦布告を仕掛けたようなものだぞ」

「陽動としては効果てきめんかもしれませんけど、こんなことをして平気なのでしょうか」

 

 緋真さんのことだから、私たちが安全に逃げられるようにしてくれたつもりだと思うけど、さすがにやり過ぎているような気がする。

 

「その心配は必要ねえよ。なにせ、向こうには幹部級が三人もいるんだぜ。支部一つ落とすぐらいならやりかねえよ」

「――! たった数人程度で支部が落とせるわけないじゃない! 戦闘員がどれだけいると思ってるのよ! あんたは」

 

 正確な数は知らないけど、ざっと数千人はいるはず。そのうち現在、支部にどれだけの戦闘員が待機しているかは分からないけど、それでも数百人とこの場で争うことになるはずだよね。

 四人対数百人。あまりにも無謀過ぎるよ。

 

「どれだけ束になってこようが、幹部相手だと手も足も出ねえよ。それはお前も知ってるはずだろ」

「……」

 

 幹部と互角に戦えるとしたら、少なくともA級戦闘員以上でないと話にならない。つまり、A級戦闘員が三人は滞在していないと、守りきることは難しいってことになるね。そんな上級は数えるほどに人数しかいないから、一人居るか、最悪誰もいないかのどちらかになるはず。

 

「確かに……あんたの言う通りかもしれないわね。でも、この区画にはまだ月と殊羅がいることを忘れていないでしょうね」

「あの二人なら、俺を探して移動しまくってるらしいから、すぐには駆け付けてこねえよ」

 

 覇人。改めて“回収屋”を見つけて殺すことが目的だから、支部に待機してるわけないよね。

 いまごろは、この空の下で同じ光景をどこかで見ているのかもしれない。だとしたら、そのうち戻ってきてもおかしくないね。

 

「だったら今がチャンスだね。緋真さんたちと無事に再会するためにも、さっさとキャパシティに行こうよ」

「ですね。場所はその病院と同じなのですよね?」

 

 薬品のラベルに住所も載っていたから、それを頼れば大体の場所まで行ける。残念ながら、私は忘れたけど。ここは頼りになる仲間たちについていくしかない。

 

「ああ。ここから北の方の田舎に建てられている」

「歩いていくとなると、結構距離があるな。どこかでバスか電車にでも乗っていくしかないか」

 

 全土に戦闘員が配備されている現状では、あまりゆっくりとする時間もなさそう。

 

「どっちにしろ、駅まで行ってみるしかねえな」

「幸いにも、戦闘員の大半は各地で起きている火災の方に躍起になっているわ」

 

 蘭が魔眼で確認してくれたけど、それは私たちにも簡単に想像できることだった。

 誘蛾灯に群がる虫たちのように集結していく戦闘員たちの絵面。一人残らず駆逐されていく予定になっている戦闘員たちの対処は、緋真さんたちの手で行われているはずだ。

 さっきからうるさく鳴り響くサイレンと肌に感じる濃密な魔力がその証拠と言える。

 

「緋真さんたちが抑えてくれている間に脱出しないとね。とりあえずは、駅に向かうってことでいいよね」

「ですが、公共交通機関はアンチマジックの監視が入っているかもしれませんよ」

「その時はその時だよ。どうせ見つかったら向こうから襲ってくるんだし、返り討ちにすればいいだけだよ」

 

 魔法使いらしくね。

 

「仕方ないな。止むを得ない場合は強行突破と行こう」

「賛成!」



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90話

 外に出ると、そこはまるで昼間のようだった。

 例えるとするなら、お祭り騒ぎの最中に起きた不慮の事故について騒いでいる様子。

 連続して巻き起こった火災とそれに対処するべく動いた緊急車両のサイレンが響いている。その音に対して鬱陶しそうに舌打ちをする人や心配して祈りを捧げる人人。あるいは、それらの雰囲気に飲み込まれてしまった野次馬たちが、面白おかしく群がっていた。

 そのせいで子供の寝る時間もとっくに過ぎ去った深い夜だと言うのに、賑やかさだけでいうなら昼間以上かも。ううん、絶対それ以上。

 昼間とはまた違った意味で賑やかな夜を私たちは人の波を縫いながら進んだ。

 

「思うように進めないね」

「この混乱の中だと仕方ないさ」

 

 人だかりのせいで思うように動けないのがもどかしくもあったけど、焦ってはダメ。一般人との無用な衝突で余計なトラブルを引き起こしたくないからね。

 

「今さらなのですけど、こんな目立った行動をしていたら、アンチマジックに見つかったりしませんか」

 

 同時多発の大火災。中でも松明のように赤々と照らされている高層ビルの様相に呆然と立ち尽くす人の群れを走っているわけだし。

 そんな中で激しく動き回っている私たちは、周りからすればひときわ目立っているにしょうがないはず。

 

「残念だけど。もう手遅れのようね」

「……だな」

 

 辺りを見回してみたら、確かに数名の黒服を纏った人物たちから視線を感じた。あんな野蛮な人たちからの熱烈な視線は遠慮したいね。

 

「見つかってしまったものは仕方ないよ。このまま堂々と突っ切ってしまおう」

「今さら消極的な行動を取る方が怪しいか」

「彩葉ちゃんの言う通り、ここは開き直った方がよさそうですね」

 

 そうと決まれば、さっそく走るペースを上げることにした。目的としている駅はこの騒がしい道を抜けた先にある。そんなに距離はないと思うけど、壁のように立ちはだかる人の群れをかき分けて進まないといけないので、遠く感じてしまう。

 

「ちょ、ちょっと! 追いかけて来てるよ」

「――見つかってしまったみたいですね」

 

 後ろから人だかりをなぎ倒す勢いで黒服が追って来ていた。あれじゃあ、喧嘩売りながら渡り歩いているようなものだよ。

 それよりも、あの人たちにとって一般人は守る対象のはずなのに、ぞんざいな扱いをしていいのかな。

 

「あたしが視ておいてあげるから、あんたたちは気にせず前を向いてなさい」

「ああ。分かった」

「じゃあ、前は私がしっかりと先導するから、後ろで何かあったらちゃんと教えてよ」

 

 迫る戦闘員の脅威に焦りが出て、次第に息継ぎが荒くなってくるほどに歩調を速めていく。

 私は追いつかれないことだけに専念して、人ごみを手でかき分けるようにして道を作っていった。ぶつかっていった相手からは、口々に罵詈雑言を浴びせられたけど、気にしてられないから無視して進んだ。唯一、茜ちゃんが謝りながらついてきてくれていたから、大事にはならなかったことが幸い。

 人の集まりが薄れていくと、駅がようやく姿を見せ始めて来た。この辺りは緋真さんたちの陽動からだいぶ離れたところにあり、時間相応の静けさが漂っていた。

 

「着きましたね」

「ふー……やっとか。なんつーか疲れたぜ」

「思った以上の騒ぎになってたもんね」

「……まったく、なによあれ。夜中なんだから大人しく家に引きこもってなさいよ」

「無理もない話しだ。あれだけのサイレンが鳴り響いていたら、普通は何事かと気にかけるものだと思うぞ」

「にしたって、あんなにも集まることないでしょ。暇な連中ね」

 

 家にいても時間的に寝る以外のやることがないんだし。延々とサイレンが鳴り続けていたら、落ち着いて寝つけないと思うよ。まあ、私みたいな寝つきのいい人なら気にしないと思うけど。

 

「……それより、追っ手の方はどうだ?」

「一応、撒けたみたいね。すぐには追いつかれないと思うわ」

「つっても、連中は対魔法使いのプロだ。とっととずらかった方がいいだろ」

 

 駅前の広場には、仕事帰りに酒でも飲み交わしてきたサラリーマンがバカ騒ぎをしている。町中の騒ぎが目に入っていないみたい。

 酔っ払った頭では、この状況を見てもさぞかし平穏な一日に映っているのかもしれないね。あの人たちにとっては、このまま酔いが冷めないでいてくれる都合がいいと思う。

 

「電車はまだ走っているのかな?」

 

 酔っているとはいえ、サラリーマンが出歩いているぐらいだから、まだ大丈夫だよね。

 

「そうだな。そろそろ終電が通る頃合いだろうな」

 

 広場にある時計を確認した纏が言った。

 

「やったね。丁度いい時間じゃん」

「ホームで待っていましょうか」

 

 そう決めたとき。駅前にある踏切の音色が、深い夜に響き渡ってきた。本日、最後の役目を果たす遮断機が振り下ろされ、間もなく通過する電車を待ちわびている。

 

「あ……っ! 急がないと乗り遅れるよ!」

「走ったりすると危険ですよ」

「――待ちなさい! 彩葉、茜!」

 

 広場を横切るように駆け出そうとしたとき、蘭の強い制止の声に思わず踏みとどまってしまった。

 

「この気配……。やっぱりここにも張っていやがったか」

「ま、まさか。待ち伏せしていたの?!」

 

 駅から黒服を纏った戦闘員たちがぞろぞろと姿を現してきた。街灯の下に照らされた戦闘員の数は十人ほど。もしかしたら中にもまだ潜んでいるのかもしれないけど、いま確認できるのはそれだけ。

 

「当然だろうな。逃亡手段として利用しやすい駅を監視していないほど、警備は緩いはずがないだろうしな」

「分かってたのにこんな提案したの? どうするの? 纏のせいだからね」

「問題ないさ。多少の戦闘は止むを得ない。そういう方針だっただろ」

「そ、そうだけど」

「それに、返り討ちにすればいいと言ったのは彩葉だろ」

「言ったけど、さぁ……」

 

 出来れば楽に逃げ出したいなと思っていたわけだけど……ま、いいか。世の中、そう都合よくはいかないしね。邪魔するならするで、予定通り返り討ちにして出て行ってやろうかな。

 

「期待してるぜ。彩葉」

「ちょ、変なプレッシャーかけないでよ」

「彩葉ちゃんのことは、私がしっかりと支えますから安心してくださいね」

 

 目の前の敵と対峙していると、電車がホームに滑り込んでくる。

 あれが私たちの唯一の逃走手段だ。何としても目の前の戦闘員たちを蹴散らして乗り込まないと。

 

「――こいつら……まさか……!」

「どうかしましたか?」

 

 魔眼でホームを視ていた蘭の声が驚愕に包まれている。いまごろは中で乗客の乗り降りが行われているだけで、そんなに驚くようなことではないはずだけど。蘭の反応からして、ただ事ではないことだけは伝わった。

 考えられるとしたら、私たちにとって最悪の展開が起きているってこと。

 この状況で最悪と言えば何だろう。

 電車がやってきて、ホーム内でするべきことなんて乗客の乗り降りぐらいしかない。そんなことで驚愕するとなれば、降りてきたのが普通の乗客じゃなかった。その可能性しかない。

 嫌な予感というのは当たる物で、ホームから降りてきたのは同じ黒服を纏い、武器を持った複数の人たちだった。

 駅前を埋め尽くすほどの戦闘員たちが集結し、私たちの逃走手段を完全に封じられてしまった。

 

「おいおい、一体どんだけ出てくるってんだ」

「さすがに多すぎない?」

「あ――電車が」

 

 死を運んできた電車は、執行人だけを残して早々と駅から離れていく。たぶん、警察から用心のためとかでさっさと出発するように言われているんだね。白状者め。ここには一応、一般人もいるのに。元戦闘員という肩書がついているけど。

 

「周辺にいた戦闘員たちはここに集結し始めているようだな」

「ですね。早くしないと更に数が増えるかもしれません」

 

 アンチマジックの支部が燃えているとなれば、事情は知らなくても各地にいる戦闘員が集まってくるのは時間の問題になってくる。

 緋真さんたちはここに敵を集結させ、私たちがスムーズに逃げ切れるようにこの事態を引き起こしてくれた。だけど、これは予想以上に集まりが速すぎているような気がする。

 

「まずいわね。騒ぎとは反対方向だから大丈夫だと思っていたけれど、間違いだったかもしれないわ」

「過ぎたことはしょうがないよ。なんとかして、別の手段を探すしかないよ」

 

 頼りにしていた電車が使えないとなると、駅前には何も残されていなかった。酒に酔っていたサラリーマンもいつの間にかいなくなってしまっている。混濁した頭でいられたなら、荒れた現実を直視しなくて済んだのにね。

 

「危険かもしれないが、一旦引き返すか」

 

 纏の提案に乗って後ろを振り向いた時――すでに私たちを追っていた戦闘員に追いつかれてしまっていた。

 

「さすがにこれはやべえな」

「絶体絶命ってやつだね」

「ええ……かなりの、ね」

 

 前も後ろも逃げ道を閉ざされてしまい、私たちは駅前広場に囲まれている状態となった。

 

「仕方ない。みんな、覚悟を決めてくれ」

 

 纏が魔具“散りゆく輝石の剣”(クラウ・ソラス)を抜き放つ。三発分の斬撃を蓄積された刀身は、暗闇の中でも燦然としている。

 それを合図にして、私たちもそれぞれの魔法を展開した。

 

 鏡面のように研ぎ澄まされた白き刀身が月光を照り返し、宇宙のような途方もない無に似た黒き柄を握る私。

 歪曲した空間に象られた刃を手にしている覇人。

 構造のない半透明状の拳銃を創りだす茜ちゃん。

 先天性の能力と重なって生まれた観測と索敵の魔眼を有した蘭。

 

 これらは私たちが生まれ持って手にした唯一無二《オリジナル》の力。

 ある意味、個性とも言える力だ。

 だけども、人はそれを悪意と呼ぶ。醜いと呼ぶ。畏怖の念を起こして蔑み、”魔法”と名付けた。他人事だと思って罵る。誰だっていつかはそう呼ばれるようになるのかもしれないのに。

 だかしかし、何と言われようとも私たちにとっては、立派な個性だ。

 

「大勢いるが、怯むんじゃねえぞ」

「特に戦闘慣れしていないあんたたち素人組はね」

 

 それって、私や纏。茜ちゃんのことだよね。

 

「俺たちはこれでも成長しているんだ。遅れを取るつもりはないさ」

「はい。もう、二度と足を引っ張るようなことはしませんから」

 

 両端《ターミナル》での一件を気にしているみたいで、茜ちゃんは自虐気味に言った。

 

「知ってる。茜ちゃんなら大丈夫だよ」

「……彩葉ちゃん」

「あの経験があったから、分かったんだよ」

 

 茜ちゃんが死にかけたあの時のことを思い出す。

 一気に形勢が崩れ、私たちは共倒れになりそうな状況だった。だけど、誰一人として諦めようとはしなかったし、茜ちゃんを見捨てようともしなかった。そもそもそんなことを考えようともしなかった。

 

 どうすれば、茜ちゃんを救うこと出来るか。

 どうすれば、私たちは生き残ることが出来るか。

 

 無我夢中の最中、それだけは頭に残っていたのを覚えている。

 

「裏社会に迷い出たときから決まっていたんだ。諦めたその瞬間が死を受け入れる時なんだってことを」

 

 諦めが悪く、足掻いたからこそ。両方とも達成できた。つまり、この状況を乗り切る手段は一つ。

 

 “諦めないこと”

 

「だから、今度だって。絶対に――“諦めない”!」



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91話

 意気込みは十分。緋真さんたちは、私たちよりももっと多くの数を相手にしてくれているのだから、それと比べればたかが知れている。

 前方と後方にそれぞれ敵が展開しているこの状況。数はざっと百人ぐらいかな。結構な数だとは思うけど、一人当たり二十人とすればいい。そう考えれば、とりあえずなんとかなりそうかなぁ、って感じの数字に思えてくる。まあ、気持ちの問題が大半を占めているのだけど。

 

「気合が入ってるのはいいけどよ、何も全員相手にする必要ないんだぜ」

「そうだな。さすがに数が多すぎる。ある程度の数を減らせば、後はさっさとここから逃げ出した方が良いだろ」

 

 それもそうだね。となると、前か後ろかどっちかに絞って蹴散らすべきだね。

 

「じゃあさ。とりあえず、正面突破で行こうよ」

「正面……ですか」

「うん。駅の方。線路沿いに逃げよう」

 

 町の方へ行ったところで逃げ場なんてないんだし、数の多い駅側の敵を減らして進むしかない。

 

「そういうことなら、あたしに任せなさい」

 

 駅側には七割ぐらいの敵が密集している。そんな部分を突撃しないといけないのだけど、そこはさすがの蘭。

 こと、集団に対しては最もの有効な一撃であり、蘭の得意技でもある。魔力砲が敵集団を捕捉する。

 放たれた一撃は大地を削って、敵の集団を撃ち抜き、果てはその先のホームすらも破壊した。その通り道には何も残らず、蹂躙された跡が痛々しく威力を物語る。

 原形の三分の一は見事なまでに吹き飛ばされたホームの残骸に、魔力砲の餌食となった戦闘員たちが散らかっていた。

 

「容赦しねえな。吹き飛んだ戦闘員がホームの装飾品みたいになってやがるじゃねえか」

「あら、見栄えが良くなっていいじゃない」

「そういう問題じゃなくてだな。さすがにあれはやりすぎだろ」

「あんた、敵に情けをかけて加減しろって言いたいわけ? そんなことして、あたしたちに何の得があるって言うのよ」

「そういうわけじゃないが。俺が言いたいのは、ホームを破壊するほどの威力は必要ないってことだ」

 

 木っ端みじんに吹き飛んだホームに苦情を入れる纏。どうやらご立腹な様子。

 

「別にあれぐらいの被害は裏社会では日常茶飯事じゃない。第一、お姉ちゃんたちのアレはもっとひどいじゃない。アレと比べると可愛いもんよ」

 

 アレとはもちろん、燃え盛っている高層ビルのこと。それに加えて数か所の火事。被害はここと比べるまでもなく、緋真さんたちが起こしている方がひどすぎる。

 

「そうかもしれないが、出来るだけ被害は抑えるよう努力してくれ。そもそも公共の場って言うのは、表と裏関係なく誰もが使う場所なんだ。駅を破壊されては、困るのは一般人だけでなく、俺たちも困るだろ」

「あーもうっ! 分かったわよ。気を付ければいいのでしょ! 気を付ければ。……細かいところばかり気にするんだから」

 

 強気になって言い返していた蘭だったけど、正論を吐く纏に一応ながらも納得していた。

 公共の交通機関は私たちも使う乗り物でもあるわけだし、実際電車を使って逃げる算段をつけてもいた。公共交通機関が止まってしまえば、誰もが困ることだった。

 幸いにも瓦礫の山と化したのはホームの一部分だけだし、残骸さえ除けてしまえばすぐに復旧しそうな感じではあるけど。なんだか、一気に無事キャパシティに辿り着けるのか不安になってきた。

 

「まあ、やってしまったものは仕方ないな。結果としては、敵の数も減らせたことだ。これで少しは逃げ出す隙が作れ――!」

 

 これで間違いなく、と誰もが思った。――のに。

 多少の傷は負ったものの、平然と立ち上がる戦闘員が何人もいた。しかも、驚くことに倒れ伏した数の方が少ないぐらいだった。

 

「アレを受けて、立ち上がるなんて……」

「ねえ、どうするの。なんか全然効いてなさそうなんだけど」

 

 蘭が加減した? それとも、ものすごい生命力のある黒服ってこと? 

 どっちでもいいとして、どうなっているのか気になって蘭の様子を窺がってみると、立ち上がった戦闘員を分析するように魔眼で見据えていた。

 

「もしかして……高ランクの戦闘員も混じっているのか」

「立ち上がったのは、全員がC級戦闘員のようね。それ以外はD以下といったところかしら」

 

 どうやら魔眼で敵のバッジを把握していたらしい。

 確かによくよく考えれば、それもそうだよね。いまや、ここには二十九区全ての戦闘員が集結してきていると言っても過言ではないんだし、高ランクの戦闘員が居ても不思議ではなかった。

 

「中級の対魔具を装備した戦闘員がこの数か……。これは、一筋縄ではいきそうになさそうだな」

「……? 中級の対魔具、ですか?」

 

 なんだろうね、それ。

 

「戦闘員なら誰もが身に纏っている黒服のことよ。あれには魔法を相殺する力があって、中でも連中が付けているのは三段階中の真ん中の性能ってことよ」

「え? それじゃあなんでC級だけ生き残ってるの? は! もしかして、C級は特別性とか」

「魔具に関する詳しいことは研究所の奴らぐらいしか把握していないのよ。だけど、黒服の性能は装備者によって細かに変動するらしいわ」

 

 研究所と言われて、数日前にみた。あのおびただしい研究跡を思い出した。

 人には言えない研究をしているという話しで、そこで緋真さんと父さんは被験者とされて弱った姿で発見した。非人道的なことがされていたのは間違いない様子だった。

 

「この様子からして、C級クラスでも完全には相殺しきれていないみたいですね」

「個人差ありってわけね」

 

 まとめると、とりあえずC級とD級は同じタイプの黒服を纏っているってことだね。だけど、この二つの階級の間で性能差が出ている。そのせいで、立ち上がれた人とそうでない人がいるってこと。

 

「でも、困りましたね。蘭さんの魔力砲が通じない相手がいるのなら、そう簡単には通れそうになさそうですね」

 

 直撃しておいて、まだまだ余力がありそうなC級戦闘員たち。あれがどれだけいるのか知らないけど、あまり時間をかければ、数の差でこっちが先に力尽きてしまうかもしれない。

 

「でもさ、強敵が混じっていようとも、私たちがやるべきことには変わりないんだし。気にすることないって」

「そうだな。どっちにしろ、全員を相手にするわけじゃないんだ。ここは彩葉の言う通り、正面突破でいくしかなさそうだ」

 

 珍しく、纏が私の提案に乗り気になっていた。完全包囲されている状態で取れる手段と言えば、それしかないってことなんだろう。

 今の魔力砲でC級以下は怯えの一つでも見せてくれたらいいのに、最初よりもますます戦意が上昇しているような気がした。

 360度から魔具である銃を突き付けられ、見たところ銃弾タイプと魔線《レーザー》タイプの二種類があった。

 

「放て――!」

 

 C級と思われる戦闘員の掛け声を合図に放たれ、雨のように銃弾と光線が飛び交った。

 だが、それは私たちに直撃する寸前で、不可視の防壁によって遮られてしまう。何ともおかしな光景を見て、戦闘員たちは撃ちっぱなしだった射撃の手を止める。

 同時に覇人が展開してくれていた魔法の防壁が解除され、私たちが全くの無傷であることを見て取った一部の戦闘員からどよめきの声が上がる。

 気持ちは分からなくもないけど、大層なリアクションを起こすのは後にするべきだったね。

 だってそれはつまり、予想外の展開に戦闘員は油断をしているってこと。

 こちらから攻めていくにはうってつけの状況だ。

 

「今度はこっちから行くよ」

「よし、蘭が壊したホームへと抜けるぞ」

 

 一致団結してホームへと走り抜けようとするが、C級ぐらいの戦闘員はすぐに私たちの道を阻んでくる。

 たちまち乱戦状態へと陥ってしまうも、さすがにC級の群れとなれば一人一人が手強い。強行突破しようにも無理がありそうだった。

 足止めをされる中、ランクの低い戦闘員が後方に陣を布き、いよいよ私たちは敵に囲まれてしまうことになる。

 

「これ……ちょっと、ヤバくない?」

「何か手はないのか? 覇人」

「俺一人ならどうにでもなるが、さすがにお前ら全員を生かして抜け出す手段はねえな」

 

 幹部である覇人なら、これぐらいの戦闘員なら簡単に切り抜けられるだろう。

 そう、一人だったなら。

 そこに私たちが加われば、話はまた別になってくる。

 ふがいないことに私たちは、C級戦闘員を相手に手こずってしまうのだから。

 

「すみません。また、足を引っ張ってしまっているみたいですね」

「そんなこと気にしなくていいって。諦めなければなんとかなるはずだよ」

 

 前には高ランクの戦闘員が阻み、後ろには低ランクの戦闘員が控えている。

 

「逃げ道はなくなってしまうかもしれませんが、あえて後ろに退いた方がここは得策なのかもしれませんね」

「ここまで来てそれは避けたいわね」

「それとも当たって砕けろ。の精神で前に行ってみる?」

「いや、それは不味いから。とは言っても、選択肢はその二つしかないか」

 

 少数の強敵に向かうか、多数の弱者に群れに飛び込むか。

 

「生き残れる確率が高い方に賭けるべきね」

「前か後ろか。命を懸けたギャンブルみたい」

「嫌な例え方ね」

 

 不安な雰囲気にさせたかな。でも、現状としてはまさにそんな感じ。

 

「でしたら、どっちを選びますか。生きるも死ぬも確率は半分ずつですよ」

 

 どっちを選んでも、もしかしたらの可能性がある。

 

 もしかしたら、B級戦闘員を相手に一度は勝ったことがあるんだから、一人や二人、数が増えても押し通ることが出来るかもしれない。代わりに全滅する確率は高い。

 もしかしたら、町の酷い有様に夢中になって眺めている一般人に紛れて、逃げ切ることが出来るかもしれない。代わりに生き残る確率は半々。

 

 多少の運任せな要素があるけれど、運も実力の内って言うしね。

 前向きに考えれば、ここで全滅する未来なんて到底見える気がしない。

 

 大丈夫。今日の私は最高に運がいい。

 大丈夫。今日の私は誰よりも運がいい。

 

 ラッキーアイテムは剣。これで道を切り拓ける。しかも数多くの剣がある。ということは、山ほどのラッキーアイテムを持っている。そう思っていれば、気持ち的には楽になってくるし、運がいい方に向いていると思えてしまう。

 だから、このギャンブル。私たちにとって一番いい選択は、勝ってより得をする方を選ぶ。

 

「人間ってさ、追い込まれたときほど必死になるもんなんだよね」

「彩葉ちゃん……?」

「ほら、夏休みの宿題とかさ、期限ギリギリまで追い込まれた方が何とかしないと。ていう考えが働いて必死になるでしょ」

「それは単に彩葉の計画性がないだけじゃないのか」

 

 そうなんだけど。いまはそういう反論できないことは言わなくていいから。

 

「今の状況はまさに夏休みの最終日。ここが踏ん張りどころであり、一番必死になる時なんだよ。だから諦めて退くよりも、きっと大丈夫だと信じて前に進む。それだけだよ」

 

 堂々と言い切ったところで帰ってきたのは数秒の沈黙だった。

 

「……呆れるぐらいにバカね。あんた」

 

 最初に反応してくれたのは蘭だった。そして、横には頷く纏。蘭に同意ということね。

 

「そうかもしれませんけど、私は眩しいぐらいに前向きな考えだと思いますよ。もう、足手まといにはならないって決めたばかりですし、手段を作りましょう」

 

 よき理解者は茜ちゃんだけだ。

 負けられない。諦めきれない。だから、踏ん張る。ただ、それだけのこと。

 そうすればきっと、何とかなる。

 人間、諦めが肝心とは誰かが言ったけど、そんなことはない。

 その証拠に数台の車がクラクションを鳴らしながら突っ込んでくる。そのまま轢き殺しそうな速度で侵入してくるもんだから、蜘蛛の子を散らすように戦闘員がいなくなった。

 

「ね! 諦めなかったから助っ人が来たんだよ」

 

 やっぱり今日の私の運勢は大吉のようだね。喜色の面持ちになる私に同調してくれる茜ちゃん。

 しかし、纏と蘭は沈んだ様相になっている。私と茜ちゃんとは随分と温度差の激しい。

 ほどなくしてその理由が分かった。

 黒塗りのスポーツカーから降りてきたのは、黒服を着込んだ集団だった。ここまで黒が揃うと、まるで葬式でもあったのかと勘ぐってしまいそうになる絵面。

 

「何の騒ぎかと思えば、またてめえらの仕業かよ」

 

 複数人の中から聞き覚えのある声がした。

 一際異彩を放つ存在感。それは周囲の戦闘員たちとは、一線を画する力を有している何よりの証ともいえる風格の持ち主。二十九区を拠点にしている戦闘員――華南柚子瑠の登場だった。



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92話

 葬式帰りにも思える黒服集団の正体は、私たちを死へと送る団体だった。

 敵の追加に嫌な気分にさせられている中、蘭が最初に口を開く。 

 

「……柚子瑠」

「蘭。てめえ、前回の橋の件といい、今回といい。魔法使いになってから、随分と見境なくなったみたいだな」

「あんたには言われたくないわ。――《紅の蹂躙》」

 

 どこにいても目立つような紅い髪が特徴的な女性。華南柚子瑠の二つ名。

 両端《ターミナル》で一度戦った経験が思い返される。歴然とした差を見せつけられ、あと一歩というところで私たちは殺されかけたことを。

 キャパシティ幹部である覇人にまで迫るかもしれない実力の持ち主。

 いま、現在。集まってきている戦闘員たちの中でも間違いなく最高の戦力の一つに数えられる存在が目の前に現れてしまった。

 

「それにしても、まさかまたアンチマジックの管轄下で事を構えることになるなんてよ。しかも今度は、ウチらの戻る場所をあんな風にしてくれやがってよ。随分とまあ、思い切ったことをしでかしてくれたもんだぜ」

 

 確かにそうだよね。陽動として目立つ何かをするとは聞いていたけど、まさか支部を燃やすなんて行動に出るなんて夢にも思わなかったよ。

 

「思い切ったことをしているのは、アンチマジックも同じじゃないですか。この数日間でどれだけの死人が出ていると思っているのですか」

「あの野郎の命令なんざ知るかよ。研究所の襲撃犯と逃げ出した魔法使いを炙りだすためだとか何とか言いやがってたけどよ。いくら裏側の事情だからといって、これだけ派手にやっちまえば、問題は表側にまで拡がってんだ。警察の連中がひっきりなしに事後処理に動き回ってるもんだから、治安悪化に繋がっちまって苦情が回ってきてるんだぜ」

「とりわけ深夜の出動回数が一段と増えているからな。一般人の不安が募ってしまうのか」

「警察の人たちの手が回らなくなってしまうのも無理ないかもしれませんね」

 

 そういうことなら苦情や愚痴の一つがあってもおかしくはないね。うん、気持ちは分からなくない。

 

「そして今回の支部襲撃。ありゃ、前代未聞の事件だぞ。両端《ターミナル》だけに飽き足らず、ここまでのことをやらかすなんて――」

 

 不意に押し黙る柚子瑠。しばらく考え込んだ様子を見せた後、黙った時と同じく不意に声を漏らす。

 

「……支部襲撃なんて大それたことをこいつらだけで出来るのか。……待てよ、そういや情報とも一致してねえ……そうか、てめえら二手に分かれやがったな」

 

 勝手にしゃべって、勝手に納得している柚子瑠。独り言をつぶやいたことで何か考えがまとまってしまったのかもしれない。

 

「アレをやったのは脱走したキャパシティ幹部だな。そうだろ、研究所襲撃犯の魔法使い」

「あんた、知っていたの?」

「天童守人から特徴を聞いたときに、てめえらのことだとすぐに分かったよ」

 

 襲撃犯のメンバーに新局長の息子がいるのだから、そのことを知っている柚子瑠なら簡単に特定されてもしょうがないかも。

 

「にしても、これだけの大事件とあっちゃあ、やっぱり背後にはキャパシティが絡んでやがったか」

「B級戦闘員のあんたなら、キャパシティ関連のことは放っておくわけにはいかないわよね? 今から支部に向かえば、脱走した幹部に会えるわよ」

 

 キャパシティに関わるには、上位の戦闘員でないと危険すぎると言われているらしい。だから、一般的にはほとんどの戦闘員は存在すら知らない人が多い。でも、柚子瑠ぐらいの戦闘員なら話しは別ってことだね。

 

「はっ! どうせそっちはてめえらを逃がすための陽動か何かだろ。んなもん放っておいても構わねえよ」

「B級のクセに小物の相手をするってわけ? ランク相応の相手を選ぶべきよ」

「てめえらが小物だと……? 笑わせんな。両端《ターミナル》を落としておいて、そんな言い訳が通用するわけねえだろ。つーか、てめらには一度、ウチは負かされてるんだぜ。どこが小物だよ」

「キャパシティの幹部よりも上に見られてるってこと? 私たちは」 

「それはねえけどよ。だからといってこっちの方を見て見ぬ振りをするってわけにもいかないだろ」

 

 普通に否定された。しかもはっきりと敵対心を示してきたし。

 

「それに、あっちにはウチよりも最適な二人組が行くだろうしな、ウチは余計なことを考えずにてめえらの相手をしてやれるってわけだ」

「最適な二人組……。水蓮月と神威殊羅のことか」

 

 ああ、そっか。二人とも二十九区で私たちを探しているのだから、来ていてもおかしくはないね。

 

「こういう事態に関しては、青髪のチビッ子なら飛んでくるだろうよ」

「あの子なら間違いないわね。でも、めんどくさがりな殊羅が足を引っ張るかもしれないわよ」

「それはあり得るかもな。ま、あいつが興味を持つかどうかの問題だろうぜ。最悪、あのチビッ子が一人でも来るだろ」

 

 裏社会を揺るがす大事件だというのに、興味が湧くかどうかでしか動かないなんて、色々な意味で大物さを感じさせる人だ。

 

「やれやれ、あいつが来ることだけは勘弁してもらいたいぜ。あの男、どう考えてもヤバいだろ」

「ああ、あいつの強さは次元が違いすぎるからな。ウチ程度が挑んだどころで片手で捻り殺されるだろうぜ」

 

 殊羅の強さは言葉で上手い例え方が見つからないほどに強い。それは一度戦ったことがあるから分かっているつもり。だけど、あの柚子瑠でさえもそこまで言わせるなんて。

 

「殊羅の乗る気になっていないことを祈るしかないわね」

「せいぜい祈ってな。ウチはさっさとてめえらを仕留めて、現場に向かわせてもらうぜ」

 

 柚子瑠は言い終わるとともに魔具の"終末無限の世界蛇"(ヨルムンガンド)と拳銃を取り出した。

 改めて対峙してみて、よく前は勝てたなと思ってしまう。

 しなる鞭が風を切り、果ては地盤を砕いてみせる。

 その痛快な一撃を見せられれば、嫌でも身構えさせられてしまう。

 戦わなければいけないのだと。

 そして、退けなければいけないのだと。

 あの砕かれた地盤のようになりたくないなら、全力で刃向わないと。

 戦闘員と魔法使いが出くわせば避けては通れない道。

 毎夜の如く裏社会で繰り広げられている殺し合い。これから行われることもその一部となる。

 

「前回の借りを返させてもらうぜ」

 

 振り下ろされた"終末無限の世界蛇"(ヨルムンガンド)が唸りを上げるが如く、風を斬って疾く――私たちに喰らい付こうと伸びてくる。まるでお腹を空かして死にかけている動物が見せる、危機感迫る獰猛な迫力のようなものがある。

 見掛けは二、三メートルぐらいの。そこそこな長さといったところで、到底ここまで届きそうにない。だけどあの魔具が伸縮自在であるが故に、彼我の距離なんてもちろん関係ない。

 "終末無限の世界蛇"(ヨルムンガンド)の脅威に対抗したのは、魔法を発動した覇人だった。半透明の壁に遮られ、しおらしく主の元へと戻っていく"終末無限の世界蛇"(ヨルムンガンド)

 とはいえ、さすがはB級の放った一撃。魔具と魔法がぶつかり合った時に生じた影響は凄まじく、周囲の地面が抉れていた。でも、それよりも驚いたのは覇人の魔法が押され気味だったこと。わずかだけど、衝突したときに半透明状の壁が私たちの方へと押されていた。

 たった一撃だけど、本気で殺そうとしていることが十分に伝わる威力だ。

 

「同期に対しても手加減がないわね」

「それお前が言うのかよ」

 

 うん、その通りだね。前回、容赦なく打ち負かしておいて言えたようなことじゃないよね。覇人に便乗したいけど、しない。蘭って当たり方がきついから何言われるか分からないしね。

 

「さすがにいま、B級との戦闘は避けたいところだな」

「ですが、逃げることはたぶん不可能ですよ」

「そうそう。伸縮自在だって言うんだから、背中を向けたらあっという間にやられるし、ここは攻めの一手しかないよ」

「私もそうするべきだと思うのですけど、これだけの数の戦闘員に囲まれている状況で正面から挑むのは無謀すぎますよ」

 

 周りにいるのはC級以下の戦闘員たち。ちなみに覇人以外はC級が相手でも厳しいぐらい。元戦闘員でC級の蘭からしたら、自分と同格が相手ということになる。そんなのが数十人いるとなれば、下手な動きもしようがない。

 よくよく考えてみれば、いまの私たちは完全に詰んでいるとしか言えないんじゃ……。

 

「さっき全員を生かして逃げる手段がねえ。て言ったけどよ、一つだけ。手段が出来たぜ」

「――! 本当か!」

 

 覇人が唐突に希望をもたらしてくれた。この状況なら、何を言われたって期待を持ってしまう。

 

「あいつらが乗ってきたあの車を奪って逃走する。それしかねえよ」

「……な! 何を言っているんだ」

 

 あんまりな提案に絶句してしまった。車を奪って逃走? 覇人はいたって真面目な顔つきで言っているけど、犯罪だよね、それ。いや、まあ魔法使い(わたしたち)そのものが悪者扱いされているから、別にどうってことないのかもしれないけどさ。やっぱり、こう色々と犯罪と分かっていることに手を出すのは抵抗を感じてしまう。

 

「いやいや、でもさ。それが出来たとしても誰が運転するの?」

「俺だ」

 

 提案者が胸を張る。

 

「安心しろって、免許もちゃんと持ってるからな」

 

 私と同じ年なくせして、何を平然と。

 作戦会議でわけの分からない提案が出て来て、悶々としている最中、再び"終末無限の世界蛇"(ヨルムンガンド)が襲いかかり、覇人が魔法で食い止める。今度は、覇人の魔法を砕こうと二度、三度と何度も何度も叩き付けてくる。

 なりふり構わない、力任せなやり方なだけにいつ壊されるかも分からない。さっきこの魔法が押し負けていたことから、長くは持ちそうになさそう。

 

「考えてる暇はなさそうね。このままでは全滅するわ」

「ですね。覇人くんのアイデアでいくしかなさそうです」

「……聞きたいことは山ほどあるが、とりあえず一旦置いておくとしよう。だが、後できっちりと事情は聞かせてもらうぞ」

 

 また一つ謎が生まれた覇人に煮え切らない様子で纏も賛成する。長年連れ添っている親友のことが分からなくなってきているのだろうね。

 

「……分かってるよ。俺のことはちゃんと話させてもらうぜ。それに……纏にはいつかは話そうと思っていたことでもあるしな」

 

 最後に意味深に呟いた後で、耐久度が限界に達した魔法が砕ける。

 

「ともかく、車を奪うためにはまず、こいつらの隙をつくしかねえ」

「だったらあたしの魔力砲で――」

「待ってくれ――! ここは、俺に任せてもらえないか」

 

 蘭が言いかけたところで纏が割り込む。

 

「魔力砲だと、さっきのように生き残る連中が出てくるかもしれないだろ。だから、俺の魔具を使って道を開く」

 

 纏は帯刀している魔具“散りゆく輝石の剣”(クラウ・ソラス)に手を添えた。その力はたった三回限りの飛ぶ斬撃を放つことが可能な太刀だ。ここ数日は抜くこともなかったから、最大まで充電されている。

 

「だけど、それを使ったところで柚子瑠に二度目が通じるとは思えないわよ。最悪、あの魔具で取り押さえられる可能性だってあるのよ」

「分かっている。だから――すべて使い切る」

 

 収められている太刀が鞘ごと光を放ち始める。

 眩く、黒い輝きを帯びる“散りゆく輝石の剣”(クラウ・ソラス)。あの光こそが満ち満ちた魔力を放出させる前触れの輝き。

 

「すべて……あんた、まさか!?」

「ああ。前に柚子瑠が使っていたのを見て、こいつの凄さを知ったんだ」

 

 黒い輝きは更に増し、魔力量も目に見えて増幅する。

 それは、二段階目へと上がったことを知らせている光。

 まばらに飛び散る様相を見せていた一段階目と違い、光は凝固し、眩いまでの煌めきを見せている。

 もしも、夜に瞬く星を一か所にまとめるとするならば、きっとあんな輝きを見せるのかもしれない。

 

「重複だと……っ!? てめえ、そんなもんをここでぶっ放すつもりかよ」

「そうでもしないと、あんたには通じないだろう」

 

 そうして、いま――輝きは絶頂を迎える。

 際限なく溢れ出る濃密な魔力と燦然とした黒い輝きが異彩を放つ。

 それは、とてつもなく妖しくも美しい瞬き。煌めき。輝き。

 暴風を呼び覚ますほどの魔力が迸り、その発散を今か今かと待ちわびている。

 

「おいおい……冗談きついぜ……」

 

 全三段階の工程を完了させたことを知らせる至上の光が照らされる。

 その光景には、さすがのB級戦闘員もこればかりは焦りを見せている。

 大気を伝った魔力が肌に痛いのが分かる。それはこの場にいる全員が感じ取っているはず。だからこそ、受け手としてはこれ以上にない恐怖と焦りが生まれている。

 

「悪いな。全てを込めた、この一振りで終わらせてもらう――」

 

 持てる限りの力をすべて出し切られた”散りゆく輝石の剣”(クラウ・ソラス)はようやく役目を果たす、その時を迎える。

 貯蓄された魔の全財産が解き放たれ、夜を裂いて黒き刃が閃く。

 そのほぼ同時に、柚子瑠は”終末無限の世界蛇”(ヨルムンガンド)を地面に叩き付けるように振り下ろして攻勢に出ていた。

 やがて、二つの魔具がぶつかり合い、衝撃が地表を揺るがした。

 風、風、風。それは暴風と呼ぶべきほどの威力を生み出して、私たちを撫でつけていく。

 しっかりと目で見届けないといけないのに開くことが許されない。それでも、刃と鞭のぶつかり合って出来上がる結末を見届けたいから無理やり目を開く。

 と、甲高いガラスが砕け散るような音に次いで、地面に衝撃が伝わって土煙が爆ぜ上がる。

 何が一体どうなったのか。状況を確認しようとしたときに、纏の姿が目に入った。

 使い果たされた魔具からは、魔力の残滓がわずかながら漂わせ、今にも消えてしまいそうに弱く、仄かに光りを保ち続けていた。

 だけど、纏が力尽きて膝を付く動作と一緒に、まるで主に呼応して”散りゆく輝石の剣”(クラウ・ソラス)は、その名の通り、光を散らせてしまう。

 疲労困憊となった纏が気になって側に駆け付ける。

 纏はただ、気が抜けて呆然としていただけ。で済めば良かったのだけど、近寄って異常性に初めて気が付いた。

 魂が抜け落ちているような、命が宿っていないような。――そう、人形みたいに見える。生きながらに死んでいる。そんな表現に近かった。

 慌てて、茜ちゃんが無事を確かめようと纏の身体を一生懸命にゆする。すると、それがきっかけとなって纏が声を漏らした。

 

「――……っつ! 俺は、いったい……」

 

 溺れて息を吹き返すかのようにして纏は目を覚ました。

 

「巨大な力を使って気でも抜けていたのかしら?」

「……あ、いや。そう、だな。たぶん、そうなんだろうな」

 

 何とも煮え切らない様子で答える纏。

 

「大丈夫ですか?」

「ああ、少し眩暈でもしていたみたいだ。心配かけてすまなかった」

 

 みた感じ、気分が悪そうでも怪我がありそうでもないから、たぶん大丈夫だね。

 

「それよりも、柚子瑠はどうなった?」

「……見ての通りよ」

 

 蘭は簡単に言うけど、この惨状を見せられて、ああ、そういうことね。て一口で済むようなものではなくなっている。

 土煙が晴れ、見えてきたのは無数に切り刻まれた大地の様相だった。

 

「強力な一撃を持った魔具同士が衝突し合って爆散したみたいだな。地面にできてるのは、砕けて散り散りになった刃が斬り込んじまった跡だろうな」

 

 そう言えば、何が砕けるような音がしたけど、アレはそういうことだったんだね。

 

「す、すごい威力だね。中途半端に中断した工事現場みたいになってるよ」

「あたしには加減しろとか言っておきながら、あんたとんでもないことをしたわね」

「全くだな。俺にもアレコレ言いやがるくせにな。お前も人の事を言えねえな」

 

 蘭の言い分は理解できるけど、覇人は絶対にここぞとばかりに便乗して攻めようとしてるだけだよね。

 

「こ、これは不可抗力みたいなものだろ」

 

 痛いところを突かれてしどろもどろになりながら言い返す纏だった。

 

「それよりも、車を奪うのなら今の内にするぞ」

 

 本来の予定へと話を逸らして、これ以上言い寄られるのを避ける纏。無数に飛び散った纏の刃が戦闘員たちにも被害が広がり、絶好のチャンスになっていた。

 

「よし! じゃあ、さっさとここから逃げよう」

 

 砕けたアスファルトに足を取られながら、私たちは戦闘員たちが乗ってきた黒塗りのスポーツカーを一台拝借させてもらう。

 さて、ここから先は覇人の腕の見せ所になるのだけど、正直に言ってしまうと不安しかない。

 五人で乗るには狭苦しい車体は、マフラーを唸らせて軽快に滑り出した。



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93話

 ふと目を覚ますと、朝焼けを迎えたばかりの駅の構内に私はいた。

 まだわずかな暗さを残した空が二度寝を誘ってくるなか、隣に寄り添っていた重みに気づいて、態勢を変えようと動かした身体が止まる。

 

「あ、起きたみたいですね」

 

 ぼやけた頭と視界が捉えたのは、日も昇りきっていないというのに、完全に目が冴えていた茜ちゃんだった。

 

「おはようございます」

「お……おはよう?」

「どうして疑問形なのですか? あ、もしかして、まだ寝ぼけているみたいですね」

 

 仄かに伝う茜ちゃんの体温が、まだ少しだけ冷える朝の気温を紛らわしてくれている。

 目が冴え切らないのはきっと、そのせい。

 冬の朝に布団から中々出られないのと同じ原理。

 

「もう少しだけ……」

「ダメですよ。もうみんな起きてますから」

「まだ朝じゃん」

「朝だから起きるんですよ」

 

 ですよね。普通はそうだよね。変な時間に起きてしまったせいでちょっとぼけているみたい。けど、いくら何でも朝早すぎないかな。

 

「もう、仕方ないですね。あとちょっとだけですよ」

 

 やったね。許しが出たから早速、二度寝をしようっと。

 

「あんたね。なにを甘やかしているのよ」

「あ、蘭さん。周囲の様子はどうでしたか?」

 

 タイミングの悪い時に現れるね。起きたことに気づかれた……かな。

 

「問題なさそうね。纏の姿も確認したし、もうそろそろ帰って来るわ」

 

 会話の流れ的に魔眼を使って、駅周辺を見張ってくれていたみたい。朝から大変だなぁ。

 

「それよりも、あんたはとっとと起きなさい」

「――痛い……っ!」

 

 例の如く、蘭による目覚ましの一撃を頭に入れられる。そこそこの痛みを感じつつ、目を開けると蘭の怖い顔。寝起きに見るような表情じゃない。

 

「起きているのは分かってるのよ」

「じゃあ、何も叩かなくてもいいじゃん」

「そんなことしたところで、あんたのことだからどうせ寝たふりでもしてやり過ごそうとするじゃないのよ」

「……そ、そんなことないし……ちゃんと起きるし」

 

 五割の確率で、だけどね。にしても、蘭も結構私の性格を理解してきているみたいで、嬉しいような嬉しくないような。おかげで誤魔化すことも難しくなりつつある気がする。

 

「子供みたいなことを言ってる暇があるなら、顔でも洗ってきなさい。でないと、殴って目を覚まさせるわよ」

「……鬼。もうちょっとこう、茜ちゃんみたいな優しさがあってもいいと思うのに」

「あたしには無くて悪かったわね。ほら、さっさと準備してきなさいよ」

 

 仕方ない。とりあえず言われた通りに顔でも洗ってこよ。

 駅のトイレで軽く顔を洗い、鏡に映ったもう一人の私と見つめ合う。

 寝不足気味でだらしのない顔。今の私ってこんな顔をしているんだ。

 昨日……というより日付的には今日。

 緋真さんたちがアンチマジックの二十九区支部を襲撃し、戦闘員が一斉に集結してきた事件から夜が明けた現在。私たちは戦闘員が乗ってきたスポーツカーを強奪し、逃走。無事に逃げ切ることが出来た私たちは、途中で立ち寄った駅で仮眠を取ることにしたのだった。

 けれども、仮眠程度ではあまり疲れも取れていなかった。鏡に映っている私の眠たそうな顔がその証拠。だけど弱気はいってられないよね。あと、もう少しで本来の目的地に着けるんだから、ここらで気合を入れないと。

 トイレから蘭たちが待っている場所へと移動がてら、構内やホームに目を通してみる。

 始発電車はもうそろそろ出発しようかという時間だけど、人は誰一人として見当たらない。それもこの惨劇を見れば、納得がいくものだと感じた。

 私たちと同じように、戦闘員と争った形跡があちらこちらに生々しく残っていたから。あの事件が起きて、どの魔法使いも考えることは同じだったみたいで、公共交通機関を使って逃亡しようとした。でも、結局争うことになってしまった。

 唯一の救いは、ここに死体が一つもないこと。無事に逃げ切れたことを祈っておこう。

 寂れた哀愁漂う駅は、廃線も同然と思わせてくれた。捨てられた駅。

 再建はすると思うけど、この分だと相当な時間がかかりそうだった。

 ゆっくりと歩きながら、茜ちゃんたちの元に戻ってくると、そこには纏の姿もあった。

 

「おはよう。目は覚めたか」

「うん、バッチリ」

「そうか。それは良かった。それと、彩葉どっちがいい?」

 

 そう言って差し出してきたのは、缶に入ったコーンポタージュとお汁粉。たぶん、その辺にある自動販売機で買ってきたやつ。

 

「なにこれ?」

「見ての通り朝ごはんだ」

「あ……あさ、ごはん?」

 

 コーンポタージュはいいとしても、なぜにお汁粉? 寝起きから食すものでもないような。何というか、斬新な朝ごはんだね。

 

「近くのお店は深夜の争いで潰れてしまったみたいです」

 

 ああ、それでこのラインナップね。納得。

 

「食料がないだけマシだと思うことね。あんたも何か食べておきなさいよ」

 

 確かにそうだよね。この環境下だと、緋真さんとサバイバル生活をしていた日々のことを思い出す。何か食べれる物があるだけでも十分と言える状況だ。

 

「どっちもホットで買ってきているんだ。早く受け取ってくれないと冷めてしまうぞ」

「えっと、じゃあ。コーンポタージュで」

 

 受け取った缶はまだ仄かに温かくて、その温もりが冷めないうちに蓋を開けて口を付ける。流れ込んできた少量のコーンを食べていると、なんだか朝ごはんを食べているような気がしてきた。

 丁度そんな頃、まだ暗さが残っていた遠くの空には陽が昇り始めようとしていた。私はコーンポタージュを片手にして、無心になって見入っていた。

 夜が明ける。

 思えば、陽が昇る瞬間を見るのは初めてかもしれないなぁ。

 

「そういえば、覇人はどこに行ったの?」

 

 朝からずっと見掛けていなかったけど、やっぱりいつも通りフラフラとどこかに遊びに出かけているのかな。

 

「知らないわよ。大体、勝手にいなくなることなんていつものことじゃない」

「早くから車に乗ってどこかに出かけて行ったところを見かけましたけど、まだ帰ってきていませんね」

「ふーん。ドライブかな」

「アンチマジックの私物でドライブなんて、アイツ頭おかしいじゃないの?」

 

 うーん、否定してあげられないのが残念。半ば強引に奪い取ってきた車だし、それでドライブなんてかなりの極悪人だ。

 

「覇人はついさっき俺と戻ってきたところだ」

「あんたたち一緒に買い物に行っていたの?」

「たまたま同時に戻ってきただけだ。それよりも、全員が揃ったのならそろそろ出発しておきたいのだが」

「え~もう行くの?」

「午前中には到着しておきたいからな」

 

 私まだ寝起きでそういう活発的な動きには身体が付いていきそうにないんだけどなぁ。

 

「そういうことでしたら、早速行きましょうか。さ、彩葉ちゃん。行きますよ」

「うん……そうだね。あともう少しだし、頑張ろっか」

 

 気持ちも入れ替えて、ホームを後にする。

 駅前の広場に出ると、覇人は退屈そうにタバコを吸いながら車にもたれ掛かって待っていた。

 

「お! やっと来たか」

「待った?」

 

 デートの待ち合わせでありそうな挨拶を交わす。雰囲気は全然似ても似つかないけど。

 

「待ちくたびれたぜ。つーか、彩葉はよくあんな場所で爆睡なんて出来るよな。お前のそういうところって、すげえなぁって思うぜ」

「ええ、それに関しては同感よ。あんたぐらいじゃないかしら、ゆっくり寝られたのは」

「寝る子は育つって言うし、いいじゃん別に」

 

 悪い事ではない……よね。

 

「どこでも寝れるのはある意味羨ましいですよね」

「こんな状況でもしっかりと睡眠を取れることは、確かに羨ましいな。俺なんて中々寝付けなかったからな」

 

 ああ、そんな話を聞かせないで。呑気に眠りこけていたことに対しての罪悪感を持ってしまうよ。

 

「だったら車の中で寝ておけよ」

「いや、遠慮するよ。あと一息だとはいえ、何が起きるかは分からないしな」

「……そうかい。じゃあ、そろそろ行くとするか。まだ結構距離はあるから、疲れたら休んでおけよ」

 

 奪った車の後部座席に乗り込む。女子三人と前に男子二人。四人乗りの車だけど、詰めて座ればそれほど苦にもならない。

 緩やかに発車し、段々と速度が上がっていく。私はぼんやりと車窓から流れる景色を眺めておく。

 線路沿いを進んでいき、次の駅が見え始めた頃に速度も緩まっていく。そこでは、すでに警察がバリケードを張って通行止めをしていたからだ。

 遠目から見ても分かる様にここでも同じように駅前に戦場の跡が残っている。更には線路上に電車が脱線しており、先頭車両の一部が道路に飛び出し、行く手を阻んでもいた。

 相当苛烈な戦いを繰り広げられたらしいことは明らかだった。

 

「どこも酷い有様ね」

「考えることはみんな同じらしいな」

 

 公共交通を使っての移動。だけど、それはアンチマジックも同じ。

 結果的にここで鉢合わせてしまい、裏社会の逃れられない運命を辿った。

 魔法使いが死に、人が死ぬ。裏社会ではよくあることで済まされても、表社会には露見させてはいけないこと。

 何も知らない一般人が途方に暮れた様子で壊れた駅を眺めている姿もある。

 今頃になって気づいた。そんな様子で眺めている。

 関わりにならないよう、迂回してまた緩やかに進んでいき、駅から少し離れたところにある住宅街の方へと入っていく。そこはまるで、駅前とは別の世界のようにも思えるほどに綺麗な世界が広がっていた。

 町中が壊れた様子もない。誰かが亡くなった様子もない。騒ぎが起きた様子もない。

 いたって平凡で、当たり前の姿。ここ人たちはきっと、昨日までとあまり変わらない朝を迎えることが出来るだろう。

 

「この辺りには被害がなさそうですね」

「アンチマジック支部から離れているおかげで、警察も町の治安維持に集中できたのでしょうね」

「騒動の中心から随分と離れてきているからな。ここから先は平和そのものな日常が見られそうだ」

 

 まだ寝静まっている町並みを見ていると、あぁ平和だな。て思えてくる。こんなありふれた日々の中に私も組み込まれたい。

 

「平和……か。そう長くは続かねえだろうけどな」

「どうしてそう思うのですか?」

 

 いきなり物騒なことを言い出した覇人に疑問を持ちかける茜ちゃん。せっかく普通の日常に見惚れていたのに水を差された気分。

 

「この数日で裏社会の内情は結構変わっちまったからな。裏が変われば、表にも多少の変化が起きるもんなんだよ」

「裏の戦闘の激化。それに伴って警察機構が多忙な毎日を送り、疲弊していく。この世は表裏一体なんだな」

 

 アンチマジックのリーダーが変更されたせいで、魔法使いと人の争いは増え、警察も連日深夜に発生した被害の情報隠蔽と混乱の沈静に振り回されてしまっていた。

 

「そういう意味でしたら、今回の騒動で一旦争いは止まりそうですね」

「そうね。支部がなければ、アンチマジックもしばらくは動かけないわ。態勢が整ってくるまでは、裏も表も静かなものでしょうね。しばらくは表の治安維持と復興作業。あとは警察機構の休息。しばらくはこれに集中してくるでしょうね」

 

 仮初の平和。これが恒久的に続けばいいのにね。

 

「緋真さんって、そこまで考えて行動していたのかな」

「いや、それはないと思うぜ」

「確かに研究所での事を考えると、そこまで頭が回るような人物ではなさそうだ」

「あんたたちは、お姉ちゃんを何だと思っているのよ。命救ってもらったのだから、感謝ぐらいしなさいよ」

 

 あー、蘭の機嫌が悪くなってしまった。昔から姉妹のように育ったって聞いたことがあるし、蘭ってかなりのお姉ちゃんっ子なのかもしれない。

 

「緋真さんに助けてもらったのってもう何回目だろうね。なんかいっつも迷惑ばかり掛けてるような気がするし、次にあった時に何かしてあげたいね」

「そうですね……でしたら、プレゼントを贈ってみるのもいいかもしれませんね」

「あ、いいんじゃない。それ。今度探しに行ってみようよ」

「もちろん、あたしも付き合うわよ」

 

 何がいいんだろうね。緋真さんのことだから、何を贈っても喜びそうな気がするけど。こう、気の利いたやつをあげられたらいいな。

 

「この手の話しになると、女ってすっげぇ盛り上がるよな」

「確かにな。俺なら自分で色々考えて内密に進めていくが」

「なんだ? お前も贈るつもりなのかよ」

「いや、その予定はないが、礼ぐらいは言っておくべきだろう」

「律儀だねぇ。あいつには必要ねえと思うけどな」

「相手の人格は関係ない。人としての常識だ」

 

 纏は車内に取り付けられているラジオをいじりながら話した。

 

「――――――」

 

 耳障りなノイズが走りだす。纏はなおもラジオをいじりつづけ、しばらくノイズを聴いていると、不意に電波を受信する。

 

『アンチマジック二十九区支部周辺で起こった、テロリストによる襲撃事件についてお伝えします』

 

 その一文で車内が静まり返る。まるで凍り付いたように。

 私たちは一言も発することなく流れてくる言葉に耳を預けることだけに集中することにした。

 

『複数名から構成されたテロリスト集団は突如として数件の放火を行い、その後アンチマジック支部を襲撃。各地から迅速に集った戦闘員はこれを食い止めるべく応戦しましたが、間もなく支部は陥落しました。瞬く間に戦火に包まれた町でしたが、幸いにも最高ランクの戦闘員が介入し、テロリスト集団は一掃され、現在は収束へと事態は進んでいる模様です。

 今回の被害による町の住民にけが人は奇跡的に出ておりません。しかし、アンチマジックの被害は甚大なものであり、ほぼ壊滅的な状態となっております。

 被害内容は以下の通りとなっており、五名のB級戦闘員が戦死。他、多数の戦闘員が戦死しました。これによって、アンチマジックは今後、町の復興作業を行いながら、態勢を立て直していくようです。

 アンチマジック二十九区支部周辺で起こった、テロリストによる襲撃事件ですが、事態は沈静化され、現在は収束へと向かっている模様です』

 

 そこでラジオは途切れた。纏がラジオの電源を切ったからだ。それからはというと、張り詰めたような緊張感が車内を支配していた。

 

「まさか、本当にあの人数で陥落させたと言うのか……」

「俺らの副リーダーさまも出向いているしな、連中では荷が重すぎたんだろうぜ」

「それとお姉ちゃんの活躍があったおかげよ」

「簡単に言っているが、とんでもないことをしたぞ」

 

 実際、考えてみると本当に凄い偉業だと思う。

 私たちなんて、駅前に現れた百人規模ぐらいの戦闘員を相手にするので手一杯だったのだから。そう考えると私たちとの格の差を感じてしまう。

 

「確かに凄いですけど。ですが、もう一つ気になることが……最高ランクの戦闘員も介入したそうですけど、それってもしかしてあの二人なんですよね」

 

 いまの二十九区に居る最高ランク。間違いなくあの二人のはず。その答えを蘭は告げてくれた。

 

「ええ。月と殊羅のことね。あの二人が向かったというのなら、少し現状が気になるわね」

「緋真さんたちは無事なのでしょうか。おそらく、かなりの過激な争いを繰り広げることになったと思うのですけど」

 

 月ちゃんと殊羅の強さは私もよく知っているし、緋真さんたちの実力も知っている。ほぼ同じぐらいの戦闘能力を持った者同士がぶつかり合えば、怪我どころでは済まなさそう。

 

「厄介な連中だが、あいつらなら問題ねえだろうぜ。何といったっても、キャパシティの幹部が三人も集まってんだ。そう簡単に遅れは取らねえよ」

 

 研究所内で月ちゃんたちと対峙した時でも、私たち側が圧倒的に不利と思えるような状況じゃなかった。特にあの緋真さんたちのリーダーと言われていた人に限っては、味方になれば頼もしさすら感じるぐらいだった。

 

「そうだな。あの人たちのことなら、いくら気にかけたって仕方がないだろう。俺たちとは最早次元が違うようだし、無事な確率は遥かに高いだろう」

 

 なんの保証もない希望的観測。だけど、緋真さんたちならば不思議と期待出来てしまう。

 そう思わせれるほど、十分な力を私たちは目の当たりにしてきたのだから。

 いまは、無事を信じる。それだけのことを考えておこう。



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94話

 すっかり話し込んでいる最中にも、車は閑散とした道路を駆け抜けていく。建物もほとんどなくなっていき、山道を上っていく。そろそろ朝の通勤や通学で忙しくなりだそうとする時間帯ではあるけれど、ここではそんな人たちを見かけるようなことはない。騒がしくなりだそうとする町並みも視界に納める間もなく、人里離れた道路を突き進むばかり。

 山道を通り抜けていると、トンネルが見えてくる。人気の少ない寂れた道路に薄暗さが立ち込めているトンネル。

 何か変な物が出て来そうな気配を漂わせて出迎えてくる。いや、むしろそういった手合いにとっては好条件とすら思える絶好の場所じゃないかと。いまが深夜でなくて良かったと心から思えてくる。

 

「そういえば、聞きそびれていたことがあったんだが」

 

 トンネルに入った瞬間、一瞬の暗さが覆ったあと、急に思い出した風に纏が切り出した。

 

「覇人。お前、この車を盗んだ時に説明をしてくれる手筈になっていなかったか。特に俺には話しておかなければならないこともあったようだし」

「あ、そんなことも言ってたね」

 

 一息つけたときには、あまりの疲れでそのまま休んでしまったせいでそのまま忘れてしまっていた。

 

「キャパシティに着くまでの間に話したらどうなのよ」

「あぁ……それか……まあそろそろいいか」

 

 あれだけ強気に出ていたくせに、やっぱり言いにくいことみたいで躊躇いが伺える。勢いで言っただけ。という感じなのかもしれない。

 

「色々言っておくことはあるが、とりあえずはそうだな。まず、俺の実年齢だけどな、お前らと同じ年じゃねえんだ」

 

 いきなり疑問が湧いて出てくるけど、口を挟まずにまずは最後まで話を聞いておこっと。

 

「俺の年齢は丁度二十歳。実はお前らより年上なんだよ」

 

 言い切った覇人に対して、私たちが返すのはちょっとした短い沈黙。

 

「……何の冗談?」

 

 かろうじて言えたのはそれだけ。私が代表して、多分みんなが一斉に思ったことを聞いてみた。

 

「冗談なんかじゃねえよ。その証拠に車の運転も出来るし、酒やたばこも吸ってんのはお前らも知っていることだろ」

「いや、それは、そうだが――」

 

 そういう一面があることは知っている。ただそれって、悪ガキぶっているだけなんじゃなかったっけ。

 

「免許証。もう一度みせなさいよ。それで嘘か本当かはっきり分かるでしょ」

 

 覇人は片手でポケットから一枚のカードを取り出し、蘭に手渡してくる。それを後部座席に座っている私と茜ちゃんが覗きこんで確認してみた。

 そこには確かに私よりも二つ上の生年月日と年齢が記入されていて、間違えようもなく、覇人は現在二十歳を証明していた。

 

「な? それで信じてくれたか」

「本当に年上……なんですね。そういえば、覇人くんの飲酒や喫煙を見かけるようになったのも、ここ最近のことだったような……気がします」

「あまりにも自然すぎたから気にしてなかったけど、そうだったかも」

 

 深夜徘徊は出会った当初からだとは思うけど。

 

「覇人が俺たちよりも年上だとしても、なぜ年齢を誤魔化して学生の振りをしていたんだ? ――ああ、そうか。キャパシティの魔法使いとして関わりがあったのか」

「勘がいいな。ま、そういうこった」

 

 構成員や目的が不明の秘密犯罪結社――キャパシティ。覇人は魔法使いの死体を集め回る回収屋という役目があった。

 

「知っての通り、俺は回収屋として三年前にあの町に向かったんだよ。初めは正体を隠すために、彩葉の家に身を寄せるつもりだったんだけどな」

「え? 私の家!?」

「お前の親父はキャパシティの幹部だからな。身を隠すには丁度いい場所だろ」

「あ、そっか。そうだよね。でもじゃあなんで来なかったの?」

 

 覇人とは一度も自宅で顔を合わせたことがなかった。初対面のときは、たしか高校に入ったときだったはず。

 

「彩葉の側にキャパシティ関係者を置いて、危険にさらしたくなかったって両親に断られちまったんだよ」

「へ、へぇそうなんだ」

 

 父さんと母さん。そんなにも私のことを気にかけてくれていたなんて、全然知らなかった。私って本当に大事にされていたんだと再度認識させてくれるいい話だ。

 

「ま、そのあとに本音も聞かされたけどな。娘の側に年頃の男なんて置けるかってな。おかげでしばらく野宿させられたぜ」

「へ、へぇ……」

 

 その話しはいらなかったね。でも、その当時と言えば私はまだ中学二年生。覇人が二つ上だから、高校一年の十六歳ぐらいかな。

 あー、だとしたら一つ屋根の下で突然現れた男と暮らすのは私も生理的になんか嫌かも。

 父さん、母さん。断ってくれてありがとう。

 

「ま、そのあと高校でお前と出会ったのは偶然だけどな」

「あー! 分かった。それでなんだね」

「な、何がですか?」

 

 奇声にも近い大きな声を出した私に茜ちゃんは驚きつつも訪ねてくる。そう、あれは私が進学先の高校を選ぶときのことだった。

 

「私が高校を選んだときの話しなんだけどさ。母さんは特に気にすることもなく、茜ちゃんがいるから安心できるって言われたんだけど、父さんには何故か猛反対されたことがあったんだよ」

「そう……なんですか。そんなこと初めて聞きましたけど」

「それでさ、あまりにも父さんがしつこすぎたから、ムキになって意地でも今の学校に行ってやったの」

「なんでそんなにこだわったのよ」

 

 高校選びのこだわり。それは制服とか距離が近いとかやりたいことがあるとか。人それぞれあるのだろうけど、私のこだわりは二つあった。

 

「学校が近いと通学が楽だし、なにより茜ちゃんがいるから」

「――……彩葉ちゃん」

 

 照れたような、感極まっているように茜ちゃんは反応示す。そういえば言ったことなかったね。今さらながらにもちょっと恥ずかしいこと言ったかも。

 

「しょうもない理由ね」

「高校選びなんてそんなもんだと思うよ」

「へぇ、そうなの? まともに学生生活なんて送っていないから、あたしにはよく分からないわ」

 

 興味なさげに答える蘭。そっか、蘭は私とは天と地ほどの違いがある人生を歩んできたんだった。戦闘員としてずっと裏社会に属し、壮絶な過去を持っている。当然のように歩むべきだった人生を蘭は送れていないんだ。

 この話しはもうやめた方がよさそう。蘭の過去を抉っているようで、これ以上この話題を続けるのはあまりにも酷い。

 

「……話を戻しましょうか。彩葉ちゃんの家に住まわせてもらえなくなった覇人くんは、そのあとどうしたのですか?」

 

 場の雰囲気が悪くなりそうだったのを察した茜ちゃんは、元の話題に切り替えてくれる。それに覇人もすぐに乗っかってきてくれた。

 

「ああ、そうだな。あれから俺は正体を偽装して、本来の目的を達成させるために一番都合の良い場所。――纏。お前の学校の同じクラスの転校生として潜入することにしたんだ」

「俺の……クラス?」

 

 突然、関わることになった纏は驚きを隠せない様子だった。

 

「当時から天童守人はそこそこ有名な戦闘員だったからな。その息子であるお前の側にいれば、連中の情報や行動も把握できるだろうと考えたわけだ。纏、お前との出会いは偶然なんかじゃなく、意図的に俺から近づいただけのことだったんだよ」

「……俺を利用しようとした。ということか」

 

 身もふたもない纏の言葉に対して、胸を痛めた覇人は沈黙を続けた後、重い口を開く。

 

「……ああ。悪いことをしたと思ってるよ」

 

 今度は纏が口を閉ざしてしまう。こうもあっさりと認めて、謝られてしまっては返す言葉もすぐには見つからないのだろう。

 

「あんたの後ろめたい気持ちは理解してやれるわ。あたしだって、ろくな人生送ってきていないのだし、同情もする」

 

 この場で唯一肩を持てるのは蘭ぐらいのものだった。

 だって、何も知らずに真っ当に生きてきた私や茜ちゃんでは、到底分かり得ないような深い闇だろうから。

 

「許してくれって言うつもりはねえ。さすがに都合が良すぎるってなもんだろうしな」

 

 覇人の言葉には感情が乗っていない。ただ淡々として口調だった。

 

「別に騙していたことに対して、責める気なんてないさ」

「……へぇ。そりゃまたなんで?」

「友達……だからじゃダメなのか?」

 

 至極それが当然である風に纏は返した。予想にもしていなかった返答なのか、覇人は面食らったような表情をしていた。

 

「お前が俺のことをどう思っていようが勝手だけどな。ただ一個言わせてもらうと、俺はお前のことを初めから利用するつもりで近づいただけだ。目的を遂行するための手段として、お前を使ったんだぜ」

「じゃあ、なんだ。友達と思っていたのは俺だけだった。とでも言うつもりかよ? 悪友を演じていたのも俺を騙し抜くためだとでも言うつもりか」

「……いや、それは」

 

 覇人が何か言おうとして、結局何も言えずに押し黙る。

 

「俺はお前のことを詳しくは知らない。けど、お前がそんなに器用なことが出来る奴ではないことぐらいは分かっている。俺と……俺たちと過ごした時間をお前は心底楽しんでいた。そんな部分もあったはずだ」

 

 魔法使いであり、キャパシィ関係者でもある覇人。そんな事情を抱えながらも覇人は、普通の学生らしく生きていた。年齢のことだってそう。だって、教えてくれるまで本当にちょっと悪ぶった同級生だとしか思っていなかったんだし。

 纏の指摘通り、覇人は役者には向かないような人間なのだから。

 

「まぁ……確かに。お前らと青春していたような気もしなくもねえな」

「遊び半分、仕事半分。それがお前の素だろう。そういう染み込んだ自然さは簡単に覇誤魔化されるものじゃないぞ」

「……かもな」

 

 利用するつもりが、いつの間にか友達関係に発展してしまっていた。相手に情を持ってしまっていたのだから、そもそも覇人は任務に徹しきれてはいないんだ。

 

「やれやれ。お前らを騙してきたってのに責めることもしねえなんてな」

「うーん、別に責める必要ないんじゃない? 覇人の秘密がちょっとでも知れたから、それでいいや。て思うし」

「あんたって自分のことはあまり話さないから、謎が多いのよね」

「そうですよ。あまり不安や悩みを抱えるのは良くないのですから、私で良ければいくらでも話してくれていいのですよ」

 

 裏社会に関われば、大体が闇を抱えている。そんな風なことを殊羅がいつか言っていた。

 その言葉通り、この場にいる全員が何かを持っている。

 暗い過去や第三者には明かしづらいこと。色々な物を持っている。

 だけど、私たちはそれらを話して受け止められる関係性がある。裏社会に咲いた友情だって、美しいものだよね。

 

「この際だ。他に話しておきたいことがあるのなら、全部話してくれて構わないぞ」

「ありがたいことだけど、これ以上は遠慮させてもらうわ。気持ちの整理がついたらまた話させてくれねえか」

 

 せっかくいい雰囲気になってきているというのに、まさかのここで幕を下ろすと!

 

「なんで? なんかこう、色々とぶっちゃけ合おう! 的なノリだったじゃん」

「それはあんただけでしょう……」

「い、彩葉ちゃん。あまり無理強いさせてはダメですよ」

 

 あり? なんか私空回りしてる? 空気読めてなかった? 辛気臭くなった雰囲気を飛ばしてしまおうと思ったんだけど、余計なことしたのかな。

 

「なんつーか。あれを言ったら、ボロカスに責められると思ってたんだよ。なのに、お前らと来たら何も言わねえから、話す気が失せちまったんだよ」

 

 私たちのせい? 責められた方が良かったというのも変な気がするけど。ま、いっか。気持ちの整理とか言ってたし、気にしてもしょうがないよね。

 

「そうか。じゃあ、その時が来るまで待つよ」

「そう……だな。たぶん、その時を迎えたときには、全部終わっちまった後になるだろうしな。いい頃合いになりそうだ」

「それは――どういう……?」

「……いずれ、嫌でも分かることだ」

 

 思わせぶりな発言をして、表情に陰りを現した覇人。そんな影を照らすのは、不意に差し込んだ外の陽光だった。

 トンネルを抜けたのだ。

 すっかり朝日が昇った外の光は、陰鬱としたトンネルの暗さに目が慣れていたせいもあって、眼を突くような刺激的な攻撃を浴びせてくる。

 眩しさに顔をしかめながら、徐々に視界が慣れてくるのを待ち続けること数秒。ようやく朝の陽ざしを我が物とした瞳が捉えたのは、それはもうとても美しい風景だった。

 雲の少ない晴れ渡る青空が、鏡面のように張った水面に映り込んでいる。

 まるで空を切り取って水面に浮かべているみたい。心が洗われる風景とはこういうのを言うのかもしれない。

 流れていく車窓から覗いても景色が変わることはなく、どこまでも遠く向こう側まで青空は上下に広がっている。こんなにも空が青いことが贅沢だと感じたのは初めてだ。

 橋のすぐ下付近の海岸には、朝の賑わいに包まれた町も覗けた。区画の中心地のような忙しなく行き交う人々や車の渋滞が起こっているわけでもない。騒々しさからかけ離れた穏やかな町。

 山一つ隔てたトンネルを介して、知らない世界に飛ばされてしまったような。あのトンネルはさながら異次元に繋がる装置のようだ。

 

「……綺麗ですね」

「うん……綺麗」

 

 本当に凄い物を見たからこそ、出てくる感想はただ一言だけになる。それ以外に余計な装飾なんて必要ない。むしろ、せっかくの価値ある物を台無しにしてしまいそうだから、一言に感情を込めるのだ。

 気が付けば、私はこの景色に虜になってしまっていた。

 

「これが、二十九区の誇る絶景の観光名所。世界で唯一、壁の内側に広がる海か」

「――う、海……!? これが……全部?」

 

 驚いた。まさか、これが海だなんて。湖かと思っていたよ。

 一般的に海は魔障壁の外側に満ちた広大な塩水のこと。普通、見ようと思えば両端《ターミナル》から繋がる接続の橋じゃないと見れない。一応、壁面に流れている水は海水ということになっているけど、どちらかというと川としか思えない規模だ。

 だから、これが海だなんて言われてもいまいち実感が湧いてこない。

 

「遠くの景色を見てみなさい。うっすらとした影が見えるでしょう」

「あ、本当ですね。あれは、一体……?」

「山……? なわけないよね」

 

 海の背景になっている影は高くそびえ立ち、まるで壁のようにそびえ立っている印象がある。……あれ? いま何となくそう思っただけなんだけど、あれって本当に壁だったりして。 

 

「あれだけ大きければ薄々気づくかもしれないけど、あれは魔障壁よ」

「ということは、ここは区画の端っこの方まで来ているんですね」

 

 区画を取り囲む魔障壁。それが見えることが端っこだという何よりの証拠。

 

「海が広がっているおかげで壁の全容が把握できるな」

「こうして眺めてみると、とてつもなく巨大なのが分かりますね」

「静かで綺麗な海が拝めて魔障壁の全体も分かる。結構変わった景色だよね」

 

 両端《ターミナル》や接続の橋からでも海と反対側の魔障壁を見ることは出来る。けど、こことは距離感が違いすぎるし感覚も違う。壁越しから眺めていた分では、魔障壁が近かったこともあって、圧迫感があった。

 

「そうだな。上から下まで一望できるおかげで解放感のようなものがあるな」

 

 視界一杯に広がる海と魔障壁はこの二十九区でしか味わえない絶景と言えるね。

 私たちが逃げられないように閉じ込めている檻なのに、皮肉なことに絶景と思わしてくれる演出をしていた。

 

「見惚れんのもいいけどよ、そろそろ目的地だぜ」

 

 半分ぐらい何しにここに来たのか忘れそうになっていた。魔性だ。魔性だよ、この眺めは。魔障壁もあるしね。それは関係ないか。

 橋を渡りきった先には断崖絶壁になっている丘がある。そこにはいくつかの建物があるだけで、あとはほとんど山だ。

 もう少し、海から離れた内陸の方に視線をずらせば、家々が連なっているのが分かるのだけど、それも小規模に過ぎない。はてさて、目的地はどちらなのか。言われるまでもなく、なんとなく分かっているつもり。

 

「崖の側に立っている白い建物。あれが、キャパシティなんですね」

 

 何度かネットや雑誌、テレビなどで見かけた病棟。うっすらと覚えている記憶も確か、あんな感じだった。

 

「ああ、そうだ。裏社会で暗躍する秘密犯罪結社“キャパシティ”……いや、“白聖教団”の拠点だ」

 

 いままでにも沢山の人の目に触れ、利用してきたであろう病院。その実態は、魔法使いが運営する秘密犯罪結社。

 きっかけは、母さんの残した手紙まで遡る。

 父さんと母さんが私の元から去っていき、追いついた時には無惨な姿になっていた。そうして、魔法使いへと堕ちてしまった私の運命は大きく変わっていった。

 新しい出会いもあった。

 二度と会えないと思った仲間たちともまた繋がれた。

 何度も殺されかけた。

 裏社会の過酷さに挫けそうになった。

 もう駄目だと思ったこともあった。だけどその度に心強い仲間が寄り添ってくれた。

 悲しいときには励まし合った。

 苦しいときには助け合った。

 振り返れば、生きていくことに精一杯になっていた。

 思えば、遠く長い道のりだった。その苦難を乗り越え、ようやくたどり着くことが出来たんだ。

 

「やっと、着いたんだね」

 

 いままでの軌跡の感傷に耽りながら、私たちはこの瞬間をついに迎えた。



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95話

 一応、医療関係の施設と名乗るだけあって、外装はどこにでもあるような病院だった。違うといえば、ちょっと真新しさがあるような印象。清潔感溢れる白い外壁に整備された歩道。病院の前には草木が彩り、まるでそれに生命力を与えるかのように噴水が設置されている。

 なんというか、新築の豪邸のような感じにも思えなくない建物だった。これが裏社会で恐れられている秘密犯罪結社の表の顔らしいので、驚きが隠せない。

 そんなことも知らずに患者はここへ足を運んでくる。事実が漏れていれば、こんなところを好きに利用するような患者はいないはず。でも、これだけ大きな施設を建てられて、人の出入りもあるのだから、偽装は完璧だという証拠だ。

 

「ここが、キャパシティ……」

 

 いくつもの苦難を乗り越えてようやくたどり着いた目的地。苦労が多かったからこその満ち足りた達成感が私の内に渦巻いている。

 

「綺麗なところですね」

「ああ、近くに絶景の景色も広がっているし、中々いい立地じゃないか」

 

 海から少し内陸のほうに入り込んでいるけど、高い位置からだとあの景色の全体図がはっきりと見えることだろう。屋上からとかだと、道路を走っていた時よりもよりはっきりと見えそう。

 

「意外といいところに隠したものね。飽きれるわ」

「だからこそ、誰も疑わねえんだろ。これも戦略の一つなんだろうぜ」

 

 嫌味っぽく言ったものの、蘭は感心した様子も見せていた。外面だけはそれっぽいのに、中身は真っ黒。まったく、世の中何がどうなっているのか分かったもんじゃないよね。

 

「その本体はどこに潜んでいるのかしらね」

 

 領地内にはいくつもの建物が並んでいる。正面から向かって左手には患者や看護師が出歩いている様子からして、病棟が建ち並んでいるんだと思う。となると、右手に見えるのは研究所なのかな。

 

「案内頼むぞ。覇人」

「おう、こっちだ」

 

 覇人の案内についていくと、研究棟の方へと辿り着いた。

 正面玄関から堂々と中へと入り、全力で百メートル走を駆け抜けれそうな長い廊下を歩いていく。

 ぞろぞろと連れ立ってやってきた一向に対して、研究員と思われるような人たちは気にした素振りも見せない。傍からみると、かなり怪しい集団じゃないのかなと思うのだけど、そうでもないのかな。

 

「ここにいる連中は全員キャパシティのメンバーだから、そんなに気を張らなくてもいいぜ」

「そうなの……?」

「というより、この研究棟そのものが目的の場所だったりするんだけどな」

「え、ここがですか」

 

 長い廊下の途中にあるエレベーター前で覇人は立ち止まった。下へ降りる方のボタンを押し、ほどなくしてエレベーターがやってくる。

 何かしらの設備や物資なんかを乗せるためなのか、中は意外と大きい。五人だけしか乗っていないと、かなりのスペースを持て余していた。

 

「彩葉。お前、カードは持っているんだったよな」

「……ん? え、カード……?」

「こういうやつだよ」

 

 覇人が掲げてみせたのは一枚の真っ白いカード。あれ、どこかで見たことがあるような気がする。

 一瞬考えたけど、すぐにそれが何なのか分かった。

 

「ああ、これのことね」

 

 大事にしまっていた真っ白いカードを取り出す。

 これは、自宅に母さんが残していった手紙と一緒に同封されていたカードだ。一人取り残された私のことを気遣って母さんが用意してくれた貯金の入ったカード。厳密にいえば父さんの所有物らしいけど。

 そういえば、キャパシティでも利用するカードなんだってことを緋真さんも言っていたような気がする。

 

「そいつをそこの隙間に通してみろ」

 

 階数の表示されたパネルの下に錠のついた扉がついてある。隙間と言われたけれど、もしかしてこの扉の横にちょっと空いている溝のことでいいんだよね。

 どうみてもただの扉の隙間としか思えないんだけど……。普通、錠のところに鍵でも差し込んで開くものなんじゃないの。色々不審な部分はあるけど、とりあえずは騙されたと思って、隙間の部分にカードを滑りこませてみる。

 すると、舌打ちのような電子音がして扉が半開きになる。どうやら、これで本当に鍵が開いたらしい。

 

「カードキーだなんて……最先端技術を取り入れてるのね」

「未来感がありますね」

 

 さすがは秘密犯罪結社といった技術が見られた気がする。

 

「それは白聖教団に入る鍵でもあるし、中で使うための鍵にもなってんだ」

「へぇ……家の鍵みたいなもんだね」

「そんなとこだな」

「いいか、彩葉。失くすんじゃないぞ」

 

 定期入れみたいな物でも買っておいた方がいいかな。纏の注意を聞きながらそんなことを考えてみる。

 半開きになった扉を覇人が全開まで開いてくれると、中からタッチパネルが出てくる。ここでも未来感を味わわせてくれる演出があった。

 

「彩葉。ここにそのカードをかざしてみろ」

「ん? え、ここ?」

 

 覇人が示したのは、例のタッチパネルだった。まるで口座の暗証番号を入力するような画面なのに。

 

「数字が出ていますけど、何も入力しないのですか?」

「そうそう。ここは、お約束的に0000とか1234とかの暗証番号を入力するんじゃないの?」

「いかにも馬鹿が考えそうなパスワードね」

「ここまで大それたセキュリティになっているのに、さすがにそんな雑なことはしないだろう」

 

 こういう画面が出たときの定番じゃん。変に凝った暗号じゃなくて、シンプルに初期設定になっているやつをそのままあえて使ってみたり。馬鹿でも覚えれる番号だと思うけどな。

 

「ま、とりあえずカードをそのままかざしてみろって」

 言われるがままにかざしてみる。すると画面が白く発光する。

 

「この状態で入力するだけだ」

「光っていない状態だとダメなの?」

「反応しねえ仕組みになってる」

 

 へえ、そうなんだ。何も起こらないんだったら、興味本位で一回押してみたかった。

 

「ものすごく凝った仕掛けになっているんですね」

「そうとも言えねえんだけどな」

 

 謙遜してるような感じじゃない。何かもっと別のことを隠した言い方をしている。

 

「見たら分かるとも思うが、0~9の数字があるだろ。一応、ここで行きたい階層を押せばいいだけなんだが、ここは地下一階から三階までしかねえんだよ」

「はぁ? 何よそれ。じゃあ、0と4以上の数字は必要ないじゃないのよ」

「まあな。見栄えを良くするためにわざわざ付けたらしいぜ。ちなみに鍵穴だけどな、あれも見栄えのためにつけただけの飾りだ」

「鍵穴の意味ないじゃん。飾りだったら鍵もないってことなんでしょ」

「あるにはあるが、まったく使わねえな。結局、ここでカードが無ければ画面入力が出来ねえんだし」

「あ、分かりました! このダミーの仕掛けは侵入者対策ですね」

「いや……たぶん、そういう目的じゃねえだろうな」

 

 どうしよう。さっきまで最先端技術とか言って感心していたのに、過大評価しすぎたかも。

 

「なぜ? そんなにも無駄なことをする必要があったんだ?」

「知らねえよ。製作者の趣味なんだよ。ただ技術面に関しては、時代の先を行ってるだろうぜ」

「……才能の無駄遣いね。そいつら、頭おかしいんじゃないの」

 

 蘭も呆れかえっている。確かに色々とおかしそうな人たちだとは思うけど、そこまで呆れるようなことなのかな。

 

「変なところに力が入りすぎているあたり、技術者としてのこだわりを感じない?」

「それがすごいのかすごくないのかよく分からないけどな」

 

 物づくりに熱心な人たちだということは分かった。ただ、常人にはよく分からない方向性に力が入っているだけなんだと思う。技術者ならではのこだわりなんだよね、きっと。

 

「と、ところで何階に行けばいいのですか?」

「一階だ」

 

 茜ちゃんが階層を入力して、エレベーターがて下へと降り始める。

 

「この下がそうなのだな?」

「地下一階――裏社会に潜む秘密犯罪結社“白聖教団”の拠点だ。……歓迎するぜ」

 

 ついに……だね。少し胸が高まってきているのが分かる。エレベーターが静かに駆動するものだから、自分の心音が余計にうるさく感じるようだった。そんな感覚もエレベーターが止まるのと同時に吹き飛んでしまう。

 外に出ると、眼に飛び込んでくるのは真っ白い壁面と床。そして、生活臭溢れる家具の数々。なんというか、見たまんま家という感じだ。

 

「ここが白聖教団なのか?」

「ああ、そうだ」

 

 内装が驚きの物だっただけに、纏も半信半疑で聞いていたけど、どうやらそうらしい。

 

「一応、ここって研究所の地下だよね。なんか、秘密組織の拠点というより、秘密基地って感じがするんだけど」

「上の階とあまりにも違い過ぎて、別世界のようですね」

「……言葉も出ないわ」

 

 しかも内装が結構豪華。大きな屋敷にお邪魔したような感覚にもなってくる。

 

「同じ目的を持った奴同士で生活して、生きていく場所。俺たちにとって、ここは家みてえなもんなんだよ」

 

 家……か。上の階にいた研究員も含めて、この教団に所属している魔法使いたちとすれ違ってきた様子を見ると、みんなが満足した暮らしをしているようにも思えた。

 下は小学生ぐらいらしいに見える女の子や男の子。上は隠居生活でもしていそうな老人までいる。他には学生を卒業してそうな若い魔法使い。いい年したおっさんにおばさん。この組織には年齢とかそういう物がないらしい。

 それにここでは魔法使いしかいないのだから、誰もが自由に魔法を使っている。歪だけども、失くしてしまった表の世界での生き方をしている。

 魔法使いからもアンチマジックからも避けられている白聖教団だけど、案外そう悪い組織でもないのかもしれない。

 

「蘭――! 良かった。無事にたどり着けようですわね」

 

 私たちの歩いていた方向からした呼び声に反応すると、そこには悠木汐音がいた。

 

「汐音ちゃんこそ……平気そうじゃない」

 

 お互いの生存確認をしあって、二人は無事に再会できたことを喜び合った。

 

「意外と早かったね」

 

 汐音の傍らで人形のように立ち尽くし、相変わらずの無表情さを崩さない少女―伊万里紗綾がいた。

 

「紗綾と汐音か。どうやら無事に帰ってこれたみたいだな。安心したぜ」

「あの程度なら私たちの敵じゃない」

 

 感情の乗らない声で紗綾ちゃんは答える。

 それにしても、あの程度……なんだね。

 紗綾ちゃんは緋真さんたちと一緒にアンチマジックの支部を襲撃し、あの数の戦闘員たちを相手にしていたのだ。それに比べたら、私たちの相手はたかが百人ぐらいの人数で追い込まれてしまった。やっぱり、見かけによらず相当な実力を持った魔法使いなんだ。

 

「つーか、出迎えがお前らだけって……他の連中はどうした? 緋真なら飛んで来そうなもんだけどよ」

「緋真はいない。私たちだけ先に帰った」

「は? どういうことだよ」

「わけ合って緋真たちは遅れて来ますわ」

 

 あのとき、緋真さんと父さんは研究所から脱出したばかりで傷も癒えてはいなかった。もしかしたら、何かあったのかもしれないと不安になってくる。だけど、そんな考えを口にする前に紗綾ちゃんが先に言った。

 

「心配しないで。必ず戻って来るから」

 

 静かに淡々と話してくれる紗綾ちゃん。おかげでちっとも安心感を得られないけど、言動には確信に満ちていた。

 

「あのあと、私たちの前に水蓮月と神威殊羅が現れましたのよ」

「やっぱりあの二人も動いたのね」

「まぁ、見逃してもらえるわけねえよな」

 

 道中、ラジオで聞いていたから別に驚きはしない。でも、ラジオでは事態はすでに収束し、アンチマジックは壊滅状態に。そして、テロリスト呼ばわりされていた緋真さんたちは一掃されたとのことだった。

 

「水蓮月と神威殊羅が相手では、私と紗綾には少し荷が重すぎましたの。ですから、三人の幹部が残って引き付けてくれている間に、私たちだけで先に戻るように命じられたのですわ」

「賢明な判断だな。あいつらに数でぶつかっても有利にはならねえだろし、むしろ死体の数が増えるだけになっちまうだろうな」

「悔しいけど、その通りかも。特にS級の方は力量が別次元だった」

 

 殊羅のことになると、みんな口を揃えて同じことを言うね。見た目の印象とは全然違うみたい。

 

「二人だけで逃げたのでしたら、緋真さんたちの安否はまだ分かっていないってことじゃないのですか?」

「各地に散らばっている組織の関係者から聞いたから生存は確認済み」

 

 白聖教団はとにかく所属している人員が多いらしく、その数を活かした独自の情報網があるとかないとか。今まで覇人や緋真さんと一緒にいたときは、それらしい構成員なんて見かけたことがないから何とも言えないけど。

 ともかく、話しをまとめてみると大方はラジオで聞いた通りになってそうだった。

 

「緋真のことは置いておいて、とりあえず蘭たちはあの方に挨拶をしておきましょう」

「あの方って……?」

「白聖教団を束ね、導く方。先導者《マスター》があなたがたの到着を待ちわびていらしてよ」

 

 組織の頂点との対面。確かにここまで来ておいて、リーダーとの顔あわせをしないわけにはいかないよね。でも、そのリーダーが私たちを待ちわびているって、どういうことなんだろう。

 

「この扉の向こうで待ってる」

 

 立ち止まったところには、他とは趣の違った扉があった。

 個室と思われる部屋には片開きの扉が設置されていたけど、ここは金属製の両開きが採用されている。この先に白聖教団のリーダーがいるのかと思うと、扉から威圧感が放たれているように感じてしまう。

 

「まさかこんな形で会うことになるなんてね、夢にも思わなかったわ」

「ああ、そうだな。敵対しているアンチマジックですら、その存在を掴めていないという人物との対面か……」

 

 元アンチマジック所属の蘭と纏も当然ながら、何者なのかは知らない。そもそも、白聖教団……ううん。キャパシティという秘密犯罪結社の名前すら、ほとんどの魔法使いやアンチマジックは聞いたことないのが普通らしい。

 構成員や規模、目的すら判明しない正体不明な組織なのだから、一般的には公表されていないからだ。また、キャパシティ自体がその存在を認知されないように活動しているのもある。

 元アンチマジックの蘭と纏。それに私と茜ちゃんに限っては例外だ。

 

「なにそんなに緊張してんだよ。お前ら四人とも一回顔を合わせたってマスターから聞いているぜ」

「え?!……そうなの?」

「記憶にないのですけど……」

 

 それらしい魔法使いなんていたっけ?

 

「会えば分かりますわよ」

 

 扉に設置されている謎の装置に白聖教団内で使用する例のカードをかざす汐音。まるで、バーコードを読み取るような電子音が鳴る。どうやらあれは解錠装置のようなものらしかった。つくづく、この組織のセキュリティには驚かされる。

 汐音はドアノブに手をかけ、見た目と反して扉が静かに開かれた。

 

「さぁ、入りなさい。あとのことは、直接先導者(マスター)から聞いて頂戴」

 

 汐音に促され、昂ぶる鼓動を抑えつけながら部屋に足を踏み入れた。



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96話

 通された部屋を一言で表すと異質だった。

 明るすぎない、薄暗さを演出している仄かな光が部屋を照らす。そして、四方の壁一面にはスクリーンが張り出されていた。

 例えるとするなら、まるで座席のない映画館みたいな部屋。何かが映し出されるんだろうことだけは、見て取れる。

 

「ここまでの長旅、お疲れさまでした」

 

 静寂に満ちた部屋に、凛と澄んだ声はよく響き、私の耳に流れ込む。

 薄暗い部屋の中央に佇む一人の人物。その魔法使いこそが裏社会で暗躍する秘密犯罪結社“白聖教団”のリーダー――!

 

「度重なる苦難を乗り越え、よくこの白聖教団へ辿り着いてくれました」

「あ……え!? この人……前に一度――」

「はい。たしか、如月久遠……さんでしたよね」

 

 茜ちゃんが熱を出して、しばらく滞在していた咲畑町。そこで私たちを追って来ていた、当時戦闘員だった纏の捜索をしていた時に偶然知り合った魔法使いだ。

 

「お久しぶりです。あのときは都合が悪かったものでして、身分の方はあえて伏せさせていただきました」

 

 覇人が言っていた。私たちが一度会ったことがある魔法使い。それって、如月久遠……さんのことだったんだ。ということは、この澄んだ声で上品そうな立ち振る舞いをしているこの人が、リーダーなの? 

 

「改めまして、自己紹介からさせてもらいましょう。私(わたくし)の名は如月久遠(きさらぎくおん)。この白聖教団を束ねている者です」

 

 外見からでは、とてもそうだとは判断しづらい人物だ。だけど、本人がそう名乗っているのだから間違いないんだろう。

 如月久遠。二十代前半ぐらいで整った顔立ち。透き通った声と合わさって、上品さがにじみ出ている女性。まるで美しい絵画と出会ったかのような、心奪われる佇まい。つまり、一度見れば印象に残るような美人な魔法使い。

 それが、白聖教団リーダーの正体だ。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。あんた、本当にリーダーだって言うの?」

「どうやら信じてもらえていないようですね」

「当たり前よ。じゃあ聞くけど、なんであの町であたしたちに情報提供をしてきたのよ?」

 

 情報提供……? 一体何のことだか。私と茜ちゃんの疑問に答えるかのように、纏が補足してくれる。

 

「咲畑町で彩葉たちの滞在していたホテルを教えてくれた一般人で間違いないよな。まさか、魔法使いだとは思いもしなかったが。それもアンチマジックと敵対している組織のリーダーだとは」

 

 ホテルに滞在していたとき、何の前触れもなく私たちは狙撃された。蘭たちは前もってあそこにいることを知っていたんだ。目の前にいる情報提供者のおかげで。

 

「分かってるの? あんたは、魔法使いである彩葉たちをアンチマジックに売ったということになるのよ」

 

 確かに。あのとき、それが本当だったら私たちは売られたことになる。

 

「……あなた方が、これから迎える波乱の時代を生き抜くためです」

「どういうことだ?」

「そういえば、私たちにも何か意味深なことを言っていましたね」

 

 確かに言われた覚えがあるような。あんまり意味がわからなかったから、聞き流す程度だったけど。記憶の片隅には残っている。

 

「あの町には、揃わなければいけない人たちが丁度集まっていました。そこで、私(わたくし)はあなた方と接触し、再会を果たせるように導びいただけのことです」

「私たちは誘導されていたのですか?」

「気に入らないわね。あたしたちはともかく、お姉ちゃんはあんたの仲間じゃないの? なのに、わざわざ守人とぶつけるなんて、何を考えているのよ。あんたのせいで、お姉ちゃんはあんな目に合ったのよ!」

 

 緋真さんは白聖教団の幹部でもある。おそらく、組織の中でも重要なポジションでもあるはず。

 

「もちろん。すべて承知の上で仕組みました。――蘭さんが魔法使いになるかもしれないという可能性も含めてです」

「……っ。あんた――何を考えているのよ」

 

 何もかも見透かしたように如月久遠は言う。初めて出会った時から得体の知れなさがあったけど、ここにきて更に深まった。

 

「先ほども申した通り、波乱の時代を生き抜くためです。そのために、私(わたくし)の手の者を常に側に付かせました」

「まあ、そういうことだ」

 

 ずっと黙っていた覇人が急に口を開く。

 

「俺と緋真はお前らが途中で倒れねえように、十分に力を付けさせる目的もあってな。その上で白聖教団に連れてくるつもりだったんだよ」

「全部、あんたたちの手のひらの上ってことなのね」

「でもさ、こうしてここまで来れたんだし、結果的には良かったんじゃない? 文句を言うのはちょっと、可哀想かなぁ……なんて」

 

 むしろ、感謝? しておくべきかな。よく分からないけど。どっちにしろ、白聖教団側の都合に巻き込まれた感じがする。

 

「あなた方にとって、さぞや苦労したことでしょう。ですが、分かってほしいのです。これからのこと。そしてそれは、白聖教団に身を置く上では避けられないことです」

「秘密犯罪結社“白聖教団“。確かに俺たちはここへ身を置くために頼らせてもらった。だから、この組織について教えてくれないか。俺たちには、あまりにも理解できていない部分が多すぎるからな」

 

 そこは気になるところだね。聞けば、かなりの大規模な組織らしいし、大掛かりな計画があるのだろうけど。

 

「いいでしょう。ですが、賛同できないというのなら、あなた方を迎え入れることは出来ません」

「組織のために働けってことだよね。いいんじゃない? 働かざる食うべからず。的なやつでしょ」

「彩葉ちゃん、一応話しは最後まで聞いておきましょうね。仮にも裏社会で恐れられている秘密犯罪結社なのですよ。そこへ参加すれば、私たちも悪事に手を染めないといけないのですよ」

「え? あ……そっか。そうなるね」

 

 話しが自然に進み過ぎて、悪とか善とかそういう感覚が追いついてこなくなっているかも。

 

「まず、この組織の立ち位置ですが。正確には、連合結社所属、五番結社”白聖教団”。それが正式名称と立場です」

「連合結社……ですか?」

「それぞれが独立した思想で動き、外部と呼ばれる外の世界で暗躍している、計八つの結社が集った名称です」

「白聖教団と似たような組織が他にも存在しているというのか」

「はい。連合結社全体には、とある計画が提示されています。各組織はこの計画に賛同したうえで集まり、互いに協力関係が結ばれています」

 

 途方もない話で、現実味が中々湧いてこなかった。アンチマジックはそのことを把握しているのだろうか。

 

「そんな話し、聞いたことがないわ」

「おそらく、アンチマジック内でも知っている者は数少ないでしょう。白聖教団内においても、全容を把握している者はいません」

「そうなんだ。じゃあさ、覇人もそんなに知らなかったりするの?」

「まあな。つーか、ぶっちゃけ外部と他の連合結社のメンツなんざ、ほとんど知らねえよ」

 

 組織である以上、禁足事項にあたる部分はやっぱりあるんだね。あまり、踏み込んで聞いたとしても意味はなさそうか。

 

「話せない部分があるのは仕方がないとして、この組織の目的ぐらいは明かしてくれても良さそうだと思うのだが」

「私(わたくし)たちの目的は、魔法使いを恐怖から解放することです」

 

 連合結社としての目的ではなく、白聖教団としての目的。そのまま受け止めれば、良い事をしようとしているのではないかと思える内容じゃないのかな。

 

「恐怖……。もしかして、アンチマジックのことですか?」

「それもあるでしょうが、もっと大きな存在を言いますと、魔障壁のことです」

 

 各区画を要塞のように囲っている壁。魔法そのものを受け付けず、魔法使いたちが区画からの逃走を阻害している障害だ。実際、私たちもこっちの区画に渡る際に、アンチマジックの軍勢に立ちふさがれて、あやうく全滅しかけたぐらいだ。

 

「魔法使いを逃げ場のない壁の内側に閉じ込め、処罰していくシステム。これは、アンチマジックにとって、効率のいい狩り方と言えましょう。そのことは、お二人には身に染みているはずです」

 

 その言葉に反応を示したのは、元アンチマジックの纏と蘭だ。

 

「外側には魔障壁。内側には魔力検知器。魔力の反応さえあれば、あたしたちは迅速な対応ができたものね」

「確かに効率は良かったな」

 

 ふと、気づいたけど、それって魔法を使えばすぐにアンチマジックに知れ渡るってことだよね。魔法使いなのに、魔法がまともに使えないというのもおかしな話に思えてくる。

 

「魔障壁を取り払い、本来在るべき姿を取り戻すこと。それこそが、壊れた世界の復元となるのです」

「理解が追いつかない部分はありますが、魔法使いが自由に区画間を移動できるようになれば、私たちには都合がいいかもしれませんね。でも、それは逆に一般人にとって、更に恐怖が増してしまうのじゃないのですか?」

「う、うーん。そう、かもね。魔法使いって、一般人には印象最悪だし」

 

 壁とアンチマジックがあって、成り立つ表の社会。それはそれで、一応ながらも平和な世の中になっている。

 でも、魔障壁が無くなってしまえば、魔法使いにはある程度の自由が許されそうなものだ。そうなれば、魔法使いを処罰することも難しくなってしまう。

 もちろん、そうなってくれた方が嬉しいんだけど、代わりに表の社会は混乱する。それが良い事なのか、悪い事なのか。私には分かりそうもないけれど。

 

「人々が魔法使いを恐れ、殺める。その判断こそが、すでにおかしいのですよ。真に恐れる対象は、善良と信じて止まない人々の方なのです」

「……どういう意味だ」

 

 善良とみなされている纏が疑問を持つ。

 

「不安定な精神を持ち、一時の感情に流されて破壊衝動に駆られる。そうして、魔力が発現し、魔法使いが誕生するのです。ですが、本来人間というのはそういう生き物だということを理解しなければなりません」

「破壊が許される行為だと言い切るつもりなのか」

「はい」

 

 涼し気に言い返す如月久遠。自分の言葉を信じて疑っていないというように。

 

「感情の揺らぎを抑え込みながら生きている者よりも、自らの本質に従って生きている者の方が、より人間らしいとは思いませんか」

「自制心は大事だろう」

「そうですね。しかし、それでも瓦解はするものです。戒め、律した生活が失敗に終わった時、人間は脆く、壊れやすい。そうして、魔法使いへと身を変じた者もいます」

「確かに……あんたの言う通りなのかもしれないな。けど、自分を見失って、一時の感情に任せた力が善良とは言えないだろう」

「哀しくて、寂しくて、悔しくて流す涙。憎くて、虚しくて、傷ついて振る暴力。それらは全て、空っぽとなった心を満たしたい欲求です。その力こそが魔力と呼ばれる物です。それでもまだ、魔法使いは悪だとでも?」

 

 分かる。すごく分かる。私は、父さんと母さんが目の前で惨い姿にさらされているのを見て、哀しくて涙を流して、仕返しがしたくて暴力に出た。

 それが、私が魔法使いになった理由。

 茜ちゃんや蘭も似たような理由で魔法使いになっている。だから、二人の気持ちもすごく理解できた。

 けど、纏はまだそんな感情を持ったことがない。なぜなら、人だから。

 

「なんなんだ一体……? 俺がおかしいのか?」

「あのね、纏。私たちは神様でも聖人でもないんだし、人間なんて薄皮一枚剥がしたらそんなもんだよ」

 

 人間らしさっていうのは、きっと普段は隠されているんだ。だから、剥がれさた先にさらけ出された本性こそが、人間らしい一面と言えるのかもしれない。

 

「だからと言って、魔法使い全員が善良とは限らないわよ」

「殺人鬼みてえな質の悪い魔法使いもいるしな」

 

 ああいう魔法使いは何というか、別物だよね。考え方や価値観がズレている人間というのはいるもんだよ。

 

「随分と話しが逸れてしまいましたが、私(わたくし)のこと。そして、白聖教団について理解してもらえましたか?」

「概ねは……だな。だが、あんたたちがやろうとしていることは、更なる争いを生み出すぞ」

「それこそが波乱の時代です。何かを変えるためには、犠牲はつきものですよ。多少、やり方が強引な点は否定しませんが。どうでしょうか、以上のことを含めて、私(わたくし)たち、白聖教団に協力するか、否か。あなた方に決めてもらいます」

 

 どうしよう。組織に入れば、より苛烈を極めた争いに巻き込まれてしまう。

 初めはここに助けてもらおうとして、訪ねて来たはずなのに。いつの間にか、大規模なことに首を突っ込んでしまっていた。

 いや、そもそも秘密犯罪結社に助けてもらう。なんて、考えの方がおかしかったよね。よく考えてみれば。

 一通の手紙から始まって、なんとなくここまで来てみたんだということに、今更ながら気づかされた。

 

「道中、あなた方は過去の教団の行いについて、噂を見聞きしてきたかと思いますが、あれらも全て計画遂行に必要な行いだと理解しておいてください。同時に、あなた方がこれから関わる件でもあることを」

 

 言われて、いくつかの大事件が頭に思い浮かんできた。

 

「――屍二の惨劇……」

「蘭、緋真、汐音。この三名に所縁のある災厄ですね」

「白聖教団とアンチマジックが始めた戦闘にあたしたちは、何もかも失ったわ。……ずっと気になっていたのだけど、お姉ちゃんと汐音ちゃんはどういう経緯で参加してるの?」

「あなたと同じですよ」

 

 拾われた。どうせなら、蘭も一緒に白聖教団で拾ってあげたら良かったのに。でも、その頃には蘭もアンチマジックに拾われたあとだったのかもしれないと思うと、何も言えそうにない。

 

「お姉ちゃんたちも、目的を知っているうえで参加しているのよね」

「原則、組織内においての行動と発言に制限はかけておりませんので。本人の意思を尊重したまでです」

 

 その辺りは何となくそんな気がする。覇人や緋真さんなんか結構好き勝手に動いているらしいし。特に緋真さん。

 

「そう……。だったら断る理由がないわね。あんたたちの計画に荷担するわ」

 

 緋真さんや汐音もいるんだし、蘭なら絶対残るって言うと思ったよ。

 

「……」

「あなたはどうします? 人を組織内に所属させるのは、いささか不本意ですが、あなたはすでにアンチマジック側とは縁を切っていますね。ならば、後はあなたの意思に任せましょう」

 

 纏は深く考え込んでいる様子だった。このメンバー内で唯一の人。魔法使いと関わり、共に行動することを選んでくれた纏。でも、これからは正式に魔法使いの味方になって、アンチマジックと本格的に敵対していくことになる。

 もう、二度とアンチマジック側に戻れなくなってしまうだろう。これが、退くか進むかの最後の選択だ。

 私は、纏がどっちを選んでも気にしない。好きにすればいいと思う。私が口出しできるような問題じゃないからね。

 

「あんたの言った通り、俺はアンチマジックを裏切って、魔法使いの味方をしている。人でありながら、魔法使いに関わっていく。そう決めたのだから、今更引き返すわけにはいかないだろう。だが、俺はあくまでも人だ。だから、組織には所属せず、協力者という立場でなら、計画に協力させてもらうよ」

「あなたがそう決めたのなら、好きにするといいでしょう。アンチマジックの戦闘員の力。借りさせてもらいますよ」

「望むところだ」

「いいのですか?」

「ああ。それに、親父に従って行動するよりは、こちら側に付いている方がまだマシさ」

 

 アンチマジックの新リーダー、天童守人。纏のお父さん。

 天童守人のやり方には、確かに纏は似合わなさそうだった。

 

「お二人はどうですか?」

 

 私たちに今度は順番が回って来る。けど、別に迷うことなんて私にはなかった。父さんがここに所属しているのだから、私も当然ここに入る。第一、家に残る気でいるのなら、こんなところまで苦労してくる必要もないんだし。

 

「私は残るよ。というか、そもそもここで厄介になるつもりで来たんだし、帰るわけないじゃん」

 

 ここにいれば、もっといろんなことに巻き込まれるだろう。でもせっかく来ておいて、やっぱり家に帰るなんてみっともない。やるだけのことはやろう。結果的にどんなことが待っていようとも、その時にまた考えればいいや。

 

「彩葉ちゃんが残るのなら、私にも残りますよ」

「い、いいの? 私なんかに合わせて? そりゃ、一緒にいてくれるのなら嬉しいけど――」

「いいのですよ。だって、私には帰る場所も迎えてくれる身内もいませんし……」

「あ、ごめん。そう……だったよね」

 

 茜ちゃんは母子家庭だ。野原町が火の海に沈んだ日、いままで面倒を見てくれていた母親が、崩れた自宅の屋根の下敷きになって、焼け死んだ。

 いまの茜ちゃんは独り身なんだ。

 

「でも、彩葉ちゃんが側にいてくれたから、私は寂しくなんてないんです。何より、私は彩葉ちゃんと一緒にいたいのです」

「……」

 

 なんか、感極まった。私もいま、同じ気持ちだよ。

 

「それに、彩葉ちゃんを一人にさせてしまいますと、どんどんだらしなくなってしまいますから。私がしっかりと面倒を見てあげないと」

「そうね。さすがにあたし一人の手には余るわ」

「何気にひどくない? ま、まあ一緒にいたいって気持ちはすごく嬉しかったけど」

 

 私ってそんなに一人でいるとダメなのかな? 自分ではそんなことはないと思っているのだけど、他人から見たらそうでもないのかな。

 

「纏まったようですね」

 

 それぞれ協力する理由は違うけど、気持ちは全員一緒だ。

 

「お前らならそう言うだろうとは思ってたぜ」

 

 覇人も心なしか嬉しそうにしている。引き続き、私たちは揃っていられる。それが、きっと嬉しいんだ。

 

「雨宮彩葉、楪茜、御影蘭、天童纏。現時刻をもって、以上四名を白聖教団に歓迎します。改めて、ようこそ白聖教団へ。あなた方の今後の活動に期待させてもらいますよ」



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98話

 私たちが正式に白聖教団所属になり、とは言っても纏は協力者という立場なんだけども。一応ながら、専用の部屋を用意してもらえた。

 私たち女の子組と纏の別々に当然用意してくれ、覇人は元からある個室を使う。

 そうして、白聖教団内での新しい生活が始まった。

 

「結構私たちも馴染んできたよね」

「この部屋の有様を見ればね」

 

 最初は物置として使っていた部屋だったらしくて、手始めに掃除をして、適当に女の子っぽくそれぞれの趣味を反映させたような部屋へと作り替えた。

 それらの作業を終えた頃には数日が流れていた。

 

「随分と好き放題に作り替えてしまいましたけど、良かったのでしょうか」

「いいんじゃない? せっかくの個室なんだし。それに、変に気を使いながら生活していくのもしんどいし」

「そうね。気楽でいいわ」

「そ、そういうものなんですか」

 

 どうやら茜ちゃんはまだ、他人の家に住まわせてもらっている。そんな気持ちを抱えているっぽい。

 まあ、確かに生活そのものが変わってしまったんだし、落ち着かない気持ちも分からなくもないけど。

 

「引っ越ししてきたような感覚だよね」

「あ、そう言われるとそんな感覚がしますね」

 

 ほら、気の持ちようなんだよね。こういうのは。

 

「でしたら、ちゃんと部屋の掃除、整理整頓はしっかりしてくださいね。散らかしっぱなしはダメですよ。――あと、彩葉ちゃん」

「な、なにか?」

「朝寝坊もちゃんと治すようにするんですよ。私が同室してますから、ゆっくり寝るなんてことはさせませんよ」

「じゃあ、起こしてもらえるってことだよね」

 

 寝かせない。なんてことを言ってくれるんだから、そういうことだよね。

 

「最初だけ、ですよ。ちゃんと起きれるようになるまで、私がしっかりと面倒みますから」

「えー……そういうのは別にいいんだけどなぁ」

「ダ・メ・で・す。もう、蘭さんからも何か言ってあげてください」

 

 そっちに助け船を出すのは止めて欲しいんだけど。蘭のことだから、絶対に暴力に出てくるはずだから。

 

「起きないのなら、叩き起こせばいいのよ。そうしたら、そのうち嫌でも起きるようになるわ」

 

 ほら、やっぱり。

 

「でもさすがに叩き起こすのはかわいそうですよ」

「彩葉にはそのぐらいが丁度いいのよ」

「ぜんっぜん良くないから。目覚ましは茜ちゃん担当。それでいいよね」

 

 名案。やっぱり三人で過ごすからには役割分担って大事だと思うんだよね。

 

「そっちの方が良くないわよ」

「ですね。彩葉ちゃんの目覚まし担当は私と蘭さんの二人にしましょう」

「いいわ、覚悟してなさい」

「なぜに暴力前提……っ?! やめよ、ね? そういうの」

「問答無用よ。その甘え切った態度を叩き直してやるわ」

「暴力反対」

「うっさいわね」

 

 言ってる側から一撃入れてくる。

 蘭を教育関係に積極的に絡ませるのは危険だ。

 

「ほどほどで大丈夫ですからね」

 

 たぶん、茜ちゃんのフォローは無意味に終わりそうな気がする。

 ああ、新生活が怖い。

 

「そうだ。そろそろ何か食べに行かない? 朝から一気に疲れたから、お腹空いたよ」

「あんたが疲れさせたんでしょうが」

 

 すんごい怒ってる。これからの朝はもう少し穏やかにできるように努力しよう。

 

「まあまあ、取りあえず食べに行きましょうよ」

 

 半ば、茜ちゃんに押されるように形で部屋から出ていく。

 戸締りは例のカードキーで行っている。

 父さんから預かっていたカードキーは返却し、私たちは各自、白色のカードキーを貰っている。それは簡単に言ってしまえば家の鍵であり、それ以外にも教団内の一般的な施設の開け閉めができる代物になっているという説明を受けた。謎は多いけど、技術だけは最先端をいっているのは分かる。

 朝ごはんを食べる話にはなっているけど、教団内には食堂という場所はない。それらしき場所があるにはあるけれど、食事目的以外にも使われている。いわゆるリビング的な場所。教団関係者の共用スペースだ。

 教団員たちがだらけ合ったり、気の合う者同士が集ったり、あるいは任務の進捗状況がどうのこうのと話し合ったりするのに使われている。

 そもそも、日常生活で必要不可欠な要素は各部屋の中に一通り揃っていたりする。だから、わざわざこんな場所にまで移動してくる必要ないけど、ちょっとでも教団に馴染めるようにするためにもこっちに来ているのだ。

 

「さて、今日のメニューは何かなっと」

 

 料理が趣味な教団員たちが、朝昼晩と作り置きをしてくれている。メニューはその時々の気分らしいので、何が置かれているのかは誰も分からないし、誰が作っているのかも分からない。リクエストを出すこともできないらしいけど、気まぐれで要望を受け付けているときもあるのだとか。

 更に付け加えると、作り置きされている量もその日ごとに違っていたりもする。多かったり少なかったり、いい加減な量である。調理者曰く、食材の都合があるのだとか。

 あくまでも趣味で教団員たちが勝手に作っているだけなので、その辺りは運任せというか、どうしようもない部分でもある。

 共用の台所で置かれている朝ごはんを手に取り、適当に空いている席に向かう。

 

「私たちもそのうち、ここで作ってあげるようにしましょうか」

「う、うーん。いいけど、早起きからの料理はつらいなぁ」

「あたしは、料理がちょっと苦手ね。煮たり、焼いたりするだけの単純な物かインスタントぐらいしか用意してやれないわ」

「そうですか……」

 

 見るからに残念そうにする茜ちゃん。性格的に受けた恩は返したいとでも思っていそう。

 

「でしたら、今度からは自分たちの分だけでも用意するようにしますね」

「いいの? ここに来た方が楽じゃない?」

「いいんです。私が好きでやるだけですから」

 

 母子家庭で育ってきたこともあって、家事全般は母親と一緒にやってきているので、料理もお手の物だ。私も何度かバイト帰りにお世話になったこともあるし、腕前は十分あることも知っている。

 

「分かった。じゃあ、たまには手伝わせてもらうね」

「大したことは出来ないと思うけど、あたしもやるわ」

「ふふ、その時はよろしくお願いしますね」

 

 綺麗に真っ二つに割れた割りばしで朝ごはんを食べ始める。そのしばらくした後に纏たちの姿を発見した。

 二人は自動販売機に立ち寄り、たまたま私と目が合ったおかげで、こっちにやって来る。

 

「おはよう。彩葉たちは朝ごはんの最中だったんだな」

「なんだ? 意外と遅かったんだな」

 

 向かい側に座って、ちょっと失礼なことを言ってくる

 

「……缶コーヒー?」

「? ああ、これか。そうだが、どうかしたのか?」

「コーンポタージュとかお汁粉じゃないんだ」

「なぜそうなる……」

「いや、だってさ。この前、朝ごはんに用意してたじゃん。だから、てっきりそうなのかなって」

 

 コーンポタージュはいいとしても、お汁粉はどうかと思った、忘れもしない衝撃の朝のこと掘り返してみる。

 

「あのなあ、いつもそんなものを食べてるわけがないだろ」

「違うんだ?」

「あの時は、まともな食べ物がそれしかなかったから、仕方なかったんだよ」

 

 そういえばそうだっけ。用意されていた物のインパクトが強かったから、よく覚えていないや。

 

「あんたたちはもう済ましたのかしら? まだだったら、たぶん残りはあると思うから、貰ってきときなさいよ」

「ああ、部屋でもう喰ってきたぜ」

 

 これまた驚き。部屋で食べたってことは自分たちで用意したんだ。

 

「つってもインスタントラーメンだけどな。カップの奴」

「あんたら朝から濃い物食べるわね」

「それしかなかったからな」

 

 なんだろうこの感じ。放っておけば、そのうち肉しかなかったりしたら、朝からステーキとか焼いて食べそうな勢いだ。

 この二人って感覚がおかしいんじゃないのかな。それとも男の人って毎朝そんな変なのばかり食べてるの? いや、違うよね。この二人が異常なだけだよね。少なくとも、父さんは普通だった。

 缶コーヒーを飲んで一息つかせた纏はおもむろにため息を出した。

 

「さすがにラーメンはきつかったな」

「いや、まったくだ。懲りたぜ」

 

 そりゃそうだ。

 覇人はため息代わりに紫煙をくゆらせていた。

 

「良かったら、今度から作りにいってあげましょうか」

「いや、それには及ばないよ。二人で話し合って、今度からここで食べることにしたからさ」

「うん、絶対そうするべきだよ」

 

 強く言っておく。この二人の健康のためにも。

 やがて纏と覇人は缶コーヒーを飲み終わらせ、私たちも朝ごはんを済ましたころ。一際目立った存在感がやってくる。

 みんなついついそっちに目が行き、軽く会釈をしていた。その場違い感のありそうで、意外と絵面的には悪くない存在が、当然のように私の視界にも入っていた。

 

「お食事の方は済ませたようですね」

「ついさっきね」

 

 白聖教団リーダーの如月久遠は、私たちの方へと一直線に向かってきた。

 

「教団内にも慣れてきましたか」

「はい。住み心地のいい場所です」

「ま、悪くはないわね」

「ここはあなた方の帰るべき場所。満足してもらえているのなら、結構です」

 

 生活環境も人付き合いも安心。なんだか、真っ当に暮らしていたころの環境を思い出しそうだ。

 

「にしても、わざわざこんなところにそれだけ言いに来たのか? ウチのボスにしちゃあ珍しいこともあるもんだぜ」

「……」

 

 気楽に語る覇人の口調が空気に伝染していくも、如月久遠は涼し気に流した。まるで、そんなことはどうでもいいとばかりに。

 

「付いてきてください。たったいま、緋真たちが戻ってきました」

 

 立ち去ろうとした背中越しから、如月久遠は短くそれだけ言った。



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99話

 負傷した緋真さんたちは教団内の医務室に運ばれていた。

 病院と合併している教団だけど、あっちは外来の人だけを取り扱っているらしく、教団関係者は内部で治療を行うことになっていた。

 

「緋真さん……っ!」

 

 病室に入るなり、眼を背けたくなるような姿になっている緋真さんに飛びついた。

 

「酷い怪我……ですね」

「あら……みっともないところを見せちゃったわね」

 

 丁度治療が終わったばかりのようで、あちこちに包帯などが巻かれた緋真さんがベッドの上で横になっていた。その隣には父さんもいる。現状は同じように見えた。

 

「お姉ちゃんにここまで傷を負わせるなんて……相手は、月と殊羅なのよね」

「あの二人とんでもないわね。逃げ帰るだけで精一杯だったわ」

 

 最強のA級とS級。アンチマジックの最高戦力とも呼ばれる月ちゃんと殊羅のすさまじさは、疲弊した緋真さんたちの姿が物語っている。

 

「いやいや、逃げ帰れただけでもむしろ大したもんだろ」

「そうだな。無事に戻ってきている辺り、さすがは白聖教団の幹部だな」

「そうでもないわよ。私たちを追いこんだのは、あの月ちゃんっていう女の子一人よ。あの子、信じられないぐらいに強いわね」

 

 以前、屋敷前に緋真さんと月ちゃんは戦っていたことはあったけど、あの時よりも更に強くなっているってことなのかな。

 

「いくら研究所脱出後で弱っていたからとはいえ、幹部二人係で何とか切り抜けられたほどだ。おそらく、あの子一人で僕たちと互角かそれ以上だろう」

「と、とんでもないんですね。月ちゃんって……」

「パッとみた感じは可愛らしいのにね」

 

 中学生ぐらいの人懐っこい子。そんな印象を持っているだけに、暴力的な部分はあまり聞きたくなかった。可愛い子は可愛いままの印象でいたい。イメージが壊されるような情報は余計だ。

 

「そういえば、殊羅の方はどうしたんです?」

「彼なら副リーダーが一人で引き付けてくれていた。幸いにも僕たちのことは眼中にない様子だったみたいでな」

 

 最強の戦闘員とも言われている殊羅をたった一人で相手にしていた、教団の副リーダーって何者なの? と疑問すら湧いてくる。

 その副リーダーはというと、唯一無傷で帰ってきてベッドに腰掛けている。どっちが化け物なのかまるで判別がつかないね。

 

「S級との直接対決。いかがでした?」

「正直なことを言わせてもらいますと、俺には到底手に負えない相手だ」

 

 この発言には、訊ねていた久遠以外が驚いていた。

 

「そうですか。概ね、想定の範囲内になりますね」

 

 リアクションの薄い久遠。その、色々と突っ込みたいところはあると思うんだけど。私の感覚がおかしいのかな。

 

「おいおい……冗談きついぜ。うちの副リーダーですら敵わねえなんて、あいつの実力ってそんなになのかよ」

 

 そう。それ、そんな感じのリアクションが出るよね。まさに私が言いたかったことを覇人が代わりに聞いてくれていた。

 

「さすがに全く敵わないというわけではないが、もしあの男が本気を出せば、俺では太刀打ちできないだろう。それでも組織のためなら、この剣を振るうことにためらいはないがな」

 

 勝てないと分かっている敵でも、戦うしかない。そういう覚悟ができている。

 組織に所属している以上、私にもいつかそんな時が来るのかもしれないと感じた。

 

「可能な限り無駄な犠牲者は出したくはないのですが、現状を踏まえればあなたしかいないのも確か。時がくれば、任せることにしましょう」

 

 今更ながらに思い知らされる。私の今、いる場所のことを。

 私たちは、あのアンチマジックと全面的に戦っていかなければならないんだ。

 たぶん、自己犠牲になれ。なんてことはこの人なら言わないと思う。それぞれの魔法使いにできることだけを割り当てる。そんなやり方をする人なんだろう。

 

「それはいいが、この先俺たちはどうしていく? 緋真と源十郎がこの様子では、慎重に動いていく必要がありそうだが」

「……致し方ありませんね。しかし、今回の緋真たちがもたらした被害は絶大と言えるでしょう。よくやってくれました」

「おかげでこんな目に遭っちゃったけどね」

 

 研究所の崩壊から支部の襲撃。あれだけ無茶苦茶なことをやってのけて、笑い話で済ましている緋真さん。とんでもないことをしたのに、何というか大物感があまりない。

 

「緋真と源十郎にはしばらくの療養期間を与えます。万全の状態で復帰してください」

「了解した」

「分かったわ」

 

 なにはともあれ、みんな無事でいてくれて良かった。それだけで、何だか胸が一杯になってきた。

 

「あの、ちょっといいですか?」

 

 茜ちゃんがためらいがちに久遠に呼びかける。

 

「どうしました?」

「緋真さんたちの怪我のことなんですけど……。もしかしたら、私……治せるかもしれません」

 

 治す? 治すって治療するってことなんだろうけど、どこか違う意味にも取れそうな言い方だった。

 

「どういうことでしょうか」

「えっと、上手く説明が出来ないのですけど。たぶん見てもらった方が早いと思います」

「いいでしょう。茜さんにお任せします」

 

 茜ちゃんはうなずきで返し、緋真さんの包帯に手を触れた。

 

「緋真さん。包帯を外しますね」

「ふふ、茜ちゃんの怪我を診てあげたことを思い出すわね」

「あの時とは逆になってしまってますね」

「傷はもうちゃんと塞がった?」

「はい。緋真さんのおかげです。だから、今度は私が治してあげますね」

 

 腕に巻かれた包帯を丁寧にほどいていくと、やがて全体に大きく広がった無数の擦り傷が顔を見せる。

 私にはあれだけ気を付けるように言っておきながら、そのくせ自分が一番無理して、傷ついている。

 

「酷いですね」

「何をするつもりか分からないけど、無理だけはしちゃダメよ」

「大丈夫です。――少し、集中しますね」

 

 茜ちゃんは傷口にそっと手を触れ、大きく深呼吸をした。そして――雰囲気が変わる。

 静かに、鎮かに、寂かに。

 纏う雰囲気が変わり、それは伝染して私たちの口を閉ざした。

 異様な場に包まれ、寂寞とした状況は荘厳な演出をしている。

 茜ちゃんの手には魔力が集められていた。だけど、それは魔力弾のように固めているのではなく、まるで手を覆うようにして形成されている。

 異変はすぐ後に起こった。

 魔力で包まれた手を撫でるように、這うようにしてゆっくりと緋真さんの腕を滑っていく。その後には、信じられないことに傷跡が綺麗に無くなっていた。

 目を疑った。それほどまでに見違えて変わっている。新品の腕と取り換えたかのような、何も残されていなかった。

 

「ふう……うまくいったみたいです」

「茜ちゃん、あなた一体……」

 

 治療を受けた本人ですら何が起こっているのか分かっていない様子だった。しきりに腕を動かし、傷があった場所を食い入るように見つめたりもしている。

 

「なるほど……魔力の操作ですか」

 

 久遠はこの現象を冷静に分析して、納得をしていた。

 

「ああ、それも極めて精密な操作だ。これほどの逸材……僕は今まで見たこともない」

「ど、どういうこと? 分かりやすく説明してよ、父さん」

 

 この場で理解できているのは父さんと久遠しかいなかった。それだけ、珍しいことを茜ちゃんはやったんだろう。

 

「いまやってみせたのは、魔力の操作と言われる行いだ。彩葉たちも魔法使いの血液には魔力が含まれていることは知っていると思うが、それを精密に操作することによって、体内中の不純物を破壊させることが可能だ。その結果、自己回復力を促進させ、異常なまでの速さで回復が実現する」

「そ、そんなことが出来るんだ?」

「理論上は可能とされ、僕も試してみたことはあったが、無理だった」

「父さんって結構すごい魔法使いだよね。それでも無理なんだ」

「操作は極めて繊細な作業だ。ちょっとでも誤れば、体内を傷つけ、取り返しのつかないことに発展してしまう恐れもあるからね」

 

 聞けば聞くほどどれだけすごいことなのか、いまいち分からなくなってきた。

 

「この力って……回復とはまた別物なんですか」

「そうだよ。そもそも魔力には破壊する力しかないからね。その力を使って、あくまでも不純物を取り除いているだけだ。同じような使い方をすれば、病原菌を破壊して、完治を早めることも可能になってくるだろう」

 

 そういえば、茜ちゃんが風邪を引いたときって治りが早かったっけ。それに、殊羅に付けられた手の刀傷だって、跡形もなくなっていた。

 普通、あんな傷なら跡ぐらいは残っていてもおかしくはなさそうなのに、完全に消えていた。

 風邪も一日や二日程度では治りきらないぐらいに重症だったのに、一日足らずで完治した。

 ここ最近のことで言えば、もう一つ。二十九区に渡って来た時に、茜ちゃんは数発の弾丸を受けていた。その傷も今では、完全に癒えている。

 おかしいとは思っていたけど、そういうことだったんだ。そして、そのことに茜ちゃん本人は気づいていたんだろう。

 

「しかし驚きだな。自身だけでなく、まさか他人に干渉するとはね……普通の神経では絶対に不可能なことだ」

「そうなの?」

「自分の魔力を他人の体内へと注ぎ、不純物を破壊しているのだよ。分かりやすく例えると、外科手術のようなものだ」

「つまり……なに? 茜ちゃんは体内にメスを入れている感じってことなの?」

「一歩間違えれば死を招く危険な行為とも言えるな」

 

 魔力を固める魔力弾は、ただ念じて一点に集中させるだけの簡単な技だ。そこに調節を加えると、威力は自由自在に変えることが出来る。

 言ってみれば、握りこぶしを作るような感じ。強く握ったり、弱く握ったりと。そんな感覚に似ている。

 でも、操作はきっとそんな感覚とは違うはずだ。握るこぶしを作るような単純な作業では済まされない。全神経を研ぎ澄まし、まるで爆弾の解体作業でもしているような。まさに命のやり取りを茜ちゃんは成功させた。

 

「ご、ごめんなさい。緋真さん。私、そんなにも危ないことだとは知らずに、勝手なことをやってしまって」

 

 事の重大さを改めて知った茜ちゃんはひどくうろたえて謝った。

 

「いいわよ、それぐらい。上手くいったんだから、気にする必要ないわ」

「だ、だけど、もしかしたら私、緋真さんを殺してしまっていたかもしれませんし」

「茜ちゃんになら殺されてもいいわね」

「え……ちょ、ちょっとそれは私が困ります。もし、そんなことになったら私、自殺しますよ」

「冗談よ。真に受けちゃダメよ」

 

 茜ちゃんなら後追いしそうな気がする。たぶん、自分の過失には絶対に耐えられないはずだから。

 

「だがしかし、その力には危険性もあるが、貴重な才能でもある。もっと、その部分を伸ばしていくべきだろう」

「いいんですか?」

「そのままにしておくよりは、完璧に使いこなせてしまえる方が良いだろう。魔力を精密に操作する魔法使いなんて、かなり稀少だ。君はひょっとすると、新しい技術を生みだす可能性を秘めているかもしれないな」

 

 研究者である父さんがいうぐらいなんだから、相当なものなんだろうね。

 

「でも、どうやって使いこなしていけばいいのですか?」

「それは自分で見つけていくしかありませんよ」

 

 久遠が悟すように語る。

 

「私《わたくし》の知る限り、茜さんほどの使い手はおそらく、過去に数人ぐらいしか確認されていない技術です。ですので、私《わたくし》たちから助言を与えることは不可能です。自力で解決してもらわなければなりません」

「そう……ですか。分かりました。すでにこの力は何度か使っていますから、実はちょっとだけコツも掴めてはきているんです。このまま自力で頑張ってみます」

 

 残念だけど、こればっかりは仕方ないよね。何か力になってあげたいけれど、私は魔力弾ですら苦手だから黙って見守ってあげることしか出来ない。でも大丈夫、茜ちゃんならそのうち物にしてみせる筈だ。私はそう信じている。

 

「まさか、魔力を持って一年にも満たない者があなたと同じ、大魔法使い級に名を連ねるほどに成長するとはな」

「これほどの逸材と出会えるとは思いもよらないことでした。将来への成長を期待させてくれます」

 

 ずっと昔から寄り添ってきた親友に期待が寄せられ、何だか私も誇らしくなってきた。

 

「大魔法使い級って言ってたわよね。何なのよそれ? アンチマジック内でもそんな呼ばれ方をする魔法使いは聞いたことがないわよ」

 

 さっきの会話中で出てきた単語。茜ちゃんが褒められていたことを気にするあまり、思わず聞きそびれてしまうところだった。

 

「知らねえのも無理はないだろうな。大魔法使い級なんてのは、ごく一部の限られた魔法使いしかいねえし、上層部で直接その目で見たって奴なんていないんじゃねえか」

「そうだろうな。おそらく、国内での大魔法使い級は久遠しかいないだろうし、現アンチマジックのメンバーはおろか、ほとんどの魔法使いは存在すら把握していないはずだ」

 

 そこまでいけば、もう都市伝説とかになってそうな気がしてきた。

 

「具体的に大魔法使い級というのは、どれほどのものなんだ?」

「通常の魔法使いとは一線を画した者たちのことだよ。ある者は天候に干渉し、自然災害を意図的に引き出し。また、ある者は並外れて魔力の使い方が上手かったりと、桁違いな魔法のセンスを持っている連中だ。……プロと達人の違いと言えば分かりやすいか」

「はっきり言って目指そうと思って目指せるような物じゃないわよ。誰にだって自分自身の限界を感じる時がくるように、才能やセンスと言い換えちゃってもいいわね」

 

 魔力や魔法は人でいうところの筋力のようなものだ。だから、鍛えようと思えばとことん鍛えて、強化していける。でも、いつかは成長も止まって、そこが自分の限界だと感じてしまう。

 出来る人と出来ない人の違いは何かなんて分からない。でも、得手不得手で言い表せられるようなことじゃないことは確か。

 魔力弾を作ることが苦手な私だけど、頑張ればそれなりにまともなのは作れる……はず。だから、それは努力でどうこう出来るレベルの話しだ。決して、不可能じゃないことではない。

 だけど、茜ちゃんの力は生まれ持った才能やその人だけの独特のセンスとも言える。ようは、自分だけが持っている個性みたいなものなんだと思う。それを真似したって似たようなものには近づけられるけど、完璧にはなれない。つまり、なれる魔法使いはなれる。なれない魔法使いはなれない。そんな運命なんだろう。

 

「限界を……超える、か」

 

 神妙な顔でボソッと呟いた纏の声が聞こえた。私はそんな言葉になんだか含みを感じてしまった。

 

「どうしたの?」

「いや……そうだな。試すだけは試してみるか」

 

 心配して声を掛けてあげたのに一人納得して落ち着てしまった纏。なんだったんだろう。

 

「あの、零導白亜と言いましたよね」

「……どうした?」

「零導さんは魔法使いの中でもかなりの使い手ですよね」

「一応、これでも副リーダーとしてマスターの側に控えている身だからな。その言い方に間違いはないだろう」

 

 組織のナンバー2でS級と互角で戦える魔法使い。はっきりいって格の違いが出てくるほどだろう。

 

「お願いがあります。一度、本気の俺と戦ってもらえませんか?」

「ちょ、ええ――っ! いきなり何言ってるの纏?」

「止めないでくれ。俺は、俺自身の力の限界を見極めてみたいんだ」

 

 そんなかっこいい事を急に言われても。なんて茶化したい気持ちもあるけど、真剣さが伝わり、言葉を飲みこんだ。

 

「……なぜ、俺に頼む?」

「剣の使い手として指南してもらいたいというのもありますが、なにより俺の中に眠る力が暴走した際でも、適切な処置を施してくれそうだからです」

 

 腰に提げられている一本の刀。実際に刀を振るっているところは見たことがないけど、一目で分かる。私なんかでは足元にも及ばないってことが。

 殊羅も剣を持っていたけど、とは言っても鞘付きだけど、凄まじい使い手だった。アレと同等だとしたら、纏なんか殺されてしまうんじゃないかな。力関係なら、私と纏は同じぐらいだと思うし。

 

「白亜、相手をしてあげなさい。おそらく面白い物が見られるでしょう」

「あなたがそういうなら構わないが」

 

 段々ととんでもない方向に話しが進んでいっている。止めない方が……いいんだよね。

 

「ありがとう」

 

 私たち全員が知らなかった、纏の隠している正体。言い方からして、危険性が高いんだろう。それが一体どう影響を及ぼすのか計り知れないけど、嫌な予感だけは渦巻いていた。



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100話

 白聖教団内での魔法を使用した際には、魔力の漏洩は起こらない様に造られているんだって。地下深くに建造されているのは、そういう理由とのことだった。

 そのおかげで、過去にあったというアンチマジックによるキャパシティの内部捜査でも発見されることが無かったというのだから、自信を持って断言される何よりの証拠である。

 病室から移動した私たちが向かったのは、一階降りた先にある訓練施設という広い場所だった。いくつかの部屋に仕切られており、そのうちの一つを通らされた。

 仮にも上層は病院なのだから、清潔感が保たれているのはいいことなんだけど、訓練施設まで綺麗なのはどうなのだろう? だって、あまりにも綺麗すぎるんだよ。使用していませんと言われれば、ああそうですか。と返せるほどにまっさらな部屋だった。

 

「この階での魔法の使用は全面的に許可していますので、思う存分に力を振るってもらって構いません」

「いいの?……壊れない?」

 

 全力かどうなのか判断しづらいけど、緋真さんみたいに研究所を壊滅させるような魔法なら、壊れてもおかしくはなさそうだけど。

 

「さすがにある程度の加減はしなきゃダメよ。でも、大抵の魔法には耐えられるような強度でこの階は造られているから、よっぽどな魔法を使わない限りは大丈夫よ」

「この階は……ですか?」

「そうよ。ここは連合結社の技術開発の組織が造った特別性の階なのよ。ついでに言うと、エレベーターの仕掛けを造ったのもその組織ね」

 

 やけに凝った無意味の装飾とかは、製造者の趣味とか言っていたけど、それって組織全体の趣味とも言えるんじゃ……。やっぱり技術開発の組織って変な魔法使いが多そうだ。

 

「それにしても広すぎないか。軽く五、六百人ぐらいは入れそうだが」

「丸々一つのフロアをいくつかの部屋に区切っただけだからな。ま、それで訓練施設だ。なんて言ってやがるんだから、雑な造りだよな」

 

 壁だけが頑丈なんだ。でも、お金のかからないスタイリッシュかつ広々と訓練が出来るように設計したと考えれば、雑でもなさそうに思えるんだけど。シンプルイズベストとも言える。

 

「そもそも魔法を鍛えるのに余計な装飾なんて必要ないわよ。広くて被害の出ない場所を用意して当然じゃない」

「普通はな。設計したのがあのエレベーターを造った連中なだけに味気なさすぎるんだよな」

 

 確かに、エレベーターの件を含めれば、普通過ぎて面白みがないかも。壁から何か飛び出して来たりしないかな。

 

「纏……だったな。ここならば遠慮はいらない。お前の本気とやらを見せてみろ」

 

 感想から本来の目的へと話しが戻る。

 纏が試してみたいと言っていた、本気の自分。それを見届けるために私たちは来たんだった。

 

「そうだな。確かに、ここなら条件は良さそうだ」

 

 腰にぶら下げている魔具“散りゆく輝石の剣”(クラウ・ソラス)に手をかける纏。

 

「最初にこれだけは言わせてほしい。もし、俺が狂気に憑りつかれてしまったら……その時は、遠慮なく斬ってくれ」

 

 その一言がざわめきを生む。纏は本当に、何をするつもりなのだろうか。

 狂気? それとも凶器? 不安が不安を呼んで心配が荒波の如くうねり始める。

 

「纏くんは何を言ってるのですか?」

「止めてはいけませんよ。茜さん」

 

 声に出した茜ちゃんの肩を掴んでそれ以上の発言を止めたのは久遠だった。

 

「すぐに分かることですから」

 

 何でも見透かしているような久遠。たぶん、これから起きることにも予想が付いているのだろう。

 纏が言うには、相当に危険なことらしいけれど、それでもあえて久遠はやらせようとする。

 久遠は黙って、事の成り行きを見守る姿勢を取っている。私たちもただ、久遠に倣って見守ることしか出来なさそうだった。

 

「……」

 

 相手となる白亜は表情一つ変えず、纏の動きに注目しているようだった。

 おもむろに、手を掛けていた”散りゆく輝石の剣”(クラウ・ソラス)を抜き放つ纏。

 同時に魔具の力が解放され、剣自体に魔力が帯びる。

 たった、三度限りの飛ぶ斬撃を放つ魔剣。禍々しさを兼ね備えている刀身は、あらゆる物質を斬り裂くことを約束する。

 しかし、途端に纏が苦しみだし、魔剣から帯びている魔力が侵食し始めていた。

 魔剣と纏が一体化している。そう表現するに相応しいほどの姿かたちへと変貌を遂げている。

 

 それはまるで、魔法使いそのもののようだった。

 

「魔法使い化……だと……っ」

「そ、それって……研究所で見た職員の人たちと同じ状態ってことですか?」

 

 普通の人間に魔力を挿入することによって、人工的に生み出される魔法使い。纏はいま、魔剣を通じて魔法使い化をしているみたいだった。

 

「間違いなさそうね。魔具だけじゃなく、纏本人からも魔力を感じられるわ」

 

 魔眼を通して観察している蘭が言うからには、どうやら本当に魔法使いになっているようだ。

 

「アレ、やばいんじゃねえか。このままいけば完全に魔法使いに落ちるぞ」

「マスター。今すぐ止めるべきよ。ううん、止めなければいけないわ」

「……待ちなさい」

 

 魔力弾を展開させて止めに入ろうとした緋真さんを久遠が呼び止める。

 

「止めないでちょうだい。私は魔法使い化をこの目で見てるのよ。アレがどれだけ危険なのか、マスターは分かっているのかしら」

「ええ……ですから、様子を見る必要性があるのですよ。魔具を通じての魔法使い化について――」

「魔具……」

 

 その単語でふと、研究所内のことが再生された。あのときは、確か魔法使いの血液を挿入して、生まれたのだった。

 だけど今回は、魔具を通しての魔法使い化だ。その違いにどんな意味合いがあるのか、私たちはまだ、知る由もなかった。

 

「完了したようですね」

 

 負の力を根源として発症される魔力。

 薄皮一枚を剥ぎ取られた人間の本性は、醜さそのものであり、汚い一面がさらけ出される瞬間でもある。

 人が本来持つ、感情の生成器官――全ての贈り物で満ちた世界(パンドラワールド)

 ただ何かを壊してしまいたいという、八つ当たりのような感情が渦巻き、残るのは虚しいまでの破壊衝動。

 喜びも楽しみも全部無くしてしまうほどの強い想い。それが負の感情。

 光と影。表と裏。

 暗い部分が濃くなれば、明るい部分が薄れてしまうのは当然だ。

 それはもう、引き返すことの叶わない行い。暗くなった部分を明るく塗りつぶすことなんて出来ないのだから。

 

 いま、ここに……新たな魔法使いが誕生する。

 

 この壊れた世界で、天童纏は再覚醒した。



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101話

「意識はありますか?」

「ああ、一応……だが」

 

 苦し紛れに纏は言った。

 

「気分はどうですか?」

「胸の内が疼く……っ! 抑えきれないほどの破壊衝動が湧いて出てくるよだ……」

 

 魔力が黒い瘴気として視覚化され、纏の身体から立ち上っている。

 濃密で、触れたら怪我をしてしまいそうな。まるで、全身から鋭利な刃を突き付けられているような……そんな敵意が感じられる。

 

「そうですか。ならば、そのまま耐えてください」

「そんなことを言われても……抑えつけるのにも、限界がきているのですけど……!」

 

 溢れ出す魔力は、紗幕のように纏を包み、もはや身体に耐えきれていないのは一目瞭然だった。

 

「あなたはいま、魔具にあなた自身の隠された魔力を刺激されている状態にあります。余計なことは考えず、無心になってみてください。そして、気持ちを落ち着かせるのです」

 

 呼吸……だろうか。溢れ出している魔力が揺らぎ、まるで心臓が脈を打っているかのような。

 魔力自体が一つの命のように歌っている。

 生命の神秘に立ち会っているかのような感覚。

 心の嘆きに打ち震え、感銘の意を表すのは、ほかでもない自分自身。

 救いの手は差し伸べられず、他者にとっては迷惑極まりない行い。

 それは、抱える闇を呼び起こす――感情の爆発。そして流れ出すのは暗い気持ち。

 誰が止められようか。誰が慰められようか。誰が鎮められようか。

 身ぐるみ剥がされ、本性を現した人なんて野生の動物と大差ない。

 所詮は人も獣なんだ。

 精神的な問題を制御するなんてことは無理に等しい。感情のコントロールは、自分でやらないといけない。

 だから、私は祈る。

 本当は寄り添って上げたいけど、今はダメだ。理性の飛んだ人は何をしだすのか分からないから。

 やがて静けさを取り戻し、張り裂けそうな思いも今では安定しているかのように見えた。激しい運動から平静に戻る様子みたい。

 

「成功……したのか」

「そのようですね」

 

 最初から最後まで落ち着いていたのは久遠だけだった。こうなることもお見通しだった、のかな。

 

「纏くんはどうなっているのですか」

「説明が欲しいわね」

「うん。それになんか、纏が更に訳が分からない姿になっているんだけど」

 

 魔力の暴走は収まったけど、代わりに纏の身体に異変が起きていた。

 身体を縫い合わせているかのように赤い線が浮かび上がり、まるで継ぎ接ぎされたかのよう。そこから魔力が脈動しているのを感じ、浮き彫りになるほどのおびただしい量が溢れかえっているのだと分かった。

 

「魔法使いになっちまってるのか……?」

 

 何が何だか状況が飲み込めないまま、纏は握りしめていた散りゆく輝石の剣(クラウ・ソラス)を振りかざす。

 

「この力……試させてもらってもいいか?」

「構わん。元からそのつもりだったのだろう」

「それじゃあ、遠慮なくいかせてもらう」

 

 刹那――纏の姿が視界から掻き消え、次の瞬間には激しい衝撃音が振動した。

 纏の容赦ない一撃を白亜は平然としながら受け流し、その姿はかつての私と殊羅の一戦を描いているかのような有様だった。つまり、実力の差は歴然だということ。

 暴力。そう名付けるに相応しい纏の太刀筋は、剣術というよりも、殴っているかのように見える。鉄塊で叩きつけている。そんな剣術だ。

 そのせいで一撃の重みは相当なものだと思う。けど、あれじゃあ白亜には絶対に届くことはないはず。

 実際、白亜はその場からほとんど動かずに纏をあしらっている。私と殊羅の戦いも第三者の目で見たら、あんな風に映っていたんだろうなと思うと、顔を覆い隠したくなるほどみっともなくなってきた。ムキになった子供が、何度も大人に挑みかかろうとしているかのようだよ。

 

「……ぐっ……ううっ……ああ……!!」

 

 何度目かの衝突音がしたあと、纏は急に苦しみ始めた。

 今度の状況は見ればすぐに分かるものだった。安定していた魔力が再び暴走し、纏の周辺に漂っている。

 さっきのように濃い瘴気となった魔力を見るなり、思わず手出しをしたくなってくる。でも……そんなことしてもいいのかな。

 不安に駆られるけども、傍らにいた久遠は静かに見守ろうとしていた。その様子をみて、私は手を引っ込めることにした。

 きっと、久遠のことだから、大丈夫だというサインなのだと受け止めておこう。私の……この組織を束ねるリーダーの決断なのだから、仲間を無駄に危険に晒すわけがない。そう、信じている。

 

「――白亜」

「ああ……分かっている。どうやらここまでのようだな」

 

 苦しみながらも散りゆく輝石の剣(クラウ・ソラス)をかろうじて構えている纏を一瞥する白亜。

 そして、息を飲む凄まじい轟音とともに、纏は壁に叩き付けられていた。車に撥ねられるよりもなおひどい、列車に轢殺されるかのような圧倒的なまでの破壊力。

 白亜の放ったただの一振りは、私の常識を覆すほどの威力を秘めていた。本気なのかどうか、見分けがつかないけど、私は確かに身震いをしている。

 あれが、裏社会を脅かす秘密犯罪結社のナンバー2。

 魔法使いの格が違いすぎる……! いや、そもそも魔法なんて使っていない。あくまでも人としての力の範囲内だ。そこに魔法が加われば、一体どれだけの強さを誇るのやら。想像も付きそうにないんだけど。

 よろよろと立ち上がった纏だったが、魔力の気配は完全に失われていた。元の状態に戻ったと思ってもよさそう。

 

「相っ変わらず、すげー威力だな」

「驚いたわね」

「なんかもう、次元が違うよね」

「はい。ですけど、あれでもまだ神威殊羅には届かないのですよね」

 

 人の定義を今一度、確認したい。というよりも人じゃない。超人だ。

 

「それにしても、纏くんの方はどうなっているのですか? まさか、本当に魔法使いになってしまっているのですか?」

「いや、正確には違う。アレは、半魔法使い化だ。それも、不完全な状態での覚醒だな」

「そいつはなんだ? 普通の魔法使い化とは違うのか?」

 

 半魔法使い化。父さんは纏の現状にそう名付けていた。

 

「 通常、魔法使い化を果たすには二つのパターンが存在している。一つは、内なる負の感情に憑りつかれて魔法使い化する、内部変化だ。もう一つは、外的要因による魔法使い化、研究所で見たのがそうだ。これを外部変化と呼んでいる」

 

 それじゃあ、私や茜ちゃん。大抵の魔法使いは、その内部変化になるわけだ。一番、オーソドックスな変化ってことだね。

 

「そして、そのどちらにも当てはまらない異例が半魔法使い化だ。意識的に魔法使い化することが可能な第三の変化であり、永久変化と呼ばれている」

「えい……きゅう……?」

 

 難しいことを言われて、純真無垢な子供のように聞き返してしまった。

 

「身体が魔力に慣れ切っている状態のことだ」

「何だか難しい話しになってきましたね」

 

 さすがの茜ちゃん。ううん、久遠と父さん以外、あ……あと白亜以外は意味不明だと顔に出している。

 

「どう説明したものか……そうだな。魔具には魔力が宿っていることは知っているか?」

「それぐらいは……一応」

 

 対魔法使い戦のために造られた、魔力が宿った兵器。それが魔具。

 魔法なんて超常的な力を扱う存在に対抗するために、人が生み出した魔力の武器だ。

 

「魔具にも色々な種類があってな、そうだな、これについては、アンチマジックに所属している者の方が詳しいだろう」

「そうね。確かに魔具は全部で三段階に分けられているわ。そこからあたしたちは、それぞれの免疫力に適応した魔具を使っているわね」

 

 し、知らなかった。けど、それも当然か。敵の武器のことなんて今まで知ることもなかったし。

 

「免疫力ってなんですか?」

「魔力に対する抵抗力のようなものよ。さっきも話しにあったけど、魔具自体は魔力で造られているわ。だから、強力な魔具であればあるほど、作られる際の魔力量も増えているってことなのよ」

 

 そう言えば、戦闘員が纏っている黒服。あれも魔具だっけ。

 全部で三段階に分けられ、戦闘員のランクによって違う性能の黒服を着用しているって話だね。

 

「その通りだ。魔具には魔力が込められている。つまり、戦闘員は常に魔力を浴び続けていることを意味しているのだよ」

「ははーん。なるほどな、そういうことかよ」

 

 私にはまだ分からないけど、覇人には理解が出来ているみたい。

 

「てことはだ、自分の身の丈に合わねえもんを装備していると、魔具に憑りつかれちまうんだな」

「……そう。そういうことね。だから、魔具はランク分けされていたわけなのね」

「戦闘員の階級が上がるということは、免疫力も上がり、魔具も強力な物を扱えるようになるってことですか」

 

 かみ砕いて理解すると、魔具と自分の相性……のようなものが合っていないと危険ってことかな。魔力を浴び続けるなんて、言ってみれば放射能を浴びているようなものだろうし。使用しているだけで、身体を蝕んでいるんだ。

 

「じゃあ、今の纏の状態は、魔具と融合していることになるの?」

「あながち間違いではないな。おそらく、その魔具はかなり危険な代物なはずだ」

「ああ、そうだな。親父にも警告はされていたが、不思議と手に馴染んでしまったから、そのまま使いこなしていたのだが……」

「錯覚していただけだ。魔具を使用するしない関係なく、持てば自分の精神は徐々に汚染されているんだ。その進行具合は魔具によって、異なっている。だから、免疫力に合わせなければならないんだ」

 

 散りゆく輝石の剣(クラウ・ソラス)。最上級の輝きを見せている段階では、魔力が十分に充電されている証だ。

 放出を行っていけば輝きは失われ、やがては尽き果てる。そこまでいけば、魔力が籠っていないただの剣となってしまう。

 三段階で表せば、纏の魔具は全段階を通っているんだ。でも、能力解放しない限りは一番上だから、父さんの言う通り危険な状態で持ち歩いてることになるよね。

 

「魔具って便利だけど、自分自身も壊してしまうんだね。例えば、そう……薬のような。用法容量は守って使いましょうってね」

「上手い例え方だな」

 

 纏は力量を間違えていた。いや、勘違いとでも言うべきだよね、この場合は。こんなことを思ってしまうのは纏に悪いけど、自業自得になってしまうね。

 

「そうか……あの時感じたのは、こいつの逆流してきた力だったのか」

「心当たりがあるようだな」

「駅前で能力を解放した際に、何かが流れ込んでくる感覚を味わったんだ。たぶん、その時に俺は魔力を手にしたんだろう」

 

 柚子瑠と戦った時のことかな。無理をして重複された斬撃を飛ばした後、纏は糸が切れたように倒れ込んでしまったから。

 てっきり、力の使い過ぎが原因だと思っていたんだけど、まさかそんなことになっているだなんて。もっと気に掛けるべきだったかも。

 

「しかし、纏くんのは不完全だ。一歩間違えれば、本当に魔法使い化してしまう恐れもある」

「そう……なのですか?」

「いまは、魔具を媒体にして半魔法使い化しているだけだ。完全に使いこなせれば、自らの意思で人と魔法使いの切り替えが可能となるだろう」

「もし、それができなければどうなるのですか?」

「どうもしない。ただ、半魔法使い化する際に気を付けておくべき点がいくつかあるぐらいだ」

「それは?」

 

 大切な仲間のことだし、他人事だと思わないで真剣に私も聞いておこう。まったく、私の身の回りは無茶ばかりするんだから。

 

「前提として魔具に憑りつかれている状態だと認識はしておいてほしい」

「分かった」

「まず、現状維持には時間の制約がある。長時間保ち続ければ、完全に飲み込まれ、魔法使い化することは必至だろう。あとは、多用することも禁物だ。使用後の魔力が抜けきるまで、二度目は禁止だ」

 散りゆく輝石の剣(クラウ・ソラス)と同じで使いどころが大事なんだね。でも、メリットよりもデメリットの方が多そうだから、あんまり使って欲しくはないな。

 

「ああ、肝に銘じておかせてもらうよ」

 

 纏は魔具を鞘に納め、大事そうに握りしめる。

 

「こいつと同様、支払われる代償は大きいな」

 

 よくよく考えてみれば、纏って制限のあることに縛られ過ぎてるね。決められた規律をしっかりと守る、纏の真面目な性格が災いしてるのかな。何にしても、纏なら問題なさそうだね。

 

「強大過ぎる力には当然の報いだ。魔法使いのようにな」

「あ……そうですね」

 

 魔法を手にした代わりに住む世界が変わり、命を狙われるようになり、不名誉な言い分を着せられる。私たち魔法使いの代償だ。

 これのせいで、死ぬほど苦労してきたんだ。でも、そんなこと今更言っても意味ないか。死ぬまで付き纏う新しい個性だし、現実と向き合わないとね。

 立場は違えど、纏もまた同じ運命を背負ってしまっている。

 

「付き合ってもらってありがとうございました。おかげで自分自身の力を制御するヒントを得られました」

「また機会があれば、いつでも付き合ってやろう」

「いいんですか?」

「半魔法使い化の相手をするのは、俺にとっても有意義ではあるからな」

「じゃあ、またお願いさせてもらいます」

 

 あれ? いつも冷めた表情をしている白亜なのに、ちょっと楽しそうに見える。面白そうにしているとも取れるかな。それに白亜の変化には久遠も珍しそうにしているし、なんか一気に親近感のようなものが湧いてきた。

 新しい一面も見れたことだし、これを機に組織内での結束力も高めていければいいな。



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102話

 纏と茜ちゃんの秘密が解明され、あっけなく一日が過ぎ去っていった。

 私自身には特にこれといったことはなかったのだけれど、色々と濃い一日だったなあ。と自室で振り返る。

 

「それにしても、凄い力があるものなのね」

 

 硬い壁を背もたれにして座り込んでいる蘭が展開されている魔法を感心しながら眺めている。つられてなんとなく、私もソレを見てしまった。

 

「慣れるまで時間がかかりそうですけど、なんとか物にしてみせます」

 

 茜ちゃんは指先から線状の魔力を放出し、まるで蝋燭の火のように揺らめかせている。

 やっぱり何度見ても凄いなあ。という一言しか出てこない。

 話しによると、茜ちゃんは魔力の操作が尋常じゃないほどに長けているらしく、その才能を駆使して、体内の病原菌なんかを破壊して、自己回復力を促進させることが出来るとのこと。その力をより分かりやすくすると、いま茜ちゃんがやっているようなことになる。

 魔力を放出させる。私には不得意だけど、それぐらいなら蘭も出来る。よく使っている魔力砲がこれに値するから。そして、そこに操作を加えると、自在に操ることが出来てしまう。

 

「簡単そうだけど……意外と出来ないものね」

 

 蘭も真似して、指先から魔力を放出させているけど、その先にはいけなかった。

 ただ放出させるだけでなく、自分の意思で動かさないと操作にはならない。ホースから放水された水を右へ左と向きを変えるようなものだ。手元を動かせばもちろん可能だけれど、それとはまた違う。

 出されている水だけを動かさないといけない。それが操作。

 不可能に近い芸当を可能にしているからこそ、茜ちゃんはとんでもない才能を秘めているんだ。

 

「コツとかあるわけじゃないもんね」

「私も気が付いたら出来るようになっていただけですし、無意識の内に言葉を覚えたり、歩けるようになったりするのと同じような感覚です」

「そっかぁ……」

 

 生まれ持った能力ってことか。

 

「どうしたのですか? 元気なさそうですけど」

「ほっときなさい。どうせ、しょうもない悩みよ」

「しょうもなくないし。いいなあって、羨ましいなあと思っただけだよ」

 

 自分と違う才覚を見せられて、羨望が生まれる。至極、当然の悩みだよね。

 

「蘭だって、試そうとしてたじゃん。羨ましいと思ってるんでしょ」

「今まで意識したことがなかったから、試してみただけよ」

「ほんとに?」

「……そりゃあ、ちょっとぐらいは思ったわよ。ちょっとだけよ」

「ふーん。ちょっとだけ……ね。そういうことにしといてあげよう」

「癇に障る言い方するわね」

 

 口ではああ言ってるけど、悔しそうな表情までは隠せてなかったよ。

 ご機嫌斜めな蘭をよそに、部屋内にインターフォンが鳴り響く。

 一応、ここはプライベートな室内で、言ってみればマンションの一室みたいなものになり、住民がいることになる。そういう部屋にはインターフォンが付けられていた。それ以外では、インターフォンはなくてカードロックだけされている仕組みだ。

 扉の近くに備え付けられている監視カメラの映像から、誰が訪問してきたのか確認してみると、悠木汐音が立っていた。

 汐音なら訳も聞かないでもいっか。と思って、扉の電子ロックを解除して、中に入れてあげることにした。

 

「随分とすんなり中に入れてくださるのね」

「知らない仲でもないんだし、気にしないよ」

 

 汐音とはもう友達関係みたいなものだしね。どんな事情があるにせよ、追い返す気はまったくないんだし、話しなら直接中に入れて聞いてあげたい。

 

「で? どうしたの?」

「……聞きましたわよ」

「何を?」

「茜さんが大魔法使い級ということと纏さんのことですわ」

 

 茜ちゃんと纏の力のことは隠さないといけないことでもなかったし、組織内でも徐々に情報が拡散されつつあった。たぶんそのときに偶然耳にしたんだね。

 

「突拍子もなさすぎてにわかには信じがたいのですけど、事実なのですわよね」

「はい。……こんな風に」

 

 もう一度、操作の領域に踏み込んだ魔法を再演してみせる茜ちゃん。それに、一瞬目を奪われていた汐音だったけど、すぐに我に返った。

 

「――……まさか、本当に……操っていますのね」

「すごいでしょ」

「なんであんたが自慢げに語っているのよ」

「茜ちゃんが自慢だから」

「あ、そ」

 

 素っ気ない……。もう少し構ってくれてもいいのに。寂しい。

 

「これで二人目の大魔法使い級ということですのね」

「久遠と茜ちゃんの二人だよね」

「自分で言うのもなんですけど、まだ私自身がそんなにも凄い魔法使いだなんて実感が湧いてきませんね」

 

 急に格上げされると仕方ないかもね。昨日まで何でもなかったのに、突然新聞の一面に載ってちやほやされるような感覚だったりしてね。そんな経験、私はないけど。なんとなくそんな感じなんだろうなって思う。

 

「いいこと、それはあなたのためだけに備わった才能であって、誰かに譲れるようなものではありませんわ。だから、自分の力には胸を張りなさい。それが持って生まれた者の責務ですわ」

「……そうですね。絶対に使いこなして、けが人の治療にも役立っていけるように頑張ります」

「それでいいですのよ。……ところで、治療とは何のことですの?」

 

 あれ? そこまで聞かされていないのかな。

 

「魔力を操作することによって、体内の病原菌などを破壊して、自己回復力を促すことが出来るのです」

「そんなことも出来ますの?」

「練習……次第ですけど」

 

 いまはまだ、免許資格を持っていない医者が執刀するような、そんな危険な段階にある。たまたま成功していたから良かったものの、本来はあまりにも危険すぎる行為だ。

 でも、茜ちゃんの成長次第では新しい技術を生みだすきっかけになるかもしれないという。確かに、魔法による治療は存在しないと言われ続けていたのだから、可能性は十分に秘めている。

 

「何か困ったことがあれば、私に相談して頂戴。もしかしたら、力になれるかもしれませんわよ」

「えっ! 本当ですか?」

「もしかしたら、ですけどもね」

 

 操作を使える魔法使いは、久遠曰く過去に数人いたとのことで、力になれそうもないなんて言っていたのに。意外な所に協力者発見だ。

 

「まさか汐音ちゃんも操作が出来ると言うの?」

「操作とはちょっと似ている程度ですわ。私の魔法。覚えていまして?」

「犬を造形する魔法だったかしら」

「シェパードですわ」

 

 犬種なんてどうでもいいと思うのだけど、なぜか汐音ってそこにこだわるんだよね。好きなのかな、シェパード。

 

「それで、その……どう力になれるのですか?」

「先に見てもらった方が理解しやすいと思いますわ」

 

 濃密な魔力が床に染みわたるとやがて立体化し、シェパードへと形をなしていく。まるで、地中にずっと潜んでいたかのように、汐音の魔力に呼応して出現した。

 こんなことを言うとまた怒られると思うけど、やっぱりゾンビが土から生き返るかのような姿と重なってしまう。

 そんな不気味さがあるのと同時に、神秘に触れているような感傷も秘めていた。

 

「これがどうかしたのですか?」

「見てなさい」

 

 シェパード型の創造物が生きているかのように動き始める。

 首が動き、前足が動き、後ろ足が動き。その様は、まさに一つの生命体と呼んでも差支えないような動き。

 

「すごく滑らかに動きますね」

「私は今、この子たちに対して、各部の動作を命令していますのよ」

「命令……ですか」

「ええ」

 

 ピタッと動作を止めるシェパード型の創造物。魔法なのに、汐音のペットみたいな利口さだ。

 

「ただ心の中で念じているだけで、この子は首や足を動かしているのですわ。攻撃を命じればそのように動きますし、私を守るように命じれば身を挺して庇ってくださいますのよ」

「意のままに汐音が操作しているんだね」

 

 なんかロボットみたい。

 

「……操作?」

「あ……そういうことですか」

「残念だけど、ちょっと意味合いは違いますわね」

 

 動けと念じれば動いて。攻撃と念じれば攻撃して。守れと念じれば守って。汐音の操り人形みたいだけど、違うのかな。

 

「あくまでも私のは命令ですの。茜さんのように魔力を操っているのではなくて、魔法を操っているのですわ」

「魔力と魔法の違いってこと?」

「そう。たったそれだけのことですけど、大分感覚は違ってきますわ」

 

 魔力は私たち魔法使いが持つ負の力のこと。いってみれば、エネルギーとでも言い換えられるし、筋力のような物とも言い換えられる。それぞれが持つ力量のこと。

 そして、魔法は魔力を媒体にして、発生させる不可思議な能力。

 魔力と魔法はまったくの別物なのだ。

 

「魔法は各自が保有する個性ですわ。ですけど、魔力は違いますわ。魔法使いが……いえ全人類が持つ負の力ですもの、魔法とは訳が違いますのよ」

「そっかあ、そうだよね。量はそれぞれでも、魔力なんて人を形成する要素の一つのようなものだしね」

 

 血の流れを意図的に変えたり、或いは電気の流れでもいいし。そんなことは普通に考えて不可能なことだもんね。そりゃ無理ってもんだよね。

 

「でも、それが私の操作と汐音さんの命令とどう関わってくるのですか」

「ごらんなさい。私は、念じるだけで魔法に命令をしているですわ。自慢ではありませんけど、私と同じ魔法を持つ者がいたとしても、ここまで精緻に動かせる魔法使いはそうそういないと思っていますわ」

 

 姿かたちはアレだけど、確かに動作は本物と大差ない。

 

「ですので、違う観点からなら、茜さんの力になれるかもしれないと思ったのですわ」

「……汐音さん」

「これぐらいのことでしか手助けになれなくて、申し訳ないのですけど」

 

 まだ出会ってからそんなに時間は経っていないのに汐音なりに、茜ちゃんのことを考えてくれていたんだ。

 もしかしたら、これが白聖教団の良いところなのかもしれない。

 共同のスペースが用意されていたり、相部屋で生活させたりと。仲間意識の強さを再認識させられた。

 

「ありがとうございます。すっごく参考になりました」

「本当かしら!」

「はい。念じるだけで十分ということに、ちょっとヒントを感じました」

「そうですの?」

「意識的に操作しようとするのではなく、汐音さんのように自分の身体の一部だと思えるように、心がけていけばいいんじゃないかと思ったんです。魔法が個性だと言うのなら、私の操作だって個性とも言えますし」

 

 繊細さが問われる技術でもあるんだし、言われてみれば確かに立派な個性と言える。

 かなり稀少で、過去に数人しか確認されていないみたいだし、茜ちゃんの言う通りかも。

 

「そうね。初めのうちは私も苦労したものだけれど、気が付いた時には無意識になっていましたわ。確かに、あまり気にしすぎない方が上手くいくのかもしれませんわね」

「そうですか。参考になります」

「茜さんさえよければ、私のことを頼ってくださって構いませんわよ」

「いいんですか?」

「せっかく、本質のよく似た魔法使いと出会えたんですもの、力になって上げたいのですわ」

「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいますね。汐音さん」

 

 良かったね、茜ちゃん。一人でコツでも掴んでやっていけ。なんて言われて四苦八苦することになりそうだったけど、汐音のおかげで何とかいけそうで良かった良かった。

 私も影ながら応援してあげよう。

 

「……ふふ。妹が出来たようですわね」

「汐音でも、緋真さんみたいなことを言うんだね」

 

 汐音は緋真さんとはまた違った雰囲気だし、意外な気がする。でも、汐音と茜ちゃんが姉妹……か。どうしてだか、緋真さんよりかはしっくりとくる関係だね。

 

「そ、そんなつもりで言ったわけじゃありませんのよ。ただ、似た者同士だから、なんとなくそう感じただけですわ」

「えっと……それじゃあ、お姉ちゃんと呼んだ方がいいですか?」

「それは遠慮しときますわ。第一、緋真が聞いたら八つ当たりしてきそうですもの」

 

 本当にやりそうだね。初対面の時でも、いきなり姉呼ばわりして欲しいって言われたし。まあ断ったけど。汐音だけお姉ちゃんって呼んでいたら、どうなることかは大体予想できるってもんだ。

 

「それじゃあ汐音さん、で良いですか」

「ええ、今まで通りでいいですわ」

 

 とりあえず、茜ちゃんの件はこれで解決しそう。ここに来てから、いい方向に進んでいそうで一安心だ。

 

「――また、こんな日が来るなんて、思いもしませんでしたわね」

「汐音さん?」

 

 郷愁の滲んだ汐音の声音に首をかしげた茜ちゃん。

 そんな茜ちゃんの髪を優しく、壊れ物を扱うように手の櫛で梳きながら、汐音は微笑み返していた。

 

「何でもありませんわ」

 

 そう取り繕っていた汐音の横顔は、とても儚げで切なさが張り付いていた。

 それは懐かしさに浸るものではなく、むしろ悔しさに近い何かだった。

 



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103話

 暇だ。

 あれから数日経ったものの、私たちは特にすることもなく、ただ気長に日々を教団内で過ごしていた。

 緋真さんと父さんとの怪我が完治するまで、組織の方針としては活動を控えることになっていたからだ。

 取りあえず、室内に籠っていても誰もいないし、そもそもやることもない。気晴らしに散歩でもしようかな。

 まだ、教団内のメンバーとも打ち解けられていない魔法使いもいるし、そうしよう。

 

「あれ? 彩葉ちゃん?」

 

 部屋を出て戸締りをしたところ、茜ちゃんが通りかかった。

 

「どこか行くんですか?」

「みんなと交流をしようと思って。ほら、まだあまり知らない人もいるし」

「彩葉ちゃんなら、すぐに誰とでも打ち解けあえそうですよね」

「そうかな」

 

 あまり自覚したことはないけど、長年連れ添ってきた茜ちゃんのお墨付きならそうなのかな。

 

「それはそうと、もう終わったの? 看護体験」

「いえ、これからですよ」

 

 組織が消極的な動きになってしまっている間、職場体験と称して私と茜ちゃんと蘭は看護師をやってみた。結果、私と蘭はに合わなかったみたいで一日で諦めてしまった。

 ただ、茜ちゃんだけは自分自身の魔法のこともあってか、熱心に励んでいて、そのまま看護師をやり続けている。

 

「ナース姿の茜ちゃんも結構似合ってるよね」

「ありがとう。でも、彩葉ちゃんも似合っていたのにもったいないですよ」

「んー……普段じゃ絶対に着ることがないから新鮮だったけど、アレを着こなすのは私にはちょっとハードルが高いかな」

 

 ナース服とかドレスとか。憧れのようなものはあるのだけど、一度着たらもういいやって思えてしまったんだよね。物欲とかそういう感覚に似てるかも。手に入ればそれで満足してしまう感覚。

 

「緋真さんも褒めてくれていましたのに」

「何着ても褒めてくれそうだけどね……」

「そうかもしれませんね。――あ、私。そろそろ急がないと」

 

 慌てた風に部屋の鍵を取り出す茜ちゃん。そういえば、私が部屋を出るちょっと前に出掛けた茜ちゃんは何しに戻ってきたんだろう。

 

「忘れ物でもしたの?」

「ナースキャップを忘れてしまいまして」

 

 ああ、そういや被ってないね。

 

「そっか。それじゃ、私はその辺ブラブラしてるね。お仕事頑張って」

「はい」

 

 さて、出だしに戻ったわけだけど、どうしようかな。

 組織のメンバーには、茜ちゃんと同じく昼間はキャパシティで護師とか医師とかやっている魔法使いも結構いて、随分と静かになっている。

 一応、キャパシティは白聖教団の表向きの姿で通っているわけだから、仕方ないのだけど。

 

「あれ? あそこにいるのは」

 

 ブラブラと当てもなく歩いていると、ざっと数えて十匹ぐらいの子猫に囲まれている紗綾ちゃんを見つけた。

 朝ごはんでも与えているみたいで、寄ってたかって紗綾ちゃんに群がっている状態だ。

 

「紗綾ちゃんが猫の世話をしてるの?」

「別に」

 

 ああ、そうなんだ。

 

「猫。好きなの?」

「別に」

 

 ああ、そうなんだ。……どうしよう。このあとどう続けたらいいんだろう。

 

「猫。可愛いね」

 

 これしか出て来なかった。

 

「……うん」

 

 お、いい反応。子猫を切っ掛けに紗綾ちゃんとの距離を縮められるかもしれないね。

 もうちょっと深く関わるために、しゃがみ込んで紗綾ちゃんがやっているように子猫を撫でてみる。

 やだ、なにこの子たち。可愛い……。毛並みがいいし、触り心地もいい。抱っこしたい。けど食事中はまずいだろうし、後でやってみよう。

 そのうちにお腹いっぱいになった子猫が、紗綾ちゃんの足元にすり寄っていった。その子猫の毛並みを紗綾ちゃんの指が撫でる。

 気持ちいいのか、満腹になったのか知らないけど、紗綾ちゃんの足元で寝る態勢を取っている。

 やだ、なにあの子。可愛い……。なにより、紗綾ちゃんとツーショットになっている姿が良い……!

 

「その子、かなり懐いているね」

「――シロ」

「え?」

「この子の名前」

 

 名前も付けてあげているんだ。やっぱり紗綾ちゃんがお世話係をやってるっぽいね。

 

「ちなみに名前の由来は?」

「毛が白いから」

「へ、へえ。良い名前だね」

 

 やっぱり、思った通りだった。何というか、見たまんまのネーミングセンスだ。

 

「他にも付けてある。あの子はクロ。ホワイト。ブラック。ブラウン――」

「あ、いや、いまはいいよ。一気に覚えられそうにないし、今日はシロだけ覚えとくよ」

「そう」

 

 ふー危うく十匹分一気に語られるところだった。というか、後半英語になってるだけじゃん。次会ったとき、どっちがシロでホワイトなのか分からなくなりそう。見分け方聞いとかないと。

 それにしても、子猫を撫でてる時でも表情一つ変わらないんだね。私なんてにやけてしまいそうなのに。

 でも、名前を付けてあげたり食事を与えてあげたりと、何かと可愛がっているように思える。紗綾ちゃんに懐いているのがその証拠だ。

 

「他には動物を飼ってないの?」

「うん。この子たちだけ」

「親とかいないの?」

「いない。私が拾って来たり、貰ってきたりしたから」

 

 捨て猫か。面倒見がいいんだね。それに、無表情で感情が出てこないけど、根はすごく良い子なんだと思う。

 

「猫ばっかり世話している辺り、本当は好きなんじゃないの」

「うん」

「あれ? さっきは別にとか言ってなかったっけ」

「言ってない。聞き間違えているだけ」

 

 おかしいな。確かに別に、て言ってたはずだけど。もしかして適当にあしらわれただけ? 単にめんどくさがってたりとか。

 いや、でも最初よりは受け答えしてくれるようになっているんだし、心を開いてくれているんだ。そう解釈しよう。

 

「なんでみんな捨てたり、誰かに譲ったりするの?」

「そりゃあ、複雑な事情とかがあるんじゃないかな」

「面倒が見れないなら、初めから飼わなきゃいいのに」

 

 それを言われると……上手い言葉が出て来なくなって言いよどんでしまう。

 

「世の中、色々な人がいるから仕方ないよ。家の事情とかでペットが飼えなくなったりとか、子供が増えすぎたから、誰かに面倒を見てもらおうとか思ったんじゃないかな」

「……」

 

 続きを促す様な沈黙を私に向けてくる。

 

「でも、こうして紗綾ちゃんみたいに引き取ってくれる人がいて、この子たちも幸せ者だよね」

「……」

 

 沈黙が続き、紗綾ちゃんは子猫を優しく撫でている。次第に他の子猫たちもやってきて、まるで母猫のようになっている。

 

「無責任。ペットも家族の一員のはずなのに、手放すなんておかしい」

「そう……かもしれないけど」

「何があっても、一緒にいてあげてほしい」

 

 紗綾ちゃんは子猫を抱いて、それはもうお母さんといった風に見える。並々ならぬ愛情を注いでいるんだと一目で分かる。

 

「ねえ、紗綾ちゃん。……立ち入ったことかもしれないけど、何かあったの? 良かったら相談に乗るよ」

「何もない」

「そっかぁ」

 

 本人がそう言うのだから、あまり聞き出そうとしない方がいいよね。

 私のことを嫌っている風には見えないし、今日のところはちょっとだけ距離が縮めることだけを専念しておこう。

 

「暇だし、私も一緒に子猫の世話をしていてもいいかな?」

「うん。じゃあ、まずは名前から憶えてもらわないと」

 

 そこに戻ってきたか。仕方がない腹を括ろう。どんなややこしい名前でも憶えてやる。

 差し当たっては、紗綾ちゃんが抱いている子猫からだ。

 

「その子は確か、ホワイトだよね」

「……違う。シロ」

 

 ホワイトとシロ。どっちも毛並みが白なのに、どうやって見分けを付けているんだろう。

 

「あ、じゃあ! あの子はクロだね」

 

 紗綾ちゃんの足元にすり寄っている黒い毛並みの子猫の名前を当ててみる。今度はどうだろう。

 

「この子はブラック」

「……ねえ、どっちも毛並みの色が一緒だけど、どうやって見分け付けているの?」

「ブラックはオス。クロはメス」

「あ、なるほどね。性別の違いかあ」

 

 そっか。それなら簡単に見分けも付きそうだし、名前も憶えやすそう。

 

「じゃあ、白い毛並みの子はシロちゃんとホワイトくんかな」

「どっちもメス」

「そう……。シロちゃんとホワイトちゃんってことなんだ」

 

 どうしよう。この分だとクロとブラックしか分かりそうもないんだけど。

 

「目の色を見て」

「目……? あ、ほんとだ。ちょっと違うね」

 

 緑の瞳と青っぽい色の瞳。これが見分けの付け方なんだ。

 

「一応聞いとくけど、どっちがシロでどっちがホワイトなの?」

「緑がシロで青がホワイト」

 

 良し。憶えた。元々の名前が単純だから、この調子でいけば全員分いけそうだ。

 子猫をダシにしてしまっているようだけど、おかげで紗綾ちゃんと仲良くなれそう。子猫には感謝しているよ。

 

「あの子はコハク」

「て、ちょっといきなり色以外の名前! せっかくいい感じだったのに」

「目の色を見たら分かる」

 

 黒と白が混じった毛並みで茶色っぽい瞳。

 ああ、頭がこんがらがってきた。

 立て続けに名前を教えてくれているところ悪いのだけど。ごめん、紗綾ちゃん。数匹しか憶えられる自信がないや。



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104話

 私たちはいま、組織のリーダー久遠の号令によって、大きな広間へと連れられていた。

 

「急な呼びかけにも関わらず、みなよく集まってくれました」

 

 集められたのは私、茜ちゃん、蘭、纏、覇人、緋真さん、白亜、父さん。そして、初めて対面する誰か。――誰?!

 

「まだ名乗っていなかったな。ワイは|導きの守護者(ゲニウス)第五番。柱玄蔵(はしらげんぞう)だ。よろしく頼むぞ」

 

 風貌だけで圧倒されそうな大きい体格をし、そこそこ年取っていそうな男性が名乗ってくれる。これで毛深かったらまるで熊みたいに見えそう。

 

「熊みてえなオッサンだから、すぐに覚えられそうだろ」

 

 私が思った感想そのものを覇人が口にした。

 

「おっさん……て相変わらずひどい奴だな、お前は。これでもワイはまだ30だ」

 

 え?! 嘘!……じゃなくて、あやうく本音が漏れそうだったけど、かろうじて抑え込む。さすがに初対面相手に失礼なことを言うほど、礼儀知らずではない私。

 

「見た目と違って、中身はかなりいい人だから怖がらなくてもいいのよ」

「おおそうだ、何かあれば遠慮なく頼ってくれて構わないぞ」

 

 確かに何でも受け止めてくれそうな、どっしりと構えているような感じがする。緋真さんとは違う意味で頼れそうだ。

 

「えーっと……それじゃあ、まあその時は頼らせてもらうね」

「彼は守護者内でも最古参の方。学ぶべきところも多いでしょう」

 

 如何にも年季が入ってそうだから、なんだかしっくりきてしまう。

 

「そうね。隠しているつもりなのか知らないけど、とんでもなく“強い”ことぐらいは、はっきりと伝わって来るわ」

「ほう……分かるのかい」

「これでも色々な魔法使いを相手にしてきたのよ。中でも、あんたは別格のように思えるわ。それこそ、A級クラスの戦闘員と同格かそれ以上ぐらいに」

 

 蘭の指摘に何故か横で緋真さんが誇らしげにしている。ということは、その通りなんだね。

 

「そっちのお姉ちゃんは中々に鋭い洞察力を持っていそうだ」

 

 強そうって言われれば、第一印象的には確かにその通りだ。見るからに鍛え抜かれた体格がそれを物語っている。だけど、それはあくまでも見かけだけ、蘭が言いたいのはその更に奥の魔法使いとしての本質的な部分なんだろう。

 長年魔法使いと対峙して実践経験も豊富な蘭だからこそ見抜いたんだね。さすがというべきの観察眼で感心してしまう。

 

「ちょっと。玄蔵、あなたねえ、私の妹に色目を使うつもりなら、まずは私を倒すことよ!」

「落ち着け。俺はちっちゃい女の子に手を出す気なんかないわ。もっと色っぽい姉ちゃんでないとな」

 

 あ、いま微かに緋真さんがいらっとしたような。

 

「私の蘭が可愛くないって言いたい訳ね。あなたはどこに目を付けているというの?!」

「誰もそんなことは言っとらん。まったく、目にかけている者への愛着はいいが、少々度が過ぎていると思わんか? なあ」

「げ! 俺に振るなよ。なあ?」

「だからって、どうして俺に回すんだ」

 

 柱さんから覇人へバトンが回り、そうして纏へと送られる。非常に迷惑そうな二人。

 

「覇人。あなたも同じことを思っていたのね」

「……ノーコメントで」

 

 なんだろうこの感じ。組織の主力が全員集結しているというのに、やけにアットホーム感があって、裏社会で恐れられている噂の秘密犯罪組織のイメージが崩れ去りそうなんだけど。

 

「それと、お姉ちゃんが源十郎の娘だな」

「うん、そうだけど」

「母親に似て成長したようだ。どことなく面影を感じさせてくれるわ」

 

 それは、わりとよく言われることだった。正直、父さん似と言われるよりも全然嬉しいから悪い気は全くしない。

 

「柱さんって、母さんのことを知ってるの? 確か、母さんってここの一員じゃなかったんじゃなかったっけ」

「メンバーでなくとも、源十郎の嫁だからな。普通に出入りしとったぞ」

 

 部外者の立ち入りが許可されてるなんて、もう秘密犯罪組織なんて言えないような。何というか、思っていた以上に自由すぎる組織だ。

 

「それにお姉ちゃんのことは赤ん坊の頃から見てきてる」

「――え?」

 

 何それ。私が赤ちゃんだったころ? 両親からは物心が付く前までは、この二十九区に住んでいたとは聞いていたけど。

 

「なにせお姉ちゃんは――」

「玄蔵――先にこちらの用事は済まさせてくれないか」

「ん? そうだな。昔話はまたゆっくりと時間が取れた時に回そうか」

 

 私の知らないこと。ちょっとだけ気になるけど。ま、今はいっか。

 どうやら緊急の話しがあるらしくて、呼び出されたみたいだし、そっちの方が優先だよね。

 

「時間が惜しい。源十郎。さっさと始めてくれ」

 

 白亜が急かすように言い、久遠が先を進めるように視線で父さんに合図を送る。

 

「では、本題に入らせてもらう。今回、研究に大幅な進展があったので、その報告とこれからの方針についてだ」

 

 いきなりだけど、私に付いて行けそうにない話題が出て来た。というか、そもそも父さんの研究って……内容まったく知らないんだけど。

 

「ねえ……今まで私、聞いたことがなかったけど、父さんって何の研究してたの?」

 

 断片的に死者を扱った研究とは教えられたことはあった。でも、具体的な内容は聞いていない。

 

「そういえば、まだ何も話していなかったな。僕は、魔具についての研究を行っていた」

「へぇー、そういうことなのね。道理で魔具に詳しいわけだわ」

 

 長い間、アンチマジックに所属していた蘭ですら把握していなかった魔具の秘密。

 大体の人たちは、魔力が込められた兵器という認識。だけど、私たちはあの研究所を見てしまった。

 魔法使いの収監施設でもあり、魔具の生産を行っているという。あのおぞましい施設。

 

「原理は話した通りだが、ついに魔具の生産方法が判明した」

「マジかよ。これでちったぁ楽できるようになりゃいいんだけどな」

「奴らの持つ兵器。さて、どういう過程であんな物が作られているのか、聞かせてもらうぞ」

 

 みんな、興味津々といった様子。正直、私には魔具の生産だとか、原理だとか小難しい話しはどうでもいいのだけど、空気を読んで期待に満ちた目を向けておく。はい! 私。興味あります。早く教えてください! そんな見栄っ張りな雰囲気を出す。うんうんと適当に頷いていこう。

 

「残念なことだが、僕が最初に予想していた要素が使われていた。あの研究所に囚われたことで、ようやく全貌が掴めたんだ」

「てことは、奴ら……本当にそんなことをしてやがったのか」

 

 珍しく、怒りを見せる覇人。

 

「何か、良くない事実なのか?」

「あたしたちは今、初めて聞いたことだから、ちゃんと説明して欲しいわね」

 

 蘭もこう言っていることだし、納得をさせてもらわないと。

 

「研究所と言われますと、どうしてもあの光景を思い出しますね」

「血の臭いと囚われた魔法使い。まるで拷問施設かのような、ロクでもなさそうな場所だったな。とても兵器の生産施設とは思えなかった」

 

 うげ、思い出したくもないことを。

 

「いい着眼点だ。だが、紛れもなくあそこでは、魔具が作られていた。――魔法使いを材料にしてな」

 

 魔法使い? それって私たちのこと? それじゃあ、魔具の正体が魔法使いってこと? よく分からない。だから小難しい話しは嫌いなのに。

 

「人から武器を造りだすなんて……そんなことあり得るとでも言うのかしら?」

「正確には、魔力だ。つまり、魔法使いの血液が必要となってくる」

 

 血液には魔力が宿っている。だから、怪我などをして血を流してしまうと魔力が漏れてしまうことになる。その血を採取してるってことなんだろう。

 

「あ、なーるほど。だから、魔具には魔力が宿っているんだね」

「魔法使いに対抗するには、同じく魔法使いの力がいる。なにせ、連中は魔力を持たないからな。戦う術を模索した結果なのだろう」

 

 そっか。それであの有様だったんだ。そういえば、父さんや緋真さんも随分と血を抜かれていたし、私たちが駆けつけるのが遅かったら、魔具にされてしまっていたのかもしれないんだ。そう思うと、なんだか無性に怖くなってきた。

 

「でも、それってようするに人体実験ってことだよね」

「そんな……そんなことって……それじゃあ、魔法使いよりも、アンチマジックの方がよっぽど悪じゃないですか。どうして、私たちがこんな目にあって、あの人たちは平然としていられるんですか」

 

 崩れた屋根の下敷きになって、焼死した茜ちゃんのお母さん。その姿をただ見ているだけで、助けられなかった自分の無力さに為すすべもなく、落ち込んだ茜ちゃん。

 自分の無力さを呪い、責め立て、その果てに辿り着いたのが魔法使い。

 優しさから自分を追い詰めてしまった結果だ。

 他人からしたら、仕方がなかったと。そう言ってしまえばおしまいなんだけど、茜ちゃん自身ではそうは思えなかった。

 アンチマジックが行っていることと茜ちゃんの境遇。比べれば、どちらの方が魔法使いに相応しいかなんて考える間でもないこと。

 もちろん、卑劣極まる残虐な魔法使いも中にはいるだろうし、そういうのと比べるとどっちもどっちな気もするけど、茜ちゃんとだとスケールが大分違う。

 

「処罰しなければならない者に向けての兵器だ。そこにあるのは、正しい行いをしているという自覚。例え、人体実験などに手を染めていたとしてもだ」

「物事の捉え方次第で、世の中は違って見えるものだろうからな」

 

 白亜の言い分は確かにそうなんだろうと。一理あるなと感じた。

 でも、それでも。理不尽さのような気持ちは消えそうにない。

 

「俺のコイツも誰かの犠牲の上に造られたものなのか」

 

 腰にぶら下がっている纏の魔具――|“散りゆく輝石の剣”(クラウ・ソラス)。

 凄まじい力を持つそれも、実は魔法使いから造られていた。そして、それでまた違う魔法使いを倒してきた。

 

「すまない。謝って許されるとは思っていないが、俺はコイツで何人もの魔法使いを――」

「人の世とは、誰かの犠牲なしには成り立たないもの。そう気に病むものでもあるまい」

 

 自分のやってきたことに深く落ち込む纏にフォローを加える白亜。よし、私もその流れに乗ろう!

 

「そうそう。第一、蘭なんて纏以上に色々やってきてるしね」

「あんたも数に入れてやってもいいのよ」

「ちょ――! こわっ! 魔眼禁止!」

 

 睨み殺してきそうなほどに鋭い目力。魔眼特有の模様や瞳の色が変化していることで凄みが何倍もあるんだよね。ほんと、魔法を脅し道具にするのは止めましょう。ダメ! 絶対!

 というか、緋真さんはどうして微笑まし気にしているの! 蘭の制御はどう考えても緋真さんが一番うってつけなのにぃ!

 

「魔法使いでない君がこの世界で生き抜くには魔具は必須だ。だが、扱いには十分に気を付けることだ。先日のように飲み込まれる危険性も兼ねていることを忘れるな」

「分かってます」

 

 唯一、この場で何のことか分かっていない柱さんは首を傾げる。そっちには、後々説明をするからということで一旦、流される。

 

「何はともあれ、今まで奴らに捕えられていた同胞たちは、全員その魔具に変えられていたようだな」

「覇人の活動も無駄に終わらなかったことがせめてもの救いか」

 

 “回収屋”として計三か所の研究所を襲い、魔法使いを解放させた覇人。こういう気分の悪くなるような話しを聞いた後だと、胸がスッと楽になるような感じがする。よくやった! 覇人。

 

「でも、嫌な話だわ。こちらの犠牲がアンチマジックの戦力になるだなんて……ああ、もし私があのまま魔具にされてしまって、蘭や彩葉ちゃんたちを傷物にさせるようなことになるかと思うと、ゾッとするわ」

「そうね。あたし、いま初めて魔法使いになって良かったと思ってるわ」

「緋真さんを利用して、私たちと争わせようとするのはさすがに酷いもんね」

 

 外道、極まれり。もう正義とか悪とか関係なく、人としてどうかって問題だよ。

 

「緋真の心配ばかりで、彩葉は僕のことを気に掛けてくれているのだろうか」

「え? ああ……うん。もちろん、心配だったよ。だから、父さんを一番最初に助けたんだから」

「……そうか」

 

 成行きだけど、言わないでおこう。だって、嬉しそうにしてるし。

 そんな父さんの照れを覇人が茶化しているけど、まったく気にしていない様子。むしろ、自慢げに父想いの娘だとか語っている。やだ、側で聞いてて恥ずかしくなってくるから今すぐ止めて欲しい。

 

「当面は犠牲者を減らすべく、無理な争い事は避けるようにしなさい。これは、組織全体の優先事項です」

「了解した。下の者へもそう伝えておこう」

 

 これでも、私たちも幾度もの戦いを潜り抜けて来た。そして、ことごとく生き残ってきた。まずはこの経験を活かして、自分たちの身ぐらいは守らないと。

 

「そういうことならば、ワイもそろそろ持ち場を戻らせてもらおうか。あっちの状況もあまり良くないもんでね」

「手古摺っているのか」

「どうやらワイの戦線とは別に、連中は別ルートからも来ているようでな。そっちの方に手が回らん状況になっとる」

「緋真らを追ってきた方とは違うルート。なるほど、彼女らの方か」

 

 そこで、白亜が私たちに目を向けてくる。はて、なんだろう。

 

「彩葉ちゃんたちを追ってたアンチマジックの連中よ。別行動していたのだから、当然それぞれの方から追ってくるわよね」

 

 あー、そういう話し。完全に振り切ったのだと思ったけど、まだ諦めていなかったんだ。

 

「でも、態勢を立て直しているんじゃなかったんですか?」

「現在は、水蓮月と神威殊羅の二名が留まっています。ここしばらくの間であちらもある程度は持ち直しているのでしょう」

「それってヤバいんじゃないの? だって、こっちはまだ父さんと緋真さんの傷が治っていないんでしょ」

 

 結構な重傷だったから、完治までにはまだまだ時間はかかりそうだけど。

 

「心配ご無用よ。茜ちゃんのおかげでほとんど全回復してるわ」

 

 強がってなさそうだし、顔色も良し。体力的にも問題なさそうに見えるし、目に見えていた傷なんかも塞がっている。

 

「え? 茜ちゃん。もうそこまで力を使いこなせるようになったの?」

「まだだいぶ時間はかかりますけど。それでも以前よりは上達しました!」

 

 はー……凄いね。成長が早いなあ。ここで変に対抗心燃やすのはおかしいけど、茜ちゃんが一番魔法使いとして成長してしまってるみたい。そんな茜ちゃんを何故か緋真さんが自慢げにしている。その役割は私なんだけどなぁ。

 

「あ、そうだわ。ところで、彩葉ちゃんたちはどこからここに辿り着いたの? 玄蔵が動けないのなら、私たちの誰かが向かうべきだと思うわよ? マスター」

「いえ、その必要はありません。すでに手は打ってあります」

「あら? そうだったの?」

「先日、紗綾と汐音を向かわせました。彼女たちならば、直に片付くでしょう」

 

 そういえば紗綾ちゃん、今日は子猫とじゃれ合っていなかった。せっかく仲良くなれそうだから、会いに行ったのに。けど、そういう事情なら仕方ないか。代わりに私が世話をしておこうかな?

 

「ふむ。なら、ワイは自分とこに集中させてもらおうか。なにせ、緋真らを追ってきただけあって、厄介なことに練度の高い戦闘員が数名潜んでいてな」

 

 私たちと緋真さんたちとでは、戦力も規模もまるで違っていたらしいし、やっぱり一人だと苦戦してしまうんだろう。

 

「一人で苦しいでしょうが、玄蔵に委ねることこそが現状の最善手です」

「……マスターの意向ならば、立派に役目を果たさないと、古株としてのメンツが立たないってもんだ。外敵を全て退けて戻ってくることを誓おう」

「期待していますよ」

 

 私よりも五つか六つぐらいしか年の差が離れてなさそうな若い女性なのに、絶大的な信頼を置かれている久遠という人物に安心感を覚えていた。

 側に控えている白亜もそうだし。蘭曰く、かなりの実力を兼ねている柱さんなどの魔法使いが従順になっている。父さんや緋真さんだって、並外れた魔法使いだし、もちろん覇人だってそう。

 みんな誰一人文句を言わず、如月久遠という魔法使いの下に付き従っている。

 だから、なんだろうか。この奇妙な安心感を覚えてしまうのは。

 それは、久遠の立ち振る舞いがそうさせているのかも知らないし、分からない。

 

「彩葉さんたちはこの場に残っていてください。あなたがたにやってもらいたいことがあります」

 

 だけど、一つだけは分かる。

 久遠に付いていけば、間違いないってこと。

 きっと私の進むべき道はここにある。



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