転校先はアンツィオです! (ベランス)
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01

 以前兄にWoTを勧めたらなぜかガルパンおじさんになっていた。会うたび勧めてきて辟易していたが先月DVDを送りつけられたので僕もガルパンおじさんになった。


 日本戦車道を代表する流派、西住流家元の家系に生まれた西住みほは全国大会のあれこれとか色々あって戦車に乗るのが嫌になっていた。

 

 時刻はすでに日を跨ごうとしており、また一日あの日を過去に変えていく。だが身を隠すように部屋の照明を消し、液晶モニタの薄明かりに照らされるみほの目に光は戻らない。

 

 みほの虚ろな視線の先、パソコンモニタに表示されるブラウザではいくつかの学校の情報がタブで開かれては閉じられていく。画面上に残った学校に共通するのは彼女の住む熊本から遠く、そして戦車道の授業を実施していないということだ。

 

 あの日以来、未だみほは母と目を合わせることが出来ずにいる。単純に母のことが恐ろしかったというのもある。しかしそれ以上にみほには母への、戦車道への失望があった。

 

 みほはあの日の行動が絶対に正しかったとは思っていない。自分のせいで先輩たちの最後の大会をふいにしてしまったのだ。あのときは必死で何も考えられなかったが、他にやりようはあったはずだという後悔の念は強い。学校にいる間、誰もが自分を苛んでいるような感覚は甘んじて受け入れていた。

 

 だが、母から告げられた「勝利のためなら犠牲もやむなし」という言葉には到底納得することはできなかった。仲間を助けたい、そんな当たり前の想いを否定する戦車道をみほはもう受け入れることはできなかった。

 

 そんなみほに家政婦から言伝られたのは「転校先に希望があるなら言うように」という言葉だった。心配する家政婦の声も耳に届かず、ついに母から捨てられたのだと絶望するみほはこうして自室で機械的に学校を選別していた。

 

 

「戦車道やってない学校って、結構あるんだ……」

 

 

 学校のHPを開き、戦車道の文字を見ては閉じる。そうやって半ば無意識に学校をふるいに掛けていくうち、みほの口から知らず驚きの声がこぼれる。

 

 彼女の傍には生まれた時から戦車があった。そんな彼女にとって戦車と無縁の世界というのは想像し難いものである。そんな世界がモニタの向こうには確かに存在している。仲間を犠牲にしただ勝利のみを求める、そんな恐ろしい戦車道から離れることが出来る。みほの意識は失意の底から浮上し、その瞳には希望が宿り始めた。

 

 

「アンツィオ高校、大洗女子学園、竪琴高校、……アンツィオ?」

 

 

 条件に沿ってリストアップした高校をさらに選別しようとするみほは見覚えのある学校名に手を止める。アンツィオ高校は去年の戦車道全国大会に出場していたはずだ。初戦で敗退したチームだが、まともな戦車は三輌で後は豆戦車という、みほの在籍する黒森峰に比べ出場戦車の数も性能も圧倒的に劣った戦力で奮闘する姿は記憶に残っていた。

 

 

「そっか、授業要綱になくても部活でやってる場合もあるんだ」

 

 

 残った学校の部活動のページも調べなくては。そう考えアンツィオのHPを閉じようとするみほだったが、モニタの半ばでマウスカーソルは動かなくなった。震えるカーソルがゆっくりと、ページ上の写真画像をなぞっていく。勇壮な表情で豆戦車に乗るツインテールの女の子、の背景に映るイタリア調の町並み、の隙間からみほのよく知るあるものが覗いていた。

 

 

「な、なんでボコがアンツィオに!?」

 

 

 みほは目を見開きながら検索バーに文字を打ち込む。『アンツィオ ボコ』、エンターキーが叩き付けられ、検索結果には『アンツィオ高校学園艦ボコランド』という見出しが映し出されていた。

 

 

 

 

 アンツィオ高校戦車道部の部長室で総帥(ドゥーチェ)ことアンチョビは、書類の束と額をつき合わせ唸り声を上げていた。それらは戦車道部の収支報告書で、愛らしい顔に似合わぬ眉間の皺から芳しくないものであることが窺える。

 

 

「ようやく新戦力の導入に目処が立ったとはいえ、これじゃあ訓練も覚束ないなぁ」

 

 

 アンツィオはかつて戦車道の盛んな学校だった。だが結果が伴わないことから徐々に衰退し戦車道のカリキュラムは廃止され、アンチョビが入学したころには数名の有志が運営する同好会として辛うじて存続しているという有様だった。

 

 理事会のてこ入れとアンチョビの手腕とで去年から公式戦に参加するまでに持ち直したが、予算不足もあって未だ先行きが明るいとはとても言えない状況だった。

 

 

「P40の購入に昨年のセモヴェンテのレストア。必要なこととはいえ秘密予算もパァだ、はぁ……」

 

 

 これはおやつだけじゃなく宴会の数も減らさないと駄目か。でもそれでみんなのやる気が下がっちゃ元も子もないもんなぁ。

 

 普段は勝気で陽気なアンチョビだが、未だ暗雲の晴れないアンツィオ戦車道部に物憂げなため息がこぼれるのを抑えられない。中学戦車道で好成績を残し母校のチームを引っ張ってきたアンチョビだが、西住流や島田流のようなちゃんとした流派を修めているわけではない。当時とは違い顧問もいない今、そのか細い双肩に後輩たちを導いていく責任は余りに重かった。

 

 

「後一人くらい、戦車道に明るい人材がいてくれたらなぁ」

 

 

 髪が乱れるのも気にせずアンチョビは力尽きたように机に突っ伏す。二人の副隊長もよく支えてくれているが、今年度入隊してくれた一年生たちを指導するには手が足りない。予算も手も回らない、それがアンツィオ戦車道部の現状だった。

 

 

「ちーッス、アンチョビ姉さん!」

 

「うぉ!?」

 

 

 彼女のチャームポイントであるツインテールがばらりと机に広がった瞬間、暗い空気を払う元気な声と共に部長室の扉が勢いよく開かれた。すっかり油断していたアンチョビは間抜けな声を上げて跳ね起き、目を丸くして扉に振り向いた。

 

 

「あれ、姉さん今頃昼寝っすか? 駄目ですよ夜はしっかり寝ないと、大きくなれませんよ?」

 

「そんなに小さくないだろ! って、ペパロニか。今日は練習は休みだぞ」

 

「知ってますよ、燃料あんまないっすもんねぇ」

 

「そうなんだよ、はぁ」

 

 

 闖入者ペパロニに声を荒げるアンチョビだったが、それもすぐに萎れてしまう。アンツィオ戦車道部の部員は現在42名、その内アンチョビと副隊長であるペパロニ、もう一人の副隊長のカルパッチョ以外は戦車道経験のない一年生だ。だからすこしでも多くの練習時間が必要なのだが、予算不足がここでも響いてしまう。戦車を動かす燃料代の確保すらままならないのだ。

 

 

「ペパロニ、屋台の方はいいのか?」

 

「ああ、今日は臨時休業なんすよ。まぁ一昨日の売り上げも上々でしたんで」

 

「そっか、……悪いな苦労かけて」

 

 

 アンチョビを慕う隊員たちは、そうして出来た余暇を各々屋台を開き部費を稼ぐことに使っている。今ではみんなプロ顔負けの料理人だ。自分が守るべき後輩たちがそんな状況にあることに、予算との睨めっこで気落ちしていたアンチョビは顔を歪ませる。

 

 壇上に立ち隊員を指導するときは決して見せない弱気な素顔を覗かせるアンチョビをペパロニはかかと笑うと、手近な椅子に腰を下ろす。

 

 

「なーに言ってんすか姉さん、戦車も料理も楽しいっすよ! あ、そうだ! 楽しいっつったら今日、うちのクラスに転校生が来たんですよ」

 

「へぇ、珍しいなこんな時期に」

 

「でしょ? で、そいつがいっつもあわあわしてて見てて面白いっつうか楽しいやつで」

 

 

 気を遣ってくれたのだろうか、とペパロニの振る唐突な話題にアンチョビは苦笑する。能天気な言動の多いペパロニだが、重責を担うアンチョビはそれに救われることも多い。カルパッチョは知略面で、そしてペパロニは精神面でアンチョビを支えてくれている。

 

 自分にはもったいない副隊長たちだ。そうだ、これで不足だなんて思ってたらバチが当たってしまうな。

 

 楽しそうに話すペパロニの顔を見つめるアンチョビは、先ほどまでの胸のしこりがすっと溶けていくような感覚を覚えた。

 

 

「アンツィオの飯は美味いだろみほ、って聞いたらまるで友達みたい! って。一緒に飯食ってんのに今更!? って感じで笑っちゃって」

 

「あー、うちは同じ釜で茹でたパスタを食べたらみんな友達だもんな」

 

「ですよねぇ、そしたらみほ、あっそうだ、そいつ西住みほっていうんですけど、みほが」

 

「ちょ、ちょっと待て! 西住ってあの西住か!?」

 

「ええ、うちのクラスの西住っすけど?」

 

「いや、じゃなくて西住流の西住なのか!?」

 

 

 穏やかな気持ちでペパロニの取り留めのない話に耳を傾けていたアンチョビだったが、不意に話題に上った名に耳を疑った。さっきまでの後ろ向きな思考の片隅に浮かんだ西住の姓、もしやペパロニの言う転校生とは西住流の関係者なのだろうかと思わず腰を浮かせて立ち上がる。

 

 

「違うっすよ?」

 

「だ、だよなあ」

 

「西住流はお姉ちゃんで私は違うって言ってました」

 

「あの西住流がうちなんかに来るわけな……え?」

 

「あ、なんかってなんすか! うちはいいとこですよ、お金ないけど!」

 

「ごめん! じゃなくって、西住流の人間が転校生なのか!?」

 

「いや、西住流はみほのお姉さんのほうで」

 

「それはもういいから!」

 

 

 ペパロニとの問答に、一旦下ろしかけた腰を再び上げ、アンチョビは立ち上がる。その瞳には先ほどまでの穏やかな色とも憂いの色とも違う、獲物を狙うぎらついた輝きが宿っていた。

 

 

「ペパロニ!」

 

「どうしたんすか姉さん」

 

「勧誘しに行くぞ、案内しろ!」

 

「え、でも」

 

「うちにはお金もない、戦車もない、燃料もない、だがノリと勢いはある!」

 

「パスタもありますよ姉さん!」

 

「そうだ! ノリと勢いとパスタ、そこにあの西住流が加わってみろ」

 

「っ! サイキョーじゃないっすか!!」

 

 

 突然立ち上がったアンチョビに驚くペパロニだったが、まくし立てられるアンチョビの言葉に釣られ同じく立ち上がった。コブシを握り、最強のチームになったアンツィオ戦車道部を夢想し鼻息を荒くする。

 

 しかし演説の途中で挟みかけた自身の言葉を思い出し、握り締めたコブシを解いた。トレードマークである三つ編みのもみ上げを弄りながら、ペパロニは遠慮がちに口を開く。

 

 

「あー、でもっすね姉さん」

 

「どうしたんだ、さっきから」

 

「多分無理っすよ」

 

「なんで」

 

「何でこの時期に転校してきたのかって聞いたんですよ。そしたらなんか前の学校で、あ、黒森峰だ。黒森峰であったらしくて。それで戦車道が嫌になって転校したらしいんですよ。だから、多分無理っす」

 

「黒森峰……、西住妹? あっ」

 

 

 ペパロニらしくない消極的な態度に訝しむアンチョビだったが、その理由を聞いて納得した。また同時にペパロニの言う通りアンツィオ戦車道部に勧誘することは難しいとも悟ってしまった。

 

 

「あの試合のせいか……」

 

「知ってんすか?」

 

「ああ、去年の決勝戦でな。試合中黒森峰の車両が一輌濁流の川に落ちたんだ。それでその子はな、自分が乗ってる戦車から降りて助けに行ったんだよ」

 

「さっすがみほ! ん? すげー良い事じゃないっすか」

 

「そうなんだが、彼女は副隊長で、乗ってた車両はフラッグ車だったんだよ。車長がいなくなったフラッグ車はプラウダにやられて、黒森峰は優勝を逃したってわけだ」

 

「なるほど……ん? そりゃ残念ですけど普通助けに行きますよね?」

 

「うちはそうかも知れないけどな。他所は他所、うちはうちだ。十連覇を逃したー、なんて想像もつかないし」

 

 

 アンチョビはアンツィオ戦車道部発展のための努力に余念はない。当然去年の全国大会は、敗退後も他校の戦力を測るためチェックを怠っていない。

 

 棚から焼きたてのピッツァな興奮が治まれば、黒森峰と西住妹というワードからなぜ転校したのかは自明だ。決勝戦のあの状況を中継で見ていたアンチョビは、西住みほの行動に好感を抱きつつも、彼女の今後を想像し同情したものだった。

 

 アンツィオは今が楽しければそれでいいという考えの生徒が多い。仲間を見捨てて勝つよりも、仲間を助けて負けたほうが楽しめる。勝っても負けても宴会はするのだし。だが他校も同じ考えをするとは限らない。きっと西住みほは、黒森峰と戦車道から逃げてきたのだ。

 

 

「ってお前! 初対面でいきなりそんな質問したのか!」

 

「そりゃあ聞いた後は悪いと思いましたけど、そんな事情なんて知りませんでしたし……」

 

「こんな時期に転校なんて何か深い事情があるって思うだろー! ちゃんと謝ったんだろうなっ?」

 

「もちろんっすよ! お詫びに昼飯奢りましたし」

 

「ならいいけど……でも残念だなぁ」

 

 

 事情を察してしまえば、さすがにそんな子を無理やり戦車道の道に引き込もうとまでアンチョビは思えなかった。件の転校生は強豪黒森峰の副隊長を務めた実力者だ。喉から手が出るほど欲しい人材だったが、アンチョビは非情に徹することが出来ない人間だった。

 

 

「そうっすねぇ。西住流とかは別にどうでもいいんすけど、みほと戦車やれたら楽しいだろうなって思ったんで」

 

「あー、そうだな。うん、西住流だろうが島田流だろうが関係ない。仲間が増えるのは嬉しいことだ」

 

「じゃあ歓迎会っすね!」

 

「よし! 盛大に歓迎してやるぞ! じゃなかった、西住を勧誘するのは諦めようって話だったろうが! もう! そうやって事あるごとに宴会やってるのもうちが貧乏な理由なんだぞ」

 

「えー、でも宴会やりたいっす。姉さんだってそうでしょ」

 

「まーそれはそうだが。じゃあ転入生歓迎会だな。でも戦車道部の総帥がいて嫌がらないかなぁ」

 

「あのー、ドゥーチェ? ペパロニ?」

 

 

 アンツィオはノリと勢いと、陽気な優しさはどこにも負けない。そんなアンツィオ精神を体現するようなペパロニと話すうちに、すっかりアンチョビはいつもの調子を取り戻していた。そうして歓迎会についてあーだこーだと盛り上がる二人に、開けっ放しだった扉から呼びかける声がした。

 

 

「おお、カルパッチョ。いい所にきた、ペパロニのクラスにきた転入生の歓迎会なんだが」

 

「カルパッチョにも紹介するよ、みほもおっとりしてるから気が合うかもな!」

 

「はぁ、その西住さんなんですが」

 

 

 二人が振り向いた先にいたのは、もう一人の副隊長のカルパッチョだ。困った顔で溜息をつくカルパッチョが体をずらすと、その後ろから恐縮そうに身を縮こませる一人の女生徒の姿が現れる。

 

 茶色がかったボブカットの、どこか小動物めいた少女だ。アンツィオ高校の制服を着ているが、アンチョビには見覚えがなかった。いや、雰囲気はまるで違うがその顔立ちはアンチョビも知るある人物によく似ている。

 

 

「カルパッチョ、お前まさか」

 

「あっれ? みほじゃん」

 

「やっぱり! 何でここに連れて来ちゃったんだよ!」

 

 

 その少女こそ今まさに話題の中心人物だった転校生だ。強豪黒森峰の隊長、西住まほの妹にして去年の全国大会で副隊長を務めた猛者。そしてその大会で起きたある事件をきっかけに戦車道を厭うようになったのだろう、西住みほである。

 

 日本戦車道を二分する流派、西住流の人間であり、その技量も知識も優れているだろう。そして何より、身を挺して仲間を救おうとした心優しき少女でもある。アンチョビにとって是が非でもチームに入って欲しい人材だ。だが転校してまで戦車道から離れようとしているみほを無理に誘うことを、アンチョビは許すつもりはなかった。

 

 だから勧誘は諦めたし、ペパロニもその考えに賛同していたというのに、まさかカルパッチョが連れてくるとは思わなかった。カルパッチョはアンツィオ生にしては珍しく落ち着いた性格をしている。だがそれでもアンツィオ生なのだ、西住姓と聞いて勢いで引きずってきたのかもしれない。

 

 

「いえ、私が来たとき部屋の前で手持ち無沙汰にされてたんですけど。お客さんじゃないんですか?」

 

「え、そうなの? え、じゃあまさか!」

 

 

 何やら失礼な勘違いをされていると感じ憮然とするカルパッチョだったが、彼女の言葉にアンチョビは驚き気づかない。

 

 自主的に戦車道部の部室にまで来てくれたということは入隊希望なのか? 別に転校の理由は戦車道が嫌いになったからというわけじゃないのか? じゃあ我がアンツィオ戦車道部は期待の新人を迎え、一層の躍進を遂げるのか! アンチョビは目を輝かせた。

 

 

「あ、自分が連れて来たんでした」

 

「はー!?」

 

 

 そんなアンチョビの喜びも、やっべ、という顔をしたペパロニのせいで一瞬で終わってしまう。

 

 

「いやー、学校案内のついでに姉さんにも紹介しようと思ったんですよ。話が盛り上がって忘れてました」

 

「あほかお前は! 西住が戦車嫌いだってわかってたんだろ、何で連れて来るんだよ!」

 

「そうっすけど、でも姉さんに紹介するのとそれは関係なくないっすか?」

 

「そ、そうかも知れないけどさぁ」

 

 

 やいのやいのと再び騒ぎだすアンチョビとペパロニ。頬に手を添える仕草をしてそれを眺めるカルパッチョ、その隣で話題の中心人物ながら蚊帳の外だったみほがおずおずと手を挙げた。

 

 

「あの」

 

「あ! す、すまん。ほったらかしにしちゃって。ごめんな? そうだ、学校案内ならコロッセオなんかどうだ? 本格的な造りで観光客にも人気なんだ。いつも何か催し物をやってるから楽しめると思うぞ?」

 

「いえ、そんなに気を遣ってもらわなくても大丈夫です」

 

 

 みほが声をかけたことで我に返ったアンチョビは、慌てて彼女の元に駆け寄り謝罪した。ペパロニのせいで待ちぼうけにさせたことと、みほが嫌う戦車道の部室にまで連れてきてしまったことに関してだ。焦った様子でまくし立てるアンチョビにみほは苦笑を浮かべて首を横に振った。

 

 

「でもなぁ、その、私は去年の試合、見てたから」

 

「……大丈夫です。おかげで少し、楽になれました」

 

「え?」

 

 

 みほの言葉にきょとんとした表情を浮かべるアンチョビ、そんな彼女をみほとカルパッチョは目を見合わせて静かに笑った。

 

 

「私、黒森峰女学園から転入してきました、西住みほです」

 

「あっと、遅れてすまん。私がアンツィオのドゥーチェ、アンチョビだ。こっちが副隊長のペパロニで、って同じクラスだったな。そっちが同じく副隊長のカルパッチョ、も知ってるのか?」

 

「はい、お話させていただきました」

 

「ドゥーチェとペパロニが話し込んでる間に、です」

 

「う、すまん」

 

「しょうがないっすねードゥーチェは」

 

「そもそもの原因はお前だろー!」

 

 

 自己紹介のはずがすぐに漫才めいた騒ぎに変わってしまう。みほはそんな二人の様子を見て漏れ出す笑いをかみ殺すが、肩の震えは隠せなかった。

 

 

「アンチョビさん」

 

「大体お前はいつもいつも――ん?」

 

「もしよかったら戦車道の活動、見学させてもらえませんか?」

 

「そりゃあ構わないけど……いいのか?」

 

「はい」

 

 

 ペパロニの髪をわしゃわしゃして懲らしめていたアンチョビは、みほの意外な要望に驚いた。出来れば入隊して欲しいが無理強いするつもりもないアンチョビは思わず聞き返すが、みほははっきりと頷いて見せた。

 

 

「ペパロニさんたちが戦車に乗っているところ、見てみたいんです」

 

「そうか」

 

 

 アンチョビにはみほの心境が変化した理由がわからなかった。だが、それがいい方向に変わろうとしている変化だということはわかった。ならば鉄は熱いうちに打て、だ。アンチョビは鞭を振り上げ二人の副隊長に指示を出す。

 

 

「よーし!」

 

「ドゥーチェ、今日はお休みです。練習場の使用申請も出してませんし」

 

「燃料ないっすからねー」

 

「そ、そうだったな」

 

「あはは……」

 

 

 ……前にカルパッチョに止められてしまった。そしてあっけらかんとペパロニがダメ押し。がっくりと肩を落とすアンチョビに、みほは曖昧に笑った。

 

 

「うちは貧乏だから毎日練習はできないんだよ。悪いけど、見学は明日だな。明日の放課後に練習場に来てくれ。案内はペパロニ、頼んだぞ」

 

「任せてください姉さん!」

 

「いいか? 案内の途中で放り出したりするんじゃないぞ」

 

「やだなー、そんなことするわけないじゃないっすか」

 

「ついさっきやってただろ! もう、早く学校案内に戻ってやれ」

 

「うっす、行くぞみほ!」

 

「はい、よろしくお願いしますペパロニさん」

 

 

 全くこいつは……、と頭を抑えるアンチョビに元気よく応えたペパロニはみほの手を引いていく。みほは少し慌てた様子だったが、嬉しそうにペパロニの後を追う。

 

 

 

「今日はありがとうございました、アンチョビさん、カルパッチョさん。失礼します」

 

「うん、ペパロニのこと頼んだぞ。また明日会おう」

 

「みほさん、また明日」

 

 

 部長室に残る二人に会釈を残し、ペパロニに引きずられるようにみほは退出していった。主にペパロニの、騒がしい声がゆっくりと閉じられた扉の向こうに消えていく。アンチョビはみほに振っていた手を下ろし、傍らに立つカルパッチョに声をかける。

 

 

「いい子だったなぁ」

 

「そうですね、とてもいい子でした」

 

「いいのかなぁ」

 

「大丈夫だと思いますよ」

 

 

 みほたちが出て行った扉に目を向けながら交わされたのは、主語もなければ特に意味もない会話だった。物憂げな顔のアンチョビと微笑みを浮かべるカルパッチョ、二人は対照的な表情で新しいアンツィオ生のことを考えていた。




ガルパン歴一月の未熟おじさんですが、映画館が工事し始めた怒りとノリと勢いで書きました。ゆっくりやっていこうと思うのでよろしくお願いします。


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02

 ピピピピピ、携帯電話のアラームが鳴り響く。跳ね起きたみほは布団を畳み、慌てた様子でパジャマの上着を脱ぎ始める。そこで目の前の鏡に映る部屋が見慣れぬものであることに気づき、ほぅ、と息を吐く。

 

 

「そっか、もううちじゃないんだ」

 

 

 みほは異国情緒溢れるアンツィオの町並みを爽快な気持ちで歩いていた。黒森峰もここと同じ欧風建築だったが、ドイツとイタリアでは趣もだいぶ違う。そこかしこにカフェやお菓子屋など飲食店が多く並んでいる。今着ているアンツィオ高校の制服も、清潔感のあるスタイリッシュなデザインで、黒を基調としてきっちりとした印象の黒森峰女学園のものとは対照的だ。

 

 開店準備を行っているパン屋のガラスに映った自分の制服姿を見つめながら、みほは楽しそうに笑った。

 

 引っ越してから今日までの間は各種手続きや部屋の整理で忙しく、町の散策が出来ず残念に思っていたが、今こうして実際にお洒落な街中を歩いているとより期待が膨らんでいく。

 

 放課後、友達と一緒にカフェでお喋りしたり、ジェラートを食べながらウィンドウショッピングをしたり。夢のように楽しい想像が浮かんでいく。

 学校に向かうみほの足取りは、今までになく軽いものだった。

 

 

 

 

 転校初日、みほは自分が在籍することになる教室で窮地に陥っていた。

 

 

「ねぇねぇ、どっから来たの?」

 

「く、黒森峰女学園です」

 

「へー! 黒森峰って、どこだっけ」

 

「熊本です」

 

「熊本! 九州じゃん、遠くから来たんだねー。ラーメンが美味しいんだっけ」

 

「あ、あとモツ鍋!」

 

「それは福岡、かな」

 

「好きな食べ物は?」

 

「マカロンです」

 

「わー! 私も好き!」

 

「私はマルゲリータだなぁ」

 

「私はラザニア!」

 

 

 転校生ということで物珍しく見られることは予想していたものの、こうも激しい質問攻めにあうとは思っていなかった。

 

 

「まぁ待てよお前ら、転校生がビビってんぜ?」

 

 

 みほを囲む人垣を割って現れたのは、もみ上げを三つ編みにしたボーイッシュな少女だった。彼女が一言諌めると、みほを囲んでいたクラスメートたちははっと我に返ったようだった。そうして口々に、いきなりごめんね、と謝ってくるからみほは恐縮してしまう。

 

 

「悪いね、こいつらも困らせるつもりはないんだよ。ただ新しい仲間が増えたんではしゃいじまってんのさ」

 

「いえ、そんな。皆さん話しかけてくれて嬉しかったです」

 

 

 それは社交辞令でなくみほの本心だ。確かに大勢に押しかけられて困惑したものの、腫れ物を扱うようにされるよりよっぽど良い。

 

 照れ臭そうに言うそんなみほの言葉に、クラスメートたちは可愛い! と口を揃えた。みほは顔を赤くして身を縮こませた。

 

 

「いいやつだなぁ、うん! 私はペパロニってんだ、よろしく!」

 

「あ、西住みほです。こちらこそよろしくお願いします」

 

 

 そういえばこうして対面で自己紹介をするのは初めてだなぁ、とみほが思っていると、ペパロニは手近な机から椅子を引っ張ってくると、みほの隣に腰を落とした。

 

 

「ところでさ、気になったんだけど、何でこんな時期に転校して来たんだ?」

 

「え……」

 

「えー、それいきなり聞いちゃうー?」

 

「さっすがペパロニ! 私たちに出来ないことを平然とやってのける!」

 

「いや、さすがに踏み込みすぎだってペパロニ」

 

 

 クラスメートを諌めた立場から一転、周囲から非難され困惑するペパロニ。そんな周りの様子も顔を伏せてしまったみほには見えない。

 

 ペパロニの質問はみほにとって答えたくない問いだった。だがみほは思う、せっかく話しかけてくれたのにそれを無視してしまっていいものかと。

 

 みほは黒森峰にいたころ、友達と呼べる人はいなかった。みほのアンツィオでの目標の一つは友達を作ること。そのためなら心の傷をさらけ出すことも覚悟した。

 

 

「その、私の家は西住流っていう戦車道の流派の家元で、それで私も黒森峰で戦車道をやってて。でも、去年の全国大会、私のせいでチームが、負けちゃって。お母さんからも西住流に相応しくないって言われて。それで、私、……」

 

 

 たどたどしく、自身の事情を告白するみほ。語るうちに最初の覚悟は崩れ、声は振るえ、顔からは血の気が引いていく。予想だにしない転校生の重い事情を知ってペパロニは目を見開き、予想通り重い理由を聞いた他のクラスメートたちはそれを引き出させたペパロニに白い目を向ける。

 

 みほが声を詰まらせたとき、スピーカーからチャイムが鳴り始め、みほを囲んでいたクラスメートはさっと自分の席に着き始める。アンツィオ生は暗い話が苦手なのだ。その後クラスに入室した教師は、授業開始前に全員着席しているという異例の事態に驚きを隠せない様子だった。

 

 

 

 

 机の上に開いた、何も書かれていないノートに視線を落とすみほの心境は、今朝とは違い沈鬱なものだった。最初は簡単に、親と喧嘩して家を出てきた、といった感じで軽く話すつもりだった。だが一度口に出し始めると抑えることが出来なかった。

 

 引かれちゃった、よね……。

 

 初手から躓いてしまった学園生活、一度落ち込んだ心はどこまでも沈み、もう私には友達なんて出来ないんじゃないかとまで考えてしまう。授業内容など耳に入らず、頭の中のみほが誰にも看取られぬまま安アパートの一室で孤独死を迎えようとするころ、午前中の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

 

 歓声を上げながら食堂に駆けて行くクラスメートの姿をみほはぼおっと見つめていた。ハッと我に返り、筆記用具を片付けようとするも、手が滑ってペンが転がり落ちてしまう。慌ててそれを拾おうと机の下に潜り込んだものの、机に頭をぶつけてしまう。その衝撃で残りの筆記具が頭上から筆箱ごと落ちてきて、みほははぁっとため息をついた。

 

 私ってほんとドジだなぁ。

 

 床を見つめたまま落ち込むみほの視界に、さっと影が映った。何事かと顔を上げたみほの目の前には先ほど彼女のタブーに触れたペパロニが、落ちた筆記具を収めた筆箱を差し出していた。

 

 恥ずかしさから小声で礼を言い、慌てて受け取るみほだったが、ペパロニは筆箱を差し出した手を戻そうとしなかった。

 

 

「ほら」

 

「え?」

 

「飯、食いに行こうぜ?」

 

 

 

 

 友達が出来ないと落ち込んでいたところに急に声をかけられてあたふたするみほの手を引き、ペパロニは食堂に走る。何とか転ばないように、みほは足を動かすだけで精一杯だった。

 

 ようやく足が止まったのは食堂に到着してからだった。ペパロニはみほの手を離すと一目散に混雑するカウンターに駆け込んで行った。

 

 みほは混乱する頭で人込みに溢れる食堂を見渡す。今まで味わったことのないような凄まじい熱気だ、ただのランチタイムのはずなのに。みほはアンツィオの食への熱意に圧倒されてしまっていた。

 

 みほがきょろきょろと周囲を見渡していると、二つのトレーを危なげなく運ぶペパロニが駆け寄ってくる。

 

 

「何とか間に合ったー、ここのランチ売り切れ早ぇんだよ。お、あっち空いてんじゃん。ほらほら」

 

「あ、はい」

 

 

 両手が塞がった状態で器用に催促するペパロニに押されて、彼女が顎で示すスペースに歩を進めるみほ。促されるまま座席につくと、隣に腰を下ろしたペパロニが、二つのトレーを自分とみほの前に置いた。

 

 香ばしいぺペロンチーノと優しい香りの湯気立つミネストローネ、赤と緑の鮮やかなカプレーゼ。見た目も香りも食欲をそそるイタリア料理だった。

 

 

「えっと、あの、これ」

 

「ん? あぁ、そこのバスケットだろ? 中のパーネは自由に食っていいんだぜ、毎日窯で焼いてるからうめーんだ」

 

 

 みほが目の前のランチに視線を落としながらたどたどしく問いかけると、ペパロニはフォークを手に持ったままテーブルの中央を指して答えた。そこにはバスケットいっぱいに入ったパンがあった。生徒たちは次々にそれを手に取って、ランチのスープに浸したり具材を挟んだり、食後の口直しにと楽しんでいた。

 

 みほは目の前のランチに再び目を向けその量を確認し、まだ食べるんだ、とパンを頬張るアンツィオ生たちに驚嘆の念を向けた。

 

 

「って、そうじゃなくて。お昼の代金、私払ってません」

 

「あー、そっちか。いいのいいの、私の奢りさ。さっき不躾な質問したお詫びと、今日出会った記念だ」

 

 

 真剣な表情をしたみほの言葉を、ペパロニはからからと笑い飛ばす。

 

 

「そんな、悪いですよ」

 

「いいからいいから。こう見えて結構儲けてんだよ、私。鉄板ナポリタンの屋台出しててさ、売り上げがいい日はこっそり昼飯代に回してんだ。あ、アンチョビ姉さんには内緒だぜ?」

 

 

 いいから食べなって、と言いながら自分のフォークを口に運ぶペパロニ。その様子を見たみほは、これ以上遠慮するのも失礼かな、と思い、いただきます、と言って頭を下げた。

 

 立派な景観の食堂だが、それでもここは学生用だ。目の前のランチも、カウンターに立てかけられている看板に書かれたメニューを見るに良心的な価格である。しかし日本の熊本に生まれドイツ風の黒森峰で生活していたみほにとっては、とても高級なイタリア料理に見えてしまう。

 

 みほはきょどきょどしていた目をキッと引き締め、パスタにフォークを持つ手を伸ばした。

 

 

「!?」

 

 

 フォークに絡めたパスタを口に入れた瞬間、みほは驚きに目を見開いた。決してしつこくないニンニクの豊かな香ばしさ、和えられたアスパラの甘みとパンチェッタの豊潤な味わいに微かな酸味、ピリッと後を引く唐辛子の辛味。それらが見事に調和して口の中に広がっていく。高級そうな見た目だとみほは漠然と思っていたが、実際の味はそれ以上の価値を持っていた。

 

 

「うちの飯はうめーだろ?」

 

「はい! とっても美味しいです」

 

「ははは、その顔見れば聞かなくてもわかるよ。いやー、みほは面白ぇーな! あっはっは」

 

「うぅ……」

 

 

 美味しそうに黙々と料理を口に運ぶ姿を、ペパロニは愉快そうに眺めていた。そのことに声をかけられて初めて気がつくほどみほは目の前の料理に集中してしまっていた。

 

 そんな様子を可笑しそうに笑うペパロニに、みほは恥ずかしさから顔を赤らめる。と、みほはふとペパロニが自分の名を呼び捨てにしていることに気づく。

 

 

「あの、今私のこと、みほって」

 

「あれ、呼び捨てにしちゃまずかった?」

 

「そんなことないですっ」

 

「良かったー、またやっちまったかと思ったよ。姉さんにもよく叱られるんだ、ノリが良すぎて配慮が足りない! ってさぁ」

 

 

 頭をかくペパロニを見つめるみほの顔は赤いままだ。それは恥ずかしさのせいではなく、喜びに興奮しているからだった。

 

 家族以外から呼び捨てにされるなんて、高校生になってから初めての経験だ。戦車道に携わる者に西住流の名を知らない者はまずいない。そして分別を弁え始めた少女たちは、皆一様に西住の姓を関するみほと遠巻きに関わるのみだった。それは妬みだったり畏怖だったり憧憬だったり、含まれる感情は様々だが、みほを孤独に追いやったことに変わりはない。

 

 そんな友情に飢えていたみほにとって、親密な友人同士が呼び交わす呼び捨てやあだ名に、過剰なほど憧れを持っていたのだった。

 

 

「嬉しい、呼び捨てなんて。まるで友達みたい!」

 

 

 そんな内心の喜びが思わず口に出てしまう。にやけたまま目を閉じ、ペパロニが呼んだ『みほ』という名をかみ締めるみほ。すると突然ペパロニが笑い出し、みほはハッと自分の口を手で塞いだ。

 

 

「ははは、あははははは! なんだそりゃ、友達みたいって。くく、はははは!」

 

「ご、ごめんなさい! その」

 

 

 腹を抱えて笑うペパロニ、その目じりには薄く涙さえ浮かんでいる。みほは頭から血の気が引いていく音を聞いた気がした。

 

 一度お話しただけなのに友達みたいだなんて、私はなんて厚かましいんだろうか。せっかくお昼に誘ってくれたのに、また失敗してしまった。

 

 みほは咄嗟に頭を下げ、私なんかと友達なんて迷惑ですよね、と言葉にしようとした。だがその言葉はペパロニの人差し指に唇を塞がれたことで、口から出ることはなかった。

 

 

「一緒に飯食ってんだ、じゃあ私たちはとっくにダチに決まってるだろ?」

 

「ペパロニさん……」

 

「だよなぁお前らー?」

 

「え?」

 

「「「おー!」」」

 

「えぇ!?」

 

 

 ペパロニの問いかけに、みほたちの周囲から轟くように賛同の声が上がった。気がつくと、みほたちの周りをクラスメートたちが囲んでいる。

 

 呆然として周りを見渡すみほ。そんな彼女と同じテーブルに、クラスメートたちは持ち寄ったデザートを手に次々に座っていく。

 

 

「やっぱり西住さんって可愛いよねー」

 

「うんうん、なんか小動物って感じ」

 

「てかペパロニさ、お詫びの奢りでぺペロンチーノってみみっちくない?」

 

「そーだそーだ!」

 

「うっ、だって他のランチは売り切れてたんだよ」

 

 

 クラスメートたちは姦しく騒ぎながら、いつの間にか空になっているパンの入っていたバスケットを引き寄せ、その中にそれぞれ色取り取りのマカロンを入れていく。

 

 全員が自分の持ってきたマカロンを入れ終わると、クラスメートの一人が山盛りになったバスケットをみほの元に押しやった。

 

 

「どうぞ」

 

「あ、はい」

 

 

 彼女たちの勢いに呑まれたみほは、差し出されるままにマカロンの一つを口に運ぶ。みほの知るマカロンとは違うカリッとした食感の後、アーモンドの香りが鼻に抜けていく。ほろ苦くも優しい甘さが口の中に広がっていく。

 

 

「美味しい」

 

 

 ポツリとこぼれたみほの感想に、彼女をジッと見つめていたクラスメートたちは満足げに頷く。そして彼女たちもみほと同じようにバスケットに手を伸ばしマカロンを頬張っていく。

 

 

「やー良かった良かった。他所でマカロンって言ったらパリ風じゃん? 今食べたのってアマレッティだもん」

 

「イタリア風、っていうかそれマカロンじゃないしねぇ」

 

「みほ、こっちがイタリアンメレンゲのマカロンだよ。あ、私たちもみほのこと、みほって呼んでもいいよね?」

 

 

 餌付けされる動物のように差し出されたお菓子を頬張るみほ。さっき自分のことを西住さん、と呼んだクラスメートの言葉がマカロンの甘みと一緒に染み込んでいく。

 

 一緒に食事を取ったら友達、それがアンツィオ高校だ。自分と同じバスケットからお菓子を取って楽しむクラスメートたちを見つめるみほは、瞳が潤むのを堪えられなかった。

 

 もちろんです、とすぐに返事をしようとしたが、うまく声を出せそうにない。みほは何度も頷くことで答え、そんな様子を新しい友人たちは微笑ましげに眺めている。

 

 

「むぐっ?」

 

 

 みほの口に、横合いからマカロンがねじ込まれた。反射的に咀嚼し飲み込んだとき、ねじ込んだ手を引きながらペパロニがニッと笑った。

 

 

「アンツィオの飯はうめーだろ、みほ?」

 

「うん!」

 

 

 久しぶりに、みほは心の底からの笑顔を浮かべることができた。




またいつか続きます


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03

頭からとりあえずパスタ茹でたいドゥーチェ、でっかい砲身に見られてるドゥーチェ、楽しそうに歌いながらお家に帰るアンツィオ三人組が離れなくて生きるのが辛い一週間だった


 友人たちと一緒に食事をするという、高校生になって初めての経験をしたみほ。同時にお喋りに夢中になって昼休みを超過し、午後の授業に遅刻してしまうというよろしくない初経験も得てしまった。また、遅れて教室に入ってきた生徒たちを教師が大して気に留めなかったということも、転校生のみほにとって割りと衝撃的な初体験だった。

 

 

「昼食の後はどこのクラスもこんなもんだからな。たまに先生が遅れてくることもあるんだ」

 

 

 いつの間にかみほの隣に座って授業を受けるペパロニの談である。アンツィオ高校では一般的な日本の学園にある席替えのような風習がなく、生徒たちが座る席を自由に決めていいらしい。

 

 

「特にこっちに来たばっかの先生なんかさ。時間になっても全然来ねーから職員室に行ってみたら、先生は寝てますー、なんてこともあってな」

 

「えっ、一体どうしたんですか?」

 

「他の先生に誘われてバールでワインを飲みすぎたんだってよ、笑えるよなー」

 

「ええ? ワイン? な、何で?」

 

「なー? 昼のワインで酔い潰れるなんて傑作だろ? 今じゃ定番のアンツィオ小噺の一つさ」

 

 

 いや、そうじゃなくて。何で昼間から、しかも授業がある平日にお酒飲んでるの?

 

 そんな他校から来た人間としては当然のみほのツッコミだったが、それが放たれることはなかった。

 

 

「面白そうな話をしてるわねペパロニ?」

 

 

 いつの間にか二人の席の前に立っていたにこやかな笑みを浮かべた教師が、教鞭を弄びながら二人の前に立っていたからだ。ペパロニはぎくりと背筋を伸ばし、顔を教師のほうに向け愛想のいい笑みを返す。

 

 

「い、いやー、アンツィオの先生は美人ばっかって話を転校生に教えてたんすよ。特に先生なんか、メガネが知的で出来る女って感じだなー、って」

 

「あら嬉しい、授業が終わったら先生の所に来なさい。私に直接聞かせてちょうだい?」

 

 

 メガネの奥の笑っていない瞳に射抜かれ、ペパロニはうなだれながら、了解っす、と答えた。

 

 

「で、その先生ってのがあの先生なんだよ。すっかり忘れてた、やっべー」

 

 

 再び教壇に戻っていく教師の背を見送りながら、ペパロニは声を潜めて言った。にやにやと笑うクラスメートたちに手で追い払う仕草をするペパロニを横目に、いかにも真面目そうな女教師の授業を聞きながら、艦が違えば学園の校風も全く違うんだなぁ、とみほは改めて思った。

 

 

 

 

「ごめんなさい、ペパロニさん」

 

 

 一日の授業が終わり、一気に騒がしくなった廊下をペパロニの後を追ってみほは歩く。これから遊びに行く予定を話しながら歩く生徒たちや、各々の所属するクラブに向かおうとする生徒たちと、逆行するように歩くペパロニの背に向かってみほは声をかけた。

 

 あの後教師に呼び出されたペパロニはこっぴどく叱られ、ということもなく、転校生に学校を案内するように頼まれていた。放課後の予定といえばいつものように屋台を開くくらい、それも気侭な自営業、なペパロニは、任されたっす! と二つ返事で了承。今こうして鼻歌を歌いながら、みほを連れて案内すべき最初の名所に向かって歩いている。

 

 一方教師とペパロニの会話自体は知らないみほにとっては、罰として学校案内をさせられているように見えてしまう。お喋りを咎められて呼び出されたわけで、そのお喋りの相手とは自分なのだ。責任の一端は自分にもあるはずなのに、自分は案内してもらう立場。みほは、迷惑をかけてばかりだな、と申し訳なくなっていた。

 

 

「みほは気にし過ぎなんだっつーの。今日はチームも休みだし、屋台のほうも一昨日たんまり稼いだからなー。たまにはダチとブラブラするのも乙なもんさ」

 

 

 歩みを止めず、顔だけを向けてペパロニは笑って言った。その言葉にみほはハッとする。

 

 ダチ。友達。そうだ、私たちは友達なんだ。友達に無用な遠慮をすることは返って失礼になるんじゃないか。せっかく皆が歩み寄ってくれているのに、私が近づこうとしなくてどうするというんだ。

 

 いつまでも後ろ向きではいけない、前に進まなくては。闊達な表情で進むペパロニの後ろで、みほは真剣な表情で頷いた。

 

 

「ペパロニさん」

 

「んー?」

 

「チームはお休みって。ペパロニさんは何か部活をやってる、の?」

 

 

 転入から質問ばかりを受けてきたみほが、自分から相手を知ろうと質問を投げかけた。意識して敬語を使わないようにしたのも相手との距離を縮めるポイントだ。

 

 そんなみほが捻り出した問いを受けて、ペパロニはぴたりと足を止めた。ニィッと悪戯っぽい笑みを浮かべ、みほに振り返る。

 

 

「お、聞きたい? 聞きたいかぁ、しゃーねーなー! ふふん、聞いて驚け! このペパロニはな、せ……」

 

「せ?」

 

「せ、せっかくだからあとのおたのしみにしようとおもう」

 

「え~」

 

 

 そうしてペパロニは得意げに口を開くが、言い切る前にピタリと途切れてしまった。その不自然な様子に少し訝しげにするみほだったが、先のペパロニの自慢げな調子もあって、ギクシャクと続いたペパロニの言葉を素直に受け取っていた。

 

 焦らされて、これも友達同士の会話の妙だと無邪気に喜ぶみほに背を向け、再び歩き出すペパロニの額に冷や汗が流れる。

 

 あぶねー、またやっちまうとこだった!

 

 尊敬するドゥーチェと共に歩む戦車道部に所属し、そこで副隊長を務めるのはペパロニにとってこの上ない名誉である。例え現在戦車道競技に斜陽の兆しがあろうと、アンツィオ戦車道部が二進も三進も行かない弱小チームだと他校に思われているとしても、ペパロニはその事を周囲に自慢して回りたいくらいに誇りに思っている。

 

 

「それじゃあ、今はどこに向かってるの?」

 

「そうだなぁ、やっぱまずは食堂を案内しねーとなー」

 

「え? 食堂はお昼に行きましたよね?」

 

「え? 一箇所だけだろ?」

 

「えぇ?」

 

 

 だがペパロニにもそんな衝動を堪えるだけの分別はあった。ぶちまけようとしたのが今朝方地雷を踏み抜いたばかりの相手ならなおさらだ。自分の後ろをカルガモのひな鳥の如く付いてくるみほの表情を盗み見て、ペパロニは自身の堪え性に胸を撫で下ろした。

 

 

 

 

 アンツィオ高校は食への飽くなきこだわりを持つ学園である。その噂は常識というレベルで他所にも広く知れ渡っており、黒森峰で戦車道一辺倒の生活を送っていたみほでさえ聞いたことがあるほどだ。だがそれも所詮小耳に挟んだ程度、実際に目にしたわけではなくその熱意を理解してはいなかった。

 

 

「まさか食堂が三つもあるなんて」

 

 

 みほは今しがた巡ったばかりの二つの食堂の様子を思い出し、呆気に取られたまま呟いた。今朝話しかけてくれたクラスメートが営む屋台のジェラートをペロッと舐め、文化の違いを実感する。濃厚なイチゴの果汁とキンと冷たい舌触り、一生徒が作っているとは思えない妙味に深い情熱も感じられる。

 

 敷地が広いから複数の食堂がある、というわけではなく、それぞれがジャンルの違う食事を提供する食堂である。

 

 一箇所は世界三大料理の一つフランス料理を提供する食堂で、もう一箇所は和食を中心に提供する食堂だ。欧風な空間にポツリと存在する和風な食堂は異質に見えたが、やはり根は日本人のためか放課後にも関わらず多くの生徒で賑わっていた。だがペパロニが言うにはもっとも人気なのがみほたちも昼に行ったイタリアンの食堂だそうで、アンツィオに根付いたイタリア文化の根深さが覗える。

 

 

「あん? 黒森峰には一つしか食堂なかったのか?」

 

「うん、そうなんだ。もちろん先生もビールなんか飲んでなかったし」

 

「かー! そいつら人生損してるぜー! 美味いもんを楽しく食う、それが生きる幸せってやつさ。うちの奴らはみんなそれを知ってんのさ」

 

 

 別に食堂の多さでそこまでは計れないと思うけど。

 

 そう思わないでもないみほだったが、周りに視線を巡らせるとペパロニの言うことが深い説得力を持っているように感じられた。

 

 今二人が歩くのは校舎から外に伸びる屋台通りとも呼ばれる道で、道沿いにはたくさんのカフェテラスや生徒の開く屋台がひしめいている。辺りにはたくさんの人たちが楽しそうに食事を楽しんでいる声と姿がある。生徒たちはコーヒー片手に下らない話に熱中し、大人たちは取り留めのない話で盛り上がりながらワイングラスを傾ける。大人も子供も、年の離れた友人のような気安さで笑い合っている。

 

 もちろん黒森峰がギスギスした空気の中で食事を取っているというわけではない。誰だって美味しいものを食べれば頬が緩むものだ。だがそれでもアンツィオの食事の楽しみ方は、一般的なそれとは一線を画すような活気と陽気に満ち溢れていた。

 

 

「そうだね。私もそう思う」

 

 

 今日初めて出会ったばかりの相手に、みほの口調も随分と自然にフランクなものになってきている。ペパロニの人柄か、アンツィオの空気に当てられてか。ともあれ切っ掛けは一緒に食事を取った、ただそれだけだ。

 

 黒森峰は戦車道に限らず、文武両道を実現する名門校だ。食堂で供される食事だって生徒たちのために味にも栄養にも考慮して作られたものだった。だがみほは今日ほど食事が美味しく、楽しいものだと感じたことはなかった。

 

 あの頃の私は余裕がなかったから何も感じられなかったんだろうか。それとも何も感じられないからああなってしまったのだろうか。

 

 そんなことをみほが考えたとき、道の向こうから喧騒が聞こえ始める。ワッという驚きの声と囃し立てるような歓声、そしてけたたましいエンジン音。聞きなれない音だったがみほにはすぐにその正体がわかった。現用の自動車ともバイクとも違う、洗練されていない騒がしいそれは何十年も前に開発された古い戦車特有の音だった。

 

 

「あー! お前ら何やってんだー!」

 

「やっべ、ペパロニ姉さんだ! おいっ、止まれ止まれ!」

 

 

 ペパロニが声を荒げながら戦車の前に躍り出た。身を乗り出してビラを撒いていたオリーブグリーンのパンツァージャケットを着た車長が慌てて停止指示を出し、その小さな豆戦車、CV33はペパロニの眼前で停車した。

 

 

「お前ら、練習が休みの日は戦車動かすなってドゥーチェが言ってただろうが」

 

「す、すいません!」

 

「うちは燃料買う金もかつかつだってお前らだってわかってんだろ」

 

 

 腕を組みペパロニは威圧的な調子で戦車に乗る生徒を叱責する。戦車に箱乗りする車長は恐縮しきりな様子で平謝りしていたが、操縦手は覗き窓からペパロニに弁解する。

 

 

「もちろんっすよペパロニ姉さん! だからうちらこうして他の部の宣伝して、チームのために金稼いでるんす。戦車乗ってると目立つからって評判いいんっすよね」

 

「なぁにぃ~?」

 

 

 ペパロニは腕を組んだまま戦車にツカツカと近寄っていく。残されたみほは戦車に乗る生徒たちが撒いていたビラを一枚拾い上げて目を通す。そこには週末にパンテオンで開かれるロマネスク美術部とルネサンス美術部のオペラ対決という、よくわからない宣伝が描かれていた。

 

「く~! お前らの心意気は副隊長であるこのペパロニが確かに受け取った! ドゥーチェには黙ってといてやる。アンツィオ戦車道部の宣伝力を見せ付けてやれ!」

 

「はい! 行くぞピアディーナ、気合入れて回せ!」

 

「よっしゃタラッリ! じゃあ姉さん、週末期待してて下さいっす! うちらの力で満員御礼にしてみせるっすよ~!」

 

 

 ペパロニに見送られ、やる気を漲らせてカタカタと駆動音をかき鳴らしながら豆戦車が駆けていく。盛大に舞い上げられる宣伝用のビラを満足げに見やるペパロニは、背後で鳴ったサクッという軽い音で我に返った。

 

 

「あ」

 

 

 恐る恐るといった様子でこちらに振り返るペパロニを、みほはジェラートが盛られていたコーンを齧りながら見つめた。最後の一口を口に収めながら、何やら口ごもるペパロニに何と声を掛けるべきかみほは数瞬思い悩む。

 

 久々に戦車を目の当たりにしたみほの心は、自分でも意外なほど何も感じていなかった。戦車道を、戦車を忌避する気持ちは今でもみほの中にある。しかし、それと今見た光景とが結びつかなかったのだ。

 

 

「ペパロニさんのチームって戦車道だったんだね」

 

 

 走り去っていった戦車が戦車道の試合では使い物にならない貧弱な装備だったから? 違う。あの小ささと足回りの良さは戦車道でも有用だと、叩き込まれた癖でみほは分析していた。

 

 アンツィオの戦車道チームが黒森峰女学園と肩を並べるような強豪チームじゃないから? 違う。みほが戦車道を厭う理由にチームの強弱は関係ない。

 

 戦車に乗っている子たちと、彼女たちと話すペパロニが、とても楽しそうに笑っていた。それがみほの知る戦車道とさっきの光景との違いだった。

 

 

「あーっと、その。実は私さ、えー」

 

 

 あんなに生き生きとしていたペパロニが視線を泳がせて動揺している。今、彼女にはみほに対する遠慮があった。だがそこにあるのは、みほが黒森峰で周りから感じていた感情とは遠いものだった。みほはそれがくすぐったくて、くすくすと笑った。

 

 

「ペパロニさん、私は戦車道が嫌になって転校してきました。勝利だけを目的に戦車に乗るのが嫌になって、黒森峰から逃げてきました」

 

「うん……」

 

「でもね、私はペパロニさんの好きなことがもっと知りたいの。ペパロニさんがあんなに楽しそうにしてる戦車道のこと、ちゃんと知りたい。だって、お、お友達、だもん」

 

「みほ……」

 

 

 お友達、と言う辺りで急に自分の台詞が恥ずかしくなってみほは顔を俯かせた。その頬には僅かに朱が入っていたが、口元は自然と弧を描いていた。

 

 みほの言葉を聞き、ペパロニは目を見開いていた。頭をガシガシとかき乱してから、みほの隣に近づき俯いたままの彼女の肩をガッシと組んだ。

 

 

「きゃっ」

 

「みほー! おめー本当にいい奴だなー! だよなぁ、ダチに隠し事なんてなしだよな! たっぷり聞かせてやるぜ、我らアンツィオ戦車道部の栄光をさ!」

 

 

 みほとペパロニは肩を組んだまま屋台通りを歩く。ずっと我慢していた反動か、ペパロニの話は止まらない。密着した状態で大げさな身振り手振りを交えて話すものだから、みほはまっすぐ歩くのにも苦労してしまう。

 

 アンツィオ戦車道部がどれだけ素晴らしいか、今年の一年がいかに有望であるか、タンケッテの機動力がいかほど優れているか、導入予定の新兵器がどうして最強なのか。みほは聞き役に徹していたが、そこに辛そうな影は欠片もなかった。

 

 

「でな、そん時アンチョビ姉さんが、あっうちの隊長なんだけど、姉さんがまた変なこと言い出してさぁ。カルパッチョに突っ込まれてしどろもどろになっちまって」

 

「ふふ、ペパロニさんはその人のこととても好きなんだね」

 

「いやー、好きっつうか尊敬してるっつうか。すげー人なんだぜ、姉さんは一人でうちの戦車道を盛り返したんだ。うちらが入る前は同好会にまで落ちぶれてたらしいんだけどな、たった一年で公式戦に出るまで持ち直したんだってよ。私とカルパッチョもCVで出たんだぜ? 負けちまったけど」

 

 

 負けた、みほの知る戦車道では許されなかったそれを話すときでも、ペパロニは悔しそうな口調ながら口元はにやけたままだ。

 

 

「そうだ。みほにもうちのドゥーチェを紹介するよ。姉さんも暇してるだろうしさー、あの人練習ない日も大体部室にいんだよな」

 

「でも」

 

「ああ、別に入隊しろってんじゃないぜ? まぁアンツィオに来たなら姉さんと顔合わせしといた方が都合がいいしな。姉さん顔広いからさ」

 

 

 かつて副隊長を務めたみほである。練習のない日に隊長がいるということは何か事務関係の仕事をしているんじゃないかと思ったが、同じく副隊長だというペパロニがそう言うなら本当に暇しているだけなのかも知れない。

 

 ペパロニが語る人柄とみほが知るものとは違う戦車道の隊長像に興味を持ったみほは、少し躊躇いを残しながらも頷いた。

 

 

「じゃあ、お願いします」

 

「オーケィ! じゃあ早速行こうぜ!」

 

 

 

 

 ほとんど駆け足状態で二人が向かった部室塔。階段を上り、大理石風の廊下を突き当たったところでようやく二人は足を止めた。

 

 

「じゃあちょっと話してくっから。呼んだら入ってきてくれ」

 

 

 そう言ってペパロニはみほを残し、戦車道とプレートが貼られた部室にノックもなしに入っていった。閉じられた扉の向こうから騒がしい様子が聞こえたが、言い争うような感じでもないのでみほは大人しく呼ばれるのを待つことにした。

 

 

「ま、まだかな」

 

 

 すぐに呼ばれると思い緊張していたみほだったが、十分ほど経っても未だそんな様子はなかった。もしペパロニが元の用件を忘れてるんだとしたらどうするべきか。自分から入室するというのは人見知りの気があるみほには難しい。だがこうして待ち惚けるのも、さっきから廊下を行き交う部活生の視線が気になって辛いものがある。かといってペパロニを置いて帰るのは論外だった。

 

 

「うちに何かご用でしょうか?」

 

「え!? あ、はい、えっと、私は、その」

 

 

 好奇の視線から逃れて下を向くみほの前に、いつの間にか人が立っていた。突然声を掛けられてしどろもどろになるみほに、その金髪の大人しそうな少女は首を傾げた。少女は部室の中から聞こえる喧騒になるほど、っと納得したように頷くとみほに優しく微笑んだ。

 

 

「もしかしてペパロニのお友達?」

 

「はい、そうです!」

 

「そうでしたか。私もペパロニの友人のカルパッチョです。……あら?」

 

 

 その問いかけに勢いよく答えて顔を上げたみほに少女は一瞬目を丸くするが、すぐに軽い自己紹介で返事をした。そして何かを思い出すように再び首を傾げ、みほが自己紹介を返す前に口を開く。

 

 

「もしかしてあなた、西住さん?」

 

「そう、ですけれど」

 

 

 初対面である少女、カルパッチョが自分のことを知っていることに不思議そうにするみほだったが、続けられた言葉に表情をなくす。

 

 

「転校生の名簿に気になる名前があったものですから、顔を見てすぐにピンと来ました。私も去年の公式戦に参加してたんですよ」

 

 

 何でもないように話すカルパッチョだったが、みほにとってはとても重い内容だった。彼女の言う西住が単純に自分の苗字を指しているのではなく、西住流という意も含んでいると感じ取ったからだ。

 

 ペパロニやクラスメートと話して浮かれていた心がすっと冷えていく感覚をみほは覚えた。戦車道を嗜む人間にとって西住と言う名の持つ意味は重い、戦車道の副隊長でありながら全く気にしていないペパロニが可笑しいのだ。そんなことは黒森峰での生活で十分にわかっていたはずなのに。

 

 のこのこと戦車道部の前まで来たことを後悔するみほ、彼女の心にはあの頃の記憶がありありと蘇っていた。その一方でカルパッチョもまた自分の放った不用意な言葉に後悔していた。

 

 カルパッチョは自分たちの隊長であるドゥーチェと一緒に去年の大会の内容を分析していた。当然決勝戦で何が起きたか、みほが何をしたかを知っており、そしてみほがどうして黒森峰から転校したのか推察できたのだ。

 

 

「あの、私、失礼します!」

 

「待って」

 

 

 カルパッチョにはみほがどんな思いで転校したのかわからない、何と声をかければいいのかもわからなかった。だからカルパッチョは駆け出そうとするみほの腕を掴んで止め、中の声が聞こえるように部室の扉を少しだけ開いた。

 

 

 

 

 みほはカルパッチョの手を振りほどこうとしたが、その見た目にそぐわない腕力と真剣な眼差しに抵抗を諦めた。逃げることは出来ず、カルパッチョと目を合わせられず、どうしようもなくなったみほの耳にペパロニと隊長の会話が勝手に入ってくる。

 

 彼女たちはみほの決勝戦での行為を肯定し、そして西住流なんて関係ないと言ってくれた。みほが否定し否定された戦車道の、その隊長と副隊長がみほのことを肯定してくれたのだ。

 

 

「ねぇ西住さん。私は貴女がどんな気持ちで転校したのかわからない。でも私たちは貴女が仲間を助けたいと思ったということは知っているわ。そして、そんな素敵な人がアンツィオに来てくれたことを誇りに思うの」

 

「ありがとう、ございます」

 

「ふふ、可愛い顔が台無しね」

 

 

 カルパッチョはそう言って、お洒落なハンカチでみほの目元を拭った。いつの間にか室内から聞こえてくる会話が漫才のようになっていて、みほとカルパッチョは声を殺して笑った。

 

 

「ペパロニもドゥーチェも面白い人でしょ?」

 

「はい。とっても素敵で、優しい人たちです」

 

 

 また二人して小さく笑い、カルパッチョは開きかけの扉を引く。カルパッチョに続いて部室内に入るみほの心には未だ戦車道に対する抵抗感が残っていた。だがそれ以上に、この素敵な人たちと同じ時を過ごしてみたいと、そう思った。




たくさんのご感想まことにありがとうございます。こんなに評価されるとは思わず驚いております。これを励みにゆっくりと進めていこうと思いますのでよろしくお願いいたします。
そういやアンツィオ訪問のドラマCDあったなと参考に注意深く聞いていたら設定の取り返しがつかないことになってたので忘れることにする。この話は捏造設定だ。


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04

この話を書き始めるまでアンチョビってあのピザとかに乗ってる黒くて丸いあれだと思ってたけどオリーブの実だあれ
また一つ賢くなった、ガルパンは頭脳にもいいぞ
あとがきは本編とそんなに関係しないので見なくていいです


 チャイムが鳴ると同時に一気に騒がしくなる教室で、席に座ったままみほは几帳面に教科書をまとめていく。きょろきょろと周りを見ると、殆どのクラスメートは無造作にカバンに放り込み急かされるように席を立っていく。みほはそれに釣られ、少し慌てた様子でまとめた教科書をカバンに詰め、筆記用具を放り込んだ。

 

 

「みほー、今日ヒマ?」

 

「私らこれから買い物行くんだけどさ、みほも行かない?」

 

「ふぇっ?」

 

 

 帰り支度が済んだところで声がかけられ、みほは間抜けな声とともに顔を上げた。その先にいたのは赤みがかった癖毛の少女と茶髪を襟足で一つにまとめた少女だった。二人とも昨日一緒にお菓子を食べたクラスメートであり、みほの新しい友人である。

 

 友人に放課後遊びに誘われるなんてみほにとって久しぶりのことだった。みほは一瞬花が咲いたような笑みを浮かべ、そしてそれはすぐに萎れてしまった。

 

 

「えっと、その」

 

 

 友人に遊びに誘われるなんて本当に久々だった。ましてそれを断らなければならない経験なんて、みほの記憶には残ってすらいなかった。この誘われて嬉しい気持ちを彼女たちに伝えつつ、不快に思わせないように断るには何と言うべきなのか。みほは最善の言葉を求めたが、元々口下手なきらいのある彼女には上手い言葉が浮かばなかった。

 

 

「残念だったな二人とも、今日は先約があるんだ」

 

 

 言いよどんだせいで不思議そうにする友人たちに焦り始めたみほ。そんな彼女を救ったのは、教室のロッカーに荷物を取りに行っていたペパロニだった。みほの肩に片手を乗せ挑発的な笑みを浮かべるペパロニに、クラスメートは残念そうに口を尖らせた。

 

 

「ちぇー、今日もペパロニに先を越されたかぁ」

 

「じゃあみほ、ペパロニの屋台やるんだ。ふーん、ならちょっと寄ってみようか」

 

「あ、いいね! あれ、でも今日ってペパロニの屋台休みの日じゃなかったっけ?」

 

「おう、今日は戦車道の日さ!」

 

「は?」

 

「ペパロニって何でそんなバカなの?」

 

 

 胸を張って言うペパロニにクラスメートの冷たい視線が突き刺さる。彼女たちはみほが戦車道を嫌って転校してきたのだと知っているのだ、ペパロニのせいで。つい昨日思慮に欠けた質問でみほの心の傷に触れたばかりなのに、懲りた様子のないペパロニに対する反応としては当然のものだった。

 

 一方あんまりな批評を受けるペパロニは納得がいかない。確かに昨日は不躾な質問をしてしまったが、そのことを彼女は十分に反省していたし、その後は寧ろ気を遣ってみほに接していたつもりだ。そもそも私はバカじゃない。

 

 

 

「ち、ちげーっての。失礼なやつらだぜ。なぁみほ」

 

「え? あー、えっと。そうだね」

 

「なんだよその反応!?」

 

 

 何とも不本意な級友たちの反応にペパロニは助けを請うようにみほへと同意を求めた。急に話を振られたみほは少し慌ててしまった。心配してくれる友人たちへの感謝とペパロニの擁護、その二つが同時に喉を通り出ようとして一瞬言葉に詰まってしまった。

 

 別の意味で言葉につかえたように聞こえ、ペパロニを除くクラスメートは声を上げて笑った。

 

 

「私から見学をお願いしたの。アンツィオの戦車道は私が知ってる戦車道と全然違って、とっても楽しそうだったから」

 

「あー。まー黒森峰と比べたらねー」

 

「うちの戦車道チョー弱いし」

 

 

 周りの勘違いに気づき慌てて弁明しペパロニを宥めた後に、みほは自分から戦車道部の見学を申し出たのだと説明した。クラスメートはみほの言葉に二重に納得し、ペパロニの眼前で何の遠慮もなくアンツィオ戦車道部を評する。彼女たちにはペパロニに対しては親しき仲の礼儀さえないのだ。

 

 みほはそのはっきりした寸評にペパロニが怒るのではと心配したが、当の本人ははんっ、と小馬鹿にするように鼻で笑った。

 

 

「おめーらなんっもわかってねぇなぁ。確かに去年のうちらは強くはなかったかも知れねーぜ? でもな、今年はついに待望の新兵器がーっと。おっと、こりゃ機密だった。うっかり漏らしちまうとこだったわー」

 

「えー、ちょっと何よ新兵器って」

 

「へ、おめーらにゃあ教えてやらねぇよ。今年ドゥーチェが優勝旗振り回す様見て吠え面かくんだな! 行こうぜみほ」

 

「あ、うん」

 

 

 言いたい事を言い切ったペパロニはほくそ笑み、みほの手を引いて教室の入り口に歩いていく。引きずられるように後に続くみほはクラスメートたちに振り返って小さく手を振る。

 

 

「アンナさん、エリデさん、ごめんなさい。でも誘ってくれて嬉しかった! また明日!」

 

「アドマーニ、みほ。ペパロニがまた何かバカなこと言ったら教えてね」

 

「チャオ。また明日~」

 

 

 クラスメートも笑ってみほに手を振り返した。ペパロニはもったいぶった言い回しで彼女らが悔しがることを期待していたが、そんな様子は全くなかった。今年は優勝するぞと言われても冗談にしか聞こえない。それだけアンツィオ戦車道部の弱さは知れ渡っているのだ。

 

 

 

 

 ペパロニに連れられてみほが向かっているのはコロッセオである。昨日の学校案内でも回った円形闘技場は、観光客にも人気だというのが頷ける威容を誇るものだった。しかしローマンコンクリートの風情と圧巻の広さにそのときみほは感嘆したものの、戦車を乗り回すと考えるとさすがに手狭に思えた。

 

 

「まーそうなんだけど、今日はCVの訓練だから。CVならたくさんあるしさ、一年どもを走らせるには都合がいいんだ」

 

 

 そんなみほの疑問に何でもないようにペパロニは答えた。アンツィオの戦力は現在豆戦車のCVと自走砲のセモヴェンテ。セモヴェンテも参加する訓練ではアンツィオ高校の校舎がある学園艦中枢から離れた演習場を使うそうだが、そうでない場合は近場のコロッセオを使うらしい。

 

 CVの大きさならコロッセオでも走り回るに十分だし、近くて便利。それにコロッセオで駆け回ると古代ローマの勇壮な戦車競技を彷彿とさせてCVがすごくかっこよく見える。合理的な理由がそこにはあった。

 

 

 

 

 

「遅いぞお前たち!」

 

 

 コロッセオに入場するための通用口、薄暗い階段を登った先に逆光に照らされて仁王立ちで待つアンチョビがみほたちに声をかけた。その怒声、というには弾んだ声色を受けてペパロニは笑った。

 

 

「アンチョビ姉さんがはえーんすよ。見学がいるからって張り切って寝れなかったんでしょ? だから大きくなれないんですよ」

 

「小さくないって言ってるだろ! 張り切ってもいない、いつも通りだ!」

 

 

 ペパロニの軽口に肩をいからせてアンチョビはみほたちの傍に下りて来た。わいわいと言い合う二人の声が通用口に木霊する。

 

 アンチョビはみほより年上で身長もほとんど変わらない。だがペパロニにからかわれむきになって声を荒げる姿は、凛々しさより可愛らしさが先に立つ。みほは階段の数段上でじゃれ合う二人の姿を、こんな隊長と副隊長の関係もあるのかと興味深そうに見つめていた。

 

 

「おほん。よく来たな西住、いやみほ。歓迎するぞ。我がアンツィオ戦車隊の勇姿、存分に見ていくといい」

 

「はい、よろしくお願いしますアンチョビさん」

 

「うん。……うちの子もこのくらい礼儀正しければなぁ」

 

「何か言いました姉さん?」

 

「いや何でもない、行くぞ!」

 

 

 姿勢を正してお辞儀するみほの姿にアンチョビはペパロニを横目に思わずため息をついた。アンツィオの総帥なのにどうにも軽んじられている気がしないでもない今日この頃、礼に始まり礼に終わるという戦車道に相応しいみほの態度は新鮮に感じられた。

 

 きょとんとするペパロニに首を振り、アンチョビは気を取り直して階段を登る。みほたちはアンチョビに促され、長い階段を登りきり競技場を一望する観客席に出た。

 

 

「ぃよーし、カルパッチョ! 開門だ!」

 

 

 片手を腰に当てたアンチョビが通信機に向かって指示を出すと、地鳴りのような音を上げて競技場両端にある巨大な門が開く。

 

 

「全車整列!」

 

 

 かつて命知らずの剣闘士たちや恐ろしい猛獣がくぐって来たものを模した門から次々にCVが飛び出すような勢いで入場する。その勢いで一部は横滑りする激しい動きをしていたが、それでもアンチョビの指示通り18輌のCVは三つに分かれて横陣に並んでいく。6輌ずつが向かい合って円形競技場の端に並び終えた頃、自動化されたコロッセオのギミックを操作するコントロール室にいたカルパッチョが三人の元にやってきた。

 

 

「こんにちは、みほさん」

 

「カルパッチョさん、こんにちは」

 

 

 カルパッチョの挨拶にみほは頭を下げて応えた。そんなみほの様子にカルパッチョはにこやかな笑みを浮かべ、アンチョビの傍まで歩いていく。

 

 

「ドゥーチェ。CV18輌、総員36名、準備整いました」

 

「よろしい」

 

 

 カルパッチョの報告を受け、競技場に綺麗に並ぶCVを見遣るアンチョビは満足げに頷いて答えた。

 

 

「アンチョビさん、いったいどんな訓練を行うんですか?」

 

「ふふん、コロッセオでやることと言ったら決まってるだろう?」

 

 

 小型の戦車とは言え雰囲気のあるコロッセオで悠然と居並ぶ様は中々壮観で、みほは感嘆の声を上げた。だが強力なドイツ戦車に囲まれて生きてきたみほには豆戦車で行う訓練がどんなものか想像できず、アンチョビに問いかけた。アンチョビは胸を張り、威風堂々とした様でそれに答える。

 

 

「勇猛な我が戦車たちによるグラディアートルだ!」

 

「要するに単なるフラッグ戦形式の模擬戦です」

 

「カルパッチョ……」

 

「同校の生徒にかっこつけてもしょうがありませんよ」

 

 

 アンチョビの答えを要約するカルパッチョは続けてみほに対して説明を補完する。

 

 この訓練に参加する車両は通常よりも装甲値が低く設定されており、CVの装備する機銃弾でも撃破されるようになっている。敵対車両を上手くかわして相手フラッグ車を叩く。最後まで残ったフラッグ車のグループが勝利、という単純なルールで行われる模擬戦である。

 

 

「普段はもっと基礎的な練習が多いんですけどね。みほさんがいらっしゃるということで急遽ドゥーチェがこの形式に変更したんです」

 

「それは、なんだか申し訳ないです」

 

「いいんですよ。ドゥーチェもみんなも楽しそうですから」

 

「こらカルパッチョ! 余計なことを言うな! 全く……お前たち、準備はいいな!」

 

 

 みほとカルパッチョの雑談に声を荒げるアンチョビは、気を取り直して通信機に向かって声をかける。通信機の向こうからはCVの乗員たちの威勢のいい声が返ってくる。

 

 

「よし! いいかお前たち、今回の勝利チームには特別に褒賞を用意してある。このアンチョビ特製イワシの塩漬けだ!」

 

『え、あー。わーい、やったー』

 

 

 その反応に満足げに頷いたアンチョビは、さらに隊員の士気を高めるべく景気付けを行う。転入したての者にチームのかっこいい所を見せたいという総帥としての見栄があった。アンツィオ生は食べ物で釣るのが一番、ということでアンチョビ自慢の一品を賞品に提示したが、返ってくる反応にさっきの威勢はなかった。

 

 

「おい、なんだその気のない返事は。美味しいだろアンチョビ」

 

『だってドゥーチェのアンチョビって味薄いんですよね』

 

『美味しいんですけど、挟んだり和えたりしたら物足りないっつーか』

 

『どっちかっていうと肉がいいっす』

 

「研究を重ねてやっと完成した減塩アンチョビだぞ!? くっ、わかった。先月作った秘蔵のプロシュットを出そうじゃないか。そろそろ食べ頃だし」

 

 

 今度の反応は上々だった。一層増した隊員たちの気勢を浴びるアンチョビだったが、試行錯誤を繰り返して作り上げた一品が不評だったことに、その名前もあって自分が否定されたような気がしてがっくりと肩を落とした。

 

 

「大丈夫っすよ姉さん。塩漬け食品の味を損なわず減塩に成功した姉さんの偉業、みんなその凄さはわかってます」

 

「ペパロニ」

 

「確かに味薄いっすけど、その分塩足して調味すればいいですしね」

 

「それじゃ意味ないだろー!」

 

「あ、そのまま食う分にはすげー美味いっすよ!」

 

 

 とどめを刺そうとしてきたペパロニに言い返そうとするアンチョビだったが、ちらりと後ろのみほを見て再び気を取り直す。せっかくの見学者にこれ以上情けない姿は見せられない。アンチョビはフンと鼻を鳴らすと前に向き直り二人の副隊長に指示を飛ばす。

 

 

「まぁいい。ペパロニ、カルパッチョ、訓練開始だ」

 

「わかりました。カルネ、ペッシェ、ヴェルドゥーレ、各チーム戦闘準備」

 

「今日はドゥーチェだけでなく見学者も来ている。無様を晒すな、アンツィオの機動力を見せ付けろ」

 

 

 瞬間、ペパロニとカルパッチョの纏う雰囲気が切り替わる。眼下の競技場を睥睨し、そこに広がる全ての車両に意識が向かう。みほたちから向かって左手前のチームカルネ、右側のペッシェ、向かい側のヴェルドゥーレ。それぞれのチーム車両からも目に見えない緊張感が発せられている。先ほどまでのギャップの大きさもあって、みほは我知らず息を飲んだ。

 

 シンと静まり返ったコロッセオで、通信機を口元に当てアンチョビは鞭を振り上げた。

 

 

「アバンティ!」

 

 

 アンチョビの号令を合図に競技場内のCVたちが猛然と気炎を上げる。搭載されるのは軽量のエンジンでも、18輌揃えば空気を震わせる圧力をみほに感じさせた。

 

 カルネ、ペッシェと呼ばれたチームはフラッグ車を中央に置いた縦隊で直進、競技場中央に突進する。ヴェルドゥーレはフラッグ車を最後尾に置いて円周に沿って右方に回る。

 

 そのうちカルネ隊、ペッシェ隊の先頭車両が中央部で激突する。ぶつかる、とみほが思った瞬間ペッシェ隊の先頭と続く2輌が左に逸れて回避、その後車両を一瞬で反転させカルネ隊の後続に食らいつく。

 

 フラッグ車を含むカルネ隊の後続3輌は車体を反転、速度を殺さず後進しながらペッシェ隊の迎撃を開始する。カルネ隊の先行車両は右方に離脱したペッシェ隊のフラッグ車の追撃を行う動きを見せたがすぐに中断し、自チームフラッグ車の救援に向かう。

 

 カルネ隊フラッグ車を追うペッシェ隊が護衛の1輌を走行不能にしたとき、カルネ隊の残る2輌は10時の方向に離脱を図る。ペッシェ隊はこれを追撃、さらに先行していた3輌が救援と合流するカルネ隊の頭を抑える形で挟撃に持ち込んだ。

 

 

「すごい」

 

 

 盛大に土煙を上げて駆け回るCVたちを見ながら、みほは素直にそう思った。超信地旋回ができないCVで走行中に180度の急旋回をすることもそうだが、その後スムーズに後進に移る彼女たちの技術は想像を絶するものだった。快速戦車の名に恥じない試合運びはみほの知るブリッツクリークとはまた違う、アンツィオの電撃的なドクトリンである。

 

 

「ふふん、そうだろうそうだろう。我がアンツィオの走行技術は強豪校にも劣らない。じゃない優っている! ……しかしあんまり練習させてあげれてないのに、何であの子たちあんなに上手いんだろうな?」

 

 

 みほが零した呟きにアンチョビは嬉しそうに胸を張った。心情はどうであれみほは高校戦車道を代表する雄である黒森峰の元副隊長だ。そんなみほが高評価を下したのだから、これはもうアンツィオは全国レベルということだろう。

 

 自分でも信じられないくらいに上手く戦車を操る後輩たちをアンチョビは誇らしさとほんの少しの疑わしさを以って見つめた。ペパロニは後輩たちが休みの日も戦車を乗り回していることをちゃんと秘密にしているのだ。

 

 

「けど」

 

 

 嬉しそうにするアンチョビと、通信機に向かって後輩たちに指導の声を上げるペパロニとカルパッチョ、そんな彼女たちの様子はみほの目に映っていなかった。

 

 決して馬鹿にするつもりなどないが、みほは昨日一昨日のアンチョビたちの愉快な様子からアンツィオ戦車道部がもっとお気楽な集団だと思っていた。だからこそ見学の申し出も気負わず切り出せた、ということもある。だが実際彼女たちの練習を目の当たりにして、その考えが間違いだったとみほは実感していた。

 

 アンツィオ戦車道部の操縦技量は、アンチョビの言う通り黒森峰の精鋭にも匹敵するだろう。確かに全国大会に出場しても恥じないレベルだ。だからこそみほには彼女たちが勝利には至らない、その弱点が浮き彫りになって見えていた。

 

 

「指揮者が前しか向いてない」

 

「ん?」

 

「周囲の状況確認が出来てないんだ。迂回したチームに気づいてない」

 

 

 眼下の光景に集中し、一年生たちに指導する今後の課題を洗い出そうとしていたアンチョビは、傍らで呟かれた声に顔を上げた。声を発したみほに目をやるが、続けられた呟きに再び競技場に視線を落とす。

 

 

「んん?」

 

 

 ペッシェ隊フラッグ車に乗る隊長は車体から身を乗り出している。これは視界の狭い戦車で周囲の状況を把握し的確に指示を出すためだったが、彼女は声を張り上げ腕を振り回し、追い込んだカルネ隊フラッグ車に視線を固定してしまっていた。

 

 

「あ! ああ、最後まで気を抜くなっていつも言ってるのに」

 

 

 目の前に迫った好機に逸り、もう一つのチームの存在が頭から抜け落ちているカルネ隊。そこへ競技場を迂回していたヴェルドゥーレ隊が歪な凸型陣形で襲い掛かった。横合いから銃撃を浴びせられ、慌てたカルネ隊の隊長は指示が出せず車列が乱れ始めた。

 

 

「隊長車からの指揮が甘い。いや、単に連携に慣れていないのかも」

 

「うぐ」

 

「射線がまばら。目標を統一出来てない、あれじゃあ」

 

 

 隙を窺い二チームが争う横合いから絶好のタイミングで殴りかかったヴェルドゥーレ。獲物を視界に納め、隊員たちは勝機に逸る。ある車両はカルネの、また別の車両はペッシェのフラッグ車に射撃を開始する。だが、また他の車両は先にフラッグ車を丸裸にしようと護衛車両に車体を向けている。ヴェルドゥーレ隊の隊長はカルネ隊のフラッグ車を指差し声を上げているが、まるで統率は取れていなかった。

 

 

「そこは練習不足がしっかり出てるんだよなぁ。はぁ……」

 

 

 ただでさえ精度の低い機関銃、それも行進間射撃とあってバラバラに撃ち出された銃弾は一輌さえ撃破するに至らない。折角の機会に戦果を上げられないままヴェルドゥーレ隊は二チームの車両群をバラバラに避けながら通過してしまった。

 

 混乱するペッシェとヴェルドゥーレ両隊、その機を逃さず追撃を受けていたカルネ隊は一斉に反転。反撃を受ける危険性が低い状況だからか、カルネ隊は隊長の指示に従いペッシェ隊フラッグ車に攻撃を集中する。

 

 

「確かに個々の士気と技量は高いけど豆戦車じゃ攻勢は難しい、か。打撃力が足りない。ここにセモヴェンテを加えても正面からじゃあ……」

 

 

 軽快で頼りない音を発して撃ち出されるCVの機銃弾。装甲値を低く設定されているにも関わらず、それは壁になった護衛車1輌を大破させただけだった。

 

 その後は各車両が入り乱れ、戦車戦と言うより一昔前の戦闘機の巴戦のような様相を呈する展開となっていった。各車の車長が身を乗り出して叫びながらの大乱闘。華やかで騒がしくアンツィオの人間なら手を叩いて喜びそうな試合だったが、それを見るアンチョビの肩は下がり表情は暗かった。

 

 

「そうだよな、CVが主力じゃ厳しいよな。やっぱりノリと勢いじゃあ試合に勝てないのかな……」

 

「みほだったらこの戦力でどう戦う?」

 

 

 ペパロニの問いかけに、みほは顎に手を添えてしばし黙考する。そして競技場の様子から視線を外さないままみほは答える。

 

 

「そうだね。CVは偵察とかく乱に徹底してセモヴェンテを援護、かな。セモヴェンテは自走砲だけど単なる待ち伏せより積極的に攻勢に使うべきだと思う。セモヴェンテと連携することでCVの存在も相手にとって脅威になるはず。各車の連携と判断力が重要になるけど、この機動性と車体の小ささなら上手く行くかも知れない。CVが得た相手チームの位置情報をセモヴェンテと共有、ルートを予測してこちらの位置が悟られないよう注意しながら……あ」

 

 

 自己の世界に埋没していたみほは、そこで視線に気づきハッと我に返った。周りを見るとアンチョビたち三人がジッとみほに顔を向けてその言葉に聞き入っているではないか。みほは自分が何を言っていたのか思い出し、自分の口を慌てて両手で封じた。

 

 

「積極的な攻勢、と言うと具体的にどう動くのでしょうか?」

 

「うんうん、CVよりマシとはいえセモヴェンテの装甲も厚くはない。そう無理は出来ないぞ」

 

「CVは試合じゃ妙に打たれ強いっすからね、もしかするとCV以下かも知れないっすよ」

 

 

 あまりにも失礼なことを口走ってしまったと顔を青くさせるみほだったが、周りの三人は興味津々と言った様子で話の続きを促してくる。みほにとっては全くの失言だったが、アンチョビたちの求めに応じて躊躇いがちに思索の続きを言葉にする。

 

 

「その、単に相手の行動を待って待ち伏せるんじゃなくって、常に移動しながらCVの目で先回りし続けるんです。本来CVの武装では相手にとって、えっと、その……」

 

「8mm機銃では警戒もされない、ということですね」

 

「気にせず続けてくれみほ、CVでは敵の脅威になり得ないということは我々が一番知っている」

 

「いや、流石に気にしますよ……。姉さん、うちらのことそんな風に思ってたんすか」

 

「バカ、武装の話だペパロニ。CV隊の機動力はアンツィオの要だろ、そんな顔をするんじゃない」

 

「みほさん、続けてもらえますか」

 

 

 無意識に口走っていた内容でみほが最も無礼だと思ったのはCVのくだりである。この戦車が主力であると誇らしげに話していた面々の前で、CVでは勝てないと断言してしまったのだ。再び口にすることは憚れるもので、実際に凹んでしまったペパロニにみほは動揺を隠せなかった。

 

 もっともペパロニがショックを受けたのはCVの話題そのものではなく、敬愛するドゥーチェに自分の率いるCV隊が頼りにならないと思われていると勘違いしたからで、カルパッチョはペパロニを慰めるアンチョビを横目に続きを促してくる。

 

 

「は、はい。カルパッチョさんの言うとおり、CVの武装では履帯の破壊も狙えません。いくら攻撃を仕掛けても、……相手は、無視を決め込むこともできます。そうなれば陽動もままなりません。ですが十分な効力射を持つセモヴェンテを先導する役割をCVに持たせれば」

 

 

 そこでみほは一旦言葉を切った。ペパロニたちの反応を恐れて口ごもった、というわけではない。戦車道から逃げ出してここまでやってきた自分が、どうして戦車道部の人たちに戦術を説いているのだろうかと自問したかったからだ。

 

 みほは自分が周りに流されやすい性格だと知っている。黒森峰で副隊長を任じられたとき、そんな大役自分には無理だと断りたかった。しかし周囲の期待から、西住流の家元の娘、多大な実績を上げている西住まほ隊長の妹、そうやって自分に向く視線から逃げられなかった。そうして黒森峰女学園戦車道チームの副隊長を務め、全ての期待を裏切って、逃げ出したのだ。

 

 今の自分はそれを繰り返そうとしているんじゃないのか。期待されるままに語り、失望されて、そしてこの場所も失ってしまうんじゃないだろうか。

 

 かつてと今では状況の重みが違う。だがみほにとっては同じだ。

 

 みほにとって本当のトラウマは戦車道そのものではない。みほにとって最大の心の傷は西住の名を持つというだけで西住流の体現を期待されること、そして自分は絶対にそれを裏切ってしまうということ。それは西住みほが戦車道に関わる以上絶対に避けられないものだ。

 

 そう思っていた。しかし、みほの心には昨日のアンチョビとペパロニの何気ない会話が今も残響し続けている。みほは、ただ友達にアドバイスするだけじゃないか、と、自然にそう思えた。

 

 

「そうすれば相手もCVを意識せざるを得ません。CVの姿がある限りセモヴェンテの伏撃を警戒する。見えない脅威を排除するために陽動のCVに反応する。私たちは戦場の主導権をCVの目と足で握るんです。これは高い機動力を持つアンツィオでしか採れないドクトリンです」

 

 

 咄嗟に思いついたことで、問題点はいくらでもあるだろう。上手く行く保障も自信もない。だが西住流の教えとは関係ない自分の経験から考えたアドバイス、それが少しでも友人の助けになるのなら。みほは言いよどむことなくそう言い切った。

 

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「あ、あの……」

 

 

 しかし、何の反応もないと流石に不安も湧いてくる。やはり滅茶苦茶な考えだっただろうか。改めて思えば、試合が行われる会場の地形で左右される不確実な作戦だ。それにセモヴェンテの砲撃後、退避経路を予測されてしまうと各個撃破される危険性もある。ただでさえ乏しい火力を分散させることも常識的に考えて愚策だ。

 

 何で私はこんなバカなこと言ったんだろう。しかもきっとドヤ顔をしていたに違いない。恥ずかしい、なかったことにできないかな。

 

 

「や、やっぱり今のは聞かなかったことに」

 

「すげー!!」

 

 

 沈黙に耐えかねたみほが発言の取り消しを請おうとしたとき、興奮を露わにしたペパロニがコブシを握って叫んだ。鼻息も荒く、みほの肩を叩きながら彼女の作戦を褒め称える。

 

 

「すげーぜみほ! アンツィオの機動力は日本、いや世界一だ! 絶対上手く行くって! でしょうドゥーチェ、カルパッチョ!」

 

「そうね。CVで偵察し、セモヴェンテで撃破が私たちの基本戦術だったけれど……CV自身を脅威と認識させる、か。試してみる価値は十分にあると思うわ」

 

「うむ、特にCVで戦場の主導権を握るというのが気に入った!」

 

「ですよね! すげーかっけぇっす!」

 

 

 みほの不安とは裏腹に、アンツィオ戦車道部の面々の反応はこの上なく良かった。

 

 対するみほはそんな上々な反応に焦りが生まれる。さっきの瞬間に今の考えの穴はいくつも浮かんでしまっている。そんな欠陥だらけの作戦をこうも好意的に受け取られて、みほはまるで詐欺を働いているような罪悪感に襲われてしまう。

 

 

「ま、待ってください! 今の作戦は咄嗟に思いついたもので、上手く行く保障なんてありません。それに私はアンツィオのチームをよく知らない部外者です、そんな私の考えた作戦を採用するなんて」

 

「確かにもっと煮詰め直すべき点はありますが、でも私たちにはみほさんの考え、光明に思えました。恥ずかしい話ですが私たちだけではこのまま行き詰っていたかも知れません」

 

「そうだぞみほ、もっと自信を持て。このアンツィオのドゥーチェ、アンチョビがお前の作戦を認めてるんだからな!」

 

 

 みほは慌てて自分の作戦を否定したが、カルパッチョは苦笑いと共に首を振った。アンツィオは戦力に乏しく戦術の選択は限られ、彼女たちは小細工と言っていい奇策を弄するしかなかった。

 

 カルパッチョはそのことを情けなくも思ったが、彼女たちにとってそれ以上にみほの語ったアンツィオでしかやれないドクトリンという言葉は魅力的なものだった。

 

 特にアンツィオを導く責任を背負うアンチョビの喜びようは一入だった。カルパッチョの言うように行き詰まり始めた現状、例え穴があろうともみほの提示した新たな方針はまさに光明だったのだ。

 

 

「で、だな。そのぅ、だな?」

 

 

 一頻り喜びを表現したアンチョビはぴたりと動きを止め、みほに向かって言いづらそうに口ごもる。今、彼女の頭には一つの欲が再燃していた。

 

 戦車道に明るい人材が欲しい、という切実な願いにみほは完璧に合致している。アンツィオを導くドゥーチェとしては是非に彼女の力を貸して欲しい。一方でアンチョビ個人としては、みほの心情を(おもんばか)って協力して欲しいと口に出せずにいた。

 

 

「いやいや、ほんとすげーってみほ。咄嗟に思いついたって、よく一回練習見ただけでそんなの思いついたな。うちらもさー、マカロニ作戦とか色々考えてはいたんだけどさぁ」

 

「でもペパロニさん、本当にあの作戦は実現できるかなんて全然わからなくて」

 

「大丈夫だって! アンチョビ姉さんとカルパッチョが上手いこと考えてくれるさ。でさみほ、これからも暇があったら見学しに来ねぇ? うちらだけじゃ見えないこともみほならまた気づけるかも知れないし」

 

「お、おいペパロニ」

 

 

 アンチョビが言いよどんだことをペパロニはあっさりと言ってのけた。アンチョビはみほを傷つける焦りと後輩にそれを言わせた情けなさからペパロニに呼びかけたが、ペパロニはあっけらかんとした様子だった。

 

 

「姉さんも思いますよね? うちらとみほの知恵が合わされば百人力だって」

 

「ま、まぁそりゃあ私だってそう思わないでもない。でもな」

 

「みほもさ、別に戦車が嫌いってわけじゃないんだろ?」

 

「え、そうなの?」

 

 

 ペパロニに言葉を振られ、どうなのかな、とみほは自問した。今度は答えはすぐに出た。もし戦車自体を嫌っているなら、ペパロニたちを見て楽しそうだなんて思わないだろう。

 

 

「そう、なのかも」

 

「だよなー! じゃあさ、今度練習が休みの日CVでかっ飛ばそうぜ。校外を全力で走ると気持ち良いんだ。やっぱ戦車は風を感じなきゃ駄目っすよね姉さん」

 

「そうだなー、晴れた日に戦車から身を乗り出して疾走すると爽やかな風が……ってこら! 練習ない日は戦車に乗るなっていつも言ってるだろ! じゃなかった、みほ!」

 

 

 みほの答えに喜ぶペパロニ。自分が好きなものを友人も好きでいるというのは嬉しいことだ。アンチョビもペパロニに釣られて笑いながら話すが、本題を思い出してみほに向き直った。

 

 

「不躾な願いなんだが。その、だな。嫌なら全然断ってくれてもいいんだぞ? 強要なんかしないし、嫌ならホント、全然」

 

「ドゥーチェ」

 

「わかってる! 急かすなカルパッチョ! おほん、もしみほさえ良ければ今後も我がアンツィオ戦車道部に知恵を貸してくれないだろうか。ペパロニの言うとおり暇なときだけで構わない。ただ今日みたいに私たちの練習を見て、何か気づいた事があったら教えて欲しいんだ」

 

 

 真剣な表情のアンチョビにみほは思わず姿勢を正すが、告げられたのは何とも軽い要望だった。こうも気を遣われると断るのも心苦しい。何よりみほも昨日今日とアンチョビたちの姿を見ていて、力になりたいと思うようになっていた。

 

 

「大して役には立ちませんよ」

 

「そんなことはない。それにそれを決めるのは私たちだ」

 

「本当にたまにしか来ないかもしれません」

 

「それでもいいさ。たまにでも人が増えれば楽しいだろ?」

 

 

 アンチョビの本心からの答えにみほは小さく笑った。戦車に関わるペパロニたちが楽しそうに見えたのは、きっとこの人が隊長をやってるからというのもあるんだろうなと思った。

 

 

「じゃあ、よろしくお願いします」

 

「本当か!?」

 

「でも本当に大したことは言えませんよ?」

 

「構わん構わん! よーし」

 

 

 みほがぺこりと頭を下げてアンチョビの願いを聞き入れると、アンチョビは大げさに喜んで見せた。ちょうどそのとき競技場内で最後まで残っていたCVから白旗が揚がった。フラッグ戦形式のはずがいつの間にか殲滅戦の様相に変わっていた競技場に縁から身を乗り出し、アンチョビは通信機に向かって告げる。

 

 

「諸君! 訓練ご苦労だった! 約束通りペッシェ隊のメンバーには褒賞を与えよう」

 

『姉さん、うちらカルネですよ?』

 

「フラッグ戦だって言っただろ! お前たちのフラッグ車は最初にやられただろ。まぁいい。さぁお前たち、宴の準備だ!」

 

 

 通信機を通さなくてもわかる歓声がコロッセオに響く。一年生たちは機敏な動きで大破判定の解除を待たず自車両を押して片付けていく。アンチョビはそのまま通信機に向かって指示を出し、カルパッチョは小走りでコントロール室に向かっていった。

 

 

「え、ええ? 宴?」

 

 

 突然の展開について行けず混乱するみほの背を、ペパロニはグイグイと競技場に続く通用階段に押していく。

 

 

「元々みほの歓迎会を予定してたのさ。転入生歓迎会だな」

 

「あれ本気だったの!?」

 

「知ってんの? なら話は早い、主役なんだからさっさと行こうぜ」

 

「転入生歓迎って、戦車道部は関係ないんじゃ」

 

「騒ぐネタがありゃ騒がなきゃ損だろ? それにみほのアドバイザー就任記念も追加だし、こりゃ盛大になるなー。急げ急げ!」

 

「ちょ、ちょっと、そんなに押さないで」

 

 

 ウキウキした様子を隠そうともしないペパロニに押されながらみほは階段を降りて行く。その先の競技場から届く楽しげな喧騒が通用階段に反響し始める。さっき訓練を終えたばかりなのに一年生たちはすでに宴会の準備に取り掛かっているのだ。未だアンツィオの流儀に慣れきっていないみほは、彼女たちの機動力に圧倒されていた。




番外編01 +おまけ

「だからこの請求書はどういうつもりかと聞いているんだ」
「ですからレストアにかかった費用の一部を生徒会に負担してもらいたいんですよ。一応学校の備品じゃないですか、これ」
「お前たちが勝手にやったことだろう」
「やだなー、善意も含まれてますよ。私たちの趣味が混じってることも否定しないんで、一部だけ請求してるんですよ」
「混じりっ気なしの趣味だろうが!」

喧々諤々と言い争う二人の少女、一方その後ろでは全く正反対ののほほんとした空気が流れていた。

「いやー、まさかうちに戦車が残ってたなんてねー」
「記録上では20年前までは戦車道をやってたみたいですね。取りやめた際に使用していた車両はほとんど売却したようですけど」
「じゃあこれは売れ残りってやつか。侘しいね」

干し芋を齧る小柄な少女、大洗女子学園生徒会長角谷杏はそう言って寄りかかっていた戦車を見上げた。それは自動車部が発見して勝手にレストア、その費用を生徒会に請求してくるまでその存在さえ把握していなかったものだ。

「で、小山。こいつら何て戦車なわけ?」
「はい。今会長が寄りかかっているのが89式中戦車甲型。そっちにあるのが38(t)ですね」
「ふーん」

副会長小山柚子に気のない返事を返し、杏はそっと戦車に手を添えた。冷たい鉄のひやりとした感触が、遥か昔の戦争に使われたそれが今確かに存在していると主張していた。
にひひ、と悪戯を思いついた子供のように杏が笑う。それを見た柚子は、また何かろくでもないことを思いついたんじゃ、と戦慄した。

「おーい、かーしまー」
「大体貴様ら自動車部はっ、は、はい。お呼びでしょうか会長」

杏は生徒会広報の河嶋桃に声をかけた。いくら声を荒げても動じない自動車部の部長に感情を爆発させようとしたところを、敬愛する会長に呼ばれ心を落ち着けるように片メガネの位置を直しながら杏の元に歩み寄った。

「この戦車だけどさー」
「はっ。今回の件、自動車部の独断でありやはり学園の予算を修理費用に充てるというのは――」
「うちもやろっか、戦車」
「は?」

自動車部が戦車のレストア代を生徒会に請求した件に関する自身の見解を述べようとしていた桃は杏の発したいつものような突飛な提案に、いつもそうするように間抜けな声で答えた。



おまけ

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05

 仕事が終わって面倒だし今日は外で食べて帰ろうと思いつつペペロンチーノを作ることを週三、四回繰り返せば毎週映画を見つつDVDを買う貯金も出来る
これがアンツィオ流倹約術です!

あとがきは本編とあんまり関係ないので見なくていいです


 草地がまばらに散らばる殺風景な荒野。身体を震わす荒々しいエンジン音が肌寒い風に乗って雲ひとつない空に溶けていく。みほはCVの車上に身を乗り出して、今か今かと号令を待ちながら唸り声を挙げる4輌の戦車たちを見渡した。

 

 

『命令を、コンシリエーレ! うちらいつでも行けますよ!』

 

『みほ姉さん! 私たちの力をドゥーチェに見せ付けましょう!』

 

「みほ姉さん、みんなやる気満々ですね。あたいも今日は全力でかっ飛ばしますよぉ!」

 

 

 車載の通信機から、周囲の戦車に搭乗する隊員たちの気合に満ちた声がみほの耳に届く。みほと同じくその気勢を聞き取ったCVの操縦手も、また興奮した声を自身の車長であり隊長のみほにかけた。

 

 みほはそんな隊員たちの上げる気炎に包まれてスッと前を向いた。その瞳に宿るのは確固たる決意、というよりも諦念で、口から発せられたのは部隊を鼓舞する号令ではなくため息だった。

 

 

「なんでこうなったんだろう……」

 

 

 

 

 18輌のCVを使った試合形式の訓練が行われたコロッセオ。参加していた車両もすでに移動が済んだ競技場内は、戦車が走り回っていたときと同じくらいの喧騒に包まれていた。

 

 競技場内には白いクロスが敷かれたテーブルが置かれ、それを囲うように移動式の簡易キッチンがいくつも並んでいる。アンツィオ戦車道部の面々は熟練の域に達した淀みない動きで釜をかき回し、食材を刻み、火に掛け、食卓を盛り付けていく。ペパロニもその中に加わり、一人残されたみほは調理と生徒の熱気を前に呆然と突っ立つだけだった。

 

 

「みほー! こっち上がったからテーブルに持ってってくれー!」

 

「あっはい!」

 

「みほさん、それが終わったらお皿を並べてください。そっちのトレイラーに積んでありますから」

 

「わ、わかりました!」

 

 

 だが、アンツィオの人間が何もせず料理の出来上がりを待つのみなど許されるはずもなく、ペパロニたちの指示を受けてみほもその輪の中に加わった。次々に仕上がる料理の数々に目を回しそうになりながらも、みほは皿を並べ料理を運んでいく。

 

 

「いいかお前たち、ピッツァの出来は焼成の温度と時間で決まる。基本にして極意だ。この加減を肌と目で覚えろ」

 

「はい姉さん!」

 

「ぼさっとするなよ、ここからが勝負だ。生地を崩さないようにそぉっと、そして素早く窯の中へ。よし、次だ! 先に入れた生地の焼き加減を確認しながら……よし次!」

 

「めっちゃ良い匂いっす姉さん!」

 

「うむ、焼き上がったのは試食していいぞ。次はお前たちに焼いてもらうからな」

 

 

みほも人並みに料理は出来るが、それでも彼女たちに向かって調理の手伝いを申し出ようとは思えなかった。一際大きな重牽引車が引いてきた石窯の前で後輩たちに熱の篭った指導をするアンチョビに一度視線を向け、みほは黙々と食卓を盛り付ける。

 

 

 

 

「諸君、今日も練習ご苦労だった。誰も怪我がなくて何よりだ。まだまだ鍛えるべき点も多いが、お前たちは着実に腕を上げている。この調子で決して驕ることなく技術の向上に努めて欲しい。と、まぁ堅い話はこのくらいにして」

 

 

 宴会の準備が終わり、隊員たちはアンチョビの前に集まっていた。皆牽引車の車上に立つアンチョビの言葉を整列して、しかしうずうずとした様子で聞いている。そんな隊員たちの様子をぐるりと見渡したアンチョビは、最後にその中の一人に視線を合わせた。

 

 目が合ったその一人、みほは緊張と不安に身を縮こませる。この宴会の趣旨は自分の転入記念だという。なぜクラスどころか学年すら違う転入生を祝わなければならないのか、と戦車道部の殆どの隊員は思っていることだろう。もし自分が彼女たちの立場だったら困惑を隠す自信がない。

 

 笑いながら背を押してくるペパロニと集中する視線に促され、重い足取りでみほはアンチョビの元に向かっていった。

 

 

「諸君! 早速この宴の主役を紹介しよう。先日ペパロニのクラスに転入したみほだ! 新しいアンツィオの仲間を歓迎しようではないか! ほら、笑って笑って」

 

「ご、ご紹介に預かりました、西住みほです。ペパロニさんのクラスメートで、本日は皆さんの練習を見学させていただいて。えっと……よ、よろしくお願いします」

 

 

 牽引車の元までやってきたみほの隣に飛び降りたアンチョビは、みほの肩に腕を回して隊員たちに紹介する。ぎこちない笑みを何とか作ってみせたみほは、上手い言葉も思いつかずたどたどしい挨拶をするので精一杯だった。

 晒し者にされるような羞恥心で目を回すみほ。そして支離滅裂な自分の言葉を誤魔化すように頭を下げたみほの耳に響いたのは大きな歓声だった。

 

 

「よろしくお願いしまーす!」

 

「ペパロニ姉さんのクラスメートってことは」

 

「じゃあうちらにとっちゃ姉さんってことだ」

 

「みほ姉さん!」

 

「よろしくお願いしますみほ姉さん!」

 

 

 想像とは全く違った好意的な反応にみほは驚く。顔を上げたみほの前に並ぶ隊員たちは皆心から、部外者と言っていいみほのアンツィオへの転入を歓迎していた。アンツィオの人たちはみんなこんな人たちなんだ、とみほは納得し、ぎこちない笑みは嬉しさと照れ臭さの混じった柔らかなものに自然と変わっていた。

 

 

「そして、みほは戦車道に関して深い造詣を持っている。それはこのアンチョビが認めるほどのものだ。お前たちも何かわからないことがあったら私や副隊長だけでなく、みほにも相談してみるといい。きっと素晴らしい助言を授けてくれるだろう」

 

 

 アンチョビが続けてそう言うと、そのやたら持ち上げた内容に驚いたみほが訂正する間もなく、また隊員たちの間で歓声が沸きあがった。彼女たちは顔を寄せ合ってアンチョビの言ったことを話し合う。

 

 

「ドゥーチェが認めたって!」

 

「アンチョビ姉さんより頭良いってこと? すげー!」

 

「みほ姉さんぱねぇっす!」

 

「アンツィオのコンシリエーレだ!」

 

「コンシリエーレ!」

 

「コンシリエーレみほ!」

 

 

アンツィオ戦車道部のトップであるドゥーチェが認めた助言者ならば、すなわちあの先輩はアンツィオのコンシリエーレなのだとショートヘアの隊員が声を上げた。ノリで例えられたその称号は勢いのままに広がり、コンシリエーレみほを称える唱和が競技場に響いた。ペパロニは一年生たちと同じ勢いで腕を突き上げながら、カルパッチョも笑いながら声を揃えていた。

 

 

「コンシリエーレ! コンシリエーレみほ!」

 

「ちょ、ちょっとアンチョビさん!」

 

「うん?」

 

「うん、じゃないです! どうするんですかこれ。私、大したことは言えないって言ったじゃないですか」

 

 

 同じく隊員たちに混じって楽しそうに腕を振るアンチョビは、みほの抗議を気にした風もなく笑って返す。

 

 

「まぁまぁ、紹介なんて大げさなくらいで丁度良いんだ。なぁに、そうそう大した相談なんてないさ。だからほら、みほも声上げて。ほらほら、腕も振ってぇ」

 

 

 アンチョビはそう言いながら腕を回したままのみほの肩を揉み解す。その状態で腕を振るアンチョビのせいで身体がガクガク揺れ、みほはやけっぱちになって宣言するように叫んだ。

 

 

「もー! コンシリエーレみほー!」

 

「はははは! よぉしお前たち、みほの歓迎会に加えてコンシリエーレの就任記念だ。盛大に食べて飲んで歌って踊れー! せーの!」

 

 

 みほのやけくそなノリに一際大きな笑い声を上げたアンチョビが号令をかける。隊員たちはいただきますと合唱し、待ってましたとばかりにテーブルに向かって駆け出した。騒ぐときは何も考えず騒ぐのが一番だぞ、とアンチョビはみほの肩を叩きながら言い、石窯に向かって小走りで向かっていった。彼女は焼きたてのピザを用意して、特製アンチョビの素晴らしさを教える使命があるのだ。

 

 

「ぼさっとすんなよコンシリエーレ、さっさと食べようぜ」

 

「見事な就任宣言でしたよ、コンシリエーレみほ」

 

「もう、二人まで。ひどいです」

 

 

 戦車道の知恵を貸す、と言っても助言役といった大層なものになったつもりはみほにはなく、外からしか見えないような考えを伝えてただペパロニたちの一助になればといいと思っていただけだ。それが勝手に大事にされてしまってむくれるみほを煽るような軽口を叩きながら、ペパロニとカルパッチョが迎えにやってきた。

 

 そんな二人をみほは不満を隠さず睨み付けるが、全く迫力のない様に二人は笑って受け流した。

 

 

 

 

 二人に連れられてテーブルに向かったみほは早速一年生たちに囲まれてしまう。深刻な悩みや相談事を持ちかけられるのでは、と身構えたみほだったが、彼女たちが口にするのは戦車道と関係ない話題やどうでもいい質問ばかりだった。

 

 どこから来たのか、という質問に黒森峰女学園と答えると、偏差値がすげー高いとこだ、と戦車道部としては少しズレた感想が返ってくる。そんな彼女たちに、いつしかみほも自然と打ち解け始めていた。

 

 

「やあみほ、楽しんでくれているようだな」

 

 

 人懐っこい隊員たちとの会食を楽しむみほは背後から呼びかけられる。その声に振り返った先には白い簡易エプロンを着けたアンチョビが、大きな皿を持って立っている。

 

 

「はい。最初はどうなるかと思いましたけど」

 

「それは悪かったよ。お詫びでもないが、この私が手ずから焼いた特製ピッツァはいかが?」

 

 

 みほは余計な紹介のせいで不安だったことをジト目と共に伝えたが、アンチョビは軽く受け流して手に持つ皿をみほのテーブルに差し出した。トマトとアンチョビをトッピングしたシンプルなピザだ。湯気立つチーズと小麦の香りが鼻腔をくすぐり、もう随分と料理を楽しんだはずのみほの食欲をそそってくる。ありがとうございます、と言うみほの表情に満足げに頷くアンチョビは手際よく生地をカットしていく。

 

みほはチーズが溶け落ちないように注意しながら、アンチョビが見守る中一切れを口に運んだ。モチモチした生地ととろとろのチーズが合わさる食感を楽しむみほの口腔に、アンチョビの風味とトマトのほのかな酸味が広がっていく。アンチョビの独特な味が、控えめな塩分のために主張しすぎることもなくトマトの甘みやチーズの香ばしさと調和している。喉を通り過ぎた後にはバジルの爽やかな風味が微かに残り、いくらでも食べられそうな飽きの来ない味だった。

 

 名残を惜しむようにピザのみみを齧るみほに、アンチョビはうずうずした様子で問いかける。

 

 

「な、どうだった?」

 

「はい、生地がすっごくもちもちしてて小麦の香りが香ばしくって。こんな美味しいピザ初めて食べました」

 

「そうだろうそうだろう! 我が校が地元農家と共同開発した国産デュラム小麦は本場のものにも、じゃなかった。具は、具はどうだった?」

 

「とろとろのチーズの香りが口中に広がって、それがトマトの甘さと絡み合って」

 

「じゃなくて! アンチョビは? な、アンチョビはどうだった?」

 

「ふふ、とっても美味しかったです。塩気が抑えられている分他の食材と上手く調和してるんですね。もっと癖のある味だと思ってたんですけどそんなことなくて、いくらでも食べられそうです」

 

「だよなぁ! うんうん、そうなんだよ。私のアンチョビは身体に優しいだけじゃない、独特の癖を柔らかくしてあるから食べやすいんだ。アンチョビって結構好き嫌い激しいからな。うちでもしょっちゅうアンチョビ缶は売れ残ってたりしてて、見るに忍びないから研究してみたんだが」

 

 

 うちの子たちはどうも癖の強い食材のほうが好きみたいなんだよなぁ、とアンチョビは練習前の隊員たちの反応を思い出し肩を落とした。さっきの軽い意趣返しのつもりでちょっとからかってみたみほだったが、落ち込むアンチョビに慌てて宥めようとする。幸いにしてその材料には事欠かなかった。

 

 

「アンチョビさん、ほら」

 

「ん?」

 

 

 アンチョビの肩を叩き、みほが指差す先にはアンチョビが持ってきたピザを思い思いに頬張る一年生たちの姿があった。味の感想など聞くまでもなく、みんな頬を緩ませている。

 

 

「やっぱドゥーチェのピッツァうめーよな」

 

「うんうん、クラスの子とピッツェリア行ってもなーんか物足りないもん」

 

「あちち、はー。とろっとろのチーズが幸せー」

 

「お、お前たち」

 

 

 自分が自信を持って持ち出した食材が不評だったことに落ち込むアンチョビは、目の前で幸せそうに自作のピザを食べる一年生たちに微かに瞳を潤ませた。思わずこぼれたアンチョビの声に気づいた彼女たちは、満面の笑みで思い思いに声をかける。

 

 

「あ、ドゥーチェおかわりいいっすか!」

 

「私ボスカイオラいいですか?」

 

「あ、じゃあわたしチーズマシマシで! クアットロで!」

 

「ならうちはガーリックとバジル効かせたやつお願いします!」

 

「よーし! 何でも好きなだけ焼いてきてやる! お前たち、少しだけ待っていろ!」

 

 

 ちょっぴり自信を失いそうだったアンチョビは、顔を輝かせて腰を上げた。立食を楽しむ隊員たちの間をすり抜けながら、アンツィオ自慢の石窯のところへ駆けていった。その後ろ姿を歓声で見送る一年たちは自分の気持ちに素直なだけで、問題のイワシの塩漬けに関して何の言及もなかったことに他意なんかないのだ。

 

 

「みほ姉さん、少しいいですか?」

 

 

 アンチョビと隊員たちのやり取りを笑って眺めていたみほに声がかかる。アンチョビと入れ替わるようにやってきたのは黒髪にメガネをかけた、アンツィオには珍しく知的な雰囲気を持つ少女だった。その後ろには数人の一年生たちも続いていて、皆真面目な表情を浮かべている。

 

 バカ騒ぎする周囲とは少し浮いたその様子から今度は本当に真面目な相談なのかも、と察してみほは身を引き締めて答える。

 

 

「大丈夫ですよ。どうかしましたか?」

 

「はい。姉さんはさっきの試合見てたらしいですけど。私、ヴェルドゥーレ隊のリーダーをやってたカンネリーニです」

 

「ああ、あのチームの」

 

 

 ヴェルドゥーレ、と聞いてみほは試合の様子を思い出していた。他のチームが遮二無二前進する中、競技場を回りながら機を窺い奇襲を仕掛けたチームの名前だ。他とは毛色の違った頭を使った戦いぶりだったが、カンネリーニと名乗った少女の雰囲気からみほは何となく納得した。

 

 

「あの襲撃のタイミングはとても良かったですね。両チームともまともに対応出来てませんでした」

 

「ありがとうございます。でもその後フラッグ車を上手く撃破できず、混戦になってしまいました。混戦になるのが嫌で最初は様子見したのに。みほ姉さん、一体何が悪かったんでしょう?」

 

 

 カンネリーニの相談を受け、みほは顎に手を添えて考え込む。頭の中にはさっきの試合の内容が思い描かれていく。

 

 ヴェルドゥーレはカンネリーニ車を中央に置いた凸型陣形で攻勢に入ったが、その並びは横に広がって横隊に近い形だった。あれでは固定式銃座の火力を集中させるのは難しいだろう。また、隊長車が先頭を走る形だったのでカンネリーニは後続車両の把握が出来ていなかった。射線がバラバラだったのは彼女が的確な指示を出せなかったのも原因かも知れない。そのことが初撃の失敗した後の混乱にも繋がっているように思える。

 

 みほは小さく頷き、不安そうな表情のカンネリーニとヴェルドゥーレ隊の一年生たちに顔を向けた。

 

 

「そうですね。突入するときの隊形が横に広がりすぎて、そのせいで火線が集中できてなかった。いくら装甲の判定が甘くなってても散発的な射撃では撃破は難しいと思います」

 

「確かに。あ、でもCVの機銃は非旋廻式です。隊形を狭められても射線を集中させるのは難しいです」

 

 

 指摘を受けて顔を俯かせるカンネリーニに、みほは安心させるように微笑む。

 

 

「普通はそうですね。でもあなた達の得意な、速度を殺さず車体を旋廻させる技術」

 

「ナポリ・ターンですか?」

 

「そ、そんな名前なんだ。まぁそのターンで、縦列で相手チームの車列に突入して目標とするフラッグ車を前後から挟み込むとか。そうすれば射線も集中させられるんじゃないでしょうか」

 

「なるほど!」

 

 

 みほの話した案にカンネリーニは顔を上げて瞳を輝かせる。彼女の後ろのメンバーたちも顔を見合わせて感嘆の声を上げている。そんな態度を取られるほどのことを言ったつもりはないんだけどなとみほは苦笑を浮かべ、続く改善案を口にする。

 

 

「それとその後の動きですね。カンネリーニさんはフラッグ車の撃破に失敗した後、チームをどう動かそうと思いましたか?」

 

「えっと、確か……すいません、ただ車両をかわすことしか考えてませんでした」

 

 

 みほの質問に答えられず、叱られた子供のようにしゅんとするカンネリーニ。みほは少し慌てながら大丈夫だよ、と笑みを浮かべたまま優しく語りかけた。

 

 

「切迫した状況で適切な指示を出すことは難しいから、仕方ないよ。だから指示を出す人間にはもっと余裕が必要なの。三人乗り砲塔が主流になったのも同じ理由だね。CVの場合は隊長車は一歩下がった位置にいるようにしてみたらどうかな。状況が混乱してもそれに呑まれず全体の指揮が出来るように」

 

「はい」

 

「さっきの状況ならそれで、攻撃を仕掛ける前にチームの標的が統一されていないことに気づけたと思う。撃破に失敗した後も、自車両が相手チームの車列に突入するまで猶予があれば体勢を立て直す指示も出せたかも知れないね」

 

 

 CVは二人乗りの戦車であり、操縦と射撃を同時に行う場合車内で得られる視界は狭い覗き窓のものしかない。さっきの混戦も、車長が身を乗り出して指示を出していた隊長車以外のメンバーが状況を全く把握出来ていなかったせいだろう。だから隊長車からの指示は他の戦車に乗るときよりも重要なものになってくる。

 

 一度練習を見ただけで、まだアンツィオの戦車道を理解しているわけではないみほにはそのくらいしか言えることはない。せっかく相談に来てもらったのに申し訳ないなとみほは思ったが、しかし対面するカンネリーニとそのチームメイトたちのみほを見る目には深い尊敬の色があった。

 

 

「すごいわかりやすいです! さすがコンシリエーレ!」

 

「え、いやそんな大したことは」

 

「みんな! みほ姉さんから授かった知恵で次は絶対勝とう!」

 

 

 さっきまでの様子とは打って変わってアンツィオ生らしくはしゃぎ出すカンネリーニ。彼女の勝利宣言に他の隊員たちも同様に高いテンションで同意の声を上げる。そのテンションの落差にみほはすっかり置いてけぼりにされてしまっていた。アンツィオの生徒はドゥーチェとかコンシリエーレとか、そういう何となく凄そうな響きの肩書きに弱いのだ。

 

 

「おお、早速やってくれてるのか」

 

「ア、アンチョビさん」

 

 

 途方に暮れるみほの元へ、ピザを焼きに行っていたアンチョビが戻ってきた。彼女の運ぶワゴンからピザの良い匂いが漂ってくるが、みほはそれ所ではない。何とか収拾をつけてくれと目で促すがアンチョビはそれに気づかず、次々に群がってくる隊員たちに手際よくピザを配給していた。

 

 みほは呼び止めようかと思ったが、嬉しそうにピザを配るアンチョビと幸せそうにそれを受け取る隊員たちの様子を見て邪魔することは憚られてしまう。結局、ピザの配給が終わるまでみほは待つことにした。

 

 

「待たせたな、これが私とみほの分。特製アンチョビソースのペスカトーレだ!」

 

「わぁ、ありがとうございます!」

 

 

 ピザはあっという間になくなってしまい、アンチョビはホクホク顔で戻ってきた。自分が作った料理を皆が喜んで食べてくれる、それが嬉しくて仕方がないのだ。だがアンツィオのドゥーチェともなれば抜け目などなく、しっかりと自分たちで食べる分は確保してある。

 

 食卓の上に置かれたのは所謂シーフードピザだ。アンチョビとガーリック、海産物の香ばしい香りがみほの鼻腔に広がっていく。ソースから仄かに混じる甘いミルクの香りが刺激を柔らかくしていて、いっそう食欲を引き立てる。

 

 沸々と揺れる白っぽいソースの中、生地の中央に殻ごと乗った黒いムール貝のコントラストが見た目にも楽しい。目と鼻から伝わる情報が舌の上で踊り、予感させる濃厚なその味にみほは思わずつばを飲んだ。

 

 無意識に伸びそうになった自分の手を見てみほはハッと我に返り、首を振って意識を取り戻す。そしてみほの隣ですでにピザを口に運んでいるアンチョビに顔を向けて声をかけた。

 

 

「……じゃなくってアンチョビさん、何とかしてくださいよ」

 

「ん? 何とかするって、何を?」

 

「あの子たちのことです。私、アンツィオの戦車道のことまだ全然知らないのに調子の良いこと言っちゃって。あんなに喜ばれちゃったら、申し訳なくて」

 

「あー」

 

 

 みほの言葉にアンチョビは、ピザを口にしまいながら件の一年生たちに目を向ける。彼女たちはピザを片手に血気盛んな様子で語らっている。隊員の士気が上がるのは良いことだが、それでみほのやる気が下がるようでは仕方がない。せっかく戦車道に前向きになってくれつつあるのに、この調子で戦車道部から距離を取るようになってはアンチョビにとってもアンツィオにとっても大きな痛手だ。

 

 ふむ、とアンチョビは顎をさする。俯きながらピザを口に運ぶみほとますます盛り上がるカンネリーニたちとの間で視線を何度か往復させ、ポンと手を叩いた。

 

 

「うん、そうだな。そうしよう」

 

 

 晴れやかな笑みを浮かべてそう言うアンチョビ。何事か納得したようなその言動にみほは続けられるだろう言葉を待ったが、アンチョビはみほではなく副隊長のカルパッチョを呼んだ。さほど大きな声でもなく、まして喧騒の只中でその呼び声が届くはずもなかったが、ドゥーチェがカルパッチョの姉御を呼んでるぞと近くの隊員が隣の隊員へ、その隊員がまた隣の隊員へ、と伝わっていき、程なくしてアンチョビの元へカルパッチョがやってきた。

 

 

「おおカルパッチョ、ちょっと話があるんだが」

 

「いいえドゥーチェ、余興とは言っても今からセモヴェンテを持ってくるのは無茶が過ぎますよ。時間的にも燃料的にも」

 

「何の話だ!」

 

 

 何がどう捻じ曲がったのか頓珍漢なことを言うカルパッチョに突っ込みを入れ、アンチョビは隣に座るように促した。アンツィオの伝言ゲームで、またアンチョビがアホなことを言い出したと伝え聞いたカルパッチョは一言戒めにやってきたのだが、即座に返されたツッコミに要領を得ないまま席に着く。

 

 カルパッチョと、彼女と同じくアンチョビが何をしたいのかわからず首を傾げるみほとの間に挟まれたアンチョビは、オホンと咳払いをして話を始めた。

 

 

「カルパッチョ、明後日の我々の予定は?」

 

「はぁ、校外の演習場で訓練ですが」

 

「うむ、いつも通りセモヴェンテの砲撃訓練が主なものだな」

 

「はい。……ドゥーチェ?」

 

 

 さすがのペパロニでも忘れないようなことを改めて聞いてくるアンチョビに訝しげな表情をするカルパッチョ。そんな副隊長の様子を見てにやりと笑ったアンチョビは続けて言う。

 

 

「予定は変更だ。明日はセモヴェンテとCVを使った模擬戦とする。チーム分けは私、ペパロニ。そしてカルパッチョ、みほのチームだ」

 

「はい?」

 

 

 アンチョビとカルパッチョのやり取りをわけもわからず黙って聞いていたみほだったが、会話の中に突然出てきた自分の名前に思わず聞き返してしまった。それに構わずアンチョビは続けてカルパッチョへ隊員たちに連絡を回しておくよう指示し、ようやくみほの方へ向き直った。

 

 

「というわけだ」

 

「どういうわけですか!?」

 

 

 困惑するみほにわかっているよ、と言うように二度三度頷いてアンチョビは表情を真剣なものに変えた。

 

 

「みほの言うことはよくわかる。確かに助言をしようにも我々のことをよく知らなければ難しいだろうな。一度練習を見させただけであんな紹介をしたことは、些か早急すぎたと反省している。すまなかった」

 

 

 急に真面目な口調で話し始めた上に、頭を下げて謝罪してくるアンチョビにみほは大いに慌てた。確かにあの大げさな紹介は肝を冷やしたし、その後の隊員たちの持ち上げぶりにも閉口したものだが、それでもみほにはアンチョビへの感謝の気持ちの方が遥かに強い。知り合ったばかりの自分のために色々と気を遣ってもらったし、今日の宴会も楽しいものだった。それに目上の人間に頭を下げさせる、ということはみほには受け入れがたいものだった。

 

 

「アンチョビさん、頭を上げて下さい! 私全然気にしてませんから」

 

「そういうわけにもいかん。皆を指導する立場だからこそけじめは大事だ。そう、だから私は考えた。この失態を挽回するにはどうしたらいいのかを。すなわち、みほが一度アンツィオ戦車隊を指揮してみればいいんじゃないか、と」

 

「話が飛躍しすぎです!」

 

 

 アンツィオに来てから振り回されっぱなしのみほだったが、その中でもアンチョビの言う言葉は超ド級である。理論の超信地旋廻を見事に決めたアンチョビは、そういうわけだから、とみほに告げて席を立つ。

 

 まだ話を理解できずに呆然とするみほに、アンチョビは優しげな微笑を向けた。

 

 

「安心しろ。どうなっても文句なんて言わないし、そのまま勢いで試合に出そうなんてことも思わない。まぁ交流を深めると思って気楽にやってくれ。あ、メンバー表が出来たらペパロニに渡すから、明日受け取ってくれ」

 

 そう言ってアンチョビはみほの元を去っていく。そろそろ撤収の準備をするよう指示しなければならない、今日は平日で明日も学校なのだ。まだ遊び足りないとブー垂れる隊員たちを宥めすかしながら指示を出していくアンチョビの声を遠くに聞きながら、みほは呆気に取られたまま残ったピザを頬張った。多少冷めても美味しいピザだった。

 

 

 

 

 翌日、みほはメンバー表を受け取り、ペパロニに頼んで全員に連絡を取って貰っていた。放課後に集まるようにお願いし、カルパッチョを含めメンバー全員が急な召集に応じてくれた。カルパッチョはともかく、一年生たちはみんなアンチョビが認めたコンシリエーレの力に期待と信頼を寄せているのだ。

 

 アンチョビは気楽にやってくれと言ったが、みほにはそれは不可能だった。アンチョビのせいとは言え、こうも無垢な信頼を受けてそれをあえて裏切ることなど出来ない。

 

 みほは昨日調べたCVとセモヴェンテの特性から必死に考えた作戦をメンバーに告げる。一年生たちは興奮し、カルパッチョは驚きながらも明日の試合を考え不敵に笑う。みほはアンチョビたちとの試合に全力で臨むつもりだった。

 

 

 

 

ふぅ、と大きく息を吐きみほは気持ちを切り替える。なんでも何も、こうして戦車に乗っている以上やるしかないのだ。アンチョビに恨みの一つでも言いたいところだったが、それは試合の後のドルチェに取っておこう。

 

 

「……皆さん、まだ開始時刻まで時間があります。いったん落ち着いてください。作戦は昨日説明したとおりですが、性質上皆さんの臨機応変な対応も求められます。カルパッチョさん」

 

「大丈夫、作戦は頭に叩き込んであります」

 

「カンネリーニさん」

 

「任せてくださいみほ姉さん、私もばっちりです!」

 

 

 各分隊のリーダーからの頼もしい返事にみほは小さく頷いた。携帯電話で時刻を確認し、自分が乗るCVの操縦手に視線を向ける。視線を合わせた操縦手はにやりと笑い、雄々しい表情で覗き窓から正面を見据える。みほは携帯電話をしまい、今度こそ決意の篭る視線で前を向き、隊員を鼓舞するように号令をかける。

 

 

「パンツァー・フォー!」

 

 

 その合図で各車が一斉に動き出す。カルパッチョのセモヴェンテ、カンネリーニが指揮するCV隊がみほたちから離れ、所定の指示通りに展開していく。

 

 

「あ」

 

 

 それらを車体から身を乗り出して確認したみほは、ふと自分が以前の癖でドイツ風の号令をかけたことに気が付いた。一瞬羞恥心が湧き上がるが、こうして問題なく各車前進していることから問題ないかと思い直した。有名な言葉だし、戦車道を嗜む人間なら聞いたことがあって当たり前か。

 

 

「ところで姉さん」

 

「どうかしました?」

 

「ぱんつあほーって、何すか? 勢いでアクセル吹かしちゃいましたけど、よかったんすかね?」

 

「……あはは」

 

 

 言語の壁はノリと勢いでどうにでもなるのだなぁ、とみほは思いながら、もし次の機会があったら絶対にイタリア風で言おうと誓った。

 

 

 




番外編02+おまけ


ようやく世のお父様方が会社に出かけようとする時間帯、体育館と校舎をつなぐ渡り廊下の片隅で4人のバレー部員が顔を寄せ合い会議を行っている。いや、元バレー部員だ。部員不足から廃部を告知された日から、他の部が朝錬を始める前を見計らって体育館で練習を行い、こうして人目を憚るように会議をして授業までの時間を潰すのが習慣となっていた。議題はバレーのフォーメーションや練習法など様々だが、最終的にはいつもいかにしてバレー部復活を果たすかに収束する。

「みんな、聞いてくれ」

一年生たちがあーでもないこーでもないと部員集めの方法を話し合う中、一人黙してそれを聞いていたキャプテンが重い口調で口を開き注目を集める。

「どうしたんですかキャプテン」
「ああ、実はバレー部復活のための逆転ホームランがある」
「逆転、ほうむらん?」
「キャプテン、それは野球用語なのでは!?」
「どうしちゃったんですかキャプテン!?」

元バレー部キャプテン、磯部典子の発言に部員たちに衝撃が走った。佐々木あけびは聞きなれない用語に首を傾げ、川西忍と近藤妙子はバレー命のキャプテンが別のスポーツの用語を口にしたことに慄く。その驚愕に肝心の内容は誰の耳にも入らなかった。

「そう、一般的にも使われるが本来は野球用語だ。バレー部キャプテンである私が使うべき言葉じゃない。いわば邪道。私が話すバレー部復活の手段は、正攻法とは言えない方法だ」

典子は構わず話を続け、衝撃に慄く一年生たちの頭にようやくその内容が入り込む。バレー部復活、彼女たちの悲願であるそれを頼れるキャプテンが口にしたことであけびと忍は期待に目を輝かせる。一方妙子は煮え切らないキャプテンの態度を訝しんでいた。

「キャプテン、その方法って」
「ああ。昨日私は生徒会室に直談判に行って来た。もちろんバレー部の廃部を取り消してもらうためだ。そして私は、生徒会長直々にバレー部復活のための条件を聞かされた」

キャプテンの行動力と、生徒会長直々に応じたという内容から益々期待を深めるあけびと忍。それとは対照的な真剣な表情で典子は事の顛末を語り始めた。


典子はその日、いつものようにバレー部復活を嘆願しようと生徒会室の扉を叩いた。いつもはすぐに入室を許可する声が返ってくるのだが、その日は一向に返事が返ってこない。もう一度強めにノックしても同じで、典子はおかしいなと思いつつ静かに生徒会室の扉を開けた。
典子の違和感は一気に強まった。広い生徒会室にはいつも業務に勤しむ生徒会執行部員たちがいるはずなのに、典子の視界には人っ子一人映らない。さらに窓は全てカーテンで覆われており、日中にも関わらず夜中のように薄暗い。呆然と立ち尽くす典子の耳が、キィッと金属が軋む音を捉えた。生徒会室の最奥、生徒会長室に続く扉が開いたのだ。典子は扉の奥から漏れる光に誘われるように、ふらふらと生徒会長室に歩いていった。

「やあやあ、待っていたよ。磯部典子くん?」
「生徒、会長」

生徒会長室の前までやってきた典子に声がかけられる。典子が顔を向けた先には、何かを食べながら高そうな椅子にふんぞり返る偉そうな少女がいた。卓上ライトのかすかな明かりに照らされて、にやりと口を歪めるその少女を典子は知っている。この部屋の主で、大洗女子学園を統括する生徒会長だ。
いつもは背が高い広報の人にすげなく追い返されてしまう典子は、思わぬ大物の登場に驚いていた。部屋の異様な雰囲気も相まって、典子はすっかり空気に呑まれてしまっていた。

「そう、生徒会長だよ。早速だけど本題に入ろっか、磯部ちゃん。君、バレー部を復活させたいんだって?」
「はい! 生徒会長、お願いします! どうかもう一度私たちにチャンスを下さい! 正式な部として認めて貰えれば必ず部員を集め、試合で優勝してみせます!」

生徒会長の一言に、典子は火が付いたようにここに来た目的を捲くし立てた。この場の異様の理由はわからないが、ここに生徒会長がいるというのはまたとない機会だった。息を荒げ、生徒会長に詰め寄ろうとする典子をいつの間にかそこにいた広報の人が腕を伸ばして遮った。

「まぁまぁ、落ち着きなって。磯部ちゃん、部員が足りないから廃部になったのに、復活させてくれれば部員を集めるってのは。ちぃっと虫がいいんじゃないかな」
「それは……」

正式な部活でなくなったバレー部は体育館の使用も出来ず、その活動をアピールすることが出来ないため部員の勧誘も難航している。それゆえの嘆願だったが、生徒会長は紛れもない正論で、典子の口を封じてしまう。
確かに生徒会長の言う事はもっともだ。しかし典子は諦めるわけにはいかなかった。キャプテンである彼女の肩には、こんな状況になっても付いてきてくれる大事な後輩たちの未来がかかっているのだ。

「それでも。それでもどうかお願いします。私はバレーがしたいんです。皆と一緒に東京体育館に立ちたいんです!」
「ほー、そりゃまた大きく出たねぇ。部員も実績もないっていうのにさ」
「そのためなら何だってする覚悟はあります!」
「ほぅほぅ、覚悟ねぇ」

典子の覚悟を聞いて、生徒会長はにやりと笑った。典子にはそれが悪魔の微笑みに見えた。

「よろしい。私たちも鬼じゃない、そこまで言うなら機会をあげようじゃないの」
「ほ、本当ですか! じゃあバレー部の」
「紹介しよう! 君たちの願いをサポートするアドバイザー、ナカジマ博士だ!」
「ナカジマだよ、よろしくね磯辺さん」
「え? あ、はい。よろしくお願いします」

バレー部廃部を取り消してくれるのかと喜ぶ典子の言葉を遮る生徒会長の声に、パッとスポットライトが照らされた。その光の中に浮かぶのは、オレンジのつなぎに白衣を纏った少女だった。柔和な笑みで自己紹介する見慣れぬ少女に、典子は困惑しながらお辞儀を返した。

「そしてそして! 小山!」

続いて生徒会長が副会長の名を呼ぶと、小さなモーター音とともにスクリーンが下りて来た。そしてそこに映像が投射される。映し出されたのは、アヒルのようなフォルムをした無骨な戦車だった。

「これが君たちの乗る戦車、八九式中戦車だ」


典子の語った内容に、一年生たちは言葉もなかった。具体的には唐突に戦車が登場したことに対してどんな反応を示せばいいのかわからなかった。

「会長は私にこう言った。この戦車に乗って成績を挙げればバレー部の廃部取り消しも検討する、と」
「それは、つまり戦車道の試合で勝つってことですか?」
「違う。戦車に乗るのは私たちだけだそうだ。戦車道の公式戦には出られない。私たちが出場するのはタンカスロンという競技だ」
「たん?」
「かす?」
「ろん?」

バレーと縁の遠い戦車道をやるのかと妙子が問い、典子はそれを訂正した。全く聞いた覚えのない戦車競技に一年生三人は首を傾げた。それに対して典子は生徒会から説明された競技規定を説明する。大雑把に言えば、小さな戦車なら一輌からでも出場できる、何でもありの競技である。

「もちろんこの活動は授業に含まれない。私たちは少ない練習時間をさらに削ってこれに挑まなければならない。会長の提案に乗るかどうか、皆の意見を今日の放課後までに聞かせて欲しい」

典子は顔を俯かせてそう言葉を結んだ。バレー部復活はここにいる全員の悲願であるが、この方法はリスクも大きい。典子の胸にはそんな賭けに後輩を巻き込もうとしているという自責の念が渦巻いていた。

「またとないチャンスじゃないですか! やりましょうよ、キャプテン!」
「佐々木」
「確かに大変かもしれない。でもバレー部復活のためならそんな苦労どうってことありません!」
「川西」
「それに戦車に乗るのって結構きついって聞きますし、きっとその経験もバレーに活かせるはずです! 一石二鳥ですキャプテン!」
「近藤」

そんな典子の心情とは裏腹に、一年生たちは乗り気だった。バレー部復活のための道筋は全く立っていないのが現状である。正式な部活じゃないから体育館が使えない、バレーの魅力を伝えられないから部員が増えない、部員が増えないから正式な部活になれない。典子の持ってきた賭けは袋小路に差し込んだ希望の光だった。
その光の先に続くのが例え困難な道であっても、心にバレーがある限り迷いはしない。そんな後輩たちの覚悟を典子は呆然と聞き、そして立ち上がった。その瞳には炎がともっている。

「みんな、ありがとう。みんなの気持ちはわかった。やろう! 戦車に乗ってバレー部を復活させるんだ。そしていつかみんなで全国の舞台に立とう!」

バレー部ファイト! 毎朝恒例となっているバレー部の唱和が登校する生徒で賑わい始めた学園に、その日は一際大きく響いた。












おまけ

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06

書いてる分には楽しかったです。何か前後編みたいな感じになったので続きは早めに投稿したいとは思う
あとオリキャラがでしゃばり始めたのでタグつけますね

あとがきは本編とあんまり関係ないので読まなくてもいいです


「エリデー、ほんとにこっちで合ってんのー?」

 

 

 踏み固められただけの路面を二人乗りのスクーターが走る。2ストロークエンジンの甲高いエンジン音に負けじと、後部座席に跨るアンナは声を張り上げて尋ねた。

 

 

「さっき標識があったじゃない。合ってるわよ、多分」

 

 

 ハンドルを握るエリデは気のない返事を返すが、彼女自身今進んでいる方向で道が合っているのか自信はなかった。

 

 地図上では戦車道演習場と銘打たれている彼女たちの目的地だが、実際には学園艦就航から未だ開発が行われていない広大なただの空き地だ。つい最近戦車道部が本格的な活動を再開するまで長らく放置されていた区画で、エリデが言う標識も足を止めて検分しなければ文字が読めないような荒れ具合だった。本当にあれが正しい方向を示しているのか、確信は持てなかった。

 

 

「お尻痛いしー。どうせならイケメン新聞記者さんの後ろが良かったな」

 

「うるさい王女様ね。別に置いてきても良かったのよ?」

 

「まぁみほの様子は気になるし、我慢してあげるよ」

 

「だったら黙ってなさいよ。あ、もしかしてあれかしら」

 

 

 軽口を叩き合いながらしばらく進むと、エリデの目に地面に打ち付けられた杭が映った。延々と続くそれが演習場との境を示しているのだろうか。近くまでスクーターで寄ってみると、それらにワイヤーなどは張られておらず簡単に進入できそうだ。何とも安っぽい仕切りだ。とはいえもし戦車が演習を行っている場所だとすれば、流石にほいほい入っていくつもりにはなれない。

 

 エリデとアンナは演習場が一望できそうな小高い丘に登ってみることにした。

 

 

「ビンゴ! 戦車がいっぱいいる、みほはどっちかな」

 

 

 一足早く頂上に上ったアンナは視界の先に広がる空間を見渡した。点在する木々で歪な楕円を描く荒野然とした演習場、その東端と西端に小さく戦車の群れが見える。アンナは首から下げた双眼鏡を持ち上げ、それらの中から転入してきたばかりのクラスメートの姿を求めた。

 

 

「んー、ん? アンチョビさんだ。わかりやすいなーあの人。お、ペパロニもいる」

 

 

 じゃあ反対側か、アンナは学校でのみほとの会話を思い出しながら双眼鏡を動かした。今見たチームと同数の戦車が並んでいる。どちらも数はそう多くはなく、アンナはすぐに目的の人物を見つけることができた。

 

 

「おお、みほはっけーん」

 

「私にも貸してよ」

 

「あ、ちょっともう」

 

 

 ニッと笑うアンナの双眼鏡を、少しばかり息を切らせたエリデが奪い取った。首紐が引っ張られて抗議の声を上げるアンナを無視して、エリデも演習場を見渡した。

 

 

「ふーん、セモヴェンテが一輌にCVが六輌ずつか」

 

「あれ、エリデって戦車わかるの?」

 

「ペパロニの屋台作ってやったときにちょろっとね。みほは、っと」

 

「あっちあっち」

 

 

 双眼鏡の首紐のせいで自然と顔を寄せ合い、二人はクラスメートがいるチームの方に顔を向けた。

 

 

「へぇ、みほってあんな顔もするんだ」

 

 

 

 

 みほたちのチームと反対側に布陣するアンチョビチーム。フラッグ車であるセモヴェンテの車上に腕を組んで立つアンチョビは、試合前特有の心地よい緊張感に包まれ瞑目していた。そこへ、CV隊を率いるペパロニが自車両から身を乗り出して声をかけた。

 

 

「姉さん、何でまたこんなことやろうと思ったんですか?」

 

 

 ペパロニの声には普段のアンチョビに対するものとは違う、僅かな不満の色があった。みほと戦車道をやりたい、という気持ちは彼女にもあるが、流石にこの状況は強引過ぎると思っていた。

 

 おかげで昨日、今日はみほと距離を開けた会話しか出来なかった。今回の作戦会議中は後輩たちの手前毅然とした態度を保っていたペパロニは、ここぞとばかりにアンチョビに問いただした。

 

 

「なんだ、ペパロニは反対か?」

 

「反対っつーか、相談に乗ってくれるって言ってんですから別に戦車に乗せなくても良かったんじゃないかって思います」

 

「一昨日も言ったろ。実際に戦車隊を指揮してみないと見えないものもあるって。我々の癖とかそういうの、体感した方がみほも助言しやすいだろ」

 

「でもそれ、うちらの都合じゃないっすか」

 

 

 宥めるように今回の演習を組んだ説明をするアンチョビだったが、ペパロニは納得する様子もなく口を尖らせた。そんな副隊長の態度にアンチョビは苦笑した。友人のことを心配しての反抗だ、快く思えど不快に思うことはない。

 

 

「そうだな。今回の件は私の都合、私の身勝手で組んだものだ」

 

「はぁ? 流石に怒りますよ?」

 

「まぁまぁ、お前も言っただろ? みほは戦車が嫌いなわけじゃないって。私も一昨日のあいつの戦車を見る目を見てそう思った。今回アンツィオの戦車道を体験してもらって、戦車道も悪くないって思ってもらいたいじゃないか」

 

 

 アンチョビはそう言いながら、あわあわと困惑しているだろうみほを思った。

 

 勝利至上主義の黒森峰とアンツィオの戦車道は違う。悲しいかな、かの高校と違って勝つ目があまり見えないということもその理由の一つだが。

 

 アンツィオの戦車道は勝利に向かって騒いで怒って笑い合って、楽しみながら皆で進んでいくものなのだ。アンチョビはそれをみほにわかってもらいたかった。戦車道は楽しいものだとみほにもう一度思い出して欲しかったのだ。言わば今回みほを巻き込んだのは、自分が好きなことを相手に嫌っていて欲しくないというアンチョビのエゴだった。

 

 

「戦車道は楽しくて、みほは大事な後輩だからな。いきなりうちのノリと勢いに巻き込まれて上手く動けないだろうが、うちの子は勝ち負けにはあまり拘らないし。いや、少しは気にして欲しいんだけどな」

 

「ふーん。でもみほのやつ、クラスにいる間ずっと考え込んでたからなぁ。私ともあんま話してくれなかったし」

 

「なに!? や、やっぱり強引過ぎただろうか」

 

「いやいや、姉さん」

 

 

 慈愛の眼差しで語るアンチョビだったが、ペパロニから試合前のみほの様子を聞いて慌てだす。さっきまではこの方法がみほにとってもアンツィオ戦車道にとっても最善だと考えていたが、一度勢いがせき止められると不安が沸き起こる。色々語ったが、最初にこの演習を思いついたのはやっぱりその場のノリだったりするのだ。

 

 セモヴェンテの車上からCVのペパロニに身を乗り出して詰問しようとするアンチョビに、車内の隊員から声がかかる。間もなく試合開始の時間だった。

 

 

「あいつ、勝つ気満々っすよ。じゃ、うちらは先行して偵察して来ますんで」

 

「え、あ、おい。どういうことだ! く、アバンティ!」

 

 

 アンチョビが問いただす前に、ペパロニは威勢の良い言葉を配下の隊員たちに掛けながら、彼女の率いるCV四輌を率いて駆け出していった。取り残されたセモヴェンテと護衛のCVは一拍遅れて出されたアンチョビの号令に従い前進し始める。

 

 

 

 

「ペパロニ姉さん、コンシリエーレやめちまうんですか?」

 

「あん? なんだいきなり」

 

 

 長髪を一部結い上げた髪型をしたCVの操縦手が、前を見据えたままペパロニに声をかけた。後方の覗き窓から森に向けて作戦通りに動き出したアンチョビたちを確認していたペパロニは、座席に座り直して後輩に顔を向けた。

 

 

「ペパロニ姉さんとドゥーチェの話が聞こえて。コンシリエーレは戦車に乗るの嫌なんですか? うちらが無理やり乗せちまったから、もううちには来てくれないんですか?」

 

 

 操縦手を含めた一年生たちはみほとの関わりが殆どない。一昨日顔を合わせたばかりだし、みほのチーム以外の一年生はその一日しか接していない。しかしその一日、一緒に食べて飲んで笑った宴会の一日だけで彼女たちはとっくに仲間になっているのだ。その大事な仲間が自分たちのせいで傷つき離れていこうとしている、それは彼女たちにとってとても辛く悲しいことだった。

 

 

「あー」

 

 

 ペパロニは操縦手の問いに、ばつが悪そうに頭をかきながら言葉を詰まらせた。一年生たちがいる場でするような話ではなかったという自省と、彼女自身この演習の後みほがどうするのかわからなかったからだ。

 

 だが考えてみると、最悪の方向に進んだとして恨まれるのはアンチョビ姉さんだけだし、私とみほがクラスメートってのは変わらないし、みほもこいつらのこと気に入ってるみたいだし、たまに遊びに来るくらいはするんじゃないか。なんだ、別にこいつが不安に思うようなことはないじゃないか。

 

 

「心配すんな。みほはそんな柔じゃねーっての。それより気ぃ抜くんじゃねーぞ。あいつ、乗り気かどうかは知らねぇが大人しく負ける気はないらしいぜ」

 

 

 ペパロニは操縦手の頭を軽くはたきながら、試合に集中するよう戒めた。あいつはアンツィオのコンシリエーレだぞ、と言うと操縦手はハッとして睨み付けるように前方に集中し始めた。

 

 ペパロニはその様子に頷きながら、これから戦う相手を思い浮かべた。あるいはみほは今回の演習自体は不本意なのかも知れない。だが勝負をやる気は十分にあるらしい。ペパロニは一昨日みほが見せた洞察力と、クラスでの血気迫る様子で作戦を練る姿を思い出す。操縦手に言ったように気を抜いて戦って良い相手ではない。ペパロニは強敵と対する緊張と興奮に口を歪ませた。

 

 

『ペパロニ姉さん!』

 

 

 しばらく車両を走らせていると、ペパロニ車に指揮下のCVから通信が届く。物見のため車上に身を乗り出していたペパロニは、車内に潜り込んで通信機を口元に当てる。

 

 

「どうした」

 

『敵車両を確認しました。こっちに向かってます!』

 

「数は!」

 

『CVが三輌! あれは……フラッグ車です! 車長はコンシリエーレ!』

 

「なにぃ~!?」

 

「姉さん! 丘、越えます!」

 

 

 通信は偵察のため横陣に広がるCVの一輌からだ。ボコボコと起伏のある演習場、ペパロニたちからその姿は見えない。ペパロニたちのCVが緩やかな斜面を登り切る頃、彼女は再び車上に身を乗り出した。

 

 

「みほ」

 

 

 ペパロニが見下ろす先には、彼女と同じく車上に身を出しながら二輌のCVを率いるみほの姿があった。三輌のCVはみほのチームとアンチョビのチームの初期位置を結ぶ直線を真っ直ぐ進んでいる。

 

 思わず呟いた声は向こうに聞こえるはずもなかったが、みほはペパロニの方に確かに顔を向けた。絡み合った二人の視線、そこにまるで射抜かれるような感覚を覚えたペパロニは、不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「面白ぇ。CV全車、やつ等の鼻面を叩く! フラッグ車を狙え! 速攻はうちらの本領だってコンシリエーレに教育してやれ!」

 

「スィーッ!」

 

 

 

 

『みほ姉さん! CVが食いついてきた、ペパロニ姉さんだ!』

 

「はい、こちらでも確認しています。合図があるまでこのまま直進を」

 

『わかりました!』

 

 

 みほは自分の率いるCVに指示を出しながら、こちらに向かってくる敵車両を見つめた。最初のCVを視認してから、緩やかな丘陵から続々と敵CVが進路を塞ぐように迫ってきている。ペパロニは演習場を直進してこちらに向かってくるはず、というカルパッチョの読み通りだ。

 

 アンツィオの定石はCVを斥候に出し、相手をセモヴェンテの射程に誘い出すというもの。おそらく今回の演習の目的はみほにアンツィオの戦い方を見せること、ならばアンチョビは定石通りの戦術を使ってくるだろう。副隊長であるカルパッチョの推測は情報の乏しいみほの立てた作戦の根幹だった。

 

 

「カルパッチョさん、状況は」

 

『予定通りポイントBに移動中。ペパロニの目がそちらに向かっているなら速度を上げられますが?』

 

「いえ、アンチョビさんが残りのCVを出す可能性もあります。そのまま丘陵の迂回を。カンネリーニさん」

 

『こちら間もなく合流できます、みほ姉さん』

 

「わかりました、隊形を乱し慌てて合流してください」

 

『はい! 大慌てで救援に向かいます』

 

 

 演習場には何箇所か戦車が隠れるのに十分な密度の森が点在している。そのうちアンチョビたちに近い森が北と南東に二箇所、敵フラッグ車セモヴェンテはそのどちらかに隠れているという予測はおそらく当たっている。CVの殆どを斥候に出した状態でセモヴェンテを平野に晒すことはないはず。

 

 そしてみほと同じく三輌のCVを指揮するカンネリーニからの報告で北の森にセモヴェンテはいないと確認できている。アンチョビがいるのは恐らく南東の森、それに合わせてカルパッチョのセモヴェンテも指示したポイントに移動中だ。

 

 ここからが勝負、とみほは心の中で呟いた。

 

 

 

 

『ペパロニ姉さん、敵CV進路を変えます』

 

「怖気づいたか? いや、森に誘い込む気か」

 

「セモヴェンテがいるんですか姉さん」

 

「さて、どうかね。うちのやり方なら上手いこと誘い出されてるってとこだけど。ま、何にせよフラッグ車を叩いちまえばこっちの勝ちだ」

 

 

 互いのCV隊は正面からぶつかる進路で進んでいたが、みほたちは突如進路を北に向けた。車両は同じ、数はペパロニたちが5でみほたちは3。しかも向こうはフラッグ車を抱える状況だ、不利を悟って逃走を図ったとしてもおかしくはない。だが逃げるにしては判断が遅すぎるし、みほが単純に逃げ出すだけな指揮を執るとも思えなかった。

 

 何かはわからないがきっと狙いがあるはず、とペパロニは確信していた。一方でどんな策だろうとここでフラッグ車を叩けば同じことだとも思っていた。

 

 さあ、どうする気だ。ペパロニは車上に身を出したまま指揮を執るみほの背を見つめながら、いつの間にか乾いていた唇を舐めた。そのとき、通信機からがなり立てる声が響いた。

 

 

『ペパロニ! 状況はどうなってる!』

 

「あ、やっべ。報告忘れてた」

 

 

 通信機から届いたアンチョビの怒声に、ペパロニは思わず姿勢を正した。額に一筋冷たい汗が流れる。みほたちを追うのに夢中になって、斥候の身でありながらアンチョビへ全く連絡をしていなかったのだ。

 

 

「すいませんアンチョビ姉さん。こちらただ今敵フラッグ車を追跡中っす」

 

『セモヴェンテを見つけたのか! 何でそんな大事な報告を忘れるんだお前は!』

 

「いや、セモヴェンテは見てないっすよ。向こうのフラッグ車はCV、車長はみほです」

 

『何! どういうことだ?』

 

「どういうことって、あ! こいつらっ。すんません姉さん、ちょっと手が離せなくなりそうなんで後で掛け直しますね」

 

『電話か! じゃない、おい! ちゃんと状況を――』

 

 

 ペパロニはアンチョビへの報告を中断して車上に身を出した。追跡していたみほたちの横合いから、三輌のCVが飛び出してきたのだ。随分と慌てた様子からみほが呼び寄せた救援か。それとタイミングを合わせてみほたちの三輌は反転、ペパロニたちに射線を合わせた。

 

 

「ちっ、こっちを包囲する気か! しゃらくせぇ! お前ら! このままフラッグ車だけを狙え!」

 

 

 数の利が覆った今、二方向から攻撃を受けるのは危険だ。だが敢えてペパロニは追撃の続行を指示した。救援の慌てた様子からみほたちが追い詰められているのは確かなはず。ならばこのままの勢いで一気に仕留めるべきだ。

 

 ペパロニたちは一層速度を上げた。アンツィオ得意のナポリ・ターンは速度を殺さずに車体を反転させる技術だが、当然後進と前進では最高速度が大きく違う。後進するみほたちと前進するペパロニたちの距離は徐々に縮まっていくはずだ。そうして射程内に収まるその瞬間を、ペパロニを含めた五輌の機銃手は待っていた。

 

 だがペパロニたちの予想よりもずっと早くその距離は縮まった。みほたちは車体を反転させた後、後進ではなく前進させたのだ。いったん車体を停止させた後、全力で加速しながらペパロニたちに向かってきている。

 

 

「しまった! スパーラ!」

 

 

 ペパロニは慌てて射撃指示を出す。五輌のCVから一斉に機銃弾がばら撒かれるが、向かい合って前進する二者の相対速度に機銃手は対応できず、まともに命中する弾は殆どなかった。

 

 みほたちの三輌は、一発の銃弾を撃つこともなくペパロニたちの間をすり抜けていく。ペパロニは、ハッチから顔を出してこちらを一瞥し去っていくみほの背を見つめた。みほの視線はすでに南東、アンチョビが待機する森に向いていた。

 

 ペパロニは即座に反転、追撃指示を出そうとしたが、横合いから三輌のCVが迫ってきている。今追撃をかければ、敵にウィークポイントを晒しながら走ることになってしまう。

 

 

「カッツォ! やってくれるぜ、みほのやつ。てめぇら、まずはこいつらを片付けるぞ!」

 

 

 

 

「状況はどうなってるんだ、いったい」

 

 

 セモヴェンテから身を乗り出すアンチョビは、組んだ腕を苛立たしげに指で叩きながらぼやいた。この試合の参加車両は双方ともセモヴェンテ一輌にCV六輌。その内CV五輌を斥候に出しているのに、肝心の状況報告はまともにやってこない。アンチョビはこの森で敵を待ち伏せるつもりだったが、現状は目を塞がれて閉じ込められているのと同じ状況だった。

 

 

「フラッグ車がCVで、しかも前線に出てるか。う~ん、みほの狙いはなんだ?」

 

『姉さん!』

 

「うわ!」

 

 

 アンチョビがペパロニから得た断片的な情報から相手の考えを読もうとしていると、梨の礫だった通信機から突如連絡が入った。アンチョビはびっくりしつつも、待望の情報を求めて車内の通信機を取った。

 

 

「ペパロニ! 何度も連絡したのにお前は――」

 

『今そっちにCVが三輌接近中っす! こっちもCV三輌に足止め食らってます! 気を付けてください! んじゃこれで!』

 

「はぁ!? ちょっと、おいペパロニ! もう!」

 

 

 ペパロニからの報告は、一方的にまくし立てられた後にまたもや切られてしまった。どうしてこうも落ち着きがないんだ、と頼れる副隊長にがっくりと肩を落とした。ムードメーカーで後輩たちからの信頼は厚いし、現場での状況判断も早い。あいつがもうちょっと冷静さを持ってくれれば来年からも安心できるんだけどな。

 

 そもそもあいつは性格的に偵察に向いてないんだよな。どちらかというと攻撃向き、かといってセモヴェンテじゃあいつの俊敏性を活かせないんだよなぁ。どっかにそこそこの火力と快速を併せ持つような戦車が転がってないものだろうか。

 

 

「ってそうじゃない! CV全車両を前線に投入? しかもセモヴェンテは未だ確認できてない……まずい!」

 

 

 ついつい今後のアンツィオについて考え込んでしまうアンチョビだったが、今はそれどころではなかったと思い直した。

 

 思い出すのは一昨日みほが語ったセモヴェンテを積極的に攻勢に使うという戦術。そしてCV全車を前線に出し、かつペパロニの足止めに残った三輌以外はこの森に向かっている。すでにCVの目はこっちの位置を暴き出しているのだ。

 

 ならばセモヴェンテもこの森に向かってきているはず。このまま視界の悪い森に身を潜めていてはジリ貧だ。いずれCVに捕捉され、位置情報を受けた敵セモヴェンテに一方的な攻撃を食らってしまう。

 

 ならどうする? 森を抜けて視界を確保するか? 護衛のCVを物見に出すか?

 

 

「ドゥーチェ! CVのエンジン音です!」

 

 

 どう動くべきかというアンチョビの思考は護衛CVの車長の報告で中断された。アンチョビの耳にも木々の隙間からかすかに聞きなれたエンジン音が届き始める。自車両の操縦手と砲撃手も不安そうな目でアンチョビを見上げている。もう猶予はないようだ。

 

 

「まさかこんな展開になるとは。おい、出動だ! CVだけじゃないぞ、敵セモヴェンテもすぐそこまで来ているはずだ!」

 

 

 アンチョビの号令に従ってセモヴェンテとCVが動き出す。セモヴェンテのエンジン音が微かに聞こえる敵CVの迫る音を掻き消したが、包囲されようとする隊員たちの緊張感が消えることはなかった。

 

 

 

 

 みほはCVから身を乗り出してアンチョビが待ち構えているはずの森をジッと見据えた。カンネリーニ隊が上手く足止めしてくれているおかげで、ペパロニたちの追撃はない。

 

 

「すげーぜみほ姉さん! まさかペパロニ姉さんを出し抜けるなんて!」

 

「気を抜かないで。まだ勝負は終わったわけではありません」

 

「うっす! ここまで来たら絶対勝ちましょう!」

 

「……そうだね、絶対勝たないと」

 

 

 速攻を仕掛けてくるだろうペパロニ隊をフラッグ車に乗るみほ自身が囮になることで引き付ける。その間にカンネリーニ隊が北部の森でアンチョビの乗るセモヴェンテの捜索、カルパッチョのセモヴェンテは南東の森へ演習場を迂回しながら移動する。

 

 カンネリーニ隊がアンチョビを発見した場合はみほたちも森へ突入し合流。他CVとフラッグ車を混じらせることで狙いをつけられないようにしつつ森の外へアンチョビを誘導し、南東の森で待ち構えるカルパッチョがアンチョビを撃破する。

 

 そして北部の森にアンチョビがいなかった場合である現状、作戦はみほの想定通りに推移している。だが操縦手を戒めたようにまだ勝負はついていない。むしろこれからが問題だ。孤立した状況で包囲されようとするアンチョビがどういう動きに出るのかがみほには読めなかった。

 

 

「カルパッチョさん、こちらは間もなく森に突入します。アンチョビさんはどう出ると思いますか」

 

『そうですね、森でペパロニの救援を待つか森を出て合流を図るか。いえ、ドゥーチェならフラッグ車、みほさんの撃破を狙うかも』

 

「場合によってはカルパッチョさんにも森への突入をお願いするかもしれません。準備だけはしておいて下さい」

 

『了解』

 

 

 ポイントB、南東の森を南西側から俯瞰する丘に陣取るカルパッチョとの連絡を終え、みほは通信機を取り指示を出す。

 

 

「皆さん、まずは森を時計回りに周回。東端から三方向に分かれて敵フラッグ車を炙り出します。セモヴェンテを発見したらすぐに連絡、交戦は避けてください」

 

 

 了解する隊員たちの通信を聞き、一度深く息を吐いた。右手に見える森の木々が後ろに流れていく様をジッと見つめる。姉さんそろそろです、という操縦手の声に頷き、通信機を口元に当てた。

 

 

「散開してください、突入します!」

 

 

 

 




 大洗学園艦の演習場、かつて大洗女子学園で戦車道が行われていたときに使われていたそこに、今再び戦車の動く姿があった。ただし、その姿は大きな岩にぶつかってその場でぐねぐねともがく惨めなものだったが。

「あー、こりゃ厳しいっぽいね」

 アウトドアチェアに腰掛けて、杏は気だるげに頬杖をついてそれを眺めていた。バレー部の操る八九式戦車はとても戦闘が出来るような動きではなかったが、杏はさほど気にした様子もなく干し芋を齧る。

「そりゃあ戦車の視界は狭いですからね、乗ってすぐに上手く動かせるものじゃないですよ」

 そんな杏の頭上から声がかけられた。ん、と見上げた杏の視線の先には、苦笑を浮かべて八九式戦車を見つめる大洗タンカスロンチームアドバイザーの姿があった。

「お、ナカジマ博士も来てたんだ」
「博士はやめてくださいよぉ。会長の悪ふざけに付き合ったせいで仲間内からもからかわれてるんですから」
「えー、博士も乗り気だったじゃん」
「まぁ、悪の組織に仕えるマッドサイエンティストってちょっと憧れますよね」
「生徒会が悪の組織と申したか」
「借金の形に私たちを悪巧みに巻き込んでるんですから、似たようなものじゃないですか」
「ははは、違いない」

 ナカジマの不平混じりの軽口に、杏は笑って応えた。ナカジマたち自動車部は、戦車のレストア代を生徒会が立て替える条件として、杏の思いつきのサポートをさせられているのだ。とはいえ弄るのが自動車の範疇と言える戦車ということもあって、言うほど自動車部に不満はなかった。
 ナカジマは杏の隣、地べたに直接腰を下ろした。油に汚れたツナギを着ているため、多少の汚れは気にしなかった。

「でさ博士、やっぱ厳しい感じ?」

 車上に身体を出した典子の指示でようやく後進して岩を避けたと思ったら、今度は木にぶつかってそれをへし折る戦車を見ながら杏は尋ねた。ナカジマはう~ん、と目を瞑って少しの間思案した。

「私たちも戦車の運用に関しては門外漢ですから何とも言えませんけど、会長の言うタンカスロンのルールに合わせて結構無茶な軽量化をしましたからね。あの子、やっぱり車体バランスは悪くなってると思いますよ」

 ナカジマの言うとおり、バレー部が四苦八苦して操る八九式戦車は本来の形状とは違うものだった。特徴的な後部の橇やキューボラの丸いハッチ等々が取り外されて、全体的にこじんまりとした風体になっていた。

「38(t)じゃ駄目だったんですか? あれなら重量も10t以下ですし、乗員も同じ四人。言っちゃ可哀そうですけど性能も八九式より上ですよ?」
「んー。あっちはね、他に使いどころがあんのよ」
「お。もしかして会長たちが乗るんですか?」
「やだよ、鉄臭いじゃん」
「えー……」

 半ば強引にバレー部を戦車に押し込んでおきながら、あんまりな杏の言葉にナカジマは顔を引きつらせた。

「わー! すごいすごい、本当に八九式が動いてる! 本物が動いてるとこ初めて見ましたー!」
「おお、戦車が動いているところ初めて見たよ。うちの戦車道が復活するって噂本当だったのかな。ん? でも八九式ってあんな感じだったか?」
「はいっ、あれは八九式中戦車甲型の前期型ですよ! トルコ帽型の展望塔で尾体の橇もありません! 一般的に八九式はエンジンの違いで甲乙型にわかれるんですがその中でも……あれ?」
「へぇ、君戦車に詳しいんだね」
「いえ、素人のにわか知識ですよぉ。うーん、でも、あれ?」
「どうしたんだ?」
「いえ、前期型にしては砲塔の形が違う。機銃と窓の位置も違うような……」
「いや、そこまでわかるって。とてもにわかとは言えないと思うよ」
「そうでしょうか、えへへ。……え?」
「ん?」

 のんびりとバレー部の奮闘を眺める二人の背後から、何とも騒がしい声が聞こえてきた。杏とナカジマが振り返ると、もこもことした癖毛の少女とドイツ軍の軍帽に軍服という格好の少女が見詰め合って固まっていた。
何とも特徴的なその二人、片方は軍服少女を見つめて顔を赤くしたり青くしたりと忙しい。もう一人は癖毛の少女を感心した風に見つめた後、杏の視線に気づき驚いた様子で目を丸くさせていた。

「ま、またやってしまいました。まさか他に人がいたなんて……。すいません、その。自分、戦車を見ると抑えが利かなくなってしまいまして」
「気にすることはないだろう、それは歴女の性と言うものだ。それより、まさか生徒会長がこんなところにおられるとは」
「わぁ!? こっちにも人が! うわぁぁ、すいません……」

 癖毛の少女は軍服少女の言葉に初めて杏たちに気づいたようで、いっそう恐縮そうに身を縮こまらせた。対照的な反応を見せる少女二人に、杏はニコッと人好きのする笑みを浮かべた。それを見たナカジマは、アッと声を漏らして目を覆った。

「やぁ。秋山さんと松本さんだね? 君たち、戦車が好きなのかい?」





おまけ

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07

 アンナとエリデががんがん前に出てきてつらい。最初に喋った順にABCで適当に名前振っただけのキャラだったんですが。


 三輌のCVが森の向こうに消えていく姿を、カルパッチョはセモヴェンテのハッチから頭だけを出して見つめていた。森に潜むアンチョビはもちろんペパロニたちも稜線の向こうであり、見つかることはないだろうが念のためだ。

 

 

「すごいよねぇ、うちらのコンシリエーレは。こんなに作戦がドンピシャだと気持ちいいよね」

 

「なー? CVをフラッグ車にするって聞いたときはびっくりしたけどさ、それでここまでドゥーチェを追い詰めてんだからもっとびっくりだよ。姉さんたちも今頃慌ててんだろうなー」

 

 

 車内から操縦手と砲手の雑談がカルパッチョの耳に届く。ペパロニたち敵CV隊はカンネリーニ隊に足止めを食らい、残るアンチョビのセモヴェンテと護衛CVは森の中で封殺している。自分たちのチームが優位に立っている今、彼女たちはすっかり余裕の態度を現していた。

 

 

「そうね、もう勝利は目前だわ。私たちがしくじらなければ、ね?」

 

 

 カルパッチョは車内に身を潜り込ませ、彼女たちの背後から雑談に加わった。たおやかな笑みを添えたカルパッチョの言葉に、彼女たちの会話は凍りついたように途絶えた。

 

 カルパッチョは、ふぅ、っと息を吐くと、自分が扱うことになる砲弾を撫でながら乗員たちを戒める。

 

 

「まだ演習は終わったわけではないのよ? みほさんが上手く事を運んでも、私たちが砲撃を外せば全部無駄になるわ。コンシリエーレの信頼を裏切らないようにね」

 

「は、はい!」

 

「すいません……!」

 

 

 乗員たちの間からすっかり気の抜けた空気は消え去っていた。普段から物静かで穏やかな気性のカルパッチョ。彼女が本気で怒った姿を見た者はなく、だからこそ怒りに触れてしまった者の末路は想像も出来ない。

 

 その細い腕でセモヴェンテの75mm砲弾を軽々と扱う様を間近で見てきた彼女たちにとって、カルパッチョを怒らせることは何よりも恐ろしいことであった。

 

 すっかり静かになった車内、カルパッチョは再びハッチを開けて車上に頭を出した。未だ何も動くものが見えない森に視線を向けながら、カルパッチョはみほのことを考えていた。

 

 自身の乗るフラッグ車を囮としたかく乱と陽動、CVによる要所の偵察、そして最後まで隠蔽したセモヴェンテによる敵フラッグ車の狙撃。地形と車両の特性をよく把握していなければ立案出来ない作戦だ。

 

 この演習にはみほの実力を試す目論見もあるとカルパッチョは読んでいた。そして彼女自身もアンツィオ戦車道チーム副隊長として、西住流家元の家系に生まれ強豪黒森峰で副隊長を務めたみほの能力に興味を持っていた。

 

 一昨日の様子からやるとは思っていた、だがそれは過小評価だったらしい。わずかな時間で作戦を立てた立案能力もそうだが、何よりも移り気なアンツィオの隊員を掌握し作戦を遂行させる指揮能力。前線に立ってのそれはドゥーチェであるアンチョビを超えているようにさえ思えた。

 

 

「全く、ドゥーチェはどうするつもりなのかしらね」

 

 

 そんな実力者がチームに加わるというなら副隊長として願ってもないことだ。しかしカルパッチョ個人としてはあまり気乗りがしなかった。みほの指揮で戦っていても、あまり楽しいとは思えなかったからだ。

 

 カルパッチョは小さくため息をついて車内に戻った。乗員たちに注意しておきながら、自分が一番集中できていないようだった。そうして音を立てないように天井のハッチを閉じてからしばらく経った頃、遂にみほからの通信が届いた。

 

 みほの声を聞き高揚と緊張に包まれる車内で、やはりカルパッチョの纏う空気だけはどこか冷めていた。カルパッチョは一昨日以前とはまるで違う、追い立てられているような余裕のないこの声が気に入らなかった。

 

 

 

 

 鈍重な自走砲が深い森を軽快に駆けていく。まるで木々が自ら道を開けるかのようにその走りは滑らかだ。

 

 セモヴェンテはアンツィオの数少ない有力な戦車である。当然それを操縦する隊員はチームの中でも選りすぐりの技量を持つ者が配置される。いや、14tを超える戦車でナポリ・ターンを決められるような技量の持ち主は高校戦車道チーム全体で見ても稀だろう。

 

 だが、今操縦桿を握る隊員の表情に巧みな操縦を誇るような余裕はない。

 

 

「アンチョビ姉さん、また前に出て来やがった!」

 

「クソ!」

 

「落ち着け、撃つなよ! 右に転回!」

 

 

 車上に身を乗り出すアンチョビの指示で、セモヴェンテの車体が激しく横滑りしながらその進行方向を変える。襲い掛かる遠心力を身体全体に力を入れて耐えるアンチョビの正面に、自車両と並走していたCVの側面が映った。

 

 操縦手の狭い視界にもそれが映る。ブンブン揺れるポールアンテナのようなフラッグ、みほの乗るCVだ。だが砲手がその射界に捉えるよりも早く、CVは相対する向きに旋廻してセモヴェンテの脇をすり抜けていく。

 

 

「駄目だ、狙えねぇ!」

 

「いいから! おい、進路そのまま!」

 

 

 アンチョビの指示で操縦手は思わずCVに追従しそうになっていた腕の力を何とか抑えた。それを煽るように背後から機銃弾が跳弾する甲高い音が響く。

 

 

「落ち着けってば! ただの嫌がらせだ! 左、転回!」

 

 

 執拗に銃撃を加えてくるCVに苛立つ乗員を宥めつつ、アンチョビは続いて指示を出す。後はさっきの焼き直しだ。一瞬だけ敵フラッグ車を正面に捉えるが、攻撃を加える機会を得る前に逃げられてしまう。

 

 アンチョビのセモヴェンテは未だに一発の砲撃も行えていない。だがそれはある意味僥倖だ。砲撃を行えば装填手も兼ねるアンチョビは周囲の観察と指示を出せなくなってしまう。車長が指揮に専念できない三人乗り戦車のセモヴェンテの欠点だ。

 

 

『ドゥーチェ、やっぱりここはうちらが』

 

「我慢してくれ、ここでお前たちが抜けるとフラッグ車が丸裸になる。本命のセモヴェンテはまだ影も形も見えないんだぞ』

 

 

 アンチョビに護衛のCVから嘆願にも聞こえる通信が届いた。今彼女たちはアンチョビの指示でセモヴェンテを自分たちの盾にする形で走っている。護衛という役割でありながらその対象に守られる現状は彼女たちにとって不本意なものだった。今すぐにでも反転して追撃してくる敵車両に反撃を加えたいというのが彼女たちの願いである。

 

 だが彼女たちが反転、迎撃に出て三輌のCVを全て引き受けられるかと言えば否だ。それよりもアンチョビにとっては現状唯一残った目となる彼女たちを失わないようにする方が重要だった。

 

 

「ちょい右! 速度は落とすなよ! ふむ……やはり我々を誘導するつもりか」

 

 

 セモヴェンテから付かず離れずの距離で周囲を囲むCVを見据えながら、アンチョビは小さく呟いた。

 

 CVの8mm機銃ではセモヴェンテの装甲は抜けない。当然みほもアンチョビを撃破するためにはセモヴェンテをどこかで投入しなければならない。そのタイミングは大雑把に言うと、森の中で仕掛けるか外で仕掛けるかの二つだ。

 

 そしてアンチョビの採れる選択肢も森の外へ出るか中で待つかの二つしかない。

 

 敵セモヴェンテが既に森に進入している可能性がある以上、視界の悪い森に留まる事は危険だ。一度敵CVに捕捉されてしまえば、何の抵抗も出来ないまま敵セモヴェンテから一方的に攻撃を受ける恐れがある。つまり採られる選択肢は森の外へ抜け出すしかない。

 

 当初アンチョビは森を脱するため布陣したままの向き、演習場の北西へ直進していた。そこへCVが背後から迫ってきたため反転、迎撃の構えを取ったところみほのフラッグ車が左側面に現れた。一発逆転の機会に釣られて左に転回すると射線を避けて離脱。その後もこちらが障害物を避ける等で進路を変えるとみほのCVが身を晒してセモヴェンテを挑発してきた。みほは自分を餌にアンチョビを誘導しているのだ。

 

 

「と、なると向こうのセモヴェンテは……うわ!」

 

 

 思索にふけるアンチョビを激しい音が襲う。背後にぴったりと付いてくるCVがまた機銃を撃ち始めたのだ。セモヴェンテの背面装甲でも抜かれる心配はないが、こうもけたたましく跳弾の音が反響すると集中力を削がれてしまう。

 

 

「姉さん、反転指示を!」

 

「いいから落ち着け! このまま前進っ、森を抜けるぞ!」

 

 

 木々の隙間から漏れる日差しが明るさを増し始める。もうすぐ森を抜けるのだ。アンチョビは三輌並んで追ってくる敵CVから視線を外し、ハッチの縁を掴む腕に力を込めながら前を見据えた。

 

 

「全車停止!」

 

 

 森を出てすぐ、タイミングを計っていたアンチョビの指示でセモヴェンテとCVが同時に停車する。

 

 強い衝撃を受け、アンチョビは短く声を漏らした。その衝撃とは急な制動による反動と、そして75mm砲弾がアンチョビたちの鼻先に着弾したことによるものだった。

 

 

「やはりここにいたか。全速後退! コッツァは前進、セモヴェンテに貼り付け!」

 

『スィーッ!』

 

「ボルカミゼーリア! 仰角が足りねぇよ姉さん!」

 

「いいから後退ー!」

 

 

 アンチョビの指示を受けセモヴェンテは森へ向けて後進、護衛CVは前進していく。アンチョビはこちらを見下ろす丘陵の上、砲身を燻らせるセモヴェンテの姿を見上げた。

 これで敵セモヴェンテの位置が把握出来た、森の中に潜むかも知れない見えない敵を警戒せずに済む。

 

 

『アンチョビ姉さん、遅れてすいません! 一輌食われましたけど向こうの三輌平らげました、すぐそっち向かいます!』

 

「よーしよし、いいタイミングだペパロニ。こっちの位置は随時伝えるからなるべく急いでくれ」

 

『了解っす!』

 

「いいか? 今度はこっちの通信を無視したりするんじゃないぞ?」

 

『ドゥーチェのピンチだ、お前らもたもたすんじゃねーぞ! このペパロニに続けー!』

 

「おい。聞いてるのか、おい! あー、もう! 大丈夫かなぁ」

 

 

 ともあれ、これで不利な状況は覆った。互いにフラッグ車とセモヴェンテの位置を把握していて、そして数の上ではアンチョビたちが優位に立った。後は後方の敵セモヴェンテを警戒しつつ、みほのCVをペパロニたちと合流して狩り出してやる。

 

 まだ油断は出来ないが心理的な余裕はだいぶ出来た。アンチョビは今頃絶好の機会に砲撃を外して慌てているだろうカルパッチョを想像し、小さく笑った。

 

 

「ん? あ、あれ? みほたちはどこに行った?」

 

 

 森の中へ再び入り、そんな余裕がいつまでも続くことのおかしさにアンチョビは気づいた。ついさっきまでアンチョビのセモヴェンテに執拗に張り付いていた敵CVの姿が一輌も見えなくなっているのだ。

 

 

『ドゥーチェ! セモヴェンテが動きだしま、ぅわわ!?』

 

「おい、どうした!」

 

『……すいませんドゥーチェ、やられました。CV三輌ともこっちいるんすけどー』

 

「何ぃー!」

 

『んで、そっち向かってまーす』

 

 

 敵セモヴェンテの監視に向かわせていたCVからの通信を受け、きょろきょろと辺りを見回していたアンチョビは口を真一文字に結んで背後を振り返った。見開いた目には深い木々が見えるだけだったが、アンチョビには真っ直ぐにこちらを追いかけてくる敵の姿が幻視される。

 

 

「ま、まさか最初からフラッグ車を丸裸にするのが目的だったのか?」

 

 

 さっきまで位置を把握されていたのだ、再び捕捉されるまでそう時間はかからないだろう。アンチョビは絡め取られるような圧迫感を覚えながら、森の中を進むしかなかった。

 

 

 

 

「今回はアンチョビさんが上手だっただけだよ。大丈夫。うん、まだチャンスはあるから」

 

 みほは通信機の向こう、セモヴェンテの砲手に努めて明るい声で慰撫する言葉をかけた。ホッ、という安堵の吐息が聞こえ、次は絶対に当てて見せますと意気込む声が続いて返ってきた。

 

 はい、期待していますね。と結んで通信を終えたみほもまた、深い安堵の息を吐いた。

 

 セモヴェンテを撃破出来るのはセモヴェンテのみ。戦力が限られた現状、アンチョビのフラッグ車を走行不能に出来る機会は非常に少ない。ようやく掴んだチャンスである先の攻撃に失敗してしまった今、護衛車両を撃破することが出来て安堵しているのは誰よりもみほだった。

 

 アンチョビを撃破出来なかったのは誘導を見破られた自分のミスだ。だが、アンチョビの目を潰したお陰でまだ次の機会を窺うことが出来る。まだ負けが決まったわけではない。

 

 

『みほ姉さん、ドゥーチェのセモヴェンテを発見。森に入ってちょっと行ったとこ、丘の方を向いて停車してます』

 

「発見されましたか?」

 

『ドゥーチェと目が合っちゃいました。でも動きはないですね』

 

「わかりました。そのまま監視をお願いします」

 

 

 カンネリーニからの最後の通信で、ペパロニ隊にはこちらより多い四輌のCVが残っていることがわかっている。そして伝えられた交戦地点から換算して、ペパロニたちがアンチョビと合流するまで幾ばくの時間も残っていない。

 

 先行させたCV二輌のうち一輌から報告を受けたみほは、これが最後の機会だろうと強く意識し大きく息を吐いた。ゆっくりと前進するCVの車上に立ち、みほは最後の作戦を説明する。

 

 

「皆さん、カンネリーニさんたちを破ったペパロニさんがこちらに向かっているはずです。向こうが合流するまでに勝負をつけます。カルパッチョさんたちはこのままの速度でアンチョビさんのいる地点へ向かってください。私たちがアンチョビさんの注意を引くので、その隙を突いて砲撃を行ってもらいます」

 

 

 ようやく得た勝機を逃したにも関わらず、動揺を感じさせず作戦を語るみほに隊員たちはすっかり惹きつけられていた。絶対に勝つというみほの意気込みが伝播し、特にセモヴェンテの砲手などはさっきのリベンジだと燃え上がっていた。

 

 そんな同乗者をちらりと見たカルパッチョは、ハッチから頭を出して今まで黙っていた口を開いた。

 

 

「みほさん、大丈夫ですか?」

 

「っ!」

 

 

 カルパッチョの言葉にみほは声を詰まらせた。自信に満ちているように見えたみほの顔が一瞬歪み、次の瞬間には笑みを浮かばせて答えた。

 

 

「大丈夫です。今アンチョビさんは完全に目を塞がれた状態で疑心暗鬼になっているはずです。必ず陽動に反応します。大丈夫、私たちは勝ちます。もう猶予がありません。前進してください」

 

「了解っす!」

 

 

 貼り付けたようなみほの笑みを見たカルパッチョは、そういうことではないのだ、と言葉を続けようとした。しかしみほはカルパッチョの言葉を封じるように自車両の操縦手に指示を出した。

 

 軽快に走り去るCVに身を乗り出すみほの背を見つめながら、カルパッチョは持って生まれた自分の性格を悔やんだ。

 

 アンツィオ生らしくない、少し冷めた自分の性分がアンチョビの助けになっている、という自負がカルパッチョにはある。もし副隊長がペパロニだけだったらきっとアンチョビは心労で倒れていただろう。

 

 だが今この場にいるのがそんなペパロニだったら、きっと何も考えず不躾にみほの心を暴き立てていたはずだ。なんでそんなに辛そうなんだ。楽しくないのか。もっと笑え。戦車道は楽しむものなんだから。そんなことを言ってみほを止めたに違いない。

 

 あるいはアンツィオの戦車道がもっと適当な、お遊戯感覚で戦車を動かしているようなクラブだったらもっと違っただろう。サッカー部員が学校の体育でサッカーをするような感覚で、みほも気楽にやれたかもしれない。

 

 しかしアンツィオ戦車道チームは曲がりなりにも全国大会に出場するようなチームで、所属する隊員は皆真剣に戦車道に取り組んでいるのだ。真面目なみほは適当な態度で演習に臨むことは出来なかったのだろう。そうして自分で自分を追い詰めてしまっている。

 

 カルパッチョは深いため息をつきながら装填の準備をする。乗員たちは慄き、凍りついたように前だけを向いていた。

 

 

 

 

 アンチョビは額に汗を垂らしながら周囲を警戒していた。みほたちのCVが物見にやってきたことは確認している、既にこの居場所は露呈しているのだ。だが肝心の敵セモヴェンテは一向にやってこない。丘陵の狙撃ポイントからここまでの距離、巡航速度でもとっくに通り過ぎているだけの時間は経っている。

 

 あわよくば正面から来た敵セモヴェンテを待ち伏せて返り討ち、と思っていたがやはり上手くはいかないらしい。敵は迂回して側背面に回ろうとしている可能性も考えなければならず、全方位に意識を向けるアンチョビの緊張感はピークに達そうとしていた。

 

 

「いや、みほもペパロニが合流する前に勝負を仕掛けてくるはずだ。もし背後に回ろうというならエンジン音が聞こえてもいいはず。トルクを抑えて遠回りしているなら側面に回るのが精々のはず……」

 

 

 アンチョビは自分自身に言い聞かせるように独り言を零した。自分たちのセモヴェンテのエンジン音しか聞こえてこない以上背後に回られていることはないはずだ、正面と側面を警戒していれば大丈夫。

 

 そんなことを考えているとき、右方の草むらががさがさと音を立てた。映画か何かだとそこから動物が飛び出してきて、気が抜けたところを襲われるんだよな。どこか変に冷静な頭でそんなことを思いつつ、アンチョビは右に顔を向けた。

 

 動物ではない。無限軌道特有の金属音とエンジン音が確かに聞こえてくる。

 

 

「この音は……陽動だ! あ、おい、待て! 違う、セモヴェンテじゃない!」

 

 

 ひどい緊張感に包まれていたのはアンチョビだけではない。むしろ車上に身を乗り出していて周囲の状況がわかるアンチョビよりも、視界が限られる狭い車内にいる乗員の方がより強いストレスに襲われていた。

 

 操縦手はアンチョビからの指示がないまま、疑心暗鬼に駆られて車体を旋廻させてしまう。制止するアンチョビの声も耳に届かず、セモヴェンテは揺れる草むらに砲身を向けていく。

 

 

「この音はCVだ!」

 

 

 アンチョビの言葉とほぼ同時に、草むらの奥から起伏を乗り越えて敵戦車が姿を現した。車上に身を乗り出すのはみほ、その傍らで揺れるのはフラッグ車を示す旗。アンチョビ車砲手の目には、もう敵フラッグ車しか映っていなかった。

 

 アンチョビは通信機を握るみほの手に力が入った様子がはっきりと見えた。そしてさっきまで砲身を向けていた方角、今は自車両の左側面を晒してしまった方角からのっそりとセモヴェンテが姿を現した。

 

 

「撃て!」

 

 

 みほが号令をかける瞬間、アンチョビは襲い来る衝撃に備えて思わず目を瞑った。しかし次の瞬間アンチョビが感じたのは、自車両が75mm砲の直撃を受ける衝撃ではなかった。

 

 

「させっかよぉー!!」

 

 

 空気を震わす75mm戦車砲の発砲音、そしてそれに負けじと吼えるペパロニ。全速力でアンチョビの救援に駆けつけたペパロニのCVが、車体を浮かせながら二輌のセモヴェンテの対角線上に飛び出した。

 

 

「え」

 

「は?」

 

 

 そうして75mm砲の直撃を受けるCV。3t弱という軽量な豆戦車は、小気味良い音を立てて錐揉みしながら宙を舞う。草むらの向こうに消えて行くCVを、落着する派手な音が届くまでアンチョビとみほは呆然と見遣っていた。

 

 

「な」

 

「な」

 

「何してるんですかペパロニさん!?」

 

「何してるんだペパロニー!?」

 

 

 アンチョビとみほを等しく襲った衝撃は、アホがとんでもないことをやったというものだった。みほの操縦手も唖然として退避を忘れ、アンチョビの砲手も引き金を引くのを忘れ、カルパッチョも次弾装填を忘れ。シーンと静まり返った戦場に三輌のCVが乱入する。

 

 

「おらー! ペパロニ姉さんの漢気を無駄にするなー!」

 

「あそこまでやられて負けたら女が廃るってもんだぜ!」

 

「突撃ー!」

 

「うわ! 何か来たー! みほ姉さん中入って!」

 

「え、わ!? きゃあ!」

 

 

 ペパロニの部下たちが常にも増して気勢を上げながらみほのCVに殺到する。ノリと勢いのアンツィオ生、敬愛するドゥーチェのためにその身を犠牲にするなんて滅茶苦茶カッコいいとこを見せられて燃えないはずがなかった。

 

 みほたちと同じく呆然としていたフラッグ車の操縦手は慌てて退避しようとするが、ノリと勢いに加え十分な速度を出しているCVに停車していたCVが抵抗できるはずもなかった。あっという間に回り込まれ、背面に集中射撃を受けて敢え無くみほの車両は白旗を上げたのだった。

 

 

 

 

 車両から引きずり出されたペパロニを待っていたのは、にこにこと笑うアンチョビの姿だった。

 

 

「ペパロニ、何か言う事はあるか?」

 

「え? う~ん。そうだ、うちら勝ったんすか?」

 

 

 アンチョビの返答は拳骨だった。手加減なく振り下ろされたアンチョビのコブシにペパロニはしゃがみ込んで悶絶する。アンチョビはセモヴェンテの車長を務めている、つまり装填手も兼任しているのだ。華奢な見た目に反して腕力は並ではない。

 

 

「い……っつぅ~! 何するんすか姉さん!」

 

「何するじゃないだろこっちの台詞だアホかお前は! いくら模擬弾だからって下手すると怪我じゃ済まなかっただろアレ!」

 

「うっ……」

 

 

 重い拳骨を受け、いったんは怒気を込めてアンチョビを睨み返したペパロニ。しかしアンチョビの剣幕に本気で怒ってると感じたペパロニは言葉を返すことが出来なかった。

 

 

「ほら見ろ! あれ!」

 

 

 アンチョビが指差す先にはペパロニが乗っていたCVがあった。戦車道に使われる戦車の車内は特殊なカーボンでコーティングされているとは言え、外装はその限りではない。75mm砲の直撃で吹き飛ばされ、地面に滅茶苦茶に打ち付けられながら転がっていったCVは見るも無残な姿になっていた。

 

 乗員室周り以外の装甲は所々ひしゃげており、8mm重機関銃の銃身は二門とも折れ曲がり、転輪に至ってはどこかに転がっていってしまっていた。戦車の知識がない素人が見ても、到底動かせそうな状態には見えない有様だった。

 

 

「す、すいませんドゥーチェ。タンケッテっつってもうちじゃあレストア代バカになりませんよね」

 

「そういうことじゃない、バカ! それにCVに乗ってるのはお前だけじゃないだろう。副隊長のお前が自分から後輩を危険な目に合わせてどうする!」

 

「はい、すいません……」

 

 

 腰に手を当てて激怒するアンチョビに、いつの間にかペパロニは正座になっていた。ペパロニの部下たちは気まずそうに下を向き、いつもは切りのいいところでやんわりと止めに入るカルパッチョも今回は静観するようだ。

 

 助けはないのかと絶望し、俯くペパロニの顔に影が差した。ペパロニが顔を上げると、いつの間にかみほが目の前に立っていた。

 

 アンチョビ姉さんを止めてくれ、と目で訴えようとするペパロニだったが、何の表情も浮かんでいないみほの顔を見て本能的に思いとどまった。

 

 

「ねぇ、ペパロニさん」

 

「お、おう?」

 

 

 表情もなく、光の宿らない目を向けてくるみほの声に、ペパロニは少々気圧されながらも応えた。

 

 

「何であんな危ない事したの?」

 

「そりゃあ、その、何つーか。その場の勢い?」

 

「ちゃんと答えて?」

 

「う……」

 

 

 正直なところ、その場のノリと勢いで突っ込んでしまったというのがペパロニの本音だ。流石に素面の状態で砲弾の前にCVで割り込もうとは思えない。

 だけどそう言うと姉さんもみほも余計怒るからなぁ。特にみほの奴、目がマジだし。

 ペパロニはその先にある、そもそもの動機を上手く言葉にしようと考え込んだ。ペパロニに敢えて火に油を注ぐ趣味はない。精々焼けた鍋に酒を注ぐくらいだ。

 

 

「あー、あれだよ。ほら、あのまま負けたくなかったし。どうすりゃ勝てるかって考えたらああなっちまったんだよ」

 

「……ペパロニさんにとって、試合に勝つことってそんなに大事なことなの? 怪我するかもしれないって、そんな危険を冒してまで勝たなきゃ駄目なの?」

 

「は?」

 

 

 

 

 目の前で口をポカンと開けるペパロニを、みほはどこか冷めた感情を以って見つめていた。

 

 戦車道で負けは許されなくて、ペパロニさんは勝ち負けに関係なく戦車に乗るのが楽しそうで、戦車道はつらく苦しいもので、アンツィオの戦車道チームは皆心から楽しそうで、勝つために必死に頑張って、ペパロニさんは危険を冒してまで勝利を求めて、私は負けてしまって、皆の期待を裏切ってしまって。みほの頭の中はぐるぐると渦巻いていた。

 

 アンツィオに転入する前のみほには、戦車道に負けは許されないという絶対の価値観があった。勝利のためなら犠牲もやむなしという、みほにとって受け入れがたい恐ろしい価値観だ。

 

 その価値観がペパロニと出会ってから揺れ始めていた。アンツィオ戦車道のメンバーと知り合ってからヒビが入ろうとしていた。だが今日、そのペパロニが自分の身を犠牲にして勝利を求めたのだ。みほの心には裏切られたという失望と、やはり戦車道は勝たなければ意味がないのだという諦念が混じり合っていた。

 

 

「う~ん」

 

 

 やっぱり私が戦車道をやるのは間違っているんだ。せっかくアンツィオに転入したんだし、絵に自信はないけれどデザインの勉強をしよう。エリデさんが美術部って言ってたし、私も入れてもらうんだ。そして一流デザイナーになってボコを世界に広めよう。

 

 そうだった、そう言えばそもそも私がアンツィオを転校先に選んだ理由は――

 

 

「別にそこまで勝ちたかった、ってわけじゃねぇけど?」

 

「へ?」

 

 

 複雑な感情が交錯してパンクしたみほの思考は何だか変な方向に向かい始めていた。そこへペパロニが声を発し、みほはハッと現実に戻った。

 

 

「たださ、さっきみほに上手いことしてやられただろ? あんまま何もやれずに負けるのは悔しいじゃねーか。私としちゃあさ、あの砲撃を防いだ瞬間のみほの間抜けな顔見れただけで満足だったぜ。ついでにアンチョビ姉さんも! 傑作だったぜあん時の二人のぁあ痛い痛い!」

 

「お前全然反省してないよな?」

 

「してまふしてまふ」

 

 

 余計なことまで言ったせいでアンチョビに頬を抓り上げられるペパロニの間抜けな顔を、みほは呆然と見つめた。涙目になってきたペパロニにとりあえず満足したアンチョビは、フンッと鼻を鳴らして指を離した。そして少しばかり気まずそうに、みほの正面に立った。

 

 

「すまなかったな、みほがここまで思いつめるとは思ってなかったんだ」

 

「あ……いえ、そんな」

 

 

 そして謝罪の言葉を言うアンチョビに、みほは反射的に謹んだ様子でそれを辞した。みほは何だかデジャヴを覚えたが、今回アンチョビにふざけた雰囲気は全くない。

 

 

「負けると悔しい。勝てば嬉しい。それは当たり前の事だ、戦車道に限らずな。……まぁ今回の勝ちはあんまり嬉しくないんだけど」

 

 

 そう言ってみほから一旦視線を外すアンチョビ。みほも思わず釣られて視線を向けると、赤くなった頬を押さえながらカルパッチョに泣きつくペパロニの姿があった。

 

 

「まぁあいつのことは置いといて。なぁみほ、私が今回の演習を組んだのはどうしてだと思う?」

 

 

 その情けない光景に、みほはさっきまで抱いていたペパロニへの怒りが自然と霧散していくのを感じていた。自然と頬が緩みそうになったが、真剣な態度のアンチョビの質問に意識を戻した。

 

 

「それは、私にアンツィオのやり方を教えるため。でしょうか」

 

「うん、まぁそれもある。正直に言うとだ、元黒森峰副隊長の実力を見てみたいって言うのもあった。だけどな、一番の理由は」

 

 

 アンチョビはそこまで言って言葉を切った。不思議そうにするみほに柔らかく笑いかけ、ほら、と言ってアンチョビはみほの背後を指差した。

 

 みほが振り向いた先、そこには大破判定の解除された三輌のCVが走ってくる姿があった。その先頭車両には、みほが別働隊の指揮を任せたカンネリーニが身を乗り出して目一杯に手を振る姿があった。

 

 到着したCVが停止し切る前にカンネリーニは地面に飛び降り、少しバランスを崩しながらもみほに抱きついた。

 

 

「ごめんなさいみほ姉さん!」

 

「カンネリーニさん?」

 

「せっかく指揮を任せてくれたのに一輌しか撃破出来なくって。私たちがもっと頑張ってたらみほ姉さん、絶対勝ってたのに」

 

 

 涙ながらに謝罪するカンネリーニにみほの良心が痛む。こんなに信頼してくれていたのに、自分はそれを裏切ってしまったのだ。謝らなければならないのは自分なのだと、みほは首を横に振った。

 

 

「そんな事ないよ。カンネリーニさんたちはやるべき事をちゃんとやってくれた。それを無駄にしちゃったのは私だよ。皆、本当にごめんなさい」

 

 

 みほはカンネリーニと、彼女の指揮下にあった隊員たちに深く頭を下げた。カンネリーニと各CVから顔を出していた隊員たちは一様にキョトンとした表情を浮かべてそれを見ていた。そして彼女たちは転げ落ちるようにCVから降車すると、みほを取り囲んで堰を切ったように話し始めた。

 

 

「何言ってんですか姉さん! あたしらがあんなにやれたのはみんな姉さんのお陰ですよ!」

 

「そうっすよコンシリエーレ! 何かいつものうちらじゃないみたいっつーか、皆で一つになってる感じがすげー楽しかったっす!」

 

「ペパロニ姉さんを出し抜いてみほ姉さんたちが突っ走ってったとき、マジで燃えましたよ!」

 

「わかる! 私たちの働きで姉さんたちが抜け出せたんだって思ったら超興奮したもん!」

 

「コンシリエーレ、またやりましょうよ! 今度はうちら、ペパロニ姉さんたち返り討ちにするんで!」

 

 

 みほは五輌のペパロニ隊に三輌のカンネリーニ隊を当てて足止めを命じたのだ。言わば捨て駒として使い、その果てに勝利を逃してしまった。だが彼女たちはその結果に文句を言うどころか、楽しかったと口を揃えていた。

 

「みほ姉さん。私、本当に嬉しかったんです。こんなに作戦が上手く行くなんて初めてで。この試合で私たち、こんなことも出来るんだってわかって。本当にありがとうございます、みほ姉さん」

 

「カンネリーニさん、みんな……」

 

 

 みほにしがみ付くカンネリーニは、その態勢のまま感謝の言葉を告げた。

 

 自分が指揮した彼女たちの様子を見て、みほは途端に込み上げて来る笑いを堪えるのに必死になった。ついさっきまで絶対に勝たなければと意気込んでいた自分が間抜けにしか思えなくなったからだ。それは自嘲と言っていい笑いだったが、そこに負の感情は見当たらなかった。

 

 

「負けたら悔しいし勝ったら嬉しい。それ全部ひっくるめてさ、皆で力を合わせて頑張ってくってのは楽しいもんだろ。うちは弱小、じゃなかった、あんまり強くない、今はだぞ? 今はあんまり強くないけど、勝っても負けても皆楽しんで戦車に乗ってるんだって知って欲しかったんだよ。まぁ、予想外に奮闘されて本気で焦ったんだけどな」

 

「えっと、……ごめんなさい?」

 

 

 一年生たちに囲まれるみほの肩を軽く叩き隣に並ぶアンチョビ。一年生たちに優しい眼差しを向けながら、みほに今回の演習にみほを組み込んだ目的を語って聞かせた。最後の言葉を苦笑交じりに言うと、みほは反応に困ってつい謝ってしまった。

 

 アンチョビはそれを聞いて思わず吹き出すと、笑いながらみほの肩を叩いた。

 

 

「このアンツィオのドゥーチェ、アンチョビをあそこまで追い詰めておいて何を言う! さあ諸君、謙虚な我らのコンシリエーレの敢闘を讃えようじゃあないか! 食事の準備だ!」

 

「あ、やっぱりやるんですね」

 

「当然だろう? 練習だけじゃない、我々は他校との試合の後だって、勝敗に関わらず選手スタッフを労う宴を開くんだ。これは代々伝わるアンツィオ戦車道の伝統、同好会時代にも失われなかった我々の流儀だ!」

 

 

 何となく予感していたものの、やっぱり宴の準備が始まってしまい少々呆れるみほ。流石に校舎から遠いことや歓迎会のような騒ぐ名目がないため一昨日よりはまだ大人しいものの、みほにとっては十分に大騒ぎだ。

 

 

「あ、ペパロニは飯抜きだからな」

 

「は?」

 

 

 隊員たちにきびきびと指示を出していくアンチョビはふと思いついたような軽さでペパロニに申し付けた。腕まくりをして料理の仕度をしようとしていたペパロニは、一瞬意味がわからないという顔をした後慌ててアンチョビの元に駆け寄った。

 

 

「じょ、冗談ですよね姉さん?」 

 

「冗談なもんか、これは罰だ」

 

「そりゃないっすよ! 反省してますから、ホント!」

 

 

 必死な形相でアンチョビにしがみ付くペパロニ。涙さえ浮かべながらアンチョビに引きずられる姿を見送るみほは、ついに我慢できずに笑い声を上げた。

 

 勝負の結果よりその後の宴会のことで一喜一憂する彼女たちの姿勢は、或いは戦車道に対する真剣さが足りないと取られるかも知れない。少なくともみほはそういう考え方の環境で育って来た。

 

 だがアンツィオではこの馬鹿騒ぎまで含めて由緒正しい戦車道の流儀なのである。アンチョビたちはどんなチームより真摯な姿勢で戦車道に臨んでいるのだ。

 

 

「おーいみほー!」

 

 

 じゃあ私も最後まで戦車道をやろうかな。そう思い料理の手伝いに向かおうとした所、みほは自分を呼ぶ声に足を止めた。声のした方を振り向くと、そこにはスクーターに二人乗りでこっちへ向かってくるクラスメートの姿があった。

 

 

「アンナさん、エリデさん?」

 

 

 どうして二人がここに? と首を傾げるみほの前でエリデの運転するスクーターが停車する。後ろに乗っていたアンナはエリデがスクーターのスタンドを立てる前に飛び降りて、みほの手を握ってぶんぶんと振った。

 

 

「いやー、かっこよかったよみほ。戦車道ってただバカスカ撃ち合うだけだと思ってた。ああいう駆け引きみたいなのもちゃんとあるんだね。あんま興味なかったけどさ、今日は見てて燃えちゃったよ! そうだ。結局どっちが勝ったの? 途中から森の中に入ってって見えなくなっちゃったからさぁ」

 

「ちょっと、落ち着きなさいよアンナ」

 

「おっとと」

 

 

 勢い良く縦に振られる腕のせいで身体全体を揺さぶられるみほは返事をするどころではない。そんなみほに気づかず勢い良くまくし立てるアンナを、彼女の肩を後ろからグイっと引いて止めた。

 

 

「お疲れみほ、凄かったじゃない。CVでかく乱と偵察、そしてセモヴェンテを密かに前進させる。あれってみほが指揮してたんでしょ?」

 

「見てたんだ。うん、でも負けちゃったんだ」

 

「ふーん。ところでさ、あれ何やってんの?」

 

 

 みほは自分でも驚くほど、軽い調子で試合の結果を口にした。エリデもそれにさほど興味はなさそうな態度を返し、むしろあっちの方が気になると、みほの後ろで繰り広げられる光景を視線で示した。

 

 

「アンチョビ姉さん~、もうしませんから許してくださいよぉ」

 

「ええい、いい加減に離せ! パスタが茹でられないじゃないか」

 

「そのパスタは私も食べれるんすか?」

 

「食べれない」

 

「姉さぁん」

 

「ちょっと、こら、どこ触ってるんだ!」

 

 

 茹で釜に向かおうとするアンチョビと、それを抱きついて阻止しようとするペパロニ。コントめいたやり取りを呆れた目で見るエリデに、みほはため息をついて答えた。

 

 

「ペパロニさん、アンチョビさんを庇おうとして戦車の砲撃の前に飛び出したんだ。流石に危ないことだったから、罰としてご飯抜きってアンチョビさんに言われてるの」

 

「は? ペパロニが乗ってたのってタンケッテでしょ? って、まさかあそこに転がってるスクラップ?」

 

「うん」

 

「で、戦車ってセモヴェンテ? 75mm砲の?」

 

「う、うん。詳しいんだねエリデさん」

 

「はぁ……」

 

 

 以外に戦車に詳しいクラスメートに少し驚きながらみほが話す経緯を聞き、エリデは眼を手で覆い天を仰いだ。そしてエリデはみほの隣を通り、ペパロニの元へ大股で歩いていった。

 

 

「あんたホントにバカよねペパロニ」

 

「うお! 何でエリデがいんだ?」

 

「みほの応援に来てたのよ。あんたがまんまと出し抜かれるとこも見てましたー。ったく。CVの装甲なんてダンボールみたいなもんじゃない、それで75mmに当たりに行くって何考えてんの?」

 

「え、演習用の模擬弾だし、乗員室はカーボンで守られてるから」

 

「そういう問題じゃない! 練習でやるバカは本番でもバカやらかすのよ!」

 

「おお、エリデか。もっと言ってやってくれ。こいつは口で言うだけじゃ中々わからないからな」

 

「ぐえぇ……」

 

 

 エリデまで説教に加わることで包囲網が完成し、アンチョビとの二正面作戦を余儀なくされたペパロニは遭えなく地に伏せた。ようやく拘束から解放されたアンチョビは小走りで調理に向かい、エリデは冷たい視線でうつ伏せになってぐずるペパロニを見下ろしていた。

 

 

「あっはは、アホだなぁペパロニは。ね、みほ?」

 

「ふふ、そうだね」

 

 

 遠巻きにそれを見ているアンナはペパロニを笑い、釣られてみほも笑った。みほは誰かの悪口を言うような性質ではなかったが、最早ペパロニに対する寸評を否定することは出来なかった。何より、二人の笑いに悪意というものは微塵も混じっていなかった。

 

 

「ははは。うんうん」

 

「どうしたの?」

 

 

 一頻り笑った後、アンナはみほの顔を見て満足げに頷いていた。みほは不思議に思い首を傾げ、アンナはニコッと笑った。

 

 

「試合中のみほはかっこよかったけどさ、やっぱそうやって笑ってる方がいいな。そっちの方が私は好きだよ」

 

「す、好きって」

 

「あ、赤くなってる。か~わいい~」

 

「二人とも、何の話をしてるの?」

 

「あ、カルパッチョ」

 

 

 面と向かって好きと言われてみほは思わず頬を染めた。もちろん友人としてのそれだが、こういう風に直接好意を向けられるのには慣れていなかった。そんなみほと彼女をからかうアンナの元に、カルパッチョがやって来た。

 

 

「みほは笑ってた方が可愛いよ、結婚してって話をしてたんだよ」

 

「ふふふ、そうね。私もそう思うわ」

 

「もう、カルパッチョさんまで……」

 

 

 カルパッチョまでアンナに乗ってしまったから、みほは顔を俯けてしまった。おどけた口調のアンナと違い、カルパッチョはしみじみとした調子で話すから恥ずかしさも一入だった。

 

 

「ほらみほさん、いつまでもそうしてないで」

 

 

 カルパッチョは微笑みながらみほの隣に立って、顔を上げるように促した。

 

 

「皆みほさんを待ってるわよ」

 

 

 カルパッチョが示した先には、みほが指揮を執った隊員たちが思い思いに手を振っていた。

 

 

「姉さーん、料理の指揮も執って下さいよー!」

 

「コンシリエーレって料理出来んのかな?」

 

「みほ姉さんって他所から引っ越してきたばっかっしょ? この前は配膳とか手伝ってたし」

 

「あ、じゃあ私がみほ姉さんの補佐する!」

 

「おいおい、みほ姉さんの操縦手はあたいだぞ。引っ込んでろよカンネリーニ」

 

「はぁ? そんなの関係ないじゃん」

 

「まぁまぁ、皆で一緒にやろうよ。うちらははチームなんだし」

 

 

 騒がしくも活き活きとした様子で料理の準備に取り掛かっている隊員たちに、みほは笑みを返した。

 

 

「さ、行きましょう。アンナさんたちも食べていくでしょう?」

 

「お、いいの?」

 

「いいのいいの、その代わり準備は手伝ってもらうからね?」

 

「オッケイ、じゃ私もみほ姉さんに腕前を見せてやりますかね」

 

 

 その呼び方やめてよ、と苦笑いしながらみほはカルパッチョたちと一緒に調理場に向かう。

 

 途中、エリデの罵倒とペパロニの呻き声が耳に止まったので、みほはそちらに足を向けた。エリデはみほに気づいて視線を向けてきたが、ペパロニは傍に寄ってもピクリとも動かない。

 

 

「ペパロニさん、いつまでもそうしてないで。副隊長でしょ?」

 

「ほっといてくれみほ……私はもう駄目だ。このまま土に還るんだ」

 

「大げさだなぁ。私からもアンチョビさんに取り成してあげるから」

 

「マジで!」

 

 

 みほが仲裁を申し出ると、ペパロニは残像を生みそうな勢いで上半身を起こした。苦笑しながら頷くみほに、ペパロニはティアーモと叫んで抱きついた。

 

 

「みほ、こいつにはもっと厳しくしたほうがいいわよ?」

 

「うん、もう次はないから。ペパロニさん、もうあんな危ない真似しないでね?」

 

「わかってるって! さっさと行こうぜ!」

 

 

 飯が食えるとなった途端に完全復活を果たすペパロニに、みほとエリデは深いため息をついた。

 

 

「アンチョビ姉さーん! パスタ食わせてくださーい!」

 

「お前ぜんっぜん反省してないよな!?」

 

 

 みほたちを待たず先走って行ったペパロニにアンチョビの雷が落ちる。みほとエリデは顔を見合わせ、声を上げて笑った。




 読まなくてもいい番外編ですが、本編が全然時間進まないので歩調を合わせるため今回はお休み








おまけ

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