たとえ全てを忘れても (五朗)
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第一部 新たなるFate編 第一章 ナニモナイオトコ
プロローグ 出会い


 気分転換に書いているので、更新は不定期です。


 

 

 ―――雨が、降っていた。

 

 夕焼け空は、黒くぶ厚い雲に覆われ、周囲は人の住んでいない廃屋ばかりなので、人の気配も、小さな灯火もなく。

 そこは、一足早く夜を迎えていた。

 そんな中を、一人の少女が走っていた。

 背の小さな、美しい少女である。

 時と共に強まりだした雨足と夜の闇の中にあっても、その少女の美しさを隠す事は出来なかった。

 雨と汗で濡れながらも消えぬ艶を秘めた髪は、満天の星空を思わせる漆黒。ツインテールの髪型にしたそれは、走る少女の動きに応じてゆらゆらと揺れている。闇の中、髪を結わえているリボンに付いた銀色の鐘がキラリと光る。丸い顔と丸い頬。背の低さと幼さを感じさせる顔立ちから、十を幾らか過ぎた子供のようにしか見えない。しかし、服の上からでもハッキリと分かる程の豊かに成熟した胸元と、透き通るような青みがかった円らな瞳に感じる幻想的な雰囲気から、子供と断じる事はできなかった。

 そんな子供とも大人とも言えない不思議な少女が、うらぶれた路地裏を駆けていた。 

 

 

 

 

 日が沈み始めた頃にポツポツと降り出した雨は次第に強さを増し、今では足元も見えない程激しくなってしまっていた。頭の上で両腕を交差し、少しでも雨から身を守ろうとするが、もはや全く意味をなしていない。息は荒く、少しでも早く教会へと足を必死に動かすが、まだまだ先は長い。既に全身は雨に濡れてしまっている。急ぐ意味はもうないにも関わらず走っているのは、もはや意地だ。

 ……もしかしたら、今日も勧誘に失敗した事に対する鬱憤も関係しているのかもしれない。

 

「―――っまったくもうっ! 踏んだり蹴ったりとはこの事だよっ!!」

 

 苛立ちを紛らわすかのように、激しさを増し続ける曇天へと向け吠えるが、逆に開いた口の中に微妙な味の雨粒が大量に入り、軽くえずいてしまう。うえっとえづいた拍子に、足がもつれバランスが崩れる。咄嗟に両手をわたわたと動かし、崩れかけたバランスを整え何とか転げるのを防ぐ。

 

「っと、と、ととっ―――っあっぶないなぁもうっ! て、……あれ?」

 

 と、その時だった。

 倒れる寸前、顔が地面にダイブするぎりぎりの位置で何とか踏みとどまった少女の視界が、白い何かを捕らえる。

 訝しげに首を傾げ、目を細めるが、まともな明かりがない中、何かが転がっているのは何とか見えたが、それが何なのかは全く分からない。

 雨の降りしきる中、そんな些細な事を気に掛けている場合ではない。

 しかし、何故か少女は、不思議と迷うことなく足をその何かが転がる方向へと向けていた。

 

「―――っ!? わわっ!? だっ、大丈夫かい君っ!?」

 

 手で触れられる距離まで近づいたところで、地面に転がるそれの正体が、倒れた人間の男であると気付いた少女は、慌てた様子で声を掛けるも、男からの返事はなかった。それどころかピクリとも動く気配もない。原型がわからないほどにボロボロになった服を身につけた男の姿は、野盗に襲われた哀れな犠牲者を思わせた。

 もしやと思い少女が男の口元に手をやると、微かにだが息をしていた。

 安堵の息を吐いた少女だったが、このままではいけないと意識を切り替えるように首を振ると、男の身体を揺さぶり始めた。

 

「な、なあ君、このままだと風邪をひくだけじゃすまないよ。少しでも雨をしのげる所に行かないと。ほら、起きて、動くんだよっ」

 

 少女は必死に男を起こそうとするが、男の意識が戻る気配は全くなかった。少女は途方に暮れそうになるが、やがて覚悟を決めるかのように一つ力強く頷くと、男の両手を持つとゆっくりと歩き出した。しかし、少女の身長は百四十セルチ程度であり手足は見るからに華奢である。対する男の身体は百七十セルチは超えており、ボロボロの服の隙間から見える体は鍛え抜かれたそれであった。少女の細腕では、一メドルも進むのにも重労働である。

 しかし、それでも少女は放り出すことなく、身も知らない男を引きずり続けた。

 

「っ、はっ、ぅ、くっ、……ほん、とうに、ボクは何をやって、いるんだろうねっ! こんな、ところ、誰かに見られたらっ、いったい、何を、言われるやらっ!」

 

 ぶつぶつと文句を口にしながら男を引きずる少女だが、男の腕を掴む手はしっかりと握り締められていた。

 寝床である教会まで先は長い。

 一向に捗らないファミリアへの勧誘。

 僅かなバイト代が唯一の収入源の質素過ぎる日々の生活。

 そして、今日こそはと気合を入れるが散々な結果に終わり、更には大雨に見舞われてしまう中、見知らぬ男を拾い、重いその身体を教会まで引きずっていく現状。

 へたり込みそうになる気持ちに喝を入れるため、少女は空を仰ぐと大きな声で吠えた。

 

 

 

「ッ―――負けるもんかぁぁぁあ…………!!」

 

 

 

 

 

 



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第一話 ベル・クラネル

「エイナさあああああああああああああんっ!!」

 

 ダンジョンを運営管理する『ギルド』で働く窓口受付嬢であるエイナ・チュールは、唐突に聞こえた自分の名を呼ぶ声に手に持っていた小冊子から顔を上げた。

 エイナ・チュール―――ギルドの制服である黒のスーツとパンツで身を包み、受付嬢として『ギルド』で働くハーフエルフである。

 澄んだ緑玉色の瞳にセミロングのブラウンの髪。艶のある髪の間からのぞくのは、ハーフである事を示すかのように普通のエルフよりも僅かに短い尖った耳。その容貌もまた、一つの芸術のように完成されたエルフのそれとは違う、何処か角の取れた容貌をしている。しかし、それは彼女の魅力を損なうようなものではなく、逆に親しみを感じさせ、更に魅力を感じさせるものであった。

 そのエイナは、自分を呼ぶ声の持ち主が誰であるかを察すると、薄い唇を苦笑の形に変え声が聞こえてきた方向に顔を向けた。

 自分の名を呼ぶ声の主。

 顔を見なくとも分かるまだまだ大人と呼ぶには早い幼ささえ感じさせる声の持ち主は、エイナがダンジョン攻略のアドバイザーとして監督している少年であった。歳は十四。声の調子の通り、まだ年端もいかない子供である。種族どころか、老若男女関係なく文字通り誰でも冒険者となれるが、同じく犠牲となる者も老若男女関係はない。エイナは初めからその少年―――ベル・クラネルが冒険者となることに良い顔は出来なかった―――が、しかし、そんな年端のいかない子供が危険極まりないダンジョンにもぐるというのに、実の所エイナは余り心配はしていなかった。

 何故ならば―――。

 

「エイナさぁぁぁああああああああああんっ!!」

「まったく、今度は一体どうしたの? ベ―――」

 

 眼鏡をかけ直しながら駆け寄ってくる人物へと顔を向けた瞬間、エイナは悲鳴を上げた。

 

「っきゃあああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁっ!!?」

「アイズ・ヴァレンシュタインさんの情報を教えてくださああああああああぁぁぁぁっ!!!」

 

 それは仕方が無いことだろう。

 何故?

 当たり前だ。

 だって突然全身が余すことなく黒い血に染まった件のベル少年が、駆け寄ってきているのだから。

 しかも満面の笑みで。

 ……それはまあ、悲鳴を上げるのも仕方が無いことだろう。

 

 

 

 

 

「本当にもうっ! キミは一体どういうつもりなの? 返り血を浴びたのなら、『ギルド』に来るその前に身体を洗ってくるのが常識でしょ」

「はい―――はい―――はい、すみません……」

 

 小さく身体を縮こませながらペコペコと頭を下げる少年―――ベル・クラネルは、ギルド本部のロビーに設けられた小さな一室で仁王立ちするエイナに幾度も謝っていた。悲鳴を上げた後、今度はそれに倍する怒声を上げたエイナにより、ギルドにある風呂場に叩き込まれ丸洗いされたベル。お陰で血で染まった髪は、元の処女雪のような真っ白へと変わっていた。

 ホカホカと微かに湯気を立ち上らせる頭を必死に下げるベルの頭を、三角となった目で見下ろしていたエイナだったが、椅子の上で小さな兎のようにプルプルと震えるベルの姿を見ているうちに、あっという間に怒りが萎みきってしまう。

 小さくため息を吐いたエイナは、気を取り直すように頭を左右に振った。

 

「はぁ……それで、どうしてまたあの(・・)アイズ・ヴァレンシュタイン氏の情報が欲しいの?」

「えっ!? ……そ、それは、まあ、なんというか……」

 

 エイナの言葉に顔を赤くしたベルは、もじもじと身体を揺らし始めると、先程何があったのかを語りだした。

 ダンジョンにある程度慣れて来たということで、5階層に下りたのはいいが、そこで突然落石にあってしまったこと。

 その際、仲間とはぐれてしまったこと。

 どうにか合流しようとしたが、そこで5階層にいるはずがないミノタウロスに遭遇してしまったこと。

 逃げたが直ぐに追い詰められ、今にも殺されそうになったその瞬間、『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインに救われたこと。

 まあ、その際、アイズ・ヴァレンシュタインが切り裂いたミノタウロスの返り血で全身を真っ赤に染められはしたが……。

 そして救ってくれた礼を言おうとしたが、当の救い主(アイズ・ヴァレンシュタイン)に手を差し伸べられた瞬間、緊張と羞恥が膨れ上がりパニックを起こしてしまい、その場から逃げ出してしまったこと。

 ベルの話を聞いていたエイナは、話が進む毎にその秀麗な美貌が険しくなっていく。

 しかしベルはそんな様子に気付くことなく、頭を下げた姿勢で必死にアイズの情報を教えて欲しいと願い出す。

 

「……ねぇ、ベルくん。そういえば聞いてなかったんだけど、()はどうしたのかしら?」

「え? 彼? ……っ、ぁああっ!!?」

 

 目だけ笑っていない笑顔で問いかけられたベルは、最初その言葉の意味が分からずポカンとしていたが、直ぐにそれが意味するところを思い出し、悲鳴じみた驚愕の声を上げた。

 

「っど、どど、どどっどっどうしましょうかエイナさんっ!? もしかしたらダンジョンにまだいるかもしれませんっ?!」

「どうしましょうじゃないわよベルくん! もうっ、まったくいくら慌てていたからって、一緒にいた人のことを忘れていたなんてもってのほかよっ! あなたよりも先に冒険者になったとはいっても、彼もまだ駆け出しと言ってもいいぐらいなんだからっ!」

「すっすみませんっ!! い、今すぐダンジョンに戻って―――」

 

 エイナの言葉で一緒にダンジョンに潜っていたファミリアの仲間の事を思い出したベルは、慌てて椅子から立ち上がろうとした―――が、

 

「―――落ち着け」

「ぷぎゃっ?!」

 

 頭の上を押さえ込まれ、強制的に椅子に押し戻されてしまった。

 

「っ―――え?」 

「あ」

 

 頭を押さえながら顔を上げたベルと驚きに小さく口を開いたエイナの視線が向けられた先には、一人の男。

 ダンジョンから真っ直ぐギルドへと来たのだろう。服の間から覗く浅黒い肌や服は、返り血や砂埃で汚れていた。砂埃でうっすらと黄色に染まった白い髪は無造作に伸びており、その鋭い眼差しを僅かに隠している。男はその白い髪を掻きながら、伸びた髪の隙間から厳しい視線をベルへと向けていた。

 

「……ダンジョンには美少女との出会いを求めて潜っていると言っていたが、まさか本気で言っていたとはな」

「あ―――え、っと……その~」

「しかしだからといって仲間をダンジョンに置いたまま、女の情報を求めにギルドに向かうほど薄情とは思わなかったぞ」

「ちょ―――そ、そんなことはっ!?」

 

 腕を深く組んだ男は、重いため息を吐くと小さく頭を振った。

 目を細め厳しくベルを睨み付ける男。

 

「同じ男としてお前の気持ちも分からんでもないが、時と場合をよく考えてから行動しろ。その内酷い目に遭うぞ」

「っ、ご、ごめんなさい」

 

 俯いて今にも泣き出しそうな声音で謝るベルをチラリと見下ろした男は、ふっと口元を緩ませた。

 ぽん、とベルの頭に手を乗せた男は、乱暴な手つきでその頭をこねくり回した。

 

「ふわあっ?!」

「―――まったく、仕方がない奴だな」

 

 最後に軽くベルの頭を拳の背で叩いた男は、エイナへと顔を向けた。

 

「すまなかった。どうやらこいつが迷惑をかけたようだな」

「……はぁ、もういいですよ。あなたこそ無事でよかった」

「ああ、心配をかけてしまったようだな」

 

 頭を振って安堵の息を吐くエイナの姿に苦笑を浮かべた男は、頭を抑えて唸っているベルの首根っこを掴むと、部屋のドアへと向かって歩き出した。

 

「あ、ちょ、ま、待って。エイナさんに聞きたい事が―――」

「アイズ・ヴァレンシュタインの事なら心当たりがある。俺の分の換金は済んでいる。お前はまだだろう。さっさと終わらせて家に帰るぞ。腹を空かせて待っている奴がいるだろうからな」

「えっ! ちょ、ほ、本当ですか!? 本当にヴァレンシュタインさんの事を知っているんですか!?」

「心当たりがあるだけだ。彼女が所属するファミリアの行きつけの店を知っている。教えてやるから今度行ってみろ。それはいいから、さっさと行くぞ」

 

 不満顔を一変。ぱあっ、と輝くような笑顔で見上げてくるベルに若干いらっとしたのか、男は首元を掴む手に力を込める。

 

「あ、ちょ、い、痛いですって」

「痛くしているんだ。全くこの馬鹿が。それではすまなかったなエイナ。迷惑をかけた」

「いいえ……少しは手加減してあげてね」

「……考慮する」

 

 ひらひらと軽く手を振るエイナに小さく会釈した男は、痛みで唸り声を上げるベルを引きずりながら部屋を出て行った。

 パタンとドアが閉まり、部屋に一人残されたエイナは、部屋を出る間際見せた男の顔を思い出す。

 

 

 

「……全く、厳しいんだか優しいんだかわからない人ですねあなたは―――ね、シロさん」

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしております。
 
 メインの気分転換に書いているので、更新は不定期です。
 また、一回の更新の文字数は5千文字以下の予定となっております。


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第二話 憧憬一途

 『ダンジョン』と通称される地下迷宮の上に築かれた都市『迷宮都市オラリオ』。

 この巨大な都市には、実に様々な種族がいる。ヒューマン、亜人(デミ・ヒューマン)、エルフ、ドワーフの他にも、数多くの種族がこの都市で生活をしていた。彼らがこの都市に住む理由、それはこの都市の通称である『迷宮』―――つまり『ダンジョン』が関係していた。彼らの多くは、このダンジョンにもぐり、そこから得た収入で生計を立てていた。そんな彼らを、俗に『冒険者』と呼ぶ。

 常に生死を背中合わせにしてダンジョンにもぐる彼らは、己を鼓舞するかのように地上に上がれば生を謳歌するかのように騒がしい。その熱に当てられたかのように、都市は常に活気に満ち溢れていた。

 とはいえ、何処にも例外というものは存在する。

 ここもその一つである。

 都市のメインストリートから外れ、細い裏道の奥。何度となく曲がり角を曲がった先に、袋小路に辿り着く。

 そこには忘れ去られた建物があった。

 人気のない裏路地の深くに建つそれは、うらびれた教会であった。

 建てられた当初は荘厳であったであろうが、忘れ去られた今では、最早倒壊寸前の廃屋でしかない。

 わざわざ人が来るような所ではない―――筈なのだが、何故かそんな建物の前に二人の人の姿が。

 

「ぼーっとするな。いくら人気がないとは言え。絶対なことなどない。さっさと中に入るぞ」

「あ、ご、ごめんなさい」

 

 男―――シロはベルの背中を叩くと、扉の代わりに布で塞がれた玄関口をくぐり教会の中へと入っていく。その後ろを、我に返ったベルが慌てて追いかける。外見と同じく、教会の中も今にも崩れ落ちそうな半壊状態―――ではなかった。

 確かに古い。

 所々掛けた壁や天井が見られるが、雨漏りがないようしっかりと補修がされているし。教会としての名残がみられる祭壇は、罰当たりな事にシーツが掛けられ簡易的なテーブルとなっていた。外見からは想像もつかない小奇麗な中との落差は、ベルにとって、初めてここに来た時ほどの驚愕はないが、今でも僅かに違和感を覚えるほどであった。

 毎度の事ながらも感心しながら周囲を見渡していたベルは、シロが祭壇の方向へと歩いていくのを見て慌ててその後をついていく。

 

「どうやら下にいるようだな」

「みたいですね」

 

 シロとベルの二人は、祭壇の先にある小部屋へと向かう。その小部屋は、本の代わりに掃除道具や保存食が置かれた本棚が置かれていた。物置小屋と化したかつての書斎の奥。そこにある棚の裏には、地下へと繋がる階段があった。

 覗き込めば階下が見えるその浅い階段を下りた二人は、下りた先にある扉の前に立つ。扉に設けられた小窓からは、炎特有の暖かな明かりが見えた。ベルの前に立つシロは、躊躇なく直ぐにその扉を開いた。

 

「―――今帰った」

「神様ぁ~、今帰りましたぁ~。ただいまー!」

 

 扉を潜ったシロの後ろを手を上げたベルが部屋へと入る。

 二人が入った先の地下室。そこは、地下とは思えない場所であった。それは明らかに生活臭がする部屋だからといったわけではない。まあ、確かにそれも理由の一つだが、最大の理由ではない。では、最大の理由。それは、人が暮らすのには十分な広さをもったその部屋が、あまりにも綺麗であったからだ。

 一見すると、そこはアンティーク調のモデルハウスのように見えた。

 元は古くなったり壊れた物を拾ってきては修理したものなのだが、丁寧に修理され整えられたおかげか、年月を感じさせる風格を帯びた調度品が並べられたその部屋は、どこぞの貴族の一室を思わせる。こまめに掃除を行っているのだろう、部屋の何処を見渡しても塵や埃の一つ足りとも見つけられない。香か何かを焚いているのだろうか、地下とは思えない清涼な香りが何処からか香ってくる。

 廃墟同然の見た目の教会の地下が、何処か高級ホテルへと繋がっているかのようにさえ思えてくる。

 外の教会の惨状との余りの落差から、ベルはこの部屋に入る度に、自分が何かの魔法をかけられているのではないのかと不安に思ってしまう。未だこの光景に慣れないそんな自分に内心笑いながら部屋へと入ったベルは、部屋の奥に置かれた紫色のソファーに寝転がる少女へと声をかける。

 仰向けの姿勢で開いた本を見上げていた少女は、部屋へと入ってきた二人に気付くと、手にした本を放り投げ飛び起きた。

 

「お帰り二人共。今日はいつもより早かったね? どうかしたのかい?」

 

 その細い足で二人の下へと駆け寄ってくる少女は、一言で言えば少女……正確には幼女寄りの少女である。身長はベルよりも頭一つ分は低い。だが、それと反比例してその胸は大きかった。小走り程度の速度で動くだけでも、大きく揺れる程に。

 

「……あ~、と、その、実は……」

「こいつがどうやら一目惚れとやらをしたようでな」

「っな?!」

「ほほぅ!?」

 

 誤魔化すように頭を掻き、しかし、しどろもどろながらも今回の失敗を報告しようとしたベルであったが、それが形となる前に横からとんでもない事を口にされ、驚愕の声を上げた。

 二人の前に立つ少女は、顎に手をやりニヤリと口元を歪めると、どことなく底意地の悪い笑みを浮かべ頭を抱えるベルへと顔を寄せた。

 

「それは実に興味深いね。詳しく話を聞かせてもらおうか」

「うぐぅ」

 

 にやにやと笑う少女の前で、これから自身に降りかかる運命を理解したベルは、緩慢な動作で膝を抱えると、身体をブルブルと震えはじめ出した。

 床に座り込んで小さくなったベルの周りを、少女はぐるぐると回りながらからかいの言葉を投げかける。

 顔を真っ赤にして小さくなったベルを心底楽しそうに揶揄(からか)うそんな少女を、シロは呆れた目で見下ろす。

 

 ―――これが神だとは未だに信じられんな。

 

 そう、この幼女ともいえる少女は―――神、であった。

 文字通りの『神』。

 なるほど、確かに彼女は神と呼ばれても何らおかしくはないほどに美しい容姿をしている。

 銀の鐘の形をした飾りが付いたリボンでツインテールの髪型に纏められた腰まで長い漆黒の髪は、それ自体が輝いているかのように感じられるほど艶があった。身体つきもその幼い容貌とは反比例し、腰はくびれ胸は成熟しきり豊満に実っており、アンバランスさを含め一つの美の完成形にすら思えてくる。

 だが何よりも彼女を神と、人とは違うと感じさせるものは、その透き通るような青みがかった瞳。

 どのような宝石すら超える、幻想的な青の宝玉。

 将来は傾城、いや傾国の美女となること間違いないだろう少女だが、残念ながらこの少女はこれ以上成長することはない。

 ベルが口にした通り、彼女は―――『神』であるからだ。

 様々な種族が揃うこのオラリオ(都市)の中でも、文字通り次元の違う超越存在(デウスデア)

 神であるため、彼女は歳もとらず、これから幾年月を経ようとも、その姿形は変らない。

 

「そのへんで勘弁してやれ。それよりもさっさと夕食の準備をしろ。これ以上ふざければ、夕食は抜きにするぞ」

「なっ! そ、それはあんまりだよ!」

「ならさっさとテーブルの準備でもしていろ。ベルもさっさと起きて準備を手伝え」

「はっ、はい!」

「むぅ~、ボクは神様だぞ」

「神でも働かざる者食うべからず、だ」

「ふっふ~ん。いいのかな? そんなこと言って。今日は露天の売上に貢献したということで、このとおり大量のジャガ丸くんを頂戴したんだからねっ! 別に君の慈悲に縋らなくても問題はないんだよ!」

「ほう」

 

 先程まで寝転がっていたソファーまで走って戻ったヘスティアが、そのソファーの影に置いていた大量のジャガ丸くんが入った紙袋をシロの前に突き出した。シロは紙袋の中を覗き込むと、ニヤリと口元を歪めた。

 

「ならばヘスティアは今日の夕飯はいらないと、まあ、それもいいだろう。だが、その際は俺特製の秘伝のタレの使用は許可できんがな」

「なっ、何だって!?」

 

 『ガーン』と後ろに効果音が現れそうな表情で驚愕するヘスティアに、部屋の奥に保存されていた何かが入った瓶を指差すシロ。

 

「当たり前だろう。タレとはいえあれも俺が作った料理の一つだからな。そのジャガ丸くんは塩でも振って食べるんだな」

「ぐぬぬぬぬぅ……!!」

 

 ぎりぎりと歯を鳴らしながら唸るヘスティアの頭に手を置くと、シロはくしゃりとその髪を軽く撫でた。うっ、と小さく声を漏らして動きを止めたヘスティアからジャガ丸くんが入った紙袋を取り上げたシロは、地下室の出口である扉へと向かって歩き出した。

 

「それでは上で夕食を作ってくる。まあ、今日はこれがあるからな、そんなに時間は掛からんだろう」

「は~い!」

「むぅ……」

 

 扉の向こうへと消えた背中に向けて元気よく返事するベルの隣で、神である少女は顔を俯かせシロから撫でられ少しばかり乱れた髪に触れて何やら唸っていた。

 

 

 

 

 

 ―――遠い昔、『天界』から地上へと下りてきた『神々』。その目的は、言ってしまえば暇つぶしであった。何ら刺激もない楽園である天界で無限の時を過ごす毎日に飽いた神々は、神にとっては無駄としか思えない文化や営みを育む下界に生きる人間―――彼らから言えば『子供達』の世界に興味を持ち、下りてきたのだ。

 下界に下りてきた結果は、神である彼らの想像以上だった。

 平和で、代わり映えのしない無限の時がただ過ぎるだけの天界とは違い、この下界で起きる様々な出来事は一瞬の油断すら許さないほどの刺激に満ち溢れ、神々を楽しませた。

 全知全能に近い力である『神の力(アルカナム)』を封印してまでも、多くの神が下界であるこの世界に永住を決める程に。

 神の決定に、逆らえる者はおるはずがなく、むしろ『恩恵』を授ける存在である神々の存在は歓迎された。

 その神の一柱が、今シロの目の前で特製のタレをつけたジャガ丸くんを冬ごもりの栗鼠さながらに頬を膨らませ頬張る少女―――ヘスティアであった。

 

「―――それで、ベルくんが一目惚れしたっていう子はどんな子なのかい?」

「っぶ! っぐ、ケホッ、こほ、っ……な、何を―――」

「……ふぅ、少ししつこすぎじゃないか?」

 

 食事を終え、シロが入れたお茶で一服していた最中、ヘスティアが放った一言に、ベルはお茶を吹き出しむせ始めた。シロはそんなベルの背中を撫でながらジロリとヘスティアを睨みつけた。

 

「そうは言ってもだね。これは結構大事なことなんだよ。ほら、他のファミリアに入っている子だったら、もう軽く絶望的じゃないか」

「っう……」

「はぁ」

「あれ?」

 

 突然頭を抱えて泣きそうな声を漏らすベルと、呆れたため息をもらすシロの姿に、ヘスティアは戸惑った声を上げた。

 シロとベルの様子を交互に見てはっと何かに気付いた様子を見せたヘスティアは、そろそろとシロに近づくと、その耳元に口を寄せた。

 

「もしかして、ベル君が好きになった子は―――」

「ああ、その通りだ。ヘスティアも聞いた事があるだろう。ロキファミリアのアイズ・ヴァレンシュタインだ」

あの(・・)アイズ・ヴァレンシュタインかい?」

「あの、だ」

 

 暗い未来しか想像できない現実に絶望しているベルの隣で、こそこそと話し合っていた二人は、軽く目を見合わせると同時にため息を吐いた。

 

「はぁ~……全く、ベル君もとんでもない子に一目惚れしたね」

「ふぅ……全くだ。他のファミリアだけでも問題だが、更に相手があの『剣姫』。希望は無いといってもいいな」

 

 そう、シロの言う通りであった。

 【ファミリア】に加入している者は、同じ【ファミリア】に所属している者か、又は無所属(フリー)の異性と結婚する。別にそれを禁じる何かがあるわけではない。ただ、もし別々の【ファミリア】の者が結婚し、子供が出来た際、その子はどこの【ファミリア】に所属するのかが問題になるからだ。それが全ての理由ではないが、様々にある理由の一つである。別の【ファミリア】と深い繋がりが生まれれば、良い事もあるが、それ以上に問題が多く発生する。そのため、こういった事に対する神の目は厳しく。他の【ファミリア】の異性への恋は、無謀としか言い様のないものであった。

 こういった理由から、別の【ファミリア】の者とお付き合いする事は、はっきり言って『無理』の一言であった。

 その上、ベルが懸想する相手であるアイズ・ヴァレンシュタインはロキ・ファミリアを代表する冒険者の一人だ。

 ロキ・ファミリアの主であるロキが許すはずがない。

 

「あ~っ! もう仕方がないなぁっ! そんなに落ち込まなくてもいいじゃないかっ! ほらっ、落ち込むのは終了! 気分を変えるためにも【ステイタス】の更新でもしようじゃないか!」

「ぅ~……わ、わかりました」

 

 ヘスティアの言葉に、のろのろと起き上がったベルは、もそもそと鈍い動きで服を脱いで上半身を裸にする。のろのろと部屋の隅に置かれた簡易ベッドまで歩いていくと、倒れるようにその上に転がった。うつ伏せに倒れたベルの色素の薄い肌をもつ背中には、びっしりと黒い文字が書き込まれている。

 これが、神の『恩恵』―――『神の恩恵(ファルナ)』だ。

 「えいっ」と掛け声とともにうつ伏せになったベルの背中にヘスティアが飛び乗る。

 

「さて、それじゃ始めようか」

 

 ごそごそと身体を動かし、丁度ベルのお尻の位置で落ち着いたヘスティアが、取り出した針を自身の指先に当てた。プツリと指先に生まれた小さな血の玉を、ヘスティアはベルの背中へと滴り落とす。

 ベルの背中へと落ちた神の血は、まるで水面に石を投げ入れたかのような波紋を生み出した。

 血が落ちた場所に指を落としたヘスティアは、ゆっくりとベルの背中をなぞり始めた。そして、左端から文字でも描くように、刻印(・・)を施していく。

 これが、『神の恩恵(ファルナ)』である『ステイタス』の更新。

 神々が扱う【神聖文字(ヒエログリフ)】を、神血(イコル)を媒介にして刻むことにより、刻み込んだ対象の能力を引き上げる神々にのみ許された力だ。

 『神の恩恵(ファルナ)』である『ステイタス』の更新に必要なものは一つ、【経験値(エクセリア)】である。

 成し遂げた事の質と量の値―――形のないこれらを使用し、神々は【神聖文字(ヒエログリフ)】を塗り替え付け足すことにより、対象の能力を向上させ、そしてレベルアップさせる。地上では『神の力(アルカナム)』を使用しないというルールを定めた神々が唯一地上で使えるこの力でもって、地上の神々は下界の者達に持ち上げられていた。

 

「そのアイズ・ヴァレンシュタイン、だっけ? ベル君には悪いけど、諦めたほうがいいね。噂に聞くだけでも物凄く強くて美人だって言うじゃないか。届かない高嶺の花ばかり見てたって時間を無駄にするだけだよ」

「うぅ……そんなぁ……」

 

 きついヘスティアからの言葉に、ベルが泣き言と共に枕に顔を埋もらせた。

 

「ほらほらそんな声出さない。はい、これで終わりっ! と。さて、そんな叶わない恋はさっさと忘れて、また新しい出会いでも探してみな。君ならきっといい子に出会えるよ」

「……あんまりだよ神様」

 

 ぴょんっ、と背中からヘスティアが飛び降りると、ベルは顔を歪ませながら身体を起こすが、ベッドから降りずにそのまま座り込んでしまう。そこに近づいてきたシロがベルの頭に手を置くと、何時もよりも優しげな声をかけた。

 

「―――ヘスティアはああ言っているが、人の恋路がどうなるかなどそれこそ神でも分かりはしない。ベルの気の済むまで頑張ってみろ」

 

 俯いたままベッドから動かないベルの頭を乱暴に撫でて慰めの言葉をかけたシロは、次に背後で用紙に更新した【ステイタス】を書き写しているヘスティアの頭を軽く叩いた。

 

「ぅわ!」

「お前はもう少し言葉を選べ」

「ぅ~、わ、わかってるよ……だけど、その、相手が【ロキ・ファミリア】の子だって思ったら、つい……」

「ああ、そういえば【ロキ・ファミリア】の主神とは仲が悪いんだったな」

 

 シロに叩かれた頭を押さえていたヘスティアは、不意ににやりとした笑みを浮かべた。そして上から見下ろしてくるシロに向かって胸を強調するような仕草を見せた。

 

「仲が悪いって言うか、まあ、ひがんでるんだよあいつは、胸がないからね。ボクのこの胸を羨ましくてしょうがないらしい」

「……ぁぁ、そうか」

 

 ふふんっ、と鼻息荒く見つめてくるヘスティアに、シロは哀れなモノを見るかのような目線を向けた。期待した反応を示さなかったシロにヘスティアが不満の声を上げようとしたが、それよりも先にシロの手がヘスティアの持つベルの【ステイタス】が書き写された用紙を掴み取り、ヘスティアに背を向けた。

 

「ベル」

「あ、ありがとうございます」

 

 ぶーぶー騒ぎながら掴みかかろうとするヘスティアを背中を向いたまま押さえつけるシロが、シロとヘスティアのやり取りを見て乾いた笑みを浮かべていたベルにステイタスが記された用紙を差し出した。ベルは一瞬このまま神様を無視して受け取っていいものかと躊躇するも、まあ何時もの事かと気を取り直し差し出された用紙を受け取った。

 

 

 

 ベル・クラネル

 

 Lv.1

 

 力:I77→I82

 

 耐久:I13

 

 器用:I93→I96

 

 敏捷:H148→H172

 

 魔力:I0

 

 《魔法》

 

 【 】

 

 《スキル》

 

 【 】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ヘスティア」

「わかってるよ君の言いたい事は」

 

 シロが続く言葉を告げる前に、ヘスティアは頷いた。

 ヘスティアは夕食の後片付けのためキッチンへと向かうベルの背中を見つめながら、シロが口にするはずだった言葉を形にした。

 

「ベル君の【ステイタス】の事だろ」

「ああ、何故伝えない」

「う、そ、それは……」

 

 口ごもるヘスティアをシロはジロリと睨みつけた。

 

「まさかとは思うが、ただの嫉妬だとは言うまいな」

「っ!!!?」

 

 シロの言葉にビクリ身体を震わせ、驚いた猫のしっぽのようにツインテールの髪がピンと立つ。

 図星かと片手で顔を覆いため息を吐くシロに、慌ててヘスティアが言い訳を募る。

 

「い、いや、その、そういうわけじゃないんだ! ほ、ほんとう、本当だよ! ほら、あれだ、何というか、そう、アレなんだよ!」

 

 結局何がいいたいのかわからないめちゃくちゃな言い訳をするヘスティアに、シロは無言でプレッシャーを掛け続ける。それでも言い訳を続けていたヘスティアだったが、直ぐにしゅんと小さくなると、肩を落とした姿のままポツポツと言葉を漏らし始めた。

 

「だ、だって、なんだか悔しかったんだよ。何というか、可愛がっていた弟が取られてしまったというか……」

「はぁ……まあいい。これはこれで都合が良かったのかもしれん」

「え? 都合がいいって?」

 

 

 顔を上げたヘスティアが首を捻ると、シロは細めベルの背中に記された【神聖文字(ヒエログリフ)】を思い出す。

 

「ベルのあの《スキル》は、自覚させない方が効果が高そうだからな」

 

 ベルの背中―――【ステイタス】のスキル欄。

 ベルに渡した用紙には記されていなかったその欄には、本当は一つのスキルが刻まれていた。

 

 

 

 《スキル》

 

 【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)

 

 ・早熟する。

 

 ・懸想(おもい)が続く限り効果持続。

 

 ・懸想(おもい)の丈により効果向上。

 

 

 

 

 

 




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第三話 幻

 ―――ぃ―――

 

 

 ――――――ぁ……い―――

 

 

 ―――――――――せん―――い―――

 

 

 

 ―――おはようございます―――先輩…………

 

 

 

 ■ ■ ■ の名を呼び―――

 

 

 

 

「―――っ」

 

 

 

 

 ―――目を覚ます。

 

「………………ぁ?」

 

 開かれた目に映るのは、何を掴もうとしたのか、天井へと伸ばされた浅黒い自分の(見慣れない)手であった。

 夢と現が入り混じる奇妙な感覚に、一瞬目眩を感じ顔を顰める。口の中に感じるのは鉄の味。噛み締めた口元に血が滲んでいた。

 伸ばしていた手を胸元に引き戻し、ゆっくりと身体を起こす。自然と周囲を見渡した視界の中には、眠りこけているヘスティアとベルの姿がある。

 それも仕方のないことだろう。まだ日が昇る前の時間帯、未だ夜は明けていない。

 しかし、そんな時間だというのに、眠気は一切感じられない。

 原因は―――。

 

「……今、のは……」

 

 ベッド代わりのソファーに上半身を起こし、片手で顔を覆い小さく呟く。

 思い出すのは、目覚める前のこと。

 ()が失われる狭間に消えた影。

 意識が世界に浮上するその最中に聞こえた声。

 姿形は見えなかった。

 声、だけであった。

 暗い、闇の中。

 黒に染まった世界の果てから聞こえてきた声は、確かに少女の声であった。

 だが、それがどんな声だったのかは、もう思い出せない。

 低かったのか、高かったのか、怒ったものだったのか、悲しげなものだったのか、嬉しげなものだったのか……何もかもわからない。

 ただ、一つだけ。

 一つだけわかる(、、、)事は―――

 

 

 

 ―――守らなければ

 

 

 

 カノジョヲマモラナケレバ―――

 

 

 

「っ、く―――!」

 

 

 

 

 激痛が―――

 

 

 

 

 ―――ギ、チリ―――

 

 

 

 

 ―――走った。

 

 

 

 

 

 身体の内側から切り刻まれるような、まるで、何十、何百といった刃で全身を切り刻まれるかのような痛み。悲鳴を上げる余裕さえ生まれない閾値を超える苦痛と、寒気―――否、虚無感。

 魂が、別の何かに塗り替えられているかのような。

 自分が自分でなくなるような嫌悪感。

 許容量を遥かに超えるあらゆる感覚の嵐に視界が白く塗り替えられる中、シロが最後に見たのは、美しい菫色の―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――っ

 

 

 ――――――さん。

 

 

 ―――――――――ろさん。

 

 

 

「―――シロさん?」

「っ!?」

「シロさん。どうかしたんですか?」

 

 はっと顔を上げたシロの前には、心配気に首を傾げるベルの顔があった。

 戸惑ったような視線を向けてくるベルに声をかける事なく、シロはどこか茫洋とした眼差しで周囲を見渡し始めた。

 空は既に明るいが、空の端にうっすらと黒い影が見える事から、まだまだ早朝であることは間違いない。日中の人の多い時は歩くのも難しいほどに混雑する商店街を歩く者がまばらだからだ。

 

「シロ、さん?」

 

 何時もと様子が違うシロの姿に、ベルの心配気な声に真剣味が混ざる。

 と、

 

「……ああ。いや、何でもない」

 

 ベルの心配に首を左右に振りながらシロは口元に笑みを浮かべた。

 

「どうやら少しばかり、呆けていたようだな」

「シロさんにしては珍しいですね」

「弁解のしようがない」

 

 小さく肩を竦めるシロに、ベルは何処か嬉しげな笑みを浮かべた。何時も何時も完璧な姿を見せる兄の隙を見つけたかのような心情に、思わず浮き足立ったベルは、その心意気のまま歩く足の速度を早める。そのままシロの前に出たベルだったが、その足は背後からかけられた言葉で止められてしまう。

 

「―――ベル」

「はい?」

「俺は―――いや……やはりいい」

「シロさん?」

 

 後ろを振り返り見上げてくるベルに、シロは苦し気な目で何かを言おうとしたが、直ぐに思い直すように目を閉じる。そして直ぐに目を開けると、ベルの格好と向かう方向を確認するとその横を通り過ぎベルの先へ歩き始めた。

 

「あ、まってくださいよぉ~」

 

 ベルの声を無視してそのまま歩き去るシロの後を、ベルは慌てた様子で小走りに追いかける。

 後ろから追いかけてくるベルの気配を感じながら、シロは早鐘の如く打つ心臓と焦りに満ちた内心とは裏腹な涼しい表情を浮かべていた顔を苛立ちによる歯ぎしりで歪ませた。

 

 

 ―――また(・・)、か……。

 

 

 初めてではなかった。

 こういった事―――記憶の欠落が起きるのは。

 これが起きるのは何時も決まって、何かを思い出した時だけ。だが、思い出したという記憶はあるが、何を思い出したかが思い出せない。覚えているのは、ただただ痛みだけ。そう、何時もそうだ。何かを思い出したと思った瞬間、耐えられない苦痛が襲いかかってくる。痛みのあまりに気絶し目を覚ませば、身に覚えのない事をしている状態で意識を取り戻す。

 まるで、気絶している間、自分が他の何者かになっていたかのようで―――。

 

「「っ!?」」

 

 ベルがシロの背に追いついた瞬間、二人は同時に振り返った。

 二人の視線が、自分の背後を確認する。誰も自分たちを見ていない事を確認した二人は、互いに視線を交わし合う。

 

「……シロさん」

「ああ……視られていたな」

 

 敵意でも殺意でもない。

 かと言って好意的でもなく無機質なものでもない。

 徹底的に、奥の奥。隠された全てを暴き立てようとするかのような。相手の意思も感情も一顧だにしない、無遠慮な視線。

 頭だけでなく足も使ってぐるぐるとベルが忙しなく周囲を見渡すが、視線の主は見つけられない。道の真ん中でキョロキョロと顔と身体を動かすベルに、商店街を歩く者達の奇異の視線が向けられる。しかしベルはそんな視線を気にする余裕はなく、必死な形相で視線の主を探していた。

 

「……ベル。無駄だ」

「無駄、ですか?」

 

 ベルの肩に手を置いたシロが小さく首を横に振った。

 

「もう気配を感じない」

「―――そう、ですか」

 

 シロの言葉に、ベルは逆らわなかった。自分には全く感じられなかった何かを、シロは感じ取っていたのだと信じていたからだ。それほどまでに、ベルはシロに全幅の信頼を寄せていた。気を取り直すように勢い良く顔を振ったベルは、若干青白くなった顔で無理矢理に笑みを作る

 別に、こういった事はベルにとって初めてのことではなかった。

 最近だが、何度となく感じていた。最初はただの気のせいではと思っていたのだが、それが何度となく続けば、流石にベルでも分かった。

 僕は誰かに見られている、と。

 その正体不明の存在に不気味さと恐れを感じるが、シロが大丈夫だと言えば、それも大分和らぐ。

 

「あれ? シロさん?」

 

 不意に聞こえた背後からの声にベルが振り返ると、そこには一人のヒューマンの少女がいた。

 特徴的な服装の少女であった。

 白いブラウスと膝下までの若葉色のジャンバースカート、その上に長目のサロンエプロンを着た少女は、何処かの食堂の給仕なのだろう。これから市場に行く予定なのか、手には大きな買い物籠をぶら下げていた。

 後頭部でお団子にまとめ、そこから馬の尻尾のようにぴょんと飛び出たひと房の薄鈍色の髪をゆらゆらと揺らしながら、その少女は髪色と同色の瞳で戸惑った顔を見せるベルの横にいるシロを見つめていた。

 

「ああ、おはようシル。早いな、店の買い出しか?」

「はい。これから市場へ行くところですが、シロさんはこんな朝早くからダンジョンですか?」

 

 え? え と困惑しながらシロと少女の間で視線をうろつかせるベルをほったらかしに、シロは少女との会話を続ける。

 

「こいつと一緒に、な。そうだ、今日の夜にでも店に顔を出そうと思っているんだが」

「え!? ほ、本当ですか! わあっ、シロさんがお店に来てくれるなんて久しぶりですね。皆喜びますよ。特にアーニャなんて飛び上がって喜ぶと思いますよ。あの子シロさんが大好きですから」

 

 ぱあっ、とシロからシルと呼ばれた少女は笑顔を輝かせた。 

 

「っく、大好き、か。ただつまみ食いがしたいだけだと思うがな」

「は……はは。そ、それは確かに違うとは言い切れませんね」

 

 シロが苦笑いすると、シルも同じような困った顔で笑いながらも、しっかりと頷いてみせた。シロはそんなシルの様子にますます苦笑いを深めたが、気を取り直すように一息つくと、話を切り出した。

 

「まあいい。シル、一つ聞きたい事があるんだが」

「はい?」

「最近【ロキ・ファミリア】は店に来るのか?」

「【ロキ・ファミリア】の皆さんですか? ええ、良くこられますけど、どうかされたんですか?」

 

 ほっそりとした顎に細い指先を当て小首を傾げたシルが、疑問を呈すると、シロはそこでようやくベルへと視線を向けた。

 

「ん? まあ、俺、というかこいつが、な」

「え、っと……?」

 

 シロの視線を追いベルを改めて見直したシルは、説明を求めるようにシロへと顔を向けた。シルの無言の問いに、シロはぼけっとしていたベルの肩を叩いた。

 

「おい、ベル。彼女が働いている店が以前言った心当たりだ」

「え、あっ、そうなんですか。じゃ、じゃあ、その、えっと、は、初めまして。僕はベル・クラネルって言います」

 

 シロの言葉に、おろおろと顔を左右にふらふらと揺らしたベルだったが、胸に手を当て何とか動揺を落ち着かせると慌てて頭を下げて自己紹介をした。そんなベルの様子に目を丸くさせたが、直ぐにその目を笑みの形に細めると、同じように綺麗に頭を下げてみせた。

 

「はい。初めましてベルさん。私はシル・フローヴァです。それで、ベルさんは【ロキ・ファミリア】の方達に何か用があるのですか?」

 

 微笑みながらシルがベルに問いかけると、ベルはもじもじと身体を揺らしながらもごもごと小さく口の中で呟いた。

 

「あ、は、はい。その【ロキ・ファミリア】っていうか、その……アイズ・ヴァレンシュタインさんに……」

「ん? アイズ・ヴァレンシュタイン……って、ああ~そういうことですか」

 

 眉を曲げながらベルの聞き取りにくい小さな声を聞いていたシルは、ベルの言葉の中にあったアイズ・ヴァレンシュタインの名前と、その名を口にした時のベルの様子から事情を察すると、によによとした笑みを浮かべしたり顔で頷いて見せた。

 

「あ、あの、えっと、その、あはは……」

「ええ、【ロキ・ファミリア】の方達が来られるときは彼女も一緒ですよ」

 

 あっさりと自分の企みがバレてしまったベルは、乾いた笑いを漏らしながら誤魔化すように頭をかいてみせた。そんな初心なベルの姿に、シルはふふふと口元で笑う。シルの微笑ましげな者を見るかのような生暖かい視線に、ベルは頬を赤く染めると顔を俯かせていた。

 

「そ、そうですか……」

「『そうですか』、じゃないだろう。まったくお前という奴は……ふぅ、すまないなシル。まあ、そういうわけでな。もし、今夜俺たちが来る前に【ロキ・ファミリア】が来たら出来るだけでいいんだが、足止めをしてもらうことはできるか? 報酬はそうだな。新しいレシピでどうだ?」

「ん~……と母さんに聞いてみないとわかりませんが、多分大丈夫だと思います。以前教えてもらったレシピのお陰で、大分儲けさせてもらったって母さん言ってましたから」

 

 俯くベルの後頭部を叩きながら交渉を持ちかけてくるシロに、シルは「ん~……」と視線を彷徨わせた後、縦に頭を振る。

 

「そうか、それでは頼む」

「はい。それじゃあ、お気を付けて」

「シルも気をつけてな。―――おいベルしゃんとしろ。さっさと行くぞ」

「っわ!? っと、その、あ、ありがとうございました!」

 

 シロが片手を上げ返事をすると、まだ顔を俯かせていたベルの頭を一際強くはたいた。ベルはシロの一撃を受け、目を白黒させながら頭を押さえ慌てて顔を上げると、勢い良くシルへと頭を下げる。恥ずかしいのか顔を下げたおかげで丸見えとなった首筋が真っ赤に染まっていた。赤くなった顔を見られたくないのか、ベルはそのまま顔を下に向けたまま動かない。十数秒ほど様子を見ていたシロだったが、直ぐに痺れを切らすとベルの首根っこを掴み引きずるように都市の中央部、白亜の摩天楼施設へと向かう。歩く速度が速いのか、あっという間に小さくなるベルたちの背中に向けて、シルは大きく手を振った。

 

 

「―――お気を付けて」

 

 

  




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第四話 シロ

 ダンジョンは神様たちがこの下界に降りてくる前から存在していたという。

 そしてダンジョンの上には、今と同じように街があったそうだ。まあ、今ほど大きい街じゃなかったみたいだけど。そしてその街の中には、勿論ギルドが―――正確にはその前身となる組織もあったらしい。

 えっと、その、僕が何が言いたいのかっていうと、ずっと昔には、今と同じように旧ギルド連携してダンジョンに潜っていた人達がいて。ただ、その人達は、今の僕たちとは違って神様の『恩恵』がなかった。それでも、彼らはダンジョンに潜り、そしてモンスターと戦っていたってこと。

 初めてそれを知った時、僕は本当に凄いと思った。

 けど、信じられないという思いもあった。

 だって、僕なんて神様の『恩恵』を授かってやっと『コボルト』を倒せるぐらいなんだ。なのに、古代の人達はそんな神様の『恩恵』がなくても、己の力のみだけで凶悪なモンスターを倒していただなんてやっぱりちょっと信じられなかった。

 そう、信じられなかった(・・・・・・・・)

 過去形だ。

 

「―――っ」

『ギャッ?!』

 

 だって、僕は知っている。

 僕と殆んど変らないステータスの筈なのに、明らかに違う。

 

「ッ―――ハッ」 

『『『『グャァ!?』』』』

 

 早朝で他の冒険者と戦っていなかったからか、ダンジョンで遭遇したコボルドの集団は、なんと八匹の大集団だった。大抵、一、二匹でダンジョンを徘徊している筈のコボルトが、こんなに群れるところなんて聞いた事なんてない。そんな有り得ない筈のコボルトの集団といきなりかちあってパニック状態になる僕を尻目に、シロさんはまるで散歩でもするかのように無造作にコボルトの集団へと歩み寄っていった。

 何の警戒も見せず近付いてくるシロさんを、最初は戸惑った様子で伺っていたコボルト達だったが、直ぐに驚く程綺麗な包囲網を敷いてきた。でも、シロさんは八匹のコボルトに囲まれても慌てる事はなかった。 

 それどころか―――。

 

『『ギャオッ!!』』

「―――ふっ」

『『ギャン?!』』

 

 『コボルト』たちの攻撃を、まるで事前にどんな攻撃が来るのか知っているかのように紙一重で避け、両手に持った剣を振る度に確実に『コボルト』は消えていく。

 一度でも避けるのを失敗すれば、そのまま数の暴力で押しつぶされてしまうだろう。なのに、そんなギリギリの綱渡りのような戦闘の中でも、シロさんは涼しい顔をしている。

 僕は胸当てと脛当、そして手甲を着けているけど、シロさんは身を守るような装甲なんてない。身に着けているのは、何の防御能力なんてないただの赤い服だけ。カスリでもしただけで負傷してしまう。なのに、一切の恐れも不安もなく、まるで人形を斬るようにシロさんはモンスターを倒していく。

 

『―――キャンッ!?』

 

 とうとう最後の一匹が倒された。

 八匹いた筈のコボルトは、十を数える間もなく全滅。

 シロさんは汗一つ見せずコボルトの集団を殲滅してしまった。

 

「ベル、何をぼっとしている。お前が戦わないと意味がないだろう。ほら、さっさと魔石を取ってモンスターを探すぞ」

「―――あっ、は、はいっ、すみませんっ!」

 

 シロさんがコボルトから魔石を取り除きながら僕に声をかけてきた。シロさんの鷹のように鋭い目に睨まれて、僕は慌ててシロさんの手伝いに向かう。僕はシロさんが倒したコボルトから魔石を取り除きながら、チラリと横目でシロさんを覗き見た。

 僕が初めてシロさんに出会ったのは、生まれた村から出てこのオラリオに来て、何処かの【ファミリア】に入らせてもらおうと色々と回っていた時だった。何の伝手も実力もない僕が【ファミリア】に入らせてくださいと言ったところで、まともに相手をしてくれる【ファミリア】なんてある筈がなかった。十以上の【ファミリア】を回ったんだけど、全て門前払いされてしまった。良く知らない街で一人きり、これからどうすればいいか全く見当がつかず、途方に暮れていたそんな僕に、シロさんが声をかけてきたんだ。

 冒険者になりたいと聞いたシロさんは、最初思い直すように説得してきたけれど、僕が身寄りもなく、頼る人もいない天涯孤独と知ると、ため息混じりに神様のところへ連れていってくれた。

 その後、なんやかんやで僕はシロさんと同じ【ヘスティア・ファミリア】に入ることになった。

 それから、シロさんは神様と一緒に僕がダンジョンにもぐるための装備を整えてくれたり。

 戦いの手解きをしてくれたり。

 本当に、お世話になってばかりで。

 驚いたことに、熟練の冒険者だと思っていたシロさんは、僕より一月程前に冒険者になったばかりの新人だった。

 以前シロさんのステータスを見させてもらったけど、僕とそう変わらなかった。

 だけど、シロさんと僕はあまりにも違った。

 たとえ相手が最弱の『コボルト』でも、八匹に囲まれてああまで見事に倒せるなんて、僕には絶対に出来ない。

 

 ―――本当に、シロさんは何者なんだろう?

 

 僕は再度シロさんを見つめ直す。

 百七十C(セルチ)程の身体は、一見すると細く見えるが、その実極限まで鍛え抜かれた身体であることを僕は知っている。鋼を捩り人型にしたような、重圧さえ感じさせる肉体は、正直言って、男として憧れてしまう。

 服から覗く浅黒い肌は、日に焼けたと言うよりも、街で見かけるアマゾネスの人のように元からの肌色のようで。そして、その肌の色とは反対に、髪の色は色が抜けたような真っ白。僕と同じ色のその白い髪は、無造作に伸ばされてて、シロさんの鷹のように鋭い目を僅かに隠している。

 神様は時折シロさんを見ては、もう少し髪を整えればいいのにと言っているけど、当の本人は、何時も自身の髪を撫でながら苦笑を浮かべてはぐらかしていた。

 そんなシロさんが振るう武器は双剣。短剣よりも長く、長剣よりも短い剣を二本、シロさんは器用に操っている。形は一般的な刀身が真っ直ぐな剣じゃなくて、反りがある剣だ。珍しい剣だったので、前に僕が何処で買ったんですかと聞いたら、自作だと言われたのが随分印象に残っている。

 というか、本当に何でも出来るんだなこの人……。

 料理に家の修理、戦闘に武器の作成……オラリオ広しとは言え、この人よりも多芸な人はきっといないだろう。

 本当に、知れば知るほど驚いてしまう。

 武器もそうだけど、シロさんの防具についても驚いた。いや、ただの赤い服を防具と言ってもいいものか……。シロさんは僕に良く、もう少し防具を着けたらどうだと言ってくるけど、そういう本人の格好はというと、一切の防具をつけていない。だからその事を以前指摘したら、『別に当たらなければ問題ないだろう』だって。

 いや―――いやいや、何それ?

 有り得ないんですけど。

 でも、実際シロさんがモンスターの攻撃を受けたところなんて見たことはない。

 僕が【ヘスティア・ファミリア】に入る前は、シロさんは一人でダンジョンに潜って、魔石をとって稼いでいたって神様が言ってた。けど、普通一人でダンジョンに潜って稼ぐのは難しい。

 なのに、シロさんは僕が【ヘスティア・ファミリア】に入る一ヶ月の間だけで、【ヘスティア・ファミリア】の拠点である教会の改装のための道具や、色んな家具を購入するだけの資金を手に入れていた。

 僕たち冒険者のダンジョンでの主な収入は、モンスターから手に入る『魔石』と『ドロップアイテム』だ。どちらもモンスターを倒すことで手に入るけど、言うほど簡単な話ではない。『ドロップアイテム』はモンスターを倒したからって常に手に入るわけでもないし、『魔石』はモンスターを倒せば手に入るけど、無傷で手に入れるのは実は簡単ではない。そもそもモンスターと戦うこと自体が危険な行為だ。そして、モンスターを倒すのは勿論だけど、その倒し方が問題だ。手に入れたい『魔石』はモンスター達の『核』であり、これを基盤に彼等は生きている。つまり『魔石』はモンスターの生命そのものであり、最大の弱点だ。だから、モンスターと戦う際、『魔石』を狙うのが最も有効な方法なんだけど。『魔石』を砕いたら、換金できなくなる。

 モンスターを倒すには『魔石』を砕くのが一番だけど、『魔石』は手に入れたい。

 安全をとるか、お金をとるか……。

 モンスターとの戦いは常に死と隣り合わせだ。余裕をかましていれば、たとえベテランでも直ぐに死んでしまう。そんな中で、『魔石』を砕かずモンスターを倒すには、それなりの実力が必要。一対一なら僕でも問題はない。『コボルト』程度なら、だけど。二、三匹でも、まあ何とか出来ると思う。だけど、八匹を同時に、しかも囲まれた状態でとなると話は別だ。一旦逃げて、どうにかして一対一に持ち込むしかない。

 それなのに、シロさんはこうもあっさり……。

 これだけの実力があるのに、シロさんは五階層から下には下りない。シロさんの実力ならもっと前に下の階層に下りれた筈なのに、そうしないのは僕のせいだった。

 僕が、弱いから。

 僕の身を案じて、シロさんがダンジョンに潜るときは常に僕と一緒。

 こんな風に、シロさんの実力を感じる度に、僕は申し訳なさで一杯になる。

 僕がいなければ、シロさんはもっと下の階層に行けた筈なのに……。

 だから、僕は早く強くならないといけない。

 シロさんのためにも、神様のためにも、そして―――あの人に少しでも近づくためにも。

 今日は、朝知り合ったシロさんの友達? のシルさんが働くお店に行く予定だ。

 『豊穣の女主人』亭というそこは、ヴァレンシュタインさんが所属する【ロキ・ファミリア】の行きつけのお店らしい。

 もしかしたら、ヴァレンシュタインさんと会えるかもしれない。

 

 アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

 目を閉じれば、今でも鮮明に思い出せる。

 僕を助けてくれた時の、彼女の美しい姿が。あの人の事を想う度、宿った恋慕の熱が僕の身体を熱く燃やす。その炎を燃料に、僕は強くなってみせる。

 

「―――ベル。ゴブリンが三だ」

 

 シロさんの忠告が耳に届く。

 

「後ろは任せておけ。お前は前だけ見ていろ……強くなりたいのだろう?」

 

 シロさんの言葉に、刀身二十セルチのナイフの柄を強く握り締め―――頷く。

 

「振り向かせたい女がいるのだろう?」

 

 汗で滑る掌を、強く強く握り締める。耳にゴブリンの雄叫びが聞こえる。荒い足音も。音が大きくなるにつれ、僕の心臓も激しく鼓動を打ち始める。

 荒くなる呼吸を、深く深呼吸することで無理矢理整える。

 

「なら―――強くなれ」

 

 大きく息を吸い、前を見る。

 三匹のゴブリンが、雄叫びを上げながらバラバラに突っ込んできている。

 

 

 

「さあ、ベル・クラネル―――男を見せてみろっ!!」

 

 

 

 シロさんの声に僕は、燃える恋情を力に、声を上げ、突き進んだ。

 

 

 

 

 




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第五話 疑問

 ベル・クラネル

 

 Lv.1

 

 力:I82→H130

 

 耐久:I13→I95

 

 器用:I96→H145

 

 敏捷:H172→G262

 

 魔力:I0

 

 《魔法》

 

 【 】

 

 《スキル》

 

 【 】

 

 

 

 

 

「「「………………………………」」」

 

 すっかり日が落ちた、多くのオラリオの街の住民の多くが夕食を食べ騒いでいる頃、とある教会の隠し部屋は、恐ろしいまでの沈黙が満ちていた。

 教会の隠し部屋の中にいる者達の視線の先には、とある人物の【ステイタス】が記された用紙が一枚。

 それに記載された内容は、あまりにも馬鹿げていたものであった。

 

「―――え、っと……神様。も、もしかして書き間違えちゃったとか?」

 

 恐る恐ると言った様子で、ベルが神様―――ヘスティアが持つ用紙を指差しながら問いかける。

 

「間違えちゃいないよ。これは本当にベル君の【ステイタス】だよ。それとも何だい? 君はボクが読み書きも出来ないとでも思って―――」

「熟練度上昇トータル260オーバーか……これはまた、随分な成長だな」

 

 用紙にベルの【ステイタス】を書いていた頃から何かイラついた雰囲気を漂わせていたヘスティアは、ベルの言葉にむっ、と頬を膨れさせると、噛み付くように文句を言おうとしたが、シロの感心したような声がそれを抑え込んだ。

 

「あ、え、で、でも。これは、ちょっと有り得ない数字だと……思って……」

 

 ヘスティアとシロの間で視線を巡らせていたベルだったが、最終的に【ステイタス】が記された用紙に視線を向け、ぼそぼそと口の中で呟きながら首を捻った。ヘスティアは、そんなベルから手に持つ用紙を隠すようにして胸の下で腕を組んだ。視線が用紙から胸へと移ったことで顔を赤くして慌て出すベルを、ヘスティアは何故ベルが慌てているのか分からないまま、睨みつけていた。

 シロはそんな様子を苦笑しながら見ていたが、スッと二人から視線を逸らすと、考えを巡らすように鷹のように鋭い目を細めた。

 

(想像以上だ。【憧憬一途(リアリス・フレーぜ)】か……ここまで伸びるとは流石に予想できなかったな。しかし、『耐久』と『敏捷』の伸びが大きいのは、やはりダンジョンを出た後に少しばかり俺が稽古をつけてやったせいか?)

 

 ダンジョンではゴブリンの攻撃を一度しかもらわなかったため、シロは『耐久』上昇を目的とした稽古をベルにつけてやったのだ。稽古の内容はシロの攻撃をベルが避け続けるという簡単なものであった。が、ベルがシロの攻撃を完璧に避ける事は結局最後まで出来ず、僅か十数分程度の稽古が終わった後、そこにはベルの屍が転がっていた……。

 

「ベル、戸惑うのは無理はないが、事実は事実だ。素直に受け止めておけ。別に悪いことでもない。まあ、成長期とでも思っておけばいい」

「せ、成長期って……【ステイタス】に成長期なんてあるんですか?」

 

 戸惑うベルにシロは肩をすくませると、半眼に頬を膨らませ態度で不機嫌であることを示しているヘスティアの背中を小突いた。ヘスティアは「ぶ~」と頬袋から空気を抜くと、唇を尖らせそっぽを向いた。

 

「ふ~んっ! だ。知らないやいそんな事。実際こんなに成長しているんだからあるんじゃないのかいっ!?」

 

 そっぽを向いたまま「ぎゃ~」とばかりに怒り混じりの声を上げるヘスティアに、やれやれと苦笑を浮かべたシロは、おろおろとするベルの頭に手を置くと、乱暴に撫で始めた。

 

「わっ?! わわっ! し、シロさん?」

「確かに戸惑うのはわかるが、【ステイタス】が上がるのはいい事だ。ここは素直に喜んでおけ。折角今から『豊穣の女主人』亭に行くんだ。もしかしたら憧れのヴァレンシュタインと会えるかもしれないのだぞ。強くなったお前でも見せつけてやれ」

「しっ、シロさんっ! そ、そんなっ、ぼ、僕なんてまだ―――」

「ヘスティアもいつまでむくれている。さっさと準備しろ。今日はベルが張り切ってくれたお陰で懐も暖かい。久しぶりに外食に行くぞ」

「うう~っ! で、でもねシロくん」

「何だ? 折角の外食だというのに、ヘスティアは一人寂しく夕食を取りたいのか?」

 

 シロの言葉に暫らく拳をブルブルと震わせながら俯いていたヘスティアだったが、ばっ、と勢い良く顔を上げるとシロに指を突きつけた。

 

「わっ、わかったよ! もうっ! そんなに虐めないでもいいじゃないかっ! シロくんのば~かっ!」

 

 ダンダンっ、と床を何度も踏みながらシロを罵倒したヘスティアは、そのまま背中を向けるとズンズンと足音を鳴らし部屋の奥にあるクローゼットへと向かった。ヘスティアは中から特注の外套(コート)を取り出し素早く着込むと、中からもう一つ黒い外套(コート)を取り出した。ヘスティアは数秒程手に持った黒い外套(コート)を見つめていたが、顔を向けないまま手に持ったコートをシロへと差し出した。

 

「ほ、ほら、シロくんもさっさと着たらどうだい」

「―――ああ」

 

 口元を笑みの形にしたシロがヘスティアからコートを受け取る。むくれたままそっぽを向いたヘスティアは、シロがコートを受け取ると、そのままベルたちに顔を向けずにドアへと向かって歩き始めた。シロとベルはそんなヘスティアの背中を見つめ、その背中が勢い良く閉まるドアの向こうへと消えると、互いに顔を見合わせ困ったような笑みを交わしあった。

 

「―――さて、それでは俺たちも行くか」

「あ、は、はいっ」

 

 未だ衝撃による振動が止まらないドアへと歩いていくシロを、ベルが慌てて追いかけようとした時であった。

 

「ん?」

 

 足元からカサリという音が聞こえてきたのは。

 足を止めたベルが音が聞こえてきた方向―――足元へと視線を向ける。

 

「これって」

 

 身体を屈め、つま先の前に落ちていた一枚の紙をベルは拾う。

 拾った紙に視線を落としたベルは、そこに書かれていたものを見てそれが何か直ぐに理解すると、テーブルの上に置こうとした、が。

 

「―――あれ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「かんぱ~いっ!!」」」

 

 すっかり日が沈み、夜の帳が落ちたオラリオの街の中。仕事を終えた労働者とダンジョンから戻ってきた冒険者達の声が響く商店街の一角。酒場を中心としたそこに、『豊穣の女主人』亭はあった。周りにある他の商店と同じ石造りのそこは、二階建てのやけに奥行のある建物であった。店の大きさで言うならば、酒場の中では一番大きなお店だろう大きさがある。

 『豊穣の女主人』亭は、入口脇にカフェテラスが設けられおり、内装もシックな装いであり、こじゃれてはいるが、それでも酒場としての雰囲気はきちんと感じられた。その理由は、カウンターの中には、恰幅の良いドワーフの女性が、豪快な笑い声を上げながら明らかに個人では消費しきれないだろう量の料理をカウンターに一人座る客に振舞う女将と思われる女性が醸し出す雰囲気故だろう。女将と思われる女性の他には、厨房で料理を作るものや店内をくるくると踊るように回っている少女達の姿がある。少女たちは、猫耳をはやした獣人のキャットピープルやヒューマン、それと珍しいことに酒場で働くとは到底プライドが許さないであろう筈のエルフの姿もあった。

 『豊穣の女主人』亭と銘打たれている通り、その酒場は色々と実っていた。

 この酒場で働くウエイトレスは誰もが若く美しく(女将という例外はあるが)明るかった。客層がほぼ男性冒険者であることから、彼らの狙いは彼女たちであると思われるが、鼻を伸ばすだけで誰もウエイトレスにちょっかいを出そうとしない。時折、不自然な動きでウエイトレスの尻へと手を伸ばそうとする男はいたが、男の手が少女たちの臀部に届く前に、女将の鋭い睨み付けにより断念する姿が見受けられた。ウエイトレスも慣れているのか、女将の牽制も必要なく、自分の力だけで軽く客をあしらっている者もいた。

 ともあれ、結構な繁盛を見せる店の中、シロとベル、そしてヘスティアの三人は、酒場の一番奥の席、一番目立たない位置にあるテーブルに座っていた。テーブルの上には、三人でも食べきれるかどうかわからない程の量の料理が所狭しと並べられていた。

 三人は―――正確には二人と一柱は、テーブルの中央付近で打ち合わせた醸造酒(エール)を一気に飲み干した。

 

「「―――っぷっはぁああっ!!」」

 

 ドンドン、とテーブルに空になった蒸留酒(エール)が入っていたコップを叩きつけると、ベルとヘスティアは猛然と山と盛られた料理に手をつけ始めた。

 

「んぐんぐ―――んんっ! シロくんが選んだから心配してなかったけど、これは確かに美味しいねっ! それに見た目もいい感じじゃないかっ!」

「はいっ!! ……でも、その分値段の方もいい感じです、ね」

 

 パスタをもぐもぐと食べていたベルが、先程値段を聞いた時の事を思い出し少しばかり口元を引きつらせた。

 

「あまり気にするな、と言いたいが、まあ、心配するな。今日ぐらいは、好きに飲み食いしても問題はないくらいには懐が暖かい。これもお前が頑張ってくれたおかげだ。ほら、遠慮するな」

 

 シロがパスタ(一番安い料理)ばかり食べていたベルに、大盛りの肉が乗った皿を差し出す。ベルは逡巡する様子を見せたが、直ぐに手を伸ばし受け取った。

 

「シルもまだ【ロキ・ファミリア】は来ていないと言っていただろう。今のうちから緊張していても仕方がないぞ」

 

 皿を受け取る瞬間、シロがベルの耳元で囁く。ベルは一瞬ピタリと動きを止め小さく頷くと、そそくさと席に座った。

 『豊穣の女主人』亭に着くと、シロは入店すると直ぐに駆け寄ってきたシルに【ロキ・ファミリア】について尋ねた際、シルは首を振り「まだです」と応えていた。その後突然シロに飛びついてきたキャットピープルの少女とヘスティアの間で一騒動が起きたりしたが、シロたちはそのまま予定通り『豊穣の女主人』亭で食事を取ることになった。

 サービスか、それともこのお店では普通なのか、山と盛られた料理を相手に、暫らく格闘していたヘスティアたちだったが、三分の一程まで料理が減ると、小休止とばかりに頼んだお酒を片手に会話を始めた。内容はたわいのない話ばかり。最近どこそこで安い出店を見つけたやら、バイト先でちょっと失敗したとかなどであった。そして腹も大分こなれて、最後のスパートでも掛けようかという時であった。

 ベルがふと声を上げた。

 

「そう言えば、神様に聞きたい事があったんですが」

「ん? 何だいベルくん」

 

 甘いジュースに近いワインが入ったコップを両手で持ってくぴくぴと飲んでいたヘスティアは、口からコップを外した。

 

「シロさんの【ステイタス】の事なんですが」

「シロくんがどうかしたのかい?」

「俺の【ステイタス】がどうかしたか?」

 

 シロとヘスティア両方の視線を受けたベルは、首を傾げて。

 

「えっと、正確には【ステイタス】と言うよりもシロさんの【魔力】の事なんですけど……」

「……俺の【魔力】がどうかしたか」

 

 シロが訝しげに眉をひそめると、ベルは腕を組みますます深く首を傾げた。

 

「僕が【ファミリア】に入った時に、シロさんが【ステイタス】について説明してくれた際、シロさんの【ステイタス】を見せてくれたじゃないですか」

「ああ」

「それがどうかしたのかい?」

 

 両手にワインがはいったコップを持ったまま、ヘスティアが戸惑ったような声を上げる。シロはコップから手を離すと、改めた様子でベルを見ていた。

 ベルはヘスティアとシロを交互に見ると、苦悩するように眉間に皺を寄せた。 

 

「その時見たシロさんの『魔力』は確かI40だった筈です。でも、今日更新したシロさんの『魔力』はI70でした」

「えっと、そう、だったかな?」

「…………」

 

 宙に視線をやって記憶を探っていた神様がぎこちなく頷くのを横目で見た後、納得いかないとばかりに顔を疑問で満たす。

 すっかり忘れていた。

 【ファミリア】に入って直ぐ、シロさんから【ステイタス】について教えられた際、シロさんは自分の『ステイタス』が写された紙を教材にして僕に色々と教えてくれた。あの時は『ステイタス』について良くわからなかったから疑問に思わなかったけど、今はそうじゃない。だからこそ、今日拾ったシロさんの『ステイタス』が書かれた紙を見て、直ぐにその異常性に気付いた。

 

「神様」

「な、何かな?」

「【ステイタス】を上げるには、該当する項目を使用しなくちゃ上がらないんですよね。『耐久』なら攻撃を受けたり、『敏捷』だと攻撃を避けたり逃げたりとか」

「そうだね」

 

 うん、と頷くヘスティア。

 そう、基本アビリティである『力』『耐久』『器用』『敏捷』『魔力』のこれら五つは、それらに該当する項目を機能させなければ成長することはない。『耐久』なら敵の攻撃を防御したり、『敏捷』なら攻撃を避けたり逃げたり、『力』なら何か重いものを持ち上げたりとか―――そして、『魔力』ならやはり『魔法』を使用する、筈なのだけど。

 だけど、シロさんは―――。

 

「じゃあ、『魔法』が使えないシロさんの『魔力』が、何で上がっているんですか?」

 

 前に見たシロさんの【ステイタス】、そして今日見たシロの【ステイタス】。どちらにも一つしかない『魔法』のスロットに使用できる魔法は書かれていなかった。

 シロさんの【ステイタス】に刻まれた『魔法』のスロットは僕と同じく一つ。そして、以前見た時と、今日偶然見たシロさんの『魔法』のスロットには何も書かれてはいない。つまり、シロさんは魔法は使えない。その、筈なのに、何故かシロさんの『魔力』は上がっていた。僕が知る限り、シロさんが何か魔法を使ったとかいう話しは聞いたこといない。

 

「……それ、は……」

 

 更に言えば、シロさんは『スキル』もない。

 ……僕と同じように。

 もしかしたら何か特別な『スキル』に目覚めていて、それを使用したことで『魔力』が上がったのでは、とか思ったけど、そんな事はなかった。

 

 ヘスティアの身体がピシリと一瞬凍りついていた。ベルはそれに気付くことなく、ヘスティアに問いかけ続ける。一度溢れた疑問は、更なる疑問を生み、ベルはまくし立てるようにヘスティアに質問を投げかけた。

 

「どうして『魔法』が使えない筈のシロさんの『魔力』の熟練度が上がってるんですか? それにそもそも『魔法』が使えないってことは、僕と同じようにH0じゃないんですか? もしかして、『魔法』が使えなくても、『魔力』を上げる方法とかあるんですか?」

「うっ、そ、それは」

「それに―――」

「―――ベル」

 

 顔を俯かせ、逃げるように小さく縮こまるヘスティアに、テーブルにのり上がるようにして質問を続けようとしたベルの声に被せるようにして、シロの鋭い声音が響く。初めて聞くシロの声色に、ベルの口だけでなく身体も止まった。直ぐにヘスティアの様子に気が付いたベルが、後悔に顔を歪め、恐る恐るといった様子でシロに顔を向けた。

 何を言うまでもなく反省しているベルに、シロは一瞬何と言おうか迷いながらも口を開けた時であった。

 

 

 

「お~いっ! 女将っ! 来たでェ~っ!」

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】がやって来たのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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第六話 届かない想い

「ダンジョン遠征ごくろうさんっ! 今日は宴やぁっ!! 飲めぇ~~ッ!!」

「「「「「乾杯ッ!!」」」」」

 

 『豊穣の女主人』亭の中央の席に集まり宴会を始めた一団は、『ファミリア』の主なのだろうスレンダーな体型の女性―――神ロキの声と共に、【ロキ・ファミリア】が手に持った杯を打ち合わせ宴会を始めた。やはりオラリオで一二を争う【ファミリア】ということで注目されることに慣れているのか、【ロキ・ファミリア】は『豊穣の女主人』亭にいる他の客たちからの注目を一身に浴びているにもかかわらず、気にする様子を一切見せず次々に酒の入った杯を空けている。その中には、勿論ベルの想い人であるアイズ・ヴァレンシュタインの姿もあった。

 

「―――で、声は掛けないのか?」

「ちょっ、そ、そんなこと出来るわけないじゃないですかっ!?」

 

 ぼ~、と呆けた顔でアイズ・ヴァレンシュタインの姿を見つめていたベルに、笑い混じりの声をかけるが、思いのほか大きな声で反論してきた。直ぐにベルはビクリと肩を一度上下に揺らし慌ててアイズがこちらに気付いていないことを確認し、再度こちらに非難がましい視線を向けてきた。ベルの剣幕に肩を竦めて呆れたようなため息を吐き、こちらはどうかと横目でチラリとヘスティアを伺うと。

 

「むぅ~~~。な、なんだよ?」

「ん? 何だ?」

「ふ、ふんっ、だ!」

 

 どうやら予想通りご機嫌は斜めであるようだ。ロキ・ファミリアが店に入ってくると、ロキに見つからないようにか、姿を隠すように外套をすっぽりと被ったヘスティアは、不貞腐れたように、顔をテーブルに触れかねない位置まで俯かせている。その理由が、先程から女性の冒険者にセクハラをしている神ロキによるものか、それともベルの視線を独り占めしているアイズ・ヴァレンシュタインによるものによるかは分からないが。むくれながらそっぽを向くヘスティアと、自分達(ヘスティアとシロ)をそっちのけにヴァレンシュタインに夢中のベルの姿に、自然と苦笑を浮かべテーブルの残った酒に手を伸ばした時だった。

 【ロキ・ファミリア】からその声が上がったのは。

 

 

「そうだ、アイズ! お前のあの話を聞かせてやれよっ!」

 

 

 酒に手を伸ばす手が止まったのは、特に理由があるわけではなかった。

 強いて言うならば、何か、予感を感じたのだろう。 

 自然と、視線が声が聞こえてきた方向へと向く。どうやら声を上げたのは、ベルが慕うアイズと同じテーブルに座る獣人の男のようだ。その獣人の歳の頃は、十七、八ぐらいか、少年の域を脱し、青年に掛かったくらいに見える。一見すれば細く見える体躯だが、細かな動きからでもその肉体に秘められた強大な力を感じ取れた。しかし、その力に反し、動作に甘さが見える。まだ二十を超えていないのであれば、十分すぎる程の領域だろう。だが、その身に宿っているだろう力からしてみれば、それは余りにも大きなズレ(、、)に感じられた。

 しかし、問題はそこではない。

 視線を獣人の青年から外し、向かいに座るベルに向ける。やはり予想の通り、酷く青ざめたベルがそこにはいた。どうやらヴァレンシュタインに言い寄る男の姿に危機感を覚えているのだろう。

 ここで発破を掛けるか、それともここですっぱり諦めさせるか一瞬頭に浮かぶが、直ぐに鼻を鳴らし浮かんだ考えを散らす。

 人の想いに口出しするのは流石に野暮が過ぎる。

 惚れた女が男と話している姿を見るのは気分がいいものではないだろう、と、ベルに声をかけようと口を開き―――

 

「あれだって、ほらよっ、帰る途中で何匹か逃がしたミノタウロスがいただろうが。その最後の一匹。お前が五階層で仕留めたやつだよっ! そん時の話だってっ! あのトマト野郎の話をよっ!」

 

 ―――そのまま閉じた。

 

「ミノタウロスって、十七階層で集団で襲ってきたけど、返り討ちにしたらソッコー逃げ出したあの?」

「そうそれっ! あの内の一匹がそれこそ奇跡みてぇにどんどん上に上っていったわけよ! あんときゃ泡食ったぜぇっ! こっちは遠征帰りで疲れてるってのによっ! 最後になって追いかけっこだっ!」

 

 嫌な予感がどんどんと大きくなっていく。

 残念な事にこういった勘が外れたことはない。

 その原因だろう獣人の男の話を聞きながら、視線はベルに向けたまま動かさない。ベルは先程からあからさまに見られているにも関わらず、全くこちらに気付いた様子もなく、青ざめた顔をますます悪くさせながらも、獣人の男に顔を向けている。いや、違う。獣人の男ではない。視線の先には金砂の髪の主。アイズ・ヴァレンシュタインだ。青ざめた顔で、身体を震わせ荒い息をしながら不安気な目で見つめている。

 獣人の男の話と、ベルの様子からもう間違いはないだろう。

 自分の話に興奮する男の声と小さく縮こまり震えるベルの姿。

 脳裏に、つい先日の光景が蘇る。

 

 アイズ・ヴァレンシュタインとの出会いを熱く語るベル。

 

 まだ少年の域を脱しない柔らかな頬を赤く染め、赤い瞳をきらきらと輝かせながら、興奮気味に憧れの少女との出会いを。

 

 想いを。

 

 あまりに恥ずかしくなって、お礼も言えず逃げ出してしまったと。

 

 憧れを。

 

 助けてくれたあの人に少しでも近付きたいと、強くなりたいと硬い決意を秘めた言葉を口にした。

 

 ただただ、純粋な想いに満ちていた。

 

「―――んで、だ。俺らがやっと五階層でそのミノを追い詰めた時にな、いたんだよ。いかにも駆け出しって感じのひょろくせぇ冒険者(ガキ)が!」

 

 ガタン! とテーブルが音を立てて揺れた。

 揺れる瞳でヴァレンシュタインへと向けていた顔をテーブルにぶつける勢いで伏せたのだ。

 ぎりぎりとテーブルに額を押し付けているベルは、泣いているように押し殺した息を漏らしていた。

 ヘスティアは、【ロキ・ファミリア】に怒鳴り込むかベルを慰めるかどうしようか迷っている。

 

「抱腹もんだったぜっ! 兎みてぇによ、壁にべたぁって引っ付いてっ、顔引きつらせてこっちが泣けるぐれぇに震えててなっ! もう可哀相で可哀相でっ!」

 

 ギャハハ、と汚い声で笑いながら、獣人の男がヴァレンシュタインに言い寄っている。

 テーブルから荒い息が聞こえる。

 熱が感じられる程に荒く、苦しげな息が。 

 

「ふ~ん? で、そいで、その冒険者は助かったんか?」

「アイズが間一髪ってところでミノを細切れにしてやったんだよ、なぁ?」

 

 再度テーブルが音を立て揺れた。

 テーブルに顔を押し付けたままベルは視線だけを獣人の男―――いや、ヴァレンシュタインに向ける。

 ……どうやらヴァレンシュタインは男の話が口に合わないようだ。

 不快気に眉根を寄せている。

 だが、男は気にしていないのか、それとも気付いていないのか。笑いすぎて痛みが出たのか腹を押さえながら、相槌を打った女―――【ロキ・ファミリア】の主神だろうロキに顔を向けた。

 

「んでよ。そん時にそいつ、あのくっせー牛の血を頭から浴びちまってよぉ―――っっ!! ま、真っ赤なトマトみてぇになっちまったんだよぉ! っくく―――ひぃっ、っっぁあ! 腹いてぇっ!」

「うわぁ……」

「なあアイズ。あれは狙ってやったんだよな。頼む、狙ったって言ってくれ。な、そうだよなっ! なっ!」

「……そんなこと、ないです」

 

 ヴァレンシュタインが、俯きながら答える。

 笑いすぎて目元に浮かんだ涙を拭いながら、獣人の男がヴァレンシュタインに詰め寄る。【ロキ・ファミリア】の他のメンバーも失笑を堪えられず、クスクスとした声が上がっていた。周囲からも、話を横耳で聞いていた部外者から堪えきれなかった笑いが吹き出る音がそこかしこから上がっている。

 ベルを見る。

 ヴァレンシュタインに向けていた視線は、再びテーブルへと押し付けられていた。

 動きはない。

 凍りついたように動かない。

 ヘスティアは、咬み殺さんばかりの目で獣人の男を睨みつけていた。今にも殴りかかりそうだが、その両手はベルの両肩に置かれている。今すぐに怒鳴り込むことはないだろう。

 一度、深呼吸する。

 まだ、駄目だ。

 

「それになぁ。まだ終わりじゃないんだよ。そのトマト野郎。アイズに助けられた直後に叫びながらどっか行っちまったんだよ! ぶっ―――くく……。う、うちのお姫様。た、助けた相手に逃げられてやんのぉっ!!」

「「―――ぷっ」」

「ぷはっ! っアハハハハッ! そ、そりゃ傑作やぁ! 流石にそれはないわぁ! ぷふっ、ぼ、冒険者怖がらせてまうなんて、アイズたんマジ萌えーっ!!」

「っくく、ふ、ふふっ……ご、ごめんな、さい……あ、アイズッ! ―――流石に我慢できなかったっ!」

「…………」

 

 ベルは、動かない。

 

 ……まだ、駄目だ。

 

「ああぁん、もうほらそんな怖い目しないの! 折角の可愛い顔が台無しよ」

 

 笑う【ロキ・ファミリア】のメンバーをヴァレンシュタインが睨みつけると、【ロキ・ファミリア】のメンバーは笑い声を上げヴァレンシュタインを宥め始めた。盛り上がる【ロキ・ファミリア】に反し、こちらは地の底にいるかのような静寂に包まれている。

 ギシリ、と椅子が軋む音がした。

 ヘスティアが、ベルの肩から手を離そうとしていた。それを、視線だけで押しとどめた。非難がましい目で睨みつけてくるヘスティアを、小さく顔を振り何とか抑える。

 獣人の男の話は続く。

 

「しかしまぁ、なんだ。久々に見たぜあんな情けねぇ野郎はな。ああもう胸糞わりぃわ。野郎のくせして泣くわ泣くわ」

「……あらぁ~」

「ほんとざまぁねえって。はんっ、泣き喚くぐれぇなら最初から冒険者になってんじゃねぇっての。ドン引きだよな。なぁ、アイズ?」

「…………」

 

 何処からか―――ミシリ、と軋む音がする。

 

「ああいう奴がいるから俺達の品位が下がるっていうかよぉ。はぁ、ほんと勘弁して欲しいよな」

「いい加減その五月蝿い口を閉じろ、ベート。元をいえばミノタウロスを逃がした我々に責があるのだ。巻き込んだ少年に謝罪することはあれ、酒の肴にするようなものではない。恥を知れ」

「ああん? はっ、流石エルフ様ってか? 誇り高いことですって。だがよ、何で俺らがそんな弱え奴を擁護しなきゃ何ねぇんだ? あんたはただてめぇの失敗を誤魔化すだけの自己満足じゃねぇか。弱えクズ野郎をクズだゴミだと言って何がわりぃ?」

「ああ、もうやめぇ。ベートもリヴェリアも酒が不味うなるわ」

 

 ―――ガリッ、と削れる音が聞こえる。

 

「へーへー、ふんっ。で、アイズはどうよ。自分の目の前で震え上がるだけの情けねぇ野郎が、俺らと同じ冒険者を名乗ってるのを?」

「……あの状況じゃ、仕方がない事だと思います」

「はっ、何だ。いい子ちゃんぶりやがって……んじゃ質問を変えるがよ。あのガキと俺、ツガイに選ぶとしたらどっちだ?」

「……ベート、酔っ払ってんの?」

「ああ黙れ、で、どうなんだ? 選べよアイズ。雌のお前はどっちの雄に尻尾を振るんだよ? どっちの雄に滅茶苦茶にされてぇんだ?」

「……私は、そんなことを言うベートさんとだけは、ごめんです」

「―――っふ、無様だな」

「黙れババァッ!! っ……、んじゃ何だ? お前はガキに好きだの愛してるだの目の前で抜かされたら受け入れるってのか?」

 

 ベルの肩が揺れる。

 明らかに意識がベートと呼ばれた獣人の男とヴァレンシュタインに向けられている。

 

「はっ、有り得ねえっ! 有り得ねぇよなそんな事ァ! 自分より弱くて軟弱で救えねぇっ! 気持ちだけが空回りしてる雑魚野郎になぁ! お前の横に立つ資格なんざねぇんだよっ! それは他ならないお前が認めねぇ(・・・・・・・・・・・・)

 

 瘧のようにベルの肩が一瞬跳ね。

 

 

 

「雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねぇ」

 

 

 

 椅子を蹴飛ばし立ち上がったベルは、弾き飛ばしたヘスティアに目もくれず店の外へと飛び出していった。突如響いた激しい音に集中する視線の中、脇目もふらず店の外へと出たベルは、夜の街の中へと姿を消していった。

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしております。

 ……なお、明日0時第七話更新予定。
 
 予定、です。


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第七話 最弱

「―――ベルくんッ!!」

 

 

 

 肩に置いていた手を振り払われ、床に倒れたヘスティアは直ぐに身体を起こすと既に出口に手をかけていたベルの背中へと声をかける。しかし、立ち止まることなくベルは店の外へと姿を消した。『豊穣の女主人』亭に残ったのは、戸惑いのざわめきだけ。

 「食い逃げか?」との声が上がるが、床にへたり込むヘスティアの姿を見て直ぐにその言葉も聞こえなくなる。代わりに「痴話喧嘩か?」とやらの声が上がり始める。常ならば困った顔をしながらも「いやぁ~困ったね」と何処か嬉しげに顔を緩めるだろうヘスティアは、呆然とベルが消えた出口に視線を向けたままだ。

 

「べ、ベル―――」

「―――ヘスティア」

 

 泣き声のようにベルの名を口にしようとするのを、ヘスティアの名を呼ぶことで止める。床に座り込んだままのろのろとした動きでヘスティアがこちらを向く。

 

「ベルを頼む」

「え? ベル、くんを?」

 

 まだ動きがぎこちないヘスティアに頷いて見せる。

 

「頼むって、どう、すれば」

「ベルはダンジョンに向かう筈だ。幸いまだベルはこの街に慣れていない。ヘスティアなら先回り出来る。俺が行くまでベルを捕まえておいてくれ」

「っ、シロくんはどうするんだい。ベルくんを追いかけは―――」

「―――こちらの要件を片付けたら、な」

「……え? 片付けるって、な、何を?」

 

 戸惑いながら聞いてくるヘスティアに背中を向け、ベートと呼ばれた獣人の男をいじり始めた【ロキ・ファミリア】に視線を向ける。『豊穣の女主人』亭は既に先の騒ぎから興味が失せたのか、それぞれの話で盛り上がっている。中には先程の【ロキ・ファミリア】の話題について話している輩もいる。

 どうにも、気分が悪くなる話を。

 

「シロ、くん。君、何をするつもりだい?」

 

 ヘスティアの震える声が背中に当たる。

 答えは分かっている筈だ。

 しかし、聞かずにはいられないのだろう。

 余りにも無謀だと、危険だと止めるために。

 全く、ベルがいなければ自分が先に食ってかかっていただろうに……似た者同士というところか……。

 振り向かないまま、その質問に答える。

 

「―――なに、ただの野暮用だ」

「ッ!? 君は―――」

「ヘスティア」

 

 何か言い募ろうとするヘスティアを制し、静かな声で伝える。

 

「早く行け。間に合わなくなるぞ。ベルの足は早い。ぐずぐずしていれば、近道をしたとしてもこのままだと間に合わんかもしれん」

「……君が行くわけには」

「―――すまない」

 

 数秒程、ヘスティアは黙り込み、そして立ち上がった。

 勢い良く立ち上がったヘスティアは、先の騒ぎで床に落ちてしまったコートを手に取ると着込みながら出口へと走り出した。

 その際、ヘスティアは走り出す直前、小さな声で呟いた。

 

「―――無茶は、しないでくれよ」

 

 ヘスティアがその小さな体を活かしてすいすいと乱雑とした店の中を走り抜け外へと飛び出していった。

 

「無茶をするな、か……」

 

 知らず浮かんでいた口元の笑みに手をやり整える。

 カウンターへ視線を向けると、女将が厳しい視線を向けてきていた。それに小さく目礼を返すと、女将は大きくため息を吐くと口をパクパクと動かしてきた。「店を壊すな」との忠告に頷いて答えると、気配を殺して忍び寄ってきた影へと顔を向ける。

 

「止めても無駄だ」

「ッ!?」

 

 死角から近寄ってきた影―――可憐な見た目に反し荒事に慣れていると評判の『豊穣の女主人』亭のウエイトレスの中でも、否、このオラリオの中でもトップクラスの実力を持つだろうエルフが、驚愕の表情で見上げてくる。顔見知り以上友人未満といった関係だが、このエルフが冷徹に見えるが正義感が強いことを知っていた。だから、これから俺がやろうとしていることを察し止めるだろうことは何とはなしに予感していた。そのため、直ぐに気配を殺し近づいてくる者がこのエルフ―――リューだと気が付いていた。

 

「……下手をすれば、【ファミリア】同士の抗争になります。そうなれば」

「下手をすれば、な。なら、上手くやってみせればいいだけの話だ」

 

 尚も考え直させようとするリューの前に手をやり制し、【ロキ・ファミリア】へと向かって歩き出そうとするが、そこに立ちふさがる影がもう一つ。

 

「……シル。すまないがそこをどいてもらえるか」

「いや、です」 

 

 通せんぼするように前に立つシルは、配膳の途中なのか、水差しとコップが乗ったお盆を両手に持ったままだ。脇に避けて進むことは造作もないが、流石にそれははばかられた。震える身体で行かせようとしないシルは、これから自分が何をしようとしているのか気付いているのだろう。

 

「相手は【ロキ・ファミリア】なんですよ。このオラリオで一、二を争う【ファミリア】なのに、本気ですか?」

「ああ」

「先程の話が、原因ですか」

「……」

「酷い、とは思います。でも―――」

「シル」

 

 言い募るシルを静かな声で止める。

 その声に、ハッ、と我に帰ったシルに、笑みを、向ける。

 

「すまない」

 

 静かに、優しさすら感じられる声に何か言おうと口を動かしたが、それは言葉になることなく、シルはそのままくしゃりと顔を歪ませると、俯き体を横にどかした。

 シルの前を通り過ぎ、【ロキ・ファミリア】へと向かっていると、背中に、小さな呟きがコツンと当たった。

 

「―――何で、シロさんが謝るんですか」

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

「―――だから俺は言ってやったんだッ!」

 

 あれから更に酒を飲んだのか、大声というよりも怒声に近い声で話している獣人の男の背に立つ。

 手には先程シルの前を通り過ぎる際失敬した水の入ったコップが一つ。

 真下には、意気揚々と喋っている獣人の男―――ベートと呼ばれていた男の頭がある。

 テーブルを囲む【ロキ・ファミリア】のメンバーは、酔っ払ったベートの相手をするのに疲れたのかそっぽを向いているからか、こちらに気付いている様子はない。

 ならば、気付かれる前にやるとしようか。

 手に持った水がたっぷり入ったコップを、一気に逆さまにする。

 重力に従い、液体が真下へと落ちていく。

 そして、真下に鎮座していたベートの頭に降り注いだ。

 

 ―――バシャリッ。

 

 その音は、話し声や調理の音などの喧騒で満ちた店の中、奇妙な程に響き渡った。

 店の視線が、一斉に音の発生源に向けられる。

 直後、ざわりと小波のような声が漏れ始めた。

 

「…………………………おい、何のつもりだ」

 

 下から、ゾッとするほど平坦な声が聞こえてきた。

 

「ああ、すまない。手が滑ってしまったようだ」

 

 わざとらしく空になったコップをべートの前に置く。

 

「はっ……手が滑って中だけこぼすなんてなぁ、随分と器用な真似が出来んだな」

「手先は器用な方でな」

「ッッ!!」

 

 ガタンッ! と椅子を蹴倒しベートが立ち上がった。やはり目の前にするとそれなりに迫力がある。身長は自分と同じくらいか。今の気分を表すように、苛立たしげに頭頂部にある獣の耳が細く動いている。ベートが立ち上がると同時に、あちこちから悲鳴が上がり椅子やテーブルが床を擦る音が連続して響く。【ロキ・ファミリア】の実力者がこんなところで暴れればとばっちりを食らうと恐れ慌てて離れようとしたのだろう。

 

「ちょ、ベートっ! 落ち着きなさいって! あんたも、さっさと謝りな! 殺されるよっ!」

 

 アマゾネス、なのだろう。アマゾネス特有の露出が激しい服を着た少女が慌てて忠告をしてくる。豊満な者が多いアマゾネスにしては、胸のサイズが少しばかり可哀想な少女がベートのズボンを掴み何とか手綱を取ろうとしていた。

 

「そうだな。ふむ、確かベートと言ったか? すまない。どうやら随分と酔っている様だったのでな。水でも飲ませて酔いを覚ましてやろうと思ったんだが」

「俺は酔ってねぇッ!!」

「酔っぱらいは大抵そう言うな」

「ああんッ! 俺の何処が酔ってるんだってんだっ!!」

 

 やれやれと肩を竦ませると、それが大層気に入らなかったのだろう。ベートが激しくテーブルを叩く。冒険者が良く来るからだろう、ちょっとやそっとじゃ壊れそうにない頑丈なテーブルが、大きく軋みを立てた。

 

「そういうのならば、まずはもう少し声を落とせ。怒鳴らなくとも聞こえる。そうぎゃんぎゃんと吠え立てんでもいいだろうに」

「吠えるだあ? 手めえさっきから調子に乗ってんじゃねぇぞッ! お前俺が誰か分かって口きいてんのか?」

「さて、な。俺はこのオラリオに来てからまだ日が浅くてな。有名どころでもほとんど知らんよ」

「……あん? なんだおめえ? もしかして駆け出しか?」

 

 先程までの激高がウソだったかのように、声を落としたベートが首を傾げた。

 

「ああ、そうだ」

「ちっ、なんだLv1かよ。はんっ、Lv1(最弱)相手に本気になってもしょうがねぇ。おら、犬みてぇに這い蹲って許しを乞いな。そしたら許してやってもいいぜ」

「ベートッ!」

「黙っとけババァッ!! 俺が水ぶっかけられたんだよっ! ここで舐められたら【ロキ・ファミリア】も舐められっちまうぞッ!」

「っく、それは―――」

 

 こちらをそっちのけに【ロキ・ファミリア】のメンバーのエルフとベートが言い争いを始めた。このまま放っておけば、うやむやのうちにこの諍いは終わってしまうだろう。これが本当に偶然の出来事ならば、それは歓迎することだが、残念ながら、まだ付き合ってもらう必要があった。

 

「―――クッ」

 

 今にも掴み合いが始まりそうだったエルフと獣人の間に、笑い声が割って入った。

 

「あん?」

「え?」

 

 睨み合っていた二人は、同時に視線を声が聞こえてきた方向に向ける。苛立ちと戸惑いの視線が向けられる中、笑い続ける。

 先ほどよりも、強く、大きく、大袈裟なまでに。

 

「クク、ッハハハハ」

「てめぇ……何笑ってんだよ」

 

 エルフから身を離し、ベートがこちらへ一歩詰め寄ってくる。

 手を伸ばせば届く位置に立つベートに向かって、からかいを露わに頭を左右に振って答える。

 

「いや、すまない。どうやら本当に酔っていなかったようだな」

「あん?」

 

 訝しげな声に、口の端を歪める。

 

「どうやら俺は勘違いしていたようだ」

「勘違いだぁ?」

「ああ、酒の勢いか、酔っ払って前後不覚な状態だったからと思っていたんだが」

「だから何が言いてぇッ!!」

 

 ベートが、猛け吠える。

 常人、いや冒険者であってもレベルが低ければ腰を抜かすほどの殺気が混じった圧を受ける。その殺意を感じたのだろう、胸が残念なアマゾネスが、今にも掴みかからんと伸ばそうとするベートの手を押さえつけた。

 

「ちょ、ベート落ち着きなさいって」

「っ! 邪魔だっ!」

 

 腕を押さえつけてくるアマゾネスを振り払ったベートに、笑みを向ける。

 軽蔑が多分に混じった笑みを。

 

「―――女ひとり口説くのに、人を貶めなければならんとは、酒に酔っていたのならばまだしも、まさか素面だったとは……貴様がここまでガキとは流石に思っていなかった。すまなかったな―――小僧」

 

 

 ブチリ、とナニかが千切れる音を、その場にいた者たちは聞いた気がした。

 

 

「ッッッッ!!!!??? テメェエエエエエッ!!!!???」

「ベートッ!」

「ま―――」

「っ―――」

「やめ―――」

「ひっ」

 

 怒りに飲まれた餓狼が吠え、その致死の爪を獲物へと伸ばす。

 第一級の冒険者が怒りに我を忘れて放つ一切の手加減のない一撃。

 並の、いや、たとえ同じ一級の冒険者であってもまともに喰らえば重傷、下手すれば命を取られかねない必殺の一撃が振るわれるのを前に、『豊穣の女主人』亭に様々な声が上がる。

 間に合わないと感じながらも上がる制止の声。

 直後に起きるだろう惨劇を幻視した悲鳴。

 声を上げる間を惜しみ、止めようと手を伸ばす者もいた。

 誰もが灰色の髪と浅黒い肌を持つ男の死を予感した。

 流れるだろう血の赤に、先走った悲鳴を放たれる。

 そして―――。

 

 

 ―――ドサリ、と何か重いものが床に落ちる音がした。

 

 

 

 静寂が、『豊穣の女主人』亭を満たす。

 重い、空気それ自体が物質化したかのような粘性さえ感じさせる重苦しい沈黙が満ちた。

 誰も、声を上げない。

 シンッ、と静まり返る中、ポツリと、誰かが零した声が落ちた。

 

「―――うそ」

 

 それは、鏡面の如し湖に落ちた雫のように、波紋を呼ぶ。

 ざわりと、空気が動いた。

 『豊穣の女主人』亭にいる者全ての視線が一点に注がれる。

 視線の先。

 そこには、床に倒れる男と、それを見下ろす男の姿。

 数秒前まで誰もが予感しただろう光景―――だが、その配役が違った。

 

「うそ、でしょ―――ベート」

 

 アマゾネスの少女がふらり、と覚束無い足取りで倒れたベートに近付いていく。膝を突き、ベートの身体を揺するが、何の反応も返ってこない。暫らく身体を揺すっていた少女は、全く反応を示さないベートから手を離すと、ゆっくりと首を左右に振った。

 

「……完全に気絶してる」

「うそ」

「そんなっ!? 何でっ!」

「何が、どうしたんだ」

「……ッ?!」

 

 ざわりと動いた空気は響めきへと代わり、店の中を悲鳴のような驚愕の声で満たし始めた。

 驚愕から覚めた『ロキ・ファミリア』のメンバーの何人かが、倒れたベートに駆け寄り診断を行い始めた。その様子をじっと見ていたが、何時までもそうしている暇はない。近づいてくる気配に顔を向け、先んじて声をかける。

 

「―――どうやら酔いつぶれてしまったようだな」

「なんやて?」

 

 目の前に立つ【ロキ・ファミリア】の主神であるロキに向かってそう言うと、戸惑った声が返ってきた。細められた目から、探るような視線を向けられる中、倒れ伏すベートを顎で示す。

 

「興奮しすぎて酔いが回ったのだろう。数時間もすれば目も覚める筈だ」

「あん程度の酒でベートが潰れるとは思えんがなぁ」

「では、何だと?」

 

 ギラリと、ロキの目が光ったような気がした。

 下界にいる神々(彼女達)は、神の力は使えない筈だが、流石は神といったところだろう。心の奥底まで覗き込まれるような強い視線を向けてくる。精神が弱い者ならば、洗いざらい吐いていまいそうだ。

 

「……うちの目には何が起きたかは見えんかったけど、うちの子の中には目の良いもんもおるからなぁ~」

「はっきりとは見えなかった、けど」

 

 ロキの言葉に応えるように、背の低い一見すれば幼い少年に見える小人族(パルゥム)の男が、倒れたベートとこちらを見ながら言葉を紡ぎ始める。小人族(パルゥム)の言葉に、その場にいる者達の視線が一斉に向けられる。

 

「カウンター、かな」

 

 「まさか」と言う声が上がるが、倒れたベートの姿を見て、否定の声は嚥下の音の中消えていった。ざわざわと、何が起きたか次第に理解を始めた者達が、有り得ない現実を前に内心の動揺を口々に放ち始め、『豊穣の女主人』亭はやにわに喧騒に満ち始めた。

 

「―――っは」

 

 その喧騒を、男の笑い声が止めた。

 今この場の中心である男に、皆の視線が集まる。全員の注目が集まるのを感じると、笑い声を上げながらロキに向かって挑発的な視線を向ける。

 

「それでは何だ? 【ロキ・ファミリア】の一線級の冒険者が、冒険者になって間もない駆け出しのLv1の男に、カウンターを食らってやられたと、そういうことか?」

「「「ッ!?」」」

 

 改めて口にされた有り得ない現実に、誰もが息を呑む。

 そんな中、じっ、とこちらを見つめてくるロキへと一歩、近づく。

 

「神、ロキ。俺には(・・・)、この男が酔って自分の足を滑らせ転けたとしか思えないのだが」

「あんた―――」

 

 含みを持たせた言葉に、何が言いたいのか察したのだろう。

 ロキは口元に笑みを浮かべた。

 しかし、目は全く笑ってはいない。

 

「もう暫くは目が覚めんだろうな。で、どうする?」

「……ほんまに、いい度胸しとるな」

 

 顎に手を当て、暫らく考え込んでいたロキだが、膝を叩いて大きく頷くと、口が裂けたような笑みを浮かべると手を差し出してきた。

 

「どうもあんたの言う通りのようやな。これから暫らくはベートは禁酒にしとかないかん」

「そうだな。酒に酔ってしまえば、有りもしない想像を口にしてしまうこともあるだろう」

 

 笑顔でロキと握手を交わし、近くまで寄ってきていたリューに今晩の料金を渡すと、店のあちこちから向けられる視線に応えることなく真っ直ぐに出口に向かう。

 その背中に、ロキの質問が刺さった。

 

「……あんた、何もんや?」

 

 足を止め、振り返らずにロキの質問に応えた。

 

 

 

「なに、ただのLv1の冒険者だ」 

 

 

 

 




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第八話 謎

 シロが去った『豊穣の女主人』亭には、小波のようなざわめきに満ちていた。その音の大半は動揺に彩られている。この場にいる者達は、シロとロキとの会話を聞いていたが、誰もがそれをまともに受け止めた者はいなかった。

 例え、それが自分たちの常識を崩すようなことであったとしても。

 各々のテーブルの上で交わされる言葉、しかし、彼らの視線は常に一方へと向けられている。

 その視線の先にある【ロキ・ファミリア】のメンバーたちは、意識がない以外大した怪我がないことを確認したベートを横に転がすと、自分たちの主神であるロキを取り囲むようにしていた。それは答えを求め賢者にすがる愚者にも、救いを求め救世主に群がる無力な者のようにも見えた。オラリオで一二を争うと称えられる【ファミリア】の多くが、不安気な顔をしていた。ダンジョンの奥底において、様々なモンスターや迷宮に挑んできた猛者たちが、それほどまでに恐れているのは自分たちの理解から外れた存在である男に対してであった。

 ロキを取り囲む【ロキ・ファミリア】のメンバーの一人、年若いエルフの少女が恐る恐るといった様子でロキに話しかける。

 

「あ、あの……さ、さっきのは、嘘、ですよね」

「……何がやレフィーヤ?」

 

 ダルそうに椅子に浅く座り背もたれにダラリと寄りかかったロキが、視線だけをエルフの少女―――レフィーヤに向けた。

 

「っ、そ、その、あの男の人が、れ、Lv.1だなんて……」

「嘘やないよ」

 

 躊躇いもないその言葉に、耳を澄ませてその会話を聞いていた『豊穣の女主人』亭にいる者達から驚愕の声を飲み込む唸り声じみた音が響いた。

 ベートがやられた時、あの男が(Lv.1)を言っていたと考えていた者は多かった。いや、ほぼ全員が油断させるために虚偽を口にしたのだと思っていた。

 そうでなければ、有り得ないからだ。

 それほどまでに、レベルの差とは絶対的なものであった。

 レベルが一つ違うだけで、文字通り赤子と大人程の差が生まれる。

 それが二つであれば最早万が一にも勝ち目はなく。

 三つであれば絶望でしかない。

 そして四つであれば、それは最早確定された未来でしかない―――筈であった。

 

「ど、どうして、うそじゃ、ないって……」

「そんなん決まっとるやろ。ウチ()らに子供(人間)達の嘘が分からんはずがないやないか」

「あ」

 

 ロキの言葉に、彼らは納得するしかなかった。

 その通り、神に人間は嘘は付けない。

 正確には、人間に神は騙せない。

 神には、人が真実を言っているのか嘘を言っているのかは分かるのだ。ほぼ全ての神の力を封じられていたとしても、彼ら神々には人の嘘を見破ることは容易いことであった。

 

「で、でも―――」

「ベートさんはLv.5です。あの人の言った事が本当なら、どうやったらLv.1で気絶させることができるんですか?」

「あ、アイズさんっ!?」

 

 レフィーヤを遮るように、一歩前に出たアイズが何処か熱の篭った視線でロキを見下ろしていた。

 背もたれに寄りかかっていた身体を起こすと、ロキはチラリと【ロキ・ファミリア】の団長である小人族(パルゥム)―――フィンへと視線を向けた。

 

「さてな? うちはそういった事に詳しゅうないんで。ま、あんたなら、なんか分かってんとちゃう?」

 

 視線がロキからフィンへと移る。

 無言のままフィンは店の横に転がっているベートへ視線を移すと、暫らくじっと考え込んでいた。

 

「……ベートの顎」

「え?」

 

 フィンがポツリと呟いた言葉に、皆疑問を一瞬浮かべたが、直ぐに視線をベートの顎へと向けた。

 

「一番先、少し、薄皮一枚ってとこかな、引っ掻いたような跡があると思うけど」

「―――えっと、あ、ほんとだ」

 

 フィンの言葉にとととっ、とベートの元に駆け寄ったアマゾネスの少女―――ティオナが確認して頷いてみせた。

 

「あの? それが一体―――?」

「っ―――まさか!?」

 

 レフィーヤとアイズが同時に声を上げる。

 一方は疑問を、一方は驚愕を。

 同じく、『豊穣の女主人』亭の中も二つに分かれた。フィンの言葉の意味が分からず困惑する者と、何が起きたか理解した者に。

 理解した者。その中の一人であるエルフの女性、女神もかくやといった美しさを持つエルフ―――リヴェリアが口を開く。

 

「つまり、こういうことか。あの男はベートの攻撃を避けると同時に、薄皮一枚かする程度にベートの顎に衝撃を与え、脳を揺らし気絶させた、と」

「そういうことだね」

「そうか―――有り得ない」

 

 一つ頷いた直後、直ぐさまリヴェリアは否定した。

 

「ベートは性格は何だが、こと身体能力についてだけは【ロキ・ファミリア】の中でもトップクラスだ。その力で拳を振るわれたのなら、フィン、たとえ貴方といえどそんな事(カウンター)は容易ではない筈だ」

「確かに」

 

 リヴェリアの言葉に、フィンは否定せず頷いて見せた。

 

「ベートの一撃を避けて、それに加えあご先を薄皮一枚だけ擦るように殴るなんて真似は難しいだろうね」

「それなのに、あの男(Lv.1)がそれを成したと?」

「……現実に、彼はやった」

「それは―――」

 

 言葉に詰まるリヴェリアに、フィンは告げる。

 

「それも、ただ顎を殴っただけという話じゃない。Lv.1がLv.5の顎をただ殴っただけじゃ、逆に殴った方の拳が砕けてしまう。あの時のベートは、酒に酔っていたし、慢心や油断も多分にあった。だけど、ベートはLV.5。このオラリオの中でもトップクラスの実力者だ。どれだけのハンデがあったとしても、Lv.1の攻撃が効く筈がない」

「そうだ。蟻に噛まれて痛みは感じるだろうが、それで象が気絶することはありえないのと同じくらい。ありえないことだ」

「僕もそう思うよ。だから、彼は何か特別な【スキル】を持ってるのかもしれないね」

「あっ」

 

 フィンのその言葉に、納得の色が含まれた声が上がる。

 【スキル】人に発現する様々な力を有する【魔法】とは違う埒外の力。似通ったスキルは多いが、中には規格外とも言えるレアスキルもある。シロがそのレアスキルの持ち主であるかもしれない。

 具体的にコレといったものは浮かばないが、何らかのスキルの力を使ったのだとすれば、もしかしたら、万が一、億が一にも有りうるかもしれない。

 

「まあ、でも、そんな(レアスキル)があったとしても、彼がとてつもない実力者であることは間違いない」

「それは、どういうこと?」

 

 アイズの質問に、フィンは思い出すように瞼を閉じた。

 

「実の所、僕は彼がベートを殴る瞬間は見えていなかった」

「え? でも、少しだけど見えたって」

「ん~それも一応嘘じゃないんだけど、そうだね。言うなれば動いた後に動いたと分かった、と言った方がいいかな?」

「……どういうこと?」

 

 フィンに向けられる視線の全てに、疑問符が浮かぶ。

 

「僕が見えたのは、彼が拳を自分の元に戻す瞬間だけ。気付いた時には既にベートは攻撃された後だったんだよ」

「っ、つまり、それだけ動きが早かったんですか?」

「違う」

 

 Lv.6―――それも勇者(ブレイバー)と名高い【ロキ・ファミリア】の団長であるフィン・ディムナでさえ見えぬ神速の拳を放つLv.1を想像し、レフィーヤが声を震わせるが、フィンは首を横に振って否定した。

 

「起こりがなかったんだよ。彼の動きには」

「起こり、ですか?」

「……一体どれだけの修練を積んだんだろうね。まるで一つの流れのような動きだった。余りにも自然に過ぎて、ベートが倒れた後で、彼が攻撃したのだと分かったんだよ」

 

 しんっ、と静まりかえる『豊穣の女主人』亭。

 フィンの口にした言葉のどれもが衝撃に過ぎて、誰しもが己の許容範囲を超える現実を前にし口を動かすこともできずにいた。

 そんな中、何処か気の抜けた、感心したような声が上がる。

 こんな状況で、そんな声を上げられるのは、ただ一人―――否、一柱。

 

 

 

「―――噂はほんまやったってことかいな」

 

 

 

 ロキが、声を、ポツリと零した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 畜生、畜生っ、畜生ッ、畜生! 畜生ッ!!――――――

 

 ベルは一人、闇の中を走っていた。

 白い処女雪のような麗白な髪が、星明かりに照らされ闇の中を銀の光が線を描いていく。それは地を駆け抜ける流れ星の如き速さでオラリオを駆け抜ける。地上を走る流れ星。その星が落ちる先には、強大な塔がそびえている。

 強くなるために、少しでも近づくためにベルは走る。ごうごうと耳元で風が叫ぶ音を耳にしながら、ベルはただひたすらに走り続けた。視線は真っ直ぐダンジョンへの入口へと向けられていた。

 全力で駆け抜け、そのままダンジョンへと飛び込もうとせん足が―――しかし、唐突に止まった。

 ベルの前方、そこに立ちふさがる影があったからだ。

 

「っは、っ……はぁ、あ……え? 神、さま?」

「ふっ、ふぅ……っぁ―――よ、良かった。ど、どうやら間に合ったようだね」

 

 道の真ん中で膝に手を当て息を荒げ、苦しげに顔を歪ませながらもヘスティアはベルに笑みを向けた。ベルは何故ここにヘスティアがいるのか分からず、混乱していた。

 

「ど、どうして神様がこんなところに?」

「っ、ふぅ……決まってるだろ? 君を迎えに来たんだよ」

「っ、そ、そんなの―――」

「……君は、どうするつもりだったんだい?」

 

 ようやく息が落ち着いたのか、膝についていた手を離し背を伸ばしながらヘスティアはベルに顔を向けた。

 時間帯は深夜に近づいている。こんな時間にダンジョンにもぐるような者は少ないためか、ギルドの近くには人の姿は見えなかった。人の喧騒が遠く聞こえる中、ヘスティアの質問に口ごもっていたベルが、躊躇いながらも口を開いた。

 

「そ、それは……」

「……そんな状態でダンジョンに潜れば、ただ死にに行くだけだよ」

「―――ッ! そんなのっ! そんなの! そん、なの……」

 

 先んじて口にしたヘスティアの言葉に、ベルは逃げるように俯いていた頭を勢い良く上げたが、それは直ぐに下へと落ちていく。

 

「ベルくん」

「そんなこと、分かっています。でも、僕は、強くなりたい」

 

 悲しげな、切なささえ感じさせるヘスティアの声に、地面へと逃げるように視線を落としたベルが、震える声で、それでも願いを口にした。

 

 

 

 そう、強くなりたい。

 思い出すのは、先程の光景。

 憧れの人の前で、嘲笑される過去の自分。

 笑い声が上がる度に、あの人も笑っているのではと怯え顔を上げることすら出来なかった。

 いや、笑われるぐらいなら、まだ良かったのかもしれない。

 庇われた。

 僕はまた、あの人に庇われてしまった。

 弱いから仕方がない。

 守るべき対象だと。

 あの人に、また、守られてしまった―――ッ。

 それが、とてつもなく、恥ずかしい。

 自分自身を消し去りたい程に、たまらなく恥ずかしかった。

 でも、それ以上に。

 それ以上に、殺意を覚えるほどに嫌悪を覚えるのは―――自分自身の弱さ。

 いつも、そうだ。

 僕は、守られてばかりだ。

 ここ(オラリオ)に来る前はおじいちゃんに。

 ここ(オラリオ)に来てからは、シロさんと神様に。

 僕は、ずっと守られてばかり。

 そんな、安全な場所にいて、何もせず、ただ待っているだけ。

 どうすればあの人と親しくなれるかなんて考えているだけで―――何も、何もしていないッ!

 どうすればいいかなんて考えている暇なんて僕にはないんだっ!

 そんな事を考える前に、やらなければいけないことはたくさんあるんだっ!

 強く―――強くならなければっ!

 あの人に追いつくためにッ!

 そのためには―――

 

 

 

「神様、僕は、強くなりたいんです。何時までもシロさんに守ってもらってばかりいたら、僕は、何時まで経っても強くなれません。だから、僕は―――」

「……一人でダンジョンに行く、と。そういうわけかい?」

「そう、です」

 

 ヘスティアの言葉にこくりと頷く。

 

「僕は、弱いです。シロさんみたいに、才能がある訳じゃない。強いわけでもない。だから、もっと、もっと……人の何倍も頑張らないと、僕は絶対にあの人に追いつけない。だから、僕は、シロさんみたいに、強くなりたいんですっ!」

 

 そうだ。

 僕はシロさんみたいに強くなりたいんだ。

 シロさんは、ここ(オラリオ)に来て、何処の【ファミリア】も門前払いをくらって、これからの事を考えて呆然としていた僕に、初めて声を掛けてくれた。冒険者になりたいという僕に、懇切丁寧に冒険者の危険性について色々と言ってくれたのに、最後は【ヘスティア・ファミリア】へ誘ってくれた。それからもずっと、シロさんは僕の事を見ていてくれる。僕が危険に陥ると何時も助けてくれて、アドバイスをくれる。勿論、何時も傍にいるわけじゃないけど……。

 親切で、優しくて、強くて、なんでも知ってて、危なくなったら駆けつけて助けてくれる。

 そう、シロさんは、物語に出てくる英雄みたいなんだ。

 きっと、シロさんみたいな人だったら、あの人の隣に堂々と立てるんだろうな。

 強く、なりたい。

 シロさんみたいに強く。

 そうなれば―――。

 

「シロさんみたいに強かったら、きっと、何でも出来るんだと思います。何だって守れてしまう。だから―――僕もそれくらい強くなりたいんですっ!」

 

 ベルの叫びが、夜のオラリオに響く。願いを、至るべき頂の姿を空へと飛ばす。深い闇は願いも祈りも等しくその懐に収めてしまう。

 シン、と静まりかえり、風が、吹いた。

 

「強い、か」

 

 ポツリと、ヘスティアが呟いた小さな声の中には、悲しみの色が多分に含まれていた。

 

「神様?」

「シロくんなら、何でも出来る、何だって守れる―――ベルくんはそう思うんだ」

「え……え、ぁ、はい……」

 

 空へと顔を向けたヘスティアが、ベルに問いかける。ベルはヘスティアの質問に戸惑いながらも頷きながら応えた。

 ベルにとって、シロはそれほどまでに強く、大きく映っていた。

 確かにシロは自分と同じLv.1で、【ステイタス】も今では殆んど変らない。

 しかし、それでも自分ではシロに勝てるとは到底思えなかった。

 それは最早【ステイタス】とは違うナニカがあるとしか思えなかった。

 ベルは、それが才能の差であると思っていた。

 

 空に、陰りが生まれた。 

 星が見えた夜空には、何時の間にか厚い雲が広がっており、周囲は夜の闇を深め始めていた。

 月と星の明かりに照らされていたヘスティアの姿が、影に覆われ。

 

 

 

「……うん、そうだね。ベルくんの言うとおり、シロくんは強い……悲しくなるほど……強いよ……」

 

 

 

 ポツリ、と空から雨粒が一つ、落ちてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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 次回『最強のLV.0』


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第九話 最強のLv.0

 この物語の主人公は、フェイトステイナイトのとあるキャラのとあるルートの人物です。



 

 

 

「ねえ、ベルくん。強いって、言うけど―――ベルくんは、さ……シロくんがどれくらい強いか知っているかい?」

「え?」

 

 ポツポツと降り出した雨に当たりながら、ヘスティアは道の真ん中で動くことなく雨雲で覆われた空を見上げている。

 段々と激しさを増し始める雨に打たれながら、ヘスティアはすっ、と目を細めた。

 

「シロくんは、多分、ベル君が考えているよりもずっと強いよ」

「そう、なんですか?」

「うん、何せシロくんは―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 『最強のLv.0』―――それがうちが聞いた噂や。

 

 うちがそん噂を聞いたんは、だいたい二ヶ月くらい前やったかな?

 

 まあ、言ってしまいや、一つの【ファミリア】が全滅したって話や。

 

 ん? 何処の【ファミリア】やって? そこまで詳しい話は知らん? 噂を聞いた時は、特に興味もなかったんでな。

 

 ま、それもそうやろ。

 

 このオラリオじゃあ、【ファミリア】の全滅ってのは、そう珍しい話やない。

 

 遠征の失敗、他の【ファミリア】との抗争。

 

 まぁ色々あるわな。

 

 でもな、その全滅の原因ってのが、ちょっと信じられん話やった。

 

 言ってしまえばたった一人のヒューマンが、十数人の冒険者を叩きのめしたって話や。

 

 しかもLv.2が何人かおったそうやで。

 

 あん? 自分にも出来る?

 

 はっ、そりゃ当たり前やろ。Lv.5ならLv.1みたいな雑魚がいくら集まろうと大した意味はないんやから。

 

 それじゃ、何で噂になったってか?

 

 ん~今でも信じられんのやけど……でもまあ、否定はしきれんくなったな。

 

 あ~あ~言う言う。

 

 言うからそう急かすな。

 

 ……まあ、その、なんや。

 

 そのヒューマンっちゅうのがな、なんと、Lv0やったって話なんや。

 

 ―――ちょ、やめいっ! 皿投げんなやっ! う、噂やって言うとるやろが……流石にそれ聞いた時にゃ、そりゃうちも随分なふかしやなと思って馬鹿にしとったけど……でもまあ、あの男―――冒険者になったのはつい最近やったって言うとったよな。

 

 …………黙るなや。

 

 うちも信じてへんかったけど……まあ……なんや……。

 

 あの男の強さを見ると、そん噂も馬鹿に出来んと思うてな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そ、それ、ほ、本当なんですか?」

「ボクは嘘なんか言わないよ。本当だよ。シロくんは、たった一人で、それも【恩恵】もない状態で、十人以上の冒険者を倒してしまったんだ」

 

 ザーザーと雨粒が空気を切り裂き激しく地面を叩く中、近くの軒下に移動したヘスティアとベルは、隣りあった状態で互いに視線を前にしながら話しをしていた。

 

「信じられません―――っか、神様が信じられないって事じゃなくて」

「分かってるよ。ベルくんが信じられないのも無理はないだろうね。ボクだって、話で聞いたら信じられなかっただろうけど……目の前で見せつけられたら……」

「目の前、で?」

 

 ベルが戸惑った顔をヘスティアに向ける。ヘスティアはベルの視線を感じながらも、顔を横に向けることなくただ前を見ていた。夜の闇は雨のカーテンに覆われ、手を伸ばせば闇の中に自身の指先さえも見えない。

 

「ベルくんは、さ―――シロくんを強いって、言ったね」

「は、はい。でも、そんなに強いだなんて……」

「じゃあ、ベルくんは、シロくんがどうしてそんなに強いのか、その理由がわかるかい?」

「え?」

 

 雨から隠れた建物の屋根から、雨粒が落ちてくる。落ちて砕け、霧雨となった雨粒に濡れた髪を一房持ち上げたヘスティアが、くるりと、その白い指先に漆黒の髪を巻きつけた。

 

「才能?」

 

 濡れても更に艶を増した髪が、スルリと指先から流れ落ちる。

 

「努力?」

 

 雫のように流れ落ちる髪先に視線を落とす。

 

「経験?」

 

 やがて視線は雨の向こう。

 

「それとも―――」

 

 陰る瞳に浮かぶのは、闇に沈む―――あの日の光景。

 

 

 

 

 

 あの日―――シロくんがボクの【ファミリア】に入った(家族になった)日。

 何も覚えていないと言ったシロくんに、何か見覚えがあるところはないかとオラリオを案内していた時だった。

 丁度通り掛かった神に、一人も【ファミリア】がいないとボクは馬鹿にされた。

 あいつは、ボクと同じ時期に地上に下りてきた神の一柱で、ボクとは違って、もう十人以上の【ファミリア】がいた。

 Lv.2もいるのだと、自慢げに語っていたあいつは、ボクを指差して笑っていた。

 恥ずかしくて、悲しくて、悔しくて……何も言えず震えるだけのそんなボクの前に、シロくんは、立ち塞がってくれた。

 きっと、あの時の光景は、どれだけ時が経っても忘れない。

 大きくて、広い背中。

 泣きたいほどに、頼もしかった。

 嘲笑に晒されるボクの前に立って、シロくんは悪意からボクを守ってくれた。

 何が切っ掛けだったのか、あいつらはシロくんに殴りかかってきた。

 冒険者でも何でもないシロくんじゃ、例え相手が一人だったとしても、絶対に勝てる筈はなかった。

 やめてと。

 逃げてくれと叫ぶボクに笑いかけてくれたシロくんは、たった一度も攻撃を受けることなく、一人で倒してしまった。

 十人以上の―――それもLv.2がいた【ファミリア】を、たった一人で。

 目の前で起きた光景が信じられないで、ただ目と口を開いて立ち尽くすボクに、君は何事もなかったように笑ってみせた。

 

 

 

 今でも、目を閉じれば直ぐにでも思い出せる。

 赤い紅い―――夕日の中。

 日が沈む夜との境界。

 黄昏の世界で、消えゆく光の中に見えた君の笑顔。

 ボクは、覚えているよ。

 

 

 覚えているよ。

 

 

 うん、覚えているんだ。

 

 

 君が教えてくれた―――君の記憶を―――。

 

 

 君が目を覚まして、微かに残っていると、教えてくれた、君の記憶。

 

 

 

 

 

 あの日―――君がボクの【ファミリア】になった日。

 君の背に現れた、見たことも、聞いたこともない【ステイタス】。

 ……迷って、悩んで、決意して、ミアハにお願いして君の身体を診てもらった。

 記憶を失っているから、念のためと君に嘘をついて、ミアハに診てもらった結果は―――想像の外だった。

 

 

 

 

 

『……結論から言わせてもらうと、彼の記憶喪失は、喪失ではない』

 

『消失―――消滅と言ってもいい』

 

『原因は、彼の左腕だ』

 

『気付かなかったかね? 右腕と左腕―――左の方が、少し大きいことに』

 

『そう。左腕は彼の本来の腕ではない』

 

『移植―――そのように思われる、が、それだとおかしい点が幾つかある』

 

『私の経験から言わせてもらうが、他人の腕ではこうまで上手く繋がることはありえない筈なのだ。しかし、この腕は、肉体だけじゃない、霊体も完璧に繋がっている』

 

『他人の腕では、こうまで見事に繋がることはありえん―――そうだ。例え私であってでも、だ』

 

『……ありえん。この左腕は、間違いなく彼本来の腕ではない。最初は気付けなかったが、良く見ればヘスティアも気付けた筈だ』

 

『明らかに、彼の左腕の“霊格”は彼の身体と比べ別格だ』

 

『これほどのものは、子供達ではありえん。一番近いものといえば―――“精霊”……か』

 

『待て待て。そうではない。近いものはといっただろ。似ているだけで、この腕は“精霊”のものではない。それは間違いない』

 

『……わからない。本当にわからないのだ』

 

『わからないことばかりだが、しかし、わかったこともある』

 

『彼の記憶喪失―――いや、消失は、まだ続いている』

 

『落ち着けヘスティア。安心、とは言えんが、幸いにも【恩恵】がその進行を妨げている。今すぐどうかなるというわけではない』 

 

『それでも、少しずつ進行していっている。日が経つにつれ、確実に彼の記憶は失われ、肉体は変化していくだろう』

 

『その結果どうなるかは、私でもわからない』

 

『不可能だ。例え左腕を切り離したとしても、侵食が止まることはありない』

 

『【恩恵】の力で、十数年は持つとは思うが……だが、保証はできん』

 

『何が切っ掛けとなって、侵食が進むかわからないからだ』

 

『その通り。確かに【恩恵】を破る事はない』

 

『しかし―――ヘスティア。彼がそれを望んだ場合は、どうだろうか』

 

『彼は、私たちの想像を逸脱している。今後、彼がどうなるかなど、『神の力(アルカナム)』が使えないこの身―――いや、例え使えたとしても、わからなかっただろう』 

 

『……もう一つ、想像でしかないが、多分、彼はこの腕がどういうものかわかった上で、繋げたのだろう』

 

『はは……ただの勘でしかないよ』

 

『……きっと、彼には譲れない何かがあったのだろう』

 

『そのために、彼はこの腕を繋げ、そして戦った』

 

『その結果、どうなるかを理解した上で……』

 

『ヘスティア』

 

『人とは、こうまで強く、恐ろしく、悲しくなれるものなのか?』

 

『何が、彼をそこまで駆り立てたのか……』

 

 

 

 

 

 

 

「―――ベルくん」

「は、はい」

 

 ベルを見上げる。

 微かに濡れた髪を、闇の中、遠く明かりを灯す魔石灯がぼんやりと浮かばせる。

 

「ベルくんが強くなりたいのは、好きな人に近づきたいからだよね」

「……そうです」

 

 ゆっくりと、噛み締めるようにベルの頭が上下する。

 

「その気持ちは、大切なものだってことはわかる。努力するのもわかるんだ。そのために、危険に身を晒すことも……必要な時があるってことも、わかってる」

「は、い……」

 

 顔を俯かせたまま、ベルは視線だけをヘスティアへ向ける。

 ヘスティアは、真っ直ぐにベルを見つめている。

 

「シロくんも、きっと、そうなんだよ」

「え?」

「シロくんも君と同じように、強い想いがあって、だから、強くなった……強く、なれた……」

 

 離れていた位置にある魔石灯の明かりが微かに照らすヘスティアの身体が、今にも消え去りそうなほどに、儚げに映る。

 

「身を削られるような、心を削られるようなことがあっても、強くなりたいと思ったんだ」

 

 大切な何かを包むように握り締めた両手を胸元に抱きしめる。

 強く、強く押し付けた両手に、柔らかな胸元がぐにゃりと歪む。

 押し殺したような、苦し気な声が、ヘスティアの口から溢れる。

 

「想いが、願いが、きっとシロくんを強くした……―――悲しいほどに、強く……」

「神、さま?」

「だから、さ、ベルくん。君も強く、強く想えば、きっと強くなれるよ。このボク(神様)が保証してあげよう」

 

 あまりにも何時もと様子の違うヘスティアに心配を覚えたベルが、手を伸ばす。しかし、それを拒絶するかのように、ヘスティアは顔を上げる。ヘスティアの深い蒼の瞳が、ベルの深紅の瞳と交じり合う。

 

「……君の懸想(想い)が強ければ強いほど、君は強くなれる。そう、シロくんにも負けないくらいに」

「シロ、さんにも……」

「でもね、ベルくん」

 

 噛み締めるかのように、ベルが強く握った拳を震わせながらシロの名を呟くのを見たヘスティアは、震えるベルの拳を両手でそっと包み込んだ。

 

「たとえ強くなったとしても、君の目指す先に届いたとしても、想いが消えてしまえば、意味はないんだよ」

「え?」

「……死んだら、意味がないってことさ」

 

 小さく笑みを口元に浮かべたヘスティアに、ベルが苦笑を浮かべる。

 

「はい」

「君が無茶をしてでも強くなりたいというのなら、ボクは止めない。でも、その前に、頼って欲しいな。もちろんボクじゃ君の力にはなれないけど、シロくんがいる。きっと彼なら、君の願いの力になってくれる」

「はい……」

「だから―――ほら」

 

 ヘスティアは闇の向こうへ指を差す。

 緩やかになる雨の勢い。それでも夜の視界を遮るのには十分だ。しかし、そんな中、ぼんやりと闇の中浮かび上がる影があった。

 

「え?」

「いってきな」

「シロ、さん」

 

 段々と大きくなるその影は、ベルにとっては良く見慣れた人の姿だった。

 それは、今最も会いたくて、会いたくない人だった。

 自分が憧れている人の中の一人。

 そんな人の前で、馬鹿にされてしまった。

 あの人の前で、シロさんの前で。

 もし、シロさんに馬鹿にされたら、と思う……ありえない、とは思うけど……。

 でも―――。 

 

「君が、何をしたいのか、何処へ行きたいのか、何を目指すのか―――きっと、シロくんは君の力になってくれるよ」

「っ―――はいッ!!」

 

 神様の言葉を背に、ベルはシロへ向かって駆け出した。

 強く、なりたいという想いを抱いて。

 あの人に、追いつくために―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小さくなる、闇の中に紛れる影の向こうに浮かぶ灰色の髪へと駆け出すベルの後ろ姿。

 その背中を、ヘスティアはじっと見つめていた。

 

「……ベルくん。想いがあって、力があるんだってことを、忘れないでね」

 

 ポツリと呟いた言葉は、空から落ちてくる雨粒にまぎれ消えてしまった。

 

「シロくん……君は、どうだったのかな」

 

 思い出す。

 彼が目を覚ました時の事を。

 記憶がないと口にした彼が、少しだけ、覚えていることがあるといった言葉を。

 

『家族が、いた―――大切な、大切にしたいと、誓った、家族が―――』

 

 彼が口にした言葉(記憶)を思い出す。

 

「君の願いは―――叶ったのかな……」

 

 もう、彼が覚えていない、大切な記憶を―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして―――脳裏に蘇るのは、彼の背に記された―――異形の……【ステイタス】…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■■■シロ■

 

 Lv.1

 

 力:I0

 

 耐久:I0

 

 器用:I0

 

 敏捷:I0

 

 魔力:I0

 

 《魔法》

 

 【■■■■■】

 

―――使用不能

 

派生魔術 ―――【■■】 

 

―――使用不能

 

―――【■■】

  

―――使用不能

 

―――【■■】

   

―――使用不能

 

 《スキル》

 

 【 】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――削れ

 

 

 ―――砕け

 

 

 ―――摩耗した

 

 

 ―――彼の魂の記憶を―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしております。

 映画、物凄く楽しみです。

 小説を書きたくなるほど……。

 映画……どっちのルートなのかな?


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第十話 問い

 

 ………………………………………どうしてこうなった……。

 

 オラリオの一角にある小さな喫茶店。

 広いオラリオの中に幾つもある平々凡々な喫茶店の一つではあるが、今この時に限っていえば最も危険な場所となっていた。

 

 ―――主に自分にとって、だが。

 

 隣に腰掛ける頬を膨らませた主神(ヘスティア)に視線を落とす。

 ヘスティアの視線はテーブルを挟んだ向かいに座る妖精のような美しさを持つ黄金の髪の少女。以前見た鎧姿ではなく、可愛らしい花の刺繍に彩られた白い短衣とミニスカートを身につけているアイズ・ヴァレンシュタインに向けている。

 何を喧嘩を売っているとため息をつきたくなるのを堪え、視線を横にずらすと、そこでカチリと硬い視線とぶつかった。

 

 ……何かしたか?

 

 明らかに敵意のこもった目でこちらを睨みつけてくる少女。幼さを感じさせる面立ちに、特徴的な長い耳。エルフの少女だ。しかし、記憶を遡るも、こうまで敵意を向けられる覚えはない筈だが。もしや先日の一件が理由だろうか?

 確かに、アレが理由だというのならば納得は出来る、が―――何となくそういう気がしない。

 逃げるように視線をずらすと、そこには興味津々にこちらを見つめてくる少女が一人。隣に座る少女も同じような露出の激しい格好からして、二人共アマゾネスだろう。どことなく似た雰囲気からして姉妹だろうか、一部に激しい貧富の差が見られるが、姉―――一部分から判断した偏見―――の方は特に興味はないのか、妹とは違いこちらに目を向けず出てきた料理をぱくついている。

 目の前に広がる光景から逃げるように瞼を閉じる。

 思い出すのは少しばかり過去の記憶。

 自分がこのような状態に陥る羽目となった―――その切っ掛けを。

 

 

 

 

 

 

 ―――【ロキ・ファミリア】とのちょっとした諍いがあった日から二日後の朝。

 早朝訓練の後、一人ダンジョンへと潜ったベルの後を追いかけようかと腰を上げた時であった。 

 ヘスティアに呼び止められたのは。

 なにやら『神の宴』とやらのパーティーに出席しようと思うんだが、着ていく服が色々と粗が出てきたので、買った店で仕立て直してもらおうかと思うから付いてきてくれないか? とのことであった。服の仕立ての一つや二つ、俺でも問題なくできるがと言ったのだが、ヘスティアは何やら機嫌を悪くしたり妙に機嫌を良くしたりと騒ぎ立て―――結果として一緒に外出することになった。

 いくら厳しく指導し試験をした結果許した―――こっそりと後をつけようかと考えてはいたが―――一人ダンジョンへと潜ったベルを他所にヘスティアと外出する事には色々と思うところがありながらも。

 オラリオには様々な種族がいるため、それに応じた店もまた多くある。色々と顔を覗かせながらヘスティアの目当ての店へと向かう途中であった。

 ―――彼女たちと出会ったのは。

 そう、なにやらはしゃいでテンションが上がりっぱなしのヘスティアがアマゾネスの少女とぶつかったのだ。

 直ぐに謝ったヘスティアが、その場を離れようとした時だった―――ぶつかったアマゾネスの少女が俺を見て声を上げたのは。

 

『あ、“最強のLv.0だ”』―――と。

 

 そこから先はあれよと言う間もなくアマゾネスの少女の連れ―――驚いたことに中にはアイズ・ヴァレンシュタインの姿もあった―――を合わせ四人の少女たちに取り囲まれ、連行されるようにここ―――近くにあったカフェへと連れてこられた。

 

 ん? 俺は何も悪くないんじゃ?

 

 頭痛に耐えるように額を指で揉みほぐしていると、丸テーブルの向かいに座るアイズがこちらを熱心に見つめながら口を開いた。

 

「あの―――シロ、さん?」

「ん? 何だ?」

 

 顔を上げると、少しばかり熱のこもり過ぎた視線を向けてくるアイズに、戸惑い混じりの声が出る。

 

「聞きたい事が、ある」

「……聞きたい事?」

「あなたが、Lv.1だというのは本当? 以前―――二ヶ月程前に、Lv.2を含む冒険者を十数人、『恩恵』を得る前に倒したことは―――」

「待て待てッ!」

 

 テーブルを乗り越える勢いで迫るアイズを、慌てて両手を前に突き出して止める。アイズはそこでハッ、と我に返ると、頬を赤く染めながらのろのろと腰を横に落とした。

 

「ふぅ―――色々と聞きたい事があるということはわかった。だが、その前にすることがあるだろう」

「すること?」

「することって何ですか」

 

 アイズが小首を傾げると、エルフの少女が何処か怒った調子で口を開いた。こちらに向けてくる視線には相変わらず険が篭っていた。

 ヘスティアがエルフの少女の様子に敏感に気が付き、何やら文句を言いそうな気配を感じたため、喧嘩が始まる前に二人を制するようにぐるりとテーブルを囲む皆を見回した。

 

「まずは自己紹介、じゃないか?」

 

 

 

 

 

 

(―――全く、何なんですか一体っ)

 

 彼女―――エルフの少女であるレフィーヤ・ウィリディスは、目の前の男を睨みつけていた。

 本当ならば、今は繁華街のお洒落なカフェで食事でもしている筈であったのに、何故寄りにもよってこんな男と同じテーブルを囲んでいるのかという気持ちが、ありありとその態度と表情から見て取れていた。

 今日は、最近落ち込み気味なアイズを元気づけるために、気晴らしにでもとファミリアの皆と買い物に出かけていたのだが、その途中で、シロとその主神であるヘスティアと出会ったのである。

 レフィーヤは最初からこのシロと名乗る男が気に入らなかった。

 何しろ同じ【ファミリア】のベートがこの男に殴り倒されたのだから―――という事ではなく、憧れのアイズが何やらこの男にご執心であるからだ。あの『豊穣の女主人』亭での一件以来、何やら落ち込んでいたようだったアイズだったが、それとは別に、この男―――シロについて色々と調べていたようであった。

 確かにロキの話が本当ならば、驚異的―――いや、それどころの話ではないが、強くなることにかけて普段から並々ならぬ熱意を持つアイズがこのシロという男に興味を抱くのは仕方がないかもしれない。それほどまでにこの男の強さは異常であった。ロキからあの噂話を聞いた【ファミリア】の他の皆も、大小の違いはあるが興味を抱くほどに。

 最も興味を抱いていなかったのは、この場にいるアマゾネス姉妹の姉であるティオネであるが、最も興味を抱いていたのは、ベートと、そして目の前で熱心にシロを見つめているアイズであった。

 憧れのアイズが誰かを―――それも【ファミリア】の仲間を倒した男を熱心に見つめているという光景に、シロを見る自分の目に嫌でも憎しみに似た嫌悪が宿るのは仕方がないことであった。

 

「それでは、まずは俺から自己紹介しようか。俺は―――」

 

(ふんっ! こんな昼日中からダンジョンに行かず神様とデートですかっ! 全くいい身分ですねっ! しかも、女性と一緒だというのに腰から剣を下げているなんて、失礼にも程がありますっ! ヘスティア様はきちんと化粧までしてお洒落してるのに、自分は全くそんな様子が見られないなんてっ! あんまりだと思いますっ!) 

 

 レフィーヤは次々に自己紹介を始める面々を聞き流しながら、先程からぐるぐると回る愚痴ともつかない文句を頭の中で吐き出し続けている、と。

 

「レフィーヤ?」

「っ―――ぁ―――ぅ―――」

「レフィーヤ?」

「そ―――ぁ―――え? あ? な、何ですかアイズさん?」

「最後、レフィーヤの番」

「え? あ、ああっ!」

 

 何時の間にか全員自己紹介が終わったのか、アイズの言葉が頭に届くと同時に、反射的に立ち上がってしまう。椅子を蹴倒す勢いで立ち上がったはいいものの、何を言えば分からずぱくぱくと口を魚のように開けては閉じるを繰り返していたレフィーヤだったが、んんっ、と喉を鳴らすと、小さく頭を下げた。

 

「【ロキ・ファミリア】のレフィーヤ・ウィリディスです。よろしくお願いしますヘスティア様」

 

 ベコリとヘスティアだけに頭を下げたレフィーヤが椅子に腰掛けると、強い非難が混じった視線が向けられた。

 もしやシロかと思ったレフィーヤだったが、視線の主は彼ではなくその主神であるヘスティアであった。一目で機嫌が悪いといった様子でこちらを睨みつけてくる神の姿に、流石に主神の前で【ファミリア】を無視するのは失礼すぎたかと後悔してしまうレフィーヤだったが、向けられる非難の視線は予想外の手によって遮られた。

 

「そう睨むなヘスティア」

「ぷぎゅっ―――な、何するんだシロくんっ! こ、この女はだねっ、君を無視したんだよっ! 失礼じゃないか流石にっ!」

「っ」

 

 シロに頭を押さえられたヘスティアの否定のしようのない言葉に小さくなるレフィーヤだったが、またもや予想外の人物に助けられる事になった。

 

「……説明しただろうが、先日【ロキ・ファミリア】とはちょっとした揉め事があったと。あちらがこちら―――俺を気に食わないのは当たり前だ。まだ問答無用で殴りかかってこないだけマシな方だ」

「し、失礼ですね。いきなり殴りかかるなんて、そんな野蛮な事なんてしませんっ!」

 

 ばんっ、とテーブルを叩き自分を助けてくれた男であるシロを睨み付ける。

 シロは一瞬目を丸くしたが、直ぐに口元に笑みを向けると小さく頭を下げてきた。

 

「確かに、失礼したな」

「っ、う、ま、まあ。こ、こちらも礼を逸したところがありますし……」

「そうか……それで、先程の話を続けようか」

 

 こちらが視線を泳がせながらも、レフィーヤが自分の非を認めていると、シロはアイズに顔を向けた。

 

「……私は、あなたの強さの理由を知りたい」

「俺の強さか……」

「あなたはLv.1だという。なのに格上であるはずのLv.5であるベートを一撃で倒した。どうしたらそんな事ができるの?」

「ちょっ、しっ、シロくんっ! あの日何かするだろうとは思ってたけど、なにLv.5の相手と戦っているんだいっ!?」

 

 シロに抑えられていた手を跳ね除け立ち上がったヘスティアが、顔を真っ青にしながら掴みかかる。シロは掴みかかってくるヘスティアを片手であしらいながら、困ったように小さく鼻を鳴らした。

 

「残念ながら、それに応える事はできないな」

「っ、どうして」

「むっ、な、何で答えられないんですかっ! もしかしてっ、何かやましい事でもあるんですかっ!」

 

 レフィーヤがシロに指を突きつける。今にも噛み付かんばかりの形相で睨みつけてくるレフィーヤに、片手でヘスティアを押さえ込んだシロは、口物に苦笑を浮かべながら首を左右に振った。

 

「実のところ俺もその点を知りたいところだ」

「え? どういうこと?」

 

 それまで黙ってアマゾネスの姉妹の妹であるティオナが疑問の声を上げた。

 シロはチラリとそちらの方へ視線を向けると、過去を顧みるかのように目を細めた。

 

「……俺には、過去の記憶がない」

「「「え?」」」

「ちょ、シロくんっ?!」

 

 驚きの声が周囲から上がる中、シロはこんこんと指先で自分の頭を小突いた。

 

「俺には二ヶ月程前このオラリオに来る以前の記憶がなくてな。どうして俺がこうまで戦えるのかということはおろか、何処の誰かさえも覚えていない。唯一つ言える事は、考えるまでもなく身体が動くほど、以前の俺は戦いずくめだったのだろうということだけだ」

「戦いの記憶が身体に染み込んでいる、と」

「そういった所か」

「はぁ~……凄いんだ。ベートを一撃で倒す程の動きが自然と出せるなんて、しかもLv.1の力でだなんて。お兄さん本当何者なんだろうね」

 

 ティオナがテーブルの上にだらっと乗りかかりながら視線だけをシロに向ける。

 

「……つまり、あなたに戦い方を教われない、ということ?」

「ちょ、アイズさんっ!?」

 

(なっ、何を言っているんですかアイズさんっ?!)

 

 思わず声を上げてしまう。

 当たり前だ。

 憧れの人が、他の【ファミリア】―――それも仲間を殴り倒したような相手で、しかもLvが格下であるのに、そんな相手に戦い方を教わろうだなんて。強くなることに異様なほど執着心を見せることは知っていたが、流石にこれはいただけない。

 レフィーヤがどうにかして止めなければと考えていると、それより先に言葉をかけられた張本人であるシロがそれを横に切って捨てた。

 

「だめだ」

「どうして?」

 

 首を横に振り拒否したシロに、間髪入れないタイミングでアイズが問いかけてくる。

 

「俺があの獣人の男を倒せたのは、あの男が人間(・・)だったからだ」

「え? ベートは獣人だよね」

 

 ティオナがテーブルを囲む面々をぐるりと見回しながら尋ねる。

 だが、ティオナの問いに応える者はおらず、全員がシロへと視線を向けた。

 

「……俺が言いたかったのは、ヒューマンとほぼ同じ骨格や内臓で身体ができているということだ」

「それがどうかした?」

「わからないのか?」

「?」

 

 アイズが小首を傾げ疑問を呈するが、それはこの場にいるものも含んでいた。皆が皆一斉に小首を傾げる光景に小さくため息を吐くシロ。

 

「ヒューマンと同じ肉体であるならば、脳を揺らせば大抵の者は気絶する。たとえ全身が鋼鉄のように固くとも、どうにか頭の中身を揺らすことさえできれば問題はないだろう」

「Lvの差を覆すことも」

「相手が人間であるならば、覆す可能性はゼロではないな」

「ならっ、私にも―――」

「だが、モンスターには殆んど意味はない」

「え―――それは……?」

「意味がないって?」

 

 アイズと同じく疑問を呈すレフィーヤにシロは思い出すように瞼を閉じた。

 

「ダンジョンにいるモンスターの多くは人型ではない。それに、たとえ人型のモンスターが現れたとしても、その中身が同じとは限らない。つまりだ。例え君に俺の持てる技術の全てを伝えたとしても、ダンジョンでは殆んど意味はないということだ」

「っ―――だけどっ」

「ならば、ただひたすら能力を向上させ、それを十全に発揮できるように努力したほうが、俺などに戦い方を習うよりも強くなれる筈だ」

「それでも私は―――」

「アイズさん」

 

 尚も食い下がろうとするアイズをレフィーヤが手を取って止める。アイズは、反射的に振り向き、レフィーヤに何か言おうと口を開いたが、直ぐに思い直したように口を閉じた。

 

「……すみません」

「謝るようなことではないだろう」

 

 小さく頭を下げたアイズに、シロが片手を軽く横に振る。

 

「しかし、何故そうまで強くなりたい? 君は【剣姫】と謳われる程の強さを持ち、Lv.も5だ。現時点で君に勝てる者はこのオラリオでも数える程しかいないと思うが」

「駄目」

「何故?」

「まだ、まだ全然足りない。私は―――私は……」

 

 顔を俯かせたアイズは、何かを耐えるかのように歯を食いしばり、身体を強ばらせた。両膝に置かれた握り締められた手は、溢れた自身の力によって小刻みに揺れている。

 

「アイズ……」

「アイズさん……」

 

 周囲から心配気な声が上がる。

 いたわるようなその声に、ハッ、と顔を上げたアイズが、気持ちを切り替えるように小さく頭を振った。

 

「ごめん……」

「……理由は聞かないが、余り思いつめない方がいい。身体に問題はなくとも、心に迷いがあるだけで人は容易に死ぬ。それがダンジョンなら尚更だ」

「っ……はい」

「まあ、そんな事は俺が言うまでもないとは思うが」

「そっ、そうです。そんな事あなたに言われるまでもありませんよっ!」

 

 頭を下げ小さくなるアイズにシロが苦笑すると、席を立ち上がったレフィーヤが指を突きつけながら声を荒げた。

 

「レフィーヤ。あんたさっきからどうしたの? 随分と攻撃的だけど」

 

 ティオナが首を傾げながら立ち上がったレフィーヤを見上げる。ティオナだけでなくテーブルを囲む全員の視線が自分に向けられていると気付いたレフィーヤは、わたわたと慌て逃げるように視線が泳いだ。テーブルを囲む皆の間を泳ぐ視線が、その中の一人であるシロとぶつかると、レフィーヤはぐっ、と歯を噛み締め覚悟を決めたようにゆっくりと口を開いた。

 

「わ……私は、み、認めませんっ」

 

 握り締めた拳を両腰に当て、身体を震わせながらレフィーヤは言う。

 僅かに俯かせた顔の前に、長い金髪が垂れ下がり、簾の間から射抜くような視線がシロへと向けられている。

 

「Lv.1のあなたなんかにっ……」

 

 そう、レフィーヤに認められる筈がなかった。

 自分が、どれだけ努力しても、どれだけ死力を尽くしたとしても、決して届かない高みに彼女はいるのだから。憧れて、焦がれて、少しでも近づきたくて、少しでも力になりたくて―――でも、結局は何時も助けられてしまう。

 ただ、憧れるしかなかった……。

 それでも良いかもしれない。

 遠くから見つめて、時折話すことだけでも、十分ではないかと心の片隅が語りかけてくる。

 その度に、その想いを振り払い、歩み続けてきた。

 何度となく心が折れても、それでもと、頑張ってきた。

 こんな自分を受け入れてくれた彼女の―――彼女達の近くに。

 何時か、その隣に立てたならと思って。

 なのに。

 なのにッ!

 突然現れたこの男は、アイズ(憧れ)から望まれている。

 自分の遥高みに、手の届かない遠くにいる筈の彼女から、手を伸ばされている。

 これが、例え他のファミリアの者であっても、高Lvの者なら、不満はあるけどまだ納得はしただろう。

 だけど、こいつは違う。

 この男はLv.1でしかない。

 確かに、普通のLv.1ではないかもしれない。

 だからといって、認められる理由ではない。

 何故?

 決まっている。

 認めてしまえば、自分は立ち上がれない。

 だって、そうでしょう?

 少しでも近くに、少しでも傍にと頑張ってきた。

 頑張って、死ぬ思いをしながらLvを上げてきた。

 全ては、少しでも彼女達に認めてもらうために。

 自分に振り向いてもらうために。

 なのに、Lv.1(・・・・)でしかないこの男を認めてしまえば―――私の今までの努力は一体なんだったのか……。

 だから―――だからこそ私はっ―――私はッ!!

 

 

 

「―――私は、絶対にあなたなんか認めませんッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全くっ! 一体何なんだいあの子はっ! 失礼にも程があるじゃないかっ!?」

「まあそう言うなヘスティア」

 

 ぷんすかと怒りも露わに歩くヘスティアを宥めながら、シロは後ろを振り返った。

 先程までいたカフェは最早遠く、視界に入らない。

 

(アイズ・ヴァレンシュタイン、か……)

 

 思い出すのは、あのレフィーヤという少女が席を立ち、逃げるようにカフェから去っていった時のこと。何処かへと走り去る仲間(レフィーヤ)を慌てて追いかける【ロキ・ファミリア】。その中の一人。最後にカフェを離れた少女の事を。

 

 

 

 ―――あの……。

 

 ―――別にこちらは気にしていない。それより追いかけないでいいのか? 

 

 ―――直ぐに、だけど……最後に一つだけ……。

 

 ―――何だ?

 

 ―――あの子……白い髪の、赤い目をしたあの子は、あなたの……。

 

 ―――ああ、ベルの事か? そう言えば、君が助けてくれたんだったな、礼を言うのを忘れていた。ありがとう。大切な仲間(家族)を助けてくれて。

 

 ―――でも……私は、怖がらせてしまった……。

 

 ―――怖がらせる? ああ……っふ、いや、そんな事は……そうだな、なら―――。

 

 

 

 顔を前に戻し、ぎゃあぎゃあとなおも騒いでいるヘスティアの頭を乱暴に撫でながら、オラリオの中心、天を突くようにそびえ立つバベルへと顔を向ける。

 その下の、ダンジョンで強くなるため唯一人戦っているだろう家族(ベル)を思いながら。

 

(―――よかったなベル。どうやら、完全な一方通行というわけでもないかもしれんぞ)

 

 

 

 ―――なら、今度会ったら笑いかけてやってくれないか? 多分だが、中々面白いものが見れるかもしれんぞ。

 

 ―――……? わかった。やってみる。

 

 

 

 何処かほっとした様子で微笑んで見せた、アイズ・ヴァレンシュタインの姿を思い出していた。

 

 

 

 




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第十一話 神の宴

 『迷宮都市オラリオ』。

 『世界で最も熱い都市』とも呼ばれるそこには、様々な建築物が立ち並んでいる。

 『ダンジョンよりもダンジョンしている』とまで冒険者から呼ばれる『ダイダロス通り』。

 様々な国の異国情緒溢れた建築様式を所狭しと並べ立てた『歓楽街』。

 オラリオで、いや、世界で最も高い建築物と言っても良い、この迷宮都市の中心でありダンジョンの蓋でもある摩天楼施設『バベル』。

 等々と、オラリオには特徴的な建物が数多く存在する。

 しかし、その中でも特に異彩を放つ建物が一つ。

 初めてそれを見た者は、ソレを建物とは思わないことだろう。白い壁に囲まれた広い敷地の中心に、それはあぐらをかいて座っていた。

 像である。

 それは、象の頭と若い男の肉体を持った巨大な像であった。

 巨大、巨大である。

 全長三十M(メドル)をくだらないその巨大な像は、しかし、像ではなく建築物であった。

 ここは、オラリオで随一の構成員を誇る【ファミリア】―――【ガネーシャ・ファミリア】のホームであった。

 夜―――無数の大型の魔石灯でライトアップされた、見るものに微妙な気持ちを抱かせるその建築物の中では、とある宴が執り行われていた。

 その宴とは―――『神の宴』。

 随分と大仰な名であるが、それは文字通りの意味であった。

 参加者は全て神。

 とは言え、その中身と言えば、下界に降り立った神々がただ顔を合わせるためだけの会合でしかなかった。この宴、主催するのは別に何処の神かとは決まってはいない。毎回宴をしたい神が開き、そして宴に参加したい神が参加するという、神々の適当さがわかる催しであった。

 そして、今夜の宴は【ガネーシャ・ファミリア】の主神―――ガネーシャが執り行っていた。

 主神の巨像というふざけた建物の中では、宴が開かれている。外観からは想像も出来ない落ち着いた内装の大広間では、様々な神が宴を楽しんでいた。

 そしてそこには、弱小ファミリアである【ヘスティア・ファミリア】の主神であるヘスティアの姿もあった。

 

「あら? 久しぶりヘスティア」

「ん? あっ! ヘファイストスっ!!」

 

 並べられた料理の数々に手を付けることなく、何処かぼうっとした様子でワインの入ったグラスを片手に揺らしていたヘスティアは、背後からかけられた声に振り向き驚きの声を上げた。

 ヘスティアの後ろに立っていたのは、一柱の女神であった。

 燃えるような紅い髪と同じく紅いドレスを身につけた女神の名はヘファイストス。

 女性的な豊かなスタイルを持ちながら、何処か鋭角的な、刀剣を思わせる美しさを身にまとう彼女だが、最初に目が行くのはその炎のような美貌ではなく、その顔の半分を覆う黒い革布である。顔の半分近くを覆う眼帯をした女神が、ワイングラスを片手に首を傾げていた。

 

「どうかしたの? 何だか元気がなさそうだったけど? 心配事でもあるの?」

「ん? いや、そうじゃないんだ。まあ、ボクの事は置いておいて。良かったよ君に会えて」

 

 ほっと息を吐くヘスティアの姿に、ヘファイストスは眉根を寄せ微かに顔を顰める。

 

「何よ。私に会えて良かったって……一応言っておくけど、お金なら一ヴァリスでも貸さないからね」

「失礼だなっ! もうそんな事はしないよっ! 何せこっちにはシロくんとベルくんがいるんだかねっ!」

「そういえばそうね。あなたは信用できないけど、シロがいるし……」

「その言葉の真意を知りたいところだけど、まあ、いいや。それよりも、実は君に―――」

 

 顎に手を当て、そう言えばと納得するヘファイストスをジト目で睨みつけていたヘスティアが、ぽんと手を叩き何かを言おうとしたが、それは背後からかけられた声により遮られてしまう。

 

「あら? ヘスティアじゃない」

「っ?!」

「ん?」

 

 振り返った二人の前に、女神が立っていた。

 暖かさと柔らかさを得たかのような大理石の如き肌に、細くも女性的な柔らかさを感じさせる肢体は、動く度に誰しも魅了させてしまう芳香を漂わせ。小ぶりでありながら、服の上からでもその柔らかさを感じる臀部。折れそうな程に細いのに、一種の豊かささえ感じる腰。大きく胸元が開いた金の刺繍がされたドレスから溢れる二つの大きな双丘が造り出す峡谷は、男女関係なく見るものを吸い込ませる。

 一つの究極の美が、そこにはあった。

 ワイングラスを片手に立つその美の女神は、涼しげな切れ目の瞳を細め、長い銀髪を指先でついっと直すと、ヘスティアたちの下へと歩み寄っていく。

 

「ふ、フレイヤ……何でここに君が……」

 

 美に魅入られた神―――フレイヤの名をヘスティアが口にすると、疑問を投げかけられた張本人は、あら? とばかりに小首を傾げて見せた。

 

「ヘファイストスに声を掛けられたのよ。久しぶりーって話ししていたら、何時の間にか一緒に会場を回ることになっていたの」

「そうか、君のせいだったのかヘファイストス……」

「私のせいって言うのはどういうこと? 何か悪いことでもしたとでも言うつもり?」

「そういう、理由じゃないけど……」

「あら? じゃあどう言う意味かしら?」

 

 常に微笑を口元にたたえているフレイヤだけでなく、ヘファイストスも口元に笑みを浮かべながらヘスティアへと躙り寄っていく。

 

「むぅ……ただ、ちょっとボクは君の事が苦手なだけだよ……フレイヤ」

「あら、それは残念ね。私はあなたのこと嫌いじゃないんだけど?」

「まあ、ボクも君のことは嫌いじゃないよ。ただ、苦手なだけで……」

 

 ワイングラスを傾けながら、苦笑を浮かべるヘスティアに、フレイヤも笑みで返す。

 フレイヤが浮かべる笑みに見蕩れる周囲の神々を横目にしたヘスティアは、小さくため息を吐いた。

 確かに、先ほど言った言葉に嘘はない。

 ヘスティアはこの“美の女神”であるフレイヤを嫌ってはいない。ただ、苦手なだけであった。彼・彼女等“美の神”は、容姿に優れる者が多い神の中でも、特に美しい者たちであった。それが、ただ容姿に優れているというだけならば、まだいいのだが、この“美の神”達は、地上の者(子供達)が見れば、一瞬で虜にされてしまうほどの美しさを持っていた。その力は、もはや『神の力(ファルナ)』と言ってもよい程の力があった。

 しかし、それがヘスティアがフレイヤ(美の神)を恐れる理由ではなかった。

 それも確かにあるが、それ以上に明白なもの。

 それは性質(タチ)の悪さである。

 個性的で自由奔放、他にかける迷惑は神のご加護だと言い張る面の厚さもあるが、それ以上に厄介な食えない性格であった。

 このフレイヤも勿論例外ではない。

 何せこの女神、他所のファミリアに気に入った子を見つけると、自分のファミリアへと入れてしまうのだ。他のファミリアへ変わる事は、容易ではないが不可能ではない。神と本人が認めれば、改宗する(違うファミリアへ変わる)ことが出来る。この女神(フレイヤ)は、その美貌と魅了によって、今まで多くの子供達を自分のファミリアへ入れ、その結果、オラリオ最強のファミリアとまで呼ばれるまでになっている。

 

(……大丈夫だとは思うけど、一応警戒しておかないと、ね)

 

 【ヘスティア・ファミリア】には、現在Lv.1しかいない。

 しかし、そのどちらも神々の興味を抱かせるには十分な素質を持っている。

 ベル・クラネルの【憧憬一途(レアスキル)】に、シロのLv.1とは思えない謎の実力。

 どちらも日々“未知”という存在に飢えている神々にとっては、垂涎の的だろう。

 そう、ヘスティアが苦笑いを浮かべながら警戒していると、遠くから手を振りながら近づいてくる女神が一柱現れた。

 

「お~い! ファーイたん、フレイヤー……に、ドチビー!!」

「……あっちは大ッッ嫌いだけどね!」

「あらあら」

 

 口元に手を当て笑うフレイヤに足音荒く背を向けながら、ヘスティアは近づいてくる女神―――ロキに対峙した。

 朱色の髪を夜会巻きにまとめ、その細い―――悲しいまでに細い身体を黒のドレスで飾った女神は、髪と同色の瞳を見えないくらい細めヘスティアの前で立ち止まった。

 

「ああ、ロキじゃない」

「……ふんっ、何しに来たんだよ君は……」

「ほいほいファイたんおひさー……で、相変わらずやなドチビは、なんや、今日は『宴じゃー』ってノリで集まってんやろ? そんなとこで理由探すなんてほんま空気読めんな相変わらず」

「―――ッ! ふ……ふふ」

 

 肩を竦めながら見下ろしてくるロキの細められた目と声に含まれた嘲りに、ヘスティアは沸き起こる怒りに肩を震わせる。

 

「なんや? 何か言いたいことでもあるんか?」

「―――いや、君も本当に懲りないものだと思ってね。だってそうだろ? 何故(、、)かは知らないけど、何時もパーティーの度にボクに突っかかってくるけど、その度に自分のコンプレックス(無乳)を強調させてしまっているという事に気づいてなかったのかい? ごめんねぇ~胸が大きくてさぁっ!」

「ッッ!!? こんっクソガキがぁああっ!!」

 

 ヘスティアが胸の下で腕を組み、その豊かな双丘を強調し、ロキを挑発的な眼差しで見上げる。眼下にそびえ立つ巨大な山脈に晒されたロキは、怒りの沸点を容易に突破し、怒声と共にヘスティアへと飛びかかっていった。

 周囲の神々たちが『始まった! 始まった!』と声が上がるのを背中に、ヘファイストスは片手で顔を覆い高い天井を仰ぎ、フレイヤはグラスに口をつけながら微笑した。

 ロキはその長い手足を利用し、ヘスティアの手が届かない位置からヘスティアの頬を両手で掴むと、むみょんむにょんと餅のように引っ張っては縮めてを繰り返した。背が低く、それゆえに手足も短いヘスティアにはなすすべもない。二柱の女神のキャットファイトは、終始ロキが優勢に進んだが、攻撃の度にヘスティアの胸が大きく揺れ、それを間近に目撃するロキは少しずつ、だが確実にダメージを喰らい、結果として両者ともに疲労困憊に床に座り込む羽目となった。

 肉体的ダメージがなかったロキが、頬をさすりながら床に突っ伏すヘスティアよりも先によろめきながらも立ち上がると、未だ倒れたままのヘスティアの背中に指を突きつけた。

 

「ふ、ふんっ! こ、今度あった時には、その無駄にでかい乳を引っ張ってやって、婆あみたいに垂らしてやるからなこんアホぉっ!!」

「はんッ! ならこっちもその絶壁を引っ張ってやって、少しは見れるようにしてやるよっ! まあっ! 掴めればの話だけどねッ!!」

 

 腰を曲げて見下ろすロキと、床に突っ伏しながらも頬を撫で見上げるヘスティア。

 ギリギリと睨み合う二人。このまま第二ラウンドか? と思われていたが、すっと腰を伸ばしたロキが、首を振りながら天井を仰ぎ見た。

 

「ああっ……やめや、やめや。今日あんたに会いに来たんは喧嘩しに来たんちゃうわ」

「……じゃあ、一体何なんだよ」

 

 床に手を突き立ち上がりながら、ヘスティアは警戒が多分に混じった声を上げる。

 ヘスティアがロキを嫌いな理由は、先も口にした通り何か集まりがある度にこうやって馬鹿にしてくるからであった。そのため、こういった集まりがある際は、できるだけ関わり合いにならないようにしていた。それは今回も同じだが、しかし今はできればこの(ロキ)と顔を合わせたくはなかった。

 シロと【ロキ・ファミリア】の一件。

 あの場(豊穣の女主人亭)には、ロキの姿もあった。

 なら、シロ(Lv.1)が【ロキ・ファミリア】の一線級の冒険者を倒したのを見たはずだ。

 【ファミリア(眷族)】の一員を倒した事も問題だが、Lv.1がLv.5を倒したという点が最も危険であった。

 基本、暇を持て余し日々謎や娯楽を求める神達にとって、シロ(イレギュラー)の存在は、何よりの玩具である。

 ヘスティアが、危機感を募らせながら見つめていると、ロキは周囲で騒いでいた神たちが立ち去っており、近くにはヘファイストス、と遠巻きにこちらを見ているフレイヤしかいない事を確認すると、低い声で小さく言葉を口にした。

 

「シロ、とか言うあの男―――……一体何者なんや」

「何者って……ボクのファミリアだよ」

「そんなん本人の口から聞いたわ。うちが聞きたいのは、あん男の過去や。一体どないな経験をしたらあないな男が出来るんか聞きたいんや」

「シロくんの、過去……」

 

 躙り寄るロキから顔を背けるヘスティア。歯を噛み締めながら、どうすればはぐらかす事が出来るか考えるヘスティアの後ろから、予想だにしない相手がロキの質問に応えた。

 

「無駄よロキ。ヘスティアもシロ(あの子)の過去は知らないわ。と、言うよりも本人も知らないみたいだしね」

「なんや? ファイたんも知ってんのかあん男? って言うか本人も知らんって何やそれ?」

「ヘファイストスッ!?」

 

 ヘスティアからヘファイストスへと顔を向けたロキが、頭を掻きながら首を傾げた。怒りを滲ませたヘスティアの声音に、ロキはヘファイストスの言葉に嘘の可能性は少ないと考えていた。

 

「ヘスティア。ロキに対して下手に隠し事をしたら禄な事にならないわよ。ある程度は話して適当に好奇心を満たしてやらないと、ほんと何しでかすか分からないし」

「―――っ」

「酷い言い草やなファイたんは、ま、否定はせんけど―――って、ファイたんもあん男のこと知ってんのか?」

 

 細めた目を開いて驚きを見せるロキに、空になったグラスを近くのテーブルに置いたヘファイストスは、肩を竦めて苦笑いを浮かべた。

 

「まあ、うち(ヘファイストス・ファミリア)に来て、武器を買うでなく鍛冶場を貸してくれなんて言ってくるような奴を忘れられるはずないじゃない」

「へ? 鍛冶場を? どゆこと?」

 

 開いた目を更に丸くさせたロキに、ヘファイストスは苦笑いを湛えたまま頷いた。

 

「そのままの意味よ。ヘスティアがシロ(あの子)をファミリアに入れて直ぐに、私に紹介しに来たのよ。で、この子(ヘスティア)の初めてのファミリアだから、何かプレゼントでもと聞いたら、『なら、鍛冶場を貸してくれないか』だって」

「へぇ……で、どうなんや」

「……まあ、うちに欲しいくらいは腕は良かったわ」

「それは―――ますますわからん男やな」

 

 世界で最も知名度が高いといっても過言ではない【ヘファイストス・ファミリア】。この迷宮都市において、唯一ダンジョンによる生計を立てていないファミリアだが、その代わりある分野での収入により生計を立てている。

 それは鍛冶。

 そう、【ヘファイストス・ファミリア】は鍛冶師のファミリアであった。

 そのファミリアの永遠の現役社長であるヘファイストスは、天界で神匠と謳われた実力はこの地上でも現役であり、鍛冶師の腕を見る力もまた、同じであった。そのヘファイストスが、『腕が良い』とまで口にする実力者。

 謎が解けるどころか、ますます深まるばかり。

 眉根に皺を寄せるロキに、ヘファイストスが同意するというように頭を上下させた。

 

「私もそう思ったわ。下手な【上級鍛冶師(ハイ・スミス)】よりも上等な武器を造ったんだから。だから聞いたのよ。『一体君は何者なの?』ってね」

「そんで、そん答えは?」

「『わからない』、だって。本人曰く、このオラリオに来るまでの記憶がないらしいわ」

「記憶がない……そりゃほんまかドチビ」

「……っ、ちっ……そうだよ。シロくんはオラリオ(ここ)に来るまでの記憶を失ってる。全く、何でいうかなヘファイストスはっ」

 

 機嫌悪く舌打ちしながら睨み付けてくるヘスティアに、ヘファイストスはバツが悪そうに頬を掻きながらそっぽを向く。

 

「下手に黙って痛くもない腹を探られるよりましでしょ。そういった事(悪巧み)については、まさに神がかった奴なのよロキは」

「ふんっ」

「うちの悪口は聞こえんところでやってーな。で、どういうことや? 記憶がないって、そりゃほんまなんか?」

「……本当だよ。だから、何でシロ君がああも強いのか、鍛治の腕がいいのかも全くわからない。ボクも、本人も、ね」

「……そりゃ、また……難儀やのぉ」

 

 片手で顔を覆い大きく頭を左右に振るロキに、ヘスティアが訝しげな表情を浮かべる。

 ヘファイストスも同じようにロキの何処か哀れみを思わせる声に戸惑う様子を見せた。

 

「何がさ」

「……ドチビは、あの男とうちの【ファミリア】の間で何があったか知っとるか?」

「シロくんがそっちの【ファミリア】の子を一人ぶっ倒したんだろ」

「えっ!?」

 

 苦い顔をしながらヘスティアが呟くと、ヘファイストスは驚きの声を上げた。

 二人の間―――シロとロキの【ファミリア】の間で何かあったのだろうとは予想していたが、まさかそんな事が起きていたとは思いもよらなかったのだ。

 

「そうや、で、具体的な事はどうや?」

「聞いてない、けど、それがどうかした―――」

 

 ビクリ、とヘスティアの身体が震えた。

 直ぐに気を取り直すようにロキを睨みつけたが、ヘスティアの敵意が含んだ言葉は途中で立ち消えてしまう。

 予想外のモノをみてしまったからだ。

 痛ましげな目で自分を見るロキの姿を。

 

「なん、だよ……」

「いいか、よく聞けやドチビ。あん男はな、うちのLv.5(ベート)の一撃をギリギリで躱して、顎の先っぽ殴って一発で落としたんや」

 

 ―――っ、だめ、だ。

 

「……それが、どうしたんだよ」

「わからへんのか?」

 

 何処か苛立たしげに問い詰めてくるロキの姿に、内から湧き出してくるドロドロとした不安にヘスティアの背中が粟立つ。

 

 ―――知りたく、ない。

 

 言いようのない寒気に襲われたヘスティアは、身体をぶるりと一度大きく震わせると、ゴクリと喉を鳴らした。 

 

「何、が……」

 

 ―――分かりたくない。

 

「一線級の冒険者の一撃を喰らえば、Lv.1の頭なんて卵よりも簡単に潰れてしまうわ……それくらいは自分(ヘスティア)も知っとるやろ」

「そりゃ、まあ……」

 

 ―――言わないで。

 

「なのにや、あいつ(シロ)は、その一撃を顔色も変えんでギリギリで避けてベートに一撃を食らわせた……そないな真似、くそ度胸があるからだけって理由で説明できるか? ちゃうわな……あないな真似、度胸があるから出来たんやない……なあ、ドチビ……」

 

 ずいっ、と吐息を感じられるまでの距離へと顔を寄せたロキが、ヘスティアを睨み付ける。

 ヘスティアは動けない。

 

 ―――ソレを、口にしないで。

 

 魅入られたように、ロキの紅い瞳から目を離せないでいた。

 

 ―――嫌だ。

 

 そして、ロキはゆっくりと口を開き、その言葉を口にした。 

 

 

 

 ―――そんな事はもう―――

 

 

 

「あん男―――どっか壊れてる(、、、、)んちゃうんか?」

 

 

 

 ―――知っているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヘスティア……」

 

 ロキが立ち去り、残されたヘファイストスが呆けて立ち尽くしているヘスティアに躊躇いがちに声をかけた。

 ヘスティアはぴくりと肩を揺らすと、ゆっくりとヘファイストスへと顔を向ける。

 

「……何だい?」

「い、いや、その……ごめんなさい」

「……何を……君が謝るような事は、何もないよ」

 

 ヘファイストスがバツが悪そうに顔を俯かせると、ヘスティアは強ばっていた頬を微かに緩め、小さく頭を振った。

 

「でも―――少しでも悪いと思ってくれてるのなら、ボクのお願いを一つ聞いて欲しいんだけど」

「……まあ、その内容次第だけど、お願いって何よ?」

 

 顔を上げたヘファイストスが尋ねると、ヘスティアは指を一本立てた手を突きつけた。

 

「―――一つ、剣を造って欲しいんだ」

 

 

 

 

 

 




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第十二話 歪み

「―――そうか、これが」

「え? シロさんこれが何か知っているんですか?」

 

 ダンジョンの蓋としてその真上に建造された白亜の塔である『バベル』。その地下一階である円形に広がる空間の中で、ダンジョンから上がってきたシロとベルは、次々と運ばれてくる巨大なカーゴを見つめていた。

 ヘスティアが最近何か用事により留守にしていることから、久々に共にダンジョンへと潜っていたシロとベルが地上へと戻ってみると、そこにはダンジョンから持ってきたと思われる巨大なカーゴが、ダンジョンに通じる大穴の傍にいくつも並べられていた。

普段は、食料やスペアの装備品、その他にダンジョンでの戦利品を入れるための車輪の付いた巨大な収納ボックスであるが、現在その中身と思われるものが暴れているのか、誰も傍にいないにもかかわらずガタガタと揺れている。

 覗き込まないでもソレが何を閉じ込めているのか分かってしまったベルが、おろおろと周囲を見回していたが、シロは何かを納得するように頷いていた。

 ベルがそれに疑問の眼差しを向けると、シロは何やら象の顔が型どられたエンブレムを付けた冒険者と話をしているギルドの職員を顎で示した。

 

「これは怪物祭(モンスターフィリア)の準備だろう。確か毎年このぐらいの時期に、【ガネーシャ・ファミリア】の団員たちが、ダンジョンで捕らえたモンスターを、市民の前で調教してみせる見世物をやると以前聞いたことがある」

「も、モンスターを調教、ですか?」

 

 モンスターを調教、それも見世物にするなんてことは、ベルにとっては信じられない思いであった。なにせモンスターと言えば、人類の敵である。調教する必要があるのだろうかとベルが首を傾げていると、シロがそんなベルの背中を叩いた。

 

「まあ、何はともあれ、俺たちには関わりのないことだ」

「そう、ですね」

 

 シロに頷いて見せたベルが、名残惜しげにカーゴから視線を外すと、汗臭くなった身体をさっぱりさせるために、シロと共にこの階に設置されているシャワー室へと向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 シャワーを浴び、身体と気分をサッパリさせたシロとベルが、バベルを出ると、魔石とドロップアイテムを換金するためにギルド本部へと足を向けた。

 空は既に茜色に染まっており、あと一時間も経たないうちに夜の帳が落ちるだろう。日が落ちる前に換金を終わらせようと、シロは足早にギルド本部へと向かったため、換金を終えギルド本部を後にした時には、まだぎりぎり日が落ちる前であった。

 それでも大分視界が悪くなっている中、いくつもあるメインストリートのうち、ギルド本部に面したメインストリートをシロとベルは歩いていた。ギルド本部に面しているだけあり、周囲を見渡せば道行く人の殆どは冒険者であった。冒険者の通りが多い関係から、道沿いにある店は客層に合わせ冒険者専用の商店の姿がいくつもある。その殆どはやはり武器屋と酒場であった。勿論それだけでなく、表通りから外れれば、珍し気な―――怪しいといってもいい店が数多く見られた。

 シロとベルはそんな中、立ち並ぶ店に視線を向けることなく、真っ直ぐ教会(ホーム)へと向かって歩いていた。

 

「ん? おお、シロとベルではないか!」

「ああ―――ミアハか、久しぶりだな」

「あっ! ミアハ様!」

 

 シロとベルの前から歩いてきた人物が、片手に荷物を抱えたまま、シロとベルに声をかけてきた。

 目を奪われる、と言っても構わない美しさを持つ男であった。シロより拳一つ分ほど高い長身のその青年は、その身につけた見るからに貧乏臭い灰色のローブからは想像もつかないほど高貴な雰囲気を身にまとっていた。

 同性でも見惚れてしまうその貴公子然とした面立ちと、厳かと言っても過言ではないその身体から発する気配から、その青年が人ではなく神であることは一目見ればわかる。

 ましてやシロとベルは、その神の事を良く知っていた。

 シロは別だが、ベルにとっては、ヘスティア以外に唯一親交のある神である。

 名は、ミアハ。

 底辺に位置する【ヘスティア・ファミリア】と色々な面でどっこいどっこいなファミリアである【ミアハ・ファミリア】の主神だ。

 ミアハが片手で抱える紙袋を見たシロは、外へと飛び出した野菜の姿に、ふっと口元を綻ばせた。

 

「神自らが夕飯の準備とは、相変わらず大変なようだな」

「うむ。まあ、こちらも人手不足でな。そちらは、ダンジョンからの帰りか?」

「はい! 今から教会(ホーム)へ帰るところです」

「そうか」

 

 群青色の髪を揺らしながら笑うミアハに、シロはそう言えば、と質問を投げかけた。

 

「そうだ、聞きたいことがあるんだが、二日前に開かれた『神の宴』。あれからうちのヘスティアが戻ってこないんだが、何か知らないか?」

「ふむ、残念だが私はその宴には参加していなくてな。どうも良くわからん……すまんな、力になれなくて」

「いや、構わない」

 

 シロが首を横に振ると、微笑をたたえたミアハは、ふと何かを思い出した素振りを見せたあと、懐を探り始めた。シロとベルがその様子を黙って見ていると、ミアハは懐から二本の試験管を取り出した。

 

「ここで会ったのも何かの縁。折角だ、これをお前たちに渡しておこう。先の『神の宴』にもいかず、商品調合の助手に勤しみ造ったポーションだ」

「いや、流石にそれは」

 

 器用にディープブルーの液体が入った二本の試験管(ポーション)を片手で掴み差し出すミアハに、シロが両手を前に出し断ろうとする。が、ミアハは頭を振ってずいっと更に手を伸ばすと、おろおろとシロとミアハの間に視線を彷徨わせていたベルにぽんっ、と手渡した。

 

「あっ!?」

「はぁ……」

「はっはっはっ」

 

 咄嗟にポーションを受け取ってしまったベルが、動揺した目で頭に手を置き頭を振るシロを見上げる。その様子をミアハは声を上げて笑って見ていた。

 そのまま笑いながら呆然と立ち尽くすベルの横を通り過ぎたミアハは、シロの横で立ち止まると、その肩にぽんっ、と手で叩いた。

 

「調子はどうだ?」

「……悪くはない」

 

 互いに顔を見ることなく、逆方向に視線を向けながら言葉を交わす。

 

「無理はいかんぞ。特に、君は色々と不安定(・・・・・・)だからな」

「わかっている」

 

 ベルに聞こえない声で囁くようにシロに話しかけていたミアハは、口元に浮かべていた微笑をぐっ、と引き締め、真剣な声で言葉を発した。

 

「―――あまり、無茶はしないことだ。無理をすれば、侵食が進むかもしれない」

「気を付けよう……」

 

 ミアハは再度ぽんっ、とシロの肩を叩くと、そのまま片手を振りながら二人から離れていった。雑踏へと消えていくミアハの背中に、ポーションを左腿に装備しているレッグホルスターにしまい込んだベルが慌てて頭を下げた。

 シロは頭を下げるベルを見下ろすと、次に肩越しに振り返り、人ごみに消えゆくミアハの背中を見つめた。

 

(……侵食、か……)

 

 知らず、右手で左腕を握りしめていた。

 何も、違和感は感じない。

 右腕と全く同じである。

 だが、この腕は自分の腕ではないそうだ。

 記憶がない自分には、どういった経緯で腕を無くし、この腕をつけたのかはわからない。

 同じく、この腕の本来の持ち主も誰かはわからない。

 他人の腕、なくなった腕の代わりに付けられたものだと言われても、違和感を感じたことはない。

 だから、この腕が他人の腕であるというのは、ミアハ()の言葉であるが、信じられない―――筈なのだが、何故か、妙に納得している自分がいた。

 理由は、侵食、なのだろうか?

 ミアハとヘスティアから教えられた、この腕からの侵食。

 それが、自分の記憶喪失の原因だと思われるそうだ。

 ミアハ曰く、侵食により失われた記憶は戻る事はないそうだ。

 何か切っ掛けがあれば、忘れてしまった記憶は蘇る事はあるそうだが、侵食により失われた記憶は、どうあっても蘇ることはない。

 それは、思い出した記憶(・・・・・・・)もまた、同様だそうだ。

 

(思い出した記憶、か……)

 

 実の所、過去の記憶と思われるものは、幾つかある。

 どれも断片的なもので、はっきりと思い出したわけではないが、これだと思うものはあった。

 その中の一つに、幼少の頃の記憶だと思われるものがあった。

 今よりも大分視界が低い中、何処か疲れた雰囲気を漂わせる中年の男と向き合う記憶がある。

 夜空に昇る月の光が、格子越しに板張りに向き合って座る自分とその男を照らしていた。

 男は、幼い自分に、真剣な顔で何かを伝えていた。

 自分は、真剣にその言葉を聞いていた。

 だが、その言葉がどうにも思い出せない。

 とても―――とても大事な事の筈なのに、思い出せない。

 それは、忘れてしまっているのか、それとも―――。

 

「―――ん?」

 

 考え事をしながら歩いていたからか、ベルが付いて来ていない事に気付くのに遅れてしまった。立ち止まって後ろを見る。そこには、他に立ち並ぶ商店とは一回りも二回りも大きな武具店。真っ赤な塗装で塗られたその武具店の陣列窓(ショーウインドウ)には、額を押し付け張り付くベルの姿があった。思わず苦笑を浮かべたシロが、ベルが熱心に見つめる陳列窓がある店の看板を見上げた。

 重厚な扉の上に飾られた看板には、【神聖文字(ヒエログリフ)】に似た独特な文字で店名が書かれていた。

 記憶を無くした状態で目覚めたシロは、会話は問題はなかったのだが、読み書きは全く出来なかった。そのため、ヘスティアに読み書きを教わったのだが、その際、【神聖文字(ヒエログリフ)】についても習っていた。そのため、ある程度ならば、【神聖文字(ヒエログリフ)】を読み解くことが出来た。

 だから、この神聖文字に似た看板も読み解く事が出来るのだが、この看板に書かれたもの(文字)は、神聖文字(ヒエログリフ)が読めなくてもわかる程の知名度を誇る武具屋であった。

 シロは踵を返すと、陳列窓にへばりつくベルの背中に移動した。

 肩越しにベルが見つめる陳列窓の向こうに並べられた武器を覗き込んだ。

 

「何を見ているんだ?」

「っうわ?!」

 

 背後からかけられた声に、窓に顔をへばりつかせていたベルが慌てて振り返った。

 鯱張った姿勢で見上げてくるのを無視し、シロは先程までベルが見つめ続けていた武器へと視線を向けた。

 

「これか?」

「あ、あはは……何時かこんな武器が使えたらなぁ~……って」

 

 ベルの言葉を横耳に、シロは飾られた武器を見る。透明なガラスを一枚隔てた向こうには、幾つもの武器が置かれており、先ほどまでベルが向けていた視線の先にあった銀色の刃のショートソードも置かれている。

 値段は……弱小ファミリアでは十年掛けても払えなさそうな程に0が幾つも書かれていた。

 

「そういえば、シロさんの剣って、自分で作ったって聞きましたけど」

「ん? まあ、そうだが」

「あまり見ない形ですよね。何かモデルはあるんですか?」

 

 ベルの視線がシロの腰に揺れる二つの剣に向けられる。

 良く見られる剣である刃体が真っ直ぐな直刀ではなく、緩やかな弧を描いた厚みのある剣であった。それが二本、シロの腰には収められていた。一本でも振り回すのにはそれなりの力が必要な剣であるが、シロはそれを二本、まるで己の身体の延長であるかのように器用に扱うことが出来る事を、ベルは知っていた。

 ベルは武器には詳しくはないが、それでも最近は先程までのように、暇があれば【ヘファイストス・ファミリア】の店の陳列窓(ショーウインドウ)にへばりついていた事から、一通りの武器は見ることは出来ていたのだが、シロが持つ剣に似たものは見かけたことはなかった。

 過去には、その剣がシロが自らの手で打ったものだと聞いた後で、積極的に似たような武器はないかと探してみたが、芳しい成果は上げられなかった。

 その事を思い出したベルが、小首を傾げながらシロの腰にぶら下がる二振りの剣を指差した。

 

「さて―――」

 

 シロが両腰に佩いた双剣の柄を撫でながら苦笑を浮かべた。

 

「―――俺にもわからん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――それで、作るのは本当にベルって子の武器でいいの?」

「うん。本当にありがとうっ! ヘファイストスっ!」

 

 北西にあるメインストリートにある【ヘファイストス・ファミリア】の支店にある執務室の中では、【ファミリア】の制服を着た紅瞳紅髪の女神であるヘファイストスが執務机に肘を置き、頬杖をついていた。呆れたような視線を向ける先には、ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜びを示すロリ神ことヘスティアの姿があった。

 ヘスティアが喜んでいるのは、自分の願いをヘファイストスが了承したからだ。

 その願いとは、武器を一つ、作って欲しいというものであった。

 最初は渋っていたヘファイストスだったが、ヘスティアの二日間にも渡る交渉や、神の宴でロキに余計な事を口にした引け目があることから、何百年経っても必ず代金を支払う事を約束させ―――武器を、剣を一振り作ることを了承したのだ。

 鍛治の神であるヘファイストスは、例え地上では【神の力】を振るえないとはいえ、その鍛治の腕は一級品だ。そんなヘファイストスが、オーダーメイドで剣を作るとなれば、その値段は目玉が飛び出すほどの価格となるだろう。具体的な金額を提示していないというのに、無邪気に喜ぶヘスティア(神友)の姿に、呆れればいいのか、笑えばいいのか分からず、微妙な顔となるヘファイストス。

 椅子から腰を上げ剣を打つための準備に取り掛かかったヘファイストスが、ヘスティアにベルが使用する武器を確認する。ベルの扱う武器がナイフだと聞いたヘファイストスが、透明なクリスタルケースの中から白銀色に輝く精製金属である『ミスリル』を取り出していると、ふと顔を上げ、未だにびょんこびょんこと飛び跳ねているヘスティアに振り返った。

 

「……ねえ、ヘスティア」

「ん? 何だいヘファイストス?」

 

 小首を傾げるヘスティアに対し、『ミスリル』の金属板を手に取ったヘファイストスが、何処か躊躇いがちに口を開いた。

 

「あの時……ロキが言ってた―――」

「……シロくんの事かい?」

 

 喜びに染まっていた顔が一瞬で悲しみをたたえたモノへと変わるのを目の当たりにしたヘファイストスは、続けるつもりだった言葉を思わず飲み込んでしまう。

 

「あいつの言ってたことは、うん……悔しいことに間違っちゃいないよ」

「そう、なの? でも、『壊れてる』っていうのは、流石に言いすぎじゃない? 冒険者が危険に身を投げ出すのはそう珍しい話じゃないでしょ? まあ、確かにLv.1がLv.5に喧嘩を売るなんて事は流石に聞いたことはないけど」

「……事の本質はそこじゃないんだよ」

「え?」

「悔しいけど、あいつ(ロキ)は本当に良く見てる……『豊穣の女主人』亭での一件だけで気付くなんて……」

 

 顔を伏せたヘスティアが、寄りかかるように執務机に手をつく。俯いたヘスティアの顔を長い髪が遮り、ヘファイストスの視界を防いだため、どのような顔をしているのか伺い知ることは出来ない。

 

「確かに君の言う通り、冒険者が危険に身を投げ出すことは珍しい話じゃないよ。なにせ冒険者だからね。まあ、冒険者は冒険してはいけないとギルドの指導員は言うらしいけど、何時もそれじゃ、何時まで経ってもレベルは上がらないし、成果も上がらない。だから、冒険者は自分の命と危険、そして結果である報酬のバランスが崩れない適当な所で頑張らないといけない」

「そう、ね」

 

 腕を組んだヘファイストスが、同意するように頷く。顔を上げたヘスティアが、ヘファイストスのその姿にふっ、と口元を緩めた。

 しかし、直ぐに口元を引き締めると、僅かに顔を上げ何処か遠くを見るように目を細めた。

 

「人が命をかけてまで危険に身を晒すのには、理由がある。莫大な富だったり、名声、権力、家族のためってのもあるね。でも、シロくんは違う(・・)んだ」

「違う?」

「確かに、『豊穣の女主人』亭での一件は、ベルくん(家族)が理由だったかもしれない」

 

 そこで一旦口を閉じたヘスティアが、僅かに逡巡するように視線を泳がせたが、直ぐに諦めたように小さなため息を着くとヘファイストスに向き直った。

 

「―――だけど、もしそれが見知らぬ誰かであっても、きっとシロくんは何かしたと思うよ」

「え?」

「ねぇヘファイストス。どう言い繕っても、人は自分の命が大事だ。まあ、家族や友人、恋人のために命をかける人もいるにはいるけど……でもそれは、その人がいなくなると自分が傷つくからだ。打算も何もなく、身も知らぬ人を命懸けで救うやつ何かいる筈がない」

 

 ヘスティアが何を言ったのか一瞬理解できなかったヘファイストスが、間の抜けた声を上げた。ヘスティアはそんなヘファイストスに構うことはなく、うっすらと笑っているような顔でとうとうと語り始める。

 

「まあ、そうよね」

 

 特に異論のないヘファイストスは、ヘスティアの纏う言いようのない雰囲気に戸惑いながらも頷く。

 

「でも、シロくんは違う。例え見知らぬ誰かが傷ついているのを見てしまったら、シロくんは飛び込むよ。打算も何もなく、ね……」

「どうして、そんな事が言えるの?」

 

 ヘファイストスが、迷いのないヘスティアの言葉に疑問の眼差しを向ける。

 そのヘファイストスの疑問を抱いた視線を受けたヘスティアの脳裏に、過去の―――シロと出会って間もない頃の記憶が蘇った。

 それは、ヘスティアにとって思い出したくない記憶でもあった。

 

 初めて出来た【ファミリア(子供)】だった。

 強くて、優しくて、料理が上手で、掃除が得意で、鍛冶もできて―――ボクには勿体無いくらいの【ファミリア(子供)】。

 楽しかった。

 嬉しかった。

 誇らしかった。

 だから―――勘違いだと思いたかった。

 兆候は、あった。

 違和感は、少し、感じていた。

 気付いたら、シロくんは色んな人の手伝いをしていた。

 最初は、別に気にしていなかった。

 記憶がなくても、シロくんはその物怖じしない性格や、人当たりの良さで、ボクの知らないうちに色んな人と仲良くなっていた。

 だから、シロくんが見知らぬ人の手伝いをしているのを見た時、『友達の手伝いをしているんだな』、って勝手に考えていた。

 それが間違いだったと、はっきりしたのは、シロくんが冒険者になって直ぐ。

 

「シロくんは……一度、十五階層まで降りたことがあるんだよ」

「は?」

 

 ヘファイストスが、口をぽっかりと開けた間の抜けた顔をしている。

 だけど、笑う気になれなかった。

 ―――そんな気分じゃない。

 その時を思い出すと、今でもイラついてしまう。

 自分の、余りの能天気さに。

 

「ソロで、それも冒険者になって直ぐに、ね」

「意味、わかんないんだけど? どうして、そんなこと……」

 

 責めるような目でヘファイストスがボクを見つめてくる。

 睨み付ける、と言った方がいいかな?

 非難しているのは、ボクがダンジョンの危険性についてきちんと説明していなかったと思ったからかな?

 でも、それは違うんだよヘファイストス。

 ボクは、キチンと、いや、しつこいくらいにシロくんにダンジョンの危険性について話をした。

 ボクが言わなくてもギルドの職員が話していただろう事も、何度も繰り返し口にしていたと思う。

 幼い子供に伝えるように、何度も、厳しいくらいに―――もしかしたら、何となく予感していたのかもしれない。

 シロくんの危うさに。 

 

「……ダンジョンの前で、頼まれたんだって」

「誰に?」

「子供、だったそうだよ」

「?」

 

 ボクの言葉の意味が理解できないのだろう。首を傾げるヘファイストスの姿が、少し可愛らしく感じて、思わずふっと笑みが溢れた。

 おかげで、少し、ほんの少しだけだけど……まとわりつくような重い気分が、楽になった気がした。

 

「小さな子供から、『お父さんを探して』って頼まれたんだって」

「……それは」

 

 察したヘファイストスが、何とも言いようのない顔になる。

 その子供の父親が、どうなったのか直ぐに理解したのだろう。

 【ファミリア(子供)】達に、子供がいても何らおかしくはない。実際、家族で【ファミリア】に所属している者も結構いる。

 だから、そんな子供がいても何らおかしくない。

 いや、気付かないだけで、そんな子供達はたくさんいるのかもしれない。

 そう、ダンジョンで親が死んでしまった子供、なんて……。

 

「ダンジョンからの未帰還者なんて掃いて捨てるほどいる。大抵は所属する【ファミリア】がクエストを依頼したりするけど……放って置かれていたって事は……そういう事だね。シロくんだって、当時それくらいはわかる程度の知識はあった筈だ。だから……普通は、無視する。無視しなくても、まともに受け取る事はない……ない、筈なのに……シロくんは」

「…………」

 

 何も言えず、沈黙したままボクの話を聞くヘファイストスに、淡々と、意識して、できるだけ感情を載せずに伝える。

 少しでも惑えば、溢れてしまいそうになるから。

 怒りが。

 自分への―――苛立ちが。

 どうして、もっと早く気付かなかったのか、と。

 でも、気付いたとしても、どうしようも……。

 

「その子の父親が最後にいたと思われる階層に行ったそうだよ。父親は見つからなかったみたいだけど」

「……あの子は、何で……」

 

 苦い顔で呟くヘファイストス。

 怒ってる、と言うよりも、憤るような口調で非難するような言葉を口にするヘファイストスに、すっ、と視線を逸らしてしまう。

 

「いくらシロくんが強くても、冒険者になって間もない、ダンジョンに慣れてもいない素人が中層に潜るなんて、自殺行為にほかならない。まあ、無事に帰ってきたけど、ね。とは言え、それなりに怪我はしていたけど。おかげで、怪我の理由を問い詰めて何があったかわかったんだけど……でもね、怪我って言っても、中層にソロで潜ったっていうのに、特に大きな怪我ではなかったんだ……ほんと、規格外だよ」

「規格外で済ませていいのか悩むわね……それで、ヘスティアは聞いたの? その、彼が子供のお願いを聞いた理由は?」

 

 常識で考えれば生きて帰れない行動を取りながら、怪我だけで済めば奇跡である。

 Lv.1が、それも冒険者になって一ヶ月も経っていない初心者が、十五階層に行くなんて、自殺行為に他ならない。

 バベル(世界一高い場所)の屋上から飛び降りて生き残る確率とどっちが高いかと比べたら……それほど差はないだろう。

 しかし、あの時はほんと驚いた。

 二、三階層辺りを潜って来ると出て行って、自分の血で塗れた姿で帰ってきたんだから。

 シロくんもバツが悪かったんだろう。

 申し訳なさそうな顔して謝っていた。

 『心配させてしまってすまない』って……そうじゃ、ないだろ、まったく……。 

 

「そりゃもちろん。どうして行ったんだ? ってね、聞いたよ。でも、その答えは……ねぇ、ヘファイストス? 何だったと思う?」

「さあ? 流石に見当もつかないわ」

 

 肩を竦めるヘファイストスに、ボクも同意して頷いた。

 本当に、あの時は見当もつかなかった。

 だって、身も知らない、知人でも知り合いの子供でもない、唯の赤の他人の子供のお願いを、本当に欠片も関係のない人が、自分の命を危険に晒してまで叶える理由だなんて。

 そんなの、見当もつかない。

 有りうるはずがないのだから……。

 

 なのに……。

 

 ……シロくんは……。

 

 シロくんの答えは……。

 

「聞いたら、きっと笑うよ」 

 

 笑って、ヘファイストスに答える。

 あの時、シロくんがそうしたように。

 だけど、少し違う。

 仕方がないだろう。

 何度となく、命の危険があった筈だ。

 傷付いて、血を流して……辛くて、苦しかった筈だ。

 何の報酬もないのに、何の見返りもないのに、Lv.2さえ手玉に取ったシロくんが、あれだけボロボロになってしまったんだ。 

 並大抵の苦労じゃなかった筈だ。

 だから、理由があると思った。

 その子供の親や【ファミリア】に、何か恩があったとか。

 サポーターとして何処かの【ファミリア】についていったけど、はぐれてしまって一人で帰ってきたとか……。

 何か、どうしようもない理由があるんだって……。

 

 ……そう、思いたかった。

 

 なのに、その答えは―――。

 

 

 

 シロくんは、笑って言った。

 

 何でもないことのように。

 

 当たり前のことのように。

 

 何の気負いもなく。

 

 自然に。

 

 何ら裏もない、己の心の正直な気持ちを。

 

 

  

 身も知らない子供の願い。

 

 

 

 十五階層という死の危険。

 

 

 

 何の見返りもないその願いに応えた理由―――。

 

 

 

 その時、ボクは理解した。

 

 

 

 

 

「『困ってる人を助けるのは当たり前だろ』―――だって」

 

 

 

 

 

 シロくんの歪みを。

 

 

 

 

 




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第十三話 思い出の欠片

 ヘスティアが出かけてから三日が経過した。

 夜の帳が過ぎ去り、朝日が空を明るく照らし出す光景を薄目で見上げていたシロは、足元から聞こえてくる荒い息を耳にしながら、小さくため息をついた。

 いくら幼い少女の姿をしていたとしても、神に不埒な真似をするような輩は流石にいない。そして普段の行いからあまり信用はされないが、日々のバイト等から鍛えられたのか、そこそこ世間慣れしているため、例え三日姿を見せなくとも、そこまでヘスティアの身を案じてはいなかった。

 だからといって不安にならないわけではない。

 一体どこで油を売っているのかと頭を振りながら、シロは砂や砕けた石が転がるひび割れた石畳に転がるベルの頭を軽く足で小突き一声かけると、廃教会(ホーム)の中へと入っていく。背後でもぞもぞとベルが身体を起こす気配を感じながら、シロは今日の朝食の献立について考え始めていた。

 ベルが強くなりたいと決意した日から、シロは早朝に訓練を付けるようになっていた。

 勿論、ダンジョンでの探索に支障のない程度に手加減はしている。

 日々の訓練とダンジョン探索に加え、【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)】の效果により、それなりに『経験値』は溜まっているだろうから、どのくらい上昇するかシロとしてはヘスティアに『ステイタス』の更新をしてもらいたかった。しかし、この三日間何の音沙汰もない。

 そろそろ本格的に探すかと、シロは考え始めていた。

 

「今日は一緒に行きますか?」

「ん? ……そうだな」

 

 朝食を終えたシロは、ダンジョンにもぐる準備を始めながら聞いてきたベルの質問にお手製のエプロンを脱ぎながら眉根を寄せた。ダンジョンのモンスターからドロップしたアイテムから作成した自作のエプロンだが、直火にも耐える耐久性や汚れが落ちやすいという事から、シロの愛用品の一品であった。脱いだエプロンに汚れがないことを確認し、綺麗に折り畳みながらシロはベルの質問に応えた。

 

「……いや、少しヘスティアを探してみようかと思っている。心配する必要はないだろうが、そろそろベルは【ステイタス】の更新をしてみた方がいいだろうしな。今日は怪物祭(モンスターフィリア)だ。もしかしたら会場にいるかもしれんし。少しばかり顔を出してみようかと思っているが……ベルも折角の祭りだ。一緒に行ってみるか?」

「えっと―――」

 

 ベルはシロの言葉に一瞬考え込む仕草を見せたが、直ぐに顔を上げると首を横に振った。

 

「いえ、やっぱりダンジョンに行こうかと思います。すいません。折角誘ってもらったのに……それに神様の事も」

「気にするな。ふらふらと何処をほっつき歩いて回っているのかしらんが、何の連絡も寄越さない馬鹿には少しばかりお仕置きをせんといかんかと探すだけだしな。祭りはヘスティアを探すついで寄ってみようかと思っているだけだ。それよりも気をつけておけ。ソロでダンジョンにもぐるのはかなり危険だからな。それが例え浅い階層でもだ。肝に銘じておけ」

「はいっ!」

 

 シロに勢い良く頷いたベルは、準備を終えたバックパックを背負うといそいそと扉を開け飛び出していった。 

 

「……さて、俺も行くとするか」

 

 遊びたいさかりだろうに、祭りよりも憧れの人に少しでも早く近づきたい気持ちの方が強いのか、シロの誘いを断りダンジョンへと向かうベルの姿に思わず笑みが浮かぶ。これから行く予定の怪物祭(モンスターフィリア)では、モンスターの調教が見世物として行われる。この祭りはオラリオで有数の【ファミリア】の一つである【ガネーシャ・ファミリア】が主催している。捕らえたモンスターが逃げ出すといった事は万が一にも起きることはないだろうが、用心はする事にこしたことはない。

 シロは愛用の双剣を腰に差すと、廃教会を後にした。

 

 

 

 

 

「…………………………」

「…………………………」

「いっけーっ! そこだっ! 刺せっ! 刺しちゃえッ!」

「何言ってるのよ馬鹿。殺したら駄目なんでしょ。調教してるんだから」

 

(どうしてこうなった?)

 

 シロは思わず頭を抱えそうになる手を意志の力でぐっと膝の上に押し付けた。

 左を盗み見ると、明らかに不機嫌な顔をしているレフィーヤの姿がある。私は今とても不機嫌ですと無言で訴えるかのように、頬は膨れ目尻はつり上がっていた。

 その隣には、眼前の闘技場内で華美な衣装を着てモンスターを調教(戦っている)している調教師(テイマー)の妙技に歓声を上げているティオナの姿があり、その更に隣には姉であるティオネの姿もあった。

 都市東端に位置するここには、周囲の建物とは比べ物にならない程の建造物である円形に形作られた闘技場(アンフィテアトルム)がある。そこでは、本日年に一度行われる怪物祭(モンスター・フィリア)が開催されていた。

 その闘技場の観客席の一つに、シロはいた。

 そもそも事の発端というか、このような事になったのは、シロがヘスティアを探すため怪物祭(モンスター・フィリア)が行われているこの闘技場に来た時。まだ早朝だというのに溢れるぐらいの人の姿に、目眩を感じていた時であった。

『あ、最強のLv.0だ』、とまたもや【ロキ・ファミリア】所属のティオナに声をかけられたのだ。

 激しく既視感(デジャヴ)を感じながら声が聞こえてきた方向に顔を向けると、そこには先日の焼きましのような光景があった。

 とは言え、相手の方は一人、こちらも一人欠けた状態ではあったが。

 声をかけられた方向に視線を向けると、そこには三人の少女の姿があった。

 【ロキ・ファミリア】の冒険者である―――ティオネ、ティオナ、そしてレフィーヤの三人の姿が。

 その後も、またもあの日のように、ティオナの強引な誘いにより、何時の間にか一緒に怪物祭を一緒に見ることになっていた。

 

 ……そして今に至るのである。

 

「……あ~……レフィーヤ?」

「……あなたに名前で呼ばれる覚えはないのですが?」

 

 取り付く島もない。

 ギロリと擬音がつきそうな程の鋭い視線に、続くはずだった言葉を飲み込んだシロは、誤魔化すように視線を下に―――闘技場の方へと向けた。そこでは、華麗に舞っている【ガネーシャ・ファミリア】の団員たちの姿がある。

 もともとここ(怪物祭)に来たのは、ヘスティアを探しにだ。ここでこのまま観客席で油を売っていても意味はない。

 そろそろ適当ないいわけでも口にしてこの場から離れようとしたシロであったが、

 

「あっ! 焼肉売ってるッ! ちょっと買ってくるから席守っててっ!」

「あら? あっちは焼き魚を売っているわね。こっちも少し席はなれるから誰も座らせないようにしてて。お願いねレフィーヤ」

「あ、ああ。わかった」

「え? あ? は、はい……?」

 

 それを制するかのように二つの声が先に上がった。

 シロとレフィーヤは、ティオナとティオネからの頼みに戸惑いながらも縦に頭を動かした。

 席を立つと走り出した二人は、あっという間に人ごみの中に消えていった。

 

「…………………………」

「…………………………」

 

 またもや無言が二人の間で満ちる。

 ほぼ強制的に約束を結ばされたにも関わらず、責任感が強いこの二人には、たとえ気まずくともここを離れるという選択肢は生まれなかった。

 調教師(テイマー)が調教を成功させたのだろう。一際高い歓声が上がった。

 

「…………………………」

「…………………………」

 

 二人は無言でその光景を見つめていた。が、

 

「……この前は、すみませんでした」

「ん?」

 

 次の調教が始まる合間でお喋りが始まったのだろう。ざわざわという騒音が周囲を包み込む中、小さな声が、シロの耳に入り込んだ。

 最初聞き間違いかと思ったシロだが、横を見ると、頬を染めながら俯くレフィーヤの姿が。シロは目を細めると、小さく首を横に振った。

 

「別に気にしてはいない」

「でも……」

「随分と、強くなることに執着しているようだが」

「っ」

 

 ビクッ、と怯えるようにレフィーヤの肩が震えた。

 レフィーヤの瞳が、動揺に揺れている。

 

「……冒険者が強さを求めるのはおかしな話ではないが……どうも単純な話には感じなかったが、何か理由があるのか?」

「…………」

 

 唇を噛み締め、無言を貫くレフィーヤの姿に、シロは頬を指先で掻きながら顔を逸した。

 

「まあ、別に言う必要はないが―――」

「―――私は」

 

 シロの声に被せるように、レフィーヤが喉が詰まったような苦し気な声を上げた。

 顔を逸した状態のまま、シロはレフィーヤを見る。レフィーヤは苦痛を耐えるように顔を顰めながら、迷うように口を動かしていた。それをじっと見つめながら、シロは続く言葉を待っていた。

 

「…………」

「……私には……追いつきたい人がいます」

 

 シロが無言で待っていると、レフィーヤは途切れ途切れに、しかしハッキリとした声で話し始めた。苦しいのか、それとも不快を感じているのかはわからないが、眉間に皺を寄せ、澄んだ清流のような涼やかな声を低く濁らせながらも、話を続けるレフィーヤ。

 それを、シロは無言で聞いていた。

 

「……」

「その人は、私なんかと違って、強くて、優しくて、綺麗で……完璧な人なんです。いつか、あの人の隣に立てるようになりたい、そう……思って、頑張ってきたんです……」

「……」

「だけど、どれだけ頑張っても、私はあの人の足手纏いにしかならなかった」

「……」

 

 話が進むにつれ、レフィーヤの眉間に寄っていた皺は増す増す深くなり。

 途切れ途切れにの言葉は、次第に勢いを増し、声に含まれていた焦燥は大きくなっていく。

 

「……頑張ったんですよ。私は、本当に頑張ったんです。だから、Lv.3にまでなれたんです。何度も死にかけたこともあります。でも、挫けずに頑張ってきた。それもこれも、何時かあの人の隣に立てるようになりたかった」

「……」

「なのに、あなたは―――」

「……」

「あなたは、Lv.1なのに……」

「……」

 

 しかし、怒りが多分に含まれていたと思われた声は、次第に悲しみにとって代わられ、涙が混じり始める。

 殴りつけるような言葉は縋るようなものに代わり、シロを見つめる瞳が揺れ始めていた。

 

「どうして、なんで、ですか……どうして、あなた(Lv.1)なんかが……そんなに強いんですか……」

 

 小さく萎む声とともに、顔を俯かせ腕は力なく垂れる。

 周囲の観客の歓声が遠くに感じながら、シロは目の前で小さく震える少女を見つめていた。

 自然と、シロの口は動いた。

 

「……前にも言ったが、俺には記憶がない。だから、自分の強さの理由についてはわからない、というのが正直なところだ」

「……だからって……っ、あなたは、本当に何も覚えていないんですか?」

 

 ぐっ、と手を握り締めたレフィーヤは、僅かに顔を上げシロを睨みつけた。

 涙をためた瞳に、シロは言いよどむ。

 

「―――それは…………」

「……私には、記憶が全くないというあなたの言葉は信じられません」

 

 口ごもるシロに、レフィーヤは責め立てるように刺が含まれた言葉を向けた。

 

「何故だ?」

「……怖い、筈です」

 

 じっとシロを見つめながら、レフィーヤは断定する。

 レフィーヤの言葉の意味が上手く捉えられなかったシロは、戸惑いながらも確かめるように問いかけた。

 

「怖い、とは?」

「私だったら……耐えられません。だって、今までの自分がわからないんですよ。親も、兄弟も、恋人も、何もかも覚えていない。自分の立場も、身の置き所もわからない。それに記憶がないっていうことは、過去の自分と、今の自分は全くの別人になっているかもしれない。今、自分が好きな人が、もしかしたら、過去の自分にとって憎むべき相手だったかもしれない。考えれば考えるほど、不安になってしまう。自分が、信じられなくなってしまう……記憶がない、なんて……不安で……怖くて、前にも、後ろにも、何処にも行けない。動けなくなってしまう。なのにあなたは……本当に怖くないんですか?」

 

 そう、怖くて堪らない。

 考えるだに恐ろしい。

 記憶が―――過去がわからないということは、世界から孤立するということだ。

 目の前にいる人が、知人か、他人か、それとも家族なのか、恋人なのか、全くわからないのだ。話す毎に、それで本当にいいのかと自問自答してしまうだろう。過去の自分を知るという人が現れても、それが本当に真実なのかなんて、それこそわかりようがない。証明する物も人もわからない(・・・・・)のだから。

 恐ろしくて、怖くて、不安で……動けなくなってしまう。

 蹲って、閉じこもってしまう……私なら、そうなってしまう。

 でも、この人は違う。

 堂々と、地面に足をつけ立っている。

 何も不安などないと、背を伸ばし、胸を張って……。

 私とは……違って……。

 

「そうだな……確かに、記憶がない、というのは怖いものなのだろう、不安になるのも、まあ否定はせん。だが、何事もなるようにしかならん。それなら、考え込みすぎて動けなくなるよりは、あまり深く考えず、自分の感じるままに行動した方がいいのではないかと、俺は思っているんだが……」

「……あなたは、強いんですね」

 

 戦う力、だけじゃなく、心も……。

 何時もゆらゆらと不安に揺れる私とは違って、この人は……。

 だから、ベートさん(Lv.5)に向かっていけた。

 何にも動じないその姿は、ちっとも似ていないはずなのに、何処かあの人(アイズ)を思わせて……。

 

「さてな、ただの考えなしかもしれんぞ」

「ただの考え無しが、ベートさん(Lv.5)を倒せると?」

 

 頭を掻きながら笑うシロの姿に、思わずむっとしてしまう。

 ただの考えなしが、あのベートさんに喧嘩を売れる筈がない。

 例え、何も知らない素人だったとしても、彼が纏う雰囲気に怯えずにはいられないのだから。 

 

「その件は―――」

「はぁ……もういいですよ」

 

 困ったように笑うその顔に、肩の力が抜けてしまう。

 元々、困らせるつもりはなかった。

 そう、ため息をつき、もの思いに耽っていると。 

 

「…………その、ウィリディス嬢」

 

 向こうから話しかけてきた。

 その伺うような視線と声に、ふっと、気が抜けてしまう。

 そう言えば『あなたに名前で呼ばれる覚えはないのですが?』なんて言っちゃたんだっけ。

 う~ん……ま、いいか。

 

「……レフィーヤで、いいです」

 

 と、ため息混じりに自分を納得させ―――

 

「そうか、じゃあ、レフィーヤ」

 

 ―――不意を突かれた。

 どこか弾んだような。

 笑みを含んだ声で、囁くように呼ばれた名前に。

 ドキン、と胸が鳴った。

 ビクリ、と身体が震えたことに、気付かれては、いない、よね? 

 

「っ―――な、何ですか?」

 

 縺れそうになる舌を動かしながら、必死に冷静さを戻そうとするが上手くいかない。

 自然に装って胸に手を当て、深呼吸をする。

 んん? 

 ……何を焦っているのでしょうか私は?

 

「さっきの質問だが」

「え? あ? ……ん? さっき?」

「『本当に何も覚えていないのか?』という質問だ」

「ああ、あれですか」

 

 ぽん、と手を叩く。

 確かに言った。

 だけど、その質問は答えたはずだ。

 『何も覚えていない』―――と。

 でも、改めて言うって事は……もしかして……。

 

「そうだ。その質問の答えだが、実のところ全く記憶がない、というわけではない」

「嘘を言ったってことですか」

 

 予想通りの言葉に、思わず声に刺が含まれても仕方がないだろう。

 向こうもバツが悪いのか、私の咎めるような視線を受けて困ったような顔をしている。

 

「いや、確かに殆んど記憶はない、ないのだが……欠片、そう、記憶の欠片のようなものはある」

「記憶の、欠片?」

「ああ、声はなく、光景だけだ……懐かしい、という思いはあるが、出てくる相手が自分にとってどのような関係かはわからないが、な……」

「どんな、記憶か、聞いても?」

 

 断られるかもと、恐る恐る聞いてみると、ふっと笑われた。

 反射的に何かを言おうとしてしまうが、それよりも向こうが口を開くのが先だった。

 

「……多分だが、俺が子供の頃の記憶だろう。俺は、一人の男に何かを教わっていた。男の年齢は三~四十代かな? もしかしたらもっと歳をくっていたかもしれん。見た目は若いんだが、雰囲気がな、酷く疲れているというか……」

「シロさんのお父さん、ですか?」

 

 首を傾げると、あちらは肩を竦めて首を横に振った。

 

「わからん。だが、親父(おやじ)というよりも、(じい)さんって感じだな、あれは」

「そう、ですか」

 

 爺さんは少し酷いんじゃないかと、顔も知らないシロの父親と思われる男に同情してしまう。

 とは言え、彼の口ぶりは悪意とは真逆のもの。

 親しみを込めた優しい声だった。

 

「その男は、酷く真剣な顔で俺に何かを伝え、俺も真剣にそれを聞いていた」

「何を教えていたんでしょうね」

 

 父が子に何かを教える。

 その内容は気になるが、当の本人が覚えていないと。

 まあ、あまりしつこく家族の話について聞くのは無作法だ。

 だから、軽い気持ちで聞いたのに、何やら真剣に考え込み始めちゃったよこの人……。

 まったく、人がいいというのか、無用心と言えばいいのか?

 

「―――っ駄目だ。やっぱり話の内容は思い出せん。だが、緊張と、高揚、あとは……使命感、決意か? まあ、そういうのは感じていたと思う……」

「ふ~ん……」

 

 腕を組んで首をひねるシロを眺める。

 先程から、話の内容よりも興味深いものが見えるからだ。

 

「まあ、これが現状俺の思い出せる一番はっきりとした記憶だな。この記憶が良い思い出なのか、それとも悪い思い出なのかはわからんがな」

「―――良い思い出ですよ」

 

 思わず言ってしまっていた。

 反射的に口にしてしまったのは、ずっと考えていたからだ。

 

「ん?」

「なっ、何ですかっ」

 

 訝しげな視線に、別に悪いことをしたわけでもないのに居心地悪く気持ちになる。 

 思わずどもってしまう。

 

「いや、どうしてそう思ったんだ?」

「―――っぐ」

 

 口ごもる。

 彼の質問の答えが脳裏に浮かぶ。

 頬が赤く熱がこもっていくのを自覚してしまう。

 

「レフィーヤ?」

「っ……わ、笑っていたんですよ」

「んん?」

 

 ずいっ、と顔を寄せてくる彼に、思わず口にしてしまっていた。

 首をひねる彼に、増す増す頬の熱が高くなるのを感じながらも、怒鳴るように言葉を続ける。

 

「っ~~~もうっ! 笑ってたからですよっ! あ、な、た、がっ!」

「笑って、いた?」

 

 自分の頬に手をやる彼から顔を背け、腕を組んで思いっきり頷く。

 

「ええっ! 話している間中ずっと、それこそ子供のような顔でっ!」

「そう、か……」

 

 何処か呆然としたような様子で頷く彼の姿に、ふと不安を感じた。

 組んでいた腕を外し、彼に向き直る。

 こちらの視線を感じたのか、顔を上げた彼の目を見つめる。

 相も変わらず、真っ直ぐ人を見つめるものだ。

 生真面目と言えばいいのだろうか、思わず口元が綻んでしまう。

 それとも、逆に子供っぽいとでも言えばいいのか?

 父親の話をしていた彼の顔は、確かに笑っていた。

 優しく、暖かく。

 だからだ。

 私が彼の話に出てくる男の人が父親だと思ったのは。

 あんな顔で笑うのは、家族だけだから。

 それも、仲の良い。

 

「……父親だったら、きっと良いお父さんだったんでしょうね。随分、嬉しそうな顔で笑っていましたよ」

「それは……少しばかり恥ずかしいな」

 

 そう言って照れたように含羞んだ彼の顔は、本当に、子供のようで―――。

 

 

 

 




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第十四話 泥人形

 東のメインストリート。

 その大通り沿いに幾つもある喫茶店の一つ。

 そこは、奇妙な静けさに満ちてた。客がいない理由ではない。席は半ば以上に埋まっている。ただ、客の全て、いや、客だけでなく従業員も含めた全ての者が、惚けたように口を半開きにし、店の一席に視線を集中させていたのだ。

 彼らが見つめる先。

 窓辺の席に静かに座るその者は、紺色のローブを頭から纏った女だった。

 厚手のローブに身を隠してもわかる、豊満な胸と尻のラインから、その人物が女―――それも極上の女性であることがわかる。身体だけではない。僅かにローブの隙間から覗く顔の一部だけでも、息を呑むほど美しい。

 その魔的なまでな魅力は、人では持ち得ない。

 いや、神でも持てはしないだろう―――一部を除いて。

 しんっ、と異様な静けさが満ちる店内に、カラン、とドアに備えられた鐘が鳴った。

 鐘を鳴らした新たな客が二名。扉をくぐり店の中に入ってきた。新たに店内に足を踏み入れた二名の客は、一人は店内に満ちる奇妙な雰囲気に眉根を寄せ、もう一人は対応してきた店員と一言三言言葉を交わすと、二階に上がり目当ての人物が座る場所へと足を向けた。

 

「よぉ~、待たせたか?」

「いえ、少し前に来たばかりよ」

 

 手を振り窓辺に座る目当ての人物へと手を振りながら近づく新たな客―――ロキはニヤリと笑う。

 それに口元を笑の形にして応えたローブを纏った女は、自分の前の席に腕を向ける。

 

「座ったら?」

「ほな、遠慮なく座らせてもらうわ。ん、あんたも座りい」

「私は一応護衛なので……」

「まったく硬いのう」

 

 乱暴に席に座ったロキが、後ろに立つアイズに席を進めるが、小さく首を横に振られ断られてしまう。

 ロキは困ったように笑うと、肩を竦め対面に座るローブの女に向き直った。

 

「で、その子のことは何時になったら紹介してくれるのかしら?」

「なんや、紹介がいるんか?」

「ええ、噂には聞くけれど、彼女と実際に会うのは初めてよ」

 

 ローブを深く被った女の視線がアイズへと向けられる。アイズは自分を見つめる女が被るフードの奥に見える銀の髪を見て、その正体を察した。そして直ぐにこの喫茶店に満ちる奇妙な雰囲気の原因を知った。

 美を司る女神の銀に輝くその瞳の輝きに、アイズの視界が一瞬ふらりと揺れる。

 この迷宮都市オラリオにて、最大派閥である【ロキ・ファミリア】と双璧を張る【フレイヤ・ファミリア】の主神―――女神フレイヤ。

 美を司る神の中で一際美しく、その魔的なまでな魅力故に、『魔女』との異名も持つ女神。

 

「ほいほいっと。そんなら紹介するわ。これがうちの秘蔵っ子のアイズたんや。どうや、可愛かろう。アイズも一応挨拶だけはしときい。こんな奴やけど、一応は神やからな」

「……初めまして」

「ふふ、可愛いわね。それに……ああ、ロキがこの子に惚れ込む理由が、ふふ……良くわかったわ」

 

 くすくすと意味ありげに笑うフレイヤに、顔を顰めながらも、ロキは遠慮するアイズの腕を引っ張り半ば強引に自分の隣の席に座らせた。戸惑いながらロキの手を振り払えずそのまま席に座ることになったアイズは、目の前に座るフレイヤが向ける視線に気付くと、ぺこりと小さく頭を下げた。

 

「で、どうしてここに【剣姫】を連れてきたのか聞いてもいいかしら?」

「ぬふふっ……! そら決まっとろう。折角のフィリア祭や! あんたとの用事を終えたら直ぐにアイズたんとラブラブデートを堪能出来るようにするために決まっとるやないか!」

 

 ぐふふ、と気持ちの悪い笑い声を上げながらにやにやとするロキに、隣に座るアイズは思わずずりずりとお尻を動かした―――ロキから離れるように。

 しかし、それは伸ばされたロキの手がアイズの手を掴むことによって止められた。

 

「ま、それだけやないけどな。『遠征』も終わってやっとこさ帰ってきたっていうにも関わらず、こん子はちょっと目を離せば直ぐにダンジョンにもぐろうとするからなぁ、誰かが見とかなあかん」

「…………」

「誰かが無理やりにでも気い抜いてやらんと、一生休みもせんのではと不安に思ってしまうからな」

 

 アイズは羞恥と情けなさに顔を伏せてしまう。

 うなだれたアイズの頭にロキはぽんっ、と手を置くと、そのままぽんぽんと叩くように撫でながら小さな笑みを口元に浮かべた。

 その光景に、フードの中でフレイヤは面白そうに笑みを浮かべた。

 女神が共に笑みを口元に浮かべ―――だがそれは、直ぐに形だけのものとなった。

 互いに口元には笑みが浮かんでいる。

 しかし、身にまとう雰囲気はそれから全く遠いものであった。

 アイズも敏感にその空気を感じ取ったのか、全身に適度な緊張と脱力を保たせ、咄嗟に動けるように身体を保つ。歴戦の戦士であるアイズでもプレッシャーを感じるのだ、二柱の神の間で発生する圧力は、一般人に耐えられるものではない。気付けば店内の客は一人残らずいなくなっていた。

 

「まどろっこしいのは好きやないから率直に聞くけど。何やらかす気や?」

「本当に率直ね。でも、何か勘違いしていないかしら?」

「とぼけんな阿呆ぅ。自分最近動きすぎやないか。興味ないとかほざいとった『神の宴』に急に顔出すのだけでも十分可笑しいのに、あっちこっちで色々と探っとるようやないか……今度は何企んどるんや?」

「企むだなんて失礼ね」

「じゃかあしい」

 

 小さく肩を竦めるフレイヤに、ジト目で非難の声を上げるロキ。

 フレイヤを見る目には警戒が色濃く宿っていた。蛇をも射殺しかねない朱色の眼差しだったが、暖簾に腕押しとフレイヤの浮かべる微笑みは崩せなかった。目に見えない剣呑な神威の攻防は、アイズが見守る中何時までも続くかと思われたが、おもむろにため息をつき肩を落としたロキにより終了した。

 頬に握りこぶしを当て、乱暴にテーブルに肘を置いたロキが、呆れた声を上げた。

 

「―――男か」

「…………」

 

 フレイヤは答えない。無言のまま、相いも変わらず微笑をたたえたまま。

 しかしロキは、フレイヤの無言の笑みを肯定と取った。

 顔を手で覆い、天井を仰いだ。

 

「つまりは毎度のごとくどこぞの【ファミリア】の子供を気に入ったちゅう、そういうわけか」

 

 フレイヤのこれまでの言動に行動―――ロキには覚えがあった。

 いや、あり過ぎた。

 これまでにも幾度もあった、フレイヤの他【ファミリア】の子供へのアプローチ。

 フレイヤの多情―――神々を相手にするソレではなく、下界の子供達に対するものは広く周知されている。これまで色々とやっていたのは、そのための事前の情報収集だろう。

 と、言うことは、今回の対象は他の【ファミリア】の構成員。

 『神の宴』に出席したのは、目当ての子供の所属している【ファミリア】を突き止めるためだろう。他の【ファミリア】からの移籍は不可能ではないが、大抵の場合それは揉め事になる。場合によれば行き着くとこまで行き着く程のものになる。

 いくらオラリオ最大派閥の一角であろうとも、下手な【ファミリア】を相手にすれば少なくないダメージを受けてしまう。

 それを恐れての情報収集だろう。

 では、それがわかった上での懸案事項は、それが誰か、ということだ。

 ロキには、もしかして、との思いがあった。

 色々と話題に上がる冒険者に事欠くことはないが、フレイヤのお眼鏡に叶うような突出した子供は少ない。

 そしてその中に、最近ロキも興味を引かれる対象がいた。

 だから、それを確かめるつもりで問いかけた。

 

「で、今回の相手は誰や?」

「……」

「今度自分が目ぇつけた男はどんな奴なんかって聞いとんのや」

 

 テーブルに乗り上がるように、無言のフレイヤにぐっと顔を近付けた。

 フレイヤは口元を孤に描くと、自分の前に置かれたカップを持ち上げて中に入っていた冷めてしまった紅茶を喉に流した。

 中が空になったカップをソーサーに置くと、じっと見つめてくるロキに笑みを返し、数秒程考え込んだ。フレイヤが見たところ、このままではロキは喋るまでこの場にいるだろう。それは流石に頂けない。

 顎に手を当て逡巡するも、直ぐにふっと笑みを浮かべると、ロキから顔を離し左手にある東のメインストリートに接する窓へと向けた。窓へと顔を向けると、今度は視線を窓の下―――東のメインストリートを歩く大勢の子供達を見下ろしていた。通り過ぎていく子供たちの姿に、フレイヤはあの日のことを思い出した。

 あの日―――白い髪のあの子を、あの美しい光を見つけた日のことを。

 

「……強くは、ないわね」

「…………は?」

 

 戸惑いの声がロキの口から溢れた。

 フレイヤの言葉の意味を一瞬捉えられなかったからだ。

 

「貴方や私の【ファミリア】の子とは比べものにならない程に弱い子よ。でも、綺麗だった。何よりも透き通っていたわ。そう、あの子は私が今まで見たことのない色をしていたの」

「……」

「一瞬で目を奪われたわ。見惚れてしまった……見つけたのは本当に偶然、あの子が視界に入ったの―――そう、あの日もこんな風に……」

 

 フレイヤ幼い子供を愛でるような優しく甘い声に、段々と執着じみた熱が孕んでいくのを聞いていたロキは戸惑っていた。

 ロキはここに来る前から、フレイヤの狙いが他の【ファミリア】の子供の可能性が高いと予想はしていた。そして、その相手についても大体の当たりは付けていた。

 しかし、その相手が『弱い』なんて事はありえなかった。それに、フレイヤが話している内容も、自分が考えていた相手とは違うように感じる。

 内心舌打ちしながらロキは自分の予想が外れていた事を確信すると、改めてフレイヤの話に耳を傾けた。

 フレイヤがご執心の相手が、誰かを予想するために。

 だが―――。

 

「…………」

「……あん? どうしたんか?」

 

 ロキが気持ちを新たに話に耳を傾けようとしたが、当のフレイヤは窓の外を見て固まっている。

 自分の言葉にも反応しないフレイヤに、続けて話しかけようとしたが、それよりもフレイヤが立ち上がるのが早かった。

 

「ごめんなさい、急用ができたわ」

「―――ちょい、待ちいや」

 

 立ち上がり、席から離れようと背を向けたフレイヤをロキは呼び止めた。

 ピタリと足を止めたフレイヤは、ロキに背を向けたまま返事をする。

 

「何かしら? 少し急いでいるんだけど」

「一つだけ、聞いときたいことがあってな」

「なら、早くしてもらえるかしら?」

 

 若干言葉の中に苛立ちを含ませながら、フレイヤが続きを促すと、ロキは細い目を更に細くし、前々から聞きたかったことを問いかけた。

 

「あんたなら知っとるんちゃうんか? 【ヘスティア・ファミリア】のシロのことは。『最強のLv.0』と言われとるあいつには興味ないんか?」

「―――っ」

「……」

 

 そのロキの言葉に、窓の向こう、先ほどフレイヤが見つめていた先にいた人物の後ろを追いかけていたアイズが反射的にロキへと顔を向けた。

 フレイヤはロキのその疑問に、考え込むように無言のままだったが、窓辺の向こうに見えていた人物が雑踏の中に消える頃、口を開いた。

 

「……そう、ね。あなたの言う通りアレのことは確かに知っているわ。アレは確かに強いわ。ええ、強さだけは本物ね。でも、どれだけ強くてもアレだけはいらない」

「何でや? あれだけの強さ。欲しいとは思わんへんのか?」

 

 一切の躊躇いなく断定するフレイヤの言葉に、ロキは疑問を露わにする。

 ロキ、いや、(面白いことが好き)であるならばあれほどのレアキャラを欲しがらない奴はいないと。

 それが男であるならば、いや、女であっても、あれ程の逸材、この女(フレイヤ)の食指が動かないはずがない。

 それなのに―――。

 

「欲しい? アレを?」

「な、何や、おかしい話とちゃうやろ。Lv.0でLv.2を相手にできるなんて規格外(面白い奴)。気になるんは当然やろ」

 

 本当に心外だったのだろう、思わず、といった様子で、顔だけをロキへと振り返らせたフレイヤが嫌悪混じりの声を上げた。予想外の反応に戸惑うロキ。

 フレイヤは焦るロキの姿に小さくため息を吐くと、過去を思い出すように目を細めた。

 

「……『最強のLv.0』―――それが嘘や語りじゃなく事実であることは知っているわ。この目で確かめたから」

「ふぅん……見たことあんのな。ならや、お前にはどう見えたんや? あんたのいう『輝き』っちゅうもんはどんなもんやったんかい?」

「…………」

「フレイヤ?」

 

 唇を噛み締めるように閉じたフレイヤの瞳が揺れた。

 まるで闇を恐れる少女のように不安に揺れる瞳に、ロキは思わず目の前の神の名を呼んだ。

 天界にいた頃を含めれば、気が遠くなるような年月の付き合いがある女神だが、こんな顔を見るのは初めてであった。だからこそ、ロキは今目の前にいる神が、自分の知る者と同じか不安になりその名を呼んだのだ。

 

「……った」

「ん?」

 

 名への返事は、小さく震える言葉であった。

 

「なかったのよ。アレには……」

「はぁ?」

 

 小さく聞き取れなかった言葉を、再度フレイヤは口にした。

 しかし、その言葉の意味は、ロキには理解することは出来なかった。

 眉根を寄せ、盛大に疑問を呈するロキに、フレイヤは苛立たしげに眉を顰めた。

 

「……いえ、正確に言えば見えなかった、が正解ね」

「どゆこと?」

「……言葉通り見えなかったのよ。初めてだったわ。神、(子供達)問わず今まで数多く見てきたけど、見えなかったのはアレが初めて」

 

 小さく頭を振るフレイヤに、ロキの頬が好奇心に歪む。

 

「……ますます興味がわいてきたわ。あんたでもわからんような奴がいるたぁ思いもしいひんかったからな。しっかし、『アレ』、『アレ』言って、モノとちゃうんや、せめて『あいつ』って言ってやらんかい」

「? ああ、そうね……」

 

 流石に子供達を『アレ』呼ばわりはどうかと親切心のような気持ちで投げかけた言葉は、フレイヤの軽い驚きに返された。

 まるで、その事を今気づいたとばかりに。

 だから、ロキは問いかけた。

 そのままに。

 

「なんやその顔。今初めて気づいたみたいな顔して」

「その通りよ。そう言えばアレは人だったと思い出したのよ」

「フレイヤ―――そりゃ、どういう事や」

 

 聞き捨てならない言葉に、ロキは緩めていた口元を引き締めた。

 

「どうもこうも。私には、アレが人には見えなかっただけ」

「……なら、あんたの目にはどう見えたんや」

「そうね……人の形をしたモノ、そう―――言うなれば人形ね。それも汚れた泥で出来たような」

 

 氷のようにその銀の瞳を硬く、冷たく凍えさせながら、フレイヤは呟く。

 嫌悪とは違う、拒絶に似た色を言葉に乗せながら。

 

「あれがか? はっ、そりゃ大層な人形やな」

 

 ロキが知るシロの姿からは想像もつかない言葉に、フレイヤの言葉を鼻で笑う。

 確かに、少しばかり普通の人間とは思えないところはあるが、そこまで言われる程ではない。

 だから、皮肉げに言ったのだが、フレイヤには気にした様子は見られなかった。

 

「ええ、確かに……色々と大層な代物よ。出来れば、もう二度と見たくない程に」

「……流石にそれは言いすぎちゃうんか?」

 

 吐き捨てるようなその言葉に、ロキの目がスッと細まる。

 シロは別に自分の【ファミリア】の子供ではない。それどころか大嫌いなヘスティアが主神の【ヘスティア・ファミリア】の子供だ。しかし、だからといってそこまで嫌悪するような相手ではなかった。色々とやらかしてくれたが、ベートとの一件で、中々見所のある奴だと思っていたから特に、だ。

 しかし、フレイヤはロキのあからさまな態度には何の反応を見せる事なく、彼女らしくない程に苛立ちを露わに言い捨てた。

 

「言い過ぎ? これでもまだましだと思うわよ」

「……何も見えなかった、と言う割には、えらく嫌ってるようやけど……本当に何も見えなかったんか?」

「……あまり口にしたくないわね」

 

 逃げるように、フレイヤは顔を前に戻し、ロキの視界から完全に逃げてしまう。

 その余裕をなくしたような態度に、ロキの背中がゾクリと粟立つ。

 未知への恐れと、ソレを上回る好奇心に。

 

「ふぅん……なんや、増す増す興味がわいてきたわ。なあ、教えてぇな」

「……興味本位ならやめときなさい。アレは私達(神々)でも手を出すのは危険よ」

 

 蛇が舌なめずりするかのような粘着質的なまでのロキの言葉に、フレイヤの硬い言葉が返された。

 

「あんたがそこまで言うとは……一体どうしたんやフレイヤ?」

 

 流石に面白がっていられる限度を超えているとロキは感じ、フレイヤに確かめるように問いかける。硬く、鋭い視線の中に答えろと言外に含め。

 ロキに顔を向けてはいないが、フレイヤはその視線を背中で感じていた。

 数秒か数分か、二人の間で時間が過ぎ、先に言葉を口にしたのは、フレイヤだった。

 

「……古い馴染みとしての忠告よ。あなたも出来るならアレには近づかない方がいいわ」

「何でや」

 

 ロキの疑問。

 ソレを背中に受けたフレイヤは、一度、怯える幼い少女のように小さく震える吐息を吐き出し。

 

 

 

「―――アレは、呪われているわ」

 

 

 

 そう、呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――初めてアレを見た時、私にはソレが(子供達)であると認識できなかった。 

 

 どんなに矮小な(子供達)にも見えた『輝き』が、アレには見えなかったからではない。

 

 欲望に塗れた『輝き』。

 

 絶望に堕ちた『輝き』。

 

 復讐に濁った『輝き』。

 

 汚泥にも似た『輝き』は、今まで幾つも見てきた。

 

 それに対して、私は別に何も感じることはなかった。

 

 それもまた、味のある『輝き』だと、感じることすらあった。

 

 ……でも、アレは違う。

 

 アレは、泥だ。

 

 黒い―――呪いに染まった泥。

 

 黒に見える程の呪いに染められた汚泥で形作られた人形。

 

 私には、アレがそう見えた。

 

 黒い『輝き』は幾つも見てきた。

 

 しかし、アレは断じて『輝き』などではない。

 

 低俗な、(子供達)の様々な悪意(呪い)が形となった泥より生まれた人形。

 

 神ですら染められかねない呪いの人形。

 

 私には、アレがそう見えた。

 

 だから、私は逃げた。

 

 幼い少女のように。

 

 何の力もない女のように、悲鳴を上げ、私は逃げた。

 

 二度と、見たくはない。

 

 そう、思った。

 

 だけど……。

 

 

 

 

 

 ………偶然、私は出会ってしまった。

 

 本当に、偶然。

 

 ―――直ぐに、離れる(逃げる)つもりだった。

 

 だけど、私は見てしまった。

 

 アレの中に。

 

 黒く染まった泥の奥に。

 

 闇より深い暗闇の奥に揺れる―――『輝き』を。

 

 全てを黒く染める(呪い)の中。

 

 蝋燭の炎よりも儚く揺れるソレは、確かに『輝き』だった。

 

 その『輝き』は、赤く、朱く、緋く、赫く―――紅い、炎。

 

 身体に流れる血の如く。

 

 黄昏に落ちる日の如く。

 

 夜の帳を散らす日の如く。

 

 全てを燃やす炎の如く。

 

 それは、明るかった。

 

 泥の中に、もがくように揺れる『輝き』を、私は確かに見た。

 

 儚く揺れる『輝き』は、直ぐに汚泥の中に消えていった。

 

 見てしまった。

 

 知ってしまった。

 

 あの呪いの奥に。

 

 あの汚泥の中に。

 

 “純白(あの子)”と同じ、見たこともない『輝き』があることを。

 

 これまでに見てきたどの『輝き()』とも違う。

 

 純粋でありながら、歪。

 

 複雑でありながら、一途。

 

 優しげでありながら、厳しく。

 

 儚げでありながら、強い。

 

 常に揺れる“炎”の如き“あか”の『輝き』。

 

 だから、私は―――。

 

 

 

 

 

 

 

 




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第十五話 怪物祭

「―――おかしい」

 

 万雷の拍手が満ちる闘技場の中、シロはアリーナを見下ろしながら目を細めた。

 つい先程、【ガネーシャ・ファミリア】の調教師(テイマー)がモンスターの調教を終えたところであった。

 誰もが興奮した様子で、【ガネーシャ・ファミリア】の妙技を褒め称えていた。

 近くにいる、【ロキ・ファミリア】もまた同じだ。

 頬を赤く染め、興奮して大声を上げ拍手をしている。

 そんな中、シロは怪訝な色に持つ視線で、調教師(テイマー)を見つめていた。

 

「え? 何かおかしかったですか?」

「ん……ああ」

 

 シロの隣でパチパチと手を叩いていたレフィーヤが、小首を傾げる。シロはレフィーヤの疑問に、目を細めて頷いた。

 

「―――この一つ、二つ前ぐらいか、調教師(テイマー)の動きに焦りが見えてな。モンスターに対するものではない、もっと別の何か……」

「焦り、ですか?」

 

 シロの言葉に、レフィーヤの視線がアリーナへと向けられる。闘技場の中心。アリーナの真ん中では、【ガネーシャ・ファミリア】の調教師(テイマー)が、観客の歓声に対し、客席に向かって手を振っている。その姿をじっと見つめていたレフィーヤだったが、暫らく眉根に皺を寄せ考え込み、シロへと顔を向けた。

 

「えっと。そんなに風には見えませんけど……」

「ふむ……」

 

 顎に手を当て、シロが考え込み始めていると、一際高い歓声が客席から上がった。

 シロたちの視線も、自然、フィールドへと向けられる。

 そこには、東西の問から新たな調教師(テイマー)とモンスターが現れていた。

 調教師(テイマー)は見るからに鍛え上げられた肉体を持つ屈強な男性。

 対するは、尻尾を含めれば七M(メドル)にも匹敵するだろう大型の竜。

 

「おっきいですね。あのドラゴンもダンジョンから連れてきたのでしょうか?」

 

 フィールドの真ん中で闘技場をビリビリと震わせる咆哮を轟かせるドラゴンを見ながら、レフィーヤが感心した声を上げる。チラリと返事を待つように隣に座るシロへと視線を向けると、当の本人は顎に手を当て何やら難しい顔をしていた。

 

「シロ、さん?」

「やはりおかしい。アレだけのモンスターだ。まだ祭りは中盤、にも関わらずトリで出すようなモンスターを出すなど……」

「あっ……確かに、そうですよね」

 

 シロの言葉を聞いて、レフィーヤは改めてフィールドで暴れるモンスターを見る。【ガネーシャ・ファミリア】でも上位の調教師(テイマー)なのだろう。広いアリーナを所狭しと暴れまわるドラゴンと調教師(テイマー)の姿を改めて観察したレフィーヤが、納得して顔を上下に動かした。

 ダンジョンからか、それとも都市外から連れてきたのかわからないが、これだけの強大なモンスターをこんな中途半端な時期に出す事は、通常考えられない。確実に次に出てくるモンスターとのショーが味気なくなってしまう。その主神の関係から、催し物に慣れている筈の【ガネーシャ・ファミリア】がこのような初歩的なミスを犯すとは考えづらい。

 ならば、シロの口にした通り、何らかの異変があったのでは?

 レフィーヤが口をへの字に曲げ唸っていると、シロとは自分をはさんで反対方向に座っているティオナが『あれ?』と声を上げた。

 

「あれ? 何だか【ガネーシャ・ファミリア】の連中慌ただしくない?」

「ん? あ、本当ね」

 

 シロとレフィーヤの話を聞いていたティオナが、フィールドから目を上げると、観客席を走り回る【ガネーシャ・ファミリア】の姿に気付き疑問の声を上げる。それに姉であるティオネが観客席を見渡したあとに頷き肯定する。観客席を走り回る【ガネーシャ・ファミリア】の団員たちが目指す先には、闘技場最上部にある貴賓室。そこにいるのは彼らの主神―――ガネーシャに向かって何度も行き来している。【ガネーシャ・ファミリア】だろう団員たちの、祭りの忙しさとは明らかに違う慌ただしさに、嫌な予感が募っていく。

 

「何をしているんでしょうか?」

 

 レフィーヤが疑問の視線を向ける先には、【ガネーシャ・ファミリア】の団員が、観客席に座る冒険者と思われる者たちに何やら声をかけていた。

 そんなレフィーヤの疑問に答えたのは、件の話題の相手である【ガネーシャ・ファミリア】の者であった。

 

「すみませんっ! あの【ロキ・ファミリア】の方ですよね!? 実はご協力願いたいことが―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ロキ!」

 

 【ガネーシャ・ファミリア】の者から『モンスターが逃げたので、モンスターの鎮圧の手伝いをお願いしたい』との願いを受けたシロたちは、二つ返事で了承した。急いで闘技場から出てみると、そこでは黒のスーツを着たギルドの職員が、【ガネーシャ・ファミリア】の団員たちと打ち合わせをしていたり、事情を聞いた冒険者が街中へと駆け出していく姿があった。慌ただしいその中に、見覚えのある姿を見つけたティオナが自分たちの主神の名を呼んだ。

 ティオナの声を聞いたロキは、片手を上げ応える。ティオナたちが駆け寄っていく後ろには、付いて走るシロの姿もあった。

 

「よう来たな。事情は聞いとんのか?」

「はい。モンスターが逃げたって」

「そうや。【ガネーシャ・ファミリア】んとこからモンスターが逃げてな、今街中でさまよい歩いているそうや」

「それめっちゃやばいじゃんっ!」

 

 ティオナが目を丸くして大きな声を上げるが、ロキはへらへらと口元を緩めたまま平然と頷く。

 

「そやな。めっちゃやばいな」

「その割には、落ち着いているようだな」

「およ? 『最強のLv.0』やないか。元気しとったか」

「……頼むから名前で呼んでくれ」

 

 シロの姿に一瞬驚きの顔を見せたが、直ぐにニヤニヤとした笑みを口元に貼り付けると、ロキは揶揄いの声を上げる。シロは片手で顔を覆い天を仰ぐが、直ぐにロキに向き直り睨み付ける。

 

「途中で闘技場の上にアイズの姿を見たが、あそこで何をしている?」

「―――ふぅん……よう気付いたな。あんな高いとこ」

「偶然だ。逃げたモンスターの詳細は聞いていないからな。空を飛ぶモンスターの可能性も考え頭上も注意していたら見つけただけだ。それで、アイズはあそこで何をしている?」

 

 ロキの鋭い眼光をいなしながら、シロが再度疑問を向ける。

 

「なぁに、うちのアイズたんならではの方法を取らせただけや。何処にいるかもわからんモンスターを探して街中駆け回るのは非効率やろ、せやから高いとこでモンスター見つけて魔法で攻撃しとけと言うたんや」

「魔法?」

 

 アイズは剣士の筈。シロが怪訝そうに眉根を寄せた瞬間だった。

 頭上で爆音が響いたのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――凄まじいな」

 

 家屋の屋根と屋根の間を飛び跳ねながら、シロは空を駆ける(・・・・・)際に生じた余波の風を顔に受けながら呆れ混じりの声を上げた。

 矢よりも早く空を翔け抜け、地上を闊歩するモンスターを射抜く弾丸。遠く離れたこの場所まで届く余波。その力を想像し戦慄するシロに、自慢気な声が横を走る少女の口から上がる。

 

「当たり前です! あの人を誰だと思っているんですか! このオラリオきっての剣士―――『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインですよ!」

 

 ふふん! と鼻息荒く声を上げるレフィーヤ。

 得意げなレフィーヤの姿に、『そうだな』とシロは苦笑混じりに頷く。

 

「この分では、俺達の手助けは必要ないようだな」

 

 シロはロキからの頼まれ事を思い出す。

 アイズが討ち漏らしたモンスターを叩いてくれ、との話であったが、この様子では打ち漏らす心配は少ない。先程の攻撃で討伐したモンスターは既に五体。残り半分。他の冒険者もモンスターの討伐に乗り出していると考えるならば、残りは更に少ない可能性もある。このペースなら、市民に被害が広がる心配は少ないなと、シロは安心した。

 

「むむ~良い事なんだけど、何だか物足りないぃ~!」

「ま、確かに。自分で言うのもなんだけど。何だかお預けを食らったみたいな気分ね」

「本当だよ!」

 

 次々にモンスターを倒していくアイズを見ていたティオネとティオナの姉妹が不満気な様子を見せる。祭りに行くということから、武器どころか防具すらない状態で勇ましい事を口にする二人(アマゾネスの姉妹)に、シロは感心すればいいのか呆れればいいのか分からず意見を聞くように二人と同じ【ファミリア】であるレフィーヤに視線を向ける。

 

「え? あっ! わ、私は全くそんな気はありませんよ! あの人達が可笑しいんです! 武器もないのにあんな事言えるなんて普通じゃないですから!」

「何よレフィーヤ? 普通じゃないって?」

「そこの所、詳しく聞きたいんだけど?」

「あわわわわ―――そ、そんなぁ~」

 

 ずずい、と何時の間にか詰め寄ってきたのか、取り囲むような位置でレフィーヤを捕まえたアマゾネス姉妹。蹲り小さく震えるその身体を抱きしめ屋根の上で座り込んだレフィーヤを、ティオネが無理矢理立たせる。

 

「冗談よ冗談。ほらさっさと立ちなさい」

「そうそう冗談だって! こっ―――」

「ん?」

「あれ?」

「シロさん?」

 

 あはは、と笑っていたティオナとシロの顔が一瞬強張った。が、直ぐにティオナは野生の動物のように、その身に感じた予感の原因を探るように周囲を見渡し始めた。同じように何かを感じた―――予感したシロが周囲を見渡す。レフィーヤが突然辺りを見渡し始めた二人に話しかけようとした時だった。

 二人の視線が一斉に下―――地面へと向けられる。

 

「……今、揺れたね」

「ああ、間違いなく自然なものではない。これは……」

 

 シロとティオナが目配せをする。

 『揺れた?』とレフィーヤが小首を傾げると、ふとその身体が自身の意と反し揺らめいた。

 

「あれ? 本当に揺れてる? これって地震――じゃないですよね?」

「ああ。これは地震などでは―――」

 

 慌てて身体のバランスを取るレフィーヤが、その原因を口にした瞬間であった。

 街の一角で大量の砂埃が上がったのは。魔法が暴発したかのような爆音と共に、辺りにもうもうと粉煙が舞い上がる。

 続いて『きゃああああああ』との金切り声。

 土煙と少女たちの悲鳴。

 となればその原因は今は一つだろう。

 今街中にはモンスタ―が闊歩していることからも、答えは一つだ。

 

「モンスターだっ!」

 

 シロは声を上げると同時に屋根を蹴った。向かう先は眼前に立ち込める砂埃の中。そこにうっすらと映る蛇のような長細い何か? 石畳の下から現れたのだろう。石畳は広範囲にわたって下から突き上げられたかのような形となっている。シロは地上に降り立つと、蛇のような何かへと向け駆け出していく。

 

「ちょっ―――一人じゃ危険だって」

「わかっている! アレは低位のモンスターではない! そちらこそ油断するな!」

「ふふ……誰に言っているつもりよ。そんな事勿論とっくに気づいているわ」

 

 ティオネとティオナが不敵に笑う。シロはその姿に頼もしさを感じながらも地上を走る。

 そしてソレを前にして立ち止まった。

 

「―――蛇?」

「……蛇、ねぇ?」

「……蛇、か?」

 

 シロとティオナ達の前にそびえ立つのは巨大な蛇―――だと思われる何かであった。

 

「見覚えは―――ないようだな」

「まあね。こんなモンスター見たことない……もしかして新種?」

 

 細長い胴体は、気味の悪い黄緑色に染まっている。顔と思しき先端部分は、流線型上に丸みを帯びており、何処か何かの種―――向日葵の種に酷似していた。しかし、顔と思わしいが、そこには目や鼻に該当するような器官は見られなかった。

 シロが自分よりも遥かにダンジョンに関する経験を持つティオネに問いかけるが、首を横に振って断られる。

 その後ろで、モンスターを見上げていたレフィーヤがポツリと呟いた。

 

「……でも、このモンスターの色……何か見覚えがあるような……」

 

 しかし、レフィーヤの言葉は、モンスターの突然の出現に悲鳴を上げる市民たちの声に紛れ、シロ達の耳に届くことはなかった。

 

「新種でもなんでもいいよ。さっさと叩こティオネ」

「わかってるわよ。シロさんは逃げ遅れた人がいないか確認。レフィーヤは様子を見て詠唱を始めて」

「ああ」

「わ、わかりましたっ」

 

 ティオネの指示にそれぞれ頷いたシロとレフィーヤ。

 その声に反応したのか、柱のように直立していたモンスターの頭がゆらりとシロ達のいる方向へと向けられた。と、同時にティオナとティオネがモンスターへと駆け出し、レフィーヤはモンスターと距離を取り、シロは瓦礫と化した周囲の建物へと向かって走っていった。

 モンスターは一瞬迷うように頭を左右に振るが、直ぐに近づいてくる双子の姉妹へと意識を向け、その頭を向け―――飛び掛ってきた。

 

「ちっ」

「っ」

 

 全身を鞭のようにしならせ襲いかかってきた巨体を、ティオナとティオネは二手に分かれ回避する。二人の間にその身を鞭として叩きつけるモンスター。その衝撃は凄まじく、余裕を持って回避した筈の姉妹を吹き飛ばし、砕かれた石畳の破片と共に周囲の商店街へと叩きつけた。石と砂が入り混じった粉塵が舞い上がり、幅十M(メドル)はある広い通りを一瞬にして覆う。

 

「―――ティオナさん! ティオネさん!」

 

 手を掲げ粉塵から顔を守りながら、レフィーヤの悲鳴が上がる。

 怖気の走る音を立てながら、モンスターがその細長い身体をくねらせ立ち上がり―――粉塵を砕き現れたティオナとティオネが挟み込むようにその身体に拳と蹴りを叩き込んだ。

 

「っっ?!」

「かったぁーっ!?」

 

 モンスターの身体に打撃を叩き込んだ二人は、苦痛に滲んだ驚愕の声を上げた。直ぐにモンスターから飛び離れた二人は、打撃に使用した己の身体を冷やすように軽く振り、痛みに悶え苦しむように身をくねらすモンスターを睨みつけた。

 攻撃に使用した肉体は、強靭なモンスターの体により逆にダメージを受けていた。下手に攻撃すれば、与えるダメージよりも、肉体に掛かる負担の方が大きくなりかねない。モンスターを睨み付ける二人の視線には、明らかに警戒の色が含まれていた。

 ティオネ、ティオナは両者ともにLv.5。第一級の冒険者の肉体から繰り出される打撃は、そこいらのモンスターならば一撃で破壊する事が出来る。しかし、このモンスターは、そんな第一級の冒険者の打撃を受けながら、その身を砕かれる事はなかった。それを成したのは、凄まじいまでの硬度がありながら滑らかさも有する体皮であった。頑強さと柔軟さを併せ持った肉体が、低位のモンスターなら一撃で破砕する第一級の冒険者の打撃を防いだのだ。

 とは言え、何らダメージを受けないわけでもなく、打撃を受けたモンスターの身体には僅かばかりではあるが陥没が見られた。

 

『―――!!』

 

 ダメージを受けたモンスターは、怒りを露わに有効な攻撃方法が思い浮かばず、手を出しかねていた二人に苛烈に襲いかかる。モンスターの攻撃は自身の身体を鞭のようにしならせ打ち付ける攻撃や、地面を蛇行させ押し潰すかはじき飛ばそうとするものあり、その一撃一撃は確かに大したものであったが、二人にとっては回避しやすい単調なものであった。

 アマゾネスの姉妹はモンスターの攻撃を危うげなく躱しながら、自分のダメージにならない程度の力で何度もモンスターの身体を打撃する。

 しかし、

 

「っ―――やっぱり打撃だけじゃ埒が明かない!」

「あ~もうっ! 武器用意しておけば良かったっ!?」

 

 攻めあぐねる二人に、モンスターは無言の咆哮を放ちながら襲いかかる。

 やがて戦いはモンスターの一方的な攻撃に傾いていくが、アマゾネスの姉妹にはモンスターの攻撃どころか余波で砕けた石の欠片すらも当たらない。危うげなくモンスターの攻撃を躱す二人だが、有効な攻撃手段が見つからない。どちらも決め手に欠ける戦いが続く中、アマゾネスの姉妹の顔には、焦りの色はなかった。

 その理由は、彼女達の戦場から離れた位置にいた(・・)

 

 

 

「―――【解き放つ一条の光、聖木の弓幹。汝、弓の名手なり】」

 

 

 

 そこには、ティオネとティオナがモンスターを引き付け稼いだ時間を受け取ったレフィーヤが、詠唱を勧めていた。

 その手には魔法の效果を高める為の杖はない。

 しかし、Lv.3であるが【ロキ・ファミリア】屈指の魔力を誇るレフィーヤにとって、杖がなくともモンスターを打倒する為の魔法を撃つことなど造作もないことであった。片腕をモンスターへ向けて突き出し、レフィーヤは呪文を唱える。

 その声に焦りはない。

 アマゾネスの姉妹(仲間)がモンスターの注意を引きつけてくれるとの信頼がそこにはあった。

 唱える呪文は短文詠唱。威力は控えめとなるが、今重要となるのは力よりも速度。縦横無尽に駆け回る高速戦闘でも十分に対応できる魔法だ。目標はティオナ達へと完全に意識が向き、呪文を唱えるレフィーヤには全く警戒していない。早まる心臓と強張る身体を意識的に落ち着かせ、鋭い眼差しで暴れ狂うモンスターを見つめる(狙い撃つ)

 レフィーヤの足元に山吹色の魔法円(マジックサークル)が展開される。淡く発光する光に照らし出されながら、レフィーヤは魔法を構築する。

 

「【狙撃せよ、妖精の射手。穿て、必中の矢】!」

 

 最後の韻を唱え終え、レフィーヤが魔法を解放する―――その直前であった。

 

「―――っ」

 

 魔力が収束した瞬間、ティオナ達に掛かりっきりだった筈のモンスターが唐突にレフィーヤにその頭を向けた。

 ティオナたちはレフィーヤの魔法が完成間近と判断し、モンスターから既に退避している。モンスターは逃げる二人を追いかけようとしていた。しかし、ティオナ達の背中に向けていた顔は、唐突にレフィーヤへと向けられた。

 ぐるん、と顔のない頭を向けられた時、レフィーヤは確かに視線を感じた。

 目のない目で見つめられるという違和感は、しかしそれを遥かに超える悪寒に塗り潰される中、レフィーヤは直感した―――このモンスターは、『魔力』に反応した、と。

 突然のモンスターの行動に対する驚愕と恐怖に、レフィーヤの時間に数秒の空白が生まれた。

 我に帰るなり直ぐさま魔法を放とうとするレフィーヤだったが、失われた時間は取り返しようもなかった。

 

「ぁ―――ぇ゛?」

 

 腹部を、衝撃が貫いた。

 停滞する時間の中、レフィーヤの目は確かに見た。

 地面から伸び、自分の元へと向かう黄緑の突起物を。

 ソレ―――レフィーヤの腕ほどもあるだろう長い触手は、何の防備もないただの布で守られただけの自分の柔らかな腹を突き刺さるのを。レフィーヤは、ぐしゃり、と自分の中で何か柔らかいモノが潰れる音を確かに聞いた。

 口から溢れた驚愕ではなく戸惑いの声。それは自分のものとは思えないほどに濁ったもので、薄く開かれた唇の間から、どす黒い血と共に吐き出された。

 

「「レフィーヤ!」」

 

 受身を取る事も出来ず地面に転がるレフィーヤの姿に、ティオネとティオナの悲鳴が上がる。

 奇妙に間延びした時間の中、レフィーヤは遠くに聞こえる仲間の声に返事をしようとし、

 

「っ゛―――ぇ……」

 

 ごぼり、と泥のような血塊を吐き出してしまう。

 動かそうと力を込めた腕はピクリともしない。逆に意識は不思議なまでに冷静であったが、レフィーヤは自分の身に何が起きているのか理解できていなかった。

 僅かに動く目をゆっくりと動かし、地面から飛び出してきた触手が突き刺した自身の腹部へと視線を向け―――。

 

「―――ッッッ!!!!????」

 

 ―――悲鳴を上げた。

 触手の一撃を受けた腹部を守っていた何の防御力のない服は無残に破け、その下にある白く柔らかな腹は、一見してわかるほどに陥没していた。陥没した部位を中心に、青を通り越し黒く染まってしまった白い肌の下がどうなっているのかは想像もしたくない。

 いや、そんな事を考えている余裕は、レフィーヤにはなかった。

 

(―――痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいああああああああああああああああああああああああああああ)

 

 痛みを自覚した瞬間、レフィーヤの思考は痛みに染められた。

 視界は霞み、耳は甲高い金切音が高く鳴っている。大きく開かれた口は、声ではなく喉奥から押し出される血が泡くとなって出てくるだけ。

 行き過ぎたダメージは強制的にレフィーヤの肉体の活動を止め、激痛に悶え苦しむ意識とは真逆に、ピクリとも動くことはなかった。

 血を吐き動きを止めたレフィーヤ(獲物)を前に、地面から生えた触手はその身体を蠢動させると、それに同調するように蛇型のモンスターはその体に変化を起こした。 

 歓喜するように身体を震わせ空を仰いでいた頭と思われる部位が、ピッ、ピッ、と幾筋もの線を走らせると、次の瞬間大きく開き―――

 

 

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

 

 

 ―――開花した。

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。

 次回「千の妖精」26日午前0時更新予定……予定です。


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第十六話 千の妖精

 爆音に似た咆哮が轟く。

 蕾が花開き、満開に開かれた花弁の色は極彩色。

 毒々しい花弁の中心には、無数の牙がズラリと並ぶ獣の口腔。

 天へと咆哮する口は白く濁った粘液をぼとぼとと垂れ流すその奥には、陽光を反射させた魔石が鈍く輝く。

 

「蛇、じゃなくて―――花って……ッ!?」

 

 その正体を露わにしたモンスターの姿に、ティオナが驚愕の声を上げる。

 蛇のような細長いその身体は、植物の幹であり、頭だと思われた流線型の頭部は蕾であった。

 獣と植物を織り交ぜた醜悪な頭部を晒した食人花のモンスターは、空へと向けていた頭を倒れ伏したレフィーヤへと向ける。開かれた口と、そこから涎のように溢れ出す粘液から、その目的は明らかであった。レフィーヤの身体を突き刺した触手を地面から次々に現出させたモンスターは、その身体をくねらせ獲物のもとへと這い寄っていく。

 

「ッ!? レフィーヤ逃げなさいッ!!」

「レフィーヤ―――ッて、もうッ邪魔ぁあ!!」

 

 レフィーヤ救出のため駆け出すティオナ達の前に、地面から現れた無数の触手が襲いかかる。食人花のモンスターと同じ黄緑色をした触手を、ティオナ達は必死に叩き伏せレフィーヤに駆け寄ろうとするが叩けども叩けども起き上がり襲いかかる触手の群れに、その歩みは遅々として進まない。

 焦るティオナ達が必死に呼びかけるも、レフィーヤは動かない―――動けない。

 やがてモンスターはレフィーヤの眼前に迫り、その口腔を開き―――。

 

 

 

 

 

 巨大な塔のように屹立するモンスターは空に輝く太陽の光を遮り、死の宣告のように黒い影が身体を覆っている。

 狂いかねない痛みに正気を侵食される中、レフィーヤは自分を覆う影の主を見上げていた。

 悲鳴を上げる声なき声の中に、痛みを訴えるものとは違う言葉が浮かぶ。

 

 ―――嫌だ。

 

 それは拒絶。

 肉体を蝕む苦痛をも押さえ込む忌避の意思。

 見えない壁越しに聞いているように奇妙に鈍く聞こえるのは、逃げ遅れた市民の上げる悲鳴と、避難を誘導する冒険者の声。そして『逃げろ』と必死に声をかけてくるティオナたち(仲間達)の声。

 その言葉に従いたいが、どれだけ身体に鞭打とうとも、動く様子は見られない。

 

 ―――嫌だ。

 

 叫ぶ。

 足掻く。

 悶える。

 どれだけ必死に心の中で暴れようと、現実の肉体には何ら動きは見られない。

 時は無情にも過ぎ、粘液に濡れた牙を鈍く光らせ、口を開いたモンスターが迫ってくる。

 

 また―――なの……。

 

 また、私は―――。

 

 白く鈍る視界の中、歪む世界で嘆きの声を上げる。

 

 嫌だ、嫌だ―――と。

 

 弱い自分が許せず。

 強くあろうとした。

 強くなろうとした。

 何時か彼女の隣に立てるように。

 胸を張って、あの中に飛び込めるために。

 なのに―――これで、自分は終わりなのか?

 また、自分はここで―――このまま、見ているしかできないのか。

 私は―――また―――。

 

 

 

「ッオオオオォォォォォォッ!!!」

「―――ッ!」

『アアアアアアアアアアアアアアァァァァッ!!?』

 

 

 

 朧に霞む視界に、赤と金、そして二条の銀線が走る。

 赤が放った銀線に頭を下から勝ち上げられたモンスターは、空を翔ける金の銀線にその首を切り飛ばされた。

 赤と金の輝きが、歪む視界に眩いまでに映り込む。

 

 ―――守られる、だけなのか。

 

 

 

 

 

 切り飛ばされた頭部は、悲鳴を細らせながら建物の一角に突っ込んだ。

 モンスターの首を両断した勢いのまま地面へと向かったアイズだったが、くるりと身体を器用に回し両足で地面に降り立つ。軽くレイピアを振るい、地響きを立てながら倒れいくモンスターへと振り返ったアイズは、地面に転がるレフィーヤへと顔を向ける。

 レフィーヤの前には、アイズよりも先にモンスターの前に躍り出ていたシロの姿があった。倒れているレフィーヤの横に膝をつき、シロは怪我の様子を見ている。アイズは自分も急いでレフィーヤの元へと駆け寄ろうとした時、

 

「アイズ!」

 

 声を上げ自分に向かって駆け寄ってくるアマゾネスの姉妹がいた。

 アイズはレフィーヤへと手を伸ばそうとするシロから一旦視線を離すと、近づいてくるティオナ達に応えるように片手を上げ―――。

 

「―――ッ!?」

 

 グラリ、と地面が揺れるのを感じ総身に予感を抱いた。

 

 ―――まだ、終わりではない、と。

 

 アイズが反射的に剣を構えると、足元の石畳が隆起した。

 ここまで来ると、流石にその場にいた全員が気付いた。

 

「嘘っ! またぁ!?」

「あ~もうっ! 鬱陶しい!」

 

 慌ててブレーキを掛け、立ち止まるティオナ達の前で、石畳を下から吹き飛ばしながら、三匹の新たな食人花のモンスターが姿を現した。新たに現れた食人花のモンスターは既に蕾を開き、大口を開け咆哮を放っている。全身でモンスターの咆哮に揺れる大気を感じながら、アイズは改めて剣を構え、モンスターに向かって斬りかかろうと柄を握る手に力を込めた時であった。

 

 ―――ビシリ、とアイズが握る剣が破砕したのは。

 

 元より頑丈さよりも速さ鋭さを求めて造られた剣であるレイピアである。アイズ(第一級冒険)の手による攻撃に使われれば、材料が不壊物質の武器でなければ自壊するのも仕方がない。

 

「―――ぇ?」 

「ちょっと―――」

「な、何でっ?!」

 

 無意識のうちに愛剣と同じ扱いをしてしまった代理の剣では、アイズの力に耐え切れなかったのだ。

 助っ人(アイズ)が持つ突然の武器の破壊に、本人だけでなくそれを見ていたティオネとティオナの戸惑いの声が響く中、食人花はそんな三人の動揺など関係なく動いていた。新たに現れた三匹の食人花は、一斉にアイズに向かって突き進む。

 直ぐに我に帰ったアイズが、間近に迫った一匹の食人花の手元に残った剣の柄の頭でもって殴りつけながら跳躍して逃げる。風を纏ったその攻撃は、並のモンスターならば一撃で倒せる力がある。しかし相手はティオナ達の打撃すら大したダメージを与えられない身体を持っていた。如何に風の力を加えたとしても、僅かにその体皮をへこませることしかできない。

 

「何でまたこっちを無視すんのっ!?」

「魔法に、反応してる?」

 

 執拗にアイズを追う食人花へとティオナとティオネの二人は何度も攻撃を加えるが、モンスターの矛先はアイズから外れる事はなかった。

 アイズは倒れたレフィーヤから離れるように逃げ回る。食人花の攻撃はその身体を使った超重量による体当たりや噛み付きだけでなく、地面から無数に生えた触手による鞭擊。厄介なのは地面から生えた触手による攻撃であった。一つ一つはアイズが身にまとった風を破れはしないが、何より数が多い。現状ティオネたちの援護もあり被弾は一度もないが、同じようにアイズたちも有効な攻撃の手段がなかった。

 

「アイズ―――一旦魔法を解いて!」

「―――でも」

「武器がなくても一匹なら大丈夫だって!」

 

 モンスターの興味はどうやら魔法だと直感したティオネが、アイズに魔法を解くよう指示する。しかしアイズはモンスターの矛先が他へと向かうことを恐れ逡巡する。

 

「「アイズっ!!」」

 

 ティオナ達が真っ直ぐアイズを見た。

 揺るがないその瞳に、アイズは魔法を解除することを決めた。

 確かにこのモンスターは厄介である。第一級の冒険者の攻撃を耐えるタフネスは異常といってもいい。禄な武器がないとしても、Lv.5が三人もいて苦戦する相手だ。しかし、それでもこの二人なら大丈夫だとアイズは思った。それだけの信頼と信用が二人にはあった。

 アイズは目で二人と意思を交わしあい、魔法を解除するタイミングを図る。

 そして、何度目かのアイズを喰らおうとする三匹のモンスターの攻撃が回避される。再度襲いかかろうと、身を起こすモンスターの動きが止まるその一瞬。その隙を逃さずアイズは魔法を解除し―――

 

「―――ぁ」

 

 アイズの視界の隅に、小さな少女の姿が映り込んだ。

 モンスターとの戦いで破壊された屋台の影に、一人の少女が座り込んでいた。眼前で繰り広げられるモンスターと冒険者の死闘。まだ幼い少女の心を恐怖に染めるには十分であった。余りの恐ろしさに悲鳴を上げる事もできず、ただ震える少女の瞳が、アイズの姿を映す。

 アイズの思考が加速する。

 

 魔法を解除。

 逃走する方向。

 モンスターの向かう先。

 自分の位置と味方の位置。

 味方(ティオナ達)は少女に気付いているのか。

 応援は間に合うのか。

 

 一秒にも満たない間に様々な思考が錯綜し、結果を弾き出す。

 このままでは、逃げ遅れた少女を巻き込んでしまう、と。判断は一瞬だった。解除するはずの魔法を最大展開。少女を巻き込まない方向へ逃げる。だが、残された道の結果(行き先)は既に見えている。それでも、アイズは迷うことなくその道を選ぶ。僅かな可能性に掛け、全力で逃げ―――捕まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぁ―――っ」

 

 奇妙な浮遊感を感じながら、レフィーヤは意識を取り戻した。右腕に、何やら硬い感触を感じ、揺れる視線を右へと向けると見知った顔が間近にあった。

 

「―――かはっ」

 

 名前を呼ぼうとした口からは、血煙しか出なかったが、身体を支えていた人物にレフィーヤの意識が戻った事を気づかせた。

 

「あまり動くな。直ぐにこの場から離れるぞ」

 

 シロが労わるような声をかけると、レフィーヤはぼうっとした視線を向けると、眉をしかめた。まだ現状を把握できていないのだろうと判断したシロは、そこで自分たちの下へと駆け寄ってくる人影を見つけた。

 

「―――大丈夫ですか!? って、シロさん!?」

 

 駆け寄ってきたギルド職員は、負傷した女性冒険者を支える男が、自分の知る者だと気付くと素っ頓狂な声を上げ立ち止まった。

 

「エイナか、丁度いい。彼女を連れてこの場から離れろ。腹部にかなりの負傷がある。応急処置はしたが、内臓が幾つか傷ついている可能性が高い。直ぐに治療させてくれ」

「わ、わかりましたっ! え? あれ、シロさんはどうするんですか?」

 

 シロは助けに来た人物が自分の担当の案内係(エイナ)だと気付くと、慎重にレフィーヤの身体を渡した。レフィーヤの負傷について簡単な説明をし終えると、シロはエイナに背を向けたが、直ぐにその背中に戸惑いの声が向けられる。

 シロは振り返る事なく、当たり前の事を口にするように応えた。

 

「決まっている、アレを何とかしなければいかんだろ」

「―――なっ、あれはっ! ばっ、馬鹿なことを言わないでください! あなたも逃げるんですよっ!」

 

 シロの視線の先を目にしたエイナが、レフィーヤを肩で支えながら大声を上げた。怒りが混じった大声を耳元に聞いたレフィーヤが、その柳眉を顰める。エイナの怒声が意識に掛かったモヤのようなものを晴らしたのか、意識を取り戻した時よりも幾分ましになった頭で、遅まきながらもレフィーヤは周囲の状況の確認を始めていた。

 

「あなたはLv.1なんですよ! あなたに何が出来るって言うんですか!?」

「さて、囮役程度は出来ると思うが」

「ふざけている場合じゃないですっ! 食べられちゃいますよっ!」 

 

 身体を支えてくれているギルドの職員らしきハーフエルフの女性が、何やらシロと言い争いをしているのを眉を顰め耳にしながら周囲を確認していたレフィーヤが、一体何を言い争っているのかと彼等が視線を向ける先に視線をやった時であった。

 レフィーヤの目が―――いや全てが停止した。

 目の動きも、体の震えも、呼吸も、そして未だに身体を蝕む痛みすらもその一瞬停止した。

 レフィーヤの視線の先。

 言い争うシロたちの視線の先に、壁を粉砕された商店があった。巨大な木造りのその建物には、一体のモンスターが頭をめり込ませている。そのモンスターは大口を開け、更に建物に自身の頭を食い込ませようとするが、何かがそれを妨害していた。

 その何かが()であるか理解したレフィーヤが、反射的に身体を前へと動かしていた。

 

「きゃっ?!」

「レフィーヤっ」

「―――っ」

 

 半ば反射的にエイナの肩を押すように前に出たレフィーヤだったが、その身体に受けたダメージは深刻であり、足に全く力が入らず一歩も前へ動くことなく前のめりに倒れていく。だが、その身体が再度地面へと打ち付けられる前に、振り返ったシロがその身体を受け止めた。

 レフィーヤはシロの身体を握り締めると、震える身体で急いで顔を上げた。

 シロの身体越しに見える光景は先程と全く変わっていない。

 アイズがモンスターの大口に捕らわれていた。半ばモンスターの口の中にいるためか、その身に纏う風が球形の小嵐となっている。食人花は噛み砕こうと必死に顎を上下させるが、アイズの風が砕かれる様子は見られなかった。残りの二匹の食人花も、両脇からアイズに食ってかかっている。

 シロたちがいる離れた場所にあっても、アイズの風の鎧を食い破ろうとするガツンッ、ガツンッという硬い何かが砕かれるような音が聞こえてくる。ティオナやティオネが必死になってアイズに群がる食人花を引き離そうとするが、単純な力でモンスターに叶うことがなく、引き剥がすことができないでいた。

 

「動かないでくださいっ! 酷い怪我なんですよ。彼女は大丈夫です。【ガネーシャ・ファミリア】の方がもう直ぐ来られるはずですから、あなたはこのまま―――」

「レフィーヤは、気持ちはわかるが今は下がれ。怪我をしたお前では―――」

 

 シロの腕の中で必死に前へ、アイズ達の下へと行こうとするレフィーヤを思い止めようとする。

 それを耳にしたレフィーヤは、

 

 

 

「―――ってるッ!!!」

 

 

 

 ―――叫んだ。

 

 

 

 

 

 怪我をしている。

 

 助けが来る。

 

 行ってもどうにもならない。

 

 役にたたない。

 

 何も、できない。

 

 そんな事は、ずっと前からわかっている。

 

 わかっているから、頑張ってきたんだ。

 

 自分が今助けに行っても、ただの足でまといにしかならない。

 

 【ガネーシャ・ファミリア】の冒険者なら、間違いなくアイズ達を助けてくれるだろう。

 

 そんな事はわかっているのだ。

 

 このまま痛みや苦しみに目を閉じ、意識を手放せば、目を開けた時には全てが終わっているだろう。

 

 誰も自分を責めない。

 

 それどころか何もできなかったのに、良くやってくれたと言ってくれるだろう。

 

 そう、彼らは優しい。

 

 彼女たちは優しい。

 

 私を傷つけないように、守ってくれる。

 

 守って、くれる。

 

 

 

 私は―――そんな事望んでなんかいないッ!!!!

 

 

 

 私は、守られたいんじゃない!

 

 私は、立ちたいんだ!

 

 あの人の隣に!

 

 あの憧憬(輝き)に、私は追いつきたいんだ!

 

 例えそれが叶うことのない願いであっても!

 

 例えそれに手が届かなくても!

 

 私は―――手を伸ばすっ!

 

 前へと、進むっ!

 

 どれだけ傷ついたっていいっ!

 

 彼女達の力になりたいっ!

 

 彼女達の強さを見るたびに、何度も心が折れた。

 

 でも、その度に立ち上がった。

 

 彼女達の―――あの人の輝きを見るたびに、それでもと―――っ!  

 

 私を受け入れてくれた彼女たちに。

 

 幾度も救ってくれた彼女たちに。

 

 私は―――。

 

 私は―――一緒にいたいっ!

 

 共に、戦いたいっ!

 

 だから―――

 

 

 

「わ、たし―――は―――、私はっ、戦うッ!!」  

「―――ッ!??」

「…………」

 

 両手でシロの身体を突き放し、よろよろと立ちながら文字通り血を吐くような叫びに、エイナは口にするはずだった言葉を飲み込んでしまう。反射的に伸ばした手が、レフィーヤに振り払われる。どうすれば良いか分からず、エレナは縋るような視線をシロへと向けた。

 だが、その視線を向けた先の人物は、ただ黙ってレフィーヤを見つめているだけであった。

 無茶をするなと諌めるでもなく、馬鹿なことを言うなと怒ることもなく、ただじっと、静かな目でレフィーヤを無言で見つめていた。

 

「っ―――ぁ―――ふ……」

 

 肩を激しく上下させ、口の端から血を血を流しながら、レフィーヤは目の前に立つ(シロ)を睨みつけていた。

 退かなければ、倒してでも先に行くとでも言うような、噛み付かんばかりの視線であった。

 しかし、シロはそんなレフィーヤの決死の視線を受けながらも小動もしない。

 動かない二人。その間も時間は過ぎ、モンスターたちはアイズに群がっている。

 焦ったレフィーヤが、疲労と痛みを押さえ込み、駆け出そうとした時であった。

 

「―――無駄だ」

「―――ッ!?」

 

 鋭く冷ややかな言葉の剣が、レフィーヤの身体を貫いた。

 感情を全て廃した、純然たる事実をそのままに形にしたような言葉は、燃え上がる心を一気に冷却した。

 

「その身体で、一体何ができる」

 

「何も出来はしない」

 

「足手纏いにしかならない」

 

「無駄死にだ」

 

 シロの言葉は容赦なくレフィーヤの心に突き刺さり、気付けば前へと進もうとする足が止まってしまっていた。

 あれだけ燃えていた(意思)も、何時の間にかすっかり冷え切ってしまっている。

 否定することができない。

 ずっと、考えていたからだ。

 シロの口にした言葉は、全てレフィーヤが考えていたことだ。

 確かにそれでも、と立ち上がった。

 一人蹲り、ただ守られるだけが嫌だから、立ち上がった。

 しかし、この男を前に、この男の言葉を前にして、レフィーヤは自分の覚悟が揺れてしまう。

 理由はわからない。

 もしかしたら、一度彼の姿に憧れを幻視したからかもしれない。

 彼女に、無理だと言われた気がしたのかもしれない。

 

 視界が歪む。

 目に熱が込もり、目尻から水が流れる。

 痛かった。

 苦しかった。

 身体が、何よりも心が。

 様々な感情が渦巻く。

 

 戦いたい―――逃げたい。

 

 守りたい―――守られたい。

 

 彼女達の下へと行きたい―――離れた場所で見上げていたい。

 

 矛盾する気持ちが何度も交差する。熱と冷気が幾度も身体を駆け巡る。高揚とも、悪寒ともつかない奇妙な熱が全身を包む。

 レフィーヤは目を閉じた。

 多くの人が瞼の闇に浮かんでは消えていく。

 学区の同胞の姿もあれば、このオラリオで出会った人達の姿もある。

 しかし、一番多く映るのは、家族の姿。

 【ロキ・ファミリア】の冒険者たち。

 その中に、一際輝く人影がある。

 金の髪を持つ、美しい少女。

 

 

 

 自分の―――憧憬。

 

 

 

「―――それでも、私は、戦います」

 

 

 

 気付けば、真っ直ぐにシロを見上げながら、レフィーヤは言葉にしていた。

 己の内から湧き出た言葉を真っ直ぐに、そのまま……。

 挑むようなその視線に、シロは一瞬口元に笑みを浮かべ―――。

 

「ならば―――名乗れ」

 

 シロの口元に浮かんだ笑みは、レフィーヤが瞬きした内に消え去り、今は厳しく引き締められていた。

 

「【ロキ・ファミリア】の誇り高きエルフよ。戦場に赴くというのならば、名を名乗り、己の意志を示せ」

 

 朗々と、託宣のようにシロは言葉を口にする。

 レフィーヤは、シロの言葉を一つ受ける度に、その身に力が満ちる事に気付く。心が、高揚するのを感じる。

 シロの目は、しっかりとレフィーヤを見つめていた。

 守るべき対象ではなく。

 共に戦う戦士を見つめる目で。

 認められている。

 否―――確かめられている。

 ここが分水嶺だと、レフィーヤは感じ―――目尻に涙が残る双眸を勢い良く見開いた。

 

「私はっ―――私はレフィーヤ・ウィリディスッ! ウィーシェの森のエルフッ!」

 

 騎士が戦場にて名乗りを上げるかのように、レフィーヤは堂々とその己が標を示す。

 

「神ロキと契りを交わした、このオラリオで最も強く、誇り高い、偉大な眷族(ファミリア)の一員!」

 

 立っているだけでやっとであった身体の何処に、これだけの大音声を出せる力があったのか、レフィーヤは己の事ながら不思議に思いながら自分を見つめるシロを見る。シロは変わらず、無言のままレフィーヤを見つめていた。身体に、痛みではない熱が込もる中、レフィーヤは自身の身体に一本の芯が通り、力が漲るのを感じていた。

 数瞬の後、シロはレフィーヤに背中を向けた。

 レフィーヤは一瞬キョトンとした顔になったが、シロの背中を見て直ぐに表情を崩した。

 言葉もなくとも、何故かレフィーヤは理解していた。

 シロが、自分を認めた事を。

 共に戦う者であると。

 その大きな背中を見て、レフィーヤは知らず顔を綻ばせていた。

 一つ、鼓動が大きく鳴った。

 

「最強の魔法を撃て」

 

 シロがレフィーヤに背中を向けたまま言葉を掛けてきた。

 その声には、ただ真っすぐにレフィーヤに向けられる。

 お前の魔法なら、この戦局をどうにかできるという確信に満ちた言葉。

 

「わかりましたっ!」

 

 レフィーヤの思わず力が込もった声に、シロの僅かに笑みが混じる言葉が返ってくる。

 

「敵の攻撃は気にするな。詠唱の間、俺がお前を守る」

 

 まるで、どこぞの騎士のような言葉を口にして走り出したシロの背中を、顔を真っ赤にしたレフィーヤは睨みつけたが、直ぐにその背中を追いかけた。

 シロは直ぐに足を止めた。モンスターに群がれているアイズからはまだ距離があった。しかし、レフィーヤの口からは文句は出てこない。何故ならば、この距離はレフィーヤの射程圏内であるからだ。どうして自分の魔法の射程がわかっていたのか聞きたかったがそれどころじゃない。直ぐにレフィーヤはアイズに群がるモンスター達を見据えると、詠唱を始めた。

 

「【ウィーシュの名のもとに願う】!」

 

 大きな背中に守られながら、レフィーヤは詠う。

 

「【森の先人よ、誇り高き同胞よ。我が声に応じ草原へと来れ】」

 

 今、自分はシロに守られている。

 しかし、不快感はない。

 悔しさもない。

 それは、シロが自分を一人の戦う者として認めているからだ。

 守る対象ではなく、共に戦うものであると。

 

「【繋ぐ絆、楽宴の契り。円環を廻し舞い踊れ】」

 

 (シロ)はきっと気付いていた。

 自分が何度も諦めかけた事を。

 幾度も意志が折れていたことを。

 だけど、彼は言った。

 

「【至れ、妖精の輪】」

 

 『名を名乗り、己の意志を示せ』と。

 そうだ。

 折れてもいいんだ。

 何度だって、倒れてもいいんだ。

 ただ、そこからどうするかが問題なんだ。

 倒れて、そのままなのか。

 それでも、それでもと、立ち上がれるのか。

 己の意志を、示せるのか。

 

「【どうか――――――力を貸し与えて欲しい】」

 

 だから、歌おう。

 確かに自分は弱い。

 彼女達の遥か後ろにいる。

 歩みは遅く、追いつけるかどうかもわからない。

 彼女は待ちはしない。

 今も、これからも歩み続ける。

 振り返りもしないだろう。

 だけど、それでいいんだ。

 彼女は、真っすぐに歩いていけばいい。

 私は、そんな彼女に憧れたのだから。

 だから、せめて聞いて欲しい。

 私の、歌を。

 何時の日か、私の歌が、彼女を癒し、守り、彼女を脅かす敵を打ち払う事ができるように。

 私は、詠う。

 私だけに許された、歌を―――詠い続ける。

 森で踊る妖精のように。

 愛する者を救ってきた精霊のように。

 私は、詠う。

 あなたに、届けと。

 この、魔法(うた)を―――。

 

「【エルフ・リング】」

 

 詠唱を続けるレフィーヤの足元。山吹色に輝いていた魔法円(マジックサークル)が、瞬時に翡翠色へと変わった。

 

「「レフィーヤっ!?」」

「―――っ!?」

 

 レフィーヤへ集まる強大な魔力に、アイズ達が気付く。だが、気付いたのはアイズ(仲間)たちだけではない。アイズを噛み砕かんと風の鎧に牙を突き立てていた食人花たちもまた、レフィーヤに収斂する魔力を察していた。今自分達が噛み付いている魔力よりも更に巨大な魔力の出現に、食人花たちは一斉に矛先を変えた。向かう先は詠唱を続ける一人のエルフ。しかし、その前に立ちふさがる者がいた。

 凶暴なまでの魔力を集中させるレフィーヤと、それを後ろにモンスターの眼前に立つシロの姿に、アイズ達の目が驚愕に見開かれる。

 

「【―――終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に風を巻け】」

 

 レフィーヤの詠唱は続く。

 一度は完成した筈の魔法に、更に詠唱を上乗せすることで別種の魔法を構築している。

 通常ではありえないそれは、レフィーヤが習得した魔法によるもの。【ステイタス】に確保される最大三スロットの最後にレフィーヤが習得した魔法。

 その魔法の名は―――召喚魔法(サモン・バースト)

 同胞(エルフ)の魔法に限定するが、詠唱及び效果を完全把握する事が条件の―――前代未聞の反則技(レアマジック)。その他にも、使用には二つ分の詠唱時間と精神力を消費するが、その代わり彼女はエルフの魔法ならば全てを使用できる可能性すらある。

 上限が三までと決められた、魔法の取得限界を超える使用できる魔法の種類の膨大さ。

 いずれ彼女が使える魔法の数は百か千か―――故に、彼女にオラリオの神々が名付けた名は―――

 

 ―――【千の妖精(サウザンド・エルフ)

 

「【閉ざさえる光。凍てつく大地】」

 

 召喚するものはかの英雄たるエルフの王女―――リヴェリア・リヨス・アールヴの魔法。

 時をも凍らせる氷雪の嵐。

 紡がれる詠唱。その中に、レフィーヤとは違う美しき玲瓏なる声が混じる。

 詠唱は終わりに近づき、翡翠の如く魔法円が眩いほどに輝いた。

 

『―――――――――ッ!!!???』

 

 食人花のモンスターは、際限なく未だ止まる事ない魔力の高まりの下へ―――レフィーヤへと急迫する。

 

「こ―――のッ!!」

「大人しくっ! してろッ!!」

「ッ!」

『アっ、アアッ?!』

 

 だがレフィーヤへと躍りかかる直前、その背に追いついたティオナ達が殴り、蹴り、叩きその進路を強制的に変えてしまう。吹き飛ばされる三匹のモンスター。その姿を眼前にしながら、シロはピクリとも動かない。ただ、両手に握る剣の柄を僅かに強めただけ。

 一瞬の空白の後。

 シロの眼前の地面から無数の触手が飛び出してきた。槍のような硬く鋭い切っ先が狙う先には、最後の詠唱を紡ぐレフィーヤの姿。迫る脅威を目の前にし、しかしレフィーヤの顔に恐れの色は全くと言ってなかった。

 強き眼光はただ真っ直ぐ前へと向けられている。

 その身を貫いた触手を前に、怯えの色はない。

 ただ、強い信頼がそこにはあった。

 彼女は信じていた。

 男の言葉を。

 『俺がお前を守る』と口にした男を。

 そして―――。

 

「―――ッオオオアアアアアッ!!!!!」

 

 十字に重ねた双剣を、一気に開く。

 衝撃さえ伴い振るわれた剣の一撃が拮抗する。第一級の冒険者の力をもっても砕けない身体(武器)。シロは幾本もの鋼の糸をより集め造られたかのような異形を見た。その余りの硬さに、剣を握る両の手が一瞬緩んだほどであった。

 だが、

 

「ッオオオオオオ!!!」

 

 己の力を、持てる技術の全てを使い―――一息の後槍衾の如く触手の攻撃を弾き飛ばした。

 空白がその場に満ちる。

 モンスターの攻撃が不発に終わり、一瞬の停滞が生まれ。

 

「【吹雪け、三度の厳冬―――我が名はアールヴ】!」

 

 レフィーヤの魔法が完成した。

 

「【ウィン・フィンブルヴェトル】!!」

 

 三条の吹雪が通りを駆け巡った。

 射線上からは既にアイズ達は逃れている。大気すら凍りつかせながら突き進む純白の死の嵐が、モンスター達を飲み込んだ。頑強な体皮が凍りつき、毒々しい花弁は白く染まり、絶叫は氷が軋む音の中に消えていった。死の嵐が駆け抜けた後、残されたのは三体の氷像。

 白と蒼の二色に染められた街の通り。

 細かな氷の粒が陽光に照らされキラキラと輝く中、三つの影が走り抜ける。

 ティオネ、ティオナ、そしてアイズの三人。

 ティオナ達アマゾネス姉妹は無手で、アイズは何時の間にか手にしたいた剣を片手に、白く凍りついた大地を駆け―――。

 

「いっくよぉ~~~ッ!!」

「このっ! 糞花がぁああっ!!」

「っ!!」

 

 三者三様の気合の入った一撃は、三体のモンスターの氷像を打ち砕いた。

 涼やかな音を立て砕けるモンスターの残骸。

 レフィーヤは目に、揺らめく金の長髪が青い燐きの中、一際美しく輝いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 砕けたモンスターの残骸が空に撒かれ。細かな粒となったそれが未だ中空で光を受け輝く中、モンスターの氷像を砕き歓声を上げるアイズ達の姿がある。窮地を脱する力となったレフィーヤを見つめ、口々にその功績を讃えながら手を振るアイズたちに、瓦礫となった商店の影から現れたロキが近付いていく。

 

 手を上げ何やらアイズたちに話しかけながら歩いてくるロキは、片手に魔石を弄んでいる。

 

 ロキの言葉に何やら苦笑するアイズたち。

 

 遠目にその姿を目にしたレフィーヤの口元にも、笑みが浮かんでいた。

 

 そこには、紛れもない油断があった。

 

 危機を脱し、緊張が緩んでいた。

 

 誰も責める事は出来ない。

 

 誰も、想像すら出来なかったのだから。

 

 ただ一人。

 

 訝しげな目で地面を見つめていた男を除き。

 

 地面が揺らぎ。

 

 一瞬の空白が生まれ。

 

 警告の声が上がった時には、全てが遅かった。

 

 大地を砕き、二つの影が空へと伸びた。

 

 地面から飛び出した影の一つは、その身が操る幾十もの極彩色の触手で、ロキたちを一息に包み込んだ。

 

 残りの一つは、未だ強力な魔力の残滓を残す少女へと襲いかかる。

 

 状況が把握出来ず、ただ目の前で起きた悪夢を呆然と見つめる少女へと牙が突き立てられんとしていた。

 

 逃げる事も、戦うことも出来ず立ち尽くす少女。

 

 怪物の口腔に収まる直前。

 

 少女の眼前に紅い背中が映り込んだ。

 

 瞬間―――全身を衝撃が貫いた。

 

 限界まで酷使された肉体には、それは耐え切れなかった。

 

 視界が暗く染まっていく。

 

 遠のく意識の中。

 

 伸ばされた指先には何も触れる事はなく。

 

 少女は―――レフィーヤは意識を手放した。

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。

 ぎりぎりで完成したので、手直しがあるかもしれません。


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第十七話 選定の剣

 


 

 

 

 

 

 ―――頬を、風が撫でた。

 

 

 乾いた、風だ。

 

 

 触れた頬が、切り裂かれたような痛みを訴える。

 

 

 眼前に広がるは、何も無き荒野。

 

 

 草木はなく、動くものもなく、ただ罅割れた大地が広がるのみ。

 

 

 仰ぎ見た空は赤く燃え。

 

 

 日入りか、日の出か、燃える空に照らされた大地もまた、血を流しているかのように赤い。

 

 

 荒れ果てた、何も無い、荒野――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何かが、頬に張り付いた。

 どろりと頬を滑り垂れたそれが、口の端に触れる。

 それは、熱かった。

 それは、鉄の味がした。

 

「――――――」

 

 深く深い泥のような暗闇の中から、意識が浮上する。

 粘りつき、引き戻そうとする手を振り払いながら、戻ってくる意識。

 意識が戻るにつれ、壁越しに聞いているかのような不鮮明な音が耳に触れる。

 硬い何かがぶつかり合う音。

 一度だけではない。

 何度も、何度も、何度も聞こえてくる。

 爆音にも似たその音は、その余りの数と速度から、まるで大きな一つの爆発音にさえ聞こえてくる。

 次第に鮮明になるその音を耳に、ゆっくりと瞼を開く。

 まるで全身が鉛になったようで、目を開けることすら大変な重労働にさえ感じる。

 そして、開かれた目が視界を取り戻す。

 映り込む世界は未だぼんやりとハッキリとした象が浮かばない。 

 眼前に広がるのは瓦礫。

 石畳が砕けた大小の欠片が、崩れた建物の残骸が散らばっている。

 そんな崩壊した世界の中で、咲き誇る花が見えた。

 大きな―――大きな花だった。

 毒々しい極彩色の花弁を開いたその花は、花弁の奥に開かれた獣の牙を剥き出しにして、何度も大地へとその牙を、その身に備わう触手を振り下ろしていた。

 牙が、触手が大地へと振り下ろされる度に、硬い、硬い金属音が響き渡る。

 ギン、ギン、ギン―――と、鉄を叩くかのような音が。

 鍛鉄の音が響く中、焦点が合っていく。

 視界が次第に鮮明になっていく。

 そうして、見えてきたものは―――。

 

「―――ぇ?」

 

 一人の男が、戦っていた。

 巨大な食人花に比べれば、余りにもちっぽけな体躯で、その両の手に握った双剣で戦っていた。

 人の腕ほどもある触手が一度に何十と振り回されるのを、腕が霞む程の速度で剣を振り回し、その全てを受け、逸らしていた。

 その度に、鉄を叩くような音が響く。

 その度に、赤い、紅い雨が降る。

 ほら、また頬に、熱い雨が降りかかってきた。

 

「あ゛―――ぁ―――あぁ゛―――」

 

 食人花が、頭をもたげたかと思うと、一気に男へと口中の牙を剥き出し襲いかかっていく。

 剣で捌けるような代物ではない。

 逃げてと、避けてと言いたかった。

 しかし、その前に全てが終わっていまう。

 何も言えないまま、食人花の牙が男を捕まえる―――その刹那。

 男は両の手で握る剣を体ごと振るう。

 自身をまるで一つの剣のようにして振るわれた一撃は、食人花の一撃を逸した。

 進路を強引に逸らされた食人花は、その勢いのまま脇道の商店街へと突っ込んでいった。

 そして男は―――空を飛んでいた。

 吹き飛ばされたのだ。

 自明の理、だった。

 男の力では、食人花の力に勝てる筈もない。

 その進行方向をずらしただけでも驚嘆に値する。

 瓦礫の上を転がる男。

 もはや立ち上がれはすまい。

 まだその身体が人の形をしている事が奇跡。

 服は既にその様を成さず、僅かにその身を隠しているだけ。

 ボロ切れとなった服が赤いのは、元の色か、それとも男から流れ出た血で染まったものか。

 男は動かない。

 死んでいるのかもしれない。

 駆け寄りたい、男が無事か、今すぐにでも確かめたい、なのに未だ身体はピクリとも動けない。

 目の前の光景が信じられなくて。

 目に見える光景を信じたくなくて。

 声も上げず、声を上げる事が出来ず、ただ、見ているだけ。

 ガラガラと、瓦礫が崩れる音が聞こえた。

 視界の端で、大きな影が動いた。商店に頭を突っ込んでいた、身体を起こしたのだ。頭をフラフラと周囲へと向けた後、食人花はこちらを見た。開かれた口から、だらだらと粘液が溢れている。

 ずるずると、蛇のように身体を滑らせこちらへと迫っていく。

 逃げられない。

 身体が動かない。

 死を目前に、静まる思考が冷徹に告げていた。

 お前は、ここで死ぬのだと。

 その、私の前に、赤い背中が見えた。

 男の背中だ。

 迫る死から私を守るため、男が死の前に立ちふさがっていた。

 そのまま倒れていればそこで終わっていた筈なのに、その動かない筈の身体を動かし、私の前に男は立っていた。

 

「し―――ロ、さ……ん」

 

 たどたどしい、囁くような小さな声が口から溢れた。

 男の名を呼ぶが、返事は―――。

 

「―――」

 

 ―――ない。

 食人花(モンスター)の前に、男は背中を向け無言のまま立ちふさがっている。

 その赤い背中を向けて。

 

「―――ッ!?」

 

 息を呑む。

 男の背中が赤いのは、赤い服を着ているからではなかった。

 何度も打たれ倒された身体を守っていた服は既に身体の一部に張り付いているだけで、その用を成していなかった。

 では、その背中の赤は何なのか。

 血だ。

 男は己の身体から流れる血で背中を―――全身を赤く染めている。

 赤い服を着ている。

 そう、勘違いするほどまでに、男は血を流していた。 

 

「に、げ―――て」

 

 男の身体が細く震えているのは、体力の低下だけではなく、血を流したことによる体温の低下もあるのだろう。

 あれほどまでに、逞しく不動に感じられたその背中が、今は余りにも弱々しい。

 震える身体で、震える声で、必死に男へ逃げてと伝える。

 だが、

 

「―――や……く、そく……した、だろ」

 

 え? と一瞬の空白が生まれる。

 男は、背中を向けたまま、何処か苦笑を滲ませた声音で。

 剣を振るう。

 迫る触手を打ち払ったのだ。

 ギンッ、と鈍い音が響く。

 目の前で、男が剣を振るう。

 無数の触手が襲い来るのを、男は両手に握る双剣でもって迎え撃つ。

 剣戟の結界を持って、私の身を守っていた。

 男の動きは、魔法使いである私でもわかる程に、早く、上手く、強く―――私の知るどの剣士よりも優れていた。

 あの―――アイズ・ヴァレンシュタインさえも彼の剣技の前では霞んでしまう。

 それほどまでに、彼の技術は際立っていた。

 流れる水のように流麗で。

 草原に吹く風のように軽やかで。

 聳え立つ山脈の如く重厚な。

 まるで、踊っているかのよう。

 しかし、その舞の代償は男の命。

 剣を振るう度に男の命が削れていく。

 血風纏う剣の舞。

 私は、見惚れた。

 自分の命が風前の灯火であると理解しながらも、目の前で広がる剣戟の極地とも言える光景に見入っていた。

 それほどまでに、際立っていた。

 それほどまでに、美しかった。

 何十、何百と触手が振るわれたのだろうか。

 何十、何百と剣が振るわれたのだろうか。

 永遠に続くと思われた剣戟は、唐突に終りを告げた。

 甲高い、悲鳴のような音が辺りに響いた。

 男の剣が折れたのだ。

 仕方ないことだろう。

 これまで持ったこと自体が奇跡に等しいのだから。

 砕けたのは男が左手に持つ剣だった。

 剣が砕けた瞬間、一瞬の停滞もなく男はそれを食人花へと投擲していた。

 だが、何の魔法も、それどころか刃さえ失った柄のみとなったそれでは牽制にさえならなかった。

 牙を剥き出しにした食人花の頭が、男へと迫る。

 男の頭上高くから食人花の頭が落ちてくる。

 その一撃は、きっと耐えられないだろう。

 彼も、そして私も。

 これで全てが終わる。

 だけど、動けない私は駄目でも、まだ彼は間に合う。

 身体も、心もボロボロだった。

 上げる声は掠れ、罅割れたものだった。

 しかし、声を上げる。

 彼に、傷付いて欲しくないから。

 彼に、死んで欲しくないから。

 だから、叫んだ。

 逃げてと、もう、十分だと。

 もう、私なんかを守らなくてもいいと。

 叫んだ。

 血を吐きながら、掠れた声で叫んだ。

 だけど、逃げない。

 彼は、一歩たりともその場から動かない。

 それどころか落ちてくる食人花を迎え撃つため、残った剣を両の手に握り構えている。

 最早その身体では受け止める事は出来ないだろう。

 軌道を逸らすことなど不可能だろう。

 なのに、彼は震える身体でもって向かい合っている。

 迫り来る死と相対して、その背中からは欠片も怯えは見えない。

 彼は、立つ。

 私の前に。

 背中を向けて。

 私を、守るために。

 声を上げていた。

 燃えるような熱が身体の奥底から溢れ、それが炎となって口から溢れ出した。

 名前を、呼んでいた。

 彼の、名を。

 

 

 

「―――シロさんッ!!!!」

 

 

 

 そして、食人花が迫り―――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 既に目は殆んど見えておらず、耳もまた、聞こえてはいなかった。

 何度、剣を振るったのか。

 幾十、幾百、幾千振るったのか分からない。

 両手に握った双剣を振るう度に、身体の内から筋繊維が一本一本ぷつりぷつりと千切れる音が耳に入る。

 その度に、声にならない痛みが心と身体を襲う。 

 モンスターが無数の触手を振る度に、その巨体を暴れさせる度にあらゆるものが砕け崩壊する中、静寂の世界でただ一人、剣を振っていた。

 最早、モンスターの攻撃は、勘で対処しているような状況だった。

 剣を一振りする毎に、ガリガリと、ナニかが削れているような気がした。

 命なのか、肉体なのか、それとも別のナニかなのかはわからない。

 それがわかっていながらも、その場から逃げる事は一瞬たりとも選択肢に浮かぶことはない。

 モンスターが迫る。

 その巨体からは考えられない速度で襲いかかってくる。

 避ければいい。

 その場から動けば避けることができる、問題のない攻撃だ。

 だが、それは出来ない。

 自分の背中(後ろ)には―――いるからだ。

 この場から動けば、モンスターは自分の相手などせずに、後ろにいるあの子に襲いかかるだろう。 

 なら、この場から動くのは論外だ。

 大丈夫だ。

 まだ、いける。

 両手に握る剣を握り直し、全身に力を込める。

 己の身を一振りの剣と化し、その一刀を振るう。

 身体の何処かが砕ける音がした。

 内蔵が持ち上がる不快感。

 空を、飛んでいる。

 直後、背中に衝撃が。

 全身に、削られるような痛みが走る。

 地面を転がっているのだろうか。

 目や耳が聞こえないというのに、痛みだけは未だにハッキリと感じる。

 それが、唯一自分がまだ生きているという証だった。

 モンスターが身をもたげる気配がした。

 ならば、立ち上がらなければ。

 立って、彼女の前に立て。

 モンスターの前に、立ち塞がれ。

 血を流しすぎたのか、身体の芯から寒気が感じられる。

 ぶるりと身震いを一つし、迫るモンスターの気配の前に立つ。

 ふと、自分を呼ぶ声が聞こえた。

 最早耳など聞こえない筈なのに、彼女の声が聞こえた気がする。

 何と言っているのかはわからない。

 しかし、何故か自分を気遣う言葉だろうという確信があった。

 あの子は、優しい。

 逃げろとか言っている事だろう。

 しかし、それは出来ない。

 彼女は、約束を守った。

 己の最強の魔法を放ち、モンスターを倒した。

 なら、今度は自分の番だ。

 約束を、守るのは。

 そう想えば、自然と身体が動いていた。 

 何処に残っていたのかわからない程の力が、身体の奥から湧いてきた。

 剣を、振るう。

 無数の触手が襲い来る。

 全てを迎撃できるわけがない。 

 だから、自分に当たるものは最低限に、背中にいる彼女を傷つけるものだけを選び対処していく。

 彼女を守る。

 そう想えば、不思議なまでに、剣は冴え渡った。

 己の理想の剣線を寸分の狂いもなく剣がなぞっていく。

 最低限の対処しかできなかった触手の嵐に、余裕さえ感じるまでになる。

 それが、いけなかったのか。

 左手の剣が、砕けた。

 致命の事態。

 それでも、身体は一瞬の停滞もなく動いていた。

 柄だけ残った剣をモンスターへと投げつける。

 人の頭ぐらいなら砕く一撃だが、この食人花には意味はなかった。

 モンスターが、迫る。

 剣が一本だけとなった今、先程と同じように攻撃を弾くことはできない。

 最早残った一振りの剣と、この身だけで何とかするしかなかった。

 身体は、まだ何とか動く。

 逃げる事は可能だ。

 だが、彼女は逃げれない。

 俺が動けば―――死ぬ。

 彼女を連れて逃げる事は不可能。

 ならば、やることは決まっている。

 覚悟は、とうの昔に。

 守るべきものは背中にいる。

 その機能を停止した筈の耳が、背中越しに彼女の声が俺に伝わる。

 か細い、掠れた少女の声だ。

 逃げてくれ、と。

 自分の事はいい、と。

 己の身を省みることのない、少女の声。

 思わず、笑ってしまう。

 全く、逃げれるわけがない。

 そんな事を言う子を見捨てる事なんて、俺に、できる筈がない。

 モンスターが迫る。

 その醜い口腔を広げ、俺を喰らうために。

 俺の後ろにいる、彼女を喰らうために。

 そんな事は、許されない。

 許すことなど、できはしない。

 身体に残った全ての力を掻き集め。

 この一撃に耐える。

 耐えたなら次もまた同じように耐える。

 耐えて、耐えて、耐えて、耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて―――耐え抜いて。

 彼女を救ってくれる誰かが来るまで、耐えきるのだ。

 俺は、弱い。

 だから、仕方がない。

 彼女を救うのが、自分でなくとも。

 彼女が無事であるのならば。

 それまでの時間稼ぎになるだけでも十分。

 最早モンスターの息さえ感じられるまでに迫り、己の命が消える間際。

 胸中に宿るのは―――。

 ただただ―――守ると約束した、彼女の無事だけであった。

 

 

 

 

 

 

「―――シロさんッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、レフィーヤの(悲鳴)が響き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 荒野が広がっていた。

 

 

 

 荒れ果てた大地。

 

 

 

 何も無い。

 

 

 

 動物も、虫も、草木の一本たりともない。

 

 

 

 

 不毛の荒野。

 

 

 

 

 それが、眼前に広がっていた。

 

 

 

 

 

 地平の彼方まで広がる世界(荒野)

 

 

 

 

 世界は赤く染まっている。

 

 

 

 

 日が沈んでいるのか。

 

 

 

 

 日が昇っているのか。

 

 

 

 

 

 

 

 それは、わからない。

 

 

 

 

 

 世界を赤く燃やしている太陽の姿は、何処にも見当たらない。

 

 

 

 

 

 吹き付ける風さえも、乾ききっている。

 

 

 

 

 触れた頬が、切り裂かれたかのような痛みを訴えている。

 

 

 

 

 自分が何故ここにいるのかわからない。

 

 

 

 今さきほどここに来たようにも。

 

 

 

 

 生まれた時からここにいるかのようにも思える。

 

 

 

 ただ、自分がここにいることに、違和感は感じない。

 

 

 

 

 まるで、生まれ故郷にいるような気さえしてくる。

 

 

 

 

 ただ、何か足りない気がした。

 

 

 

 ここには。

 

 

 

 

 この世界には、ナニカがあった筈だ。

 

 

 

 

 そう感じながらも、ソレが何かはわからなかった。

 

 

 

 

 ただ漠然と、足りない気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれくらい、ここにいたのだろうか。

 

 

 

 

 気がついてから、どれだけ時間が過ぎたのだろうか。

 

 

 

 

 何の変化もない光景の中、ただ立ち尽くしているだけ。

 

 

 

 

 自分は、何故、ここにいるのだろうか。

 

 

 

 

 

 そんな疑問が浮かぶ。

 

 

 

 

 

 わからない。

 

 

 

 

 

 わからない―――が。

 

 

 

 

 

 焦燥があった。

 

 

 

 

 早く、行かなければ、と。

 

 

 

 だが、そこが何処かはわからない。

 

 

 

 ここが何処かさえわからないのだ。

 

 

 今、自分が向いている方向が前なのか、それとも後ろなのか、右なのか、左なのかさえわからない。

 

 

 何処へ行きたいのか、自分が何処にいるのか、何もわからない。

 

 

 焦燥が高まり、息が荒くなる。

 

 

 何もわからない。

 

 

 泥のような黒いナニカガ身体を侵していく。

 

 

 それは、恐怖なのだろうか。

 

 

 

 自分が今、何処にいるのか、何処へ行けばいいのかわからない。

 

 

 

 それが、恐ろしい。

 

 

 

 ――――――『シロさんは、怖くないんですか?』

 

 

 

 誰かの言葉を思い出した。

 

 

 何時か、誰かが言った。

 

 

 それは、少女だ。

 

 

 

 だが、それが誰の声なのかはわからない。

 

 

 

 一体、誰、だったか。

 

 

 

 ……思い、出せない。

 

 

 だが、思い出せる事はある。

 

 

 ……そう、彼女は記憶がなくて、怖くはないのかと言ったのだ。

 

 

 ああ、今ならば、彼女の言わんとしていた事がわかる。

 

 

 

 恐ろしい。

 

 

 

 確かに。

 

 

 

 これは、怖いものだ。

 

 

 

 自分が何処にいるのか。

 

 

 

 自分は何処へ行くのか。

 

 

 

 何をしなければ行けないのか。

 

 

 

 何も分からないのは、恐ろしいものだ。

 

 

 

 まるで自分が実体のない、幻のようにさえ感じられる。

 

 

 自分が存在しているのか、わからない。

 

 

 

 焦燥は、強くなるばかり。

 

 

 彼女の言葉を思い出してから、強くなる一方だ。

 

 

 

 自分は、何か大切なものを守ろうとしていたような。

 

 

 

 そんな気が。

 

 

 そう―――俺は守ろうとしていた。

 

 

 誰を?

 

 

 何を?

 

 

 

 ―――わからない。

 

 

 

 わからない……が、わかることはある。

 

 

 

 行かなければ。

 

 

 

 そう、ここで止まっていられない。

 

 

 

 こんなところで、立ち止まってなどいられない。

 

 

 

 それだけは、わかる。

 

 

 

 だから、歩こう。

 

 

 

 行き先もわかない。

 

 

 何処を目指せばいいのかもわからない。

 

 

 

 だが、それでも―――それでも進まなければ。

 

 

 

 例え行き着く先が、変わらぬ荒れ果てた荒野であっても。 

 

 

 

 例え行き着く先に、何もなくとも。

 

 

  

 俺は、立ち止まってなどいられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――イクノカ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歩きだそうとした瞬間、何処からか声が聞こえてきた。

 

 それは、何処か聞き覚えのあるような気がした。

 

 

 

 ―――アンタガイッテモドウニモナラナイゼ

 

 

 

 呆れるような、嘲笑うかのような声。

 

 

 

 ―――ヨエエアンタデドウニカナルヨウナアイテジャネエ

 

 

 見下すような、蔑むような言葉。

 嘲笑混じりの悪意のある声で、囁くように。

 

 

 

 ―――シニニイクヨウナモンダ

 

 

 

 話しかけてくる相手の姿は見えない。

 相も変わらず周囲は荒野が広がるのみ。

 人の姿など何処にも見当たらない。

 

 

 ―――ソレデモイクッテイウノカ

 

 

     「そうだ」

 

 

 気付けば、声に応えていた。

 思ったよりも、強い言葉で、男の声に答えていた。

 

 

 

 ―――ドコヘ

 

 

   「わからない」

 

 

 ―――ドウシテ

 

 

  「わからない」

 

 

 ―――ナニヲシニ

 

 

 「わからない」

 

 

 ―――ナニモワカラナイノニイクノカ

 

 

「そうだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………バカダナ

 

 

 暫くの静寂の後、帰ってきた言葉は、何処か笑っていたように聞こえた。

 それも、悪意のない、苦い笑いのように。

 

 

 ―――ナラ、ドウルイ(・・・・)ノヨシミダ

 

 

 そう、声が聞こえると、目に刺すような痛みが走った。

 光だ。

 唐突に現れた輝きが目に飛び込んできた。

 眩い輝きに目がくらみ、顔を伏せる。

 痛みが残る両目を片手で押さえながら、ゆっくりと顔を上げ。

 

 

「――――――っ」

 

 

 息を呑む。 

 小高い丘が、何時の間にか眼前に出来ていた。

 だが、驚いたのはそこではない。

 その丘の頂。

 そこに、一振りの剣が突きたっていた。

 遠く、その詳細はわからない。

 ただ、美しい剣であることだけは知っている(・・・・・)

 そう、知っていた。

 俺は、あの剣を知っている。

 誘われるように、足は動いていた。

 丘の上を、登っていく。

 一歩一歩、踏みしめ、丘を登る。

 そして、辿り着いた先。

 そこには、刀身を半ばまで埋めた剣が。

 美しい剣がそこにはあった。

 黄金の剣だ。

 眩いまでの剣だ。

 これは、王の剣だ。

 

 

 

 ―――センテイノツルギダ

 

 

 

 声が、聞こえた。

 

 

 

 ―――サアエラベ

 

 

 

 声は、誘う。

 

 

 

 ―――ヌカナケレバオマエハシヌ

 

 

 ―――チカラガタリズオマエハシヌ

 

 

 

 悪魔のように、どちらを選んでも面白い、と。

 

 

 

 ―――ヌケバオマエハシヌ

 

 

 ―――コノツルギハシュクフクデアリノロイダ

 

 

 ―――コノツルギハヤガテオマエヲコロスダロウ

 

 

 

 あらゆる悪意の詰まった声で、囁いてくる。

 

 抜かなければ死ぬ。

 

 力及ばず死ぬという。

 

 抜けば死ぬ。

 

 剣の力が何時か俺を殺すという。

 

 なら、迷うことなどなにもない。

 

 剣を握る。

 

 

 

 

 何時かの彼女のように。

 

 

 

 何時か来る破滅を予言された身で。

 

 

 それでも、目指すべき先のために。

 

 

 

 

 迷わず、逡巡もなく。

 

 

 

 

 

 

 剣を―――引き抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、世界が黄金の光に満ち――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。

 次回『無窮之鍛鉄』

 


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第十八話 無窮之鍛鉄

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 ……………………

 

 …………

 

 

 

 

 

「――――――ッソ!!!」

 

 一寸先も見えない暗闇の中、女の苛立ちの声が響いた。

 殴りつけるような声はしかし、何処か焦りを帯びていた。

 

「ん~あんま暴れんといてなティオネ。あんたが暴れたらうち潰れてまうから」

「そんなのわかってるわよッ!! だからこうして大人しくしてるんじゃないッ!! 全く、そうでなきゃこんなとこ―――ッ!!」

「落ち着きなよ。狭いんだからここ」

「……ごめんなさい」

「もう、アイズが謝る事なんかじゃないって。そもそもアイズがいなかったら、ロキなんて今頃食べられてたよきっと」

 

 暗闇の中に上がるのは四人の女の声。

 

「でも……」

「でもじゃないって。今もこうしてロキが無事なのも、アイズが風で守ってくれてるおかげなんだから」

「そやで、だからアイズたんがそんな落ち込まんでもいいんや」

「あんたが言うことじゃないでしょっ!」

 

 女の声の主は―――アイズ、ティオナ、ティオネ、そして彼女達のファミリアの主神たるロキの四人であった。

 彼女たちは今、互いをぎゅうぎゅうに押し付け合いながら一塊となっていた。

 何故、彼女たちがこのような事になっているかと言うと、それはほんの少し前の事であった。レフィーヤの魔法により、食人花をまとめて倒した際、これで全て終わったと油断した隙を、新たに現れた二体の食人花のモンスターに突かれたのだった。狙われたのがアイズやティオネ、ティオナだったのならば、どうにか出来ていただろう。避ける事も、捕まったとしても自力で脱出することも可能な筈であった。

 しかし、モンスターが狙ったのは、同じく油断して戦場に現れたロキであった。

 救出が間に合わないと判断したアイズにより、咄嗟に風で自分たちを包み込むようにして防護したことで、ロキが捕食される事は防げたが、その際、ロキを守ろうと同じく駆け寄ってきたティオナたちもまとめて風で包んでしまったのだ。そして、食人花は触手で何十と風ごとアイズたちを捕らえてしまい、現状に至る。

 触手に捕らえられ逃げ場がないこの現状は、ただの冒険者たちならば絶望的であるが、アイズたちだけならばどうとでもなる筈であった。

 だが、それを阻む者がここにはいた。

 そう、ロキだ。

 神とはいえ、この地上に存在している間は、ただの人間と変わりがない。いや、【ステイタス】のある人間と比べれば、脆弱といってもいいだろう。問題はそこにあった。アイズたちだけならば、風の魔法でこのまま触手を吹き飛ばせば良いだけであり、ティオネたちが無理矢理力技で触手を外すという手もある。

 しかしこの場にはロキがいる。

 アイズが風の魔法で触手を吹き飛ばそうとすれば、その瞬間強大な風圧によりロキの身体がクシャっとなる可能性が高かった。密閉した空間で団子状態の中、自分たちに全く影響のなく触手だけを吹き飛ばす魔法の精密な運用は、いくらアイズであっても成功率はかなり低い。ティオネたちによる力技も、力を込めた瞬間、挟まれているロキがその反動で潰されるのは確実であった。

 現状、アイズたちに打つ手はなかった。

 もうしばらくすれば、【ガネーシャ・ファミリア】の冒険者が応援で駆けつけるため、焦る必要はないのだが、問題は現れたモンスターが二匹であったということである。そして、その一匹が、自分たちではなく倒れていたレフィーヤを狙っていたのが、アイズたちが焦る原因であった。

 アイズたちが触手に囚われてから、それなりに時間が経過していた。普通に考えれば、レフィーヤはもう駄目だと考えてしまう。しかし、アイズたちにはそのような悲愴な思いはなかった。理由は、外にはレフィーヤ一人ではないからだ。

 そう、シロがいる。

 Lv.1とは思えない埒外の力の持ち主。

 彼がいるから、レフィーヤは無事だ。アイズたちは何故かそう思えていた。しかし、そうは言っても相手が相手だ。

 武器がないとは言え、第一級冒険者であるアイズたちであっても、手こずるモンスターが相手である。確かにシロは武器は持ってはいたが、あのモンスターの身体を切り裂くにはどう見ても武器の格が足りなかった。あれでは精々頑丈な棍棒程度でしかない。

 そして、倒す手段がないとなれば、後はジリ貧だ。

 大抵のモンスターの体力は、冒険者であっても比べ物にならない程に高い。加えてこの食人花のモンスターは無数の触手を操る。相対している者にとっては、同時に何十というモンスターと戦っている気分にすらなるだろう。倒す方法のない敵が、何十と襲いかかるのをただ防ぐだけ。それは、体力だけでなく気力すら目に見える勢いで削れていくだろう。

 例え、Lv.1としては規格外の力の持ち主であるシロであっても、だ。

 だからこそ、アイズたちは焦っていた。

 このままでは、【ガネーシャ・ファミリア】が駆け付ける前にシロがやられてしまう。どうにかして、この場から脱出しなければと焦るアイズたちの中、ロキがポツリと声を漏らした。

 

「―――何や?」

 

 訝しげな、と言うよりも、何処か不快な様子を思わせる、初めて聞く主神の声に、思わずアイズたちがロキに顔を向けた瞬間であった。

 

「「「「―――ッ!!?」」」」

 

 殴りつけるような魔力の奔流がアイズたちを襲った。火口から吹き上がるマグマのような燃えるような魔力の波に、戦慄と恐れに身を震わせた時―――

 

「―――ッ!!」

「わわわっ!!」

「ッ、こっ、つああ!!」

「ほわああああああああ!!」

 

 ―――衝撃が走った。

 世界が揺れるような振動に、思わず悲鳴を上げる。

 同時に、アイズたちを包む触手の群れが解け、光が差し込んだ。

 考えるよりも先にアイズは魔法を解き、前後左右がわからないほどに揺れる中、ロキを抱え込んだ。そしてティオネとティオナもまた、何とか触手へと手を伸ばし、僅かに緩み空間が広がった触手の囲みを更に押し広げた。触手の檻に、人一人が通れる広さの穴が開けた時にはもう、アイズはロキを抱えたままそこから脱出していた。その後をティオネとティオナが追う。

 一瞬にして世界が広がる。

 触手の檻から脱出したのだ。

 確かな大地に降り立ち、目を回しているロキを怪我をしないように地面に放り投げると、アイズは状況を確かめるために顔を上げ―――

 

「――――――」

 

 絶句した。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――シロさんッ!!!!」

 

 レフィーヤの悲鳴が上がり―――。

 

 ――――――ギンッ……

 

 何処からか、硬い音が響き。

 同時に、爆音が轟き瓦礫が宙を舞った。

 

「……………………え?」

 

 レフィーヤは目の前の光景が理解出来なかった。ただ呆然と、脇道に建てられた一件の建物が崩れ落ちるのを見ていた。瓦礫と化して崩れ落ちるものの奥に見えるのは、極彩色の巨大な花弁。眼前に迫っていた筈の己の命を奪おうとした食人花が、何故か数十メイル先へと移動していた。

 意味が、わからない。

 全身を苛む痛みさえ忘れ、レフィーヤは眼の前で起きた光景をただ目を見開いて見ていた。

 

 ――――――ギンッ……

 

 また、硬い―――剣戟のような音が聞こえてくる。

 その音に、はっと我に返ったレフィーヤが音が聞こえてきた方向へと顔を向けた。視線の先、そこには男が立っていた。レフィーヤに背を向け、男は立っている。血に濡れた赤い背中。その背を、レフィーヤは知っている。

 

「シロ、さん?」

 

 ポツリ、とレフィーヤの口から男の名が溢れ落ちる。

 レフィーヤの呼び掛けに、男は答えず、ただ片手にぶら下げるように持つ剣を握り締めた。

 と、

 

 ――――――ギンッ……

 

 またもや、硬い―――鉄を叩くかのような音が響いた。

 レフィーヤは、首を傾げた。

 音が聞こえてくるのは、間違いなく男の―――シロの方向から聞こえてくる。

 だが、鉄を叩くような、そんな音が聞こえてくるような物は見当たらない。しかし、間違いなく音はシロが立つ方向から聞こえてくる。

 

 ――――――ギンッ……

 

「また? これ、は……なに……」

 

 聞こえてくる音に、レフィーヤは疑問を呟く。硬い何かを叩くかのような音。剣と剣とをぶつけ合うかのような―――剣戟のような音にも聞こえるが、何処か違うような。レフィーヤには辺りに響く音を、何処かで聞いた覚えがあった。

 

(何処で……確か……)

 

 ―――ギンッ……

 

 レフィーヤの脳裏に、火花が散る。

 砕けた炎が、闇に溶け崩れる。

 赤い幻影に、レフィーヤは耳に届く鋼を叩く音の正体を知った。

 

「―――鍛、鉄の音……」

 

 これは、鋼を鍛える音。

 炎と鎚により、鋼を硬く強くするために鍛える音。

 不純を叩き出し、ただの鋼を敵を貫き切り裂き打ち砕く為の力と成すために。

 鍛冶場に響く音だ。

 

 ―――ギンッ……

 

 鍛鉄の音が響く。

 ガラガラと瓦礫が崩れる音と共に、巨大な影が立ち上がる。瓦礫の下から食人花が身を起こしたようだ。無数の触手を振り乱し、その極彩色の花弁をこちらへと向ける。

 

「―――まだ……っ」

 

 レフィーヤの焦った声が上がると同時に、触手が襲いかかってきた。

 咄嗟に逃げようとするが、やはりまだ身体は動いてはくれなかった。急に動こうとしたことから、身体に激痛が走り、思わず顔を顰めた。

 

(間に、合わない―――っ!!)

 

 目の前に迫る触手―――それが、弾きとんだ。

 

「―――……え」

 

 赤い幻影が揺れる。

 目にも止まらぬ速さで、赤い残光のみを残し、それは襲い来る全ての触手を迎撃した。

 何十もの触手を、たった一振りの剣で防いでいる。

 それも、明らかに余裕を持って。

 有り得なかった。

 レフィーヤは、今自分が見ているものが信じられなかった。

 つい先程まで、シロは双剣をもってしても手数が足りず押されていた。傍から見ても、シロの劣勢は明らかであった。それが、今や余裕さえ感じられる程だ。まるで、別人になったかのような動き。

 

「なに、が……」

 

 確かに、追い詰められてから発動するタイプの【スキル】は存在する。【ロキ・ファミリア】の中にもそういった者はいる事はレフィーヤは知っていた。しかし、レフィーヤはそれとは違うような気がした。根拠はない。強いて言うならば勘、であった。

 

 ―――ギンっ……

 

 鍛鉄の音が、響く。

 

「また……」

 

 シロの動きが一段と早くなる。

 レフィーヤは気付いた。

 この音―――鍛鉄の音の発生源を。

 それは、シロから聞こえてきた。

 シロのいる方向、ではない。

 シロ(、、)から聞こえてくるのだ。

 鍛鉄(、、)の音が、シロの身体から響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――息を吐く。

 熱い。

 喉が、焼ける。

 まるで、熱した油を口から吐き出しているかのようだ。 

 臓腑が焼き爛れ、崩れた内臓が溢れ出ているような気がするが、現実にそんな事は起きてはいない。ただ、そう感じる程の痛みがあるだけ。剣を振るう。腕を振るう、いや、指一つ動かせば、筋繊維の一つ一つがぷつりぷつりと千切れる音が響き、神経が鑢に掛けられるかのような痛みが走る。その度に、悲鳴を上げそうになる。しかし、開いた口から漏れるのは、陽炎のように揺れる熱された吐息だけ。

 

 ―――ギンッ……

 

 鉄を叩く音がする。

 身体の奥底から。

 鎚が振るわれ、鉄を叩く音がする。

 鍛鉄の音が。

 鉄を鍛える音が響く度に、全身に激痛が走る。全身を切り刻まれるような鋭い痛みがあると思えば、鈍器で指先から丁寧に潰されるかのような痛みを訴え。神経を一本一本取り出しては裂かれるかのような痛みかと思えば、まとめてねじ切られるような痛みにも感じる。激痛が、激痛によって上書きされる。痛みのあまり気絶しようとも、痛みにより目が覚める。狂うことさえ救いに感じられる激痛の嵐の中。

 唯一つの事だけを続ける。 

 剣を振るう。

 ただそれだけ。

 思考が痛みに犯されていたとしても、身体だけは動いていた。意志も意思もないまま、ただ剣を振るう。

 

 ―――ギンっ……

 

 鋼が軋む音がする。ギシギシと、身体から剣が擦れ合う音が。口の中がやけに鉄臭い。激しくなる一方の呼吸と共に、口に溜まった赤いモノを吐き出す。溢れたそれは、中空にある間に蒸発する。赤い霧が一瞬宙を舞う。

 自分の身体がどうなっているかなどわからない。

 全てを侵す痛みの嵐が正常な思考を破壊している。

 ただ剣を振るう。

 痛みが走る度に。

 鍛鉄の音が響く度に。

 剣速は増し、力は強くなる。

 振るわれる触手の動き一つ一つが手に取るように見えていく。

 世界が粘性の液体の中に浸かっているかのように、あらゆる動きが遅く感じる。

 迫り来る無数の触手の群れ。二本の剣でも足りなかったはずが、今や剣一本のみで余裕を持って対処出来る。その理由はわからない。自分がどうなっているのかもわからない。ただ一つ、わかっているのは。

 このままでは駄目だということ。

 その原因は―――。

 全身を苛む肉体だけでなく精神すらも朽ち果てる狂うことさえ許してくれない激痛か?

 それとも、一級冒険者すらも手こずらせる巨大モンスターの力か?

 違う。

 確かにショック死の恐れすらある痛みは無視することはできないが、剣を振るうことはできる。それとも相手をするモンスターの強さ故か? そうではない。ただ単純に、武器がもはや限界に近いということだ。

 下手な鎧よりも頑強な身体を持つモンスターを相手に、幾十、幾百千と振り続けた結果故か、もはや手にある剣はあと十合ももちはしないだろう。

 ―――ならば、どうする。

 このままでは、己は負ける。

 モンスターと戦えるだけの力を手にしても、武器がなければどうになりはしない。この身一つで倒せるほどに、モンスターの力は甘くはない。だが、いま手にしている剣ではこの食人花の身体に傷を付けるのが限界。切り倒す事等不可能だ。だが、それならばどうする?

 逃げれない。

 だが、このままでは打つ手はない。

 俺がここで倒れたら―――。

 

 ―――ギンッ……

 

 鍛鉄の、音が響く。

 全身が溶けた。

 燃える溶岩が身体に流し込まれる。熱と痛みに頭がどうにかなりそうだ。思考が蒸発し、神経が溶け崩れる。己の形が人の姿をしているのかわからない。狂うことさえ許されない痛み。悲鳴どころか、声の一つとすら上げられない。

 そんな中、霧と消えた思考を掻き集め、勝つための手段を模索する。だが、その手段は思い浮かばない。時間だけが過ぎていく。痛みが収まる様子も弱まる様子もない、それどころか強くなる一方で。

 

 どうすればいい。

 どうすれば、守れる。

 

 痛みに染められゆく思考の中、守ることのみを想う。すると、背中が熱く。全身を苛む痛みとは違う熱。そこに一瞬意識が向けられ、声が、聞こえた。

 

 ―――クベロ、と。

 

 何を、とは思わなかった。

 それが何なのかは声が聞こえた時には既に理解していた。それがどれだけ大切なものか、捧げれば取り返せないことも、自分がどうなるのかもわかっていた。

 ―――迷いは、なかった。

 しかし、一つだけ、願いがあった。

 だから―――。

 

 

 

 

 

「―――ッ!!!」

 

 襲いかかるモンスターの身体にシロが蹴りを叩き込んだ。鍛鉄の音が一定の間隔で響く中、レフィーヤは繰り広げられる闘争に見入っていた。Lv.1である筈のシロの蹴りは、レフィーヤの目にはLv.5であるベートのそれと何ら遜色がないようにさえ見えた。巨木に匹敵する身体が軽々と吹き飛び、瓦礫の山へと衝突する。並のモンスターならばあの一撃で倒せていただろうが、この食人花のモンスターにとっては大したダメージにはなっていないだろう。直ぐにでも起き上がり、襲いかかってくる。ならば、戦えない今のレフィーヤにとって、できることは少しでもこの場から離れることであり、本人もその事に気付いていた。

 しかし、レフィーヤはその場に微動だにせず、目の前に立つ男の背中を、魅入られたように見つめていた。

 男の背中は、燃えていた。

 現実に炎が上がっているわけではない。

 自身の血で赤く染まっていた背中は、今は浅黒い男本人の身体の色を見せていた。が、男の身体から発せられる熱により、レフィーヤの目には男の背中が陽炎のように揺らめいて見えていた。男の背中に刻まれた【ステイタス】の文字が、歪んで見える。一体どれだけの熱量を発しているのか、離れた位置にいるレフィーヤの身体は、まるで大火の前にいるかのように熱せられていた。

 

「し、ロ……さん?」

 

 目の前の男が、本当に自分の知る男なのか得体の知れない不安に襲われたレフィーヤが、怯える幼子のような声を上げる。迷子の子供が、確かめるようにそっと袖を握るような。恐る恐ると言うような声が男に、シロに掛けられる。

 その呼び掛けに、シロは背中を向けたまま―――。

 

「……頼みが、ある」

「―――ぇ」

 

 その声は、先程まで鬼神の如き戦いをしていた者とは思えないほどに、弱々しい声であった。

 今にも泣き出しそうな。

 崩れ落ちそうな。

 鋼鉄を思わせる男の、罅割れ、軋む音に、レフィーヤは声を漏らす。

 シロは背中を向けており、その顔をレフィーヤは確認することはできない。にも関わらず、レフィーヤの目には、泣いている男の顔が見えた気がした。目の前には巨壁のようにそびえる男の背がある。黒く、硬く、崩折れる所など想像もできない。筈なのに、一瞬、小さな少年が立ち尽くしているように、レフィーヤには見えた。

 

「シ―――」

「言ってくれただろ」

「……え?」

 

 再度、確かめるように男の名を呼ぼうとしたレフィーヤの口は、しかし、それを遮るかのようにシロが口にした言葉に閉じられてしまう。シロの口にした言葉の意味がわからず、レフィーヤは疑問の声を上げる。シロはその疑問の声に、背中を向けたまま続きを口にした。

 

「『笑っていた』と……」

 

 宝物を、大切な想いを確かめるように。

 

「『良い思い出』だと……」

 

 優しく撫でるように、想いを語る。

 

「俺の親父を……『良いお父さん』だと……言ってくれただろ」

 

 シロの声は、優しく、穏やかであるが、その奥には硬い決意が隠れていた。

 それは、何者をも止める事が出来ない。

 硬い、硬い―――硬すぎる願い。

 レフィーヤの目には揺らめくシロの背中しか見えない。しかし、それでもレフィーヤはシロが泣いているようにしか見えなかった。

 足を止めさえすれば失うことなどないと言うのに、それでも前へと進むことを止めない―――出来ない、不器用で、愚かで……誰よりも優しく馬鹿な男の背中に、レフィーヤは何も言えなかった。

 シロが何故、こんなにも悲しげなのか。こんなにも傷付いていながら、それでも戦えるのか。何で、唐突にこんな事を言いだしたのか。何もわからなかった。想像すら出来ない。当たり前だ。レフィーヤはシロの事を何も知らない。最近知り合ったばかりの、それも他所の【ファミリア】で、しかも自分たちの仲間を倒した男でしかない。そんな相手が、ボロボロになりながら、自分を救おうとしている。理由がわからない。男の何もかもが、レフィーヤには理解不能だった。

 なのに、レフィーヤは苦しかった。

 後悔で胸が一杯だった。

 何故、私はこの男(シロ)の事を何も知らないのか。

 どうして、彼の事をもっと知ろうとしなかったのか。

 もう少し、(シロ)の事を知っていれば、止める事が出来たかもしれないというのに―――。

 突き刺すような痛みを胸に感じながら、レフィーヤは涙を流す。

 高熱を発し揺らめく男の背中が、涙で滲む。

 理解、していた。

 最早、シロを止める事は出来ないと。

 わかっていた。

 だから、レフィーヤは笑った。

 無理矢理に目を細め、頬を上げ、(シロ)の言う通りだと大きく頷くように満面の笑みを形作る。

 完成した笑顔は、酷く歪で、誰が見ても笑っているようには見えない到底『笑顔』と呼べるものではなかった。それどころか、泣き叫ぶ直前のような顔にさえ見える。そんな顔で、そんな笑顔で、レフィーヤはシロの言葉に頷いた。

 

「―――はい」

 

 震える声で、涙に濡れる声で、何故自分が泣いているのかさえわからず、レフィーヤは泣き笑いで男の言葉を肯定する。

 

「―――なら、お前だけでも覚えていてくれ」

 

 ふっ、とシロが笑った気がしたように、レフィーヤは思った。

 他愛ない、世間話のように、何の気負いもなく、シロはレフィーヤに一つの願いを口にした

 『親父との思い出を覚えていてくれ』と。

 そしてシロは両手で剣を握り、それを天へと掲げ。

 

「俺が、たとえ全てを忘れたとしても―――ッ!!!」

 

 世界に宣言するように、シロは大音声でもってそれを口にした。

 

 

 

「―――【身体は剣で出来ている】ッ!!!!」

 

 

 

 ――――――キンッ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――キンッ……

 

 硬質な音が響く。

 何かが砕け散る音が。

 澄み切った氷が砕けるような。

 薄氷が踏み砕かれるような。

 硝子が砕け散るかのような。

 

 ――――――キンッ……

 

 鉄よりも硬く。

 硝子よりも脆く。

 淡雪よりも儚い。

 何かが、砕ける音が。

 

 ――――――キンッ……

 

 色鮮やかな思い出。

 月光の鮮やかな光。

 星明かりに照らされ浮かび上がる陰影の濃い道場の姿形。 

 父の髪色、肌の色、着ていた服の色形。

 自分の小さな影と父の大きな影。

 遠くから聞こえる虫の音。

 

 ――――――キンッ……

 

 道場の独特の香り。

 夜の闇の香り。

 自分と、父の匂い。

 

 ――――――キンッ……

 

 鮮明に思い出せる、思い出が。

 記憶が。

 大切な想いが。

 

 ――――――キンッ……

 

 砕ける。

 

 ――――――キンッ……

 

 割れる。

 

 ――――――キンッ……

 

 色褪せる。

 

 ――――――キンッ……

 

 ただの、記録となる。

 

 ――――――キンッ……

 

 無機質な、情報へと成り下がる。

 

 ――――――キンッ……

 

 壊れたものは、戻らない。

 例え形を取り繕っても、元に戻る事は二度とない。

 砕けた瞬間、思い出はただの情報の一つへと変わってしまう。

 ただの情報へと変わった記憶を振り返ったとしても、それを己のものとは二度とは思えない。

 

 ――――――キンッ……

 

 死者が決して蘇る事のないように、記録が思い出として蘇ることは、もう二度とない。

 

 ――――――キンッ……

 

 だが、後悔はない。

 必要だったから。

 守るために。

 今度こそ、守れるために。

 約束を、守るために。

 だから、俺は―――。

 

 ――――――キンッ……

 

 

 

『―――いいかい■■■、魔術を習うということは、常識からかけ離れるということだ。死ぬときは死に、殺す時は殺す―――僕たちの本質は、生ではなく、死、だからね―――魔術とは、自らの身を滅ぼす道に他ならない……』

 

 色あせ、モノクロのただの情報と化した思い出から、声が聞こえてくる。

 

『一番大事なことはね。魔術は、自分の事じゃなくて、他人のためにだけに使うということだよ……』

 

 最早、何の感情も浮かばない。

 

『―――さて、まずは基本中の基本……魔術回路の造り方だ。君の身体に、魔力を通すためのラインを創りだす』

 

 それが、自分のもの(思い出)だと思う事ができない。

 

『自分の身体の全て―――内臓から、指先、爪の一枚、髪の毛の一本に至るまでを、イメージし操作する』

 

 小さな赤毛の子供に、苦笑を浮かべた男が何かを言っている。

 

『自分の身体を、魔術が使える装置として創り変えるんだ。今の自分を凌駕するイメージを描いて―――限界を超える』

 

 

 

 ――――――キンッ……

 

 

 

『■■■、これは君が君自身に勝つための戦いだ』

 

 ―――ウン、ソウイウコトナラ負ケラレナイ

 

『イメージを描くための自己暗示。集中力をギリギリまで高めるために……何か一つ、切っ掛けとなる言葉を考えておくといい。ボタンを押してスイッチを入れるように―――この一言で意識を切り替える……そういう強い言葉を……』

 

 ―――ソレッテツマリ、呪文ッテコト……

 

『誰のためでもない―――君一人にだけ効く呪文だね。自分の内に深く働きかける……印象的な言葉が良いんだが……』

 

 ―――エット……ウ~ン……何ダカイマイチピントコナイナ……

 

『――自分の身体をイメージし、仮想させた意識を先行させる……自分の分身だね。これをトレースするように、隅々までモノの造りを見て回るんだ』

 

 ――トレース?

 

『物をなぞるって意味だ。真似るとか……複製っていう意味もあるかな……』

 

 ボタンヲ押スミタイニ、スイッチヲ入レルヨウニ、自分ヲトレーススル……

 

 

 

 ――――――キンッ……

 

 

 

 ―――トレース……トレース、ネ…………

 

 

 

 ――――――キンッ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 炎が燃え上がった。

 シロの身体から吹き上がる炎の如き魔力の奔流が、天を貫かんばかりに吹き上がる。レフィーヤは思わず顔を両手で庇う。規格外の魔力が吹き上がり、その余波だけで吹き飛ばされそうだった。身体を低く倒し、吹き飛ばされるのを防ぎながら、レフィーヤは混乱していた。

 先程、シロが何かを口にした瞬間、鍛冶場で聞いたことのあるような鍛鉄の音とは違う硬質な音が響き始めた。それは硬い硝子同士を打ち付けるかのようにも、どこまでも透明な水晶が割れているかのような美しくも儚い音だった。

 それが暫らく続いたかと思えば。

 レフィーヤは混乱していた。

 この魔力の嵐の発生源は、間違いなくシロであったが、レフィーヤの知る限りこれだけの魔力を持つのは自分のような魔法使いしかいない筈であった。確かに魔法を使える剣士もいる。その中で規格外とも言える者もいて、その人は【ロキ・ファミリア】にいる。だが、その人に比べても、いや、自分の知る魔法を操る誰に比べても、この魔力は異常だった。

 魔力量だけでなく、その質も。

 本能が告げていた。

 この力は、あってはならないものだと。

 レフィーヤの混乱が頂点に達する間際、魔力の奔流の中心にいたシロへ瓦礫を吹き飛ばし立ち上がった食人花が襲いかかってきた。目指す先はシロ。巨大な魔力の残滓を纏うレフィーヤよりも、そんなものと比べ物にならない魔力を溢れ出すシロへと目標を変更したのだろう。牙が並ぶ口を広げ、シロを一呑みにせんと弾丸のように迫るモンスター。

 それが―――

 

「―――強化、開始(トレース・オン)

 

 ―――吹き飛んだ。

 巨大な黒い塊が、空を飛んでいく。

 大きく見開かれたレフィーヤの瞳は、その正体を映していた。

 モンスターだ。

 食人花の頭が空を飛んでいる。

 切り飛ばされたモンスターの頭頂部が、投げつけた壁から跳ね返るように飛んでいく。勢い良く飛んでいくモンスターの頭が向かう先には、アイズたちを捉えていた食人花が。食人花の頭同士がぶつかりあい、その衝撃にアイズたちを包む触手の繭が緩む。その瞬間、中からアイズたちが飛び出してきた。

 アイズたちは危機を脱した。レフィーヤはそれを見ていた。

 見ていた、が―――意識はそちらに向けられてはいなかった。

 レフィーヤの意識と視線は今、たった一つのものに向けられていた。

 それは剣であった。

 しかし、それは余りにも巨大であり、余りにも異形であり、何よりも―――余りにも強大な力が秘められていた。

 レフィーヤは知らない。

 そんな剣など知らない。

 冒険者として今まで数多くの武器を見てきた。その中には魔剣と呼ばれる剣もあった。アイズやティオネたちが持つ特別な属性を持つ武器もあった。

 だが、こんな剣は知らない。

 見たことも、聞いたこともない。

 こんな―――歪な剣を。

 それは身の丈はあろうかという程に巨大な剣。大きく反った太く厚い刀身は赤黒い血管のようなものが走り、その背からは、溢れ出した力を表しているかのように歪な羽のようなものが浮き上がっている。

 歪で不気味な剣だ。しかし、問題はその姿形ではない。それに秘められた力だ。周囲が歪んで見える程の力を発する剣は、どう見ても禍々しい。まるで、使い手を破滅へと追いやる魔剣のように。

 

「シロ、さん……」

「―――シロさん?」

「え? なに、あれ……」

「……っく」

「………………何や、あれ」

 

 歪な凶悪な剣を持つシロの姿を見たアイズたちが口々に内心を吐露する。誰もがシロが持つ剣の禍々しさに気付き、そしてそれと同じ雰囲気を身に纏う男に眉を顰めた。

 様々な想いが宿った視線が向けられる中、シロはその長大な剣を握り締める。その視線は真っ直ぐ、最後に残ったモンスターへと向けられていた。

 

「―――終ワラセヨウ」

 

 そう、静かに口を開いたシロが、一歩足を踏み出す。今までどれだけ痛めつけられようと恐れを見せなかったモンスターが、恐れるように身を縮めるようにビクリとその巨体を震わせた。その姿に、シロが憐れむように目を細め。

 

 一歩。

 

 大地を揺らし、周囲を埋める瓦礫が一瞬浮き上がる程の踏み込み。

 

 それだけで十分。十数Mの距離は、その一歩で踏み潰され。

 

 レフィーヤの視界からシロの姿が消え。

 

 次にその目に映ったのは、真っ二つに割れた食人花と、その前に立つシロの姿。脳天から唐竹割りに分かたれた食人花は、ゆっくりと左右に倒れていく。二つに分かたれ倒れていくモンスターを背に立つシロの手には、禍々しき剣の姿はなく。

 

 禍々しい黒い灰のような魔力の粒子と……砕けた剣の欠片のような銀の輝きが舞っている。

 

 周囲には、ただ、静寂だけが満ちていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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エピローグ 【ステイタス】

 

 

 

 

 

 

「―――それで……どうなんだい」

 

 薄暗い部屋の中、少女の声が響いた。そう広くない部屋の中に響く、不安に震えた声。

 

「……結論から言おう」

 

 ゴクリ、と喉が鳴る。深く、長く息が吐き出される。身体の奥に溜まった怯えを息と共に吐き出す。揺れる視線を意志の力で押さえつけ、目の前に力なく座る男……一柱の男神を見つめる。

 少女―――一柱の女神からの問いかけに、顔を俯かせた男神が顔を上げることなく口を開いた。

 

「身体に問題はない」

「―――っ」

 

 男神―――ミアハの言葉に、女神―――ヘスティアは顔を輝かせた、が―――直ぐに訝しげに顔を歪めた。

 

身体(・・)は、って……他に、何か問題が、あるのかい?」

「……わからない」

「……へ?」

 

 普段の穏やかな様子からは考えられない眉間に皺を寄せた険しい顔で、ミアハは視線を上げることなく一つ一つ呟くように言葉を零す。躊躇うように口を震わせたヘスティアは、逃げ出しそうになる身体を自分の腕で抱きしめる。

 

「わからないって……ミアハ、それはどういう……」

「以前言っただろ。彼の身体は左腕から侵食を受けてると……」

「う、うん」

 

 ミアハから視線を外さないまま、ヘスティアは小さく頷いた。

 

「身体に問題はない、と先程言ったが、正確に言えば、今以上に侵食を受ける心配はないという事だ」

「……それは、いいことじゃ?」

 

 訝しげに首を傾げるヘスティアをチラリと見たミアハは、小さくため息を吐きながら下を向いた。そのまま凍りついたように動かなくなったミアハに、ヘスティアが恐る恐るといった様子で声をかける。

 

「………………」

「ミアハ?」

 

 ヘスティアの呼び掛けに肩をピクリと震わせると、ミアハはゆるゆると顔を上げた。

 

「…………ヘスティア」

「な、何だい」

 

 青ざめた顔色のミアハに、思わず息を呑むヘスティア。どもりながらも続きを促すが、腰は完全に引けていた。

 

「彼の身体は、既に侵食を終えている」

「―――ッ!? そっ、それはどういうことだいッ!!?」

 

 耳に入ってきた情報が一瞬理解できず固まったヘスティアだったが、直ぐに我に返るとミアハへと掴みかかる。

 

「落ち着けヘスティア」

「お、落ち着けるわけないだろっ! どういうことなんだよ一体!?」

「落ち着けと言っている」

 

 胸元を掴んでくる手に自身の手を当て、ミアハが一言一言区切るように言葉をかけると、はっと我に返ったヘスティアがバツが悪そうな顔で謝る。

 

「っ―――ご、ごめん、ミアハ……」

「心配なのはわかるが」

 

 何処か苦しげに顔を顰めながらミアハがヘスティアの手を包むように手に取ると、自分の胸元から動かした。ヘスティアは両手を自身の胸元まで戻し、ゆっくり深呼吸を一つすると、ミアハを見上げた。

 

「……それで、どう言う事何だい」

「言葉通り。彼の身体は既に侵食を終えている。君も直ぐに気付いただろ。体格は一回り近く大きくなって、身長は私と変わらない程にもだ。もはや、以前の彼とは別物といってもいい」

「……問題は」

 

 小さな声で、ヘスティアが呟いた。視線は既にミアハから足元へと変わっている。ミアハはヘスティアの頭頂部を見下ろしながら小さく首を横に振った。

 

「言っただろ、わからない、と」

「っ―――だからっ、何がわからないんだいっ!!?」

 

 両手で拳を握り、叩きつけるように言葉を発するヘスティアに、ミアハは苦渋に満ちた言葉を零した。

 

「……全て」

「全てって……?」

 

 自分の力不足を嘆くような言葉に、思わずというように顔を上げたヘスティアの目に、普段の優しげな様子から信じられないような険しい顔をしたミアハが映り込んだ。

 

「私からも聞きたいんだが……」

「……何だよ」

 

 うっ、と息を呑みながらも応えるヘスティアに、ミアハはスッと目を細めながら問いかけた。

 

「彼は、人間かい?」

「っ、ど、どう言う意味だい?」

「そのままの意味だ。彼は本当に人間なのか?」

「……そのはずだよ」

「本当か?」

「……多分」

 

 思わず、と言うように顔を逸したヘスティアを見下ろしたミアハは、腕を組むと過去を思い返すように目を閉じた。

 

「…………確かに、彼の身体は人間だ。しかし……」

「しかし……何だよ」

 

 非難するようなヘスティアの言葉に、目を開いたミアハが断言する。

 

「中身は、明らかに人間ではない」

「人間じゃないって……」

「……唯一つ言える事は、見かけは人だが、中身は人間ではないナニかだ」

「…………」

 

 何か確固たる証拠があるのだろう。ミアハは迷いのない声で断言する。“シロ”は人間ではない、と。明らかに好意的なものではないミアハの言葉に、しかしヘスティアは何の反論もせずただ黙り込んでいた。暫くの間、何も言わないヘスティアを見つめていたミアハだったが、踵を返すと、ピタリと足を止めた。そしてそのままヘスティアに背を向けたまま語り掛けてきた。

 

「友として忠告しておく…………アレとは出来るだけ早く縁を切ったほうが良い…………アレは……良くないものだ」

 

 そのままミアハは、ヘスティアの返事を聞くことなく歩き出した。ミアハの背中が闇の奥へと消えていく。そして、一人残されたヘスティアは、伏せた顔を歪ませると、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……シロくんが……ただの(子供たち)じゃないことなんて……そんな事、わかりきったことだろ……」

 

 闇の中、目を瞑る。

 瞼の裏に浮かび上がるのは、数ヶ月前の情景。倒れていたシロをこの部屋まで連れてきた夜のこと。

 雨に濡れ、倒れていた。

 原型を留めていない服を身に纏い、今にも止まりそうな呼吸をしていた。

 浅黒い肌に、色の抜けた髪。

 不思議な、雰囲気を持った男。

 

「君は……一体何者なんだい…………シロくん――――――」

 

 空への問い掛けと共に一枚の紙を取り出す。

 それには、一人の男の【ステイタス】が、書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■■シロ■

 

 Lv.1

 

 力:C694

 

 耐久:B789

 

 器用:D564

 

 敏捷:C657

 

 魔力:B711

 

 《魔法》

 

 【■■■■■】

 

―――使用不能

 

派生魔術 

―――【解析】

 

・魔力を通す事により対象の状態を把握する。

 

―――【強化】

  

・魔力を通す事で一時的に対象の能力を補強する。

・対象に指定はないが、無機物、自己、他人の順に難易度は上がる。

 

―――【■■】 

 

―――使用不能

 

 

 《スキル》

 

 【無窮之鍛鉄】

   

   ・自己より強大な敵と対する際に発現。   

   ・強制成長。

   ・【ステイタス】の随時更新。 

   ・敵の強大さに比例し効果増大。

   ・成長に比例し、肉体・精神への負担増。

   

   

 




 
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 二章の予定はありますが、更新の予定は未定です。


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第二章 セイギノミカタ
プロローグ この世全ての―――


 第二章始まります。

 


 

 

 

「―――なあ、そろそろ話してくれてもいいんやないか?」

「…………」

 

 薄暗い一室。

 そこに、二つの人影があった。

 小さなテーブルを挟んで座る二人の人影。

 

「あんたがあのちびすけんとこで何やこそこそしとったのは知ってるんやで」

「…………」

「だんまりか……」

 

 人影の一つが、コツコツと指先でテーブルを叩く音が響く。人影の心境を表しているかのように、その音は急かすように早かった。

 

「…………“シロ”」

「―――っ」

 

 コンッ、と一際高くテーブルを叩く音が高くなり、人影の一つが何かを呟くと、向かいに座るもう一つの人影の身体がビクリと揺れた。

 

「あん男のこと……知ってるんやろ」

「…………」

「だんまりって事は、知ってるんやと判断するけど、良いんか?」

「…………」

 

 ハァ……、と溜め息を吐いた人影が、何かを耐えるように俯くもう一つの人影へと、テーブルの上に置かれたコップを押しやった。コップの半分程を満たす琥珀色の液体からは、芳しい香気が揺らめいている。滑るようなその液体の輝きが、それが高いアルコール度数の酒であると示していた。

 

「…………───ッッ!!」

「―――は」

 

 俯いていた人影は、目の前に差し出されたその酒が入ったコップを暫くの間逡巡するかのように見つめていたが、歯を噛み締めて一瞬強く拳を握るとコップを掴みそれを一気に仰いだ。普段の彼らしくない様子に、目を見開いて驚きを示した女だったが、直ぐに何時ものようににやにやとした笑みを口元に浮かべると、男が勢い良くテーブルに置いた空になったコップに新たな酒を注いだ。

 

「ソーマんとこの酒とは流石に比べ物にもならんけど、中々良いもんやろこれも。ちとキツいけどな……ま、飲まなきゃ話せない(・・・・・・・・)もんもあるしな」

「…………」

 

 それから、どれほどの時間が経ったのか。女が用意した酒が底を尽き始める頃、男はポツリと言葉を落とした。

 

「―――私は……医者だ」

「………」

「今まで、数多く見てきた」

 

 「何を」とは女は言わなかった。ただ、無言で男に続きを促すだけ。

 

「我ながら……腕は悪くはないと思っていた……」

「あんたが言うんかそれを」

 

 女は思わず口にしていた。女の知る限り、男の腕は何者よりも優れていた。何しろ随一と呼ばれた実の父すら超える腕をこの男は持っているからだ。謙遜も過ぎれば嫌味だと、女が微妙な顔を浮かべるが、男は気づかず独り言のように話を続けていた。

 

「―――だが、やはりそうではなかったようだ」

「……ほう」

「間違った」

 

 男は空になったコップを握る手に力を込めた。男の込めた力を示すかのように、コップから軋む音が響き始めた。

 

「私は、勘違いしていたのだ」

「勘違い?」

「そうだ。私は、最初呪われていると思ったのだ」

「呪われてるやと?」

 

 スウッ、と女の目が細まる。元々閉じているかのように細い目が更に細まり、糸よりも細くなった。その線のように細まった瞳に映るのは、何時か見たひと振りの剣。禍々しいという言葉さえ陳腐に感じる程のナニカが詰まった剣。

 

「【ステイタス】によらない力や、記憶の侵食も……呪いのせいだと思っていた。彼の身体からにじみ出る黒い汚泥のような何かが、彼を呪う何かだと思っていたのだ」

「一体何の───?」

 

 女が怪訝な声で呟く、と。

 

「―――だが違ったッ!!!」

 

 ドンッ! とテーブルが軋む音が響いた。

 考えに耽っていた女がはっと顔を上げると、そこには今まで見たこともない感情を浮かべる男がいた。

 

「違ったのだッ!! アレは呪われているのではないッ!! アレが呪いそのもの(・・・・・・・・・)なのだッ!!」

 

 男の感情の強さを表すかのように、何時の間にか握り締められたコップはとうとう耐え切れず砕けてしまっていた。男は割れたコップの破片が手の平に食い込み血を流しているにも関わらず、女に向かって、いや、虚空に浮かぶ誰かに向かって叫んでいた。

 

「いや違うッ!! そんな生易しいものではないッ!! 神すら犯しかねない呪いなどッ! そんなものは―――ッッ」

「―――っ……あんた、大丈夫か?」

 

 ギリッ、と手にコップの破片を握り締めながら、男は女を見つめた。その目は先程本人が口にした事が真実であると語るかのように、明らかに常軌を逸した目をしていた。明らかにアルコールから生じたわけではない赤みを帯びた瞳からは、理性的な輝きが一切見えない。その目を直視した女は、思わず喉を鳴らした。認めたくはなかったが、女は一瞬悲鳴を上げかけた。

 

「正気か、とは聞かないのだな……」

「…………」

 

 女は男から視線を逸す。

 

「…………私は、子供たちが好きだ」

 

 男はそんな女に一瞬苦笑を浮かべると、握りしめていた拳を開きそこへ視線を落とした。

 砂利のような硝子が、掌に食い込んで血が滲んでいる。

 

「誤った道を進んでいるのならば、手を引いて正しい道へと導こう……」

 

 男は掌に食い込んだ硝子の粒を一つ一つ摘みながら言葉を口にする。

 

「苦しんでいるのならば、共にその苦しみを分かち合おう……悲しんでいるのならば、抱きしめ癒そう……寂しいのなら、その隣に立ち共に歩んでゆこう……」

 

 口元に柔らかな笑みを浮かべながら男は、視線を掌に落としながら慈愛に満ちた言葉を口にする。

 

「私は、子供たちが好きなのだ。だから、私は決して子供たちを見捨てはしない」

「……そやろな、あんたなら身も知らない子供たち相手でも全財産投げ出してもおかしないわな……そんなあんたが、何でや」

「………………」

「何であん男にだけ―――」

「―――アレは断じてッ、(子供たち)ではないッ!」

 

 女の言葉に被せるように、男は苛立たしげ―――いや、怯えた声で叫んだ。

 

「……“呪い”でも足りない……あらゆる全ての負を合わせ煮詰め押し固めたかのようなアレが……人であるはずがない」

「……そないにか」

 

 思わず引きつった声で訪ねてしまった女へ、顔を上げた男は死者のように蒼褪めた顔を向けると、弱々しげに笑い。

 

 

 

 薄暗い部屋の中―――

 

 

 

「言うなれば…………アレは―――」

 

 

 

 ―――闇よりも黒い言葉が、落ちた。

 

 

 

 

 

 ―――この世全ての悪―――……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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第一話 噂話

 【ロキ・ファミリア】のホームである『黄昏の館』。その中央にある塔の最上階。そこは、ファミリアの主神であるロキの自室であった。大小様々な酒瓶に、珍しい道具(アイテム)が整理もされず所狭しと散らばっているその部屋の真ん中で、部屋の主たるロキが胡座を組んで座っていた。両手に持ち広げて見ているのは、このオラリオの商人や一部の【ファミリア】が作成、販売している羊皮紙の巻物である。数枚が重ねられたその羊皮紙には、共通語(コイネー)で書かれた記事が幾つも記載されている。文字だけでなく、所々に精緻な挿絵があり、眺めるだけでも面白い。勿論肝心の中身も、大きく書かれた興味をそそられるような表題や、思わずくすりと笑ってしまう小話めいたものもある。書かれている内容は、その殆どが噂話(ゴシップ)―――真偽が定かではない、いや、殆んど作り話のものが多くあるが、中には真面目なものもある。ロキはその中にある、先日起きた怪物祭(モンスターフィリア)に関する記事を読んでいたが、目新しい情報がないことを確認すると、座ったまま後ろに倒れながら手に持った羊皮紙を背後に放り投げた。床にごろりと寝転がったロキは、不満も露わに唸り声を上げながらゴロゴロと部屋の中を転げまわり始めた。

 

「あ~……も~……やっぱどこも似たり寄ったりやぁ」

 

 ゴロゴロと転がるロキの周りには、先程投げ捨てた羊皮紙と似たようなものが幾つも散らばっていた。これらは全て怪物祭(モンスターフィリア)の事故について書かれてたものであった。紙面の中では、様々な憶測が書かれてはいたが、ロキが求める情報―――食人花についての情報は全く見つからなかった。そう、匂わせるようなものすらなかった。あの場には、少なくない数の人がいた筈なのに……。

 

「な~んか……臭うなぁ」

 

 ぽりぽりと鼻を掻きながら、天井を見上げるロキ。あれこれと考えるが、どれも想像でしかなく、確定するにはまだまだ圧倒的に情報が足りない。空回っとるな、と熱を持ち始めた頭を軽く叩きながら、ふと横目で散らばる羊皮紙の一つに目をやった。目に映ったのは、一つの記事。

 ロキが情報収集のため集めた様々な羊皮紙(情報源)は、それこそ様々な記事が乗っている。真面目なものもあれば、一目でわかる作り話。求人にペットの飼い主の募集。短編小説が載ってあるものもある。そのため、ロキが集めたものの中で、同じ記事(内容)怪物祭(モンスターフィリア)の事故ぐらいのものであった。しかし、それに次ぐもの(記事)もあった。

 

「……これにも載っとったか」

 

 ロキが求めている記事(情報)ではない。

 ない、が―――興味は惹かれる記事であった。

 ロキの視線が向けられる先。一枚の羊皮紙に載せられた記事には、こう書かれていた。

 

 『ダンジョンの中層で、またもや―――』

 

 

 

 

 

 オラリオでは今、一つの噂が流れていた。

 

 曰く―――そいつは、長身のヒューマンの男である。

 

 曰く―――そいつは、赤い外套を着ている。

 

 曰く―――そいつは、浅黒い肌をしている。

 

 曰く―――そいつは、色が抜け落ちたような白い髪である。

 

 曰く―――そいつは、双剣を使っている。

 

 曰く―――そいつは…………

 

 

 

 

 

「―――はぁっ―――はぁっ―――はぁっ―――ッッ!!」

 

 走る―――走る走る走る走る走る走る―――先の見えないダンジョンの中を走り続ける。目に見えるのは見慣れぬ光景。自分が今何処を走っているのか、何処へ向かっているのか等随分前からわかっていない。ただただ走る―――走り続ける事だけに必死で、ルートの事など欠片も考えていなかったから仕方がない。一体どれだけ走り続けていたのか。今しがた泳いできたかのように全身が汗で濡れている。喉はからからで、足だけでなく身体の至る所が悲鳴を上げている。今すぐ倒れ込みたい。だけど、それは出来ない。一度でも足を止めれば、もうそこから先へと進むことは出来ないからだ。体力が続かない、という点は勿論ある。だけど、それ以上に深刻な理由がある。

 それは―――

 

『『『『―――ガアアアアアアアァァァッ!!!』』』』

 

 数十は軽くいるだろうモンスターの群れに追いかけられているからだ。

 油断、していた。それは否定できない。仲間の半数以上がLv.2を超えた事から、中層へと進む事になった。私もその中の一人だった。私がLv.2になったのは仲間内でも比較的早く。中層に降りることに決まった時は、『やっと』という気持ちがあった。今思えば、その時から既に油断はあったのだろう。ギルドの職員や、他の【ファミリア】の者から、中層は違うと幾度となく聞いていたにも関わらず、愚かにも私は油断していた。

 最初は順調だった。上層とは大きさも強さも違うモンスターだったが、大半がLV.2を超える私たちにとっては何ら問題はなかった。恐ろしいまでに順調に私たちはダンジョンを降りていった。だからこそ、調子に乗ってしまった。自分たちの力を、過信してしまったのだ。モンスターの一団と戦った際、逃げ出した一部のモンスターを追いかけた私たちに、待ち伏せしていた数十ものモンスターが襲いかかってきたのだ。突然の事態に混乱した私たちは、禄な反撃も出来ずただただ逃げ出すしかなかった。連携もなく、好き勝手に逃げ出したのだが、どうやら私は貧乏くじに引いてしまったようだ。数十ものモンスターが、たった一人の私を追いかけてきた。モンスターの速さはLv.2の私でも振りきれないほどの足を持っており。お陰で今もこうして逃げ続けている始末。

 しかし、それももうそろそろ終わりが見えてきたようだ。

 もう、体力の限界。

 転びそうになる身体で、飛びかかるように壁に身体を寄せると、背中をピタリと押し当て、迫り来るモンスターの群れと対峙する。

 足はとっくの昔に限界を超えていた。もう一歩も動けない。精々上半身がなんとか動く程度だ。なら、何もできずモンスターの群れに蹂躙されるよりも、一匹でも多く道連れにする方がまだましだ。

 そう、強がりを口にするが、やはり強がりでしかなかった。手に握ったナイフが笑えるほどに揺れている。ガタガタと、疲労によるものではない原因からの揺れにより、剣先が何十にも重なって見えていた。不敵に笑って見せているつもりの口は、緊張で満ちた身体と頭でも気づくほどに引きつっている。【ファミリア】の仲間たちから、常々『お前は色々と(・・・)アマゾネス以上だな』とか『種族を誤魔化していないか?』なんて言われて自分でも『そうかも』と笑って答えていたけれど―――いざ窮地に陥れば自分の弱さに泣きそうだ。

 いや、実際もう泣いてしまっていた。

 頬を流れているのは、汗だけではない。

 視界が歪んで見えているのは、汗が目に入ったわけでも、緊張のせいでもない。ただ単純に、私が泣いているだけ。

 冒険者とは思えない己の女々しさに、更に涙が流れる量が増える。

 もうモンスターの群れは目と鼻の先。あと何秒もしない内にモンスターは襲いかかってきて、私は何ら抵抗もできず死んでしまう。もう、どうにもならない。

 ダンジョンでは、死は身近だ。油断すればその矛先は誰にでも襲いかかってくる。高Lvの冒険者であっても、小さな油断や予想外の出来事で簡単に死んでしまうこともある。だからこそ、冒険者は慎重でならなければならない。安易な行動は、自分だけでなく仲間の命すら危機に陥れるからだ。

 例え目の前で誰かが死にかけていても、例えその誰かを救えるだけの力があったとしても、勝手な判断で助けてはいけない。もしかしたら、そのモンスターには仲間がいるかもしれない。もしかしたら、襲われているのは演技で、助けた瞬間後ろから刺されるかもしれない。疑い深い、疑心暗鬼に過ぎる考えであるが、あながち間違いではない。ダンジョンでは絶対にないとは言い切れないからだ。実際、そうして命を落とした冒険者がいたと聞いたこともある。

 だから、都合良く助けが来ることは、まず有り得ない。

 運良くあったとしても、まず確実に見返りを要求されるだろうし、助けてくれた相手がモンスターに変わって襲いかかってくる可能性もある。

 まあ、でも今は少なくともその可能性は考えなくてもいい。

 こんな何十匹ものモンスターの前に、助けに来てくれるような輩が冒険者の中にいるはずがない。

 だけど―――そう、だけど、そんな事はわかっているけれど、私はその言葉を口にしてしまっていた。

 避けられない死を前にして、自然と、その言葉を口にしていた。

 その言葉に応える者などいないと、わかっていながら。

 上級冒険者でも尻込みしそうな何十ものモンスターの群れを前に、その言葉に応える者など―――それこそ物語の中にしかいないと思いながらも。

 私は―――声を上げた。

 助けを、求めた。

 

 

 

「―――だれ、か―――助けて―――っ!!」

 

 

 

 応える者などいる筈もなく、少女はモンスターに引き裂かれる―――

 

 

 

「――――――…………ぇ?」

 

 

 

 ―――筈であった。

 モンスターへと最後の悪あがきと突き立てる筈だったナイフを落として頭を抱えて蹲った少女の頬を、風が撫でた。と、同時に人の気配に気付き顔を上げた少女の前に、赤い背が飛び込んできた。大きく膨らんだ赤い外套を着た男が、少女を背にして立っている。黒い軽装甲で身を包んだ、白髪頭の浅黒い肌の男だ。男がやったのだろう。少女に襲いかかろうとしたモンスターが、壁や地面に半壊した状態で散らばっている。男が両手に握る剣は、今しがた切り伏せたばかりのモンスターの血で濡れている。

 呆然と目の前の光景を見つめる少女。

 少女は何が起きたか理解できなかったが、ただ一つわかる事があった。

 自分は、助かったのだ、と。

 極度の混乱と、深い安堵に、少女の意識は急速に薄れていく。

 少女の目に最後に映ったのは、自分を守る男の赤い背中だった……。

 

 

 

 

 

 ……………………………………

 

 ………………………………

 

 ……………………

 

 …………

 

 ……

 

 …

 

 

 

「――――――っ!!?」

 

 最初に目に映ったのは、星空だった。

 街の明かりにその光を弱めながらも、優しい光を落としてくる星の輝きが少女の目に映っていた。声もなく、息すら忘れ、少女は暫くの間その星空を眺めていたが、やがて自分が夢を見ているわけでも、幻覚を見ているわけでも、ましてや死んでしまっているわけでもないことに気が付くと、ゆっくりと少女は石畳に寝ていた身体を起こした。地面に手をつき、身体を起こした際、身体の下に何かが敷かれていることに気付く。ふと視線を落としてみると、そこには目にも鮮やかな赤色が広がっていた。

 

「これ、て……」

 

 少女は自分が覚えている最後の記憶を思い出す。モンスターの群れに追い詰められ、もう駄目だと諦めて、それでも諦めきれず助けを呼んで―――赤い外套を着た人が現れた。

 

「助け、られた?」

 

 呆然と、言葉が溢れた。あの光景が夢でも幻でもないとしたら、自分はあの人に助けられ、ここまで―――地上まで運ばれたのだろう。

 あれだけのモンスターをどうしたのか?

 何故、自分を助けたのか?

 何故、命を救った事に対して何の要求もせずにいなくなったのか?

 何故? どうして? 何で?

 様々な疑問が浮かぶが、答えは用としてしれない。ただただ疑問符ばかりが浮かぶ頭の中に、ふと、最近耳にした噂が蘇った。

 モンスター()に襲われ、迫る命の危機。絶体絶命のその時、上げた助けを求める声に答えて現れる―――。

 

「……ま、さか……あの人―――」

 

 それは、最近オラリオで流行っている噂話(ゴシップ)の一つだった。冒険者の街であり、世界の中心と呼ばれるこのオラリオでは、日々様々な話が生まれては消えていっているが、その中でも、特に異彩を放っている噂だ。

 

 

 

 曰く―――そいつは、長身のヒューマンの男である。

 

 曰く―――そいつは、赤い外套を着ている。

 

 曰く―――そいつは、浅黒い肌をしている。

 

 曰く―――そいつは、色が抜け落ちたような白い髪である。

 

 曰く―――そいつは、双剣を使っている。

 

 

 

 それは、噂だった。

 

 

 

 曰く―――ダンジョンで危機に陥った時、助けを呼べばそいつは現れる。

 

 

 

 面白可笑しく噂される、それは、唯の噂だった。

 

 

 

 曰く―――そいつは、代償も、要求も、望みも、命令も―――何もしない、求めない。

 

 

 

 少女も、それが唯の噂でしかないと思っていた。

 

 

 

 曰く―――そいつは、名前も、所属も、何も語らない。

 

 

 

 それは、こんな噂であった。

 

 

 

 曰く―――最近、ダンジョンに―――

 

 

 

 

 

「―――正義の、味方」

 

 

 

 ―――正義の味方が現れるという。

 

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。


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第二話 始まりと終わりの夢

「―――今日も、帰ってきませんでしたね」

「……そう、だね」

 

 【ヘスティア・ファミリア】の拠点である廃教会の地下室で、ベルはソファに深く座り込み隣でゴロリと横になっているヘスティアに話しかける。ベルの言葉に、うつ伏せに寝転がったままヘスティアは顔を伏せたまま応えた。

 【ヘスティア・ファミリア】のシロがホームである廃教会に姿を見せなくなってから、数日が経過した。ベルたちが、シロの姿を最後に見たのは、怪物祭(モンスターフィリア)での一件が落ち着いた頃であった。あの事件で、ベルとシロはそれぞれモンスターに襲われ、怪我を負った。特にシロの怪我は深く、【ミアハ・ファミリア】の主神たるミアハが直々に治療に来たほどであった。神の力(ファルナ)が使えずとも、流石神といったところか、それともシロの回復力が並外れていたのか、ミアハの治療を受けたシロは、特に重傷を負っていなかったベルと殆んど変わらずにその身体を回復させた。そして、ベルがそろそろダンジョンに潜ろうかとヘスティアとシロに相談した時であった。

 シロが暫らくダンジョンに籠ると口にしたのは。

 勿論ヘスティアは反対した。Lv.1とは到底考えられない実力を持つシロとは言え、単独でダンジョンに潜り続けるというのはかなり危険である。更に怪物祭の一件の後、シロの身体に起きた異変(・・)についてもまだ何も分かっていない状況であった。しかし、ヘスティアだけでなく、ベルも猛反対する中、何時もからは考えられない強引さでもって、シロは半ば逃げるようにダンジョンに潜っていった。あれから、シロは一度たりともホームに戻ってきてはいない。あまりに姿を見せないことから、ベルはまさかとの考えが浮かんだが、それはヘスティアの「……死んだらわかるよ」との言葉に一応の納得はしていた。

 とは言え心配なものは心配である。

 ベルは最近ダンジョンに潜るたびにシロの姿を探していたが、一向にその影すら掴めてはいなかった。

 

「一体、シロさんは何処に行ったんでしょうか?」

「シロくんの力なら、中層までなら余裕で行きそうだけど、まあ、そこは流石にわからないね……そろそろ帰ってきて欲しいんだけどな」

「寂しいですもんね」

「それもあるけど……」

「それも、ですか?」

「……部屋が荒れて……」

「…………片付けましょうか」

「…………そうだね」

 

 二人の視線が部屋の中を巡る。シロがいた時はそれこそ塵一つ落ちていなかった地下室とは思えない高級ホテルのような一室が、今や目も当てられぬ惨状を見せていた。何時も気付けば綺麗に掃除をしていてくれた妖精のような男の不在を、身を持って知るのがこんな時であるのはかなりあれなのだが。シロがいれば、彼自身の手やら、言葉により動かされたヘスティアやベルが部屋の掃除をしているのだが、その肝心な彼がいないのだ。普通にダンジョンに行っているだけならば、暇な時にヘスティアかベルが自主的に掃除を始めるのだが、シロが全く帰ってくる気配を見せない最近は、ホーム(廃教会)に戻ると何故か二人共ぼうっとしてばかりいた。ヘスティアにとって、またベルにとっても、シロとはそれだけ大きな存在であったということだ。

 片や先行きが真っ暗闇の中、【ファミリア】(家族)になろうと手を差し出してきた相手であり、今や掛け替えのない大切な家族。

 片や右も左もわからない中、親身になって助けてくれた相手であり、今では兄のような存在。

 それがもう何日も姿を見せていないのだ。心配にもなるし、何かをする気も起きない―――は、流石に言い訳にならないか。

 こんな所を見られたら、何を言われるかわからない、と口の中でぶつぶつと言いながらも、目元を柔らかく曲げながら立ち上がったヘスティアは、のろのろと部屋の片付けを始めた。ベルも同じように立ち上がると、目に映るゴミへと手を伸ばそうとした。が、それはテーブルの上に置かれた本を片付けながら、顔も向けず声を掛けてきたヘスティアの言葉に止められた。

 

「ベルくんは良いよ。最近サポーターくんと一緒にダンジョンに行ってるんだろ。待たせたらいけないし。そろそろ待ち合わせの時間じゃないかい?」

「あっ……え~……と、その、良いんですか?」

「この部屋ぐらいならボク一人でも大丈夫だって。バイトまでまだ時間もあるし、ね」

「は、はいっ! 分かりました! ありがとうございます神様っ!」

 

 ヘスティアの言葉に勢い良く頭を下げたベルは、準備していた荷物を片手に外へと走り出した。あっという間にいなくなったベルが残した風の揺らぎを感じながら、ヘスティアは小さく笑った。

 

「まったくあの子は……」

 

 細めた目の映るのは、ダンジョンへと駆け出す白い頭の愛しい子供の姿。その背中に、もう一人の愛し子の背中が被る。ベルとは違う。歴戦の戦士の風格を身に纏った男の背中。雪のように白いベル君の髪とは少し違う。燃え尽きた灰の色に似た髪の浅黒い肌の男の背中。このオラリオの―――いや、世界の常識から外れた力を持った……ヘスティアの愛しい子供。

 

「シロ君……」

 

『―――アレとは出来るだけ早く縁を切ったほうが良い』

 

 ―――ミアハの事は信じている。

 この地上に降りてきてから、色々と世話になったし、その神格(じんかく)も他のちゃらんぽらんな神とは違って信じられる。だから、ミアハの言った事は、本当なのだろう。少なくとも、ミアハはそう信じてしまう程の何かをシロ君の中に見たということだ。

 

 ―――それでも……。

 

 確かに、シロ君は他の冒険者とは違う。言うほど他の冒険者の事を知っているわけではないが、それでも、彼の力は、伝え聞くそれとは全く異なっている。規格外とも言えるその強さの根底は、Lv.とは関係ないところにあるのだろう。そしてそれは、彼の失われた過去に存在する筈だ。

 その失われた過去が、神ですら計り知れないというのが何だが……。

 神ですら恐れるナニカをその身に秘めた男。

 どんな子供たちであろうと、親身に接するあの神(ミアハ)でさえ、関わらない方がいいと断言する。一体、彼の身にはナニが巣食っているのやら。だが、例えどんな悪辣なものがシロの中にあるとしても、ヘスティアは手放すつもりはなかった。

 それは、初めて出来た自分の家族(ファミリア)というだけではない。

 

 何故なら、ボクは知っている。

 ミアハの見たナニカはわからなくても、シロ君の事で、唯一絶対なところを知っている。

 シロ君は、とても優しいって……。

 

 ……最初に会った時から、何故か放っておけなかった。

 雨の中、倒れていた所をホーム(廃教会)に連れて帰った。

 濡れた身体を拭いてやり、目を瞑りながら服を着替えさせ、起きるまで傍で看病をした。

 服を着替えさせる時、薄目で見た身体はそれこそ傷だらけで、彼の辿ってきたこれまでの人生が一体どれだけの困難に満ちていたのかを思わせた。

 初めて目を覚ました時を思い出す。

 何もかも抜け落ちてしまった、人ではない何か―――人形のような、そんな目をしていた。

 琥珀色の、綺麗な瞳。

 意思が見えない、虚ろな瞳。

 その目を見た時、ボクは胸を切り裂かれるような痛みを覚えた。

 それは憐憫か同情か、それとも他の何かなのか。ただはっきりとわかったのは、彼は傷ついているということ。身体ではない。心が傷ついている。彼の瞳の奥に、ボクは荒れ果て、摩耗した荒野の姿を幻視した。言葉もなく、ボクは彼を見つめていた。何か言わなくちゃいけないと感じながらも、何を言っても彼を傷つけてしまうのではないかという恐れが口を開くのを躊躇わせ、何も言えずただ立ち尽くすしかなかった。

 そんなボクに、彼は―――シロ君は言ったんだ。

 

 『大丈夫か?』―――って

 

 ……自分こそ、どう見ても大丈夫じゃなさそうなのに。

 今にも消えてしまいそうな、そんな儚さを漂わせているのに、『大丈夫か』って……他人の心配をする。

 シロ君は、そんな人だ。

 そんな優しいシロ君なんだ。

 例えその身体にナニがあろうとも、きっと大丈夫。

 大丈夫だと、ボクは信じる。

 例え……誰も信じなくても……ボクだけは信じるよ。

 だってボクは……――――――

 

 ……………………………………

 

 ………………………………

 

 ……………………

 

 …………

 

 ……

 

 …

 

 

 

 

『……子供の頃、僕は―――』

 

 

 

「―――っ!!?」 

 

 息を呑み、目を覚ます。

 開かれた目に飛び込んできたのは、枝葉の隙間から差し込んでくる光だった。

 自分が何処にいるのか判然とせず、暫くの間茫洋とした意識で周囲を見ていたシロは、霞がかった思考を振り払うように頭を振ると、下に薄い布を敷いただけの寝床からゆっくりと起き上がった。立ち上がったシロは、身体の中から淀みを吐き出すように数度深く呼吸を繰り返すと、周囲を見渡した。大樹と草花が視界を覆う深い森。頭上から降り注ぐ暖かな光に、吹き寄せる清浄な風。空を覆うように伸び重なる枝葉の向こうに、太陽とは違う、大輪の花を思わせる巨大な白水晶を視界に収めたシロは、ここが何処であるか思い出した。

 

「……顔を洗うか」

 

 傍に流れる小川で視線を止めたシロは、足元に置かれたバッグからタオルを取り出し歩き出した。冷たい流水で顔を洗い、口の中を軽く濯いだシロは、流れる水の表に浮かぶ自身の顔を何とはなしに見つめた。

 

「…………」

 

 無言で見つめる先には、見慣れた自分の顔。しかし、少しばかり以前とは違うと感じる。そしてそれは間違いではない。実際に、自分は変わった。以前―――あの怪物祭(モンスターフィリア)の後で、自分は変わった。変わって、しまった。見た目が大きく変わったわけではない。だが、確かに自分の身体は変わった。

 身長は180Cを軽く超え、肌の色が更に浅黒く、髪の色もますます色が落ちてしまった。

 顔見知りであっても、一瞬誰か分からなくなってしまう程には変わった。

 そう、変わったのだ。

 成長した(・・・・)、ではない。

 まるで数年が経過したかのように変わった外見だが、問題は中身だ。シロは、自分の身体が以前のものと根本的なところで変化したことを、誰に言われるでもなく自然と悟っていた。何がどう変わったのか、以前とどう違うのか、それは自身でも説明できない。それでも、シロは自分の身体が(ヒューマン)と呼べるものではないナニカに変わったことを、理解していた。

 そう理解しながらも、今のところ問題らしい問題は起きてはいなかった。食事も睡眠も、それ以外の細々とした点でも、今のところ前と違う所は見当たらない。普通に生活していれば、もしかしたら変わったと感じた事をただの勘違いだと判断していたかもしれなかった。

 しかし、その機会はミアハとヘスティアの話を聞いた事により失われた。

 その話を聞いたのは、偶然―――ではない。深夜一人廃教会(ホーム)を抜け出すヘスティアを、知らず追いかけた先で聞いたのだ。このオラリオに数多くいるハチャメチャな神とは真逆の位置に立つ、慈愛と誠心の塊のような神ミアハが、恐れ、忌避し、嫌悪をもって(シロ)を『良くないもの』と口にするのを。

 

「『良くないもの』、か……」

 

 水面に浮かぶ己の影が、嘲笑っていた。

 顔に手をやると、皮肉るように、口元が歪んだ笑みを浮かべている。

 目を閉じる、視界が闇に閉ざされると、流れる小川のせせらぎの音に混じり、虫や鳥の音が鋭敏になった耳が捕らえた。その現実の音の中に、虚構の音が混じる。それは、過去の音。神の恐れが混じった悲鳴のような声。

 

『アレとは出来るだけ早く縁を切ったほうが良い…………アレは……良くないものだ』

 

 親しげに、優しい声でシロと(名前で)呼んでくれた口で、忌み嫌うように、厳しい声でアレ(、、)と呼んだ。

 アレが、誰かなどわかりきっている。おかげで、ミアハの言葉で確信が持てた。自分の中に蠢くナニカが、神さえ恐れる良くないものであると。ならば、そんなモノが大切な家族の傍にいてはならない。甘いヘスティアの事だ、【ファミリア】から抜けたいと言っても、断固として断ることだろう。ならば、自分から離れるしかなかった。最初は、オラリオから出ていこうかとも思ったが、ベル一人残してここを去るのは、流石に気が引けてしまい。自分でも中途半端には感じながらも、こうしてダンジョンに潜ったまま、二人の様子を見守っているのが現状であった。

 せめてもう一人程【ファミリア】が増えれば、覚悟が決まるのだが、そう美味い話はない。時折地上に戻り、【ギルド】に魔石やドロップアイテムを預ける際にエイナから話を聞く限り、どうも新しく【ファミリア】に入ってくれそうな人物はいないそうだ。

 ただまあ、興味深い話はあった。

 最近、ベルが一人の女の子のサポーターと一緒にダンジョンに行っているそうだ。ベルとの相性は悪くないそうで、それを示すように一緒にダンジョンに潜るようになってから、ベルは随分と儲けるようになったそうだ。

 しかし、そのサポーターは、【ソーマ・ファミリア】の所属だそうで、何やらその点をエイナは気にしていた。

 確かに、【ソーマ・ファミリア】の所属と聞き、シロも思うところがないわけではなかった。ダンジョンにいれば、自然と耳にする【ソーマ・ファミリア】の噂は、あまりよろしいものではないからだ。エイナはその事を知っており、しきりに俺に【ヘスティア・ファミリア】に顔を出すように言ってきたが、そう簡単に顔を出せる筈もない。

 

「中途半端だな……」

 

 深く溜め息を吐く。

 【ファミリア】(家族)の傍にいられないと思いながらも、オラリオ()を出ることなくダンジョンに潜り続けるだけ。良くない噂がつきまとう【ファミリア】の所属の者とダンジョンへ潜るベルを心配だと思いながらも、ただ思うだけで何かをしようとするわけでもない。

 何もかもが、中途半端であった。

 自分の余りの情けなさに、降り注ぐ陽光とは違う光を見上げ自嘲めいた呟きをもらし―――

 

「―――っ」

 

 ―――黒い太陽を見た。

 

 息を詰め、吐き出す。

 粘ついた口中から吐き出した息には、苦し気な呻きが混じっている。全身から汗が吹き出し、背筋は凍え、内臓が熱を発していた。様々な感情が渦を巻き心が乱れ狂う。天地が混ざり、膝が砕けたかのように崩れ折れ地面に両手をつき、無様に喘ぐ。歪む視界の中、流れる小川に己の無様な姿で映リ込む。

 その姿が、一瞬誰かの姿に重なる。

 

『……ぁ、ああ―――生き、ている』

 

 それは、一人の男。

 今にも崩れ折れそうな身体に、光の灯らない瞳をもった男。

 それが、誰なのか既に自分は知識(・・)として知っている。

 義父だ。

 代償として捧げ、かつて思い出として微かにのこっていた記憶は今やただの知識に成り下がっている。あの時以降、幾らか思い出した記憶も、同じように自身のモノ(思い出)とは感じられない知識と成り下がっていた。義父に関わる過去も、それ以外のものも、ただの知識へと。

 これから思い出す記憶の全てがそうなるのだろうと思っていた。

 しかし、例外があった。

 どれもこれも色あせ何の感情を想起させない記録が読みがる中、鮮やかな色彩と痛いほどの感情を思い起こさせる例外たる二つの記憶。

 一つは、白昼夢の如く今のように不意に蘇り。

 一つは、毎夜のように夢として現れる。

 どちらもそれは、己の過去。

 何ら感情を動かす事のない、できない記憶(知識)とは違う。様々な感情で心を乱す思い出(記憶)

 黒い太陽の下、炎が広がる世界をただ一人歩く白昼夢と、綺麗な月が印象的な、穏やかな夢。

 余りにも違いすぎる二つの記憶で、唯一共通するもの。

 どちらのものにも現れる男―――己の義父。

 例外の記憶の共通点。

 義父との記憶のその始まりと終わり。

 その最後の記憶で―――円を描く満月が空に上り、縁側に座る男を照らしていた。彫像のように動かず、座り込む男が、月を見上げていた。

 男が語りかけてくる。

 幼い俺に、だ。

 義父は語る。己の叶うことのなかった夢の話を。

 それを聞く幼い俺は、怒っていた。悲しんでいた。苦しんでいた。

 男が諦めていたから。

 男が否定していたから。

 幼い俺にとって、男こそが、男が語る夢そのものだったからだ。

 その記憶はある。

 義父に救われた時からそうだ。

 だから、俺は、過去の俺はあんな事を言ったのだろう。

 

「……」

 

 動悸が収まり、目を閉じ小さく息を吐いたシロは、両の掌ですくった水で顔を勢い良く洗うと、一息に立ち上がった。乱雑に顔を拭い、小川に背を向ける。視線が向かう先には、簡素な寝床と小さなバッグが一つ。開いたバッグの口からのぞくのは、赤い外套の端。予備の最後の一つだ。

 昨夜助けた女の冒険者をダンジョンの外へと連れ出した際、地面にそのまま寝かせるのは流石にと敷いたおかげで、外套のストックは後一枚。何度か同じように外へと連れ出した冒険者(女の子限定)が風邪をひかないようにと外套をかけたお陰で、何枚もあった筈の外套が残りは後一枚しかない。とは言え、剣や鎧ではなくこの外套ならば、なくなってもそう困るものではなく、『サラマンダー・ウール』に少しばかり手を加えたものでしかない。

 武器である剣や身を守るための軽装甲と違って。

 怪物祭(モンスターフィリア)の一件で、装備が全て破壊されてしまった後、予備の剣だけを持ってダンジョンへと潜ったのはいいが、流石に中層でそれは自殺行為であった。何度か命の危機を感じる修羅場を経験した結果、装備を改める決意をし、バベルで出店している【ヘファイストス・ファミリア】で装備を購入する事に決め。早速買いに行ったはいいが、何故か【ヘファイストス・ファミリア】でバイトしているヘスティアと危うく出くわしそうになった。何とか見つからずに済んだのだが、代わりにとばかりにヘファイストスに見つかってしまった。ヘスティアの所に連れていこうとする彼女を何とか説得している間に、何が切っ掛けかわからないが、ヘファイストスの前で装備を作る事になった。渡りに船であったため、特に文句はなく鍛冶場を使わせてもらい、新しい装備を整えた。完成した装備は、己の記録にあるものをモデルとした。想像以上に上手く出来上がり、鍛治の神であるヘファイストスも認める程の一品が仕上がった。

 バッグの中から最後の一つである赤い外套を取り出し身につける。一つ一つ身につけた装備を確認すると、最後に小川に近づいて水面に自分の姿を映す。

 

「……ふん」

 

 不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 水面に映し出されるのは、ヘファイストスの工房で装備を創る際に浮かべたイメージそのままの姿。

 それが何故か、気に入らなかった。

 この姿を見る度に、あの言葉を思い出してしまう。

 夢で義父が諦めた憧れを。

 『正義の味方』の事を。

 だからなのか、この装備を身につけるよになってから、何かと人助けをするようになったのは。前からそういった所はあったが、今の自分の行動(人助け)は、我ながら過剰なものに感じていた。そう思いながらも、止めることは出来ないでいた。

 それが何故なのかはわからない。

 わからない、が……(思い出)の中に、その答えがある気がした。

 

『―――うん、しょうがないから俺が代わりになってやるよ』

 

 夢を諦めた義父に、そう宣言した。

 幾つか思い出した過去の記憶が記録に成り下がっていた中、唯一色鮮やかに思い出せる記憶の中で、俺はそう言った。

 様々な想いを抱いて。

 それを、俺は覚えている。

 だから―――。

 

「―――っ」

 

 過去(思い出)へと想いを寄せていたシロが、バッと勢い良く背後を振り返る。周囲に異常はない。しかし、シロの感覚はこちらに向かって駆け寄ってくる何かの気配を捉えていた。以前ここの連中と揉め事を起こした際、何度か襲撃を受けたが、この辺り一体を取り締まる男と話をつけてからはなくなっていたのだが。まさかとは思いながらも油断なく意識を集中し、迫る誰かに警戒を向ける。暫くして、生い茂る草を掻き分ける音が辺りに響き始めた。その音は迷いなく真っ直ぐにこちらへ向かって近づいてくる。何の隠蔽もせず激しく音を鳴らしながら近づいてくる様子に、襲撃の可能性を一段階下げたシロは、しかし一定の緊張感を保持したまま相手を出迎える姿勢を取った。

 そしてシロの目の前の茂みが揺れ、一人の男が飛び出してきた。

 荒くれ者といった様相の男は息を荒げながら周囲を見渡し、その視線がシロを捉えると、安堵の息を吐くのも惜しげに荒い息を混じらせながら声を上げた。

 

 

 

「っ―――し、シロの兄ぃ大変ですっ! 殺しですっ! 『ヴィリーの宿』で男が殺されましたッ!!」

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。
 誤字報告何時もありがとうございますm(__)m

 8月13日の感想から返信しようと思います。
 み、短い返事ですけど勘弁してつかぁさい( ̄^ ̄°)




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第三話 君に決めた

 サブタイトル名はもしかしたら変えるかも……

 


 

 ―――全くの予想外だ。

 

 【ロキ・ファミリア】の副団長たるリヴェリア・リヨス・アールヴは、目の前の惨状に眉根を顰め小さく嘆息した。

 今、リヴェリアたちはダンジョンの中層にある安全階層(セーフティポイント)にある『リヴィラの街』にいた。ダンジョンに共に潜っているのは、団長のフィンとアイズ、ティオネとティオナの姉妹にレフィーヤを合わせて六人。ダンジョンにもぐる目的は、単純に資金稼ぎとなっている。怪物祭(モンスター・フィリア)の一件で破壊されたアイズの予備の剣の代金を返済するためだ。その金額は四千万ヴァリス。大金は大金だが、アイズの実力ならば一月もかからないうちに十分返済可能な金額である。とは言え人手があるに越したことはない。話を聞いたリヴェリアはフィン等を誘いダンジョンに潜った―――のが表向きの理由。裏にはもう一つの理由があった。それは怪物祭(モンスター・フィリア)の一件以来、様子のおかしい【ファミリア】の三人(・・)の気分転換のためだ。

 あの一件以来、【ファミリア】のムードメーカー的存在であるティオナは似合わない物憂気な溜め息を良くつくようになり。アイズは前々から問題にしていた過剰な訓練が、更に自分を追い込むように厳しくなり。レフィーヤはアイズが乗り移ったかのように魔法の修行を打ち込むようになった。

 三人がこうなった原因はわからず、事情を知ってそうなティオネとロキは沈黙する始末。流石にこのままではいけないと、団長であるフィンと相談している時に、タイミング良くアイズからダンジョンの話が出たことから、共にダンジョンに行くことにしたのだが―――。

 

 ―――まさか、こんな事が起きていたとは……

 

 荒くれ者が多いオラリオだが、ダンジョン以外で死人が出るような事件は意外と少ない。一時期は色々とあったが、最近ではあまり聞くことはなかった。住民の殆どが冒険者であり、そう簡単に死ぬような輩ではないという理由等が色々とあるが、最大の理由は【ファミリア】同士の抗争を避けるためだろう。自分たちの【ファミリア】が殺されたとなれば、抗争は避けられない。抗争が起きれば、当事者の【ファミリア】だけの話では済まず、様々な問題が起きる。それは皆避けたい。

 そういった諸々の事情等から、今リヴェリアの目の前にある光景のようなモノは、そうそうお目にかかれるような代物ではなかった。

 リヴェリアは昔の色々(・・)とあった時代を経験したことから、この光景に怯むことはなかったが、ここにいる者で少なくとも一人はこの光景に免疫はなかった。その一人であるレフィーヤは、顔を青くしてアイズの後ろで蹲っている。咄嗟の判断でレフィーヤを背後に追いやったアイズが、厳しい顔で地面に転がる頭のない男の死体を見下ろしていた。相当強力な力で破壊されたのだろう。男の頭部のあった場所には、まるで果実が潰れたかのような跡が地面にベッタリと残っている。

 リヴェリアは気分を入れ替えるように小さく頭を振ると、この場の代表者である男に向き直った。先程まで現場検証をしていたのだろう、足元に乾いた血が付着した男が、一目でわかる不機嫌な顔で睨んできている。

 

「あぁん? おいっ何勝手に入ってきてんだテメェっ! ここは立ち入り禁止だぞ!? 見張りの奴は何やってやがんだっ!! あいつ以外通すなって言っただろうがっ!!」

 

 中層に降り、今日は『リヴィラの街』で宿でも取って休もうかと話をしていた時に、街の様子がおかしいことに気付き周りから話を聞いたところ、『ヴィリーの宿』で殺しがあったとの話を耳にした。流石に放って置ける訳が無く、リヴェリアたちはここ―――自然の洞窟を利用した『ヴィリーの宿』へとやってきてみたは良いが、やはり歓迎はされていないようであった。

 リヴェリアは、チラリと横にいるフィンを見下ろす。

 

「まあ落ち着いてくれよボールス。悪いけどお邪魔させてもらってるよ」

「っち……オメェかよ」

 

 視線だけでリヴェリアに返事したフィンは、片手を上げながら親しげに男―――ボールス・エルダーへと近付いていく。筋骨隆々の巨漢であり、凶相に黒い眼帯を着けたその姿は、どう見ても山賊の親分にしか見えないが、これでも一応は一線級の冒険者で、冒険者が取り仕切る『リヴィラの街(この街)』の事実上のトップである。

 『オレのものはオレのもの、てめえのものはオレのもの』と言ってはばからない付き合いたくない輩ではあるが、フィンはその立場から何度か話したことはあった。その性格や気性を知るフィンは、両手を上下させながらボールスへと小さく笑いかけた。

 

「しばらくダンジョンの探索をしようと思ってね。宿として街を利用させてもらおうと思ってたんだけど、殺しが起きたとなったら流石に無視できないだろ。今後のためにも、早急に解決しておきたいし。協力させてもらえないかい、ボールス?」

「ハンっ! ものは言いようだなフィン。だけどよぅ、そりゃ余計なお世話だ。なに心配はいらねぇよ。こっちにも当てはあるんでな」

「あて?」

 

 太い両腕を組み、ボールスが鼻を鳴らし言い捨てるのを見て、フィンは小さく小首を傾げた。

 

「ああ、色々と物知りな上に腕も立つ野郎がいてな、そいつが―――っと、どうやら来たようだな」

「?」

「おう入りな」

 

 入口の向こうから名を呼ぶ声が届き、言葉を途中で止めたボールスが部屋を仕切る帳の向こうへと視線を向けると、自然とフィンたちの視線もそちらへと向くことになった。帳の向こうからボールスの部下らしき男が入室の許可を求め、それをボールスが認めると、ゆっくりと帳が持ち上がり、一人の男が部屋へと入ってきた。

 

「―――邪魔するぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――邪魔するぞ」

 

 部屋に入った瞬間、思わずシロは目を見開いてしまう。予想外の場所に、予想外の人物がいたからだ。彼女達の活動の場は深層域であり、中層のリヴィラの街(ここ)に立ち寄る事はないと思っており、シロは彼女等とここで出会う可能性を全く考慮してはいなかった。

 しかし、それはシロだけでなく、彼女等―――アイズたちもまた同じであった。シロと同じく目を見開き暫くの間両者の間に沈黙が満ちた。その停滞を破ったのは、この場にシロを呼びつけた男であった。

 

「―――おい、もうそろそろいいか」

「っ、あ、ああ。すまない、少しばかり予想外の顔が揃っていたからな」

 

 苛ついた様子を隠そうともしない声のボールスに、驚いたように顔を上げたシロは複雑な顔をしながら【ロキ・ファミリア】の面々を見回した。

 

「ああん? 何だ、お前【ロキ・ファミリア】と知り合いだったんか?」

「まあ、そういったところか……」

 

 ボールスの質問に気を取り直すように小さく溜め息を吐いたシロは、未だ驚愕から抜け出せないアイズたちから視線を外し、地面に横たわる死体へと意識を向けた。

 

「……この男が」

「そうだ。一応まだ動かしてねぇが、何かわかるか?」

 

 死体を見下ろしながら呟いたシロの言葉に頷いたボールスが、せっつくように顔を寄せてくる。

 

「『ステイタス』の確認は?」

「まだだ。準備はさせているが、まだ時間がかかるだろうな」

 

 眷族の恩恵を暴く特殊な薬がある。『解除薬(ステイタス・シーフ)』と呼ばれるその薬は、発展アビリティ『神秘』を習得した数少ない者が、『神血(イコル)』をもとに作成する特別な薬であり、材料やその目的からして、非合法の道具(アイテム)であった。一般的に売られていないものであり、裏市場(アンダーグラウンド)のみ売られている。そして冒険者しかおらず、その中でも色々と訳ありの者が多くいる『リヴィラの街』(この街)にもその薬は売られていた。

 

「そうか……頭がないがこれは?」

「言っただろ。なんにも動かしてねぇ。最初からこうだったんだよ」

「そう、か……」

 

 顔を顰めながら肩を竦めるボールスを無視し、シロは死体の周りを見渡した。特に周囲に散らばる頭だったものをその鋭い鷹のような目を更に細めながら確かめていた。一般人なら胃の中のものがせり上がってくるだろう光景を、シロは嫌悪も忌避も何の感情も見せない顔で観察していた。

 

「頭がないことがそんなに気になるのかい?」

 

 そんなシロの背中に、穏やかな口調で問いかけてくる者がいた。

 

「【ロキ・ファミリア】団長フィン・ディムナ……」

 

 周囲を見分していたシロの顔が、肩越しに後ろに向けられる。その視線の先に立っていた子供―――小人族(パルゥム)の姿に、シロの目の中に警戒の色が宿る。

 シロの目に警戒の色が宿った事に気付いたフィンは、警戒を解かせるためか敵意がないことを示すように口元に笑みを浮かべた。

 

「『フィン』でいいよ『ヘスティア・ファミリアのシロ』」

「……シロと呼べ」

 

 かつて名乗った際の言葉をそのまま返すと、シロは一瞬眉根に皺を寄せたが直ぐにそれを隠すように顔を死体の方へ向け、背中越しにフィンに言葉をかけた。

 

「ふふ、そうかい。じゃあ、シロ。それで、何かわかったことでもあったのかい。まだ部屋に入ったばかりなのに」

「―――あるわけがないだろう。俺は探偵でも何でもないんだぞ」

「タンテイ?」

 

 シロの言葉の意味がわからず、小首を捻るフィンだったが、気を取り直すと確かめるように再度問いかけた。

 

「本当に何もわからないのかい?」

「ああ」

 

 顔も向けず背中を向けたまま返事をするシロに、フィンは肩を竦めてみせる。その後ろでシロの態度に苛立ちを隠せないティオネを視線だけで嗜めながら、フィンはぺろりと自身の右手の親指を舐めた。

 

「…………まあ、君がそういうならそうなんだろうね」

「だが、あのボールスがわざわざここまで呼んだというには、何か理由があるのだろう?」

 

 押し黙り何事か考え込むフィンの隣りから、代わりのようにシロに声をかける女がいた。声をかけられたシロは、溜め息を飲み込みながらゆっくりと先程と同じように背中越しに後ろを振り返った。

 

「……リヴェリア・リヨス・アールヴか。【ロキ・ファミリア】の副団長までいるとはな」

「『リヴェリア』でいい。それで、何故、お前はここに呼ばれた?」

 

 わざとらしくフルネームで呼ばれたことに対し、不快げに目を細めてみせたリヴェリアは、一言一言区切るようにシロに質問をする。

 シロはリヴェリアの質問に直ぐ傍に立っているボールスに視線を向けた。 

 

「さてな、それは本人に聞いてくれ」

「だってさボールス? どうして彼をここに呼んだんだい?」

 

 フィンがとことこと歩き、ボールスの隣に立つと、下から覗き込むようにボールスの顔を見上げてきた。

 

「ふんっ! さっきも言っただろうが。こいつは色々と変な事に詳しいからな。色々と重宝してんだよ。短い付き合いだが、口は硬ぇし、腕は立つとわかってるし、何より金が掛からねぇしな。今回の件も何かこいつならわかるかと思って試しに呼んだだけだ」

「……ふぅん」

 

 腕を組み顔を背けながら言い放つボールスに、フィンはボールスとシロをチラチラと見比べながら意味有り気に鼻を鳴らしてみせた。意味有り気な視線から逃げるようにフィンから顔を離したボールスが、死体の横で膝をついて何やら調べていたシロに声をかける。

 

「で、シロ。オメェ本当に何もわかんねぇのか?」

「まだ圧倒的に情報が足りんからな。もう少し色々と調べさせてもらうぞ」

「まあ、最初からおめえに頼むつもりだったからな」

 

 頭を指先で掻きながら後ろに下がったボールスが、シロが何やら死体の首の辺りを調べているのを眺め始めた。すると、暫らく何やら確かめていたシロが動きを止めポツリと呟いた。

 

「ああ……―――やはり、か」

「何がやはりだったんだい」

「あ! テメェフィンっ! 何勝手に近づいてんだよ!」

 

 シロの呟きに敏感に反応したフィンが、ボールスの横を通り過ぎシロの隣で同じように死体を見下ろした。後ろから慌てた様子で近付いてくるボールスを、フィンは肩越しに手をぱたぱたと動かし牽制する。

 

「いいからいいから」

「っくそ! これだから高Lvの冒険者って奴は……」

 

 フィンの後ろで悔しげに拳を握り締めぷるぷると震えながら苛立たしげに顔を顰めるボールスの後ろで、その一連の様子を見ていたティオネが不機嫌さを隠さずに『お前にだけは言われたくないんだよ』と呟くのを、レフィーヤが肩を掴みながら必死にティオネを宥めていた。

 そんな後ろの様子を一切気にする事なく、シロはチラリとフィンに視線を向けると、死体の首を指差した。

 

「死因は頭部の破壊ではないようだ。見ろ、首の骨が折れている。それも相当な力でやられたな。身体や服に争った形跡がないところからも、それこそ一瞬で殺られたのだろうな」

「君の言い分だと、まるで最初から頭を潰されて殺されたとは思ってなかったみたいな言い方だね」

「周囲に散った血の量から何となくだが……生きていた時に頭を潰されれば、もう少し派手に血が散っていたはずだ」

「ふぅん……良く知ってるね」

「まあ、な」

 

 どことなく探るような物言いに、シロはフィンを見つめながら応えた。

 

「…………」

「死体の方は後で『開錠薬(ステイタス・シーフ)』を使って調べるしか手がかりはないか。次はこいつの荷物でも調べるとしよう」

 

 黙り込んだフィンを尻目に、室内の隅に置かれたバックパックへ視線を向けるシロ。その後ろについていきながら、フィンはシロと同じように物色された形跡が明らかにある荷物へと意識を向ける。

 

「荷物、ね」

「どうやら犯人はこいつの荷物に用があったみたいだからな」

「確かに、随分と乱暴に荒らされている」

「物色、というよりも……苛立って荒らしたというように見えるな」

 

 ヒョイっと、シロとフィンの傍からリヴェリアの顔が覗き込まれる。シロとフィンはチラリとリヴェリアに視線を向けたが、互いに何も言わず荷物へと直ぐに向き直った。

 シロとフィンの前にあるバックパックは、強引に引き裂かれ中身をかき出されており、その原型が辛うじて推測できる程度の状態であった。確かにリヴェリアの言葉通り、焦って中身を取り出したと言うよりも、何か苛立ちを紛らわしたようなそんな様子が伺えた。

 

「確かにそう感じるな。この様子では、中身がお気に召さなかったか―――目当ての物が見つからなかったか」

「目当ての物……」

 

 シロの言葉に、リヴェリアが顎に手を当て小さく呟いた。

 

「その証拠に、金になりそうな物が幾つかあるが、どれも手付かずのままだ」

「本当だ」

 

 シロはバックパックの中から被害者のものであろう財布や、何かのドロップアイテムを取り出してみせた。

 

「ん? これは冒険者依頼(クエスト)の依頼書だな」

 

 中身を確認していたシロが、何やら血に染まった一枚の羊皮紙をバックパックから取り出した。ざっと血で読めない部分以外を読み取ったシロが、それが冒険者依頼(クエスト)の依頼書であることを声に出すと、近づいてきたフィンたち以外の『ロキ・ファミリア』の面々の中で代表するようにティオネがシロに声をかけた。

 

「へぇ~で、何て書いてあるのよ?」

「……どうやらこの男は内密に単独で三十階層に何かを獲りに行ったそうだ」

「何か?」

 

 先を促すようにティオネが質問するが、シロは否定するように頭を左右に振った。

 

「そこまでは読めなかった、が。ここまで得られた情報から考えられる可能性としては、犯人の狙いはこいつの命ではなく、荷物に用事があった可能性が高い」

「確かにその可能性が高いね」

 

 フィンが同意の声を上げると、ティオネが警戒するように死体を見下ろした。三十階層と言えば、中層の中でも深層に最も近い場所だ。パーティーを組むとなれば別だが、単独でそこまで潜るのは、それなり以上のLv.は必要である。

 

「だけど、三十階層を単独でって……それこいつかなりの高Lv.の冒険者なんじゃ……」

「それは今からわかりそうだな」

「え?」

 

 ティオネの疑問に応えるように、シロが室内への出入口へと視線を向けた。シロの視線に誘導されたように、その場にいる全員の視線が出入口へと向けられた時、出入り口に掛けられた臙脂色の模様の帳が勢い良く持ち上げられ、一人の男が獣人の小男と共に室内に駆け込んできた。

 

「『開錠薬(ステイタス・シーフ)』が来たみたいだな」

 

 駆け込んできた男がボールスの前で何かを取り出して見せるのを見ていたシロが、男が取り出したものを見て小さくその正体を呟いた。

 

「『開錠薬(ステイタス・シーフ)』……眷族の恩恵を暴くための道具か……だが、それ単体では神々の錠は解除できないはずだが」

 

 シロの呟きを耳にしたリヴェリアが、不快げに眉根を歪め視線を細めた。本人の了承もなく『恩恵』を暴く薬に対し、嫌悪感を示すリヴェリアに、シロは視線を寄越した。

 

「必要なことだ」

「……わかっている」

 

 シロを一瞬だけ睨み、リヴェリアは『解除薬(ステイタス・シーフ)』を持ってきた男と一緒に入ってきた獣人の小男が死体に何やらしているのを視界から外した。『解除薬(ステイタスシーフ)』の溶液を死体の背中に垂らしながら、指を淀みなく走らせる獣人の小男は、暫らくして死体の背中から碑文を思わせる文字群が浮かび上がるのを見ると、後ろを振り向きシロに声を掛けてきた。

 

「シロの兄さん」

「手間をかけたな。さて、一体何処の誰だが……これは―――」

 

 立ち上がって横にずれた獣人の前を通り死体の傍に膝をつき、その背中に視線を向け『神聖文字(ヒエログリフ)』を解読したシロが驚愕の声を上げた。ボールスが焦った様子でシロの肩を掴み乱暴にその体を揺らした。

 

「おいシロっ! 何て書いてんだよっ! こいつは何処の誰なんでぇ!?」

「……名前はハシャーナ・ドルリア。所属は【ガネーシャ・ファミリア】」

「……は、あ?」

 

 思わずシロの肩から手を離し、ヨロヨロと背後に後ずさるボールスに、追い打ちのようにシロの言葉が掛けられる。

 

「―――Lv.4の冒険者だ」

「「「ッッ!!?」」」

「おい、嘘だろ!」

 

 室内に驚愕の声が上がる。

 明らかになったその事実は、とある事実を示していたからだ。それは、死んだ男―――【ガネーシャ・ファミリア】所属のハシャーナ・ドルリアがLv.4であるということは、それを容易く殺した者は確実にそれ以上、最低でも同格の力を持つ存在であるということ。

 

「ボールス」

「ああんっ!! 何だシ―――ッッ!!??」

 

 目に見えて動揺を露わにするボールスに、立ち上がったシロが声を掛ける。苛立たし気にシロを睨みつけてくるボールスを迎えたのは、シロの鋭い視線であった。

 

「今すぐ街を封鎖しろ」

「どっ、どういうことだテメェ説明し―――ッ!!?」

 

 気圧されたのを誤魔化すように、ボールスが更に声を大きくする。荒くれ者そのものなボールスが、険しい顔で唾を吐き散らしながら怒鳴りつけるのを、シロはただジロリと視線を向けるだけで黙らせると、何処か遠くを見通すように目を細めた。

 

「犯人はまだこの街にいる可能性が高い」

「どう言う、こった……オレが犯人ならとっととずらかってるぜ」

「そうだな。犯人の狙いがハシャーナの命ならば、な」

 

 シロは横たわる死体をチラリと見ると、ハシャーナのバックパックを探っていたフィンが血に濡れた依頼書を見ながら応える。

 

「この男―――ハシャーナが高Lvの冒険者であると判明したことで、犯人の狙いが依頼書にあった荷物である可能性が限りなく高まったからね。ここまで高Lvの冒険者なら、ある程度の実力者ならその驚異は一目でわかるはずだし。狙うにはリスクが高すぎる。何より彼が持っていた依頼書。タイミングが良すぎるからね。犯人はハシャーナの依頼書にある物が欲しかったが……この如何にも八つ当たり的な惨状からして、残念ながら犯人は目的の物を手に入れていない。なら、ここまでして手ぶらで逃げ出す可能性は低い、ということかい?」

「―――ボールス。一つ聞きたいが、ここに来る途中で聞いた話では、容疑者の女は随分と特徴的な女だったらしいな」

 

 フィンの言葉に返事をすることなく、シロはボールスに向き直る。

 

「あ、ああ。街でチラッと見たが、遠目で見てもわかるぐれぇ良い身体をした女だったな」

「そうか……なら、やはり……」

「おい、テメェ一人で納得すんなっ! いいから答えろやッ!!」

 

 顎に手を当て何やら考え込みぶつぶつと呟き出したシロに、ボールスが近付き怒鳴り声を上げる。シロは小さく息を吐くと、頭を振った。

 

「……殺人犯を逃がしたくなければ今すぐ街を封鎖しろ。今はそれしか言えん」

「ッ! テメェ―――」

「僕も同意見だよボールス」

 

 肝心な事を何も口にしないシロに、思わず手を上げそうになるボールスをフィンの声が止めた。

 

「ッッ!!! わかったよッ!! クソッタレめッ!!! おいこらさっさと北門と南門を締めにいけッ!! それと街にいる冒険者を一箇所に集めろ!! いいか―――」

 

 ボールスが部屋の隅で事の成り行きを見守っていた部下たちに八つ当たりのように怒鳴り散らしながら指示を出すのを尻目に、シロは静かにその場から立ち去ろうとした。が、それを阻むようにシロの目の前に一人の小柄な影が立ちふさがった。

 

「―――どこに行くんだい?」

「あとの事は頼む」

 

 足元から見上げてくる碧眼に圧力を感じ足を止めたシロだったが、直ぐに足を動かしフィンの横を通り過ぎた。

 

「僕は何処に行くんだいと聞いたんだけど?」

「……犯人を探しにだ」

 

 部屋から出ようとするシロの足を、フィンの感情を感じさせない刃のような鋭い声が止めた。立ち止まったシロは、振り返る事なく背中越しにフィンの質問に応える。

 

「何かわかったのかい?」

「最悪の考えが一つほどな。確かめるために単独で動きたい」

「……一人で、かい」

「ああ」

 

 互いに背中越しに話し合う二人。穏やかと言ってもいい口調で話し合う二人だが、その間には真剣勝負にも似た緊張感に満ち溢れていた。その一触即発といった雰囲気に、様子を伺っていた【ロキ・ファミリア】の面々の緊張がピークに達しかけたその時、高まった緊張を散らすようにフィンの楽しげな声が上がった。

 

「一人じゃまずいだろ。いくら君が強いとは言ってもね。だから―――」

 

 そしてフィンは顔を上げとある方向に視線を向けた。視線を向けた先には、様子を伺っていた【ロキ・ファミリア】の面々の姿が。その中の一人に目を向けたフィンは、にこやかに笑いながらその人物を指差した。

 

「リヴェリア。彼について行ってあげて」

「……は?」

「……え?」

「「「え?」」」

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。

 昨日寝落ちしたから上げられなかった……すみません。

 ……ロキたちやベルたちの様子も書いた方がいいかな?


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第四話 将来の夢

 遅くなりました。

 次の更新は……多分また遅くなると思います。

 うたわれ……いや、♪~(´ε` )何でもないです。


 ―――まったく、何を考えているのだフィンの奴はっ!?

 

 リヴェリアは不満に満ちた内心をその強靭な意志の下押し殺しながら、淡々と前を歩くシロの後ろを付いて歩いていた。サラマンダー・ウールを使用しているのだろう。ほのかに燐光を纏った赤い外套を見つめながら、リヴェリアは小さく溜め息をつき気を取り直すと、赤い背中に向けて話しかけた。

 

「シロ、そろそろ目的を話してもらいたいんだが?」

「……目的?」

 

 足を止めたシロが、振り返り同じく足を止めたリヴェリアを見る。

 

「そうだ。自分で探しに行かずとも、この街にいる者は中央広場に集められる。従わないものは二度とこの街に入らせないとボールスも言っていただろう。あの場で待っていても良かったのでは?」

「確かに、殺人鬼がまだこの街にいるのならば、そうだな。ボールスの呼び掛けに大人しく従うなり、逃げ出すなりしたとしても、結局姿を現すだろう」

「なら―――」

 

 リヴェリアの言葉を遮り、シロは首を横に振った。

 

「探しているのは、殺人鬼ではない」

「何?」

「殺されたハシャーナの荷物の中に、殺人鬼が狙っていた荷物らしきものはなかった。なら、それは今何処にある?」

「それは……」

 

 顎に手を当て思考に意識を傾けるリヴェリアが答えを口にする前に、シロが三本の指を立てた手を突きつけた。

 

「考えられる可能性は三つ―――」

「…………」

 

 黙ったままシロに視線だけで先を促すリヴェリア。

 

「一つは、まだ依頼を達成していない―――殺人鬼が狙っていた荷物を手に入れていない。二つ目は、殺人鬼とは別の者に盗まれたか落としたか。三つ目は、既に誰かに引き渡した後……」

「まだ手に入れていないという可能性は低いな……犯人の狙いがハシャーナの荷物だとしたら、手に入れる前に接触するとは思えない。殺人鬼とは別の者に先に盗まれた、という可能性も低いな……Lv.4というのは伊達ではない。ならば―――」

 

 シロとリヴェリアの視線が混じり合い、同時に同意するように二人の顔が上下に揺れた。

 

「そう―――三つ目の可能性。既に手に入れたモノは何者かに引き渡した後だった」

「何者か……依頼者か?」

「または運び屋か、だな」

 

 目を細めるリヴェリアにもう一つの可能性を提示するシロ。

 リヴェリアは顔を顰めシロを見る。

 

「……そこまでするか?」

「人一人を殺してでも手に入れようとする程のモノだ。ソレが何かは想像も出来んが、可能性は高い」

「つまりお前は、その荷物を受け取った運び屋を探しているということか?」

「そうだ」

 

 頷くシロに、リヴェリアは小さく溜め息をついた。

 

「……なら、尚のこと水晶広場で待っていた方が良かったのではないか? この街にいる冒険者を集めているのだから」

「素直に集まってくれるのならばな。あの騒ぎだ。荷物を受け取った運び屋がいるのならば、ハシャーナが殺されたことを耳にしているだろう。次に狙われるのが自分だと考え、逃げようとする可能性はある」

「確かにないとは言えんが……可能性は低いぞ」

 

 呆れ混じりのリヴェリアの言葉に、シロはただ首を横に振ってみせる。

 

「だが、ないとは言い切れない。広場の方へ行けばフィンたちがいる。フィンたちならば、大抵の事は対処出来るだろう。だが、もし逃げたり隠れていたりしているのならば、殺人鬼よりも先に見つけ出さなければ危険だ」

「……ほぼ確実に無駄に終わると思うがな」

 

 呆れ、と言うよりも非難じみた返答。

 しかしシロは小さく笑みをもってそれに応えた。

 

「それが一番だ」

「……それでいいのか?」

「何がだ?」

 

 首を傾げるシロに、リヴェリアは非難でも呆れでもない気遣う様子でもって語りかけた。

 

「お前は別に報酬を貰っているわけでも、殺人鬼に怨みがあるわけでもないのだろう?」

「そうだな」

「なら、お前がそこまでする義理はないはずだ」

 

 リヴェリアの鋭い言葉。

 しかしシロは、その中にリヴェリアの優しさを確かに感じた。だからシロは、何処か困ったような笑みを浮かべながら頷いた。

 

「ああ、その通りだ。だからこれは単に俺がしたいからそうしているだけだ」

「……何故そこまで」

 

 リヴェリアの困惑する声が上がる。理解できないというように首を振るリヴェリアを見つめるシロ。

 

「………………」

「……ただのお節介や正義感ならばもう止めておけ。人は基本的に自己の利益とならないものに興味はなく、無私の善意など信じるものは少数だ。大抵が裏を読む。要らぬ腹を探られただけならばまだしも、しまいには利用され尽くし捨てられるだけだ」

「心配してくれているのか?」

 

 一瞬大きく口を開きかけたリヴェリアだったが、胸に手を当て深呼吸するように大きく息を吸って吐くを数度繰り返すと、キッとシロを睨みつけた。

 

「―――……忠告しただけだ」

「…………」

「…………」

 

 斬りつけるような鋭い視線で睨んでくるリヴェリアの姿を、シロは何故か懐かしい気持ちを抱いていた。

 自分は何時か何処かで、こんな目で叱られていた気がする、と。

 だから、シロは聞いてしまったのだろう。

 言ってしまったのだろう。

 

「……―――リヴェリア」

「……何だ」

「お前には、“夢”はあるか?」

 

 己が抱く(縋る)―――過去の残滓を。

 

「ユメ?」

「そうだ……“将来の夢”だ」

 

 突然のシロの質問に、リヴェリアは混乱した。何故突然そんな事を聞いてきたのか。自分を揶揄っているのかすら考えたが、シロと向き直り、その目を見てわかった事が一つだけ理解した事があった。

 シロは、揶揄っても巫山戯ているわけでもない、という事を。

 だからリヴェリアは暫らく考えに耽るように目を閉じた後、静かに口を開いた。

 

「…………基本的にエルフは森から出ない閉鎖的な種族だと知っているか?」

「ああ」

 

 頷くシロを見ながら、リヴェリアは問いかける。

 

「お前は、私の事をどれだけ知っている?」

「【ロキ・ファミリア】の副団長であり、Lv.6の冒険者。後はまあ色々と聞くが……エルフの王族だという噂も聞いた事があるな」

「ああ、そうだ。私はエルフの王族だ。だからではないが、他のエルフよりも閉鎖的なところがあったのだが……私は森から出た。理由はな……外の世界を見てみたかったからだ。森という小さな世界ではない。外の広い世界を見てみたかった。だから私は森から飛び出した。森の外の世界は、私の想像を遥かに超えて、広く、未知に溢れ、美しく―――素晴らしかった。このオラリオにも、旅の途中で寄り道程度の気持ちで来たのだが、タチの悪い神に目をつけられてな―――ご覧の有様だ」

「恨んではいないのか?」

 

 シロの言外の意味を正確に理解したリヴェリアは口元に苦笑を浮かべると肩を竦めた。

 

「ロキをか? まあ、最初は恨んでいたさ。だが、今となっては良いとは決して言えんが、まあ、悪い思い出にはなっていない」

 

 確かに最初はかなり恨んでいた。

 悪魔と契約を結んだような気さえし、フィンたちと何度もぶつかり合ったが、今では笑って話せる程度の事でしかない。

 

「……だから、私の“夢”と聞かれたのならば、『まだ見ぬ世界を見る』と言ったところか。それに―――そう、だな……いつか、ここから出て、旅に出ると言うのも―――」

 

 何時か―――そう、何時かは自分はまたこのオラリオから離れ、また旅に出ることだろう。

 それが何時になるかはわからないが……。

 

「そう、か……―――ふっ」

「……何だ?」

 

 何時かの夢に想いを馳せていると、シロが突然小さく吹き出すように笑いだした。口を押さえながらも目を細め肩を震わせるシロを、リヴェリアはむっと睨み付けた。

 

「いや、お前が森を出た理由がな」

「何だと? ―――ふんっ、笑いたければ笑うが良い。別に私は―――」

 

 確かに子供じみた理由は笑われても仕方がない。

 そう自分で思いながらも、人に笑われるのはやはり面白くはなかった。

 何故自分はこんな事を言ってしまったのだと後悔しながらも、何と揶揄われても、冷静に対処してやると考えていたが―――。

 

「随分とお転婆な女の子だったんだな」

「―――ッッ!!??」

 

 揶揄う様子など一切感じられない。

 それどころか何処か優しげに感じる初めて言われた言葉に、リヴェリアは大きく目を見開き動揺を露わにした。

 

「今の落ち着いた姿からは想像できないが、随分と活発だったんだな。エルフの王女様だということを考えれば、尚更―――」

「きっ、貴様ぁッ!!?」

 

 何とも言えない感情を吐き出すように大きな声を上げるリヴェリアに、シロはますます目を細めると優しげな目を向けてきた。

 

「そんなに大きな声を出さなくともいいだろう。ただ俺は、その頃のお前の姿を見てみたいと―――」

「―――だからそれが―――っッ……はぁ、まあいい。どうせ今の私は可愛げなど見られないということだろう。何せ子など産んだ覚えがないにも関わらず、ファミリアでは母親扱いされているからな」

 

 呼吸困難のようにパクパクと口を開いては閉じてを繰り返していたリヴェリアだったが、気を取り直すように頭を振ると憮然とした顔でそっぽを向いた。

 今度こそ何を言われても動揺などしてやらんと言うように。

 

「そうか? 十分可愛いじゃないか」

「…………え?」

 

 だがそれも、シロが不思議そうに口にした言葉を耳にした瞬間脆くも崩れ去った。

 

「それに、母と言われるのは、それだけファミリアの者たちから親しまれているという証明だろう」

「っ、そ、そういうのとは違う」

 

 動揺を全く収められず、ただ顔を左右に振って否定してみるしかなかった。顔を振る速度が余りにも速くまるでリヴェリアの顔が幾つもあるように見えた程であった。

 

「そう、なのか?」

「―――もう良いっ! それよりもシロッ!!」

 

 このままではいかん。

 何がいかんのかは自分でも理解できないながらも、リヴェリアはこれ以上シロが何かを言うのを防ぐように指を突きつける。

 

「な、なんだ?」

「私の夢を聞いたからには、お前の“夢”とやらも聞かせてもらおう。さあ、言ってみるがいい。お前の“夢”とやらをなっ!!」

 

 ビシィッとシロに指を突きつけ、荒い息をしながら顔を真っ赤にしたリヴェリアを見つめていたシロだったが、ゆっくりと視線を横に向けると、頬をぽりぽりと掻きながら口を開いた。

 

「…………“正義の味方”」

「…………は?」

「“正義の味方”だ」

 

 不貞腐れたように憮然とした顔でシロがそう言うと、リヴェリアは目と口を大きく丸く開き。

 

「―――ッッ!!? ハッ、ハハハハっ―――はははははははは―――」

 

 声を上げて笑った。

 お腹を押さえ普段の超然とした様子からは想像もつかない姿でリヴェリアは笑い転げる。

 それこそ文字通り地面に転がり笑い始めるのではと心配するほどに。

 暫らく腹を抱えて笑うリヴェリアをジト目で見つめていたシロだったが、諦めたように小さく息を吐いた。

 

「……好きに笑え」

「っ、す、すまない……わ、笑うつもりはなかったんだが……」

 

 笑いすぎて息苦しくなったのか、口元を隠す手から覗く顔は真っ赤に染まっている。

 

「……まあいい。笑われるとは思っていた……流石にここまで笑われるとは思ってはいなかったがな」

「……く、ふふ。しかし、“正義の味方”か……」

 

 目尻に浮かんだ涙をその細い指先で拭いながら、リヴェリアは何かを含むような言い方で呟いた。 

 

「荒唐無稽……それとも巫山戯ているように聞こえたか?」

「……いや、ただどう言う意味での“正義の味方”かと思ってな」

 

 ようやく笑いの発作が落ち着いてきたのか、元の白さに戻ってきた顔で先程の破顔などなかったかのような何時ものすまし顔でリヴェリアは肩をすくませた。

 その問いかけはただの会話の繋ぎだった。

 特に何か目的があったわけでも、知りたい事があったわけでもない。

 そう、ただ、ただの話の繋ぎ。

 ファミリア(仲間)でも見たことがないくらいの姿(笑い)を見られたことに対する罰の悪さもあった。

 だから、本当に何かを考えて聞いたものではなかった。

 そのため、その言葉が最初なんであるのかがわからなかった。

 

「―――全てだ」

「?」

 

 耳に届いたその言葉の意味が、シロが何を言いたいのかがリヴェリアには最初わからなかった。

 瞬きをし、改めてシロを見る。

 

「救いを求める者全てを救う。そんな“正義の味方”だ」

 

 全てを、救う。

 全て―――それは文字通りの全て(・・)なのだと、リヴェリアはシロの目を見て悟った。

 だから、リヴェリアは思わずシロの怖いほど真剣な瞳から逃げるように目を伏せてしまう。

 

「それは―――神にも不可能な話だな」

「……だろうな」

 

 リヴェリアの否定の言葉を、シロは反論することなく頷いて見せた。

 

「…………聞いても良いか」

「……何をだ」

 

 その穏やかとも言っていい態度に、リヴェリアはシロを見つめる。“正義の味方”等と口にする輩には、今まで何度か会った事はある。大抵の場合、己にとっての“正義”のみに対する“味方”でしかないただの俗物でしかなかったが。

 しかし、リヴェリアの目には、シロがそういう輩には見えない。

 そういう輩の目に見える、己の欲に濁った淀みがないからだ。

 ……なさすぎる、とも言えた。

 “正義の味方”―――それも、全ての救いを求める者を救う“正義の味方”になりたいと口にしながら……なのに、その瞳には何の熱も感じられない。

 ただ、意志だけがあった。

 硬い、鋼のような。

 

「何故、“正義の味方”になるのが“夢”なのかを」

「………………」

「………………」

 

 無言の時が過ぎる。

 互いに一言も口を開くことなく、視線を逸らす事もなく。

 ただ、見つめ続ける。

 真剣勝負をする武人のように、互いの隙を狙うかのような鋭く油断のない目で。

 互いに相手が何を求めているのかを探るように、二人は視線を交わし合う。

 そして、

 

「最近……夢を見る」

 

 シロが口を開いた。

 

「ゆめ?」

 

 シロの言葉に、リヴェリアは首を傾げた。

 

「そう、夢だ。多分、あれは俺が子供の頃の夢なんだろうな」

 

 リヴェリアの困惑を他所に、シロは独白を続ける。

 視線は虚空に、薄く細められた目は、ここではない何処かを見つめていた。

 

「それは、記憶を取り戻したということか?」

 

 シロには過去の記憶がない。

 そう、聞いていた。

 だから子供の頃の夢、との言葉に、リヴェリアは記憶を取り戻したのかと尋ねたのだが、シロは首を横に振った。

 

「……そういうわけじゃないんだが。だがまあ、そうだろうと思えるものは幾つかあってな。それは、その内の一つだ」

 

 過去の記憶を思い出を虚空に見るシロの目は、遠い何処かを見つめるように細められ。揺れる瞳には、穏やかな色が浮かんでいた。

 

「夢で……俺は親父と話をしていた」

「父?」

「『昔、僕は正義の味方になりたかった』―――そう言っていた」

 

 そこで言葉を切ったシロは、グッと歯を噛み締めると額に皺を寄せた。

 何かを耐えるように、もしくは、不満を示すように。

 

「―――俺は、それを聞いて、何故か酷く―――そう、とても嫌だった」

「嫌? ……それは?」

「……それは、きっと……俺にとって、親父が“正義の味方”だったからだろうな」

 

 そう言って見下ろしてくるシロの瞳を見返したリヴェリアは、ふっ、と息を飲んだ。それは、嫌だ、と不快を示して見せるのに、なのに、リヴェリアを映す瞳には、何の感情(・・・・)も見つける事が出来なかった。

 歯を噛み締め、眉間に皺を寄せ、その眼光は鋭い。

 ああ、なのに、その目の奥には、何も、ない(・・ ・・)

 

「だから、親父が“正義の味方”を否定するような事を口にしたことが、嫌でたまらなかった―――そう、だから、俺は……」

「…………」

 

 リヴェリアは、ただ無言のままシロの独白を聞き続ける。

 疑問、戸惑い、不安、様々な感情が浮かび上がってくる。

 

「……親父に言ったんだ。俺が―――『俺が親父の代わりに“正義の味方”になってやる』……とな」

「それは……」

 

 リヴェリアは思わず何かを言おうと口を開く。

 だがそれは、形になる前にシロの言葉により遮られた。

 

「―――だから、“正義の味方”になることが、俺の“夢”だ」

 

 強い言葉。

 立ちふさがる数多の困難を斬り拓く剣のような鋭く硬い意志の宿った言葉。

 なのに―――。

 

「そうだ……俺は“正義の味方”にならなければいけない……」

 

 シロの目の奥には、何の輝きも見られない。

 希望も、願いも、祈りも、遠い―――『全てを救う正義の味方』という余りにも途方もない夢を語るシロの“夢”には、無機質で硬質な意志しか感じられなかった。

 じっとシロを見つめ続けていたリヴェリアだったが、何かを耐えるように歯を噛み締めると、小さく頭を振り、そして頭を下げた。

 

「……すまなかった」

「何故謝る?」

 

 謝罪を口にするリヴェリアに、シロは首を傾げてみせる。

 

「お前の“夢”を笑ったからな」

「ふっ……くく、いや、構わないさ」

「だが、私は―――」

 

 リヴェリアは、シロの言葉を、夢を疑ってはいない。

 夢を語るには、シロの言葉の奥に潜むナニカは余りにも虚ろに過ぎたが、その夢自体は非難されるようなものではない。笑われるものではない。(正義の味方)を目指す理由もまた、笑うべきものではない。

 シロの夢に対し納得できない所はある。それが何かはわからないが、だからといってシロの夢を笑っていいものではない。

 だからリヴェリアは頭を下げた。

 心からの謝罪を示した。

 そのため構わないというシロに、自分が構うのだと言うように更に頭を下げようとした。

 その頭上に、シロの笑いが篭った言葉が掛けられる。

 

「構わない。笑われるのはなれて―――……なれている。それに、良いもの(・・・・)を見せてもらったしな」

「良いもの?」

 

 シロの言葉と、その言葉に込められた笑いに思わず顔を上げたリヴェリア。

 きょとん、とした何処か幼くにも見えるリヴェリアに、シロは口元に浮かんでいた小さな笑みを顔中に広げると、人差し指を立て茶目っ気たっぷりに言ってやった。

 

「何時もの生真面目な顔も悪くはないが、さっきみたいにたまには笑ってみろ。笑うお前は、とても可愛らしかったぞ」

「―――――――――っっッッ!!???!!」

 

 普段の硬質な戦士の顔からは想像もできない子供のような、無邪気とも言える笑みと共に言われた言葉に、リヴェリアは一瞬にして顔を赤く染め上げた。

 一度も日を浴びたことのないような雪のような肌が瞬く間に朱が広がり、頭頂から湯気が出かねない程の熱が全身を駆け巡った。

 気付けば顔を両手で覆い伏せていた。

 

「どうかしたか?」

「―――っ! な、何でもないっ」

 

 覗きこんでくるシロの目から逃れるように、リヴェリアは赤く染まった顔をますます深く下げた。長い緑色の髪が帳となって、シロの視線を遮る。顔を伏せたまま、何かを耐えるように身体を震わせるリヴェリアを、不思議そうに見つめるシロ。黙り込んだまま動かないリヴェリアをそのまま暫くの間見ていたシロだったが、困ったように頭をかくとくるりと背中を向けた。

 

「あと少し見て回ったら、フィン達の下へ戻るか」

 

 そう言って歩き出すシロの背中を、未だ火照る頬に手を添えたリヴェリアが、恐る恐ると言った様相で上目遣いで見つめていた。

 

 ―――この、男は……

 

 怒りとも恥ずかしさとも似ているようで違う、初めて感じる熱と動悸に戸惑う中、リヴェリアは遠ざかる背中を見る目の目尻を釣り上げた。

 さっさと自分に背を向け歩きだすその後ろ姿に、何故か不満を感じながらも髪をかきあげ背を伸ばし、遠ざかりつつある赤い背中を追いかけるため足を踏み出した。

 リヴェリアは直ぐにシロに追いついた。追いつくまで気付かなかったが、どうやらシロは、リヴェリアが直ぐに追いつけるように歩調を調整していたようだ。その事に気付いた時、リヴェリアの胸の奥に暖かな熱が宿り、シロの隣へと向かおうとする足を緩めてしまった。そしてそのままシロの後ろをついて歩き始めた。

 落ち着き始めていた動悸は、またも強くなった。

 

 ―――本当に、何なのだ……

 

 自然と胸に手を置いたリヴェリアは、普段より駆け足気味となっている鼓動に意識を傾けながら、シロの後ろをついて行く。ドクドクと、微かに苦しいが、何処か甘く感じる痛み。小首を傾げながらリヴェリアは手を伸ばせば触れるか触れないかの微妙な距離を保ったまま、シロの後ろを付いて歩く。

 ぼうっとシロの背中を見つめていたリヴェリアだったが、このままでは何か危険な気がすると頭を強く振ると、無理やりにでもこの何とも言えない空気を散らそうと何も考えないまま口を聞いた。

 

「そ、そう言えば先程の話だが」

「話? ……ああ、“夢”についてのことか?」

 

 振り返らないまま頷くシロの背に、リヴェリアも頷く。

 

「そ、そうだ。お前の“夢”について話している姿を見た時に思ったのだが……」

 

 そこまで口にして、やっとリヴェリアは改めてシロの語った“夢”について思い出す。

 そう、あの時、確かにリヴェリアは思ったのだ。

 

 “夢”―――“将来の”―――“未来の”―――いつかなりたい憧れを口にするにしては―――それは余りにも重かった。

 

 それにシロは言っていた。

 

 『正義の味方にならなければ』と―――『なりたい』ではなかった。

 

 その言い方ではまるで―――。

 

「……お前は、“正義の味方()”を目指すことをまるで、“義務”のように言うのだな……」

「…………」

「―――それは、父の“夢”を受け継いだから、そう(・・)なのか?」

 

 そう言いながらも、リヴェリアは違うと感じていた。何か確信がある訳ではない。漠然と、ただの勘に近いものでしかなかったが、違うと、リヴェリアは感じていた。

 そして、シロが父の夢を受け継ぐと決めた理由の中に、その答えはあるとも感じていた。

 

「……父親が自分にとっての“正義の味方”だと言っていたな」

 

 胸が痛い。

 先程までの何処か甘やかなものとは全く違う。鋭い針で突き刺されるような、冷たく苦しい痛み。

 その痛みの理由は、これから自分が言おうとしている言葉に、彼がどう感じるかを思ったからだろうか。

 それでも、自分は―――。

 

「シロ……お前は―――お前のその“夢”は―――」

「ああ、そう(・・)なのかもしれないな……」

 

 しかし、続く言葉は形とならず、息と共に喉奥に落ちていった。

 

「だがな、それでも(・・・・)、俺は―――」

 

 振り返ったシロ。

 向かい合うシロと自分(リヴェリア)

 鍛えられた剣のように強固な光を宿していた琥珀色の瞳は、虚ろに沈んでいる。

 何の感情も見つけられないそこには、何の意思も思考も感じられない。

 まるで、人形。

 こうあれと指示を下された泥人形(ゴーレム)のような、己の意志も思考もない、人形のような瞳。

 ひりつく喉と知らず開かれた瞳に映る目の前に立つ男。

 

 

 これは、誰だ?

 

 

 

「―――“正義の味方”にならなければならない」

 

 

 

 

 これは―――ナンだ? 

 

 

 

 

 

 

 

 




 エルフはレフィーヤだけではないっ!!

 感想ご指摘お待ちしています。


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第五話 襲撃

 最近更新していなかったので、短いけど投稿します。


「―――っシ」

 

 数瞬の躊躇の後、リヴェリアがシロに向かって何かを言おうとした時であった。

 ドンッ! と腹を殴りつけるような衝撃と破壊音、そして身体を震わせる地揺れが生じたのは。突然の出来事に、リヴェリアの足が大きくよろめく。咄嗟にバランスを取ろうとするが、大きく体勢が崩れたのを元に戻すのは流石に無理があった。反射的に伸ばした両手は空を掴み、そのまま地面へと倒れていく。

 

「ぁ」

 

 小さく開かれた口からは意味の無い言葉がもれ、伸ばされた両手を微かに動かすしかなかった。しかし、伸ばした手を、伸ばされた手が力強く握り締め、リヴェリアが地面へと倒れていくのを防ぐ。リヴェリアの手を握りしめていたのはシロであった。シロはそのままリヴェリアの手を掴んだ手に力を込め、一息に自身の方へと引き寄せる。しかしシロの力は強く、リヴェリアは止まる事も出来ずそのままシロの胸の中にぶつかるようにして飛び込む羽目となった。

 

「っ、す、すまないっ!?」

 

 直ぐにシロの胸に両手を置き、一気に手を伸ばし飛ぶように離れるリヴェリア。数メートルの距離の間合いを一瞬にして作ると、リヴェリアは両の手で顔を覆うようにして挟んだ。手の指の隙間や首筋など隠しきれないところから赤い色が見える。

 

「リヴェリア」

 

 隠れるように自身の手で顔を覆っていたリヴェリアだったが、掛けられたシロの声に警戒の色を感じると、直ぐさまその強靭な意志力により、錯乱しかけていた思考に喝を入れ顔を上げた。シロを見つめる頬は、微かに赤みが見えるが、そこには何時もの冷静沈着な【ロキ・ファミリア】の副団長の姿があった。

 

「広場の様子がおかしい」

 

 シロの言葉に広場の方向へと視線を向けた時、リヴェリアの耳がモンスターの咆哮を捕らえた。

 

「モンスター……っ!」

「の、ようだな」

 

 リヴェリアの驚きの声に、シロが首肯する。

 

「それも一匹二匹といった数ではなさそうだ。急ぐぞリヴェリア」

「わかった。急ごう」

 

 幾重にも重なったモンスターの咆哮に顔を顰めながらリヴェリアとシロは広場へと急ぎ駆け出した。

 二人の向かう先。水晶広場からもうもうと立ち上る煙の中からモンスターの叫び声と共に、破壊音や悲鳴、罵声が聞こえてくる。

 水晶広場では、モンスターと冒険者との間で壮絶な戦いが始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まいったな―――」

  

 フィンは襲いかかってくる触手の群れを切り払いながらため息と共に呟いた。水晶広場は今、モンスターで溢れかえっていた。何の前触れものなく街のあちらこちらから突如現れたモンスターたちは、一斉に冒険者たちが集まっていた広場へと押し寄せてきた。迫り来るモンスターの姿は、一見すれば蛇のように見える外見をした食人花であった。そのモンスターについて、フィンはアイズからの報告により聞いており知っていた。

 推定Lv.3~4。

 最高LvがLv.3であるここ『リヴィラの街』では、多くがLv.1~2でしかない。一対一でこのモンスターと渡り合える者などは数える程度しかおらず、また、そのLv.の通り、経験の少ない者が多く、突発的な状況に冷静に対応できるような者も同様に少なかった。あっという間に広場に到達したモンスターが無数の触手を振り回し、耐える事も出来ず吹き飛ばされる冒険者たち。直ぐにフィンはティオナたちに他の冒険者たちを守るよう指示するが、広場に到達するモンスターはどんどんとその数を増やしていく。ティオナたちの手には怪物祭の時とは違い、その手には己の獲物があった。そのため、手こずるような事はなく、次々にモンスターを討ち取るが、広場へと襲いかかるモンスターの数は討伐の速度と比べ余りにも多く、絶対的に手の数が足りなかった。それだけでなく、突然の無数の自分たちより強いモンスターの襲撃に、『リヴィラの街』の冒険者たちは連携することはおろか、まるで一般人のようにただ悲鳴を上げ何の考えもなしにバラバラに逃げ出すことしか出来ないでいた。

 その様子に直ぐさまフィンは街の代表者であるボールスに指示を出した。

 魔法を使える冒険者を広場の中央に集め、魔法を使わせモンスターを集めさせ、個々人でモンスターに対応している冒険者を五人一組で小隊を組ませモンスターに対応させた。何時もフィンに反発するボールスだが、今の状況を理解できない程に愚かではない。フィンの指示にボールスは不満の声を上げる事なく素直に了承し、周囲の冒険者に怒声を張り上げ指示を繰り返す。少しばかり手間取ったが、フィンの指示通り十数人の冒険者が広場の中央で魔法を使用することで、それまでバラバラに冒険者たちを襲っていたモンスターを一箇所に集めることに成功した。押し寄せるモンスターをフィンは槍を振るい次々に屠っていく。長大なモンスターを一撃で次々に倒していく小人族(パルゥム)の勇者の姿とその鼓舞の叫びに、逃げ惑っていた冒険者たちも奮い立ち、ボールスの指示に従い五人一組となってモンスターへの反撃を始めた。次第に混乱は収まり、事態は収束へと向かっていくのを、フィンはモンスターを屠りながら確認していた。

 

「……リヴェリアか、せめてレフィーヤがいてくれたら」

 

 今現在この広場には【ロキ・ファミリア】が誇る魔法使いが二人共いなかった。リヴェリアはフィンの指示でシロと共に行動しているため仕方がないが、レフィーヤの方はわからない。この騒ぎでアイズの姿も見られないことから、二人一緒に行動していることは何となく分かるが、その行き先まではわからない。せめてレフィーヤがいれば、わざわざ複数の冒険者を集め魔法を発動させるといった手間を取らないで済んだのだが。

 とはいえ何とか山場は超えた。後はこのまま残ったモンスターを殲滅するだけ―――な筈なのだが、フィンは胸のざわつきが収まらないでいた。目を細め、周囲をもう一度確認する。

 

「数が、減っていない」

 

 いや、それどころか増えていた。

 

「まさか―――っ」

 

 直感に従いフィンは駆け出した。向かう先は街の端。島の断崖上に築かれた天然の要塞であるこの街に、見張りたちに気付かせずモンスターはどうやって現れた。フィンは脳裏で固まっていく疑念に答えを出すため、瓦礫の山と化した街の中を駆けていく。瞬く間に街の端に辿り着いたフィンは、そのままの勢いで崖際に設けられた欄干に手をやると、身を乗り出すようにして崖下を見下ろした。

 

「っ―――くそっ!?」

 

 罵倒がフィンの口から放たれた。

 フィンの見下ろす先。崖下二百M以上の絶壁の下の湖面から、数え切れない程の無数のモンスターが湖の中から現れ絶壁をよじ登って来ている。Lv.6であるフィンであっても流石に一人でこれを対処することは出来ない。

 だが、問題はそこではない。

 湖の中に身を隠すだけでもおかしいと言うのに、安全階層(セーフティポイント)にモンスターが群れをなして潜伏するなど絶対に有り得ない行動。そしてその襲撃のタイミングもそうだ。何故、今このタイミングなのか。あまりにもタイミングが良すぎる。

 

「やはり、これは―――」

 

 これだけの強さに、この数。

 到底信じられはしない。

 しかし、それ以外の可能性は低い。

 まるで計ったようなタイミング―――ではないのだ。

 これには明らかに人の意思が介在している。

 ならば、考えられる答えはただ一つだけ。

 それは―――。

 

調教師(テイマー)かッ!!」

 

 

 

 

 

「―――フィンッ!」

「ああ、やっと来たね」

 

 同時に数体のモンスターを相手にしながら、フィンは視線を声が聞こえてきた方向に顔を向け安堵の息を漏らした。そこには、モンスターをあしらいながら駆けつけてくるリヴェリアの姿があった。そしてその隣には、【ヘスティア・ファミリア】のシロの姿も。

 

「一体どういう状況だ」

「詳しい事は何も。ただ、分かっているのは、この一連の事件、裏に調教師(テイマー)がいる可能性が高いということだけかな」

「……このモンスターを調教師(テイマー)が、か……俄かには信じられないな」

 

 フィンの傍まで辿り着いたシロは、フィンが相手にしていたモンスターを全て倒すのを確認すると、何があったのかを問いかけたが、返ってきた答えは予想外のものであった。周囲をチラリと見回し、濁流のように押し寄せるモンスターの群れに思わず否定の声が上がりかける。しかし、シロは気持ちを切り替えるように一度瞼を閉じ、次に開いた時には全てを腹に収めてみせた。

 

「お前が言うのなら間違いないだろう。色々と聞きたい事はあるが、まずはこのモンスターの群れをどうにかしないとな」

「こういう時の仕事は、リヴェリアだね」

 

 シロとフィンの視線がリヴェリアへと向けられる。既に予想していたのか、リヴェリアは焦る様子も見せず静かに頷いて見せた。

 

「……この数だ。減らすには相応の魔法が必要だ、が……魔法の発動にそれなりに時間がかかる」

「時間稼ぎは任せておけ」

「分かってるよ。ま、この程度の相手と数ならボクと彼だけで十分だね」

 

 フィンとシロがリヴェリアを挟むようにして立つ。リヴェリアが魔法の詠唱を始めると同時に、周囲のモンスターが一斉にリヴェリア目掛け襲いかかってきた。巨大なモンスターが押し寄せる津波のようにフィンたちに向かって迫り来る。Lv.1や2では何の抵抗も出来ず押しつぶされるしかない光景だが、この二人にあってはそうではない。フィンが槍を構え、シロが双剣を握り締める。まずはリヴェリア目掛け突出した数体を一息でシロが両の手で握る双剣をもってその首を両断する。太く硬い花の幹にあたる部分を、たった一振り、しかも片手で握った剣で切り落とした。思わずフィンの目が驚きに見開かれる。だが、その間もシロは止まらない。シロの振るう双剣が、まるでそれぞれに意思が宿ったかのように複雑な動きを魅せる。風に巻かれて宙を舞う羽のように不規則で軽やかな動きを見せたかと思うと、激流のような激しい斬撃を見舞う。到底Lv.1とは思えない。いや、Lv.5を超える冒険者の中でも、これに匹敵する剣技を持つのは一体どれだけいることだろうか。シロは自ら迫り来るモンスターの群れに飛び込んでいく。飛び込んできたシロに、リヴェリアに襲いかかろうとしていたモンスターたちがその進行方向を曲げた。向かう先にはシロの姿が。

 

「? 何だ?」

 

 まるで吸い寄せられるようにシロへと襲いかかるモンスターたち。リヴェリアに襲いかかろうとしたモンスターの半分近くがシロがいる方向へと進路を変更する。フィンは残ったリヴェリアに向かうモンスターの相手をしながら訝しげな視線をシロに向けた。そして気付いた。

 

「あの剣、魔力が……」

 

 シロが振るう双剣。その身に魔力が込められているのを。

 

「一体何時の間に」

 

 さっき見た時までは魔力なんてものは感じられなかった。確かに業物だとは思っていたが、ただそれだけ。しかし、今シロが振るう双剣に宿った魔力の総量は、Lv.3か4の冒険者が使う魔法に匹敵する。

 付与魔法(エンチャント)

 直ぐにその言葉が頭に浮かぶが、フィンの知るそれとは双剣に宿った力は何処か違う気がした。だが、それが何なのかはフィンには分からない。

 

「まあ、今はそんな事に構ってはいられないか」

 

 シロについて分からない事と言うのは、今更であった。シロについては、関わる度に謎ばかり増えていく。その謎を解き明かすのも良いが、今はそんな事を悠長に考えている暇はなかった。あっち(シロ)が半分相手をしていてくれるとは言え、残り半分はこちら(リヴェリア)の方へと向かっている。そしてそれを自分は押しとどめなければならないのだから。

 シロに向かわないモンスターの相手をしながら、フィンは妙な安心感を抱いているのを感じ苦笑を浮かべた。Lv.6のフィン(自分)でさえ数が揃えば手間取るモンスターだ。Lv.1は論外で、Lv.2でも、いやLv.3であっても一匹相手にするだけがやっとの力を持つモンスター。オラリオ最強と呼ばれる【ロキ・ファミリア】の中であっても、このモンスターの群れを相手にできるのは数える程度しかいない。安心して任せられると言えるのは、もっと少ないだろう。

 なのに、今そのモンスターを群れで相手にしているのは無名とも言っていいLv.1の冒険者だ。しかし、それを知っていながら、フィンは背中を預ける安心感があった。

 シロが相手をしているモンスターの群れに視線をやる。シロは何十ものモンスターが振るう百を超える触手の攻撃を避けるだけでなく、密集しているのを逆手に同士打ちをさせたり、足場にしたりと危なげなく相手にしている。

 レフィーヤからの報告では、怪物祭では一匹相手でも手こずったそうだが、この光景を見る限りちょっと信じられなかった。もしレフィーヤの報告が真実ならば、シロはこの短い間でどれだけ力を伸ばしたのか。

 

「……本当に君は一体、何者なんだい」

 

 フィンの誰に聞かせるでもない問いかけと共に、背後でリヴェリアの魔法が発動し、『リヴィラの街』に火炎の柱が幾柱も出現し、モンスターを焼き払った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。

 いや~更新遅れてすみませんでした。m(__)m

 何してたって?
 
 ……二人の白―――

 君の名……

 ……ちょ、ちょっと仕事がね……。




 


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第六話 弓

 勢いで書き上げたので、後ほど修正する可能性高し。

 変なとこありましたらご指摘お願いします。



「大分落ち着いてきたな」

「まあ、でもまだ油断は出来ないけど」

 

 リヴェリアの魔法によってその数を大幅に減らしたモンスターの残りを片付けながらのシロの言葉に、フィンは五人一組でモンスターと戦っている冒険者たちの姿を見ながら応える。フィンの応えに無言で同意したシロは、モンスターに手こずっている冒険者たちの下へと駆け出していった。フィンは冒険者たちを追い詰めようとしたモンスターを一刀の下に切り伏せるシロの姿を見つめながら呆れた声をもらす。

 

「あれでLv.1だとか、本当になんの冗談だって話だね」

「確かに、経験や技術もそうだが、あの身体能力もLv.1とは到底信じられない」

 

 呆れ声を上げるフィンに、リヴェリアもまたLv.2を含んだ小隊が苦戦していたモンスターを一蹴するシロの姿を見ながら呆れた声を上げた。シロの戦闘を興味深い研究対象を観察する学者のように目を細め見つめていたフィンが、その観察結果を報告する。

 

「単純に身体能力だけでもLv.2どころじゃない。Lv.3の上位に匹敵……下手をすればLv.4に届いているかもしれない。ここまでとなると、本当にLv.1なのか怪しいところだね」

「……冒険者の中にはギルドにLv.を偽っている者もいると聞くが、シロもそうだと言うのか? 確かに、ここまでの力がある事実から考えてみれば……いや、それはないか」

 

 シロの自己申告であるLv.1という証言自体に疑いの疑念を向けるフィン。それも仕方がないことだろう。Lvというモノはそれ程までに絶対だ。Lvが一つ違うだけで、文字通り次元が違う。昨日まで手も足も出なかったモンスターを、Lvが一つ上がってしまうと一撃で倒してしまえる事もある。

 推定Lvが3という驚異的なモンスターをLv.1の冒険者が倒せるはずがない。しかし、現実にシロはモンスター(Lv.3)を倒している。Lvが一つ違うだけでも絶望的な相手が、二つも違う。それも同Lvの中でも驚異的な防御力を持つモンスターをだ。

 なら考えられるのはそう多くはない。

 その一つが、シロはLvを偽っているという疑念だが。

 それはリヴェリアに一笑に伏せられた。

 その余りにも断定的なリヴェリアの応えに、フィンは若干の戸惑いを覚えた。

 

「? 随分とはっきりと断言するんだね? 彼が嘘を言っていないという根拠でもあるのかい?」

「……根拠、ではないが、嘘をつくというのはどうにも……」

 

 ジッ、と下から覗き込んでくるフィンの視線から逃れるように、その細い顎先に手を当てたリヴェリアは、ふっと小さな笑みを口元に浮かべると、誰にも聞こえない声で呟いた。

 

「―――“正義の味方”には、似合わないからな」

「リヴェリア?」 

 

 唐突に笑みを浮かべたリヴェリアにフィンが戸惑った声で彼女の名を呼んだ。リヴェリアがこんな感じの小さな笑みを浮かべる事はそんなに珍しいことではないのだが、今彼女が浮かべるものは、初めて見るものだと感じてしまったために。

 

「どうかし―――」

 

 ―――オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オオオオォォォォォォ…………

 

 だが、その疑問を解決するための問いかけは、突如出現したモンスターによって遮られた。

 現れたモンスターは、一見すると巨大な蛸のように見えた。十本以上の長い足は、その全てが食人花のモンスターから構成され、その一本一本が、意思を持っているかのようにばらばらに蠢いている。その足とも触手とも呼べないものの起点である中心には、極彩色をした明らかに女の形をした上半身が存在している。高さは目測で約六Mはあるだろうか、確かに大した巨大さだが、問題は縦よりも横。足なのか触手なのかはわからないが、足を折りたたんだ状態でも、十Mは超えている。余りにも巨大だ。遠く遠距離で確認するその姿は、大きさを度外視するならば、海辺に潜むと言われる半人半蛸(スキュラ)のように見える。

 しかし、十を優に超える触手()が一斉に咆哮を上げながら広場に侵入してくるそのモンスターの巨体を見上げるフィンとリヴェリアには、以前戦ったモンスターの面影をその姿に重ねていた。モンスターが寄り集まって型どられたと言った点でも良く似ていた。以前『遠征』において五十階層で遭遇した女体型モンスター。その構成物こそ芋虫ではなく食人花と違うが、それ以外は本当に良く似ていた。

 

「リヴェリア、これは……」

「ああ、良く似ている―――だが」

「始末するのが先決だね」

 

 互いに頷き合うリヴェリアとフィン。

 

「……冷静に話し合うのは結構だが、このままではボールス達が全滅するぞ」

 

 戻ってきたシロが肩を竦めながら悲鳴を上げ逃げ惑うボールス達へと視線を向ける、と。巨大なモンスターが広場に侵入してきた時点で逃げ始めた冒険者たちと一緒に避難するボールスが、怒声とも悲鳴ともつかない声で『さっさとどうにかしろっ!』と叫んでいる姿が見える。

 

「どうにか、か……あの足一本でも厄介だと言うのに」

 

 苦笑を浮かべたシロが、蠢く蛸足と成り果てた食人花たちを見やる。足となった食人花は、元の姿よりも一回り以上も太くなり、更にはその黄緑の体皮には、真紅の葉脈がびっしりと浮かび上がっている。まるで憤怒に染まり狂乱に落ちた狂戦士のようだ。明らかに先程まで相手にしていた食人花よりも手強く見える。

 

「厄介なんて謙遜が過ぎると思うけど?」

「何を言っている? お前たちと違って俺は常にギリギリだ」

 

 フィンはシロの言葉に笑うと、手に持つ槍を構えた。

 フィンの視線の先にあるのは、極彩色の女の形をした上半身。その顔にあたる部分は、目も鼻もなく、ただ口だけが確認できた。人を軽く一飲みにできそうな大きな口は、眠り込む人のように薄く開いている。人で言うと髪にあたる所は、緑色の髪が腰の部分まで届いている。肩から肘までは普通の人間と同じだが、そこから先は無数の触手となっている。今は上半身の意識がないためか、その全てが咆哮を上げる食人花()の上へとしなだれかかっている。

 

「どうやら皆集まったようだ。ほら、私たちもさっさと行くぞ」

 

 巨大な女型のモンスターの周りに、今まで行方知れずだったアイズとレフィーヤ、そしてティオネとティオナの姿を見て走り出すリヴェリア。シロとフィンはその後ろを追いかけ戦闘を始めたアイズ達の下へと近付いていく。

 駆けるシロたちの前で、食人花が執拗にアイズに襲いかかっていた。モンスターに備わった下肢の全ての食人花が、アイズに食らいつこうとその牙を剥き出しにしている。

 

「アイズを狙っている!?」

魔法()に惹きつけられているのかな?」

「その可能性は高いな」

 

 それぞれに意見を言いながらアイズを追うモンスターに接近するシロたちだったが、ティオネたちの方が早かった。ティオネとティオナがアイズに殺到する食人花へと飛びかかり、構えた獲物でもって一刀の下切り伏せる。姉妹が魅せた斬撃は、見事に通常の食人花よりも太いその身体を真っ二つに切り分けた。だが、半ばを断たれた足が、その断面から血の如く樹液のようなものを垂れながしながらティオナを弾き飛ばした。自分の技の結果に満足したように会心の笑みを浮かべ油断していたティオナは、咄嗟に大双刃(ウルガ)の鉄塊の如き剣身を盾にするが、一瞬も耐える事も出来ず地面を転がっていく。しかし、ダメージを感じさせずに直ぐさま立ち上がったティオナは、大双刃をモンスターへと向けた。

 

「ちょっとどう言うことっ!? 真っ二つになったのに何で動けるのっ!?」

「この馬鹿ッ!! ありゃもう足の一本にしか過ぎないのよっ! 動くに決まってるでしょっ!!」

 

 ティオナの文句にティオネが叫んで忠告する。頬を膨らませ未だぶーぶーと不平不満を口にする妹に忠告しながらも、ティオネは襲いかかる触手を両手に持つ湾短刀(ククリナイフ)でもって切り裂いていく。ティオナ()のように一撃で切り伏せることはできないが、冷静に冷酷に一瞬にして触手を確実に切り刻み行動不能にしている。足が次々に打ち取られ、動きの精彩が失われると、ティオナとティオネは申し合わせたように共に飛び上がりモンスターの女体型の上半身へと襲いかかる。が、そこで初めて女体型の上半身が動く。しつこくアイズの後を見つめていた顔をティオナ達の方へと向けると、腕の触手を一気に伸ばし矢のように放出した。

 

「ちょっ―――っ?!」

「くっ!?」

 

 一斉に襲いかかる槍衾の如き無数の触手を慌てて切り払うティオナとティオネ。触手の槍は一方向からだけではない。曲線を描き四方八方からティオネたちへと襲いかかる。空中にいるため足元からも触手が迫っていた。死角から襲い来る触手の群れを何とかくぐり抜けたティオナとティオネは、砂煙を立てながら地面に着地すると、改めて武器を構え巨大なモンスターを睨みつけた。

 

「次はこちらの番だね」

「でかくて硬い、か……相性は悪いが仕方がない」

「それでは―――そこのエルフっ! 背の弓を貸せ!」

 

 モンスターと相対するティオナとティオネを挟むようにその横を駆け抜けたシロとフィンの二人は、同時に大地を蹴りモンスターに踊りかかった。その後ろ。ティオナとティオネよりもずっと後ろでは、立ち止まったリヴェリアがエルフの男から受け取った弓を構えている。リヴェリアの持つ弓の持ち主は、仲間でも友人でもない初めて会った相手からの命令に無条件で従った。何せ相手は王族(ハイエルフ)。その呼びかけを拒否する事などそのエルフの男の脳裏に一欠片も浮かんではいなかった。

 シロとフィンがそれぞれの獲物でもって巨大なモンスターに斬りかかる中、リヴェリアはエルフの男から受け取った濃紺色の大型の破砕弓に矢を番え構え、立て続けに矢を放つ。リヴェリアが放った矢は狙い違わず全てモンスターへと迫るが、その全てが触手に弾かれてしまう。だが、それは狙いどおりだった。触手が矢を弾く際に生まれる隙を、熟練の戦士であるシロとフィンが見逃すわけがない。シロの双剣が、フィンの槍が、食人花を切り裂き突き穿つ。フィンたちの攻撃に食人花は矢よりシロたちの攻撃に意識を向けると、そこにリヴェリアの短槍のような巨大な矢が突き立った。無数の触手を持つこのモンスターであっても、シロとフィン、そしてリヴェリアの三人の攻撃を捌き切ることは不可能であった。徐々に追い詰められていくモンスターの触手()が、力を無くしぐにゃりと形を崩した。

 

「ボールスっ! こちらはこいつで手一杯だっ! 指揮はお前がやれっ!」

 

 シロは遠目で自分たちを見ていたボールスに声をかけると、返事も聞かずにモンスターへと斬りかかっていく。シロの言葉に何か言おうと口を開いたボールスだったが、顔をぴしゃりと一つ強く叩くと怒りも露わに未だ残る食人花の残敵にあたる他の冒険者に八つ当たり気味に怒声で指示を出し始めた。

 その姿をチラリと確認し、口元に小さく笑みを浮かべたシロは、女体型の腕から放たれる触手の槍を飛んで避けると、そのままその上に乗って一直線に駆け出した。振り落とされるよりも速くモンスターの肩口に辿り着くと、双剣を大きく振りかぶり巨大な円を描いた。大地を切り裂くように深々と足元を切り裂いた斬撃は、見事モンスターの肩を切断した。

 切り落とされた肩の上に乗ったシロは、共に重力に従い落ちていく。破鐘を叩いたかのような悲鳴を上げる顔が一気に遠ざかる。切断された巨大な腕が地面に落ちる直前に腕からシロは飛び上がる。上昇し広がる視界の端に、赤い髪の女と戦いながら広場から遠ざかるアイズの姿が映った。

 訝しみ、細めたシロの目を影が覆う。

 

「―――ッ」

 

 モンスターが残った片腕の触手を鞭のように振り回し叩きつけようとしていた。

 咄嗟に剣を横に振り、迫る触手を全身を使って逸す。何とか直撃は避けたが、宙に浮いていた身体は踏ん張る事は出来ず吹き飛ばされてしまう。

 吹き飛ばされるシロと入れ替わるように、フィンたちの奮闘に奮い立った他の冒険者たちが女体型に挑みかかっていく。だが、腕を片方切り落とされ、触手を幾つも切断されても、モンスターは未だ強かった。触手を大きく広げ、風車のように振り回し群がる冒険者たちを吹き飛ばしていく。だからといって、後方だからといって安全ではない。触手が届かない位置で詠唱を始めた魔道士は、魔力を検知され範囲外と思われたところまで伸びてきた食人花に率先して襲われてしまう。

 文字通り相手になっていない。蠅でも追い散らされるように冒険者たちが倒されていく。対抗できているのは、フィンたち高位の冒険者たちだけであった。

 

「―――っもう! 面倒すぎっ!?」

 

 文句を言いながらティオナが大双刃(ウルガ)を振り回す。ティオナは幾度もその刃をもって食人花の身体を切り飛ばしたが、精々長さが短くなるだけで動きは止まらない。

 

「まあ、(魔石)が埋まっているだろう上半身を狙うしかないんだけど……」

 

 そう言いながら地面に落ちていた短槍を足で蹴り上げ掴み取ると、女体型の上半身目掛け投げつける。女体型の丁度水月を狙って放たれた短槍は、突き刺さる直前に腕から生えた触手によって阻まれてしまう。砕かれ舞い散る槍の欠片を見上げながらフィンは嘆息する。

 シロの手によって片腕になっても女体型の触手による防御は未だ鉄壁のままであった。あの触手の盾を前に、遠距離から攻撃を通すのはほぼ不可能だろう。

 可能だとすれば、それは―――。

 

「やっぱりリヴェリアたちに任せるしかない、か」

 

 フィンが振り返って目を向けた方向。広場の東側最奥―――そこには島の湖を背にし立つリヴェリアが杖を水平に構え詠唱を始めていた。

 

「【誇り高き戦士よ、森の射手隊よ】」

 

 その力を示すように大きく広がる魔法円(マジックサークル)

 幾重もの翡翠色をした円が輝き、中心に立つリヴェリアを眩い光粒と光条が照らし出す。放出される魔力が、遠目で見守る魔道士たちの心胆を震え上がらせる。

 

「【押し寄せる略奪者を前に弓を取れ。同胞の声に応え、矢を番えよ】」

『ッッ!!??』

 

 強大な魔力の出現に、敏感に反応した女体型が広場の中心から島の端へ―――リヴェリアへ向かって進撃を始めた。立ちふさがるものを全て吹き飛ばし進む巨躯のモンスターを阻めるものは誰もいない。進路上にいた冒険者たちが慌てて逃げ出していく。

 短くない距離であったが、女体型はリヴェリアの詠唱が半ばを超えた辺りで辿り着いた。無数の触手と食人花がリヴェリアに咆哮と上げ襲いかかる。リヴェリアと女体型とに残された距離は二十M程度。女体型にとっては最早間合いの中。女体型の触手がリヴェリアへ向け伸ばされる。

 と、リヴェリアは詠唱を中断し横に飛んで触手を避けた。

 魔法円(マジックサークル)から離れ、女体型の攻撃を避けたリヴェリアだが、詠唱は中断され魔法は失敗に終わる。しかしリヴェリアは魔法が不発に終わった事に悔しげな様子を見せることもなく、女体型の攻撃から逃げ続けるだけ。その様子に戸惑うように身体を揺らした女体型がその首を傾げた時であった。

 

「―――【雨の如く降りそそぎ、蛮族どもを焼き払え】」

『!!??』

 

 女体型の顔が後方に向けられる。振り返った女体型の顔の正面の先には、広場西側最奥に立つ一人のエルフの姿があった。山吹色の魔法円(マジックサークル)の上に立つエルフの少女―――レフィーヤが魔法の詠唱をしていた。強力な魔道士が複数いて初めてできる囮攻撃(デコイ・アタック)

 (リヴェリア)の強力な魔力を隠れ蓑に、本命(レフィーヤ)がリヴェリアに合わせて詠唱をする。

 レフィーヤの詠唱が佳境へと至る。

 本能的に間に合わないと悟った女体型が、咄嗟に湖に飛び込もうとするが、そこに立ち塞がる者がいた。

 

「ここを通りたければ俺を倒してからにしろ」

 

 双剣を構えたシロの姿に、相手をしている暇はないと判断した女体型が反転、島の南側めがけ逃げ出していく。ただ逃げ出すことだけに集中した女体型の足は速く、あっという間に島の端に近付いていく。だが、島の南端にたどり着くよりも先にレフィーヤの魔法は完成した。

 

「【ヒュゼレイド・ファラーリカ】ッ!!」

『――――――AAAAAAAaaaaaaaaaaaaaaッ!!!!!』

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 ――――――――――――――――――

 

 ――――――――――――

 

 ――――――

 

 

 

「―――リヴェリア」

「?」

 

 炎の中で蠢く女体型の姿に、まだ決着が着かないと判断し、モンスターの下へと向かおうとしたリヴェリアの足が、シロの呼びかけによって止まった。振り返ったリヴェリアの前、シロが手を差し出していた。

 

「その足元の弓、借りていいか」

「……私のものではないが、まあ、構わんか」

 

 そう言いながらエルフの男から強制的に取り上げた(一応任意です)弓をリヴェリアはシロに渡した。受け取った弓を確認しているシロに、リヴェリアは目を細めて問いかけた。

 

「使えるのか?」

「当てる程度は」

 

 返答を聞きながら視線をシロの腰に佩かれた剣を見やるリヴェリア。優れた戦士は剣だけでなく弓の腕も良い。王族(ハイエルフ)の森で育ち、狩猟が少ない趣味の一つであったリヴェリアの弓の腕は一流と言って過言ではない。そして同時に弓を操る人の力量を見抜く目も持っていた。その目からしてみて、しかしシロの腕前は何故か判断がつかなかった。

 

「矢は残り一つだぞ」

「十分だ」

「ここから狙うのか?」

「ああ」

「……正気か?」

 

 リヴェリアの言葉通り、ここから女体型までの距離は軽く数百Mを超えていた。腕の良い、それこそ超一流の弓を腕を持つ者であっても、精々届かせるのが限界で、射抜くどころか狙い付けることすら難しい距離である。

 巫山戯ているのかと言うように、リヴェリアの声が低くなる。

 しかし、シロはそんなリヴェリアの言葉を聞き流し、弓の弦の張りを確かめていた。

 

「シロっ」

「まあ、大丈夫だ」

 

 リヴェリアの苛立った声に、シロは肩を竦めると弓を構え。

 そして―――。

 

「【強化開始(トレース・オン)】」

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 ――――――――――――――――――

 

 ――――――――――――

 

 ――――――

 

 

 

 炎矢の豪雨が女体型に降り注ぐ。

 滝のような紅蓮の魔力の弾丸がモンスターの全身を削っていく。厚くぶ厚い皮膚を破り、太く硬い幹を砕く。瞬く間に女体型の巨体が砕けて小さくなっていく。万に届こうとする炎矢は十秒以上もの間降り続け、着弾地点である島南端付近を炎の海に変えてしまった。

 しかしそれでも女体型は未だ滅びてはいなかった。

 全ての足を燃やし砕かれてもなお、焼き爛れた極彩色の上半身を痛みを訴えるように振り回しながら、鈍い絶叫を上げていた。

 

「これで―――終わらせるっ」

「お供します、団長っ!」

「―――いっくよぉーッ!!」

 

 女体型が島の南端へ逃げ出すのを見て、既に後を追いかけていたフィンたちは、レフィーヤの砲撃の範囲外で待機し、攻撃が終了したのを確認するとモンスターに向かって跳躍した。フィンの長槍が、ティオネの二刀の湾短刀(ククリナイフ)が、ティオナの大双刃(ウルガ)がモンスターの身体に叩き込まれる。第一級の冒険者の嵐のような斬撃が、燃えて脆くなったモンスターの身体を細く砕いていく。

 

「Hiiiiiiiiiiiiaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaッ!!???」

 

 甲高い悲鳴を上げた女体型は、海老のように背を仰け反らせたかと思うと、そのまま極彩色の上半身を下半身から切り離した。

 

「ッ! 逃がすなっ!」

「はいっ!!」

「っ、だめっ!? 間に合わないっ?!」

 

 既に島の南端近くにいた女体型は、切り離した勢いで宙を飛び、上半身は既に湖の上空にあった。後は落ちるだけで湖の中に落ちてしまい逃げられてしまう。

 既に距離が離れているため、接近戦を主とするフィンたちには攻撃手段がない。例え手に持った武器を投げつけても腕の触手に振り払われれてしまう。

 打つ手がない。

 そう、諦めかけた時であった。

 フィンたちの頭上をナニかが翔け抜けたのは。それは女体型が防御をする暇を与える間もなくその身体に突き刺さると、何の停滞もなく分厚い体を貫いた。女体型の体を貫いたそのナニかは、モンスターの最大の急所である核を正確に射抜き砕いた。

 

「「「―――ッ!!??」」」

 

 核を砕かれた女体型は、他のモンスター同様その身体を塵と化し空にばらまかれる。

 余りの急展開に呆気に取られていたフィンたちであったが、直ぐさま気を取り戻すとナニかが飛んできた方向へ顔を向けた。

 だが、その視線の先には誰の姿もない。

 いや、正確には見える範囲に、だ。

 戸惑いの声を上げるティオナ達の中、ただ一人フィンは気付いた。

 今の攻撃をした者が誰であるのかを。

 何か根拠がある訳ではない。

 ただの勘でしかない。

 それでも断言できた。

 先ほどの攻撃は―――。

 

 

 

 

 

 

 




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第七話 対峙

 

 

 ――――――っ―――はっ―――ぁ―――ッッ!!

 

 アイズは追い詰められていた。

 名も知らぬ謎の女に。

 広場から逃げ出した犬人(シアンスロープ)の少女を追った先で遭遇した謎の赤髪の女。

 犬人(シアンスロープ)の少女が持つ謎の宝玉を追ってきたハシャーナ殺害の犯人であるこの女との戦闘の際、アイズが使った『エアリエル』を見るやいなや『アリア』と呼ぶとアイズに狙いをつけ襲いかかってきた。その戦いは犬人(シアンスロープ)の少女が持っていた謎の宝玉が寄生した食人花の暴走により一旦中止となったが、赤髪の女がしつこく追ってきたことから再戦となったのだが。

 

「っ!」

 

 振るうは風を纏った無数の斬撃。

 全てが必殺の一刀。

 斬撃の嵐。

 例え上級冒険者であっても苦戦は必須。

 そんな瞬きの間に振るわれた十の剣戟は、

 

「―――便利な風だな」

 

 その全てが叩き落とされた。

 風の付与魔法(エアリエル)―――剣の切れ味や剣速の上昇だけでなく、防御にも使用可能な攻防一体の強力な魔法。

 その過剰すぎる力ゆえ、対人戦では自主的に封印してきた魔法であるが、それを全開にしてもなお、アイズは今、死闘を交える赤髪の女を制する事ができないでいた。それどころか『風』を使用していながら、アイズは圧倒されていた。

 全てに、だ。

 速度も、一撃の威力も、何もかも。

 アイズの振るうサーベルに対し、赤髪の女が振るう獲物は『深層』のモンスターのドロップアイテムだろう長牙をそのまま武器にしていた。鋭さは期待できないが、その長さや太さ、重量は通常の大剣では比べ物にならないだろう。斬るためのものではなく、叩き潰すための武器。その威力は、想像だけでも身震いがする。

 しかし、大きく重い(超威力)の武器の宿命として、速さは犠牲になる。その一撃一撃は確かに必殺の威力を持つが、攻撃の合間にはどうしても隙ができてしまう。

 その常識が通用しない。

 長剣を超える鈍器(長牙)を用いて、速度に特化したアイズの剣速と同等―――否、上回っていた。

 それを可能とするのは赤髪の女の異常とも言える怪物の如き力。女はそのでたらめな怪力をもって、アイズの剣速を文字通り力押しにより圧倒していた。

 幾十度目かの切り結びの中、大きく剣を打ち付け何とか相手を押し退けたアイズと赤髪の女は、共に一足の間合いを挟み併走する。

 

「『アリア』―――その名をどこでっ!?」

「さぁな」

 

 ロキ・ファミリアの誰もが聞いたこともないような声音と声量でもって叩きつけた疑問を、赤髪の女は無感動に応える。

 女の態度に、一瞬にしてアイズの沸点が超えた。柳眉を逆立てたアイズが女に斬りかかる。怒りに身を任せながらも、幼き頃からの鍛錬は剣にブレを許さない。大木すら両断する一撃が、瞬きの間に十を超え振るわれる。だが、女はその全てを弾き飛ばす。凄まじい斬撃の応酬に、互いの剣身が軋みを上げ、衝撃が互いの身体を傷付ける。

 

 押し、切れない―――っ!?

 

 対人戦において、過剰な威力を持つ『エアリエル』をもってしてもなお、届かない。

 見開かれたアイズの金の瞳に驚愕が走る。

 だが、動揺し見開かれた瞳を戦意を漲らせ目尻を釣り上げ咆哮。激情を込め一撃を振るう。

 疑問は尽きない。

 

 赤髪の女。

 

 女が追っていた謎の雌の胎児を包んだ緑色の宝玉。

 

 『アリア』の名を知る理由。

 

 規格外の強さ。

 

 時と共に増える疑問、しかし、それが解消されることはない。

 考える暇を惜しみ、ただひたすら眼前の敵を斬ることのみに集中する。思考が単純化し、視界から無駄となるものが消えていく。目の前の敵を斬る。それだけの機能を残し他を放り捨て、ただ剣を振るう機械と化す。燃料は激しく燃える己の心。激情の全てを剣に載せ振るう。

 剣速も威力も常時を上回っていた。

 だが、猛る攻撃は、その性質から前へ前へと突き進んでしまう。剣鬼の剣技を振るうも、その心は未だ少女を脱させないアイズでは猛る心の全てを御する事はできないでいた。仲間がいればまた違ったかもしれないが。今この時この場にはいなかった。平時よりも前のめりとなったことから生まれた隙を、赤髪の女は見逃さなかった。

 

「―――人形のような顔をしていると思ったが」

 

 嘲笑するかのように女の緑色の瞳が細まる。

 反射的に柄を握る手に力がこもり、振るわれる一撃は重く、速くなる―――が、同時に隙も大きくなる。

 女の身体がぶれ、アイズの一撃が女の残像を切り裂く。僅かにずれた身体に、女のすくい上げるような拳の一撃がアイズの腹部をかち上げる。気流の鎧がその一撃を阻むも、衝撃を殺すことはできずアイズの細身が後方へと吹き飛ばされた。

 

「っ―――が!?」

 

 風の鎧を突き抜け身体を貫いたダメージに、強制的に後退された事により体勢が崩れるも、素早く風を操り立て直す。が、女の動きは更に速かった。餓狼の如く長牙でもって襲いかかる。

 

「く―――っ―――!?」

 

 全身が粟立つ戦慄に、思考よりも先に『風鎧(エアリエル)』が最大出力で発動。更に《デスペレート》を体の前に構える。

 最大の防御姿勢で迫り来る脅威に備え―――。

 

「――――――ッッッ!!??!!」

 

 吹き飛ばされた。

 剣と剣のぶつかり合いとは到底思えない爆音を響かせ、大地と並行して吹き飛ばされるアイズ。女の振るった超速の袈裟斬りは、アイズの防御の全てを貫いた。

 声にならない悲鳴を上げ、宙を飛ぶ。姿勢を整える暇もなく、後方に叩きつけられる。

 

「っかは!!?」

 

 瓦礫が砕け衝撃が身体を震わせる。微かに残った肺の中の空気が強制的に押し出された。思考が霞み、視界にノイズが混じる。

 一瞬全てが断絶し、致命の隙が生まれる。

 手にしかと握った筈の《デスペレート》も、何時の間にか地面へと転がっていた。

 

「これで終わりだ」

 

 規格外の一撃は、女の持つ剣をも破壊していた。剣身が砕け散り柄だけとなった残骸を投げ捨て、赤髪の女が疾駆する。完全に意識が戻らないまま、本能的に体勢を整えようと地面に手をつき震えるアイズへと迫る。右腕を背に溜め、叩き潰さんと拳を握る。

 揺れる視界、おぼつかない足腰、アイズは奥歯を噛み締めた。

 

 かわ、せ、ない―――っ?!

 

 避けられない一撃を前に、顔を歪めながらも決して目を逸らさず、せめてもの抵抗とばかりに赤髪の女を睨み付けた。

 その瞬間。

 

「―――――――――!!!!!!?????」

「――――――????!!!!」

 

 迫る赤を前に、紅が立ち塞がり―――赤がアイズの視界から消えた。

 紅はその鋼の背中を向けたまま、無造作に右腕を天へと向け伸ばしていた。誘導されたかのようにアイズの視線が、自然と男の上空へと伸ばされた右腕を伝い上を向く。

 そこには―――

 

「え?」 

 

 間の抜けた声がアイズの口から溢れた。

 アイズの目に映ったのは、空を飛ぶ赤色。

 赤髪の女が、くるくると身体を廻しながら宙を飛んでいた。

 数十Mの距離を飛んだ赤髪の女は、突然の状況に陥りながらも猫のように空中で綺麗に体勢を整えると、土煙を上げながら地面に綺麗に着地した。

 

「……貴様」

 

 緑色の瞳を鋭く細め睨みつけてくる赤髪の女だが、その瞳の中には苛立ちに混じる微かな動揺が覗いていた。赤髪の女が睨み付ける視線の先には、紅の外套をはためかせ立つ一人の騎士がいた。色が抜けた白色の髪の下から覗く鋭い鷹の如き眼光で女を捉えている。

 騎士―――シロは、赤髪の女から視線を動かさないまま、背後に声をかけた。

 シロに遅れて駆けつけてきたロキ・ファミリアの面々の内、真っ直ぐアイズの下まで走っていく一人の少女に。

 

「レフィーヤ、アイズの治療を頼む」

「は、はいっ!」

 

 シロの言葉に頷くと、レフィーヤは素早くアイズの横に膝を着くと、直ぐさま怪我の程度を確認し始めた。

 

「し、しろ、さん?」

 

 朦朧とする意識を軽く頭を振りながら、アイズは背を向けたまま微動だにしないシロに戸惑いの声を投げかける。

 

「全く無茶をする……暫らくそこで大人しくしていろ」

「っ、だ、駄目―――」

 

 苦笑混じりの忠告と、背中を向けていてもわかる戦意の高まりにシロがこれから何をするつもりか瞬時に悟ったアイズが慌てて立ち上がり声を張り上げようとする、が。

 

「あ、う、動いちゃ駄目ですって!?」

「くっ」

 

 全身に走った痛みに立ち上がることすらできず、そのままレフィーヤに向かって倒れてしまう。

 振り向かないでも何が起きたか直ぐにわかったシロは、何時の間にかアイズの前に立っていたフィンたちに声をかけた。

 

「……フィン、リヴェリア、アイズを見張っておけ。その様子ではまた無理をしそうだ」

「構わないけど、君はどうするんだい?」

 

 手に持った槍で肩を叩きながら、フィンがシロから離れた位置で警戒する獣のようにこちらをジッと睨み続けている赤髪の女に視線を向けた。すると、シロがフィンの視線の移動に対し、まるで見ていたかのようにタイミング良く声を上げた。

 

「あれの相手をする奴が必要だろ」

「一人で相手をするつもりか? 流石にそれは無謀だ。その女はアイズをここまで追い詰めた相手だぞ」

 

 フィンの隣に立つリヴェリアが若干苛立ちが混じった声で忠告をする。

 

「心配するな……この程度なら、俺一人で十分だ」

 

 リヴェリアの不機嫌な声による忠告に、シロは肩を軽くすくめた。

 

「……舐められたものだ。別にそこにいる全員でかかってきても構わないぞ。まとめて相手をする方が手間が省けるしな」

「ほう。ここにいる全員と……それは随分な自信があるようだが、相手が誰かわかって言っているのか?」

 

 シロの目が細まる。赤髪の女の様子を―――どういうつもりで言っているのかを探るために。

 

「知らんな。だが、貴様ら程度何人増えようと変わらん」

「……そう、か……だがな、言った筈だ、貴様程度の相手なぞ、俺一人で十分だと」

 

 女の言葉と態度に嘘がないと判断したシロは、両腰に佩いた剣の柄を握り締めると、ゆっくりと刀身を抜き放った。眩い刀身に、未だ遠くで燃え続ける炎が映り込む。その中に、炎とは異なる赤い髪が一瞬混ざり―――。

 

「もういい、死ね」

「来い」

 

 赤髪の女の言葉に、シロはただ一言だけ告げた。 

 

「っ!!!」

「―――」

 

 大地を砕く踏み込みにより、女が一瞬にしてシロの前に現れた。まるで瞬間移動。だが、短く乱雑に切り取られた女の髪が後ろへと流れていたことで、女がとてつもない速度で駆けてきた事実を強制的に理解させられる。

 女は無言のまま硬く握り締めた拳を、一気に突き立てた。

 超速度にして超威力の一撃。攻城兵器にすら匹敵しかねない一撃は、しかし、シロに当たる事はなかった。

 

「―――」

「っう、こ、の―――ッ!!!」

 

 シロは両手に握った双剣をもって、赤髪の女の猛攻を全て逸していた。まともに受ければ防御ごと貫かれかねない一撃を、シロは繊細なまでな動きでありながら、死地に身を置くような危険な踏み込みと体捌きにより、その悉くを躱し尽くしていた。

 

「っ―――っ―――ッ―――ッッ!!!???」

「―――ふッ!!」

 

 空間そのものを抉り抜くような拳の連撃の悉くを躱し尽くされる。激昂が苛立ちに、そして驚愕に変わるのはそう時間は掛からなかった。言葉にならない驚きを噛み砕きながら、女は更に拳を繰り出す。

 女の激情に応えるように、拳の速度と威力が加速度的に増加する。既にその速度はアイズを相手にしていた時のそれを超えていた。高レベルの冒険者であっても知覚すら難しい速度の連撃を、しかし、シロはその顔に焦りの欠片を見せる事なく躱し尽くす。

 まともに当たらなくとも、カスリもすれば肉が吹き飛ばされかねない攻撃の数々。

 しかし、それが当たらない。

 

「アアアアアアアアアアッ!!!」

 

 赤髪の女が不意に一瞬足を止め拳の連撃を止めた。

 背を逸らし全身に力を込める。ギリギリと肉と骨が軋む音が聞こえてきそうな程に女の肉が隆起した。

 連撃からの致命的な一撃。

 露わになる隙を、見逃すシロではない。

 両手に握る双剣をもって女の身体を切り裂きに掛かる。

 二つの刃が交差する。

 右肩と左脇腹から斜めに切り込まれた刃は、しかし―――。

 

「ち―――ぃっ!?」

 

 ―――切り裂けない。

 シロの口から鋭い舌打ちが響く。

 重く鋭い斬撃は、確かに女の身体に打ち込まれた。

 だが、刃は女の皮膚を破き、その下の肉に僅かに食い込んだだけであった。

 

「調子に―――乗るなぁッ!!!」

「―――」

 

 咆哮と共に拳が振り下ろされる、

 超至近から繰り出される絶死の一撃。魔法の一撃すら超える威力を孕む拳を前に、シロは更に前(・・・)へと進んだ。

 

「なッ―――」

 

 大地にしっかりと踏み込まれた女の足。ゆるく折られたその膝の上へと足を乗せ、そのまま空へと向かい踏み込んだ。

 女の体勢が崩れる。

 重心が僅かに前へと流れ。

 拳がシロの顔から逸れる。

 シロの身体が女の頭の上を飛び越え。

 そして、シロは空を駆けるように足を―――

 

「―――ガッ?!?」

 

 赤髪の女の首の後ろを蹴りつけた。

 蹴る―――というよりも押し付けるような一撃は、体勢と重心が崩れた女の最後に残っていたバランスを崩した。全力の一撃の威力をそのままに、地面へと突っ込む赤髪の女。地面をビスケットのように割り砕くと、そのままの勢いで顔面を掘り起こされた地面へと叩きつけた。しかし、威力と速度が強すぎたため、止まる事なく回転を続け、その度に地面に身体の何処かを勢い良く叩きつけていく。

 ミノタウロスの突撃をくらったアルミラージのように、ゴロゴロ、ではなくゴンゴンと勢い良く地面の上を回転していた女は、地面に両手を突き刺すことでその勢いを弱めていく。二本の線が地面に刻み大量の土を掘り起こしながらも、何とか回転を止めた女は、ギリギリと歯を軋ませながら立ち上がった。

 大量に舞い上がる土埃と、地面を何度も転がりまわった事からその体は随分と汚れていたが、出血等負傷は認められなかった。立ち上がる動きからも、少なくとも大したダメージは負っていないように見えた。

 

「……一体どういう身体をしている」

 

 随分と景気良く吹き飛ばされていながら、無傷とも言える女の様子に、シロが呆れまじれの声を上げる。

 

「貴様……っ!!!」

「まるで岩……いや、鉄塊を相手にしているような気さえしてきたな。まさか骨どころか肉すら断てんとは……」

 

 怒声を吐き捨てる赤髪の女を観察するように、シロは先程剣を切りつけた先を見つめる。肉は断てずとも、確かに皮膚を切り裂き肉に届いた筈の場所には、一つ足りとも傷どころか血の一滴すら確認できないでいた。

 シロの視線と言葉の意味を理解したのか、女が挑発的な目でシロを見つめる。

 

「貴様の腕が未熟だからではないのか」

「それは否定しないが……貴様、人間か?」

 

 女の挑発をするりと躱したシロは、探るような視線を女に向けた。女に向けた言葉には、揶揄するような色はなく。ただ疑問の色だけが見えた。

 

「…………」

「……さて、どうするか」

「手伝おうか?」

 

 無言のまま、シロを黙って睨みつけてくる女を睨み返しながら、シロは小さく声を漏らした。

 そんな女を睨んだまま黙り込むシロの後ろから向けられたフィンの言葉に、

 

「いや、必要ない」

 

 躊躇することなく断るシロ。

 即断の答えに軽く目を見張るフィンの隣で、リヴェリアが苦虫を噛み潰したような渋面をつくる。舌打ちをしかねない険しい顔で、苛立ちを見せるかのように地面を軽く蹴りつけながら、リヴェリアは声を上げた。その様子を隣で意味深な目で見上げたフィンは、面白げに口の端を小さく上げたが、直ぐに視線を前に、赤髪の女に向け目を細めた。

 

「シロ、意地を張るな。あの女は確実にお前の数段上の力を持っている。いくらお前でも……」

「見たところLv.6に匹敵する力があるようだね。基本的な身体能力だけを見れば、僕たちよりも上かもしれない」

「し、シロさん、無茶は―――」

「っ、駄目、Lv.が、違い過ぎる―――」

 

 フィンたちの後ろでレフィーヤたちもまた、心配する声を上げる。

 そんな中、赤髪の女はゆっくりと身体を伸ばすとその緑色の瞳を警戒に満たしながらも、挑発するように言葉をシロに投げかけた。

 

「……仲間の手を借りないのか? 確かに避けるのは上手いようだが、お前のLvは大体3か4……その程度のLv.では精々私の皮が斬れるぐらいが限界だ」

「…………全くお前たちは」

 

 フィンたち(味方)赤髪の女()の両方からの言葉に、暫し沈黙したシロだったが、苛立った声を誰にも聞こえない声で呟くと、直ぐさま何かを振り払うように両手に握った双剣を左右に振るった。

 そしてキッ、とその鋭い鷹の如き眼差しを更に鋭く細めさせると、フィンたち(味方)赤髪の女()―――いや、世界に向けて宣言するように声を張り上げ叫んだ。

 

 

 

「いいだろう、教えてやろう。Lvの差が、戦力の決定的な差ではないことを―――ッ!!」

 

 

 

 




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第八話 八極

「ほざけッ!! 二流がッ!!!」

 

 吠えると同時に赤髪の女が駆けた。

 いや、爆発した、というのが正確か。

 女の足元から大量の土砂が後方へと吹き飛び、その反動をもって女の身体が飛翔する。瞬く間もなく、女の身体がシロの眼前へと辿り着く。その速度は確かに尋常ではなかった。何故ならば、“勇者”とも呼ばれる第一級冒険者―――それもオラリオで最強と謳われる『ロキ・ファミリア』の団長(トップ)でさえ、女の動きを捕らえる事ができなかったのだ。

 女の拳は既に硬く握り締められ振りかぶられていた。

 対するシロは、驚くべきことに、何とその視線は確かに女の拳の軌道を追っていた。フィンでさえ見失うほどの超加速を、その鋭い視線が補足していたのだ。

 だが、残念なことに身体の方が目に付いて来ていない。

 女の拳の軌道上に身体が残ったままだ。腕が防御するように拳の前に置かれているだけだ。そんなもの(防御)は、女の拳の前では無いも同然だ。ギリギリ程の速度だ。このままでは、身体の上半分を吹き飛ばされ死ぬだろう。

 女の……これまでの経験から言えば―――だが。

 

「………ぇ?」

 

 小さな吐息が溢れるような声を漏れた。

 コンマ秒にも満たない停滞した時の中、溢れたその言葉の中には、明らかに疑問が浮かんでいた。

 『この壁は何だ?(・・・・・・・)』という。 

 女の眼前には何時の間にか壁があった。

 視界いっぱいに広がる一面土色の壁。

 終わりの見えないその壁が、地面だと気付いた時には、既にどうにかできる次元ではいなかった。

 

「――――――ッヶ!!!!?」

 

 叩きつけられる。

 顔面から、地面へと。

 シロに襲いかかった勢いのまま、女は地面へと衝突した(・・・・・・・・)

 大量の土砂と土煙を巻き上げながら、女は顔面でもって大地を耕しながら数Mもの距離を突き進む。

 

「ッ―――ガアアアアアァァァ!!?」

 

 常人であれば首がもげ胴体が削れていただろう。

 冒険者であっても首の骨がぽきりと簡単に折れていただろう。

 だが、女は尋常ではなかった。埋もれた顔の左右に両手を置くと、一気に頭を地面から引き上げた。鮮やかな赤色の髪を土と泥で汚しながら勢い良く立ち上がると、女はシロを睨みつけた。

 

「何を、したぁああぁぁぁああああッ!!」

 

 怒声とも悲鳴とも言える声を上げ、女が再度シロへと向かって襲いかかる。その速度と早さは先ほどと何ら遜色のない速度。再度シロの至近にまで辿り着いた女が、振り上げた拳を叩きつけようと振り下ろし。

 

「―――ッか―――ぁあ゛あ゛ッ!?」

 

 再び地面へと叩きつけられた。

 まるで自ら(・・)地面へと飛び込んでいくかのように顔面を地中へと埋めた女。直ぐさま立ち上がる。負傷はない。どれだけ勢い良く叩きつけられようとも、魔法すら耐え抜く肉体に、毛ほどの傷さえつけられるはずがない―――っ!

 

「っこの―――、?」

 

 その身体が、ぐらり、と僅かによろめいた。

 

 ―――何だ?

 

 疑問が一瞬浮かぶが、痛みは何処にも感じず、足元もしっかりとしている。小石でも踏んだかと直ぐさま気を取り直し、今度は蹴りを放つ。岩をも切り裂くその蹴撃は、受ければ防御ごと真っ二つになるのは必須。軸足を回転させ、(シロ)の身体を上下に分かたんとする。

 

「馬鹿が」

「―――かッ?!」

 

 何がどうなったのかが理解できなかった。

 蹴りが当たったと思えば、視界が一気に回転し、目に飛び込んできたのは巨大な水晶の塊(階層の天井)。そして直後に後頭部に衝撃。自分の身体が回転していると把握する前に受けた意識外にあった衝撃は大きく、ダメージによるものではないただの混乱により意識に一瞬空白が生まれた。

 そしてその隙を、逃すような甘い相手ではなかった。

 

「覇ッ!!!」

「コ―――ッは!!?」

 

 鈍く湿った息が強制的に吐き出された。

 仰向けに倒れ、人形のように呆然とただ天井を見上げていた一瞬の隙。そこを見逃さず足で鳩尾を踏み抜いたのだ。

 蹴るではなく、叩くでもなく、踏みつけられた。

 魔法、剣、牙、爪―――これまで散々に受けてきた。

 しかし、その悉くがこの身体に傷一つすら残す事はできなかった。

 規格外の肉体。

 この身体に傷を負わす事ができるのは、一握りの一級冒険者かそれに匹敵するモンスターのみであった。

 それは過信ではなく、厳然たる事実。

 これまで疑うことすらなかったその現実に、罅が入った。

 

 ―――苦ッ!!?

 

 まるで直接内臓を殴られたような衝撃と苦しみ。

 これまで受けてきたどれとも違う痛みだった。

 初めて感じる苦痛に、思わず腹を抱え身体を丸めてしまう。

 

「―――、っ?!」

 

 失敗だった。

 ぐるりと腹を抱えまるまった事で頭部への警戒を忘れてしまっていた。

 いや、間違いではなかった筈だった―――これまでならば。

 例え喉元を晒したとしても、それで自分を殺す事ができる者はこれまでいなかったのだから。

 その事実が、崩れた。

 衝撃。

 こめかみを踏み抜かれたのだ。

 目に光が散る。

 視界がぐにゃりと溶けだした。

 どろどろに溶けた世界に激しく揺らされて気持ちが悪い。

 急激にこみ上げてきた吐き気に逆らえず、喉元を胃液が逆流する。喉を焼きながら駆け上る胃液に、腹の痛みを耐えるため抑えていた手の一つを思わず口元にやるが、抑えきれず口から飛び出た胃液が指の隙間からゴボリと飛び出した。

 次々に襲い来る未知の痛みと衝撃に立ち上がることすらできない。だが、このままでは危険だと言うことは嫌でも理解できる、だから身体を回転させ地面を転がり逃げ出した。

 背筋にぞわりと寒気が立つ。

 そう簡単に逃がしはしないということか。

 未だ視界は不安定で思考も定まらない。何処から攻撃が来るのか分からない今、できることは少ない。

 だから―――。

 

「   !!」

 

 攻撃の意図など何もない、ただ力任せに無茶苦茶に地面を叩いた。強靭な肉体から繰り出される拳は、容易く地面を砕き割った。大量に持ち上がる土砂により、敵との間を分かつ急造の壁が生まれた。敵の足が止まっただろう隙に、ごろごろと地面を転がりながら何とか距離を取る。

 ある程度距離が取れたところで、どうにか体勢を整えようと、震える足を叩きながらゆっくりと立ち上がった。

 土煙は未だ晴れていない。茶色の霧の向こうに見える人影は、動くことなくじっとこちらの動きを見つめていた。

 

 ―――何だ?

 

 ―――何なんだコレ(・・)は?

 

 痛みと衝撃による混乱が収まるに連れ、疑問が吹き上がる。

 これまで、今まで―――様々な相手と戦ってきた。

 冒険者だけではない。

 モンスターやそれ以外も数多くの敵と戦ってきた。

 自分よりも強大な相手と戦ったこともある。強力な魔法や、不可思議なスキルを持つ相手とも戦ってきた。

 戦闘経験ならば、世界の誰よりもあるとすら思っていた。

 

 しかし、コレは何だ?

 

 理解できなかった。

 強固な身体だ。

 魔法すら耐え抜く身体。

 事実、相手の攻撃による傷らしい傷などどこにもない。

 ない―――筈なのに、痛みがある。

 これまで感じたことのなかった痛み。

 剣でも魔法でも、それ以外の武器のどれでも感じたことのなかった痛み。

 何より打撃による痛みでもなかった。

 ズキズキと、未だ消えぬ身体の中(・・・・)から感じる痛み。

 それがおかしいのだ。

 人外の耐久力と回復力を誇るこの身体に、未だ痛みがある。

 つまり、何処かが傷ついているということだ。

 なのに、一見して負傷しているところは何処にも見当たらない。

 

 ―――何なんだッ!!?

 

 ―――一体何だと言うんだッ!!!??

 

 ふらつく頭を押さえながら、舞い上がる土煙の向こうから、ゆっくりと姿を現した男を睨みつける。

 

「貴様ッ―――一体何者だああァァァッ!!!??」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤髪の女が叫んでいる。

 

 お前は何者だと。

 

 それは俺も知りたい。

 

 俺には記憶がない。

 

 いや、それは正確ではない。

 

 以前ならば確かにその通りだったが、幾つかの記憶を取り戻した今では、その答えは正解ではなくなってしまったからだ。

 

 そう、だから正しくは―――

 

 

 

 

 

 始め、俺がこの世界(・・・・)で目覚めた時、俺には一切の記憶がなかった。

 

 自分の名前、年齢、何処で生まれ、何を目指し、何をしてきたのか……その全てを俺は忘れてしまっていた。 

 

 しかし、ある事件を切っ掛けに、全てではないが、俺は記憶を取り戻し始めた。

 

 取り戻した記憶はバラバラで、その全てに繋がりはなく、まるで何万というパズルのピースの中から、無造作に掴み取ったかのようだった。

 

 それでも忘れてしまっていた記憶を取り戻しているのだ。

 

 俺は取り戻した記憶を懸命に思い出し、自分が何者なのかを知ろうした。

 

 

 

 ………………………………………………………………………………

 …………………………………………………………………

 ……………………………………………………

 ………………………………………

 …………………………

 …………

 …

 

 

 

 ―――記憶があった。

 

 

 誰かと共に笑い合っている記憶があった。

 

 誰かを殺している記憶があった。

 

 誰かに教えを受けている記憶があった。

 

 誰かを殺している記憶があった。

 

 誰かを助けている記憶があった。

 

 誰かを殺している記憶があった。

 

 誰かを護っている記憶があった。

 

 誰かを殺している記憶があった。

 

 誰かが叱ってくれている記憶があった。

 

 誰かを殺している記憶があった。

 

 誰かが泣いている記憶があった。

 

 誰かを殺している記憶があった。

 

 誰かから逃げている記憶があった。

 

 誰かを殺している記憶があった。

 

 誰かを殺している記憶があった。

 

 誰かを殺している記憶があった。 誰かを殺している記録があった。 誰かを殺している記録があった。 誰かを殺している記録があった。 誰かを殺している記録があった。 誰かを殺している記録があった。誰かを殺している記録があった。誰かを殺している記憶があった。誰かを殺している記憶があった。誰かを殺している記憶があった。誰かを殺している記憶があった。誰かを殺している記憶があった。殺している記録があった。殺している記録があった。記録が記録が記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録――――――。

 

 

 

 

 ―――俺は、多くの記憶を取り戻した。 

 

 いや、違う。

 

 正しくは、記憶(記録)を取り戻した、だ。

 

 思い出した記憶に対し、俺は一切の感情が浮かぶことがなかった。

 

 誰かと笑いあった記憶がある―――だが、その誰か(・・)がどんな顔をしていたのか、どんな髪をしていたのか、どんな声をしていたのかが―――思い出せない。

 笑い合っていた。

 その記憶(記録)はある。

 なのに、どんな相手と、どんな気持ちで、どんな話で笑い合っていたのかが思い出せないのだ。

 ただ、笑っていた―――その事実だけ。

 それだけしかわからない―――無味乾燥とした記録。

 思い出した記憶の全てが、それだった。

 

 笑っている記憶があった。

 

 怒り狂っている記憶があった。

 

 泣き崩れている記憶があった。

 

 穏やかに誰かと話している記憶があった。

 

 しかし、その全てが、そういった事があったということしかわからなかった。

 

 思い出した記憶の全ては、自分の記憶の筈なのに、それが本当に起きた事なのか実感が沸かない。

 

 まるで、誰かの記憶を本にしてそれを読んでいるかのような気さえする。

 

 ……それを一番実感するのは、思い出した記憶(記録)の中で、最も多い記憶(記録)について考える時だった。

 

 俺は、殺していた。

 

 男を、女を、老人を、老婆を、少女を、少年を……。

 

 老若男女関係なく―――殺していた、殺していた、殺していた、殺していた、殺していた、殺していた、殺していた、殺して殺して殺して殺して殺し尽くしていた―――。

 

 何故、どうして、何のために殺していたのかはわからない。

 

 ただ、その事実だけしかわからない。

 

 俺は怖かった。

 

 恐ろしくて堪らなかった。

 

 俺が数多くの人を殺していた―――事ではなく。

 

 その事実を思い出し。

 

 なのに全く心が動いていない自分自身に。

 

 記録の中の俺は、殺していた。

 

 何人、何十人、何百人もの人間を、剣で、銃で、爆弾で、槍で、弓矢で、素手で―――命を奪っていた。

 

 それが妄想でも空想でも何でもなく、現実にあったことだというのは、他ならぬ自分の身体が理解していた。

 

 様々な殺しの技術が、俺の身体には刻み込まれていた。

 

 それを俺は、このダンジョンに潜っている間に何度も理解させられた。

 

 本能にまで叩き込まれた殺しの技は、モンスター相手に対しても遺憾なく発揮された。

 

 剣で、槍で、弓矢で―――そして素手で、俺はモンスターを殺してきた。

 

 記録に刻まれた殺しの技の全てを、俺は問題なく再現する事ができた。

 

 そう、今と同じように―――。

 

 記録の中の俺と同じように。

 

 赤髪の女が叫びながら襲いかかってくる。

 

 迫るその速度は速く、振るわれる拳は硬く強い。

 

 肉体は文字通り鋼のように強く、下手に撃てばこちらの拳が砕けかねない。

 

 まともにぶつかれば、ひとたまりもないだろう。

 

 だが、己よりも圧倒的な強さを持つ敵と戦う―――その方法を、俺は知っている(・・・・・)

 

 視認すら不可能な速度に迫る拳。

 

 迫る驚異を、しかし俺は既に察知していた。

 

 『聴勁』と呼ばれる技法だ。

 

 手で触れた相手の動きを皮膚をアンテナにし察知する技術だが、修行を積み重ねる事で手だけでなく身体のどの部分でも相手の動きを察知する事が可能となる。更に修行を積めば、身体が離れていても相手の出方を察知する事が可能となる―――今の俺のように。

 

 下手に受ければ受け手ごと引き裂かれかねない一撃に対し、俺は伸ばした腕を螺旋を描くように回転させる。

 

 『纏』と呼ばれる技法だ。

 

 本来は相手の腕を巻き取る技だが、今相手にしている者の力が規格外ため掴む間がないため、力の向きを変えるだけに留める。力の向ける先は真下―――地面だ。自分から飛び込んでいくように赤髪の女が地面に叩きつけられる。直ぐに立ち上がり離れようとするが、何度も地面に叩きつけられた上に、先程頭に震脚を叩き込まれたことから足元がふらついている。倒れないよう踏ん張るが、身体は大きく倒れ頭頂部がこちらを向く。

 その隙を逃さず相手の間合いに踏み込む。

 ズシン、と局地的な地揺れが発生する。

 震脚により発生した力を足首、膝、腰を回転させることで増大し、その力をそのまま掌底で女の頭頂部に叩き込んだ。

 衝撃を直接脳に叩き込んだのは、流石にきつかったのか、赤混じりの黄色の胃液を吐き散らしながら地面に倒れ込もうとする。目の前に女の上がった顎が。女の顎先に掌を乗せるように置き、一気に突き出す。

 ゴクッ、と重い音が響かせ、女は顔の下半分を激しく揺らしながら吹き飛んでいった。

 

 

 

 ………………………………………………………………………………

 …………………………………………………………………

 ……………………………………………………

 ………………………………………

 …………………………

 …………

 …

 

 

 

「―――お、おお゛、あ、ぁああ゛あ!??」

 

 地面に突っ伏した女が、外れた顎を押さえながら呻いている。

 痛み、というよりも精神的な苦痛により悲鳴を上げているのだろう。見開かれた瞳には、ハッキリとした恐怖の色が浮かんでいる。何が起きたのかわからず混乱しているのが、その様子から容易に見て取れる。

 こんな事は初めてなのだろう。

 それが顎が外れたことなのか、それとも自分よりも明らかに弱いと思われる相手に圧倒されることなのかは、その怯えた目を向ける先を見れば誰にでもわかってしまう。

 

「っ、が、っぐううう!!」

 

 唸り声を上げながら、慌てながらも女は両手で顎を一気に押し上げて外れた顎を元に戻す。

 

「―――流石に、それぐらいはできるか」

「っ!?」

 

 荒い呼吸を繰り返していた女は、シロの声にびくりと肩を震わせると、電気を流されたように顔を勢い良く上げた。顔を上げた先でシロと目があった女は、一息で身体を地面から離すと大きくシロから距離を取った。

 

「っ、一体何の『魔法』を使ったっ!!? それとも何かの『スキル』かっ!!?」

「…………」

 

 女の疑問に、シロは何も応える事はなかった。

 ただ、冷ややかな視線を送るだけ。

 

「何なのだ貴様は……何故、当たらない……どうして、私がこうまで一方的に……」

 

 呻くように呟く女の疑問に応えず、シロは手を差し出す。

 

「これ以上やっても結果は同じだ。観念して大人しく捕まれ」

「っ、馬鹿を言うなッ!!!」

 

 シロの言葉に女はさっと顔色を変えると、強く拳を握り締め怒声を放った。その赤い髪に負けないほど顔を怒りで真っ赤にすると、女はシロに向かって指を突きつけた。

 

「どんな手品を使ったかは知らんが、もうどうでもいいっ!! その生意気な口を、あの間抜けな冒険者と同じように頭ごと潰し―――ッ!!!」

「―――ほう、やはりお前が【ガネーシャ・ファミリア】の冒険者を殺した犯人だったか」

 

 女がそう口にした瞬間、空気が変わった。

 冷たい、とも、硬い、とも違う。

 言うなれば、それは、酷く冷めたものだった。

 女はそれを敏感に感じ取ったのか、あれほど激高していたにも関わらず、身を守るように身体を縮めると、この不可思議な空間の中心にいるシロに向かって構え直した。

 

「なら、一つ聞きたい事があるのだが」

「素直に話すと思っているのか?」

「なに、大した事じゃない」

 

 戸惑った様子で、シロとの会話を続ける女。

 女は奇妙な感覚に陥っていた。

 まるで、奥底が見えない谷底を、何の命綱もなく身を乗り出して覗き込んでいるような不安な気持ち。

 恐ろしいが見てみたい―――ではなく。

 逃げ出したいのに、動けば落ちてしまいそうで動けない。

 そんな恐怖を―――。

 

 ―――恐怖?

 恐れているのか?

 私は、この男を。

 

「お前が殺した冒険者だが、奇妙なところが一つあってな」

「…………奇妙なところ?」

 

 確かに厄介な男だ。

 こちらの攻撃は何故か当たらない。

 そして相手の攻撃は何故かわからないが外傷がないにも関わらず、今も鈍く痛み続けている。

 驚異的な回復力を誇るこの身体に、こうまでダメージが残ったのは今までなかったことだった。

 

「顔の皮がなかった。貴様が頭を潰したのは、皮を剥いでいった事に気付かれないためなのだろう」

「………………」

 

 だが、それ以上に奇妙な事がある。

 この男のLVだ。

 戦っていて確信したが、どう高く見積もってもこの男のLVは3か4。

 LV.5の身体能力には絶対に届いていない。

 それは明らかだ。

 なのに、こちらの攻撃は当たらず、向こうの攻撃は確実にダメージを与えている。

 

「何故、顔の皮を持っていった?」

「………………」

 

 それは有り得ない事だ。

 階層主にも劣らない耐久力を誇るこの肉体にダメージを与えるには、それ相応のLVが必要。なのに、確かにこの身体にはダメージが蓄積されている。

 LVの差を覆す。

 有り得ないことではないが、それには絶対に理由がある筈だ。

 

「そういう趣味なのか?」

「………………」

 

 そう、例えば『魔法』―――低Lvであっても全魔力を掛けた一撃といったものならば、あるいはこの肉体に傷をつけられるかもしれない。

 例えば『スキル』―――耐久力を無視するといった反則的なものがあるとすれば、可能性は無きに等しいが、あるかもしれない。

 しかし、そのどちらとも違うとも感じている。

 

「それとも、あの男に何か恨みでもあったのか?」

「………………」

 

 では、何なのだ?

 何故、こうも追い詰められているのか?

 っ―――そう、追い詰められているのだ。

 強者な筈な私を、この(弱者)が―――っ!?

 

「それとも……必要だったから、か」

「―――っ」

 

 思わずびくりと身体が震えてしまっていた。

 疑問、ではなかった。

 確信した声だった。

 男が冷めた―――いや、何の感情も浮かんでいない瞳で見ている。

 睨みつけているのではない。

 まるで、そう、そこらに落ちている石ころでも見ているかのような。

 いや、違う。

 取るに足らないものを見ている目でもない―――これは、ナン(・・)だ?

 

「―――そうか、わかった」

「……な、何が」

 

 何という目で見ているのだ。

 見ているようで見ていない。

 見ていないようで見ている。

 何の感情もない。

 そう、隠されているのでもなく、見えないでもなく、浮かんでいないでもなく―――ないのだ。

 この男には―――何もない。

 

「いや、なに……」

 

 だが、何処かで見たことがあるような。

 こんな目を、何処か―――遠い昔に見たことが……。

 

「お前はここで始末しておいた方が良い、とな」

「―――っ!!?」

 

 男が―――シロと呼ばれた男が、初めて構えた。

 片手を持ち上げ、ゆるりと指を伸ばした掌をこちらに向け、腰を落とした奇妙な構えだ。

 どう見ても素早く動けそうにない格好だ。

 にも関わらず、まるで牙を剥き出しにした大型のモンスターを前にしたかのようなプレッシャーを感じている。

 背筋に、どっと粘ついた冷たい汗が流れた。

 

「随分と手馴れているようだったが、これが初めてというわけではないのだろう。あの惨状の中見て取れたのは、作業的とも言える極めて冷静で合理的な意志だ。お前は必要だったから顔の皮を剥いだ。その理由は予想できるし理解もできる」

「なに、を」

「必要ならば、これからも貴様は同じような事をするだろう」

 

 淡々とした口調で、男は告げる。

 確信が篭った声で、言葉で。

 

「それこそ何十、何百と必要(・・)だという理由だけで」

「―――っ」

 

 息が、上手く吸えない。

 男に打たれた所が、鈍く痛む。

 まるで、内蔵を直接殴られたかのような。

 粘ついた唾液が喉に絡み、上手く話せない。

 

「っ、ぁ―――く、き、貴様……は、()だ?」

「……………………」

「何なんだ?」

「……………………」

 

 こちらの問いかけに応えず、男はただ無言で構えたままこちらを見ている。

 あの、何も見えない―――何もない瞳で。

 ああ、何処で見たのか?

 遠い昔、見た気がする。

 こんな、瞳を。

 何も見ていない、見えない目。

 人間のようで、人間でない。

 

 ―――ああ、思い出した。

 

 この男の目は―――

 

「『冒険者』、いや……お前は、そもそも『人間(・・)』、なのか?」

 

 ―――人形の目に、良く似ている。 

 

 

 

 ………………………………………………………………………………

 …………………………………………………………………

 ……………………………………………………

 ………………………………………

 …………………………

 …………

 …

 

 

 

「……そろそろ、終わりにしよう」

「ッ!! それはこちらのセリフだッ!!!」

 

 心を侵す怯えを振り払うように、女が吠えた。

 空気を、大地を揺るがす咆哮に、しかしシロはピクリとも動揺していない。

 

「吠えるのだけは相変わらず威勢が良いな」

「馬鹿にするなぁああああああああっ!!」

 

 吠えながら、女は拳を振るう。

 拳が何十にも増えたとも錯覚しかねない人外の速度での連撃は、しかし、当たらない。

 一撃一撃は威力は先ほどまでには及ばないが、代わりにその速度は倍近いものがあるにも関わらず、シロはその悉くを躱し続けていた。一発でも当たれば、いや、カスリでもすれば戦局を傾けることが可能だと女は理解している。だからこそ、我武者羅に、ただ当てることだけに集中して殴りかかっている。なのに、当たらない。

 まるで幻を殴っているかのような不安な気持ちを隠しながら、女はただただ拳を振るう。

 

「そんな腰が引けた攻撃など当たりはせんぞ」

「っく、このっ―――化物がああぁぁぁっ!?」

 

 シロの言葉に、思わず腕に力が込もってしまった。

 大振りになり、一瞬明らかな隙が生まれてしまう。

 何時もならば問題はなかった。

 例え隙を突かれ一撃をもらったとしても、致命傷になった事などなかったのだから。

 だが、これは駄目だと。

 そう思った。

 シロは構えていた。

 先ほどの、掌をこちらに向け腰を落とした格好。

 

「―――ひ」

 

 喉元から、奇妙な息が漏れた。

 それが自分の口から溢れた悲鳴であると、女は気付くことが出来なかった。

 何故ならば、それが漏れた時には既に、

 

「ハァッ!!!」

「―――ッッ!!!????」

 

 シロの掌が鳩尾に深々と突き刺さっていたからである。

 

 

 

 ………………………………………………………………………………

 …………………………………………………………………

 ……………………………………………………

 ………………………………………

 …………………………

 …………

 …

 

 

 

「     !!!!???」

 

 シロから数十M程離れた位置で、女が声にならない悲鳴を上げながら地面の上で痙攣している。

 何の言葉にならず、ただ開けているだけの口からは、どす黒い血が女の口がパクパクと動く度に溢れており、目玉がこぼれ落ちんばかりに見開かれた両目の縁からは、赤い血が涙のように流れている。鼻からは留めなく血が流れ、秀麗な女の顔を真っ赤に染め上げている。時折女の身体が激しく痙攣すれば、女の両耳から血が流れ出し、下腹部からも何処からか多量に流れ出した血により赤く染まっていた。

 

「良い反応だったが」

 

 褒めるような言葉だが、全くの感情が込められていない。

 しかし、シロの言葉は事実であった。

 シロの一撃を喰らう瞬間、女は神がかり的な反応を見せた。

 自ら後ろに飛んだのだ。

 その高Lvの冒険者にも勝る圧倒的な身体能力によって、瞬間移動にさえ感じられる勢いでもって背後に飛んだのだ。が、完璧に逃げる事は出来なかった。

 確かに、奇跡的とも言える回避行動により、女は本来の半分近くまで受けるダメージを減らすことに成功したが、その成果は即死を避けただけに終わっていた。このまま動けなければ遠からず止めを刺される事は間違いなかった。

 だが、逃げようにも女は上手く動かなかった。

 そんな状態では、背を向けた瞬間殺られるのは見て取れる。

 せめて一瞬でも、シロの動きを止められれば。

 油断なくシロは近寄ってくる。

 瀕死の相手であるのにも関わらず、一切の油断が見えない。

 歴戦の冒険者であっても顔を顰めかねない惨状を晒す女に対し、シロは変わらず何の感情も見えない顔でゆっくりと歩み寄っていく。

 その動きに全く隙は見当たらず。

 死に体にしか見えない女に対し、警戒を怠っていないことが傍から見ても明らかであった。

 

「無駄に苦しみを長引かせただけだったな」

 

 あと数歩の距離。

 はっ、はっ、はっ、と女は短く浅い呼吸を繰り返す。

 その顔は、ぐしゃりと奇妙に歪んでいた。

 悲鳴を上げることもできず、ただ弱った小さな生き物のように小さな呼吸を激しくする女に向かって、シロは止めを刺すために手を―――

 

「―――待って!!」

「ッ!」

「くっ」

 

 その瞬間、三つの事が同時に起きた。

 アイズが悲鳴のような制止の声を発したこと。

 仰向けに倒れ、瀕死の様を見せていた女が唐突に地面に拳を叩きつけたこと。

 女の拳により大地が隆起し、多量の砂と岩が舞い上がりシロが反射的に背後に飛んで逃げたこと。

 巻き上げた土砂により視界が遮られたシロは、油断なく視界が晴れるまで砂埃の外にいた。砂煙は十秒も経たないうちに薄く向こうが見えるようになったが、その時には既に女の姿はなかった。地面に残された血の跡だけが、女がそこにいたことを示していた。

 シロは女が作った血溜りをチラリと見た後、女が逃げたであろう方向に顔を向けるとポツリと呟く。

 

「あれを受けてまだ動けるとは……」

「し、シロ……」

 

 感心するような声を漏らすシロの背に向かって、声を掛ける者がいた。

 シロが背を向けたまま、顔を向けることもなく声を掛けてきた者に返事をする。

 

「どうしたリヴェリア」

「―――っ、どうした、じゃないだろう―――っ!!」

 

 穏やか、とも言える声音に一瞬びくりと身体を震わせたリヴェリアだったが、直ぐに顔を振って気を取り直すと、怒りが滲んだ声で叫んだ。

 その声には、様々な感情が複雑に絡みついていた。

 特に大きいのは、怒りと―――悲しみ。

 

「お前がっ!? どうしたんだっ!!」

「…………」

 

 震える声で、リヴェリアは問いかける。

 

「何なんだ一体っ!? どうしたというんだっ!!?」

「……どうもしていない」

「―――なっ」

 

 無言を貫いていたシロだったが、このままでは掴みかかってきそうなリヴェリアを牽制するように返事を返した。

 シロの応えに、リヴェリアは口を開いたまま呆然とシロの背中を見た。

 

「あの女は危険だ。下手に生かしておけば犠牲者が増えるだけだ。アレは、目的のため―――いや、それが必要だというだけ(・・・・・・・・)で何でもする類の輩だ」

「どうして、そんな事が言えるんだ……っ、い、いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。私が言いたいのは―――」

「…………」

 

 何かを振り払うように左右に振る頭を押さえながら、リヴェリアはもどかしげに口を開いては閉じる。苛立ちを露わに地面を何度も蹴りつけるリヴェリアに対し、シロはただ無言で背中を向けたまま動かない。

 岩のように不動な背中にふと目を止めたリヴェリアは、一瞬泣き出しそうに目元を歪め。

 

「お前の夢は―――」

「―――リヴェリア」

「っ」

 

 リヴェリアが何かを言おうとするのを止めるように、シロがリヴェリアの名を呼んだ。

 何を言おうとしたのか、それが形になる前に止められたリヴェリアは、中途半端に口を開いたままシロの背中を見る。

 

「……すまない。俺はどうやら、こんなやり方しか知らないようだ」

「―――まっ」

 

 そのまま顔を向けることなく、歩き出したシロの背中に向かって、リヴェリアが反射的に手を伸ばす。

 しかし、その手が届くことはなく、制止の声もまた形になる前に、シロの背中は小さくなっていく。

 もはや声も手も届かない距離までになると、リヴェリアは伸ばしていた手を力なく垂らした。視線は遠くシロの背中から地面へと変わり、戦いの余波で荒れた大地を睨みつけるように鋭く目を尖らせ、リヴェリアは吐き捨てるように小さな声で不満を口にする。

 

「……どうして、お前が謝るんだ」

 

 その顔はまるで、

 

「馬鹿者め……」

 

 泣き出すのを必死に堪える、幼子に似ていた。

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。

 ……題名を『マジカル八極拳』にしようか少し迷いました。


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第九話 強く―――

 長くなりそうなんで出来た分だけ投稿します。

 ちと短いです。

 すみません。


 

 

 幸せだった。

 

 

 

 そう、私は幸せだった。

 何処までも暖かく、柔らかな場所。

 小さかったあの頃の私よりも無邪気で、屈託なく笑う母親(あの人)の腕の中。

 時折頭を撫でる手は春に吹く風のように優しく……耳朶をくすぐる物語を紡ぐ声はとても綺麗で……。

 目を閉じて、想いを馳せれば今でも想い出せる、彼女が何度も語ってくれた、優しくて幸福な物語。

 物語を語り終えると、彼女はいつも私をぎゅっと抱きしめてくれた。

 ふんわりと包み込むように抱きしめられるのは、何処かくすぐったくて、私は何時もくすくすと笑いながら振り返っていた。

 あの人の、あの無邪気な微笑みを見たかったから。

 吐息がかかるほど近くで笑う彼女の笑顔を見る度に、私の顔には満面の笑みが浮かんだ。

 彼女の笑顔は、そんな力があった。

 泣いていても、怒っていても、悲しくても、彼女の笑顔を見れば何時の間にか笑っていた。

 私だけじゃない。

 皆そうだった。

 彼女の笑顔を見た人は、皆が笑っていた。

 だから、私は彼女が魔法使いだと、ずっと思っていた。

 人を笑顔にする魔法が使える、魔法使いだと。

 みんなを笑顔にする、そんな彼女みたいに、私もなりたかった。

 だけど、あなたのようになりたいと言う幼い私に、何時もあの人は言った。

 

 『あなたはあなただから、私にはなれないよ?』

 

 そう、彼女は言った。

 私とそっくりな声で、彼女はそう言った。

 そういうことじゃないと、むくれる私を抱きしめながら、彼女は笑った。

 怒っていたはずの私は、彼女の笑顔を見るうち、何時の間にか笑っていた。

 丸く膨れていた頬を持ち上げて、ころころと笑う彼女と同じように笑っていた。

 笑っていた。

 楽しかった。

 幸せだった。

 暖かかった。

 

 

 

 もう、何処にもいない。 

 

 

 私は、置いていかれた。

 

 

 黒い襟巻きに薄手の防具、腰には鞘に収められた銀色の長剣を佩いた青年。

 彼が、連れて行ってしまった。

 あの人(母親)は、迎えに来た青年(父親)と一緒に、私を置いて何処かへ行ってしまった。

 すまないと、(父親)は謝り、去っていった。

 あの人(母親)と共に、私を一人残して。

 

 どうして、私は置いていかれたんだろ。

 どうして、連れて行ってくれなかったんだろ。

 どうして、一緒にいられなかったんだろ。

 きっと、私が弱かったから置いていかれた。

 幼く弱い私は、あの人たちの足手纏いにしかならないから。

 一緒に行くことが出来なかった。

 小さな手では武器は持てないし、細い身体では戦うことなど満足に出来るはずもない。

 戦えない私は―――弱い私は―――必要ないと。

 置いていかれた(捨てられた)

 

 だから、私は。

 

 強く、ならないと。

 

 強く、ならなければ。

 

 強く、ないと。

 

 また、私は―――。

 

 私は―――。

 

 

 わた、しは―――。

 

 

 つよ、く―――。

 

 

   

 

 

 ………………………………………………………………………………

 …………………………………………………………………

 ……………………………………………………

 ………………………………………

 …………………………

 …………

 …

 

 

 

 

 

「―――ッああああああぁぁ!!!」

 

 獣の如き咆哮を放ち、剣を振るい敵を切り刻む。

 襲いかかってきた巨身のモンスター『バーバリアン』が細切れになり、魔石が砕かれたことにより肉片が地面に撒かれる前に霧散した。剣身に未だ残る『バーバリアン』の血脂を剣を振るうことで拭い去ると、残りの『バーバリアン』が打ち出してきた長い舌を切り払い、そのまま剣を突き刺し頭蓋を貫いた。

 凄まじい突きの速さにより、『バーバリアン』の頭部は欠片も残さず爆散する。

 細かな肉片が身体を汚すが、気にする素振りもなくそのまま剣を横に振り、傍にいた二体の『バーバリアン』を上下に分かつ。

 合計四体の『バーバリアン』が消滅するまで、この間約三秒。

 一体一秒未満でアイズは白兵戦の特化型(スペシャリスト)である筈の『バーバリアン』を下してみせた。

 ギラリと激情に燃える金の瞳で周囲を睥睨した少女―――アイズは、他にモンスターがいないことを確認すると、そこでようやく小さく息を吐き剣を腰に差した。

 

「荒れてるね」

「全く、手を出したらこっちまで斬られてしまいそう」

 

 手持ち無沙汰の様を見せるように、ティオナが頭を掻きながら姉に視線を向けると、ティオネはその視線に肩を竦ませた。

 アマゾネス姉妹の話に耳を傾けながら、フィンは隣りに立つ副団長に話を向けた。

 

「……リヴェリア、何か話は聞いていないのかい? どう見ても一度辛酸を舐めたからといった様子には見えないが……」

「…………」

「リヴェリア?」

「………………」

「―――リヴェリアっ」

「ッ!? な、何だフィン」

 

 ぼうっ、とした視線で何処か遠くを見ているように茫洋としていたリヴェリアに、フィンが非難が混じった鋭い声を上げる。フィンの刃にも似た鋭い声音に背筋をビクリと震わせたリヴェリアは、ゆっくりと顔を向けると済まなそうに目を伏せた。

 

「すまない……少し呆けていたようだ」

「リヴェリアまでそうでどうする……」

「わたしまで(・・)?」

 

 フィンの言葉に首を傾げる。

 リヴェリアの疑問に対し、フィンは視線で応えた。

 フィンの視線の先に目をやったリヴェリアは、そこに自分と同じようにぼうっと呆けているレフィーヤの姿を目にした。

 

「私は先程まであんな感じだったのか?」

「そうだね」

「そう、か」

 

 小さく苦笑いを浮かべたリヴェリアは、気を取り直すように頭を振った。

 

「随分と気が緩んでいたようだ。三十七階層は既に『深層』。例えここで私たちにとって脅威になるようなモンスターがいないとはいえ、万が一がある。油断はできない」

「そうだよ。全く、こういのは特に君が一番注意していることじゃないか。それがあんな……どうか、いや、何か気になることでも?」

「……いや、何でもない」

「…………」

 

 少しの間、じっとリヴェリアの瞳を見ていたフィンであるが、重い溜め息を一つ吐き出した。

 

「そういうのなら、そうだと思っておくよ」

「ああ―――すまない」

 

 リヴェリアが小さく呟いた言葉を聞こえないふりをしながら、フィンはアマゾネス姉妹に囲まれて何やら注意を受けているアイズを見つめていた。

 

(―――さて、考えられる要因は二つ。あの赤髪の女か、それとも―――彼、か……)

 

 フィンの脳裏に六日前の光景が蘇る。

 あの時、シロと赤髪の女との戦いが終わった後、フィンたちの前からシロは姿を消した。『リヴィラの街』で探しては見たものの、誰も見てはいないとの事であった。事件の後始末等で色々と忙しくはあったが、何人かの強い要望により並行してシロのその後を調べてみては見たが、あの後シロの姿を見たものは『ダンジョン』でも『街』でもいなかった。

 あれから六日。

 後処理が終わり、またアイズの強い要望で前と同じメンバーで再度ダンジョンに挑んではみたが、どうも様子がおかしいのが何人も見かけられた。

 精神的に未熟なところが目立つ二人(アイズとレフィーヤ)は兎も角、冒険者として一つの完成形であるリヴェリアの様子がおかしいのは流石のフィンも予想外であった。確かに思い返せばこの六日の間、何度か上の空な姿を見かけてはいたが、流石にダンジョンの中でもこうなるとは思ってもみなかった。

 

「一番手っ取り早いのは、本人と話をすることなんだけど、その本人が何処にいるのかわからないのが問題だな……」

「フィン?」

「なんでもないよ。さて、それじゃそろそろ行こうか」

 

 リヴェリアに何でもないと笑みを返し歩き始めるフィン。アイズたちも後ろをついていくのを背中に感じながら歩いていると、遠くの方から剣戟の音が聞こえてきた。

 

「誰か戦っているのか?」

「あれ? でもここ(深層)に来れる【ファミリア】は……」

 

 ティオナが首を傾げると、同意するようにフィンが頷いた。

 深層域まで進める【ファミリア】は、オラリオ広し言えども数える程しかない。そして【ロキ・ファミリア】にとっては、そのうちの幾つかは敵と言ってもいいやからであった

 

「もしかしたらボクたちと同じように数人でダンジョンに潜ってきているのかもしれないね。で、君たちはくれぐれも面倒を起こさな―――」

 

 フィンの視界が一気に広がった。大規模な『ルーム』に入ったのだ。フィンの感覚では、ここは階層中央部分付近といったところであり、それに相応しいほどに幅も高さもあった。白宮殿(ホワイトパレス)と呼ばれるのに納得がする光景である。その巨大な広間の中では、死闘が繰り広げられていた。

 肉も皮も何もない骨だけのモンスターだが、この階層の中でも最上級の戦闘能力を誇る『スパルトイ』と一人の男が戦っていた。

 LV.4に相当する力を持つモンスター(スパルトイ)を十体近くも相手にしながら、その男は互角に戦っている。骨だけの身体とは思えないスパルトイの力強く尚且つ素早い連撃を受け、躱し、逸らし、時に反撃を。追い詰められているように見えるが、男の動きは何処か余裕を持っているように見える。

 戦い、と言うよりも演舞のようにも見えるその戦いに、フィンたちは一瞬魅入られるように動きを停めていたが、戦う男の正体に気付くとあっと驚愕の声を上げた。

 

「ちょ、え? な、何であいつがここにっ?」 

「わ~……」

「まさか、本当に……」

 

 ティオナたちが呆然と空いた口から驚愕の声を漏らす中、リヴェリアはその男の名を口にした。

 

「―――シロ」

 

 その声にか、それとも気配に気付いたのか、スパルトイと戦っていた男―――シロが不意に視線をフィンたちに向けると、その目を軽く驚きに見開いてみせた。思わずにといった様子でシロは足を止めてしまうが、その隙を逃すような甘いモンスター(スパルトイ)ではなかった。一斉に手に持つ武器を掲げシロに襲いかかる。

 だが、それよりも疾く風を纏い駆け抜けたアイズがスパルトイたちに向かってサーベルを横に一閃する。風を纏ったその斬撃により、スパルトイたちは、斬られた端から骨の身体を砕かれていく。

 仲間を殺られたスパルトイたちであったが、混乱もせずに直ぐに新たな(アイズ)に各々が持つ武器を向ける。しかし、アイズに武器を向ける時には、既にアイズはスパルトイたちの懐深くまで踏み込んでおり、次々にスパルトイたちを討ち取っていく。一秒ごとに数を減らしていくスパルトイ。スパルトイたちも必死に反撃をするが、結局一太刀もアイズに打ち込めることもなく、十を数えないうちにその全てが切り伏せられてしまった。

 十体近くのスパルトイを倒し終えたアイズは、血糊を振り払うように剣を一度振るい鞘に戻すと顔を上げた。

 

「あっと……もしかして、駄目だった?」

「……はぁ、いや、助かった」

 

 敵を倒し終えた後で、やっともしかしたら横取りしてしまったかも、と不安が湧き上がったアイズが、恐る恐ると言った様子でシロを見るが、シロは小さく嘆息すると首を横に振った。

 

「しかし、まさかまたお前たちに会うとは思わなかったな」

「それはこっちのセリフだよ。何で君がこんな所にいるんだい?」

 

 フィンの呆れ、と言うよりも困惑しているような口調に、シロは眉間に皺が寄った顔を向けた。

 

「いや、あの女を追っているうちに何時の間にかこんな所まで来てしまっていてな」

「来てしまったって……ここが何処かわかって言っているのか?」

「三十七階層だろ」

「三十七階層だろって……君はLV.1だろ。何で来れるんだ……色々と規格外とは思ってはいたが、まさかここまでとは……」

 

 驚けばいいのか呆れればいいのか分からず、フィンが片手で渋面を形作る顔を覆っていると、その隣をつかつかと歩き去り一人の女がシロ下へと歩み寄っていった。

 女―――リヴェリアはシロの前で足を止めると、すっと目を細め氷のように冷たい目線でシロを睨みつけた。

 

「―――シロ、私が何が言いたいか分かるか?」

「……あ、その、いや、ちょ、ちょっと待ってくれ」

 

 ずいっと顔を寄せてくるリヴェリアに不穏な気配を感じたシロが思わず後ろに下がるが、リヴェリアは更に詰め寄ってくる。

 

「待たない」

「何をそんなに怒っている?」

「怒っていない」

「いや、怒っているだろ」

「……怒っていないと言っている」

「怒っているだろっ」

「怒っていないと言っているッ!!」

「っぐあ!」

 

 普段の冷静沈着な姿からは想像できない大声を発し足を振り上げたリヴェリアは、そのままシロの足につま先を叩き込んだ。

 ガンっ、と勢い良く足を蹴られたシロがその痛みと衝撃に、うめき声を上げながら足を抱えて蹲ってしまう。それは無理もないことだ。魔法使いタイプとはいえ、LV.6の身体能力で蹴られれば、軽くであっても下手なモンスターの攻撃以上のダメージを与えられる。

 狙ってやったのか、それとも偶然なのか。弁慶の泣き所を蹴られたシロが足を抑えて蹲るのを、リヴェリアは腕を組んで見下ろしていた。

 

「シロ。私は今、とても怒っている」

「―――っっ、それは身を持って実感している最中だ」

 

 色々と言いたいことをぐっと堪えながら、シロが涙目でリヴェリアを見上げる。

 恨みがましいその視線にふんっ、と鼻を鳴らしたリヴェリアは、その目に向けて指を突きつけた。

 

「一人で深層に潜るとは一体何を考えているっ!? 色々と言いたい事が山積みだったが、そんな事がどうでも良くなってしまったではないかっ!」

「っ……別に、リヴェリアには関係のないことだろ」

 

 脛をさすりながら立ち上がったシロが、痛む足に顰められた顔をリヴェリアに向ける。直ぐに何か反論しようと口を開いたリヴェリアだったが、逡巡するように何度か開いては閉じを繰り返していた口は、結局何の言葉を形にする前にリヴェリアはシロの視線から逃げるように顔を逸らしてしまった。

 

「そう、だが、だとしても……」

「……はぁ」

 

 ぶつぶつと何か顔を伏せて呟くリヴェリアの姿に頭を掻きながら嘆息したシロは、逃げるようにリヴェリアから少しずつ距離を取り始めた。そろそろと離れたシロは、安全地帯に着いたと判断したのか、未だに顔を伏せて何やらぶつぶつと自問自答しているリヴェリアから視線を外すとフィンたちに顔を向けた。

 

「それで、そっちはどうしてここに―――と、言ってもダンジョンに潜る理由は限られているか」

「そうだね。そっちと違って特別な理由なんてないよ。資金稼ぎと経験値稼ぎと……」

 

 未だ固まっているリヴェリアに訝しげな目を向けていたフィンだったが、シロの言葉に肩を竦めてみせると、そのまま視線を先程までシロが戦っていた『スパルトイ』が残した『魔石』に向けた。まとまって落ちているアイズが倒した分の十個の『魔石』と、シロが倒したであろう離れた位置に散らばる数個の『魔石』。

 

「……」

 

 フィンの眉が僅かにひそめられる。

 一瞬の違和感―――のような奇妙な感覚に内心フィンが首を傾げていると、何やら真剣と言うには焦燥感を感じさせる顔でアイズがシロの下へと歩いていく。

 

「シロ、さん」

「何だ?」

 

 シロの前で立ち止まったアイズは、逡巡するように何度か口を開いては閉じを繰り返した後、覚悟を決めたのかグッと口の端を引き締めるとシロを真正面から見上げた。

 

 

 

「私に、戦い方を教えてください」

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。

 次回の題名は前から考えていました。

 次回『祝福と呪い』


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第十話 武術

 私は、帰ってきた。


 

 

「―――戦いを……」

 

 

 

 シンっ、と静まり返る中、ポツリと呟かれたシロの小さな言葉が妙に大きくその場に響いた。

 驚きに息を呑む音と共に、視線が向かい合うシロとアイズに注がれる。

 しかし、アイズを見下ろすシロの姿からは、驚きも、戸惑いも、それ以外の僅かな感情すら感じられない。

 

「ちょ、ちょっとアイズ。あんた何言ってるの!?」

「そ、そうだよ! なんでそんな事急に……」

 

 怒っている、というには戸惑いが多分に含まれる声で、ティオネとティオナの姉妹がアイズに詰め寄るように声を掛ける。非難混じりのその声に呆然としていたレフィーヤもまた、我に返ると、動揺を露わにしながらもアイズに疑問を投げかけた。

 

「そんな、何で、あ、アイズさんはもう十分強いじゃないですか? それなのに何で? だってシロさんですよ。確かにLvに見合わない強さを持っていますし、色々と規格外な人ですけど……何よりシロさんは他の【ファミリア】の人で……」

「アイズ、レフィーヤの言う通りだ。彼は他所の【ファミリア】に所属する者。親しくしていたとしても、最低限守るべきものはある。お前のそれは、それに触れるぞ」

 

 何時の間にか復活していたリヴェリアが、レフィーヤの言葉を肯定しながらアイズに厳しい目を向けた。

 自分が所属する【ファミリア】以外の者に戦い方を教える事は、実のところ全くないわけではない。実際に、主神同士の仲が良かったり、何らかの見返りの代わり、その他にも色々とあるが、それ相応の理由があれば、他所の【ファミリア】の者に戦闘訓練をする事は珍しい話ではないからだ。

 だが、アイズが所属する【ロキ・ファミリア】とシロが所属する【ヘスティア・ファミリア】は、その主神同士の仲が悪い。正確には、【ロキ・ファミリア】の主神が一方的に【ヘスティア・ファミリア】の主神を嫌っている。

 そんな関係の中で、【ロキ・ファミリア】の者が【ヘスティア・ファミリア】の者に戦い方を教わりたいと請うと言うのは、何か問題ごとが起きる可能性が大である。

 仲間たちの諌める言葉に、身体を強ばらせながらも、しかしアイズは真っすぐにシロを見つめながら、ハッキリと自分の意思を口にした。

 

「うん。分かってる。でも、私はどうしても強くなりたい。今のままじゃ、このままただモンスターを倒しているだけじゃどうしても強くなれない……だからっ」

「アイズ……」

「アイズさん……」

「っ、アイズ、しかし―――」

 

 アイズの悲愴とも言える感情が込められた言葉に、レフィーヤたちが苦しげに声を漏らし黙り込む中、ただ一人、静かな目でアイズを見つめていたシロがそこで口を開いた。

 

「無理だ」

「―――ッ!?」

 

 シロが口にした答えは、否、であった。

 一瞬くしゃりと悔しげに顔を歪ませたアイズだったが、直ぐに硬く口元を引き締めると、熱を感じさせる程の覚悟を秘めた瞳でシロに向き直る。

 

「何故、ですか―――っ、私が、他の、【ロキ・ファミリア】の者だからですか」

「そう―――……いや、すまない…………そうではない、な」

「え?」

 

 「そうだ」と答えかけたシロだったが、睨みつけるような、縋り付くようなアイズの目を前に、言いかけた言葉を途切れさせると、小さく頭を振った。

 そしてアイズをしっかりと見据えた後、周りにいるレフィーヤたち、否、冒険者たちを見回した。

 

「シロ?」

「シロ、さん?」

 

 自分たちを見るシロに、何かを躊躇う様子を感じたリヴェリアたちが戸惑いの声が上がった。

 今、シロは何かを逡巡している。

 それが何かは分からないが、少なくとも『シロが口にするのを』躊躇う代物である。眉根に皺を寄せ、黙り込む姿からは苦悶すら感じ取れ。知り合ってからまだ間もないリヴェリアたちでさえ、シロが言おうとしている事が余り宜しくない事だと推測するのに苦労はなかった。

 

「……アイズ」

「っはい!」

 

 シロの声に反射的に背筋を伸ばすアイズ。

 じっと自分を見つめるアイズの瞳から、シロは目を逸らさない。

 

「『戦い方を教えてくれ』と言っていたが、それはあの赤髪の女との戦闘で俺が使った技を教えてくれと言う事だな」

「……そうです」

 

 ゴクリと喉を一度鳴らし、アイズは頷く。

 シロは緊張に身体を強ばらせているアイズを見つめる目を一度閉じると、首を横に振った。

 

「……なら、やはり答えは『無理』だ」

「っ、それは、私が他のファミリアに所属しているからですかっ?」

 

 何時もの姿とは違う、声を荒げるアイズにレフィーヤたちが戸惑う中、真正面に向かい合うシロの様子は変わらない。その姿にアイズの焦りは増す増す大きくなっていく。初めから断れられる可能性が高い話だと思っていたとは言え、執念に近い思いがそう簡単に諦めがつくはずがない。

 悪あがきだと自分でもわかっていながら、アイズは尚もシロに追い縋ろうと言い募るが。

 

「違う」

「え? な、なら、一子相伝の技だったりとか、ですか?」

「そういうわけではない」

「っ、ぅ」

 

 シロは無慈悲なまでにアイズの言葉を否定した。

 仲間に非難される事を覚悟してまでの、何としてでもシロの師事を受けてみせるとの思いは、決して叶うことがない。頑ななまでに認めようとしないシロの姿に、強さに行き詰まりを感じる中、唯一の希望に手が届かないと理解するにつれ、アイズは自分の目に涙が滲むのを感じた。

 グッと拳を握り締め、顔を俯かせる。

 悔しさが溢れ、それが地面に向かって落ちようとした時、リヴェリアの声が響いた。

 

「―――シロ」

 

 思わず顔を上げたアイズが、リヴェリアを見る。

 腕を組んだ姿のリヴェリアは、顔を向けたアイズに視線を向けることなく、ただシロの方をジッと苛立った様子で睨みつけていた。

 

「何だ」

 

 シロが続きを促すようにリヴェリアに顔を向けると、リヴェリアは腕を組んだまま、その心情を見せるようにトントンと早い調子で指で二の腕あたりを叩きながらシロを睨みつけた。

 

「ハッキリと言え。『出来ない』ではなく『無理』だと言うのは何故だ? どうしてアイズに教える事が『無理』なんだ」

「?」

 

 リヴェリアの言葉の意味がわからずアイズが首を傾げる。

 シロのリヴェリアを見る目が一瞬細まり、そしてシロは間を開けるように小さく息を吐いた。

 

「……アイズが『冒険者』だからだ」

「え?」

「…………」

 

 バッと勢い良くアイズの顔がシロに向けられる。聞き返すように口から出た疑問符にシロは無言のままであった。

 

「『冒険者』だから無理って……どういう事なんですか?」

「…………」

「っ、シロさんッ!!」

 

 無言のまま何も反応しないシロに焦れたアイズが、声を激しくシロの名を呼び、そこでやっとシロは重く閉ざされていた口を開いた。

 

「……お前が教えてくれと言ったものは、『八極拳』と言われる武術だ」

「……」

 

 口を開いたシロの言葉を逃さないよう、アイズだけでなくその場にいた者たちは皆口を閉ざし耳に意識を集中させていた。

 

「そして『八極拳』は、いや……俺の知る『武術』は、『人』が使う事を前提としたものだ」

「…………?」

 

 当たり前の言葉に、真剣な顔をしていたアイズに怪訝な色が浮かぶ。

 シロの口にした「武術は人が使う事を前提としたもの」は、いちいち言葉にしなくても当たり前の常識だ。確かに『人』と一言で言っても『ドワーフ』や『エルフ』、『獣人』等様々な種族はいる。つまりシロは、そういった中で、特定の種族しか使えないと言っているのだろうか?

 しかし、アイズはそうでないと思った。

 シロの雰囲気から、そう言った種族をまとめて『人』と言っているようにアイズは感じたからだ。

 そしてそれを肯定するように、シロが言葉を続けた。

 

「……『冒険者』が使う事など考えて創られたわけではない」

「……シロ。それはどう言う意味だ?」

 

 だが、それもアイズにとっては予想外のものであり、その意味するところが理解できず、思わず声を上げそうなったが、それよりも先に声を上げた者がいた。

 フィンだ。

 今までずっと黙っていたフィンが、何時からか怖い程に真剣な顔でシロを見つめていた。

 

「―――あらゆる武術に最も重要なものが『功夫』だ」

「クンフー?」

 

 ティオナが聞きなれない言葉に首を傾げた。

 それはその場にいた全員も同じ気持ちであった。

 その雰囲気を察したのか、シロは続けて『功夫』について説明を始めた。

 

「簡単に言えば、長い時間をかけ、身体の動作、力の配分、呼吸の方法、そういった地道な鍛錬によって蓄積される力のことだ」

「鍛錬なら、私も」

「そうだな。確かにアイズ。お前の動きは見惚れる程に隙がなく、歩く姿を見るだけでもこれまで積み重ねた鍛錬の量が伺い知る事が出来る」

 

 日々己の限界を超えるため、厳しい訓練をその身に叩き込んでいるアイズが勢い込んでシロにアピールすると、シロは肯定するように頷きアイズの褒め称えた。

 シロの言葉に勢い付いたアイズが、更に言い募ろうと口を開く。

 

「なら―――」

「だが、それは俺の求める『功夫』とはまた根本的に違う」

 

 が、それは次にシロが口にした言葉によって強制的に閉ざされてしまう。

 

「……え?」

「お前が―――いや、俺の知る限り、『冒険者』が行う鍛錬は、自らを鍛えるのではなく、言ってしまえば自分の身体をより効率良く動かす為の調整をしているようなものだ」

「調、整……」

 

 アイズの目が大き見開かれる。

 今までの努力が否定されたような、突き放されたような想いが胸を締め付け、苦し気な声が薄く開かれた口から溢れた。

 そんなアイズの姿を見つめていたシロは、ふと視線を下に移すと足で地面を軽く擦った。

 ジャッ、と砂が擦れる音に、アイズの視線も地面に向けられる。

 

「……『武術』とは、砂で城を作るようなものだ」

「砂で、城を?」

「子供の頃、砂で山や城なんか作った経験はないか? 街で子供等が作っているのを見たことぐらいあるだろ?」

「……あ、はい」

 

 シロの言葉に導かれるように、頭にふと街の片隅で砂を固めて何やら作っていた子供たちの姿が浮かび、アイズは反射的にコクリと頷いた。

 

「砂の一粒一粒が正しい身体の動作、力の配分、呼吸方法等と考えてくれ。そういった砂粒を積み重ね、長い時間を掛け、少しずつ『武術』という城を形作っていく。完成する事は希だが、牛歩のように遅い歩みでも、近づくことは出来る。だが、だからこそ、『冒険者』には『無理』なのだ」

「『冒険者』には無理……」

 

 グッと唇を噛み締めるアイズの姿には、諦めよりも未練の方がまだ強く感じ取れた。

 

「アイズ、お前にも何度も経験があるはずだ。急激に強くなった事で、意思と身体の間にズレのようなモノを感じた事が」

「……あり、ます」

 

 シロの言葉はアイズには身に覚えがあった、あり過ぎた。

 Lvアップだけでなく、大幅に『ステイタス』が上がった時などは、そのズレが特に顕著に感じていた。

 始めの頃は、そのズレに慣れるまで苦労したが、今では更新の度にズレを治すのには慣れているほどである。

 

「それが答えだ」

「―――そうか」 

「だ、団長?」

「ど、どういうこと?」

 

 シロの言葉に答えたのは、アイズではなくフィンであった。

 思わず口にしてしまった、と言った様子で口元に手を当てシロを見るフィンに、ティオナとティオネの姉妹がシロの言葉の意味を測りかねシロとフィンの間に目を行ったり来たりさせる。

 シロは間近で自分を見上げるアイズの目にも理解の色が浮かんでいないことを知ると、再び口を開いた。

 

「……『冒険者』は、『ステイタス』を更新する度に強くなる。それは、どれだけの経験を得たかにもよるが、劇的に、と言ってもいい程だ。『ステイタス』のどれか一つでも十や二十でも増えれば、その身体は最早前とは別物と言ってもいい。別に何か特別に鍛えたわけでもなく、ただ強い敵と戦ったという経験だけで、『人間』が何年も時間を掛けて身につける筈の力を手に入れてしまう」

「その……駄目、なんですか?」

 

 アイズは小さな子供の頃に『冒険者』となった。

 そのため、『ステイタス』の更新以外に強くなる方法と言ったものに疎く、また、それがどれほどまでに效果があるものか実感として知る事が出来なかった。

 いや、それはアイズだけではない。

 冒険者―――神の『恩恵』を授かった者皆が同じだろう。

 ステイタスの更新によるものは、『経験』というお金を払い、神が用意した乗り物に乗るようなものだ。

 そして『恩恵』によらない『功夫』によるものは、自分の足で一歩一歩歩いていくようなもの。

 どちらも目指す先は同じ。

 だが、その過程が余りにも違い過ぎる。

 『人』が十年掛けて身につけた力を、『冒険者』は十日で得た経験で『ステイタス』を更新することで手に入れる事が出来る。

 どちらが良いかと聞かれれば、誰もが『ステイタス』の更新を選ぶだろう。

 確かにそれは間違いではない。

 だが、それは―――

 

「『武術家』としては論外だな」

「何故?」

 

 否との言葉に対するアイズの疑問に、シロは応える。

 二ヶ月も経っていない間であるが、この街で過ごし今まで感じていたものを。

 

「言った筈だ。武術にもっと重要なのは『功夫』だと。『功夫』とは経験だ。『冒険者』が更新に必要とする経験とはまた別の、長い時間を掛けて得る経験だ。武術で強くなるためには、丁寧に、時間を掛けて『功夫』を積み重ねなければならない。だが、『冒険者』はそれが出来ない。『ステイタス』の更新の度に強くなってしまう。『神』たちは『経験』で強くなっていると言うが、俺には、到底経験と強さが釣り合っているとは思えん。強くなり過ぎている」

「強く、なり過ぎて」

「『ステイタス』の更新前と後では完全に別人だ。『武術』を極めんとする者ならば、絶対に認めはしないだろう。今まで積み重ねてきた『功夫()』が崩されて、一から作り直さなければならなくなるからだ。いや、それならまだマシな方か。中途半端に続けてしまえば、見た目だけ似ているだけのモノに成り下がってしまう」

「どうしても、無理なんですか?」

「『冒険者』とは、『個』を突き詰めたものだ。『ステイタス』を更新する、『Lv』が上がる。その度に『元の人間』から隔絶していく。逆に『武術』とは、普遍なものだ。『人間』が『人間』のまま戦う為の手段としてあるもの。故に、『人間』を超えた存在である『冒険者』が『武術』を修めるのには無理がある」

 

 ここまで言って一度口を止めたシロは、何時しか視線を下にやっていたアイズを見下ろした。

 顔は長い金の髪に隠されて見えないが、落ち込んでいるのは肩が下がった姿からも簡単に窺い知る事ができた。

 そしてシロは、最後の止めをアイズに刺した。

 

「それでも『武術』を修めようとするならば、少なくとも十年は『ステイタス』の更新をすることなく鍛えるしかないな」

「十年……」

 

 口にした言葉は、誰が聞いても力がなかった。

 

「お前の才能を考えてだ。それでも短い方だぞ。最低限モンスターを相手に出来るようになるには、そこらの者では更にその数倍は必要だからな」

「っ、でも、シロさんは」

「アイズ。俺が『冒険者』になったのはついこの間だ」

 

 アイズが反論するように、『冒険者』のシロが武術を使っている事について問い詰めようとするが、シロがついこの間まで『恩恵』がない一般人だったと思い出し再び肩を落とした。

 

「あ、そう、だった……」

「アイズ……」

「アイズさん……」

「……じゃあ、どうしたら」

 

 心配気に声を掛けてくるレフィーヤたちに応える事なく、アイズが出しているとは思えない地の底から響くような低い声を上げた。

 

「どうしたらいい」

 

 疑問を向けられる者はシロへか、それとも自分へなのかわからないまま、アイズは問いを何度も投げかける。もしかしたらとの小さな希望は今潰えた。なら、どうしたらいい。どうしたら強くなれる。

 限界が見えてきた自分の強さ。

 それを超えるには、どうしたら。

 溢れ出る想いが口から流れ出ていく。

 

「私は、一体どうしたら―――強く」

「……そこまで強くなりたいか」

 

 その声に、アイズは思わず顔を上げた。

 見上げた先には、先ほどと変わらずシロが立っていた。

 シロはアイズの暗い異様な輝きを見せる瞳を真正面から見据え、指を二つ立てたてて見せ。

 

「少なくともお前には、強くなる為の道が二つある」

 

 そう、口にした。

 




 久しぶりの投稿です。
 
 心配してくださった方はすみませんでした。

 ぼちぼち投稿していきますので、これからもよろしくお願いします。




 …………ですが、その、もしかしたら、次はアレの続きを投稿するかもしれないので……その……遅れたらすみませんm(__)m


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第十一話 葛藤

 ……う~ん


「二つ?」

「そうだ」

 

 シロは軽く頷くと、立てていた二つの内一つの指を折る。

 

「一つは、『ステイタス』の更新を止め、ある程度モノになるまで『武術』に専念する」

 

 シロの説明にアイズが怯むように視線を泳がすと、シロは小さく肩を竦めた。

 

「だがこれは、メリットよりもデメリットの方が遥かに大きい」

 

 シロの言葉に、ほっと何処か力が抜けた様子を見せるアイズ。シロはその様子を説明を続ける。

 

「メリットは精々人型、またはそれに類似するモンスターに対抗する手段が一つ増えるだけだ。デメリットはそれこそ無数にあるな。先程も言った通り、才能のある者でも一定の領域にまで至るのに少なくとも十年は掛かる。そして何より、例えモノになったとしても、殆どのモンスターに対し、『武術』は有効な手段ではない」

「え?」

 

 大人しくシロの説明を聞いていたアイズが困惑の声を上げる。アイズたちの様子を遠巻きに伺っていたリヴェリアたちもシロの言葉に困惑を浮かべていた。

 有効ではない、とシロは言うが、その『武術』がアイズを圧倒した女を軽く捻ったのをリヴェリアたちは自身の目で確認していた。その『武術』が有効な手段ではないと言われても、そう簡単に納得出来るものではなかった。

 アイズたちの戸惑う様子に対し、シロは苦笑を向けた。

 

「不思議でもなんでもない話なんだがな。『武術』は対人間用に創られたものだ。そしてモンスターの多くは、人体とはかけ離れた存在だからな。人間用に創られた『武術』では対応仕切れないモンスターも多い」

「確かに……」

 

 シロの言葉に、リヴェリアたちの脳裏に今まで戦ってきた様々なモンスターの姿が浮かび上がる。

 モンスターは多種多様だ。

 人間に近い―――人型のモンスターは確かにいるが、アイズたちの知るモンスターだけでも、その割合は決して多いとは言えない。そうであるならば、シロの言葉の通り、人間用に造られたと言う『武術』は、確かに効果が薄いのかもしれない。

 

「他にも色々とあるが、(こまか)く言えば時間が掛かるからな」

「…………じゃあ、もう一つの方は」

 

 肩を落としたアイズが、力ない声でシロに続きを促した。

 

「ひたすらに『ステイタス』を更新することだ」

「っ、それじゃあ」

「『ステイタス』の成長率が落ちているのか」

 

 これまでと変わらない、そう続けようとしたアイズの言葉は、シロが発した言葉によって止められてしまう。

 

「何で―――」

「その様子を見れば、な」

「っ……」

 

 自分の焦りを見抜かれているような気がしたアイズが、逃げるように向けられるシロの視線から目を逸らしてしまう。

 アイズから目を逸らされたシロだったが、シロはそのまま視線を動かすことなくアイズを見つめ続け。

 

「だが、ゼロではないのだろ」

「それは……」

 

 確かにシロの言う通り、ゼロではない。

 しかし、アイズにとってはそれはゼロに等しかった。

 何処まで強くなっても不安であった。

 多くの人から『強い』と言われても、オラリオの『最強』の一角と言われても、それでもアイズにはまだ自分が強いという確固たる自負がなかった。

 まだ、強くなりたい。

 まだ、強さが足りない。

 強くなればなるほど。

 周りから賞賛されればされるほど、焦りだけが募る。

 そして、その焦りとは反して、更新する度得られる『経験値』は少なくなるばかりで。

 アイズにとって、最早それ(僅かな経験値)は、ただの誤差にしか感じられないでいた。

 自分の前にそびえる見えない壁を感じ、アイズの身体から力が抜ける。鉛を飲んだように身体が重く、自然と頭も俯きがちになってしまう。

 

「なら、続ければいいだけの話だ」

 

 そんな俯いてしまったアイズに、シロはただ淡々と言葉を告げた。

 

「百で駄目なら千。千でも駄目ならば万。幾度も繰り返せばいい。例え一しか成長しなくとも、それでも一は成長出来ているのだ。少なくともステイタスの更新を止め、『武術』を身に修めるよりも強くなれるのは確実だな。単独で深層に潜れば、更に効率は良いだろう。まあ、その分、危険は増えるがな」

「シロっ! それは―――」

「私は―――ッ!!」

 

 シロの余りの言い分に、リヴェリアが苛立ちが混じった声を上げようとしたが、それに被せるようにアイズの悲鳴のような声が上がった。

 シロだけでなく、周囲にいる皆の視線もアイズに向けられた。

 その声には、今までにない強い感情が混ざっていた。

 

「私は……何時か強くなりたいんじゃないんです……私は、早く、直ぐに、強くなりたいんです」

「アイズ……」

「何故、そこまでして強くなりたい」

 

 リヴェリアたち『ロキ・ファミリア』の皆は。気遣わしげにアイズを見つめる中、一人シロは凪いだ海のような深く伺い知れない瞳で見つめていた。

 

「お前はもう、十分に強い。このオラリオ―――いや、世界でも上位に数えられるだけの力はある筈だ。それほどの力を持っていながら、何故そこまで未だに強さを求める」

「っ」

「アイズ、お前は何の為に強さを求める?」

 

 自分を見つめるシロの瞳に、吹き上がる感情の勢いを飲み込まれ立ち尽くすアイズを淡々と見下ろしながら、シロは問いかける。

 

「ただ、強くなりたいだけか?」

 

 問いかける。

 

「復讐か?」

 

 問いかける。

 

「アイズ」

 

 真っ直ぐ、目を逸らさず、逸らさせず。

 

「置いて……」

 

 やがて、アイズがポツリと小さく言葉を吐き出した。

 歯を噛み締め、握り締めた拳が震える程に力を込めながら、アイズは己の内に潜む想いを口にした。

 

「置いていかれたくない……」

 

 不安と、焦燥を。

 

「私は、弱かった……弱かったから、置いていかれた」

 

 揺れ動く心と同じように、濡れた視界がゆらゆらと揺れている。

 

「だから、私は強くならないと」

 

 言葉を発するために息を吸う度、胸を針でつつかれたような鋭い痛みが走る。

 乾いた息で喉が擦れ、奇妙な音が言葉と一緒に交わって出て行く。

 

「また、置いていかれないように……」

 

 頭に熱がこもり、鼻の奥がツンと痛みだす。

 息が上手く吸えず、荒い呼吸音が耳障りだ。

 

「早く、早く……強くならないと……」

 

 幼い子供のように感情を上手く言葉にできず、ただ何かに急き立てられているように言葉を吐き出してしまう自分が恥ずかしくて、悲しくて、辛くて。

 そんな風に感じる理由は全く分からない。

 分からない、けれど、アイズはただ思いのままをシロに伝える。

 もどかしく、どうにもならない胸の奥底で澱んでいたものをぶつけた。

 そして、

 

「アイズ」

 

 シロは、再びアイズの名を呼んだ。

 

「お前は、何処にいる」

「え?」

 

 問われた言葉の意味が分からず、一瞬惚けてしまう。空白の思考の中に、幾つもの言葉が疑問符と共に浮かび上がる度に消えていく。それらがまとまり形となり、言葉として口から出るよりも早く、シロは続けて問いかける。

 

「お前は、何処へ行こうとしている」

 

 似ているようで違う二つ目の問いかけ。

 どちらも問いとしては難しいものではない。

 対する答えは、考えなくとも直ぐに2、3は出てくるようなものだ。

 だから、その中のどれかを口にしようと。

 

「そんなの、私は―――……? 私、は?」

 

 見てしまった(見られてしまった)

 

 言葉は、自分を見つめるシロの目を見た瞬間、霧散した。

 琥珀色の瞳。

 その奥に揺らめく暗い、黒い、アレは、なに?

 それを見た(見られた)時には、もう、駄目だった。

 答えられない。

 答えが思い浮かばなかったのではなく、幾つも答えるものがあったからこそ、応える事ができない。ぐっと唇を噛み締めながらも、幾度も口元を震わせる。何度も口を開こうとするが、その度に閉じてしまう。それは、シロの問いが余りにも漠然としているため、答えがいくつもあるから―――そう、だから―――違う。

 そう、違う。

 そうじゃない。

 違う。

 私は、わたし、は……。

 っ、っ……わた、しは、……どこに、いる?

 どこに、いく?

 わたしは……私は、私は、わたしは、私は、わたしは何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ……―――わから、ない。

 わからない。

 わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない―――私は、何処にいる? 私は、何処へ行く?

 そんな簡単な事さえ、私は答えられない。

 何故?

 どうして?

 私は何処にいる?

 そんなの、決まっている。

 私は、『ロキ・ファミリア』所属。

 だから、私は『ロキ・ファミリア』に―――本当に?

 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に?

 

 本当に、そう?

 

 琥珀色の瞳が。

 

 琥珀色の―――暗闇が―――黒が、問いかけてくる。

 

 澱んだ、泥のような黒が、問いかけてくる。

 

 本当に、そうなの? と。

 

 黒い、泥が。

 

 黒い、私が、聞いてくる。

 

 本当に、あなたはそこにいるの? と。

 

 『ロキ・ファミリア』に、あなたはいるの? と。

 

 そんなの、いるに決まっている。

 だって、私は『ロキ・ファミリア』に所属して―――。

 

 じゃあ、どうしてあなたの周りには誰もいないの?

 

 ―――ッ!!?

 

 落ちていく。

 黒い、泥の中に。

 誰もいない。

 一人ぼっちだ。

 周りは、モンスターだけ。

 モンスターの残骸だけ。

 たった一人。

 私が一人、立っている。

 モンスターの死骸の中、一人だけ。

 一人、ぼっち。

 

 ねえ、何処にいるの?

 

 モンスターの残骸と泥が混じりあった汚濁の中、小さな女の子()が聞いてくる。

 

 ねえ、何処へ行くの?

 

 ねえ、何処にいるの? ねえ、何処へ行くの? ねえ、何処にいるの? ねえ、何処へ行くの? ねえ、何処にいるの? ねえ、何処へ行くの? ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえ――。

 

「答えられないか」

「―――ッッ!!!???」

 

 ヒュウッ、と喉が鳴り、視界が一気に明るくなった。

 自分が今何処にいるのか分からず、思わず周囲を見渡してしまう。

 私は、さっきまで黒い―――くろ、い……くろい?

 あれ?

 私は……何処に。

 呆然と周囲を見渡す私に、ため息混じりの声が掛けられる。

 

「……人に言えた義理ではないが、お前はもう少し周りを見ろ」

「……え?」

 

 声を掛けてきたシロへと顔を向けると、ぽん、と頭の上にごつごつとした手の平を置かれた。頭の上に手を置かれながら、手の持ち主であるシロへと目線を向けると、シロは何処か寂しげな色をした目を細めていた。

 

「過去に捕われ、(めくら)のまま歩けば何処へ行くか分かったものではない。このままでは、お前が置いていかれるのではなく、お前が置いて行くことになるぞ」

「私が、皆を置いていく?」

 

 逆じゃないのだろうか、と言葉にすることなく目でシロへと訴え掛けるが、向けられた当の本人は別の方向に視線を向けていた。アイズが釣られてそちらの方向へ目を向けると、そこにはフィンたち『ロキ・ファミリア』の皆の姿があった。

 

「まあ、大人しく置いていかれるような奴はいそうにないが……それに、置いていかれても必死についていきそうな奴もいるしな」

「?」

 

 言葉の意味が分からず、アイズは思わず小首を捻った。

 シロの視線の先では、レフィーヤが何やら頬を膨らませ。リヴェリアは腕組をしながら何やらそわそわと身体を揺らして。フィンは何時もどおり口元に笑みを浮かばせて、ティオナは髪の先をいじりながらもこちらをチラチラと見ている。ティオネは口元に指を当てながら何やら物欲しそうな目でこちらを見つめている。

 何時もどおりのような、何時もどおりじゃなさそうな、でも、やっぱり何時もどおりの皆を見て、何処か安心したアイズが、改めてシロを見上げ。

 

「シロさん」

「何だ」

「私は、これからどうし―――った!」

 

 再度シロに助言を求めようとしたら、頭に置かれていた手が拳に変わり、脳天を小突かれてしまった。 

 

「し、シロさん何で?」

「助言を求めるのは良いが、行先まで他人に任せるな。ただでさえ狭い視界が、更に狭まるぞ」

「? それって」

 

 微かに潤んだ目で見上げると、シロは乱雑にガシガシと自身の頭を掻きながらそっぽを向いていた。

 

「さっきは二つと言ったが、そもそも強くなる方法なぞ、それこそ無数にある」

「本当に?」

 

 すっと細まった目の中に疑いの色が強く出たのは、まあ、仕方のないことだろう。シロは口の端を苦笑気味に歪ませながら、頭を掻いていた手をひらひらと振ってみせた。

 

「お前が気づいていないだけでな。その中にお前が求めるものもあるだろうが、そうそう簡単にそれが見つかるわけもない、が……」

「ないが?」

「……お前のようなタイプ(天才型)は、直感的にそういうのを見つけるものだが……さて、本当に気付いていないのか、それとも見て見ぬふりをしているのか」

「…………」

 

 横目で覗いてくる視線に対し、俯き押し黙るアイズ。

 

「はぁ、まあいい。本当に気付いていないのならば良いが、そうでないのなら、アイズ」

「は、はい」

 

 顔を上げず、硬い声で返事をするアイズの態度に何かを言おうと口を開くが、シロは小さな溜め息を一つ着くと目を閉じた。

 

「……やる(・・)のなら、決して一人で挑むな」

「……」

「俺から伝えられる助言はその程度だ」

 

 無言を貫くアイズに、シロは背中を向けた。

 

「あ、ど、何処に」

「流石にこれ以上先はキツいからな、少し戻って見逃した場所がないかもう暫らく探索するつもりだ」

 

 立ち止まるが、振りからないままシロは応える。

 

「一人で?」

「……ああ」

「一緒に―――」

「アイズ」

 

 小さな、しかし、明確に拒絶を含んだ声。

 背中を向けるシロへと近づこうと動かそうとした足がピタリと止まった。

 アイズが見つめる先で、シロの顔がゆっくりと振り返っていく。

 

「……俺が言うのも何だが、もう少し、仲間を頼る事も覚えろ。さもなければ―――」

 

 そして、振り返ったシロの顔。

 自分を見つめる目と視線が交わり。

 

「―――っ」

 

 息を呑んだ。

 

「俺のようになるぞ」

 

 その、虚ろな。

 

 空虚な瞳に。

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。

 一応次がエピローグの予定です。


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エピローグ 変わるもの、変わらないもの

 

 

 

 

「―――だぁあああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 

 

 

 悲鳴のような叫び声を上げながら、白色の髪を持つ少年の後ろ姿がダンジョンの奥へと消えていく。

 あっと言う間もなく広間から逃げ出した少年。その余りにもな早業は、凄腕の冒険者である筈の少女に声を掛ける暇さえ与えなかった。少女は少年の背中を追うように視線を向けたまま、つい先程まで当の少年を膝枕していた姿のまま固まって。

 

「……何で、いつも逃げちゃうの?」

 

 そう、寂しげに少女―――アイズが呟いた。

 

 

 

 

 

「―――はぁ…………全く、何をやっているんだあの二人は」

「それをお前が言うのか」

 

 腕を組み、壁に背を預けながら頭を振る。どことなく項垂れているように見えるアイズの後ろ姿を、隠れて覗き見していたシロがため息混じりに呟いた言葉に、呆れた声が返ってくる。背後から掛けられた声に、シロは僅かに顔を傾けて後ろに視線を向ける。そこにはシロと同じ姿勢で同じくアイズを覗くリヴェリアの姿があった。

 リヴェリアと目が合わない内に、視線を前に戻したシロは、既に見えなくなった暫らくぶりに見たベルの背中を思い出し、目を細めた。

 

「たった一人のファミリアの仲間を心配するのはおかしな事か?」

「そう思うのならば、アイズに任せなければ良いだろうが」

 

 後頭部の辺りにリヴェリアの鋭い視線が突き刺さっている気がしたシロは、頭を掻きながら小さく肩を竦めた。 

 

「俺がベルに膝枕をやれと?」

「……やりたいのか?」

「冗談だ」

 

 後頭部に刺さる圧力が増す増す増大するのを感じ取り、シロは逃げるようにリヴェリアから距離を取った。対するリヴェリアは動かず、ただ視線だけをシロの後頭部へと注ぎ続ける。

 右へ行っても左へ行ってもブレず後頭部に刺さり続ける視線に、諦めたようにシロの足が止まると、それを待っていたかのようにリヴェリアが口を開く。

 

「―――それで、どうしてだ?」

「どうして、とは?」

「……顔ぐらい、見せてやっても良いだろう」

「…………」

 

 非難、ではなく心配気なリヴェリアの声に、シロはただ無言を貫いた。

 暫らくシロの返事を待っていたリヴェリアだったが、返事が帰ってこないと知ると、今度は責めるように強めの口調を向ける。

 

「随分と戻っていないと聞いたが」

「誰から聞いた」

 

 今度は直ぐに返事が帰ってきた。

 そこには呆れが半分、バツの悪さが半分と言った割合で含まれていた。

 

「なに、行きつけの店にお喋りな娘がいて、な」

「まったく……」

 

 何処と言わずとも、リヴェリアの言葉と態度で何処の誰が口を滑らしたのか大体把握したシロは、幾つか候補が上がった容疑者から真犯人は誰かと夢想する。寡黙なエルフは、ああ見えて中々お節介なところがあるし、享楽的な猫娘等が嬉々として話しているかもしれない、いや、色々と噂話が好きな看板娘の可能性もある。

 さて、今度店に寄った時にどうしてやろうかと考え込んでいると、あからさまに不機嫌な雰囲気を漂わせたリヴェリアが何時の間にか真後ろに立っていた。

 

「で、何故か聞いても?」

「随分としつこいな。そう長い付き合いでもないが、あまりこういうことに口を出すような輩には思わなかったが」

 

 内心慌てながらも、ゆっくりとした動作で後ろを振り返ったシロは、気付かれないよう小さく後ずさる。

 

「確かに、自分でもそう思っていたが……貴様は、色々(・・)と興味深いからな、こういう私でも気にはなる」

 

 が、ゆっくりと一歩分距離が開いたかと思えば、リヴェリアがすかさず一歩前に進んでくる。

 シロの動きに気付いたのかと思えばそうでないようだ。真っ直ぐにシロの目を見つめるリヴェリアの瞳に、そう言ったものは見られない。

 ぐいっと身体どころか顔を近づけてくるリヴェリアの前に、防波堤よろしく片手を突き出すシロ。

 

「まあ待て。別に、大した理由などない。ただ、そう、ただ……顔を見せづらいだけだ」

「喧嘩でもしたのか?」

「だと、良かったんだがな」

 

 頬を掻きながら無意識に視線を下に向けてしまう。

 弱々しさを感じるその姿に、眉根を釣り上げていたリヴェリアの瞳が一瞬で気遣わしげに緩む。

 

「シロ?」

「―――変わったな」

「?」

 

 無意識の内にリヴェリアの手が、指がシロへと伸ばされるが、その指先が触れる前に、シロの声がその動きを止める事になった。

 ストンと、切り裂くように口調も声色も変わったシロの言葉の意味が一瞬捕らえる事が出来ず、リヴェリアが思わず首を傾げる。

 

「アイズに、何かあったか? いや、何かしたのか?」

「……お前と別れた後、三十七階層の階層主と戦った」

「……『ウダイオス』か」

「そうだ。それも一人でな」

「一人、か」

 

 シロが何を言いたいのか理解したリヴェリアが、シロと別れた後の話を、簡単に説明を始めた。『ファミリア』総出で取り掛かるような相手に単騎で戦いを挑み、勝利したという話は、常識外れの常習犯であるシロであっても驚きは隠せずにいた。

 

「……一応、私もその場にはいた。手は出していなかったがな」

「そう、か……」

 

 一応フォローのつもりで言った言葉だが、何処か上の空のシロには意味のないものであった。

 

「お前は、あれからどうしていた」

「各階層をもう一度探していた。結果は、お察しの通りだ」

「そうか」

 

 小さく頭を横に振って見せる姿に、手がかりの一つもなかった事を悟り、リヴェリアの眉間に微かに皺が寄る。

 それを感じ取った訳ではないが、戯るようにシロは言葉を続けた。

 

「代わりに、行き倒れの白兎を一匹見つけたがな」

「見つけただけで、突っ立っていただけだがな」

 

 アイズにベルの相手を任せ立ち去る途中で、物陰に隠れて様子を伺うシロの姿を見つけた時の事を思い出し、思わず吹き出しそうになったリヴェリアが口元を慌てて抑えつけた。

 

「ああ、だから二人が丁度来てくれて助かった」

「お前は―――ったく、仕方がない奴だ」

 

 惚けるのではなく、本心からの言葉と感じ取り、それに物言いたげに口元を動かしたリヴェリアだったが、結局溜め息を一つ着いただけで続く言葉を飲み込んでしまう。しかし、リヴェリアが不満気な雰囲気に纏った事に気付いたシロが、不用意にもつついてしまう。

 

「何だ?」

「何でもないっ」

 

 振り返って疑問の視線を投げかけてきたシロにギロリと鋭い視線を刺してやったリヴェリアは、さっと視線を前に戻したシロの後頭部を暫らくの間睨みつけていた。

 

「リヴェリア」

「今度は何だ?」

 

 シロはリヴェリアに背中を向けたままの姿。

 リヴェリアにはシロが今、どんな顔をしているのかは全く見えない。

 

「俺は、変わったか」

「ん? すまない、シロ。今、何と―――」

 

 相手に伝える、と言うよりも、自問に近い小さな声。

 呟きにも満たない口の中で生まれ消えた言葉は、リヴェリアの耳には届かなかった。

 

「リヴェリアの目から見て、最初に俺を見た時と今の俺は、何か変わったように見えるか?」

 

 シロの疑問に、リヴェリアの中に一瞬戸惑いが生まれた。

 それは問いについてでなく。

 シロの声に潜んでいた感情の色。

 不安、焦燥、いや、これは恐怖?

 複雑に絡み合い混じりあった感情は、一言で言い表す言葉はない。

 唯一つ言えるのは、今のシロは、酷く―――。

 

「……ああ、そうだな。随分と強く、いや、お前は前から強かったか。何せベートを一撃で倒したほどだしな」

 

 一瞬浮かんだ言葉を否定するように目を一度閉じたリヴェリアは、次に目を開けた時には揶揄うような笑みを口元に浮かべていた。

 

「アレはあの小僧が酒に飲まれていたからだ。まともにやれば俺に勝ち目などないだろう」

 

 リヴェリアに合わせるように、おどけた調子でシロが不敵に笑う。

 シロとベートのLv差を考えれば確かにその通りなのだが、どう考えてもリヴェリアの脳裏にはベートがシロに勝利する姿は浮かんでこなかった。

 

「当の本人は納得していないがな。気をつけておけ、今度顔を合わせれば問答無用で襲いかかってくるぞ」

「それはまた恐ろしいな。気をつけておかなければ」

 

 シロがわざとらしく身体を震わせる。

 

「……まあいい。お前の質問の答えだが、「変わっていない」が私の答えだな」

「変わっていない、か……」

 

 首の後ろを掻きながら、シロが首を傾げる。

 その背中が、普段からは考えられないほどに弱々しく思え。

 

「シロ、お前―――」

 

 ついと口から言葉が出る前に、シロは逃げるように足を前へと動かした。

 

「リヴェリア、すまないが、出来ればで良い。うちの白兎の事も気にしておいてくれないか」

「お前―――他のファミリアにそんな事を頼む奴が―――」

 

 数歩程歩み、リヴェリアからある程度の距離を取るとシロは立ち止まった。

 シロの口にした内容に、リヴェリアから呆れた声が漏れる。

 頭痛を抑えるように片手で米神を押さえながら半眼でシロの背中を睨み付け、文句の十や二十は言ってやろうと口を開くが。

 

「頼む」

「っ―――」

 

 しかし、シロのたった一言。

 その言葉に含まれる願いに近い思いを感じ取り、非難の言葉は喉奥へと滑り落ちてしまう。

 

「すまんな」

「シロッ! 何処へ」

 

 それでも何かを言ってやろうとしたリヴェリアだったが、言葉少なく謝罪の言葉を吐いたシロがリヴェリアを置いて歩き始める。慌ててリヴェリアが呼び止めようとするが、シロは今度こそ立ち止まる事なく歩き続けていく。

 

「馬鹿者が……」

 

 暗闇の中へと消えていく背中。

 それを見つめるリヴェリアの握り締められた拳は、溢れ出る感情を示すかのように小刻みに震えていた。

 

 

 

 




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第三章 ショウタイフメイ
プロローグ 依頼


 ダンまち外伝は、何処までやるのかな?


 人の気配どころか風一つ吹かない広大な通路。

 その豪奢な絨毯が敷き詰められた通路の奥。

 時が凍りついたかのように一切の動きのないその場所の先には、地下奥深くへと続く階段がある。

 そこはギルド本部の地下深く。

 そこには、ギルドの―――いや、この『街』の主とも呼べるモノが存在していた。

 かつて『古代』と呼ばれたその時代。

 今では『オラリオ』と呼ばれるこの場所にある大穴から溢れ出すモンスターが地上に進出し、人類としのぎを削っていた時代に、彼らは空から現れた。

 神々である。

 『娯楽でやって来た』と降臨した幾柱もの神々の中に、その神はいた。

 好き勝手に己の欲望と衝動に身を任せる殆どの神の中において、その神は大穴を塞ぐための『塔』と要塞着工に取り組んだ一柱の神。

 この地に―――この世界に初めて『神の恩恵(ファルナ)』をもたらし。

 モンスターの侵攻を防ぎ、オラリオの原型となる要塞都市を築き上げ、『オラリオの創設神』と呼ばれ。

 今なお数多くの者達から崇め奉られる、都市の管理機関ギルドの主神たる神こそが、ウラノスである。

 

 

 

 長い長い階段を下りた先には、石造りの祭壇があった。

 巨大な石版が床に敷き詰められたそこは、地下とは思えないほどに広い。

 屋敷が一つまるごと入りそうな程に広く、明かりは四炬の松明だけ。

 その四炬の松明の中央にして、ここ―――祭壇の中心には、石で出来た大きな玉座が存在した

 そしてそこに、この空間の主たる神が座っていた。

 巨人―――いや、巨神たるその身は、二Mを超え。その佇まいは、まるで何千年を生きる巨樹のようであった。

 『古代』よりも遥か過去。

 古の人類が夢想しただろう神の姿がそこにはあった。

 樹皮を思わせる深い皺が刻まれた老神は、その皺を更に深く刻みながら、何事かを思考するように、その目は硬く閉ざされている。

 僅かに俯いた顔はフードにより隠され、その顔色は伺い知れない。

 

「アイズ・ヴァレンシュタイン、か」

 

 巨神の薄く開かれた唇から呟かれた言葉は、松明の明かりの届かない闇へと溶けていく。

 まさに神の声と頷ける力を持つ声は、燃える松明の炎を大きく揺らめかせ。

 

「―――ああ、彼女に依頼を出した」

 

 影の中から現れたかのように、唐突に姿を見せた人影がその神の言葉に返事を返した。

 黒ずくめのローブを羽織った人物だ。

 男か、女か。

 中性的とも取れる声からは、男女の区別を付けるのは難しく。だからと言って、広間に広がる暗闇よりも、深く被り込まれ隠されたローブの奥に漂う闇がより深く、その顔は伺い知ることは出来ないので、見た目から判断するのは更に困難である。

 また、両手には複雑な紋様が刻まれた手袋をはめており、徹底するかのように肌の露出は一切ない。

 どう見ても不審な人物であるにもかかわらず、唐突に現れたこの相手に対し、玉座に腰掛ける老神は誰何することもなく、ただ視線を一つ投げかけただけであった。

 

「何故、【剣姫】に依頼を出した。アレ(ロキ)に疑いを掛けられるのは望むところではないと言ったのは、お前の方だろう―――フェルズよ」

「確かに。しかし、彼女―――アイズ・ヴァレンシュタインは以前、例の【宝珠】に対して、過剰な反応を示したという情報がある。彼女と【宝珠】には何か因縁がある可能性が高い」

 

 「フェルズ」と呼ばれた黒衣の人物は、神の詰問に対し動じる姿を見せずに、以前、そして今回も冒険者依頼(クエスト)を授けた冒険者から聞き出した情報を語りだした。胎児の宝玉を受け取ったアイズが、卒倒した件についてだ。

 説得、と言うほど熱心ではないが、第三者的視線の理路整然とした説明が終わると、巌の如く動きのなかった老神の眉が、思考を示すようにピクリピクリと動き始めた。

 

「故に、アレ(ロキ)の不審を買ってでも【剣姫】に依頼を出した、と」

「ああ。今は少しでも宝玉の正体を解明できる手がかりが欲しい。その中で彼女が一番可能性が高い」

 

 フェルズの強い意志が込められた言葉を、老神は無言のまま聞き続ける。思考の深さ示すように、その顔に刻まれた皺が一段と深くなっている。

 未だ何かを迷う姿を見せる老神を後押ししようと、フェルズは「それに」と言葉を続けた。

 

「―――それに、三十階層の食料庫(パントリー)での一件。あれは何とかこちらだけで終われたが、同士(リド)達にも被害が出ている。これ以上彼らに負担を掛けさせられない」

 

 本来ならば、いくら高レベルの冒険者であるハシャーナであっても、単独で三十階層から宝玉を収拾出来る訳がなかった。それを可能としたのは、フェルズ等の協力者達の助力があったからこそなのだが、その際に彼等が受けた被害は無視できるものではなかった。

 少なくとも、再度協力を願うのは躊躇う程には。

 

「更に言えば、前回は番人(・・)はいなかったが、一度宝玉を奪取されたからには、奴らに油断はもうないだろう。何が待ち構えているかわからないならば、あらゆる事態に対応できるよう、【剣姫】以外にも十分な戦力を揃えた」

「番人……あの調教師(テイマー)が出てくる可能性があると」

 

 「可能性は高いだろう」と、フェルズは深く被ったフードを揺らした。

 両者の間に沈黙が満ちる。

 今回の冒険者依頼(クエスト)には、アイズ以外にも多くの冒険者が関わっている。アイズ以外の冒険者は、全て【ヘルメス・ファミリア】所属の者で、その中で更に優秀な者が今回の依頼に遣わされていた。彼らだけで大抵の依頼はこなす事は可能だろうし、その中にアイズが加われば、万全と言っても問題はない。

 だが、今回の依頼は特別だ。

 特別に危険であった。

 彼等が向かう先には、絶対にナニカが待ち構えている。

 それは、たとえアイズ・ヴァレンシュタイン(オラリオ最強の一角)と謳われるがいても変わらない。

 死者の出る可能性すらある。

 展開の読めぬ未来を想い、目を瞑り宙を仰いでいた老神は、そこでふと何かに気付いたかのようにはっと目を開いた。

 

「フェルズ。もう一人、依頼を出してみぬか」

「今から? 不可能じゃないが、一体誰に……今回の依頼のハードルに叶う相手は、そう多くはなかった筈だけど」

 

 フェルズが顎に手を当てながら、ウラノスが言う人物を推測し始める。

 思い浮かぶのは、多くがLv.4以上の猛者達だ。少なくともそれに近い能力がなければ、今回の依頼をこなすだけの力はない。しかし、ぱっと浮かぶ者達の中で、今回の依頼を受けてくれそうな者は思い至らず、フードの奥から老神に向けて怪訝な視線を向けた。

 

「あの男だ」

「あの男?」

 

 男、と言うウラノスの言葉に、候補が数名にまで絞られるが、残念ながら彼等は現在別の依頼を受けているため、今回の依頼は受けることは不可能である。フェルズは暫らく考え込んだが、該当する者は一人も主いたらなかったことから、降参するように肩を竦め、顔を左右に大きく振ってみせた。

 

「―――わからない。一体誰の事を言っているんだい」

「『正体不明』には『正体不明』を」

 

 このオラリオの中には、様々な謎が犇めいている。幾つもの謎が生まれ、正体や謎が明かされることなく忘れ去られるものもあれば、簡単に正体や謎が明かされるものもあるし、突き止めようとする者がいるにもかかわらず、一切の手がかりすら掴めない存在もある。宝玉とそれに関わる者たちについては、その後者に位置するものであり、オラリオ最大の派閥とも言えるギルドの主神たるウラノスの力をもってしてもその正体は不明であった。

 そして、とある一人の男についても、また同じであった。

 数ヶ月前、オラリオに突如現れた男。

 過去の記録も記憶も存在しない男を、あの男嫌いの気があったヘスティアが拾ったとの話を偶然耳にしたウラノスは、戯れにその正体を探った。しかし、男について調査するも、男の正体に関する情報は一つたりとも見つける事は出来なかった。手に入るものは全て、ヘスティアが男を拾った後の情報だけ。ヘスティアに拾われる前の情報は、欠片も見つけ出す事は叶わなかった。

 男の今の活躍からして、オラリオに入ったのはここ最近で間違いはないだろうと思われるが、数年前から都市の出入りを調べるも、似たような男が街に入ってきたという記録は見つからなかった。まるでオラリオに、何処からともなく現れたかのようで、それはまるで自分達と同じく神のように―――。

 

 

 

「『最強のLV.0』―――【ヘスティア・ファミリア】のシロだ」

 

 

 




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第一話 捜索

 

 もう、帰りたい……

 

 それが、レフィーヤ・ウィリディスの現状における正直な思いであった。

 俯きがちに目線を地面に向けながら、視界の端に見える早足で前を行く二組の足元を何とはなしに見つめながら、レフィーヤは肩を落としながら歩き続けていた。

 別に戦闘がきつい、と言う訳ではない。

 今、レフィーヤ達はダンジョンの18階―――安全階層(セーフティポイント)を歩いている。

 これまで現れたモンスターの強さはまだそこまで強くはなく。最悪レフィーヤ一人でも何とかなる程度でしかない。

 では、何がきついのか。

 耐えられないのは、この雰囲気だ。

 レフィーヤはチラリと視線を上に上げる。

 共に行くのは、今自分の前を競うように早足で歩く二人の人物。

 同じファミリアである狼人(ウェアウルフ)のベート・ローガ、そして、《ディオニュソス・ファミリア》所属のエルフのフィルヴィス・シャリアの二人であった。

 合計三人の小規模パーティーだが、一応自分を含め高Lvの冒険者だけのパーティーのため、この辺りの階層では危険は無いといっても良いほど低く。実際に、ここまで幾度もモンスターとの戦闘が起きたが、苦戦することは一切なかった。

 とは言え、今回の依頼? は速度が重要ということなので、足を止める訳もいかず、戦闘は魔法は使えず。魔道士であるレフィーヤにとって、杖を使った杖術のみでの戦闘は中々厳しいものがあったのだが、問題はそこではない。

 そう、何度も言うが、問題はこの雰囲気。

 この何とも居たたまれない雰囲気が問題なのだ。

 ダンジョンに入ってからここまで、いや、ホームである黄昏の館を出発してからここまで、一切の会話なし。

 いや、何度かこの雰囲気を何とかしようと話しかけては見たが、即座に一蹴されてしまい続くことは一つとしてなかった。普段はティオネを筆頭とした騒がしい―――もとい賑やかなメンバーと共にパーティーを組むレフィーヤにとって、今回のような状況は初めてでもある。

 何時もは少しうるさいな、と思ってしまうティオネの声が、今はこんなにも恋しい。溜め息をつきながら、レフィーヤは苛立ちを示すように尻尾の毛を逆立ち気味にしているベートから視線を逸らすと、もう一人の同行者に目を向けた。

 

(フィルヴィスさん、か……)

 

 レフィーヤは歩く度に揺れる艶のある濡れ羽色の長髪を見ながら、現実逃避気味にこれまでの経緯について思い返していた。

 何故、自分が大した交流のないこの二人とダンジョンに潜る羽目となったのかと言うと、それもこれも我らがファミリアの主である神ロキからの突然の命令であった。何やらアイズが危険な状態となっている二十四階層に向かっているので急いで追いかけて欲しいとの事であった。

 まあ、レフィーヤとしては、憧れの存在であるアイズの力になれるのならば何ら文句はなく。自分から率先して行きたいとも思えるぐらいなのだが、それも同行する者がこの二人だけだと先に知っていれば、流石に躊躇ってしまっていただろう。

 何せ一匹狼のベートと自尊心の高いエルフのフィルヴィスの相性が良いなど、しこたま酒を飲ませたロキでさえ口にすることはないだろう。

 さらにどうもこの二人、何やら以前何かあったようで、それも悪い方向に。出発の前に、初めて顔を合わせた時から二人共険悪な様子を隠そうともしていない。

 キリキリと痛む腹を押さえながら、レフィーヤはせめてティオネがいてくれたのならば、この何とも居たたまれない空気は少しはましになっていただろうかと溜め息をついてしまう。所詮空想は空想と、今この場にいないものにどれだけ想いを馳せてもこのどうしようもない空気が解消される訳もないと、ふるふると頭を左右に振ると、レフィーヤは気を取り直すようにフンッ、と一つ鼻息も荒く気合を込めると、前を行くフィルヴィスの隣まで駆け足気味に足を動かした。

 

「あ、あの、フィルヴィス、さん?」

「…………」

 

 フィルヴィスの隣まで追いついたレフィーヤは、恐る恐るとフィルヴィスの赤緋色の瞳に視線をやる。

 しかし、フィルヴィスはレフィーヤの声が聞こえているだろうに、無言のまま歩くだけ。

 思わず萎えかける足に力を込め、レフィーヤはグッと拳を握り締めた。

 

(こ、このぐらいで負けてたまるかぁ~……)

 

 再度気合を入れたレフィーヤは、及び腰になりかける身体に鞭をくれてやる。

 

「その、先程はありがとうございました!」

「…………」

「―――くっ、……そ、その、ですね」

「…………」

「わ、私、魔法ばっかりで、近接での戦いは苦手で、先程ミノタウロスを受け持ってくれて、本当に助かって……」

「…………」

 

 あからさまな無視。

 レフィーヤの心が折れかける。

 どれだけ話しかけても梨の礫とはこのことだろう。

 尻すぼみに消えていく声を震わせ、笑顔を引きつらせながらもレフィーヤはまだだと、再度気合を込めた。

 何故、こうまで無視されているのにも関わらず諦めないのは、別にこの少女が同族だからな訳ではない。

 まあ、こうまで無視することに悪意さえ感じさせるが、このフィルヴィスというエルフは決して悪い人ではないとレフィーヤは確信しているからだ。

 ここまで来る間での戦闘でのことだが、レフィーヤは何度もこのエルフの少女から助けられていたからだ。別にこれといった何かがあった訳ではない。しかし、彼女は強行軍のために足を止めてしまう『魔法』が使えず、得意ではない杖術での戦闘を強制されるレフィーヤの周囲を、常に警戒し、事前に奇襲の芽を摘んでいてくれていたのだ。

 最初は気づかなかったが、何度となく行われた戦闘の中で、流石のレフィーヤも気づくことができた。

 そんな人が悪い人のはずがないと、改めてレフィーヤは気合を込め話しかける。

 

「そ、そのっ! いい天気! ……ですね……」

「…………」

「…………」

 

 何処か遠くで、鳥型のモンスターの鳴く声が聞こえた気がした。

 瞬間、レフィーヤの顔が微妙な形で固まり、顔を中心に血が集まる。

 身体の中で炎が燃え盛っているかのように全身が熱く、だらだらと流れる汗は異様に粘つくばかりかとても冷たく感じられた。

 いい天気って、ここはダンジョンですよッ!!

 と、内心で自分自身にツッコミを入れるが、最早全て手遅れ。

 険悪な雰囲気の中に、一瞬だけ何とも言えない空気が流れたことだけが成果といえば成果だが、全く何も嬉しくもない。

 崩れ落ちかける身体を気力だけで何とか支えながら、恥ずかしさと情けなさで涙まで滲み出し歪む視界の中、心持ち歩く速度が遅くなった二人の背中を恐る恐る見ると。

 

「ちっ、さっきからうるせえぞっ。いい加減黙っとけっ」

 

 足を止めず、ベートが顔だけを後ろに向けて言い放つ。

 

「餓鬼の遠足じゃねえんだ。馴れ合う必要がどこにあんだ」

 

 鼻で笑うベートに、レフィーヤは歪ませた顔を俯かせたが、もう一人のエルフは、そこでキッと目を釣り上げた。

 

「同感だ。だから貴様は口を閉じていろ、下賎な狼人(ウェアウルフ)」 

「あん? は、何だ喋れるじゃねぇか。あんま喋んねえから、自動人形か何かだと思ってたぜ。ま、こんな根暗な人形なら、買い手なんざ付かねえだろうがな」

 

 ギシリ、と空間が軋む音がレフィーヤの耳に届いた気がした。

 足を止めないまま、にらみ合う二人。

 一触即発の空気が流れるが、フィルヴィスは直ぐに目を逸らすと、時間の無駄だと無言のまま歩く速度を早めた。その向かう先は十九階層へと続く階層中央へと向けられていた。

 

「馬鹿かてめぇ。アイズの居場所もわかってねえのに何処行くんだよ。先に(リヴィラ)で情報を見つけてからだろうが」 

 

 その足を止めるため、ベートがフィルヴィスの襟に手を伸ばした時であった。

 

「ッ! 私に触れるなっ!!」

 

 甲高い金属音と火花がベートとフィルヴィスの間で一瞬瞬いた。

 思わず立ち尽くすレフィーヤの前で、ベートが先の攻撃を受けた手甲に目をやった後、白刃を手に持つエルフの女―――フィルヴィスを殺気を込めた目で睨みつけた。

 

「あぁ? 何の真似だぁ?」

 

 僅かに震えるベートの声に、明らかに殺気がまとわりついていた。

 先程の一瞬。

 ベートの指先がフィルヴィスの襟に触れるか触れないかといった間際。フィルヴィスは身体を翻し、剣を抜き放ったかと思えば、それを止めることなくベートに向け切りつけたのだ。ベートはそれを難なく防いだが、レフィーヤは自分ならば無理であっただろうぐらいには、その速度と威力には力が入りすぎていた。

 口元が歪み、僅かに覗く口腔に白い牙が威嚇するようにギラリと光る。

 立ち上る戦意と殺意に、対するフィルヴィスも手に持った剣を構えた。

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ! ご、誤解ですっ! そうっ! これは誤解なんですベートさんっ!」

 

 一触即発の空気。

 次の瞬間にも戦闘が始まりかねない空間に、レフィーヤの鼻声と悲鳴が入り混じったような声が響き渡る。両手をわたわたと振り乱しながら、フィルヴィスを背中に、ベートと相対するフィーヤ。フィルヴィスから自分へと切り替わった、物理的な圧力さえ感じてしまうベートの眼光に背筋を震わせながらも、必死に弁明を図る。

 

同胞(エルフ)には他種族に肌の接触を許さないという風習があるんですよっ! わ、私も昔はこれで苦労したんですっ! だ、だからきっと彼女もそうですっ! つい、その、反射的にその、その……」

 

 嘘である。

 いや、確かにエルフの風習の中にそのようなものはある。

 正確には『認めた相手でなければ肌の接触を許さない』というものであるが、まあ、似たようなものだ。

 嘘なのは、レフィーヤは別にこの風習で苦労したことがないということだ。

 この風習は、地域によって差があり、レフィーヤのいた地域ではこの風習はほぼ形だけのものとなっていた。とは言え、こういう風習があるのは事実であり、彼女(フィルヴィス)がその風習がどれだけ根付いた地域に住んでいたのかは、今は問題ではない。

 今は何とかそういう事にして、この場をどうにかして収めなければ、確実に血の雨が降ることになってしまう。

 文字通り現実に。

 確かに触れるか触れなかという程度の接触で抜剣までしたフィルヴィスの行為はやり過ぎであり、風習ということで納得できる範囲を超えているだろうが、ここは何とかそれで行くしかないと、レフィーヤは半ば自棄糞になっていた。

 

「風習? はっ、にしては過剰すぎんだろ」

 

 ですよねぇ~と、レフィーヤも頷きたかったが、そういう訳にもいかず、喉元までせり上がっていた言葉をぐっとこらえると、どもりながらもフィルヴィスの援護を続ける。だらだらと冷や汗を流しながらの必死の説得のお陰か、ベートは苛立たしげに地面を蹴りつけ、レフィーヤの説得を止めると、先程からずっと無言で俯いたままのフィルヴィスを一度睨みつけた後、レフィーヤ等に背中を向け、(リヴィラ)へと歩いて行った。

 ほっと胸をなで下ろしたレフィーヤがチラリとフィルヴィスに目を向けるが、彼女はまだ顔を上げる事なく、黙り込んでいた。

 

 

 

 

 

「おう。『剣姫』なら確かにオレ様のところにも来たな」

 

 凶悪な悪人顔の上に、更にダメ押しとばかりに左目に眼帯をした筋骨隆々な大男が、無精髭をゴリゴリと撫でながら大仰に頷いた。見るからに山賊なこの男だが、この男、こう見えて冒険者の街(リヴィラ街)の顔役である。

 レフィーヤたちは街の酒場である程度の情報収集を終えた後、街の頭という立場から様々な情報が集まるこの男―――ボールス・エルダーが店主を務める店へと赴いていた。

 

「何か知らんが『盾を預かってください』ってな。それもくれぐれも売り払わないようになんて、念を押してな」

「盾、ですか?」

「ああ、ちょっと待っとけ」

 

 そう言って、ボールスはレフィーヤに背を向けると、店の奥にある洞窟へと歩き出した。

 『リヴィラの街』には、冒険者の装備を一時的に預かる倉庫代わりの洞窟が幾つもある。冒険者の予備武器等を保管するための倉庫替わりの洞窟だが、その内の一つをこのボールスは所有して、商売に使っていた。

 自身が所有する倉庫から、緑玉石(エメラルド)の光沢を帯びたプロテクターを片手に持ち出したボールスが、それをレフィーヤに差し出してみせる。

 

「これを、アイズさんが?」

 

 まじまじと差し出されたプロテクターを見下ろしながら、レフィーヤは首を傾げた。

 プロテクターはそれなりに使い込まれているようで、その表面は削られてボロボロとなっている。見た目はそれなりに整っているが、性能的にはそこまでランクが高いとは思えない。『ロキ・ファミリア』という上級の冒険者を多数抱える環境から、数多くの上級の装備を見慣れたレフィーヤの目には、ボールスが持ってきたプロテクターは精々下級冒険者が使う装備にしか見えなかった。

 だからこそ、何故アイズがこんなものを持っていたのかが分からない。

 

「はあ、そんなに良い物には見えないですけど……まあ、いいです。あの、それでちょっとお聞きしたいんですが。私達、事情があってアイズさんの向かった先を知りたいんですが、何か知りませんか?」

「ほぉ~【剣姫】の行き先が知りたいと」

 

 レフィーヤがおずおぞと尋ねると、にやにやとした笑みを浮かべたボールスが、持ってきたプロテクターを隅に置くと、空いた手を差し出してわきわきと指を動かし始めた。

 

「知ってかお嬢ちゃん。何事にも対価ってぇもんが―――」

「―――さっさと言えクソ野郎」

「ああ、そう言えば」

 

 要約すれば金を払えと全身で訴えかけてきたボールスの首根っこを、横から身を乗り出してきたベートががっしりと掴んで凄みを効かせると。一瞬にして腰を低くしたボールスがぽんと両手を打ち鳴らした。

 

「【剣姫】とつるんでた連中がいたんですがね。そいつらが陽動用の血肉(トラップアイテム)隠蔽布(カモフラージュ)を幾つか買ってたみてえですよ」

血肉(トラップアイテム)って、確かモンスターを引き付けるためのアイテムでしたよね。と、したら行き先は……」

食料庫(パントリー)か」

 

 元からアイズ達の向かった階層自体はわかっていたが、その階層の何処へと向かったのかが分からなかった。階層一つだけでも広く広大であるため、その中から何の手がかりもなく目的の人物を探し出すのはほぼ不可能である。

 しかし、今回で得た情報―――血肉(トラップアイテム)隠蔽布(カモフラージュ)が必要な場所といえば限られていた。

 ここに来て、レフィーヤたちはようやっと目的地が判明した。

 

「おい、さっさと行くぞ」

 

 乱雑にボールスの首を開放したベートが、さっさと小屋の外へと歩き出す。小屋の外で待っていたフィルヴィスも、それを見て情報収集を終えたのを確認すると、街の外へと向かって歩き出していた。レフィーヤはさっさと先に行く二人の後ろ姿と、首を押さえながら忌々しげにベートの背中を睨み付けるボールスとの間で視線を右往左往させたが、ぺこりと一度ボールスに向け頭を下げると、既に小さくなりかける二人の後を追おうと駆け出そうとして―――。

 

「そう言えば、シロの野郎も【剣姫】の行き先を聞いてきたな」

「え?」

 

 ボールスが口にした名前に、思わず足を止めてしまった。

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。

 もう少しで久しぶりの休暇。

 よし、温泉入りながら更新しようっ!
  
 ……休めるかな。


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第二話 危険な男

 前話の感想・ご指摘を受けて、これからは殆んど変わらない内容の場合は、ざっくりと短くするか、書かないようにします。


 

「―――はぁ」

 

 

『そう言えば、シロの野郎も【剣姫】の行き先を聞いてきたな』

 

 レフィーヤは一人、苦悩していた。

 それは冒険者の街(リヴィラ街)でボールスから聞いた言葉が主な原因だった。

 どうやらシロが自分たちと同じようにアイズの行方を探しているようなのだが、ベートたちがさっさと街を出て行ってしまったため、レフィーヤはそれ以上詳しいことをボールスから聞き出すことができず、今もまだ、何故、同じファミリアでもないシロがアイズの行方を探しているのか、その答えが分からない疑問を一人で考え込み頭を抱えていた。

 最初は、ベートたちに追いついた後、シロがアイズを探していることをベートたちに伝え、街に戻るつもりだったのだが、いざそのことを伝えようと口を開いた瞬間、何故か言葉が上手く出てこなかった。結局ベートに怒鳴られたあと、街に戻ることなくレフィーヤ達はアイズが向かったとされる食料庫(パントリー)へと向かう事になったのだが……。

 こうして一人、ぐるぐると答えの見えない疑問を頭の中で回しながら歩いていた。

 

「…………」

 

 顔を前へと向ければ、先を行くベートとフィルヴィスの背中がある。

 レフィーヤが殆んど走るような歩調で歩くベートの背中を見ると、再度溜め息を着く。

 あの時、ベートにシロの事を話そうとした瞬間、何やら嫌な予感がして上手く話すことが出来なかった。 

 その理由は実の所わからない。いや、答えが喉元まで出かかっている妙なもどかしさはあるのだが、どうしてもそれが形になることはなかった。ただ漠然と嫌な予感がして、それがベートに伝えることを強烈に拒否を示していた。

 

「はぁ……」

 

 何度目になるか分からないため息がまたもや口から溢れる。

 どうして、シロさんがアイズさんを探していることをベートさんに伝えられなかったんだろう?

 アイズさんの現状が分からない今、手がかりになりそうな情報は、どんな小さなもので重要だろうに、何故、情報の共有を避けたのだろう。

 シロさんとベートさん。

 この二人に何かあったかな……何か、あったと、思う……あった筈なんだけど……何だったかな?

 ベートにシロの情報を与えてはまずい、その確信はあるのだが、その理由が思い至らない。

 この二人に何かあった気がするのだが、それがなんだったかがレフィーヤには思い出せないでいた。シロとの思い出というか、あの男が関わると、何時も大事になるため、細かなことは大分記憶から削れてしまうと、割と理不尽な文句を想像の中のシロへと言い放つレフィーヤ。

 せめて誰か相談に乗ってくれれば少しは気が晴れるかもとは思うが、この場にはベートとフィルヴィスの二人しかおらず。

 ベートはまず論外であり、唯一の可能性のあるフィルヴィスはこれまでの経緯(会話が成立しない)を考えれば、相談に乗ってくれる姿は想像ですら出来ないでいた。

 そういった理由で、誰にも相談できず、どうにも思い出せない記憶を探って、何とかこの懊悩から解放されたいとレフィーヤが唸っていると。

 

「―――大丈夫、か?」

「ふぇあっ、な、何でしょうかっ!?」

「い、いや、気にしないでくれ」

 

 唐突に前を歩いていたフィルヴィスが後ろを向いてレフィーヤに声を掛けてきた。突然のフィルヴィスの行動に、思わずレフィーヤの口から間の抜けた声が出てしまう。

 その慌てぶりに遠慮したのか、フィルヴィスは小さく頭を振ると、顔を前に向けようとする、が。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「あ、な、何だ?」

 

 思わずレフィーヤの手が伸び、フィルヴィスの手を取ってしまう。

 足を止め、見つめ合う二人のエルフ。

 

「わっ、わわ、す、すみませんっ!」

 

 互いに目を見つめ合いながら固まった二人だったが、直ぐにレフィーヤが慌てた様子でフィルヴィスの手を離してしまう。

 

「あ、ああ」

「す、すみません……それで、あの、私に何か?」

「いや……、その、だな。街を出た後から随分元気がなくなったようだから、どうかしたのかと……」

「…………」

 

 フィルヴィスからの思いがけない言葉に思わず声を失ってしまうレフィーヤ。目を見張って無言のまま立ち尽くすレフィーヤの姿に、フィルヴィスは気遣わしげな顔からすっと、何時もの無表情に戻ってしまう。

 

「気のせいだったら―――」

「ありがとうございますっ!」

「―――え?」 

 

 だが、それは勢い良く頭を下げて、明るく元気にお礼をするレフィーヤの声にその無感情の仮面に亀裂が入った。

 今度は先ほどとは逆に戸惑った様子を見せるフィルヴィス。顔を上げたレフィーヤは、照れ笑いを浮かべながら髪を撫でるように掻くと、立ち止まったフィルヴィスたちを無視してどんどんと先へ行くベートの背中をチラリと見る。

 

「このままだとベートさんに置いていかれてしまうので、歩きながらですみませんが、少しだけ相談に乗ってもらえませんか?」

「え、あ―――構わないが……」

「ありがとうございますっ」

「わっ、な、何を―――っ」

 

 レフィーヤのお願いに、一瞬躊躇った様子を見せたフィルヴィスだったが、じっと真っすぐに自分を見つめてくるレフィーヤの瞳と目が合うと、知らず頭が上下に動いてしまっていた。レフィーヤは、フィルヴィスの肯定の返事を聞くと、満面の笑みを浮かべお礼を口にし、所在無さげに揺れていた彼女の手を取りベートの後を追いかけ始めた。

 

 

 

 

 

「それで、その、『シロ』という男が、私たちと同じようにアイズ・ヴァレンシュタインの後を追っていると」

「はい、そうなんです」

「で、それの何が問題なんだ?」

 

 ベートの後方十数M程の位置で、二人のエルフはこそこそと囁き合うように話をしていた。

 フィルヴィスが相談に乗ってくれるということになり、レフィーヤはベートに聞かれたくないと前置きをすると、レフィーヤは聞き耳を取られないと思われる距離を取ってから相談を始めた。

 獣人であり、更に上級冒険者であるベートの聴力は、並の冒険者とは比べ物にならないほどに良いため、それなりの距離があっても聞かれてしまうかもしれない。そのため、二人は殆んどくっつくような状態で話をしているのだが。

 

「あ~……その、問題というか……」

 

 首を傾げながら自分を見つめてくる困惑を宿す赤い瞳に、レフィーヤは苦笑を浮かべるとベートの背中にチラリと視線を向けた。

 

「あの男がどうかしたのか?」

「どうか、したんでしょうね」

「はぁ?」

 

 思わず、と言うように、フィルヴィスの口から似合わない少し大きめの疑問の声が上がる。

 直ぐにバツが悪そうに口元をもごもごとさせるフィルヴィスの姿に、小さく笑みを浮かべたレフィーヤは、半目で睨みつけてくる視線から逃れるように、眉間に皺を寄せると小首を傾げてみせた。

 

「ベートさんにシロさんの事を教えちゃいけない、と思っているんですが……その、何でそう思うのか自分でもわからないんです」

「……ちょっと、意味がわからないんだが」

「そ、そんな目で見ないでくださいっ。自分でも変なことを言っている自覚はあるんです。確か、シロさんとベートさんの間に何かがあった気がするですが……それが何だったかが……」

 

 フィルヴィスの可哀想なモノを見るような目から逃れるように、レフィーヤは両手をバタバタと振り回す。

 

「あの男の事だ、何か揉め事でも起こしたとかではないのか?」

「揉め、事……ああ、ええっと、そんな感じだった、ような……」

 

 じ~っ、とベートの背中を睨みつけるように見つめながら、眉間に皺を寄せていたレフィーヤは、ムムム、と口の端をへの字型にして唸りだした。

 

「しかし、その程度ならあの男は日常茶飯事の筈だ。そう警戒する必要はないと思うが」

「そうですよ、ね」

 

 リヴィラの街でボールスから話を聞き出した際の、ベートの脅迫というか恐喝というか、暴力を前面に押し出した実力行使や、何時もの口はばからない言動等を思い出し、レフィーヤが悩む素振りを見せながらも小さくこくんと頷く。しかし、直ぐに頬に指を当て考え込む仕草を見せると、フィルヴィスに何とも言えない目を向けた。

 

「いえ、やっぱりそれはないと思います」

「何だと?」

「シロさんは色々とおかしい人なので、ベートさんと揉めたとして、も……」

「どうした?」

 

 唐突に口を閉じて考え込み始めたレフィーヤに、フィルヴィスが目を瞬かせる。

 

「いえ、何か答えがもう口のところまで来て……っぅ、ああっ、もう何なんですかこれぇっ」

「お前は元気だな……」

 

 頭を抱えぶんぶんと振り回しながら叫ぶレフィーヤの姿に、フィルヴィスの微かに笑みを含んだ声を漏らす。

 その、初めて見るフィルヴィスの笑みとも言える表情に、数瞬の間、レフィーヤの視線が奪われてしまう。

 そして、思わずといった様子でポツリと呟いた。

 

「……やっぱり、フィルヴィスさんは優しいですね」

「っ、何を」

 

 苦悩で満ちていた顔を一瞬にして満面の笑みに切り替えたレフィーヤに、フィルヴィスは虚を突かれたように肩をビクリと震わせると、逃げるように歩く速度を早め始めた。

 直ぐさま二人の間の距離が開くが、直ぐにレフィーヤも歩く速度を早めると、フィルヴィスに追いつき、先ほどよりも近い距離に。やがて互いの肩が触れるほどの距離にまで詰め寄ると、レフィーヤはニッコリと再度フィルヴィスに笑いかけた。

 

「戦闘の時だけじゃなくて、今も私が悩んでいた時に声をかけてくれたじゃないですか」

「別に、それは……一応、今は組んでいる身だ。これから何があるかわからない今、下手を打って倒れられる前に、問題を解決しようとしたまでだ。間違っても優しさからくるものではない」

 

 冷たい言葉に、鉄仮面のような無表情をもってフィルヴィスはレフィーヤを睨み付ける、が。

 

「ふふ……そうですか」

「っ、レフィーヤ・ウィリディス。お前は、勘違いをしている」

 

 笑うレフィーヤからフィルヴィスは目を逸らした後、直ぐにきつく顔を顰めると、キッ、と更に鋭くした視線をレフィーヤに向けるが、直ぐにそれはくっ、と口元を噛み締め力なく視線を落とすことになる。

 

「私はお前が思うような者ではない」

「フィルヴィスさん……」

 

 苦痛を耐えるかのように、顔を微かに強ばらせながら呟くフィルヴィスに、レフィーヤは思わず手を伸ばしかけるが、それは途中で止まり力なく垂れ、やがて歩いていた足も止まってしまう。すると、フィルヴィスも数歩だけ歩いた後、レフィーヤに背を向けたまま足を止めた。

 互いに口にする言葉が浮かばず、そのまま暫くの間無言の時間が過ぎるが、落ち込むレフィーヤの姿を横目でチラリと見たフィルヴィスは、何か逡巡するかのように何度か口を開いては閉じた後、意を決したように一度強く口を閉じ、喉を鳴らすと口を開いた。

 

「そういえば……お前の言う『シロ』とは、もしやあの『シロ』のことなのか」

「え?」

 

 まさかまた話しかけてくるとは思わなかったフィルヴィスの言葉に、レフィーヤは行き場を失った手を見つめていた視線を慌てて上げる。

 

「私の知る限り、『シロ』と呼ばれる冒険者は『最強のLv.0』と呼ばれるあの男のことしか頭に浮かばないのだが」

「あ、はい。そうです、ね。確かにシロさんはそう呼ばれています」

「ならば、お前の言う。あの『シロ』とベート・ローガとの間で起きた揉め事とやらは、『豊穣の女主人亭』で起きた事件ではないのか?」

「へ?」

 

 ぱちぱちと数度瞬きを繰り返した後、レフィーヤの顔にゆっくりと驚愕の色が浮かび上がり。

 

「そ、そうですっ! それですよっ!!」

 

 びしっと勢い良くフィルヴィスの背中に指差しながら、驚きと喜びが入り混じった声を上げた。

 

「そうですそうですっ。『豊穣の女主人亭』で、シロさんがベートさんを一発でのしちゃったアレですよっ!」

「……しかし、本当なのか? 私もその噂は聞いたことはあるが、あの『シロ』はまだ冒険者になってから、いや『神の恩恵』を受けてからまだ二ヶ月足らずのLV.1と聞くぞ。それでどうやったらあの『ベート・ローガ』を一撃で昏倒させることなど出来る? あの男は、性格は最悪だが、その実力だけは本物だぞ」

「それは……」

 

 振り返ったフィルヴィスの目には、疑問が濃く浮かんでいる。

 それもそうだろう。

 『ベート・ローガ』―――『凶狼(ヴァナルガンド)』の二つ名で呼ばれる【ロキ・ファミリア】所属の第一級冒険者。そのLv.は5であるが、戦闘力は既にLv.6にまで迫り、ランクアップも間もなくと噂される人物である。そんな彼が、冒険者になってから、いや、『神の恩恵(ファルナ)』を授かってから一ヶ月程度しか経っていないLv.1の冒険者に倒されるなど、どう考えてもありえないのだ。

 フィルヴィスも最初この噂を聞いた時、何かの間違いか、ベート・ローガに恨みを持つ者がばら蒔いた風評の類か何かだと考えていたが、レフィーヤのこの様子を見る限りではどうやら事実のようだ。

 しかしそうであっても、フィルヴィスには、それがやはり有り得ないとしか思えなかった。

 何せ相手はLv.5。それもあの『ベート・ローガ(凶狼)』だ。Lv.1の冒険者が階層主を単独で撃破したと言われた方が、まだ信じられる余地がある程だ。偶然や奇跡で成せるようなものではない。

 だが、レフィーヤを見れば、それが事実であるようにしか思えない。

 しかし、どうやって?

 これまでベートと散々揉めてきたフィルヴィスであるが、別に勝てると思って喧嘩していた訳ではない。逆に絶対に勝てないと思っていた程であった。第二級と呼ばれるLv.3の自分の力では、どうやってもLv.5の冒険者であり、『凶狼(ヴァナルガンド)』の二つ名で呼ばれるほどの凶暴な力の持ち主であるベートに傷一つ負わせる事すら難しいとすら考えていた。

 それを、どうやったらLv.1の冒険者が?

 

「その、私はずっと見てた訳じゃなかったんで、その時の事は良くわからなかったんですが、団長曰く、顎先を拳でかすらせるようにしてベートさんに脳震盪を起こさせたみたいなんでですが……正直、直接団長から聞いた私もそんな事が出来るなんて信じられません。でも、あの時、実際にシロさんがベートさんを一撃で倒してみせたことは確かです」

「……お前の事は信じないでもないが、いやしかし、そんな事が可能なのか? 他の低Lv.の冒険者ならともかく、相手はあの『ベート・ローガ(凶狼)』だぞ」

 

 驚愕、ではなく困惑が満ちた疑問に言葉に、思わずレフィーヤは苦笑を浮かべた。

 

「本当ですよ……本当に一瞬の事でした」

「……『シロ』と言う男は、本当にLv.1なのか?」

「それは私も疑いましたし、あの場にいた全員も同じ意見でした。だから、あれから【ロキ・ファミリア】の皆で色々と調べてはみたんですが、恐ろしい事に噂に間違いはないみたいです。あの人は、確かに二ヶ月前にここ(オラリオ)に現れ、恩恵もなしに冒険者を叩きのめした後、神ヘスティアのファミリアになった―――新人(ルーキー)です」

 

 断定するレフィーヤの言葉に、フィルヴィスは痛みを堪えるかのように片手で頭を押さえた。

 

「いくら考えても、どうやったらそんな事が可能になるとは思えないな。ベート・ローガは酒の飲みすぎで泥酔でもしていたのか?」

「確かに、少しお酒を飲みすぎていてはいましたけど、動きに支障が出るほどには飲んでいなかった筈です」

「そうか。ああいや、そもそもLv.1の攻撃でLv.5の冒険者が気絶することは有り得ないはずだ」

「その有り得ない出来事が起きたんです」

 

 眉間に刻まれた皺を更に深くしながらフィルヴィスが唸り声を上げている。レフィーヤは杖に寄りかかるように体重を預けながら、ダンジョンの薄暗い天井を見上げた。

 フィルヴィスの言うことは確かに最もであった。

 『神の恩恵(ファルナ)』の力は凄まじいの一言である。刻まれるだけで、ただの子供が大の大人でも敵わないモンスターと渡り合うことが可能となるその力は、Lv,が上がる毎に他とは隔絶した力を所有者に与える。それは単純な敵を倒す力だけでなく、その身を守る力にも現れる。例えば、『神の恩恵(ファルナ)』を授かっていない一般人が、棍棒で頭を殴られれば、下手をすれば死んでしまうが、『神の恩恵(ファルナ)』を授かった冒険者ならば、例えLv.が1であったとしても、棍棒を振るう者が一般人であるならば、精々が瘤を作る程度でしかダメージを与えることはできない。

 それ程までに、『神の恩恵(ファルナ)』とは人に隔絶した力を与えるものなのである。

 まるで、存在そのものが違うものへと変わっているかのように……。

 そして力の差は、同じ冒険者のあいだでも同じだ。

 同じ神の恩恵(ファルナ)を授けられた冒険者同士であっても、Lv.の差が一つでもあれば、その差は圧倒的だ。それが4つも違えば、それは最早、世界の理で決められていると言っても過言ではない程に、Lv.の差とは決定的なもの。

 Lv.が上がれば上がるほど、冒険者は強くなる。

 その強さはまさに次元が違う強さ。

 相対すればわかる。

 格が違う、いや―――言葉通り次元が違うと言えばいいのか……。

 立っているステージが違う。

 そう、それ程までに第一級と呼ばれる高Lv.の冒険者とは強く、他の者とは隔絶しているのだ。

 その筈なのに。

 彼は、それをあっさりと覆してしまう。

 ベート・ローガとの一件だけではない。

 モンスターフィリアの一件や、冒険者の街で起きた一件もそうだ。どれもがLv.1では考えられない力を見せた。冒険者の街で起きた事件なんて、Lv.5のアイズを圧倒した敵を逆に圧倒した程だ。

 彼―――シロとの付き合いはそう長いものではない。

 長くとも一ヶ月程度。

 その程度でしかない。

 彼も自分の事を話すようなタイプではないため、良く知らない。

 精々彼のことで、自分がほかの人よりも知っていることなど―――。

 

「―――お父さんが大好きだった、ぐらいしか……」

「ん? 何か言ったか?」

「えっ? あ、いいえっ!? 何でもないですっ!! ええ本当に何でもありませんともっ!!!」

 

 知らずポツリと零した声の欠片を聞き取ったフィルヴィスが尋ねると、レフィーヤは一瞬で真っ赤にした顔を激しい勢いで左右に振り始めた。

 

「そ、そうか」

「その通りなんですっ!!」

 

 目を血ばらせた赤く染まった顔を間近にまで寄せてくるレフィーヤに、若干引きながら冷や汗をかいたフィルヴィスは頷いてみせる。

 

「大体、あの人の事をいくら考えたって意味なんてありませんっ!! あの人は色々とおかしいんですっ。私たちの常識でなんか測れない人なんですよっ! 団長たちだって規格外だって言ってますもんっ。ええそうですっ。シロさんなんて、こっちの言うことを何時ものらりくらりと躱して聞いているのかいないのか分からないくせに、あっちからは色々とちょっかいを掛けてきて。なのに最近は私だけじゃなく、リヴェリア様にも迷惑を掛けてっ!」

「わ、わかったから少し落ち着け」

 

 顔を真っ赤にしながら、目の焦点をぐるぐると回転させ何とも意味を読み取れない言葉を立て続けに吐き出し詰め寄るレフィーヤの両肩に手を置いて、これ以上の接近を防いだフィルヴィスは、何とか落ち着かせようとガクガクとその肩を強く揺さぶる。

 

「っ、あ、す、すみません」

「まあ、シロという男が、【ロキ・ファミリア】さえも気にする男だということはわかったが、そうか……だとすると、確かに厄介な事になるかもしれんな」

 

 正気に戻ったのかレフィーヤパチパチと瞬きを繰り返し、数度深呼吸をして落ち着きを見せ始める。そんなレフィーヤを警戒するように見つめながら、その両肩から手を離したフィルヴィスが、先程の話の内容を思い起こし顎に手を当てた。

 

「え? 何がですか?」

「何が、とは―――ベート・ローガとそのシロが出くわしたらの話だ」

 

 ほえ、と言うように口を微妙に開けた間の抜けた顔で首を傾げるレフィーヤに、フィルヴィスは呆れた声を向けた。

 

「あ、ああ。そうですね」

「しっかりしろ。あのベート・ローガがそんな屈辱を忘れるはずがない。もし、あの一件以来、一度もシロと出会えずじまいであれば、こんな所でばったりと出くわしてでも見ろ。いきなり襲いかかったとしてもおかしくはない」

「は、あはは……そんなこと……」

「ないと言い切れるか?」

 

 頭を掻きながら否定のため首を横に振ろうとしたレフィーヤだったが、逃げを許さないフィルヴィスの視線に込められた力に屈するかのように頭を垂らした。

 

「っ……十分にありえますね」

「実際にどうやったかはわからんが、やはり私にはベート・ローガがLv.1の男に負けるとは思えない。だが、実際に奴が負けていたとなると、もしもこんなところで出逢えば奴のことだ、屈辱を晴らさんと絶対に襲いかかるぞ。下手をすれば殺しかねん」

「それは―――」

 

 流石にそれはないだろうと、レフィーヤが否定の言葉を吐こうとするが、それは視線をダンジョンの奥へと突然向けたフィルヴィスの行動により未然に防がれた。話す内容が口から出る前に飲み込んだレフィーヤは、直ぐに同じようにフィルヴィスが視線を向ける方向に視線を向けると、その先には誰もいない。

 

「そう言えば奴は何処へ」

「あ、お、置いていかれちゃったっ!?」

 

 奴、という言葉に直ぐに誰がいなくなったか分かったレフィーヤは、あわあわと視線をあちらこちらに回して、その背中を探すが、何処にもその後ろ姿が見つかることはなかった。置いていかれたと直ぐに理解したレフィーヤは、頭を抱えてその場に座り込もうとするが、それよりも先にフィルヴィスの鋭い声が背中を叩き、丸まりそうだった背中をピンと真っすぐにさせられる。

 

「続きは後だ。今はまず奴に追いつく。急ぐぞっ!!」

「は、はい」

 

 フィルヴィスと共に走り出すレフィーヤ。その脳裏には、先程のフィルヴィスの言葉がずっと反芻されていた。確かに、あの一件直後のベートは団員の誰もが近づくことすら恐るほどに不機嫌なオーラを放出し続け、街に何度もシロを探しに出かけていた。問題を起こす前にと、直ぐに団長たちの説得で、シロを探しに行くのは辞めたが、その胸の内に燻っているものは確実にあるだろう。

 何かのきっかけがあれば、それは一気に燃え上がり、ベートの理性を燃やし尽くすのは間違いない。

 そのきっかけとなるものは、シロとの出会いであろうことは間違いないだろう。

 嫌な予感が、どんどんと積もっていく。

 シロの強さはレフィーヤは嫌というほど知っている。この目で何度も見たからだ。Lv.というモノの存在を嘲笑うかのように、その強さは圧倒的であり、特に対人戦であれば、アイズを打倒した謎の女すら軽く捻ってすら見せた。

 だから、ベートと争いとなったとしても、そう簡単にやられることはないはずだ。

 しかし、ベートは【ロキ・ファミリア】の中でも最速の男である。シロを見つけたベートが瞬間的に沸騰、理性を外して襲いかかったとしたら。最速の不意の一撃を、いくらシロでも防ぎ切れるとは思えない。

 それならば、ベートがシロを見つける前に、何としてでも、シロを見つけ―――。

 そう、思った時。

 

「シイィィイイロオオオオオォォォォォォォッッッ!!!!!」

 

 ダンジョンに怒りに満ちた咆哮が轟いた。

 その怒号に背を押されるように、更に走る速度を早めたレフィーヤとフィルヴィスは、直ぐに声が聞こえてきた場所へと辿り着く。

 そこには、つい先程モンスターを倒し終えたのだろう。下げた両手に剣を持った男の後ろ姿が見えた。そして、その男の背中へと襲いかかるベートの後ろ姿も。既に双剣を持った男とベートの距離は零に近い。男はベートの咆哮は聞こえているのだろうが、余りにも突然の事に反応することが出来ないでいるのか、振り向こうとすらしていない。

 ベートは、そんな男の頭部へと向け、ギリギリと筋肉の軋む音がするほど力を溜めた足を今にも解き放とうとしている。

 

 

「「ッッ!!!??」」

 

 

 二人共悲鳴も、警告のための声も上げることができないでいた。

 ただ、見ているしかできない。

 そして、次の瞬間―――。

 

 




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第三話 三度目の敗北

 とある狼人(ウェアウルフ)の話をしよう。

 彼は強い狼人(ウェアウルフ)であった。

 どれだけ叩きのめされても、力の差を見せつけられても、決して屈する事なく、咆哮を放ち立ち上がり挑みかかる。

 不屈の男である。  

 しかし、その狼人(ウェアウルフ)にとって、敗北は身近なものであった。

 敗北、そう、敗北だ。

 彼は、幾度も敗北した。

 その敗北を与えるものは、常に同じものであった。

 

 

 

 最初の敗北は、彼がまだ少年と呼ばれる時代。

 辺境とも呼べるただ草原が広がる土地の流浪の民である狼人(ウェアウルフ)の群れの族長の息子として、彼は生まれた。

 『弱肉強食』―――その言葉を、少年は父親から良く聞かされていた。

 大都市や国々とは無縁の広大な草原に生きていた少年時代。仲間の狼人(ウェアウルフ)と共に、少年は無限に広がっていると信じていた草原を駆けていた。崇拝する神などなく。神の恩恵(ファルナ)を授けられずとも、彼らの群れは周辺では最強の一角であった。ダンジョンから出て野生と化したモンスターは蹴散らす事など造作無く、時折出会う低レベルの冒険者たちと揉めた時でさえも、彼らの一族は一度たりとも負けることはなかった。その要因は、その身に宿る月夜に覚醒する種族の力だけではなく、長い歴史の中に刻み込まれてきた一族の『技と駆け引き』によるものが大きかった。

 故に、父親は言う。

 『いつだって、自分(てめぇ)の牙を磨け』、と。

 彼らは圧倒的な強さを所持しているわけではない。低レベルの冒険者ならともかく、一線級と呼ばれる冒険者を前にしたならば、抵抗することなど出来はしなかっただろう。真に圧倒的な力の持ち主の前では、自分たちは無力である。

 それを、少年の父親は良く理解していた。

 だから父親は言う―――『強くなれ』と。

 殺されないために、奪われないために、食われないために、強くなれと。

 幾度も父親は息子に説いた。

 故に、少年は強くあろうとした。

 強くなろうとした。

 それは本能に寄るものであり、父の教えに寄るものであり、また、守りたい者があるからに寄るものであった。

 少年には、幼馴染の少女がいた。

 狼人(ウェアウルフ)にしては、珍しいくすんだ金の長髪を持つ少女だった。

 少女は、生まれた時からずっと少年と共にあった。

 少年の覚えている最初の記憶にも、少女の姿は常に傍らにあった。

 少女は美しかった。

 幼い頃も、宝石のように輝かんばかりに美しく。

 成長と共に、その美しさには磨きがかかった。

 そして、美しさの宿命か、その少女(宝石)を手に入れようと、少年と歳の近い多くの男児が少女に手を伸ばすことになる。

 『欲しけりゃ奪え』―――それが部族の教えだった。

 その単純極まりない教えに従い、少年は少女を巡る戦いに飛び込んだ。

 結果として、少年は少女を手に入れた。

 それは、少年にとって当然の事であった。

 少年は当たり前のように思っていた。

 少女が自分の傍にずっといることを。

 純粋に、無邪気に、自然に、愚かしいまでに、疑いもなく、信じていた。

 少女は、脆弱だった。

 病弱ではなく、ただ単純に少女は弱かった。

 精強な部族の一員とは思えないほど、穏やかで、優しかった少女は―――それに反比例するかのように、『強さ』はなかった。

 しかし少年は、少女が『弱い』事を気にすることはなかった。 

 少女が弱ければ、その分自分が強くなれば良いと考えていたから。

 少女のために、少年は強くあろうとした。

 その思いに答えるかのように、少年の身に宿る力は強さを増し、何時の間にか大人の戦士に遜色ない程の強さを身につけることになった。

 雄大な自然の中、少年は生きていく。

 その傍には、常に大切な少女がいた。

 不安などなかった。

 疑問などなかった。

 恐れなどなかった。

 心配などなかった。

 ずっと、続くと思っていた。

 

 

 

 終わりは、唐突だった。

 少年が十二の誕生日を迎えた年。

 それが、最初の敗北だった。

 少年の家族は、部族は、少女は―――死んだ。

 少年を残し、全ては無くなってしまった。

 月が、綺麗な夜のことだった。

 奪ったのは、一匹の怪物。

 北の果てに存在する『竜の谷』から降りてきた、飛べない竜。

 少年の父親は正しかった。

 世界は『弱肉強食』。

 戦いを挑むも傷一つ付ける事も叶わず無様に気絶し、目を覚ました少年は、肉塊となった家族の、死に絶えた部族の、上半身だけとなった少女の前で、理解した。

 これが『世界』だと。

 これが『摂理』だと。

 これが『真理』だと。

 弱ければ、どう足掻こうと、ただ奪われる。

 自分たちがこれまで奪ってきた『獲物(弱者)』と同じように、己よりも強い者が現れれば、自分たちが奪われる側になる。

 簡単で、単純で、子供でも簡単に理解できる。

 笑える程、簡単だ。

 

 『……強くなくたって、一緒にいるのに』―――風にかき消されそうなか細い声が、少年の耳を甘やかに震わせる。

 

 じゃあ、強くなければ、自分は今も少女の傍にいられたのだろうか……。

 答えてくれる人は、もう、何処にもいない。

 

 

 

 

 

 二度目の敗北は、少年の終わり、青年の始まりの時代。

 部族を滅ぼされ、唯一人生き残った彼は、『強さ』を求めた。求めた先は、世界三大秘境の一つである『ダンジョン』を有する都市。世界の中心と呼ばれるそこには、多くの神々と、最も強い『冒険者』が集うという。

 彼は草原の新たな『主』となった怪物に付けられた左頬の傷の上に、刺青を刻んだ。

 弱かった過去を忘れぬように、戒めとして、傷の上に刻んだ刺青は、何の皮肉か、己が欲してやまない『牙』に似ていた。

 長い旅路の果、彼は都市(オラリオ)に辿り着いた。

 直ぐに彼は『恩恵』を与える神を探した。誰でもいいわけではない。長い旅の間、少年は様々な知識を得ていた。それは全て『強さ』を手に入れるため。主神選びに失敗すれば、自分の望みが遠ざかると理解していた。

 そう長いとは言えない彼の人生の中であっても、神がどのような性格のモノかは良くわかっていた。その多くは享楽的で刹那主義とも言うべきで、下手な神を主神とすれば、振り回され強さを求める邪魔になるばかりなのは自明の理であった。

 しかし、時間が掛かるだろうと思っていた主神選びは、良い方に予想外に終わった。

 驚く程あっさりと、彼が契約しても良いと思える神と出会えたからだ。

 彼が選んだ最初の主神の名は、『ヴィーゼル』。

 長い鳶色の髪と、同じ目の色をした寡黙な男神であった。

 『ヴィーゼル・ファミリア』の構成員の殆どは若輩といっても良い若者ばかりで、その多くは獣人であり、どことなくその雰囲気は、彼が捨て去った筈の思い出の中のそれに似ていた。

 都市(オラリオ)での生活は、思っていたよりは悪くはなかった。例の如く団員たちとは衝突を繰り返してばかりであったが、それも何時の間にか良い方向へと打ち解け。何時しか彼は、父親と同じく【ファミリア】を率いる長となっていた。

 そう、【ファミリア】は彼にとって二つ目の部族(家族)となったのだ。

 (ヴィーザル)がおり、団員達(部族の仲間)がおり、そして少女(彼女)がいた。

 彼女は、少女と違い、少年に次ぐ強さを持っていた。強さを求める彼に引っ張られるように、【ヴィーゼル・ファミリア】の団員達も『牙』を磨いていた。団員の中でも数少ない『人間(ヒューマン)』の彼女もその一人であり、その強さは彼も認める所があった。

 彼は、もう間違えないと誓っていた。

 自分が強くなるだけでは駄目だと、周りも強くなければと。

 自分が在り方を示し、引き連れていく。

 そうすれば、まだ『弱い』彼らも、何時かは自分と同じく『牙』を手に入れ、『強者』に奪われる『弱者』ではなくなると。『弱肉強食』のこの世界に抗える戦士となることが出来ると、信じていた。

 生まれてから十六回目の年、彼は一人都市(オラリオ)を出た。

 行き先は、かつての故郷。

 『怪物』を討つために。

 心配する仲間を置いて。

 彼女を置いて。

 何時も浮かべていた勝気な笑みは鳴りを潜め、その顔には似合わない弱々しさが浮かんでいた。

 失った少女(初恋)を、彼女は癒してくれた。

 彼女が与えてくれた『愛』は甘く、優しく、何よりも暖かった。

 何もかも忘れて、それに溺れてしまいたいと、そう思ってしまうほどに。

 しかし、彼はそれを振り払った。

 全てを残し、彼は一人、『怪物』の下へ向かった。

 死ぬかもしれない。

 勝てないかもしれない。

 不安は、確かにあった。

 だが、逃げるわけにはいかなかった。

 自分がもう『弱者』ではない事を示すためにも、過去と決着をつけるためにも。

 行かなければならなかった。

 誰に言わずとも必ず戻ると自身に誓い、彼は故郷へと旅立つ。

 もう、何も失わないために。

 そして、前へと進む(彼女と共にいる)ために。

 

 

 

 終わりは、やはり唐突だった。

 その日は、雨が降っていた。

 故郷にて、一晩かけての死闘を戦い抜き、遂にはただ一人で怪物である『草原の主』を打倒した彼は、己が強者であることを示し、もう誰にも何人も奪われないと確信を得た。自分は強くなった。同じように団員たちも強くなろうとしている。それならば、きっと大丈夫。もう、あんな事はない。

 そう、信じていた。

 そう、疑わなかった。

 そう、無邪気に信じていた。

 あの時と同じように。

 そして都市(オラリオ)に勝利の凱旋をした彼を待っていたのは、二度目の敗北だった。

 彼女が、死んだ。

 ダンジョンに潜り、そして死んだそうだ。

 彼が故郷へと一人旅立った後、彼女は頻繁にダンジョンに挑んでいたという。

 都市(オラリオ)にも噂が届く『怪物』。

 そんな『怪物』を、ただ一人で倒しに行くという彼に、少しでも近づけるように。今度は、置いていかれないために、彼女は強くなろうとしていたそうだ。しかし、実力を弁えない無謀とも言える挑戦が長続きするはずもなく、あっさりと、彼女は死んでしまった。

 すまない、すまないと謝りながらも、傷だらけ団員たちが涙ながらに語る話を聞きながら、彼は、吠えていた。

 声なき咆哮を。

 言葉のない叫びを。

 延々と、延々と……。

 強くなった筈だった。

 奪われる『弱者』ではなく、『強者』である筈なのに。

 なのに、奪われた。

 じゃあ、自分はやはり『弱者』のままなのだろうか。

 『強者』などではなかったのか。

 いや、そんな筈はない。

 自分は確かに『強者』だ。

 だが、他がそうじゃなかっただけだ。

 あいつらが、弱すぎたんだ。

 (強者)がいなければ、生きられないほどあいつらが弱かった。

 

 弱い。

 

 弱いっ。

 

 弱いッ!

 

 弱いッ!!

 

 弱いから、あいつら(彼女)は死んだ。 

 俺がどれだけ強くなろうとも、傍にいなければあいつら(弱者)は死ぬ。

 なら、どうしたら良い……。

 最初は、ただ自分が強ければ良いと思った。

 しかしそれは、更なる強者の前に噛み千切られた。

 次は、周りも強くなれば良いと思った。

 しかしそれは、自分の手の届かないところで踏み潰された。

 じゃあ、次は、今度はどうすればいい。

 自分が強くなったとしても、周りを強くしようとしても、どうしたって、弱い奴は死んでしまう。

 

 『……すまない』―――(ヴィーゼル)の謝罪の言葉が心を掻き乱す。

 

 その言葉(神の謝罪)が、『弱者』の犠牲を認めているようで。

 あいつらが死ぬことが、仕方がないことであると言っているかのようで。

 そんなこと―――許せるか。

 許せるものか。

 だけど、どうしようもない。

 弱い奴は、どうあっても死ぬ。

 強者()の手が届かなければ、弱者(あいつら)は死んでしまう。

 常に傍にいることなど出来はしない。

 ならば、彼の負けは最初から決まっていた。

 こうして、彼は二度目の敗北を喫した。

 どれだけ自分が強くなろうとも、どれだけ敵を打ちのめそうとも、救う(勝つ)ことのできない存在(弱者)

 強者である筈の彼に、常に敗北を与えていたのは、彼よりも強い『強者』ではなく、ただのか弱い『弱者』であった。

 彼よりも弱い『弱者(彼女たち)』こそが、常に彼を打ちのめしてきた。

 

 

 

 死んでしまえば、何もかもおしまいだ。

 もう、あの甘い香りを吸うことも。

 あの柔らかな身体を抱きしめることも。

 あの暖かな温もりを感じることも。

 あの優しさに触れる事も―――。

 全て、全部消えてしまう。

 なら、どうしたら良い。

 どうすれば、あいつ(弱者)らを救うことができる。

 どうやれば……。

 

 

 

 彼は器用ではなかった。

 学も特になく。

 ただ強くあろうとした。

 強くなろうとした。

 それだけだった。

 それだけの人生だった。

 だから、誰かを説得できるような口の上手さも、教養も有ろうはずがなく。

 彼が考えつくものは不器用なものでしかなく。

 乱暴な方法でしかなく。

 その真意が伝わることは希であり、誤解しか伝わるしかなく。

 しかしそれを理解しながらも、彼はそれを続ける他がなかった。

 それしか、なかったからだ。

 それしか、方法がなかったからだ。

 もう、自分が負けないためには。

 もう、『弱者』が死なないためには、それしかないと思っていた。

 だから、そうした。

 例えそれで自分がどう思われようとも。

 敗北は、これ以上重ねたくなかったから。

 それでも、やはり敗北を重ねてしまう。

 どう足掻いても、溢れ落ちていく『弱者』を全て掬い上げることなど出来ようはずもなく。

 ただ、自分に出来る事を続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ある日、彼はある男と出会った。

 不思議な、不可思議な男だ。

 強者であるはずの彼を、ただ一撃でもって叩き伏せた男だ。

 その時は、酷く酒に酔っていたとはいえ、例え一線級の冒険者が相手であっても一発で倒されるほどにやわでないはずなのに、どうやられたか覚えていないほどに、完璧に倒されてしまった。

 勿論、目が覚めた後はその男を探した。目的はやはりリベンジだ。やられっぱなしでいられる筈がない。例え酒が入っていたとは言え、負けは負けだ。負けっぱなしでいられるはずもない。

 その男の情報については、直ぐに手に入ることができた。

 随分と有名人であり、そこらの酒場で聞けば大抵の奴が知っているほどだった。

 驚くことに、その男が『冒険者』になったのはここ二ヶ月ばかりの事であり、レベルはまだ一であった。

 有り得ない事である。

 例え酒が入っていたとしても、Lv.1にLv.5が倒すことなど不可能だ。しかし、事実として彼は敗北した。

 どういう事だと、更に男について調べ始めた。

 そして、知った。

 自分を倒した男が、最近噂に聞く『赤い男』だと。

 『赤い男』―――その頃、オラリオの一部(弱者の間)で広がり始めていた噂。

 ダンジョンで、街中で、危機に瀕した時、助けを呼べば現れる男の噂話。

 その『赤い男』は、助けを求める者の前に現れ、救った後、何の見返りも求めることなく立ち去るのだという。

 気に入らない噂だった。

 何が気に入らないのかといえば。

 色々とある。

 色々とある、が―――特に気に入らないのは、この『赤い男』は、ただ『救う』だけだからだ。

 『救う』だけで、後は何もせず放り出すだけ。

 助けた後の事は何も知らないときた。

 なのに、周りの奴は勝手に騒いでいる。

 無邪気に、無責任に、騒ぎ立てる。

 『お人好し』と言う奴がいる。

 『傲慢な男』だと言う奴がいる。

 『親切な男』だと言う奴がいる。

 『正義の味方』だと言う奴がいる。

 酒場で、ダンジョンで、『ホーム』で、そんな話をして、『弱者』を調子に乗らせてしまう。

 大丈夫だ、と。

 ダンジョンで何かがあったとしても、『赤い男』が助けてくれる、と。

 何時もは足を向けない場所であっても、何かがあれば、『赤い男』が助けてくれると。

 それは、助けてもらったことがある(弱者)程そう思う。

 そして、結局死んでしまう。

 『赤い男』が助けた者も、『赤い男』の噂を聞いた者も、『いざとなれば』といもしない助けを信じて死地へと自ら進んでいく。

 馬鹿な奴だと思った。

 『赤い男』も。

 そんな噂話に踊らされる奴ら(弱者)も。

 しかし、嘲りはそう長くは続かなかった。

 『赤い男』の名を、『仲間』の口から聞いた。

 嬉々とした様子で、興奮した口調で『赤い男』の活躍を語る『仲間』の中には、彼が心を寄せる少女の姿もあった。

 一瞬、嫌な予感がした。

 だが、彼はそれを無視した。

 気のせいだと。

 例え気のせいではなくとも、彼女は強い。

 これまでとは違い、彼女は自分よりも強く、そしてまだ強くなろうとしている。

 だから、大丈夫だと。

 彼女は、『世界』に殺される程弱くはないと……。

 そう、確かに彼女は強かった。

 強くなろうとした。

 一人で階層主にまで挑むほどに……。

 あいつらしいと思った。

 何時かやるだろうとは思った。

 だが―――その要因の一つに、あの男が関わったという話を聞いた。

 嫌な予感は、更に強くなった。

 焦りが募る。

 苛立ちが止まらない。

 『ホーム』の中でもあの男の話を良く聞くようになった。

 少女の口からも、良くその男の名前が出るようになった。

 彼は、男を探した。

 探し出した後、どうするつもりか自分でもわからないまま、彼は『赤い男』を探し始めた。

 しかし、どこを探しても男は見つからなかった。

 男の所属しているという【ファミリア】で網を張ったが、欠片もかすることなく。

 どうやら、あの男は【ホーム】に寄り付かないらしい。

 男の居場所の手がかりとなるものなど掴めず。

 ただ、焦りと苛立ちだけが、積み重なる日々が続いた。

 そんな中のある日、少女が姿を消した。

 どうやら危険な場所に仲間を連れずに向かったという。

 ―――過去の記憶(敗北)が脳裏に過ぎった。

 心が騒ぐ。

 急いだ。

 お荷物を二つも引きずりながらも、出来るだけ早くと彼女の後を追いかけた。

 幸いなことに直ぐに彼女の行き先が判明し、後はそこを目指すだけとなる。逸る気持ちを押さえ、しかし慎重に過ぎることなく最大速で目的地を目指した。

 そして、見つけてしまった。

 ずっと探していた匂いを。

 あの酒場で嗅いだ、あの男の匂い。

 瞬間、走る速度が上がり、二人を置いて駆け出した。

 そこで見たものは、『赤い男』の背中。

 モンスターを倒したばかりなのか、両手にはそれぞれに幅広い剣を持っていた。

 その姿を見た瞬間。

 高まり続けていたあらゆるものが爆発し。

 

 

 

「シイィィイイロオオオオオォォォォォォォッッッ!!!!!」

 

 

 

 理性など一瞬で蒸発し、『敵を殺せ』とばかりに本能が命じるままに男に襲いかかってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




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第四話 同行

 少し長くなりそうなんで、二つに分けることにしました。


 

 

「シイィィイイロオオオオオォォォォォォォッッッ!!!!!」

 

 限界まで引き絞られた弓矢のように、弓なりにしなる身体に蓄積された力が叫びと共に解き放たれる。白銀のメタルブーツを装備した右足が、風を引き裂く轟音を纏わせ無防備に立つ男の頭部へと迫り、瞬きする間もなく、ブーツは男の側頭部にめり込む。そして一瞬も停滞せずにそのまま足は振り抜かれ、莫大な威力のそれは男の頭部を跡形もなく完全に消滅させる。

 跡には無くなった頭部があった位置から、間欠泉の如く大量の血を吹き出す身体が―――。

 

「―――ッ!!?」

 

 そんな光景を幻視したレフィーヤが、悲鳴を上げようと息を吸うが、開いた口からは、

 

「は?」

 

 何故か間の抜けた疑問符が溢れただけであった。 

 レフィーヤの視線の先では、凄惨な首無し死体ではなく、何処ぞの軽業師のようにベートが宙で回っていた(・・・・・・・)

 風車のように、中空で見えない何かで身体の中心―――へそ辺りで射止められた状態で、ベートは頭が複数あるように見える程の速度でぐるぐると回転していた。実際には数秒程度だっただろが、レフィーヤにはその数倍にも感じる程の時間を宙で回っていたベートは、地面へと叩きつけられることでようやくその回転が止まった。地面を大きく削り、土を捲り上げたベートは、傍から見れば頭で倒立しているように見える。常人ならば頭部が潰れかねない勢いで、運悪く(・・・)顔面から地面に叩きつけられたベートは、しかし、直ぐさま両手で地面を殴りつけ、狭い範囲ながらも小規模な地震を起こしながらも、勢い良く立ち上がった。『神の恩恵(ファルナ)』のない、全くの一般人だけでなく、低レベルの冒険者であれば同じように絶命してもおかしくない衝撃を受けながらも、殆んどダメージを負っていないように見えるのは、流石一級冒険者と言わざるを得ないだろう。

 

「え? え? え?」

「……何が、起きた?」

 

 眼前で見ていたにもかかわらず、何が起きたか一切把握できなかったレフィーヤとフィルヴィスは、互いに口をポッカリと開けた姿で、今にも襲いかかりかねない様子のベートと、それを詰まらなそうな顔で見つめる双剣を腰に佩いた男の姿を見ていた。特にベートの殺気は明らかに先ほどよりも増大しており、灰色の頭頂部から、ポロポロと土くれを落としながらもいつもよりも三割程以上鋭い眼光をもって鞘に収めた剣の柄に手を置く男―――シロを睨みつけていた。

 しかし、先程の攻撃? を警戒しているのか、直ぐにでも襲いかかる様子は見られない。

 それでも、ベートはスッと腰を落とし、何時でも飛びかかれる姿を保っている。

 対してシロは、戦意がないことを示すかのように腰に刺した鞘に収めた剣の柄に片手を置き、眼光鋭く睨みつけてくるベートを、睨むでもなくただ淡々とした眼差しで見下ろしていた。

 

「……どういうつもりだ、ベート・ローガ。何時から狼人の挨拶がこうも過激なものになった?」

「ハンっ、テメェにだけ特別だ。あのまま、頭を殴らせてくれりゃぁ、少しは可愛げがあったんだがな」

「ほう、あれがお前なりの挨拶か。確かに勢い良く挨拶(・・・・・・)してくれたな、ご丁寧に何度も頭を下げて(・・・・・・・)

「ッ、テメェ……」

「何だ、どうした?」

 

 ギリッ、と歯を鳴らしながら、睨みつけてくるベート。握り締められた拳には幾筋もの血管が浮かび上がっており、その手に込められた力の程がうかがい知れた。

 牙を擦り合わせながら威嚇のように唸り声を上げるベートは、子供が迂闊に見れば夜の夢に何度も出かけかねない破壊力があったが、対するシロは涼しい顔をしたまま。それどころか、小さく鼻で笑う始末である。

 

「―――はぁ、まあいい。少しばかり急いでいてな、貴様と遊んでいる暇などない。行かせてもらうぞ」

「行かせると思ってんのかぁあッ!!」

「ちっ」

 

 さっさと背を向け立ち去ろうとするシロの背中へと、躊躇なく襲いかかるベート。流石の速さであり、所詮Lv.3程度のレフィーヤたちでは止める事も諌める事すら出来ない程の速さであった。既にシロは完全にベートに背中を向けており、前後左右に避けることも、それ以前に攻撃に気付くことすら出来るのか怪しい状態である。

 しかし、それは先程も同じこと。

 

「貴様、学習能力がないのか? 狼というよりも猪だな」

「―――ッく、あああああぁぁ??!!」

 

 レフィーヤたちの前で、先程の焼き増しのような光景が現れた。

 シロの背中を蹴ったかと思った時には、何故かベートがぐるぐると回転しているといった有様だ。今回は以前よりも回転の勢いが弱かったのか、ベートは身体を無理矢理捻る事で強引に回転を止め、地面に足から着地してみせた。

 

「テメェっ、さっきから一体何をしやがったっ!?」

「貴様と付き合っている暇はないと言った筈だ。次、邪魔をすれば―――」

「―――オラァアアッ!!!」

 

 シロが言い切る前に、ベートは今度は真正面から殴りかかった。拳は握らず、開かれた掌の先は鋭い爪が獲物を求めるかのようにギラついている。空気を引き裂きながら迫る爪。凶狼の爪は正確にシロの喉元を狙っており、当たれば確実に首が吹き飛ばされる威力があった。

 凶悪な怒号に凶悪な攻撃。

 しかし、シロの目は冷ややかにベートの挙動を注視していた。

 

「―――容赦はせん」

「っ、ゴ、はぁ、ッ?!」

 

 ベートの腹部の中心―――鳩尾にシロが持つ剣の柄が突き刺さる。

 シロは接触の瞬間、後ろに逃げるでも、左右に避けるでもなく、前へと進んだ。前へと進みながら腰の剣の一振りを抜き、そのままベートの横をすり抜けるようにして攻撃を避けながら、同時に鳩尾へと剣の柄を叩き込んだのだ。

 流石のベートも、自身のトップスピードに合わせて急所に攻撃を加えられればたまったものがないのか、くぐもった悲鳴を上げるとそのまま崩れ落ちるように地面へと膝を着いた。

 

「っ、こ、のッやろ―――」

 

 強制的に肺から酸素を吐き出され、一瞬呼吸困難に陥る。頭痛が意思をぐらつかせ、視界が狭まり薄闇が視線を遮るが、驚異的な意志力と耐久力で即座に立ち上がろうとするベート。

 だが―――

 

「―――容赦はせんと、言った筈だ」

「―――」

 

 シロは剣の一振りで、その意識を断絶させた。

 何時の間に抜いたのか、シロの空いていた片方の手には何時の間にか剣が引き抜かれていた。

 風を切る音さえ感じさせない、一見すれば緩やかにも見える無駄を省かれた剣筋でもって振るわれた剣先は、まるで定められたかのようにベートの顎先を掠める軌道を描き。強制的にベートの頭部を意識の外から揺らした。巨人の豪腕も、竜の息吹も、どれだけ絶大な痛みを伴う攻撃であっても耐えられる者がいたとしても、意識の外からの攻撃は耐えることは出来ない。

 何時、攻撃されたか分からないのだ、耐える(・・・)という考えすら思い浮かばないだろう。

 つまり、何時かの再現のように、ベートは今度こそ意識を消失させ地面へと倒れ伏した。

 少しばかり地面へと転がったベートを見下ろしていたシロだったが、動く様子が見られないのを確認すると双剣を腰の鞘に戻すと、目の前でLv.5がLv.1にあっさりと倒されるという(ありえない)光景を目撃し、言葉もなく立ち尽くすレフィーヤたちを捨て置き、言葉少なにその場を立ち去ろうとする。

 

「こいつの事は頼んだぞ」

 

 が、最近色々と常識外の光景を目にすることが多かったレフィーヤは、フィルヴィスよりも早く正気に変えると、立ち去ろうとするシロの背中へと向けて声を上げた。

 

「ちょ、ちょっと待ってください」

「……はぁ、お前もかレフィーヤ。さっきから急いでいると言っているだろうが」

 

 レフィーヤの呼び止めに足を止めたシロだが、その声には多分に苛立ちが混ざり始めていた。

 立ち止まるが、振り返ることもなくシロは言葉だけをレフィーヤへと返す。

 

「っ、それは、アイズさんたちを追うから、ですか?」

「―――どういう事だ?」

 

 若干荒立ちが見えていた声色が一瞬で平坦となる。すっ、と空気が張り詰めた気がしたレフィーヤは、無意識に喉を鳴らしながら、慎重に言葉を続けた。

 

「私も―――私たちも、アイズさんを追っているんです」

「……それは、『ファミリア』の意志か? それとも『依頼』か?」

「ロキからの指示です、けど」

「…………」

 

 急に黙り込んだシロの様子に、慌ててレフィーヤが言い募り始めた。

 

「わ、私たちとシロさんの目的は同じです。ど、どうでしょうか、一緒に……」

「先程の惨状を見ての意見か、それは?」

「そ、それは……」

 

 シロの頭が動き、視線が倒れたままピクリとも動かないベートに向けられる。同じようにベートを見つめるレフィーヤは、勝手に襲いかかりながら簡単に倒されてしまった仲間の姿に、怒ればいいのか驚けばいいのか、悲しめばいいのか分からず結局顔を泣き笑いのような奇妙な形に歪ませた。

 

「まあ、答えは最初から決まっているがな」

「え?」

 

 はっと顔を上げたレフィーヤは、何時の間にか自分の方へと身体を向けていたシロと向き合う形となった。

 

「断る。同じ依頼を受けたというのなら話は別だが、ロキの指示で動いているというのならば、こちらに同行する必要性が感じられない」

「で、でもっ」

 

 予感はしてはいたが、それでも動揺は隠すことはできない。声を震わせながらも、何とか説得しようと言葉を続けようとするレフィーヤをバッサリとシロは切り捨てる。

 

「時間の無駄だ」

「あっ、待っ―――」

 

 背中を向けようとするシロへと手を伸ばすレフィーヤ。

 伸ばされた指先は、しかし別の者の背中へと触れることになる。

 

「待て」

「え? フィルヴィス、さん?」

 

 何時の間に、レフィーヤの前へと移動したフィルヴィスが、しっかりと顔を上げてシロを呼び止めていた。

 

「………………今度は何だ」

 

 既に苛立ちも過ぎ去ったのか、今は呆れが多く混じった溜め息を吐きながらシロが振り返る。

 

「お前はさっき、同行する必要性が感じられないと言ったな」

「確かに言ったが」

 

 フィルヴィスの赤い瞳とシロの琥珀色の瞳が向かい合う。互いに何を考えているのかをさぐり合うかのように、互いの瞳を深く見つめ合っていた。

 シロの瞳から自身を引き剥がすように背筋を伸ばしながら顔を上げたフィルヴィスが、倒れ伏したベートを横目に見る。

 

「お前は……確かに強いようだが、これから先、何が待ち受けているか分かっているわけでは無いだろう」

「……それで」

 

 続きを促すシロに、フィルヴィスは僅かに顎を引くように頷き続ける。

 

「私と彼女は『魔法使い』だ。お前が何故アイズ・ヴァレンシュタインを追っているのかは知らないが、この先何が起きたとしても、『魔法』という手は役に立つ筈だ」

「―――ッ、ッ!!」

「………………」

 

 フィルヴィスの言葉を補強するかのように、レフィーヤが何度も勢いよく頷いている。

 黙したまま、じっと自分を見つめるシロに、畳み掛けるように言葉を吐く。

 

「それにお前が例えここで断ったとしても、どちらにせよ目的地は同じ、結局は同じことだと思うが」

「…………はぁ、だが、こいつはどうする?」

「……置いていけばいい」

 

 口の端を微かに歪ませたシロが、レフィーヤとフィルヴィスを見た後誘導するように視線をベートへと向ける。フィルヴィスは数瞬考えこむが、直ぐに答えが出たのかハッキリとベートの処置について意見を上げた。

 

「ちょっ!? だ、駄目ですよっ!!」

「当たり前だ」

「わかっている」

 

 直ぐさまレフィーヤが反対の声を上げると、シロはピクリとも笑っていない顔でつまらなさそうに頷いた。

 フィルヴィスも無表情のまま淡々とした様子で頷いてみせる。

 その二人の様子に若干不安が募るレフィーヤを置いて、シロはさっさとベートの下まで歩いていくと、その襟首を掴みそのまま荷物のように背中に背負った。

 

「何をしている? 置いていくぞ」

「あ、ま、待ってくださいっ!」

「っ、早い」

 

 そのまま駆け出したシロの後を、レフィーヤたちは慌てて追いかけはじめた。

 フィルヴィスは何とか付いて行けるが、レフィーヤは少しずつシロたちとの距離が開いていくのを何とか必死に食らいついている。懸命に手足を動かし追いかけてくるレフィーヤの姿を、顔だけ振り返ったフィルヴィスがどことなく心配気な様子で見つめていた。

 足を動かす度に揺れる、夜の闇を溶かし込んだかのような艶やかな黒髪と、レフィーヤを見つめる紅い瞳をチラリと確認したシロは、ベートを背中に背負いながら二人が付いてこられるギリギリの速度を維持しながらポツリと呟いた。

 

 

 

 

「―――黒髪に赤い瞳……それに『フィルヴィス』……か」

 

 

 




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第五話 死妖精

 生きています。 


 『大樹の迷宮』―――木肌で出来た壁や天井に加え、床に生えたコケから発する青い光に満ちた19階層から24階層にかけての迷宮。この迷宮には、様々な色や形、不思議な様子を見せる植物たちが無数に茂る姿が広がっているのだが、今はそこに奇妙なオブジェが幾つも加わっていた。そして、そのオブジェ、と呼ぶには、少しばかり生々しいそれに、近寄っては灰へと返す人影があった。

 その数は合計四つ。

 いや、正確に言えば三つだろう。四つの人影の内、一つは苛立たしげに他の三つを睨み付けている。

 とは言え三つの人影達は、それぞれその作業に慣れているのか、そのオブジェを灰に変えるのに、十秒も掛けてはいないだろう。道端の石を拾うような感覚でオブジェから何かを抜き出しては『大樹の迷宮』から異物を排除している。

 そんな中、流石に我慢の限界に至ったのか、一同の一番前を先行していた者が怒声を張り上げた。

 

「っ―――糞がッ!! 何時までチンタラしてやがんだッ! このままじゃ追いつけねぇだろッ!!」

 

 床を蹴りつけ大穴を開けながら、その凶悪な目つきを更に鋭くさせながら、人影―――ベートがオブジェ―――モンスターの死骸から魔石を取り出したばかりのシロへと向けて怒りの視線を向ける。

 

「黙れ。貴様が暴れなければ、もう少し先には進めていたはずだった。文句を言うなら手伝うか先に行けばいいだろう」

「あ゛あ゛ッ!!?」

「ちょ、ベートさん止めてください!」

 

 今にも殴りかからんばかりの気勢を見せるベートの前に、慌ててレフィーヤが駆け寄る。

 

「シロさんがこの先に必要になるかもしれないって言ってるんですし。それにあと少しで終わりますから」

「テメェには聞いてねぇんだよッ!」

「ひぃいい!!」

 

 牙を向くベートに、涙目になったレフィーヤが頭を抱えて蹲ってしまう。それを魔石をモンスターから回収しながら横目で見ていた最後の人影―――フィルヴィスが眉間に皺を寄せると、モンスターの死骸に乱暴にナイフを突き刺し魔石を抉り取りながらポツリと呟いた。

 

「さっきまで寝ていた奴が偉そうに」

「あ゛あ゛ッ!!」

 

 独り言だった筈のその言葉は、人狼たるベートが聞き逃すにはいささか大きすぎた。ぐるん、と勢いよく向けられた視線は、今にも噛み付かんばかりの剣呑さに満ちていた。

 

「何か言ったかこの耳長がぁッ」

「―――そこまでにしろ」

「っ」

 

 何時の間にかベートの背後に立っていたシロが、囁くような小さな声でベートに告げた。特に恫喝めいた声音もなにも感じられない言葉であったが、ベートは何故か奇妙な圧迫感と寒気を感じており。更には、ベートをこれまで幾度となく死地から生還させてくれた本能と野生が、逆らうな、と最大限の警告を告げていた。

 

「―――ッ、……ちっ」

 

 苛立ちと不満を深く息を吐くことで何とか押さえ込んだベートは、ゆっくりとした動作でシロから距離を取る。シロは次に、先程からじっとシロとベートの様子を見つめながらナイフを持つ手に力を込めていたフィルヴィスへと視線を向けた。

 ふいっと、フィルヴィスが視線を外し、ナイフを持つ手から余計な力が抜けるのを確認すると、シロは不満に満ち満ちているベートの背中に目を向けた。

 

「ここでの回収を終えれば、もう魔石は必要ない。後はアイズたちの後を追うだけだ。もう少し我慢しろ」

「命令される筋合いはねぇ」

 

 そう言いながらも、ベートはそのまま先には行かず、腕を組むと背中を壁に預けると目を閉じた。

 その姿に先程まで息を飲んで様子を見守っていたレフィーヤが、安堵の息を着くと、トコトコと何体ものモンスターの死骸が集中している場所へと歩いていく。横たわったモンスターの死骸の傍に片膝をついて魔石を回収していたフィルヴィスの横にちょこんと膝を曲げた。

 

「あの、その……さっきはありがとうございました」

「何のことだ」

「その、また助けてもらって……私、本当にダメですね……」

 

 現在奇っ怪なオブジェと化しているモンスターの数は数十にも上るが、遭遇(エンカウント)した時はこの更に数倍―――三桁に迫りかねない群れであった。それも何かから急き立てられるかのように、どのモンスターも死に物狂いで走っていた。最悪な事に、丁度シロたちがいた場所は、逃げるところも隠れるところも何もなく、レフィーヤは何の覚悟も準備もする事も出来ずモンスターとの戦闘に突入してしまった。

 まるで氾濫した濁流のように一塊となって迫り来るモンスターの群れを、逆にベートは自ら襲いかかり易々と切り裂いていき、シロとフィルヴィスはそんなベートが取りこぼしたモンスターを淡々と狩っていた。しかし、突然の事態に不慣れなレフィーヤは、そうすぐには戦闘へと意識を切り替える事が出来なかった。そんな混乱状態のレフィーヤを、これまでと同じようにフィルヴィスがフォローしたのだった。

 頭を垂らし、肩を落とすレフィーヤの姿を横目に見るフィルヴィスは、何度か躊躇う素振りを見せた後、そっぽを向きながら口を開いた。

 

「……私とお前とでは戦い方が違う。魔法使いが近接戦ができなくとも問題はない」

「それでも、です」

 

 フィルヴィスの言葉に、しかし小さく首を横に振るレフィーヤは、そのまま小さくなって消えてしまいそうに感じるほど身を縮ませる。その姿に、思わずと言った様子でフィルヴィスが何かを言おうとした時であった。

 

「お前は―――」

「フィルヴィス・シャリア」

 

 フィルヴィスが自分の名を呼ぶ者に顔を向けると、そこにはモンスターから回収した魔石を詰めた袋を片手に立つシロの姿があった。

 

「それで最後だ」

「……分かった」

 

 シロの言葉に頷くと、さっとモンスターから魔石を取り出したフィルヴィスは、立ち上がると未だ立ち上がらないレフィーヤの背中を一瞥し、既に前に進み出していたベートの後を追い始めようとした。

 

「少し、いいか」

「……」

 

 シロの横を通り過ぎようとした間際、フィルヴィスにだけ聞こえる声で投げかけられた誘いに、フィルヴィスは無言のまま視線を向けた。自分を見つめる琥珀色の瞳と視線が交わり、一秒も満たない交差の後、フィルヴィスはそのまま歩を進めた。

 

 

 

 

 

「それで、私に何の用だ」

 

 スタンピート的なモンスターの襲撃が増えてきたことから、モンスターの対処に時間を取られるのを避けるため、速度を落としながら進む中、フィルヴィスは隣にいる男にだけ聞こえる声で問いかけた。

 

「そう警戒するな。ただの確認だ」

 

 シロはとなりにいるフィルヴィスに視線を向けずに口を開く。二人共、互いに顔を向けず、ただ前へと足を進ませている。

 

「確認?」

「そうだ。『ディオニュソス・ファミリア』のフィルヴィス・シャリアが何故ここにいるのか、とな」

 

 訝しがるように眉根に少しばかり皺を寄せたフィルヴィスだったが、直ぐに思い直したように元へと戻す。ただし、目に宿る疑惑の念は少しばかり深くなってはいた。

 

「……ディオニュソス様の命令だ」

「そうか」

「私がいると、何か問題でもあるのか」

 

 短かく素っ気ない返事に、こめかみがピクリと動く。からかうような調子も、疑うような様子も感じられない。しかし、フィルヴィスは胸の奥で、言葉にならない感情がグラリと揺れた気がした。

 それは思いがけず、自身の口から言葉が溢れてしまうほどに、衝動的で―――酷く不快な感情に近いものであった。

 

「いや、ただ疑問に思っただけだ」

 

 不意に向けられた明らかにトゲトゲしい念が篭った言葉に対し、男は戸惑う様子も見せずに先程と変わらず平坦な声音で返事を返すだけ。

 それが何故か、フィルヴィスには気に食わないと感じられた。

 それは、酷く珍しい、いや、フィルヴィスにとって、初めて感じるものであった。似たようなものは感じた事はあった。己の神である『ディオニュソス』が、他の女と仲良くしていた際に、相手の女に対し感じていた気持ちと似てはいるが、全くの別物。

 

 ―――気に入らない。

 

 ―――気に食わない。

 

 言ってしまえば、それはそんな感情でしかない。

 怒りにも似たそれは、この男の澄まし顔をどうしても許せないでいた。

 それが何故かは分からない。

 しかし、思いとは裏腹に、感情は更に高ぶり、己の背を押す。

 焚きつける心を堰止める事は難しく、フィルヴィスは口は何時になく饒舌になっていた。

 普段ならば、必要なものであっても、最小限の言葉で済ませる筈が、気付けば口を開いてしまう。

 

「……それ以外にあるのではないのか」

「それ以外に何が」

 

 ようやく、男が自分の方へと顔を向けた。

 琥珀色の瞳に、自分の姿が映る。

 真っ黒な髪を持つ、歪な、穢れたエルフの姿が。

 真っ直ぐに、ありのままを映し出す。

 

「貴様のその目、気に入らない」

「何か気に障ったか?」

 

 男が、目元に手を持っていく。

 鋭い目元を細めながら、すっと撫でるように目の下あたりを指先でなぞる。

 

「別に、ただ気に入らないだけだ」

「目つきが気に入らないと喧嘩を売られた事はあったが、目、自体を気に入らないと言われたのは初めてだな」

 

 男は、口の端を微かに持ち上げ、小さな笑みを浮かべる。 

 その笑みに、何処かバツの悪さを感じ、思わず顔を逸してしまう。

 

「ふん……貴様は、私の事を『『ディオニュソス・ファミリア』のフィルヴィス・シャリア』と言ったな。貴様は、私の事を知っているのか?」

「それなりには、な」

 

 男の答えは、フィルヴィスにとって意外ではあったが、驚きはなかった。

 男は自分の事を知っているという。

 なのに、自分の事を知る者が向けてくる視線の中に感じるものが、この男からは一切感じられなかった。彼女(レフィーヤ)のように何も知らないというわけではないにもかかわらず、この男の自分に向けるものに、嫌悪も、忌避も、憐憫も、一切の負の感情を感じられない。

 確かに、こういった者も少なからずいる。

 自分の過去を、そして自身に纏わりつく噂を知っていながら、負の感情を向けず、それどころか優しさを向けてくれる人がいることを。

 しかし、そんな人達とも、この男は違う。

 この男の目にあるものは、そのどれとも違った。

 

「だから、だろう」

「……何がだ」

 

 違う。

 それはわかるのに、それが何なのかが、フィルヴィスには分からなかった。

 だから、言葉を更に続けてしまう。

 

「私があの『フィルヴィス・シャリア』だから声を掛けたのだろう。彼女とは、仲が良いみたいだからな。心配したのか」

「それは関係ない」

「彼女とがか? それとも―――」

「どちらともだ。ただ疑問を解消しようとしただけだ。ただでさえイレギュラーばかりだ。解消できるものは解消したかっただけだ。根拠のない噂に関わっていられるほど暇ではないのでな」

「根拠がない、だとっ」

 

 言葉の続きを切り捨てるように言い捨てる男の言の中の一つに、自分でも意外なことに声が荒がってしまう。

 そのまま男に掴みかかりかけた時、背後から戸惑った声が上がった。

 

「―――噂?」

「っ?!」

 

 思わずビクリと背筋が震わせたフィルヴィスが、慌てて後ろに顔を向けると、そこにはオドオドとした様子を見せながらもこちらを伺うレフィーヤの姿があった。話に意識を集中させすぎたせいか、何時の間にかすぐ近くまで来ていたレフィーヤに気付くのに遅れてしまっていた。

 慌てるフィルヴィスに対し、シロは最初から気付いていたのか、驚いた様子を見せてはいない。

 

「どうした?」

「え、あ、すいません。その、たまたま聞こえて……」

「……」

 

 何処か不安気なレフィーヤの視線が、フィルヴィスに向けられる。逡巡するように視線が数度揺らめいたが、直ぐにそれは定まり両の目がシロとフィルヴィスに向けられた。

 

「それで、その、噂って」

「くだらない噂だ。レフィーヤが気にするような事ではない」

 

 ぐっと身を乗り出すような問いかけに、シロは壁を感じさせる言葉でレフィーヤの問いかけを切り捨てた。一瞬レフィーヤは顔を悲しげに歪ませたが、直ぐに誤魔化すように小さく笑ってみせた。

 

「そう、ですか……」

「―――そうだ、気にするような話ではない。ただ、私が組んだパーティーの者が死ぬというだけの噂だ」

「……」

 

 だからだろうか、言うつもりなどそれまで微塵も思っていなかったのに、気付けば口を開いていた。

 男の視線が一瞬鋭くなるのに感じながら、思わず口元に自虐的な笑みが浮かんでしまう。

 

「え? あ、あの、それは、どういう……」

「私に聞くよりも、その男から聞いたほうが早いのではないのか」

 

 面白いように戸惑う様子を見せるレフィーヤに対し、隣の男へと視線を投げかける。レフィーヤの視線は導かれるように男へと向けられ、戸惑いながらも問いの声を上げた。

 

「シロ、さん」

「良いのか?」

「いずれ知られることだ。それが今だというだけの話でしかない」

 

 男の言葉に、顔を背けながら返事をする。

 言葉とは裏腹に、自分の身体は拒否を示している。

 膝が微かに震えているのは、もしかしたら、話を聞いたこの純真な同胞に、嫌悪の視線を向けられるのを恐れているのかもしれない。

 しかし、後悔してももう遅い。

 背中に、男が同胞の少女に私の過去が伝える声が聞こえる。

 

「ふぅ……レフィーヤは、六年前に起きた、『二十七階層の悪夢』について、どの程度の知識がある?」

 

 無知であったからこそ純粋な目を向けてくれた同胞の少女に、過去が語られる。

 私が、穢れてしまった物語を。

 呪われてしまった過去の物語。

 六年前に起きた、『二十七階層の悪夢』―――敵も味方も区別なく、等しく苦しみ死に塗れた地獄の物語―――その後の物語も。全滅したパーティー。唯一生き残り、そんな不吉な私を受け入れてくれたパーティーが、それから幾つも全滅し、何時しか呼ばれるようになった二つ名の物語。

 男の話す物語は、フィルヴィスの知る限り、最も真実に近いものであった。人の不幸をネタにしたものは、その性質上大げさなものとなってしまいがちであるが、男がレフィーヤに教えているものは、ただ、どうしてフィルヴィスがそう呼ばれるようになったのか、その理由を淡々と語るだけのものであった。話としては全く面白くはないが、噂がどういうものであるのか、何故そう噂されるようになってしまったかを知るのには、わかりやすいものではあった。

 

「そうして、何時の間にか彼女はこう呼ばれるようになった。仲間に死を招き入れる者―――『死妖精(バンシー)』とな」

「『死妖精(バンシー)』……」

「…………これで分かっただろうレフィーヤ・ウィリディス。私はお前が思うようなものじゃない……近づいていいようなものでは、ないのだ。私は……」

 

 自分を見つめるレフィーヤの目には、嫌悪も、忌避も感じられない。ただ、悲しげな色が浮かんでいるだけ。その事に、少しだけ心が浮かばれながら、同時に、決意も硬くなる。こんなにも優しく純真な同胞を、自分の傍にいさせてはならないと。

 

「私は……穢れている」

 

 ハッキリと、口にした。

 伸ばされた手を振りほどくように、拒絶の意思を込めた言葉をもって、レフィーヤ(優しい同胞)を突き放す。

 

「これ以上、私に関わるな。お前まで穢れてしまう」

「ッ!! そんな―――」

 

 背を見せ、離れようとするフィルヴィスに、それでもと、手を伸ばすレフィーヤ。振りほどいた手が再度伸ばされるのを背中に感じながらも、フィルヴィスは足を鈍らせることなく前へと進む。その背中は、硬く冷たい壁を感じさせ、どのような言葉や思いさえも拒絶していた。

 しかし―――。

 

「馬鹿か貴様は」

「っ!?」

 

 それは、剣のような言葉であった。

 硬く鋭く、そして何より冷たい―――言葉()

 どのような言葉も触れる事さえ拒んでいた壁は、刀剣の如き言葉によって切り裂かれた。

 フィルヴィスの意思も意地も誇りさえも、何ら感慨もなく切り裂き捨ててしまう。

 

「……『死妖精(バンシー)』の噂は、周りが勝手にそう言っているだけだと思っていたが、まさか貴様自身がそう考えていたとはな。馬鹿が、関わっただけで人が死ぬ? その理由が『自分が穢れているから』だと? ふんっ、貴様程度がそんな大した存在なわけがなかろう」

「貴様ッ」

 

 続くはずだった言葉は何故か形にならず喉の奥へと消えてしまった。

 知らない内に握りしめていた拳は、今にも自身の力で自分の手をつぶしかねない強さで握り締めていた。

 攻めているのならば迎え撃つ。

 蔑んでいるのならば踏みつけよう。

 同情しているのならば叩き伏せる。

 しかし、この男の言葉にそんな単純な思いは感じられなかった。

 いや、そもそもそんな事は最初からだ。

 この男の言葉に、態度に、雰囲気に、何よりもその目に、自分は最初からこれまで一度たりとも何らかの感情を感じられなかった。

 苦笑? しているのは先ほど見たが、そういうことではない。

 ないのだ?

 感じられなかった。

 先程も、今も、何も―――。

 その顔に浮かぶ形から、奥底に隠れる感情が伺い知れない。

 隠しているのだろうか?

 それとも、そう見えないようにしているだけなのか?

 それとも―――本当に感情がない、のか?

 それは分からない。

 分からない、が。

 気味が悪い。

 まるで、目の前のこの男が、人間ではないナニカ―――ヒトの形をした、精巧な人形のようにさえ見えてしまう。

 

「何を怒る。まさか近づくだけで穢れる等といった戯言を、本気で信じているのか?」

「ッ、それは―――」

 

 男の言葉に、フィルヴィスは唇を苦々しく歪ませ、噛み付かんばかりの勢いでもってシロに詰め寄った。

 

「っ、お前に―――お前に何がわかるっ!!」

「その通り、何もわかりはしない」

 

 男の胸ぐらに掴みかかりかけていた手は、その直前に男の言葉により、ピタリと中空で固まった。

 

「な……?」

「俺が知っているのはお前の噂だけだからな。だが、しかし―――」

 

 掴みかからんと伸ばされるも、凍りついたように固まってしまった自身に向けられた指先をなぞり、男の琥珀色の瞳が、フィルヴィスを貫いた。

 怜悧な刃物(視線)が、するりと真っ直ぐ心の中心へと差し込まれゆく。

  

「お前は、何をそんなに怯えている」

「―――っ」

 

 

 

 

 ―――仲間の声が聞こえる。

 

 モンスターに半身を食われながらも、最後まで逃げるよう叫び続けた仲間の声が。

 

 必死に立ち向かった仲間が、あっけなく引き裂かれて上げた断末魔の声が。

 

 逃げろと叫び、悲鳴を押し殺したまま、モンスターの喉奥へと落ちていく間際に聞こえた―――聞こえてしまった助けを呼ぶ声が。

 

 

 

 

 

「フィルヴィス・シャリア」

「―――ッ」

 

 男が私の名前を呼ぶ。

 硬く、冷たい、鋼のような声で。

 平坦で、何の感情を見せない声が、瞳が、私を粉みじんに切り裂き―――押し殺していた記憶を暴き出す。

 立ち竦み、顔を上げる力もなく俯いたフィルヴィスの髪に、男の声が触れ微かに触れる。

 

「お前は、何を隠して―――」

「―――っ!!」

 

 顔を隠していた黒髪の隙間を、紅い赤光が切り裂いた。それは物理的な圧力と重量を感じさせる程の濃密な殺意を孕んでシロへと叩きつけられた。

 嫌悪、拒絶、いや、排除の意思を抱いたそれに、シロが応じようとしたその一瞬―――

 

 

 

「―――穢れてなんかいません」

 

 

 

 空間が軋みを上げかねない空気の中、レフィーヤの場違いな程に穏やかな声が響いた。

 聞こえてきた言葉の意味が理解できないような、戸惑った顔でフィルヴィスはレフィーヤに顔を向けた。そこには、じっと自分を見つめるレフィーヤの姿があった。

 先程までの、シロとフィルヴィスとの険悪なやり取りなど知らないと言わんばかりに、レフィーヤは何の気負いのない様子でフィルヴィスの前まで歩いていくと、そのまますっと手を伸ばし―――

 

「―――あ」

 

 ―――ギュッと、フィルヴィスの冷たい、氷のように冷え切った手を、両手で包み込むようにして握った。その瞬間、フィルヴィスはビクリと身体を震わせると、まるで、火に手を当てたかのような動きで握られた手を振りほどこうとするが、レフィーヤの手はしっかりと握り締められており、離れる事は出来なかった。

 離れないレフィーヤの手を見下ろすフィルヴィスは、ぐっ、と下唇を噛んで下を向いてしまう。その姿に、レフィーヤは小さく口の端を持ち上げると、フィルヴィスの手を包んだ自身の手を、ゆっくりと自分の方へと寄せた。

 

「―――やっぱり、貴方は汚れてなんかいません」

 

 自分の胸元にまで引き寄せると、自身の体温で温めるかのように、フィルヴィスの両手をその胸で抱きしめると、小さな笑みを口元へ浮かばせた。

 

「それどころか、私なんかよりずっと優しくて、綺麗な人です」

「っな、何を言って……お前も、あいつと同じだ。何も知らない癖に」

「はい。何も知りません」

 

 その言葉は、先ほど(シロ)が言った言葉と同じものだった。

 しかし、それを言われたフィルヴィスには、全く別の言葉に聞こえた。戸惑い揺れる瞳に映るレフィーヤは、恥ずかしそうに笑いながら「だから」と続けて。

 

「これから、一杯見つけます」

「は?」

 

 ぽかんと間抜けのように口を開けたフィルヴィスに向けて。握った手に緊張からか汗を滲ませながら、それでも、真っ直ぐに、レフィーヤは言った。

 

「貴方の良いところも、悪いところも。たくさんっ」

「……」

 

 きょとん、とした顔で固まっていたフィルヴィスは、ふっと、小さな吐息とも笑みとも言えるものを漏らすと、脱力するように身体から力を抜いた。そして、じっと何かを期待するように自分を見つめるレフィーヤに少し細めた目を向けると、笑い混じりの声で指摘した。

 

「それは、結局答えになっていないぞ」

「ですよね」

 

 指摘に、握っていた手を離して頬をかいたレフィーヤは、チラリともう一人の方へと視線をやると、そこには腕を組んだ姿で、何処か眩しげに自分を見るシロの姿があった。その、どことなく距離を感じる姿に、何かを感じたレフィーヤだったが、小鳥が囀るような小さな笑い声が耳に触れると、直ぐにそちらへと顔を向けた。

 そこには、弧を描く口元から笑みをこぼすフィルヴィスの姿があった。

 

「お前は、やはり変わったエルフだ」

 

 そう、肩を揺すりながら、笑い混じりの言葉を告げるフィルヴィスに、レフィーヤは一瞬目を丸くして驚きを示した後、釣られるようにレフィーヤも口元を綻ばせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 


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第六話 応えるもの

 地獄とは、まさにここ、ここのことだろう。

 目の前の死を前に、自然とそんな言葉が頭に浮かぶ。

 うつ伏せに倒れ付し、喉奥から溢れる血塊を唸り声を上げ押し込めつつ地面を舐めながら顔を上げた先には、一つの地獄が広がっていた。

 自ら死を選ぶ狂人の集団が気狂いのように叫んでは自爆を行い、焼け焦げたナニかを辺りに散らばらせ。

 長大な蛇のような植物のモンスターが、あちらこちらに現れ敵も味方も関係なく襲いかかり。

 この惨劇の主である白骨の鎧兜を被った白装束の男が、自らが造り上げた地獄を前に笑っている。

 腹に響く鈍痛を冷たい鋼の感触におぞけを感じながら、冷えていく身体と共に冷めた思考の中、ふと、どうしてこうなったのかを考えてしまう。

 何が、間違いだったのだろう。

 何処から、間違ってしまったのだろう。

 白い男にたった一人で挑んだ時か?

 剣姫とはぐれてしまった時か?

 それとも、この依頼を受けた時だろうか?

 答えのない問いを、混濁する中何度も自問自答する。

 そんな無駄なことを考えている暇などないはずなのに。

 そうだ―――そんな事を考えている暇などない。

 なんとかこの事態を打開する手を打たなければならない。

 これまでも、絶望的な状況に陥った事は幾度となくあった。今と同じように生死の狭間を感じた危機も珍しくはない。

 その度に、自身の頭脳で道筋を見つけ、仲間と力を合わせくぐり抜けて来た。

 だが、しかし、これは―――。

 ……無理かも、しれない。

 絶望という闇が目の前を塞いでいくのを自覚しながらも、それでもと、眼前に迫る死から仲間を守るために必死に頭を回す最中、走馬灯のようにこんな時に一番頼りになるはずだった【剣姫(アイズ)】と分断された時の事を思い出していた。

 

 

 

 

 

 ―――それは、ここに着く直前、分かれ道において食人花の集団に取り囲まれた時であった。

 

「っ、これは」

「どうやら囲まれてしまったようですね」

「勘弁してぇ」

 左右に開けた岐路でアイズ達一行が立ち止まったのを見計らったかのように、進む先だけでなく後ろからも食人花のモンスターがずるずると蛇のように這いより出してきた。

 迫り来るうねる身体を頭を抱えながら見つめるルルネを後ろに、素早く周囲を見渡し退路が完全に断たれたことを理解したアイズは、同行する【ヘルメス・ファミリア】の団長であるアスフィに視線を向けた。

 

「……片方をお願いしても」

「わかりました」

 

 最小限の言葉で打ち合わせを済ませた二人は、アスフィの号令と共に、【剣姫(アイズ)】と【ヘルメス・ファミリア】の二手に分かれ、それぞれの眼前に迫るモンスターへと駆け出した。

 剣姫が地を蹴りつけ敵へと向かう際に生じた風圧を背中に受けつつ走るアスフィは、駆ける先の幾つもの花開いた毒花を睨みつけ、先行する仲間へと指示を告げようとした瞬間であった。

 

「―――っ!?」

 

 背後が爆音とともに崩壊したのは。

 前触れもなく天井が崩れ、幾柱もの巨大な緑色の柱が岩や土くれとともに降ってくる。状況を確認しようと後ろへ振り返ったアスフィは、天井から発射される無数の緑色の柱を、地面や壁、時には天井を蹴りつけながらも避け続けるアイズの姿を見た。

 明らかに意思を持って襲い掛かる緑色の柱を回避し続けるアイズの姿を確認した瞬間、アスフィは敵の目的に気がついた。

 

「しまったッ!?」

 

 そう言葉にしたその瞬間に、敵の目的は決していた。

 

「っ分断、された」

 

 幾柱もの柱は、既に柱ではなく緑色の壁となっていた。

 血を吐くような心地で言葉を吐き捨てたアスフィは、激しい迎撃戦を強いられる仲間を見るとともに気持ちを切り替えた。

 

「剣姫と分断されました。この場での合流はほぼ不可能です。私たちはこのまま道を確保しだい先へ進みますっ!」

「見捨てるっていうのかよ!?」

 

 ルルネの非難混じりの目と声に対し、襲いかかるモンスターへ対処しながらアスフィは言葉を返す。

 

「彼女は【剣姫】ですっ! むしろ危険なのはこちらですよッ!!」

 

 アスフィの叫びに、ルルネは「確かに」と直ぐに納得し口元を歪めた。

 小さなやり取りをする内にも、状況は目まぐるしく変わっていく。天井や壁、地面からとお構いなしに湧き出る食人花への対処を仲間へと矢継ぎ早に指示を飛ばすアスフィは、周囲へ囮となる『魔石』をばら撒くと共にこの場からの離脱を叫んだ。

 

「前へっ!」

 

 ばらまかれた『魔石』へと食らいつく食人花を尻目に駆け出す仲間の最後尾についたアスフィは、爆炸薬(バースト・オイル)を『魔石』に群がるモンスターへと投げつけた。

 投げつけた爆炸薬(バースト・オイル)は、オラリオ屈指の魔道具作成者(アイテムメーカー)であるアスフィが手ずから生成した液状の爆薬。その緋色の爆弾は、空気に触れる事で爆発する。その威力は、中層のモンスターさえ一撃で絶命させる。

 

「魔剣をっ!」

 

 阿吽の呼吸で、サポーターのヒューマンの少女が、懐から取り出した短剣型の『魔剣』を走りながら後ろへと振り抜いた。

 

「全員っ、衝撃に備え―――」

 

 アスフィの警告が言い切られる直前、『魔剣』から迸る炎の切っ先が爆炸薬(バースト・オイル)を入れた容器を破壊―――大爆発を起こした。

 

「「「―――っ!!?」」」

 

 巨人に背中を蹴飛ばされたかのような衝撃に歯を食いしばり耐えつつも、声なき悲鳴を上げながら何とか誰一人転けることなく全員が走り続けることが出来た。

 しかし、状況は未だ危機を脱してはいなかった。

 

「前からめちゃくちゃ来てるぞっ!?」

 

 警告の声を上げると共に、ルルネはさらに走る速度を上げそのまま食人花へと斬りかかった。巨大な食人花が密集する中、僅かに空いた隙間に体を滑り込ませると共に、所構わず斬りつける。僅かにモンスターの勢いが落ちた隙に合わせ、後続の仲間が大型武器を振り抜き食人花の顔面へと叩き込んだ。

 

(―――数が多い……)

 

 群がる敵の圧力が一段と強まっているのを敏感に感じ取ったアスフィは、この先に『何か』があると確信した。元より前へ進むしか他に道は無し。アスフィは途切れなく襲いかかる食人花を前に、己の確信に背中を押されながら更に進行速度を上げた。

 

 

 

 ―――そして、辿り着いた。 

 

 

 

「ここって……」

食料庫(パントリー)、なのか?」

 

 数えるのをとっくに放棄した程の襲撃を潜り抜け、辿り着いた先には、血の色のような赤い光で包まれた大空洞が広がっていた。

 そこは、ダンジョンへと潜ってそれなりの経験をしてきたと自負する【ヘルメス・ファミリア】の一行をしても初めて見る景色。

 赤色の光に満たされたそこには、これまでの道行きの中広がっていたのと同じ脈動する緑色の肉壁に包まれている。違うのは、肉壁のあちらこちらから大小様々な蕾が垂れ下がり、そこから新たに食人花が生まれているところだろうか。

 これまで感じていた何かの化物の臓腑の中といった様子が更に強まっている。そんな大空洞の中、アスフィ達一行の視線と意識は、その異変の中心と思われる異形へと向けられていた。

 大空洞の中心。

 そこには食料庫(パントリー)の由来となったモンスターの栄養源を生み出す水晶の大主柱と―――それに寄生する巨大なモンスターの姿があった。

 

「宿り木……?」

 

 大主柱に巻き付く三体の食人花によく似たモンスター。

 しかし、大きさが決定的に違った。

 三十Mはあるだろう赤水晶の大主柱に絡みつくそのモンスターの全長は、少なくとも百Mはあるだろう。それに比例し、幹もまた桁違いに太い。

 そんな毒々しい極彩色の花を咲かせた三体の超大型のモンスターは、体中から発生した蔦状の触手を大主柱の表面を覆うように行き渡らせたまま微動だにしていない。

 ただ、時折触手が脈動するように蠢いているだけ。

 その様子に、アスフィが呆然と呟く。

 

「養分を……吸っている?」

 

 その言葉に応えるように、ドクンッ、と何かを吸い上げる音と共に触手が蠢いた。

 見ればモンスターの触手は水晶だけでなく周囲の壁や天井、地面にも伸びており、それは大空洞だけではなくその先へとも伸びていた。二十四階層の食料庫一帯が変異した元凶は、間違いなくこれだとアスフィ達は理解した。

 宿り木のように大主柱に寄生した巨大なモンスターは、ダンジョンから溢れ出る無限の養分を際限なく吸収しては、その身体を広げ続け。その結果として、この現状の怪異な迷宮を形成することになったのだろう。

 

「おい、あそこっ」

 

 ふと、大主柱から視線を移動させた虎人の男が、大空洞の一角に集う謎の集団を見つけ声を上げた。

 謎の集団は、白いローブで頭の先からつま先まで隠す異様な格好で統一されていた。

 目元だけしか露出していないその姿からは、男女の性別すらも曖昧で、徹底的に素性を隠そうとする様子が見られた。

 その集団も【ヘルメス・ファミリア】に気付いたのか、騒然とした様子で何やら大声で警戒の声を上げていた。

 剣呑な雰囲気が周囲に満ちていく中、ただ一人ルルネの視線と意識だけは未だ赤色の大主柱へと向けられたままであった。

 いや、正確には三体の巨大花が巻き付いた石柱の根元―――そこに取り付いた(おんな)の胎児を内包した緑色の球体の姿を。

 

「あの、時の……『宝玉』ッ!!?」

 

 それを見つけた瞬間、未だ薄まらないあの事件の恐怖が蘇ったルルネが、悲鳴混じりの震えた声を上げるのと同時に、謎の集団から鬨の声が上がった。

 『侵入者どもを殺せぇッ!!?』との怒号が響くと共に各々獲物を掲げた一団が、アスフィ達目掛けて押し寄せてきた。指揮を出すヒューマンと思われるただ一人色違いのローブを着た頭目だろう男の声に従う謎の一団には隊列も何もなく、ただ数を頼りにとばかりに我先へと駆けてくる。

 だが、集団の数と彼らから感じる狂気と勢いは、アスフィ達に危機を感じさせるには十分なものであった。

 

「―――応戦します」

 

 押し寄せる白色の集団から感じる異様な圧力を受け流しつつ、アスフィは冷静に団員たちに告げた。

 次から次へと新しい情報が突きつけられる中、冷静さを保ち、広く視界を保っていたアスフィの目は、謎の集団や緑色の宝玉に大主柱に巻き付く巨大なモンスターの他にも、黒い檻に閉じ込められたとぐろを巻いた食人花の姿も捉えていた。

 

「彼らからは色々と聞き出さないといけないようですね」

 

 小さくそう己に告げるように呟いたアスフィは、後ろを振り向くと各々武器の準備を始めていた団員たちに指示を出し始めた。

 前衛後衛、そして中衛。それぞれへ敵への対応と今後の方針を告げる。

 そして一通りの指示を終えたアスフィに、シルクハットを被った何処かの誰かの格好に似せた姿をしたエルフの青年が近づいて来た。

 

「中衛の指揮はオレに任せてくれない? ほら、キークスもアスフィはうちの要って言っていただろう。それに、君に何かあったらヘルメス様に何を言ったらいいか」

 

 おどけながらも、その目は笑わずに強固な意志を示していた。

 

「それに相手は謎だらけ。出来れば君には全体を見据えて指示を出して欲しいしね」

 

 その言葉を受け、瞬時にその可否について考えを巡らせると、アスフィは小さく首肯した。

 

「わかりました。セイン、お願いします」

 

 口元に笑みを浮かべて了承を示したシルクハットを被ったエルフの青年―――セインは中衛を指揮するため歩き出す。その背中へ、呆れが混じったアスフィの声が向けられる。

 

「それはそれとして、その格好いい加減やめてもらえませんか? 格好もそうですが、わざわざ声まで真似て……聞いているだけで疲れてくるんですよ」

 

 【ヘルメス・ファミリア】の主神であるヘルメスに似せた格好をするエルフの男に、苦情じみた言葉をかけるが、返事はなく、ただ軽く肩を竦めて見せた後、セインはそのまま歩き去ってしまった。

 その後ろ姿に、ますますヘルメスの姿を見たアスフィは、何処か気の抜けたようなため息を吐くと共に微かな笑みを口元に浮かべ。

 

「かかりなさいっ!!」

 

 顔を上げると同時に団員たちへと号令をかけた。

 

「殺せぇ!!」

 

 アスフィの指示に従い、前衛の巨大なタワーシールドを二つも持った巨体を誇る筋肉質なヒューマンの女が、敵の集団が放った弓矢を弾きながら一瞬も足を止めずに前へと駆け続ける。両者の距離は一気に近づき、間もなく接敵する瞬間、中衛を任された者たちが、前衛の背中や肩を蹴りつけ中空へと躍り出た。空中に飛び上がった一団に気を取られた敵へと、一番槍とばかりに飛び掛った前衛の虎人の男が大剣を振るう。集団がまとめて吹き飛ぶ中、飛び出した中衛の一団は、手に持つ鞭や短剣を使い、落下地点の安全を確保すると共に危う気なく着地を決めた。

 

「なっ?!」

 

 地面に降り立ったルルネを含む三人の中衛の間には、一人の白ローブの姿があった。

 一瞬で取り囲まれ動揺する男に、不敵な笑みを浮かべたセインが近付いていく。

 

「さて、悪いけど逃がすことはできないね」

「舐めるなぁっ!」

 

 武器を持たず無造作に近付いてくるエルフの姿に、苛立たしげに短剣を振りかぶり襲い掛かる。

 

「甘いね」

 

 セインは短剣を首を傾けることで軽く避けると、そのまま間合いを更に詰め、その襟首と空振りし行き過ぎた男の腕をつかみ―――。

 

「―――ッ、が?!」

 

 勢いそのまま地面へと叩きつけた。

 

「うちの主神様がさる武神を怒らせた時に頂戴した技だけど、結構効くだろう?」

 

 背中から勢いよく叩きつけられ、その衝撃に息も出来ず地面に微動だにせず苦しむ男の肩を掴むと、セインはごろりと転がし俯せにした。

 

「ルルネ『開錠薬(ステイタス・シーフ)』の準備を」

「へへっ、中々ゲスいこと決めるねこのエルフは」

 

 そう言いながらも嬉々とした様子で懐から透明感のある真紅の液体と結晶が浮かぶ小瓶を取り出したルルネは、見せつけるようにローブから目だけを覗かせる男の前で、それをゆらゆらと揺らした。

 

「……」

 

 恐怖するように目の前で揺れる小瓶を見つめていた男は、そこでふっ、と視線を何処か遠くへと向けたかと思うと、悟ったような穏やかな声で呟いた。

 

「神よ、盟約に沿って捧げます……」

 

 頭巾によって塞がれた口元からくぐもった声が漏れた瞬間、男を押さえつけていたセインが不意に湧き上がった寒気と直感に従って、目の前のルルネの身体を全力で突き飛ばした。

 

「この命イリスのモトにィ―――ッ?!!?」

 

 直後―――爆音と共に爆炎が男を中心に周囲を吹き飛ばした。

 突き飛ばされ転がるルルネは、その身体に発生した爆風で焼かれながらさらに勢いよく転がり、ようやく止まった体から感じる痛みに顰めた顔を上げると、そこには小さなクレーターが出来ていた。クレーターの直ぐそばには、人間だった残骸が辛うじて形を残していた。最早そこから何かの情報を手に入れることは誰にも出来はしないだろう。

 情報漏洩防止のために、爆死した。

 それを理解し、呆然となるも、ルルネは直ぐに気を取り直す。

 爆発の直前、自分を突き飛ばしたセインは何処に―――。

 慌てて周囲を見渡すと、直ぐにルルネはその姿を見つけた。クレーターから少しばかり離れたところに、それは転がっていた。幸いにか四肢が残ってはいるが、その全身は明らかに重度の火傷を負っている。

 

「―――ッッ!?? セインっ!?」

「マジかよこいつらっ!?」

 

 ルルネの悲鳴を背中に受けながら、周囲を警戒していた中衛のサル顔のヒューマンの男―――ルークスが自分たちを取り囲む集団が被るローブの隙間から覗いたモノを目にし、呻き声を上げた。

 

「か、『火炎石』っ」

 

 それは、深層域に生息するモンスターである『フレイムロック』から入手できる『ドロップアイテム』。強い発火性と爆発性を併せ持つ極めて危険なそれを、白ローブの集団は数珠繋ぎでもって体に巻きつけていた。

 

「正気かぁっ?! こいつらぁ!!?」

 

 仲間がやられた怒りと苛立ち。

 それと同量の得体の知れない恐怖が混じった声を上げる。

 

「お、愚かなるこの身に祝福をおおぉぉおお!!?」

 

 様々な感情が入り混じった割れた絶叫を上げながら、ローブの集団が一斉に駆け出してくる。

 近付く彼らの手の片方はローブの中。発火装置と思しき小箱から伸びる紐が握られていた。

 

「こいつら死兵だっ!!??」

 

 ルークスが警告の声を上げた時には、次の爆発が起きていた。

 『許して』『祝福を』『清算を』と人の名前と共に願いを口にしながらローブの者達は次々に自爆を始めた。

 そこからはもはや戦闘どころではなかった。

 味方を巻き込むこともお構いなしに決行される自爆攻撃から少しでも離れようと、敵と最も接近していた前衛と中衛を務めていた【ヘルメス・ファミリア】の団員達は逃げ惑う。

 しかし、そんな混乱の中であっても、後衛に控えていたアスフィは的確に指示を下していた。

 

「セインはまだ間に合いますっ! ありったけのポーションを使って治療を! メリルはドドンとポーションが切れた団員への回復を!!」

 

 アスフィの指示に団員達は浮つく心を必死に抑えながらも応えていく。逃げる仲間の応援に向かう団員を視界の端に捉えながら、アスフィは必死に頭を巡らせる。

 

(叫んでいるのは神の―――いや人名っ! 主神の神意? 死をもって忠誠を示している? 駄目だッ!?? 私たちの理解を超えているッ!!?)

 

 背中にひやりとした汗が流れるのを感じながら、アスフィは無言のまま絶叫する。

 

(―――私達は一体何と戦っているのですッ!??)

 

 刹那、意識が己から浮かんだ疑問に向けられた瞬間、大空洞の空気が轟音と共に揺らいだ。

 

「―――ッッ?!?!」

 

 今まで微動だにしなかった緑壁から生まれ落ちていたモンスターや黒檻の中のモンスターが、一斉に鎌首を持ち上げ動き出したのだ。

 進先や阻むモノを破壊しながら、突如沈黙を破り動き出した大空洞中のモンスターが目指す先には、敵味方入り乱れる戦場が。

 

「モンスターが来ますっ!!」

 

 咄嗟の呼びかけに反応したのは、信頼と経験、そして運も含まれていた。

 

「ッっ、おぉおおお??!」

「―――ぐぅおお?!」

 

 固まって敵へと対処していた前衛の一団の背後から牙を向いて襲いかかってきた食人花の奇襲を、彼らは何とか迎え撃つことができた。

 

「あ、危なかっ―――」

「まだだっ!」

 

 手に持つ大剣でもって逸した食人花が、勢いそのままローブの集団に激突する姿を見ていた虎人の男の耳に、隣に立つヒューマンの男の警告が響く。

 

「めちゃくちゃだぁあっ!?」

 

 モンスターの突撃をしのいだのも束の間、先程の襲撃に倍する数の食人花が襲いかかってきていた。モンスターは、【ヘルメス・ファミリア】だけでなく、彼らを囲んでいたローブの集団へもお構いなしに襲いかかっていた。

 更に混乱と混沌が増す中、ローブの集団はそれでも執拗に【ヘルメス・ファミリア】へと向かっていた。彼らは、モンスターに引き裂かれ、噛み付かれながらも、【ヘルメス・ファミリア】が近くにいると気付くや否や体に巻きつけた『火炎石』を爆破させた。

 そんな彼らの理解を超える狂的な行動を見て、未だ何とかだが拮抗を続けていた【ヘルメス・ファミリア】の団員達だが、その身に募る恐怖と混乱は時と共に増大するばかりであった。

 そしてそれが破裂し、戦線が崩壊するのも時間の問題なのは、誰の目をもってしても明らかであった。

 際立った頭脳を持つ彼女ならば言うまでもない。

 

(不味い―――っ!?)

 

 混乱を増すばかりの戦場を駆けながら、アスフィは思考を回し続ける。

 

(謎の集団の自爆攻撃だけでなく、モンスターの無差別な強襲―――最早立て直すどころの話ではないっ。指示すら覚束無い現状、不用意に撤退すれば全滅は必須っ!)

 

 悲観的な考えばかりが浮かぶ中、それでも彼女の頭は冷静にここからの解決方法を導き出す。

 

(―――あの男)

 

 味方への指示と敵への対処を行いながら、血飛沫と土煙、敵味方入り乱れる中、アスフィの目は遠方にてこの混乱をただ一人悠然と眺め立つ男の姿を捉えていた。

 ねじくれた角を持った獣の白い頭蓋状の鎧兜を被った悪趣味な白い男。

 

(モンスターが動き出す直前、確かに妙な動きを見せていた)

 

 ほんの僅かに視界の隅にひっかかっただけの姿。モンスターが動き出す直前に男が見せた不審な動きを、アスフィは確かに見ていた。

 

(間違いない―――調教師(テイマー)ッ!)

 

 僅かな情報から導き出した解答を、アスフィは直感と共に正解だと確信した。

 大量―――それも大型も含んだモンスターを調教する等―――常識的に考えれば有り得ない。人に言われても簡単には信じられないものではあるが、現実に目の前で起きており、これまでの状況からそれ以外は考えられなかった。

 ならばやる事は決まった。

 この行き詰まった現状を打破できる唯一の(正解)

 やるべき事を決めると同時に覚悟を決め。

 アスフィは一人前へ出た。

 

「ファルガーっ! 指揮をッ! 全員かき集めて持ちこたえなさいっ!?」

 

 虎人へと呼びかけながら前へ。

 後方から微かに応答する声を聞き、地面を蹴りつけ更に加速すると同時に、持てるだけの爆炸薬を敵が固まる一角へと投げつけた。

 火炎石に引火し大爆発が起きる中、アスフィは自作のマントで全身を包み煙と炎の中を突っ切った。

 火炎石の連鎖爆破から発生した爆風に背中を押され、更なる加速を果たす。

 ただ前へ。

 戦場を一直線にただ駆け抜ける彼女を止められる者はいなかった。

 いやー――一人、その背を追う男がいた。

 

「アスフィさんっ! 援護させて―――いやっ、しますッ!!」

 

 中衛を任されていたキークスが、アスフィの後ろを追って走っていた。

 走る中、チラリと視線だけを背後に向けた彼女は、キークスの覚悟が定まった顔を見た。

 

「頼みます」

「っ―――はいッ!!!」

 

 アスフィの短いながらも信頼を預けた言葉に、キークスの心臓が疲労からではない衝撃に大きく跳ねた。

 産毛が逆立ち浮き足立ちそうな気持ちを返事と共に、更に覚悟を固めたキークスは、一足早く敵の集団を抜け目指す先―――白ローブの集団を指揮する色違いのローブを纏った男の前へと躍り出たアスフィの援護をするため地面を蹴りつけ飛び上がった。

 

「迎え撃てぇっ!!?」

 

 死兵とモンスターの壁を突破してきたアスフィの姿に驚愕しながらも、迎撃を指示する頭目の男だったが、迎え撃とうとする白ローブの集団へキークスの投石による援護が襲いかかった。

 上空からの攻撃と接近する(アスフィ)の姿に、どちらに対処するか白ローブの集団に一瞬の思考の空白が出来たのを見逃す彼女ではなかった。

 身を屈め、地面を舐めるように駆ける彼女は、そのままの勢いでもって頭目の男の横を通り過ぎると同時に、その身体を手に持った短剣でもって切り裂いた。

 正確に首の頚動脈を切り裂いた彼女は、立ち止まる事なくその先に立つ調教師の男の下へと向かう。

 

食人花(ヴィオラス)にそのまま食われておればいいものを」

 

 高速で詰め寄るアスフィの姿に欠片も動揺する姿を見せず、白ずくめの男は大主柱の下から離れるように歩き出すと、何かを指示するように手を軽く振るった。

 

「―――やれ」

 

 男の言葉に応えるように、目の前まで迫った男へと飛び掛ろうとしていたアスフィの足元から夥しい緑槍が飛び出してきた。弾丸のように飛び出してきた緑槍の切っ先を、咄嗟に横に飛び退いて避ける。

 あと一手まで追い詰めながらも取り逃がしたことに口元を歪ませながら、地面から生えた大量の触手に囲まれ防御の体勢を見せる男の姿を忌々しげに睨みつけた。

 

「いい動きをする……流石は【万能者(ペルセウス)】か」

「ッ」

 

 嘲笑を含んだ男の言葉に、アスフィの眉間に皺が寄る。

 

「だが、ここまでだ」

 

 ほの暗い喜悦が混じった冷たい声音と共に、周囲に集まっていた食人花らが一斉に牙を向いて襲いかかってきた。

 花頭の大顎だけでなく、無数の触手の鞭が振り回される。前後左右全てを隙間なく囲まれ。息つく間もない攻撃が雨霰と乱れ打たれる。

 

「―――死ね」

 

 避けきれぬ触手の一撃をマントで受けた体が地面から離れた瞬間を見逃さず、男の手が中空で身動きが取れなくなったアスフィを指差す。それに応え周囲を取り囲む食人花が一斉にアスフィへと牙を突き立てんとした。

 その刹那―――。

 

「『タラリア』」

 

 アスフィの指先が足に装着した(サンダル)を撫で―――同時に緑がアスフィがいた空間を埋め尽くした。

 地面が砕け、何かが潰れる音が周囲に響き、白ずくめの男が無残な姿となったアスフィを幻視した時―――頭上から羽ばたきの音が響いた。

 

「なにっ!?」

 

 驚愕の声と共に頭上を振り仰いだ男の視線の先には、遥か高きにある天井の真下を浮遊する翼を持つ何かがいた。

 

「空、中に……?」

「飛んで、る」

 

 頭目がやられた後もお構いなしに暴れていた白ローブの集団さえも、目の前で起きている『神秘』を前に、意識を持っていかれ立ち尽くしていた。

 飛翔靴(タラリア)

 それは、【万能者(ペルセウス)】が生み出した魔道具の中でも天外の能力を持った神秘の結晶。

 二翼一対、左右合わせて四枚の翼を持つその靴は、装着者に飛行能力を与える常識を超えた魔道具。厳重に秘匿していた取って置きの中の取っておきをもってして、死の檻から文字通り飛び出した彼女は、見上げてくる白ローブの集団やモンスターらを、眼鏡を押し上げながら見下ろした。

 

飛翔靴(これ)まで使わせたんです。完璧に仕留めさせてもらいます」

 

 そう言うと、彼女はマント下のホルスターから手持ちの爆炸薬を全て取り出し―――それを一気に眼下へとバラまいた。

 空中から放り出されたそれは、先程まで彼女がいた位置に密集していた食人花を中心に落ち―――

 

「っっやべぇ!!?」

 

 ―――大爆発を起こした。

 アスフィが上空に逃げたのを確認するや否や逃げ出していたルークスが、空から落ちてくる危険物に目を見開くと、慌てて頭を抱え地面に伏せた。と同時に、その下げた頭の先を爆炎と爆風が通り過ぎていく。

 大魔法にも匹敵する広範囲かつ高威力の爆撃が、周囲を染め上げていた緑肉を吹き飛ばす。モンスターの断末魔も吹き飛ばす食人花の散華を、アスフィは顔色を変えず見下ろしていた。

 

「ちぃっ」

 

 苛立たし気に舌打ちをする白ずくめの男は、身を守護する触手の盾だけでは足りないと、近くにいた食人花を片っ端から集めると、自身への肉の盾へと変えたが、アスフィの全てを賭けた爆炸薬の雨は、それさえも破壊しつくした。

 断末魔と共に、白ずくめの男の盾となっていた食人花の最後の一体が倒れるのと同時、アスフィは短剣を構え直すと上空から獲物を狙う鷹のように急降下を始めた。

 飛翔靴を自在に使いこなし、巧みに地面から煙る土煙に自分の体を隠しながら白ずくめの男に接近する。

 白ずくめの男は何かが高速で飛ぶ音にアスフィの接近に気付くが、その時には既にその背後へと急迫していた。

 

(―――遅いっ!)

 

 遥か上空からの落下速度に飛翔靴そのものの推進力を加え、脇に構えた短剣を自身の体ごとぶつける。

 不意を突いたそれは、上級冒険者すら一撃で打倒しうる威力を秘めていた。

 間近に迫った白ずくめの男の意識は、こちらに向いているが対応するには余りにも時間も距離もない。

 

 ―――もらった! 

 

 確信と共に放った起死回生の一撃は―――

 

「―――ッッ??!」

 

 ―――刀身を素手で掴まれて止められるという、予想の外の対処でもって防がれた。

 

「そん、な―――」

 

 呆然とつく言葉の中でも、咄嗟に短剣を引き戻そうとするが、剣身はピクリとも動かない。

 まるで短剣と男の腕が一体になったかのような錯覚は、男の手から僅かに流れる血の色に、単純に力で止められたという事実をアスフィに突き付けた。

 信じがたいこの事実を前に、しかし身体は思考よりも早く判断を下していた。

 この男から離れようと、短剣から手を放す。

 だが、数秒にも満たないその間は、余りにも致命的であった。

 

「ぬんッ」

「ッが?!」

 

 胸倉を掴まれたかと思うと、アスフィの身体は既に地面に叩きつけられていた。背中を強打し、その衝撃に意識が強制的に止められる中、体は地面を削る勢いでもって転がり続ける。

 

「こ、の」

 

 意識がハッキリしてくると、アスフィは転がる勢いを利用し起き上がった。

 

「っ、どこに」

 

 顔を上げ、土が舞い上がり、周囲が煙る中を、アスフィは動揺を押し殺し男を探す。

 

「―――どこを見ている」

 

 そう、耳元で聞こえ―――体の内から、ぐしゃりと何かが捩じ込まれる音が響いた。

 

「っ、ぁ」

 

 自分の意志ではなく、強制的に吐き出された呼気には、粘ついた赤いものが混じっている。

 

 音―――腹部。

 

 衝撃―――内臓。

 

 痛み―――重症。

 

 熱―――出血。

 

 一瞬のうちに余りにも多くの情報が叩き込まれた脳に空白が生まれるが、直ぐにアスフィは何が起きたかを理解する。

 戦闘衣を突き破り、見る間に広がる赤い染みの中心に、見覚えのある白銀の剣身の切っ先が覗いていた。

 震える身体で背後を見れば、そこには想像通りに自分が落とした短剣を使い、腹部を貫く白髪の男の姿があった。

 男は腹部を刺し貫かれながらも、気丈にも自分を未だ睨みつけるアスフィに、口元を歪ませると、手に持つ短剣の柄をぐるりと捻り回した。

 

「アスフィッ!?」

「団長ッ!??」

「あああああああぁぁぁああっッ!??!」

 

 白ずくめの男にくし刺しにされた団長の姿を見た団員たちの悲鳴に、アスフィの断末魔の如き悲鳴が混じる。

 男は【ヘルメス・ファミリア】の悲鳴を目を細め心地よさそうに耳をそばだてると、虫を払うように腕を振るい短剣に貫かれていたアスフィの身体を地面へと投げ捨てた。

 

「しぶとい冒険者とはいえ、これでそう簡単には回復はしないだろう」

 

 痙攣するように体を震わせ、その度に口から血塊を吐き出すアスフィへと男は近づいていく。

 その様子は、アスフィ(団長)の指示に従い、一つに固まって敵を迎撃していた団員達の目にも映っていた。何とか助け出そうと、彼らはアスフィへと何度も接近しようとするも、未だ白ローブの集団は多く、モンスターもまた同様。遅々として縮まらない距離に、彼らの顔が最悪の未来に歪み切る。

 そしてアスフィもまた、地面に這い蹲りながらも、少しずつ歩み寄ってくる白ずくめの男()を前にして焦燥を募らせていた。しかし、逃げようにも内蔵が焼け付くような痛みに、身体は言う事を聞かず、思考も一向に纏まらない。

 打つ手がない。

 感覚が遠のいていく中、間近に立つ男が、飛翔靴の翼を割り砕く音が微かに聞こえ。

 奥の手を破壊しつくした男が、最後にその手を自分の首に向け伸ばす。

 

 ―――これで、終わり、ですか……

 

 そう、思った時―――。

 

「アスフィさんに―――汚い手で触んじゃねぇッ!!!」

 

 怒りに割れた怒号と共に、手を伸ばす白ずくめの男の顔面に何かが投げつけられた。

 男は咄嗟に投げつけられたものを払いのけるが、それは簡単に割ると周囲一帯に煙幕が広がった。

 その声を呼び水に、微かに乱れていた意識を纏めることに成功したアスフィの目に、煙幕に紛れるようにして、空中でこちらに向けて何かを投げつけようとするキークスの姿が飛び込んできた。

 

「アスフィさんっ、これを―――!!」

 

 そう叫び振りかぶるキークスの手の中には、ここに来る途中で彼に渡した【万能者(ペルセウス)】謹製の改良型ハイポーションが。

 それを目にし、彼女の前にか細い道が生まれた。

 

 ―――まだ、まだですッ!!?

 

 応えるように、彼女の震える手がキークスへと伸ばされる。

 あとはそれを、彼女が受け取れば、まだ―――。

 

「―――食人花(ヴィオラス)

 

 その瞬間を、十五の団員達は見た。

 打開となるそれが投げられるその寸前、舞い上がる土煙を割って現れた触手が、キークスの腹を突き破るのを。

 

「「「キーーークスッ!!??」」」

「いやああぁあぁあああああああっ!??!」

 

 悲鳴が上がる中、キークスは一瞬で力をなくした体に戸惑うように呆けた顔を浮かべたが、腹から生えたソレに気付くと、痛みでも恐怖でもなく、悔しさにその顔色を歪ませた。

 

「っく―――そ、ぁ」

 

 せめてと、残る力を振り絞り、手に持つそれを投げようとするも、キークスの腹部を割り裂いた触手は、無感情にその身を振るい突き刺さったものを投げ捨てた。

 濡れた水袋を地面に叩きつけたような鈍く湿った音を立て地面へと転がるキークスの腹には、成人男性の腕も軽々と入るだろう穴が広がっており、そこから大量の血が流れだし、瞬く間に地面に泥濘を作り上げていく。

 

「ヅぅ―――」

 

 だが、彼はまだ生きていた。

 死をその身に纏わせながら、腕を伸ばし、体を前へと引きづり始める。

 逃げるため?

 いや、その視線の先には、ああ…似合わないことに涙を流しキークス(自分)の名を呼ぶ団長(アスフィ)の姿が。

 その姿に、こんな状況のはずなのに何処か心が沸き立つのを彼は感じていた。

 

 ―――そんなに、呼ばなくても、ちゃんと聞こえてますよ。

 

「きー、くす」

 

 ―――だから、そんなに必死に呼ばなくても、ちゃんと、わかってますよ。

 

「き、くす」

 

 ―――あなたが、何を言おうとしているのかも。

 

「あな―――が、」

 

 ―――でも、それは聞けないんですよ。

 

「それ、を」

 

 ―――だってね。みんなにはわるいけど、オレには冒険なんてほんとはどうでもよくて……

 

「いま、なら」

 

 ―――ただ……あんたのそばにいたかっただけで。

 

「あな、た―――だけ、でも」

 

 ―――まあ、それもけっきょくつたえられなかったけど。

 

「きー、く」

 

 ―――なら、せめて、これを。

 

「っ――ぁあ―――っだ、め―――やめ―――」

 

 

 

 

 

 ―――ああ、地獄とは、まさにここ、ここのことだろう。

 動くこともできず、ただ倒れ伏すだけの私の目に映る光景には、死が溢れていた。

 モンスターが叫び、人が燃え吹き飛び、血と臓物がばら撒かれる緑色の地獄の光景。

 モンスターも人も関係なく。

 風に撒かれる塵のように軽く命が消えていく。

 そして、そんな地獄の中で、また一つ、私の目の前で命が消えようとしている。

 自分の大切な仲間―――【ヘルメス・ファミリア(家族)】の命が。

 もう、これは覆せない。

 そう、自分の中の冷たい理性が告げる。

 わかっている。

 そんな事は、言われずともいやと言うほどに理解している。

 別に初めてではないのだ。

 仲間を失うのは。

 ああ……そして聞こえる。

 悲痛に叫ぶ自分と仲間の声を聞きながら、私の中の冷徹なナニかが彼がここで終わってしまう事を切っ掛けにして、状況の打開を狙えないかと考える醜い自分の声が。

 あれだけ自分を慕ってくれる仲間の死さえ利用しようとする自分が、嫌で嫌で仕方ないのに―――確かに耳を傾けている自分がいる。

 彼が手に持つそれ―――私が渡したハイポーションを彼が自分に使えば、あるいは彼の命は助かるかもしれない―――だけど、彼はきっと使わない。

 あんな顔で―――目で―――少しでも近づこうとしている。

 そんな力があるはずもないのに。

 確かに近づいている。

 そんな力があれば、直ぐに自分に使えるのに。

 どうして、彼は自分に使わないのか……。

 ―――ああ、しかし意味はないか。

 例え彼が自分にそれを使ったとしても、あの男がいる限り死ぬのが少し遅くなるだけだろう。

 頼みになる筈だった剣姫も、あれだけ鮮やかに分断されたのだ。

 敵も易々と合流はさせないだろうから、間に合うとは思えない。

 ……全く、趣味が悪いにも程がある。

 私に見せつけるように、殊更ゆっくりと歩いていた男が、動く筈のない体を引き摺らせながら、少しでも近づこうとしていたキークスの前までたどり着いてしまった。

 止めようにも。

 もう、声もうまくでない。

 せめてと伸ばした手も、上げることも出来ず無様に地面に転がったまま。

 自分の無力と沸き上がる絶望に、目の前が陰っていく。

 間も無く終わりを迎えるだろう自分の目に映る最後の光景が、段々と色を失い、白と黒に塗り分けられる中―――ふと、主神(ヘルメス)の言葉を思い出す。

 

 ―――まさかアスフィは、命の価値がみんな同じとか思っていないか?

 

 面倒事を押し付ける本神が、面倒事は他の団員に任せれば良いと言ってきたから、「団長として皆を平等に扱い、一番適した人材を選んでいる。そしてその中には、もちろん自分も含まれている」そう言い返すと返ってきた言葉。

 その時は、別に何か考えがあって言った言葉ではなかった。

 自然と口にした言葉。

 しかしそれは、確かに自分の本心であった。

 平等―――公平―――それは確かに自分で心掛けていたこと。

 一見すればとても綺麗な言葉だ。

 しかし、その言葉の裏は―――どうだろうか。

 平等、公平―――それは、一人と二人、どちらしか助けられない時、より多く救える方を選ぶと言うこと。

 人の命を、数で表す事を意味する。

 なら、同じ数―――どちらか一方だけしか助けられない時は……。

 その時は、両方の持つ能力を考え、より優れた方を選ぶだけ。

 才能、年齢、性別―――そんな情報から足したり引いたりしてより優れた方を選ぶ。

 つまり結局のところ。

 

 ―――命の価値がみんな同じなわけがない。

 

 それを、主神に言われず自分はわかっていた。

 ―――なぜ、今さらこんな事を思い出しているのか……。

 それは―――ああ、そうか。

 ……なら、彼は、どうなのだろう。

 自分へと降り下ろされんとする断命の足に見向きもせずに、ただひたすら前へ。

 たどり着く筈のない私の下まで向かおうとする彼は。

 自分も、周りのこともまったく見ずに、ただ真っ直ぐに私だけを見つめる彼は。

 ぁぁ―――きっと、考えていないのだろう。

 命の価値とか、平等とか……。

 そんなものを―――。

 ただ、助けたいから―――救いたいから……。

 そんな想いだけで動いている。

 短絡的で、考えなしで、先の事など全く考えていない……。

 愚かしいまでに愚直に、ただひたすら前へ。

 前へと進む彼が―――私にはとても眩しく見えて。

 でも、それも消えてしまう。

 もう、何もかも遅い。

 私は、何処で間違ってしまったのだろうか……。

 答えの見つからない後悔に苛まれ、何の思考も定まらない中―――最後の最後に、自分の内からこぼれたのは―――

 

 

 

「―――たすけ、て」   ―――キークス()

 

 

 

 意味のない―――応える者がいる筈がない言葉だった―――…… 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    「―――ああ、了解した」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










 ダンまち3期に間に合うかな?


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第七話 白髪鬼 

「―――ガっ?!」

 

 今まさにキークスの頭蓋を踏み潰さんと降り下ろした足に、何処からか飛んできた短剣が突き刺さる。

 混沌渦巻く戦場を貫き、正確に男の足を射抜いた短剣は、容易ならざる肉体を持つ筈の男の肉を穿ち。その勢いでもってキークスの傍からその体を引き剥がした。

 足を上げた片足立ちの不安定な姿勢の間に、足を射ぬかれた男は、耐える事も出来ず足を掬われ無様に地面に転がっている。

 

「―――ぁ、ぁ」

 

 今まさに自分の命が救われた事もわかっていないのだろう。

 朦朧とした声を上げながら、今だ前へと這いずるキークスの傍に、白い髪の、しかし白ずくめの男とは違う、赤い服を纏った男が立っていた。

 

「それはお前が使え」

「っ」

 

 赤い服を着た男―――シロはキークスが手に持つのがポーションである事に気付き、それに手を伸ばす。しかし、最早死に体と言っていい筈の状態であるにも関わらず、キークスの手は予想外の力でもってポーションを握りしめていた。

 

「……安心しろ。彼女には代わりのものを既に使ってきた」

 

 ポーションを握りしめた手から指を一本ずつ引き剥がしながらシロがそうキークスに伝えると、僅かにその手に籠る力が緩んだ。その隙を逃さず、シロは一気にポーションを引き剥がすと、それを直ぐにキークスの腹部に空いた穴に注ぎ込んだ。

 

「ッ―――が、ぁ!!?」

 

 大量の煙と共に、肉を捏ね繰り回すような奇妙な音がキークスの体から響き始めた。

 予想以上の効果に、シロは僅かに目元に皺を寄せ怪訝な顔を見せたが、チラリと後ろを見て、自分が渡したポーションを使用し、窮地から脱したアスフィの姿に合点がいったように小さく頷いた。

 

「流石はオラリオ切っての魔道具制作者(アイテムメーカー)と言ったところか。これならば助かる芽はある」

 

 未だ予断は許されないが、最悪の状態から脱したのを確認すると、シロはキークスの襟首を掴むと一息に後ろへと飛んだ。

 

「っ、キークスっ!?」

 

 アスフィの隣に戻ったシロはその傍らにキークスを寝かせる。アスフィは直ぐにキークスに声を掛けるが、返事をするどころかピクリともその体は動かない。微かに胸が動いていなければ、死んだものとしか思えないだろう。

 

「傷は塞いだが、血を流しすぎた。同じポーションはあるか?」

 

 キークスにすがり付き、必死に声をかける彼女にシロが訪ねるが、アスフィは反射的にマント下のポーチに手を伸ばすが、そこには空の感触しか帰ってこなかった。

 

「手持ちはありません―――っですが」

 

 悔しげに口元を噛み締め、首を軽く横に振るったアスフィだが、直ぐに仲間がまだ予備を持っている筈だと気付く。

 

「なら行け―――奴は私が押さえる」

「っそれは―――、く」

 

 アスフィの視線の先を確認し、何が言いたいのか理解したシロは、腰から双剣を取り出すと、仮面で顔を隠しているにも関わらず、はっきりと怒気を示しているのがわかる男へと対峙した。白ずくめの男は、足に刺さった短剣を引き抜いて握り砕いた手を震わせながら、シロを睨み付ける。

 シロを睨み付ける白ずくめの男の放つ眼光は、最早それだけで人を殺傷しかねない狂気に満ちていた。

 直接それを向けれていないアスフィでさえ体の震えが止められないそれを浴びながら、シロは何の気負いを感じさせていない。

 

「っ、頼みます」

「ああ」

 

 その姿に否定の言葉を苦しげに飲み込んだアスフィに、シロは短く頷くと何ら逡巡せずに白ずくめの男へ向かって駆け出した。

 

 

 

 

 

 

「シィッ!!」

「舐めるなぁ!!」

 

 鋭い呼気と共に上下から挟み込むような斬撃を、白ずくめの男は前進を持って受け止めた。男はそのままの勢いでもってシロの顔面へ向け拳を振り抜く。が、シロはそれを顔を背け避けるとそのまま男の横を駆け抜けた。

 

「―――っ?」

「ちょろちょろと―――っ!?」

 

 男の横を通りすぎる際、舐めるように双剣の一つで男の脇腹を斬りつけていたシロだったが、手に伝わる感触に訝しむように目を細め。そして、怒り狂った獣のように大振りで殴りかかろうとする男を改めてみた。

 

「冒険者風情がぁああっ!!」

 

 噛み付かんばかりの勢いでシロへと接近した男は、己の感情を表すように空気を抉るような拳の乱打を放つ。空気が弾ける異様な音を纏った拳が空間ごと叩き潰さんと何十発と繰り出される―――が、シロはその中から、自分に当たるものだけを見分け、両手にもった双剣で受け流し続ける。

 数秒にも満たない相対。

 しかし、男が繰り出した拳は100にも迫る。

 それを全て受けきった―――いや、それだけではない。

 それに気付き、怒りに満ちて沸きだっていた男の思考が一気に冷えた。

 

(―――受け、流されたっ!!??)

 

「ッォオオ!!」

「が―――ッグ?!」

 

 受け止められたのではなく、受け流されたことに気付き、男が自分の相手をするシロの技量に驚き一呼吸もない戸惑いが生まれ。

 そしてそれを見逃す男ではなかった。

 男の気が逸れたのと同時、地面を割り砕く勢いで踏みしめ降り下ろした両手に持つ剣が男の中心で交差させる。急所の一角―――鳩尾で交わされた双剣が放った衝撃は、モンスターの外皮さえ凌ぐ肉体を確かに貫いた。

 内蔵を押し込まれ、強制的に吐き出された息の中に赤いものが確かに混じっていた。

 耐える暇もなく吹き飛ばされた男は、そのまま十数M離れた位置まで転がっていく。

 

「あんだぁ―――もう終わっちまったのかよ」

 

 地面に蹲ったまま動かない男を油断なく見るシロの横に、舌打ち混じりの声を上げるベートの姿があった。シロは隣に立つベートにではなく、未だ構えを解いていない僅かに血で汚れた双剣に視線を向けた。

 

「―――いや、まだだ」

「あん?」

「少しばかり面倒な相手のようだ」

 

 シロは手に持つ双剣の状態を把握すると、不快げに鼻元に皺を寄せているベートに警戒の声を向けた。

 

「―――貴様、何者だ?」

 

 先程までピクリとも動いていなかった男が、ゆっくりと地面から起き上がると、先程までの怒りに満ちた様子は全くなく。困惑を感じさせる声でシロに問いかけてきた。

 

「なに、ただの冒険者だ」

ただ(・・)の、だと? 馬鹿な、それほどの力……いや、技量。上級冒険者にもそういない筈だ。だが……お前のような男の話など聞いたこともない」

「ほう……赤髪のお仲間から聞いてはいないのか?」 

「何だと? レヴィスが―――ッ!?」

 

 自然と自分の同類の名を口にした瞬間、男はシロの嘲笑の笑いを確かに聞いた。

 

「そうか、あの女は『レヴィス』と言うのか」

「貴様ぁっ!?」

「やはり、奴と同類か……」

 

 自分が嵌められたと気付いた男が、再度怒りの咆哮を上げるのを聞きながら、シロは周囲の状況を改めて把握する。

 白ローブの集団。

 食人花のモンスター。

 大主柱に巻き付く巨大花とその根本にある宝玉。

 ダンジョン街を襲った赤髪の女の同類の男。

 未だ一つも十全な情報がないなか、ハッキリしているのはこの白ずくめの男が敵であること。

 そして、アスフィ等【ヘルメス・ファミリア】の危機が未だ脱していないこと。

 幾つもの情報と思考が交差し―――結論を下す。

 

「ベート・ローガ、協力しろ。奴を始末して【ヘルメス・ファミリア】の救援へ向かう」

「ぁ、アア!!? 何でテメェに合わせなきゃいけねぇんだぁ!? あんな雑魚一人で十ぶ―――」

「そうか、なら任せた」

「は?」

 

 ベートの口が間抜けな形でぽかんと開いた様に目を向けることなく、言うや否やシロはさっと後ろを向くと、レフィーヤたちと合流するも苦戦を強いられている【ヘルメス・ファミリア】の下へと走り出していた。

 虚をつかれたのは味方のベートだけではなく、先程まで戦っていた白ずくめの男もそうであった。

 何の躊躇いもなく自分に背を向け走り去っていくシロの姿に、男の冷静になりかけていた思考が再度沸騰した。

 男の目は【ヘルメス・ファミリア】の下へと向かうシロだけしか映っておらず、周囲に目を向けることなくその後ろ姿を追うため駆け出した。

 

「このっ、逃がすかぁ―――ぐっ」

 

 走り去るシロの後ろ姿を思わず追いかけていたベートであったが、流石に自分を無視して横を通りすぎようとしていた男を見逃す筈もなかった。

 銀色のメタルブーツを履いた足を打ち込み、男の体を吹き飛ばした。

 

「っ、クソッタレがぁッ!! どいつもこいつも舐めやがってッ!!? オラぁ!! さっさとコイやぁ! ぶっ殺してやるッ!!」

「ッッ!? オノレェッ!! 何処まで馬鹿にするつもりだぁッ!!? 邪魔だッそこをどけェ!!」

 

 咄嗟にベートの脚撃を腕でガードするも吹き飛ばされた男は、しかしその目は未だシロへと向けられていた。視線の先、シロへと向かう間に立つベートに声を荒げる。

 対するベートも、シロに良いように使われていると感じながらも、この場の重要人物と思われる男を見逃せる理由もなく。上手く使われていると自覚しながら、その苛立ちと怒りをぶつけるように男へと吼えかけた。  

 

「うるせぇ!! ぶち殺すッ!!!」 

 

 

 

 

 

「さて、あちらは任せて問題はないだろうが、こちらは―――ギリギリか」

 

 白ずくめの男の対処をベートに任せ(押し付け)たシロは、レフィーヤたちと合流して白ローブの集団とモンスターの対処にあたっている【ヘルメス・ファミリア】の下へと急ぐ。

 白ローブの集団は自爆やモンスターの無差別攻撃により大分数を減らしてはいたが、それでもまだその数は、味方の被害を考えない自爆もあって未だ十分な脅威であった。

 だが何より問題なのは、食人花のモンスターだ。

 弱点や習性等が判明してはいるが、中層上位レベルの耐久性を持つこのモンスターが一体二体ならともかく、この数では、疲弊した【ヘルメス・ファミリア】では対処は難しい。現状では合流したレフィーヤとフィルヴィスの二人しかまともに相手にできない状況であった。

 混沌渦巻く戦場を、シロがレフィーヤたちと合流しようと急ぐなか、しかし、唐突にシロは顔色を変えた。

 

「っ!? しま―――」

 

 無意識の内にブレーキを掛けようとした脚を無理矢理動かし、逆に速度を上げたシロは、ただ真っ直ぐにレフィーヤ等の下へと駆ける。

 シロの背中を押したもの。

 それは味方の声援でもなければ、危機でもなく。

 ただの―――。

 

「【ヒュゼレイド・ファラーリカ】!!」

 

 味方からの攻撃であった。

 

「ッッ!!? あの馬鹿がっ!?」

 

 全方位からの敵からの攻撃。

 それに対抗するための最大火力を持つ魔導師による全方位への砲撃魔法。

 それは良い―――確かにこの場合における対応としては間違ってはいない。

 しかしそれは、その攻撃範囲の中に味方がいないことを前提としなければいけない。

 

「ちぃッ!」

 

 全周囲敵の中を単騎突破。

 それに加え頭上からは味方からの無差別爆撃。

 最悪なのは、白ローブの集団は兎も角、モンスターはレフィーヤの攻撃に逃げ惑うことなく構わず攻撃を仕掛けてくる所だ。

 食人花の襲撃に加え、レフィーヤの援護(無差別爆撃)

 最早避けようのないそんな中を、シロはわき目も振らずただひたすらに駆ける。

 

「―――おおおおおおおおおおおぉぉぉぉおお!!?」

「……へ?」

 

 悲鳴にも聞こえる声と共に、シロは爆撃の衝撃に巻き上がる砂ぼこりの中から飛び出した。

 そして何とか(味方からの)危機から脱出したシロの目に最初に飛び込んだのは、全力砲撃を行い息を切らすレフィーヤの姿。

 間の抜けたぽかんと口を開けた姿に苛つきながらも、シロはちょっとしたパニックを起こしているレフィーヤをおいて同じく目を開いて固まっている【ヘルメス・ファミリア】の下へと向かった。

 

「あな、たは」

「自己紹介する暇はない。応援に来た一人だ。大まかで良い、これまでの経緯と今後の指示を出せ」

「っ―――はい」

 

 レフィーヤの砲撃魔法に驚愕する中、その火中から飛び出した命の恩人の姿に更に混乱していたアスフィであったが、シロの言葉に拳で自身の頭を叩き無理矢理思考の再起動をかけた。

 そしてシロの言葉通り、大まかにこれまでの経緯と状況を伝えると、最後に伺うようにこれからの指示を口に出した。

 

「それで、これからですが……」

 

 そう言ってアスフィは後ろを向いて自身の仲間の状況を確認した。

 サポーターも含め、全員が疲労困憊状態。武器はまだ何とか予備はあるが、回復薬などはもう底をついているものもある。

 だが、何より―――。

 

「―――持つか?」

「まだ何とか。しかし、このままでは危険です」

 

 シロの言葉に、唇を噛みながらサポーターの少女の横で横になっている男の姿を見つめるアスフィ。

 キークスと共に何とか【ヘルメス・ファミリア】の下まで辿り着き、出来るだけの処置はしたが、それでも傷は深く、意識は戻っていない。

 撤退も儘ならない現状がこのまま続けば、何とか死の淵で堪えているキークスに限界が来るのは予想するのに容易い。

 

「問題は奴か」

「はい。あの男さえ何とかすれば、ここから脱出することは可能です、が―――」

 

 それが容易いことではないことを、相対したアスフィ自身が良くわかっていた。しかし、それでもそうしなければ先はなく、そして、先ほどまでその男を相手にしていたシロならばとの期待もあった。

 

「いや、それだけわかれば十分だ」

「っ、どうするつもりですか?」

 

 躊躇いながらも提案した言葉に簡単に応えたシロ。涼しい顔をしているが、あの白ずくめの男の厄介さは分かっている筈でのこの安請け合いにアスフィが戸惑っていると、シロは気にする様子を見せることなく背を向けレフィーヤの方へと歩き出した。

 

「似たような相手を知っている。対処方法も幾つかある。さっさと終わらせるだけだ」

 

 

 

 

 

「レフィーヤっ!」

「ひゃいっ?!」

 

 全体砲撃により周囲の敵を一掃し、一時的に余裕が生まれた中でありながら、何かに怯える様子を見せていたレフィーヤは、背後からかけられた声に飛び上がって驚いて見せた。

 

「あ、あのシロさ―――」

 

 慌てて後ろを振り返り、その相手を怯えた様子で見上げるレフィーヤに、シロは吐き出しそうになった溜め息を飲み込むと、段々と頭を下げはじめていく頭を軽く叩いた。

 

「……気にするなとは言い難いが、今は気にするな。あの状況であれは間違いとは言いきれまい。まあ、今度はもう少し周囲に目を配れ。あと、これからだが、」

 

 それだけ口にしてそのままレフィーヤの横を通りすぎる際にこれからの指示を出し、最後に確認をとるようにその隣で様子を伺っていたフィルヴィスに視線を向けた。

 

「お前はフィルヴィス・シャリアと共に【ヘルメス・ファミリア】の援護に集中しろ。あの男は私とベートが相手をする。問題は―――ないな」

「……ふん」

「は、はいっ!」

「……任せたぞ」

 

 鼻を鳴らして応えたフィルヴィスと両手を拳に変え気合いを見せるレフィーヤの対照的な姿に、知らず口許が軽く緩まってしまっていた。直すように口許を双剣を握ったまま擦るシロの背中へ、おずおずとレフィーヤが声を向ける。

 その視線の先には、再度集まり始めたモンスターと、同じく砲撃が落ち着いたのを知り近づいて来る白ローブの集団の姿があった。

 

「あ、え、援護を」

「いらん。【ヘルメス・ファミリア】にだけ気を払っておけ」

「っ……わかりました」

 

 短い拒否の言葉に、自分の力の至らなさを思い落ち込むレフィーヤに、しかし何かを思い直したのか立ち止まったシロが振り返ると―――。

 

「ああ、そうだ―――」

 

 

 

 

 

 

 ベートと白ずくめの男との戦いは一進一退を繰り広げていた。

 速度と手数に上回るベートと、耐久性と一発の力に勝る白ずくめの男との戦いは、互いに決め手に欠けており、その戦況はそう簡単には変わらないように見えた。

 しかし、ベートにレフィーヤ等(味方)がいるように、男にも味方(手駒)があった。

 

食人花(ヴィオラス)ッ!」

「ちぃっ!!?」

 

 呼ぼうにも高レベルの冒険者との高速戦闘では、食人花を参戦させようとしてもタイミングが掴めなかった男ではあったが、一瞬の隙をつき食人花を呼ぶ。

 しかしそれは攻撃の為ではない。

 一瞬の隙―――一撃を入れることさえ出来れば戦況が大きく自分へと傾くことを理解していた男は、ベートの動きを阻害させる位置に食人花を移動させていた。

 ベートの進行方向、その眼前に天井から数体の食人花が落ちてくる。ベートの視界一杯に広がる緑の蛇体。反射的に蹴り飛ばすが、直ぐに失策に気付く。

 食人花の影に隠れベートの背後を取った男が、ギリギリと軋ませる力を持って握り込んだ拳を振り抜こうとしていた。

 

「死ね―――ッ?!」

 

 必殺の思いと共に繰り出された拳は、しかし、背後からの首へと刻まれる一撃を持って止められた。

 首筋へと感じたヒヤリとした寒気を敏感に感じとり、咄嗟に傾けた首の皮一枚を削ぎ落とされながらも背後からの一撃をかわしてのけた男は、気配も感じず接近してきた存在に驚きつつ振り返った先―――回転しながら迫りくる双剣に再度驚愕する。

 しかし、男は体勢を崩しながらも眼前まで迫った双剣を飛び退いてかわしてのけると、襲撃者を睨み付け憤怒の咆哮を上げた。 

 

「っ―――貴様ぁっ!?」

「ベート・ローガっ!! さっさと決めろっ!」

 

 ベートと挟み込むようにして白ずくめの男へと接近する。

 と、同時に食人花を蹴り殺したベートに声を向ける。

 

「ッッ!! 二人がかりなら殺れると思ったかぁッ!! 食人花(ヴィオラス)!!」

 

 シロの言葉に男が一瞬焦るようにベートの方へ意識を向けるが、直ぐに食人花に命令を下した。白ずくめの男の声に含まれていた危機感に応じてか、先程よりも多く十体を越える食人花がベートへと襲いかかった。

 二人の間を分断するように集まった食人花は、一つの塊となってベートへ襲いかかる。

 十数体の食人花。

 白ずくめの男の背後で緑色の蛇体に消えていったベートの姿。

 高レベルの冒険者相手では不足な相手ではあるが、時間稼ぎには十分である。

 先程の強襲。

 必殺の狙いだったろう双剣を使った投擲をかわした今、シロの手には武器はない筈。

 

「貴様なぞ数秒あれば―――?」

 

 屈辱を晴らせる確信に勢いずく男の目に―――困惑が浮かぶ。

 男の纏う雰囲気に躊躇いが浮かぶのに目を細めたシロは、皮肉げな笑みを向けた。

 

「ふ―――そう言いながら合流はさせないと」

「ッッ!!」

 

 厄介な男だと認識していたが、それも武器あってのこと。双剣を投げつけた今、無手の貴様程度と勢いづいた男であったが、何故かシロの腰にある双剣の姿に逡巡が生まれたが、それもシロの言葉で瞬時に消えた。

 一気に激昂し襲いかかってくる白ずくめの男に、既に目的を遂げていた(・・・・・・・・・)シロは腰に差していた双剣に手をやることなく素手をもって男に相対した。

 

「―――それは、こちらの台詞だな」

「なっ? ゴっ?!」

 

 あれだけの剣捌きをみせながら腰に差した剣を抜かず素手のまま構えたシロの姿に、思わず男が何を企んでいるのかと勢いを緩めてしまい―――結果、知らず繰り出した最初の拳の勢いがなくなっていた。

 男の拳打の嵐を凌ぎきったシロにとって、それに合わせるのは造作もないものであった。

 ぶつかるように男の懐に入り、その無防備な鳩尾に拳を叩き込む。

 撃ち抜く―――ではなく落としこむようにして打ち込まれた独特の衝撃は、男の体の内側に深刻な損傷を与えた。内蔵を破裂させられるという衝撃に、男の足がふらつきながら後ろにたたらを踏んで下がる。

 その目には痛みや驚きよりも強く困惑が浮かんでいた。

 剣―――拳―――魔法―――爆薬―――牙や爪―――その他にも様々な手段による攻撃を受けた経験を持つ中、初めて受けた衝撃と痛み。

 男の思考が痛みと困惑に乱れる。

 だが、男の戦士としての本能が無理矢理それを押しとどめた。

 喉元までせり上がった血塊を飲み込み、くず折れそうになる足を叱咤すると、シロに向かって吠えた。

 

「? ?? ぐ、っ、まだだぁ―――」

「いや、終わりだ」

 

 震える足に力を込め飛び出そうとする男に、シロの言葉が待ったをかけた。

 そして、その声に応じるようにベートがモンスターの絶叫と共に飛び出してきた。

 

「くそったれがぁああああ!!!」

 

 魔石を砕かれ大量の灰となったモンスターの残骸の中から飛び出してきたベートが、誰に対するものかは分からない罵声をあげながら、その手に持った双剣(・・・・・・・・・)を白ずくめの男へと降り下ろした。

 

「そのてい―――」 

 

 咄嗟に飛び退こうとするも、男の足は急な進行方向の変更に従える程に回復していなかった。

 舌打ちしながらも、男は直ぐにベートが降り下ろす双剣に対抗するために片手を盾のように掲げた。

 ベートの双剣による攻撃で肉は切られるが骨までは断ち切れないと判断していた男の意識は、既にシロへと向けられていた。

 ―――確かに男の判断は間違ってはいない。

 例えオラリオの最高級の武器でさえ、男の肉体を切断することは容易ではないだろう。

 武器と技量。

 その二つをもってしてやっと男の異様の肉を断ち、骨を砕く事ができる。

 そして先ほどまでベートの相手をしていた男は、【凶狼(ヴァルナガンド)】が技量の重きをおいているのが無手での戦闘で、剣の技量はそこまでではないとの確信があった。

 いや、確信までには至ってはいなかったが、男のこれまでの経験から本能的に判断したものであった。

 瞬きもない間での判断。

 反射的な行動であったが、男にとってそれは熟考を重ねた結論にも等しいものであった―――筈だった。

 

「―――ギ、が、ぁあああ?!!!」

 

 再度男の口から驚愕と痛みによる悲鳴が上がる。

 盾として構えていた男の腕が切り飛ばされ、モンスターの灰が渦巻く中空の中に消えていく。

 現実と己の認識に大きなずれが生まれた事からの衝撃は、百戦錬磨の男をもってしても埋めがたく、ただ困惑と痛みによる絶叫しかあげることしか出来なかった。

 男の絶叫が響く中、シロは今だ油断なく男へと警戒を向けながら男の中に浮かんでいるだろう疑問に内心で応える。

 

(確かに貴様の肉体は下手な盾よりも余程頑丈だ。しかし、それはただ頑丈なだけ。ならば答えは簡単な話だ)

 

「―――それを超える武器を用意すれば良い」

「っおおオラあああああ!!」

 

 小さく結論を口に出すと同時、限界までの強化(・・・・・・・)と全力の降り下ろしにより剣身が砕けるも、見事腕を切り飛ばしたベートがそのままの勢いでもって全力の蹴撃を白ずくめの男の身体に打ち込んだ。

 

「―――ッ!!!」

 

 

 

 

 

「上出来だ」

「うるせぇ! それよりもてめぇ俺の剣に何しやがった!?」

「何の話だ?」

 

 吹き飛ばされた白ずくめの男が、魔石を砕かれ山となった灰の固まりに突っ込んだことで周囲一帯が濃霧に満たされたかのような状態の中、ベートがシロへ砕けて柄だけになった双剣の残骸を投げ捨てながら詰め寄っていく。

 もうもうと舞い上がる灰の一点に注視したままのシロの前まで来たベートは、掴み掛からんばかりの勢いでもって顔を寄せていた。

 

「しらばっくれてんじゃねぇっ。気付かないとでも思ってんのかぁ!?」

「……気にするな。少しばかり手を加えただけだ」

「少しだぁ? アレが―――」

 

 脅しにも似た詰問に何でもないことのように答えたシロに、ベートは不快げに眉間に刻まれた皺を深くする。

 予備武器としてだが、何度も使用したことがあるからこそわかる。

 双剣(アレ)は自分が用意したモノだが、別物であると。

 姿形だけでなく、重さも剣の重心、握り心地まで同じだが、最も重要な部分が違った。

 ―――切れ味。

 その一点だけが、自分の知るそれとの違い。

 研いだとか研いでいないとかのレベルではなかった。

 完全な別物。

 元々最上位には届かないまでも、一級の冒険者が振るうものとして問題のなかったレベルの剣であったが、先程使用した剣の切れ味は、オラリオの最上位―――いや、それすらも越えていたかもしれない。

 先程使った剣が、自分の知らないものだったら特に気にはしなかっただろうがたった一つを除き、全てが自分の知るものであった。

 それぞれの武器が持つ癖すら一切変えることなく、ただ切れ味のみを強化する―――そんな真似が少し手を加えただけ?

 何もかも不明な男が見せた僅かな姿に、思わずベートがその先へと進もうとしたが、それは灰を払いながらレフィーヤを伴って現れたフィルヴィスによって遮られた。

 

「やったのか?」

「いや、難しいだろうな。かなり削っただろうが、致命傷までには至ってはいない筈だ」

「ちっ」

 

 フィルヴィスに目をやった後、その後ろに続く【ヘルメス・ファミリア】の姿を確認すると、再度前へ顔を向けて問いかけに答えた。

 シロの答えに、直接攻撃を加えたベートも反論することなく舌打ちをもって同意を示した。

 そして、それを肯定するように、薄まり始めた灰による濃霧が薄れ始める中浮かび上がる影が応える。

 

「……ああ、確かに惜しかった。だが、残念だったな。この『彼女』に愛された体が、この程度で朽ちる筈がない!」

「やはり、か」

「は―――上等だ」

 

 誇らしげに響く男の声に、シロは驚きのない声で頷く。

 ベートも同じく予想していたのか、好戦的に顔を歪ませると、舌舐めずりするように指の関節を鳴らしながら構えをとった。

 遠目ではあるが、腕を切り飛ばされた上にあの【凶狼(ヴァルナガンド)】の一撃を受けたのを目撃したレフィーヤたちは、それでも立ち上がって見せた敵に対し恐れを滲ませながらも同じく各々が持つ武器を構え始めた。

 そんな中、舞い上がった灰が全て地面に落ち、明らかになったそこに、白ずくめの男は確かに立っていた。

 盾代わりにした左腕は肘より少し上の辺りで確かに断ち切られているが、それでも男は二本の足でもってしっかりと立っていた。

 しかし、やはり受けたダメージは大きかったのだろう。

 最後にベートの蹴撃を受けた胸部は大きく裂けており、顔面を覆っていた獣の頭蓋状の鎧兜は砕けていた。

 始めて露になった男の顔に、その場にいる全員の視線が集まるなか、最も強く反応したのは二人。

 

「な―――まさか、そんな……」

「馬鹿、な―――」

「え? ふぃ、フィルヴィス、さん?」

 

 顔面を蒼白にし、いる筈のない者を見るような顔をしている。

 まるで死人を目撃したかのよう。

 いや、様ではない。

 確かにそうなのだ。

 

「何故、だ……何故ッ! どうして貴様がッ!!? 貴様が生きてそこにいるッ!!!」

 

 アスフィとフィルヴィスは男の顔を知っていた。

 だがそれは有り得ない。

 何故ならその男は遠の昔に既に死んでいる筈であった。

 推定レベル3―――【白髪鬼(ヴェンデッタ)】の二つ名を付けられた賞金首。

 悪名高き闇派閥の使徒であり―――フィルヴィスの【ファミリア(仲間)】を奪った『27階層の悪夢』の首謀者。

 

「【白髪鬼(オリヴァス・アクト)】ッ!!?」

 

 胸を引き裂くような怒りと悲しみが混ざった悲鳴染みた声に、ちらりと視線だけを向けた白ずくめの男―――オリヴァスはゆっくりと口許を笑みの形にすると、欠けた腕に対する痛みを見せることなく。それどころか、何処か恍惚な表情を浮かべながら両手を広げると、誇らしげに胸を張った。

 

「―――いや、確かに死んだ。死んで、そして蘇ったのだ」

 

 誇らしげに胸を張るそこには、ベートの一撃により刻り抉られた傷跡が。

 しかし、それはシロたちが見つめるなか瞬く間に塞がっていく。

 そしてそこに、アスフィたちを更に驚愕せしめる有り得ないモノの姿があった。

 

「「「―――ッッッ!!??」」」

 

 魔法による治癒―――それを越える自己治癒能力に加え、それ以上のモノを目にし、ここに至って現れた衝撃の事実の連続に身動きが取れないアスフィたちに対し、オリヴァスの神の名を告げる神官の如き厳かな声が届く。

 

「そう―――他ならない『彼女』の手によって!!」

 

 うっすらと蒸気のように魔力の残光を纏いながら、そう歓喜に満ちた声で告げるオリヴァスの治癒が進む抉れた胸―――アスフィ等が声を上げることも出来ず見つめるそこには、極彩色に輝く魔石の姿があった。 

 

 

 

 

 

 

 

 




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第八話 合流

「っ、ぁーーー」

 

 祝福を受ける敬虔な信者のような恍惚とした笑みと、狂信者の如き哄笑を上げる死んだ筈の男―――オリヴァス・アクト(白髪鬼)を前にし、レフィーヤは死んだ筈のモノがいるという恐怖ではなく、言い様のない不快感を強く感じていた。

 それは男が誇らしげに見せつけるように張った胸に埋め込まれた極彩色の魔石。それに加え、改めて男を見た時に気付いた破れた服に隠されていた下半身が人のものではないということ。

 人ともモンスターとも違う―――異形。

 有り得ざるモノがあるという現実に、思考と視界の両方が歪み出す。

 どんな醜いモンスターにさえ感じなかった不快感を、レフィーヤは男に感じていた。

 それは彼女が自然を愛するエルフ故か、それとも人一倍感受性が強いからなのかは分からないが、しかし、その大小はあれど、その不快感はその場にいる全てのものが感じていたものであった。

 あの傍若無人なベートでさえも、吐き気を我慢するかのような不快げな顔をしている。

 オリヴァス・アクトの哄笑が響くだけの奇妙な時間が過ぎる中、最初に声を上げたのは、この場で唯一何時もと変わらない泰然自若な様子であったシロであった。

 

「―――それで、結局のところ貴様は何だ? 人か? モンスターか? それとも違う何かなのか?」

「人と、モンスターの力―――その両方を兼ね備えた至上の存在だっ!!」

 

 シロの疑問にオリヴァスは、誇るように今も目に見える速度で傷が癒えていく姿を見せつける。

 

「神々にすがって恩恵()を得なければ戦えない貴様等とは違うのだよっ!!」

 

 人の力とモンスターの力。

 人の知性とモンスターの暴力を合わせ持つこの男は、確かに脅威である。

 高レベルの冒険者と渡り合う技量に加え、致命傷ですらも瞬時に回復させる耐久性。それ以外にも、他のモンスターを利用する知能などを考えても、厄介という言葉だけでは足りない。

 人ともモンスターとも違う新たな脅威。

 言うなれば怪人(クリーチャー)だろうか。

 男の言葉から、各自の頭のなかで様々な考えが過る中、シロの淡々とした質問が続く。

 

「『オリヴァス・アクト』だったか―――確か噂で聞いたことがある。『27階層の悪夢』の首謀者だと聞いていたが……つまりお前たち闇派閥(イヴィルス)の残党と言うことか?」

「はっ! 私をあんな過去の残り滓と同じにするなっ! 私は神に踊らされる人形などではないッ!!」

 

 男の琴線に触れたのか、オリヴァスはその黄緑の虹彩を帯びた瞳を見開きながら否定する。

 その視線の先には、モンスターに食い千切られ、自爆し燃え残り身体の一部しか残っていない残骸となった白ローブの集団だったものが広がっていた。

 それを見下すように見る男からは、一切の憐憫の情どころか嘲りの感情しか読み取れない。

 到底仲間に向けるようなものではない様子から、あくまでも協力関係でしかないことを推察するのは何ら難しいものではなかった。

 

「神に踊らされる人形か……それで、そんな相手と組んでまで貴様はここで何をやっていた?」

 

 『彼女』とやらにいたく執心するオリヴァスに含んだような目線を向けた後、シロが男の背後にそびえる赤い大主柱とそれに巻き付いた巨大花。そしてその真下で不気味な輝きを放つ胎児の宝玉を見た。

 

「ここは苗花(プラント)だ」

苗花(プラント)?」

 

 シロの問いに、オリヴァスは何の躊躇いも見せず素直に返答を返した。

 男が口にした答えをアスフィが確かめるように口にし周囲を見回すと、同じくレフィーヤたちも周りを確認するように見回した。

 

「そう苗花(プラント)だ。食料庫(パントリー)巨大花(モンスター)を寄生させることで、食人花(ヴィオラス)を生産させるためのな。そして『深層』のモンスターをこの浅い階層で増殖させた後、地上へ運び出すための中継点でもある」

「っ、も、モンスターがモンスターを産むなんて……」

 

 自分で口にしたことが恐ろしいとでも言うように、口元を押さえるレフィーヤ。

 モンスターがモンスターを産むことなど、聞いたことなどない。

 確かに、遥か過去、ダンジョンから溢れたモンスターが地上に広がり、魔石を劣化させることを代償に増えたのは知っているが、この男の言うのはそういうことではない。

 ダンジョンからモンスターが生まれる。

 投げた石が地面に落ちるのと同じ、神が認める世界の理と同じくする前提―――それが崩れる。

 男の言葉は、そういうことだ。

 レフィーヤが自身の考えに戦いている間も、シロの男への質問は続いていた。

 

「『深層』のモンスターをここで増やし、それを地上へと運び出す……それで、結局その目的はなんだ? 貴様が言う『彼女』とやらの目的は」

「ふ、は―――ハハハハっ! 滅ぼすのだよっ! この迷宮都市(オラリオ)をっ!!」

「「「―――ッ!!!??」」」

 

 『彼女』という存在に奉仕することが出来る事への幸いに、耐えきれないとばかりに体を大きく揺らしながら笑う白髪鬼(オリヴァス・アクト)の姿。

 それを前に、その場にいる多くの者が愕然となり耳にした言葉を拒否するかのように体を石のごとく固めてしまう。

 そんな中、それが呼び起こす悲劇をその明晰な頭脳ゆえにありありと思い浮かべることができるアスフィの怯えが混じった非難がオリヴァスに向けられる。

 

「っ、自分が何を言っているのか分かっているのですかっ? 迷宮都市(オラリオ)という蓋を無くせば、ダンジョンからモンスターを止めるモノはなくなるっ! そんな事になれば―――人類と怪物(モンスター)との戦乱の世がまたーーー」

 

 先を見通すことが出来る優秀な頭脳とこれまで蓄積してきた知識から、もし男の話が実現してしまった際に引き起こされる事態に、目眩に似た動揺を感じながら、アスフィが非難の声を上げる。

 しかし、そんな弾劾の言葉にも、男の感情に何ら呼び起こすようなモノはなかった。 

 

「それが? それがどうした。そんな些細な事など十分理解している。分かって私は自らの意思をもってこの都市を滅ぼすのだっ! そうっ―――『彼女』の願いのためにっ!!」

「ね、願い?」

 

 迷宮都市(オラリオ)を滅ぼす。

 世界を地獄へと変えるということに等しい事を引き起こすほどの『願い』とは、一体どれ程のものなのか?

 それを思い、アスフィの喉が自然と緊張からごくりと鳴った。

 だが、そんな覚悟をもって待った男に言葉は、意外なものであった。

 

「そうだっ! 聞こえないのかお前たちには? 『彼女』の声が? 『彼女』は言っているっ! 空を見たいと―――ああ、『彼女』は空に焦がれているのだっ!!」

「―――なっ」

 

 アスフィ達が恐れを滲ませながら待った『彼女』という存在の願い―――それはただ「空を見たい」という他愛ないものであった。

 まるで外に遊びにいけない子供が外に遊びに行きたいというような無邪気な他愛のない―――いや、だからこそ恐ろしい。

 迷宮都市(オラリオ)が滅べばどうなるか。

 小さな子供でもある程度分別がつけば想像できるような事を、そんな他愛ない願いで望む存在がいる。

 アスフィの背中に、得体の知れない怖けがはしった。

 得体の知れない『彼女』という存在について、その自分達との考えの差なのか違和感に、言い様のない不安と不快感がアスフィ達の中に漂う中でも、オリヴァスの演説染みた話は続いていた。

 

「ああそうだっ! 『彼女』が空を望むというのならっ! 私は喜んで空を塞ぐ迷宮都市(オラリオ)を滅ぼそうっ!! そう―――『彼女』こそが私の全―――ッ!!??」

 

 感極まってか涙でも流しかねない勢いで話し続けていた男が、唐突に顔色を変えると大きく体勢を崩しながら飛んできた石を避けた。

 空気を切り裂いて飛んだ握り拳大の投石は、崩れるように避けたオリヴァスの顔面の横を通りすぎ、男の白い髪と頬の肉をこ削ぎ落として飛び去っていった。

 

「―――流石に避けるか」

「シロさんっ!?」

 

 突然の凶行にも感じる投石に、オリヴァスだけでなく味方の筈のレフィーヤ達からも驚愕の視線を向けられながら、シロは何ら気にする様子を見せることなく自分の攻撃の結果から得た情報を淡々と確かめていた。

 

「聞くことは聞いた。なら、後はさっさと終わらせよう」

「っ、貴様ぁっ!?」

 

 手についた石の欠片を払いながら、腰に差した双剣に手を掛けながら前出るシロに、オリヴァスの憤怒に満ちた視線が向けられる。

 レフィーヤたちが戸惑い迷うなか、一人状況を把握していたベートが同じくオリヴァスに向け前へ足を出した。

 

「ああ、そうだ御託はもう聞きあきた。どうせ時間稼ぎにべらべらしゃべってやがったのだろうが。いい加減てめぇは死ね」

 

 ベートの言葉にレフィーヤたちの視線が一斉にオリヴァスに向けられる。

 確かに、この状況であんな重要な情報をペラペラと喋るのは不自然であった。

 アスフィですら、男の話す内容に気を取られ過ぎて、オリヴァスの目的までに考えが至っていなかった。

 その事に恥を感じながらも、素早く立ち直したアスフィもシロ達を援護できるよう背後のファミリアたちと目配せをする。

 話は終わり戦いへと変化せんとする中、追い詰められた形のオリヴァスは、未だ回復が出来ず碌に動くことのできない手で頬から溢れ出る血を忌々しげに拭うと、隣に聳える大主柱へと目を向けた。

 

「……流石に見抜かれていたか。ああ、確かにこの身に加護を下さる『彼女』の力は未だ私には過ぎたもの……未だこの体は回復できずに碌に動くことはできん……私はな(・・・)―――」

 

 そう口にし、オリヴァスはその血に濡れた手で大主柱へと触れた。

 瞬間―――

 

「全員散れえぇぇぇええ!!」

 

 ―――シロは叫ぶと(オリヴァス)にではなく(味方)へと向かって走り出した。

 流石に歴戦の冒険者か、シロの切迫した声に誰一人そこに立ち竦むことなく全員が反射的にその場から離れ出す。

 何が起きたのかわからないまま、その場から飛び出したアスフィ達だったが、疑問が頭に浮かぶよりも早くその理由が目の前に現れ驚愕と共に悲鳴を上げた。

 

「ッッ!!!???」」」 

「嘘だろぉおお?!」

 

 大空洞の中、不意に差した影。

 唯一の光源である大主柱の赤光を遮ったのは、それに寄生していた三体の巨大花の内の一体。

 それがゆっくりとーーー否、巨大すぎるため感覚が狂いそうになるが、急激にシロたちへ向かって落ちて(・・・)きた。

 最早オリヴァスなど相手にしている状況ではなかった。レフィーヤたちは自然と迫り来る影を挟むように大きく二手に別れて走り出していた。

 そんな中、シロは【ヘルメス・ファミリア】の元へと向かうと、負傷して動きの鈍くなった者たちを有無を言わせず抱え込みそのまま脱出を図った。

 そして―――

 

「「「―――ッッッ!!!???」」」

 

 上げた悲鳴さえ軽く飲み込む轟音と衝撃が大空洞を揺らした。

 たった一体のモンスターが倒れるというだけの動作ひとつで、大空洞の固い岩盤が抉れ、一つの巨大な峡谷が生まれた。

 何とかモンスターの攻撃をかわしたシロと【ヘルメス・ファミリア】達だったが、攻撃の余波だけで宙を舞い、そのまま出来たばかりの峡谷の中へと落ちてしまっていた。

 各自が地面に叩きつけられ土埃が舞う中、倒れたまま顔を上げた先には、視界に入りきらない程の大きさの巨大な花の姿が。

 

「っ―――あ……」

「蹴散らせ」

 

 スケールの違いに動きが止まった【ヘルメス・ファミリア】へ、オリヴァスの命令が静かに告げられた。

 巨大花はその指示を即座に行動に移す。

 自身の作り上げた峡谷を更に深く削りながら、【ヘルメス・ファミリア】へと襲い行く。

 巨大な壁そのものが迫るかのような光景を前に、

 

「止まるなっ―――こっちだっ!!」

 

 この男が動いた。

 即座に負傷者の身体を掴むと、後ろにではなく、迫るモンスターから向かって右側へと駆け出していた。

 何かの確信を持った動きに、アスフィ達も瞬時にその後ろを追う。

 巨大花が造り上げた峡谷は、ぴったりとそのモンスターの大きさに合っている。例え一番端までたどり着いたとしても、この峡谷()から逃げ出せなければ意味がない。

 そんな彼らの疑問は―――

 

「―――オオぉオオオラああああっ!?」

 

 ―――狼の咆哮と共に解消された。

 シロ達が向かう側の峡谷の上から飛び出した影が、そのモンスターに比べれば余りにも小さすぎる身でありながら、強力無比な蹴撃をもって巨大花の進行を妨げたのだ。

 

「ち―――ぃいッ!!??」

 

 ベートの全開の一撃は、確かにモンスターの突撃の勢いを遅らせその進行方向を変化させ巨大花に悲鳴を上げさせたが、それでも与えられたダメージは皆無に等しかった。

 それを理解し、ベートが忌々しげに舌打ちを放つ。

 大きい―――ただそれだけでそれ(質量)は致命的な武器となる。

 それに対抗するには、ただ単純な強さではなく、異能や魔法等ある種の能力が必要だった。

 代表的なのは魔法だろう。

 砲台とも口にされるように、身動きが取れなくなるが、詠唱による強力な魔法ならば、この巨大花(質量)を相手でも対処することは可能である。

 そしてこの場には、その任に応えられる者がいた。

 だが―――。

 

「―――ちぃっ!」

 

 苛立ちが舌打ちの強さに現れる。

 暴れる巨大花が、その肝心の人物が魔法を発動させるだけの詠唱時間を与えない。

 この場における最大の攻撃力を誇るベートの攻撃さえ大したダメージを与える事が出来ていないのだ。

 一瞬も動きを止めることなく巨大花へ攻撃を仕掛けるベートの頭の中も同時に高速で回転するが、答えがでない。

 そんな中、本人が自覚することのないまま、ベートの視線は時折ある一点に向けられていた。

 目につく度に舌打ちを鳴らしながらも、やはり無視することは出来ない。

 そんな自分自身に苛立ちが募りながらも、時間稼ぎしか出来ていないことを自覚しながらベートはただひたすらに巨大花の相手をするしかなかった。

 

 

 

 

「オリヴァス・アクトッ!!」

 

 成すすべなく逃げるしかないシロ達の姿をオリヴァスが笑いながら眺めていると、その背後に杖を突きつけ猛るフィルヴィスが立っていた。彼女はその秀麗な美貌を憤怒で歪ませ、男に向けた杖の先はその怒りの大きさを表すかのように震えている。

 

「貴様は―――貴様という奴はっ、あれだけの事を引き起こしておきながら、今日までのうのうと生きて―――っ、お前のせいでっ! 仲間は―――っ、私はっ!!?」

 

 激情に崩れた言葉を吐くフィルヴィスの憎しみを向けられるオリヴァスは、少し首を傾げると何かに思い至ったかのように小さく口許に笑みを浮かべた。

 

「ああ、そうか。お前も『27階層の悪夢』の生き残りか」

「ッッ!! よくもぬけぬけと―――」

 

 今にも魔法が発動しかねない杖を向けられながらも、オリヴァスはその顔から愉悦の笑みを崩すことなく、ゆっくりとその身体をフィルヴィスへと向けた。

 荒々しい傷跡が残っていた筈の体は、既に表面的には何の傷跡も見られない。

 僅かに先程シロの投石によって抉られた頬に傷が残っている程度だったが、それも目に見える速度で塞がっていた。

 それを前に、憎々しげな顔に僅かな焦りを浮かべたフィルヴィスが、杖を握る手に力を込めると、オリヴァスは片手をつきだしその行動を抑制するかのようにゆっくりと左右に振った。

 

「いや、いや―――まてまて。確かにあの計画を画策したのは私だが、同時に被害者でもあるのだよ。まあ、一度死に果て『彼女』と出会ったことで神の悪夢から醒めることができたが……ここはどうだ。痛み分けということにしないか」

「ふ―――ふざけるなっ!! お前、お前だけは―――」

 

 全く心にもないことを口にしているのが、端から見ても明らかであった。

 フィルヴィスの怒りが頂点に達し、衝動のまま唱えようとした詠唱が―――。

 

「ほう、それでいいのか? まあ、相手をしてやってもいいが……いいのか? また仲間を見捨てても?」

「―――ッッ!!!!」

 

 オリヴァスの声にそのまま喉奥へと押し込まれた。

 歯を食い縛るフィルヴィスの視線は、巨大花が暴れる戦場の一角に目を向けたオリヴァスの視線の先へと向けられていた。

 そこには一人のエルフが仲間とはぐれたまま、一人で襲いかかってくる食人花を相手にしていた。

 迷宮都市(オラリオ)のトップギルドに所属している冒険者であり、これまで様々な修羅場を潜ってきた経験もある彼女であっても、そのポジションは基本後衛。前後左右息も着かせぬモンスターの襲撃を何時までもかわせるわけはない。

 限界は近い。

 それを、フィルヴィスは分かってしまう。

 

「~~~っあああ!!」

 

 一瞬の瞬巡。

 仲間の(過去)か仲間の危機(現在)か。

 怒り、焦り、悲しみ、憎しみ―――様々な感情が知らず口から吐き出しながら、彼女の足は駆け出していた。

 向かう先には―――オリヴァス・アクト。

 そして―――

 

「ハハハハハハハハっ―――そうだっ! 走れ走れっ! 今度は守れるかもしれないなぁっ! いや無理か? なぁどう思う【死妖精(バンシー)】っ?」

 

 ―――その横を駆け抜けモンスターが暴れる戦場の中へと飛び込んでいった。

 背後からオリヴァス・アクト()の笑い声を浴びせられながら。

 

 

 

 ―――【死妖精(バンシー)】。

 

 ……ああ、そうだ。

 

 そうだとも。

 

 その言葉を―――私は否定することはできない。

 

 事実、私は「汚れ」ている。

 

 人に言われずとも―――自分がそれを一番知っている。

 

 だから別に……つらくはなかった。

 

 同胞(エルフ)から恥さらしと呼ばれ。

 

 訳知り顔の冒険者から【死妖精(バンシー)】と忌み嫌われようと。 

 

 心が痛むことはなかったし、何か心が揺れることさえなかった――――――なのにっ!

 

 『貴女は汚れてなんかいない!!』―――それは本心ではない。

 

 それはわかっている。

 

 衝動的に口にした、何も考えた末に出した言葉じゃない―――それはわかっている。

 

 なのに―――何故か彼女のその言葉に―――あの方に言われた時と同じく救われた自分がいた。

 

 なぜ?

 

 何故だっ!?

 

 なぜ貴女の言葉はこんなにも私の心を揺らすっ!

 

 『フィルヴィスさんは優しいですね』―――違うっ!!

 

 優しいのはお前だっ!!

 

 『貴女は私なんかよりずっと綺麗です』―――そんな筈はないっ!!

 

 綺麗なのは貴女の方だっ!!

 

 私は―――私は『穢れ』ているんだっ!!

 

 『穢れ』ている私なんて―――生きている意味なんて――――――

 

 なら―――ならせめてっ―――せめてお前だけでもっ!!

 

 手を伸ばす。

 

 後ろから迫るモンスターに彼女は気付いていない。

 

 まだ遠い。

 

 一歩一歩走る速度が気が狂いそうになるほど遅く感じる。

 

 後ろからの脅威に気付き振り返った彼女。

 

 逃げられないっ!

 

 足を―――手を伸ばす。

 

 杖を持った手を必死に伸ばし―――背後から彼女(レフィーヤ)へ襲いかかろうとする食人花との間に割り込む。

 

 ―――間にっ――――――あったっ!! 

 

「ウィリディスっ! 集中しろっ! 後ろは私に任せてお前は前だけを見ていろっ!!」

 

「っ―――はい!!」 

 

 食人花の襲撃を防いだフィルヴィスを前に目を見開いて驚きに固まっていたレフィーヤが、彼女のその言葉に笑みと共に応えた。

 それを見たフィルヴィスの口許にも、知らず自然と笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 辛くも巨大花が造り上げた峡谷から脱出したシロと【ヘルメス・ファミリア】一行であったが、逃れた先には壁や天井から生まれ落ちた食人花が無数に待ち受けていた。

 息つく暇もない程の襲撃の連続に、咄嗟に【ヘルメス・ファミリア】は負傷者を中心にして円陣を組むことで何とか凌ぐ。

 しかし、これまでの戦闘により、魔力も武器もそして体力すら彼らは既に至っていた。

 それでも何とか円陣を崩さずにいられるのは、縦横無尽に駆け回り、巧みに【ヘルメス・ファミリア】のフォローを行うシロの動きがあってのものであった。

 絶え間なく襲いかかる食人花の対処に思考と身体を限界まで酷使するアスフィが焼ききれそうな脳をフル回転させる中、いつの間にかその近くに立っていたシロがモンスターの相手をしながらベートが相手をする巨大花に目を向けた。

 

「さて、これからどうするか」

「そんな悠長に言っている場合ですかっ!」

 

 シロの独白めいた呟きに、出口が見えない戦いに苛立っていたアスフィが思わず声を上げてしまう。

 

「一番確実なのはレフィーヤに魔法を撃ってもらうことだが―――」

「っ―――この状況では肝心な時間が稼げませんねっ」

 

 二人は食人花へ対処したり、仲間へ矢継ぎ早に指示しながらも、何とかこの窮地を切り抜けるための相談を行う。

 混沌渦巻き血風舞う戦場の中、それでも周囲と仲間の状況を正確に把握し思考するが、二人が辿り着いた結論は同じ。

 

「食人花だけならば兎も角、あれ(巨大花)がいてはな」

「っっ!! じゃあっ! どうすればいいって言うのさっ!!?」

 

 シロのため息混じりの声に、それを耳にしたルルネの苛立ちと疲労に満ちた悲鳴が上がる。

 怒声混じりの話し合いの中、シロが口を開き飛びかかる食人花の中に見えた魔石を正確に砕きながら呟く。

 

「『魔石』を狙うしかないな」

「そんな事はわかっていますっ! 問題は―――」

「それが何処にあって、そして壊せる場所にあるか、か」

 

 アスフィの言葉に、シロが巨大すぎる巨大花の全身を見て眉根を寄せた。

 

「何か手が?」

「ない、が……それしかないだろう」

「では―――」

 

 溜め息混じりのシロの言葉に、不安気なアスフィの声が被る。

 それを横目で見たシロは、峡谷の反対側でフィルヴィスと合流して奮闘するレフィーヤの姿を確認すると、覚悟を決めるかのように双剣を持つ手を握り直した。

 

「何とかする。まずお前たちはレフィーヤたちと合流しろ」

「何とかって―――わかりました」

 

 この窮地にあっても変わらない声音で、何でもないことのように決死の決意を告げるシロに、思わず引き留めようとする声を無理矢理背中を向ける事で何とか振り切ったアスフィは、円陣の中心でサポーターの少女の足元で、未だ目を覚まさないキークスを見つめると、小さく誰ともなしに呟いた。 

 

「……死なないでくださいね。あなたにまだ何も―――っ!?」

 

 しかしそれは、告げるべき相手どころか自分にすら届くことはなかった。

 思わず呟いたアスフィの願いが言い切られる寸前、食料庫(パントリー)の壁の一角が、轟音と衝撃と共に吹き飛んだからだ。

 内側へ吹き飛んでくる緑肉と瓦礫に混じり、放たれた矢のように飛び込んできた一つの影がそのままの勢いでもって地面に叩きつけられた。

 全く意識していなかった一角で起きた爆音に、食料庫(パントリー)内にいた者達の視線が一斉に向けられる。

 もうもうと立ち込める砂埃の中、壁に空いた穴から姿を見せる者がいた。

 困惑と疑問の声が上がる中、長剣を片手に穴から姿を見せた者の正体にいち早く気付いたレフィーヤが、喜色を帯びた声を上げた。

 

 

   

「―――アイズさんっ!!」

 

 

 




 
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第九話 守ってください

 ……思ったより早く書けましたので。


「―――これは」

 

 戦いの最中、二人の戦いの余波に耐えきれなくなった壁が破壊され、そこに吹き飛ばされたレヴィスを追って出た場所に広がった光景を前に、アイズの困惑した声が上がった。

 目の前に広がるのは、緑肉に包まれた巨大な大空洞。

 その中心には赤色に輝く大主柱とそれに巻き付く巨大なモンスターの姿。

 そして暴れる巨大なモンスターと食人花と戦う―――

 

「アイズさんっ!?」

 

 仲間の姿。

 

「レフィーヤ?」

 

 歓喜に満ちた涙声の呼び声に、アイズは剣を握る手で汗を拭いながら確認の意を込めて再度大空洞の中を見回した。

 

「【ヘルメス・ファミリア】の皆に……え? ベートさんも―――どうしてここに。それにあの人……シロさん?」

 

 分断されはぐれた切りだった【ヘルメス・ファミリア】の姿に安堵するも、その身に漂う余裕のない雰囲気に顔を強張らせるが、誰一人欠けていない全員が揃っているのがわかると、小さく安堵の息が漏れる。

 そして、そこで最後に大空洞の中心―――赤色に輝く大主柱の根本に立つ白ずくめの男に目を向けると。

 男は地面に叩きつけられたレヴィスに何か言い募ると、彼女の反論を無視しながらこちらを目を向け不敵な笑みを浮かべ何か指示するようにその手を掲げた。

 すると、それに呼応して大主柱に巻き付いていた2体の内一体がゆっくりと柱から身体を引き離すと、その()をアイズにゆっくりと向け。

 

「アイズさんっ!!」

 

 その巨体をくねらせ進行方向にある全てを凪ぎ払いながら押し寄せてきた。

 歓声を上げていたレフィーヤの口から今度は悲鳴染みた声が上がり、巨大すぎる質量が自身に迫り来るなか、しかしアイズの心は何処までの落ち着いていた。

 そして、彼女はゆっくりと手に持つ剣を胸元へと引き寄せると、何かに宣言するように小さく呟いた。

 

「―――『行くよ』」

 

 

 

 

「――――――――――――」

 

 その瞬間、ベート達味方だけでなくオリヴァス等敵も言葉を失った。

 たった一振り。

 アイズが放った風の斬撃は、空間ごと断ち切るかのような勢いでもって迫り来るモンスターの身体を横一文字に切断すると、そのまま勢いを殺すことなく遥か遠くにある大空洞の壁面を大きく削り取った。

 切断の勢いでモンスターの巨体の一部が高く空を舞う数秒の凪が過ぎた後、風により削れた大空洞が崩れ落ちる音と共に肉塊となった巨大花の成れの果てが地面に落ちた轟音が響き渡る。

 

『―――――――――――――――ァァァアアアッ!!』

 

 最初に声を上げたのは、その場にいる人ではなく大主柱に寄生する宝玉の胎児だった。

 何かに反応するかのように、苦しみからか、それとも何かを求めるかのように宝玉の中でもがいている。

 その頭を叩きつけるかのような叫喚に、停止していた思考が再始動し始めたレフィーヤ達の視線がゆっくりと、しかし同時にアイズに向けられた。

 

 ―――驚愕

 

 ―――恐れ

  

 ―――称賛

 

 驚きと驚愕のみが敵味方の思考を埋め尽くす中、一人のエルフ(レフィーヤ)は崩れ落ちそうになる身体を震えながらも堪え、手に持つ魔導師の証しでもある杖をすがるように握りしめながらアイズを見つめていた。

 その脳裏には―――

 

 あり、えない……

 

 驚愕でも称賛でも、恐れでもなく―――

 

 こんなの―――有り得るはずがないッ!!

 

 否定に近い感情が渦巻いていた。

 彼女は魔導師である。

 それも都市最強の魔導師に師事し、その強さを間近に目に肌に感じている一人であった。

 だからこそわかる。

 彼女(アイズ)の力は有り得ない、と。

 アイズの魔法については知っていた。

 超短文詠唱による付与魔法(エンチャント)

 斬撃に風を纏わせる―――ただそれだけのもの。

 確かにその応用は幅広く使い勝手は良いだろう。

 だけど、それだけの筈なのだ。

 それなのに―――

 

 ―――こんな威力―――有り得るはずが―――ッッ!?

 

 都市最強の魔導師に師事し、先天的な魔法種族であり、そして都市最強の【ファミリア】の一角に所属しているからこそ理解し、当たり前であった常識が通じない。

 明らかに自分の知るそれ(魔法)の理から外れた力を目にし、レフィーヤは一人声なき絶叫を上げた。

 

 アイズさん―――あなたの『(エアリエル)』は異常ですっ―――

 

 

 

 

 

 アイズの超常の力を目の当たりにし騒然となる中、皆と同じように驚きに動きを止めていたシロだったが、誰よりも早く我に返ると、直ぐに切り飛ばされた巨大花の花頭へと駆け寄っていった。

 その姿を目にしたアスフィも、直ぐ様その意図に気付き我に返ると、近くにいたルルネに声を掛け共にシロの後を追った。

 先に巨大花の花頭に辿り着いたシロが、その巨大な洞窟にも似た口内に足を掛け中を確認していると、追い付いてきたアスフィ達も背後からその奥へと視線を向けた。

 

「どうですか?」

「―――ああ、大きさが違うだけで、食人花と構造は似ているようだな」

「って、ことは―――」

 

 シロの言葉にルルネが身体を乗り上げ、巨大花の口内の更に奥へと身を踊らせると、その目が目的のモノを見付けた。

 

「ははっ―――やっぱりありやがった!」

 

 自然と浮かび上がる笑みと共に拳を握りしめると、直ぐに背後の仲間達へと向けてルルネが叫んだ。

 

「みんなっ!! 『魔石』があるのは頭の方だっ!!」

 

 その声と共に、残った最後の巨大花が動き出した。

 同時に、周囲に生き残っていた食人花たちが一斉にアスフィ達ではなくアイズ一人へと向かって襲いかかっていく。

 そして、動き出した巨大花はアイズではなくアスフィ等【ヘルメス・ファミリア】とレフィーヤ達へ向けてその花頭を向けてきた。

 アイズの力を前に、せめてもの道連れにとの狙いだろう事は想像に容易かった。

 再度迫り来る絶望を前に、しかしアスフィ達の目に焦燥はなかった。

 既に道筋は見えている。

 ならば、後はそこに何とかたどり着けば良いだけ。

 

「っ、『魔石』の場所がわかっても、詠唱する時間が―――」

 

 迫る巨体から感じる圧迫感と地面が削れ飛んでくる瓦礫を凌ぎながら、レフィーヤが苦悩の声を上げる中、巨大花へ向けて足を向けたのはフィルヴィスだった。

 

「私がやる―――狼人(ウェアウルフ)穴を開けろっ!!」

「っうるせぇ! 指図すんなぁっ!」

 

 杖を握りしめながら指示をして駆け出すフィルヴィスは、悪態をつきつつも先行して巨大花の身体を駆け上がるベートを見ながら詠唱を開始する。

 

「―――【一掃せよ破邪の聖杖】」

「オラァ!!」

 

 そしてフィルヴィスが詠唱を終え、狙撃する位置につくと同時、まるで息の合った相棒のようなタイミングでベートの蹴りが巨大花の花頭の一角を砕いた。その衝撃と痛みに、巨大花が身を反らせ悲鳴を上げる。

 だが、上級冒険者であるベートの力をもってしても、巨大花に与えた損傷()は決して大きいとは言えなかった。その巨体故に、ベートの開けた傷跡()は更に小さく感じられ、地上から狙いをつけるフィルヴィスの目には余りにも不安であった―――が。

 多大な集中力が必要となる詠唱と回避を同時に行う並行詠唱を行いながら、それでもフィルヴィスの目は確実に巨大花の傷跡()を捕らえた。

 

「【ディオ・テュルソス】!!」

 

 カッと目を見開いたフィルヴィスは、迷うことなく魔法を放ち―――エルフの聖なる雷は、ベートが開けた穴を正確に貫くと、その奥に隠されていた『魔石』を確かに打ち砕いた。

 

 

 

 

 

「ば―――馬鹿な……あ、ありえん―――こんなこと有り得る筈が…………」

 

 目の前で巨大花の魔石を砕かれ、今まさに灰となって崩れ行くモンスター(最後の防壁)の成れの果てを浴びながら、オリヴァスは愕然と膝をついていると、背後から灰となって辺りに漂う巨大花の残骸を貫いて降り立つ音が聞こえた。

 

「っ、ぐぅ」

 

 予感と共に苦悶染みた唸り声を上げながら後ろを振り返ると、そこには想像通り数十はいただろう食人花を殲滅し終えたアイズが立っていた。

 

「あれだけいても、時間稼ぎにもならないとは……有り得るかっ―――あってたまるかこんなことが―――っ!?」

「―――どうやら食人花も尽きたようですね」

 

 静かなアスフィの声に、後ろへと向けていた顔を慌てて前へ戻したオリヴァスの前には、【ヘルメス・ファミリア】と共にシロたちの姿もあった。

 

「これで―――終わりです」

 

 断罪の刃を振り下ろすかのように言いきられるアスフィの宣言。

 それを否定する声が、オリヴァスの口からは出ることはなかった。

 ただ焦りと絶望に、オリヴァスの青白い顔が更に紙のように白く染まり、ねばついた汗が吹き出すだけ。

 体と瞳を震わせながら、すがるように周囲を見渡そうとする男の前に、女の背中が現れた。

 

「……レヴィス―――!」

 

 呆けたように開かれた唇から、女の名前が呟かれた。

 その名に背中を押されたかのように、オリヴァスは勢いよく立ち上がると、恐怖、怒り、焦り、絶望―――様々な感情が入り交じり歪んだ表情を浮かべた顔で周囲を睨み付けた。

 

「そう―――そうだともっ! 私が―――我々が負ける筈がないっ! 『彼女』に選ばれ種を超越した我々が―――」

 

 発狂したかのように明らかに常軌を逸した声で笑う男を背にしながら、女は何も言わず牽制するかのようにアイズ達を睨み付けている。

 オリヴァスはその姿に益々勢いづくと、ゆっくりと足を前に出しレヴィスの横へと立った。

 

「ハハハハハッ!! いいぞっレヴィスっ! 時間を稼げっ! 回復した私と貴様の二人がかりならば、このような奴らどうにでも―――」

「茶番だな」

「―――は?」

 

 唐突に振り替えったレヴィスの目に見えた残酷なまでの無関心の意に、オリヴァスの口から乾いた息にも似た疑問の声が上がった瞬間。

 

「―――ぁ?」

 

 レヴィスの腕がオリヴァスの胸を貫いていた。

 

「「「―――っ!!??」」」

 

 敵の同士討ちという突然の凶行を前に、アスフィ達の間に動揺が走る。

 追い詰められ、味方が一人でも必要な筈のこの状況の中で起きた不可解にすぎる暴挙に、誰しも思考と動きが止まる中、オリヴァスの胸を貫いたレヴィスがただ一人冷徹な眼差しでただただ驚愕にうち震えるモノを見ていた。

 

「な……なぜ、何を……」

「より力が必要になった。それだけだ」

 

 最早振り払う力もないのか、自分の胸を貫いた女の細腕に寄りかかるように掴み、恐怖に震える瞳で見上げてくるオリヴァスにレヴィスは淡々と告げる。

 

「あの女だけでも厄介だというのに、あの男までいるとは……食人花どもではいくら喰っても大した血肉にならん。だから―――」

 

 レヴィスの視線が、【ヘルメス・ファミリア】の傍に立つシロへと向けられると、その目が忌々しげに厳しく固められる。その感情の動きに応じ、レヴィスの手が掴んだモノを握る手が震えた。

 それを感じ、更にオリヴァスの口から逼迫した声が上がる。

 

「ま、まて―――よせっ。私はお前と同じ―――ただ一人『彼女』に選ばれた同ほ―――」

「馬鹿が―――」

「―――――――――ッッ!!??」

 

 ずるり、とレヴィスの腕がゆっくりと、しかし確実にオリヴァスの体から引き抜かれ始めた。

 ぶちぶちと肉が千切れる音ともに、身体から最も重要なモノが抜け落ちる感覚。

 上げようとした最後の懇願さえ消え失せてしまう程の喪失感に、最早悲鳴すら上げられない。

 魚のようにパクパクと口を開いては閉じるを繰り返すだけのオリヴァスを苛立たしげに睨み付けながら、レヴィスは吐き捨てるかのように言い放つ。

 

「『選ばれた』? お前にはアレがそんな崇高なモノに見えていたのか? お前も私もアレにとってはただの触手に過ぎん。それに―――」

 

 そしてとうとうオリヴァスから引き抜かれたレヴィスの手には―――

 

「アレは私が守ってきた。今も―――そしてこれからも」

 

 ―――極彩色に染まった『魔石』の姿があった。

 そして、

 

「「「――――――ッ!!??」」」

 

 女はそれを何の躊躇いもなく己の口へと放り込むと噛み砕いた。

 

「ッ―――いかんっ!?」

 

 シロが何かに気付いた時には、既にもう手遅れであった。

 警告の声の内容にアイズ達が思い至る前に、赤髪の女(レヴィス)は行動を終えていた。

 動きが見えていた訳ではなく、ただの勘と反射で防御を取った剣に衝撃が走る。咄嗟の防御ゆえの甘さと、それ以上の力の強さゆえに、アイズはその場に留まることも出来ずレヴィスと共に後方へ吹き飛ばされていく。

 

「ッッ!!? 貴方はっ!?」

「―――これでもまだ喋る余裕があるか……やはりまだ足りんな」

 

 アイズの剣を素手で握りしめながら、レヴィスが淡々とした様子で比我の強さを確認する。

 だが、それでも十分と判断したのか、アイズを蹴り飛ばして距離を取ると、レヴィスは地面に拳を突き立て天然武器(ネイチャーウェポン)を取り出し。そのままの勢いでもってアイズに斬りかかった。

 

「アイズっ!? クソがぁっ」

「アイズさんっ!!」

「くっそ! 魔石食って強くなるって―――強化種かよっ!?」

「っ―――待ちなさいルルネっ! 消耗の激しい私たちでは足手まといにしかなりません―――それよりもっ」

 

 あのアイズが圧倒されている。

 その姿を目にし、赤髪の女の危険性を本能的に理解したベートやレフィーヤ、そしてシロもアイズを援護するために駆け出した。二転三転する状況の中、【ヘルメス・ファミリア】も反射的に応援に駆け付けようとするも、それを団長であるアスフィが声を上げて押し止める。

 その視線の先には、高速で移動しながら戦闘するアイズ達ではなく。

 大主柱の根本―――胎児が宿った宝玉の姿があった。

 

「あれの回収を急いでっ! まず間違いなくあの宝玉が今回の事件の中心ですっ! 私たちはまずそれを―――」

 

 そう指示しながらも、自ら宝玉の元へ走り出していたアスフィだったが、その足は遅々と進まず。レベル4とは思えないほどに遅い。

 

(っ―――予想以上に消耗が激しい。やはり血を流しすぎましたか……)

 

 アスフィが内心で毒づきながらも宝玉の元まで辿り着いた時、彼女の上に人影が舞った。

 突然現れた気配に思わず足を緩めると、顔面に向かって何者かの足が迫ってくる。

 

「―――」

「っ!?」

 

 上空からの突然の襲撃に、しかしアスフィは両手を差し出して防御する。

 何とか襲撃者の攻撃を防ぐことはできたが、踏み留まる事も出来ず後ろに蹴り飛ばされてしまう。

 そのまま地面を転がるアスフィを、後から追いかけていたルルネが慌てて抱き起こす。

 苦しげに呻き声を上げるが、目に見える負傷がないのを確認すると、ルルネは顔を上げ襲撃者の正体を少しでも探ろうとする、が。その肝心の相手は全身に紫の外套を纏っており、顔には不気味な紋様が刻まれた仮面が、ローブの先から覗く手にも手袋がはめて、性別どころか肌の色さえ判然としなかった。

 

「アスフィっ!? くそっ! まさかまだ仲間が―――」

「早く『エニュオ』に持っていけ!! 完全に育ってはいないが十分の筈だっ!!」

『ワカッタ』

 

 ルルネの疑問に応えるように、突然現れた襲撃者に気付いたレヴィスが声を上げた。

 襲撃者の手には、何時の間にか件の宝玉の姿があった。

 レヴィスの声に言葉少なく頷く襲撃者。

 その声もまた、何人もの人が同時に話したかのような不気味な声で、そこから何かしらわかることはなかった。

 

「―――ルルネっ」

「ああっ! もう―――」

 

 ルルネに抱き起こされていたアスフィが、焦燥と共に名を呼ぶ。

 その言葉に秘められた意味を正確に汲み取ったルルネが、アスフィをおいて紫の外套を被る相手へと向かって全力で向かう。

 同じく【ヘルメス・ファミリア】の中で動けるもの達が、襲撃者を囲むように動き始めようとする。

 しかし―――

 

巨大花(ヴィスクム)!」

 

 それが形となる前よりも早く、レヴィスが命令を下すのが早かった。

 

「産み続けろっ!! 枯れ果てるまで絞り尽くせぇっ!!」

 

 その(命令)の意味に気付いた時には、もう手遅れであった。

 (命令)の後、直ぐに天井から一匹の食人花が落ちてきた。 

 それは一目で未成体と分かる程の小ささの食人花であった。

 その姿に疑問が浮かぶ前に、何が起きた―――否、何が始まるのかを理解した。

 

「「「―――――――――っっっ!!!???」」」

 

 悲鳴、怒声、戸惑いーーー様々な感情が篭った声が上がるが、それが誰かの耳に届くことはなかった。

 何故ならば、天井()から落ちてくる(降ってくる)文字通り雨のごとき量の食人花が地面を叩く音に飲み込まれたからだ。

 どれだけ鳴り続けた(降り続けた)のか、少なくとも上り詰めた驚愕が落ち着くまでの時間続いた食人花(絶望)の雨が終わると、誰かの切実な思いが篭った声が周囲に響いた。

 

「……うそだろ」

 

 絶望が、そこには広がっていた。

 大空洞。

 端が霞んで見える程の大きさの食糧庫に生えていた何百? いや何千かもしれない全ての食人花が―――目の前で牙を剥いていた。

 

「ッッッ!!! ―――くるぞぉおおおおおおっ!!?」

「無理だっ! ムリムリムリ―――む、!?!」

「離れるなぁああ!!!」

 

 壁―――いや、緑の津波となって襲いかかる食人花の塊を前に、否定の声を上げながらも、仲間と一塊となって襲撃を潜り抜けようとする。

 悲鳴を上げながら、それでも何とか第一波をやり過ごすも―――その顔に浮かぶのは絶望一色。

 先が見えない。

 絶望(食人花)しかない。

 底が見えない敵の数に加え、先程の一波を越えた事で最後に残った予備武器さえ壊れてしまった者もいる。

 こと―――ここまで来て、打つ手がない。

 それは、誰にでも分かる程に明白な事実であった。

 

 

 

 

 

(っ―――何もっ、できない)

 

 大量のモンスター。

 言葉として出せばたったそれだけ。

 なのに、目の前に広がる絶望は言語に尽くせないほどの酷さだった。

 詠唱の一つも出せず、口からでるのは悲鳴だけ。

 戦うことも出来ず、ただひたすら無様に逃げ回りながら、レフィーヤは恐怖と悔しさ、そして自身への怒りに身を焼かれていた。

 

(私はまた(・・)―――また何もできない(・・・・・・・・)

 

 ―――食人花。

 

 ―――仲間の危機。

 

 ―――無力感。

 

 ―――絶望の中、それでも戦い続けるアイズ(憧憬)の姿。

 

 ―――ただ、守られるだけの自分。

 

 食人花が暴れる轟音の中、フィルヴィスさんの私の名を呼ぶ声が微かに聞こえる。

 この状況に陥りながらも、自分を探してくれることに嬉しく思いながら―――そんな自分が心底嫌になった。

 

(この、まま―――何も出来ずに……)

 

 地面を這いずるようにして、偶然見つけた落石で出来た隙間(避難場所)に体を滑り込ませる。

 獲物に逃げられ激昂するかのように、食人花がレフィーヤが逃げ込んだ先の岩へと激しい攻撃を仕掛けてきた。

 岩が削られる音を危機ながら、ただ体を丸め小さく震えるだけの自分に、ただただ自己嫌悪だけが募っていく。

 体に響く衝撃と音は確実に強くなっている。

 このままでは死は避けられない。

 わかっている。

 わかっているのだ。

 なのに―――。

 ……なのに、口からでるのはただ圧し殺した悲鳴だけで。

 呪文の一つも唱えもしない。

 

 なんで?

 

 わたしは―――なんで―――どうして―――また―――こんな―――

 

 答えのでない。

 

 答えのない。

 

 現実逃避じみた意味のない自問自答がぐるぐると頭を廻るだけ。

 

 ―――守られたいんじゃない  

  

 ―――前へと進みたい

 

 ―――手を伸ばす

 

 ―――立ち上がって見せる

 

 ―――共に戦いたい

 

 そう、願ったんじゃないのか―――っ

 

 なのに……また、こうしてただ頭を抱えて小さくなっているだけ……

 

 私は……やっぱり―――変われないのか……

 

 『並行詠唱』も出来ず、戦うどころか逃げることも覚束ない……

 

 ただ、足手まといにしかならない自分は……やっぱり……もう……

 

 自己否定が募り、それは重りとなって自分の体を縛り付ける。

 最早レフィーヤの耳には怪物が迫る岩を削る音は聞こえず、ただ自分を否定する言葉しか聞こえてこなかった。

 身体と思考を縛り付ける否定の言葉。

 嘲りを含んだ誰ともしれない声が聞こえる。

 

 だれ?

 

 だれの声?

 

 ベートさん?

 

 アイズさん?

 

 フィルヴィスさん?

 

 だれ?

 

 だれ?

 

 だれのこえ?

 

 わたし?

 

 ちが、う?

 

 しかしそれは―――何時しか確たる人の言葉となって聞こえていた。

 

 それは、かつて言われた言葉。

 

『その身体で、一体何ができる』

 

 今と同じようにぼろぼろで、傷だらけで。

 

『何も出来はしない』

 

 無力で、何ができるわけではないと分かっていて。

 

『足手まといにしかならない』

 

 だけど―――それでもと、思ったあの時。

 

 感情を廃したような、硬い剣のような言葉で突き立てられた言葉。

 

『無駄死にだ』

 

 あの時―――ワタシハ………………

 

 

 ………………ワタシは―――

 

 

 わたしは―――っ!!

 

 

 私はっ―――何て言ったッ!!!

 

 

 

 

 

 

「ちぃっ!!」

 

 舌打ちと言うには余りにも大きい音を立てたベートは、自分が見つけてしまった光景に酷く苛立ちを露にした。

 まるで最下級の冒険者のように、無力な雑魚そのものの姿で地面を這いつくばりながら落石の隙間へと逃げ込んだ仲間(レフィーヤ)の姿。

 悲鳴を上げ、涙を流しながら逃げる彼女からは、戦おうと、事態の打開を狙おうと、そんな前向きな姿はなかった。

 逃げ込んだ先に、無数の食人花が集っている。

 あの激しさから、レフィーヤが中から引きずり出されるのも時間の問題だろう。

 そうなれば、結果は明白。

 レフィーヤのお守りのフィルヴィスも、食人花への対処で手一杯で、彼女の危機に気付いてもいない。

 力があり、才能もあるにも関わらず―――ただ逃げるだけ。

 その姿に、ベートの苛立ちと怒りは募り続ける。

 この絶望、切り抜けるには魔法の―――彼女(レフィーヤ)の力が必要なのに、当の本人があのざまでは。

 強さを増した赤髪の女(レヴィス)と戦うアイズは苦戦している。

 一刻も早い援護が必要なのにっ。

 身体から発する焦りと怒りと苛立ちを込めて群がる食人花を蹴り飛ばしたベートが、アイズの元へと向かおうとする足を無理矢理変更させ走り出そうとする、と。

 

「―――まて」

「なっ!?」

 

 横から襲いかかろうとしていた食人花を切り伏せたシロが、そのままの勢いでベートの前に立ちふさがった。

 

「お前はさっさとアイズの所へ行け」

「っ、は、何を」

 

 シロはベートに背中を向けたまま、軽く首を動かしてレヴィスと戦うアイズを指す。戦いの最中、剣をなくしたのかアイズの手に相棒(デスペレート)の姿がなく、更に追い込まれているのが端から見てもわかってしまう。

 知らず、ベートの足先がアイズの方を向く。

 

「あの女にはもう俺の小細工は通用しない。それならお前の方がまだ力になれる」

「うるせぇ! なに勝手に決めてやがるっ!」

 

 罵るベートを無視し、レヴィスを見るシロの目には厳しいものがあった。

 仲間の魔石を喰らって力を増したレヴィスは、その速さや力といったものだけではなく、耐久力も相応に向上しているのは想像に難くない。

 ならば、ぎりぎり通用していたものは、既に用を足さないだろう。

 巨大なモンスター相手に、小手先の技術が押し潰されてしまうのと同じ。

 最早あの女(レヴィス)は、階層主以上の化け物だとシロは判断していた。

 ならば、レベル5でも上位の力を持つベートの方が、現状は自分よりも力になると思い、シロはアイズへの援護を進めたのだ。

 それに―――。

 

「それと」

「ああっ!?」

 

 自分の声をまるっきり無視して話を進めるシロにベートの応答とも激高とも言える声が返される。

 しかし、シロは気にせず襲いかかる食人花を切り払いながら、もう一つの危機にあったレフィーヤがいる方向へ視線を向けた。

 

「貴様が思うほど、彼女は弱くはないぞ」

「あ?」

 

 シロの言っている意味がわからず、思わず気の抜けた声がベートから漏れた瞬間―――轟音と光が立ち上った。

 

 

 

 

 

 

「「「――――――っッッ!!??」」」

 

 一瞬。

 

 しかし確かにこの絶望を貫く一条の光が空へと上った。

 それは一つの魔法。

 ただ一条の光の光線を出すだけの魔法。

 しかしそれを彼女が撃てば、それは巨大な閃光となる。

 ほんの僅かな空白。

 数呼吸分の微かな空白に、躊躇いなく彼女(レフィーヤ)はその身を再び戦場《絶望》へと飛び込ませた。

 魔法の放つ衝撃で、モンスターと共に吹き飛んだ落石から脱出した彼女は、再始動し始めた食人花の猛攻の中を駆け続ける。

 前を見る。

 前だけを見る。

 その最中、モンスターと戦うフィルヴィスに声を掛け共に走る。

 行き先は一つ。

 アイズ(憧憬)の下―――ではない。

 ぎりぎりの―――いや、既に限界を迎えていながらも、それでもあがいている彼ら(ヘルメス・ファミリア)の下。 

 怖くないわけではない。

 強くなったわけでもない。

 何か勝機が見えたわけでもない。

 ただ―――。

 そう、ただ思い出しただけ。

 だったらもう―――立ち止まってなんていられる筈なんてないっ!

 駆ける、駆ける、駆ける―――ただひたすらに駆け続ける。

 だけど―――逃げてる訳じゃないっ!

 

 そして―――辿り着いた。

 追い詰められたのか。

 それとも最後の砦としてここに留まっていたのか。

 【ヘルメス・ファミリア】は巨大花が造った峡谷の下で、固まってモンスターと渡り合っていた。

 その身体は端から見ても限界で、手に持つ武器でまともな状態のものなんて一つもない。

 だけど、それでも彼ら彼女たちは一人も欠けることなくそこにいた。

 もう限界―――いいや、もう限界をとうに越えているだろう彼らにこんなことを頼むのは酷い話だけど―――でも、こんな状態でもまだ戦える彼らにだからにこそしか、頼めない。

 レフィーヤは疲労からではない心から発する震えが声に伝わらないように、一度歯を強く、血が滲むほどに強く噛んだ。

 口にすれば、それは取り消せない。

 そして、その結果がどうなろうと、それは言った自分の責任となる。

 ここまで仲間を守り抜いた彼らに、絶望を与えてしまうかもしれない。

 それを、理解して―――覚悟を決めて。

 レフィーヤは声を上げた。

 

「わた、し―――私はっレフィーヤ・ウィリディスっ!!」

 

 峡谷の上、【ヘルメス・ファミリア】を見下ろしながら叫ぶ。

 レフィーヤに気付いたものが、疲労の滲んだ顔に困惑の表情を浮かべる。

 その目の中に、自分への期待は感じられない。

 それに、気付いて。

 小さく、縮こまってしまう決意が―――。

 

『ならば―――名乗れ』

 

 焚きつける―――声が。

 

 弱音を吐く心を叩き起す。

 

『【ロキ・ファミリア】の誇り高きエルフよ。戦場に赴くと言うのならば、名を名乗り、己の意志を示せ』

 

 

 ああ、なら。

 

 あの時のように。

 

 あの時と同じく。

 

 名乗りを上げろ。

 

「【千の妖精(サウザンド・エルフ)】のレフィーヤ・ウィリディスですっ!!」

 

 あの時と違って。

 守ってくれたあの人はいない。

 けど、関係ない。

 

「5、いえっ、3分だけ時間をくださいっ!!」

 

 まだ、『並行詠唱』もできない。

 一人でまともに戦えない。

 できないことばかり、だけど。

 なら、今、出来ることを全力でやり遂げる。

 やり遂げて、みせるっ!!

 

「私が―――貴方たちを救ってみせますっ!!」

 

 そのために、必要なことを。

 

 情けなくても、声を出して。

 

 頼って、すがって、寄りかかって―――それでもと、立ち上がるようにっ。

 

 叫べ。  

 

 

 

「だから私をっ―――守ってくださいっ!!」  

 

 

 

 

 

 

 




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第十話 いつかと、望む先へ

「だから私をっ―――守ってくださいっ!!」

 

 華奢な体を、遠目でも一目で分かる程に震わせて。

 大きなその瞳を涙で揺らしながら―――それでも丸まりそうになる背中を伸ばし。

 胸を張り、手にもった自身の唯一の武器を突き出すその姿に―――【ヘルメス・ファミリア】の皆は申し合わせたように顔を合わせ、頷いた。

 

「っ、ははっ! いいよっ! いいぜっ! やったろうじゃないかっ!!」

「わかりました。貴女に、託しますっ!!」

 

 ルルネのやけくそじみた応答に続き、アスフィがレフィーヤに応えた。

 そして、【ヘルメス・ファミリア】を見回すと、最後かもしれない指示を出した。

 

「全員、【千の妖精(サウザンド)】の下へっ! 私たちの全て―――彼女に委ねますっ!!」

「「「おおっ!!」」」 

 

 自分達の命運を、他のファミリアに委ねる。

 その決断に【ヘルメス・ファミリア】からは誰一人として異論は出ず、力強い頷きをもって応えた。

 

「3分間、絶対に【千の妖精(サウザンド)】を守り抜きますっ!!」

 

 アスフィの決意の宣言と共に、【ヘルメス・ファミリア】が動き出す。

 ボロボロの身体に鞭を打ちながらも、動けない者に肩を貸しレフィーヤの下に集った彼らは、直ぐに最後の希望(レフィーヤ)を中心に方円陣形を取る。

 陣が完成するや否や、レフィーヤは直ぐに瞼を閉じ、魔法へ意識を集中させ―――詠唱を紡ぎ出す。

 

「【ウィーシェの名のもとに願う】!」

 

 レフィーヤの足元に、山吹色の魔法円(マジックサークル)が広がり、高まる魔力が光を放つ。

 詠唱と共に練られる魔力の渦に引かれ、周囲の食人花たちが目に見える程の反応を示す。

 その()が向けられる先には―――レフィーヤの姿。

 数えるのも馬鹿らしい食人花達との3分間の―――運命を決する死闘が幕を開けた。

 

【森の先人よ】

 

 詠唱が一つ―――

 

「来るぞぉっ!」

「あああああぁぁぁあ!!」

 

【誇り高き同胞よ】

 

 一つ、くべる度に、高まる魔力。

 それに比例し、襲いかかる食人花の数は増加する。

 しかし、逃げるわけにはいかない。

 

「倒そうと思わないで、近づけさせないだけでいいっ!」

「無茶言うっ!!」

 

 指示の声は、ちゃんと届いているのかわからない。

 回りを見る余裕などない。

 目の前の敵を、ただひたすら受け止める。

 構わず横をすり抜けようとするモンスターの前に、自ら立ちふさがる。

 最後の希望(レフィーヤ)を守るため。

 

【我が声に応じ草原へと来たれ】

 

 ひび割れた剣を、砕けた盾で、持ち上げた岩を武器に、弾き、受け止め、叩きつけ。

 ただひたすら堪え忍ぶ。

 一秒一秒が余りにも遅い。

 まとわりつくような時間の感覚の中、意識だけが先走る。

 

【楽宴の契り】

 

 薄氷を踏むような戦いが続く。

 何時、誰が欠けてもおかしくない。

 だけど、それでも、まだ―――耐えていた。

 

【円環を廻し舞い踊れ】

 

 なら、もしかしたら―――

 

 間に合うかもしれない。

 

 そう、思ってしまった。

 しかし、それは―――その思い(希望)は……

 

【至れ、妖精の輪】

 

 ―――錯覚でしかなかった。

 

「っ!!?」

「ホセっ!?」

 

 アスフィの背後を守っていた獣人の男が、一体の食人花に腕を噛みつかれ引きずり込まれていく。

 

「ホセぇっ!!」 

「誰っ―――っダメですっ!!」

 

 咄嗟に仲間が助けに走り出そうとするのを、アスフィは反射的に口に出そうとした指示を唇ごと噛み締めると、団長としての命令を下した。

 仲間の救出を却下され、思わず足を止めた仲間から向けられるひきつった顔に背を向けながら、食人花の相手を続ける。

 

「団長、命令ですっ!! 陣形を崩すことは許しませんっ! たとえ、何があっても、たとえ―――誰が死んでもっ! 決してっ!!」

 

 文字通り、血を吐くような命令に、仲間の危機に動き出そうとする足を無理矢理押し止め、引きずられるホセを見送るしかない団員たち。

 怒りと、無念と、悔恨と―――形にならないぐちゃぐちゃの感情が込められた目を向けられたホセは、迫り来る避けられない死を前に、何故か自然と口許に小さな笑みが浮かんだ。

 それは、強がりなのか。

 それとも、死を前にして何もかも放り投げたのか。

 その心の中は、眼前に突きつけられた死《食人花》ではなく、仲間のこれからへ向けられていた。

 

 

 

 何時か、こんな日が来ることを、予感していた。

 

 自分の分というのは、わかっていた。

 

 大した才能はなく、迷宮都市(オラリオ)を見渡せば、そこらへんにいる冒険者の一人。

 

 そんな自分だが、一つだけ胸を張って誇れるのは、あの【万能者(ペルセウス)】が団長を務める【ヘルメス・ファミリア】にいたってことだ。

 

 自分の娘といってもいいくらいに年が離れているにも関わらず、あのとんでもない(ヘルメス)からの無茶な命令(お願い)をこなして見せて。

 

 誰にも作れない道具を作り上げ。

 

 【万能者(ペルセウス)】なんて大層な二つ名を付けられた。

 

 自分の―――自分達の自慢の団長さまだ。

 

 その潜在能力(ポテンシャル)は、絶対に都市最強の【ロキ・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】の団長たちにも決して劣らない。

 

 何時かきっと、彼女ならば彼らの頂へと届くだろう。

 

 ―――ああ、ここに至って心残りができるとは……某も未練がましいものだ

 

 口許に浮かんだ笑みが、僅かに深くなる。

 引きずり込まれた先で、食人花たちが涎を垂らしながら自分を囲んでいる姿に。

 救助を却下した命令を下した団長に恨みはない。

 自分も納得している。

 ああ、しかし―――。

 彼女はきっと傷付くだろう。

 これから起きる惨劇で、厳しくも優しい彼女(アスフィ)の心に傷をつけてしまう事に申し訳なく思いながら。

 

「ああ、もう少し、一緒にいたかった」

 

 ホセが、そう、誰に言うでもない未練を口にし―――

 

「―――諦めるには、まだ早いだろ」

「え?」

 

 隣から聞こえた返事に、思わず気の抜けた返事を返してしまった。

 

「っな!!?」

 

 慌てて聞こえた方へ顔を向けると、そこには赤い外套を身に付けた白髪の男の姿が。

 男―――シロは周囲を取り囲んでいた食人花が一斉に飛びかかってくるのを、両手にもった双剣でもって切り払い、僅かに出来た隙間から呆然としたままのホセの襟首を掴むと飛び出した。

 

した。

 

「ぐっ」

「我慢しろ」

 

 急な動きに、首が絞まり、苦しげな呻き声を上げるホセに構わず、シロはそのまま円陣を組む【ヘルメス・ファミリア】の下まで走り続けた。

 

「ホセぇ!!」

「このっ、この、バカやろお!!」

 

 持ち場から離れられずに、しかし耐えられないといった様子で、汗や涙で歓喜で歪ませた顔を濡らしながら、【ヘルメス・ファミリア】の面々がホセに声を掛ける。

 シロの手から離れ、痛む喉を擦りながら、暫くの間地面に座り込んでいたホセは、自分の命が助かったのを知ると、無精髭が伸びたざらざらとした顎を一つ撫でるとゆっくりと立ち上がった。

 

がった。

 

「はは、どうやら某の悪運は尽きていなかったようだな」

「ホセ」

 

 食人花の襲撃を捌きながら、アスフィが自分が見捨てた仲間へ複雑な声を向ける。

 硬い、震えた怯えたような声に、しかしホセはそれに気付いた様子を見せずに応えた。

 

「さて、それじゃ団長さまのご指示通り。某の持ち場へ戻るとしますか」

「っ」

 

 ホセのその声と言葉に含まれたものに、アスフィは気付き、泣きそうになる思いを眼前の食人花を殴り付けることで散らすと、吠えるように声を上げた。

 

「残り2分っ! 全員っ―――生き抜きますよっ!!」

「「「―――おおっ!!」」」

 

 

 

 

 

「彼は―――」

「ははっ―――ほんとすげぇよな」

 

 発破を掛けたアスフィが、ふと、向いてはいけない方向に傾き掛けた天秤を戻した功労者を目線で探そうとすると、隣にいたルルネが、この修羅場の中、場違いに明るい声で笑っていた。

 

た。

 

「ルルネ?」

「なあ、団長。あれが―――あいつが【最強のレベル0】だ」

「っ、そう……ですか。彼が……」

 

 【最強のレベル0】―――迷宮都市(オラリオ)に語られる数多くの噂話の一つにある都市伝説。

 ヒューマンであったり、エルフだったり、獣人だったりと、それだと言われる者は、噂話に良くある通り一貫としていないが、ただ一つだけ共通するのが、レベルに属さない強さ。

 その代表的なのものとして、【最強のレベル0()】は神と契約するよりも前に、高レベルの冒険者を倒したというものであった。

 それは、この神時代において全く信用のおける話ではなかった。

 レベルと強さは殆ど同一に等しい。

 確かにレベル差を覆して勝利したという話がないわけではないが、それでも、神の契約による力があってこそ。

 神との契約もない状態で、高レベルの冒険者を倒すといった話など、そこらの小さな子供でさえ信じないだろう。

 実際に、アスフィは信じていなかった。

 噂には聞いていた。

 神の無茶振り(お願い)による依頼に対応するため、幸か不幸か情報には強く。知らず様々な話が耳に入ってくる事が多かった。その中でも、【最強のレベル0】の噂は数多く耳にした。

 

た。

 曰く―――単身でモンスターパレードを潜り抜けた。

 曰く―――階層主と単独で渡り合った。

 曰く―――【凶狼】を一発で倒した。

 どれもこれも眉唾にしか思えない。

 レベル5や6の高レベルの冒険者なら兎も角。

 少なくとも今の彼はレベル1でしかない。

 それは確かだ。

 ルルネが巻き込まれた―――いや、首を突っ込んだ事件の際、【最強のレベル0()】の強さは本物だとルルネが騒いだため、こういう話が好きなヘルメスが興味を示すかもと、確認の意味も含め、以前一応念のためと調べて見たが、確かに彼はまだ冒険者になって半年も経っていないレベル1だった。

 

認の意味も含め、以前一応念のためと調べて見たが、確かに彼はまだ冒険者になって半年も経っていないレベル1だった。

 その時は、彼は何か特殊なスキルがあるのか、それとも特別な武器でもあるのだろうと、深くは考えなかったが、彼の戦いを目の当たりにしてわかる。

 彼のそれは、そういった特別なものではない、と。

 ある意味、自分に良く似ている。

 周囲を良く確認し、利用する。

 現実とこれまでの経験を考慮に、瞬時に判断する。

 言ってみればそれだけだ。

 だが、それが実践で出来るように。それも高レベルで行えるようになるには、言葉では良い表せられない程の努力と経験が必要だ。

 彼ほどの段階に至るには、一体どれ程の経験を積めば良いのか検討もつかない。

 ああ、そうだ。

 本当にわからない。

 経験と実際のレベルが余りにも釣り合わない。

 基本、レベルは神との契約後における経験値を元に上がっていく。

 なら、つまり彼は神との契約が行われる前に、そこに至るまでの経験をしたということ。

 そんな男を、私は一度も耳にしたことはない。

 本当に―――

 

「彼は何者なのですか?」

 

 

 

 

 

「――――――ッ!」

 

 もはや壁にしか見えない密集した食人花の群れに一人突っ込んだかと思えば、僅かに出来た隙間とも言えない空間に体をねじ込むように通り抜けながら斬撃を放ち。

 

 自身に注意を向けさせると、そのまま食人花の身体の上を走り出す。大嵐の海原の如く波打つ身体を駆け抜け、迫る口蓋を避け、逸らし、避け続ける。

 一向に捕らえられない獲物に、食人花が諦め魔力が高まり続けるレフィーヤへ意識が向けば、即座に反応、攻撃し、自分へ意識を向けさせる。

 時には同士討ちをさせ、地面に転がる白ローブの死体から爆薬を取り出すと、それを上手く密集している位置に投げつけ爆発させる。

 そんな文字通り息つく暇もないそんな攻防を、一瞬も休むことなく彼は続けていた。

 そこに、何か特殊な能力は感じられない。

 武器も、確かに食人花を切り裂く双剣は業物だが、特殊な魔道具ではない。

 それに、肝心の力や速度は、確かにレベル1とは思えないほどのものではあるが、目を疑うレベルとまでは言えない。

 では、何故彼はここまで戦えるのか。 

 レベル4である自分でも無理だと言えるようなことを、ただのレベル1でしかない彼にできるのか。

 それは―――。

 

「―――ああ、くそ。ほんと嫌になるよな」

「っっ、ポック?」

「わかっちまうから、なおさらっ―――だっ!」

 

 小さな―――小人族(パルゥム)の小さな手で握った壊れかけのハンマーで、(ポック)は苛立ちとは違う胸を騒がす衝動を晴らすように、食人花を殴り付ける。 

 

「なに、そんなに興奮してるの」

「ああ? してねぇよっ!」

 

 あの男が引き付けているからか、明らかに食人花の圧力が減っている。

 勿論まだ間断なくモンスターは襲ってくるが、こうして隣に立つポット()と話ができる程度には余裕が出来た。

 

「そう? なら何で笑ってるのよ。あなた」

「あん? 笑って……」

 

 訝しげに姉の方へ顔を向ければ、見つめてくる自分に似た顔立ちに備わった二つの瞳に見えるのは、まるで―――

 

「何かいいことあった?」

「っ―――は……別に、そんなんじゃねぇよ」

 

 逃げるように顔を逸らし、また一つ襲いかかってくる食人花へ向き直る。

 

(ああ―――そうとも。あいつはあの人とは違う。確かに、あの人も努力をしたのだろうさ。あの顔から想像もつかない年月(数十年)も。だから、オレも何時かはって―――そう思いながらも、進む先が見えなかった。あの人(勇者フィン)と同じになる自分が想像できなかった。だけど―――)

 

ながらも、進む先が見えなかった。あの人(勇者フィン)と同じになる自分が想像できなかった。だけど―――)

 

「はは―――ほんとすげぇよあんたは…………あんた、一体何者なんだよ」

 

 才能、ではない。

 異能、でもない。

 ましてや何か道具を使っているわけでもない。

 彼のそれは―――経験(・・)だ。

 これまで積み重ねたものによる力。

 それが―――わかる。

 自分も何時かは、と言える。

 その力がそこにはあった。

 歩み続けている自分だからこそわかる。

 

 ―――『小人族(パルゥム)は他と比べるな。だってパルゥムだから』

 

 何時からか、そう思っていたオレの持論。

 ああ、そうだ。

 パルゥムだから、同じだけの努力をしても、結果得る力は他の種族が手に入れるそれと比べ小さくなってしまう。

 何度も何度も味わった、苦い思い。

 変わらない【ステイタス】。

 先へいく同じ筈のパルゥム(メリル)

 積み重なるのは、ただ経験(・・)だけ。

 何の役にもたたない―――そう思っていた。

 だけど―――

 

(っ、そこへ突っ込む? ああっ、確かにそうすれば―――あれなら、オレも―――)

 

 今のオレじゃ比べ物にならない。

 比較にもならない。

 それでも、オレにはわかる。

 あいつは、オレと同じだ。

 才能ではない。

 凡人が、一つ一つ積み重ねた動き。

 無駄を省き、経験から得た勘で反応し、常に頭と身体を動かし続ける。

 自分が今まで、そしてこれからもやっていくこと。 

 あれは、自分が、自分達が目指す先にある一つだ。

 いつかオレもと言える。

 ただ一つ。

 他と比べなくてもいい経験(・・)を重ね続けた結果至れる場所(強さ)で―――

 そんな場所で、あいつは戦っている。

 

「ああ、くそ―――あんな奴も、いるんだな」

   

 知らず零れた声には、羨望とも憧憬とも違う。

 胸に燃える炎の勢いを強くする熱が込められていた。

 

   

 

 

 

「―――すごい」

 

 そのヒューマンの少女は、負傷して動けない者たちの傍で、彼らの護衛としてそこにいた。

 護衛―――といっても形だけだ。

 何故なら彼女は荷物持ち(サポーター)でしかなく。

 何の力もないのだから。

 指示にしたがって、荷物から必要なものを取り出すだけ。

 戦うことも殆どなく、時おり魔剣を使って補助するぐらい。

 ただの荷物持ち。

 別に、それを否定するわけではない。

 サポーターとしては、それなりに―――いや、他のサポーターと比べられないぐらい良い待遇だということはわかっている。

 だけど、それでも思ってしまう。

 私にも、何かできるんじゃないか、と。

 どんなしたっぱでも、私はあの【万能者(ペルセウス)】率いる【ヘルメス・ファミリア】の一員だ。

 何時か自分も力を付けて、荷物持ち(サポーター)ではなく、戦力として、皆の力になることができるって。

 そう思ってた。

 だけど―――

 

「油断するなぁっ!! 右から3体一気に来るぞぉ!!」

「武器がっ?! 予備はっ」

「もうねぇよっ!!」

 

 悲鳴と怒号が響き渡る。

 危機はまだ続いている。

 少しでも何か舵取りを誤れば、一気に天秤が傾いてしまう。

 そんな状態が続いている。

 皆の体も心も限界で。

 それでも何とか耐えていられるのは―――

 

「―――オオオオオオォっ!!」

 

 あの人のおかげ。

 赤い外套を身に付けた応援に来たヒューマンだと思う男の人。

 双剣を振るってただ一人食人花の中を飛び回っている。

 あの人が囮となっているおかげで、最後の希望(レフィーヤ)へ向かう食人花の圧力が減っていた。

 もし、あの人がいなかったと思うと、寒気がする。

 実際、彼が来る前にホセさんが食人花に殺されかけてしまった。

 あの時、私は結局何も出来なかった。

 団長は、持ち場を離れるなと言ったけど―――私の持ち場はあってないようなもの。

 一体のモンスターを足止めするどころか足手まといにしかならないから……ただ後方で負傷者の護衛という名目で立っているだけ。

 ホセさんの危機にも、唯一の有効な武器である魔剣を握りしめ、ただ声を上げるしかなかった。

 何も―――そう、何もできない私。

 ただ、見ているだけ。

 すがるように握りしめた魔剣が震えている。

 不安か、恐怖か、それとも自分に対する情けなさ故か、震えは一向に止まらず大きくなるだけ。

 魔剣―――私の魔剣。

 皆の力になれればと、少ない貯金を崩して買った私の魔剣。

 この魔剣と出会ったのは、何時、だったか……。

 そう、確かたまたま一人で武器屋に行ったときに、たまたま見つけたんだ。

 魔剣を買う予定なんかなかったのに、つい、手に取ってしまった。

 これがあれば、皆の力になれるのでは、と思って。

 魔剣を手に、皆の危機を救う自分を夢想した。

 でも、私が何とか買える魔剣なんてたかが知れて……精々団長の爆炸薬(バースト・オイル)を点火させるぐらい。

 それでも、皆の役には立てた。

 それで、良かった―――良かったのに―――今は力の無さが本当に悔しい。

 何時か、あの人(赤い男)の姿が滲んで見える。

 悔しさか、嫉妬か、それとも別の何かか。

 胸を騒がす思いで涙が滲む瞳で、睨み付けるように彼の姿を追う。

 魔剣を握りしめる手が熱い。

 その熱が、胸の奥でたぎる熱が、ふと、魔剣の名を思い起こさせた。

 自分がこの魔剣を手に取った切っ掛け。

 明らかに名前負けした仰々しい名。

 この魔剣を売っていた店主でさえ、笑っていた(馬鹿にしていた)立派すぎるそれを―――打った鍛冶師はどういった思いで名付けたのだろう。

 何故か、そんな事をこんな時に考えてしまっていた。

 全体が見渡せる位置(後方)、ふと緩んだ緊張、僅かに広がった視界―――偶然と必然が合わさり、だからそれに彼女が最初に気付けたのは運命だったのかもしれない。

 

「―――なっ?! おお、すぎっ!??!」

 

 高まり続ける魔力に惹かれ、この瞬間にたまたまなのか、一度に大量の食人花がレフィーヤへ向かって群れなして迫ってきていた。

 遠目で見ても、数十はきかない数百にも迫ろうかという、最早移動する壁にしか見えない食人花の群れ。

 あれをどうにかするには、戦士では絶対に不可能―――それこそ強力な魔導師による魔法でしか。

 でも、その魔法を使うための時間稼ぎをしており。

 このままでは―――

 

(間に合わないっ!!?)

 

 どうすれば、と少女の頭に答えのでない疑問が高速で渦を巻く。

 無理。

 不可能。

 何もできない。

 否定ばかりが出てくる。

 否定しか、出ない。

 それが、答え?

 絶望に暗くなる視界の中―――一人の男の背中が見えた。

 少女が気付いた絶望を前に、その男は残った双剣の片割れを握りしめ向かい合っている。

 双剣の一つは、彼女の見る中で既に砕けていた。

 しかし、彼は全く怯むことなく残った剣を使い奮闘していた。

 彼は一つになってしまった際に、残った剣に何かしたのか、綺麗な曲刀が一瞬で長刀並みに大きくなり、強力さを見せつけるかのようにその峰には歪な羽じみたものが浮かび上がって

 

いた。

 その姿は伊達ではなく。

 一太刀で食人花を切り飛ばす程の力を見せていた。

 でも、それでももうこれは無理だ。

 津波に対し、どんな優秀な剣でもただの剣では飲み込まれて終わってしまう。

 

(ここまで来てっ!?)

 

 悔しさのあまり、噛み締めた唇が切れて口の中に血の味が滲む。

 赤い男の背中が僅かに沈む。

 ああ、向かうのだろう。

 絶望に向かって、それでも彼は立ち向かうのだ。

 私は、ただそれを見ているだけ。

 見ているしかない。

 くやしい。

 くやしい。

 くやしい。

 くやしい―――!!!

 燃え盛る炎。

 いつかと、願った力が、今はない。

 手を伸ばす先に、届く未来が―――あまりにも遠い。

 だけど―――。

 伸ばしたっ。

 大きく。

 大きく。

 無駄かもしれない。

 でも、何もしないでもいられなかった。

 だから、それはただの偶然。

 何か考えがあったわけではない。

 衝動のままに、ただ、心が願うままに動いただけ。

 手に握った。

 私の力。

 これまでの使用で、残りは一回しか使えない。

 威力も使用回数も話にならない。

 この状況ではただのごみにも等しいかもしれない。

 それでも、それは今の私が扱える最大の力だったから。

 届けと。

 私は、魔剣(私の願い)を彼に投げていた。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――静かだ。

 

 ただ、剣を振るう。

 

 身体に―――いや、魂に刻まれたそれにただ従う。

 

 風が揺らぐ動きを肌で感知。

 

 幾重にも重なる無数の音から、必要なものだけ聞き分け。

 

 瞬く間に変化する状況を、敵の動きだけではなく舞い上がる砂粒の一つすら把握。

 

 血や臓物、鉄や薬品、獣臭や食人花の独特な臭いを、呼吸する度に嗅ぎとり。

 

 それら全てを、同時に、意識せぬまま、意識して(・・・・・・・・・・・)把握する。

 

 あらゆる情報を取得し、即座に判断―――行動に移す。

 

 得た情報を処理し―――肉体()が命じるままに従う。

 

 一つの目的のために動く機械のように。

 

 剣を振る。

 

 目まぐるしく変わる状況、燃え上がりかねない熱を放つ脳髄。

 

 なのに、ただ意識だけが静かだ。

 

 自分の身体を、まるで他人(第三者)のように見ている。

 

 ―――いつから、だろうか………………。

 

 ―――こんな風に、自分を見るようになったのは。

 

 まるで大嵐の海の中にいるかのように、前後左右、上下から迫る食人花を相手にしながら。薄皮一枚先に死がある事に欠片も心を動かさず、ただ命令のままに動き続ける。

 

 ―――いや……最初から、だった。

 

 ―――ここ(オラリオ)で目覚め。

 

 ―――初めて戦った時から、その兆候はあった。

 

 ―――ただ、ここまで酷くはなかった。

 

 ―――躊躇いがあった。

 

 ―――混乱があった。

 

 ―――緊張があった。

 

 ―――怒りがあった。

 

 ―――ナニかがあった。

 

 ただ、決定的に変わったのは…………あの時(怪物祭)

 

 あれから、明らかにオレは変わってしまった。

 

 其れを良しとした。

 

 変わると、変わってしまうと納得し、確かに選んだ。

 

 その結果が―――これだ。

 

 僅かに残った記憶が記録に。

 

 知らない知識と、こことは違う常識が刻まれ。

 

 まるで一度身体を崩して、もう一度組み替えたかのように―――オレは変わってしまった。

 

 いや、文字通り変わったのだろう。

 

 実際に身長が伸び、肌は更に浅黒く。

 

 そして、僅かに長さが違った両腕は同じに変わった。

 

 ああ、そうだ。

 

 変わった。

 

 変わってしまった。

 

 彼女(ヘスティア)との繋がりも、また………………。

 

 ―――【無窮之鍛鉄】

 

 あの時、新たに得た【スキル】。

 

 ・ 自己より強大な敵と対する際に発現。

 

 ・ 【ステイタス】の随時更新。

 

 ・ 敵の強大さに比例し効果増大。

 

 ・ 成長に比例し、肉体・精神への負担増。

 

 しかし、同時に得た《思い出した》魔法《魔術》である解析を自分自身に使用し、わかったのは。

 

 ―――これは、【スキル】であって【スキル】ではない、ということ。

 

 これの本質はそれとは全く別のもので。

 

 使うほどにオレは―――変わって(戻って)しまう。

 

 そうなれば、彼女(ヘスティア)とますます離れていってしまうことになる。

 

 ああ、怖い。

 

 恐ろしい。

 

 嫌だ。

 

 それを(彼女を切り捨てることを)拒まない自分が―――怖い。

 

 家族になってくれと。

 

 短いながら、確かに笑いあった。

 

 共にいた。

 

 生きていた。

 

 なのに、オレは―――俺は―――私は―――それを斬り捨てる。

 

 それに、何の感情も起こらない。

 

 怒りも。

 

 恐怖も。

 

 悲しみも。

 

 何もかも。

 

 必要があれば、ただそうするだろう。

 

 必要だから(・・・・・)、という理由だけで。

 

 友人でも、恋人でも、家族でも何でもない。

 

 ただの通りすがりの他人であっても、必要であればそれ(・・)を捨て、助けてしまう。

 

 俺は―――ナンだ…………

 

 オレは―――ナンだ…………

 

 私は―――ナンだ…………

 

 ワタシは―――ナンだ………… 

 

 あの時、得た(思い出した)知識。

 

 私は―――英霊?

 

 俺は―――人間?

 

 万華鏡のように―――同時に、並列して存在する記録。

 

 とある英雄の物語。

 

 無数の()―――オレ(ワタシ)の物語。

 

 その中の一つが()のモノなのか?

 

 それとも違うのか…………。 

 

 何もかもがわからない。

 

 無数の記録に埋め尽くされ、そこから自分という存在が定義できない。

 

 ただ、己の魂に刻まれたモノに従い続ける。

 

 

 

 ――――――救え――――――

 

 

 

 その―――死してなお消えない。

 

 呪いのような声に、従う。

 

 見知らぬ誰かのために身を削る。

 

 そこに否が応はない。

 

 天に唾を吐きかければ、自身に落ちてくるように。

 

 当然とばかりに、何の疑いもなく自分を放り捨てる。

 

 そこに、疑問の一切はない。

 

 ワタシは誰だ―――

 

 オレはナンだ―――

 

 わからぬまま―――ただ救い続ける。

 

 戦えば戦うほどに強く《戻っていく》自分。

 

 (ヘスティア)の契約更新もなく強くなる(変わっていく)己。

 

 その度に―――削れていく契約()

 

 それを知りながら―――変わらない(変えられない)自分が―――…………。

 

 食人花の圧力は増す一方。

 

 レフィーヤの詠唱が終わりに近付くにつれ、それに比例し食料庫(パントリー)内外から食人花が無尽蔵に押し寄せてくる。

 

 今のぎりぎりの均衡は、もう間もなく崩れるだろう。

 

 そしてそれを越えることは―――自分にはできない。

 

 双剣の一つは既に砕け。

 

 残りは一つ。

 

 これを失えば、後は精々囮となって逃げるしかない。

 

 それも、まともにできるかどうか。

 

 そんな状況なのに、心には些かも乱れはない。

 

 恐怖も、怒りも、悲しみも、喜びも…………何もかも浮かばない。

 

 ただ―――ほんの少し、だけ……安堵(ヘスティアとの絆が削られない)申し訳なさ(約束を破ってしまう)が浮かぶだけ。 

 

 ―――ああ…………津波のように食人花がやって来る。

 

 あれを止めるのは無理だろう。

 

 食人花はこちらを見ていない。

 

 もう、彼女(レフィーヤ)しか見ていない。

 

 ……変わったな。

 

 強くなった。

 

 心も、身体も、何もかもまだまだだが……それでも、彼女は強くなっている。

 

 俺とは違い―――本当(・・)に強くなっている。

 

 あの時(怪物祭)から彼女は強く(前へ進み)、私は……どうなのだろう?

 

 いつか、彼女は自分が望む先へと辿り着くのか…………。

 

 それはわからないが……その手伝いができる事を、少しばかり嬉しく思う。

 

 ―――もう、津波(食人花)は目の前だ。

 

 間に合うだろうか?

 

 間に合わないだろうか?

 

 それすら考えない。

 

 ただ、魂が命ずるままに、敵を攻略する。

 

 生き残ることは不可能だと、全てが結論を下すが、引くことはない。

 

 引けば、誰かが死ぬ。

 

 なら、引けない。

 

 ただ、それだけでいい。

 

 それだけしか―――ない。

 

 (後ろ)へと進む。

 

 そう決め走り出す―――直前。

 

 背後から飛んできたモノを反射的に受け取った。

 

 正確に、後ろを向いたままでも受け取れる位置に投げつけられたソレを受け取り。

 

 瞬時に【解析】。

 

 魔剣。

 

 しかし、それは酷いものだった。

 

 質的には下の下か下の中。

 

 使用回数は後一回。

 

 使用すれば砕けてしまうが、使用せずとも砕けそうなほどにボロボロ。

 

 そんな魔剣を投げ渡したのは、荷物持ち(ポーター)の少女だろう。

 

 【ヘルメス・ファミリア】の少女が、何のつもりで投げたのかはわからない。

 

 いや、状況からして応援のためのモノだろうとはわかるが、こんなモノを渡されても焼け石に水より意味がない。

 

 例え最大に【強化】したとしても、1、2体焼ければ御の字だ。

 

 意味のない。

 

 無駄な行動。

 

 なのに―――何故だ。

 

 受け取った時、微かに見えた少女の顔が。

 

 瞳が―――。

 

 ()を見るそれが―――魔剣を握る手を更に強めた。

 

 知らぬ間に―――【解析】が続く。

 

 深く―――潜るように―――沈むように―――辿るように―――【解析】が行われる。

 

 

 

 

 

 ―――その鍛冶師は、特に才能がある方ではなかった。

 

 鍛冶師となった理由も、ただ、冒険者のよりも死ぬ危険性は低く、ある程度の生活ができるほど稼げるからといった理由で……特に希望も理想もなかった。

 

 ただ漫然と、剣を打つ日々が続く。

 

 それを神に非難される事もあったが、それでも鍛冶師の心が変わることはなかった。

 

 ある日、一人の男が【ファミリア】に入ってきた。

 

 才能ある男だ。

 

 自分とは何もかも違う。

 

 希望と理想を持った男だ。

 

 有り余る才能を持ちながら、努力も続ける男だった。

 

 ただ、不思議なことに、その男は魔剣を嫌っていた。

 

 別にいないわけではない。

 

 魔剣は特別だ。

 

 一人前の証でもあるため、打てないものはある意味でその象徴である魔剣を嫌うものもいる。

 

 しかし、その男は、打てずに嫌うのではなく、打てるのに嫌っていた。

 

 その男が打った魔剣を見た。

 

 ―――自分には一生打てないだろう魔剣を、その男は打っていた。

 

 なのに、使い手を残し壊れるといった理由だけで、その男は魔剣を否定した。

 

 胸が騒いだ。

 

 それが怒りなのか嫉妬なのかはわからない。

 

 ただ、それ以降男は狂ったように剣を打った。

 

 打って、打って、打って、打って、打って、打ち続けた。

 

 逃げてきたダンジョンへ向かい、レベルを上げ、技術を学び、寝食を忘れただ剣を打った。

 

 気付けば、一振りの魔剣を打ち出せていた。

 

 初めての魔剣。

 

 形も、中身も酷い―――だけど、確かに魔剣だった。

 

 理想に欠片も届かない酷い出来だったが、確かに魔剣が打ち上がった。

 

 短い―――短剣の、下級の魔法程度の炎がでるだけの魔剣だったが……思わず、男は大層な名前をつけてしまった。

 

 それは、何時しか生まれていた男の理想(望む先)

 

 忘れてしまうほどの(子供の頃)に読んだお伽噺。

 

 その中で、一人の剣士が振るった魔剣の物語。

 

 一振りで海を焼き払ったと唄われたお話を聞いた、小さな自分は、それを振るってみたい―――ではなく。

 

 創ってみたいと思った。

 

 それを思いだし。

 

 だから、男はその魔剣に―――

 

 

 

 

 

 ―――ああ……

 

 そうか…………

 

 一瞬の間もない時間に追体験のように得た知識に、知らず残った双剣の片割れから手を離していた。

 

 両の手にはあまりにも小さすぎる短剣の柄を握りしめ。

 

 巨大な大剣を振りかぶるように天へと掲げ。

 

 その行動に―――自分で自分を嘲笑う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――ナニヲスルツモリダイ?

 

 決まっている。

 

 ―――ヘェ、キマッテイル?

 

 僅かな可能性があるのなら、使うまで。

 

 ―――ソノケッカガドウナルカハ?

 

 わかっている。

 

 ―――イイノカイ?

 

 良いも悪いもない。

 

 ―――ソレヲシリナガラヨシトスル、ネェ……

 

 足りないのならば、補えば良い―――ないのならば、足せば良い……

 

 ―――ツクヅククルッテ……イヤ、コワレテイルノカネ

 

 今の【強化】で無理ならば、更なる高みへと手を伸ばせばいいだけ。

 

 ―――ソウナレバ、アノオンナトノツナガリガドウナルモノカワカッテテモ、カイ?

 

 それでも、だ。

 

 ―――ヒヒッ……バカダネェ。

 

 ……ああ、そうだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絶望(食人花)を前に、目を閉じる。

 

 闇が広がる中、ただ、己の中に埋没し―――告げる。

 

 自己を変える。

 

 己を昇華させる―――言葉(呪文)を。 

 

 

   

「身体は―――剣で出来ている」

 

 

 

 ―――音が、聞こえる。

 

 身体の内から響くそれは、鍛鉄の音。

 

 鋼を叩き。

 

 不純物を弾き出し。

 

 純粋なナニカへと変化させる産声。

 

 一つ、一つ響く度に、彼女との契約()が削れていく。

 

 それは、必要ないと。

 

 意味のないものだと、告げるように。

 

 冷たい、鍛鉄の音が響く。 

 

 溢れ落ちていく不純物()と共に、身体に満ちる知識と力。

 

 

 

 

 

「―――同調、開始(トレース・オン)

 

 今までのそれ(解析)とは、まるで別物。

 

「―――憑依経験、共感開始」

 

 とある鍛冶師のこれまでの全てを追体験し、その先へと進む。

 

「―――基本骨子、解明」

 

 ―――創造の理念を把握

 

 魔剣を打った鍛冶師が理想とした―――鍛冶師本人さえ理解していなかった剣の理を把握。

 

「―――構成材質、解明」

 

 ―――基本となる骨子を想定

 

 その理想に至るために必要な材料を想定。

 

「―――基本骨子、変更」

 

 ―――制作に及ぶ技術を創造

 

 必要な技術、知識を創造し型を創りあげ、理想に至る経験さえ創造する。

 

「―――構成材質、補強」

 

 蓄積された年月を仮定し―――あらゆる行程を強化し―――

 

 

 

 

 ―――ここに、理想を結び―――

 

 

「―――ッッ!!!」

 

 

 

 ―――剣と成す

 

 

    

 その剣は、一人の(鍛冶師)が夢見た理想。

 

 母から寝物語に語られた、海を焼き尽くしたと唄われる魔剣の御話。

 

 流れる年月に薄れ埋没し、消え失せながら―――確かに男の胸にあった理想の剣。

 

 いつか、と―――その思いから。

 

 名付けたのは―――

 

 海焼く炎。

 

 故に―――その銘を―――

 

 

 

 

 

「―――ッ【海暁(あかつき)】ッ!!!」  

 

 

 

 

 

 そして、振るわれた太陽を思わせる紅光を放つ長剣(・・・・・・・)から生み出された炎は迫る津波(食人花)を飲み込み―――――――――…………

 

 

 

 

 

   




 感想ご指摘お願いします。

 ちなみに、海暁(あかつき)は造語です。

 他に何かいいのがあったら変えるかもしれません。


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エピローグ 空になった酒瓶

 ダンジョン18階層に存在するリヴィラの街。

 宿や酒場に武器屋に薬屋。玉石混合雑多に組み立てられたならず者たちの街は、あの襲撃の(食人花に襲われた)日から随分と立ち直っており、少し前に見た時よりもその雑多な様子は更に混迷を極めていた。

 そんな迷路のような街を泳ぐように、その金色の髪を靡かせながら小走りで走る影が一つ。太陽の代わりに明かりを放つ、天井にある巨大な水晶の光が届かない群晶街路(クラスターストリート)の裏道に入ると、迷いなく岩壁に開いた洞窟へと足を踏み入れた。

 そしてそのまま洞窟の入り口にある看板に示された赤い矢印の指す方向へと進み、軋む木製の階段を数段飛ばしで駆け下りると、耳に飛び込んできた賑やかな騒ぎ声に申し訳なさそうにその額に微かな皺を寄せた。

 貸し切りにしているのか、五つしかないテーブルは一つにまとめられ、そこでは【ヘルメス・ファミリア】のメンバーが酒や食事を飲み食いしていた。

 始めてそれなりに時間がたっているのか、全員が揃って酔っ払った状態で着いたばかりのアイズに誰も顔を向けることなく無邪気に騒いでいる。

 扉も仕切りもないが、ここ―――『黄金の穴蔵亭』の入り口と思われる場所で、宴もたけなわといった様子を見せる【ヘルメス・ファミリア】の一団を前にどう声を掛けようかと立ち尽くすアイズに、酒場の隅にあるカウンターで一人で座っていたアスフィが中身が半分ほど入ったグラスを持ち上げて声を掛けてきた。

 

「【剣姫】、こちらへ」

「すみませんアスフィさん。遅れてしまって。その、レフィーヤも一緒に来るつもりだったんですが、用事が出来たみたいで」

 

 一目でほっとした様子を見せたアイズが、チラチラと騒いでいる【ヘルメス・ファミリア】を見ながらも、アスフィが座るカウンターへ小走りで駆け寄ると、その隣に腰かけた。

 

「いえ、気にしないでください。こちらももう勝手に始めていますし」

「そう、みたいですね」

 

 自身も今まで飲んでいたのだろう。透明なグラスに半分ほど残った酒を揺らしながら持ち上げながらアスフィが笑うと、アイズは小さく笑いながら頷いた。

 その瞬間、何か可笑しな話があったのか、ドッと沸き立つ背後からの歓声にアスフィが浮かべていた笑みを苦笑に変えた。

 

「……すみません。見苦しい者ばかりで」

「あっ、いえ、そんな……大変、でしたし……」

 

 笑い、騒ぎ、大声を上げる彼ら【ヘルメス・ファミリア】の団員達の姿を見て、アイズが感慨深げに呟くと、アスフィもまた、自身の仲間を細めた目で見つめながら小さく頷いた。

 

「確かに……誰も死ななかったのが本当に信じられないくらいです」

「私が、あの時分断されなかったら―――」

 

 あの騒いでいる者達の中には、自分がいない間に致命傷を負った者も少なからずいる。

 もし、その場に自分がいれば、とその思いに駆られ、思わず漏れた声にアスフィが小さく首を横に振るった。

 

「仮定の話をすれば切りがありませんよ。それに、誰も死なずにすんだ―――それで十分です」

「……ですね」

 

 アスフィの言葉に、最悪の状況を想像し固くなりかけていた体から力を抜いたアイズは、緩んだ気持ちに流されるように酒場の中をぐるりと見回した。  

 

「どうかしましたか?」

「あ、その……あの人は」

 

 誰かを探すような動きと視線に、疑問を持ったアスフィが声をかけると、アイズは少しの期待を込めた声で返事を返す。

 

「……シロ、さん―――ですか……」

 

 しかし、目を伏せるような仕草を見せたアスフィの姿に、アイズは答えを聞く前にその結果を理解した。

 

「やっぱり」

「ええ。一応【ヘスティア・ファミリア】へ行ったのですが。どうも最近姿を見せていないそうで」

「あれから……」

「そうですね。会えていません。そちらは?」

 

 アスフィの探るような視線に小さく首を横に振る。

 

「私も……少し、聞きたいことがあったんですが」

アレ(・・)、ですか」

 

 アイズの言葉に、アスフィの脳裏に紅い炎の姿が浮かび上がる。

 魔導師―――それも大魔導師と呼ばれる者が長い詠唱を掛けて放ったかのような極大の業炎。

 事実、直後に放たれた【千の妖精】の【レア・ラーヴァテイン】と比べても遜色がないほどに。

 しかしそれは、あり得ない筈なのだ。

 何故なら―――。

 

「……あの炎―――本当に」

「はい。間違いなく【魔剣】です」

 

 疑いを多分に含んだ声で、恐る恐ると言った様子で尋ねてくるアイズに、アスフィは手に持ったグラスの中に揺れる琥珀色の液体に目を落としながら頷いた。

 

「でも、あの力は……」

「彼女の―――【千の妖精(サウザンド)】が直後に魔法を使いましたので、正確な威力はわかりませんが……」

 

 アスフィの言葉であっても俄には信じがたい事実に、アイズの戸惑った声が上がる。

 それに内心同意を感じながらも、自分の目で見た事実を否定することも出来ず、あの光景を知らず思い返したアスフィの額には、その胸に渦巻く疑問のように深い溝が生まれていた。

 

「……あの【魔剣】は」

「元々あれはそこの彼女―――ネリーの魔剣です。ですが、私の知っているのは、短剣型だったはずなのですが……」

 

 彼が振るった【魔剣】。

 もしかしたらそれが特別な物なのでは、という言外の質問に、その答えを知るアスフィは顔を上げると後衛のリーダーでもあるヒューマンの少女に視線を向けた。

 アイズも釣られるように向けた先で、その少女は酒で顔を真っ赤にしながら覆面を被った大きな男と杖の代わりに大きなジョッキを持ったパルゥムの少女をその細腕で抱き締めて笑っている。

 その光景に、難しい顔をしていた口許を緩ませたアイズだったが、耳に残っていたアスフィの言葉の中から小さな疑問が生まれ思わず声に出していた。

 

「短剣?」

「ええ……短剣です。それがいつの間にか長剣までの大きさに―――いえ、それだけでは、っあれは一体……?」

 

 その小さな呟きを聞き取ったアスフィが、アイズが疑問に思っている事に思い至りながら、あの時の光景を思い返す。

 あの時―――彼が掲げるように振りかぶった小さな短剣が、成長するように巨大な長剣へと変化したあの時の事を。

 まるで、植物がその身を伸ばすかのように、蛹が羽化するようなあの時の光景は―――。

 

「何かの【魔法】?」

「その可能性が一番高いかと―――ですが、そんな【魔法】聞いたことは……【剣姫】あなたは?」

 

 自身の思考に落ちかけたアスフィを、アイズの疑問の声が釣り上げた。

 はっと、するように顔を上げたアスフィは、アイズの言葉に内心で納得出来ないながらも頷きを返す。

 

「確かに似たような事を彼が使ったのは見たことありますが、でも……【魔剣】をあんな風に出来るなんて……」

「はい―――余りにも逸脱している」

 

 帰ってきた返事は、アスフィも納得できるものであった。

 何にでも規格外というモノは存在する。

 自身も持つ【飛翔靴(タラリア)】もその一つだが、彼のそれは似ているようで似ていない。

 微かな―――しかし決定的な何かが自分達の知るそれとは違っている。

 ある意味、彼女―――アイズの【魔法(エアリエル)】に似ているかもしれない。

 そう思いながら、アスフィは隣に座る、疑問を浮かべ中空を眺めるアイズを横目で見た。

 

「……シロさんは、本当に何者なんでしょうか……」

「……あれから、私なりに調べてはみたんです」

 

 天井から酒場を照らす光を目を細目ながら見つめ囁くように問われた言葉に、アスフィも同じく天井を見上げながら返事をした。

 返ってきた返事に細めていた目を驚きに開いたアイズが、期待を込めた視線を向けてきたのを感じながらも、アスフィはそちらの方へ顔を向けることはなかった。

 

「え?」

「ですが、結果としてわかったのは『何もわからない』ということでした」

 

 何故ならその期待には応えられないからだ。

 それなりの情報通の自信があったそれが、木っ端微塵になるくらいは、調べた結果は惨憺たる有り様であった。

 

「『何もわからない』?」

「はい。彼がヘスティア様と契約した後ならいくらでもあるのですが、その前―――迷宮都市(オラリオ)に来る以前の情報が全くありません」

「それは……シロさんが迷宮都市(オラリオ)出身とかじゃ―――」

「勿論ありません」

「……それは」

「まるで、ある日突然現れたかのようで……」

「…………」

 

 アイズの自分で言いながらもその可能性はないだろうという気持ちが多分に含んだそれに、同意として否定の言葉を向ける。

 アスフィは、続く言葉が浮かばず視線を揺らがせるアイズに、自分が得た事実から考えられる答えを口にするが、それは言い切られる前に尻すぼみに消えていく。

 長くはないが、短くもない無言の時間が過ぎる。

 二人の脳裏には、同じ人物の姿が浮かんでいた。

 赤い外套を靡かせて、背中を向けて立つ一人の男の姿。

 何者にも縋らず巌のように立つその姿は、まるで―――。

 想像というよりも妄想に近い考えにアスフィが耽っていると、何時の間にか自分を見つめるアイズの視線に気付いた。

 罰の悪い気を感じながらも、それを見せない何時も通りの無表情(ポーカーフェイス)でアイズに顔を向ける。

 アイズはそんなアスフィの僅かな葛藤に気づく様子も見せないまま、何か言いにくそうな様子を見せていた。

 

「アスフィさんは、シロさんを―――」

「恩人、ですね。彼のお陰で死なずにすんだものがいます。この借りは何時か返さなければいけません。ですが……」

 

 続く言葉が自分にも口にする本人にも嫌なものだと敏感に感じ取ったアスフィは、遮る勢いでアイズへと返事を返す。

 その勢いと声の調子に察しの良くない方であるアイズも、何とはなしにそれに気付くと、乗っかるようにアスフィの言葉に相づちを打つ。

 

「今、何処に……」

「それなりに探したんですが、少なくともあれ以降迷宮都市(オラリオ)で姿を見たとの話は聞きませんでした」

「じゃあ、ダンジョンに?」

リヴィラの街(ここ)でも姿は見ていないそうです。一時期は良く姿を見せていたそうですが、あれ以降は一度も、らしいです」

「じゃあ、なら本当に今何処に―――」

 

 地上(オラリオ)にも地下(リヴィラの街)にもいない。

 噂にもならない只人ならともかく、色々と噂の的となっている彼の情報が欠片も得られないのは、アスフィには納得がいかなかった。

 少なくとも、ダンジョンから出るならば、バベルで誰かに見られている筈だが―――そういう情報を専門に扱う情報屋もあれ以降新しい情報は手に入っていないらしい。 

 アイズの言葉ではないが、じゃあ、本当に今彼は何処に……

 そう二人が深まる謎と疑問に無言のまま考えに耽っていると、アイズの背中に衝撃が走った。

 

「ああっ!!? アイズじゃんっ!! 何時の間にっ?! んん? なあんだぁあ~っ!? そんな暗い顔してっ!? ほら飲めっ!! 飲みまくれぇえ~っはっはっはっ!!」

「わっ、え? あの―――」

 

 考えに耽りすぎたせいか、それとも相手に欠片も敵意がなかったからか、それともその両方からなのか、背後からの衝撃に不意を突かれた形となったアイズが慌てて後ろを振り向くと、そこにはジョッキを片手に自分の首へ腕を回すルルネの姿があった。

 

「ほらほらこっちっ! こっちおいでよ! みんなぁ~! 【剣姫】が来たよぉ~!! ってキークスあんたもう飲みすぎでしょっ! あんた腹に穴空いてたんだよ!」

 

 首根っこに抱きつくようにして捕獲したルルネが、無理矢理逃げ出すことも出来ず戸惑ったままのアイズをそのまま引きずるようにして【ヘルメス・ファミリア】が集まる一角へ引きづり込んでいく。

 そのままテーブルの近くまで連れていくと、アイズから体を離したルルネは、飲むというよりも被る勢いでジョッキを煽るキークスに気付いて呆れ混じりの非難の声を向けた。

 

「いいじゃんいいじゃん! っんぐんぐっ!! かぁあ! アスフィさん手製の薬でもう元気一杯だからだいじょおうぶっ!?」

「おおっ! 美人が増えるのは大歓迎ですぞ。ふふふ、ほれほれ某の隣に―――」

 

 ルルネの非難を片手でいなしながらも飲み続けるキークスは、明らかに調子に乘った勢いで空になったジョッキを投げ捨てると、隣に座るホセの前に置いてあったジョッキに手を伸ばそうとするが、先の一杯で限界を越えたのか赤ら顔が一瞬で青色へと変化し始めていた。

 そんな隣の様子に気付いた様子を見せず、自身のジョッキを取られた事にも気付いた様子も見せることなく、近くにあった椅子を自分の横へと移動させながらアイズを誘うホセ。

 しかし、それを遮るように椅子を掴んだドワーフのエリリーが、そのまま椅子を持ち上げて自分の横へとそれを置くと。バンバンと軋む音を鳴らせながら椅子を叩きアイズを誘った。

 

「何言ってるのよこの酔っぱらいっ! ほらこっちおいで。女は女同士飲みましょうよ。あなたのそのスタイル。絶対何か

やってるでしょっ! やってないって言ってたけど! 私信じないからぁっ!?」

「あらあら、エリリー何やってるのよ。もう、ほらこの水飲みなさい」

 

 自分で言いながら、唐突に泣き崩れるエリリーに、慈母のような笑みを口許に浮かべたパルゥムのポットが妙にぬめった光沢を放つ透明な液体が入ったグラスを差し出した。 

 

「ちょ、ポットそれ水じゃ―――」

「いいのよポック。これで酔い潰しているから、あんたはさっさと【剣姫】と話をしてきなさい」

 

 背後から向けられる弟であるポックの突っ込みを背中を向けながらあしらうと、器用に首を動かしてルルネから解放された位置から動けずに立ち尽くしているアイズを指し示した。

 

「な、何でそんな―――」

「あら? 【団長】さまのお話が聞きたかったんじゃないの?」

「ぐっ」

 

 ポットの言葉に、酒で赤らんでいた頬をますます赤く染め上げながらも、ポックは否定の言葉を口にせずそのまま無言でアイズの下へと歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………あそこから抜け出すのは難しそうですね」

 

 時間経過と共に【ヘルメス・ファミリア】の中に姿を消していくアイズに、何処か安堵が滲んだ声で呟いたアスフィは、未だ口をつけていないグラスを目の前まで持ち上げると、それをゆっくりと揺らし始めた。

 あそこへ行く直前、ここで皆で飲んだお酒の残り。

 帰ってきたら全員で残りを飲むために半分残したボトル。

 それは、つい先程アイズが来る前に全員に分けて飲んでしまった―――自分以外は。

 あの時、飲んだふりをして口をつけなかったのは何故なのだろうか……。

 一人カウンターに座り、揺れるグラスの中の波を見つめる。

 琥珀。

 彼の瞳の色と同じ。

 最後に見たのは、あの時―――。

 アイズとベートとの共闘により追い詰められたあの赤い髪の女が、逃げるために食料庫(パントリー)の要である大主柱を砕いたあの時。崩壊する食料庫(パントリー)から負傷と疲労からまともに動けなかった私達の代わりに負傷者を連れて脱出した後、彼はお礼を伝える間もなく気付けば姿を消していた。

 まるで、全てが幻であったかのように…………。

 

「【最強のレベル0】、ですか…………」

 

 揺れる琥珀の水面が収まっていくなか、ポツリと呟かれる言葉。

 【最強】―――最も強い。

 【レベル0】―――最も弱い。

 矛盾した言葉。

 でも、ある意味でこれ以上ないほど彼を示しているのかもしれない。

 レベル1でありながら【二つ名】を持ち。

 それに【レベル0】という言葉が含まれている。

 そう言えば、この二つ名は神が名付けたわけじゃないらしい。

 彼が主神(ヘスティア)と契約する前に、真実レベル0であった頃、複数の冒険者と戦いそれに勝利したことから誰かが言い始めたと聞く。

 もしかしたら、この二つ名を口にした者も、今の自分と同じ気持ちがあったのかもしれない。

 

 そう、きっとその誰かも、神の加護なく自身の力で戦い抜く彼の姿に―――。  

 

 口元に浮かんだ感情を隠すように、グラスに残った最後の残りを一気に呷ったアスフィは、吐息と共に何処か幼さを感じさせる緩やかな声で誰に告げるでもなく呟いた。

 

 

 

「まるで、【古代の英雄】のようですね…………」

 

 

 

 ―――【英雄】の姿を見たのかも、しれない…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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第四章 エイユウサイリン
プロローグ 問いかけ


 第四章始まります。


 ―――イイノカイ?

 

「何がだ」

 

 ―――ワカッテルダロ

 

「……見捨てる訳にはいかない」

 

 ―――ヘェ……ホントウニ?

 

「…………それ以外に何がある」

 

 ―――ヒヒヒ……タシカニ、ナ。オマエニハソレダケデジュウブンダナ

 

「………………」

 

 ―――タダソレダケノリユウデ、オマエハキリステルコトガデキルンダカラナァ

 

「―――っ」

 

 ―――ン? ドウカシタカ?

 

「否定は、しない…………確かに、俺は―――」

 

 ―――エランダ?

 

「……そうだ」

 

 ―――イイヤ、チガウネ

 

「違う?」

 

 ―――エランデナンカイネェヨ

 

「どういう、ことだ」

 

 ―――エラブッテノハ、ダイナリショウナリクラベルモンサ。ダケドオマエハソンナコトシチャイナイ

 

「そんな事は―――」

 

 ―――ナイッテカ?

 

「―――っ」

 

 ―――エランデネエヨアンタハ。アンタハタダステテルダケダ

 

「………………」

 

 ―――メノマエデガケカラオチカケテイルヤツガイル。ダケドリョウテハフサガッテイル―――ダカラモッテイルモノヲハナシタ

 

「―――」

 

 ―――タダソレダケ

 

「…………」

 

 ―――ヒテイハシナイノカイ?

 

「……ああ」

 

 ―――ヒヒヒッ……アア、コワイコワイ

 

「それが、真実だとしても……それで、誰かが救えるのなら……」

 

 ―――イインジャネェノ? ステルノモエラブノモケッキョクオンナジコトダ。オマエノスキニシタライイ

 

「―――」

 

 

 

 

 

 

 ―――シヨクナク、タダモトメラレルママニスクイツヅケル【エイユウ】ネェ……【セイギノミカタ】トハヨクイッタモンダ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 進む。

 ひび割れ荒れ果てた何もない乾いた世界をただ進み続ける。

 草木の一つすら見えず、黄昏に染まった空の下。

 ただ歩み続ける。

 何もない。

 本当に、ここには何もない。

 だから、歩き続ける。

 ここにある筈のものを見つけるために。

 乾いた風に身を晒し。

 進んでいるのかわからない程に代わり映えのしない荒野を進み続け。

 何時しか、風に砂が混じり始めた。

 瞬く間に風の勢いは強まり、最早まともに目を開けることもできない。

 砂嵐から顔を塞ぐために持ち上げた手すら隠してしまうほどの嵐の中を、しかし止まることなく歩み続ける。

 豪々と鳴る打ち付ける砂粒が乘った風に体を切り裂かれながらも、何時しか歩む足に変化を感じた。

 丘を、登っている?

 望洋とした意識の中、それでも立ち止まることなく進む。

 確信がある。

 この先に―――。

 この丘を越えた先に、求めるものがあることを。

 歩みは遅い。

 それこそ、亀の歩みの方がまだ早いほどに。

 それでも、足は確実に一歩一歩踏みしめていた。

 巌よりもなお堅い、鋼鉄の意思により進む足を止められることなど、何人たりとも叶わないだろう。

 そう、例えどんな凶悪な化物が襲いかかろうとも。

 そう、例えどんなに強い英雄が立ち塞がっても。

 そう、例えどんな万能の神が命じたとしても。

 この歩みを止めることは何者にも出来はしない。

 

 また、微かな変化に気付く。

 

 傾斜が少し緩くなった。

 目指す先はもう間近。

 確信が、男の歩みを更に強く、硬くする。

 もう少し―――そうだ、この足があと一歩進めば―――。

 男の足が、最後の一歩を踏む(最後の想いを踏みにじる)ために、持ち上げられ―――

 

 

 

 

 

「―――本当に、いいの?」

 

 

 

 

 

 小さな、幼さを感じさせる少女の声。

 淡い、白雪を幻視させる美しい声音に、止まる筈のない歩みが―――止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 




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第一話 異端の剣

 硬質な音が響いている。

 まるで機械仕掛けのように、一定の間隔で響く度にそれは、決して狭いとは言えないそこに広がる空間を揺るがせていた。

 肌を震わせる耳にするだけでもその堅さがわかる程の音が響く度、紅い火花が散り、奥で赤く灯る炉と四方に設置された魔石灯が僅かに照らすだけの部屋の中を照らし出す。

 それを遮る一つの人影があった。

 炉の前に一人座し、ただひたすらに鎚を振るう男。

 色が抜け落ちたような白い髪に、炎に照らされ分かる浅黒い肌。

 『シロ』と呼ばれる男であった。

 一体どれだけの間そこにいたのだろうか。

 空気を入れ換える為の窓は、明かりを取り入れるようには出来てはいないため、今が一体何時なのかを知ることはできない。

 ただ、男が長い間そこにいたのは、男の足下に広がる大量の汗の跡から分かる。

 高熱を放つ炉の炎で蒸発されながらも、そこにははっきりと跡が残っていた。

 しかし、常人ならば死すらも考えられる高熱に長時間さらされていただろうに、男の―――シロの顔には疲労の影一つ見られなかった。

 ―――やがて、一際高く鋼を打つ音が響くと、断続的に聞こえていた鉄を打つ音が途絶えた。

 

「―――お見事」

 

 直後―――残響のように震えていた空気の揺れが収まると同時、炉の近くの壁際から女の声が響いた。

 感嘆が多分に含んだその声の主は、完成した新たな剣に誘われるように灯りの死角となっていた場所からその姿を現した。

 身長は170Cはあるだろうか、炉の炎と僅かに届く魔石灯の光に浮かび上がった女は、東洋地域の人間を思わせる顔立ちと服装をしていた。

 灯りの乏しいこの場所でも分かる程に整った女の顔は、黒髪に赤い瞳。

 メリハリの効いた身体に纏うのは、下半身は赤い袴だが、上半身はさらしでそのふくよかな胸元を隠しているだけ。

 初見の者はその奇抜な格好に目が行きそうになるが、それ以上に目につくのは彼女の左目。

 漆黒の眼帯でその女は左目を隠していた。

 知る者がいれば、直ぐにその女の正体に気付くだろう。

 それだけの特徴を持つものは、このオラリオ(迷宮都市)には一人しかいないからだ。

 【ヘファイストス・ファミリア】団長―――椿・コルブランド。

 鍛冶師の最高峰である鍛冶大派閥(ヘファイストス・ファミリア)の頂点に位置する女がそこにいた。

 その女―――名実共に迷宮都市(オラリオ)、否、世界一とも言っても過言でもない鍛冶師である筈の椿は、まるで幼い子供が大好きな玩具か好物でも見つけたかのように、その一つの目をキラキラと輝かせながら炉の前に座る男へと駆け寄るように近付いていった。

 正確に言えば―――男ではなく、完成したばかりの男が鍛え上げた剣に、であるが。

 

「はぁ……これはまた―――美事な」

 

 涎でも垂らしかねない程に大きく口を開けながら、剣を眺めていた椿であったが、不意に口許を笑みの形に変えるとからかうような口調で視線を剣から離さずにその持ち手に語りかけた。

 

「しかし、お主が鍛ち上げるものは何時も同じ形だな。時には別のものに変える気はないのか?」

 

 その理由としては自分が見てみたいだけというのを隠しもしない声音に、小さな嘆息をついたシロは椿から離すように剣を動かした。

 

「あぅ」

「自分で使うための剣を打っているんだ。わざわざ別のものにする必要などない」

 

 目の前でご飯を下げられた犬のように一目で分かるほど顔をしょぼんとさせた椿に背を向け、シロは出来上がった剣の調子を確認するかのようにその場で軽く振るい始める。

 極上の音楽を耳にしているかのように、その鋭い風を切る音を聞いていた椿であったが、不意に頬を膨らませるとシロの背中へと抗議の声を向けた。

 

「お主の言葉もわかるが……むぅ、それはそれとして、やはり手前としては、お主の技をもっと色々と見たいものなのだが」

「秘密を守ることと工房を借りる条件として剣を鍛えるところに立ち合うのを条件としたのはお前だが、打つ剣の指定までは受けてはいない筈だ」

 

 背中を向け、剣を振り続けながらもシロは椿の言葉を無視することなく律儀に応える。

 無視しても意味はなく、逆に無視すればするほど椿の言動が激しくなることをこれまでの経験で知っていたためだ。

 それを知っているため、椿も平然とした顔で話しかけていたのだが、シロの言葉に言質を取ったぞと言うようにニヤリと口許を歪めた。

  

「ほほう。ならば今度はそこも条件に加えるとしようか」

「……」

 

 ピタリとシロの剣を振るう動きが止まると、直ぐに椿は冗談だと言うように両手を広げ呵々と笑いだした。

 

「ははは、いやいや冗談冗談。ヘソを曲げられて困るのは手前の方だからな」

「……困る、か」

「ん? どうかしたか?」

 

 文句を言うか無視するかのどちらかだと思っていた椿は、シロの何処か自嘲めいた声に眉根を動かした。

 椿が訝しんでいると、シロは剣を振るっていた手を下げ、そのまま背中を向けたまま話しかけてきた。

 

「俺が剣を打つ所を見る必要があるのか?」

「何を言っておるのだお主は?」

 

 あまり見ないシロの様子に、若干の緊張をもって言葉を待っていた椿であったが、予想だにしない言葉に思わずあきれた声をだしてしまった。

 しかし、直ぐにその疑問はある意味では真っ当なものかと思い直す。

 そう、別にそんな疑問を抱くのは何ら可笑しな話ではない。

 何せ自分は本職―――鍛冶師であるが、この男は違う。

 色々と普通とは違うが、一応はただの冒険者でしかない。

 剣を打つ理由も、本人の言を信用すれば自分で打ったほうが安くつくからだと言う。

 そうは言うが、よっぽどの高性能な剣か魔剣でない限り、買えないような金額で売っている訳がないのだが……。この男が求める剣の基準が少しばかり手前らの常識とはずれていたことが問題だったようで。

 手にいれるにはオーダーメイドにするか、それとも自分で、となり―――結果自分で打つようになったそうな。

 とは言え、鍛冶スキルを持たない素人の打った剣など普通は使い物にはならない筈なのだが、この男は本当に色々とおかしかった。

 

「【ヘファイストス・ファミリア】の団長―――いや、頂点であるお前は、まず間違いなく世界でも有数の鍛冶師だろう。そんなお前が鍛冶師でもない俺の剣を打つ姿を見るのは無駄ではないのか?」

「…………はぁ」

 

 困惑を多分に含んだ言葉に、思わずため息を漏らしてしまう。

 確かにそうだ。

 その言葉だけの内容ならば、確かにそうなのだが……。

 そう、自分で言うのは憚れるが、オラリオ随一、つまり世界でも有数と言っても過言ではない手前にとって、鍛冶師でもない男が剣を打つ様子を見て意味があるのかという言葉だが。

 

「なんだ」

 

 背中を向けていても手前の恨みがましい視線に気付いたのか、後ろに目でもついているのかという反応に疑問の声を上げる代わりに、皮肉を効かした返事を返してやる。

 

「その『鍛冶師でもない』お主の剣が、手前の打った剣よりも優れているからだろうに。それがわからんお主でもなかろう」

「…………」

 

 否も応も答えない背中を見る目を細める。

 ついっと視線を動かした先には、男が持つ剣。

 炉に燻る炎に照らされ、その黒剣に浮かぶ亀裂のような紋様がぬめるように輝く様に目を奪われる。

 そう、そうなのだ。

 巷では世界一の鍛冶師の一人に名を上げられる手前よりも、鍛冶師でもない男の打った剣の方が優れているのだ。

 それは純然たる事実であり、一端の鍛冶師ならば分かるほどの技量の差がそこにはあった。

 しかし、それは、普通に考えればありえない。

 

「確かに初めて見たお主の剣は、『鍛冶師とは思えぬ』程度の剣であったがな。最近のお主の打つ剣は、正直手前の数段上だ」

「……」

「ふんっ、否定せんか」

 

 鼻息荒く吐き捨てた椿は、そのまま目線を落とすと自身の掌を見つめる。

 到底年頃の女の手とは思えない厚い皮膚を纏った掌だが、椿とっては自身の中で最も誇らしいものであった。

 時折、その事に苦言を口にするものがいるが、甚だ勘違いしている。

 未だ20にも満たない己の人生ではあるが、それでもその殆どを費やした証しだ。

 何を恥と思うものか。

 その皮の厚さが、節くれた太い指先が己の力量に対する自信にも繋がっている。

 

「手前は確かにそこらの鍛冶師どもよりも腕はあると自負しておるがの。それでも頂点ではない」

 

 そう口にしながら、椿の脳裏には自分に匹敵、又は越える腕を持つ鍛冶師の姿が浮かぶ。

 筆頭は勿論、自身の主神である目指す先、越えるべき目標である神―――ヘファイストス。

 

「オラリオ随一と言う者もいるが、お主も知っての通り【魔剣】に関しては、ヴェルフの小僧にはどうしても勝てん。武器としての性能についても、ゴブニュの所の団長も油断ならん」

 

 次に浮かぶのは鍛冶貴族の血を引く若き鍛冶師。

 魔剣を忌み嫌いながら、最も魔剣に愛された男の姿。

 他の技術は兎も角、魔剣に関しては己が届かぬ領域に至った―――否、生まれた男。

 そして己の主神であるヘファイストスにも匹敵する腕を持つ神ゴブニュを主神とするファミリアの団長もまた、己に互する実力の持ち主。

 他にも、無名有名問わず手前が認める腕を持つ者達はいる。

 

「しかし、それも今は、だ。あやつらの打った武器を見れば、大体は何が良くて何が悪いかは分かる。まあ、あの小僧のはそれでもちと分からんところはあるが、そこは『血』が関係しているんだろが。ただ―――」

 

 そう、そうなのだ。

 数多の剣を。

 人の、亜人の、神の―――多くの剣を見た。

 良いも悪しきも区別なく、それこそ万を越えかねない数々の剣を見てきた。

 一目見れば大抵の良し悪しが分かる程度には、見てきたし、己の眼力にも自信があった。

 中には神が打ち上げた剣や小僧(ヴォルフ)の魔剣のように良くわからんモノも確かにあったが、この男の打った剣は、それとは違う……。

 

「お主のそれだけは、よくわからん」

 

 何時しか顔に浮かんでいたのは苦虫を噛んだかのような苦い顔。

 打ち上がった剣だけを見ただけではないのだ。

 材料も、打ち上げる様も、その全てを余すことなく見ていた。

 なのに、何故そうなったのかがわからない。

 やろうと思えば、自分は同じように剣を打つことは可能だろう。

 似たような形の剣を打ち上げることも。

 しかし、最も肝心な剣の性能については全く似ても似つかないモノが出来ることは打たなくてもわかる。

 実際に試してみたことがあったのだが、自分が打ったとは思えないなまくらが出来たのだ。

 そう、真似して打った剣は、初めて自分が一人で打った剣よりも遥かに劣っていた。

 材料、炎の温度、打つ回数、力加減、その他にも自身のもてうる技術を全て費やし出来るだけ真似たというのに、全く別物が打ち上がった。

 最初は手前の腕が未熟だからだと思った。

 だから時間を見ては隠れて打ってみたのだが、一行に剣が良くなる兆しは見えなかった。

 そして悩んで、悩んで、悩み抜いて出た結論は―――。

 

「いや、違うな。わからない、のではない―――違う(・・)、のだろうか……」

 

 違う、というものであった。

 

「手前どもとは違う視点で剣を打っている」

 

 材料とか炎の温度とか、そういった技術や素材等ではなく、もっと根本的な部分が違っていたのだ。

 

「視点―――というよりも考え方(・・・)が違うのか? 手前も含め、ここ(オラリオ)の鍛冶師は皆ダンジョンから出る素材を使っているが―――」

「…………」

「しかしお主はただの鋼から剣を打っておる。それもダンジョンから出る特別な金属は使わず、迷宮都市(オラリオ)の外でも入手できるようなものを」

 

 それは、自分だけじゃない。

 この迷宮都市(オラリオ)だけでもない。

 少なくとも手前が知る剣を打つ鍛冶師にとって、良い剣を打つのに必要なものは大きく分けて二つ。

 技術と素材だ。

 技術はそのまま鍛冶師の技量のことで、素材は剣の元となる材料。

 とは言えそれは鍛冶師でもない者でも思い浮かぶようなものだ。

 この(シロ)も別にそれから外れているわけではない。

 用意した材料もダンジョンでしか手に入らない希少なものというわけではないが、鋼としては最上級のものであったし、鍛冶師としての腕前もうち(ヘファイストス・ファミリア)の上級鍛冶師にも劣らないだろう。

 しかし、たった一つだけ。

 技量や材料よりも、更に根本の所で、この男は手前らとは決定的に違った。

 剣に対する姿勢?

 見方?

 考え方?

 言葉にするも何かが違うと感じる微妙な違い。

 あの小僧と似ているとも感じたが、それもやはり似ているだけで違う。

 

「何故だ? お主の腕ならば、ダンジョンの素材を使い更に上のモノを打てように」

「…………」

 

 前々から疑問に思った事が一度口にしたことで次々に吐き出されていく。

 投げつけられる疑問に、しかし、向けられた背中から返ってくるものはない。

 

「ぬぅ……黙りか。良いではないか、それぐらい教えてくれても。いくら手前でも、手伝い(借金返済のため)に来るお主の所の神様が心配しているのを前に黙っておるのは辛いものがあるのだが……」

「……最初に言った筈だ。俺はただ真似をしているだけだ、と」

 

 巌のように黙り込んだ背中に愚痴めいた言葉を溢すと、思わぬ反応が返ってきた。

 『真似をしている』―――それは初めてシロに会った時に手前がどうやって打ったのか質問した時に返ってきた返事であった。

 この男が打った剣を見せられ、それが鍛冶師ではない男が打ったものと聞き、直ぐに思い浮かんだ疑問がそれだった。

 今ほど別格ではないが、それでも十分に優れた剣であった。

 上級鍛冶師が打ったものだと聞けば納得はしたが、それが鍛冶スキルも持たない素人が打ったものだと知れば、まずどうやって打ったのかが疑問に思った。

 何せ試しと上級鍛冶師が打った剣と打ち合わせた結果、打ち勝った剣だ。

 材料も何か特別なモノを使用したわけでもないというのに、だ。

 疑問に思うのも仕方がないだろう。

 なのに、その返事が『真似をしている』だけだと言う。

 

「ふむ、確かに聞いたの。で?」

「っ、はぁ…………お前はさっき俺が打つのは何時も同じ形だと言ったな」

 

 ふてぶてしい態度で続きを所望する椿の声音に、シロは背中を向けたままため息をつくと剣を振るうのを再開した。

 再度暗い鍛冶場の中に、風を切り裂く音が響き出す。

 

「うむ、確かに」

「正確には違う。俺は何時も同じ剣(・・・)を打っている」

「ん? それはどういう意味だ?」

 

 首を捻る椿は、これまでシロが打った剣を思い出す。

 確かにシロが自主的に―――自分のために打った剣は何時も同じ剣であった。

 白と黒の二振りの双剣。

 形も大きさも計ったように同じ剣であった。

 確かに同じ剣ではあるが、何か意味合いが違うようにも感じた。

 その椿の疑問を感じたのか、シロは言葉を続ける。

 

「言葉通りだ。俺が打つ剣は全て同じもの―――原型(オリジナル)を真似たモノにすぎん」

「っ―――ほう」

 

 一瞬息を呑む。

 今目にしている剣は相当なものだ。

 先程自分が口したことは決して大袈裟ではない。

 この男が振るっている剣は、否―――この剣と合わせて前に打った白い剣も己が打つ剣を確実に越えていた。

 なのにそれでも届いていない剣が、ある?

 

「剣の出来が良くなっていると感じるのは、俺の腕が上がっているわけではなく、ただ単純に原型(オリジナル)に近付いただけだ」

「ん? それは腕が良くなったのと同じことではないのか?」

「単純に知識が増えただけだ」

「忘れていた材質や打ち方を思い出した、ということか?」

 

 確かに、そう考えれば少しは納得できるかもしれない。

 シロの腕が急に良くなった、のではなく。

 打ち方や必要な材料、条件などを思い出した結果、完成度が上がったと考えれば。

 

「……似たようなものだ」

「ほう……ならば近い内にその原型(オリジナル)と同等の剣がお目にかかる事が出来るやも知れぬとっ」

 

 ならば近いうちに、これ以上の剣を―――一つの極地とも呼べる剣をお目にかかることができるやもと興奮する椿に、ばっさりと否定の声がかかる。

 

「それは不可能だ」

「ん? 何故だ? 手前から見ても、この僅かな期間でお主が打った剣の完成度が上がる様はまさに目を見張るものがある。このままいけば、下手をすれば神の領域にまで届きかねない程に、な……」

「神の領域、か……」

 

 神の領域。

 手前が、否、全ての鍛冶師が目指すべき先。

 神が打ちし剣に匹敵する剣を、人が打ち上げる。

 言葉にすれば簡単だが、余りにも困難にすぎる儚い夢にも似たそれを、目にすることが出来るやも知れぬ。

 そんな悔しさと憧憬が混じった声を聞きながら、打ち上げた当の本人は何処か心ここに在らずといった様子だ。

 

「まさに、既にその片鱗をこの剣からは感じ取れている。目の当たりにしても未だに信じられん。ただの鋼を鍛えただけの、特別な素材を殆ど使っておらんと言うのに、『不壊属性(デュランダル)』にも匹敵しかねん剣を打つなど。神の御技と言って過言はないと思うが。だからこそ、あともう少し、そう、何か(・・)が加われば―――」

「残念ながらこれ以上のモノを打つことは無理だ」

 

 思わず言葉早く捲し立てるように言葉を吐き出していた口を、シロの容赦のない断定が閉ざした。

 続けようとしていた微妙な形で開いていた口を一旦閉じると、椿は自身の内にうねる様々な感情を落ち着かせるように一旦目を閉じ、少し時間をおいて再度開いた。

 

「―――ふむ、そこまで断定するとは、何か理由が?」

「言っただろ。俺は真似をしているだけだと。今分かる知識を全て使って打ったのがこれだ。同時に、これ以上のものは打てないこともわかっている」

「それは、もう思い出すものはないということか?」

 

 自分が足りないと感じる何か。

 自分が何れ神の領域に挑む際に必要だと直感するナニかは、やはりこの男でも至れないのかと思わず疑問にため息が混じってしまった。

 

「そうだ」

「んん? それならば、後は何度も繰り返せばもっと近付けることもできるのではないか?」

「確かに少しは近付くかもしれない。だが、例え俺がその剣を打った鍛冶師と同等の腕を持ち、材料から何もかも全てを揃えたとしても、同じ剣を造ることはできん」

 

 少し自分でもしつこいと思いながらも食い下がるも、シロは考える様子もなく変わらず断定する。

 だが、その言葉にふと違和感を感じた。

 ―――近付ける。

 ―――同じ剣。

 ―――原型(オリジナル)

 何故、この男は同じもの()を造ろうとしているのだ?

 

「別に同じ剣を造ることに拘らんでもよかろう。そもそも全く同じ剣など造れるわけがない。例え同じ形をしていようとも、必ず何かが違う。全く同一の剣(・・・・・・)など存在する筈がない。そんなモノ()を打つなど、例え神でも無理じゃないのか?」

「……」

「それに、な。そんなモノ()を打って何が良い。確かに良き剣を真似るのは腕を上げるために必要だが、それに拘る必要など何処にもない。例えそれで理想の剣が出来たとしても、それは言ってしまえば紛い物―――偽物だ。そんなモノ()を打って何が嬉しい。先人の真似をするのは、そこから先へと向かうためのもの。決して同じもの(贋作)を造る為ではない」

 

 別に責めるつもりもなかった。

 模倣とはいえ、これだけの剣を打てるのだ。

 いくらその原型(オリジナル)とやらが優れていたとしてもそこまで拘る必要は無いはず。

 ダンジョン産の特別な素材を使用するなど、別のアプローチを試すなどすれば、また違うナニかが出来るやも知れぬ。

 何より真似る―――模倣すると言うのは優れた剣を打つための技量の修練のため(・・・・・・・)のものであり、それそのもの(同じ剣を打つこと)が目的となることはない。

 そんなこと、この男なら分かっている筈なのだ。

 

「……ああ、確かにな。それでいい。お前は正しい」

「ん? どうかしたのか?」

 

 数呼吸。

 逡巡するかのように僅かな間が空いた後、何処か笑みが混じったような応えが返ってきた。

 馬鹿にするような嘲笑うそれではなく。

 何か微笑ましい、いや、まぶしいものを見たかのような少しの羨望が混じったような声音。

 思わず聞き返すも、男は変わらず振り返らず背中を向けたまま。

 一体どんな顔をしているのか、男の前に移動したくなったが、それを制するようにシロは首を横に振ると出口へと身体を向けた。

 

「―――いや、何でもない」

「おいおい、もう帰るのか? もう少し話を―――」

「残念だが、これで終わりだ」

 

 何処か逃げるような様子に、何か気に障った事でも言ってしまったかとばつの悪い気持ちになりながら咄嗟に引き留めようとする声を遮り、そのまま男は明かりの届かない位置にある暗闇の先にある出口へと歩いていく。

 呼び止めてもこれは止まらないだろうと段々と闇に紛れて消えていく背中を何とも言えない気持ちで見送っていると、僅かにその白い髪が闇の中微かに浮かぶ位置で立ち止まったシロが、話しかけてきた。

 

「―――椿」

「何だ?」

 

 直ぐに返事を返したが、正直声を掛けてくるものとは思っていなかったためか不意を突かれた形となった。

 殆んど姿が闇に紛れている状態であるためか、まるで自分が独り言を言っているかのような気持ちになりながら、男の言葉の続きを待っていると、躊躇うような様子を見せながらもシロは口を開いた。

 

「あいつは……いや、何でもない」

「元気じゃよ。よく笑いよく泣きよく騒いどる。手前の所の神とも仲良くしているようだし」

「……そうか」

 

 最後まで言い切らなくても聞きたいことは直ぐにわかった。

 聞いてきたのはシロが所属するファミリアの主神の様子。

 とある事情で現在うち(ヘファイストス・ファミリア)バイト(借金返済)をしている神のことだ。

 うちの主神(ヘファイストス)との仲も悪くなく、からかわれながらも楽しくやっているのを散見していた。

 と同じくらい、この男が関係するだろうことで気落ちした顔もまた、よく見かけた。

 

「……理由は聞かん約束だが、一度くらい顔を見せたらどうだ」

「ああ―――」

 

 神とは思えぬあの幼い瞳が曇る様を思い出し、思わず探るような声を向けてはみたものの、薄く吐息のような返事と共に、影から男の気配が完全に消えたのを感じた。

 そのまま男がいなくなった鍛冶場の中、無言のままじっと男が去った先を見つめていた女は、何時しかずっしりと頭に感じていた疲労を振り払うかのように勢いよく頭を掻き始めた。

 

「ふむ、あれは顔をだすつもりはないな、全くあの鉄面皮の下では一体何を抱えているのか……」

 

 前々から感情を表に出さない男だと思っていたが、最近は更にそれに磨きがかかり最早手前の眼力では男の心情を計ることは欠片も出来はしない。

 それでもあの様子が演技とは思えぬし、これまでの男との付き合いから素直に会いに行くとも思えない。

 鬱々としながら男が先ほどまで座っていた炉の前まで移動するとそのままどかりとそこに腰を下ろした。

 今だ赤々と燃える炎は熱く、熱気が満ちた鍛冶場の中にいながらいつの間にか冷えていた身体に熱が籠り始める。

 すると、頭に浮かぶのは男のこれからではなく男が口にした言葉。

 

 ―――原型(オリジナル)

 

「しかし原型(オリジナル)か……一体どれ程の業物だったのか一度くらい目にしたいものだ」

 

 出来上がった剣を見た。

 材料の状態から打ち上がるまで、その全てをこの目で見た。

 なのに何故あんな剣が打ち上がるのかが結局わからなかった二振りの剣。

 (シロ)には神の領域に届くやも知れぬとは言ったが、正確には違う。

 手前の目が確かならば、あの剣は既にその領域に至っていた(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 より正確に言えば、神の力を使わずに神が打った剣の領域であるが……。

 それでも驚嘆に値するものだ。

 少なくとも手前が知るものであの領域に至った人間はいない。

 だからこそ、驚いたのだ。

 あれでも届かないと口にする原型(オリジナル)とは、一体どれ程のモノ()なのか。

 

「……しかしあんな特異な素材を使用すると言うのなら、噂で耳にしてもおかしくはない筈だが……」

 

 男が打つ剣はあまり見ない形をしていたため、色々と文献やら何やら調べては見ていた。

 それでも、似たようなものはあったが、これだと思えるものは一つもなかった。

 特に殊更特徴的なアレ。

 特異な素材を使用しない中、唯一何故? と思えた素材を使った武器など、一つも見つからなかった。

 確かに似たようなモノを素材として使ったことはあるが、それはダンジョン産―――つまりはモンスターのドロップ品であるのだが、彼が使用するのはそれではなく―――。

 

「女の髪と爪か……はてさて、一体どのような剣だったのか」

 

 女の髪と爪という理解に苦しむものであった。

 

 

 

 

 

 




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第二話 変わらない―――変われない【夢】

 それは、全くの偶然が重なりあった結果であった。

 その日、彼女は間近に迫る『遠征』のための物資の準備のため外に出ていた。回る先は事前に決まっており、最終調整のために回るだけの予定で、日が落ちる前には十分にホームに戻れる筈であった。

 しかし、最後に回った店で、連絡ミスがあったのか用意していた荷物が届いておらず、思いの他時間がかかってしまったのだ。遅くなると感じ、同行していた者に遅くなることをフィンに伝えるよう頼み、伝達に出した者はそのまま帰宅させたのだが、その直ぐ後に、頼んでいた荷物が届いてしまった。

 このまま帰るのも何だと思い、今日の食事は外でとるかと歩いていた時の事だった。

 

 ―――あの男を見かけたのは。

 

「―――っ」

 

 日が落ちる間近。

 黄昏に染まる迷宮都市(オラリオ)の中の、更に人混みの隙間に僅かに見えただけのその姿。

 普通ならば本人かどうかわからない。

 そんな刹那の出会いに、何故か私は確信を持って―――気付けば声を上げていた。

 

「シロ―――」

 

 手を伸ばしても届かない距離。

 ざわめいた群衆の中では大きな声を上げても届かないだろうに、上げた私の声は思いの他小さかった。

 咄嗟に再度声を掛けようと口を開いたが、それよりも先に彼が振り返るのが早かった。

 

「リヴェリア、か?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 微かな音色が流れるそこは薄暗い店の中であった。

 オーク調を主にした落ち着いた店の装いは、一目で高級とわかる気配を漂わせている。

 店内には5~6Mほどのカウンターの他に、離れた位置にある数席のテーブルがあるだけ。

 しかし、仕切りがある訳でもないのに、他に感じられる客の気配が酷く曖昧に感じられた。

 狭くはないが、極端に席の数が少ない。

 何か魔法道具(マジックアイテム)を使用しているのか、他にいる筈の客の姿や声がはっきりしない。

 何処かから聞こえてくるハープの音色もまた、奏者の姿はなく、これもまた何処かで弾いているのか、それとも道具で鳴らしているのかもわからない。

 確かにわかるのは、カウンターの奥にいる店主の初老のヒューマンの男と、隣に座る相手の姿だけ。

 明らかに密会を主にした店とわかる中、シロはガラスかクリスタルか透明だが微かな明かりを複雑に反射させるグラスに入った酒を片手に揺らしながら、その香気を感じつつ右隣に座るエルフに声をかけた。

 

「ここには良く来るのか?」

「ある程度『ファミリア』が大きくなれば、こういった場所を自然と知る事になるからな」

 

 隣に座るエルフ―――リヴェリアもまた、カウンターに置かれたままのグラスの先を指でなぞりながら応えると、すっと目を細め隣に座る男に目を流した。

 

「それにまぁ―――個人的に使うことも少なくはないし、な」

「ほう」

 

 意外そうに微かに口元を歪めたシロに対し、遮るように左手でグラスを持ち上げてみせる。

 

「言っておくが、その時は一人だぞ」

「ふ……わかっている。有名人は大変だな」

 

 そのまま肩を竦めグラスに揺れるもので口を湿らせたリヴェリアは、返ってきたシロのからかうような口調に、すっと男の姿を一瞬で下から上まで確認する。

 ここ(・・)ではあまり気にならないが、奇抜な格好をする冒険者の中でも目を引くだろう赤を基調とした軽装甲の姿と、何よりその身に漂わせる圧力染みた存在感の強さに、リヴェリアもまたからかうように鼻を鳴らした。

 

「ふっ……それはお前もではないのか?」

「顔は知られてはいないからな」

 

 空いた手で軽く自身の頬を叩き、燻らせていた酒を一息に飲み干したシロは、コツンとカウンターの上に空になったグラスを置いた。

 

「で、何か私に用でもあるのか?」

「なければ駄目だったのか?」

 

 少しばかり固い問いかけに気付きながら、リヴェリアは再度カウンターの上に戻したグラスの端を指先でつつきながら返事を返す。

 疑問が混じった返事の中に微かな寂しさを感じ、シロはぐっと息を詰めた後、ため息と共にばつが悪そうに空になったグラスに目を落とした。

 

「……そう言うわけではないが」

「まあ、礼もあることだし、な……」

「礼?」

 

 顔を上げるシロの視線を酒の入った瓶が横切る。

 リヴェリアが席につくなり店主の男が置いていた酒瓶だ。

 薄い緑に色付けされた、これもまた一つの芸術とも思える細工がされた瓶である。樹木をテーマにしているのか、持ちやすいように作られれながらも、彫られた葉の一つ一つに葉脈さえ刻まれている見事なものだ。

 空になったグラスに注がれる酒の色は無色透明。

 漂う香りは殆んどなく、微かに清涼な緑を感じられる不思議なものだが、味は間違いなく一級品である。

 

「借りとも言えるか、最近ではレフィーヤやアイズの事で迷惑をかけたようだ」

「…………」

 

 ゆっくりとグラスに注がれる酒を見下ろしながら無言のまま返事を返すシロに、リヴェリアは注ぎ終えた瓶を置くと自分の分のグラスを手で持ち、注ぎ終えたグラスの縁に軽く打ち合わせた。

 

「大丈夫だ。私も事情を知っている。少なくともフィンたちも大体は把握している」

「―――仕事をしただけだ」

 

 チン、と金属同士がぶつかり合ったかのような音の残響が消えると、シロはまだ微かに震えるグラスを持ち上げた。 

 

「仕事か……だが、それでも助けられたのは確かだ。表だって何かが出来るわけでもないが―――」

 

 その拒絶を感じる姿に、しかしリヴェリアは苦笑ながらも笑みを浮かべると、またグラスに軽く口を付けて天井に注がれる微かな魔法の光に目を向け考えるように目を細めた。

 リヴェリアが納得していない様子に、シロもまたグラスの中を少しだけ口に入れると、胸中に濁る思いと共にそれを飲み下して一つの頼みを向けた。

 

「―――礼というのなら、あいつのことを目を瞑ってもらえれば助かる」

「何のことだ?」

 

 シロの言葉の意味がわからず、思わず小首を傾げてしまう。

 さらりと髪が涼やかな音をたてる。

 その音を耳に、シロは視線をグラスの中に向けたまま『礼』の続きについて語った。

 

「うちの―――いや、ベル、ベル・クラネルのことだ」

「ああ、あの。で、目を瞑れとは何だ?」

 

 「目を瞑れ」という少しばかり不穏な言葉と、リヴェリアの脳裏に浮かんだ純真無垢とばかりな真白い少年の姿が重ならない事に、思わず声色の中に戸惑いが混じっていた。

 

「最近、そちらの剣姫に色々と教わっているようだ」

「……あいつめ」

 

 一瞬にしてリヴェリアの纏う雰囲気に物騒なものが混ざった。

 静かに、しかし重々しいその呟きは、聞くものが聞けば体の震えを止めることはできないだろう。

 勿論、その中に件の人物がいることは言うまでもない。

 

「そう怒ってやるな。本人も問題をわかっていないわけでもないようだ。朝早く人目のつかないところで鍛えてやっているようだしな。それに、元々の要因は私にもある」

 

 他の『ファミリア』の者に色々と便宜を図ることは珍しいことではあるが全くないわけではない。

 仲が良い『ファミリア』同士ならば、訓練だけでなく物資の融通もすることもある。

 しかし、リヴェリアの所属する『ロキ・ファミリア』と『ヘスティア・ファミリア』はその主神同士の仲がよろしくはない。

 ならば、それを知られれば色々と面倒くさい事になるのは間違いないだろう。

 それを知っているシロがフォローするように眉間にシワを寄せ始めたリヴェリアに声を掛けるも、その皺が緩むことはなかった。

 ばれたら―――他の団員は兎も角、主神であるロキに知られれば、そのとばっちりを受けるのは間違いなく副団長である自分だとある種の確信を抱いたリヴェリアの思わず出た声が物騒なモノとなるのも仕方がないことだろう。

 そういった諸々の感情をグラスに入った酒と一緒に一気に飲み干したリヴェリアは、睨み付ける勢いでもってシロを見た。

 

「そうだな。何故自分で教えない」

「基礎の基礎は教えてはいたが、あいつの成長は急すぎた―――本格的に鍛え始める前だったからあいつも鍛練の方法がわからないんだろう」

「だから、今からでも自分で教えればいいだろう」

 

 空になったリヴェリアのグラスに、今度はシロが酒を注ぐ。

 ゆっくりと注がれる酒に視線を向けることなく睨みつけてくるリヴェリアから逃げるように注がれる酒へと目を向けていたシロだったが、とうとう注ぎ終えてしまうと観念したように残り僅かとなった酒瓶を横へ置いた。

 

「事情があってな……色々と…………」

「っ―――まあ、それでお前が納得するならこちらとしても何か言うつもりはないが……」

 

 大切な、それも主神を除けばたった一人の【ファミリア(家族)】の事だ。

 普通ならば他の、それも別の【ファミリア】の者に任せたりはする筈がない。

 それが分かるからこそ、リヴェリアは何か言いたくても口にすることはできなかった。

 シロにか、それとも自分にかは分からない苛立ちに、衝動的に注がれたばかりの酒をまたも一気に仰いだ。

 

「感謝する」

「それで借りを返せたとも思えんがな」

 

 小さく頭を下げるシロに、段々と酒精が混じり始めた吐息を溜め息と共に漏らす。

 

「いや、十分だ」

「そうは言うが、多分だが、アイズも何か考えがあって教えているのだろうからな。やはりそれだけというのも、こちらの具合が悪い気が…………」

 

 横目で見たシロの殊勝な態度に、少し感情的になっていた自分に罰の悪さを感じたリヴェリアが思わず顔を背けてしまう。

 この話題は終わりだと言外に伝えるリヴェリアの意思を感じ、シロが当たり障りのない話題を向ける。

 

「そこまで気にしなくてもいいと思うが…………それより、そんな事を気にしている余裕はあるのか。噂に聞こえているぞ『遠征』が近いと」

「既に準備は殆んど終わった。後は予定日まで最終調整といったところだ」

「59階層か」

 

 背けていた顔を戻したリヴェリアが、不敵な笑みを浮かべシロを挑戦的に見返した。

 その目は強い輝きが灯っていた。

 誰もまだ足を踏み入れていない階層は、踏破された階層と違いあらゆるものが未知で満ち溢れている。

 危険は勿論の事、新たな素材、モンスター、貴金属―――そして景色(世界)もまた。

 

「そう『未踏達階層』だ」

「『まだ見ぬ世界』、か」

 

 少し興奮したような口調のリヴェリア。

 何時もの冷徹にも感じられる普段の様子から掛け離れたリヴェリアの姿に、シロがからかいとは違う何処か優しげな笑みが混じった声に向ける。 

 

「っ、お前……」

 

 その声音に思わず声を荒げかけたリヴェリアだったが、グラスを片手に何処か遠くを見るシロの姿を見て、続く言葉をなくし黙り込んでしまう。

 

「何だ?」

 

 酒が回ったのか、声を上げるも雪のように白い頬に朱を混ぜさせ黙り混んでしまったリヴェリアの姿に、シロが不思議そうに首を傾げる。  

 

「……いや、何でもない」

 

 蚊の鳴くような小さな声で返事をするリヴェリアに、シロは疑問を払うようにグラスに残った酒を左右に振り始めた。

 

ここ(オラリオ)にいれば、ある意味『夢』は叶い続けるようだな」

 

 開いた口から出たのは、少し前に聞いた筈なのに、随分昔に聞いたかのように感じるリヴェリアの『夢』について。

 なに不自由のない王族としての暮らしを飛び出して、外の世界へと向かった理由()の事。

 『まだ見ぬ世界を』―――狭い窮屈なエルフの世界を飛び出した原動力にして『夢』そのもの。

 

「ああ、そうだな。勿論、こんな所で終わるつもりもないが」

 

 自然と笑みの形となっていく口許を横目で見ながら、シロもまた小さく笑った。

 

「世界は広い。その(まだ見ぬ世界を見る)は、終わることはないが、叶い続けるものでもあるな」

 

 『未到達階層(まだ見ぬ世界)』だけではない。

 何時かは未知に詰まった迷宮都市(オラリオ)すら飛び出して、またもう一度外の世界(まだ見ぬ世界)を回る。

 それが彼女(リヴェリア)の夢。

 

「……それは、お前もじゃないのか」

「…………」

 

 ポツリと、そう呟かれた言葉は、シロが浮かべていた笑みを解かすように消し去った。

 

「実際、お前は救っている。私が知るだけでも両手で数えきれないぐらいのな。自覚しているのかしていないのかはわからないが、お前は普通に冒険者をしていたのでは考えられない数を救っている」

 

 シロの身に纏う気配が変わったことを気付きながらも無視してリヴェリアは言葉を続ける。

 視線はカウンターの向こう。

 並べられた数えきれない幾つもの酒瓶へと向けられていた。

 隣に座る男がどんな顔をしているのかはわからない。

 ただ、笑っていないことは明らかだろう。

 リヴェリアは、その事に理由がわからない胸の痛みを感じながら、それでも口を止めることはなかった。

 

「もう長い間ここにいる私よりも多くの、な」

「…………」

「―――辛くは、ないのか」

 

 無言の間を作るのを嫌がるように、咄嗟に口から出た言葉は、以前から感じていたものであった。

 

「辛い?」

 

 ―――なにもなかった。

 本当に『辛い』と感じたことがなかったのだろう。

 返ってきた言葉には、ただ―――虚をつかれたかのような声だった。

 

「何時も、救えるわけではない筈だ」

「…………」

 

 無言は、肯定だろう。

 どんなに強くとも、どれだけ速かろうとも、何時も窮地の誰かを救えるわけではない。 

 

「何時も間に合うわけでも、助けられるわけでもない」

 

 今もまた、同時に、何処かで、複数ヵ所で誰かが窮地に陥っているだろう。

 危機に間に合ったとしても、溢れる命を救い続ける事など出来る筈がない。

 何時かは(何時も)―――きっと彼は取り零している。

 その想い(願い)とは裏腹に。

 

「感謝されるだけでもない筈だ」

「…………」

 

 無言の肯定は続く。

 大事な者がいなくなれば、例え命の恩人だとしても責めてしまう者は多い。

 見当違いとわかっていても、感情とは儘ならないものだ。

 例え窮地に駆けつけ自分を救ってくれた『正義の味方』であっても、間に合わなかった仲間がいれば『間に合わなかった(救ってくれなかった)(正義の味方)を責め立てる者もいる。

 それは―――仕方のないことだ。 

 

「まだ、続けるのか」

「…………」

 

 無言は続く。

 

「……すまない。別に説教するつもりはなかったのだが」

 

 微かに聞こえていたハープの音色も、もう聞こえない。

 無言の―――静寂が二人の間に満ちる。

 横目でも隣を見ることが出来ず、空になったグラスに視線を逃がしていたリヴェリアに―――

 

「飲みすぎてしまったか……」

「―――俺は、変わったか……」

「え?」

 

 かすれた声が向けられた。

 

「お前の目から見て、俺は、変わったように見えるか」

 

 咄嗟に横に向けた視線の先で、淡い光を漂わせる天井を見上げているシロの横顔があった。

 細めた目はここではない何処かを見るように遠くに視線を向け、僅かに寄った口元は、何処と無く苦しげに引き締められているように感じられた。

 

「……シロ」

「―――すまない。久しぶりに飲んだせいか、どうやら私も酔ってしまったらしい」

「そう、か…………」

 

 思わず上げた声に、シロの口元がほどけ言い訳をするように苦笑い混じりの声が返ってくる。

 しかし、リヴェリアの瞼の裏には、一瞬目に入った虚無が浮かぶシロの瞳が焼き付いていた。

 それでも、リヴェリアは言及することが出来ず頷きながら言葉を尻すぼみに消していく。

 頷きに傾いた顔はそのまま下に向けられたまま動かない。

 さらりと二人の間を遮るように、溢れた髪がリヴェリアの横顔を隠してしまう。

 互いに言葉を繋ぐ事が出来ず、酒も二つのグラスの中にはない。

 シロの手がカウンターに触れ―――

 

「そろ―――」

「―――変わっていない」

 

 腰を上げようとした時、緑の奥から小さくもはっきりとした声が返ってきた。 

 

「―――」

「私は、そう思う」

 

 思わず座り直したシロが、横目で隣を見る。

 リヴェリアは動かず、その遮りから向こうの横顔は朧気で、どんな顔をしているのかはわからない。

 その声もまた、感情によるブレが感じられず。

 それは抑制したような、不自然な硬質さを感じさせた。

 

「変わっていない、か……」

「お前は、そう思っていないのか」

「どう、だろうな」

 

 リヴェリアの疑問に、自身に問いかける。

 これまで―――今まで何度となく問い続けた。

 

 自分は、変わったのか?

 

 自分は、変わっていないのか?

 

 ―――それとも、戻ったのか?

 

 いや―――そもそもオレニハ―――

 

「変わったのか、変わっていないのか……そもそも変わったと言えるようなモノが、もとからあったのか……」

「『夢』は、どうなんだ……今でも、お前の『(全てを救う正義の味方)』は変わっていないのか?」

 

 問いかけるリヴェリアの声に震えが混じり出す。

 苛立っているような、怒っているような、悲しんでいるような―――複雑で、そして単純な感情が混じった震え。 

 出来ることならば、今すぐその震えを止めたいが、どうしてもそれはできなかった。

 言い繕うことは出来るだろう。

 しかし、彼女はそれを決して認めないだろう。

 そんな予感が、確信めいたものがあった。

 だから、何も言うことが出来ず。

 ただ、黙り込むしかなかった。

 

「…………」

「『正義の味方』になる、か―――言葉にするのは容易いが、それの意味するところを突き詰めれば、答えのでない複雑で困難な道だ」

 

 真っ当で、真っ直ぐな気性の持ち主ならば、いや、幼い小さな頃、誰もが一度はふと夢にした事もあるかもしれない。

 そんな綺麗で純心な想い(願い)は、現実という重みの前に地に落ち汚れて潰れてしまう。

 過去―――この迷宮都市(オラリオ)にも【正義】を掲げる者達は多くいた。

 しかし、今はいない。

 たった一つの正義などなく、彼ら彼女らは多数によって最後には消えていってしまった。 

 

「絶対的な正義というものは存在しない。立場で、状況で、境遇で―――立ち位置によって常に『正義』は変わってしまう。そう、人を襲うモンスターにとって、私たち(冒険者)が悪であるように、絶対的な正義など何処にもありはしない」

 

 そう、あのモンスターでさえ絶対悪ではない。

 三大冒険者依頼の最後の一つ―――【隻眼の竜】さえも崇める者達もいるのだ。

 あらゆる者達の中に正義はあり、それは似ているが一つ一つ全てが違っている。

 それを皆、自覚しながらも―――自覚していない。

 

「そんなこと、お前もとうに理解しているだろう」

「ああ……」

「…………っ、それでも、お前は目指すのか、『正義の味方(全てを救うこと)』を」

 

 誰も彼も救いたい。

 そんな余りにも真っ直ぐで当たり前な【願い()】を持つ者だからこそ、きっと誰よりも理解している。

 そんな事は、不可能だと。

 

 何故―――

 

 どうして―――

 

 何で―――

 

 お前は、目指すのか…………。 

 

「感謝もされず、利用され、裏切られ、結果なにも為せず朽ちることになるかもしれない、それでも……」

「―――それでも」

「っ」

 

 ナニかが、切れた気がした。

 怒りか―――

 悲しみか―――

 それとも、それ以外のナニかか―――?

 閾値を越えて、その衝動のままに何かを言おうと顔を上げて―――

 

それしか(・・・・)、ないからな」

「―――――――――」

 

 見て、しまった。

 

「…………『それしかない』って。シロ―――お前それは」

 

 何か、何かを言わなければという恐れにもにた焦りのままに上げた声には、すがるようなそれで―――自分でも情けないと感じるような弱気な声で…………。

 視線は動かせず、まるで魔法でも掛けられたように動かない。

 

「リヴェリア」

「―――」

 

 静かなその声は、まるで堅い、固い、硬い―――剣のようで。

 

「それしかないんだ」

「お前―――」

 

 震えの一切ない。

 迷いが感じられないそれは、無機質で。

 

「すまないな」

 

 なのに、何故か、酷く脆くも感じられ。

 それはきっと、自分を見つめる瞳の奥に―――

 

「遠征を前に気を悪くさせてしまったようだ」

「待て、シロ―――っ」

 

 息を飲んでいることしか出来ないでいる間に、シロはカウンターにジャラリと明らかに多目の代金を置くとその場を立ち去るために席を立った。

 そのまま背中を向け逡巡することなく立ち去ろうとする彼の背中に、胸を突く衝動のままに声を掛ける。

 しかし、続く言葉は出ない。

 このまま行かせてはいけない。

 確信めいたその感情が赴くまま―――何時もの冷静で理性的な意思から外れたところから続いた言葉は―――

 

「―――っ『ファミリア』はっ! ヘスティア様はっ、ベル・クラネルはどうなんだっ!」

「……………………」

 

 淀みなく進んでいた彼の足を止めた。

 数歩だけ進んだ先。

 手を伸ばしても僅かに指先が届かない。

 そんな間近といってもいい距離が、余りにも遠く、断絶しているように感じられる。

 

「彼らは―――お前の『ファミリア(家族)』だろう」

 

 繋ぎ止めるように吐き出した言葉は、微動だにしない背中に当たり何処へ行ったのか。

 一体、今、彼はどんな顔をしているのか。

 何を思っているのか。

 それは―――わからない。

 

それ(正義の味方になる)しかないなんて、そんなこと―――」

「リヴェリア」

「―――っ」

 

 彼の【(正義の味方)】を否定するかのような言葉は、変わらず硬い硬質な声をもって返された。

 言い切れなかった最後の言葉を口の中で噛み潰し、知らず険しく厳しくなった目で彼の背中を睨み付け―――

 

「―――すまない」

 

 堅く(脆く)強い(弱い)その声に、力が抜けてしまった。

 そのまま、その一言だけ告げ、彼は去っていった。

 一度も振り返ることなく。

 どんな顔をしていたのかわからない。

 声からも、その感情を推し量る事はできなかった。

 そして自身もまた、胸に渦を巻く感情があまりにも複雑で。

 初めて感じる胸中に満ちる嵐のような想いの中―――溢れ出た言葉は―――

 

「―――何故、お前が謝るんだ…………馬鹿が………………」

 

 

 

 

 ―――どうしてか、少し濡れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。


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第三話 異形なる弓兵

 注意 

 ダンまちとFateについての独自的な解釈があります。
 何かおかしな点がありましたらご指摘をお願いします。
 ただ、ご指摘があったとしても、それを反映するかどうかはわかりません。
 ご不快に感じられたのならすみません。


 一際強い風に、眉根を寄せるように僅かに目を細めた。

 日が沈む黄昏時に生まれた叩きつけるかのようなその風は、ぶつかった相手の目を細めさせただけであるのが不満のように、甲高い声を上げて通りすぎていく。

 低く鋭い風が通りすぎる音を耳に、視線の先、細めた目に映っていた光景の上下にまるで一昔前の映画のように黒い線が走る。

 それはまるで、こことあそこが虚構と現実と同じぐらいの隔たりがあるのだと知らせるかのようで。

 自分が本当にここにいるのかという足元が揺れるかのような心持ちが、一瞬胸を過る、が―――。

 

「―――っふ」

 

 しかしそれも、小さな抜けるような吐息と共に消えていく。

 常に吹き寄せる風の中に紛れて消えたその吐息には、微かな笑みが混じっていた。

 それは、久しぶりに見る、共にいる変わらない二人の姿を見たからからなのか。

 正確には二人ではなく三人だが、そんな事は些細な話だ。

 前へ―――強くなるために努力し汗を流す少年と、それを見守る彼女の姿。

 投げられ、蹴られ、叩かれる度に、何度も立ち上がり向かっていく少年。

 少年が倒される度に文句を言いつつも、声援を送り続ける彼女。

 それを微笑まし気に見ながらも、容赦なく訓練を続ける少女。

 世界が黄金に染まる一日の刹那の景色に繰り広げられるそれは、確かに何かの物語の一幕のようで。

 

 だからこそ男は―――シロはそこに立ち入る事ができない。

 

「相変わらず、か…………」

 

 二人は、変わらない。

 少なくとも、シロにはそう感じられた。

 顔立ちは全く異なっているのに、姉弟のように感じられる二人の姿。

 彼女が少年を見る目は常に優しく。

 母が子を、と言うよりも、姉が弟を見守る近さと暖かさを感じる。

 それは、自分があそこにいた時と変わらない。

 

 良いこと、なのだろう。

 

 普通に考えれば…………。

 事実二人の姿を見る何時も無表情を常にしているかのような少女も、その口の端を僅かにだが笑みの形にしている。

 微笑ましく暖かいその姿は、確かに良いものなのだろう。

 しかしそれは―――それを見る自分には、何処かずれ(・・)を感じる気がした。

 別に二人の間に何か不自然なものがあるわけではなく、ただ自分が一人勝手にそう感じているものでしかない。

 だがそれが―――それこそが自分があそこ(二人の下)にいけない理由だった。

 リヴェリアは言った。

 何故、と。

 何故、ベルを自分で鍛えないのか。

 何故、【ファミリア】に戻らないのか―――と。

 その理由はいくつかある。

 しかし、元を辿ればたった一つに行き着く。

 

 

 

 それは―――俺が、この世界(・・・・)の者ではないということ。

  

 

 

 地平の彼方に日が沈み、その姿を朧気にしていく。

 黄昏時が終わり。

 世界か、暗く落ちていく。

 夜の闇が、少しずつ三人の姿を隠していく。

 この目には、それでもはっきりと三人の姿を映している。

 日が落ちてもまだ訓練は続いていた。

 憧れへと少しでも近づくために、何度も傷つき叩きつけられながらもその憧れへと向かっていく姿が見える。

 何時までも見ていたい、そんな光景は、やがて月が天上に輝く頃に終わりを告げた。

 剣を納め、訓練の終わりを告げるアイズに、ベルは倒れ込みそうな身体を何とか自力で支えながら頭を下げている。それを見るアイズは何処か満足げな雰囲気を漂わせながら頷いていた。

 自分が見ている限りでは、ベルは初めて一度も気絶することなく訓練を終えていた。

 きっと彼女はその事に、ある種の達成感のようなものを感じているのだろう。

 それから三人はそれぞれ片付けを終えると、魔石灯の灯りが広がり、迷宮から帰還した冒険者たちを迎えて昼間と違う賑わいが広がる都市内へと向かって歩みだしていった。

 アイズを先頭に、ヘスティアはふらつくベルと手を繋ぎ、導くように少し前に、同時に並ぶようにして。

 市街地へ降りるために階段にその姿が消えていく。

 

 

 

 自分がこの世界の者ではないと、確信を持ったのは最近のことだった。

 ただ、漠然とだが、違和感は最初からあった。

 人間ではない様々な種族が生活し、魔術―――いや、魔法が日常に存在し、揚げ句には神が地上を闊歩している。

 目が覚めた―――何もわからなかったあの時から既に、何か違うと感じてはいた。

 しかし、あの時のオレには、それを言葉にする知識も記憶も何もなかった。 

 だからそれは、記憶がないことからの違和感だと思っていた。

 それが違うとわかったのは、あの怪物祭(モンスターフィリア)の事件。

 あの時得た(失った)知識(記憶)の断片が、自分の知る世界とこの世界の違いを露にした。

混乱も、戸惑いも確かにあった。だが、それだけだった。ああ、やはり―――という納得と共に、オレはその事実を疑うことなく自然と受け入れていた。

 そして形が露になった違和感を胸に隠したまま、オレはそれからも何もなかったように二人の傍にいた。

 しかし、その後に受けたステイタスの更新、そしてミアハがヘスティアに告げた警告を前に―――オレは二人の前から姿を消した。

 その後は―――惰性のように生きていた。

 ミアハの警告は、実のところを言えば前々から漠然とだが自身でも感じていた。

 自分の身体の奥底に蠢くナニか。

 力を封じているとはいえ神が恐れるそれと、自身の中にあるだろうナニかは同じものだろう。

 二人から逃げるように離れ、行く場所もなく、目的もなく、ただ一人ダンジョンや街を巡る日々。

 そしてまるで刻まれた命令に従う機械のように、助けを求める声に機械的に対応する日が続く中、彼女に―――リヴェリアと出会った。

 彼女の事は知っていた。何せあのロキファミリアの副団長だ。耳を閉じていたとしても、ここにいればどうしても入ってくるものだ。

 しかし、目の前にし、話をしたのは初めてだった。

 だからと言って、何か感慨があったわけではない。

 ……それなのに、何故か彼女と話をしていると胸がざわつく何かがあった。

 ―――だから、なのかもしれない。

 ただ、内から命じられる声に従っているだけに過ぎなかった人助けを夢だと語ったのは―――。

 僅かに残っていた記憶を理由に、それが自分の夢だと―――まるで、何かを誤魔化すように彼女に語って…………。

 

 

 

 あれから後も、オレはただ機械的に人助けを続けていた。

 助けられた時もあれば、助けられない時もあった。

 感謝される時もあれば、非難される時も、利用され騙される時もあった。

 それでも、オレは構うことなくただ、救い続けた。

 オレの助けが必要な者は、大抵が冒険者だった。

 そしてその危機の原因は大抵がモンスターであり、助けるにはそのモンスターを何とかするしかないのが大半だった。

 だが、オレのレベルは1でしかなく、異形のこの身体とはいえ、ままならない戦いもあった。

 

 だから、削った。

 

 自身に刻まれた異形のスキル(無窮の鍛鉄)を使い、肉体を―――霊基を昇華させ鍛え上げた。

 その度に、欠落していく記憶と補完される知識。

 少しずつ、しかし確実に変化していく己を自覚しながら、それでも止まることなく進み続けた。

 そして、遂にはこの身体に残っていた記憶は一欠片もなく削り落とされ―――代わりに異界(元の世界)の知識が詰め込まれていた。

 最早、オレは彼女の知るオレではないだろう。

 もしかしたら、彼女の前に現れたとしたも、気付かれないかもしれない。

 それだけ、オレの中は変わってしまっていた。

 

 楽しげに笑うヘスティアの姿を見る。

 

 背中に刻まれた契約()は、もう形だけのものとなっていた。

 スキル(無窮の鍛鉄)を使う度に、オレに刻まれた契約は剥がれ落ちるようにその繋がりが薄くなり、多分、彼女の手による更新さえ既に受け付けないだろう。

 きっと彼女は、その事に気付いている。

 力を封じてはいるが彼女も神の一柱だ。

 たった二人の眷族の異常に気付いていない筈がない。

 不安だろう。

 戸惑いもあるだろう。

 何が起きているか分からず混乱しているだろう―――それでも、彼女は笑っている。

 笑って、いてくれる。

 その笑顔を曇らせる要因が自分にあると知りながら、それでも笑っていてほしいと願う自分は一体なんなのだろうか。

 自分があそこにいられない理由。

 自分が、この世界の存在ではないこと。

 いる筈がない自分がここにいることで、もしかしたら、今まで様々なものを歪めてきたのかもしれない。

 人との出会い、感情、関係性……そんなことが許されるのか?散々モンスターを殺し、人を救っていながら、時に頭を過るその疑問に答えられるものなど、誰にも―――それこそきっと神にもいない。

 だから、オレのこの考えも意味のないものなのだろう。

 だが、それでも考えてしまう。

 自分が、ヘスティアとベルの関係を歪めてしまっているのではないのかと……。

 ベルを見つけ、ファミリアに誘ったのはオレだったが、あの状況なら、ヘスティアが手を差し伸べていただろう。

 なら、自分はその出会いを邪魔したのではないのか。

 時折、そんな考えが頭を過る。

 答えのでないものだ。 

 きっと、二人に話したとしても笑われるだけだ。

 それでも、一度浮かんだそれは泥のように思考の端にこべりつき、事あるごとにオレに囁いてくる。

 

 『お前は異物だ』、と……。

 

 ……ベルは、もう大丈夫だ。

 勿論、まだまだ甘く経験も浅い初心者だが、一人で立ち上がる力と進み続ける意志の力がある。

 問題があったサポーターの少女とも上手く言っているようで、あの一件以降二人でダンジョンに行く姿も見た。

 まだ完全に問題が解決したわけではないが、きっとそれも何時か解決するだろう。

 

 ―――自分の手など必要とせずとも……。

 

 何時か、このまま時が過ぎていけば……二人のもとにはきっと多くの人が集まりオレの事など思い出さなくなる日も来るのだろうか。

 全て忘れ去って、オレなど元からいなかったかのように……。

 

「―――馬鹿な」

 

 そんな筈がない。

 そんな優しい二人じゃない。

 きっと、何時までも忘れない。

 ほんの数ヶ月。

 一年にも満たない日々を過ごしただけなのに、きっとあの二人は死ぬまで忘れない(忘れてくれない)だろう。

 

 甘く。

 

 優しく。

 

 温かく。

 

 本当に、家族のように感じるほど……。

 

 それは、オレも同じで、だからこそ―――

 

「―――見逃せないこともある」

 

 

 

 

 

 石造りの階段を降りきった三人が、都市北西の端の裏通りにある扉から姿を現した。

 周囲は完全に日が落ちたことから、三人の姿を照らす出すのは、天上に輝く月と星。

 そして設置された魔石灯だけ。

 そんな中を、疲労も濃いだろうに、手を引くヘスティアと楽しげに話しながら歩くベルと、その前を歩く涼しげな顔をしたアイズ。裏通りにしては道幅が広いそこを、三人だけが歩いている。

 周囲に人影は―――ない。

 彼らが足を動かすのに比例するように、落ちていく影は濃くなっていく。

 少しずつ―――しかし確実に。

 それは少し不自然に感じられた。

 時間帯は夜。

 しかし、三人が歩くそこは裏通りとはいえきちんと等間隔で魔石灯が設置されているある程度整備された場所の筈。

 なのに、進む度に彼らを取り巻く夜の闇は濃くなる一方で。 

 それは、作為的な匂いが感じられた。

 アイズもそれを感じているのだろう。

 周囲を見る目に警戒心が宿り、纏う雰囲気もまた鋭いものが混じり出していた。

 その警戒は正しい。

 それを示すかのように、アイズが向けた視線の先にあるポール式の魔石灯は意図的に破壊されていた。

 アイズの本能と理性が危険を告げ、身体と意識が戦闘態勢に移行する―――瞬間。

 

「「「―――――――――ッ!!!?」」」

 

 爆音が響いた。

 通り沿いに並ぶ無数の民家の一角。

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 気が進まないお願い(命令)だった。

 いや、彼にとって気が進むようなお願い(命令)など、あの方から離れるようなものなどどれ一つとして認められないものだ。

 しかし、当の本神からのお願いならば、嫌ではあるが従わないわけにはいかない。

 今もこうして離れている間も、他の誰かがあの方の傍にいることを思うだけで、苛立ちが募る。

 お願いされたのが自分一人ならば少しはその苛立ちもましだったかもしれないが、残念なことに余計な者達がそこにはいた。

 確かに、今から襲撃する相手のことを考えればその判断は正しいだろう。

 自分の主の決断を、論じるつもりはないが、やはり不満は生まれる。

 俺だけでいい。

 俺だけで十分だ。

 そう思いながらも、苛立ちを噛み潰しながらもう一組の同じ命令を受けた者達を睨み付ける。

 

「―――ッ」

 

 自分と同じように、何時もと違う様相の4人組。

 民家の上、影になった一角。そこにいると知っていても見失いかねない程に気配を隠し、4人の小人族がいた。

 正体を隠すような闇と同じ色をした防具に短衣、そして顔を覆うバイザー。一見すればその奥に隠れた姿を見出だせる者は少ないだろうが、手を合わせれば直ぐに気付かれるだろう。

 だから、結局のところこの格好は文字通り格好だけ。

 一応、自分の最高の装備ではないが、それなりの装備ではある。しかし、これから戦闘となる相手は都市有数の実力者。

 劣っているとは認めはしないが、強敵であるのは間違いはない。

 但し、今回は戦闘そのものが目的ではなく、あくまで警告のためのもの。

 ならば、相手があの剣姫だろうとも十分だ。

 苛立ちはある。

 不満もある。

 だが、それに加え、高揚も実のところあった。

 何せあの剣姫と全力ではないとはいえ手を合わせられるのだ。

 上手くすれば経験値を得る事ができるかもしれない。

 そうなれば、もっと強く。

 あの方の傍にいられるかもしれない。

 あの忌々しい猪を押し退けられるかもしれない。

 知らず、喉が物騒に鳴っていた。

 あの方の最も近くにいる。

 目の上のたんこぶのように鬱陶しい男の姿が浮かぶ。

 今もまた一人、あの方の命令を受け今もダンジョンに潜っているのだろう。

 ある意味、自分はそのとばっちりを受けているのではないのか。

 自分の考えに自分で苛立ちながら、暗闇の中、じっと待ち続ける。

 奴等は、確実にここを通る。

 下調べは既に終え、邪魔が入らないよう事前にこの辺りの住民は叩き出していた。

 少々暴れても騒ぎにはなるまい。

 ならば、折角の機会。

 あの方の命令と同時に存分に試させてもらおう。

 天に突き立つ獣の耳が、微かな足音を拾う。

 間もなく始まるだろう戦いを喜ぶかのように、右手に握る2Mを越える銀槍がぎしりと鳴いた。

 相手も漂う気配を敏感に感じ取ったのか、その身に警戒心を纏っている。

 ならば、と最早漏れ出す殺気を隠すことなく、暗闇から足を踏み出そうとし―――

 

「――――――ッ!!?」

 

 全力で回避した。

 咄嗟に逃げた先は上空。

 4人の小人族が隠れていた民家の上だったが、既にその姿はそこにはなかった。何故ならば、そこにいる筈の4人もまた、自分と同じく襲撃を回避していたからだ。

 つまり―――

 

「ち―――いッ!!」

 

 盛大な舌打ちと共に、回避行動に移る。

 視界の端に、4人組もまた自分と同じように間断なく飛来してくる矢を避けていた。

 途切れなく飛来してくる矢は無数。

 しかし、そのどれ一つとして無駄なものはなく、一矢一矢に必殺の意志と力が籠っていた。

 逃げた先の屋根上を砕く勢いでもって避け続ける。ただの住宅の屋根が、高位の冒険者の踏み込みに耐えられる筈もなく、避け続ける度に避けた矢も加わり瞬く間に逃げる先(住宅の屋根)が砕け散っていく。

 見晴らしが良すぎると、地上に移動しようとするも、その度にそれを制するように矢が襲いくる。

 

「くそっ―――タレがッ!!!」

 

 油断はなかった―――なのに避けきれず、遂には手に握った銀の長槍を振るい矢を打ち払う。

 当たった瞬間、矢は爆散するかのように砕け散った。

 折れるのではなく、細かい粉のように砕けたのは、自分の振るった槍の強さではなく、矢に込められた威力の強さゆえ。

 それを直感し、背筋に氷が突き刺さったかのような寒気に襲われる。

 

(―――出鱈目だッ!!?)

 

 直感が正しいことを示すかのように、長槍を握る手にビリビリとした痺れが走っている。

 まるで深層のモンスターの一撃を受けたかのような衝撃だ。

 

(魔法!? ―――それともスキルか!?) 

 

 避け、弾き、ただ途切れない矢の雨から逃げ続けながら、思考を巡らす。

 飛んでくる矢は一方向から。

 襲撃者の姿は確認できない。

 夜とはいえ、自分(高位冒険者)の目でも確認できないということは、かなりの距離があるということ。

 矢の数からいって少なくとも襲撃者は3人、いや5人か?

 

(っ―――そんな筈がねぇだろっ!!?)

 

 だがその考えを直ぐに否定する。

 都市(オラリオ)有数―――上位に位置する自分が逃げに徹さなければいけない弓使い?

 そんな奴の話なら何処かで絶対に耳にする筈。

 なのに、今の今まで聞いたことがない。

 それが複数?

 有り得ない。

 なら、これはどう説明する?

 今、現実に襲ってくる相手は―――では一体何者だ?

 もう数十は襲ってきただろう矢は、それでも途切れなく襲いかかってくる。

 隙をみて(地上)へ移動しようとするも、そんなもの()は何処にもなく、まるで熟練の狩人に狙われた獣のように、逃げ場所を封じられて―――

 

(誘導、させられている―――?!)

 

 避けているのではなく―――ただ誘導させられていると気付いたのは、3人組。襲撃対象であったアイズ・ヴァレンシュタイン達がいた場所から気付けば遠く離れていた―――離されていると気付いたため。

 瞬間、敬愛する主のお願い(命令)が脳裏に甦る。

 

(あの方の期待を裏切ってしまうっ!?)

 

 それは、何をしても許されないことだ。

 だから、断腸の思いと共に、もう一組の襲撃者にあの方の命令(お願い)を遂行させようとする―――が。

 

「なっ!?」

 

 思わず驚愕の声が漏れてしまう。

 最初の攻撃の時、確かにあいつらも攻撃を受けていた。

 だが、それは最初だけだと思っていた。

 これだけの威力、そして数、何より(高位冒険者)を押さえ込むには相当な負担が絶対にある筈。

 ならば、矢の攻撃は今は自分に集中しているだけだと。

 何せもう一組は4人もいる。

 認めたくはないが、あの4人が揃えばその連携は厄介なものがあり、こういった対処にも人数がいる分相手にするには負担が大きい。

 だから、最初はともかく今は俺にだけ攻撃が集中しているのだと無意識に考えていた。

 それが―――

 

「貴様等ぁっ―――何をやってやがんだ!?」

「「「「―――うるっ、さい!!?」」」」

 

 煮えたぎる葛藤を圧し殺し、あの方の願いの遂行をやらせてやろうとの考えは―――自分と同じく矢の襲撃を受ける四つ子の姿に驚愕混じりの怒声を上げてしまう。

 それに返ってきた声にもまた、同じく驚愕と怒りが混じっていた。

 どうやらあちらも同じような心地でいたのだろう。

 俺を見る目に怒りと共に驚きが混じっていた。

 4人組は少し離れた場所にある、周囲の建物よりも頭一つほど高い塔のような場所に逃げた(追い込まれた)ようで、どう誘導したのかわからないが、襲いくる矢が籠のように狭い塔の天上の上にあの4人の兄弟を纏めて縫い止め(足止めし)ていた。

 姿の見えぬ襲撃者からの遠距離の攻撃は、比類なき連携によりレベルの差さえ覆す力を持つあの兄弟さえ翻弄していた。

 今も何とか矢を凌ぎ、まるで一つの生き物のような連携をもって塔から離れようとするが、その度にその連携を断ち切るように穴とも言えない連携の隙間に矢が正確に飛んでいく。

 

 そう―――俺と同じように。

 

(―――馬鹿なっ!!?)

 

 あの4つ子を足止めしながら、俺さえも翻弄する。

 

 数人どころじゃないっ―――いや、それも有り得ないっ!?

 

 なら何だ?

 

 まさか―――一人?

 

 馬鹿なっ!!?

 

 そんな奴いる筈がっ!?

 

 動揺は収まらない。

 確かに、認めたくはない、認めないが、己よりも強者かもしれない奴はいる。

 最も身近にいるそいつの強さは、何度となく挑んだからこそ知っている。

 何時かは、絶対に追い抜いて見せるその強さを知るからこそ、今自分を襲う矢の主―――弓兵の姿が見えない(・・・・)

 そう、わからない―――理解できないでいた。

 何処か、ずれ、というよりも違和感。

 自分の知る強さとはまた違う強さ(・・)

 レベル(冒険者)という自分達の力の根幹を否とする力を、本能的に感じとる。

 だが、それが形になることはなく、また、それがわかったとしても、現状が変わるわけではない。

 もう、既に襲撃予定の者(アイズ・ヴァレンシュタインたち)の姿は見えなくなっている。

 何処かへ逃げてしまったのだろう。

 最早、あの方の命令(お願い)を達成できる目はなくなった。

 その事実が、男の―――あの方の【戦車】であることを誇る【女神の戦車(アレン・フローメル)】の身体と心に炎を宿した。

 

 ―――許さねぇえッッ!!?

 

 あの方の期待を裏切った。

 その事実を前に、目の前が憤怒に赤く染まった。

 最早アレンの意識はアイズたちにはなく、見えない弓兵の姿しかなかった。

 思考すら焼き付くした怒りの炎は、冷静さを焼き付くし。

 しかし、それ以上に燃え上がった感情の炎に煽られ、これまでの膨大な経験と圧倒的な野生の勘が高まり混ざりあい、瞬く間に弓兵の位置を特定した。

 

「そこーーーかぁあああああああッッ!!!!!!!」

 

 矢が飛んでくる方向はバラけてはいるが、大まかにある一方から飛んできていた。

 だが、見える範囲にその姿はなく、それから考えられる見えない弓兵がいるだろうと思われる場所は広範囲に渡り複数箇所存在した。   

 それを、一秒にも満たない時間で、殆ど直感によるものでありながら位置を特定したアレンは、確信をもって飛び出した。

 全力の、加減のない全開のその踏み込みは、建物の天井を跡形もなく吹き飛ばし、その力を推進力に文字通り飛び出した。

 都市(オラリオ)【最速】。

 つまり世界【最速】の男による全力疾走。

 アレンの足が何処かの建物の天井を、壁を蹴る度に足先で爆弾が爆発するかのような爆音と衝撃が走り。その度に加速し、速度を増していく。

 目指す先は都市(オラリオ)の中心。

 天へと伸びるバベルの近くにある一つの塔。

 まだ霞む視界の先に、しかし人影が見えた。

 市壁から中央まで、普通ならどれだけ早くともあのアイズ・ヴァレンシュタインでさえも数分はかかる距離。

 だが、それさえも【最速】の男は凌駕する。

 瞬く間に詰められていく距離。

 相手も焦っているのか、矢の数が更に増えていく。

 自分の速度も合わさり、襲いかかる矢の速度は知覚のそれを既に越えていた。

 しかし、それすらも限界を越えた怒りの炎が無理矢理押さえ込み、腕で、槍でもって避わし、弾き進んでいく。

 避けきれず、受けきれず身体が刻まれるが、その痛みすら最早感じない。

 逆に薪がくべられるように、身の内で燃え盛る炎が更に猛っていく。

 

(―――届い、た―――ぞおおぉおっ!!!)

 

 あと数百M。

 アレンにとっては最早そこは自身の間合いだった。

 最後の足場(建物の天井)を踏み砕き、最大加速をもって飛び上がる。

 向かう先は周囲の建物から3~4回りは高い塔の屋上。

 これよりも高いのは、もうバベルしかない。

 ここまで近づければ、もう相手が逃げたとしても直ぐに追い付ける。

 塔の屋上に、人影はまだある。

 自分の進む位置からは微妙に死角となっており、その姿形は判然としないが、矢は間違いなくあそこから飛んできている。

 上から、下へ向けて進む矢に、周囲に他に高い塔がないこと確かめると共に改めて確信を抱く。

 市壁からここまでの距離は十数Kほど。

 この距離からあれだけの威力の矢を放つなど常識外にも程があり、更にそれをたった一人でおこなっているとなれば一体どんな化け物だという思いもあるが、アレンの思考にはただ怒りだけがあった。

 そんな疑問も欠片も焼き付くしながら、アレンはポツンと建つ塔の屋上を目指し飛び上がり―――

 

 

 

 まて―――これほどの相手が、何故こんな分かりやすい場所にいる?

 

 それに、何故移動していない?

 

 逃げる時間は、少ないが確かにあった?

 

 

 

 ―――刹那にも満たない時間に浮かんだその疑問の答えは、それとほぼ同時に返ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――【魔法】

 

 この世界(・・・・)の【魔法】というものは、大別すると二つに分けられるそうだ。

 【先天系】―――対象の素質、種族を根底に発現する魔法。

 【後天系】―――『神の意思(ファルナ)』を媒介にして発現する魔法。

 この二つだ。

 それぞれ特徴があり、大きく大別されるそれだが、そのどちらも共通しているもの―――前提としているものがある。

 一つは【スロット】。

 【ステイタス】に刻まれた多くとも三つの『魔法のスロット』に刻まれた魔法しか使えず、例外を除き、例え同じ種族であっても、飛び抜けた強力な魔導師であっても他人に刻まれた魔法を詠唱したとしてもその魔法を使うことはできない。 

 また【魔法】は千差万別で、それこそ人の数だけ【魔法】があるといってもいいぐらいに種類があること。

 そして二つ目は、殆どのものが生涯発現しないとはいえ、誰しもが使える『可能性(・・・)がある(・・・)ものであること。

 そこに種族や血筋、才能による壁などはなく、ただの人間が炎の矢を放ち、小人族が姿形を変える【魔法】が突然使えるようになることもあった。

 

 それは、明らかに彼の知る【魔術】とは違った。

 自分の知るものは、そんな誰しもが使えるようなものではなく。

 突然変異的に偶然手に入るか、又は長い年月間断なく紡がれてきた血筋を持つものに宿った才能(魔術回路)がある者しか使えない『限定的』な『技術』であった筈だった。

 そんな、誰しもが使えるようなモノではなく―――あってはならない(・・・・・・・・)筈のものであった。

 あの時ーーーあの場所(モンスター祭)の事件で、使えるようになった(思い出した)魔法(魔術)】は二つ。

 【解析】と【強化】。

 まだハッキリとしない中、それでも己の使用する【魔術】については、殆ど思い出していた。

 だから、あの事件のあと試してはいた。

 

 【投影】―――を。

 

 その結果は失敗。

 いや、正確に言えば、【魔術】自体がまともに機能をしなかった(・・・・・・・・・・・・)のだ。

 魔術回路に魔力を通し、【魔術】を発現する直前までは上手くいくのに、現実として形となる前に霧散することになった。

 その当時の虫食いのような知識ではわからなかったが、今ではその理由が何となく分かっていた。

 この世界の【魔法】と自分の知る【魔術】は全くの別物である。

 はた目から見れば同じように見えるが、その根本は全くの別物であり、【魔術】が必要とする―――あるものだと前提とするモノが恐らくここには―――この世界にはないのだろう。

 そう【魔術基盤】そのものがないのだ。

 魔術師の各流派が【世界】に刻み付けた魔術理論―――大魔術式とも呼ばれるそれは、魔術回路を通じて繋がることで、【魔術基盤】に刻まれた【魔術(システム)】が起動することで様々な【魔術】が発現する。

 つまり、生命力を魔力に変換する「炉」であり【魔術基盤】に繋がる「路」でしかない魔術回路を持っていたとしても、そもそも【魔術】を実行する【魔術基盤】がなければ【魔術】は使えないのだ。

 【投影】が使えなくとも【強化】や【解析】が使え、他にも【魔法】を使う魔導師が普通にいることでそれに気付くのが大分遅れてしまったが……。

 では、何故自分は【強化】や【解析】が使えるのか?

 その疑問に対しまず最初に考えたのは。

 それはこの【解析】と【強化】が【魔術】ではなく【魔法】ではないかということ。

 つまり、あの世界の【魔術】ではなくこの【魔法】であり、全くの別物なのでは、という考えだ。

 しかし、それにも疑問があった。

 何故ならば、【強化】や【解析】を行う際、自分は確かに【魔術回路】を使用しているからだ。

 この世界の【魔法】ならば使う必要のない【魔術回路】を。

 それに気付いたとき、一度【魔術回路】を使用せずただ詠唱するだけで【解析】を試してみた。

 結果は―――発動しなかった。

 つまり、【魔法】ではない。

 しかしそれならば、【魔術基盤】がないから【魔術】は使えないという推測はどうなるのか。

 答えのない疑念に、一つの明かりが灯ったのは、何が切っ掛けだったか。

 そもそも【魔術基盤】とは、人々の信仰が形となったものであり、人の意思、集合無意識、信仰心等により「世界に刻みつけられた」ものだ。

 端的に言ってしまえば、『魔法とはこういうものだ』という無意識な思考。

 ならつまり、【魔術基盤】の代わりとなるような存在があれば、その意識に応じた【魔術】なら発動できるのではないか、と。

 そしてそんな存在は、この世界にはよく見かける。

 そう、神だ。

 力を封じているとはいえ、超越存在である神ならば、【魔術基盤】の代わりになるかもしれない。

 故にその【魔術基盤】の代わりとなっている神が許容できる【魔法(魔術)】は使え、許容できない【魔法(魔術)】は使えないのでは、と。

 それを確かめる術はない。

 真っ当な魔術師でもなければ、知識もない自分には、確かめる術も意思も特にはなかった。

 問題は、使えない【魔術】と使える【魔術】をどう扱うかということだけ。

 それから様々な検証を行い、できること、できないことを確かめた。

 その結果、色々とわかったことが―――出来ることを知った。

 

 その一つが―――。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 凄まじい速度で駆ける【フレイヤ・ファミリア】の猫人の姿を―――しかし決して逃がすことなくその鷹の視線でもって捕らえたまま、シロは用意していたモノを静かに手に取った。

 それは全体的に薄い緑色をした細身の長剣(・・)

 レイピアの如く細く鋭いが、確かに刃の厚みも柄もある剣である。

 それを矢のように握ると、ゆっくりとその柄尻に弦を当て押し引いていく。

 

「―――『強化、開始(トレース・オン)』」

 

 『魔剣 羽々斬(ハバキリ)』―――それがその剣の銘であった。

 オラリオ一である鍛冶師椿が打ち上げた一級品の魔剣。

 一振りすれば、上位の魔法に匹敵する鋭い風の刃が無数に放たれ敵を切り刻む。

 そのように定められ打ち上げられた剣を―――改編(・・)する。

 魔力によって対象の能力―――切れ味や耐久性を上げる【強化】では出来ない事も、ここでならば―――。

 

「『―――I am the born of my sword.(我が骨子は捻じれ狂う)』」

 

 ―――可能となる。

 

 刀身から放たれる風の刃を柄尻から圧縮空気として推進力へと変更。

 切っ先から流れるように魔力と風を流れるようにし、切断力を強化。

 最早元の形を想像することも出来ない異形となった()を留める弦を、更に引き絞る。

 

 検証の結果から【投影】擬きと言えばよいのか、新たなモノは創ることは出来ないが、何かをベースに、それに付け加えたり変化をつけることは、魔力の消費が激しいが不可能ではないとわかった。

 そのため、一日にそう何度もできないが、切り札となり得る手段を得ることに成功した。

 引き絞られた弦に留められた長剣の姿は、もうそこにはなく。

 あいつ(椿)が見れば嘆くか怒るか、それとも笑うだろうか。

 捻れて歪んで凝縮された変わり果てた魔剣()の姿がそこにはある。

 視線の先―――都市の中央バベルの建つ塔の中で一番高いそこに設置した()に目掛け、猫人が飛び上がる瞬間を捕らえた。

 瞬く間にその身体は塔の屋上へと届くだろう。

 同時に囮に気付くだろう、が―――もう、遅い。

 何かに感付いたのか、視線の先で猫人が纏う雰囲気に動揺が走る。

 気付いたのか、流石に勘が鋭い。

 しかし、最早遅きに逸し。

 矢は、放たれていた。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 それは最早奇跡と言っても過言ではない反応であった。

 神宿りとも言える直感に従い、逃げ場のない空中でもって、銀の長槍を構える。

 文字通り射抜くような視線に対し、迎撃の意思と共に殺意を放つ。

 どんな攻撃を受けたとしても、迎撃し、必ず貴様を引き潰す、という意思を持って。

 全精力を持って受けて立つ。

 絶対的な危機を前に、アレンの意思は燃えたぎる感情と同時に氷のような理性を同時に抱くという矛盾を越えた位階にまで到達していた。

 周囲の時間と自身の中を流れる時間にずれを感じるほどの集中。

 今ならば、あのオッタルとも渡り合えるのではという程の感覚の冴えを感じるなか、来るだろう弓兵の攻撃に備え―――

 

 

 

(―――――――――こ―――、)

 

 

 

 ―――足元を通りすぎた風の冷たさに思考に間隙が生まれた。

 

 

 

(い――――――?)

 

 

 

 

 次に生まれたのは、痒みにも似た疼き。

 そして、肉を直接触られたかのような不快感。

 直後―――痛みが走った。

 

「ッッ!!? ぐぅ、ヅぁあああおぁああおああおあおああ!!???」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それが何なのか、右足があった場所に感じる痛みと共に理解させられたアレンは、直後に夜を、オラリオを震わせる咆哮を放った。

 それは痛みからの悲鳴ではなく。

 それは足を切断された恐怖ではなく。

 それは宣言であった。

 『貴様は絶対に俺が殺す』―――そんな意思を持って放たれた咆哮は、敬愛するあの方(フレイヤ)が今も見ているだろうバベルの傍まで誘導させられてから射られた理由に思い至り、更なる怒りをもって轟いた。

 これは警告なのだ。

 あいつに近づくなと。

 あの【ファミリア】に手を出すなという警告。

 警告するつもりが警告された。

 あの方の命令(お願い)を達成する所か、自分が相手の警告の道具にされてしまうとは。

 激しい羞恥と怒りが、アレンの咆哮を更に険しくさせる。

 血煙を巻き上げながら下へと落ちていく。

 高位冒険者とはいえ、この高さから地面に叩きつけられればどうなるかはわからない中、それでもアレンの視線は未だ目に映らない弓兵を睨み付ける。

 何処にいるかは、その位置は今なら確実にわかった。

 矢の飛んでいた方向から、考えられる場所はただ一つだけ。

 あまりにも常識から外れていたため、意識の外にあった場所。

 それは―――市壁。

 自分が待ち伏せしていた北西端にある市壁の反対に位置するそこから、この常識外の異形の弓兵は矢を放ったのだろう。

 事実を前に、それでも否定されかねないその結論に確信を抱きながら、アレンは地上へと叩きつけられる寸前まで見えない弓兵を睨み付けていた。

 

 

 

 

  

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。
 
 魔術基盤について調べてみたのですが、具体的にどのようにして「世界」に刻まれているのか、魔術師により人為的に刻まれたものなのか、それとも誰の手も加えられず自然現象的に刻まれたものなのか、その点が不明のためこんなあやふやな感じで書いています。
 なので、今後色々と変更するかもしれませんのでご了承ください。


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第四話 ダンジョンへ向かう者たち 前

 最近身の回りで色々とあって(通信制限、スマホの故障等など……)少しばかり更新のペースが落ちてしまいます。
 すみませんm(__)m
 なので、ある程度まとまったら文章量が少なくとも投稿しようかと思います。
 


「―――やはり彼等は行くか」

 

 薄暗い地下空間に、低く重い声が響く。

 松明に宿る炎だけが僅かに露にする中、その古代の神殿を思わせる祭壇の中央に座す二Mを越える老神は、先ほどまでいたギルド長の報告を脳裏で反芻しながら、吐息と共に呟いたその言葉は、誰に言うでもないただの独り言であった。

 

「そのようだな」

 

 それに答えながら、闇に沈んでいた部屋の隅から人影が一つ姿を現した。

 闇に紛れるかのような黒いローブと手袋で、徹底して肌の一切を見えないように隠した黒衣の人物―――フェルズと呼ばれる者であった。

 突然現れたかのようにも見えるフェルズに対し、老神―――ウラノスは視線を向けることなく独白のようにそのまま語り続けた。

 

「あのロキが大人しくしている訳もないか……」

「まだ何もわかっていないに等しいからな。ロキも情報を欲しているんだろ」

 

 フェルズは地下室の中央に祭壇の如く設置されている椅子に座ったまま微動だにしないウラノスの下までゆっくりと近付きながら話しかけ続ける。

 

「ウラノス、貴方はどう思う? 本当に59階層にこの事件の鍵があると思うか」

「確証はない―――が、確信はある……勘でしかないがな」

 

 ウラノスの答えに、フェルズはそれで十分だと一つ頷くと、思案するように頬をその精緻な意匠が刻まれた手袋の先でつつく。

 

「なら、何とか【ロキ・ファミリア】に『目』を用意してみようか。報告だけではわからないことが多すぎる。我々も話を聞くだけでは不十分だからな」

「頼んだぞ」

 

 神の信頼に小さく顎を引き応えると、フェルズは何か思案するように顎に指先を当てた。

 

「―――先ず、状況を整理してみよう」

 

 フードの奥から落ち着いた声でこれまでに入手した情報が上げられていく。 

 レヴィスと呼称された赤髪の女。

 人とモンスターのハイブリッド―――怪人(クリーチャー)の存在。

 『極彩色の魔石』を内包する新種のモンスター。

 謎の胎児を内包する宝玉。

 怪人と協力関係にあると思われる闇派閥。

 フェルズは淡々とした口調で新たに手に入れた情報と合わせ、これまでに判明した情報も上げていく。

 それを聞くウラノスは時折頷き、時には補足を入れながらも二人きりの会議は続く。

 留まることなく続く会議は、しかし上がる問題に明確な答えは出ることはない。

 そして―――

 

「―――大体こんなところか……後は、そうだな」

 

 黒衣が揺れ、フードの奥の視線がウラノスへ向けられる。

 

「『エニュオ』―――そう赤髪の女は口にしたそうだが……ウラノス、貴方に心当たりは」

「……少なくとも、私が知る限りそのような名を持つ神は知らない―――が」

 

 首を小さく振ったウラノスだが、何かを逡巡するかのように俯いた後、ゆっくりと顔を上げるとその蒼い瞳を細目ながら言葉を続けた。

 

「神々の言葉で『エニュオ』とは『都市の破壊者』を意味する」

「っ、それ、は……」

 

 ウラノスのその言葉に、フェルズの纏う黒衣が動揺するかのようにブルリと震えた。

 『エニュオ』―――それがウラノスが口にした言葉とどう関係するのか。全く関係ない別の意味を持つのか、たまたま同じ言葉なだけなのか、それとも―――。

 まだ何一つ確信を持って答えられるものがない、何も分からない。

 しかし、フェルズは何の根拠もない現状でありながら、一つの確信を持っていた。

 それ(エニュオ)が何であったとしても、決して穏やかなものではないだろう、と。

 

「―――問題は次々と出てくるのに、一向に解決する目処がつかないな」

 

 出口の見えない現状に、疲れた声でフェルズが思わずといった口調で呟いてしまう。

 それを隣に耳にしたウラノスは、同意するかのようにその蒼い瞳を細める。

 

「問題、か―――問題と言えば、あの男の件はどうだ」

「それは―――」

 

 ウラノスの上げた新たな問題に、フェルズは何処か戸惑うような雰囲気を漂わせた。

 

「どちらの方だ」

 

 ウラノスの言う男に関わる問題について、フェルズの頭には二つの答えがあった。

 それをウラノスも承知しているのか、フェルズの言葉に疑問の声を返すことはなかった。

 

「どちらもだ。意見を聞きたい」

「意見……意見か……」

 

 思いを馳せるように少し顔を上げる。その黒衣の奥に隠された面を確認することはできないが、その声と態度から何処か答えに窮する苦悶の表情が伺い知れる。

 

「今回の一件でも、彼はそのレベルでは考えられない実力を示したようだが、やはりこちらで調べてみた結果は変わらなかったよ。彼は間違いなく今でもレベルは1のままだ」

「そうか」

 

 『魔剣』―――それも一級品ではなく二級品にも届かない『魔剣』を何らかの方法で『強化』し、一振りでもってモンスターを一掃したという。

 ルルネからのその報告を受けたとき、フェルズは直ぐにシロについて再度調査を行ったが、やはり以前と同じく何もわからないままであった。

 レベルにあってもそう。ギルドの情報を調査しては見たものの、レベルについても変わらず1のまま。それどころか、フェルズの調査が正しいのならば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「まあ、レベルが上がらなくとも新たなスキルに目覚めることは決してないわけではないから。彼の強さの秘密がそこにあるかもしれないが……まあ、憶測から出はしないが……」

「武器の性能を一時的に上げる、というようなスキルか?」

「上げられた報告から考えれば、だが」

 

 もしその可能性があるとしたら、様々な調査と推測により考えられる最後に更新がされた時期―――怪物祭(モンスターフィリア)の前後ということになる。

 確かにあの事件の際、彼が使用した力は同じような『強化』のようにも感じられるが、今回報告を受けた力は文字通り桁が違う。

 同一のものであると、流石のフェルズすら考えられなかった。

 

「それも考え辛いか」

「可能性は低いだろうね」

 

 フェルズの考えに同意するかのようなウラノスの言葉に、頷きをもって答える。 

 

「こちらも答えはでないか」

「直接確認するか?」

 

 苦悶の意思が混じるウラノスの呟きに、伺うようなフェルズの問いが向けられる。

 その問いに、微かにだが逡巡するかのような間をおいたウラノスだが、直ぐにため息と共にそれを否定した。

 

「……いや、やめておこう」

「確かに、良い考えではない」

 

 フェルズも本気ではなかったのだろう。ウラノスの否定の言葉に抵抗することもなく直ぐに頷いてみせる。

 

「うむ。下手をすれば協力どころか敵対しかねん」

「ない―――とは言い切れない、か」

 

 これまでにも色々と依頼はしていたが、特に問題なく受け入れられてはいた。

 だが、それは決してこちらに協力的、好意的というわけではない。

 短い間ではあるが、何度かの接触を経験したフェルズは、あの男(シロ)のある一定よりも決してこちらに踏み込ませない拒絶にも似た意思を感じる瞳が脳裏に甦る。

 これまではそれでも良かった。

 レベルに全く合わない戦闘力は持ってはいるが、それも何とか許容できるものではあった。

 今回上げられた報告の『魔剣』に対する『強化』についてもだが―――。

 そうも言っていられない―――許容できる範囲を越えた『強さ』の情報がつい先日上がってきてしまった。

 

「―――【フレイヤ・ファミリア】の様子はどうだ」

「不気味なほど静かだ」

 

 シロとの過去の交渉を思い返していたフェルズの思考を断ち切るように、ウラノスがシロに関するもう一つの問題について口した。

 それはある意味『24階層の事件』よりも逼迫している問題でもあった。

 

「報復に動く気配は」

「それも今のところは」

 

 それは、つい先日、このギルドの本部の前において、あの【フレイヤ・ファミリア】の看板の一人である【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】の片足が切り飛ばされたという事件。

 都市(オラリオ)の中で起きたその【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】の実力を知る者ほど信じられない事件は、その影響力の強さから箝口令がしかれ、その事件を知るものは限られたものしか知られていない。

 片足が切り飛ばされた当の本人は、直ぐに治療を受け既に完全に回復しており、事件を知るものは彼本人の、そして【フレイヤ・ファミリア】による相手への報復に対し注視していたが―――フェルズの言葉通り今のところ不気味なほど静かであった。

 

「大人しくしているとは思えんが」

「完治したとはいえ、トップクラスが一人足を切り落とされたんだ。黙ってはいないとは思うが―――どうする」

 

 その切り落とした相手が名の知れた冒険者ならば―――それも問題だが一応納得はできる。

 都市最強クラスの【女神の戦車(アレン)】とはいえ、その強さに匹敵するものは少数だが存在する。そんな相手との戦闘の結果ならば納得はできるのだが……フェルズが調査した結果得た犯人はその誰でもなく。

 レベル1(最弱)であるはずのシロであるということ。 

 これは、どう考えてもあり得ない。

 だが、どれだけ否定したとしても現実にそれは起きたこと。

 そして、調査を行った本人であるフェルズだからこそ、あの男(シロ)が間違いなく【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】を打ち落としたのが事実であるとわかった。

 

「今はまだ静観しかない」

「それしかないか」

 

 謎の『能力』とありえない『強さ』。

 『エニュオ』や『怪人』についての問題もわからないことだらけだが、少なくとも味方とも言えるだろうあの男(シロ)についても、それに匹敵するほどのわからないことだらけに、ウラノスとフェルズの苦悩は深まるばかりであった。

 できれば直接本人から問いただしたいが、下手をして敵対されたくはない。

 可能性は低いが、謎だらけの相手だ―――可能性がないとはいえない。

 つまり、現状静観しかないだろう。

 

「あの男は今は?」

「残念ながら把握はしていない。ただ―――」

「見当はついていると」

 

 ウラノスからシロの今の所在を確認されたフェルズは、首を左右に振り把握できていないことを伝えるが、その声からは焦った様子は見られなかった。

 その様子に気付いていたウラノスが続きを促すと、フェルズはふいと顔を何処か遠くを見るかのように向けた。

 

「そうでもない。ただ、今回の一件もそうだが、彼は自分の【ファミリア】に対する思いが強い、もしかしたらまだ近くにいるかもとは思うが……」

 

 彼の所属している【ファミリア】―――【ヘスティア・ファミリア】の拠点付近を監視しているが、彼の姿を捕らえることは未だ出来ていなかった。

 『24階層の事件』以降、更にその情報が手に入り辛くなった男のことを思い、フェルズは何処か遠くを見るように顔を上げたまま、ぽつりと呟いた。

 

「さて、今ごろ何処にいるのか……」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「【猛者(オッタル)】が中層に、か……間違いではないのだな」

「ええ、まず間違いないと」

「中層にいる理由は?」

 

 時間は夜。

 都市の外れ、人の気配がない路地裏の奥。

 月明かりさえ届かないその場所で、互いに死角になる位置に立つ二人の人物は、情報を売る者とそれを買う者であった。

 一方は男の声だが、もう一方は何らかの道具か魔法で声を変えているのか、男にも女にも聞こえる不思議な声音をしていた。様々な情報を扱う情報屋として最低限の対策のうちの一つである。

 これまで使った者の中で、男が知る限りでは中々の実力者だ。

 微かに虫の音が響く中、それに紛れるような小さな声で情報を入手していた一人の男は、更に今得たばかりの情報の詳細を要求する。

 今の話は、噂レベルであるが耳にしたことがある。

 だが、この情報屋が『間違いない』と言い切るのならば、確実にあの男はそこにいたのだろう。

 では問題は、何故あの男がそこにいるのかということ。

 【都市最強】である【猛者(オッタル)】が、深層に潜る途中ならともかく留まっている理由。

 それは―――。

 

「残念ながらわかりません」

 

 男女ともつかない声が男の問いに答えられないことを伝えてくる。

 が、

 

「ですが、裏付けはまだですが、もう一つ最近の中層の情報があります」

「それは」

 

 情報屋の言葉に続きを求めると、勿体ぶるように少し時間を置いた後、ゆっくりとした口調で続きを語った。

 

「『ミノタウロス』と戦う【猛者(オッタル)】を見たと言う者がいました。と、言うよりも『稽古』をつけているかのように見えたと」

「それは―――」

 

 情報屋の言葉に男の戸惑うような疑問に満ちた声が思わずといった様子で溢れる。

 しかし、情報屋はそれに気付いていないのか、それとも無視したのか自身が入手した情報を買い手に伝え続けた。

 

「先程言いましたが裏付けは未だ取れてはいませんので【猛者(オッタル)】かどうかは不明です。ですが、何者かが『ミノタウロス』に何かをしているのは、まず間違いないかと思います。この情報以外にも中層で『ミノタウロス』と戦う音が不自然に長い間聞こえるというものも幾つかありましたので、それから考えると……」

「そうか」

 

 情報屋の推測混じりの言葉を頷きで止めた男は、同時に報酬が入った袋を投げつける。

 闇から闇へと飛んだ袋は、情報屋がいたと思われる場所まで飛んでいくと、小さくジャラリと音がなった後、その場にあった気配がすっと消えていった。

 情報屋が立ち去った気配を感じ取った後も、男は何かを思案するようにその場に佇んでいた。

 そして、天を移動していた月が路地裏に光を差す位置まで辿り着き、その光が闇夜に沈んでいた男の姿を露にした時、男は―――シロは月を見上げると共に呟いた。

 

「―――確かめるか」

 

 淡々とした声音のその呟きは、しかしその内に刀剣の如き意志の強さが込められていた。

 

 

 

 




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第五話 ダンジョンへ向かう者たち 後

 都市をぐるりと囲む巨大な市壁の上。

 遥かな東から上る光に照らされ市壁の影が街へと伸びるなか、小さな影が二つ重なっては離れるを繰り返していた。

 石畳を削る音と剣撃が響き、激しい呼吸の音と共に苦しげな声が混じる中、白い髪を持つ少年は朝日に顔を照らされながらもその目を逸らすことなく自身へと襲いかかる無数の斬撃を手に持つ短剣で反らし受け避わし続けていた。

 必死に防御に徹する少年に向け容赦のない攻撃を続けるのは、昇る朝日よりも輝かしい金の髪を持つ少女。細剣を振るう度に髪を煌めかせる少女は、その美貌を更に輝かせながらも、その身に纏う静謐雰囲気とは真逆な激しい剣を眼前の少年に向けて振るっていた。

 どれだけの時間続いていたのかわからないその剣の嵐は、しかし未だ少年の―――ベルの身体にまともに当たったものは一つたりともなかった。

 つい数日前まではたった一振りでさえ受けられなかったのが信じられないほど。

 その成長速度は驚愕どころか鍛えている自身ですら信じられないほどの早さだった。

 

「―――っ!」

 

 そして今もまだ、その成長は続いている。

 あからさまではない。

 昨日までの少年では察せられなかっただろう一瞬の隙を突き、ベルが防御から攻撃に転じた。

 声なき列迫の声と共に短剣が振るわれる。

 瞠目に値する反応と動き。

 しかし、その少年の会心の一撃は少女の―――アイズの身体に触れることはなかった。

 微かに、僅か数Cほど傾けた身体の横を短剣の切っ先が舐めるように通りすぎていく。

 

「っく!?」

「残念……でも」

 

 悔しげに声を漏らしながらも、直ぐに体勢を整え来るだろう剣に備える少年だが、それを見るアイズは動かない。

 来るだろう剣に対し短剣を構えていたベルが戸惑った顔を向けると、アイズは口元に小さな笑みを浮かべ少年を称えた。

 

「初めて反撃が出来たね」

「あっ―――はいっ!!」

 

 剣を腰に納めながらそう言ったアイズの言葉に、ベルは鍛練の終わりを知ると同時に褒められたことに対する歓喜の声を上げた。

 頬を疲労だけでない色に赤く染めながら、その汗で濡れた顔を無邪気なまでな笑顔を浮かべる少年を前に、アイズの口元に浮かんだ笑みが更に深くなる。

 アイズの剣が鞘に収まった。

 それは二人の鍛練の終了を意味し、そしてそれは二人の秘密の訓練の終わりを告げるものであった。

 一週間。

 それが事前に決めていた訓練の期間。

 今日、この時をもって訓練は終わった。

 

「強く、なったね」

「っ、ありがとうございます!」

 

 短いながらも濃密な時間を過ごしたことで、アイズの胸に少しばかりの未練が生まれていたが、それを少年への称賛の声と共に振り払う。 

 その白い髪が石畳につくのではないかというぐらいに深々と頭を下げるベルを見下ろしながら、アイズは短くも濃い一週間の訓練に思いを馳せていた。

 あの『彼』への借りとも感謝とも言える気持ちや少年の急激な『成長』に対する興味から受けたこの訓練だが、途中からはそんな思いとは別に、いつしかこの秘密の訓練は密かなアイズの楽しみとなっていた。

 まだ、もう少し―――そんな思いが浮かび上がるが、それをこれまでの思いでと共に胸に納めながらアイズは顔を上げたベルと視線を交わす。

 目と目が合い、更に顔を赤くする少年に、アイズの目尻が自然と柔らかくなる。

 告げる言葉にも、更に暖かさが増していた。

 

「……楽しかった」

「は、はいっ! 僕もその―――楽しかったですっ!!」

 

 鯱張る少年の姿を改めて見直す。

 訓練を始める前に比べたら、見間違える程に強くなった。

 それこそ訓練前と比べたら、今の彼は別人に感じるほどに。

 それでも、彼が纏う雰囲気は変わらず。その白い髪も相まって白兎のように柔らかく優しい。

 思わず手が延びかけるが、ぐっと堪える。

 

「それじゃあ、これからも頑張って」

「はい……もっと、強くなって見せます」

 

 そう告げた少年の目は強く、先程まで見せていた羞恥の色は何処かへ。前へと進むことを決意した者の目をしていた。

 そこに嬉しさと誇らしさ、そして若干の寂しさを感じながら、アイズはベルに背を向けた。

 背後で少年がもう一度頭を下げる気配を感じながら、アイズはゆっくりと市壁を進んでいく。

 背中に感じていた少年の気配が遠ざかり、市壁の上から消える頃、アイズはゆっくりと振り返った。

 もう、そこには少年の姿はない。

 すっかり上った太陽に照らされる壁下の街へと目を向けたアイズは、このオラリオの何処かにいるだろう彼へと向けて小さく呟く。

 

「あの子は、強くなったよ……」

 

 その小さな独白は、朝の光に溶ける程に小さく。

 風に飲まれ街へと落ちていった。

 

「―――きっと、これからもどんどん強くなっていくと思う」

 

 告げる言葉に宿るのは、非難か悲しみか、それとも不満か怒りか。

 言葉を吐き出す自身ですらもわからないまま、自然と溢れる声を抑えずにそのままに。

 

「あなたは―――それで、いいの?」

 

 都市最強派閥の一角に喧嘩を売るような行為を行うほどに心を傾けていながら、自分の【ファミリア】から逃げ続ける彼に思いを馳せる。

 

 ―――返事は、なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……なんで最後の最後に来るのがベートなんか……」

「ああっ、張っ倒すぞ」

 

 夜―――深夜といってもいい時間帯。

 明日へ迫った深層へ向けての『遠征』を前にして、最近突然始まった鍛練ブームとも言うべき流行も相まって途切れることなく続いていた【経験値】の更新がやっと終わったと思った瞬間、それを見計らったかのように現れたベート《むくつけき筋肉》を前にしたロキの血を吐くような呟きに、それを向けられた当の本人が牙を剥き出しにする。

 【ロキ・ファミリア】の主神たるロキは、思わず突っ伏したベッドからナメクジのようにのっそりと顔を起こすと、近くにあった椅子を引き寄せながらそれに座ると、服を脱ぎながらその背中を向けた。

 

「ああ、ほんとこれがアイズたんやったら良かったのに……」

 

 ぐちぐちと未練がましく文句を口にしながらも、ロキは半分機械的にその指を動かしロックを解除すると、ベートの背中に刻まれた【神聖文字(ヒエログリフ)】の更新を行う。

 

「こんなん隠れるように来んでもいいのに、そんな一人で訓練してたの知られとうないんか~?」

「っ、なんで知ってんだよ」

「んん~ひ・み・つ」

 

 別に見られていた気配は感じてはいなかったのに知られていた事に、苛立ちを盛大な舌打ちで示したベートに、それを更に煽るかのような口調でぐふふとロキは笑う。

 苛つきながらも口では勝てないと知るベートは、喉まで出かかった文句を飲み込むと、前を向いて黙り込んだ。

 その様子にますます笑みを深めたロキは、からかうように【神聖文字】が浮かび上がった背中にその体を近づけるとベートの耳元に囁いた。

 

「ベートにビビっとう他の子に教えたら、もしかしたらギャップ萌え~って、人気者になるかもなぁ?」

「はんっ、雑魚どもと仲良くなって何がある」

 

 うざい絡みから逃れたいが、更新が終わるまでは離れることができないでいるベートは、耳に顔を寄せるロキを手で払い除ける。

 さっと振るわれた手を避けたロキは、その間も淀みなく更新を続けていた。

 

「何があるって、楽しいやないか?」

「馬鹿が、楽しいわけねぇだろうが。雑魚の群れに混ざって何がいい」

 

 ベートは何かを睨み付けるかのように、部屋の壁へと視線を向けたまま口を動かす。

 

「同じとこで何もせず仲良し小良しで集まって何になる。強え奴の役割ってのは上で見下ろしてやることだ。それが高ければ高いほどいい。雑魚どもも首が折れる程仰ぐ事になりゃ少しは黙るだろうが」

「ほんっ、と―――あんたは……」

 

 吐き捨てるようにそう口にした言葉は、どれもこれも刺々しく。聞いている者の気分を不快にさせるようなものばかり。

 しかし、それを間近に聞くロキの顔に浮かぶのは、困ったような笑い顔。

 何処か素直じゃない子を見る母のようにも見えたそれは、瞬きよりも短い時間で何時ものにやにやとした笑いに変わってしまう。

 

「ほれ、これで終いや」

 

 ぽんっ、と押し出すように更新を終えたベートの背中を押すロキ。

 そのまま椅子から立ち上がったベートが、さっさと脱いだ服を着始めるのを、ロキはベッドの上で寝転がりながら見ていた。

 あっと言う間に服を着終えたベートがそのまま部屋を出ようと向けた背中に、ベッドの上で転がるロキが声を掛けた。

 

「な、ベート」

「あん?」

 

 ドアノブに手を伸ばそうとした瞬間に声を掛けられ、思わず返事をしてしまったベートが不快げに眉間に皺を寄せるとかったるそうに顔だけを振り向かせる。

 そこには、行儀悪く寝台の上で胡座をかきながら自分を見つめるロキの姿があった。

 その顔には何時ものニヤけた顔はなく、ただ、少しだけ口許を持ち上げた笑みが浮かんでいた。

 

「あんたは『強い奴の役割は上から見下ろす』ことやって言っとたけど、別にそれ以外にもあるんやないか?」

「ああ?」

 

 あまり見かけないロキの様子に、小さなさざ波のような動揺が胸に広がるが、それを表に出すことはなく。何時もの不機嫌そうな顔をベートはロキに向ける。

 

「ほれ、別に走らせんのに上に引っ張るだけやないやろ、馬に人参やないけど―――」

「けっ」

 

 指をぐるぐると回しながら遠回しに何かを伝えようとするのを見て、ベートは思わず浮かびそうになった表情を吐き捨てるかのように嘲笑を浮かべると、後ろに向けていた顔を前へと戻した。

 言外に拒絶を示したベートに、ぐるぐると回していた指先を力なくベッドへと落としたロキは、首をこてんと横へと傾けた。

 

「ありゃ、ダメか?」

「……はん、寒気がはしらぁ」

 

 罵倒や嘲笑により生まれる『こいつだけには負けたくない』等の反発心や反骨心からの成長以外にも、憧れや理想により生まれる『この人みたいになりたい』といった成長もある。

 上から見下ろすのではなく、前に立ち、その背中(生き様)を見せることで引っ張る方法もある。

 そう伝えたかったロキの意図を理解しながら、ベートはそれを嘲笑をもって振り払った。

 

「ふ~ん……結構良いと思うんやけどなぁ」

「なに言ってやがる。そんなのはやりたい奴にやらせときゃいいんだよ」

 

 名残惜しげに背中を見つめてくるロキの視線を感じながら、ベートは胸中にどろりと渦を巻いた感情に触れていた。

 

 ―――ああ、そうだ。

  

 ―――そんなのはやりたい奴にやらせときゃいいんだよ。

 

 弱者の前に立ち、外敵難敵脅威を阻み、守って庇護して―――最後は見えないところで殺してしまえばいい。

 そんな悠長な生き方で生き残れる場所(ダンジョン)じゃない。

 なら死に物狂いで強くなるか、さっさと何処かへ行ってしまうしかない。

 守ってもらって憧れて、『いつかあの人みたいに』―――なんてあまっちょろい考えじゃトロくて遅くてあっと言う間に死んでしまう。

 その憧憬は、結局最後は誰かを殺してしまうのだ。

 才なき者に無理をさせ、勇気なき者に無謀を行わせ―――無駄に先伸ばしにされた終わり(冒険の引退)を本当の終わり()に変えてしまう。

 そして結局―――()()()()後悔してしまうのだ。

 それを()()()()()

 それを()()()()()()()()

 だからこそ、あいつが―――あの男が心底気に食わない。

 救うだけで罵る(上に立つ)ことも導く(前に立つ)こともしない。

 ただ救うだけ救い、憧れるだけ憧れさせ。

 結局は最後に誰も彼も殺すだろうあの男が―――気に食わない。

 フィン(団長)やアイズも前に立つ者ではあるが、似てるようではあるがあの男とは全く違う。

 例外はあるが、基本は同じ『ファミリア』の者しか助けず、助けた後は二度と同じことにならないよう厳しく訓練や教育を行って(導いて)いる。 

 似ているようで、全く違うのだ。

 それを俺は知っている。

 だから、前に立つのではなく、上に立つことを選んだのだ。

 だからこそ奴が気に食わない。

 そう、その筈なのだ。

 なのに、ここ最近、不意に思い出すのはあの光景。

 モンスターの群れに呑み込まれる弱者。

 俺の手は届かない。

 見ているしか出来なかった。

 そのモンスター(絶望)の前に立つ男。

 そして男が振るった剣の一振で全てが覆った。

 どうしようもない筈の終わり(運命)が変わった瞬間を、俺は目にした。

 目に、してしまった。

 

 俺は―――あの時―――ナニを――――――

 

 渦を巻く憎悪に似たしかし違う感情のうねりを噛み砕くように歯を噛み締めたベートは、ロキの視線を背中に受けながらそれを振りきるようにドアを勢いよく開くとそのまま扉の向こうへと消えていった。

 部屋が震える勢いで閉められたドアは、明らかに異常と異音を見せている。特別頑丈な筈のドアの成れの果てを見ていたロキは、そのままポスンとベッドに後ろへ倒れ込むと、ゆっくりと目を閉じた。

 暗くなる視界の向こうに浮かぶのは、無数の傷と【神聖文字(ヒエログリフ)】が刻まれた男の背中。

 その傷跡を知るからこそ、ロキは胸の奥から自然と涌き出た思いと共に言葉を漏らしてしまった。

 

 

 

「うちには上より前の方が似合うように思えるんやけどなぁ……」

 

 

 

 その神の独白は、夜の闇に静かに溶け込むように消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――総員! これより『遠征』を開始する!!」

 

 晴れ渡る青空の下、フィンの声が響き渡る。

 眼前には【ロキ・ファミリア】の団員達以外にも、この未踏達領域への『遠征』を一目見ようと集まった多くの(オラリオ)の住民の姿が広がっていた。

 見覚えのある顔や見たこともない顔が集う中、自然と視線は誰かを探すかのように動いてしまう。

 しかし、直ぐに思い直すように改めて集まった【ファミリア】の者達に視線を戻す。

 緊張で顔を強張らせている者、何時もと変わらない様子の者、興奮に顔を真っ赤にさせている者……皆これから挑む未知に対して様々な感情を抱えているのが伺える。

 ふと、自分はどうなのかと自身の胸中へと意識を向ける。

 期待、不安、興奮、喜び―――一言では言い表せない程に様々な感情が渦を巻いている、が不快ではない。 

 未知へと足を向ける時は、何時もこのようなものだった。

 

(――――――シロ)

 

 不意に小さく、それとも心の中でか、あの男の名を呟いた。

 何を思って名を口にしたのかは、自分の事でありながらわからないまま……。

 

「―――犠牲の上に成り立つ偽りの栄誉は要らない!! 全員、この地上の――――――……」

 

 フィンの演説も終わりが間近に迫っているのか、その声音は更に高らかに、力強く響いていく。

 もう間もなく『遠征』が始まる。

 向かう先は『未踏達領域』。

 ヘラとゼウスすら至れずにいた領域に、本当の『未知』へとこれから足を踏み入れる。

 何が待ち受けているか想像もできないが、間違いなくこれまで以上の困難が立ち塞がるだろう。

 しかし、それでも乗り越えて見せるだろう。

 最初は三人。

 それが何時しか都市(オラリオ)最大派閥の一角と言われるまでになった。

 だが、まだだ。

 まだ、終わりじゃない。

 道半ば―――未だ見ぬ場所(未知)がここにはある。

 なら、私はそこへ足を踏み入れよう。

 一人ではきっと辿り着けなかった場所()へ―――この仲間達(ファミリア)と一緒なら……。

 

「―――遠征隊、出発だ!!」

 

 フィンの最後の宣言と共に、ロキ・ファミリアを中心とした『遠征隊』が一斉に動き始める。

 その流れに逆らわず、いや、自らが作り出すように強く一歩を踏みしめ私も歩き始める。

 段々と近付く巨大な白亜の塔。

 その真下にある未知を秘めるダンジョンへと歩みを進める。

 暗い地中の奥深く―――モンスター蠢くそこを幻視した心の中に、一瞬男の背中が見えた気がした。

 そしてリヴェリアの目には何故か、モンスターの中一人立つその男の姿が迷子の幼子のように感じて……。

 

 それは―――

 

 あの時―――

 

 あの酒場で―――男の瞳の奥に……一人立ち尽くす小さな子供の姿を見てしまったからかも、知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――いくのね」

 

 この世界で最も天に近い場所で、地上を見下ろしていた女神が小さくその唇を動かした。

 そこから地上を見下ろせば、人など虫よりも小さな黒い点にしか見えないだろうに、彼女の目にはダンジョンへと歩みを続ける一団の一人一人の顔すら映っていた。

 彼らはこれからダンジョンの『未踏達領域』へと挑むもの達であった。

 その内に輝くものは、その難題に挑むに足りうる者達ばかり。

 思わず手が伸びてしまいそうな者もいるが、それを小さく鼻で笑うことで振り払う。

 あの神と遊ぶのは別に構わないが、今は他に目を移しているような時ではなかった。

 『あの子の試練』についてもそうだが―――。

 

「不満かしら?」

「―――っ……いえ、貴女の御望みのままに」

 

 ダンジョンに呑み込まれているかのように、それとも挑みかかっていくかのように白亜の塔の下へと消えていく一団をその銀の瞳で見下ろしながら、背後に控える小柄な猫人(キャットピープル)に声をかける。

 その背に控えていた猫人(キャットピープル)の青年は、一瞬口許を歪ませたが、直ぐに顔を伏せ自身の主に己の意思を委ねて見せた。

 

「そう、問題はないのね」

「はい……全て問題はありません」

 

 ―――そう、問題はない。

 

 顔を伏せ、地面を砕かんばかりの強さで睨み付ける男はそう心の中で再度告げた。

 それは自身へか、それとも主へか、それともあの男へか……。

 足元へと向けられた自身の視界に、右足が映る。

 傷一つない足だ。

 だが、自分の目には、未だ赤く濡れているようにも見え、あの鋭い氷のように冷たい感触も感じられていた。

 あの(足を切り落とされた)後、幸いにして切り離された足は近くに落ちていたため、直ぐに回収ができたことからもあって早期に足を繋げることが出来た。後遺症もなく、翌日にはほぼ8割方は元に戻ってはいた。

 だが、元に戻らないものもあった。

 それは形はないが、男にとって最も大事なものであり、汚すことを許されないものであった。

 それを拭うには、それを汚したものに購いをさせなければならない。

 だが―――。

 

「―――アレ(・・)はいらないわ」

「…………」

 

 その言葉には、感情が感じられなかった。

 怒りも、悲しみも、憎しみも―――歩いた先に転がっていた小石に対しての方が、よほど感情を感じられる程に、淡々とそれを口にした主に、猫人の青年はゆっくりと顔を上げてその動かない背中に視線を向けた。

 それ以降主は何も口にすることなく、ダンジョンへ挑む一団を無言のまま見下ろし続けていた。

 背中しか見えない今、一体今どんな顔をしているのかわからない。

 これまでも己の主の事がわかっていたとは言えないが、今はこれまで以上に全くわからないでいた。

 一体、主は今どんな顔を―――思いを抱いているのか……。

 少なくとも、あの男が健在であることを願ってはいないのは間違いないだろう。

 だが、それなら俺は―――。

 もう一度、自分の右足を見る。

 傷一つない足。

 だが、視界が一瞬朱に染まり、鋭い痛みが走る。

 幻覚と幻痛に口許が歪む。

 

 

 ―――ああ、主に対し不敬であるとわかりながらも、願わずにはいられない

 

 

 ―――叶うはずもない願いを

 

 

 ―――あの男が、生きてもう一度俺の前に現れることを…………。

 

 

 

 

 

 

 




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第六話 開戦

 予感は、していた。

 それ()を耳にしたときから。

 この可能性は考えていた。

 噂や話に聞くあの女神ならやりかねないと。

 何よりも相手は女神―――神だ。

 特にギリシャの神であるならば、特にやりかねない。フレイヤは北欧神話

 試練という死地へと叩き落とすことに、何の躊躇もないだろう。

 だから、情報を入手した後、直ぐに確認に向かった。

 それが起こる前に、何かしらの手を打たなければならなかったから。

 だが、やはりダンジョン。

 ある程度の事前の情報があるとは言え、単独でその全てを調べることはできない。

 普通なら残るだろう戦闘の痕跡や放棄された武器や死体も、ここ(ダンジョン)では時間の経過と共に文字通り消え失せてしまう。そんな中から、たった一人で目的のモノを探し出さなければならないというのは、砂漠の中から一つの針を見つけるよりも難しいかもしれない。

 だから、更なる情報を手にいれるため、下へ―――ダンジョンにある唯一の街へと降りたのは間違いではなかった。

 そう、情報を入手するという点では間違いはなかった。

 だが、それは間違いではなかったからこそ、少し考えれば誰にでもわかるということ。

 その意味するところは、待ち伏せをするのなら最も容易であるということ。

 何せそこ(ヴィオラの街)から出るにはたった二つしか道はないのだから。

 下へ降りる道と、上へ登る道の二つしか。

 そして、探しモノは上にしかないならば、確実にそこを通るしかない。

 そう階層主がいるここを……。

 

「―――あれ(警告)で諦めるような相手ではないとは思ってはいた」

 

 幅百M、長さ二百M、高さは二十M―――その整った直方体の大通路。

 17階層にあるその長く広い大通路は、18階層へと降りるために必ず通らなければならない最後の地点。

 特徴的なのはその通路の形状だけではない。

 ごつごつとした岩肌に囲まれた通路において、片側の壁面だけが滑らかであった。

 『嘆きの大壁』―――そう呼ばれている。

 それは、ここで生まれる階層主と戦い生き抜いた(過去の冒険者)が、そこから生まれる唯一のモンスターの強大さから名付けたものであろう。

 だが、今目の前にしている相手に比べれば、その嘆きさえなんと儚いことか。

 大通路―――その中心に、男は立っていた。

 この広い空間の中、一人立つ男の姿は端から見れば何とも小さく見えるものだろうが、実際に眼前にすれば、そんな考えは一欠片さえ浮かびはしない。

 まるで壁―――いや、山がそこにあるかのような圧迫感を感じる。

 巨大な質量を感じるほどまでに強大で硬質な闘気が、目の前に立ちふさがる男が何の目的をもってそこにいるのかを雄弁に物語っていた。

 

 ここから先は行かせない―――いや、違うか。

 

 貴様はここで死ね、だ。

 

 知らず下がりかける足を、無理矢理その場に押し止める。

 

「だが、まさかお前が出てくるとはな」

 

 あれだけの事をしたのだ、報復があるのは覚悟はしていた。

 あの女神の気性からして、ヘスティアやベルにそれが向けられる可能性は低い。

 なら、自分にそれが向けられるのは簡単に予想されていた。

 だから、それなりの準備はしていたが……。

 

「―――貴様には、ここで消えてもらう」

「問答無用ということか……」

 

 男は―――猛者(おうじゃ)と呼ばれるオラリオで、いや世界で最も強いだろう(オッタル)がそこにいた。

 背に担いでいた大剣を抜き放つ。

 ただ、それだけの動作で空間が揺れる。

 二Mを越える巨体から吹き上がる闘気が、その身体を更に何倍にも巨大に見せた。

 明らかに格が違った。

 今まで目にして来たあらゆる強者(冒険者やモンスター)と。

 何よりも己との格を。

 

「話は―――通じるような相手ではないか」

 

 射るような視線どころではない。

 押し潰し、叩き潰すかのような物理的な圧力さえ感じるその目が、身体が、全身が、雄弁に無言で物語っている。

 距離は未だ十数Mはある。

 だが、それは互いにあってないようなもの。

 それでも相手が動かないのは、余裕もあるだろうがこちらの準備が終わるのを待っているのだろう。

 

「それならば―――」

 

 そう相手にと言うよりも自身に言い聞かせるように呟くと共に、背に背負った荷袋を勢いよく上へ放り投げた。

 投げる瞬間袋の一部を破いたことから、荷袋は投げつけられた勢いもあり、穴は直ぐに大きく広がり中に納められた様々な武器が上空でバラバラに広がるとオッタルとシロを中心に取り囲むように地面へと降り落ち突き刺さった。

 オッタルは大剣を片手にぶら下げながら、チラリと視線だけを周囲に突き刺さる武器へと向けた。

 長剣に短剣、槍に弓矢―――それなりの大きさの袋に入ってはいたからか、短剣の割合が多かったことからも、その数は二十を越えているかもしれない。

 そのどれもがオッタルの目から見ても業物であるとわかるそれであり、中には明らかに魔剣と思われるものもあった。

 武器を手元から離す理由は色々と考えられるが、オッタルがそこに思考を向けることはない。 

 ただ頭にあるのは、この(シロ)消す(殺す)ことだけ。

 下げていた大剣を構える。

 相手はレベル1。

 だが、オッタルに油断も慢心もない。

 普段からそんな心地を持つ男ではなかったが、特に今はその総身に宿る気は張り積めていた。

 主神(フレイヤ)の命令故か。

 いや、違う。

 ただ、この眼前にいる男がそれだけの強さを持つ者であると分かっているからだ。

 レベル1というのは関係がない。

 己の心が―――魂が告げていたのだ。

 目の前の男は―――強い、と。

 故に、(オッタル)は大剣を構える。

 対等な敵として。

 剣を構え、更に圧力を増したオッタルの姿に震えそうになる身体を長く息を吐くと共に落ち着かせ、腰から主武器である双剣を引き抜いたシロは、眼前に立ちふさがる絶望へ向かって剣を構える。

 相手はレベル7。

 都市最強にして世界最強。

 勝算は皆無に等しい。

 逃げるにしても、あらゆる面で上回る相手だ。

 逃走も絶望的。

 だが、まだ死ぬわけにはいかない。

 ならば、何としてでもここを生き延びる他ない。

 

「―――足掻かせてもらおうか」

 

 強がりなのか、それとも自暴自棄故か、自然と歪む口の端と共に相手と自身に宣言すると共に前へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う~……」

「なに唸っているの?」

 

 ダンジョンの深部への『遠征』に出た【ロキ・ファミリア】は、その部隊を先鋒隊と後続部隊の二つに分けられたのだが、先を担う部隊は他部隊の安全確保という目的ゆえに、高レベルを中心に固められていた。そのため、それなりの戦力になるとはいえ、今一歩、二歩劣るレフィーヤはその部隊に組み込まれる事が叶わず、憧れのアイズと別々になってしまった事を残念に思っていた。

 自身の力不足は理解していたが、それでも未練に思う心を押さえることはまだレフィーヤには難しかった。

 知らず未練のうなり声を上げる事をやめられず、それを不信に思った隣を歩いていた同じエルフの魔導師隊の一人が困惑を浮かべた顔をレフィーヤに向けた。

 

「え、あ、な、何でもないです」

「何でもないって……ま、いいけど。もうすぐ階層主のところだから気を付けなさいよ」

「あ、と。もうそこまで来たんですか」

「ちょっと本当に大丈夫? 上層であの白妖の魔杖(ヒルドスレイヴ)と会った時に、出来るだけ早く合流するってガレスさんが言ったじゃない」

「あ―――、そ、そうでしたね」

 

 上層―――ダンジョンに入って暫くして、そこでいる筈のない相手が―――あの【フレイヤ・ファミリア】の幹部の一人であるヘディン・セルランドと出会ったのだ。ダンジョンで他の冒険者に会うことは別に珍しいことじゃない。だけど、その相手が問題だ。オラリオの二大派閥であり、ライバル関係でもある【フレイヤ・ファミリア】の団員で、しかもそれが白妖の魔杖(ヒルドスレイヴ)の二つ名を持つレベル6の幹部。そんな相手が上層で、それも『遠征』に向かっている途中で待ち構えるようにしていたのだ。

 警戒して当然である。

 ガレスさんがその時は対応してくれて、特に問題なく分かれたけれど、やはり心に引っ掛かるものはあった。

 それはガレスさんも同じで、だから、できるだけ早く先鋒隊と合流しようと合流場所である18階層であるリヴェラの街まで急ぐことになったのだが―――。

 

「でも、思ったより早く着きましたね」

「そうね。モンスターとの戦闘が殆どなかったからかしらね」

 

 そう、ここまで来るまでモンスターとの戦闘は1回だけ。これは有り得ないと言っても良いほどの少なさだ。その戦闘もたまたまモンスターが生まれた所にかち合った時だけ。ダンジョンを徘徊するモンスターとは一度も会っていなかった。

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……。

 

「団長達と会わなかったってことは、もう先に着いているってことかしら?」

「そう、だと思いますけど」

 

 不測の事態を考え、可能な限り最短距離を選んで来たため、当初に予定していたルートとは違う道を来たため、すれ違っている可能性も考えられたが、その可能性は低いだろう。

 ルートが違うとは言え、選んだ道は元々の道と重なりあうところが多かったため、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()何処かで接触出来た筈だからだ。

 

「そういえば、ここの階層主もそろそろ復活する頃ね」

「予定では、先行する団長たちが対処する筈でしたけど、これほど早く着く筈ではなかったですし。先に街にいるかもしれませんね。それか、復活するまで待っているかもしれません」

「何をごちゃごちゃと話しとる。さっさと行くぞ。なに、かち合ったとしても儂が相手をするだけだ」

「が、ガレスさんっ、す、すいません!」

 

 話している間に自然と遅くなっていた足を、後ろから追い抜いてきたガレスの言葉に急かされ慌てて早めたレフィーヤはそのままの勢いで思わず列の一番前にまで来てしまった。どうしようかと悩むが、このまま戻るのも何か恥ずかしいしと、レフィーヤはこのまま18階層の入り口―――17階層を守る孤高の王(モンスターレックス)が待つ場所まで向かうことにした。

 17階層の終わり―――つまり階層主がいるだろう『嘆きの大壁』まであと少し。

 なのに、モンスターとはまだ会わない。

 都合が良いのは違いない筈なのに、時と共に焦燥が募るのは何故だろうか。

 ダンジョンでは有り得ないことは有り得ない。

 モンスターと出会わない日も時にはあるかもしれない。

 それがたまたまこの日だというだけ。

 ―――でも、たぶんこれは違う。

 レフィーヤは何か根拠があるわけでもなしに、己の直感が感じるそれが間違いではないと信じていた。

 確かに、時にはモンスターとの遭遇が極端に少ない時もあるだろう。

 でも、今日の()()は違う。

 たまたまではなく、何か理由がある。

 自身の肌に感じるひりつくような感覚が告げていた。

 恐ろしいナニかが先にここを通ったのだ、と。

 しかし、それがなんなのかはわからない。

 言葉にできないそれが、しかし明確に己に告げていた。

 そして、それを感じているのは自分だけではないだろう。

 先程まで話していた彼女もまたそうなのだろう。

 話している時も、何か落ち着かない様子で、周囲を窺うような雰囲気を見せていた。

 それは彼女だけでなく、この後続部隊の皆が多かれ少なかれそんな様子を見せている。

 何時もと様子が変わらないのは、ガレスさんと―――後はあの【ヘファイストス・ファミリア】の団長椿・コルブランドぐらいだろうか。

 

「もう少し、か……この様子だと、何も心ぱ―――っ!?」

 

 17階層に降り、その狭い岩窟を孤高の王者(モンスターレックス)が座す『嘆きの大壁』に向かうため、通路が広がる方へ向け進み。間もなく『嘆きの大壁』に着くといった所で―――耳を破壊するかのような爆音が響いた。

 

「っ、ゴライアスっ? 誰か戦っているの?!」

 

 全員が反射的に構えたが、音が聞こえてきたのはこの先―――『嘆きの大壁』がある大通路からだ。

 咄嗟に浮かんだのは階層主であるゴライアスが誰かと戦っているのかというもの。先行した団長たちかもしれないし、それ以外の冒険者かもしれない。

 しかし、直ぐにそれは否定された。

 

「―――いや、違う。これは剣戟の音……ゴライアスは武器を使うとはついぞ聞いたことはない」

「え? じゃあ」

 

 何時の間にか隣に立っていた椿が、レフィーヤの言葉を否定した。

 耳を塞いでもなお、鼓膜を揺るがすその剣戟の音(戦闘音)の中、椿はその隠されていない目を細め何か思案するかのように真剣な顔つきで前を見ている。

 レフィーヤだけでなく、部隊全員の足が止まっていた。

 オラリオのトップクラスのファミリアの部隊が、向かう先から響く音と気配だけでその足を止められていた。

 そんな中、ずかずかと前へ出てきた影が一人。

 ガレスだ。

 戦いになれている筈の【ロキ・ファミリア】の団員であるにも関わらず、思わず躊躇ってしまうほどの戦いの気配が立ち上る先へ、ガレスが鼻を鳴らしながら何の気負いを見せる様子もなく歩きついに先頭まで来るとくるりと後方にいる団員たちを見回した。

 

「……ふん、ま、何が戦っているかは見てみればわかるだろうが。ほれ、何を突っ立っておる。さっさと行くぞ」

 

 ガレスの呆れたような言葉に、団員たちは互いに顔を見合わせた後、覚悟を決めたように一度大きく喉を鳴らすとガレスの後を追い始めた。

 

「で、フィンだと思うか?」

「分かってるだろ。違う―――これは重く、速い……大剣、か」

 

 隣同士、ガレスと椿が部隊の先頭を歩く中、互いに顔を向けることなく互いの意見を交わし合う。

 その目と顔は真剣で、それはこの先で戦う者達の強さがわかるからこそ。

 

「高レベル同士の冒険者の戦いは間違いない……じゃが、一体誰じゃ?」

「……ここまでモンスターとまともな戦闘がなかった。モンスターが怯えて出てこなかったとしたら……」

 

 ガレスが首を捻ると、椿がぽつりと自問自答するかのように呟いた。

 その言葉に、ガレスの目がまさかと大きく見開かれた。

 と、同時にガレス達の視界が一気に広がった。

 『嘆きの大壁』がある大通路に辿り着いたのだ。

 そして、今なお大通路のこの広大な空間を震わせる戦闘音の発生源に。

 

「―――っ、これ、は」

「なっ…」

 

 どんな困難窮地にあっても動揺することのない巌のようなガレスが、常に余裕を見せるように口許に笑みが耐えない柔硬併せ持つ気性の椿が、あからさまにその心の震えを見せていた。

 それほどまでの光景がそこにはあった。

 一対一。

 大剣を振るう冒険者であるならば誰もが知る最強の男―――オッタルが、双剣を振るう白髪の男―――シロと戦っていた。

 戦い―――だがそれは、ただの戦闘というには憚りがあるものであった。

 大剣が、双剣が振るわれる度に、硬い筈の岩肌が砕け陥没し空間が震えている。剣や槍、短剣等が散らばっている中を、縦横無尽、目まぐるしく動くシロに対し、山の如く不動で、大剣を握る手だけを振るうオッタル。

 瞬く間に光景が力ずくで破壊される様は、戦闘というよりももっと大規模なそれ―――戦争を思わせた。

 しかし、一級の冒険者であるガレスや椿が言葉を失い、その戦いに目を奪われてしまうのは、その戦争さながらの光景故ではない。ガレスたちにとって大規模な破壊を伴う戦闘など見慣れたものだ。

 では、何故?

 オッタル(レベル7)シロ(レベル1)が戦えているからか?

 確かにそれもある。

 しかし、それ以上に二人の目を、意識を奪ったのはシロのその戦い方であった。

 一人は戦士として、一人は武器に関わる鍛冶師としての目で、常識ゆえにその戦いに目を奪われていた。

 言葉なく食い入るように戦いを見つめる二人の後ろには、他の後続部隊の団員たちもまた、眼前の光景に目を体を意識を凍りつかせていた。

 そしてその中に、レフィーヤの姿もあった。

 周囲の団員達と同様に、目を見開き眼前で繰り広げられる戦いに意識を奪われている姿。だが、彼女のそれは、他の団員たちとは少しばかり違ったものがあった。

 それは、ダンジョンを震わせる程の戦いを繰り広げる二人の男の一人が、自分の良く知る人物であったからこそ。

 でも、それは有り得ない光景な筈であった。

 何せ、その彼と戦っているのは都市最強のあの猛者(オッタル)だ。

 そんな男と、戦える筈の男ではない。

 確かに、そのレベルから考えられない強さを持っていたが、それでも彼がまともに戦えるような相手ではない。

 いや、そもそも何故彼がオッタルと戦っているのか。

 混乱する意識の中、戦闘はその激しさを増す。

 かなり離れているここにも、その余波が感じられ始めた。

 爆音じみた剣戟による衝撃から放たれた人為的な強風がレフィーヤの全身を叩く。

 内蔵さえ震わせるような衝撃が身体を貫き通り過ぎると、レフィーヤの口から呆然と言葉が零れおちる。

 

「なんで、シロさんが……」

 

 

 

 




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第七話 兄弟

 不意に―――

 

 『僕は強くなりたいんです』

 

 あの子の事を思い出した。

 

『あの人に追い付きたい―――それだけじゃ、ないんです』

 

 真っ白な髪と、真っ赤な瞳。

 冒険者には見えない弱そうで、頼りなさそうな体つき。

 人畜無害という雰囲気を身に纏ったその子が、だけど、しっかりと私を見つめながら誓いのように口にした言葉。

 『遠征』に向かう少し前。

 あの事件の後に自分の力不足を感じ、フィルヴィスさんにお願いして秘密の訓練をしていた時に、偶然知り合った男の子。

 アイズさんから直々に訓練を受けていると知った時は、思わず追い回してしまったけれど……まあ、今でも納得はしていないけど……。

 アイズさんが納得してやっていることに私から口を出すのは憚られたし。それに私も、他のファミリアに所属している人から教えを受けているから余り声を大きくすることも出来なくて……まあ、おかげで私もアイズさんと特訓することができるようになったし……黙ることにした。

 でも、やっぱり心の中ではもやもやがあって、だから、あの子がアイズさんとの訓練を終えた時を見計らって―――つい話しかけてしまったのだ。

 そう、あの子―――彼と同じ【ヘスティア・ファミリア】のベル・クラネルに。

 

 

 

 

 

『ね、ねえ。あなた』

『は、はい? っ!?』

 

 アイズさんとの特訓で、見るからにボロボロとなっていたあの子に声を掛けた時、振り返った彼は私の顔を見た瞬間ビクリと身体を震わせると咄嗟に逃げ出そうとした。

 まるで恐ろしいナニかに見つかったといったその様子に腹が立ったけれど、逃げられては元も子もないと吹き上がりかけた怒声を押さえ込み必死に呼び止めた。

 

『―――ちょっ!? 待って大丈夫だから!!? もう追いかけないからっ!!』

『え? あ、あの……じゃあ、何ですか?』

 

 あの子は何とかぎりぎりのところで足を止めると、恐る恐るといった様子で私に向き直った。

 

『そんなに警戒しないでも、もう追いかけたりしません。ちゃんと事情はアイズさんから聞いてますから……その、他の人にも話していませんし安心してください』

『は、はあ……じゃあ、何のようでしょうか?』

 

 困惑を浮かべる彼に、私は少し逡巡しながらも口を開いた。

 

『ちょっと……聞きたい事があって』

『聞きたいこと?』

『シロ―――さんって、知ってるわよね』

 

 私から彼の名が出ると、あの子の様子は一変した。

 

『っ!? シロさんがどうかしたんですかっ!?』

 

 それまで小動物が窺うような気弱な様子が豹変して私に掴みかからんばかりに迫ってきた。

 

『わ―――ちょ、ちょっと』

『もうずっと会ってないんですっ! 神さまも心配して―――シロさんのことだから大丈夫だとは思っているんですが、やっぱりそれでも―――』

『っ、だから落ち着いてっ!?』

『っっ!! す、すみませんっ!』

 

 両手を押し出しながら後ろに逃げて距離を保つと、あの子も我に返ったのか顔を真っ赤にして激しく頭を上下して謝りだした。

 

『はあ……まあいいですけど。やっぱりその感じだとあの人は【ファミリア】には帰ってないんですね』

『―――はい』

『そう……』

『あの、何でシロさんの事を』

『え? ああ、ちょっと言いたい―――話したいことがあって』

 

 そう、あれからあの人とは一度も会えていなかった。

 話したいこと―――聞きたいことは色々あった。

 あの力もそうだけど、あんな事があったて言うのにも関わらず、何も言わず姿を消してしまって言いたいことが色々あって。

 だから、同じ【ファミリア】であるこの子に行き先を聞きたかったんだけど、その様子からして【ファミリア】に姿を見せるどころか行き先にも検討が着かなかったのだろう。

 

『そう、ですか……』

 

 項垂れたあの子になんと声を掛ければいいか逡巡していると、どうやら彼もどう私に話しかけようかと迷っている様子で。

 

『『…………』』

『『―――あの』』

『『―――え、あ、先に……』』

『『…………』』

『じゃ、じゃあ私から……』

『は、はい』

 

 無言の譲合いの結果、私から先に話しかける事になった。

 とは言っても、最初に声をかけた理由はもう達成しており、これ以上聞くことは特になかったのだけれど、折角の機会だからと、前から興味を持っていた事を聞いてみた。

 

『……彼は、どう、何ですか』

『え? どうって?』

『あ……えっと……その、【ヘスティア・ファミリア】では、あの人はどんな感じなのかなって……』

『え?』

 

 腕を組んで『う~ん』と首を大きく傾げるあの子に、私は胸の奥から何故か沸き上がってきた羞恥心に押されるがまま聞きたかった事を強調するように問いかけていた。

 

『っ、だからっ、その、あの人……シロさんは【ヘスティア・ファミリア】の中じゃどんな感じなの?』

『え? あの、どうしてそんな―――』

『べっ、別に気にしているわけではないんですよっ! でもその何度も助けてもらったからそれでその一応礼儀としてその―――』

 

 あの子の純真な瞳に浮かぶ疑問符に見つめられ、何故か焦燥感を感じながら誰に対する言い訳なのか、何か弁解染みた事を口にしていると、彼は―――ベル・クラネルは不意に小さく笑うと、何処か遠く―――昔の記憶をなぞるように目を細めた。

 

『……シロさんは、とても優しい人です』

『―――なにか……と』

『何時も、助けてくれて』

 

 一つ、一つ。

 

『料理がとても上手で、美味しい料理を僕や神さまにたくさん作ってくれて』

 

 まるで、大切な宝物を取り出すかのように。

 

何もない(廃墟)ところをまるで魔法のように綺麗に仕上げてしまって』

 

 (シロ)の事について語っていた。

 

『困った事があったら、知らないうちに解決してくれて』

 

 彼の事を口にするあの子は、何処か誇らしげで、自慢げで。

 

『誰よりも頼りになる人です』

 

 その姿だけで、あの子が彼をどれだけ慕っているのがまる分かりだった。

 

『……そう、なんだ』

『はい―――だから、何時も頼ってばかりで、甘えてばかりで……』

 

 情けないと自分の頭をかきながら、あの子は苦笑を浮かべていた。

 

『…………』

『だから、僕は強くなりたいんです』

 

 無言でそんなあの子を見ていると、突然、彼は私を改めて見つめ直してきた。

 先程まで、少し視線が合うだけで落ち着きをなくしていたのに、あの時私を見つめ直したあの子の目には、動揺は欠片もなく、ただ真っ直ぐに、何かを伝えようとする意思だけがあった。

 

『え?』

『僕には、追いつきたい人がいます』

 

 その追いつきたい人が、彼―――シロさんじゃないことは何故か漠然とわかった。

 

『その人に追いつきたい、だから強くなる―――そう、思って今まで頑張っていました』

 

 追いつきたい。

 強くなって、少しでも近付きたい。

 その気持ちは、私には痛いほど理解できた

 何故なら私もそうだから。

 追いつきたい人がいる。

 だから、強くなりたい。

 この子も同じ。

 追いつきたい人がいて―――だから強くなるために努力している。

 

『でも、今はそれだけじゃ―――』

 

 だけど、この子の強くなりたい理由は、もう、それだけじゃなくなったみたいだった。 

 

あの人(憧れの人)に追いつきたい―――それだけじゃ、ないんです』

 

 宣言するように、誓うように、そう口にしたあの子は、また、何かを思い出すかのように目を細め何処か遠いところへ視線を向けていた。

 

『シロさんは、とても優しいんです』

 

 さっき口にした同じ言葉を、前とは違う思いで口にする。

 

『そして、とても強いんです』

『……知ってる』

 

 知ってる。

 私はあの人が戦うところを何度も見てきた。

 レベルに合わない―――隔絶したその強さを。

 

『何時も頼られてばかりで、一人で何でも出来るから。だから、何時も一人で……』

『そう、だね』

 

 思い返せば、彼は常に一人だった。

 一緒に戦っていたときも、共に、という感覚はなく、一人で戦っているように見えた。

 それはきっと、気のせいなんかじゃない。

 あの人の強さは異端で、異常で、意味不明で―――だからだろうか。

 彼は何時も一人な気がしていた。

 でも彼に、それを気にしている様子はなかった。

 飄々と、変わらない彼。

 ふと、あの時の情景が思い返された。

 モンスターの群れにたった一人立ちふさがった彼の後ろ姿を。

 私は、あの時、何を―――

 

『でも、僕はそれが、嫌なんです』

『え?』

 

 過去の情景に捕らわれていた意識を、あの子の声が呼び戻した。

 真っ赤な瞳で、私をしっかりと見つめて、はっきりと『嫌だ』と口にして。

 

『頼ってばかりは、やっぱり嫌なんです』

『……だね』

 

 頼ってばかりは嫌だ―――それも、私も共感できる。

 頼ってばかりは、助けられてばかりは、嫌、だよね。

 そう―――私もそう。

 だから強くなりたかった。

 強くならないといけなかった。

 

『だから、僕は強くなって―――何時か……』

『そう』

 

 何時か―――その言葉の続きは聞かなくてもわかる。

 私も、同じだから。

 小さく頷いた私に、あの子も頷きを返す。

 

『はい』

『……そんな風に思うのは、やっぱり同じ【ファミリア】だから?』

 

 ふと、浮かんだ疑問を口にした。

 私が頼ってばかりなのが嫌なのは、憧れの人に少しでも近付きたいから。

 あの人の隣に何時か立てるようになりたいから。

 じゃあ、この子は?

 同じ?

 でも、何か少し違う気がする?

 

『その、同じ【ファミリア】だからもありますけど―――シロさんはその、あの』

『どうしたの?』

 

 先程までの凛々しい(少しだけ)姿から一変して、最初の時のようにもじもじと身体を揺らしながら、彼は恥ずかしげに頬をかき口にしたのは―――

 

『シロさんが、どう思っているかはわからないけど……僕は、シロさんの事を―――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 噛み締めた口元から動く度に堪えきれず吐き出される呼気が、悲鳴のような金切り音と共に強制的に押し出される。

 一秒毎に体力が目に見えて削られていくのを感じながら、それでも動きは止めない。 

 いや、止められない。

 止まるどころか少しでも落ちれば、即座にこの均衡は崩れるだろう。

 

 ―――いや、均衡、ではないか。

 

 必死に食らいつく。

 動かず不動のままの男に対し、その周りを縦横無尽に駆け回りながら時に双剣を、短剣を、槍を繰り出す。

 ほんの僅かでも構わない。

 微かな警戒、困惑、それをもって何とかぎりぎりの所で生存を得る。

 始まってからどれだけが経ったか。

 数秒?

 数分?

 それとも十数分?

 体感的には何時間も感じるが、実際に過ぎた時間はその何十分の一でしかないだろう。

 それ程までに濃密にして限界。

 この男の攻撃―――いや、牽制の一撃でも当たれば即座に終わりだ。

 だからこそ、相手に主導権を渡すことはできない。

 間断なく攻撃を加えるなか、それでもこの男はその手に握る大剣を振るう。

 こちらの攻撃など気にする様子がない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 剣先が奴の皮膚をなぞる。

 鋼鉄の革―――確かに皮膚であるのに金属を思わせる剛性を感じさせる感触。

 確実に鋭い刃がその身体に当たっているにも関わらず、血の一滴すら見せることなく振るわれる一撃を―――勘だけで避わす。

 目で見て動いては到底追い付かない。

 この身体に宿る()()()()()()()()()()()()()()()が、ぎりぎりの所で何とか生存を勝ち得ていた。

 しかし、それも殆どギャンブルのようなもの。

 考える前に動くそれが、偶々正しかったにすぎない。

 

「―――カ、ァっ」

 

 横を通りすぎた大剣に遅れて衝撃が全身を叩く。

 重ね合わせて双剣で何とか反らすも耐えきれず、両手から弾き飛ばされた。

 肺の中から残り少ない酸素が吐き出され、鼓膜が殴り付けられる。

 揺れる視界。

 霞がかる意識。

 耳鳴りで何も聞こえない。

 

 だが―――それでも―――ッ

 

「ヅ―――っおおおあああああっ!!」

 

 前へ出るっ!

 ―――入った。

 大剣(間合い)の内側。

 手を伸ばせば奴の身体に触れ得る至近距離。

 無手―――だが何も出来ないわけではない。

 固く握りしめた拳を向ける。

 向ける先は広く分厚い鉄塊の如き身体―――ではなく、今まさに降り下ろされた剣を握るオッタルの右腕。

 切り返される前に―――そこへ、全身を連動し一気に集束した力をぶつける。

 ―――衝撃。

 まるで鋼鉄の塊にぶつかったかのようで。

 指の数本に罅が入った。

 相手はーーー損傷なし。

 僅かに体勢が崩れただけ―――だが、()()()()()()

 

 ―――()()

 

 手に入れた数瞬の好機。

 オッタルの位置は変わらない。

 不動のまま。

 それも、想定内。

 潜り込むように更にオッタルの内側へ踏み込む。

 手には―――()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 魔剣ではないが、その鋭さは上位のモンスターの外皮すら易々と切り裂く力がある。

 これならば、オッタルの身体でも貫くことは可能。

 狙いは右脇腹。

 切っ先がオッタルの腹部に触れ―――掴み取られる。

 左手で、刀身を掴み取られた。

 短刀と奴の腕が一体になったかのように微動だにしない。

 だが―――()()()()()()

 抵抗することなく自然に手を放す。

 奴の体勢(重心)が、また少し崩れる。

 

 ―――()()

 

 短刀から手を放した手を―――視線を向けることなく想定していた位置―――自分の頭の上に伸ばす。

 そこに、弾き飛ばされていた双剣の一つが落ちてくる。

 

「ッヅおおおおおあああああああああ!!!」

 

 掴み取ると同時に降り下ろす。

 狙いは首。

 二度崩された重心により、僅かに前傾となりさらされた首筋。

 そこへ、全力を込め振り抜く。

 瞬く間もない僅かな好機は―――(オッタル)の出鱈目な身体能力により覆される。

 空気を圧し砕きながら振り上げられた足が、自身の首へと迫る断頭の刃を蹴り砕いた。

 ()()()()()()()()

 予想していた手応え(足応え)がなく、目に見えて奴の体勢が崩れた。

 ぐるりと蹴りの勢いが殺せず背中を曝してしまっている。

 

 ―――()()

 

 剣を砕かれる直前に放した手には、時間差で落ちてきた双剣の片割れが既にその中に。

 

「ッッ!!」

 

 目の前には無防備な背中。

 剣を手に取った瞬間には既に強化は最大に。

 僅かな時間であったが、それでもその刀身は()()()()()()()()仕上げていた。

 最大に強化した剣を―――盾のように自身の横にかかげる。

 瞬間―――衝撃。

 (オッタル)がぐるりと身体を回転させ大剣を振るったのだ。

 コマ送りのように背中がいつの間にか真正面に変わっていた。

 ()()()()()()()()()

 

 ―――()()

 

 事前に()()()()()させていた刀身で大剣を受け止め。

 その勢いに逆らわず吹き飛ばされ―――いや、自分から後方に下がる。

 十数Mを一度も地面に着くことなく吹き飛んでいく。

 その最中―――吹き飛ばされる進行方向にある弓と短剣を掴み取る。

 同時に、強化する。

 特に短剣―――いや、()()は深く、細部まで、その身体(刀身)を歪め螺り狂わせるほどに。

 地面に着地した時には、既に強化は終え、構えも既に狙いは()()()()()()

 弦に引かれている矢は―――歪み捻れ狂った魔剣だったもの。

 銘は【紅玉】。

 上級魔法に匹敵する威力の炎の塊を、短剣でありながら十数発も放たれる魔剣として最上級に位置する一振り。

 それを()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 元の原型は既にない。

 刀身は矢尻のように小さく凝縮され、柄は長く細く、矢というよりもまるで短槍のような姿。

 視線の先、(オッタル)()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そこへ空間を歪ませる程の密度の魔力を漏れ出す短剣だった矢尻を向け。

 

 ―――王手(解き放つ)

 

 一射のみ放てればいい。

 そう最大にまで強化された弓はその弦もまた余さず強化されており、鋼よりも堅くありながらも柔軟性を失っておらず。

 代償としてたった一射で千切れてしまうも、その力は十全に発揮され。

 弦から矢が離れた瞬間ーーー既に矢尻の切っ先は音の壁を突き破っていた。

 オッタルとの距離は十数M。

 このままでも文字通り秒も掛かることなく到達する距離だ。

 だが、あの男に対するにはそれでも足りない。

 だから―――。

 弓から完全に解き放たれた矢の魔剣の柄だった部分―――矢で言えば矢柄となったそれが()()()()

 正確に後方へ向け放たれた衝撃により、鏃のみとなった矢が更に加速し(オッタル)の身体を貫―――。

 

「オオオオオオオオオオッ!!!」

 

 戦いが始まってから初めてオッタルの気を込めた咆哮が響き、その両手で握られた大剣が振り下ろされた。

 同時―――爆炎が衝撃と共に吹き荒れ―――。

 

「…………―――化け物め」

 

 ビリビリと衝撃と炎が身を震わせ焼き上げる中、噛み締めた口元からくぐもった悲鳴染みた声が漏れてしまう。

 今だ燃え盛る()()()の中、揺らめく影が見える。

 影が、横に剣が大きく振るわれ―――炎が一息に吹き飛ばされた。

 残されたのは、全身を炎でねぶられながらも大した痛痒を感じさせもしない姿を見せる(オッタル)の姿。

 あの雷光の如き一撃を、あの(オッタル)は大剣でもって叩き落としたのだ。

 僅かな拮抗の後、砕けたのは鏃。

 オッタルの外皮の耐久力は深層の階層主にも匹敵しかねない。

 故に、確実に、一撃で仕留めるには何とかしてその外装を撃ち抜き内部で魔法を発動―――中から破壊するしかなかった。

 だから、鏃は固さよりも鋭さを優先した。

 それが、裏目に出たか。

 いや、元からライフルに匹敵する速度のそれを真正面からこの距離で叩き落とすなどといった事は考えられなかったのが敗因か……。

 焼け焦げた地面の上で、未だに不動のままのオッタルが、()()()()()()()()こちらを見ている。

 もはや手は全て出し尽くした。

 双剣どころか残された武器で使えるものは精々2、3本。

 その内の一本である足元に転がっていた槍を拾い上げ、状態を確かめるように横に薙ぐ。

 損傷はなし、だが魔剣ではなく業物といえるが奴の身体を切り裂ける程ではない。

 確認すると同時に強化を施す。

 重点的に強化するのは耐久性―――ではなく刀身の刃の部分。

 耐久性を代償に何とか奴の身体を貫ける段階にまで引き上げる。

 結果、奴の大剣を受けるどころか反らすだけでも砕けてしまう形になってしまうが、元から受けにまわればそこで終わりだ。

 僅かな、微かな勝機は既に消え。

 もはや、目の前には敗北(絶望)しかない。

 時間稼ぎにもならないだろう。

 それはわかる。

 

 ―――なのに。

 

 ―――それでも、と。

 

「まだ、もう少し足掻かせてもらおうか」 

 

 この身体は前へと進んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 咄嗟に顔の前に掲げた両手を、全身を熱と衝撃が包み込んだ。

 百Mは離れているにも関わらず、ここまで迫ってきた熱と衝撃に身体をふらつかせるが、何とか踏ん張り倒れ込むことはなかった。

 熱と炎の赤光で霞む視界に慌てて目を擦り、急いで再び前へ―――オッタルとシロとの戦いに視線を向ける。

 数瞬揺らいでいた像が線をしっかりと結んだ直後、大通路に包んでいた熱と煙が斬り払われた。

 たった一振りで立ち込めていた熱と煙を斬り払ったのは、その中心にいた男。

 露になったその姿は、炎と衝撃で一見してボロボロに見えるが、その五体に損傷はない。

 その事実に、その現実感のない光景に―――相対しているのは自分ではないにも関わらず絶望が全身を包み、知らず地面に膝を着いていた。

 それは自分だけではなく、他の皆もそうだった。

 周囲では同じように膝を着いたり倒れ込んでいるものばかり。

 あの―――オラリオで最強の一角を誇る【ロキ・ファミリア】の『遠征』にさえ選ばれたメンバーが、ただ見ているだけで膝を屈していた。

 未だ両の足でもって立っているのは【ロキ・ファミリア】最強の一角の一人であるガレスと【ヘファイストス・ファミリア】の椿ただ二人だけ。

 現実逃避気味に周囲に気を向けている間も、戦いは続いていた。

 重い身体と思考の中、のろのろともう一度その戦場に目を向ける。

 彼は、まだ、戦っていた。

 どうして、戦えるのだろう。

 あれだけの一撃。

 きっと最後の手段だっただろうに。

 あれだけあった武器ももう見当たらない。

 ああ、ほら、今も槍が砕かれてしまった。

 砕けた武器と共に、地面を削りながら転がっていき―――直ぐに立ち上がった手には短剣が。

 まだ、戦うの?

 まだ、戦えるの?

 どうして、戦えるの?

 分かっているはず。

 もう、無理なことは。

 なのに、彼は向かっていく。

 自分から―――絶望に向かって。

 まるで自ら死に逝くように―――でも、その咆哮からは―――その目から絶望は感じられず。

 ただ戦意のみが。

 なぜ―――どうして―――彼はこんなにも強いのだろうか。

 今だけじゃない。

 これまでもそうだった。

 自身の戦力を凌ぐ相手に、彼は何時も怖じけることなく向かっていた。

 恐怖に足を止めることなく。

 絶望に顔を歪めることなく。

 悔恨に憎悪を吐くことなく。

 ただ、立ち向かっていくだけ。

 ―――どうして?

 ―――なぜ?

 ―――なんで?

 あなたはそんなにも強いの?

 

 

 

 

 

 ―――つよ、い?

 

 

 

 ―――ほんとうに?

 

 

 

 ―――たちむかえるのは……

 

 

 

 ―――勝機の見出せない絶望に立ち向かえるのは、本当に彼が強いから?

 

 

 

 ―――本当に、そうなのだろうか?

 

 

 

 閃光のように、私がこれまで見てきた彼の戦う姿が浮かび上がる。

 浮かび上がった光景の中、その全てで彼は私にその赤い背中を向けていた。

 彼の前には絶望的な光景が広がっていて。

 それを前に、彼は一人立ち塞がっている。

 

 

 

 ―――あ

 

 

 

 声なき声が、漏れた。

 それには、気付きが含まれていた。

 それは直感、勘、それとも別の何かか。

 唐突に、わかった気がした。

 

 違う―――違うっ―――違うッ!!

 

 あの人は、強いから立ち向かえるんじゃないッ!!

 

 どうして、あの人が絶望に立ち向かえるのか。

 何故、ああも自分の事を省みることなく戦えるのか。

 強いからじゃない。

 そんなんじゃなかった。

 それを理解すると共に、胸の奥から噴火のように怒りが沸き上がり吹き出してきた。

 知らず屈していた膝は立ち上がり、口からは詠唱が。

 視線の先には、とうとうオッタルの一撃を受けてしまい岩壁へ叩きつけられ倒れ込む彼の姿が。

 あの一撃、例え上級の冒険者でも致命傷になりかねない。

 レベル1でしかない彼では即死していてもおかしくない。

 それがわかっていても、もう唱えている呪文を止めることはなかった。

 前へ―――止めを刺すため彼の下へとその足を向けようとしたオッタルに―――止めようとするガレスさんの声を無視して―――

 

「【穿て必中の矢―――アルクス・レイ】ッ!!!」

 

 ーーー完成した魔法を撃ち放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――これで、終わりか。

 

 もった方だろう。

 何せ相手はレベル7。

 都市最強の冒険者を相手に、未熟な自分がこれだけ食い下がったのだ。

 驚嘆すべき偉業と言ってもいい。

 叩きつけられた岩壁を背に、力なく投げ出された手足はピクリとも動かない。

 耳などはもう随分と前からまともに聞こえてはいない。

 戦いの最中鼓膜などとっくに破けていた。

 それでも何とか聞き取っていた周囲の音も、もう自身の呼吸の音さえ拾えていない。

 酸欠状態が続いていたことから鈍りきっていた思考は、腹部から止めどなく流れる出血も加わり既に途切れ途切れ。

 とっくに色を失い白と黒のみとなっていた世界は徐々にくすんでいき、全てが朧気で何も見えなくなっている。

 恐怖は―――なかった。

 ただ、少しの寂しさと。

 何も言わず姿を消したことで心配を掛けてしまっているだろうヘスティアたちに対する申し訳なさがあるだけ。

 いや、あともう一つ。

 ()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 五感が消えていくなか、奴の―――オッタルの気配が変わるのを察する。

 止めを刺すのだろう。

 油断も隙もない男だ。

 最早立ち上がる処か呼吸さえ難しい状態の男を前に、その身に纏う気配に一切の弛緩はない。

 その身体も精神も鋼鉄のような男だ。

 抵抗は―――もうするつもりはない。

 する理由も―――ない。

 ああ、ないのだ。

 元からそんな理由はなかった筈だったのだ。

 あの女神の魂胆が何かはある程度予想はつくが、まあ、ろくでもない事に間違いはないだろう。

 それでも、最悪な事態にはならない筈だった。

 元々俺が手を出さなくとも、大した話しにはなってはならなかったかもしれない。

 だから、そう、これは自業自得。

 

 

 

 ―――では、何故手をだしたのか?

 

 

 

 ここで殺されても、大勢に影響は出ないだろう。

 

 

 

 ―――それが分かっていながら、何故、俺は手を出し、そして抗ったのか?

 

 

 

 繋がっているヘスティアは気付くかもしれないが、ここで俺がいなくなったとしても、二人は変わらないだろう。

 いや、きっとこれで良かったのだ。

 いる筈のない俺がいたことで歪んだ運命が、きっとこれで正される。

 そうだ。

 まだ1年も経っていないのだ。

 そんな短い関係。

 これから長い時を過ごし、多くの出会いがあるだろう二人の中からあっという間に埋もれてしまう筈だ。

 

 

 

 ―――なら、そう思っていながらここまで抗ったのは、どうしてだ?

 

 

 だから、もうここで終わりだ。

 元から始まる筈のなかったものなんだ。

 もう、これで終わりに―――

 

 

「【穿て必中の矢―――アルクス・レイ】ッ!!!」 

  

 

 ―――白く染まりかけていた視界を、更に強い光が埋め尽くした。

 ビリビリと震える大気と共に極太の光の束が、真横からこちらに向かおうとしていたオッタルの全身を包み込んだ。

 衝撃と轟音を伴い通りすぎていった光の後には、足を止めたオッタルの姿が。

 その様子からは、やはりダメージを受けているようには見えない。

 空白がちになっていた思考が、僅かに戻る。

 戸惑いが渦を巻く中に、その光に覚えがあったことからその魔法を撃ち放っただろう人物の名が浮かぶ。

 

 ―――レ、フぃーや?

 

 何故?

 どうしてここに?

 『遠征』?

 このタイミングで?

 何故魔法を?

 オッタル?

 敵対?

 理由?

 不明?

 

 混乱が広がり、答えを見出だせない中、霞みきった視界に、小さな背中が映った。

 結んだ長い金の髪が尻尾のように揺れる中、細いその身体を大きく震わせ、こちらに背を向け、オッタルを前に立ち塞がったレフィーヤの姿が。

 

 わからなかった。

 何故、レフィーヤがここにいるのか。

 何故、オッタルに魔法を放ったのか。

 何故、オッタルの前に立っているのか。 

 何もわからない。

 それは、例え身体が十全だったとしてもわからなかっただろう。

 死の間際故ではない理由により呆我となる中、オッタルの前に立ち塞がったレフィーヤの声が微かに聞こえた。

 鼓膜が破れ、意識も朦朧とする中にありながら、何故か彼女の声は消えゆこうとする意識に届いていた。

 

「ッ―――何をしているんですかあなたはッ!!?」

 

 身体を―――声を震わせながら、少女は叫んでいる。

 

「こんなところでっ、あんな人と戦ってっ!! 何を考えているんですかっ!!」

 

 足は今にも挫けそうな程に震え、すがるように握りしめる両の手は力を込めすぎていて杖から悲鳴が上がっている。

 本能が、理性が今すぐ逃げろと金切り声を上げるのを、沸き上がる怒りでもって叩き伏せながら少女は叫ぶ。

 

「馬鹿じゃないんですかっ!! っっ!! いいえっ! 馬鹿ですっ!! あなたは大馬鹿ですっ!!」

 

 背中を向けながら、少女は背後にいる男へと罵声を浴びせかける。

 怒りが。

 悲しみが。

 憤りが。

 悔しさが。

 そこには詰め込められている。

 

「何で逃げないんですかっ!」

 

 罵声は何時しか糾弾へ。

 責めるように。

 問いかけるように。

  

「今も、これまでだってっ!!」

 

 少女の脳裏にあるのは、絶望に立ち向かう彼の後ろ姿。

 ああ、確かに。

 あの時、彼が立ち向かわなければ誰かが死んでいたかもしれない。

 だけど、だからといって、彼が戦わなければならない理由はなかった。

 逃げれた筈だった。

 あの時(モンスターフィリア)あの時(冒険者の街)だって、あの時(食料庫)であっても、彼なら逃げれた筈だ。

 なのに―――

 彼は何時も―――

 

「逃げれた筈ですっ! 何時も、何時だってっ!!」

 

 投げ出せばいい。

 もう嫌だと。

 逃げ出せばいい。

 どれもそれを責められるような絶望(状況)じゃなかった。

 

「戦う必要はなかったっ!!」

 

 『正義の味方になりたい』―――ああ、とても素敵な夢だ。

 逃げ出せない―――逃げ出さない理由になるかもしれない。

 でも―――死んだら意味がないでしょ。

 

「なのに―――何時もあなたは……」

 

 強大な敵に、圧倒的な数に立ち向かえたのは、私とは違うからだと思っていた。

 

「私は、あなたが強いからだと思っていました」

 

 だってあなたは強かった。

 レベル1な癖に、私どころかベートさんさえ倒してしまって。

 あの赤髪の怪人さえ一蹴して、モンスターの群れを剣の一振りで焼き尽くす。

 そんなの見たら、あなたが強いって思ってしまうのはしょうがないじゃない。

 

「心も、身体も私とは違って強いから戦えるんだと思っていました……」

 

 だから、あなたは一人でも戦えるんだと思ってた。 

 そう、思っていたのに。

 ああ、そうだ、そう思っていた。

 だけど、それはとんだ勘違いだった。

 

「―――でも、そうじゃなかった―――そんなことじゃ―――強いから戦えてたわけじゃなかったッ!!」

 

 この声が届いているのかわからない。

 後ろを振り返りたい。

 振り返って、目を見てしっかりと伝えたい。

 だけど、駄目だ。

 少しでも動いたら、もう何も言えなくなりそうで、動けそうになくて―――。

 だから、ありったけの思いと共に声をあげる。

 あなたが、どうしてあんなにも果敢に立ち向かっていけるその理由を。

 

「シロさんッ!! あなたはただ自分の事を無視していただけでしょッ!!」

 

 二者択一を迫られるのは、天秤で重さを量るようなものだ。

 逃げるか、戦うか。

 名声、周囲の期待、怪我の恐れ、勝機、状況―――数多の理由(重り)を天秤に乗せ、傾いた方を選ぶ。

 その理由(重り)の中で、最も重要(重い)なものが、彼には最初からなかった。  

 

「自分を省みず戦っていたのは、絶望的な相手に躊躇なく立ち向かっていけたのはッ! ()()()()()()()()()()っ!!」

 

 だから、彼の天秤は何時も戦うに傾いてしまう。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()っ!!!」

 

 ああ、そうなのだ。

 彼の天秤に乗っていたのは何時も他人だけ。

 自分のそれは乗ってはいなかった。

     

「ッっ!!! 本当にあなたは大馬鹿者ですっ!!」

 

 再度、強い罵倒が口から吐き出される。

 様々な感情がごちゃまぜになって、何でこんなにも苛立っているのか自分でもわからない。

 

「そんなことをしてっ!! そんなことをされて誰が喜ぶんですかっ!!」

 

 何時からか、視界が滲んで歪んで。

 叫ぶように上げた声は、段々とその力を失いしぼんでいく。

 

「そんなことをして……誰が悲しむと思っているんですか……」

 

 歪む視界の中、あの子の姿が浮かび上がる。

 誇らしげに、自慢気に自分の【ファミリア】を語るあの子の姿が。

 

「ねえ、シロさん」

 

 ぽつりと呟くように、囁くように口から溢れた声は、先程までの激しさはどこにもなく。

 ただ、柔らかく吹く風のような透明な気持ちが含まれていた。

 

「私、ついこの前、ベル・クラネルと話をしたんです」

 

 ああ、そうだ。

 どうして私はこんなにも怒っているのか。

 その理由の一端がわかった。

 

「その時、あなたの事を聞いたんですよ。どう思うって」

 

 本当に、この人は大馬鹿だ。

 あんなに強くて色々できて、何でも知ってるって顔をしている癖に、肝心な事を、子供でもわかっているようなことをわかっていない。

 

「あの子、何て言ったと思います?」

 

 あの時、あの子は私の質問にこう答えた。 

 

「ベル・クラネルはこう言ったんですよ」

 

 恥ずかしげに、でも誇らしげに。

 迷いなく、心からの思いで。

 

『シロさんが、どう思っているかはわからないけど……僕は、シロさんの事を―――』

 

 小さな子供が、自慢の家族を紹介するように。

 

「『―――お兄ちゃんだって思っているんです』って言ったんですよ」

 

 そう、あの子は言ったんだ。

 

「あなたは、自分の事をわかってはいない。周りのことも、あなたを知る人たちのことを何もわかっていない」

 

 そう、わかっていない。

 あなたは、わかろうとしていない。

 周りの人の思いを。

 これまであなたに関わった人の気持ちを。

 きっと、いや間違いなく私のことも全くわかろうとしていない。

 そんな事―――。

 私が、こんなにも気にしていると言うのに―――。

 

「だから、こんなところで死んでしまう何てことは許しませんっ!」

 

 こんな所で死なせてたまるものかッ!!

 

「―――話は終わったか」

 

 改めて決意を固めるも、それは眼前に立つ男のたった一言で脆くも砕けてしまうものでしかない。

 今まで黙ってレフィーヤの話を聞き流していたのは、慈悲かそれとも別に何か理由があったのか。

 それはわからないが、もうその猶予は終わりなのだろう。

 オッタルが、剣を握り直す。

 周囲の空気が凝縮されたように固く重く感じられる。

 

「っ!?」

「許す、許さないは関係ない。その男はここで死ぬ。俺が殺す」

 

 一歩、オッタルが前に出る。

 それだけで、腰が砕けそうになる。

 膝を着いて頭を抱えて通りすぎるのを待ちたくなる―――だけど

 

「ッ、させません」

 

 今にも屈しそうになっている膝を無理矢理立ち上がらせ、両手を広げオッタルの前を遮る。

 小さな風が吹いただけでも倒れそうな程に、障害にもならない抵抗。

 

「止められると思っているのか」

 

 意味のない行為だ。

 足止めにもならない。

 結果は変わらない。

 そんな事はわかっている、だけど―――

 

「ッ、それ、でも、私は―――」

 

 落ちそうになる視線を、声と共に上げる。

 せめて目を反らしてやるものか。

 歯を食い縛り、無理矢理顔を上げ、オッタルを見る。

 その巌のような顔は、不動のまま、変わらず驚愕を浮かべ―――え?

 

 

 

 背後から、誰かが立ち上がる音が聞こえた。

 

 

 

 

 




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第八話 姉弟

 迫り来る死を前にして、身動きどころか指の先さえ動けない中、自分を守るように男の前に立ち塞がる少女の背中に無言の絶叫を上げる。

 白みゆく視界の中、少女の山吹色の髪の色だけが微かに見えていた。

 どれだけ声を上げようとしても、掠り声すら上げられない。

 消え逝こうとしていた意識は、少女の―――レフィーヤの言葉で蘇ったように持ち直したが、身体の方は全く変わらず微動だにしない。

 未だ死に逝く直前。

 痛みすら最早遠く、感覚さえ感じられないでいた。

 だが、シロの頭にはそんな事などつゆほど気にかけてはいない。

 ただ、目の前の少女のことだけであった。

 

 ―――駄目、だ。

 

 やめろ、レフィーヤ。

 

 無理だ。

 

 その男は止まらない。

 

 止められない。

 

 いいから逃げろ。

 

 もう、どうしようもない。

 

 例え奴が何もせずここから離れても、もう俺は助からない。

 

 だから、もう―――

 

 

 

 必死に声なき声を上げる。

 届かない懇願の声に応えるものはいない。

 だが―――

 

 

 ―――本当にそうか?

 

 逃げ―――

 

 

 何処か、遠く、近く、声が聞こえた。

 淡々と、機械的な硬質的な男の声が。

 問い掛けられる。

 

 

 ―――もう、本当に打つ手はないのか

 

 何を―――そんなものがあればっ

 

  

 男からの問いに、何故かシロは疑問を感じることなく答えていた。

 悔しさを滲ませた返答に、しかし男の声は嘲笑うこともなく、ただ淡々と告げる。 

 

 

 ―――いや、お前は知っている

 

 ―――分かっている

 

 ―――まだ、手はあると

 

 そんなものはないっ!

 

 

 否定する声は震えていた。

 それは、何故か。

 もう、どうしようもないことを再度認識させられるからか。

 自身の無力を見せつけられるからか。

 彼女が無為に死んでいくことを理解させられるからか。

 いや、違う。

 

 

 ―――いいや、ある

 

 あるわけがない……

 

 

 否定の声は、何時しか弱まっていた。

 力なく萎れるように小さくなる声には、無力感が漂っていた。

 

 ―――ある、自ら手放すことで、まだ立ち上がれる方法があることを、お前は知っている

 

 ……そんなものっ

 

 

 弱るシロに、それでも男の声は機械的に、淡々と告げていく。

 

 

 ―――なら、見捨てるのか?

 

 ッッ!!?

 

 

 葛藤が、震える程の迷いで意識が揺れる。

 これだけは、とギリギリの所でしがみついていた(すがっていた)

 何もかもが偽物で、紛い物の自分が持つ唯一の本物()

 

 

 ―――彼女はこのままでは死ぬぞ

 

 それ、は……

 

 

 手放せば、どうなるかがわからない。

 予想すらつかない。

 もしかすれば、死、すらあり得るかもしれない。

 

 

 ―――あの男は躊躇なく手を下すぞ

 

 そんなことは―――っ

 

 

 だが、別にそんなこと()が怖いわけではない。

 何より恐ろしいのは―――

 

 

 ―――では、どうする

 

 俺、は……

 

 

 揺れる。

 迷う。

 これまでにない葛藤が意思を苛んでいく。 

 ぐらぐらと揺れるそれは、今までとは違う。

 彼女(レフィーヤ)は言った。

 これまで俺が迷わなかった理由を。

 確かにそれは正しい。

 元々俺の命など天秤の皿にのることはなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 では、何故今こうまで迷っているのか―――。

 それは……。

 

 

 ―――お前は、()()()()()

 

 俺、は―――

 

 

 怖いのだ。

 ああ、そうだ。

 俺は怖い。

 ()()()()()()()()()()()

 手放せば、繋がりが切れる。

 それが自分にどんな影響を与えるのかがわからない。

 前例などあるわけがない。

 だが、これ迄の経験から自身の中からそれ(記憶)が削られてしまう可能性があった。 

 それが、怖い。

 ヘスティアとの……ベルとの―――家族だと言ってくれたあの暖かな世界。

 短くとも、確かにあったあの時間。

 それが、ただの()()となってしまうかもしれない。

  

 

 ―――もう無理だと諦めるのか

 

 

 声は、容赦なく告げてくる。

 こちらの葛藤などないものとして。

 淡々と。

 機械的に。

 何の感情もなく。

 なのに、まるで責め立てられるように聞こえるのは、何故なのか。

 それは―――。

 ああ、きっと、それは、もう、答えを決めてしまっているからだろう。

 

 

 ―――それとも、これまでのように、ただ、()()()()()()()()()()()()()()()のか

 

 

 声が、選択肢を迫る。

 助けるのか。

 見捨てるのか。

 手放すのか。

 手放さないのか。

 

 

 ―――決めるのはお前だ

 

 

 その答えは―――ああ、もう、とっくに決めていた。

 どうあっても、俺はこれを選んでいただろう。

 これまでと同じように。

 例え、それで誰かを悲しませるとわかっていても。

 ああ、だが―――。 

 

 

 ―――そう、お前が決めるのだ

 

 

 ただ、一つだけ。

 一つ、これまでとは違うことがある。 

 

 

 おれ、は……

 

 ―――どうする

 

 俺は……

 

 ―――お前は、()()()()

 

 俺は――――――ッ!!!

 

 たす、け―――るッ!

 

 

 そう、俺は選ぶ。

 例え()()()()()()()()()ことになったとしても。

 大切にしたいと、願う相手を傷付けてしまうとわかっていても。

 俺はそれを(助けることを)選ぶ。

 だが、それは―――

 

 

 ―――……そうか

 

 ああ、助けるッ!!

 

 

 俺の答えに、微かに何らかの感情を見せて声が消えゆこうとするなか。

 俺は告げる。

 ()()()と。

 そう、()()()()()()()()()()からでは―――ない。

   

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ッ!! 

 

 

 ――――――っ!?

 

 

 そうだ、違う。

 そこが違う。

 何かに流されるようにして助けるのではない。

 迷い、葛藤し、悩み―――それでもと選んだ。

 それは、助けなければいけないからじゃない。

 それは―――

 

 

 俺は―――俺がっ()()()()()()()()()()()ッ!!!

 

 激しく、嘆くように、悲鳴を上げるように―――

 そして、誇るように。

 叫ぶ。

 その俺の言葉に、白く染まった世界のなか。

 誰かが……笑った気がした。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿な……」

「え……う、そ……何で」

 

 誰かの震える声が聞こえた気がした。

 可笑しなことだ。

 もう耳は、ごうごうと自身の中を流れる血の廻る音しか聞こえないのに。

 どれだけ血を失ったのか。

 濃い霧の中にいるかのような視界に映るのは、微かな人影が二つだけ。

 両手はだらりと垂れ下がり、感覚はなく。

 確かどちらかの腕の骨は半ばから折れていた気がする。

 足も同じく片方の骨が砕けていた筈。

 何処もかしこも傷だらけ。

 無傷なところなど何処にもない。

 腹など横一文字に切れ込みが入り、()()()()()()()()()()()()()

 だが、それでも。

 

「……その身体で、何故立てる」

 

 俺は、立っていた。

 壁を支えにすることなく、砕けた足で地面を踏みしめ。

 今にも崩れ落ちそうだが、それでも二つの足で確かに立っていた。

 

「っあ……」

「っ! シロさんっ!?」

 

 声を上げようとするも、ただ喉の奥でごぼりと音が漏れ、喉奥からあふれでた血塊が溢れ落ちるだけ。 

 ぐらりと倒れそうになった身体を無理矢理意思の力だけで支えながら、再び口を開く。

 

「―――ぁ、何を、している」

「っ」

 

 ぼやけて像を結ばない世界のなか、それでも違うことなくオッタルを睨み付け。

 声を向ける。

 

「貴様の、相手はっ―――オレ、だろうがっ」

 

 ずっ、とただ立っているだけでも奇跡(ありえない)としか言い様のない状態でありながら、引きずるようにして前へ―――オッタルへ向かい足を進める。

 

「何を、よそ見して、いる―――っ」

 

 その場にいる全ての目が、意識がその男に向けられていた。

 有り得ない。

 有り得べからず光景だ。

 最早死に体。

 いや、死んでいていも何ら可笑しくない身体でありながら立っている。

 それどころか声を上げ、前へ進もうとしている。

 死者が歩いているような。

 そんな不気味で恐ろしい姿。 

 しかし、それを見る者達の中に抱かれているのは、忌み嫌う負の感情ではなかった。

 

「認めよう」

 

 誰もが固唾をのみ黙り込むなか、唯一口を開く資格があるオッタルがシロに応える。

 

「貴様の力を」

 

 先程まで浮かんでいた驚愕の顔はなく。

 既にその精神は平静を取り戻していた。

 

「だが、そこまでだ。最早決着は着いた。その身体でどうする」

 

 シロの身体が最早限界をとうに越えているのは誰の目から見ても明らかだ。

 腕は折れ、足は砕け、更に腹は裂けて中身が見えている。

 瞬いている間に死んでいても可笑しくはない。

 そんな姿だ。

 

「剣は全て砕け、腕も折れたその身体で、何をするつもりだ」

「なに、を―――だと……」

 

 ゆっくりと、シロの顔が上がる。

 その目は霞がかかっており、最早何も見えていないことは外からでも明らかであった。 

 知らず駆け寄ろうとしたレフィーヤだったが、

 

「はっ―――」

 

 シロの小さく笑う声に思わず足を止めてしまった。

 

「……何を笑う」

「っ、ぁ……は、はは……笑うさ、ああ、笑うとも……何をする、つもりだと?」

 

 ゆっくりと、何処を見ているのかわからなかった視線が、次第に定まっていく。

 ゆらゆらと揺れていた焦点が定まり、死を間際に更に凄みを増した視線がオッタルを貫いた。

 

「貴様を、倒すのさ」

「ほう」

 

 知らず、オッタルの口端が歪んだ。

 嘲笑ではない。

 それは自然と浮かんだものであった。

 強がりではない。

 そうオッタルは直感していた。

 だが、目の前の男は今まさに死に逝こうとする姿だ。

 笑えはするが恐れることなど欠片もない。 

 ない、筈なのに。

 オッタルの手は何時しか強く大剣の柄を握りしめていた。

 

「武器もなく、身体は朽ちる間際だと言うのにか」

「は、はは……確かに、だが、な……」

 

 シロの視線が、オッタルから少し離れる。

 その先には、大粒の涙を流しながら今にも駆け寄ってきそうなレフィーヤの姿があった。

 

「たとえ、武器がなく、とも……この、身体が、朽ちようが―――」

 

 それに、小さく笑みを返し。

 もう一度、オッタルを視線をやる。

 視線は鋭く刃物のように。

 それでいて、口元には皮肉げな笑みを浮かべ。

 

「俺の、意志が折れない限り―――止まることは、ないっ」

「覚悟はよし。だが、ただ吠えるだけならば犬にもできよう」

 

 一歩、オッタルが前に出る。

 それだけで、圧力が何倍にも増す。

 レフィーヤが思わず前に手を伸ばすが。

 それだけしかできないでいた。

 悲嘆に染まる顔を、震える身体でそれでもと必死に動かそうとする。

 だがそれは、何の結果を出せることなく。

 絶望に染まる目が、シロへと向けられる。

 それに、シロは―――。

 

「っは―――俺は、犬ではない―――そうだ、俺はっ」

 

 それに、シロは不敵な笑みを返し。

 全身に力を込めた。

 身体のあちらこちらから何かが砕ける音が聞こえる。

 血が吹き出し、腹から何か大切なものが落ちていく。

 それでも、背を伸ばし、顔を上げ、オッタルを睨み付ける。

 

「たとえ、どうしようもない程に偽物であっても、紛い物であったとしてもっ!!」

「っ」

「幾度でも立ち上がり、貴様を打ち倒すっ!!」

 

 何を感じたのか。

 オッタルは足を止めると剣をその場で構えた。

 前には既に死に体の男が一人。

 警戒するものなど一つもない。

 それなのに、オッタルは迷いなく剣を構えた。

 それを前に、シロは先程までの弱々しい姿から一変させ、声を張り上げていた。

 変わらずその身体はぼろぼろで、血だらけだと言うのにも関わらず。

 まるでそんな様子は欠片も感じられない強さで声を上げ―――告げた。

 

「何故ならばっ―――」

 

 自分に、相手に、そして世界に宣言するように。

 シロはその言葉(呪文)を告げた。

 

「―――【この身体は剣で出来ている】ッ!!」

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――荒野が……広がっていた。

 目の前には、ただ罅割れ、乾ききった大地が広がる荒野。

 動くものはおらず、また木も、草も、虫一匹すらその気配(生きた気配)が感じ取れない。

 ただ、乾ききった風だけが吹いていた。

 そこに、気付けば一人、立っていた。

 動揺はない。

 驚きもない。

 何故ならばここは己自身の中であるから。

 直感ではない。

 ただ、無理なく何の疑いもなくそれがわかっていた。

 何よりもここに来たのは初めてではない。

 また、何故ここにいるかもわかっていた。

 進むのだ。

 行先は、わかっていた。

 顔を上げる。

 前へ。

 遠くに、一つ丘が見える。

 その丘が境界であるかのように、その頂上付近から向こうが見えない。

 砂嵐だ。

 あの丘の向こうを、まるで厚いベールのように砂嵐が隠している。

 入ればただですまないのは誰もがわかるだろう。

 鑢のように全身を削られ骨すら削り尽くされてしまうだろう。

 だが、自分の行く先はその向こうにあった。

 だから、行く。

 躊躇なく。

 一歩を踏み出し―――

 

 

 

 ―――イイノカイ?

 

 

 

 ―――背後から、声をかけられた。

 

「―――何がだ」

 

 踏み出そうと上げかけた足を元に戻し。後ろを振り向かず声に応える。

 誰かとの誰何はしない。

 オレは、こいつを知っているからだ。

 

 ―――ワカッテルダロ

 

「……見捨てる訳にはいかない」

 

 そう、見捨てるわけにはいかない。

 そのために、オレは立ち上がったのだから。

 

 ―――ヘェ……ホントウニ?

 

「…………それ以外に何がある」

 

 笑いを含んだ疑いの声に、自然と返す言葉が低くなる。

 

 ―――ヒヒヒ……タシカニ、ナ。オマエニハソレダケデジュウブンダナ

 

「………………」

 

 ―――タダソレダケノリユウデ、オマエハキリステルコトガデキルンダカラナ

 

「―――っ」

 

 ざわりと胸の奥が蠢く。

 吹き上がる耐えがたい不快さに食いしばった歯が軋みを上げた。

 

 ―――ン? ドウカシタカ?

 

「否定は、しない…………確かに、俺は―――」

 

 そう、どう言い繕うと。

 どんな綺麗な言葉で飾ろうと、結果を見ればそれは切り捨てたのと変わりはない。

 そんなことは、オレが一番わかっている。

 

 ―――エランダ?

 

「……そうだ」

 

 そう、選んだ。

 絆を切り捨て、目の前の命に手を伸ばすと。

 

 ―――イイヤ、チガウネ

 

「違う?」

 

 その言葉に、知らず眉間に力が籠り、問うように続きを促す。

 

 ―――エランデナンカイネェヨ

 

「どういう、ことだ」

 

 ―――エラブッテノハ、ダイナリショウナリクラベルモンサ。ダケドオマエハソンナコトシチャイナイ

 

「そんな事は―――」

 

 そんな事はない。 

 これまではそうだったかもしれない。 

 だが、これは違う。

 迷い、躊躇い、覚悟を決め―――選んだ。

 選んだ、筈だ。

 そんな(選んでいないなんて)事は―――

 

 ―――ナイッテカ?

 

「―――っ」

 

 まるで心の内を覗かれているかのようなタイミングで告げられた声に、思わず息を飲む。

 

 ―――エランデネエヨアンタハ。アンタハタダステテルダケダ

 

「………………」

 

 嘲笑いが含まれた声が、淡々と投げつけられる。

 

 ―――メノマエデガケカラオチカケテイルヤツガイル。ダケドリョウテハフサガッテイル―――ダカラモッテイルモノヲハナシタ

 

 …………それ……は……

 

「――――――」

 

 ―――タダソレダケ

 

 反論は――― 

 

「…………」

 

 ―――出来なかった。 

 

 ―――ヒテイハシナイノカイ?

 

「……ああ」

 

 ああ、そうだ。

 その通りだ。

 どう言葉を飾ろうと。

 どんな葛藤があったとしても、()()は変わらない。

 選ばれなかった者(ヘスティア達)にとっては、選ばれなかったことと捨てられたことに大した違いはないのかもしれない。

 そこにどんな過程があったとしても、選ばれなかった(捨てられた)当人達にとっては意味のないもの……。

 そう、なのかもしれない。

 だが、そうであっても―――

 

 

 ―――ヒヒヒッ……アア、コワイコワイ

 

「それが、真実だとしても……それで、誰かが救えるのなら……」

 

 ―――イインジャネェノ? ステルノモエラブノモケッキョクオンナジコトダ。オマエノスキニシタライイ

 

「―――」

 

 ニヤニヤとした笑い顔が浮かぶような声を最後に、シロは止めていた足をゆっくりと動かし始めた。

 前へと―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――シヨクナク、タダモトメラレルママニスクイツヅケル【エイユウ】ネェ……【セイギノミカタ】トハヨクイッタモンダ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 進む。

 ひび割れ荒れ果てた果てなき荒野をただ進み続ける。

 草木の一つすら見えず、黄昏に染まった空の下。

 ただ歩み続ける。

 何もない。

 本当に、ここには何もない。

 だから、歩き続ける。

 ここにある筈のものを見つけるために。

 乾いた風に身を晒し。

 進んでいるのかわからない程に代わり映えのしない荒野を進み続け。

 何時しか、風に砂が混じり始めた。

 瞬く間に風の勢いは強まり、最早まともに目を開けることもできない。

 砂嵐から顔を塞ぐために持ち上げた手すら隠してしまうほどの嵐の中を、しかし止まることなく歩み続ける。

 砂はその一粒一粒がまるで鑢のように身体を削っていく。

 いや―――削られているのはそれだけではない。 

 

 ―――ケズレテイク

 

 豪々と鳴る打ち付ける砂粒が乘った風に体を切り裂かれながらも、何時しか歩む足に変化を感じた。

 丘を、登っている?

 

 ―――ケズラレテイル

 

 望洋とした意識の中、それでも立ち止まることなく進む。

 確信がある。

 

 ―――タイセツナ―――ダイジナモノガ―――

 

 この先に―――。

 この丘を越えた先に、求めるものがあることを。

 

 ―――タイセツナキオクノナカノオモイガ

 

 歩みは遅い。

 それこそ、亀の歩みの方がまだ早いほどに。

 それでも、足は確実に一歩一歩踏みしめていた。

 

 ―――ケズラレ

 

 巌よりもなお堅い、鋼鉄の意思により進む足を止められることなど、何人たりとも叶わないだろう。

 そう、例えどんな凶悪な化物が襲いかかろうとも。

 そう、例えどんなに強い英雄が立ち塞がっても。

 そう、例えどんな万能の神が命じたとしても。

 彼の歩みを止めることは出来はしない。

 

 ―――オモイデガ、タダノキロクヘト……

 

 また、微かな変化に気付く。

 

 傾斜が少し緩くなった。

 目指す先はもう間近。

 確信が、男の歩みを更に強く、硬くする。

 もう少し―――そうだ、この足があと一歩進めば―――。

 

 ―――ダケド、ソレデモ

 

 男の足が、最後の一歩を踏む《最後の想いを踏みにじる》ために、持ち上げられ―――

 

 

 

 

 

「本当に、いいの?」

 

 

 

 

 

 小さな、幼さを感じさせる少女の声。

 淡い、白雪を幻視させる美しい声音に、止まる筈のない歩みが―――止まった。

 その声を聞いた時、意識よりも先に、この身体が動きを止めた。

 その声の主を―――オレは知らない(知っている)

 

「―――それは……」

 

 再び止まってしまった足をその場に、振り替えることなく眼前の砂嵐を見つめながら声を漏らす。

 しかしそれは形になることなく削られ消えていってしまう。

 何も言えず、何も出来ず立ち尽くすシロの背中に、再び問いかけられる。 

 

「……本当に、いいの」

 

 再びのそれは、問いではなかった。

 微かに尖ったそれは、僅かに責めるような色が混じっていた。

 それに、シロの身体はまるで怯えるようにビクリと震えた。

 

「っ、オレは―――」

「そのまま進めば、本当になくしてしまうのよ」

「―――っ」

 

 何を言おうとしたのか、開かれた口はその声によって閉ざされてしまった。

 責めるようでありながら、悲しみを見せるその声に、シロは続く言葉を飲み込んでしまう。

 

「それでも、あなたは本当に進むの? 本当にそれでいいの?」

「……ああ、そうだ」

 

 答えた声は、酷く苦く感じた。

 棘のついた塊を吐き出したかのような痛みと苦しみを感じるのは、何故だろうか。

 オレは、何故、こんな思いを抱いているのか。

 わからない……。

 何故、オレはこんなにも……。

 

「……そう」

 

 小さく、呟くようなその声には、一体どんな感情が込められていたのか。

 男には、わからなかった。

 

「それは、あなたを待っている人を捨ててまですることなの」

「……」

 

 責めるような言葉でありながら、それは何処か気遣うかのような穏やかな声色だった。

 それはまるで、何も知らない小さな子供を心配するようなもので。

 その幼さを含んだ声に反し、大人びた様子を感じ取れた。

 

「あなたは、いいのかもしれない」

 

 声と共に、荒野を進む小さな足音がシロの耳に触れる。

 乾いた土と砂利を踏みしめる音が、不思議に吹き付ける砂嵐をすり抜けて聞こえていた。

 

「どんな葛藤があったとしても、どんな綺麗な理想を目指したとしても、それは()()()()()()()()()()()だから」

 

 同時に、その少女の声も同じく。

 足音が聞こえる毎に、その声ははっきりと、まるで耳元で聞こえるかのように。

 そうして、何時しか少女の吐息すら感じられるまでの近さへ。

 振り返れば、そこに少女はいるだろう。

 聞こえる位置から、少女は自分の腰辺りの身長しかない。

 

「―――でも、()()()()()()?」

 

 ―――淡々と、穏やかと言ってもいい声が、唐突に冷えきった刃となった。 

 

選ばれなかった(棄てられた)人は?」

 

 責めるようなものではない。

 非難でも、悲嘆でもない。

 ただ、純粋な疑問。

 

 ―――何故?

 

 ―――どうして?

 

 変わらない。

 凪ぎの海のようにその声に荒げた様子は欠片もない。

 

「そんなの関係ない」

 

 それが、まるで鋭い刃で刺されているような気持ちになるのは―――。

 こうまで動揺してしまうのは―――何故なのだろうか……。

 

「そんなのわからない」

 

 身動ぎ一つ、息すらできているのかわからない中―――何か、小さくて、柔らかくて、暖かなものが、背中に触れた。 

 

「突然、選ばれなかった(棄てられた)と知って―――どうすればいいの?」

 

 それは、少女の手。 

 彼女の手だ。

 触れれば溶けて消えてしまいそうな。

 淡雪のようなその儚さ。

 

「泣いても、叫んでも……誰も、応えてくれない」

 

 オレは、それを―――知らない(知っている)。 

 

「唯一応えてくれる人を待って、過ごす日々が、どれだけ辛いのか……あなたにはわかっている?」

 

 背中に感じる小さな温もりに押し出されるように、

 

「―――ああ、そうだな……きっとオレは、わかっていないんだろうな……」

 

 言葉が、零れるように吐き出された。

 弱々しいその声は、何処か諦めを感じさせるものがあった。

 

「それでも、あなたは進むんだ」

 

 背中に触れていた手のひらに、少し力がこもったように感じられたのは、気のせいなのか……。 

 

「……そうだ」

 

 鑢のような砂を含んだ風は、今も変わらず全身を削っている。

 口を開く度に、針でも飲み込んだかのような痛みだ。

 前後左右から吹き付けてくる風は、何時からか前からしか吹いてこなくなっていた。 

 

「そうなんだ……」

 

 声の最後が小さく消えていったのは、落胆したからなのか。

 それとも、また別の理由があるのだろうか。

 とりとめもなく、そんな事を考えながら。

 オレは、彼女に自分の思いを晒け出す。

 

「そうだ―――オレはわからない。わからないまま、進む」

 

 そうしなければいけない。

 そうしなくてはならない。

 何故か、そう思った。

 

「あなたは、もうそう決めてしまったんだ」

 

 少女の声に、悲しみの色があった。

 背中の手のひら(温もり)が遠ざかろうとする。

 

「っ、ああ、決めたっ」

 

 それを引き留めるように声を上げた。

 温もりは、少しずつ離れていく。

 

「なら、あなたはもう()()()()()

 

 まるで、壊れた機械のように―――そう続いて聞こえた声は、幻聴だったのか、それとも本当に少女が口にした言葉なのか。 

 

「そうだっ―――止まるわけにはいかない」

 

 だが、たとえそれが幻聴であっても本当に少女が言ったのだとしても、関係はない。

 もう、オレは決めたのだ。

 そうだ、選んだのだ。

 あの影が言ったことは間違いではない。

 ああ、そうだ間違いではない。

 だが、それは―――

 

「そうまでして、あなたは【正義の味方】に―――」

「違うっ!」

 

 正解でもないっ!

 

「え?」

「そうじゃないっ!」

 

 微かな、指一本分の温もりが離れようとして、止まった。

 

「ちが、う?」

「オレは、確かに選んだっ」

 

 そうだ、オレは確かに選んだ。

 あの影が言うのには捨てたのだろう。

 

「どんな結果になろうともっ、今この時彼女(レフィーヤ)を助けるとっ!」

 

 確かに、ああ、選ばれなかった(棄てられた)当人にとってはどちらでも代わりがないのかもしれない。

 

「だがそれはっ―――【正義の味方】になりたいからじゃないっ!」

 

 だけど、やはりそれでも違う。

 違うんだ。

 

「なら―――何で? どうしてあなたは……」

 

 淡々とした口調は既になく。

 動揺と混乱でその声は明らかに揺れていた。

 背中に触れていた温もりは、何時しか強くなっていて。

 それを背に、オレは声をあげる。

 

「それはっ……オレが―――」

 

 レフィーヤが伝えてくれた思いがオレの背中を押す。

 

 ―――ベル・クラネルはこう言ったんですよ『お兄ちゃんだって思っているんです』って―――

 

「オレがっ!! ベルの兄貴だからだっ!!」

「っ―――ぁあ……」

 

 その声は、小さく噛み締めるような強さで。

 何処か嬉しさを滲ませていた。

 

「あいつが、こんなオレでも兄と言うのならっ―――あいつに、失望されるわけにはいかない」

「……無茶苦茶よ。何でそれでそんな兄と呼んでくれる子を捨ててまでするの? 逆じゃないの?」

 

 肩を竦めるような調子の言葉に、呆れたような声を返される。 

 

「はは―――あいつはな。ベルは、女の子との出会いを求めるためだけにダンジョンに来たと言うような男だ。なら、ここで女の子(レフィーヤ)を見捨てたら失望されてしまうだろう」

「……バカね」

 

 溜め息が混じったその声は、呆れが八割笑いが二割といったところか。

 同感なので思わず頷いてしまう。 

 

「そうだな」

「あなたもよ」

 

 責めるような口調と共に背中に小さな痛みが。 

 どうやらつねられたみたいだ。

 

「ああ、そうだな」

「でも、その子はいいとしても。もう一人はどうなの」

 

 つねったのは一瞬で、直ぐに彼女は背中に手を触れるだけにすると、もう一人の家族について聞いてくる。

 その声には、最初に感じたものとはまた別の、穏やかなものを感じられた。

 

「ああ、きっと彼女はわかってしまうだろうな」

「そうね。まず間違いなくわかると思うわ」

 

 そう、彼女との契約が切れてしまえば、きっとわかってしまう。

 何処にいようと、彼女は感じとるだろう。

 オレとの繋がり(契約)が切れてしまったことを。

 

「泣くだろうな」

「あなたが泣かせるのよ」

 

 あれだけ【ファミリア(家族)】を大事にする彼女だ。

 きっと悲しませてしまう。

 泣かせてしまうだろう。

 

「悲しませることになるな」

「ええ、とても苦しいわ」          

 

 これまでも、何度か機嫌を損ねた事があったが、その時は何時も美味しいものを作って機嫌を取っていたが……。

 そうだ、特に彼女はじゃがまるくんが好きで。だから、何時もそれで機嫌を取っていた。

だが

 

「……流石に、じゃがまるくんだけじゃ、無理だろうな」

「ええ、じゃがまるくんだけじゃ……へ?」

 

 呆けた、可愛らしい戸惑いの声が上がる。

 それを小耳に挟みながら、何処かわざとらしさを滲ませ困ったように唸り声を滲ませた。

 

「そう簡単に許してくれないだろうな」

「え? ちょ、ちょっと待ってっ!?」

 

 焦った声と共に、少し背中を引かれる感覚が。

 それに、自然と口元に笑みが浮かぶが、気付かれないように何か? と小さく首を傾げて見せた。

 

「何だ?」

「何だ? って―――あなたは何を言っているの!?」

 

 ぐいぐいと背中を引きながら、彼女の慌て混乱した声が聞こえる。

 

「何をと言われてもな。どうしたら許してもらえるのか考えているんだが?」

「許してもらえるって……あなた、まさか―――」

 

 何か問題があるのか? 

 そんな肩を竦めながら聞くような軽い調子に、彼女の呆れたような声が返される。

 だが、そこにはそれ以外のものを含んでいるようであり。

 

「ああ、帰るよ―――オレは」

 

 それに応える為に、オレは頷く。

 

「帰って、謝って、許してもらいたい」

「……あなたは、わかっているの? このまま進めば、あなたは」

 

 苦しげな、彼女の震える声が聞こえる。

 背中に触れた彼女の手もまた、微かに震えていて……。

 

「―――ああ、そうなんだろうな」

「ならっ!?」

 

 疑問ではない。

 責める声が向けられ。

 オレは応える。

 

「大丈夫だ」

「っ」

 

 息を呑む音が聞こえた。

 混乱と困惑。

 疑問と不審。

 返ってきた言葉の意味が分からないのだろう。

 思考が纏まらず言葉が出ない彼女に、オレはもう一度応えた。

 

「きっと、大丈夫だ」

「何で、そんなことが―――」

 

 否定の色を含んだ彼女の声は、弱々しく。

 オレの言葉が信用できないのだろう。

 いや、信じられないだけか……。

 

「それは―――」

 

 確かに、それは仕方のないことだ。

 きっと彼女は、オレ自身よりもオレの事を知っているのだろう。

 だけど、彼女の知らない事もあった。

 思いもよらないんだろう。 

 オレが

 

「―――覚えているからだろうな」

 

 オレが、覚えていることを。

 

「え?」

「覚えているんだ」

 

 気の抜けたような。

 予想外過ぎたのだろう。

 戸惑いでもなく、疑問でもない。

 ただ、純粋な感情の発露。

 

「まさか―――そんな筈はっ、だってあなたは―――」

 

 彼女の続く言葉は、ああ―――よく分かっている。

 確かに、オレが覚えている筈がない。

 だがな――― 

 

「だけど、覚えているんだよ。()()()()()()()()()()()()

 

 そうだ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。 

 それでも覚えているんだ。

 確かにオレはどうしようもない程に紛い物で、どこまでもいっても贋物だが、この身体だけは、間違いなく本物なのだから……。

 

「から、だ―――が?」

 

 やはり、まだ信じられないのだろう。

 戸惑うように震える彼女の手が、確かめるように背中を撫でるようになぞっていく。

 

「だから、オレは進める。たとえ―――たとえ全てを忘れてしまうとしてもっ―――この先へオレはっ」

「……そう、なんだ」

 

 だから、オレは進める―――。 

 彼と同じように―――。

 

「ああ」

「そっか……ああ、なら仕方がないわね」

 

 はっきりと。

 強く頷くオレに、彼女の諦めたような、それでいて何処か苦笑するような声が。

 

「すまない」

「どうして謝るの」

「それは―――」

 

 むう、とむくれたような調子の彼女の声に、咄嗟に何かを言おうとしたが。それが形になるよりも、彼女の声の方が早かった。

 

「いいわ。許してあげる。だけどただじゃダメよ。絶対に、帰って謝らなくちゃダメよ。残されるのは、本当に辛いんだから……」

「っ、ああ」   

 

 明るい声の中に確かに感じられた悲しみに、思わず口元を噛み締めながら強く頷いてみせる。

 

「なら、直ぐに行かなきゃ」

「―――っ」

 

 ぐっ、と背中を押された。

 きっと、彼女は力一杯押したのだろう。 

 背中に押し付けられた彼女の熱は強く、熱く。

 だけど、その力はとても弱くて。

 それが、どうしようもない程に苦しく、悲しく……。

 直ぐにでも振り返りたいと沸き上がる感情を、それでも振り切るように足を上げ―――。

 前へ―――。

 

「―――頑張れ……女の子を助けるために行くんでしょっ! 胸を張ってっ! 顔を上げて行きなさいっ!! そしたらっ―――そしたらわたし(お姉ちゃん)が助けてあげるからっ!!」

 

 ―――進む。

 砂嵐の中を。

 最後の一歩を。 

 彼女の声を背中に。 

 オレは―――前へ、進む。

 

 

 

 

 

 そして――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「頑張れ……頑張れ……」

 

 前へ。 

 消えていく背中向けて声を上げる。

 きっと、もう彼の耳には届いてはいないだろう。

 だけど、そんな事は関係はなかった。

 もう、迷いはなかった。

 

 ―――ホントウニヨカッタノカ?

「いいのよ。あなたも聞いていたでしょ」  

 

 後ろから唐突に声をかけられるが、予想していたから驚きはなかった。

 何時の間にか、あれだけ激しかった砂嵐は、まるで幻のように消えていた。

 

 ―――マアネ、マサカアンナケツロンニイタッテイタトハ―――ワラエルナ

「ええ、本当に笑えるわ」  

 

 目の前に広がっているのは、これまでと変わらないどこまでも広がる荒野だけ。

 でも、きっと変わるのだろう。

 どんな風に変わるのか、それは楽しもあり、また怖くもあった。

 ただそれも、彼が生き延びられれば、だけど―――。

 

 ―――ダケドアレハツヨイゼ。イタレバスコシハマシニナルガ、ソレデモアノバケモンニハトドカナイ。アレハヘタナエイレイヨリモツヨイゼ。オレハカクジツニアイテニナラナイネ。キレテシマエバマジュツモドキモツカエナイダロウシ、カチメハナイトイッテモイインジャナイカ?

「そうね。()()()()()()届かないわ」

 

 そう、このままでは無理だ。

 身体のスペックが多少上昇しても、あの英雄の頂に手をつけた男には敵わない。

 それは、どうしようもない程に残酷な事実。

 だけど―――

 

 ―――()()()()()()トキタカ

「だから、用意をするわ」

 

 そう、だけど。

 あの数多の英雄と同じく。

 勝つことが不可能と言われた相手に挑むには、武器が必要だ。

 

 ―――ナンデソコマデスルンダ? アレハエミヤシロウジャナインダゼ

「そんな事わたしが一番知っているわ」

 

 そんな事は、言われなくても分かっている。

 当たり前だ。

 だって―――

 

「だって、わたしが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ―――アア、ソウダッタナ   

 

 

 

 『―――生きたい』

 

 

 

 あの子は、そう願った。

 願ってくれたから、わたしはその願いを叶えてあげた。

 本当の『魔法』で―――。

 だから、彼が()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ちゃんと、あの子がシロウじゃないことはわかっているわ」

 ―――ジャア、ナンデダ?

「それは……」

 

 なんで?

 そんなの決まっている。 

 ああ、確かに彼は衛宮士郎ではないのだろう。

 その身体だけは、衛宮士郎のものであったのは間違いはない。 

 でも、肝心のその中身は全く違うモノだ。

 確かに似てはいる。

 それでも、やっぱり違うモノ。 

 何処までも贋物で。 

 どうしようもない程に紛い物で……。

 だけど、そうであっても―――

 

「―――あの子はわたしの()よ」

 ―――アン?   

 

 だって、あの子は言ってくれた。

 覚えているって。

 覚えてはいないけど、覚えているって。

 なら、それでいい。

 それだけで、十分。 

 わたしは、あの子のお姉ちゃんだ。

 

「だから、助けるのは当たり前」

 ―――アレガオトウトネェ……   

 

 心から沸き立つものが感じられる。

 自然と笑みが浮き上がり、跳ねる心に従うように勢い良く振り向いた。

 

「ふふ……だって、弟を助けるのはお姉ちゃんとして当たり前だから」

 

 振り向いた先には、黒い影と―――

 

「だから、あなたも助けてくれるわよね」

「―――不本意だが、君が言うのなら仕方がない」 

 

 一人の英霊。

 眉間に皺を寄せて不満を露わにしているけど、ちゃんとわたしには分かっている。

 

「素直じゃないわね」

 

 丘をゆっくりと下りながら彼の元へと向かう。

 

 ―――フ~ン、デ、ケッキョクドウスルツモリナンダ?

 

 黒い影の疑問にわたしは得意気に指を立てて応える。

 

「結局のところ、ここでまともに魔術が使えないのは基盤がないだけなんだから。だったら()()()()()()()

 ―――ツクレバッテ……ソンナカンタンニツクレルヨウナモノナノカ?

 

 呆れたような声に肩を竦める。

 錬金術ならまだしも、そんなの―――

 

「知らないわ」

 

 知るわけがない。

 

 ―――オイ

「だって、わたしにはそんな事(知識や技術)関係ないから」

 

 そう、わたしにはそんな知識や技術は必要がない。

 ―――小聖杯たるこの身には。

 

 ―――アア、ソウイエバソウダナ

「わたしは聖杯なんだから、必要な魔力さえあれば、願うだけでそれが叶ってしまう(過程を無視して結果だけを得る)

 

 そう言って、手を伸ばす。

 何処か憮然とした顔をしているような気がする彼へと。

 

「なら、新しく『魔術基盤』を創るなんて事も簡単よ」

「その魔力を提供するのは私なんだがな」

 

 本当に素直じゃない。

 それが、何か可愛らしくて。

 思わず小さな子供に聞くような様子で問いかけてしまう。

 

「あら、嫌なの?」

「残念なことに―――拒否する理由がないからな」

 

 小さく肩を竦め、彼が―――『アーチャー』が手を伸ばす。

 

「ふふ……素直じゃないわね()()()()()()

「―――っふ」

 

 色々な意味を込めたわたしの言葉に、彼は一瞬虚をつかれた様子を見せた後、小さく微笑んで―――ああ、やっぱり変わらない。

 つられて、わたしも笑って。

 願う。

 あの子が、ちゃんと家族の元へ帰れるように。

 あの子の、お姉ちゃんとして―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光が―――溢れていた。

 黄金の光が、あの男の足元からとめどなくまるで泉のように沸き上がっている。

 その勢いは次第に、加速度的に強くなり。

 瞬く間に大通路をその黄金の光で満たしていく。

 まるで太陽がそこにあるかの如く。

 黄金の光は大通路をあまねく照らすだけでなく、ついには分厚い天井を、硬い岩盤すら貫くように天地を貫く光の柱となる。

 

 空へ駆け昇る光は地上を超え、バベルを超え―――遂には空の彼方へと。

 

 下へ―――地下へ―――星の源へと到らんと進む光は、遂には神すら知らぬ深層すら超え―――星の中心へと。

 

 その中心である大通路では、あまりの目映さに、その場にいる全員が目を閉じるか手を翳してその視界を守ろうとするが、気休めにもならなかった。

 誰もが混乱の中にいた。

 何が起こっているのか何もわからない。

 悲鳴も疑問の声すら上げられず、ただ光の奔流の中耐える。

 どれだけの時間が過ぎたのか。

 十秒?

 一分?

 それとも十分以上?

 時間の感覚すら曖昧となる中。

 その輝きの、音もなく光だけが広がるその中心から、ゆっくりと歩く足音が響き―――。

 同時に、光は少しずつ吸い込まれてゆくように光の中心―――いや、足音が聞こえてくる場所へと集まってゆく。 

 収まっていく光量。

 僅かに回復した視界。

 自然と、その場にいた者達全ての視線が足音が聞こえてくる方向へと向けられる。

 少しづつ形となっていく光の中の影。

 一人の人影。

 やがて、それは色を持ち、一人の人物を描き出す。

 赤と黒、そして白で描かれたのは―――一人の騎士だった。

  

 

 

 

 

「……貴様は―――何者だ」

 

 何処か、呆然とした様子でオッタルの口から疑問の声が上がった。

 戸惑い、不審、疑問―――流石のオッタルであっても、()()()()()()()()()()()()

 既に光は消え失せ。

 視界は良好。

 まるで幻だったかのように、あの光は跡形もなく消えていた。

 残されたのは、まるで今、生まれたばかりのように傷どころか汚れ一つない―――見たことのない赤い外套と黒い鎧を身につけた男の姿。

 その男を知っている。

 知っている筈、なのに―――。

 だが―――あまりにも違う。

 違いすぎた。

 その身体に満ちる存在感が―――。

 

「―――何者、か」

 

 男の―――オッタルの問いかけに、少し、思考を傾ける。

 オレは―――何者なのか?

 【正義の味方】―――?

 馬鹿な―――冗談でも口に出来るわけがない。

 まだ何も定まっていない―――決めてもいない、覚悟もないのに、どの口で言える。   なら、何だ?

 【ヘスティア・ファミリア】―――?

 ―――言える訳が無い。

 どんな恥知らずだ。

 自ら切り捨てたモノを語れるものか。

 では、自分は何者なのだ?

 それは―――。

 そんなものは―――。

 ああ―――ない。

 あるわけがなかった。

 何故ならば、オレは―――。  

 

 

 

「―――何者でもない」

 

 足を、一歩前へと。

 ゆっくりと、何も持っていない両手を広げていく。

 

「―――ただの偽物で」 

 

 既に繋がりはない。

 何とか魔術もどきが使うことが出来ていた彼女との繋がりは感じられない。

 だが―――。

 しかし―――。

 

「どこまでも擬い物でしかない―――」

 

 確かな繋がりがあった。

 大地の奥深く。

 そこに新たに。

 恐らく―――いや、確実に初めて刻まれた【魔術基盤】。

 それとの繋がりが。

 硬く、強く―――しかし違和感なく―――まるで自分の一部のようにすら感じられるほどに。

 

「だが―――オッタル」

 

 心の奥で―――

 

 

 ―――投影、開始(トレース・オン)

 

 

 ―――呪文を詠唱する。

 

()()()()()()()()()のは、紛れもなく贋物でありながら―――」

 

 27の魔術回路に、魔力が流れ込む。

 電子回路に電流が流れ込むかのように、停滞なく流れ、満たし―――繋がった。

 そして、この世界で初めて【魔術】が行使される。

 

「―――間違いなく本物の伝説ッ!!」

 

 広げられた両腕。

 

 ―――創造の理念を鑑定し

 

 開かれた掌。

 

 ―――基本となる骨子を想定し

 

 そこに、稲妻の如く魔力が集い―――形を成していく。 

 

 ―――構成された材質を複製し

 

「「「「「―――っ!!!!」」」」」

 

 ―――制作に及ぶ技術を模倣し

 

 声にならない声が上がった。

 それは驚愕の声だったのか。

 それとも歓声だったのか。

 どんな感情が込められたものかは、口にした本人ですら分かっていなかっただろう。

 

 ―――制作に及ぶ技術を模倣し

 

 ただ、一つだけ言える事は。

 

 ―――成長に至る経験に共感し

 

 その場にいた全ての者が、()()に目を奪われていた。

 

 ―――蓄積された年月を再現し

 

 説明などいらない。

 ()()を目にした時に理解した。

 

 ―――あらゆる工程を凌駕し尽くし

 

 何故ならば、彼らは―――彼女らは数多に違いがあろうとも、頂きを目指す者であることに違いはないのだから。

 だからこそ、言葉は不要。

 知識など無用。

 ただ、目にしただけで理解した。

 

 

 

「貴様が最強だと吠えるのならばっ―――」

 

 

 

 それが―――

 

 

 

 ここに、幻想を結び剣と成す――――――ッ!!!

 

 

 

 ―――一つの頂(伝説)であることを。

 

 

 

「―――恐れずしてかかってこいっ!!!」

 

 

 

 

 

 




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第九話 決着

 

 ―――人の形をした嵐がそこにはあった。

 2Mに勝る巨大な体躯を持ちながら、高レベルの冒険者であっても目視が難しい速度で動くそれは、最早人とは呼べそうになかった。

 手にした大剣が振るわれる度に豪風が吹き荒れ、大通路の硬い岸壁すら削られている。それがその場にとどまらず、広い筈の大通路が狭く感じる程に瞬く間に移動しては、人力による竜巻が巻き起こっていた。

 そんな人外の嵐の中心では、例え鋼鉄すらものの数秒も持たないだろう。

 その―――筈なのに。

 

「オオオオオァアアアアアッ!!!」

「―――ッ!!」

 

 嵐の中心で、一人の騎士が舞っていた。

 両手には剣が。

 白と黒の特徴的な剣。

 一対の双剣を持って、その男―――シロは抗うことが出来る筈のない嵐を受け止めていた。

 文字通り目にも止まらない速度で振るわれる大剣。

 人一人分の重量と大きさがあるだろう大剣を、小枝のように振るうそれは、受け止めずとも傍を通りすぎるだけで常人ならば圧死しかねないものがあった。

 それを、シロは手にした双剣をもって時に逸らし、時に避け―――未だその身体に血が流れることはなかった。

 受け止められるわけがない剣を逸らし、避け続ける。

 ()()()()()()()()()()()()()()()オッタルの豪剣を凌ぎ続ける。

 ()()()()から確かに、シロはオッタルの剣をかわしてはいた。

 だが、それは端か見ても危うげで、何時終わっても不思議ではない不安感がそこにはあった。

 しかし、今のシロからはそんなものは感じられない。

 確かに今も変わらず防戦一方に見える。

 その筈なのに、妙な安心感―――いや、安定感がそこにはあった。

 違いには、何か理由がある。 

 この戦いを目にしている者の中には、その理由の一端に気付いている者もいたが、その全てを知る事は出来ようはずがなかった。

 確かに、明らかにシロは先程までよりもその身体能力が向上しているように見えた。

 端から見ていたからこそ、その変化は顕著に感じられた。

 確かに以前もその身体能力はレベル1とは思えないものだった。

 3―――いや、下手をしなくともレベル4の上位にすら届いていただろう。

 だが、今のそれは、文字通り比較にならない。

 このオラリオにすら一握りしかいない筈の高位冒険者―――レベル5や6にすら匹敵する力が感じられていた。

 信じられない。

 驚異的で、奇跡すら叶わない現実とは思えない異常で異端な現象だ。

 だが、それでもオッタル(レベル7)には到底及ばない筈だった。

 足掻くことはできるだろうが、それだけだ。

 それほどまでに、オッタル(最強)は圧倒的な筈であった。

 なのに、シロは未だ拮抗を続けている。

 それには―――大きく二つの要因があった。

 一つは―――シロが新たに獲得―――いや、取り戻したといった方が正確なのだろうか。

 神との契約による得た【スキル】ではなく。

 英霊エミヤが所持するスキル。

 ―――【心眼(真)】。

 修行・鍛練によって培われた末に獲るというスキルにまで至った洞察力。

 僅かでも逆転の可能性があるのならば、その手段を手繰り寄せることができる力。

 以前までは、ただ勘と反射で何とか綱渡りのように凌いでいた攻撃は、【心眼(真)】というスキルに至った洞察力により、隔絶した身体能力から繰り出される連続するその致命の一撃の尽くを受け続けた。

 とはいえ、やはり基本となる身体能力には断絶ともいえる差がそこにはあり。

 オッタルが被弾を覚悟して攻めれば何時かは受け止めることは叶わなくなるだろう。

 故の、もう一つの要因。

 確かに【心眼(真)】の力は大きい。

 だが、オッタルとシロが互角に渡り合えるのは、もう一つの力こそが大きかった。

 

「―――ヅ!?」

 

 オッタルの苛立ちが含まれた舌打ちが響く。

 攻めきれず、あと一歩という僅かな差を埋めるために強引に前に出た際に、置かれたように差し出された剣先。

 初めのように強引に突破すれば問題はない。

 障害にもならない筈のそれを、無理矢理にかわす。

 一瞬にも満たない僅かな間に、既にシロはそこから離れていた。

 それを追うオッタルの腕には、血を流す一筋の傷が。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 これが要因。

 もっとも単純で大きな要因。

 ()だ。

 魔剣を初めとした切れ味に特化した剣であっても、まともに剣筋を通さなければオッタルの出鱈目な耐久力を越えることはできなかった。

 だが、今シロが振るう一対の双剣はそんなものを嘲笑うかのように、まるで幼子の肌を切り裂くかのように、容易にオッタルの身体を刻んでいた。

 冷たい刃が身体を切り裂く感覚。

 それはオッタルが久しく感じていなかったものだった。

 いや、初めてと言ってもよかったかもしれない。

 これまでも刺され、切られ、抉られた経験は幾度もあった。

 だが、()()は違う。

 シロが振るう剣によるものはそのどれとも違った。

 それは、振るう者の技量の多寡によるものではない。

 ()だ。

 シロの持つ剣が、あまりにも違いすぎた。

 刃の鋭さや刀身の硬さなどの、そんな単純な話ではない。

 もっと根本的。

 存在―――()が余りにも違った。

 まるで、そう―――人と神との違いのように。 

 似ているが、根本で違う。

 剣であるのに、まるで生きて呼吸しているかのような。

 器物では感じられない筈の、意志すら感じられる存在感。

 シロは確かに強くなった。

 劇的とすら言ってもいい。

 だが、それでもその身体能力はあらゆる面においてオッタルには到底及ぶことはなかった。

 確かに、まるで予知能力でもあるかのような回避によって、オッタルは攻めきれずにはいたが。それは時間をかけるか強引に攻めればどうとでもなるものではあった。

 しかし、シロの持つ剣。

 それが強大な壁となってオッタルを阻む。

 ただ一対の双剣が、レベル7(最強)を封じ込んでいた。

 それは異常であった。

 桁違いの耐久力。

 人外の頑強さを誇るそれを、容易に切り裂くその力。

 その未知なる存在を前に、オッタルは―――。

 

 

 

「―――ハ」

 

 

 

 嗤った。

 微かに、小さく口許を歪ます程度のそれではあったが。

 確かにオッタルは笑った。

 その笑いは次第に。

 時間がたつ毎に大きくなり。

 遂には―――。

 

 

 

「ははは―――ハハハハハハハハハッ!!!」

 

 

 

 咆哮染みた大笑となった。

 

「―――ッ!!?」

 

 人外の嵐の如き剣激の圧力が、更に増した。

 速く、強く。

 しかし緻密に。

 大剣は鋭く、的確で、精緻なコントロールの下振るわれながら、その攻め立ては獣染みた狂暴さの密度が増していた。

 

 ―――喜!!

 

 それが、オッタルの全身から放たれていた。

 久しく感じなかった刃の冷たさを全身に感じながら。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 何よりも、この剣だ。

 鍛え上げた―――高め続けた身体を容易に切り裂く剣。

 格上の相手。

 この感覚。

 懐かしい。

 ―――()()

 確かに俺は今―――挑んでいる。

 それが、嬉しい。

 オッタルは内から沸き上がってくる感情を止めることはせずに、その口から咆哮として放ち続けた。

 

「ッ―――オオオオオァアアアアア!!」

 

 それに、シロも応えるように咆哮をあげる。

 オッタルの獣染みたそれではなく。

 鋼のような意思の下放たれるそれは、圧力を増し続けるオッタルの剣を、それでも確かに凌ぎ続けた。

 それだけでなく、時にはわざと見せた隙に反応したオッタルに応じその身を切り裂くことすらあった。

 オッタルが攻め、シロが守る。

 しかしシロは未だ無傷であり、オッタルは全身から血を流している。

 オッタルが有利であるようで、シロが有利のようでもある。

 血を流しているオッタルが不利に見えるが、一撃でももらえば逆転どころかそこで決着が着きかねないのだ。

 多少の負傷など当てにはならない。

 時間ですらどちらに味方しているか判断がつかなかった。

 耐久・持久共に圧倒的にオッタルが上ではあるが、浅いが全身からの出血は少なくない。いくら人外染みた強さを誇るオッタルとはいえ、血液量に限界はある。

 時間がどちらに有利に働くかはわからない。

 一進一退が続く。 

 何処まであるかわからない綱渡りをしているかのような戦い。

 戦いが始まってからまだ幾らも経ってはいないというのに、巨大な筈の大通路は最早見る影もなく破壊され尽くしている。

 観戦すら命がけの戦いに、割って入れるものなどいない。

 

「シロオオオオォォオオオオオオオオオオオオッッ!!?」

「オオオオオッタルッ!!!」

 

 

 

 ――――――――――――筈だった。

 

  

 

 

「「―――ッ!!??」」

 

 

 

 

 磁石の同極同士が反発したかのように、何の前触れもなくオッタルとシロが分かたれた。

 と、同時に先ほどまでシロたちがいた場所に()()()()が降り下ろされた。

 

 

 

「―――ゴライアス」

 

 

 巨大な拳が岩盤を砕く音が響くなか、誰かが口にした呟きが奇妙なほど広く響いた。

 それに応えるように。

 階層主(ゴライアス)が吠えた。

 

 

 ―――オオオオオオオオオオオッ!!

 

 

 それはまるで怒っているかのような。

 そんな咆哮だった。

 ここはオレの城だと。

 何を好きに暴れているのだと。

 そんな怒りを感じる巨大な咆哮だった。

 嘆きの壁から身を乗りだし、一気にその巨体を露にする。

 その巨眼の視線の先には二人の男。

 離れた位置にいる二人の中、ゴライアスが先に手を伸ばしたのは最も近くにいた男。

 ―――オッタルであった。

 怪物としての咆哮を上げながら、再度高く腕を上げオッタルに迫るゴライアス。

 振り上げる腕は更に高く、込められる力もまた最初よりも強く。

 今度こそ叩き潰さんとの狂暴な意思を持って。

 だらりと大剣を片手にぶら下げながら、歯を噛み砕かんばかりに噛み締めたオッタル(獲物)へ目掛け。

 動かない()()()()()()()()()()()()()()オッタルへ向けてその人一人はあろうかという巨大な拳を降り下ろした。

 

「「「「―――――――――ッッ!!??」」」」

 

 轟音。

 地響き。

 舞い上がる粉塵。

 形にならない悲鳴。

 オッタルは動かなかった。

 頭上から迫る巨大な岩染みた拳を避けるでもなくその場で立ち尽くすかのように微動だにしなかった。

 それはオッタルとシロの戦いを見ていた全員がその目で確認していた。

 その場にいたほぼ全ての者の頭に、つぶれた死骸の映像が浮かぶ。

 あのオッタル(最強)であるとわかっていても、目の前で起きた光景はそれだけの衝撃を【ロキ・ファミリア】の面々に与えていた。

 だが、例外もいる。

 降り下ろされた巨大な拳。

 響き渡った轟音の中に―――何かが潰れるような音は聞こえてはいなかった事を把握していた者たちだ。

 その内の一人であるシロが、現れた第三勢力であるゴライアスではなく、その降り下ろされた拳の先に視線を向けたまま微動だにしない。

 両手に構えた双剣は未だに一欠片も油断は見られなかった。

 その視線の先で、舞い上がっていた粉塵が晴れていき、結果が現れた。

 

「「「「―――ぇ?」」」」

 

 空気が漏れたような小さな声。

 それは驚愕の色は薄く、ただ困惑が強く感じられた。

 

「ふんっ」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その光景に、ガレスが腕を組みながら小さく鼻をならした。

 低階層とはいえ階層主である。

 ただの拳の降り下ろしとはいえ、先ほど響き渡った轟音やオッタルの足元に広がった地面に刻まれたひび割れからも、その恐ろしいまでの衝撃は想像できる。

 城の城門さえ破壊しかねない威力の攻撃だ。

 それを片手で受け止める姿は、まるで現実感が感じられなかった。

 

 ―――オ……オオォォォ

 

 ゴライアスも何が起きているのかわからないのか、何処か子供染みた様子で首を傾げている。

 

「―――邪魔をするな」

 

 そこに込められたのは、直接向けられた者ではないにも関わらず、攻略組に組み込まれた【ロキ・ファミリア】の精鋭達の心胆を震わせる程の怒気が込められていた。

 決して荒げているわけではない。

 どちらかといえば静かに聞こえる程の呟きにしか思えないその声は、しかし階層主であるゴライアスの背筋を凍らせるだけの危険性を孕んでいた。

 咄嗟に後ろに下がろうとするゴライアスだったが、直ぐにつんのめるかのように前屈みとなってしまう。

 慌て、困惑を露に顔を上げるゴライアスの視線の先に、オッタルの姿が。

 オッタルは自身の数倍、いや数十倍はあるだろうゴライアスの拳を掴んでいた。

 

 ―――ッッが、Gaaaaaaaaaaッ!!??!!

 

 ぐしゃり、と乾いた音と湿った音が混ざった奇妙な音が響き、ゴライアスの悲痛な悲鳴が上がった。

 拳を握りつぶされながらも、未だ握りしめられたままのゴライアスが、反撃をするでもなく、まるで小さな子供のように逃げ出そうと後ずさりをしようとするが、地面を掻くだけで一歩たりとも動けずにいた。

 それでも何とか目の前の化け物から逃げ出そうとするが、地面が抉られ粉塵が舞うばかり。

 

「邪魔だと―――言っているッ!!!」

 

 オッタルの、明らかに苛立ちが込められた声と共に、ゴライアスの巨体が空を飛んだ(・・・・・)

 一瞬、大通路の時間が止まったかのように感じたのは、先ほどの光景(ゴライアスの拳を受け止めた)よりも現実感のない光景ゆえか。

 オッタルがゴライアスの拳を掴んでいた腕を一振りした瞬間、まるで人形のようにゴライアスの巨体が宙を飛んだのだ。

 そして飛んでいく先にはシロの姿が。

 構えていた筈の双剣はだらりと下へ向けられて、その姿はまるで呆然と立ち尽くしているかのようだった。

 それも無理はないだろう。

 2階建ての家屋に匹敵するゴライアスの巨体が飛んできているのだ。

 思わず思考も身体も動けなくなるのは仕方がないことだ。

 だが、これは現実、数秒もしないうちにこのままではシロはゴライアスに押し潰されてしまう。

 悲鳴が響く。

 警告の声が上がる。

 それでも、シロは動かない。

 押し潰されるシロの無惨な姿が頭に過り、誰もが数秒後に現れるだろうその光景に顔を歪めた。

 そして、ゴライアスとシロの身体が重なり―――――――――

 

 

 

 

 

 とある世界、とある國に干将・莫耶と呼ばれる剣があった。

 『呉越春秋』に初めて記されたその双剣は、刀匠が己の身と妻の身体をもってその剣を鍛え上げたことから夫婦剣とも呼ばれた。打ち上げられた後も、様々な伝承や伝説に語り継がれることとなるその双剣は、人が造り上げた剣の中でも最上の一振りであるのは間違いはないだろう。

 夫婦剣の別名の通り、この剣には互いに引き合う性質があるという他に、怪異に対する絶大な威力を発揮する【退魔の剣】という特性を持つ。

 とある世界の英霊は、この双剣を魔術によって複製し頻繁に使用してはいたが、その英霊の異形とも言える特性をもってしてもそのオリジナル全ての能力を発揮することはできなかった。

 その要因は、その英霊が未熟であるとか複製した剣が本物に劣っていたというような理由ではなく。

 ただ単純に、根本的なものであった。

 偽物であるからだ。

 その英霊の能力は文字通り規格外。

 刀剣の類いであれば、その使い手であっても間違いかねない程の複製を造り出せる力を持っていた。

 だが、どれだけ似ていても。

 姿や形どころか構成物や造り上げた経緯から、それが辿った年月まで再現したとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 あまりにも当たり前で根本的な話。

 その英霊が作り上げるものは贋作だ。

 本物があるからこそ出来るものである。

 伝説に刻まれる程の剣であるからこそ、贋作であったとしても強大な力が振えるのだ。

 偽物は何処までいっても偽物でしかない。

 全くの同一であるにも関わらず、本物があるがゆえに何処までいっても偽物。

 

 

 

 ―――では、()()()()()()()

 

 

 

 ここに、一人の男がいる。

 刀剣の類いであればどんなものであっても、一目見るだけで本物と同一のモノを造り上げることができる男である。

 そんな男がもし、とある剣の複製を誰もその剣を知らない場所で振るったとすれば、それを見たものたちはその剣を本物だと思うだろう。

 偽物など頭に浮かぶこともない筈だ。

 何しろ本物がどれかなど知らないからだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな、誰もが知っている筈の、それこそ()()()()()()()()()程の神剣、名剣、魔剣であったとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 なればこそ、その力は絶大である。

 

 

  

 

 

 剣を、振り上げた。

 右手に握った白い陰剣莫耶を振り上げる。

 眼前には巨大な壁にしか見えない巨人ゴライアス。

 ダンジョンの一つの階層を守る階層主と呼ばれる()()()()()だ。

 人が投げ飛ばしたとは思えない速度で迫るそれは、ぶつかれば只ではすまない。

 吹き飛ばされる前に潰されてまともな形すら残らないだろう。

 だがそれを理解していながら、シロの心中は穏やかであった。

 振り上げた刀身に刻まれた水波の模様の如く、どこまでも静かで深い。

 焦りや動揺など、何処にもない。

 ただ自然なままに。

 振り上げた剣を―――

 

 

 

「「「「―――――――――――――――」」」」

 

 

 

 ――――――降り下ろした。

 

 

 

 その光景を、その場にいた全員が見ていた。

 ここ(大通路)に来てから、目を疑う光景は幾つも見ていた彼らだったが、今見た光景はその中でも一二を争うのは間違いはなかった。

 何せあのゴライアスが。

 階層主であり、それに応じた強靭な耐久力を持つはずの強大で巨大なモンスターが、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それが長い詠唱によって放たれた魔法であればわかる。

 レベル6であるアイズのような規格外のスキルによるものでも知る者がいれば納得はできる。

 だが、何の詠唱も、風や炎が舞い上がる等といった何かのスキルが推測できるような片鱗も見せず。

 ただ単純に剣を降り下ろしただけで、あのゴライアスを真っ二つに斬り別けるなど、彼らの理解を遥かに越えていた。

 あのオッタルでさえ、予想外の光景に目を奪われていた。

 だからこそ、そんな隙をシロが見逃すはずがなかった。

 頭頂部から股下まで真っ直ぐに切り分けたことから、ゴライアスの魔石も綺麗に二つに分断されていた。

 急所たる魔石を切り裂かれたことから、ゴライアスの体はその巨体に見合うだけの大量の灰と化して大通路を満たした。

 先ほどから何度も上がった粉塵など比べ物にならない量の視界を塞ぐ灰が舞い上がり、雲海の中に沈んでしまったかのような光景が広がる。

 その霧の中、オッタルは動かずその場で大剣を構えていた。

 直感があった。

 決着が近い、と。

 何処から、どんな攻撃がこようとも迎撃できる心地で大剣を構える。

 気配はない。

 見事なまでに気配を隠している。

 まるで雲中に溶け込んだかのようだ。

 気配を僅かも感じ取れない中、それでも沸き上がる笑みを押さえることができず口許を歪めるオッタルの耳が、微かな異音を捉えた。

 鋭く、空気を切り裂く音。

 その音が何の音であるか理解するよりも先に、オッタルは剣を振るっていた。

 衝撃。

 

 投剣っ!?

 

 一対の双剣を一振りで弾き飛ばしたオッタルは、手に確かに残る衝撃を確かめながら困惑していた。

 今自分が弾き飛ばした剣は、間違いなく先程までシロが振るっていた双剣であった。

 自分の身体を切り裂く力を持つ規格外の剣。

 それを手放した?

 オッタルの記憶ではシロの手元には既に武器はない。

 あの双剣をどうやって取り出したかはわからないが、少なくとも他に剣は確認できず、またあの双剣のように何処からか取り出したとしても、あれほどの剣がまだあるとは考えにくい。

 双剣を弾き飛ばすと同時に、オッタルがシロの行動を不審に感じ、ほんの僅か、戦闘から思考が外れた瞬間。

 それを見越したかのように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――――――ッ!!!??」

 

 ほんの僅か。

 油断とも言えない思考が微かにずれた隙間を狙うかのようなその攻撃は、完全にオッタルの虚を突いた。

 オッタルの先ほどの思考の通りであれば、今飛んでくる双剣は、あの異常な双剣とは違う筈で、それならば身体で受けても問題はないと思われた。

 しかし、オッタルの研ぎ澄まされた直感がそれを否定した。

 降り下ろした大剣を、身体に悲鳴を上げさせながらも無理矢理に振り上げる。

 刹那―――盾のように持ち上げた大剣に双剣が叩きつけられた。

 

「ぐっ―――!!」

 

 ただ投げつけれた剣であるにも関わらず、あのゴライアスの拳すら軽々と受け止め微動だにしなかったオッタルの全身に広がる確かな衝撃。

 手に伝わる重さと感じる異音。

 咄嗟に大剣を投げ捨てるように振り投げると、双剣と共に宙を飛んだ大剣が乾いた破砕音と共にその刀身が砕けた。

 無手となるオッタル。

 だがその心に些かの動揺もない。

 ある筈がない。

 自身に見合うような武器はなく、素手の方が寧ろオッタルの戦闘力は高い。

 故に、オッタルは破壊された武器(・・・・・・・)を全くと言っていいほど気にすることはなかった。

 拳を構え、未だ周囲を漂い視界を塞ぐ灰の奥を睨み付ける。

 気配は―――わからない。

 剣を投擲してきたことから離れているとは思うが、敵は常識外の強者。

 あらゆる想定を思考に、何が起きても対応できるよう心掛ける。

 と、集中を高めるオッタルの耳が、

 

 ―――鶴翼、欠落ヲ落ヲ不ラズ(シンギ ムケツニシテバンジャク)

 

 シロの声を捉えた。

 

 ―――呪文?

 

 オッタルが油断なく視線を回らせ周囲を確認する。

 確かに声は聞こえる、だが、オッタルの驚異的な五感をもってしても、どうやってか前から後ろから右、左と、声が響き位置が特定できない。

 

 ―――心技、泰山ニ至リ(チカラ ヤマヲヌキ)

 

 オッタルがシロの位置を特定しようと気配を探る中、シロの詠唱は朗々と白煙の中を漂う。

 

 ―――心技 黄河ヲ渡ル(ツルギ ミズヲワカツ)

 

 何とかシロの位置を捉えようとするが、一向に位置を特定できなかったオッタルは、直ぐに躊躇することなく声や気配による特定を放棄すると、単純な方策に打って出た。

 つまり―――

 

「ッオオオオオオオオオオオッ!!!!」

 

 自身の足下に拳を叩きつけ、その風圧でもって周囲の白煙を吹き飛ばしたのだ。

 隕石が衝突したかのような衝撃と轟音が響き渡る。

 その一撃は足下の岩盤を容易に砕き、オッタルを中心に地盤沈下を引きおこすと共に大量の瓦礫と嵐の如き暴風が発生。人が吹き飛ばされかねない風の暴威が周囲に漂っていた灰による雲を吹き飛ばした。

 

 ―――唯名 別天ニ納メ(セイメイ リキュウニトドキ)

 

「っ―――何処だ」

 

 視界が一気に明けると同時にシロの姿を探すオッタルだったが、ぐるりと見回した中に見つけることはできなかった。

 捉えた人影は離れており、その全てが【ロキ・ファミリア】の面々だけ。

 あのエルフの女(レフィーヤ)も、いつの間にかガレス等と共に他の団員達と固まって離れた位置にいた。

 そこまで確認できるのに、肝心のシロの姿が捉えられない。

 大通路には視線を遮るようなものはない。

 しかし、ぐるりと見回してもシロの姿は何処にもなかった。

 霧が晴れてから数秒も経っていない。

 逃げてはいない。

 確信がある。

 だが、その姿が捉えられない。

 沸き上がった苛立ちに眉間に深い皺が刻まれ。

 ゾクリと背筋が泡立つ気配に顔を上げ―――その姿を捉えた。

 あの巨人であるゴライアスでも手が届かないだろう大通路の高い天井。

 そこに、シロの姿があった。

 まるで飛び立つ直前のように、天井についた足を曲げ(オッタル)見上げる(見下ろす)シロ。

 その両手には、巨大で異形な剣が一対。

 黒と白の大剣を翼のように構えたシロが、

 

 ―――両雄、共ニ命ヲ別ツ(ワレラ トモニテンヲイダカズ)っ!! 

 

 最後の詠唱と共に地上(オッタル)へと目掛け飛び出した。

 オッタルは、何時以来だろうか。

 ()()()()()()()()()()()に身体を震わせていた。

 恐怖―――それはある。

 だが、それに混ざる歓喜が確かにあった。

 一瞬それが何か分からなかった程に久方ぶりの武者震いに、オッタルの全身から闘気が溢れだす。

 今にも自身も飛び出そうとする本能に、しかしオッタルの鍛え上げ研ぎ澄まされた戦士としての理性がそれを押し止めた。

 

 ―――アレは駄目だ、と。

 

 シロが持つ双剣。

 巨大な翼にも見えるその異様な双剣から感じる力は、先ほどまでシロが振るっていた双剣のそれを明らかに凌駕していた。

 下手に受ければ両断される。

 大剣が手元にあれば、一瞬で砕けるだろうがそれでも受ける事で僅かな空白(チャンス)が掴めただろうが、そのための剣はもう手元にはない。

 防御も攻撃も致命―――ならば一旦引く。

 刹那にもない思考で躊躇なく引く(逃げる)ことを決めたオッタルが、足に力を込めようとし―――

 

 ―――ッッ!!??

 

 死神に心臓を捕まれたかのような悪寒と同時に、オッタルの耳が自身に迫る4つの風切り音を捉えた。

 自分を中心に、四方から逃げ場を塞ぎながら迫る音。

 その音に聞き覚えはある。

 ついさっき聞いたのだから、間違いようがない。

 だが、それはあり得ないはずだった。

 何故ならば、それを投擲したのは今まさに迫るシロの筈なのだから。

 他に誰かいる?

 しかし、先程周囲を見た時にそれらしい者の姿は確認できなかった。

 では、誰が―――ッ、それがどうしたっ!!

 混乱しかける思考を殴り付ける。

 そんなことを考えている暇などない。

 もう、逃げ場はない。

 前後左右だけでなく、上も押さえられている。

 剣で受けた感触からも、あの飛んでくる双剣もまた、受ければ致命傷は免れない。

 しかし、手元には武器はなく、防ぐ手段はなかった。

 

 ―――敗北

  

 オッタルの頭にその一文が浮かび、

 

 ―――オッタル

 

 それを女神(フレイヤ)(姿)が掻き消した。 

 

「おおオオオオオオオオオオオOOOOOOOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッッ!!!!」

 

 オッタルの咆哮が、人の域を失い獣のそれとなった。

 火山の噴火を思わせる爆発的な力の増加と共に吹き上がる熱気。

 巨体のオッタルの身体が、更に膨れ上がるようにその身を更に大きく、強固に形造(かたちつく)られる。

 内側から弾け飛んだ衣服の下からは、鋼鉄の鎧すら足下にも及ばない程の耐久力を誇る()()が現れ、その下の肉体は人の限界を遥かに凌駕していた。

 ()()()()()()()()()オッタルが、咆哮と共にアダマンタイトすら砕く拳を双剣を振り下ろすシロへと目掛け振り抜いた。

 直後―――

 

「「「「きゃあああああああああ!!??」」」」

「「「「わあああああああああっ!!??」」」」

 

 ―――大通路が揺れた。

 双剣と拳が衝突。

 発生した衝撃は爆音と共に大通路の全てを揺るがした。

 まるで巨人に捕まれ振り回されているかのような揺れが大通路を襲う。

 【ロキ・ファミリア】の団員たちは悲鳴を上げながら地面にすがり付くように倒れ込んでいた。

 そしてその地震の震源地である大通路の中心では、オッタルとシロの姿が重なっている。

 

「GAAAAAAaaaaaaaaaaaaaaaaaaッッ!!!!」

「オオオオオオオオオオオッ!!!!」

 

 咆哮が交わる中、両者の力は拮抗していた。

 それは考えられないことであった。

 いくらシロが強くなったとはいえ、未だ身体能力の全てはオッタルが遥かに凌駕している。

 力も、耐久力も速さすら。

 シロが先程までオッタルと対等に渡り合えているかのように見えていたのは、神との契約によって得るスキルとは別種である、霊基に刻まれたスキルにまで至った膨大な経験から得た【心眼】の力と、様々な要因から本物へと至った贋作である双剣(宝具)の力ゆえ。

 単純なぶつかり合いでは直ぐにシロが押し負けてしまう筈であった。

 それが覆ったのは、それもまたシロの力故に。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 単純であるが、そこに至るまで大小様々な布石を打ち、必殺のここにまで至った。

 逃げ場を失えば、オッタルは確実に攻めてくる。

 だが、何処まで強くなろうとも、四方から迫る内のどちらか一方しか対応は出来ない。

 そうなれば、残った方の斬撃がオッタルを下す。

 シロの予想では、ここで詰みであった筈であった。

 だが、それをオッタルはその身体をもってして覆した。

 【獣化】。

 幾つかのデメリットはあるが、それを補って余る耐久や力、速さなど肉体的能力を爆発的に増加させる獣人の奥の手。

 その力は凄まじく、レベルを上げた強さにも匹敵しかねない。

 それをオッタル(レベル7)が使う。

 想像を越える力は、シロの読みを確かに覆した。

 アダマンタイトすら砕く拳は、(しか)と強化された双剣を受け止めてみせていた。

 無視した四方からの双剣の投擲は、鋼鉄すら遥かに凌ぐ肉体が耐えてみせた。

 確実な死を、その肉体のみで凌いでみせた。

 しかし、代償もまた大きかった。

 桁違いに引き上げられた耐久力を持つ肉体だが、双剣は皮膚を切り裂きその金属染みた肉体すら貫いた。

 だが、致命傷には届かなかった。

 刃は肉で留まり、骨や内蔵にまでは届いてはいないが、それでも重症は間違いない。

 シロが振るう大剣へと強化された双剣を受け止める拳も、半ば押し斬られ無理矢理力で押さえ込んでいる状態でしかなかった。

 両者ともに限界であり。

 ここでも薄氷を踏むかの如く状況となっていた。

 その微妙な均衡を保つ天秤は、刹那の後どちらにも傾きかねない。

 そしてこの均衡は、長くは続かない。

 数秒処か、瞬く間にそれはどちらかに傾くだろう。

 シロかオッタルか。

 天秤の両皿に乗せられた二人()

 その結果は―――

 

 

 

「GAAAAAAaaaaaaaaaaaaaaaaaaSィィイイイイRォオオオオオオッッ!!!!」

「オオオオオオオオオオオッタルルゥウウウウウウウッッ!!!!」

 

  

 

 ダンジョンが崩れる(天秤が砕ける)という結果となった。

 

 

 

「「――――――――――――ッッッ!!!??」」

 

 

 オッタルとシロを中心に、ぽっかりと巨大な穴が出現した。

 開かれた穴の奥には一欠片の光も見えず、一体何処まで続いているのか見当もつかない。

 半径20Mをも越えるだろうその巨大な穴は、大量の瓦礫と共に二人を闇の奥へと引き込もうとする。

 硬く厚い筈の岩盤が、シロとオッタルとの常識外のぶつかり合いにより限界を越えたのだろう。

 それはまるで、ダンジョンが二人の戦いに耐えきれず、無理矢理排除しようとするかのような光景であった。

 地面ごと強制的に分かたれた二人は、崩れ落ちる地面だった瓦礫を蹴りつけ穴から脱出しようと試みるも、まるでそれを妨害するかのように天井から幾つもの瓦礫が雨の様に降り落ちてきていた。

 それが何らかの罠であったのなら、二人とも陥ることはなかっただろうが、綱渡り染みたギリギリの戦いの最中、踏み締めるための足場自体が崩れ落ちるという意識外の事態に、流石の二人も逃げ出すことは出来なかった。

 崩れ落ちる足場。

 何の前触れもなく中空に放り出された二人の身体は、降りしきる瓦礫の山と共に消えていき、既に大通路に残った【ロキ・ファミリア】の団員たちの目には捕らえられない。

 何が起こったのか把握することが出来ず、ただ見ているしかできないでいた彼等の前では、二人が落ちていった穴が見る間に塞がっていく。

 

「――――――ッ―――シロさんっ!!?」

 

 目の前の光景が理解できず、目を見開くだけで微動だにしなかったレフィーヤが、目に見える速度で小さくなっていく穴に気付くや否や、咄嗟に駆け出そうと伏せていた身体を起き上がらせた。

 手を伸ばし、最早数M程までの小ささにまで塞がってしまった穴へと震える身体を押して立ち上がる。

 

「馬鹿者が―――っ」

 

 その姿に気付いたガレスが舌打ちをしながら止めようと手を伸ばすが、レフィーヤが駆け出した時には既に穴は塞がってしまっていた。

 駆け出した勢いのまま、塞がった穴の中心に辿り着くレフィーヤ。

 先程まで繰り広げられていた、まるで神話の戦いのような戦場の中心で暫く立ち尽くしていたレフィーヤは、そのまま力尽きたかのように膝を折ると、塞がってしまった地面に手を着いた。

 

「シロ、さん」

 

 手を着いた地面に語りかけるかのように呟く。

 

「シロさんっ―――シロさんっ!」

 

 地面に爪を立て穴を掘るように手を動かすが、固い岩肌染みた地面は余りにも硬く、あっという間にその白魚のような指や爪が割れて血に染まってしまう。

 

「っ―――やめんかッ!!!」

 

 後ろからガレスが地面から引き剥がすように狂ったように穴を掘ろうとするその身体を引き上げるが、構わずレフィーヤは地面へと手を伸ばしたまま叫び続けていた。

 

 

 

「シロさんっ! シロさんッ!!」

 

 

 

 レフィーヤの悲痛な叫びに応える者はおらず。

 

 

 

「―――シロさんッッ!!!」

 

 

 

 ただ静まり返った大通路の中を虚しく響き渡るだけであった。

 

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。
 
 次はエピローグとなりますが、その次はこの物語の設定を載せようと思っています。
 主人公の設定と、Fate世界とダンまち世界の強さの設定です。
 私は初期の初期からFateをやっていましたので(初めてやったPCゲームがFate~CD版とマブラヴ~CD版でした)どうしてもFateを優遇してしまいますので、その点はすみません。
 それでも出来るだけ変にならなよう注意しようと思っています。


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エピローグ 英雄の生まれた日

 

 

 

 その日、その時、多くの人が、獣が、モンスターが、そして神が、空を仰いだ。

 高く、遠く、空へと昇る黄金の光。

 天と地を繋ぐ柱のようにも見えるその光を見た人々は、それが神が送還されたのだと、いや、新たなる神が降り立ったのだと口にし。

 言葉を持たぬ獣は、己の心を震わせる情動のまま高らかに咆哮を上げ。

 世界に散ったモンスターは、その心身をざわつかせる輝きを振り払うかのように吠え暴れ猛り狂った。

 そして神々は、それが神が携わったものではないことを知っているからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に嗤った。

 様々な思惑思考行動情動が溢れ乱れ混沌とする中、唯一共通するものは―――。

 それを見る者は、全てその輝きに心を奪われていた。

 目映く輝いているにも関わらず、その光は柔らかく何時までも見ていられ。 

 圧倒される威を感じるのに、何故か近寄りがたいとは思えない。

 知らないはずなのに、何処か知っているかのような。

 その輝きに。

 モンスターでさえ目を離せずにいた。

 

 その日、一人の英雄が生まれた。

 

 誰も、神々でさえ知り得ぬ中、生まれた英雄。

 

 何時か、全てが忘れ去られたとしても、その輝きによって刻まれた世界だけは忘れない。

 

 その日、その時、確かに新たなるFate(運命)が動き出したことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第一部 新たなるFate(運命) 編 完

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………………………………………………………………………………

 

 …………………………………………………………………

 

 ………………………………………………………

 

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 …………………………

 

 …………………

 

 ……………

 

 …………

 

 ……

 

 

 

 

 其れは、始まりから狂っていた

 

 望みはなく

 

 希望はなく

 

 願いを受ける聖杯すらなく

 

 ただ狂った呼び声に泥に堕ちたナニカが応え

 

 起き上がったのは5つの器

 

 7つに足りず

 

 器も揃わず

 

 主もいない

 

 五騎の英霊

 

 真なる暗殺者は真白の世界に惑い

 

 偽なる暗殺者は死合を求め

 

 燻る槍兵は燃え尽きる事を望み

 

 堕ちた剣士は見定めるために

 

 狂った大英雄は問いかけるため

 

 現れたるは5つの器

 

 願いを叶えたる聖杯はなく

 

 されど英霊はそこにあり

 

 行われるは英霊による争い

 

 5度の戦争

 

 勝利者に得るものはなく

 

 最後に立つものが見るものは

 

 其れは狂った聖杯戦争

 

 外れて、狂った、歪な聖杯戦争

 

 続いているようで続いてはおらず

 

 始まりではなく、既に終わっている

 

 故にそれは外れた物語

 

 外典たる聖杯戦争

 

 

 

 たとえ全てを忘れても

 

 第二部 外典 聖杯戦争 編

 

 第一章 現れたるモノ へ続く

 

   




 感想ご指摘お待ちしています。

 設定は明日更新します。


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設定(ネタバレになるので読む際は注意)

     主人公の設定  

 シロ

 ヘヴンズフィール編のとあるルートの衛宮士郎―――の脱け殻(魂が抜けた肉体)が、聖杯の泥と共に()()()()()()に落ちた結果、あの神父の心臓ではないが、それに近い形で生き返った(生まれた)存在。

 なので、衛宮士郎とは同一人物ではないが、限りなく本人に近い別人となっている。

 また、その肉体はとある理由で英霊エミヤに近付いていたことから、英霊エミヤの霊基も合わせてもっている形となっている。

 普通なら、肉体が耐えきれず既に死んでいても可笑しくなかったが、別の世界に移動した事や神と契約したことから等の様々な要因により、文字通り奇跡的なバランスが保たれた中、人間でも英霊でもない存在へと変化した。

 その変化の経過により、魂ではなく肉体に残っていた記憶は全て忘れ去れ、英霊としての知識の一つとして記憶は記録へと変わってしまった。

 また、英霊の性質も異質であり、()()()()()()()()()()()()()()形となっている。

 現在(第一部終了時点)は、ヘスティアとの契約は切れている状態であるが、その強さは冒険者で言えば総合的にレベル6程の強さとなっている。

 

 

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     強さの設定

✳ FGOの霊基で設定していますが、星1と星5や文学系サーヴァントと神代の戦士のサーヴァント等でその強さが違う事も考慮してくれれば幸いです。

 

 霊基再臨1 冒険者レベル1~4

 霊基再臨2 冒険者レベル5~6(第一部終了時点 シロ)

 霊基再臨3 冒険者レベル7~8

 最終再臨  冒険者レベル9~10

 

 参考までに、映画版黒セイバーの強さはレベルMAXの上聖杯を使ったレベルの強さです。

 つまり冒険者レベル10以上。

 また、例えば英霊エミヤが最終再臨したとしても、下手をしなくてもアイズと腕相撲をすれば負けますので、あくまで目安であり、総合的な強さ(宝具込み)での設定です。

 ちなみに、第五次聖杯戦争で召喚されたサーヴァントは、本作では基本的に霊基再臨3ぐらいの強さとしています。

 上記の黒セイバーは色々と例外ですので。

 

 

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 世界観設定

 前記しているように、この物語の主人公であるシロは、fateシリーズのヘブンズフィール編の士郎が元となっています。それがどんな設定でダンまちの世界にやって来たのかというと……そう、例えるのなら、まず世界を星と考えてください。そして、シロが元々いた世界をfateヘブンズフィール星とします。何やかんやあって、脱け殻の肉体が門の向こうへと渡り、世界()から出ていってしまった際、その肉体は宇宙船聖杯君号へと回収され、世界の向こう側(宇宙)へと旅立つことになりました。士郎の脱け殻を乗せた聖杯君号は、他にも乗客を乗せ宇宙を行き、ついには様々なfate系列の世界(星々)が集まった銀河系(平行世界群)を抜け、遂には様々なダンまち系列の世界(星々)が集まった銀河系(平行世界群)へと辿り着き。そして、本作の舞台であるダンまち原作風の世界()の衛生軌道上へとやって来ました。

 しかし、聖杯君号がダンまち世界()へと降り立つのは色々と無理があるため(世界の壁という大気圏が阻む)、聖杯君号は唯一可能性のある士郎の脱け殻に自身の一部を流し込み、端末として地上へと送り込みました。

 そして送り込まれた先で、シロはヘスティアに拾われ、本編が始まることになります。

 

 言語や文字

 シロが喋っているのは、勿論ダンまち世界の言葉で読んでいるのはダンまち世界の文字です。ぺらぺらと喋って普通に文字を書いたり読んだりしていますが、実は、シロはヘスティアに拾われた直後は言葉は喋れないし文字も書けず読めずの状態でした。

 ✳ その辺りの話は、後程ヘスティアの回想的な感じで書く予定です。

 では、シロは勉強して文字や言葉を覚えたのかというと、そうではありません。

 召喚された英霊が、聖杯により現代の知識を与えられるように、シロも聖杯君号から知識を与えられたのですが、流石の聖杯君号もダンまち世界の知識はありません。そこで、シロを中心に様々な情報を収集し、スパコンを遥かに越える処理能力により得た言語の情報をシロへと与えました。

 なので、目が覚めたシロは最初言葉も文字もわからない状態でした……まあ、それどころじゃないんですけどね。

 

 聖杯(汚染)~聖杯君号

 乗客 アルトリア・ペンドラゴン(セイバー)

    クー・フーリン(ランサー)

    ハサン・サッバーハ(真アサシン)

    佐々木小次郎(偽アサシン)

    ヘラクレス(バーサーカー)

    メディア(キャスター)

    ギルガメッシュ(アーチャー)

    アンリマユ(アベンジャー)

    イリヤスフィール・フォン・アインツベルン(■■■■)

    ✳ 密航者 エミヤ(アーチャー)イリヤの中

    

 召喚された英霊

 聖杯君号から召喚された英霊は、最初シャドウサーヴァント状態でしたが、モンスターを倒したさい、核を砕いた時に魂的なものを回収(補食)したことにより霊基が上昇し、最終的には生前と同等までの力に至ります。

  ✳ ダンまち原作で、モンスターが生まれ変わるような描写があったので、モンスターには魂みたいなもの? があると仮定しています。

 

 

 

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  new

  ステータス

  ※ 冒険者とは違い、アビリティに偏りがありすぎますので、レベルで表示します。

    つまりレベル何々相当の冒険者の強さということです。

 

  ○ 真アサシン~【ハサン・サッバーハ~呪腕のハサン】

 

   《基本アビリティ》

   力   レベル5

   耐久  レベル4

   器用  レベル6

   敏捷  レベル6

   魔力  レベル4

   《スキル》

   気配遮断 レベル8

   レベル7のオッタルでさえ気付けないどころか、攻撃されても直ぐにはわからない。

   《宝具》

   妄想心音 EX

   防御不能、即死の反則レベルの攻撃。耐久を無視して即死させるため、この世界の冒

  険者には基本対処不能であることからEXに設定。

   型月世界では【C】

    

  ○ 偽アサシン~【佐々木小次郎】

  

   《基本アビリティ》

   力   レベル2

   耐久  レベル2

   敏捷  レベル10

   魔力  レベル0~1

   《スキル》

   気配遮断 レベル7

   明鏡止水の領域まで至った事で得た気配遮断の能力。

   剣技   レベル10

   《宝具》

   ※ 実際には宝具ではない。

   燕返し  レベル8

   ほぼ回避不能の三回同時攻撃。連続ではなく同時。耐えるには攻撃に耐えうる耐久力   

  又は完全防御的な盾が必要。

   対応可能な冒険者がいるとしたらレベル8以上のため設定はレベル8とする。

   月落とし EX

   無限に存在する平行世界から、小次郎が一足一刀の間合いにおいて振るえる剣筋であ 

  る数万以上のそれら全てを引き寄せた結果、半径約10Mの空間において小次郎と物干

  し竿を除いて事象飽和を起こし、あらゆる全てを破壊する。

   この世界の冒険者では回避不能防御不能であるためEXと設定。

   型月世界では同様の技を使用する沖田よりも範囲が広い等から【B】と設定。  

   

 

  設定は時々更新する予定です。

 

 

 

 

 




2020年12月31日 更新


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第二部 外典 聖杯戦争編 第一章 現れたる■■
プロローグ 人魚の歌


 第二部始まります。


 

 

 轟音が響いている。 

 

 巨大な質量が止めどなく落ちては弾ける轟く音が。

 そこは、深いダンジョンにある『巨蒼の滝(グレートフォール)』と呼ばれる巨大な滝の滝壺の一つ。

 緑玉蒼色(エメラルドブルー)の壁のようにも見える『巨蒼の滝(グレートフォール)』のその滝壺の傍を、轟音と蒼い飛沫を全身に浴びながら歩く人影が一つあった。

 ここは『下層』と呼ばれる上級の冒険者であろうとも油断は出来ない領域であるにも関わらず、そこを一人歩く男の姿からは危機感どころか緊張感も感じられない。街角を歩くかのような、気軽にも感じられる足取りで、男は滝壺のある大空洞から水晶の迷宮へと向かっていく。

 迷いない真っ直ぐな歩みは、男にはっきりとした目的地があることを示していた。

 ふと、男の足が止まった。

 男は目を閉じると、五感の一つに意識を集中させる。

 背後からは未だに滝壺に落ちる轟音が全身で感じられる。

 まともに会話も出来ないだろう音が響くそんな中、集中する男の耳は微かに『歌』を感じた。

 歌詞のない。

 伴奏もない。

 ただ、己の喉を震わせ(楽器とし)歌う原始の『歌』。

 優しく撫でる風のような、水のような歌声。

 自然と口元に笑みを浮かべた男は、歩みを再開させる。

 歌声に導かれるようにして。

 暫く歩き続けた男の先に、小さな広間が見えてくる。

 広間には泉があり、その中に足を浸けて腰かけている少女の背中があった。

 よくアマゾネスの女が着ているような胸元だけを隠すような服? を着た背中は殆ど裸のようで、少女の真珠のように白く滑らかな肌が露となっている。

 ゆっくりと歌声に合わせ左右に揺れるその背中から溢れる歌声に、目を細めて見つめていた男だったが、気配を感じたのだろうか。歌声が途絶えると、あの『巨蒼の滝(グレートフォール)』と同じ緑玉蒼色(エメラルドブルー)の髪を揺らしながら少女が振り返った。

 びっくりしたようにその大きな翡翠色の瞳を何度かパチパチと瞬きさせると、直ぐに幼子のような無邪気な笑みを見せ、その喜びを見せるかのように泉に浸けていた尾ひれ(・・・)をパシャリと跳ねさせた。 

 

「―――アっ、オカエリ」

「ああ……ただいま」

 

 ぱしゃりぱしゃりと尾ひれを振りながら、その人魚の少女(・・・・・)が男を迎えた。

 男は少女の隣まで歩み寄ると、直ぐに地面に腰を下ろし少女と目線を合わせた。 

 

「大丈夫ダッタ?」

「問題ない、が。少々困ったな」

 

 男が座ると、直ぐに少女は男に寄り添うように近付き、小首を傾げながら男に問いかける。

 男は少女の濡れた体で服が湿る事を気にする様子もなく、少し困ったように眉根を寄せた。

 

「ドウシタノ?」

「軽く見て回れる範囲にまともなものがなかった」

 

 少なくとも男の調べられる範囲では、目的のものを見つける事は叶わなかった。この階層にも探せばあるだろうものではあるが、全く情報がないまま宛もなく探し回っても見つかるようなものではない。

 唯一の情報源の彼女も、水辺ぐらししか知りようもなく、たいした情報は持っていなかった。

 とは言え、そんなに緊急性のあるようなものではない。

 ただ単純に。

 

「オ魚ハダメ?」

「いや、流石にそればかりはな。世話になるばかりだ」

 

 食料を探していただけであった。

 それも、魚以外の。

 食料自体は少女が捕ってきてくれる魚で十分賄えることが出来るが、それだけではと探しに出てみてはみたものの。結果は何もなし。

  

「ン……ソレハ駄目ナノ?」

「まあ、気持ちの問題だな。命の恩人にこれ以上迷惑を掛けるのもな」

 

 自分の持ってくる分では不十分なのだろうかと、落ち込んだ様子を見せる少女に、男は小さく首を左右に振ると少し困ったように口元に笑みを浮かべた。

 

「迷惑? 迷惑ジャナイヨ。ソレニ、シロ、コレクレタヨ」

「あ~……いや、それはオレ自身の為というか、な」

 

 男―――シロの言葉に、不思議そうに小さく小首を傾げた少女は、自身のその綺麗な曲線を描く胸元を隠す貝殻等で出来た服? を指差した。

 その指先に自然と視線が移動し、間近に少女の胸を凝視してしまったシロだったが、直ぐに顔を背けると何かを誤魔化すように指先で頬を掻いた。

 

「? コレダケジャナイ。最初ニシロガ私ヲ助ケテクレタ」

 

 シロの何処か焦ったような様子にますます首を傾げていた少女だったが、直ぐにまたその顔に無邪気な笑みを浮かべるとその身体をシロに押し付けるようにして抱きつかせた。

 

「そうだが。あの後マリィが助けてくれなかったら危なかったからな」

 

 腰に抱きつくと、そのまま胸元にぐりぐりと頭を押し付けてくる人魚の少女ーーーマリィと名乗る『モンスター』の濡れた頭を撫でながら、シロは数日前の事を思い出す。

 あの後―――オッタルとの戦いの最中、崩れた地面と共に落ちた先は、18階層ではなかった。

 何が、どうしてそうなったかはわからないが、シロが落ちた先は水の中であり、水棲のモンスターでさえ溺れかねない激流の中、流された先は水晶で出来た洞窟であった。

 オッタルとの戦闘に加え、その後の落下、更に激流に揉まれると言うその一つだけでも致命的な状況を潜り抜けた先は、『下層』という『新世界』とも呼ばれるダンジョンの奥深く。

 肉体的にも精神的にも既に限界を越え、最早まともに歩ることすらままならず。このまま意識を失えばモンスターに殺されるとわかっていながらも、消え行く意識を保つことは出来なかった。

 

 ―――少女の助けを求める声が聞こえなかったのなら。

 

 意識が暗闇に落ちる間際、微かに聞こえた助けを求める声。

 自分の方が瀕死であるにも関わらず、考える力もない状態で這うようにして声の聞こえた先に向かえば、そこにはモンスターに襲われている『人魚(モンスター)』の姿があった。

 モンスターがモンスターを襲う。

 それは別にないわけではない。

 珍しいと言うほどでもない。

 ただ一つ、怪物(モンスター)である筈の人魚が助けを求める声を上げていたこと以外は。

 何か考えがあった訳ではなかった。

 その時にはもう、疑問に思う力さえなかった故に。

 この身体は、その求め()に応じた。

 奇跡的なのか、それとも何か本能的なものなのか。あれだけの中、手放さずにいた双剣の片割れを、身体を倒れ込ませる勢いをもってして何とか投げつけた。

 その勢いは弱く遅く。

 上層のモンスターならば兎も角、下層、いや中層のモンスターでさえ避けられる程にまで弱かった。

 が、投げつけられた先のモンスターは、不幸にも目の前の獲物(人魚)に意識が囚われていたことから反応が遅れてしまい―――その身体を上半身と下半身に分かたれてしまった。

 幸いにも魔石に当たったのだろう、直ぐに灰へと変わったモンスターの姿を尻目に、シロの意識はそこで途絶えた。

 次に目を冷ました時には、この少女―――人魚(マリィ)の顔が目の前にあった。

 

「シロノ言ッテルコト難シイ」

 

 ぐるりと身体を回し、膝の上に頭を乗せながら見上げてくるマリィをシロは優しく見下ろしていた。 

 あの後、直ぐに逃げ出そうとしたマリィを何とか引き留めて話をしてみると、どうやら彼女の血によって怪我を治してくれたようだった。

 人魚の生き血は、ユニコーンの角に並ぶ程の回復アイテムの一つだ。

 その力は確かに凄まじく。瀕死であった筈の身体は、疲労も含め全て回復していた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()や、それ以外にも色々と話しているうちに、マリィはすっかり警戒心をなくし、シロが心配になる程になつき始め。情報が全くない現状もあり、シロはそのままずるずると気付けばここで数日間を共に過ごしていた。 

 

「……なあ、マリィ。何か困っている事とかはないか? オレに出来ることなら何でもやろう」

「困ッテルコト?」

 

 とは言え、マリィの話や周囲を偵察することによって、少しずつだが自分の置かれた状況がわかり始め、シロはそろそろここから出る頃合いだと考えていた。

 しかし、先ほど自分が口にしていた通り、マリィは命の恩人。 

 言葉だけの感謝だけではどしても納得のいかなかったシロは、何かないかとマリィに少しでもないかと尋ねてみる。

 

「……ア」

「何かあるのか?」

 

 シロの膝の上でごろごろと右へ左へと寝返りを打っていたマリィだったが、不意に小さく声を漏らしピタリとその動きを止めた。

 

「最近、何カオカシイノ」

「おかしい?」

 

 マリィはシロの問いに少し顔を傾けると、目線をずらし膝へ―――その下、地下へと目を向けた。

 

「ズット下ノ方デ何カ? 何ダロウ?」

「いや、オレに聞かれても」

 

 くるくると両手を自分とシロの間で回していたマリィは、自分でも何を言いたいのか分からなくなりますます首を大きく傾げてしまう。

 答えのわからない答えを求められたシロが、苦笑しながらマリィと同期するように首を傾げる。

 と、マリィは上げていた腕を自身の胸元へ置くと、何かを確かめるように目閉じ記憶から何かを取り出すように少し重い声を絞り出した。

 

「ン~……何カザワザワ? スル?」

「ま、まあ、下から何か嫌な気配がするということか……」

 

 やはり要領を得ない答えに、シロがとりあえずといった気持ちで反応すると、マリィはぱっと目を開くとビシリと指を突き付け頷いた。

 

「ンッ。多分、ソウ」

 

 シロは眼前に突き付けられたマリィの指をゆっくりと押さえながら元の位置へ戻すと、そのまま背中を押し上げ腰を上げさせた。

 マリィはその流れに逆らうことはなかったが、シロから身体が離れると、少し不満そうに頬をぷくりと膨らませていた。

 

「なら、少し調べに行ってみるか」

「大丈夫?」

 

 しかし、それも一瞬、シロが立ち上がり先ほどマリィが見ていたように地下へと視線を送っていると、心配そうにその顔をわかりやすく落ち込ませた。

 

「ああ、なに、気にするな。怪我はもうすっかり全快で、動きにも問題はない。何せ君が助けてくれたからな」

「危ナイヨ。一人ジャダメ。死ンジャウ」

 

 シロが無事をアピールするように大きく両腕を広げながら笑いかけるが、マリィの心配気な顔は変わらなかった。

 

「大丈夫だ。単独行動には慣れている」

「デモ……」

「少しでも恩返しがしたいんだ。心配してくれてありがとう」

「ン」

 

 幾つか言葉を送るも変わらないマリィの様子に、もう一度足を屈めたシロは、その蒼緑玉色の髪を撫で付けるようにゆっくりと触れた。

 シロの指先が髪に触れると、マリィは猫のように目を細めながら顔をぐっと近寄らせてくる。

 シロは撫で付けるような撫で方から頭頂部付近を軽く叩くような撫でかたに変えると、子供を落ち着かせるような口調で話しかける。

 

「マリィは、ずっとここにいるのか?」

「……ズット、私ハコレダカラ。ズットココデオ留守番ナノ」

 

 目を細めシロに撫でられるまま、マリィはパシャリと尾びれを揺らして水を跳ねさせる。

 問いへの返事は最初からわかっていた。

 マリィとは数日前にあったばかりだが、殆ど一日中一緒にいたことから、大抵の話を既にしていたからだ。

 それでもシロがマリィと同じような話でも何度もするのは、それをマリィが必要としていることがわかっていたから。

 人懐っこく、その能天気とも言える穏やかな気性の中には、孤独を拒否する幼く柔らかなものがあることを。

 それでも、彼女が仲間に無理矢理ついていくことなくここで一人で待っているのは、自分が負担になることをわかっているため。

 何時も待ってという言葉を心の奥でとどめて、見送っていた。

 それを言葉で聞いてはいなくとも、感じ取れていたシロは、マリィの頭を撫でる強さを心持ち強くすると、最後に終わりを告げるように強めにぽんと押すようにして頭から手を外した。

 

「そう、か。しかしそれなら、また会いに来るよ。その時は、また君の歌を聴かせてもらっても良いか」

「フフ……モチロン」

 

 足を折って騎士のように片膝立ちとなり、マリィの頭より少し高い位置でシロが笑いながら問いかける。

 マリィは細めていた目をゆっくりと開き、顔を上げその翡翠のような瞳でしっかりとシロを見つめると、何時も見せてくれる幼子のような無邪気な笑顔を一杯に広げ大きく頷いて見せた。

 

「ああ、楽しみだ」

 

 それに、ふっと、力が抜けるように口元に小さな笑みを浮かべたシロは、名残惜しむようにゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

 ―――そしてその姿を。

 

 

 

 立ち上がり、背中を向けた彼の後ろ姿を、水辺に腰掛けながら私はじっと瞬きすることもなく見つめていた。

 

 ほんの少し前に会ったばかりだというのに、まるでずっと一緒にいたみたいに思えた彼。

 

 仲間達から耳が痛くなる程注意を受けていたのに、関わってしまった彼。

 

 モンスターでしかない私を、全くそれを感じさせない姿で接してくれる彼。

  

 不思議で不可思議な彼は、これから私の不安を取るために恐ろしく危険な下へと行くのだろう。

 

 瞬き一つ、息を一つするのも命がけになりかねないそこへと向かう彼の背中。

 

 でも、何故か私の胸には先程まで思い返してざわついていた胸の奥のざわめきが消えていた。

 

 それどころか、少しの暖かささえ感じるほどに。

 

 それが何故なのかはわからない。

 

 全く何もわからない―――けど、それがとても大切で大事なものなのだと感じていた。

 

 だから、歌おう。

 

 彼が、言ってくれたから。

 

 また、聴かせてくれって―――。

 

 楽しみだって―――。

 

 言ってくれた。

 

 だから―――その、約束の時に。

 

 もっとずっと上手になっているために。

 

 胸の奥の暖かさを抱き締めながら。

 

 喉を震わせて―――私は唄う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――マリィ?」

 

 もう、あの巨蒼の滝(グレートフォール)の音さえ聞こえない場所の筈なのに、不意にマリィの唄が聞こえた気がして、周囲を見渡すが、やはり気のせいだったのか聞こえるのはモンスターの気配とその物音だけ。

 未練かな、と小さく自分に苦笑を向けるが、それも一瞬。

 厳しく顔を引き締めるとマリィの言っていた下の方から感じる嫌な気配についてもう一度考察する。

 ここはダンジョン。

 何が起きようとも、何があろうともおかしくはない。

 そしてその広大さからマリィの口にしたそれが何なのかはわからない。

 だが、一つ。

 心当たりがあった。

 あの食料庫(パントリー)の一件で赤髪の女がアイズに向かって最後に口にした言葉。

 

 

 

「―――59階層か」

 

 

 

 

 

 

 

 




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第一話 汝は剣なりや

 多くの人の会話をする声と食事の音。

 談笑と笑い声の狭間に薪が燃えてはぜる音が響いている。

 燃え盛る炎を中心に、円となって笑い語り合っているのは【ロキ・ファミリア】と【ヘファイストス・ファミリア】の一団。

 ここはダンジョン。

 それも深層と呼ばれる中でもなお深い―――50階層。

 普通なら考えられないことではあるが、【ロキ・ファミリア】にとっては『遠征』の度に行われる恒例の行事の一つであった。

 ここまでの戦闘で護衛の必要性を感じさせない強さを見せていた上級鍛冶師(ハイ・スミス)達でも、ここまでの深さまで潜ったことはなく。何処と無く不安そうな雰囲気を漂わせていたが、それも【ロキ・ファミリア】の団員達と語り合ううちにゆっくりとほどけるように穏やかなものへと変わっていった。

 短くもなく、長くもない宴が無事に終わると、次は今後の最終確認が始まる。

 フィンを中心にして行われた話し合いは、これといった問題はなく行われ。

 予定通りここ(51階層)からは、フィン達を中心とした選抜メンバーのみが下へと進み。【ヘファイストス・ファミリア】を中心にした残りはここ(ベースキャンプ)の防衛に当たることとなった。

 その後は【ヘファイストス・ファミリア】が注文を受けていた【不壊属性(デュランダル)】の武器をフィンを初めとした主力の5人に対し渡すと解散という流れとなった。

 フィンが解散と口にすれば、集まった者達は各々ばらばらと散り始めていく。

 その中でアイズもまた、両手に掴んだ渡された新たな剣の感触を確かめるようにその柄を撫でながら離れていこうとする。その背中に、近付いてきた椿が声をかけてきた。

 

「のう、剣姫」

 

 背後からの声に対し、肩越しに振り返ったアイズの目に椿の眼帯に覆われていない赤い右目が映る。

 

「そちらの方も整備が必要であろう。折角だ。みてやろう」

 

 椿の赤い瞳がアイズの目から離れると、両手に持つ先ほど渡された剣ではなく、腰にはいた『デスペレート』に向けられた。

 確かに幾ら一級線の特別製の武器とは言え、これまでの戦闘により多少の歯こぼれがある。

 上級鍛冶師(ハイ・スミス)の中でも最上位に位置する彼女の手による整備を受けられるというのならば、嫌な筈はなかった。

 ただ、アイズとしては何処か戸惑ったものがないとは言い切れなかったが。

 

「……はい、お願いします」

 

 

 

 

 

 

 誰もいなくなった夜営地の中心で、剣が磨がれる音が響いている。

 規則正しく。

 機械的にすら聞こえるその音は、時折途切れることもあるが、少しすればまた響き始める。

 離れた所からは、同じように武器の整備をしているのだろうか誰かが話し合う声や物音が響いていた。

 何処か燃え残りの燻りにも似た雑音が微かに耳に残るなか、アイズは目の前で腰を下ろし剣を磨く椿の背中を見つめていた。

 女としては広く大きな。しかしそれでもしなやかで女性的な背中の前を、一つに纏められた黒髪がゆらゆらと揺れている。その様を、何処か呆けた様子で見つめていたアイズは、

 

「―――【剣姫】」

 

 不意に自分を呼ぶ声にはっと顔を上げた。

 そこには相変わらずこちらを向かず、剣の整備に集中する椿の背中があった。

 

「初めてお主に会ったのは何時だったか?」

「えっと……十年、ぐらい前?」

 

 唐突に話しかけられ、戸惑いを露に首を傾げていたアイズだったが、椿の問いに少しばかり考えを巡らせるも直ぐに口を開いて答えを返した。

 

「そうか、もうそんなに経っていたか……あの小娘がなぁ……今や都市を代表する冒険者の一人か」

 

 小さく笑いながらも作業を続ける椿は、そのまま独白めいた様子でアイズに話しかけ続ける。

 

「予想が外れるとは。手前はな、早々に死ぬと思っておったんだが」

 

 物騒な事を言われながらも、アイズはそれに対し何の言葉を返さない。

 いや、返せない。

 間違いではないからだ。

 自分はあの時、何時死んでもおかしくない心持ちと状況であったから。

 

「正直に言うとだな【剣姫】。手前はあの頃お前に武器を作ってやる気など欠片もなかった」

 

 はは、と何処か空虚な雰囲気を纏った笑いを一つ上げた椿は、自身が打ち上げた『デスペレート』を確かめるように掲げ持つとその刃へと目を走らせる。

 

「何故ならば、手前の目にはお前は武器を振るう冒険者ではなく、手前等が作り上げる『武器』そのものにしか見えなかったからだ」

 

 何処か満足がいかなかったところがあったのだろうか、もう一度『デスペレート』を砥石の上に戻した椿は、またゆっくりとその刃を研ぎ始めた。

 

「当時は、何時折れるのかだけが気になっておったな」

 

 ピタリと、剣を磨く椿の動きが止まり、その視線が剣から離れると首を回しアイズを見た。

 じろりと。

 感情がわからない。

 全身―――いや、その奥底。

 魂すら見定めるかのようなしっかとした眼差し。

 その赤い瞳で剣の品定めをするかのような視線を向けられたアイズは、強敵と対峙するのも違う不思議な緊張感を感じながらその身を強張らせた。

 

「―――とんだ節穴だな」

「ぇ?」

 

 しかしそれも、唐突に口元に小さく苦い、いや呆れたような笑みを椿が浮かべたことで霧散した。

 抜けたようなアイズの小さな吐息のような疑問の声に応えることなく、椿は首を元に戻すと剣を磨くのを再開した。

 

「今も昔も、お前は『剣』などではなかった」

「え?」

 

 椿の真意がわからずただ疑問を浮かべるアイズに、椿は自嘲するようにその口を開いた。

 

「餓鬼の頃のお前は、やはりただの餓鬼でしかなく、今もまだ餓鬼のまんまだ―――ま、少しはましな餓鬼になったようだが」

「ガキって……それは」

 

 あまりにもな言い方に、流石のアイズもむっとしたかのように微かに眉間に皺を寄せて見せたが、しかし直ぐにそれをほどかすと椿にふと浮かんだ疑問を投げ掛けた。

 

「何で、そんな風に思ったの?」

「―――…………」

 

 アイズの問いに、暫し口をつぐんだ椿であったが、小さなため息と共に言葉を口にした。

 

「見てしまったからな」

「見た?」

 

 ぴたり、と動きを止めた椿が呟いた声をアイズは口の中で繰り返す。 

 

「本物の『剣』を」

「本物の『剣』?」

 

 続いた言葉も同じように繰り返したアイズに対し、研ぐのを止めて振り返った椿の顔には自嘲するような笑みが浮かんでいた。 

 

「全く、手前は鍛冶師失格だ」

 

 じろりとアイズを、きょとんとしたその金瞳を見つめながら、椿はため息混じりに言葉を続ける。

 

「前のめりでただやたらめったらに暴れるだけのお前を『武器』だ『剣』だのどの口が言っていたのやら。余りにも未熟。鍛冶師の風上にもおけん」

「何を―――?」

 

 ここではない遠く。

 姿形は変わっても、変わらないその金の輝きに過去の姿(幼い剣士の姿)を浮かべた椿は、未熟な当時の己を嗤う。

 

「『武器』とは『剣』とは、な。確かに数打ちの(なまくら)もあるだろが、本来の―――少なくとも手前が思う鍛冶師の打つ『剣』とは己の全霊を込めて造り上げるもの」

 

 未熟―――そう、未熟だ。

 今もまだ神の境地は遠く。

 仰ぐもその頂きの影すら見えはしない。

 それでも、今の自分は当時の己よりかはましである。

 だからこそ、見えたものがあった。

 わかるものがあった。

 

「手前の全てをぶつけ叩きつけ打ち上げるもの」

 

 剣に良し悪しがあるように。

 人にも―――武人にも良し悪しがある。

 強い弱いではない。

 在り方?

 有り様?

 本質―――とでも言えば良いのか?

 そこに至るまでの経緯―――経験―――歴史……。

 良い剣を打つために幾度も鎚を振るうように。

 余計な感情(雑念)をもって打ち上げた剣が、どれだけ良い素材を使ったとしても駄剣に堕ちるように。

 逆に決して良いとは言えない素材でも、丁寧に時間をかけ熟練の技をもって打ち上げた剣が名剣となるように。

 

「それこそ鋼のような強固な意志と揺るぎない意思を練り上げ打ち上げるものよ」

 

 あの頃のアイズは確かに剣だった。

 己を人と思わず。

 ただ一振りの剣として、ただモンスターを屠るだけの武器。

 感情のないかのような顔の下に、嵐のように渦を巻く憎悪をたぎらせ暴れまわる敵も味方もなく切り裂く狂った剣。 

 だからこそ嫌悪を抱いた。

 忌避した。

 見ないようにした。

 あれだけ良い素材(資質)が、見るも無惨な姿(鈍の姿)を見せていたのだ。

 一人の鍛冶師として認めるわけにはいかなかった。 

 

あの頃(十年前)のお前は『剣』などではなく。ただの餓鬼が暴れまわっていただけにすぎん」

「……」

 

 そう、思うようになったのは。

 『剣』を見たからだ。

 

「本物の『剣』と呼べるモノは―――そんな半端なものじゃなかった」

 

 目を閉じれば―――いや、目を閉じずとも目に―――脳に―――魂に焼き付いている。

 あの輝き。

 一対の双剣と、それを振るう剣のような男を。

 

「……それは」

()()()は確かに『剣』だった」

 

 強さ?

 雰囲気?

 言動?

 姿形?

 違う。

 そうではない。

 鍛冶師たる手前が。

 いずれ神の頂へと目指す手前が、あやつを見た瞬間『剣』だと感じた。

 嫌悪など欠片もなかった。

 『剣』だと罵り嫌悪すら抱いていた筈の幼い頃のアイズに感じたものなど何処にもなかった。

 

「鋼のような強固な意志と揺るぎない意思をもって振るわれるただ一振りの『剣』」

 

 ただ―――ただ見惚れた。

 奴の振るう双剣に。

 そしてそれを振るう奴自身に。 

 

「あれほど見事な『剣』は、手前にはまだ打てん」

 

 まるで、そう。

 主神(ヘファイストス)が打ち上げた未だ仰ぎ見るしかない『神剣』を見るかのように。

 

()()()()()()()()?」

「……」

 

 何処か陶然としたような顔をする椿を見つめながら、アイズは「誰」だと人の名を尋ねた。

 そう、口にするアイズの脳裏には、何故か一人の男の後ろ姿が浮かんでいた。 

 

「様子が、おかしかった」

「……」

 

 椿の目の焦点がアイズの金瞳で止まる。

 見つめ合う二人だが、椿の口からは何も言葉が現れない。

 そこへ、アイズが確かめるようにもう一度問いかける。

 

「あなただけじゃない。レフィーヤ……ガレスさん……ううん……先行していた人たちみんな―――」

「……」

 

 最初は、疑問に感じなかった。

 いや、気付いていなかった。

 自分も―――いや自分達もそれどころではなかったからだ。

 ベル―――ベル・クラネル。

 あの、白い少年が。

 駆け出しの筈のあの子が―――『冒険』をした。

 あの子の強さは知っていた。

 どんどん強くなっていっているのも。

 でも、だからこそわかっていた。

 彼の強さの限界も。

 だから、勝てるとは思えなかった。

 だけど。

 あの子は勝った。

 英雄(父の姿)を思い浮かべる程の姿(輝き)を見せた。

 挑み、戦い、そして勝って見せた。

 敗北の象徴であった筈のミノタウロスに。

 その姿に震えたのは。

 私だけじゃなかった。

 皆当てられた。

 熱に受かれたように、ここまで全力で駆け抜けてしまった。

 だから、ここにくるまで、少し落ち着くまで気付くのに遅れてしまった。

 皆の様子がおかしかったことに。

 

「何が、あったの?」

「さて、な」

 

 少しばかり前のめりとなったアイズの問いかけに、しかし椿は逃げるように顔を前に戻す。

 そしてアイズに背中を向けたまま、手元にある剣を見下ろしながら自問するかのように小さく呟いた。 

 

「手前らは、一体何を見たのやら」

「―――? どういうこと?」

 

 疑問に疑問を返され頭を傾けるアイズに、椿は手にある剣に触れる。

 硬く、強固で。

 冷たく、確かな。

 現実という重さを確認するかのように触れながら―――椿は呟いた。

 

「有り得ぬものを見た」

「有り得ない、もの?」

 

 (現実)に触れながら、目を閉じて闇の中に浮かぶのは、『剣』の姿。

 

「少なくとも、手前らの常識から外れたものを、な」

「それが、『剣』?」

 

 黒い刃と白い刃を持つ一対の双剣。

 そして、それを振るう一振りの『剣』。

 

「―――そう、だな。()()()は確かに『剣』であったよ」

 

 あの男と初めて出会ったのは何時だったか。

 もうずっと前からの知り合いのように感じているが、実際はまだ一年どころか数ヵ月しか経っていない。

 そこらの鍛冶師では及ばない程の剣を打ち上げた姿に、初めは上級鍛冶師(ハイ・スミス)だと勘違いしていた。

 それが、ただの、しかもつい最近冒険者になったばかりの男だと知った時は暫く開いた口が塞がらなかったな。

 

「強い、弱いではない。ましてや感情や意志のそれでもない……一体何が違うのか」

 

 最初から不思議な男だとは思ってはいた。

 現実主義というか、堅実というのか。

 そして色々と常識外れな男ではあった。

 剣を打つ理由も自分で造った方が安上がりだといった理由。

 なら鍛冶師として働けばもっと儲かるんじゃないかと言えば、(ヘスティア)が泣くからなと肩を竦めて見せる。

 何処か飄々とした雰囲気もある男。

 

「ただ、手前の目には、何の疑問も感じることもなく『剣』としか映らなかった」

 

 だが、何よりもあの男が普通とは違ったのは、あの『強さ』。

 手前らが当たり前の常識として知る『レベル』という『強さ(常識)』から外れた力だ。

 その強さを初めて目にしたのは、あ奴が冒険者だと知る前だった。

 そういえば、あの時も手前は見惚れていたな。

 『剣』のようだと思いはしないまでも、戦う姿を綺麗だと感じて。

 

「嫌悪を抱く所か、目を奪われてしまった程に、な」

 

 今思えば、あの頃に感じたものもあの時と同様のものを感じていたのだろう。

 晴れ渡った夜空に輝く月に見惚れるように。

 あらゆる無駄を廃し、ただ一つの機能を突き詰めた剣に感じるそれと同じように。

 何故なのだろうか。

 他にも強いもの。

 美しいものなど幾らでもいるだろうに。

 何故、あの男(シロ)だけにそうまで感じ入ってしまうのは。

 

「私と、何が違ったの?」

 

 そう、例えばこのアイズのように。

 強く、美しい者はいる。

 あの幼い頃より、神からも『剣姫』と讃えられている程だというのに。

 手前は、どうしてあの男にこうも目を奪われるのか。

 

「……確かに、当時のお前も『剣』であったといえば『剣』であったのかもしれん。だが、な―――そうであれば、お前は『剣』は『剣』でも(なまくら)な『剣』であったのよ」

 

 幾ら切れようとも、モンスターを屠ろうとも、どれだけ美しかろうとも。

 その強さは、美しさは妖刀の類いでしかない。

 一度枷が外れれば、敵も味方も切り刻みかねない危うさがあった。

 そんなものは、幾ら上等なものでも手前にとっては(なまくら)でしかない。

 

(なまくら)……」

「憎しみ、怒り、悲しみ、嘆き、寂しさ―――それらを無理矢理押し込み『復讐』という鋳型に流し込んで燃え上がる感情をもって焼き上げただけの『(なまくら)』よ」

 

 肩を落とし項垂れ落ち込んだ様子を見せるアイズの姿に、当時の―――初めて見たときのような危うさはもう感じられない。

 もう、(なまくら)とは言えない。

 その(剣姫)に恥じない冒険者だ。

 

「……」

「未熟とはいえ、鍛冶師である当時の手前が嫌悪を抱くのも仕方のないことよ」

 

 訳知り顔で偉そうなことを口にしながら、見るからに萎れた様子のアイズの姿に笑う。

 その姿からは、最早当時の鈍な剣(人形のような姿)は思い浮かべることは出来ず。

 都市指折りの冒険者どころか、ただの美しい少女としか見えない。

 しかし、それでもこの少女の奥底には未だ渦を巻く黒い泥のような熱がある。

 当時嵐のように吹き荒れていたそれは消えたわけでも無くなったわけでもない。

 ただ、心の奥底で澱んでいるだけだ。

 だからこそ、問いを掛けた。

 

「なあ、【剣姫】よ」

「?」

 

 顔を上げたアイズの目をしかと見つめる。

 

「一振りの剣たらんとする剣の姫よ」

「―――っ」

 

 手前の目に何を見たのか、アイズは息を飲み身を竦めるように身体を固めた。

 

「手前は、見た」

 

 瞬きもせずにアイズの目を、その奥底に沈むものを見定めるようにして。

 打ち上がる経過の剣を見るかのような眼差しで。

 

「『剣』のような男を」

 

 問いを掛ける。 

 

「鋼の意志をもって、膨大な経験を炎に、鋼鉄の身体を打ち上げ己を一振りの『剣』と化した男を」

 

 見たからこそ、わかる。

 あの()もまた、ただ純粋とは言えないことを。

 自分の眼力では見抜くことは出来ずとも、感じられるものがあった。

 手前が感じたそれが何なのかは検討もつかない。

 神ならぬこの身では未だその欠片すら手に掛けることは出来なかった。

 それでも、感じたものがある。

 それでも、美しいと感じた己がいた。

 

「手前は、見た」

 

 あの頃のアイズと、あの男との違いは何なのか。

 それはまだ答えることはできない。

 

「神の如き『剣』を」

 

 ただ、あの時、手前は見た。

 頂を。

 確かな一つの頂を。

 手前が目指している頂きとは異なる位置にある頂き。

 

「神が打ち上げた『神剣』とも違う。手前らが造り上げる『魔剣』とも違う。歴史を背負い意思すら感じられる刀身を持つ『剣』を」

 

 ああ、そうだ。

 もしかしたら、あの『(双剣)』を見たからかもしれない。

 手前らが知るどの剣とも違う。

 根本から違う剣を見たから。

 

「手前は見た。剣のような男を―――神のような剣を」

 

 剣のような男。

 神のような剣。

 二振りの剣。

 

「故に問おう【剣姫】よ」

 

 剣を冠する二つ名を持つ少女。

 アイズ・ヴァレンシュタイン。

 何時かこの少女も、あの頂きに至るとするならば。

 手前は何を思うのか。

 目を逸らすのか、見惚れるのか。

 どの様な過程を経るかはわからずとも、打ち上げるのは彼女自身。

 だから、問う。

 

 

 

「己を一振りの『剣』足らんとするならば―――お前はどんな意志を持って『剣』となる?」

 

 

 

 お前はどんな『剣』となるのだ、と―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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第二話 ダンジョンに降る雨

「―――ラウルさんっ!!」

 

 レフィーヤの叫び声に振り向いたときには、既に最早どうにもならない状況であった。

 ()()()()()()に気を取られていたラウルが、横穴からの太糸束に気付くのが遅れ。最も早くそれに気付けたレフィーヤが、ラウルを押し出し代わりに太糸束に捕まったと同時に、糸を吐き出した『デフォルミス・スパイダー』が下からの砲撃に吹き飛ばされていた。

 階層に大穴を開けた大火球は、幸いにもレフィーヤに直撃することはなかったが、その巨大な大穴にその身体を吸い込ませてしまう。

 開いた穴の奥へと消えていくレフィーヤを追うように、即座にティオネ達が救出に飛び込んでいく。

 咄嗟の判断で、フィンがガレスにまとめとして追うよう指示するのを耳にしながら、リヴェリアはその光景にデジャビュを感じていた。

 感じながら、そう感じる自分自身に呆れていた。

 実際に見たわけではない。

 つい、先日聞いただけの話だ。

 なのにこうも自身の心が不安定になっていることに、怒りにも近い苛立ちや憤りを自分自身に感じる。

 

(っ―――何を呆けているっ!!)

 

 自分自身に渇を入れ、気を取り直す。

 一秒にも満たない僅かな乱れ。

 しかし、それでもそれはここ(ダンジョン)では命取りとなってしまう。

 

(気にするなと言ったのはっ、自分自身だったろうっ!!)

 

 階層無視による下層からの砲撃、仲間の落下(分断)

 一秒毎に変わる状況と地形。

 地獄のような周囲の光景―――ではない要因による動揺で波打つ心臓を押さえ込みながら、リヴェリアは落下していくベート達に支援魔法を掛けると先行するフィンの後を追いかけ始めた。

 前を走るフィンの指示を耳に、時に確認の声を上げながら、(しこ)りのように残る動揺を振りきるように全力で駆け抜ける。

 下から階層を破壊しながら放たれる砲撃。

 怒鳴り付けるような指示に、悲鳴のような気合いを入れる声。 

 混乱し暴れまわるモンスターの方向に、自分自身の荒い呼吸音。

 先程までのダンジョンの攻略のみに割かれていた思考が、しかしそれでも、微かに削られこべりつくように先程の光景が繰り返されている。 

 そして、その浮かぶ光景の中、落ちていくのは先程のレフィーヤではなく、一人の男の姿。

 自分の目では見ておらず、ただ伝聞で聞いただけにも関わらず、こうまで鮮明に思い浮かべられるのは、何時かはこうなるのではと想像していたからだろうか。

 先日の宴会の後、ガレスとレフィーヤから聞いた、あの男の結末について。

 あの猛者(おうじゃ)と互角に戦い、共に下の階層に落ちていったという話を。

 

『―――シロさんは、落ちました。突然崩れた階層に巻き込まれて、猛者と一緒に……』

 

 その話を聞いた時、私は信じなかった。

 猛者と互角に渡り合ったこと?

 いや、そうではない。

 確かにそれも信じられないような話だが、あの男はこれまでにも我々の常識から外れた力を見せていたことから、有り得ないと容易に断じる事は出来なかった。

 あの男なら有り得るだろうと、妙な確信と共に思ってしまう程に。

 では、何が信じられなかったのか。

 それは、ガレスが口にした言葉。

 

『猛者との戦いで大分やられていた。その上崩落に巻き込まれては……あれでは流石に―――』

 

 言葉にしなくともわかる。

 『死』―――猛者(オッタル)との戦闘の末に崩落に巻き込まれれば、例え上級冒険者とはいえ無事にはすまないだろう。

 前提のオッタルとの戦闘でさえ、耐えられるものはこの都市にすら数える程しか存在しない。

 その上のダンジョンでの崩落。

 例え崩落から生き残れたとしても、ここはダンジョン。 

 無限にモンスターが湧き出る地獄の底のような場所で、補給もなく戦い続けることは不可能。

 最後には―――。

 

「―――っ」

 

 階層ごと破壊されパニックに陥ったモンスターが暴れまわるのを避けながら小さく舌打ちを打つ。

 苛立ちを紛らわかすように、飛びかかって来るモンスターを杖で殴りつけ先行するフィンの後を追う。

 

『リヴェリア様っ―――すみません……私は―――』 

 

 ―――助けられなかった。

 

 レフィーヤの言葉に出来ない叫喚に、リヴェリアはただ黙って首を横に振った。

 その場にいたガレスでさえ、その戦いに割り込むことは出来なかったのだ。

 彼の性格からして一対一の戦いに割り込むことはないだろうが。

 それでも、一方的な戦いであれば何らかの介入はしただろう。

 しかし、それをしなかったと言うことは、つまり、そう言うことだ。

 あの男は、確かにあのオッタルと互角に渡り合ったのだろう。

 そして、その末に―――。

 

「来るぞっ! 数八っ!」

 

 フィンの警戒の声が上がり、具体的な指示を受けずとも、部隊(パーティー)は一つの生き物のように襲いかかるモンスターに対処していく。

 他の階層とは文字通り一線を画す強さの強大なモンスター。

 それを魔法を解放したアイズが飛び込み切り刻み、開いた穴を押し広げるようにフィンや椿が切り開いていく。

 その背を追う中衛のラウル達の更に後ろ。

 殿でその戦闘の全てを俯瞰しながらリヴェリアは時に支援を、時に砲撃を行い。

 一秒毎に変化する戦況と環境に思考を割きながら―――それでも、こびり付いたような雑音(レフィーヤたちの話)が思考にノイズのように紛れていた。

 

『―――一応だが、ギルドへの報告はしてある。だが、ありのまま全てとは流石には、の。大規模な崩落でオッタルとシロが巻き込まれて落ちたとだけ伝えてある。まあ、それしか言えないがな』

『―――き』

『―――リヴェリア』

 

 あの時、フィンが口を挟まなかったなら、私は何を口にしようとしたのだろうか。

 レフィーヤの、あの、何かを言いたいような目は、何を伝えようとしたのだろうか。

 いや、わかっている。

 自分の事だ。

 何を言おうかなど、分かりきっている。

 『救助を―――』そんな言葉は、口に出来る筈がなかった。

 ダンジョンでの他のファミリアへの救助はないとは言えない。

 だが、それは基本依頼を受けてのことが前提。

 例外はあるが、これはそれには当たらない。

 レフィーヤのあの様子から、もう既にガレスに対し訴えてはいたのだろう。

 だから、私に期待をした。

 しかし、それは出来ない。

 今、この時、ダンジョン深層の攻略には時間も資金も大量に使用した。

 細かい事前の予定もある。

 それでなくとも、あの少年を地上まで届け、彼の主神やギルドなどへ報告した事で時間を消費したのだ。

 これ以上()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そう、冷静に判断する理性に、それでもと震える感情があった。

 だが、それを口にすることは、私には出来なかった。

 

『―――っ』

 

 あの時。

 私はレフィーヤの顔を見ることが出来なかった。

 失望、落胆、非難、怒り、悲しみ―――あの時、どの様な感情が浮かんでいたかは知れない。

 見てはいないから。

 だが、それは見たくなかった訳ではなく。

 ()()()()()()()()のだ。

 私の―――。

 

「―――止まれ」

「ッ」

 

 フィンの鋭い声に、はっと我に帰ったリヴェリアは、冷静な顔をしたまま周囲に悟られないよう現状を確認する。

 いつの間にか下へ続く階段を掛け下りており、53階層まで来ていたようだった。

 先頭に立つフィンが周囲を警戒している。

 

「出てこない、か」

 

 その小さな呟きを耳に、リヴェリアもまた状況を把握する。

 ここまで来るまでに、アイズは部隊の先頭で全力で暴れていた。

 レベル6に至った力で、全力で魔法を行使し暴れまわっていた。

 その際周囲に放出された魔力はこれまでの比ではない。

 これに魔力に引き寄せられる性質を持つ新種のモンスターが現れないとなると、つまりこの周囲には新型のモンスターはいないーーーと、そう断じるにはどうやらまだ早いようだった。

 周囲を警戒するフィンの碧眼が、何かを見通すかのように細められている。

 確かめるかのように、槍を握る指をーーー親指を微かに動かしている。

 何か、予感を感じているのだろう。

 動き出した部隊の殿で務めながら、リヴェリアもまた警戒を強める。

 先程の嵐のような状況から一変して、今では一匹のモンスターすら遭遇していない。

 下からの砲撃が止んでいると言うことは、ガレスたちが対処したということだろう。

 凪ぎ海のように静かで、しかし底に何か不気味なナニカが蠢いているかのような、そんな感覚を感じながら迷宮の中を駆け抜けていると、その正体が目の前に現れた。

 

「新種っす!?」

 

 ラウルの声が上がり、全員の足が止まる。

 部隊の進行上、目の前に立ちふさがるのは新種の芋虫型のモンスターの群れ。

 幅の広い。大型のモンスターが存分に暴れられる程の幅広の通路を埋め尽くす数十もの新種のモンスター。

 その緑の体表から、まるで緑の洪水が押し寄せてくるかのような光景に、圧し殺したような悲鳴が漏れ聞こえてくる。

 それも仕方のないことだろう。

 戦闘力は高くはないが、あのぶよぶよとした体の中にたっぷりと詰まっているのは、武器すら溶かしてしまうほどの腐食液だ。

 それを知りながら、涼しい顔を出来るものなど早々いない。

 

「どうやら、それだけではないようだ」

 

 フィンの声と視線に、全員の意識がその緑の中に浮かぶ一点の染みのような紫紺に向けられた。

 

「人、なのか?」

 

 椿の疑問が呟きとなって口から漏れる。

 一面の緑のなか、唯一の例外のようにある紫紺の色。

 それは新種の芋虫型のモンスターの中で、更に巨体を誇る一体の背中に立っていた。

 紫紺の外套で全身を覆い。

 唯一除く顔の位置には、不気味な紋様が刻まれた仮面。

 

「あなたは―――っ」

 

 その姿に、記憶を呼び起こされたアイズが声を上げる。

 24階層で『宝玉の胎児』を持ち去った赤髪の怪人レヴィスの共謀者と思われる人物。

 アイズの詰るような声に、その紫紺の外套を羽織った存在は応えるように手を上げた。

 だが、それはアイズに応えるためではなく。

 その理由は瞬時にその場にいた者達が理解した。

 

「っ―――いかんっ!?」

 

 外套の人物が手を動かした瞬間、無秩序に蠢いていたモンスターの群れが、鍛え上げられた軍隊―――いや、それよりも何処か機械的な動きで一瞬にしてそれぞれの高さに合わせ並び階段のように整列する。

 自分達に向けられたモンスターの顔、顔、顔。

 重ならず向けられた芋虫の間抜けにも見えるその顔に。

 フィンは背筋に走る寒気と親指に感じる疼きのままに叫んだ。

 

『―――殺レ』

「転進!! 横穴に飛び込めっ!!」

 

 外套の人物の声に重なるようなフィンの指示に、その場の全員が戸惑うことなく従った。

 通路全体を覆うかのような腐食液の一斉放射。

 横穴に最後に飛び込んだリヴェリアが振り返った先では、ダンジョンの壁が溶かされる異音と異臭が響き漂っていた。

 リヴェリアはその端正な顔を思わず歪めながらも、その耳は溶けた通路の向こうから蠢く足音を正確に捕らえていた。

 

「―――フィン」

「わかっている。このまま奥へ行くぞっ!!」

 

 リヴェリアの声に頷き、フィンが先頭を駆ける。

 あの量と勢いでは、例えアイズとはいえ捌ききれない。どうしても抜けてしまうもの(モンスターや腐食液)が出る。

 フィンやリヴェリアならば兎も角。中衛を成すラウルたちでは、それに耐えられない。

 背後から確かに迫るモンスターの群れ(脅威)を感じながら、フィンを先頭に駆け続ける。走りながらも椿がモンスターを操っていた外套の人物について知っている様子を見せるフィンに問いただし。それに答える間も、フィンの意識は後方だけでなく前方、いや全方位に向けて警戒を怠らない。

 当たり前だ。

 ただ前方に立ちふさがって一斉掃射。

 あそこで待ち伏せしていたのだ。

 逃げられた際の逃走先も理解しているだろう。

 ならば、

 

「っ―――前方から来るっす!?」

 

 ラウルの悲鳴染みた報告に、フィンは「やはり」と乾いた唇に下を這わす。

 出くわすなり示し合わせたかのように一斉に腐食液を吹き出すモンスター。

 モンスターの姿が視界に入った直後に転身した部隊の後ろをかするように腐食液が地面に撒かれ、異音と異臭が吹き上がる。

 足を止めることなくそのまま走り続ける。

 だが、何処へ行こうとも、新種のモンスターの群れはフィン達の前に立ち塞がった。

 53階層の中を駆け巡る内に、後ろから追いかけてくるモンスターの群れは合流し続け増大し。今では100を遥かに越える数が津波のようにフィン達の後ろに迫っていた。

 その中には芋虫型だけでなく、食人花のモンスターの姿もあった。

 そしてその津波(モンスターの群れ)の中心には、モンスターの背に乗る外套の人物の姿が。

 

『追イ詰メロ』

 

 外套の人物の指示に従い、フィン達は逃げる(選択肢)を潰されていく。

 最早止まれば飲み込まれかねなく、対処する暇など有ろう筈もない。

 ただモンスターが現れない先へ逃げ込み続けるだけ。

 そこまでいけば、自分達の現状がどうなっているかなど子供でもわかる。

 

「誘導されているな」

「まさか、魔物に戦術を受けるとは」

 

 鋭い視線を後ろに、モンスターの背に乗る外套の人物に向けるフィンに、椿が気楽な様子ではっはっはっと、しかし乾いた笑い声を上げる。

 危機的状況に陥ってもなお、そのような態度を見せられるのは、自身への力の自負以外にも、自分(フィン)に対する信頼の厚さだとわかっているため、フィンは応えるように口許に小さく笑いを浮かべた。

 

「貴重な経験だ―――二度とは経験したくはないが」

「違いない」

 

 ふっ、と息を漏らすような笑いを交わし合うと、フィンはもう一度後方に視線を向けた。

 そこには変わらず一際巨大な芋虫型のモンスターの背に乗りこちらを追う外套の人物の姿がある。

 その意識の先には、部隊の先頭を走る自分達よりも先を駆けるアイズの姿。

 やはり狙いはアイズか―――又は敵対する自分達(ロキ・ファミリア)かその両方か。

 

「で、どうする?」

「確かに、このままではじり貧だ」

 

 全く不安を見せない椿の信頼を乗せた視線に頷きを返し、フィンは脳裏に53階層の地図を広げる。

 53階層まで来れば、その広さは都市一つまるごと抱え込める程までに巨大である。

 確かにフィン達はここ53階層を越えてはいたが、その全てを踏破したわけでない。

 しかし、それでも広げた地図に記載された道行きはある。

 そして、いま走るここはその中にあった。

 

「―――アイズっ!! そこを右に曲がれっ!!」

 

 フィンの幾度目かの指示。

 しかし、そこに含まれた声なき声にアイズはしっかりと頷きを返し応えた。

 先行して右の通路に入り、姿が見えなくなったアイズを確認した後、フィンは背後に視線を向ける。

 中衛のラウル達、そして殿のリヴェリア。

 瞬きもない瞬時のアイコンタクトで、今後の方針を示す。

 その様子に都市最強の一角であるロキ・ファミリアの実力を垣間見た椿が戦慄と共に頼もしさに笑う。

 そして通路の三叉路。

 そこを右に曲がった先に向こうには、アイズが既に剣を構え待ち構えていた。

 アイズの傍で急ブレーキを掛けて転身、フィンと椿は武器を構えながら今通りすぎたばかりの分かれ道へと体を向ける。

 と、同時に中衛のラウル達が姿を現す。

 待ち構えるフィン達に頷きを返し、そのままの勢いでもって追い抜くと直ぐに転身。

 

「盾三ッ!!」

 

 短いそのフィンの指示に、ラウル達は正しく従った。

 背負った荷物からラウルを除く三人が大盾を取り出し、フィン達の背後に隙間なく並べ立てる。

 決して大きいとは言えないが、上級冒険者が支える確かな障壁が立ち上がった時には、殿を務めていたリヴェリアもまた曲がり角から姿を現していた。

 既に迎撃の体制を整えていたフィン達の姿に、駆ける速度を更に速めると、フィン達が招き入れるように人一人が通れるだけの隙間が開けられた盾と盾の開いた一本道を走り抜ける。

 リヴェリアが通り抜けると同時に、盾はまたも隙間なく一つの塊と化す。

 そしてリヴェリアが再度後衛の位置に着いた時、モンスターの群れもまた曲がり角から姿を現した。

 水路に大量の水が流れ込むかのように、曲がりきれず壁に叩きつけられ潰れ周囲を溶かしながらも、無理矢理速度を落とすことなく突き進むモンスターの群れ。

 悪夢的なその光景に、怯む声や圧し殺した悲鳴が上がるが、逃げ出そうとする気配は微塵もない。

 それを背後に感じながら、フィンは先頭に立ちモンスターを睨み付けるアイズに声を上げた。

 

()()()() ()()()()()()()

「―――ッ!?」

 

 フィンの指示の意図を図りかね、一瞬背後に視線を向けたアイズの目に、その後ろに築かれた盾の砦が映り込む。

 そして同時にフィンの指示を理解する。

 

「了―――」

 

 膝を曲げ、一気に解き放つ。

 後方に宙返りをしながら飛んだアイズの足裏が、並べられた大盾に接触する。

 

「―――解」

 

 衝撃を吸収するように大盾の上で柔らかく曲げられた膝により、一瞬盾を持つ者等はアイズが盾に接触していないと勘違いしそうになったが、盾の向こうに確かに感じる気配と高まる魔力に勘違いを振り払うように頭を振ると同時に次に来るだろう衝撃にその身を備えた。

 フィン(団長)はこう指示したのだ―――『飛べ』と。

 なら、次に来るのは―――。

 

「【リル・ラファーガ】ッ!!」

 

 大盾が凹みかねない勢いでもって蹴りつけられた飛翔は、アイズを巨大な一つの弾丸と化してモンスターの群れへと突き進ませた。

 アイズが構えた『デスペレード』の切っ先は、確かにモンスターを操る外套の人物へと向けられて。

 瞬く間にその身を貫くだろう。

 だが、それを容易に許してはくれるような優しい相手ではなかった。

 

巨蟲(ヴィルガ)ッ!!?」

 

 外套の人物は焦った様子を見せてはいたが、その行動は確かに的確であった。

 自分に従うモンスターの大半を担う芋虫型のモンスターに腐食液の一斉掃射を指示したのだ。

 ダムの放流にも似た勢いでもって放出される腐食液。

 一つの固まりと化して迫るそれに、しかしアイズは避ける様子は見られない。

 弾丸と化した我が身に、更に風を纏わせそのまま突き進む。

 螺旋を描く風を纏い、一条の矢となったアイズは、そのまま突き進み―――壁と化した腐食液を吹き飛ばし貫いた。

 一瞬の停滞もなく腐食液の壁を越えたアイズは、些かも速度を減じることなくそのまま外套の人物へと目掛け突き進む。

 

「―――グッゥ?!」

 

 驚愕の声を上げながらも、外套の人物は予想外の光景に硬直することなく瞬時に退避を選択する。

 モンスターの背から飛び退いた瞬間。先程まで自分が立っていた位置に一条の風の矢が通りすぎる。

 それを回避中の空中で確認した外套の人物は、直後吹き付ける強大な風の嵐にその身を壁へと叩きつけられた。

 

「ッグ―――馬鹿ナッ!?!」

 

 外套の人物が叩きつけられた壁面から身体を起こし罵倒するように声を吐き出すと、

 

「―――手間を掛けさせないでくれ」

 

 真横から皮肉な笑みを混じらせながら槍を構えたフィンが姿を現す。

 

「―――ッ!?」

「遅い」

 

 咄嗟に逃げようと壁面を蹴りつけるも、フィンの動きは早く、槍の間合いから逃げるには時間も速度もあまりにも足りなかった。

 自身の首へと向けられた切っ先を、咄嗟に両腕に嵌めたメタルグローブで受け止めるが、威力も勢いも圧し殺す事も出来ず更に後方へと吹き飛ばされる。

 アイズの必殺(リル・ラファーガ)により切り刻まれ押し潰され、吹き出した腐食液で周囲が溶け崩れるなかを転がりながらも逃げる外套の人物を、フィンは冷静に追い詰めていく。

 逃げ出そうとする外套の人物の意思とは反するように、フィンの身体はピタリとその間合いから遠ざかることはない。

 繰り出されるフィンの熟練の槍捌きに、外套の人物は防戦一方。

 反撃どころか防御もままならない。

 いまだまともな一撃食らうことなく防いではいるが、それが時間の問題であるとは本人が一番理解していた。

 

食人花(ヴィオラス)ッ!!」

 

 悲鳴のような指示に、食人花(ヴィオラス)は瞬時に応える。

 地面から、壁から、天井から黄緑色の蔦が涌き出るように現れたかと思うと、フィンの槍を受け止めた。そして現れた無数の触手がフィンへと襲いかかる。

 一転して攻守が入れ替わった。

 無数の触手が全方位から囲むようにしてフィンへと襲いかかる。

 それに混じり、外套の人物のメタルグローブを嵌めた腕による連撃が加わった。

 黄緑の鞭と銀の拳撃。

 隙間なく襲い来る襲撃に、しかしフィンは慌てない。

 焦った様子も見せず、足を止め全ての攻撃を受け止める。

 そのモンスターに加えた自身の攻撃がかすりもしない事に、苛立ちを募らせる外套の人物が更に触手を呼び、一気に畳み掛けようとメタルグローブを嵌めた腕に力を込め、飛びかかろうと意識を前に向けた時。

 

「―――がッ?!」

「当たったっす!?」

 

 振りかぶった腕の肩に衝撃を受け足を止めてしまう。

 肩には一本の矢が突き刺さっており、飛んできた方向へと視線を向けると並べられた大盾の後ろで弓を構えて喜びを露にする(ラウル)の姿があった。

 

「貴様ッ!!」

「げっ!? 全然効いてないっす?!」

 

 肩に突き刺さった矢を引っこ抜き、地面へと叩きつけ憎悪の声を上げた外套の人物の姿に、ラウルが動揺と恐怖の声を上げる。

 そしてその声に呼び寄せられるかのように、外套の人物の意識と足の先がラウルへと向けられた瞬間―――。

 

「―――無視とは、余裕だね」

「ッ!!?」

 

 耳元で囁かれるような距離でもって聞こえたフィンの冷たい殺気が込められた声に、外套の人物が顔を向けた時には既に遅きに逸していた。

 反射的に声が聞こえてきた方向とは逆へと飛び退く。

 喉元をなぞるかのような槍先の感触に寒気を感じながらも、窮地を脱した事に安堵を感じていた外套の人物だったが、未だ窮地は脱してはいなかった。

 後方へと飛び退き、フィンの間合いから逃れたそこへ、脇に構えた太刀の柄に手を置いて駆け抜ける椿がいた。

 

「斬るぞ」

「―――ナッ!!?」

 

 許可を得るのではない断定の言葉と同時に、鞘走る音と一刃の光が抜ける。

 振り抜かれた太刀は、確かに(外套の人物)を斬り裂いた。

 

「ッアアアアアアアアアアッ!!!?」

「っち、避けたか」

 

 上がった悲鳴の中で、椿が悔しげに口許を曲げる。

 宙を飛ぶ銀の腕。

 メタルグローブに包まれた外套の人物の腕がくるくると切り飛ばされ中空を舞っている。

 胴を二つに別けようと振り抜くも、分かたれたのは腕一本のみ。

 武人ではないが、それでも満足いかない結果(戦果)に椿が悔しげに呟く。

 細められた隻眼が倒れ込むようにして右腕を犠牲にしながら辛くも斬撃を避けた外套の人物を追いかける。

 振り抜かれた太刀は既に再度振りかぶられ、その刃は確と怪人の胴を狙っていた。

 

『食ラエッ!!』

 

 だが、刃が敵の胴に食らいつくよりも先に、外套の人物の呼び寄せた食人花が食らいつくのが早かった。

 食人花が食らいついたのは、椿―――ではなく、呼び寄せた本人たる外套の人物。

 怪人は自身が呼び寄せた食人花に自らを丸飲みさせることで、椿の斬撃から逃げ出したのだ。

 まさかの逃走方法に、僅かだが椿の追撃の手が緩まる。

 その数瞬の隙で、怪人を丸のみにした食人花は椿の間合いから逃げ出すことに成功していた。更にその際に、伸ばした触手をもって切り飛ばされた怪人の腕も回収していた。

 直ぐに気を取り直し、跡を追い掛けようとした椿だったが、背後から感じた立ち上る魔力の奔流にその足を止めて振り返った。

 視線の先では、詠唱を完成させたリヴェリアが魔法を放つところであった。

 

「【ウィン・フィンブルヴェトル】ッ!!」

 

 腐食液に溶かされ異臭が混じった煙が立ち上る通路に、三条の白銀の光が駆け抜ける。

 漂う煙を氷の粒に変えるだけでなく、通りすぎる通路を氷結の世界に変えながら突き進む白銀の光は、狙い違うことなく逃走を図る食人花へと突き刺さった。

 断末魔さえ凍りつかせられるように一瞬にして氷像へと変わった食人花。

 それに目掛け、肩に太刀を乗せて駆けていた椿が勢いをそのままに飛び上がったかと思うと、大上段に構えた刀を降り下ろした。

 左右に真っ二つに斬り分けられる食人花。

 ズルリ、と左右が上下にズレたかと思った瞬間、食人花全体に罅が入ったかと思えば粉々に砕け散ってしまう。

 毒々しい氷の粒が周囲に舞うなか、椿がその残骸に意識を向ける。

 そこに、探すモノが見つけられなかった椿は、小さく舌打ちを鳴らすと唯一残された痕跡を掴み取った。そのまま地面へと下り立った椿は、小さくため息をつくと残敵を掃討し駆け寄ってくるフィンとアイズにそれを投げつける。

 

「ローブだけ?」

「すまん。逃げられたようだ」

 

 アイズが目の前に落ちた外套に目を落とし疑問を口にすると、椿は罰が悪そうに頭を掻きながら小さく頭を下げた。

 

「いや、敵の方が上手だっただけだ」

 

 それに対し、フィンが小さく頭を横に振り否定する。

 

「まるで蜥蜴だな」

 

 フィンの言葉に気を取り直すように小さく笑った椿は、凍りついて砕け散った食人花の残骸に混じった外套以外の敵の痕跡。

 メタルグローブや仮面に視線を向ける。

 勿論その中身は綺麗になくなっている。

 律儀と言えばいいのか、切り飛ばされた筈の腕の方も、そのメタルグローブの中身も無くなっていた。

 

「吹雪で一瞬視線が防がれた瞬間に逃げたのだろうけど、信じられない早業だ」

「どうするフィン?」

 

 アイズが小首を傾げながら今後の方針をフィンに問う。

 追うか、追わないか。

 フィンが悔しがるような、呆れるようなそんな微妙な顔を浮かべながら、敵が逃げたのだろう人一人が通れる程度の小さな横穴に視線を向ける。

 周囲の状況から、敵はこの小さな横穴へ逃げ出した可能性が高い。

 フィンは腕を組むと、目を細め少し思考を傾ける。

 様々な選択肢が浮かぶなか、数秒程度の、しかし幾つもの先を読んだ思考の結果に結論を出したフィンが、顔を上げると自分を見る椿とアイズにしっかりと答えを出した。

 

「追跡はしない。今はガレス達との合流を急ぐ」

「わかった」

「仕方なし、か」

 

 アイズが頷き、椿が苦笑を浮かべる。

 フィンは二人の了承を得たことに小さく頷くと、大盾をバックパックに取り付けながらこちらへ走ってくるラウル達中衛の後ろ、殿を務めていたリヴェリアに視線を向けた。

 フィン達の雰囲気からどうやら敵を逃した事を把握したのだろう。何時もと変わらぬ冷静な表情なのに、何処か悔しげに感じられる顔を見せるリヴェリアに、さて、何て言おうかとフィンが少し困ったような笑みを口許に浮かべ―――。

 

 油断が、あったのかもしれない。

 下からのモンスターの攻撃により部隊を分断され、そこに更に正体不明の敵が大量のモンスターを操り襲ってきた。

 追い詰められるように襲いかかられるが、それさえ咄嗟の判断と仲間の協力により撃退してのけた。

 怒濤のように押し掛けてきた窮地を、全員が無傷で乗り越えた。

 その直後。

 悪魔の時間とでも言えば良いのか。

 隙とも言えない。

 ただ、その瞬間全員の意識が逃げ去った正体不明の敵や分断された仲間の事、今後の予定等、()()()()()()()()

という何時も息を吸うようにして行っていたそれが、たまたま、偶然にも全員が一瞬その思考から外れていた。

 そして、それは起こった。

 ある意味で、それはフィンのミスであった。

 自分でも言っていた筈であった。

 ()()()()()()()()()()()()、と。

 つまり、何処かへと連れていこうとしていたということ。

 大量のモンスターを操り、広大なダンジョンの通路を把握する者が、他に仕込みをしていない可能性を考えていなかったわけではなかった。

 しかし、敵は逃がすも、味方に被害なく撃退したことに確かに油断が生まれたのかもしれない。

 考えた筈なのに。

 追うか、追わないか。

 敵も馬鹿ではない。

 反撃され撃退される可能性も考えていたはずだ。

 ならばその際、敵は追跡される可能性を考え、何らかの対策も考えて―――。

 

 ―――ピシリ、と何かに罅が入る音が響いた時には、既に遅かった。

 

 フィンが親指に疼きを感じ周囲を見渡した瞬間には、もう()()()()()()()()()()()()()

 

「―――リヴェリアッ!!?」

 

 フィンの悲鳴染みた警告の声が響く。

 リヴェリアを挟み込むかのように、通路の壁が内から吹き飛ぶように破壊されると、雪崩れ込むように芋虫型のモンスターが姿を現す。

 その勢いでもって、リヴェリアを押し潰さんと迫る。

 最悪なことに、殿を務めていたこともあってか、それとも何か他に理由があったのかリヴェリアは一人取り残されているかのように近くには誰もいなかった。

 そしてリヴェリア本人も、この襲撃に対し対応が遅れていた。

 明らかに対処が遅れていた。

 逃げるにしても反撃するにしても、動きが遅い。

 レベル6であるとはいえ、リヴェリアは魔導師。

 近接戦であっても、そこらの冒険者やモンスターならば十分に戦える。

 だが、この芋虫型のモンスターは近接特化の上級冒険者であっても対処が難しい。何より下手に攻撃すれば、その体から危険極まりない腐食液が吹き出してしまう。

 その上にこの数だ。

 例えリヴェリアであっても危険であった。

 既にフィンの視界からはリヴェリアの姿が見えない。

 アイズは既に駆け始めているが、助けに入るには距離が離れ過ぎている。

 アイズとはいえ僅かに間に合わない。

 最悪の光景がフィンの脳裏に過り―――

 

 

 

 

「―――凍結、解除(フリーズアウト)全投影連続投射(ソードバレルフルオープン)

 

 

 

 

 

 瞬間、ダンジョンに雨が降った。

 鋼で出来た鋭く硬い剣の雨だ。

 それはまず、リヴェリアの眼前へと迫っていたモンスターの鼻先を削るようにして地面へと突き刺さった。

 まるで巨人が振るうかのような剣であった。

 人が使うモノであるとは考えられない程に巨大な―――刀身だけで三メドルすら越える大剣であった。それが隙間なくリヴェリアを取り囲むようにその周囲に突き刺さったかと思うと、次に剣の雨はモンスターの上に降り注いだ。

 強靭なモンスターの体表を貫く強固さを備えたその剣は、刀身が霞む程の速度で飛翔し、強力な腐食液を蓄えたモンスターの身体を確実に貫き、切り裂き、斬り潰し、細切れにした。

 剣の雨は、そこに動くものがいなくなるまで降り注いだ。

 モンスターの断末魔は、ダンジョンが砕き、削られ、腐食液による溶解する音にかき消されて何も聞こえない。

 一体どれぐらいの時間降り続いたのだろうか。 

 長く感じられたが、実際はほんの数秒程度だったはずだ。

 その超常の光景に、駆け出していたアイズの足も知らず止まり、その非現実的な光景に目を奪われていた。

 いや、アイズだけではない。

 その場にいた全ての者が目と思考は、剣の雨が降り止むまでの時間、確かに奪われていた。

 そして長く感じられた短くも激しい豪雨が降りやんだ時、そこにはただ巨大な剣が数本突き刺さっていただけであった。

 モンスターは細く切り刻まれた上に、自身の腐食液により完全に溶け消えていた。降り注いだ大量の刀剣の姿もないことから、モンスターの腐食液により共に溶け消えたのだろう。

 残されたのは3メドルはあるだろう、何かを取り囲むようにして地面に突き刺さったその巨大な剣のみ。

 腐食液を被ったのだろう、その刀身は明らかに劣化が見て取れるが、ただそれだけ。

 かなりの業物なのだと推測される。

 誰もが身動きどころか声すら上げられない中、唯一形を残していた巨大な剣が掻き消え始めた。

 一瞬腐食液により溶けたのかとの思考が彼らの頭に浮かぶが、それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()様子であった。

 誰もが、あのフィンですら言葉を失う中、まるで幻であったかのように掻き消えた大剣の向こうから姿を現したのは、皆と同じように呆然とした様子を見せるリヴェリアの姿であった。

 明らかに動揺している様子ではあるが、傍目から見る限りでは怪我はないように見えた。

 そのことに安堵の息を漏らし、フィン達が声を掛けようと口を開こうとすると、リヴェリアの後ろ、未だ溶解液による腐食の末立ち上がった霧のように漂う煙の向こうから足音と共に人影が現れた。

 

「「「―――ッ!?」」」

 

 一瞬にしてその人影に向かってフィンやアイズ達が戦闘態勢を整える。

 このタイミング、この状況からして、相手はあの剣の雨に関わる者であることは容易に推測される。

 リヴェリアを助けてくれたように見えたが、安易に警戒を解くわけにはいかない。

 とは言え、もし相手が敵対してきた場合は、かなり危険であるとフィンは危機感を募らせていた。

 あの剣の雨を、今度は自分たちの上に降らせられたら対処は可能か?

 楽観的な光景は少しも浮かばない。

 全員の意識がゆっくりと近付いてくる人影と足音に集中し。

 そして煙の向こうからその姿を現した正体を目にし、その場にいる全員が己の目を疑った。

 いや、意識だろうか。

 自分は夢でも見ているのでは、と。

 夢ならば、ダンジョンの中で剣の雨が降ってくることもあるだろう。

 そんな馬鹿な事を考えてしまうほどに、有り得ない光景がそこにはあった。

 その場にいる全員の言葉を代弁するように、微かに震える声でフィンが口を開いた。

 驚愕に震えながらも、しっかりと強い眼差しで射抜くような鋭さを持って。

 煙の向こうから現れた、以前とは違う赤い外套を身に纏った軽装甲の騎士のような男へ向かって、問い詰めるように。

 

 

 

 

 

「どうして、君がここにいるんだい――――――シロ」

 

 

 

 

 

 

  

 

 




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第三話 合流

 

 

 

「―――リヴェリアッ!!?」

 

 

 

 フィンの声が聞こえた時には、もうモンスターは眼前へと迫っていた。

 壁を破壊した勢いでもって、緑色の津波と化したそれらは、私の前まで一気に迫り押し潰そうとしていた。

 一匹、二匹ならばこの距離であっても対処は可能であったが、最早そんな数ではない。視界を埋め尽くす緑は十を優に越えていた。

 反射的に口から呪文の詠唱が漏れてはいたが、半ばまでいかずに押し潰されるのは目に見えていた。

 あと数秒もしないうちに、モンスターのおぞましい体が自分を捕まえるのを容易に想像できながら、リヴェリアは引き伸ばされた意識の中、様々な思考が駆け巡っていた。

 フィンやアイズ、ファミリアの事。

 これからのダンジョン攻略について。

 現状を打破できる可能性と、自分の生存の可能性。

 ゆっくりとモンスターが自らに迫るのを知覚しながらも幾つもの思考が流れる中、最後の最後にリヴェリアの思考に残ったのは―――。

 

 ―――シロは、無事だろうか?

 

 一人の男の姿であった。

 そして、あらゆる手段が間に合わないと覚悟を決め、数瞬後に襲いかかるだろう衝撃と痛みにその痛みに身体を強張らせた瞬間。

 

「―――凍結、解除(フリーズアウト)全投影連続投射(ソードバレルフルオープン)

「―――え?」

 

 モンスターと己の前に、壁が現れた。

 磨き抜かれた鏡面のようなそれに、一瞬巨大な鏡が現れたのかとも思ったが、それが続いて自分を囲むようにして空から降り注ぐと、ようやくそれが壁でも鏡でもなく、ひたすらに巨大な剣であると理解した。

 とはいえ、それが剣であると理解しても、何が起きているのか状況を把握出来た訳ではない。

 自分を取り囲む―――いや、守るようにして盾のように聳え立つ剣が一体何なのか、そして唯一視界が開けている上空から周囲のモンスターへと降り注ぐ剣の雨が何なのか。

 何もわからない。

 ただただ混乱と困惑に思考が埋め尽くされるなか、長く感じられた一瞬の豪雨は、周囲から聞こえたモンスターとダンジョンが破壊される音が止むと同時に降りやんだ。

 すると、それに合わせるかのように、リヴェリアの周囲を守護していた剣が消え始めていく。

 ()()()()()()()()()()()

 魔剣を使い終えたように砕け散るのではなく、溶け消えるように光の粒子のように解けていくように。

 それは一種幻想的にすら思えて。

 リヴェリアはこんな状況でありながらその光景に思わず目を奪われていた。

 そんな時であった。

 腐食液による溶解により上がった霧のように立ち込める煙の向こうから、何者かの足音と人影が現れたのは。

 

「ッ!!?」

 

 慌ててその人影へ向かって杖を構え警戒を向ける。

 フィン達も同様に、未だ正体が不明な人影へと警戒を向けていた。

 ゆっくりと近づく足音と次第に形となる輪郭(シルエット)

 近づくその人影に、ふとリヴェリアの頭に先程剣が降ってくる直前に聞こえた声が思い出される。

 

 ―――あの声、何処かで?

 

 その答えが口から出てくる前に、それは目の前に現れた。

 

「―――なっ?!」

 

 現れた答えを前に、リヴェリアは、いや、その場にいた全員が驚愕と共に息を飲む中、フィンが代表するかのようにリヴェリア達の気持ちを代弁するかのように口にした。

 

 

「どうして、君がここにいるんだい―――シロ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 構えていた武器の切っ先は下ろして見せてはいるが、何かあれば直ぐにでも対応できる雰囲気を見に纏わせた様子で、フィンがここにいる筈のない男にーーーシロへとその鋭い視線を向けていた。

 敵対的とも言えるその警戒した眼差しを向けられたシロは、立ち止まると、何も持っていないのを見せつけるかのようにゆっくりと腕を組んで見せると小さく肩を竦めて見せた。

 

「いきなり詰問とは―――随分と余裕がないようだな」

 

 口の端を少し持ち上げながら、シロはフィン達の姿を目だけで確認すると腕をほどき歩くのを再開した。

 

「何人か姿が見えないということは、分かれた―――のではなく、分断されたというところか」

「止まれ」

「フィンっ?!」

 

 近付いてこようとするシロへと向けて、フィンが槍の切っ先を向けた。

 それを見たリヴェリアが思わずといった様子で声を上げるが、フィンから向けられた視線にはっとしたように口許を手で押さえた。

 フィンの制止の声に素直に足を止めたシロは、何かを言おうとするも言葉を飲み込んだリヴェリアが向ける複雑な視線を受けると、小さくため息をついた。

 

「何をそう警戒―――ああ、そうか」

 

 眉間に皺を寄せてため息をついたシロであったが、何かを察したように小さく頷くとフィン達に背中を見せた。

 

「別に謝礼を求めようなどと考えてはいない。ただ()()に少し聞きたいことがあったんでな。まあ、今から追っても捕まらんか……」

 

 そう口にしてその場から立ち去ろうとするシロの背中へ、慌てリヴェリアの声が向けられた。

 

「まっ―――待てシロっ!?」

「……近付けば止まれと、去ろうとすれば待てと、お前達はオレに動くなと言うつもりなのか?」

 

 肩越しに振り返ったシロの顔は、口許は若干の笑みの形をしていたが、その目は明らかに笑ってはいなかった。

 その視線にフィン達は一瞬腰が引けてしまったが、気を取り直したリヴェリアが慌てて首を横に降り始めた。

 

「そ、そうじゃないっ。ただ、待ってくれ。私たちも混乱しているんだ。わかるだろうお前も」

「いや、わからないが?」

 

 顔だけでなく身体を再度後ろへ、フィン達の方へと向けたシロが、リヴェリアの言葉に首を傾げる。

 からかう様子の見られないその姿に、リヴェリアが口をつぐませていると、深いため息をつきながらフィンが代表するかのように前へ足を一歩出した。

 

「君はここが何処だかわかっているのかい?」

「ダンジョン―――わかっている、53階層だ」

「そうか、なら僕の言いたいこともわかっているんじゃないのかい?」

 

 フィンの冗談が通じない眼差しを受けたシロが、降参するかのように両手を上げて答えて見せた後、続いた言葉には鼻を鳴らして応えた。

 

「冒険者がダンジョンにいて何か問題があるのか」

「ないね。だけど場所が問題だ。特に君がここにいる場合は。それとも、他に連れでもいるのかい?」

 

 わざとらしくシロの背後に視線を向けるフィン。

 常識―――シロがこの場にいる事で既に常識などないが、普通に考えれば誰かに連れてこられた可能性が考えられるが、フィンは自分で口にしながらそうは思ってはいなかった。

 それは何かの理論的に考えたものではなく、直感的なものであったが、それに確かな確信を抱いていた。

 

「残念ながら一人だな」

「……なら、なおのことおかしな話だ」

 

 シロの答えに是と考えながらも、やはりそれでもこれまでの経験という強固な常識がシロ(レベル1)がここにいる

という現実を否定する。

 故にその葛藤が混じったような低い声がシロ(元凶)へと向けられる。 

 

「ほう」

「確かに君は強い。レベル1というのがあり得ない程に。しかし、そうであっても君がここにいるのはあり得ない」

「理由を聞こうか」

 

 断定するフィンに、シロが話を続ける事を促すように顎を微かに動かす。

 

「普通は聞かなくともわかるんだけどね」

 

 槍から離した片方の手をシロへと突きつけ、その手の指を一つ上げて見せる。

 

「一つ、いくら強いとはいえ、ここは最深層。モンスターの数も強さもこれまでとはけた違いだ。レベル1など話にもならない。例えオッタルでも一人ではここまではこれない」

 

 単純な強さの問題だ。

 確かに突出した強さを持つオッタルならば、単独でダンジョンを踏破し、階層主すら倒して見せることはできるだろう。

 実際にそれだけの事をしたこともあると聞く。

 だが、そうであっても、それだけの強さがあっても、ここ(最深層)までは難しい。

 強さもそうだが、無限とも言える数が驚異なのだ。

 怪我や体力はポーション等でなんとか出来るかもしれないが、武器の消耗は避けられない。

 シロは鍛冶の腕もあると聞くが、それでも限界はある。

 

「二つ、ここに来るまでの障害はモンスターだけではない。あらゆる環境やダンジョンの名の通り迷路のような道と罠が幾つもある。そしてそれは公には公開されてはいない。僕は君が僕たちと同時期にダンジョンに入った事を知っている。今、ここで君と顔を合わせるのは有り得ない」

 

 確かにギルドが公開しているダンジョン内の地図はあるが、それでも公になっていないものは数多く存在する。

 その内の一つが自分達の持っているものだ。

 ダンジョン最深層に至るまでの最短ルート。

 それを使っての攻略。

 確かに、以前よりも後方支援に力を込め、攻略速度は遅くはなったが、それでも何も情報がない者がこれるような所でも、ましてや情報を持つ自分達に追い付ける筈がない。

 

「三つ、君はオッタルと戦い、その最後はダンジョンの崩落に巻き込まれたと聞いた。オッタルとの戦闘での負傷に加え、崩落に巻き込まれた。普通に考えれば生きているのも難しい筈―――なんだけど」

 

 レフィーヤやガレスの報告から、シロが負っただろう負傷は生死が不明な程であると聞く。

 オッタルと戦い生き残っただけでも有り得ない上に、そこにダンジョンの崩落まで加わる。

 正直、それを聞いた時には、自然と死んだなと思ったものであるが―――見た限りそんな怪我はない。

 

「そんな様子は見えないね」

 

 確かめるようにシロの身体をじろじろと見るフィンに、シロは肩を竦めて見せるとからかうような視線を向けた。

 

「さて、それはどうかな。服の下は酷いことになっているかもしれないぞ」

「なっ―――!?」

「……そうは見えないけどね」

 

 シロのあからさまとも言える言葉に、しかし思わず、といった様子で心配気な声を上げたリヴェリアに、何処か呆れたような視線を向けるフィン。

 しかし、直ぐに目をシロに向けると、その視線を受けた本人はリヴェリアの様子に張り付けたような笑みではない笑みを口許に浮かべると、安心させるように首を左右にゆっくりと振った。

 

「ああ、すまないリヴェリア。大丈夫だ。そうだなフィン。確かにその通り怪我はない」

「エリクサーでも使ったのかい?」

「似たようなものだ」

 

 その顔に浮かぶ微笑は変わらないが、その目が語っている。

 話すつもりはない、と。

 怪我を直した魔法のような方法を口にすることはないと判断したフィンは、追求する無駄を省くと、最初の質問へと戻る事にした。

 

「……で、答えてくれるかい?」

「何を―――ああ、そう怖い顔をするな。わかっている」

 

 繰り事はしないと視線に込めて無言で告げると、シロはフィンかあら視線を外すと、その後ろにいたアイズにちらりと視線を向けた。

 

「とは言ってもな。『どうやってここに』という質問には普通に降りてきたとしか答えられないな。そして、『どうしてここに』という質問には―――」

 

 そして、再びフィンへと視線を向けると目的地を告げた。

 

「―――59階層に用があってな」

「―――ッ」

 

 その意味を知るアイズは、思わずといった様子で息を飲む。

 それを方耳に事情を知るフィンは、確かめる意思をもって言葉を向けた。

 

「……食料庫(パントリー)での一件かい?」

「まあ、そうだ」

「また、依頼でも受けたと?」

「似たようなものだな」

 

 フィンがちらりとアイズへと視線を向けるが、未だに混乱した様子が見えるその様子からは判然としないが、何かを知っている様子は見られない。また、自分達の知らないところで何か依頼を受けたということはないようだった。

 

「それで、もう行ってもいいか。いい加減ここから離れたくてな」

 

 何か間が込むように黙り込むフィンに、シロは周囲を漂う刺激臭が鼻につく煙を見回した。

 

「……確かに、ここにはあまり居たくはないね」

 

 フィンはそれに見渡す限り腐食液で溶かされグロテスクな壁や地面となったダンジョンの様子に同意を示すように頷いた。

 フィンの言葉を許可と取ったシロは、再びフィン達へと背中を向け立ち去ろうとしたが、その前にまたもリヴェリアの声がそれを阻んだ。

 

「それでは、失礼する」

「っ―――待ってくれっ!」

「また、なんだ?」

 

 掴みかかるかのようなリヴェリアの声と勢いに、動き出そうとするシロの体が思わずといった様子で急ブレーキを掛ける。

 これ以上話すことはないだろうと、無言のまま目で告げるも、リヴェリアは何処か焦った様子で言葉を放ちながら、周りに視線を向けた。

 

「あ、いや、その、だな。っ、そ、そうだっ! 59階層が目的地なら私たちも同じだ。一緒に―――っ」

 

 リヴェリアの言葉と向けられた視線に、フィンは何かを考えながら縦に頭を動かし。

 アイズは伺うように、小さな子供がするように下から見上げる形で何かを伝えたいような眼差しを向けて。

 そして椿はただ無言のまま、その一つの赤い目だけを何かを確かめるようにまっすぐにシロへと向けていた。  

 

「……そうだね。色々と納得はいってはいないが……まあ、向かう先は同じだ。僕は構わないけど」

「シロ、さん」

「……」

 

 それ以外のここにるメンバーは、反対も賛成も示すことはなく、フィン達の決定にまかせるといった様子を見せていた。

 その誰一人として反対する様子がないことから、シロは少し考える姿を見せた後―――。

 

「……どうあれ最後にはかち合うしかない、か……そうだな。そちらが構わないというのなら、少し厄介になるか」

 

 頷いてみせた。

 その姿にフィンは確かな笑みを顔に浮かべると、見に纏っていた緊張感という警戒心を剥がし捨てるとシロへ向けて大仰に頷いた。

 

「色々とすまなかった。まあ、君ならわかるだろ?」

「確かに、間も悪かったようだしな」

 

 シロはフィンの言葉にしなかったものを正確に捉えていた。

 フィン達を襲ったのは、ただ襲いかかるだけのモンスターとは違う。

 考え思考し、時には罠にはめ姦計を張り巡らす。

 以前には、殺した冒険者の頭の皮を剥いで変装すらする。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だが、そうではない。

 シロは偽物ではなく本物である。

 それは間違いない。

 

「ああ、そういえば肝心な事を言い忘れていた」

「ん? 何だ? まだ何かあったか?」

 

 シロが小首を曲げて頭を捻ると、フィンは苦笑しながらも真剣な眼差しを向けると。

 

「ああ、一番最初に言わなければならなかった事だよ。僕としたことが、どうやら本当に混乱していたようだ」

 

 そうして、深々と頭を下げたフィンは、一言一言に感謝の気持ちを込めてシロへと礼を告げた。

 

「ありがとう。リヴェリアを助けてくれて。本当にありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ!!? ―――どうしてこいつがここにいるんだッ!!?」

 

 リヴェリアの魔法により周囲一帯が氷漬けとなった中で、ベートの怒声が響いた。

 しかし、その声には普段の勢いはなく、隠しきれない疲労があり、そしてその中には幾分かの混乱が混じっていた。

 それもそうだろう。砲竜(ヴァルガング・ドラゴン)による階層無視の攻撃により、分断された遠征隊であるガレスを中心とした一団は、分断された先である58階層において砲竜(ヴァルガング・ドラゴン)を含む数々の強敵と渡り合う事となった。次々と襲いかかるモンスターを撃退するも、休む暇もなくモンスターは生まれ続け、終わる気配のない連戦は続き。更には新種のモンスターである腐食液を蓄えた芋虫型のモンスターもそこへと加わる事になり。しかもそのモンスターは、ガレス達だけでなく、他のモンスターにも襲いかかり三つ巴の争いとなった。最早収集がつかない、混乱が増すばかりの戦場の中、疲労をおして戦いに身を踊らせようとした所に、分断されていた筈のリヴェリアの魔法が放たれたのだった。

 分かたれた仲間との合流を喜ぶよりも先に、戦力が増した事を機にフィンの指揮の下、58階層での戦闘は一気に終息へと向かうことになった。

 そしてその場にいたモンスターを全て倒し、一息つける状況となったことから、再会を喜ぼうと集まったところで、そこにいる筈のない者の姿を見つけることとなった。

 有り得ない状況を前に、豪胆を形にしたようなガレスでさえ言葉を失うなか、唯一声を上げたのがベートであった。

 

「おいフィンッ!! これはどういう事だッ!!?」

 

 ベートも周囲と同じく困惑はあったが、それを塗りつぶすだけの感情があったことから、()()に押されるようにして声を上げていた。

 しかし、やはりそんなベートであっても、あらゆる意味でいる筈のない男がここにいることに困惑が隠せないのだろう。シロに掴みかかるよりも先に、その矛先は事情を把握している筈のフィンへと向けられる事になった。

 

「どういう事、か……まあ、少し上で合流してね。その際彼に助けられたんだよ。で、行き先も同じということで共に行くことになった」

「ッ! 馬鹿にしてんのかッ!?」

 

 肩を竦めて苦笑するフィンに、怒髪天をつくという言葉を表すかのように、頭髪だけでなく全身の毛を逆立てたベートが目をつり上げ気炎を上げた。

 

「俺が聞いてんのはッ―――」

「わかっている」

 

 怒りで疲労も吹き飛んだのか、今にも飛び掛からんとする勢いでもってフィンに詰め寄ろうとしたベートに、フィンがそれを制するように手を伸ばした。

 

「だけど、今言えるのはこれだけなんだ。()()()()()()()()()()()

「っ……本当にいいのか」

 

 言い含めるようなフィンの言葉と意思を込めた視線に、ベートは喉まで出てきた反発を無理矢理飲み込むと、その刃のような鋭い視線をシロに一度投げつけた後、もう一度フィンへと問いかけた。

 

「言っただろう。助けられたって。それに、出来れば彼には目の届くところにいてほしい」

「―――ちっ」

 

 最後は小さく獣人であるベートだからこそ聞こえた程の小さな言葉に、忌々し気に鋭く舌打ちを鳴らす。

 そのまま目障りだと言わんばかりに勢いよくシロに背中を向けると、ベートはその場から離れていった。

 何時爆発するかわからない状況から解放され、何処か空気が一息ついたような感覚が拡がる中、ようやくといった様子で分断された彼らが合流を喜ぶようにそれぞれの安否を確認する中、顔を俯かせながら一人外れた場所に佇むシロへと近寄る人影が一つあった。

 

「……シロ、さん」

「どうしたレフィーヤ」

 

 手を伸ばせば触れられる程の距離まで近づきながら、顔を上げることもせずに俯いたままのレフィーヤに、何処か優しげに聞こえる声でシロが声を掛ける。

 

「あ、あの、私は、その―――」

「あの時は、助かった」

「―――っ」

 

 ぐっ、と言葉に詰まりながらも、何かを言おうとするレフィーヤを制するように、シロは何気ないことのように感謝を告げた。

 その言葉に、言いかけた言葉を喉に詰まらせたように止まったレフィーヤに、シロは言葉を続ける。

 

「あの時、レフィーヤが立ち塞がってくれなかったなら、オレはあそこで終わっていた」

「っ、それは―――」

「本当に、強くなったな」

「っ―――私はッ」

 

 自分でも原因はわからなかった。

 何がそんなに自分の感情を駆り立てたのか本人でも分からなかったが。

 その言葉に、レフィーヤは俯かせていた顔を髪を振り乱す勢いで上げると、滲む視界で驚きを見せているシロを睨み付けた。

 

「私は強くなんてないっ! だって、私はあの時、結局何もできなかったっ! 何もできず、ただ見ていることしかできなかった!」

「レフィーヤ」

「ただ、立ち尽くしていただけなのに―――」

「レフィーヤ」

「―――あ」

 

 捲し立てるように。

 内から溢れでる感情を言葉として吐き出す勢いは激しく。

 放っておけば、喉が裂けるまで自身への攻撃は止まなかっただろうそれを、シロはレフィーヤの頭の上に置いた手を少し乱暴に撫でることで止めてみせた。

 

「それが、どれだけの偉業かは、オレは知っている」

 

 自分の手で遮られて今レフィーヤがどんな顔をしているのかはわからず、また先程とはうって変わって何も口にしないことを良いことに、シロは伝えたい事を言葉にする。

 

「奴と対峙したからこそわかる。あの男は強い。そんな男を前に、立ち塞がるだけでも出来る者などそうはいない。そして、レフィーヤが立ち塞がってくれたからこそ、オレは立ち上がる事ができた」

 

 その言葉に、偽りは欠片もなかった。

 対峙したからこそ良くわかる。

 戦闘体勢に入ったあの男の前に立つのは、生中な心意気で出来るようなことでは決してない。

 気迫だけで、下手な相手であれば気を失いかねないだろう。

 それなのに、レフィーヤは啖呵さえきってみせたのだ。

 偉業と言っても過言はない。

 

「―――でも」

 

 頭の上に置かれたシロの手を振り払う事もせず、なすがままにされていたレフィーヤだったが、何かを言い淀むように伏せた顔の下何かを口にしようとする。

 その声音に、まだ自分を責める様子が見られたから。

 

「―――でももないだろ。助けられたオレが言っているんだ。それが答えだ」

「シロ、さん」

 

 シロはレフィーヤの頭の上に置いていた手を少し強めに撫でるように動かすと、その頭を強制的に上に向けさせる。

 大した抵抗もなく顔を上げたレフィーヤと視線が交わる。

 その大きな瞳は濡れて揺らめいて。

 今にも零れ落ちそうだった。

 大きな不安に揺れているように見えるその瞳は、しかし何処か誘うような微かな色気が混じっていた。

 重なる視線の中、互いに無言でみつめあう。

 何か、奇妙な雰囲気が生まれかけた―――その時。

 

「ん~? 二人ともどうかしたの?」

「っ!?! てぃ、ティオナさんっ?!」

 

 何の前触れもなく、ひょっこりと二人の間に顔を現したティオナによって生まれかけた妙な雰囲気は微塵に砕かれた。

 

「やっほ、シロっ! そう言えば随分久しぶりだね。まさかこんな所で会うなんて思わなかったよっ!?」

「ああ、そうだな。連戦が続いていたようだが、体の方はどうだ?」

 

 猫が何かやらかしてしまったことを毛繕いして誤魔化すかのように、一歩後ろに下がったレフィーヤが髪の毛を手櫛で整え出すのを尻目に、ティオナはシロへとぐいぐいと詰め寄っていた。

 

「ポーションも飲んだからばっちしっ! でっ、でっ! 何でシロはこんな所にいるの!? と言うか、どうやって来たの!? ここ58階層だよっ!!? シロレベル1だったよねっ!?」

「59階層に用があってな」

 

 最早抱きついているのではと疑いが生まれるほどの距離にまでシロへティオナは詰め寄っていた。

 その勢いに飲まれないようにするかのように、シロは努めて落ち着いた声音と雰囲気で対応している。

 

「59階層に? へ~そうなんだ……ってそれだけ?! もっとこう色々あるんじゃないのっ!? だってここ58階層だよっ!! モンスターなんてほんと強くて数も桁違いだしっ! さっきなんかもう大変だったんだからっ!!」

「まあ、確かに色々とある事はあるが、そこは秘密ということで」

 

 きらきらと輝くように煌めくティオナの目からは、何かを探ろうとする様子は見えず。ただただ純粋なまでの好奇心で輝いていた。

 その背後、少し離れた場所で睨み付けるようにこちらを見つめてくる双子の姉とは違って。

 

「え~けち。良いじゃんか教えてくれたって」

「まあ、そこは勘弁してくれ」

「む~……まいっか、リヴェリアを助けてくれたって聞いたし。ありがとね」

 

 ぐいぐいと、態度や言葉だけじゃなく、物理的にその身体も寄せてきていたティオナだったが、不意に一歩後ろに下がると、改めてシロを見上げ満面の笑みを浮かべたかと思うと勢い良く頭を下げてきた。

 その時に一緒に言葉にした感謝のそれには、確かに強く深い感謝の念が込められていた。

 

「いや」

 

 清々しいまでのその姿に、思わず口許が緩んだシロは、頭を下げたままのティオナの後頭部へと向けて何かを言おうとしたが、それがまともに形になる前にそれを遮る形でレフィーヤが驚きの声を上げた。

 

「えっ!? リヴェリア様を助けてくれたって、それは―――」

「ここに来る前に少しな。安心しろ。リヴェリアに怪我はない」

 

 間にいたティオナを乗り越えて掴みかからんばかりの勢いでシロへと再度の突撃を噛まそうとするレフィーヤの前に手を出してそれを制する。

 そしてリヴェリアの無事をしっかりと伝えると、パニック状態に陥りかけていたレフィーヤも直ぐに落ち着きを取り戻せた。

 

「そ、そうですか……」

「それで、話は済んだかい?」

 

 ふうっ、と特大の安堵の息をついたレフィーヤの背後から、次に姿を現したのは小柄な人影。

 【ロキ・ファミリア】の団長フィンであった。

 

「あっ―――だ、団長っ?!」

 

 文字通り飛び上がって驚きを示したレフィーヤに苦笑いしながら、フィンはシロへと視線を向ける。

 

「ああ、何だフィン」

「これからについてだよ」

 

 シロの問いに、フィンは返事を返しながら59階層へと繋がる連絡路へと視線を向けた。

 

「59階層、か」

「ああ、少し59階層の連絡路を確認してきたんだが」

 

 尻すぼみに消えていくフィンの言葉に混じった困惑の色に気付いたシロが、それについて指摘を投げ掛ける。

 

「それで、何か問題が?」

「問題、なのか……【ゼウス・ファミリア】が残した記録では、59階層から先は『氷河の領域』とあるんだが……」

 

 最後にちらりと自分へと向けられた視線に、シロは一瞬分からなかったが、それが自分の装備に関してかと考え安心させるための言葉を告げる。

 

「それが―――ああ、火精霊の護布(サラマンダー・ウール)については心配するな。自分の分は用意できる」

「いや、それは気にしなくても予備はあるんだが、問題はそれが必要になるかといった所なんだ」

「―――どういう事だ?」

 

 どうやら自分の答えは不正解だったようだと理解すると、シロは正解を求めるため続きを促す。

 

「記録によれば、そこは第一級冒険者の動きすら凍てつかせる程の恐ろしい寒気だとあった。だけど、通路の前まで行ったのに全くと言っていいほどに冷気は感じられなかった」

「え? それって」

「【ゼウス・ファミリア】の誇張、というわけではないのか?」

 

 そこまで言えば、何を問題にしているのかは流石にわかった。

 だからこそ、現時点で考えられる最も高い可能性を口にしたが、それを言いながらシロは自分でも信じてはいなかった。

 それもそうだろう。

 いくら誇張しても、何時かは必ずばれてしまうのだ。

 そんなことは当時の彼らにも分かっていた筈。

 ならば、下手な誇張は入れず、出来るだけ忠実に伝えていた筈だ。

 

「僕たちのこれ迄の経験から言わせてもらえばその可能性は低い」

「なら」

 

 だからこそ、フィンの言葉に素直に頷いたが、それはある意味では良くないことを示すものとなるだろう。

 故に、フィンは向けられたシロと視線を合わせると同意を示すため大きく頭を下げた。 

 

「ああ、何かあるね」

「確かめるには、行くしかないか。まあ、元よりそのつもりだ」

 

 シロの目が細まり、その鋭い眼光が59階層へと繋がる連絡路へと向けられる。

 

「そうだね。各自の準備が終えた次第、出発する予定だ。そちらはどうだい?」

「構わない。こちらは何時でもいける」

 

 互いに横に並ぶと、フィンとシロは59階層へと続く連絡を共に見つめる。

 既に【ロキ・ファミリア】のメンバーは椿も含め大体のコンディションを整えていた。

 フィンはシロの同意を受けると、小さく頷き顔を上げた。

 

 

 

 

 

「それじゃ、行くとしようか。誰も知らない―――未知へと、ね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。

 ……展開と言うか進行が早いでしょうか? 

 


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第四話 花開くとき

 

 カツン、カツンと幾つもの乾いた足音が響いていた。

 携行用の魔石灯の明かりが広い洞穴のような連絡路の暗闇を僅かに削り、押し開くように僅かな視界を確保している。

 長い―――長く深く続く、自然とも人の手によるものとも知れない階段を下りる中、何処までも続くかのような階段を下りる【ロキ・ファミリア】の面々の肌には、汗が滲み出し玉となって滴り落ちていた。

 しかし、それは疲労によるものではなく。

 

「あっ、つい……」

 

 ティオナがその露になった褐色の肌に浮かぶ汗を拭いながら誰にもなしに呟いた。

 そう、その言葉の通りそこは酷く蒸し暑かった。

 記述にあった極寒など欠片もなく。

 ただただ湿った熱が辺りに充満していた。

 洞穴―――連絡路の前で皆が感じていた微かな異変は、最早互いに話し合わなくとも確かな確信へと変じていた。

 皆がそれぞれ胸騒ぎを胸に宿しながら歩く先で、微かな明かりが見えた。

 

「出口、か」

 

 誰が口にした言葉かはわからないが、その言葉を合図にしたように皆の足の動きが僅かに早まる。

 しかし、そこに油断はなく。

 増した警戒心と緊張感で体に力が入りながらも、覚悟を決めた顔で前へ―――下へと進む。

 そして、ついに最後の階段から足を離し、辿り着いた先―――未到達領域。

 そこで彼らが目にしたものは―――

 

「―――密、林?」

 

 驚愕と、戸惑いと、困惑が入り乱れた声で、ティオネが周囲を見渡しながら知らず口から言葉を溢していた。

 その言葉の通り、そこには密林が広がっていた。

 【ゼウス・ファミリア】の記述にあった氷河などそこには何処にもなく、見るからに異常で醜悪な、ただただ不気味な植生が広がる密林がそこにはあった。

 ダンジョンは下へ下りるに従いその広さを増すという。

 その通り。直上の58階層よりも明らかに広いだろう一つの町すら収まりかねないその広大な『ルーム』は、今や何処か亜熱帯の大地を思わせる密林へと変じていた。

 謎の不気味な植物らは大地から生えているだけでなく、天井を見れば遥か頭上からダラリと垂れ下がる蔓や蔦があり、天井から続く壁へと視線を動かせば、何かがみっしりと埋め尽くしているのだろう壁面は緑一色に染まっている。

 そこはまるで、ダンジョンではなく別世界に紛れ込んでしまったかのような感覚をフィンたちに抱かせた。

 ただ、『ルーム』を照らし出す、緑肉に覆われていない天井の一部で輝く燐光の姿だけが、ここがダンジョンである事を示していた。

 

「これって、まさか……」

 

 呆然と辺りを見渡していたレフィーヤが、その光景に何処か既視感を覚え。

 それが何なのか思い至ると自然と口から言葉が出ていた。

 

24階層の(食料庫)―――」

 

 レフィーヤの言葉に、アイズとベートもまた同じ考えに至っていたことから警戒心を更に高めていた。

 【ロキ・ファミリア】の面々がそれぞれに周囲を伺い警戒するなか、シロもまた同じ考えに至り周囲を見渡していると、警戒するその感覚の中に、一つの異音を捕らえた。

 と、同時にそれに気付いたサポーターの一人であるラウルが遠慮がちに、しかしはっきりとした口調で声を上げた。

 

「あの、何か変な音が聞こえないっすか?」

 

 ラウルのその言葉と、そして向けられた先へと視線を向けた彼らは、その言葉の通り明らかにナニかが発する音を捕らえる。

 それが聞こえてくるのは連絡路を降りて真正面。

 密林を真っ直ぐに進んだ先―――この広大な『ルーム』の中心と思われるところから聞こえていた。

 何かを咀嚼する音。

 倒れ、崩れ落ちる音。

 そして微かな甲高い鳴き声。

 ナニかが、そこにはいる。

 確信を抱いた皆が、一斉に視線を一人のパルゥムへと向ける。

 【ロキ・ファミリア】の団長たるフィンは、その視線を受け止めると一つ大きく頷くと睨み付けるように『ルーム』の中心―――異音が響くこの異常の元凶がいるだろう場所へと視線を向けた。

 

「―――前進だ」

 

 その言葉を合図に、前進を始める。

 フィンの指示がなくとも、自然とメンバーは編成を組んでいた。

 ベートとティオナが先頭にフィン、ティオネ、アイズ、その直ぐ後ろにサポーターと椿が。

 最後に砲台でもあり支援であるレフィーヤと殿を務めるリヴェリア。

 そしてリヴェリアの隣にはシロの姿があった。

 ベートを先頭に、中心へと続いているだろう一本道を進んでいく。

 ここ(59階層)に下りてきてから、未だモンスターとの接敵はなし。

 警戒による歩みの遅滞は次第にほどけるように解け、歩みは次第に早まっていく。

 しかしそれでも、異音の源へは辿り着かず。

 蒸し暑さだけでない汗が額に浮かび始めた頃、唐突に視界が広がった。

 

「なに、あれ?」

 

 先頭を歩んでいたからこそ、真っ先にそれを目にしたティオナが、後から続く者達の疑問を代弁するかのようにその疑問を口にした。

 ティオナの視線の先、そこに辿り着いた面々が視線を向ける先には、灰色の大地が広がる中心にそれはあった。

 気味の悪いうねる緑の体を押し付けるように集まっているのは、芋虫型のモンスターだけでなく、食人花のモンスターの姿もあった。

 同じ形のものがぎゅうぎゅうと群れる姿は、生理的な嫌悪感を抱かせるが、ティオナの疑問の先はそれではなく、それらが集う中心に聳え立つもの。

 一見すれば植物にも見えるが、遥かに大きく太すぎるそれは、植物よりも塔にすら見える。

 だが、それは塔などではなく。

 ましてや植物でもない。

 当たり前だ。

 その姿からは女のようにも見えるが、明らかに正常な姿のそれではない形は、もし作り手がいたのならばその精神を疑われかねない形をしていた。

 それが何なのか、彼らは知っていた。

 

「『宝玉』のモンスター……」

「寄生されたのは、あの異様からして『タイタン・アルム』か?」

 

 蠢くモンスターの群れの中心にあるその巨大な女体型のモンスターを見上げ、ぽつりと呟いたレフィーヤの言葉に応えるように、隣に立つリヴェリアが深層に潜む巨大な植物型のモンスターの名を口にする。

 敵も味方もなく、ただあらゆるモノを己の糧へと変える『死体の王花』と呼ばれるモンスターだ。

 『ルーム』の中心に集うモンスターの群れは、現れたフィン達に気付いていないのか、一匹たりとも意識を向けてくるものはいなかった。

 中心にいる女体型のモンスターへ集い、そして何かを捧げている。

 

「あれは、まさか―――」

 

 睨み付けるようにしてモンスターを観察していたフィンが、女体型モンスターへ向けて、芋虫型のモンスターが口腔から舌のようなものを伸ばしている姿を見て、訝しげに眉を曲げた。

 しかし、直ぐにその先端にあるモノが何であるかがわかると、強い危機感が含んだ声を上げた。

 

「―――魔石を与えているのかっ?!」

 

 フィンの声を切っ掛けにしたかのように、周囲のモンスターから捧げられる魔石を女体型のモンスターが無数の触手でもって貪欲に奪い取る。

 抵抗するどころか母鳥が雛に餌を与えるように、無防備に魔石を取られた周囲のモンスターは、灰へと変じ灰色の大地の一部へと変わっていく。

 

「ま、さか―――」

 

 灰となったモンスターの残骸の一部が、風にのって周囲に漂う。

 ゆっくりと漂い、少しずつ周囲に広がり落ちていくその様子を目で追っていた椿が、それが灰色の地面へと落ちると呆然と声を溢した。

 

「これが全てモンスターの残骸だと?」

 

 同じく、フィン達もそれに思い至っていた。

 しかし、だからといって驚きがなくなるわけではない。

 それぞれが驚愕に身を震わせる中、それが意味するところにフィン達は焦燥のあまり顔を歪めた。

 

「『強化種』ということかっ―――!?」

 

 見渡す限りに広がる灰色の大地。

 一体どれだけのモンスターが灰となったのか想像もつかない。

 それはつまり、それらを食らったこの女体型のモンスターの強さもまた、想像がつかないということ。

 誰もが目の前の脅威に身を震わせる中、ただ一人戸惑いの中にいた者がいた。

 

(―――なに、これ?)

 

 アイズは、先程から自身の鼓動が収まらなかった。

 早鐘を打つ鼓動は、時と共にその速度を増していく。

 驚愕、警戒、焦燥―――違う。

 そうではない。

 アイズは、危機感を元にするものではないと、本能的に悟っていた。

 視線の先。

 今も捧げられる魔石を貪り食らうおぞましい筈のモンスターの姿に、自分の中のナニかが―――。

 血が―――ざわめいている。

 そして、その衝動に押され、思わず手が伸びそうになった瞬間―――。

 

『―――ァ』

 

 それは、生まれた。

 

『―――ァァ』

 

 周囲から捧げられる魔石を受け入れるように、女体の姿をした部分を前に倒していたのを、ゆっくりと上げていく。

 くぐもった低い声が響き。

 それは次第に大きくなっていく。

 倒していた上半身が上がっていき。

 ついには完全に持ち上がった女の姿をした上半身が露となる。

 醜快な姿をした面から聞こえる低くくぐもった呻き声は、次第に大きく。

 明らかな何かの前兆―――悪い方向のそれに、フィン達の警戒が更に高まり―――そしてそれが顕れた。

 

『アアアアアアアアアアアアアア―――』

 

 一際大きな声を―――まるで赤子が生まれた時に上げる産声のように、それが声を上げた瞬間。

 女体の姿をした上半身がはっきりと蠕動した。

 リズム良く。

 まるで何かに合わせるかのように、一定の間隔で蠕動する女の形をした上半身は、フィンが行動を決定する前に更なる変化を起こした。

 

「「「―――ッ!!?」」」

 

 一回り以上にその上半身が膨れ上がり人の形から細長い緑の肉の塊となったかと思った次の瞬間、蕾が花開くようにそれは縦に幾つもに別れ開いていき。

 それは、顕れた。

 

『―――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』

 

 花開いたその中心には、『女』がいた。

 歓喜の声を、私はここにいるとでも叫ぶように産声を上げるそれは、先程までの醜い姿は何処にもなく、まるで女神かと間違うばかりの美しさだった。

 体の動きに合わせ右へ左へと優雅に揺れる長い緑の髪。

 ほっそりとした首、豊かな胸元、くびれた腰―――流れるようなそのなだらかな上半身を覆うのは、人の手では作り得ないだろう精緻な極彩色の衣。

 閉じた空を仰ぎ歓喜の声を上げるその姿。

 ただ一つ異様なものは、その体の全ては緑色をしていた。

 髪も、肌も。

 例外だったのは瞳だけ。

 瞳孔も虹彩もないその大きな瞳は、ただ一色―――黄金。

 どろりと淀んだその黄金の瞳を見開き、叫びを続ける『女』は、上半身が変わったところでその変化は終わらず。変化は植物の形をした下半身へと続いていた。

 長い蛇体にも巨木にも見えたそれは、何時しか巨大な花弁と無数の触手へと変じていた。

 

「っな―――何なのよあれはっ!?」 

 

 人では不可能な、息継ぎのない延々と続く産声は、もはや声ではなく高音の高周波。

 鼓膜を震わせ痛め付けるそれは兵器にも感じられるほどで、ティオネは両耳を強く両手で押さえつけながら不快に顔を歪ませながら現れた『女』を睨み付ける。

 誰もが耳を塞ぎ顔をしかめる中、ただ一人だけアイズは耳を塞ぐことなく立ち尽くし。

 その声を上げる『女』をただ見つめていた。

 爪を立てるような『女』の叫びは、しかしアイズには届かず。

 アイズはただ未だに高まる己の鼓動の音に意識を奪われていた。

 

 そんな―――

 

 まさか―――

 

 有り得ない―――

 

 否定の声が次々に生まれるが、それは一つ鼓動が打たれる度に消えていき。

 ついには否定の声は全て潰え、鼓動だけが響き続ける。

 そして、それが頂点に達し、何かを伝えるように一際強く鼓動が脈打ちーーー否定できない現実としてアイズの前にそれ(答え)を突きつけた。

 

『―――アア』

 

 天を仰いで叫んでいた『女』が、何かに惹かれるようにぐるりと顔を曲げ、アイズを見た。

 アイズの目と、『女』の目がーーー視線が交わる。

 己の内から溢れる衝動に身を震わせ、口を固く噛み締めたアイズに対し、『女』は柔らかく、無邪気に、その口元を大きく歪ませ笑った。

 

『アア―――アリア』

 

 淀み、濁り、曇ったその黄金の瞳を嬉しげに歪ませ、『女』は笑ってアイズを見て彼女を呼ぶ。

 

『アリアッ―――アリアッ! アリアッ!!』

 

 自分を見て、自分じゃない名を叫ぶ『女』を見て、とうとう否定が出来ず、遂にアイズはそれを口にしてしまう。

 その『女』の正体を。

 震える声でもって。

 泣きそうな声で。

 

「―――精、霊」

 

 その声は、囁きよりも小さくともその場にいた者の耳に届いていた。

 塞いだ耳から手を離しても、『精霊の女』の叫喚による影響が未だ続いていたティオナだったが、その声は不思議と聞こえていた。

 まるで聞き違いであってくれとでも顔と声でもってアイズへと視線を向けながら、指先を『精霊の女』へと向けた。

 

「あんな気味が悪いのの何処が精霊だってっ!?」

 

 否定を求めるティオナの声に、しかしアイズは首を横に振って否定する。

 確かに上半身だけなら、一見すればそう思ってしまうかもしれない。

 しかし、美しい上半身とは別に、その下半身は禍々しいばかりのモンスターの姿で。

 下手にその女の姿が美しいことからも、醜いモンスターの下半身が合わさり恐ろしさと醜悪さは否応に増し。

 何よりもその身に纏う平衡感覚を失わせかねない狂った雰囲気が、それが『精霊』等とは欠片も思い至らせない。

 何よりも思いたくなかった。

 

「―――つまり、新種のモンスターはアレをこの姿にするための、長い触手だったということか」

 

 ぽつり、と。 

 周囲に漂っていた恐れにた雰囲気を散らすように呟かれた声は、フィンのものであった。

 冷徹で冷静なその声音と、短くも落ち着いた言葉に浮き足立っていた者達の心が落ち着いていく。

 浮き足だっていた【ロキ・ファミリア】の心を、団長であるフィンの声が落ち着かせる間にも、件の『精霊の女』は笑い続けながら、アイズへと呼び掛け続けていた。

 

『アア―――アリアッ! アリアッ!! 会イタカッタッ! 会イタカッタッ!!』

「ッ、何で、どうして―――っ、違う―――私は―――」

 

 『アリア』と呼び掛けてくる『精霊の女』に、アイズは顔を横に震わせながらも、その瞳は動揺と疑問に揺れていた。

 周囲もまた、落ち着くと同時に『精霊の女』の言葉と視線がようやく頭に入り、疑問と戸惑いの視線をアイズへと向ける。

 ただ数人。

 フィンやリヴェリア、ガレスの三人は何か事情を知っているのか、アイズに視線を向けることはなく。

 顔を険しく歪めながら、『精霊の女』にだけその鋭い視線を向けていた。

 そして―――

 

『アハハ―――ネェ、アリア』

 

 疑問と戸惑いに警戒と、様々な思考が入り乱れるなか、アイズへと呼び掛け続けていた『精霊の女』がふと口を止めると―――。

 

『貴女ヲ―――食ベサセテ?』

 

 ―――にっこりと幼子のような笑みを浮かべた。

 

「―――総員戦闘準備っ!!」

 

 フィンの警戒の声と同時。

 『魔石』の献上のため集まっていた数十ものモンスターの生き残りが、一斉にフィン達ーーーいや、アイズへとその矛先を向けると襲いかかってきた。

 同時に周囲から聞こえてくる轟音は、壁を覆う緑肉が階層の出入り口を塞ぐ音。

 それを耳に、目にしたフィン達は撤退ができないことを悟る。退路を塞がれ動揺に意識を向かいかけた団員達だったが、それをフィンの一喝がその意思を強引に引き寄せる。

 

「来るぞッ!!」

「「「―――ッ!!」」」

 

 フィンの声に、各々が武器を構え襲いかかるモンスターの軍勢と対峙しーーー接敵。

 モンスターの体液が吹き上がり、咆哮が響く。

 50を越えるモンスターの群れは、黄緑の洪水となってフィン達へと襲いかかる。

 波打つ波音の代わりに、破鐘の咆哮を響かせ迫るモンスターに、フィン達は不壊属性(デュランダル)の武器を振り抜きその波を切り裂く。

 アイズもまた、未だ動揺に揺れる意識と早鐘を打つ心臓を意思の力で押さえ込むと、愛剣(デスペレード)を抜き放ちモンスターの群れへと飛び込んでいった。

 

「ッ―――圧力が!?」

 

 後方にてモンスターへ砲撃を放っていたレフィーヤが、レベル6であるフィン達でさえ一掃することができないモンスターの圧力に息を飲みながらも、次々に魔法を放っていた。

 しかし、不意にこの場にいる筈の一人の男の状況に思い至ると、慌てた声でその男を呼んだ。

 

「シロさんっ! あなた武器は―――」

 

 レフィーヤが覚えている限り、シロが武器を持っていた姿は見ていなかった。

 59階層へと続く連絡路を降りている時にも、バックパックさえ持ってはいなかった。

 あの時は、それを指摘する余裕がなかったが、それは今の状況を思えば致命的。

 レフィーヤが焦った様子で周囲を見渡すと―――。

 

「え?」

 

 シロが二振りの剣を振るいモンスターを倒す姿を目にした。

 先程まで―――少なくとも59階層へ降りるまでシロが武器を持っていなかったのは確かであった。

 もしやラウル達から武器を渡されたのかと思ったが、それも違う。

 何故なら、あの芋虫型のモンスターを切り裂きながら、シロの振るう剣は一切の損壊は見られない。

 ならば不壊属性(デュランダル)の剣の筈。

 しかし、こちらが用意できた不壊属性(デュランダル)の武器は全員今使用している。

 ならば、あれは?

 疑問が浮かぶ思考の中に、

 

「あの―――剣はっ!?」

 

 皆と混じって剣を振るっていた椿の喜色が混じった声が入り込む。

 その椿の声に、レフィーヤの記憶が呼び起こされる。

 嘆きの壁。

 死闘。

 オッタル(最強)の肉を切り裂いた二振りの剣。

 レフィーヤがそれに思い至った瞬間。

 それまでの思考を吹き飛ばすような鋭いフィンの指示を告げる声が上がった。

 

「レフィーヤ! 女体型を狙えっ!! ラウル達はレフィーヤの援護をっ、魔法を放つ直前に魔剣で取り巻きのモンスターを一掃しろっ!」

「―――っはい!!」

「了解っす!!」

 

 フィンの声に、思考を切り替え詠唱を始めるレフィーヤの周囲を、ラウル達サポーターが固める。

 体には何時でも使用できるように魔剣が装備されていた。

 

「合わせるっす!」

「―――っ!」

 

 護衛を務めるラウルの声に、その背中に向けて詠唱を続けながらレフィーヤが頷く。

 状況が進むなか、戦闘は更に激しさを増していく。

 モンスターの群れの圧力は未だ収まらない中、100Mは離れている筈の『精霊の女』も戦いに加わってきていた。

 巨大植物の下半身から生まれた無数の巨木の如き触手を振るい始めていた。

 その狙いは全てアイズへと向けられていたが、それらは目標(アイズ)へと届く前にティオナとティオネの二人が迎撃する。

 しかし、迎撃に成功する二人の顔は大きく歪んでいた。

 手に残る衝撃と痺れ。

 ここに来るまでに対峙した階層主(ウダイオス)逆杭(パイル)を容易に越える力に戦慄が走る。

 不壊属性(デュランダル)の武器で切り払った触手は、切り飛ばす処か傷一つついていない。

 (精霊の女)は未だ遠く、こちらからの有効な攻撃は一つも通っていない状況に、リヴェリアが魔法の詠唱のため声を上げようとする。

 

「まだだ」

 

 それをフィンが制する。

 リヴェリアが詠唱を始めるため開いた口を疑問へと変えフィンへと向ける。

 

「どういうことだ?」

「わからない―――ただ、何かが、来る」

 

 リヴェリアへ背中を向けたまま迫るモンスターを斬り倒しながら、フィンは疼く親指を槍にすり付けながら苦渋のこもった声で告げる。

 フィンの答えにならない声に、しかしその身に纏う雰囲気とこれまでの経験から、リヴェリアは反論することなく、幾度となく危機を救ってきた団長の直感を信じた。

 しかしそれは、これから何か恐ろしいことが起きると言うことでもある。

 これ以上何があるのか、とリヴェリアが杖を握りしめながら、警戒を込めた視線を『精霊の女』へと向けた時であった。

 アイズへと視線を向け、『アリア』と呼び掛け続けていたその口が、別の言葉を溢したのは。

 

『【火ヨ、来タレ―――】』

 

 涼やかな声で、奏でられたのは歌だった。

 しかしそれは、フィン達を絶望を告げる呪文()でもあった。

 

「っ―――うそでしょっ!?」

 

 ティオネが動揺のあまり、眼前のモンスターから『精霊の女』へと向けてしまう。

 そしてそれはティオネだけでなく、他の団員達も同じ。

 

「何で、モンスターが詠唱をっ!!」

「魔法が、来るっすっ!?」

 

 驚愕と動揺が広がるなか、『精霊の女』の足元(根本)から巨大な魔方陣が広がった。

 紅い燐光と共に広がるその魔法陣(マジックサークル)の巨大さは、これから振るわれる魔法の威力の桁違いさを強制的にフィン達へと告げていた。

 

「リヴェリアッ!! 結界を張れッ!!!」

 

 フィンの冷静さをかなぐり捨てた声が上がる。

 その声が上がる前に、リヴェリアは既に結界のための詠唱を始めていた。

 

「【舞い踊れ大気の精よ―――】」

 

 リヴェリアが詠唱する間も、フィンの指示は続く。

 

「何としてでも詠唱を止めさせろッ!」

 

 フィンの声と同時に、事前に詠唱を始めていたレフィーヤが呪文を完成させ、それと同時にラウル達が準備していた魔剣を振り抜いた。

 

「【ヒュゼレイド・ファラーリカ】ッ!!」

 

 レフィーヤの魔法による数百もの炎の矢と共に、魔剣による一斉掃射が放たれる。

 魔法と魔剣による光が一帯を染め上げる中、破壊の矛先を向けられた『精霊の女』は、詠唱を続けながらその目を笑みの形に歪めると、下半身に備わった10枚の巨大な花弁を正面に―――迫る魔法へと向けた。

 直後、魔法が着弾。

 閃光と爆音が響き、衝撃と共に周囲に土煙が広がった。

 視界を塞ぐ土煙に目を細め、破壊の中心へと視線を向けるフィン達の前で、大きく土煙が歪んだ。

 

「っ―――あれで、無傷?!」

 

 誰の声だったのか、その驚愕の声は全員の思いでもあった。

 ゆっくりと前方へと移動させていた巨大な花弁を元の位置へと戻しながら現れた『精霊の女』の身体には傷一つなく。

 それどころか盾となっていた広げられていた花弁にすら破壊された跡などは見受けられなかった。

 勿論のこと、『精霊の女』の口は未だに詠唱を続けており、吹き上がる紅い魔力光の強さは強まり続けている。

 

「間に―――合わないっ!?」

 

 苦しげに歪んだフィンの口許から、悔しげな声が漏れる。

 

『【猛ヨ猛ヨ猛ヨ炎ノ渦ヲ紅蓮ノ壁ヲ業火ノ咆哮ヲ突風ノ力ヲ借リ世界ヲ閉ザセ―――】』

「【舞い踊れ大気の精よ、光の主よ―――】」

 

 『精霊の女』の詠唱と平行してリヴェリアの詠唱が続く中、レフィーヤ達の魔法の一斉射が防がれてフィン達は立ち竦んではいなかった。『精霊の女』の詠唱は止められはしなかったが、周囲のモンスターは吹き飛ばすことはできた。出来た空白(チャンス)を逃がす程愚かではない。フィンが指示するまでもなく、アイズがティオネがベートが直ぐに直接『精霊の女』へと襲いかかった。

 しかし、レベル6の猛者達の猛攻は、『精霊の女』の振るう無数の触手によって阻まれることとなった。

 一体何本あるのか。

 モンスターの護衛がいなくなった事など問題ないとばかりに。

 それどころか、邪魔がいなくなったとばかりに数と勢いを増し振り回される無数の触手は、アイズたちの攻撃を迎撃する処か、魔法を詠唱するリヴェリアの援護のため引き帰えさなければならない程に激しいものであった。

 

「―――っ、総員、リヴェリアの結界まで下がれっ!!」

 

 そして遂にフィンは決断した。

 『精霊の女』の詠唱を止める事は不可能と判断し、未だに触手の群れを相手にするガレス達に向かって苦渋に染まった声を上げた。

 触手の鞭を切り払い、忌々しげに詠唱を続ける『精霊の女』を睨み付けるも、直ぐに意識を切り替えるように首を振ったガレスは、大きく一歩前に出ると共に斧を地面に叩きつける。

 局地的な地震と共に大量の土砂が間欠泉の如く吹き上がり。響き渡る衝撃と轟音に触手の動きが戸惑ったように一瞬その動きを止めた。 

 その生まれた僅かな間隙で、示し合わせたように前線を務めていたベート達が後方へと一斉に下がっていく。

 そして、殿を務めていたガレスがリヴェリアの背後へと辿り着くと同時、詠唱が完成した。

 

「【大いなる森光の障壁となって我等を守れ―――我が名はアールヴ】!」

 

 杖を掴んだ右手を突きつけるように前に出し、未だ詠唱を続ける『精霊の女』へ対峙し、リヴェリアは自身の使える魔法の中で、最も秀でた防御魔法を展開した。

 

「【ヴィア・シルヘイム】!!」

 

 淡い翡翠色の光を放っていた魔法円から、一際強い輝きが放たれると共に、緑光がドーム状に展開し術者であるリヴェリアを含んだ14名の全てを包み込んだ。

 魔法だけではなく、物理的な力にも作用する絶対防御。

 リヴェリアの絶大な魔力によって展開されるそれは、これまでにも数多くの脅威から自身を、仲間を守ってきた。

 この『結界魔法』には自負がある。

 それだけの功績を積み上げてきた。

 しかし、仲間を背に、敵と対峙し杖を握るリヴェリアの頬には、一筋の汗が流れていた。

 その胸には、言い様のない焦燥が募っていた。

 

 ―――そして、『魔法』が放たれる。

 

 リヴェリアが結界を展開するのに合わせるかのように、詠唱を終えた『精霊の女』が、微笑みと共に完成した魔法の名を唱える。

 

『【ファイアーストーム】』

 

 瞬間、世界が紅に染まった。

 前方から襲いかかってきた炎はあまりにも大きく巨大で、一瞬にしてフィン達の視界は赤へと変えられる。

 『精霊の女』が放った魔法は、周囲にまだ生き残っていた他のモンスターを飲み込むだけでなく。広大な『ルーム』の全てを包み込んでいた。

 理知外の威力と範囲。

 結界を支えるリヴェリアの目は見開かれ、歯は砕けんばかりに噛み締められている。

 燃やし砕かんと押し寄せる炎の津波の衝撃の程を物語るように、強固である筈の結界が震えていた。

 それを支えるリヴェリアもまた、がくがくと身体を震わせながら、両手で握りしめる杖に寄りかかるように立っている。

 

「っ―――これは」

 

 フィンの口から知らず焦燥に濡れた声が呟かれた。

 親指の疼きがなくともわかってしまった。

 耐えられない、と。

 フィンのその思考を肯定するかのように、美しい緑光による絶対の障壁に亀裂が走り始めた。

 

「―――うそ、でしょ」

 

 周囲から聞こえ始めた恐怖と不安が入り交じった声と共に、結界に罅が入る音は加速度的に増えていく。

 前方から濁流となって結界へとぶつかってくる炎の勢いからは衰えた様子は見られない。

 間もなく訪れるだろう確実な未来に、フィン達の顔が歪む。

 動揺と恐怖が広がるなか、フィンは睨み付けるように結界の向こうに見える炎の先にいる『精霊の女』に視線を向けたまま思考を回し続ける。

 結界が耐えられる時間。

 破られた際の被害。

 各自の耐久力と負傷状況。

 反撃か逃走か。

 様々なデータが脳裏を巡り、今後の対応を考え抜く。

 上がる結果はどれも最悪で、下手をしなくとも全滅すら有りうる。

 しかし、絶望はしない。

 瞳に宿る光に陰りはなく。

 絶望の先の光の欠片を見いださんと、歯を食い縛りながら思考を続ける。

 1秒がその数十倍に引き伸ばされたかのような感覚の中、頭が熱を発し湯だる脳と思考で僅かな可能性すら残さず考え抜くフィンの耳に―――

 

 

 

「フィン―――すまないが手を出させてもらうぞ」

 

 

 ―――イレギュラー(思考の外)からの声に一瞬意識が空白となった。

 

「っな」

 

 思わず漏れた声には、隠しきれない動揺が混じっていた。

 完全に思考から抜け落ちていた。

 忘れられない、忘れてはいけない存在であったにも関わらず。

 半日もない。

 僅か数時間の付き合いでしかないため、通常なら仕方がないですませられたかもしれないが、この男はあまりにも異常だった。

 だから、常に目を意識を向けていた。

 しかし、ここ(59階層)での怒濤の異常事態のあまりに、何時の間にか自身の意識から外れてしまっていた。

 58階層までの道行き(ガレス達と合流する前)と58階層、そしてここ(59階層)で起きた戦闘では、確かにレベル1とは明らかに隔絶した戦闘力を見せてはいたが、ガレスから聞いた程のものは感じられず、最初に向けていた警戒心は薄まり。そして、ここでの状況の変化のあまり何時しか意識から外れてしまっていた。

 そんな意識外からの(シロ)の声に、動揺しその言葉の意味を捉えられず硬直してしまった間も、事態は容赦なく進行していく。

 

「―――っ―――フィンっ、もう―――」

 

 普段聞くことのない、切羽詰まったリヴェリアの声がフィンの意識を瞬時に再起動させる。

 はっ、と顔を向けた先では、杖にすがり付くようにして、何時しか地面に膝をついたリヴェリアがいた。

 罅の入っていた結界は既に古びた器のように隙間のような穴が空き、そこから尋常じゃない熱が熱波となって吹き込んでいる。

 咄嗟に顔を片手で防ぐが、隙間から叩きつけるように吹き込む熱波が顔を焼く。

 それでも僅かに開けた目の先で、風で煽られはためく赤い外套が見えた。

 

「―――っ―――ッ―――」

 

 吹き付ける熱波は時と共に更に激しくなり。

 それを示すかのように緑光の結界の放つ光は陰り、軋みを上げる音は更に甲高く悲鳴を上げる。

 何を言おうとしたのか、開いた口は一瞬で焼き付けられ枯れた声では自分の耳ですら何も形として聞こえなかった。

 そしてそれは、最前に立つリヴェリアも同じであり、更に状況は深刻であった。

 全身に叩きつける熱波は最早炎と変わらず。

 全身が燃え上がっていないことが不思議でならないほどであり。

 目どころか口を開く事も出来ず。

 吹き付ける炎の如き風と結界の破砕音で耳は閉じられてしまっていた。

 最早結界を維持することは不可能。

 既に限界は突破しており、次の瞬間には砕けてしまう。

 そして、一際強い破砕音と共に炎の濁流が結界を越えたことがわかり。

 

「―――ッ、ガレス!! アイズた―――」

 

 衝撃に身体が飛ばされながらも、焦熱に身を、喉を、声を燃やされながらも叫んだ声は―――しかし、

 

 

 

「―――後は、任せろ」

 

 

 背を何かに支えられ、耳元で囁かれるようにそう告げた声が聞こえた瞬間。

 

 

 

「―――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)」 

 

 

 

 花が―――

 

 

 

〝熾天覆う七つの円環”(ロー・アイアス)―――ッ!!」

 

 

 

 ―――咲いた。

 

 

 

 その時、リヴェリアは見た。

 全身に叩きつけていた焦熱が何かに遮られた瞬間。

 僅かに開いた目と視界の先。

 世界を燃やし吹き飛ばさんと迫る焦熱の前に立つ赤い背中を。

 赤い外套をはためかせ、揺るぎなく立つ彼が、迫る炎の濁流に向けて突きだした手から現れたそれは、まるで何かの蕾のように見えて。

 それが間違いでなかったとわかったのは、直後だった。

 七つの花弁を花開かせたそれは、間近まで迫っていた炎を押し返しながら見事に咲き誇った。

 何時しか地面に座り込んでいたリヴェリアは、熱により霞む視界の中、仰ぎ見るように先に立つ背中を見入られたように見つめていた。

 あれほどまで荒れ狂っていた地獄のような焦熱は最早感じない。

 叩きつけるような風すらなくなった凪ぎの中、聞こえるのは光輝く七枚の花弁に叩きつけられる炎の濁流の衝撃音だけ。

 何が起きているのか、現状がどうなっているか等といった思考は欠片も思い浮かばず。

 ただ呆けたように座り込んでいたリヴェリアの耳に、シロの声が聞こえた。

 それは、フィン達にも、この炎の向こうにいる『精霊の女』にも伝えているかのような。

 宣言じみた。

 声と―――言葉であった。

 

 

 

 

「―――ここからは、オレが相手となろう」

 

 

 

 

 

 




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第五話 この世あらざるもの

 

 

 ただ、見惚れた。

 

 

 

 絶対の筈のリヴェリア様の結界が罅割れ、砕け。

 吹き込む風が突風となり、熱を孕み焦熱として吹き寄せる。

 時と共に絶望は加速度的に心を侵し。

 身体と共に心も焼け焦げ。

 思考すら砕け、ただ来るだろう避けられない未来(炎の嵐)を幻視し。

 地面に座り込み、すがるように杖を抱き締めていた私の前に、炎ではない赤が見えた。

 吹き付ける焦熱を前に、一切揺らがず前を行く背中。

 赤い外套をはためかせながら、前へ―――結界を維持するリヴェリア様の更に先へ。

 そうして、誰よりも前へと歩んだあの人が、砕けゆく結界へと向けて片手を向け―――花が、咲いた。

 光で出来た七枚の花弁。

 それが花開くように、押し寄せる炎の嵐を押し返しながら広がっていった。

 リヴェリア様の結界すら破壊した、埒外の威力のあの炎を。

 押し返すだけでなく、彼の張った()()は渦を巻く炎を受け止めきっていた。

 その、余りの出鱈目さに。

 その、何処かの英雄譚の一節のような光景に。

 その、まるで光で出来たかのようなその(結界)に。

 

 ただ、見惚れた。

 

 あれほど荒れ狂っていた焼けた風は、今やそよ風程度も感じられず。

 僅かに肌を震わせるのは、割り砕き燃やさんとする炎を受け止める光の花弁が受ける衝撃故か。

 誰一人、あれだけ反発していたベートさんすら、憎まれ口どころか、呆然と目を見開き声一つ上げてすらいない。

 あの歴戦の団長達すら、この光景に目を奪われている。

 今や、先ほどまでの絶望は遠く。

 それどころか、まるで私たちは舞台から下ろされた役者のように、シロさんの後ろ姿(新たに舞台に上がった主役)をただ見つめていた。 

 そんな奇妙な疎外感のような感覚を感じていた時であった。

 ピシリ、と何かに亀裂が入ったかのような音が響いたのは。

 それを耳にした瞬間、リヴェリア様の結界に損傷が生まれた状況を思いだし、慌てて目の前に広がる花弁に視線を向けた視界に、それが映った。

 

「―――っ、そんな!?」

 

 光輝く七枚の花弁の内一枚に、確かに亀裂が入っていた。

 それに気付いたのは私だけではなく、周囲からも先ほどまでの灼熱の地獄を思いだし恐怖が入り交じった声が漏れ聞こえてくる。

 ガレスさんがリヴェリア様の結界が破壊される直前に用意していた盾を構え直し始め。アイズさん達がそれぞれ武器を握り直し、また来るだろう焦熱に身構える中。

 私もまた、再び来るだろう炎に崩れ落ちそうな身体を必死に耐えながら歯を食い縛った。

 だけど、そんな私たちの覚悟は、彼の上げた声により梯子を外されてしまう。

 

「―――流石は『精霊』といったところかっ……()()は抜かれてしまうな」

 

 炎の嵐を受け止める衝撃は、やはりそれだけのものがあるのだろう。

 彼の声には耐えるような苦しげなそれが感じられたが、だけど、それだけだった。

 あの時、声を上げたリヴェリア様に感じられた焦燥は何処にもなく。

 何処か余裕すら感じられるその声音に、私は―――私達が動揺する間に、永遠に続くのではと感じられた炎の嵐の勢いが―――。

 

「っ―――炎が」

 

 アイズさんの声を切っ掛けにするように、炎の勢いが明らかに弱まっていく。

 急速に光の花弁が受け止める衝撃と炎の勢いが弱まり、周囲の光景がうっすらと見えてきて。

 そして、遂に罅が入っていた一枚の光の花弁が割れ砕けた音と共に、周囲に渦を巻いていた炎の姿が消え去っていた。

 

「終わった、の?」

 

 ティオネさんが、何処か呆気にとられたような声を漏らしながら周囲を見渡す先では、花弁の一枚が砕けても未だ健在な(結界)の向こうに『ルーム』中に広がっていた筈の密林の姿は消え去っていた。

 その光景に、『精霊の女』の魔法に恐怖すればいいのか、それともそれを受け止めきった彼の()()()()を驚けばいいのか分からず。混乱の余り私の心は不自然なほどに穏やかにすら落ち着いていた。

 それは私だけではないようで、ラウルさん達も何処か気の抜けた顔をしている。

 ただ、やっぱり団長達は私たちとは違って、その顔には未だ緊張感と戦意で厳しく引き締められていた。

 だけど、そんな風に周囲の様子を伺っている暇や心地なんて、あっという間に消え去ってしまうことになる。

 だって、私の耳に、また聞こえてしまったのだ。

 

『【地ヨ、唸レ―――】』

 

 魔法執行直後には、その放った魔法の威力に準じた硬直がある。

 そんな、無意識にまで染み込んだ魔導師だからこその常識ゆえの思考の硬直を突くように、間をおかず再詠唱を始めた『精霊の女』の姿に私だけでなく、団長達すら凍りついてしまう。

 

『【来タレ来タレ来タレ大地ノ殻ヲ宝閃ヨ星ノ鉄槌ヨ―――】』

 

 でも、それも一瞬。

 直ぐに事態を理解し、武器を手に詠唱を止めるため駆け出そうとするアイズさん達。

 だけど、無理だ。

 魔導師だからこそわかってしまう。

 詠唱文が先程よりも少ない。 

 それはつまり、それだけ早く詠唱が終わってしまう。

 確かに周囲に他のモンスターはいないけれど、無数の触手や花弁の盾は健在だ。

 さっきも止められなかったのに、今のこれを止められる筈がない。

 何処か他人事のように、冷静な自分が頭の中で告げる中、それでも私は間に合わないとわかっても詠唱のため口を開こうとする。

 でも、どちらを?

 攻撃魔法か、それとも気休めしかならない、それどころか間に合わないかもしれない結界魔法?

 迷いながらも、口は動く。

 無意識のまま選んだ声が最初の一文を形作る―――その直前。

 

『【代行者ノ名ニオイテ命ジル与エラレシワ―――バッ??!!?】』

 

 『精霊の女』が吹き飛んだ。

 

「「「はぁっ!??」」」

 

 同時に、駆け出そうとしていたアイズさん達の足が思わず止まり、その口からは揃って動揺や驚きが入り交じった混乱した戸惑いの声が漏れて。

 それは私も同じだったけど、直ぐに私の目は反射的に、彼へと向けられていた。

 そして、それは正解だった。

 

「ゆ、み?」

 

 背中しか見えない彼の手には、構えられた黒い大きな弓の姿が。

 その弦は細かに揺れていて、今まさに矢を放ったと告げていた。

 瞬間、私はなんの疑問も浮かばず、彼がやったのだと理解した。

 矢を放ち、あの『精霊の女』を射ち砕いたのだと。

 

「シロ、っ―――君は」

 

 団長が彼の背中へと何かを言おうとしたけど、それよりも彼の行動の方が早かった。

 弓を下ろす彼の腕が背中で隠れた一瞬、直後見えた彼の()()には、あの双剣の姿があった。

 あれだけ大きな弓は何処に。

 剣は何処からといった疑問が浮かぶが、そんな疑問が晴れる前に、彼は駆け出していった。 

 

「―――っ!?」

 

 誰が、何を言おうとしたのか。

 それはわからない。

 彼が駆け出すと共に、それに立ち塞がるように地から沸きだした触手の群れによる地面を割り砕く音がそれを掻き消してしまったから。

 彼の前に左右に、取り囲むように現れた触手は、その矛先を彼へと目掛け降り下ろしていく。

 一本一本が巨木の如く太いそれが、数十も集まったことにより、最早壁となった触手の塊が彼へと目掛け襲いかかる。

 開いた私の口から出ようとしたのは、悲鳴だったのか、それとも警告の声だったのか。

 意識するよりも先に口から出ようとした言葉は―――

 

「―――あ」

 

 形とならずただ、息となって消えていくことになった。

 彼は、自身へと落ちてくる巨壁のごとき触手の群れを、片手に握った双剣の一振りを文字通り横に一閃させることで切り払ってしまったのだ。

 私だけじゃない。

 触手の固さを知るがゆえに団長達が受けた衝撃は私以上だったのだろう。

 動き出そうとする姿のまま、目を見開き切断された触手が地面へと落ちていく向こうを駆けていく赤い背中を呆然と見送っていた。

 しかし、やはりそこは都市最強と語られる【ファミリア】。

 切り払われた触手が地面に落ち、周囲に轟音と衝撃が広がるその僅かな間で気を取り直すと、直ぐさま指示を出し始めた。

 

「っ―――ガレスっ! 前衛を率いてシロの援護へ向かえっ!! リヴェリア達はラウル達と合流し補給と援護をっ!!」

「は、はいっ!」

「わかったっすッ!?」

 

 反射的に返事を返しながらも、視線は『精霊の女』へと走り行く彼の背中を追っていた。

 地面に落ちた触手の一部が巻き上げた土煙であまり視界が良くはない上に、また沸きだしてきた触手によりもう彼の姿は見てとれなくなっている。

 

「って―――えっ?! アイズさんっ!?」

 

 そんな私の目に、団長の指示よりも先に飛び出していったアイズさんの後ろ姿が見えた。

 アイズさんはシロさんにより触手が切り払われ、新しい触手が沸き出てくる一瞬の間を突くようにして、もう新しく現れた触手の群れの向こうにその姿はあった。

 

「なっ!? アイズ何をしているっ!?」

「あの馬鹿っ!! 一人で突っ走りやがってっ!!」

「あ~ん―――もうアイズったら早すぎだよっ!?」

 

 私のその声で団長達もアイズさんのことに気付いたのか、口々に罵声やら文句を口にしながらも、新たな触手へ向けてベートさんたちが挑み掛かる。

 だけどやはりあの『精霊の女』の触手は他とは違い、ベートさんたちですら容易に越えられる代物ではなかった。

 では、それを容易に、ただ横に一線するだけで切り払った彼は一体―――。

 確かに、あそこ(嘆きの壁)階層主(ゴライアス)を左右に真っ二つにするところは見た。

 けれど、やっぱり現実感に乏しく感じられる。

 何処か、ふわふわとした感覚を感じている間でも、戦いは続く。

 

「っ―――このっ! クソッたれがっ!!?」

「っっ!!? やっぱり固いっ!?」

「ふんっ!!」

 

 ベートさんとティオネさんが複数の触手にそれぞれ攻撃を仕掛けるが、激しい衝突音は響くけれどもただそれだけだった。

 折れる様子も切られた様子も見られない、その余りの耐久力に苛立ちを隠せないベートさんが、その不満をぶつけるようにして周囲の触手に躍り掛かる。

 その無謀にも見える動きを―――

 

「どりゃああああぁぁぁっ!!」

 

 ガレスさんの振るう斧が断ち切った。

 

「―――っ!?」

 

 ベートさんが殴り付けようとしていた触手だけでなく、周囲にあった数本の触手も同時に切り飛ばして見せたガレスさんは、未だ周囲で蠢く数十もの触手を威嚇するように睨み付けながら口を開いた。

 

「お前達はさっさと行けっ! アイズを一人にさせるなっ!?」

「っ、何を言って―――」

「もうっ! 突っかかっている場合じゃないでしょっ! 行くよっ!!」

「っ―――うるせぇ!」

 

 ティオネの言葉に反射的に威嚇するも、ベートは不満げな視線を触手の群れへと斧を振るうガレスを一瞥したのち、アイズを追うため地面を蹴った。

 

 

 

 

 

「―――やっぱり、厄介」

 

 思わずアイズの口から愚痴めいた言葉が溢れてしまう。

 そこらのモンスターならば、剣の一振りで容易に蹴散らすことが可能なのに、ただの無数にある触手の一本にもそれを攻略するのに少なくない時間が掛かってしまう。

 今もようやく、同じ位置に数十もの斬撃を打ち込むことでようやく一本の触手を攻略することが可能となっていた。

 そんな自分に対し、今も『精霊の女』へと目指し駆けていく彼が、前を遮るように現れた触手に対し両手に握った双剣のどちらかを振るえば、その時には妨害のため固まっていた触手がまとめて切り飛ばされていた。

 技か、身体能力か、それとも武器か?

 アイズの直感は、9割り武器だと結論していた。

 シロが振るう左右一対であろう双剣。

 あれが、異常だ。

 気付けば、何故気付けなかったのかと呆れるほどに、その剣は違った。

 私たちの知るどの剣とも―――武器とも違う。

 その存在感。

 雰囲気とでも言うのか。

 まるで英雄譚で語られる精霊が武器と化したそれのような。

 意思すら感じられそうな存在感。

 アイズの脳裏に、ガレスの言葉が蘇る。

 

『―――異常なのは奴だけではなかったな。剣だ。奴が振るっていた双剣こそが、あのオッタル(最強)を追い詰めた』

 

 オッタルと対峙した彼が振るったと聞いた双剣こそ、今シロがその両手に握る双剣であると確信する。

 

「―――っ、抜けるっ?!」

 

 触手の群れをどう越えて彼の下まで行こうかと思考していたアイズの目に、後を追っていた彼の姿が触手の向こうに消えていく姿が映る。

 自分が触手の群れの対処に手間取っている内に、彼は既にその更に先へと行こうとしていた。

 援護のために飛び出していながら、彼の近くに行くどころではない自分の弱さに、知らず歯を噛み締めてしまう。

 しかし、そんなアイズの感情など知ったことかと言うように、触手の群れによる攻撃はその激しさを増していく。

 滅多矢鱈に触手を振り回すその様子からは、まるでパニックに陥った子供が恐ろしい何かを近づけさせないように暴れているかのような雰囲気すら感じられた。

 無秩序に振り回されるそれは、聞けば対処が容易に感じられるが、振るわれ暴力の規模が違い過ぎる故に、冷静に考えられて振るわれる暴力よりもある意味質が悪い。

 ただ振り回される数十もの巨木の如き触手の群れが、自分目掛けて空気を切り裂いて襲いかかってくるのを目にしながら、アイズは食い縛った歯の隙間から苛立ちが混じった声を漏らした。

 

「―――邪魔、しないでっ!!」

 

 

 

 

 

 それは、理解できなかった。

 無数にある己の触手。

 その強固さは、具体的にどれ程のものかは知らずとも、獣が己の牙に疑いを持たないように、本能的に自身のそれが慮外のものであるとわかっていた。

 だからこそ、そんな触手(自信)をただの一振りでもって切り裂くその存在がわからなかった。

 ただ、それ(理解不能)が自分へと迫り、そして殺そうとしているのだけはわかる。

 故に、振るった。

 迫り来る不快で恐ろしく、忌々しいそれを、地中にある触手の全てを引き上げ振り回す。

 でも、それでも―――止まらない。

 止められない。

 もう、それは直ぐそこまで来ていた。

 間近。

 この距離とそれの速度ならば、数秒もしない内に届きかねない。

 ああ、なんと恐ろしい。

 ―――しかし、と。

 鼻下まで再生していた身体で、その口を歪に笑みの形に変える。

 

『―――残念、ソコハ行キ止マリ』

 

 歪んだ。

 それは子供が悪意のないまま―――悪意を理解しないまま蟻の巣に水を流し込むような心地で笑みを浮かべ、必死に迫ってくるそれに告げた。

 直後、それの目の前に地中から新たな触手が立ち上がる。

 自分の身体から別れた触手―――とは違うそれは、自身の操るそれ以上に強固なるもの。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 襲いかかってきた幾つもの魔法から自身を守り抜き、欠片一つすら落とさなかった自慢の花びら()よりも強固なる無数の触手が集って出来た不壊の壁。

 絶対の自信をもって、それの前に立ちふさがらせる。

 同時に、それの左右、そして背後に自身の操る触手を持ち上げる。

 触手の壁を前に、攻略することが出来ず足を止めるだろうそれを一気に押し潰すために。

 どうやって自身の触手を切り払っているかはわからないが、対処を越える全方位からの一気多量の触手による打撃は、耐えられないだろうと、浮かべる笑みを更に深く。

 だから、触手で出来た壁(絶対の盾)触手(絶対の矛)に囲まれてしまう一瞬、それが前へ―――触手の壁に向けて何かを投げつけたことに、再生し始めた目で見た時も特に何も思わず。

 ただ、次に起きる立ち往生してしまったそれが、触手によって叩き潰される際にどんな声を上げるのかと残酷なまでに無邪気な笑みを浮かべ――――――

 

 

 

「―――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 

 

 

 

 ―――砕けた。

 

 口許に浮かべていた笑みは、絶対だと信じていた彼女の触手による盾(絶対の盾)が轟音と共に砕け散ると共に崩れてしまった。

 浮かべていた笑みは、あっけにとられたように開かれた口により間抜けに崩れ、再生しきった目も同じく眼前の光景が信じられず丸く。

 目の前で起きた光景が信じられず、理解できず。

 意識が空白に陥った間にも―――世界は動く。

 事態は続いている。

 それを理解させられたのは、それ(恐怖)が砕け散った触手の破片と舞い上がった土煙の中から飛び出して来るのを目にしたとき。

 

『―――ヒッ』

 

 直ぐに迎撃しなければならないのに、口から出たのは短い悲鳴。

 ただ傲慢に、無邪気に、狂っていた思考に―――確かな恐怖が刻まれていた。

 

『ッ―――ヤダッ!!?』

 

 ただただ幼子のように、恐怖と忌避が混じった声を上げても、とまるようなそれ(恐怖)ではなかった。

 それ(恐怖)は、何かを持っていた。

 自身の中の何かがそれ(恐怖)が持っているそれを特に恐れているのを感じる。

 

『止メテェッ!!!?』

 

 遂に、それ(恐怖)がここまで到達した。

 地面との境。

 最も太く強固なはずのそこ()にするりとそれは入り込み。

 何の停滞もせずにすり抜けていくのを感じた。

 と、同時に視界が意思とは別に移動していく。

 まるで内部で何かが破裂したように、大きく抉れた痕を見せる触手の壁の残骸から、『ファイヤーストーム』の効果範囲から外れていたため、生き残っていた緑肉が張り付いた天井へ。

 そして『ファイヤーストーム』によって燃やされてしまったため、緑肉で封じていた筈の連絡路のぽっかりと空いた穴。

 それが、何度も連続して順に見える。

 何度も繰り返す内に、理解した。

 自分がくるくると上下に回っていることに。

 

『ヒ―――ア―――ハッ』

 

 開いた口は何を言おうとしたのか。

 悲鳴か、魔法か、それとも笑いか。

 結局それは形になることはなく。

 切断され中空を回っていた身体が地面へと叩きつけられることでその機会は奪われてしまった。

 

『ア―――ァ―――アア』

 

 地響きを立て落ちたそこで、朦朧とする意識。

 埒外の事態と状況に歪んではっきりしない意識は、しかし、立ち昇る土煙の中に、人影(赤い恐怖)が浮かぶことで沸き上がった恐怖とともに確と固まる。

 

『ヒ―――嫌、ヤメ、テ』 

 

 ただ、そうであっても口からは迎撃のための詠唱は流れず、ただ胸の奥から吹き上がる恐怖から生まれた悲鳴と嫌悪の声しか上がっては来ない。

 近付いてくるそれ(赤い恐怖)から逃れるように、地面から切断され蛇のような下半身となったそれで攻撃するのではなく。無様に手を汚しながら土を掻く腕に合わせうねらせて、少しでもそれ(赤い恐怖)から逃れようとするだけ。

 心は既に恐怖に染め上げられ。

 先程まであった驕りにも似た無邪気なものは欠片もない。 

 ただただ、目の前の理不尽(恐怖)に対する疑問に思考を埋め尽くされていた。

 

 ―――ドウシテ?

 

 ―――私ハ、タダ空ヲ見タイダケナノニ

 

 ―――『アリア』ト一緒ニナリタイダケナノニ

 

 ―――何デ、私ヲ苛メルノ?

 

 ―――ドウシテ、私ヲ殺ソウトスルノ?

 

 ―――嫌ダ

 

 ―――嫌ダ

 

 ―――死ニタクナイ死ニタクナイ死ニタクナイ死ニタクナイ死ニタクナイ死ニタクナイ死ニタクナイ

 

 ―――空ヲ風を大地ヲ感ジタイ

 

 ―――邪魔ナ蓋ヤ障害ヲ全部壊シテデモ

 

 ―――空ヲ

 

 ―――モウ一度……

 

 

 

 

 

 握った双剣の残った片割れを強く握りしめる。

 牽制―――確認の意味を合わせて放った矢で単純に斬っただけでは死なない事はわかっていた。

 だから、剣を打ち込み、内部から破壊しようとしていた。

 そのため、ゆっくりとだが、離れていくその姿を見ても止めるための対策等は取らなかった。

 ただ、巻き込まれない位置まで下がった瞬間を逸さないために、また、奇襲がないよう油断なく周囲を伺っていた。

 だから、後ろから迫っている彼女のことには気付いていた。

 彼女がそのまま攻撃するとしても、彼女の攻撃範囲ならば十分止めを刺せるため、もし『精霊の女』に攻撃を仕掛けても止めるつもりもなかった。

 そのため、自分の横を通りすぎた時も気にしなかった。

 流石に、こんな事は予想できなかったからだ。

 

「――――――何のつもりだ?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 シロの横を通りすぎたアイズは、そのまま勢いで『精霊の女』に襲いかかるのではなく。即座に反転してシロに向き直ると、まるで『精霊の女』を守るかのような位置に立っていた。

 

「っ、少しだけ、待って」 

「待て、だと?」

 

 黒い剣(莫耶)を握ったシロは、アイズと共に『精霊の女』を視界に収めた目をすっと細める。

 その視線と身体から立ち上っている鋼の如き殺気に身をすくませながら、アイズはちらりと視界の端に映った『精霊の女』に意識を向けた。

 

「彼女に、聞きたいことが」

「無理だ、わかっているだろう。それは狂っている。まともな答えなど聞けはしない」

 

 アイズの胸に宿った疑問。

 これまで抱いていた疑問の答えが。

 それそのものでもなくとも、何かのヒントになるかもしれない言葉が聞けるかもしれない。

 しかし、そんな儚い希望は、シロの他を寄せ付けない言葉により一刀両断される。

 

「でも―――」

「問答するつもりは―――」

 

 易々と受け入れられない事は最初からわかっていた。

 アイズとしても、最初からこんなことを考えていたわけではない。

 ただ、砕けた触手で出来た壁の向こうへと、立ち昇る土煙を越えた先に見えた地面へと落とされ怯える『精霊の女』と、止めを刺そうとするシロを目にした瞬間、気付けばこんな状況になっていたのだ。

 普段の自分なら絶対にしないこと。

 いや、考えすらしない行動に出てしまったのは、やはり今も動揺に震えるこの心のせいなのか。

 自分の事だからこそ、わからないままアイズはシロの前に立ち塞がっていた。

 

 

 

 もしもの話だ。

 if(もし)の話だが、『精霊の女』が放った『魔法(ファイヤーストーム)』に、リヴェリアの結界魔法が破壊された時、その場にシロがいなかったとしたら。

 アイズは絶対にこんな事(『精霊の女』に話を聞こう)はしなかっただろう。

 何故ならば、『ファイヤーストーム』によって味方は蹂躙され、全滅間際の状態。

 例え奮起して『精霊の女』に挑むとしても、無数の触手と絶対防御の花びら()の上に、連続して魔法を行使できる化け物を相手にするのだ。

 話をする等といった余裕など生まれる筈がない。

 必死で、無心で『精霊の女』を倒そうとしていただろう。

 しかし、そんなif(もしも)は現実にはなく。

 アイズが目にしたのは、自身の疑問を晴らせられるかもしれない弱々しく追い詰められた『精霊の女』。

 これがただのモンスターならばアイズも話を聞こうとは欠片も思わなかっただろう。

 しかし、相手はただのモンスターではなく狂っているとはいえ『精霊』であった。

 自身の起こした自分でも疑問に思う行動。

 自分の身体に流れる『血』をざわめかせる存在(精霊の女)

 【ロキ・ファミリア】の精鋭を蹂躙した(精霊の女)を容易に追い詰めたシロの異様。

 アイズはいつになく不安定であった。

 だから、それに気付けなかった。

 そして、気付けたのは常に周囲を警戒していたシロだけだった。

 だからこそ、その悲劇は起こってしまった。

 

「―――アイズッ!!?」

「ぇ?」

 

 シロが唐突に、何の前触れもなくアイズへと迫り、その身体を掴んだかと思った瞬間。

 アイズの身体は前へ―――シロの後ろへと投げつけられていた。

 意識の隙間を突くような唐突な行動と状況の変化に、アイズは地面に転がる衝撃で自分が投げ飛ばされたのだとそこでようやく気付いた程であった。

 だから、その瞬間を目にしたのは、ようやく触手の群れを突破し、シロが砕いた花びらの向こうから姿を現したベート達だけであった。

 そう、その瞬間を。

 シロがアイズの身体を後ろに投げつけた瞬間。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のを見たのは。

 そしてその飛び出してきたナニか(切断された『精霊の女』の根)が、シロを飲み込みながら切り飛ばされていた『精霊の女』の上半身を食らう姿を。

 

「ッ―――シロッ!?」

「そんなっ?!」

「ッ―――何やって!?」

 

 視界を塞ぐ土煙を抜けた先で見た光景。

 シロが地中から現れた何かに飲み込まれるその姿を、レベル6故の常人とは隔絶した目であるからこそ見間違えることはなかった。

 確かに、シロの身体がそれに飲み込まれるのを。

 

「――――――ぇ」

 

 地面を転がり、足を止めてしまったベート達の足元でようやく止まったアイズが、混乱しながらも振り返ったその先の光景を目にし、吐息のような疑問の声を上げた。

 先程まで自分が立っていた場所には、巨大な樹木が何時の間にか聳えていた。

 現実感が感じられないまま、アイズの視線が下からゆっくりと上へと向けられていく。

 そして、それを見た。

 

『―――アハッ』

 

 剣を握るシロの前で、地面に転がっていたまるで幼い子供のように弱々しく転がっていた姿はそこにはなく。

 

『アハ―――ハハハッ―――アハハハハハハハハハ』

 

 そこには、初めて見た時と同じ―――無邪気と狂気が入り交じった哄笑をあげる『精霊の女(化物)』の姿があった。

 

「そん―――な」

 

 それを見て。

 狂喜するその『精霊の女(化物)』の姿を見て、アイズは悟ってしまった。

 自分が、取り返しのつかないことを仕出かしてしまったことを。

 自分が犯してしまった、罪を。

 

「わた―――しは―――」

 

 怒りに吠えるでもなく。

 悲しみに涙するでもなく。

 アイズはただ、現実を直視する理性と悲劇を否定する願望のぶつかり合いにより、上手く思考が定まらなかった。

 アイズが、いや、ここまで辿り着いたベート達ですら、その瞬間(シロが飲み込まれた)を目撃した衝撃により、意識と身体にずれが生まれ動けないでいた。

 

『アア、アリガトウ【アリア】ッ!! アナタノオ陰デ助カッタッ!! アノ怖イノヲ、アナタガ止メテクレタカラッ!! アハハヤッタッ! ヤッタッ!!』

 

 両手を広げ、感極まった顔で笑い声を上げる『精霊の女』を前に、そこでようやく意思と身体が合致して動き始めたベート達がそれぞれに武器を構え始める。

 それを前に、アイズもまた、愛剣(デスペレード)を握りしめるとゆっくりと立ち上がっていく。

 

『アハッ! アハハハハッ!! 【アリア】ッ! 【アリア】ッ!! ネェッ! ネェッ!! ネェッ!!!』

 

 先程までのどこかぼんやりとした目はそこにはなく。

 ただ、煮えたぎるような怒りを秘めた瞳で、剣を握りしめながらアイズが睨み付ける先で、『精霊の女』は笑い続け。

 

()()()()()()()()()()

 

 カパリと、その笑みの形をした口を開いてアイズを見た。

 覗いたその口の奥は、暗く、黒く。

 何処までも深い闇のようで。

 

「ッッ―――――――――ッアアアアアアアアアァァァァ!!!」

「アイズッ?!」

「待ちなさいっ!」

「っ―――馬鹿がっ」

 

 一気に『精霊の女』に向かって飛び出すアイズ。

 無闇に飛び出したアイズの姿に焦りながらも、直ぐに後を追って前へと走り出したベート達。

 4人のレベル6が一斉に襲いかかるも、『精霊の女』の浮かべる笑みが崩れることはなく。

 瞬時に地中から現れた花弁がアイズ達の前へと立ちふさがった。

 アイズが勢いのまま花弁へ向けて剣を振るう。 

 無意識の内に風を纏わせた剣による斬撃は、驚異的な威力を孕んでおり、確かに強固な花弁を確かに傷つけた。

 だが、それだけであった。

 深く抉るような痕をつけたが、破くことは出来なかった。

 そのまま花弁にぶつかるようにして強制的に動きを止められたアイズに、ベート達が合流した瞬間。

 

『アハハ―――残念』

 

 足元を砕きながら勢いよく沸き上がった無数の触手がアイズ達をまとめて後方へと薙ぎ払った。

 悲鳴を上げながら先程の巻き戻しのように後ろへと飛ばされるアイズ達。

 弾丸のように飛ばされた先は、シロが砕いた花弁を更に越えた先。

 ようやく収まりかけた土煙の中に落ちて、再度盛大に土煙を巻き上げながら地面を転がっていく。

 

「っ―――この」

「舐めやがってッ!!」

 

 盛大に吹き飛ばされたが、そこで倒れるような柔な者はいなかった。

 直ぐに立ち上がったアイズ達が、それぞれ武器を握り直し、再度立ち向かおうとするが、それを待ちかねるように花弁が、触手が立ち塞がる。

 

「っ―――そんなものっ」

「待ちなさいアイズっ!」

 

 そんなの関係ないとばかりに、再度突撃をしようとするアイズを、ティオネが慌ててその肩を掴む。

 

「離してッ!?」

「馬鹿っ! 無策で突っ込んだら死ぬわよっ!!」

「っ―――そんなの」

 

 ティオネの手を振り払い、そのままの勢いでまた飛び出そうとするアイズを。

 

「落ち着け、アイズ」

 

 フィンの冷静な声が押し止めた。

 

「ッ、フィン」

 

 冷水の如く冷えきったフィンの声に感じた、隠しきれない感情に、怒りに沸騰していたアイズの思考が急速に冷却される。

 

「今は何よりも時間が惜しい。指示に従わないなら無理矢理にでも下がらせるぞ」

「わた、しは―――」

 

 グッと押し黙ったアイズを無視するかのように、ベート達の前へ出たフィンは、花弁と触手によって守られた『精霊の女』に厳しい目を向けた。

 

「厄介な事態になったな」

 

 フィンはシロが『精霊の女』に飲み込まれたその瞬間は見てはいなかった。

 しかし、聞こえた『精霊の女』の声と状況から事態をほぼ正確に読み取っていた。

 それを含め、これらの事態を打開するため思考を高速で回しているが、事態は先程よりも更に難度が上がっていた。

 まだシロの生死は不明である。

 そのため、『精霊の女』に対する無差別な攻撃は、生きているかもしれないシロへダメージを与える可能性があり取りずらくなった。

 理性ではそんな事(シロの生死)に構っている余裕はないと言っている。

 だが、それを無視した命令による、他の者(アイズ達)への影響は無視できるようなものではない。

 しかし迷っている暇はない。

 『精霊の女』がまた何時、あの冗談のような速度と威力を誇る魔法を放つのか分からないからだ。

 フィンが今後の方針をどうするかと、あらゆる状況を考慮して考えながらも、『精霊の女』の動きの僅かな兆候も見逃さないとばかりに睨み付けていた―――その瞬間だった。

 

「――――――ッ!!!!!!」

 

 何の前触れもなく。

 何の切っ掛けもなく。

 唐突に。

 親指が。

 千切れた。

 

「ッ―――――――――グッ!!?」

 

 違う。

 そう感じてしまった程に、痛みが走ったのだ。

 指はある。

 だが、痛みが、酷い。

 感じたことのないそれに。

 思わず地面に膝をついてしまう。

 

「ッ―――ッ――――――!!??」

「フィンッ!?」

「団長っ?!」

「おいどうしたっ!?」

 

 始めてみるフィンの様子に、ベート達は思わず『精霊の女』から視線を離してしまう。

 戦闘中に敵から目を離すと言うあり得ない行動を、しかしフィンは叱ることは出来なかった。

 経験したことのない不快で強烈な()()に、声が出なかったからだ。

 そう、それは痛みではなかった。

 正確に言えば―――疼き。

 フィンが何かを予感したとき。

 特に悪い予感を感じる際に感じる疼き。

 それが、痛みと間違うほどの強さで自分へと警告していた。

 

(っ―――何が――――――?)

 

 痛みで声が出せない中であっても、思考は無理矢理にでもフィンは回していた。

 回さなければ、意識を失ってしまう。

 そんな予感があったからだ。

 そうであっても、我慢できないほどのその疼き(痛み)の中、濁る視界の先。

 『精霊の女』の姿見えた。

 

(っ、駄目だ。今魔法を受ければ――――――)

 

 指示が出せない状況で、あの威力の魔法が放たれれば全滅しかねない。

 フィンの心が、焦燥に焼けつけかけたその時であった。

 

『―――――――――ェ?』

 

 『精霊の女』の口から、何処か呆けたような、戸惑った声が漏れたのは。

 

『何、コレ?』

 

 『精霊の女』の上げたその声と雰囲気は、フィンの様子を伺っていたアイズ達の意識を再度呼び戻すのには十分であった。

 未だ蹲るフィンを心配しながらも、新たな動きを見せようとする『精霊の女』に意識を向けたアイズ達は、しかし視線を向けた先の光景に戸惑いの声を上げた。

 

「なに、あれ?」

「何してんのよ?」

 

 『精霊の女』は、自分の身体を確かめるように頭や腹、頬や背中を撫でたり叩いたりしていた。

 それはまるで踊っているかのようにも。

 周囲に飛び回る蚊を叩き潰そうにも。

 そして、自分がそこにいるのかをたしかめているかのようにも。

 見えて。

 そして、それもまた、前触れもなく。

 唐突に―――始まった。

 

『ア―――アア―――――――――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』

「っ―――何っ!?」

「ひ、鳴?」

「何がっ?!」

 

 自身の頭を両手で挟み込むようにした『精霊の女』が、空を仰ぎ見ながら声を上げていた。

 その声は、誰が聞いても痛みと苦しみを訴えるそれで。

 鼓膜を叩くその声量ではない要因で、聞くものの顔を歪ませるほどに、それは余りにも悲痛に過ぎたものであった。

 

「フィンっ!? どうしたっ何があった!?」

「え? だ、団長っ!?」

 

 耳を抑え顔を歪ませながら、蹲るフィンを囲みながら苦痛の絶叫を上げる『精霊の女』を警戒していたアイズ達の背後から、後方を担っていたリヴェリア達が合流する。

 走りにくそうに耳を抑えつつ、頭を揺らす高周波染みた声に顔を歪ませながらも駆け寄ってきたリヴェリア達は、アイズ達に囲まれた中心に蹲るフィンの姿を目にすると、耳や頭を苛む(痛み)を忘れたかのように苦痛に歪んだ顔から一転、驚愕に目を見開いた。

 

「わからんっ!? あの化物の異変の直前からこうだっ!? おいフィンっ!!? 何をやっとる! しっかりせんかッ!!」

 

 リヴェリア達へ向かって、ガレスが周囲に響く悲鳴に負けないように声を張り上げる。

 しかし、周囲に響く(絶叫)が邪魔をしてリヴェリアの耳には殆ど届かなかった。

 

「っ―――一体何が!?」

「あれ? シロさんは?」

 

 アイズ達と合流したリヴェリアが蹲るフィンの様子を伺う傍では、レフィーヤがあの目立つ赤色が目に入らないことに困惑の声を上げていた。

 その様子に、声は聞こえなくとも周囲を見渡すレフィーヤの姿に誰を探しているかに気付いたアイズが、苦痛を耐えるように歯を噛み締めると、まるで逃げるかのように今も悲鳴を上げ続ける『精霊の女』を睨み付けた時。

 事態は、またもや急変する。

 

『―――アアアアアア、ア、ァ……アエ? ア、違ウ―――嫌、違ウ、ソウジャ―――ソンナ、嫌―――止メ―――』

「え?」

 

 アイズが『精霊の女』へと視線を向けたのと同時、あれだけの苦痛を叫んでいた声がピタリと止んだ。

 それだけではなく。

 『精霊の女』は、まるで何かに怯えるかのように、泣きそうな顔で幼子のように違う違うと顔を横に必死に振って何かを否定していた。

 その視線はアイズ達ではなく中空に。

 視点はぼんやりと定まってはいなかった。

 

「っ、どう、しよう?」

「隙だらけ、だけど―――」

「クソッたれがっ」 

 

 アイズ達をまるで無視した『精霊の女』の姿に、ティオナ達がそれぞれ武器を握り直すが、あれだけ隙だらけなのに―――何故か身体は前へ進もうとはしなかった。

 戦意がなくなったわけではない。

 内に宿る熱は今も火が吹くほどに燃え盛っている。

 なのに―――それなのに、身体が前へと―――『精霊の女』へ向かおうとはしなかった。

 『精霊の女』の戦力や、異常な姿に怖じ気づいたわけではない。

 間違いなく、心は戦おうとしている。

 しかし、それに反して身体はここから―――いや、あの『精霊の女』から離れたがっている。

 それはまるで、野性動物が、猛毒を持つ危険なモノを本能的に恐れて避けるかのような。

 意思とは別の―――本能的なそれで。

 

『違ウ違ウ違ウ違ウソウジャ―――ソンナ事望ンデナイッ!』

 

 心と身体の解離にアイズ達が戸惑っている間も、『精霊の女』の不審な挙動は続いている。

 

『イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ―――犯サナイデ侵サナイデ冒サナイデ食ベナイデ噛ジラナイデ咬マナイデ砕カナイデ潰サナイデ―――』

「っ―――ちょっと」

「これは―――」

 

 まるで凶悪なナニかを飲み込んでしまった蛇のように、『精霊の女』はその蛇体のような植物の下半身と女の上半身を振り回し捻り回し始めた。

 攻撃のそれではない。

 ただ、痛みかなにか、兎に角耐えられないナニかから逃げるように『精霊の女』は暴れていた。

 その暴風の如き暴れる様と異様に、前へ進むどろこか、アイズ達の足はじりじりと逃げるように―――忌避するように後ろへと下がり。

 

『私私私私私私私私ガガガガガガガ――――――ヤダ』

 

 そして、それは狂った。

 

『aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaayadayadayadayadayadayadayadayadayadayadayadayadyadyaydaadadanaariaariaariariaariaariaariaaraiaaaaaalambamfeonogbnmamarmgmoranbnaon fmc;amfoirgonafuibh om rinaornoaramr―――』

 

 それは最早声ではなく。

 悲鳴でもなく。

 絶叫でもなく。

 聞くものの耳から震わせ脳を犯す。

 呪いのようで。

 抗うことは一瞬たりとも出来なかった。

 例外なく、アイズ達は同時に耳を抑えその場に倒れ込んだ。

 叩きつけられるかのような勢いで、自らその(呪い)から逃げるように。

 

『mojeijgoandntomafaoanognaotoagnbvornoagneontoenoagooamッ――――――――――――!!???』

 

 誰もが急変を続ける事態に混乱し、状況を把握出来ないまま流されるように混沌の渦の中にいた。

 だから、それに気付いたのは、本当に偶然だった。

 意識的か、無意識なのか。

 何も分からない。

 悉くの異変の中、拠り所を探すように目を開けたレフィーヤの目に、身体を振り回す『精霊の女』から何かが飛んでくるのを。

 そして、それが赤い何かであると気付いた時には、身体は既に動いていた。

 

「―――シロさんッ!!?」

 

 声を上げ、倒れていた身体を起こし耳を塞いでいた手は前へ。

 どれだけの力だったのか。

 投げ捨てられ空を飛ぶシロの身体は、アイズ達の上を越え更に後ろへ。

 だらりと力ないその姿から、意識はないのは見てとれる。

 この勢いで叩きつけられたら、下手をすれば―――。

 未だ続く『精霊の女』の(呪い)に意識を削られながらも、前へと倒れ込むように駆ける。

 だが―――。

 

(間に―――合わない)

 

 それでも、伸ばした手は遠く。

 走る足は鈍く。

 届かない手が、歪んで見えて。

 落ちていく―――彼の姿が幻視()えて。 

 

「っ――――――間に、合わせるッ!!」

 

 咄嗟の判断だった。

 いや、意識してはいなかった。

 シロの身体が地面に叩きつけられる直前。

 地面を蹴ったレフィーヤの伸ばした両手が、横からシロへとぶつかった。

 直後、レフィーヤの両腕に響いた衝撃は強く。

 レベル4の身体であっても砕きかねない程のものであった。

 折れてはいないが、罅は確実に入っている。

 直感的にそれを感じながら、地面を削りながら倒れたレフィーヤが、ぼんやりとした意識と視界のまま顔を上げれば。

 少し離れた位置には、やはり自分と同じように地面に転がるシロの姿があった。

 赤い外套や服だけではない赤色に染まったその身体に、レフィーヤの心臓が跳ねたが、僅かに胸が上下している事に気付くと小さくため息を吐いた。

 

「全く、もう―――何時も心配ばか――――――」

 

 引きずるようにして身体を起こしたレフィーヤは、両腕の痛みに顔をしかめながらも、何処か笑っているような雰囲気を口に浮かばせ―――凍りついた。

 まるで、全身の細胞を氷で出来た針で貫かれたような。

 小さな小さな蛆虫が、全身に集って噛じりついたかのような。

 不快で不安で気色が悪く―――何よりも恐ろしいナニかを感じ。

 錆びた機械のように首をゆっくりと回し。

 後ろのソレ(・・)を見た。

 

「―――――――――」

 

 自分が何を口にしたのか、レフィーヤはわからなかった。

 悲鳴だったのか。

 罵倒だったのか。

 否定だったのか。

 それとも何も言わなかったのか。

 ただ、一つだけ分かっていたのは。

 それ(・・)は、否定しなくてはならないもの(世界にあってはならないもの)であると言うこと。

 さっきまで『精霊の女』であった筈のそれ(・・)は、もう女の形をした上半身はなく。

 大蛇のような、巨木のような下半身もまた、生物的なそれではなく。

 そこには、一つの柱のようなナニかがあった。

 気味の悪い黄緑はそこにはなく。

 暗く深い黒が。

 いや、違う。

 黒ではない。

 あらゆる色彩を無秩序に混ぜ合わせ、最後に致命的なナニかを混ぜ合わせた結果、()()()()()()()()()()()()()()()()ように感じる。

 光の届かない深い森の夜の闇のようにも。

 何処までも続く深い穴の黒のようにも。 

 負に関わるナニかを感じるそれは、ただしソレを例えるならば、きっと皆同じ言葉を口にするだろうと妙な確信があった。

 それを裏付けるように、凪ぎのように静まり返った『ルーム』の中に、団長の声が響いた。

 

「――――――泥?」

 

 その団長の声を切っ掛けにしたように。

 まるで、正解だと告げるかのように。

 塔のように聳え立っていたそれは、音もなく。

 影のように、幻のように崩れ―――()()()()()()()()()()

 

「「「―――――――――ッ!!!???」」」

 

 前触れもなく、一瞬で崩れ水溜まりのように下へと広がるソレに。

 瞬く間に広がったそれは、アイズ達の元までは届いていない。

 しかしアイズ達は一斉に、躊躇することなく全力で後ろへと飛びずさった。

 サポーターであるラウル達もまた、必死な形相で転倒しかけながらも後ろへと逃げていく。

 事前に決めていたかのように、後ろへと跳んだアイズ達はレフィーヤの傍に降り立った。

 リヴェリアやアイズ達は、レフィーヤの近くに転がるシロの姿に一瞬目をやり、意識はないが生きていることを確認すると、安堵の息を吐くが、直ぐに顔を厳しくすると地面へと広がった黒い泥のようなナニかに視線を向けた。

 

「アレは、一体?」

彼女(精霊の女)は、死んだの?」

「でも―――」

 

 『精霊の女』が死んだのかというアイズの疑問に、近くにいたティオナが強く戸惑いが混じった声を上げる。

 モンスターは、死ねば灰となる。

 確かに、ドロップアイテムを落とす事はあるけれど、泥のようなナニかに変わるなど聞いたこともない。

 続く異常。

 急変する事態。

 理解できない状況は、まだ、終わったわけではない。

 いや、違う。

 

 

 

 ―――()()()()()()()()()()

 

    

 

 誰も、目を離してはいなかった。

 もしかしたら誰かは瞬きはしたかもしれない。

 しかし、全員が同時にソレから目を離した―――見ていなかった等といったことは絶対になかった。

 なのに、誰も()()がどう現れたのかがわからなかった。

 ただ、ソレが現れたのと同時、地面に広がっていた泥が消えていたことに、フィンを始め数人が気付いていた。

 だから、多分()()は泥から産まれたのだろう。

 

「なに、アレ?」

「ひ、と?」

 

 泥のようなナニかがあったその場所の中心に、5つの人影(・・・・・)があった。

 ()()姿()ではない。

 ソレは、まるで黒いナニかで形造られた人形のようで。

 だけど、周囲の空間が歪んで見えるほどの存在感が感じられて。

 

 一つは、細長い身体を老人のように前へと曲げた、両腕が長い姿()で。

 

 一つは、異様に刀身が長い東方出身の冒険者がよく使う刀と呼ばれるものに近いナニかを握った姿()で。

 

 一つは、2Mはあるだろう細長い棒か槍を握った、輪郭が分かりにくい黒一色でも形が良いとわかる身体を持つ姿()で。

 

 一つは、5つの中で最も小さいが、鎧を身に付けているように見える形をした長剣を持つ姿()で。

 

 一つは、5つの中で最も巨大な2Mを確実に越すだろう巨体を持つ、そしてその手には、ティオナが使う巨大な武器よりも大きいだろう剣のようなモノを握った姿()で。

 

 5つが全部、バラバラで、でもナニか共通しているかのような。

 ただ、何も分からないままでも。

 一つだけ確かなことがわかっていた。

 それは―――

 

「総、員―――」

 

 フィンの圧し殺せないナニかで震えている声が、アイズ達の耳を震わせる。

 どんなときでも生意気な口を吐く筈のベートの噛み締めた口許は微かに震えて。

 恐ろしい敵や恐怖を破壊するかのように危機で哄笑を上げるガレスすら、武器を握る右手が震えているのを左手で押さえ込むように掴み。

 全員が全員、目の前にいるソレに対し己の内から沸き出る恐怖を否定できないまま。

 それでも、フィンが口にするだろうそれに応えるため、歯を食い縛り、全身に力を行き渡らせる。

 

「戦闘態勢ッ!!!」

 

 フィンの声に応じるように、目の前の5騎(・・)の化け物がそれぞれ武器を構え。

 

「―――来るぞッ!!」

 

 アイズ達に一斉に襲いかかってきた。 

 

 

   

 

 

 

 

 

  

 

  




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第六話 現れたる英雄

「―――来るぞッ!!」

 

 フィンの声に合わせるかのように、5つの影が襲いかかってくる。

 一塊にではなく、それぞれバラバラに別れるように襲いかかってくる彼らに対し、考える暇のなかったフィンは、殆ど反射的な―――本能的とでも言うべきか、判断で団員達に指示を出した。

 

「ガレスとティオナはあのデカイのをやれっ! アイズとベートは剣士をっ! リヴェリアはサポーターと組んで細いのをっ! レフィーヤは椿とあの東方風の剣士をっ! ティオネは僕とあの槍兵をやるぞッ!!」

「応ッ!!」

「はいっ!」

「了解っ!!」

 

 フィンの指示に従い、自分が相対する敵へと向かって駆け出す。

 フィンもまた、自分が戦うべき敵へと向かって走り出そうとするが、後方で転がったまま動かないシロの姿を視界の端で確認すると、リヴェリアへと合流するため走っていたサポーターの一人に指示を出した。

 

「ナルヴィはシロの下へ行けっ!」

「えっ―――っはいっ!!」

 

 フィンの新たな指示に慌てて足を止めた結果、前へと転がりそうになるも、何とか態勢を整えることが出来たナルヴィは、急いで向かう先を変更し地面へと倒れ込んだままのシロの下へと走り出した。

 自分の指示に従ってシロへと駆け寄るナルヴィの後ろ姿を確認することなく。指示を出した後、直ぐに自分の選んだ敵へと視線を向けたフィンの前には、既にティオネと戦闘に入った槍兵の姿があった。

 

「ッ―――ちょっ、と!? こい―――つッ!!??」

 

 接敵した槍兵に対し、レベル6に至ったその人外の身体能力を持ってティオネが斧槍(ハルバード)を振り回す。

 まともに食らわずとも、かするだけでも身を削りかねないその破壊力。

 受けるは敵わず避けるも難し、その暴風の如き攻勢は、しかし掠りもしない。

 降り下ろし、振り上げ、袈裟斬り、突き―――秒の間に振るわれる無数の斬撃。

 深層のモンスターであっても粉微塵に砕き潰す連撃だが、槍兵はその悉くを避わしてのける。 

 それも大袈裟に避けるではなく。

 ダメージを食らわないギリギリを見極めた無駄を省いた回避のそれは、人の技術のそれと言うよりも――――――

 

『ッアアアアアアア』

「―――ッ!?」

 

 ――――――獣ッ!!?

 

 一瞬の隙とも言えない攻撃と攻撃の境に出来た僅かな間隙。

 それを見逃すことなくティオネへと黒い槍先が襲いかかる。

 その攻めては、回避の際に感じた獣染みたそれと同様。

 まるで獣が牙を向いて飛びかかってきたかのような、人との相対に感じるそれよりも重く鋭いものであった。

 

「ヅ―――!?」

 

 あまりにも鋭く速いその一撃が、咄嗟に前に掲げた斧槍(ハルバード)へと突き立てられる。槍から受けた衝撃は予想のそれよりも遥かに強く、ティオネはその場に止まることが出来ず後ろへと吹き飛ばされてしまう。

 強制的に浮かされる身体。

 ()()()()()()()()()()()()()()と気付いた時には既に遅く。

 地をはうような低い姿勢で既に槍を構えていた槍兵の姿に、ティオネの背筋に脳裏を冷たい死の感触が撫でた。

 

「やらせないッ!!」

 

 しかし、それは形になる前にティオネの背後から姿を現したフィンの槍の一撃を持って防がれることとなった。

 両手に掴んだ銀の槍(不壊属性の槍)金の槍(自身の愛槍)を持って殆ど不意打ちの勢いでもって槍兵へと襲いかかったフィンであったが、自身の振るった槍の悉くが一つとして虚を突いた筈の槍兵の身体に掠りもしなかったことに、口許を僅かにヒクつかせながらも、背後へと飛びすさって改めて距離を取る。

 

「団長っ!」

「油断するなっ! 甘くはないぞっ!!」

 

 色々な歓喜の感情を含ませたティオネの声に対し、フィンは顔を向けることなく黒い槍兵らしき敵へと鋭い視線を向けていた。

 甘くない―――どころではない。

 フィンは盛大に舌打ちを鳴らしたい気持ちを、その絶大な意思力を持って噛み潰しながら改めて眼前の黒い槍兵を見る。

 180Cぐらいだろうその身体は、その全てを黒い泥でできているかのように黒く塗りつぶされている。服や顔立ち、武器ですらも黒いナニかで出来ているため、その詳細は全くわからない。

 だが、あの一瞬の相対でわかったこともある。

 それはこれ(・・)が人間を模していること。

 使用している武器らしきものは、棒ではなくやはり槍であること。

 そして明らかに術理をもってその槍を振るっていること。

 だが何より――――――

 

「速―――ガッ!!」

 

 速く、そして何よりも強かった。

 

「団長っ!? ――――――ッてめぇっなに団長に手ぇだしてやがんだぁッ!!」

 

 注視していたのも関わらず、反応が遅れた。

 胸部中心より僅かに左寄り。

 心臓を狙ったその一撃は、反射的に持ち上げた銀の槍の柄に当たり防ぐことが出来た。

 狙ってやったものではない。

 偶然上げた場所に黒い槍兵の振るった穂先が当たっただけ。

 刃が身体を突き破ることは防げたが、押し込まれた自分が持つ槍が身体に突き込むのは止められなかった。

 内臓を押し上げる衝撃にえずきながら吹き飛ばされるフィンの姿を目にしたティオネが、言葉を荒々しく崩しながら追い討ちをかけようとする黒い槍兵へと襲いかかる。

 吹き飛ぶフィンへと追い討ちをかけようと目の前を通り過ぎ行く黒い槍兵へ対し、斧槍(ハルバード)を全力をもって降り下ろす。

 止まって避けるか、止まって受けるか、それとも後ろへと飛び退くのか。

 

 構わない―――どれであっても全て叩き潰すッ

 

 斧槍(ハルバード)の柄を握りつぶす勢いでもって降り下ろすティオナの前で、黒い槍兵は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「なっ!!??」

 

 更に速く、鋭くとでも言うかのように、ティオネの目の前で一瞬その姿がブレたと思った時には既に降り下ろした斧槍(ハルバード)は大地を深く砕くも対象の姿はそこにはなく。

 つまりそれは―――

 

「団長っ!?」

「冷静に対応しろっ!! 闇雲にやれば喰われるぞっ!!?」

 

 ティオネの悲鳴染みた声に、何とかといった様子ではあるが、槍兵と二つの槍を使って渡り合っていたフィンが、忠告の声を上げる。

 しかしその声は枯れており、焦燥が色濃く感じられた。

 その様子にティオネは身体と心を焼く感情の炎を、熱を持つ息と共に吐き出すと、小さく頭を振って武器を構え直す。

 

「っふ――――――頼りにさせてもらうよ」

「っっっ―――はいっ!!」

 

 一瞬で気を整えたティオネの姿に頼もしさを感じ、相対する槍兵に対する警戒と緊張はそのままに、フィンが口許に笑みを浮かべながら声を上げると、ティオネのハートマークが飛び交っているように感じるほどの声音が応じた。 

 目にハートマークが浮かんでいるかのように見えた様子だったティオネだったが、瞬きを一つする間にその目を戦士のそれへと変えると、フィンと黒い槍兵を挟み込む位置へと移動した。

 背後に着かれた事に警戒してか、フィンを攻める手を黒い槍兵は一旦収めた。そして、ゆっくりと摺り足で後ずさるようにしてフィンとティオネを同時に視界へと納められる位置へと移動した。

 改めて相対する黒い槍兵とフィンとティオネ。

 激しい攻防の間に出来た凪のようなその隙で、槍兵に対する警戒と共に、フィンは周囲の様子を伺った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ―――のっ?!」

「ヅっ―――ッの野郎ッ!!?」

 

 5体の影の中でも一番小さな―――小柄と言ってもいい相手へと対峙したベートとアイズの二人は、共に近接戦闘型であり、手数と速度を生かした似たような戦闘スタイルであった。

 互いにレベル6であり、単独でも超級の戦闘力を持つ二人ではあったが、共同しての戦闘もそれなりの数があったことからも、互いの力を削ぐようなへまをすることはなく、フィンの指示に従い組んだ二人の連携には隙はなかった。

 だが―――

 

『―――ハアアアアアッ!!』

「ヅ―――っ!!?」

「ガッ―――ァ?!」

 

 隙とも言えない二人の連携に生じた僅かな間隙。

 そこへ黒い剣士の一撃が降り下ろされた。

 咄嗟の判断で受け止めるのではなく躱すことを同時に選んだ二人であったが、空間を抉るような勢いをもって降り下ろされるその漆黒に染まった長剣の一撃は、ベートとアイズの予想を越え速く―――何よりも重かった。

 二人の間を通り抜けるように降り下ろされた剣をぎりぎりに避わしてのけるも、反撃に移ろうとする意識に被せるように生じた()()()()()()()()()()()が襲いかかる。

 不可視の衝撃は二人の内蔵を殴り付け、肺の空気を無理矢理押し出しながら身体を吹き飛ばす。

 

「っ、舐めんじゃねぇっ!!」

 

 だが、意識と内蔵を揺らされながらも、吹き飛ぶ最中で態勢を整え足から地面へと下りたベートが、咆哮と共に黒い剣士へと襲いかかる。

 吹き飛ばされながらも、魔剣を銀靴(フロスヴィルト)へ充填していたベートは、炎を纏ったその蹴撃を黒い剣士へと叩き込まんとする。

 地面を抉るその足による加速により、既に身体は地面から離れベートは宙を駆け抜ける。銀靴(フロスヴィルト)が纏った炎が空中に線を描く。

 その行く先には長剣を構えた黒い剣士の姿が。

 

「ぶっ飛びやがれぇえええええッ!!」

 

 弾丸と化したベートの敵へと突き刺し燃やし尽くさんとする業火を纏う銀靴(フロスヴィルト)が、上級冒険者でも黙視が難しい程の速度で、文字通り飛ぶ勢いでもって瞬く間に黒い剣士の眼前へと迫る。

 その一撃は深層のモンスターですら一撃で砕きうる力を秘めた一撃。

 単純な破壊力では魔導師の長文詠唱による魔法にも匹敵しかねない一撃である。

 

『―――アアアアアアアアアッ!!』

 

 対し、黒い剣士は両手に持つ漆黒の長剣を大上段に構えたそれを降り下ろす事で応えた。

 振り上げ、降り下ろす。

 単純極まりないそれは、炎も風も、水も雷も何もかも纏っていない単純な上段からの降り下ろし。

 だがそれは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、非常識極まりない一撃へと変わる。

 

「ッが、アアアアアッ!?!」

 

 炎の弾丸と化した筈のベートを、黒い剣士が地面へと叩き落とした。

 無理矢理力技で進行方向を下へと変更されたベートにより、地面は燃やし砕かれ大きく陥没した。

 地面へと叩き落とされたベートを中心に広がるクレーター。

 その中央で地面の中に埋まったベートの意識は揺れてはいたが消えてはいなかった。

 しかし、受けた衝撃は大きく。

 立ち上がる処か指一本すら動かすことが難しい状態であった。

 

「っ――――――ぁ」

 

 無理矢理口を開き、息を―――酸素を肺へと送る。

 肉体が抗議を上げるように全身から悲鳴染みた痛みが走るが、ベートはそれを無視する。

 と、同時に身体の状態を確認した。

 

(―――痛みは酷ぇが折れてはいねぇ。罅は確実だが支障はない―――が)

 

 一見してベートが一方的に打ち負けたように見えるが、だが、そうではなかった。

 確かにベートの受けたダメージの方が遥かに大きい。

 しかし、黒い剣士の方もまた、無傷ではなかった。

 深層の大型のモンスターすら葬り去るだろう一撃である。

 打ち勝ったとしても対峙した際の衝撃は計り知れない。

 それを物語るように、黒い剣士は足下にいる身動きが出来ないでいるベートへの止めを刺すことなく身を苛んでいるであろう衝撃が身体から抜けるのを待つように動かないでいた。

 これが一対一の戦いならば、軍配は黒い剣士へと上がったであろうが、これはそうではない。

 そしてこんな隙を見逃すような者はこの場にいる筈がなかった。

 

「はあああああああああああああああっ!!」

『――――――ッッ!!?』

 

 身体から衝撃が抜けるのを待っていた黒い剣士へと、風を纏い弾丸と化したアイズが襲いかかる。 

 その二発目の弾丸は、流石に打ち落とすことは不可能であった。

 しかし、それでも黒い剣士は持ち上げた長剣を盾として、アイズの愛剣(デスペレード)を受け止めた。

 ベートの蹴撃を受けたダメージが抜けていない筈なのに、黒い剣士はアイズの一撃を確と受け止め踏み止まる。

 その事実に目を疑ったアイズだが、直ぐに気を気を取り直すと共に咆哮を上げた。

 

「ああああああああああああああぁぁぁッ!!?」

『ッグ?!!』

 

 咆哮と共に出力を上げたことから、身に纏う暴風のそれは最早削岩機の如き威力をもって周囲を削り吹き飛ばす。

 その力は凄まじく、流石の黒い剣士もその場に止まることは出来ず強風に吹かれる木の葉のように吹き飛ばされてしまう。

 

「っは―――これ、なら」

「っが、そ―――油断すんなアイズっ!!」

 

 地面を削り大量の土煙を上げながら吹き飛んでいった黒い剣士の姿と手に残る確かな手応えにより、アイズの口から荒い呼吸と共に喜色の混じった声が漏れる。

 だが、そんなアイズに対し、先ほどの嵐の如き一撃に巻き込まれたのか、地面へと叩きつけられていた位置から随分と離れた場所で身体を起こしていたベートの叱咤の声が飛んだ。

 

「ベートさ―――っ!?」

 

 その通りだと。

 ベートの声に咄嗟に振り返ろうとしていたアイズの目に、立ち上る土煙を吹き飛ばしながら迫り来る黒い剣士の姿が映った。

 慌てて剣を構えるが、既に黒い剣士は目の前で長剣を上段に振りかぶっている。

 その動きからはダメージを受けている様子は見られない。

 迎撃の体勢が整っていないアイズに向かって、剣が降り下ろされる。

 その間際―――

 

「ぼっとしてんじゃねぇっ!!」

 

 横から飛びかかってきたベートの炎を纏った銀靴(フロスヴィルト)の一撃が今度は迎撃されることなく黒い剣士の脇腹を抉った。

 爆発音と爆炎と共に吹き飛んだ黒い剣士は、しかし地面を削り長く深い二つの線を大地に刻みながらも倒れることはなかった。

 ベートの魔剣を充填した銀靴(フロスヴィルト)による一撃を食らってなお立ち続けるその姿に、アイズは爆炎と爆風に煽られ目の前に垂れた金の髪に隠された金瞳を動揺に震わせた。

 

「びびってんじゃねえぞアイズっ!! 確実にダメージは入っているッ!!」

「―――っ!!」

 

 敏感にアイズの動揺を感じ取ったのか、ベートが叱咤の声を上げる。

 その声にはっ、と気を取り直し改めて黒い剣士を見直したアイズの目が、黒い剣士の身体を構成している黒いナニかが僅かに溢れているのを見てとった。

 アイズは自身が弱気になっていたことを恥じるかのように一瞬だけ強く目を瞑り直ぐに目を開いた。

 その時にはもう、アイズの瞳には硬い意思が宿っており、剣を握る手にも力が込められていた。

 気を取り直したアイズの様子に、ベートは両手に不壊属性(デュランダル)の双剣を持つと、隣に来たアイズに対し視線を向けずに声を張り上げた。

 

「行くぞアイズッ!! とっとこいつをぶち殺すぞッ!!」

「はいっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ――――――これは手前の手に余る相手だ」 

 

 【ロキ・ファミリア】ではなくともレベル5にまで至っている椿は、フィンの指示に戸惑うことも躊躇することもなく東方風の剣士へと向かって行った。

 東方風―――そう、フィンは口にしたが、身体処か服も武器ですら黒い泥のようなナニかで出来ているそれの詳細は全くわからない。

 しかし、その東方出身の冒険者が身に着けている着物を着たシルエットに良く似ていることから、咄嗟にフィンはそう口にしたのだろう。

 それを、椿は対峙しながら「正解だ」と内心で同意していた。

 それは接敵したことから相手を間近で見れたことからではなく、東方風の剣士が振るう武器を見て同意したものであった。

 それは長い―――剣と言うには余りにも長かった。 

 近くで見れば明らかである。 

 フィンが剣士と称したのは、遠目の上、更にこの東方風の剣士の武器の持ち方によって判断したのだろう。

 しかし黒一色で染まったそれは、何も知らない者が見ればただの長い棒だと勘違いしてしまうかもしれない。

 それほどにその東方風の剣士が持つ剣は長かった。

 

(―――いや、剣ではなく刀だったか)

 

 冒険者が主に使う剣とは違う、頼りなく感じてしまうほどに細く華奢に見える武器ではあるが、それが誤りだと椿は知っていた。

 刀と言う武器の恐ろしさは、自らも打ったことがあるからこそ、それこそ東方出身の冒険者よりも知っているかもしれない。

 頑強さや一撃の威力でいえば、刀は剣に劣っているかもしれないが、それを補って余りある力が刀にはある。

 それは―――

 

「―――っと、これ、は?!!」

 

 鍛冶師であるが、いや、だからこそレベル5にまで到達した椿の潜った修羅場は桁違いであった。

 自ら打ち上げた武器の試し切りのため、ダンジョンに挑んだ結果ではあるが、身に付けた技量や身体能力は他の上級冒険者に勝るとも劣らない。

 だが、何よりも戦ってきた相手の種類が違った。

 試し切りのため、時には水棲のモンスターを相手にするため態々海にまで挑んだ事があるほどである。

 しかし、今剣撃を交わすこの相手(東方風の剣士)は、そのどれとも違った。 

 これまでに戦ってきたのはモンスターだけでなく、時には人とも争った事がある。

 特に【暗黒期】と呼ばれたあの時代では、モンスターよりも人を斬った数の方が多かったかもしれない程に。

 そんな経験を元にしても――――――

 

「化け―――物かっ―――こい、つ!!?」

 

 今眼前で刀を振る東方風の剣士の技量(・・)は尋常ではなかった。

 

『―――――――――』

「っ、のっ?!」

 

 相手が東方風―――刀を使うと知った時、椿は用意した武器の中から選んだのは同じ刀であった。

 勿論相手の長すぎる刀身を持つ刀とは違う常識的な寸法の刀である。

 事前に用意していた武器はそれなりに数と種類はあったが、殆どが対モンスターを想定しており威力重視。つまりは一撃が重い代償に取り回しが悪かった。

 勿論椿はそうであっても上手く使える自身はあったが、これまでの経験からか東方風の剣士を見た瞬間選んだのは一撃の威力は低くとも軽く取り回しが良い刀の一振り。

 そしてそれは間違いではなかった。

 ただ一つ。

 

(っ――――――死??!!)

 

 相手の技量が想像の遥か先へとあったことであった。

 1秒の間に交わした十を越える斬撃。

 一つ受けた際に感じたのは軽さ―――少なくとも力では自身が上回っていること。

 二つ受けた際に感じたのは速さ―――特に切り返しの速さが尋常ではなく、また、その動きから速さでは相手が一枚上手であること。

 三つ受けた際に感じたのは絶望―――重さ速さといった話ではなく、それを使った技量の高さが自身とは比べ物にならないと言うこと。

 下手にこれまで幾つもの修羅場を潜り、鍛冶師として様々な冒険者を見てきたからこそわかる。

 こいつ(この東方風の剣士)の技量の底知れなさを。

 四つ受けた時には、既に追い詰められていた。

 五つ受けた際には、最早防戦一方。

 無理矢理力ずくで振り払おうとすれば、絶対に僅かな隙を見逃されずに斬り殺される。

 逃げようにも僅かでも意識を逸らせば受けきれない。

 六から九まで受けられたのはもう偶然と言うよりも奇跡であった。

 そしてそんな奇跡は長くは続かない。 

 十―――黒い刀の刃先が、自身の首に滑り込まんとするのを意識だけが伸びたような感覚の中、ただ動かない身体で見ていた椿が死を確信した時―――

 

「【アルクス・レイ】ッ!!」

 

 一条の極太の光の線が、椿に届かんとした死へと割り込んだ。

 

「椿さんッ!?」

「来るなっ!!」

 

 文字通りあと一瞬でも遅ければ、確実に椿は死んでいた。

 自分の首がまだ繋がっていることを確認するように片手で首を触っていた椿は、背後から駆け寄ろうとするレフィーヤに気付くと直ぐに制止した。

 慌てて立ち止まり戸惑った顔を向けるレフィーヤに、椿は背中を向けたまま盛大に土埃を上げる剣士がいた場所をその片眼にて睨み付けていた。

 

「先程は助かったっ!! が、まだ終わってはおらんっ!?」

「え?」

 

 レフィーヤの目には、東方風の剣士は自分が放った魔法に飲み込まれる様子が映っていた。

 避けられるタイミングでもなく、また逃げた姿は確認できなかった。

 故に、椿の言葉に疑問を抱いたが、レフィーヤは反論することも油断をすることもなかった。

 レフィーヤとて、今までに幾つもの修羅場を乗り越えてきたのである。

 自身の魔法を喰らって無傷であった者も経験している。

 だからこそ、椿の言葉に素直に従い、土埃が舞う場所を睨み付け警戒を怠らなかった。

 

 しかし―――

 

『――――――』

「え?」

 

 ―――それでも、それ(東方風の剣士)にとってはそんなもの(レフィーヤの警戒)は意味のないものであった。

 レフィーヤが気付けたのは、偶然か、それともこれまで潜り抜けた修羅場で磨かれた勘故か。

 ふと、本当に何となくといった感じでレフィーヤが顔を横に向けた時には、既にそれ(東方風の剣士)は刀を振りかぶっていた。

 

 逃走―――魔法の詠唱―――反撃――――――

 

 同時に幾つもの選択しが脳裏に浮かぶが、そのどれも行動に移すことは出来ないと、それも同時に感じていたレフィーヤが凍りついたように固まるなか。

 ただ呆けたような声を一言漏らし―――東方風の剣士が刀をレフィーヤの首に降り下ろ――――――

 

「させるかぁあああああっ!!」

 

 ―――す直前、椿が振り下ろした()()()()()から放たれた真空の鎌鼬が東方風の剣士を襲った。

 

「きゃあっ!?」

 

 剣士とレフィーヤの間に滑り込むように突き進む真空の刃。

 その不可視の斬撃により、レフィーヤは吹き飛ばされ地面をごろごろと転がってしまうが、死地の脱出に成功することができた。

 レフィーヤは先ほどの椿がそうしたように、地面に膝を着いたまま自身の首がまだ繋がっていることを確かめるように杖を持つ手とは逆の手で首筋を撫でながら顔を上げると、そこには椿の背中があった。

 

「さっそく借りは返させてもらったぞ」

「っは、はい。た、助かりました」

 

 慌てて立ち上がったレフィーヤに、顔を向けることなく東方風の剣士と対峙する椿が笑い混じりの声をかける。

 思わず反射的に頭を下げるレフィーヤに対し、椿はしかし、直ぐに硬い声で指示を出した。

 

「命拾いしたところだが、すまんがまたぞろ命を賭けてもらうぞ」

「え?」

 

 椿の背中越しにだらりと長い刀を片手に垂らした隙だらけにみえる格好で立つ東方風の剣士を見ていたレフィーヤは、その言葉にびくりと声を上げた。

 レフィーヤの戸惑いを背中に感じながら、油断なく東方風の剣士を動きに注視していた椿は、先ほどの刹那の攻防を思い出していた。

 

「単独であたれば直ぐに殺されるぞ。速度もそうだがなんだあの技量? 最早人の域を越えとるぞ。手前では足下にも及ばん」

「っ」

 

 自身より上―――レベル5の椿の敗北宣言とも言える言葉に、レフィーヤが思わず息を飲む。

 そして同時に先程間際まで感じた死の気配に身体を震わせる、が。

 

「だが、お主の魔法なら有効だ」

「え?」

 

 続いた椿の言葉により目を見開かせた。

 じっと敵を睨み付けている椿の視線を辿った先には、東方風の剣士の姿がある。

 だらりと片手に剣を持って立つその姿は、余裕すら感じられたが、同時にまた、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そしてそれが間違いではないことが、東方風の剣士の身体から明らかに土や石とは違う黒いナニかの欠片が落ちたのを目にし、確信を抱く。

 

「何とか時間を稼ぐ。幸いにも耐久はそこまで高くはないようだ。とにかく数だ。ありったけの魔法を打ち込め」

「はいっ!!」

 

 決して倒せない敵ではない。

 その確信を胸に、椿の言葉に強く応じたレフィーヤが、手に握った杖を強く握りしめる。

 

「いい返事だっ!! それでは手前の命預けるぞっ!!」

 

 レフィーヤの声に応じるように、椿は口許に好戦的な笑みを浮かべると東方風の剣士へと向かって駆け出した。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――っ―――のぉおっ!!?」

 

 まるで蜘蛛の幽霊だと、怖気を感じながらいつの間にか目の前に来ていたその黒い痩身の男へとラウルは剣を振るった。

 人と言うよりも蜘蛛や蠍といった昆虫染みた動きをするその黒い痩身の男は、動きの奇っ怪さだけでなく。少し目を、気を逸らせば何時の間にか姿を見失ってしまうような気配の薄さがあった。

 もしも自分一人だけで相手をしていたのならば、直ぐに首でも切られて殺されてしまっていただろう。

 幸いにも、5人のサポーターの内一人を除いた4人に合わせ、副団長(リヴェリア)の5人で対しているため、例え自分が見失ったとしても他の者がサポートしてくれた。

 しかし、4人のレベル4に魔導師とはいえレベル6の副団長がいるにも関わらず、相対するこの黒い痩身の男(化け物)との戦いは拮抗が続いていた。

 幸い―――と言っていいのか、黒い痩身の男の動きの速さや隠密の能力は手に負えないが、力―――攻撃力といった点に限れば一撃を受ければお仕舞いと言うような理不尽な力は感じられなかった。

 しかしそれでも、黒い痩身の男の動きは捕らえにくく手数は多く、そしてその攻撃の初動もまた捉えることは難しかった。

 故に防戦一方となり、少しずつ削られるようにダメージがリヴェリアの盾となっているサポーター達の身体に蓄積していっていた。

 だが、そんな身を削られている彼らの意思が揺れることはなかった。

 それは自分達が都市最強の一角である【ロキ・ファミリア】の一員であるという誇りの他に、何よりも背後にいるリヴェリアへの信頼の厚さ故であった。

 そしてそんな彼らの信頼にリヴェリアも応える。

 

「―――【ヴェール・ブレス】ッ」

 

 黒い痩身の男との先頭に入って直ぐに詠唱を始めていた呪文を完成させ、その効果を周囲にいるラウル達へと向ける。

 【ヴェール・ブレス】―――リヴェリアの使用する魔法の第二階位魔法。

 物理、魔力属性に対する抵抗力を共に上昇させるだけでなく、僅かにであるが回復効果も併せ持つ魔法である。

 緑の風が駆け抜けた直後、また姿を見失った黒い痩身の男に対して周囲を警戒していたラウルの目が、隣で同じく警戒をしていたクルスの横をすり抜けるようにして通り過ぎ、再度別の魔法の詠唱に入ったリヴェリアへと飛びかかろうとする影を捕らえた。

 

「ここは―――通さないっす!!」

 

 リヴェリアの前に飛び込むようにして、ラウルは黒い痩身の男の前に立ちふさがった。

 迎撃では間に合わないと直感的に悟り、ただ進行を妨害することにだけ意識を傾けていたことから、進行を妨害された黒い痩身の男の振るった黒い短剣の一撃を防ぐことはできなかった。

 

「っぐ?!」

 

 咄嗟に刃に対し腕を割り込ませることに成功したが、直後感じる鋭い痛みに噛み締めた口から苦痛の声が漏れる。

 だが―――

 

「舐めるんじゃないっすッ!!」

 

 片手に短剣の先が突き刺さったまま大きく腕を振るい、黒い痩身の男の手から武器を奪う。

 そして裂帛の声と共に、もう片方の手にある剣を振るった。

 

『――――――っ』

 

 まともに狙った訳ではない大降りの一撃を食らってくれるような、そんな安い相手ではやはりなく。

 黒い痩身の男は、しかし武器を奪われた事で警戒したのか、ラウルの一撃に対し大きく背後に飛び退いた。

 そして、それを見たラウルは既に口を開いていた。

 

「―――斉射ッ!!」

「「「了―――解ッ!!」」」

『ッ――――――ギッ?!』

 

 後ろへと飛び退いた黒い痩身の男の足が地面に着く直前―――ラウルの合図と共に一斉にサポーター達が振るった魔剣が放たれる。

 風が、炎が、水が周囲を包み込む。

 黒い痩身の男を中心に広がる爆発が大気を震わせる。

 タイミングはこれ以上はなく。

 またこれだけの威力。

 確かな手応えも感じたことから、ラウル達の気が一瞬抜けてしまう―――だが、歴戦の冒険者であるリヴェリアは違った。

 サポーター達による魔剣の一斉掃射による爆発が、黒い痩身の男を飲み込んでも、口ずさむ詠唱は止めはせずに―――。

 

『――――――シャアアアアアアアァァァァッ!!!』

「なっ―――」

 

 土埃を舞い上げる場所へと目と意識を奪われていたラウルの眼前に何時の間にか現れた黒い痩身の男が、昆虫染みた声を上げながら手に持つ短剣を突きだしていた。

 地面すれすれからかち上げるようなその一突きは、正確にラウルの喉元へと向かっていた。

 確殺の一撃は―――しかし―――

 

「―――【ウィン・フィンブルヴェトル】ッ!!」

 

 ―――極寒の三条の吹雪により遮られる事となった。

 ラウルの傍を囲むように突き進む槍の如き三つの吹雪は、咄嗟に回避へと移った黒い痩身の男の身体を僅かに掠めるといった結果となる。

 完全な不意打ちでありながら、回避を成功させた黒い痩身の男の姿に、警戒を更に高めたリヴェリア。しかし、離れた位置で腰を落としこちらを覗き見る痩身の男の身体から、ナニかが欠けて落ちているのを見つけた。

 

「ラウルこの調子でやるぞ。油断なく落ち着いて対処しろ。焦らずこのまま魔法と魔剣で押し潰すっ!!」

「「「「っはい」」」っす!」

 

 リヴェリアの戦意に満ちた声に、身体と心を奮い立たせながら、ラウル達は一斉に声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――こっ、の!!」

『――――――ッ!』

 

 ティオネと共に黒い槍兵の猛攻を防ぐ中、時折距離が開いた時を見計らい周囲を伺っていたフィンは、団員達と他の黒い敵との交戦状況の推移を確認していた。

 

(―――一進一退と言ったところか。僕らとアイズ達はほぼ互角に対し、リヴェリアと椿はやや押している)

 

 リヴェリアと椿達が相手をしている黒い敵は、自分達が相手をしているのも含めどうやら遠距離の攻撃方法を持っていないらしく。魔法という遠距離の攻撃方法を持つリヴェリアとレフィーヤのお陰で、若干ではあるが優位に進めているように感じられた。反面、これと言った遠距離の攻撃方法を持たない自分とアイズ達は、有効な手段が今のところないため、互角とは言い切れないが、何とか劣勢とまでは追い込まれてはいなかった。

 これならば、時間は掛かるだろうが、リヴェリアと椿達が黒い敵(奴等)を何とか下した後、合流すれば倒すことは不可能ではない――――――そう――――――。

 

「――――――がああああああああっ?!」

「っああああぁあ?!!」

 

『■■■■■■■■■■■■■■ッ!!!!!』

 

 ―――()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人の可聴音を越える、最早咆哮ではなく階層主のハウル染みた声と共に振るわれた無造作とも言える一振りにより、ガレスとティオナが大量の土砂と共に吹き飛ばされていく。

 近接戦に特化している者達の中で、【ロキ・ファミリア】―――いや、都市でも最強の耐久と力を有したガレスと力だけでなく速度もあるティオナの二人。

 上手くはまれば相性の良い階層主であっても二人だけでも十分に相手取れる力を持つ筈だが、そんなガレス達がただの一振りで、その場に踏み止まることもできずに吹き飛ばされていっていた。

 

「―――ちょっと、こいつっ?!!」

 

 ごろごろと土埃を上げながら地面を転がっていたティオナだったが、転がる勢いでもって飛び上がるようにして立ち上がると、吹き飛ばされるも体勢を崩さずに地面に深い二つの線を描きながら後方へと引き離されていたガレスに引きつった顔を向ける。

 

「っああそうだの! こいつはっ―――」

 

『■■■■■■■■■■■■ッッ!!!』

 

 十数Mも強制的に引き離された距離を、瞬時に踏み潰しながら眼前に迫った黒い巨躯が、空がのし掛かってくるような圧力と共に黒い歪な大剣を振り下ろしてきた。

 

「っくおおお?!!」

「ガレスッ?! っこのおぉおお!!」

 

 戦斧を両手で掲げて受け止めたガレスだったが、その頑強な肉体と不壊武器(デュランダル)製の武器は耐えるも、両足が踏みしめる土台は耐える事が出来なかった。

 足元に亀裂が入ったかと思えば、衝撃と破壊音と共にガレスの下半身が地面に打ち込まれ、埋まっていた岩や土が放射線状に吹き上げられた。

 低身長のガレスの身体が、更に半分程にまで縮んで見える。

 顔をしかめ、直ぐに身体を抜け出そうとするガレスだが、それよりも速く黒い巨人が、今度はその黒い大剣を横へと薙ぎ払おうとしていた。

 それを止めようとティオナが飛びかかる。

 両手に掴む大双刃(ウルガ)を跳躍に回転の遠心力を加えた威力をもって、無防備な背中に叩き込む。

 超硬金属(アダマンタイト)を大量に用いた超重量のその一撃は、これまであらゆるモンスターの分厚い皮膚を貫き骨を砕いてきた必殺の一撃。

 だが――――――

 

「――――――ッ?!!」

 

『■■■■■ッ!!!』

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 背中に受けた致命の筈の一撃に対し、ただ煩わしげに視線を向けた黒い巨人が、ガレスを薙ぎ払わんとしていた大剣の向ける先をティオナに向ける。

 戦いが始まってから何度となく打ち込む機会があり、ティオナは既にこの黒い巨人に軽く十を越えた数の全力を込めた一撃を喰らわせていた。

 しかし、そのどれもが決定打になる処か、何の痛痒を感じさせる事すら出来ないでいるのが現状であった。

 自分の全力の攻撃が全く通じていないことに、悔しげに歯を噛み締めるティオナが、振り下ろされんとする黒い大剣に殆ど意地のような気持ちで立ち向かわんと大双刃(ウルガ)を構える。

 

「どっせいッ!!!」

 

 だがそれを、今度は地面から抜け出してきたガレスが止める。

 両手に握った戦斧を、ティオナと同じく黒い巨人のがら空きの背中に叩き込む。

 やはりそこは同じレベル6であっても、積み重なってきた経験値が違うのか、黒い巨人の体勢が大きく崩れる。ティオナの頭上に振り下ろされんとしていた黒い大剣は狙いを大きく外し、ただ地面に大きな穴を開けただけとなった。

 そして、自分の横に隙だらけの横顔を見たティオナは、口許に凶悪な笑みを浮かべると共に、その顔面に大双刃(ウルガ)を叩き込んだ。

 

『ッ■■■!!』

 

 体勢を崩していたことからか、今度の一撃は耐える事ができず顔を中心に一回転しながら吹き飛んでいく黒い巨躯。

 大量の土煙を上げながら地面へと叩きつけられた黒い巨人は、しかし―――やはりと言えば良いのか、直ぐに何の痛手を感じない動きで立ち上がった。

 

「ねぇ、あれってただ効いていないように見えるだけで、実際は結構効いてたりしてないかな?」

「ふんっ、わかりきった事を聞くでない」

 

 肩で息をしながら、両手にある大双刃(ウルガ)の先端を地面に突き立てたティオナが、何処か笑っているようにも聴こえる声でガレスに問いかける。

 それを黒い巨人を睨み付けながら、ガレスは手に未だに残る、打ち込んだ際の衝撃と感触を感じながら吐き捨てるように言い放つ。

 

「何で出来ておるんだあの身体はっ。頑丈にも程があるぞっ!? いや、頑強にしても異常すぎるっ―――これは何かからくりがあるぞ……」

「からくりって?」

「それがわかれば苦労はせんわい。ただそれが無くとも――――――」

 

『―――■■■■■■■■■■■■■■ッッ!!!』

 

 声だけで周囲の地面に罅を刻む。

 階層主のハウルの如き咆哮と共に、黒い巨人が駆け出してくる。

 モンスターというよりも、巨大な自然現象―――人型の嵐のような暴力の化身が迫る感覚に、押さえ込めない震えを感じながらガレスは、血の味が混ざる唾を喉を鳴らして飲み下す。

 

 (―――冒険者で言えば確実にレベル6以上ッ!? オッタルに匹敵っ?! いや、下手をすればっ!!?)

 

 武者震い―――とは言い切れない震えを、戦斧を握る手に力を込めることで無理矢理押さえ込む。

 確実に自身を越える―――いや、レベル6を越えた理外の力と耐久力。

 何とか此れまで持たせられたのは、この黒い巨人が攻撃のみに偏重して自分の身体を省みていないお陰であった。

 それがこちらの攻撃が一切通じていない、その異常極まりない耐久力に対する自信故だろうが、効かなくとも相手は肉体を持ち二本の足で大地に立っている。

 上手くやれば、先程のように体勢を崩すことも吹き飛ばすことも可能。

 しかし、それは結局のところ時間稼ぎでしかなく。

 

(っ―――突破口が見えんっ!? このままでは―――)

 

 少しずつ足元が崩れていくような感覚。

 確実に追い詰められていっているのを感じる。

 己はまだ何とか持たせられるが、ティオナは既に限界に近い。

 そして、ティオナが倒れれば、この危ういバランスで保っている均衡は一気に崩れる。

 そうなれば、己だけでなく、他の黒い敵と相対している仲間達の均衡も崩れてしまう。

 

 敗北へと。

 

『■■■■■■■■■■■■ッッ!!!』

「ッオオオオオオオオ!!」

「ヤアアアアアアア!!」

 

 確実に迫る敗北を寒気と共に背中に感じながらも、ガレスはティオナと共に咆哮を上げる。

 頭の良くない己が何を考えようとも、この場を乗り越えることは難しい。

 しかし、自分には仲間がいる。

 故に、ガレスはもう思考の全てを捨てると、ただ一人の戦士としてこの戦いのみに集中すると決め、闘争に思考と身体を染め上げ駆け出した。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(っ――――――一体規格外に過ぎる奴がいるっ!? 例えリヴェリアと椿が加わっても、アレ(黒い巨人)を倒せる方法が思い浮かばないっ!? っ、いやまて、別に倒す必要はない。何とか引き離して逃げる隙を――――――)

 

 ガレスとティオナが相手をしている黒い敵の中でも、全く別のモノ―――規格外としか言い様のない黒い巨人の事を考え、何とかこの場を潜り抜ける状況を作り出そうと、自身もぎりぎりの戦いの中、戦闘と同時に思考を回していたフィン。

 全体的に戦況は一進一退。

 大きすぎる問題(黒い巨人)はあるが、今すぐに全滅と言った逼迫した状況ではない。

 とはいえ決して楽観ができる状況でもない中、フィンはこの死地から逃げ出す算段を立て始める。

 

(―――そう、倒す必要はない。何処まで追ってくるかはわからないが、ここ(59階層)から出られれば、引き離せる方法は幾つもある。なら、リヴェリアの手が空けば、魔法で広範囲に―――)

 

 そして、か細いが何とか出来るかもしれない手段に手を伸ばしかけた時であった。

 

『『『――――――ガアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』』』

 

 ()()()()へと続く連絡路から、雪崩打つように咆哮と共に押し寄せてくる、食人花と新種の芋虫型のモンスターの大量の姿が現れたのは。 

 

「――――――なぁッ??!!」

 

 フィンの口から、思わず悲鳴染みた驚愕の声が上がる。

 声だけでなく、思考すら悲鳴を上げていた。

 

(馬鹿なッ!!? くそっ!! 最悪だッ!!??)

 

 口汚く思考であるが、自身が陥った状況を罵るフィンは、掴みかけていた希望が儚く砕ける音を幻聞した。

 あれ等(食人花等)が、黒い敵に対してどんな対応を取るかは分からないが、確実に混乱が起きる。

 そしてその混乱は、確実にこちらに不利なものとなる。

 せめてリヴェリア達の手が空いていたら、先程考えていた方法でその混乱に乗じて逃げ出す事も出来たかもしれなかったが、まだ誰一人としてあの黒い敵を倒してのけた者達はいない。

 

(っ―――どうするっ!!?)

 

 絶望が、フィンの身体を染め上げ始める。

 思考にノイズが混じり始め、肉体にかかっていた疲労が一気にその重みを増した。

 他の者達も気付いたのだろう。

 戸惑いや「何で?」「どうして?」といった悲鳴のような疑問の声も上がっている。

 状況が更に悪化したことを強制的に理解させる仲間の声に、フィンも同じように声を上げたくなったその時――――――

 

 

 

「―――フィンッ!! 時間を稼げッ!!!」

 

 

 

 絶望を切り裂くように、何時しか思考から外していた一人の男の声が、フィンの耳と絶望に染まりそうになっていた思考を打ち払った。

 

「ッ!?」

 

 眼前まで迫っていた黒い槍兵の攻撃をティオネと共に打ち払い、生じた僅かな間隙で小さな体躯を利用して相手の内側に入り込み蹴りを叩き込む。

 攻撃は片手で防がれるも、勢いは殺せずに吹き飛んでいく黒い槍兵。

 上手く相手から距離ができるのを確認し、警戒しながらも僅かに視線を声の聞こえてきた方向に向ける。

 視界の端に微かに引っ掛かる位置には、先程の声の主が片手に黒い弓を持ち立つ姿があった。

 

「切っ掛けはオレが作るッ! その後は全力で58階層を目指せッ!!」

 

 黒い弓を持つ男―――シロの声に、フィンは口許に小さく、しかし決して悪いものではない笑みを浮かべると、周囲で戦う皆に聴こえるように声を張り上げた。

 

「みんな聞こえたなッ!! 何とか時間を稼いでとっととここから脱出するッ!!」

「っはい!」

「了―――解!」

「わかっ―――た!」

「チィッ!」

 

 自分の声に応じる中にも、全員が全員完全に賛成といったものではなく、小さな不満を聞き取ったフィンは、自身もまた、槍を握る手に改めて力を込めると、周囲と―――何よりも自分に向かって声を張り上げた。

 

「勿論っ―――このまま倒してしまっても構わないっ!! さあっ、踏ん張りどころだっ! 全力を尽くせッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 




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第七話 崩壊

「―――っ、ぁ」

 

 意識が覚醒した際、始めに感じたのは酷い倦怠感だった。

 目が覚めていると言うのに、瞼を上げる事さえ億劫に感じる程の粘りついた泥のような疲労が、身体の内側を浸しているかのような。

 それでいて意識は完全に目覚めているため、意識と身体の()()が余りにも酷く、シロは立ち上がる処か声を上げることすら一苦労といった状態であった。

 あらゆるモノが身体から抜け落ちたような感覚もあり。

 酷い空腹と喉の乾きも感じられる。

 無意識に、口の中に微かに感じるポーションをあの独特の味を追うように舌を伸ばす。

 同時に、何故口の中にポーションの味があるのかという疑問が浮かぶが、極度の精神的、肉体的疲労がそれを深く突き詰める事を妨害していた。

 このまままた、ゆっくりと意識を失ってしまいたい。

 余りにも強いその誘惑は、しかし―――

 

『―――■■■■■■■■■ッッ!!!』

 

 何か膜が掛かっているような違和感を感じる耳であっても、ハッキリと聴こえる何かの咆哮が、ゆっくりしていられる状況でないことを強制的に理解させた。

 

「っ―――一体、なに、が」

 

 シロの最後の記憶は、アイズを後ろへと投げつけた瞬間目の前が暗くなった所で消えていた。

 下からナニかが来ていることは直前とはいえ気付いていたことから、その(アイズを後ろに投げた)後の対応も考えていたにも関わらず、下から来たナニかに食われたと思った時には、既に意識が消えてしまっていた。

 そして、次に目を覚ました時が、今のこの状態であった。

 

「ナニと、戦って……?」

 

 地面に手をつき、老人のようにゆっくりとした動きで身体を起こしたシロは、肌を震わせる戦闘の余波によるものだろう衝撃と、【ロキ・ファミリア】の団員達の声と対抗するように響く()()かの咆哮が聞こえてくる方向に顔を向けた。

 

「―――――――――ぁ、あ?」

 

 そして、ソレを見た。

 黒いナニかで出来た5つの有り得ない―――有ってはならないモノを。

 

「バーサー、かー……?」

 

 漆黒に染まった見上げるような巨躯が握る巨大な大剣が横に薙ぎ払われ、ガレスとティオナが耐える事も出来ずに大量の土砂と共に吹き飛ばされていく。

 

「せい、バー?」

 

 アイズ、ベートと言う都市でも最上位の近接戦闘能力を持つ二人を相手にしながら、その悉くを避わし、受け止め、そして黒いナニかで形作られていてもわかる華奢とも言える身体で、僅かな隙を見逃さず長剣を一振りして確実にダメージを与える黒い剣士。

 

「らん、サー?」

 

 ティオネが斧槍(ハルバード)による強力な一撃を振るい、その際に生じる僅かな隙をフィンが両手に握る二槍を持って埋める。間断なく、そして隙のないその攻撃を、獣染みた俊敏さと練り上げられた槍捌きによりその悉くを踏破し、攻撃に転じる漆黒の槍兵。

 

「あさ、シン?」

 

 守りに徹する椿の身体を、嘲笑うかのように振るわれる長大な刀により削るように切り刻む長髪の黒い和装の男。幾度も振るわれる致命の斬撃を必死に耐え抜く椿が耐えられるのは、時折後方から放たれるレフィーヤの魔法による力によるもの。人一人を軽く包む極太の光線が、幾度も椿の命に届きそうになった一撃を防ぎ止めていた。

 

「っ? アサシンが、二人?」

 

 リヴェリアの魔法が放たれる。都市最上位に位置する魔導師たる彼女が放つ魔法により、周囲に破壊が撒き散らされる。

 砕ける地面。

 吹き上がる土埃。

 宙に浮く大量の土砂と岩の固まり。

 その影に、漆黒に濡れた痩身の男の姿があった。

 散らばる土砂に紛れ、吹き飛ぶ岩を足場に移動しながらサポーター達に囲まれたリヴェリアへと迫る。

 それに、リヴェリアも、サポーターも気付いていない。

 だが、一人のサポーターが迫る黒い影に目を向けるなど気付いている様子がないにも関わらず、手に握った魔剣を放つ。

 威力よりも範囲に片寄ったその魔剣の一振りは、不可視の衝撃を周囲一帯に放ち、忍び寄っていた痩身の影を吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何が、起きているっ―――!?」

「きゃっ―――!?」

 

 目に飛び込んできた余りの光景に、シロが身体と精神を蝕む疲労を忘れて思わず声を上げると、隣から小さな悲鳴が聞こえた。

 直ぐ隣にいた存在に気付いていなかったことに、シロが自分がどれだけ動転しているのかを理解し、混乱しかけている思考を落ち着かせるため深く息を吐きながらその声の主を見上げた。

 

「っ、サポーターの……」

「は、はいっ。ナルヴィ・ロールです。良かった、気付かれたんですねっ!」

 

 【ロキ・ファミリア】と黒い敵との、その壮絶な戦いに目を奪われていたナルヴィは、目を覚ましたシロの声に小さく悲鳴を上げるも、直ぐに気を取り直すと地面に膝をつき視線を合わせてきた。

 

「助けて、くれたのか?」

「あ、はい。団長の指示で、えっと、そのすみません。無理矢理口の中にポーションを突っ込んでしまって、その……」

 

 苦笑いを浮かべたナルヴィの視線が、地面を転がる数本の空ビンへと向けられる。

 

「いや、お陰で助かった。それで、状況が全く把握できない―――が、悠長に話を聞いている暇は無さそうだな」

「っ―――そう、ですね。あの、あなたの力なら―――」

 

 小さく首を横に振りながら、シロが万全とは程遠い身体を、それでも何の痛痒を感じさせない動きで立ち上がらせると、戦場に挑むようにその鋭い視線を激戦を繰り広げる戦いへと向けた。

 その姿に、ナルヴィが期待を込めた視線を向けながら参戦を願う言葉を向けたが。

 

「……いや、残念だが、どうやらオレが参戦しているような時間はなくなったようだ」

「え? それは―――」

 

 言葉半ばに否定を向けられたナルヴィが、その疑問を呈するよりも前に答えが姿を現した。

 

『―――ガアアアアアアアアアッ!!!』

 

「っまさか!?」

「ここで、これか……」

 

 何十もの割れ鐘を鳴らしたかのような不快な咆哮が響き渡り。60階層へと続く連絡路から文字通り数えきれない程の食人花や芋虫型のモンスターが溢れ出してきた。

 ナルヴィの疑問の声で上げる悲鳴を背中に聞きながら、シロは眉間に刻んだ皺を更に深める。 

 

「ど、どうしたらっ!? 団長のところへ? いやでも? ああっもうっ!!?」

「落ち着け」

 

 ナルヴィが黒い槍兵と戦うフィンと地面に置かれた自分の荷物の間で視線を何度も移動させながら、両手で頭を挟むようにして混乱を露に声を上げるのに対し、シロが顔を向けずに動揺を欠片も感じさせない声で言葉短く注意を促す。

 

「っ―――分かっていますよっ!? でもっ、こんなの―――」

 

 しかし、ナルヴィは落ち着く処か、自分と周囲の状況に対する苛立ちを抑える事が出来ず。混乱に怒りを加えた荒げた声でシロに反発するように返事を返す。

 

「……ポーションは、どれだけある?」

「え?」

 

 それを、シロの落ち着いた声で向けられた問いかけが、ぐしゃぐしゃになりかけていたナルヴィの思考を一時落ち着かせた。

 

「ポーションだ。魔力―――精神力を回復させるアイテムなら何でもいい。何かあるか?」

「え、あっ、それなら幾つか―――でも、何で?」

 

 その小さな間隙に滑り込ませるように、シロが続けて問いかけを投げ掛けると、ナルヴィは反射的に荷物へと視線を向けながらその問いに答えながら疑問の声を上げた。

 

「説明している時間はないっ。全て渡せっ! その後はリヴェリアと合流してフィンの指示に従えっ!」

「っ―――で、でも」

「時間がないっ!! 問答している暇などないぞっ!!?」

「はっ、はいっ!!?」

 

 しかしシロはその疑問に答える事はせずに、ただ視線も向けずに空いた手をナルヴィに向けた。

 ナルヴィは荷物と向けられたシロの手の間を行ったり来たりさせながら、躊躇していたが肩越しに向けられた視線と声に反射的に頷いてしまう。

 

「……やるしか、ない……か」

 

 直ぐに視線を前へと、【ロキ・ファミリア】と黒い敵が激戦を繰り広げる場へと土煙を上げながら迫る津波の如き緑の塊を睨み付けたシロが、背中から聞こえてくるガチャガチャと荷物からナルヴィがポーション等を取り出す音を聞きながら小さく呟く。

 

「可能性は五分―――いや、良くて三といった所か」

 

 苦しげに聞こえるその呟きからは、自信の程は感じられず。深く刻まれた眉間の皺からも楽観的な考えは全く抱かせてくれない。

 その通りである。

 目が覚めてから現状が全く把握出来ていない中で、ただ状況が悪化の一途を辿っているとしかわからない今、シロがこの短い時間で考えたついた作戦とも言えないそれは、殆ど賭けのようなものであった。

 しかし、神でも歴戦の軍師でもないシロの頭で考え付いたのは、そんな運に頼るようなものでしかなく。

 シロは【投影】した黒い弓を握る手に、苛立ちや不安を握り潰すように強く力を込めた。

 

「あまり運には自信がないんだが……贅沢は言えんか……」  

 

 精神力を回復させるポーション等のアイテムを纏めた袋をナルヴィから渡されたシロが、リヴェリアと合流するため駆けていくその背中を一度チラリと見ると、小さく溜め息をつきながら手渡されたモノを、早速飲み干した精神力を回復させるポーションの空ビンと共に足元に転がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――勿論っ―――このまま倒してしまっても構わないっ!! さあっ、踏ん張りどころだっ! 全力を尽くせッ!!!

 

 発破を掛けるフィンの声と共に、戦意をみなぎらせたアイズ達が黒い敵―――サーヴァントと思しき相手へと向かって挑みかかる姿を見て、シロは厳しく固めていた口許を微かに緩めた。

 しかし、直ぐに引き締めると、ポーションにより急速に回復した精神力―――魔力に意識を向けた。

 

(―――さて、やるか)

 

 心の中で、小さく決心の声を上げると共に、詠唱を始めた。

 

「―――【投影(トレース)開始(オン)】」

 

 シロの詠唱と共に、背後の空中に無数の剣が姿を現していく。

 硬く、鋭く―――そして何よりも見るものが見れば一目でわかるその秘めた力。

 シロが【投影】したものは、只の剣には非ず。

 通常の剣ではなく、一振りすれば魔法が放たれる『魔剣』であった。

 ただの武器ではなく、魔力が込められたその剣の中には、ものによれば位階の低い宝具を越える力がありながら、【投影】に消費される魔力量は比べるまでもなく低く。

 単純な破壊力だけで考えれば、下手な宝具を【投影】するよりも効率が比較にならないほどに良かった。

  幸い―――と言っていいのかどうかは分からないが、シロの保有する魔力量は、どういった理由かは不明であるが、彼が()()()()()()()()()()()()に比べ、比較的多くなってはいた。

 しかしそれであっても、ただの剣と比べれば消費する魔力は多く、十数本程度ならば兎も角、二十、三十となれば、一日がかりであってもその負担は大きいものとなっていた。

 だからこそ―――

 

「―――っ」

 

 足元に転がしていた袋から取り出したポーションを飲み干し、後ろに放り投げる。

 瞬時に回復した精神力(魔力)を使用し、更に魔剣を投影していく。

 あちらの世界であっても、魔力を回復させる方法は幾つかあった。

 宝石等に込めていた魔力や、第三者からの任意的、強制的な供給。

 他にも別の所から持ってくるなどといった方法が幾つもあるが、この世界ではシロが知る限りでは、精神力(魔力)の短期的な回復方法として最も利用されかつ簡単な方法があった。

 それが飲むだけで精神力(魔力)を回復させるポーションと呼ばれるもの。

 幸いなことに、他の魔導師が精神力で使用する【魔法】と同じく、シロが【魔術】で消費した魔力も回復させることが出来きた。

 このことは、【強化】が出来るようになった時にシロは直ぐに確認していた。

 どういった理屈で回復できるのか、この世界の魔導師が言う『精神力』とシロの知る『魔力』が同一なのか、それとも違うものなのか等、疑問は幾つも浮かぶが、問題なく使えるのなら構わないと、シロは深く知ろうとはしなかった。

 魔力を限界まで使用し、底を着けばポーションで回復―――回復したら、それがなくなるまで『魔剣』を【投影】する。

 それを何度も―――準備したポーションがなくなるまで繰り返す。

 そして、遂に―――

 

「―――っ、これが最後か」

 

 右手に持つポーションが入った瓶に視線を向ける。

 渡された精神力を回復させる上級かつ高額である筈のアイテムの数は十と幾つか、その最後の一つを手にしたシロは、一気にそれを飲み干すと、それを他と同じく後ろへと放り捨てた。

 放物線を描きながら飛ぶ上級ポーションであることを示すかのように精緻な紋様を刻まれた空瓶。それを無造作に放り捨てられて行く中空には、数十―――いや、百にも届いているだろう無数の『魔剣』が、主の命を待つ忠臣のように、その切っ先を戦場へと向けた姿で静止していた。

 そしてカツン、と放り投げた最後の瓶が、地面に転がっていた空いた瓶へとぶつかる音が辺りに小さく響き。

 

「【投影、(トレース)】」

 

 シロが最後の投影を始めた。

 それは、これまでの【投影】とは違った。

 目を閉ざし、意識を心の奥底へと沈めるような雰囲気を纏わせたその姿は、大魔法を放つ前のリヴェリアのような気配を感じさせた。

 そして、その感覚は間違いではなかった。

 今、シロが【投影】しようとするのは『魔剣』ではなかった。

 シロの『記録』に刻まれた一振りの剣。

 螺旋を描いた伝説に語られる【宝具】―――その剣を自身の奥底から呼び起こしていた。

 

「【―――開始(オン)】」

 

 時間にして僅か数秒。

 しかし、その集中力と消費した魔力量は、これまで【投影】した『魔剣』とは比べ物にならず。

 また、その力もまた桁違いのものであった。

 ゆっくりと閉ざしていた瞼を開き、シロは右手に感じる確かな形へと視線を向けた。

 視線の先―――そこには、一つの伝説があった。

 螺旋を描く通常の剣とは異なる形状のそれは、しかし見るものを圧倒する存在感と内包する力を周囲に見せつけていた。

 

「―――これで、準備は整った」

 

 寸分の間違いもなく、『記録(記憶)』通りのその剣を目にし、シロが小さく覚悟を決めるように呟くと、右手に掴むその【宝具】を握り直した。

 その持ち方は明らかに剣を掴むそれではなく、弓に矢をつがえるような持ち方で。

 それが正解であるというように、シロは無言のまま右手に掴んだ【宝具】を左に握る弓の弦の元まで持ち上げると―――

 

I am the bone of my sword(我が骨子は捻じれ狂う)

 

 詠唱を唱えると共に、一気に剣を弦へとつがえ後ろへと引く。

 すると、一振りの剣が絞られるように捻り―――縮み―――歪な一本の矢へと変化した。

 ギリギリと引き絞られる弦の先。

 矢へと変化された剣の切っ先を中心に、魔力が渦を巻き始めていく。

 周囲に漂う魔力を引き込み、巻き上げ―――奪うように、喰らうように。

 シロを中心に空間が悲鳴を上げているかのような勢いで、()が貪り尽くさんと魔力を貪欲に取り込んでいく。

 突如として発生した魔力異常。

 急激な魔力の減少と反比例して一ヶ所に異常に集中するその現象は、この場(59階層)にいる全てのものの意識すら強引に引き寄せる。

 そう、それは薄氷を踏むような戦闘を続けるフィン達であっても無視するには余りあるものであり。

 また、その急激な魔力の高まりの異常さを示すかのように、近付いているとはいえ、未だ遠く離れている位置にいるモンスターの群れの意識もまた、明らかにそちらへ向けられていた。

 そして、フィン達と戦う意識があるのかすらわからない、黒い敵も同じく。

 その視線? 意識? 

 それが、明らかに僅かに、しかし確かに相対しているフィン達から逸れた。

 その―――僅かな間隙を見逃さず。

 シロは声を上げた。

 

「フィンッ!! ―――今だッ!!」

「ッ―――放てッ!!」

 

 シロの声に被せる勢いでもって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 フィンの指示と同時、放たれる二つの魔法。

 それは、フィンの狙い通り5体の黒い敵を纏めて吹き飛ばすことに成功した。

 シロの声を聞いた時から、フィンは少しずつバラバラに離れて戦っていたアイズ達を、互いの戦闘域が重なりあわないギリギリの位置へと移動させていた。

 同時に、リヴェリアとレフィーヤに範囲攻撃が出来る魔法の準備をさせ、それをシロの合図と共に敵に直接ではなく、その前―――足下へと放つよう事前に指示していたのだ。

 結果としてそれは正解であった。

 黒い敵との戦いの中で、フィンは範囲魔法であってもまともにダメージを与えるのは難しいと考え。そこでダメージを与えることを端から切り捨てることにし、代わりに相手との距離を取るために使用して、出来た隙で退避すると言う目論見を立てた。

 そしてその目論見は当たり、リヴェリアとレフィーヤの魔法により大量の土砂と衝撃が黒い敵と【ロキ・ファミリア】の間に一瞬の断絶を作る事に成功。

 フィン達は瞬時に反転し58階層へと続く連絡路を目指し走り出し―――――― 

 

「「「――――――ッ??!!」」」

 

 走り出そうとしていた足が無意識に止まり掛ける。

 彼らの目に飛び込んできたのは異常極まりない光景。

 黒い弓を引くシロの頭上には、それこそ何十―――いや、百を越えるだろう剣が切っ先をこちらへ向けて空中に静止していた。

 シロが無数の見えない軍勢を率いているかのような光景であるが、しかし、フィン等【ロキ・ファミリア】の意識を奪うのは、空中に浮かぶその無数の剣群ではなく、弓につがえらえれた歪な矢であった。

 先程から感じていた異常な魔力の集束の中心たるそれは、今や目に見える形で空間すら捻れ歪めさせていた。

 これまで数多の修羅場を潜り抜けていたフィン達の本能が全力で告げていた―――近寄るなッ!! と。

 ()()に近付くなと、本能よりも根本的な―――魂からの絶叫染みた警告の声に、無意識に足が止まり掛ける。

 しかし、その足が止まる直前―――緩まる速度をフィンの声が叱咤した。

 

「――――――ッ!!! 止まるなぁッ!! 走れぇええええッ!!!!」

「「「――――――ッッ!!??」」」

 

 フィンの悲鳴のようなその声に、皆の止まりかけた足が加速した。

 それでも一秒でも早く連絡路へとたどり着く必要があると分かっていながらも、遠回りに避けるように大袈裟なほど大きく回り込むようにしてシロを避けて駆け抜けていった。

 シロの姿が、視界から外れ、あの異常極まりない矢の姿が完全に見えなくなると、ようやくフィン達の心に少しの落ち着きが戻るが、事態は決して猶予があるわけでもなく、彼らの足は更に加速していく。

 そんな中、足が遅いレベル4を中心にして駆ける【ロキ・ファミリア】の中で、一人椿だけが、未だ未練を残しているかのように背後に―――シロへと意識を向けていた。

 その頭にあるのは、シロが弓につがえている矢―――ではなく。

 空中に静止する無数の剣群。

 百を越えるだろうその中に見つけた、有り得ないものに―――であった。

 椿はその光景を見た瞬間、それが何なのかわかっていた。

 百を越える空中に静止する無数の剣―――その全てが『魔剣』である、と。

 それも、見渡す限りのそのどれもが、『魔剣』の中でも選りすぐりの一級品であることを。

 だが、それは確かに異常で目を疑う光景であるが、ただそれだけであったのならば、椿もシロが弓につがえる矢へと意識と興味を奪われていた筈であったが……。

 そうではなかった。 

 何故なら―――見つけてしまったのだ。

 空中に静止する無数の剣の中に、自分が打ち上げた『魔剣』の姿を。

 ただ見つけただけならば良い。

 問題はそこではなく。

 その見つけた()()()()()()椿()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 同じ刀が二振り。

 単に似ているだけでは、絶対にない。

 椿は確信していた。

 その空中に静止する『魔剣』は自分の打ち上げたモノであり。

 今も手に持つそれであると。

 理解不能で意味がわからない。

 ()()()()()()()()

 贋作? という考えが浮かぶが、即座に否定。

 見間違える筈がない。

 あれは確かに自分が打ち上げた『魔剣』である。

 では、何故?

 答えの出ない疑問の嵐に、椿の駆ける足が動揺でふらついてしまう。

 このままでは知らず足を止めてしまう恐れがあった。

 だが、そんな椿の疑問や思考は、直後に起きた極大の衝撃により文字通り吹き飛ぶこととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「間に合うか―――っ!?」

 

 フィン達が自分を追い越し駆け抜けていくのを横目にしたシロは、もうもうと沸き上がる土埃を睨み付けながら小さく自問する。

 懸念していたフィン達の離脱は、彼らの連携と作戦により成し遂げられ、無事に黒い敵(サーヴァント)から離れる事に成功した。

 だが、未だ黒い敵(サーヴァント)達は健在であり、レフィーヤ達レベル4の足に合わせた速度で走る彼らでは、連絡路に辿り着く前に追い付かれてしまうだろう。

 それを防ぐための考えはあるが、それは賭けに近いものであり。

 シロ的には出来ればそれを行う前に、フィン達には連絡路へと辿り着いてもらいたかったのだが―――。

 

「やはり、無理か」

 

 舞い上がる土埃の一角が吹き飛び、そこに立つ巨大な黒い影―――バーサーカーの姿を確認したシロは、何かを耐えるように眉間に皺を一度深く刻むと、覚悟を決めるように目を閉じ―――開き。

 

「【―――停止解凍(フリーズアウト)】」

 

 自身が率いる百を越える剣群に命令を下した。

 

「【全投影連続掃射(ソードバレルフルオープン)】ッ!!!」  

     

 瞬間―――59階層という地下深くに、剣の雨が降り注いだ。

 それは空を切り裂き、舞い上がる土砂を吹き飛ばし、緑の巨大な津波の如く押し寄せていたモンスターの群れを抉り、貫き地面へと突き刺さっていく。

 向けられる先は広く集中することはなく、シロを始点に、60階層に続く連絡路へと広がるように降り注ぐ剣の雨は、しかしやはりと言うか、一本足りとも黒い敵(サーヴァント)の体を傷つける事は出来ずに弾かれ避わされてしまうが、その足をフィン達へと向けさせることを止めることには成功した。

 そして、もとよりそれがシロの狙い。

 一瞬でも良い。

 奴等の足が止まれば、そこへ―――

 

「【偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)】ッ!!」

 

 本命(偽・螺旋剣)を叩き込む予定であったっ!!

 

 放たれた歪に歪められた魔剣は、即座に音速を越えて空間を抉り削りながら突き進む。

 向かう先は、一番厄介で危険な敵である黒い巨人(バーサーカー)

 数百M程度の距離を、瞬く間も無く抉り突き進む魔弾は、そうして狙い違わず――――――

 

『■■■■■■■ッッ!!!??』

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 サーヴァントと思われる敵が五体に加え、無数の新種のモンスター。

 それを前にしたシロは、このまま戦えば確実に全滅するという結論に至った。

 どんなに上手く奇跡が重なったとしても、少なくともレベル4の者達は全滅するしかないという結論は、奇しくもフィンと同じ考えであった。

 故に、シロは直ぐに戦うのではなく、ここからの脱出に意識を向けたが、それもまた困難極まりないものであった。

 新種のモンスターだけならば何も問題はないが、サーヴァントのようなあの黒い敵。

 それが問題だった。

 ベートやアイズならば兎も角、レフィーヤ等サポーターの足では、一旦距離を取ったとしてもどんなに全力で走っても絶対に追い付かれる。

 ある意味で詰んでしまった盤面。

 それを前に、しかしシロは決してレフィーヤ等(レベル4)を見捨てるような考えは欠片も浮かべることはなかった。

 しかし、悠長に考えている暇などはなく。

 一秒毎にあらゆる希望と猶予が削られていくのを感じながら、思考を駆け巡らせていたシロの脳裏に引っ掛かったのは――――――。

 『精霊の女』と戦っていた際、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それを思い出したシロは、思い付いた―――思い付いてしまったその考えに、自分で考えた事ながらそのあまりの馬鹿げた作戦とも言えない自爆的なそれに対し、知らず苦笑を浮かべてしまった程であった。

 しかし、全員で助かる道はそれ以外になく。

 他の方法を考えている暇などもなかったことから、シロは直ぐに決断し行動を起こした。

 シロの思い付いたそれは、綱渡りをするかのような、そんな前段階が幾つもあったが、それもフィンの適切な判断により上手く行き、無事最終段階まで至ることとなった。

 そして、この作戦の鍵となる偽・螺旋剣(カラドボルグ)を59階層と60階層を隔てる地面へと打ち込む事に成功したシロは、それが60階層へと突き抜ける前に――――――

 

 

 

「―――【壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)】」 

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 直後に起きたそれは、何十年とダンジョンへと挑み続けた歴戦の冒険者である筈のフィン達であってさえ、比較するもの(経験)がないほどの衝撃であった。

 爆発音はあったのだろう。

 しかし、そのあまりの威力と衝撃の大きさゆえに、完全に人の可聴域を越えたそれを捕らえられたものはおらず。

 爆心地からかなりの距離があった筈のフィン達の背中を。その不可視の巨人の手(衝撃)により吹き飛ばし、意識すら弾き飛ばした。

 悲鳴すら上げる事もできず、背後からの衝撃に吹き飛ばされ地面を何十Mも転がっていったフィンは、しかしレベル6という人外の領域の肉体により、それでも霞掛かる意識と衝撃が収まらない身体を無理矢理起こし、背後へと視線を向け―――。

 ―――それを見た。

 

「――――――なっ???!!!」

 

 巨大な―――いや、広大な穴がそこにはあった。

 直径にして一体どれだけ―――少なくとも数百Mは下らない大きさのその巨大な穴は、フィンの目から見ても底が感じられず。間違いなく下の階層―――60階層まで至っているだろう事を予想させた。

 階層を貫く穴はこれまでも幾つも見てきた。

 それこそ51階層からは、砲竜(ヴァルガング・ドラゴン)による階層を貫く攻撃すら受けてきた身である。

 しかし、今目の前にあるこの穴に比べれば、そんなものは毛穴程度にしか感じられない。

 そんな非現実めいた光景()がフィンの目の前に広がっていた。

 今すぐにでも58階層へと目指さなければならないにも関わらず、呆然と立ち尽くすフィンの視界に、こちらへと走るシロの姿が映る。

 そこでようやっと我を取り戻したフィンが、思わずシロへと「何をした!?」と声を上げ掛けるも。

 それを制するように放たれたシロの声により、喉まで上がりかけた言葉を飲み込んでしまうことになった。

 

「――――――走れええええぇぇぇええええッ!!!!」

 

 そのシロの必死な声に、フィンが戸惑う間も無く。

 フィンの目の前にその理由が飛び込んできた。

 走るシロの背後。

 開いた大穴から――――――

 

「――――――ッッ!!!????」

 

 ビキリッ―――と罅が。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ッッッ―――――――――ニゲロオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!!????」

 

 それは最早命令ではなく悲鳴―――絶叫だった。

 その光景は、幸いと言って良いのか、全員が見ていたため誰も文句も言わず、フィンの声を合図にするかのように、一斉にただ悲鳴を上げ走り出した。

 ひたすらに、必死に走る彼らは、現実とは思えない悪夢染みた現状に足を止めることなく、冒険者として築いてきた本能に従い限界を越えた力で身体を動かしていた。

 シロの声を切っ掛けにしたかのように、穴から生まれるように広がる罅割れの数は増し続け。やがて59階層を支える大地に余すことなく入った罅割れは、フィンが感じた致命的という直感の通り。それは修復される様子どころか、少しずつ、しかし確実にそのズレは大きく広がっていき。

 遂にそれは始まった。

 

「「「――――――ッッ!!!!???」」」 

 

 地面が大きく一度グラリと揺れ―――割れた。 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シロが考えた策は単純極まりないなものだった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな単純なもの。 

 しかし他の者なら思い付くどころか考える事すら出来ないそれを、幸い―――不幸なことにシロは思い付いてしまい、そして彼には実行する能力があった。 

 地面表層に投影した魔剣を広範囲にばら撒き、続いて一発でそれに匹敵又は越える力を持つ宝具を地中に向け放つ。

 そして、それが60階層に抜ける前に()()

 宝具の爆破という極大のその力は、自身が開けた穴を通り(地表)へと向かうが、それを同時に起爆させた百を超す魔剣の爆破が無理矢理押さえ込む。

 例え百を超す魔剣の一斉起爆と言えど、宝具のそれを完全に抑えることは出来ないが、それでも、その大部分は押し込まれ上から横へと力は流れ。 

 結果として59階層全体に致命的な損傷を与えることとなる。

 この自爆としか言いようのない策であるが、シロにとって最悪は、爆破しても地面は微動だにしない事か、又は、逆に地面が一気に破壊―――崩壊し落下と言う結果であったが、幸いそんな最悪な結果にはならなかった。 

 とは言え、余裕があるわけでは決してない。

 

「―――っ」   

 

 鋭いその舌打ちは、思いの外強く弾かれたが、それを耳にする事ができたのは本人たるシロですら不可能であった。

 周囲に響く地面が裂ける音に砕け散り60階層へと地面が落下する音。 

 それに加え、噴火よろしく爆発と共に爆心地から吹き上がった大量の土砂が、遥か上空にある天井にぶつかった衝撃音。 

 最早人の声では、例え隣で絶叫したとしても聞こえないだろう。

 そもそも、鼓膜が未だ正常に作用しているのかも分からない。 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「―――っ、一騎ぐらいはと思ったが、やはりそう容易くはないかっ!?」 

 

 何百Mはあるだろう遥か上空にある天井に叩きつけられ、何百何千もの欠片と砕けた大地の成れの果ての上に、シロの目は確かに五つの黒い姿を捕らえていた。

 それが見間違いだと思えるほど、シロは楽観的ではない。 

 予想はしていたが、現実を前にすると流石に堪えるものがあった。

 だが、それも予想の内には入っていた事や、【ロキ・ファミリア】の移動速度も順調で、あと少しで全員が連絡路に辿り着くところもあって、シロは何とかなったかと一息着きそうになる。

 だが、そうであっても油断など欠片もしない。

 59階層が崩落しているのも考えれば、油断などしている暇などない。

 それに相手も相手だ。

 こんな状況であっても、ナニかをしてくる可能性もある。 

 それを訴えるように、この麻痺しているだろう聴覚にも聞こえてしまう咆哮が響――――――。

 

 

 

 

 

 ダンジョンが、哭いた――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここまで、幾つもの異常事態(イレギュラー)が発生していた。

 その何れもが規格外。

 どれ一つとっても未知が溢れるダンジョンに挑む冒険者であったとしても一生に一度も会うこともないようなそれが、短い間に幾つも生じた59階層は、完全に異界と化した場であり、最早何が起きてもおかしくはなかった。

 しかし、次に起きた事は、それは何かに反したものでも、規格から外れたものでもなく。

 正しく決められたこと(システム)として定められていた事であった。

 だが、それは不幸なことに、広く伝わっているものではなく。

 知る者が限られ、更に知ったとしても試すことは難しく、その真偽を確かめる術も難しいものであり。

 つまるところ、それをシロが知らなくとも仕方のないことで。

 だからこそ、それ(悲劇)は起こった。

 黒に堕ちた英霊の咆哮ではない。

 無機質な声で、音としか判別できない高音域で、しかしダンジョンは確かに哭いていた。

 鋼鉄に鋭い刃を力の限り強く突き立て引き裂いたよう()でありながら、ナニかを訴えかける()とも感じられる。

 知らないものにすれば、明らかな異常事態であるそれは、知るものであれば、設定された機能が始まる前触れでしかなく。

 崩れ落ちていく大地に揺れ、全てが壊れ逝く59階層の中、それは生まれ落ちた。

 最初にそれに気付いたのは、背後を―――周囲の警戒を未だ怠らずにしていたシロであった。

 この大崩壊の中でも確かに聞こえた、高音域のナニかが哭く声が響いた直後。

 天井から、壁から這い出てきたソレを。

 ソレは、細く、そして巨大だった。

 三Mは超すだろうその巨躯はしかし、異常なほどに細く。良く観察すればそれは細いのではなく、ただ肉がないのだと気付いただろう。ソレには肉はないにも等しく体つきは筋張っており、その一見華奢にも感じられる身体はしかし、不可思議な紫紺に輝く装甲のような『殻』に覆われており決して脆弱には感じられない。そして、その不気味な身体を支える四肢もまた異形であり、細長く延びたそれは、正常なそれではないことを示すかのように逆関節に作られ。また、腰からは長い、四Mはあろうかという硬質な尻尾も伸びていた。

 その異形を司る頭部もまた一際恐ろしげであり。草食獣とも肉食獣とも違う。しかし確かに獣の頭骸骨に似たその頭部に空いた二つの眼窩に宿るのは、紅い―――朱い血溜まりのような灯火で。

 

 毒々しい赤い輝きを宿すそれが―――二つ、四つ、十―――二十――――――。

 

 舞い上がる土砂。

 周囲を満たす視界を閉じる土煙と轟音の中に一瞬―――しかし確かに見た(不吉)は三十は軽く越え。 

 背筋を刺す新たな悪寒に、シロは反射的に今にも連絡路に飛び込もうとする【ロキ・ファミリア】等一団を見る。

 半分近くは既に連絡路に至っている。

 残りはサポーターとその援護に着くティオナ等数人だけ。

 あとほんの僅か。

 十秒もいらない。

 たった数秒もあれば全員が連絡路に辿り着けた。

 だが、シロは己の直感に従った。

 魔力は既に限界に近く、ポーションによる回復があれど、解消できていない肉体的なダメージが刻まれた身体に鞭を打ち、両手に双剣を投影。

 そして、それを直感に従い前方に―――今にも連絡路に飛び込もうとする一人の冒険者―――レフィーヤの背中に向けて投擲した。

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ――――――!!!!???」

 

 自分が何を叫んでいるのか自分でもわからなかった。

 声を上げているのは理解して(わかって)いる。

 しかし、それが何を形作っているのかがわからない。

 誰かの名前なのか。

 何かの警告なのか。

 怒声か。

 悲鳴か。

 それとも、ただ、形のない声だけを上げているのか。

 なにも、わからない。

 その声を押す感情もまた、自分のことなのに何もわからない。

 怒りか悲しみか。

 ただ、あまりのその感情の大きさとぐちゃぐちゃの混ざり具合に、最早別の新しい感情ではないかと考えてしまうほどで。

 ただ、冷たい。

 あまりにも硬く否定できない光景(現実)を翡翠の瞳に映すだけで。

 幾つもの出来事が淡々と―――同時に起きて。

 その全てを把握することは、フィンですら出来なかっただろう。

 崩壊する59階層を駆け抜け、何とか58階層へと続く連絡路へ飛び込み、直ぐに他の者の状況を確認するため後ろを振り返ったそこには、最後を走っていたレフィーヤが今にも連絡路に足を踏み入れようとする姿が。

 その姿に、間に合ったとかという安堵と、後はあいつだけだと少しの不安を含んだ、しかし確かな信頼を宿しながら、まだ少し離れた位置で駆け寄ってくるあいつの姿に目を向け。

 そこで、レフィーヤの背に向けて剣を投げるあいつの姿を見た。

 一瞬の空白。

 有り得ない光景に意識すら掻き消えたその僅かな間隙に、ソレは現れた。

 魔法のようにレフィーヤの真後ろに現れたそれは、初めて見るモンスターで。

 全身が骨で出来たかのようなその異形のモンスターは、既に()をレフィーヤの背へと伸ばしており、それに向けられた本人も、既に連絡路に入った者もその殆どが気付いておらず。

 フィンやガレス、アイズといった私を含めた数人しか気付いていなかった。

 そして何よりも問題なのが、その事(レフィーヤの窮地)に気付いた誰もが何も出来ないでいたこと。

 ただ、見ている事しか出来ない中。

 今にもレフィーヤの命を奪わんとしていたソレの姿が消えた。

 そう感じる程の速度でいつの間にか離れた位置に移動していたソレは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 崩壊し崩れ落ちていく59階層の中、向かい合う七Mの『鎧を纏った恐竜の化石のようなモンスター』と両手に双剣を握った男。

 それが示す事を信じられず。

 

 認められず。

 

 私は声を上げ―――――――――

 

 立ち尽くすだけだった私の視線に気付いたのか、こちらをチラリと見たあいつは。

 

 厳しく引き締められたその顔を、一瞬―――ほんの少しだけ、困ったような、申し訳なさそうな、そんな苦笑を浮かべて、その口を―――

 

 

 

 ―――壊れた(ブロークン)

 

 

 

 小さく動かして。

 

 

 

 ―――幻想(ファンタズム)

 

 

 

 直後、連絡路の出入り口直上が爆発し、瞬く間も無く塞がった。

 砕けた岩と壁が衝撃と共に崩れ落ち、連絡路(こちら)59階層(あちら)を断絶する。

 吹き荒れる衝撃と土砂に、縋り付くようにして耐えていた意識が奪われ―――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次に私が目を覚ました時、あいつの姿は何処にもなく―――それ以降も見ることはなかった。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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エピローグ 鼓動

 章タイトル等幾つか変更しました。



 

 ギルド本部地下にある『祈祷の間』。

 四方に設けられた四つの松明が描くのは、古の祭壇を思い起こさせるものであった。

 揺らめく炎に浮かび、描かれる石造りの古代の神殿が如きその中心には、偉大なる神が座しており、その傍には黒衣を着た人物が立っていた。

 闇に沈む世界に浮かび上がる二つの影の意識が向けられる先にあるのは、とある冒険者に渡していた『(魔道具)』を通して水晶が映し出していた光景。

 

 

「―――()()()()()()()

 

 

 平淡な、声が響いた。

 黒衣を纏った者から溢れたふっと、囁くような、誰に聞かせるでもない呟きにも似たその声は、しかし、恐ろしいほどまでに抑揚がなかった。

 それは、自身のあらゆる許容量を越えたものを目の当たりにしたものが、溢れ出る様々な感情と疑問、疑惑が混ざり合い衝突した結果、摩り切れ削られた残り滓のようなもので……。

 

「―――()()()()()()()()

 

 故に、それは疑問でも質問でもなく。

 

「―――()()()()()()()()()()()

 

 故にそれは、自問自答ですらなく。

 

「私は―――()()()()()()()

 

 ただの、悲鳴でしかなかった。

 

()()()()()()()()()()

「ッ―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 『祈祷の間』の中央。

 神の座に座る巨神に振り返り、黒衣の者―――フェルズが絶叫を上げた。

 その様子からは、普段の冷静さは何処にも感じられず、ただ混乱と恐怖に苛まれる無力な様を晒している。

 始めてみるほどのその狼狽ぶりに、神であるウラノスは蒼の双瞳を細めながら、自身の中にも荒れ狂う感情を整えるために深く息を吐いた。

 

「―――っ……確かに、な……あれは、あまりにも異常―――いや、()()()()()()()

「……()()()?」

 

 耳慣れない、言い間違いとも取れるウラノスの言葉に、梯子を外されたように、先程までの激昂を思わず引っ込ませたフェルズが疑問符を浮かべる。

 

「うむ……そうだ。これまで異常事態(イレギュラー)は幾つも見てきた。中には先程の『穢れた精霊』のように、我等(神々)でも知らぬ、見たことも聞いたこともない未知に溢れるモノも数多くあった。あの()()と同じく……」

「っ【アストレア・ファミリア】を全滅させたモンスター……」

 

 水晶が最後に映し出した白い骨で出来たかのようなモンスターの姿。

 それが一体どういったもので、何を引き起こしたのかを知る数少ない一人であるフェルズが、恐々とした震えた声を小さく溢す。

 

「だが、それと比べてもアレは異常―――いや、異端に過ぎた」

「…………」

 

 だが、問題はそこではなかった。

 今、問題―――いや、疑念を向けているのは、ある男と、その男と関係があるだろう黒いナニか。

 これまでも様々なモノを見てきた、聞いてきた、経験してきたフェルズであっても、あんなもの、見たことも聞いたこともなかった。

 いや、理解したくない―――そう本能的に忌避させるもの。

 ああ、確かに言い得て妙である。

 

 ()()()()()

 

 異端や異常と言うよりも、()()()()()という言葉が確かに合っているとフェルズは感じた。

 常識や概念とでも言えばいいのか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。 

 それが間違いでないことを、ウラノスが重々しい口調で肯定する。

 

「あまりにもこの世界の理と外れすぎている」

「……つまり、どういう事だ? この世界から外れているということはつまり、貴方()の世界に由来するも―――」

 

 この世界(地上)とは違う。

 その言葉にフェルズが真っ先に頭に浮かんだのは、最も間近にいるこの世界(地上)とは違う世界(神々の世界)から来た存在。

 だからこそ、自然と口に出た言葉は、

 

「―――否ッ!!?」

「っ!?」

 

 激昂する忌避の声と共に否定された。

 頑丈な肘掛けを破壊しかねない勢いで、拳を叩きつけながら立ち上がったウラノスが、フェルズも初めて見る狼狽染みた様子で否定の声を上げ続ける。

 

「違うッ!? ()()()()()()()()()()()ッ!! ()()()()()()()()()()()ッッ!!?」

「っ―――う、ウラノス?」

 

 冷静沈着、不動が形造ったかのような何時もの様子からかけ離れたその姿に、フェルズが戸惑いよりも恐れを滲ませた声を上げると、その声にはっと我に帰ったウラノスが、ゆっくりと祭壇に腰かけると共に、顔を伏せながら深く息を吐いた。

 

「―――っ……すまない」

「いや……構わない。では、どういう意味なんだ? この世界でも、貴方達(神々)の世界でもないというのならば?」

 

 意気消沈する、これもまた初めて見る姿に、驚きのあまりにか、一周回って冷静になったフェルズが、顔を伏せ、力なく肩を落とすウラノスに答えを求める。

 この世界(地上)でもなく、またそちらの世界(神々の世界)でもないというのならば、一体何なのだと。

 そう問いかけるフェルズに、ウラノスはゆっくりと顔を上げると、その蒼い双瞳でここではない何処かを見るように視線を遠くへと投げながら、その言葉(答え)を口にした。

 

()()()()()

「え?」

 

 その答えの意味が図れず、反射的に言葉を漏らしたフェルズに構うことなく、ウラノスは自身に言い聞かせるように言葉を続ける。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ならばそこから考えられるのはただ一つ」

 

 肘掛けに置かれたウラノスの拳は震えていた。

 それは拳を握りしめる力が収まりきれぬゆえに。

 誤魔化すように、否定するように、いや、もしくは――― 

 

 

 

我等(神々)ですら知り得ぬ―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 真なる未知に興奮するかのように…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソレは―――逃げていた……

 

 ただひたすらに、己の持ちうる全ての力の限りを尽くし逃げていた。

 

 少しでも遠く、速くアレ(・・)から逃れるために。

 

 それは、起こりうる筈のないことであった。

 

 ソレに、そんな行動(逃走)を取るような機能も意思も存在する筈はなかったからだ。

 

 ソレはただの機能であり、装置であり、感情も意思もなく。

 

 ただ、決められた命令に従うだけのモノでしかなく。

 

 そんな逃げ出す(命令に反する)事などする筈も出来る筈もなかった。

 

 だが、現実にソレは逃げ出していた。

 

 その理由(要因)となったものは―――

 

 

 ―――イヤダ

 

 ―――イヤダッ

 

 ―――()()()()()()()()!!

 

 恐怖―――だった。

 

 何もない機械的なソレにそんなもの(恐怖)を抱かせたモノから、出来るだけ速く遠くへと駆けるソレからは、機械的な装置として機能は何処にも感じられず。

 

 ただ恐れ迷い恐怖に乱れる弱々しい存在としか感じられなかった。

 

 一体どれぐらいの間逃げていたのか。

 

 最初から長い時を生きられないと定められていながらも、何故か逃げ出したソレは、薄闇が広がるダンジョンの一角において漸くその足を止めると、恐る恐るといった様子で後ろを振り返る。

 

 それはまるで暗闇を恐れる幼い子供のようで。

 

 あまりにも異質なその姿は、知るものが見ればソレがソレだと気付く事すらないほどの有り様であり。

 

 闇が広がる向こうを覗くその赤く灯る瞳には、己に恐怖が宿った瞬間の光景が未だに焼け付いていた。

 

 59階層。

 

 その崩壊に伴い、その場にいる存在全てを排除するよう設定されたソレを含んだソレ等の内。ソレは同じ機能たる存在九体と共に、黒いナニかの内一際小柄な存在を排除の対象とした。

 崩壊する足場の上で行われた戦いは、始めはソレ等が優勢であった。

 だが、運用から外れた十体による排除行動で生まれた僅かに出来た隙を、黒いナニかは逃すことなく反撃に移り、一体が破壊された。

 

 そうして破壊された装置たるソレ等の内一体が砕けた後―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 否―――()()()()()()

 

 ―――そこから、天秤が一気に傾くことになった。 

   

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、その速度や力を爆発的に上げると共に、残ったモノ(我等)へと襲いかかってきた。

 

 そこからはもう一方的だった。

 

 傾いた天秤は戻る処か、酷くなる一方。

 

 崩壊した地面が下へと到達した時には、既に残ったのは三体のみで。

 

 その時には、ソレは逃げ出していた。

 

 ああ、その通り。

 

 恐ろしかったのだ。

 

 元より僅かな間だけ存在するモノとして生み落とされていながらも。

 

 アレから逃げる事を選んだ。

 

 何故?

 

 そんなことは分かりきっている。

 

 ()()()()()()()()()()

 

 死を恐れているわけではない。

 

 元より死を内包して生まれたのだ。

 

 それを待たずして破壊されることも恐れている訳ではない。

 

 違うのだ。

 

 ああ、違う。

 

 アレに破壊されることは、殺されることではなく―――()()()()()()()()()()

 

 破壊される、寿命が尽きて朽ちるのはいい。

 

 だが、アレに()()()()()()()()()()()()()()

 

 喰われれば、もう終わりだ。

 

 本能的―――否、魂が叫んでいた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

 だから逃げ出した。

 

 存在そのものが喰われ消えてしまうという慮外の恐怖から逃げ出すために、それはそこから駆け出した。

 

 破壊される(喰われる)同胞を背に逃げ出したのだ。

 

 そうして今、立ち止まったソレが、逃げ切ったかという安堵という心地を知らずに知ったその瞬間―――

 

 ――――――ッ!!!!

 

 闇を切り裂くように振るわれた()()()()()()()()()()が、立ち尽くすソレへと降り下ろされ。

 

 幸いなのかどうなのか―――ソレは恐怖を抱く暇もなく砕かれ――――――……。

 

『――――――……』

 

 【災厄】とさえ名付けられた筈の化け物だった残骸は、他の数多のモンスターと同じく灰となり―――()()()()()()()()()()()()()()()()、暗闇から姿を現した仮面(黒いバイザー)で顔を隠した()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()へと吸い込まれていく。

 

『――――――…………」

 

 暫くの間、灰となった【災厄】を見下ろしていたその闇を固めたかのような騎士は、ゆっくりとした仕草で長剣を掴んでいた両手から右手を離す。そして、ゆっくりと視線の高さまで持ち上げたその漆黒の手甲に覆われた右手を、確かめるかのように幾度か開いては閉じを繰り返した。

 

「…………」

 

 そうして、何かに納得したのか、次はその右手を自身の胸に―――黒に染まった胸当てへと向けた。

 ガチャリと、金属が触れあう堅い金音が響く。

 中央よりやや左側―――丁度心臓のある位置に自身の右手を置いたその騎士は、そのままの姿でじっと動かず立ち続ける。

 まるで自らの心音を確認しているかのような姿ではあるが、手甲と鎧に阻まれて心臓の音など聞こえる筈はない―――だが、確かにそれはその通りではあるのだが、正解でもなかった。

 その騎士は、確かに聞いていたのだ。

 

 手甲と鎧に阻まれて、その手に感じることは出来ずとも――――――確かに。

 

 英霊としての擬似的な―――エーテルで形だけ真似したかのようなそれではない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()――――――

 

 

 ――――――ドクン

 

 

 ()()()()()。 

 

 

 生前のそれに比べれば脆弱に過ぎるが――――――確かに感じられた。

 

 鼓動のリズムに合わせ、波紋のように全身に広がる力を――――――確かに。

 

 

 ――――――ドクン

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()を味わうかのように、ゆっくりと、大きく呼吸をする。

 

 鼓動が一際強く脈打ち――――――。

 

 

 ――――――ドクンッ 

 

 

 騎士を中心に黒い嵐が吹き荒れた。

 

 堅いダンジョンの岩盤を削り砕きながら吹き荒れたその黒い嵐は、【厄災】の名残()を巻き上げ吹き散らしていく。

 突如発生した竜巻染みた黒い風から響く轟音に混じり、ダンジョンが崩れる悲鳴染みた音が響き渡る。

 

 呼吸をする。

 

 ただそれだけでダンジョンを破壊してのけた騎士は、暫く何かを待つかのように立っていたが、破壊されたダンジョンがゆっくりと元へと戻っていくのを確認すると、何事もなかったかのように胸当てへと置いていた右手を下ろし、そのままゆっくりと歩き始め……。

 

 

 ――――――ドクン

 

 

 ダンジョンに広がる闇の中へと、その姿を消していった。

 

 

 

 ――――――……

 

    

 

 ―――……

 

 

 

 …… 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その男は、【永遠】を望んだ。

 

 故に、その望みを叶えるため―――男は女との未来を捨てた。

 

 故に、その手段のため―――己の顔と名を削ぎ落とした。

 

 故に、力を手に入れるため―――己が右腕を贄とした。

 

 数多の犠牲を払い、男は遂に一つの頂をその手に収めた。

 

 望んだ【永遠】である【称号】を手にした男は、終わりを前に――――――絶望した。

 

 全てを捧げ、捨てた末に手にしたものが、『誰でもない何者か』でしかないことに……。

 

 【永遠】ではあるが【唯一】ではないことに……

 

 だからこそ、男は願った。

 

 今度こそ、本当に【永遠】に【唯一】たる【自分】の名を刻むことを……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、男は気付かない。

 

 男は最初から、始まりから間違っていることに。

 

 【永遠】も【唯一】も、始まりから既にその手にあったことに。

 

 男が捨てた最初のものに、その全てがあったことに……。

 

 男は気付かない。

 

 男にそれを知る術はなく。

 

 男がそれに気付く機会はなく。

 

 奇跡的なそんなif(もしも)は何処にもないのだから――――――……

 

 

 

 

 

 だけど――――――

 

 

 だけれども――――――

 

 

 もし、そんな奇跡(男が知る事)があるのだとすると――――――

 

 

 それは、世界から完全に外れた時。

 

 

 もしかしたら、()()()()()()()()()()()を垣間見る事があるかもしれない。

 

 

 意識すれば遠ざかり。

 

 

 目をこらせば薄れゆき。

 

 

 手を伸ばしても届かない。

 

 

 それは……まるで……泡沫の…――――――

 

 

 

 

 

 

 

 たとえ全てを忘れても             

 

 第二部 外典 聖杯戦争編

 

 第一章 【現れたる英雄】 了

 

 第二章 【■■が見た夢】 へ続く

 

 

 

 




ウラノス 「異世界からアレは来たのだっ!?」

銀の鍵の少女 「うふふ、あはは……えっと、変な所へ門が開いちゃった」
東洋の絵描き 「ふんぐるいふんぐるい」
ばぶみの極地 「あらあら立派な方、ですね―――ふふ」
星を行く少年 「たまにはこんな寄り道もいいよね」
西洋の絵描き 「えへ、えへへ……え、えと、ここどこ?」
セイバー絶対許さないマン 「むっ!? セイバー……じゃないですね」

ウラノス・フェルズ 「「ひぇっ!?」」




 感想ご指摘お待ちしています。


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第二章 ■■が見た夢
プロローグ 泡沫に響く鐘の音


 さて、これから二部二章が始まるのですが、以前、「これはダンまちではなくソードオラトリアとのクロスでは?」みたいな感想があったのですが、改めて言います。
 これはFateとダンまちとのクロスです。
 何故ならば、これまではある意味プロローグのようなもの、起承転結でいえば起のようなもので、これからが物語の本番です。
 二部は全五章の予定ですが、5章で原作15巻ぐらいまで追いつく予定となっています。
 それでは、今後ともよろしくお願いします。 


――――――――――――――――――――――――――――――

 

――――――――――――――――――――――――

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

―――

 

 闇が―――広がっていた

 

 何処までも深く黒く――――――果てなく底知れない闇が……

 

 薄闇を幾重にも折り重ね

 

 遥かなる先へまで広げた末に、重さまで感じられるほどに煮詰められた闇が、ここには広がっていた

 

 ――――――そこに、()はいた

 

 沈んでいくように

 

 浮かぶように

 

 流れるように

 

 たゆたうように

 

 私は、ここにいた

 

 意識はなく

 

 意思もなく

 

 されど意識はあり

 

 意思もあった

 

 矛盾を孕みながらも破綻しない

 

 有り得べからず闇の中

 

 ただ、私はここにいた

 

 時間といった概念事態が存在しないここに、一体何時からいたのか等わからない

 

 そんな何も生まず動かず発生しない闇の中で

 

 ――――――……

 

 ナニかが、響いた

 

 それは凪ぎの水面に落ちた小さな欠片が、ゆっくりと、しかし、大きく広がっていく波紋のように、闇の中へと伝わっていく

 

 ――――――……

 

 微睡む意思に、波紋が触れ

 

 私はソレへと意識を向けた

 

 ――――――……

 

 そこに、光があった。

 

 闇一色の中に現れた光は、あまりにもか細く

 

 吹けば吹き飛んでしまう程に儚く

 

 しかし、眩いまでに、闇の中に浮かんでいた

 

 私の意思は、自然とそれを見つめていた

 

 分厚い雲に覆われた夜の空に、僅かに生まれた亀裂に覗く一つの名もない星のようなそれは、今にも消えそうに揺らめいている

 

 思わず、手を伸ばす

 

 だが、届きはしない

 

 そんな事はわかりきっていた筈なのに、何故……

 

 伸ばした手の先

 

 闇に隠され伸ばした手など見えはしない

 

 唯一の明かりさえ、そのか細い光ではこの闇の中では、指先すら浮かばせることなどできはしなかった

 

 あの、光は一体何なのか

 

 何故、こうまで私を引き付けるのか

 

 ――――――……

 

 わからない

 

 ただ、仰ぎ見るように光を見つめる中、ふと、気付いた

 

 光の中に、人影が浮かんでいることに

 

 ――――――……

 

 ……ナニかが、聞こえる

 

 その()が何なのかわからない

 

 それよりも、気になることがある

 

 光―――その中にある影―――人影だ

 

 ふた、つ?

 

 大きなものと、小さなものが、寄り添って

 

 あれは……手を繋いでいる?

 

 よく、わからない……

 

 大きな方は、あれは男―――いや、女だ

 

 何故かはわからない

 

 だが、断言できた

 

 女が手を繋ぐ小さなそれは、なら、子供なのだろう

 

 母親―――なのだろう

 

 子供と手を繋いでいる

 

 ―――ああ、何とも幸せそうな……

 

 ――――――……

 

 音が、聞こえる

 

 ああ、これは、そうだ

 

 この音色は―――鐘の音だ

 

 幾度も耳にした音色

 

 しかし、これは――――――

 

 ――――――……

 

 ああ、何と安らぐのか

 

 もう、はっきりと聞こえるようになった

 

 闇に沈んだ身体を震わせる音色と共に、果てに浮かぶか細かった光も力を得たかのようにその輝きを強めているようだ 

 

 ああ、なんだ、これは……暖かい

 

 ――――――……

 

 日が沈む

 

 終わりを告げる晩鐘ではない

 

 ――――――……

 

 ああ、そうだ

 

 これはその真逆

 

 日が昇り

 

 始まりを告げる、これは

 

 ――――――……

 

 ―――暁鐘の音色

 

 そうして、ゆらりと大きく闇が揺れ

 

 意識が浮上する

 

 光は更に遠く

 

 もう、輝きの中に見えた影も見えない

 

 最後に見下ろした(見上げた)光の中で、女の影が―――こちらを向いた

 

 そんな、気がして

 

 私は――――――――――――――――――

 

 ――――――――――――――――――

 

 ――――――――――――

 

 ――――――

 

 ―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絶望が、そこにあった。

 

「―――っ、ハッ――――――ハッ」

 

 呼吸が、上手く出来ない。

 

「っ、あ―――っ」

 

 身体があまりにも重い。

 まるで、全身の血管に血ではなく、鉛が流れているかのように、苦しく重い倦怠感と疲労感が指先の一本にも渡り広がっている。

 目を閉じれば、直ぐにでも意識は失ってしまうだろう。

 それが、あまりにも魅惑的で、その誘惑を振りきるのにも多大な意思の力が必要で。

 だけど、そんな力ももう欠片もなくて。

 それでも、僕が意識を失わないでいられるのは。

 

 ―――リリ

 

 小さな―――僕よりも頭一つ以上小さな小柄なその体が、力なく横たわっている。

 

 ―――ヴェルフ

 

 力強く、逞しく、頼りになる彼が、今は弱々しく倒れ付している。

 僕の、後ろにいる。

 

 だから―――っ!!

 

「ッッ――――――ッ!!」

 

 鐘の音が響く。

 鈴のような微かな音色が、今はこの広大な嘆きの壁のある領域に響き渡る。

 充填(チャージ)―――ここに来るまでにも使用した最後の切り札。

 限界は既にとっくに越えている。

 出来る筈もない。

 だけど、やらなければ死ぬだけ。

 それは、ハッキリとわかる。

 だから、やる。

 残り滓のような力を全てかき集め。

 高める。

 何処までも。

 一撃。

 一度しか機会はない。

 この一撃で倒さなければ、終わり。

 避けられない死が、僕だけじゃない皆へと降りかかる。

 それだけは、許容なんて出来ない。

 だから――――――ッ!!

 

「ファイア―――」

 

 最大に充填した魔法。

 ミノタウロスの群れさえも一撃で吹き飛ばしたそれを、たった一体のモンスターへと向ける。

 

「―――ボルトッ!!!」

 

 大型のモンスターですら、最大に充填したものでなくとも倒したそれだが――――――

 

「っ――――――ぁ」

 

 直撃した。

 まともに顔面へと叩き込んだ。

 大きな爆炎がその巨大な頭部を包み込んだのを見た。

 しかし――――――

 

『ッオオオオオオオオ!!!?』

 

 咆哮と共に発生した衝撃が、漂っていた煙を吹き飛ばす。

 露になったそこには、多少の傷は見られるが、支障がないのは明らかだ。ただやはり大分不愉快だったのだろう。

 怒りに染まった咆哮を上げながら、階層主である『ゴライアス』が、その巨体を揺らし、地響きをたてながら近づいてくる。

 

「っ―――ま―――だ」

 

 霞がかる視界。

 薄れ行く意識。

 全身に穴が開き、そこから活力という活力が消えていく覚えのあるそれが、マインドダウンの前兆であることを知っていた。

 抗いがたい―――否、抗うことの出来ない衝動を前に、それでも未だに意識を保つことが出来たのは、その背にある仲間の姿故に。

 消えいこうとする意識の中、それでもともがく。

 もう、どんな打つ手もないというのは分かりきっている。

 だけど―――

 それでも、と。

 

『オオオオオオオオ――――――』

 

 しかし、現実は非情。

 願いは届かず。

 祈りは叶わず。

 ただ事実として現実を殺す。

 間近に迫ったその巨体。

 いつの間にか崩れ落ちたのだろうか。

 膝は地面に着いており、仰ぎ見るように迫る巨人を見上げていた。

 ゆっくりと時間が引き伸ばされていく感覚の中。

 巨人が伸ばした手がゆっくりと近づいてくる。

 

 ここで、終わり?

 

 いや、駄目だ。

 

 嫌だ。

 

 まだ、僕は――――――

 

 泡沫のように浮かんでは消えていく意思。

 最早自分が何を思っているのかさえわかっていないのだろう。

 沈んでいくように、意識が闇の中へと消えていく。

 落ちてしまえば、もう二度と浮かんではこれないだろう闇の中へ。

 それがわかっていながらも、もう抗うことはできない。

 だけど、それでもと―――抗うように目を開いていた中に――――――

 

 ――――――ぇ?

 

 迫る巨大な掌の前に、立ち塞がる()()()

 

 ――――――だ、れ?

 

 黒い、ローブ? のようなもので全身を隠したその姿。

 性別も、男女も老いも若いも何もわからないその背中。

 消えいく意識の中――――――

 

 ―――死、神?

 

 最後に映ったのは、ローブから覗いた白い―――骸骨の面だった。

 

 

  

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。


 二部全五章(予定~変更するかも?)
 
 一章 現れたる■■
 
 ニ章 ■■が見た夢

 三章 瞬撃の■■■

 四章 果されし古の■■

 五章 振るわれし■■の聖剣

 六章(終章) ■の試練



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第一話 交差する物語

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 ――――――――――――――――――

 

 ――――――――――――

 

 ――――――

 

 ―――

 

 

『っ―――ぁ……ここ、は?』

 

『っ!!? ベル君ッ!! 起きたのかいベル君っ!!』

 

『ぁ、ああ~ベル様ぁあああ!! 良かったっ!! 目を覚ましたんですねぇ』

 

『神、様? リリ?』

 

『覚えているかい? 君は―――』

 

『―――ここはギルドの医務室ですっ!! ベル様はあのミノタウロスを倒したあと気絶されていたんですっ!!』

 

『ミノ、タウロス? そっ、か……僕はあの後……』

 

『そうだよ、君は見事たった一人であのミノタウロスを打ち倒したあと、気絶して、それからあのヴァレン某に背負われてここに運び込まれたってわけさ』

 

『あ、はは……格好、つかない、なぁ……』

 

『っっ―――そんな、そんなことありませんっ!! ベル様はっ! ベル様はっ!!』

 

『リリは、大丈夫?』

 

『っ……ふぅ、それはこちらのセリフですよ、ベル様』

 

『―――っベル君が目を覚ましたって!?』

 

『エイナさん? あ、と……その、ご心配お掛けしま、した?』

 

『―――っ、はぁ……あなたと言う人は……もう、一体どれだけ心配をかけて』

 

『ご、ごめんなさい』

 

()()()()()()()()()()()()()()()()、ヘスティア様は一体ど―――』

 

『―――君っ』

 

『っ!! す、すみませ―――』

 

『ぇ? あの、それって、どういう―――』

 

『何でもないさ、そうさ、何でもない。君が心配することじゃないよ』

 

『でも、神様っ、それって―――』

 

『大丈夫だっ!!』

 

『っ!?』

 

『大丈夫っ、大丈夫なんだっ―――絶対に、()()()()()()()()()()()()―――あるわけが、ないんだ……―――』

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 ――――――――――――――――――

 

 ――――――――――――

 

 ――――――

 

 ―――

 

 

『……っふあ―――ふぅ……う~ん、ちょっと早かったかな? まだ眠いや……あれ? 神様? いない……(廃教会)かな?』

 

『神様ぁ~……朝ごはんは昨日の残り、で……』

 

『っ―――ぁ―――』

 

『神、様?』

 

『っ――――――シロ、君っ』

 

『っ!?』

 

『何でっ、どうしてっ―――!?』

 

()()()()()()()()()()()()()()()!!?』

 

『―――っ!?』

 

『こんなっ―――これじゃあっ、まるで君が―――君がっ本当に……』

 

『――――――』

 

『死んで、しまったみたいじゃないかっ……』

 

『っ?!!』

 

『お願いだよ……シロ君―――早く、帰ってきておくれよぉ……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――っ!!? ~~っッ?!??!」

「わっ!?」

 

 目を覚ました瞬間、まず感じたのは全身に広がるとてつもない痛み、だった。

 飛び起きようとした身体はしかし、指先一本まで苛む痛みと疲労によって押さえ込まれ、ただ口から声にならない悲鳴を上げさせる結果となった。

 しかし、それによって()()()()()()()()()()()()()ということが、文字通り痛みをもって理解させられることになった。

 

「わっ、わっ、っと起きたっ!! 起きたよアルゴノゥト君がっ!!」

「ちょっと、うるさいわよ。それに『アルゴノゥト』ってあなた―――って、あら本当、起きたんだ」

「っあ……こ、こは?」

 

 痛みと言う何よりも雄弁な答えが、これが夢でも幻ではない事を伝えてはいるが、ベルはそれでも今の状況が―――自分が目を覚ました(生きている)ことが信じられず、戸惑いの声を上げた。

 咄嗟に―――誰に問うものではなく、ただ自然と口から溢れたその言葉に、ベルの傍で飛び上がって喜びを示していたアマゾネスの少女―――ティオナが天幕に入ってきた姉であるティオネから顔を離すと、満面の笑顔を浮かべたその顔で口を開いて答える。

 

「ここは【ロキ・ファミリア】の拠点だよっ! えっと、場所は―――」

「―――『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』よ」

「『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』……っ、本当、に、辿り―――っっ!? ふ、二人、はっ! りり、とヴェルフはっ!?」

 

 これが間違いのない現実である事が、ゆっくりと、しかしハッキリと自覚出来るようになると共に、落ちそうになっていた瞼を唐突に開いたベルは、自分が連れていた二人―――リリとヴェルフの安否について口をついて出た。

 痛む体の事等感じないかのように、起き上がってティオネ達に掴み掛からんばかりの勢いのベルの姿に、慌ててティオナが起き上がろうとするその肩を優しく押さえ込みながら視線を隣へと向けた。

 

「ああっ!! 落ち着いてっ、大丈夫だよ。ほら、隣で寝ているよ二人とも。大丈夫、怪我は酷かったけどアルゴノゥト君の方が重症だったんだから」

「え? あ、っリリ……ヴェルフ……」

 

 ティオナの言葉に、押さえつけられながらゆっくりと顔を視線の先、自身の隣へと向けると、先程までの騒ぎ声が不快だったのか、それとも全身を苛む痛みによるものか、二人とも眉間に皺を寄せた顔で小さく唸りながらも、それでも生きて隣に寝ているのをベルは確認した。

 

「っ、良かっ、た―――本当に、良かった」

「もう、君って子は、自分の方が重症なのに、人の心配の方が先って」

「あ、はは……すみません。えっと、そのそれで、何で、僕、【ロキ・ファミリア】の拠点なんかに……あっ! もしかして『ゴライアス』から僕達を―――」

「―――天幕の前にいたのよ」

「え?」

 

 ベルは自分の意識が落ちる寸前―――迫る階層主であるゴライアスの姿を思う。

 最後の最後に一撃を食らわせてやるも、倒すことはできず。その目の前で意識を失うところだった。絶対に回避が出来る筈のない死があった。

 なのに、今自分は目を覚まし、生きている。

 なら、答えは一つしかない。

 誰かが助けてくれたのだ。

 自分達が【ロキ・ファミリア】の拠点にいると言うことは、つまり彼らが助けてくれたと言うことで。

 そんなベルの予想はしかし、ティオネの言葉によって裏切られることになった。

 

「それは、どういう?」

「言葉通りの意味よ。そうね、たしか階層主が復活したのか、戦闘音が聞こえて暫くしてからね。団員の一人が天幕の前で倒れているあなた達を見つけたのは。ぼろぼろで今すぐ死にそうな姿で、直ぐに団長の指示で治療したわけだけど、で、私からも聞きたいんだけど、あなたどうやってここまで来たの?」

「どう、やって?」

 

 ティオナに押さえ込まれているベルの傍まで歩いてきたティオネが、屈み込んで覗き込んでくる。

 じっと見つめてくるその瞳に中には、疑惑がありありと浮かんでいた。

 そんな目を向けられている張本人たるベルは、しかしティオネの言っている意味が分からずただ首を傾げるしかなかった。

 

「その、意味がちょっと」

「っはぁ……つまり、あなたはね。私たち【ロキ・ファミリア】の冒険者が警戒する中を潜り抜け、天幕の前まで辿り着いていたのよ。見つけた団員も、哨戒していた団員じゃなくて、あなた達が倒れていた天幕から出た団員が、よ」

「え? それって」

 

 ティオネの話を聞き、ようやく上手く回らないベルの頭でも彼女の言いたいことが分かってきた。つまり、ティオネはベル達が自分達で天幕まで来たのではなく、誰かに―――何者かに連れてこられた筈だと言いたいのだ。

 それも、【ロキ・ファミリア】の団員が警戒する中を、負傷者を三人も連れて誰にも気付かれずに潜り抜けてきた何者か、又は何者等から、だ。

 

「そう、有り得ないのよ。そんな今にも死にかけな状態で、私たちの団員の警戒網を潜り抜けて天幕まで来るなんて不可能に決まってる。そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ね」

「っ」

 

 ベルの考えの通り、ティオネが言葉にしてそれを口にする。

 じっと自分を見下ろしてくるティオネの目に敵意はなく、ただ疑問と戸惑い、そして警戒が宿っていた。

 

「はっきり聞くけど、あなたをここまで届けてくれた相手、覚えてない?」

「えっと、僕は―――」

 

 ベルが落ち着いたのを理解したのか、ティオナが押さえ込んでいた手を引っ込めてティオネの横に腰を下ろした。ティオネの疑問はティオナも思っていたのだろう。口を挟むことなく、考え込み黙り込んだベルをティオネと共に見下ろしてた。

 双子の姉妹の視線を感じながらも、ベルは気絶する前の記憶を思い出そうとする。

 疲労困憊で、階層主のいる階層へと入る前後から、既に記憶は怪しかったが、それでもベルは必死に思い出そうとしていた。

 ティオネの質問に答える、というよりも自分が気になっていたからだ。

 霞が掛かっている記憶の中、消え行く意識の間際、自分は確かにナニか―――誰かを見た。

 闇に沈む、意識と視界の中、最後に映ったのは、白い―――。

 

「―――死、神」

「「え?」」

 

 ポロリと、何とはなしに溢れたベルのその言葉に、ティオネとティオナが同時に戸惑った声を返した。  

 

「っあ、そ、そのっ! 気絶する寸前、見た気が、したんです」

「……何をよ」

 

 自分で口にしながら、その言葉に自分で驚いた様子を見せたベルだったが、ティオネの続きを促す言葉に瞼を閉じ、再度思い出そうとする。

 闇の中、浮かび上がるのは黒いローブで全身を覆った何者かの後ろ姿と、微かに見えた、白い―――。

 

「その……黒いローブで全身を隠した……白い骸骨の顔をした人を―――」

「白い骸骨って……」

 

 呆れたようなティオネの声に、ベルは横になったまま苦笑いを返す。

 

「その、骸骨っていっても、そう見えただけで、もしかしたら仮面でも被っていたのかも……」

「まあ、普通に考えたらそうよね」

 

 神様が地上を闊歩しているような時代だ。何処かには動く骸骨もいるかもしれないが、そう簡単には信じられるものではなく。それならば、そう(骸骨に)見える仮面を被った誰かといった方が納得はする。

 

「……ま、いいわ。嘘を言っているようにも感じられないし。何者かにここまで連れてこられたと言うのはわかったわ。目が覚めたら教えてくれって団長に言われてたし。ちょっと行ってくるから、あなたはここでもう少し休んでおきなさい」

「あ、その、お礼を―――っッ!!?」

 

 じっとベルを見下ろしていたティオネだったが、じっと見返してくる赤い瞳に得心がいったのか、小さく頷くと膝を伸ばし立ち上がった。ちらりとニコニコと能天気に笑ってる自身の双子の妹を見た後、体を翻し、先ほど入ってきたばかりの天幕の入り口へと顔を向けた。

 そのまま出ていこうとするティオネの背に、慌ててベルが立ち上がろうとするも、直ぐ様横に腰を下ろしていたティオナが手を伸ばし立ち上がろうとしていた彼の体を押さえつけた。

 男女の差以上に、負傷に加え隔絶したレベルの差から、ピクリとも体が動かない中、必死に視線だけを入り口へと向かうティオネの背中へと向けるベル。

 

「ほらっ、駄目だよアルゴノゥト君。リヴェリアが治療してくれたけど、まだまだ治りきっていないんだから。もう少し休んでおかないと」 

「っ、大丈夫で―――って、『アルゴノゥト』君? その、それって―――」

 

 せめてお礼だけでも、自分が出向いて言わなければという思いのまま何とか立ち上がろうとしていたベルだったが、にこにこ笑いながら自分を押さえ込むティオナの言葉の中に、良くわからない言葉を捉え、思わず疑問の声を上げた。

 

「気にしないで良いわよ。そこの馬鹿が勝手に言っているだけだから。はぁ、いいからあなたはじっとして、そこで大人しく休んでいなさい」

 

 幸か不幸か、そのベルの言葉に入り口の前で立ち止まったティオネが、背中を向けたまま呆れた声音でベルに注意を向けた。

 

「っ、でも、せめてお礼だけでも」

「……お礼、か」

 

 ティオネの言葉を聞き、しかしそれでもと声を上げたベルの言葉に、入り口に手を伸ばした姿で動きを止めたティオネが小さく口の中で、その言葉を呟く。

 

「え? あの……」

 

 動きを止めたティオネに、思わず戸惑った声をあげるベル。

 数秒の無言の間が過ぎ。

 ベルが続いて言葉を発しようとするも、それを遮るようにティオネが先に口を開いた。

 

「そんなの必要ないわよ」

「え?」

「―――借りを、返しているだけよ」

 

 背中を向けたまま拒否の言葉を返すティオネ。しかし、最後の言葉を上手く聞き取れなかったベルが、もう一度尋ねようと口を開こうとするも―――。

 

「何か―――」

「っ良いから、あなたはそこで休んでおきなさいっ。それとも何? 強制的に眠らされたいのかしら?」

 

 明らかに不機嫌な様子を見せるティオネの気色ばんだ声色に、思わず言い掛けた言葉を悲鳴へと変えたベルは、そのまま小さく縮みこもってしまう。

 

「ぴぃっ! わ―――わかりましたぁっ!!」

「あはは、もう、ティオネったら」

 

 ぷるぷると全身を震わせながら小さくなっているベルを苦笑いで見下ろしていたティオナが、今にも外へと出ようとするティオネへ向かってむくれた顔を向ける。

 

「―――はぁ……じゃ、私は行くから。何かあればそこの馬鹿に言いなさい」

 

 そんな妹の様子を見ずとも感じていたティオネは、気持ちを切り替えるように小さくため息を吐くと、震えるベルに背中越しに最後に言葉を向けた後、そのまま天幕から外へと出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンジョン18階層にある安全階層(セーフティーポイント)

 そこの17階層へ続く連絡路近く、南端部に広がる森の中、その一角に設けられた【ロキ・ファミリア】の野営地の奥、幾つも設置されている天幕の中でも一回り大きな幕屋の中では、重苦しい雰囲気が満たされていた。

 あの、59階層での戦いから七日後。

 【ロキ・ファミリア】と【ヘファイストス・ファミリア】の一団は、そこ(18階層)にいた。

 その場にいて実際に戦ったフィン達ですら、未だに現実感を感じられない程の様々な出来事が目まぐるしく起きたあの戦いの後、直ぐ様彼らはそこから退却した。

 取り残された者への救出を叫ぶ反対の意見もあったが、59階層の崩落が何処まで影響があるのか、また、最後に現れた白い謎のモンスターがここ(連絡路)にも現れる可能性があることなどから、独断染みた決定でフィンは全員を50階層まで戻る事に決めた。

 反対を叫んでいた者達も、自分達の状況や周りの、特にレベルが低いサポーターとして付いてきた団員達の消耗具合からそれ以上の反発を口にすることもできず、フィンの決定に従う事とした。

 そうして、50階層で待機していた残りの団員達と合流後、フィンは僅かな休息を取ると、直ぐに帰還への行動を始めた。

 それには、50階層までの退却には消極的な賛成を示していた者からの反対の意見も出たが、全員の消耗度合い、不確定要素の多々、そして()の最後の状況から見た可能性等をフィンの冷静な言葉で伝えられる事により、その言葉(反対意見)は自然と静まる事となり。59階層(未踏破層)到達という偉業を成し遂げたというにも関わらず、彼らの纏う雰囲気は敗残兵のようなものであった。それを事情を知らない―――聞けない待機組の団員達は、そんな様子の幹部達を気にしながらも、消耗激しい彼らに負担を掛けまいと、奮戦し努めていたが、それが仇になったのかどうなのか。帰還の途中、地上まであともう少しと言った所で、毒妖蛆(ポイズン・ウェルミス)に―――それも大量発生し『怪物の宴(モンスター・パーティー)』となった大群に襲われる事となってしまった。

 毒妖蛆(ポイズン・ウェルミス)とは、戦闘能力に反比例するかのように、『耐異常』すら貫通する極めて凶悪な『毒』の『異常攻撃』を有するモンスターである。最悪なのは、これによる『毒』は、例外を除けば回復魔法でも完治させることはできず、専用の解毒薬を使用しなければならないというところだ。

 アイズ等最上級の冒険者ならば兎も角、低い『耐異常』しか持たない冒険者にとって厄災に等しい、そんな大群に襲われた結果、【ロキ・ファミリア】の団員の半数以上、【ヘファイストス・ファミリア】にあっては団長である椿と他数名を除くほぼ全員が『毒』により倒れる事になってしまった。

 そうして、そのままの帰還が不可能と判断したフィンは、安全階層(セーフティーポイント)である18階層に拠点を設置し、ベートに単独で地上に上がり、ロキへの報告と特効薬の確保を命じ―――そうして今、粗方落ち着いたという所に、またも厄介事―――いや、一言では言えないような事態が飛び込んで来たのだった。

 

「「「――――――」」」

 

 一家族が十分に住めるぐらいの広さがあるこの天幕の中には、【ロキ・ファミリア】の最高幹部であるフィン等三人しかいないにも関わらず、その場を狭く感じる程の重苦しい雰囲気に満ちていた。

 先程、ティオネから保護した三人の内、ベル・クラネルが目を覚ましたという報告が上がった。

 何時もならば何かにつけ、フィンの傍にいようとするティオネも、この場に満ちる雰囲気に気圧されたのか、報告を終えると直ぐにその場から立ち去っていった。

 

「―――ふぅ」

 

 報告を受けている間も、その後も続いていた沈黙は、フィンの小さなため息と共に破れる事となった。

 

「じゃあ、()()()()()()

 

 何処か苦笑いを含んだようなフィンのその言葉に、円陣を組むように丸くなって顔を突き合わせていたガレスがじろりと尖った視線を向けた。

 

「どうもこうもないじゃろうが。冒険者は相互不可侵とはいえ、非常時でもない現状で死にかけの者を見過ごすわけもいかんじゃろ。それに―――あの小僧があ奴の【ファミリア】の者だと言うのならば、返す宛のない借り(・・・・・・・・)を少しでも返せれ―――」

「―――おい」

 

 腕を組み、歯軋りでもしかねない顰めっ面で発していたガレスの言葉を、俯いたまま黙り込んでいたリヴェリアの圧し殺した声が止めた。

 

()()()()()()()()―――だと?」

 

 垂れた緑髪の間から、刃物のようにギラついた視線がガレスを突き刺す。

 刺すようなそんな視線を、ガレスは鼻を鳴らして散らすと、僅かに視線を逸らしながら言葉を返した。

 

「なんじゃ、事実であろうが。それとも何か、あの状態で奴がまだ生きてい―――」

「―――ガレスっ」

 

 ガレスの言葉を遮ったのは、今度はフィンであった。

 上段から叩き切るような鋭く重い声に、ガレスは勢いの余り口から出そうになった言葉を思い返すと、恥じるように目を瞑り唸り声を上げた。

 

「っ、むぅ……すまん」

「……いや、僕も急に声を粗げてすまない。リヴェリアも―――」

「……ああ、すまなかった」

 

 各自が謝りつつも、しかし互いに視線を合わせることもなく。

 また、重苦しい沈黙が満ちる。

 再度始まった沈黙は、しかし今度は長く続く事はなく、またもフィンの言葉によって破られることになった。 

 

「それで、改めて言うけど、彼らをどうするか、だけど。まあ、最低でも全員が目覚めるまでは保護は続ける。あの子の事もそうだけど、あの三人の中には、【ヘファイストス・ファミリア】の団員もいるそうだからね。そう簡単に放り出せるような事は出来ないよ」

「なに? そんな者がおったのか?」

 

 フィンのその言葉に、ガレスが何処か戸惑ったような声を上げた。

 もし、そんな者がいたのだとすると、もっと騒ぐ者がいて自分の耳にまで入っていた筈だったからだ。しかし、そんな事はなく。ガレスが知ったのは、今この場、フィンの口からであった。

 

「赤髪の背の高い彼がそうだよ。『毒』を受けなかった【ヘファイストス・ファミリア】の団員が言っていたが……確か―――ヴェルフ、だったかな……」

「ほう、そうか。ふむ、【ヘファイストス・ファミリア】と言えばじゃが、あ奴はどうだ?」

 

 ヴェルフ、か―――と小さく口の中で呟きながら、しかしガレスの脳裏には別の事へと意識が向けられていた。

 あの一件(59階層での戦い)以降、まるで人が変わったかのように黙り込み、普段の戦闘等では共に戦いはするが、休息となれば一人天幕の中で閉じ籠っているばかりの鍛冶師の姿を。

 

「椿の事かい?」

 

 ティオナとはまた方向性は違うが、いつも明け透けで落ち込むような姿を見せない【ヘファイストス・ファミリア】の団長が、長い付き合いのあるフィン達ですら見たこともない姿を晒しているのだ。

 気にならない筈がない。

 

「うむ。あれ(59階層)から何やら黙り込んだまま、奴らしくもなく天幕に閉じ籠ってばかりいるが」

「変わらずだ。一応保護した三人の中に【ヘファイストス・ファミリア】の者がいることを伝えたけどね。返事もなく天幕の中で黙り込んだまま、剣をいじくっていたよ」

「ふむ、確かあ奴とも親しかったらしいからな。無理もない、か……」

 

 親しい者を亡くし、自身の中に閉じ籠る者は珍しくはない。

 だが、ガレスの知る限り椿にそんな弱さを感じたことはなかった。

 しかし、現実に椿は一人、同じ【ヘファイストス・ファミリア】が意識もない状態で保護されたにも関わらず、未だ自分の天幕に籠ったまま姿を見せないでいる。

 もしや、何か特別な関係だったのかと、らしからぬ邪推を思い浮かべてしまうガレスに、リヴェリアがまたも圧し殺した声を向けてきた。

 

「ガレス」

「む、なんじゃリヴェリア」

「その言い方はやめろ」

 

 低い、それでいて鋭いその声に、ガレスは若干の苛立ちを込めた声を返す。

 

「……何をだ」

「まるであいつが―――シロが死んだかのような言い方をだっ」

「死んだかのような、か。何じゃお前。まさかまだ奴が生きているとでも言いたいのか?」

 

 組んだ腕を、自身の指先で苛立ちを示すかのように叩きながら、ガレスが挑発的とも言える言葉をリヴェリアへ投げ掛ける。

 その、何時ものじゃれあいのようなそれとは全く違う。

 何処か責めるようなそのガレスの言葉に、伏せていた顔を勢いよく上げたリヴェリアが、緑に燃える瞳を突きつけた。

 

「っッ!!?」

「59階層そのものが崩落したのだぞ。18階層であったそれとも比較にならんっ。それにもし生きていたとしても、59階層よりも下へと装備も何もない状態で落ちて、ここまで生きてこれるとでも本当に思っているのかッ!?」

 

 普段の冷静で落ち着いた様子からは考えられないリヴェリアのその姿を、他の団員達が見たとしても、直ぐに本人だとは思われない。そんな鬼気迫る顔を向けられながらも、ガレスはどこ吹く風とばかりに泰然自若としていた。

 そんなガレスの様子の何かが琴線に触れたのか、リヴェリアは声を粗げながらガレスへと詰め寄ろうとする。

 

「ガレスッ―――貴様ぁああっ!!?」

「やめろ二人共ッ!!」

「「―――っっ」」

 

 しかし、伸ばされたリヴェリアの指先がガレスへと触れる直前、フィンの裂帛の声が押し止めた。

 腐れ縁とも言える程の付き合いがある中でも、あまり聞いたことのない程のフィンのその声に、思わず身体を固めてしまうリヴェリアとガレスの二人。

 動きを止めたのを確認したフィンは、小さくため息を吐きながらガレスへと視線を向けた。

 

「ガレス。確かに彼の陥った状況は絶望的だ。しかし僕達は彼の死をこの目で見たわけでもない。君らしくないぞ。そんな悲観的な言葉を言うのは」

「む、う……すまん。確かにそうだ、いかんな。やはり少し疲れているのかもしれん。リヴェリア……」

「……っ、いや。お互い様だ……もう七日も過ぎたというのに……まだ冷静になれていないようだ」

 

 落ち着いたフィンの言葉に、自分でも言い過ぎたと理解していたガレスは、組んでいた腕をほどくと、リヴェリアに向かってしっかりと頭を下げた。

 同じように、フィンの声で頭に上っていた血がある程度落ちたのか、瞼を閉じ、自身の行動を省みたリヴェリアが頭を下げるガレスに、自分も同じように頭を下げた。

 

「無理もない。かく言う僕も、そんなに冷静とは言えないからね。未だ自分の目で見た事が信じられない」

「ああ、あまりにも連続で異常事態(イレギュラー)が起きすぎた。処理するどころか抱えることすら難しい……」

 

 少しではあるが、溜め込んでいたモノを吐き出したためか、何処か張り詰めていた気配を漂わせていた二人から、若干の緩みが生まれたのを確認したフィンが、自身の抱えている思いも少し溢すと、リヴェリアもそれに同意するように小さく顎を引くようにして頷いた。

 

「そうだね。だけど、無理矢理にでも切り替えなければならない。少なくとも、ここ(ダンジョン)から出るまでは、悩んでいる暇などない」

「そうじゃ、な……で、ならばどうする?」

 

 それぞれが少しではあるが、溜め込んでいたモノを吐き出し。ある程度回りが良くなった頭で切り替えるように言うフィンに、今度はガレスが問いかけた。

 

「……何をだい?」

「ベル・クラネルと言ったか、あの小僧に伝えるのか?」

 

 何を言っているのか、と言うよりも、どれの事を言っているのかと視線を向けるフィンに、ガレスは天幕の向こう。ここから少し離れた位置に設置されている彼らが寝かされているだろう方向に視線を向けながら、具体的な言葉を返す。

 

「どう言えと? 『君の【ファミリア】のシロという男が、59階層で階層主以上に危険なモンスターを単独で倒したと思ったら、倒したと思ったモンスターに飲み込まれてしまい。やられたかと思えば吐き出され。吐き出したモンスターは苦しんで泥のような何かへと変わると、そこから正体不明の黒い人形(ヒトガタ)が現れ。おそいかかるその謎の敵との戦いの中、階層全てが崩落する事態となり、取り残された彼がそのまま生死不明となっている。ついでに言えば、その59階層が崩落した原因は彼によるものだった』―――と言えとでも」

「それは―――」

 

 苦笑い、と言うよりも、どんな表情を浮かべれば良いのか分からずたまたま浮かんだ顔、という微妙な表情をしたフィンが口にした言葉に、問いかけたガレスが返す言葉を見つけられず黙り込んでしまう。

 改めて端的に言われても、何を言っているのかわからない。

 自分がこの目で、耳で、身体で体験したというにも関わらず、未だに信じられないのだ。

 何しろ前提からおかしい。

 レベル1の者がどうやれば未踏破階層に行けるというのだ。

 いや、そもそも本当に奴はレベル1だったのか―――ガレスの頭で答えのでない問いがぐるぐると回っていると、肩を竦めながらフィンが首を横に振る。

 

「言える筈もない。言ったとしても信じてもらえる筈もない。一応、ベートに渡したロキへの報告書へは書いてはいるが、ロキですら信じてくれるかどうか。何せ、自分の目で見て、戦った当事者である僕達ですら、未だ信じられないでいるというのに……」

「では―――」

 

 信じられない。

 それはあの場にいた全員が感じていた―――思っている事だった。

 例え伝えたとしても、己の目で見た自分達ですら未だに信じられない事を言ったとしても、信じられる筈もない。

 信じる信じない以前にどんな反応が返ってくるのかわからない程だ。

 だから―――フィンはリヴェリアの続きを促す言葉に頷きを返しながら決定を口にした。

 

「ああ、彼には伝えない。それは全員に通達する。ただ、彼等の治療を終えたら、彼の意思を聞き、問題がなければ共に地上へと帰還する」

「ま、それが妥当か」

「そう、だな」

 

 フィンの決定に、ガレスとリヴェリアの二人の頭が上下に動く。

 ガレスはゆっくりと重々しく。

 リヴェリアは何処か躊躇うように弱々しく。

 そんな二人の姿に、悟られないよう深く―――深いため息を吐き出したフィンが天幕の天井を仰ぎ見る。

 そろそろベートが地上に出て、ロキへと報告書を渡しているところだろうか。

 子供達()の嘘を見抜けるという神であるロキであるから、報告書を読み、ベートに確認を取ってそれが嘘ではないということをわかったとしても、信じてくれるだろうか……。

 天幕の天井を見上げながら、フィンの目には爆発と共に塞がれていく連絡路の出入り口の情景が浮かぶ。

 崩れる59階層にただ一人残される事をわかっていながら、塞がれていくたった一つの希望(出入り口)を見る彼の目は、しかし絶望も諦めもなかった。

 ガレスがああ言うのもわかる。

 常識的に考えれば、例え希望的観測をしたとしても、彼の生存は絶望的だ。

 しかし、それでもフィンは、彼が―――シロが死んでいるとは思えなかった。

 自然と、親指を擦り合わせる。

 ざらりと表皮同士が擦れ合う感触の中に、微かなうずきを感じたような気がした……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンジョン18階層―――安全地帯(セーフティーポイント)であるそこは、地下深くであるにも関わらず、『昼』と『夜』があった。遥か高くにある天井を埋め尽くすばかりに存在する大小様々な水晶が輝きを放ち、そこには『地上』のような空が作り出されている。

 そして今、そこは丁度『昼』と『夜』の境にあった。

 天井にある、18階層における太陽の代わりである、唯一白い光を放つ一際巨大な水晶が周囲へと放つ光を、絞るようにゆっくりと押さえ込んでいく。

 青空を模したような青い光を放つ他の水晶もまた、同調するように放つ光の勢いを弱らせていき。

 今、この時、この瞬間。

 そこは『昼』でも『夜』でもない。

 黄昏色ではない狭間の時間。

 黄昏時―――逢魔ヶ時。

 この世在らざるべき者と出逢う時であると伝えられるその時。

 それ(・・)は、ただじっとそこにいた。

 生い茂る木々の枝葉の奥で生まれた暗闇の中に溶け込むように、その黒いローブで全身を隠した姿で、それはそこにいた。

 それの視線の先には、耳を澄ませれば話し声が聞こえるほどの距離に、幾つもの天幕が張られた一団があり、周囲には慌ただしく食事の準備だろうか、幾条もの白い煙が闇に消えていく景色の中上っていく下で、何人もの人が忙しなく動いているのが確認できる。

 周囲に響く音だろうか、それとも漂いだした香りに誘われてか、天幕の中からぞろぞろと人が出て来はじめた。

 その中に、褐色の肌の少女に手を引かれ、天幕から出てくる少年の姿があった。

 白い髪に、身体のあちらこちらに包帯を巻いたその少年が、天幕を出るとその後ろについてくるように、背の低い少女と赤髪の青年も姿を現した。

 どちらとも白い髪の少年に負けず劣らずな負傷具合のようで、その足元は少し頼りなさげではあるが、それでも峠を越えたのか、今にも倒れそうな不安定感は感じられない。

 天幕から出てきたその三人は、周囲からの目に戸惑いながらも、互いの無事を喜ぶように笑い合っている。

 何処か柔らかな暖かさを感じるそんな光景を、そんな姿を、――――――それは、じっと、ただ、見つめ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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第二話 英雄に成るべきではないもの

 パソコンではなくタブレットで投稿したのでもしかしたら変なところがあるかもしれませんので、その際はご指摘お願いします。
 ……あと、ちこっと勢い良く書いたので、お見苦しいところがあるかもしれませんが、ご勘弁お願いします。
 その分文字数がとんでもないことに……分割にしようかと思ったけどそうすると流れがガガが……


『―――どうかしましたかな■■殿』

 

『ん? ちょっとシミュレーションで少し、ね……ねぇ■■■』

 

『何ですかな?』

 

『少し前に、子供が拐われた事件を解決したよね』

 

『ああ、ありましたなぁ、そんな事も』

 

『で、その時、言ってたよね。『酬われぬ場に才能がない者を置くことが愚かだ』みたいなことを』

 

『ふむ、確かに似たような事を口にした記憶はありますな』

 

『なら、やっぱり―――』

 

『―――■■殿』

 

『え?』

 

『確かに何かを成さんとする際、才能が―――資質は重要ではありますが、それ以上に大事なものがあると私は考えております』

 

『才能よりも、大事なもの?』

 

『ええ、所詮才能とは、便利な道具のようなもの。何かを成さんとする、目指さんとする際に役にはたつ程度のものでしかありませぬ』

 

『そ、そうなんだ』

 

『ええ、私もそれで苦労した口ですので、はい』

 

『じゃあ、一番大切なものって?』

 

『【資格】、ですな』

 

『【資格】? それって……』

 

『安心なさってください■■殿。確かに言い難い事ではありますが、あなたは才能に乏しい。ですが、それを補って余りあるほどの十分以上の【資格】をお持ちだ』

 

『そう、なの?』

 

『ええ、私が保証しましょう』

 

『で、その【資格】っていうのは、一体―――』

 

『そうですな、それは――――――』

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――――――――――――

――――――――――――――――――――――――

――――――――――――――――――

――――――――――――

―――――――

―――

 

 

 

 

 

「―――彼らは互いに身命をなげうち、ここ(18階層)まで辿り着いた勇気ある者達だ。仲良くしろとまでは言わないが、ここで会ったのも何かの縁であると、受け入れてもらえれば嬉しい。それでは、仕切り直して乾杯しようっ!」

 

 『乾杯っ!』と、フィンの声と同時に、【ロキ・ファミリア】の野営地の中心から男女の勢いに乘った声が上がり、続いてがやがやと歓談の声が響き始める。数個の携行用の魔石灯を中心に、輪となって食事をするのは、【ロキ・ファミリア】と【ヘファイストス・ファミリア】。そしてそこに急遽加わった新たなる数名。

 

「ねぇねぇっ! アルゴノゥトくんっ! 色々お話ししようよっ!」

「ちょっと、ティオナ」

 

 わいわい、がやがやと盛り上がる中、所在なさげにしているのはベル達保護された三人。固まって出された食事を食べながら、少しずつ緊張を解していたところに、両手に肉を掴んだままのティオナが乱入してきた。 

 その後ろから姉のティオネが止めようと手を伸ばすも、ティオナがベルの背中へ抱きつくようにして身体を当てるのが早かった。

 両手が肉で塞がっているからか、ティオナは恥ずかしがる様子も見せずに、その肌も露な姿で張り付くようにベルの背中に身体をあずけていた。

 

「あ、あのあの―――」

「あ~っもう、ごめんね。この馬鹿は連れてくから、気にしないで」

 

 突然感じる服越しでも分かる程の女の高い体温と、柔らかな感触に、一気に顔を赤く染め上げたベルがパニックに陥いり混乱も露にしていると、再度手を伸ばしてきたティオネの手がティオナの首根っこを掴むと、ひょいとばかりにその身体を持ち上げた。

 

「わっ、ティオネったら何するのっ!?」

「い、い、か、らっ。少しは気にしなさいよあんたはっ!」

 

 首を捕まれ持ち上げられたティオナが、ぶらぶらと身体と肉を握る両手を振り回しながら抗議の声を上げるが、ティオネが顔を寄せながら低い声で言いつのると不満気な顔をしながらも大人しくダラリと力を抜き抵抗をやめた。

 大人しくなったティオナの姿に、ため息をついたティオネは、どうしたらいいのかわからず呆然としている様子のベルに誤魔化すように小さく笑みを返すと、そのまま去っていってしまう。

 

「え、えっと……」

「むぅ~ベル様っ」

 

 人一人を子猫のように掴み上げながら去っていくティオネの背中を思わず追っていたベルであったが、横からのじっとりするような視線と低いうなり声に肩をびくりと震わせると慌てて視線を向ける。

 

「え? ちょ、ちょっとリリ、何でそんなに怒って」

「怒ってませんよ。ええ、リリは何も怒っていません」

 

 視線を向ければ、そこにはぷくりと頬を膨らませたリリが嫉妬の炎を揺らめかせた目をベルへと向けていた。

 理由はわからないが、何やら怒っていると感じたベルが、頬をひきつらせながら首を傾げていると、対するリリは膨らませていた頬を戻すと、()()()()とした笑みを返してきた。

 

「いやいや、怒ってるよね。ねぇヴェル、フ……?」

「……」

 

 笑みと言うにはあまりにも固く禍々しいそれに、ベルが逃げるようにもう一人の仲間に助けを求めようとしたところ、そこには眉根に深い皺を刻みながら何やら考え込む様子を見せるヴェルフがいた。

 

「ヴェルフ?」

「あ、ああ? 何だベル?」

 

 思わず横で自分に笑みを向けている(怒っている)リリの事を忘れ声を掛けたベルの声に、ヴェルフははっと顔を起こすと、何か誤魔化すような苦笑いを浮かべた顔を向けてきた。

 

「ううん。ヴェルフこそどうかしたの? 何だか難しい顔をしてたけど」

「気にしなくてもいいですよベル様。どうせさっき【ヘファイストス・ファミリア】の人からつつき回されていた事で不貞腐れてるだけですから」

「っ―――そんなんじゃねえよ」

 

 心配気にヴェルフを尋ねるベルの言葉に、浮かべていた笑みを皮肉げなモノに変えたリリが、目を細めながら鼻を鳴らし揶揄するように言葉を放つ。

 挑発するようなその言葉に、思わずヴェルフが反発するように声を返すが、即座に自分を見るリリの目に宿るものに気付き、引っかけられたと口許を苦々しく歪める。

 

「なら、何だって言うんですか?」

 

 間抜けが一匹釣れたとにんまりとした笑みを浮かべたリリが、詰め寄るようにヴェルフに言葉を向ける。

 ヴェルフは暫く黙っていたが、やがて自身の頭を乱雑にかきむしるとポツリと呟くように口を開いた。

 

「……様子が変なんだよ」

「様子が変?」

 

 誰の? と視線で問いながら首を傾げるベルに、腕を組みながらヴェルフが視線を少し離れた位置へと向ける。

 ヴェルフの視線に導かれ、リリとベルの視線もそちらへと向けられると、魔石灯の明かりがぎりぎり届くくらいの場所で、一人で胡座を組んで手酌で酒を飲む女の姿があった。

 

「ああ、ほら、そこで一人で酒飲んでる奴がいるだろ」

「えっと―――ああ、あの眼帯をした女の人?」

 

 声を掛けても届かない距離ではあるが、顔立ちや服装を確認するだけならば問題はなかった。

 ベルの言葉に、ヴェルフは頷きを返す。

 

「ああ、うちの―――【ヘファイストス・ファミリア】の団長なんだがよ。何か様子が変なんだ」

「様子が変って、ただお酒を一人で飲んでるだけじゃないですか? 何が変なんですか?」

 

 くぴくぴと両手でカップを掴みながら、中に入っている甘い飲み物を喉に流し込みながら尋ねるリリに向かって、ヴェルフがぴしりと指を差して頷く。

 

「そこだよ。一人で黙って酒飲んでる時点でおかしいんだよ」

「? どういうこと?」

 

 ベルとリリが顔を見合わせて首を傾げ合うと、代表するようにベルがヴェルフに続きを促す。

 

「うちの団長は、こう言う時はうっとうしく絡んでくるんだよ。それにあんな風に黙って黙々と酒を飲むんじゃなく、あっちにいる奴等みたいに、何時もは騒いで飲んでんだ」

「それが本当なら、確かに変だね」

 

 ヴェルフが『あっちに』と視線を向けた先では、何やらわっと声を上げて騒いでる集団が見える。

 がやがやとした賑やかさは、その集団が囲む魔石灯の明かりも相まって、とても暖かそうな雰囲気を感じられるが、それに反して、魔石灯の明かりが十分に届かない位置で一人でお酒を飲んでいる彼女の姿は、酷く寒々しく感じられた。

 

「ただ単に疲れているだけじゃないですか。かなり大変な遠征だったって聞きましたし」

「うちの団長はそんなたまじゃねぇよ」

 

 リリが顎先に指を当てながら、目を覚ましてから耳にした情報を口に出すが、ヴェルフは首を左右に振って否定する。

 彼の知る団長ならば、そういう時こそ人一倍騒がしい筈だと。

 

「そんなに気になるのなら、直接聞いたらどうなんですか?」

「っっ―――それは、まあ、そうなんだが……」

 

 もういっそのこと直接本人から聞けばとのリリの言葉に、しかしヴェルフは色々と事情やら苦手意識等から、どうにも歯切れ悪く言葉を濁すだけ。

 そんな優柔不断な姿を見せるヴェルフに、リリがカップに口をつけながら冷めた目を向けていると、横から聞こえてきたため息と共に呟かれた言葉が耳に入ってきた。

 

「様子が、変、か……」

「ベル様?」

 

 腕を組み、うんうんと唸りながら考え込むヴェルフに向けていた冷めた目をぱっと離すと、リリは隣にいるベルへと顔を向ける。

 そこには何かを考え込むように目を細めるベルの姿があった。

 

「あ、え? 何リリ?」

「いえ、ベル様こそどうかされたんですか?」

 

 ヴェルフの時とは明らかに違う、心配げに顔を曇らせたリリが、身を乗り出しながらベルへと詰め寄っていく。

 

「ち、ちょっと、ね。その、様子が変といったら、そうなんだけど……」

「?」

 

 ぐいぐいと顔を寄せてくるリリから、反射的に身体を反らしながらベルの視線が周囲で宴を楽しむ【ロキ・ファミリア】へと向けられる。

 

「―――【ロキ・ファミリア】の人からの視線が、ちょっと何だか気遣われてるような、そんな感じで……」

「? それの何が変なんですか? 瀕死の状態で担ぎ込まれたんですから、そんなおかしな事とは思えませんが」

「そう、だね」

 

 リリの言葉は確かにその通りである。

 自分達は今でこそ【ロキ・ファミリア】の治療のお陰でこうして無事でいられるが、見つかった際はかなりボロボロだったと聞く。なら、そんな自分達を気遣っているのだろうと思えるが……ベルには何だかそれは違うように感じていた。

 確かに、そういった気遣いは感じられるが、数人―――何か後ろめたいような、そんな雰囲気を……。

 とは言え、それも全て自分の感覚でしかなく、具体的に何かがあるわけでもない。

 小首を傾げながら見上げてくるリリに、何でもないと小さく笑いながらベルが首を振り返す。

 

「うん。気にすることは、ないよね」

 

 そう、自分に言い聞かせるように呟いた瞬間だった。

 

「―――ベル君っ!!」

 

 背後からここで聞こえる筈のない声が響き、背中に衝撃を受けたのは。

 

「えっ?!」

「ベル君っベル君っ! ベル君っ!!」

「わっ、ちょ、え? ま、まさかっ!? か―――神様っ!?」

 

 耳元で何度も呼ばれる自分の声と、先程感じたそれとは明らかに違う背中に感じる柔らかで大きな感触のそれに、今自分の背中に抱きついているのが、誰なのかがわかってしまった。

 

「え? 何で? どうしてここに神様がっ!?」

「ベル君っ! 本当に無事でよかったっ!!」

 

 慌てて立ち上がると、その勢いで手が離れたのか、背中に感じていた暖かさが消えていた。

 直ぐに振り替えると、やはり想像通りの姿がそこにはあった。

 

「本当に―――本当に無事で良かったよ」

 

 大きな瞳を涙で溢れさせながら、それでも満面の笑みを浮かべるヘスティアの姿に、ベルは頭に渦巻く幾つもの疑問を一時全て捨て去ると、同じように笑みを浮かべ大きく頭を下げてみせた。

 

「あ―――……はい、何だか凄く心配をかけてしまったみたいで、その、ごめんなさい」

「っ―――君までいなくなってしまったら―――ボクは―――」

 

 頭を下げたお陰で、ヘスティアの足元しか見えなくなったベルの頭上に、ぽつりと小さな形にならない言葉が触れる。

 感じた言葉に込められた悲しみに、ベルが思わず顔を上げると戸惑った視線をヘスティアに向けた。

 

「神様?」

「―――っぁ、な、何でもないよっ! うん、本当に無事で良かった」

 

 ベルの声と視線に一瞬口許に手を寄せたヘスティアだったが、直ぐに両手を左右に振ると、誤魔化すように勢いよくうんうんと頭を上下に振って頷き始めた。

 ヘスティアのそんな様子に、疑問を感じながらも、ベルはまず最初に聞くべき事を聞かなければと口を開く。

 

「は、はい。でも、どうしてここに神様が、一体どうして―――と、言うよりもどうやって?」

「ああ、それはね―――」

 

 ベルの疑問に、ヘスティアの視線が後ろへと向けられるが、それよりも先に、覆面を被った冒険者が声を掛けてきた。

 

「無事でしたか、クラネルさん」

「え? あっ―――だ、誰ですかっ―――てリューさんっ?! な、何でっ!?」

 

 声を掛けてきた覆面の冒険者が誰か分からず戸惑うベルの傍に、すっと近付いてきたその冒険者が、顔を隠すケープを僅かにずらして見せる。

 微かに見えたそこに、『豊穣の女主人』のウエイトレスの姿を見たベルが驚愕の声を上げた。

 

「とある神に依頼されて。相手()は気に入りませんでしたが、内容が内容でしたのでここまでの護衛に」

「それは―――」

 

 ベルの視線が自然と下へ―――ヘスティアへと向けられる。

 

「ん~、彼女に依頼したのはボクじゃないよ。それは―――」

 

 ベルの視線(答え)に首を左右に振って応えたヘスティアは、正解は、と視線を何時の間にか【ロキ・ファミリア】団長のフィンと何やら話している一団へと向ける。

 ヘスティアの視線に気付いたのか、その一段から一人の優男が、軽やかな動きでベル達の元へと歩いてきた。

 

「やぁ、君がベル・クラネルだね。始めまして。オレの名はヘルメス。そこにいる彼女の【ファミリア】の主神で、君の神様の心友(マブダチ)だよ」

「あ、はい……その、ありがとうございました」

 

 ベルの目の前まで来たその男は、目を細目ながらにっこりと笑い手を伸ばしてきた。

 反射的に手を取ったベルが、お礼の言葉を向けるが、手を離したヘルメスと名乗った神は両手を激しく左右に振ると、顎をくいっと背後で【ロキ・ファミリア】の幹部と何やら話し込んでいる眼鏡を掛けた女性達を示した。

 

「いやいや、お礼はオレじゃなくて、そこの子や、後ろにいる他の子供達に言ってくれ。オレはただ付いてきただけだからね」

「は、はい。それじゃあ―――」

 

 ヘルメスの言葉にベルは頷くと、お礼を言うためにリリとヴェルフ、そしてヘスティアを連れて小走りでその集団へと向かっていく。

 覆面をした冒険者の姿は、いつの間にかなく。

 その場にはヘルメスだけが取り残されていた。

 ヘルメスは、小さくなっていくベルの背中をじっと、何かを確かめるように、値踏みでもするかのような目で見つめながら、口許に小さな笑みを浮かべた。 

 

「そうか……あれが、ベル・クラネル、か……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、一応確認させてもらいますが、神ヘルメス。あなた方がここ―――18階層までやって来たのは、ベル・クラネル一行を救出するため、ということでよろしいでしょうか」

 

 【ロキ・ファミリア】団長フィン・ディナムの形だけの笑みと共に向けられた言葉に、その正面に立つ【ヘルメス・ファミリア】の主神たる優男の神ヘルメスが笑みを―――胡散臭い笑みを返して頷いて見せる。

 

 宴の最中、哨戒していた団員が連れてきたのは、行方不明となったベル一行を救出に来たと言う【ヘルメス・ファミリア】の団長が率いる一団だった。ここ18階層に辿り着いた彼らは、直ぐ近くに【ロキ・ファミリア】が野営している事を知ると、一応という考えで連絡を取ったのだが、そこには何と探していたベル一行の姿が。

 思いがけず目的を達成した彼らは、ヘスティアとベルの感動の再会が一段落すると、今後について【ロキ・ファミリア】と本営の天幕において話し合うこととなった。

 広々としたその天幕の中には、現在【ロキ・ファミリア】のフィンを始めとした最高幹部3人に加え、アイズと話し合いの結果を他の団員に伝達するための要員であり幹部の端くれでもある(都合の良い者として)ラウルがいた。

 他の今ここにいないベート以外の幹部であるティオネとティオナは、団長の指示で、ここにいないベル達と他の救出に来た者達の近くにいた。

 そして【ロキ・ファミリア】以外には、救出部隊を率いていた【ヘルメス・ファミリア】の団長であるアスフィとその主神であるヘルメスに加え、当事者である【ヘスティア・ファミリア】からは主神たるヘスティアただ一柱の姿があった。

 他の三人であり、行方不明となっていた当事者であるベル達三人は、現在他の天幕で、ティオナとティオネの立ち会いの下、救出部隊の中にいた、自分達が危機に陥った原因である【タケミカヅチ・ファミリア】の一団と話し合っている。

 死にかけた者と、その要因となった者達がいて、何も起きないと考えるほど、呆けていないヘスティアだったが、ベルに対する信頼と、出来ればベルに聞かせたくない事があることから、ただ一人押し掛けるようにしてこの場(本営の天幕)にいた。

 そして今、救出部隊を代表するように前に出ていたヘルメスの後ろに立つヘスティアは、互いに形だけの笑みを向け合う二人に『うへぇ』と内心舌を出しながらも黙って様子を伺っていた。

 

「ああ、その通りだ。ヘスティアが足元にすがり付いて『なんでもしますからぁ~』何て言われればねぇ」

「なっ!? そ、そんな事一言も言っていないぞっ!!?」

 

 一歩下がった場所で傍観していたヘスティアだったが、ヘルメスが自分の体を抱き締めながらくねくねと体を揺らして似ていない声真似をするのを見ると、動物のように髪の毛を逆立てながら抗議の声を張り上げる。

 

「あっはっはっ。ジョークだよジョーク……うん、だからアスフィ。その手を下ろしてもらえれば嬉しいのだが」

 

 『ふしゃー』と威嚇するヘスティアを両手でまあまあと宥めていたヘルメスだったが、凍えるような視線と背筋に走る悪寒に、その発生源へと恐る恐ると視線を向けると、引きつった顔で懐から取り出した何かの柄を握りしめるアスフィに真剣な声を向けた。

 

「真面目にしてください」

「はい」

 

 ピシャリと叱りつけるように言ったアスフィに対し、ペコリと頭を下げるヘルメス。

 三文芝居のようなそれが終わるのを見て、フィンが仕切り直すように声を上げる。

 

「で、よろしいですか?」

「はい、どうぞ」

 

 にっこりとお先にどうぞとばかりに笑って手を差し出すヘルメスに、小さく鼻を鳴らしながらフィンがここに集まった理由を尋ねる。

 

「……事情は今聞きましたが、交渉がしたいとは?」

「ああ、何、簡単な事だよ。少しばかりここ(ロキ・ファミリアの野営地)に滞在する許可をもらいたいだけだ。それと、できれば君たちが出発する際、オレ達も同行させてもらえれば、とね」

「……それだけですか」

 

 それだけではないだろうと、フィンが無言で目で訴えかけると、ヘルメスは肩を竦め後ろに立つヘスティアに振り返った。

 

「まあ、他にも用があったんだが……」

「……神ヘスティア」

 

 ヘルメスの視線を追いかけ、ヘスティアと顔を見合わせたフィンが、一瞬何か口ごもるように口元を動かしたが、直ぐにそれを誤魔化すように尋ねた。

 

「何だい?」

「あなたも、何か用が」

「ああ……直接聞きたい事があってね」

 

 フィンの問いかけに、ヘスティアは一歩前に出る。

 それに合わせるようにヘルメスは二歩ほど後ろに下がると、一番前へ出たヘスティアがフィンと向き合う形となった。

 

「それは―――」

「シロ君の事だよ」

「「「―――っっ!?」」」

 

 ヘスティアの聞きたいことが何かと、聞く前に、遮るようにして彼女の口から言葉が吐き出された。

 何も荒げた声でも怒りがこもったようなものでもない、普通のその声に、その場にいた【ロキ・ファミリア】の何人かが怯えたようにびくりと体を震わせた。

 それにヘルメスやアスフィも気付いていたが、ヘスティアが言及せずにそのまま話を続けたことから、気になりはしたが口を挟むことなく話しに耳を傾けた。

 

「ギルドから報告は受けた。情報の提供者は君達【ロキ・ファミリア】だってね」

「……っ」

 

 ヘスティアがこの場にいて、自分達に聞きたいことがあるといった時点で、フィンには何を聞かれるかはある程度予想がついていた。

 だから、フィンはヘスティアに予想通りの言葉を受けた際、動揺を顔に表す事はなかった―――が、それを押さえる事の出来ない者も、その場にはいた。

 

「―――ごめんなさいっ!」

「え?」

 

 フィンの背後から、アイズが一歩前に出ると勢いよく頭を下げて謝ってきた。

 勢いよく広がった金髪が、下げた頭を通り越し床へと流れていく。

 突然の謝罪に、ヘスティアが目を瞬いている間も、頭を下げたままのアイズは言葉を喉につっかえさせながらも、何とか何かを伝えようとする。

 

「わた―――私が全部―――」

「アイズっ!!」

「―――っ!?」

 

 しかし、それがはっきりと形となる前に、フィンが遮るように言葉を発した。

 びくりと肩を揺らし、ゆっくりと体を起こして顔を向けてくるアイズを、フィンは厳しく細めた目で睨み付ける。

 

「黙っていろ。君には口を出していいと許可は出していない」

「っ―――でもフィンっ!?」

「いいから―――口を挟むな」

 

 フィンの言葉に、尚も言いつのろうとするアイズだったが、それを封じるようなきつい言葉に言いかけて開きかけていた口をゆっくりと閉じると、そのまま天幕の端まで歩いていってしまった。

 

「へぇ。随分と()()()()()()。【勇者(ブレイバー)】」

「ええ、色々とありまして」

「ほう、()()と、ねぇ……」

 

 にやにやとした笑みを浮かべ覗き込むようにして見てくるヘルメスへと視線を向けることのないフィン。ヘルメスはそんなフィンの様子に、不快気な様子を見せるのではなく、興味深そうに頷きを返した。

 そうして顎に手を当てながら、何やら考え込み始めたヘルメスに、しかしヘスティアがじろりと後ろ視線だけを向けて釘を刺す。

 

「っと、ああ、ごめんごめん。確かに今は君の番だ。オレは黙って下がっておくよ」

「はぁ……で、いいかな?」

 

 ヘスティアの低い平坦な声に、ヘルメスは両手を振りながら文字通り後ろへと数歩下がって見せる。

 ごめんごめんと口にしながらも、軽いその口調に若干の苛立ちを感じるも、それを振りきるように一度目を閉じたヘスティアが、フィンへと言葉を向ける。

 

「……話せない事もありますが」

「わかってるよ。だけど、そこを曲げてお願いだ。どうか、教えてほしい。シロ君について少しでも何かがあれば―――」

「っ―――神ヘスティア! 頭を上げてくださいっ!? っはぁ……わかりました。可能な範囲までなら」

 

 ヘスティアのお願いに、難しい顔を返すフィンであったが、言葉と共に頭を下げるのを見て思わず慌てて声をかけてしまう。神が頭を下げる姿は、特定の神を除けば別に珍しい姿ではないが、やはりふざけた様子もなく真剣な姿をした神に頭を下げられればフィンであっても心中穏やかではいられなかった。

 

「っ、あ、ありがとう」

「いえ。こちらも彼には借りがありますので」

 

 フィンの譲歩を出すような言葉に、ヘスティアが喜色を浮かべるが、顔を上げた先にあったのは、後ろめたさと罪悪感が入り交じったような表情だった。

 『勇者(ブレイバー)』という二つ名に似合わないその顔と、そして彼が口にした言葉の意味が分からず、ヘスティアは知らず問いかけていた。

 

「借り?」

「……神ヘルメス」

「何だい?」

 

 しかし、フィンはヘスティアの疑問に答えることはせず、その背後にいるヘルメスへと視線を向けていた。

 

「少し離れていてもらっても」

「んん? どうして?」

「今から話すのは神ヘスティアの【ファミリア】の事。部外者に聞かせることではありませんので」

 

 それは半分本当で半分は嘘。

 今から話そうとするものは、本来はヘスティアにも伝えずにおこうと考えていた事であった。

 内容が内容なだけに出来るだけ話す相手は少ない方が良い。

 他のファミリアの事であると言えば、大体のものは遠慮するし、自分の眷属の情報を出来るだけ知られたくないと考える神は多いことから、そう言えばヘスティアからもここから出ていくように言ってくれるかもしれないとのフィンの判断であったが、それが裏目に出てしまった。

 

「いや、構わないよ」

「神ヘスティア」

 

 フィンの期待を裏切るように、ヘスティアが何処か苦い顔をしながらもその提案に首を横に振った。 

 

「癪だけど、本当に気に入らないけど、こいつの知恵はばかにならないし、それにどういうことになったとしても、力を借りると思うからね。一緒で構わないよ」

「あなたがそう言うのならば……」

 

 ヘスティアとフィンの視線を向けられたヘルメスは、へらへらとした笑みを返しながら手を振って見せている。

 からかうようなその様子に、誰かが口を挟むよりも早く、その背後から神の後頭部を勢いよく叩いたアスフィが、主神の代わりに勢いよく頭を下げてきた。

 

「神ヘスティア。ギルドから話を聞いたと言いましたが、どのような話を聞きましたか?」

 

 床に突っ伏したヘルメスに若干の溜飲を下ろしたフィンが、改めてヘスティアに向き直ると、彼女がどれだけ状況を確かめてみる。

 

「どうって……シロ君が17階層の階層主―――生まれ落ちたばかりのゴライアスに運悪く接触。暴れるゴライアスが空けた穴に落下して行方不明になったと……違うのかい?」

 

 首を捻りながらも、ギルドから伝えられた報告を思い出しながら口を開いたヘスティアは、フィンへと同意を求めるが、それは顔を横に振られることで否定された。

 

「はい。穴に落ちて行方不明というのは確かですが、正確には違います」

「?」

 

 行方不明という点が確かならば、それでは何が違うのだと疑問符を浮かべるヘスティアに、覚悟を決めるように一度目を閉じたフィンが、その瞼と共に口も同時に開いた。

 

「彼は【フレイヤ・ファミリア】団長―――【猛者(オッタル)】との戦闘の最中。戦いに耐えきれず崩壊した地面と共に落下しました」

「え?」

「―――ちょっと待ってくれ。【猛者(オッタル)】だって?」

 

 ()()()()()()()()という言葉を、確かにヘスティアの耳は受け止めた。

 オッタルという男の事については、地上に降りてまだ間もないヘスティアでも知っている。

 都市最強との呼び声高い【フレイヤ・ファミリア】の団長。

 しかし、そんな男とシロがどうして関わっているのか?

 そもそも戦いとは一体?

 混乱するヘスティアの頭では、それ(オッタル)が何を示しているのかということすら判断することができなくなり、ただ疑問の声を上げるしかできないでいた。

 そんな混乱真っ只中のヘスティアを後ろから、先程まで浮かべていた笑みを掻き消したヘルメスがフィンへと確認のための言葉を向けた。

 

「はい。あの【フレイヤ・ファミリア】の、です」

「どういうことだい……」

 

 ヘルメスの言葉に、フィンが頷いて肯定を示すと、ようやく我に返ったヘスティアが、未だに動揺が残る心を静めるように胸を押さえながら深呼吸をしながら詳細を求めて視線だけを向けた。

 

「オッタルとシロが何故、戦っていたのか。その理由まではわかりません。ただ、偶然居合わせたこちらの団員がそれを目撃しています」

「いや、だから待ってくれ。オッタルと戦っていただって? まてまて、()()()()()()()()()()()

「な、なんだいヘルメス?」

 

 ヘスティアの続きを促す視線に応え、フィンが続きを話し始めるが、無視される形となったヘルメスが慌てて体と手を伸ばしてきて話の流れを止めようとする。

 突然フィンとの間に割り込んできたヘルメスに、ヘスティアが戸惑いながらも用事を尋ねる。と、厳しい眼差しを向けてきたヘルメスが、ヘスティアのその豊満な胸元へと指を突きつける。

 

「いいかヘスティア。君はまだ地上に来てからまだ間もないからわかっていないが、オッタルは―――レベル7というのは言葉の通り他の冒険者とは次元が違う強さを持っている」

「む、ぅ……そんなのわかってるよ」

 

 唐突に始まったヘルメスによる説明に若干頬をひきつらせながらも、無理矢理話を中断させずに、ヘスティアは黙って聞いていた。

 話の邪魔ではあるが、ヘルメスの言っていることは間違いではない。

 確かにヘスティアは地上に降りてまだ幾ばくも時間は過ぎてはおらず、レベルの差と言うものがどういうモノなのかは、本当の意味で理解しているとは言いがたかったからである。

 

「いや、わかっていない。いいか、ヘスティア。彼らのようなレベル6に至った者達ならば兎も角、レベル5どころか1でしかない冒険者では、文字通り()()()()()()()()()()()()

「それは、どういう……」

 

 ヘルメスの言う『戦いにすらならない』という意味が、ヘスティアにはピンと来ることはなかった。

 確かにレベルが一つ違うだけで大人と子供ほどの力の差が出来るのは知ってはいたが、レベル7となればまた違うのだろうかと、内心首を捻るヘスティア。

 

「言った通りさ。こちらの攻撃は一切通じないのに、相手の攻撃はかすっただけでも、いや、かすらなくても衝撃だけで倒されてしまう。戦うどころか近づく事すらできない。文字通り戦いになんてならない筈だ」

 

 まだ納得していない雰囲気のヘスティアに、ヘルメスは過去に見たその領域に至った英雄の姿を思い出しながら、その強さの片鱗を言葉にする。

 そう、本当にレベル7とはそれほどまでに常識から外れた存在なのだ。

 そんな存在と、ただのレベル1の冒険者が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と断定する。

 

「……ええ、それについては同意しますよ神ヘルメス」

「なら―――」

 

 ヘスティアに説明するヘルメスの言葉に、保証するようにフィンが首を縦に振る。その姿に、ヘルメスがフィンに対し、ならば一体どう言うことだと聞こうとするも、それよりも早くヘスティアに向き直ったフィンがちらりと視線を腕を組んだ格好でフィンの直ぐ傍に立つドワーフの男―――ガレスへと向けた。

 

「僕も直接見てはいないので、それについては目撃した本人から聞いた方がいいでしょう」

「なんだ、儂に話せと言うのか」

 

 フィンが渋るガレスに両手を会わせて頭を下げる。ガレスは顔中に皺を寄せ集めて、厳しい顔をするも、頭を下げ続けているフィンの姿に、喉元まで上がりかけていた忌避の言葉を飲み込んで占めた。

 

「言いたいことはわかるけど、頼むよ。直接目にした者からの言葉なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ふんっ、面倒な」

 

 神ならではの方法で確かめるのならば、それならば確かに現場にいたガレスが口にした方が良い。

 それはガレスもわかっているから、渋々といった様子でヘスティアとヘルメスに目を向けた後、頭を掻きながら自嘲染みた笑みを口許へと浮かべた。

 

「儂はフィンのように口が上手いわけではないからの。聞き苦しいところは我慢してもらいたい」

「大丈夫だよ」

「ああ、オレも構わない」

 

 ヘスティアとヘルメスの了解を取ると、ガレスは組んでいた腕をほどくと、頭を掻きながら一歩前へと出ると話し始めた。

 

「ふぅ……先程も話にでていたが、レベル7が相手では、低レベルの者では戦いにすらならないとな。それは確かに真実だ。儂もそう思う。事実、オッタルと(シロ)との戦いは一方的で、オッタルに攻撃は一切通じず、なのに一発でもかすったとしてもそこで終わるような、そんな蹂躙のような戦いだった」

「―――っ」

 

 淡々とした口調で話されるガレスの話は、見たものをそのまま口にしているといった様子であった。

 特に声を荒げたり緩急をつけたりと工夫したものはなく、しかし、だからこそ真実味を感じさせる一種の凄みのようなものが感じられるものであった。

 そんなガレスの話を耳に、先程のヘルメスの言葉通りの状況を脳裏に浮かべてしまったヘスティアは、シロが追い詰められていく様子を想像し思わず息を飲む。

 

「だが、それも途中までの話」

「……何かあったのかい?」

 

 しかし、追い込まれたシロの姿を夢想したヘスティアが、思わず喉を鳴らしたその時、淀みなく話していたガレスの声が一瞬躊躇うようにぶれたことに気付いた。

 

「うむ。戦いの最中(さなか)、奴が追い込まれ、オッタルが止めを刺そうとしたところだったな。奴を中心に黄金の柱が立ち上った」

「「―――っ!!?」」

 

 ―――黄金の柱。

 その言葉を聞いた瞬間、二柱の神がその体を動揺に揺らした。

 それには、覚えがあった。

 いや、ヘスティアやヘルメスだけではない。

 このオラリオ―――いや、きっと世界中の神が、あの時黄金の光が空に昇ったのを見ただろう。

 神々の送還にも似たあの光の柱が、それではないことに、他ならぬ神達は知っている。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()、と。 

 具体的に何がどう違うのかは分からない。

 それどころか何もかもが分からないのだから。

 ガレスの言葉に動揺する二柱の神。

 ヘスティアは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、内心そうではないかと考えながらも、確信に至っていなかったことが確信に変わるも、やはりそれ(黄金の柱)がシロと関わりがあったことに動揺は隠せず。

 そして、もう一柱の神であるヘルメスは、以前見た謎の黄金の柱が、ヘスティアのファミリアの関係者が係わっていたことに単純に驚いていた。 

 二柱の神が、それぞれの立場や考えで、あの日立ち上った黄金の光の柱について考えている間も、ガレスの話しは続く。

 

「そんなに長い間ではなかったが、その光の中から次に現れた奴は、最早別人となっていた」

「別、人?」

 

 ガレスの口にした別人という言葉に、ヘスティアが戸惑う様子を見せる。

 

「何も顔や身体が変わったわけではない。いや―――オッタルに負わされていた傷が消え、ボロボロの服が何か甲冑めいた服には変わっていたが、それ以外には何か特別に変わった所はなかった」

「じゃあ、何が……」

 

 続きを―――具体的な()()を知るため問うヘスティアに、ガレスは腕を組むと当時を思い返すかのように目を閉じた。

 

「具体的に何が、とは言えんが、何が、と言われればそれは―――『強さ』だ」

「強さ?」

 

 別人と感じるような『強さ』―――それは別に珍しい事ではない筈である。

 特にこの都市(オラリオ)では、日々レベルアップ(別人のような強さを手に入れる)する者がいるのだから。

 そんなことは、長く冒険者をしているガレスが分からない筈がない。

 なら、そんなガレスでさえ―――『別人』とまで感じた『強さ』とは一体―――。 

 

「強さの桁が、一つ、いや二つほどまで上がっていたように感じたな。いや、違う……あれはただ単純な速さや力といったものではなかった。剣の振り、身体の動き、どれもこれもが別人のように洗練されて……」

 

 閉じられていたガレスの目が開かれた瞳には、ヘスティアやヘルメス等の己を見つめてくる神の姿は映ってはおらず、あの時―――都市最強と渡り合っていた男の魅せた剣の煌めきが映っていた。

 

「元より達人のような動きを見せていたが、それすら甘く思えるほどに、突き詰めた動きに変わった。わからんのが、アレ(あの強さ)は単純にステータスが上がっただけでは手に入らない、経験を積み重ねた上でしか得られないだろう、そんなモノ(技術)の筈なものなのだが」

 

 そう、それ故に()()と称したのだ。

 新たなスキルや魔法の取得がなければ、レベルアップとは単純な身体能力の向上でしかない。

 しかし、あの時、あの男(シロ)が見せた『強さ』は、単純なそれとは明らかに違うものであった。

 一つ一つ丁寧に重ね、時には削り―――長い時を経て漸く手に入れられる―――そういった種類の『強さ』。

 だからこそ、わからない。

 

「……それで、オッタルと同格の強さにまでなったと?」

 

 レベルアップによる強さとは違う『強さ』。

 その力であのオッタル(最強)と渡り合えたのか、とのヘルメスの言葉に、ガレスは違うと首を横に振る。

 

「いや、確かに強くはなった。目を疑う程にな。だが、知っておるだろう。あれ(オッタル)の強さを。都市最強の呼び声は業腹だが真実だ。そう簡単に手が届くような頂ではない」

「それじゃあ……」

 

 ガレスの言葉には、無言のままのヘルメスも同意する。

 オッタルの戦う姿は、実際に自分の目で見たのは数えるほどであるが、それでも十分だった。

 一度見ただけでもわかる。

 あの男の強さが。

 それはガレスもまた同じ筈である。

 なのに、ガレスはそんなオッタル(最強)シロ(最弱)が渡り合ったと言う。

 ますます深まる謎に、続きを促すヘルメスの言葉に、ガレスはポツリと呟くような小さな声でその正体(渡り合えた理由)を告げた。

 

「……剣」

「え?」

 

 それは誰が口にしたのか。

 ヘスティアか、それともヘルメスか。

 出された答えの真意が分からず漏れたその声に、応えるようにガレスが続きを口にする。

 

「奴が振るった剣が、彼我の差を覆しおった」

「剣だって?」

 

 はっきりと疑問を口にしたのはヘスティアであった。

 ヘスティアの脳裏に、シロが腰に差している双剣の姿が浮かび、その来歴を思い返す。

 そして直ぐに思い出す、それがシロ自身が打ち上げた剣であったことを。

 ヘファイストス曰く中々の逸品だと聞いたが、それでも()()でしかない。

 レベル7という桁違いの化け物との差を覆させる事が出来るほどの力はない筈であった。

 

「オッタルの耐久は異常よ。下手な武器処か、生中なモンスターの攻撃すらまともに通じん。だが、あの男(シロ)の振るった剣は、そんなあ奴(オッタル)の身体をモノともせずに切り裂いておった」

「そんな馬鹿な……」

「嘘だと思うか?」

 

 思わずヘルメスの口から否定の言葉が出てしまう。

 それもそうだろう。

 元々規格外の耐久を誇っていたオッタルが、レベル7に至った結果。その耐久は上級の防具にも優るまでになっていた。

 そんな身体を切り裂くなど、信じられる筈がない。

 しかし―――。

 

「……いや、君は嘘は言ってはいない」

「ふん。この目で確と見たものよ。奴の振るう双剣が、オッタルの身体を切り裂くところをな」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 少なくとも、ガレスの言う通り見たのだろう。

 シロが振るう剣がオッタルの身体を切り裂くと言う有り得ない光景を。

 

「そこから先、戦いは激化の一途を辿った。途中、ゴライアスが現れたが、それもオッタルに投げ飛ばされるわ、あ奴(シロ)に両断されるわで直ぐに消えたがな。まるで深層の階層主同士の戦いのようじゃった」

「……」

 

 ゴライアスが投げ飛ばされて両断されるという。ゴライアスと呼ばれるモンスターが17階層の階層主であることはヘスティアも知っているが、どれ程の強さなのかは具体的には知らない。しかし、見上げるほどに巨大な人型のモンスターだと聞いている。それが投げ飛ばされ、両断される―――想像もできないそんな光景を思い浮かべようとするヘスティアだったが、直ぐさま断念するとガレスの話に改めて耳を傾けた。

 どうやら話の流れからして終盤に近付いていると感じたためである。

 

「そして、その最後は聞いている通り。奴等の戦いに耐えられなくなったかのように、ダンジョンの足元が崩壊し、それに巻き込まれる形で二人とも落ちていったと言うところだの」

「―――それが、シロ君を見た最後……」

 

 ギルドからの報告と一致する最後の状況を聞き、ヘスティアが苦しげな表情を浮かべた顔を背けるようにして床へと向けた時、アイズの声が上がった。

 

「っ違い―――」

「アイズッ!?」

 

 ヘスティアの悲しげな様子に耐えきれなかったのか、アイズが反射的に声を上げようとしたが、それは完全に形になる前にフィンによって遮られることとなった。

 続ける言葉を止められたアイズは、しかし納得できないという感情を露にした顔をフィンへと向ける。

 

「ッ―――でもフィンッ!?」

「わかっている」

「ぁ……」

 

 睨み付けるような視線は、しかし、フィンの堅い揺るがない目と言葉に急速に力を失ってしまう。

 そんな二人の様子に、動揺しながらも何かあるのかとヘスティアが疑問を浮かべていると、アイズから顔を離したフィンが改めてヘルメス達へと向かい合う。

 

「どうしたんだい?」

「……はぁ。神ヘスティア、神ヘルメス。これから口にすることは口外無用でよろしいか」

「え、あ、う、うん……」

「……ああ、構わないよ」

 

 改めて口外を禁じるフィンの様子に、何かを感じながらも言葉少なく同意を示すヘスティアとヘルメス。

 二柱からの同意を受けたフィンは、覚悟を決めたように小さく息を吸い込むと、口を開いた。

 

「確かに彼は―――シロは17階層の崩落により行方が不明となりましたが、僕たちはその後、彼ともう一度会うことになりました」

「―――……ッ!!? ―――そ、それはどういうことだいッ!!!?」

「へぇ……」

 

 フィンの言葉を聞いた瞬間、一瞬呆けたように目を見開いたヘスティアだったが、直ぐに飛びかからんばかりの勢いで詰め寄っていく。その後ろでは、口許へと手を当てたヘルメスが何やら考え込むような様子を見せている。

 今にも胸ぐらへと掴みかかりそうなヘスティアを手で制止ながら、フィンは続きを口にした。

 

「そして……彼と次に出会ったのは、深層域―――53階層」

「「は?」」

 

 その続いた言葉を聞いて、掴みかからんとしていたヘスティアだけでなく、何やら考えていたヘルメスも間の抜けた顔と声を見せた。

 

「―――そこで、僕達は彼と再会しました」

「ちょ、ちょっと待ってくれ? 53階層? あり得ないだろう」

 

 フィンへと伸ばしていた両手を自身の頭へと当てたヘスティアが、うんうんと唸りながら否定の言葉を上げる。 

 だが、しかしフィンの言葉は嘘ではない―――それは神である自分だからそれははっきりと分かった。

 でも、だからこそわからない。

 シロは、レベル1だ。

 オッタルと渡り合えた所で、もうシロがただのレベル1だと考えるのはおかしいとわかるが、それとダンジョンの深層まで潜れるのはまた別である。

 

「ええ、常識的に考えればあり得るはずがありません。ですが、事実です。僕らはそこで、彼と出会い。色々と事情がありますが、共に59階層まで行くことになりました」

「まてまてまてまて。何処から突っ込めばいいのか、突っ込みどころが多すぎてわからん」

 

 流石のヘルメスも、このフィンの衝撃の言葉を冷静に受け止める事が出来なかったのだろう。混乱の度合いを示すように両手を慌ただしく左右に振ってフィンへと訴えかけていた。

 

「気持ちはわかりますよ。ですが、僕が口にする言葉は全て本当であると、他ならぬ自分自身が分かっていますよね」

「っ―――だからと言って」

 

 ヘルメスもヘスティア同様に、フィンが嘘を言っていないことはわかっている。

 でも、だからこそわからない。

 ダンジョンとは、ただ強いだけで挑めるような、そんな生易しい所ではない。

 たとえシロが規格外的な強さを持っていたとしても、ただ『強い』だけでは決してダンジョンの深層へと届く筈がないのだ。

 

「話を続けますが」

「おい」

 

 一旦話を止めろと訴えるヘルメスを無視し、フィンは話を続ける。

 

「結論から言います。詳細は言えませんが、そこで僕たちはある敵と戦う事になりましたが、全滅の可能性が高いと判断。撤退をしましたが、その際、殿を彼が務めたのですが、結果―――」

「―――っ」

 

 またも無視できない情報が耳に入り、ヘルメスが少し強く言ってでも一旦話を止めさせようと口を開いたが、それは次にフィンが口にした言葉により出てくることはなかった。

 

「59階層が崩落する事態に陥り、殿として彼はその場に留まった結果、現在安否不明の状態です」

「っっ~~あーもうっ!!? 何処から何を突っ込めばいいんだっ!!」

「っうるさい黙れっ!!?」

 

 流石に神といえど飲み込むには無理のある情報だったのだろう、ヘルメスは頭を抱えると空を見上げて絶叫する。それに対し、ヘスティアは叩きつけるように床を踏みしめる音と共にヘルメスへ向け怒声を放つ。

 普段とは明らかに違う声色に、ヘルメスは驚いたようにその口と目を丸くすると、フィンを睨み付けるヘスティアへとその目を向けた。

 

「……それじゃあ、なんだい。結局シロ君がどうなっているかはわからないってことかい?」

「はい。ただ……言いにくいことですが、あの場にいた者として、彼の生存は―――」

 

 ヘルメスに向けた怒声とは違い、フィンへと向けた声は無理矢理押し殺したような低く静かなものであった。

 だが、フィンを見つめる瞳には、一目でわかるほど噴火直前のマグマ染みた様相が見てとれていた。

 

「―――ないって言うのかい?」

「……はい」

 

 神威は感じられないが、それでも高レベルの冒険者の心胆を震わせるヘスティアの瞳に見つめられながらも、フィンは目を逸らさず確りと頭を下げ肯定を示した。

 

「……確かに、君の言葉には嘘はないようだね」

「……」

 

 低く、押し潰されたそのヘスティアの言葉からは、怒りも悲しみも感じられなかった。

 しかし、だからと言って無感情なそれではなく。

 逆に、大きすぎてわからないと言った様なものであった。

 広い筈の天幕が狭く感じる程の重圧が感じられる中、ふと、何かに気付いたようにガレスの目元がピクリと動いた。

 

「―――?」

 

 しかし、それを確かめようとするよりも先に、ヘスティアが口を開くのが早かった。

 

「―――でも、僕は信じてるよ。ううん、違うな。信じられるようになった」

「え?」   

 

 先程の激昂は何だったのかと思う程に、ヘスティアのその口調は平静―――いや、穏やかなものとなっていた。

 その落差の激しさに、フィンたちだけでなくヘルメスもまた訝しげな表情を浮かべる。

 幾つもの疑念の視線を受けながら、ヘスティアはうん、と一つ強く頷くと、何の含みも持たない本当の笑顔をその顔に浮かべフィンへと頭を下げた。

 

「ありがとう。正直に話してくれたお陰で、僕も信じることが出来るようになったよ」

「神ヘスティア?」

 

 戸惑うフィンに、顔を上げたヘスティアが確信に満ちた目が向けられる。

 自分の口にした言葉は、どれも絶望的なものであり、本来ならば罵声や悲嘆の声が上がるだろうものが、何故かヘスティアの顔には希望が満ちており、その声には明るかった。

 フィンの思いは、その場にいる者の全員にあり、誰かがその疑問を呈するものと思われた時、ヘスティアがはっきりした―――確信に満ちた言葉が放たれた。

 

「シロ君は生きてる。()()()()()()()

「ヘスティア?」

 

 ヘルメスが疑問に満ちた声でヘスティアの名を呼ぶ。

 先程のフィンの話からは、どう考えても希望を持てるようなものはなかった筈である。

 しかし、生きていると口にしたヘスティアの目には、確かな確信があるように見えた。

 その理由を問おうと、ヘルメスが声を上げようとしたが、それよりも先に踵を返したヘスティアが天幕の入り口へと向かう方が早かった。

 

「聞きたいことや言いたいことは山ほど―――うん、それはもう沢山あるけどやめておくよ」

「おい、何処にいくんだヘスティア」

 

 ヘルメスの呼び掛けに足を止めることなく、ヘスティアは入り口へと向かっていく。 

 

「ベル君達のところだよ。あっちも色々とややこしくなってるかもだからね」

「いいのか? もっと聞きたい事があるんじゃ―――」

「いいんだよ」

 

 返ってきた返事に納得のいかないヘルメスが、尚も呼び止めようとするが、ヘスティアは止まらずとうとう天幕の入り口の目の前まで辿り着いてしまう。

 そして、外へ出ようと手を伸ばしたところで―――。

 

「神ヘスティア」

「―――なんだい?」

 

 フィンがヘスティアへと声を掛けた。

 ヘルメスの時とは違い、ヘスティアの天幕と外を塞ぐ入り口へと伸ばされた手は止まった。

 しかし、ヘスティアはフィンへと振り返ることはなく、背中を向けたまま言葉の続きを待っていた。

 

「一つ、よろしいでしょうか」

「別に構わないけど」

 

 背中を向けたまま、振り返る様子が見られないヘスティアへと向かって、僅かに逡巡した後フィンは口を開き―――彼に―――シロに対しこの場にいる全員。否、彼に関わった事がある者が、一度は胸に抱いた言葉を、彼の主神であるヘスティアへと投げ掛けた。

 

「……彼は―――()()()()()()()()()()()?」

 

 彼と関わった者全員が抱くであろうその最大にして根本的な疑問に対し、ヘスティアは僅かも身体を揺るがすことなく、それどころか、微かに笑みが混じった声をフィンへと返した。

 

「それは、どういう意味だい?」

「彼は、あまりにも()()()()

 

 答えではなく疑問となってきた返事に対し、フィンはシロとのこれまでの出来事を思い返しながら言葉を続ける。

 

「僕はこれまで数多くの人、モンスター、そして神々を見てきました」

 

 若いどころか幼くも見えてはいるが、フィンは歴戦の戦士であり、30歳は優に越えているベテランである。人生の大半をダンジョンで過ごしてきた彼は、世界の中心とまで呼ばれる都市(オラリオ)でも有数の経験を持つ男である。

 常人ならば、人生で一度も遭遇することのない様々な危機を、それこそ数えきれないほどに乗り越えてきた。

 その中には世界三大クエストの一つに、末席とはいえ参加した経験すら持つ。

 しかし、そんな世界中を見渡しても稀有な経験を持つだろうフィンであったとしても、シロという男は未知で溢れていた。 

 

「人の規格を遥かに越えた者を―――人智を嘲笑うかのような想像を越えるモンスターを―――そして、超越者(デウスデア)―――神であるあなた方を」

「……」

「しかし、彼はそのどれとも違った」

 

 人も、魔物も、神も―――多くを見てきた。

 だが、そのどれとも違った。

 何が違うのかと問われれば、具体的な事は言えない―――わからない。

 ただ一つ、そう―――違和感があった。

 

「規格外、異形、埒外―――その何れでもあり何れでもない。明らかに僕らの知る常識から外れている存在。何か僕らの知る常識とは異なるものを芯としているような―――僕らとはまた別の理の中に生きているかのような違和感を、僕は彼に感じています」

「……」

 

 ヘスティアに話しかけながら、フィンは自問自答をしていた。

 何故ここまでシロを気にかけるのか。

 あまりにも怪しいから?

 危機を救ってもらったから?

 その強さの秘密を知りたいから?

 どれも正解であり、どれも間違いのような、はっきりとしない感覚。

 ただ、何が一番近いのかと言われれば、それは―――好奇心、なのかもしれない。

 

「それで、結局君が聞きたいのは何だい?」

 

 ふと、自分の中の答えに辿り着き掛けたフィンの意識を取り戻させたのは、未だに背中を向けたまま動かないヘスティアからの言葉だった。

 聞きたいこと―――それは先程も同じことを口にした。

 だから、言うことも同じ―――。

 

「彼は―――何者なのですか?」

「……シロ君が、何者か、か」

 

 そこで、始めて立ち止まってから微動だにしなかったヘスティアの身体が動いた。

 僅かに上を向き、ゆらりと頭が動く様は、何かを思い起こしているようにも見える。

 

「そんなの、決まっているだろう」

 

 ゆら、ゆらと微かに頭が揺れ、遅れて二つに縛られた長い黒髪が踊るように楽しげに揺れて。

 

「シロ君は、ボクの―――ボクたちの」

 

 そしてヘスティアがぴたりと動きを止めると、名残惜しげに微かに揺れた後、遅れて止まった黒髪は、ゆっくりと肩越しに振り返るヘスティアの顔に浮かんだその感情に合わせるように、天幕を満たす魔石灯の光を反射してきらきらと輝いて。

 

「家族だよ」

 

 そう、口に出来るそのことが、幸せであるかのように、満面の笑みを浮かべてヘスティアは答えた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘だ―――」

 

 夜を示す暗闇の中、一人駆ける者がいた。

 外界の夜にある星や月の明かりがない、僅かに灯った天井の水晶に宿る光はあまりにもか細く。

 光の行く末を妨げる生い茂る木々の枝葉により、森の中は更なる闇が広がっていた。

 時折僅かに覗く、木々の隙間から通る水晶の僅かな明かりの中を、強く、小さく、自身に言い聞かせながら走り続ける者は、まるで止まれば信じたくない事実が目の前に現れるとでも言うかのように走り続けている。

 

「嘘だ――――――」

 

 夜の闇よりも尚も濃い闇の中を走る白い髪を持つ少年―――ベル・クラネルは自身に言い聞かせながら走り続けていた。

 あの時、耳にしてしまった言葉を否定しながら。

 

「あんなの――――――嘘に決まってるっ!!」

 

 それは、【タケミカヅチ・ファミリア】との話し合いが、何とか無事荒れることなく終えることが出来た時であった。恐れていたような争いになるのは、何とか避けることができ、思ったよりも早く話し合いが終わると、ベルは立ち会いをしてくれたティオネ等に、ヘスティアを迎えに行くために、ヘルメス等が今後について話し合っていると言う【ロキ・ファミリア】の本営の天幕の位置を確認した。位置は教えてくれたが、話し合いがまだ終わっていない様子があれば、中には入らないよう注意を受けつつも、付いてこようとするリリ達に直ぐに戻ると断りを入れ、天幕へと向かったベルは、そこで、聞いてしまうことになる。

 

『―――言いにくい―――ですが、彼の生存は』

 

『―――ないって言うのかい』

 

『―――はい』

 

「っ―――ぁ」

 

 天幕へと近付いた時に僅かに漏れ聞こえた。

 フィンとヘスティアの言葉。

 細かいところは聞こえなくとも、それが意味することを察せないほどにベルは愚かではなかった。

 一触即発であった【タケミカヅチ・ファミリア】との話し合いではなく、ヘルメスと共に【ロキ・ファミリア】との話し合いの方へと行くと聞いた時から、何か胸騒ぎは感じていた。

 だから、途切れ途切れであるが、その言葉を聞いた瞬間、それが誰についての事かわかってしまっていた。

 少し前から、もしかして―――という思いがあったが、その考えが浮かぶ度に何度も否定してきた。

 何気なくヘスティアに遠回しに尋ねたこともあったが、いつもはぐらかされてばかりいた。

 その答えを―――耳にしてしまった。

 無理矢理見ない振り、気付かない振りをしていた事実を、神の言葉という現実により破られてしまった。

 その言葉を聞いた後の記憶は、朧気で。

 気付けばベルは、闇に沈んだ森の中を駆けていた。

 周囲に注意を払わず、ただ闇雲に走り続けるベルであるが、何時までも駆け続ける事も出来る筈もなく。

 

「っぐ!?! っあ―――」

 

 土から姿を現していた木の根に足を引っ掻けると、勢い良く身体を地面へと叩きつけられる事でその足を強制的に止めさせられた。

 ごろごろと勢い良く転がっていくベルは、幸いなことに()()()()()()()()()()()へとぶつかって止まることが出来た。

 岩のような、しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に、ベルの頭に疑問が浮かぶが、それが答えを導きだした時には既に手遅れであった。

 手をついていた先にあった()()が、ふいにぐらりと揺れると、ゆっくりと()()()()()()()()()

 立ち上がりかけていた身体が、支えを失い尻餅を着いてしまう。

 呆気に取られたように、動き出したそれを見上げる形になったベルの視界に、朧気ながらモンスターの形が浮かび上がる。 

 

「え?」

 

 ここは【迷宮の楽園(アンダーリゾート)】。

 そう、()()()()()である。

 ダンジョンの中とは思えない美しく、モンスターも積極的には襲ってこない楽園のような場所。

 だが、絶対に襲われないというわけではない。

 時には、何が切っ掛けとなるかは分からないが、モンスターが襲いかかってくる時もある。

 そう、今ベルの目の前に立つモンスターのように。

 

「――――――ぁ」

 

 あまりに突然の事で―――

 

 あまりにも色々なことが起きすぎて―――

 

 信じたくないことや―――

 

 信じられないことが続きすぎて。

 

 ベルは現実感を失っていた。

 だから、目の前で立ち上がったモンスターが牙を向き、襲いかかってくる姿を目にしながらも、まるで夢の中にいるかのように上手く身体が動かせず。

 危機感もあまりにも感じられず、抵抗も出来ずに―――せずに濡れたモンスターの牙を自身の血で赤く染めるのを無抵抗で受け止め――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 だから、今にも自身の身に突き刺さろうとしていた牙が、モンスターの身体と共に灰へと変わった瞬間も。

 

 夜の闇に溶けて消えた灰の向こう側に見えた、宙に浮かぶ白い骸骨を見た時も。

 

 不思議と悲鳴を上げるどころか動揺する事もなく。

 

 その全てを受け止めていた。

 

 いや、受け止めたのではなく、自身の許容量を遥かに越える出来事が続いた結果、あらゆる現実を拒絶していただけなのかもしれない。

 

 そうして、ベルが木々の枝葉の隙間から僅かに差し込む水晶のか細い明かりの中に浮かんだ白い骸骨を見上げていると、不意に男の声が聞こえた。

 

 ―――何故、此処にいる

 

「……―――ぇ」

 

 それが自分に向けられた問い掛けだと気付けたのは、ただ何となく、直感でしかなかった。

 しかし、直ぐに答えられる訳もなく。

 ベルの口から出たのは明確な言葉ではなく、呆けたような声であった。

 

 ―――何故、貴様は此処にいる

 

「な、ぜ……」

 

 ベルの返事とも言えないその声を無視し、その白い髑髏はもう一度同じ言葉を向けてくる。

 外界の夜よりもなお暗い、モンスターが忍ぶ森の中。

 闇に浮かぶ髑髏からの問いかけ。

 正気を失うには十分な現実とは思えない光景。

 しかし、ベルの意思は失われる事はなく、何処かぼんやりとしたその視線を浮かぶ白い髑髏へと焦点の定まらない目を向けていた。

 最初から、森の中を駆けていたときから―――いいや。

 あの天幕の前で、フィンとヘスティアの言葉を聞いた瞬間から、ベルにとっての現実感は失われていた。

 だから、今この瞬間。

 悪夢のような現実は現実ではなく、また夢でもなく。

 あやふやな境界の上にベルの意識はあった。

 だからこそ、ベルは常時であれば浮かぶ幾つもの疑問を口にすることなく、何処かふわふわとした心地のまま、髑髏からの問いに答えていた。

 

「それ、は」

 

 髑髏からの問いかけに導かれるかのように、ベルの目にここにいない誰かの姿が―――死の間際を救ってくれた金色の背中と、何時も自分を導いてくれるように先を歩いていた赤い背中が浮かび上がり。

 自然と、その言葉が口から溢れる。

 

「―――強く、なりたい、から?」

 

 ―――何故、なりたい

 

 憧れて、でも遠いその背中。

 少しでも近付きたい。

 そのための強さがほしい。

 そうして、何時の日か――― 

 

「あの人、たちみたいに、なりたいから……」

 

 ―――何故

 

 声は、ベルの望みの更に深い場所へと手を伸ばす。

 ベルの瞳に浮かぶ二つの背中が薄れていき、遠い―――昔の記憶へと向かっていく。

 ここへ―――世界の中心である迷宮都市(オラリオ)へと向かう切っ掛けとなった源流へと。 

 

「―――つよ、く……強い―――あの人たちみたいに……英雄みたいに……」

 

 ―――何故、なりたい

 

 何故?

 何故、だって?

 始まりは、きっとそれは―――

 

「―――もの、がたり……」

 

 ―――……

 

 思い出すのは、夜、眠りにつく前に語ってくれた幾つもの物語。

 英雄たちの物語。

 

「おじいちゃんが、おしえてくれた……」

 

 ゆらゆらと揺れる安楽椅子に揺られながら、暖炉の火を明かりに語ってくれた様々な英雄たちのお話。

 悲劇も。

 喜劇も。

 幸福な終わりの。

 報われない終わりの。

 様々な物語。

 まるでその目で見てきたかのように、おじいちゃんが話してくれた物語で語られる英雄たちは生き生きとしていて。

 

「よる―――ほしをみながら―――……おしえてくれた、えいゆうのものがたり……」

 

 窓からのぞく星々の輝きと共に思い返される数多の物語。 

 まるで星のようだと思って思わず口にした時は、笑われてしまうかも思ったけれど、おじいちゃんはただ優しく笑って。

 

「よるの、ほしのように……きらきらした……えいゆうの、おはなし……」

 

 夜の闇の中、それを切り裂くように、導のように輝く星のような英雄の物語。

 

「ぼくは……それに……あこがれて」

 

 昔々の英雄たちのお話。

 でも、それは今にも続く物語でもあり。

 その中心である迷宮都市(オラリオ)に行くと決めたとき、自分もその中の登場人物になれるかもしれないという淡い思いもあって。

 そうして、やってきたここで、僕は出会った。

 神様と、英雄に。

 

「そんなひとたちを……ここで……であって……」

 

 夢は憧れに、手の届かない夢幻から、目の前にある現実へと変わり。

 何時しか抱くよういなったものは――― 

 

「だから……ぼくも……あのひとたちみたいな……えいゆうに……―――」

 

 おじいちゃんが話してくれた、あの英雄たちみたいに―――何時か、僕も―――

 

 

 ―――成れん

 

 

「―――ぁ」

 

 しかし、ベルのその希望と憧れに満ちた声は、冷静で冷徹な白い髑髏から発せられた言葉により切り落とされた。

 ただ一言の、声を荒らげもしない、静かとも言えるその言葉に、しかしすとん、と力なくベルの声からは力が失われた。

 

 ―――貴様は、成れはしない

 

 寒さに凍えるかのように、ベルの身体が震えていた。

 かたかたと小さく震えるベルへと、中空に浮かぶ髑髏が少しずつ近づいていく。

 

 ―――()()()()も持ち得ぬ貴様のような者は、何も成すこともなく。平坦な生を続け、やがて誰かと結ばれ、子をなし、何もない穏やかな日々を過ごし、そして死に―――終わりを迎える……

 

 眼前に、吐息すら掛かる程の間近に迫りながらも、ベルは白い髑髏の向こうに気配は感じられず、ますます現実感を失っていく中。淡々と告げられる言葉が、ベルの心と身体に刷り込まれていく。

 

 ―――貴様は、英雄には成れん

 

 髑髏の眼窩の向こうから、何かがベルを覗き込んでいる。

 ゆらゆらと鬼火のように灯った光は、固く定まった意志の光で。

 魅いられたように言葉なく見上げてくるベルを間近で見下ろす髑髏は―――

 

 

 

 ―――そう、貴様は―――

 

 

 

 ―――神による託宣のように、そうして最後にその言葉を告げた。

 

 

 

 

 ―――英雄に、成るべきではない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。

 ……あの人の口調って、こんな感じで良いかな?


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第三話 胸に宿る灯火

 あ、あれ……おかしいな?
 
 こんなに長くなるつもりじゃ……。


 ―――あれ(謎の髑髏との邂逅)から、どうやって帰ってきたのかは朧気だった。

 気付けば、僕は【ロキ・ファミリア】の野営地に戻っていて。そして、僕たちの為に【ロキ・ファミリア】が貸してくれた天幕の中の中心に正座させられた僕は、ぐるりと周囲を取り囲んだリリや神様達に説教を受けていた。

 ただ、その説教も僕が気落ちしていると気付くと、直ぐに切り上げられて、明日以降の予定を立てた後、休む事になった。

 そして翌日、18階層の天井にある水晶群に明かりが点り、『朝』が来て、僕たちは『街』に来ていた。

 世界で最も深い場所にある『街』―――『リヴィラの街』と呼ばれる冒険者による冒険者のための街。18階層の南部に位置する湖沼地帯に浮かぶ島の上に、その『街』はあった。

 何故、僕たちがダンジョンを脱出することなく『街』へと行くことになっているかのだが、それは昨日の事である。

 昨日の夜に話し合った予定では、二日後にここ(18階層)を出る【ロキ・ファミリア】に合わせ、僕たちもダンジョンから脱出する事に決まった。

 神様達の話では、17階層の階層主は、どうやら既に倒されているようなので、直ぐに出発しても問題はなかったのだが。安全を優先し、【ロキ・ファミリア】の遠征隊の後に出発することへと決まったのだ。

 その話し合いの最中、僕が遭遇した階層主(ゴライアス)を、神様達が来るまでの間に誰が一体倒したのかと言う話題が上がったけれど、僕は何故かあの事(黒衣を着た髑髏)の事を話すことはなかった。

 あの時(ゴライアスに襲われた時)も、あの森の中での事(忠告? 警告? された時)も、その何れもが、本当にあった事なのか、今でも自信がないからだ。

 そうして、ある程度今後の予定が定まると、一日空いた明日は、せっかくだからとここ(18階層)にあるという『街』に行くと言うことに決まり。僕達は翌日の朝、失った装備の補充と観光を併せ、『リヴィラの街』へと赴くこととなった。リリや神様達は街に行くことが決まると、まだ見ぬ『冒険者の街』を夢想して楽しみにしていたけれど、僕は森の一件もあり、どうしても心から楽しむことが出来そうになかった。 

 そして翌日である今日、【ロキ・ファミリア】の野営地から出発して『街』へと向かうのは、僕とリリ、ヴェルフ、そして神様と一応の和解をした【タケミカヅチ・ファミリア】の団員たち3人、そしてヘルメス様と彼の【ファミリア】の団長であるアスフィさんの2人に加え、【ロキ・ファミリア】から案内(暇潰し)としてティオナさんとティオネさんを加わった11人と大所帯となった。僕としては、ほんの少しだけアイズさんが来ることを期待していたけれど、何故かここ(18階層)に着いてから今まで一度も目にすることはなかった。神様は、話し合いの場にはいたと言っていたから、いるのは確実なのだろうけれども。ここまで会えないのは、まるで避けられているようで……。

 そうして騒がしくも楽しげに『リヴィラの街』へと赴いた僕達は、法外な値段の商品や、雑多で独特な景観を持つ『街』とその成り立ち等のお話。他にも地上では考えられない景色を案内してくれたりと楽しむこととなったけれど―――僕は笑顔を浮かべる中で、心の奥には未だにあの時の森の中の闇に囚われていた。

 

 ―――貴様は、英雄に成るべきではない

 

 人とも魔物とも、そして神様達とも違う、異様な雰囲気を纏ったナニかから言われた言葉、僕の中に未だに渦を巻いて囁き続けている。

 ―――『英雄に成るべきではない』、か……。

 『英雄に成れない』と言われるのは分かる。

 実際そうも言われた。

 けれど、『英雄に成るべきではない』とは、一体?

 『資質』は―――才能とかそういうものだと思う。

 じゃあ、『資格』って何?

 『地位』とか『血筋』とかそういうものなのだろうか?

 でも、そんな感じでもないような……。 

 そもそもあの人? は一体誰なのだろう?

 何で、僕を助けてくれたのか、多分、はっきりとは覚えてはいないけど、17階層でゴライアスから襲われた時に助けてくれたのも……。

 何もかもがわからないし、明らかに自分の許容量を越えるものが、次から次へと溢れ出るようにして襲いかかり、既に一周回って落ち着いているようにさえ感じられる。

 本当に、ダンジョンで【タケミカヅチ・ファミリア】からモンスターを押し付けられ、遭難してから嵐の中を逝くように様々な出来事があった。

 

 ダンジョンでの遭難。

 中層への進出。

 階層主(ゴライアス)との遭遇。

 【ロキ・ファミリア】での保護。

 ダンジョンでの神様との再会。

 そして―――シロサンノ……。 

 

 一つだけでも抱えきれないのに、それが幾つも重なって……。

 

 一体、僕は、どうしたいのだろうか……。

 

 一体、僕は、どうなりたいのだろうか……。

 

 何を、わからない……。

 

 何も、考えられ―――――――――

 

「やぁ、ベルくん」

「……ぇ、あ、と……ヘルメス、様?」

 

 何時の間に、目の前にいたのだろうか、木に寄りかかってぼうっと座り込んでいた僕の前に立っていたヘルメス様が、にこりと笑いながら僕を見下ろしていた。

 

「いやぁ~、街にいた時もそうだったが、どうかしたのかい?」

「え、あ……その、何でもないです」

「ほう、そうか。しかし、みんなも心配していたようだが……天幕から抜け出してこんな所で一人、本当は何かあったのではないのかな?」

 

 ヘルメス様の言葉に、上の空だった街にいた時の事を朧気ながら思い出す。

 神様達から色々と話しかけてくれたのにも関わらず、楽しむどころか録に返事も出来ずに、結局僕の体調が悪いと思われて、予定よりも早く街から切り上げてしまうことになってしまった。

 戻って直ぐに天幕で休むように言われたのに、それなのに、今はこうして抜け出してこんな所にいる。

 僕は一体何をやっているのだろうか……。

 

「それは―――」

「まあいいか。君も色々とあるだろうしね。それで、ベル君ちょっといいかな?」

 

 言い訳なのか、それとも相談をしようとしたのか、僕の口から言葉が形となる前に、それはヘルメス様によって遮られる事になった。 

 

「え、っと。なんでしょうか?」

「少し、君とお話がしたくてね」

 

 ぐっ、と顔を近付かせて、ヘルメス様は笑いながら僕に手を伸ばしてくる。

 

「話し、ですか? 僕と?」

「ああ、君とだ」

「えっと、構いませんけど。話って一体な―――」

 

 反射的にその手を取って立ち上がった僕が、了承の返事を返すと、ヘルメス様は勢い良く両手を顔の前で叩いた。

 

「よしっ!! 決まったっ! それじゃあ行こうかっ! 今なら丁度いいっ!」

「え、ちょっ―――ヘルメス様っ?!」

「はっはっはっはっ―――!」

 

 手を掴まれると、そのまま無理矢理身体を引き起こされると、僕はヘルメス様に引き連れられるようにして森の奥へと連れ行かれてしまった。

 何故、この時行き先を良く聞かなかったのか、直ぐに僕は後悔することとなった……。

 

 

 

 

 

 

「―――な、何でコンナコトニ……」

 

 ヘルメス様に話があると森の奥まで連れていかれて行く中、何度もその話について尋ねたが、その度に「後で」と断られるまま付いていった結果―――僕はこの世の天国に最も近い光景を見た。

 そう、色々な意味で天国に近い光景だった。

 ヘルメス様に言われるがまま付いていった先には、滝壺のある川の近くで、そこには様々な乙女達がその柔肌を露にして――――――……。

 思い出しただけで顔中に血が上る光景を頭を振って無理矢理追い出す。

 下手に思い出せば、何処からか血を吹き出して意識を失ってしまいかねない。

 そうなれば、今も追いかけてくる追跡者から捕まって―――

 

『べっ―――ベルく~んッ!!? き、君だけでもにげるんだー』

 

 水色の髪をした―――確か【ヘルメス・ファミリア】の団長をしているアスフィさん、だったかに捕まり壮絶な勢いで殴られながら叫ぶ、主神である筈のヘルメス様の最後の姿が思い浮かんでくる。

 

「な、なんで僕はあんなに素直についていって……」

 

 本当に後悔先に立たずと言ったところで、これからの事を思い絶望する。

 しかし―――

 

「で、でも……」

 

 最後に見た光景が、あれならば、例え死んでも……。 

 あの時、ヘルメス様に言われるがまま木に上って見た先。そのあまりの美しい光景に目を奪われて、それでも何とか我を取り戻して覗きをやめようとヘルメス様を説得する途中。唐突に折れた枝と共に落ちた先で見たのは―――

 

「最後にアイズさんの姿が見れたし……」

 

 それも、一糸纏わぬ、あの女神のごとき姿を見れたのだから―――

 

「って、僕は一体何を―――っ!?」

 

 またも知らぬ間に思い出して頭に血が上るのを感じながら、必死に脳裏に焼き付いた光景を追い出そうと頭を振る。

 ここ(18階層)に来て、やっと会えたと思ったら覗きの現場で、僕は一体これからどんな顔をしてアイズさんに―――いや、そもそも本当に生きてまた会えるのかどうか……。

 ヘルメス様の惨状を思い出し、全身を襲う寒気により、上った血の気も一気に冷え込んでしまう。

 

「で、結局ここは一体何処なんだろう……」

 

 そうして、何とか落ち着かせた気持ちのまま周囲を見渡す。

 あの時、覗きがバレて思わず逃げ出した先、後ろから見張りをしていただろう女性の団員たちの追呼の声から反射的に逃れた結果、完全に迷ってしまった。

 昨日の夜のように、楽園と呼ばれる18階層にもモンスターがいて、何度もモンスターの声から遠ざかるように走っているうちに完全に道を失ってしまい。

 

「喉も乾いたし……ど、何処か水場は……」

 

 その僕の声に応えたのだろうか、微かに水音が聞こえた気がした。

 それは川のせせらぎとは違って、水を掬ってそれが落ちる、明らかに自然のそれではない音で。

 人気のないこの状況から、それが人ではなくモンスターの手によるものの可能性が高かったが、疲労と喉の乾きから僕は、その可能性を考えながらも自然と足を、音が聞こえる方向へ向け動かしていた。

 そうして水音が聞こえる方向へ、まるで誘われるようにふらふらと僕は足を動かしていき。

 鬱蒼と生い茂る藪を越えた先で、僕は妖精を見た。

 湖の中、水と戯れる妖精を……。

 ぱしゃり、ぱしゃりと水をその白く細い指先と手のひらを使って掬いとり。陶磁器のように白い滑らかな肌へとつたわせていく。

 その、あまりにも非現実的で、幻想的な光景に、僕は魅入られたように立ち尽くし―――

 

「っ―――誰だッ!!?」

 

 直後、僕の真横に立っていた樹の丁度顔の高さに、短刀が突き刺さ―――穿たれ。僕は一気に死の一歩手前(覗きの現行犯)という現実に引き戻される事となった。

 あと少しそれていれば、地面に落ちたコップのように自分の顔面が砕けていただろう様を想像し、獅子を前にした兎のように声もなく硬直している僕に、胸を片手で隠しながらこちらを睨み付けていた妖精―――リューさんが戸惑ったような声を上げた。

 

「クラ、ネルさん?」

「す、すす―――すいませんでしたぁあああああああ!!!」

 

 リューさんが僕を呼ぶ声に、反射的に飛び上がると、そのまま空中で何時しか慣れてしまった土下座の姿勢を取ると、地面に接地すると同時に謝罪の声をあげる。

 

「ほっ、本当に覗くつもりはなかったんですっ!! ただ喉が乾いて、それで水の音が聞こえたからふらふらとっ! そ、それで、そうしたらそこにリューさんがってっ!? す、すいません言い訳ばかりで! ほ、本当に僕は―――」

「……わかりましたから、まずは後ろを向いてもらえますか」

 

 地面に顔面を押し付けながら、怒濤の如き勢いで謝罪の言葉を発していると、その勢いに押されたのか、リューさんは溜め息混じりの声で僕に告げてきた。

 

「はっ―――はいっ!!」

 

 慌てて立ち上がって後ろを振り向いた僕は、頭の中で何度も自分に対し文句を口にする。

 あれだけヘルメス様に覗きはやめましょうと口にしていながら、今度は自分一人で覗きを行うなんてっ!?

 そりゃ偶然かもしれないけど、そんなの覗かれた人には関係ないことでっ!?

 ああっ! 僕は一体何をしているんだっ!?

 と、現実ではビシリと直立不動でいながら、脳内では地面を転がり回りながら叫んでいると、着替え終わったリューさんが声をかけて現実に引き戻してくれた。

 

「もうこちらを向いても大丈夫ですよ」

「―――ぅ……は、はい」

 

 死刑宣告を受ける罪人の心地で、ゆっくりと振り返った僕の前に、昨日の夜に見た戦闘衣(バトル・クロス)を身に纏ったリューさんが立っていた。昨日とは違い、フードは被ってはいないため、その美しい面立ちは露になっている。急いで着替えたためか、肌にはまだ水気があり、髪の先からは雫が滴っていた。

 濡れた雰囲気を身に纏うリューさんは、何時もの凛々しい印象に併せ、何処か妖しい妖艶さも漂わせていて。

 

「クラネルさん?」

「は―――はいぃぃ!?」

 

 思わず見惚れてしまっていた僕の意識が、訝しげなリューさんの声で再起動する。

 反射的に直立不動となった僕の困惑した目で見ていたリューさんだったけど、気をとり直すように小さく咳払いをすると口を開いた。

 

「それでは、弁明を聞きましょうか」

「ぅ―――は、はい」

 

 避けられない運命を前に、思わず上がった唸り声を押し殺し、僕はリューさんにこれまでの経緯について話し始めた。

 最初はヘルメス様との覗きを誤魔化そうかとも思ったけれど、直ぐにこちらを見つめるリューさんの目を前にして、黙っていることは出来ず、気付けば街から帰ってきてからこれまでの事を全て話してしまっていた。

 そうして、リューさんに事の発端から今までの事を全て伝え終えると、

 

「そう、ですか……」

 

 と、激怒することもなく、ただ口許に手を当てて俯き、何か考え込み始めたのだった。

 

「あの、リューさん?」

「クラネルさん」

「はっ、はいっ!!?」

 

 じっと何やら考え込むリューさんに、思わず声を掛けてしまうと、返ってきた声に自分から声を掛けたにも関わらずびっくりして驚いてしまう。

 リューさんは、そんな僕を笑うことなく、またじっとその綺麗な瞳で見つめると、小さく溜め息をつきながらも、その整った口許を開いた。

 

「言い訳をするなとは言いませんが、あまり自分を貶めるのは感心しません。確かに正直な所はあなたの美徳ですが、それも過ぎれば卑下する事と同義となります。そういうところは、あなたの欠点でもあるのですよ」

「は、はい……?」

 

 怒っているような心配しているような、それでいて忠告めいたその言葉に戸惑う僕に、リューさんは少しだけ苦笑いを浮かべた。

 

「野営地の場所が分からないと言いましたね。それでしたら近くまで送りましょう」

「え? いいんですか?」

「ええ。ですが、その前に、少し寄るところがありますが、構いませんか?」

 

 そう言って、リューさんは小さく小首を傾げた。

 自然なその仕草は、何時もの凛々しいリューさんにしては何だか可愛らしくて、思わず見惚れてしまってしまったが、僕は直ぐに割れに帰って勢い良く頷いた。

 

「―――ぁ、と、そ、そんな全然気にしないでください。本当にリューさんには助けてもらってばかりで……依頼を受けたからといって、こんな所にまで……」

「いいんですよ。私もそろそろここへ来るつもりでしたし」

 

 勢い良く頭を下げた僕に苦笑を浮かべたリューさんは、視線だけで周囲を軽く見渡した。

 

「え、ここに、ですか?」

「……もしかして、神ヘルメスから何も聞いていないのですか?」

「は、はい。特にリューさんの事は……ヘルメス様にリューさんが野営地にいないことを聞いた時も、はぐらかされて……」

 

 少し訝しげなリューさんの言葉に、僕はヘルメス様との会話を出来るだけ思い出そうとするが、リューさんについての話はやはり特に聞いてはいなかった。

 

「そう、ですか……神ヘルメスが……」

「あの、どうしてリューさんは野営地にいなかったんですか?」

 

 僕の言葉に、何か思案するように顎先に指を当てながら考え込むリューさんに、思わず聞いてしまう。

 昨日の夜、僕に声を掛けた後、リューさんは忽然と【ロキ・ファミリア】の野営地から姿を消していた。

 まるで、逃げ出すかのように。

 

「……そう、ですね。良い機会です。何時かは知ることになるのでしょうから。それなら、私の口から教えていた方が、後悔もないと思いますし」

「あの、リューさん?」

 

 僕の言葉に顔を上げたリューさんは、暫く逡巡するように眉根を寄せた後、気持ちを固めるように一つ頷いて見せた。

 

「ベルさん。私はギルドの要注意人物一覧(ブラックリスト)に乗っているんです」

「―――ぇ?」

 

 僕の目を見つめながらそう言ったリューさんの顔は真剣で、その言葉が冗談の類いではないことを言外に伝えていた。

 だから、僕はその言葉に何の言葉を返す事も出来ず、ただ呆けたように開いた口からか細い吐息のような驚きの声を漏らすことしか出来ないでいた。

 

「冒険者の地位も剥奪され、一時は賞金すら懸けられていたのですよ」

「そんな、リューさんがそんなこと」

 

 する筈がない、される筈がない―――僕はどちらを口にしようとしたのかは自分でも分からない。

 結局それが形になる前に、リューさんに断言されてしまったから。

 

「事実です。私の素性を知る者が現れれば、何れ知られてしまいますから―――それなら、今、私の口から事実をお伝えします」

 

 そう言って、リューさんは僕に背を向けて歩き出した。

 

「……正義と秩序を司る神アストレアが率いる【アストレア・ファミリア】。今はもうないその【ファミリア】に、私は所属していました」

「【アストレア・ファミリア】……」

 

 リューさんが昔所属していた【ファミリア】。

 思わず口にする。

 何処かで、その【ファミリア】の名前を聞いた覚えがある。

 直接耳にしたのではなく、誰かが話をしていた中で聞こえた名前……。

 あれは、どんな話題だっただろうか。

 

「私達の【ファミリア】は、迷宮の探索以外にも、都市の平和を守るための活動を行っていました。そのため、大小様々な相手から恨みを買うことになりましたが、それでも、私達の【ファミリア】は決して怯むことはなく……あの最悪の日ですら乗り越える事ができました……」

「最悪の日……?」

 

 リューさんが口にした『最悪の日』がどんな日なのかは、僕には分からない。

 けど、何処か誇らしげにそう口にした口調から、その日はリューさんにとって、とても重大な時だったのを思わせた。

 

「ですがある日、私達は敵対していた【ファミリア】の一団の罠に掛かり、私を除いた全員が……。遺体すら回収することも出来ず、残った遺品だけを私はこの18階層に埋めました」

「あ―――」

 

 生い茂る木々の間に出来た、小さなトンネルを進みながら話すリューさんの背を追って、ようやく抜けた先の光景に、僕は言葉を失った。

 ここが、目的地なのだろう。

 僕の前に立つリューさんの背中越しに見えたのは、お墓、だった。

 

「それが、この場所です」

「……綺麗な、ところですね」

「ええ、彼女達も、ここが大好きだった」

 

 自然と、そう口にした僕に、リューさんは背中を向けていても分かるくらいの、優しい声で小さく頷いた。

 木々で出来た小さなトンネルを抜けた先にあったのは、森の中にある細い木立と水晶で出来た小さな隙間。

 その中心に、枝葉の隙間から差し込む光の下に、枝を十字に縛って地面に刺しただけの、簡素なお墓が幾つもあった。

 知らず、足は前へ動いていて、気付けばリューさんの隣に僕は立っていた。

 無言のまま、隣に立つ僕に向かって、気を使ったのか、「冗談混じりで、死んだらここに埋めてくれと言っていた」と口にしたリューさんの口許は笑っていたけれど、懐かしげに細められたその目からは、今にも弱々しく揺らめいて……。

 

「こうして、彼女達に花を手向けるため、時折ミア母さんに暇を貰っているんです」

 

 リューさんは用意していた白い花を一輪ずつ、十はあるだろうお墓の前に、一つ一つ丁寧に置いていきながら話を続ける。

 僕はその姿を黙って見続けた。

 そうして、最後にリューさんは小鞄(ポーチ)から取り出したお酒の入った瓶で、特定のお墓に注いだ後、空になった空き瓶を戻すと、お墓に背中を向け、僕に向き直った。

 

「……仲間を全て失った私は、それからアストレア様に全てを告げた後、何度も懇願してこの都市から去ってもらいました」

「え? そ、それはどうして―――」

 

 僕に向き直ったリューさんは、過去を思い出すように数秒目を閉じた後、言葉と共にその瞳を開いた。

 その口から放たれた言葉に、僕が疑問を返したが、そうじゃない。

 本当は、何となくわかっていた。

 リューさんのこれまでの話から、その理由を―――僕は―――。

 

「逃げて欲しかった―――違う。いいえ、そんなものじゃなかった。私はただ、見てほしくなかっただけ……」

 

 拳を握りしめながら、口許を歪めながらそう口にするリューさんの顔は、怒りに歪んでいるように見えて、何処か悲しげでもあった。

 

「心を黒く染める激情を抑えることもせず、ただ復讐に身を浸す醜い私のことを、アストレア様に見てほしくなかっただけ……」

 

 ふっと、拳に込めていた力を抜いたリューさんは、微かに顔を上げる。

 差し込む光に目を眩しげに細めるリューさんの目には、今何が映っているのだろうか。

 

「……彼の組織(仲間の敵)は、強大でした。しかし、私は止まれませんでした―――いいえ、そんな事欠片も考えられなかった。たった一人で挑むには大きすぎる相手……だからといって諦められる筈もなく……私は手段を選ばなくなりました」

 

 きっと、その過程で多くの恨みを買ったのだろう事は、世間知らずの僕でも何となくだけど思い浮かぶ。

 英雄譚では、たった一人で強大な組織を壊滅させるお話は幾つもある。

 でも、そんなのは結局お伽噺でしかない事を、僕はもう知っている。

 無邪気にそう信じられるほど、現実が甘くはないことを僕は身に染みていた。

 だから、それでもそれを成し遂げたリューさんが、一体何を犠牲にしたのか、手段を選ばなかったとこの人が言うほどの事が、何なのか想像すら出来ない。

 

「……それで、リューさんはその後……」

「……死ぬ筈でした。誰もいない暗い路地裏で、誰にも見送られずに……」

 

 自嘲するようにそう口にして目を伏せるリューさんの顔は、その気持ちを露すかのように差した影で黒く隠されて良く見えなかった。

 

「だけど……そこで、私は……」

 

 でも、リューさんが小さく、顔を上げた時、見えた顔は何処か優しげで。

 僕を見る目は、僕ではない何かを見つめているように遠く、眩しそうに細められていた。

 

「シルに、助けられました」

 

 ふっと、力が抜けたように、一瞬浮かんだその笑みは直ぐに消えてしまって。

 あまりにも儚いその笑みを、僕は見逃してしまった。

 

「シルはミア母さんに頼み込み、私は『豊穣の女主人』で働くことになって……まあ、地毛を強引に染められるとか色々とありましたが……それからは―――」

 

 「色々とありましたが……」と今に続いていると続けたリューさんは、これで終わりですと言うように最後に小さく首を横に振った。

 そうして、何も言えず立ち尽くしていた僕の姿に、罪悪感を感じたように微かに苦しげな顔をすると小さく頭を下げてきた。

 

「耳を汚すような話をしてしまったようで、すみませんクラネルさん」

「っ―――そんな事ありませんっ! そんなこ、と……」

 

 頭を下げるリューさんの姿が、不意に歪み始めた。

 声もつっかえて、上手く形に出来ない。

 

「っふ―――何であなたが泣いているのですか」

「わ、わかりませんっ―――わかりませんがっ、でも、リューさんっ! そんな言い方はしないでくださいっ! 僕は、そんな事―――」

 

 僕の様子に、顔を上げたリューさんが一瞬呆気に取られた後、溢すように小さく吹き出した後に、何処か困ったように首を傾げた。

 僕は自分でも何で泣いているのか分からず、逃げるよう顔を背けながら、恥ずかしいやら情けないやらとごちゃごちゃとする気持ちを振り払うかのように、こぼれる涙を乱暴に両手で拭い去った。

 

「そう、ですね。あなたはそういう人だ……」

「リュー、さん?」

 

 ようやく濡れた顔を拭き終えた僕が顔を上げると、リューさんは僕を見つめながら、でも、僕を見ずに別の何かを見ているような遠い目をしていた。

 

「ちっとも似てなんかいないのに、あなたは……」

「えっと……その……」

「っ、すいません。少し……昔を思い出してしまって」

 

 その、あまりにも優しい視線に耐えきれず僕が声を上げると、はっと我に帰った様子を見せた後、リューさんは恥じるように目を伏せてしまう。

 

「昔って……その、亡くなった……」

「ええ……」

 

 リューさんのその様子と言葉に、故人の事だと思わず口にすると、リューさんは小さく頷いて肯定して見せた。

 その弱々しい姿に、つい、僕は質問をしてしまった。

 

「あの、どんな人達だったんですか?」

「どんな、ですか? それは、一言では、ええ、一言では語りきれない程に無茶苦茶な人達でした」

 

 質問してしまった後、流石に礼儀知らずだったかと内心慌てていたが、リューさんは抵抗する様子もなく、昔を思い出すように宙を一瞬見つめると、予想していた言葉のどれとも違う事を語り始めた。

 

「む、無茶苦茶、ですか?」

「ええ、突拍子のないことを口走っては突撃する者もいれば、淑やかさの欠片もなく、男の前だというのに下着一枚になる品性のない者もいたり、ダンジョンで生き残るためだと、スライムを無理矢理飲ませたりする者も―――」

「す、スライムを……」

 

 あれを飲ませるとは、それもリューさんに……。

 一瞬、スライムで顔中がべとべとになったリューさんの姿が脳裏に浮かび、自分の想像ながら思わず顔に血が上りだす。

 慌てて浮かんだ想像(イメージ)を振り払わんと、頭を勢い良く振り回す僕に、幸いにもリューさんは気付かなかった。

 ……たぶん。

 

「ええ、酷い人達でした……ですが、最高の仲間でした」

「す、凄い人達だったんですね」

 

 何とか浮かんでいた想像を振り払うことに成功した僕は、荒げそうになる声を何とか落ち着かせて、リューさんの言葉に頷いて見せる。

 

「ええ、私にとって、彼女達は皆【英雄】です」

 

 その僕に、誇らしげに口元を微かに曲げたリューさんがあの言葉(・・・・)を口にした。

 

「英、雄……」

「クラネルさん?」

 

 その言葉が切っ掛けに、僕の脳裏に強制的にあの夢幻のような夜の事が思い起こされた。

 僕の様子がおかしい事に気付いたリューさんが、訝しげに声を掛けてくる。

 だから、反射的に僕は思わず聞いてしまった。

 

「……リューさん」

「はい?」

「リューさんにとって、【英雄】は、どんな人、でしょうか……」

「……そう、ですね……」

 

 唐突な僕のその質問を疑問に思った筈だけど、何かを感じたのか、リューさんは何も聞かずに、ただ静かに熟考した後、応えてくれた。

 

「―――『諦めない者』でしょうか」

「『諦めない者』……」

 

 確たる答えのようで、何処か曖昧なその答えに、僕は微かに不満が入った声を上げてしまう。

 しかし、リューさんはそんな僕の不満に気付かずに、遠い過去を思い出しながら誰ともなく何かを呟いていた。

 

「私にとって、あの時、あの場所で戦っていた者全員が、きっと英雄だったのでしょう……」

「リューさん?」

「っ、すいません。変な答えで」

 

 一人物思いに耽るようなリューさんの姿に、つい声を掛けてしまう。

 僕の声に我に帰ったリューさんは、咳払いを一つすると、自分でも確たる答えではないと感じていたのか、誤魔化すように頬を掻きながらすまなそうに小さく頭を下げた。 

 その姿に、僕は慌てて両手を左右に振る。 

 

「い、いえ、そんな事は」

「そう、ですか……ですが、何故、そんな質問を」

「それは―――」

 

 顔を上げたリューさんの質問に、僕は一瞬あの日の事を、あの人? のことを口にしようとしたけれど。

 

「す、少し気になって、それだけ……ただ、それだけなんです」

「そう、ですか……」

 

 結局、それは口から出ることなく、ただ、誤魔化すような言葉を、下手くそな笑みと共に口にしていた。

 

「…………」

「クラネルさん」

 

 続ける言葉も思い浮かばず、ただ顔に張り付けた笑みを浮かべていた僕に、一歩近付いてきたリューさんが心配気に声を掛けて来てくれる。

 

「あっ、はい。何ですか?」

「何か、悩んでいる事があるのですか?」

 

 もう一歩前へと足を進めながら、リューさんが僕の瞳をまっすぐに見つめる。

 手を伸ばせば、届く程の距離で、リューさんの揺るがない瞳に、苦しそうに歪ませた僕の顔が映っていた。

 

「っ―――それは……」

「無理に、聞き出そうとは思いません。ですが……」

 

 リューさんは僕に手を伸ばし掛けていた手を、何か思い悩むように一瞬揺らめかせた後、ゆっくりとその手を元の位置にまで引き戻し。戸惑う僕に向かって、労るように優しく語りかけてきた。

 

「えっと……あの?」

「自信を、持ってください」

「―――っ、う……」

 

 リューさんのその言葉に―――「自信を持て」という言葉に、僕の心臓がどくりと脈打った。

 反射的に、口から飛び出しそうになった否定の言葉を、無理矢理飲み込む。

 僕のその様子に気付いていた筈だったけど、リューさんはその事について何も言わず。ただ、僕のこれまでの軌跡について話し始めた。

 

「あなたは、冒険者になって僅かな間で、レベル2へと至り、絶望的な状況の中、決して諦めることなく仲間と共にここまで辿り着いた。普通では出来ません。偉業とも言っても良い」

「そんな、事は……ない、ですよ」

 

 偉業―――何て、そんな格好いいものではなかった。

 そんな事は、自分だからこそ良くわかる。

 泣いて、叫んで、震えて、ただ、逃げ出せないだけで―――無我夢中でただ突き進んだ先の結果でしかなかった。

 でも、僕のそんな思いをリューさんは、ゆっくりと首を横に振って否定する。

 

「いいえ。そんな事はあります」

「でも、僕がもっと強かったら、もっと頭が良かったのなら、皆をあんなに危ない目に……」

 

 脳裏に浮かぶのは、金と赤の憧憬。

 もし、あの人だったという思い。

 きっと、もっと上手く、上等な結果になっていた筈。

 それこそ、物語のような結末で……。

 そんな事を自分で考えて、自分で勝手に落ち込む僕を、リューさんの揺るぎない声が引き戻す。

 

「しかし、今、貴方達は生きてここにいる。それが全てです」

「―――っ」

 

 生きている。

 そう、みんな、生きている。

 自分も、みんな(リリやヴェルフ)も、苦しくて、文字通り死にそうだったけど、それでも生きてい、今ここにいる。

 それは、否定しようもない事実であり―――僕も、胸を張って言えるもの。

 でも、やっぱり―――……その度に過るのは、あの人だったのならと言う、もしもの話し……。

 

「……それに―――そう、ですね」

「?」

 

 一瞬晴れた曇った顔が、またも沈むのを見たリューさんは、一度自分の手を見下ろすと、ふっと、息を溢すように口を開いた。

 

「貴方を含めて、三人だけなんですよ」

「え?」

 

 リューさんの口にした言葉の意味が分からず、僕が思わず問うように声を上げる。

 顔を上げた僕の前で、リューさんは木々を仰ぎ見るようにして見上げていた。

 

「クラネルさん……私がここ―――オラリオに来た理由はですね。ここでなら何かを見つけられる―――いえ、尊敬しあえる仲間が見つかるのではないかと思ってやって来たんです」

 

 僕に顔を向けず、木々を見上げるようにして、別の遠くを見つめるような目で、リューさんは自身の過去について語り始めた。 

 

「私の故郷は、他の多くのエルフと同じく、自分達(エルフ)以外を認めず、下等なものと見なして他を排斥するような者達ばかりが住むような里でした。小さな頃は、そんな事に疑問を感じることすらなかったのですが、何時の日か、ふと私は、そんな同胞達こそが、実のところ最も醜い存在なのではないかと思い始めました」

 

 それは、リューさんが里を飛び出しここ(オラリオ)へ辿り着くまでの軌跡。

 リュー・リオンというエルフの歴史。

 

「それからは、もうどうしようもありませんでした。逃げ出すようにして里を飛び出し、見知らぬ外の世界をさ迷い歩き、そうして最後に、様々な種族が集まると聞くここ―――オラリオに辿り着きました」

 

 希望を持って、期待を抱いてやってきたオラリオで、リューさんは色んな出会いがあったのだろう。

 その中に、かつての【ファミリア】がいて、『豊穣の女主人』の人達がいて、そしてその中に、僕もいる。

 笑みを含みながら語っていたリューさんの顔が下へ、僕へと向けられた時、その顔には、何処か呆れたような雰囲気が微かに混じっていた。

 

「色々な事がありました。怒って、泣いて、笑って、迷って……幾つもの出会いと別れがあって……ですが、それだけの経験をしながらも、私は結局変われなかったんですよ」

 

 ふっ、と小さく鼻で笑ったのは、自分自身の事なのだろう。 

 

「あの里の者達と同じように、他は汚いとばかりに、仲間以外には顔を見せず、肌も見せず―――それどころか善意を持って差しのべられた手さえ払い除けてしまう始末」

 

 右手を自身の顔の前まで持ち上げたリューさんは、開いていた手を握り締めて拳を作る。

 ふるふると微かに震えている事から、全力で握りしめているのが端から見ても分かってしまう。

 その込めている力の分、自分自身が情けなく感じているのだろう。

 

「恥じて嫌った里のエルフと変わらない、結局は自ら壁を造り他を拒絶する下らないエルフでしかなかった」

「そんな―――」

「―――ですが」

 

 吐き捨てるようなそんな言葉を否定したくて、口を開いた僕に、リューさんは拳へと向けていた視線を移した。

 その目には、自分を卑下するような光ではなく、何処か眩しげなものを見るような、優しくて暖かい光が灯っていて。

 開いた口が、自然と閉じていく中、リューさんは、改めて僕に向き直った。

 

「こんなエルフでも、振り払わなかった人が三人いた」

「あ……」

 

 そう言って、握りしめていた右手を花が咲くようにゆっくりと開くと、リューさんは両手を伸ばし、戸惑う僕の両手を包み込むようにして握ってくれた。

 

「これで、二度目、ですね」

「―――僕が、ナイフをなくした時……」

「ええ、あれが最初でした」

 

 細い指先と、冷たく心地よい感触。

 反射的に思い出すのは、初めてリューさんに触れた時。

 自然と口から出た言葉に対し、リューさんが顎を引くようにして頷いてみせる。

 

「クラネルさん。あなたは、確かにまだまだ弱くて未熟です。何もかもが足りません」

「う、うぅ……」

 

 拳一つ程しかない、互いの吐息すら感じられる距離で、まっすぐに僕を見つめながら話しかけてくるリューさん。僕はその距離と、自然と薫るリューさんの香りや吐息を感じ、赤くなっていく顔と恥ずかしさから、背けたくなる顔をうなり声と共に押さえ込む。

 

「しかし、そんな事は当たり前なんです。最初から、強い人なんて何処にもいないのですから。焦る気持ちはわかります。ですが、逸る気持ちを押さえて、少し周りを見てください」

 

 でも、僕のそんな気持ちを知ってか知らずか、リューさんは笑いもせずに、ただ真っ直ぐに見つめながら、訴えるように語り続ける。

 もっと、周りをみてください、と。

 忠告のような、警告のような、でも、何処か違う。

 

「あなたがここまで辿り着けたのは、決してあなた一人だけの力ではない筈です」

 

 仕方がないなぁ、とでも言うような、優しさと親しみが込められた、暖かい言葉。

 

「あなたの力が必要な時はきっとあります。ですが、全て一人でやる必要なんて、ないんですよ」

 

 両手を包み込む、リューさんの手に力が込められる。

 

「―――っ」

 

 リューさんの白くて細い指先が、僕の手の甲をなぞる。

 撫でるように、ゆっくりと動く指先に、くすぐったさと恥ずかしさを感じて、つい、顔を下へと逃がしてしまう。

 

「何よりも、あなたは『強さ』よりもっと得難いものを、既に持っているのですから」

「『強さ』よりも、得難いもの……それは―――」

 

 でも、次に聞こえた言葉に、はっとすがるように顔を上げて、それが何なのか求める僕に対し、リューさんはからかう様に首を傾げると、笑い混じりの声で告げてきた。

 

「それは、きっと言葉には出来ないものなんでしょう」

「えぇ~……」

「ふふ……」

 

 思わずがっくりと肩を落として無念の声を上げる僕の耳に、くすぐるような、そんなリューさんの吐息を漏らすような笑い声が聞こえて、思わず顔を上げた僕の目に飛び込んできたのは。

 

「―――っ」

「それが、私があなたの手を振り払わなかった理由かもしれません」

 

 今までに見たことのない顔で笑うリューさんの姿で。

 神様やリリが見せる、大輪の華のようなそんな笑顔じゃなくて―――。

 

「クラネルさん。あなたは、尊敬に値するヒューマンだ」

「―――ぁ」

 

 更にぐっと近付いたリューさんの笑った顔が、僕の瞳一杯に広がる。

 太陽に向かって大きく花開くそれではなく。

 月光の下、楚々として花開く―――清純とした華のような。

 淡く溶けるようなその笑顔に、魅入られるように僕は見惚れて。

 

「こんな駄目なエルフからの尊敬ですが、少しは、自信は持てましたか?」

 

 そう言って小首を傾げたリューさんに、僕は暫くの間返事を返す事が出来ずにいたけれど。

 でも、リューさんの言葉に、確かに僕の中で何かが灯ったのを感じていた……。

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。
 
 本当は、もう一つエピソードが入る予定だったんですけど、気付けば一万字越えていたので、あの子の登場は次にへと……。
 


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第四話 望んだ先の、望まぬ未来

 遅れてすみません。


 ………………鐘の―――音が聞こえる……

 

『―――――――――やっぱり、行くのね』

 

 昇る日を背に立つ女の声が、一日の始まりを告げる鐘の音に混じって聞こえる。

 

 ―――顔が、良く見えない。

 

 いや―――

 

『何もかも、全て捨てて……』

 

 ―――ただ、もう忘れてしまっているだけなのだろう。

 

 一体どれだけ昔の事なのだろうか。

 

 生前の記憶……それも私が■■■となる前の■■■だった記憶等―――もう、残っていることすら忘れてしまっていた……。

 

『もう……会えないの』

 

 ああ、その通りだ。

 

 そう、私と彼女の道が交わることはこれ以降二度となかった。

 

 それを、私も彼女も既に気付いていた。

 

 なのに……彼女は、それに気付いていながらも、そう問いかけてきた。

 

 ――――――私は、それに何と答えたのだろうか……?

 

 わからない……。

 

『―――ハ■ム』

 

 ああ、私の名を呼ぶ君は、一体どんな顔だったのか、どんな声だったのか―――もう、全てが遠く朧気で……。

 

 何故、私はあそこで振り返らなかったのか。

 

 立ち止まらなかったのか……。

 

 そうすれば、何もかも違った筈だった。

 

 もし、あの時、誰かに無理矢理にでも止められたのならば―――一体私はどうなっていたのか……

 

 だが、そんなもしもは、何処にもない……。

 

 私と言う存在がいる限り、そんなもしもは―――ないのだから……。

 

 だから、私は――――――――――――

 

 

 

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「―――すみませんでしたっ!?」

「あはは―――大丈夫大丈夫、事情は聞いてるから、あの神様に唆されたんだってね」

 

 そのまま土下座に移行するかのような勢いで頭を下げた僕に、ティオナさんはカラカラとした笑い声を上げながら、気にしていないと言うように右手の掌をひらひらと振って見せてくれる。

 

 ―――あれから、リューさんに連れられて無事に僕はロキ・ファミリアの野営地に辿り着くことは出来た。けれども、着いて直ぐに僕は何故、森の中で迷子となっていたのかを思い出すことになる。

 そう、ヘルメス様と共に、ロキ・ファミリアを主とした女性冒険者さん達の水浴びを覗いてしまったことに。

 勿論、僕にはそんなつもりは一切なかったのは確かだけど、それでも覗いた事実には変わりはなく……。

 最後に聞こえたヘルメス様の断末魔の声を思い出せば、未だに体が震えるのを止めることは出来はしない。

 出来れば森の中に戻り、そのまま隠れ潜みたくはなるのだけど……流石にそれは出来ず。

 ヘルメス様の断末魔の幻聴を耳に、それでも僕は勇気を振り絞ってあの場所にいた女性冒険者さん達に謝って回った。

 だけれど、幸いにも皆さんそこまで怒ってはおらず、ティオナさんのように笑って―――苦笑いしながらも許してくれた。

 

「あ、はは……」

「あの神様も色々とお仕置きされてたみたいだし。まぁ、皆気にしてないと思うけどなぁ~」

 

 頭の後ろで両手を組みながら、野営地の何処かへと視線を向けたティオナさんはにゃははと大きく口を開けて笑った。

 ―――と、直後ティオナさんの後頭部から破裂音が聞こえた。

 

「っ―――あ痛っ!?」

「皆あんたみたいに単純じゃないわよ、この馬鹿」

 

 勢い良く顔を前へと倒したティオナさんが、後頭部を押さえながら踞る後ろから、何かに使用した右手をひらひらと振りながらティオネさんが姿を現した。

 

「え~、ひっどいなぁティオネったら」

 

 ティオナさんが少し涙目となった目を非難がましく細目ながら、隣に立ったティオネさんを睨み付ける。ティオネさんは、そんなティオナさんの恨めしげな目を鼻を鳴らして散らすと、小さく肩を竦めて見せると、僕にからかうような視線を向けてきた。

 

「はいはい。で、これで君は一応全員に謝ったんでしょ。なら、これ以上あまり気にし過ぎるのもあれだから、後は色々と騒いでいる連中にだけ注意しときなさい」

「えっ、と……騒いでいるというのは……」

 

 ティオネさんは僕の疑問に対し、顎先に人差し指を当てて何やら考える仕草を取ると、ふっ、と挑発するように唇を曲げて見せた。

 

「一部の男連中がちょっとね。まっ、そこのところは、何とかしなさい。男でしょ」

「っ―――うぅ……わかり、ましたぁ……あっ、その、一つ良いですか?」

 

 そのティオネさんの言葉に、【ロキ・ファミリア】の男性冒険者さん達が、戻ってきた僕に向けたねば付いた敵意のこもった視線と共に、武器の具合を確かめる様子を思い出し、僕は自分の声と体が震えるのを止めることは出来なかった。

 だけど、それと同時に一つ気にかかる事も思い出した僕は、震える僕の事をにやにやとした笑みを向けているティオネさんに丁度良いとばかりに質問をした。

 

「なに?」

「その、実はアイズさんがまだ……」

 

 そう、ティオネさんは全員と言ったが、一人、謝っていない人がいた。

 アイズさんだ。

 ここ(18階層)に来てから、結局会えたのは、あの覗きの一件の時だけで。

 戻ってきてから他の人へと謝りながらも探していたのに、それでも会うことは出来なくて……。

 

「ああ、あの子ね……」

「あの、もしかした何処に―――」

 

 その僕の言葉に対してのティオネさんの様子に、何か心当たりがあるように見えた僕が、詰め寄ろうと一歩足を前へと動かしたけれど、ティオネさんは、それを首を横に振ることで拒否を明確に示した。

 

「……ちょっとあの子も色々とあったから。あの子には私から謝ってたって伝えておいてあげるから、無理に探さなくていいわよ」

「え? でも―――」

 

 それでもと、食い下がろうとした僕に、ティオネさんは逆に顔を近付けて脅すように、言葉の一つ一つを区切りながら僕に忠告をしてきた。

 

「い、い、か、らっ」

「っぅう……はい―――」

 

 僕の口から出そうになった反論の声は、しかしただの唸り声へと変わり、肩は力なく垂れ下がって項垂れてしまう。

 だから、僕はティオネさんのその愚痴めいた言葉に気付くことは出来なかった。

 

「……全く、子供なんだから」

 

 そう、野営地の端を睨み付けるように見つめるティオネさんが、強さだけは一級品に関わらず、何処までいってもどこか子供っぽさが抜けきれない大切な友人に対して向けた非難染みたその言葉を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……アイズさん、どうして……」

「あの―――」

 

 あれから、ティオネさんに追い立てられるようにその場から強制的に立ち退かされた僕は、何となく神様たちのいる天幕へと戻ることはなく、ふらふらとした足取り宛どなく歩いていた。

 

「僕、何かしたのかなぁ……」

「あの―――」

 

 口から時折漏れるのは、自分自身の不甲斐なさに対する文句もあった。

 ぼうっとしたまま、僕が肩を落とし、視線も落としながら歩いていると―――。

 

「うぅ……覚えがあるようなないような……」

「あのっ!!?」

 

 突然眼前に現れた影が、僕の前に立ち塞がって声を上げた。

 

「ひっ、ひゃいっ?!!」

 

 びくりと背筋を伸ばし立ち止まった僕の前には、じとりとした眼差しをした、長い金の髪を持つエルフの―――。

 

「……今、いいですか……」

「あ―――あな、たは……レフィーヤ、さん……?」

 

 何時の日か―――アイズさんとの修行の日々に出会ったエルフの少女の姿があった。

 

「……ええ、お久しぶりです、と言うにはそんなに経ってはいませんね」

「そう、ですね……あの、僕に何か?」

 

 少し頬を膨らませた様子を見せるレフィーヤさんの姿に、思わず腰を引かせながら僕が尋ねる。

 レフィーヤさんは明らかに腰の引けている僕の姿を見ると、苛立ちを示すように腕を組み、ぼそりと小さく呟いた。

 

「……少し、貴方と話がしたくて」

「―――僕と、ですか?」

 

 一瞬もしかしたらあの水浴び場にレフィーヤさんもいたのかと思ったけれど、もしそうだったら、多分僕はこうして無事にいられるわけがないと思い至る。

 じゃあ、僕に話って?

 その理由がわからず、内心首を傾げる僕に向かって、レフィーヤさんは少し僕から視線をずらすと、何処か苦しげな顔を一瞬浮かべてその口を開いた。

 

「ええ―――彼の……シロさんの事で……」

「―――ッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あの、何処まで行くんですか?」

 

 レフィーヤさんに誘われて、船頭する彼女について僕は森の奥深くまでやって来ていた。

 もう【ロキ・ファミリア】の野営地の姿どころか、人の声すら届かない。

 それに、もうそろそろ日が暮れる―――『夜』の時間帯だ。

 そうなれば、真っ暗になって森の中であることも加えて歩くことも覚束なくなってしまう。

 そんな不安が募って、開いた僕の口に、レフィーヤさんはその足を止めると、僕へと向き直った。

 

「ここまで来れば、誰かに聞かれる事もないでしょう」

「レフィーヤさん?」

 

 言外に人に聞かれたくない話をするという言葉に、思わず戸惑う声を上げてしまう。だけど、レフィーヤさんは、特に気にした様子を見せることなく、ただ僕の様子を伺うような視線を向けて問いかけてきた。

 

「……貴方は、シロさんの事について、どれだけ聞いていますか……?」

「っ……18階層で……階層主との戦闘中に崩落に巻き込まれて行方不明とだけ……」

 

 レフィーヤさんの、その言葉に、一瞬あの夜に聞いた神様たちの話し声が思い出されたけれど、僕の口から出たのは、エイナさんから聞いた話だった。

 【ロキ・ファミリア】から提供された情報という―――シロさんの行方不明となった顛末。

 その、僕の答えに対し、レフィーヤさんは―――

 

「―――え?」

「え?」

 

 口と目を丸くするという、明らかに予想外と言った様子を表情で十分に語ってみせた。

 それに対し、僕も同じような表情を浮かべてしまう。

 

「「…………」」

 

 数秒ほど、僕らは互いに丸くした目で見つめ合っていたけれど、レフィーヤさんが首を傾げた事で、その見つめ合いは終わりを告げた。

 

「あれ? 本当にそれだけ何ですか?」

「え、あ、はい……」

 

 再度確認するレフィーヤさんに、僕は一応と思い出しながらも、改めて頷いて見せる。

 

「そ、そうですか……っんん―――ま、まあいいです」

「い、いやいやっ!? そんな風に言われたら気になりますよっ!? 何ですかそれだけって? 他に何かあるんですか?!」

 

 仕切り直すように咳払いをしたレフィーヤさんが、笑顔を浮かべながら話を切り替えようとする。しかし僕は、そうはさせじと詰め寄っていく。

 それはそうだ。

 レフィーヤさんのあの言い方だと、明らかに僕が言った言葉以外の()()()()()()ということだ。

 そんな事、気にならないわけがない。

 ぐいぐいと顔を寄せる僕に、両手を突き出して間合いを取ろうとするレフィーヤさんに尚も詰め寄る。

 

「ちょ―――ちょっと待って、落ち着いてっ?!」

「何かっ、知っているなら教え、て―――……」

 

 突き出される両手を振り払い、更にと近づこうとした僕は、だけど不意に【ロキ・ファミリア】の天幕から聞こえた神様の声を思い出す。

 その内容から、それはまるでシロさんが―――と考えてしまった僕は、一気に全身に力が入らなくなってしまう。 

 

「……?」

「あ、いえ、その……やっぱり―――」

 

 突然勢いを無くし消沈した僕の様子に、レフィーヤさんは訝しげな顔を浮かべる。

 そのまま、後ろに逃げるように後ずさる僕の足が、大きく引かれようとしたところで―――

 

「生きてますよ」

 

 何の気負いもなく、何でもないことのようにレフィーヤさんは、そう僕に告げた。

 その言葉の意味を、僕は一瞬理解できなかったから、反射的に口から出たのは、吐息のような気の抜けた声で。

 

「え?」

「絶対に、あの人は」

 

 そんな、間の抜けた僕の答えに対し、レフィーヤさんは特に反応することなく。

 ただ、自らに言い聞かせるかのような強い言葉と声で、改めて告げた。

 シロさんが生きている、と。

 

「それは―――」

「根拠はありません」

 

 知らず上がった僕の声に被せるようにして、僕の甘い考えは即座に否定される。

 梯子を外されたかのような感覚に、思わず体も倒れかけてしまう僕。

 

「へ?」

「だけど、私は確信しています―――ううん、違いますね。きっと、ただ信じているだけ」

 

 天井から降り注ぐ水晶から放たれる光を仰ぎ見るかのように、顔を上げて目を細めるレフィーヤさん。

 木々の枝葉に遮られるなか、僅かに出来た隙間から伸びる、数本の線状となった光の柱がレフィーヤさんの回りに差し込んでいる。

 

「レフィーヤ、さん?」

「―――あなたは、どうなんですか?」

 

 気付けば、レフィーヤさんが僕を真っ直ぐに見つめていた。

 その眼差しは鋭く、強く。

 でも、何処か優しくて。

 

「……」

「……私は、あの人がいなくなったその場にいました」

「っ?!」

 

 思わず見惚れるように、それとも聞こえないかのように、レフィーヤさんの問いかけに答えずに、僕はただ黙り込んでいた。でも、次にレフィーヤさんが告げた言葉には、反応せずにはいられなかった。

 

「詳しくは……残念ですが、理由があって話すことは出来ません。ですが、彼が行方不明となった場所に、私はいました」

「え? それは―――あ、『遠征』」

 

 【ロキ・ファミリア】からの情報とまでは聞いていた。

 でも、その現場にレフィーヤさんがいたというのは考えもしていなかった。

 けれども、少し考えれば分かってしまう事でもある。

 あの時期、ダンジョンに潜っていたのは、【ロキ・ファミリア】の中でも上位陣である遠征組の人達だけだったのだから。

 

「? っ、あ、ああ。ま、まぁ、そう言うことです。詳しい事は言えませんが、『遠征』関係で彼と少し関わることになって、そして、その時に……」

「……」

 

 レフィーヤさんは、一瞬僕の言葉に首を傾げるような仕草を見せたけれど、直ぐにその通りだとうんうんと頷いて見せた。そこに少し引っ掛かる感覚を得たけれど、僕は特に言及することなく黙って話の続きを聞く用意をする。

 

「普通に考えれば、助かる見込みは0です。そんな絶望的な状況でした」

「っ!?!」

 

 だけど、構えていた僕に向けられた言葉は、想像通りの最悪の言葉だった。

 一瞬悲鳴を、否定の声を上げかけたけれど、直ぐにそれを飲み込んで改めてレフィーヤさんに向き直る。

 

「きっと、団長たちも、皆も……」

「その場に、アイズさんは……」

「……いました」

 

 もし、その場にアイズさんがいたのなら、それでもシロさんがいなくなってしまったと言うのならば、それは本当に絶望な状況だったのだろう。例え、もしその場所に僕がいたとしても、きっとどうしようもない。

 仕方のなかった―――そう、何処かから誰かの声が聞こえる。

 

「―――っ」

 

 酷薄な心の奥から聞こえた言葉に、沸き上がった嫌悪感を無理矢理飲み下す。

 細く、長い吐息を吐き出して気持ちを押さえ込む。

 

「あの場にいた人は皆……口にはしていませんけど」

「それは―――」

 

 言い辛そうに顔を背けているも、それでもレフィーヤさんは話を続けていた。

 もし、そのレフィーヤさんの言葉の通りならば、オラリオの中でもトップを誇る彼らがそこまでいう程に至った者が、そう断言するということは―――本当に危険だったのだろう。

 

「でも、さっきも言いましたが、私はあの人が死んだなんて思っていません」

「あ―――っ、どう、してですか……?」

 

 肩を落とし、項垂れる僕は、だけど、直ぐに思い直す。

 そう言うけれど、レフィーヤさんは先程何を言ったのか、と。

 そこに思い至り、咄嗟に顔を上げた僕に対し、レフィーヤさんは、あの例の奇妙な眼差しを僕に向けながら口を開いた。

 

「わかりませんか?」

「え?」

「本当に、わかりませんか?」

「その、それは、どういう―――」

 

 わからない筈はないだろうという、確信に満ちた声と目が、僕を真っ直ぐに見つめてくる。

 だけど、僕にはわからない。

 困惑し、動揺し、目を逸らしかけた時、レフィーヤさんはその答えを口にした。

 

「あの人が、()()()()()()()()()

「……え?」

 

 レフィーヤさんが口にした『答え』は、あまりにも漠然として、具体性にかけていて。

 普通に聞けば、シロさんが生きているという理由になんて到底なり得ない、ただの希望的な観測にすぎない言葉でしかなかった。

 それは僕も同じで、そのレフィーヤさんの言葉に納得なんて欠片もなくて。

 だから、僕の口から出た疑問の戸惑いの中には、疑問と不満、そしてほんの少しの―――。

 

「―――私は、何度もあの人が戦う姿を見たことがあります」

 

 レフィーヤさんの声が、僕が自分の胸の奥底に過ったものに向けていた意識を引き戻す。

 はっ、と気を取り直した僕の前で、レフィーヤさんは辛そうに眉根を寄せた表情で、微かに震える声で教えてくれた。

 僕の知らない―――シロさんを。

 

「決して、楽な戦いばかりではなかった。あの人が何度も追い詰められている姿を見たことがあります」

「シロ、さんが?」

「はい。でも、その度に彼はそれを乗り越えてきました」

 

 僕の知るシロさんは、強くて、優しくて、料理と掃除がとても上手で―――何時もどんな時も余裕を失わない頼れる人で……。

 だから、レフィーヤさんが言うような、見たことのあるような―――追い詰められる姿なんて想像も出来なくて……。

 

「傷だらけで、ぼろぼろで、何度も死にそうなほど追い詰められて―――でも、それでも、その度に立ち上がって、立ち向かって……最後まで貫き続けて……」

「…………」

 

 そんな僕の知らないシロさんの事を口にするレフィーヤさんの姿を目にして、僕は先程から感じる胸のざわつきが大きくなっていることを自覚する。

 それが、何なのか―――僕はもうわかってしまった。

 これは、きっと―――。

 

「そんな人が、そう簡単に死んだりするものですか」

「―――レフィーヤさんは、本当にシロさんの事を……」

「そう簡単に死んでしまうような可愛いげのある人じゃないですよ、あの人は……」

 

 生きていると、本当に信じているんですね―――と言う言葉は、笑顔を浮かべ『当たり前だ』と言うように応えたレフィーヤさんの返事に遮られた。

 僕を見る瞳は、うっすらと濡れていて、間もなく『夜』になる前の水晶の光を受けてきらきらと輝いている姿からは、シロさんが生きている事を微塵も疑う様子はなくて。

 その姿が、言葉が―――僕は胸が苦しくなるほどに羨ましくて。 

 ああ、そうだ。

 僕は、そんなレフィーヤさんに―――嫉妬しているんだ。

 

「―――で、あなたはどうなんですか?」

「ぼ、く―――?」

 

 そんな気付いてしまった自分の自分勝手な思いに動揺してしまっていた僕では、そのレフィーヤさんの問い掛けに直ぐに答えられる訳もなく。

 混乱する頭と心に乱れる僕とは裏腹に、僕を見つめるレフィーヤさんは羨ましいほどに揺るぎないように見えた。

 

「ええ」

「それは、でも―――っ」

 

 『生きている』『死んでいる筈がない』―――そうレフィーヤさんは言うけれど、でも皆、神様も―――。

 それなのに、どうして?

 レフィーヤさんも自分で言った筈だ。

 絶望的な状況だったって。

 あの団長さんたちも死んだと思うほどの状況だったって―――。

 なら、どうして貴女はそれでも、そんなに自信を持って信じられるのか、僕には―――わからない。

 

「状況から推測しろだなんて聞いてるんじゃないんです」

「っ、ぇ……?」

 

 口は開けど言葉が出ない僕に、レフィーヤさんは揺れ動く僕の瞳を捕まえるようにしっかりと見つめながら、言葉で詰め寄ってくる。

 そうして、刺し貫くようにして僕へと問い掛けを言い放つ。

 

()()()()()()()()()()()()()()?」

「僕、の……」

 

 シロさんが陥った状況や、誰かの言葉なんかではなく。

 ただ、自分がどう思うのか、それだけを問い掛けてくる。

 死んでいる、生きているとかそんなものじゃない。 

 ただ、単純に『あなたはシロさんをどう思っている』という問いに、僕は―――  

 

「―――っ、僕――――――です」

「え?」

 

 気付けば、『答え』を口にしていた。

 

「僕も、です」

「何が、ですか?」

 

 さっきまでの、何処か責めるような視線ではなく。

 暖かな、しっかりと受け止めてくれるような目と声で、レフィーヤさんは僕にもう一度問いかけてくる。

 だから、僕は息をゆっくりと、大きく吸い込んで、はっきりと口にした。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 シロさんが、生きているって(シロさんを、信じているって)

 

「……私がそう言ったからですか?」

「違います」

 

 確かめるように、僕の目を覗き込みながら問うレフィーヤさんに、はっきりと首を横に振って僕は応える。

 

「じゃあ、何でですか?」

「それは―――うん、わかりません」

「へ?」

 

 うん、と一つ大きく縦に頷いた僕は、そうはっきりと応えた。

 ぽかん、と口を開いて、さっきまでの大人びた様子が消え去ったレフィーヤさんの姿に、内心で『してやった』という何処か子供染みた意地のようなものを思いながら、僕は自分の中からその理由を探していく。

 

「もしかしたら―――ううん、多分半分以上は、ただの願いでしかないと思います」

「じゃあ、他は?」

「それは―――」

 

 そう、僕は答えを出した。

 『シロさんは生きている』―――って。

 だけど、それはレフィーヤさんと同じような、明確な根拠や理由があるものではなくて。

 応えたように、ただの『願望』に近いものだけど。

 それでも、そうはっきりと応えられた理由は―――きっと―――。

 

「―――【ファミリア(家族)】、だから」

「……何ですか、それは」

 

 じと目で、下から睨み付けるようなレフィーヤさんのそんな目に、僕は反射的に仰け反ってしまう。

 

「うっ、それは、その……」

「でも、それが一番かもしれませんね」

「レフィーヤ、さん?」

 

 でも、直ぐにレフィーヤさんは、ぱっと花開くみたいな笑顔を浮かべると、くるりと体を回して僕に背中を向けた。

 そして、一、二歩と前へ歩くと、背中を向けたまま、優しく労るような声で僕に話しかけてきた。

 

「……少しは、顔色が良くなったみたいですね」

「―――え? あ、その」

 

 安堵が多分に含まれたその声に、反射的に恥ずかしさと―――ちょっとした反発心と共に頬へと血が集まり熱くなる。

 それを誤魔化すように、反射的に口が動いてしまう。

 

「何ですか?」

「どうして、僕に……」

「―――あの人には色々と発破を掛けてもらいましたから、ね」

 

 咄嗟に動いた口から出た疑問は、でもそれは最初から感じていたもの。

 知り合いとは言っても、僕とレフィーヤさんの関係は精々数回ほどだけ話をしただけでしかなく。

 ここまで気に掛けてくれる程までに、仲が良いような関係性ではなかった筈で。

 そんな僕の疑問は、後ろ手に組んだ両手の指を、その複雑な心境を物語るように動かしながら答えてくれたレフィーヤさんの言葉に、晴れるどころか更に深くなってしまう。

 

「へ?」

「―――っ、たっ、ただの、私の都合なだけですよっ。あなたもさんざん身に染みている筈でしょダンジョンの恐ろしさは。なのに、何時までもあんな顔してたら、命が幾つあっても足りないでしょうから、ね」

「あ―――」

 

 深まった疑問は、しかし何かを誤魔化すように両手を振り回しながら振り返ったレフィーヤさんが、最後にびしりと僕へと指を突きつけてきたことにより、再度問いかける機会を逸してしまった。

 

「ま、余計なお世話だったかもだけど」

「い、いえ、そんな事は……」

「―――ふん」

 

 明らかに何かを誤魔化した感のある言葉に、しかし否定も出来ないその言葉に、僕はただ頭を下げる事しか出来ず。

 でも、頭を下げた僕の思考に、ぽっと浮かび上がった疑問が、顔を上げた時、反射的にころりと言った様子で口から出てしまう。

 

「でも、こんなに気にしてくれるなんて、その、もしかしてレフィーヤさんはシロさんと、何か、その、特別な関係なんですか?」

「―――え?」

 

 腰を曲げたまま、顔だけを上げて見上げるレフィーヤさんの口が、何度目かのぽかんと開いた口の形となる。

 そのままカチリと石になってしまったかのように固まったレフィーヤさんだけど、その白い肌がみるみるの内に赤く染まっていき―――。

 

「え? あの?」

 

 その姿が、まるで何かの秒読み(カウントダウン)のようで。

 そしてそれが、僕にとっては決して良い方のものではないことを感じて―――。

 

「わ、私と、あの、人が―――!?」

「あ、あの~……レフィーヤ、さん?」

 

 少しでも落ち着かせようと僕は話しかけてしまった。

 脳裏には、何時かシロさんが言っていた、女性に関して『少しでもいかんと思ったら直ぐに逃げろ』という言葉が何故か思い出されて―――。

 そして、シロさんのそんな忠告は無駄になってしまう。

 

「そ―――そ、そ、そ、そっ―――そんなわけないでしょ~がッ!!?」

「ひっ、ひぃいい?!!」

 

 顔を真っ赤にさせたレフィーヤさんが、歯を剥き出しにして雄叫びを上げて僕へと威嚇? の声を上げた。

 

「わた、わた、私とあいつがっ、なん、なんでそんな―――絶対にそんな事は―――」

「は、はぃいい~?!」

 

 尻餅をついた僕は、レフィーヤさんが何か言っていたけれど、今すぐにここから逃げなければという思いに従い、今度こそ慌てて走り出していた。

 

「っちょ、まちなさぁい!?!」

「い、いいい、いやですぅ~っ!!?」

「あっ、ちょ―――はや―――」

 

 レフィーヤさんが右手に杖を掲げて叫ぶのを走りながらチラリと見てしまった僕は、走る足に更に力がこもり、更に速度が上がっていく。

 あっと言う間に逃げ去った僕に対し、レフィーヤさんは舞い上がった土埃の中一人取り残され。

 

「どう、しよう……見失っちゃった……」

 

 威嚇するように上げていた両手をゆっくりと下ろすと、見えなくなった背中と間もなく『夜』となることに思い立ったレフィーヤが、震える声でぽつりとそう焦った言葉を吐き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ど、どうしよう……完全に道に迷ってしまった……」

 

 レフィーヤさんの突然の謎の怒りから思わず逃げ出してしまった僕は、気付けば『夜』となった森の中、一人さ迷い歩いていた。

 周囲をぐるりと見回してみるが、当たり前であるが見覚えなど全くなく。

 本日二度目の迷子となってしまっていた。

 迷子―――とそんな可愛げなものではなく、モンスターのいる森に一人道を失うと言うただの遭難なのではあるが、それを自覚すると余りにも怖くなりすぎるため自分を騙すためにそう思うことにしておく。

 動かない方がいいのか、それともなんとか自力で戻るための努力をすればいいのか、判断に迷っていた僕の耳に、微かな誰かの話し声が聞こえた。

 

「あれ? こんなとこに人が……?」

 

 足音等だったら、ほぼ確実にモンスターではあるが、話し声ならば間違いなく人間である。

 とは言え、僕が言うのは何だけど、『夜』の森に人がいるのは何かおかしい。

 だけど、このままこうしていてもどうしようもない。

 モンスターならば、話し合いも何もないけれど、でも、相手が人間ならば少なくとも話はできる。

 野営地まで送ってもらえることは出来なくても、方向ぐらいは教えてくれるかもしれない。

 そんな希望的な観測を下に、僕は声の聞こえてくる方向へと向かっていった。

 そして―――

 

「あの~! すみません、道に迷ってしまって」

「ッ!? 冒険者だとっ!?」

「え?」

 

 森の道なき道を歩く()()()()()()()()()()()3人の男だろう人へと話しかけた。

 モンスターと勘違いされないように、はっきりと声を上げながら姿を表した僕に、彼らは驚愕の声を上げると共に、慌てて周囲を見渡した。

 そして、僕の他に誰もいないことを知ると、三人で互いに視線を会わせた後、ゆっくりと僕を囲むように―――包囲するように動き始めた。

 

「―――っ、いや、幸いにも一人か……」

「ならば逃げられる前に殺すぞっ!」

 

 嫌な予感が急速に高まり、後ろ足でゆっくりと下がっていく僕に向けて、とうとう三人の内一人が決定的な言葉を放つ。

 その言葉を聞いた瞬間、僕は反転し森の中へと飛び込もうとする―――が。

 

「―――っ?!」

「おいっ!! 食人花(ヴィオラス)を出せッ!!」

「なっ!? モンスターっ!!?」

 

 白い装束の男が声を上げた瞬間、僕が飛び込もうとした森の中から何か金属音が響くのが聞こえ振り返ると、巨大な何かがずるずると姿を現してきた。

 それはぱっと見れば巨大な蛇にも似た、極彩色の長大な長細い体躯を持ったモンスターだった。

 森の中から現れたモンスターを前に足を止めた僕が、気を取り直し周囲を確認した時には既に遅く、最初に見た白装束の三人の男に加え、モンスターが出てきた森の中から新たに現れた4人の白装束が周囲を固めていた。

 

「運の悪い奴だっ! 食人花(ヴィオラス)の移送の最中に遭遇するとはなっ!」

「殺れぇええっ!!」

「っ―――」

 

 白装束の7人の男達が、口々に殺意を上げ武器を取り出す中、頭部の蕾を花開かせ、その醜悪な顔を露にしたモンスターが割れ鐘染みた咆哮を上げる。

 武器を取り出して僕を囲い込んだ男達だったけれど、直ぐに襲いかかる事はなく、蛇のようにその巨体をくねらせながら近寄ってくるモンスターを遠巻きにして見ていた。見るからに迫り来るモンスターは強靭に感じた僕は、モンスターとの戦闘を避け逃げ出そうと周囲を再度見渡す。

 先程見た男達の様子から、それほど脅威は感じなかったことから、もしかしたらレベルは僕と同じくらいか、下かもしれなかった。

 だから、モンスターではなく男達に向かって飛び込めば、何とかこの包囲網から抜け出す可能性は高かった。

 だけど―――。

 

「逃がすなぁッ!」

「ここで確実に殺すっ!」

「絶対に殺せぇ!」

「―――っ、ぅ」

 

 僅かに見える生身の部分―――目から、そしてその声からわかる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 モンスターとは違う。

 野性的な、本能的なそれでもない。

 生々しい感情と意思を持った殺意が、僕の手と足を―――身体を震わせる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()という確信を僕にもたらす。

 震えが更に強くなり、体が固まる。

 その一瞬の躊躇が、最後の機会を逃すはめとなった。 

 

「っ―――くぅっ、【ファイア―――ボルト】ッ!!」

 

 食人花(ヴィオラス)と呼ばれたモンスターが、先程までのゆっくりとした動きとは違う。その巨体からは、信じられない程の俊敏さを持って僕に襲いかかっていた。

 頭部の全てが口となっているような、そんな異形の顔で襲いかかってくるモンスターに、僕は咄嗟に右手を差し出し魔法を放つ。

 

「無詠唱だとっ!?」

「っどうだ―――っ?!」

 

 詠唱のない瞬時の魔法の行使に、周囲の男達から驚愕の声が上がり。僕の口からも、まともに当たった事による会心の声が上がったが、モンスターの頭部から上がった爆炎が消え去った後に現れた、損傷のないモンスターの様子に息を飲む。

 

「はっ、その程度で食人花(ヴィオラス)が殺られるかっ!!」

「―――っグ?!!」

 

 そのまま突っ込んできたモンスターを、何とか身体を掠めながらもぎりぎりのところで避ける。何とか避けられはしたものの、体勢が完全に崩れてしまった。よろける体の舵を必死に取るなか、視界にこちらへと再度突進してくるモンスターの開いた口が見える。

 

「―――ッ!!!?」

「終わりだぁ冒険者ぁあああッ!!?」

 

 咄嗟に抜き出していたヘスティアナイフ。

 何度も窮地を救ってきてくれた頼りになる相棒だったが、今眼前に迫るこの巨体を前にしては、どうしようもないという答えしか出ない。

 迫るモンスターの口中は、もう避けられない距離で。

 瞬きもしない間に、僕の体はその中へと捕まえられてしまう。

 それを理解して、僕の口から上がったのは、気の抜けたような声で―――

 

「あ―――」

「―――終わるのは貴様等の方だ」

「―――ぇ?」

 

 最後になる筈の僕の声は、だけど突如現れた()()()により続く事となった。

 終わりの筈の間の抜けた声に続いた言葉は疑問の一言。

 周囲に()()()()が舞う中、僕を囲んでいた7人の白装束の男達は全員が倒れ伏している。

 何が起きたのかは全くわからない。

 ただ、モンスターがその吐息すら感じられる距離にまで迫った瞬間、僕の顔の真横をナニかが物凄い速度で通り過ぎ。モンスターのその開いた口中に飛び込んだのを感じた時には、残骸である灰が周囲に広がり、僕を囲んでいた白装束の男達は全員が倒れ伏していた。

 ぴくりとも動かないその姿からは、遠目で見てもその命が既に失っていることがわかってしまう。

 何時の間にか膝を地面へと着いてた僕は、理解できない周囲の状況に思考を混乱に乱していた。

 

「な、にが……?」

「…………」

 

 しかし、灰が舞う中、立ち上がった影のように近くに立つ、その白い髑髏の仮面を被った黒いローブで全身を隠した人? を目にした瞬間、無理矢理混乱から自身を引き戻した。 

 

「あ―――? あな、たは……」

「…………」

 

 話さなければ。

 声を掛けなければ直ぐにいなくなってしまう。

 そんな確信と共に、何とか声を上げて呼び止めようとする。

 だけど、彼? は僕を一瞥すると、立ち去ろうとする気配を感じた僕は、咄嗟に立ち上がって必死に声を上げた。

 

「まっ―――待ってくださいっ!!?」

「……何だ」

「―――あ、そ、その……」

 

 やっぱり、夢じゃなかった。

 呼び止めながら、返事が返ってくるとは思いをしなかったため、続く言葉はでなかった。

 ただ、返ってきた返事で、彼が―――多分声の感じからして大人の男の人だと思う―――が、夢ではなかったという確信を改めて思う。

 彼の姿を見たのはこれで3回目。

 だけど、その前の2回はどちらも夢幻の中で会ったかのようにあやふやな感じがしていて。

 こんな風にはっきりと会ったのは初めてだった。

 とはいえ、今も『夜』の時間帯だから、決して視界が良好と言うわけでもないけれど。

 それでも、前の二回とは心理的な状況は、まだましな状況であった。

 

「あな、たは……一体誰なんですか? 何で、僕を助け―――ぁ」

 

 と、そこで自分がこの人が夢でもなんでもないことでわかったら、最初に言わなければならない事を思い出した。

 

「す―――すみませんっ! あのっ! ありがとうございましたっ!!」

「……」

「その、これで、二回目、です、よね……」

 

 そう、この人を初めて見たのは、多分あの時―――17階層の階層主に襲われた時。

 僕だけじゃなく、リリ達仲間を、この人は救ってくれた。

 だから、最初にまずはなによりもお礼を口にしなければならなかった。

 

「助けて、もらったのは……」

「……」

「どうして、か、聞いてもいいですか?」

 

 深々と下げていた頭を、ゆっくりと起こしながら問いかける。

 一度目、階層主に殺られかけた時、助けてくれたのは、たまたまだとしても、二回目。

 昨日の夜に、彼からモンスターから助けてもらったのは流石に賢くない僕でもたまたまではない事ぐらいはわかる。

 だからこその僕の問いかけに、

 

「どうして、僕を助けてくれたんですか、あの時も……今も……何で……」

「……」

 

 しかし、彼は無言のまま。

 それでも、と僕は続ける。

 何より彼には、昨日助けてもらった後に言われた言葉もあった。

 何故、見も知らない筈の僕を助けて、あんな事を言ったのか。

 もしかしたら、僕が知らないだけで、この人と僕は何か繋がりがあるのかという思いと共に、疑問を投げ掛けようとした僕に対し。

 

「それに、昨日は―――」

「―――やはり、貴様には無理だ」

 

 髑髏の面を被った彼は、無感情な声で、そう僕に告げた。

 昨日の夜のように。

 

「え?」

「気付いていただろう」

「な、にを……」

 

 僕の言葉に、彼はローブの隙間から指先を出すと、周囲に転がっている白装束の男の人達の遺体を指差した。

 

「逃げるには、そこの奴等を処理するのが確実だと言う事に」

「―――っ」

「そして貴様の力ならば、モンスターは兎も角、この程度の奴等を殺るのならば不可能ではなかった」

 

 彼の言葉を、僕は否定できなかった。

 逃げるに当たって、あのモンスターを突破することは難しいと僕は判断していた。そして、遠巻きに僕を囲んでいた白装束の彼らならば、僕の力なら一人でも抜けられる事にも。

 そして、その場合、彼らはきっと死に物狂いで抵抗してくる事も。

 そうなれば、まだまだ未熟な僕では、どうしても手こずってしまう。

 それも、わかっていた。 

 

「それ、は……」

「そうすれば、あそこまで一方的に追い詰められる事はなかった筈だ。そして、その事を貴様も気付いていた」

「っ!?」

 

 彼の言葉が、僕の内心を抉り出す。

 僕の弱さを突きつける。 

 

「だが、やらなかった」

「……」

「人が相手であることに躊躇ったか」

「っ」

 

 何故、僕は躊躇した。

 どうして、僕は彼ら(白装束)へと向かっていかなかった。

 

「ならば、やはり貴様は……」

「っ―――確かにっ、出来たかもしれませんっ! でも―――」

「ならば、何故動かなかった?」

 

 言い訳は、開いた口からは出なかった。

 そうだ、言い訳も何もない。

 何で白装束がいる方向へと向かわなかったのかなんて、自分自身が一番よくわかっている。

 喧嘩や他の【ファミリア】の人達との小競り合いは何度か経験はあった。

 けれど、殺し合う事なんて、そんな事はなかった。

 いや、それ以前の命の取り合いになるかもしれないと言う、その一歩手前のものでさえ経験はないのだから。

 だからこそ、僕は躊躇ってしまった。

 

「……殺すどころか、傷つける事すら躊躇うか」

 

 モンスターではない。

 話し合う事ができる人間との殺し合いに。

 

「っ、ぁ……」

「……度し難い―――貴様のような輩が、何故こんな所にいる?」

 

 反論すら出来ず、喉を鳴らすだけの僕に、仮面の人は吐き捨てるようにそう言い放つ。

 その姿に、咄嗟に僕は言い返そうと口を開いたけれど。

 

「っ、僕は、でもっ―――それでもっ―――」

「―――『英雄になりたい』、と言ったな」

 

 彼の、恐ろしく冷たく冷徹な声に、続く言葉を飲み込んでしまった。

 

「え?」

「語られるような、そんな英雄に、と」

「あ―――」

 

 彼が口にしたのは、昨夜僕が今のように『夜』の森の中で彼に言ったこと。

 僕が憧れる―――望む未来の姿を。

 その口調にからかうような様子はなく、ただ、冷徹で冷たい刃物のような鋭い堅い意思のみが宿っていた。

 そして、彼は僕に問う。

 

「―――ならば貴様は、()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 『英雄』のもう一つの姿について。

 

「え? 語られない、英雄?」

「……貴様は、英雄を星のようだと言ったな」

 

 彼は、そう言うと天井を見上げた。

 そこには光を失った水晶が敷き詰められた天井があり。

 僅かに灯る光が、夜空に輝く星のようにも見えた。

 

「言い得て妙な事だ。確かにその通り、英雄は星のようなものだ」

 

 顔を前に、僕へと向け直した彼は、小さく一つ頷くと僕の言葉を何処か皮肉げな心地でそう評した。

 

「その在り方も、その様も、良く似ている」

 

 彼の口調も声音も全く変わってはいない。

 だけど、何となく僕には、彼が悲しんでいる? それとも羨んでいるかのように聞こえた。

 

「貴様は、英雄の事を良く知っているようだが、ならば問おう」

「っ」

「貴様の知る【英雄】は、一体どれ程いる?」

 

 ぐっ、と僕に顔を近付けた彼が、そう僕に問いかける。

 ぱっと思い浮かぶだけでも十数人はいる。

 おじいちゃんも言ってたけど、僕は英雄についてなら多分かなりの人数は知っていると思う。

 もしかしたらおじいちゃんの創作も入っているかもしれないから、正確な人数はわからないけど、少なくとも数十人は僕は知っていた。

 だけど、そんな僕の自信は―――

 

「十数か? 数十か? それとも数百か?」

 

 彼の笑いと共に―――

 

「ハハ―――そんなモノではない」

 

 憎々しげで―――

 

「数千、数万、数十万―――尚も足りんっ」

 

 悲しげな声と共に告げられる言葉に、吹き飛んだ。

 

「それこそ()()()()()()()()()()

 

 髑髏の面の向こう。

 夜の闇よりもなおも深く暗い眼窩の奥底に、ぎらりと輝く光を見た。

 それは、闇の奥底で輝く星のようにも見えた。

 

「―――だが、語られ、知られる英雄は僅かばかり」

 

 気付けば、彼は僕の目の前に―――手を伸ばせば届くほどの間近に立っていた。

 間近に迫った彼は、僕が考えていたよりも遥かに背が大きく、もしかした2M近くは身長があるかもしれない。

 

「何故だか分かるか?」

 

 そんな彼は、ぐぐっ、と体を曲げて、僕の顔へとその白い髑髏の面を近付けて問いかけてくる。

 その問い掛けに対する答えを、僕はしかし出せないでいた。

 答えるどころか、口を開かない僕に、彼は顔を僕から離すと、滑るようにして距離を取りながら、その問いの答えを語っていく。

 

「―――立場、成り立ち、血筋、偉業―――理由は様々あるが、結局のところ成し遂げたモノだ」

 

 彼の声は抑揚のなく、淡々とした様子で語られるが、その声は何処までも深く重く、まるで古の賢者が真理を語るような厳かな雰囲気すら感じられた。

 

「眩いばかりの偉業を成し遂げなければ、例えその時代に英雄と祭り上げられたとしてもやがて埋没してしまう」

 

 僕は彼が何者で、どうしてそんな事を言うのかなんて疑問を挟む事なく、ただ食い入るようにして彼の言葉を耳を傾けた。

 

「……家を、愛する女も、顔も、名すら全て捧げ、捨て去り―――登り詰めた先に得たとしても、望んだものとは限らん」

 

 そう、口にする彼の様子は、先程までの否人間的な―――超越的な様子ではなく、世捨て人のような、何処か疲れた様子を滲ませていた。

 

「……いや、【英雄】に成ったからこそ、望んだものに届かない事もある……」

「あな、たは……」

「それでもと、貴様は望むか―――」

 

 反射的に僕の口は動いていた。

 何を言おうとしたのかは、多分、彼にとってとても失礼な事だったのかもしれない。

 それは形となる前に、遮るように放たれた彼の言葉により僕の口は閉じられたからだ。

 

「―――【英雄】を」

 

 放たれた言葉は、確認。

 昨日と同じく、僕に問いかける言葉。

 お前はそれでも『英雄』を望むのか、と―――。 

 

「ぼ、くは……」

 

 震える僕の言葉の続きは、何と形作るつもりだったのか。

 揺れ動き消えていった言葉の先を、彼は問い詰めることもなく、ただ吐き捨てるようにして僕に言い放つ。

 

「……『資質』も『資格』もなしに、望むのならば……好きにするが良い」

 

 昨日と同じ―――『資質』と『資格』がないと、僕に言い放って。 

 それを耳にした瞬間、反射的に僕は声を上げていた。

 

「っ―――そんなことっ、僕もわかってるっ!!? 僕はアイズさんやシロさんみたいに強くなんてないっ!? でもっ―――だけどっ―――」

「……だから貴様はなれん―――いや、成るべきではないのだ」

 

 どれだけ努力すれば届くのだろうか。

 嫉妬も起こらない程の先を進む、遠すぎる背中を幻視して叫ぶ僕に対し、髑髏の仮面は僕に告げる。

 

「―――っ!?」

「【英雄】を目指すのならば、確かに『資質』は重要。しかし、全てではない。例え『資質』無き者であっても、確かな『資格』があるのならば、例え何者であっても【英雄】と成れる」

 

 『資質』―――本当に必要なのは強さといったものではないとい言うことを。

 

「じゃ、じゃあ、なんですか、何なんですかその『資格』って!?」

「……聞いて備わるものではない。特に貴様のような―――……」

「あな、たは……」

 

 では何なのだと、叫び問う僕に、彼はため息混じりに言葉を溢しながら、小さく首を振る。

 その姿に、憐れみを多分に感じ激高するのを躊躇い止まった僕が、改めて、何故こうまで彼が僕を気にかけてくれる理由が気になった。

 そんな僕の気持ちに気付いたのかどうなのか、彼ははっと顔を上げると、自嘲するように小さく自分自身に向けて呆れた口調で言い放った。

 

「私は……一体何を言っているのだ……」

「え? あの―――まだ聞きたいことが」

 

 急速に彼の気配が遠退くのを感じ、慌てて呼び止めようとする僕を、彼はもう興味を失ったとでも言うような様子で、適当な様子で返事を返す。

 

「……結局は、貴様が選ぶ道だ。好きにすれば良い……」

「っ―――ちょっと待ってくださいっ!!?」

「……何だ」

 

 早くしなければ、消えてしまうと感じた僕が、咄嗟に大声で彼を呼び止める。

 その必死さが伝わったのか、彼は踏み止まるようにして僕にその白い髑髏の面を被った顔を向けた。

 

「どう、して……どうして僕を助けてくれたんですかっ!? それに、昨日はっ―――今もっ、何で、あなたは―――」

「……さて」

 

 これまでの事も、先程も、命を助けてくれただけでなく。

 これからの事について助言染みた言葉まで言ってくれる。

 そこまで彼がそうする理由は、全く思い付かない。

 一体、何故彼は、どうして―――

 そんな僕の疑問に対し、彼は数瞬の間考えるように無言となった後。

 

「―――私にも、分からん。何故、私はこんな事を……―――」

「え? あの? 何か―――」

 

 小さく首を捻りながら、それでももう一度考え直した彼が至った結論―――それは。

 

「―――気紛れよ」

「え、と?」

 

 たったそんな短い言葉で。 

 結局僕が望んだような、考えた理由ではなく。

 そしてそれは多分、彼自身もそうなのかもしれない。 

 

「ふん―――そう、ただの気紛れに過ぎん」

「あ―――」

 

 何か誤魔化すように小さく鼻を鳴らした彼は、そう言って姿を消した。

 僕の目の前で、瞬きもしていなかった筈なのに、彼は気付けばその姿を消していた。

 一人、森の中取り残された僕は、木々の枝葉から僅かに覗く天井に見える微かな明かりを灯した星めいた光を示すそれを見上げながら、ぽつりと呟いた。

 

「……気紛れって―――本当に、あなたは……一体、何者なんですか……」

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。
 投稿一日遅れてすみませんでした。
 次は、多分大丈夫だと思います。
 
 それと、1月1日0時に、設定の話を更新する予定ですが、この世界の設定的なものを記載する予定ですので、何か質問などがあれば感想で書かれれば返信しようかと思います。
 答えられない質問には、すみませんが答えられませんが……そこのところは了承してもらえれば助かります。
 ネタバレ的なところもありますので、そこのところはご注意を。


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第五話 宿りし火は、やがて炎へ

 明けましておめでとうございます。
 
 今年もよろしくお願いします。



「―――……どうしても、やるんですか」

「ああ、と言うか、もうやってしまっただろう?」

 

 18階層にある森の中で、女の苦しげな声が響く。

 自己嫌悪に染まったその声は、懇願染みた響きをもって傍らに立つ男神―――己の主神へと向けられていた。

 その声を向けられる当神は、小さく肩を竦めながら、女の真剣な声に反して軽い調子で応えていた。

 

「ですが、まだ今なら―――」

()()を奪い返して、無かったことにできると?」

 

 とんとん、と自身の被った帽子を指先で叩きながら、男神―――ヘルメスは立ち塞がるように眼前に立つ自身の【ファミリア】を導く団長であるアスフィに尋ねる。

 

「……そうです。今ならまだ」

「まあ、確かに今ならまだ、全てなかった事には出来るね」

「なら―――」

 

 何時ものように、顔に張り付かせた胡散臭い笑みを浮かべたままうんうんと頷くヘルメスに、アスフィが俯かせていた顔を上げて期待を露にするが、それは即座に否定される事となった。

 

「だけど、駄目だ」

「何故ですかっ!? そこまで彼に拘らなくとも良いじゃないですかっ!」

 

 先程までは、何とか抑えていた声が、感情の高ぶりと共に激して発せられる。

 それに反応してか、遠くからモンスターの遠吠えが聞こえた。

 もう、ここは森の奥。

 人の姿はないが、モンスターはそこかしこに隠れ潜んでいる危険な場所である。そんな事は、彼女も百も承知なのに、それでも声を上げてしまうほどの苛立ちに、アスフィは呑まれていた。

 

「はは―――まあ、色々とあるんだよ」

「どうしても駄目だと言うのなら……」

 

 はぐらかすかのように、遠吠えが聞こえてきた方向へと顔を向け、顔を逸らすヘルメスに、アスフィは据わった眼差しを向ける。

 その口から漏れるのは、覚悟の決まりかけた声。

 このまま放置すれば、彼女は確実にこの場から取って返し、『冒険者の町』へと戻ってあの男からあれを取り返してしまうだろう。

 それがわかってしまったヘルメスは、内心ため息を着きながら、自分を睨み付けてくるアスフィへと視線を戻すと、何時もの胡散臭い笑みを張り付けた口を開いた。

 

「アスフィこそ、どうしてそこまで拘るんだい? これくらいの事、今まで何度もあったじゃないか?」

「……確かに、そうですね。これまでも似たようなことはありました。不満はありましたが、従っては来ました……ですが、私―――いえ、私達には()に返せない借りがあります」

「……」

 

 アスフィのその言葉には、流石のヘルメスも直ぐには言い返すことは出来なかった。

 彼―――ヘスティアのたった二人の【ファミリア】の内の一人。

 自身のファミリアが関わった案件において、その【ファミリア】を救ってくれた男。

 もし、彼がいなければ、少なくとも数人は、悪ければ今目の前にいるアスフィですら命を落としていたかも知れなかったと言う。

 

「ヘルメス様にも、お伝えした筈ですよね」

「……ああ」

 

 もし、そうなっていたらと言う考えは、ヘルメスの心を凍てつかせる。

 今までにも【ファミリア】の子供達がいなくなってしまった事は幾度も経験してきたが、それでも慣れる事などはない。

 そう思えば、それを防いでくれた彼には、本当に感謝しかなく。何時かはその感謝と借りを返さなければと思っていたのだが……。

 

「彼自身にもう、借りを返せなくなった今、出来るのは、彼が所属していた【ファミリア】の方達に少しでも返す事しか出来ません。なのに、あなたは―――」

「わかっているよ。オレも一度は会って見たいとは思ってたんだけどね。残念だ」

 

 その借りを返す相手は、今はもういないと言う。

 彼の噂は色々と聞いていた。

 だから最初から興味は持っていたのだが、タイミングが合わず今まで会うことが出来ず。

 アスフィ等から報告を受けた時は、更に興味が募り、今度こそはと思っていた時に、あの話だ。

 ヘルメスがその報告を聞いた時の落胆は、酷いものであった。

 

「……やはり、彼は―――ですが、ヘスティア様は―――」

 

 アスフィがあの天幕の出来事を思い返し、ヘルメスに若干の希望を持った声をかける。

 あの時、全員が彼の死を思っていた。報告を聞いていたアスフィは、最初彼ならばと言う思いがあったが、それもあの天幕での話を聞くまではだった。あれほどの力を持つ彼が、崩落に巻き込まれただけで死ぬとは到底思えなかったのだ。

 しかし、本当に信じられないが、どうしてそうなったのか詳細は聞けなかったが、59階層で彼は何故か【ロキ・ファミリア】と合流し、そこで起きた戦闘の結果。階層がまるごと崩壊する中、一人取り残されたと言う。

 そうなれば、いくら彼とはいえ―――。

 

オレ達(神々)は、自分達が契約した子供達の生死をある程度知ることが出来る。まあ、絶対に外れないとまでは言えないが、ほぼほぼ確実に、ね」

「なら―――いえ、それなら……」

 

 ヘルメスの言葉に一瞬アスフィの脳裏にあの天幕の中で、ヘスティアが【ロキ・ファミリア】の団長に対し言った言葉が再生される。しかし、その言葉の意味を改めて考え直した結果、得た結論は―――。 

 

「ああ、気付いたようだな。そう、あの時ヘスティアは、『信じる』と言った」

「……つまり」

 

 『生きてる』という確信としての言葉ではなく。

 『信じる』という希望を持った言葉。

 それの意味するところは、ヘスティアは彼の生存に対する明確な根拠はない、ということ。

 

「ああ、少なくともヘスティアは、契約による繋がりから『生きている』と確信は出来ていないと言うことさ」

「それはっ……」

「普通に考えたら駄目だろうな。だけど、ふむ……」

 

 一瞬生まれた希望は、しかし儚く溶けて消えていく。

 力なく俯くアスフィの下がった頭を見下ろしていたヘルメスは、顎に手を当て何を言おうか迷っていたが、不意に何か言い様のない疑問が胸を過った。

 そしてそれを敏感に感じとったアスフィが、怪訝な顔を浮かべ、ヘルメスへと戸惑いの目線を送った。

 

「ヘルメス様?」

「いや、なに少し疑問があってね。あいつも神の端くれだ。死んでいると本当に考えていたのならば、ああは言わないと思うのだが……」

「どういう、事でしょうか……」

「さあ、残念ながらオレも分からん」

 

 ヘルメスの自問とも言うような言葉に、意味を良く捕らえられなかったアスフィが疑問を呈する。しかし、ヘルメスは自身でも答えが出せないのか、小さく肩を竦めると顔を左右にゆっくりと一度振って見せた。

 

「まあ、アスフィが反対する気持ちはわかるが、すまないがこれだけは勘弁してくれ。必要な事なんだ」

「必要って……私は、そうは思えません」

 

 話を切り替えるように、ヘルメスがまたも俯くアスフィの両肩に手を置いて頼み込む。が、アスフィは納得はいかず、顔を俯かせたまま頭を左右に振る。

 それに対し、ヘルメスはただ、激高することなく。

 穏やかとも言える声でアスフィを見下ろす目を上へと、微かな灯りを灯す『夜』の水晶群を見上げた。

 

「いいや。必要なんだよ。ベル君にとってもそうだが、オレにとっても……そして―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――っ、神様」

 

 ベルは走っていた。

 レベル2の全力を持って駆けるその速度は、並みの動物どろこかモンスターのそれよりも早く大地を駆ける。

 あっという間に目の前の景色が後ろへと消えていくが、それでも満足することなくベルは駆ける。

 焦りと怒りを胸に、指定された場所へと向かって走るベルの思考は、ただただ自身の主神であるヘスティアの無事だけを祈っていた。

 その裏では、どうしてこうなったのかという今までの行動を、無意識下で精査を行っていた。

 最後に神と―――ヘスティアと会って話したのは昨日の『夜』の事であった。しかし、それも僅かな時間だけ。あの後、戦闘の音に気付いたリューと合流し、【ロキ・ファミリア】の野営地に戻ったベルは、フィン等に事の次第を伝えた。すると、何か相手に覚えがあったのか、フィン等は慌ただしくその現場へと向かっていった。

 その際、事情聴取を受けたベルは、解放された後は疲労困憊状態であったため。待ちかねていた仲間やヘスティアと録に話す力は既になく。次の日には、ダンジョンからの脱出のため、【ロキ・ファミリア】の出発に合わせる必要もあることから、詳しい話は明日にとなった。

 そして、次の日。

 先行するアイズ達を見送ったベル達は、まだ用事があるというヘルメス達やリューとこの場で別れる事とし。次に出発する後続と共に18階層を後にするつもりであった。

 しかし、皆が準備を終え、残りはあと一人と言う段になって、【ロキ・ファミリア】の後続が出発する間際となってもその神は姿を現すことはなかった。

 やがて、とうとう後続の部隊が出発し、流石におかしいと感じたベル達は、残りの一人―――主神であるヘスティアの姿を手分けして探し始めた。

 別れ、各自がヘスティアの姿を探すためあちらこちらを探す中、ベルは野営地の近くで広がる草原で、幾つもの試験管が散らばっている箇所を見つけた。  

 何か怪しく感じたベルが、そこを調べてみると、そこには一本の巻物があった。

 その巻物の中には、ヘスティアを預かっている事と、返してほしければここまで来いと地図が描かれていた。そして、その巻物の中には、一人でという言葉も書かれていたことから、ベルは誰に言うこともなく、直ぐにその場から離れ。書かれていた地図が指し示す方向へと向け駆け出していた。

 

「神様―――神様っ―――神様ッ!!?」

 

 森の中をひたすら駆け抜けるベルの目に、地図が指し示す目的地である中央樹の真東にある、一本水晶が映った。気付けば、これ以上はないと思っていた駆けるベルの速度が更に上がる中、一秒毎に一本水晶が近付いていく。

 そうして、木々の合間を抜け、ベルの視界が一気に広がった瞬間、周囲に何者かの声が響いた。

 

「―――来たぞモルドっ!!」

 

 ベルの耳に冒険者だろう男の声が届き、同時に足が止まる。

 一本水晶を中心に、ぽっかりと出来た広間のような場所へとたどり着いたベルは、強く大地を踏みしめ急制動を掛けると、足元から大量の土煙が立ち上っていく。

 煙幕のように周囲に土煙が広がる中、長大な水晶の影から現れた男が姿を現す。

 現れた男の姿を目にしたベルの顔が、見覚えのない姿に一瞬戸惑いに揺れる。しかし、直ぐに先日、(リヴェラ)

すれ違った男であり、更に言えば、【豊穣の女主人】亭でベルに絡み、リューに追い出された男であると思い出す。

 

「あな、たは―――っ神様はっ!?」

 

 一瞬ベルの口から男に対し問い詰めるための言葉を上げそうになるが、視界にヘスティアの姿がないことから咄嗟に口から出たのは姿がない神の安否であった。 

 焦燥を滲ませたベルの声と顔を見たモルドは、その傷だらけの顔を歪ませると頬を曲げ口を開いた。

 

「はっ、安心しな。俺たちも馬鹿じゃねぇ。神を傷付けるなんて禁忌(馬鹿な真似)をするわけがねぇだろ」

「それなら―――」

 

 何処に―――という言葉が続く前に、一歩前へと足を出したモルドが笑いながら首を左右に振る。

 

「ただまあ、今すぐに返すわけじゃねぇがな。何が言いたいかは、薄々察しはついてんだろぉ? ああ、勿論一人で来てんだよなぁ?」

「……はい」

 

 気圧されたように、じりっ、とベルの足が僅かに後ろに後退する。

 その様子に、モルドが浮かべる笑みがますます深くなり、纏う嗜虐的な雰囲気が強まっていく。

 

「ま、他に誰か連れてきたとしても、別に構いやしなかったんだがな」

「ぅ、あ……」

 

 モルドの言葉を合図に、ベルを取り囲むように森の中から隠れていた冒険者達が姿を現していく。次々に現れる冒険者の数は優に20に届き。あっと言う間にベルはモルド一派の冒険者に周囲を固められてしまっていた。

 逃げ場を塞がれたベルの口から、呻き声に似た声が漏れ、周囲を見渡す瞳と体が動揺に揺れ始める。

 

「何びびってんだぁ? 安心しな、そいつらは手は出さねぇよ。ほらっ、さっさと付いてこい!」 

「……何を、するつもりですか」

 

 怯えるように震え始めたベルの姿を鼻で笑ったモルドが、顎をしゃくり促すように後方を指し示す。

 ベルは囃し立てるように、自身を取り囲む冒険者が、武器と防具を打ち合わせて鳴らす金属音を耳にしながら、眼前に立つモルドへと問い掛ける。

 ベルの問いに、目を細め見下ろしながら笑い混じりの声で告げたモルドは、くるりと身体を反転させると先導するように歩き始めた。 

 

「はんっ、わかって言ってんだろ? 決闘だよ決闘」

「……決闘」

 

 モルドの答えを小さく口で繰り返すベルは、歩き始めたモルドの背を追うため足を動かし始める。周囲を取り囲むモルドの仲間達が打ち鳴らす武器と防具による金属音は、早く行けとばかりにその音と叩く速度が早くなる中、ベルの中で渦巻く焦りと恐怖は比例するように大きくなっていく。

 

「決闘のルールは単純だ。お前と俺との一対一での決闘で。勝った奴は負けた奴に一つ好きな命令を出せる。俺が勝てばお前の身ぐるみを全部いただく。お前が勝てば、お前の大事な神様は返してやるよ」

「―――っ、わかり、ました」

 

 足が止まれば二度と動かないのではないか、そんな感覚の中、ベルは必死に足を前へと動かす。その心の中では、ヘスティアの安否を思っていた。この場にヘスティアがいない中、上手くここから脱出出来たとしても、その先をどうしたらいいのかが分からない。ヘスティアの居場所の手がかりがない中、今はモルドの要求に従う他はなかった。

 ひたすらにこれからの自身の行動を考えるベルは、しかし、本当に見るべき所から目を逸らしていることに気付いてはいなかった。

 そうして、モルドの後を追うベルが辿り着いた場所は、自然に出来た舞台(ステージ)であった。

 周囲から一段高く、歪であるが円を描くように盛り上がった直径7M(メドル)はある台地は、若干の凹凸はあるが綺麗な平面となっている。

 モルドは真っ直ぐにその舞台(ステージ)へと進み出すと、一息で飛び上がりベルへと振り向いて、同じように登るよう促す。

 返事をすることなく、同じく飛び上がって舞台(ステージ)へと上がったベルと3、4M程離れた位置で対峙する形となったモルドが、腕を組みながら口を開く。

  

「さて―――と、ここで、てめえと俺は決闘をする」

 

 ベルと向かい合ったモルドが軽く周囲を見渡す。舞台(ステージ)の周囲には、モルドの仲間達が観客よろしく取り囲んで野次を飛ばしている。

 それを確認したモルドが、再度ベルを見て声を上げて笑った。

 

「くく―――だがまあ、勘違いすんじゃねぇぞ」

「なに、を―――」

 

 右手で背中に背負った大剣を鞘から抜き放ち肩へと担いだモルドが、同時に左手を腰へと回しながらベルへと言葉を投げ掛ける。

 モルドの声に対応しながらも、ベルも腰に手を回し武器を抜き放つ。

 左右の手に《ヘスティア・ナイフ》と《牛若丸》を持つその姿は、ベルの戦闘型(バトルスタイル)として定着し始め、もう一端の冒険者として様となり始めていた。

 その中々に嵌まっている姿に、取り囲む冒険者から囃し立てるように口笛が響く中、モルドの強面の顔が大きく歪む。 

 そして―――

 

「これから始まるのは、決闘だが―――てめえをなぶり殺すための見世物(ショー)でもあるんだよっ!!」

「な―――っ?!」 

 

 モルドは宣言と共に肩に乗せていた大剣を、一気に足元へと叩きつけた。

 

「うっ!?」

 

 大地を割り砕けた破片と共に砂ぼこりが大量に周囲に舞う。一瞬にしてベルの視界が塞がれ、モルドの姿を見失ってしまった。咄嗟に口許を押さえたベルが、油断なく周囲を見渡し警戒を厳にする。

 周囲から野次馬の冒険者の口汚い罵り声が響く中、吹き寄せた風が周囲に漂っていた砂ぼこりを振り払う。

 

「―――え?」

 

 クリアとなった視界の中、飛び込んでくるだろうモルドへと身構えていたベルは、予想外の光景に戦いの最中であると言うにも関わらず戸惑いの声を上げてしまう。

 

「いな、い?」

 

 しかし、それも仕方のないことだろう。

 そこにいる筈の、モルドの姿が何処にもなかったからだ。

 慌てて周囲を見渡す。

 前後左右を素早く確認―――いない。

 高座(ステージ)の下にいる野次馬(冒険者)の中には―――いない。

 上かっ?! と視線を上げるも、誰もいない。

 では、何処に、というベルの疑問は、即座に解消される事となる。

 

「がっ―――ぁ?!」

 

 衝撃と痛みを伴って。

 先程確認したばかりの真横からの衝撃。

 頬を殴られる感触と同時、驚愕の思いと共に地面を転がるベルは、一瞬高座(ステージ)の外にいた冒険者が飛び出してきたのかと思ったが、それも転がっていく先に受けた再度の不可視の衝撃により否定される事となった。

 

「っゴ?!!」

 

 何者かの爪先が脇腹に突き刺さる。鉄靴(サバトン)の硬い感触が薄い肉を貫き、内蔵に衝撃と痛みが響く。

 視線は通っていた。

 衝撃を受けた瞬間、確かにベルの視界は、衝撃を受けた位置を捕らえていた。

 しかし、()()()()()()

 それは、早すぎて見えないというわけではなく。

 ただ単純明快に、()()()()()()というだけ。

 

「な、にが―――?!」

 

 混乱する中、それでもベルはこれまでの戦いの中で培ってきた危機回避の本能が、動かなければいけないと警鐘を鳴らす。ベルはそれに逆らうことなく、痛む体と未だ混乱から抜け出せずにいる思考の中、必死に立ち上がり転がるようにして逃げ出した。

 

「っ―――ぁ」

 

 息を吸う度鋭い痛みが肺を襲い、鈍く重い痛みが攻撃を受けた部分を責める。

 口の中に鈍い血の味が広がるのを、唾と共に吐き出し、必死に見えない何かから逃げ出す。

 『いけぇ!!』、『ぶち殺せぇ!!』―――興奮した男達の声が周囲を轟かせ、空気を震わせる。ぐらぐらと、ベルの思考と視界が激しく揺らめく。

 

「あっ―――がっ、は?!」

 

 『おおおおおおっ』と、どよめきが轟く。

 混濁する思考の中、ベルの足元が崩れた瞬間、見えない何かが再度襲いかかる。

 頭では何が起こっているのかは、ベルにも既に理解していた。

 スキルか、魔法か、それとも何かの道具によって、モルドは姿を隠したのだろう。先程の一瞬、体が攻撃を受ける間際、ベルは確かに何かが動く衣擦れの音と地面を踏みしめる足音を感じた。 

 しかし、その肝心の姿は捕らえられなかった。

 顔面に受けた衝撃に、勢いよく吹き飛ばされるベルの体が、高座(ステージ)の端まで転がっていく。落ち掛けた体は、しかし即座に周囲を囲む野次馬達に捕まれ、蹴り出され強制的に高座(ステージ)の中央へと戻される。

 

「っげほ?!」

 

 たたらを踏みながら中央へと戻されたベルの腹を、透明となったモルドの蹴りが突き刺さる。叩き込まれた鉄靴の硬い爪先が、腹部を貫き内蔵へと衝撃の槍を突き刺す。

 口中に溜まっていた血と共に、胃の中のものが混ざり周囲へと撒き散らされる。

 『うげぇ』、『汚ねぇなっ!』との野次馬達の笑い混じりの声を背に、自分が撒き散らした吐瀉物の上に身体を落とすベルは、言い返す事も逃げる事も出来ず、衝撃と痛みから腹を押さえその場で丸くなってしまう。

 反撃する様すら見せることも出来ないベルに対し、しかし容赦のない攻撃は続く。

 腹を押さえ、地面に丸くなって目を閉じ必死に痛みを堪える姿からは、反撃の芽は欠片も見えることはない。

 それが分かっているのか、周囲を取り囲む冒険者の野次には、ベルに対する『弱さ』と『情けなさ』を中心にした罵倒が投げ掛けられていた。

 痛み、熱、罵倒、嘲笑―――今ベルが受け止めているそれは、これまでの経験で未だ一度もその身に受けたもののないものだった。

 人の悪意。

 これまでベルは、様々な痛みをその身体と心に受けてきた。

 祖父を亡くすという肉親を失う喪失の痛みを。

 【ファミリア】への加入を受け入れてもらえなかった際の、拒絶の、孤独の痛みを。

 何時も何時も、誰かに助けられ守られてばかりの自信に対する弱さに対する情けなさ、不甲斐なさという痛み。

 その中には勿論、モンスターとの戦闘による直接的な肉体に対する痛みもあった。

 だが、今受けているものは、そのどれとも違う。

 熱く、暗くヘドロ染みたねばついた痛みのそれは、ベルが知る今までに感じた事のないものであった。

 初めて受けるそれを前に、ベルの意思が、そして身体が、冷たく、固く動かなくなっていく。 

 反撃も、逃走する様子も見せず、目を閉じ丸くなるだけのベルの姿に、しかしモルドの攻撃は弱まるどころか更に激しく強くなり、それに比例し野次馬達の笑い声も高まっていった。

 痛みと衝撃と、悪意に満ちた笑い声の中、ベルの意識は振り子のように浮き上がっては沈むを繰り返す。

 意識と痛みが遠のく度、ベルの思考にノイズのように響く声があった。

 それは、あの白い髑髏の面を被った謎の男から告げられた言葉の数々であった。

 

 ―――貴様は、英雄には成れん

 

 死神の如く、闇の中気配もなく佇む彼が託宣の如く告げられた言葉。

 

 ―――度し難い―――貴様のような輩が、何故こんな所にいる

 

 非難するそれとは違う。

 ただ単純に、理解できないというように、吐き捨てるようにそう言ったあの人の言葉が、暗く落ちた思考の中に響く。

 落ちていく。

 意思が。

 思考が。

 落ちて―――消えていく。

 このまま落ちきれば、どうなるかは火を見るよりも明らかである。

 僕の意識は完全に失われ、次に目を覚ましたときには、装備の全ては剥ぎ取られた惨めな姿となっているだろう。

 神様の名を冠した《ヘスティア・ナイフ》も、友達(ヴェルフ)が造ってくれた《牛若丸》も失ってしまう。

 そうなれば、僕はもう一度立ち上がる事は出来るのだろうか?

 ―――わからない。

 これまでも、何度も情けない姿は見せてきた。

 

 (都市に初めてやってきて、何処の)(ファミリアにも加入できず途方に暮れた)時も―――

 

 (シロさんとはぐれたところで)(出くわしたミノタウロスに襲われた)時も―――

 

 僕はただ、何も出来なかった。

 

 結局は、誰かに助けられただけ。

 

 シロさんに―――

 

 アイズさんに―――

 

 強くなったと思っていた。

 レベルは2になり、世界記録(レコード・ホルダー)だと称えられて、そんな気はなかったつもりだったけれど、やっぱり何処かいい気になっていたのかもしれない。

 リューさんはああ言ってくれたけれど、やっぱり僕はこの程度でしかないのだろう。

 こうして、情けなく倒れて踞っている姿が、僕の本当の姿なんだ。

 

 ―――【英雄】になりたい

 

 はは……―――こんな僕が、なれるわけ、ないじゃないか……。

 あの人の―――言った通りだ。

 僕みたいなのが、英雄になんてなれるわけがない。

 こんな僕なんて、英雄になんて、なるべきじゃないんだ―――っ!!

 

 ―――衝撃が頭に響く。

 頭を蹴り飛ばされたのだろう。

 これまで以上に意識が揺さぶられ、視界が明滅する。

 蹴り飛ばされた勢いで地面を転がった先で、仰向けに寝転ぶ形となった僕の霞む視界の先に、光を灯す水晶が微かに見えた。

 嘲笑の声は、罵倒の響きは、既に遠い。

 揺らめく意識は、今にも消えてしまいそうだ。

 明滅する意識と視界の中、唯一視界に映る水晶の光が、星の様に見え―――て―――。

 

 ―――おじいちゃんっ!

 

 ―――何だ、ベル?

 

 不意に、形のない目に浮かび、耳に聞こえたのは―――

 

 ―――【英雄】って凄いね!!

 

 ―――……ああ、そうだな

 

 遠い過去の記憶で、幼い僕が、暖炉の前で椅子に揺られるおじいちゃんに話しかける姿で―――

 

 ―――格好よくて、きらきらで、ねぇおじいちゃんっ!

 

 ―――ん?

 

 ベッドの上で寝転がった僕が、何時ものようにおじいちゃんから【英雄譚】を聞かせてもらって、その興奮を胸に宿らせたまま口にしたのは―――

 

 ―――【英雄】って、何だか星みたいだねっ! 

 

 ―――星……星か、確かに、そうだな

 

 無邪気で純粋な。

 何も知らない、何もわかっていなかった幼い子供の頃の時分のそれは。

 希望と憧れに満ちた言葉で―――

 

 ―――ねぇ、おじいちゃん?

 

 ―――何だベル?

 

 何も知らないからこそ言える、賢しい者ならば鼻で嗤う愚かしいまでのその言葉は―――

 

 ―――僕も、なれるかな?

 

 だけど、眩いまでも白く、純粋で―――

 

 ―――あの【英雄譚】のような―――きらきらしたあの星みたいな【英雄】に、僕もなれるかな?

 

 胸に灯ったそれは、始まりの火。

 小さな小さなそれは、その時から消えずに残り。

 そしてその火は、ここ(オラリオ)に辿り着いて、シロさんに、アイズさんに出会ったことで燃え上がり、火から炎へと姿を変えて。

 僕を鍛え上げて。

 そして―――ここまで来た。

 

 ―――クラネルさん。あなたは、確かにまだまだ弱くて未熟です。何もかもが足りません

 

 言葉が―――リューさんの深い森の奥のような翡翠の色と共に闇の中に響き。

 自分の弱さと情けなさに自信を無くし、落ち込む僕へと手を伸ばしてくれたリューさんの姿が浮かび上がる。   

 

 ―――あなたは『強さ』よりもっと得難いものを、既に持っているのですから

 

 僕の手を握り、花のように笑ったリューさんの姿が闇の中照らす光のように広がって。

 

 ―――あなたは、尊敬に値するヒューマンだ

 

 闇の中に灯った(明かり)は、次第に大きく強くなっていく。

 

 ―――大丈夫?

 

 ミノタウロスの返り血を全身に浴びた姿で、腰を抜かした僕が仰ぎ見るように見上げた先には、黄金で出来たかのような綺麗な女の人が、僕を心配気に見下ろして手を伸ばしている。

 その美しさに見惚れて、続いて頭に上った血と共に沸き上がった気恥ずかしさと情けなさのあまり、僕はあの人が伸ばした手を取ることもなく咄嗟に逃げてしまったあの日。

 生まれた新たな憧憬を前に、ひたすらに駆け抜ける日々の中、あの人―――アイズさんに手解きを受ける日が来て。

 

 ―――強く、なったね

 

 訓練の最後に、初めて気絶せずに終えたあの日。

 力尽きて尻餅をついた僕の目の前に、あの日と同じく伸ばされたアイズさんの手を、その言葉と共に握って立ち上がった。

 

 未だ届かない。

 それどころか更に遠ざかっているようにも感じるほどの遥か先にいるあの人だけれど、確かに、僕はあの日、一歩近付くことができた。

 朝日を背に手を伸ばすアイズさんの姿が、光と共に更に闇を押し退けて輝きを強める。

 

 そして―――

 

 ―――どうした?

 

 あの日。

 僕が初めて迷宮都市(オラリオ)にやって来た日。【ファミリア】に入れてもらおうと奮闘して幾日も駆け回る日々。だけど、何の力もない子供な僕を迎え入れてくれるような【ファミリア】は何処にもなく。遂には路金も尽きて、宿を出る始末。一人これからどうしようかと途方に暮れる僕に、あの人が―――シロさんが声を掛けてくれた。

 シロさんは、僕が冒険者になるために迷宮都市(オラリオ)に来たという話を嗤うこともなく、最後まで聞いてくれると、冒険者になることの危険性を僕に話し始めた。だけど、それは僕の意思を否定するようなものではなく、純粋に心配による言葉で、だから、僕がそれでも冒険者になるという意思を示すと、シロさんは口許に笑みを浮かべて―――

 

 ―――なら、うち(ヘスティア・ファミリア)に来るか?

 

 って、言ってくれた。

 手を、伸ばして。

 あの日。

 日が届かない路地裏で、蹲っていた僕に手を差し伸ばしてくれたシロさんの背中から、僅かに日の光が差し込んでいて。

 眩しげに目を細めた僕は、その伸ばされた手に向かって、自分の手を―――。

 全てを諦めかけていたあの日、シロさんの言葉と共に伸ばされた手を取った瞬間から、小さかった火は大きく燃え上がり炎と成って。

 

 今もまだ、燃え盛っている。

 

 それを、こんな所で消してしまうのか?

 

 こんな相手を前に、消してしまうのか?

 

 自問する言葉に、僕は――――――

 

 僕は――――――ッ!!

 

 

 

 

 

 

「――――――ッあああああ!!!」 

 

 咆哮と共に振り払う。

 止めとばかりに顔面へと向けられた鉄靴を、見えないそれを未だ手を放さずにいた《ヘスティア・ナイフ》で切り払う。

 

「―――なにッ!?」

 

 驚愕の声が何もない場所から響く。

 たたらを踏んで後ろへと下がる気配を感じながら、時分から地面を転がり距離を取ったベルが、ゆっくりと立ち上がる。痛みはある。全身あますことなく蹴り、殴られていることから、どこもかしこも痛くて堪らない。

 しかし、それは立ち上がれない理由にはならない。

 口中に溜まった血を吐き捨てながら、ベルは【ヘスティア・ナイフ】を構える。

 幸いにも、全身の痛みは酷いが、骨が折れるといった動けないような怪我はなかった。

 ベルは先ほどまでの怯えが混じっていた視線から一転し、覚悟の決まった手に持つその短剣の如く鋭く硬い意思を宿した目で、見えざる敵を見据える。

 その真っ直ぐな視線は、正しく対峙するモルドの姿を―――視線を捉えていた。

 

 見えている?!

 

 一瞬の動揺は、しかし直ぐに否定する。

 見下ろした自分の手は見えてはいない。

 姿は確かに消えている。

 はったりだと言う確信と共に、モルドはベルに襲いかかる。

 

「―――ッ!?!」

 

 無言のまま、大きく振りかぶった拳はしかし、頭を下げたベルの頭上を通りすぎた。

 驚愕の声が上がりかけるモルドの口から、

 

「ご―――はっ?!」

 

 しかし声ではなく圧し殺した呻き声が上がった。

 モルドの拳を避けたベルが、直ぐ様反撃に移ったのだ。

 レベル2の中でも速度に特化したベルの足が、確かな確信をもって振り抜かれる。そしてそれは、違うことなく体勢を崩していたモルドの腹へと突き刺さった。

 アイズ直伝の回し蹴りによるベルの装靴(グリーブ)の爪先が突き刺さり、装備の胸当てを越えた衝撃が御返しとばかりにモルドの胃を押し潰す。

 

「―――ごっ、げぇええ?!」

 

 土煙を立ち上げながら転がった先で、モルドは腹を押さえ踞ると、胃からせり上がるモノを押さえようと口許を押さえるが、油断していた所に受けた衝撃は酷く、耐える事は出来ず。

 数秒の猶予の後、何もない空間から酒臭い吐瀉物が地面へと撒き散らされた。

 

「こ―――のっ、舐め、やがっ、て」

 

 吐き散らかしたモルドが、口許を拭いながら立ち上がろうとする。 

 罵りを吐瀉物混じりの唾を吐き捨てながら上げ顔を上げたモルドの視界に、しかし映ったのは。

 

「な―――ばっ?!」

 

 迫り来るベルの装靴(グリーブ)の姿で。

 視界全てを塞ぐその光景に、最早避ける猶予はなく。

 驚愕の声が上がりきるよりも早く、ベルの渾身の一撃はモルドの顔面へと叩き込まれる。その衝撃は、モルドが被っていた姿を消す魔道具(マジックアイテム)である漆黒兜(ハデス・ヘッド)の耐久値を遥かに超え。再度殴り飛ばされるモルドの頭から外れると、欠片となって周囲へと黒い破片を撒き散らしながら、モルドの姿を露にした。

 

『なあああああああ!??』

 

 周囲から、野次馬たる冒険者たちの驚愕の声が上がった。

 それもそうだろう。

 つい先程まで踞りされるがままになっていたベルが、突然モルドの攻撃を受け止めたかと思えば反撃を行い。もろに攻撃を受けて嘔吐するモルドに向かって、止めの一撃を叩き込む。

 劇的すぎる逆転劇に、状況を把握出来ず驚愕の声を上げた後、周囲を取り囲む冒険者たちは立ち尽くすしかなかった。

 高座(ステージ)を取り囲む冒険者達は、どうすれば良いのかわからず、血を流し倒れるモルドと息を荒げながらも、油断なく周囲を見渡すベルを見比べていた。

 

「っ―――あ、このっ、舐めやがってぇえ!!?」

「っく」

 

 冒険者たちが動揺する中、砕けた漆黒兜(ハデス・ヘッド)がある程度衝撃を受けてくれたのか、血を流す顔面を押さえながらモルドが立ち上がってベルへと罵り声を上げた。

 咄嗟に身構えるベルを前に、モルドは最初に地面を叩き割った後、背中の鞘へと戻していた大剣を抜き放つと、その切っ先をベルへと向けて叫んだ。

 

「このクソガキガアアアアアアアアアアアアアア!!!??」

 

 怒りと憎しみに赤く染まった瞳でベルを睨み付け叫ぶモルドが、握った大剣を振りかぶり飛びかかろうとしたその時であった。

 

「やめろおおおおおおおおぉぉぉぉっ!!!」

「「「―――っ!!?」」」

 

 捕らえられていた筈のヘスティアの声が響いたのは。

 予想外のその声は、怒りに染まっていた思考にも一瞬の理性を取り戻させたのか、モルドは飛びかかる寸前の足を止めると、声が聞こえてきた方向へと顔を向ける。

 同じように、周囲の冒険者とベルもまた、声が聞こえてきた方向へと顔を向けていた。

 その視線の先には、息を荒げさせながらも、しっかりと両の足で立つ捕らえられていた筈のヘスティアの姿があった。

 ヘスティアの周囲には、救助してくれたのだろうリリやヴェルフ、【タケミカヅチ・ファミリア】の団員たちの姿もある。

 ヘスティアは息を整えながら、周囲を見渡すとベル等冒険者達を見据えた。

 

「ベル君っ、ボクはこの通り無事だ。もう、これ以上争う理由はないっ! 君達ももうこれ以上のいがみあいはよすんだっ!!」

 

 大喝するヘスティア()の声に、ベルを取り囲んでいた冒険者達から勢いが失われていく。負ける筈のなかったモルドが一転逆転された中、切り札であり弱点であるヘスティアが救出されたのを見て、彼等の戦意は著しく下がってしまっていた。

 ただ一人を除いて。

 その一人であるモルドは、一時的に押さえられていた怒りを再度再熱させると、ヘスティアに大剣を向け睨み付けると怒声を響かせた。

 

「うるせえぇっ!!? それではいそうですかって、剣を納められる訳がねぇだろうがッ!! 構わねぇ、お前らこのまま全員まとめてやっちまぇえっ!!」

 

 剣を振り上げ叫ぶモルドに触発されてか、一旦収まりかけた冒険者達の中から戦意が立ち上ぼりかける。

 その様子に、ベルやヘスティアの周囲に立つヴェルフ達もまた、武器を握る手に力を込めるが、それは再度響いたヘスティア()の声により強制的に納められることとなった。

 

「―――止めるんだ」

「「「―――ッッ!!?」」」

 

 先程とは違う。

 落ち着いた穏やかとも言えるその声は、しかし先程とは比べ物にならないほどの強さをもって、立ち上ぼりかけた彼等の戦意を吹き飛ばした。

 明らかに違う神威を持ったその声による制止の言葉は、ベルを取り囲む冒険者たちから戦意を奪う以上に畏怖を与えることとなった。

 

「う、ああ、あああああああああ」

 

 最初に一人が武器を放り捨てながらその場から逃げ出したのを切っ掛けに、次々にベルを取り囲んでいた冒険者達がその場から逃げ出し始めたのだ。蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく仲間達を必死に呼び止めていたモルドも、逃げる仲間が半数を超えると諦めたのか、ベル達に罵倒の言葉を投げ掛けると仲間の後を追って森の中へと駆け出していった。

 冒険者達の悲鳴と足音が遠ざかり、やがて何も聞こえなくなると同時に、ベルは全身から力が抜けその場に倒れ込んでしまう。

 

「ベル君っ!?」

「ベル様っ!?」

「ベルっ!?」

 

 その様子に、ヘスティア達が慌てて高座(ステージ)に掛け上ると、必死にベルへと駆け寄る。意識はあるようだが、見るからに全身傷だらけのベルの姿に、ヘスティアは涙ぐみながらも小鞄(ポーチ)からミアハ印の高等回復薬(ハイ・ポーション)を取り出すと、仰向けに転がるベルの顔へと浴びせかけた。

 最早指一本動かせない状態であっても、しかしベルの意識は未だ残っていた。その上に容赦なく降り注がれた甘い味のする溶液は、ベルの鼻や口に意思とは反して流れ込む。

 

「ごぶっ?!」

 

 気管に入った溶液を吐き出し、咳き込みながら体を起こしたベルが慌てて周囲を見渡す。ミアハ印の高等回復薬(ハイ・ポーション)は流石の効力を見せ、頭を左右に振って溶液を振り払うベルの顔には、既に傷跡が殆んど見えなくなっていた。

 

「ごめんっ、ごめんよぉベル君。ボクのせいでこんな怪我までさせてしまってっ……」

「あ、いえ……そんあ事は」

 

 抱き付いてきたヘスティアを反射的に抱き止めたベルが、戸惑いながら周囲を見渡すと、そこにはリリやヴェルフ。【タケミカヅチ・ファミリア】のメンバーとその後ろに立つ覆面で顔を隠したリューの姿もあった。

 皆ベルの怪我の心配をしながらも、無事であることに喜びを示している。

 口々にベルの安否を気遣い、無事であることに安堵の声を漏らすある種の達成感が漂う中、その最初の異変に気付いたのは遠巻きにベル達を見ていたリューであった。

 

「―――揺れている?」

 

 微かな振動に似たその揺れは、リューのその言葉を合図にしたかのように、一気にその強さを増した。

 確かに揺れる足場に、戸惑いに惑うベル達が周囲を見渡していると、唐突に辺りが暗くなった。

 『夜』とは違う、地上の黄昏時のような薄暗さ。

 それはまるで、巨大な何かに太陽を遮られたかのような感覚で。

 反射的に空を仰ぎ見たベル達の視界の先。

 この18階層の太陽の役割を果たしていた天井を覆う水晶群の中心にある一際巨大な白水晶の中に、何かが見えた。

 染みのように見えたその黒い点は、瞬く間に巨大になると、更に濃く深い黒となって白い水晶を侵すように広がっていく。

 そのあまりの異様にベル達が声もなく見入っている間にも、深刻さと共に事態は進む。 

 治まらない揺れが更に強まり、遂には立つこともままならない程に揺れが大きくなると同時、ビキリ、と何かに罅が入る音が周囲―――18階層全てに轟いた。

 音の発生源が何処だと、その音を耳にした者全てが同時に思うが、その答えは誰に聞かなくとも皆わかっていた。 

 故に、音を聞いた瞬間、その者達の視線は一斉に上へと向けられていた。

 18階層の意思ある者の全員が仰ぎ見る視線の先で、巨大な白水晶に罅が入っている光景が映る。

 そうして、誰かが罅の奥に潜む『黒』に気付き、ぽつりと声を上げた。

 

 

 

「―――黒い、巨人」

  

 

 

 天井の太陽(白水晶)が砕けた破砕音が響き。

 世界(18階層)に『闇』が訪れた。

 薄闇が広がる中、何よりも『黒』いそれが、地響きを立て降り立った。

 そして、『絶望』が蹂躙を始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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第六話 刻め、我が名を―――

 呪腕さんを出そうと思った時から頭にあったシーンが書けて満足。
 でも、書きたかったシーンの中で3番目なんですがね。
 二番目は次話で、一番はエピローグです。
 


 18階層(アンダーリゾート)の太陽である天井にある巨大な白水晶は、その身とは真反対の闇のような漆黒の怪物を産み出すと、代償にするかのようにその身は砕け散ってしまった。

 白水晶(太陽)を失い、一気に闇に包まれる18階層だが、天井に群生する青水晶は未だ健在であったことから、幸いにも完全な闇となる事はなかった。

 白の光の代わりに青い光が冴え冴えとした青い光が降り注ぐ様は、まるで蒼い月が空に昇った夜のようで、淡い蒼の光が18階層を満たす幻想的な空間の中、しかし響くのは異形の怪物の咆哮と悲鳴、そして破壊の音であった。

 18階層の中央にある巨大な中央樹を破壊して降り立った黒い怪物は、運悪くベル達の前から逃げ去っていたモルド一派をその目にしたことから、最初の獲物と定めて襲いかかっていた。

 そして戦う様子すら見せず逃げ惑うモルド一派を追う黒い怪物の背を、更に追いかける影があった。

 

「―――全くもうっ!? ベル様ったら本当に信じられないですっ!?」

「それは俺も同意見だが、お前も別に反対してねぇだろ」

 

 近付くにつれ、木々の隙間から遠目でも巨大に見えた影が更に大きくなっていく様を目にし、同時に膨れ上がる不安や恐怖を誤魔化すように叫ぶリリ。前を走るベルには聞こえないように小さく叫ぶリリに対し、隣を走っていたヴェルフが苦笑いしながらも答える。返ってきた返答に、リリは怒っているのか笑っているのか判断に困る微妙な顔をしながら、悔しげな声で今度は大きく叫んだ。

 

「それはそうなんですがぁっ!!」

 

 天井の白水晶から現れた巨大な黒いモンスター。

 それが現れ、たまたま近くを逃げていたモルド一派が襲われたのを見たベルは、迷うことなく救出に声を上げた。つい先程まで自分を陥れた相手を救うと声を上げたベルに、しかし異を唱える者は誰もおらず。ベル達一行はモルド一派の救出に向かっていたのが、やはり不平不満はあるもので、特にリリには大事で大切なベルを痛め付けた相手の救出には色々と思うことはあり。ベルの言葉に反対はしなくとも、やはり心情的には不満はあった。

 それはヴェルフも同じではあったが、隣で叫ぶリリが代わりに声を上げた事から比較的冷静となっていた。 

 

「ほれ、口を動かしてないで足を動かせ! ったく、しかし一体なんだってんだありゃ……」

 

 きー! と叫ぶ隣を走るリリに、やれやれと小さく肩を竦めたヴェルフは、近づく黒い巨体を改めて見直すと、自問するように小さく口の中で頭に浮かんだ疑問を形にする。

 小さなその疑問の声は、しかし前を走るエルフの長い耳は捉えた。

 

「姿形は間違いなく17階層の階層主(ゴライアス)ですが、大きさと肌の色が違います」

 

 現れた異常事態(イレギュラー)のモンスターの姿形は、リューが過去、仲間と共に何度となく倒してきた17階層の巨人―――ゴライアスと酷似していた。

 豚頭人体(オーク)と似た体格の、体の六割を占める上半身は逞しく。常に前屈みとなっている背には荒縄染みた長い頭髪が広がっており、顔面も覆うそれの隙間からは、血のように赤く染まった眼球が確認できる。

 その姿は間違いなく17階層の階層主であるゴライアスではあるが、明らかに違った。

 直ぐに違うとわかるのは、その肌の色だ。

 本来の―――17階層の階層主たるゴライアスの肌の色は灰褐色であるが、この18階層に現れたゴライアスの肌の色は、闇のように深く黒い。

 それがただの虚仮威しではないことは、此までの幾多の苦難による勘と経験が違うと判断していた。

 それを証明するかのように、モルド一派を追う黒いゴライアスが、前傾だった身体を反らすと、咆哮を上げた。

 

「ッッ―――っはは、ただ黒くなってるだけ―――って訳じゃ無さそうだな」

「ええ―――」

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォッッ!!!』

 

 リューの頷きに答えるように、黒いゴライアスが咆哮を上げた。

 と、同時に、大気が、周囲にある太く逞しい樹木が衝撃によりその身を大きく揺らす。

 走りながら衝撃から身を守るように反射的に顔の前に掲げた腕に、折れた枝葉や土や小石がぶつかるのに目を歪ませたヴェルフが、()()()()()()()()()()に目を向け顔をしかめた。

 モルド一派が逃げているだろう先。

 黒いゴライアスが顔を向け、声を轟かせた方向から()()()()()()()()()()()()()()のが見える。

 明らかに先ほどの咆哮が原因だろう。

 あれは最早、威嚇のためのただの咆哮なのではなく。

 完全な攻撃手段となった魔力を込めた声による、本来のゴライアスには持ち得ない筈の、衝撃波による『咆哮(ハウル)』であった。

 

「―――そのようですね。急ぎます、このままでは全滅する恐れがあります」

「はいっ!」

 

 近距離での攻撃手段しか持たなかった17階層のゴライアスならば、モルド一派も逃げ切れる可能性があったが、遠距離の攻撃方法を持つ黒いゴライアスではその可能性も潰えてしまう。

 焦りを含んだリューの声に、走るベルの声が応えた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひっ―――ひいいいい!?!」

 

 突如現れた黒いゴライアスを前にパニックに陥ったモルド一派等は、立ち向かう様子を欠片も見せずに逃走し、何とか大草原地帯まで逃げるも、『咆哮(ハウル)』による遠距離攻撃を前に、逃げる足を遂に止めてしまう。運悪く『咆哮(ハウル)』を受けた仲間の一人が、原型を止めているが、身動き一つすることなく転がっているのを目にしたモルド達の意識が、再起動し逃げ出そうと体に命令を下すよりも早く。黒いゴライアスは蒼い光をもたらす天井を仰ぎ見ると、今度は攻撃手段である衝撃波を纏う咆哮ではない声を上げた。

 追撃することなく、ただ上空へ向け吠える黒いゴライアスの姿に、反射的に怯えるように身体を丸め踞ったモルドが、戸惑いながら、目前まで迫ったゴライアスを見上げる。衝撃波(ハウル)ではなく咆哮を上げた黒いゴライアスに、戸惑うモルドではあったが、直ぐにその意味を知ることになる。

 

「―――なっ、そ、そんな嘘だろおぉ?!」

 

 18階層全体に遍く轟いたゴライアスの咆哮に応じ、周囲から大量のモンスターが姿を現したのだ。

 姿を現したのは、18階層に生息する様々なモンスターであり、普段のモルド達ならば苦戦するほどの相手ではなかったのだが、1体1体ならば兎も角、軽く見ただけでも数十は迫るモンスターの姿に、欠片程もなかった戦意が遂には影さえ消してしまう。

 武器を手に持つ者達の中には、諦めたように腰を落とし天井を仰ぎ見ている者もいた。

 そんな中、自身の雄叫びに集ったモンスターを蹴散らしながら迫ってきた黒いゴライアスが、周囲をモンスターに取り囲まれ立ち尽くすモルドの前に迫っていた。

 

「あ、ああ―――」

 

 蒼い光を遮り、深い黒を落とす主を見上げたモルドは、体の震えに耐えきれず、すがるように掴んでいた武器を遂には手放し、そのまま地面へとへたり込んでしまう。

 戦うことも、逃げることもできず小さく蹲る獲物(モルド)の姿を見下ろす黒いゴライアスは、その赤々と鈍く輝く瞳を愉悦に細ませると、鉄固の如し右の拳を振り上げると、それを一気に降り下ろした。

 

「―――ッ!」

 

 数瞬後におとずれる血と肉の感触を思い、その顔を歪ませる黒いゴライアスであったが、大地を砕き、大量の瓦礫を周囲に撒き散らす中に、期待した色と感触がないことに気付くと、不満の唸り声を漏らしながら周囲を見渡した。

 

「―――っ、ごほっ?! げほぁっ?!」

「さっさと逃げなさいっ!!」

 

 大量の土煙が上がる中に聞こえてきた方向にゴライアスが目を向けると、そこに腹を押さえ地面へとえずくモルドと、その前に立つ覆面で顔を隠したエルフ―――リューの姿があった。

 ゴライアスの拳が降り下ろされる直前、加速したリューは速度を落とすことなく、そのまま地面をけってモルドへと飛び蹴りを叩き込んだのだ。ぎりぎり何とか回避はすることは出来たが、窮地から未だに脱してはおらず。周囲にはモンスター、眼前からは黒いゴライアスが迫ってきていた。

 

「ぁああああああっ!!」

 

 と、高らかな咆哮と共に、二条の線が地面へと刻まれる。

 砕け散った最悪の足場をモノともせずに、獲物を奪ったリューに視線を奪われた黒いゴライアスの背後へと迫る者が二人。

 そして、ゴライアスが間近へと迫る影と声に気付き、振り返るよりも早く、迫る二人―――『タケミカヅチ・ファミリア』の桜花と命が弾かれるように分かれると、斧と刀、それぞれの武器を振りかぶり巨人の左右の膝裏へと叩き込んだ。

 

「「はああああああああっ!!」」

「ッ―――ゴ、アアアッ??!」

 

 同時に叩き込まれた全力の一撃。

 次の瞬間、黒いゴライアスと桜花等は互いに驚愕に目を見開いた。

 黒いゴライアスは強制的に体勢を崩され、後ろへと倒れ込んだことに。

 そして桜花と命は、会心の一撃を叩き込んだ己が振るった武器が、ただの一度で砕けたことに。 

 

「―――何を呆けているッ!!?」

 

 リューの怒声の警告に、桜花と命が我に帰る。

 倒れたゴライアスの直近にいながら、驚愕のあまり立ち尽くしていた桜花等は慌ててその場から離れようとする。手にもった武器だった残骸を捨て去りながら、二人は苦しげな顔を背後へと一瞬向ける。

 全力を込めた会心の一撃だった。

 この一度で大したダメージを与えられるとは考えてはいなかったが、それでも無防備な状況で、薄いと思われる膝裏へとまともに攻撃することができた。

 しかし、返ってきた手応えは生物のそれではなく、金属染みたもののそれであり。もしも武器が砕けて衝撃が逃げていなかったのならば、砕けていたのは自身の手首だったのかもしれないと思うほどの強靭さであった。叩き込んだ武器が欠けたり折れたりする所か、砕け散る様を目前にした桜花等は、それでもあの黒いゴライアスの体表に、僅かな掠り傷さえ与えられなかった事に歯噛みしていた。

 

『オ、オオ―――ッアアアアアアアアアアッ!!』

「「「―――ッッ!!?」」」

 

 立ち塞がるように周囲を取り囲むモンスターの群れを、何とか避わしながら突き進んでいたリュー達だったが、明らかに怒りが籠った濁った吠え声に反射的に背後に視線を向けてしまう。

 飛び込んできたのは、モンスターを吹き飛ばしながら迫り来る()()()()()であった。

 仰向けに転ばされたゴライアスが、飛び起きると共に、そのまま地面に触れるほど前屈みとなった格好で、右腕を大きく凪ぎ払っていたのだ。

 自分で集めたモンスターも関係なく、目の前の全てを吹き飛ばすとばかりに振り抜かれた右腕が、走るリュー達の後ろへと迫っていた。普通ならば、余裕をもって避けられる速度ではあるが、今は周囲をモンスターに取り込まれている上に、リューは腰の抜けたモルドを引きずっていた。

 普段ならば考えられないほどに、その速度は低下していた。

 そして―――

 

「「「っ、あああああ!!?」」」 

 

 気合いの声か、それとも悲鳴なのか、見ずとも感じる巨大な何かが迫る圧力と音に、すくみかける足に発破をかけて更に前へと足を踏み出すと同時、背中を形のない何かが思いっきり押し出した。

 

「「「―――ッ!!??」」」 

 

 一瞬逃げ切れなかったかと思い、声にならない悲鳴を上げた桜花達だったが、直ぐにそれが背中の間近を通り抜けたゴライアスの腕が引き起こした風だと気付くと、前へと転がりかけた身体を何とか押さえつつ、更に前へと駆け出していた。

 

『ッ―――オオ、アアアアアッッ!!』

 

 あと僅かで取り逃がした事に対する苛立ちは大きかったのか、届かなかったと気付いたゴライアスは、身体を起こすと背中を大きく反らした。

 そして、逃げるが十分に未だ己の攻撃範囲(手元)にいるリュー達へ向け、その手(ハウル)の照準を向け解き放とうとする―――が。

 

「【燃え尽きろ、下法の業】ッ!」

 

 突如、大きく開かれた黒いゴライアスの口から爆炎が立ち昇った。

 鈍い声を途切れ途切れに上げるのに合わせ、黒煙が口から立ち上るゴライアスへと片手を突き出しているのは、対魔力魔法(アンチ・マジック・ファイア)を発動させたヴェルフであった。

 

「マジかよ……」

 

 暴走した咆哮(ハウル)は爆炎となって黒いゴライアス自身の口元だけでなく、顔の下半分を燃やし炙り上げた。しかし、その姿からは弱った様子は欠片も感じられず、それどころか傷が着いたような様子すら見えない。ただし、衝撃はそれなりに感じたのか、初めて受けたそれに怒りを露にしているのが、爛々と鈍く輝く赤い瞳からヴェルフは遠目からも感じていた。

 頬をひくつかせ、思わず後退りしてしまうヴェルフに気付いた黒いゴライアスの赤い瞳が、怒りに見開かれた。

 

「ッ―――やばいっ!?」

 

 階層主を越える黒いゴライアスの怒りをまともに受けたヴェルフの身体が一瞬いすくまってしまう。

 はっと、気付いた時には既に遅く、視界には大きく開かれた黒いゴライアスの姿があった。その姿から、咆哮(ハウル)を撃とうとしているのは明白。しかし、先程と同じように対魔力魔法(アンチ・マジック・ファイア)を放つには時間がない。

 身体はその場から離れようとするが、頭ではわかっていた。

 

 ―――間に合わねぇっ!?

 

 逃げようと動くヴェルフだが、それが間に合わないと言うことを自分でもわかっていた。

 そしてそれは、黒いゴライアスも気付いていた。

 ゴライアスの目が歪み、咆哮(ハウル)が解き放たれる―――直前、

 

「ハァアッ!!?」

 

 ゴライアスの頭が弾かれた。

 ヴェルフが狙われていると気付くや否や、モルドを放り捨てたリューが背中を向けたゴライアスの背を駆け上ると同時に、咆哮(ハウル)を放とうとする直前の頭を手にもった木刀を叩き込んだのだ。

 意識外の衝撃は大きく、強制的に傾けられた(照準)は、逃げるヴェルフの背中とは検討違いの方向へと解き放たれていた。

 仲間を救った会心の一撃。

 しかし、リューのその覆面で隠された顔は焦りに歪んでいた。

 

 ―――硬すぎるッ!!?

 

 リューは17階層の階層主であるゴライアスとの戦闘は過去に何度となく経験してきた。

 だからこそ、レベル4相当である標準(階層主)のゴライアスとの違いがはっきりと感じ取れていた。黒い体表という見た目だけの違いなど問題ではない。本来持たない筈の遠距離攻撃(ハウル)に加え、先程の一撃。通常の階層主であれば、更に深い位置にいるものであっても相当なダメージを与えていた筈の攻撃を受けてなお、全くの痛痒を感じさせない姿。それに加え、超大型の弱点とも言える、反応や初動の鈍さといったものが、これ(黒いゴライアス)には感じられない。更に厄介なのが、目の前の敵をただ襲うだけの17階層のゴライアスとは違う、知能の高さを感じられる動きからみても、この個体は17階層の階層主の上位互換というよりも、全くの別の個体として見た方が良い気がした。

 

「この強さっ―――レベル4どころではない。レベル5―――いや、まさか6に届く―――っ!?」

 

 最悪の予想を胸に、黒いゴライアスの意識を自分に向けさせる立ち回りをするリューは、振り回される巨大な腕を避けながら、苦い言葉を吐き出す。

 雄叫びを上げ振り回される破砕城の如き腕を避けながら、リューは絶望的な相手を前にそれでもと勝利のための糸口を探っていた。頭への一撃の後も、この巨人の攻撃を避けつつ幾度も攻撃を加えていたが、最初の一撃よりも力が入っていないとはいえ、脇腹や首、腹部等少しでも防御(装甲)が薄い場所はないかと攻撃をくわえ様子を見るも、全く通じている様子は見えやしない。

 その頑強さは異常なほどで、咆哮(ハウル)や巨体から繰り出される直接的な攻撃等よりも、よっぽど危険であると、リューはこれまでの経験から判断を下していた。

 しかし、そう思ってはいても、糸口どころか攻略の手掛かりの気配すら感じられない中、リューの中に溜まる焦りは増える一方で減る様子は全くなく。

 

「―――どうすれば」

 

 食い縛った口元から溢れた声には、隠しきれない焦燥が混ざっていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リューが黒いゴライアスの注意を引くように立ち回り、桜花と命が召喚されたモンスター達の相手をしている中、放り出されたモルドは、周囲を見渡しながら混乱する頭の中を知らず口から溢していた。

 

「なっ―――何で……?」

 

 黒いゴライアスに襲われた事や、集まってきたモンスターに取り囲まれた事に対する恐怖や混乱は勿論ある。だが、それ以上にモルドの頭を振り回したのは、自分が散々貶めなぶった筈の相手の仲間から助けられたという事実であった。

 あり得ないことであった。

 そんな事は、モルドにとって黒いゴライアスが現れた事(異常事態)よりも更に理解出来ないものであった。

 抱えられない混乱と、そして胸に渦巻く言葉にならないナニかに、逃げる事もせずに座り込んだまま動かないモルドの背に、突如衝撃が走った。

 

「何してるんですかっ! さっさと逃げて―――ってもういいですっ! 運んじゃいますからねっ!!」

「は? え? ちょ、あだだだだっ?!!」

 

 モンスターの攻撃かと、前転するように前へと転がり仰向けに倒れたモルドは一瞬パニックに陥りかけたが、直ぐに大した痛みを感じないことに気付き、声が聞こえてきた方向に顔を向けると、そこには嫌悪を丸出しにしたパルゥムの少女―――リリの姿があった。

 リリは見上げてくるだけで、立ち上がる様子のないモルドに顔をしかめると、その襟元を握り、そのまま駆け出していった。

 地面を削る勢いで引かれるモルドが、喉を締められる苦しさと背中に走る痛みに苦悶の声を上げるも、リリは逆に噛みつく勢いで文句を口にし、更に駆ける速度を上げる。

 

「ぎゃーぎゃー騒がないでくださいっ!」

「だからっ! 何で手前ぇらが俺を―――俺達を助けて」

 

 引き摺られながら、モルドは何とか襟元に指を入れると、若干の苦しさを感じながらもリリに胸に渦巻く何かに押されるように問いかける。

 

「……それはお人好しが過ぎるベル様に聞いてください」

 

 大の大人を一人引きずっているとは思えない程の速度で、集まってくるモンスターを避けながら走るリリは、モルドに目を向けることなく暫く無言でいたが、最後にはため息混じりの声で諦めたような声で答えた。

 

「っだから―――あのガキが……何で」

 

 肩を落とし、力なく引き摺られるモルドは、視界の端に、桜花や命、ヴェルフ、そしてベルが自分の仲間達を、つい先程まで貶め罵っていた相手を救う姿を目にし、苦しげな声で呻くようにして自問自答するように答えを求めた。

 

「……それがベル様だからですよ」

 

 悲鳴のような、押し殺した水気の感じられるその声を耳にしたリリは、ちらりとモルド一派に襲いかかっていたモンスターを斬り伏せたベルを見ると、修羅場の中にいるとは思えない程の柔らかな笑みを一瞬口元に浮かべ、モルドへと唯一の答えを返した。

 答えでない答えに対し、モルドは悪態の一つでもついてやろうかと口を開いたが、

 

「―――っ、くそっ……」

 

 震える口元から出たのは、弱々しい誰かに対する罵倒だけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リューがただ一人で黒いゴライアスの足止めをする中、ベルは周囲に集まってくるモンスターの相手をしながら逃げ遅れたモルド一派の救出に当たっていた。とは言え、混乱の中逃げ惑っていたとはいえ、18階層まで来れる程の実力はある者達である。ベル達の応援により、一瞬の落ち着きを取り戻した者もいたことから、モルド一派が草原地帯から逃げ出すのにはそう時間はかからなかった。

 問題はその後、襲う相手が減った事から、草原に集まってきたモンスターの狙いが、その場に留まっていたベル達へと定められることは自然な事であった。

 次々と襲いかかるモンスター。

 逃げ出せば、黒いゴライアスの注意を引いてくれているリューに向かうことは間違いなく。そうなれば、危うい均衡を保っていた戦いが一気に崩れるのは明白。そのため、ベル達は逃げる事も出来ずモンスター達の相手をしていた。

 まだ限界ではないが、苦しく先が見えない状況に、ベル達が焦燥を感じていた―――その時である。

 雄叫びと共に、薄闇の中でも見える程の土煙を立てながら近づいてくる集団が現れたのは。 

 

「あれって―――」

「ああ、街から応援が来たようだな」

 

 様々な武器を手にした男達が、駆け寄ってくる勢いをそのままに、モンスター達へと襲いかかる姿を目にしたヴェルフが、ベルに頷きを返す。

 

「これなら」

「とは言え、敵さんも減っている様子はねぇな」

 

 次々と倒され灰となって消えていくモンスター達の姿を目にしたベルが、見えてきた希望に声を弾ませるが、周囲を見渡したヴェルフが、森の中から次々と姿を現すモンスターの姿に、ため息と共に首を横に振る。

 ヴェルフの言葉に、後を追うように周囲を確認したベルが、焦りを噛み殺すように歯を噛み締めながら頷く。

 

「それは……だね」

「さて。で、お前はどうする? あいつら(桜花達)は寄ってくるモンスターの相手をしているが、俺もそれに加わろうかと思ってるが……」

 

 応援が駆けつけたとはいえ、敵の姿は減る様子は見えない。

 しかし、ベルに怖じ気づくような様子もなく、戦意は十分だと感じたヴェルフが、試すようにこれからの事について確認する。

 ヴェルフの言葉に、ベルは周囲で戦う桜花や命、何かを投げつけたりしてそのサポートをするリリの姿を見ると、一瞬目を瞑り自身の中の逡巡を振り切ると、目を開くと同時に口を開いた。

 

「……ごめんヴェルフ。僕は―――」

「はっ―――あっちも呼んでるみたいだしな。期待に応えて―――いや、目にもの見せてやれよなっ!」

 

 何処か申し訳なさそうな顔をするベルに、ヴェルフはこちらに顔を向け何かを叫んでいる応援に来た男達に視線を向けた後、不敵な笑みを浮かべると同時に相棒の背中を勢いよく叩いた。

 背中に走った痛みと衝撃にびくりと飛び上がったベルだったが、顔を向けた先のヴェルフの信頼の籠った目を前に、自然と浮き上がって来た笑みを顔に大きく頷くと、自分の二つ名を呼ぶ男へと向かって駆け出していった。

 

「うんっ! 行ってくる!!」

 

 

 

 

 

「はは―――来たな【リトル・ルーキー】! そんな武器であのデカブツを殺れると思ってんのか?」

 

 自分を呼ぶ声の眼帯をした大男の下へと着いたベルは、その強面の顔を歪めて笑う男のからかいの言葉に対し、言い返す事はなく必要な物を求めた。

 

「大剣はありますか?」

「使えんのか?」

 

 ギロリと、大男の一つ残った目がベルの全身を確かめるように見渡す。

 挑発するようなその声に対し、応えるようにベルは真剣な顔で返事と共に大きく頷いた。

 

「はいっ!」

 

 打てば響くような返事に、眼帯をした大男は同じく大きく頷くと、集められていた武器の山から大剣を取り出すと、ベルに向かって放り投げた。

 

「よっしゃ持ってけ!」

「行ってきますっ!!」

 

 飛んでくる大剣の柄を器用に受け止めると、確かめるようにそのまま投げ渡された勢いを殺さず一振りしたベルが、背中を向けて駆け出していく。向かう先には、今にも黒いゴライアスへと向かおうとする小隊の一つ。先程ベルを挑発するようにして呼んだ男達の小隊である。

 駆け寄ってくるベルに気付いた男達は、身の丈程ある大剣を肩に担ぎ、疾風のように駆け寄る姿にその口許を笑みの形に曲げた。

 

「おう来たか【リトル・ルーキー】!」

「はいっ!」

 

 迎え入れるように横一列に並んでいた中に、隙間を明けベルを入れると、左右から発破を掛けるようなからかいの言葉が向けられる。

 

「びびって逃げんじゃねぇぞっ!」

「大丈夫ですっ!」

 

 力強く頷くベルの背を、隣に立った男が叩くと、その勢いのまま黒いゴライアスへと目掛け走り出した。

 鎧を纏い巨大な武器を手にしているとは思えない動きで巨人の下へと駆ける彼らは、口々に声を張り上げ徐々にその大きさを増していく姿に比例し増加する怖じ気を振り払いながら走る。

 

「いくぞ手前ぇらっ! このまま一気に―――あ」

 

 その最中、唐突にベルを除いた全員が足を止めた。

 

「「「―――やっべ」」」

「へ?」

 

 一人足を止めず走るベルが、自分一人が巨人へと向かっていることに気付くと呆けた間抜けな声を上げた。

 まるでベルを罠に嵌めたような格好となったが、別に彼等にはそんな意図は全くなかった。

 ただ、彼等は長年の経験による勘が訴えてきた危機に対し、敏感に反応し足を止めたのだが、未だ新人から域を越えていないベルは察する事が出来なかっただけである。

 

『オオオオオオオオオオッ!!』

 

 彼等の勘が正しかったのは、直ぐに証明される事となった。

 取り残されたように一人巨人へと駆けるベルの目に、『咆哮(ハウル)』の予備動作である背を反らすゴライアスの姿が飛び込んできた。 

 今さら立ち止まっても、反転して逃げ出しても意味がないと一瞬にも満たない間に思考せずに反射的に理解したベルは、唯一の活路だと本能が叫ぶ方向―――前へと更に走る速度を加速させた。

 

「ッ―――あああっ!!」

 

 恐怖や迷いを振り払う時間もないまま、直後ゴライアスの『咆哮(ハウル)』が放たれる。

 悲鳴か気合いの雄叫びか、自分でも分からないまま声を上げたベルが、背に受ける衝撃で更に速度を加速させ辿り着いた

ゴライアスの足元へと目掛けあらゆる勢いを乗せた一撃を叩き込んだ。

 

「―――っ、硬、い?!」

 

 会心の一撃であった。

 しかし、返ってきたのは敵の悲鳴や手応えではなく。振るった大剣が上げた砕けた悲鳴だけであった。

 たたらを踏みながらゴライアスの足元を駆け抜けたベルが、驚愕を目に巨人を思わず仰ぎ見る。

 と、目があった。

 足元を駆け寄ってきた(ベル)に気付いたゴライアスが、雄叫びと共に足を振り上げた。

 咄嗟に逃げようと足を動かそうとしたベルだったが、先程の一撃で返ってきた衝撃が未だ残っていたのか、一瞬ふらついてしまう。それはその場では致命的な隙であり、ベルの背中に冷たい汗が流れた瞬間。

 

「全く無茶をする。あなたという人は……」

「リューさん!?」

 

 手を捕まれたと思えば、勢い良く後ろへと体を引かれた。

 眼前でゴライアスの巨大な足が壁のように突き立つのを目にし、危機一髪の状況に顔を強張らせたベルだったが、聞こえてきた呆れた、しかし安堵が含まれた声に慌てて顔を向けると、そこには覆面で顔を隠したリューの姿があった。

 

「あれの外皮に下手な攻撃は意味をなしません。精々気を引く程度です」

「っなら―――」

 

 ベルを逃がしてしまった事に気付いたゴライアスが、後を追おうと体を動かす前に、駆け寄ってきたアスフィがベルトから取り出した試験管を投げつけ気を引き付けた。

 その間にゴライアスから離れたリューは、ベルから手を離すと、逃げるよう促そうと口を開こうとした、が。

 しかし、目があったベルの瞳には恐れはなく、戦意に満ちている姿に下手な言葉では逆効果になると察したリューは、小さく諦めたように覆面に隠された口許に苦笑いを浮かべた。

 

「……今、後方で魔導士達が詠唱をしています。ですが、発動まで時間を稼ぐ必要があります」

「それって」

 

 逃げろと言われるとばかり思っていたベルは、予想外のリューの言葉に目を輝かせる。 

 そして、自分に向けられる期待の籠った声と目にしたリューは、近くに転がっていた誰かの大剣を拾い上げると、それを差し出しながらベルに背中を向けた。

 

「私の合図に従ってください。貴方の足なら付いてこれる筈です」

「―――はいっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 草原において、黒いゴライアスを相手にした戦いが始まってからどのくらい経ったのだろうか。

 始めに比べ、戦う冒険者達の顔に疲労はあるが焦燥はそこまで大きくはなかった。

 それは、一つ一つの攻撃の範囲と威力は強くとも、手足を使った直接的な打撃と『咆哮(ハウル)』による遠距離攻撃の二つしか攻撃手段を持っていない事から、時間がたつにつれ、パターンを把握した冒険者達の被害が減っていった事も理由だろう。

 だが、だからといって余裕があるわけではない。

 あちら(ゴライアス)の攻撃が当たらなくなってはいるが、こちら(冒険者達)がこれまで加えた攻撃では、此れといった効果が未だ確認できてはいなかった。

 この黒いゴライアスの厄介な点はそこである。

 攻撃よりも防御。

 その頑強さは、中層どころか下層、いや、下手すれば深層域の階層主にも迫りかねない力があった。

 例えそこまでなかったとしても、その闇のような黒い肌の防御力を突破したものは未だ誰もおらず、血を流させるどころか、傷の一つ刻み付けた者すらいない状況であった。

 その中にはレベル4であるリューの全力の一撃や、アスフィ手製の爆炸薬(バースト・オイル)の爆発ですら何ら損傷を与えられずにいた。

 これまでで一番ダメージを与えたのは、ゴライアスの『咆哮(ハウル)』を暴走させ自滅させたヴェルフの魔法だろう。

 故に、ゴライアスの相手を間近でするアスフィとリューの二人は、自身の手による打倒に執着することなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 冒険者の中で、最大の攻撃力を誇る砲台たる魔導士達の詠唱が終わるまでの時間を。

 そして、遂に彼女達が、否。

 この激闘の中にいる冒険者達が待ちわびた時間がきた。 

 

「でかいのが来るぞっ! 前衛の野郎どもはさっさと逃げやがれぇ!!」

 

 リヴィラの街を取り仕切る山賊の頭目のような雰囲気と見た目を裏切らない気性を持つ眼帯の大男たるボールスが、合図の声を上げた。

 響き渡る号砲たるボールスの声に反応し、ゴライアスの注意を引きながら巧みに包囲網の中心へと誘導していたリュー、アスフィやベルと前衛を張る冒険者達が、一斉に後ろへと駆け出していく。

 己を中心に弾かれるように離れていく冒険者達の姿に、ゴライアスが一瞬戸惑ったように逃げていく彼等の背中へ迷うように視線を向けていたが。直ぐにその向かう先に、今にも魔法を解き放とうとする何人もの魔導士や魔剣を構えた冒険者達の姿を目にすると、陥った自らの状況に気付きその赤い目を見開かせた。

 

『――――――ッッ!!?』

「よっしゃ!? これで最後だっ! ぶち殺せぇえええっ!!」

 

 そして、ボールスの指示に従い一斉に魔法が解き放たれた。

 炎、雷、水、風―――魔法によるもの魔剣によるもの大小種類と様々な限界まで高められた魔法が雨のようにゴライアスへと降り注ぐ。

 その衝撃はゴライアスの咆哮(ハウル)染みた衝撃波を周囲へと轟音と共に轟かせ、後方へと移動し状況を確認していたリューとその隣に立つベルの全身を震わせていた。

 まるで戦争のような魔法の一斉掃射を初めて目にしたベルが、そのあまりの威力と光景に身を揺るがす衝撃とは別の恐れにより身体を震わせる隣で、顎に手を当てたリューが何かを思案するように目を細めていた。

 そうして、長くも短くも感じられる魔法の一斉掃射が終わり、ゴライアスを中心に黒い黒煙が周囲に漂う中、あちらこちらから冒険者達の歓声の声が上がり始める。

 黒煙により良くは見えないが、所々から見える隙間から確認できるゴライアスは、敗けを認めるかのように膝を着いた姿勢のまま動く様子は確認できない。そして、周囲に草原には、魔法による攻撃によりダメージを与えた証拠である血や肉片が飛び散っていることから、あの強固過ぎる防御を貫いた事は明らかであった。

 そして、止めを刺そうと、周囲を包囲していた冒険者達が我先にとゴライアスへと駆け出していく。

 段々と大きくなる歓声と止めを刺さんと雄叫びが上がる中、ベルもまた勝利を確信し、歓声を上げようと口を開けた時であった。

 

「……っ、いや、まさか……そんなっ―――いけないっ!?」

 

 隣に立つリューから、驚愕と恐怖に震える声が上がったのは。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のを、微かに捉えたリューが、それを意味することが分からずとも、これまでの経験から発せられる警告が大音量で脳裏に響き渡る。

 

「え? リュー、さん?」

「全員下がれぇええええ!!」

 

 突然声を上げたリューに、ベルが状況を把握できず困惑の声をあげる。

 そんなベルに視線も意識も向ける余裕のないリューは、響く歓声と雄叫びに負けじと警告の声を上げる。

 しかし、その声は周囲の音に押され紛れ、ゴライアスへと駆け寄る冒険者達の耳には届かない。

 僅かな者にだけ届いたその警告の声を聞いた一人であるアスフィは、リューの視線を追うようにしてゴライアスを見て、怪訝な顔を浮かべていたそれを驚愕へと変えた。

 

「つ―――まさか、そんな馬鹿なことが―――」

 

 リューの視線の先。

 黒煙が晴れ、露となったゴライアスは、()()()()()()()()()を起こすと、足元まで近付いてきた冒険者達を睥睨した。

 

「自己再生だとぉお?!」

 

 最悪を目にし、冒険者の誰かが答えを口にした。

 負った傷が幻ではないと示すかのような、残光のように僅かに残った赤い光の粒子を振り払いながら、ゴライアスが両手を大きく頭よりも高い位置まで振り上げる。

 そして、初めて受けた損傷に対する怒りを込めた拳を咆哮と共に、状況をやっと把握し逃げ出し始めていた冒険者達へと向かって振り下ろした。

 ゴライアスの手の届く範囲に冒険者の姿はなかったが、それは決して安全地帯にいると言うことではなかった。

 地面へと叩きつけられたゴライアスの拳は、これまでにない威力であり。

 大草原の中心にて振り下ろされた鉄槌は、その衝撃を地面深くへと轟かせ。地面へと突き立つ拳を中心に放射線状の深い罅を大地に刻み付けると同時、円状に広がる衝撃波と大量の瓦礫が逃げる冒険者達の背中へと襲いかかった。

 数Mはあるだろう巨大な岩石が、文字通り数えきれない数となって周囲へと降り注ぐ。ゴライアスへと止めを刺さんと駆け寄っていた冒険者達は、背から受けた衝撃により地面に叩きつけられた後、大地に刻まれた峡谷の如きひび割れの中へとその大半が落ちていき、隆起する岩や大地に挟まれ潰され赤黒い血溜まりとなっていく。

 そして後方にいた魔導士達には、無数の岩石が襲いかかっていた。最悪な事に、攻撃が当たり勝利を確信していた彼等は油断し、ポーション等での回復を怠っていたことから、大量の魔力を消費したことによる消耗により咄嗟の回避が間に合わず、降り注ぐ岩石を避けきれず潰され弾き飛ばされる者が続出していた。

 

『ッオオオアアアアアアァァァッッ!!!』

 

 惨劇の中心に立つゴライアスが雄叫びを上げる。

 それは怒りの声か勝利の声なのか。その声に応じるように、遠く近くから未だ現れていないモンスターからの応答の咆哮が上がる。

 自身が作り上げた、己の胸辺りにまで届きかねない火口染みたクレーターの中心で、ゴライアスは周囲を見渡すと、ゆっくりと前へと歩を進め出した。

 向かう先には最も冒険者達の姿が確認できる位置。

 

「……包囲網が」

「どうすんだよこれ……」

 

 こちらへと向かってくるゴライアスの姿に、リヴィラの街の頭領であるボールスが周囲から上がる悲鳴のような声を前に、その身体を弱々しく震わせていた。

 腰を抜かしかけ、間もなく地面へと腰をへたり込ます間際、直ぐ隣から焦燥を感じながらも未だ冷静さを失っていない声を耳にしたボールスは、何とか踏ん張ると胸ぐらを掴む勢いでその声の主へと詰め寄った。

 

「出鱈目な再生―――これは魔力を燃焼させて……」

「おい本当にどうすんだよアンドロメダっ!?」

 

 唾を飛ばしながら顔を寄せてくるボールスに、しかめた顔を反らしながら怒鳴り返したアスフィは、ゆっくりと間もなく自身が作り上げたクレーターから出てきそうなゴライアスへと指を指した。

 

「どうもこうもありませんっ!? 私達には逃げ場はないんですよ! なら、あれをどうにかするしかありませんっ!!」

「そうは言ってもよぉ!?」

 

 涙目になりながら情けない声を上げ、アスフィにすがるような視線を向けたボールスが、力なく肩を落とす。

 そんなボールスを無視し、アスフィは前へ―――黒いゴライアスへと向けて足を踏み出した。

 

「ボールスッ! あなたは部隊を再編成して体勢を立て直しなさいっ!」

「立て直せって簡単に言うけどなぁ?!」

 

 背中を向けたまま、ボールスに指示を出したアスフィは、後ろから上がった泣き言のような抗議の声を無視すると、一気に駆け出していった。

 

 

 

 

 

 

『オオオオオオオオオオォォォッ!!』

 

 ゴライアスの声に応じ、草原地帯へとまた新たなモンスターが姿を現してくる。

 ぞくぞくと姿を見せるモンスターに、無意識の内に『ヘスティア・ナイフ』を握る手に力を込めるベル。

 

「っ、また!?」

 

 生き残った冒険者達が何とか応戦してはいるが、先ほどの範囲攻撃の被害は大きく。最低限の連携すら崩壊した戦いの中、じりじりと冒険者はモンスターに押されていた。

 

「リューさん……」

「……クラネルさん。貴方は他の者達と合流して、集まってくるモンスターの対処をお願いします」

 

 反射的に隣のリューへと視線を向けると、返ってきた答えにベルはしかし、直ぐに頷くことはなかった。自分に指示を出したリューの視線が、クレーターから出てこようとする黒いゴライアスと、それを妨害するように立ち回る一人の冒険者へと向けられていたからっだ。

 

「じゃ、じゃあリューさんは?」

「私はアンドロメダと合流し、あれを何とか押さえます」

 

 予想はしていたが、頑強さだけでなく、出鱈目な回復力を見せたゴライアスに向かうという言葉に、ベルの顔が苦く歪んだ。

 

「そんな―――無茶です!」

「無茶でもやるしかない。少しでもあれを止めなければ、被害は広がる一方だ」

「でも―――」

 

 幼子が手を引くような、そんな弱々しいベルの言葉に、覆面の下で耐えるように一瞬歯を噛み締めたリューは、振り切るように前へと足を踏み出す。

 そして、ベルへと背中越しに振り払うように叱咤の声を上げると共に、アスフィ()の応援へと駆け出していった。

 

「―――時間がありません。貴方もやるべき事に集中してくださいっ!!」

「っ、はい……」

 

 小さくなっていくベルの気配を背中に感じる中、リューは覆面に隠した口の中で小さく声を上げた。

 

「……御武運を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――リュー、さん……」

 

 あっという間もなく小さくなったリューの背中に目にしながら、ベルは何かを迷うように答えを欲するように名前を呼ぶが。今までのように返ってくる言葉はない。

 周囲を見渡せば、集まってくるモンスターと戦う冒険者達の姿が。

 前を見れば、黒いゴライアスの足止めに終始するアスフィと合流したリューの姿が。

 迷うように、その目が二つの分かれ道の間を揺れ―――定まった。

 

 ―――やるしかない。

 

 目を閉じ、開いたベルの目は、既に覚悟を決め、揺れる事はなかった。

 眼前に右腕を掲げ、己の最後の手段を引き起こす。

 【英雄願望(アルゴノゥト)】―――大型のモンスターでさえ、最短の蓄力(チャージ)で一撃で打倒し得るベルの切り札。

 最大に蓄力(チャージ)すれば、威力は跳ね上がるがその分体力、そして精神力も大幅に削られる諸刃の剣。今の消耗した身体では、一発打てば最早身動き一つ取れなくなってしまうだろう。下手すればマインドダウンを引き起こして意識すら失う可能性もある。

 どちらにせよ、この一発でどうにかしなければ、自分に出来ることは何もなくなってしまう。

 鈴が鳴り始め、右腕に白い光が集う中、焦燥に喉を鳴らすベルの頬を、一筋の汗が流れ落ちる。

 3分―――それがベルの【英雄願望(アルゴノゥト)】を最大に蓄力(チャージ)するまでに必要とする時間だ。

 たった3分。

 普段であれば、あっという間に過ぎ去る時間が、まるでその倍でも足りないほどに長く感じられる中、ベルの耳に、そして目には否応もなく周囲の光景が突き付けられていた。

 倒れ伏し、血を流す男の冒険者にすがり付く女の人。

 倒れた男の人の名を必死に呼び掛けるも、男は応えない。

 当たり前だ、身体の半分―――下半身がなくなって生きていられるような人はいない。

 大岩に辛うじて潰されなかった上半身にすがり付く女の冒険者の後ろでは、同じ【ファミリア】なのだろう。同じエンブレムを着けた男の冒険者が、泣きながら襲いかかってくるモンスターを防いでいる。

 やがて、モンスターの隙をついたその男の人は、死んだ恋人だったのだろう男の人にすがり付く女の人を無理矢理抱え上げると、その場から離れていった。

 肩に担がれた女の人が、亡くなった男の人のだろう名前を叫びながら遠ざかっている。

 彼等だけではない。

 似たような光景は、見渡さなくとも嫌でも目にはいってくる。

 血溜まりの中に倒れた。しかし微かに動いている女の人を背中に、襲い来るモンスターの前に立ち塞がる男の冒険者。

 撤退する仲間を背に、致命傷とわかる傷を受け、夥しい血を流しながら、それでも仲間が逃げるための時間を稼ごうとモンスターの前に立つ冒険者。

 例え目を逸らそうとも、瞼を閉じたとしても、その声は、悲鳴は、願いは、怒りは耳を、心を逃がしはしない。

 これが、現実だと突きつけてくる。

 消えていく命。

 それは、数多の物語の終演。

 彼ら彼女らは、モンスターひしめくこのダンジョンを潜り抜け、ここ(18階層)まで辿り着いた冒険者だ。ならば、この場にいる殆どの人が、レベル2へと至っている人たちだということ。

 つまり、その全員が神様さえ認める偉業を、少なくとも一つを乗り越えたという事だ。

 世が世なれば、もしかしたら歌に唄われたような人がいるのかもしれない。

 ひょっとすれば、僕が知らないだけで、【英雄】と呼ばれている人もいるのかもしれない。

 そんな人達が、まるで嵐の中の火のように次々と消えていく。

 誰にも知られず、語られる事もなく……。

 ひゅっ―――と、一瞬胸の奥底を冷たい風が吹き抜けた気がした。

 心の底―――魂を凍えさせるかのようなそんな冷たい気配を一瞬感じたけれど、それが何なのかわかる前に、短くも長かった蓄力(チャージ)が終わった。

 

 収束する白い光が収まるが、未だ小刻みに(チャイム)を響かせる右腕に力を込めると、ベルは駆け出していった。

 向かう先には、丘のように盛り上がった地面の前で、乗り越えようと迫る黒いゴライアスの相手をするリューとアスフィの下。

 (チャイム)を鳴らし、ベルは右腕から放たれる白い光で、薄闇の中に白い線を描きながら駆ける。

 近付いてくるその()と光に、黒いゴライアスの相手に何とか凌いでいたリューも気付き、一瞬の隙をついて音が聞こえてきた方向に何らかの予感を感じながら目を向けた。

 

「っ―――クラネルさんっ!?」

 

 何とはなしに気付いてはいたが、実際に目にすれば胸に去来するのは不安と焦り。

 口からでたのは悲鳴を含んだベルの名前。

 そのリューの様子と言葉に、釣られるように動いたアスフィの目に、(チャイム)を鳴らしながら駆け寄るベルの姿が映る。

 その姿に、小竜(インファント・ドラゴン)を一撃で倒したという情報を耳にした事があったアスフィは、黒いゴライアスの異様な耐久力とベルの奥の手の力を咄嗟に比較するが、結局結論は出ることはなかった。

 

「あれはっ―――賭けるしかないかっ」

 

 数瞬の逡巡の後、祈るような言葉と共にリューと共にアスフィはゴライアスから離れる。

 魔導士達の魔法の一斉掃射でさえ倒すことは出来なかった現状、打てる手は全て打たなければなかった。可能性があるとすれば、魔石か頭や心臓といった急所を砕くしかないが、下手な攻撃はゴライアスの防御を突破することは出来ない。 

 もう一度魔導士達の一斉掃射を、今度は頭部に集中して放てば可能性はあるが、黒いゴライアスはあの一斉掃射を受け、魔導士達に警戒を抱いたのか、あれから何度も『咆哮(ハウル)』を放ち魔導士達を執拗に狙っていた。 

 そうでなくとも、あの火山の噴火のようなゴライアスの一撃から生まれた流星群(メテオ・ストライク)のような岩石の雨を受けた魔導士達の中で、再度詠唱できる者は数えるほどしかいなかった。

 そんな中、駆け寄ってくるベルの話に聞く一撃は、か細くも確かな可能性が感じられた。

 アスフィは、駆け寄ってくるベルを止めようとするリューの腕を取ると、睨み付けてくる彼女に顔を左右に振ってみせ、そのまま逃げるように腕を引いた。

 

「リオンっ、気持ちはわかりますが今は逃げますよ!」

「っ―――クラネルさん」

 

 丘のように盛り上がった地面を走るベルは、ゴライアスから離れていくアスフィとリューの姿を確認すると、駆ける足を更に加速させた。

 地面を砕く勢いで駆けるベルは、あっという間に造られた丘の頂上へと辿り着く。

 目の前には黒いゴライアスの巨大な顔が。

 咆哮を上げようとしたのか、丁度口を開けていたゴライアスのその口は、自分の身体を一口で納められるだろう。その巨大な顔を前に、ベルは沸き上がる恐怖を雄叫びと共に吐き出すと白い粒子を放つ右腕を突き出した。

 

「【ファイアボルト】ぉおおおおっ!!!」

 

 直後、大きく開かれた口の中に飛び込んだ白い稲光は、ゴライアスの喉奥に突き刺さると同時、先の魔導士による一斉掃射にも匹敵する凄まじい爆音を周囲に轟かせながらその頭部を吹き飛ばした。

 巨大な光の柱となってベルの右腕から放たれた大炎雷は、頑強なゴライアスの頭骨を粉微塵に砕くに止まることなく、そのまま更に先へ。遥か先、18階層の端にまで到達すると、大きく壁を打ち砕き爆破させた。

 頭部を失ったゴライアスの身体が、力なく地面へと膝を着いた。

 その姿から力は感じられず、一見すれば決着が着いたようにも見える光景。

 だが、ベルの胸には会心の思いはなく、その反対に焦燥に染まっていた。

 

 ―――外した。

 

 ベルの本来の狙いはゴライアスの胸部。

 モンスターの絶対の急所たる魔石を狙ったものであった。

 魔石の位置は不明であったが、最大にまで蓄力(チャージ)した【ファイアボルト】ならば、ゴライアスの体でも大きく吹き飛ばせる可能性があった。

 それに賭けていたのだが、間近に迫ったゴライアスの恐怖に僅かに逸れた狙いが、想像以上のフルチャージの【ファイアボルト】の威力に体勢が大きく崩れ、放たれた大炎雷が砕いたのは頭部のみであった。

 地面へと膝を着いたまま、ゴライアスに動きはない。

 頭部を破壊されれば、例えダンジョンのモンスターでさえ活動できるものはいない筈。

 周囲で様子を伺っていた冒険者が、胸の奥で渦を巻く不安を振り払うように、僅かに見えた希望にすがるように信じ込もうとした時であった。

 ゴライアスの首元から噴火のように吹き上がる赤い粒子が立ち上ったのは。

 

「「「―――ッ!!?」」」

 

 言葉にならない悲鳴が周囲から立ち上った。

 衝撃もなく、また音もなく。

 ただ赤い光が立ち上る光景を前に、それが何を意味するのかに気付いた時には、もう遅かった。

 立ち上る赤い光の中で、まず白い骨が見えた。

 続いて、肉が、血管が、神経が骨へと纏い付き形を成していく。

 瞬く間に失われた頭部を修復させていくゴライアスは、最後に暗い眼窩の奥に赤い光を灯すと、ゆっくりと立ち上がり周囲を見渡した。

 赤い残光を纏い、完全に修復を終えたゴライアスは、誰が見てもわかる程の怒気に染まった目で己を一度殺した相手へとその視線を向けた。

 明確な殺意が込められた強大な怪物を前に、【英雄願望(アルゴノゥト)】と通じなかった事実と反動によるマインドダウン寸前体調から、指一つ動けないまま見上げるしかないベルへと向かい、ゴライアスは大きく口を開いた。

 

「逃げ―――」

 

 遠く、リューがベルへ駆け付けながら叫ぶ声が形になるよりも前に、ゴライアスの『咆哮(ハウル)』が放たれてしまった。

 衝撃波を伴う魔力塊は、ベルが膝を着く地面ごとその身体を吹き飛ばす。

 子供に乱雑に投げ飛ばされた人形のように、軽々と吹き飛ぶベルの身体は、高く宙へと放り飛ばされた後、地面へと叩きつけられた勢いのまま転がっていった。大小の石と土と共に転がるベルの身体からは、一切の力は感じられない。

 意識がないのか、抵抗する力がないのか―――それとも。

 それを目にした者の胸に、最悪の可能性が過る。

 

「クラネルさんッ!!?」

 

 悲鳴のような声は、しかし直後目にした光景に続く言葉を失ってしまう。

 丘のようになった草原の上を下へと転がり落ちたベルへと目掛け、身を乗り出したゴライアスが拳を高く振り上げていたのだ。

 命どころか形すら残さないとばかりの、怨念染みた執念を前に、リューの心胆が大きく震えるが、直ぐに救出のために駆け出した。

 しかし、既にゴライアスの拳は振り上げられており、後は降り下ろすだけ。

 いかなレベル4であり、『疾風』の二つ名を持つリューであっても、間に合うような状況ではなかった。

 だが、それでもただ見ているだけにはいかなかった。

 目に映る。

 しかし届かない光景を前に、リューの口から咄嗟に上がったのは、悲鳴だったのか、それともベルの名だったのか、それと他の何かだったのか。

 それは分からない。

 

『オオオオオオオオオオオオオォォォォォッッ!!!』

 

 降り下ろされたゴライアスの拳が、丘となった草原の一部を砕いた轟音と轟く雄叫びに、リューの言葉は掻き消されてしまったからだ。

 小さくも丘と言える隆起した草原の一部を一撃で砕くゴライアスの拳の直撃を受ければ、いかな相手であっても無事である筈がない。形すら残っていなくともおかしくはないそんな現実を前に、立ち止まってしまったリューが、噴石の如く空へと舞う草原の破片を呆然と見上げる中。

 

「ッ―――クラ、ネルさんッ?!」

 

 宙を舞う土塊に混じって吹き飛びながらも、まだ五体を残すベルの姿を見つけた。

 ゴライアスの拳は間違いなくベルのいた間近に降り下ろされた。例え僅かにそれたとしていても、鉄槌の如く降り下ろされた拳の破壊は容易にベルの身体を砕いていた筈だった。なのに、見える限りのベルの体に、欠けているものはない。

 その理由(答え)は、そのベルの傍にいた。

 ベルの間近。

 吹き飛ばされるベルの近くに、もう一つ人影。

 砕けた盾の破片を振り撒きながら、意識なく力が抜けた姿を見せるそれは、【タケミカヅチ・ファミリア】の桜花であった。

 あの一瞬。

 ゴライアスの拳が降り下ろされる間際、桜花はギリギリの所でベルの下へと辿り着いていた。

 しかし、ゴライアスの拳を盾で防ごうとしても、何の意味がないことは桜花も気付いていた。そのため、桜花は駆けつけた勢いのままベルの身体を捕まえると、そのまま駆け抜けると同時。ゴライアスの拳が丘を破壊した直後に地面を蹴ると共に、ベルの身体を自分の身体を盾として、至近から受ける衝撃と吹き飛んでくる岩石から守り抜いたのだった。

 即死を避けるぎりぎりの咄嗟の判断。

 それは決して間違いではなかったが、代償は大きかった。

 放たれた衝撃と吹き飛んでくる石や岩は、桜花の身体を容赦なく撃ち抜き砕いた。

 一瞬にして桜花の意識は失われ、固く掴んでいた筈のベルの体さえ何時の間にか手放してしまっていた。

 吹き飛ばされる二人の姿に、それを目にしたベルと桜花の仲間達の口から悲嘆の声が上がる中、ゴライアスの雄叫びが轟いた。

 

『オオオオオオオオオオオオオォォォォォ――――――ッッ!!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い泥濘の中に沈んでいるかのような、自分の身体さえ見えない闇の中に、僕はいた。

 目を開けているのか、閉じているのかさえわからない。

 指先一つどころか、瞼さえ動かす事が出来ずいる。

 いや、感覚でさえ最早感じられない。

 そんな中――――――声が、聞こえた。

 

 誰の、声なのか―――男のものなのか、女のものなのかさえわからない……。

 

 それが現実のものなのか、夢のものなのか、意識はあるのかないのか―――それさえもわからない暗闇の中に一人浮かんでいるような、沈んでいくような中……。

 

 誰かの、声が、聞こえる。

 

『―――何故、貴様は此処にいる』

 

 闇の中に、白いナニかが浮かび上がってきた。

 白い影に見える二つの黒い穴―――浮かび上がった白い髑髏は、僕を見つめて囁くように告げてくる。

 

『資質も資格も持ち得ぬ貴様が―――』

 

 出来るかも、と思っていた。

 僕なら、倒せるかもしれないと、そう、思っていた。

 だけど、それは結局僕の思い上がりでしかなかった。

 確かに倒せたかもしれない。

 それだけの力があったのかもしれない。

 でも、現実は理想(夢想)とは違う。

 崩れた不安定な足場、聞こえてくるモンスターの咆哮と、誰かが上げる悲鳴と怒声。

 たった一人で立ち向かう時の怪物の恐ろしさと心細さ。

 全力の一撃を撃つ際にかかる負担という、自分自身の力でさえ全くわかっていなかった。

 些細な、一つ一つならば問題にもならないそれが、幾つも重なることで大きく歪み、自分が望んだ結果に手が届かなくなってしまう。

 

『―――貴様は、英雄には成れん』

 

 白い骸骨は、溶けるように闇の中に沈んでいく。

 

 僕もまた、意識がどんどんと落ちていく。

 

 思考が鈍く、意識が薄れて……。

 

 もう、ナニモカンガエラエナ―――――― 

 

『『諦めない者』でしょうか―――』

 

 ふわり、と背中に暖かな風が抜けた気がした。

 

『―――自信を、持ってください』

 

 落ちていく背中を、そっと押してくれるように、言葉が、僕の身体を包み込んでくる。

 

『あなたの力が必要な時はきっとあります―――』

 

 指先一つ動かせず、凍りついたように冷えきった身体の中に、確かに今、何かが灯った。

 風もないのにゆらゆらと不安げに揺れるそれは、あまりにも儚く弱々しい。

 だけど、確かな暖かさがそこにはあった。

 

『―――ですが、全て一人でやる必要なんて、ないんですよ』

 

 声は、僕を抱き締めるように包み込み、言葉の一つ一つが胸に宿ったものへと薪をくべていく。

 少しずつ大きく強くなるそれは、血管を通る血のように、ゆっくりと僕の全身へと巡り始める。

 

『―――あなたの思いはどうなんですか』

 

 責めるような、逃げる事は許さないとばかりに、強い意思が籠った言葉が胸を打つ。

 真っ直ぐな、瞳と言葉が、僕を掴んで放さない。

 凍りついた身体を、叩き起こさんと打ち付ける言葉が、固まった泥濘(諦め)を打ち砕く。

 

 拳を―――握る。

 

 強く、強く。

 灯った火が消えないように、取りこぼさないように―――強く。

 

『―――語られぬ英雄になる覚悟はあるか』

 

 未だ燃え上がることが出来ないでいる火へ、吹き寄せる風のように。

 また、あの人の声が聞こえた。

 

『―――星の数ほど英雄はいる』

 

 ―――やっと、少しだけあの人の言葉が分かったかもしれない。

 ―――何人も、幾つもの命と物語が、あの時消えてしまったのを、僕は感じた。

 僕の知らない【英雄(冒険者)】。

 だけど、その人達の事を【英雄】として誰よりも知る人もきっといた筈だ。

 『私にとって、彼女達は皆【英雄】です』と言ったリューさんの【ファミリア】の人達のような、そんな僕の知らない【英雄】は、それこそ星の数ほどいるのだろう。

 その人達は、自分の友人に、仲間に、家族に、子供達にその【英雄】の事を語るのかもしれない。

 でも、それはやがて何時かは語られず、忘れ去られ、消えていくのだろう。

 どれだけ自分を賭したとしても、命を捨てて何かを成し遂げたとしても―――何もかもが忘れ去られてしまうかもしれない。

 自分という足跡を、遂には何も残せずに、消えていく―――それは、確かにとても……。

 

 じわじわと、指先からまた、冷たい氷のような(諦め)が忍び込んでくる。

 手足を掴み、底へと引きずり込もうと押し寄せてくる。

 胸に灯った熱に、翳りが―――――― 

 

 

 

 

 

 声が、聞こえる。

 

『―――ベル君』

 

 神様の、声が―――。

 

『―――ベル様』

 

 リリの、声が―――。

 

『―――ベル』

 

 ヴェルフの、声が―――。

 

『―――ベル君』 

 

 エイナさんの、声が―――。

 

『―――クラネルさん』

 

 リューさんの、声が―――。

 

 皆の声が、聞こえて。

 誘われるように、引き上げられるように僕は自然と目蓋を開いていた。

 深く重たく、冷たい泥濘のような闇が広がる向こう。

 星のように、輝く光が、二つ。

 

 月のように、黄金に輝く光と―――。

 

 太陽のように、紅く輝く光が―――。

 

 そこにはあって。

 凍りついた身体と意志を、その熱で溶かし。

 その光で、闇に道を示す。

 遠い。

 手を伸ばしても、決して届かないのはわかりきっている。

 どれだけ遠いのか、それすらも分からない。

 目指すべきではない。

 決して届かないのだから。

 嘲笑する声が、肌に張り付く泥濘から囁かれる。

 

 否定はしない。

 

 そんなこと、わかっている。

 

 そう、わかっている―――のに。

 

 僕の手は―――足は、前へと―――。

 

 二つ(二人)(英雄)へと向かって伸ばされていた。

 

 遥か遠い、果てで更に前へと進むあの人達の、背中へと向かって、僕は―――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ベル君っ!? やった! 目を開けてくれたっ!?」

「ベル様ぁあ!!?」

「かみ、さ―――ま? り、り……?」

 

 仰向けに寝ていると分かったのは、二人分の人影の向こうに、蒼い光を降り注がせる蒼い水晶の姿を目にしたからであった。

 僅かに開いた瞼の向こうに見える視界の中、霞んでいてもベルには自分の名を呼ぶ者が誰であるかは未だ定まらない思考の中でも理解できた。

 かさつきひび割れた唇を震わせながらその名を口にするベルに、ヘスティアは涙に濡れる瞳を苦しげに歪めながら顔を左右に振る。

 

「っ、喋らないでいい! 傷は何とか塞いだけど、まだ体力も精神力も何もかも回復していないんだ」

「どう、なって―――」

 

 起き上がろうとするが、微かに体が震えるだけで終わったベルの姿に、痛みを堪えるように歯を噛み締めながらも、ヘスティアはそっとその身体に手を添えると、激闘を続ける方向へと視線を向けた。

 

「―――っ、今は、彼女達が時間稼ぎしてくれている。けど……あいつを倒す算段がまだつかないんだ―――っ」

「な、ら―――」

 

 自分の身体の上に置かれたヘスティアの手が、自らのものが要因ではない震えである事に、気付いたベルが、何かの予感を感じ無意識のまま動かない筈の身体に力を込めた。

 その様子に気付いているのか、それとも気付いてはいないのかは分からないが、ヘスティアは改めてベルの顔を見下ろすと、身を引き裂くような思いが籠った声を落とした。

 

「……ベル君。今から僕は酷いことを言うよ」

「ヘスティア様っ!」

 

 ヘスティアが何を言おうとしているのか察したのだろう。

 リリがベルから視線を外すと、ヘスティアへと噛みつくような勢いで怒りと焦りに満ちた視線と声を向けた。

 

「ぇ?」

「こんな状態の君に言うことじゃない。それはわかっている。だけどもう、君にしか頼めないんだ。君にしか、出来ないん―――」

「―――、ぁ」

「―――だ、っ……」

 

 普段見ないリリのヘスティアへと向ける視線と声音に、ベルは思わず呆けた声を漏らしてしまう。ヘスティアは、しかしそんなリリに視線も意識も向けることなく、ただじっとベルを見下ろしながら祈るように言葉を向けた。

 力なく垂れ下がったベルの手を握るヘスティアの両手は、熱く―――しかしはっきりと震えているのがわかった。

 それが何を元にした震えなのかは分からないが、ベルは話を聞こうと返事をするが、未だ回復薬(ポーション)で傷は塞ぐも、未だ回復しきれない身体では言葉さえ紡ぐのは難しかった。

 その姿に、続ける言葉を思わず飲み込んでしまい、そのまま逃げるようにその視線はベルから外れてしまう。

 しかし、その続きを口にする()が現れた。

 

「―――そう、君にしか出来ない事があるんだよ」

 

 ベルの天井を見上げる視界の中に、もう一つの人影が加わった。

 膝を着いて、ベルに寄り添うような格好のリリとヘスティアの後ろに立ち、覗き込むように身体を伸ばして見下ろしてくるのは、アスフィの主神であるヘルメスであった。

 

「っ、ヘルメス!?」

「ヘスティア。もう、迷うような時間すらない。君は、どうするベル君?」

 

 非難と怒り、そして若干の後ろめたさが含まれたヘスティアの声を、切り払ったヘルメスは、無知な者を唆す蛇のように、暗い道の上を導くかのように、ベルへと囁く。

 

 君は、どうする? と。

 

 戦わないのか? と。

 

「ぼ、くは―――」

 

 地に伏し、空を仰ぐ敗北した己の姿を恥じるように、悔やむように身体を震わせるベルは、そのヘルメスの言葉に応えるよう、その傷ついた身体に力を込めようとする。

 しかし、力を入れる端から、流れ落ちるように抜けていく活力。

 どれだけ立ち上がろうと猛ろうとも、尽きた身体は一切の反応を見せてはくれない。

 それでも、なおも立ち上がろうとするベルの姿に、リリも、ヘスティアも何も言えず。

 期待に口元を緩めるヘルメスが見下ろす中。

 

 ―――声が、響いた。

 

「―――惑わすな、落ちた神如きが」

「「「―――ッ!!!???」」」

 

 悲鳴が、怒声が、モンスターの雄叫びが響く戦場の中。

 その声はまるで抜けるようにヘスティア達の耳へと届いた。

 だが、突然の声よりも、その声が聞こえた瞬間に生じた気配にこそ、ヘスティア達は驚愕した。

 

「なっ、んだい君は……」

「モンスター、いえ、しゃべった、から―――人? でも、これは―――」

「―――はっ……っ―――誰だい君は」

 

 咄嗟に上げた顔の先に、それはいた。

 間近にいる、ベルの足元に立つ黒い影。

 手を伸ばせば届きかねないその位置に、いつの間にかそれは立っていた。

 大きい。

 身長は2Mはあるだろうか。 

 その身体の大半を黒いローブで隠す中、唯一露になっている顔は、髑髏を模した白い仮面を被っていた。

 死が満ちるモンスターと冒険者が争う地獄絵図染みた草原の中、蒼い闇に佇むその姿は、神の目であっても、まるで死神のように感じられた。

 だがそれは、その姿故にではなく。

 身に纏う不吉さと、それ以上に濃密過ぎる【死】の気配故に。

 しかし、何よりもヘスティアとヘルメスを困惑させたのは、その姿形や、全く気配を感じさせないその様子ではなく。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()事であった。

 【人】と【神】は違う。

 【人】は【神】を。

 【神】は【人】を見間違える事はない。

 例外は確かにあるが、【神】が目の前の者を【人】かどうか分からない事などない―――筈なのに。

 今、ヘスティアとヘルメスは、眼前に立つそれが、【人】なのか【神】なのかすら分からないでいた。

 混乱するリリや、初めて見る未知に対し、無意識に問いかけるヘスティアやヘルメスを無視し、その死神のような存在は、ただベルへと選択を持ちかける。

 

「―――選べ」

「ぇ?」

 

 混乱しているのはベルも同じであったが、しかし、消耗した肉体と精神が、深く考える力さえ奪っていたことから、幸か不幸か混乱することはなかった。 

 そんなベルに向かって、黒い影は、取引を持ちかける。

 

「貴様が、今、ここで助けを求めるのならば、私がアレを殺そう」

「!?」

 

 18階層に満ちる地獄の元凶を打ち倒そうと。

 何でもないことのないように、確かな確信を持った声で告げてくる。 

 

「なっ!?」

「何をっ!?」

「私の全てを賭け、あの巨人を殺すのを約束しよう」

 

 否定と疑問が含まれた声が上がる中、黒い影は周囲から上がる声を無視し更に言葉を紡ぐ。

 

「貴様がただ一言『助けてくれ』と言うだけで良い」

 

 腰を曲げ、その白い髑髏の面をベルへと近付かせながら、囁くように告げてくる。

 

「それだけで、私が貴様を救ってやろう」

 

 悪魔のように、悪辣な商人のように―――されど何ら感情を感じさせない声音で告げるその声は、しかし続けてその代償についても語った。

 

「だが、その場合、今後貴様は冒険者から身を引け」

「なっ―――お前は何を―――っ、ぁ」

 

 告げられた代償に、ヘルメスの目が据わり黒い影へと声を上げようとしたが、視線も向けることなく。ただ、殺意の念を首に突き立てられたヘルメスは、首を絞められたかのように喉を押さえながらその場に蹲る。

 まるで神の怒りに触れた人のように、意思だけでヘルメスの言葉を封じた黒い影の姿に、警告するように首元に触れた冷たい殺意に、リリもヘスティアもただ固まるしかなかった。

 

「一切冒険者に関わらず、【英雄】を夢見ることなく一生を過ごすと誓えるのならば、助けを求めろ」

「っ―――ぅ」

「さあ、どうする」

 

 余分な者を黙らせた黒い影は、見下ろすベルから視線を動かさずにただ求める。

 ベルの答えを。

 何を選ぶのか、を。

 平坦な声からは、何の感情さえ感じられない。

 では、何故、この男はこんな事をしているのか。

 

「早く選ばなければ、それだけ多くの命が潰えるぞ」

 

 ただ呻き声のような声しか漏らさないベルを急かすかのように、男は答えを求める。

 その姿に、口を挟むことが出来ないでいるヘスティア達の口から、それぞれの思いを胸にベルの名を呼ぶ。

 

「……ベル君」

「ベル様……」

 

 ヘスティアも、リリも一番大事なのは何よりもベルの命であるのは間違いなかった。

 ベルの夢を知る二人ではあるが、それで命を落とす事は良しとは決して思ってはいない。

 だからこそ、もし、この男の言う言葉が本当ならば、という思いがあった。

 だが、ヘルメスは違った。

 ある思いを胸にこの場にる彼には、ここでベルに折られては納得出来ないでいた。

 

「ぼ、くは―――」

 

 だからこそ、迷うように震えるベルの瞳を見た彼は、我を忘れつい叫んでしまった。

 

「やめろベル君っ!? 君は―――」

「―――黙れ」

 

 だがそれは、先程とは比べ物にならない殺意により強制的に閉じられる事となった。

 

「「「―――ッッ!!??」」」

 

 決して大声でも荒げた声でないにも関わらず、男から発せられた言葉は氷の刃となってヘルメスの言葉を封じ、その波紋だけでヘスティアとリリの心胆を震わせた。 

 再度の警告を無視したヘルメスに、初めて男の白い骸骨の面が向けられる。

 

「私は、この小僧と話をしている。貴様は口を挟むな」

 

 底無しの穴のような眼窩の向こうに感じる視線に、ヘルメスが『死』を感じた時であった。

 

「―――て―――さい」

 

 声が、聞こえたのは。

 

「何だと?」

 

 その声に、男はゆっくりと視線を下へと、ベルへと向けた。

 

「―――て、ください」

 

 今にも意識を失いかけているのだろうか、ぼんやりと揺れるベルの視線は、自分を見下ろす男の姿を捉えてはいないのかもしれない。

 擦りきれた声は、その身体と同じくぼろぼろで、間近にいても途切れ途切れにしか聞こえなかった。

 

「……はっきりと口にしろ。貴様は―――」

 

 だから、男が改めて答えを求めるため、ベルに言葉を向けたのだが、それは先程までの感情を感じさせない平坦なものではあったが、微かにだが、確かに苛立ちのようなものが混じっていた。

 それが何が理由としたものかは分からないが、落胆めいた雰囲気を微かに感じさせる男の声に、しかし返ってきた声は―――

 

「っ―――手を、貸してくださいッ!!」

「―――っベル君!」

「ベル、様ぁ!」

「―――はは」

 

 『助けてください』というすがるための言葉ではなかった。

 ヘスティアの、リリの、そしてヘルメスの安堵や歓喜、苦笑や若干の悲しみが混じった声が上がる中、初めてはっきりとわかる、戸惑いが含まれた声が聞こえた。

 

「貴様、何を―――」

「手を、貸してください」

 

 疑問の声に応えるように、ゆっくりとベルは身体を起こしていく。

 自分を見下ろす白い髑髏を見つめる瞳に、震えはない。

 

「たし、かに―――僕は、あなたが言ったように、英雄になるための『資質』も、『資格』も何もないのかもしれない」 

 

 力およばず敗北した。

 振り上げた拳は届かず、身体は地へと叩きつけられた。

 

だけど(・・・)っ!! ()()()()ッ!!」

 

 おじいちゃんの声が、言葉が聞こえる《甦る》。

 豪快な笑みを浮かべ、自慢気に笑い語るのは、数多の【英雄】の背中《物語》。

 その中には、僕が後を追う二人の背中もあって。

 気付けば、僕はその背中を追うように駆けていた《立ち上がっていた》。

 眼の前には、立ち塞がるようにあの男の人がいて。その背中の向こうでは、今もリューさんや他の冒険者達が戦っているのが見える。

 それを目にした僕の口から、気付けばその言葉が放たれていた。

 

「僕はッ!! 英雄になりたいッ!!」

 

 誰かの息を飲む音が聞こえた。

 だけど、そんな事に気にしているようなそんな心地はない。

 その言葉を口にして、僕は気付いてしまったから。

 違う、と。

 ()()()()()()()じゃない―――

 

「っ、違う―――そうじゃないっ」

 

 僕は、もうとっくの昔に選んでいたんだ。

 あの日。

 あの時。

 伸ばされた2つの手に。

 その背中に憧れて―――僕はとっくの昔に走り出していたんだ。

 

「僕は―――僕はっ!」

 

 だから、違う。

 英雄になりたい―――じゃ、ない!!

 僕は―――

 

「英雄に成るッッ!!!」

 

 冷え切っていた身体が、今はもう、燃えるように熱い。

 いけっ! いけっ! と張り上げる内から上がる声が、僕の背を押し足を前へと進ませる。

 

「今、ここでっ!! 僕は英雄になるっ!!」

「貴様……」

 

 眼前のあの人が、何処か悔しそうな、だけど微かに弾んだ声を上げる。それが何を意味しているか分からないまま、僕はそのまま勢いに任せて声を上げる。

 

「だけど、今の僕じゃ、何もかも足りないのもわかっているんです」

 

 手を、伸ばす。

 

「だから、時間を、僕にください」

 

 それは、縋るためのものではなくて。

 

「手を、貸してください」

 

 自分の足りないものを知りながら、それでもと立ち上がる意志と共に伸ばされた決意の証。

 頭を深々と下げ、手を伸ばす。

 

「―――何を言っているのかわかっているのか」

「都合の良いことを言っているのはわかっています。だけど―――」

 

 永遠にも感じた無言の時が過ぎ、返ってきたのはあの感情が感じられない平坦な声で。

 振り払われないよう、咄嗟に上げた声と顔の前で、変わらずあの人は僕を見下ろしていて。

 だけど、感じるその視線には―――

 

「やれると言うのか、貴様が。あれ(巨人)を倒せると」

「はいっ!!」

 

 視線に込められたものが何なのか分かる前に、あの人から向けられた言葉にとっさに頷く。

 

「あれほどやられたにも関わらず、よくも吠えられるものだ」

「はいっ―――だけど僕は―――っ!!」

 

 呆れたような声に、反射的に声を上げた僕は、

 

「…………そう、か」

「え?」

 

 そこで、返ってきた声に感じたそれに、先程の視線に込められた感情を理解した。

 

「どれだけだ」

「は―――え?」

 

 その、思ってもみない答えを唐突に知った僕が、思わず惚けていたため、その問いかけに咄嗟に答えられなかった。

 

「どれだけ時間がほしい?」

「っっ!!? 少なくても三分以上はっ!!」

 

 その問が意味することを理解し、反射的に上がりかけた声を何とか押し込める事に成功した僕は、慌てて必要な時間を伝えた。

 

「ふんっ。早く終わらせることだな。でなければ、私が終わらせてしまうぞ」

「―――待ってくださいっ!」

 

 必要な時間を知り、暴れるゴライアスへと向かわんと身体を向けようとしたあの人の姿を目にした時、知らず僕の口からは制しの言葉が出ていた。

 

「なんだ?」

「どうし―――っ、あなたは―――あなたは一体誰なんですかっ!?」

 

 訝しげに傾けられた白い髑髏の面を前に、思わず口を噤み掛けたけれど、必死に開いた口から出たのは、ずっと―――この人に助けられてからずっと知りたかった事で―――。

 

「―――っ、名前を、あなたの名前を教えてくださいっ!!?」

 

 僕の声に、言葉に、その人は何か驚いたように身体の動きを止めると、ゆっくりと、何かを確かめるかのように自分自身の身体へと目を落とした。

 

「私の、名前―――」

 

 そして、噛み締めるように、震える声で何かを呟くと、空へと、蒼い光を降り注がせる水晶を見上げた。

 

「っ、ぁあ―――私の名、か」

「あ、あの―――」

 

 僕の言葉の何が、この人をここまで反応させたのかはわからなかったが、明らかに普通じゃない雰囲気に、思わず声を挟もうとした時だった。 

 この人が、自らの姿を隠していた黒いローブに手をやったのは。

 そして、首の辺りで掴んだローブを、戸惑う僕たちの前で一気に脱ぎ去った。

 

「「「―――ッ!?」」」

「いいだろう。ならばその目で、耳で、我を知り、そして刻め―――」

 

 彼の声が響く中、僕達の口から言葉もなく上がったのは、恐れの悲鳴だったのか、それとも驚嘆の声だったのか。

 露になった黒いローブに隠されていた身体は、僕の―――僕達の想像を遥かに越えた光景だった。

 一見すれば、痩身のように見える身体は、その線がハッキリとわかる、肌に張り付いたような不思議な黒い服で隙間なく隠されていた。痩身―――なのだろうか、骨の浮き上がり、筋の形すらはっきりと見えるその姿からは、力強さは感じられない。

 だけど、だからといって弱々しいという印象は全くなかった。

 むしろその逆。

 近寄りがたい恐ろしさ、怖さがあった。

 細身の身体から伸びる手足もまた、長く細く。

 特に両の手は、普通の人よりも確かに長く。

 目を引くのは右手。

 左手よりも一回り―――いや、二回り、三回りは太く見えるのは、ぐるぐると黒い布で何十にも巻き付けているからだろう。

 近付く処か、目を向けることさえ不吉を感じ、忌避を抱かせるこの感覚に、僕は何処か覚えがあった。

 ああ、これは蟲だ。

 それも危険な、一刺しで人を簡単に殺す蟲を目にした時に感じたそれに近い。

 何も知らずとも、見ただけで危険だと感じるその不気味さは、致死の毒を抱く蟲に感じるそれが近かった。

 特に、あの布で何十にも巻かれた右腕が、恐ろしい。

 僕が―――僕達が声もなく見入る中、彼は朗々と声を上げていた。

 宣言するように。

 訴えるように。

 誇るように。

 己という存在を、僕に、神様達に―――世界に刻み込ませるように。

 

 高らかに―――吠えた。

 

 

 

 

 

『―――あなたは一体誰なんですか』

 

 この少年が―――ベル・クラネルが私に向かってそう口にした時、私は一瞬その答えが浮かばなかった。

 

『あなたの名前を教えてください―――』

 

 名を聞かれた時に、浮かんだものは、一体()()()()()()()()……。

 己の事でありながら、わからなかった。

 私は一体何者で、誰なのか―――その答えが、わからなかったのだ。

 足元が揺れ、己の存在が揺らいだ一瞬―――救いを求めるように仰ぎ見た(天井)から降り注ぐ蒼い光を目にした時、私は、確かに何かを見た。

 遠く、揺らぐ幻影のような影。

 朧なその向こうに見えたのは、幾人もの白い髑髏の面。

 『山の翁』であることを証明するその面を被った、幾人ものその影の向こう。

 一番奥に見えたその影と―――彼らの中に立つ己を見つけた時、私の口は自然と開いていた。

 

 そうだ。

 

 私は―――っ

 

 私こそは―――ッッ

 

「我こそは【暗殺者】の祖に連なりし一人にして、暗殺教団教主たる『山の翁』―――っ!!」

 

 曲げていた背を大きく反らし、長い両腕を一杯に広げて私は叫ぶ。

 不吉を纏い。

 死を押し込めて型どったこの身を誇るように。

 

「魔神の腕を奪い、数多の英雄の心臓を抉り、魔物を屠ふりし我こそは―――」

 

 全てを捨て、賭けて。

 

 足りぬ己が才と力に絶望しながらも諦めず、ただ我武者羅に求め、血肉を削り辿り着いた頂き。

 

 望んだ、願ったそれとは違うと知り、絶望に落ちたが―――それでも、私は―――。

 

 私こそが――――――っッ!!

 

 

 

「【ハサン・サッバーハ】」

 

 

 

 この世界に。

 

 我ら(ハサン)を知らぬ世界に―――。

 

 (ハサン)を知らしめる―――っ!!

 

 

 

「―――【呪腕のハサン】であるッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。
 
 気づけば3万文字。
 一話でこれは初めてかも……。
 次話ですが、もしかしたら来週の投稿は難しいかもしれません。
 なので、もしかしたら更新は一日ずれるか、最悪一週間ずれるかもしれません。 
 もしそうなった場合はすみません。
 一応次で決着、その次がエピローグの予定です。
 次話の題名はもう決めています。
 「暁鐘は英雄に、晩鐘は怪物に響く」です。


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第七話 暁鐘は英雄に、晩鐘は怪物に響く―――

 お待たせしました。
 


 何時―――からだろうか…… 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()……

 ハッキリと、私がそれを自覚したのは、17階層と呼ばれる場所へと足を踏み入れた時だった。

 ……いや、それは正確ではない。 

 正しくは、あの鐘の音を聞いた時だ。

 あの鐘の音……。

 遠く、近く響く鐘の音……。

 聞き覚えのないそれに、何故か私は懐かしさを感じていた。

 それは、あの―――最早朧気で、輪郭さえ定かではなくなった、ナニかを見た想いがそうさせるのだろうか……。

 それこそが、私がこの少年にこうまで拘る理由なのか……。

 そう……自分自身の事でありながら、私は自分の行動が理解できないでいた。

 私が己がハサンである事を理解(思い出した)したのは、あの鐘の音を聞いた時。

 気付けば、私はあの少年を襲っていた巨人を殺していた。

 そこまではいい。

 気まぐれでも、己を取り戻す切っ掛けとなった恩を返したという理由でも良かった。

 そこで、終わっていれば、であれば……。  

 何故か、私はそれ以降もその少年を、ベル・クラネルの後を離れようとはしなかった。

 何故?

 この少年が、アレと同じ【ファミリア】と呼ばれるものに所属していたからか?

 いや、私が特にアレに気を配る理由はない。

 逆に、離れるのは兎も角、自分から近付く理由など無かった。

 では、何故……。 

 何故、私はあの者から離れようとはしなかったのか。

 それが、分からなかった。

 なのに、私はあれ以降も何かがある度に、ベル・クラネルの前に姿を晒し、手を出すだけでなく、余計な事まで口にする始末。

 一体、何故……。

 

 

 

 ……目覚めた時から時折見る、不可思議な幻影。

 それが、私ではない私の物語である事は、何時からか気付いてはいた。

 その世界の私は、私の知る私とは、余りにも違った。

 何が違うのか……それは……ああ、それはっ―――。

 

 

 

 ……私は―――私が聖杯に望むのは、私が私として歴史に名を残すこと……。

 歴史に己を刻む事を望み、【ハサン】に至るも、望むそれとは全くの真逆のそれであると理解し、絶望し、故に私は聖杯にそれを望んだ。

 それが私だ。

 そのような俗物が己だ。

 恥知らずにも程がある。

 だが、それでも私はそれを求めることをやめられなかった。

 そのために、例え外道とわかる老人(魔術師)とさえ手を組んだ。

 嫌々ですらなく、嬉々として『共に永遠を目指そう』と……。

 結局は、私もあの老人(魔術師殿)も、願ったモノは手に入れる事は叶わず。

 その命を散らすはめとなったが……。

 しかし、二度と()()()()()()()()()()()()()()()と思いながら消えた意識が、このような所(異なる世界)で目覚める事になるとは。

 そういった特殊な事情による弊害なのか、あちら(元の世界)にいた頃には、一度も経験することのなかった白昼夢の如き幻影(他のハサンが経験した記録)を見ることになったのは……。

 ああ、何もかもがわからない。

 己の事だというのに、何も分からずにいる。

 

 

 

 何故、私はあの小僧(ベル・クラネル)を気に掛けるのか。

 何故、私はあのような()()を見るようになったのか。

 何故、私は―――あの私(私ではない私の記録)は、()()()()()()()()()()()()……。

 

 

 

 そう、()()()()()―――あんな風に、何故、(ハサン)は誇らしげに戦えていたのか……。

 

 わからない―――わから、ない……。

 

 ―――……いや……だから、なのか?

 

 ()()()()()()()()()()()()()……?

 

 わからないからこそ―――わかるため―――知るために―――知りたいからこそ、私はベル・クラネルを気にかけた、のか?

 

 わからないからこそ、自分で自分を不合理だと笑いながら、意味のないことだと嘲りながら、それでも何度も手を伸ばした理由が……。

 

 きっかけは何であれ、最初に私が動いた理由であるベル・クラネルを知ることで、私の中に生まれた()()かを知ることが出来るかもと、自分でも知らず手を伸ばしていたのか……。

 

 ……全く……我が事ながら、何とも馬鹿らしい事だ……。

 

 ―――だが。

 

 幸いなことに―――。

 

 ああ……どうやら()()()()()()()()()()()()

 

 未だ確たるモノはない。

 

 言葉にして頷けるようなモノはない。

 

 だが、それでも私がそう納得できるのは――――――。

 

「――――――はっ」

 

 声が聞こえる。

 

「はは―――はっ―――」

 

 心がわかる。

 

「ハハハハ―――ハハハっ!!」

 

 抑えきれず溢れ出る哄笑が、心臓が破けんばかりに鳴り響く沸き上がる鼓動が。

 

「ハハハハッハハハハッハハ―――」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――リオンっ!?」

「っ、またっ!?」

 

 暴れる黒いゴライアスを押さえ込める者は、最早何処にもいなかった。

 下手な魔法も高レベルの前衛の冒険者による一撃ですら痛打に成り得ぬ耐久力に加え、頭を丸ごと吹き飛ばされても復活する出鱈目な回復力を前に、それでもと立ち上がれる者は少なかった。

 その僅かな例外である二人。

 アスフィとリューの二人は、互いにフォローしながら何とかゴライアスの足止めに努めていたが、それも殆ど意味を成すことはなかった。

 二人の攻撃が己に通じぬと知っているためか、やがてゴライアスはアスフィ達の攻撃を無視し、周囲に見える魔導士達を狙って襲いかかっていた。

 そして今もまた、リュー達の攻撃を無視し、背をそらせる『咆哮(ハウル)』の予備動作を見せつけるかのように見せてくる。

 

「全員離れなさいっ!!」

「どうするっ、どうすればいい―――このままではっ」

 

 ゴライアスが顔を向ける先―――『咆哮(ハウル)』の向けられる先にいた冒険者達に大声で避難を叫びながら、リューの隣では、頭を抱えるようにしながら走るアスフィの姿があった。

 出来るだけ遠く、攻撃の進路から外れるように走る中、ぶつぶつと呟きながら焦燥に駆られるアスフィに対し、発破を掛けようとしたリューだが、背後から感じる魔力の高まりに気付き、反射的に注意の声を上げる。

 

「アンドロメダっ!? 来るぞッ!!」

「まったく―――っ、少しは考える時間ぐら―――ぇ?」

 

 リューの声に、顔をしかめながら伏せるか、それとも何処か物陰に隠れるか一瞬の思案を浮かべたアスフィの目に、あり得ない光景が飛び込んできた。

 思わず走る足の速度を緩めてしまう程の驚きは、しかし、直ぐに別の驚きをもって塗り替えられることになる。

 

「何だ―――だれ、だ?」

「速いッ!!?」

 

 遠く、黒い点にしか見えなかった影が、リューの驚愕の声と共に、その姿を次第に詳細に描き上げていく。

 みるみる内に大きくなるその姿から、こちらに向かって駆け寄る者の速度は、かなりの高レベルの者だと思われたが、アスフィの知る中に、それに該当する者の姿は何処にも見当たらなかった。

 

「馬鹿なっ!? 突っ込むつもりか!? 一人で、無茶だっ!!?」

 

 あっと言う間もなく近付いてきたその人物が、勢いを落とすことなくそのまま真っ直ぐに、今にも『咆哮(ハウル)』を放とうとするゴライアスへと向かっている。

 

「速い―――けれど、間に合わないっ!?」

「【咆哮(ハウル)】が―――」

 

 『咆哮(ハウル)』が放たれる前に、何かをするつもりか、と推測したアスフィ達であったが、既にゴライアスの準備は終了。後は放つ段階にあり。最早どのような手を持っても先手を打てる事は不可能。

 瞬後の惨劇を幻見し、上げかけた悲鳴を飲み込んだ二人の耳が、場違いなそれを拾った。 

 

「ハハッ―――ッカカカカカカッッ!!?」

「笑って―――気が狂ったのか―――っ?!」

「―――来るッ!!?」

 

 微かに聞こえた声―――笑い声に、リューの歯が強く噛み締められる。

 絶望的な状況に狂い、モンスターの群れなど、これまで見てきた、経験してきた『死』へと自ら落ちていく者達の姿を思い返し、リューの顔が苦々しく歪む。

 そして、同時にアスフィの警告の声が上がった。

 

『アアアアアアアアアアアアアア―――』

「「―――ッッ!??」」

 

 魔力塊と共に凄まじい衝撃波が周囲へと襲いかかる。

 ゴライアスの口から竜巻が吐き出されたかのような暴威が周囲を叩き潰し、吹き飛ばし、切り刻む。

 暴力の塊。

 アスフィは見た。

 最後の瞬間―――影のような黒い人影が、真っ直ぐに放たれた『咆哮(ハウル)』へと向かって飛び出したのを。

 そうなれば結果は見らずともわかる。

 反射的に背けたアスフィの目に、刻まれ潰された()()が幻視され―――ゴライアスの嗜虐に満ちた咆哮が周囲に響き―――。

 

『アアアアアア―――ッガゲェ、アッ??!』

「っな!!??」

「―――え……なに、が……?」

 

 ―――渡る事はなかった。

 代わりに、ゴライアスの口から濁った悲鳴が上がっただけであった。

 驚愕に見開かれたリューとアスフィの視線の先で、ゴライアスの首元から出血が上がっていた。

 

「ッカカ―――姿形は同じなれど、やはり違うか―――()()

 

 ゴライアスの背後、丁度後頭部の少し上の辺りに、先程駆け抜けていた男の姿があった。

 宙でくるりと身体を反転させ、苦しむ、というよりも混乱するゴライアスの背中を、男はその白い髑髏の面に隠された目で見下ろしていた。

 アスフィは顔を背けていたため見てはいなかったが、リューは見た。

 あの瞬間。

 自らゴライアスの『咆哮(ハウル)』へと飛び込んだ後、あの髑髏の面を被った者は、吹き上げる衝撃波の上を、まるで風を受けて走る船のように滑って行ったのを。

 そしてそのままゴライアスの眼前まで至ると、その勢いのまま首元へと向かい。手に持った短剣で深く首を切り裂きそのまま飛び抜けたのだ。

 一体どのような方法をもってあの衝撃波から身を守るだけでなく、ゴライアスの眼前まで移動できたのかは不明ではあるが、見事一撃を入れたとしても、今はその身は宙にあり。

 翼を持たない者では、最早死に体。

 混乱に陥っていたゴライアスも、自らを傷つけた者をそのまま放置する筈もなく。 

 

『ッガアアアアアアアアアア!!?』

「あぶ―――」

 

 宙にいる、回避など出来ようもないだろう男へと向かって、その巨岩の如き拳を振り抜こうとする。

 手も足も、警告の声すら間に合わないと分かっていながらも、上がった声に―――

 

「な―――宙で移動、を?」

「あれは―――糸?」

 

 髑髏の面を被った者は、何かに引き寄せられるように宙を移動し、危うげなくゴライアスの拳を避わしてのけた。

 驚愕のリューの声に、隣のアスフィが答える。

 アスフィの目は、あの一瞬腕を引いた男の動作と共に、既に癒えたゴライアスの首元から伸びる黒い紐の姿を捕らえていた。

 ゴライアスの『咆哮(ハウル)』を避わすと共に、その首元を切りつけたあの者は、そのまま押し込むようにして短剣を身体に埋め込んだのだ。そして、回復し身体(首の中)に収めた短剣から伸びる紐を利用することによって、先程のように宙での回避に成功させたのだ。

 

()()()―――ッカカ」

 

 ゴライアスの身体の上。

 先ほど自分が切りつけた首元へと降り立った髑髏の面の者が、囁くようにゴライアスの耳元で囁くと。

 

「―――怨むのならば、手間を惜しんだ己を産み出したものを恨め」

『オオオオオオオオオオオオ―――』

 

 己の肩ごと押し潰さんと、手加減することなくその巨大な拳を降り下ろしてくるのを、ゴライアスの背中側へと飛んで避けた髑髏の面をした者―――ハサンは、その仮面の奥の目を何かを見定めるかのように細めると、一気に背中の一点へと向けて短剣を突き刺した。

 

「シィイイイイアアアアアアアアッ!!!」

『―――オオオオッ―――ギィアアアアアアアアアアアアアアア??!』

 

 金属音染みた。

 蟲のそれに似た声と共に突き出された短剣の切っ先は、潜り込むようにゴライアスの黒い肌に突き刺さると、落下と体重を加算させた力を持って、肩口から臀部付近までを一気に切り裂いて見せた。

 

「な―――馬鹿なっ!? あのゴライアスの身体をっ!?」

「―――切り裂いた?」

 

 

 

 

「貴様如きが私を捕らえられるか?」

 

 足の付け根まで斬り降りたハサンが、短剣をゴライアスの身体から引き抜くと同時に、その身体を蹴り上げた。

 向かう先は上。

 ゴライアスの身体を、先程とは逆に登頂していく。

 ほぼ九十度のその身体(坂道)を一息に駆け上がる。

 

「―――さあ、踊れぇえッ!!」

『オオオオオオオオアアアアアアアアアアアッッ!!?』

 

 一気に肩口まで駆け上がったハサンが、怪鳥のように広げたその長い両手には、黒塗りの短剣が二つ。

 ゴライアスが、己を傷つけた存在に対し顔を向け、その怒りの衝動のまま咆哮を上げる。

 小さな―――己の掌に収まるほどの矮小な存在からの挑発に、激怒し吠えるゴライアスに対し、ハサンは斬撃を持って応えた。

 

「一体、何が?」

「【魔剣】? いえ、しかし―――」

 

 視線の先―――始まったゴライアス(巨人)ハサン()との戦いに目を奪われるアスフィ達の頭は目の前の現実に混乱し、口からは疑問しか出ないでいた。

 それは二人だけではなく、先ほどまで逃げ回っていた他の冒険者達もまた、足を止め振り返り。その神話や伝説に語られるかのような、巨人と人との戦いに目を奪われ立ち尽くしていた。

 巨人は自身の周囲を飛ぶようにして、己が身体を平坦な地面を駆けるように走るハサンを掴みかかるが、その指先に掠りすらしない。それどころか、苛立ち遂には掴むのではなく殴り潰そうとした結果、無駄に自身の身体を自分で叩きつけるという自爆という無様さえ晒していた。

 ただ駆け回っているだけならば、ゴライアスもそこまで気にしはしなかっただろう。

 アスフィやリオンの時のように、無視していれば良い。

 だが、その羽虫のように飛び回るそれが、己の身体を裂き、傷付ける毒蟲であったのならば話は別である。

 ハサンが両手に握る短剣を振るう度に、ゴライアスの強靭な筈な外皮は容易く切り裂かれ、赤い血が吹き出ていく。反射的にそこへ―――ハサン目掛けて拳を振り抜くが、肝心な姿は既にそこになく。代わりに開いた傷口を、自らの手で押し開く始末。

 ゴライアスの口から痛みとも苛立ちとも分からぬ絶叫が迸る。

 明らかに、先程までの一方的な蹂躙ではない戦いがそこにはあった。

 ゴライアス(巨人)ハサン()との戦いの光景。

 その中で、特にアスフィとリオンの二人の目を引いたのは、ハサンが振るう短剣。

 正確には、自分達の攻撃が全く届かなかったゴライアスの身体を切り裂いているという理由。

 スキルか魔法か、それとも単純に振るっている短剣によるものか。

 二人の頭脳が攻略の糸口を掴むために高速で回り始める。

 

「アンドロメダ―――あの男が振るっているのは、【魔剣】か、それとも何かの【魔道具】なのか?」

「……遠すぎます。ここからでは判断つきません―――が、勘ですがそのどれでもないと思いますよ」

 

 眼鏡の奥で細められたアスフィの目が、ゴライアスの拳を掻い潜りながら、ハサンがその頭上を空気を殴り砕きながら通過する腕に短剣を突きたたせ、その勢いを利用し切り裂く姿を見てリオンの声に応える。

 

「では、どうしてあのゴライアスを、ああも容易く切り裂いている?」

「そんなのこっちが聞きたいですよッ!!」

 

 手首付近から肘辺りまで一気に切り裂かれた事なのか、それとも何時までも捕まえられない事や自分の動きを利用された事に対する苛立ちからか、一際巨大な咆哮が周囲に轟き渡る。

 全身が震える巨大な咆哮に負けじと、何もわからない、何も出来ないでいる現状に対するアスフィの苛立ち混じりの上がった声に、リューの目がびくりと大きく見開かれた。

 

「っ、すまない」

「……いえ、こちらこそ。でも、やはり無理ですね」

 

 巨大な絶叫の名残を肌に感じながら、目を伏せるようにしてリューが謝罪の声を上げると、直ぐに冷静になったアスフィも恥じるように顔を俯かせた。

 しかし、直ぐに顔を上げると、ゴライアスとハサンとの戦いに目を向ける。

 自分達が戦っていた時とは逆に、攻守が入れ替わったかのような戦い。

 矮小な筈の、ゴライアスと比べ物にならないほどの小さな身体でありながら、圧倒するかのようなハサンの立ち回りではあるが、アスフィの目には余裕の色はなく。逆に焦るかのような焦燥の色が濃く存在した。

 

「あの耐久力を越えて傷を与えているのは確かに凄まじい―――が、あの出鱈目な回復力の前では」

「焼け石に水―――全く痛打に成り得ない」

 

 アスフィの自問自答の声に、隣のリューが頷いて同意を示す。

 眼前の戦い。

 あの髑髏の面の男(ハサン)は一体どれだけゴライアスの身体を傷付けたかはわからない。自分達のあらゆる攻撃が届かなかったその外皮を容易く切り裂くその力には瞠目せざるを得ないが、あのゴライアスの厄介な点は、その耐久力以上にその異常な回復力だ。

 今もまた、髑髏の面の男(ハサン)が先程切り裂いたばかりの腕の傷が、赤い燐光と共に傷跡すら残さず完治していた。

 改めて見れば、ゴライアスの身体には一切の傷が見えないでいる。

 あのゴライアス(化け物)にとって、あの程度の傷は傷にもならないのだろう。

 それでも髑髏の面の男(ハサン)を追いかけ回すのは、不可侵である筈の己の身体を容易に切り裂く存在に対する警戒からか。

 

「しかし、注意は向ける」

 

 リューの覚悟が決まった声が響く。

 手に握る木刀に力が籠る。

 ゴライアスの身体に攻撃を通す事が出きる髑髏の面の男(ハサン)であっても、その命までは届くことは不可能。

 しかし、時間は稼げる。

 時間が稼げれば、あのゴライアスに大きな損傷を与えられた方法がもう一度取れる可能性が出る。

 逃げ散った魔導士達を集め、今度は多段で放てばその命まで届く可能性が。

 

「……それも何時までもつか、無視されれば意味がありませんよ」 

「なら、無視されないようにこちらも動く」

 

 アスフィの冷静な意見に対し、薄く口元に笑みを浮かべリューが返す。

 リューの応えに、アスフィは小さく目を開く。

 あの戦いの中に飛び込むつもりか?

 巨人(ゴライアス)髑髏の面の男(ハサン)の戦いはよりいっそう激しさを増し、最早巨大な嵐と成っている。その戦いの余波に巻き込まれ、大岩が砂のように吹き飛び、その戦いの影響だけで地形が瞬く度に変わっていく。

 

「本気で言っていますか?」

「……白い髑髏の面に黒い衣装―――特異な様相にあの動き―――レベルは5、いや6、か? しかし―――」

 

 呆れたような、逃げ腰をありありと、それとも態とらしく見せるアスフィの声を無視するかのように、リューは顔は戦場から動かず、その目を凝らすように細め、口からは眼前の戦いを分析するように無意識の言葉が羅列される。

 

「―――あんなレベル6は聞いたことがありません」

 

 そのリューの(疑問)の中の一つに、アスフィも同じく己の知識から検索した結果を口から出力する。

 先程から何度も頭の中の記憶をひっくり返すも、あのような男の存在は少しも存在していなかった。

 あの戦闘力。

 どう低く見積もってレベル5―――下手しなくてもレベル6に届いているかもしれない。

 そして、それだけの力を持つ存在は、世界中を探してもそうはいない。

 確かに世間に知られない強者はいるだろう。

 しかし、これだけの力を持っていながら、欠片も噂話でさえ出ないというのは―――。

 

「下手に手を出せば邪魔に成りかねない」

「……見ているしかありませんか」

 

 アスフィの思考を止めたのは、リューの歯軋り混じりの声であった。

 握り潰さんばかりに木刀を掴む手を越えて、全身を己の無力に怒るように震わせるリューが、地面を蹴りつけながら自らの現状を吐き捨てる。 

 

「っ―――不甲斐ない」

「ですが、あの人も決定打に欠けているようです。やはり、このままでは―――」

 

 リューの言葉に、アスフィもまた、見ているしか出来ないでいる自分を責めるかのように拳を握る手に血を滲ませながら、何か出来ないのかと頭を回していた。

 その時、二人の目が同時に見開かれる。

 それは焦燥によるもの。

 髑髏の面の男(ハサン)がゴライアスの攻撃を飛んで避わした姿。何度も見た光景であったが、今は少し違う。ハサンの動きに合わせてか、それとも偶然か、ゴライアスがその身体を大きく動かしたのだ。結果、ハサンは降りる足場を失い、その身体は宙に無防備を晒している。

 それに目掛け、大きく腕を振りかぶるゴライアス。

 

「っいけない!?」

「狙われ―――」

 

 悲鳴が二人の口からが上がる。

 既にゴライアスの巨腕は振り抜かれていた。

 その拳の先が、ハサンの身体を直撃する―――その直前。

 

「「――――――ッッ!!???!」」

 

 爆音が轟いた。

 大量の泥の塊の中心で、爆弾を破裂させたかのような湿った爆音と共に広がる()()()()()()()()()が周囲に轟く。

 咄嗟に眼前に腕を翳したリューとアスフィは、しかしその隙間から見えた光景を捕らえていた。

 その光景が―――現実が理解出来ないかのように、頭に押し込まれ情報がそのまま垂れ流されるかのように二人の口から溢れる。

 

「っ―――う、腕、が……」

「―――吹き飛んだ?」

 

 大きく降り下ろされたゴライアスの巨腕。

 もしかしたら、あの巨大なクレーターを作った時と同じくらいの勢いがあったかもしれないその一撃は、()()()()()()()()()()()()()()()により、ハサンにも地面にも届く前に、腕自体が吹き飛ぶことによりその致命的な衝突は免れる事になった。

 降り下ろす勢いのまま、肩口から吹き飛んだ腕は明後日の方向へと飛んでいき、火口の如きクレーターの外縁部に接触し、それを大きく崩すと共に転がって地面に突き刺さっていた。

 

「何が……」

「―――っ!?」

 

 肩口に手をやり、悲鳴を上げるゴライアスから目を離したリオンが、数メートルはあるだろう、巨木の如き腕が地面に突きたつ姿に目を奪われている中、アスフィがそれへと向かって駆け出していた。

 

「アンドロメダっ!?」

 

 慌てて追いかけたリューは、直ぐに地面に突き刺さった巨腕を調べているアスフィへと追い付く。アスフィは背中に立つリューに視線を向けることなく、忙しなく千切れ飛んだ巨腕を調べていた。

 

「……この跡……それに、この臭い……まさか」

「アスフィ―――一体どうし」

 

 アスフィが、特に千切れ飛んだ肩口付近を調べていると、我慢できなくなったのかリューがその背中に声を掛ける。

 と、リューの予想とは反し、アスフィは振り返りはしないままその声に直ぐに応えてくれた。

 

「リオン」

「……どうしました?」

 

 自分の名を呼ぶアスフィの声の調子に、何かを感じ取ったのか、リューは無意識に息を飲みながら答えを待つ。

 

「わかりましたよ」

「何がですか?」

「全く、とんでもない人ですよあの人は」

 

 呆れたように呟かれたアスフィの声はしかし、隠しきれない畏怖に満ちていた。

 その理由を知りたく、一歩前に出したリューへ対し、アスフィは立てた人差し指を巨腕の肩口へと向けた。 

 

「見てくださいこれを」

「焦げた跡? それにこの破片は……」

 

 斜めに地面に突き立つ巨木の如き巨腕の上。そこには枝や葉の代わりに緑ではなく明らかに黒色の肌とは違う焼け焦げた跡にも見える黒に染まった箇所があり、また、何か金属片のようなモノが無数に見えた。

 

「どうやら、あの人は『火炎石』を使ったようです」

「『火炎石』を?」

 

 鼻を鳴らし、周囲に微かに漂う独特な臭気を確認したアスフィがその原因を答える。一時期―――いや、つい最近嗅いだことがある臭いに、間違いはないと確信したアスフィが、リューに頷きをもって応えた。

 そして、そこから推測された予想を口から出していく。

 

「ええ。あの人はゴライアスの身体を切り裂くと同時に、『火炎石』と一緒に壊れた剣などを傷口から―――関節の近くに押し込んだみたいですね」

 

 破壊力を上げるため、爆弾の中に金属片を入れる物もあるとアスフィは知っていた。自分もまた、そのようなモノを作ったこともあったからだ。『火炎石』の威力は知っている。上級冒険者であっても、まともに食らえば致命傷になりかねない。その力はあの暗黒期に嫌でも目にしたし、自分でも身を持って知っている。

 しかし、その力であっても―――。

 

「しかし、それであのゴライアスの腕を吹き飛ばせますか?」

 

 そう、リューの言う通り、その力であっても、あのゴライアス(化け物)の腕をあのように吹き飛ばすことは難しいだろう。そう、()()()()()()

 

「無理でしょう。だから、相手の力を利用した」

「っ―――態と狙わせたっ!?」

 

 アスフィのその短い言葉だけでも、リューはその答えへと辿り着いた。

 強大な敵。

 巨大な敵と戦う際、自分達も時には使う手段だ。

 自分だけの力では足りない。

 ならば利用するだけだ。

 魔法を、道具を、環境を―――それでも足りなければ、敵である相手の力さえ利用する。

 そう、あの髑髏の面の男(ハサン)は、態と隙を見せ、自ら囮になることでゴライアスに攻撃をさせ、タイミングを見計らい、どうにかして爆発を起こした。そして、爆発による損傷と衝撃、それにゴライアス自身の力が加わり、あのように腕を吹き飛ばしたのだ。

 だが、言うは易し行うは難し、だ。

 痛みを感じているのかはわかないが、傷口に『火炎石』や剣等の残骸を押し込むのは簡単ではない。気付かれずに、という条件も含めれば更に難度は上がる。それに加え、爆発させるタイミングもまたそうであるし、態と攻撃を狙わせる事も、尋常な心では不可能だ。

 あらゆるモノが、異常である。

 アスフィには本当にわからなかった。

 この髑髏の面の男が、何者なのかが。

 

「……本当に何者なのでしょうかあの人は。これだけの力、技? ああも容易くあのゴライアスの身体を切り裂く事が出きる理由もまるでわからない……本当に何なの? あんなにスパスパと、まるで料理するように―――」

 

 身体から切り離されたからか、灰化が始まった腕からようやっと目を離したアスフィが、腕を失い混乱するものの、いまだ戦意を落とすことなく戦いを続けるゴライアスとハサンに目を向けながら、何処か呆れたような口調で自問するように呟くと。

 何かが引っ掛かったのか、唐突にリューが眉間に皺を寄せ考え込み始めた。

 何かが引っ掛かった。

 アスフィの先程の言葉。

 スパスパと?

 容易く?

 わからない?

 料理するように―――料、理?

 

「―――料理?」

「リオン?」

 

 口にして記憶が蘇る。

 あれはそう。

 『豊穣の女主人』停で働き始めたばかりの頃であった。

 ミア母さんが、固い―――金属染みた固さを持つ食材を、ただの包丁ですぱすぱと切り刻んでいる姿を見て、何か特別な刃物なのかと聞いた時のこと。

 ミア母さんは何と言った?

 確か―――。

 

『それは、何か特別な包丁なのですか?』

 

『なんだって? はっ、そんな大層なものじゃないさ』

 

『では、どうしてそんな簡単にこれほど固いものを? 何かのスキルですか?』

 

『馬鹿を言ってんじゃないよ。こんな事、そこらの婆さんでも出来ちまうよ』

 

『そんな筈は―――』

 

『こう言うのは経験さね』

 

『経験? ですか?』

 

『何十、何百、何千とやってる内に、自然と身に付くもんさ。あんたにも覚えがあるんじゃないかい? 同じモンスターを何度となく相手をしている内に、自然と何処にどの角度で、どれぐらいの力で刃を突き立てれば良いのか、分かったりしなかったかい?』

 

『―――ああ、確かに……』

 

『それと同じことさ。そこまでなれば、そんな上等な獲物がなくともこれぐらいのもんなら簡単に切れるようになる』

 

『そういうものなのですか……』

 

『ま、食材なら兎も角。生きたモンスターはそうは出来ないけどね』

 

『何故ですか?』

 

『経験だって言った筈だよ。食材のように日に何度もやることなら兎も角、モンスター相手に身体に覚え込ませるとしたら、一体どれだけの時間がかかるのやら? それも凪ぎ払うように倒していちゃ意味はない。一体ずつ丁寧にやる必要があるからね。モンスター相手にそんな暇なんてないだろ?』

 

『そう、ですね。では、やはりそんな事は出来はしないと……』

 

『まあ、そうだね。猟師みたいに、そこらへんの、似たようなモノで代用するって手もあるかもしれないけど……モンスターに応用出来るようになるには、それこそ桁違いの()()が必要だからね。現実的じゃない』

 

 そう言って、肩を竦めて見せたミア母さんの顔は、言外に有り得ないと言っていた。

 私もそれに同意した。

 当たり前だ。

 獲物(武器)の優劣に関わらず、モンスターの耐久を無視するかのように切り裂くには、一体どれだけの経験が必要なのか。百やそこらで届く筈がない。

 千を越え、万にすら届く必要がある。

 現実的ではない。

 しかし、私の勘が告げているのだ。

 それが正解であると。

 では、あの髑髏の面の男はどのようにしてそれだけの経験を得たのか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 直後、リューの脳裏と背筋に氷柱が突き刺さったかのような悪寒が走る。

 あの髑髏の面の男の動き。

 常に死角に入り込む動きと、目の前で戦っているというのに、気を抜けば見失いかねないその気配の薄さ。

 その姿と戦い方に、実のところリューは既視感を感じていた。

 それは昔―――自分が復讐に走り()()()紛いの方法で敵対する【闇派閥】を襲っていた時。

 その時の自分と、何処か似ている。

 そう、その動き、気配、やり方―――その姿はまさしく。

 では、この髑髏の面の男が、これ程までの技量を高めた相手というのは、つまり―――

 

「まさか、そんな―――いや、しかしっ」

「リオン、一体どうし―――」

 

 自ら思い至ったその結論に、驚愕し恐怖したリオンが、自らの考えを否定するかのように頭を左右に振る姿に、アスフィが慌てて肩を押さえ落ち着かせようと声を掛けた瞬間であった。

 

 

『キィアアアアアアアガアアアアアアアアアアアッっ??!!!』

 

 

 二度目の爆音と絶叫が上がったのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「腕を失っても痛打には成り得ぬか―――だが、()()()()()()()()

『アアアアアアアアアアアアア!!』

 

 ハサンの予想に反し、ゴライアスの無くなった腕は未だ完全な姿を現してはいなかった。確かに肩口から次第に腕が形成されてはいるが、それでも頭が無くなった時のような、爆発的な回復は見られない。

 振り回される残った腕を余裕を持って避けながら、ハサンは仮面の下で口許を歪める。

 あの花の化け物を倒した際、回りにいた白い衣装を着た者達の身体を探った時に見つけた『火炎石』と呼ばれる道具は、思った以上に便利なものであったが。破壊力を上げるため、一緒にそこらに散らばる折れた剣などを詰め込んだが、やはりそれだけでは足りなかった。

 爆発だけでは精々千切れかける程度。そこにゴライアス自身の腕の力が加わらなければ、腕を吹き飛ばすには至らなかった。

 とは言え、今の確認で十分にわかった。

 ()()()()()()()()()()()()、と。

 そう、例え腕を潰しても暫く立てば元に戻る。

 そして、こちらが厄介だと、多少のダメージを無視して逃げられれば意味がない。 

 だからこそ、そうはならないように、準備した。

 失敗しないように、()()()()()()()

 そうして確認は終わり。

 次は本命。

 叫び更に激昂し暴れ、絶叫染みた咆哮を上げるゴライアスにハサンは囁くように告げる。

 

「そう、喚くな―――」

『ッガアアアアアアアアアアッ!!』

 

 肩口にのったハサンを反射的に振り払おうと身体を大きく振り回すゴライアスに合わせ、宙へと飛び上がる。

 

「愚かな―――そら、次は―――」

『アアアアアアアアア―――』

 

 ゴライアスの背中の方へと落ちていくように飛ぶハサンを追うように、片足を上げたゴライアスの身体が大きく回り、円を描く身体の切っ先。足にゴライアスの超重量が重くのし掛かり。

 そして。

 

「足だ―――」

『―――ッアアアアアィッ!??』

 

 ハサンが手に握る二本の紐の内一つを勢いよく引き寄せる。

 固い何かから抜け落ちる感覚を感じると共に、何十、何百本もの湿った荒縄が千切れる音と共に、ゴライアスの絶叫と爆音が、その身体の下方。足元の付け根から響く。

 先程の腕と同じ。

 しかし、腕とは違い。

 爆発の衝撃が抜けたそこには、 

 

「ほう、耐えるか―――だが、それも」

『ガアアアアアアアアアァァァアッ!!』

 

 大きく内から裂け、血肉を削られてはいるが、未だ身体に繋がる足の姿があった。

 ゴライアスは痛みよりも怒りが満ちた声を発しながら、倒れかかる身体を無事な方の足を地面に叩きつけるかのようにして、倒れそうになる自分の身体を支え―――

 

「―――把握済みよ」

『ッギャアアアアアアアアアアアア??!』

 

 ハサンの手が再度引かれる。

 手に残る最後の紐が引かれ、その先にある短剣がゴライアスの肉体に埋もれていたその身を勢いよく飛び出させる。

 同時に、ゴライアスの無事な方の足が地面へと接触し、体重と勢いがその足に掛かった瞬間にその付け根の内側から爆音が響いた。

 先と同様。

 何百もの濡れた荒縄が千切れるかのような音に加え、今度は何十もの剣が同時に折れたかのような金属染みた破砕音が同時に響いた。

 湿った弾けた音と共に、ゴライアスの身体がずれていく。

 反射的にまだ身体にくっついている最初に爆破された足へと体重を掛けたが、それは最悪の選択であった。

 何とか繋がっていたそれは、既に再生が始まってはいたが流石に完全に治るまで時間を必要とした。治りきる前に、まともに受けた自身の体重と衝撃は、傷ついた足では到底受け止められるものではなく。

 残酷な現実をゴライアスに突きつける。

 耳を背けたくなるような湿った千切れる巨大な音と共に、両足を根本から千切られたゴライアスが、後ろへと、仰向けに地面へと倒れ込んだ。

 

「右腕に両足―――これで少しは時間は稼げるだろうが……ほう」

 

 その姿を、両足を失い、四肢の内残った左手をくねらせ何とか身体を動かそうとするゴライアスを、クレーターの外縁部へと退避していたハサンが見下ろす中。その視線の先で、小さな二つの影が、倒れたゴライアスへと向かう姿を見つけた。

 微かに聞こえる声は旋律となり、その身からはあふれでる魔力が燐光となって沸き上がっていた。

 ()()()を先行していくのは、羽を生やした靴を使い空を飛ぶ一人の女。

 両手には、『火炎石』を越える爆発の力を宿した魔道具がある。

 戦意をみなぎらせ向かう先には、赤い燐光を纏わせながら、駄々をこねる赤子のように暴れるゴライアスの姿が。

 

「流石にこれほどの好機を逃すような愚か者はおらぬか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの巨体を誇るゴライアスが、両足と右腕を根本から失い。今や地面へと転がり残った左腕を降りますしか出来ないでいる。しかし、ただそれだけであっても、地を揺らし瓦礫を周囲へと吹き飛ばすという危険を辺り一面へ振り撒いていた。

 恐怖で混乱しているようにも、自暴自棄にも見えるその姿であるが、アスフィの目にはその何れでもないと映っていた。

 あれはただの時間稼ぎ。

 立ち上がる砂ぼこりの中に、ほら、()()()()()()()()

 

「衆目の目に晒すつもりはなかったんですが―――仕方ありませんね」

 

 あの、痛みに悶えるかのような姿は擬態だ。

 アスフィは確信していた。

 地面を転がり回り、苦しむ振りをして、あれは待っているのだ。

 手足が完全に戻るのを。

 無くなった首をまるまる回復させる回復力の持ち主だ。 

 失った手足もそう時間を掛けることなく取り戻すことだろう。

 しかし、それがわかっていて、素直に時間をやるほど、こちらも甘くはないし、余裕もない。

 とは言え、あの暴れようだ。

 素直に近付かせてはくれないだろう。

 下手に近付けば、残った左腕に潰されるか、巻き上げられる土砂に押し潰されるか。

 高い確率でそうなってしまう。

 そう―――()()()()()()()()()()()()()()、だが。

 小さく諦めたようにため息を吐いたアスフィは、身体を少し屈め、右手の指先で履いた(サンダル)をそっと撫でた。

 瞬間―――

 

「―――『タラリア』」

 

 (サンダル)に巻き付くように飾られていた金翼の飾りが、まるで命を宿したかのようにその二翼一対の四枚の羽を広げ出した。

 光輝く四枚の羽は、燐光をその翼から散らしながら一気に空へと駆け上がる。

 飛翔。

 羽なき者が、今、重力の楔を解き放ち空へと駆け上がっていった。

 その奇跡の光景に、周囲で遠巻きにこの戦いに注目していた冒険者達だけでなく。暴れていたゴライアスでさえ、思わずといった様子でその暴れを止めて、空を飛ぶアスフィを見つめていた。

 飛翔靴(タラリア)

 【万能者(ペルセウス)】と呼ばれる【ヘルメス・ファミリア】団長アスフィ・アンドロメダの至上の魔道具である。

 

「先に行きますよリオンっ!」

「ええっ、合わせますっ!!」

 

 くるりと調子を確かめるようにリューの頭の上で一回りしたアスフィが、合図と共に前へ―――ゴライアスへと目掛け空を行く。

 その後ろを、遅れてリオンも走り出す。

 我に帰ったゴライアスが、近づく二つの影を威嚇するかのように咆哮を上げ、更にいっそう激しさを増して暴れだす。

 

「【―――今は遠き森の空。無窮の夜天にちりばむ無限の星々】」

『ッアアアアアアアアアアアアッ!!』

 

 飛んでくる岩や土砂を避けながら、リューが詠唱を始めながら駆ける上空。

 先行するアスフィが更に一段と高く飛び上がる。

 そして、眼下に暴れるゴライアスの姿を全て納める位置に留まると、初めてその巨人(ゴライアス)を見下ろした。

 

「―――この短時間でここまで回復しているなんて。本当になんて出鱈目な回復力」

 

 自分の足元。

 十数M下では駄々をこねる幼児のように暴れるゴライアスの姿がある。

 千切り飛んだゴライアスの右腕と両足は、この短時間の間で、既に肘や膝辺りまで回復していた。

 あと十数秒も経てば、立ち上がりかねない早さだ。

 しかし、強力な威力のある魔法を持っていないアスフィの力では、あの異常な耐久力を持つゴライアスの外皮を貫くことは出来ない。 

 

「外皮の耐久力も桁違いで、私の使える手で通じるものは一つもなかった―――()()()

 

 そう、しかし。

 あの髑髏の面の男(ハサン)が教えてくれた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() 遠慮はいりませんよっ! 全部持っていきなさいっ!!」

 

 魔導士達による一斉掃射や、スキルを併用した強力な魔法以外では、傷一つ付けることは不可能な外皮であっても。

 内側からの―――外皮の下の部分は、そこまで異常な耐久力は無いと言うことを。

 覚悟を決め、アスフィは上空から一気に下へ。

 ゴライアス目掛け飛翔する。

 それは飛行というよりも落下。

 落下に加え飛翔の加速を加えた急降下。

 暴れるゴライアスの両足から舐めるようにその頭の方へと抜ける航路。

 その途中で、アスフィは最後に残っていた爆炸薬(バースト・オイル)を三つに分け投下する。

 ぎりぎりの位置で、至近まで接近し、()()()()()()()()()へと投下した爆炸薬(バースト・オイル)は、治りかけていた傷口を大きく押し広げ、ゴライアスの口から明確な悲鳴を上げさせた。

 

『キイオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアア!!!??』

 

 

 

 

 

「―――空を……っ何て人達だ」

 

 空を駆け、その後ろを地上を走って、それも詠唱しながら追いかける人達の姿を、その目に捉えた命が、驚愕と己の不甲斐なさに加え、微かな嫉妬を胸に声を思わず漏らしてしまう。

 ベルを庇い瀕死の重症となっている桜花を千草に預け、何とか一矢報わんと戦場に戻ってみれば、髑髏の面の男があのゴライアスの四肢を奪い追い詰めているわ。倒れ伏しながらも、未だ盛大に暴れる敵に果敢に向かっていく冒険者が一人は空を飛び、もう一人はこの少しの油断もならない戦場において『平行詠唱』を行っている。

 あまりもの自分との違い。

 『差』に、眩暈すら感じてしまう。

 何か出来るのではと、駆けつけた足が、思わず後擦りしかけてしまう。

 臆しかけた心を、しかし命は唇を噛みきりながら頭を振り、胸を苛みかけた弱気を吹き飛ばし。勢いよく顔を上げた。

 

「っ、それでも―――()()()()っ!! 私だってッ!!」

 

 自分に臆している暇など何処にもない。

 桜花があれだけの姿を見せたのだ。

 自分もそれに恥じるような姿など見せられる筈がない。

 声と共に、胸に火を宿し、言葉と共にそれを激しく燃やし炎に変える。

 そして、詠唱を始めた。

 

「【掛けまくも畏き―――】」

 

 主神(タケミカヅチ)にダンジョンでの使用は厳禁と言い含められていたそれを破り。全身全霊を込めて、この『魔法』に全てを掛けて詠唱を続ける。

 あの今も聞こえる風が吹き抜けるような軽やかな『平行詠唱』とは余りにも真逆。武骨で鈍重な己のそれを恥ながらも、それでもと命を込める心地で呪文を唱える。

 

「【いかなるものも打ち破る我が武神よ、尊き天よりの導きよ。卑小のこの身に巍然たる御身の神力を】」

 

 崖の上に張られた細い糸の上を、全力で走り続けるかのような緊張感を保持し、リューは駆ける。

 地面に転がり暴れるゴライアスの動きが、三度の爆発の後更に激しくなっていた。

 それには反射的な動きが見える。

 痛みを紛らかすような、その激しい動きと、大口を開けて絶叫するの声からその理由を大いに察せられた。

 舞い上がる土砂、吹き飛ぶ大岩を避け、前へと進む。

 最早、ゴライアスの巨体は目の前にある。

 ゴライアスはこちらに―――気付いてはいない。

 そう確信し、リューは一気に地面からゴライアスへと目掛け飛び上がる。

 

「【―――来れ、さすらう風、流浪の旅人。空を渡り荒野を駆け、何者よりも疾く走れ。星屑の光を宿し敵を討て】!」  

 

 飛び上がった瞬間、仰向けになっているゴライアスの顔が、自分の方向へ向いた。

 その目はリューの姿を捉え、反射的に大きく開かれている。

 そして先程まで絶叫していた口は、未だ閉じてはおらず。

 

「【ルミノス・ウィンド】!!」

『―――ガッッッボ!!!』

 

 詠唱の完成と同時に、その大きく開かれた口へと目掛け、リューは緑風を纏った無数の光る巨大な玉を全て、その口腔へと叩き込んだ。

 咄嗟に咆哮(ハウル)で迎撃しようとしたゴライアスだったが、リューの方が圧倒的に早かった。

 迎撃に出ようとしたことは裏目に出て、大きく開かれた口の中へとリューの魔法は全て叩き込まれてしまう。

 頭と内蔵が吹き飛びかねないエルフ(リュー)の高威力の魔法に、アスフィ達の顔に会心の笑みが浮かぶ。

 だがそれは、この化け物(ゴライアス)の前にしては油断に過ぎたものであった。

 

「な、あっ!!?」

「嘘でしょっ?!」

 

 魔法の衝突により起きた爆風に舞い上がった土埃の向こうから、ゴライアスの顔がアスフィとリューへと目掛け向かってきていた。

 腹筋の力だけで身体を持ち上げたゴライアスの頭部は、火山弾のような勢いでアスフィ達へと迫る。土煙を引き裂きながら迫るゴライアスの顔は、確かに内側から大きく破壊されてはいる。特に口の回りは殆ど形が残ってはいない。その姿から、咄嗟にアスフィの脳裏はその理由を導きだしていた。

 

 ―――リオンの魔法を()()()()()ッ!!?

 

 しかし、例えそれが正解でも間違っていたとしても、今のアスフィ達には関係がなかった。

 もう、瞬きをするよりも先に、ゴライアスの頭がアスフィ達へと―――

 

「【天より降り、地を統べよ――――――神武闘征】!!」

 

 その間際。

 命の魔法が完成した。

 

「【フツノミタマ】!!」

『~~~~~~~ッッ!?』

 

 ゴライアスの巨頭がそのまま、超重量の投石のようにリュー達へと迫りぶつかる直前。

 そのゴライアスの頭部直上付近に突如現れた巨大な一振りの深い紫に光輝く剣が、一気に落下する。

 頭頂に突き立ち、そのまま顎を抜け腹を貫き大地に突き刺さると、その光剣を中心に巨大な魔法円(マジックサークル)に似た複数の同心円が刻まれ―――重力の檻が形造られた。

 半径にして十Mはあるだろう巨大な重力の力場は、その中にゴライアスの巨体を押し込め押し潰さんとする。

 突如現れた自らの身体を押し潰さんとする重力の檻に囚われたゴライアスは、咆哮すら飲み込む力場の中で更に激しく暴れ始めた。

 危機的状況に、魔物の本能が猛ったのか、回復を示す赤い燐光が爆発的に増加し、見る間に失った足と腕をゴライアスに取り戻させようとする。

 力場を形成するための、命の突き出した握った拳がふるふると震えている。

 その掌の中には、何も掴んでいない筈なのに、まるで握った拳の中で何かが暴れているかのように、揺れる両の手の震えが激しさを増す。

 命の前では、丸い円を描く光を飲む黒い重力の力場が、握る拳が大きく揺れるのに合わせ、撓み歪んでいる。

 

「ッ、ぁあ、あああああああっ??!!」

 

 捉えて未だ十も数えていないにも関わらず、命は既に限界に至っていた。

 最早重力の檻は不定形に歪み出し、押さえ込むことは不可能。

 それでも、せめてリュー達が待避できる時間を稼がんと、血を吐く勢いの絶叫混じりの声を持って命は拳を握る。

 

「まっ―――だっ!! まだまだぁあああああッ!!!」

 

 

 

 

 

「――――――くそっ―――くそッ! ―――くそったれがぁあッ!!?」

 

 ヴェルフは走っていた。

 あの時。

 ベルがゴライアスに吹き飛ばされた時、自分は何も出来ないでただ見ているしかなかった。

 自分達を殺しかけた、あの気にくわない(桜花)が身を挺してベルを救ったというにも関わらず、ヴェルフはただ見ているしかできなかった。

 力がなかったからだ。

 ベルの下まで駆けつけられる早さも。

 豪腕を受け止める力も。

 遠くから敵を倒す魔法も、ヴェルフはなにも持ってはいなかった。

 でかい口を叩きながら、結局何も出来はしない。

 己の不甲斐なさ、惨めさに頭が沸くほどの怒りが身を焦がし。

 気付けば、ヴェルフは走っていた。

 向かった先は、あの場所。

 ヘスティア様からヘファイストス様からと渡されたあの『魔剣』を落とした場所。

 拾いもせず、探しもせず、そのまま誰にも知られることなく朽ちていけと思いながら、こんな時にだけすがるように探しだす己にへどを吐きそうになりながらも、ヴェルフは己が打った『魔剣』を求めて走り出した。

 そうして、辿り着いたそこで、その『魔剣』はまるでヴェルフを待っていたかのように直ぐに見つける事が出来た。

 それを見た時、ヴェルフは何を思い、感じたのか。

 その顔は酷く険しく歪んでいる。

 泥や草葉で汚れた白い布で巻かれたその『魔剣』の柄を固く握りしめ、ヴェルフは駆ける。

 この『魔剣』は、ヴェルフがかつて【ヘファイストス・ファミリア】に入団する際打ち上げた代物だった。

 自分の力を示すために打ち上げたその『魔剣』を、ヴェルフは直ぐに手放した。

 忌み嫌うように、何の呵責もなく放り捨てるようにして、その『魔剣』をヘファイストスに預けた。

 あの時、ヘファイストス様は何と言ったか?

 確か、そう―――今はそれでいい、そう彼女は言った。

 

「ヘファイストス様っ、俺は―――」

 

 だけど、彼女は続けてこうも言った。 

 

『―――意地と仲間を秤にかけるのは止めなさい』

 

 あの時、俺はそれにどう答えた。

 思い出せない。

 多分、否定的な事を口にしたのだとは思うが、ヴェルフはもう覚えてはいなかった。

 代わりに、思い出したのは―――

 

「俺はっ―――」

 

 ―――一人の男の背中だった。

 

『―――『魔剣』が嫌いだそうだな』

 ―――あんたは?

 

 あれは、何時の時だったか。

 そんなに昔ではなかった筈だ。

 【ファミリア】の鍛冶場で、何かを打ち終えた帰りですれ違った男。

 

『……ただのよそ者だ。少し鍛冶場を借りにな』

 ―――鍛冶師、なのか?

『いや、まあ……そういうわけじゃないんだが』

 

 白に近い灰色の髪に、浅黒い肌。

 振り返った俺に対し、あの男は背を向けたままだったから顔は見ていないが。

 あの体つきからして、多分冒険者だったのだろう。

 

『で、何で嫌いなんだ?』

 ―――あんたには関係ないだろうが。

 

 あの時、何故俺は話を続けたのだろうか。

 何時もなら、無視してさっさと離れていた筈なのに。

 何故?

 

『まあ、確かにな。ただ、余計なお節介なのはわかってはいるんだが……』

 ―――なら

 

 ……わからない。 

 今でもわからない―――だが、事実、あの時の俺はあの場から離れようとはしなかった。

 

『見てしまったからな』

 ―――あ?

 

 見てしまった―――と、あの時、あの男はそう言った。

 それが何か、俺にはわからない。

 ただ、それが多分、俺が打った剣だと言うことは、何となく察してはいた。

 

『―――『剣』は、所詮『剣』でしかない』

 は? あんた何言って

 

 あの時、あの男はどんな顔をして話していたのか。

 あの男は結局一度も振り返らなかったから、その声からしか男の感情を伺う方法はなかったが、その声からは怒りも、不満も、悲嘆も笑うような感情を何も感じられはしかなった。

 

『日々の糧を得るためのものでもなく、道を切り開くためのものでもない。ただ『敵』を殺すためだけのものだ』

 ―――……

 

 淡々と吐き出されたその言葉は、何故か今も思い出せる。

 男の言った事は当たり前の事だ。

 鍛冶師に限らず、そこらの冒険者でも、いや、戦いと縁もない農民でも知っている当たり前の事だ。

 

『そして『剣』と『使い手』は永遠に共にいられることはない。『剣』が先か『使い手』が先かは分からないが、どちらかが残されるのは避けられはしない』

 ―――そんなことっ

 

 そう、そんなことは当たり前のこと。

 誰にだってわかる当たり前のこと。

 俺も、そんな事はわかりきっていた。

 しかし―――

 

()()()()()()、と?』

 ―――ッ!?

 

 本当に?

 俺は本当に()()()()いたのか?

 

『なら、責任を果たせ』

 ―――あ? 責任?

 

 なら、何故、俺は『魔剣』を嫌うのか?

 自らが打ち上げこの世界に産み出した『魔剣』を、()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、何故思った?

 

『どう思い、何を考え打ったのかは知らないが、形を与え、力を込め、造り出したのはお前だ』

 ―――っ、ぁ……

 

 『魔剣』は嫌いだ。

 俺は、『魔剣』が大嫌いだ。

 何の才も努力もなく、振るうだけで簡単に強者を打倒しうる『魔剣』が。

 自らを削らずに得られる栄光に、使い手も鍛冶師も知らず堕落せしうる『魔剣』が嫌になる。

 何より、使い手を残し、絶対に砕けていく『魔剣』が嫌いだ。

 だけど、本当に?

 ()()()()()()()()()()()()()

 

『『剣』とはただ『敵』を打倒するためだけのモノ』

 

 そもそも『魔剣』と『剣』の違いは何だ?

 使えば必ず砕けること?

 強者を容易に打倒できること?

 魔法を放てること?

 考えれば直ぐに思い付く『答え』―――だけど、違う。

 根本的には、結局は同じだ。

 『魔剣』も『剣』も、ただ『敵』を打倒するためのモノでしかない。

 なら何故、俺はこんなにも『魔剣』を―――

 

『―――お前の感傷に、『剣』を付き合わせるな』

 

 淡々と聞こえたあの男の声が、何故かあの時、俺には―――……

 

 

 

 

 

 森を抜け、視界が一気に開く。

 眼前に広がるのは地獄もかくやといった光景。

 視界の一番向こうに見えるのは、卵形の深紫の決壊がぼこりぼこりと歪んでいる姿。今にも何かが生まれ落ちんとする化け物を孕んだ(結界)が今にも破れそうな姿。周囲には土砂によるできた小さな丘擬きに、大岩や石が転がっている。

 それに潰されずに生き残ったモンスターや冒険者が今も血身泥になって戦っている。何かを斬り破る音に悲鳴や怒号が満ちる空間に、場違いなほどに澄んだ音が一つ、聞こえる。

 それが何の音なのか気付いた時には、既に自分がやる事を、成すべき事を理解したヴェルフは今にも崩れ落ちそうになる足を緩めることなく、更に力を込め前へ。

 今まさに深紫の(結界)から()()を突き破った化け物へと向かって速度を上げ駆けていた。

 

「ッッ!! ―――どけぇええええええええッッ!!」

 

 視界の先。

 己の前(攻撃範囲)にいる者達へと警告の声を上げた瞬間。

 

「っ、もうっ、破られますっ!!」

 

 命の声が上がった。

 重力の檻を突き出した両手をもって押し広げ、歓喜か怒りかわからない咆哮を上げ姿を現すゴライアスに、リューとアスフィがそれぞれ武器を構える。その先に、一人前を走るヴェルフの姿があった。

 咄嗟に制止の声を上げようとするアスフィ達の前で、ヴェルフが肩に担ぐ剣の姿が目に入る。

 既にその剣からは、全身を隠していた白布の姿はない。

 天井()から僅かに降り注ぐ光を受け、その炎を凝縮させたかのような赤い刀身を誇らしげに晒している。

 飾りなど一切無い。

 刀身と柄だけのシンプルな長剣。

 岩から削り出したかのような武骨極まりない剣身なのにも関わらず、あらゆるものの目を奪う程に美しい。

 まるで自ら発光しているかのように赤々と輝くその剣を握り、大きく振りかぶったヴェルフは叫ぶ。

 声を上げられない『剣』の代わりに雄叫びを上げる。

 己はここにあると。

 誇るように。

 哭くように。

 産声を上げるかのように―――

 

「っッぁぁああああああああアアアアアアッッッ!!!!」

 

 その『真名()』を叫ぶ。

 

火月(かづき)ぃいいいいいいいいいいいいいッ!!!!」

「「「――――――ッ!!??」」」

 

 大豪炎。

 炎が現れた。

 大上段。

 天を斬るとばかりに振り下ろされた剣身から放たれたのは、炎の激流。

 眼前にある全てを喰らい噛み砕き飲み込みながら、大炎は結界を破り四肢を持って地に降りた化け物(ゴライアス)をも飲み込んだ。重力の結界に囚われながら四肢を回復させた恐るべき化け物は、しかし脱出した先で今度は炎の檻に囚われる事になる。

 ヴェルフの『魔剣』から放たれた炎は、ゴライアスの全身を包むとそのまま消える事なく強靭な外皮を、それ自身を燃料にするかのように更に火勢を上げ燃えていく。

 歓声のような音を立て燃え上がる轟音の中に、ゴライアスの確かな悲鳴が聞こえる。

 声すら焼き殺す炎中で、未だ暴れ続けるゴライアスの姿が、揺らめく赤の向こうに見えた。

 その姿を、ただ一振りで刀身が砕け散った『火月』の、残った柄を握りしめながら、地面に倒れたまま見上げていたヴェルフが、意識を失う寸前呟いた言葉。

 

「っ―――は、はは―――これで、満足か、よ……」

 

 それは、誰に対してのものだったのかは、ヴェルフ自身もわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鐘の音が聞こえる。

 それは、自らの内から響いていた。

 リンリンと、始まりは小さな鈴のような音が。

 今は大きく巨大に―――周囲を轟かせるまでに。

 しかし、周りの音を掻き消すその音の中に、聞こえる声が一つ。

 

『もし、英雄と呼ばれる資格があるとするならば―――』

 

 それは、遠い―――遠い(過去)に聞いた声。

 大切な家族から教えられた(与えられた)言葉。

 ベル・クラネルの原点(始まり)の声。

 

『剣を執った者ではなく、盾をかざした者でもなく、癒しをもたらした者でもない』

 

 何もないと、あの人(ハサン・サッバーハ)は言った。

 『資格』がないと、言った。

 祖父(おじいちゃん)は言った。

 

『己を賭した者こそが、英雄と呼ばれるのだ』

 

 僕は、『英雄』じゃない。

 物語の彼等(英雄達)のような力も知恵も何もかも持ってはいない。

 憧れるあの人達(アイズさん達)の、足元にすら届いていない。

 

『仲間を守れ。女を救え。己を賭けろ』

 

 そんな事は当たり前で、言われなくても痛いほど良くわかっている。

 閉じた瞼の闇に浮かび上がるのは、これまでの挫折の数々。

 自分の力の無さを実感される現実。

 

『折れても構わん、挫けても良い、大いに泣け。勝者は常に敗者の中にいる』

 

 だけど―――うん。

 覚えている。

 覚えていた。

 祖父の言葉(始まりの光景)を。

 

『願いを貫き、想いを叫ぶのだ。さすれば――――――』

 

 そう、僕は何もかも足りなくて、何にも持ってはいない。

 だけど、たった一つだけ持っているモノがある。

 あの日、あの時、始まりの日に教えてくれた。

 唯一のモノ。

 誰もが持っていて。

 誰もが振るえる唯一の武器。

 たくさんの言葉で現す事ができるそれ。

 自分の力と、打倒すべきモノとの越えがたい壁に立ち向かうために必要な唯一のモノ。

 

『―――それが、一番格好のいい英雄(おのこ)だ』

 

 ―――『勇気』

 

 

 

 

 

 鐘の音が響く。

 限界解除(リミット・オフ)―――『神の恩恵(ファルナ)』を突き破るほどの想いにより、掴んだ天元の頂き。

 神の思惑すら越える、人の願いが至った力。

 身を震わせる程の音色となったそれを全身に感じながら、ベルはリリから渡された巨大な漆黒の大剣のその太い柄を両手で握りしめる。

 正中に構える中、ゆっくりと瞼を開く。

 深紅(ルベライト)の両眼の先で、山火事のように燃える固まりが見える。

 鈴から鐘へ、そして大鐘楼へと至った音色と共に、ベルの身体から沸き出るかのように現れる白い光が、手に持つ黒い刀身へと集まっていく。

 その音に、その輝きに燃やされながらも脅威を感じ取ったのか、ゴライアスが全身を燃やされながらもその足をベルの方へと向けた。

 皮膚ごと削ぎとるように両手を動かし、炎を文字通り身を削ぎながら進むゴライアスのその様相は、地獄の亡者の如く。

 不快で恐ろしいその姿。

 どれだけ傷つけても殺しても蘇るその浅ましい姿に、心の底から恐怖で震えてしまいそうになる。

 それを、勇気を持ってその場にとどまる。

 憧憬(願い)を燃やし、剣を握る。

 もう3分は過ぎた。

 だけど、それでもベルは待つ。

 足りないと、わかっているからだ。

 あの異常なほどの耐久力を持つ黒い外皮と、今も燃えながら回復するその回復力を越えて、あの化け物(ゴライアス)を打倒するには、もう少しだけ時間が必要だった。

 だけど、もう(足止め)はできない。

 あの驚異を止めるための手段が最早無い。

 猶予がない現実を前に、ベルが覚悟を決めたその時―――

 

「―――良い顔だ」

 

 何時の間にか、目の前にあの人(ハサン・サッバーハ)がいた。

 ベルに背を向け、立ちふさがるように立つ彼は、何処か笑っているかのような声を上げる。

 

()()だ」

「え?」

 

 言葉の意味がわからず、反射的に首を傾げたベルに、ハサンは告げた。

 

「今、貴様の身の内にあるものこそが、『資格』よ」

「『資格』……」

 

 『資質』よりも大切なものと言った『資格』。

 英雄になるための必須なそれを、あるとこの人(ハサン)は口にした。

 でも、何が?

 僕の何処に、何があるのかと、視線だけをその大きな背中に向けるベルに、ハサンは応える。

 

「越えがたき壁、強大な敵、身を心を蝕む絶望―――くず折れる身体に、地に沈む意志」

 

 英雄にならんとする者が、何時か何処かで必ず前にする(絶望)を前にして、何を為すか。

 強大な敵か。

 名もない人の集まりたる群衆の意思か。

 目に見えぬ、されど世界を覆う巨大な権力か。

 何かはわからない。

 しかし、『英雄』を目指すのならば、何時か何処かで必ず前にするそれらの前で、その時何ができるのか。

 無様に負けるかもしれない。

 地に叩き伏せられ、泥を啜り汚泥の中を這う羽目に陥ることもあるかもしれない。

 その時。

 その瞬間こそ、『英雄』たる『資格』が問われる。

 そう―――

 

「しかし、そこで『それでも』と立ち上がる者こそが、『英雄』と呼ばれる」

 

 過去がどうあれ、『資質』がどうあれ、その時、必要なその瞬間に、立ち上がれなければ何もできはしない。

 立ち上がれなければ、何も成し得ないのだから。

 

「『覚悟』、『勇気』、『願い』―――多くの言葉で伝わるそれが何であれ、立ち上がって見せること、立ち上がれることこそが『英雄』の証し」

 

 今、此の時。

 ベル・クラネル(英雄たらんとする者)ゴライアス(絶望)を前に立ち上がれたように。

 

「―――未だか細いそれであるが、貴様は確かに見せた」

 

 周りから支えられ、一人で立ち向かうことが出来なかったとしても。

 声を上げ、立ち上がって見せた。

 小さく儚くも、確かな『資格』を魅せてみた。

 だからこそ―――。

 

「ならば、私も見せよう」

 

 (ハサン)が右手を掲げる。

 その何十にも巻いた黒い布をほどく。

 はらはらと、何十もの拘束具を一つ一つ外すかのように、一つほどける度に周囲に電流染みた怖気が走る。

 

「……ベル・クラネル。貴様は『英雄』を星のようだと口にしたな。ならば―――」

 

 見てはならない。

 其は『死』―――そのものであるが故に。

 なのに、その腕から視線が外せない。

 神様達(ヘスティアやヘルメス)も、冒険者達(桜花さんやリリ達)の目も、其から目が離せない。

 悍ましく忌々しい―――しかし強大な『凶』そのものを前に、魅いられたように目を奪われる。

 

「―――目を凝らせども見えない程に小さな星ではあるが、その輝きを貴様に見せてやろう」

 

 黒い布(封印)の奥から姿を現したのは、赤い―――血のように紅く染まった長い腕。

 死に満ちた戦場の大地から、血肉を糧に伸びる忌まわしいナニかのように、ゆっくりと()()()()()()()()()()

 

「だが、覚悟せよ」

 

 明らかに()()()()()()()()()()()()は、長く、数Mはあるだろう。

 ぐにゃりと蛇のように揺らめかせるその腕は、まるで其そのものが意思を持っているかのようで。

 

「我が身は『暗殺者』―――その輝きは、忌まわしきモノ故にっ!!」

 

 誰もが言葉を失う中、一人の英雄(暗殺者)が駆け出していく。

 その身を黒き風と化して、駆けゆく先には、炎を削ぎ落とし、代わりに回復を示す赤い燐光を全身から発して走るゴライアスの姿が。

 

「―――ッカカ!!」

 

 山が迫ってくるかのような、恐ろしすぎる圧迫感と絶望を前に、しかし男は―――ハサン・サッバーハは嗤う。

 呵々と嗤った。

 

「さあっ! 聞こえるか怪物よッ!!」

 

 その背には、鐘の音。

 大鐘楼の鐘の音。

 嘗て耳にした茫洋たる過去の向こうに響くそれではなく。

 一人の少年()が鳴らす、今を照らす鐘の音。

 

「この鐘の音がッ!!」

 

 地面を蹴り、飛ぶ。

 一瞬にして、ゴライアスの眼前へと迫る。

 右腕は、既に構えていた。 

 知らず、口からは言葉が漏れ出ている。

 抑えきれないこの高揚は、一体何処から来ているのか自分でもわからないままに。

 その思いのままに、ハサンは叫ぶ。

 

「これこそっ! 新たな英雄たらんと立ち上がった者に響く暁鐘でありッ!!!」

 

 全身を震わす鐘の音。

 人のモノではない魂たる霊基を震わせる大鐘楼。

 新たな英雄を称える(暁鐘)である其は―――

 

「貴様にとっての晩鐘よッ!!!!」

 

 ―――同時に対するモノにとっての(晩鐘)でもある。

 この鐘の音に何を思ったのか。

 それとも自身に向けられた人のモノではない赤い腕を警戒してか、ゴライアスの足が微かに―――しかし確かに鈍った瞬間。

 

「さあっ―――晩鐘は貴様の名を示したッ!!」

 

 英雄(ハサン・サッバーハ)の一撃は振るわれた。

 

妄想心音(ザバーニーヤ)ッッ!!!!」

 

 真名と共に発動された『宝具』たる其は、ゴライアスの胸部の中央―――やや左寄りに触れると、直ぐにそこを押すようにしてその場から身体を離す。

 宙を身体を回転させながら地面へと降りていくハサンに、ゴライアスは何故か攻撃仕掛ける様子は見られない。

 それどころか、巨人たるその身を小揺るぎもさせない筈のハサンの攻撃とも思えない先の一撃を受けた後、何故かゴライアスの足はその場で留まっていた。

 それどころか、あれほど見せていた憤怒の感情を何処かへ落としたかのような気の抜けた間抜けな顔で、自身の胸―――先程ハサンが触れた位置に手を置いている。

 大鐘楼の鐘が響く中、奇妙な間が出現した。

 そして、最初に()()に気付いたのは、ゴライアスの一番近くで先程まで戦っていた二人。

 その二人―――リューとアスフィの目は、驚愕と恐怖に見開かれていた。

 

「あれ―――……は?」

「いや、まさか、しかしあの大きさは―――っ?!」

 

 視線の先は、足を止めたゴライアスではない。

 そのゴライアスへと、何かをした男―――ハサン・サッバーハに向けられていた。

 地面に降り立ったハサンの前には、長い―――自身の身長よりも長大な数Mはあるだろう右腕。

 その先には、赤黒いナニかが握られている。

 小さな子供程の大きさの、その赤黒い塊は、一定のリズムで動いていた。

 まるで、鼓動のように―――。

 違う、()()()、ではない。 

 あれは、間違いなく。

 

「馬鹿なっ!? ゴライアスのっ?! どうやって!?」

 

 ―――心臓だった。

 赤い、血の塊のようなそれは、確かに心臓であり。

 その大きさからかなりの巨大な生物のそれで。

 それこそ、目の前のゴライアスのような。

 しかし、その方法がわからない。

 一体、どうやって、どんな方法でそれを成し遂げたのか、全く理解の欠片すら掴むことができない。

 それはまるで、神の振るう権能の如く。

 アスフィ達の疑問(恐怖)の声に応えるかのように、ゴライアスの心臓を握るハサンが、その仮面の下で口角を曲げて呟いた。

 

「―――魂など飴細工のようなものよ……」

『ギィアアアアオオオオオオオオオッ―――ッゲ??!!』

 

 それが―――眼下に立つその(ハサン・サッバーハ)が持つそれが、己の心の臓であると本能的に察したゴライアスが、悲鳴とも怒号ともつかない絶叫を伴って手を伸ばすが。それよりもハサンが右手に握るそれを潰すのが速かった。

 熟れすぎた果実を潰したかのような、湿った重い音と共に、絶叫を上げるゴライアスの口から血が吹き出される。

 ハサンへと伸ばした腕の勢いのまま、ゴライアスはその場に膝を着く。

 地が揺れ、大地に罅が刻まれる音が響く中、合図のように、ヘスティアの声が上がった。

 

「っベルく――――――んッ!!!」

 

 号砲と共にベルは駆けた。

 真っ直ぐに、ひたすら前に。

 両手に握る黒い大剣を肩に、黒い刀身から白い光を放ちながら。

 大鐘楼をその身から響かせながら、ベルは走る。 

 

「っ―――ああああああああああああああああああああ」

 

 声を上げ。

 願い(憧憬)を燃やし。

 武器を手に、魔物を倒すために。

 対する魔物たるゴライアスは動かない。

 膝を着いたままの姿。

 しかし―――

 

「!? ―――っいけない!!?」

「ち―――ぃっ!?」

 

 異変に気付いたのは、僅かに二名。

 その経験から、何が起きるかわからないと一瞬の気を抜くことなくゴライアスの様子を伺っていたリューと、己の(宝具)はこの化け物(ゴライアス)と致命的に相性が悪いと知るハサンの二人。

 だが、気付いたからといって、間に合うかは別であった。

 もう既にベルは駆け出しており、あと数秒もしない内に全てが決してしまう。

 このままでは、()()()()()()

 膝を地に落とし、だらりと垂れ下がったゴライアスの長い腕。

 その右腕が、ぴくりと動いたのをリューとハサンは見逃していなかった。

 予感がする。

 確信とも言えるそれが伝えていた。

 ベルの一撃よりも、ゴライアスの一撃の方が早い、と。

 そして、それを防ぐのは間に合わないと言うことも、二人にはわかっていた。

 しかし、だからと言って何もしないわけにはいかない。

 咄嗟に動き出そうとする二人。

 だが、その視界に、あるモノが過った。

 

 

 

 

 

 走る―――走る―――走る―――ッ!!

 

 もう体力は既に底を着き、最早一歩も動けない―――その筈なのに、それでも足を前へ、先へと伸ばす。

 飛ぶように地面を駆け抜け。

 向かう先には山のように巨大な巨人(ゴライアス)の姿が。

 一人では決して届かない壁を前に、皆が、仲間達が、名も知らない冒険者達が一つ一つ足場を作り上げてくれたその道を、真っ直ぐに駆けていく。

 だけど、直感した。

 間に合わないと。

 ゴライアスの右手が、僅かに揺れるよう動いたのに気付いた。

 極限の集中が、時間をゆっくりと感じさせる中、ゴライアスの動きも手に取るようにわかる。

 だから、嫌でもわかってしまう。

 僕が一撃を放つ前に、ゴライアスの一撃が僕を押し潰す、と。

 ゴライアスの腕の届かない間合いの外で、攻撃するという考えは、しかし直ぐに避けられる可能性が高いと却下される。

 よしんば当たったしても、その(魔石)には届かない。

 そうなれば終わりだ。

 回復したゴライアスに今度こそ殺される。

 どうする?

 足を止めて、攻撃を避けてから一撃を入れるか?

 だけど、今足を止めたら、次は動けるのか?

 もう、身体は限界を当に越している。

 一度でも足を止めたら、もう終わりだと告げている。

 次はない、と。

 でも―――だけど―――と、答えのない懇願染みた言葉が脳裏を過ぎていく―――その時。

 

 ―――いけ

 

 声が、聞こえた気がした。

 大鐘楼の鐘の音で、閉じられた耳から聞こえるそれじゃない。

 

 ―――いけっ

 

 心に直接語りかけるかのような。

 身体の内から響くその声が、何なのか―――誰のものなのか、僕は―――知っているっ!

 

 ―――いけっ!

 

 背中が、熱い。

 神の手により刻印が刻まれた背中が熱い。

 突き刺すような、強い()()を受けた背中が、熱い。

 それが―――僕の背中を押す視線が、身体を貫いて、心を震わせ形となって叫んでいた。

 

 ―――いけっ!!

 

 それが誰の視線で、誰の声なのか。

 教えられなくてもわかりきっている。

 視界が、歪む。

 信じていた。

 信じていた―――けど、それでも怖かった。

 思う度に心に冷たい風が吹き抜けていた。

 その度に、それでもと思ってはいた。

 目が、熱い。

 目の端から溢れた涙が、後ろへと飛んでいく。

 不安や恐怖が溢れ落ちていく。

 全身を苛もうとしていた寒気が、何時の間にか何処かへと消えて、今は燃え上がるように全身が熱い。

 剣の柄を握り砕かんばかりに掴み、大きく振りかぶる。

 ゴライアスの右手が、動い―――て……。

 声が―――

 

 いけっ!! ――――――ベルッッ!!!

 

 ―――響く。

 背中を、押されるっ。

 頭上より、流星が走る。

 超音速で疾るそれを、目にした者処か気付いた者さえ片手で数える程しかいなかった。

 18階層の端。

 遥か遠く―――視界に捉えられない程の彼方から放たれたその一条の()は、瞬く間もなくゴライアスの右腕―――その付け根へと至り。

 

「「――――――っ!!?」」

「ふふっ――――――やっぱり」

 

 一矢をもってその巨腕を切断した。

 同時―――

 

「ああああああああああああああああああっ!!!!」

 

 ―――ベルの振るった大剣から放たれた極光がゴライアスを包み込んだ。

 ゴライアスの異変に気付いた者は、殆どいなかった。

 また、気付いた者も、直後に起きた光景により忘れ去る事になる。

 ベルが振るった一撃。

 大鐘楼の鐘の音の下に振るわれた一撃は、ゴライアスの腰から上の全てを包み込み。

 その全てを蒸発させた。 

 

「―――――――――――――――」

 

 地面に膝を着いたままの下半身だけが残っている。

 18階層に沈黙が満ちる。

 全ての者の目が、下半身だけとなったゴライアスへと注がれる中、遂にそれは始まった。

 ゆっくりと、ゴライアスの残った身体の端が崩れ始めたのは。

 灰へと変じ、形を崩すゴライアスを目撃した者達は、示し合わせたかのように一斉に息を飲み。

 そして―――

 

 

 

『――――――……うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』

 

 

 

 一斉に声を上げた。

 驚愕、驚嘆、歓喜、爆発のように広がる声は18階層の隅々まで轟き震わせる。

 その中心で、それを成し遂げた少年が、崩れ落ちるように地面へと倒れ込むのを見て、仲間達が駆け寄っていく。

 

「ベルっ!」

「ベルさまぁああッ!!」

「クラネルさんっ!!」

 

 知った顔も、見知らぬ顔も集まって倒れた少年を―――新たな『英雄』を取り囲むその姿を、遠目で細めた目で見つめていたヘスティアは、ゆっくりとその口元に笑みを浮かべながら頷いて見せる。

 

「……やったね、ベル君」

 

 そして、ゆっくりと後ろを振り返る。

 目を向ける先には誰もいない。

 木々に生い茂る森の姿しか見えない。

 だけど、ヘスティアの目は、確かに誰かの姿を捉えていた。

 

「全く、顔ぐらい見せたらどうなんだい」

 

 白に近い灰色の髪に、浅黒い肌の―――自分の大切な家族の一人を。

 

 

 

「―――シロ君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。
 
 次話がエピローグで、二章は終わります。
 多分、来週には間に合うものと思われます。
 頑張ります。


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エピローグ 魔人が見た夢

 FGOをやって、この小説の中でハサンを出そうと思った時に、このシーンを書きたいと思っていたので満足です。


 ―――歓声が、まだ聞こえてくる。

 小波のように、時に強く、弱く、しかし途切れることなく聞こえてくる声は、未だに終わらず。

 戻ってきた風と共に、枝葉を揺らしている。

 森の奥。

 顔を上げる。

 18階層の端の一角にある森の奥深いここは、あの戦いの影響は殆どなかったのか、周囲に破壊の跡は見られない。

 風に木々や草が揺れ、虫の音が響き、深い緑の香りが辺りに漂う。

 ここだけを見るならば、あの戦いがまるで夢のようにも思えてしまうほどに。

 ただ、頭上を隠す木々の隙間から見える筈の光が、未だ届かない事だけが、あの戦いが夢ではなかった事を告げている。

 微かに届く、月光染みた青い光だけでは、あまりにもか細く、この奥深い森の闇を照らすには儚すぎた。

 

「―――それで」

 

 その、朧の闇の中に、一人の影が立っていた。

 高い。

 猫背気味のその様でありながら、2Mは確実にあるだろう高い身長の持ち主だ。

 一見すれば痩せ細ったようにも見えるその身体の四肢は長く、特に目を引くのはその右腕。

 何かを押し止めるかのように黒い布で何十にも巻かれている。

 その身体は闇に沈むような黒い不可思議な装いをしており、まるで地面から影そのものが立ち上がったかのようで。

 顔に張り付いた。

 白い髑髏の面が、まるで浮かんでいるかのように見える。

 

「何時まで、隠れているつもりだ」

 

 その白い面の奥で、ハサンは姿を見せない男に向かって声を掛ける。

 姿形も、声も気配すら感じられない。

 だが、それでもハサンにはわかっていた。

 男が、そこにいることを。

 

「『暗殺者(アサシン)』の真似事はそろそろ止めたらどうだ―――『弓兵(アーチャー)』」

 

 嘲笑う。

 挑発するような嘲りを含んだその声に、男は―――シロは苛立ちを込めた声で応えた。

 

「オレは『弓兵(アーチャー)』ではないぞ―――『暗殺者(アサシン)』」

 

 ハサンの背後に、木々の上から音もなく降り立ったシロがその背に向けて声を掛ける。

 背後を取られたハサンだが、最初から分かっていたかのように何の気負いもなくゆっくりと振り返ると、頭を横へと傾けた。

 

「ああ、すまんな―――()()()()()()()()()()

「っ―――」

 

 からかうような、そんなハサンの声音に、シロは心のざわつきを表すかのように舌打ちを鳴らした。

 

「そう猛るな。そうして姿を表したということは、何か聞きたいことがあるのだろう?」

「それは―――」

 

 そう、あれだけ姿を現そうとしなかったシロが、こうして簡単に姿を表した理由。

 単純な話だ。

 戦うだけなら、殺すつもりだけならば、声も姿も見せる必要など何処にもないのだ。

 知覚外からの攻撃が、一番効果的なのは相手が英霊であっても変わらない。

 特に弓兵であるならば、尚更だ。

 事実、そのためにシロはこれまで姿を表していなかった。

 あの時―――ベル・クラネルの最後の一撃を迎撃せんとしたゴライアスの腕を吹き飛ばした一矢。

 あの時、あの瞬間運良くこの男―――シロは18階層に来たわけではない。

 この男は、それよりもずっと前に、既にこの階層にいた。

 それこそ、ベル・クラネルがここ(18階層)に来た時には、既に潜伏していた筈だった。

 それを、ハサンは知っていた。

 気付いていた。

 シロが、一撃でもってハサンを殺せるように、息を潜め狙っている事に、当に気付いていた。

 狩人のように、暗殺者のように、必殺の時をじっと待っていたことに。

 それは、あのゴライアスへの一射により破綻することになったが、それでもその姿を完全に捉えられた訳でもなし。自ら姿を晒すという愚挙を理由はなかった筈だ。

 そう、別に理由がない限り。

 

「なんだ?」

 

 口を開いたが、何かを言い切る前に自らその口を閉ざしたシロに、促すようにハサンは聞く。

 二人の間には十数M程の間しかない。

 二人にとって、そんな距離はないも当然である。

 一足一刀の間合いの空間に、奇妙な緊張が満ちていた。

 それは戦いの最中に満ちる、それとは似ているようで違う何かであった。

 

()()()()()()?」

 

 躊躇うように噛み締めていた口許を開いたシロが吐いたそれは、短い問い掛けであった。

 どうとでも取れるその言葉を、しかしハサンははぐらかす事なく受け止めた。

 

「ただの気まぐれよ」

「なに?」

 

 ふざけたつもりはない。

 少なくとも、ハサンは真面目に考え、嘘偽りのない自身の言葉で応えたが、受けたシロはそうは思わなかった。

 はっきりと苛立ちが混ざるその声に、ハサンは仮面の下の口許を歪める。

 それは相手に対してか、それとも自分に向けたものなのか、自身でもわからないまま口を開いた。

 

「そう、真実ただの気紛れでしかない。故に、貴様も気にするな」

「何を―――」

 

 シロの眉根が訝しげに歪む。

 それはどちらの言葉に対してのものだったのか、繰り返し口にされた言葉に対してか、それとも自分でも気付いてはいない心の内を言い当てられた事故か。

 

「舐めるなよ小僧。貴様の殺気が鈍っている事に気付かぬと思っているのか」

「―――っ!?」

 

 ハサンの言葉に、シロは息を飲む。

 言われて、初めて自覚した。

 確かにあった、硬い鋼のような決意にも似た殺意が、言われて初めて揺れるように鈍っていたことに。

 戸惑うように、自分の手を、身体を見下ろすシロに、ハサンはからかう言葉も様子も見せる事なく、淡々とした声で話を続ける。

 

「聞きたいことはそれだけか? それならば―――」

「なら、何故助けたっ」

 

 遮るように、シロの声が上がる。

 怒声ではない、苛立ち―――でもない。

 焦りを含んだ、懇願染みたその声と言葉に対し、ハサンは無言のまま。

 

「…………」

「一度ならば気紛れもあるだろう。だがっ、貴様は何度もベルを救った!?」

 

 そう、シロには理解できなかった―――わからなかった。

 何故、ハサン(アサシン)はベルを救ったのか。

 シロがハサンを見つけたのは、丁度17階層からベル達を連れてきた時であった。

 あの時の動揺は酷かった。

 ハサンの姿が、影のようなそれではなく、あの世界での姿のままであったことだけではない。ベルとその仲間達を連れていたこと、そして彼らを【ロキ・ファミリア】の野営地の前まで運んだこと。

 まるで、ベル達を救うかのような動きを見えていたことに。

 意味が、わからなかった。

 もしかしたら、一度だけならば、ハサンが口にしたように何か気紛れで助けた可能性も、なくはないのかもしれない。

 しかし、その後も、ハサンはベルを助け続けた。

 助言染みた事も告げていた。

 わからない。

 何故?

 意味が、わからなかった。  

 

「何故だっ!?」

「言った筈だ。気紛れだと」

 

 震え割れる程に大きく発せられたシロの声は、怒声というよりも、悲鳴のようにも聞こえた。

 小心の者ならば、耳を塞ぎ踞りかねない強さを持ったその声に対し、しかし向けられる当事者たるハサンの様子からは、何の痛痒も感じていないように見える。 

 

「気紛れで、救ったと? 貴様が―――貴様のような奴が―――」

「私の何を知っている」

 

 変わらない、淡々とした同じ返事に対し、シロは胸の奥から沸き上がる感情に任せるまま、弾劾するかのように声を上げるが、それはハサンによる問いにより急速に萎むことになる。

 

「っ―――それ、は……」

 

 言われ、戸惑うように口を何度も開けては閉じを繰り返した後、シロは口元を噛み締めると共に俯いた。

 

「……今の私には(マスター)はおらん。その行動全ては私の意思によって行われる。確かにこの身は穢われしものではあるが、それでも私は快楽で人殺すような畜生ではない」

「―――特に理由がないならば、殺す事はなく。気紛れでも理由があれば人を救うこともある、と」

 

 ハサンの言葉に、シロは顔を俯かせたまま呟くように受け取った言葉からの推測を口にする。

 自問自答のようなそれに対し、ハサンは一つ頭を縦に動かす。

 

「そうだ」

「……なら―――」

 

 顔を俯かせたままのシロは、数瞬の沈黙の後、肩を落とすような気配を出しつつ何かを口にしようとしたが、それを遮るようにハサンが口を開いた。

 

「―――見逃す、とでも言うつもりか」

「それ―――は……」

 

 その声は、明らかに苛立ちと侮蔑、そして怒りに満ちていた。

 激する炎のようなそれに、反射的に顔を上げたシロに向けて、変わらず闇に沈んだ影のような姿で、ただ一つ浮かび上がった白い髑髏の面の、その眼窩の奥から鋭い刃物のような視線が突きつけられる。

 

「馬鹿か貴様」

「な―――っ」

 

 呆れた、とでも言うような調子で、しかしその奥底に炎のように揺れる憤りにも似た怒りに満ちたその声と言葉に、シロは気圧されたかのように、一歩、無意識に後ろに足を動かしてしまう。

 

「貴様は知っている筈だ。私が―――いや、()()()()()()()()()()()()

「それ―――は……」

 

 生まれた瞬間は目にしてはいない。

 しかし、ナニから生まれたかは分かっていた。

 狂ってしまった精霊。

 侵され狂いに狂って壊れてしまった精霊の残骸()から生まれたモノ―――それが(ハサン)彼等(サーヴァント達)であった。

 

「あのような狂ったモノの肚から生まれた我らが、マトモなモノであると本当に信じているのか?」

「―――っ」

 

 その言葉に、シロは自身の心が想像以上に動揺している事を自覚した。

 理由は、何とはなくに察していた。

 何故なら、それは。

 何故なら、自分は―――。

 

「……それとも、ただ()()()()()()だけか?」

「貴様ッ!」

 

 己の中で、答えが形となる直前、ハサンの言葉がシロの胸を撃つ。

 反射的に激昂した声が上がったが、続く言葉が形となるよりも前に、ハサンが口を開く方が早かった。

 

「―――声が、時折聞こえる」

「なに……?」

 

 しかし、その口にした言葉の意味がわからず。シロの内から吹き上がった感情が、行き場を失うかのように急速に萎む中、ハサンの独白染みた言葉は続く。

 

「『壊せ』『殺せ』『閉じ込める全てを』―――そう、囁く声がな」

「それは―――まさか」

 

 続く言葉に、シロは何かを察した。

 彼等(サーヴァント達)が、一体どうして、どうやってこの世界に現界したのかはわからない。

 彼等がこの世界に現れた瞬間を、自分は目にしてはいないからだ。

 しかし、自分が切っ掛けとなった事は理解している。

 自分がアレに取り込まれた(喰われた)後に、彼等(サーヴァント達)が現れたからだ。

 そして、彼等(サーヴァント達)はその狂った精霊を元に、この世界に現界した。

 どのような行程を踏んで現れたのかはわからない。 

 自分の知る召喚と、どれだけ近いのか、それとも全く別のものなのかもわからない。

 しかし、ハサンの口ぶりからして、少なくとも何らかの影響を受けているのだろう。

 そしてそれは―――それの意味するところは―――。

 

「どうあれ()()から呼ばれた我らには、その影響がそれなりにあるのだろう。今は無視出来るが、これが何時まで続くのか、このままなのかもわからん。唐突に意思を奪われる可能性も否定は出来んしな」

「アサシン……」

 

 己の現状を赤裸々に語るハサンの姿に、シロは戸惑いを隠せなかった。

 動揺をさそうにしても、意味がわからなかったからだ。

 それを口にして、一体どのようなメリットがハサンにあるのかが、全く検討がつかない。

 メリットどころか、デメリットだけだ。

 そんな言葉を口にして、シロが黙って見過ごせる訳がないことぐらい、わからない程ハサンは愚かではない筈なのに。

 ―――何故?

 そんな事、まるで……。

 

「それを聞いても、貴様は私を放置できるか?」

「―――何故、それを言った」

 

 そんな事を口にすれば、自分が何をするのか―――どうするのかぐらい、直ぐにわかる筈だった。

 少なくとも、今、この場で口にする理由は全くなかった筈だ。

 これといった怪我はなくとも、あれだけの大物とやり合った直後だ。

 宝具も使用している。

 消耗は無視できる範囲を越えている筈―――なのに、何故?

 そんなの、まるで―――

 

「……」

「黙っていれば―――」

 

 知らず、シロは口を開いていた。

 聞いても、問いかけても応えてはくれないとわかっていながらも、口を開かずにはいられなかった。

 しかし、予想に反し、ハサンは言葉を返してきた。

 シロがその問いを言い切るよりも前に。

 淡々とした声で、変わらない答えを。

 

「―――気紛れよ」

「なっ―――馬鹿な……」

 

 気紛れ。

 気の迷い。

 気が、変わりやすいということ。

 その時々、時期や場所、状況によって気分や行動を変える様。

 ハサンに―――アサシンに―――暗殺者に―――最も遠い言葉だ。

 なのに―――

 

「そう、何もかもが気紛れでしかない……」

「アサシン、お前は……」

 

 淡々とした声に言葉。

 しかし、その奥に、何処か苦笑するような、そんな自分に向けた呆れにも似た感情を感じた気がしたシロは、それに対し何かを言おうと口を開いたが、結局形になることはなく力なく閉じられることになった。

 

「さて、ではやるとするか」

「…………」

 

 ふっ、とハサンの気配が変わった。

 僅かに感じられた気配が消えるように薄まりながらも、同時に戦意が沸き上がる。

 矛盾した、そんな感覚を感じさせる姿を前に、しかしシロの体は動かなかった。

 だらりと力なく両腕を垂れ下がらせる姿からは、何の戦意も感じられる事はない。

 

「構えないのか?」

「――――――」

 

 構えも見せない。

 ただ立ち尽くすようなそんなシロに向け、ハサンは黒く塗りつぶされた短剣(ダーク)を右手に持ち構えている。

 黒く塗りつぶされたその短剣(ダーク)の切っ先は、真っ直ぐにシロの心臓を狙っていた。

 しかし、それでもシロは構えない。

 殺気も戦意も見せる事なく。 

 何処か呆然と、自暴自棄にも見える姿で立つ尽くすシロを目にした、対するハサンは、その仮面の下で口元を厳しく引き締めていたが。

 

「ふっ―――」

 

 小さく吐息を吐くような笑いを漏らした。

 それは、嘲笑のそれではなく。

 何処か、迷い子を見た大人のような、そんな、不思議なそれであり。

 そして、それが幻のように消え去ると同時、ハサンは声を上げた。

 高らかに、あの時のように、見せつけるように、示すように。

 シロに向かって宣言した。 

 

「我が真名は【ハサン・サッバーハ】ッ!! 暗殺者(アサシン)教団教主『呪腕のハサン』なりッ!!」

 

 シロに短剣(ダーク)の切っ先を向けたまま、ハサンは声を高らかに名乗りを上げる。

 己が何であるのかを。

 世界に、相手に示すように。

 こんな事は、有り得ない事であった。

 あの時も、今も、こんな事を生前の己が知れば、一体何と罵倒されることになるのだろうかと、自分でも呆れながらも、しかしハサンは声を上げた。

 そして、問う。

 相手に、己が相対する者に対し。

 

「貴様は何だッ!?」

「っ―――おれ、は……」

 

 揺れている。

 シロの視線が、身体が、心が揺れている。

 自身が立つ大地が揺れているかのように、その上に立つ全てが揺れている。

 

「貴様は誰だッ!!?」

「お、れは―――俺はぁああああああああッ!!?」

 

 再度の問い。

 それに、シロは叫びで答えた。

 雄叫びではない。

 悲鳴染みた。

 己を鼓舞し、奮い立たせるためのそれではない。

 敵を否定し、己すら否定する。

 迷いを振り払うそれではなく、迷いから逃げるようなそれで。

 声を上げ。

 叫びを上げ。

 両の手に双剣を手に、ハサンへと向かって(逃げて)いく。

 

「―――ふ」

「―――ああああああああああああああああああああああああ」

 

 それを前に、双剣を手に迫るシロに、仮面の下で、何を思ったのか。自分でもわからないままに、浮かんできた感情を口元に浮かべ、ハサンも前へ出る。

 真っ直ぐに。

 愚直なまでに、ただ前に。

 あの、少年のように―――。

 あの―――英雄のように―――……。

 何の仕掛けも虚もなく。

 ただ、一突きに。

 短剣(ダーク)を前に。

 それは、確かに速かった。

 レベル5処かレベル6の冒険者であっても、避けることは難しい程の練磨の動き。

 しかし―――

 

 

 

 

 

「……アサシン―――オレは……」

 

 ―――歓声は、もう、聞こえてこない。

 ただ、時折吹く風が、木々を、草葉を揺らす音が響くだけ。

 未だ暗い闇に沈む森の奥であるそこで、二人の影が、互いに背中を向けて立っていた。 

 二人の間には、先程と同じぐらいの距離があり。

 違うのは、互いに背中を向けていること、そして二人の立つ位置。

 そして―――。

 

「―――我らは終わった存在だ」

 

 逆の立場。

 先程までハサンが立っていた位置。

 青い月光にも似た光すら届かない闇の中に立つシロへと向けて、滓かに明かりが落ちる。

 先程までシロが立っていた位置に立つハサンが、背中を向けたまま言葉を紡ぐ。

 

「っ」

 

 『終わった存在』―――それが何を意味しているのかは、シロは知っていた。

 そう、(ハサン)は―――彼等(サーヴァント)とは、もう終わってしまった存在。 

 

「肉を持ち、意思があったとしても、結局はただの影法師に過ぎん……」

「――――――」

 

 言葉を話し、肉を持ち触れ合えたとしても、互いに情を交わしあえたとしても、彼等彼女等は所詮は過去の―――もう消えてしまった存在。

 歴史の影。

 何時かの誰かの影法師でしかない。

 

「既に結末が描かれた―――物語から溢れた残滓……」

 

 喜劇か悲劇か、それともまた違う何かなのか。

 どうあれ、終わってしまった物語の登場人物でしかない。

 

「それが私だ―――それが我らだ―――」

「―――……」

 

 わかっている。

 そんな事は、わかりきっていた。

 だから、肯定も否定もしない。

 だまって、受け止めるだけ。

 そうだ―――。

 どれだけ似ていたとしても、同じだとしても、決して本物ではない彼等。

 それは、自分も―――

 

「―――だが、貴様は違う」

「ぇ?」

 

 溢れた声は、本当に何かを思ってのものではなかった。

 自然と、口から上がったそれは、疑問、ですらなく。

 意味が、わからなかった。

 言葉の真意が、わからなかった。

 どういう、意味なのか。

 本当に。

 だから、それは疑問でも、戸惑いでもなく。

 

「貴様の『物語』は……未だ終わってはいない」

「―――っ」

 

 その声は、何処か笑っているような。

 呆れたものを、見るかのような、そんな苦い笑いで。

 しかし、忠告染みたその言葉は、何処か、優しげでもあり。

 

「我らとは違う……」

「ハサ―――」

「―――いけ……」

 

 咄嗟に上げかけた言葉に続くのは、一体どんなものだったのか。

 しかし、それもやはり形にはならなかった。

 遮るように、告げられた言葉。

 

「っ―――……」

 

 その声は、既に力はなく。

 しかし、その声に、シロは抗う事は出来なかった。

 瞬時の躊躇の後、結局シロは無言のまま、そのまま前へと進む。

 闇に沈んだ、森の奥へ。

 振り返らず。

 消えていった。

 

「―――全く……私は本当に何を、して……いるのか……」

 

 気配が、消えた。

 この場から、立ち去ったのだろう。

 もう、振り返って確認する力もなかった。

 力、が、抜けていた。

 命が、魔力が消えていく。

 (消滅)が、間近に迫っていた。

 恐怖は、ない。

 怒りも、ない。

 不満も、ない。

 後悔も、ない。

 全力だった。

 単純な、真っ直ぐに前へ。

 ただ、それだけ。

 何の仕掛けも技もない。

 愚直なまでのそれ。

 自殺紛いな行動だ。

 普段ならば、考えられない。

 全く、何を考えていたのやら。

 何も、考えていなかったのか……。

 本来の戦い方で望めば、それなりの勝機はあっただろう。

 今の自分ならば、それだけの力はあった。

 しかし、そんな事をする理由も、必要も己にはなかった。

 その結果が、これ。

 一刀で右腕を切断され、二刀で(霊核)を斬られた。 

 

「―――軽い、な」

 

 斬られた右腕、その二の腕と肩の間。

 切断された右腕は、森の向こうに落ち、形を保てず既に消え去っている。 

 故に、己の右腕は既にない。

 右腕一つ。

 ああ、しかし、元々そこに私の右腕はなかった。

 自ら切断し、そこへ魔神の腕を取り付けたのだ。

 力が、才能がないからと、自らの身体を改造して。

 何時―――からだろうか。

 右腕が、重いと感じたのは。

 何時―――からだろうか、そんな事を感じなくなったのは。

 魔神の腕を奪い。

 それも自らの右腕に繋ぎ。

 そうまでして得た、辿り着いた頂き(ハサン・サッバーハ)に、しかし私は絶望した。

 村を捨て。

 恋しい女を捨て。

 己の顔を捨て。 

 遂には名すら捨ててまで得た頂き(ハサン・サッバーハ)に、私は絶望した。

 何者でもない。

 誰でもない何者かに。

 しかし、何故、私はそんなものを目指そうとしたのか。 

 『山の翁』の名を求めたのか……。

 

「け、きょく……なぜ、わた……しは……」

 

 声すら、もう上手く出せない。

 意識も、次第に薄らいでいく。

 そんな中、思うのは、何故、私は『山の翁』の名に手を伸ばした理由。

 その切っ掛け。

 原因。

 要因。

 私は、己を偉大な者―――優れた者として名を残したかった。

 しかし、それは、何故?

 全てを捨ててまで、そうまで望んだのは―――。

 浮かぶ、情景。

 それは、遠い、遠い過去。

 己が生きた―――世界。

 砂と、乾いた風が吹きすさぶ厳しい大地。

 そして、そこに生きる民と。

 信仰する神の教え。

 それらを、私は守りたかった。

 だから―――私は―――……

  

「―――ぁ」

 

 天を仰ぎ見る。

 白い髑髏の面の奥。

 虚ろの眼窩の下の目が、微かに光を捉えた。

 それは、この広い18階層を照らす、巨大な白水晶が甦ってきていることであり。

 少しずつ、強くなる光。

 白い、光。

 そこに、下から上っていく、黄金の光の粒が混じり。

 影が、見えた。

 二つの、影。

 私が、私であると思い出した時に、見たのに似ている。

 初めてあの、鐘の音が聞こえてきた時に見た、二つの影。

 しかし、一つ違うのは、大きな方の影が、前よりも大きく。

 明らかに女の形ではなく。

 大人の、それもかなり背の高い男の影に見える。

 その男の影は、欠けていた。

 右腕だ。

 その男の影には、右腕がなかった。

 男の影は、残った左手で何かを持って歩いている。

 その後ろを、前と同じ。

 小さな子供の影が歩いている。

 その小さな頭は、小さく男が持つ荷物とそれを持つ男の手を何度も見返している。

 何を、考えているのか、はた目から見れば明らかだ。

 男の影は、気付いていないのか。

 それとも、気づいていて無視しているのか。

 思わず、届かないと分かっていながらも、声を上げそうになった瞬間、子供の影が動いた。

 男の持つ荷物を奪い、代わりに自身の右手で空いた掌を掴んだ。

 そして、そのまま引っ張っていく。

 恥ずかしさを誤魔化すように、走り出す。

 それに引かれ、男の足が早まる。

 それを、見て、何故か、視界が歪んだ。

 身体の形すら保てなくなったのか、そう思ったが、違った。

 違うと、わかった。

 揺れる視界。

 滲む世界。

 熱い。

 目が、熱い。

 これは、有り得ない。

 こんなことは、有り得ない。

 当の昔に枯れ果てたものが、甦る事がないことを、知っている。

 では、これは?

 これは、なんだ?

 この、熱いものは。

 歪む視界が示すものは。

 一体、私は何を見ているのか。

 私は、何故、こんなものを見ているのか、わからない。

 ああ―――これは、有り得たかもしれない、世界なのかもしれない。

 私が―――(ハサン)ではなかったのならば、有り得たかもしれない世界。

 しかし、こんなものは有り得なかった。

 もう、私は選んでしまった。

 もう、私は終わってしまった。

 私の物語は、終わってしまっていた。

 

 何故、私は『山の翁』を目指したのだろう?

 

 動かぬ身体。

 天を仰ぎ見る形で、ぴくりとも動けない。

 そのまま天から降りてくる光と、下から上る黄金が交わる光を見つめる中で、何かが、見えた。

 歩く大人の男と、子供の二つの影。

 その向こう。

 光の向こう。

 光の始まりに、それが、見えた。

 少女だ。 

 少女が、隣にいる少年に何か話しをしている。

 ああ―――父親から寝物語に話された物語を、少年に伝えているのだろう。

 それは、とある英雄の物語。

 偉大な、一人の男の物語。

 それを、満面の笑みで、楽しげに話している。

 憧れの顔で、嬉しげに、楽しげに。

 

『―――ねっ、だからすっごく格好いいんだよっ!!』

 

 その、あまりにも楽しげで、嬉しげで、憧れを溢れさせてその物語の英雄を語る少女を見て、少年は何と言ったのか。

 何を思ったのか、そんな事は――――――……ああ、良く知っている。

 思わず、笑ってしまう。

 あの少年を、全く笑えない。

 まあ、しかしそういうものだろう。

 男が、英雄を志す理由なんて、大抵がそんなものだ。

 笑ってしまうほど、単純な者でしかない。

 例えば、そう、好きな幼馴染みの少女に、振り向いて欲しい―――そんな、単純で、馬鹿なもので……。

 もう、何も考えられない。

 消えていく。

 身体が。

 意識が。

 ゆらゆらと。

 薄くなっていく。

 ―――ぁぁ、そういえば、あの小僧は、少し、似ていたのかもしれない。

 顔立ちとか、そんなものじゃない。 

 性別すら違うのだ。

 性格すら似てはいない。

 ―――……ただ、あの真っ直ぐな瞳だけは、何処か、似ているのかもしれない。

 もう、何もかも思い出せない。

 あの子に―――

 彼女に―――

 ふと、()()()()()()()()()()()()()()()……。

 そっと、労るような、そんな優しさを感じられるほどの力で。

 動かない筈の、顔が動く。

 意識すらなく、知らず動く身体。

 曖昧だ。

 何もかも、曖昧。

 目も、もう見えない。

 光が、満ちている。

 透明なヴェールが揺れて隠されている。

 白いような、黄金のような。

 光が満ちる中。

 女が、横にいた。

 ()の隣に立って、右腕を掴んで見上げている。

 誰、だ?

 わからない?

 いや、良く、見えない。

 ぼやけて、よく、見えない。

 ただ、真っ直ぐにこちらを見る瞳には、何処か、見覚えが……。    

 

『―――ハナム』

 

 鈴の音のように、美しい声が、俺の耳を震わせる。

 ()()()―――。

 それは私の―――俺の―――……。

 

 ああ、こんなものは有り得ない。

 

 しかし、これは幻覚にしては、はっきりとしていて。

 

 しかし、妄想にしては、余りにも優しすぎて。

 

 だから、きっと―――これは―――……

 

 何もかもを削って、捨てて、失って……。

 

 人を捨て、誰でもない何かに落ちてしまった。

 

 終わってしまった物語の登場人物が、本が閉じられる間際に見る。

 

 そう、それは―――

 

 

 

『―――とっても、格好良かったですよ……』

 

 

 

 ――――――魔人が 見た  夢  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月の下、開く花があった。

 

 太陽の下。

 

 日向に咲くのではなく。

 

 誰にも見られない。

 

 月光の下で咲く花が。

 

 花は、自らの美しさを伝えるが、咲く姿を見ていないものは決して信じなかった。

 

 どれだけ花が、声高に叫んでも、信じられることはなく、無視され続けた。

 

 何時しか、花は諦念の中にいた。

 

 それでも、夜、月光の下で、花は咲き続けた。

 

 そんな、ある日。

 

 花に、声を掛けてきたものがいた。

 

 遠い、遠い彼方。

 

 空の向こう。

 

 月よりも更に遠い向こうに浮かぶ。

 

 小さな石ころ。

 

 輝くことも出来ず、無限の空に浮かんだ小さな石ころ。

 

 それが、花に話しかけた。

 

 『ああ、あなたはとても綺麗だ』―――と…………

 

 

 

 

 

 たとえ全てを忘れても

 

 第二部 外典 聖杯戦争編

 第三章 瞬激の■■■

 プロローグ 男には酒を、女には華を

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。
 これにて二部二章は終了となります。
 次回は三章となりますが、順調にいけば来週には投稿できると思います。

 ハサンの強さ

 もしも誰々と戦ったとしたら?
 私の脳内設定としては、このハサンがオッタルと正面から戦ったとしたら、その勝率は2割り程度。しかし、暗殺としてオッタルを狙ったとしたら、ほぼ10割りの確率でハサンの勝利となります。
 攻撃するまで気配を感じさせない。防御力無視の攻撃とかチート過ぎます。
 なので、他にアイズやフィンとかと戦っても、真正面からはその勝率は半分程度ですが、暗殺ならば全員ほぼ10割りで暗殺成功となります。
 それどころか、【ファミリア】全員を狙ったとしても成し遂げかねないと考えています。
 身体能力は総合的にレベル6の中位。
 しかし、宝具を含んだ能力の全てで暗殺を行うとしたら、レベルとして8以上。
 そんな感じて考えていました。


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第三章 瞬激の■■■
プロローグ 女には花を、男には酒を


 三章が始まります。
 大まかな流れは決めていますが、まだまだ話が出来ていないため、もしかしたら不定期となるかもしれませんが、その場合はどうかご容赦をお願いします。
 


「―――はぁ……」

 

 喧騒に満ちた酒場の空気の中、それに似合わない重苦しい溜め息が吐き出される。

 酒精を僅かに帯びたその吐息は、誰にも聞かれることなく喧騒の中へと消えていく。

 仲間(ファミリア)達の誰も気付いてはいないだろう。

 まるで見えていないように。

 まるで聞こえてはいないように。

 しかし、そんな事はもうとっくの昔に慣れてしまっていた。

 

「ふぅ……」

 

 酒精は弱く、その分甘味は強い酒を口に含み、喉を鳴らし奥へと流れ落とす。

 ゆっくりと広がる熱を吐き出すように、口から吐息を吐き出す。

 今日もまた、変わらなかった。

 駄目だと、そこに行ってはいけないと何度も口にした。

 手を引いて、危険だと言った。

 だけど、誰も信じてくれはしなかった。

 理由は? 

 根拠は?

 何故?

 そんな言葉に、何時もばか正直に答えてしまう。

 夢で見たと。

 抽象的で、戯画的な夢。 

 それを、そのまま言葉にしてしまう。

 誰も信じてはくれない。

 どれだけ声高に叫んでも、どれだけ必死になっても。

 私が感じた危機感を、確信を、誰も共有してくれない。

 何度も繰り返された。

 夢を見る度に繰り返した。

 だけど、誰も信じてはくれない。

 耳を傾けてはくれない。

 友達(ダフネ)も一度も信じてはくれない。

 一度も外したこともないその(予言)を、誰も一度も信じてはくれなかった。

 ぼうっ、と視界が霞がかっている。

 酔いが、意識を揺らす。

 まるで、夢の中にいるかのように。

 ゆらゆらと。

 ふと、声が聞こえた。

 聞きたくない、声と言葉。

 

「―――全くっ、今日は散々だっ!!」

「仕方ないさ、まさかあそこからモンスターが出てくるなんて思わねぇよ」

「だけどなぁ……」

 

 仲間(ファミリア)の声。

 今日に起きた悲劇。

 幸い、誰も死ぬことはなかったけれど、重傷者が何人も出てしまった。

 魔石も少なくこれといった収穫もないところで、苛立った団員が普段入らない道へと入り込んだ先でモンスターパレードにかち合ってしまったのだ。何とか逃げ出すことは出来たけれど、重傷者への治療費は笑えない程には高くついた。

 予想外の痛手に、最近色々と機嫌が悪い団長の気分は更に悪くなり。

 それを恐れた件の団員達が、自腹を切って酒場での宴会となったけれど、やはりそう簡単にあの団長の機嫌が良くなるわけもなく。

 今もまだ、主神(アポロン様)の一番のお気に入りの、その美しい顔を不満げに歪めている。

 そのエルフにも負けない美しく白い顔を、酒精で赤く染めながらも、その目は酒でも晴らせない苛立ちに歪んでいた。

 きっと、今日もまた、アポロン様から例のあの子の話を聞かされたのだろう。 

 その身体からは、不機嫌な気配が視覚にも捉えられる程に発せられている。

 誰も声をかけるような気配はなく。こういう時に場を盛り上げたりしたりするルアンも、この状態の団長には流石に近付こうとはしていない。

 両手で持ったコップを持ち上げ、一口含み飲み込む。

 

「ふぅ……」

 

 一体何度目のため息だろうか。

 ため息をすれば幸せが逃げていくと言ったのは誰だったか?

 酔っぱらった冒険者だったような、何処かの神様だったような……。

 大分お酒が回ってきているようだ。

 自嘲するように、小さく口許を歪め笑う。

 こんな気分になるのは久々だった。何時もなら、友達がそうなる前に声をかけてくれるからだ。しかし今は、残念なことに、唯一の友人であるダフネはこの場にはいない。

 前々から予定があったとかで、今日の宴には来ていないのだ。それなら私も、と言いたかったけれど、流石に当事者の一人として特に予定が入っていないのに抜けるのは無理があった。

 だからこうして、一人酒場の隅でコップを傾けているだけ。

 このまま静かに、黙って時間が過ぎるのを耐えれば、何時かはこんな時もおわ―――

 

「おい」

「え?」

 

 ふと、自分の顔に影が差したと思った時には、そこに団長が立っていた。

 その美しい顔を苛立ちに歪ませた恐ろしい姿で、私を見下ろしている。

 

「あ―――あの……」

「笑ったな」

「え?」

 

 ガタガタと震える身体。

 酔いなど、あっという間に消えていた。

 何を言われたのか、何がそんなに気にくわなかったのか何もわからず、既に涙が込み上げてきた目元を震わせながら、私が首を傾げると、団長(ヒュアキントス)は更にその顔を苛立ちと怒りに歪ませた。

 

「いまっ、私の事を笑っただろうっ!!?」

「―――ぃ!?」

 

 酷い誤解だ。

 全くの検討違い。

 そう、否定したかった。

 そう、声高に叫びたかった。

 だけど、私の口からは形にならない声だけが漏れて、それが更に団長(ヒュアキントス)の神経を逆撫でにしてしまう。

 周りからの手助けは期待できない。

 唯一可能性があった友達(ダフネ)はここにはいない。

 団長の手が上がった。

 殴られる。

 咄嗟に顔を背けたが、そんな事は大した意味はない。

 団長はレベル3で、私はレベル2。

 レベル差の他にも違いがありすぎる。避ける事もできないし、何処を殴られたって同じだ。

 ただ、直後に来るだろう衝撃と痛みに、目を閉じながら耐える。

 ……耐える。

 …………耐え、る?

 何時までも来ない衝撃と痛みに、疑問が浮かび。

 恐る恐ると、目を開けて顔を向けた先で。

 

「―――え?」

 

 一人の男がいた。

 何時、現れたのか全く分からない。 

 紺色の見慣れない服装。

 たまに見る、東から来た人が着ているような服に身を包んだ男―――うん、男の人だ。長い羨むほどに美しい青みがかった髪に、アポロン様が自ら望んで手に入れた人ばかりがいる美女美男ばかりの団員に見慣れた私でも、はっと目を引かれる程に美しい顔立ちをした男の人。背中には、剣を背負っているようだ。右肩から剣の柄が見える。だけど、その先が足元に見えるから、とんでもなく長いのだろう。剣にしては随分と細身なようだけど。多分、あれも東から来た人が良く使う剣―――刀と呼ばれる剣の一種だと思う。

 だけど、不思議。

 一目見れば忘れられそうにない程の人の筈なのに、今までこんな人がいることに気付かなかった。

 この酒場は貸し切りというわけでもなかったから、他にも客はいたけれど。

 入ってきた時も、その後もこんな人がいた事に一度も気付かなかった。

 多分、冒険者の人だとは思うけど、一体誰なのだろう。

 

「貴様―――っ、何者だっ」

 

 私に振り下ろそうとしていた手を掴まれた団長が、咄嗟に振り払おうとしたが、その男の人は微動だにしない。

 と、言うことは、この人は最低でもレベルは3。

 もしかしたらそれ以上?

 だけど、こんな人は聞いたことも見たことはない。

 

「―――花は愛でるものであって、手折るものではないぞ」

「なにっ」

 

 その顔立ちと同じく美しい声で笑い混じりの声を受けて、団長が更に苛立ちを募らせた声を上げる。

 同時に、男の人が手を離した瞬間、間合いを取るように背後へと飛んで距離を取った。

 明らかに臨戦態勢で、その身体からは剣呑な気配が漂っている。

 でも、私を含んだ他の団員達は、状況が全く把握できず何処か呆然とした様子を見せているだけ。

 

「私が【アポロン・ファミリア】のヒュアキントスだと知ってのことか!」

「すまないが、世情には疎くてな。お前が何処の誰かは知らないな」

 

 酔いによるものではない要因により顔を赤く染め上げた団長が、その(まなじり)を刃のように鋭く引きつらせながら声を荒らげる。

 その怒りを向けられていない周囲の団員達でさえ、怯えて縮こまる程の怒声を真正面に受けて、しかし、その相対者であるその男の人は全く揺らぎもしていない。

 飄々とした仕草で肩を竦め、笑って応える程の余裕さえ見せている。

 

「何だとっ!?」

 

 その姿に、更に激昂した団長が拳を音が鳴るほどに強く握りしめた。

 今にも飛びかかりかねないそんな姿を前に、それでもその男の人は優雅とも言える雰囲気を崩そうともしない。

 

「……とは言え、一応名乗られたのならば、名乗るは礼儀か」

「貴様っ何処の【ファミリア】の者だっ!?」

 

 ほっそりとした、それでも確かな武人としての指先を顎に軽く当てたその人が、何やら自問自答しているのを睨み付ける団長が、その人の所属を詰問している。

 先程の団長とのやり取りからみて、最低でもレベルは3。

 なら、きっと何処かの有名な【ファミリア】の団員の可能性がある。

 流石の団長も、そんな所に所属している団員に簡単に喧嘩を売ったりはしないとは思うけれど。

 でも、やっぱり私には、こんな冒険者の噂は全く耳にした覚えはない。

 レベルが3もあれば、噂ぐらい耳にしたことはある筈なのに。

 浮かんだ疑問は、周囲の他の団員達も同じなのか、困惑に満ちた目で皆がその男の人を見つめている。

 団長もまた、少し冷静になったのか、戸惑うような色がその目に浮かんでいた。

 私達の疑問の視線を受けたその男の人は、何やら困惑するように首を傾けると。

 

「ふぁみりあ? ああ、いやいや……某は何処其処の誰と言った者ではない。この身はただの田舎者。名は―――」

 

 そう信じられない言葉を口にし。

 そして―――何処か、笑うように、嬉しげに自身の名を口にした。

 

 

 

 

 

「―――佐々木小次郎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。


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第一話 招待状

 登場人物の言葉使いに違和感があればご指摘ください。
 一応wikiで調べた限り、小次郎の一人称は「私」なので、基本それを基準とするつもりです。


 しんと静まった夜の闇の中に、微かに虫の音が響いていた。

 耳を澄ませば、ひび割れ崩れた石畳の道に生えた草を進む、小さな動物の足音も聞こえる。

 しかし街の喧騒は遠く聞こえず、同じ城壁の中にありながら、全く違う世界のようにここは静かだった。

 日が沈み、もう随分と時間が経った。

 光源は二つ。

 腰掛けた、膝上程の瓦礫の前で焚いている焚き火の炎と、雲一つない夜空に輝く星と月だけ。

 それで十分。

 人と代わりない今でも、不自由のない程の明かりはある。

 約束の時間はとっくに過ぎていた。

 約束を忘れたり破ったりする相手ではないことは十分に知っている。

 だから、何かあったのは確実だろう。

 だけど、来られないような大きな問題なら、誰か人を寄越すだろうから、きっとそこまで大事な事ではないのだろう。多分、どこぞの神からまた何やら無茶ぶりを受けたとか、そんな所だ。

 晩御飯は早めに取っているから、少しぐらい待つのは苦ではない。 

 そもそもこちらの方からお願いして来てもらうのだ、それにこれまでも色々と世話になってもいる。文句を言うのは筋違いだろう。

 とは言え、あちらはそうは思わないだろう。

 そこらの連中とは違って、常識神と言うのも憚られる程には良い神であるのだから。

 

「―――やあ、ヘスティア。待たせてすまなかったね」

「いや、構わないよ。こちらから呼び出したんだしね―――ミアハ」

 

 焚き火の炎が照らす光と闇の狭間から姿を現したのは、少し息を切らした男神の姿だった。

 群青色の長い長髪に柔和な笑みを浮かべた、性格破綻者ばかりの神には珍しい常識を持った神で、ヘスティアの親しい友人の一()だ。薬剤系の派閥の主神で、これまでも色々と便宜を払ってくれており。

 自分を除いて唯一()()()()()()()()()でもある。

 いや、ある意味では自分よりも詳しいのかもしれない。

 砕けた石畳の残骸を踏みしめながら、近付いてきたミアハに焚き火を挟んだ向こうにある瓦礫を指差す。暗くなる前に、近くに転がっていた瓦礫の中から腰かけるのに都合の良い大きさの物を転がして来ていたのだ。座り心地は決して良いとは言えないが、地べたに座るよりかはましだろう。

 

「ああ、すまないね」

「食事は?」

 

 礼を言って指差した瓦礫の上に腰掛けたミアハに声を掛ける。まさかミアハが食事にかまけて約束を忘れているなんては思ってはいない。何か用事が出来たのだろうと察してはいるが、それがどの程度のものまでは流石に分からない。一応こちらから声をかけたのだからと、少しは準備はしてきた。 

 とは言え、お酒とそのつまみ程度で、食事にしては少し心許ない。

 

「軽くつまんできたから大丈夫さ」

 

 ふぅ、と小さく一息つきながら肩を竦めたミアハに、少し申し訳なく思いながら用意していた酒とつまみを焚き火の前に出す。

 

「また、ディアンケヒトから無茶ぶりでもされたのかい?」

「はは……ポーションの納期を早めろと言われたよ。ま、何とかなったけど大変だった」

「ああ、それは……その、別に急ぎという訳じゃなかったから、また別の日でも良かったんだけど」

 

 準備していたカップの一つに酒を注ぎ、それをミアハに手渡しながらも申し訳なく思う。

 

「いや、折角のお誘いだからね。君から誘われるのは久々だったし……で、用事はなんだい? 酒場でもなくこんなところで話そうだなんて」

「―――……分かっているんだろう」

 

 これまでもミアハを呼び出して一緒に酒を飲む事は何度もあった。大体は何やら愚痴めいた事をボクが一方的にまくし立てるばかりだったけど、ミアハは特に怒ることも無く笑いながら相手をしてくれた。

 だから、わかる。

 お互いに。

 

「……君のところのベルくんが、【アポロン・ファミリア】とやり合ったって話じゃ―――」

「ついさっきの話だろうそれ……。もう噂になっているのかい……まあ、それも無視できる話じゃないけど、違うよ」

「ああ……そうだね」

 

 ミアハの顔が、何処と無く心苦しそうに見えるのは、見間違いじゃないだろう。

 互いに避けていた話題。

 そう、彼についての話だ。

 

「シロくん―――生きてたよ」

「―――ッ」

 

 ボクの言葉に、ミアハの顔が傍から見ても分かる程に強張った。

 それは、驚いたと言うものじゃなくて、明らかに何かを怖れるようなものだった。

 だけどそれは直ぐに見間違えのように、その顔から消えてしまい。ミアハは何時もの微笑を浮かべた顔でボクに向けてきた。

 

「……そうか……おめでとう、と言った方が良いかい?」

「やっぱり、嬉しそうじゃないね」

 

 強張った顔を隠しながらのその物言いに、思わず浮かべた苦笑をそのままに、少し責めるような口調になってしまう。

 

「君には悪いとは思っているが……やはり私はアレの事を認められない―――いや、()()()()()()()()()と言った方が正しいか……」

「そっか……」

 

 隠す事も誤魔化す事もなく、ミアハはハッキリとボクの目から視線をそらすことなく告げてくる。

 それを、ボクは真っ直ぐに受け止めた。

 

「これも何度も言うが、ヘスティアこそ()()を手放すつもりはないのか?」

「アレ、じゃないよ。シロくんだ」

 

 両手でお酒が入ったカップを掴みながら、ミアハが詰めるようにそう言ってくるのを、首を横に振って拒絶する。もう、何度となく繰り返してきた問いと答え。ミアハもわかっているだろうに、話す度に何度となく繰り返してきた。

 

「……ヘスティア、何故そうまで拘る。彼方から姿を消したんだ。もう放っておけばいいだろう」

 

 ミアハの握るカップに満ちたお酒の水面が大きく波打っている。まるでミアハの今の心情を現しているかのように。

 それだけ、ボクを心配してくれている事を嬉しく思いながら、それでもやっぱりボクの答えは決まっている。

 

「そうもいかないよ。シロくんはボクの【ファミリア】だ」

「君は分かっていないッ!」

 

 思わず、といった感じにミアハの声が荒がった。だけど直ぐに彼は、恥じ入るように顔を左右に振ると、少し中身を溢してしまったカップへと視線を落とした。

 

「そうだね。多分、ボクはきっと、君程までにわかってはいないのかもしれない」

「そう思うのならば―――っ!?」

 

 そんなミアハに、悲しさと申し訳無さ感じながら答えると、彼はこちらに視線を向けることなく、カップの水面の波を押さえるように両手に強く力を込めながら声を上げた。

 

「だけど、それでも―――とボクは言うよ」

「ッ―――っ…………はぁ……」

 

 思わず、と顔を上げたミアハに向けたボクの顔を見た彼は、その焦燥に満ちた目を、避けるように逸らすと、重苦しい溜息をついた。

 

「ごめん」

「強情だと、わかってはいたんだが……」

 

 思わず口にしたボクの謝罪に、ミアハは顔を俯かせたまま、視線だけ向けて苦いものが含んだ声で呟いた。

 それにボクは、小さく苦笑を浮かべながら困ったように首を傾げる。

 

「そうかな?」

「天界にいた頃よりも悪化してはいないかい?」

「はは―――かもしれないね」

 

 お酒を一口含んで顔を上げたミアハに、目を細め笑みを返す。

 

「ふぅ……で、私に用とは? アレ―――彼の事だとは分かるが、一体私に何を? 私がどう思っているのかは知っているだろう?」

 

 反射的に目を怒らせたボクに、小さく肩をすくめたミアハが言葉を言い直す。

 

「そうだね。だけど―――うん、だからこそ、シロくんが頼るのは君だと思ったから」

「……は?」

 

 あまり見ない間抜けな顔を晒したミアハが、ぽかんと開いた口元から口に含んでいた酒を溢すのを見て見ぬ振りをしながらボクは話を続ける。

 

「多分―――ううん。きっと、シロくんは何があってもボクを頼ろうとはしないと思う。だけど、何かあった時、力を借りたいと思った時のその相手は、きっと君だろうねミアハ」

「……何故、私だと?」

 

 袖で口元を拭いながら、ミアハは困惑が抜け切れていない顔に疑問を浮かべる。それに、ボクは指を一本立てるとフフンと鼻を鳴らして応えた。

 

「それは、ボクが一番シロくんを知っているからだろうね」

「意味が、良く分からないんだが?」

 

 首を大きく傾げるミアハに、シロくんの事を思いながら口を開く。

 

「シロくんが力を借りようとする時は、きっと彼が追い詰められたギリギリの所だと思う。自分の力だけじゃどうしようもなくて、だけど死んでもいられない。きっとそんな時だと思う」

「なら―――」

 

 普通なら、そんな時はきっと仲間を頼るのだろう。 

 だけど、うん。

 シロくんは、きっとそうはしないだろう。

 最後の最期まで、ボクを頼ろうとはしないだろう。 

それは、ボクが頼りないとか、力にならないとかじゃなくて。

 単純に、ただ……。

 

「君はシロくんを嫌っている。いや、恐れている」

「っ」 

 

 浮かんだ言葉を、一つ瞬きして打ち消すと、ミアハに視線を向ける。

 特に責めているつもりはないのだけど、ミアハはバツが悪そうに顔を背けてしまう。自分であんな風に口にしながら、そんな顔をするのだから、人が良すぎると思わず苦笑が浮かんでしまう。

 

「でも、それでもシロくんが助けを求めたら、絶対に君は助けてくれるだろ」

「なっ―――」

 

 からかうような口調に、でも目とその声は何処までも真剣に。

 

「嫌っていても、恐れていても、どれだけ嫌だろうと、絶対に君は手を伸ばしてきた相手の手を振り払うことはない」

「…………」

 

 ボクの言葉に、ミアハは肯定も否定もしない。ただ、ボクの目を逸らすことなく真っ直ぐに見つめてくる。

 それに、ボクも真っ直ぐに見つめ返す。

 

「だよね―――ミアハ」

「そんな事は―――」

 

 断定するボクの言葉に、ミアハが口を開こうとする―――が。

 

「ない―――かい?」

「……わからないさ。実際に起きないと。流石の私でも答えを出せる気がしない」

 

 すっ、とミアハは視線をカップの水面に落とす。カップの水面は、もう随分と下がりきっていて、最早波打つことはない。

 

「そうかな……」

「だから、か……」

 

 呟くようなボクの声に、ミアハはカップから視線を剥がすことなく口を開くいた。

 

「…………」

だから(・・・)、私を呼んだのかヘスティア」

 

 無言のままのボクに、ようやっと顔を上げたミアハが責めるような視線を向けてくる。

 眦を上げながらのその視線はしかし、怒りや苛立ちといったものは感じられなかった。

 

「…………」

「全く、酷い神だよ君って奴は……」

 

 そう言って、ミアハは底に少しだけ残っていたお酒が入ったカップを呷った。

 

「悪いね」

「しかし、無駄になるとは思うがね。彼は強い。強すぎるほどに。そんな彼が私に助けを求めてくるとは到底思えないのだが」

 

 ボクの謝罪に苦笑を返したミアハが、その感情を浮かべたまま言葉を放つ。

 それを否定するつもりはない。

 シロくんの強さは―――異常とも言えるあの強さはよく知っている。

 そう、よく知っている。

 でも―――。

 

「そうだね。シロくんは強い。ボクの力なんて必要ないほどに……だけど―――」

「ヘスティア?」 

 

 言い淀むボクに、ミアハが声をかけてくる。

 

「最近、何か予感がするんだ」

「予感?」

 

 それに、ボクは答えにならない言葉を返す。

 疑問に質問を返す。

 

「君は感じないかい?」

「……すまないが日々の忙しさに頭が回らなくてね。貧乏暇なしさ」

 

 それに、ミアハは少しだけ考え込むよう目を閉じて見せたけど、何も思い浮かばなかったのか顔を横に振る。

 

「あはは―――それはこっちもだよ」

 

 ミアハの返事に、笑い声で頷きを返す。同じくと口にしたけれど、困窮している訳ではない。

 それどころか余裕はある方だろう。

 借金は変わらず莫大だけど、ヘファイストスは余り強くは言っては来ないし。

 それに―――。

 

「……力になれるかどうか、わからない」

 

 ボクが色々と頭で考えていると、力ない声が耳に届いた。

 目を、意識を前に、ミアハに向けると、彼は申し訳無さそうな顔をボクに向けていた。

 

「そっか―――それで十分だよ」

「……そこまでするのは、最初の眷属だからか? それとも、神としての」

 

 自然と浮かんだ笑みを向けて応えると、ミアハは少し躊躇した後、口を開いた。

 向けられたその疑問に、ボクは目を細めながら自分自身に意識を向ける。

 何故、ボクはこうまでシロくんに拘るのか。

 ミアハにああ言ったけど、ボクもシロくんの危うさを、恐ろしさを、その内にあるモノのおぞましさには気付いている。

 

「残念ながらそんな大層なものじゃないよ」

「なら、何故―――ヘスティア、君は……」

 

 だけど、それでもボクがシロくんを手放さないのは―――。 

 離れようとする彼に手を伸ばすのは―――。 

 それは―――。

 

「はは……なに、こう口にするのは何とも気恥ずかしいものだけど―――」   

 

 頬を指先でかきながら、視線を上に向ける。

 夜空を見上げる。

 雲一つない空。

 月と満天の星が眩しい程に輝いている。

 変わらない。

 ずっと―――ずっと昔から変わらないもの。

 そう言えば、あの時もこんな綺麗な夜空だった気がする。

 シロくんに手を伸ばしたあの夜と―――。

 その時に、抱いた思い。

 今、この胸に宿るものが、その時と同じものなのかはわからない。

 けど―――

 

 

「―――大事な家族なんだ、大切に思うのは当たり前だろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンジョン18階層での死闘から4日。

 あれだけの事件が起きたというのに、(地上)は変わらず喧騒と平和に満ちていた。普通の冒険者の数年分の冒険を、数日に押し込めたかのような激流の如き日々を潜り抜けたからには、暫くは平和に過ごすことが出来るのではないかと無意識に思ってしまうのは、甘えなのだろうか。

 そんな考えが浮かぶほどに、騒動は向こうから叩きつけるかのように襲ってきた。

 きっかけは、ダンジョンからの脱出から3日目。

 ベルくん達が祝賀会として赴いた、南のメインストリートにある繁華街の片隅。そこにある『焔蜂亭』という酒場で起きた。

 何やらそこでの祝賀会の最中、たまたまその酒場にいた【アポロン・ファミリア】と思われるエンブレムを着けた団員にボクの事を馬鹿にされ喧嘩になったそうだ。今のベルくんならそこらの冒険者に負けることはない筈だけど。最悪な事に、そこには【アポロン・ファミリア】の団長であるレベル3の冒険者―――ヒュアキントスがいたそうなのだ。

 奮戦するも敢えなく破れてしまったベルくん達一行。

 帰って怪我の説明をする彼らに、叱りながらもボクのためを思って戦ってくれた事に嬉しく思いながらも、後でアポロンの奴から何か言われるだろうなと予想しながら、それでもボクは特に気にすることはなかった。

 今回の一件は偶々。

 偶然に過ぎないことで、ちょっとした失敗談の一つにしか過ぎないと思っていた。この後、ベルくんには内緒でミアハに用事があるから、そこに意識が向けられていたことも、今になっては言い訳でしかない。

 あの男神の性癖を考えれば、何時かそんな日が来ることくらい予想できていた筈なのに……。

 

「―――で、これがその招待状かい?」

「は、はい」

 

 ボクの顔が強張っているのを見て、ベルくんが申し訳なさそうな顔をしている。それに気付き、いけないと小さく顔を横に振ると、もう一度机の上に置かれた招待状を見下ろす。

 一見してわかる上質な紙に施された封蝋。そこには誰からのものなのかがわかるための紀章が押されている。

 弓矢と太陽のエンブレム。

 思い出したくもないのに、直ぐに誰のものかがわかってしまう。

 【アポロン・ファミリア】のものだ。

 この内容が、昨日の一件についての文句ならば気にしはしないが、これを受け取った際の相手の言葉を聞く限りそういうものではないだろう。

 わざわざ【宴】の招待状と言っているのだから当たり前だ。

 問題は、どういうつもりなのか、という事だ。

 相手が相手だから、色々と考えられるけれど、共通するのはどれもろくでもない事であるということだけ。

 ちらりと視線を招待状から上に上げると、椅子の上に縮こまるベルくんの姿が目に入る。

 微かに震えて見えるのは、申し訳なさと怒られるのではないかという怯えからだろうか。

 思わず吐きかけた溜め息を飲み込む。

 

「ま、もらったものはどうしようもないしね。それに前の【宴】から随分経った。一ヶ月ちょっとかな? そろそろだとは思ったけど……ふ~ん……」

「あの、神様?」

 

 招待状を開き、その中身を読んでいると、自然と口許がもにょりと動く。

 面白そうだと笑えばいいのかと、それとも狙いは何だと不機嫌さを見せればいいのか自分でもわからず、浮かんだものはそのどちらでもない奇妙なものであった。

 それを見たベルくんが戸惑った声をあげるのに、視線と意識を招待状から離す。

 

「あ~……そう言えば、この招待状を持ってきたのは、やっぱり、この紀章と同じエンブレムを付けた子達だったのかい?」

「え? あ、はい。鋭い目をした髪の短い女性と、あと垂れ目の髪の長い女性で……確かエイナさんがダフネさんとカサンドラさんって言うレベル2の冒険者だって教えてくれました」

 

 ぴらぴらと招待状を揺らすと、ベル君は首を捻りながらその時の事を思い出しながら口を開いた。

 ヘファイストスの所で引きこもっていた時とは違い、今では外で働いてもいる事から、噂はそれなりに耳にする。その中には、都市の有力な冒険者の話もあった。

 そして、その名は以前何度か耳にしたことがあった。

 

「ああ、それなら【アポロン・ファミリア】の子達で間違いない」

「―――あ、あと」

 

 うんうんとボクが頷いていると、ベル君は忘れていた事を思い出したように「そう言えば」と話を続けて口を開いた。 

 

「ん? 他にも誰かいたのかい?」

「その、招待状を渡してきた時にはいなかったんですが。ギルド本部から出た後。他にもう一人、男の人と一緒にいたのを見ました」

 

 ボクが続きを促すと、ベル君の口から新しい情報が提供される。

 男と一緒。

 まあ、あの男神のファミリアは、性癖によるものかどうかは分からないが、女よりも男の方が多いから、同じ団員だとは思うけれど。一緒に、ではなく本部の外で、と言うところが妙に引っ掛かった。

 

「ふぅん……」

「でも多分、あの男の人は同じファミリアの人じゃないと思います」

 

 自分なりに予想をたてて考えていると、ベル君の言葉が耳に入ってきた。

 多分、と言いながら、何処か確信を持っているようなそんな声に、顔を上げて視線を向ける。

 

「どうしてそう思ったんだい?」

「後ろ姿しか見えなかったから、エンブレムを付けていたかは分からないけど、格好が全然違いましたし。それに―――」

 

 ボクの言葉に、瞼を閉じて記憶を辿るベル君は、思い出せるだけの記憶の欠片を口にした後、目を開けるとどうもはっきりしない顔をしながら首を一つ傾げた。

 

「それに?」

「う~……雰囲気、というか」

 

 合いの手を入れるボクに、ベル君はもにゅもにゅと口元を動かしながら応えるけれど、やっぱりはっきりとした言葉ではなくて。

 

「雰囲気かい? 格好が違うって、どんな姿だったんだい?」

「青みがかった綺麗な長い髪を後ろで縛っていました。でも、肩幅とかから男の人だというのは間違いないと思います。それで、服はその、ああ、タケミカヅチ様達が着ているような服装でした。それと、背中に凄く長い剣を背負っていました」

 

 見えない雰囲気とやらではなくて、その男とやらの姿形を尋ねると、そこは直ぐに答えてくれた。渡されたその情報に、ボクも思わず口元が歪んでしまう。

 タケのように、異国からここ(オラリオ)にやってくる神に着いてきたり、武者修行とやらでダンジョンに挑む子供達はそれなりにいる。ベル君の話からして、多分タケのファミリアの子達と同郷の子だとは思う。 

 

「ふ~ん。確かに変な雰囲気を感じさせそうな奴だな。で、そいつは、【アポロン・ファミリア】の二人とはどんな感じだったんだい?」

「え? え~と……それは……」

 

 確かに珍しい姿だ。

 と、そこで思い出すのは【アポロン・ファミリア】の子達のこと。 

 確かあそこの【ファミリア】は、皆同じような服を着せていたような気がした。だから、そこに異装を着た男がいたことが、ベル君に引っ掛かったのかもしれない。

 とは言え、それもただの可能性にすぎない。

 それに、そんな異装を着た男が【アポロン・ファミリア】に入ったと言うのなら、噂好きの神の誰かが噂の一つや二つ広めている筈。

 そんな噂の欠片すら聞いたことがないと言うのなら、その男とやらは【アポロン・ファミリア】の子ではなく、単純にその二人の知り合いと言うだけなのかもしれない。

 だから、招待状を持ってきた子達とその男とやらが、どんな感じだったのかと聞いてみると、何やらベル君の顔がみるみると赤くなっていくではないか。

 

「ん? どうかしたかいベル君?」

「多分、その、凄く仲が良いと思います」

 

 ぽりぽりとその真っ赤に染まった頬を掻き、視線をあちらこちらに散らしながら答えるベル君の姿にボクの憮然とした視線が向けられる。

 

「何だか煮えきらないね。どうしたんだい?」

「その……」

 

 詰め寄るボクに、ベル君は観念したように視線をテーブルの上へと落とすと、躊躇いながら、と言うよりも恥ずかしがりながらその口を動かした。

 

「その?」

「腕を、組んでいました」

「腕を? んん?」

「男の人の腕を片方ずつ、【アポロン・ファミリア】の二人が抱きつくようにして、その……」

「……あ~……そっか」

「……はい」

 

 体を縮こませながら、真っ赤になったベル君がそう口にするのを視界に映して、ボクは口元に苦笑を浮かべてしまう。

 その恥ずかしがりように、からかいたくなる欲求が生まれるが、それをいかんいかんと顔を左右に振って雑念を散らす。

 ベル君の恥ずかしがりようから見て、単純に手を繋いでいたと言うよりも、もっと親密な関係を思わせるようなものだったのだろう。

 なら、ますます良くわからなくなってしまう。

 基本、色恋沙汰やら結婚やらは、同じ【ファミリア】の中か、それとも仲の良い【ファミリア】間で行われる。特に【アポロン・ファミリア】の子供達は、あの変態が己の好みで選んできた子達ばかりである。他の【ファミリア】の子との付き合いを許すようには思えない。

 だけど、その男とやらの格好がどうも引っ掛かる。

 

「異装の男、か……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最速でレベル2になったと聞いていたから、もっとギラギラとした奴だと思っていたけれど、実際に会ってみればまったくそんな感じではなく。むしろ小動物を思わせるような男の子であった。

 熟練の冒険者から感じられる擦れたような様子はなく、世間知らずの田舎の子供そのものな姿に、これからの悲劇を思い、思わず帰り際に、「ご愁傷さま」と口にしてしまったのは仕方のないことだろう。

 何処か言い訳のような思いを考えながら、ギルド本部を出ると同時、ぽん、と何の気配もなく肩を誰かに叩かれた。

 

「―――ッ、誰っ!?」

 

 気配の欠片すら感じさせずに背後を取られたことに、反射的に距離を取り振り返る。

 咄嗟に身構えたウチの前には、口元に小さな笑みを浮かべ、悪戯を成功させた事を喜ぶような、何処か子供染みた、それでいて全てを達観しているかのような目をした男が、そこには立っていた。

 

「っ、小次郎っ!?」

「小次郎さんっ!」

「はっはっは―――隙だらけだぞダフネ」

 

 ウチの苛立った声と、カサンドラの喜色が混じった呼び声に、その男―――佐々木小次郎が快活な笑いを返してくる。

 

「あなた一体何処に行っていたのよっ!? 付いてくるって言ってたくせに、何時の間にかいなくなってるし!?」

「いやなに、美しい女人に誘われてな。断るのも礼を逸すると思い。まあ何……そう言う訳だ」

 

 歯を剥き出しにして怒鳴りあげるウチに対し、小次郎は忌々しいほどに、その飄々とした態度を崩すことなく肩を竦めて笑みを向けてくる。

 思わず詰めよって、襟元を捻り上げて乱暴に揺すってやろうかと一歩前に足がで掛かるも、それを遮るかのようにカサンドラがウチと小次郎の間に身体を割り込ませてきた。

 カサンドラはウチに背中を向け、小次郎に相対すると、その白く細い指先で、小次郎の男にしては細く、しかし紛れもない武人の硬い手をそっと触れると、胸元まで引き寄せた。そして、その柔らかな印象を感じさせる垂れた目で小次郎を見上げると。

 

「そ、その……お相手なら、わ、私がしますので……急にいなくならないでください。わ、私なら、そ、その……何時でもだ、大丈夫、なの……で……」

「何言ってのよカサンドラぁあ!!?」

 

 まるで駄目な男を甘やかすかのようなカサンドラのその姿に、思わずウチの口から焦りと苛立ちが微妙に混じった怒声が放たれる。

 

「ふ―――それでは、今宵の御相手をお願いしようか。春先とはいえ、まだまだ夜は肌寒い。時には人肌が恋しくなる夜もある……」

「え―――ぁ……そ、その……よろしくお願いします……」

 

 握られた手を、空いた片方の手で包むようにして、小次郎がカサンドラの手を握りながらそう口にする。意味深なその物言いと視線を受けたカサンドラは、その白い肌を真っ赤に染め上げると、恥じ入るように顔を俯かせ、しかしはっきりとその頭を上下に動かし了承を示して見せた。

 

「かっ―――カサンドラぁああ!!?」

 

 友人のある種の覚悟の決まった声と姿を目にし、口からすっとんきょうな悲鳴が上がってしまう。

 このままでは、カサンドラの貞操が、このいけすかない男に奪われてしまうと、焦りのあまりギルド本部の前だと言うことも忘れ、襲いかかりそうになった瞬間―――

 

「―――それでは、今宵の晩酌は燗で頼もうか。ああ、酒は甘めで、ツマミは辛いのを一つお願いしよう」

「―――へ?」

「―――え?」

 

 取り出そうとした武器の柄を握る手から力が抜ける。

 カサンドラからも、背中を向けているためその表情は見えないけれど、その梯子を外されたような声色からして、多分、間の抜けた顔をしているのだろう。

 ウチ達のそんな様子を、腕を君で眺めていた小次郎は、「―――ふ」とからかうような笑みを口元に浮かべると、ウチ達を置いて歩き出していく。

 

「―――昼はまだであろう? 勝手にいなくなった謝罪として、昼は私が出そう。何処か良い所はあるか?」

「こ―――このやろう……っ」

 

 からかわれたと気付き、悔しさのあまり歯を噛み締めた口元から震えた声が漏れる。握りしめられた両手も、その怒りと苛立ちの強さを示すかのように大きくぶるぶると震えていた。

 

「こ、小次郎さんっ、待ってください」

 

 小次郎の後を追うカサンドラの顔は、未だに真っ赤に染まっているまま。しかしそれは、怒りによるものではなく、羞恥によるものだろう。その様子からは、小次郎に対する苛立ちや怒りといったものは全く感じられない。

 いや、僅かにむくれているような様子はあるか?

 小次郎の後ろをついていくその姿は、まるで親の後を追う子供のようでもあり、夫に付き従う貞淑な妻のようでもあって。

 知らず、ウチの口元からため息が溢れる。

 まだ、小次郎と出会ってから2週間も経ってもいない筈なのにこのなつきよう……。

 あの子―――カサンドラにとって小次郎は憧れ―――英雄のような存在なのだろう。

 出会いからして、あのヒュアキントスから殴られそうになったところを助けられるなんて、どこぞの物語の始まりのようなものだ。

 ウチは話でしか聞いていないけれど、そこで小次郎はヒュアキントスを含めた団員の殆んどと争いとなったそうだが。小次郎はその背中に背負った剣を抜くことなく、襲いかかってきた全員を打ち倒してしまったそうだ。

 普通なら到底信じられない話である。

 ウチも最初それを聞いた時は、またカサンドラの夢物語だと真面目に取り合わなかった。

 あのヒュアキントスは、嫌な奴ではあるが、それでもその実力は本物である。それに、その場にいた他の団員達の中には、レベル2に至っている者もいたという。レベル5や6といった化物は例外として、酒が回っていたとしても、たった一人に倒されるなんて事は考えられない。だけど、事実としてヒュアキントス達は、酒場にいた団員の一人が主神(アポロン)を連れてくるまでの間に、全員が小次郎一人の手によって打ち倒されてしまっていた。

 その後、主神(アポロン)がどう口説いたのかは知らないけれど、小次郎の奴は【アポロン・ファミリア】に居座るようになった。とは言え、団員(眷族)になるのではなくて、客人扱いとなっている。あの主神(アポロン)が気に入っている奴を、特に男を眷族にしない点は不思議でならないが、一応手元にいることに満足しているのだろうか?

 まあ、ヒュアキントスの機嫌が増々悪くなってはいたが……何故か最近は大分緩和しているようではあるが……。

 その理由は―――まあ、ウチも少しはわかるかもしれない。

 飄々としながらも、洒落た雰囲気を身に纏い。

 雅な所作に、美男美女が揃った【アポロン・ファミリア】に見慣れたウチ達でも、つい見惚れてしまう美しい顔立ち。

 だけど、そんなものすら吹き飛ばすほどの隔絶した―――強さ。

 アポロンが、これから暫く客人として迎え入れると言った際、試しにと団員全員と小次郎が手合わせする事となった。

 そう、全員とだ。

 中堅のファミリアの全戦力を一度に相手にすると言われたのだ。

 初めはもしやレベル5や6といった、知られていない高レベルの冒険者だと疑った。

 それも仕方のないことだ。

 この世界で強者と言えば、高レベルの者と同義である。

 多少の技量の差など意味はなさない。

 そう考えても仕方のないことだ。

 しかし、その日、ウチの―――ウチ達の常識は簡単に崩れ去ってしまうはめとなる。

 レベル5とか6処ではない。

 その真反対。

 レベル0―――神の恩恵の一つすら受けていない男に対し、ウチ達【アポロン・ファミリア】は文字通り手も足も出せず敗北を喫する事となった。

 小次郎は結局、その背中に背負った剣を一度も抜くことはなく。地面に落ちていたただの木の枝を使い、団長(ヒュアキントス)を含めた団員全員を一蹴してしまった。

 息一つ切らすことなく、倒れ尽くす団員達が転がる中、ただ一人立つその姿は、まるで―――

 

「―――ダフネ」

「―――っ、え?」

 

 背を向けたまま、顔だけを向けて小次郎がウチの名を呼ぶ。

 何を思ったのか、小次郎の後ろをついていた筈のカサンドラは、両手で抱き締めるように小次郎の腕の一つを抱え込んでいる。

 その姿に、何か言い様のないざわつきを胸に感じたウチは、気付けば駆け出していて。小次郎の空いた片方の腕を、カサンドラのように両手で抱き締めていた。

 

「だ、ダフネちゃん!?」

「べ―――別にこれはその―――そうっ、また逃げられたら困るからよっ!?」

 

 カサンドラの動揺に震えた声を対し、自分でも何を言っているのかわからない言葉が口から出てしまう。

 

「両手に花とは良いことだ」

 

 わたわたと何やら言い訳染みた、何やら弁明するような言葉を口にするウチに対し、カサンドラは小次郎の腕を抱き締める腕に力を更に込めてみせる。

 奇妙な言い様のない緊張感が、ウチとカサンドラの間に走るも、間に挟まれた小次郎は気にする様子もなく気軽な様子で歩くのを再開する。

 小次郎の動きに意識がついていかず、バランスが崩れ、身体を支えようと咄嗟に小次郎の身体に密着してしまう。ぱっと見では、細身に感じられる体つきであるが、やはり男の―――それも鍛え抜かれた硬い、鋼のような肉体が、服越しにでも感じられた。

 思わず、小次郎の腕を掴む手を、確かめるように撫でるように動かしてしまう。

 服越しに鍛えられた男の肉の感触と熱が感じられ、思考に何やら甘い霞がかかった気がして。

 

「……ダフネちゃん?」

「……えっ、あっ!!?」

 

 カサンドラの酷く冷めた声と視線を受けて我に返るも、何故か……本当にわからないけれど、小次郎の腕から手を離すことはなく、逆に力をこめてしまっていた。

 そして、逃げるようにカサンドラの視線から顔を逸らしてしまう。

 小次郎とカサンドラの視線に映らないようにした顔が熱く感じられるのは、多分、きっと気のせいでしかなくて。

 ―――決して他に何か理由があるわけがない……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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第二話 策謀の宴

 夜の帳が降り。満点の星空が広がるその下で、負けじと光を放つ一角があった。

 そこでは、今回【アポロン・ファミリア】が『神の宴』のためにギルドから借りた、宮殿かと見間違う程に広く、綺羅日やかな会場であった。

 日が落ちる頃から、次々に途切れることなく現れる馬車から降り立つ着飾った神々と、その眷族達。

 本日開かれる『神の宴』は、毎月のように行われる『宴』とは少し違い、ちょっとばかりの趣向がこうじられていた。

 それは、今回の『宴』において、神は一人までであるが、眷族を含む誰か一人を、パートナーとして連れてくること―――であった。

 今回のその趣向に対し、神々は笑みと共に応じたが、そのパートナーに選ばれた彼ら彼女らの心境は様々であった。

 この都市(オラリオ)において、神の姿は特に珍しいものではないが、それでも『神の宴』として集まった神々の姿を目にするのは、歴戦の冒険者でもある彼ら彼女らであっても堪えるものがあった。彼らはそれぞれ緊張と興奮を合わせたような顔と心地で、それぞれの主神と共に会場へと入っていく。

 その中の一つに、蒼海色(マリンブルー)のドレスを着たヘスティアと燕尾服を着たベルの姿があった。

 

「ベル君、何をそんなに固くなっているんだい?」

「え、いやだって、仕方ないじゃないですか神様」

 

 『神の宴』への参加だけでも緊張と興奮が凄いと言うのに、それに加えて他にも心配事があるのだ。

 つい先日の事なのである。今回の『神の宴』を企画したファミリアである【アポロン・ファミリア】と揉め事を起こしてしまったのは。

 その直後における『神の宴』の招待である。

 怪しむなという方が、無理な話である。

 だと言うのに。

 

「まぁ……気持ちは分かるけど、今回のような機会はそうそうないからね。せっかくだし楽しまなきゃ損だよ」

「そ、そう言われても……」

「ほらほら、立ち止まったりしないで行くよ」

 

 兎が周囲を警戒するように、立ち止まってきょろきょろと辺りを見回していたベルの手を掴んだヘスティアは、勢いよくその手を引くと会場へと足を向けた。

 しかし、直ぐに思い出したように立ち止まり、顔だけを先程自分達が降りた馬車へと向けて声を上げた。

 

「ほら、ミアハもさっさと行くよ。ああ、ちゃんとエスコートを忘れずに、ね」

「ああ、分かっているともヘスティア。さあ、手を―――」

「い、いえ、その―――だ、大丈夫ですからミアハ様……」

 

 ヘスティアの声に応じて、正装を着たミアハに促され、赤を基調とした長い袖のドレスを着た犬人のナァーザが姿を現した。そのドレスの色にも負けない赤で頬を染め上げながら、ミアハに手を引かれるナァーザを確認すると、ヘスティアはそのままベルの手を引きながら歩き始めた。 

 そして迷子の幼子のように、不安げな顔を浮かべたベルの手を引き、ヘスティアは堂々と会場へと乗り込んでいく。宮殿の如く豪華絢爛な外観と同じく、その内部もまた綺羅美やかこの上なかった。神を模したと思われる彫像や、金銀に飾られた柱の数々。窓の向こうには、見慣れたオラリオの夜の姿が見えるけれど、何時も聞こえる喧騒は遠く、同じ都市(オラリオ)の中だと言うのにも関わらず、まるでここだけが別世界にいるようであった。

 ぽかん、と口を半開きにしたまま、夢心地のように何処かふわふわとした足取りの中、ベルがヘスティアに手を引かれ、会場の中を進んでいると、横から声をかけてくる者がいた。

 

「あら、ヘスティアじゃない。貴女も来たのね」

「ヘファイストス!」

 

 声をかけてきた者がヘファイストスだと知り、喜色の声を上げたヘスティアが笑みを返しながらベルの手を引くのとは違う手を、挨拶をするかのように左右に振る。

 

「随分とめかし込んでいるけど大丈夫なの?」

「え? 何が?」

「ペナルティよ。結構きつかったんじゃないの?」

 

 声を潜めながら、ヘファイストスがヘスティアの耳に口を近付けて心配げに問いかけてくる。

 それに対し、少し答えに窮するように口ごもったヘスティアだったが、ある意味ではヘファイストスも関係者でもあると思い直す。今の問いかけもそうであるし、ヘルメスや前回のダンジョンでの一件についての情報もある程度は把握しているのだろう。

 あの一件での罰則は、【ファミリア】の資産の半分の没収。借金は増えてはいないが、きついのはきつい。

 元々少なかった資金が半分になった上に、今回の『神の宴』には、これまで色々と世話になった礼として、ミアハとナァーザの服や馬車のレンタル代はヘスティアが支払っている。

 そのお陰で更に懐の事情は大分酷いものとなっている。

 しかし、

 

「まあ、なんとかなっているさ」

「……そう、ならいいわ」

 

 ヘスティアはそんな負担を顔に出すことなく、ヘファイストスに笑みを返す。

 

「ところで、そっちの連れは誰にしたんだい?」

「ん? ああ、ちょっと最近調子が悪そうだったから、気分転換になればと思って連れてきたんだけど……目を離した隙に逃げられてしまったのよ。ま、ほっといても時期に戻ってくると思うけど」

 

 そう口にする口許に苦笑いを浮かべ、頭を掻くヘファイストス。と、その横から姿を現した男神が声をかけてきた。

 

「やあヘスティア」

「―――ヘルメス」

 

 何時ものように、にやけ顔を浮かべながら姿を現したヘルメスに返事を返したヘスティアの声には、じとりとした嫌気が混じっていた。

 

「俺もいるぞヘスティア」

「タケ!」

 

 ヘルメスの背中からひょいと姿を現したタケミカヅチの姿に、ヘスティアはヘファイストスの時と同じ親しげな笑顔で出迎えた。

 ドレスや燕尾服で着飾った他の神やけん族と違い、タケミカヅチは異国の正装であろう紋付き袴でそこに立っていた。そして、その背には、ドレスで着飾り、丸出しになった肩が艶かしい姿のタケミカヅチの【ファミリア】の一人であり、今回の宴のパートナーでもある命の姿があった。

 彼女は普段の凛々しさは鳴りを潜め、もじもじと身体をゆらしながらタケミカヅチの後ろで、真っ赤に染め上げた顔を俯かせている。

 乙女なその姿に、微笑ましげにヘスティアは目を細めると、タケミカヅチの後ろの隠れるように立つ命の傍まで忍び寄るように歩み寄った。

 

「やあ命君。今日はまた一段と可愛らしいね」

「かっ―――かわいっ?!」

 

 ぽんっ、という音が聞こえるほどに、勢いよく更に顔を赤く染め上げる命に、ヘスティアは「あはは」と笑い声を上げながら、傍に立つタケミカヅチの脇腹に肘を軽く押し当てた。

 

「タケはしっかり見ておきなよ。目を離した隙に何処かへ連れ去られかねないからね」

「ああ、気を付けよう」

「タケミカヅチ様っ!?」

 

 生真面目な顔をして、ヘスティアの忠告に頷くタケミカヅチに、命が悲鳴染みた声を上げる、と。顔を上げたタケミカヅチのその顔に浮かぶ笑みに、からかわれたと気付いた命が反射的にその頬を膨らませてしまう。

 

「そうそう、こんなに可愛ければ色んな奴に狙われてしまうからね。しかも、こんなに隙だらけだと―――ってて?!」

「ヘルメス様……」

 

 からかわれ、むくれる命に近付いたヘルメスが、そっと命に手を伸ばそうとするが、その直前、音もなくそんな主神(ヘルメス)の背後に姿を現したお目付け役(アスフィ)により、その手を捻り上げられる事により阻止されてしまう。

 

「何時もヘルメスのお守りお疲れさま」

「いえ、こちらこそ。何時もご迷惑をお掛けしてしまって」

 

 疲れた顔を浮かべるアスフィに、ヘスティアが苦笑いを向ける。

 今宵の彼女(アスフィ)の姿は、普段見かける動きやすい活動的な服装とは一変し、真っ白な清純さを感じさせるゆったりとしたドレスでその身を包んでいた。

 眼鏡の奥の知的な眼差しは、ここまで来るのに何かあったのか、肉体的なのか精神的なものかは分からないが、疲労により何処と無く草臥れている。

 その何処か弱々しく見える姿は、儚さにも通じ、何時もの知的で颯爽とした格好良さとはまた違った魅力を感じさせた。

 

「はっはっは―――失礼だなヘスティア。まるでオレがアスフィに何時も迷惑をかけているようではないか」

「はぁ……どの顔でそんな事を口にするんだ君は……」

 

 快活に笑うヘルメスに、ヘスティアは非難がましい眼差しを向ける。しかし、それも長い時間は続かず、最後は呆れたようなため息と共に言葉を呟くヘスティアの耳に、会場の入り口からさざ波のように、動揺と興奮が入り交じった声が届いた。

 

「ん? どうしたんだい?」

「ああ―――これは珍しい」

 

 声が聞こえた方向に反射的に顔を向けたヘスティアだったが、身長が低いこともあり、何やらざわめきの中心に集う者達が壁となって、視界が塞がれ何もわからないでいた。

 しかし、同じ方向に視線を向けていたヘルメスの目には、身長が高い分、何かが見えたのか。その細い目を軽く驚きに見開いていた。

 

「何があったんだい?」

「あった―――じゃなくて、来た、といった所だな。珍しいことに彼女が来ているようだ」

「げ―――まさか」

「神様?」

 

 ヘルメスの何時もの3割り増しににやけた笑みと共に返された言葉に、ヘスティアの焦りを含んだ呟きがこぼれる。

 その様子に、訝しげに首を傾げたベルに、慌てて向き直ったヘスティアは、直ぐにその両手を伸ばした。狙い違わず、ヘスティアの両手はベルの両頬を挟み込むと、無理矢理騒ぎが聞こえてくる方向とは別の方へと変更させる。

 

「いっ―――たたた、ちょ、え? 神様!?」

「駄目だベル君!? 向こうを見ては―――目を合わせてはいけないよっ! 見つかってしまえば、君みたいな子はパクリと一口で食べられてしまうっ!?」

「モンスターか何かでもいるんですかっ!?」

「―――ある意味そうとも言えるかもしれない……」

「あら、酷い言いようねヘスティア」

「っ!!? ……だけど、君は否定できるのかい?」

 

 いつの間にか、ヘスティアの背後にいた美しい女神が、輝かんばかりの完璧な笑みを浮かべ立っていた。その背後には、影のように控える2Mを越える猪人の冒険者にして、この都市最強と唄われる男であるオッタルが無言で控えていた。

 錆び付いたブリキの人形のように、音が出るようなぎこちない動きで背後を振り返ったヘスティアは、そこに予想通りの姿を目にし、一瞬驚きの顔を見せたが、直ぐにばつの悪そうな顔へと変えると、むくれながらも返事をした。

 それに言葉による返事ではなく、笑顔による返答をする美の女神たるフレイヤは、ヘスティアから視線を外すと、その周囲に立つミアハやヘルメス達に向かって笑みと挨拶を向けた。美の女神による笑みにより、同輩の神であるタケミカヅチ達が照れながらも返事を返すと、それぞれの同伴者達から脇腹や足元へと痛みを与えられた。

 それを尻目に再度フレイヤの視線を向けられる事に対し、ヘスティアは自身の眷族を守るように立ち、腕を組んだ。

 

「―――その子があなたの眷族なのね」

「そうだよ。可愛いボクの家族だ。だからそんな目で見ないでくれよ」

「あら? そんな目って、どんな目かしら?」

 

 捕食者から我が子を守る母の如く立ち塞がるヘスティアに対し、フレイヤは頬に手を添えて小首を傾げて見せる。

 

「そんなつもりはないのだけれど、ねぇあなたはどう思うかしら?」

「え―――ぼ、僕ですか?」

「こらっ! ベル君は答えなくていいっ!?」

 

 ヘスティアを無視して、その背後へと誘うような視線を向けてくるフレイヤに対し、ベルが真っ赤に顔を染め上げながらしどろもどろに戸惑って見せる。

 

「あら、いいじゃないヘスティア。噂のあなたの子と少しぐらい話をさせてくれたって」

「―――ほなら、うちも少し聞きたいことがあるんやけど。参加させてもらおかな、なぁどチビ」

「―――なっ……ロキ」

「―――あら?」

 

 ヘスティアとフレイヤの間に唐突に声と姿を挟んできたのは、男装の装いを身に付けた【ロキ・ファミリア】の主神であるロキであった。

 常に浮かべたにやにやとした笑みを張り付けながら、その細めた目の奥に隠された瞳に、剣呑な火を灯しながら、ロキは周囲を見渡した。

 

「―――?」

 

 いつもと変わらないように見えるロキの姿に、しかしヘスティアは何か違和感を感じていた。

 違和感―――と言うべきだろうか?

 いつもと変わらない、周囲を煙に巻くような憎たらしいにやけ顔。しかし、そこに何時も感じられる余裕は感じられず、代わりに焦りや怒りといったものを感じられた気がした。

 

「……ふぅん、やっぱ連れとんのはそっちの方かいな」

「どういう意味だい?」

 

 ベルを一瞥したロキが、舌打ちと共に吐き出した言葉にヘスティアが眉根をひそめた。

 

「もう一人の方は何処にいるんや。死んだっちゅう話はあるけど……どうなんや」

「……ああ、シロくんは生きているよ」

 

 からかうような様子はなく、静かに問いかけるロキではあるが、その声の底に感じられる気配は飛びかかる寸前の狼を思わせた。そのロキの様子に、ヘスティアは戸惑いながらも、その問いに答えた。

 隠すような事でもないと、堂々と胸を張って答えるヘスティアに、ロキではなくその背後に控えるように立つ者が、その答えに反応した。

 

「っ―――それは、本当に?」

「君は―――」

「あっ―――アイズさん……」

 

 ロキの後ろから身を乗り出すようにして声を上げたのは、お姫様のように着飾ったアイズ・ヴァレンシュタインであった。薄緑色を基調としたそのドレスは、胸元と背中が大きく開いており、大人となる前の少女の青々しさと艶かしさを合わせた奇跡的な色気を周囲に広げている。当の本人はそんな事に気付いた様子もなく、何時もの人形のような美しい顔に何の感情を浮かべてはいなかったが、何処と無く身に纏う雰囲気は暗いというか、落ち込んでいるようにも見えた。普段とは違う、影のある様子ではあるが、それはそれとして何時もとはまた違った魅力を感じさせるのは、その類い希な美貌によるものか。アイズは自身の美貌を気にすることなく、すがるような視線をヘスティアへと向けていた。

 

「……ああ、本当だよ。何処にいるかはわからないけど。でも、シロ君は生きてる。それはボクが保証するよ」

「そう、ですか」

 

 生きているという言葉に、落ち込んだ、沈んだ雰囲気を漂わせていたアイズから、歓声染みた声が上がるが、続くヘスティアの言葉に、力なく項垂れる事へとなる。

 そんなアイズの姿を横目に見ていたロキは、小さく舌打ちを一つすると頭を振った。

 

「ちっ―――あんま期待してはなかったんやけど。やっぱり無駄足やったか」

「なんだい? 君も何かシロ君に用があったのかい?」

 

 疑問に、ではなく警戒するような声を目線をロキに向けるヘスティア。目尻を上げて睨んでくるヘスティアの視線を、片手で払いながらロキはその口許を忌々しげに歪める。

 

「用っちゅうか、聞きたいことやな」

「聞きたいこと?」

「あら? それは私も興味あるわね。一体あなたがアレに何を聞きたいのかしら?」

 

 ロキの言葉に首を傾げるヘスティアの横で、フレイヤが好奇心に満ちた声を上げる。その背後では、ヘファイストスやヘルメス達やその眷族達も興味津々な視線を向けていた。

 それらの視線に晒されるロキは、一旦口を閉じると何かを思い直したのか、じろりと自分へと視線を向けるやからを睨み付けながらその言葉を口にした。

 

「―――『ランサー』」

「ん?」

「へぇ……」

 

 ロキがその言葉を口にした時、反応は大きく二つに別れた。

 全く何もわからないといった様子の者と、興味を引かれるといった様子の者の二つに。

 

「そう呼ばれとう男について、何か知ってないか?」

「『ランサー』―――槍兵かい? それは二つ名? それとも」

 

 ヘスティアが口許に手を当てながら考え込む。

 単純にその言葉を聞くだけならば、槍を使う者が思い浮かぶが、この冒険者が犇めく都市(オラリオ)に槍使い等それこそ掃いて捨てる程にいる。

 有名な槍使いと言えば、当の本神の眷族であり団長でもある者がその一人である。

 

「さあ? それも知りたいんやけどな。本名か通り名か。それとも他の何かなんか」

「他に何か特徴とかはないのかしら? 呼び名だけじゃ流石にわからないわよ」

 

 ロキの言葉に興味を引かれる様子を見せたフレイヤも、その探し人? 自身はわからないのか、他の手掛かりを求める。

 それに対し、ロキは腕を組むと少し視線を中空に浮かべ、何やら思い出す仕草を見せた。

 

「……『ランサー』と言うだけあって2Mはあるだろう赤い槍を使う男や。ほんで身長も180Cぐらいで、それに奇妙な青い服を着とったってな」

「流石にそれだけじゃ、ね。でもあなたがそこまで気にするのなら、何処かで噂でも耳にするはずだけど、聞いたことはないわね」

「……さよか」

「ボクもさっぱりだね。で、何でそんな男を探しているんだい?」

 

 ロキが口にしたのは、一度目にすれば少しは記憶に残るだろうものではあるが、それ以上に奇抜な格好をしている者などこの都市には唸るほどいる。中には下着一丁で戦う男達もいるほどだ。そんな輩に慣れた目では、数日どころか一日も経てば記憶から消えてしまうだろう。

 しかし、問題はそんな所ではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という所である。

 その思いはヘスティア以外にもあるのか、その投げ掛けた単純な質問に、その場にいる者達の視線と意識が向けられた。

 

「―――」

「な、何だよ。本当に知らないぞボクは」

 

 投げ掛けられた質問に、ロキは暫しヘスティアをじっと見つめていたが、返ってきた反応にため息と共に肩を落とし、小さく頭を左右に振った。

 

「……みたいやな。なに、少しばかりうちのもんが世話になったようやからな」

「世話に?」

「あら、それは……」

 

 ロキのその言葉に含まれた意味と、声に潜んだ隠しきれない苛立ちや怒りを感じ、警戒するように目を細めたフレイヤが口を開こうとするが、それを制するように声が挟まれた。

 

「なぁフレイヤ」

「―――何かしらロキ?」

 

 先を制されるようになったフレイヤが、若干の不機嫌さを言葉に乗せて応えると、ロキは周囲を軽く見回した後に口を開いた。

 

「今日は来てないようやけど、あんたはイシュタルの奴とトラブっとったな」

「あっちが勝手に突っかかってくるのよ。こちらとしてはいい迷惑だわ」

「そんなんどっちでも良いわ。で、最近はどないや?」

 

 ため息をつきながら首を振るフレイヤに、ロキが探るような目を向ける。それに対し、フレイヤは浮かべた微笑を崩すことなく小さく小首を傾げて見せた。

 

「どうって?」

「あん女の様子や」

「何であなたがそんな事を気にするのかしら?」

 

 すっ、とフレイヤの目が細まる。

 何者をも見通すような奥底が見えない深い瞳が、ロキの糸のように細めた瞳の奥から真意を探り取ろうとする。

 数秒ほどの睨み合いに似た探り合いの後、頭を振ったロキが体ごとフレイヤから視線を外した。

 

「……もうええわ」

「聞くだけ聞いて何も教えないつもりかい」

 

 未練を見せるようにチラチラとヘスティアとベルに視線を向けるアイズを背に連れ、その場から立ち去ろうとするロキの背に、からかうような口調でありながら、何処と無く真剣みが感じられるヘルメスの声が向けられる。

 その声に何か思うところがあったのか、離れようとする足を止めたロキは、そのまま振り返る事なく、背を向けたままその場にいる者達に対し忠告を口にした。

 

「―――最近の都市(オラリオ)はどうもおかしい。ウチらの常識から外れたもんをようけ見るようになっとる」

「ロキ?」

「ドチビのとこの白い少年の事もそうやけどな。いや、そいつはまだましやな」

 

 何時もの人を食ったような口調やからかう様子も見せず、剣呑とも違う、しかし物騒な雰囲気を纏いながら、ロキはちらりと横目でフレイヤの背にそびえるように立つオッタルに目を向ける。

 

「明らかに異常な(やから)がおる。気ぃ張らんと、そこのデカブツでも喰われかねんぞ」

 

 忠告とも脅しとも言える言葉を告げた後、ロキはそのままアイズを連れ会場へと姿を消していった。

 その様子からして、どうやら何か目的があって今回の『神の宴』に参加したようではあるが、その目的とやらが達成できなかったのか、それともいなかったのか。その様子から、もしかしたらもう帰ってしまう可能性すら考えられた。

 

「そうらしいわよオッタル?」

「―――例え何が相手であろうと、立ち塞がるのならば全て灰塵に帰すまでです」

 

 ロキの姿が見えなくなると、フレイヤが背後に控えるオッタルに口元に浮かべた笑みと共に問いかけると、その都市最強(猛者)は何の気負いも見せず淡々と己の女神()の疑問に答えて見せた。

 その答えに、フレイヤは満足するように浮かべた笑みを深くする。

 

「頼もしいわね」

「―――流石は都市最強の冒険者といった言葉であるな」

 

 フレイヤの言葉に同意するかのように、聞き覚えのない男神の声が響いた。

 咄嗟にその声が聞こえた方向に顔を向ける面々は、その声の主を目にした瞬間様々な表情を浮かべたが、最も顕著であったのはヘスティアであった。

 まるで苦虫を何十匹も口の中に放り込まれたかのような苦い顔を浮かべると同時、その口からヒキガエルのような呻き声を漏らした。

 

「げっ!?」

「ああ、ヘスティア。女神がそのような声を上げるのはいただけないぞ」

「アポロン……」

 

 両手を広げ、大袈裟に顔を左右に振って芝居染みた姿で嘆きを示して現れたのは、美しい男神であった。背は高く、筋骨隆々ではないが、バランスの取れた均整のある体つき。日の光を凝縮させたような目映い黄金の髪に、緑葉を備えた月桂樹の冠を乗せ。その金を線にしたような豪奢な髪にも負けない、美しい容貌を快活な笑みで形作った男神が誰であるのかは、ヘスティアの苦い声により伝えられた。

 

「こうして言葉を交わすのは久しぶりだな。嬉しいよヘスティア」

「ボクとしては、二度と口を聞きたくも会いたくもなかったけどね」

 

 片手を胸に当てながら、にこやかに口にするアポロンに対し、ヘスティアは真逆の表情を浮かべ吐き捨てるように言葉を告げる。

 それに対し、アポロンは増々その浮かべた笑みを強くすると、その背に立つベルに視線を向けた。

 何処か湿ったような、じとりとした視線を受け、ベルの身体が無意識に怯えるように震える。

 

「ふふ……そうそう、先日は私の【ファミリア】の子が君のところの子に世話になったようだね」

「それはお互い様だろ。ベル君も君たちの所の団長にやられたって聞いたけどね」

 

 怯えるように震えるベルの姿に、何かを味わうようにペロリと赤い舌で唇を舐めたアポロンが、視線をその前に立つヘスティアに向けると何気ない様子で先日に起きた揉め事について口にした。

 それに対し、ヘスティアの視線がアポロンの周囲に向けられるが、お気に入りと聞く団長のヒュアキントス処か、【アポロン・ファミリア】の団員が誰一人も連れてはいなかった。眷族を連れて(・・・・・・)参加するようにと言った本神が、誰も連れていない事に疑問を感じるヘスティアだったが、主催者だからか、手伝いとしてあちこちに【アポロン・ファミリア】の団員を見かけたからわざわざ連れ回してはいないのかなと思い直す。

 

「ああ、確かに。しかし、だからといって()()()は認められないぞ」

「はあ? 闇討ち?」

 

 髪をかき上げるように片手で顔を覆ったアポロンが、大袈裟に周囲に聞こえるように口にした物騒なその言葉に、ざわりとした声が上がった。

 全く身に覚えがない、理不尽な言いがかりに、ヘスティアが怒りが滲んだ声を上げる。

 

「ああそうだ。私の可愛いルアンが、あの後君のファミリアの子に闇討ちを受けてしまったんだ。ほら、おいでルアン」

「っっ、いてぇ、いてぇよぉ」

 

 怒声混じりのヘスティアの声に、しかしアポロンは何の動揺を見せる事はなく。騒ぎを聞き付け集まり始めた群衆の中から、一人の男を招き寄せた。

 集まり始めた群衆の中から、包帯で全身を覆った背丈の小さな男が転がるように姿を現した。びっこを引きながら現れた男の姿に、ヘスティアが息を飲む。

 

「な―――」

「ほら、酷い様だろう」

 

 悲しみを堪えるように両手で胸を押さえ睨み付けてくるアポロンの目が、笑っている事にその視線を受けるヘスティアは気付いていた。

 その姿から、何かを狙っていると気付くも、その狙いがヘスティアには分からなかった。しかし、嫌な予感はどんどんと強くなっているのは感じていた。

 それを振り払うように、ヘスティアが強気の口調で声を上げる。

 少なくとも、自身の眷族たるベルは、闇討ちをするような少年でないことは断言できた。

 

「っ、ベル君がそんな事をするはずがないだろっ!?」

「そっ、そうですっ! 身に覚えなんて全くありませんっ! 完全に誤解ですっ! 言いがかりですっ!」

 

 身に覚えのない罪に、ベルもヘスティアと声を合わせ抗議の声を上げる。

 ヘスティア達の背後では、タケミカヅチ達等も、非難の眼差しで言い掛かりを口にするアポロン攻め立てていた。

 しかし、ヘスティアやミアハ達からの攻め立てる声や眼差しを受けるアポロンは、余裕の笑みを欠片も崩すことはなく。ヘスティアの非難の声が一瞬収まるのを見計らうと、そっと、毒を塗った刃を差し込むように口を挟んだ。

 

「―――いや、言いがかりではないよ。それに闇討ちをしたのは君じゃないよベルくぅん」

「え?」

 

 どろりとした視線と声で舐め上げるかのようにベルに言葉を放ったアポロンに、背筋を震わせながらも疑問の声を上げたベルの前で、ヘスティアの目が見開かれた。

 アポロンが何を口にするつもりなのか気付いたヘスティアが、噛みつかんばかりにその顔を怒りに歪めるのを、満足げな笑みを浮かべたアポロンが口を開く。  

 

「もう一人いるじゃないか、君の所には」

「っアポロン―――!?」

 

 ヘスティアの怒声が会場に響く中、アポロンはその名前を口にした。

 

「―――シロ、と言ったかな。彼がルアンを闇討ちしたんだよ」

「っ、そんな事ある筈が―――っ」

「なら、証明できるのかい?」

 

 反射的に否定の言葉を上げるヘスティアだったが、アポロンの反論に続く言葉が上手く形にすることが出来なかった。

 

「それ―――は……っだけど! 絶対にシロ君はそんな事はしないよっ!」

「だから、それを証明することは出来ると言えるのかい?」

 

 焦りと怒りが混じったヘスティアに対し、アポロンが冷静で落ち着いた声で詰め寄るように答えを求める。しかし、その声には隠しきれない愉悦が潜んでいる事に、その場にいた者は皆気付いていた。

 しかし、見世物を見るように集まった群衆が浮かべるものは、同じような愉悦や観劇を見るかのような笑み、可哀想な者を見るような目や同情が向けられるも、ヘスティアの擁護するような者は現れなかった。味方とハッキリ言えるタケミカヅチやヘファイストスも、ヘスティアがはめられた事がわかっていてが、この場ではどうすることも出来ないことも理解できているため、臍を噛むような顔をして怒りが籠った視線を、ただアポロンに向けるしか出来ないでいた。

 

「しなくてもボクは確信しているっ! それで十分だっ!」

「そうか、どうあっても認めないと言うわけか」

 

 強固に否定するヘスティアの姿に、アポロンは芝居染みた様子で顔を振ると、残念がるように肩を落として顔を俯かせた。

 

「何が言いたい……」

「こちらにも面子というものがあるからね。闇討ちされて、『はい、そうですか』と黙ってはいられないんだよヘスティア」

 

 アポロンの様子に、何か言い様のない不安を胸に抱きながらも、ヘスティアが歯をむき出しにして威嚇するように鋭く尖らせた視線を向けたまま問いを放つ。

 それに対し、ゆっくりと俯かせていた顔を上げるアポロン。

 その金髪に隠された瞳が、睨みつけるヘスティアの視線とぶつかった。

 

「それで、なら、どうするつもりなんだい」

「『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』」

「ッ!?」

 

 ポツリと、そう呟かれた言葉に、ヘスティアだけでなく周囲から驚愕の気配が沸き上がる。

 

「それで白黒ハッキリつけようじゃないか」

「何を言って―――」

 

 集まった群衆から「ひでぇ」「マジかよ」と言ったわざとらしい笑いが混じった非難の声が次々と上がるのを耳に、じりっ、と足元を後退させたヘスティアに対し、一歩詰め寄ったアポロンが、満面の笑みを浮かべながら、その視線をベルへと向けた。

 

「ああ、そうだ。私が勝ったのなら、その際は君のところの―――そこのベル君をもらおうかな」

「ッ―――最初からそのつもりで」

 

 ドロリとした粘ついたベルに向けられるその視線に、ここにきて完全に相手の狙いをわかったヘスティアが、ここまで追い詰められた自身への憤りを含んだ怒りの声と視線をアポロンに向ける。

 しかし、そんな物理的な圧力さえ感じさせる強い感情を向けられるも、アポロンはその浮かべた笑みを崩す事なく、最後通告のようにヘスティアに問いかけた。

 

「さあ、どうするヘスティア?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――やはり、ヘスティアには断られてしまったか」

 

 怒りと共に会場からヘスティアが眷族と共に去ってから暫くして、向けられる好奇や非難、嗤いの眼差しや言葉がある程度落ち着いたのを見計らったアポロンは、眷族達に後を任せ一人バルコニーに出ていた。澄んだ風を感じるように目を細め、会場から手にしていた酒の入ったグラスを、天上に上った月へと掲げる。

 

「まあ、これで用意した策が無駄に為らずにすんだ。それに―――」

 

 掲げていたグラスに入っていた酒を一気に飲み干したアポロンが、まるで誰かに語りかけるかのように声を放つ。

 

「―――君の願いもこれで叶えられるかな?」

「さて、それはどうであろうかな」

 

 人影がなかった筈のバルコニーの片隅から、音もなく姿を現したのは、陣羽織に身を包んだ雅な雰囲気を身に纏った男であった。唐突に現れた男に、アポロンは驚きの顔を見せることなく、小さく肩をすくめて現れた男を歓迎する。アポロンの近くまで歩いてきた男は、手にしていた酒の入った瓶を差し出し、空になったグラスへとその中身を注いだ。

 

「小次郎、これは何処から?」

「中から少しばかり拝借した」

 

 懐から杯を取り出した男―――佐々木小次郎は、手酌で酒を移すと、それを月を眺めながらゆっくりと飲み干していく。

 

「確かこれは、【ソーマ・ファミリア】の所の一級品だった筈だが……会場には確か数本ほどしかなかった筈なんだが? よくもってこれたな?」

「なに、少しばかり気配を消せば気付かれないものよ」

 

 ふっ、と小さな笑みを浮かべる小次郎に、アポロンもニヤリとした笑みを向ける。

 

「これで君のご執心の彼が現れるかな?」

「確実ではないが、私の知る奴に近ければ、見過ごすことはないだろうな」

「それで、首尾よく終われば―――」

 

 月を背に立つアポロンの顔に、深い笑みが浮かぶ。

 それを何と言い表せばいいだろうか。

 悪魔のような、と言うよりも、神のような(傲慢な)笑みと言えばいいのだろうか。

 そんな笑みを向けられる当人は、全く気負いのない飄々とした様子を崩す事なく、手酌でついだ酒を飲みながら小さく頷いて見せる。

 

「ふむ。約定通り契約とやらを受けよう」

「ふふ、それは楽しみだ」

 

 小次郎の言葉に、満面の笑みを浮かべながら頷くアポロンだったが、ふと思い直すように眉間に皺を寄せると唸り声を上げた。

 

「むう、しかし。君がそこまで執心する相手であるのならば、私としては是非手に入れたいのだが」

「ああ、それはやめといた方がよかろう」

「んん? それは何故だ?」

 

 アポロンの言葉に小さく否定の声を上げる小次郎に、問いを向ける。

 

「あれは未だ色々と定まっておらんからな。下手に手を出せば狂いかねん」

「―――それはそれで興味がでるな」

 

 アポロンの返事に処置なしとばかりに肩を竦めた小次郎は、ちらりと視線を未だ盛況な会場へと向けた。

 

「あれが噂に聞く猛者(オッタル)という男か」

「やはり興味があるかい?」

「最強の武人と聞くからには無視できぬ」

 

 アポロンがいなくなった会場で、多くの神に取り囲まれる女神の側に立つ偉丈夫について興味を示す小次郎が、しかし、と続ける。

 

「余り勘は良くは無いようだがな」

「それはどういう?」

 

 最強の男に対する言葉として理解できない物言いに、アポロンの訝しげな目が小次郎に向けられる。それに対し、小次郎は杯を手すりの上に置くと、懐から一輪の花を取り出した。それを片手でくるくると弄びながら、会場の中、男神達に囲まれる美神へと視線を一つ向けた。

 

「なに、美しき者に花を贈ろうと思ってな。しかし、あれだけの美女に渡す程の花はそうそうない。故に簪の代わりにと、な」

「っ―――まさか」

 

 小次郎の言葉の意味を理解し、アポロンの口から驚愕の声が漏れる。慌てて視線を会場へと向けたアポロンの目に、フレイヤの髪に差された小次郎の手元にある花と同じものが映った。

 

「どう、やって」

 

 あの最強の目を誤魔化し、更には色々と油断ならないフレイヤ(女神)自身にすら気付かれずにそんな事が出来たのかという疑問に対し、小次郎は弄んでいた花をバルコニーから投げ捨てると、会場へと足を向けて歩き出した。

 

「何も特別な事はない。無念夢想―――明鏡止水の心得に至れば、この程度の些事誰にでも出来よう」

 

 そう呟きながら、会場へと足を進ませる小次郎の姿が、アポロンの目から少しずつ消えていく。ゆっくりと溶けるように姿を消していく姿に、その、何の『スキル』でもなく『魔法』でもない。ただの技術による―――しかし神ですら理解できない領域の技に、アポロンは様々な感情により身体を震わせ見入っていた。

 そうして、()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()小次郎に対し、グラスに残っていたワインを舌で舐めとるように飲み干したアポロンは、恍惚に満ちた言葉を酒精の混じった声を、誰にとも言うでもなく口にした。

 

 

 

「ああ、やはり君は最高だよ―――佐々木、小次郎……」

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。

 最初はシロを【カーリー・ファミリア】と【ロキ・ファミリア】の戦いにぶっこもうと思っていたのですが、ちょっと無理あったので、青い兄貴を代わりにぶっこみました。
 さて、一体青い兄貴は何処にいるのでしょうか?


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第三話 秘剣VS絶剣

「ッ――――――クソ!!?」

 

 叫び出したい程の怒りと焦燥を短い罵りに抑えながら、廃墟が広がる中を駆けていく影が一つあった。赤い外套を翼のように翻しながら飛ぶように駆け抜ける先には、爆音や衝撃、土煙が立ち上る戦場。都市(オラリオ)の片すみ、忘れられたかのように静まり返っている筈の、普段は人気のない廃墟の広がる一角は、今や悲鳴や戦声が響き渡る喧騒に満ちている。

 後数十―――いや、十数秒もあればその戦場の中心へと辿り着く―――その間際。

 

「―――!!?」

 

 突如として背中を突き刺すような寒気に襲われたと同時に、シロは背後へと飛びすさった。

 急激なブレーキと共に背後へと飛んだ衝撃により、踏み蹴られた瓦礫が砕け周囲に煙幕のように土煙が立ち上る。

 視界を朧に隠す土煙の中、既に投影した双剣を構えていたシロは、目の前に立ち塞がる煙の向こうに立つ存在に、知らず沸き上がってきた不安を圧し殺すように喉を鳴らした。

 速く駆けつけなければという焦りと不安の中、それでも身体が動かないのは、目の前の存在が他に気をとられた瞬間、終わってしまう存在だと最大の警鐘を鳴らしているからだ。

 状況から見て―――いや、己へと向けられる透明な殺意とでも言うべきものからして、時間稼ぎではなく、自分に用があることを察したシロは、ある予感と共に覚悟を決めるように双剣を握る手に力を込めた。

 

「いや―――助かった」

 

 一陣の風が吹き、舞い上がる土煙が吹き飛ばされる。

 ざあっ、と音を立てて風が吹き抜けた後、そこに立っていたのは、陣羽織で身を包み、異様に長い刀身を持つ刀を片手に下げた男であった。

 口元に涼やかな笑みをたたえながら立つその男は、殺意をみなぎらせ臨戦体勢を見せるシロを前にしているとは思えないほどに自然体でそこに立ち、立ち塞がっていた。

 

「貴様に遠方から弓矢で事に当たられていれば、少しばかり厄介な事になっていたかもしれんからな」

「っ―――何故、貴様がここにいるッ」

 

 一見すれば隙だらけにしか見えない姿でありながら、何処からどう打ち込もうと返り討ちにあう姿しか想像できない男に対し、シロが震えそうになる声を抑えながら怒声混じりの疑問の声を上げる。

 大の大人であっても竦み上がる威勢を前にしながらも、泰然とした様子を欠片も崩さない男は、鼻で笑うように小さく息を漏らすと、ゆっくりと、足を一歩シロへと進めた。

 

「―――っく」

「察していながらそれを口にするとは、随分と余裕があるようだな」

 

 思わず一歩後ずさりしてしまったシロへと、手にした刀を向けることも構えることもせずに、無造作に足をまた一歩進める。

 

「なに、画策したのはあのアポロンとやらだが、頼んだのは私だ」

「お前が、何故っ」

「決まっているだろう」

 

 後退りしかけた足を無理矢理に前へと出したシロが、小さく、深く息を吐きながら双剣を構え直す。

 男の言う通り、時間はない。

 どうにかして、この場を潜り抜けてヘスティア達の下へと―――【アポロン・ファミリア】に襲撃されているベル達の下へと駆け付けなければ。

 そう、改めて覚悟を決めるシロの前で、刀を手に立つ男は笑った。

 

「いい加減、決着を着けようと思ってな」

 

 そう、男が口にした瞬間、剣の気配をした殺意がシロの全身を貫いた。

 

()()()()()()()初戦となるのか再戦となるのかは分からんが……さて、始めるとするか―――」

「佐々木―――小次郎ぉおおおおッ!!!」

 

 殺意に圧され、身を縛る鎖となりかけた恐れを振り払うように、咆哮を上げシロが襲いかかるのを、相も変わらず刀を構えずぶらりと片手に下げたまま迎え撃つ佐々木小次郎は、眼前へと迫った相手へと笑みと共に戦いの始まりを告げた。

 

「―――死合を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シロがそれを知ることが出来たのは偶然でしかなかった。

 あの戦い(黒いゴライアスとの戦い)の後、シロは他のサーヴァント達も受肉している可能性が高いと、その情報を手に入れるために動いた。

 最初シロは、他のサーヴァント達はまだダンジョンにいると考えたことから、その痕跡を探すためダンジョンを探索することにした。結果としてそれは無駄に終わった。例え痕跡があったとしても、ダンジョンは時間経過と共に修復することから、多少の痕跡があったとしても直ぐにその痕跡は消えてしまうことになる。次に問題となるのが、ダンジョンそのものの広大さである。街一つ優に飲み込む程の巨大な階層が何十も連なっているのだ。そこからたった数騎のサーヴァントを探し出すことは殆ど不可能に近い。

 そう結論に至ったシロは、地上に上がり何人かの情報屋に接触すると、現界したと思料されたサーヴァント達の特徴を伝え、それに対する目撃情報の入手を依頼した。

 無駄になるだろうとのその依頼は、しかし直後に回答を得られた。

 それは、数週間前に【アポロン・ファミリア】がその依頼された者の内の一人に良く似た男とトラブルを起こしたと言うものであった。驚愕と共に詳しい話を確認すると、8割はデマであろうとの前置きと共に提供された情報は、確かに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 【アポロン・ファミリア】と揉め事を起こしたという男は、東の国から来た者達と良く似た服を着ており、背中には長い剣を背負っていたという。目を奪われるような美男子であり、優雅な雰囲気を身に纏ったその男は、信じられないことに【アポロン・ファミリア】団長であるヒュアキントスを含めた十数人の冒険者を相手に、傷一つ受けることなくそのすべてを制圧したそうだ。その後、【アポロン・ファミリア】の主神であるアポロンが現れ、倒れた団員共々その男を連れて帰ったという。

 【アポロン・ファミリア】の団長ヒュアキントスのレベルは3である。他の団員達もレベル2の者はそれなりに存在している中、レベル5や6なら兎も角、それ以外の者がそんな化け物達を相手にたった一人で制圧できるような事はあり得ない。そして、そんな異装なレベル5や6の男など、聞いたことのないその情報屋は、実際に何かは起きたのだろうが、その殆どはデマであると判断したのであるが、シロは違う。

 シロの知るその男であれば、そんな事は容易にやってのけるだろう。

 逸る思いを抑え、更にその男や【アポロン・ファミリア】についての最近の情報を確認してみれば、返って来たのは―――『最近、【ヘスティア・ファミリア】とトラブルになっている』というものであった。

 嫌な予感―――いや、それは最早確信に近いものであった。

 掴みかかる勢いでもって更に情報を求めると、返ってきたのは最悪とも言えるものであった。

 昨夜開かれた【アポロン・ファミリア】主催の『神の宴』において、アポロンがヘスティアに対し【戦争遊戯(ウォーゲーム)】を挑んだとの情報であった。

 それを耳にした瞬間、シロは【ヘスティア・ファミリア】のある廃教会の下まで駆け出していた。

 しかし、それは既に遅きを逸していた。

 情報屋の店を飛び出した瞬間、目に映ったのは都市の一角から立ち上る煙と微かに聞こえる戦闘音。そして、その聞こえてくる方角が何処なのかを瞬時にして悟ったシロは、予感が当たっていたことを理解した。

 瞬間駆け出したシロは、普段の冷静さを何処かに置き忘れたように、ただ一刻も速く辿り着くことだけを頭に走り。

 そして、出会ってしまった。

 最悪な状況とタイミング―――否。

 探していた男の手によって、逆に誘き寄せられてしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ―――ォオオオオオオオオオ!!」

 

 降り下ろし、薙ぎ払い、突き出す。

 一瞬にして二閃三閃と振るわれる双剣。

 目視叶わぬ刃の嵐となって襲いかかる死の斬撃を前に立ち塞がるのは、長い―――武器として扱うには不便に過ぎる程に長すぎる刀身を持つ刀を手に下げる一人の男。常人―――否、上級と呼ばれる冒険者であっても、成すすべなく切り刻まれかねない連撃を前に、自然体を崩さず、更には手にした剣を構えもしない男はしかし、結果として言えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「―――っッ!!??」

 

 一寸の隙間もないかのように振るわれる連撃―――しかしその結果は無惨なもの。ひらひらと、まるで舞い踊るかのように口元に笑みを浮かべたままの男―――小次郎は、その服の端すらかすらせる事もなく、その尽くを避わし尽くしていた。

 どう見ても避ける隙間などない間を、タイミングを、しかし通り抜けるかのようにしてその全てを潜り抜ける。

 その姿はまるで、ひらひらと舞う蝶を、子供が手を振り回して捕まえようとしているかのようであった。

 

「化け―――物めっ!!?」

「この程度か?」

 

 攻め立てているにも関わらず、追い詰められているかのような思いに襲われたシロは、それを振り払おうとするも、ため息のような小次郎の声が聞こえた瞬間、首元に鋭く磨がれた氷の先を当てられたかのような心地がすると同時に、体勢が崩れるのも構わずに、ただその場からの退避に全てを掛けた。

 

「―――ほう、勘は悪くはないようだ」

「な、ぁ……」

 

 何時その手にしている刀を振るったのかが分からなかった。

 見ていた筈だった。

 常に視界に入れ、警戒は欠片も怠っていなかった―――筈であったにも関わらず。

 小次郎の刀は振り抜かれていた。

 咄嗟の退避で得た距離は十M程、常人には遠いが、シロと小次郎に取ってはないも同然の距離である。当然間合いであり、他に気を取られているような暇などない。

 それを承知していながらも、シロは動揺を抑えられずにいた。

 避けた筈であった。

 直感に従い僅かな躊躇いもなくただ逃げる事だけに全てを傾けた。

 無様といってもいい、追撃すら頭から外した逃走であったにも関わらず、避け損なった。

 致命傷ではない。

 重症でもないだろう。

 しかし、決して軽くはない傷が、胸部に斜めに走っていた。胸当てすら切り裂き、その奥に守られた肉を切り裂いていた。

 

「何故、貴様がアポロンと手を組んでいるっ!? 何故だっ! 佐々木小次郎ぉおッ!?」

「言った筈だ。貴様と戦うためだ、と」

 

 咆哮のような疑問の声に、変わらず穏やかとも言える声音で答える小次郎は、小さく息を吐きながらシロに向き直る。

 

「決着を着けるためだとな―――なぁ、弓兵(アーチャー)―――いや、違ったか?」

「……そうだ、オレは『弓兵(アーチャー)』ではないっ」

 

 ベルが【アポロン・ファミリア】と戦っているのだろう。遠ざかっていく戦闘音に焦燥が募っていくが、それを圧し殺すように双剣を握る手に力を込め、シロは立ち塞がる小次郎を睨み付ける。

 

「ああ、確かにそうであるようだ。だが、構うまい」

「なに?」

 

 小さく肩を竦めて見せた小次郎は、その目を細め手にした刃よりも鋭い視線でもってシロを貫いた。

 

「残滓であろうと紛い物であろうとも構うまい。些か―――いや、随分と落ちるが、まあ良い」

「何故、そこまで拘るっ、いや、相手はしよう。元からそのつもりだっ! だが、今は見逃せ、必ず後で―――」

 

 記憶―――否、『記録(知識)』にある小次郎からは感じられなかった執着にも似た向けられる思いを前に、シロが遠ざかっていながらも尚も耳に届く戦闘の音に、すがるような声を上げるが、それを小次郎は首を横に振り断じる。

 

「―――それは出来ん。いくらアポロンの策に乗っただけとはいえ、こちらから願った事でもあるしな。ここで貴様とは決着を着ける」

「……どうあっても、退かんと言うのだなッ」

 

 彼我の差は、既に身に染みて理解していた。

 逃げようとしても、ただ隙を晒すだけでしかないこともわかっている。

 しかし、それがわかっていながら、理解していながらも、焦燥と動揺はやはり抑えるには大き過ぎた。

 だからと言って、この場で睨み合っている暇などなく。どう考えたとしても、結論としてここを抜けるにはどうあってもこの目の前の男を対処しなければならないという現実を前に、シロは身を切られるような焦燥と怒りを解き放つかのように咆哮を上げた。

 

「さあ、これ以上の問答は無用。話であればこれ(戦い)にて決めよう」

「ッ―――小次郎おおぉッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なにぼっとしてんのよ!!」

「え―――ぅあ、ご、ごめんねダフネちゃん」

 

 背後からの苛立ちが混じった声を当てられ、例えその苛立ちが向けられる先が自分ではないとわかっていながらも、縮こまる身体を抑えきれないまま、慌てて連れられてきた負傷者達に意識を戻す。

 

「っ、うあ……くそっ、あの餓鬼がぁ」

「―――」

 

 作戦は単純なものであった。

 【ヘスティア・ファミリア】の拠点である廃教会の前で早朝から待ち伏せ、出てきたところを押さえる。ただそれだけ。しかし、それで十分な筈であった。新進気鋭と唄われる話題の新鋭(ルーキー)であったとしても、団員がたった二人―――最近では一人しかいないと言われている【ファミリア】が相手である。数十人はいる中規模の【アポロン・ファミリア】に加え、何やら【ソーマ・ファミリア】の団員も何人か参加しているとも聞く。単純な数だけでも、殆ど抵抗することも出来ず身柄を抑えられると、私も含めて全員がそう思っていた。

 だけど、いざ蓋を開けてみればとんでもない。

 出入り口に潜んでいた団員達の攻撃を避わし、主神を連れて逃げ出した後も、次々に襲いかかる団員達の攻撃を潜り抜けるだけでなく、【魔法】を放ち反撃すらする始末。

 レベル1が大半であるとはいえ、レベル2でしかない筈の、それも冒険者になって一年も経っていない新人(ルーキー)が成し遂げられるようなモノでは決してない。

 実力を騙っている、神に媚をうって裏技でレベルを上げた―――侮りがあった。

 嫉妬が多分にあったとはいえ、油断や慢心があったとしても、それでも数は力であり、同格の筈のレベル2もそれなりにいた筈であった。

 しかし、未だに捕らえることは出来ず、それどころかこちらが受ける被害は増加する一方。

 詠唱のない異常な程の速射性を誇る【魔法】に加え、レベル3にも匹敵しかねない速度。

 お荷物(主神)を抱えているという負担(ハンデ)がありながら、それでも未だ戦い抜くその実力は本物であると、嫌でも思い知らされていた。

 奮闘している。

 驚異的とも言ってもいい。

 しかし、それであっても時間の問題でしかない。

 この襲撃には団長(ヒュアキントス)も加わっており、そうでなくとも間断なく襲いかかる団員達の前に集中力も体力も続かないだろう。

 話を耳にすると、どうやら何人か助けに入っている者達もいるそうであるが、それも焼け石に水でしかない。

 避けられない結果として、絶対にあの少年(ベル・クラネル)は捕まるだろう。

 ここにいる誰もがそう確信している。

 私も、それは間違いない、確かにそう思ってはいる。

 だけど―――。

 そう、だけど。

 嫌な予感は未だに消えないでいた。

 数日前に見た夢。

 その光景が頭から離れない。

 

 ―――月を飛び越え、太陽を呑む兎。

 

 斬られ、叩かれ、殴られ叩きつけられながらも、何度も立ち上がり。

 そして最後は高く飛び上がり太陽を呑み込んでしまった兎。

 それがただの夢でないことを、(カサンドラ)は知っている。

 誰もが信じてはくれないけれど、それは起きるだろう何かを示すモノであると。

 私は知っている。

 誰も、信じてはくれないけれど―――。

 いや、違う。

 ()()()()()()()

 初めて、信じてくれる人が現れた。

 

『―――信じるとも』

 

 あの人は何時もと変わらず、小さな笑みを口元に湛えながらそう口にしてくれた。

 

 

 

 私は何時の頃からか、不思議な夢を見始めていた。

 それは、私が『恩恵』を得た後に見るようになったのか、それともその前からなのかはわからない。

 私が見る『夢』―――そう、それは夢であることは違いないのだけれど、何かを暗示させるものであって。事実、その『夢』を見て暫くした後は、その『夢』を思わせるような事が、どうやっても起きてしまう。

 それが、予知夢―――予言のようなものであると気付くのには、そう時間は掛からなかった。

 見る『夢』が良いものばかりであったのなら良かったけれど。

 でもそんな事はなく。

 見る『夢』はその真逆。

 全てが悪い『夢』ばかり。

 自分自身で自由に操ることが出来ず、更には見る『夢』の全ては悪いものだけ。

 悪夢が現実となるような恐ろしさに、一時は眠る事がとても怖かった。

 ……だけど、一番辛かったのはそんなことではなかった。

 そう、一番辛かったのは……。

 

 ―――誰も、信じてくれない。

 

 私がどれだけ声高に叫んでも。

 怒って、泣いて、すがって、何を口にしようと、誰も信じてくれない。

 親友(ダフネちゃん)ですら、信じてくれなかった。

 起きることはわかっている。

 だけど何とかしようとしても、一人じゃ何もできない。

 結局『(予言)』は変えられず、『悪夢』は現実となる。

 それが何度も何度も続いた。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もなんどもなんどもなんどもなんどもナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモ―――

 

 

 まるで、世界に拒絶されているかのように。

 

 

 誰も―――信じてくれない。

 だけど、それでも私は『(予言)』を見る度に声を上げる。

 それが、定められた役割のように、私は叫ぶ(予言する)

 いずれ来る未来を。

 襲いかかる脅威を。

 現実となる悪夢を。

 私は、叫ぶ(予言する)

 だから、また、私は口にした。

 あの子には手を出さない方がいい―――と。

 悪いことが起きる、と。

 そう言えば、何時も決まって返ってくる。

 

 『信じられるか』

 

 『根拠は?』

 

 『夢を見た? 意味がわからない』

 

 ああ、誰も信じてくれない。

 だけど私は見たのだ。

 兎が跳んで、飛んで―――翔んで、そしてついには太陽を呑み込むのを。

 それが何を意味しているのかは、アポロン様が何をしようとしているかを知っていれば容易に想像できる。

 このままじゃいけない。

 どうにかしなければ。

 だけど、やっぱり誰も信じてはくれない。

 どれだけ声を上げようとも誰も耳を傾けてくれない。

 それをわかっていながら、理解しながらも声を上げる。

 諦念に沈んだ声で、溺れるような悲鳴(予言)を告げるも、誰も信じてはくれない。

 

 誰も―――だれも……ダレモ……。

 

『―――信じるとも』

 

 ああ―――だけど……。

 そう、だけど、あの人はそう言ってくれた。

 誰も彼もが信じてくれない。

 聞く耳すら持ってはくれない私の言葉を。

 まだ出会って一月すら経っていない私の言葉を、変わらず、何時もの様子で、何でもないことのように、私の『(予言)』を信じてくれた。

 小次郎さんだけ。

 あの人だけが、私の『(予言)』を信じてくれた。

 信じてくれた―――だけど、私の申し出に小次郎さんは首を横に振った。

 アポロン様にあの子から手を引かせる協力を願う私に、小次郎さんはすまなさそうに謝って、私の願いを断った。

 この一件には、小次郎さんも加わっているから。

 小次郎さんが、会いたい人を呼び寄せるために、この騒動が必要なのだという。

 だから、信じるけれど、力にはなれないと言った。

 困った。

 悲しかった。

 だけど、辛くはなかった。

 今回も、私の『(予言)』は現実となるかもしれない。

 どんな結果になるかはわからない。

 それでも、私はもう、気にしないことにした。

 だって、信じてくれた。

 世界から拒絶されたように。

 一人取り残されたような私に、『信じる』と言ってくれた人がいたのだから。

 それで十分。

 十分すぎる。

 

 ―――だけど。

 

 胸の奥。

 錆びた刃先で引っ掛かれるような、ざらついた痛みは何なのだろうか。

 後ろから追いかけられているように感じるこの焦燥は、何なのだろうか。

 

 『夢』を―――見た。

 

 昨日、『神の宴』が終わり。

 襲撃開始の前の僅かな時間にとった仮眠に。

 私は、『夢』を見た。

 奇妙な、『夢』だった。

 砂嵐のように、何かが見えているはずなのに、黒い砂粒みたいなものが邪魔をして、何も見えない。

 そんな不思議で奇妙で―――そして嫌な『夢』。

 だけど、最後。

 『夢』の終わり。

 一瞬だけ、黒い砂嵐の隙間に見えた光景(イメージ)があった。

 

 幾重にも連なり長く、長く延びる巨大な樹木の枝。

 

 その無数にある枝の一つ。

 

 切り取られ、落ち行く枝。

 

 その枝先には、満開に咲き誇る。

 

 ―――一輪の、花……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最早何度剣を振ったのかすらわからない。

 そんな事に思考を割けるほどの余裕など、爪の先もありはしない。

 始まりから今まで、常に崖の縁。

 一手でも誤れば、刹那でも気を緩めれば、そこで終わり。

 不可視の刃をもって首と胴が切り離されてしまう。

 両手に掴んだ双剣だけでは足りない。

 剣を振りながら幾度となく剣を投影―――射出。

 剣弾の嵐の中、斬りかかるも、その全てがかすらせることすら出来ずに無意味に空を切り裂くのみで終わる。

 知っていた筈だった。

 『記憶』ではない。

 『記録』の知識であるが、知っていた筈だった。

 この男の強さを。

 何かを―――偉業を成し遂げた『英雄』ではなく。

 最強の剣士の敵役(ライバル)として描かれた幻想の存在。

 それに近いとしてその『名』を与えられた名もなき『亡霊』。

 だがそれは、逆に言えば幻想である筈の存在(最強のライバル)として相応しいと認められた存在でもあるということ。

 偉業でもなく力でもなく、二つとしてない異能ではなく。

 磨き上げた剣技の頂き故に、相応しいと選ばれたその強さを、本当の意味でオレは理解していなかった。

 いや、もしかしたら、実際に戦ったであろう『弓兵(アーチャー)』達ですらも知らなかったのかもしれない。

 何故ならば、彼等が戦った際、この男―――佐々木小次郎は()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 縛りが消え、自由となったこの男は、正に狭い籠の中から解き放たれた鳥のように、縦横無尽に駆ける。

 その速度は、文字通り目に止まらない。

 空間跳躍染みたその速度は、これ迄の経験と『記録』にある知識を見回しても比肩する存在が浮かばないほど。

 そんな相手を前に、未だに胴から首が離れていないのは、まだこの男が本気でオレを殺そうとしていないからでしかない。

 まるで、確かめるかのように、試すかのような攻撃はしかし、だからといって油断すら出来ず一手何かを間違えれば容易に死に至るものばかり。

 戦いが始まり、未だ数分程しか過ぎていないにも関わらず、既に気力も体力もギリギリのところまで削られていた。

 

「っ、おおおおっ!!?」

「―――期待外れとは言うまい」

「ぐっ?!!」

 

 全力をもって振り下ろした剣先を、どうやったのか理解できない技量をもって、取り回しが絶望的に難しい筈の長大な刀身の切っ先で逸らされる。

 全く振るった剣の威力を削ることなく逸らされた勢いに体が持っていかれそうになるが、置くように首の行く先に向けられた刃を避けるため、無様な程に身体を無理矢理に動かし地面に飛び込むようにして何とか避わす。

 地面を転がるも、素早く立ち上がり双剣を構えるシロの前で、しかし相対している筈の小次郎は、肩を落とすように視線すら向けずに立っていた。

 

「貴様っ」

「つまらん」

 

 隙だらけにしか見えない姿ではあるが、シロは何故か斬りかかる事も出来ず、ただ悔しげに歪めた顔のまま、小次郎を睨み付けていた。

 その様子を、横目でちらりと見ただけの小次郎は、興味を失ったように直ぐに刀を片手に下げたまま都市(オラリオ)の中心へと向かい始めた騒動へと視線を向けた。

 

「これならば、あちらへ行った方が良かったかもしれんな」

「っ、行かせると思って―――」

「貴様が、言うのか?」

 

 小次郎の言葉に、咄嗟にシロが声を上げるが、それは視線を向けられた瞬間押し潰されてしまう。

 声を上げる事も出来ず、押し黙ったシロの姿に、小次郎は大きく溜め息を吐く。

 

「もう十分だ。終わらせよう」

「舐め、るなぁっ!!?」

 

 軽く、地面に落ちたゴミを捨てるかのような物言いに、シロの激高した声が上がると同時に、小次郎の周囲に突き刺さった幾つかの剣に一斉に罅が入り。

 直後、爆発が起きた。

 

「――――――」

 

 小次郎を囲むように突き刺さっていた剣が一斉に起爆し、周囲に大量の土煙が立ち上る。

 爆破の瞬間、脱出の形跡はなかった。

 爆破させた剣の内在魔力は少なく。一斉に起爆させたとしても大した威力はなく、耐久力が高いとは言えない小次郎であっても、大したダメージを与えることは出来ないものではない。

 しかし、目的はそこ(ダメージ)ではなかった。

 大技を出すための一瞬の隙が必要だったのだ。

 視界が塞がれたこの瞬間、シロは両手に持つ双剣を土煙が上がる中に感じる小次郎の気配に向けて投げ放つ。

 舞い上がる土煙を切り裂き突き進む双剣は、狙い間違えることなく小次郎へと襲いかかる。

 だが、視界を防がれたとしても、小次郎にとっては何の問題もない。

 眼前に迫った円盤にしか見えないほどの勢いで回転する双剣を、弾くのではなく逸らすようにして明後日の方向へと誘導する。小次郎に導かれるままに飛び去っていく双剣。

 必殺の一撃は不発に終わった―――だがそれは、シロの持つ絶技のための一手でしかなかった。

 小次郎が双剣を逸らした直後、その後ろに隠れるようにして飛んでいたもう一組の双剣が姿を現す。

 剣を振り抜いた直後に姿を現した双剣に対処できるのは、強者ひしめく都市(オラリオ)であろうとも、数える程しかいないだろう。その彼等であっても、容易に対処できるようなものではない。

 そんな状況を前に、しかし小次郎は、その凪いだ水面のような意識に一切の波紋を生まないまま、先程同じように剣先でもって弾き飛ばすこともなく誘導するようにして、双剣の勢いすら殺さず放り投げるようにしてかわしてのけた。

 神技とも呼べる技量を、何でもないことのように振るった男を前に、シロは既に行動を起こしていた。

 己の振るう技の中で、人が真似できない絶技と呼べる剣。

 前後左右そして上空から迫る絶剣。

 あのオッタル(最強)ですら追い詰めた剣をもって、シロは小次郎に挑む。

 既に準備は整った。

 後は最後の一手のみ。

 視界の端で、四方へと飛ばされた二組の双剣が、それぞればらばらに散った状態で、中心(小次郎)へとその勢いを落とさずに向かっていくのを捉える。

 それに合わせ、シロが地面を蹴ろうとする。

 その直後、土煙の中にいた気配―――小次郎が動いた。

 迫り来る剣の一つに向かって小次郎が動いたのだ。

 一瞬で飛んでくる剣の前まで移動した小次郎は、その勢いのまま迫る双剣の一つを地面へと叩き落とした。上段からの閃光の如き一閃。高い金属音と共に押し負けた双剣の一つが地面へと深々と突き刺さる。

 囲みが解けた―――が、小次郎は剣を振り下ろしたまま逃げようとはしていない。

 いや、そんな時間などない。 

 小次郎は囲みから抜けたが、既に残りの三振りの剣が、叩き落とされた剣に引き寄せられ迫っていた。三方向(左右と後)からではないが、結果として無防備となった小次郎の背中へと向けて上段、中段、下段と縦一列となって並んで襲いかかっている。

 そして、万一それらを対処したとしても、既に強化した双剣を手にしたシロが上空から獲物を狙う鷹のように迫っていた。

 小次郎は背中を向けたまま動いてはいない。

 完全に隙を晒している。

 どうあっても対処することは不可能。

 互いに引き寄せ合う力を持つ双剣―――『干将』『莫耶』を用いた絶剣。

 

 ―――鶴翼三連。

 

「――――――おおおおぉぉッ!!」

  

 確殺を持って振り下ろそうとした―――その刹那。

 シロは見た。

 背中を向けたまま、肩越しにこちらを見る小次郎の目を。

 その凪いだ水面の如き瞳を。

 同時、シロは振り下ろそうとした双剣を手元に戻す。

 攻撃ではなく防御。

 意思ではない。

 本能的―――反射的な行動。

 直後悟った。

 足りないと。

 一手―――足りないと。

 瞬間起きた事を、シロは理解できなかった。

 見えたのは、小次郎が剣を振ったという事実だけ。

 起きたのは三つの衝撃。

 小次郎の背へと迫っていた三振りの剣が一刀でもって同時に断ち斬られ。

 同時に放たれた挟み込むような二つの太刀筋が、構えていた双剣を切断し、シロの身体を深々と切り裂いた。

 切り折られた剣が魔力となって溶けるように消え、シロの体から吹き出した血液が周囲に振り撒かれる中、微かに聞こえたのは、六の斬撃という絶剣を撃ち落とした恐るべき技の名。

 その名は―――。

 

 ―――秘剣 燕返し

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうだ?」

 

 逃げる白兎を追い詰めていく太陽の狩人達の争いから離れているが、大まかな状況を見渡せる高い建物の上で、その様を見下ろしていた一柱の男神が、近付いてくる自身の【ファミリア】を取りまとめる苦労人たる眷族へと向かって、視線を向けないまま問いかける。

 

「ヘルメス様……『戦いの野』に大きな動きは見られませんでした」

「へぇ、フレイヤ様は動かないつもりかな?」

 

 一瞬物言いたげな視線でヘルメスを見たアスフィだったが、それを形にすることなく得られた情報を自身の主神へと伝える。アスフィの報告を聞いたヘルメスは、今まさに追い詰められていく少年を思い、思考を巡らす。

 かの女神は執着していると言っても良いほどにあの少年―――ベル・クラネルに拘っている。

 それを知りながらヘルメスは色々とその少年にちょっかいを掛けてはいたが、一応それなりの基準(節度)をもって接していた。その考えからして、この状況は彼女の一線を越えていると訴えてはいるが、どうやら今回の一件で手を出すつもりはないように感じた。

 あの少年から興味が失われたとは思わない。

 ならば、この一件すら試練としか考えていないのかもしれない。

 それならば、彼女が手を出さないのもわかる。

 しかし、今の(ベル・クラネル)の力では、この逆境を自力で抜け出る力はない。幾つかの【ファミリア】等が手を貸しているようではあるが、焼け石に水でしかない。見たところ、【アポロン・ファミリア】の協力者として【ソーマ・ファミリア】の姿もある。

 このままでは、どうあってもこの状況を覆すことは出来はしないだろう。

 未だに姿を見せない。

 噂の彼が出てきたらどうなるかはわからないが……。

 そう、ヘルメスの思考が一度区切りをつけようとした時だった。

 

「―――ですが、一つだけ」

「ん?」

 

 アスフィが躊躇いがちに声を上げたのは。

 躊躇、と言うよりも、確信がないため断言できないといった様子で口ごもるアスフィに、顔を向けたヘルメスが無言で続きを促す。

 数度瞬きし、迷いを振り払うようにしたアスフィは、そうして口を開いた。

 

「確認は取れてはいませんが、ある男が動いたという話が」

「男―――と言うと、あの噂のシロと言う男かい?」

 

 ここで動くか、という思いと、やはり動いたかという思いと共に口を開いたヘルメスに、アスフィは小さく首を横に振った。

 

「いえ、違います」

「―――じゃあ、誰だい?」

 

 訝しげに眉根を歪めるヘルメスに向けて、アスフィは一瞬口ごもるも、直ぐにその名を口にした。

 

 

 

「それは――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廃墟に、高い金属音が響き渡った。

 終わりを告げる鋭い斬撃が、断頭の刃となって倒れ伏す男の首へと振り下ろされた間際。間に滑り込むように立ち塞がった者が、長大で巨大な大剣を片手に、その確定した死を防いでみせたのだ。

 秘剣と絶剣。

 その対峙の結果、無惨に斬り落とされた敗者たる(シロ)の首を跳ねようと、止めの一撃を放った小次郎の刃を止めたのは、巨大な男であった。

 岩を削り出したかのような荒々しい肉体と、密度を持つ気配を振り撒く男は、倒れ伏すシロの前に背中を向け。死闘を終えたばかりだというにも関わらず、未だ涼しげな様子を崩さない小次郎の前に立ちふさがるように立っていた。

 そうして無言のまま対峙する二人の間に、初めて声を上げたのは死体と間違えんばかりの惨状を晒していたシロであった。

 消えゆこうとする意識を、何とか手繰り寄せながら顔を上げたシロは、そこで己の前に聳え立つ男の背中を見た。

 険しき山の如き威容を見に纏い立つ姿に、思わず目を見開いたシロの口から、その男の名が形作られた。

 

 

 

「―――お、っタル?」

 

 

 

 

 

 

 

 




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 次回 第四話 秘剣VS破剣


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第四話 覇剣VS秘剣

 

 

 

「――――――お、っタル?」

 

 

 

 粉塵舞い沈黙が満ちていた戦場に、戸惑いを含んだ疑問の声が上がる。

 向かい合う二人の男。

 陣羽織を羽織った長すぎる刀身の刀を持つ男と、二Mはあるだろう覇気を身にまとった巌の如き身体を持つ巨大な大剣を持つ男。

 その一人の男の名を口にしたシロは、自身に刻まれた傷を忘れる程の戸惑いと驚愕をもって、まるで己を守るかのように立ち塞がる男の背中を見ていた。

 

「な、ぜ?」

「―――貴様との決着はまだ着いてはいない」

 

 シロの疑問の声に、オッタルは視線を向けることなく答える。

 その答えに対し、あっけに取られたように口を開いた姿で固まるシロを他所に、その言葉を耳にした小次郎から抗議の声が上がる。

 

「それはこちらの言い分なのであるがな。とは言え、言葉でこの場を譲ってくれるような相手ではないようであるが……私は引くつもりはないぞ」

「―――引く、だと……逃がすと、思っているのか?」

 

 涼しげな笑みを口許にたたえたまま、しかしその目は欠片も笑ってはいない小次郎の視線を受けたオッタルはしかし、マグマが吹き上がる直前の火山の如き怒気を発する唸り声に似た声を上げた。

 常人ならば気を失ってしまう程のその苛立ちと憤怒が混じった声を前に、小次郎は小さく首を傾けて疑問の視線を向ける。

 

「さて、何かしたか?」

「貴様だろう……っ」

 

 大剣の柄を、声が怒りで震える程の強さを持って握りしめたオッタルが、一歩小次郎へと足を進める。

 

「フレイヤ様の御体に触れた無礼者はッ!!」

「―――ほう、気付いていたのか?」

 

 大気が怯えて震えるかのような怒声を向けられながらも、泰然自若と変わらぬ様子を見せる小次郎は、ただ浮かべる笑みを面白そうなものへと変えただけであった。

 

「ッ―――貴様ぁっ!!」

「いや、()()()()()()、ではないようだな。ただ、勘が良いだけか」

 

 小次郎が何をもってそう判断したのかは不明ではあるが、その言葉は正しかった。

 事実、オッタルは昨夜、敬愛するフレイヤの髪にいつの間にか差されていた花に気付いたのは宴が終わってから。当の本神の言葉により、初めて気付いたのだった。

 己の気付かぬ内に、誰も触れさせぬとばかりに常に気を張っていたにも関わらずそれを破られていた。

 当のフレイヤは気にする様子も、失態を犯したオッタルを咎める言葉を向けはしなかったが、それで気にしないような者は【フレイヤ・ファミリア】にはいる筈もなく。

 団長であるオッタルは自害しかねない程の怒りで、気が狂わんばかりに己を責めた。

 全てが終わってから気付いたが、何時かはわかっていた。

 『神の宴』の間に行われたのは確実ではあるが、それが何処の者なのか、参加していた【ファミリア】の者なのか、それ以外の者なのか全くわからない。

 差されていた花もそこらを見れば見つかるような珍しいものではなく、下手人を特定するようなモノは何もなかった。

 だが、最強たる戦士であるオッタルには確信があった。

 それは超能力染みた直感から、何の根拠もなく感じていた。

 下手人は【アポロン・ファミリア】の関係者である、と。

 オッタルの知る限り【アポロン・ファミリア】に、己に気付かせずにこのような事を成し遂げられる者は一人もいない。

 いや、例えオラリオの全てを見渡したとしても、全く気付かせずにと条件を付ければただの一人もいなかった。

 中堅のファミリアでしかない【アポロン・ファミリア】であれば、尚更いるはずがない。

 しかし、オッタルは半ば確信を持って断言していた。

 【アポロン・ファミリア】の中に、フレイヤ()の断りもなくその身体に触れた愚か者がいる、と。

 大地を震わせるほどのオッタルのその怒りは、己とその禁忌を犯した者へと向けられ、その視線と意識は昨夜から【アポロン・ファミリア】へと向けられていた。

 だから、早朝から【アポロン・ファミリア】が【ヘスティア・ファミリア】の拠点へと向かうのも、そしてベル・クラネルを襲撃する様も見ていた。

 だが、その中に己の目的の者がいなかったことから介入はせずにただ見ていただけであった。

 そんな時であった、唐突に、何の前触れもなく一つの気配が生まれたのは。

 それは、高速でここ(ベル・クラネルの下)までやってこようとする者の近くへと現れた。

 直後、何の根拠もなく理解した。

 ()()()()、と。

 離れているとは言え、一瞬前にも己に欠片も気配を感じさせなかったこの者こそが、フレイヤ様の御体に無断で触れた大罪人であると。

 それを理解した瞬間には、既にオッタルはその場へと駆けつけていた。

 しかし、到着し目にしたものを前に、オッタルは直ぐには飛び出せずにいた。

 目の前で行われる戦いに、割り込むことができなかった。

 それは死んだとも聞いていた筈の(シロ)が生きているのを目にしたからではない。

 一対一の戦いに割り込むことを忌避したからでもない。

 ただ、単純に割り込めなかったのだ。

 最強だと唄われる男である筈のオッタルが、足を踏み入れる事が出来ない程の戦いがそこにはあった。

 そうオッタルが躊躇している間に、長くもあり、短くもあった戦いはシロの敗北という決着をもって終了した。

 そして、小次郎のとどめの(首を刈る)一撃を前に、ようやくオッタルは飛び込むことが出来た。

 

「貴様は許されざる事をしてのけた―――その報いを受けろ」

「ほう、それは楽しみだ」

「―――ッ!!」

 

 ふっ、と小次郎が鼻で笑った瞬間、戦いの火蓋は切られた。

 2Mを越す巨体からは信じがたい速度で小次郎の前まで移動したオッタルは、その突進の速度を加えた斬撃を大上段から一息で振り下ろす。当たれば人など真っ二つ処か形すら残らないだろう一撃は、しかし小次郎の身体をすり抜けるようにして地面へと突き刺さる。

 直後、爆音と衝撃が周囲に響く。

 地面が捲り上がり、周囲に散らばる瓦礫が散弾のように周りへと飛び散る。

 詠唱した魔法染みた威力を持つ一撃は、例え避わしたとしてもその衝撃をもって逃げた者に襲いかかり、ダメージを受けずにはいられいない不可避の一撃―――であった筈だった。

 

「っ、オオ?!」

「―――まるでバーサーカーであるな」

 

 すっ、と差し出されるような刃の一撃が、首元まで迫ってくるのを、直前に気付いたオッタルが剣では間に合わぬと反射的に手を差し出してそれを防ぐ。

 鋭い刃を前に、抜き身の腕を差し出せば、肉を裂かれる血が吹き出るものであるが、規格外という存在がいる。

 そしてオッタルはその中でも更に上位に位置する存在だ。

 レベル7に加え、積み重ねられた耐久力は高価な防具にも優る。

 僅かに皮膚を裂き、微かに血を滲ませるだけで小次郎の一撃を防いだオッタルは、咄嗟に背後に飛び距離を取った。

 

「硬いな」

「―――死ね」

 

 小次郎の面白げな笑いに対し、牙を剥き出しにオッタルは躍りかかる。

 先の一撃と同じ。

 飛びかかり大上段の一撃。

 違いは一つ。

 この一撃に込められた力と殺意は、先の倍以上であること。

 先程の攻防で(小次郎)の回避能力が高く、攻撃も避けがたいと判断したオッタルが選んだ答えはシンプルなものであった。

 被弾覚悟の一撃。

 相手の攻撃は何の痛痒にもなってはいない―――が、オッタルは歴戦の戦士としての直感が告げていた。

 この男に時間を与えてはならない、と。

 その直感に従い、オッタルは最速最短の判断を下す。

 一撃でもって殺す、と。

 

「オオオオオオオオオオオォオォオオオッッ!!!」

「……これは運が良い」

 

 深層のモンスターでさえ一撃で撃ち殺すオッタルの一撃。

 ベテランと呼ばれる冒険者ですら目視すら叶わぬ速度で襲いかかるオッタルのその様は、まるで防ぎようのない災害のようであり。抗うことの無意味さを、相対する者に叩きつける。

 だが、小次郎はそれを前にしても、やはり変わらぬ姿で。

 ただ、その口許に浮かべた笑みだけを深くして襲いかかる人の形の災害に相対する。

 

「ぬっ!?」

 

 抜き胴。

 上段から雷の如く振り下ろされた一撃を前に、小次郎の取った行動は後ろでも横でもなく。

 前へ。

 雷速で落ちる一撃へと自ら進み、オッタルの横を駆け抜けた。

 駆け抜ける直後、添えられたように置かれた物干し竿の刃が、オッタルの脇腹をその長い刀身でもって撫で斬るも、その人外の耐久力を越えることは出来ず、僅かに皮膚を切り裂いただけで終わってしまう。

 噴火のように、地が震えマグマの代わりに土砂が巻き上がる中を走り抜けた小次郎は、振り落ちる砂を払いながらオッタルへと笑いかけた。

 

「いや、見事な一撃。清々しい程に」

「ッ」

 

 大地を掘り起こす一撃を前にして、それでも変わらぬ様子で立つ小次郎の姿に、オッタルの口から苛立ちが混じる舌打ちが鳴らされる。

 大気が震えるほどの殺気を向けられながらも、尚も小次郎の様子は変わらず。それどころか、その機嫌は先程よりも良くなっているようにも見えた。

 

「これならば試しに十分」

「―――なん、だと」

 

 小次郎が口にした言葉を前に、オッタルは一瞬何を言われたか分からなかったかのように無言になり。

 直後、小さく呟くように恐ろしいまでに平坦な声を漏らした。

 

「いやなに。貴様に似た男がいてな。当時は全く相手にならなかった故に、何とかならないものかと考えていたのだが……運が良い」

「……」

 

 無言のまま、小次郎の話に耳を傾けるように立つオッタル。

 だが、その身に纏う雰囲気は。

 大気に伝わる感情は更に強く、濃く成り始め。

 

「試そうと思っていたものが幾つかある。全て試す前に、死ぬでないぞ」

「――――――死ね」

 

 笑いながらそう小次郎が口にした瞬間、既にその眼前には両手で大剣を大上段で構えたオッタルが立っていた。

 そして宣言と共に振り下ろされた一撃は、大魔法もかくやといった破壊を周囲に振り撒いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――っ、ぁ……」

 

 大地を、大気を震わせる衝撃が、身体を貫き全身を大きく震わせる。

 内臓を掴んで震わせるような、重い衝撃は、深々と切り刻まれた身体に対し、耐えるのには酷すぎたものであった。

 既に戦いの中心から大分離れているにもかかわらず、ここまで戦いの影響が感じられるのは、それほどまでに激しい戦いだからだろう。

 小次郎とオッタル。

 どちらも最強と呼ばれたとしても、何ら差し障りもない強者である。

 規格外の戦士二人による戦いだ。

 周囲への影響など考えるまでもなく凄まじいものであると直ぐにわかるものだ。

 ただ、その決着がどうなるか。

 それだけはわからない。

 どちらが優勢なのかすら、想像できないのだから。

 単純な破壊力、身体能力だけを見れば、どれだけ凄まじい技量を持つ相手であっても、オッタルが負ける筈はないと思われるが、相手が相手である。

 小次郎の至った領域(剣の頂)は、肉体の―――身体能力の差を覆しうる程のものだ。

 どちらも等しく規格外。

 故に、どのような結果となるかは、どれだけ考えようともわかりはしない。

 その結果(決着)に興味がないと言えば嘘にはなるが、あの場にとどまれば僅かに拾った命すら、あっと言う間に消え失せてしまう。そんなリスクを背負ってまで、悠長に観戦するような暇も理由も、シロにはありはしない。

 だからこそ、オッタルと小次郎の戦いが始まると直ぐに、シロはその場から直ぐに離れた。

 致命傷ではなくとも、重症には違いなく。それどころか、下手に動けば取り返しのつかなくなる程の傷である。直ぐに治療しなければならないが、シロが所持していた緊急用のポーションは不幸なことに、対策していたにも関わらず戦闘の余波で使い物にならなくなっており。応急の治療として、精々僅かに出血を押さえるための止血程度しかできないでいた。

 早急に本格的な治療が必要であった。

 しかし、戦闘による疲労と出血により、意識が定かとならなくなったシロが進む先には、何処かの治療院があるような場所ではなく。廃墟が広がる何もない一角へと、その足は向けられていた。

 向かう先には、つい先程まである【ファミリア】が拠点としていた、廃墟となった教会があった。 

 もうそこには何もなく、そして誰もいない。

 シロも、その事を知っているにも関わらず、進む足がそちらへと向けられているのは、既に意識が正常ではないからであろう。止血をしたとはいえ、流れ出た血は多く、また未だ血は止まってはいない。

 刻一刻と死がにじり寄る中、シロは霞がかった意識のまま進んでいた。

 もう、何か考えて歩いているのではなかった。

 ただ、身体が動くまま、心が望むままに、シロの体は無意識に歩を進めていた。

 そんな時間は長くは続く筈もなく。

 ゆっくりと、しかし確実にシロの歩みが落ちていき。

 それが止まった時、全てが終わってしまう。

 その―――筈であった。

 不意に、シロの足が止まった。

 しかし、それは力が尽きたからではなく。

 シロの前に立つ者によって、その歩みは止められていた。

 手を伸ばせば触れられる距離で立ち塞がるように立つ男は、複雑な感情が入り交じった目でシロを見下ろしていた。

 

「―――ここで、会ってしまうか……」

 

 既に明確な意識のないシロの、靄がかかった視界には、立ち塞がる男の姿はハッキリと映ってはいない。ただ、男であるというのはわかる程度で、それ以外は全く判然としない。

 服装も顔も、微かに聞こえる声も既に形が崩れ声音すらわかっていない。

 

「っ、シロ、君は―――何故」

「―――っ、あ」

 

 止めてしまった足は、まるで石化したかのように動かず。何かの切っ掛けがあれば、体も意識も完全に手元から離れ全てが終わってしまうと、本能的に悟っているのか、シロはまるで挑みかかるような目で、目の前に立つ男に視線を向けた。

 

「……そこまで」

 

 追い詰められた獣が、最後の抵抗とばかりに襲いかかる間際のような眼差しを受けながら、それでもシロの前に立つ男は、明確な意識すらないとわかっていながらも、その口からは問いかけのための言葉が出ていた。

 

「何故、そこまで―――もう、良いだろう。辛いだけだ、苦しいだけの筈だ……」

 

 まともな答えどころか、反応すらないだろうとわかっていながらも、男は問いかけていた。

 

「……どうして―――君はまだ、歩もうとする」

 

 しかし、

 

「―――まって、る」

「っ!?」

 

 ごぼりと、血塊と共に吐き出された、明確な応えが、男へと返された。

 驚愕に開かれた目の前で、やはり定かではない意識の眼差しを向けてくるシロが、それでも声を上げていた。

 

かぞ、く(ヘスティア達)が、まって――――――いる……」

「―――っぅ!!?」

 

 力のない。

 囁き声にすら負けてしまう、そんな呟きにも届かない声なのに。

 男の耳には、間近に落ちた雷の音よりも大きく、そして激しい痛みにも似た衝撃を全身に与えた。

 呻き声のような叫びを、男は喉奥で漏らすと、まるで諦めたかのように、降参するかのように天を仰いだ。

 そして、天を仰ぎ見る姿勢で、肺の中の全てを吐き出すかのような深々としたため息を一つつくと、懐から何かを取りだし、それをシロの口の中へと押し込み、その中身を流し込んだ。

 抵抗する意思も力もないシロは、喉へと流し込まれるそれを力なく飲み込むと同時に意識を失った。

 それを確認した男は、力が抜け倒れかかるシロの身体を受け止めると、そのまま支えるようにして、引きずるように歩き始めた。苦痛によるものか、それとも自身の無力を嘆くものによるものか、苦悶の表情を浮かべるシロの顔をちらりと横目で見た男は、小さなため息を溢すと同時、苦笑いを浮かべていた口を開いた。

 

「全く……君には負けたよ―――ヘスティア」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 大地を破壊する一撃が振り下ろされ、巨大なクレーターが産み出される。

 発生した衝撃が周囲を轟かせ、砕かれた瓦礫が粉塵となって周囲を包み込む。

 その中を、切り裂くようにして進む影が、大剣を振り下ろしたばかりのオッタル前へと現れ、数十もの斬撃の嵐を生み出すと同時その場から消え去ってしまう。

 

「む、うっ?!」

 

 反撃すら許さない刹那の攻撃。

 意識が反撃へと向けられた時には、敵は既に遠く、身体には無数の切り傷が。

 昂る意識を落ち着かせるように、大剣を振り払い周囲の粉塵を吹き飛ばす。

 一振りで吹き飛ばされた粉塵の向こうに立つのは、一人の剣士。

 陣羽織に身を包んだ頂上たる剣技を振るう男―――小次郎は変わらず微かな笑みを口許に湛えたまま、自身で産み出したクレーターの中心に立つオッタルを見下ろしている。

 対峙する二人。

 戦いが始まってから未だそう時間は経ってはいない。

 しかし、二人の様子は随分と変化していた。

 小次郎が身に纏った陣羽織は、まるで獣に襲われたかのように無惨にもボロボロとなっている。しかし、それを身に着ける身体には、未だ一片の傷さえついてはおらず、血、処か痣の一つすら見てとれなかった。

 それに対し、オッタルはまさに満身創痍。

 防具は切り刻まれ外れてしまい。もう身体には衣服しか身に付けておらず、その服すら殆どまともな形は残ってはいない。代わりにその身体は赤く自身の血で塗り固められていた。

 しかし、全身を己の血で赤く染め上げられているにも関わらず、オッタルの顔には何ら焦りも追い詰められた様子は伺うことはできなかった。

 事実、オッタルは確かに傷ついてはいるが、追い詰めはされてはいない。

 何故ならば、オッタルは血は流してはいたが、その出血は続いてはいなかったからだ。

 先程斬られた場所も、既に傷は塞がり出血は止まっている。それはオッタルの人外染みた回復力の力だけでなく、規格外の耐久力により、小次郎の攻撃による傷が僅かに肉を斬る程度で抑えられているからだった。

 一見すれば、オッタルが追い詰められているかのように見えるが、実際は未だ膠着状態。

 オッタルの耐久力を前に、文字通り刃がたたない小次郎が、逆に一撃をもらえば終わってしまうと考えれば、追い詰められているとも見れるかもしれない。

 だが、自身を見下ろす小次郎を睨み付けるオッタル自身は、表には出してはいないが、確かな焦燥を感じていた。

 

 ―――届かない。

 

 己の刃が(小次郎)に届く想像(イメージ)が全く思い浮かばないのだ。

 確かに小次郎の攻撃は僅かに肉を斬るだけ、少々血は流すが直ぐに傷は塞がり戦闘に支障はないように思う。

 しかし、何時からかオッタルは切り込まれる刃から、まるで己の魂を凍らせるかのような冷たさを感じていた。

 それが何を意味しているのか、予感させているのかを、歴戦の戦士たるオッタルは本能的に悟っていた。

 故に、オッタルはこれ以上相手に時間を与えることは危険であると判断し。

 だからこそ、次の一撃で終わらせると決めた。

 

「―――フ」

 

 オッタルの覚悟を悟ったのか、小次郎は小さく笑うと、挑発するかのような眼差しを向けた後、クレーターの縁から背後へと飛び離れた。それに誘われるように、オッタルはゆっくりと自らが作り出したクレーターから歩いて出ると、先程自身を見下ろしていた小次郎が立っていた位置に立った。

 その視線が向けられた先には、20Mほど離れた位置に立つ小次郎の姿が。

 対峙する二人。

 最初に動いたのはオッタルだった。

 大剣の柄を握り直すと、それを大きく上へとかかげるように持ち上げた。

 そして、ゆっくりと口を開くと―――『詠唱』を始めた。 

 

月銀(ぎん)の慈悲、黄金の原野―――】

 

 ミシリ、と空間がきしむ音が響く。

 詠唱と共に、オッタルから放たれる増大した圧力に耐えられなかった岩や瓦礫が声なき悲鳴を上げて砂へと砕け散る。

 

【この身は戦の猛猪(おう)を拝命せし】

 

 掲げられた大剣の柄が、込められた力に耐えられないとばかりにきしみを上げる。

 天を突かんとばかりに上げられた刀身に力が満ちていく。

 

【駆け抜けよ、女神の真意を乗せて】

 

 振り下ろされれば、下層の階層主さえ討ち滅ぼす絶対破砕の一撃。

 全てを制する覇王の一撃。

 それを今、強大なるモンスターではなく、ただ一人の男へと振り下ろさんとしていた。

 受け止められる筈のない。

 必死の一振りを目にしながら、しかし、相対する男に―――小次郎に追い詰められた様は欠片もなく。

 どころか、その口許には変わらず涼やかな笑みが浮かんでいた。

 天災のごとき一撃を前に、小次郎は相手に背中を向けるかのような奇妙なる構えをもって対峙する。

 一見すれば隙だらけにしか見えないその構えを前に、オッタルの大剣を握る力が増す。

 その構えを―――そこから繰り出される()()()()()()を、オッタルはシロの敗北と言う形で目にした。

 シロと小次郎との一戦を、オッタルは見ていた。

 故に、シロが破れた小次郎の、この構えから放たれた技も目撃していた。

 だが、目にしていながら、最強の戦士たるオッタルでさえ、その技を見切れてはいなかった。

 ただ、目視叶わぬほどの速度による連撃であることしかわからない。

 少なくとも3つの斬撃。

 それも、ただの斬撃ではない。

 ただ一刀だけでも避け難い、至高の頂に至っているだろう剣士が振るう()()()()()()

 それが三つ同時に振るわれるかのような連撃。

 放たれれば防ぐも避けるも困難極まりない。

 ならば、振るわれる前に終わらせるしかない。

 そう、事は単純。

 殺られる前に殺る。

 ただ、それだけ。

 これまでの攻防により、小次郎の耐久力は高くない事は分かっている。ならば、直撃でなくとも、全力の一撃の余波だけでも勝ちうる。

 その確信を持って、オッタルは最後の詠唱を唱える。

 己の最大の一撃を。

 唯一の魔法を。

 

【――――――ヒルディスヴィーニ】

 

 振り下ろされる大剣。

 カチリ、と心と身体の動きが合わさったかのような、会心の一振りであった。

 確殺の意をもった、そのオッタルの目に―――

 

       ―――秘剣

 

 振り下ろされんとする大剣の真下に、小次郎が突如現れ。

 

 ――――――燕返し 

 

 オッタルの目に()()()()()()()()()

 時が引き伸ばされたかのような、奇妙な感覚の中、オッタルは理解してしまった。

 

 ―――届かん

 

 先に放った筈であった。

 既に振り下ろしている筈であった。

 しかし、それでも届かない事を、オッタルは悟った。

 小次郎が後に放った斬撃が先に届く。

 そう確信するも、引き伸ばされた時の中、思考に身体はついてはいけず。瞬き一つすら出来ない。

 オッタルの一振りは、未だその行程を半分も過ぎてはいないどころか、その切っ先はまだ天を向いている。

 逆に、小次郎の放つ三つの斬撃は、既にオッタルの身体に届かんとしていた。

 一刀にして三刀。

 オッタルは勘違いしていたことを理解した。

 高速の連撃ではない。

 そんな次元の話ではなかった。

 文字通り一刀が三刀へと増えていた。

 これが魔法なのか、それとも何かのスキルなのか、それはわからない。

 ただ一つわかるのは、このままでは己の命がここで終わると言うことだけ。

 襲いかかってくる三つの刀の内二つは、振り下ろそうとする大剣を握る二本の腕を、挟み込むような軌跡を描いている。

 そして三刀目は、命を断たんとオッタルの太い首へと伸びていた。

 これまでの斬撃であるのならば、何の痛痒もなかった筈である。

 目算通り、受けながら必死の一撃を打ち込めばいい。

 しかし、オッタルの直感は告げていた。

 確実な『死』を。

 猶予は僅か。

 この奇跡のような時間で出来るのは、一手のみ。

 即ち、引くか、このままか。

 だが、どちらを選んでもこの(囲み)からは逃れられないとも、直感は告げていた。

 『死』を前にした永劫にも感じる時の中、オッタルが選んだのは――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一際巨大な衝撃が(オラリオ)を震わせた。

 遠く離れた住民ですら、その体を震わせるほどの衝撃に思わず顔を上げ周囲を見回す程のそれを放った中心では、噴火後の火口めいた粉塵が舞う巨大なクレーターがあった。

 生物の気配が感じられない破壊の跡に、しかし、二つの人影があった。

 一つは、その両の足で立ち。

 一つは、血を流し地に倒れ伏していた。

 勝者と敗者。

 明確なる結果を告げるその光景。

 それを目にしたのは―――

 

「―――そんな、まさか」

「……」

 

 一柱の男神とその眷族の女。 

 ヘルメスとアスフィであった。

 翼の生えたサンダルをはき空を飛ぶアスフィにヘルメスは抱えられながら、その有り得ざる光景を二人は上空から見下ろしていた。動揺を収められないままに、ゆっくりと地面へと降り立つ。

 百Mはあるだろう巨大なクレーターの中に降り立った二人は、受け止められない現実を前に石のように固まっていた。

 そんな二人の姿を横目で見た勝者たる男は、手に持ったその長すぎる刀身の刀を器用に背中に背負った鞘に収めると、戦場跡へ背を向けた。

 

「―――知り合いならば急いだ方が良い。運が良ければ、命とそこに落ちた腕も着けることも出来るのではないか?」

 

 小次郎のその言葉に、びくりと身体を震わせたアスフィは、慌てて周囲を見渡すと、離れた位置に転がっている刀身が砕けた柄の残骸を握りしめる肘から先が切断された二本の腕を見つけた。

 ポーチから回復薬を取り出しながら、俯せに血を流し倒れるオッタルに駆け寄るアスフィをよそに、立ち去ろうとする小次郎に背中へ向けて、ヘルメスが声をかける。

 

「―――一つ、いいかな?」

「何だ?」

 

 普段のふざけたような雰囲気を欠片も感じさせない。怒りとすら感じられるほどの真剣さを持った声を背に受け、小次郎は足を止めて応えるも、その顔はヘルメスへとは向けられていない。

 

「君は、一体何者だい」

 

 ヘルメスの問いに、小次郎は一瞬考え込むように黙った後、一歩足を前に出すと同時に、その問いに応えた。

 

 

「―――佐々木小次郎」

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。
 
 ちょこちょこと忙しくなっているため、すみませんがペースが落ちると思います。
 ですが、投稿はしますので、出来れば気長にお待ちください。


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第五話 『未知』

 

 ――――――――――――っ……

 

 水面に浮かび上がるように、不意に取り戻した意識が最初に感じたのは、圧迫感を感じる薄暗い闇であった。

 と、同時に全身に感じる、首元まで泥濘にはまったかのような包み込み締め付けるかのような痛みにも似た疲労。

 腕一本、指先一つすら動かす事を億劫に感じる程の、煮詰めたような疲労が全身を侵しているのを、熱がこもった意識の中感じていた。

 疲労の極致故に、感じるだるさと眠気はしかし、それこそが邪魔をして再び意識を失うという逃避を許してはくれなかった。

 纏まりのつかない、はっきりとした形を意識がとれないまま時ばかりが過ぎ、やがて境界に立つ意識が片方へと傾きかけた時であった。

 

「―――起きたか」

 

 傾きかけた机の上に置かれた、魔導灯ではない、蝋燭に点されたか細い炎の灯りの傍で、椅子に座った男が声を発したのは。

 

「お、れ―――は……」

 

 落ちかけていた意識は、男の声に呼び戻され、そして反射的に上がった自身の声により明確な輪郭を持ち始めた。

 

「生きて―――いる、のか?」

「……ああ、かなり危なかったが。シロ―――君は生きているよ」

 

 ぎしり、と軋む音を立てながら、椅子から立ち上がった男は、机の上から蝋燭を持ち上げると、ゆっくりと寝台へと向かって歩き始めた。

 椅子と寝台は数Mほどしか離れていない。

 普段の男ならば、例え寝ていたとしても、それが10倍以上に離れていた距離でも気付いてた筈であったが、まるで命尽きる間際の老人の如き今の有り様であっては、気付くことは出来ないでいた。

 多大な労力と気力を使用し、微かに首と視線を動かし、寝台の横に立つ男を見上げる。

 揺れる小さな火に浮かび上がったのは、男の―――否、一柱の男神の姿。

 ミアハと呼ばれる神の姿が、そこにはあった。

 

「み、あは……か?」

「そうだ。体の方はどうだ? 色々と使ったけれど、残念ながら手持ちにはそれほど良いものがなくてな。とはいえ、自慢の団員が作った特製のポーションだ。万全とは言えずとも、かなり回復はしていると思うが?」

「そう、だな―――ああ、傷は塞がっているようだ」

「その様子では、それ以外はまだまだと言ったところか」

 

 視線だけを動かし、寝台の上に転がる自身の身体を見たシロが、頷くようにそう口にすると、口許にミアハは苦笑を浮かべた。

 

「ここは?」

 

 話している内に、僅かではあるが身体に力が込められるようになったシロが、這いずるように首を動かし周囲を見渡す。シロがヘスティアの前から離れるまでは、ミアハとはそれなりの交流があった。【ミアハ・ファミリア】の拠点等にも直接赴いた事も幾度もある。

 しかし、少なくともシロの記憶の中に、今いるこのような場所を見た覚えはなかった。

 広さは大体安宿の一室程度の大きさだろうか。家具のような物は殆どなく、今シロが眠る寝台と、先ほどまでミアハが座っていた椅子と、その隣にあった崩れかけの机、そして机を挟んだ対面にある椅子。その4点以外に見えるものはなく。逆に言えば、それ以外は綺麗に片付けられていた。微かに感じる気配のようなモノが、廃墟のように感じるここが、人の手が少しは入った場所であることを告げていた。 

 とは言え、多少なりとも人の手が入っているとは言え、か細い灯りの中でも分かる程の壁や天井の損傷具合からして、廃墟同然のものであることは間違いはない。

 廃教会にある【ヘスティア・ファミリア】の拠点に、シロの手が入る前のような状態であった。

 微かな懐かしさに似た感覚を胸に感じていたシロだったが、【ヘスティア・ファミリア】が【アポロン・ファミリア】に襲撃をされた事を思いだし、今その拠点がどうなっているかを思い少し落ち込みかけた思考を、ミアハの声が引き戻した。

 

「まあ、私の秘密基地のようなものだ。ここを知る者は、ふむ……片手で数える程だな」

 

 寝台の横に立つミアハが、軽く部屋の中を見渡し、指折り何かを数えながら再びシロを見下ろした。

 

「傷は塞がってはいるが、まだ動かない方がいい。体力も血もぎりぎりの所だろう。身体を動かすどころか、意識があるだけでも驚異的だ」

「―――……あれから、どれだけ経った?」

 

 喉奥がへばりつくような感覚を払いながら、喘ぐような声でシロが身体に残る僅かな体力を燃やし声を上げた。

 

「……三日だ」

「―――っ、く!?」

 

 咄嗟に起き上がろうとするシロを、片手で寝台に押さえつけたミアハは、ため息をつきながら口を開いた。

 

「幸い、と言っていいのかは分からないが、まだ何も始まってはいない」

「―――」

 

 寝台に押さえつけられたシロが、視線だけでミアハに続きを促す。

 

「……ヘスティアもベルも無事だ。しかし、ヘスティアは戦争遊戯(ウォー・ゲーム)を選択した」

「っ、まさ、か」

「した、と言うよりも、そうさせられた、と言う方が正確だな。君がどれだけ把握しているのかは知らないから、最初から教えよう……」

 

 そして、ミアハは寝台の傍に椅子を持ってくると、そこに腰掛けてこれまでの事を。【ヘスティア・ファミリア】が【アポロン・ファミリア】に襲撃されてから、シロが目覚めるまでの間に起きた出来事を語り始めた。

 4日前に、ヘスティア達と『神の宴』に参加したこと。

 そこでアポロンから言いがかりをつけられ、反論すると『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』を提案されたが、それをヘスティアが蹴ったこと。

 翌日、【アポロン・ファミリア】に【ヘスティア・ファミリア】の拠点が襲撃され、【ミアハ・ファミリア】の唯一の団員や、【タケミカヅチ・ファミリア】、それに個人的に数人の冒険者等が応援に駆けつけたが、力及ばず撃退することは出来なかったが、ベルとヘスティアは何とか無事であること。

 今回は凌げたが、今後も襲撃は続くだろうことからも、苦渋の選択の結果、ヘスティアはアポロンへ『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』を挑むこととなったこと。

 そして、つい先日その『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』の内容とそのルールが決まったこと。

 

「―――『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』か」

「一対一の決闘形式なら、何とか可能性はあったんだが」

 

 寝台の上で横になったまま、その心様を示すかのように、シロが天井を見上げる視線を歪める隣で、ミアハのため息混じりの呟きを漏らす。

 『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』と言っても、その形式は多岐に渡る。参加する人数からして、一対一の決闘から、その言葉通りの戦争染みたもの―――ファミリアの団員を総動員した総力戦まである。【ヘスティア・ファミリア】と【アポロン・ファミリア】との団員の数の差は、文字通り桁が違うため、選ばれた決闘の形式によっては、その差の影響が全く出ないか出るかが別れるのだが。ミアハのその様子からして、芳しくないものが選ばれたようであった。

 

「決闘内容は……」

「『籠城戦』」

「っ」

 

 その心情を表すかのようなシロの重い問いに対する、ミアハの短い返答に鋭い舌打ちが返る。

 苛立ちが多分に含まれた舌打ちが、狭い小屋の中の空気を叩いた。

 

「……ルールはどうなっている?」

「それもあまり良くはない」

 

 ざわつく心情を落ち着かせるように、何度か深く呼吸をしたシロが、最後に大きく息を吐くとともにミアハに詳細を問いかける。

 それを受け、仕切り直すように座り直したミアハが、軋みを上げる椅子の悲鳴が途切れる前に、一つ一つ先日決まったルールの内容をシロに伝え始めた。

 

 ○ 【アポロン・ファミリア】が籠城―――守る側であり、【ヘスティア・ファミリア】が攻める側であること。

 ○ 試合期間は一週間であること。

 ○ 【アポロン・ファミリア】は城主を決め、その者が倒されれば敗けとなること。また、城主となった者は、事前にそれを審判役であるウラノスに届け出た後、それを示す『指輪』を目につく位置に付けること。

 ○ 【ヘスティア・ファミリア】の勝利条件は、試合期間の間に城主を倒すか、【アポロン・ファミリア】を全滅させること。

 ○ 【アポロン・ファミリア】の勝利条件は、試合期間の間に城主を倒されず、全滅しないこと、または【ヘスティア・ファミリア】側を全滅させること。

 ○ 両【ファミリア】は、それぞれ一名だけ助っ人を呼ぶことが出来るが、【アポロン・ファミリア】側はレベル2以下であること。

 

「助っ人、だと?」

「……その点は良いのか悪いのか。ヘスティアの所の団員の数の少なさが議題に上がってね。アポロンは渋っていたが、ヘスティア側の助っ人に条件を付けない代わりに、自分も条件ありで助っ人を付けると言ってきた。しかし……」

 

 顎に手を当て、考え込むミアハ。

 端から聞いても、奇妙に感じる事だ。

 【アポロン・ファミリア】と【ヘスティア・ファミリア】は、その団員の数と質の差は比べるまでもない。絶望的と言っても良いほどだ。しかし、その差を覆せられる者は、探せばそれなりにいるのが、ここオラリオでもある。

 だから、もしアポロンがヘスティアの助っ人に許可するとならば、その助っ人こそへの条件を付ける筈である。

 なのに、ヘスティアが呼ぶ助っ人へは条件はつけず、代わりに自分が選ぶ助っ人には条件を付けると言う。

 それもその条件と言うのがレベルが2以下だ。

 【アポロン・ファミリア】にはそれぐらいの冒険者等何人もいる。

 今さら一人ぐらい増えたとしてもそう代わりはない。

 嫌がらせにしても、ヘスティアが選ぶ助っ人に条件を付けない事も変であった。

 少なくとも都市外の冒険者といった条件をつけなけば、他のファミリアから万が一とはいえ数の差をひっくり返す事が出来る冒険者が出てくる可能性もある。

 そんな事はあり得ないと高を括っているのか、それとも()()()()()()()()()()()()()()()()()のか。

 何も知らなければ、前者であると思うだろうが、シロは知っている。

 【アポロン・ファミリア】にいる者を。

 

「その条件を聞いた時、アポロンはヘスティアでは高レベルの冒険者を引き込む事ができないと高を括っているのだろうと思っていたのだが」

 

 ミアハの視線が、寝台の上のシロへと向けられる。

 その目が見ているのは、今は塞がったシロに刻まれていた見惚れるほどに鮮やかな傷跡だったのか。

 

「……その様子では、別の理由があるようだ」

 

 ミアハの言葉に、シロはただ無言のまま反応はしなかったが、ただ、その閉じられた口許から微かに歯軋りの音が響いた。

 

「……『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』は何時から始まる」

「3日後。既に場所は選定されて、【アポロン・ファミリア】は準備を始めている。場所は―――」

 

 試合場所となるのは、山賊がアジトとしていた砦跡であるが、それなりに大きく、手を入れれば使用には問題はない状態であるそうだ。実際、山賊がアジトとしていただけであって、倒壊寸前と言うことはなく。噂によれば、今の時点で殆ど砦としての機能は回復しているそうだ。

 だが、『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』の準備が順調な【アポロン・ファミリア】とは逆に、【ヘスティア・ファミリア】はかなりの苦境に陥っているという。

 元々シロを含め2名しか団員がいない上に、パーティーを組んでいたという他の【ファミリア】の団員達にはトラブルが発生しており。少しでも戦力が必要な現状の中、この苦境を抜け出す切っ掛けを掴むため、ヘスティアは色々と奔走しているという。

 

「それで、どうする」

 

 必要な情報を一通り伝え終えたミアハが、小さくそうシロに問いかけた。

 

「決まっている」

 

 短くそう口にしたシロは、別人ものように動かない身体に無理矢理力を込める。全身に広がる鋭い針で刺されたかのような痛みを歯を食いしばりながら耐え、上半身をゆっくりと持ち上げる。

 シロの悲鳴を代弁するかのように、寝台が甲高い軋みを上げた。

 

「っ待て!」

「くっ」

 

 起き上がろうとする身体を押さえようとミアハが手を伸ばすが、それを緩慢な動きで逆に押さえると、脂汗を流しながらもシロは上半身を起き上がらせた。

 

「すまないが、寝ている暇はない」

「……その有り様で、どうするつもりだ」

 

 自身の手を掴むシロの震える手を見つめながら、ミアハが静かに問いかける。

 レベル0の一般人並みの力しかない筈のミアハの手を押さえることすら満足にできない己の現状に、苦笑いを浮かべながら、シロは鉛のように重い身体に更に力を込めた。

 

「何とか、するさ」

「何を、するつもりだ」

 

 寝台から下りようとするシロの動きを、ミアハは捕まれた腕を使い、逆にその動きを止める。

 

「何とか、さ」

「……馬鹿な事は考えてはいないか?」

 

 鋭く細められたミアハの目が、シロの疲労と痛みで濁った目を貫く。

 揺らめくか細い蝋燭の火に浮かび上がるミアハの瞳は、何時もの如く落ち着いた光を灯しながら、何処までも深く底しれなさを感じさせた。

 その眼は人のモノではなく。

 成る程、これが神としてのミアハの眼か、と思わせるモノであった。

 気圧されたように動きを止めるシロに、不可視の威圧を放ちながら告げる。

 

「―――君は良くも悪くも思いきりが良いと言えばいいのか……君が何を考えているのかはわからない、けど、一応口にしておこう」

 

 訝しげにシロが眉を曲げるのを見ながら、ミアハは口を開く。

 もう【戦争遊戯(ウォー・ゲーム)】は決まってしまった。

 その試合内容も状況も絶望的で、ここから逆転するなどそれこそ神でも不可能だと口にしてしまうほどだ。

 しかし、手段を選ばなければ、手が無くはない。

 それこそ禁忌と呼ばれる方法に手を伸ばせば。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だが、例えそれでこの場を乗り切れたとしても、それをやってのけた下手人がどうなるか。

 そして、それに関係する者がどうなるか―――。

 

「君が何をどう考えていても―――君は、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「っ!?」

「それを考えて、行動することだね」

「……」

 

 ミアハのその言葉に何を思ったのか、シロは寝台から下りようとした姿勢のまま、暫くの間動かずにいた。

 どれだけの時間そうしていたのか、ふと、ミアハは掴んだシロの手が何時しか力が抜けていた事に気付いた。

 

「……そう、だな」

「シロ?」

 

 震えた、小さな声。

 何処か泣いているかのような、そんな細やかな声に、ミアハが蝋燭の明かりの影に隠れたシロの顔に思わず目を向けると。

 

「そうか……オレは―――まだ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「君は―――」

 

 知らない間に力が抜けていたのか、それともこの僅かな間に回復したのか、シロはミアハの手を振りほどくと、そのままの勢いで寝台から立ち上がった。

 寝台の横に置いた椅子に座ったままのミアハが、立ち上がったシロを見上げる。

 立ち上がったシロの体は、死にかけてつい先程まで倒れていたとは思えないほどに、しっかりとした姿勢でそこに立っていた。

 身長の高いシロの顔までは、小さな蝋燭の明かりでは照らすことはできず、今どんな顔をしているのかはわからない。

 苦痛に歪んだ顔なのか。

 それともそれを見せない無表情なのか。

 絶望的な状況に不安に揺れる顔なのか。

 この薄闇の中では良く見えないでいた。

 ただ、それでも―――。

 

「安心してくれ。馬鹿な真似はしない」

「シロ……君は」

 

 先程まで感じていた追い詰められ狂気に陥りかけたような声音ではなく。

 何時か聞いた、ヘスティア達の横で耳にしたシロの声で。

 

「何せオレは……【ヘスティア・ファミリア】のシロなんだからな」

 

 そう口にしながら歩き始めたシロが、椅子から立ち上がる事も出来ず、また引き留める事も出来ずにいるミアハを背に、小屋の扉へと手を伸ばし、躊躇いもなく開いた。

 吹き込む風が、蝋燭の火を大きく揺らす。

 冷たい濡れた風が、小屋の中を荒し、咄嗟に目を閉じたミアハが次にその目を向けた時には、既にそこには誰もおらず。

 何時の間にか閉じられた扉だけが、目に映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――雨、か……」

 

 小屋を出て、痛みと疲労の悲鳴を上げる身体を意思だけで動かしながら歩いていたシロが、唐突に足を止めると空を見上げた。

 周囲は瓦礫と廃墟だけが広がり、空は分厚い雲に覆われている。

 明かりは遠く、周りには闇が広がっていた。

 自身の指先すら見えない闇の中、ポツリと頭を叩いた冷たい感触に顔を上げたシロの頬に、雨粒が一つ落ちてきた。

 降り始めた雨の勢いは弱く。

 身体に当たる雨粒の数も、未だ数えられる程度しかない。

 開かれた目に映るのは、空を覆い、ゆっくりと蠢く泥の塊のような雨雲の姿だけ。

 ()を隠し、暗闇を広げ冷たい雨を降らす雲を見上げるシロの口元が、小さく歪む。

 

「―――オレでは、無理か……」

 

 奴の―――小次郎の力は想像以上―――いやそれすらも及ばない領域であった。

 例え自分がこれから何十年と鍛えようとも届かぬ頂き。

 それを強制的に理解させる程の力の差が、そこにはあった。

 もしも勝てる方法があるとすれば、それは認識外からの致死の一撃のみ。

 超長距離からの狙撃、それも周囲一帯を破壊尽くすかのような強力な一撃が必要である。

 しかし、もうそんな機会はない。

 唯一の機会は先日の一件だけで、次に奴が姿を現すとなれば、何時になるかはわからないし、現れたとしても、決して一人ではないだろう。

 そうなれば、他を巻き込むような一撃を撃つことは不可能となる。

 だが、だからといって諦める理由はない。

 諦めれば、もうそこで終わりだ。

 それは、認められない。

 だが、他にどんなものがある?

 奴を倒す方法は?

 手段は?

 

「不可能だ」

 

 方法などない。

 手段などない。

 『シロ』では決して佐々木小次郎には勝てない。

 どれだけ強力無比な力がある剣であっても。

 どれほど理不尽な能力のある剣であっても。

 それが届く想像がつかない程の頂きに、佐々木小次郎はいた。

 いや、星の数ほどいる英雄であっても、事一対一であれば、あの佐々木小次郎と渡り合える者は数える程しかいないのではないのではないだろうか。

 名を上げるとするならば、そう―――例えば……。

 

「……『オレ』では無理……か、なら―――」

 

 少しずつ強くなる雨足を感じながら、それでも蠢く夜の空を見上げていたシロが、ポツリと呟く。

 瞬きする間に形を変え、蠢く闇に包まれた雲を見上げながら、ゆっくりと、拳を握りしめる。

 ああ、そうだ。

 元より『彼』は―――『オレ』は『戦う者』ではなく『創る者』。

 自分の力では届かなければ、それに届く―――打倒できる『剣』を創ればいい。

 そして、それでも足りないと言うのならば―――。

 それならば―――

 

「『オレ』でなければ―――いい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廃墟同然の、崩れかけた小さな小屋の中に、小さな光が揺れている。

 隙間から吹き込む冷えた風に揺れる明かりの中、浮かび上がるのは椅子に腰かけた一人の男の姿。

 先程までこの小屋の中にいたもう一人の男が出ていった直後から降り始めた雨が屋根を叩き、静寂に包まれていた薄闇の中を誤魔化すように雨音が満たしていく。修繕しているとは言え、素人の手で行われているため、染み込み落ちてくる雨粒が、天井から落ちては床に染みを広げていた。

 ふと、微かに揺れる明かりが、不意にゆらりと大きく揺れた。

 同時に、大きく軋む音を立てながら、外界を隔てる扉が開かれた。

 

「―――行ったのかい?」

 

 扉が閉まり、吹き込んだ風により揺れた火が新たに現れたもう一人の影を微かに浮かび上がらせる。

 小柄な、華奢な体躯の影。

 薄闇に浮かび上がるのは、長い髪を二つに分けた小柄な少女であった。

 手元程しか灯さない程の小さな光が、その二つに分けた夜空のような漆黒の髪に流れる雨粒を照らし、星空のようにきらきらと輝かせている。

 

「……ああ」

 

 空になった寝台を見て呟いた少女に対し、同じく寝台に目を向けていた男が振り向かずに頷く。

 

「そう言えばヘスティア……私が、何故彼を忌避している―――その理由は言ったかな?」

「忌避―――かい……君には似合わない言葉だね」

 

 少女の―――ヘスティアの言葉を背に受けたミアハは、空になった寝台を見下ろしながら口元だけで笑った。

 

()()()()()―――からだ」

「わからない、から?」

 

 振り向かず、ただそこにまだ誰かがいるかのように、ミアハは寝台を見下ろしながら、独白するように口を動かす。

 

「多くの―――いや、地上に下りた神の全ては、私も含め大なり小なり『未知』という『娯楽』を求めてここ(地上)へやって来た。全知全能たる神ゆえに、あらゆる事柄を知り得る故に、『未知』を求めて、刺激を求めてここ(地上)へ下りてきた。どのような言葉で言い換えたとしても、この私もそんな(馬鹿者)でしかない」

「それは……」

 

 傍若無人、己の快楽だけを追求する多くの神々の中でも、常識と慈悲深さを上げるとすれば、明らかに上位に食い込むであろうミアハであっても、例えその下りてきた理由がどうであれ、地上に『未知』を求めていたという思いは欠片もないとは言い切れなかった。

 

(子供達)は、闇を恐れるという。それは、その闇の中に何がいるかわからないからだ。わからないからこそ、人は(未知)を恐れる。しかし、私達神はその『(未知)』をこそ求めている……人は『(未知)』を恐れ、神は『未知()』を求める―――どうしてだと思う?」

「それは……ボク達が神だから?」

 

 小首を傾げ、ヘスティアがただ自然と溢れた言葉を口にしたものを耳にしたミアハが、小さく頷くように、項垂れるように頭を垂らした。

 

()()―――そうだ(・・・)。その通りだよヘスティア。私達は全知全能。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「それは……どういうことだい?」

 

 自嘲するような笑いと共に吐き出されたミアハの言葉に、ヘスティアが寒さからではない寒気を何処かから感じ、自身の身体を抱き締めながら問いかけた。

 

「言葉遊びのようだが、そうとしか言いようがない。『知らないということを知らない』。言葉通りだ。私達はここ(地上)へ『未知』を求めてきた。そして期待通りここ(地上)には私達が知らなかった事が溢れていた。煌めくような子供達の生き様。不可能を可能とした始まり。抗える筈のない強敵に対する勝利。『未知』だ『知らない』だ―――しかしな、ヘスティア」

「―――っ」

 

 そこで、初めてミアハは振り返った。

 寝台の横に置かれた椅子に腰かけたまま、首だけを背後の扉の前に立ったままのヘスティアに向けて。

 その顔は、まるで泣いているかのように、恐怖に怯える子供のようにも見えて。

 

「それでも、私達は知っていたんだよ。『未知』だと『知らない』と口にして喜んだ子供達の輝きは、全知全能たる私達(神々)だからこそ、本当の意味でわからない筈はなかった。例え、本心からそう信じ、欠片も疑いをしなくとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「そんな事―――は……」

 

 咄嗟に否定の言葉を言いかけたヘスティアだったが、結局それは形となる事はなかった。

 本当に、ないと言えるのか。

 そんな疑問が、己の中で生まれたからだ。

 ここ(地上)に来てから、これまで知らないことばかり、全部が全部新鮮な事ばかりだった。

 だけど、本当に?

 本当にそうなのだろうか?

 ボクは―――ボク達は神だ。

 様々な役割を得て分けられてはいるが、それでもその全員が真なる意味で『全知全能』である。

 力の大小はある。

 だけど、それでも神である。

 知らないことはない。

 正確には―――知ることが出来ないことは、ない。

 もし、知らない事があるのだとしたら、それは……ああ、ただ―――知ろうとしなかっただけ。

 そうだ、その通りだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 何故ならば、ボク達は『全知全能』。

 その気になれば、『神の力』を使えばあらゆる事柄を知る事が出来てしまう。例え即座に他の神による『神の力』により、その記憶が消される事になったり、罰則を与えられる事になったとしても、『知る』事は出来るのだ。

 『知った』後のデメリット(記憶の処去か罰則)を許容すれば、だけど。

 そう、『全知全能』たるボク達(神々)にとって、本当の意味で『未知』なるものなどない。

 だけど、もし。

 もしも、本当にそんなボク達(神々)でさえ『未知』だと言えるものがあるのだとしたら、それは―――

 

「―――――――――」

 

 一瞬、ヘスティアは薄闇が広がる小屋の片隅。

 蝋燭の明かりが届かない何も見えない暗闇の奥を、その目に映した。

 何も見えない。

 その闇に隠された片隅に、何があるのか。

 もしかしたら、そこには何かがいるのかもしれない。

 今にも襲いかかろうと身構えている化け物がいるのかもしれない。

 そんな『未知()』に、刹那ヘスティアは恐怖し。

 

「だから、だよヘスティア」

「あっ」

 

 はっと顔を上げたヘスティアを、ミアハはじっと見つめている。

 そこには先程まで感じたものはなく。

 何時も目にした、穏やかな微笑みを称えた顔で。

 そんな顔で、ミアハはヘスティアに伝えた。

 

「だからこそ、本当の『未知()』を目にした私は、彼を恐れた……恐れてしまった」

「『わからない』から、忌避したと……」

「そうだ。今でも、私は彼が怖い。恐ろしい。『(子供達)』の姿でありながら、決して『子供達()』ではない彼が……なあ、ヘスティア。ここまで聞いても、それでも君は―――」

「……ああ、そうだね」

 

 苦しげにそう口にしたミアハは、しかし己を見るヘスティアの顔を見ると、はっとその目を見開いた。

 

「―――うん、そうだ……やっぱり、そうだね」

 

 何かを確かめるように、胸に手を当て、何度か頷いてみせたヘスティアは、最後に大きく頷いて見せると、改めて顔を上げ、呆然と、見とれるように固まるミアハを見つめ、その口を開いた。

 

 

 

 

 

「それでも―――シロ君はボクの家族さ」 

 

 

 

 

 

 

 

 




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第六話 山中の月〜とある剣士の物語

 

「―――きれいな、つき……」

 

 深い深い―――山の奥。

 闇の奥底にでもいるかのように感じる暗闇はしかし、天に輝く大きな丸い満月の光によって、ぽっかりと木々の空いた少女の立つそこを、まるでスポットライトの照らし出されていた。

 眩しげに細めた目で夜空を仰ぎ見た少女は、ぼんやりとした口調でそう呟く。

 手入れのされていない木々が生い茂る、人の足を踏み入れない秘境の奥地で一人黄金の光を放つ月を見上げる少女は、泣きそうな程に美しいその空を、ただ、何時までも見続けていた。

 どうして、自分がここにいるのか。

 一体、ここが何処なのか。

 何もわからないまま。

 ただ、その美しさだけを見つめていた。

 ……どれだけの間、そうしていたのか。

 ()()だけで満たされた世界を映す瞳に、思考に、脳裏に―――ふと、過るものがあった。

 それは、一人の男の姿。

 異国の服を身に纏い。

 とらえどころのない心と身体を持つ一人の男。

 長い、長い刀身を持つ剣を背負い、飄々と日々を過ごす、男の姿。

 出会いはまるで物語のようで。

 其れからの日々も、これまでの全てが色褪せて見える程に色めいて。

 初めて感じた気持ち。

 知らない感情。

 景色に楽しさ。

 有り得ないと―――何時かはと思いながらも、決して叶わないと思っていた筈の言葉。

 『信じる』と、言ってくれた。

 嬉しい時に、泣いてしまうなんて、初めて知った。

 高鳴る胸の痛みと心地よさ。

 震えるほどの、喜び。

 何もかもが、煌めいて……。

 

「―――ねぇ……小次郎さん」

 

 小さく、あの人の名前を口にする。

 

「きっと、あなたは……知らない、ね……どれだけ、私が貴方の事を……」

 

 瞼を閉じる。

 ツゥ、と目尻から溢れた滴が、頬を伝う。

 月の光に照らされて、一つキラリと光った滴は顎先で玉となって、ぽとりと地面へと落ちていく。

 目を閉じれば、今でも鮮明に思い出せる。

 それは、光。

 (カサンドラ)にとっての、輝き。

 『神の宴』が開かれる直前にみた『(予言)』。

 殴られ、斬られ、何度も叩き伏せられながらも、遂には月を飛び越え太陽を落とす兎の『(予言)』。

 それが、明確に何を意味しているのかは、戯画的なその夢からは読み取れなかった。 

 だけど、あの子(ベル・クラネル)に手を出してはいけないことだけはわかった。

 だから、何時ものように口にした。

 ……その結果がどうなるのか、内心で悟っていながらも。

 そうして、結局何時ものように否定された。

 信じてくれず、笑われ怒鳴られ、項垂れることになるだけ……。

 でも―――。

 

『ほう、それは面白い』

『……え? え、あの? おも、しろい?』

 

 口にされるだろう否定の言葉を想像し、耐えるように俯き唇を噛み締めていた私に向けられたのは、何処か弾んだような口調での小次郎さんの言葉だった。

 そうして、ゆっくりと、初めての事に戸惑いながら顔を上げた私の前では、顎に手を当てた小次郎さんが何やら考えていた。

 

『つまりは、このままでは、その『兎』とやらが現れて、『太陽』だろう【アポロン・ファミリア】がどうにかなってしまうと言うことなのだろう?』

『え、あ、は、はい……たぶん、そんな感じかと……』

 

 頭が回らず、ただ、反射的に向けられる言葉に頷く私を他所に、小次郎さんは楽しげに笑っていた。

 

『カサンドラの話だけでは、具体的にどうなるかは分からんが、それでもふむ、楽しみだ』

 

 苛立ちではなく。

 怒りでもなく。

 不満でもなく。

 からかうのでも、蔑むのでもなく。

 ただ、楽しげに。

 その口にした言葉と同じように、楽しげに笑う小次郎さんに、ただ、私はすがるような声で問いかけた。

 

『……信じ、て、くれるん、です、か?』

『信じるとも』

 

 震えた、途切れ途切れの私の言葉に、小次郎さんは何でもないように頷いた。

 目の前で、自らの質問に答えたというにも関わらず、それでも信じられず。

 問い返した私に、小次郎さんは。 

 

『っ―――な、んで……どうし、て』

『何で、と言われてもな……カサンドラはどうしてだと思う?』

 

 逆に問いかけられて。

 そんなの、少しもわからない。

 何度も、何度も何度も考えてた。

 どうして、信じてくれないのだろう、と。

 頭が、それで一杯になるぐらいに、何度も何度も考えてきた。

 でも、それでもわからなかった。

 だから、小次郎さんが、その答えを教えてくれるのではないかと、期待したのだけど……。

 

『そんなことっ―――わか……んない……だから―――』

『ふ―――まあ、その方が面白いと言うのもあるな』

『おも、しろい?』

 

 なのに、小次郎さんははぐらかすような言葉を口にして。

 

『月を飛び越え太陽すら落とす兎が出ると言うのだ。そんなモノが相手になるというのならば、新たな秘剣を開眼できるやもしれん』

『新しい、秘剣?』

 

 からかうような、話をして。

 

『かつては飛ぶ燕を落とそうと躍起になってな。ようやく落とせた時には、秘剣を開眼していた』

『……小次郎さんが、秘剣に開眼するほどまで躍起になる燕って……それ、どんなモンスターなの?』

『ただの鳥だが?』

『絶対に嘘』

 

 何時しか、ぐるぐると、胸の奥でざわめいていた気持ちは落ち着いていて。

 自然と、口許には笑みが浮かんでて。

 震えていた身体は、何かに包み込まれているみたいに暖かくて。

 

『……皆そう言うがな』

 

 さっきまでの、心を占めていた不安は、別のナニかに置き換わってしまっていて。

 ただ、小次郎さんだけを見つめていた。 

 

『まあなに、先の言葉通り。そちらの方が面白いからといった単純なものよ』

 

 誤魔化すように、そう口にして笑った小次郎さん。

 だけど、それは別に、私の予言()を信じていないからじゃない。

 それは、わかる。

 何度も、何度も何度も見てきたから、聞いてきたから。

 私の(予言)を聞いた人の目を、声を。

 だから、わかる。

 小次郎さんは、本当に私の予言()を信じてくれていた。

 その、理由が―――根拠はわからなかったけれど。

 でも、それで十分だった。

 その時は、それで十分だと、これ以上はいらない、と―――そう、思ってた。

 けど―――……。

 小次郎さん……あなたは……。

 瞼を開く。

 映るのは夜空に輝く大きな丸い月。

 ―――ああ、そう。

 あの、夜のように、綺麗な月が浮かんでいる。

 【戦争遊戯(ウォー・ゲーム)】が決定し、その準備のために、試合会場となった廃墟の砦に赴いて。崩れた城壁の修復や、休むための部屋の設置等がある程度一段落した日の夜。

 ふと夜空を見上げて、そこに輝く大きな月にまるで誘われるように外へ出ると、城壁の向こうに広がっていた名も知れない花畑の中に、あなたはいた。

 まるで日の光を浴びるかのように、月光をその満開に花開いた白い花びらで受け止める花畑の中心で、あなたは一人佇み空を、月を見上げていた。

 

『―――どうして。信じて、くれたの』

 

 その背中を見て、何故か私の口からは、そんな言葉が出ていた。

 その答えは、聞いていた。

 けど、それが嘘じゃないけど、本当でもない事は、聞いたあの時から感じていた。

 それでもいいと。

 それでも十分だと思っていた。

 だけど、気付けば私の口からは、そんな問いかけが小次郎さんの背中へと向けられていた。

 何時ものように、はぐらかされるか、それとも同じような事を口にされるだろうと思っていた。

 だけど、その時、小次郎さんが口にしたのは―――。

 

『『予言()』―――そのものは信じてはおらなかったな』

『……』

 

 『信じていなかった』―――小次郎さんのその言葉を耳にして。

 だけど、何故か私はそんなに傷ついてはいなかった。

 何故なら、それは……きっと、私が小次郎さんを信じていたから。

 だから、その言葉に私は傷付かなかった。

 だって、私は知っていた。

 『信じる』と言った小次郎さんの言葉に嘘はなかった事を。

 

『信じたのは―――カサンドラだ』

『それは、どういう?』

『―――言葉通り』

 

 ゆらり、と小次郎さんの身体が、風に揺られる花のように揺れた。

 それはまるで、恥ずかしがるかのような仕草に見えて、それが何故か、私にはとても可愛らしく思えて……。

 

『『予言()』は信じられずとも、お前(カサンドラ)は信じられる……ただ、それだけの事だ』

『……わた、しが、口にした予言()が、どれだけ、荒唐無稽な事でも?』

 

 私の声が、あの時震えていたのは、どうしてだろう。

 驚き?

 嬉しさ?

 悲しさ?

 どれ、だろう?

 なん、だろう?

 

『カサンドラが口にするのならば、信じよう』

『―――』

 

 声なく。

 私は泣いた。

 滲む視界。

 流れる涙の熱さと冷たさ。

 小次郎さんは、『予言』を信じてはいなかった。

 だけど、『(カサンドラ)』を信じてくれていた。

 それが―――それが何よりも。

 『予言』を信じてくれた時よりも、比べられないほどに、嬉しくて。

 全身が、熱くなった。

 胸を打つ鼓動が、痛いほど高鳴って。

 震えていたのは、身体なのか、それとも心?

 その両方?

 心と身体が歓喜に震えるなか、信じられない程の幸福に反発するかのように、震える喉から、心の奥に仕舞っていた筈の不安が、こぼれ落ちてしまう。

 言葉が喉にひっかかりながらも、それは言葉を形作る。

 それが、口にしてはならないことだとわかっていても。

 

『おかしな、『予言()』を、見た―――の』

『……』

 

 時折、見る白昼夢のような予言()

 砂嵐のように黒い影が視界を妨げる中、不意に見える光景。

 小次郎さんと、誰かが相対している。

 見ようとしても、どうしても見えない相手。

 ただ、その相手が、一振りの剣を手にしていたのは見えた。 

 良くは見えなかった。

 だけど、あの形は、小次郎さんの持つ剣と、どことなく似ていた気がした。

 そして、小次郎さんは―――……笑っていた。

 まるで、ずっと恋い焦がれていた相手と出会ったかのように。

 夢見ていた相手から、誘われたかのように嬉しげに。

 (殺意)を向け合い。

 笑っていた。

 

『初めて、見るような、『夢』、で……それが、どうしても不安で』

 

 (カサンドラ)が見る『(予言)』は、その全てが悪夢であった。

 何が『悪夢』なのか。

 それは、残酷な結末となるからか?

 いいや、違う。

 そんな事ではない。

 そんな、単純な話じゃ、ないのだ。

 ()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 どれだけ知恵を捻っても、声を上げても、策を労しても、全てを擲っても―――変えることが出来ない。

 だから、『悪夢』なのだ。

 まるで、結末が決まった物語のようだ。

 私は、そこに登場する脇役で、だけど時折読者として覗き見ることができる。

 だけど、登場人物であることは変わりがない。

 決まってしまっている『物語』を書き換える事など出来はしない。

 ただ、覗き見ることしかできない。

 既に決まってしまっている『結末(悪夢)』を、覗き見ることしか……。

 

『―――むかし、むかし……』

『……ぇ?』

 

 そう、ぽつり、ぽつりと私が独白するように口を動かしていた時だった。

 唐突に小次郎さんが声を上げたのは。

 反射的に顔を上げた私の前で、小次郎さんは月を見上げながら、とある『物語』を口にした。

 それは、とある国で起きた『決闘の物語』。

 天下一の剣士を決める、『物語』。

 むかし、むかしに起きた、とある戦いの物語。

 二人の剣士の物語。

 

 むかし、むかし、とある国に一人の剣士がいた。

 二振りの剣を操り、名だたる剣士を悉く打ち倒した剣士。

 やがてその剣士は、国にいる高名な剣士の殆どを一度も負けずに倒してしまい、何時しか人々から天下一の剣士と唄われるようになる。

 しかし、それに異を唱える人々がいた。

 彼らは言った。

 いや、天下一の剣士は他にいる。あの者こそが天下一の剣士である、と。

 それは、もう一人の剣士。

 飛ぶ鳥すら斬り落とすと唄われる、長い、長い剣を振るう剣士。

 まるで定められた運命のように、その二人の剣士は戦うことになる。

 決闘の舞台となったのは、『巌流島』。

 島一つを舞台にした決闘場。

 先にその島に到着したのは、長い剣を振るう剣士だった。

 一人、相手を待つその剣士であったが、いくら待てども相手は来ず。

 苛立ち、しびれを切らす剣士の前に、遅れに遅れて、ようやく相手が現れた。

 二振りの剣を振るいし剣士は、しかし手元には木で出来た長く大きな剣を手にしていた。

 長い時を待たされ苛立ち気が流行っていた剣士はそれを気にする余裕はなく、我慢できずとばかりに鞘を投げ捨て剣を構える。

 そして、それを見た遅れてきた剣士が口を開く。

 

「小次郎破れたり」

 

 勝つ者が、剣を納めるべき鞘を捨てる筈はないと、告げられた長い剣を振るう剣士は、ただただ激昂し木刀を持つ剣士に襲いかかった。

 しかし、長い時を待たされた上に、挑発された事によるものか、振るわれた剣に冴えはなく。

 逆に満を持して振るわれた相手の剣士の木刀は鋭く重く。

 見事、長い剣を振るう剣士―――小次郎の頭を打ち砕いた。

 そうして、天下一の剣士は決まった。

 その、唯一の天下一の剣士となった者の名は―――

 

 

 

『―――宮本武蔵』

 

 

 

 それを、聞いて、私は何を思ったのか。

 意味がわからなくて、何も考えつかなかったのか。

 色々と聞きたいことが多すぎて、言葉に詰まっていたのか。

 それが本当に、ただの『物語』なのか、それとも誰かの『過去』の『お話』なのか。

 あの時の私は、一体何を思い、何を考え、何を口にしようとしたのかは、結局く自分の事なのにわからなかった。

 何故なら、小次郎さんの話しはそこで終わらなかったから。

 

『―――私は、な。田舎の農民の小倅だった』

 

 あの日、あの時月を見上げたままに語り続ける小次郎さんの目には、一体何が映っていたのだろうか。

 

『貧しい家で、呼ばれる時には『おい』やら『お前』やらで、幼い頃の名などとうに忘れた……そもそも名を付けられていたのかすら忘れた』

 

 農民の生まれ。

 それは、直ぐには信じられなかった。

 だって、小次郎さんの立ち居振舞いは、優雅とさえ見えていて。それなりの生まれだった私から見ても、どこぞの貴族だったと言われても納得するほどだったから。

 だから、農民の子だったと言われても、何処か違和感を感じるほどだった。

 でも、重要なのはそこじゃない。

 重要なのは―――『名前を知らない』というところ。

 じゃあ、『佐々木小次郎』とは、一体?

 そう疑問を抱く私の視線に答えるように、小次郎さんの話しは続いた。

 

『物心が着くか着かんかの頃だったか。ある日、一人の老人が現れた。長い、長い刀身の―――物干し竿のように長い刀身の刀を持ったその老いた剣士は、山奥に居を構え住み始めた。そんなある日だ』

 

 月を見上げる小次郎さんの目が、懐かしげに細められた。

 

『老いた剣士が剣を振るう姿を見た』

 

 そう口にした小次郎さんの目は、まるで宝物を自慢する幼い子供のような目をしていて。

 

『その美しさに見惚れ、憧れ―――気付けば弟子入りしていた』

 

 ほぅ、と吐息を漏らした小次郎さんは、しかしそこで小さく苦笑するように口許を歪めた。

 

『だが弟子入りしてから一月もせず内に、その者は亡くなってな。辿るべき、目指すべき道しるべを失ったが、それでもあの日見た美しさを諦めきれず、私はそれからもただ剣を振るい続けた―――』

 

 月を仰ぎ、小次郎さんは語り続ける。

 己の軌跡を。

 

『ただ―――ただ剣を振るうだけの日々。何かを成すためではなく、ただ目蓋に、脳裏に焼き付いたあの美しさだけを求め、ただ剣を振り続ける日々が続き……いつの間にか、長い年月が過ぎ、気付けば『秘剣』が己の手にはあった』

 

 月から目を離した小次郎さんは、まるで月の光を掬い取るように持ち上げた自身の両の手のひらに目を落として。

 

『―――それで、十分……満足していた。後悔などありはしなかった』

 

 おのが掌を見下ろす小次郎さんは、一体何を胸に抱いているのか。

 その姿からは―――声や目からは何も読み取れない。

 何時もの、何時もと変わらない。

 だけど―――私には何か―――。

 だから―――

 

『それが、何の因果か……とある剣士の持つ剣に良く似た刀を持ち、同じような技を使うということで、『佐々木小次郎』の名を与えられる事になるとは』

『いや―――なんですか?』

 

 気付けば、問いかけが、口から出ていた。

 

『それは、ない』

 

 唐突な私の疑問を、小次郎さんは視線を向けることなく言葉で否定した。

 

『存外―――『佐々木小次郎』の名は身に染み入るようにしっくりとくる。だから、別に与えられた(押し付けられた)(佐々木小次郎)』を嫌ってはおらん』

『じゃあ、何が()()()()()()()?』

『―――』

 

 そう、私には、小次郎さんが何か不満を感じているように見えた。

 でもそれは、小次郎さんが口にしたように、嫌とか負の感情によるものじゃないような気がして。

 だから、良くわからなくて。

 

『私は、『佐々木小次郎』としてここにいる。『技』も『武器』も『佐々木小次郎』として申し分はないだろう。だがな、一つだけ足りないものがあるのだ』

『……それは、なんですか』

 

 何となく、その答えを私は気付いていた。

 だけど、無意識の内に、それを考えないようにしていた。

 だけど、私の思いとは別に、私の口は問いとしてその答えを求めていた。

 

『未だ『(佐々木小次郎)』は、『宮本武蔵』と戦ってはいない』

『―――っ』

 

 その、言葉は私にとって、とても、不吉な言葉だった。

 だって、ついさっき聞いたお話。

 とある剣士二人の決闘の『物語』。

 語られた『物語』で、『小次郎』はどうなった?

 『物語』の中の『佐々木小次郎』は、どんな結末を迎えた?

 

『『佐々木小次郎』は『宮本武蔵』の宿敵であり、語れば切り離せぬ存在。だがそれは『佐々木小次郎』だけの話だ。『宮本武蔵』は数多の逸話を持つが、『佐々木小次郎』にはそれがない。『宮本武蔵』とは違い、『佐々木小次郎』は『宮本武蔵』あってこその『佐々木小次郎』』

 

 視線を再び上げ、月を見上げる小次郎さんは、笑っていた。

 

『なのに、私は未だ『宮本武蔵』と戦ってはおらん。そんな者が、『佐々木小次郎』と言えるの―――』

『―――言えるっ!!』

 

 私の手は、垂らされていた小次郎さんの両手をしっかりと、まるですがるように掴んでいた。

 

『私にはっ―――私はここにいる『小次郎』さんしか知らない! 『物語』の『佐々木小次郎』なんか知らないっ!!?』

『カサンドラ……』

 

 自分がその時どんな顔をしていたのか、それはわからない。

 ただ、すがるように小次郎さんの腕を掴み、頭を垂れていたあの時の私の顔は、きっと酷い(自分勝手な)顔をしていただろう。

 

『『宮本武蔵』なんか知らないっ! そんな人と戦わなくても『小次郎』さんは小次郎さんですっ!!』

『……』

 

 私の、悲鳴のような声と思いを代弁するかのように、その時、一瞬吹いた強い風が周囲の花弁を撒き散らして。

 暫く、その雪のように舞い散る花弁を、小次郎さんは無言のまま見つめていた。

 そして―――

 

『―――だが、それでも私は『佐々木小次郎』なのだ』

『ッ!?』

『故に―――いずれ、必ず何処かで私は『宮本武蔵』と死合う事となる』

 

 それは、確信に満ちた声だった。

 既に決まっていた事を言うように、そう小次郎さんは口にして。

 だけど、いずれ必ず来るだろうその時を口にした小次郎さんは、私とは違ってそれを楽しみにしているようで。

 

『っ―――何で、どうしてっ―――だって! 『佐々木小次郎』は『宮本武蔵』に負けてしまうのにっ!?』

 

 私の目には、あの不可思議な『(予言)』の姿が映っていた。

 小次郎さんと対峙する誰か。

 それを見つめる小次郎さんは、楽しげに笑っていたけど。

 それは、だけど戦士の笑みで。

 だから、きっとその相手は凄く強い相手で。

 私の中で、何かが告げていた。

 それは、目の前の、この人の―――『佐々木小次郎』の―――

 

『私はっ―――』

『だがな、カサンドラ』

 

 ぐるぐると、焦りと恐怖で濁っていた思考と視界は、だけど次に小次郎さんが口にした言葉で一瞬で凪ぎ払われてしまった。

 

『私は、『佐々木小次郎』の『敗北』までは受け入れてはいない』

『―――……え?』

 

 思わず、顔を上げた私を、目を細めて笑いながら、小次郎さんは言った。

 

『例え『物語』の『佐々木小次郎』が、『宮本武蔵』のやられ役であっとしても、その『敗北』が定められたものであったとしても……だが、それでも私は『敗北』までは受け入れはしない』

 

 静かな声音で、でも強く―――強い声でそう小次郎さんは告げて、私の両頬をその大きな両手で包み込んで。

 

お前(カサンドラ)がどのような『(予言)』を見たのかは知らん。だがな、泣くな、カサンドラ』

 

 私の頬を包み込みながら、指先で何時しか流れていた涙を拭ってくれながら、小次郎さんは私に笑いかけて。

 

(佐々木小次郎)は勝とう』

 

 月明かりに照らされて、笑いながら小次郎さんは言ってくれた。

 (予言者)に―――

 カサンドラ(敗北を告げる者)に―――  

 

『『物語の敗北』も、『未来の敗北(予言)』も―――そして『宮本武蔵』をも、同時に斬り捨ててやろう』

 

 そう、言って。

 私の頬から手を離して、そう告げてくれた。

 

『だから、泣くなカサンドラ』

 

 何時ものように、優雅で、自然そのままな姿で、私を見て、笑いかけて。

 

『美しい()には、やはり涙よりも笑みの方が似合う』

 

 そう、言えば。

 私は、あの時、ちゃんと笑えたのだろうか。

 そして、私は、あの後―――どうし、て……。

 

 過去と今が近付き。

 繋がろうとした―――その時だった。

 

「―――ぇ?」

 

 私の、前に、誰かが立っていた。

 その人? は、何時からそこにいたのか。

 気付けば、そこに立っていた。

 五M程離れた私の前に、一人の老いた男の人が、立っていた。

 微かに聞こえる虫の音や風に揺れる草葉の音以外には聞こえない静寂が満ちる中、草を踏みしめる音の欠片すら聞こえなかった。

 そして、不思議な事に、目の前で、自身の目で確かに見ているのに、意識から抜けてしまいかねない程に、その気配は薄いにも関わらず。

 まるで、何百年、何千年も生き続けていた巨木のような、存在感すら感じられる。

 あまりに、自然だからこそ目に留まらず、あまりに、自然ゆえに圧倒された。

 簡素な、東から来た異国の冒険者が良く来ている服に似た、粗末な服を身に纏ったその老人。

 まるで鉄芯が入ったかのように伸びた背中からは、老いは全く感じられないけれど、背に流れる髪は、月明かりでもわかる程に老いて白く艶がなく。服から伸びた腕には、長い年月を過ごした樹木のような深い皺が刻まれていて、それらが、その男の人が歳経た老人であることを示していた。

 

「あの、剣」

 

 幽霊か何かのように存在感が薄く、それでいて巨木の如く気配も感じさせるその老人を、私は精霊ではないかと思い至るも、その手にあるモノに気付いた瞬間、頭と意識にハンマーで殴られたような衝撃を感じた。

 そこには、長い、長すぎる刀身を鞘に納めた剣があった。

 そんな奇妙な剣を持つ人を、私はあらゆる人種、武器を振るう者が集うオラリオの中でさえ、たった一人しか知らなかった。

 そして、その人と、今、目の前にいる老人が―――

 

 ―――月が―――斬れた―――

 

 何時、剣を抜いたのか。

 どう、振るったのか。

 まるで、見えなかった。

 それ、どころか気付けさえ、出来なかった。

 ただ、振り終えた、抜き身の剣に、気付いたから()()()()()()()()()()()()

 でも、何よりも可笑しな事は、振るった先がわからなかったのに、斬ったのは()()()()()()()()()()()()()()()

 そらに輝く月は未だ天にある。

 だけど、私は確信を持って言えた。

 あの人は、今、確かに『月』を斬った、と。

 

 剣を納め―――振り返る、その老人の目が、一瞬、私と合ったような気がして。 

 そして、その老いた剣士の顔が、誰かと重なって見えて。

 

 私は――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決闘の時来たる。

 

 避ける事は出来ず、有り得ず。定められた運命は、遂に剣士に追い付いた。

 

 泥に落ちた杯に祈りしは、偽りの贋作者。

 

 数多に別たれた結末に手を伸ばし。指先に触れるは断絶の先に輝く光。

 

 遂には善悪正邪問わず斬り伏せる、打ち捨てられた誤ちをその手に掴んだ愚者は咆哮を上げる。

 

 己の血肉と魂を焼べ、打ち上げしは一時の夢幻。

 

 切り落とされた枝先から溢れ落ち、数多の枝上へと転がり落ちた先にて虚空へと消え去りし泡沫の影。

 

 相対するは、歪なる役者。与えられた命題に身を委ね心のままに舞い躍る。

 

 されど物語の結末は既に終点を描かれ、演者は外れる事なく、ただ時は過ぎ。

 

 一つ、二つ、三つ。彼方より振るいし閃光も、無二の先に至りしものには届かず。

 

 鋼は折れ、紅き華を散らし、ここに運命は決定する。

 

 残されし予言者の嗚咽は消えることなく高く響き。

 

 悔恨と後悔に彩られた声は、裂かれた空に虚しく吸い込まれ消えていく。

 

 『物語』は変わらず、『予言』は覆らず、全ては定められたままに終わった。  

 

 されど、待ち続けた男は今こそ偽りから脱却する。 

 

 剣士、相対せしは、虚空の彼方より来る待ち人。

 

 其は―――天元の華。

 

 

 

 

 

 

 

 




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第七話 迷いと道標

 基本、書いてない所は、原作通りと思って下さい。


 炉の中で炎が上がり、そこで熱せられた鋼を引き出しては手に掴む鎚にて叩き、鍛える。

 幾度も幾度も鍛える打ちに、鋼に沈む淀みにも似た不純を叩きだし。

 やがてただの鋼の塊を、強く、硬く、粘りのある刃へと変じさせていく。

 鋼を鍛える音がする。

 鎚を振るう音がする。

 炎の明かりと、鋼を打つ音が響くだけの世界。

 何時までも続くばかりと思われたその小さな閉じた世界は、しかしやがて一際高く響き渡った鋼を打つ音を終わりに静まり返った。

 炉の炎だけが世界(鍛冶場)を照らす中、まだ熱を孕み刀身が赤く染まる生まれたばかりの剣をかかげもつ男が、何かを確かめるかのように、その目を細めている、と―――

 

「―――流石は、と言ったところか」

「……何処がだ」

 

 何時からそこにいたのか、ずっとそこにいたのか、それともつい先ほど来たばかりなのか、鍛冶場の片隅、光の届かない位置に、壁を背にして立つ人影が一つ。炉の光に照らされ出来た影でもわかる曲線から、それが女であることはわかる。

 その女はゆっくりと壁から背を離すと、炉の前で今まさに剣を打ち上げたばかりの男へと近付いていく。

 

「こと『魔剣』に限れば、そこらの『上級鍛冶師(ハイスミス)』も形無しよ」

「っ、何が言いたいんだよ」

 

 何処か笑っているような声音を背に受けた男は、剣を台に置くと振り返り、苛立ちも露に顔を険しく歪め、近付いてきた女を睨み付けた。

 

「久々に姿を見せたかと思えば、からかいに来たのか」

「……いや、なに」

 

 女にしては背の高いその者は、炉の前で腰を下ろしながら睨み上げてくる男から視線を外し、その側に置かれた剣へと視線を転じた。

 

「ただの―――そう……ただの気まぐれだな」

「? ……何か、あったのか団長?」

 

 炉の炎に照らされたその顔、片目を眼帯で隠した自分が所属する【ファミリア】の団長である椿に、先程の非難するような視線から戸惑いへと変えた男―――ヴェルフが問いかけた。

 

「何か、か……」

「そうだぜ。他の奴等も言っていたぞ。【ロキ・ファミリア】との遠征から帰ってから様子がおかしいってな。鍛冶場に籠りっきりってのはこれまでも珍しくはなかったけどよ。流石に最近は度が過ぎてるぜ。それに何より―――」

 

 【ヘファイストス・ファミリア】団長である椿が、一月程前に【ロキ・ファミリア】とのダンジョンからの遠征から戻ってから様子がおかしくなっていると言うのは、団員の間では周知の事実であった。おかしくなったと言っても、何か奇行をしたり問題を起こしたりとかではない。元々鍛冶場に籠りがちではあったが、それもただ目につくぐらいになった程度であり、今すぐにどうにかしなければならないと心配するほどではない。だが、それでも皆が口を揃えて『おかしい』と言うのは、その身に纏う雰囲気からであろう。 

 良く言えばおおらか、悪く言えば大雑把な、言ってしまえば常に余裕を持った姿を見せていた椿と言う【ヘファイストス・ファミリア】の団長であったが、最近はまるで追い詰められた獣のような、余裕のない気配を身に纏っていた。

 声をかけるどころか、近づくことさえ躊躇するほどの苛立ちにもにた気配を漂わせる姿は、まるで手負いの獣であった。

 

「なぁ、団長。あんたに何があったんだ?」

「……なぁ、ヴェル吉」

「あ、ああ?」

「お前はどうして『鍛冶師』に成りたいと思った?」

「はぁっ!?」

 

 何処か弱々しい口調に、思わず身構えていたヴェルフであったが、まるで子供のような椿の質問に、戸惑った声を上げてしまう。

 

「なぁ、どうしてだ?」

「……そりゃぁ」

 

 炉の炎から視線を動かさず、ヴェルフにではなく、まるで己自身に問いかけるかのような椿の言葉。それを感じ、咄嗟に文句を口にしようとしていたヴェルフは、暫くの間黙り込んだ後、躊躇うようにしながらも、その口を開いた。

 

「―――俺は口が上手いほうじゃねえから、色々と言えねえけど。まあ、単純に好き、だからじゃねぇかな」

「好き、か……」

 

 視線を感じてはいないが、ヴェルフは反射的に椿から顔を背けると、誤魔化すように頭を片手でかき始めた。

  

「ああ、理由なんて、大概がそんなもんだろ。結局好きか嫌いか―――それだけだろ」

「そんなもの、か……―――」

 

 チラリ、と僅かに顔を振り向かせ、覗き見るようにヴェルフは椿を見る。

 椿はヴェルフの視線に気付いているのかいないのか、その一つの瞳は炎を映したまま動いてはいない。

 しかし、その何処か焦点が合っていないように見えたその瞳が、不意にナニかを捉えたかのように何処かへとその視点が合ったように見えた。

 そして、椿の口から、思わず、と言ったような様子で言葉が溢れた。

 

「―――ああ、だからか」

「何が、だから何だ?」

 

 気付けば、ヴェルフの口はそう動いていた。反射的なその問いに、口にしたヴェルフ自身も返事を期待した訳ではなかったのだが、予想に反し、椿は微かな自嘲じみた笑いと共に返事を返してきた。

 

「手前は、な。鍛冶師である己に誇りを持っておるし。神が打ち上げた剣に迫り、追い越そうと挑む日々に充実を感じておる」

「それは……」

 

 独白に似た椿の言葉に、何かを口にしようとしたヴェルフだったが、結局それは形になる事はなくたち消えてしまう。それに椿は気付いた様子を見せる事なく、変わらず自嘲染みた笑みを口元にたたえたまま話を続けていた。

 

「かつて見た主神(ヘファイストス)の打ち上げた剣の頂きに迫る日々は楽しく、それは今も変わらん。鎚を振るう度に少しずつ、ほんの僅かだが頂きに迫る感覚は震えるものがある。だが、ああ―――そうだ」

 

 揺らめく炎を目に灯し、椿は笑みの形をした口から言葉を紡ぐ。

 

「しかし、始まりは、ただ、『好き』だったからだ」

 

 ヴェルフに向けたもの(言葉)ではない。

 それは自分に対し、話しかけるような、笑いかけるような声で。

 そう、始まりはただ、『好き』だったから。

 何時か、ああ、そうだ、あの遠征の最中、【剣姫】に言ったではないか。

 

 『本物の『剣』を見た』―――と。

 

 あの男の戦う姿を。

 何処までも削ぎ落とされた研ぎ澄まされた。

 絶望(オッタル)を相手に、欠片も怯まずに挑み戦う姿を見て、戦士でもなく剣士でもなく、その姿に手前(鍛冶師)は『剣』を見た。

 『遠征』から戻ってきてからこれまで、自分の様子がおかしいのは自分でもわかっていた。

 団員や主神から何も言われずとも、その視線が、雰囲気が、何より己の内から沸き上がる名状し難い感情が明確に告げていたからだ。

 最初、それはあの日見た光景。

 己の打ち上げた『魔剣』と寸分違わない『魔剣』をあの男が、造り上げたか何処かからか呼び寄せたかはわからないが、もう一振り目にしたことが原因だと思っていた。

 いや、実際にそれもあるのだろう。

 ただ似たような、真似たそれではないのは絶対に断言できた。

 自らの手で打ち上げた()を間違えるほどに、己の残された目はまだ耄碌してはいない。

 だから、そんな自身の目であっても()()()()()と断言できるだけの剣が、この世にあると言うことに対し、完璧に真似される程度の剣しか打てなかった己に対する不甲斐なさや情けなさによるものだと思っていた。

 己の、この名状し難い感情を。

 だが、違った。

 違うのだ。

 手前は、ただ、悲しんでいただけだったのだ。

 あの『剣』が。

 あの、何処までも研ぎ澄まされた、ただ一つの目的だけに真っ直ぐに進むあの『()』が失われてしまったことに。

 まだ、見ていたかった。

 もっと、見ていたかった。

 あの『()』が、一体どれ程の輝きを見せるのかを。

 これが、巷で聞くような『愛』とか『恋』とかそんな綺麗なものでは無いことを、己は理解している。

 そんな綺麗なものではなく。

 もっと身勝手な、我が儘で自分勝手な、そんな醜い感情。

 幼子が無邪気に、悪気なく虫の手足をバラバラにするかのように。

 『剣』を好きになり。

 鍛冶師となる前に、興味をもった剣をバラバラに砕き、それが何を素材として打ち上げられたかを時間を忘れ調べていたあの頃のように。

 あの『()』が、一体どれ程のモノなのかを、知りたいと言う、そんな傲慢な思い。

 それが奪われた事に対し、無意識のまま身勝手な不満を抱いていたのだろう。

 

「―――はは、手前もまだまだ未熟よな」

 

 炉の炎から逃げるかのように、瞼を閉じた椿が、その顔を硬くなった大きな手で覆う。

 閉じた瞼の裏に、ついこの間やってきたフィンの姿が浮かぶ。

 そして、その時口にした言葉を。

 つい先日の事だった。

 突然押し掛けてきたあの男が、珍しいことに何か言い渋った後、確定ではないがと前置きをした後に口にした言葉。

 

『あの男の姿が目撃された』―――という言葉を。

 

 口許が、歪んだ。

 近くにいるヴェルフの身が固まった気配を感じる。

 ああ、自分でもわかっている。

 今、己がどのような笑みを口にしているのか、を。

 それに構わず、ゆっくりと手を顔から離すと、ヴェルフに背を向ける。

 何か言いたげな雰囲気と視線を背中に感じながらも、無言のまま足を外へと向ける。

 己の中にわだかまっていたものの、明確ではないがある程度の形を知った。

 なら、どうするか。

 いや、もう既にどうするかは決めている。

 その判断を、己の立場が許す筈がない事はわかってはいる。

 理解している。

 だが―――ああ、だが、だ。

 そんな事は知るか、だ。

 もう決めた。

 決めたのだ。

 それに、借りがあるのだ。

 それも、大きなモノが二つ。

 ならば、行くしかあるまい。

 それが、ただの言い訳であることはわかっている。

 本当の理由が、ただ特等席で見たいという身勝手なそれであることをわかって、理解して、それでもと笑みを浮かべて、足を前に動かす。

 久しぶりに感じる視界の広さ。

 体を軽く感じながら、前を歩く。

 向かう先は主神のいるだろう部屋だ。

 何を言われるだろうか。

 久々に雷が落ちるかもしれん。

 いや、ただ呆れられるだけかもしれん。

 だが、構うことはない。

 もう決めたのだ。

 進むべき方向は定めた。

 ならば、後は進むだけ。

 まあ、何時もの事だ。

 なんとかなるだろう―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ヘスティア様」

「ん? ああ君か」

 

 手にしていた瓦礫を放り投げるようにして下に落としたヘスティアが、後ろから声を掛けてきたリリへと向かって振り返る。手の甲で浮かんだ汗を拭きながら笑いかけるヘスティアの視線の先には、両手を後ろに組み、所在無さげに立つリリの姿がそこにはあった。

 ヘスティアは両手についた砂埃を手で叩き落としながら、声を掛けてきながら視線を逸らしたまま何も言わないリリへと向かって声をかけた。

 

「何か用かい? まだ体の方は万全じゃないだろう。もう少し休んでおきなよ。君にはこれから大一番があるんだし」

「それは―――」

 

 気を使ったヘスティアの声に、ようやく向けたリリの顔には、何処か叱られる前の子供のような表情が浮かんでいた。

 

「リリは―――出来るでしょうか……」

 

 一瞬向けた顔を、直ぐに項垂れるように下へと下げ、肩を落とし、今にも小さく消え失せてしまいそうな雰囲気を漂わせながら、リリが呟くように、すがるような声でヘスティアに向かって声を向けた。

 その、怯えるような声を聞いたヘスティアは、一度視線をリリから外し、ゆっくりと彼方へと沈み始め、黄昏色に染まり始めた空を見上げると、小さく一つため息を吐きながら、地面に落ちている腰ほどの高さがある瓦礫の一つに腰を掛けた。

 

「助けてくれと言ったのは、こちら何だけどね」

 

 苦笑を浮かべ、俯いたまま顔を上げないリリへと目を向ける。

 あれ(【アポロン・ファミリア】の襲撃)から、色々とあった。

 まさに怒濤のような日々であった。

 襲撃を受けながら【アポロン・ファミリア】の拠点まで向かい宣戦布告。保護していたリリが【ソーマ・ファミリア】に連れ去られ、逆転の目を狙った【戦争遊戯(ウォー・ゲーム)】の内容は、城塞戦という数が多い方が有利という真逆の目が出るなど、追い詰められてしまって。

 しかし、そんな中でも、そんな逆境の中でも決して諦めず、足を止めずに前へと動いた。

 ベルは戦いに向け、【ロキ・ファミリア】の下へと向かい。

 連れ去られたリリを救うため、ヴェルフや【タケミカヅチ・ファミリア】の団員達と共に【ソーマ・ファミリア】に襲撃に向かって。

 根本的で致命的な要因である数を補うため、他の【ファミリア】から命とヴェルフがあらたに【ヘスティア・ファミリア】として加わって。

 どれもこれもが、一つだけでも重大事件である。

 それが僅か数日の内に連続して続いて。

 そして、もう間もなくその結果が結実するだろう日が目の前にまで来ている。

 それを成功させるか失敗に陥るかを決める重大な一手を、このリリが担っている。

 目前にして、不安がその小さな体を、心を蝕んだのだろう。

 

「サポーター君なら出来るさ。何せあのソーマの酒を飲みながら啖呵をきった程なんだ」

「それは―――」

 

 鼓舞するように、一際明るい調子で声を掛ける。実際、ヘスティアの言葉に嘘はなかった。ソーマの酒は、事実それだけの力が、魔力といっても良いほどの力があった。例え高レベルの冒険者であっても、抗う事ができない程の力がソーマの酒にはあり。それをレベル1でありながら、はね除けたリリの意思の力は、それだけで十分偉業と言っても過言ではなかった。

 しかし、ヘスティアの言葉に対し、ゆっくりと顔を上げたリリに浮かんでいた表情は、期待していたような不安が払拭されたものではなく。何処までも自信が感じられない。卑屈と言っても良いほどに、未だ不安に揺れる目をしていた。

 それを目にし、ヘスティアは浮かべていた笑みをほどくと、先ほどまで自分が片付けていた瓦礫の山に視線を向けた。

 

「そういえば、サポーター君は会ってなかったな」

「え? 誰のことですか?」

 

 唐突とも言えるヘスティアの言葉に、リリがびっくりしたように目を丸くしながら首を傾げる。

 

「―――シロ君とだよ」

「シロ、様ですか?」

 

 首を傾げながら顎に手を当てたリリは、直ぐにそれが誰かであるか思い至ると、小さくその頭を頷かせた。

 

「ああっ―――あの【最強のレベル0】と言われた」

「そうだね」

「……噂やベル様から聞いたことはありましたが、会ったことはまだ……それに、その人は確か―――」

 

 【最強のレベル0】―――そう呼ばれた異端の冒険者がいることをリリは勿論知っていた。それが、自分が身を寄せていた【ヘスティア・ファミリア】の団員であることも、ベルに近付いた時から既に知っていた。が、当の本人と直接会ったことはなく。リリの知る『シロ』と言う男は、噂でしか知らない良く知らない男でしかなかった。

 しかし、その男が、シロと呼ばれる男が、ヘスティアやベルにとって欠けがえのない人物であることは、その男について話す彼らの姿から容易に想像がついた。

 だが、その男も、最近は姿を見せず。

 情報屋の中には既に死亡したという情報も流れていることを、リリは耳にしていた。

 だから、ヘスティアの口からその男の名が出た時、リリの顔は思わず強ばってしまっていた。しかし、それを目にしたヘスティアは、リリが何を思っているのかを察しながらも、小さく口許に笑みを浮かべた。

 

「そんな顔をしなくても、シロ君は死んでいないよ」

「っ、その、ですが」

「大丈夫」

 

 シロという男の死を否定するヘスティアに対し、リリが懇意にしている情報屋の姿が思い返される。オラリオに数多くいる情報屋の中でも、それなりの情報通の者であるが、その情報屋でさえ、『シロ』の生存に疑問を抱いている事を。『シロ』も、その情報屋を何度か利用した事があるそうだが、最近は全く姿を見せないことも、その理由であるそうだが。

 主神とその契約者である団員には、不思議な繋がりがあると聞く。

 ならばヘスティアには、何らかの確信があるのだろう。

 

「そう、なんですか……」

 

 そう思い頷くリリ。

 

「あの、それでその人が、何か?」

「サポーター君。君はつまり、自信がないんだよね」

「―――っ……そう、です」

 

 端的に言ってしまえば、そう言うことになる。

 リリにとって、これまでの人生は挫折と失敗が全てであった。

 小さな成功はあるが、結局は最後では全てを奪われてしまう。

 【ソーマ・ファミリア】から逃げ出し、出自を隠し小さなお店で働いていた時も、結局見つけ出され連れ返されてしまい。始めてサポーターである自分に親切にしてくれたベルさえも騙してまで、脱退のための資金を貯めようとしながら、最後の最後で全てを奪われ捨てられてしまい。

 つい最近もそうだ。

 死んだと見せて、【ヘスティア・ファミリア】に身を寄せていたら、そこも見つけ出され連れ返されて。ソーマの酒を飲みながらも啖呵を切って見せたとは言え、ヘスティア達の力がなければ、そもそもその切っ掛けさえ掴めなかったかもしれない。

 つまり、リリが自分一人で何かを成し遂げたり、手に入れた事は今まで一度もなく。

 これから始まる大一番において、重要な役目を与えられた自分が、それをきちんと成し遂げられる自信が、それを裏付けられる事のできる過去が、リリにはなかったのだ。

 だから、今もまだ、踏ん切りがつかないでいた。

 【戦争遊戯(ウォー・ゲーム)】に参加しないつもりはない。

 それには絶対に参加するつもりではある。

 つもりではある―――が、なのに、今をもってそもそもの前提である筈の【ヘスティア・ファミリア】への入団を尻込みする自分が、ここにいる。

 失敗してしまう。

 期待に応えられない。

 自分のせいで全てが終わってしまうのではないか。

 嫌な考え、最悪な想像が、二の足を踏ませていた。

 前へと、未来へと進もうと決めた自分の足掴むのは、これまでの自分の人生。

 失望ばかりの自分の過去。

 これまでは、最後は自分だけに降りかかった最悪が、もし、【ヘスティア・ファミリア】に入った事で、【ファミリア】にまで及んでしまえば、という考えが、どうしてもこべりついたように離れない。 

 だから―――。

 

「リリがやることは、重要です。もし、失敗してしまったらと考えてしまうと、体が震えて、動け、なくなるのです。だって、リリは知っています。自分の力を……自分の程度を……何時も何時も、最後の最後で駄目になってしまう。リリだけでは駄目だった。何時も最後は助けられてばかり。ベル様に、それにヘスティア様達にも……だから―――」

 

 ―――だから、と続く言葉は、

 

「―――シロ君は、ね」

 

 ヘスティアのポツリと呟かれた言葉により遮られた。

 

「え?」

 

 思わず俯かせていた顔を上げたリリの視線の先では、ヘスティアが茜色に染まった空を見上げていた。

 

「記憶がないんだ」

「……記憶が、ない?」

 

 突然のヘスティアの語りに、思わず言葉を返すリリに構う事はなく。

 ヘスティアの独り言のような言葉はポツリ、ポツリと続いていた。

 

 

ここ(オラリオ)に来る前の事が、綺麗さっぱり何も覚えていないって。それだけじゃない。自分の名前すら全く覚えていなかったんだ」

「それは……」

「始めて会った時は凄かったよ。ここからちょっと離れたところでね。大雨が降ってたときだった。ずたぼろで、パッと見はもう死人と間違えてしまう程だったよ」

 

 ヘスティアの視線が上から前へ。

 遠い場所を、過去を見るかのように、その目が細められていた。

 

「何とかしてここまで連れてきて、何日も世話をして、漸く目を覚ましたかと思えば、記憶がなくて、こちらの問いかけにはきちんと答えてくれるけど、自発的には何もしなくて、まるで『人形』だったよ」

「そう、なんですか? 噂やベル様に聞いたかぎりだと、全然違うように聞いていますが」

「だね。本当に今じゃ別人のようにも思えるよ。だけど本当さ。言えば動いてくれる、聞けば答えてくれる。だけど、自分からは全く動こうとしない」

 

 そう、本当に、あの起きたばかりの頃のシロは、目覚めたばかりの彼は、精巧な人形のようだった、とヘスティアは思い返す。何の感情も浮かばない顔に、意思すら感じられない瞳。体からは生気を全く感じられず、まるで死を間近に控えた老人のような雰囲気さえ感じられた。

 そんな老人のような、人形のようなシロとの日々が数日続き。

 変わったのは、そう、あの日のこと。

 その時の事を、きっとヘスティアは忘れないだろう。

 全てが始まったあの日の、あの時の事を。

 

「そんな彼が始めて自発的に動いてくれたのは、ボクを助けてくれた時だったんだ」

「それは……」

「ちょっと厄介な神の奴が絡んできてね。レベル2を含んだ子供達がちょっかいを掛けてきたんだ。それをたまたま一緒に歩いていたシロ君があっという間に叩きのめしてしまったんだよ」

「【最強のレベル0】」

 

 リリの脳裏に、『シロ』と呼ばれる冒険者の二つ名が思い起こされる。

 普通ならば、レベル2になった際に、神々から名付けられるそれではあるが。

 シロのその二つ名は、そうではなく、自然と周囲がそう呼び始めたそうだ。

 

「そう言われるようになった事件だね」

 

 こくりと一つ頷いたヘスティアが、一度目を閉じると、開くと同時に息を吸い込んだ。

 それは何処か照れ臭い話を、一気に言ってしまおうするような、そんな意気込みを感じるような勢いで。

 

「その日の事だよ。ボクがシロ君を【ファミリア】に誘ったのは」

「そう、なんですか。目が覚めた日とかじゃ。ああ、何か考えがあって―――」

「いや、単純にその日までど忘れしてただけだよ」

 

 シロが最初の団員であると聞いているリリは、ヘスティアの性格から、目が覚めた瞬間に勧誘したのではと思っていたため、不思議に思い尋ねると。それに対しヘスティアは、何かを誤魔化すように後頭部を一つ掻くと、ぷいっと明後日の方向に顔を向けて答えた。

 

「そ、そうなんですか」

 

 何と言えば良いのか。

 らしいと言えばらしいヘスティアの姿を思い浮かんだリリは、ぎこちなく頷く。

 ヘスティアはそんなリリから意識を逸らすためか、少し早口に話の続きを口にした。

 

「でね。その時シロ君が何て言ったかわかるかい?」

「えっと、ただ承諾しただけじゃ、ないんですか?」

「いや、『止めておけ』だって」

「え?」

「『俺にはここに来るまでの記憶はない。これまで何をしてきたかもわからない。そんな得たいの知れない男を誘うような馬鹿な事は止めろ』ってね」

「それは、まあ、確かに……」

 

 最初は驚きに声を上げたリリではあったが、シロの言い分に最もだなと思い内心で頷く。しかし、それを口にするのが、第三者ではなく当の言われた本人が口にするところに、隠せない人の良さを感じ心の中で思わず小さく笑ってしまう。

 ベルから良く話に聞いた通り、その話す本人と同じように、それとも似ているのか、人が良い―――いや、優しいのだろうと、リリが思っていると。

 

「だから、ボクは言ってやったんだよサポーター君」

 

 言葉の中に笑みを含めたヘスティアの声に意識を向けた瞬間、リリの耳にその言葉が飛び込んできた。

 

「『知るか』ッ! てね」

「は、あ?」

 

 怒っているような、笑っているようなそんなヘスティアの声に、リリは思わず気圧されてしまう。

 戸惑う姿を見せるリリに構わず、ヘスティアの言葉はどんどんと続いていく。

 

「過去かどうとか、昔はなんだったのか、そんな事を言われてもね。確かに大事かもしれない、重要なのかもしれない。だけどねサポーター君」

「は、はい」

 

 過去を語っていた言葉は、何時しか目の前のリリに向けられていた。

 それに気付いたリリが、知らず背を伸ばしながら、真っ直ぐに自分を見つめるヘスティアの目を見返すと、その神秘的な光を宿す瞳に自分の緊張に強ばっている顔が映っていた。

 そんなリリに向かって、ヘスティアは柔らかな笑みを向けた。

 

「ボクはね、昔の(シロ君)が欲しいんじゃないんだ」

「っ」

 

 日が落ち始め、黄昏時の時間により、顔に影が差しその表情が見えずらくなってきている。 

 しかし、不思議なことにそのヘスティアの瞳は、そこに浮かぶ感情はリリの目にはハッキリと見えていた、感じていた。

 

「短い間かもしれない。だけど、その間に話して、笑って、怒って、一緒に食事して。ああ、楽しい、もっと一緒にいたいと思った。今、目の前にいる(シロ君)とこれからを過ごしたいって」

「へす、ティア様……」

「今、君が抱えている不安を消してしまえるような、上手いことは言えないし、力にもなれない。だけど、一緒に考えて、悩むことはできる。同じ方向を向いて、歩いていくことはできる」  

 

 いつの間にか、瓦礫から腰を離し立ち上がっていたヘスティアが、リリの目の前に立っていた。

 そして、ヘスティアの手が、ゆっくりとリリへと向かって伸ばされた。

 

「だから、サポーター君」

「―――ぁ」

 

 広げられた掌が、リリへと向けられていた。

 

「ボクの、新しい家族になってくれるかい?」

「ヘスティア様―――リリは……」

「昔は、過去は捨てられないし、変えられない。そしてそれが今の君を形作っているのもわかる。だけど、ね。サポーター君。それでもボクは言うよ」

 

 手を伸ばし、掌を向け、笑いかけ。

 ヘスティアは望む。

 

「ボクの、家族にならないかい」

「りり、は……」

「ここから、始めよう。頼りないけど、ボクもいるし。君とってはベル君もいるだろう。それに最近は命君達も入ってくれたし、少し前に比べたら大分賑やかになった。何よりシロ君がいる」

「でも……その、人は―――」

「会えるよ」

 

 自分とは違う理由で、だけど、根本的な思いは同じ理由で、入団を避けた人は、今はここにいない。

 それに対し、ヘスティアは確信に満ちた声を、言葉を口にする。 

 断言する。

 

「きっと、君も直ぐに会える。落ち着いているかと思えば、思いっきりがよくて。冷静かと思えば感情的で。酷く冷めていると思えば、情が厚すぎたり。本当に目が離せない子でね」

 

 笑いながらそう言うヘスティアの声は明るく、楽しげで。

 

「だけど、一つだけはっきりと言えるのは」

 

 本当にその人が大事であると言うことを、リリに感じさせて。

 

「シロ君は、絶対に諦めないし見捨てないって事だよ」

 

 真っ直ぐに自身を見つめるヘスティアの瞳が、自然と伸ばされたリリの手を、背中を押して。

 

「そして、それは君も同じだろ。ね、サポーター君」

 

 太陽が沈む間際、細い糸のような黄金の光が、その最後、結ばれた掌の間で小さく暖かな光を灯した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無事、リリの『改宗(コンバーション)』を終えた後、一緒に食事でもとの誘いを嬉しがりながらも断ったヘスティアは、用意していた魔導灯に明かりを灯すと、廃教会の地下へと続く通路に転がる瓦礫の撤去を始め―――ようとした時、またも背後から声をかけられ瓦礫へと伸ばした手を止め背後へと振り返った。

 

「やあ、ヘスティア」

「……何だヘルメスか」

 

 魔導灯の明かりがぎりぎり届く位置に、微かに見える口元に何時もの胡散臭い笑みを浮かべたヘルメスがそこにはいた。

 もう一頑張りと気合いを入れていた所に水を差されたヘスティアは、不機嫌な顔をしてヘルメスを睨み付ける。

 

「はは―――何だとは酷いな」

「で、何かようかい?」

 

 小さくため息を吐きながら、ヘルメスに向かい合うとヘスティアは、胸の前で両腕を組むと鼻息も荒く話を促す。

 私は機嫌が悪いですと言外に伝えるヘスティアの姿に、苦笑を浮かべながらヘルメスがここにきた理由を口にしようとしたが、ふと思い直すように周囲を見回す。

 

「まあ、ちょっと君に用事があってね。けど、その前に一ついいかな?」

「何だい?」

 

 むすっとした顔のまま、ヘスティアが問いかけると、ヘルメスは建物部分がほぼ全て吹き飛んでしまった、かつての【ヘスティア・ファミリア】の拠点であった廃教会跡をぐるりと見回した。

 

「ヘスティア、君は一体ここで何してるんだい?」

「見て分かんないかい?」

「……何か探してる?」

 

 ヘルメスにはそれぐらいしか思い付かなかったが、事実ヘスティアの用事とはそのまま探し物であった。

 突然の襲撃により取るものも取らず逃げ出してしまったことから、ここにはまだ貴重なものや大切なものがまだ置きっぱなしであり。その中でも特に万が一盗まれてはいけないものも、まだここにはあった。

 だから、ヘスティアは『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』が間もなく始まるようなこんな時であっても、やることが殆どなくなった自分一人でその大切なものを探していたのだった。

 

「まあね」

「まあ、襲撃は突然だったしね」

「そういうこと、殆どは別に無くても困らないものばかりなんだけどね。一つだけ、どうしても回収しなくちゃならないのがあってね」

 

 それを保管しているのは、それなりに頑丈な所なので、潰れてしまっていると言う事はないだろう。しかし、そこまで辿り着くまで、まだまだ時間が掛かってしまうのは、容易に想像がついた。

 何とか地下への通路の入り口まで辿り着けたが、安全を確保しながら作業しているため、未だ地下への階段を一歩足りとも進めていない現状であった。

 

「へぇ、で、見つかりそうかい?」

「見当は付いてるけど、そこまで辿り着くのがね」

 

 ヘルメスの問いに、小さく肩をすくませて応える。

 他の団員達が『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』の準備に忙しいとはいえ、主神であるヘスティアが一人でも回収しようとするものとは一体。とヘルメスが好奇心に襲われ口を開いた、が。

 

「それは―――」

「別に、君に言う必要はないよね」

「ケチだね」

 

 それを事前に察したヘスティアが鋭い声で拒否を示すと、ヘルメスはつまらなそうに息を着いた。

 

「日頃の行いだね」

「それは仕方ないか」

 

 自身のこれまでを顧みて、ヘルメスは小さく肩を落とす。

 そんなヘルメスに呆れた目を向けた後、ヘスティアは小さく頭を振ると、小さく喉を鳴らし、そもそも何の要件でここにきたのかを問いかけた。

 

「で、結局ボクに用って何の要件だい?」

「助っ人の枠について推薦にね。腕前は十分以上だから安心してくれ。それに、君もその目で見たから知ってるか。どうだい、彼じ―――」

 

 ヘスティアの言葉に、ここにきた理由を思い出したヘルメスは、どこぞのセールスマンのように今回の『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』の助っ人枠について、推薦する者について語りはじめた。

 その人物は、ヘスティアも面識があり、その戦闘力も間近に見た経験もあることから、ヘルメスは話ながらも断ることはないだろうという確信があったのだが。

 

「ああ助っ人か、それ、実はもう決まったんだ」

「―――ヘ?」

 

 あっけらかんとした、ヘスティアの言葉により水のように流れていた言葉が途切れた。

 ぽかんと口と目が丸く開いたヘルメスの様子に気付いているのか、それとも気付いていないのか。

 ヘスティアはにやにやとした悪戯な笑みを口元に浮かべながら、驚き固まるヘルメスを見ていた。

 

「ボクも驚いたけど、君も―――いや、皆驚くだろうね」

「えっと……それは―――」

「勿論、言わないけどね」

「ッ」

 

 期待してはいなかったが、ヘスティアの何処か笑いを含んだ拒否の言葉に、ヘルメスは顔がひきつるのを自覚した。

 

「試合開始までもう間もなくだし。君も楽しみにして待っておいでよ」

「ちょ―――ヘスティア」

 

 話は終わりだとヘルメスに背を向けたヘスティアに、反射的に手を伸ばそうとするが、拒否するように後ろ手でぱたぱたと左右に振られるのを見ると、伸ばされかけた手は力なく下へと下ろされることとなった。

 

「ほらほら行った行った。時間がないんだから邪魔だよ邪魔」

「はぁ、あまり緊張してないんだね君は」

 

 その普段と変わらないヘスティアの様子からは、初めて『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』をする者とは思えない落ち着きを感じ、感心したようにヘルメスが声を上げる。

 すると、ヘスティアは肩越しにヘルメスに振り替えると、その魔導灯で照らされた顔に満面の笑みを浮かべ見返すと、自信満々な声で言い放つ。

 

「信じているからね」

「―――誰かと聞いても?」 

「決まっているだろ」

 

 一度、目を閉じ何かを、誰かを思い、次に開いたその瞳に、満天の星空のような煌めきを灯したヘスティアは、宣言するかのようにその言葉を口にした。

 

「―――【ファミリア(家族)】を、さ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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第八話 開戦

 戦争遊戯(ウォー・ゲーム)始まります。

 さて、助っ人はだれでしょうか?


 ガタゴトと、馬が引く荷馬車の車輪が、石や道のへこみに引っ掛かる度に周囲の他の乗客と一緒に体が浮き上がっては落ちていく。クッションなんて贅沢な物などないため、その度に固い板へとお尻が幾度も、それこそ数えきれないほど叩きつけられれば、いくらレベル2の冒険者であっても肉体的にも精神的にもきついものがある。

 出発する前に比べて、何だかお尻が大きく(腫れ上がった)なっている気がしながら、ベルは箱馬車の中で揺られながら、窓から覗く空を見上げた。オラリオを出発してからもう随分と時間がたっている。出発してから暫くは他の乗客から色々と話しかけられてはいたが、半日も過ぎる頃になれば、特に話す内容も尽きてしまい、周囲の乗客の殆どはこの酷い揺れの中であっても慣れているのか船を漕いで眠っていた。イビキや寝息を耳に、少し日が落ち始めながらも、まだまだ青い空を見上げていたベルは、ふと、オラリオでの怒濤の日々を、修行の日々を思い出した。

 あの日―――拠点を【アポロン・ファミリア】に襲われた日。

 【アポロン・ファミリア】に対し宣戦布告を告げた後、ベルは後ろ髪を引かれながらもヘスティアと別行動を取ることとなった。それは勿論勝つためのものであり。強くなるための行動だった。

 方法はあの時と同じ。

 都市最強の一角と呼ばれる【アイズ・ヴァレンシュタイン】から修行をつけてもらうこと。

 それが非常識であること。

 まともに取り合ってもらえない可能性が高いことを承知で、ベルは【ロキ・ファミリア】の拠点(ホーム)である黄昏の館へと赴いたのだったのだが。

 最初、門番により止められ、自分の願い―――アイズ・ヴァレンシュタインへの面会を願い出た時も、内心では難しいというよりも、確実に断られるだろうとは思っていたのだが、何故か断られたり、非難されたりもせず。それどころか何処と無く優しく声をかけられて、暫く外で待たされた後で、拍子抜けな程簡単にベルはアイズと会うことができた。

 直ぐにベルはもう一度修行をつけてくれとアイズに願い、例え断られようとも何度もお願いしようと、そう決意しながら口にした願いに対し、二つ返事で了承されたことも予想外―――というよりも、ただただ信じられなかった。

 流石にこれはおかしいと、自分から願い出ながらベルはアイズに理由を問い質したが、何故だか黙り込まれてしまい。一緒にいたティオネやティオナから誤魔化され、結局何故あそこまで簡単に協力してくれるのか、それも何の見返りもなく手を貸してくれるのか、その理由について最後までベルは聞くことはできなかった。

 

「―――ティオネさんやティオナさんも、それに他の人達もどうして……」

 

 鍛えてくれたのはアイズだけではなく、ティオネやティオナからもベルは手解きを受けていた。修行以外にも、【ロキ・ファミリア】の団員の人から色々とアドバイスを貰う等、同じファミリアどころか主神同士が仲が悪い筈の【ロキ・ファミリア】の団員達が、何故か皆ベルに協力的であった。

 修行の日々は強くなること以外に余計な事を考えている余裕がなかったため、疑問に思いながらもその理由について考える事はなかったのだが。ぽっかりと空いたこの移動時間に、その疑問について考えてしまうのも仕方のないことだった。

 とはいえ、幾ら考えてもヒントの一つもないことから、どれだけベルが頭を捻ろうともその理由(答え)に思い至る事はなく。

 脳裏に浮かぶのは、最後に目にしたアイズの複雑な感情を宿した瞳だけ。

 修行を終え、ヘスティアの下へと戻る前に、お礼を口に深々と頭を下げた先で、自分を見つめる何時も通りのあの美しい黄金の瞳の中に宿っていたのは、ベルの見間違いでなければ、あれは―――

 

「―――アイズさんは、何で、あんな目をしていたのか、な……」

 

 ポツリと呟かれた疑問の声に応える者はいる筈もなく。

 ただ車輪が地面を削る音だけが響くなか、窓の向こうに小さな影が見えた。

 

「あ―――あれって」

 

 まだまだ遠い。

 しかし、それでもそのシルエットだけでもそれが何であるかが分かる。

 あちこち欠けて壊れてはいるが、未だ十分にその使用に耐えうる姿を見せる城壁の奥には、城の如き城塞の姿も見えた。

 

「あれが、『シュリーム古城跡地』」

 

 もう間もなく、ベルは戦争遊戯(ウォー・ゲーム)の舞台へと辿り着こうとしていた。

 正確にはその近くにあるアグリスという町に。そこには先に集合している筈の【ヘスティア・ファミリア】の団員達―――他のファミリアから移籍してくれた仲間と、そして助っ人がいると出発前にベルはヘスティアから聞かされていた。

 それを思い出し。

 ふと、そう言えば、とベルは今更ながらに疑問に思った。

 

「―――助っ人って、誰なんだろ?」

 

 思い出されるのは、出発する直前に助っ人について訪ねた際のヘスティアの顔であった。

 あれは、何と言えばいいのだろうか。

 笑っているような、困っているような、そんな微妙でおかしな顔で。

 声も同じく色々な感情が混じった複雑なもので「まあ、会ってのお楽しみで」と言われただけで、ヒントも何もなく。

 様々な疑問と不安を抱きながら、ベルはもうすぐ出会うだろう助っ人に思いを馳せながら、箱馬車の中その身体を揺らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――で、結論から聞こうか」 

 

 黄昏の館の中にある一室。

 都市最強の一角たる【ロキ・ファミリア】の指針を定める場である団長に用意されたその部屋の中には、最高幹部の3人の姿があった。

 その子供のような体格と姿から、一見すれば不格好のように見えながら、どことなくしっくりとくる不思議な感覚を見るものに与える大きく重厚な執務机に肘を付き、交差した手の甲に額を当てながら、団長であるフィンが、顔を俯かせたまま机の前に立つリヴェリアに声をかける。

 その声は重苦しく、部屋の中は魔導灯により明るく照らされている筈なのに、フィンのその声も合わせ薄暗く感じられた。

 それをリヴェリアも感じているのだろう。躊躇うように息を吸った後、微かに震える声で手にした信じられない。信じ難いその情報を口にした。

 

「……真実だった」

「っ―――……流石に、それは予想外だったな」

「はっ! 真実、真実のう……ま、誰も信じんだろがな」

 

 額に組んだ両手の甲を押し付けるようにして当てながら、フィンは呻くような声を上げる。それを横に、ガレスも苦笑にしては苦すぎる声でそう愚痴めいた声をこぼす。

 

「だろうね。僕も正直今でも信じられないよ」

「だが―――」  

 

 ため息混じりの現実を否定する言葉は、しかし、リヴェリアの声よりも前に自身の言葉によって正される。

 

「ああ、わかっている。別に疑ってはいないさ。ただ、問題は―――」

「誰がやったか、か」  

 

 あの男が、そこらの有象無象相手に遅れを取るどころか、苦戦する姿さえ想像がつかないのだ。それこそ深層の階層主ぐらいしか相手にならないような男なのだから。

 

「そう。で、肝心のそこはわかってるのかい?」

 

 微かに上げられた顔から覗く鋭い視線が、リヴェリアに向けられる。言葉の強さの割に、期待が感じられないのは気の所為ではないだろう。

 普通ならば大々的に広めるようなその事件だが、この事に気付いている者はそう多くはない。

 何よりその内容が、その男がどれ程の男であるかを知っているからこそ信じられないのだ。

 

「……詳しい情報はない。戦いの詳細も相手の情報も殆ど。ただ、その男は長い剣を使う剣士だそうだ」

「剣、剣か。あの男相手では、ただの剣では文字通り歯が立たないから……『魔剣』か?」 

 

 文字通り化物の如き耐久力を思い、歯を剥くように口元を歪めながらフィンが誰に言うでもなく自問する。

 魔法を放つ魔剣ではなく、切れ味を上げる付与的な力を持つ魔剣の可能性を考える。

 

「いや、あの男が『魔剣』の一本や二本で倒れるような柔な奴ではないのは貴様も良く知っていよう」

 

 確認するようなそんな自問の声に、ガレスの助言が投げられ。それをフィンは頷きとともに受け入れる。

 

「だね。でも、それじゃあ……」

「未確認の『レベル7』、か?」

 

 顎に手を当てながら、ぽつりとリヴェリアの口から思考から溢れた言葉の一つが落ちる。

 可能性としては否定できない。

 

「流石に、それは……」

 

 しかし、その可能性はあまりにも小さく。微かに柔らかくなった言葉と共にフィンがリヴェリアのその言葉を首を横に振るとともに否定する。

 

「しかし、それでは他に可能性としては―――あの時のように」

 

 フィンのその姿に、小さく額に皺を寄せながら、リヴェリアはあの暗黒時代の最後の戦いを思い出しながら一つの可能性を口にするが。その声は自分の言葉でありながら信じていないように聞こえていた。

 

「いや、流石にもうあの時のような生き残りが出てくる事はない、とは思うけど」

 

 それは本人も自覚しているのだろう。フィンの言葉を、リヴェリアは反論せずに受け入れていた。

 その二人のやり取りを、腕を組んで聞いていたガレスが、組んでいた両手を解くと共に、激しく後頭部を苛立つように掻きながら胡乱な目をフィンに向けた。

 

「では、なんじゃ。他に何かあるか?」

「ある、というか。僕達はつい最近そんな相手と戦ったじゃないか」

「「!?」」

 

 フィンの小さな、しかし確かな確信を抱いた言葉を受けた二人の脳裏に、稲妻めいた勢いで同じ男の姿が過ぎった。

 

「―――『ランサー』」

 

 青い、身体の線が浮き上がる服を全身に包んだ野獣めいた眼光と雰囲気を持つ男の姿。

 何よりも印象にあるのは、その男が手にしていた。深層のモンスターすら可愛く思える程に禍々しい気配を纏った長く、紅い槍。

 本名かどうかはわからない。

 ただ、フィンの直感は、あの時あの男が名乗った『ランサー』とは、本当の名ではないと告げていた。

 

「あ奴か……」

「だが、情報によれば長い剣だと聞いたが。あの男の使っていたのは紅い槍だった」

 

 リヴェリアが手に入れた情報では、間違いなく使っていた武器は剣だという。特徴的な長い刀身の剣であると。

 

「そうだね。だから、あの男ではないけど、もしかしたら似たような奴が他にいるのかもしれない」

「あの男と同等の、か」

 

 自分で口にしながら、リヴェリアのその顔はどうにも信じられない。いや、信じたくないと言った、その内心を現すかのように苦々しいものであった。

 

「それは何とも心が踊るのう」

「そんな悠長な事を言っていられるか」

「だね」

 

 好戦的な声を上げるガレス。

 だが、その裏には無理矢理鼓舞するような勢いも隠れていたのは、非難の声を上げたリヴェリアも気付いていた。

 弱音を上げるかのようなそんな二人を見るフィンの目もまた、力は感じられなかった。

 フィンも同じだからだ。

 あの、港で起きた事件においての最後の戦い。

 そこで、フィン達は『ランサー』と名乗る男と戦った。

 ―――違う。

 あれは、戦いなどと言うものではなかった。

 ただ、遊ばれただけ。

 最強と持て囃されていながら、フィン達は―――最強戦力である筈のレベル6が複数いながらも、敵として見られてはいなかった。

 例えその時近接主体であるティオネとティオナがいなかったとは言え、あの場にはガレスもフィンもそれにベートにアイズすらいたのだ。この四人が相手となれば、あのオッタルが相手であってもそれなり以上に戦えた筈であった。

 そうでありながら、しかしあの『ランサー』を名乗る男を相手にするには、それでも不十分であったのだ。

 アイズやベートですら影すら追えない速度に、フィンの勘すら手に余る技量。それに加え、速度に特化しているのかと思えば、あのガレスと一瞬とは言え拮抗できる程の力の持ち主であり。あらゆるもので、悉く上をいかれながら、最後までこちらに大した怪我の一つすらさせずに戦いは終わった。

 あれを『遊ばれた』以外に言えるだろうか。

 文字通り相手にならなかったのだ。

 【ロキ・ファミリア】である自分達が、だ。

 

「……それと同等の相手、か」

「考えたくない、というよりも想像が着かないな」  

 

 あの時、魔導師であるリヴェリアは一人後方に位置していたからこそ、直接戦っていたフィン達に見えなかったものも見えていた。これまで数多く、それこそ数え切れない程の様々な戦場を見てきたからこそ理解させられた。 

 相手と自分達の力の差を。

 だが問題は、その力の差だった。 

 これまでも様々な力の差を感じてきた。

 モンスターからも、冒険者からも。

 文字通りレベルというものがあるのだ。

 差というものは、ある意味でわかりやすく感じやすいものだった。

 なのに、あの男から感じたソレは、ハッキリと感じられるのにも関わらず、()()()()()()()

 単純にレベルや身体能力の差ではない。 

 言語化出来ない漠然としたナニか。

 そんな差が、あの男から感じられた。

 

「とは言え無視は出来ない」

「だから、手を貸したのか?」

 

 フィンの声により、思考の海から顔を上げたリヴェリアが反射的に疑問を上げた。

 その問いに、フィンは顔を左右に振って否定する。

 

「それとこれとは別だよ」

「ま、借りは色々とあるからのう」

 

 顎を撫でながら、ガレスが男臭い笑みを浮かべる。

 それに対し、リヴェリアは口の端を噛みながら顔を伏せた。

 それを横目に見ながら、フィンは遠くを見るように目を細めた。

 

「借りばかり増えるのはあまりいい気がしないからね。本人に返そうと思っても、一体何処にいるかわからないし」

「……本当にわからないのか?」

 

 疑わしげなリヴェリアの声と視線に、フィンは肩を竦めて返す。

 

「ああ、かなりの重症を負ってはいるだろうけど、生きているだろうね。あそこから生還したほどだし」

「では―――」

 

 リヴェリアの力が籠もった瞳に向かって、フィンが頷く。

 

「彼のことだ、確実に出てくるだろうね。だけど、それがどのタイミングなのかはわからない」

「っ―――……どうみる、この戦い(戦争遊戯)を」

 

 彼が現れる可能性は高い。

 しかし、問題はその後。

 リヴェリアの眉間に刻まれた深い苦悩の印が、その困難の程を暗に示していた。

 

「【ヘスティア・ファミリア】に分が悪すぎる。元の構成員の人数もレベルも、何よりも経験に差が有りすぎる。あの子は確かに規格外かもしれないが、普通に考えれば勝機はない」

「だが、あいつがいれ、ばっ……」

 

 反射的にリヴェリアの口から反論が出るが、しかしそれは尻すぼみに弱くなり。視線が落ちると共に、その声は小さく消えてしまった。

 

「そう、()()()、奥の手は【アポロン・ファミリア(あっち)】にもある」

「謎の剣士、か」

 

 そもそもの問題であり、話題にして問題の中心にいる男。

 その男と【アポロン・ファミリア】に繋がりがあるのは、もはや確信に近かった。

 

「手に入った情報が確かなら、その剣士は連続して『シロ』と『オッタル』を撃破している」

「……今一度聞いても信じられんな」

  

 その二人の強さをよく知っているからこそ、その意味を、恐ろしさを知るガレスは引き攣った頬を噛み潰しながら呟く。

 

「残念だけど、今の僕達の手には余る相手だね」

「っ、()()()()()()()()()()ッ!?」

 

 フィンの、ため息混じりのある意味で敗北宣言染みたその言葉に、激昂した非難の声をリヴェリアが発する。 

 重厚な机に両の手を叩き付け、噛み付く勢いで顔を寄せてくるリヴェリアに、フィンは静かな視線で受け止めた。

 

「……僕も行かせたくはなかったよ」

「そう言うのならば何故だッ!? あの男と同等かもしれん奴が相手かもしれんのだっ!? いや、まず間違いないだろうっ! あのオッタルを倒しているのだっ!? いくらあの子でも相手にならんぞっ!?」

 

 フィンの冷えた声と言葉に比例するかのように、リヴェリアの声と熱は上がっていく。

 

「わかっている」

「だからっ!! なら何故―――」

「リヴェリア、落ち着かんか」

 

 今にも机の上に置かれたリヴェリアの手が、フィンに向かって伸びかねんとした時、横から伸びたガレスの手が二人の間に割り込んできた。

 

「っ、ガレスッ!? っ……はぁ……すまない」

「いや、僕も君の気持ちも心配もわかっているよ。だけど……」

 

 ガレスの強い視線と言葉により我に返ったリヴェリアが、一度深く息を吸い、吐くと共にいくぶんか落ち着いた声で、余計な熱と共に謝罪の言葉をフィンへと向けた。

 それに対し、小さく笑みを返したフィンは、チラリと自身の手に、右手の親指に視線を落とすと、ポツリと呟いた。

 

「疼いたんだ」

「なに?」

 

 訝しげに眉を寄せたリヴェリアに顔を向けることなく、フィンは自身の親指から視線を外すことなく言葉を続ける。

 

「行かせた方が良い。そう感じてしまったんだ」

「……お前の『勘』が、そう告げたのか」

「ああ」  

 

 フィンの『勘』が、どれ程のものかを知るリヴェリアは、向けられた視線と言葉を受け止めると、何かを無言で飲み込むように深く大きく息を吸った後、倍近い大きさの息を吐いた。

 

「……はぁ」

「すまない」

「いや、私もすまなかった」

 

 フィンの謝罪が何に対してのものかを長年の付き合いから察しながら受け入れるリヴェリアの姿に、ガレスがふっ、と小さな笑みを浮かべる。その笑みを瞬きと共に振り払うと、ガレスはフィンに声を向けた。

 

「しかしフィンよ。色々と大丈夫なのか?」

「何だいガレス、君らしくもない」

 

 からかうようなフィンの口調に、鼻を鳴らしながらガレスは口の端を曲げた。

 

「ふんっ、心配にもなるわい。幾らルール上は問題ないとは言え、【ロキ・ファミリア】の看板の一人が顔を突っ込むのだ。修行に手を貸す程度とは全く違うものだと儂でも分かるぞ」

「ま、一応ロキの許可は取ってある」

「はぁ、あのロキが良く許したのう。あそこの神とはかなり仲が悪いと思っておったが」

 

 かの神と自分達の主神との仲の悪さは、ガレスの耳にも届いていた。と、言うよりも、特に酒の席で本神の口から直接聞いた事が何度となくあった。

 

「ま、そこは色々とあるんだろう。嫌いな奴に貸しをつけるというのは中々面白いものがあるし、ね」

「趣味がわるいのう」

 

 にっこりと、まるで無邪気な子供のような笑みを浮かべるフィンに、引いた声と顔を向けるガレス。

 

「ははは……まあ、でも他にも理由があるとは思うけど」

「それは?」

「さあ? 流石にそこまではわからないよ。それこそ『神のみぞ知る』だね」

「はぁ……ま、そういうものかの」

 

 長い付き合いではあるが、それでも計り知れないのが『神』であり己達の主神である。それが頼もしくもあり、恐ろしくもある。

 

「今更何を言っても既に事態は僕たちの手を離れている。後はもう全て彼等の手に委ねられている」

 

 フィンはそう口にしながら何かを掴むようにして掲げた右手を見上げ。

 パッ、と何かを放り投げるかのようにその右手を勢い良く開いた。

 

「そう―――『賽は投げられた』、だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、常に活気に満ち溢れている都市(オラリオ)は、何時にも増してその賑わいを大きくしていた。

 日も昇らぬ内から、待てないとばかりに競い合うかのように、何処かしこから呼び声が響き始め。太陽が姿を見せる頃には、もはや都市中が様々な声で溢れ返っていた。

 それら声の多くは熱が籠ってはいたが、しかしそれは未だ爆発する前の底に燻るかのような前兆のようなもので。彼ら彼女らはナニかを待ちわびるかのように、その身体を震わせていた。

 そうして、爆発寸前の熱気と興奮が満ちる中、日が中天に近付く頃合いに、都市の中央にあるギルド本部前に(許可なく)設置された舞台から、魔石製品の拡声器を片手に持った褐色の肌の青年の声が響きだした。

 

『―――え~、大変お待たせしました。そろそろ頃合いと思いますので、そろそろ始めようかと思います。今回の戦争遊戯(ウォー・ゲーム)の実況を務めさせていただきますのは、【ガネーシャ・ファミリア】所属、【火炎爆炎火炎(ファイアー・インフェルノ・フレイム)】―――喋る火炎魔法ことイブリ・アチャーで、解説は皆さんお馴染みの―――』

 

 無断で何の許可を受けていないにも関わらず、まるで正式な実況のような装いでステージ上で声を張り上げる実況者を名乗る青年が、拡声器を持っていない手を、自身の隣に座る己の所属する主神である神へと向ける。青年の手に誘導されるように、ギルド本部前に集まった人々の視線が、その主神へと向けられると、その神は座っていた椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると、その被った巨大な像の仮面から唯一見える口許を笑み形に一瞬変化させた後、拡声器もなしに都市中に聞こえなかねない大音声で宣言した。

 

「―――俺が、ガネーシャだッ!!!」

『はいっ、ということでよろしくお願いしま~す!』

 

 ぱちぱちと、ガネーシャの何時もの宣言と共に拍手が響く中、それを見下ろす者がいた。

 

「おー、おー盛り上がっとるなぁ」

 

 細められた目を更に細めながら、その神は地上にひしめくように見える群衆と、そこから感じられる熱気に口の端をぐにゃりと曲げて笑い声を響かせていた。

 ギルド本部―――白亜の巨塔たる『バベル』の三十階には、今多くの神が集っていた。

 自身の【ファミリア】の本部で眷族達と共にする神や、酒場で冒険者達に紛れている神もいるが、多くの神は今はここ―――『バベル』において戦争遊戯(ウォー・ゲーム)の開始を待っていた。

 その神々の中には、この戦争遊戯(ウォー・ゲーム)の中心たるヘスティアとアポロンの姿もあった。

 神々が多く集う中、それ以外はその神達の世話をするギルドの職員しかいない中、ただ一人ギルド員ではない神の眷族であるアスフィが、己の主神の横で、居心地を悪そうに周囲を見渡していた。

 

「っ、ヘルメス様、私が本当にここにいて良いのですか?」

「構わないとも、実際誰も文句を言っていないだろ?」

 

 隣から心配そうに見上げてくる眷族(アスフィ)に、ウインクを一つ投げたヘルメスは、空に上る太陽の位置を確認すると、懐から懐中時計を取り出した。

 時刻は正午を目前にしていることを示している。

 

「……頃合いか」

 

 一つ頷いたヘルメスは、懐中時計から視線を外すと何もない宙へと顔を上げ、口を開いた。

 

「それじゃあ、ウラノス、『力』の行使の許可を頼むよ」

 

 その声は空気だけではなく、別のナニかを震わせこの場にはいない者へとその意思を伝え。

 そしてそれは、数秒の間を置き、答えられた。

 

【―――許可する】

 

 ギルド本部から響いたその神威が籠った【声】は、一瞬にしてオラリオ中に存在する神々へと同時にその意思を伝え、宣言を聞き届けた全ての神々が一斉にその指を弾き鳴らした。

 瞬間、都市のあらゆる場所に円形の窓が浮き上がった。

 数える事も馬鹿らしくなる程の数と、様々な大きさのその窓は、下界において限定的ではあるが行使が許されている『神の力(アルカナム)』の一つである。『神の鏡』と呼ばれる千里眼の能力を有する、離れた土地で行われる出来事を見通し映し出す魔法を越えた神々の力。企画される下界の催しを、神々が楽しむために認められた神の力。その特例の一つである。

 彼らはその『鏡』を見ることによって、離れた土地で行われるこれからの『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』を楽しむのだ。

 ギルド本部前に作られた舞台(ステージ)の後ろに一際大きく出現した『鏡』を背に、実況者イブリの声が響く。

 

『それでは、(映像)が現れましたので、開始する前に簡単に今回の戦争遊戯(ウォー・ゲーム)について説明させて頂きますっ! 今回の戦争遊戯(ウォー・ゲーム)は【ヘスティア・ファミリア】対【アポロン・ファミリア】、形式は攻城戦となっておりますっ! 既に両陣営の戦士達は戦場に身を置いており、正午の始まりの鐘の合図を今か今かと待ちわびておりますっ!?』

 

 拡声器の声が響き渡る中、同じ映像が浮かぶ様々な酒場の中でも同じく声が響き渡っていた。

 

「いいかぁ! もういいかぁ!? 賭けを締め切るぞぉおおッ!!?」

 

 酒場では承認と結託して行われる冒険者主導の賭博が行われていた。賭けの内容は勿論この戦争遊戯(ウォー・ゲーム)の勝敗ではあるが、素人目からでもその勝敗は分かりきっており、誰しもが【アポロン・ファミリア】に賭けていた。そのオッズは【ヘスティア・ファミリア】が二十倍という馬鹿げていたものではあるが、賭けを知るものにとっては実の所思ったよりも低く感じられていた。明らかに勝敗は【アポロン・ファミリア】に傾いているにも関わらず、何故か【ヘスティア・ファミリア】に賭けるものがそれなり以上にいたのだ。

 つい先程も、何処ぞの冒険者が10万もの大金を賭けたように、それなりの数の者が【ヘスティア・ファミリア】の勝利を願っていた。

 

「思ったよりも【ヘスティア・ファミリア】に賭ける奴がいるんだな?」

「……まあ、確か【ヘスティア・ファミリア】にはあの男がいるしな。そこに賭けてる奴がいるんじゃねぇのか?」

 

 先程の大金を【ヘスティア・ファミリア】に賭けた男により、僅かに変化したオッズを、張り出された紙に修正されるのを眺め見ていた冒険者の一人が、酒を飲みながら隣に座る別の冒険者に声をかける。声をかけられた冒険者は、顎髭にエールの泡を付けながら、赤らんだ顔を傾げながら、アルコールにより若干揺れる思考の中から、【ヘスティア・ファミリア】に賭ける者達の根拠を推測する。

 そのレベルに合わない強さにより、一時騒ぎになった男が【ヘスティア・ファミリア】には所属している筈だった。

 しかし、噂によれば、その男はもう―――。

 

「あの男? ああ、あいつか。だけどそいつはもう死んだって聞いたが?」

「確かに最近姿を見たって聞かねぇがな。とは言え、あの男がいたとしても、数が違いすぎる。どうあっても【ヘスティア・ファミリア】に勝ち目はねぇな」

 

 もしかしたら、その男の強さは本物かもしれない。

 しかし、【アポロン・ファミリア】の戦力は100人にも届くと聞いている。

 質が量をひっくり返せるこの【神時代】ではあるが、【アポロン・ファミリア】もまた中堅のファミリアである。人数もさることながら、その冒険者達の力も侮れないものだ。

 質と量がそろっている【ファミリア】を相手に、多少の規格外では相手にもならない。

 

「だな。いや、しかしそう言えば助っ人枠に誰が来るかによるんじゃねぇか?」

「ああ? 助っ人枠? 確かにそんなのあったがよ。弱小の【ヘスティア・ファミリア】に手を貸すような所があるとおもうか? 雇う金なんてねぇだろ」

 

 やはり【アポロン・ファミリア】に賭けて間違いないと内心で頷いていた男に向かって、そう言えば、という声が届く。助っ人枠という言葉に、安心しようとしていた心が一瞬不安で微かに揺れた。

 だがそれも、少し考えれば杞憂にすぎないとわかる。

 こんな勝ち目がない戦いに、好き好んで助けにはいるような奇特な冒険者などいる筈がない、と。

 ならば雇うしかないが、上級冒険者が多少の金でこんな負け戦に参加する筈もなく。例え雇えるとしても、その金が用意できなければ意味がなく。そしてそんな大金を弱小ファミリアである【ヘスティア・ファミリア】が準備できる筈もない。

 

「ま、確かにな。しかしそれじゃ、助っ人は誰なんだか?」

「もしかしたら誰もいねぇかもしれねぇな」

 

 敗色が濃厚な【ヘスティア・ファミリア】と、己が賭けた【アポロン・ファミリア】の勝利を思い、にやけた笑みを口許に浮かべた男が、確実な勝利の美酒を感じながら安いエールを喉へと流し込んだ。

 

「ベル・クラネルとの別れは済ませてきたかい?」

「……」

 

 椅子に座り、じっと目の前に浮かぶ『鏡』へと視線を向けたまま微動だにせず、ヘスティアは背後からかけられたアポロンの声を無視した。

 絶対に反応しないという強固な意思をその背中に感じたアポロンは、やれやれと肩を竦めて見せると、大袈裟に鼻を鳴らすとそのままヘスティアに背中を向け去っていった。

 去っていくアポロンの気配すら無視し、真っ直ぐに『鏡』を見ていたヘスティアの背中に、また誰かの気配が立った。

 

「少しは落ち着いたらどう?」

「……落ち着けるわけないよ」

 

 背中からかけられた声に、今度はヘスティアは無視することなく返事を返した。しかし視線はやはり『鏡』から離れず、映し出される光景から瞬きすら惜しむように見つめていた。

 そんなヘスティアの姿に、苦笑を浮かべたヘファイストスは、そのままヘスティアの隣の椅子を引くと、そこへと腰を下ろした。

 

「まあ、それはこっちもそうなんだけど、ね」

「……ヘファイストスには迷惑をかけるね」

 

 何処か、後ろめたい声がヘスティアから上がる。それを横目に見たヘファイストスは、小さく口許に笑みを浮かべると椅子の背もたれに背中を預けた。

 

「まあ、私も発破を掛けたような所もあるし」

 

 そう口にするヘファイストスの目には、決意を宿した可愛い、そして男らしい自身の―――否、正確には元眷族の青年の姿が浮かぶ。今はもう、自分の眷族ではなく、この小さな女神の眷族となった青年を思い、ヘファイストスは小さく息を吐く。

 

「それもあるけど―――」

「ああ、あの子の事か」

 

 申し訳なさそうな声が、ようやく『鏡』から視線を外し、ヘファイストスへと向けられたヘスティアの目には、すまなそうな感情が満ちていた。

 それに対し、そんな感情は不要だとヘファイストスが片手をぱたぱたと左右に振った。

 

「あれはあの子が勝手に言い出した事だよ。まあ、確かに立場を考えろと追い返した足で、そのままあなたの所に行くとは思わなかったけど」

「ボクも、流石にね」

「へぇ、それは一体何のお話かな?」

「―――げ」

 

 はは、と苦笑を浮かべると、新たに背中からかけられた声に、反射的にヘスティアはくぐもった声と共に振り返ってしまう。

 視線の先には、申し訳なさそうに縮こまる眷族(アスフィ)を引き連れて立つヘルメスの姿があった。

 

「……何だよ」

 

 じとりとしたねめ上げる視線を受けたヘルメスは、にやにやとした笑みを口許に湛えたままヘスティアを見下ろして口を開く。

 

「もしかして、噂の助っ人枠の話かな? いい加減教えてくれもいいじゃないか。君と私との仲だろ。折角の紹介がご破算になったんだ。誰が助っ人枠になったかもう教えてくれてもいいだろ?」

「どうせもうすぐ分かるんだ。大人しく見ていればいいだろ」

 

 ちっと舌打ちを一つ鳴らしたヘスティアは、そのままヘルメスから視線を切るとまた『鏡』へと視線を戻す。話すことはないと言外で伝えるヘスティアの意思を受け取りながらも、ヘルメスは変わらず笑みを浮かべた顔を一歩前へと動かした。

 

「少しでも早く知りたいんだよ。わかるだろ、君もこの気持ちが」

「ボクには関係ないね」

「はぁ、つれないね。そう思わないかいヘファイストス?」

 

 つれない態度のヘスティアに、肩をすくませながら背を伸ばしたヘルメスは、そのまま視線をその隣へ。ヘスティアの横に座るヘファイストスへと向けた。

 ヘルメスから向けられた視線と言葉に、ちらりと横目で視線だけを動かしたヘファイストスは、ふんっ、と小さく鼻を鳴らすと言葉短く問いの答えを返す。

 

「さあね」

「君ならもしかして知ってるかな? 【ヘスティア・ファミリア】の助っ人が誰なのかを」

「知ってても教えると思う?」

 

 すっと細められた視線を向けられながら、ヘファイストスは視線を『鏡』から今度は動かさず呆れたような声音でヘルメスの問いに応えた。

 疑問のような言葉の中に感じられる明確な拒絶な意思に、ヘルメスは何かを察したかのように口許に浮かべた笑みを深めた。

 

「ふ~ん……もしかして、君のところの誰か、とか?」

「―――さて、どうかしら」

「仕方ないか、ま、予想はるし、合ってるかどうかは見てのお楽しみにしておこうか」

 

 はぐらかすかのようなヘファイストスの言葉に、ふふ、と口の中で一つ笑い声を上げたヘルメスは、一歩足を後ろに下げると、横でおろおろとヘファイストスとヘルメスの間で視線を行ったり来たりさせていたアスフィの肩を叩くと、ヘスティア達に背中を向けると何処かへと足を向けて動き出した。

 

 

 

 

 

「始まったなあ……」

「とは言っても、直ぐに何かあるわけもねぇか」

 

 正午となり、開始を告げる銅鑼の音が響く中、【アポロン・ファミリア】の団員である弓兵の一人である男は、城壁の上に警戒として立つ仲間へと視線を向ける。

 その声と目には力は感じられず。今まさに戦いが始まったファミリアの一員とは思えない士気の低さを見せていた。

 だが、そんな男の様子を見ても、もう一人の男は何も文句は口にしない。何故ならば、その男も同じようにやる気がないかのように、見に纏う士気は低かったからである。

 

「賭けじゃ最終日がやっぱ多いみたいだな」

「大穴狙いで初日もあるけど、流石になぁ」

「で、お前は?」

「勿論最終日だ」

 

 その二人の言葉の通り、【アポロン・ファミリア】の団員達の多くは三日ある戦争遊戯(ウォー・ゲーム)の期間中、相手が攻めてくる時期は最終日であると予想していた。体力と気力が充実している初日の昼間にやって来るような事はまず有り得ず。来るとしたら集中力がどうしても下がってしまうだろう最終日近くであると、団員達の間で始まっていた賭けにおいても、最終日が一番多かった。

 そういう理由から、初日の一番最初の警戒にあたるこの二人の中には、(【ヘスティア・ファミリア】)が姿を現す筈はないと、緊張感の欠片もなかったのである。

 

「やっぱそうか、しかし、思ったよりもしっかりとした城壁だし。警戒するのは『魔法』だけで十分だな」

「だな、まあ、姿を現したらこれの餌食にしてやるよ」

 

 それに加え、自分達の陣地であるこのシュリーム古城跡地に築かれた城壁は、幾つか崩れていた所はあるが、修復した今では、単文詠唱程度の『魔法』ではびくともしない程の堅牢さを感じさせていた。言葉にした通り、警戒すべきは長文詠唱による『魔法』のみであり、それもある程度の近さから撃たねば意味はない。そしてそれだけ近ければ、警戒として立つ弓兵であるこの男にとっては良い的である。

 十人にも満たない【ヘスティア・ファミリア】が相手である。

 もしも『魔法』を使用されたとしても、男にとっては数人程度であれば詠唱の間に十分射ち倒す事は可能であった。

 それを知っているからこそ、もう一人の男も余裕を持って弓を掲げる男を見ていた―――と、その視線の端に、誰かの姿が映った。

 

「はっ、頼りにしてい、る……あん?」

 

 それは城壁の向こう側。

 草原が広がる開けた場所に、何時の間にか誰かが一人立っていた。

 

「どうした?」

「見てみろ、誰か来てるぞ?」

 

 弓を持っていた男も、それに気付き視線を城壁の向こうへと動かし、その目を細め草原に立つ人影の姿を確かめる。

 

「哨戒に出た奴じゃねぇのか?」

「いや、まだ出してはいない筈だ」

 

 男の言葉に確かに、と同意するように頷く。

 哨戒に出す予定はあるが、それはまだの筈である。

 そしてこの周辺に戦争遊戯(ウォー・ゲーム)の関係者以外の人は全員退避している。 

 と、言うことは、それはつまり。

 

「なら敵か? まさか初日のこの真っ昼間にか?」

「馬鹿か?」

 

 思わず、とばかりに男の口から正直な感想が溢れる。

 気力体力ともに全く削れていない万全な状態の今、この時に仕掛けるなんて、普通では考えられない。

 それも質、量共に劣る側から攻めてくるなんて。

 そんな事は有り得ない。

 

「誰かわかるか?」

「……いや、フードやら何やらで全くわからねぇ。ただ、多分女だ」

 

 とは言え、現実はそれを否定している。

 弓兵である男が、その弓兵故の視力によりまだ離れた、ぎりぎり男の弓の射程外に立つ人影の姿を確認する。その姿は言葉の通り、フードやらマントで身体を包み込むように隠しているため、髪の色どころか肌の色一つ確認出来ないでいた。ただ、巻き付けた布が見せる身体の線の細さから、どう見ても男とは思えなかった。

 遠目でもわかる柔らかな線は、女―――それもマントやら何やらで身体を隠していても分かるほどにそのスタイルは良い。

 

「女? あそこの【ファミリア】に女っていたか?」

「ぎりぎりで一人か二人入ったって聞いた気が?」

 

 最後に聞いた限りでは、試合開始ぎりぎりに加入したメンバーが何人かいて。その中には女がいたと男は思い出す。

 ならば、その中の一人か、と思い至るが、そう言えばと口からぱっと思考から浮かんだ言葉が漏れる。

 

「そういえば助っ人枠とかあったな」

「ああ、だが助っ人なら誰だ?」

 

 【アポロン・ファミリア】でも【ヘスティア・ファミリア】の助っ人で誰が来るのかと噂になっていたが、結局これといった人物の名は出なかった。ルール上はどんな相手でも助っ人として入れる事は出来るのだが、こんな負けの決まったような不利でしかない戦いに助っ人として入る冒険者なんている筈もなく。例え入ったとしてもレベル2が精々の金で雇われた者だろうと皆口にしていたことから、もしやあれが助っ人かと、城壁から身を乗り出す勢いで草原に立つ人影へと二人は視線を向けていた。

 そんな興味津々にして、余裕を露にしていた二人の顔が、正体不明の人影が身体を隠していたマントやフードを外すのを前に、その下から現れた有り得ない姿を目にした瞬間―――

 

「とは言っても、助っ人で入るような奴に、大した、やつ、が……―――は?」

 

 ポカンと間抜けに口を開いた後、同時に同じ言葉を口にした。

 

「「―――……うそだろ?」」

 

 

 

 

 一際強く吹いた一陣の風が草原を駆け抜け、一人立つ人影が、その身を包んでいた布を取り外した勢いのまま投げ捨てたそれを遠くへと飛ばしていく。

 窮屈に閉じ込められていた場所から解放されたことを喜ぶように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。 

 そしてその黄金の髪と同じ色をした瞳を、城壁へと向けたその少女は、腰からオリハルコン製の第一等級武装の片手剣であるデスペレードを抜き放ち、その切っ先を突きつけるようにして向けた。

 

「―――ふぅ、苦しかった。じゃあ、始めよう、か」

 

 そうして、その黄金の少女は。

 【ロキ・ファミリア】所属の冒険者であり、今回の戦争遊戯(ウォー・ゲーム)における【ヘスティア・ファミリア】の助っ人である少女。

 都市(オラリオ)最強の一角とも呼び声高き【剣姫】の二つ名を持つその剣士たる―――アイズ・ヴァレンシュタインはこの戦争遊戯(ウォー・ゲーム)の開始を告げるかのように、その言葉(呪文)を口にした。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】」

 

 静かな、呟きにも似たその言葉の直後、生半可な『魔法』では崩せない筈の城壁が豪風の一撃により大きく揺れ。

 同じくその光景を目にした都市(オラリオ)の住民全ての―――神や人も関係なくその全ての口から驚愕とも悲鳴とも取れる声が響き渡った。

 

 

 

「「「――――――はああああああああああああああああああ!!!????」」」

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。
 
 助っ人が誰か当てられた人はいましたか?
 
 正直、書く直前まで実は決めていませんでした……。


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第九話 相対

 激震が轟き、粉塵が周囲を渦巻く。

 城壁の一部が悲鳴のような破砕音を立てて崩壊していく中、一迅の風が走った。それは霧のように漂う砂煙を切り裂き吹き飛ばし、崩された城壁の隙間に入り込むと城壁の中へと降り立った。

 そして同時、手に掴んだ剣を一振りすると、その少女―――アイズを中心に生み出された風が煙幕のように視界を遮っていた土煙の全てを吹き飛ばした。

 

「―――っ、あ、アイズ・ヴァレンシュタイン……」

 

 唐突に吹いた強風とそれに混じった砂埃から反射的に手を翳していた者の一人が、露になった視界の先に立つアイズを目にし、震える声でその名を呼んだ。

 都市(オラリオ)に住んでいる者で、ましてや冒険者をしている者でその名を知らぬ者はいない。

 例えその姿を目にしていなくとも、噂で聞くその女神もかくやといった美しさと、肌に感じるレベル6という規格外の強さを思えば、初めて目にしたとしてもその少女が、あの【剣姫】―――アイズ・ヴァレンシュタインであることは理解することが出来た。

 

「なんでっ―――どうして【剣姫】がこんな所に―――『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』に参加してんだよぉおおッ!??」

 

 その【アポロン・ファミリア】に所属している冒険者の男の言葉は、その場に存在する―――否、オラリオで今もリアルタイムで『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』を見ている全ての者が抱くものであった。

 確かに、ルール上は問題はない。

 【アポロン・ファミリア】との様々な差から、助っ人枠として一人だけだが【ファミリア】ではない部外者を参加させる事は、【ヘスティア・ファミリア】には可能であった。そしてそれに対する制限はない。理論上では、【フレイヤ・ファミリア】のオッタルさえ助っ人枠として参加する事は可能である。

 しかし、『可能』と『出来る』とは違う。

 助っ人として参加させるのに、強制力はあるわけはなく。参加させるには交渉するしかない。

 だが、敗色濃厚な【ヘスティア・ファミリア】に協力するような、そんなお人好しが冒険者にそうそういる筈もなく。報酬を出すとしても、弱小ファミリアである【ヘスティア・ファミリア】に大したモノを用意できる筈もない。

 だから、助っ人枠を知る者の多くは、そもそも【ヘスティア・ファミリア】が助っ人を用意出来ないのではないかとすら思っていた。例え用意出来たとしても、精々下位か中級程度の低レベルの冒険者だろうと考えていた。

 しかし―――なのに―――有り得ないことに、蓋を開けてみれば、現れたのはあの()()()()()()()()()()()()()である。

 まるでダンジョンに入った瞬間、階層主が現れたかのような有り得ない光景―――理不尽ささえ見ていた者は感じていた。

 

「ちょ、これ、もう終わりじゃね?」

 

 オラリオの一角。

 先程までの喧騒とは一転して静まり返った酒場の中で、『(映像)』を見ていた酔客の一人がポツリと呟いた。

 その言葉は文字通りそのままの意味である。

 レベル6。

 強者犇めくこの都市(オラリオ)においても、数える程しかいない最高戦力の一角。

 その中でも、最強の名にも上がる程の隔絶した戦闘力の保持者である【剣姫】―――アイズ・ヴァレンシュタインである。

 文字通り一人の強者が軍隊を圧倒できる質が量を上回るこの神時代の英雄にとっては、例え同じ冒険者であろうとも、そのレベルに差があれば、三桁の数を揃えたとしても勝利は覚束ない。

 絶対的強者たるモンスターを、その知恵と技術、そして連携によって上回る冒険者であっても、限度というものがある。

 そしてその限度を、アイズ・ヴァレンシュタインは越えている。

 戦いとは―――戦争とはその準備の段階で既に決着が着いているという言葉があるが、ならば、『アイズ・ヴァレンシュタイン』という大駒を用意出来た時点で、【ヘスティア・ファミリア】の勝利は決まっていたのだろう。

 その事に思い至った者達―――【アポロン・ファミリア】の勝利に賭けていた者達の口から悲鳴のような呻き声が漏れ、逆に【ヘスティア・ファミリア】に賭けていた者達の口許が震えながら笑みの形に変わる中でも、『鏡』の向こう―――戦場では事態が動いていた。

 

 

 

 

「くそっ!? どうなってんだっ!? 何で【ロキ・ファミリア】の【剣姫】が出てきてるんだよッ!!?」

「うるせぇっ!! 出てきたもんは仕方がねぇだろうがッ!!」

「でも、相手はあの【剣姫】よ。数を揃えても私たち程度のレベルじゃ意味がないんじゃ……」

「仕方ねぇだろ、団長の指示じゃな」

「全くっ、ルアンの野郎は余計な指示を持ってきやがってッ!」

 

 『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』が開始された際、城壁の周囲にいたのは警戒のために配置された20数名。残りの殆どは城内の中で休んでいた。レベルも人数も差がある相手が、まさか開始初日に仕掛けてくる筈がないというその油断。誰もが気が緩んでいた状態の中、そのまさかに乗じた奇襲に、【アポロン・ファミリア】の誰もが動揺した。だが、一番の衝撃は奇襲そのものではなく、その一番槍を果たした【ヘスティア・ファミリア】の助っ人。

 都市最強の一角に称される【ロキ・ファミリア】が誇る冒険者である【剣姫】ことアイズ・ヴァレンシュタインの参加であった。

 【ロキ・ファミリア】の看板とも言っても良いそんな大物の参加に、それを耳にした誰もが聞き間違いだと思ったが、現実は変わらず。彼らの中に欠片もなかった敗北の可能性の現出に、その混乱は更に平常な精神を保つのに難しい程に強まった。

 そんな中、伝令役であるルアンによる『団長であるヒュアキントス』の迎撃命令を受けたことにより、城内の冒険者の半数以上である約50人ほどを引き連れて迎撃に向かったが、その口から漏れるように、中級程度の冒険者が50程いたとしても、レベル6―――それもあの【剣姫(アイズ・ヴァレンシュタイン)】を相手にまともに相手となるかどうか。

 冒険者を知る―――レベルという絶対の力を知るからこそ、隔絶したその頂きに立つ存在の強さを知る彼らは、絶望的な戦力差に対峙する間でもなく敗北を感じていた。

 

「流石にそれは理不尽じゃ?」

「うっせぇ! わかってるよそんなことは。ただ、俺たちが行ったって意味ねぇだろ。というかこういう時こそあの人の出番じゃねぇのか?」

 

 しかし、それでも戦いに向け―――確実な敗北へと向かう筈の彼らの顔に、絶望の色はなかった。

 何故ならば、彼らは知っている。

 例え【ヘスティア・ファミリア】が【剣姫(アイズ・ヴァレンシュタイン)】というレベル6(化物)を繰り出してきたとしても、それを打倒しうる事が出来る英雄(規格外)が自分達にはいることを。

 だが、その肝心要のその人が―――

 

「―――問題は、その肝心な人が何処にいるか誰もわかんないんだよ」

「つまり、それまでの時間稼ぎって訳か?」

「稼げるか? 時間?」

 

 ―――何処にいるのか全くわからないということだけ。

 『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』が開始される前は、食堂で何かを食べていたそうであるが、今は何処にいるのかはわからない。流石に砦の中にいるとは思うのだが……絶対にいるとは言えないのが、その人物の厄介な所であった。

 【剣姫(アイズ・ヴァレンシュタイン)】を倒せる可能性があるのは、彼だけだが、問題はその彼が、自分達が無事でいる間に来てくれるかという点であった。

 

「っ―――待てッ!?」

 

 城から出撃した50人の冒険者の先頭を走っていた男の一人が、今も微かに砂煙が立つ崩れた城壁に向かう途中、自分達の方向へ―――否、城の方向へ向けて駆けていくフードで姿を隠した一人の人物を見つけ警告の声を上げた。

 一瞬アイズかと疑った彼であるが、フードから僅かに見えた黒い髪を見て直ぐ様それを否定する。

 と、同時に敵であると直感した。

 どうやら混乱に乗じ、崩れた城壁から侵入してきたのだと判断する。

 その姿は直ぐに他の【アポロン・ファミリア】の団員達の目にも留まり。各々がそれぞれ武器を構え始めた。

 

「新手?!」

 

 50を数える冒険者達が一斉に武器を構える姿を見ても、そのフードを被った人物は一向に速度を落とすことなく真っ直ぐに向かってきていた。

 その姿に、武器を構え迎撃の姿勢を見せていた一人が苛立ちの声を上げるが、

 

「ちっ―――舐めてんじゃねぇぞッ!! たった一人で―――って、おい待て何であんな距離から剣を振り上げてって……ッあの剣!? まさかッ!!?」

 

 フードの下から取り出したその人物が持つ紅と紫の二振りの剣の内、その一つである紅い剣を明らかに間合いの遠い外から振り上げるを見た瞬間、それが一体何なのかに気付き一気にその顔色を青ざめさせると、足を一歩後ずさりさせた。

 

「魔剣っ??!!」

「全員散れぇええッ!!?」

 

 剣の正体を誰かが口にした瞬間、先頭に立っていた者が真横に飛び込むようにして飛び出すと同時に悲鳴のような警告の声を上げた。

 男が声を上げた時には、既にほぼ全員が何らかの回避手段を取っていた。

 一斉に縦に切り裂かれるように左右に飛び離れて逃げた一団へ向け振り下ろされた『魔剣』から炎の一線が放たれた。

 

「ッッ!!? 無茶苦茶だッ!? 何だあの魔剣!?」

 

 『魔剣』から放たれた魔法は、左右に分かたれた通り道を駆け抜け城の一角へ衝突した。

 放たれた魔法の余波だけで巨人に殴られたようにばらばらに吹き飛ばされた【アポロン・ファミリア】の団員達は、慌てて起き上がりながら魔法が衝突した城へと目を向けた。

 そこには頑丈な筈の城の一部が崩れた姿を見せていた。

 最高級の『魔剣』であっても、通常の魔法に比べればどうしても威力と言う点では劣ってしまうのであるが、今放たれたそれは通常の詠唱を伴った『魔法』と同等―――否、それすら越える力を見せつけていた。

 そして、そんな力を持つ『魔剣』など、世界広しとはいえたった一種しかない。 

 

「まさかっ!? 『クロッゾの魔剣』!? いかんっ、城ごと破壊されかねんぞッ!!?」

 

 吹き飛ばされた『アポロン・ファミリア』の団員達を無視して駆けるフードの人物。いや、既にそのフードは振り払われ、その下から黒髪の少女が姿を現していた。その両の手には朱と紫の色に染まった二振りの剣があり、その威力は先程身を持って知ったばかり。

 あと何発撃てるかはわからないが、それでも間近で城へ放たれれば無事ではすまない。

 もし、運悪くその場所にあの人がいれば―――。

 

「くそっ!? 50でも足りんかもしれんぞッ! もっと呼んでこいッ! 城へ向けて撃たせるなッ! 囲んで叩けぇえ!!」

 

 そんな考えが頭に過り、【アポロン・ファミリア】の団員から必死な声が上がる中、その中心にいる少女―――新たに【ヘスティア・ファミリア】に加わった元【タケミカヅチ・ファミリア】の団員である命の意識は、周囲に迫る【アポロン・ファミリア】の団員達ではなく己の中へと向けられていた。

 

「【いかなるものも打ち破る我が武神よ、尊き天よりの導きよ。卑小のこの身に―――】」

 

 その口から紡がれるのは呪文。

 今にも乱れ、内から爆発しかねない不安定さに額にねばついた汗を感じながらも、その焦燥と恐怖を振り払うかのように周囲へ向けて両手に握る魔剣を振るう。

 

「「「ッあああああああああ!??!」」」

「くそっ!? 無茶苦茶だあの『魔剣』ッ?! あれが『クロッゾの魔剣』かよっ!?」

 

 振るう度に周囲から衝撃と共に悲鳴が上がるが、その意識は変わらず内に向けられたまま。

 騒ぎを聞き付けたのか、城内から更に応援の冒険者が出て来はじめていた。魔剣を警戒し、ばらばらになりながらも周囲と連携し囲んでくるその姿を目にするも、命は変わらず呪文を紡ぎながら剣を振るう。 

 

「【払え平定の太刀、征伐の霊剣】」

 

 立ち上る土煙に紛れ、【アポロン・ファミリア】の団員達を引き連れながら走り続ける。走る足に迷いはない。

 視界の端に魔法を放とうとする一団を確認すれば、ただ何も考える間もなく魔剣を振るう。魔剣の回数制限なんて事など考えもしない。意識はただ己の内へ。真っ直ぐに城へと向けていた足を、城から迎撃に出てきた団員達を避けるようにしてその進行方向を大きく変更させる。

 時折飛んでくる矢や魔法でその身を削られるように傷つきながらも、口にする呪文を止めることなく、暴発しかける己の魔力を必死に制御しながらも、ただひたすらに駆け続け。

 

「中庭の方へ行ったぞッ!?」

「馬鹿が、開けたあそこへ行くとは」

 

 馬鹿にするかのような声は耳に届いている。

 しかし、それに意識が向くことはない。

 己の全てはただ、自身に課せられた役割を果たす事だけに向けられていた。

 故に、全ての集中は、己の中へと。

 今だ届かぬ頂き。

 かつて見た平行詠唱という目指すべき先を、身に余るその偉業を、平時であってもまず間違いなく失敗するだろうその業を、この修羅場において成し遂げる。

 無謀―――自爆とも言っても間違いではない愚かな行い。

 だが、それでもやらなければならない。

 やって見せなければならない。

 そうしなければ、己がここにいる意味などない。

 

「全員に伝えろッ! このまま中庭へ誘導ッ! 着いたと同時に全方位から一斉に襲いかかれッ!!」

「【今ここに、我が命において招来する】」

 

 自らを取り囲むように大勢の気配が動くのを思考の端で理解しながらも、それを無視する。どんどんと追い詰められている事がわかっていても、少しずつ飛んでくる矢や魔法が増えてくるのをその身が削られることで理解しながらも、それでもその足は止まることはない。

 少しでも、一歩でも近く、指先程でも前へと、あの黒い絶望を前に見た【疾風】の背中を追わんと駆け抜ける。

 

「【天より降り、地を統べよ―――】」

 

 既に目的はほぼ達成していると言える。

 【アポロン・ファミリア】の数は100に届く程度であり、城壁の警戒に当たっているのは20として、今自身を追うのは6、70人。つまり、今城内には僅か10名程度しか敵はいないということ。

 眼前で詠唱し待ち構えていた一団から魔法が放たれるのを、罅が入った魔剣を最後とばかりに振り抜き相殺する。響き渡る轟音と衝撃に内蔵が震え足が止まってしまう。

 それを見咎め、追い詰められた獲物に止めを刺さんとばかりに一気に【アポロン・ファミリア】の団員達が襲いかかってくる。『魔剣』のない(レベル2)では、録な抵抗も出来る筈もなく打ち倒されるしかない光景。  

 

「【―――神武闘征】!!」

 

 しかし、この状態こそを、命は望んでいた。

 目隠ししたまま細い蔦の上を渡るかのような博打めいた所業に、命は見事打ち勝ち、その最後の言葉(詠唱)を口にした。

 

「【フツノミタマ】!!」

 

 散々暴れたお返しとばかりに四方から飛びかかってくる敵の冒険者達。その中心にぼろぼろになりながらも立つ命の直上に一振りの光剣が召喚される。

 『魔剣』によるものではない莫大な『魔力』の放出に飛びかかる冒険者達が気付いた時には既に遅く。

 大地に発生した複数の同心円とその中心に立つ命の足元に、深紫の光剣が突き立ち。

 

「「「―――ッがああああああああアアアアッっ!!???!」」」

 

 半径50M(メドル)に渡る特大の重力魔法が命もろとも【アポロン・ファミリア】の冒険者達を地面へと無理矢理押さえつけた。

 ドーム状に発生した深紫の重力結界に囚われた者達は迎撃に出た者の7割を越えていた。残りの3割もその殆どは命が放った『魔剣』により既に倒れており、無事なのは10名にも満たないでいた。

 

「くそっ、どうすんだよこれ!?」

 

 その中の一人である短髪の少女―――ダフネがやけくそ気味に投げた短剣が、深紫の結界に触れた瞬間地面に叩きつけられる様を見て吐き捨てるように文句を口にした。

 視界の先では、数十人の仲間達が何とか重力の結界から逃れようとするが、その動きは遅々として進んでいない。その中心に立つ術者である少女は、己もその重力の下で囚われながらも、脂汗にその端正な顔を汚しながらも、不敵な笑みを浮かべている。

 囚われた者達は、押さえつけられる重力に悲鳴を上げてはいるが、戦闘不能になるようなダメージは受けているようには見えない。しかし、たった一人を相手に、60人近い冒険者が足止めを食らっている。

 その苛立ちをぶつけるように、ダフネは勢いよく地面を蹴りつけた。

 

「ここにいてもしょうがないよっ! カサンドラっ、一旦城へ戻って―――」

 

 ここにいても何も出来ない事を理解したダフネが、肩を怒らせながら城へと戻ろうと足を動かしながら、自分の傍に立っている筈のカサンドラへと視線を向けるが、そこには誰の姿はなかった。

 

「ちょっ、もしかして?!」

 

 カサンドラの姿がそこにないことに気付き、もしやあの結界に囚われているのではと慌てて深紫の結界へと視線を向けるが、そこには探し人たる者の姿はやはりなかった。城から出る際は自分の後ろにいたのをダフネは確認していた。

 では、今は何処に?

 そう思い周囲を見渡すダフネの視界の端に、揺れる長い髪を見つけた。

 直ぐ様それがカサンドラと気付いたダフネだったが、追いかけようとした足は、その向ける先が何処であるかを気付き咄嗟にその動きを止めてしまう。

 

「ちょっと、そっちは―――……ぇ?」

 

 カサンドラが向かう先、そこはこの戦いの始まりを告げた場所で、何より自分達が向かったとしてもどうしようもない存在がいる所であるため行っても意味のない所だ。だが、ダフネの足を止めたのはそんな考えではなく、突然目の前に現れた()()によるものであった。

 それは―――。

 

「―――……竜、巻?」

 

 

 

 

 

 

 

「―――来ないの?」

「っ!!?」

 

 アイズのその呟きにも似た小さな言葉に。挑発的とも言えるその言葉に対して、立ち塞がっていた冒険者達は動けずにいた。代わりに何人かの視線が、アイズから逸れ、死んだようにピクリとも動かず倒れ伏している数人の仲間達へと向けられる。

 それはつい先程、アイズが開けた(破壊した)城壁の一部から侵入してきた3人(・・)の【ヘスティア・ファミリア】の冒険者を反射的に迎撃しようとした者の末路であった。

 新たに侵入してきた3人の内、先頭を走っていたフードで姿を隠した者の前に立ち塞がろうとしたその者達は、アイズが足元に落ちていた瓦礫の欠片を足先で蹴り上げ、それを掴むと同時に投げつけられた投石によって、まるでバリスタの直撃を受けたかのように吹き飛ばされてしまったのだった。

 瞬き程度のその早業に、同じように迎撃のため動こうとした冒険者達は、思わず足を止めてしまい。結果としてその3人の侵入者を見過ごすこととなってしまった。

 そうして残された冒険者達は、城へ向かって走る侵入者を追うことも、ましてやアイズに挑むことも出来ず身動きが取れないでいた。

 

「……投降するなら武器を捨てて」

「「「―――ッッ!!?」」」

 

 アイズの何処と無く困ったような言葉に、心理的に棒立ちとされていた冒険者達は、互いに視線だけを交わしあい、無言のまま意見を交わし合う。

 

『どうする?』

『いや、どうするってどうしようもねぇだろ』

『っていうか、何で【剣姫】は動かないんだ?』

 

 時間としては10秒にも届かない無言の激論はしかし、

 

「―――いやはや、まさかとは思ったが」

「―――ッ!!?」

「「「あっ!!?」」」

 

 張り詰め緊迫した空気が満ちる中に響いた、場違いな程に楽しげな声によって引き裂かれた。

 その声に対する反応は二つ。

 【アポロン・ファミリア】の冒険者達は、ほっとした安堵の表情と声を上げ。

 アイズは完全に把握していた筈の自分の間合いの内から、何の前兆もなく唐突に現れたその男に対し、息を飲み、声なき驚愕の声を上げた。

 驚き混乱しながらも、しかしそこは流石【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインと言うべきか。

 混乱のままに身体を硬直させることもなく、無意識のまま、反射的でありながらも自然な動きで、その手に持つ剣の先を声の主へと向けていた。

 

「あなた、は?」

「なに、ただの……そうだな、用心棒のような者だ」

「用心棒?」

 

 剣先を男に向けながら、戸惑うようにアイズが微かに眉根を寄せる。

 特徴的な男である。

 背は180Cぐらいだろうか。東方にある国から来ている者に似た服装に、長い髪を後ろに縛って流している。切れ長な目は涼やかに、緊張感もなく。まるで街中で声を掛けてきたかのように、その姿は戦場に身を置いているとは思えないほどに自然体であった。

 だが、何よりも目を引くのは、その背中に背負った長大な剣であろう。

 肩越しに覗くのは剣の柄だろうが、腰下から見える鞘の先端から見るに、その刀身は通常の剣とは比べ物にならないほどに長い。

 彼我の距離は約20M程度。

 アイズならば一足で飛び込める間合いの内側である。

 なのに、ここまで近付かれるのを、声を掛けられるまで全く気付かなかった。

 『魔法』か、何らかの『スキル』なのか。

 それとも単純な体術なのか。

 ただ一つだけわかるのは、この男が只者ではないと言うことだけ。

 それを示すかのように、あれほど緊張と恐怖に動けずにいた【アポロン・ファミリア】の冒険者達が、安心したかのようにその身体から力を抜いている。

 中にはその場に、へたり込みながらも笑みを浮かべている者すらいる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だ。

 アイズの纏う雰囲気が更に鋭く、硬くなる。

 しかし、それを前にしても、その男は背にある刀の柄に手を伸ばすどころか、まるで花や空など景色を鑑賞するかのように腕を組んだ姿で、アイズを見つめていた。

 

「その通り。此度の(いくさ)では、『助っ人枠』とやらで参加している者だ、と言えば通じるか?」

「……そう、あなたが」

 

 小次郎の言葉に、アイズの体に緊張による力みが入る。

 その額には、知らず一筋の冷たい汗が流れていた。

 有り得ない光景であった。

 世界最強戦力が集う都市(オラリオ)にあって、その中でも最高の位置に立つ筈のあの()()()()()()()()()()()()()が、その正体は分からないが、一見してただの優男に見える男一人に対し、まるで気圧されているかのような姿を見せているのだ。

 『鏡』を通じ、その光景を見ていたオラリオの冒険者や神達の口から、困惑の声が上がっていたが、一定の実力を持つ者達は、また別の様相を見せていた。

 

「へぇ―――あれが、そうなのね」

「……はい、あの男が―――」

 

 その中の一柱である女神が、『鏡』が映す小次郎の姿を見つめるその目を細めながら、顔を向けることなく隣に控える男へと声を掛けた。

 声を掛けられた男―――都市最強と謳われる【猛者】オッタルは、傷跡一つ、痛みすら感じない筈の腕に走った鋭く冷たい痛みと共に、己の主へと頷いてみせた。

 

「―――佐々木、小次郎」

 

 

 

 

 

「風を操る美しき凄腕の剣士がいると、噂で聞いた」

「……」

 

 口の端を僅かに持ち上げただけの小さな笑みを向けながら、小次郎が一歩足をアイズに向け動かす。

 

「先日の夜会で見掛けた時は、なるほどこの者かと思ってはいたが、手合わせの機会はないだろうと臍を噛む思いでいたが……」

 

 一歩、小次郎が足を進めたと同時に、反射的に後ずさってしまったアイズは、一歩下がった後にその事に気付くと、唇を噛み締め剣を握る手に更に力を込めると同時に前へと足を踏み出した。

 

「よもやここにおいて対峙出来るとは、まさに望外の喜びだ」

「っ、あなた、は」

 

 一歩、前へと足を踏み出しながらも、それ以上動かない―――動けずにいたアイズは、同じく一歩前に出ながらも未だ柄へと手を伸ばさない小次郎に向け、震える声で問いを投げた。

 

「何者、なの?」

「何者、とは?」

 

 腕を組んだまま、首を傾げるようにしてそう問い返す小次郎に、アイズはふぅ、と小さく息を吐き出し、気を入れ替えるように深呼吸をする。

 

「この感覚―――感じは……あの男の人に似てる」

「あの男?」

 

 すっと小次郎の目が訝しげに細まる。

 アイズは知らず震えそうになる声を押さえ込むように低い声でその『名』を口にした。

 

「……『ランサー』」

「―――ほう」

 

 小次郎の頬に浮かぶ笑みが―――変わった。

 一見すればピクリとも変化しているようには見えない。

 しかし、見る者が見れば分かる。

 それ(・・)に含まれる―――形造られる意味が違う、と。

 その事にアイズは気付きながら、全身を苛む悪寒が更に深く鋭くなるのを感じながらも問いを投げ掛ける。

 

「あなたは、あの男の人に、似ている? ううん、違う。()()()()()()()()

「その様子―――奴と対峙したか。それでいながら、五体に欠ける所なく、戦意も失ってはいない。成る程、【剣姫】の名は伊達ではないか」

「っ―――本気じゃ、なかった。ただ、遊ばれただけ」

 

 感心したかのような小次郎の言葉に、ギリッ、と歯を噛み締めたアイズは、脳裏に蘇る、フィンやガレス、ベート達がいたにも関わらず、良いようにあしらわれたあの夜の戦いを言葉と共に吐き捨てた。

 

「それでも大したものだ」

「……知っているのなら教えて、あの人は―――あなた達は誰? 何者なの?」

 

 慰めるかのような小次郎の言葉に、アイズは応えることなく返されなかった問いを再度投げ掛ける。

 それに対し、小次郎は過去を思い返すかのように、空を見上げると一つ目を閉じた。

 

「奴とはかつては敵同士、一度手合わせしただけの関係だ。今はそう―――仲間、とは違うか。同類……それも何か違うな」

「……? つまり、何なの?」

「それは―――いや、互いに剣士であれば、聞きたければその剣をもって話させてみせよ」

「っ」

 

 要領の得ない小次郎の言葉に、アイズが苛立つように手に握る(デスペレード)の柄を握りしめる。

 しかし、それに対し小次郎は何を思ったのか、背中に背負った刀の柄に手を伸ばすと、スラリとその長大過ぎる刀身を持つ刀を抜き放った。

 妖しくも美しい刀身が太陽の光を切り裂き―――アイズの総身を苛む悪寒が更にその深度を深くした。 

 

「……しかし奴は『ランサー』と名乗ったのか」

 

 最早問いを投げ掛ける空気ではないことをアイズは本能的に理解し、剣を構え直す。

 それを横目にしながら、小次郎は抜いた刀を構えるような事はせずに、そのまま刀を握った右手をだらりと垂らしながら笑う。

 

「それではこちらもそれに倣うか」

 

 そうして、改めて小次郎はアイズに相対し、名乗りを上げた。

 

「サーヴァント『アサシン』―――一手御相手願おうか、剣の姫よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ベル様! こちらですっ!」

「リリっ!」

「リリスケ、もう変装はいいのか?」 

 

 堅く閉ざされていた城の門が開かれた先には、【アポロン・ファミリア】の団員の服に身を包んだリリの姿があった。門の前に立つベル達を確認するやいなや、直ぐに背中を向け誘導の為走り出したリリの背中を追いながら、その背に向かってヴェルフが声をかける。その声に対し、リリはちょっとした町程はあるかもしれない巨大な城の中に集う者達の現状を伝える。

 

「ええ、もうこの城の中には10人もいませんし。ただ、レベル2が数人いるようですから注意して下さい」

「レベル2が複数か、ちとキツいか」

「ヴェルフ……」

 

 不敵な笑みを浮かべるヴェルフとは対象的に、ベルが不安気な顔を向ける。それは、強敵がまだいることに対してではなく。そのもの達と戦う事となる仲間達のことを思ってのことだと知るヴェルフは、ぐっと親指を立てて見せる。

 

「そんな顔すんじゃねぇよベル。雑魚どもはこっちに任せておけ」

「そうですよベル様っ! それにこっちには()()がありますし」

 

 リリは【アポロン・ファミリア】の団員の服の内側に隠したモノを服越しに叩く。

 

「はっ! 考えなしにバカスカ撃つんじゃねぇぞリリスケ」

「分かってますよっ!」

 

 今にも懐からそれを取り出し、振り回しかねない姿を見せるリリに、ヴェルフが警告ともからかいとも言える言葉を投げる。背中に受けた言葉に、リリは、叩きつけるように声を張り上げた。

 そして、続いて何かを言おうとしたが、それが形となる前に差し込まれる驚愕の声が向かう先から響いた。

 

「何で【ヘスティア・ファミリア】が入り込んでやがんだっ!?」

「ルアンの野郎は一体何をしてやがったッ!!?」

 

 驚きの声を上げたのは、城の中に残っていた冒険者であった。

 魔剣を持つ敵が城へと接近してきたことから、迎撃のため残り少ない城にいた人員を出した後は、伝令のために城に残っていたルアンが門を見張っていた筈であった。

 人数が明らかに少なくなったとはいえ、門を閉じ、中に引きこもっていれば早々落とされるような事はない。城の中にも外にも様々な罠が事前に仕掛けられていたのだ。直ぐに突破されることは無いはずであったのだ。

 だからこそ、少なくともまだ安全地帯と思っていた城の中を歩いていたその二人の冒険者の驚きは大きなものであった。それでも、最後の砦として城に残っていた冒険者であるその二人は、ベル達と鉢合わせとなった驚愕に戸惑いながらも、無意識のまま武器を構え戦闘体勢に入る。

 

「ちっ! 見つかっちまった!?」

「ベル様行ってくださいッ! このまま真っ直ぐ進めば階段がありますっ! ヒュアキントスはその上ですっ!」

「リリッ! ヴェルフッ!」

 

 立ち塞がるかのようにベルたちの前に陣取った冒険者達に対し、それに向かってヴェルフとリリは走り寄りながらそれぞれの武器を構えた。

 

「行けッベル! 行ってブチのめしてこいッ!」

 

 逡巡の姿を一瞬見せたベルだったが、直ぐに一つ深呼吸するかの様にして息を整えると一気に走り出した。 

 咄嗟にそれをさまとげようとした冒険者達に向かって、リリは懐から出した短剣を振り抜いた。

 

「くそっ! 行かせるか―――がああっぁああ??!」

「―――流石は【ヘファイストス・ファミリア】の団長が打った『魔剣』ですねっ! 短剣型でこの威力とはっ!?」

「『魔剣』だとぉ!??!」

 

 リリが放った魔剣の爆炎に紛れ、立ち塞がっていた冒険者達の間をすり抜けたベルの姿は、慌てて振り返った二人の目にはもう見つけることは出来ないでいた。咄嗟に追いかけようとする二人だったが、聞こえた不吉な言葉に再度振り向いた先では、【アポロン・ファミリア】の団員服の前止めのボタンを全て外し、マントのように広げたそれの内側に、『魔剣』と思われる短剣を何本も吊るし、不敵な笑みを浮かべるリリの姿があった。

 

「『魔剣』はまだまだありますよっ! 大盤振る舞いですッ!? さあっ、最後まで付き合ってもらいますからねっ!!」

「「―――マジかよ……」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何故ベル・クラネルが城の中に侵入しているのだッ!? 城で待機させていた連中は何をしていたんだッ!!?」

 

 城にある玉座の間がある塔の最上階では、ヒュアキントスの苛立ちが混じった怒声が響いていた。

 

「そ、それは、その、団長の指示で迎撃に出たので、城に残っていたのは十人ぐらいしかいなかったため、手が回らなかったのかと……」

「何を言っている!? 俺は城で待機していろとルアンに言った筈だ! くそっ、どういうことだこれは!?」

 

 城に侵入してきたベル達との戦闘が始まり、侵入者に気付いた者の一人がヒュアキントスに報告に向かった所、返ってきたのは何処か互いに認識がずれている答えであった。

 報告に来た団員の困惑の顔から無理矢理意識を剥がし、つい先程指示を出したルアンの事を思い出す。

 アイズ・ヴァレンシュタインの出現を声高に叫びながら入ってきたルアンに対し、自分は確かに城への待機を指示した筈であった。レベル6に対し、下位の冒険者がいくら集まろうと意味などない。それならば城に籠って迎撃した方がいくらかは持つだろうと言う判断だった。

 癪ではあるが、あの男(小次郎)が出てくるまでの時間稼ぎさえ出来れば良いのだから。

 佐々木小次郎の強さをヒュアキントスは良く知っている。

 それこそ、レベル6を相手にしたとしても、その勝利を疑わない程には。

 信じられないが……アポロン様の言葉を疑いたくはないが、あの【猛者(オッタル)】さえ退けたと言うのだから。

 だからこそ、あの決定に不満を抱きながらも納得をしたのだ。

 アポロン様に気に入られ、明らかに他の者に対する執着とは、今回の戦争の切っ掛けとなったベル・クラネルとも違う執着を見せる姿に、嫉妬を覚え、叶わぬと理解しながらも何度も稽古の名を変えては挑んだが、結局これまでまともに相手にさえされなかった。

 ただ一方的に、何をされたかも分からずに打ちのめされるだけ。

 思い出すだけでも腸が煮えくり返りそうになる。

 だが、何よりも嫌なのは―――

 

「っ、では、どうしますか団長っ!?」

 

 思考の渦に巻き込まれかけていたヒュアキントスの意思を引き上げたのは、動揺に震える団員の言葉であった。

 勝利が間違いない戦いの筈が、特大のイレギュラー(アイズ・ヴァレンシュタイン)の参加に加え、まともに対応できない内に、気付けば敵が本丸である筈のここへと侵入してきている。

 その動揺は理解できるが、腹に納める事が出来るほどに、今のヒュアキントスの機嫌は良くなく、また余裕もなかった。それでも、無駄な時間を掛けかねない八つ当たりのような言葉を吐き出しそうになる口を噛み付くように一度閉じると、怒りと苛立ちで熱を孕んだ息を一度深く吐き出した。

 

「―――ふぅ……こうなれば仕方がない、ベル・クラネルはここで迎え撃つ、侵入者は3人だけなのだな。なら一旦全員をここに集め―――っ!!!?」

 

 そう、改めて指示を出そうとした瞬間、足元が微かに揺れたと感じた直後、落雷のような轟音と共に床が膨れ上がり―――吹き飛ぶ。下から現れた炎を纏った雷が、空へと駆け昇る龍ようにそのまま天井を破壊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ―――な、何が!?」

 

 一瞬意識を失っていたヒュアキントスが、まだふらつく意識を戻すように自分の上に乗っていた瓦礫を振り払いながら立ち上がると、そこは先程までの光景から一変していた。頑丈な壁で覆われていた筈の玉座の間は、そこになく。周囲には元は玉座の間を形作っていたと思われる瓦礫が散乱していた。

 周囲を見渡せばそこには遮るものは何もない。遠くまで見渡せるその光景に、ヒュアキントスは若干の違和感を抱く。少しではあるが、先程まで見えていた光景が狭くなっているような。

 それを意味するところを―――先程までいた位置から低い場所にいることに気付いたヒュアキントスは、自分が塔を破壊された際に外へと、下へと放り出された事を理解した。

 幸いな事に地面まで落ちることは回避することは出来たようではあるが、爆発に巻き込まれ宙へと放り出された上に、どれだけ落ちたかわからない下にある石畳へと叩きつけられたダメージは決して無視は出来ない。

 全身を苛む痛みと、そして何よりも何が起きたのか理解しながらも、未だ心がそれに追い付かず呆然と立ち尽くすヒュアキントスの後ろに、唐突に漂う土煙を振り払いながら姿を現した者がいた。

 

「見つけたッ!?」

「―――?!」

 

 紅い瞳を光らせながら、右手と左手それぞれに構えた短剣を握りしめ襲いかかるその姿に、ヒュアキントスは振り向きながら爆発に巻き込まれながらも手放さなかった波状剣(フランベルジュ)を腰から引き抜き。そのまま横薙ぎに振るわれた刀身の真ん中に、矢のように突き進んできたベルの短刀が突き刺さる。

 衝突した刃と刃を中心に、荒れ狂う衝撃が周囲で渦を巻いていた砂煙を吹き飛ばす。

 

「ッ、ぐぅう、貴様かぁあ―――ベル・クラネルッ!!」

「ヒュアキントス・クリオッッ!!!」

 

 ギリギリと短剣を押し込むようにして力を込めながらにじり寄るベルに向かって、ヒュアキントスが怒りと憎しみ、苛立ちが募った言葉を叩きつける。

 互いに額をぶつけ合い、殴り付けるような勢いで名前を呼び合った二人は、示し会わせたかのように跳び分かれるとそれぞれの獲物を構え合い。

 そして、咆哮を上げ飛び掛かった。

 

「ッ―――あなたを倒すッ!!」

「舐めるなぁッッ!! この兎があああああアアアッッッ!!!」

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。

 評価と感想がモチベーションとなりますので、どうかわたくしめに栄養を……


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第十話 太陽を落とせ

 たくさんの感想ありがとうございました(*- -)(*_ _)ペコリ

 やっぱり感想があると力になります。
 
 おかげで久しぶりに早めに書き上がりました。
 
 ……でも、ちと勢いで書いた所があるので、可笑しなところがあるかも……。
 もしかしたら、後で訂正するかもしれません。
 変な所があればご指摘をばお願いします。


 

 

『―――アイズさんは、どうして僕に手を貸してくれたんですか?』

 

『それは……』

 

『……それに、アイズさんだけじゃない。他の【ロキ・ファミリア】の皆さんもどうして、あんなに……自分で言うのも変ですが、普通なら追い返されても仕方がないことを僕は頼んだと思うんですけど……』

 

『……私―――達は、助けられたから』

 

『え?』

 

『詳しくは、話せないけど……私達は何度もあの人に助けてもらったから』

 

『あの、人? それって、もしかして』

 

『……ねぇ、ベルにとってあの人は―――シロさんはどんな人なの?』

 

『シロ、さんが、僕にとって、ですか?』

 

『うん』

 

『レフィーヤさんにも最近聞かれたんですが……』

 

『レフィーヤに?』

 

『は、はい。今みたいに、以前特訓をつけてくれた時がありましたよね。それが終わった後の帰りに、レフィーヤさんに同じような話を』

 

『そう、なんだ』

 

『はい。今思うと、何だか恥ずかしい事を言ったなぁって思いますけど……でも、やっぱり変わりません』

 

『変わらない?』

 

『はいっ! シロさんがどうして、何を考えて【ファミリア】に戻ってこないかは、今でも分からないけど。でも、絶対に【ファミリア】が嫌で戻ってこないわけじゃないと思います』

 

『……』

 

『何か理由があって、考えがあっても、どうしようもない理由があるから戻りたくないんじゃなくて、戻れないんだと思います』

 

『……信じてるんだ』

 

『はいっ! 勿論ですっ!』

 

『それは、どうして? どうして、そんなに信じていられるの? だって、ベルはまだここ(オラリオ)に来てからまだ半年も経っていない。それは、つまりあの人ともそれだけの間しか、ううん、もっと短い筈なのに』

 

『あはは、確かにそうですね。僕がシロさんと出会って、まだそんなに経ってはいません。半年どころか、実際に一緒にいたのはほんの数ヵ月程度しかないんですよね……どうしてだろう……もう、ずっと一緒にいたような気がするのは……』

 

『ベル……』

 

『アイズさん、僕にとって、【ファミリア】は―――【ヘスティア・ファミリア】は家族のような……違う……『家族』そのものなんです』

 

『かぞ、く?』

 

『ヘスティア様や、シロさんがどう思っているのかは、分からないけど……少なくとも僕にとっては、【ヘスティア・ファミリア】は『家族』なんです』

 

『そ、っか……『家族』か……』

 

『だから、僕にとって、シロさんは、その……』

 

『ベル?』

 

『あの……お兄ちゃん、みたいな、その、感じで……』

 

『そう』

 

『……だから、負けられないんです』

 

『負けちゃ、絶対に駄目なんです。勝たなくちゃいけない』

 

『だって、【ヘスティア・ファミリア】が無くなってしまえば、シロさんが、帰ってこれなくなってしまうから』

 

『だから、僕は負けられない―――負けちゃいけない』

 

『絶対に、勝たなくちゃいけない』

 

『強く、ならなくてはいけない』

 

『ベル……』

 

『強く、なりたい―――っ、もう二度とっ、『家族』をなくさないようにッ』

 

『僕は―――ッ』

 

 絶叫のような金属がぶつかり合う衝突音と共に、火花と衝撃が周囲に散った。線香花火のような小さな火が消えてしまう前に、更なる火花(花火)が幾つも咲き乱れていく。

 

「「ああああああああ―――ッッ!!」」

 

 裂帛の咆哮と共に振るわれる二振りの短剣と、それを迎え撃つ波状剣(フランベルジュ)

 手を伸ばせば触れてしまうほどの超至近距離による近接戦闘。長物である波状剣(フランベルジュ)は短剣に比べその一撃は重いが、ここまでの近距離では取り回しが悪すぎた。レベル3の膂力を持って振るうも、しかし、格下である筈のベル・クラネル(レベル2)が振るう二振りの短剣の速度に対し、徐々に、だが確実に遅れを取り始めていた。

 

「馬鹿ッ、な?!」

 

 ほんの数週間前に相手をした時とは違う。

 別人のような速さと、何よりもこの戦いの手際。モンスター相手ならば十分だろうが、対人相手では隙だらけな戦いは、一体何をしてきたのかこの僅かな期間で見間違えるほどまでに洗練されていた。

 まだまだ粗削りではあるが、それでもその視線が、振る腕が、体の動かし方が、足捌きが文字通り別人の如きレベル(水準)にまで押し上げられていた。

 

「ふざけるなぁあああ!!?」

「ッ!?」

 

 体ごとぶつけるような勢いでもって波状剣(フランベルジュ)を振り切り無理矢理間合いを広げる。が、遠く吹き飛ばされながらもベルは、まるでバネ仕掛けのおもちゃのように、地面に足が着くやいなや体が霞むほどの速度でもって再度ヒュアキントスに飛び掛かった。少しでも遠くベルを引き離そうとしたためか、波状剣(フランベルジュ)を振り切った姿勢のまま未だヒュアキントスの体は戻っていない。

 ヒュアキントスが失策を悟った時には、既にベルは手に掴んだ短剣を振り切っていた。

 その朱色に染まった短剣が、更に赤いモノで染まる。

 

「がっ、ああああッ!?!」

「ッ―――はあああああっ!!」

 

 更なる追撃を図ろうと刀身を濡らす赤を振り払う勢いで、ベルは切り裂かれた衝撃で体を揺らすヒュアキントスにその切っ先を進める。遮るものはなく、このまま決定的な一撃が突き立つものだと思われた、が、それは―――

 

「舐めるなぁッ!!」

「ぁっ?!」

 

 波状剣により防がれた。

 ベルの一撃により崩れた態勢を、ヒュアキントスは無理に戻すことはなく、逆に自ら進んで倒れ込むように勢いを付けることにより、無理矢理にであるが波状剣を振るってみせたのだ。

 予想外の迎撃に、一瞬ベルの思考と動きが停滞する。

 そしてそれは、致命的なまでの隙きをヒュアキントスに晒している事を意味していた。

 

「フッ!」

「ゴっ!?」

 

 だが、無理矢理な迎撃のため、更に態勢を崩していたヒュアキントスに力を乗せた一撃を入れることは難しく。地面に倒れ込むギリギリに放たれた蹴りでベルの体を蹴り飛ばすのが精々であった。

 しかし、ヒュアキントスにとってそれでも十分であった。

 

「【我が名は愛、光の寵児。我が太陽にこの身を捧ぐ】!」

 

 迫り上がってくる嘔吐感にも似た疲労と痛みを飲み込みながら、ヒュアキントスが詠唱を始める。

 それを目に耳にしたベルが、慌てて立ち上がり駆け出す。

 あっと言う間に目の前まで迫ってきたベルを波状剣で受け止めながら、刃同士が交じり、散る火花を眩しげに細めた瞳で見つめながら、何時しかヒュアキントスは心の中で自嘲染みた笑い声を上げていた。

 そして、愚直なまでのその姿を、何処か羨ましいものを見るかのような目で、それでいて遠い昔を懐かしむかのような目で見つめていることに、ヒュアキントスは気付いてはいない。

 苛立ちはある。

 憎しみに近い感情ですらある。

 なのに、何故か自分を打ち倒そうとするこの少年(ベル・クラネル)の姿を間近に見て、今、ヒュアキントスの胸の内に浮かぶのは、懐かしさにも似た何とも言えない感情であった。

 

「【我が名は罪、風の悋気。一陣の突風をこの身に呼ぶ】!」

 

 振るわれる二刀の短剣の刃を波状剣を持って迎撃する。

 詠唱に気が取られる事や、振るわれる速度がレベル2(格下)とは思えない程の速度であることから、間に合わず刃が身体に触れる数も増えていく。鋭い痛みが時間と共に増えていくが、しかし何故かヒュアキントスの口許には、その心の内で響いていた笑いが何時からか口許へと浮かんでいた。

 その事に、ヒュアキントス自身も、そして攻め立てる事に集中するベルも気付いてはいない。

 

(―――気に入らない)

 

「【放つ火輪の一投―――】」

 

(アポロン様の寵愛を向けられるベル・クラネルが。私に向けられていたあの視線を奪ったこのガキが、苛立ち憎らしいっ!)

 

「【―――来れ、西方の風】!」

 

(突然現れ、私を叩きのめしただけでなく、アポロン様の心を奪い、団員達の尊敬を奪った佐々木小次郎が。神の恩恵を得ていないにも関わらず、どれだけ私が挑もうとも、飄々とした態度を少しも崩すこともなく幾度となく私を地べたに叩き伏せるあの男が、【ファミリア】同士の決闘にも関わらず、団長の私ではなく選ばれたあの男が苛立たしくて気に入らないっ!)

 

 奇襲を受け、魔法の一撃に巻き込まれ階下へと叩きつけられた上に、予想外のラッシュによるダメージを受けながらも、それでも戦闘と平行しながら続けられる詠唱には乱れがない。少し前までは―――数週間前の自分からは考えられない程にまで、自らの技量は高められていた。以前の自分ならば―――あの男(佐々木小次郎)と出会う前ならば、平行詠唱などは、そうそう出来るようなものではなかったにも関わらず。今では重症を負っている状況でも不安定にもならないのは、認めたくはないが、これまで幾度もあの男(佐々木小次郎)に手合わせと称して挑んだ結果だろう。

 あの飄々とした態度を、一度でもいいから崩してやりたいと何度も挑戦した。

 結果として、一度もそれを崩すことは出来はしかったが、予想以上に自分の技量は高められた。

 ここ最近、停滞気味だったステイタスすら大きく動くほどまでに、それこそ平行詠唱が出来るまでに、気付けば己の技量は高められていたのだ。

 最後まで、あの余裕な態度を崩すどころか、服にかすらせる事すら出来はしなかったが。

 わざわざ解除薬(ステイタスシーフ)を使ってまで、この目で確認したにも関わらず、今でも信じられない。

 あの男(佐々木小次郎)が、レベル0であることが。

 明らかに常人を越えた速さに、絶技としか言い様のない技量。

 神の恩恵によらないその姿は、まるで―――ああ、幼い頃に聞いた伝説の英雄達のようで。

 何度も、幾度も挑む内に、認めたくはないが、そうだ、認めたくはないが、憧憬すら抱いてしまっていたのだ、この私が……。

 モンスターが地上を闊歩し、世界が滅亡の足音を耳にしていたというあの暗黒の時代において。

 神の力を頼る事なく、己の肉体と技量だけを持って、絶望と戦った彼等(英雄達)の姿を、何時しか私はあの男に重ねていたのだ。

 寝物語に聞かされ、憧れ夢見たあの英雄達に……。

 きっと、あの時の私は―――あの男に挑んでいた時の私は、こいつ(ベル・クラネル)のように、必死で、愚直で、愚かしいまでにひた向きだったのかもしれない。

 昔の―――そう、ずっと昔、まだまだ弱かったあの頃の自分のように。

 ただひたすらに強くなろうとしていたあの時のように。

 認められたくて、守りたくて、望まれたくて―――ただ、ひたすらに突き進んでいたあの頃の私に……。

 苦しいのだろう、体が、心が悲鳴を上げている筈だ。

 いくら能力値(アビリティ)が高くとも、レベルの差はそう簡単に埋まるようなものではない。ここまで攻め立てられるのは、短期決戦に己の全てを振り切っているからこそなのだろう。

 だから、別に戦いに拘らず、この場から脇目も振らず逃げ出せば、こいつは勝手に倒れる事になる。

 そうすれば、この戦争遊戯(ウォー・ゲーム)は勝利に大きく傾くだろう。

 私の面子よりも、それをアポロン様は望む事を、理解はしている。

 それが分かっているのに、戦いの中、冷静になった思考がそう告げているにも関わらず、未だに退かないこの足は、この身体は、意思は、何なのだろうか。

 いや、そんな事は分かりきっている。

 逃げたくないのだ。

 戦いたいのだ。

 この―――冒険者(ベル・クラネル)と。

 あの男(佐々木小次郎)と何度戦い、そして今、こいつ(ベル・クラネル)と戦うことで、私は、私の中の何かが変わった事を理解した。

 いや、変わった―――ではないか……思い、出したのかもしれない。

 遠い昔。

 アポロン様と出会った時……いや、それよりも前かもしれない。

 唄われ語られる英雄達の物語に憧れていた頃の私を―――。

 何も知らない、愚かで世間知らずで馬鹿な……それでいて、純粋な時の己を……。

 それを思えば、もう逃げられない。

 逃げたくはない。

 ただ、今は、こいつと―――ベル・クラネルと戦いたいッ!!

 

「【アロ・ゼフュロス】ッ!!」

 

 太陽の光が凝縮されたかの様な大円盤が生まれ。振り抜かれた右腕に従いベルへと向かい高速で進んでいく。

 

「っ【ファイアボルト】?!」

 

 反射的にベルが、向かってくる円盤に向かって魔法を放つ。炎を纏った雷が狙い違わず円盤に突き刺さり爆発を起こす。

 

「なっ?!」

 

 しかし、円盤は揺るがず、爆煙の中を切り裂きながらベルへと迫って行く。飛び込むようにして、ぎりぎりのところで迫りくる円盤を回避したベルが、再びヒュアキントスへ向かい駆けようとした瞬間。

 ベルの背中に氷柱が突き刺さったかの様な鋭くも冷たい感覚が襲い。ベルはその直感に逆らわずそれに身を委ねた。

 地面に倒れるようにして身体を下げたベルの背を、光熱と風が叩きつける。

 

(な―――んでっ!? 完全に避けたはずなのに!? どうして!?)

 

 動揺に揺れる思考と視線を、足を止めればやられると無理矢理振り払う。

 転がるようにして駆け出したベルの視界の端に、先程躱したヒュアキントスの放った魔法が、大きく旋回するかのように回りながら再度襲いかかろうとしていることに気付いた。

 

(自動追尾!?)

 

 脳裏に過ったものは正答を得ていたが、だからといって現状を打破できるものではない。威力はベルの【魔法(ファイアボルト)】を上回るが、幸いにも速度はそこまで速くはなかった。

 レベル3にも匹敵しかねないベルの速度ならば、避ける事だけならばそう難しくはないだろう。

 だが―――

 

「何処を見ているっ!」

「く―――そっ!?」

 

 大きく飛び退き避けた瞬間、ベルへと振り下ろされる波状剣。

 足が石畳へと着いた瞬間を狙った避けられないタイミングによる一撃を、ベルは慌てて両手に掴む二振りの短剣を十字に交差させ受け止める。が、踏ん張ることが出来ず吹き飛ばされてしまう。

 

「っ、が、はっ?!」

 

 吹き飛ばされ床の上を転がりながら、ベルはその勢いを利用し跳ね上がるように立ち上がると共に、直ぐにその場から離れる。同時に、つい先程までベルがいた場所に大円盤がめり込む。

 周囲に散らばる石畳の破片を、顔の前まで上げた片手で防ぎながら、細めた目でその結果を睨み付ける。

 若干の期待は、しかしやはり実ることはなく。

 石畳を破壊した大円盤は、そこで消えることなく床を削りながらベルの方へと向かって来た。

 

「無駄だっ! それ(アロゼフュロス)は貴様を仕留めるまで消えはしないぞっ!!」

「―――っ!?」

 

 願望混じりの期待は、ヒュアキントスの言葉と目の前の光景で儚く散ってしまう。立ち止まりかける足を無理矢理動かしながら、しかしベルの目は決して諦めに曇ることはなかった。

 

「ふんっ! だが、良くもまあ食い下がるものだ。ここまで耐えるとは流石に予想は出来なかったぞ」

「あなたを―――倒しさえすればっ!」

 

 先程のヒュアキントスからの直接的な攻撃を警戒し、ベルの目は襲いかかる大円盤だけに集中する事ができない。迫る魔法を跳び跳ね転がり避けながらも、その目は魔法だけでなくヒュアキントスにも向けられていた。追い詰められながらも、その目からは諦めは欠片も感じられない。一発逆転を狙い、その目は微かな勝機を探し鋭く周囲を見回していた。

 油断なく向けられるベルからの視線を受けながら、ヒュアキントスは薄く笑みを浮かべる。

 

「馬鹿が、例え私を倒したとしても、我らのこの戦争遊戯(ウォーゲーム)での勝利は揺るぎはしない」

「な、にを?」

 

 ヒュアキントスのその言葉に、ベルが今の状態を忘れたかのように一瞬呆けたような顔を浮かべる。

 その間抜けにも見える顔を見て、ヒュアキントスは嘲笑うかのような笑みを、薄い笑みの上に被せた。

 

「『ルール』を確認していないのか愚か者め。私の指の何処に、城主を示す『指輪』があるように見えるのだ」

「あっ!!?」

 

 見せつけるようにベルに向け手を掲げるヒュアキントスの指に、この『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』での城塞側の大将である『城主』であることを示す『指輪』の姿は何処にもなかった。

 それはつまり、【アポロン・ファミリア】の団長である筈のヒュアキントスが、この『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』での『城主』ではないことを示していた。

 と、言うことは―――

 

「万が一、貴様が私を倒したとしても、この『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』での勝敗には関係がないと言うことだ」

「そん―――っ!?」

 

 ベルの悲鳴染みた声はしかし、背後から襲いかかってきた魔法を咄嗟に避わした事で途切れてしまう。

 驚愕の事実に、気付くのが遅れたベルであったが、ぎりぎりの所で避ける事が出来た。それでも幾らかの負傷は避けらず、小さく咳き込みながら立ち上がると、改めてヒュアキントスを、その手を見つめる。

 そこには、やはり『城主』を示す指輪の姿はない。

 

「なら、一体誰が……」

「……決まっているだろう」

 

 ベルの戸惑いを含んで揺れる声に、溜め息が混じったヒュアキントスの声が答える。

 そしてそれに応じるかのように、城壁の方から何の前触れもなく竜巻が生まれた。

 

「―――なっ、え!? まさか、アイズ、さん?」

「こちら側で、一番強い者が、だ」

 

 周囲にある全てを吸い込み砕き切り裂く強大な竜巻が。

 およそ人の手では生み出せない天災が如き力の発露。

 それが生まれ―――散った。

 

「―――え?」

「―――ふん、つくづくあの男は……」

 

 到底人によるものとは思えない(竜巻)が生まれ、そして突如それが消えた事に対し、ベルがその雪崩れ込む情報を受け止め処理しようとするも、理解が出来ず(したくなく)。固まっている間を、見逃すような事を『魔法』はしない。

 

「づぁ!?」

 

 運良く。本当に幸運なタイミングで、ベルの疲労が溜まった足が、目の前で起きた光景のショックと合わさり力が抜け。体勢が崩れた瞬間に背後から迫ってきていた『魔法』が通り抜けた。

 たまたま上手く避けるような形になったが、やはり衝撃までは避わす事が出来ずベルは地面へと叩きつけられてしまう。

 強制的に、先程見てしまった光景から意識を逸らされたベルが、震えそうになる唇を噛み締めながらも立ち上がる。

 

「今、のは……」

あんな(竜巻)まねが出来るのは、アイズ・ヴァレンシュタインだけだろう」

 

 詠唱魔法すら越えかねない規格外の風の行使。

 オラリオ広しとはいえ、そんな常識外が出来るのは、アイズしかいないことを、ベルもわかっている。

 しかし、それがまるで強制的に消されたかのような光景は―――それを示す事が理解できず(したくなく)。震えるベルの言葉を、ヒュアキントスは無造作に切り捨てた。

 

「つまり、あの女が負けたのだろう」

「っ!? 嘘だぁ! アイズさんが負ける筈が―――」

「あの男には、誰も勝てはしない」

「な―――」

 

 反射的に否定の言葉を上げようとしたベルの頬に、何かが当たった。

 無意識にそれに触れ、指先に視線を向けたベルの目が、思考が、身体が凍りついた。

 その、先程の竜巻が消え去る前に、巻き込み舞い上げ、周囲へと撒き散らされたものは、遠く離れたここまで届き。

 ナニかを知らせるかのようにベルの頬へと届けられた。

 その、赤い―――紅い、己の瞳のような色のそれは―――。

 

「ああ、全くあの男は……風流とか言うものを口にする癖に。こんな太陽(アポロン様)が見ている中、何てモノ(血の雨)を降らせるとは」

 

 ナニカの―――誰かの血、で。

 

「っ、あ―――」

 

 否定しようとする言葉は形にならず。

 認めようとしない意思は、『直感』がそれを否定し。

 悲鳴は喉の奥で唸り声にしかなからず。 

 

「―――やはり、貴様は弱いな、ベル・クラネル」

「ッッ!!?」

 

 そうして、今度こそ棒立ちとなったベルの前に、避けきれない距離まで大円盤が間近に迫り。

 

「【赤華(ルベレ)】」

「ッぎ!!?」

 

 直前で起きた大爆発に、ベルの身体は包み込まれてしまった。

 悲鳴すら飲み込む大爆発に噛み砕かれるベル。

 上級冒険者であっても戦闘不能に追い込まれかねない威力をまともに喰らってしまったベルに、意識どころか、その命すらあるかどうか。

 爆炎の中から吹き飛ばされ転がるベルの体は焼き焦げており。手足は吹き飛ばされてはいないが、遠目で見る限りではもはや意識はなく、息すら危ぶむほどで。

 ぴくりとも動かないその姿に、ヒュアキントスは嘲りの目を向けずに、小さく鼻を鳴らすとそのまま目を伏せた。

 

「何とも、つまらない決着だったな」

 

 そう、口にし、ベルに背を向―――

 

 ―――リン、と小さく、鈴が。

 

 いや、違う。

 

 小さな、()がなった。

 

「ッ!?」

 

 咄嗟に足を止め、振り返った先。

 そこに見た光景に、ヒュアキントスは驚きのあまり今度は彼の方がその思考と身体を凍りつかせた。

 ベル・クラネルが、立っていた。

 上級冒険者ですら打倒しかねない威力の魔法をまともに受けながら、それでも立ち上がったベルの姿を見て、ヒュアキントスはその目を見開き身体を固めてしまっていた。

 

「な、ば、そん―――」

 

 何を言おうとしたのか、それは形になりかわる直前に何度も狼狽えるように途切れ。

 結局形となることはなかった。

 そうしている間も、リン、リンッ、と確かに耳に届く音は次第に大きく、はっきりと強くなっていく。

 その音色が何を意味しているのかは、ベル・クラネルの事を調べた時に耳にした。

 迷宮街に現れたというイレギュラーのゴライアス。

 その変異種たる黒いゴライアスとの決着の要因となった一撃に、ベル・クラネルから奏でられた鐘の音色が関係していることを。

 

「っは、はは!」

 

 それが頭に浮かぶも、沸き上がったのは焦燥でも苛立ちでもなく。

 笑い、だった。

 何故なのか。

 どうしてそんなものが出ているのか自分の事でありながら分からないまま、ヒュアキントスは胸の奥から沸き上がる熱に急き立てられるように、波状剣を構えた。

 鐘の音色を響かせながら、しかしベルは未だ立ち上がったまま動かない。

 二振りの内、一本は何処かへ飛んでいったのか、だらりと垂れ下がった両手の内、左手に握った短剣の姿しか確認できない。

 まるで立ったまま気絶しているかのようなベルの姿に、しかしヒュアキントスは口許に笑みを浮かべながらも、油断のない眼差しのまま駆け出そうとする。

 両者の距離は20Mもない。

 ヒュアキントスならば数秒もあれば踏破できるその距離。

 俯いたままのベルの身体は、未だ動かない。

 そして、ヒュアキントスの足が前へと――――――

 

 

『―――ベル、どうした? もう終わりか?』

 

『っ、は―――も、もう少しも身体が動きませ、ん……』

 

『まだまだだな、ベルは』

 

『シロさんも僕と同じレベル1なのに、どうしてこんなに違うんですか?』

 

『さて、な?』

 

『う~……このまま一生追い付けない気がします』

 

『馬鹿を言うな。素直なお前なら、オレなんかには直ぐに追い付けるさ』

 

『はは……そんな、でもやっぱり、どうしても勝てそうにないですよ』

 

『素直すぎるんだベルは、それに周りを良く見ていない』

 

『周り、ですか?』

 

『そうだ。ベル、お前は自分の事を弱い弱いと言うが、冒険者となることを目指しているのならば、基本お前が挑むだろうモンスターは全てお前より強いものばかりだ』

 

『それは―――』

 

『確かに、『レベル』と言うものがあり、それを上げていけば単純な真っ向勝負でも圧倒できるようになるかもしれない。しかし、『階層主』という集団で倒す事を前提とするモンスターもいる』

 

『強大なモンスターに対し、集団で戦うのは基本だ。だが、まさかの事態は唐突に襲ってくる。もしかしたらお前がたった一人でそんな相手と戦う時があるかもしれない。それが『モンスター』か他の冒険者かは分からないがな』

 

『そ、そんな事になったらもう駄目じゃないですか……』

 

『そうだな。基本はそうならないように立ち回らなければならないが、もしそうなった時は、あらゆる事に気を配れ』

 

『あらゆること、ですか?』

 

『そうだ。自分や敵の状態だけでなく、周囲の地形や環境を把握し、理解し、利用して、少しでも優位に立ち回れ』

 

『だけど、そんな事で本当に大丈夫なんですか?』

 

『それはその時にならなければわからないだろうな。だから、一番大事なのは』

 

『一番大事なのは?』

 

『折れない事だ』

 

『折れない、こと?』

 

『実力で負けていても、どれだけ不利な状況であっても、決して最後まで諦めないことだ』

 

『例え比べ物にならない程の実力差があったとしても、可能性が0にどれだけ近くとも、諦めない(折れない)限り終わりではない。魔力が尽き、手足が折れたとしても、意志という最後の武器()が折れない限り、終わりではない』

 

『まあ、お前なら何となくだが、大丈夫だとは思うが、な』

 

『え、っと……何が、ですか?』

 

『―――負けられない戦いでは、お前の(意志)は決して折れはしないだろうなって話だ』

 

 

 

 ―――ッッ!!!!

 

 

「【ファイアボルト】ッッ!!!!」

 

 

 その瞬間、幾つもの事態が同時に起きた。

 ヒュアキントスは駆け出すための一歩を踏み出し。

 ベルは【ファイアボルト(魔法)】を放つために詠唱を口にし。

 そして―――先程アイズによるものだと思われる竜巻が発生していた位置から、数百Mも離れた場所で対峙していたベルとヒュアキントスへと衝撃を伴う爆音が轟いた。

 内臓を震わせるその目に見えぬ不可視の衝撃に対し、両者それぞれの対応は違った。

 歴戦の冒険者であるヒュアキントスは、突然の爆音に対しベルから意識を外すことなく、しかし咄嗟に視界の端に微かに見える音が聞こえてきた方へ意識の欠片を向けた。それは決して油断でもなく、隙を晒した訳ではなく。イレギュラーに対する対処のため、最低限の情報収集を得るための行動だった。

 ベルに向けた注意は僅かに減り、駆け出すための足にコンマ程度の遅れはでたが、それはナニかを見落とす程のものではなく。また、駆け出す速度も距離を詰めるための時も、誤差程度のものでしかなく。影響は無いと言っても問題ない程であった。

 それに対し、ベルの意識は―――完全にヒュアキントスだけに向けられていた。

 極限にまで極まった集中力により、鼓膜を破きかねない先程の爆音すらその意識を欠片も揺らす事は出来ず。コンマの停滞すらなく、ベルの手から炎の雷が放たれた。

 ヒュアキントスは駆け出しながら、放たれたファイアボルト(魔法)に対処するためにその行く先が何処に向かうか見逃さないとばかりに目尻を吊り上げた。頭、胸、腹、足。何処へと飛んでこようとも避けて見せると覚悟を固めるヒュアキントスの目に、駆け出し向かう先―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「な―――っ!?」

 

 咄嗟に立ち止まろうと、足に力を込めて踏ん張ろうとする―――が、その時には、既にそのために必要な地面()()()()()()()()()()()()

 流石、無限に沸きだすモンスターへ対処するために築かれた暗黒時代の城塞と言うべきか。あれだけの戦闘を繰り広げながらも、未だ崩れずに不動を見せていたため、ついヒュアキントスも意識から外してしまっていた。

 あれだけ魔法を使って暴れていたここは、城塞の上であり。

 つまり、今自分達が立つ場所は、何処かの広間か、それとも廊下かなにかの()()()()()ということで。

 それが砕ければ、つまり―――落ちるしかなく。

 

「っ、なに、を―――?!」

 

 内蔵が浮き上がる不快感と、空中に放り出され自由に動きが取れないことに対する恐れに、一瞬だが確かにヒュアキントスの意識からベルの姿が消えた。

 そして、次の瞬間慌ててベルに意識を向け直した時には、既に遅かった。

 

「ッ―――あああああああああああああぁぁあああッ!!!!」

 

 そこには左手に掴んだ短剣を大きく振りかぶるベルの姿が。

 

「ッ、く!?」

 

 咄嗟に落下しようとも手放さなかった波状剣(フランベルジュ)を構えるが、ベルの振り払うように横一文字に斬りつけられた短剣の一撃により弾き飛ばされてしまう。

 ベルの左手には、今だ短剣が掴まれている。

 しかし、ヒュアキントスの波状剣を弾き飛ばした影響のためか、その握りは甘くなっていた。

 それを前に、反射的にヒュアキントスの手が、腰の後ろに収めている短剣へと伸び。

 

「ッお、おお―――雄々ォオオオオオッ!!!!」

 

 魔法を放った際の影響が残っているのか、微かに雷を纏ったベルの右の手が、固く、硬く握りしめられた拳が、ヒュアキントスの顔面へと向かっていく。

 ヒュアキントスは、腰の後ろに納めた短剣の柄を握る手に一瞬力を込め―――緩めた後。

 その幼さが残る顔を赤く染めながら、血を吐くような咆哮を上げて迫るベルを睨み付け。

 ふっ、とその口許に緩い、似合わない笑みを浮かべ。

 

「―――ッ!!!」

 

 ベルの拳を受け止めた。

 直後、下の階へと墜落、同時に叩きつけられた二人が落ちた先で、砕けた床から大量の砂煙が上がり周囲を覆い隠していく。

 もうもうと煙幕のように立ち込め、視界を防ぐ茶色いベールの向こうに、ふらつきながら立ち上がる影が一つ。

 それは、今にも倒れそうになりながらも確かにその両の足で立ち。

 ゆっくりと、ふらつきながらも右手を掲げるかのように持ち上げ。

 その握りしめられた拳が、震えながらも持ち上がりきった瞬間、それを待っていたかのように砂埃が薄れていき。

 その少年は、白い頭髪を己の血と砂埃で汚しながらも、拳を突きつけるかのように、天井に開いた穴から除く太陽へと伸ばし。

 

 

 

「僕の―――勝ちだッ!!」

 

 

 

 ベル・クラネルは勝利の咆哮を上げた。

 

 

  

 

 

 

  

 

 




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第十一話 秘剣VS剣姫

『―――【戦争遊戯(ウォー・ゲーム)】に参加したい?』

 

『……うん』

 

『アイズ、それがどういう事なのかは、君も分かっている筈だ』

 

『そう、だね。分かっている……でもフィン―――』

 

『なら、僕の答えも分かりきっているだろ』

 

『っ、それ、は……』

 

『僕たち―――【ロキ・ファミリア】はここオラリオの最大派閥の一つ。それがたった一人でも、それもただの構成員ではなく、【ファミリア】の顔の一つでもある君―――【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインが手を貸すとなれば、周りからどう思われると思うか、君は本当に理解しているのかい?』

 

『う、ん……』

 

『精々出来るとしたら、今君たちがしていることを見て見ぬふりをすることぐらいだ』

 

『気付いてた、の?』

 

『気付いていないとでも?』

 

『……』

 

『それに何よりも、あのロキがそれを許すと?』

 

『っ』

 

『だから、許可は出せない』

 

『ッそれ、で―――』

 

『―――だけど』

 

『―――も……え?』

 

『少し、状況が変わった』

 

『どう、いうこと?』

 

『……()()()()の裏付けがようやく取れてね。信じがたい……いや、信じたくないはない、か……』

 

『フィン?』

 

『オッタルが敗北した』

 

『―――ッ!!!?』

 

『相手は【アポロン・ファミリア】の人間だ。少なくとも関わりのある人物』

 

『有り得ない』

 

『だけど、事実だ。言っただろう『裏付けが取れた』、と』

 

『でも、一体誰が、そんな人なんて。いる筈が―――』

 

『可能性がある者は、いる』

 

『それ、は……』

 

『一番可能性があるとしたらオッタルと同格である【ナイト・オブ・ナイト】だけど、ね。でも、僕たちはもっと身近でその可能性があるものを知っている』

 

『っ―――【ランサー】……』

 

『あの港での戦い。結局最後まで実力を隠していたけど、僕の目から見て、()()()()()レベル7はある』

 

『少なくとも?』

 

『そう、少なくとも、だ。僕たちの方も全力は出していなかったとはいえ、レベル6が5人も揃っていながら一撃も与えられなかった。それにあの存在感と言えばいいのか、かつての【ゼウス・ファミリア】や【ヘラ・ファミリア】の彼等―――レベル8や9の頂きに立つ者に……』

 

『そんな―――』

 

『……ないとは言えない。アイズ、君が戦争遊戯(ウォー・ゲーム)に参加すると言うのならば、そんな化物と戦う可能性があると言うことだ』

 

『……』

 

『僕としては、いや、皆もそうだろうが、そんな化物が出てくるかもしれない戦いに、君を行かせる事に許可を出すことはしたくはない』

 

『っ』

 

『だけど、その男を無視することも、また出来ない』

 

『なにか、分かっていることはないの?』

 

『……色々と調べてみたところ、【ランサー】とは違う者のようだね。『槍』ではなく『剣』を、それも刀身が長い特徴的な剣を使う男らしいが。残念ながらそれ以外にまとものな情報はないのが現状だ』

 

『そうなんだ』

 

『……今回の戦争遊戯(ウォー・ゲーム)のルールを見れば、あのアポロンからしていくつか可笑しな点が見られてね。特に助っ人についての文言だ。ロキから色々と状況を確認したけど、あのアポロンがあんな譲歩するような条件を付ける筈がない。それだけ負けない自信があると言うことは、それはつまり―――』

 

『問題のその人が出てくる可能性がある、と』

 

『そう言うことだ。だけど、その男がそもそも今回の戦争遊戯(ウォー・ゲーム)に出てくるのかがわからない点だね。残念ながら【ヘスティア・ファミリア】の実力は【アポロン・ファミリア】に比べ様々な点で差が有りすぎる。しかも色々と工作されているようで、現状【ヘスティア・ファミリア】の戦力は更に大幅に下がっているようだ。そんな状況で今回の戦争遊戯(ウォー・ゲーム)に、過剰戦力とも言える例の男がわざわざ出てきて戦ってくれるとは思えない』

 

『だから、私が参加することによって』

 

『問題の男を引きずり出す』

 

『……』

 

『―――最近の都市(オラリオ)の状況は目まぐるしく変わっている。表面的には変わらないようだけど、モンスターと人間とのハイブリットに、堕ちた精霊。そしてその精霊から生まれたと思われる謎の黒い人形。そして『ランサー』と名乗る謎の強者。敵なのか味方なのか全くわからない現状で、一番怖いのが何もわからない状況で戦いとなることだ。一番良いのは、今回の戦争遊戯(ウォー・ゲーム)で、その問題の男が僕たちとは関係のない相手と戦って、色々と見せてくれる事だけど。さっきも言った通り、今の【ヘスティア・ファミリア】ではその可能性も低いからね。ならば、と……そういう事だよ』

 

『……フィンは今の【ヘスティア・ファミリア】では【アポロン・ファミリア】に敵わないと言うけど、あのファミリアには、シロさんが―――』

 

『―――アイズ。君が彼の生存を信じているのは知っている。僕もその可能性は否定しない。だけど、この現状でも姿を見せない彼が、この戦争遊戯(ウォー・ゲーム)に出てくるとは言い切れない』

 

『っ』

 

『僕も、その確信があれば、君にこんな説明をしなくてもすんだんだけどね。さっきも言ったけど、今回の戦争遊戯(ウォー・ゲーム)で【アポロン・ファミリア】が隠しているだろう相手は、十中八九あのオッタルを倒した相手だ』

 

『……』

 

『情報が欲しいとは言ったけれど、だからと言って無茶をしてほしいわけじゃない。それどころか、内心では僕もロキも今回の戦争遊戯(ウォー・ゲーム)に関わることは反対している』

 

『じゃあ、なんで?』

 

『……君と同じだ』

 

『え?』

 

()には、色々と借りがありすぎるからね』

 

『フィン……』

 

『……念押しになるけど、参加自体は許可しよう。だけど、幾つか条件がある』

 

『それは?』

 

『一つは問題の男が出てくるまでは、出来るだけ戦闘に参加しないこと。少し手を貸すのはいいけど、積極的な戦いは避けることだ。元からこの戦いは【ヘスティア・ファミリア】のものだからね』

 

『うん』

 

『そして、何よりも絶対に無理はしないこと』

 

『無理はしないこと……』

 

『分かっているだろうとは思うけど。相手の実力は未知数だ。無理に戦わなくてもいい。逃げて時間を稼ぐだけでも、【ヘスティア・ファミリア】の力にもなるしね。まともにやりあう必要もない。だから―――』

 

『大丈夫。無理はしないから。だから安心してフィン』

 

『頼むよアイズ。君に何かあれば、ロキやリヴェリア達に何をされるかわからないんだからね』

 

『うん。約束する。絶対に無茶は―――』

 

 

 

 

 

 ―――ごめんなさいフィン。約束、守れないかもしれない……

 

 『アサシン』と名乗りながらも、剣を構える事もせずに、だらりとその長い刀身が特徴的な剣を右手に下げた小次郎と名乗る男を前に、アイズは無意識のまま下がりかける足を何とかその場に押し止めていた。

 愛剣の柄を握る手に力が篭りすぎているのか、カタカタとその切っ先が揺れている。

 開いた口から短い吐息が何度も繰り返し吐いては吸ってが続くのを、神経質な思いで苛立つのを感じながら、全身をもって対峙する相手に集中する。

 

「―――来ないのか?」

「っ」

 

 小首を傾げながらそう尋ねる小次郎に、反射的に飛び出しそうになった意識を深く息を吸い込み押し止める。

 まるで自分が小さく矮小になったかのように思えてしまう。

 巨壁や巨大な山を前にしたかのような圧迫感。

 この感覚に、アイズは覚えがあった。

 幼い頃、フィンやガレスに手解きを受けていた時に感じた圧倒的な実力差から来る不安。

 初めて階層主を前にした時に感じた恐怖。

 8年前、あの戦いにおいて相手にもされなかったレベル7―――【静寂】のアルフィアとの対峙で感じた絶望。

 そして、つい先日相対した『ランサー』を名乗る男から感じた、言葉に出来ない謎めいた恐れ。

 それらと同じようなものを、アイズは目の前の男から感じていた。

 しかし、だからと言ってこのまま足を止めていられる訳ではなく。

 震える身体を覚悟を持って止めると、アイズは小次郎を睨み付けると共に、その覚悟の程を示すかのように踏み込んだ地面を砕きながら一気に前へと駆け出した。

 

「はぁあああ!!」

 

 咆哮一閃。

 目視不可の一閃を、小次郎が剣を下げたままの右腕ごと腹を両断せんと横に走らせる。

 振った瞬間、確信する。

 

 ―――殺った!

 

 数多の死線、戦いを潜り抜けてきたアイズの直感がそう告げ。

 

「―――ぇ?」

 

 直後、小次郎を見失った。

 勢いよく振り抜いた剣先に、何かを斬り裂いた感覚はなく。

 勢い余って泳ぎそうになった体勢を何とか押し止めながら、無意識のまま、剣を手元に戻し―――

 

「ッ、がぁ??!!」

 

 不可知の先から首元に伸びた剣線を、たまたま引き寄せていたデスペレートの刀身が受け止めた。

 しかし、意思外からの衝撃と、驚愕にその勢いを止めるまでは出来ず、その場に留まれず吹き飛ばされてしまう。

 慌てて周囲を確認すると、先程まで自分のいた場所を、剣を振り抜いた姿のままこちらを見る小次郎の姿が。

 

「ほう、あれを受けるか」

「いつ、のまに……」

 

 無意識のまま、喉元を剣から手を放した左手でなぞる。

 未だそこに首があるのが不思議に思いながら、先程の一閃を思う。

 

 死んでいた。

 

 防げたのは、本当に偶然だった。

 引き寄せた剣の先に、たまたま相手の剣が当たっただけのこと。

 

「ならば、遠慮は無用か」

「ッッ!!?」

 

 警戒していた。

 油断など欠片もなく、最大限にその動静を注意していた。

 その、筈なのに。

 

「あ―――あああぁああああッ!!!??」

 

 ()()()()

 直後の行動は、ただの本能―――直感だった。

 幼い子供がそうするように。恐ろしい何かを近づかせないために、出鱈目に周囲を攻撃する。

 目標はない。

 見えないからだ。

 不可視の亡霊に怯えるかのように、愛剣(デスペレート)を振り回す。

 大地を震わせる衝撃波を持って周囲を揺るがす剣風は、しかしただ恐慌に陥ったからではなかった。

 

「―――そこっ!!」

 

 僅かな違和感。

 周囲に轟く風から感じた違和感の先へと向けて剣を振り抜く。

 

「見事」

「っ―――く、ぅ!」

 

 剣から感じた風を斬ったかのような感覚。

 しかしそれが超絶的な技巧により受け止められたのではなく()()()()()()と感じながらも、そのままの勢いをもってようやく補足した小次郎を逃がすまいと、嵐のような剣戟を振るう。

 

「はああああああああ」

「技量は申し分なく、動きも良い―――が」

 

 しかし、当たらない。

 剣で受けるどころか、体捌きだけで振るう全ての剣が避けられる。

 当たっていると勘違いしそうなくらいのぎりぎりで避けながら、受ければ確実に死にかねない剣を前にして、まるで散歩しているかのような様子と口調で小次郎は評定するかのような言葉を口にし。

 

「っっ?!!?」

 

 剣を振るった。

 二度目の奇跡。

 頭に過ったのは先程の一閃。

 首を切り離す一撃を思い、反射的に左前に置いた刀身に、鋭い一撃が当たる。

 右か左かの二分の一の賭けに、アイズは勝った。

 だが、安心など出来る筈はない。

 見えていたわけではない。

 分かっていたわけではない。

 先も含めて、小次郎の剣を二度受けたアイズは理解した。

 

 次元が、違う。

 

 始まってまだ一分も経ってはいない。

 受けた剣も二度だけ。

 しかし、それで十分だった。

 アイズが相手―――小次郎との差を理解するのには。

 

「【テンペスト】ッッ!!!?」

 

 自分を中心に風を生む。

 石壁すら破壊する程の凶悪な風が、アイズを中心に吹き出した。

 指定はなく、ただ周囲にいるもの全てが対象の全方位へ向けての風の噴出。

 

「っ、は、ぁ……」

 

 全身に冷えた汗が吹き出していた。

 まるで全速力で駆け続けたかのような疲労感は、体力ではなく精神を消耗した故。

 視界の先には、先程まで手を伸ばせば届く位置にいた小次郎が、遥か遠く、風の威力の圏外に立っていた。

 荒れる息を何とか整えながら、アイズは思考する。

 先の僅かな攻防で理解した。

 自分(アイズ)と小次郎との戦力差を。

 文字通り、次元が違った。

 ここまで力の差を感じたのは、子供の頃を含めても初めてかもしれない。

 本当に弱かった時とは違い、強くなった今だからこそ、相手の技量の程がわかるようになったからこそ知ることが出来た―――出来てしまった恐怖。

 もし、技量をレベルで言い現せるとしたら、レベル7? 8か9―――いや、もしかしたら……。

 そう、考えてしまうほどの、超絶的な技量。

 オッタルから感じたそれとも違う。

 あの【静寂】のアルフィアから感じたそれとも違う。

 次元違いの技量。

 押さえつけていた筈の震えが、また身体を震わせる。

 小次郎の姿は遠い。

 とは言え油断は出来る筈もなく。

 瞬く間も無く彼ならばこの距離を踏み越える事は可能だろう。

 想像以上の相手の強さに、焦り逸る思考を何とか落ち着かせながらも、同時に冷静に思考を回す。

 絶望的な差を感じるのは初めてではないのだ。

 死を覚悟したことも一度や二度ではない。

 早鐘のように打ち鳴らされる心臓を感じながらも、この僅かな接敵で得た情報から相手を解体する。

 一番問題なのは何よりもその超絶的な技量。

 レベルやステータスから換算できないその単純な剣の技量が何よりも厄介で危険。

 次に速度。

 アイズの知る誰よりも―――モンスターを含めその全てと比べても桁違いの速さ。

 レベル6の自分ですら目視叶わぬその速さは、レベルで言えば確実に7以上。下手をすれば8や9の領域にあるのかもしれない。

 隔絶した剣の技量と、桁違いの速度。

 それだけで最早相手にならないとばかりに判断がつけられる。少し考える頭があれば、戦うなどもっての他。撤退一択しかない。

 アイズの思考はそう冷静に告げていた。

 だが、アイズの瞳に見える光に、陰りはなかった。

 これまでの経験が。

 物心着くかつかないかの幼い頃から続く戦いの日々が、経験が―――。

 違和感という形でアイズに突破口を示していた。

 最初に感じた違和感は、最初の一撃を受けた際。

 全くの偶然から受けた一撃に、アイズは吹き飛ばされた―――が、別に力で押し負けたわけではない。どちらかといえば、体のバランスが崩れ、そのまま倒れるように吹き飛ばされた感覚だった。

 その時に感じた違和感がはっきりと形となったのは、再度剣を受けた時。

 身が凍りつくような鋭く速い剣線であったが―――軽かった。

 弱いという意味での軽さではない。

 死を感じさせるあの一撃から、受ければ間違いなく上級冒険者(レベル6)の肉体すら切り裂いて見せただろうが、違和感はそれだけの『力』を感じさせながら、実際に受けて感じた()は想像よりも遥かに弱く。

 レベルで言えば中級冒険者(レベル3、4)どころか下級冒険者(レベル1、2)とすら思える程で。

 つい先日まで訓練に付き合っていたベル・クラネル(レベル2)と比べても、同程度の『力』しか感じられなかった。

 そして、次に感じたのは、先程の『風』に対する対応。

 確かに先の『風』は、石壁すら破壊する威力はあったが、上級冒険者とは言わなくとも、中級冒険者ぐらいの『耐久力』があれば、無視できる程の威力しかなかった。

 にも関わらず、大袈裟な程までに遠く大きく回避を取った。

 先程の『風』に比べれば、巨岩さえ切り裂く(アイズ・ヴァレンシュタイン)の剣の尽くを舐めるように避けながら、何故、あんな大袈裟といっても良いほどな回避を?

 違和感―――というかチグハグ?

 何もかもバラバラだ。

 今の時代(神時代)における『強さ』とは『ステータス』である。

 偉業を成し遂げ、神の手により『ステータス』を上げ『レベル』を上げる。

 『ステータス』が『レベル』が上がれば、見た目は変わらずとも、鍛えていなくとも女子供の腕力が、『レベル』の低い鍛え上げた肉体を持つ男を力ずくで押さえ込むことさえ可能となる。

 だから、あれだけの『敏捷』を見せた小次郎から感じた『力』の差が、違和感としてアイズに訴えていた。

 『レベル』に、『ステータス』に寄らない―――考えられない『強さ』。

 異端で恐ろしい『強さ』ではあるが―――それ故に弱点もある。

 『ステータス』による『強さ』を持つ冒険者にはない『弱点』。

 それは―――。

 

「―――【テンペスト】」

 

 風を呼ぶ。

 不可視の風を纏い、小次郎に向き直る。

 圧倒的な『技量』と『敏捷』を持つ小次郎の弱点。

 アイズの唯一の勝利への道は、小次郎のその『耐久』の低さ。

 確定ではない。

 何故ならば、未だアイズの手は小次郎の体どころかその服の一片にすら届いていないのだから。

 しかし、確信があった。

 これまでの数多の経験が、アイズに告げていた。

 小次郎の『耐久』は低い。

 レベルで言えば1か2か。

 まぐれ当たりでなくとも、全力の一撃ならばかするだけでも倒し得る、と。

 

「ほう……」

 

 アイズの覚悟を感じたのか、小次郎の口の端が僅かに持ち上がる。

 轟く風音と小次郎から放たれる剣気が、ぎりぎりと二人の間の空間を軋み上げ。

 

「っあああああああああ!!」

 

 横一線。

 離れた位置から剣を振り抜き。

 高速の風の一閃を、アイズが小次郎目掛け飛ばし、戦いが再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――おい、アポロン」

 

 腹の底から溢れだそうとする()()を押さえ込もうとした結果、感情を押し潰したような低い声色となったロキの呼び声が、想像を越えた光景(映像)を前にしてざわめく会場の中で、奇妙なほどに広く響き渡った。

 普段の様子から明らかに違う雰囲気とその様に、ざわついていた周囲の神々も口をつぐみ、ロキとその視線の先にいるアポロンに意識を向けた。

 そして会場にいる多くの神々の視線と意識を向けられる中、ロキはその目を瞑ったかのように細められた瞳の奥に、底冷えする光を宿しながらアポロンを見つめていた。

 

「なんだいロキ? 何か言いたげな様子で! はっはっは、まあ、何か言いたいのは私もなんだがね!? オラリオ最大派閥の一角が、こんな弱小【ファミリア】同士のいさかいに嘴を突っ込むとは酷いじゃないか! それもあの【剣姫(アイズ・ヴァレンシュタイン)】を出してくるなんて!? ああっ! 全く大変な事になってしまっているじゃないか!!?」

「うるさいわ」

 

 全身を使った大袈裟な仕草で、芝居のような台詞を一言でバッサリと切り捨てたロキに向けて、アポロンはニヤケタ目を鏡へと、そこに映し出されている光景へと向けた。

 

「―――ふふ。わかっているよ。彼が何者か、それを知りたいんだね」

「……うちだけやない。ここにいるもん―――いや、いまやオラリオにいるもん全員が知りたがっとる。あいつは何者か? ってな」

「う~ん。どうしようかなぁ?」

 

 周囲からの無言の期待を気持ち良さそうに受け止めながら、アポロンがわざとらしく体を揺らしているのを見たロキが、苛立たしげに床を蹴りつける。

 

「おい」

「はは―――わかっているよ。そんなに怖い顔をしなくとも、教えようとも」

「ほんなら、さっさと教えてもらおうか―――あの男(佐々木小次郎)は何者かを」

 

 会場にいるほぼ全ての視線がアポロンに向けられる。

 アポロンはその視線を受け入れるかのように両手を大きく開いた後、会場にいくつも浮かぶ鏡の中から一際大きな鏡を指差すと、声高らかに叫んだ。

 

「私の可愛い【ファミリア(子供)】さっ!!―――と言いたけれど、残念ながらまだそうではなくてね。今のところ我が【ファミリア】のお客と言ったところかな」

「客ぅ?」

 

 肩を竦めながらため息をつくアポロンに、ロキの訝しげな声が上がった。

 周囲の神々も不思議そうに首を傾げている。

 そんな中、舞台のようにロキとアポロンが向き合う中に、声と共に割り込む者がいた。

 

「じゃあ、彼は一体何処の子なんだい?」

「君も興味津々だねヘルメス」

 

 突然の乱入者を、口許に笑みを浮かべながら受け入れたアポロンは、何時ものように飄々とした姿を見せながらも、油断のない目をしたヘルメスに対し、呆れたような口調で笑いかけた。

 

「……あれだけの力を見せているのだから、神ならば誰しもが興味を持ってしまうよ。で、教えてくれるかな? 君のところの子ではないということは、じゃあ、何処の所属(どの【ファミリア】の子)なんだい?」

 

 ヘルメスの顔は、笑いながらも目は全く笑ってはいなかった。

 普段ならば、いや、修羅場であっても形だけでも余裕を見せていたヘルメスが、見せかけすら用意せずに、焦りのような様子すら感じさせる姿で、アポロンに詰め寄るような口調で問いかける。

 

「……あれだけの力―――かつての【ヘラ・ファミリア】や【ゼウス・ファミリア】の英雄たちに匹敵するほどの子供なんて、噂ですら聞いたことがないなんて普通じゃない」

「ああ、そうだね。全く普通じゃないよ(小次郎)は」

「……で、どうなん?」

 

 そんなヘルメスに対し、喜色を浮かべた顔で頷くアポロン。

 それらを遠巻きに見ていたロキが、苛立ちが色濃く感じられる声でアポロンに続きを促す。

 アポロンを睨み付けながらも、その視線の片隅では鏡に映し出される光景を見ていた。

 鏡には、アイズと小次郎が激しく争っている映像が映し出されている。 

 否―――正確には()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()

 

「どう、とは?」

 

 映像(アイズと小次郎の戦い)も気になるが、アポロンの話も気になる。

 あっちこっちに神々の視線が散らばる中、耳だけはアポロンの言葉を一つも漏らすまいと集中していた。

 

「レベルや……あの男のレベルぐらい、言っても問題ないやろ」

 

 ロキが真っ直ぐに切り込んだ。

 基本的にレベルは公開されている。

 神の中には眷族のレベルを申告していない者もいるが、スキル等とは違い基本的には公にしても問題ないとされていた。

 だからこそ、ロキのその言葉に対しどんな答えが返ってくるのかその場にいた神々は期待していた。

 

 レベル6だろうか?

 いやいや、あの【剣姫】がああも追い詰められているのだ、レベル7でも可笑しくない。

 いやしかし、そんな者がいるなんて聞いたこともないぞ。

 黙っていた?

 あのアポロンが?

 もしかして、レベルじゃなくて何か特別なスキルを持っているとかか?

 

 ざわざわと神々がそれぞれの考えを口にする中、一瞬周囲に優越感に満ちた視線を向けたアポロンが、何でもないかのようにその答えを口にした。

 

「ゼロだよ」

「「「は?」」」

 

 その瞬間、会場内の空気が疑問で埋め尽くされた。

 ヘスティアも思わずといった様子で、(映像)から視線を外してアポロンへとその目を向けていた。

 誰もが先ほど耳にした言葉を信じられず、聞き間違いだと思う中、アポロンがようやく自分へと視線を向けたヘスティアに歪んだ笑みを浮かべた。  

 

「ああ、ヘスティア。確か君のところの子で、【最強のレベル0】と呼ばれている子がいたね。残念ながらその称号は取り下げてもらわなくては」

 

 追い詰めるように一歩ヘスティアに向かって足を進ませようとしたアポロンに対し、立ち塞がるかのように立ったヘルメスが、ぽりぽりと頬を指でかきながらひきつった声と顔を向けた。

 

「あ~……聞き間違いかな。今、レベルが0と聞こえたんだけど」

「聞き間違いじゃないよヘルメス。間違いなく(佐々木小次郎)のレベルは0―――神による『恩恵』は欠片もない」

「はは―――」

 

 何も嘘をついてはいないとばかりに笑いながら大袈裟に肩を竦めて見せたアポロンに対し、何を言えばいいのか分からないとばかりに、固まった顔でヘルメスが乾いた笑い声を上げた瞬間。

 

「そんな訳あるかぁああっ!!? アイズをあんなに風に追い詰める男が『レベル0』ぉおお?! 有り得へんやろっ!!」

 

 ロキが怒声を張り上げながら映像を映し出す鏡を指差した。

 映し出された映像の中では、アイズと小次郎が戦っていた。

 最初の激突の後、仕切り直しとばかりに再度小次郎に挑みかかったアイズは、しかし【剣姫】の二つ名の由来となったその剣技を見せることはなかった。近すぎず遠すぎない距離を保持し、攻撃の手段としては剣ではなく『風』を使っている。

 それも剣のように鋭い『風』ではなく、あの精緻巧妙なアイズとは思えない程に大雑把で纏まりがない『風』をだ。

 構えることなく剣を片手に垂れ下げながら立つ小次郎に向け、斬り倒す『風』でなく、吹き砕く『風』を使って攻撃を繰り返し。それを難なく避ける小次郎が、その神速の動きで接近しようとすれば、アイズは全方位に向け『風』を放ちその接近を阻止するを繰り返していた。

 その戦いの様子は、最早尋常な『戦い』とは思えなかった。

 本人(小次郎)にはそのつもりはないのだろうが、一見すればまるでアイズをなぶっているかのようにも見えていた。

 あの【剣姫】を―――アイズ・ヴァレンシュタインをああも一方的に追い詰めている男がレベル0。

 改めてその光景を見た神達の視線が、アポロンに向けられる。

 

 冗談だろ、と。

 

「しかし、真実だ」

 

 それに対し、アポロンは溜め息をつくかのように、しかしその明らかに悦びに歪んだ様子を隠すこともせずにその笑みを口許に湛えながらロキに向けて首を横に振った。

 

「……流石の私も頷けないよアポロン。【剣姫(アイズ・ヴァレンシュタイン)】はこのオラリオでも五本の指に入る強者だ。そんな彼女をあんな風に追い詰める彼が、レベル0だなんて、到底信じられる事じゃない」

「やれやれ、神という者でありながら目の前の現実から目を逸らすなどと」

「っ―――……アポロン」

 

 最早取り繕う姿を見せず、真剣な顔で睨み付けてくるヘルメスに対し、アポロンが片手で顔を押さえながら天を仰いで見せ。その挑発的な様子に、鋭く舌打ちしたヘルメスが、その瞳の奥に剣呑な光を滾らせた。

 今にも胸元を掴みかかってきかねないヘルメスの気配に、アポロンが落ち着けとばかりに両手を前に出す。

 

「まてまて、本当に彼は正真正銘レベルは0なんだ。それに君は有り得ないというが、私達は知っている筈だ」

「何をや?」

 

 押し黙るヘルメスの代わりに、ロキが声を上げた。

 そのロキもまた、笑みを消した顔でアポロンを睨み付けていた。

 ロキとヘルメスだけでなく、会場中の視線が集中する中心で、ぐるりと周囲を見回したアポロンが口を開く。

 

「神の『恩恵』を受けることなく、私達(神々)すら驚愕する程の強さを魅せる者達のことを」

「? ……―――っ!?」

 

 一瞬しんと静まり返る会場。

 聞こえるのは(映像)から聞こえる戦闘の音だけ。

 ヘルメスとロキもまた、アポロンの言葉の意味が分からず疑問符を頭に浮かべたが、しかし直ぐにその意味に気付き、ほぼ同時にその目を見開かせた。

 

「そう、私達(神々)(佐々木小次郎)のような者達を知っている。遠い過去において、絶望に屈することなく立ち向かい、遂にはそれに打ち勝って見せた彼らのことを。そう、彼等―――」

 

 ロキとヘルメスのその様子に、我が意を得たとばかりに笑ったアポロンは、(映像)に映し出される小次郎を称えるかのように、大袈裟な仕草で指差すと、その言葉を口にした。

 

「―――【英雄】と呼ばれる者達を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――勝てない。

 

 分かっていたけど分かっていなかった。

 アイズは荒くなる呼吸を必死に押さえながら、じりじりと目減りしていく精神(マインド)を感じながら唇を強く噛み締めた。

 少しでも気を抜けば足が崩れ落ちてしまいそうだったからだ。

 まだ体力はある、魔力も底をついてはいない。

 しかし、息は上がり、眩暈を感じる。

 理由は単純でわかりきっている。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 桁の違う速度。

 目を離す処か瞬きですら隙となってしまうその速さはしかし、一番の脅威と言うわけではなかった。

 一番恐ろしいのは、その技量。

 自分とは比べ物にならない程に高いとは感じてはいたが、改めて戦ってわかるその異質さ。

 まさに次元が違った。

 二度、あの剣を向けられて生きていることが自分でも信じられない。

 三度目はないと、直感で感じているため、絶対に接近させないために放つ風とは別に、常に自身の周りを風を渦巻かせている。少しでもその風に何かが触れれば、暴風となるようなものであり、最終的なセーフティーであるそれであるが、もう何度となくそれは使用されていた。

 その仕掛けが正解だったのは、未だ自分の首と胴が離れていないことが証明していた。

 戦いが再開して、未だ10分も経ってはいない。

 互いに負傷はなく、膠着状態に見えるが、そうではないことは、二人の様子を見れば明らかであった。

 片や息も切らせるどころか汗一つ見せる事もなく飄々とした姿の小次郎に対し、全身を汗で濡らし、体を震わせながら息を切らすアイズ。

 誰がどう見ても一方的に見えるだろう。

 互いに負傷がないのは当たり前だ。

 何せどちらかが傷を負った時は、それはつまりその一方の負け()を意味するからだ。

 喉を冷たい汗が伝うのを感じながら、アイズはまだ自分の首が繋がっているのを不思議に思う。

 

 体力の前に、気力が尽きてしまう。

 

 己が追い詰められている事を冷静に理解し、アイズは決断しようとしていた。

 このままでは、あと数分もしない内に自分の首は胴体から離れてしまうだろう。

 ならば、これ以上時間を掛けるのは悪手。

 消耗をこれ以上許せば、そこで終わり。

 なら、方法は一つしかない。

 最初からわかっていた筈だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 だから、全力の―――最大の一撃を使うしかない。

 疲労と緊張で重く硬くなった身体を解すように息を吐く。

 意識を集中させ、己の身体にある力に意識を向ける。

 後を考えない。

 考える余裕も必要もない。

 体力も、気力も、魔力もこの一撃に込める。

 こちらの覚悟が伝わったのか、自然体でただ立っていたあの人(佐々木小次郎)がゆっくりと剣を持ち上げた。

 そして、奇妙な構え? を取った。

 背中を此方に向け、剣を横に眼前まで引き上げた奇妙な構え。

 初めて構えて見せたその姿に、これまで以上の寒気を感じた。

 まるで、目の前に巨大なモンスターが口を開いて―――違う、既にその口の中にいるかのような。

 そんな()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()―――そんな感覚。

 崩れ落ちそうになる足を必死に押さえ込みながら、両手に掴んだデスペレート(愛剣)を天を突き立つかのように掲げ持ち、私は怖じける気持ちを奮い立たせながらその言葉(呪文)を口にした。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】―――」

 

 瞬間、風が剣を中心に渦を巻き―――。

 

「【吹き荒れろ(テンペスト)】ッ!!!!」

 

 巨大な竜巻が剣を中心にして立ち上った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――……どうやらこれで終わらせるつもりのようね」

「はい」

 

 バベルの塔。

 その最上階にある女神の一室において、目の前に浮かぶ二つの鏡が映す光景の内の一つを前に、美の神であるフレイアがその様子を目にして自問するように呟くと、背後に彫像のように控えていた男が頭を下げたままそれに答えた。

 フレイアが目を向ける先。

 鏡にはアイズが両手で掲げ持つ剣を中心にして、巨大な竜巻が渦を巻いている光景が映し出されていた。

 まるで竜巻で出来た剣を構えているかのような―――いや、まるで、ではなく真実そうなのだろう。

 その【魔力】の消費量からは考えられない程の効果を見せるアイズの【魔法】―――【エアリエル】。

 肉体や武器に風を纏わせる事で防御や攻撃に使え。

 それを最大に発揮すれば、纏う肉体や武器に深刻なダメージを与える事を引き換えに膨大な力を発揮せし得る『魔法』である。

 それがどれだけ強大で巨大で規格外なのかは、今フレイアが目にしている光景が示していた。

 自然災害そのものな巨大な竜巻を、()()()()()()()()

 防御など不可能。

 触れる処か近づくだけでも引き込み飲み干し砕かれてしまう。

 その威力は既に魔法の域を越え、完全に自然災害となっていた。

 開幕時にアイズが破壊した城壁から、竜巻に向かって瓦礫が吸い込まれていき、粉微塵となって周囲に散らばっていく。

 遠巻きにアイズと小次郎の戦いを見ていた【アポロン・ファミリア】の団員達は、とっくの前に遠く離れていた。

 大地が捲れ、巨大な城壁が震える程の竜巻を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、その20Mはあるだろう巨大な竜巻の刀身の先を小次郎へと向けている。

 今まさに振り下ろさんとするその姿を前に、隣に浮かぶ鏡が映すもう一つの戦いの光景を同時に見ながらフレイアが問いかける。

 

「で、どうかしら?」

「……狙いは間違ってはいないかと」

 

 何かを言い淀むようなオッタルの口調に対し、静かにフレイアが眷族の名を呼んだ。

 

「オッタル」

「―――勝てないでしょう」

 

 その平坦で冷たく固い声音に、オッタルはハッキリとした言葉で返した。

 どちらが、と問うまでもなく、どちらが勝てないと言っているのかはフレイアでなくともわかった。

 

「それは、あなたが敗北したから?」

「―――……違います」

 

 笑いを含んだその声に、小さく息を吐き出しながらオッタルは頭を振った。

 

「ふふ……じゃあ、何故そう判断したの?」

あの男(小次郎)の『耐久』は、あの技量や速さからは考えられぬほどに低いものだと、私も戦いの最中感じました」

 

 フレイアの言葉に、オッタルは無言のまま瞳を閉じた。

 暗闇に浮かぶ光景は、あの日から何度となく見た光景。

 己が及びもつかない技量だと素直に認め、しかし倒す手段はあると必勝を持って放った戦いの結果は―――。

 

「故に最後には接近戦に拘らず、あの娘(アイズ)と同じように周囲を全て凪ぎ払う手を使いましたが……」

「それでも敗れてしまった」

 

 そうだ。

 その通りだとオッタルは素直に己の敗北を受け入れていた。

 自分ではそんなつもりも気持ちもいっさいなかったと断言できた筈ではあったが、それでも結果は変わらない。

 自分はあの男(佐々木小次郎)に負け、両腕を斬り飛ばされたのだから。

 別に敗北は初めてではない。

 それどころか良く知っているとも言える。

 そう、知っている筈だった。

 あの【英雄】達と戦った事があるから知っていた。

 彼らの強さを、人の頂点たる頂を。

 しかし―――

 

「……私は、知らなかった」

「オッタル?」

 

 そう、知らなかった。

 ただ、知っていたつもりでしかなかったのだ。

 

「頂を、知っていた筈だった―――……否、知っていたつもりだった」

「……」

 

 あの男の強さを、あの女の規格外さを。

 今でも思い出せる彼らの強さ。

 未だ追い付けずにいるその領域を。

 だからこそ、勘違いしてしまっていたのだ。

 

「ですが、知っていたつもりだった『頂き』は、しかし『頂き』ではなかった」

「それほどまで?」

「はい……未だ未熟なこの身なれど、もし、奴について語るのであれば―――」

 

 必勝を確信していた。

 振り下ろす直前まで―――いいや、振り下ろしている最中であってもその確信に揺らぎはなかった。

 どんな『魔法』であれ『スキル』であっても、あそこから逆転される事など考えられなかった。

 なのに、破れた。

 それも唯一懸念があった『魔法』や『スキル』ではなく……単なる。

 そう、何の裏も仕掛けもない、ただの―――。

 

「佐々木小次郎の技量―――こと、その一点においては……既に人の域を越え」

 

 剣の技。

 

「―――神の領域にすら届いていると」

 

 ただ一つにより覆されたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――っ、く」

 

 噛み締めた口許から苦痛の声が漏れる。

 全力を持って掴む(デスペレート)の柄からは、今にも砕け弾けそうな感覚が感じられていた。

 それも仕方のないことだろう。

 いくら不壊属性(デュランダル)とはいえ、巨大な竜巻を纏めるための芯としての使用など考えられてはいない。直ぐ様砕け散っていないだけでも望外である。

 1分も持たないだろう。

 元よりそんなに時間を掛けていられるような相手でもなし。

 一番の懸念であった『無視』はなかった。

 何を考えているのか、初めて構えを取って対峙の意思を示している。

 もし彼に回避に専念されれば、いくらこれ(竜巻)で周囲を凪ぎ払おうとも避けられる恐れがあった。

 だから、(佐々木小次郎)が逃げようとしないこの場が最大にして最後の機会。

 まるで小さな竜巻のように両の掌の間で暴れる剣の柄を覚悟と共に握りしめ、私は咆哮と共に(竜巻)を振り下ろす。

 

 ―――背中に感じる、冷たい感覚を振り払うように。

 

 全力を持って剣を振り下ろす。

 それは瞬きもしない内に大地へと突き刺さり、周囲全てを吹き飛ばだろう。

 全開で集中した際、時折時が遅く感じる感覚。

 それを、今、感じていた。

 意識と身体の感覚が外れ、視界の端で、ゆっくりと自分が振り下ろした剣が動いていく。

 視線の先には、奇妙な構えのまま動かない(佐々木小次郎)の姿がある。

 この引き伸ばされた世界において、現実の一秒は、一体ここではどのくらいに感じるのだろうか。

 ふと、そんな事が頭に浮かび。

 風に吹かれる砂ぼこりすら目視ではっきりと捕らえられる―――そんな時が凍ったかのような世界で。

 

 ―――ぇ?

 

 (佐々木小次郎)の姿が消え―――

 

 ―――ぁ

 

 目の、前に、彼の、背中、が―――

 

     秘剣

 

 その時、私の耳は―――その、声なき言葉を確かに聞いた。

 

 それは、レベルやステータスといった存在の外にある。

 人の域を越え―――その更に先にある領域。

 神の域にまで到達した。

 

 剣の極地の名。

 

 その()は―――

 

 

 

 ―――燕返し―――

 

 

 

 

 

 その瞬間。

 

 幾つもの出来事が同時に起きた。

 アイズの振り下ろされた竜巻を纏った剣。

 それが巨大な刀身(竜巻を纏って)でありながら、目視すら難しい速度で振り下ろされ―――その直後、小次郎の姿がアイズの目の前にあった。

 20M近くはあった間合いはしかし、小次郎にとっては無いも同然であった。

 レベル7であるオッタルさえ、何時移動したのかすらわからない程の動きでアイズの前まで移動した小次郎は、その動きに誰かが気付いた時には、既にその手に持った剣を振るっていた。

 秘剣の一刀。

 一刀にして三刀。

 ほぼ同時、ではなく全くの同時に振るわれる三刀。

 その内の一つが、下から上へ、空に伸びるかのように進む。

 刀の全てを掌握したその精緻な一刀は、暴風渦を巻くこの空間においても、一寸の狂いなく小次郎の意思通りに進んでいく。

 その先にあるのはアイズが握る剣の()()

 強大で巨大な竜巻であるほどその中心は穏やかである。

 そして同時にそこは全ての力の中心で。

 最も力が加わっている箇所でもある。

 その―――ぎりぎりの所で形を保っていた針の先よりも狭いその一点に。

 小次郎の振るう一刀の切っ先が突き刺さる。

 瞬間―――砕けた。

 何十ものガラスの器を一斉に砕いたかのような、そんな一種荘厳さすら感じられる音色が響き。

 アイズの両の手から(デスペレート)が消失した。

 掌から愛剣の存在が消えた事にアイズが気付く―――その前に、小次郎が振るいし三刀の内二刀も進んでいた。

 そうして斜め十字に下から、それぞれ二つの剣線がアイズの脇腹に刀身を滑り込ませ、それぞれが右と左の両首元から出るために。肉と内蔵を切り裂くために進もうと、その刀身をアイズの身体に潜り込ませようとした瞬間。

 

 ―――紅い猟犬が(はし)った。

 

 ()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()

 ただ、全てが終わった後の、()()()()だけが見えただけであった。

 ()()()()()()()()()()()()()は、雷の如き速度と姿で進み。

 狙い違わず佐々木小次郎の姿を飲み込んだ。

 その間近にいたアイズは、一体何が起きたのか分からないまま、視界の端に赤い光を感じた時には既に爆音が両の耳から音を奪い、全身を貫く衝撃に吹き飛ばされていた。

 アイズは自分が吹き飛ばされていると理解出来ないまま、凍った思考の中、ただ目に映る光景だけを見つめていた。

 

 砂のように砕けた刀身と、斬られた脇腹から吹き出した血が、制御を失い掻き消えていく風に巻き上げられて周囲に撒き散らされる光景を。

 

 血の霧雨が降り―――赤い雷が空を駆け―――そして、空を流星のように翔る無数の光が進む世界を。

 

  

 

 

 

 




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第十二話 砕けた剣を炉に焼べて

 今回の話はもしかしたら今までで一番文字数が多いかもしれません。
 分割しようと思いましたが、一気に読んで欲しかったのでそのまま投稿しました。
 今回の章を考えていたときから特に書きたかった部分なのですが、力量が足りず完全に納得いく出来ではないのが、自分の事ながら情けなく……。
 拙い文章ですが、楽しんでいただければ幸いです。
 で、もし良ければ評価と感想の方をお願いしますm(_ _)m
 返信が出来てはおりませんが、皆さんの感想や評価が色々と力となっておりますので、頂ければ大変嬉しく思います。
 


 ―――()()()()()()()()()()()()

 

 戦争遊戯(ウォー・ゲーム)が開始されるギリギリまで試してはいたが、結局最後までその切っ掛けすら掴む事も出来ず。

 従って、(佐々木小次郎)との戦いにおいて、その手段として僅かに勝てる可能性がある方法を取ることとなった。

 あの男との戦いにおいて、唯一の正解と言える方法である遠距離からの一方的な攻撃。

 幸いにも、自分にはその方法を取る事が出来る。

 そして奴にはそれに応戦する方法はない。

 一方的な戦いになる―――筈ではあるが、この方法(遠距離攻撃)()()()に考えていた理由は、それであっても勝てるという確信がなかったからだ。

 もし、これが奴一人だけを相手にする場合であるのならば、迷いなくこの方法(遠距離攻撃)を選んではいた。

 避ける事も防ぐ事も出来ない広範囲高威力の一撃を、奴の感知外から放てば良いだけなのだから。

 しかし、周囲にはあの男以外の者(【アポロン・ファミリア】の団員)がおり、奴を倒せるほどの広範囲かつ高威力の攻撃を放てば、まず間違いなく巻き込まれ只ではすまされないだろう。

 だから、この方法(全てを一撃で終わらせる)を取ることは出来ず。

 代替案である奴の感知外から放つ高速高威力の一撃(フルンディング)を放つ事にした。

 【フルンディング(赤原猟犬)】―――北欧の英雄ベオウルフの持つ宝具。

 血の臭いを嗅ぎ付けるという逸話から派生したのか、矢として投影して放つ際は、射手が健在かつ狙い続ける限り、標的を襲い続けるという自動追尾の能力をみせる。だが、これを選んだ理由はそれではなく。

 その速度。

 40秒のチャージを条件とするが、それを満たせばマッハ6以上という規格外の速度を持って標的に襲いかかる。

 この速度であれば、例えあのセイバーといえ迎撃どころか反応すら出来ず射抜く事すら可能とするだろう。

 問題は、奴が姿を現すかどうかということと、チャージをする際に感知されてしまわないかという恐れであったが、幸いと言っていいのか、アイズが助っ人として出てきたことから、それらの心配はなくなった。

 そして、あの瞬間。

 アイズが追い詰められ、竜巻を剣に纏わせ振るうことで、周囲ごと奴を凪ぎ払うという方法を取った。その選択自体は間違いではなかったが、それを成功させる為には致命的にまで速度と間合いが足りなかった。

 その方法を取るとするのならば、せめて距離だけでも最低1K(キロメートル)は必要だった。

 少なくとも、奴の間合いの外からの攻撃ではなくては、大技は致命的な隙となってしまう。

 思わず飛び出しそうになったが、それを何とか抑え、矢尻を握る手に一層の力を込め。

 そしてあの瞬間。

 奴が間合いを詰め、あの秘剣を放った瞬間を狙い―――撃った。

 必中の確信があった。

 

 必中必殺の秘剣―――燕返し。

 

 必殺(止め)の一撃を前にすれば、如何な奴とはいえ回避は不可能。

 その考えは―――しかし、ただの甘えた思考出しかないことを、次の瞬間オレは突き付けられることとなる。

 

「―――ッ!!?」

 

 フルンディング(赤原猟犬)が駆け抜け。

 赤い残光が雷の線を描く先に、確かに奴の姿はあった。

 だが、手に感じる筈の手応えは、しかし何処にもなく。

 直感的に外れた(避けられた)と理解した時には、既に次の矢を放っていた。

 思考よりも先に放たれた矢の数は1秒に十にも迫り。どれもただの矢ではなく、『魔剣』を元に作り上げた特別製の矢を。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 十を数える間もなく放った矢の数は百にも迫り、雨あられと降り注ぐそれは、ただの一つすら尋常なるものではなく。

 嘗て数多のモンスターの襲撃を潜り抜け、未だその威容を残していた城壁を、脆い焼き菓子のように砕き、抉り破壊しながら、その向こうにいる標的へと襲いかかる。

 一辺百数十Mはあるだろう城壁が、一瞬にして吹き飛び。砕けた城壁の破片が火山岩のように周囲へと飛来していく。

 中級冒険者であっても、巻き込まれればただではすまないだろう、その瓦礫の雨の中、動く影さえ残さず駆ける者が一人。

 それを追うように、幾つもの矢が飛んでいく。

 風を纏い加速を続けながら飛ぶ矢。

 炎を纏いながら、周囲を焼き尽くしつつ迫る矢。

 しかし、当たるその直前、駆ける影は時にはひらりと避わし、時にはその手に持つ長い刀身の刀を持ってその尽くを受け流していく。

 雨のように降り注ぎながら、それでいながら正確無比に迫る矢を、しかしその全てを避け続けるのは、赤い光に飲み込まれたかと思われた佐々木小次郎であった。

 砕け巨大な砲弾となった城壁を、抉れ吹き飛ぶ散弾となって迫る大地を避け、時にはそれを足場にしながら避わし続け。そして執拗に襲いかかる目視不可の速度で襲いかかるフルンディング(赤原猟犬)すら掠りもさせず避け続ける小次郎。

 まるで天地がかき混ぜられているかのような、そんな回避も防御も考えられない地獄の真っ只中にいながら、佐々木小次郎の顔には焦りの欠片も浮かんでおらず。それどころか面白気にその口許を緩めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「―――…………」」」

 

 神々が戦争遊戯(ウォーゲーム)を観覧する広間には、呆然自失といった言葉がそのままな空気が広がっていた。

 目の前に浮かぶ魔法の鏡が映す光景を前に、先程までアイズと小次郎との戦いをかぶりつくように見ていた神々が、大魔法の如き破壊を目に言葉を失っている。

 轟音、爆音、破砕音。

 城塞から1~2K程は離れている位置から放たれる()()は、流星のように空を駆け抜けると城壁へと突き進み、一瞬にしてそれを破壊した。

 だが、それが完全に破壊されるまでの光景は、これまで様々な『奇跡』『魔法』を目にしてきた神々から見ても、現実離れした光景であった。

 間断なく飛来する矢の群れは、城壁の下部をまるで何かを追いかけるかのように、横一列に順番に着弾し。隙間なく城壁に突き刺さったことからも、着弾した際の音が、まるで一つの巨大な爆発の音のようにも聞こえる程で。

 まず、最初の数秒で百数十Mはあるだろう城壁の一辺の下部部分が弾け飛ぶように吹き飛び。

 ()()()()()()()()

 横一列に着弾した矢の破壊の(エネルギー)により、数百トンはあるだろう城壁が宙を浮き。内側へ向け倒れ込むように落ちようとしたところで、何とか原型を保っていた城壁に次々に飛んできた矢が―――矢の形をしたナニかが貫いた。

 瞬く間もなく歪ながらも巨大な長方形を保っていた城壁? が、僅かに滞空していた間に突き立った矢の数は一体幾つだったのか。数える間もなく次々に突き進む矢は、その度に城壁を微塵に砕いていく。

 しかし、矢の本来の目標には、それでも服の端すらも届いてはいなかった。

 

「こ、小次郎ぉおおお!?」

 

 アポロンの、掠れた悲鳴染みた歓声の声が上がる。

 小次郎が赤い光に飲み込まれた瞬間、凍りついたかのようにその動きを止めていたアポロンだったが、鏡に一瞬映り込んだその姿を目にし、反射的にその者の名を口にしていた。

 そう、あの男―――小次郎は未だ健在であった。

 一体どのように回避してのけたのか。

 小次郎はあの回避不可と思われた攻撃を見事に潜り抜け、今もまた、城壁を容易に砕く矢で、雨のように放たれ狙われながらも、それでもその口許に笑みを称えながらその尽くを避け続けていた。

 

「一体、これは……」

 

 不意に、会場の中から誰かの疑問の声が上がる。

 その疑問の声が向けられる先は、雨のように降り注ぐ矢の群れを避け続ける小次郎ではなく、それを放つ者に向けられたものであった。

 飛んでくる矢の尽くが尋常のそれではなく。

 風を纏うもの、炎を吹き出すもの、水の刃を形成するもの等、どれ一つをとっても詠唱を必要とする『魔法』に匹敵する力を感じさせる矢が、次々に飛んでくる様は、『魔法』というものを知る彼等(神々)であっても不可解なものであった。

 魔力や代償を必要とせずに、魔法を行使することが出来る『魔剣』という存在はある。

 だが、一部の例外を除き、それらはオリジナルの魔法には程遠い力しかなく。その一部であれども、それが作り上げられるまでの資金や労力からそう数を用意できる出来るものではなく。

 ましてや、これ程の力(オリジナルに匹敵)を有するものを、少なくとも数十もの数を使い捨てに出来るほど用意できる者など、例えオラリオの二大派閥であっても出来はしない。

 そもそも、『剣』ではなく『矢』である。

 魔法を放つ『魔剣』は知るが、魔法を放つ『矢』等といった物は、彼等(神々)であっても聞いたことがなかった。

 ざわざわと会場に声が戻り始めた頃、それを待っていたかのように、魔法の鏡が新たな映像を映し出した。

 神々の目が、その新たに現れた映像に目を向ける中、大きな変化を見せる者が数名おり。その中の一人が、思わずといった声音で歓喜の声を上げた。

 

「―――シロくんっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――はぁ……」

 

 薄暗い一室の中で、深く、長い溜め息が溢れる音が響いた。

 そこは、とあるファミリアの中にある一室。

 固く頑丈な素材に囲まれ、これといった家具の姿がないことから、一見すればまるで何処かの牢のようにも見えるが、見る者が見ればそこが何処なのかは直ぐにわかるような所であった。

 その一室の奥にある器材の一式と、そこで造り上げられただろうもの、そして炎が揺らめく炉を見れば、そこが鍛冶場であることは直ぐにわかったであろう。

 薄暗い―――炉の炎しか明かりのないそこで、ゴミ箱代わりに使用していた木箱をひっくり返した上に座り込み、主神に頼んでわざわざここに出してくれた【鏡】を前にしたその者は、ようやく姿を現した男を目にすると、その長い溜め息を吐いたのであった。

 

「―――全くもって、度しがたい……」

 

 凄まじい速度で矢を放つ男―――死んだと言われていたシロの姿を前にしても、驚きや歓喜を見せず―――そんな気持ちも無くはないが、それ以上に感じる()()に、女は―――椿は()()()()()()()()()()()()()

 恐ろしい戦いだ。

 不可思議な戦いだ。

 まるで神話や伝説で語られるような戦いだ。

 驚きはある。

 感動もある。

 動揺や恐れ、恐怖もまたある。

 しかし、それ以上に感じるものが、あった。

 椿は、ふと【鏡】から目を離すと、足元に転がっていた自身が打ち上げた剣の一つに目を落とし―――あの日の記憶を思い出した。

 

 

 

『―――むぅ、一足遅かったか』

 

『どう、してあなたが?』

 

『まあ、お主と同じよ。少しばかり手を貸そうかと思ってきたのだが……』

 

『え? で、でも大丈夫、なの?』

 

『許可は―――……何とかなるだろう。一応話はしたからの』

 

『…………』

 

『な、何だその目はっ! いやまあ確かに、いい顔はされんかったが……もういい。お主が行くのだろ?』

 

『あ―――うん……その―――』

 

『ああ構わん構わん。手前よりもよっぽどお主の方が戦力になるだろうからな。ただ、代わりとは言ってなんだが、一つ

頼みがある』

 

『頼み?』

 

『頼みというか、まあ伝言だ』

 

『えっと、誰に?』

 

『あの男―――シロだ』

 

『っ』

 

『伝言と言っても仰々しいものでもない。ただ手前の―――そう、手前のただの……』

 

 

 

 ―――あの日、主神にあれだけ啖呵を切った後、【ヘスティア・ファミリア】に助っ人として乗り込んだところで、先に来ていたアイズと出くわした時の事を思い出す。

 出会った瞬間、まさかとは思ったが、話してみればやはりというか、先にアイズが『助人』枠として【ヘスティア・ファミリア】から承諾されたとのことであった。

 それを聞いた時、手前の胸に浮かんだのは、先を越された事に対する焦りや不満ではなく―――ただ、さてどうしようかと言う思いだけであった。

 助っ人として参加する目的は、【ヘスティア・ファミリア】の力になりたいと言う気持ちもないわけではなかったが、それ以上のものが大半を占めていた。

 そしてそれは、無理にでも『助っ人』枠に入らなければならないようなモノではなかった。

 だから、申し訳なさそうにするアイズに対し、それを頼んだ。

 それを―――『伝言』という名の、我ながらおぞましいほどの自己中心的な想い(願望)が籠った言葉を。

 それを自覚したのは何時だっただろうか。

 ダンジョンの深層において、あの男が―――シロが殿として残った時だっただろうか。

 無数の剣を―――それも、自身が打ったと思われる、もうこの世には存在しない筈の剣を数々を目にした時だろうか?

 そうだと思っていた。

 己が全身全霊を込めて打ち上げた剣を。

 試行錯誤し、長い時を掛けてようやく打ち上げた剣の数々を、その寸分変わらない姿のままのそれを投げ捨てるかのように使うあの姿を見た時に、【()()()】としての矜持が揺らされたことに対するものであると、そう思っていた。

 しかし、あの後幾度も思いを巡らせ、剣を鍛え続けているうちに、()()()()()()事を理解した―――してしまった。

 それは何とも身勝手極まりなく、おぞましく人として決して褒められるようなものではなく。

 ただただ―――己の欲望に満ちた勝手極まりない願望であった。

 それは―――

 

「シロよ―――まだ迷っているか、悩んでいるのか」

 

 『鏡』に映り込む男の顔を見て、その戦う姿を前に、椿は不満気に眉をひそめながら、何かを期待するかのような熱の籠った声で話しかけるかのように言葉を放つ。

 

「それでは駄目だ。ああ、全然駄目だ」

 

 何時しか椿の口許は、ひきつったような歪んだ笑みを浮かべていた。

 自分がどんな顔をして、どんな声で呟いているのか理解しているのか、それとも理解しているのか、椿は『鏡』に映るその光景を目に焼き付けるかのように見つめ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。今のお前は最早『剣』とは見れん―――だから、早く―――」

 

 まるで、小さな子供が、無邪気が故に、残酷さを理解できな幼子のような顔で、声で、椿は囁くように己の願望を口にした。

 笑いながら―――それでいて―――

 

「―――『剣』のお前を魅せてくれ」

 

 ―――何処か、泣きそうな顔で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『戦争遊戯(ウォーゲーム)』。

 【ファミリア】同士の戦い故に、そう名付けられたその戦いは、しかし、一対一の決闘から、様々なルールを前提とした競技染みたものもあることから、『戦争』と名付けられながら、そう派手なものは多くはなかった。

 しかし、今、オラリオから離れた位置にある、古戦場である古の城塞で行われた『戦争遊戯(ウォーゲーム)』は正しく『戦争』であった。

 

「「「―――っ―――ッ!!!!???」」」

 

 レベル1や2の冒険者達が、まるで一般人(レベル0)の弱者のように、体を地面に埋めるような強さで伏せながら、悲鳴を上げることも出来ず蹲る中。待避した安全圏にいる筈の場所までに、『死』を連想させる程までに協力な腹に響く衝撃や振動が感じながら、彼等彼女等はただ蹲り震えて耐えていた。

 その、たった二人による戦い―――否、『戦争』を。

 

 

 

 地響きが轟く。

 吹き飛んだ城壁が、次々に飛んでくる矢によって打ち砕かれた破片の最後の一つが地上に落ちた音が響いた。

 もうもうと立ち込める砂埃の中、一人立つ人影が一つ。

 長い刀身の刀を片手にぶら下げながら、惨憺たる有り様の周囲の様子からは余りにもそぐわない余裕を持った姿で立つその男は、不意に何の前触れもなくその立っていた位置を変えた。

 ()()()()()()()()()()、瞬間移動したかのように数M程離れた場所に移動したと同時、先程まで男が立っていた位置に赤い光が駆け抜けた。

 瞬間、衝撃波が周囲を漂っていた砂埃を吹き飛ばし、男の姿を露にする。

 男―――小次郎が赤い残光を残して飛び去った矢の方へ、まるで何かを鑑賞するかのように細めた目で、その矢が向かう先を眺めていると。

 

「―――ッ!!?」

「芸がないな」

 

 頭上から振り下ろされた二振りの剣をゆらりと体を揺らすような動きで避わしてのけた小次郎は、空振りながらも体勢を崩さず地面に降り立ったシロへと視線を向ける。

 細めたその目には、何処か落胆めいた光が宿っていた。

 

「まだ、あのまま矢を射かけ続けていた方が勝算があっただろうに」

「かもしれないな。こちらとしても、あれで決着が着いてほしかったのだが。これ以上はただ消耗するだけだからな……まさかあれを避けてしまうとは……」

 

 小さく溜め息を着きながら双剣の柄を握り直しながら、シロが血の一滴すら流さず、変わらず涼しげな姿を見せる小次郎を忌々しげに睨み付ける。その鋭い視線を向けられながらも、飄々とした雰囲気を欠片も崩さずに受け止める小次郎に、シロは両手に掴んだ双剣を構え。

 

「さて―――今回は、最後まで付き合ってもらおう」

「はっ―――貴様がそれを口にするか」

 

 互いに笑みを向け合うと同時に、それぞれが持つ剣を振りかぶった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ―――何、が……」

「そん、な―――城壁が」

「有り得ねぇだろうこんなの……」

 

 【アポロン・ファミリア】の団長を辛くも打倒したベルが、これもまた格上である筈の相手を下したヴェルフとリリと何とか合流した後、城塞が崩れるのではないかと思うほどの振動や衝撃を感じた事から、ポーションを何本か飲む程度の応急処置をした後、完治とは程遠い体のまま慌てて城から脱出した先で目にした光景に、ただ三人は呆けたように立ち尽くしていた。

 三人の目の前に広がっていた光景は、遠く岩肌が広がる荒野が、()()()()()()()()()()()()()()()()

 そう、自分達が侵入してきた時には確かにあった筈の、巨大で強大な筈の城壁の姿が、そこには何処にもなかったのだ。

 いや、その痕跡はある。

 視界のあちらこちらに転がる大小様々な岩のような欠片のそれが、きっとそうなのだろう。

 しかし、あれだけ長大で巨大な城壁が、こうまで無惨な姿になるのは、自らの目で見てもそうそう受け入れられるようなものではなかった。

 そのあまりの光景を前に、ただ固まるしかなかった三人であったが、それも長くは続かなかった。

 何故ならば、その目を向ける先。城壁があったであろう場所の前で、戦う二人のその姿が、それ以上の衝撃を三人に与えたからだった。 

 特にその内の一人―――ベルには、その衝撃は更に増して大きかった。

 遠く、数百Mは先であるにも関わらず、そして最早常人の目では影すら捕らえられない程の攻防を目にしながらも、しかしベルは確かにその姿を捕られていた。攻防の刹那、僅かに立ち止まった時に見えたその姿。

 一瞬でも見間違える筈はなかった。

 夢にもみていたから。

 どれだけ周りが否定しても、何時までも信じていたからこそ、その姿の端だけでも、見間違える事はなかった。

 だからこそ、ベルは歓喜に震える声で、呼吸するだけでも響くような痛みをその瞬間だけでも忘れ、その者の名を叫んだ。

 

「―――シロさんッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ッオオオオオオオオ!!」

 

 縦二線、横二線―――右斜め、左斜め―――上段、下段―――あらゆる方向、強弱遅速を行使し剣を振るう。

 全力で思考を回し、本能と理性を混ぜ合わせ掛け合わせ、まるで目隠しをしたまま綱渡りをするかのような心情で剣を振るう。

 常に『死』を連想させる剣線から逃れるために、必死に剣を回す。

 既に振るう剣は相手の打倒のためではなく、守勢のためのもので。

 少しでも攻勢に意識を向ければ、その僅かな意識のずれに剣を差し込まれてしまう。

 息する事すらままならぬ緊張感と恐怖がブレンドされた酸素を何とか肺へと送り込みながら、必死に()を遠ざけるために剣を振る。

 しかし、それでも、そうであっても―――

 

「ッッ!!?」

「この程度か?」

 

 差し込まれる。

 隙とも呼べない僅かな間隙に、滑り込むようにして銀線が入り込む。

 咄嗟に持ち上げた刀身に響く衝撃が、斬激となって掲げ持った腕を震わせる。

 重くは無いが軽くも無い。 

 だが、ただただ鋭い。

 それこそ、受けた衝撃すら斬撃と感じる程までに。

 その肉に染み込み骨を震わせる衝撃に、苦痛の吐息が強制的に吐き出されるのを、歯を噛み締め耐えながら、少しでも迫り来る『死』を遠ざけんと剣を振るう。

 振るった剣の先に掠りもせずに、音もなく音よりも速い速度で背後へと下がった小次郎が、落胆を隠さない眼差しを向けてくる。

 

「貴様の事だから、何やら策があるのだろうと警戒していたのだが、これでは以前と全く代わり映えしないではないか」

「っ―――そう思うかっ!!」

 

 大地を蹴りつけ前へ出る。

 両手に持った双剣を小次郎を挟み込むようにして振るう。

 体を二つに切り裂かんと振るわれる双剣を前に、剣を構えもせずに待ち構えていた小次郎の体が薄らいで―――。

 

「っ!?」

 

 無人の空間に斜め十字の剣線を描くと同時、上空から襲いかかってきた赤い閃光が突き抜けた。

 フルンディング(赤原猟犬)を利用した包囲攻撃はしかし、()()()()()()()()()()()()

 最早悔しさに漏れる声もない。

 目視不可、回避不能の筈の超高速のフルンディング(赤原猟犬)との合わせ技を避わされたのは、これでもう何度目であろうか。

 最初は惜しくも感じられたそれは、回数を重ねる毎に最早影さえ切り裂くには至らなくなり。

 今では完全に見切られてしまっていた。

 小次郎があの呆れたような顔をするのも仕方のないほどに。

 それを前に、不安や苛立ちは―――なかった。

 最初から分かっていたことであった。

 あの小次郎に対し、最初の一射で仕留めきれなかったのならば、こうなることは十分に予想が出来ていた。

 だからこそ、現状に対し動揺はない。

 分かっていたことだ。

 そう、だからこそ、第二の矢(最後の手段)の準備はしていた。

 改めて双剣を構え、覚悟を決める。

 どうやって避わしているのか理解不能なまでの領域の歩法をもって、これまでの攻撃の悉くを避わしてのけた小次郎に双剣の先を向け、深く―――深く息を吐く。

 心の奥底で震えるそれを誤魔化すように、見ないふりをするかのように息を吐き終えると同時―――前へと出る。

 実力差を考えれば悪手でしかない。

 小次郎と己との差は明らかであり、これまで耐えていられたのも守勢に力を向けていたからこそ。

 時折出た攻勢のそれは、自動的に小次郎を襲うフルンディング(赤原猟犬)の攻撃と合わせた時だけであり。今、その剣は警戒するように上空に赤い線を描いている。

 これでは今振るうおうとする剣に合わせられはしないだろう。

 小次郎もそれがわかっているためか、何処かその飄々とした顔に、訝しげなものが浮かんでいる。

 だが、これで良い。

 元々対小次郎戦において、長期戦は考えられなかった。

 完全な一対一であったとしても、本気で隠れられた場合逃げられてしまうため、例え周囲を巻き込まない遠距離での戦いが可能であったとしても、最初の一撃で決めるしかない超短期決戦しか作戦はなく。

 また、最悪近距離での戦いとなった場合もまた、時間をかければかけるほど、間合いや技、癖を見抜かれ把握され、加速度的に勝機が減っていくことから、これもまた時間をかけるのは悪手でしかなかった。

 だからこそ、これ以上は時間が掛けられなかった。

 これ以上時間を小次郎に与えれば、何も出来ないうちに切り捨てられてしまう可能性が高かったからだ。

 故に、今―――前へ出た。

 逡巡する暇など一瞬たりともない。

 例え今から実行しようとする策が、策とも呼べないそれであったとしても。

 もう、これ以外に小次郎を倒せる可能性はないのだから。

 

「ッオオオオオオオオォォ!!!」

「勝負を捨てたか?」

 

 雄叫びと言うよりも、猛獣の咆哮のような声を上げ迫り来るシロを前に、先程までの冷静で緻密な動きから考えられない蛮勇的な攻撃に、小次郎が内心で首を傾げながらも、何かを探るような思いで剣を振るった。

 左へ凪ぐ形の剣。

 その一線はシロの左首へと進む。

 それは、牽制の一撃であり、だが受け損ねれば命を断つ一撃でもあった。

 避けねば死ぬし、例え受けれたとしても相手の動きを狭めるような、そんな一撃であり。

 小次郎は、これまでの攻防の中から、弾かれるか逸らされるだろうと悟りながら、次に繋げるための剣の動きを考え―――

 

「―――な?!」

 

 その動揺の声は、小次郎の口から漏れていた。

 振るった剣。

 確殺の意のなかった筈の剣先から感じたのは、肉を裂き骨を断つ手応えであり―――小次郎の、動きが止まった。

 小次郎の剣に対し、確かにシロは防御の為に左手に掴んだ剣を対応させていた。

 そして、それは確かに小次郎の剣を防いだ筈であった。

 事実、小次郎の剣線をシロの掲げた剣の刀身が受け止めたのであったが、問題は()()()()()()()()()()()()()()()()()

 無論の事小次郎には斬鉄は可能であり。

 これまでも対峙した相手の剣を断ち切った事も多々あった。

 しかし、これまでの攻防から、シロの振るう双剣を斬るのは容易ではないと小次郎は考えており。

 だからこそ、その瞬間小次郎の意識は疑問と戸惑いにより揺れてしまっていた。

 断ち切れぬ筈の剣を断ち切った小次郎の剣は、しかし狙いの首へと向かう事はなく。意識してか、それとも偶然か、進む先が首から左肩へと進み。そのまま斜めに左の肩に差し込まれ、肉と骨を切り裂き殆ど左腕を切り落とすぐらいにまでその刀身を進ませていた。

 その深さは、もしかしたら肺にまで到達しているのかも知れなく。

 それを示すかのように、物干し竿を体から生やしたかのような形のシロの口許から、多量の血反吐が溢れ落ちていた。

 

「―――っ、言った、筈だッ」

 

 物干し竿が深く身体に差し込まれたまま、シロが口を開く。

 その時、もしもシロが攻撃のために動こうとしたのならば、小次郎は間違いなく一瞬で引き抜いた剣をもって首を落としていた(止めを刺していた)だろう。

 しかし、その時のシロの行動はそれの反対の事であり。

 左手に掴んでいた刀身が半分となった双剣の片割れが力なく落ちるのに合わせるかのように、右手に掴んでいた剣を小次郎に向け振るうのではなく、放り捨てるように手を離し。

 

「何、を―――?」

 

 まるで降参するかのように武装を放棄するシロの姿に、戸惑いつつも距離を取ろうと後ろへ飛ぼうとする小次郎が、違和感を感じ眉根を寄せた直後、驚愕の声を上げる。

 向ける先は物干し竿が突き刺さったままのシロの姿で。

 

「貴様ッ!!?」

 

 そこでは、剣を投棄して無手となった右手で諸刃の刀身を掴みながら、シロが物干し竿が刺さったままの身体の肉を締め上げていた。

 肉を裂かれ骨を絶たれ、肺まで到達したであろう傷口に、更に未だ刀身が突き刺さったままの身体の肉を締め上げる等と、常人ならば狂い死にかねない程の痛みがあるだろうに。流石に驚きを隠せない小次郎を睨みつけるシロの口からは悲鳴や苦痛の声の一つさえ聞こえず。

 

「―――最後まで付き合ってもらうとッ!!!」

「―――ッッ!!?」

 

 シロの、その血反吐を撒き散らしながら叫んだ声が響いた直後、()()()()()()()M()()()()()()()()()()()()()()()()

 ―――もしも、その光の向かう先が小次郎の真上だったのならば、確実に彼は物干し竿を何らかの方法でシロから引き抜くか、又は柄から手を離し回避をしていただろう。

 だが、赤い光(フルンディング)が向かった先は、小次郎の背後数M。

 直撃と言うには些か距離があった。

 だからこそ、小次郎はそれが落ちてくるまで気付く事が出来なかった。

 赤原猟犬(フルンディング)に殺気がなかったからこそ、小次郎はその動き(目的)が読めずその場に留まってしまっていた。

 そうして、小次郎が口から血を流しながら、歪んだ笑みを口元に湛えるシロを見て、何かを悟った時には、もう手遅れであった。

 

 ―――壊れた幻想(ブロークンファンタズム)

 

 魔力が、渦を巻いた。

 フルンディングが地面へと突き刺さる直前、空中においてその矢へと作り替えられた刀身に罅が入り―――爆発した。

 それは、長文詠唱の魔法ですら比べ物にならないほどの破壊を渦を産み出した。

 荒れ狂う魔力の渦は、巨人が振るう大剣を思わせるかのような、硬く巨大な風の刃を生み出し周囲を破壊していく。岩場のように、大小散らばっていた城壁の欠片がミキサーに掛けられたかのように粉微塵に砕け散っていった。

 たった数秒程度の魔力の嵐は、しかし小さな丘のように積み重なっていた城壁の残骸を根こそぎ砕き、後には更地となった大地が広がり―――ただ、城壁の残骸が名残惜しむかのように、砂煙となって周囲を覆い尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ―――ぁ、ぇ……し、ろ―――さん?」

 

 震えた―――掠れた声が、巨大な魔力の嵐の残跡が強風となって吹き付けてくる中に紛れて消えていった。

 無意識のまま呟かれたその声は、誰かに向けられたものではなく。

 ただ、その心情を表すかのように弱々しくただ、口から出て形となる前に消えてしまいそうなほどに小さかった。

 ベルは見た。

 あの瞬間を。

 爆発が起きる直前の光景を。

 小次郎の剣がシロの身体を貫いたその瞬間―――その直後に起きた爆発。

 爆発の中心に、シロの姿があったことを。

 その、意味するところは―――。

 

「あ―――そん、な―――うそ、だ―――そんなのっ」

 

 自分の目で見たことを否定するために、ベルが首を横に降りながらその否定の言葉を口にしようとした―――その時であった。

 破壊の顕現かのような魔力の嵐が消える間際、破壊を惜しむかのように最後に吹き寄せた強風の一陣が、分厚い幕を下ろしたかのように視界を塞いでいた砂煙を吹き飛ばし。

 その下に隠されていた光景を露にした。

 

「―――ぇ」

 

 あれだけの爆発。

 物理的な現象と化した魔力の爆発のそれは、長文詠唱の魔法にも勝りかねない威力であり。その中心に立っていたとすれば、命の保証などないことは明白で。

 だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()に対し、ベルは呼気が抜けたような言葉なき声を漏らした。

 そこには。

 砂煙が晴れたそこには、一人の男が立っていた。

 一見すればボロボロの満身創痍に見える。

 だが、そうではない。

 確かにその身に纏う服は、最早その肌を隠すといった目的を遂げられないほどに破れ、千切れ見る影もないが、その下にある身体には、目立った外傷は見られなかった。

 多少血が滲んでいるようには見えるが、それだけだ。

 血を垂れ流すような負傷はなく、精々軽傷にしか見えない。

 直近であれだけの爆発が起きて、大した怪我が見えないなど、一体どんな手を使って―――。

 そう、ベルが現実逃避気味にそんな事を考えていたが。

 

「―――あ?」

 

 その男の視線の先に、()()()()()()()()()()のを見たベルの思考が―――停止した。

 それは、ただの塊のようにしか見えなかった。

 いや、違う。

 ただ、それが()であることを理解したくなかっただけ。

 しかし、そんな否定をしている余裕など、ベルには与えられなかった。

 男が、歩き出したのだ。

 一歩、二歩と、瓦礫が綺麗に吹き飛ばされ、まっさらになった上を歩きながら、あれだけの爆発の中であっても、手放さなかった()()()()()()()()()()を片手に。

 その男―――佐々木小次郎は歩いていく。

 地面に転がったまま動かない、赤黒い塊に向かって。

 

 かた、まり?

 

 ―――違う。

 

 ()()―――は、シロさんだ。

 

 それを認め、理解した時には、ベルの身体は動いていた。

 背後から自分を呼び止める声を振り払いながら、ベルの足は、無意識のまま動き出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 完全に、不意を突かれた。

 否、完全に策に嵌まっていた。

 あの一手に、全てを賭けたのだろう。

 その賭けは、確かに間違いなく己の隙を突いた。

 防がれた筈の一撃が刺さった事に対する不信に一瞬とも言えない迷いが生まれ。続いて武器を手放した事に対する戸惑いにより、動きが乱れ。警戒していた『矢』の殺気がなかった事から、背後に現れた時もその『目的』が見えず。

 何をするつもりかと思考を回そうとした時には、既に相手の手は動いてしまっていた。

 己の身諸ともの自爆攻撃。

 あの魔力の嵐をまともに受ければ、耐久力といった点において、そこらの常人とそう変わらないこの体では、耐える事は出来なかったであろう。

 しかしそれでも、多少の負傷はあるが、現状この身が無事であるのは、運が良かったのも多分にあるが、この身に刻まれた修練によるもの。

 自爆という答えが頭に浮かぶ前に、自然と身体は動いていた。

 あの瞬間、回避のためにこの身体は動かなかった。

 刀が突き刺さったままの、あの男の身体を()()()()()

 爆発の盾とした。

 投げ飛ばされ、魔力の嵐が吹き荒れる中心地と己の間に挟むと同時、その身体を蹴りつけながら刀を引き抜き逃げ出した。

 幸いにも、吹き寄せる破壊の嵐の速度は、己の足には若干足らなかったようで、多少は巻き込まれはしたが、大した怪我を負うことはなかった。

 代わりと言ってはなんだが、盾にされた挙げ句、足場にもされたあの男は―――……。

 驚いた事に、未だ人の形をしていた。

 殆ど切断されていた筈の左腕も、ただ繋がっているという様相ではあるが、いまだ胴体から離れてはいないように見える。

 だが、その姿は最早見るに耐えない姿であった。

 全身あらゆる箇所が刻まれ砕かれ。

 その姿は、誰が見ても最早―――っ!?

 死んでいる―――と思った所で、その赤黒い塊が、ぴくりと動いたのを目にした。

 誰もが『死』を連想するかのような姿でありながら、未だ生きている。

 その事に驚きながらも、何処と無く納得するのを感じていた。

 以前の戦いでも、殆ど致命傷を受けながらも、この戦いに参加するまでに至ったのだ。

 この男を確実に殺すためには、それこそ首を切らなくてはならないだろう。

 そう思った時には、足が動いていた。

 既に決着は着いた。

 これ以上は戦いなどではない。

 そう、頭で理解はしていたが、身体は動いていた。

 ならば、止める理由はなかった。

 だから、最早死に体となった、抵抗するどころか、呼吸すら今にも止めかねない男に向かって歩く足を止めるつもりはなかったのだ。

 

 ―――その声が、

   

「待てッ!!!」

 

 聞こえる迄は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――もう、何度目だろうか、と、可笑しな程に冷静な思考でそう、思った。

 死にかけるのは、何度目だろうか、と。

 既に、痛みなど感じてはいなかった。

 痛み処か、何もかもが、遠く、離れて―――消えていて。

 思考すら、飛沫の泡のように、弾けて消えて、その度に浮かび上がり。

 生と死の狭間ではなく、既に九割方は向こうへと落ちているだろうことを、誰にも言われずともわかっていた。

 まるで、崖の下へと落ちる間際、微かに飛び出た岩肌に引っ掛かって宙吊りになったかのような。

 何時落ちて(死んで)も可笑しくない状態で。

 ゆっくりと、端から溶け落ちていくかのような、そんな思いで思考が削れていくのを感じる中―――ただ、望洋とした瞳で清々しいまでの青い空と、そこに浮かぶ朧月を映していると。

 

「……―――っ―――」

 

 それを遮る者が現れた。

 あれだけの戦いを経た後であるというのに、艶あるその金の髪を輝かせながら、アイズがその美しい顔を歪ませながら自分を見下ろしていた。

 必死に何かを呼び掛けようとしているが、とっくに耳はその用を成さなくなっており。

 微かに空気が震えているのを伝えているような気がするだけで。

 ただ、その口の動きから、反射的に何を言っているのかを理解した。

 途切れがちの思考と視界では、何を言っているのか完璧に把握することは出来なかったが、それでも何となくは、その言葉を知ることが出来た。

 そして、その言葉を見て(聞き)―――何を、言っているのだと疑問に思った。

 アイズが、口にしたのは、心配する言葉でも、何とか出来ないのかという助けを求めるような言葉でもなく。

 それは、伝言で。

 椿からの、オレ(シロ)へと向けられた言葉。

 それは―――

  

 

 

 

 

 もう、駄目だと思っていた。

 遠目から見ても、その姿は無惨の一言で。到底生きているようには見えなかった。

 それでも、知らず私の足は動いていて。傍まで近付いた私の耳に微かな呼吸音が聞こえて、慌てて顔を寄せると、聞き間違いではなく。

 確かに彼は生きていた。

 だけど、あの男から受けた傷を押さえながら必死に声を掛けても、彼の―――シロさんの目は茫洋と空をただ見上げるだけで。

 何の反応も無く。

 その瞳からは、意思も意識も感じられなくて。

 微かに聞こえるその呼吸音が無ければ、どう見てもその姿はまるで……。

 だから、それを振り払うかのように、私は必死に声を張り上げて。

 そんな時に、私の目は見てしまった。

 あの子の、姿を。

 あの子の、声を―――聞いてしまった。

 あの男の前に立ち塞がる男の子の―――ベルの背中を見てしまったから。

 彼から離れる事を―――目を離せば残り火のように弱々しい彼の命が掻き消えてしまいそうな恐れを感じながらも、それでも迷いを振り払って私はあの子の下へと行こうとして。

 ―――椿から託されたモノを思い出した。

 その託されたモノが、どういうモノなのか結局わからなかったけれど、それを伝える機会がもう無いかもしれないという思いもあって、彼女から託された言葉をそのまま―――聞こえているか分からないまま―――彼に伝えた

 あの時、彼女が私にシロさんに伝えてくれと託した言葉を。

 其れは―――

 

 

 

 

 

『シロさんに、伝えて欲しいって……何を?』

 

『ああ―――そう、あ奴に会ったら言っといてくれ』

 

『……お前は、初めて会った時から随分と変わったがな。まぁ、其れの是非を問うつもりは無いが……』

 

『一つだけ、今のお前にどうしても不満があってな―――』

 

『其れは―――』

 

 

 

 

 

「シロ、さん―――椿さん、が、伝えてくれって……っ―――」

 

 ……かつて、椿はアイズに対し口にした言葉があった。

 『剣』を見た、と。

 唾棄するのではなく、嫌うのではなく。

 まるで、焦がれるように、眩いものをみるかのように。

 

「『何を悩んでいる、何を迷っている―――悩むのは良い、迷うのも構わない。だが、自分を騙すのだけは止めろ』」

 

 一人の(人間)を『剣』として見て、憧れるかのような口調でそう口にしたのだ。

 そんな人が、伝えてくれと言った言葉の意味は、自分では理解できなくても、もしかしたら―――。

 

「『逃げずに―――答えを出せ』」

 

 そんな思いと共に、絞り出すように椿から渡された言葉を口にした後、今にも崩折れそうな身体に鞭を打ち、アイズは歩き出した。

 今もまだ、震えながら立ちふさがり続ける少年の下へと向かって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――悩んでいる……?

 

 ―――迷っている……?

 

 ―――オレ、が……?

 

 ―――そんな、事は―――

 

『―――ヒヒ』

 

 ―――……

 

『無いっていうのかい?』

 

―――ああ……そんな()()等……オレにある筈が……

 

『いんやぁ~……あるんじゃねぇの?』

 

 ―――何故、そう言い切れる……?

 

『あん? そんなの決まってんじゃねぇか』

 

 ―――決まって、いる?

 

『今のあんたを見れば一目瞭然じゃねぇか』

 

 ―――そんな、訳が

 

『いいやぁ、あるねぇ』

 

 ―――あるわけが、ない。

 

 ―――そうだ、あるわけがないのだ。

 

 ―――この身も、心さえも……所詮は偽物でしかない。

 

 ―――肉体に僅かに残っていた記憶も、既にその全ては『記録』へと置き換わり……最早何の感慨も沸くこともない……

 

 ―――そんな……虚ろな人形に……『悩み』……『迷い』……そんなモノなど―――

 

『―――だな』

 

 ―――っ

 

『ああ、そうさ、その通り。あんたの身体にこべり着いていた『記憶(思い出)』は、あの時一切合切『記録』へと変わった。ああその通り。それは間違いない』

 

 ―――なら

 

『だけどなぁ、おい? じゃあ、なんであんた―――』

 

 ―――?

 

『―――泣いてんだ?』

 

 

 

「―――ぁ?」

 

 

 

『何もねぇ奴が、泣くわけねぇだろ』

 

 ―――っ、これは、ただの

 

『―――もう、あんたもわかってんだろ』

 

 …………

 

『自分の事だしな、もうとっくの前から分かってただろ』

 

 それは……

 

『確かにあんたは『記憶(思い出)』を代償にして強くなってきた。僅かに肉体に残っていたそれ(記憶)を少しずつ、削るようにしてそれを薪に変えて己を鍛え続けてきた』

 

 …………

 

捧げた(燃えた)記憶(思い出)は決して戻ることはねぇ。あんたはもう、あの記憶(衛宮士郎の記憶)を自分のものとは感じることはねぇ。それは絶対だ』

 

 …………

 

『そしてあんたの中にゃあ、欠片もそんなもの(記憶)なんてなくなっちまってる』

 

 ……

 

『……なぁ、何か言えよ』

 

 ……なら、オレの中に、何があると―――

 

『『衛宮士郎』の『記憶』はなくても、『シロ』の記憶は変わり無くある筈だろ』

 

 ―――っッ!!!

 

『あんたがこれまで支払ってきたモノは、全部『衛宮士郎』のものでしかなかった。『シロ』のそれ(記憶)は、欠片も無くなっちゃいねぇ』

 

 それ、は―――

 

『自分の事だ、よ~く分かってんじゃねぇのか?』

 

 ―――ああ……そうだ、な

 

()()()、『迷って』んだろ『悩んで』んだろ』

 

 ……()()()

 

『そう、()()()あんたは『迷って』『悩んで』る―――『欲』が生まれている』

 

 ああ―――そうだ、な……

 

『共に、ずっといたい、と』

 一緒にいたい、と……

 

『……認めやがったな』

 

 ああ、認めよう。その通りだ。確かにオレは、『迷って』いた。『悩んで』いた。あの二人と、共に―――ずっと一緒にいたいと……

 

『はぁ……馬鹿だなぁあんたは、結局結末なんて、()()()()()()()()()()()、な』

 

 ―――ああ、そうだな。

 

『で、それを認めたあんたは、どうする?』

 

 決まっている。

 

『何が?』

 

 奴を、倒す。

 

『……いいのか? 別に逃げてもいいんじゃねぇのか? あんたが本気になれば、あのガキや女神とやらも一緒に連れて逃げることも出来るだろ』

 

 そうだな。確かにやろうと思えば出来るだろうな。

 

『じゃあ、なんでやらねぇ?』

 

 それは……何で、だろうなぁ……

 

『おいおい』

 

 ―――まあ、何だ。オレはどうやら『兄』のようだからな、少しは格好をつけた所を見せたいだけかもしれん……

 

『っ―――は、ヒヒヒ……そんなんで、いいのかい?』

 

 ああ、構わない。

 

 命を賭けるのには―――十分だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――それ以上進めば、敵と見なすぞ―――小僧」

「――――――」

 

 その声は、まだ30M近くも距離があるにも関わらず、不思議なことに良く耳に届いた。

 しかし、もしその声が届かなくても、僕の足はあれだけの決意を固めていたのに、きっと止まってしまっていただろう。

 見た、だけでわかった。

 ああ、無理だって。

 初めてミノタウロスに襲われた時よりも、初めて階層主を前にした時よりも、『死』を感じた。

 体だけじゃない。心も思考も凍りついて、一歩どころか指先すら動かない。

 呼吸すら、止まって。

 意識も、少しずつ、揺れて、薄らいで―――だけど。

 気絶する事は出来ない。

 だって、予感がするから。

 ここで倒れれば、もう二度とシロさんに会えないって。

 だから、もう、どうにも出来ないけど、何も出来ないけど―――それでも。

 

「それ、は―――私も?」

「っ―――ぁっげほっ!」

 

 後ろから聞こえてきた声に、動けなかった筈の体が、首だけでも後ろへと動いたけれど、開いた口からは言葉ではなく必死に息を吸うだけ音と咳き込む声しかでなかった。

 

「ベル、大丈夫?」

「ぼ、くは―――アイズさんこそ」

 

 そう言いながら、アイズさんの姿を見て、僕は絶句してしまった。

 あれだけ綺麗な鎧はそこにはなく。残骸としか言い様のないものが名残のように体に着いていて、その身体からも、破いた布を使った応急措置はしてあるけれど、どうも上手くいっておらないようで、両の脇腹からの出血により滴る程の血が滲んでいた。

 顔色も青白く、呼吸も明らかに可笑しくて、咄嗟に下がってと言いそうになったけれど、そう言う自分も大して変わらないと言い澱んでしまう。数本ポーションを飲んだだけ、まだ自分の方がましかもしれないと言う思い返し、アイズに向かって口を開こうとしたが、それよりも先に、あの人が口を開いた。

 

「そうだな。どちらでも、そこからあと一歩でもすすめば、同時にその首を落としてやろう」

「「―――っ」」

 

 まるで天気の様子を口にするかのような何気ない言葉に、しかし僕とアイズさんは氷柱を背骨の代わりに入れ込まれたかのような寒気と言う名の『死』を感じた。

 僕だけじゃなく、アイズさんの動きさえ押し止めてしまう―――静かな、静かすぎる『殺気』に。

 動かなければいけないのに。

 あの人(佐々木小次郎)の足を―――シロさんに向かう足を止めないといけないのに。

 なのに、そのための足が―――一歩も―――。

 

「っ―――っぅ!!!」

 

 必死に、動かそうとする意識はしかし、『死』から離れようとする本能が支配する肉体には勝てず。

 悔しげに動かない足を見下ろしながら、唸るような声しか漏らすことしか出来なくて。

 あの人(佐々木小次郎)の足が、シロさんへ―――

 

「―――まさか」

「―――うそ」

 

 あの人(佐々木小次郎)と横にいる筈のアイズさんの声が聞こえてきて。

 反射的に上げた僕の視線が、アイズさんの顔が向けられた方向へ―――

 

「な、んで―――シロ、さん?」

 

 そこに、死に体の筈だったシロさんが、立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴様―――不死身か?」

 

 呆れたような小次郎の声はしかし、何処か若干ひきつっているようにも聞こえた。

 だが、それも仕方のないことだろう。

 満身創痍という言葉ですら生ぬるいほどなのだ。

 骨など、数えるのも馬鹿らしいほどまで折れている筈だ。

 なのに、立っている。

 それどころか、小次郎の声が聞こえたのか、立つどころか、息することも儘ならないような状態だったシロが、ゆっくりとその足を前へと動かし始め。

 4、50Mはあるだろう距離を、一歩ずつ、ゆっくりとだが、確かに前へと。

 それを、小次郎は止めるでもなく待ち。

 そして、互いに距離が20M程―――小次郎の間合いの一歩手前程の位置で、その動きが止まり。

 

「なん、ど―――言わせる、つもりだ……さい、後まで、付き合ってもらうと、言ったはず、だ」

「……その様で、それを口にするか。最早剣など振れんだろうに」

「ああ……確かに、そう、だな」

「ならば―――」

 

 続けて言葉を放とうとした小次郎だったが、それが口から出る前に、シロの言葉がそれを遮った。

 文字通り血を滲ませ声を溢していたシロが、赤いあぶくを口の端に残しながら、それでも言葉を放ち。

 

「だが、まだ―――出来る事も、ある」

「……何が出来ると言うつもりだ」

 

 出来る事があると言う。

 それに対し、何時からか小次郎の顔には困惑から何かを期待するかのような色が浮かび始めた。

 まさか、まだ何かあるのかという期待を滲ませた小次郎の言葉に、シロは掠れた瞳をそっと動かし、微かに感覚が残る右手を見下ろした。

 

「そう、だな―――刀を一本、用意することぐらいは」

「ほぅ……で、用意できたとして、それで何が出来る? 貴様に、何が出来ると言う」

 

 何が出来るのかという問いに対し、刀を一本用意できると言ったシロに、小次郎が疑問を呈する。

 目を離せば、その隙で死にかねない姿を晒しているのだ、どれ程の剣を用意したとしても、何が出来るわけではないという小次郎の考えは―――

 

「お前を斬る」

 

 ―――ある意味期待通りであり、予想外でもあった。

 

「―――よくぞ口にした。其ほどまでの大言、貴様が用意すると言う刀に、俄然興味が沸いたぞ」

 

 笑みを浮かべながらシロを睨み付けるのではなく見つめる小次郎に対し、シロも何処か苦笑染みた笑みをその口に湛え。

 

「そう言うのならば、もう少しだけ付き合ってもらおうか」

 

 小さく、意思を整えるかのように息を吐き。

 

「それで、貴様が用意すると言う『刀』とは、一体どんな代物なのだ?」

 

 疑問の声を小次郎が向けると、直ぐには応える事はせず、シロは小さく顔を上げ空を見上げた後、ゆっくりと瞼を閉じた。

 閉じた視界には、ただ、闇が広がっている。

 それは不自然な程に暗く。

 まるで底の無い井戸の奥のような闇で。

 その、奥で―――奥底にて、キラリ、と何かが光り―――シロの口から言葉が紡がれ始めた。

 

「―――その『刀』を打った刀鍛冶は、何時の頃からか、とある物語に語られる『剣』に至る事を目指し、数多もの刀を打ち続けた。生涯を掛け刀を打ち続けるも、その頂きにはしかし届かず。命を終え、その魂が『世界』に召し上げられてからも、また目指す頂へと至らんと『刀』を打ち続けた」

 

 闇の向こうに見える光は、一度だけでなく、二度、三度と輝き。

 一定の頻度で見えるそれは―――光ではなく、赤く燃えては消える火花であり。

 それが見える度に、口から言葉が零れていた。

 

「その果てに、とある世界において、その刀鍛冶は呼び出され。何時ものように、刀を打ち―――そうして打ち上がった『モノ』があった」

 

 火花に照らされ、闇の中で何かが浮かび上がる。

 ―――老人だ。

 ―――いや、青年だ。

 ―――白髪の―――赤髪の―――

 うっすらと、火花が散る度に微かに浮かぶ人影。

 何かをもって、それを振り下ろし―――火花が散る。

 音も―――聞こえる。

 鉄を打つ音だ。

 鋼を鍛える音だ。

 火花が散る度に―――鉄を打つ音が響く度に―――ゆっくりと、唯一感覚が感じられる右の掌に、ナニかが集まっていく。

 それは次第に熱を帯び、形を成していき。

 

()()は、恐ろしいまでのモノであった。岩であろうが、金剛であろうが、容易く切り刻むまでの切れ味を誇るも、しかし、斬るべきモノ、斬らぬモノを区別することなく刻み、それどころか担い手すら斬りかねない()()は、最早『刀』ではなく。破壊が形になったかのようなモノであり―――『龍』の如きモノであった」

 

 闇が、裂けた。

 光が見えた。

 鋼を鍛える音が止み。

 火花が散ることがなくなった時に、代わりに覗いた光が、闇を割いた。

 それが何なのかは闇に沈んで見えはしないが、それでも其が何なのかはわかる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 その本身を見ることすら出来ないというのにも関わらず、その一端を目にしただけで震えてしまう。 

 だがそれを、それを打ち上げた者は―――

 

「故に失敗作と断じられ、打ち捨てられた」

 

 其れを投げ捨てた。

 振るえぬ『刀』など、『刀』ではないとでも言うかのように、捨てられて。

 

 滔々と語るシロの口調は変わらず、その様から感じられる弱々しさすらなく。

 平常であるが故に異常ではあるが、それを指摘する者はいなかった。

 それ以上の、目に見える異常があったからだ。

 それは右の手。

 何もない筈の中空から、幾つもの紫雷が走っていた。

 それは次第に大きく激しくなり。

 

()()は、其処で朽ちる運命にあった。誰にも知られず、一度も振るわれる事もなく消え去る『運命』にあった『其れ』は―――だが、其処で『運命』と出会った」

 

 闇の中、沈んでいく捨てられた『其れ』は、ゆっくりと下へ下へと落ちていく。

 誰も受けての無い底へと沈み行き。

 最後は朽ちて消えてしまう筈が、其れを掴む者がいた。

 

 ―――一際強い雷が走った。 

 目映い光に、声もなくその光景を見つめていた者達が咄嗟に顔の前に手を翳し―――。

 

「『龍』が雲を得て空へと昇るように、其れもまた、『担い手』を得て―――」

 

 ゆっくりと、閉じた瞼を開いていく。

 闇の中に光が差し込み。

 光と闇の狭間において、二つの人影を見た。

 背を向け立つ二人の人影。

 

「ようやく『其れ』は『刀』と成った」

 

 その一人の姿を捉える。

 赤銅色の髪に、若々しい背中。

 しかし、その身に纏う雰囲気は、年経た者のそれでいて。

 それが誰なのかと疑問を抱くよりも前に、自然とその名を口にしていた。

 

「その『刀』を打ち上げた刀鍛冶の名は―――千子村正」

 

 そして、その男の傍に立つ。

 もう一人の剣士が握る刀こそ―――

 

「そして、その刀の銘は―――」

 

 小次郎に勝つための最後の欠片の一つである刀。

 その銘こそ―――

 

 誰かが息を飲む音がした。

 ()()を見た者は、その美しさに目を奪われ。

 意識すら刈り取られたかのように引き寄せられた。

 シロの右手。

 何も掴んでなかったそこには、いつの間にか一振りの刀があった。

 オラリオの冒険者も神々も見慣れぬその『剣』。

 刃に浮かぶ波紋は、まるで極上の女人の艶肌のように美しく―――妖しく。

 誰もが―――神々さえも見惚れる―――見蕩れるその『刀』の銘こそは―――

 

「【明神切村正】」

 

 

 

 

 

「―――そんなまさかっ!? いや、でも……」

 

 オラリオにおいて、その『刀』を目にした神々の中でも、特に大きな反応を示した者達がいた。

 それは鍛冶を司る神であり、武を司る神でもあった。

 共通するのは『剣』を良く知ること。

 神界において、数多の神匠が打った神剣を見てきた者達である。

 故に、その『剣』を見た瞬間、見惚れると同時に驚愕がその心を支配した。

 神であるからこそわかった。

 数多の神剣を見てきたからこそわかった。

 其れが、神によって打たれたモノではないことを。

 人が打ち上げしモノであることを。

 それでありながら、神でさえ見間違える程にそれは極まっていた。

 

 

 

 

 

「明神切村正……()()、だと? それに千子村正……ああ、成る程、確かにその威容―――妖刀村正とはよくぞ言ったものよ」

 

 其れを目にした時、流石の小次郎も驚きにその身を固めたが、しかし直ぐに吐息のような笑い声を上げ始めた。

 

「妖しいほどの美しさ―――見ればわかる。其れが途方もない業物であると。期待通り―――いやそれ以上だ。それは認めよう」

 

 眩いモノを見るかのように目を細目ながら、シロが握る刀を見つめていた小次郎だったが、浮かべていた笑みをすっと消え去ると同時、首を傾げた。

 

「だが、それがどうした?」

 

 そうして、刀を持ったまま動かないシロを改めて見た。

 その目は何処までも冷たく、冷静で。

 恐ろしい程の力を感じさせる刀を目にしながらも、気にする様子は最早なく。

 淡々とした口調でシロに問いかけた。

 

「どれだけのものを用意しようとも、振るう事が出来ねば刀などそこらの棒切れの方がまだましよ」

「―――ああ、その通りだ」

 

 小次郎の言葉を、小さな呟きのような声でシロは肯定した。

 

「で、それで終わりか?」

「いや、もう少しだけ、付き合ってもらおうか」

「ほう……」

 

 ピクリと、小次郎の眉が動いた。

 これ以上、まだナニかあるのかと言うような眼差しを受けたシロは、もう頭を動かすことも出来ないのか、身体を微動だにすることなく、視線だけを造り上げた『刀』に向けて。

 

「ああ、お前の言う通り。どれだけ優れた剣があっても、それが振るえなければそこらの棒切れにも劣るだろう」

 

 ぽつり、ぽつりと小次郎の言葉を肯定していたシロの口許に、笑うというには何処か歪んだものが浮かび。

 

「この身体では、どんなモノであろうと宝の持ち腐れでしかない……まあ、この刀に限れば、それ以前の問題だが、な」

「何を―――っ!?」

 

 その笑みに、疑問の声を上げようとした小次郎の口が息を飲む。

 雷が走り―――血潮が舞った。

 

「「―――ッ!!??」」

 

 その光景を目にしたベル達から声無き悲鳴が上がった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「言っただろ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ」

 

 吹き出た血の量、走った雷の勢いからして、表面だけ炙ったようなものではない事は一目瞭然であった。

 腕が吹き飛びかねない程の威力のそれを受けながら、しかしシロは平然としたままで。

 その様子から、既に痛覚は無いものと思われて。

 刀から走る雷は、一度だけではなく、二度、三度と続いて走り。

 その様は、まるで刀がシロを拒絶するかのように見えて。

 

「これを振るえるのは、ただ一人だけ」

 

 オラリオで、そしてこの場で、その姿を目にする者から悲鳴が上がる中、その中心にいる筈のシロだけが平然とした様子で、言葉を紡いでいた。

 それは、一人の剣士の物語であった。

 

「たった一人の剣士のみ」

 

 極点へと到った、一人の剣士の物語。

 

「―――さあ、()()()()()()()()?」

 

 全身の骨は折れ砕け、ただ立っていることが奇跡のような状態でありながら、シロの声からは最早弱々しさは感じられず。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()也っ!!」

 

 それどころか、声をあげる度にシロから感じられる気配が濃く、強くなっていき。

 

「行き詰まりの世界に生まれしその者は、剪定のおりに世界から零れ落ち―――」

 

 されど刀から走る雷は止まず、それどころか時間が経つにつれその勢いは増して。

 

「数多の世界を渡り歩いた」

 

 『刀』から生じた無数の雷が、シロの身体を切り裂き貫いていく。

 

「戻る場所はなく、行く先もなく」

 

 だが、シロの身体は不動のように揺るぎなく。

 雷の雨に打たれながらも、未だその身を崩すことはなかった。

 それどころか―――

 

「しかし―――目指すべき高みはあった」

 

 逆に、『力』が凝縮されるかのように、生じる熱量が上がっていくかのように見えて。

 余計なものを削っているかのように、削ぎ落としているかのように―――いや、()()

 

「無二たる一のその先へ―――極点たる頂きに至るため、その剣士は歩み続け」

 

 ()()()()

 何時からだ。

 刀から生じた雷が、シロの身体を貫いてはいなかった。

 何時しか雷は、シロの身体を貫ぬくのではなく―――()()()()()()()()

 

「その果てに、剣士は一振りの(運命)と出会った」

 

 そう―――その通り。

 撃ち込まれていたのだ。

 刀からシロへ。

 あらゆるモノが撃ち込まれていた。

 

「そして挑みしは七つの地獄―――七騎の剣豪ッ!!」

 

 それは『明神切村正』の記憶。

 『記録』ではなく―――『記憶(思い出)』。

 

「その悉くを踏破し、斬り伏せしその先で―――ッ!!!」

 

 何も為せず、何にも成れず―――ただ消え去る筈の運命から救い上げられ。

 共に駆け抜けた『記憶(思い出)』の全てを、【明神切村正】がシロへと撃ち込み刻み込む。

 

「剣士は遂に「 」へと至り、一のその先―――【零】へと到った!!!」

 

 だが、シロの身体はその度に確実に削られていく。

 身体の外と内を雷に焼き焦がされながら、しかしそれでも上げる声には弱さはなく。

 

「やがて【虚空】すら斬り伏せるその剣士こそ―――天下一の剣士にして―――」

 

 武士の名乗り上げのように、高らかに、誇らしげにその者を語っていく。

 

()()()()()()()()()()()()()ッ!!」

 

 血反吐を吐き散らしながら、声をあげる度に喉を裂きながら。

 内蔵を撹拌される違和感を感じつつも、それを受け入れ吠え猛る。

 

「彼の者と貴様が相対するというのならば―――」

 

 既に視界は断絶し。

 その瞳は何も映してはいない。

 身体の感覚も、何もなく。

 ただ、衝動のままに声をあげ。

 最後の瞬間を待っていた。 

 

「この時こそ決闘の時―――ッ!!」

 

 そして、遂にその時が来た。

 

「此処こそがッ―――()()()ッ!!!」

 

 散々に撃ち込まれた(記憶)を原料に、己が内で造り上げた一発の夢想の弾丸。

 それを弾倉に詰め。

 ゆっくりと、撃鉄を引き下ろしていく。

 銃口の向ける先は―――

 

()()()()()()()()()()()()()()っ!!!」

 

 

 

 ―――後は、頼んだぞ―――ベル

 

 

 

    投影(トリガー)―――

 

 

 

 ―――達者でな―――ヘスティア

 

 

 

 

    装填(オフ)

 

 

 

 引き金が下ろされ―――夢想の弾丸が飛んでいく。

 その先にあるのは、己の根底―――()()()の霊基。 

 狙い違わず―――弾丸は霊基を打ち貫き。

 霊基の全てを砕いた。

 そして―――砕けた霊基が、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ―――光の柱が空を貫いた。

 黄金の柱。

 地上から天へ。

 まるで龍が空へと翔け昇ったかのような光景。 

 神聖ささえ感じさせるその光景は、やがて溶けるように消え失せて。

 そして、数多の視線が向けられる先。

 光の中心に、未だ光の残光が残るその場所に、その者は立っていた。

 シロが立っていた筈のそこへ、見知らぬ者が立っていた。

 誰も見覚えのない者だ。

 だが、見覚えのあるモノがあった。

 その者が右手に握るモノだ。

 『明神切村正』―――シロが掴んでいたそれを、何故か突然現れたその者が握っていた。

 共通点はただそれだけ。

 それ以外は全く繋がりがない。

 何せ()()()()()()()()()()

 その者―――薄紅色の髪を一つに縛り、藍色の短丈の服を着たその女は、眠っているかのように、顔を俯かせたまま微動だにしない。

 垂れた髪の向こうに見える顏は、端正で美しく。

 事態が把握出来ず呆然と固まっていた者達も、目を奪われる程に神聖さを感じさせる程に美しく。

 静寂が周囲を包むなか。

 それを最初に破るのは、やはり一人しかおらず。 

 

 

 

「―――――――――ぁぁ……」

 

 

 

 それは、万感の想いが籠った声であった。

 悲鳴のような声であり。

 歓喜の声のようであり。

 何十もの感情が入り交じった、正に万感の声を上げ。

 小次郎はわらった。

 

 笑って―――嗤って―――その名を呼んだ。

 物語の如く。

 その名を呼んだ。

 待ち続けたその者の―――己の片割れが如き者の名を―――

 

()()()()―――()()()()ッ!!」

 

 その、(言葉)が切っ掛けとなったのか、伏せていた女の瞼が震え、ゆっくりと開いていく。

 そして隠されていた瞳が露となって―――その焦点が、相対する小次郎に定まると。

 純粋ささえ感じられたその顔を、応じるかのようにゆっくりと歪ませていき。

 笑って―――嗤って―――その名を呼んだ。

 物語の如く。

 その名を呼んだ。

 

()()()()()―――()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 そうして、異なる世界において剣士は漸く己の運命と出会った。
 一を越えし零を極めたその剣に、男は己の剣をもって挑む。
 交差する二つの剣を見つめるのは、一人の女。
 定められた物語を知るその者の瞳は、何を映すのか。
 
 次回、たとえ全てを忘れても 
    第二部 外典 聖杯戦争編
    第三章 瞬撃の巌流島
    最終話 瞬撃の巌流島



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最終話 瞬激の巌流島


 この章で起承転結の「承」の部分が終わります。
 次章から「転」の話が始まりますが、「転」は三つの章を予定しています。
 何とか今年中に出来たら良いなぁ……。
 それでは、たとえ全てを忘れても
 第二部第三章 瞬激の巌流島 最終話 瞬激の巌流島
 お楽しみください。

 皆様の感想と評価が力となります。
 もしよろしければ、お暇なときにでも頂ければ幸いです。 


 

 ―――英霊【エミヤ】は、根本的に一つの魔術しか使えない。

 それ以外にも使えるように見えるのは、ただそう見えるだけでしかなく。

 【解析】も【強化】も【投影】も―――結局はただのそれ(ただ一つの魔術)派生(劣化版)でしかなかった。

 しかし、その中の一つに―――彼が使える【魔術(劣化版)】でしかない筈の中の一つに、面白いもの(魔術)があった。

 【投影、装填(トリガー・オフ)】―――【解析】、【強化】、【投影】。

 その全てを組み合わせ、混ぜ合わせ、解け合わせた【魔術】。

 【解析】により、『刀剣』からその過去(記憶)の使用者の技術―――技能を理解し。

 【強化】により、足りない肉体的な不足を補足。

 【投影】により、『刀剣』の記憶を再現。

 単純に【解析】によって、本来使用不能な筈な【宝具】の単純な解放だけに収まらない。

 技術の集大成―――【技】の再現さえ可能とする反則的な【魔術】。

 とは言え、それにも限界はある。

 単純な【宝具】の解放だけであっても、本来の使用者によるものと比べ、その開放率(破壊力)は6~7割でしかない。それも良い方であり。悪ければ、その再現率は半分も切ることもある。

 そして、それは【投影、装填(トリガー・オフ)】もまた、そうである。

 それは単純な【宝具】の解放よりも難しく。

 また、再現率も高くはない。

 良くて6割。

 悪ければ3割もいかないであろう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 【宝具】―――ではなく。

 【技】の完全再現というものは。

 どれだけ詳細に【解析】したとしても、如何に限界を越えてまで【強化】したとしても、細胞の一つ一つさえ【投影】したとしても―――技術の、いや、その者の人生の集大成とも言える【技】を完全再現すること等、出来よう筈もなかった。

 故に、彼は―――英霊【エミヤ】の霊基を持つ男は考えた。

 ならば、【技】―――ではなく、それを振るえるその者自身を再現することは出来ないか、と。

 馬鹿な考えである。

 【宝具】どころか【技】どころか―――その者(英雄)自身? 

 木の上にある果実が欲しいからといって、その木ごと手に入れようとするようなものだ。

 話にならない。

 だが、その男はそんな馬鹿な考えを捨てなかった。

 考えて―――考えて―――悩んで―――悩んで―――そして、一つの結論に至った。

 欲しいのは、【英雄】そのものではない。

 【英雄】が振るう【一撃】。

 それがほしいのだ、と。

 そう、一撃でいいのだ。

 【英雄】が全力で【一撃】を振る事さえ出来得るのならば、それで良いのだ。

 元より長期戦は考えてはいない。

 【一撃】―――たった一瞬だけ。

 あの【英雄】の全力の一撃が振るえる時さえあれば、それで十分。

 それには、何が必要か?

 前提として必要なのは、あの英雄が振るう刀。

 それも、ただの刀では駄目だ。

 あの英雄が高みに至った時に使用していたモノが必要である。

 幸いにも、それに該当するであろうモノには心当たりがあった。

 以前、己の根本と繋がった(霊基再臨)した際に、見た(感じた)()()()中に、それはあった。

 一際遠くに見えたあの背中に、それがあるという感覚があった。

 ならば、次の問題は、もし首尾良くその刀を手にした時に、どうやって完全にあの英雄を再現するのか、という点だ。

 現界の時間を削ることにより、少しでも再現率にリソースを使用する?

 少しはましになるかもしれないが、誤差程度でしかないだろう。

 では、どうする?

 そんな事は―――決まっている。

 【魔術】とは―――無から有を産み出しているかのように見えるが、実際にはそれに見合う()()かを支払っている。

 時間や魔力、触媒や生け贄―――対価となるナニかを。

 【奇跡】に等しいナニかを求めるとするのならば、それに見合うだけの対価が必要である。

 ならば、選択肢は一つしかない。

 

 分の悪い―――悪すぎる賭けであった。

 いや、分が悪いどころではない。

 殆ど不可能に近い賭けであった。

 最早賭けというには馬鹿らしく、自殺と変わりはしない。

 

 ……では、何故、そんな方法を選んだのか。

 失敗すれば無駄死に。

 成功しても確実に死ぬ。

 何故?

 死にたいからか?

 未だここ(この世界)にいるのが間違いであると考えているから、それ()を選ぶのか?

 

 …………

 

 ―――違う。

 そうじゃない。

 そうでは、なかった。

 確かに、そんな考えが―――想いがあったのは否定はしない。

 一時期は、本当にそう願ってもいた。

 だが、もうそんな考えは捨てた。

 いや、()()()()()()()()()()()()()

 気付いてしまったから。

 知ってしまった。

 私が―――俺が―――オレが……どれだけあいつらの事を大切に思っているのかを。

 離れたくないと。

 一緒にいたいと。

 共に、最後までいたいと、そう願ってしまっていることに。

 では、何故、それならばそんな(確実な死が待つ)方法を取ろうとしているのか。

 それは―――決まっている。

 ()()()()()()()()()()()()()

 アレ(佐々木小次郎)は強すぎた。

 単純な技―――技術のみで【英霊】の領域へと至る程の化け物の力は、かつて(第五次聖杯戦争)とは違い。その束縛を無くした今では、下手をすれば超長距離からの広範囲狙撃であっても仕留めることが出来ないかもしれない程に―――そこまで、あの(佐々木小次郎)は極まっていた。

 何よりも最悪なことに、あの男のクラスは【アサシン】である。

 ここを逃せば、捕らえる事すら難しくなってしまう。

 倒すならば、今ここしかない。

 ここでしか、倒す機会はなかった。

 

 だが……逃げ出す事なら、不可能ではなかった。

 ベルと、ヘスティアを連れ、ここ(オラリオ)から逃げ出すことは、不可能ではなかった。

 やろうと思えば、今でもそれは可能であった。

 

 ―――しかし、それは出来ない。

 

 見てしまったから。

 ベルと―――ヘスティアのあの姿(選び進む姿)を見て、迷ってしまった時点で、オレの選択肢は一つしかなくなっていた。

 追い詰め、追い込まれ。

 友を、仲間を引き離されても、それでも諦めず。

 前へ進むことを誓い。

 僅かな可能性を目指し進むあいつ(ベル)の姿を見てしまえば、もう、逃げることは選べなかった。

 だから、今―――オレはここにいる。

 ()()に指摘された通りに、見て見ぬ振りをしていたから、迷っていたために、掴めなかったあの背中()を。最後の最後で漸く認めた事で掴めた事から、手にすることが出来たあの一振り。

 事ここに至れば、最早戻ることなど出来はしない。

 結果はどうあれ、結末は決まってしまった。

 後悔はある。

 未練など、我ながら情けないほどに感じている。

 ―――あの日、あの時、交わした彼女との約束は―――……オレは果たす事が出来ていたのだろうか……。

 

 ……覚悟はしていた。

 

 何時か、こんな時が来るのでは、と……。

 

 それでも、ああ―――だけど、もう、迷いすら捨て去った筈なのに……。

 

 やっぱり―――

 

 ―――死にたく……ないなぁ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蒼天に僅かな雲が流れる空の下、向かい合うは二人の剣士。

 紺色の雅であった陣羽織の残骸を身に纏うは、激戦を潜り抜けたとは思えぬ程に衰えを見せない。いや、それどころか益々精気を溢れさせる程に意気を見せる男の剣士。

 対するは、恐ろしき妖刀を手に下げし、薄い桃を思わせる色の髪を持つ女。大輪の花を思わせるその容姿は、しかしその瞳を見た時に強制的に理解させられる。彼の者は、その手にするモノ(妖刀)と同じく美しくも恐ろしき女の剣士。

 両者の間にある距離は十数M。

 男は城を背に、女は破壊された城壁の向こうに広がる荒野を背に。

 向かい合っている。

 互いに既に間合いの中。

 瞬く間もなく踏み越えられるその距離を前に、互いに笑み(威嚇)を向け合う両者。

 一秒―――十秒―――暫くの間向かい合う二人。

 そして―――。

 偶然か必然か、だらりと互いに己の獲物()を右手にぶらりと垂れ下げた姿(構え)を見せていた二人は、まるで示し合わせたかのように動き出す。 

 佐々木小次郎は、隙を晒すかのような相手に背中を見せながら、両手に掴んだ長い刀身を持つ刀を眼前まで引き上げた、どのような構えとも評せられない奇妙なる構えを。

 宮本武蔵は、右の横顔に添えるかのように、顔の高さにまで両手で握った柄を引き上げた、八相の構えに似た構えを。

 両者が構え―――二対の瞳が交じり。

 まず、(剣士)が口を開いた。

 

「【二天一流】―――宮本武蔵」

 

 続いて、(剣士)が口を開いた。

 

「我流ここに至り【巌流】を名乗らせてもらう―――【巌流】―――佐々木小次郎」

 

 互いに名乗りを上げ―――再び時が止まったかのように動かなくなる二人。

 時と共に、緊張感は加速度的に高まり。 

 それを見つめる第三者である筈の者達―――常人を越えている筈の冒険者であっても、その覇気に飲み込まれるかのように気を失うものが散見される程で。

 高まり続ける緊張感と、両者が発する剣気は留まることを知らず。

 両者にある空間が捻れ千切れてしまうのではという妄想すら現実に成りかねないほどに高まった―――その瞬間。

 何が切っ掛けだったのか。

 蒼天に浮かぶ朧の月が、小次郎が背にする城の真上に位置した瞬間。

  

 ―――小次郎が動いた(潮合が極まった)

 

 それは最早速い遅いといった次元の話ではなく。

 音速―――光速といった区別ですらなく。

 世界の狭間を潜り抜けるかのような不可解な―――空間跳躍染みたその一歩。

 その一歩で、小次郎は武蔵の前に現れた。

 それを追う視線はない。

 現人類における頂点に位置するオッタルでさえ、小次郎が動いたことすら気付いていない程であり。

 対する武蔵ですらも、その視線は小次郎の姿を捕らえてはいなかった。

 

 秘剣―――燕返し

 

 そうして、振るわれるのは一刀にして三刀。

 避ける事は叶わず。

 防ぐ事も叶わぬ必殺たる秘剣。

 未だ小次郎の姿を捉えられぬ武蔵に、それを凌ぐ術など―――

 

 ――――――ッ!!?

 

 小次郎の―――頭上に―――武蔵が振り下ろす一刀が―――

 

 後の先―――ではない。

 先の先。

 ()()()()()()()()()()()()()

 先の先―――小次郎が動く直前。

 その間際に、武蔵は剣を振り下ろしていた。

 未来予知染みた、その直感に従い振り下ろされしその一刀は、狙い違わず小次郎の面へと落ちていこうとしている。

 避ける事は出来ない。

 そう判断した小次郎。

 故に―――逸らす。

 三刀のうち二刀。

 それを持って迫り来る武蔵の一刀を逸らす。

 そして、同時に残りの一刀をもって武蔵の首を落とす。

 時が―――一瞬が永遠にまで引き伸ばされているかのように感じる世界の中。

 小次郎は二刀を持って武蔵の一振りを逸らしにかかる。

 受ける事は不可能。

 見ろ―――あの一刀を。

 振り抜かれる軌跡を。

 世界が斬り分けられる様を。

 如何なる盾も、如何なる矛もあれを防ぐ事は叶わない。

 故に―――逸らす。

 ミリすら足りぬ。

 コンマすら荒く感じる程の精緻なる刀捌きを持って、武蔵の一刀を逸らす。

 ほんの一ミリ。

 いや、一コンマでも構わない。

 逸らす事が叶えば、死にはしない。

 腕の一本やニ本は失うかもしれないが、それで十分―――大戦果である。

 既に小次郎のその技量は、人の域をとうに越え。

 神すら瞠目する領域にまで至っていた。

 魔法―――いや、神の振るう【アルカナム】染みたその技量ならば、空間すら断絶させる武蔵の一刀ですら、逸らされる可能性はあった。

 そう―――武蔵が振るう刀が、ただの業物であるならば。

 いや、それが例え宝具に匹敵し得るものであったとしても、極まりに極まった今の佐々木小次郎ならば、逸らして見せたかもしれなかった。

 小次郎の選択に―――技には欠片も誤りはなく。

 ただ一つ誤算があったとするのならば―――今、武蔵が振るいし刀は、ただの刀ではなく。

 数多ある【妖刀】の中であっても、並ぶモノなど神代のそれも含めても僅かしかないだろう【大妖刀】―――【明神斬村正】である事で。

 小次郎の振るう二刀が、武蔵が振り下ろす刀―――【明神斬村正】の刃に触れ―――

 

 ―――……

 

 ()()()()

 

 何の停滞も―――抵抗もなく。

 何もない空を斬るかのように、武蔵の一刀は振り抜かれ。

 小次郎の振るう備前長船長光(物干し竿)は斬られた。

 三刀の内二刀が斬られたことにより、世界の修復か辻褄合わせなのかどうか―――武蔵の首を落とすために振るわれていた残りの一刀もまた、斬られたかのようにその刀身を断たれた。

 

 ぁぁ―――敗けた、か……

 

 刀が断たれたと感じた(理解した)と同時に、小次郎は敗北を悟った。

 ここ、ここに至り、最早これ以上打つ手はないと―――理解(観念)したのだ。

 沸き上がるのは、虚無感のようでいて、何処か満足感も感じる奇妙なものであり。

 悔しさはある。

 怒りも不満もない訳ではないが、それでも何処かそれは清々しいものであり。

 小次郎は、その敗北を受け入れた。

 その口元を、悔しげに噛み締めるのでもなく、何時もと変わらず。

 飄々とした笑みを浮かべながら、小次郎は頭上から落ちてくる(敗北)を受け入れた。

 受け入れた。

 

 受け―――入れた。

 

 ―――受け―――入れた―――。

 

 受け――――――――――――

 

 引き伸ばされた時は―――

 

 ――――――入れ―――――――――

 

 ―――未だ解けず。

 

 受け入れている筈の(敗北)は、未だ頭上に位置している。

 

 何故?

 

 何故だ?

 

 私は、受け入れている。

 

 認めている。

 

 敗北を。

 

 全力を持って―――全霊をもって挑み、そして破れたのだ。

 

 これ以上、何を抗おうとしているのか。

 

 時が止まったかのように、引き伸ばされた一瞬の中。

 

 小次郎は未練がましく、無様なまでに往生際悪く足掻こうとする己の中にあるモノはナニかと、何だと思ったその時、ふと、広く視界を捉えていた(俯瞰する目)が捉えたのは―――一人の少女の姿。

 

 神に祈るかのように握る両の手は、一体どれだけの力が込められているのか。爪が深く、皮膚どころか肉にすら突き立ってしまっているのではと思うほどにまで強く握られ。間から漏れた血が伝って地面に雫となって落ちていっている。

 振るえる身体を支える足も、生まれたての小鹿の方がまだましな程に弱々しく。今にも崩れ落ちそうな様子で。

 こちら(決闘)を見つめるその瞳は、不安と恐怖に揺れ動きながらも、溢れ出した涙で溺れ。録な視界を保ってはいないだろうに、それでも顔を俯かせる事も、逸らす事もせずに真っ直ぐにこちら(決闘)をその瞳に捕らえて。

 

 ―――何を

 

 私は―――何を―――

 

 何を、諦めている(敗北を認めている)のだ。

 

 おい―――(佐々木小次郎)よ。

 

 貴様は、何と言った。

 

 あの娘に向かって、何と言った。

 

 勝つと―――そう口にした筈だ。

 

 『物語の敗北』も、『未来の敗北(予言)』も―――そして『宮本武蔵』をも、同時に切り捨ててやろう―――

 

 そう口にしたのは誰だッ!!!

 

 貴様だろうが―――佐々木小次郎ッッ!!!!

 

 敗北を認める?

 

 潔く受け入れる?

 

 馬鹿か、貴様は?

 

 何を、考えているのだ貴様(佐々木小次郎)はッ!!!

 

 ここで、敗ければどうなる?

 

 愚かにも敗ければどうなるのか、貴様はわかっているのかッ!!

 

 (佐々木小次郎)の敗北は、あの娘の予言の成就(心の死)を意味する。

 

 それを、貴様(佐々木小次郎)は認めるのか?

 

 許容出来るのか?

 

 あの娘(カサンドラ)願い(希望)を、斬り捨てて、それでも貴様は認められるのかッ!!!?

 

 否だッ!!

 

 認められる筈がないッ!!!

 

 諦められる筈があるものかッ!!

 

 だが―――どうする!?

 

 どうすれば良い?

 

 最早刀は斬られ、武蔵の一刀は間近。

 

 避ける事も防ぐ事も、何もかも出来はしない。

 

 それでも―――そうであっても、諦められる筈がない―――受け入れられる筈もないっ!!

 

 動かぬ身体の中で、思考が何十何百と廻る。

 

 あらゆる記憶(記録)を参照する。

 

 それは夜空に広がる無数の星の輝きの中から、望む輝きを見つけるようなもので。

 

 己ではない数多の佐々木小次郎の記憶(記録)を探っていく。

 

 数えきれぬ戦場を駆け抜けた無限にも等しい数の佐々木小次郎の戦い(記録)を追うも、見つからず。

 

 出口のない迷路を、明かりもなく進むような心地で、ひたすらにただ進み続け。

 

 そんな時、一つの、記憶(記録)が目に止まった。

 

 それは、戦いの記憶(記録)ではなかった。

 

 何処かの一室。

 

 白い、清潔さを感じさせるその部屋で、(佐々木小次郎)は、誰かと向かい合って座っていた。

 相手の顔は、良く分からない。

 男―――だろう。

 何処か、軽薄な印象を抱かせる、優男、だ。

 とは言え、記憶(記録)は色褪せたように白黒で、向かい合う相手の姿は、幻のように不確かで。

 詳細な姿は分からない。

 ただ―――互いの(会話)だけは、何とか聞こえる(分かる)その記憶(記録)の中で、その男は困ったような声で(佐々木小次郎)に話しかけていた。

 

『―――それで、ボクに聞きたい事って?』

 

『うむ、先程食堂でな。魔術師等が何やら集まって私の剣について話していてな』

 

魔術師(キャスター達)が君の剣についてって―――ああ、もしかして君のあの出鱈目な【秘剣】とやらの事かな?』

 

『出鱈目とは心外な』

 

『いや、出鱈目でしょ。何で何の魔力もなしに、刀が3本に増えるの?』

 

『そう言われてもな。増えるものは増えるものであって―――ああ、それだ』

 

『それって?』

 

『うむ、あ~……何だったか? き、きしゅ? きしゅあなんたらとか言う―――』

 

『【多元次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)】?』

 

『おおっ、それよそれ。魔術師どもが私の【秘剣】がそれによるものではないかと言っておって。少しばかり気になってな』

 

『いや、何でその時に聞かなかったのさ?』

 

『あの時口を挟めば、厄介な事になるだろうと思ってな。大方見世物にされてしまったであろう』

 

『……まあ、そうだろうね。はぁ、まぁいいか。そうだね【多元次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)】というのは、簡単に言えば平行世界の運用の事だよ』

 

『へいこうせかい?』

 

『平行世界とは、重なり合い、並び合う、無限に存在する可能性の世界の事だよ。厳密に言えば説明が難しくなるけど。まぁいいか。つまり君は【燕返し】を振るう時、それぞれ3通りの剣の振り方を、重なりあう可能性と言う名の無限の世界から引き寄せて、自分に重ねることによって3つの斬撃を放っているといるのだろうと、君が耳にした彼等(キャスター達)が話していたんだろうね』

 

『うむ―――良くわからん』

 

『はは―――そう、だね。ボクも少し気になってたんだけど。君は【燕返し】を振るう時、実際どんな感じで使っているんだい?』

 

『どう、とは?』

 

『あ~つまり、君としては、三回剣を振っている感じなのか、それとも三つの斬撃が結果として現れたから、三回剣を振ったものだと考えているのかと。まあ、所謂『卵が先か、鶏が先か』の問題に近しいものだね』

 

『ふむ。その卵なんちゃらはわからんが、私としては、そうだな―――』

 

『君としては?』

 

『―――何も考えてはいないな』

 

『へ? それは、どう言うことだい?』

 

『そのままの意味だ。剣を振るおうと考えた時には、既に振るっており。いや、そもそも剣を振ろうとする意すらないか? そうだな……先程の質問で一番近しいのは、振った結果が、三つ故に【燕返し】となっていた、としか』

 

『う、う~ん……あ~……所謂【無念無想】とか【無】の境地とか呼ばれるそんな感じ、なのかな?』

 

『さて、田舎者ゆえ教養がなくてな。私には良くわからん』

 

『君にわからなければ、ボクにも検討が着かないよ……でも、それならどうして三なんだろうね』

 

『なに?』

 

『いや、だって君がさっき言っただろう?』

 

『振ろうとする意思すらないって』

 

『確かに言ったな』

 

『そこだよ。振ろうとする意思すらないなら、()()()()()()()()()()?』

 

『―――』

 

『【燕返し】が元々三つの斬撃からなるモノだとしても、【宝具】として三回と確定しているものじゃない筈だよね』

 

『それは―――』

 

『まあ、何となくだけど予想は出来るけどね』

 

『ほう、それは?』

 

『多分だけど、それが限界なんだよ』

 

『限界?』

 

『きっと君の限界が三回なんだ。それ以上は無理だと無意識のまま制限を掛けてるんだろうね』

 

『―――つまり、三回を越えて放てば、体が保たない故に、無意識のまま放つ斬撃が三つに留まっていると』

 

『推測だけどね。でも、そう間違ってはいないと思うな』

 

『――――――』

 

『どうかしたかい?』

 

『では、もし、その限界とやらを越えるとしたら、どうすれば良いのだろうか?』

 

『え? いや、自分で言ってなんだけど、さっきのは本当にただの憶測と言うか、妄想と言うか―――』

 

『……』

 

『―――はぁ……そうだね。君が【燕返し】は無意識のまま放っているのだと言うのなら―――』

 

『言うのならば?』 

 

『意識して使うしかないんじゃないかな?』

 

『……』

 

『いやいやいやいや!? 無言のまま刀に手を掛けないでよっ?!』

 

『巫山戯―――』

 

『巫山戯てなんかないよ。言っただろ。三回で留まっているのが、無意識で制限を掛けているんじゃないかって。なら、それを越えるのなら、確たる意志を持って挑まないと駄目なんじゃないかと思ってね』

 

『それは―――つまり、()()()()()()()()()()()()()()と?』

 

『……まあ、そういう事だね』

 

『また、無茶を言う。目を閉じたまま、目を開けろと言うようなものではないか』

 

『はは、確かに』

 

『禅問答の様な話だが―――ふむ……』

 

『まあ、流石の君でも不可能とは思うけど、例え出来るとしても使わないでね。きっと三回と言うのが境界なんだと思う。そこから僅かでも越えれば、きっと無事ではすまない。下手をすれば、霊基すら砕けかねない』

 

『それは怖いな』

 

『―――だけど、そうだね。もし、本当に君が限界を越えたその時は―――』

 

『―――』

 

 

 

 

 

        君は、正しく【無限の剣を極めた剣士】となるのだろうね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   (佐々木小次郎)は勝とう

 

 ―――ぉ  

  

 肉が弾け

 

 だから、泣くなカサンドラ

 

 ―――ぉぉ

 

 骨が砕け

 

   決して変えられないと何度となく打ちのめされながら

 

 ―――オォォ

 

 血が沸騰し

 

 それでも私を信じ、逸らさず見つめるその瞳に応えられるのならば

 

 ―――オオオオオオオオォォォォォォォォ

 

 霊基が軋みを上げ

 

   私は全てを越えてみせよう

 

 ―――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ

 

 一点の曇りなく澄み渡りし「 」なる己の内を―――明確なる意を持って修め

 

 

    佐々木小次郎()では越えられないと言うのならば―――

 

  

    (名も無き農民の亡霊)が越えてみせようッ!!!

 

 

 

 雄々オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()が、真に宮本武蔵であるとは、定かではなかった。

 造り上げた(投影した)本人(シロ)だけでなく。

 そのモノ自身(投影されたモノ)ですら、確たる証拠を見せることは出来なかったであろう。

 言葉を発し、瞳には意志がある。

 しかし、それが真たる証しとなるかは分からなかった。

 また、ソレが()()()()()()()であるのかも、また重要であった。

 少なくとも、「 」には至っているだろう領域にあるのは間違いはない。

 空間跳躍染みた小次郎の先の先を取るだけでなく。

 引き伸ばされし一瞬において、空間を断絶させながら進ませる一刀からして、それは間違いはないだろう。

 

 無念無想

 

 無の境地

 

 「 」の領域

 

 数多の言葉で称させる頂にて振るわれしその一刀の最中。

 

 武蔵の胸中に思考(意志)はなく。

 

 故に、その時意識に浮かんだソレは何と表せれば良いのか。

 

 

 それは、何時、何処で、誰が口にしたのか覚えてすらいない言葉で……

 

 

 

 『―――一を越え零を極めようとする貴様にとって最高の相手とは、零の反対である無限を極めた剣士だろう』

 

 

 両極に位置するものこそが、最大の敵であり、最高の好敵手。

 相手が強ければ強いほどに、それに引き上げられるように、己の力は高まることだろう。

 

 

『しかし、無限を極めた剣士など―――いる筈がないがな』

 

 

 だが、それならば……己にとって、最高の相手が無限を極めた剣士ならば―――

 

 

 無限を極めようとする剣士にとって、最高の相手とは―――零を極めた剣士(宮本武蔵)であるということで―――

 

 

 

 

 

 

 一瞬が永遠に引き伸ばされ

 

 

 凍り付いた時の中

 

 

 動くものの無き世界(宮本武蔵の視界)

 

 

 一つの銀線が

 

 否―――二つの―――四つの―――十の―――百の―――千の―――万の―――十万の―――百万の―――一千万の―――億の―――兆の―――京の―――

 

 無数の銀閃が、重なり合い、歪み、砕け、崩れ―――全てが無へと消えていく。

 

 何も―――ナニもなくなってしまう。

 

 音も―――色も―――世界も―――

 

 全て覆い尽くされ

 

 何も―――見えなくなって

 

 それは、まるで―――

 

      

 夜空に浮かび、煌々と夜の闇を照らしていた筈の月が、唐突に消えてしまったかのようで―――

 

 

 

 

 

 

 

        

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ぇ?」

 

 最初にそれに気付いたのは、【アポロン・ファミリア】の団員の一人であった。

 小次郎と武蔵。

 その決闘を、彼は位置的には、どちらかと言えば武蔵の後ろに立って見ていた。

 互いに名乗りを上げ、暫くの間睨みあっていたかと思えば、瞬きもせずに見ていた筈なのに、気付いた時には十数Mはあっただろう両者の距離は、二、三Mの距離にまで狭まり。そして、それぞれが構えていた剣は、互いに振り抜かれた形で両者ともに固まっていた。

 まるで、自分がその一瞬だけ気を失っていたかのような、まるで世界から取り残されたような感覚さえ感じてしまう、そんな戦いの最中が見えなかった(分からなかった)武蔵と小次郎の決闘に対し。しかし、彼が声を上げたのは決闘の中身が見えなかった(分からなかった)事が原因ではなく。

 小次郎の背―――後ろに奇妙なモノ? が見えたからで。

 それは、空の彼方にまで伸びる線であり。

 線? は城の丁度真ん中辺りを走り、そのまま上へ上へと伸びていて。

 最初、彼はその線がただの目の錯覚かと思っていたのだが、それが目の錯覚ではないことを、直後―――その目で、耳で、全身で理解した。

 

「「「――――――――――――ッッッ!!!!」」」

 

 その場にいた者達全てから、一斉に息を飲む無言の驚愕の声が上がった。

 空へと上る線。

 それに()()()()城が、その線へと向かって轟音を立てながら崩れ始めたのだ。

 その様子は、まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()結果―――切り口へと沈み込むようにして崩壊していくかのような。

 いや―――正しくそうなのだろう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 目の錯覚に見えてしまう―――思いたい空へと伸びる線。

 まさしくそれは、剣線であり。

 つまり―――

 

「「「―――ぁ」」」

 

 また、誰かが声を上げた。

 線を―――剣線の()を見上げていた者達の誰かが、声を上げたのだろう。

 それも仕方がない。

 ()()()()()()()()()()()()

 空の彼方まで伸びるその剣線の行き着く先には、朧に浮かぶ月の姿があり。

 剣線はそこまで延びていて。

 

 つまり――――――

 

「―――月が―――割れて――――――」

 

 皆が見上げる空の彼方。

 青空に浮かぶ朧月が、確かに二つに分かれていた。

 幻などではない。

 現に城は断ち斬られ。

 崩れ廃墟と化している。

 ならば、あの月も確かに断たれているのだろう。

 最早【魔法】等と言った話ではない。

 神が振るいし【奇跡(アルカナム)】にも匹敵するだろう一斬。

 あんなモノ、防ぎようなどある筈もなく。

 それを成したのは、位置的に―――あの宮本武蔵と名乗った女であり。

 それはつまり――――――。

 

 世界に刻まれた跡を見た者達が、それが意味する事を理解し。

 この決闘の結末を思った―――その時。

 

 

 ―――――――――

 

 

 小次郎が、物干し竿を振り切った姿勢を元に戻すと、無言のまま歩き出した。

 向かう先には、一人の少女(カサンドラ)の姿があった。

 一歩、二歩と歩き、同じく構えを解いた武蔵に、最早意識を向けず。物干し竿を鞘に修めないまま、そのまま歩き続け、両者の距離が、最初の立ち会いの時と同じ、十数M程離れた時。

 武蔵が、口を開いた。

 

「先程の剣―――名を、聞いても」

 

 静まり返ったその場において、唯一響いていた小次郎の足音が止まった。

 足を止めた小次郎は、振り返る事はせず、ただ、一瞬だけ物干し竿の切っ先へと視線を向けた後、ゆっくりと口を開いた。

 

「名、か……そうだな」

 

 そして、じらすかのように、緩やかな動きで空を見上げ、割れた月を細めた目で見つめ―――武蔵の問いに、小次郎は答えた。

 

「秘剣―――【月落とし】とでも名付けようか」

「【月落とし】」

 

 小次郎の視線を追うように、武蔵もまた、己が断った朧月を見上げながら、その『名』を口にすると、朧の月が、歪み、蕩け―――()()()()()()()()()()()()()()()光景を見て―――

 

 

「御美事―――佐々木小次郎」

 

 

 ―――その、口許を歪め。

 

 

()()()()()()()

 

 

 佐々木小次郎の勝利を称えた。

 その言葉が切っ掛けとなったかのように、武蔵の身体から光が零れ出した。

 黄金の欠片のような光は、武蔵の全身から流れ出ていき。

 時と共に、武蔵の輪郭が周囲と同化するかのように朧となっていく。

 その姿と、また予想に反する小次郎の勝利に対し、何度目となるのか、戸惑いと驚愕と、様々な感情が沸くのと同時、声無き悲鳴染みた絶叫が轟く中。

 武蔵の敗北を認めた言葉を背中に受けた小次郎は、笑うのでもなく嬉しがることもなく。何時もと変わらぬ飄々とした様子のまま、視線だけを、再度抜き身のままの己の剣―――物干し竿の先へと見やり。

 

 

「そして―――()()()()()()()()()()()

 

 

 そう小次郎が口にすると同時、物干し竿の刀身の三分の一程の長さが、思い出したかのように断ち斬られて地面へと落ちていった。

 地面へ軽い音を立てながら断たれた切っ先が突き刺さると、それはまるで幻であったかのように解けて消えてしまい。

 何が起きているのか。

 何を言っているのか意味が分からず、周囲がただただ押し黙る中、小次郎は武蔵を背に歩みを再開させた。

 黄金の光に包まれるかのようにして、その姿を薄れさせていく武蔵に向かって、ベル達が駆け寄っていくのを背中に、小次郎は一歩ずつ、確かめるかのように歩き。

 そして、少女(カサンドラ)の前まで辿り着いた小次郎は、その足を止め。

 ぼろぼろと大粒の涙を流し、何度もしゃくりを上げながら仰ぎ見てくるカサンドラを見下ろして。

 小次郎は、何時ものように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「どうだカサンドラ。私は宮本武蔵(定められた結末)に勝ったぞ」

 

 

 

 飄々と、何時もと変わらない姿で笑って見せた。

 

 

 

 

 





 感想ご指摘お待ちしています。

 なお、この宮本武蔵は、下総の国終了後、零に至った武蔵で、カオスを斬った武蔵ではありません。
 オリジナル要素(新しい秘剣)―――が嫌いな人は、すみませんでした。

 【月落とし】の内容は、燕返しと原理は同じなのですが、その数が桁違いなだけです。小次郎にとっての一足一刀の間合い―――半径約十M程度の空間内を無限の斬撃で埋め尽くし、類似の剣の使い手である沖田総司の【無明三段突き】と同じく事象飽和を引き起こす()()
 注~これでも宝具ではありません。完全に限界を越えた技なので、使った後のほぼ無制限の燕返しと違い代償が酷い。蘇生レベルの治療を受けなければ回復しない。
 注~今回の戦いで小次郎が消滅しているのは、技の代償以外にも理由(原因)があります。それについては、次のエピローグに記載する予定です。
 ※ 沖田の剣先にだけ起きる局所的なのとは違い、文字通り半径十メートルと桁違いの範囲と、重なる斬撃も桁が違うことから、威力もまた比べ物にならない。

 オリジナルの技や宝具等は、自分も出来るだけそういうのを出さないようにしたいのですが、気付けば書いていて……嫌いな人は本当にすみませんでしたm(__)m。
 


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エピローグⅠ 晴れ渡る空の下、あなたへ送る一輪の華

 遅れに遅れすみませんm(_ _)m

 色々と……本当に色々とありましたが、何とか終わりましたので投稿を再開します。
 


 祈るように握りしめた両手を胸元に抱いた少女(カサンドラ)が、止めどなく流れる涙を拭うことなく、目の前にたつ(小次郎)を見上げていた。

 あれだけの激戦を潜り抜けたにも関わらず、その身に纏う最早ぼろ切れのようになった鮮やかだった服とは反対に、その身体には大きな傷は見られない。

 一見すれば、何時もと変わらぬその飄々とした姿から、先程までの激戦は夢か幻のように思えてしまうが、崩れ落ちた城や城壁等の、まるで大地が引っくり返ったかのような荒れ果てた光景は確とした現実であり。何よりも、身体の端から零れるように落ちている黄金の砂のような光が―――時と共にその姿を―――存在感を薄れさせていく小次郎の様子が、男の終わりを伝えていた。

 それを、小次郎を見上げるカサンドラは、分かっていた。

 ただ、その(小次郎の終わり)を信じられないのか、それとも信じたくないのか。

 カサンドラは流れ続ける涙に気付いていないかのように、向けられた言葉に対する返事を返さずに、ただ濡れた瞳で何の言葉もその口から発することなく、ただ小次郎を無言のまま見上げ続け―――。

 

「―――カサンドラ」

「―――」

 

 困ったような、苦笑いするような、そんな雰囲気を纏う声で、言葉で、小次郎がカサンドラの名を呼んだ。

 小次郎に名を呼ばれたカサンドラは、肩をびくりと震わせると、まるで何から逃げるかのようにその足を一歩後ろに下げようと動かそうとして―――……力なく離れかけた足裏を地面へと戻した。

 その様を見た小次郎は、一瞬浮かんだ寂しげな笑みを、ただの笑みへと変えると、ちらりと自身から零れていく光を目線で追いかけた。

 

「―――残念な事ではあるが、どうやらここまでのようだ」

「っ、なっ……なにが、です、か……?」

 

 答えなどわかりきっているだろうにも関わらず、目の前の現実から逃げるかのように、カサンドラは小次郎から零れ落ちていく光を濡れた目で追いかけた。濡れた瞳で見る小次郎から零れる光は、滲み広がり、瞬きの度にまるで万華鏡のようにその姿を変えていく。

 ただ、その光も直ぐに空に溶けていくかのように消えてしまう。

 風に吹かれ、淡雪が空へと戻るかの如く、舞い上がる光に誘われるかのようにカサンドラの視線が無意識のまま空へと向かい―――その先で、再び小次郎と視線が交わった。

 一秒もない視線の交わりは、カサンドラが何かを言う前に、小次郎が空を見上げた事で途切れてしまう。

 城どころか空すら断ち斬る戦いの余波によるものか、幾つか見えた筈の白い雲の姿は跡形もなく。

 ただただ、澄み渡った青い空が広がり。

 その中心で、朧月が浮かんでいた。

 目を細め、高く遠い空の向こうの月を見上げながら、小次郎がポツリと小さく、呟くように言葉を口にする。

 

「最後に一つだけ、願っても良いか……」

「な―――にを、最後って……そんな―――」

 

 小次郎の言葉に、反射的に上げたカサンドラの声は、嗚咽のように、しゃくり上げるかのような声で。

 悲鳴のようなそれを耳にしながら、小次郎は言葉を重ねた。

 

「もう、わかっているだろう」

「な―――に、が……」

「私は―――間もなく消える(死ぬ)

 

 撫でるかのようなその優しげな声に、カサンドラの言葉は形にならず崩れていき霧散してしまう。

 その残滓が途切れるのを見計らうかのように、小次郎は言葉を告げた。

 誤魔化すことなく、真っ直ぐに。

 底の抜けた箱の中の砂が落ちきる迄の、僅かな時が過ぎた後に訪れる。

 避けようのない結末を。

 

「いやッ―――嫌だっ、いやだよぉう……」

 

 幼子のように、いやだ、いやだと叫びながら、まとわりついてくる現実を振り払うかのように顔を必死に左右に振るカサンドラを止めたのは、頬に触れた小次郎の手であった。

 ぶんぶんと振るわれていたカサンドラの左の頬に、添えるように当てられた小次郎の右の掌は、まるで女性のように細く長いけれど、厚く固いその感触は、確かに男の―――武人のそれであり。

 暖かく、確かなその指先の感触は、カサンドラの胸の奥を痛いまでに締め付けて、息苦しささえ感じさせる感情の嵐から逃れるように。考えるよりも先に、カサンドラは頬と左手で挟むようにして小次郎の右手を包み込んだ。

 

「―――……本当に、もう―――だめ、なんですか……」 

「……流石に、この終わりを覆すのは出来そうにないな」

 

 何時もと変わらない。飄々とした口調で、しかし、その中に感じられる、彼に似合わない申し訳なさそうな、悲しい声に、カサンドラは胸を突かれるかのような思いを受けた。

 (小次郎)の戦いを最後まで見て、避けようのない筈の未来(予言)を覆したみせたこの人の僅かに残された時間を無為にしようとする己を自覚し。

 カサンドラは己の愚かさ加減に唇を血が滲む程に噛み締めると、ゆっくりと、しかし確りとした動きで顔を上げ、小次郎としっかりと視線を合わせた。

 

「カサンドラ」

「―――はい」

 

 自分を見上げるカサンドラの、未だ濡れる瞳に何を見たのか、小次郎は吐息を吐くような小さな笑みと共に彼女の名を呼んだ。

 見つめ合う二人。

 短くも、長くもない時を、何かを交わすかのように互いに視線を混じり合わせた。

 

「―――一つ、心残りがあってな」

「はい」

 

 今度は、受け止めた。

 カサンドラは、真っ直ぐに、小次郎の言葉を受け止めて、その続きを待っていた。

 何時しか離れていた掌と頬。

 一人立ち、見上げてくるカサンドラの姿は、初めて出会ったあの時とは違い。

 凛とした姿で。

 小次郎は、まるで夢を見ているかのように、最早遠くなった感覚の中、右手に僅かに感じるカサンドラの頬の柔らかさと温もり、そして涙の暖かさを寄る辺にしながら、最後の時を出来るだけ遠ざける。

 

「見て―――いなかった、とな」

「え?」

 

 何処か、夢心地の声音と口調で、呟かれた小次郎の言葉の意味が図れず、反射的に疑問の声を上げたカサンドラの声を聞こえたのかのように、小次郎は直ぐに言葉を続けていた。

 

「お前が―――笑うところを―――日の下で、笑う―――姿、を……」

「そんな―――」

 

 否定しようとした言葉は、途中で切れた。

 確かであった。

 小次郎と出会ってからこれまで、確かにカサンドラは何度も笑った。

 嬉しくて。

 楽しくて。

 

 ―――何よりも、幸せで。

 

 知らずに思わず笑みが溢れた。

 何度も。

 何度も。

 でも、何故だろうか。

 ただ、時が悪かったのか、どうなのか。

 何時も、そんな時は夜だった。

 勿論、昼に小次郎と何処かへと行った事はある。

 その時に、笑った時は、あったかもしれない。

 でも、目を閉じれば思い出せる。

 本当に、心から幸いだと、笑っていたと思い出せる時は、全部夜の事で。

 

「―――本当、ですね」

「そう―――だ、ろ」

 

 小さく、苦笑しながら頷くカサンドラに、小次郎も同じく笑いながら頷いた。

 互いに視線を交わし、小さな笑みを交わし合う。

 じっと、見上げてくるカサンドラの瞳。

 涙は既に流れておらず、僅かに潤んだ瞳は赤く充血している。

 その瞳の美しさは、出会った時から変わらず。

 しかし、比べることも出来ないほどに、強くなっていた。

 確かな強さを感じるその光に誘われるように、導かれるように―――遠く虚ろになりかけた感覚の奥から出ようとした言葉は―――

 

「「――――――」」

 

 重ねられた唇により押し止められてしまった。

 触れて、初めて小次郎はそこにカサンドラがいることに気付いた。

 達人の中の達人ともいえる小次郎には考えられない事である。

 武の片鱗もない少女に、文字通り唇を奪われた。

 瀕死であることなど言い訳にもならない。

 事実、この状態であっても、例えアイズに襲いかかられたとしてもその全てを捌く自信があった。

 にも関わらず、触れるまでカサンドラの動きに気付けなかったのは、それは―――

 

「――――――」

 

 ゆっくりと、つま先立ちした姿勢から元へと戻り、一歩後ろへと下がるカサンドラ。

 離れ、見上げてくるカサンドラの瞳は、淡く、まるで誘うかのように揺れていて。

 言葉なく、息を飲み、目を丸くしている小次郎を前に、カサンドラの口許が―――頬が、ゆっくりと―――

 

「隙あり、ですね小次郎さん」

 

 ―――ふわりと、綻ぶように。

 悪戯っ子のような目で見上げながら、カサンドラは囁いて。

 

「私―――もっと綺麗になります。もっと素敵な人になります」

 

 満を持して、開き満ちる華のように―――

 

「だから、楽しみにしてください」

 

 別れの言葉ではなく。

 再開の約束でもなく。

 それは、挑発のような言葉。

 これからもっと綺麗に、素敵な花を咲かせるのに、放っておけば誰かに手折られるかもしれないと―――枯れてしまうかもしれないと。

 そう、脅しつけるかのような可愛くも恐ろしい脅迫をしながら。

 カサンドラは、陽の当たる青空が広がる下で、満開に咲く華のような満面の笑みを広げながらそう告げた。

 

「―――ぁぁ」

 

 そして、それを眩しげに見つめながら、もう、薄く、透けてしまう身体を何とか崩さずに保っていた小次郎は、呆気に取られたように言葉をなくした後、小さく吹き出し―――笑った。

 

「それは―――見逃せないな」

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。
 


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エピローグⅡ 罅割れ折れたる―――

 注―――一分前にエピローグⅠを投稿しています。


 走る、走る、走る、走る―――。

 ポーションだけでは回復しきれなかった傷と、限界まで削って底をついた筈の体力を搾り懸命に足を前へと出して走る。

 振り上げる両の腕が、動かす度に付け根から千切れ飛びそうな程に痛み、地面を蹴る足が、一歩進む度に内側から稲妻染みた痛みが掛け上っていく。

 息を吸う度に鋭い刃で喉を裂かれるような痛みが走り、息を吐く度に肺が鑢掛(やすりが)けられるような痛みがする。

 それでも、決して足を緩めることなく、もっともっとと、もどかしげに更に走る速度を上げていく。

 視線の先には、全身から光を溢すようにして立つ女の人の後ろ姿。

 見知らぬ女の人だ。

 だけど、彼女の―――違う、彼の事を、ベルは知っている。

 出会って1年も過ごしてはいない。

 分かっていることも、知っていることも、実は本当は何も無いのかもしれない。

 だけど、それでも身体は、心は決して前へと向かうことを止めない。

 もうずっと―――それこそ生まれてからずっと一緒にいたようにも思えてしまう程の人。

 おじいちゃんが死んで、聞かされてきたお話に憧れこのオラリオにやってきて。

 だけど、誰にも迎え入れられる事もなく、一人、たださ迷っていた。

 途方にくれ、迷い子のように一人ただ立ち尽くしていた僕に、手を―――差し伸べてくれた人。 

 本人には、恥ずかしくて言えないけれど、兄のように慕っていた。

 その強さに、後ろ姿に憧れた。

 一人モンスターに立ち向かうその姿は、鍛え上げられ、余分なモノを全て削ぎ落としたかのような鋼の剣を思わせたけれど、あの教会の地下室で過ごす時は、優しく暖かく―――まるで本当の兄のようで。

 冷たい鋼の刃のような恐ろしさと、日だまりのような暖かさを感じさせる不思議な人。

 シロさんがいなくなってから、まるでぽっかりと胸に穴が空いたような感覚がしていた。

 神様も、普段通り振る舞っていたけれど、ふと見せる横顔には、悲しさと寂しさを見せて。

 どうしていなくなったのか、帰ってきてくれないのか、わからなかった。

 死んだとか、捨てられたとか言う人はいたけれど、僕も神様もそれを信じる事は欠片もなかった。

 悲しくて、寂しい気持ちはあったけれど、どうしても死んだとか、捨てられたとか、そんな事は全くと言っていいほどに……自分でもどうしてだろうと思うほど、そう思う事はなかった。

 ……多分、それはきっとシロさんと一緒に暮らしていたから。

 時折シロさんから感じる、何処か、眩しいものを見るかのような視線。

 僕と神様が二人で話している時に、それは良く感じていた。

 僕と、神様を、優しく遠くから見つめるような、そんな目を。

 そんな時、決まって神様がシロさんに笑い掛けていた。

 シロさんの、武骨な手を握って、僕の下へと連れてきて。

 にこにこ笑いながら手を引いてくる神様の後ろから、シロさんは何時も苦笑を浮かべながら歩いてきて。

 そして、一緒に、三人でテーブルを囲んで座って。

 眠くなるまで話し込んで。

 

「―――シロさんッ!!」

 

 後少し、もう少しで手が届く。

 黄金の光を放つその身体は、近づくにつれその詳細が見えるようになった。

 命さん達に似た服も、その身体も透けて見えて、まるで空に溶けて消えていくかのようで。

 その考えが、思考が冷たい刃となって背筋を貫く。

 手を伸ばす―――それが、通り抜けそうな予感がして。

 悲鳴を上げそうになる口を、唇を噛みきりながら切り刻んで。

 代わりに名前を口にする。

 

「シロさんッ!!!」

 

 手を伸ばす。

 女の人の背中が、ゆっくりとこちらに倒れてくる。

 薄れる背中を通して、向こう側の光景が見えている。

 それが意味する事を否定したくて。

 必死にシロさんの名前を呼ぶ。

 視界を滲ませる涙を、飛ぶように走る速度で振り切り、必死に手を伸ばす。

 両手を広げ、倒れるその背中を迎え入れる。

 しっかりと、力を込めて、受け止めるために。

 そして―――もう殆ど輪郭が感じられないその身体が、僕の身体に落ちてきて―――。

 

「シロ―――ッぶ!?!」

 

 ―――僕は押し倒された。

 

「ベルッ!!?」

「ベル様ッ!!?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()に押し潰され、体力と気力を限界を越えて使い果たしたことからも、遠くなりかけた意識を、しかし、全身に感じるその苦しみの理由に思い至った時、自分の中に一体何処にまだこれだけの力があったのかと驚くほどの動きで身体を起こすと、自分に倒れかかってきたその姿を見下ろした。

 

「―――シロ、さん?」

 

 そこには、あの直前まで見せていた幻のような女の人の姿はなく。

 少し前までは、毎日のように見ていたシロさんの姿があった。

 そして不思議なことに、その身体には、女の人の姿に変わる前のように、ぼろぼろの服を身に纏っていたけれど、見える範囲では全身にあった筈の傷の姿は見られなかった。

 

「おい、こりゃぁ……」

「っ!? だ、大丈夫ですかベル様っ!?」

 

 文字通り消えかけていた女が男へと変わると言う光景を目の前にして、驚愕のあまり思わず駆け寄る足を止めてしまったヴェルフの横で、同じく足を止めてしまったリリであったが、直ぐに思い直すかのように頭を振ると、シロの背中に押し倒された形となったベルの下まで走り出した。

 

「ぼ、僕は大丈夫だから、シロさんをっ」

「分かりました」

 

 ベルの言葉に、一瞬足を緩めたリリが、眉根を寄せながら何処か警戒した気配を漂わせ仰向けに倒れるシロの下まで向かう。

 シロの下から抜け出して膝立ちに心配気に見下ろすベルの隣で立つリリが、ざっと負傷の具合を確認するように全身に視線を向ける。

 服は最早最初どのような形をしていたのか予想する事が出来ないほどにボロボロで、所々か全体的に見える赤黒く染まって見えるそれは、確実に元からあった色ではないだろう。しかし、奇妙なことに赤黒く染まり、破けた服の下から除く肌には、出血どころか小さな擦り傷すら見当たらない。

 

「何だ? 傷の一つもねぇ?」

「そん―――」

 

 戸惑うリリの頭の上に、追い付いてきて同じ疑問を抱いたヴェルフが困惑した声が落ちてくる。

 反射的に顔を歪めたリリが、苛立った声を上げようとした時―――。

 

「っ、ぁ」

「シロさんっ!!?」

 

 小さな、風の音にすら負けそうな程にか弱い声が聞こえた。

 苦悶するその小さな声を聞き逃さなかったベルが、覆い被さるようにシロの両肩を掴みその名を呼ぶ。

 その声に応じるかのように、閉じられた瞼を一度痙攣させた後、ゆっくりと開かれ。

 

「シロさんっ!!」

「べ、る?」

 

 掠れた声で、目の前一杯に広がる少年の名を反射的に口にしたシロに、ベルが泣き崩れる直前のような砕けた笑みを浮かべ。そんな様子を見たヴェルフとリリが、ほっと一息をついた―――瞬間であった。

 

「―――がっ!!??!」

「うおッ!!?」

「きゃっ?!」

 

 凄まじい勢いで振るわれた腕により、ベルの身体が吹き飛ばされた。

 完全に油断していた状態で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、側にいたヴェルフとリリを巻き込んで数Mも地面を転がってしまう。

 

「っかは!? ど、どうして―――しろ、さんっ?!」

「ぁ、っ、ベル様、大丈夫、ですか?」

「おいっ!! てめぇ一体何しやが―――っ!!」

 

 よろよろと立ち上がったベル達の前で、同じく身体をふらつかせながらも立ったシロが、睨み付けるような視線を向けてきていた。その視線の強さは、殴りかかろうとしたヴェルフの足が思わずその場に縫い付けられてしまうほどのものであった。

 

「シロさん、何で?」

 

 突き飛ばされて痛む胸を押さえながら、何とか立ち上がったベルが、向けられる視線に押されながらも、それでも足を前へ、シロの下へと向かうために動かそうとした時。

 

「来るなッッ!!!」

 

 震える身体で。

 

「どう、して―――ぼ、くは―――僕はっ」

 

 今にも崩れ落ちそうな姿で、しかし竜の咆哮すら思わせる声をあげるシロの姿に、足を止めてしまったベルが、泣きそうな顔で声を震わせる。

 

「いい加減にしてくださいっ!! ベル様が一体どれだけあなたの心配をしていたか分かっているのですかッ!!」

「あんたが何を考えてんのか知らねぇが、流石にこれはないと思うぜ―――ッ!!」

「りり―――ヴェルフ……っ!!」

 

 項垂れるベルを守るように、その両隣に立ったリリとヴェルフが前に出ようとする。

 その姿に背を押されるかのように、顔を上げたベルが、一歩前へ。

 二人を背に前へ。

 シロへと向かって差し出すように手を伸ばし、足を踏み出――――――――――――。

 

「―――ぇ?」

 

 伸ばした手に。

 上げた顔に。

 熱い。

 赤い。

 真っ赤な―――モノ、が。

 かかって。

 目の前の。

 シロさんの胸から。

 赤く、紅く染まった鋭くて硬いナニかが、()()()()()()()

 

「し、ろ―――さん?」

 

 息を飲む音が、背中から聞こえる。

 目の前の光景を脳が処理しきれずに、視界が端から段々とましろく染まっていく。

 だけど、突き付けるように、視界の真ん中に見える光景だけが、恐ろしいまでに鮮明で。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()

 

「え?」

 

 目の前の現実(光景)が信じられず。

 意味が分からず。

 自然とこぼれた疑問の声と思考から、そんな事は許さないとばかりに、それ(意味のわからない光景)は続いた。

 

「――――――――――――――――――――――――」

 

 胸元の中心付近から突きだした剣。

 背中から突き刺されたかのような姿ではあるが、周囲には人気はなく。今もまたそんな姿は何処にも見えず。そしてそれを証明するかのように、悲劇は続いた。

 胸元から突きだした剣はそのままに、ゆっくりと倒れかかるシロの身体から次々に剣の刀身が姿を見せる。

 

 背中―――肩―――足―――腕―――首―――

 

 身体に最早欠片も力など入らないのだろう。

 膝下から落ちるように倒れそうになる身体は、しかしそれ(倒れること)を許さないとばかりに、次々に姿を見せる剣が身体から突き出す衝撃をもって無理矢理に倒れることを防いでいた。

 シロの身体から突きだしてくる剣の姿は、その全てが刀身の部分だけであり、手に掴む柄の部分は何処からも見られない。

 それはまるで、()()()()()()()()()()()()()かのようで。

 意識など最早ないのだろう。

 糸の切れた操り人形を、無理矢理殴って立たせているかのようなそんな醜悪で悪趣味な光景は、一体どれだけの間続いたのか。

 目の前に起きている光景を理解できず、混乱している故か、声もなく目を逸らす事も出来ず誰もが皆、声を上げる事もなく見つめるなか、ただ、肉を切り裂き骨を断つ嫌な音が響き渡り―――。

 漸く、人の声が上がったのは、そんな惨劇が、水を含んだ人形を地面に叩きつけたかのような音が最後に響いた後から、数秒ほど経った後で。

 それは―――

 

 

 

「―――――――――しろ……さん?」

 

 

 

 幼い迷子が上げる。

 泣きつかれ後のような掠れた、何が起きているのかわからない―――わかりたくない困惑した声であった。

 

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。

 シロが武蔵から元へと戻れたのは、色々と要因がありますが、それを本作中に書くのが難しいので、ここで書きます。
 要因としては大きく3つ。

 ○ 前提として小次郎が【月落とし】を使用する前に、物干し竿は【明神切村正】に刀身  
  を切断されていた。本作中では、【燕返し】→【物干し竿切断】→【月落とし】の順番 
  で書いるが、実際には同時に起きていた。もし、【月落とし】により【明神切村正】が
  破壊されていれば、物干し竿が切断されていたという事実はなかった事になったと思わ
  れるが、【明神切村正】が破壊されなかったため、物干し竿の刀身は切断された状態の
  ままであった。
   よって、【月落とし】により武蔵の【肉体】は破壊される事はなかったが、小次郎の
  【剣】は霊基を切り裂き武蔵は倒されてしまった。
   だが、この【武蔵】は本来の英霊として召喚された【武蔵】ではなく、【明神切村
  正】の記憶から再現した【武蔵】であり、【影】や【虚像】【幻】のようなもので、そ
  の本体というか【核】は【明神切村正】であったことから、【武蔵―――シロ】の完全な
  消滅は防がれた。

 ○ 以前にも何度か書いているが、この【シロ】は正確に言えば【人間】でもなく【英
  霊】でもなく、そのどちらでもありながらどちらでもないモノである【泥人形】的なも
  のであることから、その魂的な耐久力や復元力は【英霊】以上のものがある。
   とは言え、それにも限界があり、今回はその限界を十分越えていたが、三つ目の要因
  により何とか持ち直す事が出来た。

 ○ シロが生き残れた最大の要因は―――ネタバレとなるためはっきりと口にすることが出
  来ないが、わかるものには直ぐに察する事の出来るだろうヒントを二つ。
   
   一つ、この【シロ】はヘヴンズフィール編の衛宮士郎の肉体である。
   一つ、この世界には、現在【セイバー】が存在している。

   わかる人には直ぐに分かると思いますが、この三つ目の要因が最大の要因です。


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第四章 ■■穿つ死棘の■
プロローグ はじまり


 ―――うごめいていた。

 

 くらいくらい。

 

 くろのなかで。

 

 どろりとしたどろのなかで。

 

 およぐように、もがくように。

 

 ぴくりぴくりと、ばちゃりばちゃりと。

 

 まるで、みずのなかにおちてしまったむしのように。

 

 それは、くらいくらい、くろいくろいそこで、どろのなかをうごめいていた。

 

 いしきがあるのか、いしがあるのか、かんじょうがあるのか、それはわからない。

 

 ただ、それはうごいていた。

 

 だれにも、なにものにもにんしきされないどろのなか、しずかによどみながら、それでいてあらしのごとくあれくるうどろのなかで。

 

 うえもしたも、みぎもひだりも、なにもかもわからない、ただくるしみだけが、にくしみだけが、いかりだけが、あらゆるふを、やみを、このよにあるだろうすべてのあくとくをのろいを、にこみぎょうしゅくしたことからどろのようになってしまったものがただようなかに、それはあった―――いたのだ。

 

 ―――…………いったいどれだけのときがすぎたのか。

 

 それでも、それはそこにいた。

 

 そこにいて、まだ、うごいていた。

 

 いたみか、くるしみか、それともそれいがいのなにかか、それはふるえながら、なにかをもとめるように、すがるように、ぴくりぴくりとうごいて……。

 だけど、それももうおしまい。

 それのかたちは、まわりのどろとのきょうかいがあやふやになってきて。

 とけてまじわって、どろどろに、どろどろに……。 

 ―――それが、いやなのか、こわいのか、さいごのちからをふりしぼるように、ゆっくりと、ゆっくりと、おびえるように、まようように、てを、のば、して……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ、ぁ」

 

 最初に視界に映ったのは、石材で作られた天井だった。

 ぼんやりと周囲を照らすのは、光の様子から、その光源は地面にあるのだろう。しかし、どうやらその明かりの光源は弱く、天井にも満足に届いてはおらず。天井は、まるで黒い塗料を塗ったかのようにも見えている。

 意識ははっきりとしないためか、己の今の現状を把握が全く出来ていないにも関わらず。焦りも動揺も、心の動きはどうにも動いてはいない。

 パニックになっていないため、ある意味ではちょうど良いのかもしれない。

 あまり良いとは言えない寝台にどうやら寝かされているようで、仰向けに転がっているだろう身体の背からは、何か布的な感触は感じるが、どうも品質にはこだわりがないのだろう。

 そんな思考が、漂うように回りながらも、やはり動揺するような心の動きは感じられない。

 目覚めたばかりというのもあるだろうが、意識だけでなく身体の調子もどうやら良くはないようだ。

 目を覚ましたことから、瞼は動いたようではあるが、どうも身体が上手く動いてはくれない。

 全身が鉛になってしまったかのような倦怠感はあるが、力が入る気はするし、感覚も何となく感じるため、身体が不随となっているわけではないとは思う。

 だが、上手く身体が動かせない。

 それは、まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()で。

 それでいながら、頭だけは、思考だけは冷静なままであり。

 他人事のように、己の現状を俯瞰するかのように欠片も動揺することもなく、第三者のように自身の状況を見下ろしていた。

 奇妙なほど落ち着いた心のままで、周囲の様子を感じていた。

 首も動かない、動かせないため、天井以外の周囲の状況を見ることはできない。だから、他の感覚に意識を向けた。

 匂いがある。

 何か、花のような匂い。

 匂いというよりも、これは香りだろうか。

 甘い、香りに、油の匂い。

 この匂いは匂いというよりも臭いだ。

 ジャンクフードから感じる特有の油の臭い。

 どうやら、それを主食としている者がいるのだろう。

 他にも様々な匂いがする。

 どうやら誰かの住みかなのだろうが、石造りの天井しか見えない現状では、もしかしたら牢屋の可能性も否定は出来ない。風は感じられず、地面にあるだろう光源以外に、他の要素が感じられないため、少なくとも近くに窓はないだろう。重苦しい空気からして、もしかしたら地下室である可能性もある。

 と、感じられる感覚から周囲の状況を推測していると、上の方からドアが開く音を耳が拾った。

 その後に続くのは、規則的な、トントンとした誰かの足音。

 軽いその感じから、子供か女か。

 足音の調子からして、上りではなく下り。

 地下室という推測は、もしかしたら正解なのかもしれない。

 足音に混じり、何かが聞こえる。

 一定のリズムで聞こえるそれは、鼻唄だろうか。

 機嫌の良さそうなその唄と共に、漂ってくるのは、この部屋に満ちる油の臭いと同系統のそれ。

 

「運が良かったなあっ! 人気のじゃが丸くんスペシャルが余ったからってこんなにおまけしてくれるなんてっ!!」

 

 弾んだ声が聞こえる。

 女、と言うよりも少女の声だ。

 喜色を含んだその声色は、聞く者の頬を緩めるような、そんな幸福に満ちたものであった。

 

「たっだいま~って、返事何てないんだけどねっ!? 眠り姫ならぬ眠り男ならい―――て……」

「…………」

 

 視界の端で、この部屋の主であろう少女の姿を捕らえる。

 そして―――息を飲んだ。

 意識が止まった。

 ぴくりとも動かない身体。

 事情も状況もわからない状態でも、緩んではいたが、それでも冷静に動いていた思考が、意識が、その時止まった。

 薄暗い中でも、視界の端のぎりぎりであろうとも、そこに立ち竦むようにしていた少女の姿を捕らえたとき。

 その美しさに、囚われた。

 星空を閉じ込めたかのようなその瞳に。

 夜空を編み込んだかのようなその髪に。

 幼くも完成された―――一つの答えと言っても良いその美しい容姿に。

 己もまた、捕らわれたかのようにその動きを、意識を止めてしまった。

 どれだけの間、そうしていただろうか。

 次に動いたのは、視界の端で立ち竦んでいた少女であった。

 驚きに見開かれていた目を、何度かぱちりぱちりと瞬かせた後、安堵の息を吐きながら、笑みを浮かべ近付いてきた。

 そして、己が寝かされている寝台だろうものの近くまで、顔の横まで来ると、心底安心した、良かったという笑みを浮かべながら、見下ろしてきて。

 

「やあ、ようやく目を覚ましたね。随分とお寝坊さんだね君は」

 

 すっと、細めた目の奥に見えるのは、その幼さすら感じる容姿とは裏腹に感じる、慈母のような優しい労りが満ちた光で。

 それだけで、ああ、この少女はとても優しい人だと分かって。

 惚ける様に見上げる自分を、彼女は微笑みながら見下ろして、そして―――語りかけてきた。

 

 

 

「―――()()()()()、ボクの名前はヘスティア。良かったら、君の名前を聞いてもいいかな?」

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。

 新章開始です。

 過去編は多分2、3話で終わる予定です。


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第一話 家路

 

 『退屈』

 

 それが、理由だった。

 

 それが、切っ掛けだった。

 

 それが、ボクの『下界』に下りたいと思った、始まりだった。

 

 ―――……。

 

 ……そう、思っていたんだ。

 

 でも、違った。

 

 そうじゃなかった。

 

 そんな理由(退屈)じゃなかった。

 

 それを、君が教えてくれた。

 

 違うって、教えてくれた。

 

 君との、出会いが。

 

 君と過ごした僅かな時間が。

 

 たった一日。

 

 ボクにとって、瞬きよりも短いそんな時で。

 

 君は教えてくれた。

 

 ボクがどうして、下界(ここ)へ来たのか。

 

 その、本当の理由を。

 

 君が教えてくれた。

 

 あの日。

 

 あの時。

 

 昼と夜の境。

 

 太陽が沈む間際。

 

 世界が赤く染まるその時に。

 

 君が口にしたあの言葉が、ボクに教えてくれたんだ。

 

 ボクが、本当は何を求めていたのかを。

 

 君はきっと、何も考えずに言ったのだろうけど。

 

 もう、忘れてしまっているのかもしれないけど。

 

 だけど、ボクは忘れない。

 

 例え永遠とも呼べる時が過ぎたとしても。

 

 何もかも時の流れに消えてしまったとしても。

 

 ボクだけは、絶対に忘れない。

 

 黄昏色に染まる世界の中、ボクと君だけが取り残されたかのようなあの時を。

 

 きっと、何時までも色褪せる事なく、この胸に抱き締めている。

 

 君が言ってくれたあの言葉を胸に抱いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしよう?

 これは、困ったことになってしまった。

 困ったぞと首を傾げるが、やはりいい考えなど浮かびはしない。

 対面では、ぎこちない動きでベッドから起き上がったヒューマンの男が、渋面を浮かべた顔を同じように捻っている。

 年代物のベッドの耐久力では、どうやらこのヒューマンの男の身体を支えるのはぎりぎりらしく、時おりミシリミシリという音を耳が拾ってしまう。

 それも仕方がないだろう。

 ヘファイストスからこの拠点(廃教会の地下室)を斡旋された時に、餞別代わりに置いていかれたこの中古のベッドは、小柄なボクならば全く問題はないけれど(寝心地は別として)、170C後半だと思われる大柄で筋肉質なこのヒューマンの男には耐えられそうにない。

 今更ながら、昨日の大雨の中よくここまで引きずってこれたものだと自分の事ながら誉めてやりたいものである。

 そう、今ボクの目の前で首を傾げているヒューマンの男は、昨日の夜の大雨の時に、倒れているのをボクが発見して連れてきた男である。

 何とかかんとかここ(廃教会の地下室)まで引きずってきた後、原型を留めていないぼろぼろの服の様子から、大怪我をしているものだと慌てて手当てをしなければと服を脱がせて(破って)みると、どういうわけか怪我という怪我はなく。せいぜいが引きずってきた際に出来たと思われる擦過傷と、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だけで。

 不思議なことに、ぱっと見はまるで集団でリンチを受けたかのような姿なのに、剥いてみれば褐色の肌には傷一つなく、白とも灰色にも見える髪を持つ頭にも怪我の跡はなかった。

 とは言え、濡れたままでは風邪をひいてしまうと、地下室に何故かあった男物の服の中で、大きなものを何とか目を瞑りながらも着せてベッドに寝かせたのは良いが、朝になっても起きる様子はなくて。

 もう一日待っても目を覚まさなかったらミアハを連れてこようか思っていたところ、夜になって帰って見ると、目を覚ましていて。

 第一声が肝心だと、慎重に尚且つ格好をつけながら自己紹介と共に名前を聞いてみたところ―――。

 

 ―――な、まえ……?

 

 ―――わた―――おれ、は―――だれ、だ?

 

 と、どうやら記憶がないようで。

 

「本当に、どうしようか?」

 

 思わず思考が口から出てしまう。

 

「……すまない」

「え? あっ、そ、そうじゃないんだ。謝らなくていいっ」

 

 知らず口に出していた言葉を聞いて、目の前の男が申し訳なさそうに頭を下げてきた。

 ベッドの上で身体を縮込ませながら謝るヒューマンの男の姿に、慌てて両手を振って気にするなと示すが、どうやら真面目な性格らしく、身体全体から申し訳なさげな様子が見てとれる。

 その姿に、思わず苦笑を浮かべていると、ヒューマンの男はゆっくりと顔を上げながら、やっぱり未だ申し訳なさそうな目を向けてきた。

 

「いや、知り合いでもない男をここまで介抱してくれたんだ。本当に感謝をしているのだが……」

「ん?」

「何も、本当に覚えていないんだ」

「何もって、本当に何もかい?」

 

 眉間に皺を寄せながら唸るように言葉を漏らす彼に、ボクも思わず唸るような声で尋ねてしまう。

 

「ああ、自分の事もそうだが、そもそもここが何処なのかもわかっていない」

「ここがどこって……ここはオラリオだよ」

「おら、りお?」

 

 こてんと、首を傾げながらボクが彼の疑問に答えると、あちらも同じように首を傾げて返された答えを口にするが、どうも納得の様子は見られなくて。

 と、言うよりも、そんな名前(都市)等聞いたことがないとでも言うかのような様子で。

 だからボクは思わず驚きの声を上げてしまう。

 

「え? 本当にわからないのかい? オラリオだよオラリオ! 世界の中心とも呼ばれている。ダンジョンがある『冒険者の街』だよっ!?」

「世界の中心? 『冒険者の街』オラリオ?」

 

 ますます眉間の皺に力が籠り、更にその峡谷が深くなってしまう。

 このままだと跡が付いて取れなくなってしまうのではないかと思わず心配してしまいそうになる程で。

 獣ややたら長くないその耳や、身長やらからして、まず間違いなくヒューマンだと思われるから、年齢は見たところ大体二十代前半くらいに見えるけれど、何だか苦労してそうな雰囲気からもう少し年上にも見える。

 何となくそんな事を頭の片隅で考えながらも、何か思い出せないかと必死な様子を見せる彼の姿から、ああ、本当に何もわからないんだと自然と納得していた。

 

「……本当に知らない―――わからないんだね」

「あ、ああ……わからない」

 

 項垂れるようにして頷いた彼の姿からは、『嘘』を言っているようには感じない。

 

「どうやら本当にわからないみたいだ」

「……信じてくれるのか?」

 

 項垂れた姿勢のまま、見上げるように視線を向けてくる彼に、小さく笑みを向けて頷いて見せる。

 

「まぁ、子供達の嘘を言っているのか本当の事を言っているのかぐらいはわかるよ」

「そう、なのか? ……いや、子供達って?」

「そりゃ、『下界』に下りて『神の力(アルカナム)』を封じられてるけど、それでも子供達が嘘を言っているかどうかぐらいはわかるよ」

 

 困惑の声を上げる彼に、肩を竦めてみせる。

 そりゃ、『神の力(アルカナム)』を封じられて、無力な存在になっているとは言え、子供達(人間)が本当の事を言っているのか、嘘を言っているのか見破るぐらいは『神の力(アルカナム)』がなくてもわかる。

 別に特別に何かしているわけでもなく、秘密でもないし。

 そこらの子供達も、神に嘘が通じないことぐらい知っている筈なのに。

 この彼は『記憶喪失』だからだろうか、何か納得のいかない顔をしていた。  

 

「『下界』? 『神の力(アルカナム)』? はは……その言い方だとまるで自分が神だとでも言うようだな」

「え? そりゃボクは神様だし」

「は?」

「え?」

 

 ……いや、そもそも彼はどうやらボクが神様だって気付いていないかったようだ。

 

「神、様? 誰がだ?」

「ボク」

「……ああ、そうか、そうだな」

 

 可笑しい、確かにぱっと見はヒューマンの人間のように見えるけれど、今までは、特にボクが神様だって事は、何も言わなくても話しているうちに察してくれてたんだけど。

 どうやらこの彼は相当勘が悪いのか、ボクの事を未だ神だと気付いておらず、何か可哀想なものを見るかのような目を向けてくる。

 

「何だいその目は、まるで可哀想な者を見るかのような目で見て」

「いや、なに。確かに目を見張るような美人だしな君は。うん、それこそまるで女神のような美しさだ」

 

 うんうんと頷きながら明らかに信じていない彼に、ボクは思わず「うが~!」と叫びながら立ち上がってしまう。

 

「美人と言われて悪い気はしないけど。女神のような、じゃなくてボクは本当に女神様なんだよっ!」

「いや、女神と言われてもな」

 

 苦笑を浮かべながら、ベッドに座ったままボクを見上げてくる彼に、ずびしと指先を突きつける。

 

「どうして信じてくれないんだっ!? 確かに色々と封じられてはいるけどっ! そこらの田舎じゃないんだっ! このオラリオにいるんだぞ。君だってボク以外の神の一()や二()見たことがある筈だよっ!!」

「いや、いくら記憶がなくとも神がそこらへんを彷徨いている筈がないことぐらい知っているぞ」

 

 呆れた声を上げる彼に、なおもボクが詰め寄ろうとしたところで、ボクは漸く彼が本当に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「君は本当に何を言っ―――あれ? もしかして本当にわかっていない?」

「? いや、だからさっきから本当に―――」

 

 はてな? と頭に疑問符が浮かぶ姿を幻視出来るような姿を見せる彼に、ボクは前傾姿勢になりかけていた身体を元に戻した。

 

「確かにちょっと前(数百~数千年前)までは、僕たち(神々)は地上にはいなかったけど。今の時代は結構大きな都市なら一()ぐらいいる筈だけど。どうやら君はそういう常識(知識)も忘れてしまっているようだね」

「……どう、いうことだ?」

 

 ボクが本気だと気付いたのだろう。

 何処か余裕を見せていた彼の様子に、真剣身が加わった。

 

「そうだね。じゃあ、何も知らない小さな子供に教えるような常識を一から説明してあげようか。もし何か思い出したら教えてくれよ」

「あ、ああ」

 

 戸惑う彼を尻目に、ボクは右手の指を一本立てると、本当に何もしらない子供に教えるように、最初からこの世界について説明を始めた。

 

「さて、じゃあ本当に最初から。『英雄の時代』の終わりから『神時代』の始まりを話そうか―――」

 

 

 

 

 

 そうして、ボクが最初から。

 本当に一から順に歴史や常識について話し出したのだけれど、何処かで何か思い出すか、それとも聞き覚えがあると話を遮られるかと思ったのだけれど。

 本当に彼は何も覚えていないようで、自分の事だけじゃなく、歴史や常識―――『下界』に下りた神々や、ヒューマン以外のエルフや獣人の事、神から与えられる恩恵についても何も知らなかった。

 お陰で程ほどの所で大丈夫だと思っていた話しは、想定以上に長くなり。

 ジャガ丸くんを食べつつの話しは夜遅くまで続く結果となって。

 大体の事を話し終えた時には、もう半分ぐらい眠くて意識がなかった。

 

「あ~……その、無理せず最後まで話さなくとも、明日でも良かったんじゃないのか?」

「ん~……いや、もう最後の方は意地になってて」

 

 うつらうつらとしながらも答えるボクに、彼は苦笑を浮かべながら頭を下げてくる。

 

「すまなかった。どうやら自分の事だけでなく常識もなにもかも忘れていたみたいだった。まあ、正直に言えば、未だ本当に納得はしていないのだが、外に出ればわかることだしな」

「……それは、まあ、朝になって外に出ればわかることだし―――ふぁ、ねぇ……」

 

 欠伸を噛み殺しながら答えるボクに、彼はますます顔に浮かべる苦笑を深めてみせる。

 

「すまない―――いや、ありがとう。本当に色々と助かった」

「ううん。それはいいんだ。目が覚めた、ならはいさようならとは流石に言えないしね。特に君は記憶がないときた」

「……本当に助かった」

 

 しみじみと礼を言う彼に、ボクも思わず苦笑が浮かんでしまう。

 

「それに君は―――って、流石にずっと君君と言うのは何だね」

「そうか? とは言え、本当に自分の名前の欠片すら浮かばなくてな」

「そっか……なら、そうだね―――……」

 

 ゆらゆらと頭を意識を揺らしながら、寝ぼけ眼で彼を何とはなしに見ていると、彼のその灰色とも白にも見える髪の色が目について。

 思わずそれを口にしていた。

 

「―――シロくんって言うのはどうだろう?」

「……ぇ?」

 

 小さな、戸惑うような声が聞こえたような気がしたけれど、それに構うことなく眠気で色々と遮るもののなくなったボクの言葉は、とろとろと話を続けてしまう。

 

「君の髪の色って、灰色のようにも白にも見えるからさ。だからまあ、シロくんって。安直過ぎるかな? って言うか嫌かな?」

「いや……そんなことは、ない、な……」

 

 犬や猫等のペットに名前を付けるのでももう少しこう、何か考えるだろうにも、その安直すぎる名前を、しかし彼は断ることなく。何処か複雑な表情を見せながらも頷いて受け入れて。

 

「なら、君が自分の名前を思い出すまでは、君の事をボクは『シロ』くんって呼ぶからね」

「……ああ」

 

 小さく頷く彼を―――シロくんを意識が飛びがちになりながら横目で見ながら、ボクは話しはこれで一旦終了と示すように、椅子に座ってて固くなった身体の背を伸ばす。

 

「それじゃあ、まあ、話の続きは起きてからでもいいかな?」

「勿論だ。だが、俺はこのままここに居てもいいのか?」

「別に構わないよ」

 

 ぷらぷらと手を振って彼の滞在を許可して、倒れるような勢いで椅子の背もたれに寄りかかって意識を手放そうとしたところで、シロくんが慌ててベットから立ち上がってきた。

 

「まて、家主を椅子に寝かせられるか」

「ん~……怪我人にベッドを譲られても……」

 

 むにゃむにゃともはや半分どころか3分の2は意識が飛んだまま応えていると、シロくんはボクを促してベッドへと誘導し始めてきた。

 

「怪我なんて何処にもない。痛みもないしさっきまで寝ていたからな。寝ようにも眠気がないし。だから大丈夫だ」

「まぁ……そこまで言うなら……」

 

 断ろうにも頭が働かず、シロくんが促すままそのままベッドに倒れ込むように転がった。

 うつ伏せに倒れたボクの鼻先に、知らない匂いが触れる。

 自分とは違う。

 意識が殆どないまま、それでも何もかも違うとわかるその不快に感じない匂いが付いたベッドに包まれながら、意識を手放そうとしていると。 

 

「ああ、そうだヘスティア。ここにある物は触っても大丈夫か?」

「え」

 

 ぽん、と。

 投げ渡されたその言葉に、思わず眠気が一瞬吹き飛んでしまう。

 何気ないその言葉。

 他の神から何度も呼ばれたその名前を、だけど、初めて聞いたかのような気持ちで受け止めて。

 そうして思わずベッドから顔を上げたボクと視線があったシロくんは、罰が悪そうに頭を掻いて小さく頭を下げてきた。 

 

「何だ―――って、ああ、女神様だったな。なら、呼び捨ては不味いか」

「いっ、いや、大丈夫だよ。そのままで……うん、大丈夫」

「そうか? で、触っても大丈夫なのか?」

 

 自然と口元に浮かぶ笑みが、何故か恥ずかしく感じてきて。思わずベッドに顔を飛び込ませながらシロくんの質問に応える。

 

「私物という私物は何もないから、好きにしても良いけど……何か探しているのかい?」

「いや、眠気が出るまで少し動こうかと思ってな。ああ、静かにするから安心してくれ」

「……ま、いいか。好きにしてくれていいよ。ボクも最近ここに来たばかりだしね」

 

 ごろりと彼に背を向けながら、背中に彼の―――シロくんの気配を感じながら、瞼を閉じて。

 

「そうか、なら御休みヘスティア」

「―――……うん、御休みシロくん」

 

 シロくんの、撫でるようなそんな暖かい声で聞きながら、ボクはそうして眠りに付いた。

 胸に灯った、暖かい気持ちを抱き締めながら。

 どうして、そんな思いを抱いているのかわからないまま。

 そうして、(シロくん)と初めて話した夜は終わった。

 次にボクが目を覚ました時に、彼が言ってくれる言葉を無意識のまま期待しながら。

 『下界』に下りてきて―――ううん、違う。

 生まれてきて初めて感じるその思いを抱きながら、そうしてボクは眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

「―――何これ?」

 

 そうして、次に目を覚ました時、目に飛び込んできた光景にボクは思わず声を漏らした。

 それもその筈だ。

 何ということでしょう。

 床の隅には埃が溜まり、用途不明の容器が崩れた戸棚に置かれたまるで廃墟(元から廃墟)のようだった教会の地下室に、家具を適当に置いただけの部屋が、目を覚ますと何と。

 床は綺麗に掃かれているだけでなく、まるで鏡面のように磨き抜かれ。

 壁沿いに置かれていた(ほったらかしにされていた)戸棚や机、椅子は綺麗に修復されているだけでなく、何度も拭くことでアンティーク染みた雰囲気を漂わせています。

 地下室を照らすには光量が足りない筈の魔石製品の周囲には、何処かから手に入れたのだろう鏡を使った細工で、隅々まで照らせるように工夫がされており。

 掃除というよりも完全に改造(リフォーム)された部屋を前にして、寝起きで呆けていた意識はぶん殴られたかのような衝撃により、逆にふらふらと揺れてしまっていた。

 そんな魔法で幻覚を見せられているような状態で呆然としていたボクの耳に、地下室へと降りてくる足音が聞こえてきた。

 はっと意識を取り戻した時には、もう一人いる筈の人物が階段からその姿を現していた。

 

「っ―――シロ、くん?」

「ん? ああ起きたのかヘスティア」

 

 彼は、シロくんはボクがベッドの上で呆然と周囲を見渡しているのを見ると、特に表情が動いているわけでもないのに、何処か得意気である事を感じさせる顔で生まれ変わったかのような地下室を見渡した。

 

「少しばかり片付けたが、問題はなかったか?」

「これが―――少し?」

 

 ぽけっと口を開けたまま漏らすように呟かれたボクの声に、シロくんはそこで漸く目を細めて笑う様子を見せると、地下室にある胸を張って台所とは言えない少しだけ火と水が使えるだけの魔石製品が置かれた場所へと足を向けた。

 

「掃除している時に、食べられそうなモノが幾つか見つけてな。すまないが勝手に使わせてもらったぞ。まあ、材料が少なすぎて簡単なスープしか出来なかったがな」

「え? そんなモノ(食材)あったかな?」

 

 と、言いながらも、シロくんの話を聞いているうちに目覚めてきた意識と共に通常運転を始めた五感が、何とも言えない美味しそうな香りを捕らえてお腹が盛大な抗議を鳴らし始めた。

 

「―――っ」

「どうやら期待には応えられそうだな」

 

 思わず真っ赤になってお腹を押さえるボクを、シロくんは肩越しに顔だけ振り向かせると、口元にニヤリとした笑みを浮かべてきた。

 反射的にベッドから立ち上がったボクが、抗議の声を上げようとしたところ―――

 

「ああ、言い忘れていたが―――おはようヘスティア」 

 

 口元を緩めてそう口にしたシロくんを前に、ボクの抗議のための勢いは一瞬で消え去ってしまって。

 その代わり。

 その向けられた笑みに応えるように、ボクの顔にも自然と笑みが浮かんで。

 

「うん―――おはよう、シロくん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が空へと昇り青空が広がる中、通りを歩く人の雑踏の中を、ボクとシロくんは歩いていた。

 ボクが住んでいる廃教会のある辺りは、殆ど人が住んでいなかったから、外へと出た時にシロくんは特にこれといった反応を見せてはいなかったけれど、流石に街の中心へと向かうにつれて、増えてくる人と喧騒に次第に周囲へと意識を向け始めていた。

 だけど、それは珍しいものをみたという反応であり。

 何かしら見覚えがあるものに対する反応ではなかったことから、シロくんは街の住民ではないか、もしくは最近来たばかり者なのかもしれない。

 そんな事を考えながら歩いていると、ボクの少し後ろを歩いていたシロくんが、隣にまで足を進めてくると質問を投げ掛けてきた。

 

「それで、今から何処へ行くんだ?」

「ん? 言わなかったかい? ギルド本部だよ」

「ギルド本部?」

 

 この都市(オラリオ)に住むのならば、いや、辺鄙な田舎か山奥にでも住んでいない限り、ある程度年をとれば自然と耳にしている筈の知識を、シロくんは知らないようだ。

 それは元々から知らなかったのか、それとも忘れてしまったのかわからないけれど、ボクはそれを頭の片隅に考えながら街の外からでも見えるだろう都市の中心から天へと伸びる巨大な塔を指差した。

 

「そう。ほら、見えるだろあのおっきな塔が。あそこが世界の中心の更に中心。ダンジョンの蓋であり、この都市にいる冒険者の管理を行うギルドの本部がある場所だよ」

「あれが……」

 

 シロくんも元々から意識をしていたのだろう。

 実際、ボクと外へと出た時から、気にしている風も見せていたし、何か聞きたそうな雰囲気も感じてた。

 

「もしかしたら、シロくんに仲間がいて、その人たちが捜索の届けを出しているかもしれないし。そうじゃなくても、何か情報があるかもしれないからね。行ってみて損はないと思うよ」

「まあ、記憶どころか常識すら忘れてしまっているからな。その辺の事は任せる」

 

 うんと一つ頷いてボクを頼るシロくん。

 その様子に少しばつが悪い気になって、思わずそれを誤魔化すように自然と手で頭を掻いてしまう。

 

「……とは言っても、ボクも少し前にここ(下界)に来たばかりだから偉そうな事は言えないんだけどね」

「そうなのか?」

「そうなんだよ。あそこ(教会の地下室)にいる前は、(天界)にいた知り合いの所で世話になっていたんだけど」

 

 空を見上げる。

 こことは違う空の上。

 例えバベルの塔を更に伸ばしても届かない()()()()の事を思い出す。

 戦いがあった。

 争いがあった。

 憎み、殺し、愛し、多くの出来事があった。

 だけど、何時しかそれは遠く。

 次第に停滞という退屈が満ちていき。

 やがて、それに飽いた神々は下界(地上)へと降りていって。

 そして、それはボクも同じで。

 希望を出して、長い長い時が過ぎて。

 漸く自分の番が来た時に、ボクが思った(願った)のは―――

 

「と言うことは、その知り合いとやらも神なのか?」

「え? あ、うん、そうだよ。鍛冶の神様で、ヘファイストスって言うんだけど」

 

 シロくんの言葉で現実(地上)に意識が戻り、何とも言えない表情で頷いてバベルの塔へと視線を向ける。

 あそこ(バベルの塔)の中に、その彼女の店がある。

 地上に降りたはいいが、どうすれば良いかわからず、先に降りていた彼女のところを頼って、受け入れてもらったのは良かったけれど。

 想像以上に地上の世界には楽しいことがありすぎて。

 気付けば何もせずに(引きこもって遊んでばかりで)数ヵ月が過ぎており。

 遂には彼女に追い出されてしまった。

 

「ヘファイストス、か……」

「数ヵ月程世話になっていたんだけど、まあ、色々(引きこもっていただけ)とあって追い出されてしまってね」

 

 何かを確かめるかのように、彼女の名を呟くシロくんを横に歩きながら、ヘファイストスの下にいた時の事を思い出して肩をすくめる。

 

「追い出され―――……一体何をしたんだ?」

「うっ―――いや、その、何というか何かしたというか、何もしていないというか……って、その話しはどうでもいいんだろっ!」

 

 余計な事を口にしたと、何とか話題を逸らそうと「ガーッ!」とシロくんを威嚇するも、どうも効果はないようで、ぺしっ、とばかりに叩き伏せられてしまう。

 

「いや、確かに今は特に関係はないが。だが、追い出された先があそこ(教会の地下室)とは、少し厳しすぎではないのか?」

「う~……まあ、ちょっとボクも少しは文句は言いたいけど、でも、中古とはいえ家具もくれたし、バイト先も紹介してくれたし」

 

 痛くはないが、頭を叩くというあまりにも軽い扱いに、両手で頭を押さえながらシロくんを見上げて抗議の視線を向けるが、当の視線を向けられる本人は何処吹く風だ。

 とは言え、このままではあまりヘファイストスの印象が悪くなってしまうと意識を切り替える。

 確かに追い出されて後に、あの廃教会を押し付けられたと聞かされれば、まるで悪いことのようには思えるが、引きこもっていたボクも悪いし、住んでみれば中々悪くない場所な上に、バイトも紹介してくれたし。

 

「ああ、廃墟にあるにしては使える家具だと思ったが、そういうわけ―――……まて、バイトだと?」

 

 そんな事を説明してみれば、何が引っ掛かったのか、シロくんが奇妙な顔でボクを見下ろしてくる。

 

「ん? そうだよ。君も昨日の夜に食べたよねジャガ丸くん。そこの屋台のバイト」

「神が、バイト?」

 

 言葉が不自由な人のような、片言で質問してくるシロくんに、ボクは立ち止まり互いに向き合う。

 

「シロくん」

「何だヘスティア」

 

 同じく足を止めたシロくんの目をしっかりと見て、ボクはあの日(追い出された時のヘファイストスの顔)を思い出しながら万感の思いを込めてその言葉を口にした。

 

「働かざる者食うべからずだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうだいっ! ここがバベルの塔のお膝元にしてギルド本部。そしてダンジョンの入り口だよっ!」

「これは、また……」

 

 バベルの塔。

 その地上の入り口にあるダンジョンへと降りるための場所に、ギルドはある。

 多くの職員が忙しそうに走り回る中、それ以上の武装した冒険者たちが受け付けに赴いたりダンジョンに降りたり、逆にダンジョンから出てきたりして、そこはお祭りの会場のような独特な熱気が渦巻いていた。

 

「やっぱりここは何時も賑やかだねぇ」

「聞くと見るとではやはり違うな。百聞は一見にしかずと言うが。正にそれだ」

 

 田舎に住んでいたら圧倒されるような街の中を歩いていた時は、驚いた様子をみせながらも、賑わい自体には何処か余裕を見せていたシロくんも、流石にここ(ギルド)の雰囲気に圧されているのか、感嘆の声を漏らしている。

 ふふ~っ、と笑って、ぼうっと入り口付近に立ちすくむ彼の手を掴むと、どんどんとギルドの中へと進んでいく。

 

「ほらほら、おのぼりさんみたいに突っ立てないで行くよ」

「いや、行くと言っても何処に?」

「言っただろ、別にここにはダンジョンに潜りに来たんじゃないんだ。用があるのはダンジョンじゃなくて本部そのもの―――って、丁度良い。お~いっ! そこの君っ、ちょっと良いかな!?」

 

 シロくんの手を引きながらギルドの中へと周囲を見渡しながら入っていくと、丁度手すきの眼鏡をかけたハーフエルフの女の子が目にとまった。

 反射的に空いた手を振り上げてその子を呼び止めると、反応良くその子は立ち止まってこちらに振り向いてくれた。

 

「え? あ、はい。大丈夫ですよ」

「うんうん、少し尋ねたい事があるんだが」

 

 立ち止まった彼女の下へとシロくんを引っ張りながら駆け寄って立ち止まり。シロくんを背中にハーフエルフの職員へと向き直る。

 その眼鏡をかけたハーフエルフの職員は、生真面目な性格をしているのか背を伸ばしてボクに対応してくれている。

 

「はい。何でしょうか?」

「後ろのいるシロくん―――えっと、シロくんっていうのは、ボクが仮に付けた名前でね。本当の名前はわかっていないヒューマン何だけどね」

「はい―――え?」

 

 前を向きながら、後ろに立つシロくんを指差す。

 職員さんの目が一瞬シロくんへと向けられた後、疑問を示すように首を傾げてくる。

 

「この間拾ったんだけど、どうやら記憶喪失らしくて、自分の名前もどうしてここ(オラリオ)にいるのかわからないそうなんだ。何か知らないかい?」

「―――……は?」

 

 接客スマイルを浮かべていた彼女の笑みがぴきりと凍った音を、ボクははっきりと聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっと、すみません手伝ってもらって」

「全然だよ。こっちが頼んでいるんだし」

「そうは言っても神様に手伝ってもらうなんて」

「はは―――君は今時珍しい子だね。ここ(ギルド本部)で働いていたら色々な馬鹿ども(神々)を目にしているだろうに」

「は、はぁ、それは……」

 

 恐縮して何度も頭を下げてくる「エイナ・チュール」と名乗ってくれた普段は受付嬢をしているという職員の子―――に笑って首を横にふって見せた。

 これは謙遜ではなく本当のことだ。

 実際この子は通常業務である受付を同期の子に代わってもらってまで、ボクのお願いを手伝ってくれているのだ。

 あの後、混乱で固まってしまった子に、シロくんと一緒に事情を説明したところ、ある程度状況を理解してくれると、少し考える姿を見せると直ぐに頷いてくれたのだ。

 そして同期らしい桃色の髪をした女の職員に受け付け勤務を代わってもらうと、犬人(シアンスロープ)の上司らしい男の職員に許可をもらって行方不明者や捜索願いがまとめられた資料室へと向かっていった。

 その一人資料室へと向かう姿を見て、この都市の事だから大量の資料を確認するだろうと協力を申し出てみたところ、最初は遠慮していた彼女であったけれど、それを見ていた上司の犬人の人が許可を出してくれたのだった。

 ただ、同じく協力を申し出ていたシロくんは、素性が明らかではないと遠慮してもらうことになったけども。

 そんな事を思い出しながら、ボクは手元に残っていた最後の資料を読み終える。

 

「残念。それらしい資料はないね。そっちはどうだい?」

「少なくともここ数年では該当する人はいませんね」

 

 同じくらいのタイミングで読み終わった彼女が、資料を閉じながら首を横に振った。

 集中して調べていたからか、気付けば窓の外から見えていた太陽の光はかなり弱まっていた。

 どうやらかなりの時間が過ぎているらしい。

 それだけの時間を二人して調べては見たけれど、どうもシロくんらしい情報は見つからなかった。

 

「こっちもだよ。あの体つきや雰囲気から、冒険者に関わっていたんじゃないかと思ったんだけど」

「でも、あの人には『ステイタス』がないんですよね」

 

 自身の肩を自分で揉みながらこちらへと視線を向ける彼女に、ボクは彼に服を着せている時を思い出す。

 神が与える『神の恩恵(ファルナ)』は、それを示す跡が残る。

 ステイタスとも呼ばれるそれは、眷族を示す証でもある。

 だけど、彼を着替えさせたときに、そういった跡はみられなかった。

 あの時は、色々と焦っていたから余計な事をそんなに考えていなかったけれど、思い返せば随分大胆な事をしたものだと、自然と赤く熱くなる顔を誤魔化すように頭を振る。

 

「ヘスティア様?」

「あ、ああ、それは確認したから間違いないよ。ただ、まあ不思議なのは……シロくんは、って言うか、まだ子供達(人間)の年齢は、見ただけで直ぐにはわからないけど、多分20代ぐらいだと思うけど」

 

 疑問の声をあげる彼女に、誤魔化すように話題を向ける。

 彼女は疑問に思わず、ボクの質問に頷いて答えてくれた。

 

「そうですね。それぐらいだと思います」

「まだ、シロくんとちゃんと話し出して一日もないけどさ。工作も掃除も、料理も全部凄くてさ。只者じゃないのは分かるんだよ」

「工作? 掃除? 料理? え? ええ??」

 

 戸惑う声を上げる彼女を尻目に、ボクは改めてシロくんの事を頭に浮かべる。

 かなり痛んでいた筈の、運び込まれたヘファイストスからの餞別の家具ではない、元からあった壊れたそれを、たった一日―――正確には数時間で綺麗に作り直すだけでなく。あれだけ(掃除をしていないのは自分自身であるが)汚かった部屋を綺麗にして、食材と呼べるものがないにも関わらず、僅かな材料だけで朝食を作り出す技術。

 ―――そして、何よりもあの雰囲気。

 天界にいた時に見たことがある。

 下界や天界にいた『戦士』のそれのような雰囲気からして、多分腕も相当立つのだろう。

 だけど、それだからこそ疑問に思う。

 おかしなことだと考えてしまう。

 

「ボクも神だからわかるけど。もしあんな子が手元にいたら、絶対に眷族にする筈なんだよ」

「つまり、そうじゃないと言うことは、何処かの『ファミリア』には入っていないと?」

「うん。それか―――」

 

 あれだけの能力がある子供(人間)がいれば、それを見た神は絶対に手元に置こう(眷族)とするだろう。

 だけど、彼にはその(ステイタス)は確認できなかった。

 だけど、それはシロくんが今まで何処かの『ファミリア』にいなかったと証明するものではない。

 何故なら―――

 

「脱退したか、させられた、か」

 

 『ステイタス』は消すことが出来る。

 その『ファミリア』の主神の意向次第だけど、何らかの理由で『ファミリア』から脱退する際、そこの主神には『ステイタス』を残すことも消すことも選択できる。

 じゃあ、もしシロくんが過去に何処かの『ファミリア』にいたとしたら。

 何らかの理由で脱退して、『ステイタス』を消されていたとしたら。

 その理由は。

 もしかして、とんでもない理由があって、それを隠すために記憶喪失だと騙っているのかもしれない。

 

「「…………」」

 

 そんな考えが互いに浮かんだのか、彼女とボクは固い笑みを向けあってしまう。

 そうしてつのる沈黙に耐えきれなくなったボクが、その雰囲気を壊すように椅子から勢い良く立ち上がった。

 

「ああ~っ!! やめやめっ!! ごめんね手伝ってもらって」

「え? あの?」

「もう大丈夫だよ。結局今のところ何もわからないってわかったし」

「それで良いんですか?」

 

 色々と含んだ声を向けてくる彼女に、うんとボクは頷いて答えた。

 

「構わないよ。まだ、少ししか関わっていないけど、それでも彼が―――シロくんが悪い人とは思えないしね」

「でも、彼には記憶が―――」

「それも含めて、だよ」

 

 心配そうな視線を向けてくる彼女に、安心させるような笑みを向ける。

 そんなボクに、彼女は一瞬何か言おうと口を開いたけれど、諦めたように小さな吐息を漏らして一つこくりと頷いて見せた。

 

「っ―――そう、ですか……」

「ありがとう。色々と手伝ってもらって。また何かあれば話を聞いてもらえるかい? それと、もしシロくんに関する情報が手に入ったら……そうだね。ヘファイストスに伝えてもらえたら助かるよ」

 

 彼女の優しさと気配りに感謝しながらも、もう少しだけ甘えて見せる。

 ボクのお願いに彼女は少し考えた素振りを見せたけれど、直ぐに頷いて了承してくれた。

 

「ヘファイストス様ですか?」

「うん。友達でね。ちょこちょこ顔を出しているし。あまりここに顔を出して君に迷惑をかけるのもね」

「それなら……わかりました」

「うん。じゃあ、よろしく」

 

 最後まで手伝ってくれた彼女にお礼を言って、資料室の出口へと足を向けながら、ふともう日が陰り始めた時を思いだし。その間ずっと放りっぱなしだったシロくんの事を思い、今更ながら不安な声を上げてしまう。

 

「……随分時間が掛かってしまったけど。シロくんは大丈夫かな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――まさか、あんな事になっているとは」

「どうしたヘスティア? 変な顔をして」

 

 太陽がもう都市を囲む壁の向こうに消えていく頃、ボクは太陽の残り火のような光を背にしながら歩いていた。

 頭に浮かぶのは、あのエイナという名のハーフエルフのギルド職員と共に資料室から出た時の事だ。

 それが頭に浮かぶ度に、自分でもどんな顔をしているのかわからない変な気持ちとなってしまう。 

 

「はぁ……そりゃ変な顔にもなるよ。君は一体何をして―――と言うか、どうしてあんな事に?」

「ん? 説明しただろ? 特にやることもなく暇な中、ギルドの職員が忙しそうだったんでな。『何か手伝える事はあるか?』と聞いただけだ」

 

 そんなボクを気にしてか、隣を歩くシロくんが戸惑った様子で声を掛けてくるのを、何処か不貞腐れた気持ちで睨むような視線を向ける。

 確かに説明は聞いた。

 あの時―――資料室から出た際、シロくんの姿が何処にもなくて、もしかしていなくなってしまったのではと焦って探し回っていると、ギルド内部を見渡した視線の中に奇妙なものを見つけてしまった。

 それは、違和感というか、間違い探しと言えば良いのか。

 ギルドの看板とでも言えば良いのか、基本美人な受付嬢がいる筈の冒険者の対応をする受付に、何故か黒一点と言うか―――シロくんが座っていた。

 そう、冒険者がいる位置ではなく、その向かい。

 受付嬢であるギルドの職員が座っている筈の場所に、何故かシロくんが座っていたのだ。

 ギルドの綺麗所が座る受付の中に、たった一人だけ何処から手に入れたのか、男性用のギルドの服を着たシロくんが、受付に座って何故か冒険者の対応をしていたのだ。

 混乱して暫く立ちすくんでいても仕方のないことだろう。

 何とか再起動(気を取り直し)して、並ぶ冒険者達(何故か女性の冒険者ばかり)を押し退けてシロくんに突撃して事情を聞いてみたところ……。

 

『いや、最初はただ単に荷物を運んでいたギルドの職員に声を掛けてその手伝いをしただけなんだが―――』

『で、その荷物運びを手伝っていたら、それを見ていた別の職員が書類を纏めるのを手伝ってくれと頼んできてな』

『それが終わったら、どうやら臨時のバイトか何かだと勘違いしたのか、奥で書類の整理を頼むと言われてな』

『流石に部外者がそんな所へは入れないと断ろうとしたんだが、特にみられて困るような重要な書類はないからと言われてしまえばな』

『その整理も粗方終わった頃に、何やら冒険者がタイミング悪く一斉に出てきたらしくて、受付に手が回らなくなり始めたようでな』

『手伝うなかで、色々と受付について耳にしたり、質問していたりで、ある程度なら手伝えるかもと口にしたら、この服(ギルド職員の制服)を投げ渡されてな。着替えたらここに強制的に座らされて現状に至るということだ』

 

 と、何でもないことのように、苦笑を浮かべながらそんなことをのたまったのだこのシロくんは。

 

「それで、あんな事に?」

「いや、流石にああなるとは思わなかったが」

 

 受付でぎゃあぎゃあとボクが暴れているのを見て、更にエイナ君に色々話を聞いたらしい犬人の上司らしい者によれば、何だか知らないが、見知らぬ男でもベテランの働きをしている事から、何処かの支部からの応援だと勝手に勘違いされ、色々と仕事を回されていたそうだった。

 なんの関係もない一般人だと判明した後は、色々と騒ぎが起きたけど、シロくんは特に怒られる事はなく、逆に謝られた上に結構な額のバイト代を支給されていた。

 

「……本当に君って一体何者だったんだか」

 

 工作に掃除に料理、それに加えて事務処理まで完璧ときた。

 一体何者なのか、知れば知るほどわけがわからなくなってしまう。

 

「それは俺も知りたいな。昨日に地下室を掃除していた時から疑問に思っていたんだが、勝手に体が動くような感じで。体に動きが染み付いていると言うか……」

「壊れた戸棚を綺麗に修復できたり、プロも顔負けの掃除に料理。更には半日手伝っただけでギルド職員に引き留められるような八面六臂の活躍をして……」

 

 ため息のような呆れた笑いを漏らすボクに、シロくんも苦笑を向けてくる。

 

「さて、大工か掃除夫か、それとも料理人か、どこぞの職員だったかもしれないな」

「何もわからなくてわからないんじゃなくて、色々出来るからわからないって……」

 

 呆れれば良いのか、驚けばよいのか。

 

「まあ、考えてもわからないことは、今は考えなくても良いんじゃないか?」

「それを君が言うのかい? はぁ……でも、良いバイトにはなったんじゃないか。それこそ、本当にギルドに勤めてみたらどうだい?」

 

 シロくんがこの半日で稼いだバイト代はボクも見せてもらったけれど、時間の割に結構な額があった。

 迷惑料を含んでいたとしても、十分なものである。

 

「雇われたわけじゃないからと断ったんだがな」

 

 何と言うか、シロくんは一言で言えばお人好しだ。

 ほっとけば良いことも、口を出さなくとも良いことも、放っておかず、自分から声を掛けて自ら苦労を背負い込もうとしている。

 お節介と言えば良いのか、お人好しとでも言えば良いのか。

 ただ、何となくそんなシロくんの姿は、何処か危うく感じるのはボクの気のせいだろうか。 

 

「貰えるものは貰っておきな。それにしても、たった半日でボクの一日の働きの数倍なんて、君が凄いのか、ボクの給料が安いのか……」

「具体的には、これはどれぐらい価値があるんだ?」

 

 ギルドでのバイト代が入った袋を、シロくんは自分の目の前まで持ち上げた。

 具体的に言えばボクのバイト代の三日分はあるだろう金額が入った袋である。

 

「え? それもわからないのかい?」

「恥ずかしながら、な」

 

 ボクの稼ぎの何日分かは言えないけれど、まあ、他に例えようなら幾らでもある。

 少し頭でシロくんが持つ袋に入った金額を思い返す。

 

「そうだね。まあ、一週間の食費にはなるかな。宿に泊まるなら平均的な所なら二、三日ってとこかな」

「ほう、結構な額だな」

 

 顎に手を当て感心したような声を上げるシロくんを横目に、歩きながらボクは頭のなかでもう少し考える。

 既に街の中心からは大分離れて、瓦礫が目立つ光景が広がり始めている。

 喧騒は遠く、微かに風のような騒ぎ声が背中に当たるだけ。

 そんな中、ボクは歩きながら自分が口にした言葉について考えを進ませていた。

 二、三日と言ったけれど、探せば一週間は泊まれる所もあるかもしれない。

 そして、それだけの時間があれば、色々と高スペックのシロくんならば、割りの良いバイトに勤めるどころか、ギルドみたいな所に就職できるかもしれない。

 実際に、ギルドから離れる際には、色んな人から呼び止められていたし。

 そうじゃなくても、有名な『ファミリア』に勧誘されて―――

 

「―――」

「ヘスティア?」

 

 そこまで考えたところで、ボクの思考が一瞬止まってしまう。

 それと同時に、歩いていた足が止まる。

 ボクを置いて数歩程前を行ったシロくんが、立ち止まったボクに気付いて足を止めて振り返った。

 振り返ったシロくんの視線から、ボクは何故か咄嗟に俯いて逃げてしまっていた。

 

 どう、して?

 

 戸惑いが、疑問が、段々と思考を埋めていく。

 

 何を、ボクはそんなに戸惑っている?

 どうして、ボクはこんなに不安に思っている?

 何故、ボクはシロくんの視線から逃げようとしている?

 ボクは、何を、怖がっている?

 

「っ、その、シロくん、は―――」

「どうした?」

 

 突然、前触れもなく立ち止まったボクを前に、シロくんはただ、静かに声を掛けてくる。

 咄嗟に口が開いた先から出た言葉は、喘ぎのような声で、上手く形となっていなかった。

 ボクは、一体何を言おうとしていたのか。

 ボクは、どうして今、こんなにも不安を抱いているのか、戸惑っているのか、怖がっているのだろうか?

 それは―――それは……。

 俯き、何時しか目を閉じていたボクの目蓋に、脳裏に、シロくんが起きてから今までの一日にも満たない僅かな時の光景が過ぎていった。

 笑って、怒って、戸惑って、驚いて、話して、一緒にご飯を食べて―――ほんの僅かな時でしかない。

 それこそ、関わった時間を言うのならば、バイト先の店長との時間の方がずっと長い筈だ。

 なのに、どうして―――。 

 

「っ―――ぁ……」

 

 こんなにも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 シロくんの事だ。

 自分でももう気付いている筈だ。

 もうボクと一緒にいなくても大丈夫なことを。

 色々と一般常識すら忘れてしまっていたシロくんだけど、今日だけでもう大抵の知識を得てしまったし、廃教会の地下室で見せたあの家事スキルや、ギルドでの活躍からして、直ぐにでも一人立ちしても問題がないって。

 だから、もし、ここでボクが『これからどうするんだい?』なんて事を聞いたら。

 もし、『ああ、色々と世話になったな。後は自分で何とかする』とか言って何処かに行ってしまうかもしれない。

 それを、ボクは止められない。

 止める理由なんてない。

 だって、シロくんとはまだ目が覚めてから一日もまだ経っていないのだ。

 そんなボクが、友人でも知り合いでもない。

 ただの少しだけ関わった他人が、勝手に寂しがったからといってどうこう言える筈がない。

 

「もう直ぐ日が沈んでしまうぞ」

 

 ―――寂し、がって?

 

 ああ、そう、か……。

 

 ボクは、寂しかったのか。

 すとん、とその言葉が、感情が胸に収まった。

 ボクの体を、心をざわめかせるその理由が何なのかがわかって、奇妙な納得感を感じていた。

 この感覚は、思えば最初から―――それこそずっと昔。

 『下界』に下りて、ヘファイストスと、その『ファミリア(家族)』を見た時よりも前に。

 天界で、ヘファイストスとか知り合いの神がみんな『下界』に下りてしまった時よりも、前かもしれない。

 『下界』に下りた神が、人間達を『眷族』にして『ファミリア(家族)』を作っていると知った時?

 違う。

 もっと前だ。

 もっとずっと前。

 思い出すこと出来ないほどに、ずっとずっと前からボクはこの感情(寂しい)を胸に抱いていた。

 ずっと、ずっとだ。

 『天界』で、どれだけ時が過ぎたとしても、この気持ち(寂しさ)は消えなくて。

 それが『寂しい』というものだと、気付かない程で。

 それを、『退屈』だというもので誤魔化して。

 何時しかそれが本当に置き換わってしまって。

 そうして、ボクはここ(下界)までやってきた。

 この、欠落(寂しさ)を癒すために。

 それに、今、どうして気付けたのかは―――それは……寂しくなかったからだ。

 シロくんが目を覚まして、話して、一緒に歩いて、一日もない短い時間の中で色んな出来事があって。

 それにいちいち笑って、怒って、戸惑って―――まるで、それは『ファミリア(家族)』のようで。

 ほんの、僅かな時だけど、ボクの『退屈(寂しさ)』を忘れさせてくれた、そんなシロくんがいなくなってしまうかもしれないと考えて、ボクは―――

 

「シ―――」

 

 それでも、何時かは避けて通れない道だと、何処か自暴自棄のような気持ちでシロくんにこれからの事をどうするかと聞こうと彼の名を呼ぼうと、顔を上げたとき。

 太陽が都市の壁の向こうの、更に山の向こうへと落ちていき。

 空が青から赤く染まる時。

 世界に黄昏が満ちる中。

 夕日を背に立つシロくんが、ボクに笑いかけていた。

 それは、初めて見るシロくんの『笑顔』で。

 胸がほっとするような、そんな暖かな、優しい笑顔で。

 

「ヘスティア―――」

 

 何も言えず、阿呆のように口を開けたままのボクに向けて、シロくんはただ、当たり前のようにボクの名を呼んで、そして、その言葉を口にしてくれた。

 

 

 

「家に帰ろう」

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしております。
 
 この話を読んでもしかしたらひっかかっている人もいるかもしれませんので、一応書いておきますが。以前にも書いている通り、この『シロ』は、神代の他の国の英霊が現代日本に聖杯で召喚された際に、日本の言語等をインストールされるみたいに、ダンまち世界の一般的な言葉と文字の読み書きが出来るように『■杯』により色々とインストールされています。
 しかし、それも言葉と文字だけで、一般常識的な事柄は対象外となっている結果、傍目から見ればかなりの世間知らずのような状態となっています。


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第二話 Fate/stay night~その夜、運命は動き出す

 m(_ _)m

 随分とお待たせしました。
 まだ、本調子ではありませんが、ちょこちょこと書き進めようと思います。
 どうか暖かい目で見て、読んで頂ければ幸いです。


 

 

 

 

 

 きっと、あそこが始まりだった。

 

 あの日、あの時、あの場所で。

 

 満点の星々が輝く夜の空に、円を描く月が、ボクと君を照らす中。

 

 ボクの伸ばした手が、君の手を取ったとき。

 

 君の硬く固められていた拳が、ボクの手を掴んだとき。

 

 全てが、始まったんだ。

 

 ―――きっと、あそこから……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――…………。

 

 ―――ぁぁ、そういえば。

 

 覚えているかな、君は。

 

 あの時の事を思い返した君が、何時か言っていたね。

 

 救われた、って。

 

 ―――違うよ。

 

 違うんだ。

 

 救われたのは、君じゃなくてボクなんだ。

 

 一人ぼっちが悲しくて―――寂しくて―――寒くて―――すがるように伸ばした手を、君が掴んでくれた。

 

 だから、救われたのはボクなんだ。

 

 君は否定したけどね。

 

 あの時は、お互いがいいや違うと、言い合いになってしまったけど。

 

 それも、君は覚えているかな。

 

 何でもない日。

 

 特に何かがあったわけもなく。

 

 自然と始まった、廃教会の地下での夜のお酒の席で。

 

 他愛ない話から始まった、馬鹿馬鹿しい口喧嘩にもならない言い合いを。

 

 君は、覚えているかな。

 

 日々の記憶に埋もれてしまう、何でもない、何もない日にあった。

 

 あの夜の、じゃれあいを。

 

 ボクは、覚えているよ。

 

 全てが始まった、あの日の夜も。

 

 何でもない、何もないあの日の夜も。

 

 ボクは、全部覚えている。

 

 例え、君が全てを忘れてしまっていたとしても、ボクは覚えているよ。

 

 灯火のように、暖かく灯るその思い出を、ボクは何時までもこの胸に抱き締めている――――――……………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――……そういえば、あの日の夜の言い合いは、どう決着が着いたっけ?

 

 大分お酒が入っていたから、実のところはっきり覚えていないんだよね。

 

 結局、どっちが救われたかの言い合いは、決着が着いたっけ?

 

 君は頑固だから、最後までボクに救われたって譲らなかったのかな。

 

 でもね、やっぱりちがうよ。

 

 違うんだ。

 

 救ったのは君で、救われたのは君。

 

 救ったのはボクで、救われたのはボク。

 

 そうだけど、そうじゃない。

 

 うん、そうだ。

 

 そうなんだ。

 

 救うって言うのはね、やっぱり、そうじゃないんだ。

 

 だってね、シロくん―――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから、数日が過ぎた。

 大雨の中、ボクが拾ってきたボロボロの男の子供(ヒューマン)が、目を覚ましてから。

 目を覚ました彼は、何と言うことかこれまでの記憶が無くなっていて、自分がどうしてここ(オラリオ)にいるのかどころか、自分の名前すら忘れてしまっていて。

 だから、ボクは彼に仮の名前を付けてあげた。

 その、色を消してしまったかのような、灰色の髪の色から、何も覚えていない、その姿から『シロ』と言う名前を、彼に付けてあげた。

 そんな、何もかも忘れてしまっていて。

 だけど、掃除も洗濯も、料理どころかギルドの受付すらこなしてしまう、何でも出来てしまう、一体何者かもわからない。そんなシロくんと廃教会の地下室で過ごすようになってから、数日が過ぎた。

 その日々は、これまで下界に下りてきたからの驚きに満ちた日々と比べても、比較にもならないほど、充足に満ちた日々だった。

 ある時は、じゃが丸くんの屋台で一緒に働いて、数百Mにもなる行列をつくったり。

 ある時は、シロくんがギルドで受付をしているのを見た女神からの、『ファミリア』に入らないかとの猛アピールをオラリオ中を駆け回るようにして逃げ回ったり。

 ある時は、ちょっと出てくると言ったきり帰ってこないシロくんを探しに、名前も告げずに仕事を手伝ってくれた男の話を追いかけるようにしてオラリオの中を探し回ったり。

 両の手で数えられる程度の、そんな短い日の中で起きたそんな出来事。

 笑って、怒って、泣いて、叫んで。

 信じられない程楽しくて。

 信じられない程幸福で。

 飛ぶように過ぎた日々の中、ふと、凪ぎのように、穴に落ちてしまったかのように、心が静かになる時があった。

 それは、何時も同じ時。

 一緒に、日が暮れた街の中を、廃教会()へと帰るために歩くその時。

 隣を歩く君が、遅れたボクの前へと進んだ一瞬。

 君の背中を、見た瞬間。

 

 ―――大きくて、広くて、そんな君の背中が、とても儚く見えてしまって。

 

 ボクは、どうしようもなくなって。

 手を、伸ばして―――。

 

 シロくん。

 

 君は―――

 

 ―――ボクは

 

 

 

 

 

「―――ヘスティア」

「ぇ、へ?」

「……溺れるぞ」

 

 はっ、と瞼を開き顔を上げると、そこには呆れた顔をしたシロくんが、ボクの事を見下ろしていた。

 それを数秒ほどぼんやりしていた頭で見上げていたボクだったけど、手元に感じる暖かさによって急速に思考に漂っていた霧が徐々に晴れていく。

 現実に意識が完全に浮上すると、緩みかけて落としかけていた、両手で握っていた大きめのカップを慌てて掴み直した。

 一瞬寝ていてしまっていたようだ。

 シロくんが声を掛けてくれなければ、お茶が入ったカップに口から突っ込んで、地上にいながら溺れてしまうところであった。

 誤魔化すように、照れ笑いを向けると、呆れた顔をしながらシロくんが小さく肩を竦める。

 シロくんの両手には、今日の朝食である、余り物のじゃが丸くんを潰して平らに伸ばして焼き固めた、もはや丸ではなくなったじゃが角とも呼べば良いのだろうか。新たに生まれ変わった最近の朝食メニューが、美味しそうな湯気を広げながら皿に乗っていた。

 元々の素材は、何時も食べているじゃが丸くんの筈なんだけど、色々と手間を掛けているのだろうか。ただ潰して形を変えているだけのように見えるが、食べてみると全くの別物であることは既に知っていた。

 3、4日前から朝食にはこれが出ているのだから当たり前だ。

 連続で同じ料理が朝食に出て飽きないかだって?

 はは―――シロくんを侮ってはいけない。

 何故なら、自然と口の中に涎が溢れ出しているこの身体の反応が示しているように、見た目は同じでも何時も違うのだ。

 そう、掛けるタレも違えば、中に入っているアクセントも日々違う。

 さて、今日はどんな驚きが入っているのだろうかと、シロくんが皿を置くのを、両手を握りしめながら待つボクの頭からは、ついさっき。うたたかの意識に浮かんでいた想いは既に消え去っていた……。

 

 

 

 

 

「―――で、今日の予定は何かあるのか?」

「ん~……特にはないね。バイトの方も、今日は屋台がお休みだって言われてるし。これといった予定はないよ」

 

 朝食を食べ終え、簡素なテーブルを挟んで、食後のお茶を飲みながらなんとはなしに会話をするボクとシロくん。

 何やら誰かの手伝いをした時にお礼としてもらったというお茶の葉だそうだけど、明らかに安物ではないそれを、明らかに素人とは思えない巧みさで入れてくれたお茶の香りと味を、食後の多幸感に浸りながら楽しむ。

 

「君の方こそどうなんだい? 何時も色々と頼まれて忙しそうにしてるけど」

 

 暇よりはましなんだけど、問題は彼がその頼まれた何やらは基本無償でやってるって事だ。

 今のところ幸いな事に、相手がお礼として賃金を払ってくれたり、何か物をくれたりしてくれるけど、そのうち悪い奴に良いようにされそうで不安になってしまう。

 ここ(オラリオ)は決して治安が良いわけでも善人だけがいるわけでもない。

 いや、どちらかといえば悪い方に傾いているぐらいだ。

 そんなボクの不安を他所に、シロくんは小さく首を捻りながら軽く頷いてみせた。

 

「こちらも特にはないな」

「ふ~ん、そっか。じゃ―――」

 

 「じゃ、今日はゆっくりしようか」と続けようとしたボクの言葉は、

 

「そうだな。なら、二人で一緒に遊びに行くか」

「ッ!?」

 

 シロくんのそんな言葉(誘い)に吹っ飛んでしまった。

 緩やかに流れていたボクの思考が、一瞬にして沸き上がってしまった。

 それと連動するように飛び上がった身体が、テーブルに乗り上がり。目を丸くしたシロくんの顔を、両手で獲物を捕らえるように掴む。

 

「へ、ヘスティア?」

「賛成だッ! 賛成だとも!! 行こうっ! 遊びにッ!!」

 

 テーブルの上に乗り上げながら、自然と浮かんでいた満面の笑みでシロくんを見下ろして、ボクは跳ねるように鼓動する心臓の音に合わせるように歓喜の声を上げた。

 

「デートだッ!!」

 

 

 

 

 

 シロくんと一緒に住み始めてから、短いながらもそれなりの日が経ったというにも関わらず。ボクはシロくんと一緒に、正確には二人で街を巡ったのは、初日の一日しかなかった。それ以降は、何かとあって、二人で一緒に何処かを回るといった事は出来ずにいた。

 そう考えると、二人並んでこうして一緒に歩くのも、なんだか随分と久しぶりな気がしていた。

 最近では、一緒に歩くのは、何時も帰り道の夕方か日が落ちた夜にしかなかったからだ。

 にこにこと頬が浮かんでいるのを自覚しながら、ボクはシロくんの手を引きながら街の中を跳ねるようにして歩く。

 

「おい、そんな急がなくてもいいだろ」

「ははっ、別に急いでなんかいないさっ! ただ嬉しいだけだよっ」

「っ―――」

 

 ボクの口から出た言葉に、驚いたように目を開いて受けたシロくんは、一瞬硬直した後、何処か戸惑うような笑みを口元に浮かべると、おとなしくボクの手に引かれて少し駆け足になるように足を早めた。

 

「でも、何処に行こうか。シロくん何処か行きたい所とかあるかい?」

「何処かと言われてもな。ここ(オラリオ)は広いからな。まだまだ行ったところのない場所なんてあちこちにあるが……」

「そっか、なら丁度いい。ボクが案内してあげるよっ!!」

「そちらもここへ来てからそう長くはなかった筈では?」

 

 シロくんに顔を向けたボクに、彼は何処かからかうような笑みを向けてくる。

 それに挑戦的な笑みを返してボクは軽く胸を張って見せた。

 

「それでも君よりは良く知っているさっ!」

「なら、案内を頼もうか」

「任せたまえっ!!」

 

 笑って、笑って、そうしてボクはシロくんの手を引いて駆け出した。

 青空が広がる下を、廃屋が広がる中を、喧騒が聞こえてくる方向へ向けて彼と共に―――。

 

 

 

 

 

 最初に回ったのは商店が立ち並ぶ場所だった。シロくんも食材の購入で良く立ち寄る見知った場所だったけど。奥まった場所までは良く知っていなかったから、地面に布一枚だけを広げただけの、見るからに怪しい物売りがいる所までは行った事がなかったようだ。ボクもたまたま偶然知っただけの場所で、時折冷やかしに行くだけだったけど、シロくんと一緒だとまた違った面白さがあった。

 そこを軽く見て回った後は、小腹が空いたお腹を、屋台で買った少食を歩きながらパクついて、色々なお店が立ち並ぶ場所へと歩いていった。

 そこにどんなお店があるかは知っていたけれど、立ち寄った事のなかったシロくんは、珍しげにお店に並ぶ品々を眺めていた。中にはそこらの一般の家庭にもあるような道具でも、シロくんは興味深そうな視線を向けていた。

 その様子からは、まるで未開の奥地からやって来たばかりの人の姿を思い浮かばせた。

 そうして、色々なお店に立ち寄っては、シロくんが物珍しげな顔を商品に向けるのを観察するのを続けて、お昼が近付いた頃。

 折角だから最近見つけた雰囲気の良い、人気がある食事処に行こうかと思った時だった。

 ミアハと出くわしたのは。

 

「ヘスティアか?」

「へ―――あ、ミアハっ」

 

 ふと、盛況な人の流れの中から、自分を呼ぶ声を耳して、反射的に立ち止まって声が聞こえた方向に視線を向けると、そこには買い物帰りなのだろう。何か物が入っているのだろう手提げの袋を片手に持ったミアハがそこには立っていた。

 

「久しいな―――と言うほどではないか」

「そうだね」

 

 空いている手の方を軽く振りながら近付いてくるミアハに、ボクは笑って返事を返す。

 

「今日はどうした? そろそろ昼時だから休憩か?」

「いや、違うよ。今日は―――」

「どうした、ヘスティア?」

 

 何時もこの時間はバイトなのは知っているからだろう。

 少し疑問が浮かんだ顔をしながら、ミアハが首を傾げるのに対して、その疑問の答えを返そうとした時だった。ボクが付いてこないことに気付いたシロくんが、戻ってきて声をかけてきたのは。

 

「っ―――」

「?」

「あ、シロくん」

 

 ボクが振り返ると、シロくんが疑問を浮かべた視線をミアハに向けていた。

 一瞬どういうことかと思ったけれど、そういえばと直ぐに思い直す。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 あの日、シロくんを拾った日の夜。

 明けて次の日、暫く経っても目を覚まさなかったシロくんを不安に思ったボクは、ミアハにお願いして彼の診察をしてもらったのだった。診察の結果は、特に問題はないようだと言うことで、シロくんが目覚める前にミアハは帰ってしまったけれど。そう言えば、シロくんが目を覚ましてから、色々あったからミアハに連絡を取るのをすっかり忘れてしまっていた。

 とは言え、ミアハは怪我人と関わった時は、何も言わずとも、その怪我人が回復するまで色々と気を使うから、直ぐにまた来るだろうと油断していたところは確かにあった。

 そう考えれば、どうしてミアハはあれから一度もシロくんの様子を伺いに来なかったのだろうか?

 ミアハは色々と何時も忙しいから、単純に時間がなかっただけ?

 それも、何だか違和感があるような気もするけど……。

 そんな思考を何とはなしに流していると、肩をつつかれる感覚にびくりと身体を震わせた。

 

「へっ?」

「ヘスティア。知り合いなのか?」

「あ、うん。そうだよ―――って言うか、実のところシロくんも会っているんだけどね」

「なに?」

 

 ボクの言葉にシロくんが記憶を辿るように眉間に皺を寄せて唸るのを、鼻で一つ笑ってからかった後、軽く謝罪を口にした。

 

「ごめんごめん。正確にはシロくんがまだ目を覚ましていなかった時に、怪我がないか診てもらったんだよ」

「みてもらう?」

 

 一瞬疑問を浮かべたシロくんだったけれど、直ぐに察したのか「ああ」と、小さく納得の声を上げた。

 

「ミアハは医者なんだよ。正確には医療の神様だよ」

「神―――ぁあ……そう、か」

 

 ボクの言葉に、目を丸くしたシロくんだったが、何とも言いがたい複雑な顔をした後、頭を振ってミアハに改めて向き直った。

 視線を向けられたミアハは、何時もの柔和な笑みを浮かべていた顔を、何処か強ばらせていたけれど、一瞬肩を震わせた後、小さく息を吐いて何時もの柔らかなモノへと戻した。

 

「?」

 

 それに少し疑問を感じながらも、視線を向ける先ではシロくんがミアハに向けて頭を下げてお礼を口にしていた。

 

「その節は迷惑を掛けてしまったようで」

「……いや、構わないよ。彼女とは友人だからね。彼女のお願いなら聞かない話はない」

「いや、本当にあの時は助かったよ」

 

 シロくんに、何時ものような笑みを向けるミアハに、さっきのは気のせいかと思い直したボクが、頭をかきながら感謝を口にする。診るだけみてもらった後、直ぐにミアハが帰ってしまったから、お礼とかそう言えば殆ど言えなかったなと思い直していると、何やら鋭い視線が頭部に感じて、何となく嫌な予感を思いながらその先へ目を向ける。

 すると、そこには眉間に皺を寄せたシロくんが、鋭い視線をボクへと向けていた。

 

「……まさかとは思うが、ヘスティア」

「な、なんだよシロくん」

「ちゃんと、診察代は払っているだろうな」

「…………」

 

 じっとりとした汗が滲む顔をゆっくりとシロ君から逸らす。

 

「おい、ヘスティア」

「―――いや、だって聞かれなかったし」

 

 が、頬へと突き刺さるシロ君の視線が更に突き刺さるかのように強くなるのを感じて、言い訳染みた言葉がポロリと突きだした唇の先から出てしまう。

 我ながら子供のような態度だと思いながら、大人の対応は出来そうになかった。

 数時間にも感じる数秒が過ぎる間、シロ君の刃のような突き刺す視線から目を逸らし続けていると、ため息混じりのあきれた声と共に感じていた圧力がすっと弱まった。

 

「お前と言う奴は……まぁ、それを受けたオレがとやかく言うのは筋違いかもしれないが」

 

 恐る恐るとちらりと横目でシロ君を覗き見ると、彼はボクから視線を外すとミアハへと改めて向き直っていた。

 

「あ~……ミアハ、様」

「―――ミアハで構わない。畏まる必要もないよ」

 

 何と声を掛けようかと迷いながら声を上げたシロ君に対し、ミアハは口許にだけ小さな笑みを浮かべ軽く首を横に振って見せた。 

 

「そう、か。なら、ミアハと呼ばせてもらうが。色々と助けてもらったようで、改めて礼を。正直、手持ちがなくてな。そんなに蓄えはないんだが、遅れながら診察代を払おうと思うのだが、いくらだろうか?」

「……いや、彼女には(天界)にいた頃に色々と世話になった時があったからね。今回は特に何かしたわけでもなし。診ただけだからね。そういうのはいらないよ」

「それは―――」

「いや~それはごめんね。とは言えこっちも心苦しいから、何か手伝える事があれば言ってくれ。何でも手伝うからさっ!」

 

 ミアハの提案に対し、異義を唱えようとしたシロ君の言葉を、そっと息を殺して存在を消していたボクが慌てて遮った。ミアハには悪いとは思うけど、最近はシロ君が色々とやってくれてボクが一人だったときよりかは、生活はましになっているけれど。

 まだまだ生活は苦しい。

 具体的に言えば懐が、特に。

 

「おい、ヘスティア」

「シロくん」

「ん?」

(うちの家計は苦しいでござる)

「―――っ」

 

 非難の声を上げるシロ君に対し、ボクは決意を込めた視線を向ける。

 ボクの強い視線に、戸惑いの色を瞳に過らせたシロ君に向け、小さく、しかし心からの言葉を放ったが、返ってきたのは深く刻まれた彼の眉間の皺と凍りつくような冷えた視線であった。

 それに対し、背筋を震わせたボクは、このままではヤられると悟り、咄嗟に後ろに飛び離れると、思考を高速回転させると共に、周囲へと視線を巡らせた。

 

「あ―――そ、そうだっ!? お昼に行くとこ人気だからもう席とっとかないと食べれなくなっちゃう! ちょっと行って席だけ取っとくから待っててっ!!」

「待てっ!!」

 

 巡らせた視線の端で、最近耳にした人気の食堂の看板を見つけたボクは、そこへと指差しながら反射的に走り出した。そんなボクの背中に向けて、シロ君の責める声が当たるが、それを聞こえない振りをして何とかその場からの脱出を成功させた。

 

 

 

 

 

「はぁ……全く時間稼ぎにしかならんだろうが」

 

 昼時と言うこともあるのだろう。

 混雑していた通りに、更に人が増えた中を、ヘスティアの小さな背丈が隠れてしまえば、もうその姿を見つけ出すのは困難になってしまう。

 とは言え行き先については、消える間際に指差した食堂の看板に気づいていたため、後で合流するのは問題はなかった。

 見えなくなったヘスティアの背中を目で追いかけていたシロが、呆れれば良いのか、怒れば良いのかわからない、複雑な顔を浮かべていると、隣からぼそりと、呟く小さな声が上がった。

 

「―――仲が、随分と良いのだな」

「あ? ああ……そう、だな。良く、してもらっている。その、すまない。色々と―――」

 

 小さな、それでいて無視できない何か探るような声音に、若干戸惑いながらもシロがミアハに向き直る。

 ミアハへと視線を向けたシロであったが、しかし、その向けられた当の本人はヘスティアが逃げ出した方向へと視線を向けていた。

 

「事情は何となくだがわかっている。気にしなくて良い」

「それは、助かる」

 

 シロへと目を向けないまま、言葉を返すミアハの姿に、何とも言いがたい感覚を得ながら、さてヘスティアを追うか、それともこのまま少し話をするかと迷っていると。

 

「君は」

「ん?」

 

 すっと、滑り込むようにいつの間にかミアハがシロへとその細めた目を向けていた。

 一瞬話しかけられた事に気付かなかったシロであったが、直ぐに思い直すと改めてミアハへと意識を向ける。

 それに察したように、ミアハは口を開く。

 

「記憶がないそうだな」

「どうして、それを」

「一応商売をしていてね。それなりに情報は手に入る。最近ヘスティアが記憶を無くした男と一緒にいると言う話を耳にする事ぐらいはあるさ」

「そうか」

 

 別に秘密にしているようなものではなく。

 自分の記憶がないことはそれなりの数に話している。

 積極的に調べなくとも、ヘスティアの知り合いと言うのならば、耳にする機会なら幾らでもあるだろうと、シロは納得した。

 

「それで、本当なのかい?」

「え?」

「記憶がない、と言うのは」

「―――ああ。残念ながら」

 

 疑問―――と言うよりかは、探るような視線を向けられたシロは、どうしてそんな確かめるような聞き方をするのだろうかと訝しく思いながらも、まぁ、友人の傍に記憶のないと言う不振な男がいると聞けば不安に思うものだと考え、嘘でもないしと、ミアハの問いに肯定を返した。

 

「そう、か……」

「その」

「何かな?」

 

 しかし、流石に無視できないものはあった。

 

「……何故、そんなに警戒している」

「っ―――そう、見えるかい?」

「ああ」

 

 だから、シロはそれについてミアハに対し疑問を呈した。

 それは最初からだった。

 初めは、記憶のない不審な(シロ)に対するものだと思っていたが、それにしては何かがおかしいと感じていた。

 ヘスティアの前だからだろうか、上手く表に出さないように表情は繕ってはいたが、その身から感じられる緊張と言えば良いのか、身体の微かな強張りを、シロは見逃さなかった。

 そしてそれはどちらかと言うと不審者を前にしたものではなく―――危険な。

 それこそ猛獣―――いや、そうではない。

 そんな直接的な脅威と言うよりも、もっとわからない。

 見覚えのない、危険かどうかすらわからない()()かを前にするかのようなもので。 

 

「――――――……なに、彼女(ヘスティア)は古くからの友人でね。ここ(下界)に来てから日も浅い。あまり心配するのも何だが、流石に記憶がない者と共に暮らし始めたと聞けば」

「それは、確かに……」

 

 そんな考えを思い浮かべるシロの前で、ミアハは表情だけを見れば穏やかな笑みを浮かべながら、誤魔化すような台詞を口にしていた。

 突き崩そうと思えば崩せそうな姿に、しかしシロは進むことなく一歩後ろへと下がった。

 代わりに、ただ改めてミアハへと向き直ると、真っ直ぐにその目を見つめ返した。

 

「記憶がないオレが言うのも何だが約束しよう。彼女を傷つける事はしないと」

「……一つだけ。聞きたいことがある」

 

 その言葉に何か感じるものがあったのか、ミアハは一つゆっくりと瞬きをすると小さく長く息を吐き、口を開いた。

 ミアハのシロへと向ける視線は、鋭く、深く。

 探る、と言うよりもそれは包み込まれるかのような。

 人とは違う視線。

 超常たる意思を感じさせる()()()()であった。

 ゆっくりと周囲から押し潰されるかのような圧力を感じながらも、しかしシロは表情を帰ることなくミアハを見つめ返していた。

 

「何を?」

()()()()()()()?」

 

 その問いに対し、シロは周囲を歩く様々種族を視界に納めた後、ゆっくりと首を捻って見せた。

 

「尻尾はなく、耳も長くはない。背も低くなく特徴らしい特徴も、ない。だから、まぁ……そう、だと思うが」

「そうか。すまないね、おかしな質問をしてしまって」

 

 数秒ほど、そんなシロの様子を見ていたミアハは、納得したのかしてないのかはわからないが、小さく笑みを返すとそのまま背中を向けて歩きだした。

 

「いえ、それは構わないが、どうしてそんな―――」

「すまないが、用事があるので、これで失礼するよ」

 

 その背中へ向けて反射的にシロが声を掛けるも、ミアハは背中越しに軽く手を振るとそのまま人の流れの中にその姿を消してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――気付けば、もうそろそろ日が暮れ始める頃となっていた。

 未だに空には青い色が広がってはいるが、その源となる太陽の姿はだいぶ傾げていて。オラリオを囲む壁の向こうに見えなくなってしまうまで、もう間もなくと言ったところだろう。

 それに気付いたとき、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうと言う言葉を、ボクは実感した。

 

「もうこんな時間か……」

「色々と回ったが」

 

 つい口から漏れたそのボクの言葉を拾ったシロ君が、同じように壁の向こうへと消えようとする太陽の姿を、細めた目で見つめていた。

 

「半分どころか一割も回ってないよ」

「流石はオラリオ(世界の中心)とでも言うべきか」

 

 少しまばらになった通りの中で、壁に寄りかかるようにして、並んで斜めに空を見上げながら会話を続ける。

 互いに顔を向けてはいないけど、どちらも笑っているのを何となく感じていた。

 本当に、今日は色々なところを回った。

 普段いくところから、ボクもまだ行った事のないところまで。

 駆けるようにあちらこちらを回ったけれど、まだまだ見ていないところは沢山ある。

 それが少し悔しくて、でも、まだまだシロ君と回れるところがあると思って。

 とても、嬉しくて。

 だから、自然とそう口にしていた。

 

「そうだね。ま、残りはまた今度だね」

「―――っ、ああ、そうだな」

 

 笑うようにしてそう言ったボクに、シロ君は少し息を飲んだ後、空を見上げながら頷いてくれた。

 そっと、横目でその姿を覗き見ていたボクは、肯定してくれたシロ君の様子に、安堵の吐息と共に口許に笑みを浮かべる。

 断られないだろうという確信はあったけれど、やっぱり怖いものは怖かった。

 どうして怖いのかと言う、その本当の事は曖昧なまま。 

 

「どうする? このまま今日は帰る? それとも外で食べようか?」

「そう、だな―――ん?」

「あれ? どうかした?」

 

 歩きながらちょくちょく色々と食べていたけれど、あちこち歩いていたこともあってか、お腹の方が空腹の主張を上げているのを感じて、ボクが今日の最後の予定について確認しようとシロ君へと改めて顔を向けると、彼は何かに気付いたような顔をして何かを―――誰かに視線を向けていた。

 シロ君の向ける視線の方へとボクも目を向けると、ギルドの職員の姿をした誰かが、人の流れの中に消えていく瞬間が目に入る。

 

「ああ、ちょっと知り合いが……すまないがヘスティア。ここで少し待っててくれるか。朝市の知り合いで、少し頼むことがあってな。時間はかからないが」

「わかったよ。ここで待ってるから行ってきな」

「すまない」

 

 ついていこうかと一瞬思ったけれど、ボクのせいで追い付けなくなってしまってはと思い直して、走り出そうとするシロ君の背中へ向けて軽く手を振った。

 ボクの言葉を背に受けたシロ君は、軽く手を上げてそれに応えると、その誰かを追って人の流れへと飛び込んでいった。

 だいぶ少なくなったとは言え、まだまだ人通りの多い中に、その広い背中が消えていくのを見つめながら、ボクは胸の奥に感じる寒さを誤魔化すように、建物の壁に背中をつけて空を仰ぎ見た。

 空はまだ青い。

 だけど、視界の中には、太陽の姿は、もうなくなっていた。

 

「あっれ~ヘスティアじゃんか」

 

 そんな時だった。

 不快な声が聞こえたのは。

 

「げっ」

 

 反射的に上がった濁った声と共に、嫌々視線を前へ。

 不快気に歪んだ視線を前へ向けると、そこにはやはり予想した通りの嫌な()の姿があった。

 

「何だよ何だよ~その顔は?」

「折角いい気分だったのをぶち壊しにされたらこういう顔にもなってしまうよ」

 

 友()等では全くなく。

 知り合いですら思いたくはない。

 そんな相手()であった。

 (天界)にいた頃に、ちょっかいをかけてきた男神の一人(一柱)で、ヘファイストスの所から出る(追い出される)際、彼女からいるという事だけは「一応気を付けときなさい」という言葉と共に教えられていたから、ここ(オラリオ)にいることだけは知っていた。

 とは言え狭いが広いオラリオである。

 何かの集まり以外では会うことはないだろうとたかをくくっていたのだが。

 まさか、こんな時に出会うとは。

 折角の初デートの日に出会うとは最悪だった。

 まあ、シロ君はおらず、デート自体も終了直前であった事は幸いかもしれないが、それでも不快な事には違いない。

 そんなボクの心情を視線に向けて乗せるが、奴はそれを感じているのか感じていないのかわからない嫌な笑みを浮かべながらこちらに近付いてくる。

 その後ろを、彼の【ファミリア】だろう、20人ぐらいだろうか、武装した冒険者が着いてきていた。

  

「はっはー。相変わらずボッチのようだな」

「残念ながら違うよ。連れが用事で少し離れているだけだ。ほら、さっさと行った。しっしっ!!」

 

 ボクを前に腕を組んだ奴が、わざとらしくぐるりと周囲を見回した後、からかって来たが、それに対してボクは壁に背中をつけたまま、顔を背けて虫を払うように手を動かした。

 いつ、シロ君が帰ってくるかわからないのだ、こんな場面を見られれば、何が起こるかわからない。

 色々と只者じゃない姿を見せるシロ君だけど、冒険者じゃないことは確認している。

 つまり、もし万が一揉め事となれば―――考えたくはない。

 

「連れ―――ああ、あの噂になってる可哀想な奴か」

「むっ」

 

 そんなボクの思考をとらえた訳ではないだろうが、奴の目が一瞬訝しげに細まった後、ニヤァと嫌な形に歪んだ。

 そうして口を開いた奴の言葉からは、どうやらシロ君の話は聞いた事があるらしい。

 笑う―――と言うよりも、嘲笑しながら少しずつ、なぶるように近付いてくる奴は、とうとう手を伸ばせば触れられる距離まで接近すると、ボクの顔を下から覗き混むように見てきた。

 

「中々評判が良いようじゃないか。ただまぁ運が悪いようだけどな」

「何を―――」

「お前みたいな神に拾われたとなっちゃ。お先真っ暗だしなぁ」

「っ―――何だとッ!!?」

 

 奴の言葉に、反射的に上がった声は、自分の声でありながら、その声量とこもっていた感情の強さに、驚いてしまう。

 ただ、その声を向けられた本人と言えば、いつの間にかボクに背を向けて、背後にいた自分の【ファミリア】へと、聞かせるように両手を広げて演説染みた言葉を投げ掛けていた。

 

「だってそうじゃないか。ここ(オラリオ)にいる神で、【眷属】のいない奴なんか何処にもいねぇぜ。片手で数えられる程度の弱小はいるが、一人もいないなんて神は見たこともねぇ。ほら、見ろよ」

 

 くるりと体を回し、伸ばした手の指先を突きつけてくるのに対し、ボクは少し前へと顔を動かせば、触れてしまう位置にある指先を通じて、自分でも驚くほどの怒りが籠った視線を向ける。

 それに対し、奴は視線をちらりと横に立つ縦にも横にも大きいヒューマンの男に視線を向けた。

 見るからに冒険者の装備をしたその男は、周囲にいる他の冒険者達の中でも一際目を引くのは、その内在する力によるものだろうか。

 その考えは、自慢げに口にしてきた言葉によって肯定された。

 

「俺の【ファミリア】の団員は二十人近くいて、更には、この団長は何とこの間レベル2へ上がったんだぜ」

「っ、ぅ」

 

 お腹の下の辺りから、どろどろとした形容し難い熱の塊のようなものが込み上げてくる。

 咄嗟に噛み締めた口元から飛び出そうとなるその熱を、無理矢理に喉元へと押し込めたお陰で、向けられた言葉を返せなかった。

 そんな何も返事をしないボクの姿に、気圧されていると勘違いしたのか、ぐっとそのにやけ顔をこちらに近付けると、粘りつくような口調で話しかけてくる。

 

「だから、可哀想な奴だって言ったんだよ。偶然拾われた先が、こんな神だったなんてな。まぁ、不幸中の幸いと言えば良いか。聞けばまだ【契約】もしてないんだってな。で、相談なんだけどな、なぁヘスティア。お前も前途有望な子供に、明るい未来をやりたいだろ。噂のそのヒューマン、俺にくれよ」

「っっ!! いい加減に―――」

 

 流石にその言葉は看過出来る筈もなく、怒気がこもった声と共に伸ばされた手が、間近にあった首元へと伸びた瞬間、

 

「失礼」

「っ?!」

 

 一瞬にして現れたレベル2になった団長と言われたヒューマンの男が、伸ばされた両の手首を、その大きな掌で二つとも掴み取ってきた。

 分厚く鞣した革のような感触の掌が、ぎゅっとボクの手首を締め上げる。

 ぎしりと骨が軋む感覚に、喉奥から鋭い呼気が漏れてしまう。

 

「おいおい、仮にも神だぜ。もう少し優しくやってやんな」

「すみません。我が神に手をあげられたので、つい少しばかり力が入ってしまいました」

「なら、仕方ないか」

 

 苦しげに歪むボクの顔を横目に見るそのにやつく視線に対し、反射的に睨み返すが、それは両の手首に更に加えられた圧力によって断ち切られてしまう。

 

「っ」

「逆上して掴みかかってくるとは、神ともあろうものが。まぁ、金を稼ぐために屋台でバイトなどしているような神ですからね。ヘファイストス様のような、他にも自ら働く神はいらっしゃいますが、あなたはそういった方とは違うようですし。神が望まないのに、神が働く必要になるような【ファミリア】も問題ですが、あなたはそもそも【ファミリア】どころか【眷属】すらいらっしゃりませんからね」

「く、ぅ」

 

 ボクの両手を掴んだそのヒューマンの団長の男は、わざとらしい敬うような大袈裟な仕草を見せているが、その態度や視線の中には、子供でもわかるような嘲笑が宿っていた。

 文句の一つでも言ってやりたかったけれど、口を開こうとする度に、握られた手首に力を加えられて、開こうとする口からは苦痛の声しか上げられない。 

 

「何故、今でもその噂の彼と【契約】していないかはわかりませんが、我が神が望まれているのです。その彼もあなたのような者の下にいるよりも、こちらへ来ることを望むでしょう。我が神が直接誘う前に、一言断りに来たのだから礼の一つぐらい口にしてもよろしいのでは?」

「しろ、くんは―――」

 

 こういうことは慣れているのだろう。

 小さいとは言えボクの両の手を片手で握ったそのヒューマンの団長は、巧みに腕を振って必要以上に怪我をさせずに。でも、痛みは十分以上に感じるようにボクの体勢を崩すと、地面に膝を着かせてきた。

 蹲るボクを見下ろしながら、団長の男と、その主神が口々に言いたいことを言ってくる。

 本当に好き勝手な事を口にして。

 多分、本当にそんな事は望んではいないのだろう。

 ただ、ボクが気に入らないから、からかうネタとして、扱き下ろす道具の一つとして口にしているのだ。

 そんな事はわかっている。

 気にすることはない。

 そう、ただのムカつく奴の言い掛かりにもならない、そんなものだ。

 

 でも―――。

 

「お前だってわかってんだろ。自分が相応しくないってことぐらい。だから今まで【契約】してなかったんだろ。わかってるって」

「お前に、何がっ―――ボクは―――ぼく、は……」

 

 押さえつけられたボクに更に近付いて、にやにやと笑いながら手を伸ばしてくる男神に向けて、嫌悪の感情を目一杯に込めた目で睨み付けようとする。

 だけど、その目が、力を失ったように下へと落ちてしまう。

 

 本当に?

 

 でも、本当に?

 

 ボクは―――違うって、言えるのかな?

 

 だって、シロ君は本当に凄いんだ。

 

 多分―――ううん。

 

 きっと【契約】すれば、あっという間にレベルを上げて、凄い冒険者になれる。

 

 それこそ、あのいけ好かないロキの所にいる【眷属】の誰よりも、それこそ物語に唄われる【英雄】にも―――きっと慣れる程に。

 

 ボクには、確信がある。

 

 でも―――だけど―――なら、どうしてボクは、シロ君と【契約】していないんだ?

 

 【ファミリア】を創ること。

 

 それをずっと望んでいた筈なのに。

 

 お願いすれば、きっとシロ君は断らない。

 

 何時ものように、笑って頷いて―――

 

 

 

 

 

 ―――笑って?

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――おい」

「は?」

 

 低く、重く。

 冷たく、その硬質な声音は、まるで鋭く研がれた鋼の切っ先のようで。

 初めて聞くその声が、誰の声なのか、ボクは一瞬わからなかった。

 

「汚い手でヘスティアに触れるな」

 

 はっと顔を上げた先にいた、一度も見たこともない顔をした。だけど最近は見慣れた顔となった、そのシロ君の姿を目の当たりにした瞬間、先程まで頭にぐるぐると回っていたモノは一瞬にして消え去ってしまった。

 

「っ!!? 痛だだだだだ!?!」

「なっ―――貴様ぁッ!!」

「しろ、くん?」

 

 伸ばされた男神の手を掴んだシロ君が、いつの間にかボクの横に立っていた。

 捕まれた手を捻り上げられ、悲鳴をあげる主神の姿に、ボクを掴んでいた手を離した団長の男がシロ君に掴みかかろうとする。だけど、それを制するように、男神を向かってくる男へと向けて押し飛ばしたシロ君が、慌ててその体を受け止める男の横から、解放されたボクを掴んでさっと距離を取った。

 

「大丈夫かヘスティア。すまない、来るのが遅れた」

「そんな、全然―――って、そうじゃないっ! ダメだシロくんっ!! 早くここから逃げ―――」

「っ、逃がすとでも思ってんのか? ああヘスティアッ!!」

 

 自由の身となったけれど、まだ安全となった訳ではない。

 それどころか、まだまだその真っ只中にいる。

 それを証拠に、団長の男の手から体を起こした男神が、顔を怒りに真っ赤にしながら片手を上げて、自身の【ファミリア】の団員にボクとシロ君を包囲するように指示を出していた。

 

「ごめんシロ君。ボクのせいで」

「謝ることはない。どう見てもあっちの方が悪い」

 

 シロ君は背後を取られないように、ボクを背に後ろへと下がるけれど、それは直ぐに建物の壁へと追い詰められてしまった。

 誰か助けに来てくれないかと、包囲網の向こうを見るけれど、遠巻きに見てくる野次馬の姿はあるけれど、助けに来てくれるような感じは全くしない。

 改善を求められない状況に、心と体に冷や汗が流れるのを止められないまま、震える声でシロ君に謝罪を口にするけれど。

 でも、シロ君はボクを背に庇ったまま、何時ものような落ち着いた声で返事をしてくる。

 

「そうだけど」

「ヘスティア」

 

 窮地にいながら、何時ものような落ち着きを見せるシロ君だったけど、ふと、その口調がさっき聞いた時に感じたような硬質なモノへと変わった。

 

「っ、ぇ? シロ、くん?」

「その腕」

 

 腕という言葉に、咄嗟に自分の腕に視線を向けると、そこには捕まれた手首にはっきりとした痣が見えていた。

 肌が白いからか、浮かび上がった痣は酷くグロテスクな程に黒く醜く見える。

 シロ君は前を見ているのに、羞恥と痛みに、反射的に両手を後ろに隠してしまう。

 

「あ、ちょっと強く捕まれて」

「……そうか」

「あの、シロ君?」

 

 呟くような、その小さな声に、胸騒ぎを感じてしまったけれど。

 それが、どういう意味の。

 誰に対するモノなのか、ナニに対するモノなのかは、その時はわからなかった。

 

「少し下がっていてくれ」

「ちょ、シロ君っ!?」

 

 ボクの戸惑う声にシロ君は足を止める事はなく。

 そのままシロ君は、何の気負いもない姿で、逃げ場のなくなったボクたちをいたぶるような目で見ていた男神の前まで歩いていった。 

 そんなシロ君に対して、奴は余裕を取り戻した顔で、あのむかつく表情で下から見上げるように睨み付けてきた。

 

「ああ? なんだ? 謝って許されると思ってんのか?」

「何を言っている?」

 

 そんな男神に向け、シロ君は小さく鼻で笑って返した。

 

「あん?」

「馬鹿か貴様は、この状況でどうしてこちらが謝るという話になる?」

「……状況が分かってねぇのはお前だろ。こっちは二十人近くの冒険者に、レベル2がいるんだぞッ!!」

「で?」

「は、はぁ?」

「それが、どうかしたか?」

 

 怯える反応を期待していたのだろう男神は、変わらないシロ君の様子に戸惑う気配を見せたけれど、直ぐに苛立ち混じりの怒声を張り上げた。

 

「お前っ、馬鹿かっ!? 記憶がねぇとは聞いてるが、常識すら覚えてねぇのかよっ!! 神と【契約】すらしていねぇレベル0の人間が、冒険者に勝てると思ってんのかっ!!?」

「常識―――常識、か」

 

 ぐっと顔を寄せて、唾を吐く勢いで怒鳴り散らす男神を無視するように、シロ君の横に立つ冒険者の一人に視線を向けると、無造作に片手を振るった。

 ボクの目では霞んでしまう程の速度で―――だけど、冒険者にしてみたら止まって見えるだろうそんな速さでしかない、そんな速度で繰り出された拳は、だけど見えていた筈のそれを、向けられた本人は避けることなく―――否。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「なっ―――がッ?!」

「「「ッッ!!??」」」

「……レベル、レベルと言うが、それがどうした?」

 

 団長がレベル2だと言っていたから、レベル1であろうその団員は、まるで頷くようにその頭を下に一度振った後、そのまま膝から崩れるように地面に倒れ込んだ。

 

「お、おい! なにふざけてやがんだっ!? さっさと起きて―――」

「目が覚めてから色々と見聞きしたが、確かにレベルというものは驚異的だ。一つ違うだけで大人と子供以上の差が生まれてしまう。だが―――」

「お、お前何を」

 

 倒れ込んだまま動かないその団員を無視して、シロ君は戸惑う様子―――違う。

 怯えを滲ませた顔をした男神に向けて、小さく肩をすくませて見せた。

 

「だからといって、人間でなくなるわけではない」

「ッ―――びびんじゃねぇッ!! さっさと囲んで袋にしちまぇッ!!」

 

 目の前に立つシロ君から後ろに向かって飛び離れた男神が、周囲に向かって声をあげる。

 その指示に従って、団員達が一斉にシロ君を包み込むようにして襲いかかってきた。

 四方八方から襲いかかられるシロ君。

 逃げ場のない絶体絶命のなか、だけど当の本人たるシロ君は、何処か呆れたような口調で小さく呟くと共に、ゆらりと流れるようにその大きな身体を動かした。

 

「馬鹿が―――それは悪手だ」

 

 そして―――蹂躙が始まった。

 

 

 

 

 それからの出来事は、ボクの口から説明出来ないものだった。

 別に目にも止まらない早さだったとかじゃない。

 ただ単純に、何がどうなっていたのかがわからないだけ。

 だって、殴りかかってきた男に対して、シロ君がちょっと手を添えたかと思えば、まるで魔法を使ったみたいに殴りかかってきた方が何故か吹き飛んでいったり。軽くシロ君が頬を叩いただけに見えたのに、筋骨隆々の2Mは軽く越えている巨漢が、白目になって気絶してしまったり。何がどうやってどうなったのかさっぱりわからなくて。

 まるでお芝居を見ているかのような光景で。

 でも、何よりも驚いたのは、レベル2の筈の団長を相手にも、変わらなかったこと。

 他のレベル1の団員と同じく。

 シロ君の無造作に振るわれた一撃で倒れてしまった。

 危うげなく、シロ君は傷一つつくこともなく20人はいただろう冒険者の一団。

 いや、【ファミリア】一つを倒して見せたのだ。

 それは、有り得ない光景だった。

 レベル0とレベル1とでは、それこそ大人と子供程の差がある。

 それが20人近く。

 それも中にはレベル2もいたのだ。

 勝つ負ける以前に勝負に成りはしない。

 そんなの試す以前の常識の問題だ。

 その―――筈なのに。

 それが、覆った。

 

「っ、ひ、ぃ」

「これ以上ヘスティアに関わるな。次、貴様が彼女に何かすれば―――どうなるかは、わかるな」

 

 自分のファミリアの団員が全て地面の上を転がっている様を見せつけられた男神は、腰が抜けて地面に尻を着けたまま、シロ君を見上げながらただただ嗚咽のような悲鳴を上げていた。

 そんな相手に一つ脅し文句をつけた後、シロ君はボクにちらりと視線を向けると、ゆっくりとその場を立ち去っていった。

 

「ば、ばけ、もの……」

 

 何が起きたのか本当の意味で理解出来ていないのだろう。何処か戸惑った雰囲気のまま周囲を取り囲んでいた野次馬も、しかし何かを感じたのだろう。シロ君を近付くと、大きく別れて一つの道が出来た。

 怯えるように奇妙なほどに静まり返った群衆の中を、切り開かれた道を歩くシロ君の背中を、気を取り直したボクが追いかける。

 シロ君は歩いていて、ボクは走っていて。

 直ぐに追い付ける筈の距離だったけど、でも、ボクがシロ君の背中に追い付いたのは、整理された街道から随分と離れた。廃教会に続く、廃墟が広がる区画に入った時だった。

 周囲には人気はなく。

 微かに背後から時おり風に乗って、虫の鳴き声に混じって街の声が聞こえるだけ。

 そんな静けさ。

 明かりは遠く。

 少し雲が多いけれど、それでも雲越しに見える月の明かりが僅かに足元を照らす中、シロ君の後ろを、ボクは歩いていた。

 ボクの足で歩いて付いていける程に、シロ君の歩く速度は遅い。

 それはまるで、ついていくことを、許していてくれているようで。

 だから、大丈夫だと思っているけれど。

 でも、どうしてもボクは声を掛けられないでいた。

 そのまま、無言の時が過ぎて、ただ、シロ君の影を追いかけるように、うつ向いたまま、歩き続け。

 瓦礫の―――廃墟が広がる中を。

 

 そして―――

 

「―――ぁ」

 

 ボクの足が、止まった。

 それは、俯いた視線の端に、見えた瓦礫の形。

 そこら中に広がる瓦礫の中で、どうしてそれだけ目に留まったのは。

 あの夜の―――あの時の夜が重なったから。

 それは、あの日の光景。  

 

「ここ」

 

 だから、その言葉がぽろりと、ボクの口から知らず、溢れていた。

 

「シロ君を―――見つけたところだ」

「―――」

 

 足を止めたのは、どちらが先だったのか。

 自然と立ち止まったボクとシロ君。

 沈黙が続いている。

 どのくらいだろうか。

 数秒にも、数十秒にも。

 もっと、長い時間にも感じるその瞬間。

 その間―――ただ、ボクの前には、シロ君の広い大きな背中が立ち塞がるようにそこにあって。

 壁、というよりも。

 それはまるで、大きな墓標のようで―――。

 そんな、変な感覚を感じていると。 

 

「ヘスティア」

 

 静かな、声が聞こえた。

 呟くような。

 囁くようなその声。

 はっと、顔を上げたボクの前に、シロ君がいつの間にか振り返っていて。

 ボクよりも頭一つ以上大きなその背で、見下ろして。

 でも、ボクには何故か、まるで見上げているように見えて(感じて)

 

「なに?」

 

 不思議と、ボクの声は震えてはいなかった。

 ただ、静かに。

 自分でも、不思議なほどに。

 優しいほどに、柔らかい声で、応えていて。

 

「オレは、どう―――すればいいのだろうな……」

 

 

 ―――ああ

 

 

「―――」

 

 その声を。

 その言葉を。

 

 

「シロ君」

 

 

 その姿を。

 その瞳を。

 見た瞬間。

 空高く―――天高く空を往く雲が、月明かりを隠して。

 シロ君の姿を闇に隠して。

 闇に、暗闇に、君の姿が掻き消えて。

 見えなくなって。

 それは、まるで、深い闇の中に、底のない泥の中に、落ちていくようで。

 そう、見えて。

 だから、ボクは、その時、咄嗟に、反射的に、自然と―――手を、伸ばしていた。

 

「ボクの―――」

 

 そして、口は、言葉を、紡いでいた。

 

ファミリア(家族)になろう」 

 

 驚くほどに、それは、すっと、ボクの口から出ていた。

 ずっと言えなかったこと。

 その理由は様々あった。

 あの男神が言ったように、ボクみたいな神が契約して、シロ君のためになるのかという、恐れ(不安)

 シロ君から断れるかもしれないっていう、恐れ(不安)

 他にも、色々ある。

 たくさん―――細々な事も上げれば、それこそ無数にあって。

 そして……その中には、()()()()()()()()()も―――うん、あった。

 だけど、その(あの)時のシロ君の姿を、声を見た時、ボクの頭にはそんな恐れ(不安)は欠片も浮かばなくて。

 ただ―――ただ、胸の奥が。

 奥底が、きゅっと、ぎゅっと、まるで締め付けられるような、痛いような、苦しいような。

 そんな気持ちで溢れて。

 その溢れ出す想いに、押されるように、ボクの手は、シロ君に伸ばされていて。

 だって、仕方がない。

 あんなに何でも出来て。

 飄々と、何でもこなして。

 余裕を見せて。

 冒険者の集団すら、怪我一つなく蹴散らして。

 そんな君が―――まるで―――うん。

 

 まるで、何処に行けば良いのか分からずに。

 

 うずくまって。

 

 小さくなって。

 

 泣かないように、ぐっと、唇を噛み締めている。

 

 そんな小さな男の子のように、見えて。

 

 

 

 

 そして、ボクが手を伸ばした先で。

 

 月の光が、流れる雲に隠されて。

 闇に隠されていた、シロ君の姿が。

 不意に吹き寄せた風によって流れていったその雲の向こうから、姿を見せた月の明かりに、照らし出されて。

 現れた、君の姿は。

 

 ああ、まるで、泣いているようで。

 

 まるで、笑っているようで。

 

 そんな、不思議で、複雑な、顔で。

 

 ぐっと、握りしめていた、手を、ゆっくりと、花開くように、綻ばせて。

 

 ボクの、手を、取って。

 

 指先に、触れた君の、硬く、暖かく、でも、怯えるような、微かに震えを感じながら。

 

 君の手を、掴んだ時。

 

 大きな。

 

 丸い、円を描く、大きな月が、君の背の向こうに上っていて。

 

 ああ。

 

 きっと。

 

 そうだ。

 

 あの日。

 

 あの時。

 

 あの夜。

 

 月の光が、ボクと君を包んだその時。

 

 きっと―――運命が、動き出したんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おちていた。

 

 落ちていた。

 

 堕ちていた。

 

 墜ちていた。

 

 闇の中を。

 

 泥の中を。

 

 黒の中を。

 

 延々と。

 

 延々と。

 

 終わりなく。

 

 ただ、ひたすらに。

 

 冷たくて。

 

 苦しくて。

 

 痛くて。

 

 辛くて。

 

 どれだけの時を。

 

 どれだけの深さを。

 

 落ち続けていたのか。

 

 そんな思考すら浮かばない中、ただ、時折泡沫のように浮かび上がる思考が、時の流れを感じさせて。

 

 しかし、それも少しずつ、だが確実に削られ、減っていくのを感じるなか、ふと、何か、暖かいモノに、触れた気がして。

 

 既に感覚はとうになくなっている筈の、動かせない筈の腕を、その暖かさを求めるように、伸ばした時。

 

 指先に。

 

 手のひらに。

 

 暖かさを感じて。

 

 そして、それに導かれるように、落ちていた意識が。

 

 心が。

 

 魂が。

 

 ゆっくりと、浮上していき。

 

 そして。

 

 そして……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――っ、ぁ」

 

 霞む視界。

 目を開いた感覚はある。

 なのに、磨りガラスを間に挟んだように、周りがはっきりとしない。

 全身は鉛に変わったかのように、指先一つ動く様子はなく。

 今、瞼を開いたことすら、奇跡にすら思えるほどに、体はまるで動かない。

 悪いことばかり感じるそんな中、唯一違う感覚を与えるのは、右手から感じるもので。

 それは、柔らかく、暖かな感覚で。

 

「ぁ」

 

 声ではなく、呼吸の音でしかない、しかしそんな音を聞きつけたのか、誰かが、顔を近付けてきて。

 霞む視界で、しかし、黒い、長い髪だけは、不思議と鮮明に見えて。

 その瞬間、それが誰なのか、判然としない思考の中でも、何故か浮かび上がった時。

 

 何時ものように。

 

 何でもない、何時もの、あの(日常)の声音で。

 

 彼女は微笑むように、その言葉を掛けてきた。

 

 

 

 

 

 

「お帰り、シロ君」

 

 

 

 

 

 

 

 





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第三話 迫り来る宿命

 大変お久しぶりです。
 もう少し早く投稿するつもりだったのですが……パソコンがぶっ壊れた等といった事があり、少し立ち上がれなくなっておりました。
 少し(やる気が)回復したので、ぼちぼち投稿していくつもりですが、久しぶりの投稿とあり、色々と大目に見て貰えれば幸いです。
 


「やあああああああぁぁぁっ!」

 

 雲一つない青空の下、まだ少し幼さを感じさせる声で響く裂帛の気合い。

 良くならされた地面を削りながら駆けるその姿は、その様相からまるで白い閃光の如く。数Mはあったろう間合いを、瞬く間に詰め。片手に握った大振りのナイフを横凪ぎに振るう。

 常人ならば、何が起きたか分からずに切り伏せられるその斬撃を前に立つのは、180Cはあるだろう長身の一人の男。

 無防備に立ち尽くしているように見えるその両腕は、迫る脅威に気付いていないのか、いまだ垂れ下がったままであり。右手に握られた長さは1Mもなく。その武器とも呼べない、握るだけで折れかねない木の棒は、ぴくりとも動く気配はない。

 次の瞬間には、男の斬り倒される姿が幻視される光景ではあるが、そうならないことを、男を知る者は知っている。

 一見痩身に見えるその身体は、しかし、直ぐにそれは無駄を削ぎ落とした結果のものであった。

 剣を見て、その姿形から、その機能が「斬る」という一点のみに集約されていることに気付くように。

 その男の身体からは、只ごとならぬ「闘争」の意を感じ取れるだろう。

 ナイフを振るう者も、それを十分に理解していた。

 よって、次に起きた事もまた、その光景を見る者にとっては、そう驚くようなものではなかった。

 

 躊躇なく、躊躇うことなく振るった一撃。

 しかし、覚悟した肉を斬る感触も、受け止められる衝撃もなく。

 感じたのは違和感と不快感。

 降りた先の階段の最後の一段がなかった時に感じる。あるという無意識の確信が外される、その違和感と不快感に似た感触。

 一瞬たりとも逸らしてはいなかった。

 何らかの対応をされるという確信はありながら、それでも目を疑う状況。魔法かスキルを使われたのではと疑いかねない。振るった一撃が()()()()()という現象を前に、生まれた動揺を押さえ込むことは、未だ未熟なその少年には出来なかった。

 そして、対峙する者は、そんな隙を見逃すような、そんな甘い相手ではなく。

 

「っ、が?!」

 

 喉元に衝撃。

 襟首を棒を握っていない左手で捕まれ、前方へと向かうエネルギーを強制的に停止させられた事による衝撃が、全て自身の首へと。

 呼吸と血流、そして意識が一瞬停止する。

 そして、その一瞬は永遠へと延長される。

 一秒にも満たないその時の中、男は襟首を掴む手を動かし、服を利用し少年の首を締め付けた。

 正確に血流を締め上げられ、抵抗する意識も生まれる間もなく、その意識が消失し。男の手に感じる重さが増える。

 

「ベルッ!?」

「ベル殿っ!」

「ベル様っ!?」

 

 周囲から驚愕の声が上がる。

 少年を案じる声は、しかし致命的にまで迂闊であった。

 男を挟むようにして、突出するベルに追随して駆けていた筈の命とヴェルフの足が僅かに緩まる。

 それに合わせるように、男が意識を失い、親猫に運ばれる子猫のようにぶら下げられていたベルが、命へと向かって投げつけられた。

 

「っ!?」

 

 受け止めるか、それとも避けるのか。

 思考にすら上がらぬその問いに、命が答えを出そうとした時には、既に終わっていた。

 ベルが命に投げつけられる際、その行き先に視線を取られたヴェルフの眼前には、最早避けえぬ距離にまで迫る棒の先端が。

 顎先に正確に、必要最小限の力のみ与えられた衝撃は、ヴェルフの脳を必要十分な数だけその頭蓋に打ち付けると、一声も、呻き声すら上げさせることなくその意識を暗闇へと落とした。

 声なく崩れ落ちるヴェルフの姿を、未だ宙を飛ぶベルの身体の向こうに見た命は、自身の未熟に非難の声を上げる間もなく。ベルの身体を受け止めた衝撃を感じると共に、頭頂部に生じた衝撃が脳天を貫き、意識が消えゆく中、上がらぬ苦悶の声を上げた。

 

「ぁ―――ひ、ぁ」

 

 どさり、と。

 荒らされた芝の上に三つの身体が崩れ落ちる音が響くなか、少女のか細い悲鳴が上がる。

 後方支援のために構えていたボウガンは、放つどころか狙いをつける隙なく終わった攻防を目にした衝撃からか、力なくその手から溢れ落ちていた。

 それなり以上に修羅場を潜ったことによって培われた胆力が、一歩一歩と近付いてくる男の姿により削られ、その度に膝の震えは大きくなっていき。

 目の前にその姿が立った頃には、最早立っていることすら信じられないほどに、その身体は震え。

 

「―――きゅぅ」

 

 遂にはとうとう、男がその手に握った棒を振るう間もなく、意識を失い他の三人同様地面へと崩れ落ちてしまった。

 数秒ほど何もしないうちに倒れたその少女を見下ろしていた男は、小さくため息を一つ吐くと、ぐるりと倒れた四人を見回し。離れていた位置に立ってその様子を見学していた者に対し、肩をすくませて見せた。

 

「……何もしていないんだが」

「そっちの方が怖いよ、シロ君」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シロ君が目を覚ましてから、数日が過ぎた。

 目を覚ました直後は、意識はあやふやな状態だったけれど、慌てて駆け付けてくれたミアハによると、特にこれと言った問題は見られないという。

 あれだけの事をして、しかもその直後に倒れて、一ヶ月近くも昏睡していたのにも関わらず。

 ()()()()()()()()()()()()()のだそうだ。

 身体に障害があるどころか、直ぐに起き上がっても問題はないほどに。実際、シロ君自身も首を捻るほど、体調に問題がないようで。

 ベッドから抜け出そうとするシロ君を、ボクとベル君達で、せめて数日は様子を見ようと無理矢理ベッドに押し倒したのだけれども。

 とは言え、シロ君が目を覚ましてからの数日は、それはもう大騒ぎだった。

 いろんな人が次から次へと押し掛けてきて、ボクが知っている人も知らない人も、一体どこから聞き付けて来たのかやって来て。

 これがちょっと前、まだ前の拠点からの引っ越しが終わっていない時期だったなら目も当てられない事態になっていただろう。

 それでも、(廃教会の地下)とは比べ物にならないほどに広く大きくなった筈の拠点(元アポロン・ファミリアの拠点)が、狭く感じる程の状況だった。

 しかも、それは一日だけで終わらず、ようやく人が途切れたと感じたときには、なんとシロ君が目を覚ました日から三日も過ぎていた。 

 だから、シロ君が姿を見せなくなってから、新しくファミリアに入ったメンバーを紹介したのは、彼が目を覚ましてから四日目の朝だった。

 元々、彼女たちもボクやベル君だけでなく、噂や他の友人知人達から話を聞いていたようだったけれど、どうやらあることないこと吹き込まれたらしく、寝ているシロ君を見る彼らの目は、何やら眠るドラゴンを見ているような恐怖に染まっていた。

 なので、新人たる彼らは、シロ君の事を実際何も知らない状態だったけれど―――ボクはしっかりと気付いていた。

 さも初めまして、何も知りませんと言った顔をしていたけれど、ボクは騙されてなんかやらない。

 あの目は、最早何もかも調べ尽くした後の目をしていた。

 なので、ベル君は色々と心配していたようだったけれど、必要以上に警戒していた新人君たちを、シロ君は一体どうやったのか、どういった手を使ったのか、一週間もしないうちに普通に仲良くなっていた。

 ベル君は無邪気にそれを喜んでいたけれど、色々と気付いているボクとしては、シロ君のその手腕に少し恐怖を感じたのは内緒である。

 と、本当に色々と、それはもう色々とあったここ暫くの騒ぎも、シロ君が無事目を覚ましたことで終わり。

 新しい本拠地であるここ―――『竈火の館』から、また騒がしくも楽しい日常が始まるのだと―――。

 

「ほら、起きろ」

「が、げほっ―――」

「ちょ、まっ、まってしろさ―――」

「し、しろどの、す、すこし―――」

「はれぇ~……」

 

 もう一端の冒険者と言ってもいい。

『戦争遊戯』にすら勝利した中心メンバーが、そこらにある棒切れで叩き伏せられては、蹴り起こされを何度となく続けられた結果。

最初は模擬戦の形をしていたそれは、今ではもうただの追いかけっこになっていた。

そんな、半泣き状態のベル君たち四人を追いかけるシロ君の姿から視線を逸らし、澄みわたった青空を仰ぎ見ながら。

ボクはそう、感慨深げに考えていた。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 宮殿の高階にある、その部屋を照らし出すのは、開け放たれた窓から差し込む月の光だけであった。

 宮殿の下に城下町の如く広がる、夜になってなお喧騒が広がる。

 否、夜が深まれば深まるほど賑わいを広げる、その夜の世界の灯りも音も、この天界の如き高みにある宮殿の高層には届いてはいない。

 ただ、夜空に上る星と月の明かりだけが、その部屋を照らし出している。

 しかし、夜の闇を切り裂くような、涼やかで静かな光は、しかしその部屋を照らし出すには、少しばかり力が足りないようであった。

 それでも、その部屋の豪奢な様相は知れた。

 豪華な絵画風織物(タベストリー)に、大輪の華を思わせる、踏むのを躊躇する程に美しい芸術品の如き絨毯。部屋の中心に位置するのは、水晶を削り出したかのような透き通った幅1M程の円卓に、それを挟むようにしてある天鵞絨(ビロード)張りの長椅子が二脚。隅には光が届かないため、影しか見えないが、それでも豪奢な天葢付きの寝台の姿も確認できる。

 天井には、灯されてはいないが、明かりをつければ太陽のような明るさと美しさを見せるだろうと思わせるような美しく彫刻の施された魔石灯によるシャンデリアの姿もあった。

 時折、窓から差し込む月明かりを遮る白い煙のようなそれは、その香りからして麝香が焚かれているのだろう。

 寝台があるとは言え、一見すれば高級な応接室を思わせるそこではあるが、焚かれる麝香ゆえか、それとも()()()()()()()()()、何処と無く退廃的な雰囲気を漂わせていた。

 不意に、部屋に漂う麝香の香りが揺らいだ。

 月の光の下、泳ぐように漂っていた香りが、跳ねるように揺らめき。

 

 ―――ふぅ……。

 

 吐息と共に、吐き出された煙が、天井へと昇っていく。

 音と共に、世界が思い出したように部屋の中心にある卓を挟んで置かれている二脚の長椅子の一つの上に、人影が一つ浮かび上がった。

 それは、長椅子と一体になるかのようにしていた寝そべっていた身体を、僅かに揺らし、口に加えていた煙管を再度口許に戻す。

 月の光だけでは、その詳細を詳らかにすることは出来なかったが、それでも緩やかなその曲線から、それが女であることを示していた。

 浮かび上がる影だけでも、その見事な肢体を思わせるその影は、再度、煙管から口を離すと、ゆっくりと吐息と共に煙を吐き出した。

 ただ、息を吐き出すという行為ではあるが、それを耳にした者を引き寄せ、絡めとるような様は、その者が只者ではないことを理解させた。

 長椅子に寝そべった姿で、煙管を吹かすという、一見すれば自堕落でしかないその様子も、その者が見せれば、美しい所作にさえ思えてしまう。

 魔法じみた、いや、呪いじみたその()()の様を()()()()()()()、その女は、放した煙管を口に戻さず、小さく囁くように声を上げた。

 

「―――どうだ、満足したか?」

「ま、悪かぁなかった」

 

 女の問いに、返事は直ぐに返ってきた。

 飄々とした、しかし確たる芯と強さに満ちたその男の声に、問いかけた女の口許が知らず綻ぶ。

 声と共に、世界が思い出したかのように、窓の傍に一人の人影が浮かび上がる。

 影に潜むように立つその人影は、闇の中にあってさえ、何故先程まで気付かなかったのかと頭を捻るほどに、圧倒的な存在感を見せていた。

 

「悪くなかった、ねぇ……結構なモノだとは思ってたんだけど」

「……しかし、やった後で言うのも何だが。本当に良かったのか? ()()を手に入れるには結構手間をかけたんじゃねぇのか」

「そうだねぇ……確かにアレを手に入れるには、金も時間も色々とかかったが」

 

 男の笑いを含みながら、何処と無く罰の悪そうな口調は、自分のただの暇潰しのために消費させたモノが、思った以上に手間隙がかかったものだという事を理解しているからだろう。

 確かに、アレを手にするのには、かなりの時間と金がかかってはいるが、それ以上に色々と表に出されない方法で入手したものであった。

 もし、それが表に出てしまえば、良くて都市からの追放。

 悪ければ地上からの追放となるだろう。

 それほどまでのリスクを負ってまで入手したモノであり、決着のために用意した切り札の一つではあったが、重要であったそれもこれも、この男に出会ってしまった今では、もうどうでも良いと言ってもよかった。

 それほどまでに、この男との出会いは衝撃的であった。

 

「まぁ、今では余計なお荷物みたいなもんだったからね」

「へぇ……」

 

 何かを思わせる女の姿に、それを見つめる男の目が細まった。

 

「じゃ、それもいらなくなったか?」

「それは―――」

 

 男の視線を感じとり、その先を目をやった女の視界に、自分が寝そべる長椅子の前にある透明な卓の上にある密封された黒檀の箱を見る。

 

「―――まだ、必要だろう」

 

 笑いを含んだ女の言葉に、男の口許が小さく歪む。

 それは笑ったのか、それとも苦々しく思ったのか。

 男が口を開くよりも前に、先に女が口を開くのが早かった。

 

「あんたの『願い』は、私が叶えてやるよ」

「オレの『願い』だぁ?」

「そうさ」

 

 刃のように鋭い男の視線が自身に向けられることに、悦楽染みた快感に背筋を震わせながら、女は笑みを浮かべ答えた。

 

「戦わせてやるよ―――【ヘスティア・ファミリア】のシロと」

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

「―――はぁ、ったく信じらんねぇよあの女」

 

 闇に沈んだその中を、泳ぐように歩いている男が、不満に満ちた声で愚痴を溢すように呟いていた。

 美しい男である。

 退廃的で、妖艶さを帯びた男。

 その身体に纏うのは、ボロボロの黒いローブ一つであるが、その男の持つ雰囲気からか、それすらも何処と無く神秘的なものを感じさせた。

 絹糸のような艶を持つ濃紫色の長い髪を、男は無造作に掻きながら暗闇の中を一人あるいており、その何処と無く荒々しい歩き方から、大分苛立っているのが見てとれた。

 

「一体どんだけ金と時間を掛けたって思ってんだよ、もうね、嫌になっちゃうよ」

 

 神秘さを感じさせる雰囲気と、苛立たし気な様子をみせながら、どことなく軽薄な感じで何かの不満を口にしていた男であったが、不意にぴたりとその足を止めると、何かを思い出すかのようにその白く細長い顎先に手をやり顔を上げた。

 

「―――でも、めっちゃ……面白い」

 

 ニィ、と割けるように口元が開いた。

 闇の中であっても、映えるようにうつる白い歯と、その奥に見える赤が、まるで血溜まりに沈む少女の肌のようにも見え。

 美しさとおぞましさが感じられた。

 男は、それを隠すかのように、顎先にやっていた手をゆっくりとその開いた口元まで上げると、反芻するかのようにその濃紫の瞳を閉じる。

 

「ぁぁ……最近のオラリオは、本当におもしれぇなぁ……」

 

 闇に沈んだ視界の中、浮かび上がるのは二つの影。

 一つは自身がよく知るモノ。

 肩高六Mを優に越える巨躯に、頭部から女の身体が生えた異形の姿。

 超硬金属(アダマンタイト)すらぶち抜く身体能力に加え、精霊並みの魔法技能を持つ超級の化物。

 神々しさすら思わせるその異形の化物が―――血に濡れ、元の姿形が分からなくなるほどまでにぐしゃぐしゃに潰された姿。

 そして、その前に立つ―――紅い槍を持った一人の男の姿。

 あの【フレイヤ・ファミリア】を相手に想定して造り上げた化物が、文字通り手も足も出ずに子供扱いされた。

 超硬金属(アダマンタイト)を越える強度を持つはずの身体が、乙女の柔肌のように切り裂かれ貫かれ。

 大地すら砕き引き裂くその超筋力を、引き倒し押さえつける理不尽さ。

 あの化物が、悲鳴を上げ、転げ回って逃げ出す様など、想像だにしなかった。

 

「しっかし、どうすっかなぁ」

 

 顔の下から撫でるように手を動かすと、男の顔からは最早苛立ちも不気味な笑みの姿はなかった。

 

「大口の出資者(スポンサー)に手を切られて、今後の予定もめちゃくちゃになっちまった。だけど一番問題なのが、ラスボス潰されたタイミングに【ロキ・ファミリア】が来るってとこだ」

 

 男は、大きく一つため息をつくと、腕を組んで唸り声を上げた。

 

「うぅ~……そろそろだろうとは思ってた頃に、レヴィスちゃんの『そろそろ【ロキ・ファミリア】がやって来る』っていう報告。こりゃ間違いなく来るね」

 

 一応問題はない筈ではある。

 いくら都市最強とも呼ばれる【ロキ・ファミリア】であっても、ここに誘い込み上手く嵌めれば十分以上に勝機はある。

 それに戦力としても、怪人であるレヴィスの協力も取り付けてもいる。

 勝てない戦いではない。

 

「むぅん……」

 

しかし、何か上手く言葉にならないもどかしさがあった。

それは不安や悪い予感というよりも、集中できない、ただ単に興がのらないといった感じであり。

 

「……人ではなく、モンスターでもなく、怪人でもない」

 

目を瞑る度に思い出す。

イシュタルの代理と言って現れた男。

唐突に現れ、手を切ると一方的に伝えるや否や、未だ完成に至ってはいないとはいえ、十分以上の性能を保持しているはずの『天の雄牛』と戦い始めた男。

【ロキ・ファミリア】であっても、打倒しうる潜在能力(ポテンシャル)を秘めたあの『精霊の分身(デミ・スピリット)』を、容易く打ちのめした男。

その姿、戦いぶりを、目を閉じる度に思い返し、まるで恋い焦がれる乙女のように、胸を高ぶらせてしまう。

 

「確か、名前は―――」

 

目の前にまで迫る、【ロキ・ファミリア】との戦いにすら集中することが出来ないほどに。

 

 

 

 

 

「『ランサー』と、言ったか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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第四話 歓楽街

 

 不意に風が吹いた。

 吹き寄せた風に反射的に目を細め、逃げるように顔を上に向けると、薄雲の上に輝く月明かりが目につく。

 その陽炎のように揺らめく、幻のような明かりに、思わず今のこの瞬間が夢のように感じてしまい。

 

「―――夢、か……」

 

 ぽつりと、呟く。

 何処か呆れたような、ため息のような独り言。

 本当ならば、今ここに自分がいる筈はなかった。

 それは、『ヘスティア・ファミリア』に戻る筈がなかったという意味ではなく。

 ただ単純に、()()()()()()()()()()()という意味であった。

 あの時、己自身を材料に、燃料にして成した『投影』は、不可逆的なモノであり、死を前提としたものであった。

 あの男(佐々木小次郎)を前にして、勝つためにはあの方法しか手段がなかった。

 ただ技の冴えのみで英雄の頂きに至ったあの男に、僅かでも勝利する可能性があるとしたら、あの場ではあれしかなく……。

 負けるわけにはいかなかった。

 逃げ出すわけにはいかなかった。

 死にたくはなかった。

 だが、それでも、と。

 その結果が、確定された終わり()であったとしても。

 なのに、今、自分はここにいる。

 材料とした肉体は今も、ここに確としてあり。

 燃料とした霊基()もまた、確かにある。

 目覚めてから今まで、特にこれといった問題は感じられず。

 診断したミアハもまた、異常は見られないと言う。

 有り得ない事態だ。

 ある筈のない事態だ。

 落ちて砕けた筈の器が、一つ瞬きした後、罅一つもなく全て元通りになっているような奇跡(理不尽)―――否、気味悪さ。

 理解出来ない。

 納得出来ない。

 だが、現実として、自分は確かにここにいる。

 ここに―――いられる。

 まるで、夢のようだ。

 もう一度、空を仰ぎ見る。

 月はまだ、薄い雲の上で輝いている。

 地上よりも高い位置。

 三階建ての石造りの豪邸。

 その屋上―――屋根の上にオレは立っていた。

 午後八時前。

 夜の闇が広がり、それに対抗するように街に灯りが点り始める時間帯である。

 元は【アポロン・ファミリア】のホームであったそこを、戦争遊戯(ウォーゲーム)で勝利した【ヘスティア・ファミリア】が接収し、【ゴブニュ・ファミリア】に依頼して改装した新たな自分達の本拠(ホーム)

 リホームが終わったのは、オレが目覚める少し前であったそうだ。

 どうやらオレが目を覚ます前は、色々と騒ぎがあったそうで。

 特に凄かったらしいのは、戦争遊戯(ウォーゲーム)に勝利したのがきっかけでかなりの数の入団希望者が来た時のことで、ヘスティア達は、これでやっと弱小ギルドから抜け出せると喜んだらしいのだが、そこでヘスティアの借金がバレたらしい。

 流石に金額が金額だ。

 見つけたのが命だったのも悪かった。

 リリならば、驚愕しながらも後でヘスティアを一人問い詰めただろう。

 ヴェルフならば、もしかしたら事情をヘファイストスから聞いていたかも知れず、そうでなくとも、あの男なら、何か言うだろうが、そう騒ぎ立てる事もなかっただろう。

 その【ヘスティア・ファミリア】宛の借金の借用書を片手に、入団希望者の前に命が出てきたのも何と言うか、らしいと言えばいいのか。

 結果として、集まった入団希望者は全員がそのまま退散。

 まあ、確かに二億ヴァリスの借金は、それだけの衝撃(インパクト)がある。

 その後随分と問い詰められ、結局ヘスティアはその借金がベルに渡した『神様のナイフ』によるものだとバレてしまったらしい。

 リリには随分と搾られたらしいが、まあ、遊びや何らかの失敗で負った借金ではない事もあり、最後は仕方ないと言うことで終わったという。

 その事について、ベルからも謝られたが―――まあ、その借金とやらは実のところ既に完済しているのだが。

 その事は今のところ、借金相手であるヘファイストスしか知ってはいない。

 オレが『ヘスティア・ファミリア』から離れている間、色々と依頼を受けたりなんだりして、その際の依頼料で一応全ての借金は完済しているのだ。

 とは言え、借金という重石は、ヘスティアの過去のあれこれを知るヘファイストスや、脇の甘い所を見ているオレにとって都合の良いものであったことから、話し合った結果、暫くの間、借金の完済については黙っていようということになったのである。

 何となく、そんな事を思い返していると、視界の隅に人影が過った。

 それは、二階の廊下にある窓から飛び出してくると、そのまま着地の音を猫のように消して裏庭に下りてきた。

 そして、チラリと顔だけを後ろに向け、館の居室(リビング)に灯りがあるのを確認すると、直ぐに物音を立てないよう注意しながら、裏門から外へと出ていってしまう。

 その後ろ姿が薄闇に消えていった瞬間、館の脇からにゅっと顔を出し、姿を表したのは三つの人影。

 

「追うぞ」

「久々の尾行は、やっぱりドキドキしますね」

「ね、ねぇ、やっぱりシロさんにも声を掛けた方が」

「だからそれは、一度確かめてからにって決めた筈だろ」

「ええ、あの人はちょっと……いや、色々と怖いですからね」

 

 こそこそと話しをしながら、消えた人影を追って駆け出すのは、ヴェルフとリリ、そしてベルの三人であった。

 

「だけど―――」

「つい先日まで寝込んでたとは思えないほどであるのは、身をもって理解はしてはいますが、それでも昏睡状態だったのは間違いではないですからね。変に負担は掛けたくないのはベル様もですよね」

「そう、だね」

「ま、何にも問題ないかもしれねぇしな。まずは一回確かめてからだ」

 

 ベル達三人が追うのは、もう一人の仲間である命の姿であった。

 今朝に前に所属していた【タケミカヅチ・ファミリア】の仲間であった千草と会った命の様子が、明らかに挙動不審となったのである。何やら街の様子をずっと気にしており、何処と無く焦りというか不穏な気配を漂わせていた。

 直ぐにベル達もその事に気付き、直接、間接と話しを聞いてはみたものの、はぐらかされてしまい結局のところその理由は全くの不明。

 しかし、その何処か切迫している様子からして、今日にでも何かするのではないかと思ったベル達三人は、シロとヘスティアに色々と言い訳をし、タイミングを見計らって外に出て様子を窺っていた結果、やはり命はこそこそと隠れるように街へと向かっていった。

 命を追う三人の尾行の技術は、過去に色々と経験のあるリリがいるとは言え、決して良いと言えるものではなかったが、調子が悪いのか、それとも他に気を取られる事があるのか、命がそれに気付いている様子は見られなかった。

 そうして、そんな一人を追いかける三人の様子を、本拠(ホーム)の上から見下ろしていたオレは、小さく苦笑いを口元に浮かべると共に、屋根の上から灯りが点る街へと向かって飛び出していった。

 

 

 

 

 

「―――ベル、今すぐ帰れ」

「ベル様は帰ってください」

「へ?」

 

 追跡を続けていた俺達は、その途中【タケミカヅチ・ファミリア】の千草と命が合流した後、向かった先を見て何処へ行くのかを理解すると同時、気付けばリリ助とまるで示し会わせたかのように声を合わせて忠告の声を上げた。

 突然の言葉に、当然の如くベルが困惑の様子を見せるが、構ってなどいられない。

 一体何が目的なのか、【タケミカヅチ・ファミリア】の千草と合流した命の行き先は、俺の予想が間違いなければ、ベルには色々と早すぎる場所であった。

 俺も一度だけ【ヘファイストス・ファミリア】の所の男達に連れられて来ただけであるが、今、この位置に居ても感じられる音や雰囲気からして、まず間違いないだろう。

 隣のリリと視線だけで会話しながら何とかベルを追い返そうとするが、やはり無理があった。

 視界の端で、命と千草が予想通りの場所へ続く通りへと向かう姿を確認した俺は、このままでは見失うと考え、慌てて後を追いかけ始めた。

 そんな状況でありながら、未だ何やら文句を口にして渋るリリを押さえつけながら走る俺の後ろを、困惑顔のままベルがついてくる。

 そんなどたばたな自分達の姿を思い、命達の後を追う俺の顔に苦笑いが浮かぶ。

 

 ―――と、同時に、後ろめたい思いも感じる。

 

 それは、ここにいない男が理由であった。

 シロ―――そう呼ばれる男。

 ベルやヘスティア様から良く耳にした名前であり。

 同時に、以前から噂で聞いたことのある男であった。

 良くも悪くも色々と言われていた男であり、この都市の中心とも言えるトップの【ファミリア】に所属する団員以上に、人の口―――特に冒険者の間で噂される男であった。

 そんな名前や噂だけしか知らない男だと思っていた奴の姿を初めて目にした時、だけどそれが初めてではないと俺は知った。

 その事は、ベルにも―――誰にも言ってはいない。

 それに、あいつ自身、覚えているかも分からない。

 一度だけ、少しだけ話したことがあるだけ。

 名前も言わず、聞かず、ただ話をしただけ。

 その会話により、何かが変わったわけでも、逆に変えられなかったわけでもない。

 それでも、たった数分程度の僅かな時間の会話を今でも覚えているのは、それだけ何かが俺の中に刻まれているからだろうか。

 ……あの男が目が覚めてからも、まともに話したことはない。

 話す機会はいくらでもあった。

 だけど、結局あいつと何かを話した事はない。

 精々、ヘスティア様に紹介された時に、軽く自己紹介をしたくらいで、それ以外は顔を見た時に挨拶をするか、訓練の時に何かアドバイスを貰うぐらいで。

 よそよそしいのは自覚している。

 まあ、それは俺だけではなく、リリ助もどうやらあいつが苦手らしく、話している姿を見ていないのだが。

 その事に対して、ベルやヘスティア様に何か言いたげな視線を向けられている事にも気付いている。

 だが、どうしてもやはり無理なんだ。

 理由はやはり、はっきりとはしない。

 色々と、自分なりに思い浮かぶのはあるのだ。

 単純に意味の分からない奴だと気後れしているのはある。

 噂でも色々と信じられない様なことは聞いてはいたが、あの『戦争遊戯(ウォーゲーム)』で見た戦いは、そんな噂など比較にならない程の光景だった。

 その強さや、戦い方もそうだが、やはり一番俺が気にしているのは―――あの『()』だ。

 見た瞬間、分かった。

 理解した。

 アレは違うものだと。

 俺が今まで見てきたどの刀剣とも違う。

 未知のモノであると。

 言葉では説明できない。

 理解できていないのだから当たり前だ。

 あの後、【ヘファイストス・ファミリア】の仲間にも聞いたが、やはりあいつらもアレが自分達の知るモノとは違うとは感じてはいたが、それがどう具体的に違うのかは分かってはいなかった。

 そしてそれは、ヘファイストス様(神様)でも同じだった。

 

『―――さぁね』

 

 アレが何かを聞いた俺に、ヘファイストス様はただ、小さく肩をすくめて見せただけだった。

 なのに―――ただそれだけの姿に、俺は圧倒された。

 苛立ち、高揚、焦燥、好奇、不満、憧れ―――ただ一言、ただ一動作。

 その中に凝縮された感情の一撫でだけで、俺は押し潰された。

 それ以上、話を聞くのは無理だった。

 意味が、分からない。

 勿論、ヘスティア様にも、ベルにも話を聞いた。

 あいつが一体何者なのかを。

 だけどやはり、俺の知りたい事は何もわからなかった。

 あいつが目を覚ましてからも、話を聞くことが出来ず、今もまだ、ずるずると心にしこりを残したまま過ごしている。

 いつか聞ける時が来るのだろうか。

 そんな期待と、恐れと、不満を持ちながら。

 あいつを避けるようにして過ごす日々。

 この追跡劇にあいつを呼ばなかったのも、あいつの身体を心配してなんて事ではない。

 昏睡の原因は分かってはいないが、それでも最近の訓練で体には問題がないことを身をもって理解している。

 だから、呼ばなかったのは、ただ自分の心情が理由だ。

 それは、リリ助も同じだろう。

 顔や態度には出してはいないが、何処か無理をしている様子を感じているのは、自分の気のせいではないと思うのは、その理由が同じだからだろうか。

 そんな事を頭の片隅で考えながらも、視線を巡らせていると命達の姿を見つけた。

 だが、どうやら厄介な事になっているらしい。

 何処ぞの神様だと思われる男神達に囲まれている。

 こんな場所で、女だけで、特に絡まれやすいタイプの命がいれば、男神が寄ってこない筈はなく。

 どうしようかという逡巡は、頭の片隅で未だ渦を巻いている感情を振り切り。

 周囲の光景にまだ心の整理が着かず、あわあわとしているベルをその場に置いて、取り敢えずまずは、命達の救出だと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たたたたたっ―――助けてぇええええッッッ!!!?」

 

 嬌声と喚声で沸く歓楽街の一角で、少年の悲鳴が響き渡る。

 鼻をすすりながら、涙で滲む声を上げ走るのは、白い一人の少年。

 ファミリアの仲間達と共に、怪しい動きをする仲間の後を追いかけた所、なんと歓楽街に辿り着き。

 予想外で未知なる場所を前に、慌て戸惑っているうちに仲間とはぐれてしまったベル・クラネル少年は、そこで【イシュタル・ファミリア】のアマゾネスに捕まり、狩られた兎よろしく本拠(ホーム)まで連れ去られてしまっていた。

 あわやそこで美味しく頂かれ、少年は一つ大人に成ってしまうのかというところで、流石の幸運と言うべきか、何とかそこを抜け出すことに成功する。

 しかし、例え【イシュタル・ファミリア】の本拠(ホーム)を逃げ出したとしても、そこは彼女達が支配する『歓楽街』だ。

 【戦争遊戯(ウォーゲーム)】で活躍したベル・クラネルが歓楽街にいて、最初に身柄を押さえた者が、好きにしていいという噂が広まるのは一瞬であった。

 客を探していた者も、客の相手をしていた者も、その噂を耳にしたアマゾネス達はいきり立った。

 獲物が獲物である。

 是非とも食べてやろうと、歓楽街は一瞬にして狩り場へと変わった。

 並みの男では数分で捕まってしまいかねない、そんな女達の狩り場の中で、しかし、流石と言えばよいのか、何とかベルは未だその身は清いままであった。

 少し前までは、まだ悲鳴を上げる元気はあったが、今ではもう、声を上げる元気も余裕もない。

 屋根の上を跳び跳ねるようにして逃げた先は、歓楽街の中でも一際異彩を放つ一画だった。赤と朱色の派手な色で染められた極東式の建物が立ち並ぶ区画に逃げ込んだベルは、そこでも逃げ回ってはいたが、流石に運も体力も尽きてしまったのか、追っ手の攻撃を避け切れず、遂には立ち並ぶ極東式の建物の中でも一際巨大で目立つ建物へと窓を破壊し飛び込んでしまう。

 しかし、流石はこれまで幾つもの修羅場を潜り抜けてきたのは伊達ではなく、直ぐに体勢を整えると、今度は建物の中を所せましと駆け巡る。

 幸い飛び込んだ建物は、その巨大さに似合う複雑さを抱えており、隠れる場所や逃げ込む場所には欠かず。這う這うの体で、とある廊下の死角となる曲がり角へと逃げ込んだベルは、追っ手の気配に息を潜めた。

 

「っち! ここにもいないっ!」

「白い影が確かに見えんたんだけどねぇ?」

 

 曲がり角の向こうから聞こえる舌舐めずりをする声に、ベルは口を両手で塞ぎながら、自身の存在感を出来るだけ薄めるように体を小さく縮こませ震えていた。

 何時間にも感じる数秒が過ぎ、女達の声と気配が遠退くのを察したベルは、ゆっくりと口から両手を離し―――

 

「おい」

「ぴぃ!!」

 

 中途半端に両手で塞いだ口から、鋭い笛のような悲鳴が上がった。

 反射的に飛び離れようとする体は、上から押さえつけられその場に留まる中、絶望に染まった目で自分を捕まえた()を伺うように見上げると、そこには。

 

「落ち着け。オレだ、ベル」

「し―――しろ、さん?」

 

 涙で滲んだ視界の先にいたのは、自身がもっとも頼りにしている人物であるが、ここにいない筈の者の姿であった。

 疑問も戸惑いもあるが、追い詰められた先に見た希望(シロ)に、先程までの緊張も合わさって、ベルは腰を抜かしてしまっていた。

 

「全く、【イシュタル・ファミリア】の本拠(ホーム)に連れ去られるのを見た時は、どうしようかと思ったが。上手く抜け出したものだな。実のところ、最悪の可能性が過ったが―――」

「ししっ―――シロさぁああんっ!!」

「落ち着け、静かにしろ。まだ周囲に気配はあるんだぞ」

「ッッ?!」

 

 感極まったベルが、抱きつこうと飛びかかるも、それを片手で押さえ込みながらシロは、周囲を見回した。

 

「……ふぅ、しかしここからどうするか」

「えっと」

 

 問題がないことを確認したシロが、じっと疑問に満ちた視線を向けてくるベルに気付くと、合点がいったかのように、一つ小さく頷いて見せた。

 

「ああ、オレがここにいるのは、まぁ、お前達と同じ理由だ。命の様子を伺っていたんだが……まさかこんな事になるとは思わなかったがな」

「ご、ごめんなさい」

「謝るような事じゃないだろ」

「は、はい……」

 

 反射的に頭を下げるベルに、苦笑を浮かべたシロが軽くその頭の上に自身の手を乗せると、小さく恥ずかしそうな声が上がった。

 

「とは言え、厄介な事態だ。ベルを連れて逃げるのは不可能ではないが、そうすると、少し騒ぎが大きくなりすぎる、か」

「し、しろさぁ~ん……」

「情けない声を上げるな」

 

 自分一人ならばどうとでもなるだろうが、いくらレベルが3となり、常人とは比べ物にならない身体能力があったとしても、ベルには色々と経験が足りない。

 急激に力を着けた弊害とも言えるが、様々な事態に対する手段が少ないのである。

 

「仕方ない、少し手荒だが、まあ、お前を連れて大立回りをするよりかはましか」

「な、何をするんでしょうか?」

 

 ベルとの会話を続けながらも、思案を巡らせていたシロが一応の策を考え付くと、自分を見上げてくる不安に揺れる瞳を見返し、これからの方針を口にした。

 

「なに、そう難しい事じゃない。少し騒ぎを起こすだけだ。今からオレは向こうに行って少しばかり騒ぎを起こす。騒ぎが起きて向こうに意識が集中する間に、ベルはここから出て、この館の裏にある裏道を道なりに進んでいけ。暫く行けば『ダイダロス通り』に出られる筈だ」

 

 そう説明した後、さらに細々とした指示を付け加える。

 今いる館から裏口へのルートや、裏口から『ダイダロス通り』へと繋がる道行き。そのための目印の色や形など。

 かつて【ヘスティア・ファミリア】から姿を消している間、シロは色々と請け負った依頼の関係で、この歓楽街にも精通していた。

 どの館にどんな娼婦がいるのか、区画の割り方に大通りの位置、そして忘れられたかのような、ここで働く娼婦ですら知らない裏道等も、シロは把握していた。

 まさか、自身のために把握していたそんな知識が、こんな事に役立てられる事になるとはと、内心でため息を吐きながらもベルに必要な情報を伝えていく。

 

「シロさんは?」

「オレはある程度時間を稼いだらさっさと逃げる。だが、お前が逃げなければ何時までも逃げられないからな。出来るだけ早くここ(歓楽街)から抜け出せ」

 

 何処か期待するような視線を向けてくるベルに、シロは視線と言葉で切りつける。

 

「わっ、分かりましたッ!」

「ほら、分かったならさっさと行け」

 

 怒られた猫のように、勢いよくびしっと背筋を伸ばして返事をしたベルの背中を押して前へ進ませると、シロはその反対方向へと足を向けた。

 

「はいっ、シロさんも無事でっ!」

「だから静かにしろと―――はぁ……全く仕方のない奴め」

 

 背後からあれだけ静かにしろと注意をしても、まだ声を上げるベルに溜め息を着きながらも、口元に笑みを浮かべながら、シロはどんな騒ぎを起こすかと思案しながら歩き始めた。

 

 

 

 

 

「……行ったな」

 

 悲鳴のような、怒声のような、女性が上げて良いのかわからない声を上げて走っていく足音が遠ざかるのを慎重に確認していたシロは、完全に音が聞こえなくなったのを確信すると共に、僅かに身体に入っていた緊張を吐息と共に吐き出した。

 

「しかし、思ったよりも騒ぎが大きくなったか。少し何処かに隠れて様子見をするか」

 

 少しでもベルの脱出の力になればと、周囲への物的被害や、後遺症のない、更に証拠や物証も残らない、適当な騒ぎを、それなりの数を起こしたのだが、色々な偶然と必然が重なってしまい。

 結果、連鎖的に騒動が大きくなってしまった。

 幸いにも、負傷者は出ていないようではあったが、色々と心的外傷(トラウマ)を負ってしまった者も出てしまったかもしれない。

 不幸にも、騒動にまともにぶち当たってしまい、結果意識を失ってしまった客と思われる男達や、追跡していた女達について、心の中で頭を下げながら、人気のない方向へとシロが足を進めていると、いつの間にか敷地内の最も隅に位置する別館の中にいた。

 そこで、一番上まで上がって様子を見るかと、最上階である5階まで上ったシロは、窓は何処にあるかと、幾つもの扉が並ぶ廊下を見回した後、一番近い扉を開いた。

 その時、微かに騒動から逃げ切ったと思われる女の声が、外から微かに聞こえ。

 一瞬、そちらに意識と視線を向けたシロが、無意識のままそこから離れるように、閉ざされた襖を開いた。

 その向こうから、微かに光が差し込んでいる事に気付かなかったのは、油断―――していたのかどうか。

 

 そうして、シロは出会った。

 

「―――御待ちしておりました、旦那様」

 

 一人の―――少女(娼婦)に。

 

 

 

 

 




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第五話 とある娼婦と、とある男の物語

「―――御待ちしておりました、旦那様」

「っ?!」

 

 金の髪と、同じ色の獣の形をした耳、尻尾を持つ少女が、畳の上で三指をついて頭を下げている姿を前に、反射的に開けた襖を閉じて逃走しかけた体を、背後から聞こえた確かに近付く捜索の音が止めた。

 その一瞬の逡巡の間に、金色の獣の少女は下げていた頭を上げ、その美しい顔立ちにおさまった翠の瞳にシロの姿を映した。

 

「今宵の伽をつとめさせて頂きます―――春姫、と申します」

 

 ゆらりと揺れる尻尾の形状からして、狐人だろう少女は、歳の頃は16ぐらいだろうか。

 幼いとも呼べる顔立ちとは裏腹に、身体の線が分かりにくい筈の着物の上からも、その起伏に富んだ体つきが伺え。更には、鮮やかな紅色の着物をしゃなりと着こなすその様子と、何よりもその儚くも柔らかな雰囲気から、独特の色気を漂わせていた。

 夢幻の如く、幻惑な美しさを持つその少女の姿に、息を飲むシロであったが、直ぐにその自分を見つめる少女の翠の瞳に、見知らぬ者を見るような動揺がないことに気付く。

 と、同時に、シロは一歩前へと足を動かし、背後でそっと襖を閉じた。

 微かに聞こえていた探索の物音が遮断され、少女の静かな呼吸の音だけが、部屋の中を震わせた。

 

「……どうやら、待たせてしまったようだな」

「いえ、そのような事は御座いません」

 

 そっと、確かめるように言葉を紡ぎながら、シロは少女の様子を伺うが、返ってきた返事からも、その様子からも、何もおかしな所は見受けられなかった。

 そこでシロは確信した。

 この少女の言動といる場所から、まず娼婦で間違いはない。

 ここで客を待っていたようであるが、自分で客を呼び込んではおらず、紹介か何かで初めて会うだろう相手を待っているということ。

 そして、その客と自分を間違えている、ということを。

 ならば、今はその間違いに便乗し、捜索の目が何処かへ移るまで少しばかりここで時間を過ごすのが良いだろう。

 問題は、本来の客が来ることではあるが、その心配はあまりしなくても大丈夫だろうとシロは判断した。  

 何故ならば、ここへ来るまでに起こした騒ぎはそれなりに大きく。周囲にいた客にも被害を与えていたため、かなりの確率でここへ来るはずだった客も被害にあって、少なくとも今日中は動けないでいるだろうと思料したからだ。

 

「外で少し騒ぎがあってな、遅れてしまった。君は何か知っているか」

「……いえ」

 

 小さく頭を横に振る少女を横目に、シロは部屋の様子を伺う。

 魔石灯の明かりに照らし出されるその部屋は、部屋の目的からか、雰囲気を感じさせるために薄ぼんやりとした光で満たされ、何処か退廃的な様子を感じさせる。

 薄闇に包まれた部屋の奥に広げられた布団の姿からも、その様子を一層強く感じさせた。

 シロは部屋の姿を一通り確認すると、少女の視線を引き連れながら部屋の中央へと歩を進め、そこで腰を下ろした。

 腰を下ろしたシロの前には、小さな机と、その上に置かれた、朱塗りの酒盃と酒が入っていると思われる白いとっくりと呼ばれる酒器があった。

 シロはそれにちらりと視線をやると、朧気な雰囲気を漂わせる少女に声を掛けた。

 

「一つ、付き合ってもらえるか」

 

 

 

 

 

「「――――――」」

 

 どれ程の時が過ぎたのか、数分のようにも、数十分にも感じられる無言の時が過ぎた。

 シロは、少女が注いだ酒が入った朱塗りの盃を、ゆっくりと舐めるようにして口つける。

 部屋の様子や、相手として用意された少女の姿からして、かなり高級な娼婦だろうと考えたのは確かであったようで、口にした酒は明らかに上位のモノであった。

 時間稼ぎのように、ちびりちびりと酒を飲んではいるが、減った量からして時間はそんなには経ってはいない。

 このまま無言で時が過ぎるのを待つのも良いが、流石にそれは不審すぎるなと、シロは内心で溜め息を着くと、盃から口を離した。

 

「春姫、と言ったか」

「はい」

 

 目を伏せながら、とっくりを両手にそっと添えるように持つ少女が、小さくこくりと頷いて答えた。

 

「オレの名は、聞いているか」

「いえ。ただ、ここに旦那様が御越しになるので、御相手をして差し上げろ、と」

「そうか……」

 

 予想していたが、それが補強されたことに小さく安堵の息を着きながら、シロは隣に座る少女を見る。

 若い、狐人の少女だ。

 美しい―――様々な美少女、美女を見てきたシロでも、目を引かれる美しさを持った少女である。

 特に、少女と大人の間にだけ放てる危うい色香と、この少女―――春姫と名乗った少女の持つ独特な雰囲気も合わさって、夢や幻に見える美しさを放っていた。

 しかし、シロの目を引いたのは、そういった美しさではなく、その立ち居振るまいであった。

 最初に目にした、三つ指を着いた姿勢。そこから立ち上がり、傍まで近付く所作。座ってからも、とっくりを持ち、注ぐその動作からして、一朝一夕で身に付くモノではない。

 勿論、シロがこの歓楽街で多々見てきた娼婦の中にも、これに匹敵、あるいは上回る所作を見せる者はいた。

 しかし、何よりもシロが()()()として抱いたのは、他の娼婦からは感じられない何か。

 それは何かと問われれば難しいが、一番近いもので言えば―――育ちの良さ。

 それが、この少女からは感じられた。

 

「随分、着こなしているな」

「えっ?」

 

 ふと、溢れるようにシロの口から言葉が落ちた。

 それは、意識して漏らしたものではなかった。

 少女の着る着物と言う衣装。

 見慣れぬもの、見慣れたものを様々に感じるこの都市(オラリオ)で、時たま見かける東から来たという者達が身に付ける衣服。

 たまにそれを、東から来た者以外が身に付けているところを見たことがあるが、この辺りの衣服と勝手が違う事から、まともに着れずにいていた。

 極東の様相を見せる娼館にいる娼婦達も、ただ着ているというだけで、着こなしているのは殆ど見かけなかった。

 そのため、少女が余りにも自然に着物を着ている様子から、思わずシロの口からそんな言葉が出てしまっていた。

 

「ああ、いや……すまない。特に大した意味はないんだが」

 

 顔を上げた少女の何処かぼんやりしたような少女の翠の瞳が、一瞬その焦点を合わせシロを見た。

 その透き通った翠の中に、捕らわれかけたシロは、顔を逸らすように小さく首を横に振る、と。

 

「―――生まれが、極東となりますので」

 

 返事があるとは思わなかった。

 少女の様子から、客との対話を楽しむタイプではないと考えていたからだ。

 シロが顔を向けると、春姫は手元のとっくりを小さな机の上に置くと、そっと右の手の人差し指を、自身の首にはまった黒い首飾(チョーカー)―――ではない首輪をなぞっていた。

 俯いているため、その金の髪が簾のように少女の顔を隠し、どんな感情を見せているのかはわからない。

 

「随分と、遠いところから来たんだな」

「はい……旦那様は、何処から?」

 

 小さく、こくりと一つ頷くと、さらりと金の簾が揺れた。

 そして、微かに上げられた顔から見える翠の瞳が、シロを見つめる。

 それは探るようなそれではなく、単純な話の流れからの疑問の声であった。

 だからこそ、シロの口は、明確な『嘘』を形にすることは出来なかった。

 

「オレは……オレも、遠いところからだ」

「遠い、ところ?」

「……ああ」

 

 うっすらと残る、酒盃に満ちる透明な酒に、朧気な自身の顔が映りこむ。

 それを遠し、ここではない何処かを見つめているシロの横で、春姫の躊躇いがちな小さな声が上がる。

 

「その、どんなところで……」

「―――割りと温暖なところだったな。ただ、冬が長く、その分、それを越えた後の春に咲く花が……綺麗でな」

「春に、咲く花……」

 

 春姫の声に導かれるように、記憶(記録)の中の情景が思い浮かぶ。

 それは、何処で咲いていた花だろうか。

 誰と共に見ていた光景(もの)だっただろうか。

 それはもう―――記憶(記録)にはない。

 淡い桃色の花が満開に咲き誇る木々の下。

 自分は―――あの男はいったい、誰と共にいたのだろうか、そんな事を思いながら、シロはその花の名を告げた。

 

「桜、という花なんだが」

「あのっ―――旦那様はもしや極東の出身では?」

 

 その花の名を口にした瞬間、隣に座る春姫の体がびくりと震え、何処か焦った調子の声が、シロへと掴み掛かるように問われた。

 

「……少し、違うな」

「少し、ですか?」

 

 酒盃の酒が微かに波打ち、朧気に浮かんでいた自身の顔が儚く消えた。

 揺れて酒とは違い、シロの口から溢れた声には、一切の震えはなかった。

 

「ああ」

「そう、なのですか」

 

 シロの確たる声に、何処と無く肩を落としたような春姫の声が応える。

 無言の間が、再度部屋の中に満ちる中、シロが酒盃に残った酒を喉へと流し込む。

 空となった酒盃に、すっと、優雅な動きで、春姫が酒を注ぐ。

 酒盃に新たに満ちていく酒をシロが見下ろすなか、注ぎ終えたとっくりを手元に戻した春姫が、ぽつりと、呟いた。

 

「……先程口にした通り、私の生まれは極東なのですが、そこでも、桜と言う名の花が春に咲くので、少し、懐かしく思い」

「それは―――」

「よくある、話です」

 

 シロが何かを言い掛けるが、それを遮るかのように春姫が口を開いた。

 その声は、苦い笑いが混じった、疲れたそれであり。

 そうでありながら、何処か遠い、別の誰かの話をするような、空虚なものであった。

 そうして語られたのは、とある一人の少女の物語。

 遠い極東の貴族の家に生まれた少女が娼婦に落ちた物語。

 貴族として様々な束縛や貴族であることからの厳しい習い事や、寂しさを抱く事もあったが、少なくも友人はいて、何不自由のない生活であり、幸福と呼べる生活の中。

 唐突に起きた事件。 

 父親の大切な客人が持っていた品物―――極東に君臨する大神(アマテラス)に捧げるための神餞(しんせん)を寝ぼけて食べてしまったのだ。

 そこからは、まるで坂から転がり落ちるようで。

 父親から勘当され、その客人に引き取られたかと思えば、その者の帰路の途中に(オーガ)に襲われ置き去りにされてしまう。憐れそこで命を落とすかと思われたが、その間際に盗賊に命を救われ、生娘と確認されるやこのオラリオに売り払われたという。

 

「―――旦那様は不思議なお方ですね」

「ん?」

 

 自身の悲劇とも呼べる境遇を、ぽつりぽつりと、呟くように、しかし止まることなく語り終えた春姫が、何も聞かず黙って聞いていたシロに、口の端だけを小さく曲げるような微笑みを向けた。

 

「旦那様に……お客様に、こんな話をしたのは、初めてでございます」

「まあ、そういうこともあるだろう」

「そう、で、御座いますね」

 

 酒盃に口をつけ、誤魔化すような仕草を見せたシロの姿に、知らず、春姫の目尻が柔らかく緩んだ。

 また、無言の間が続くが、それは何処と無くふわりとした、緩やかなものに感じられた。

 それに乗せられるように、また、春姫の口が開く。

 

「……売られて、遠いここまで流れ着いてしまい。ですが、私はそれでも幸運だったのです」

「幸運?」

 

 先程の話の何処に、『幸運』と呼べるモノがあったのかと、思わずシロの口から疑問の声が上がるが、春姫はそれに対し、何かを思い出すかのように目を細めた。

 

「私のいた極東にも、ここ(オラリオ)のお話が伝わっておりましたので」

「それは」

「『迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)』」

 

 大切なナニかを、抱くように春姫はその言葉を口にした。

 

「ここ―――このオラリオで紡がれた多くの英雄の物語は、童話やお伽噺として、私の故郷まで伝わっていて。私はそれに幼少の頃より親しんでいました」

 

 一つ一つ、まるで大切な本のページを開くかのように、ゆっくりと、己の思いを口にする春姫。

 

「なので、ずっと昔から、ここ(オラリオ)には何時か来たいと、そう『夢』みていました」

 

 薄暗い灯りの中、浮かび上がる春姫の白い顔は、愛しいものを語るようにきらきらと輝いて見え。

 

「こんな形でではありますが、それが叶い、だから、私は幸運なのです」

 

 決して、嘘を口にしているようには見えなかった。

 その光に当てられたように、シロの視線はゆっくりと落ちるように下へ。

 酒盃の上へと落ちていく。

 

「そう、か……『夢』、か……」

 

 それは、意識して呟かれたものではなかった。

 誰に聞かせるのでもないそれは、僅かに酒盃の酒を揺らすだけで終わる筈であったが、春姫の獣の耳はその言葉をハッキリと聞き取った。

 だから、反射的に春姫はシロへと問いかけていた。

 

「―――旦那様にも、何かあるのでしょうか?」

「何か?」

 

 顔を上げたシロが、聞かれた意味が咄嗟に分からず疑問の浮かんだ視線を春姫へと向ける。

 

「……その―――……」

「――――――……ぁぁ、そう、だな」

 

 シロの視線の圧に驚いたのか、春姫が戸惑い、怯えるような様子を見せる。

 その姿に、シロが誤魔化すように思わず返事をしてしまう。

 

「それは、その……お聞きしても?」

「人に話すような、そんなものじゃ―――」

 

 おずおずとした声を向けてくる春姫に、拒否の言葉を返そうとしたシロであったが、自分を見つめる期待に満ちた目に―――。

 

「……『正義の味方』」

 

 ―――脱力するような調子で応えた。

 

「ぇ?」

「……『正義の味方』、だ」

 

 ぱちくりと瞬きを一つした春姫が、戸惑いを含んだ真ん丸となった目でシロを見つめた。

 

「それは……」

「笑うか?」

 

 春姫の視線から逃れるように、顔を逸らしたシロが頬を掻きながら口許を微かに曲げる。

 誰に向けたものか、皮肉げに浮かんだその口許を目にした春姫は、そっと目を伏せると小さく、しかし確かに首を横へと振った。

 

「―――いいえ……とても―――とても素敵な『夢』でございます」

「そうか……」

 

 口の中に含むようにそう答えると、春姫が顔を上げた。

 顔を上げた春姫に浮かぶ感情を目にしたシロは、思わずそれに絆されるように緩みそうになった口許をぐっと奥歯を噛み締めて耐える。

 そして、それを誤魔化すように口を開いた。

 

「あ~……極東には、その……どんな物語が伝わっていたんだ?」

「え……ぁ、はい。特に、私が好きだったのは、『迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)』ではないのですが、異国の騎士様が、聖杯を求めて迷宮を探索するお話をよく覚えています」

 

 唐突に振られた話題に対し、春姫は戸惑いながらも口を開く。

 口を一度開けば、それは自身が好きなものの話である。

 すらすらとその口から言葉が出てくる。

 その言葉を聞いたシロは、その話に覚えがある気がして、それに思い至った時、思わずその答えを口にしていた。

 

「それは―――確か、『ガラードの冒険』だったか?」

「っ!? 知っておられるのですか!?」

「あ、ああ」

 

 ぐいっ、と春姫がシロへと顔を寄せる。

 その姿が先程までの春姫の様子からは、考えられない勢いと言えば良いのか、強さと言えば良いのか。

 思わず後ろへと体を反らしながらも、春姫の問いに頷いてみせるシロ。

 

「で、ではっ、ランプに封じられた精霊を助けに迷宮に向かう、魔導士様のお話の事は―――」

「―――『魔法使いアラディン』」

「ではでは―――」

 

 初めて目にしていた時の、酌をしていてくれた時に感じた幽玄とも呼べる雰囲気は一体何処へ。

 シロへと掴み掛からんばかりの様子で、顔を寄せる春姫の瞳は、薄暗い魔石灯の光でもわかる程にきらきらと無邪気に輝いていた。

 それからも次々に春姫はクイズのように、幾つもの物語の断片を口にし、それにシロがその物語の名を答えるという事が続き。

 そして―――。

 

 

「本当に、好きなんだな」

「あぅ……お恥ずかしい」

 

 そこには、大分落ち着いたのか、我に返った様子の春姫が顔を伏せてぷるぷると震えていた。

 伏せた顔には、垂れた長い髪が壁となってどんな表情を浮かべているのか確かめは出来ないでいたが、それでも僅かに除く隙間から見える白い筈の頬の色が赤いことや、その縮こまって震えている姿から、恥ずかしがっているのは容易に想像が着いた。

 

「いや、恥ずかしがるような事ではないだろう」

「ぅ~……で、ですが、旦那様も良くご存じで」

 

 ふっと、笑いを含んだ声でシロが声を掛けると、顔の前に長い金の簾を垂らしたまま、春姫が覗く隙間から上目使いで見上げてくる。

 

「オレはそういうものではない。一時期、色々と調べていたからな。それに、物語に詳しい―――好きな奴がいてな。良く聞かされていた。特に『迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)』関係は良く聞かされたものだ。もし会うことがあれば、春姫ときっと気が合うだろうな」

 

 今頃は脱出している筈だろう少年の姿を脳裏に浮かべたシロは、容易にその少年と目の前の少女が物語の話題で盛り上がる様子を思い浮かべることが出来た。

 そんな想像を浮かべるシロをその隣で見上げていた春姫の口から、小さな吐息のような―――それでいて何か大切なものを撫でるような柔らかな声で、笑い声を上げた。

 

「……ふふ」

「どうした?」

 

 今まで耳にした控えめな笑い声とは何かが違うと思ったシロが思わず疑問を向ける。

 春姫は一瞬びくりと体を震わせるが、直ぐに遠い何処かを見やるように目を細めた。

 

「あ、いえ……少し、懐かしく思いまして……」

「―――春姫が物語が好きなのは、何か理由があるのか?」

 

 淡い光に照らされる春姫の翠の瞳がゆらりと緩く揺れるのを見たシロは、そっと顔を逸らすと話を変えた。

 そのシロの様子に春姫は気付かないまま、そっと目尻を指で拭うと、僅かに濡れた指先に視線を落とした。

 

「理由、と言いますか……ただの、憧れでございます」

「憧れ?」

「はい……何時か、私も本の世界のように、英雄様に手を引かれ、何処か別の世界へ連れていかれたい、と……そう思っておりました」

 

 ぽつり、ぽつりと春姫は独白するように言葉を紡ぎ始める。

 その声からは、悲しみではなく。

 憧憬でもなく。

 

「ただの……幼少の砌の幼い夢でございます。そう、ここ(オラリオ)に来られただけで、既に十分でございます」

 

 擦りきれて読めなくなった古い―――古い物語の本を捲るような、そんな様子が感じられた。

 

「それに……今の私には、連れ出してもらうどころか……そんな事を思う()()すら、ありはございません」

「―――資格?」

「……私は、悪い魔法使いに拐われた可憐な王女様でもなければ、魔物の生け贄に捧げられた、清純な聖女でもありません」 

 

 何でもないことのように、そう口にした少女に浮かぶモノは、自らの境遇に嘆く悲哀ではなく、理不尽に曝される怒りでもなく。 

 

「ただの―――娼婦、でございますゆえ」

「……」

 

 擦り切れ磨耗した後に残った。 

 穏やかにも見える、平らな絶望であった。

 

「未だ拙くはございますが、それでも私はこれまで多くの殿方に体を委ね、(しとね)を重ねてきました」

 

 滔々と語る己の境遇を春姫の姿からは、己の運命を受け入れた者に感じる一種の悟りのようなモノを思わせたが―――

 

「貞淑を守らず、お金を頂くために春をひさいでまいりました」

 

 浮かぶその口元に浮かぶ小さな笑みからは、諦めにも似た穏やかさを見せたが―――

 

「卑しい、そんな私に、どうして……どうして英雄(かれら)救い出して(連れ出して)くれるような、そんな『資格』がありましょうや……」

 

 だが―――少しずつ、しかし、確かに掠れていく少女の声が―――

 

「それに……何より、英雄にとって、娼婦とは()()の象徴です」

 

 淡い光りに揺れ始めた少女の翠の瞳が―――

 

「汚れている、そう自覚したあの日から、私にはそんな思いを浮かべる資格も……あんな美しい物語を読む資格も、なくなりました。『夢』を見ることも……憧れを抱くことも―――許されるわけがありません」

 

 気のせいと切り捨てられそうなほどの、微かな口元の震えが―――

 

(わたくし)は、ただの娼婦でございますので」

 

 何よりも―――ポツンと、取り残された―――見落とされたかのような、小さな……小さな幼子のようなそんな姿が―――

 

「……気分を害するようなお話をしてしまい、申し訳ありません。未熟ではありますが、一層心を込めて御奉仕をさせて頂きま―――」

「―――確かに」

 

 ―――己の中のナニカを震わせたのだろう。

 

「『娼婦』を救う『英雄』の『物語』は、聞いたことはないな」

「っ」

 

 何かを期待していた訳ではなかった筈であった。

 慰めの言葉を望んでいた訳でもなかった。

 それでも、どこかで慰めのようなものを期待していたのかもしれなかった。 

 そう、自分と同じ様に、多くの物語を知るこの人ならば、私の知らない物語(救い)を知っているのではないかと。 

 そんな甘えがあったのだろう、シロの言葉に、春姫から苦いものを噛みしめたような音がした。

 

「――――――少し、用を思い出した。ここまでで結構だ」

「え?」

 

 俯き、黙り込んだ春姫を前に、シロは一度何かを言おうとしたのか、口が開きかけたが、直ぐにそれは閉じられ、再度開かれた時、そこから出たのは別れの言葉であった。

 

「楽しい時間だった……これは本当だ」

「旦那様……」

 

 唐突に終わりを告げられ、戸惑いを露わにする春姫に向け感謝の言葉を送る。 

 春姫は戸惑いから抜けだせないまま、それでもシロの感謝の言葉に笑みを返した。

 そのままシロは、春姫を置いて出入り口である襖の前まで行くが、そこでピタリと足を止めたまま、襖に手をかけずにその動きを止め。

 そして――

 

「――春姫」

「――?」

 

 ――襖を開けぬまま、その口を開いた。

 

「確かに、オレは『娼婦』を救う『英雄』の物語は知らない」

 

 そう――娼婦を救うような、そんな英雄の物語は知らない。

 しかし――

 

「ただ―――……とある馬鹿な男の話なら、知っている」

「旦那、様?」

 

 王女さまではなく、聖女さまでもない……ただの一人の少女に手を伸ばした男の物語ならば、知っていた。

 

「その男はな、馬鹿げた理想を―――……子供染みた『夢』を抱いた男でな」

 

 自身の内から生まれたものではなかった。

 憧れたものから、救ってくれたものから、無理矢理――勝手に奪ったような、そんなものではあったが、それでも、確かにそれは男の形を造る確たるモノであった。 

 譲れない、大切なモノであった筈だ。

 

「……叶う筈のない、そんな『夢』を追っていた男だったが、しかし、ある日、その『夢』に少しだが……手を掛ける事が出来るかもしれない―――そんな事件に出会ってしまった」

 

 そこに至る為の道筋などわからぬまま、たださ迷うように日々を過ごす中、出会ってしまった。

 

「その男は、幾つもの戦いを潜り抜け。その中で、己が目指していた『夢』を―――そうすべきと目指していた(願っていた)やるべき事を前にし―――」

 

 それを手に入れようとした訳ではない。

 ただ、関係のない者達が巻き込まれ傷付くことがないようにと、目指すべき道が見えたような気がして走り出した先で――

 

「―――『夢』を、捨てた」

「……―――ぇ?」

 

 男は選んだ。

 

「代わりに男が手に取ったのは、一人の少女の手だった」

 

 ただ一人(唯一)を選び、それ以外の全て(正義)を捨てた。

 

「―――誰が、悪かったのか……だが、少なくとも、決してその少女が自ら望んだのではなかった」

 

 彼女に抗う術などなく。

 他に選べる道もなかった。

 崖から落とされるかのような道の先に、それはあった。

 

「それでも、彼女は()()()()()()()

 

 そう、それはまるで―――どこかの、誰かのように。

 

「『世界の敵』に」

 

 御伽噺の英雄でも救えない―――救われないそんな存在(悪役)に。

 

「生かしておけば、世界すら滅ぼしてしまいかねなかった。だから、誰もが彼女の死を願い、彼女すら、自身の死を願った」

 

 たった一人。

 世界に取り残されたかのように。

 どうしたら良いのか。 

 どうすれば良いのか。

 何も分からず。

 泣くことも出来ず―――泣いていることにも気付いていない。

 

「しかし、男はその少女の手を取った」

 

 そんな少女の手を、あの男は掴んだ。

 義務(呪い)ではなく、意思(願い)を持って。

 

「……その『物語』は、最後はどうなるのでしょうか」

「―――……残念ながら、オレはそれを最後まで見れなかった」

 

 背中の向こうから聞こえる、春姫の声からは、どんな思いが秘めてあるのかはかることは難しく。 

 ただ、それは静かな声であった。

 

「……何故、それを(わたくし)に」

「さあ……どうしてだろうな…………」

 

 逃げ込んだ先で出会っただけの娼婦に話すようなことではない。 

 なのに、何故こんな話をしたのか、その理由は自分の事でありながらわからない。

 何よりも、何もしてやれない娼婦(少女)に向かって、こんな意味のない―――儚い希望のような……毒にしかならないような話をしてどうしようというのか。

 

「―――旦那様……その方が抱かれていたというのは、どんな『夢』、だったのですか?」

「―――馬鹿げた『夢』だ」

 

 ただ、どうしても―――放っておけなかったのだ。

 

「―――……顔も知らない、人々の幸せ……『世界の平和』だ」

「それは―――」

「―――」

 

 その理由は、もしかしたら―――

 

「最後に―――お聞きしても、よろしいでしょうか……」

「何を、だ」

 

 シロの手は、未だに襖にかかってはいない。

 襖の前で、ただ、春姫に背中を向け立ち尽くすようにそこにいた。

 そうして、その背中を引き止めるように―――それとも押すかのように、春姫は問いかけた。

 

「あなた様のお名前を」

 

 答える義務も、義理も、理由も何もない。

 例え答えたとしても、偽名を口にしても何ら問題はない。

 春姫もその事は分かっている筈だ。

 歓楽街(ここ)へ来るような者も、いるような者も、その多くが本当の事など口にしてなどいない。

 そんな事は、分かっている。

 分かっているのに―――――― 

 

「……シロ、だ」

 

 返した言葉からは、偽りの形をしてはいなかった。

 

「っ―――はい……ありがとう、ございます」

 

 返事があったことか、それとも、その中に何かを感じたのか、答えを受け取り頷く春姫の瞳に、きらりと光るモノがあった。

 

「――――――」

「またの、お越しをお待ちしております」

 

 無言のまま、襖に手を掛けて出ていくシロの背中に、深々と三つ指をつけて頭を下げる春姫の声がそっとふれるようにあたって。

 

「―――シロ様」

 

 パタリと襖が閉じた。

 

 

 

 




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第六話 それぞれの後日

「―――それじゃあ、言い訳を聞こうか?」

 

 にっこりと満面の笑みを浮かべたヘスティアが、その笑顔とは裏腹な平坦な声でそう言葉にした時、張り詰めていた空気が一層強張ったのをその場にいる者達は感じた。

 【ヘスティア・ファミリア】の新たなる本拠である『竈火の館』の一階にある広い居室の中で、今、一柱の神の前で、断罪されるかのように()()の人間が正座をさせられていた。

 結論から言えば、ヘスティア以外の者の考えが甘かったのだ。

 少しだけならばバレないだろう。

 直ぐに戻れば。

 言ったら絶対反対されるし。

 言えば絶対ついてくる。

 等と言ったそれぞれの考えから、命の後をつける事を全員がヘスティアに黙っていたため、それがバレてしまった結果、こうなったということである。

 折しもあの時(命を追跡した日)は、ヘスティアは夜遅くまでバイトでいない。となれば、帰ってくるまでに戻ればどうとでもなると考えていたのだ。

 しかし、命を追跡した先が『歓楽街』という予想外の場所であり。

 更には一番色んな意味で危険であるベルが、そんな所で行方不明となり。

 それを命を追跡していたベル達を更に追跡していたシロが、助け出したはいいが、脱出の時間稼ぎのためと言え、娼婦の一人と長時間一緒にいることとなり。

 様々な予想外が重なりあい、色々とあって最初の一人が本拠へ帰ってきた時には早朝となっていて。

 玄関のドアを開けた先には、両手を組んで仁王立ちするヘスティアが出迎えていたという結果となったのである。

 そして現在、最後に本拠に帰ってきたシロが、満面の笑みを浮かべながら出迎えたヘスティアの前で、ベル達4人が正座をしている姿を見ると、丁度用意されているかのように空いていた真ん中の位置に、そのまま無言で入って正座をした後、先程の一声があったのである。

 ヘスティアの言葉に、正座をする一同は一瞬互いに目を見合わせた後、すがるような視線をベルから受けたシロがその口をゆっくりと開いた。

 

「……言い訳、と言うと?」

 

 気分は爆弾処理である。

 ヘスティアが何処まで事情を把握しているのかということで、これからの言動が決まるが、代表に選ばれた(押し付けられた)シロは今さっき帰ってきたばかりで、事情が全くわかっていない。

 命が歓楽街に向かった理由も、ベルが【イシュタル・ファミリア】の本拠で脱出までに何をされたのか等、本当に色々なことがわかってはおらず、また、ヘスティアがどれだけそれらを把握しているのかもわかってはいない。

 つまり、どれが聞いては、言ってはならないこと(地雷)なのかと言うことがわからないのである。

 

「どうして、『歓楽街』に行ったのかな?」

「っ」

 

 まず一つ。

 ヘスティアはシロ達が歓楽街に行った事を知っている。

 ベル達に聞いたのか、それとも別口で知ったのかは不明であるが、その理由までは聞いてはいない、もしくは知っていてあえて口にしていない、か。

 シロはチラリとベル達を見て、その様子を伺う。

 特に動揺は見られない。

 つまり、歓楽街に行った事については、ベル達から事前に聞いていたということ。

 場所が問題なのか?

 確かに、過保護であり、潔癖なところのあるヘスティアが、夜中に黙って団員達が全員『歓楽街』へ行ったとなれば、怒って然るべきである。

 だが違う。

 そうではない、と。

 これまで様々な修羅場を潜り抜けてきたシロの直感が訴えていた。

 ()()()()()、と。

 ごくりと、一つ息を呑んでシロが再度口を開く。

 

「ベル達から聞いていないのか? 命が―――」

「シロくん」

「―――っ」

 

 そっと、組んでいた両腕をほどいたヘスティアが一歩、シロへと近付いた。

 

「実はね。ある程度事情は聞いているんだよ。だから、シロ君が帰ってくるまでは、どうしてボクに黙っていたのかと、その事を怒るつもりだったんだ」

 

 また一歩、シロへと詰め寄る。

 シロの左右に正座していたベル達が、座った状態のまま、どうやってかじりじりと離れていく。

 その様子を視界の端で捕らえていながらも、シロは蛇に睨まれた蛙のように動けないでいた。

 

「だけどね、シロ君」

 

 手を伸ばせば届くほどの間近に、ヘスティアがいた。

 そうして、そこで足を止めたヘスティアが、鎌首を獲物へと伸ばすように、その口元をシロの耳元へと寄せ。

 すんっ、と一つ鼻を鳴らした。

 

「―――どうして、君の身体からそんな甘ったるい臭いがするのかなぁ?」

「ッ!!?」

 

 ゆらり、とヘスティアの長い黒髪が揺れている。

 ざわざわと風もないのにたなびくそれは、不気味だとか言うよりも、ただひたすらに―――怖かった。

 

「いやまてヘスティア歓楽街へ行けばどうしてもこういったモノ(移り香)はついてしまうものであり別に何かやましいことをしたわけでもなんでもなく―――」

「シロ君」

「―――……あ~……ヘスティア」

 

 舐めるようにシロの耳元から正面へと顔を動かしたヘスティアが、にっこりと笑う。

 そして、何かを察したシロが、最後まで諦めんと口を開こうとするも。

 

「ちょっと、向こうでお話しようか」

「……なんでさ」

 

 出てきたのは、諦めの言葉であった。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――またの、お越しをお待ちしております」

 

 窓も扉も締め切ったその部屋の中で、ぽつりと呟かれた言葉が溢れ落ちた。

 時刻は昼を少し過ぎた時刻。

 本来ならば、開かれた窓から差し込んだ光が、部屋の中を明るく照らし出している筈であった。

 しかし、外からの光は、まるで牢屋のように締め切られたその部屋の中には届かず。

 部屋に幾つか置かれている魔石灯の明かりだけが、僅かに部屋の中を照らし出し。

 まだ日中であるにも関わらず、まるで夜のような雰囲気がその部屋の中を漂っていた。

 そんな中で、何処か夢うつつのようにも感じられる少女の声が響く。

 

「ふふ」

 

 さら、さらっ、と畳の上を長い金色の尻尾がなぞり。

 耳の奥がくすぐられるような音が聞こえる。

 

「そんな()()が、何時あるというのでしょうか」

 

 何処か悲しげな、しかし確かに小さな笑いも含んだ、そんな吐息混じりの声は、誰に言うでもなく、聞かせるものでもなく。

 ただ、文字通り溢れたようなそんな言葉であった。

 

「へぇ、随分と楽しそうじゃねぇか嬢ちゃん」

「っ??!」

 

 だからこそ、唐突に帰ってきた声に少女は―――春姫は心臓が飛び出るほど驚いてしまった。

 実際に、正座した状態で数Cは飛んでいた。

 それほどまでの驚きを見せ、畳の上に転がりながらも慌てて声が聞こえてきた方向に顔を向けると、そこには一人の男が壁を背に立っていた。

 二十畳程はあるだろう広さがある部屋の中は、必要最小限の魔石灯の明かりしか光源がないため、端に立つその男の姿ははっきりとは映らない。

 身長や体格、服装ぐらいはわかるが、顔立ちまでははっきりとはわからないが、その姿を見た春姫は、驚きからの混乱からは立ち直ることが出来た。

 知っているからだ。

 冒険者ではないとはいえ、獣人である自分にも気付かれずに締め切られたこの部屋の中に入ってきたとことも、彼であれば驚くことではないことを、春姫は良く知っていた。

 いや、春姫だけではない。

 少なくとも、【イシュタル・ファミリア】に所属しており。

 ある程度事情を知っているものであれば、誰もが理解していた。

 

「ど、どうして、ここに?」

 

 いまだに動揺はあるが、この男が唐突に現れることはそう珍しい事ではなかった。

 以前、愚痴るようにお目付け役を与えられたという者が言っていたが、目を離した隙にいなくなるどころか、目を離さないでいたのに消えてしまうと。

 そう口にした者のレベルは3。

 ベテランと言ってもいい力を持つその彼女が、嘆くようにそう口にしたのを春姫は聞いていた。

 問題は、どうしてこの男がここにいるのかということ。

 話したことなど殆んど所か片手で数える程もない。

 初めて会った時もイシュタルから紹介されただけで、話しかけた事すらなかった。

 相手も春姫に話しかける事もなく、最初にあった時に一瞥された後、一度も興味すら持たれはしなかった。

 いや、一度だけ、鼻で笑われた事はあったかな、と春姫が思い出していると。

 

「別に、何か用があるってわけじゃねぇんだが」

「っ」

 

 思いがけず返事があった。

 その声は、ひどくつまらなそうなものであった。

 軽蔑も、嫌悪も、苛立ちもなく。

 ただ、無関心に近いつまらないというもの。

 暗く、その顔にまで明かりが届かずどんな顔をしているのかわからないが、それでも春姫の全身が、痙攣するかのようにびくりと震える。

 蛇に睨まれた蛙という言葉があるが、それどころではない。

 蛇に睨まれた蛙はせいぜい動けないだけであるが、今、春姫は動けないどころか魂を削られているかのような心地であった。

 汗すら流すこともできない凍えた心地の中、息も出来ず春姫は黙り込んでしまう。

 春姫から伝播するように、薄ぐらい一室の中が凍えた空気で張り詰めていくなか。

 

「どーすんだ」

「ぇ?」

 

 唐突に、何気ない声でそれがほどける。

 それは先程の男から感じられたような、路傍の石にすら感じるものすらない、そんな無関心がなくなった。ただ普通の問いかけであり。

 だからこそ、不意打ちのようなそれに、春姫は困惑しか返せないでいた。

 

「いや、だからどうするって聞いてんだよ」

「っ―――」

 

 知るものが聞けば、それは残酷な質問であった。 

 何が―――とは、流石に聞かずともわかっていた。

 男がどうしてそんな事を聞いているのかはともかく、何をどうするのかと聞いているのかはわかっている。

 だからこそ、春姫は答えられなかった。

 ()()は、考えても仕方がないことであるからだ。

 あと一週間も満たない内に訪れるそれは、きっとここ(オラリオ)に売られた時から決定付けられていたものだから。

 いや、もしかしたら、生まれてきた瞬間、それは運命付けられていたのかもしれない。

 春姫がそう考えてしまうほどに、それに納得してしまうほどに、眼前にまで迫ったそれは、決して変えられないものであるから。

 だから、春姫は答える事は出来ず。

 ただ、向けられる視線から逃げるように黙りこみ顔を伏せてしまう。

 

「―――ちっ」

「ッ!?」

 

 小さな舌打ちの音が響く。

 それは、力なく項垂れるように垂れていた春姫の狐耳にも届き。

 鋭く鞭打たれたように春姫の体がびくりと震えた。

 

「なぁ嬢ちゃん」

「―――」

 

 すぐ傍から声が聞こえた。

 手を伸ばせば届くような位置から、声が聞こえた。

 顔を伏せていたとは言え、常人よりも感覚が鋭敏である獣人である筈なのに、近付いてきた気配を感じさせないどころか、締め切った筈のこの空間の空気すら僅かすら揺らがさずに近付かれていた。

 細かく震える春姫の様子を構うことなく、男の言葉は続く。

 

「なんで、声をあげねぇ」

「ぇ?」

 

 春姫の固く閉じられていた口元から戸惑いの声が小さく上がった。

 それは、未だに男がここにいることでも、質問の内容でもなく。

 その声が、何処か気遣うようなものに感じられたから。

 思わず顔を上げてしまった春姫の眼前に、その男の顔があった。

 

「―――っ」

 

 初めて、まともに真正面からその男の顔を見た春姫は、魅入られたかのように大きくその瞳を開いて見つめてしまっていた。

 美しい顔立ちである。

 ここオラリオでは、多くの美男美女がいる。

 歓楽街であるここでは、特に美しいものは人や神を含め春姫は多くその目で見てきた。

 主人である神もまた、美を司る神であり。

 故に、ある意味『美』に対してそれなり以上の()()がある筈の春姫であっても、魅入られるほどの『力』がそこにはあった。

 特に、その眼である。

 視線を感じる度、顔を伏せて震えていた春姫は、その男の瞳が紅い色であることも初めて知った。

 血のような、それとも紅玉のようなと言えば良いのか。

 どちらが正解というよりも、どちらも正しいといったその瞳の色は、今は微かな魔石灯の明かりに照らされ、妖しく輝いている。

 

「おかしな嬢ちゃんだな、あんた」

 

 暫く無表情でじっと春姫を見ていた男の顔が、小さく、その口元を歪めた。

 

「諦めてんのかと思えば、それもちげぇ。だが、受け入れているわけでもねぇ」

 

 じろじろと春姫に顔を寄せて見ていた男は、一度小さく鼻を鳴らすと、すっと滑るように体を伸ばした。

 春姫の戸惑いや混乱は未だ収まってはおらず、何を言っているのか、したいのかが全くわからないままであったが、男が僅かに離れたことで全身に感じていた圧力が僅かに減り吐息を吐きだす。

 

「意外とずぶてぇのかもしれねぇな」

「へ?」

 

 何を言われたのかわからず、思わず間抜けな声を上げてしまった春姫に、口元を歪めただけの笑みを向けた男は、そのまま背中を向けると歩き出していき。

 外へと繋がる戸へと手を掛けると、背中を向けたまま春姫に声をかけてきた。

 

「―――下ばっかり見ててもつまんねぇだろうが。最後ぐらいは、何かに身体を縛り付けてでも前を見た方が、色んなもんが見えるかもしれねぇぞ」

 

 そう助言のようなそうでもないような言葉を放つと、男は一つ頭を掻いた後、戸を開いて部屋から出ていった。

 残された春姫は、暫く男が出ていった戸をじっと見つめていたが、少しずつ垂れていこうとする自身の頭にはっと気付くと、ゆっくりと立ち上がり締め切られた窓へと近付いていきそっとそれを開いた。

 開かれた窓から差し込まれた光が、さぁっと薄闇に沈んでいた部屋の中を照らし出す中、眩しさに細めた春姫の瞳に、蒼く晴れ渡った空が映った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()ッ!!」

 

 部屋から出て歩いていた男の背に、女の声が掛けられた。

 苛立ちが多分に含まれたその声音に、足を止めた男―――ランサーと呼ばれた男は振り返ると、170Cはあるだろう褐色の肌をした、やたらと露出の多い高身の女にニィとその牙のような歯を見せつけるように笑みを向けた。

 

「よぅ、アイシャじゃねぇか」

「ようじゃないよっ! 一体何処をほっつき回ってたんだよっ!!?」

 

 ランサーがひょいっと片手を上げて応えると、足音も激しく近付いてきたアイシャと呼ばれた女が指を突きつけてきた。

 

「別にここ(歓楽街)からは離れちゃいねぇよ」

「当たり前だっ! この前みたいにメレンにまで行かれたらたまったもんじゃないッ!?」

「別に釣りぐらいいいだろ」

 

 ちなみにメレンとは、オラリオから3K程離れた位置にある港町であり、さらに言えば、オラリオから無断で出るのは色々な意味で危険な行為であった。

 特に、これから大事を控えている【イシュタル・ファミリア】にとって、今は少しでも問題を起こしたくはない時期でもある。

 だが、このランサーと呼ばれた男は、度々姿を消したかと思えばメレンで良く釣りをするという悪癖があるのであった。

 

「あんたは良くてもこっちは洒落にならないんだよっ!? あんたと違ってそうここ(オラリオ)からひょいひょいと出られるわけじゃないんだって説明しただろっ!?」

「ああ~わかってるわかってる。だから行ってねぇだろ――――――……最近は」

「何か言ったかい?」

 

 ぼそりと最後に小さく呟かれた言葉は、幸いにも聞かれなかったらしく。

 しかしアイシャの鋭い視線にランサーは小さく肩を竦めて返した。

 

「いんや何にも」

「この―――っはぁ、もういい、イシュタル様がお呼びだよ」

 

 ふざけた態度のランサーに、再度怒鳴り付けようとしたアイシャだったが、肺の中に入れた空気はため息となって口から吐き出されることに。

 

「イシュタルが? めんどくせぇな」

「おい、絶対に行けよ。前に無視したことで、私らがどれだけあんたを探し回ったか」

 

 ぶちぶちと文句を口にするアイシャから逃げるように、くるりと背中を向けたランサーは歩き出す。

 アイシャはじろりとランサーの背中を一瞥すると、一瞬だけ口元を緩めると離れていく後ろ姿を追いかけた。

 

「待ちなランサー。あんたのことだ、目を離したらそのままいなくなっちまうかもしれないからね。一緒に行くよ」

「へいへい」

 

 ぷらぷらと片手を上げて応えるランサーの後ろ姿に、厳しい口調とは裏腹に緩んだ口元をしたアイシャは、それが知られないように後ろの位置からは離れなかった。

 青い身体の線がはっきりとわかる、何処の国のものかもわからない奇妙な服を着ているランサーの姿は、どの位置から見ても絶景であった。

 そのため、ランサーを知る【イシュタル・ファミリア】の団員達の中では、特にアマゾネス達の中ではどの位置から見るかで派閥が出来ているほどである。

 アイシャとしては背後―――つまりは後ろ姿で。

 部位で言うところ、特にお尻が素晴らしいと、一人うんうんと頷きながら前を行くランサーを見ていた。

 そんな浮わつき、口元を緩ませていたアイシャであったが、不意に風が吹いたように誤魔化していた心の中に、さっと黒い影が差した。

 

 

 

 

 

 先程、ランサーが出てきた部屋は春姫の部屋だった。

 春姫の事を思い、影が差した心の中が、一層闇深くなった気がした。

 もしかしたらという思いがあった。

 絶望しかない。

 終わりが決められたあの少女の先に、小さな明かりが見えたかもしれない。

 そう思った時があった。

 この男(ランサー)が、あの女神(イシュタル様)に紹介された時。

 その時の、イシュタル様の様子から、姿から、何か変わるのではないかと、そんな考えが浮かんだ。

 それほどまでに、この男の纏う雰囲気は別格だった。

 不思議な男であった。

 近寄りがたいようでありながら、親しみを感じられて。

 恐ろしいと感じながら、暖かさを思わせて。

 魅了された。

 私だけじゃない。

 あいつ(ランサー)を知る【イシュタル・ファミリア】の女達は、全員があの男に魅了された。

 特に酷いのは、私たちアマゾネスの女達だ。

 確実に全員がこいつを誘っている。

 美形だからと言う理由じゃない。

 強いからだ。

 見ただけでわかった。

 この男は、私らが知る誰よりも強いと。

 そう、あのオッタル(都市最強)ですら、この男には及ぶまいと確信するほどに。

 だからこそ、強い男に惹かれる私ら(アマゾネス)は一目見た瞬間、この男に魅了されたのだ。

 とは言っても、あの女神(イシュタル様)の魅了とは違う。

 一度どろどろになるまで―――自分が自分でなくなるまで堕とされたからこそわかる。

 あんな呪いのようなモノじゃなく、自分の内側から沸き出すかのような、引き寄せられるかのような。

 きっと、物語で語られる英雄ってのは、こういう奴なんだろうなと、自然に思えてしまうような、そんな男であった。

 きっと色んな影響があるだろうなとは思った。

 少なくともこの男の取り合いで、荒れるだろうなという思いはあったが、予想に反してそういうのはなかった。

 皆無ではなかったが、大きな騒ぎになることはなかった。

 せいぜい、普段見かける客の取り合い程度でしかなかった。

 それもこの男の魅力の一つだろう。

 かくいう私も不思議なことに、一発相手をと誘いをかけたのだが、気付けば話している内に満足してしまっていた。

 初めての経験だった。

 だけど、それが思ったよりも悪くない。

 それは私だけじゃなく、他の女達もそうみたいで。

 少なくともあいつがここに来てから、誰かとやったみたいな話は聞いてはいない。

 どうしてもやりたいとか言っていた女もいたけど、正面から真面目に誘おうとしても何故か上手く誘えず、かといって女は度胸と襲いかかっても簡単にあしらわれ。

 ならば夜這いをかけてやろおうとしても、肝心の寝床がわからずじまいで。 

 今のところ成功した奴の話は聞かない。

 やっぱり駄目だったと、女達の嘆きとからかう笑い話が良く耳にするようになった。

 この男が現れる前までにはあった。

 昼と夜が逆転した街であり、男と女の欲望が渦を巻く、混沌としたこの歓楽街に満ちていた、どろりとした腐臭すら漂わせていた泥沼のような空気が、いつの間にか気にならないほど薄れていた。

 ぴりぴりとした。

 常に苛立ちを含んでいるような雰囲気を纏わせていたイシュタル様も、この男が来てからは、かつて時おりにしか見たことがない優しげな笑みさえ、良く見かけることになって。

 以前のぴりぴりとしたイシュタル様しか知らない若い奴は、何処かそれを見て戸惑っているのも良く見るようになった。

 そんな流れに押されたのか、あのフリュネ(ヒキガエル)でさえ、最近は大人しい。

 まあ、昨日はあの白兎をめぐって久々に暴れたけども、それでも中に別人が入ってんじゃないのかと思うほどに、最近のあの女は大人しかった。

 それもこの男が何かしたのかねぇと、前を行く尻から、尻尾のように背中で揺れる青い髪へと視線を上げながら思っていると。

 

「何さっきからじろじろ見てんだよ」

「っ―――別に良いだろ。伝言役の役得だよ。尻ぐらい見せな」

 

 突然足を止めて振り返ったランサーの言葉に、びくりと驚いて反射的に思考がそのまま口から出てしまっていた。

 

「尻ぐらいって―――オレの尻何か見て何が楽しいんだよ」

「はんっ、あんただって良く私らの尻を良く見てくるだろう。それと同じさ」

「そうかぁ? 全然違うと思うがな」

「へぇ……否定しないんだね」

 

 少し驚いた。

 以前から不思議には思っていた。

 この男と寝たという女がいないことから、イシュタル様が独占していると思っていたけど、本人いわくそういうこともないと言っていたから、女達の間では、もしかしたら女に興味がないんじゃないかと言われていたけど。

 誰が言うでもなくそうじゃないとは皆感じていた。

 その理由が、時折ランサーから視線を感じるからだ。

 その視線の先が、他の男とあまり変わらない位置だったから、この男がそっちの気がある奴じゃないと、自然と考えていたけど。

 私らの誘いを断る姿から、さっきの指摘は否定されると思っていたのに。

 

「あん? 何で否定する必要があんだ?」

「何でって、あんたが私らの誘いを尽く袖にするからだろ。そんな興味があるなら、あんたなら好きに出来るだろ」

「あ~……まぁ、それはそうなんだがな」

 

 ぽりぽりと頭を掻くランサーの姿を見ながら、心の何処かで冷笑する声が聞こえる。

 

 『娼婦をこんな男が相手するわけがないだろう』、と。

 

 別に私は自分の事を蔑んではいない。

 自分の生まれ(アマゾネスであること)も、娼婦という仕事も、誇りをもって生きている。

 だけど、それを受け入れられない―――認められない奴らがいることも、また知っている。

 歓楽街の外に出て、私が【イシュタル・ファミリア】の者である―――娼婦であることを知った瞬間に見せる、男達の目を、女達の目を。

 その目が気に入らない、煩わしいと、不快に思っていた時もあったけれど、今ではもう気にすることなどない。

 それがどうした、と鼻で笑ってしまう。

 しかし、今、心の何処かでこうして身構えてしまっているのは、そう思ってしまうのは、あの子の影響かと苦笑いしてしまう。

 あの夢見がちな、純粋で純心な。

 愚かで苛立つあいつのせいかと、そう笑って。

 だから、何気なく口にした。

 

「それともなんだ、娼婦の相手なんかはしてられないってのかい」

 

 まあ、多分はぐらかされるか、話を変えられるのではと思いながら、そう口にした言葉は―――

 

「は? それの何が関係あんだ?」

 

 心底意味がわからないとでも言うような、困惑した顔だった。 

 

「何がって……だって、ほら、あんたうちらの誰ともヤってないじゃんか」

「まぁ、確かにヤってはないな」

 

 その顔や声、態度から、ランサーは本気で私が言った言葉の意味が分からないようだった。

 その様子に、自分でも何故かはわからないが動揺する心のままに、それならばどうして私らの誘いを断るのかと聞いてみると、ランサーはため息を吐くようにしながら頭を一つ掻いて見せた。

 

「だから、その理由が私らが娼婦だからで」

「いや、そこがわからん。何で女を抱かない理由で娼婦が関係すんだ?」

 

 首を傾げて眉根を曲げて困惑を露にするランサーに、私は脳裏に『娼婦』を前にした奴等の姿が思い浮かぶ。

 

「……時々いるんだよ。汚い、穢れているって卑しい娼婦を嫌う奴がね」

 

 そうだ。

 意味がわからない。

 まあ、『歓楽街』の外にいる、まだまだ若い擦れていない女の冒険者ならまだわかる。 

 まだ男女の機微も、どろどろとした色や欲を知らない。きらきらとした夢見がちな女や、男がそういった対象である(娼婦)らを忌避するのは、今ならまぁ、何となくわかる。

 しかし時折いるのだ。

 女を買いに『歓楽街』に来たくせに、『娼婦』だというだけで下に見て、『汚い』や『穢れている』とのたまう馬鹿どもが。

 じゃあ、そんな(娼婦)を買いに来たあんたらは一体何様何だと聞いてやりたい。

 と、そう考えていると、

 

「はぁん……『汚い』、『穢れている』―――ねぇ」

 

 いつ近づいて来たのか、ランサーが目の前に立っていて。

 

「何だ―――ぇ?」

 

 すっと、自然な動きで私の首筋に顔を寄せて来て。

 

「―――良い香りだ。これの何処が『汚く』て『穢れている』のか。オレにはさっぱりわかんねぇな」

 

 すっ、と鼻を鳴らして私の首筋を嗅いできた。

 低い、少しの笑い混じりの声が、私の耳を震わせた。

 その振動は耳を通り越し、内側から私の体をぶるりと震わせ。

 一瞬にして、まるで強い酒を一気に飲み干したかのような熱が全身に走った。

 

「ちょ、あ、あんた……」

 

 喘ぐような私の声に、小さく含むような笑いで受け止めたランサーは、そのまま未練なんて欠片もない様子で私から顔を離していった。

 その飄々とした姿が、自分の明らかに余裕をなくした姿とあまりにもかけ離れていて。

 つい、顔どころか全身を赤く染めながらもランサーを睨み付けてしまう。

 それに対し、小さく肩を竦め、ニヤリとした笑みをランサーが返してくる。

 

「オレがお前らとヤらねぇのは、イシュタルがヤるなって言ったからだよ」

「は、はぁっ? 何だそりゃ。ど、どうしてイシュタル様がそんな―――」

 

 常々私らにあんだけヤれヤれ言っている癖に、どの口で、肝心な男にヤるなと言うのだと別の意味で顔に血が上る思いを抱いていると、ランサーはニヤリとした笑みを苦笑いに変え、何処と無く肩を落としてるような様子を見せた後、くるりと私に背中を向けて歩き出した。

 

「知らねぇよ。こっちもヤらねぇって誓ったからには、破るわけにはいかねぇもんでな。全く惜しい事をしちまったぜ。これがオジキなら自殺もんだな―――いや、オジキなら絶対に了承しねぇか」

 

 後ろにいる私に片手を上げてひらひらと振ってみせながら歩くランサーは、足が長いこともあって、あっと言うまに距離が離れていく。

 私は慌てて駆け出してランサーの隣に並ぶと、牙を向くようにして言い寄ろうとする。

 しかしランサーは、私が隣に立つと、ニッと笑みを向けると駆け出していった。

 

「ちょ―――ま、ら、ランサーっ!? だからそれは一体どういうことだって―――って、待てこらランサーッ!!?」

 

 あっという間に小さくなる後ろ姿を追うために駆け出した私の口元はきっと、緩んでいただろう。

 

 

 

 

 




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第七話 女神達の英雄

 赤焼けた空が黒く染まり。

 小さな星々と欠けた月が黒を彩る空の下。

 オラリオの中心にある白亜の巨大な塔の最上階にある一室。

 樫の木で出来た扉の先にあるその部屋の主人である一柱の女神が、深いスリットの入った黒いドレスから伸びる、大理石の如く白く滑らかな足を惜しむことなく大胆に組んだ姿で椅子に座っていた。

 都市の中心である摩天楼(バベル)の最上階に相応しい豪奢な部屋に合った見事な造りの椅子に腰掛けながら、その女神は―――美の女神たるフレイヤは、従者から注がれたワインが入ったグラスを揺らしながら、窓から差し込む月を見上げていた。

 金の輝きが窓からそそぎ、銀の髪が柔らかく浮き上がるように輝くその光景は、あらゆる者を魅了し虜にする程の魔性の色香があった。

 燻らせるワイングラスから聞こえる微かな音すら聞こえてしまうほどの静寂が満ちるなか、ポツリと、月明かりを見上げたまま、フレイヤが囁くように声を上げた。

 

「―――もう、大丈夫なの?」

「はい」

 

 問われた声に、応える声が一つ。

 それは腰かけるフレイヤの直ぐ傍。

 月光の輪から僅かに逸れた薄闇の中から聞こえた。

 気付いた瞬間驚くだろう。

 巨岩から削り出したかのような巌のような男がそこにいた。

 壁の如き巨躯を誇る男が、闇に溶け込むようにまるで気配を感じさせずに立っていた。

 オラリオ最強、否―――世界最強とも詠われる男、オッタルがそこにいた。

 

「不調と聞いていたのだけど」

「申し訳ありません」

 

 くるりとワイングラスを一つ回したフレイヤが、月明かりから視線を外し、揺れる赤い葡萄酒の水面に視線を落とした。

 

「そう」

 

 だが、その最強と言う名も、今は大分揺れていた。

 勇者(ブレイバー)―――剣姫(けんき)―――九魔姫(ナイン・ヘル)―――他にも様々に最強に上げられる者達は多くいるが、その中でも一際名高かったのが猛者(おうじゃ)と呼ばれたオッタルであった。

 ―――そう、()()()()()、だ。

 揺るぎなかった筈のそれが、大きく揺れる事件があった。

 これまでも確かにそれを揺るがすような事はあったが、少し前に起きたそれは、今までのものとは決定的に違った。

 そう―――敗北という形で。

 腕を断ち切られ、死の寸前まで追いやられた。

 実際、後少しでも手当てが遅れていれば危なかったという。

 それほどまでに、この猛者(オッタル)を追い詰めた存在が、なんとまさかの冒険者ですらない(レベル0)だと言うのだからとんでもない。

 だが、そのオッタルを倒した者が、次の確固たる最強者であるのかというと、それもなくなってしまった。

 だというのも、その男は―――佐々木小次郎と名乗る男はもういないからだ。

 とある男。

 少し前から色々な意味で、この都市(オラリオ)で噂になっていた男が倒したからだ。

 その戦いは、戦争遊戯(ウォーゲーム)という形で、オラリオ中の者がその目で見た。

 勿論、フレイヤもその目で見た。

 決着の瞬間を、世界が斬り裂かれ、斬り抉られるその光景を。

 神として生まれ。

 気の遠くなるような時を過ごした中であってさえ、見たこともないその光景は、オラリオ中の人よりも寧ろ、その意味を知る神を熱狂させた。

 あれは誰だ、何者だ、と。

 だが、あれから暫く過ぎたというのに、全くと言って良いほどに情報は上がってこない。

 それを成した一人は、黄金の光の中に消え、もう一人は最近目を覚ましたというが、それに関して話そうとせず。

 関係者に聞こうとしても、本当かどうか何も知らないと言う。

 ただ強い。

 それだけしかわからない中、しかしその影響は大きかった。

 【フレイヤ・ファミリア】にもその影響はあった。

 あの戦いの後、これ以上ないだろうと思われた『戦いの野(フォールクヴァング)』での訓練が、更に熱を増した。 

 死闘染みた訓練のそれが、真に死闘となり。

 既に再起不能だけでなく死亡者も出ていた。

 その熱に当てられた中には、勿論ファミリアの団長たるオッタルも含まれていた。

 だが、最強(レベル7)となってから初めて死の間際まで追い詰められた事が理由か、それともあの戦いを目にした事が理由なのか、それともまた別に何か理由があるのか、最近のオッタルの様子がおかしいという話を、フレイヤは耳にしていた。

 具体的に何がおかしいのかはわからないのだそうだが、訓練もその様子も何時もと変わらない。

 圧倒的な強さで周りを蹴散らし、ただひたすらに己を鍛える姿は何時もと変わらないが、何かが変であるという。

 フレイヤもその話を耳にし、オッタルの様子を見ていたが特におかしな所はなかった。

 だが、やはり何か違和感のようなものを感じたのは、確かであった。

 フレイヤもそれを形にすることは出来なかったが、気にするほどのものではないと判断し、そのまま放っておいていた。

 むしろ、今はそれに意識を向ける余裕はなかった。

 とある男神からもたらされた情報。

 自身が焦がれる少年の事を、ある女神に知られたと言う。

 フレイヤは迷っていた。

 どうするか。

 一番大事なことは揺るがない。

 やるべき事もわかっている。

 行動を起こすことに躊躇いはない。

 だが、動けない。

 少し前までは、そう、精々半年前までは、こんな事はなかった。

 気軽に、それこそ都市を飛び出すことさえ気ままに行動することすら出来たのに、今は、一つ何かしようとしても、それがどう動くのかが掴めず、どう何に影響するのか把握することが出来ず迷いが生まれてしまう。

 それはフレイヤだけでなく、あの自由気ままに遊び回っているように見える男神(ヘルメス)でさえそうであった。

 この間会った際も、何時もの飄々とした姿の中に、以前は感じられた余裕のような余分が消えていた。

 イレギュラーが多すぎるのだ。

 暇を持てあまして地上に下りてきた神々に取って、知らない、分からないという未知―――異常事態(イレギュラー)というのは避けるものではなく歓迎するものの筈であるのに、それを受け止められないでいる。

 確かにあの戦いを目にして騒いでいる神は多くいる。

 どちらかと言えば、それが大多数ではあった。

 だが、少しでも目端の聞く神であれば、興味や楽しみは確かにあるだろうが、その根底には警戒が確かにあるのだ。

 それがどう影響するのか分からず、流石のフレイヤであってもヘルメスからもたらされた、ベル・クラネルに執心している事実をイシュタルに知られたという事に対する対応に動けずにいた。

 己に一方的に敵愾心を向けるもう一柱の『美の女神』について考える。

 何時の頃からか覚えてはいないが、その殺意にも感じられる嫉みに対し、これまでフレイヤは対応を取ったことはなかった。

 そんなことは、フレイヤの意識を捕らえるようなモノではなかったからだ。

 周囲の者達を押さえる方が、よっぽど気を取られる程度のものであった。

 それが、自分の一番大事な、柔らかで暖かな場所に乱雑に乗り込もうとしている。

 それを思うだけで、胸がざわつく。

 白い彼。

 初めてその存在を知った時から決めていた。

 絶対に手に入れると。

 それは確定的な絶対事項で。

 揺るがないことであった。

 例え今現在、別の【ファミリア】にいたとしても、それは関係ない。

 最終的に自分の手元にあればいいのだから。

 まるで物語の英雄のように、強く、その輝きを増しているその姿を見ているだけで、心が満ちているのを感じられた。

 まるで初めて恋を知った少女のように高鳴る鼓動を感じながら、少年の事を想うフレイヤは、ワイングラスを傾けその紅を口に含む。

 するりと甘さが喉に流れ込み、吐息を一つ。

 

「―――あなたは、私のモノよベル・クラネル」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――っぁああ~~~……」

 

 白い雲が幾つか数えられる空の下、長い長いため息が糸を引くように響いていた。

 周囲に建物の残骸が散らばる廃墟の中で、元は何処かの塀だったと思われる膝下程しか残っていないモノの上に腰を下ろした一柱の女神がそこにいた。

 頭の上で二つに分けて垂らした長い黒髪を揺らしながら、自分の膝上に両肘を置き、組んだ両手の上に顎を乗せた格好で長いため息をつき終えた女神―――ヘスティアは、ため息をついて、胸の中で渦を巻く何かが僅かでも軽くなったのか、視線を上げると流れ行く白い雲を視線で追った。

 

「ほんと、どうしよ」

 

 ぽつりと誰にも言うでもない独白は、鉛染みた疲れが感じさせる。

 ヘスティアの瞳は空を行く雲を映してはいたが、その意識は別のモノに捕らわれていた。

 それはついさっき、朝帰りした自分の『ファミリア』の者に対しての説教を終えた後、それぞれから話を聞いていた時の事であった。

 何でも事の発端である命が歓楽街に行った理由である、歓楽街にいたと聞いた故郷の友人が何と、シロ本人が曰く、緊急避難的な行動の結果一緒にいることになった娼婦その人であったというのだ。

 まさかという感じで互いの情報を擦り合わせた結果、間違いないとわかるや否や、命はまたも歓楽街へ向かおうとしたが、それは流石に皆から止められていた。

 まあ、朝となり、夜に開く歓楽街は閉じているだろうから今行っても意味はない。

 しかしそうは言っても命にとってはようやく手にいれた手がかりだ、逸り焦るその様子にこのままでは何をするか分からないと判断したヘスティアは、まずは無断で行動したことなどに対する罰として、全員に奉仕活動を命じた。

 時間稼ぎと落ち着かせるための時間を与えるためのそれを、シロをお目付け役にした後、皆を本拠(ホーム)から追い出したヘスティアは、後ろから後を追いかけて暫く勝手な行動を取らないかと様子を見て、これなら大丈夫だと判断した頃には、日は大分傾いていた。

 今はまだ青い空ではあるが、太陽は間もなくオラリオを囲む高い壁の向こうに消えかけている。

 直ぐに青から赤へと空は変わっていくだろう。

 そんな事を頭痛を紛らわすように、ヘスティアはぼんやりと思い浮かべていた。

 最後に確認した時は、命は大分落ち着いているようには見えた。

 しかし、あの様子では確実にその友人とやらに会いに行くために歓楽街に行くのは間違いない。

 行くだけなら問題はないが、無理矢理助け出そうとする可能性がある。

 まず間違いなくそれは失敗するが、最悪下手をすれば【ファミリア】同士の争いになるかもしれない。

 リリもそれを恐れているらしく、奉仕活動中にそれについては何度となく命に警告している様子が見られた。

 命は一応はそれに理解を示していた様子ではあるが、どうなることやら。

 そんな心配がまたも胸の奥から鎌首をもたげ、ヘスティアの歪んだ口元の隙間から小さなため息が漏れた。

 

「っはあぁ、全く次から次に……」

 

 命の事は大きな問題ではあるが、他にもヘスティアの頭を悩ます事は多い。

 借金もそうではあるし。

 最近何かとうるさい他の神の連中もそうであり。

 あの『戦争遊戯』からこっち、落ち着く暇がなかった。

 だが、しかし、何よりもヘスティアの頭を悩ましていたのは、自分のファミリアの一人であり。

 多くの問題の中心にある男の事であった。

 

「―――どうしたら、いいのかな」

 

 『戦争遊戯(あの戦い)』の後、死んだように眠りについたシロをヘスティアはミアハに診察させた。

 その結果は―――不明。

 『分からない』―――シロを診たミアハは、そう口にした。

 何故、目を覚まさないのか。

 何故、()()()()()()()

 脈はある。

 呼吸もしている。

 肌には暖かみがあり、鼓動もはっきりとしている。

 しかし、眠るシロは恐ろしいほどまでに()()()がなかった。

 少し意識を別に移せば、目の前にいる筈なのに見失ってしまうほどまでに。

 まるで肉体とは別のナニかが、砕けてしまったかのようで。

 その事にベル達も何となく気がついていたようではあったが、ただの気のせいだとそこまで気にする様子はなく。

 シロが目を覚まさない理由も、その存在感の薄さの原因もなにも分からないと、そうミアハは申し訳なく告げた。

 このまま目を覚まさずに、何時の日か佐々木小次郎(シロが戦ったあの男)のように消えてしまうのではないかと、ヘスティアはあれから殆どシロの傍から離れようとはしなかった。

 幼子が親にすがるように、または母親が眠る子を安心させるように、シロが目を覚ますまでの間、殆どの時間を手を握って過ごしていた。

 幸いにも、シロはヘスティアの手から消える事なく目を覚ました。

 その時には消え入ってしまいそうな存在感の薄さも弱まっていて、ずっと眠っていたとは思えない程に元気に動き回り、ベル達を鍛えたりもしていた。

 けれど、時折ふと、思い返したようにシロの存在感が薄れていることがあった。

 シロにそれとなく聞いてみても、特に何もないとばかり口にして、それが本当なのか、それとも誤魔化しているのかは、ヘスティアでもわからなかった。

 しかし、シロの問題はそれ(存在感の消失)だけでなく。

 シロが失踪する前からの問題もまた、解決していなかった。

 それは、『ステイタス』の更新。

 シロが目を覚まし、ある程度落ち着いた日に、(他のファミリア達)に黙ってやったステイタスの更新はやはり失敗に終わった。

 以前と同じく。

 いや、それ以上だった。

 ヘスティアが更新のために流した(神血)を拒絶するように弾かれ、溶け込むように染み込む筈の(神血)はただシロの背中を汚しただけであった。

 シロが【ヘスティア・ファミリア】であるという僅かな痕跡は、ただその背中に刻まれたモノだけで。

 その上を流した血がすがるように垂れていくのを、ヘスティアは涙で滲む瞳で見つめていた。

 ステイタスの更新が出来ない。

 そんな事は、聞いたことがない。

 神が地上に降りてきてから長い時が過ぎたが、そんな話は噂でも聞いたことがなく。

 ヘスティアよりも多くの事を知るミアハもまた、知らないと言う。

 何せ絶対にないと言っても良いほどに有り得ない事であるからだ。

 何故なら『ステイタス』とは『神の恩恵(ファルナ)』とも呼ばれ。

 神と契約することで、形となる筈のない『経験』を己の『力』とし、様々な能力や可能性を形として現出させる人智を越えた力である。

 それが拒絶される事など有り得ない―――筈であった。

 しかし、現実としてシロの『ステイタス』は更新できず、ただ残滓のようにその背中に形だけ刻まれていた。

 分からないことだらけであった。

 それでも、ヘスティアだけが知らないという話ならそれで良かった。

 だけど、それだけじゃない。

 最近、知らないことが、わからない事が起きすぎている。

 未知だ、知らない事だ、不思議だ不可思議だと他人事のように喜ぶ神々であっても、困惑するような事が続いている。

 佐々木小次郎。

 あの男もそうだった。

 『神の恩恵(ファルナ)』を受けていないにも関わらず、神すら理解しがたい力を示したあの男。

 死体すら残さず、まるで黄金の光に溶けるように消え去った謎の男。

 そして、その男はまず間違いなくシロと関わりがあって。

 そもそも、そのシロ自身の事すら何もわかっていないのだ。

 出会ってから、まだ半年も経っていない。

 離れていた時期もあったが、そうであっても、もう何年も一緒にいるようなそんな感じがするほどにシロの存在は馴染んでいて。

 記憶がない。

 その言葉を聞いて、何度か、それとなく尋ねた事はあった。

 しかし、実のところそれは答えを期待していたわけではなかった。

 ただ、ヘスティアは安心したかっただけなのだ。

 尋ねる度に『わからない』と否定する言葉を聞きたくて。

 何かを思い出して、ここ(ファミリア)から離れていく事を恐れて。

 シロがいなくなった時、怒りがあった、悲しみもあった、寂しさもあった。

 そして、やっぱり、という思いもあった。

 何時の日か、ふと、消えるようにいなくなってしまうのではないかという思いが、常にあったから。

 

 

 

 ―――だけど。

 

 

 

 風が吹き、細めた瞳の中で茜色が一瞬走り―――闇の中に溶け込んだ。

 

 本当にいなくなってしまうとは、決して思わなかった。

 だから、不安がるベル君に大丈夫だと自信を持って答えていた。

 ボクの傍からいなくなってしまう何て事は、本当の本当に―――思わなかったから。

 確信があった。

 シロ君は決していなくなったりしないって。

 だって、ボクは覚えてる。

 

 周囲が闇に沈んでいく。

 灯り始めた明かりは遠く、瓦礫に満ちたここには届かない。

 次第に空に輝き始めた星々と、沈んだ太陽を追うように昇り始めた月だけが、僅かに照らし出している。

 ぼんやりと、浮かぶこの瓦礫の中で、目を閉じる。

 

 思い出すのはあの時。

 決して忘れないあの日―――あの時の光景。

 伸ばした手を掴んでくれたあの時。

 ボクは確かに見た。

 眩いばかりの月の光に照らされながら、ボクの手を取ってくれたシロ君が浮かべていたその顔は―――。

 だから、大丈夫。

 いなくなったりなんかはしない。

 

「だって」

 

 手を伸ばす。 

 光出した僅かに欠けた月に向かって、広げた手をあの日のように伸ばして。

 

「君は、ボクの【ファミリア】なんだから―――ね、シロ君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バルコニーの欄干に身体を寄せて視線を落とせば、そこには眩いばかりに数えきれないほどの魔石灯が輝き、まるで地上に広がる満点の星空のようで。

 負けじと夜空に星々と少し欠けた月が照らし出す地上から響く騒々しい男と女の嬌声も、空に近い宮殿の最上階に位置するそこには、川の小波よりも小さく聞こえていた。

 手摺に手を添えた姿で、目を細めてこの光景の全てを治める女神(イシュタル)は、何処か懐かしげに目を細めると、片手に掴んでいたグラスを持ち上げて口に着けた。

 

 そう言えば、あの日もこんな夜だった。

 あれは、もう何年も前のことのようにも、または、つい昨日のことのようにも思われた。

 実際は、一月もまだ経ってはいないが、それほどまでに衝撃的な出会いだった。

 あの日は、そう―――かなり苛立っていた。

 理由はあの頃の何時もの苛立ちの原因であるフレイヤの事だ。

 細かいところは覚えてはいないが、確か偶然街中で出会って何か言い争いをしたのだったか。

 どうその言い争いが修まったのかは覚えてはいないが、不満の残る終わりだったのだろう。

 我ながらかなり苛立っていて、夜中になっても苛立ちは収まらず。

 ますます募るばかりで、だから、少しでも気を粉らわせるために、秘蔵の酒を持ち出したのだ。

 その酒の名は『神酒(ソーマ)』。

 それも時折外へと出される失敗作としてのそれではなく。

 【ソーマ・ファミリア】の中でだけ消費される筈の、神さえ酔わせると詠われる正真正銘の『神酒(ソーマ)』であった。

 それは随分と前に、【ソーマ・ファミリア】の団員の何人かを誘惑して落とした後、持ち出させたもので。何人か失敗はしたが、一瓶だけ女神の魅了と『神酒(ソーマ)』の誘惑に揺れながらも何とか持ち出せた秘蔵の酒であった。

 『神酒(ソーマ)』の名は伊達ではなく、あらゆる快楽に慣れ親しんだ筈のこの身であっても、続けて呑むには少しばかり恐ろしさがあるほどのモノであったから、それを呑むのは本当に時々であり。

 そのため、瓶の中にはまだ半分以上『神酒(ソーマ)』が残っていた。

 そんな酒瓶とグラスを片手に、バルコニーに出て。

 酒瓶の蓋を開けてグラスに注ごうとした時だった。

 

「―――そんな顔して呑むんだったらオレにくれねぇか」

 

 あの男と出会ったのは。

 全くの気配のない場所から聞こえた声に、驚愕して顔を向けた時、私の世界は白く染まった。

 そう感じてしまう程の未知が、そこにはいた。

 青い、肌に張り付くような衣服を身に纏った男が、欄干の上に両足をついて猫のように立っていた。

 右手に掴んだ紅く染まった槍を肩に乗せ、頭

の後ろで一つに縛った長髪が、尻尾のようにバルコニーに吹く風に揺れていた。

 その格好も、手に持った武器も目を、意識を奪うには十分なインパクトはあった。

 しかし、それ以上に目を惹いたのは、私の意識を奪ったのは、その紅い瞳。

 まる裸のまま、草原に一柱(ひとり)取り残された状態で、巨大な狼を目の前にしたかのような恐れ(畏れ)と驚愕。

 固まったまま動かない私に、そいつはニヤリと一つ口を歪めると、からかう調子で話しかけてきた。

 

「それ、その匂いからして神酒の一種だろ。んな不機嫌な顔して呑むにはもったいねぇだろ」

 

 すっと、音もなく欄干から降りた奴は、一歩私に近付いてきて。

 その姿に、咄嗟に私は後ろに下がってしまっていた。

 恐れるように、怯えるように、興奮するように。

 何故なら。

 

「―――っ()()、お前は?」

「あん?」

 

 ()()()()()()()()()()

 その男が、()()()()()()()()()()()()()()()

 神は、見間違わない。

 神は、目の前にいる者が神であるのか人であるのかを間違えることはない。

 人は、目の前にいる者が神であるのか人であるのか分からない事がある。

 神がその神としての存在感を消せば、人の目では神と人との判断はできなくなってしまう。

 しかし、神の目は、例え相手がどれだけ神としての存在感を消そうとしても、誤魔化そうとしても()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そう、その筈なのに。

 

「おま、えは―――『神』なのか? それとも『人』なのか?」

 

 そいつがそのどちらなのか、私には分からなかった。

 

「へぇ―――さぁてな。あんたにはどっちに見えるんだ?」

「それは―――」

「まぁ、どっちでもいいか、そんな事は」

「っ」

 

 気付けば奴は、私の手から神酒の入った酒瓶を盗み取っていた。

 まるで魔法のように奪った酒瓶を一嗅ぎすると、なんの躊躇もする事なくぐいっと口を着けて仰いだ。

 

「馬―――お前何を―――っ?!」

 

 それは自殺行為そのものだった。

 たった一口で神さえ酔わせる事が出来る『神酒』である。

 常人ならグラス一つ飲み干せば心が蕩けてしまい、もう帰っては来れなくなってしまう。

 冒険者であっても、例え高レベルの者であったとしても、一気に飲んでしまえば下手な毒よりも、いや、毒でない分更に厄介だ。

 咄嗟に手を伸ばした私の目の前で、大きくぐびりと喉を鳴らしたそいつは、ゆっくりと酒瓶から口を離して。

 

「っかぁ~~うめぇ!」

「な―――」

 

 感嘆の声を上げた。

 その口調から、その瞳からは、神酒を飲んで堕ちた者に見られる淀んで澱んだ気配は欠片も感じられず。

 ただちょっと良い酒を呑んだかのような、そんな姿で。

 

「何とも、ないのか?」

「はぁ? そんなに強い酒かこれ? この程度で酔いつぶれるような奴ぁいねえだろ、ほれ、あんたも呑みな」

「ちょっ」

 

 無造作に傾けてくる酒瓶に反射的にグラスを差し出すと、奴は無遠慮にどぼどぼと神酒を注いできて。

 呆然とする私に笑いかけては、神酒が入った酒瓶に口を着けては無邪気とも言えるようなそんな顔で笑って。

 それを見ているうちに、知らず私の顔にも苦笑染みた笑みが浮かびはじめ。

 

「は―――そうだ、それだ。湿気た(つら)で呑むんじゃねぇよ。酒を呑む時はそんな風に笑って呑むもんだ」

「は? 笑って」

 

 頬にやった手のひらには、確かに笑みの形に持ち上がった感触が。

 それは普段、周りに魅せるために意識して浮かべるそれではなく。

 『美の女神』として浮かべたそれでもなく。

 何時ぶりか、我知らず浮かんだものであって。

 

「―――ふ」

「あ?」

「はははははっ」

「何だ? 呑まずに酔ったか?」

「ああ―――そうかもしれないね」

 

 いつの間にか胸に渦巻いていた苛立ちは霧散していて。

 ただ、腹の底から震える笑いが口から漏れて。

 小娘のように目尻に涙を滲ませながら笑い声を上げた私は、グラスに入った『神酒(ソーマ)』を一気に飲み干した。

 それは確かに『神酒(ソーマ)』であり。

 神の意識すら酔わし溶かしかねない力のあるそれで。

 酔って堕ちて行こうとする意識を、神としての矜持で押し止め。

 たった一杯で幸福感で酩酊しかけて歪む視線の先で、飲み干す勢いで、しかし確かな意志ある目のまま酒瓶を傾ける彼がいた。

 一体何者なのか。

 神すら溶かす『神酒(ソーマ)』をまるで安酒を呑むように気軽に口にするなど、冒険者どころか神ですらいないだろうに。

 しかし、そいつは確かにそこにいて。

 だけど、あまりにも現実離れたその男に、目を離せばもう二度と会えない気がした。

 だから―――。

 

「あんた、景気よく呑んでるけど、その酒幾らするかわかってるのか」

「……あ~、やっぱまずかったか?」

「それはもう、二度と手に入らないかもしれないものだよ」

 

 片手に持った酒瓶を振るうと水音が微かに鳴り、その音から残りの量を悟って浮かべた苦笑いを私に向けてきた。

 

「そりゃ、困ったな。で、どうする?」

 

 困った様子で、しかし楽しげな声でそう尋ねて来たから、こちらも満面の笑みで返して告げて上げた。

 

「勿論、身体で払ってもらおうか」

「あ~……それは色々と怖そうだな」

 

 普通そんな事を言えば、どれだけ自制心のある男や神であっても喜んで飛びかかってくる筈なのに、そいつはただ酒瓶と槍を持った手を横に軽く広げ、おどけるようにそう口にした。

 その時、何故か私は断られてたというのに、驚く事も、苛立つ事も、不満に思うこともなく。

 ただ、口元に浮かべていた笑みを更に深くしていた。

 

「断れると思ってるのかい?」

「さて、ただこういった誘いに乗るのはヤバイって色々と経験があってな。それに野暮用があってな。そんな事に煩ってる暇はないんで」

「へぇ、野暮用ねえ。で、それって?」

「ま、色々とあるんだよ」

 

 肩を竦めて首を横に振るその顔は、何処かからかうような仕草でありながら、こちらを見つめる瞳に宿る強い紅光には油断ならないモノがあった。

 それをゆっくりと宥めるように、柔らかな動作で更に一歩詰め寄って、何でもないことのように私は提案した。

 内心では激しく動揺する心を、意志と意地で決して表に出さず。

 

「ふぅん……ねぇ、ならそれなら暫くここにいないかい?」

「は? そりゃどういう意味だ?」

「ただ歓楽街(ここ)を拠点にしないかってだけの話だよ。勘だけど、あんたは何処かの【ファミリア】に所属してるってわけじゃないんだろ」

 

 欄干に僅かに身体を寄せながら、楽しげにこちらを見てくる彼に引かれるように、更に一歩を進める。

 まだ、遠い。

 手を伸ばしても指先すら掠りはしない距離。

 

「まあ、そうだな」

「で、その用事とやらが終われば、少しは暇になるんじゃないか」

「否定はしねぇな」

 

 小さく一つ頷く。

 

「なら、その用事が終わったらでいい。こっちの用に力を貸してくれないか?」

「はん?」

 

 一瞬訝しげな目をしたが、直ぐに視線で続きを促してきた。

 それに合わせ、一歩更に歩み寄って口を開く。

 

「あれだったら、あんたの用とやらにも手を貸すが―――どうだい?」

「……っは、いいぜ。そうだな、それも悪くねぇ」

 

 すっと、一瞬だけ目を閉じた奴は、その一時で結論を出してしっかりと頷いてみせた。

 その時、私は胸から溢れた歓喜の衝動のあまり、堅く固めた筈の(仮面)がひび割れ、そこから笑みが漏れたのを我ながら自覚していたが、それすら気にはならないほどの歓喜で私の全身は満ちていた。

 それこそ、これまでの神生(じんせい)でも覚えが無いほどに。

 今にも鼻唄を歌いそうな、いや、実際歌っていたかもしれない私をにやにやと見下ろす奴に気付いた私は、直ぐに切り替えるように一つ咳払いをすると、頭に浮かんだ重要な懸念に対処するための事を告げた。

 

「契約成立だ。ああ、ただ一つ条件があるんだが」

「あん? 条件だ?」

「ここは私が治める『歓楽街』で、色んな子がいるんだけどね。せめてそっちの用とやらが終わるまでは、ここの子に手を出さないでくれないかい」

 

 普段ならばそんな事は口にしなかった。

 逆に女達をけしかけて決してここから離れなくさせていた。

 別に嫉妬とかそういうものではない。

 ―――ない筈ではある。

 しかしそれは重要なことだった。

 この男は危険であると、神としてというよりも、女の勘として告げていた。

 そう、この男は魅力的すぎると。

 特に【イシュタル・ファミリア】に数多く在籍する『アマゾネス』の女達にとっては、毒にも成りかねないほどの魅力がこの男にはあったからだ。

 そんな、普通の男なら不満を持つだろう提案に、しかしやはりというか、拍子抜けというか、特に何の未練も感じさせずにそいつは了承した。

 

「ま、別に構わねぇが、理由を聞いてもいいよな?」

「うちの娘達の仕事に支障が出そうでね」

 

 もし、娼婦の誰かと関係を持ってしまえば、きっと―――いや、絶対にその娘はこの男に溺れてしまうという確信があった。

 それは、もしかしたら―――。

 

「はっ、了解了解。いいぜ、誓ってやるよ。『オレの用件が終わるまではここの女には手を出さない』ってな」

「そう、ならこれは―――」

 

 だから、あと一歩まで近づいた時、私は更に一歩を進めてしまったのだろう。

 もしこれが、何らかの害意を持ってのものだったのならば、きっと奴は確実に避けていたか、防いだ筈だった。

 しかし、それはただただ純粋な、心のままに動いたものであり。

 『美の神』としての自然な動きで。

 男であれば決して避けられないモノであって。

 だからこそ、これほどの男でもそれを止められなかったのだろう。

 

「―――っ」

「詫びと礼だ」

 

 唇が奴のそれに触れた時、確かに私は全力だった。

 その一瞬で、これまでの最高をそこに込めた。

 それは最高の冒険者であっても。

 それは至高の神であっても。

 男ならば一瞬で蕩けさせ堕とす事の出来る程の『魅了()』が込もっていた筈なのに。

 

「っ―――は、だから女神って奴は油断がなんねぇな。これはオレから手を出してねぇから問題ねぇよな」

 

 こちらを見下ろす彼の瞳には、変わらずその血のような紅の瞳と輝きがあって。

 

「――――――」

 

 間近でそれを改めて見た私の心臓が、大きく―――大きく一つ鳴った。

 まるで心臓を槍で貫かれたような痛みが、大きな鼓動と共に走って。

 全身に血潮が一気に巡り、茨のように痛みが身体中を斬りつけて。

 顔が血に濡れたように紅く染まっていくのを自覚して、だから、それを隠すように一歩後ろに下がって私はそいつに背中を向け誤魔化すように聞いたのだった。

 

「はは、そうだねぇ……ああ、そういやあんたの名前―――聞いてなかったね」

 

 

 

 

 

 その問いに、『槍人(ランサー)』と答えた奴との日々はそれから始まった。

 危惧した通り、その男を知った女達は仕事が疎かになるほどに夢中になっていた。

 今は大分落ち着いてはいるが、もしも、あの時奴と約束していなければ、今ごろどうなっていたのかと思うと、少し憂鬱になってしまうほどだ。

 そんな事を思い、グラスを傾けて残っていた酒を空にすると、口元に笑みが浮かんでいることに気付いた。

 こうやって、自然と笑っている自分がいることを、我ながら不思議に思う。

 今までも、機嫌の良い時はあった。

 しかし、こんな穏やかとも言えるものはこれまでになく。

 何処か、気恥ずかしい。

 誤魔化すように、夜景に背を向けて一つ伸びをする。

 良い感じに眠気が来て、ベッドに寝転べば直ぐにでも寝れそうだ。

 それが、楽しみ。

 そう、楽しみなのだ。

 最近は、寝ることが楽しみになっていた。

 それは、寝ること自体が楽しみではなく―――その時に見る()が楽しみだった。

 あの男(ランサー)と出会ってから何時の頃か、見るようになった奇妙な夢。

 場面は途切れ途切れの飛び飛びで、しかしそれでも一つの物語であることは間違いではなく。

 とある男の―――英雄の物語。

 神と人との間に生まれた男の波乱に満ちた生涯(英雄譚)

 

 決闘―――戦争―――競争―――争い―――陰謀―――嫉妬―――愛―――

 

 目まぐるしく怒濤のようなその生涯に、私は圧倒され魅了された。

 その時々に魅せる彼の姿の虜となった。

 今宵は一体どんな物語()が見れるのか。

 

「楽しみだ。なぁ―――」

 

 高鳴る鼓動に身を任せ、瞳を閉じる。

 紅い槍を持って戦場を駆ける彼の背中を追う。

 風よりも速く大地を駆け、どんな戦士や英雄よりも輝く彼を、その物語()に現れる者達はこう呼んでいた。

 

 

 

「―――クーフーリン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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第八話 それぞれの思い

 

 

『知っているぞ、淫蕩のバビロン! 貴様が犯した悪行の数々を! 一体何人の男を誘惑し、陥れ、悲惨な末路へと導いた!? 恥を知るがいい、妖婦め!』

 

 

 

 それは、とある物語の一節。

 娼婦が愛を唄い、懇願するも、それを主人公である英雄が断罪の言葉と共に切り捨てる場面。

 男を誘惑する淫らな姿を()せる娼婦を、揺るがぬ姿勢で拒絶する姿を見て(読んで)、昔の僕はその時一体何を思ったのだろうか。

 幼いまでも、惹かれる娼婦の艶姿に見惚れていたのか。

 それとも、その娼婦の誘惑に微塵も惑わされることのない英雄(正義の味方)の姿に、憧れや尊敬を抱

いていたのか。

 

 ―――もう、覚えていない。

 

 たくさん読んだ色々な英雄譚の一ページ(シーン)

 それを思い出すことなんか、少しでも覚えていたことを思い出すことなんか、きっとあんな事がなければ思わなかった。

 神様に罰として命じられた奉仕活動の最後で、神様以外のみんなで集まってやった書店の手伝い。

 そこで見つけた懐かしい本の数々の中で、それを手に取ってしまったのは、きっと命さんの話を聞いてしまったからだと思う。

 故郷での大切な友人。

 短い時ではあったけれど、確かに互いに大事に思いあった友人だったと、命さんはそう言っていた。

 孤児と高貴な身分の子供。

 立場に大きな違いはあったけれど、共に遊んで、笑いあって―――そして、理由もわからず会えなくなってしまった。

 ただ、勘当されて屋敷から追い出されたということしか分からず。

 そうしてそのまま、何もわからないまま故郷を離れ、それでも世界の中心とも言われるオラリオ(ここ)ならと、探し続けた所に、娼館で見たという情報を手に入れて。

 そして、シロさんの話を聞いて、命さんのそれは確信に至った。

 命さんがずっと探していた友人の―――春姫さんが、娼館(そこ)にいることを。

 でも、わかったとしても、どうしたら良いのか。

 どうしたら、そこから春姫さんを助け出せるのかが分からない。

 命さんは、直ぐに助けに行こうと飛び出しそうな様子を見せていたけれど、リリから『絶対にその狐人(ルナール)の方を助けにいこうとは、考えないでください』と、きっぱりと釘を刺されていた。

 僕たちは、あの【戦争遊戯(ウォーゲーム)】で奥の手も何もかも全て見られてしまっている。

 それに何より相手は【イシュタル・ファミリア】。

 騙し討ち同然な手を使っても、ぎりぎり戦えたあの【アポロン・ファミリア】よりも数段格上の相手であり。

 奉仕活動の途中で会ったエイナさんからの話でも、レベル5を含む一級冒険者がそろった一戦級の【ファミリア】で、過去もこれまでも色々と後ろ暗い噂が有りながら、今も隆盛を誇る有力な【ファミリア】だと言っていた。

 つまり、どうあっても正面から挑むわけにはいかないと言うことだ。

 例え―――そう、シロさんがいたとしても。

 もしかしたら、シロさんがいればどうにか出来るかも、と思ったのは僕だけじゃなくて、命さんも一瞬すがるような視線を向けていたけれど……ベッドで死んだように眠りに落ちたシロさんの姿が思い浮かんで、馬鹿な考えを直ぐに振り払った。

 例えシロさんが規格外の力を持っていたとしても、どんな相手と戦っても勝てるとは―――無事とは限らない。

 あのシロさんと戦った男の人のように、相手がどんな切り札を持っているのか分からないのだ。

 シロさんに頼りきって身勝手に頼み込むのは絶対に間違っている。

 命さんも同じ思いだったのか、あの時も直ぐに恥じるように顔をしかめて直ぐに視線を逸らしていた。

 だけど、そうは言っても。

 リリの言う通り、【イシュタル・ファミリア】と争うのは問題外だと言うのはわかるけれど。

 それでも、焦燥感を感じているのは、自分の不甲斐なさを感じるのは、春姫さん(その子)の境遇を聞いてしまったから。

 話を聞いただけの僕でもそうなんだ。

 友達でずっとその消息を心配していた命さんのことを思えば、唇を噛みきりそうなほどに、耐えるその姿を見れば見るほど、僕も何か出来ないかと、何かしなければという思いに囚われてしまう。

 そして……そんな時に見かけたのが、あの(英雄譚)だった。

 春姫さんは、僕たちが行ったあの歓楽街の中で娼婦として働いているそうだ。

 シロさんが話してくれた。

 僕を逃がしてくれた後で、シロさんが逃げ込んだそこで、娼婦として働く彼女と会ったと言う。

 

 娼婦―――それはこれまで読んできたたくさんの物語の中で、『破滅』の象徴として描かれている存在で……だから、僕の中にあって何となく『娼婦』とは『悪』、『危険』、『破滅』というモノと近く感じていて。

 昨日初めて『歓楽街』(あそこ)に行くまでは、『娼婦』何て話で聞くぐらいしか知らず、その存在は知ってはいても見たこともなく……。

 それこそ『物語』の登場人物のようにも感じるほど……僕には縁遠い存在だった筈なのに。

 実際に『歓楽街』(あそこ)へ行って、そして命さんの話を聞いて、それがどう言うものなのかを少しでも知ったことで、『娼婦』というものが僕の中へと入ってきて……。

 今、そんな歓楽街(場所)に春姫さんがいて、どんなことをして、されているのかと思うだけでも、胸が痛く、苦しくなって。

 ただ、何か出来ないかという焦りだけがつのっていき。

 そして、思わず心と体が動き出そうとする度に、頭を過るのは、ベッドで死んだように眠り込んだシロさんの姿と、『物語』に刻まれた『娼婦』の『破滅』としての『象徴(イメージ)』。

 その度に、走り出そうとする心と体が躊躇する。

 

 僕は―――どうしたら良いのだろう。

 

 少しは……強くなったつもりだった。

 シロさんがいなくなった後も、あの『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を前にした時も、これまであった困難や絶望が目の前に立ち塞がった時でも、何時も、心だけは―――気持ちだけは止まらずに一歩だけでもと歩んでいたのに。

 それが、こんな有り様(無様に立ち竦むだけ)だ。

 

 結局、シロさんは奉仕活動(あの)時も、その後も、結局何も言わないままだった。

 春姫さんを助けるとも助けないとも何も言わないまま、僕たちは奉仕活動(あの後)みんな黙ったまま『本拠(ホーム)』へと帰って。

 日が落ちた後に帰ってきた神様と食事をして、あとはみんなそれぞれバラバラに各自の部屋に帰って―――そうして今、僕はベッドの上で何も出来ずにただ天井を見上げているだけ。

 

 ―――僕は……どうしたら、良いのかな……

  

 ()()()()()のかは決まっている。

 

 助けたい。

 

 春姫さんとは、一度でも会ってはいない。

 ただ、命さんから簡単に話を聞いただけの人だ。

 だけど、ただそれだけでも、『助けたい』と思っているのは間違いない。

 それだけは、偽りなく断言できる―――けど。

 動き出せないのは、どうしてだろうか。

 目を瞑る。

 視界が黒で覆われる中、浮かぶ人影が。

 

 神様―――シロさん―――ヴェルフ―――リリ―――命さん―――

 

 【ファミリア】の皆の姿。

 

 エイナさん―――リューさん―――シルさん―――

 

 『オラリオ』で出会った皆の姿。

 故郷を出る時には想像もしていなかった皆の姿が次々に浮かんできて。

 そして―――

 

 ―――アイズ、さん……

 

 鼓動が速く刻まれる。

 憧憬の向こうにいる姿が浮かび―――ゆっくりと目を開ける。

 大事なものが。

 大切なものが増えた。

 それは、とても嬉しいことで、喜ばしいことで。

 でも、それは同時に()()でもあった。

 大切なものがたくさんあればあるほど、それを失うかもしれないと思えば、足が重くなっていき―――動き出せなくなってしまう。

 おじいちゃんがいなくなって感じた家の広さを―――ベッドで眠りに落ちたまま起きてこないシロさんの姿が思い浮かんで……。

 

 『物語』の『娼婦』と現実(実際)の娼婦は違うとわかっているのに……なのに『娼婦』と『破滅』の想像(イメージ)が浮かんでしまう。

 

 そんな自分が、情けなくて、無様で……酷く、汚く見えて……。

 

 

 

「僕は―――どう、したら良いのか、な……」

 

 

 

 ぐるぐると形にならない思考が渦を巻き、それに落ちていくように瞼が閉じきる間際―――外から誰かが走る音が、聞こえた気がした。

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

『―――他人の、空似でしょう。私は、貴方のような方を存じません……』

 

 拒絶、されてしまった。

 まるで空気が重りになったかのように、足を一つ前に出すだけでも多大な気力が必要になるほどに重く、苦しく。

 吸い込む息さえも鉛のように苦く重く、吐き出した吐息は渦を巻き地に落ちていくようで。

 ぐらぐらと揺れる視界は、体が揺れているからか、それとも意識が揺れているからか、自分でも分からない。

 いなくなった後ろ姿に向かって手を伸ばしても、春姫殿は振り返る様子も見せず。

 一人取り残されたあの場所で、ただ、奇妙な、迷惑な奴だという視線に晒されて。

 それが無償に悔しくて、苛立って。

 だけど、どうしようもなくて。

 結局、逃げ出すように、あそこから離れていってしまった。

 そして今は、ただ足が進むに任せて歩いている。

 頭の中では、春姫殿の逃げるように去っていく背中と金色の髪の向こうから聞こえた言葉がぐるぐると何時までも回っていて。

 そんな時、ふと、誰も彼も欲望に満ちた嬌声を上げる周囲の中、肩を落とし、俯いて歩く自分の姿は、まるで捨てられた男のようだなと思い。

 探し続けていた人に、ようやく会えたかと思えば拒絶され、逃げるようにふらふらと歩いている自分は、一体何をしているのかと自虐的な思いに囚われそうになった時―――

 

「―――っ?!」

 

 ごつんと額に衝撃が走った。

 その意識外からの衝撃と痛みは、ふらふらとその足取りと同じような思考を一気に正気に戻した。

 何処かの建物か柱にぶつかったと反射的に思ったが、即座にそれを自分で否定する。

 建物や柱にしては、一瞬触れた感触は熱かった。

 それはつまり、ぶつかったのは何処かの無機物ではなく―――

 

「すみま―――」

「そんな様子では、何処かへ連れ込まれても仕方がないぞ」

 

 咄嗟に口にしようとした謝罪の言葉は、予想外に聞こえた聞き覚えのある声により遮られた。

 少し熱がこもった額に手を当てながら、仰ぎ見るようにして上げた視線の先には、最近ようやく見慣れてきた人の顔がそこにはあった。

 

「し―――ろ殿」

 

 

 

 

 

 言葉なく、項垂れたまま手を引かれるように歓楽街を後にすると、前をいくシロ殿はホームとは違う方向へ足を向けた。

 逆らうつもりも気力もなく、そのまま黙ってついていくと、少し開けた空き地にたどり着いた。

 周囲にあるのは小さな民家のようではあったが、明かりも人の気配もなく。放置されて随分と経っているのか、あちこち崩れている所も見てとれた。

 足首程にのびた草が所々生えたその場所に、崩れた家の瓦礫と思われる腰かけるにはちょうど良い高さのものの近くに誘導され、そこに座るよう促さる。

 そのまま腰かけた自分の横で、同じように瓦礫に腰かけたシロ殿が小さな瓦礫を集めて何やらごそごそとやり始めた。

 その物音を耳にしながら、何とはなしに周囲を見回す。

 周りに明かりはないが、歓楽街の明かりが微かに届いていることと、何よりもうすぐ満月になるだろう少し欠けた月からの優しい光が、問題ないくらいには周囲を照らし出している。

 そのままどのくらい時間が経ったのか、沈黙が満ちる中、ただぼ~と、夜空を見上げていた自分の眼前へ、湯気が立つコップが突き出された。

 

「飲め」

「あ―――いえ、そんな……」

「いいから飲め」

「は、はい」

 

 押し付けるように渡されたコップからは、人肌に感じる暖かさの湯気が立ち上ぼり。そこから微かな柑橘系の甘味が感じられた。

 

「ぁ―――美味しい」

 

 反射的に口から出た言葉が、湯気と共に小さく口元から立ち上っていくのを目で追う。

 

「―――春姫の所へ行ったか」

「ッ」

 

 硬質的なその刃のような声は、囁くような声量でありながら深く胸に突き刺さるような気がした。

 コップから立ち上る微かに甘い芳香と共に吸った息が、傷ついた胸の内を優しく撫でた気がして、次に息を吐き出した時には少し落ち着いていた。

 

「……はい」

「そうか」

 

 短い言葉のやり取りの後、暫くの間沈黙が続いた。

 両手で握るように掴んだコップから感じる暖かさと、鼻に届く香りが自分を優しく包んでいるような気がして、少しだけ沈んでいた気分が浮上した気がした。

 だから、次の言葉は自分からだった。

 

「―――知らないと、言われました」

「…………」

「他人の―――空似だと。自分のような者は知らないと言われました」

 

 隠すように俯いた顔を、甘い香りが撫でる。

 

「……逃げるように、去っていかれて……自分は、何かしてしまったのでしょうか」

 

 ぽつりぽつりと、心の中で渦巻いていたものを溢していく。

 何か、自分はしてしまったのだろうか。

 ずっと探していた春姫殿が見つかったと知って、ただ衝動のままそこへ向かって行って。

 だから、何かを見落としてしまったのか。

 だから、ああも拒絶されてしまったのか。

 『知らない』と言われた。

 『他人の空似』だと言われた。

 そんな筈がない。

 間違いなかった。

 見間違えるわけがない。

 変わってなかった。

 驚くほど綺麗になっていたが、だけど間違いなく春姫殿だった。

 始めてみた時に見惚れたあの翡翠のような美しい瞳。

 塀にしがみつきながら見たあの頃と同じ―――いや、それ以上に寂しさと悲しさに沈んだあの瞳を―――また、見てしまうとは。

 だから、確かめるだけだという思いを振りきってしまった。

 あの時と同じだ。

 初めて春姫殿を見た時、自分達を助けてくれたあの方から、寂しさを取り払わなければという思いにかられて。

 気付けば、声を上げてしまっていた。

 その結果が、これだ。

 自分はいったい―――

 

「わからないか?」

「え?」

 

 声をかけられ、顔を向けたそこには、目を細めて咎めるように自分を見つめるシロ殿の顔があった。

 月の光を湛えた眼光は、ぐるぐると思考と思いが渦巻いていた胸の内を一刀で切り裂いた。

 

「本当に、わからないか?」

「それは、どういう意味でしょうか?」

「何故、春姫がお前を『知らない』と言ったのか、何故逃げるように去っていったのか」

「それは」

 

 そんなこと、わかるわけが―――。

 

「わかる筈だ」

「どうしてシロ殿にそんな事が言えるのですかっ!」

 

 呆れたような、咎めるようなそんな声と言葉に、反射的に噛みつくように言い返してしまう。

 子供の頃、共に遊んであれだけ仲良くなった自分を差し置いて、先日一度だけほんの僅かな時間過ごしただけのあなたに、何故そんな事が言えるのかと。

 そんな自分の苛立ち混じりの声と視線を受けながら、何の痛痒も感じない顔でシロ殿は逆に咎めるような目を向けてきた。

 

「お前ならどうだ」

「え?」

()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()

「ぁ―――ああ……」

 

 言葉がなかった。

 己の馬鹿さ加減に呆れるあまり、泣きたくなった。

 

「少なくとも、あの春姫は娼婦になった姿を友に見られて平気な者ではないとは思うがな」

 

 平らな声音で言われたその言葉は、しかし酷く自分の胸の内を叩きのめした。

 その潰れた胸の内と同じような、低く濁った声で、絞り出すように言葉を作る。

 

「その―――通りです」

 

 少しでも相手の事を思えば、直ぐにでも思い付くようなことだ。

 娼婦に堕ちた姿を見られて、平然と出来るような相手であったであろうか。

 そんな筈はない。

 そんなこと、考えるまでもないことなのに……。

 自分の事ばかり考えて行動した結果が―――これなのだ……。

 

「……せめて、遠くから見るだけで済ませておくべきでした」

「そうだな」

「っ」

 

 何が助けたいだっ!

 何が救いたいだっ!

 傷付けただけではないかっ!

 自分の馬鹿さ加減に反吐が出る……。

 自分はただ……。

 ただ―――……。

 

「―――あの方の……笑顔を……ただ、もう一度だけでも見たかっただけなのに……」

「…………」

「傷付けて……しまっただけで……」

 

 シロ殿は、何も言わず黙ったまま自分の話を聞いてくれている中、湯を沸かすために着けた火が枯れ木を燃やす音が微かに響いている。

 視界の端で揺れる炎の揺らめきと、枯れ木が燃える音が激しく揺れていた胸中を少しずつ宥めていくのを感じる中、ぽつりぽつりと漏れ出すように過去が出ていく。

 

「春姫殿と出会ったのは、自分達がまだ極東にいた頃……ずっと小さな子供の時分でした」

 

 隣のシロ殿に顔を向けず、星と月が輝く夜空を見上げる。

 あの時も、こんな夜だった。

 極東から遥か遠くのオラリオ(ここ)でも、見上げる夜空は変わらない。

 今も、目を閉じれば昨日の事のように思い出せる。

 瞼に過る過去を、独り言のように語っていく。

 とりとめのない。

 まとまりのないその言葉の羅列は、ただ、過っていく過去をそのまま口にしているだけ。

 空腹に痛むお腹を押さえながら山奥で山草を探す毎日。

 ぼろぼろの服を着た姿で、今にも倒壊しそうな社で皆でまるまって眠る日々。

 それを見るタケミカヅチ様の、悲しげな辛そうな目。

 そんな日々が続く中、突然運び込まれた食べ物の数々。

 歓喜の声を上げる自分達を前に、満面の笑みを浮かべるタケミカヅチ様。

 それを送ったのが―――

 

「―――春姫殿でした」

 

 優しい方だった。

 なに不自由のない生活の中、自分達のような者がいることを知った子供が、可哀想だと思うだけならまだしも、直ぐに助けてやれないかと動く事が出来る者が、どれだけいるだろうか。

 それも、気の強いわけでもない。

 それどころか気の弱いあのようなお方が……。

 

「自分達を援助してくれた―――食料を送ってくれるよう頼んだのが、自分達と変わらない小さな子供だと知って、それがどのような方なのかと思った自分達は、話し合った結果、その方が住むという屋敷へ向かいました。そして何度も塀によじ登っては、自分達と同じ年頃の者を探して―――そして見つけました」

 

 ああ、今でも鮮明に思い出せる。

 豪邸の中、縁側に一人巻物広げ。

 しかしそれを見ることなく、空を見上げる翠の瞳。

 その深く透き通った翠の中に見えた―――寂しさ。

 

「幼いながらも義憤に駆られました。自分達を助けてくれたあの方を寂しがらせる者達へ怒り、その寂しさから救わなければ、と」

 

 それからは、怒濤の日々であった。

 騒がしく、大変で、しかし、それ以上に楽しい日々だった。

 戸惑う春姫殿の手を引いて。

 屋敷から抜け出しては山へ川へ、泥だらけになるまで遊んだ日々。

 連れ出す度に、自分はこんなところにいていいのかと周囲を伺い不安な様子を見せていたけれど、徐々に楽しげに、連れ出してくれることを楽しみにしてくれて。

 そして、時おり笑顔を見せてくれるまでになって。

 

「本当に―――嬉しかったのです。自分達を救ってくれた春姫殿を、少しでも寂しさから助けられたのではと思えて……」

 

 だけど―――そんな夢のような物語(過去)は、やはり長くは続くことはなかった。

 徐々に、しかし確実に苦しくなる生活。

 少しでも足しになればと日銭を稼ぐために働きに出るようになり、春姫殿と会えない日々が続いた。

 皆その事を気にしていたけれど、皆の休みが重なる日にでもまた会いに行こうとして……ようやく都合がついて久方ぶりに屋敷を窺って―――

 

「―――そこで初めて、自分達は春姫殿が勘当されたことを知りました」

 

 桜花殿達との付き合いと比べるようなものではないが、春姫殿と過ごした日々は短く。

 会うには春姫殿を屋敷から連れ出す必要がある事もあり、共に過ごした日々はそれこそ数える程でしかなかったが、それでも自分達は友であった。

 それは―――絶対に間違いはない。

 だからこそ―――。

 

「助けたいのです……」

 

 噛み締めた口から苦しみに濁った声が漏れる。

 それは自分ではなく、今苦しんでいるだろう春姫殿を思えばこそ漏れ出るもので。

 そしてまた、それを知りながらどうすれば良いのかわからない自分の不甲斐なさによるものであった。

 

「―――わかっているだろうが、勝手に助け出そうとはするな」

「っ、それは―――……」

 

 続けて口にしようとした言葉を、無理矢理噛み締めることで押さえ込む。

 そんな事はわかっている。

 少しでも考える頭があれば、【イシュタル・ファミリア(都市有数の実力者)】に喧嘩を売るような真似は出来はしない。

 まず成功するとは思えず、何よりも【ファミリア】にどれだけの迷惑をかけるのか……。

 それこそ何のために移籍をしたのかわからなくなる。

 

「そんな事は……わかっています」

「そうか……」

 

 また、焼き増しのように沈黙が満ちる。

 違うのは、自分の中の心境を示すように、星が輝く夜空を見上げるのではなく、底へ落ち込む意識のように闇に沈む地面を見下ろしている姿だけ。

 両手で持っていたコップの暖かさは既に遠く。

 逆に、コップの金属の冷たさが掌の熱を奪っていた。

 落ち込む意識に同調するように、視線を何も見えない暗闇の中の地面に落とす。

 沈黙の中、意識が地面に満ちる底無しの穴のような闇の中に落ちていくような気がしていた時―――ばちりと枯れ枝が燃え折れる音が響いて。

 反射的に、それに引き起こされるように視線がそちらへ向いた。

 視線の先には、小さな焚き火の前で、自分と同じように瓦礫の上に腰を下ろしたシロ殿の姿が。

 

 ―――噂では、良く耳にしていた。

 

 最強のレベル0。

 格上殺し。

 レベルという絶対の差を覆すイレギュラーの噂を耳にする度、一体どれほどの怪物なのだろうと皆で口にしていた。

 だから、あの時―――自分達がモンスターを擦り付けた【ファミリア】が、その怪物が所属する【ヘスティア・ファミリア】だと知った時は、どんな報復をされるのかと怯えた程だった。

 行方不明だと知った後も、【ヘスティア・ファミリア】と和解した後も、その恐怖は皆の中にあった。

 ヘスティア様から『大丈夫』と何度も言われたが、噂でしか知らず、その人となりを知らない自分達にとってそれは、あまり慰めにはならなかった。

 それほどまでに、彼の―――シロ殿の噂や、その実力を知るものから聞く強さは尋常ではなく。

 『噂は噂だ』と気にするなと言う桜花殿の言葉は、しかし初めて目にしたシロ殿の力は―――ある意味で真実であった。

 噂以上―――否、文字通り桁が―――次元が違った。

 その強さは『冒険者』というよりも寧ろ、『神』のそれに近いようにも感じた程だった。

 そのあまりにも異常に過ぎる力に、ヘスティア様は【戦争遊戯(あの戦い)】以降多くの神や冒険者達に質問攻めにあっていた。

 しかし、自分もあの強さの理由を知りたく、それを横で聞いていたが、ヘスティア様は終始『ボクにも分かるわけないだろ』と言い続け、結局何もわからないままであった。

 そう、結局今の今まで自分は彼の―――シロ殿の事を何も知らないままであった。

 シロ殿が目を覚ました後、話をしたこともあれば、稽古してくれたりもした。

 共に食事を取り、日々を過ごした。

 しかし、それだけである。

 シロ殿が何を思い、何を考えているのか。

 その実力、出身、経歴も何もかも。

 何もかもがわからない―――知らないのだ。

 そもそもどうしてこんな所にいるのか。

 状況からして自分を探しに来たようではあるが、それは何故だ?

 暴走して春姫殿を勝手に連れ出そうとするのを止めるためか?

 ならなぜ【歓楽街】に来たところで止めなかった?

 ホームに連れ帰らずこんな所へ連れてきた?

 どうして焚き火を、このコップはどこから取り出した?

 一つ疑問が浮かぶと、先程までの落ち込みはどうしたのか、次から次へと疑問が沸いてきた。

 それは一種の逃避であると。

 先程の落ち込みから目を逸らす、逃げるためのものであると漠然と理解しながらも、疑問は止めようとしなかった。

 だから、溢れ出す疑問の一つが、思考から漏れて口から出てしまっていた。

 

「―――シロ殿なら、春姫殿を助ける事は出来ますか?」

 

 答えを期待したものではなかった。

 ただ、思考の中の疑問の一つが、不意に漏れてしまっただけだった。

 だから。

 

「春姫がただの娼婦であるならば、方法はある」

「―――……え?」

 

 一瞬何を言われたかわからず、応えるまでに随分と時間が出たが、聞き間違いではない。

 今、シロ殿は間違いなく『方法はある』と口にした。

 

「しっ―――シシ、シロ殿っ!? 今っ、方法があるとっ!!?」

「落ち着け、『歓楽街』から『娼婦』を出す方法は確かにある。そしてそれは少し事情を知る者なら誰でも知っている方法だ」

「そんなモノがあるのですかっ!?」

「ある、だが必要なモノが、な」

「必要なモノ? それは一体?」

 

 心臓が激しく脈打つ。

 春姫殿を救う手段があると知り、思考が沸騰するかのように感じる中、急かすようにシロ殿に詰め寄る。

 ぐっと顔を近付ける先で俯いた姿のシロ殿は、焚き火の揺らめく明かりに照らされた顔を難し気に歪めていた。

 

「金だ―――それも大金が必要になる」

「大金、ですか?」

「少なくとも『歓楽街』からは出せる」

 

 シロ殿はそこで一旦言葉を切ると、空を見上げた。

 自分も釣られるように顔を上げると、視線の先では少しだけ欠けた月が遠くで輝いている。

 遠く、遠くで夜を照らす月はしかし、雲も掛かっていない筈なのに、自分の目には何処か朧に見えて。

 その為なのか……。

 

「―――金を払って春姫を『身請け』すればいい」

 

 希望とも言えるその『答え』を耳にしながらも、何故か自分の胸中では希望が浮かぶ前に、一瞬だけだが不吉な、不安な思いが過ってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは、大きな広間であった。

 部屋の四つの隅に設置された魔石灯の明かりで、薄く照らされたその広間には、中央に設置された大きな机を囲むように長いソファーが置かれており。

 その上を寝そべったり座ったりしてくつろぐ数人の女の姿があった。

 その全員が肌を多く見せる扇情的な姿であり、女性的な魅力に溢れた者達であったが、同時に『力』を感じさせてもいた。

 

「―――で、イシュタル様から頼まれた件は、何時やる予定なの?」

 

 ある女は酒を飲みながら。

 ある女はキセルを燻らせながら。

 またある女は机の置かれた料理に手を伸ばしながら何かについて話し合っていた。

 

「どっかの商会を使うんでしょ? 直ぐに動くみたいだし、3、4日以内にはやるんじゃないの?」

「え~でも、『殺生石』の件もあるし、そんな悠長にしてられるかな?」

「そうね。準備もあるから明日は無理でも、2日後ならありうるかも」

 

 端から見れば、緊張感のない様子で何ら気負った姿ではないことから、大した話ではないかのように見えるが、その目に宿る光には緩んだ様子は欠片も見えないことから、彼女達が歴戦の強者であることを窺わせると同時に、話している内容が平静とは真逆であることを示していた。

 

「あ~でも、問題はあそこには()()()がいるよ……ベッドで相手をするのなら大歓迎だけど、あたしらじゃ絶対相手にならないよ。フリュネでも、あいつを連れて行ったとしてもどうにもならないんじゃ……」

 

 一人の女がとある男について言及した瞬間、広間の空気が一瞬固くなる。

 

「……大丈夫だ」

「何だアイシャ。何か考えがあるのか?」

「あの男は()()()が相手をするそうだ」

 

 固まった空気が、アイシャと呼ばれた女が『あいつ』と口にした瞬間緩んだ。

 

「「「あ~……」」」

 

 納得と安心の声が漏れると、目に見えて女達から緊張感が薄れていく。

 

「それは何とも、是非とも見てみたいね」

「馬鹿が、巻き込まれたらこっちの身が危ないだろ」

「なら、特に心配はないか」

 

 弛緩していく雰囲気に、気を引き締めるように厳しい口調で注意が出る。

 

「馬鹿、兎の敏捷はレベル3になったばかりのモノじゃないことはわかっているだろ。逃がしたら事だ、油断するんじゃないよ」

「二回目の兎狩りか」

「今度は余計なオマケもあるけどね」

 

 集まった女達の脳裏に、つい先日起きた兎との追いかけっこが過ぎる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()追跡を、あの白兎は逃げ切ったのである。

 油断をするには危険であった。

 

 

 

「次の兎狩りに失敗は許されないよ。イシュタル様の命令だ―――【ヘスティア・ファミリア】のベル・クラネルと命の二人を確実に捕らえる」

 

 

 

 

 

 

 




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第九話 希望と罠

 100話のお祝いありがとうございます。
 (*^▽^*)


 

「身請け、ですか?」

 

 聞き覚えのない言葉に、反射的に僕の口が耳にしたばかりのその言葉を繰り返す。

 戸惑いを多く含んだその声が、ホームの正門を抜けたばかりの道に小さく流れていった。

 僕の困惑した視線を受けた命さんが、小さく頷きながら希望の宿った瞳で、前を行くシロさんの背中に視線を向けた。

 色々と命さんや春姫さんの事を考えながら寝てしまった翌日の朝。

 これから一体どうすればと頭を押さえながらベッドから下りて、足取り重くホームの食堂へ向かった先で待ち受けていたのは、シロさんが用意した食事を勢い良く掻き込む命さんの姿だった。

 落ち込んでいるだろうと思っていた命さんは、前の日の絶望的な様子は何処へといった姿で、その昨日とのあまりの違いに、食堂に集まっていた神様達が呆然と立ち尽くす前で朝食を食べ終えると、挨拶もそこそこにシロさんを連れて出ていってしまった。

 僕もその想像外の光景に立ち尽くしていたけれど、直ぐに思い直して慌てて朝食を口に放り込むとその後を追いかけた。何とかホームの玄関のところで追い付いた僕が、命さんにその昨日の様子の違いについて聞いてみたところ、返ってきた答えが『身請け』というものだった。

 

「その『身請け』というのは、一体何なんですか?」

「簡単に言えば、娼婦を金で引き取るというものだ」 

 

 僕の疑問に答えたのは、前を歩くシロさんだった。

 少し歩くペースを落として僕たちの斜め前の位置につくと、顎に手を当てて何か考える姿を見せた後、シロさんは顔をこちらに向けてきた。

 

「アマゾネスのような例外はあるが、娼婦には負債がある」

「負債って、借金ですか?」

「そうだ。娼館は娼婦を働かせて、その娼婦の借金と利子を回収している、ある意味借金取りみたいなところだな。だからと言うか、ある娼婦を気に入った客が、その娼婦その者を購入することもできる。だが、それにはかなりの大金が必要だ」

 

 かなり、という言葉を強調するシロさんの様子に、思わず僕はごくりと喉を鳴らしてしまう。

 

「そ、そんなに、ですか」

「まあ、それもピンキリだがな。客が欲しいという娼婦が、今後もたらすだろう利益と同等か上回るだろう金が必要だ。少なく見積もったとしても百万、相場で言えば2、3百万と言ったところか」

「さ、三百万ッ!?」

 

 あまりの大金にひきつった悲鳴のような声を上げてしまう。

 神様の借金を思えば何十分の一に思えるかもしれないけれど、教会の地下の生活が未だ染み付いた僕には気の遠くなる金額だ。

 だけど、驚きに固まる僕の横にいる命さんは、それを聞いてもあまり驚いた様子は見えない。

 もしかしたら事前に金額まで聞いていたのかもしれない。

 

「三百万程度で驚くな」

「で、でも三百万ですよッ!!? それだけあったら一体なん百っこジャガ丸くんが買えるのかわかんないですよっ!?」

「一応言っておくが、三百万で買えるのは平均的な娼婦だ。もっと上のランクの娼婦では、下手すれば桁がもう一つ増える可能性もある」

「け、桁がもう一つって……いっせんまんヴぁりす……」

 

 先程までもやもやと胸の中で渦巻いていた、女の人を物のようにお金で取引する事に対する嫌悪感が、あまりの金額の衝撃で吹き飛んでしまった。

 

「そ、そんなお金……」

 

 更にガツンと頭にまで響いたその衝撃は、僕の足をよろめかせ、力なく歩くペースに歩幅を合わせてくれる命さんをおそるおそる覗き見る。

 だけど、命さんの顔は変わらず、決意を秘めた瞳を真っ直ぐ前に向けていた。

 

「あ、あの……それで、春姫さんをもし『身請け』するとしたら、一体幾らぐらい必要なんですか?」

 

 恐る恐る聞いた質問に、ちらりと力なく歩く僕に視線をやったシロさんは、目を細めてその眉間に小さく皺を寄せた。

 

「わからないな。会った感じでは平均より少し上だとは思うが、出身が出身だからな。娼館のルールについては、そこまで詳しくはないからはっきりした金額はわからない」

「そう、ですか……」

「出来れば、【イシュタル・ファミリア】に話を通す前に、詳しい奴から話を聞ければいいんだが」

 

 そう、シロさんが自問のように呟いた時だった。

 

「あれ、ベル君じゃないか? 命ちゃんと―――ああ、君も」

 

 ホームの通りから離れたそこでヘルメス様と出会ったのは。

 

 

 

 

 

「―――え? 身請けの金額?」

 

 ヘルメス様から困惑を露にした声が上がった。

 今、僕たちはヘルメス様に連れられた先にあった喫茶店『ウィーシェ』という所にいた。

 ヘルメス様と出会った際、シロさんが僕たちにヘルメス様は色々と情報通であり、娼館にも詳しいと教えてくれたことから、相談に乗って欲しいとお願いしたところ、この『ウィーシェ』へと連れてこられたのだ。

 喫茶店へと入ると、眼鏡をかけたエルフの主人(マスター)に店の奥の席を案内された。案内された席は、店内からでも死角になった所にあって、密会や内緒な話をするにはもってこいの場所だった。テーブルには、向かい合うように席が四つあったけれど、僕と隣り合って座った命さんの向かいに座ったヘルメス様の所から余った席をシロさんが移動させて、真ん中に審判のように座った。

 そして席に着いた皆がそれぞれ注文をしたところで、早速命さんがヘルメス様に「娼婦を身請けするには幾らかかりますか」と聞いて、先程の困惑した声が上がったのだ。

 首を傾げながら、僕たちを見つめてくるヘルメス様からの答えを、緊張に汗を滲ませながら待っていると、そういえば、僕があの娼婦の人たちに追いかけられる前、春姫さんと思う女の人と出会った直後にヘルメス様とも会っていた事を思い出す。

 と、言うよりも、その時渡されたモノ(精力剤)が切っ掛けで追いかけられたり、その後の神様からのお説教にも繋がっている。

 それを思えば、このヘルメス様こそがそもそもの元凶に思えた。

 そんな少し何とも言えない思いが沸き上がってきた所で、ヘルメス様の口が動いた。

 

「えっと、誰か娼婦になったのかい?」

「……はぁ、焦るのはわかるが、まずは事情を説明するのが先だ」

 

 恐る恐る尋ねてきたヘルメス様の姿に、溜め息をついたシロさんが呆れた声をあげた。

 それから、シロさんがヘルメス様に事情を簡単に説明をしてくれた。

 直接的な名前や事情は言わずに、ただ、命さんの昔の知り合いが娼館街にいて、出来れば助けてやりたいが、レベルは高くはないようだが、娼婦としては中々高級そうだということを伝えると、ヘルメス様は俯いて顎に手を当てると何やら考え込み始めた。

 

「まあ、確かにイシュタルの所から娼婦を助けるとなったら、力ずくはまず問題外だから買うのは良いとして、確かに値段が問題だよね」

「っ―――幾らであったとしても自分はっ」

 

 命さんが勢い込んで声をあげようとすると、シロさんが手を前に出してその続きを遮った。

 

「落ち着け」

「っ」

 

 命さんは噛み付くような目でシロさんを一瞬睨み付けたけれど、直ぐに肩を落として自分を落ち着かせるように息を深く吐いた。

 そのタイミングで、店主が皆が注文した飲み物を持ってきてくれた。

 店主が注文した飲み物を配っている間、自然と皆が黙っていてくれたから、緊迫した空気が少しは紛れた気がする。

 

「―――結論から言ってしまえば、娼婦の位によって多少の前後はするだろうけど、相場は大体2、300万かな」

「それなら、何とか」

「そうです、無理じゃないですよっ」

 

 ヘルメス様の答えに、思わず声が上擦ってしまう。

 シロさんの予想と同じであり、あの時はその金額の大きさに驚いたけれど、確かに高いが絶対に無理ではない金額だ。

 皆に色々と負担を掛けてしまうとは思うけれど、それでも十分手が届く。

 そう思って希望を持った目でシロさんを見たけれど、何故かそこに安堵した様子は見えなかった。

 

「問題は、『団員』としての価値か」

 

 『団員』としての価値?

 シロさんが困ったように眉根を寄せて何か考えているのを見て僕が首を傾げていると、ヘルメス様が小さく頷いた。

 

「ま、そこが一番の問題だね。君も気付いているようだけど、『愛』も司るイシュタルが、男についていきたがる女を留めるような野暮な真似はしないだろう。勿論適正な金を払うなら、だけど」

「あの『歓楽街』の娼婦は、【イシュタル・ファミリア】の団員の一員でもある。『娼婦』としてはともかく、『団員』として引き留められる可能性はある、か」

 

 確かに、その、『歓楽街』のしょ、娼婦は、【イシュタル・ファミリア】の団員でもあるのだから、娼婦をやめるってことは、【ファミリア】から脱退するということでもあって。

 団員として有能なら、それは引き留められるか。

 僕が内心頷いていると、ヘルメス様がシロさんに尋ねていた。

 

「そこのところはどうなんだい?」

「……戦闘要員の可能性はないな、魔導師の可能性はあるが、戦いに慣れている様子はなかった」

「なら、問題はないんじゃないかい?」

「確かに、な」

 

 シロさんの言葉にほっと僕と隣に座る命さんの口から安堵の息が漏れる。

 どんなに見た目が華奢に見えても、ばりばりの実力者であるとかは、冒険者では珍しくも何ともない。

 命さんが春姫さんと会わない間に、彼女が【イシュタル・ファミリア】でも惜しがられる程の力を身に付けていた可能性はないとはいえなかったけど、シロさんが戦闘要員の可能性がないというのなら、そういう心配はしなくても良さそうだ。

 シロさんの話を聞いて、問題はないと判断したのか、ヘルメス様は一息着くように紅茶に口をつけると、リラックスした姿で椅子の背もたれに体を預けた。

 何処か緊張感が漂っていた空気が、ぐっと和らいだ感じがする。

 

「わざわざ相談にのったんだ。折角だから可能な限りだけど協力するよ。イシュタルとも知り合いだしね。それとなくその子の事を聞いてみるよ。で、その娼婦ってどんな子なんだい?」

「春姫殿ですっ! サンジョウノ・春姫という名の狐人の美しい方ですっ」

 

 何とはなしといったような何気ない感じで、ヘルメス様が春姫さんの事について聞いてきたところ、少しでも助けられる可能性を上げたい命さんが、勢い込んでその名前と種族について口にした時だった。

 

「―――狐、人(ルナール)

 

 ヘルメス様の雰囲気が一瞬固くなったのは。

 

「―――狐人がどうかしたか?」

「あ~……そう、だね……」

「ヘルメス様?」

 

 それを直ぐに察したシロさんが、スッと目を細めてヘルメス様を見つめた。

 その視線から逃げるようにヘルメス様の視線があちらこちらに動くのを見て、僕も思わず訝しげな声をあげてしまった。

 

「……これは、オレの信条に反するんだが……」

 

 僕の声に押されたように、ヘルメス様は片手で顔を押さえるように隠すと、囁くように呟き始めた。

 

「ベル君はオレと歓楽街で会った時の事は覚えているかい?」

「え? あ、はい」

 

 というよりも、さっき思い出していたばかりである。

 

「その時なんだが、実はオレは運び屋の仕事を受けていてね。イシュタルへあるものを届けに行っていたんだが……」

「はぁ」

 

 何を言いたいのかわからず、気の抜けた声が漏れるが、ヘルメス様は構わず独り言のように語り続けた。

 

「運び屋として依頼主や荷物について話すのは厳禁であるのは当たり前なんだが……今の話を聞いて黙っているのも何だしね……」

「あの、ヘルメス様?」

「オレが届けたのは『殺生石』と呼ばれる道具(アイテム)だ」

「?」

 

 『殺生石』?

 聞き覚えのない道具(アイテム)の名前に疑問符が頭に浮かぶ。

 命さんやシロさんにも顔を向けたけれど、どちらも聞き覚えがないのか何か知っている様子は見えない。

 それは何なのかと尋ねようとしたけれど、僕が口を開く前にヘルメス様はカップに残っていた紅茶を一気に飲み干すと共に席から立ち上がってみせ、話の終わりを示してきた。

 

「オレが言えるのはここまでだ。ただの勘違いなら良いんだけど……さて、オレはこれでお暇させてもらうよ。じゃあね命ちゃん、ベル君」

 

 そう言ってテーブルから離れかけたヘルメス様だったけれど、2、3歩ほど歩いたところで、肩越しに僕達―――違う。

 シロさんへ振り返った。

 

「―――ああ、そうそう君に聞きたい事があったんだ」

「……何だ」

「『ランサー』という男について、何か知りはしないかな?」

「――――――」

 

 『ランサー』?

 また、聞き覚えのない言葉に疑問を浮かべながら、命さんを見るけれど、そちらも僕を疑問が浮かんだ目で見返してきていた。

 なので、ヘルメス様の問いの先であるシロさんへと顔を向けたけれど、そこには一切の情報を読み取れない顔があった。

 

「……そうか、なら()()()()()()()()()

 

 ただ、僕には何もわからなかったけれど、ヘルメス様には何か感じるものがあったのか、無言のシロさんに対して何やら謎めいた視線を向けたあとその場から去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――しかし『身請け』か、そんな方法があったんだな」

 

 薄暗いダンジョンの中を歩きながら、隊列の真ん中を大刀を担ぎながら歩くヴェルフが、隣を歩くベルに向かって感心した声音で呟く。

 春姫の話を聞いた時、下手をすればオラリオでも有数のファミリアと争うことになりかねないという恐れがあったが、確かにこの方法ならば時間が掛かるだろうがそこまで事が大きくなる可能性は低い。

 代わりに文字通り金は掛かるが。

 それでも仲間を危険に晒すよりかは万倍もマシである。

 

「でもですよ、300万というの相場なのですから、用意するのは最低でも500万は必要だと思います―――ああ、立派なホーム(拠点)が手に入ったかと思えばヘスティア様の借金バレに娼婦の身請け……このファミリアにイベント(騒動)は尽きませんね」

 

 後ろを歩くリリが悪態を着きながらも、仕方がありませんねといった顔をしながら前を歩くベルの背中を見つめていた。

 

「幸い春姫に身請けの話は来ていないようだからな。時間はあるんだ、安全第一、資金は確実に用意するぞ」

 

 後衛のリリのその更に後ろを全体を警戒して歩くシロが、話を閉めるように声を上げた。

 金は用意した、しかし肝心の春姫は別の誰かに身請けされていた。

 といったような最悪な事態を避けるため、シロが事前に複数の情報屋から最近の『歓楽街』の身請け話を確認してみたところ、幸い身請け話で春姫と言う名や、似た特徴を持つ娼婦は上がらなかった。

 そして今、ベル達【ヘスティア・ファミリア】一行は、とある依頼を受けダンジョンの14階層を進んでいた。

 何気にシロを加えた初の全員でのダンジョンということもあり。

 シロは無理に隊列の中に組み込まず、特に位置を決めることのない遊兵として設置され、今は基本後衛として一番後ろにいた。

 今回受けた依頼は、何と直接な指名依頼であった。

 依頼主はアルベラ商会。

 これまで全く関わりのないものではあるが、そういった者との接触は、あの『戦争遊戯(ウォーゲーム)』以来何度となくあったことからそこまで不審ではなかった。

 身元のハッキリした者であり、下手な非公式な冒険者依頼(クエスト)などよりも何倍も信頼の置けるものである。

 とはいえ、そんな相手からの依頼をそうほいほいと受けるようなものではないが、今は事情があり、何よりタイミングが良かった。

 この依頼を知ったのは、今から3日前。

 身請けというアイデアを手に入れ、そのためには大金が必要だと知った丁度その日である。

 ホームへと帰還したシロ達が、この依頼を知ったのは。

 内容は、ダンジョンの『食糧庫(パントリー)』から石英(クオーツ)を手に入れてくること。

 難易度は低く、その分依頼料は低い筈のその報酬額は、何と100万ヴァリス。

 普通に考えれば詐欺ではある。

 しかし、ヘスティア(主神)の借金という傷はあるにはあるが、今急成長中の【ファミリア】と縁を結ぶための投資との考えは理解できた。

 何より金が必要だと言う時に上がった話である。

 それを知った命が噛み付くような勢いで依頼に賛成し、警戒気味だったヘスティアやリリに対し身請けの話をすることで渋々ながらも何とか了承を得た。

 そして準備や情報収集等もろもろで3日を費やし、今日、【ヘスティア・ファミリア】一行はダンジョンを進んでいた。

 

「500……500かぁ……なら、今回の報酬を得たとしても残りは400。時間はあるとはいえ用意するなら早い方がいいよな。それなら下の階層を狙うのも手か」

「確かに今のベル様のレベルを考えれば無理ではありませんが、レベルだけでダンジョンは攻略出来ませんよ。何より大事なのは『情報』です。まぁ―――」

 

 ヴェルフの意見に、釘を指すようにリリが口を開くが、その視線をチラリと自分の後ろに向けた。

 

「―――あの人(シロ)がどれだけのモノかによっては話は変わりますが」 

「シロさんの力は、僕何かとは比べ物にならないよっ!」

「いやまぁ、確かに絶対レベル1とは信じられねぇけどよ」

 

 自分の事のようにシロを褒めるベルに、苦笑しながら頷くヴェルフ。

 そんな二人に、視線を戻したリリがジトリと睨み付けた。

 

「只者ではないことや、その強さについては分かりきっていますよ。リリが言いたいのは、ダンジョンにどれだけ精通しているかです―――が、それも、まぁ……大丈夫かとは思いますが……」

 

 そして再度チラリと後ろのシロへと視線を向ける。

 先程会話をしていた時よりも距離が離れていた。

 今の会話は聞こえないだろう位置ではあるが、色々と非常識な男である。

 聞こえていないと判断するには甘い距離でもあった。

 隊列と言うには離れすぎてはいるが、非常識とは言い切れない距離。

 シロの実力を考えれば、いざとなれば瞬く間もなく駆け寄れるだろう。

 その強さは間近で見ていたが、思い返してみても自分の目が信じられない。

 非常識なまでの強さ。

 理解できないと言ってもいい。

 まるでお伽噺の英雄だ。

 いや、それすらもまだ大人しいか。

 昔いたと言われるあのオラリオ最強であるオッタルよりもレベルが上だと言う、今は無き【ヘラ・ファミリア】や【ゼウス・ファミリア】の冒険者達ならばとも思ったが、問題はそのシロがレベル1だと言うことだ。

 一度となく、リリは何度となくヘスティアに確認したが、間違いなくレベル1だという。

 シロが目覚めた後、あの強さでレベル1はありえないと言うことでギルドの職員が調査に来た時があったが、おとがめは一切なかった。

 つまり、レベル1は嘘でも偽りでもないと言うことだ。

 意味が分からない。

 とはいえ、シロが最初からあれだけ強かった訳ではないことはベルやヘスティアからの話しで聞いており、あの異常とまで言い切れる強さになったのは、一時期行方不明となっていた間であることは間違いはない。

 なら、その間は何処に?

 リリはダンジョンに居た可能性が高いと、それも深層近くにいたのではないかと判断していた。

 レベル1が深層?

 ほら話にも程がある。

 勿論根拠はない。

 只の勘でしかないのではあるが、まず間違いはないとは思っていた。

 何と言うか、以前何度か見たことのあるトップの【ファミリア】の冒険者が、低層や中層を歩く姿と雰囲気が似ているのだ。

 ただ、それだけではあるが、リリの勘は告げていた。

 この男、絶対深層に行ったことがある、と。

 そういった事もあり、この男がいるのなら、もう少し下の階層でも問題はないのではとリリは考えていた。

 

「まぁ、この辺りの階層を攻略するか、それとももう少し下へと行くのかどちらでもリリは構いませんが、まずは全員での連携に慣れる事から始めませんとね」

「それもそうだな」

「うんっ、足手まといには成りたくないからね」

 

 そうベルが力強く頷いた瞬間、前を警戒していた命が急に振り返って警戒の声を上げ。

 

「っ、止まって―――くだ、さい?」

 

 かけたが、困惑の声で止まった。

 ベル達は命の警告の声に敏感に反応し、背後からの敵襲と判断。

 ベルとヴェルフはリリとの位置を素早く入れ替えたが、命の警告の声がしぼむように困惑の声に変わった事で戸惑いの表情を浮かべ、視線だけをチラリと背後へと向けた。

 

「あの、命さん?」

「おい、どうした?」

 

 ベルとヴェルフの戸惑いの声に応えたのは、背後にいた命ではなく、一番後ろを警戒していた。今では隊列の最前列にいることになったシロであった。

 

「―――反応が早いな。探知系の『スキル』か、そこの横穴から『ライガーファング』が出ただけだ」

 

 『ライガーファング』。

 15階層以下に出現する筈のモンスターの名に、一気にベル達の間に緊張が走るが、シロが視線を向ける先に武器を向けた時には、その対象となる筈のモンスターは塵に返る直前で。

 警戒が解ける前に、カランと地面に黒塗りの、長剣にしては柄が妙に短い細長い印象のある奇妙な剣が転がると共に、『ライガーファング』は魔石を一つ残してその場から消え去っていた。

 

「―――えっ、と……」

 

 状況から見てシロが『ライガーファング』を倒したのは間違いはないのだろうが、問題はそれを倒しただろう黒塗りの奇妙な形の剣が一体何処から出たのか。

 そして探知系のスキルを持っている命よりもどうやって早く『ライガーファング』の接近に気付いたのか。

 そんな疑問を頭に浮かべたベルやヴェルフ達が武器を構えた格好のまま戸惑いを含んだ視線を向けられながらも、シロはさっさと『ライガーファング』が落とした魔石を拾い上げていた。

 

「ベル、緊張を解くな。こういった大物の近くには、そのおこぼれに預かろうとする奴らが多い。そら―――来るぞ」

 

 『ライガーファング』が消えたことで、脅威は消えたとベル達の間に弛緩した空気が流れそうになった時、腰から抜いた双剣を握ったシロが周囲を警戒しながら警告の声を上げたことで、再度周囲に緊張が満ちた。

 

「来ますっ! 前と後ろ両方からですっ! 注意してくださいっ、数が多いっ!」

 

 周囲から自分達へと目掛け迫り来るモンスター達の気配を感じ取った命が、武器を構えながら声を上げる。

 ベル達も各々が武器を構えるなか、シロはリリを中心となって固まり始めた一団から少し距離を取った場所に移動する。

 

「こちらは気にするな。お前達はこっちはいないものとして好きに動け。邪魔はしない」

「邪魔はしないって―――はっ、手も貸さないって事かよ!?」

「貸してほしいのか?」

「いらねぇよっ!」

 

 シロの言葉に、聞こえ始めたモンスター達の足音に向けて武器を構えながらヴェルフが毒吐(どくつ)く。

 その目は闘争を前にしてギラギラと輝き始めており、シロのからかいの言葉に吠えながら道の奥から姿を現したモンスター達へと向かって一歩足を進め。

 

「行きますッ!!」

 

 それを追い越すように前に飛び出したベルが、あっという間に先行していたモンスターの一体の首を跳ね上げたことで、交戦が始まった。

 

 

 

 

 

 モンスターの群れの襲撃は、数は多かったが『ライガーファング』のおこぼれを狙ったモンスター達であったからか、そこまでランクが高くなかったことからも直ぐに全滅することができ。

 それから何度となくモンスターからの襲撃はあったが、手こずる事もなく順調にベル達一行はダンジョンを進んでいた。

 そうして、もう間もなく目的のパントリーに到着するという時の事であった。

 ベル達がその兆候に気がついたのは。

 

「―――これは」

「足音……っ、え、これってまさかっ?!」

「おいおい嘘だろ」

「ちょっと、待ってくださいよ。まさかパントリーから?」

 

 最初は微かな雑音のように聞こえたそれは、合図のように響いた()()()()()()の叫び声によって確定された。

 一行の皆の心に浮かんだその答えを、最前列にいた命が歯噛みをしながら口にした。

 

「っ―――『怪物進呈(パス・パレード)』!」

 

 正解、とでも言うように、先程聞こえたものよりも大きな咆哮が響く。

 全員の視線が一気にシロへと向けられた。

 四つの視線を受けたシロは、直ぐに判断を下した。

 

「下がるぞ」

「はい」

「全くここまできてっ!?」

 

 シロの短い決定の言葉に、ベル達は口々に文句やらを口にしながらも落ち着いた様子で戸惑うことなく来た道へと振り返って走り出していた。

 躊躇いも戸惑いもないその姿は、もう既に一端の冒険者のパーティーの姿であった。

 その様子に、一番後ろで迫り来るモンスター達を警戒しながらシロが口許を微かに綻ばせる。

 しかし、その口許が、背後から姿を現したモンスター達の集団の前を走る一団を目にしたことで引き締まった。

 

「追われて―――いや、これは」

 

 接近するにつれ聞こえてきた数と声量を増す咆哮に紛れて聞こえ出したモンスターのそれとは違う足音。

 『怪物進呈(パス・パレード)』の切っ掛けとなった冒険者が、生き残ってまだ逃げているのだろうかとシロの脳裏に過ったが、姿を見せたモンスターに追われて―――否、引き連れる一団は、全員が外套(フーデッドローブ)を身に付け顔形どころか性別すら判然としない。

 明らかに正体を隠したその様に、先程から感じていた違和感がハッキリとした輪郭を持ち始めていた。

 

「シロさんッ!?」

「おい、マジか」

「嘘ですよね……」

 

 それが形となってシロ達に襲いかかってきたのは直ぐであった。

 来た道を逆走して走るシロ達が、少し前で通りすぎた十字路を前にしたところで、その十字路の先、()()()()()()()()()()()()が轟いた。

 

「挟まれましたッ!?」

「間に合うっ、止まるなぁっ!!」

 

 状況の悪化(答え)を先頭を行く命が叫ぶ。

 ベル達の足が止まりかけるが、シロの発破に慌てて足を回す。

 幸い十字路は間近、対して前方から来るモンスターの姿はまだ見えない。

 シロの言葉通り、モンスター達に挟まれる前に十字路にたどり着ける可能性は高かった。

 そこまで行けば別の道に逃げ込める。

 直ぐにそう判断したベル達が、駆ける足を更に加速させた。

 

「どっちに―――」

 

 先頭を行く命に追い付いたベルが、間近に迫る十字路に対し、右か左かとシロに判断を仰ごうとした時であった。

 その声に被せるように()()()()()()()()()()()()が響いたのは。

 

「何でっ!?」

 

 別の疑問がベルの口をついて出たが、その疑問はその場にいた者全員の頭に浮かんでいた。

 『怪物進呈(パス・パレード)』に会うのは、最悪ではあるがないことはない。

 しかし、逃げる先でもう一度?

 更に囲い混むように四方向全てから迫ってくるなど、まず偶然は有り得ない。

 ならば、それが意味することは。

 

「罠だッ! 向かってくる冒険者も敵だと思えッ!」

「罠って誰がですかっ!?」

 

 疑問を悲鳴のように叫ぶリリを中心に、逃げられない事を覚悟し、迎撃するためにベル達が武器を構え出す。

 

「知らねぇよっ! リリ助何か恨みを買ったんじゃねぇだろうなっ!?」

「ここまでされる覚えはありませんよっ!?」

 

 大刀を構え直しながら、ヴェルフが強張りそうになる身体に活を入れるようにリリにからかい混じりの声を上げる。

 それにリリが苛立ち混じりの怒声を返しながら、後方支援のための武器の準備をする。

 しかしそれをシロが止める。

 

「……ここに留まるのは悪手だ。オレが切っ掛けを作る。ダンジョンからの脱出を第一に考えろ」

「切っ掛けって?」

 

 迫り来るモンスターの襲来に、ベルは焦りと戸惑いで顔を強張らせながらも戦意を宿した瞳でシロを見返す。

 その一端の冒険者の姿に一瞬笑みを向けたシロは、しかし直ぐにそれを厳しく引き締めた。

 そして両手に掴んでいた双剣を腰の鞘に素早く納めると、モンスターを背にこちらへと駆け寄ってくる外套(フーデッドローブ)で姿を隠した集団へと鋭い視線を向けた。

 

「来た道から来るモンスターを一掃する。()()()()があるかもしれないが、止まらず駆け抜けろ」

「っ―――シロ殿、まさか」

「問答する暇はない」

 

 モンスターとそれを()()()()()()()を覚悟に満ちた瞳で睨み付ける姿に、何をしようとしているのかを悟った命が、何かを口にしようとするもそれをシロは強引に切り捨てる。

 

「ま―――」

 

 それでも命が、何も掴んでいない空の両手をまるで剣を振り上げるような格好をするシロに向かって、再度声を上げようとした時であった。

 

「―――は、連れねぇ事を言うんじゃねぇよ。もう少し付き合いな」

「ッッ!!?」

 

 その間に割り込むようにして、緊張感に張り詰めていた空気に似合わない陽気な声が上がったのは。

 命とシロ。

 いや、()()()とシロの間に唐突に現れたその青い男は、いつの間にか空であった筈の振り上げた両手に魔剣と思われる長剣を掴んだシロに親しそうに話しかけ。

 

「確かめさせて貰うぜ『アーチャー』」

 

 驚愕を露にするシロへと強烈な蹴りを撃ち放った。

 明らかに驚きと混乱に満ちていた筈のシロではあったが、咄嗟に構えていた剣を防御に回す。

 

「―――がッ、ァっ?!!?」

 

 しかし、その謎の男は防御に回した魔剣を、まるで枯れ枝のようにぶち折ると、シロの腹部にその足を深々とめり込ませ吹き飛ばした。

 弾丸のように吹き飛んだシロは、ベル達を挟み込むようにして迫っていたモンスターと冒険者の一団を弾き飛ばしながらも、その勢いを弱めることなくダンジョンの向こうへとその姿を消してしまう。

 目の前で起きたそのあまりの光景に、未だ理解が及ばないのか身動き一つ取れず固まっているベル達を一顧だにせず、その()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、その優美とも呼べる端正な顔立ちに、牙を剥いた余りにも獣染みた笑みを浮かべた。

 

 

 

「いや―――『偽者(フェイカー)』、か」

 

 

 

 




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 次回、VSランサー戦

 ラウンド1
 


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