姉妹はプリキュア! (琉命)
しおりを挟む

第1話 私たちがプリキュアに変身!? ありえな〜い!
01


 小笠原祥子さま。

 リリアンの生徒でその名を知らぬ者はいない。小笠原グループの一人娘である祥子さまは、その名に恥じぬ美貌と器量を持つ。旧華族という由緒正しいお家に生まれた、正真正銘のお嬢様だ。そんな方だから、山百合会の薔薇さま方も放ってはおかなかった。現紅薔薇さまに見初められ、今では紅薔薇のつぼみとして全校生徒の憧れの的となっている。

 一応小さな設計事務所の社長令嬢である祐巳だが、祥子さまというお嬢様中のお嬢様に比べたら月とスッポン。

 容姿にも成績にも特筆する所のない平凡な一般庶民の祐巳は、天上の存在である祥子さまを影から応援することが精一杯だった。

 夏休みもあけて9月も半ばになったが、未だ祥子さまには妹がいない。ファンの間では、一体誰が祥子さまの妹となるのか日々議論が交わされている。

 

 さて、平凡な一般庶民であり祥子さまとの接点のない祐巳がなぜここまで祥子さまのことを知っているのかというと――新聞部が定期的に発行する「リリアンかわら版」で幾度となく特集が組まれたからだ。祥子さまの記事が掲載されたかわら版は、しっかりとファイリングして丁寧に保存している。それを時々取り出しては、うっとりと祥子さまのお写真を拝見するのである。

 それはまさに至福のとき。

 

 祐巳がこれほどまでに祥子さまにご執心なのには、もちろん理由がある。それは高等部に入学したばかりの頃――祐巳たち一年生のために、新入生歓迎式が催された際の話。

 山百合会主催の歓迎式――祐巳たちの前で、祥子さまは一年生のためにオルガンの演奏を披露したのだ。流麗な黒髪を靡かせて、繊細な指を巧みに操り素敵な音楽を聴かせてくださる祥子さまのお美しい姿に、祐巳はマリア様のごとき神聖さと高貴さを感じたのだった。

 そうして、祐巳は見事に祥子さまファンとなったのである。

 

 妹になりたい、などとおこがましいことは考えたこともない。貴族と庶民が相見えることがないように、平凡な生徒である祐巳が祥子さまの妹になどなれるわけがない。祐巳と祥子さまは住む世界が違うのだ。だから、祐巳は祥子さまを遠くで見つめていられるだけでいいと思っていた。

 

 ――

 

 秋の涼しさを肌に感じる心地よい朝。

 祐巳は本日の一大イベントの為、時間に余裕を持ってリリアンの校門をくぐった。前日の夜から祐巳はあまりの興奮で中々寝付けなかったのだが、朝にはきちんと目を覚ました。今日という日に寝過ごすなど、祥子さまファンとしてのプライドが許さない。いつもより早く起きなくては、と考えていた通りの時間に起床し、今に至るというわけだ。

 慌ただしく校門をくぐり抜けても、マリア様の像を前にすればぴたりと足を止めてお祈りをする。それはリリアン生に刷り込まれた習慣だ。

 無事今日という日を迎えられたことに感謝の意を表し、祐巳は手を合わせた。

 お祈りが終われば、祐巳は再び慌ただしく早足で下足箱へ向かう。薔薇さま方がいたら、はしたないとお叱りを受けていたかもしれない。

 

「祐巳さん、ごきげんよう」

 靴を履き替えているところで、不意にお声がかけられた。目を向ければ新聞部に所属する真美さんのお姿がある。手元には、もちろん――今日発行のリリアンかわら版。祐巳の目にはそれがマリア様からの贈り物かのように見えた。

「真実さん。ごきげんよう」

「祐巳さん、今日は早いね。お目当てはこれかしら」

 分かっているくせに、真実さんは悪事でも企んでいるみたいにほくそ笑み、かわら版を祐巳の眼前にちらつかせた。それだけでもう、祐巳の視線は釘付けだ。

「う、うん。今回は祥子さま特集だっていうから、気合を入れて早起きしたの」

「祐巳さんてば、祥子さまのことになると目の色変わるんだもの。分かりやすすぎ」

「えっ、本当?」

 思わず、祐巳はすぐに顔に手を当ててみた。触ったところで分かるわけがないけれど、つい。

 祥子さまのことをもっと知ることが出来るわけだから、知らず知らずのうちにその喜びが顔に表れていたのかもしれない。

「そんなに楽しみにしていてくれたなんて、新聞部冥利に尽きるわ。はい、どうぞ」

「ありがとう、真美さん!」

 ともかく真実さんからかわら版を有り難く頂戴して、祐巳は嬉々として教室へと向かった。例え早く読みたいという思いに駆られているとしても、廊下で立ち止まってかわら版を熟読するなんて真似は祐巳にはできない。自分の席について、始業の時間までゆっくり読ませていただこう。

 

「ごきげんよう、祐巳さん」

 教室に入ると、祐巳は既に登校していた子に声をかけられた。早い時間だからか、他に登校している方はいない。

「ごきげんよう」

 祐巳もにこやかに答えた。爽やかな朝に、爽やかな挨拶が交わされる――穏やかなリリアンの朝の風景である。

「祐巳さん、かわら版はもうお読みになりました?」

「ううん、さっき真美さんから貰ったばかりだから、まだ」 

 彼女も祐巳同様祥子さまのファンだから、素敵な祥子さまのお話をすることが多いのだ。だから、祐巳がそうしたように、彼女も早くに登校してかわら版を手にしたのだろう。早く祥子さまトークをしたいらしく、ほんのり顔を赤らめてうずうずしている。無論祐巳とて早く読みたいわけで。利害は一致している。鞄を置くとすぐにかわら版に目を通す。

 かわら版の一面には、紅薔薇のつぼみとして職務をこなす御姿を見事に撮影したお写真が掲載されていた。記事内容は、祥子さまへのインタビューだ。未だ妹をもっていないものだから、リリアン生の注目度は高いのだ。将来の紅薔薇さまは誰になるのか、って。新聞部はそこに目をつけたのだろう。

 一通り記事を眺めて、祐巳はうっとりとした。祥子さまのお写真は、ずーっと見ていたって飽きやしない。

 

「このお写真、素敵よね。祥子さまがお美しく映っていらっしゃるわ」

 その言葉に祐巳は心から頷く。彼女のいう通り、ただでさえお綺麗な祥子さまが、高い撮影スキルによって更なる高みへ上っている。

「祥子さま、どうして妹をおつくりにならないのかしら」

「さあ……」

 雲の上の存在といってもいい祥子さまのお考えは、一般庶民の祐巳にはわからない。ただひとつ言えるのは、祥子さまの妹になる子は幸せ者だということだけ。 

 祐巳たちは始業の時間まで、かわら版を眺めながら、暫し談笑を続けるのであった。

 

 さて、祥子さまから始まったこの一日は、終始ご機嫌で絶好調のまま終わった。部活動に所属していない祐巳は、お掃除を済ませばあとはまっすぐ自宅に帰るだけだ。リリアンかわら版をしまった鞄を大事に抱えて、祐巳は帰路につく。

 さしたるトラブルもなく、4時を回る頃には自宅に到着した。自室に入り床に鞄を下ろすと、すぐに開けてリリアンかわら版を取り出す。今まで大切に保管してきた祥子さまコレクションに新たな作品が加わるのだ、着替える暇すら惜しい。

 祐巳はかわら版を自室のファイルにそれはそれは丁寧にファイリングするのだった。

 

「……ん?」

 紙を傷めることなくしっかりと保存することが出来、思わず破顔する祐巳だったが、ふと視界の端で何かが通り過ぎたような気がして、窓の方に視線を這わせた。カーテンは開けてあるから、窓からは夕焼けに染まる秋の空が見渡せる。

 ――なにもない。

 けれど、妙な違和感を覚え、祐巳はついに窓を開け放して外を見渡す。

 ――やはりなにもない。

 それでも暫しそのまま外を眺め、ついでに秋の涼風を浴びていると、夕焼け空に一筋の光が降り注いだ。

 

「わ、流れ星!」

 今日はなんて良い日なんだろう。こうも幸運が続くと逆に不安になりそうなものだが、そこは祐巳。えへへ、今日は幸せな日だ、なんて喜ぶだけ。 

「あ、そうだ願い事しなくちゃ!」

 幸運に酔いしれるだけじゃなくて、ちゃんとやることやらなくちゃ。そう思って願い事を考えるけれど、さっぱり思いつかない。

 考えに考え抜いて、祐巳はようやく願いを呟いた。

 

 ――祥子さまみたいな素敵な女性になれますように。

 

「わ、私、何言っているんだろう……」

 自分で言っていて恥ずかしくなる祐巳だったけれど、まあ、願うだけならタダだ。目を瞑りつつひとりごちてなんとなしに祈りをささげる。

「ふう……」

 やがて満足して目を開き――祐巳はさらにその目を見開いた。

 先ほどまで流れ星が降り注いでいた茜空に奇妙な閃光が奔り、なんとこちらに向かって落ちて来ているではないか。

「な、何!?」

 それもなんだか物凄い勢いで降ってくるものだから、大慌て。あれはもしかして流れ星じゃなくて隕石か、と祐巳の動揺は頂点に達した。一体どうしたらいいのか訳も分からなくなり、とにかくここから逃げようと祐巳は窓に背を向け駆け出す。けれど、もはや冷静に行動することが叶わない精神状態にある祐巳は、押して開ける扉を引いてしまった。

「な、何で開かないのっ?」

 必死に引きまくるものの、そもそも押して開ける扉である。開くはずがない。

 もうだめだ。

 諦観しきって、祐巳は襲い来る隕石の方へ振り返り――。

 

「いっ!」

 そして隕石はそのまま祐巳の顔面に直撃した。正確には、その額に。死が目の前に迫っているとすら思っていた祐巳だったが、自身にもたらされた実害は額の鈍痛くらいのものである。思いのほか小さな被害で済んだわけだけれど、それでも痛いものは痛い。額を押さえ痛みをこらえる。

 飛来した隕石と思しきものはというと、祐巳の額への着陸に失敗し、反動で部屋の中へ入り込んでいた。それでも勢いは止まらず、あちらこちらへと室内を跳ね回っている。

 

「もう、何が起きてるのっ!?」

 もはや理解の範疇を超えた出来事に声を荒げるしかない。

 隕石は騒々しい音を立てつつ部屋の中を暫く暴れ倒した後、ベッドの上でようやく全ての動作が停止した。激しく明滅していた閃光も終息をみせると、隕石の正体が祐巳にも視認できた。

「何だろう、これ……」

 そこに在ったのは、携帯電話のような機械端末である。桃色を基調としたポップなデザインで、一見したところでは危険はなさそうだ。しかし正体不明のものには変わりない。好奇心も相まって、祐巳は謎の物体に恐る恐る手をふれる。

 するとそれは再びすごい勢いで発光し、何らかの心霊現象よろしくひとりでに跳ねた。

 

「メポー!」

「きゃあああっ! ゆ、幽霊!」

 ぱかりと携帯がひとりでに開くと、そこには画面――ではなく、そこにはなにやら可愛らしい小動物の顔がはめ込まれていた。異様な光景だったが、それ以上に奇妙な声を上げたことが驚きだった。

「お前誰メポ?」

「……しゃ、喋ったあぁっ!」

 訳の分からない展開が続いて騒ぎ放題の祐巳に対し、彼は落ち着き払った態度である。

「女の子メポ?」

「え?」

「僕のお世話をするメポ!」

「へ?」

 次から次へとまくし立てられるその勢いに気圧される祐巳。もう何が何だかわからない。

 どう返答したものか見当がつかない。口をこまねいていると、ドタバタと廊下を駆ける慌ただしい足音が祐巳の耳に届いた。かと思うと部屋の扉が激しい音を上げて開かれる。

 

「祐巳、どうした!?」

 ノックもせずに乙女の部屋に勢いよく侵入してきた不届き者の正体は、弟の祐麒である。きっと、さっきの祐巳の悲鳴を耳にして飛んできたのだろう。その表情には焦りがありありと浮かんでいる。

 いつもなら勝手に入ってくるなと言うところだが、今の祐巳にはまさに渡りに船だ。祐巳は涙ながらに祐麒に助けを求めた。

「ゆ、祐麒ぃっ! 部屋に変なものがっ」

「変なもの?」

 祐麒は祐巳の並々ならぬ様子にどたどたと部屋に入ってくると、祐巳が指差したものを訝しげに拾い上げた。

「なんだこれ、携帯?なんで祐巳がこんなの持ってるの」

「そ、外からいきなり降ってきて、中に変な生き物が入っててっ!」

「お、落ち着けって」

 祐麒が携帯をチェックしたが、なにもない。もちろん、音もしない。喋りもしない。確かにさっきまで謎の小動物が入っていたはずなのに、その面影すらなかった。360度どこを見ても、単なる携帯電話である。何の問題もないことを確認した祐麒が、じとっとした目で祐巳を見た。

「なにもないじゃん」

「あ、あれ……? お、おかしいな。さっきは喋っていたんだけど」

 言い訳のようにぼそぼそとつぶやいていると、祐麒の表情は同学年の姉を責めるような表情から憐れみのそれへと変わった。

 

「……祐巳、疲れてるんじゃないか? 少し横になったら?」

 うわあああっ。

 幻覚でもみたのかと思われてる。

 心配してくれるのはありがたいけど、そうじゃないのにっ!

 見る見る顔を赤らめていく祐巳だったが、冷静な祐麒の姿を見てだんだんと落ち着きを取り戻していく。

 よくよく考えてみたら、確かにいろいろとおかしい。

 突然空から降ってきた携帯電話みたいな物に生き物が入っていて、しかも饒舌に日本語を話しはじめた。そんなことが、ありえるだろうか。いや、普通はありえないだろう。

 つまりは、やはり幻覚か、あるいは変な夢を見てしまったのかもしれない。

「……うん、そうする。ごめんね、心配かけちゃって」

「熱はないのか?」

「横になっていれば大丈夫だよ。……それより、乙女の部屋に勝手に入るなんて、デリカシーがないんじゃないの?」

 冷静さを取り戻したとなれば現金なもので、祐巳は弟がマイルームにノックなしで入ってきたことへの糾弾をはじめた。

 

「あんな悲鳴が聞こえたらノックなんてしてらんないよ」

「……そ、そんなにうるさかった?」

「ああ」

「そ、そう。騒がしくしてごめんなさい。でも、もう大丈夫だから。部屋に戻っていていいよ」

「お、おいっ」

 祐巳はまだ心配する祐麒の背中を押して部屋を追い出しにかかる。特に抵抗も見せなかったので、そのまま押し出した。それに祐巳が続き、二人して部屋を出たところでゆうきはちょっぴり不満げに声を洩らす。

 

「わっ、とと……乱暴だなあ」

「ね、ゆうき」

「ん?」

「ありがとね、心配してくれて」

「……別に」

 

 素直じゃない年頃の弟の様子に思わず笑みがこぼれるのを抑えられない。あれでけっこう可愛いところがあるものだ。

 心配して損した、などと愚痴を零しながら自室へ戻っていく祐麒を見送ってから、彼の言う通りに横になっていようと祐巳も再び部屋へ戻る。

 

「あれ……何、これ?」

 例のアレがあるのはさっきと同じだとして、明らかに異質なものが部屋の中にあった。

 なにやら長方形のカードのようなものが床に複数枚散乱していたのだ。タロットカードのようにも見えるが、生憎祐巳は占いには詳しくないためわからない。ともかく、全く心当たりのないものが部屋に突如として現れていたのである。

 怪しげなシロモノだけれど放置してはおけない。祐巳はそれらを拾い上げ、まじまじと絵柄を眺める。

 暫くカードを見ていると、祐巳は視界の端でぴょんこぴょんこと何かが動いたのを捉え、すぐにそちらの方に目を向ける。

 

 ――足もないのに、跳ねながら件の携帯電話がひとりでにあるいていた。

 

「~~っ!」

 祐巳は再び叫び声をあげそうになったが、さっきゆうきが大慌てでやってきたことを思い出してなんとか堪える。それでも、かなりの驚愕があったのは確かだった。

 さっきの光景はやっぱり現実だったのか、それともまた幻覚を視ているのか。祐巳には未だ判断がつかない。

 

「んっ……よっ……」

 時折少し苦しそうに声を洩らしつつも懸命にぴょこぴょこ動いているのを見て、これが夢なのか現実なのかはさておき、祐巳は彼のことが心配になった。咄嗟にカードを制服のポケットにしまって、彼に声をかける。

「ど、どうしたの?」

「はあはあ……自分で動くのは辛いメポ」

「だ、大丈夫?」

 どうやらひどく疲れているご様子だ。動くのをやめてはあはあと息を整えている彼の様子を見ていると、幽霊だなんだと恐れているのが馬鹿らしく思えてきた。人に害を加えるような存在でないことはもはや明白である。むしろ、よく見れば愛らしい見た目をしているとさえ思えた。

 介抱しようと手を伸ばすと、彼は真摯な目つきで祐巳を見た。

 

「おい、そこの女子。僕を希望の姫君ミップルの元へ連れて行くメポ!」

「き、希望の姫君? ミップル?」

お願いというより、命令。その言葉にも語調にも、貴族が召使に命を下すような不遜な態度が現れていたが、祐巳の頭にはハテナマークが大量にうかぶばかりだ。だって、彼が何を言っているのか分からないから。

「うーん……」

 分からないから、肯定も否定もできない。返答に窮し口を濁す。すると彼の態度は一変し、今度はうるうると涙目になって懇願してきた。

「お、お願いメポ! ほ、他に頼る人がいないメポ~!」

「そ、そんなこと言われても……そのミップルって子の居場所が分からないとどうしようもないし……」

「大丈夫メポ、僕はミップルの気配が分かるメポ! 僕が案内するから、連れて行ってほしいメポ!」

 だから心配いらないのだと豪語する彼に対し、祐巳はほとほと困り果ててしまった。彼も困っているみたいだから力にはなってあげたいけれど、分からないことが多すぎる。

 

「ちょ、ちょっと待って。何が何だかわからないんだけど……そもそも、貴方は何なの?」

 捲したてる彼を制止し、祐巳は現状理解のためにまず最も重要な事項について尋ねた。まずは目の前の謎の小動物搭載携帯電話の正体を知らなくては、と。彼が意思疎通を図ることのできる存在であったことは幸いだった。

 彼は一瞬きょとんとしてみせてから、自己紹介を忘れていたメポ、と照れたように笑う。

 そして。

「--僕は、光の園からやってきた選ばれし勇者、メップルメポ!」

 数瞬の沈黙の後、自信と自尊心に満ち満ちた表情で、彼--は堂々と自分の名を告げたのだった。

 

「ひ、光の園? 勇者?」

 訳のわからない単語が連続する。

「光の園をドツクゾーンの魔の手から守るため、僕はここにやってきたメポ!」

 はてさて、話を聞いてもやはり分からない。祐巳が唯一理解できたのは、彼がメップルという名前だということだけだった。

 まあでも、謎の多い生物だけど悪い子ではなさそうだ。何より可愛らしいし、信頼は出来るだろう。

 祐巳は目の前のメップルに一礼し、自分の名を告げる。

「えと、よく分からないけど……私は、私立リリアン女学園一年桃組の福沢祐巳です。よろしくね、メップルさん」

 

 --これが、祐巳とメップルの出逢いであり、大いなる戦いの始まりでもあった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

02

 とりあえずお互いに自己紹介をして、分からないことだらけではあるけれど、祐巳はメップルさんをミップルさんのところへ連れて行ってあげたいと思った。幸いというか何というか、現時刻はまだ五時前で夕食の時間まで余裕がある。

「それで、ミップルさん……のところに行きたいんだよね?」

「連れて行ってくれるメポ?」

 希望の芽が出たと見て、メップルさんは目を輝かせた。彼にとってミップルさんはそこまで大事な子なんだろう。

「うん……いいよ」

 メップルさんの希望に満ち溢れた表情を見て、祐巳は頷いた。

 キッチンでお料理をしているお母さんに一言告げて、祐巳はメップルさんを持って家を出る。さっき言っていた通り、メップルさんはミップルさんの気配を感じることが出来るらしい。

 ゆえに道中はメップルさんの指示に従って進むこととなった。けれど、その案内というのが思いの外酷かった。

 

「そこを右に曲がるメポ!」

「う、うん」

「あ、やっぱり左メポ!」

「ええーっ!」

「あ、じゃなくて、まっすぐメポ!」

 

 これである。

 案内係が右往左往するせいで、あっちへ行っては戻ってきて、こっちへ行っては戻ってきてとてんてこまい。惨憺たる有様だ。挙げ句の果てにメップルさんは、よその御宅の塀を見てここを真っ直ぐ進めと言い出した。

「まっすぐって、行き止まりじゃない! む、無理だよ!」

 塀を乗り越えて、人様のお庭を横切り、敷地を踏み荒らせ、と。メップルさんにそんなつもりはないだろうけど、つまりはそういうことだ。もちろん、祐巳は拒否した。一般庶民とはいえ、幼稚舎からずっとリリアンに通い淑女として育てられてきた祐巳に、そのような非常識な振る舞いなど出来るわけがない。

「ううううっ」

「あああ、な、泣かないで!」

 可愛らしい見た目のメップルに泣き落とされる祐巳。非常識な行いはすまいという良心との間で、祐巳は板挟みになってしまった。どうしたらよいものかと思考を巡らす。

 しかし、祐巳が思いつくことは一つしかなかった。

「ごめんなさい、通り道になるけど・・・許してえっ」

 決断して即ダッシュ。祐巳は懸命の走りで反対側までまわりこむ。早くミップルさんに会いたいメップルさんは不満げだったけれど、これが祐巳にとっては最善の策だった。というかそれが当たり前である。

 まあ、時間を食ってしまう分は、祐巳が走ればいい。

 こうなったら最後まで付き合ってあげよう。

 祐巳は覚悟を決めて、メップルさんを抱えてどこまでも走った。

 

 ーー

 

 あれからどれくらい時間が経っただろうか。暗くなりゆく夕空には月がにわかに顔を出し、日は既に沈みかけていた。

 メップルさんを連れた祐巳は、街の外れにある遊園地にまでやってきていた。平日の夕方という時間帯のせいか人通りもまばらだ。

 

「ふう……。ねえ、メップルさん。遊園地まできちゃったけど、ここでいいの?」

「何かおかしいメポ……。でも方向は間違いないはずメポ」

「じゃあ、もう少し進んでみよっか、メップルさん」

 入場無料の遊園地だから、お金を持って来なかった祐巳でも心配はない。そそくさと入場し、周りを見渡してミップルさんと思しきものを探しながら歩みを進める。

 そういえば遊園地にも暫く行っていないな、なんて他愛もないことを考えつつ。入口からしばらく歩いて、ジェットコースターだとかメリーゴーランドとか遊園地の花形ともいえるアトラクションが立ち並ぶエリアに差し掛かったところで、突如メップルの表情が一段と険しくなった。

「むっ!」

「ど、どうしたの?」

「ミップルとは違う何かの気配を感じるメポ!」

「け、気配って、何の……?」

 祐巳と出逢ってからのメップルさんはずっと元気に振舞っていたのに、恐怖を噛み殺した悲壮的な表情を浮かべていて少し不安になる。

 すると、祐巳の恐怖を煽るように、突然風に乗って男性の声が聞こえた。

「ここで行き止まりだよ、お嬢さん」

「え……?」

 驚いて周りを見渡してみるも、思い当たる人の姿はない。聞き間違いかと思い掛けた時、唐突に空から図体の大きな男性が舞い降りてきた。

「きゃあっ!」

 白塗りの顔で歌舞伎役者を思わせるような風貌の怪しげな男が、祐巳の前に突如立ち塞がってきたのだ。祐巳が悲鳴を上げてしまうのも致し方ない。

「ふふ、探したぞ」

 祐巳が怯えているのも構わず、男が言った。

 探した。

 ーー何を?

 少々の逡巡の後、祐巳はその言葉の意味にはっと気がつき、ほっと一安心して笑顔すら見せた。

「あ、もしかして、この子の飼い主さんですか?」

 幼稚舎からずっと、人畜無害な天使たちの楽園に通っている祐巳は、当然男性との関わりが父と弟以外にはほとんどない。そのためか、彼が危険だという考えにいたらず、メップルを探す飼い主さんか何かだと思ってしまったのである。

「ち、違うメポ! 近づいたらダメメポ!」

 そんな祐巳の考えを否定したのはその男ではなく、手元にいるメップルさんだった。

「え?」

 聞き返す祐巳だが、その答えはすぐに判明した。

「ははは、平和ボケもいい所だな」

 男の鋭い眼光が、祐巳とメップルを突き刺す。その唯ならぬ敵意を感じ取り、祐巳はようやく自分の考えが間違っていたと気付いた。

 祐巳はメップルを守るようにして後ずさる。

「あ、貴女は誰ですか」

「……我が名はピーサード。そいつを頂きに来た」

  そいつとは言うまでもなくメップルさんのことだろう。メップルのことはまだよく知らない祐巳だが、彼にメップルを渡してはいけないと思った。なにより、メップルさん自身がそれを嫌がっているのだ。

 抵抗の意思を見て取ったのだろう。ピーサードと名乗った男は、鬼のような形相で祐巳を睨みつける。

「おとなしくそれを渡せ」

 一歩一歩とピーサードが迫り来る。

「ひっ……」

 生まれてはじめて男性の悪意と威圧をその身に受け、祐巳は怯えでその場から動くことができなかった。

 

「逃げるメポっ!」

「っ……うん!」 

 メップルのその一言がなければ、未だ嘗て感じたことのない恐怖で逃げることすら叶わなかった。けれど、メップルさんの一声で祐巳は一瞬だけでも正気を取り戻したのだ。祐巳はようやくピーサードに背を向け、リリアン生としての矜持をも忘れ無我夢中で駈け出す。

 ーーしかし。

 

「遅い」

 帰宅部所属でスポーツの嗜みのない祐巳の脚力では逃げきれるわけもなく、10秒と持たずにピーサードに回り込まれてしまった。

「ひっ!」

「全く、手を焼かせるんじゃない」

 ピーサードが手を伸ばしてくる。凶器は持っておらず完全に素手ではあったが、運動すらほとんどしていない女子高生が大人の男性の力に勝る道理はない。

「嫌っ!」

 迫り来る男の鬼気迫る表情に、祐巳の心は再び恐怖に占められた。逃げないと本当にまずい。本能で理解した祐巳は必死にその伸ばされた手をかいくぐり、再び駆け出そうとするも、足がもつれて転んでしまう。反動で、決して放すまいと握っていたメップルは祐巳の手から解放され、数メートル先に落ちてしまった。

「あっ! め、メップルさん!」

 慌てて拾おうとするが、そのわずかな隙をピーサードは見逃さない。俊敏な動きで跳躍し、祐巳より先にメップルさんを回収してしまった。

「さあ、捕まえたぞ。石はどこだ」

 その手に力を篭め、メップルさんを苦しめている。言葉の意味は分からなかったが、メップルさんが危ないということだけは分かる。けれど、メップルさんを助けるにはどうしたらいいのか。

 僅かな時間で懸命に思考を巡らせるが、妙案は浮かばない。駄目だ……手の打ちようがない。

 祐巳は絶望に打ちひしがれ、もはや苦しんでいるメップルさんを見ていることしかできなかった。

 

「何をしているの!」

 そんな殺伐とした空気の中、凛としたお声がその場に響き渡った。

 緊迫しきった状況であったため、祐巳はその声に驚愕し、勢いよく振り返る。そして更なる驚愕に襲われた。

 だって、そこにいたのは私立リリアン女学園高等部二年、紅薔薇のつぼみ、小笠原祥子さまの御姿だったから。

 

 --

 

「さ、祥子さまっ!?」

 思わず、はしたなくも大きな声を上げてしまった祐巳を、一体誰が責められよう。ただでさえ全く理解できないままこの危険な状況に陥っているというのに、まさかそこに憧れの祥子さままで現れたらパニックになるのも当然だ。

 どうして、祥子さまがここに来たのか。

 どうして、祥子さまがメップルと同じ機械? を持っているのか。

 ただ一つわかるのは、祐巳がこの危険な状況にリリアン生憧れの祥子さまを巻き込んでしまったということだけ。

 

「ど、どどどうしてっ」

 動揺の境地に達した祐巳に対し、祥子さまはひどく冷静だった。その手に持つモノを祐巳の前に掲げ、穏やかに口を開く。

「この子が、私をここまで連れてきてくれたのよ」

 この子とは――メップル同様携帯電話のような端末に謎の小動物の顔だけがある――桃色の子。

「さ、祥子さまもこれを? じゃあ、この子がミップルさん……?」

「ええ。けれど、ゆっくり話していられる状況ではないようね……」

  祥子さまはちらとピーサードに視線を向け、恐怖なのか怒りなのかはさだかではないけれど、そのお顔をゆがめた。

「あ、あの人がどういった方なのかご存知なのですか、祥子さま?」

「っ……いいえ。ただ、私たちに害をなす存在であることは確かね」

  どうやら状況の理解に苦しんでいるのは祥子さまも同じらしい。祐巳と同様に、ミップルさんに導かれてここまで来たのだろう。

  しかし、祐巳は未知の存在への恐怖を感じながらも、少しばかりの幸福感が芽生えていた。というのも、皮肉なことに、これほどまでに緊迫した雰囲気の中にあってはじめて、祐巳は祥子さまと会話をすることが出来たのだ。そうでなければ、祐巳は緊張でろくに口がきけなかっただろうから。

  そんな中、ふと祥子さまの手中にあるミップルさんと思しき桃色の体の子が本来の姿を現した。

 即座にピーサードの元のメップルさんを見つけて、悲痛な声を上げる。

「メップルーっ!」

「ミップルー!」

 祥子さまの手の中のミップル、そしてピーサードに捕えられてしまったメップルが互の名を呼び合う。それは感動の再会であり、また、永遠の別れでもあるかもしれなかった。

 

「ははははッ! ようやくもう一匹もおでましか! 探す手間が省けたよ。さあ、そちらも寄越すんだ」

 狂気すら感じる哄笑。そして、ピーサードはじわりじわりと祥子さまに迫る。

「渡しちゃダメミポ!」

 ミップルさんも必死だ。

 祥子さまは、その端正なお顔に怯えを見せ一歩引くものの、毅然とした態度で対応した。

「ち……近づかないで!」

 あの麗しい祥子さまのお顔が恐怖に歪んでいる。それでもピーサードは構わず手を伸ばす。

「さ、祥子さま……」

 そして、祥子さまのお身体にその大きな手がまさに触れようかという時。

 

「や、やめてええええッ!」

 自分だって怖いはずなのに、その様子を見て祐巳は恐怖を押し殺し、叫びながらピーサードに飛びかかった。

 祥子さまのお体に傷でもついてしまったら。

 その恐怖の方が勝ってしまったから、祐巳は飛び込んだのだった。ただ無我夢中にピーサードの身体にタックルをかまし、彼が一瞬怯んだ隙に祐巳はその腕をはたいてみせた。当然、メップルは彼の手を離れ、宙を舞う。息を切らしつつも懸命にその後を追った祐巳は、リリアン生にあるまじきスライディングでメップルを拾い上げた。

 

「はあ……はぁ……」

「サンキューメポ、助かったメポ」

 怖かった。

 冷たい汗が一筋二筋と額を流れる。激しい運動のせいか祐巳の呼吸は乱れ、すぐには立てそうにない。当然メップルさんの言葉に返事すら出来ず、祐巳は膝を地に着けたまま四つん這いの態勢を余儀なくされたのだった。

「大丈夫!?」

 そこに差し伸べられたのは、祥子さまの白く繊細なお手。穏やかな日常の中でこのような状況ともなれば、祐巳の心は歓喜の思いに染められただろう。きっと、マリア様に感謝の想いをお伝えすることだろう。けれど、今の祐巳にそのような心の余裕はないし、また身体の余裕もない。縋るようにその手を掴み、祐巳はなんとか立ち上がった。

「ありがとう、貴女のおかげで助かったわ。早く逃げましょう!」

 駆け出した祥子さまの少し汗ばんだ手に引かれて、祐巳も懸命に走り出す。今はとにかく、この危険な殿方から逃げなければならない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

03

 

「いつまでもちょこまかと……遊びはもう終わりだ!」

 いつまでも抵抗を続ける祐巳たちに、ピーサードの怒りは頂点に達したらしい。ピーサードは憤怒で声を荒げ、両手を天に翳した。けれども、それに構っていたらこちらの命が危ない。とにかく走って走って走らなくては。祐巳はともかく、祥子さまはそう考えているようだった。

 逃げながらも、ふと、祐巳は追っ手の様子を確かめようと背後に目を向けて――その有り得ない光景に驚愕した。

 浮いていたのだ。

 ベンチ、ゴミ箱、看板、のぼり。道中に在る、浮くはずのない数々の物が。

 

「な、なにこれ……」

 呆然と、そう呟くしかない。自分は夢でも見ているのだろうか。そう思ってしまうくらい受け入れがたい光景だった。

「な……」

 祐巳の様子に気づいて、祥子さまも遅ればせながらこの非現実的な光景を目にしたらしい。

 数々の物が宙に浮き、その下でピーサードが下卑た笑みを浮かべて立っている。彼が操っているのだということは、流石の祐巳でもわかった。彼が普通の人ではないと、祐巳は今この時ようやく悟った。

 

「きゃあっ!」

 ついに、宙に浮いていたそれらが、祐巳と祥子さまを目掛けて襲いかかってきた。直撃すればもちろん無事ではいられないであろう攻撃に、祐巳は右へ、祥子さまは左へ慌てて飛び退る。人間死ぬ気になれば限界以上の力が発揮できるもので、奇跡的にも祐巳はその攻撃を回避した。祥子さまもなんとか無事のようだ。

 しかし、それだけで終わる訳もなく、一切攻撃は緩まなかった。こちらは抵抗の手段を持っていないし、相手の攻撃が物を操り遠距離に飛ばすというものだから逃げることもほぼ不可能。一発、二発と回避することは出来たが、祐巳たちが力尽きるのは時間の問題だった。

「っ――」

 そしてついに限界が訪れる。前にも下にも注意が回らずひたすら回避に専念していたために、段差に躓いてしまい、祐巳は転んでしまった。声にならない声が洩れ、痛みに顔を顰める。

 まずい。非常にまずい。

 

「二人とも! 早く変身するメポ!」

 その時、祐巳が落とさないよう懸命に手に掴んでいたメップルが独特の甲高い声で叫んだ。

「「――変身?」」

 その言葉の意味が理解できず、祐巳はメップルの言葉をそのまま繰り返す。そこに祥子さまの声も重なった。この状況で耳にする「ヘンシンする」という言葉の意味が、祐巳には理解できなかった。祥子さまも同じ気持ちらしい。

「こんな時に、貴方は何を言っているの!」

 ついに祥子さまがお怒りになった。空気を読まずに非現実的な言葉を口にしたメップルに、祥子さまの落ち着いてはいるものの冷たい言葉の刃が迫る。祐巳だったら恐ろしくて反論出来そうにないけれど、しかしメップルは一切引かなかった。

 

「いいから早くプリキュアカードを出すメポ!」

「ぷ、プリキュアカード?」

 メップルの言う「カード」の心当たりは、祐巳にはひとつしかない。祐麒を部屋から追い出して戻ってきたとき、床に散乱していた数枚のあのカードのことだろう。

 そう思い立った祐巳は、急いで制服の内ポケットにしまっていたカードを取り出した。祥子さまも、ミップルさんに言われて半信半疑ながらカードを取り出している。

 

「カードをどうしたらいいの!?」

「クイーンのカードを出すメポ!」

 言われて祐巳は手元のカードから、「クイーン」と思しきものを探し――そしてすぐに発見した。一際存在感を放つ金色の光を背景に、荘厳な女王が描かれているカードがあった。

「それをココにスラッシュするメポ!」

 ココ、とはつまりメップル――正確には彼が存在するこの携帯電話のようなモノ――の下部に在るカードをスキャンするようなリーダ部分のことを指しているのだろう。藁にも縋る想いで、祐巳はクイーンのカードをスラッシュした。

「祥子も早くするミポ!」

「え、ええ」

 ワンテンポ遅れて、祥子さまもカードをスラッシュした。

 

 すると。

 メップルさんとミップルさん、その二つ共が其々の手中で眩い光を放ちはじめた。不快なものではない。むしろ心地良くすらある。やがて祐巳はメップルが放つ光に包まれ、祥子さまはミップルの放つ光に包まれた。

 そして胸の奥から湧き上がってくる激情のままに、祐巳はほとんど無意識にメップルを天に掲げて叫んでいた。

「「デュアル・オーロラ・ウェーブッ!」」

 同時に隣では祥子さまも叫んでおり、二人の声が重なってこの場に響き渡る。

 数秒の沈黙の後互いに顔を見合わせるが、この状況を理解するにはいたらなかった。

「……わ、私何を言って……」

 真っ先に祥子さまが顔を朱に染めて、恥ずかしそうにつぶやく。学園では滅多に見ることのできない、祥子さまの恥じらい。それを見て祐巳も顔を赤らめた。

 

 二者の戸惑いをよそに、メップルたちが放つ光量は増していく。

 やはり自分の意思ではなく――というより、しなければならないという義務感のようなものが胸の内に溢れ、祐巳は不敬にも祥子さまに手を差し出していた。それはもちろん、手を繋ぐため。

 はたと気づき頬を染めるも、そこには祥子さまの手があった。

 

 ぎゅっと二人の手が固く結ばれる。その手のぬくもりからは祥子さまの思いが伝わってくるようだ。手を繋いだことで、祐巳は祥子さまと一つになれたような、そんな一体感と共に、ふわりと宙に浮くような高揚感を覚えた。

 二人を包む光は、ピーサードをも恐れさせる神聖な虹色へと色を変え、その場に君臨する。

 瞬き一つで状況が一変する非現実の中、祐巳は自分の服装が、着慣れた深い色の制服から全く別の物へと変化しはじめていることに気づいた。

 全体的に黒を基調とし、補色として桃色が使われている――スカート丈の短い黒のドレスとスパッツを組み合わせた動きやすそうな衣装。胸元には桃色のリボンが設えられ、腕にはやはり黒がメインで桃色のハートの装飾が施された篭手。耳には今まで着けたこともないハートのイヤリングが装着される。

 

 こうした変化は隣の祥子さまにも見られた。

 リリアンの制服から、黒色を基調とした祐巳の衣装とは対をなすように、白色の衣装へと変容している。

 動きやすさを重視している祐巳のそれとは真逆だ。パラソルのようなスカートを基調とした純白のドレスは、白のコスチュームと補色の水色が相まって全体的に柔らかい印象を醸し出している。

 最たる変化は髪型だった。普段の枝毛一つない流麗なロングヘアーからは打って変わって、青色のハートがついた水色のリボンで髪を頭頂部で結ったポニーテールになっている。普段目にすることのないその髪型は、どこか新鮮な趣を感じさせる。

 そしてその耳には、祐巳と同じお揃いのハートイヤリングもしっかり装着していた。

 

 やがて二人を抱擁する虹色の光は天へと迸り、より一層眩い光の渦が世界を覆い尽くす。同時に、祐巳は自分の足が地についたことを知覚した。光が収まるのと同時に沸き起こる使命感に突き動かされ、祐巳は華麗にポーズを決めて叫ぶ。

 

「光の使者、キュアブラック!」

 続いて祥子さまも美しい黒髪をきらきらと靡かせながら、右手を胸に当てて優雅にポーズを決めた。

「光の使者、キュアホワイト!」

 

 祐巳――もといキュアブラックは、祥子さま――もといキュアホワイトと背中合わせになり、視線の先に立ち尽くしているピーサードを睨めつける。そして同時に声を揃えて声を上げた。

「「ふたりはプリキュア!」」

 

「闇の力のしもべ達よ!」

 毅然とした態度で悪を見据え、凛とした声で断罪の始まりを告げるホワイト。そこにブラックも続く。

「とっととお家に帰りなさい!」

 

 決まった。

 と、ここまでお約束の変身およびその口上をしたところで、祐巳はようやく我に返った。自分の意思によるものでないにしても、これはないだろう。再び羞恥に顔を赤らめる祐巳だったが、ふとあることに気がつき、自分の身体を見つめる。

 そう、問題はこの身に纏う衣装だ。

 

 ――おへそが出ている。

 ――スパッツがあるとは言っても、とっても丈の短いスカート。

 

 な、なんて破廉恥な!

 遊園地という公共の場に居るのに、なんてはしたない格好をしているのだろう。なんという羞恥プレイ。そんな穴があったら埋まりたい気分になったけれど、視界に祥子さまの御姿が目に入り、その思いは一気に吹き飛んだ。

 

 祥子さまの衣装の美しさときたら。

 純白のドレスは見目麗しい祥子さまに引けをとらない優美さを有している。また、ポニーテールとなった髪が、普段学園で目にする祥子さまとはまた違った新たな魅力を引き出していた。ハートのイヤリング、なんて素敵なアクセサリーがまた祥子さまに似合っている。

 まあ要するに、祥子さまは祐巳とは違って何を着たって似合う美貌がある。そこに素敵な衣装があれば、綺麗になるのも当然だ。元がいいんだもの。

 

「な、何なんだお前らは!」

 彼にとって単なる弱者でしかない存在が、目の前で変身し立ちはだかってきた。その事実に多少の驚きを見せ、ピーサードは少しばかりの不安をその顔に湛えている。

 我慢の限界に達したか、怒りにまかせてとびかかってきた。

「わわっ」

「きゃっ」

 二人は慌てて大きく跳躍し回避する。今の祐巳と祥子さまは、プリキュアに変身したことで身体能力が大幅に向上している。故にその跳躍は常人には不可能なほどの高距離に達していた。眼下のアトラクション群が小さく見えるほどに。

 その後、二人は慣れないながらなんとかメリーゴーランドの屋根に着地した。

「なに!?」

 あっさり回避してのけた二人の戦士に驚愕するピーサード。しかし、この偉業に驚いているのは彼だけではなかった。

 

「え、ええええ! な、なにこれっ」

「この身体……どうなっているの?」

 変身したばかりの二人は、自分たちががどれほどの力をその身に有しているのか身をもって知ったのだった。

「これがプリキュアのパワーメポ!」

 自信満々に語るメップルさんだったが、ミップルさんは冷静だった。場の状況を正確に把握し、二人に危機を告げる。

「ーーあっ、来るミポ!」

 

「この……舐めるな!」

 ピーサードの怒りの追撃が始まった。屋根の上での激しい戦いが繰り広げられる。ピーサードの身体能力も並々ならないものがあり、その肉体から繰り出される力に任せた拳の連打は、直撃すればプリキュアとて無事ではすまない。

 

「わわっ!」

「はっ!」

 祐巳は異様に向上した身体能力を駆使し、飛んだり跳ねたりと不格好に回避を続け、とにかく殴り対応する。

 対して祥子さまは舞のような優雅な身のこなしで華麗にピーサードの攻撃を避け切り、隙を見てキックで応戦する。

 元々人数で言えば2対1でこちらが有利なのだ。つまり、戦えるだけの力があれば立場は逆転する。

 そう、今追い詰められているのはピーサードの方だった。

 

「はっ!」

 祥子さまに殴り掛かるピーサードだが、その動きは隙だらけだ。祥子さまは後方へ飛び退り、空中で一回転してそのまま跳び蹴りをかます。

「この……クソが!」

 しかし、だ。

 祥子さまの御御足がピーサードの体に直撃した時だった。いや、彼はあえて蹴りをその身に受けたのだ。

 直後、ピーサードは祥子さまの足首を掴んでいた。

「きゃああああっ!」

 祥子さまはそのまま力任せに振り回され、屋根下ーー数メートル下まで投擲される。

「さ、祥子さまっ!」

 祐巳は慌てて追いかけるが、祥子さまは無事だった。再び空中で一回転し、そのまま優雅に地面へ着地する。

「大丈夫よ、心配いらないわ!」

「よ、良かった……」

 ほっと一安心。

 しかし敵は未だ健在。もちろん油断はできない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

04

 

「たああっ!」

 今度は祐巳が攻勢をしかける。跳躍してピーサードのいるメリーゴーランドの屋根へと舞い戻り、激しいタックルをお見舞いした。その勢いのまま、ピーサードを地面に投げ落とす。

 ピーサードは勢いよく大地に激突し、砂煙が巻き起こる。

 自分で攻撃をしておきながら、祐巳はその凄まじさにまたも驚いていた。

 

「くそ、忌々しい女どもめ!」

 砂嵐が晴れると、ピーサードが恨み節を言い放つ。彼は未だ五体満足だった。

 再び攻撃がくるかと身構える祐巳と祥子さまだったが、しかしそうではない。

 ピーサードは跳躍してジェットコースターの屋根上へと着地した。すると彼はポルターガイスト現象を引き起こした時同様、再び天に両腕を掲げる。

 

「怒れる天空の妖気、ザケンナーよ! 邪悪な心――闇の恐ろしさを思い知らせてやれ!」

 その口上の後、次第に空が黒雲に覆われていく。もくもくと際限なく広がり、現在は動作していないジェットコースターの車両をも包み込んだ。

 そしてようやく黒雲が晴れた時、空は闇に包まれていた。

 そして――。

 化物と表現するほかない、巨大な黒い生物は姿を現す。

「ザケンナー!!」

 恐怖の唸り声がとどろく。図体は大きく、祐巳の背丈の数倍はあろうか。

 化け物はそのままジェットコースターに飛びかかり、そして姿を消した。いや、乗り移ったのだ。

 そして、代わってこの場に現れたのは異様な風貌の黒龍。

 

 それは、さっきまでジェットコースターだったもの。

 それは、さっきまで人々を楽しませるアトラクションだったもの。

 それが、闇に包まれたことで恐怖をもたらす化け物へと姿を変えたのだ。意思を持つ巨大な兵器となったのだ。

 ジェットコースターの化け物は、その大口には鋭い牙が生え揃い、鋭い眼光でこちらを獲物を見つけた虎のごとき表情を浮かべている。そこに、人を楽しませるはずのジェットコースターの面影はない。タイヤ部分は腕となり、鋭い爪を光らせる。最後列の座席だった部分は今は鋭く尖った化物の尾となった。

 二人はその異様な変化の様子を驚愕の表情で見つめていた。

 

「う、嘘でしょ?」

「私は夢でも見ているのかしら……」

 祐巳も祥子さまも、頭上の光景に呆然とつぶやくことしかできない。今までの出来事だって十分非現実的ではあったが、ここまでではなかった。事実は小説より奇なりとは言うが、こんか事実があってたまるものか。

 祐巳はもちろん、祥子さまでさえ、暫しその場に立ち尽くしていた。

「危ない!」

 そんな最中にあっても祥子さまは、黒龍の攻撃の予兆を感じ取ったのかいち早く危機を察知し、庇うように祐巳を突き飛ばした。そのまま祐巳に覆い被さるようにして、地に伏せる。

 直後、黒龍の両目が怪しく煌めきーー放たれるは電磁砲。祐巳のいた場所に、凄まじい破壊力をもつそれが二人の元へと降り注いだ。

「きゃあああああッ!」

 ふたりの悲鳴がその場に轟き、ピーサードは喜びに打ち震える。大地すらも削る威力の攻撃だ。無事では済まないだろう。

「はははははっ! いいぞ、ザケンナー!」

  その強さを見て余裕を取り戻したピーサードは、再び勝ち誇ったように、狂ったように笑っている。

 

「はぁ、はぁ……大丈夫?」

「は、はい。あの、祥子さまは……?」

「私も大丈夫よ」

 しかしピーサードの思惑に反し、二人は無事であった。無傷とはいかないまでも、あの凄まじい威力の攻撃を考えれば上々である。

 惚けている中でも危機を感じ取った祥子さまのおかげで、重傷を免れた。

 祥子さまって、やっぱりすごい。祐巳は改めて祥子さまへの尊敬の念を深めたのだった。

 

「くっ……何なの、あの攻撃は!」

「ど、どうしたら……」

 とはいえ、あれほどの攻撃を目の当たりにして、祐巳も祥子さまも対抗手段が浮かばない。手をこまねく祐巳たちに、黒龍の追撃はなおも続く。

 ジェットコースターの車輪--今は数倍ほどまでに肥大化している上に無数の棘が付いている--を、祐巳たち目掛けて容赦なく飛ばしてきた。車輪は高速回転しながら容赦なく二人を襲う。跳躍してなんとか回避に成功したが、車輪は対応もまた素早かった。二人が回避したことで、後方へと飛んで行った車輪がまるで意思を持っているかのように祥子さまの背後から再び迫ってきたのだ。

 それに早く気が付いたのは、今度は祐巳だった。祥子さまから少し離れた場所に着地していた祐巳の目は確かにそれを捉えていた。

 

「祥子さま、後ろっ!」

 このままでは危ない。瞬時にそう感じ取った祐巳は端的に叫んだ。

「きゃあっ!」

 しかし、遅かった。祐巳の声で再度攻勢に転じてきた敵に気が付いた祥子さまは、咄嗟に両腕を胸の前にクロスして防御態勢を取ったものの、堪えきれずに、そのまま吹き飛ばされてしまった。

 

「祥子さま!だ、大丈夫ですか!?」

「え、ええ。ありがとう」

 

 小さく笑顔すら見せる祥子さまに、祐巳は一安心する。

 変身したことで、身体能力が向上しただけでなく、身体そのものがかなり頑丈になっているらしかった。そうでなければ、あの攻撃で祥子さまは重傷を負っていたはずだから。

 しかし、事態はちっとも良くなっていない。黒龍に攻撃が通っておらず、ダメージを与えられていないのだ。助かった二人に再び魔の手が迫る。今度は車輪ではなく本体が、直々に攻撃をすべく襲ってきた。

「さ、祥子さま……」

「ええ、これは少しまずいわね……」

 この危機的状況に、二人は怯えて身を寄せ合う。祐巳は祥子さまの腕にすがりつき、恐怖に打ち震えた。

 もうだめだ。自分なんかが戦えるわけがなかったのだ。

 

 諦めかかった、その時。

 祐巳の腰に装着されたポーチ--正確には、変身と同時にそこに収納されたメップルさんが、暴れはじめた。何かを伝えたがっているのかもしれないと、祐巳は藁にもすがる思いでメップルさんを取り出す。

「二人で手をつなぐメポ!」

 ようやく発言出来る環境に戻ったメップルさんは、開口一番にまたそんなことを言った。

 

「えっ?」

「こ、こんな時に何をっーー」

「いいから早く繋ぐミポ!」

 メップルさんよろしく祥子さまのポーチから取り出されたミップルさんも、やけに急かしてくる。

 どうしたものか、と二人で顔を見合わせる。そして祥子さまが溜息をついてから先に口を開いた。

「……手を出して」

「さ、祥子さま?」

「ミップルたちの言う通りにしてみましょう。もしかしたら希望がみえるかもしれないわ」

「は、はい!」

 

 ぎゅっ。

 強く、硬く、祐巳は祥子さまと手を繋いだ。

 たったそれだけで祐巳の内なる恐怖は払われ、すっと心が晴れる。

 祥子さまと繋がるこの手だけは、ほんのりとぬくもりを帯びている。それが祐巳をここまで安心させた。

 祥子さまと手を繋いでいれば、なんだって出来る気がした。

 そう、祥子さまとなら、あんな怪物だって倒せるんだ。

 ぎゅっと手を強く握ると、祥子さまの手にも力が込められる。

 

 さあ、あの化け物を、倒そう。

 もはや祐巳の意思は確固たるものとなり、不思議と自信に満ち溢れていった。あんな途方もない化け物でも、祥子さまと一緒なら勝てると、何の根拠もなく思ったのである。

 そして祐巳は祥子さまと繋がっていない方の手を空に掲げ、祐巳は絶対の意思を持って。祥子さまも、同様に空いている手を翳す。

 そして二人は思いのままに--叫ぶ!

 

「ブラック・サンダー!」

「ホワイト・サンダー!」

 二人の声が同時に空へと響き――天より黒き稲妻と白き稲妻がそれぞれの手に飛来する。落雷ではない。二人が行使する力として、今ここに舞い降りたのだ。

 

「プリキュアの美しき魂が!」

「邪悪な心を打ち砕く!」

 

 ぎゅっ。

 改めて互いに手を繋ぎ直し、狙いを定める。

 

「「プリキュア・マーブル・スクリュー!」」

 

 二人の掌から黒と白の稲妻が黒龍目掛けて迸る。黒と白の稲光は祐巳と祥子さまつながった手を介して混ざり合い、その威力は更に増していく。

 聖なる稲妻はそのまま闇に包まれた黒龍の身体を射抜き、その絶叫とともに闇が払われる。

 光が消える頃には化け物の姿は消失し、ただのジェットコースターだけが当たり前のようにそこに在った。

 

「ゴメンナー、ゴメンナー……」

 ジェットコースターに取り憑いていた闇に包まれた生物--ザケンナーが幾百の小型の生物に分裂し、あちこちに飛散していく。たくさんのゴメンナーとなってそれぞれ別れ、散り散りに逃げていった。

 

 その様子を見て、祥子さまがつぶやく。

「終わった……のかしら?」

「み、みたいですね……」

 祥子さまの一言で、張り詰めていた緊張が一挙に解ける。そのまま祐巳は腰を抜かして地にへたりこんでしまった。ただの女子高生だった祐巳がここまでの戦闘を繰り広げていたのだ。精神と身体の疲労からか、その双眸にはうっすらと涙を湛えている。

「良かった……」

 祐巳は心の底から安堵する。

 本当に、一時は大袈裟でなく死ぬかと思った。ごく普通のありふれた学生と自負している通り、今迄そうした危機に遭遇したことなどなかった祐巳だから、その恐ろしさを身を以て実感した。

 

「……あの方ももうどこかへ行ってしまったようね」

「あ、そ、そういえば、いませんね」

 

 件の化け物を生み出した元凶、ピーサードも気付けば姿を消していた。最後の奥の手だったであろうザケンナーを打ち破られ、逃げていったのだろうか。

 事実は定かでないが、祐巳はとにかくようやく戻った平穏に浸っていたかった。だから、ピーサードの事は意識の埒外に置いておくことにした。

 祐巳たちを襲う敵はもういない。戦いは終わったのだ。

 

 ポーチにはいったメップルとミップルが、再び二人の腰元で暴れはじめた。それを見た祥子さまが訝しげにつぶやく。

「出してほしいのかしら?」

 ポーチを開封すると、即座にメップルとミップルが飛び出してきた。

 

「メップル~!」

「ミップル~!」

 ポンッ! と気の抜けるような音とともに、メップルさんとミップルさんはその全身をあらわにした。実体化、というのが最もふさわしい表現かもしれない。まさしくその顔のイメージ通りの小動物の姿。丸いしっぽがかわいいと、祐巳はふと思った。

「ずっと会いたかったメポ~」

「私もミポ~」

 二人は頬を擦りあわせて再会を喜んでいる。一年に一度だけ相見えることができる織姫と彦星のごとき喜びようだ。

「結局、この子たちはどういう生き物なのかしら」

 完全に二人だけの世界へと入り込んでしまったメップルさんとミップルさんを見て、祥子さまが溜息まじりに言った。

「もう、訳がわかりません……」

 

 流石に我慢の限界に達したか、祥子さまはいい加減にしろとばかりに咳払いした。

「お取り込み中大変心苦しいのだけど、説明してほしいことがたくさんあるの。教えてくれるわよね?」

 祥子さまの言う通り、今はわからないことが多すぎる。なにやら知っている様子だったメップルさんたちを問い詰めるのは当然の流れだろう。

「君たちは、プリキュアのパワーを授かったんだメポ」

「プリキュア……私たちのことね」

 理解の早い祥子さまに、焦りながらも祐巳は思い出す。そういえば変身するとき、無意識にプリキュアがどうとか口走っていたような気がする。

 

「これから二人には、光の戦士プリキュアとして私たちと一緒に戦ってほしいミポ」

「戦うー!?」

 この平和な島国日本にいれば普通はあり得ない言葉に祐巳が驚いて声を上げる。ごく普通の、大した取り柄もない、ザ・平均点の祐巳が戦うだなんて、そんなのありえない。

「僕たちのお世話もしてほしいメポ!」

「これからもよろしくミポ!」

 しかし、そんな祐巳の内心の思いをよそに、メップルさんたちはすでに乗り気になっている。断られるなんて全く想像すらしていなさそうな様子だ。

「……どうして、私たちがそんなことをしなくてはいけないのよ……」

 

 祥子さまは心の底から溜息を吐き出す。

 このよくわからない生き物を相手に、流石の祥子さまもたじたじなのご様子だった。

 

 ――

 

 あれからだいぶ時間が経っていたようで、気付けば辺りはすっかり暗くなっていた。変身も解け、例の露出度の高い衣装も元の制服に戻っている。

「さて、帰りましょうか」

「は、はい!」

 あんな戦いを繰り広げていたのに、祥子さまは優雅に黒髪を靡かせながら歩きだす。

 そのまま歩いて帰るのかと思いきや、そこは祥子さま。祐巳のような似非お嬢様とはワケが違う。近くの公衆電話の受話器を取ると、なにやら話し始めた。どうやら、ご自宅から車を迎えに来させるらしい。流石である。

 祥子さまがお家にご連絡を取っている様子を端から見つめながら、祐巳はやはり自分とは住む世界が違う、と改めて感じた。

 

「貴女、ご自宅はどちら?」

「え?」

 そこに、通話を終えた祥子さまに声をかけられる。

「もう暗いから、ご自宅まで送るわ」

「えええええっ!」

 祥子さまからのまさかのお誘いに、祐巳は今日一番の大声を上げた。祥子さまのお車に同車させていただけるなんて、と。自分なんかがおこがましいとも思ったけれど、ここで断るのも失礼というもの。

「あ、あの、私なんかが、ご一緒してもいいんですか?」

「なんか、って。一緒に戦った仲じゃない。遠慮しなくていいわ。……」

 言葉の途中で口を閉ざし、うーん、と、祥子さまはなにやら考えるそぶりを見せた。どうしたのかな、やっぱり気が変わってしまったのかな、って思っていたら。

 

「ーーそういえば、貴女のお名前を聞いていなかったわ」

「あっ」

 思わぬ祥子さまの台詞に、祐巳は頭が真っ白になった。

「も、申し遅れました! 一年桃組、福沢祐巳ですっ!」

 慌てて自己紹介をして、祐巳はペコペコと頭を下げ非礼を詫びる。祥子さまに名すら名乗らずに、あわよくば祥子さまのお車に乗せてもらおうなどと考えていたのだ、祐巳は。

 ああお許しくださいと必死に謝り続ける祐巳をみて、祥子さまは何を思ったのだろうか。無礼な下級生だとお怒りになったわけではないだろう。だって、祥子さまはくすくすと笑いだしたから。

「ふふっ、面白いわね、貴女」

「え、ええっ!?」

「一緒にいて飽きなさそう」

 それは褒め言葉として受け取ってもよろしいのでしょうか、祥子さまっ!?

 なんて突っ込みは、もちろん心の中だけにとどめておく。

 暫く、口許に手を当てて上品に笑っていた祥子さまだったけれど、それが治まってきた頃合いに、きりと表情を直して祐巳に向き直った。

 

「ねえ……私たちは不本意ながらも、プリキュアになったのよね。

「は、はい。私なんかでお役に立てるのか分からないですけど……」

「そんなことないわ。これからよろしくお願いね、祐巳ちゃん」

 そう言って差し出される祥子さまの御手。

 --祐巳。

 家族から毎日呼ばれている自分の名前なのに、祥子さまに呼ばれるとなぜかドキドキした。祥子さまに名前を呼んでもらう。ただそれだけのことで、今日一日は祐巳にとって幸せな日となった。

「は、はい! よろしくお願いします!」

 自分なんかがおこがましいとか、そんな思いは忘れて、ただこの幸せな気持ちに浸っていたいと思った。

 だから、祐巳は祥子さまの御手を握りがっしりと握手を交わしたのだった。

 




第1話終了です。
書き溜め分なくなったので今後は不定期更新となります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 カンベンして!闇にねらわれたリリアン
1


 あれは、本当に現実の出来事だったのだろうか。祐巳は布団の中で目を閉じ、反芻する。生まれてこの方、ここまで濃厚な一日を過ごしたことはなかった。

 戦いも終わり、安穏の時間を取り戻して時間も経てば、疑いたくもなるだろう。それほど現実離れした状況が続いていたのだ。しかし、祐巳の枕元ですやすやと寝息を立てて気持ちよさそうに眠るメップルさんの姿を見れば、否応にも夢ではなかったのだと思わされる。 

 --プリキュア。

 祐巳は、その伝説の戦士プリキュア――伝説とやらがどのようなものなのかは定かではないがーーとして戦うこととなったのだ。それも、あの祥子さまとともに。果たして、自分にそんなことができるのか。祥子さまの足手まといになってしまわないだろうか。

 あの時はメップルさんたちの勢いにのまれてしまったけれど、そもそもプリキュアをやるにあたって、問題がひとつあったのだ。それは、リリアンは携帯電話の持ち込みを禁止しているということ。愛らしいメップルさんだが、見た目はどこからどう見ても携帯電話でしかない。つまり、メップルさんをリリアンに連れて行くことが難しいのである。これでは、学園にいる時はプリキュアに変身できなくなってしまう。人選ミスだったのではと思わざるを得ない。

 祥子さまはどうお考えなのだろうか。

 祥子さまのお顔を思い浮かべ、思わず破顔しつつ。祐巳はゆっくりと微睡みの中へと落ちていった。

 

 そして翌日、祐巳は見事に寝坊した。

 目覚めたときにはすでに、朝食をとる時間もないほど切迫した時間になっていたのだ。未知の経験が続いたこととか、珍しく激しい運動をしたことが原因なのは間違いないけれど、そんなことは言い訳にもならない。とにかく急がなくてはと、祐巳は慌てて着替えを済ませ、家を飛び出した。もちろん、朝食は抜きである。そのおかげで、なんとか祐巳はリリアン行きのバスの時間に間に合ったのだった。

 そして、鞄の中には……メップルさんを忍ばせている。

 平々凡々なリリアン生たる祐巳が校則を破ることなど今までなかったわけだけれど、メップルさんが「連れて行け」、「ミップルに会わせろ」と騒ぐものだから、時間に追われていた祐巳は仕方なく彼を鞄に入れたのだった。

 普通の携帯電話なら、電源を切って鞄から出さなければ校則破りを発見されることはないだろうけれど、生憎この携帯電話は言葉を話すのだ。耳聡いどなたかに聞かれ、見つかってしまうとも限らない。お願いだから騒がしくしないで、と心から願う祐巳であった。

 

 そんなこんなで、祐巳はなんとかいつも通りの時間に背の高い門をくぐり抜けた。銀杏並木の先にある二股の分かれ道、そこに佇むマリア様の像の前で祈りをささげる少女たちに混じり、手をあわせる。

 何事もなく今日一日が終わりますように。どうか、どうか。

 そうして、いつにも増してじっくりとお祈りをすませた祐巳は、そのまま他の少女たちに続いて校舎へと歩みだした。 

 

「お待ちなさい」 

 その一歩目を踏み出したところで、祐巳は凛としたお声に呼び止められた。リリアンの生徒として恥ずかしくないよう、優雅な所作で応対しようとゆっくり振り返る。

 そして。

 そこにぴんと背筋をのばして堂々と立つ、麗しの祥子さまの姿を認めて祐巳は絶句した。

「……え」

「――あら、祐巳ちゃんじゃない」

 祥子さまは振り返った祐巳の顔を見て、ふわりと花開くように微笑んだ。

 昨日は何度と無く言葉を交わし、驚くべきことに小笠原家のお車にも乗せていただいたけれど、それでも、一瞬思考が停止してしまいそうになる。けれど、リリアンの生徒であるという矜持が、上級生に無礼な振る舞いをしようとする自分を律し、祐巳はなんとか口を開くことができたのだった。

「あ、あああのっ。さ、祥子さま、ごきげんようっ」

 しかし上手く舌が回らない。挙げ句にあたふたしてしまい、結局憧れの祥子さまに無様な姿をさらしてしまった。

「ごきげんよう。貴女、本当に落ち着きがないのね」

「も、申し訳ありません」

 けれども、祥子さまはそんな祐巳を前にしても不快そうに眉を潜めることはなかった。というよりむしろ、不快とは無縁の清らかな笑みを浮かべている。

「あ、あの、どういったご用でしょうか……?」

 昨日プリキュアとしてともに戦う関係になったとはいえ、いきなり声をかけられるとやはり緊張し、萎縮してしまう。

「持って」

「は、はいっ」

 言われるままに手渡された祥子さまの鞄を反射的に受け取ると、祥子さまはそのまま祐巳の首の後ろに両手を回す。

「え、ええっ?」

 接近する祥子さまのお顔とか、ふんわり漂うシャンプーの香りとか、枝毛の一本もなさそうな艶やかなストレートヘアとか。間近で拝見する祥子さまのあふるる魅力に、祐巳の心臓はこの上ないほどに早鐘をうっている。眼前に迫る祥子さまに、思わず祐巳は目を瞑った。

 いったい何をされるのかとどきどきしていたけれど、次に祥子さまが放つ一言で、祐巳の脳内は一気に現実へと引き戻された。

「タイが乱れていてよ」

「……え?」

 なんと、祥子さまは祐巳のタイを直していたのだった。現実は非情である。

「身だしなみは、いつもきちんとね。マリア様がみていらっしゃるわよ」

 直し終わると、祥子さまはやっぱりにっこりと笑ってみせた。

 内心の思考は乱れに乱れている祐巳をよそに、祥子さまは自分の鞄を受け取り、颯爽と歩き去っていく。

 ああ、学園での祥子さまとの邂逅は初めてだったというのに。プリキュアとして一緒に戦うことになったのに、早速服装の乱れを指摘されてしまうなんて。こんなのって、ない。

 祐巳は徐々に遠ざかる祥子さまの背中を見送りつつ、呆然と立ち尽くしていた。

 

「ミップルーっ!」

「メップルーっ!」

 

 そこに響く、場違いな二匹の甲高い声。

 互いの存在を本能的に感じ取ったのか、それぞれの鞄の中に潜んでいたメップルさんとミップルさんが叫びながら暴れ出したのである。

 その瞬間、歩き出していた祥子さまは硬直し、放心状態だった祐巳は我に返った。丁度生徒たちの往来が途切れ、人目がなかったのが幸いだった。何方かに聞かれでもしたら、怪しまれて、調べられて、おしまいだ。

「こら、ミップル! 学園では騒がないと約束したでしょう!」

「ご、ごめんミポ・・・」

 祥子さまが自らの鞄の中へお叱りの言葉を向ける。凛とした冷たいその声は鋭く、きゃいきゃいと嬉しそうに騒いでいた二人の声はぴたりと止んだ。そして、中からミップルさんのしょんぼりした声が返ってくる。そして祥子さまの勢いに背中を押され、祐巳もそれに続いた。

「め、メップルさんもあまり騒がないでね」

「わ、わかったメポ……祥子、怖いメポ」

 メップルさんも、どこか落ち込んでいるようだった。

 

「まったく……それにしても、祐巳ちゃんも連れてきていたのね」

「……はい。メップルさんが連れて行けって騒ぐので、仕方なく。祥子さまも?」

「ええ。私たち、二人揃って校則を破ってしまったわけね……まあ、プリキュアとして戦う以上、この子たちを持ち歩いていなければいけないのは確かなのだけれど……」

「そう、ですね……」

 ご存じの通り祥子さまは山百合会の一員であるわけで、その祥子さまが率先して校則を破るのは心苦しかろう。

「はぁ……。祐巳ちゃんも、見つからないようお気をつけなさいね」

 そう言い残し、祥子さまは今度こそ去っていくのだった。

 

 ――

 

 はてさて、祐巳の祈りもむなしく、朝から早速波乱の連続で、一日の幕開けは散々なものとなってしまった。祐巳は教室に着くなり机に伏せ、脱力する。友人の桂さんも心配そうにお声をかけてくれたけれど、気の利いた返事すらできず唸るばかりだった。

 授業にも気が入らず、気づけば一日が終わり放課後になっていた。幸いというか何というか、メップルさんはあれから騒ぎ出すこともなく、おとなしくしてくれていた。ほっと一息ついて、掃除当番だった音楽室から出るまさにその時に、祐巳は声をかけられた。

 

「祐巳さん、何かお疲れのようですね?」

「あ、蔦子さん。どうしてわかったの?」

 声の主は、フレームのない眼鏡が似合う祐巳のクラスメイト、武嶋蔦子さんだった。写真部に所属している蔦子さんは、一年生でありながらリリアン中の生徒からその名を知られる有名人である。そんな蔦子さんはシャッターチャンスを逃したくないという思いから、授業中以外はカメラを肌身離さず持ち歩いている。今だってその例に漏れず、しっかり首からさげている。

「どうして、って。朝からずうっと、疲れ切った顔をしていたじゃない。誰だって気づくわよ」

「あはは……バレバレだったみたいね」

 被写体はもっぱら人物で、それも「女子高生」を愛してやまないという蔦子さんは、職業柄なのか人のことをよく観察している。だから祐巳の状態なんて、蔦子さんにはお見通しだったらしい。

「それにしても……今朝こんなことがあったのに、どうしてかしら?」

 不敵に笑いながら、蔦子さんは二枚の写真を祐巳に差し出した。

「こんなこと? ……って、これっ!」

 なんだなんだと好奇心が顔を出し、その思いのままに写真を見て――そこに写るリリアンの制服を身に纏う二人の女生徒の姿をはっきりと認識するまで、数秒は要した。

「なんで、蔦子さんがっ!」

 思わずリリアンの生徒にあるまじき大声を出してしまって、すぐさま蔦子さんに口を抑えられる。心が平静を取り戻すまで、またも数秒を要することとなった。

 だって。

 蔦子さんが祐巳に見せた写真は、今朝祥子さまが穏やかに微笑んで祐巳のタイを直している場面を撮影したものだったから。なまじ関係を持ってしまったものだから、余計に恥ずかしかった今朝の一件。あんな出来事、記憶から消し去ってしまいたいとすら思っていたのに。

 確かに祥子さまが優美な笑みを浮かべて下級生のタイを直している場面なんて、あの蔦子さんが見逃すはずがないだろうけれど・・・。

 まあそういった意味では、この写真は蔦子さんの腕のよさを証明しているとはいえる。だって、その写真はとても絵になっていたのだから。

 だから、祐巳は消したい過去を写したものだということを置いておいて、その写真を欲しいと思った。

 

 蔦子さんの話によれば、何を血迷ったかこの写真を学園祭で展示したいのだという。蔦子さんは盗撮魔でなくカメラウーマンだから、被写体の許可を得てからでないと発表しないらしい。だから、こうして祐巳の元へと足を運んだということなんだろう。

「だからね、紅薔薇のつぼみにも許可をいただかなくてはいけないの」

「えーっ!」

 紅薔薇のつぼみに許可をもらい、学園祭に展示できれば写真をあげる。蔦子さんはそう言ったのだ。祐巳が祥子さまのファンだということはクラスメイトには周知の事実だし、当然蔦子さんが知らないはずはない。

 つまりは、写真という餌をちらつかせて巻き込もうということだろう。しかし、分かってはいてもその餌に食いつかずにはいられない祐巳なのであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。