型月に苦労人ぶち込んでみた (ノボットMK-42)
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円卓の苦労人編
第1話


就職活動の合間に気晴らし感覚で投稿していきます。
文才に関してはお察しな作者ですが生暖かい目で見守っていただけると幸いです。


 今日も今日とて朝早くから仕事の山との大合戦。多勢に無勢は勿論の事、援軍のあては無く孤軍奮闘以外に道は無し。その唯一目に映るチョモランマもかくやと言わんばかりに積み重なった大量の仕事が聳え立っていては愚痴を溢す余裕すら無い。

 穀物の収穫状況だとか兵站が足りてるかだとか周辺国の動きだとか妹の昼食の献立とか、蛮族が出たとか他所の国が戦争仕掛けてきそうだとか物資の売買もしくは物々交換の段取りとか反乱を企ててそうな連中の監視報告だとか研究開発中の肥料の出来具合だとか、兎に角一つ一つの密度も種類もバラバラな仕事が次から次へと舞い込んで来る。

 今に至るまで国政なんてものもそれなりにこなしては来たものの、処理しなければならない事案の多さに頭が痛くなるのは何時まで経っても変わらん。

 特に最近は食糧問題が割と深刻だ。何せつい二日前に割と大きくて比較的土壌の状態も良さげな農園があのクソ忌々しい地球外生命体型蛮族野郎共の奇襲によってものの見事に整備前の荒れ地に早変わりしたのである。

 知らせを聞いた時は思わず卒倒しそうになり、何とか踏み止まったら踏み止まったで致死レベルの胃痛に襲われた。そして宇宙ゴキブリの如きこの世で最もハイセンスなクソッタレぶりを誇る究極の○○野郎集団を一匹残らずひっ捕らえて一列に並べた後、一匹ずつ頭蓋を○○き、そこに〇〇〇〇った奴らの○○○をぶち込んで死ぬまで○○○する〇〇〇〇を味わわせて遣ることを強く誓いながら、これまたクソ苦い手製の胃薬を口の中に流し込んだものだ。

 

 兎に角食料だ。食料がヤバい事になった。絶望的って程じゃないが割と小さくない打撃を受けてしまった。

 色々と余裕の無い我が国に於いて、それは結構な被害になる。外国との取引で補えないことも無いのだが、あからさまに『食い物くれ』って意志を示すと此方の現状が芳しくないことを悟られてしまう。そうなれば各国の外交官は良い笑顔で実に景気良く代金を吹っ掛けてくれるか嬉々として付け入る隙に身を滑り込ませてくることだろう。だから色んな国との取引する物資の要項にさりげなく混ぜるような形で掻き集めていくしかない。

 そうなると一度の取引で扱う物の量とか取引そのものの回数とか諸々の手間が一気に増えることによって更に仕事の山が標高を増すわけである。俺に登山家の精神でも備わっていれば是が非でも頂上に辿り着く気概に燃える所なんだが、残念な事に苦労してまで高い所に昇ろうとは思わない。高所恐怖症ではないが。

 

 出来る事なら自国の生産力で賄いたい所ではある。が、さっきも言ったようにウチには余裕なんて全然無い上に基本的にウチでは農作業も他の仕事も殆どが手作業だ。

作物の栽培・収穫にしたって機械の“き”の字も存在しない現状、ちまちまと自力で作業を行う他に無く、品種改良も何もされてない作物はすぐ病気になったり味が悪くなったりと問題ばかり発生する。

 元よりウチの国の土壌が悪いせいで育ちそのものが良くなかったりするわけで収穫時期はいつも暗い気持ちにさせられるのが常である。

 肥料だって自分の知る長年掛けて改良に改良を重ねてきたような代物が無い以上はそこらにあるものから材料に使えそうな物を掻き集めてくるしかない。

 兵站や軍隊の訓練状況とか維持費とか配備状況にしたってパソコンもない時代に於いては情報管理及び処理の効率が気が遠くなるほど悪い。

 そこで今回の○○蛮族野郎共による被害なんだから、もうどうやって無くなった部分を補てんしろと?その為の取引を各国としようって話でしたねそうでした。

 

 話はかなり変わるが、次なる問題が妹の食事事情だ。

 昔から相当の健啖家であり、兎に角沢山食べる上に妙な所でグルメな妹は食事の量が少なかったり味が悪くなったりするとあからさまに機嫌が悪くなる。

 あからさまと言っても誰彼構わずそんな態度を取るわけではなく、俺を相手にした場合限定で機嫌の悪さを発揮するという困った習性があるのだ。

 だというのに、この時代この国のメシは基本的に不味い。俺が知る基準まで食文化が発達するには何世紀掛かるかも分からない上に先ほど言った通り食材に関する問題もあってか妹のお気に召すだけの物を献上するのは非常に難しい。

 だからこっそり自家農園何て作って直に管理を行い妹の為だけになるべく品質の良い食材を揃える手間が発生しているというのが現状だ。まったくもって手のかかる妹である

 

 そうそう、俺の妹は王様やってたりする。

 『いきなり何寝惚けたこと言ってんのwww』『女だってのに王様何て出来んのか(笑)』『女なら王じゃなくて女王だろjk』なんてツッコミはとりあえず待って欲しい。ちゃんとした事情がある。

 まず一つ、妹は周りから女と思われていない。

 こういう言い方すると妹が女性的魅力皆無な喪女みたいに聞こえるだろうが……あながち間違いでもなかったりする状況に陥ってしまっているのが悲しい。

 低身長に加えて、下手な男よりも“漢”を張れる凛然とした性格、洒落っ気皆無でおまけに絶壁というコアな属性持ちの妹は下手すると女っぽい美男子でも通る容姿をしている…らしい。

 そんな具合に妹を漢の中の漢と信じて止まない頭の中にお花畑咲かせた駄騎士共がどう思ってるのかは知らんが、妹の容姿はハッキリ言って男っぽい要素何ぞ欠片も無いような美少女のそれだ。

 キラキラ光って見えるような金糸の髪に宝石みたいな翡翠色の瞳、十人が見れば十人が見蕩れる容姿に加え『弱きを助け強きを挫く』を地で行くヒーロー気質を兼ね備え、人間的魅力はカンストしているときてる。声だってちゃんと女の子の声だし身体は華奢だ。聳え立つ○○の○を辛うじて人と分かる程度に整形して作ったド畜生共と同じ類の美形(笑)な男だ何て馬鹿馬鹿しいにも程がある。

 

 とは言え、色々と複雑な事情も絡んで来るので、俺がそう見えようが見えなかろうが妹は男として国内外に周知されている現状は覆しようが無いし表沙汰にするわけにもいかない。

 女だと舐められるだとか周りが着いて来ない可能性を考慮しての措置であり、現状を鑑みるに有効且つ正しい献策であったと言える。何せこの時代、女の立場は驚くべき程に低い。それこそ下手すれば道具か何かのように扱われ、男に意見しただけでも生意気扱いされる程にだ。

 まぁこればかりはこの時代に於ける価値観というものなのだから文句を言っても仕方が無いので覆しようが無く、今更になって性別云々で揉め始めたら周辺国からの対応もそうだが自国内に於ける混乱、最悪内部分裂すらも巻き起こる事であろう。

 何せ妹は今や騎士の中の騎士にして、数多くの騎士を束ねる王という意味を込めた“騎士王”というあだ名で呼ばれる程の超有名人。人気度が鰻登りしてるだけにちょっとのスキャンダルでも冗談抜きで致命的な事態に繋がりかねん。

 ただ、それも俺がトチ狂って確固たる証拠ってのを集めて真実公表するとかアホをやらかさない限りはそんな事態にはならないだろう。

 民草は愚か、同じ騎士すらも魅了する完璧な王として君臨する妹は多少の違和感なんぞ覆い隠してしまうカリスマを持っているのだ。これが第二の理由になる。

 つまるところ妹が王様やってられるのは世間では男ってことになってて『アイツひょっとして女なんじゃね?』という疑問が出なくなるような格好良さで周りの人間に細かいことを気にさせなくしている為なのだ。

 

 そんなこんなで妹は現在進行形で人々が思う理想の王として今日も今日とて玉の座に君臨し、俺はその臣下というポジションに収まっている訳だ。

 この時代に生まれた当初は、正直こんなことになるなんてちっとも思っちゃいなかっただけに今まで色々と苦労してきた。今だって大変な目に会いまくってはいるが。

 何せ俺は“生まれ変わる前”はどこにでもいるような学生に過ぎなかったんだから、騎士だの将軍だの国務長官だのやれと言われたところで困る。今は何とかやって行けているのだけれども。

 思えば遠くまで来たものである。少しはマシな将来を勝ち取るべく騎士として身を立てんと錬磨に励んでいた。ついでに何かと面倒掛けてくれる妹の面倒もみてやれるようになればと俺なりに努力していた方だと思う。

 嘗て全ての元凶の一人である魔術師が普段の薄ら笑いのままにこう言った。『君は彼女を運命から遠ざけようとしていたのだろう』と。

 『この国に於いて王というものが何なのか、王になることが何を意味しているのか。国の頂点に立てば味わうことになる苦難を言って聞かせたのも妹に王になろうなんて気を起こさせない為。騎士になろうと鍛錬に打ち込む妹を窘め続けていたのも、妹がいずれ辿り着くであろう騎士の王になる事を防ぐ為。彼女が選定の剣を抜く際にも再三度その場から立ち去るように指示したのも、妹が抜いた選定の剣を自分が抜いたものであると偽ったのも、総ては彼女が王になる未来を回避する為だったのだろう?』と。

 当の妹にすら打ち明けていなかった胸の内をまるで微笑ましいものでも見るかのような顔をして語る魔術師。奴は言外に『お前が何をしようとも無駄だったのだ』と俺に告げていたのだ。事実俺何かの力ではどうしようもなかったのだろう。

 

 どうしようもなくて、それでも自分なりに何をすべきか考えて、そこから更に紆余曲折あった果てに俺は一生あの娘の味方で有り続けることを選んだ。

 例え誰があの娘の敵に回っても、誰もが掌を返そうと、それこそ世界がまるごとあの娘を否定したとしても最後まであの娘を支え続けると決めた。

 

 それが決してあの娘の救いにならないことを知った上で。

 

 

「はぁ~……」

 

 

 睨み合っていた書類から目を離し、ぼんやりと天井を見上げる。

 そういえば今日は幹部勢を交えた会議もあったか、うっかり忘れかけていたことに疲労の度合いが最近増して来ていることを実感する。

 やはり文官をもっと増やすべきであろうか。ウチはどうにも戦場で活躍する将は人材層が他の国と比べて薄い本と電話帳くらいの差がある程度には厚いのだが、対照的に国政や他国との外交を執り行う人間が少なめに思える。

 無論武官の中にも政治の出来る人間がいることにはいるのだが、騎士然とした思考回路故にどうにも腹の探り合いや後暗い遣り取りを嫌う面がある。融通の聞かない連中も多く強かな立ち回りと言うのはあまり望めないような奴らが多いのだ。それも一つの美徳かもしれないが。

 まぁ何が言いたいのかというと、人手が足りない。足りない分を俺や他の文官が補って普通よりも多めに仕事を処理しなければならず、こうして苦労する羽目になっているわけだ。

 こんなに苦労して会議の時になったら他の騎士連中からあからさまに気に入らん奴を見る目で見られ、何か発言する度にKY扱いされて下手打つと総スカン喰らうとかマジでやってられん。自分からこの役職に就いておいてなんだがウチの国マジでブラック。

 丸テーブル囲んで頭の中にお花畑咲かせてるイエスマンならぬイエスナイトの馬鹿タレ共、『理想の王』だのと勝手な偶像を押っ付けやがる能無し共にこの苦労の一片でも味あわせてやりたいもんだ。

 

 何度目かという同僚達への恨み節を脳裏に反響させながら、仕事を再開する。

 煌びやかな鎧を身に纏った騎士達が戦場で駆け回る裏で、ジメジメと国務に勤しむ。所謂“転生”とやらをした俺こと『ケイ』の日常がこれである。因みに名前の前に『サー』はつけないのであしからず。正直そういうのは柄じゃない。

 本当に前世では考えられない今の生活。この良くも悪くも退屈だけはさせてくれない日々がもうじき終わることを予期しつつも、俺は自分の役目を全うする。最後の神秘が息づくこの国が滅び去るその日まで。

 



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第2話

 俺は嘗て、20世紀の日本で生まれ育ったごく普通の一般男児だった。

 家はそこそこ裕福だったので割と不自由なく暮らせてたし、両親は厳しいところもあったが人格者だったと思う。

 学校でそれなりに友人に恵まれ、文武共にそれなりに頑張って、それなりの結果を残しつつ、それなりに満足の行く少年期を過ごした。それなりにレベルの高い中学、高校を出たらそれなりの大学に入学し、それなりの成績を出しつつそれなりに楽しい学生ライフを送っていたと思う。

 これだけ言うと俺が物事に対してやる気があるのか無いのか分からなくなるだろうが、こう見えて何事も大真面目に取り組んでいたつもりである。ただ何をしても全ての結果が“それなり”止まりになるのだ。勉強もスポーツも遊びも趣味も何もかも、平均値より若干上かどうかの結果が残る。

 これについては単純に資質の問題だと自己分析した。多分俺は大抵のことをそつなくこなせるんだが、どうしても一つのことを極めることが出来ない人種らしい。決して非才凡才にならないだけかなり恵まれているのだろうが、心の奥底で自分が中途半端で熱意の無い人間に思えて自己嫌悪することもあった。

 

そんなこんなで、真面目に頑張ってそれなりに上手くやって気が付けば大学三年後半、就職活動が本格的に始まる時期に差し掛かっていた。どんな仕事に就いてもそれなりにやってけるという自身はあった。あったのだが、特別『この職に就きたい』という意欲がどうにもわかない。

 大抵のことは真面目に取り組んで、それでもそれなりの結果しか残せなくて、何処か満たされない結果だけを噛み締めながら生きてきた俺には、明確に定めた自分の道筋というものが出来ていなかった。

 言ってしまえば優柔不断になっていたのだろう。何でも出来る俺は、自分でも気づかぬうちに『アレでもいい』『コレでもいい』という風に、明確に何かを為したいと思う気持ちを喪失してしまっていた。

 それを自覚してからは多分今までの人生で一番悩んだと思う。

 どうすれば明確な目標が見つけられるのか、或いは明確な目標など無くとも今まで通りそれなりの仕事をそれなりにこなして行く人生を送るべきなのか。心にかかった靄の晴れぬまま、気が付けば大晦日。新年を家族と共に祝うべく高速バスに乗って実家へ向かう途中で事は起きた。

 

 一言で言い表すなら、俺は死んじまった。実家へと向かう途中の高速道路の上でスプラッタな姿を晒して死んだのだ。

 覚えている限りでは交通事故だったと思う。トラックか何かのクラクションと衝撃、続いて熱、そして世界が激しく回転する感覚と、罅割れた窓ガラスを突き破って外に放り出される浮遊感。

 最後に見た光景は高速道路のど真ん中で横転しているデカいトラックと、俺が先程まで載っていたバスの成れの果て、そして無残にも体から泣き別れした自分の右腕、そして引き裂かれた腹から溢れ出た中身だった。

 自分でも不気味なほど冷静に何が起きたのかを即座に分析し、もうじき死ぬことを自覚した辺りで意識は闇に呑まれた。後は天国なり地獄なり行くところに行ったりするのかと思うんだが、生憎と俺の行き先はそのどちらでもなかった。

 初めは訳が分からなかった。突然事故に遭い、腕が千切れて腹が裂けて中身が溢れだしたR-18Gな死体になってくたばったかと思えば、いつの間にか子供の身体になっていたなんて想像できるか?

 見た目は子供で頭脳は大人…というか高校生な探偵の如く、気が付けば身体が縮んでいたとかチャチなもんじゃない。自分の身体が自分の知る身体でなくなっていたのだ。焦げ茶だった瞳は空色に、黄色系の人種からは考えられない真っ白なお肌に大変身、何という事でしょう。

 顔つきも体格も記憶にあるヒョロヒョロっぷりと比べれば引き締まってる方だと思うし、何から何まで『自分だ』って思える要素が無い。『子供の体格に大した違いなんぞ無い』とかいうツッコミは無しな。

 

 何はともあれ、どうやら俺は別の身体に生まれ変わったらしい。

 名前も嘗ての■■ ■■■とはまったく違う名になっていた。

 正直なところ、これだけの情報が揃っていても何が起きたのかを理解するのには結構時間が掛かった。何事か分からなかったのではなく理解したくなかったというのが正しい表現だろう。

俺はみっともなく現実逃避なんかをして、自分の置かれている状況がどうか悪い夢であってくれと願って止まなかったのだ。何せ周りの環境が自分がこれまで体験してきたものと違いすぎていた。

 少し見渡しただけでも現代日本に住んでいた身としては見たこともないような貧困・荒廃具合、そこかしこで甲冑姿の兵隊が剣とか槍とか抱えて戦争やっている荒れっぷり。野原を歩けばRPGの雑魚モンスター級の頻度で盗賊や暴漢とエンカウントするわ周辺にある国が武力をひけらかして無茶苦茶してる始末。

もう少し奥まったところに行けば本当にRPGに出てくるようなデカイ猛獣やら恐竜人間やら酷い時にはエイリアンやらドラゴン何かがいたりするファンタジー世界である。

 モニター越しの娯楽として楽しむならばともかく、実際にその世界に放り込まれた日には堪ったもんじゃない。二次元の世界に行きたいとかのたまっていた嘗ての友人に今こそ言ってやりたい『碌なもんじゃねぇぞ』と。

 

 そんな環境下での生活を強いられていたら『こんなの悪い夢だ』と思いたくなるのも貧弱な現代っ子なら仕方のない事だと思う。 しかし人間とは良くも悪くも慣れるもの。限りなくマッポーめいた時代に俺は、完全にとは言えなくとも徐々に適応していった。

 と言っても、自分を取り巻く現実を直視出来ているのかと聞かれれば間違いなくNOと答えられる程度には今という時間を夢か現か定かでないままに生きていた。おかげで自分は周囲からいつも暗い顔してたり上の空だったりする不気味な根暗坊主の烙印を押されてしまった。まったくもって不覚の極みである。

 仮に現実を受け入れたとしてもそれからの人生が上手くいくのかと言われれば強がりでも肯定は出来ない。そんなハードライフが幕を開け、今までのスクールライフがとんだぬるま湯だったことを度々思い知らされることになった。

 

 改めて周囲の環境を確認してみれば、どうやらまたもや自分はそれなりに恵まれた境遇であることが良く分かる。何故ならば、俺はこの時代に於いて平民と比べればある程度は裕福な立場である騎士の家に生まれていたからだ。と言うか、俺の親父殿が国王ウーサーの臣下だったというのだから驚きだ。自分の家のことも知らないほど上の空で生活していた自分にも驚きだ。ホントに自分で言うことじゃないんだろうが。

 ちなみに国王の名前を聞いて内心『アーサー王を残念仕様にしたみたいな名前だなw』とか思ったのは内緒だ。こんなこと口に出したら親父殿の手で物理的に首を飛ばされる。

 下手をすればその辺に生えてる雑草やら、もっと酷い場合は土でも頬張っているような平民生まれよか恵まれた生活を送れる事実に一先ず安堵したのも束の間、俺が以前と比べればちゃんとしたのを見計らったように親父殿による地獄の扱きが始まったのである。

 

 そりゃあ家を継ぐ男として、日々精進しなければならないというこの時代の価値観は理解できる。堕落は敵であり自己研磨に励み続けることを美徳とする精神は今も昔も変わらない。付け加えれば、王の忠臣であった親父殿が、老齢に差し掛かって息子である俺に自身の役目を引き継がせようとするのもこの時代に於いては至極真っ当な行為なのだろう。

 しかしだ。それを二桁にも届いてないガキンチョに求めるのもどうかと思う。まぁ中身は二十歳過ぎてる訳ですけれども。

 勉強については何とかなった。元より学問のレベルが現代と比べ物にならないんだから掴みさえ分かれば着いて行けないこともない。礼儀作法についても日本人特有の腰の低さを指摘されることは多々あったものの何とか身につけた。だが武術、テメェは駄目だ。駄目なのは俺だって分かっているが駄目だ。

 前世でもスポーツはそれなりにやってはいた。しかし武術関連はからっきしだったのだ。剣道も柔道も空手もボクシングも、家でポテチ摘みながらテレビ越しに眺めてたくらいで経験も知識も皆無である。

 まぁ今の自分は子供なんだし素人故にド下手なのも上手く出来ないのも当然なのだが、それを差っ引いても人間相手に戦うとか正直怖い。恥ずかしいけどメッチャ怖い。真剣で打ち込んでこないだけマシなんだろうけど、現役軍人相手に防具も着けずに剣術の稽古とか無茶苦茶である。

 『受けてみろ』とか言って訓練用の木剣で風を切る鋭い音を響かせながら顔面とか鳩尾狙いの攻撃を連続でお見舞いするとかふざけてる。強烈な一撃に吹っ飛ばされた所で更に空中コンボ決めて来た時なんて殺意しか感じなかった。しかも体力十割持ってかれた状態の俺を無理矢理叩き起して訓練続行させるとか鬼畜以外の何者でもない。

 紛う事なきスパルタ教育。前世と比べればだが、今の時代スパルタ人達の話は最近?のことだったりするので“スパルタ教育”何て言葉自体存在しないから誰にも通じないだろうけれども敢えて言う。ウチの親父殿はスパルタ親父だ。

 偶に近所の人とか親父殿と交流のある騎士の家の人達が噂してたんだが、親父殿の教育はこの時代に於いても割と普通じゃないらしい。

 まず子供にやるような内容じゃないし、毎回洒落にならんレベルの怪我させてたら身が持たないのでは?と最近にまで不気味なガキとして扱われていた俺ですら心配される始末。俺はもしかしたら大人になる前に親父殿に殺されるんじゃなかろうかと割と本気で考えたことは両手の指に足の指を加えても数えきれない。

 

 そんなある日のことだ。

 俺に妹が出来た…というか元々いたらしい。乳兄妹であり別の乳母の下で育てられていたという話なんだが妙に引っかかる。まず別の乳母に育てられてたってだけでも変だ。

 元々乳母と言うのは、現代のような良質の代用乳が得られない時代に於いて母乳の出の悪さが乳児の成育に直接悪影響を及ぼしその命にも関わった為、皇族、王族、貴族、武家、あるいは豊かな家の場合、母親に代わって乳を与える女性を召し使ったものだ。

 要するにはベビーシッターみたいなもので、騎士の家ともなれば一人や二人雇っていてもおかしくはない。

 身分の高い人間は子育てのような雑事を自分ですべきではないという考えや、子育ての知識をしっかりと有している女性に任せたほうが教育上も良いとの考えから、乳離れした後は母親に代わって子育てを行う役割も担う。だが、俺は前述の通り無我の境地を通り越して空っぽモードに入ってたもんだから乳母についてはよく覚えてない。

 しかし、果たして俺の担当だった人の他にもいたのかと聞かれると首を捻らざるを得ない。立ち直った後に何度か見かけたが、その人以外にうちに乳母はいないって話だし、最近新しく雇ったってのも変な話だ。

 何せ、俺の家…と言うよりこの国自体にも言えることなのだが、割と貧乏なのである。

 嘗てローマの騎士だったウーサーが何処ぞの王族を寝取って王様になったとか何処から突っ込めば良いのかも分からん経緯で立ち上げられた国である為か、基本的に風当たりは強い。そうでなくとも戦国時代の日本宜しく狭い国土を民族ごとの小さな国に分けてお隣さんにちょっかい掛け合っているのがこのブリテン島である。何処に行っても余裕なんてあるわけない。経済的な意味でもだ。

健康であることを求められる乳母もそうだが、人材の絶対数そのものが少ないブリテン、しかも無駄遣いと無駄な時間と無駄な人員を極端に嫌うウチの親父殿にしては、妹の存在を今の今まで息子の俺にすら打ち明けず、乳母も極秘裏に皆が知らない人をどこからか雇って来て、妹の存在を知らせた途端に解雇したとか違和感だらけで訳分からん。

 妹の存在自体を俺が今まで知らなかったこと自体がおかしい。いつの間に生まれたのかも知らないし妹のことを聞いたのもその日が初めてだった。お袋殿が妊娠してた気配なんてなかったし親父殿にお袋殿以外の女がいたなんてことも無さそうだ。そんなことがあったら親父殿はスーパーサイヤ母ちゃんと化したお袋殿にギャリック砲を撃たれてこの世から永遠にログアウトしている。

 

 本当に俺の妹なのか?色々と気になる点があることにはあるんだが、親父殿が『詮索するな』と目で訴えていたので疑問は心のゴミ箱に捨てておく。下手に深入りして記憶失うまで空中コンボ決められたくない。

 第一いた所で困るものでもなし、気にはなるが今は親父殿の扱きに耐えることで頭が一杯で他人を怪しんでいる場合じゃない。何せ親父殿と来たら俺が腕を上げる度に本気レベルを数段上げてボコりに来るのだ。余計なことなんて考えてたら稽古の度に強烈な浮かせ技からの情け容赦無い空中コンボでライフバー十割持ってかれる。

 親父殿にも仕事があるから毎日って訳じゃないが、いない日はいない日で自主練しとかないと、いざ稽古をつけてもらう時に地獄を見る羽目になるから気が抜けない。

 こうして考えても見れば、自分の精神が今の生活に適応するよう矯正されていることに気が付く。前世の価値観が抜けきらない貧弱ボーイはいつの間にやら日々鍛錬に明け暮れる騎士の卵にされていたのである。コレって一種の洗脳なんだろうか。

 

 そんな具合に勉強と稽古三昧な日々は、妹が成長するに連れて変化し始めた。とりあえず悪い方向の変化じゃない。寧ろ良い変化なんだと思うけど、楽になって逆に不安になるのは今までの日常が余程のものだったからだろう、うん。

 具体的に言うと妹のお守りをすることが多くなった。お守りと言っても向こうから寄ってくるもんだから必然的にそんな形になってるだけなんだが。

 

 事の始まりは、俺がいつものように一人で鍛錬に励んでいた時の事だ。俺はその時、今の自分の太刀筋と親父殿にビビり倒していた頃の自分の太刀筋を比べて『それなりに様になって来たなぁ』などと、ある意味で自分らしい現状に納得とも落胆とも言えない心境に浸っていた。

 すると背後から一人分の足音が近づいてくることに気付き、剣を振る手を止めて振り返ると、そこには“弟”がいた。『妹じゃないのか』って?確かに其処に居たのは妹だったが、俺の妹は弟ということになっていた。要するに対外的には男として扱われていたのだ。

 

 妹がウチにやって来たのは5歳の頃。俺の年齢じゃなくて妹のな。

 一度対面して、月の光のような色をした髪と翡翠の瞳を見た途端にいずれはとびきりの美人になるだろうと確信した。しかし親父殿はそんな妹を弟として、男として扱えと言って来た。

 ハッキリ言って色々と無理がある。幼少期の今でこそ美少年で通るかもしれないが、時が経てば何れは女の部分が強調されるようになるのは自明だ。そうなれば流石に誤魔化しようがないだろう。

 考えてもみると言い。思春期に差し掛かって明らかに胸の膨らみが増してきた妹を指差しながら『これは大胸筋です』とか最早ギャグにしかならないことを口走った所で盛大に滑るだけだ。通用したその時はブリテンは手遅れって事で色々と諦める。

 兎に角、例え周りがどれだけ取り繕ったとしても事実として女である妹が、この時代の騎士の家に生まれた男としての生活を送れるのか?それなりに順応して来た俺ですらヒーヒー言ってる日常を妹にまでやらせるなんぞ、どれだけ根性論を振りかざそうとも限度ってものがあるだろう。素の状態の50ccの原付きバイクに250cc以上の大型二輪と同じ走りをさせるようなもんだ。

 

 あのクソ真面目な親父殿がそんな馬鹿なこと言いだすもんだから何事かと思い、色んな意味で不安に駆られつつも今まで妹を対外的には弟として扱ってきて数年、とうとう妹は剣を振れる年齢になった。

 騎士の息子であるならば修練に参加して然るべき歳になれば俺の鍛錬に混ざるのも当然の事ではある。そんな男としての“当然”を、女である妹は笑って受け入れた。その日が来るのを今か今かと待ち望む幼い少女の姿を傍で見ている側としては違和感やら言い知れない薄気味悪さを覚えていたものだ。

 親父殿はどういう訳か妹に敬語を使い、宝物を扱うように丁寧に接していた。そして妹を見ながら俺に王を支える者としての教えを説くのだ。『時に王の敵を討つ劔として、時に王を守る盾として、時に王に助言を与える知恵者としてささえよ』と。

 そこで思い出したのは、何時だったか『花の魔術師』とかいう胡散臭い名で呼ばれ、薄ら笑いが恐ろしく胡散臭いマーリンとかいう胡散臭さの化身のような男の予言だった。

 

 

『ウーサー王が卑王ヴォーティガーンに討たれたことは予期していた

ウーサー王は後継者を選ばれている

その人物こそが次代の王、赤き竜の化身

新たな王が現れた時こそ円卓の騎士は集結する

そうすれば、白き竜の化身であるヴォーティガーンは敗れ去る

王は健在也

その証は時期に現れることだろう』

 

 

 殆どの部分は話半分で聞き流していた。内心『ウーサー王死んでたの!?』とか今更な事にビビりまくってたのは秘密だ。

 所詮は得体の知れないペテン師の戯言、その後継者とやらも適当な所から見繕ってくるのだろうと考えていた。『赤き竜の化身』だの『白き竜が倒される』だの、竜の存在を知っているだけに人間にやらせるような事とはとても思えず呆れ返っていた。

 しかし妹を見ている内に、俺は馬鹿にしながらも記憶に刻み込まれていたマーリンの予言が真実味を帯び始めているのを感じたのだ。確固たる証拠も論理的判断材料に足る情報も無い。言うなればただの勘だった。

 俺は漠然と『妹がマーリンの予言した“次代の王”なのではないか』と思い始めていた。

 妹は身も心も美しかった。そして誰よりも真っ直ぐだった。

 誰よりも純粋に、ひたむきに、私心なくこの国と苦しむ人々の為に己を磨かねばならぬという使命感が生まれながらに宿っていた

 それを理解した時、俺は妹を取り巻く環境が酷く薄気味悪く思えた。

 妹は未だ人の苦しみも国に降りかかる苦難も知らない。人伝に聞いた程度の筈だ。なのに本気で苦しむ人々を救うと心に誓い、明確な“覚悟”を決めていたのである。

 何も知らない、分からない筈の子供が、まるで物語の中の勇者や英雄の如く人の身に余る目標を掲げ、それを成就させると言っている。しかもその意味も重みも理解して、背負う覚悟も決めている。

 『さては俺と同じどこぞの誰かの生まれ変わりか?』などと下らなさ過ぎることも考えたが違う。

 初めからまっさらな魂に自我が入り込んでいた俺とは違い、妹は自我も碌に発達していない状態から既に自分の役目と存在意義が定められていたのである。まるで誰かにインプットされていたように。

 

 妹と俺は似ているようで全く合致しない者同士だった。

 生まれながらに自分というものを認識し、嘗ての人生の経験から人としての生き方を理解している。だというのに、今の現実を完全に受け入れる事が出来ないまま夢現の狭間で生きている。それが俺。

 確固とした自我を形成出来ていない頃から、自分がなるべき未来の姿を既に定め、しかしして救う対象にも自分が到達する未来の姿にも実感は愚か共感すら出来ない。辿り着く先を真っ直ぐ見据えているのに道順が分からない。それが妹。

 お互いに地に足が着いていない者同士、親近感もわかなければ同族嫌悪も起こらない。ただ俺は妹と自分を見比べて、改めて自分が宙ぶらりんな生き方をしている事に気付かされ、また妹が恐ろしく理不尽な状況に置かれていることを理解した。

 妹は誰かが望んだ理想の形に仕上げられようとしていた。

 親が子に夢やら生き方を押し付ける云々の話すらも生温い、洗脳なんて言葉が可愛く思えるほどに悍ましい事を親父殿を含めた大人たちがやろうとしているのだ。

 そんな妹が花の咲くような笑顔で俺にこう言った。

 

 

「兄君、私もこれより共に剣の鍛練に加わることとなりました。どうか、ご指導をお願いします」

 

 

 親父殿に俺の下で鍛錬を積めと言われて来た妹は、何処ぞの誰かに願われた理想に辿り着く為の一歩を踏み出すことを心の底から喜んでいた。

 そこに自分の願いだとか、望みだとかの一切に蓋をして『皆の幸福』とやらの為に生きる人生を笑って歩いて行こうとしている。更にたちが悪いのが、自分が苦痛を味わう分には問題ないと本気で考えていることだ。

 自分よりも他人の為、他人が守られて幸福になるのなら自分がどうなろうとも構わない。そんな自己犠牲精神旺盛なヒーロー(笑)みたいな人生を俺の胸の辺りまで届かないようなちっこい女の子が歩もうというのだ。

 そう考えた途端、二度目の生を受けてからずっとフワフワとしていた俺の意識が一瞬でクリアになった。続いて腹の底で何かが沸騰するような熱に襲われ、意味も無く雄叫びでも上げたい気分にさせられた。

 だがそんな衝動は一旦仕舞い込んで、妹の方に向き直る。未だに真っ直ぐ過ぎる目で見つめて来る妹と真正面から向き合って、ハッキリとこう言った。

 

 

「やなこった」

 

 

 きっとこれが本当の意味で俺の第二の人生が始まった瞬間なんだと思う。

 自分の常識とかけ離れた周囲の状況を受け入れられないままに親父殿や騎士の慣習に流されるがままに自己研磨に励んで来た。

 前世でも何となく『そうするのが正しい生き方だから』と周りがやってるような事をそれなりに頑張って来た。だがそれは結局の所、本当の意味で俺がやりたい事じゃなかったんだろう。

 だから何をやってもそれなり止まりだった。生まれ変わってからも辛い目にあいたくないから仕方なしに稽古に励んでたから自分で落胆する程度の腕前に落ち着いてしまったんだ。

 けど今は違うと思う。やりたいことは出来た。

 目の前でポカンとしてるアホ。自分の『やりたい』『そうしたい』っていう気持ちに蓋をして『やらなければならない』っていう下らん使命感に駆られたどうしようもない妹をどうにかしてやること。

 それがこの世界に於ける俺という人間の、一先ずの生きる意味としよう。

 



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第3話 王様のはなし

話を進める為にやっつけな感じのする箇所がいくつかあります。あと長いです


 何故、アルトリアという女の自分が“アルトリウス”という男と偽って暮らしているのか、何故物心ついて間もない頃から国を学び、剣を習い、人としての自身の望みを打ち消した生き方を己に課したのか?

 それは養父であるエクターと、魔術師マーリンから『そうなれ』と言われて育ち、自身の宿命というものを薄々と感じ取っていたからなのだろう。

 混迷の只中にあるブリテンを救う“理想の王”となる事。それこそが私に与えられた役割だった。

 ひたすら誰かの為にと、多くの人々の為に身を粉にする生き様は幼心にして何処までも正しく、気高いものなのだろうという漠然とした思いがあった。それはある程度心身ともに成長した後も変わらない。

 養父も魔術師も、その生き方が何よりも必要なものであると、求められるものであると言い、その為に生を受けたのだと私自身も納得していた。

 

 私は本当の両親の顔を知らない。

 理想の王という目的の為に計画され生まれて来た。しかし実際の所、私はその目的を託した亡き父であるウーサー王の無念とか願いとか、そういったものに感情移入は出来なかった。

 それが正しいものだと思いながらも、魔術師の教えに特別な使命感も抱かなかったし感動もしなかった。ただそれが正しい道であり、自分の生きる理由なのだという漠然とした思いに従ってきた。

 周囲にいる人々はその為の助力を惜しまなかったし、私もそうされるのが当たり前だと考えていた。そうされることが私の常識だったのだ。

 そんな時、私の常識の外にいる人物は唐突に現れた。

 否、『現れた』と言うのは誤りかもしれない。その人物は以前から私の周りにいた人物の一人である義兄ケイだったのだから。

いつも養父から厳しい鍛錬を言い渡され、苦痛を感じる様子はあれども弱音や文句の一つも漏らさず黙々と己を磨く姿勢を何度か目にしたことがある。きっと立派な人なのだろうと思っていた。

 しかし、いつも勉学や鍛錬で忙しそうにしている義兄と、養父が付きっ切りの私との間に交流という交流は驚くべき程に少なかった。同じ家に居る者同士でありながら私達は限りなく他人に近い程に互いを知らなかった。

 

 その関係が変わったのは、私が剣を振れる年齢になった頃の事。

 私は養父に義兄に剣の稽古をつけてもらうように言われ、訓練用の木剣を抱えて義兄のいる修練場に向かった。

 そこにはいつものように黙して剣を振るう義兄の姿がある。

 若くして鍛え上げられた鋼のような身体に汗を滲ませる彼の姿に気圧されながらも、極めて真面目で誠実な人物である義兄が親身になって稽古をつけてくれる。そんな未来の絵図を思い浮かべていた私はただ期待を膨らませた。

 まさかその期待が、稽古を頼み込んだ瞬間に裏切られようとは思いもしなかったが。

 

 

「やなこった」

 

 

 ただ一言。それは予想だにしなかった拒否の言葉。私は義兄が口にした言葉の意味が呑み込めずに硬直し、しばしの間を置いて頼みごとを断られたのを理解するや盛大に動揺した。

 そんな私の内心を知ってか知らずか、義兄は先程の短い否定の言葉の続きをつらつらと語り始める。

 

 

「ド阿呆が。何たって俺がお前の稽古なんぞ見なきゃならんのだ。自分の稽古で手一杯だってのに息の仕方も分からんようなお前のお守りまで出来るわきゃねぇだろ」

 

 

 これまであまり会話をすることも無く、義父の口から語られた程度の人間性しか知り得なかった義兄。

 彼の放つ言葉は、これまで周りの人間が私にかけて来た敬意や優しさを感じさせるものとは一転してぶっきらぼうで冷たいものだった。

 そんな言葉を掛けられたのは生まれてこのかた初めての経験だった。私はその時、生まれて初めて他人に邪険に扱われたのだ。それも義兄である目の前の人物に。

 彼は未だに衝撃から立ち直れずにいる私に畳みかけるような言葉を浴びせて来る。

 

 

「見ての通り俺は自分の鍛錬で忙しいんだ。お前に構ってる余裕は無い。

今こうして一々話してる時間すら惜しい。現に十秒近く無駄遣いしちまってんだぞ?どうしてくれる」

 

 

 そういって自分の稽古を再開しようとする義兄だが、私としてもそう言われて引き下がるわけにもいかない。

 何せ養父から、これから先は義兄に剣を習うように申し付けられていたのだ。その言いつけを破る事は私には出来ない。

 こちらから稽古をつけてもらおうと言っておいて、一度断られたからとはいえ黙って引き下がるのも個人的に癪に障った。剣の鍛錬への意欲にも未だ揺らぎはない。

 故に父の申し付けを無視することは義兄にも出来ないだろうと食い下がった私だったが、彼はどうやら私がそう返してくることも予想の内だったらしく、一切の動揺も無く言い放った。

 

 

「なら最初の指示をくれてやる。そこに木があるだろ?次にそいつに背中を預けて座ったまま目を閉じるだろ?そのまま羊やら馬やら牛やらの数を数えるんだ。要するに寝ろってことだ言わせんな面倒くせぇ」

 

 

 『さぁ始めろ』と、実に淡々とした口調で言われてしまった。思わず頬が真っ赤になる程に怒気を募らせた私は義兄に詰め寄った。稽古をつけてくれと言ったのに惰眠を貪れとはどういうことなのか。

しかし、義兄が私の追及に対して至極真面目な表情を返してきたことに戸惑った私は二の句を告げる気勢をそがれてしまう。

 発しようとした言葉を出すべきか否か迷っている私に、義兄はゆっくりと向き直って膝を折る。片膝を立てた姿勢で目線の高さを私と同じにした彼の顔を見た時、私は更に戸惑った。

 何せ、ぶっきらぼうな言葉と思いやりの欠片も感じられないような態度からは考えられない程に、彼は曇りの無い真っ直ぐな目で私を見ていたのだ。

 

 

「お前、いつもどれくらい寝てんだ?」

 

 

 突然の問いかけだった。私は動揺を抑え込んで答えを返す。日が昇り始める直前から朝になるまでしっかり眠っていると。

 そう答えた直後、私の額に衝撃が走った。義兄が弾いた指で私を小突いたのだ。

 突然の痛みに思わず額を抑えて呻く。

 下手人に抗議の視線を向けるが、当人はまったく悪びれる素振りも無く、寧ろ心底呆れた様子で嘆息を洩らしていた。

 

 

「ド阿呆、馬鹿チン、ボケナスが。そんなだからお前は息の仕方も分からねぇって言ってんだコラ。

碌な休憩の仕方も分からんヒョロヒョロのお前が剣何ぞ振り回し始めてみろ?三日と経たずにくたばるのが関の山だ」

 

 

 だからまずは基本的な事から覚えろと言う義兄は修練場の端に生えている痩せた木の方を指差す。其処で言った通りに睡眠を取れというのだろうか?

 義兄と木に何度か視線を行き来させていると、焦れたのか義兄が素早く立ち上がる。そして言葉も無く私の手を取ると木の傍まで引っ張っていき、半ば強引に腰を下ろさせて自身も続いて腰掛けた。

 

 

「俺も丁度休憩する所だったんだよ。お前も寝ろ」

 

 

 そうは言われても眠気など欠片も無く、目を閉じた所で眠れたものではない。

 義兄の言っていたことも分かるには分かるがやはり剣の稽古をちゃんとつけて欲しい気持ちもあった。しかし稽古後で疲れているというのであれば、このまま義兄を酷使するのも忍びない。

 養父の言いつけを破る事は出来ないにせよ、全身汗まみれになるほど真剣に鍛錬に励んでいた義兄に迷惑を掛ける事は決して良い事ではない。そんな考えが私の中で生じ始めていた。それは恐らく言葉遣いは乱暴にせよ、義兄が自分なりに私の事を気にかけてくれていることは察せられたからだ。

 

 

「お前はどうしたい?俺の言うこと聞かずに剣振るか?それとも親父殿の言いつけ無視して休むことから覚えるか?好きな方を選べ。お前の“好きな方”をな」

 

 

 木に身体の体重を預けてすっかり休みの姿勢に入っている義兄が、判断に迷う私の心中を見透かすかのように選択肢を投げかけた。

 それはそれで私にとっては難しいことだった。何せ私は生まれながらに私心を殺し、自分の欲に蓋をして生きていくことを決めた身だ。

 どちらにも正しさがある選択肢ならば自分の好き嫌い、即ち欲求に従って義兄と養父の何れかの言いつけを破り、迷惑を掛けるというのは憚られた。

 

 

「ガキが一丁前に気遣いなんぞしてんな。こんなもんは衝動で決めちまえばいいんだよ。お前はまだ子供なんだから物事の是非何ぞ気にしてられるもんでもねぇんだ。

少なくとも俺は仕方なしにやってる奴とか、そうするべきだからとか宙ぶらりんな理由で人殺しの技術習おうとしてるド阿呆の思い通りにさせる気はねぇからな。分かったら五秒以内に答えろやコラ。ひと~つ…ふた~つ………」

 

 

 考える時間すら与えず秒読みを始めた兄に、私は大慌てでどちらを選ぶべきか必死に考え、そして残り二秒になっても正しい答えが見出せない事に更に焦る。

 最後の一秒の時点で考えてもどうしようもなくなった私はついに“何となく”で『剣の鍛錬をしてほしい』と答えた。

 結果的に養父に従う形になったが、此方の選択を選んだ時には既にそんな事を考える余裕など無く、義兄の言っていた通り衝動的な選択をとってしまった。

 義兄は『そうか』とだけ呟くと、木から身を起こして木剣を手に修練場の中央に向かって歩いて行く。休憩はしなくても良いのだろうか?

 とはいえ、色々と予想外の事はあったものの何とか稽古をつけてもらえることに一先ず安堵する。私は立ち上がり、木剣を拾って兄の下まで駆け寄ると改めて指導を願った。だがしかし………。

 

「やだって言ってんだろうがバカ」

 

 

 まさかの拒否である。

 よもや再び断られるとは。思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 兄は可笑しそうな様子で私を見ていて、私は小恥ずかしさのあまり先程とは違う理由で顔を染めた。

 

 

「そんなに驚くことか?俺はどっちがやりたいとは聞いたが指導してやるなんて一言も言った覚え無かったりするんだが」

 

 

 からかうようにして言われたことに腹を立てた私は真っ赤になったまま義兄を睨み付ける。先程と全く同じ事を繰り返しているのも承知で私は捲し立てた。

 しかし義兄には私の喚き声にも等しき追及など一切通じていないようで、実に涼しげな態度で再び弾いた指で額を小突いた。

 痛みと衝撃で思わず仰け反り、そのまま足を滑らせて後ろへ倒れ込みそうになる。しかし直前で義兄が片手で私の顔を鷲掴みにして支えることにより事なきを得た。

 

 

「騒がしい奴だなぁオイ。おまけに頭の巡りも悪いと来た。

俺に教えて貰えないことがそっくりそのまま稽古が出来ない事に繋がるってか?

そんなだから学の方面が残念なことになってるんだよ」

 

 

 ではどういうことなのか?

 頼みを断られ、意地の悪い選択肢を投げかけられ、やっと稽古をつけてもらえると思ったらまた屁理屈のような言葉であしらわれた。

 散々に翻弄されて私は頭に血が上ってしまい、頼み込む立場にある事実さえ忘れて怒気の籠った声を吐き出す。

 

 

「教えてはやらんと言ったが鍛錬するなとはいってねぇよ。例え親父殿にしてもらってるみたいに一から十まで面倒見てもらうような指導が受けられなくても、俺の動きを見て技術を盗むことは出来るだろうが。

騎士になりたいとか言うならジジイみたく介護してもらうんじゃなくてテメェで努力しないんじゃ話にならんぞ。それが無理ならとっとと止めちまうことだな」

 

 

 教えを乞うのは間違いではない。

 他人を頼ること自体は決して誤ったことではない。

 しかし、それだけでは教えられた事柄の範疇を超える事は出来ないし、教えられたやり方が自分に合っているとも限らない。

 だから単純な指導で身につけられない部分を自主的な努力と工夫で補うしかない。つまりこの場に於いては、ただ教えを乞うのではなく見稽古にて義兄の技術から有用な技術を盗み取るように努力することこそが自分の為すべきことなのだ。

 義兄が言いたいことを要約すればそういうことになる。

 直接的な表現こそ避けたものの、義兄が言わんとしている事は当時の幼かった私にも理解出来た。

 それが義兄から受けた最初の教えであり“自ら求める意志”の発露を促すものだった。

 

 言いたいことを言い終えた兄は剣の鍛錬を再開した。

 当時こそ分からなかったが、今思えば義兄は発言とは裏腹に私のことに配慮してくれていたのだと思う。

 何せ、剣の握り方から足運びまで、義兄にとっては不必要なほどに基本的なことを何度も反復して行っていたのだ。更に剣を振るにしても横目に私の剣筋を見て、肩の動きが悪ければ度々自分の肩を摩り、腰が入っていなければ自分の腰を叩くなど、無言の仕草で何処に誤りがあるのかを知らせていた。

 決して難しい事はせず、基礎の部分から私が見やすい配慮が節々に見られた。私はつい先ほどまでの憤りなどすっかり忘れて義兄を見て真似て、彼の技術を少しでも我が物にしようと励んだ。

 

 そうして二人並んで言葉も無く只管に身体を動かし剣を振るう内に時間はあっという間に過ぎて行った。日も傾き、空が黄昏色に染まりかけた頃で義兄は鍛錬を止めた。続いて私も手を止める。

 夢中で木剣を振るい続けていた私は息も絶え絶えで、最早木剣を持っていることすら辛い有り様だ。

 乱れた呼吸を整える事すら困難な私は、義兄に抱え上げられた事を認識するのに僅かに時間を要し、気づいた時には既に先程義兄が背を預けていた木の畔に座らされていた。

 

 

「鍛錬は終わりだ。という訳で昼頃に言った通り休憩の仕方を教えてやる。

まぁ、やり方とか言っても難しい事をしなくても良い。こうして背中を預けて、目を瞑って動物の数を数えんだ。

今日は、そうだな……牛か、犬か、馬か……やっぱり狐にするか」

 

 

 狐が一匹、狐が二匹、狐が三匹――…………

 既にうつらうつらとしていた私は、義兄が狐の数を数え始めた直後には凄まじい眠気に襲われて意識を手放した。

 身体から力が抜けて、倒れ込んでいく私が眠りにつく直前に感じたのは冷たい地面ではなく温かい人肌の感触だった。

 

 その日、私は物心ついた頃から考えると初めて長く、深い眠りについた。

 眠りの最中、いつも夢の中で王の在り方について説く魔術師は現れず、ただ穏やかな眠りの世界だけがあった。

 時間にしてみれば半日にも満たない出来事。

 それでも私と義兄の関係に変化を及ぼすには十分だった。次の日からも私は義兄の鍛錬に着いて行き、黙々と剣を振るうようになった。

 彼の剣筋や体捌きを目で盗み、疲れが溜まればいつもの木の畔で共に身を休めた。一通りの鍛錬が終われば近場の川で身を清め、家に帰って義兄と同じ食卓に着く。

 因みに義兄が作る料理は美味しい。今まで食べたものが酷く雑に思える程に繊細な味付けや丁寧な調理が為されていた。

 調理を始める直前でこそ、やれ『面倒』だの『不味くても知らんぞ』だの言ってはいるものの、出される料理にはどれも心が籠っていた。

 

 一連の出来事や義兄の行動を思い返す内に、私は彼がどのような人物であるのか理解していった。

 絶対に生の感情を表には出さない…ように見えてその実、内面が行動や言葉の節々に現れる。窺い知れる内心は優しさに満ちていて、私の事を心から思い遣ってくれている事が良く分かった。だが、同じくらいに私の事を心配しているようでもあった。

 そんな義兄と過ごす何でもない日常。私が彼と過ごす日々が好きになるのに時間は掛からなかった。

 

 更に時は流れ、私達は一回り大きく成長した。

 兄は晴れて騎士となり、“弟”である私は彼の従者として馬の世話等を行うようになった。身支度やその他の世話は一向に任せてはもらえなかったが。

 私も幼い少女の域は超えて一応騎士の見習いと言うことで世間に知られるようになったが、周囲からの風当たりは強かった。

 それを実感したのは私が初めて他の騎士の家の息子達と対面した時のことだ。

 三人の若者が私を取り囲み、『女のようなか細い手足で騎士が務まるか』だのと冷やかした。

 私は努めて冷静に務めたが、返ってそれが三人の気に障ってしまったらしく、更に興奮した様子で詰め寄って来きた。

 口で言ってもどうにか出来る気配はない。しかし腕づくで退けるのは家の評判を貶めてしまう恐れがある。平和的に場を収めたかったが、私には良い方法が思いつかなかった。

 そこへ義兄が割って入った。

 すっかり頭に血が上った三人は義兄に罵倒を飛ばす。

 しかし義兄は何処吹く風といった様子だ。

 

 

「非常に不本意ながら此奴の兄をやっている者だ。何やら盛りのついた野良犬みたく騒ぎ立てていたようだが、俺の弟がどうかしたのか?

だとしても白昼堂々とギャンギャン吼えるのは頂けない。騒ぐならもっと品のある鳴き声を上げるべきだろうよ。これじゃぁ近所の飼い犬の方が耳当たりの良い声をしてる。お前達には此奴に寄って集る前に遠吠えの練習をしてくることを薦めるが、どうかな?」

 

 

 相手の罵倒に静かな暴言で応戦する義兄。当然のように頭に血が上っていた三人は更に顔を赤く染める勢いで怒りを露わにした。恐らく初めの鍛錬の時の私も同じような顔をしていたのだろう。

 そんな場違いな事を脳裏に浮かべていると、兄が目の前の三人と向き合ったまま『今の内に向こうへ行け』と手で促した。

 しかし私が治められなかった不始末を義兄に押し付ける訳にもいかず、加えて私だけが尻尾を巻いて退散するのも認められなかった。

 だが義兄を押し退けて三人と口論することも出来そうにない。目の前で私に背を向ける義兄は前からも後ろからも誰かを通すような隙を見せず、巨大な壁のように立ち塞がって正面から叩きつけられる罵詈雑言も、背後から前に出ようとする私の意志も静かに跳ね返す。

 そんな中、義兄を罵っても意味が無いと考えた三人は再び私の事を引き合いに出し始めた。曰く『女のような細い腕では剣も碌に持てまい。しかも兄の背に庇われるばかりの臆病の卑怯者と来ている。出来の悪い弟を持って哀れなことだ』と笑い混じりに口にした途端、場の空気が一瞬で凍り付いた。

 背中越しにでも分かる冷ややかな怒り。真正面からそれを浴びせられた三人の若い騎士は思わず竦み上がり、血の気の引いていく顔を引き攣らせた。

 義兄の一回り大きな体が更に巨大になったような錯覚を覚えたのはきっと私だけではないだろう。彼は小さな者達を持ち前の鋭い目つきで見下ろした。

 

 

「確かに此奴は手足も細く独りでに圧し折れちまいそうなくらいのヒョロヒョロだ。

だが少なくとも他人を冷やかして回ることに精を出す貴様らよりかは遥かに腕が立つ。肝の太さに至っては貴様らなんぞとは比べるまでも無いだろう。

現に俺に睨まれた程度で小便洩らしかけている貴様らと違って此奴は日頃から俺の怒気に晒されても恐れなど抱かない。

それ以前に、その臆病者とやらに三人で寄って集ってやがる時点で貴様らの方が肝も度胸も股座にぶら下げてる○○も粗末で極小な臆病者の群れだろうが。

確かに此奴は出来が悪い。頭は固くて融通が利かず、何かとしくじるごとに大袈裟に落ち込むきらいがある。面倒なことこの上ない能無し野郎だ。

だがそんな此奴には貴様らでは何度生まれ変わったところで手に入れる事の出来ない根性がある。他人の出来が悪いだのと言う暇があるのならば自分を高める事を考えろ。それをせずに餓鬼みたいな真似をしてるんじゃぁ貴様らの方が余程の出来損ないだろうよ。

そう思うと、こうして貴様らド低能共と会話しているこの時間すら惜しい。何せ学ぶべきことも盗むべき長所も何も無い無益な時間を消費するだけなんだからな。

もう散々吼えただろう?口からクソを吐き散らかし終えたならとっとと何処ぞかへ消え失せてくれると助かる。貴様らと違って此方は忙しいんだ」

 

 

 息継ぎも挟まずに次々と飛び出す暴言の嵐。三人は顔色を二転三転させ、義兄の話が終わった頃には捨て台詞を残して去っていった。

 義兄は遠ざかっていく背を見送るまでも無く踵を返して歩き出す。そして私と擦れ違う間際に『とっとと帰るぞ』と、いつもの調子で言い放つ。

 義兄の後を着いて行く途中、私は自分の揉め事に義兄を巻き込んでしまった事を詫びた。

 

 

「お前は学だけじゃなく礼儀も残念な事になってるみたいだな。こういう時には詫び入れるよりも先に言うことがあるだろうが。

鳥頭でもあるまいに親父殿に習ったこと忘れちまったのかコラ」

 

 

 振り返る事無く告げられた言葉に、慌てて先程の言葉を訂正し、感謝を述べる。義兄は小さく鼻を鳴らして歩調を速めた。

 

 

「まぁ好きで割って入ったんじゃぁないがな。親父殿からお前のこと任されてる身としては、あの場で放っておいたら後で俺の方が嬉し懐かし空中コンボの制裁を喰らう羽目になる。

だから街の見回りとか言って自分から絡まれにいくような真似するんじゃねぇ。お前が面倒事に巻き込まれた分だけ俺が更に面倒を被ることになるんだからな」

 

 

 すっかり慣れてしまった義兄の憎まれ口の節々から、私は彼なりの気遣いと優しさを垣間見た。そのせいか場違いにも温かい心境に浸り、表情を緩めてしまう。

 『お前の為にやっているのではない』と必死に取り繕う姿に強面の外見からは考えられない彼の人柄を表しているようだった。

 

 こんなことがあったのはその時だけではない。

 私が何か問題に巻き込まれたことを聞きつけた義兄は必ず駆けつけては私の代わりに場を収め、私に憎まれ口を吐いてから去っていく。

 世間から私への風当たりは決して良くはなかったが、私は幸せだった。

 いつも気にかけてくれて、嫌な顔をしながらも鍛錬に付き合ってくれる。分からないことがあれば面倒そうにしながらも事細かに教えてくれる。空腹を覚えたら文句を言いながらも美味しい料理を出してくれる。

 王としての過酷な運命の到来を前にした私の心を慰めてくれたのは、そんな義兄との何でも無い日常だった。

 穏やかで幸せな日々。その中で、私が義兄の事を『兄君』でなく『兄さん』と親愛を込めて呼ぶようになるのに時間は掛からなかった。そして私がそう呼ぶようになると彼もまた私の事をアルトリアやアルトリウスではなく『アル』とだけ呼ぶようになった。

 当人は名前が長くて呼ぶのが面倒だと言っていたが、その時の表情が初々しい少年の様で少し可笑しかったのを今でも覚えている。その直後に額に撃ち込まれた衝撃の重さも含めて。

 優しくて大きくて、誇らしい兄と過ごす日々は、永遠に続くようにも思えたが、その実あっという間の出来事だった。

 実際の所“あの日”がやってくるまで何年もかからない時間の中での出来事だったのだから。

 

 運命の日。前日に何時になく鍛錬に熱を入れていた兄に付き合って遅くまで稽古をしていた私は、情けないことに久方ぶりの寝坊という失態を犯した。いつもより少し遅れて兄と養父の馬の世話をしていると、馬上試合に出るべく朝早くから家を発った兄が、試合で使う槍を忘れていったと養父から告げられた。

 初めこそしっかり者の彼がそのような失態を演じるのか訝しんだが、確かに兄の使う槍は家に残されていた。ならばきっと事実なのだろう。

 養父の言葉を何の疑いも無しに受け入れた私は、兄がいる試合場へと足を運んだ。

 試合場のある場所には老若男女問わず大勢の人間で溢れかえっており、大変な賑わいを見せていた。しかし馬上試合にしては些か大袈裟な気もする。

 察するに、試合とは別の何かが目当てで集まって来た人々と試合目当てでやって来た人物とが合流したのではないだろうか。

 果たしてその予想は的を射ていた。道行く人々が、口々に『マーリンが来た』『ウーサーの跡取りを決めるらしい』と言っていたのが聞こえたのだ。

 岩に刺さった選定の剣を抜いた者が次代の王となる。

 その噂を聞きつけて、大勢の騎士が国中から集まって来ていた。

 嘗てマーリンが告げた予言が現実となろうとしている。その瞬間を目にすべく、新たな王の誕生を祝うべく皆集まってきたというわけだ。

 私が一人納得していると、周囲の人々の声が一際大きくなった。王を決める儀式が始まったのである。

 人々が集まった広間の中央には岩に刺さった見たことも無いほどに美しい剣が神々しく輝いている。資格を持つ者だけがその剣を抜くことが出来、ウーサーの跡取りとして、つまり次の王として認められるのだ。さながら“選定の剣”といったところか。

 一人、また一人と、選定の剣を握り、全力を込めて引き抜かんとするが叶わない。最後には皆一様に消沈した様子で人混みの中に戻っていく。

 若い騎士も壮年の騎士も関係なく選定に挑むが、剣は彼等を嘲笑うかのように岩に突き立ったまま毛ほども動かなかった。

 暫く経っても剣は抜けず、人々の中で王の誕生を疑う声が上がり始める。一度浮き上がった不安は徐々に広がっていき、歓声に包まれていた広場には暗い空気が漂い始めていた。

 

 そんな中、少しずつ密度を減らしつつある人混みの中で、私は探していた人物の姿を見つけた。

 周囲の人間よりも一回り大きな体躯、鍛え抜かれた肉体に質素な甲冑を纏い、背中まで届く髪を一つに結んだ姿は周りの人々の中に在っても良く目立っていた。

 腕を組み、いつも以上に険しい顔つきで、選定の剣と傍らに立つ一人の男を睨み付けるようにして見つめている兄は何処か近寄り難い雰囲気を放っていた。

 その為か、周囲の人間もほんの僅かだが兄から距離をとり、大勢の中に在って彼の周囲には小さく誰も居ない空間が出来上がっている。彼を呼ぶ私の声は、周りの声に掻き消される事無く兄の耳にしっかりと届いた。

 

 

「ああ、来たか…来ちまったか………」

 

 

 兄は此方を振り返り、微かに溜息を吐いた。

 私は兄の隣に立ち、選定の剣に挑む騎士達に再び目を向けた。

 恐らく別の街からやって来たと思しき若い騎士は決意の籠った目で聖剣と向き合い、柄に手を掛け唱えた『聖剣よ、我に応えよ』と。

 覇気の籠った良い声だった。もしやと人々が騒めいたが、どれだけ力を込めても騎士が聖剣を岩から抜くことはなかった。

 その次の騎士も、その次も、そのまた次の騎士も終ぞ剣を抜くことは出来ない。

 あれほど立派な騎士達ですら抜くことが出来ないとは。やはり王は現れないのか。

 最早広間には落胆の空気が渦巻き、遂に名乗りを上げる者は極僅かとなった。

 

 

「どいつもこいつもご苦労な事だ。誰にも抜けない剣なんぞ、あるだけ傍迷惑な置き物だ。それみろ、結局王は騎士達が試合を交えて決める運びになっちまった。このまま最後まで勝ち残った奴が王になった日にはあの魔術師の予言が嘘っぱちだったことが証明されるわけだ」

 

 

 これが丁度良い落としどころだろう。

 兄が聖剣に背を向け、私に着いて来るよう促した。

 だが私には王が選ばれなかったのにこのまま勝手に話を進める事が正しいこととは思えなかった。誰にも抜けなかったとは言え、あの剣を抜くことが王の証となる事は確かだろう。理屈を抜きにしてソレは人々にも、兄にも分かっていることだと思う。

 まだ資格を持つ者をアレは待っているのではないか。ならば騎士達が腕前を競い合う事が果たしてあるべき選定の姿なのか。私には納得がいかなかった。

 

 

「あんなガラクタ引っこ抜いた所で何だってんだ。目に見えない不確かな証よりも手勢や金、力で図る方が余程人間的だ。利害目的でつるむ方が気楽で良いしな。

何よりも、ブリテンの全てを救う王なんぞ、全てを救う神の代弁者みたいな得体の知れない代物だ。そんなモノ、誰だって見たくもなければなりたいとも思わんだろうさ」

 

 

 吐き捨てるような言葉。兄は忌々しさも露わにただでさえ鋭い目つきを更に尖らせていた。

 ならば兄もそうなのか。全てを救う使命を帯びた存在になどなりたくもなければ見たくもないと、そう思っているのか。

 

 

「当たり前だ。誰が予言の通りになる事なんぞ望むものかよ。

さぁ話は終わりだ。趣旨こそ変わっちまったがこれから馬上試合が始まる。お前は早く親父殿のいる家に帰れ。他の騎士連中に見つかったらまたつまらん揉め事になっちまう。良いか?これが最後のチャンスだ。

お前は、大人しく家に帰れ」

 

 

 静かな声で、それでいて此方の心の奥深くへ語り掛けるように、兄はそう促した。

 兄の意図することは分かっていた。今までの事から私がどのように行動すべきかも。兄がそれを望んでいないことも。

 

 兄は言った。見たくもなりたくもないと。

 思えば兄は王というものに対して、以前から良い考えを持っていなかった。

 曰く『碌なものではない』『この国で王になった奴は絶対に後悔する』『憧れるのも馬鹿げている』と、散々な言いようだった。

 そして私が人知れず王になる為の教育を受けていることにも彼は良い顔をしなかった。

 騎士としての修行すら、今でこそ許容されたが鍛錬を始めた当初には難色を示していたくらいだ。恐らくこのブリテンに於いて王座に就くことの意味を、彼は僅かながらに掴んでいたのだろう。

 そして私が次代の王として計画され、生み出されたことも誰かに教えられるまでもなく気づいていた。だから兄はいつも私を止めようとしてくれていたのだと思う。

 普通の人間として、せめてただの騎士として、王にだけはならないでくれと彼はいつも願って止まなかった。

 

 兄の思いは素直に嬉しく思う。彼が私を一人の人間として愛してくれていることは今更確かめる事も無く分かっていたから。

 だけど私はそんな彼の思いにすら背を向けなければならなかった。

 何故なら私はこの日の為に生を受けたのだから。王の剣を抜く為に、次の王となる為に。

 だから今まで私心を封じ込め、漠然と良いものだと思っていた人々の賑わいとか幸福に感情移入すらせず、客観的な立場であり続ける為に、至って冷静に心に蓋をして生きて来た。

 そうでなければ何もかも取りこぼしてしまうから、それだけは出来ないからと、幼い頃から自分に言い聞かせて来た。

 人が人として生まれるように、竜には竜の役割がある。そういうものとして生まれた私には、自分に与えられた役目を果たす義務があった。

 それが私をこれまで育てて来てくれた兄との日常と、この国の人々に私が出来る唯一の事だから。

 

 私は兄の言葉には従わなかった。

 広間から背を向けた兄とは逆の方向へと足を進める。即ち選定の剣の下へと。

 他の人々はもう馬上試合を見物しに行っており、広間の中央には未だ岩に突き立った聖剣と、傍らに立つ魔術師の姿の身がある。

 誰にも見られることなく私は聖剣の前へ立とうとして、直前で後ろから肩を掴まれた。そして一言、これまでに聞いた事が無い程に弱々しい兄の声を聞いた。

 

 

「行くな…頼む………」

 

 

 ただ一言、生の感情を露にすることもなければ私に直接頼み事もしたことが無い兄が、口にした言葉。普段の日常の中で聞けば槍が降って来る心配の一つもしただろうが、今は違う。

 驚くこともせず、私をこれ以上進ませまいとしていた手を静かに払い除けて振り返る。

 そこにはやはり兄がいて、とても悲しそうな顔をしていた彼に私も一言だけ、今の心境を言葉にした。

 

 

「兄さん、ありがとう」

 

 

 そして、私は選定の剣に手を掛けた。

 



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第4話 魔術師のはなし 1

更新遅れて申し訳ありません。就活が忙しくて書く時間が取れませんでした。
しかも中々書きたいように文が書けないことが悲しい……
更にもう一方の作品で出て来るキャラを書く時の癖が出てしまっているのか魔術師を書いたら必然的に嫌な奴になってしまうという。

追記:タイトルに『前篇』を書き足しました


 私が彼を初めて注視したのは選定の儀が行われた日の事。

 先王ウーサーと計画した理想の王がブリテンに誕生する瞬間が迫っている。漸くこの企ても一つの実を結ぶこととなる。

 王となる少女の方は概ね問題無い。未だに教えなければならない事は多く、例え王として名乗りを上げたとしても、各地を回り見識を深め諸侯を纏めに行く必要がある。当然自らの脚でだ。

 とはいえ彼女ならば問題無いだろう。ウーサーの忠臣であり計画の一翼を担ったエクターの下で健やかに育った。生来の使命感と当人の能力を以てすれば多少の困難ではどうにかなるものではない。

 エクターの計らいで彼女は何かと理由をつけて選定の儀式を行う広間にやって来ることになっている。彼女が来るまでは健気にも選定の剣を抜かんとした騎士達を見物する時間が続いた。

 皆、必死にこの時代を生きている人間達だ。地位や名誉欲しさに選定に挑む者もいれば純粋に国を想う者もいる。その中に彼の姿はあった。

 

 周りの騎士達よりも一回り大きな体躯もそうだが、初見で特に強い印象を覚えるのは人並み外れた人相の悪さだろう。

 整っていると言えばそうなのかもしれないが、美しさと言うには些か無骨な印象を受ける相貌だ。

 常に眉間に皺を寄せ、鋭い目つきに加えて見る者に寒気すら覚え支える三白眼は率直に言ってかなり柄が悪い。少なくとも初対面の人間が彼を見て心穏やかな人間とは思えないだろう。

 そんな彼の事を何処かで見た覚えがあった。はて、何処で見た顔だったか。

 記憶の中から該当する人物を探すまでもなく彼が何者なのかはすぐに分かった。

 他の騎士達同様、選定の剣の前に踏み出した彼の姿を見た群衆の中に、歓声とは別の声が幾つか聞こえたのだ。

 彼等が口々に囁いた名は“ケイ”。私が次代の王を託したエクターの実子にして王の義兄に当たる男である。

 とりわけ注視すべき存在ではなかっただけに忘却の彼方へ追いやられようとしていた彼は遠目に見た時とは見違えるほどに大きく逞しく成長していた。

 素人目に見れば威圧感を、目聡い者が見れば強靭な意志を感じさせる男は、佇まいだけでなく選定に挑む気概さえも他の騎士とは一線を違えていた。

 今まで挑んだ騎士達は皆一様に『我に応えよ』『我を次代の王に』と、念じて聖剣に手をかけた。聖剣は、そんな彼等の意思を嘲笑うかの如く微動だにしなかった。

 結果だけ見れば彼とて他の騎士達と同じことだった。しかし彼が聖剣を掴んだ時、今までにはない驚愕の声が周囲に木霊した。

 彼の無骨な手が聖剣の柄を握り、強靭な腕が凄まじい力を発揮した次の瞬間、剣が突然黄金の光を放ったのだ。

 その神々しい輝きに誰もが見惚れ、もしやという期待で浮き足立つ。しかしして光はすぐに消え去ってしまい、結局聖剣は抜けなかった。

 一時の期待が生じただけに落胆も大きくなる。群衆は肩を落として嘆いた。

 その中心にいる彼もまた、悔しげに俯き歯と歯を噛み締めている。

 私はその時、彼のことを興味深く眺めていた。彼は確かに他の騎士達と同じような結果を残すのみであったが、決定的に違うものを私に見せた。

 誰も彼も己が次の王に選ばれることを願って選定に臨んだのに対し、彼だけがそれを望まなかったのだ。

 

 

『忌々しい鈍らめ。お前なんぞ折れてしまえ』

 

 

 聖剣に自身を選ぶよう呼びかける騎士達の中で、彼だけが怒りと嫌悪感を込めて選定そのものを頓挫させようとした。

 剣を引き抜くのではなく、岩に突き立てられたまま圧し折ろうとしていたのである。そんなことをすれば周囲の人間から自身がどのような目に会わされるのか分かっていただろうに。

 聖剣が光を放ったのは決して彼に王の資質があったからではない。彼の手から伝わってきた強烈な感情の奔流と害意に反応したのである。聖剣が“戸惑った”と言えなくもない。

 その光景を見た私は、彼が自身の義妹が背負った運命と私達が仕掛けた企てを知り、その上で未然に防ごうとしていることを理解した。

 きっと義妹の事を深く愛しているのだろう。自分が愛する人間が過酷な運命を歩むのを赦せないと言った所か。どうやら王はエクターの下で予期せぬ出会いをしていたようだ。

 

 しかし彼の義妹が背負った宿命は最早彼の力でどうにか出来るものではない。

 人一倍強い意志を持ち合わせていたのだとしても、彼は何処まで言っても無力な人間でしかない。どれほど聡明な人物であろうとも、寧ろ聡明であるが故に自分に変えられることなど何も無い事は分かり切っていた筈。

 それでも止まれない、諦められないのが人間というものか。彼はとうとう選定の場に現れた妹を必死に引き留めようとした。しかし彼女が彼の願いを汲み取ることはついになかった。

 当然のことではある。彼女もまた人並み外れた意志の持ち主である上に、彼女は誰よりも強い意志を持った義兄の背中を見ながら育ったのだ。そんな彼女の決定を覆すことなど出来るわけがなかったのである。

 

 彼女は聖剣を引き抜き、光り輝くそれを掲げた。

 一度その場を離れた人々が、背後から差した光に思わず振り返り、あまりの眩しさに目を細める。そして歓喜の声と共に広間へと駆け戻り始めた。

 遂に王は現れた予言は真実だったのだ。これで我等は救われる。

 誰もが待ち望んだ救い人の到来に歓喜し、その雄姿を一目見ようと元来た道を駆け足で引き返してくる。

 そんな彼等が目にしたのは、妹の手から聖剣を奪い取り、群衆に『聖剣を抜いたのは自分である』と高らかに告げる彼の姿。

 それは誰の目から見ても明らかな、苦し過ぎる嘘だった。

 聖剣は彼の手に渡った瞬間光を失い、彼の言葉が偽りであることを人々に知らしめた。

 誰もが彼を口々に罵り嘲笑う。後に、弟から栄光を奪い取ろうとした愚かな男として歴史に刻まれることとなる彼の愚行はあまりにも簡単に無意味なものとなった。

そんな彼の行為の裏に潜む真意など、人々は知る由もない。確かに彼は諦めてなどいなかった。妹が王になる未来を最後まで防ごうとした。

 人々が思っているものとは別の無念に身を震わせる彼から聖剣を返された王は、義兄に自身の臣下として仕える事で此度の行いを赦す旨を告げた。

 誰もが新たな王の寛大な心に胸を打たれ、自分達の救い主となる者の誕生を心から祝福した。

 後にアーサー王伝説と呼ばれることとなる物語の幕開け。その中で彼は、サー・ケイは王の威光を際立たせる道化として歴史に刻まれることとなる。隠された真意を誰も知らないまま。

 

 誰も彼の内心を知らない。

 誰も彼の苦悩を思うことはない。

 それは卑王ヴォーティガーンが討たれ、キャメロットが完成し、円卓の席が埋まる中でも変わらなかった。

 彼の義妹が選定の剣を抜き、王として名乗りを上げた後の事。11回に渡るサクソン人との戦いと、卑王討伐の裏で諸侯への働きかけや物資調達、人員管理、情報収集、秘密工作、間諜と刺客の対処、被害の把握と対処。決して表立った行動でないにせよ、彼が担った役目は非常に多い。

 何せそれだけのことをほぼ一人で行っていたのだ。彼が私の“弟子”として培ったものを利用しても常人では決して為せないことである。

 しかし人々は、同じ王を頂とする騎士達ですら彼の功績を知らない、だから認めない。

 彼は円卓の席が埋まった後も王の座を奪おうとした脛に傷をもった者であり、騎士達からしてみれば卑劣に映る程に冷徹で現実的な政治家としてあり続けた。

 敵にも味方にも見縊られ、侮蔑されても彼は恨み言の一つも吐かなかった。それはひとえに彼が敵からの低評価など大して気にしていない上に味方である筈の騎士達を心からの達観の目で見ているからだろう。

 

 彼は義妹が王として旅立つ以前から、彼女に王など勤まる筈がないと言って憚らなかった。必ず王が女であることは露見する。身分詐称というこの時代に於ける大罪を問う者、女を王と認めない者も多々現れる事だろうと危惧していた。

 彼は何とか王の性別が知れ渡らないように努めてはいたが、客観的に考えて彼の義妹が性別を偽るのは容姿にせよ体格にせよ非常に難しいだろうと考えていたのだ。しかして彼の危惧は杞憂に終わることとなる。王が女であることは露見せず、誰も彼もが理想の王の背に心酔するばかりだったのだ。

 王を補佐する者として、それは安堵すべきことの筈だった。しかし彼が何よりも先に覚えた感情は失望と絶望だった。その時の悲哀と憤りに満ちた心情を彼から聞き出した事がある。

 

 

「この期に及んでアイツが女であることを追求する騎士は現れなかった。結局のところアイツを心から理解しようとした奴も、アイツと向き合おうとした奴もいなかったんだ。

どいつもこいつも理想の王だ何だと忠義面しておいて、アイツのことを心から認めやしなかった。

責任ばかり押っ付けておいて誰もアイツを助けようとしない。心配もしないし思いやりもしない。或いはそのつもりになってるだけときた。

馬鹿げてるよ。騎士共も、お前も、アイツも、皆馬鹿げてる……」

 

 

 誰よりも人の為に生きていた義妹が誰にも理解されない、愛されないという事実を彼は我が事のように嘆いた。

 そして嘆きの深さだけ彼は義妹に理想の王の重責を背負わせた者達への怒りを募らせていった。その怒りの対象には勿論私も含まれる。

 

 彼が私と言う存在を心底恨むようになったのは、彼が義妹と同じく私に師事して暫くのことだ。

 初めから私と言う存在に憤りを抱いていた彼は、大変面白くない心象を抱きながらも必要なことと割り切り私の指導の下にあらゆる知識を身に着けた。王に理想の王としての在り方を指示したように、彼には特に魔導に纏わる知識と技術を与えた。

 元々勤勉な性質であったことと、多様な才能に恵まれたことが助けとなって彼は順調に私の教えを血肉に変えていった。

 また、私からの指導のみならず自力で魔術の知識を収集する動きを見せていた事も急速な成長の一因となっていたのだろう。

 とは言え、習熟が速いだけに停滞も早まると言うのが私の見立てではあった。彼は確かに多芸な人物ではあるがあらゆる才能が並み以上であって飛びぬけている訳ではないからだ。

 どれだけ努力を重ねても恐らく彼は“それなり以上”の力しか身に着けることが出来ない。こればかりは当人の資質であるだけに変えようのない事だ。だからこそ彼に魔術を教えたとも言える。

 

 単純に魔術師が要り用ならば私一人で事足りる程度の腕前はあると自負している。

 しかし私が王の辿る道中で自分の持つ力をそのままに振るってしまうのは、王が更に高みに昇る為の機会まで奪うことに他ならない。

 理想の王になってもらう為にも、彼女には程良く悪戦苦闘してもらわなければならない。しかし彼女一人だけで乗り越えられるほどブリテンは生温い環境ではない。

 そこで補佐する者が必要になって来るのだ。決して無能ではないが優秀過ぎない程度の補佐が。彼は正に打って付けの人材だったわけだ。

 当初はそう考えていた。今思えば、私は彼の事を侮っていたのだろう。天才は一つの事を聞いて十を学び、凡才は一つの事から一つだけ学び、非才は十を聞いて漸く一つの事を覚えるもの。彼は何処まで行っても凡才止まりであると、そう考えていた。

 しかし彼は私に一つの事を聞いて一つの事を学んだ後に、また一つの事を学ぶ前に自力で九つの事を学んで来たのである。それだけに留まらず、私が教えていないことを別口から学び、知識を集め、技術を身に着けた。

 彼がやがて私やモルガンに届かないにせよ強大な魔術師としての力を得るに至る土壌を彼は徐々に築き上げていったのだ。彼が只管に妹を支える事だけを考えるような男であったのならば良い拾い物をした心象の一つも抱いたのだが、生憎と彼の精神は良くも悪くも普通の人間のそれ。いくらでも移ろうものだった。

 彼は自力であらゆる知識と技術を掻き集める中で、世界に於ける神秘の行く末とブリテンの辿る未来に辿り着いてしまったのだ。

 即ち朝日が昇り、やがて沈んでいくような自然さでブリテンが滅ぶことと、そんな国の王になることの意味を知った。

 義妹が避けられない破滅へと歩んでいる現状を知った彼の胸中で、義妹が王となる未来を避けられなかったが故に一度は諦めた義妹を王にさせたくない意志が息を吹き返す。

 何としても義妹を王として旅立たせるわけにはいかない。

 しかし、彼も既に言葉で義妹を納得させられるなどとは思ってはいなかった。最早万策尽きた後、全ては手遅れなのだから。それでもやはり彼は止まれない、諦められない。彼はそう言う人間なのだから。

 

 アーサー王が名乗りを上げて暫く経った日。彼は義妹を人気の無い場所に呼び出した。

 私は二人に気付かれる事無く後を追い、事の行く末を見守る事に決めた。悪い方向に転ぶことは無いと言う確信を持った上で。

 彼が再び義妹を王にさせまいとする意志を抱いたことは普段の様子から察せられた。元より彼は見た目に反して分かりやすい男である。世界を見通す目を持つ私からすれば心境の変化など手に取るように分かる。

 分かっていても止めようとしなかったのは彼の行動が結果的に王の成長に寄与すると見たから。言い方は悪いが彼を利用することにしたのだ。

 

 昼頃を過ぎて夕暮れに差し掛かる時間に、二人は誰も居ない草原で向き合った。

 お互いに甲冑も身に着けていない軽装姿。その上で義兄は何の変哲もない直剣を、義妹は煌びやかな選定の剣を腰に下げている。それは彼等が共に剣の鍛錬に励んでいた時と同じ出で立ちだった。

 

 彼は義妹に問う『王として歩んでいく決意に変わりはないのか』と。

 その問いに義妹は『変わりません』ときっぱり答えた。

 義妹の決意は固い。それを承知で彼は義妹に思い直すように告げた。

 

 

「王になったら絶対に後悔する。お前がどれだけ力を尽くそうがブリテンは滅ぶ。その未来は変えられない。世界から急速に神秘が薄れている現代に於いて最後の生き残りがこのブリテン島だ。

外から押し寄せてくる新しい世界の法則にやがて呑み込まれて消えていく。それがこの国の運命、誰にも覆せない事なんだよ。

そんな夢も希望も無い国の王になるってことが何を意味しているのかお前分かってんのか?散々恨まれて苦しんだ挙句、悔いしか残らない末路を辿ることになる。こんな筈じゃなかったって嘆き悲しみながら死んでいく未来が確定してるってのに、お前は王になるのか」

 

「ええ。私の意思は変わりません。私は王になります。例え私がどのような悲惨な末路を辿るとしても後悔などしません。私一人がどのような末路を辿るのだとしても、より多くの人々を救う事が出来るのならば、私はこの身と一生を捧げましょう」

 

「そうか…そうだよな。お前はそう言う奴だ。分かってたことだ。

なら、もうこれ以上は口でどうこう言うのは止めにしよう。王になるなとか考え直せとか舌先回すのも諦めようじゃないか」

 

 

 『だから』

 一度言葉を区切った彼は腰に差していた剣を静かに引き抜いて義妹に突き付けた。

 それまでの鍛錬とは違う。相手を倒すと言う意志を隠しもしない。

 その相手とは言うまでも無く義妹である。剣を向けられた彼女は一瞬だけ動揺し、すぐに強い意志を宿した目で義兄を見つめた。

 

 

「初めから分かってたさ。何を言っても無駄だって。

お前の意思は変わらないし俺に出来る事なんてたかが知れてるなんてことは俺が一番良く知ってる。でもな……

何も出来ねぇからって放っておけたなら苦労しねぇんだよ。お前に沈んでいく泥船の舵を取るだなんて馬鹿な事させてやるわけにはいかねぇんだよ」

 

 

 ならば、もうこうするしかない。

 兄としてこんな行為に訴える事だけは避けて来たが、最早形振り構ってはいられない。

 彼は最期の躊躇いを深い呼吸の後に吐き捨てた。

 

 

「どうしても王になるっていうなら―――

その先に待つ未来を知った上で立ち止まらないって言うなら―――

アル…いや、アルトリア・ペンドラゴン

 

 

俺と…俺と決闘しろぉっ!!!」

 

 

 これこそアーサー王が初めて経験した遊びも加減も存在しない全力の戦い。

 義兄の決意と闘志を全身に浴びた彼女の体内で、それまで本来の力を発揮することなく眠りについていた竜の心臓が動き出す気配に、私は一人笑みを浮かべた。

 




ケイ兄さんは魔術を覚えた!

やったねケイ兄さん適正クラスが増えるよ!


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第5話 魔術師のはなし 2

戦闘描写って難しい。
あと感想でマーリンが嫌われ過ぎて笑いました。
もう一方の作品で水銀書いてるせいなんだろうか……


 私は人間の母と夢魔の父の間に生まれた混血。それでいて同族である妖精や巨人達よりも人間に肩入れするほどには“人”というものを好いていた。

 人間にとって良き時代を作るために多くの王を育てた。常に笑顔を絶やさず、人々の営みを楽しみ、花のような統治を目指した。

 

 しかしその本当の性質は昆虫のそれ。ひたすらに機械的かつ客観的で、この惑星の知性体とは相容れないほど脈絡の飛び過ぎた思考形式を有していた。

 最高位の魔術師の証である世界の全てを把握できる眼を有していることも相まって、私にとって世界とは一枚の絵のようなものだった。

 私はただ自分にとって“美しい”ものを愛し、私の求める“美しい絵”が偶々人類のハッピーエンドであったのだ。私が好いていたのは人間の遺す結果であり、その好みとしてハッピーエンドになるよう人間に肩入れしていたに過ぎない。それを作り出す人間そのものには全く感情移入できず、本質的には愛してなどいなかった。

 そんな私が、愛多き『花の魔術師』などと呼ばれたのは良い皮肉だと思う。自分自身それを酷いことだとは理解していたが、それこそが夢魔の性質であるため変えることも出来ない。

 それどころか理解していてもそこに罪の意識など持ってはいなかった。私は人間に手を貸し、王を作るだけ。それによって国がどうなろうと私に責任感はないし、何の罪悪感も感じていなかった。とある兄妹の別れの言葉と、悲しい咆哮を聞くまでは。

 

 思えば私は人間というものを心底侮り切っていた。あの二人を見て、私はそう思い知らされた。

 統治が続けばこの女の子もその内きっと後悔する。その時にでも手を引いてやれば良い。

 苦難の日々を過ごせばこの男もその内きっとついて来れなくなる。その時にでも諦めるように言ってやれば良い。

 そんな自分の思い上がりに恥じ入り、何とか手を打てないか模索した時には全てが最早手遅れだった。

 少女は最期まで理想を貫き、男はそんな少女の為に命の限り奮闘した。

 他人の幸せの為に生きた少女と、家族を思う小さな男の決意と意地。私と先王ウーサー、その忠臣であるエクターが求めていたものと、彼女達が求めていたものは決定的に違っていた。

 元より愛が分からない私に“国”ではなく“人”を愛した彼女と、周囲の思惑など関係無く妹への愛情故に折れる事なく闘い続けた二人の事など、到底理解出来る筈もなかったのだ。

 

 二人が初めてぶつかり合ったあの日も、私は一枚の絵を描く画家のような気分で、目の前で繰り広げられる闘いを眺めていた。二人の心中を分かった気になって、まるでそれを微笑ましい何かのように考えていたのである。

 妹に剣を突き付ける兄は果たしてどのような心境だったのか。今となって漸く彼の痛みが分かるような気がする。

 妹の邪魔などしたくはない。剣を向けるなど以ての外だろうに、身を切る思いで彼は自身の決意を力でぶつける事を選び、妹は兄の思いを真っ向から受け止めた。

 

 

 

 互いに剣を抜き、構えた二人。先に仕掛けたのは兄だった。

 大地が軋むような深い踏み込みと共に妹よりも一回り以上も大きな体が勢い良く前へと押し出される。

 その突進たるや常人ならば巨大な壁が迫って来る錯覚を覚える程。先手を取った兄に妹は僅かばかり驚いた。何せ彼は見た目によらず守りの姿勢で立ち回る騎士であったからだ。

 只管に受け、躱し、隙を伺う。そして僅かでも付け入る隙を見つけた瞬間、そこに有りっ丈の力を込めた一撃を滑り込ませる。そのような慎重且つ大胆な戦い方こそが彼の得意とするものなのだ。

 それと比べれば今の戦い方は一見普段の繊細さを欠くように思える。しかし冷静さを失ってはいない。

 膂力で劣る妹は兄との鍛錬で身に着けた自分より力の強い相手との戦い方、つまり受け流す技術をふんだんに発揮して初撃を凌ごうとするが、兄の振るった剣が選定の剣と打ち合った瞬間、それを持つ妹は剣から伝わる力を逃す間もなく背後へと押し出された。

 予想外の力に晒されたことで手は痺れ、膝が折れそうになる。ただ一撃で彼女は理解した。これが兄の思いの重さなのだと。

 自分の行いが間違いであることを承知した上で止めようという彼の覚悟の表れ。受け流す事など出来よう筈もない。兄の思いを受け止める気になっておきながら逃げに走った自分を恥じた妹は力強く大地を踏み締めて身構えた。

 それを油断なく見る兄は剣を高く構え、いつでも振り下ろせる姿勢を取る。最早守りに入る様子など一切無い。只管に自分の思いを剣に乗せてぶつけるつもりなのだ。

 ならば自分も真正面から覚悟を決めて立ち向かわなければならない。そう決意を固める彼女の心臓が力強く脈動する。

 私はその気配を感じ取り、彼女が生まれながらに有している竜の因子が強く息づき始めたことを確信した。この時点で私の中で兄の勝ちの目は潰えており、決闘に於ける目的は果たされたも同然であった。

 事実、真っ向からぶつかった二人の内、今度は兄の方が先程の妹よりも激しい勢いで吹き飛ばされた。

 明らかに力で劣る筈の自分が力で兄を圧倒したことに妹は驚愕し、信じられないほどの力を発揮した自身の手を唖然と見る。

 魔術についての感覚や知識が無い彼女には分からないだろうが、今彼女の身体からは微かな風のように揺らぐ魔力が湧き出している。

 呼吸をするだけで生み出される膨大な魔力、それが彼女の身体から噴射されることで膂力を上乗せしているのだ。例え体格に優れた兄であろうとも、ただの人間に太刀打ち出来るものではない。

 真っ向からそれに晒された彼は地面を二転三転して土に塗れながらも立ち上がる。しかし既にまともに戦えるような状態には見えなかった。それだけに妹が先の一瞬で発揮した力は大きかったのだろう。

 荒い呼吸をする兄を妹は戸惑いの目で見る。果たしてこのまま打ち合うべきなのか、自分が得体の知れない力を発揮したことはもう理解した。唯の人間として向かい合った兄に、この力で立ち向かうのは卑怯なのではないか。

 そんな躊躇を兄は不敵な顔で笑い飛ばした。

 

 

「何だ?もう勝ったつもりでいるのか。

ならそのまま馬鹿面晒してろ。両手足圧し折ってこんなクソッタレの島からとっとと連れ出してやるからよぉ」

 

 

 痛みや身体に掛かった負担など感じさせず、兄は再び突進する。未だに躊躇いを捨て切れないまま妹が迎え撃つ。彼女の意思に関係無く身体からは魔力が放たれ、矢弓のような速度で彼女の身体を加速させる。

 そして三度目の激突、やはり弾き飛ばされたのは兄だった。

 先程よりも更に勢いよく吹き飛ばされた兄はすぐさま立ち上がって走り出す。再び妹が迎え撃ち、そして兄が弾き飛ばされる。

 二度、三度、四度と同じことが繰り返され、しかし五度目になっても兄は諦めなかった。雄叫びを挙げて傷一つ無い妹に向かっていく。

 

 

「まだっ……まだまだ…!まだだぁ!!」

 

「兄さん……っ」

 

 

 妹は悲痛な表情で迎え撃つ。このままでは兄は死ぬまで諦めない。それだけの覚悟で彼は立ち向かってくるのだ。例え通じないとしても愛する妹に剣を振るうなど自分の身を裂かれるよりも辛いだろうに、心身共に苦痛に苛まれてもまだ止まらない。

 終わらせる為には完全に兄を沈める他無い。妹が身体に力を籠めると、竜の因子が彼女の意思に応えるように魔力を放つ。

 兄よりも遥かに早く、力強く踏み込む妹。振り下ろした選定の剣は数度の打ち合いで所々が欠けた兄の剣とぶつかった。

 剣ごと砕かれてしまいそうな兄の身体が残る力を全て込めて打ち込む。その時、妹も私も兄がとうとう地に沈む光景を幻視した。しかしどういう訳か吹き飛ばされたのは妹の方だったのだ。

 力の差は歴然だった。最早彼に膨大な魔力が乗せられた一撃を押し返すどころか受け切る力すら残されてはいなかった。

 彼が何らかの魔術を使ったのでもなく、眠れる資質が目覚めたのでもなく、ただの膂力で彼は妹を弾き返したのである。その膂力で上回られているというのに何故そんな事が出来るのか、理解出来ない事が起きていた。

 きっとそれが分からない辺りが私の限界だったのだろう。私にも彼女にも無い彼の最大の力が発揮された事が分からない。彼自身の言葉を借りれば『火事場の馬鹿力』と言う奴か。彼は最早常識の外にある力に突き動かされるまま竜の因子の力に支えられた妹と拮抗していた。

 身体に掛かる負荷を顧みず、追撃を加える彼を妹が咄嗟の反撃で弾く。攻撃を凌がれて仰け反った彼へ彼女の一閃が走り、受け止めた彼の身体が宙に投げ出された。しかしそのまま無様に地面に叩きつけられることなく体制を入れ替えて着地し、再び突進。

 身体からぶつかる勢いで切り掛かり、一撃目の右斜めから振り下ろした一撃で守りを崩し、振り抜いた後の右肩を突き出した姿勢のまま更に踏み込む。

 既に距離など在って無いような距離にいた彼はそのまま肩から妹に激突し、同等の力で体格差のある相手に叩きつけられた妹が背中から地面に倒されそうになる。

 負けじと魔力を背後へ放出し、兄を押し返そうとして勢いあまり自分を見下ろす姿勢になっている兄の額に向かって頭から突っ込んだ。

 人の頭蓋が衝突し合う鈍い音を立てて兄が仰向けに倒れ、無理な体勢で飛び込んだ彼女自身も兄の上に圧し掛かる形で倒れ込む。

 偶然にも上を取る形になった妹がすかさず剣を突きつけようとした直前に兄の放った掌打で顎を打ち抜かれ一瞬前後の感覚を失い。正気に戻る合間に投げ飛ばされた。

 二人とも地面に転がり、荒い呼吸をしながらもやはり立ち上がる。妹の方も泥に塗れたままに剣を構え直し、先に体勢を整えた兄の渾身の振り下ろしを受け止める。

 そして妹が反撃し、兄が受け止め再び反撃。

 力で押し切られる。

 追撃を蹴りで体勢を潰される。

 突きが迫る。

 避ける。

 反撃。

防ぎ。

鍔迫り合い。

ひたすら打ち込む。

打つ。

 斬る。

 倒す。

 

 夕焼けに照らされた草原は吹き荒れる魔力の風と荒れ狂うように切り結んだ二人によって所々が抉れ、土肌が剥き出しになっていた。

 まるで魔物の大群が暴れた跡のような惨状は、驚くべきことに未だ未熟な騎士達によって形作られたものだ。彼女がこれ程の力を発揮することも、彼がここまで粘るのも想定外。既に私の予想の範疇など超えて何合にも渡り剣を交えた二人の決闘は、余りにも呆気ない形で決着を見た。

 振るう者と同様、絶望的なまでの力の差があった何の変哲もない直剣が、選定の剣とのぶつかり合いで砕け折れた。

 寧ろ何故これまで持ち堪えられていたのか、選定の剣を振るう側の技量不足も理由としては無くはないが、それでも先程のような激しい打ち合いに耐えられるものなのか。無残な残骸に成り果てた今となっては最早確かめようもない。

 唯一の武器を失い、叩きつけられる魔力の奔流を受け止める物が無くなった兄が大地に転がり、また立ち上がろうとして身を捩るが彼の身体は既に彼の意思に従うことは出来なかった。

 何度試みても身体が少し撥ねるだけ、全力を尽くして寝返りをうち、仰向けの体勢になるのが精いっぱいだった。初めに妹の魔力を込めた一撃を受けた時点で悲鳴を上げていた身体はとうの昔に限界を超えていた。

 見上げる空には雲すらない。それを遮って倒れた兄の傍らに立つ妹の表情にもまた、一片の曇りも無かった。動揺も無ければ苦痛も感じさせない。勝者としての威厳を知らしめるように、傷まみれになった足でしっかりとそこに立っていた。

 

 

「私の勝ちです。兄さん」

 

「そう…だな……俺…の、負け……だな」

 

「私は王になります。ブリテンの全ての人々を救う王に」

 

「そうか……そう…か………」

 

 

 それ以上は彼も語らなかった。言葉で理解させることは出来なかったからこそ力に訴えたのだ、最早口で言って聞かせることに意味は無い。結局力でも妹を止めることは出来なかったのだ。これ以上邪魔はすまい。

 彼は自身の生涯で最も負けてはならない戦いに敗れてしまった。妹が王となる未来は防げない。彼女は破滅の未来に向けて苦難の道を進み続ける事だろう。

 果たして彼の無力感たるや如何程のものだったのか。涙すら見せず、嗚咽すら洩らさずに虚ろな目で空を見上げる彼は、ひたすらに自身の無力を恨むことしか出来なかった。

 

 

 

 愛深き故に妹を王の運命から遠ざけ、阻んだ彼。

 妹を愛するほどに彼は自身の無力さに打ちひしがれ、それでも諦められずに立ち上がった。彼女を支えられるように、守れるようにと、ひたすらに力と知識を得るべく走り回った。

 思えばそれこそが普通の人間である彼の唯一の異常だったのかもしれない。彼は愛する者、特に妹に関することで諦めという選択肢を持たない男だった。

 自分よりも他人が大切などとは露ほども思ってはいない。しかし愛する者が苦しむのを彼は我が事のように嫌った。まるで自分が痛みを感じるように他人の苦しみを思い、何とかそれを止めようと奔走する。それが彼なりの愛情だった。

 或いはその一片でも理解出来たのであれば、彼等が辿る結末も変えられたのかもしれない。

 今の私には、妖精郷に聳える牢獄の中で、自分の過ちと向き合う事しか出来なかった。

 




ケイ兄さんは『火事場力:A』を習得した(嘘)


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外伝1 友達のはなし

何とかケイ兄さんのビックリドッキリ能力習得エピソードを作ってみたかったのですが上手くいかない。どうしたものか……



追記:後々になって申し訳ないのですが時系列が前後しています。分かり辛くてすいません


 キャメロットが完成し、円卓の席が徐々に埋まりつつあった時のこと。

 私は誇らしくも加わることの許された円卓を囲み、国の行く末を決める会議に参じていた。

 ブリテンの統一がなされても戦いは続いており、未来に光明は見えない。しかし少なからずブリテンの現状は好転しつつあった。

 外部との交易によって物資が入り、荒れた土地を絶えず整備し続けたことによって次第に作物が育つようになっていった。国民の生活は急激でないにせよ、徐々に豊かになっていった。

 とは言え楽観できるほどではない。気を抜けば国は再び荒れ、国民は貧しさに苦しめられることとなるだろう。

 それを最も理解している人物は、会議が終わった後も休むことなく国務をこなす。

 目元に出来た隈を、垂れ下がった前髪で隠し疲労をおくびにも出さない。先端に火の灯された細い棒状の香から微かな煙を立たせる姿を見ていると、初めて会った時と比べて明らかに疲弊していると強く思う。

 果たして何日まともな睡眠を取っていないのか。休みなく多くの役目をこなす彼に無理をするなと言うのは簡単だ。だが私がそう言うと、彼は決まって『国務が止まっちまってもいいなら休んでやるよ』と返すのだ。

 彼は辛い役目を良く引き受ける。敢えてそうしているのか、それとも天性の気質なのかは分からないが、騎士の誇りも戦の誉れも、誰もが憧れるものには目も向けずに日陰者としての道を行く。

 

 今日の円卓に於ける会議でもそうだった。

 会議の内容は終わる気配を見せないサクソン人との戦に纏わる事。

 貧しい国であるブリテンが戦に臨む場合、小さな村を一つ干上がらせてでも軍備を整えるのは常道であった。

 王はそれを決断出来るだけの器量を持つ人物だが、そういった案が“彼女”の口から出る事は無い。

 冷酷なまでに現実主義、より大きなものを得る為の犠牲を強いる策は全て、王の傍らに座する彼が述べるのだ。

 加えて、彼は決まって自分に反感を集めるように動き、王に一切の悪感情が向かわぬように努める。

 彼はまず、実質的に村を三つは干上がらせるような方針を口にした。

 不測の事態が起きぬようにと、人の心を持たぬかの如く冷徹に告げてみせた。当然の如く円卓の面々からは非難の目が殺到する。

 しかし王がそれらを手で制し、彼の意見を最小限の犠牲のみで済む程度にまで妥協させる。

 結果としてみれば村が一つ干上がるような事態は変えられなかった。それでも騎士達の目には、王が危うく犠牲になる所であった二つの村を慈悲深くも救ってみせたのだと映った。

 このような光景を果たして何度見てきたことか。

 正し過ぎるが故に疎まれる運命にある王。彼女に集まる悪感情を彼は全て自身に集め、他の騎士達の結束が揺らがぬように仕向けている。騎士達は彼の思惑に乗せられていることに気づかぬまま、王に対する淀み無き忠誠を胸に抱き続けるのだ。

 

 

『連中も悪気があって筋肉と蛆の塊が頭蓋に詰まった能天気バカをやってる訳じゃぁない。まぁ悪気があって堪るかって話ではあるが。

直しようのない性質なら、非難するより助長してやる方が余程役に立つってもんよ。出来れば軍事方面以外にも頑張る気を起こして欲しいもんだがな。』

 

 

 純粋な義憤故に容赦の無い騎士達の非難を、彼はいつも涼しい顔で受け流す。

 損な立場だと思うが、役目を代わる事を彼は許さないだろうし、彼以上に勤めを果たせる人物を私は知らない。

 惜しむべきは彼の思惑通りに騎士達に王に対する不満を抱かせない為には、決して彼の献身が認められてはならないことか。

 アーサー王が人々の思う理想の王であり続ける為には、彼はブリテンに於ける道化であり、鼻摘み者でなければならない。

 同朋であり、友であり、ただの若輩に過ぎなかったこの身を近衛まで引き上げてくれた恩人の境遇を思うと胸が痛んだ。

 

 私とて、彼と出会った当初はあまり良い印象を抱いていなかった。否、正直に言えば嫌悪すらしていた。

 今になっても尾を引く、選定の剣を掠め取ろうとしたという醜聞に、私も彼の事を王の臣下に相応しくない者であると決めつけていた。

 私は国ではなくアーサー王という個人に仕えた騎士。この王にこそ剣を捧げ、力になろうと邁進した。だからこそ、王の傍らに不忠者がいるという在りもしない事実に訳知り顔で王の身を案じた気になっていた。

 我ながら愚昧極まる若年期であったと恥じ入るばかり。蓋を開ければ、彼は誰よりも王の身を案じ、王の為に生きる男だったというのに。

 確かに彼は忠義の徒ではなかった。彼はアーサー王を一人の人間として、兄として愛していたのだ。私の身勝手な考えなど、余計な世話以外の何物でもなかったのである。

 彼は極めて客観的な視点から、王の下に集った騎士達の中から有能な者達を見出し、取り立てるよう王に進言した。恐れ多くもその中に含まれていた私は、やがて王の近衛にまで上り詰めることになる。

 その役目を賜った時、私は初めて彼と対等な立場で言葉を交わした。

 

 

『貴方は何故、貴方を軽んじた私や他の騎士達を取り立てて下さったのですか。

何故、在りもしない悪評を敢えて広めるような事をなさるのですか』

 

『何故ってお前。そっちの方が都合が良いからに決まってんだろうが。

嫌われ者の一人や二人でもいなけりゃぁ、組織の不満は巡り巡って指導者にまで及ぶことになる。何処にでもある話だ。

一度生じた悪感情を正すのってクソ面倒なんだぜ?国の進退に関わる事なら尚更だ。

連中の心が王から離れるくらいなら、俺が諸々の反感を買ってやった方が色々と都合が良い。妙な気を起こす奴が出て来ないなら俺の仕事も減るってもんだ。

馬鹿共が誰にクソ生意気言おうが知ったこっちゃねぇが、仕事が増えるっていうなら話は別だ。面倒事の種は事前に刈り取るなり体の良い持ってき所に運んでくものなんだよ。分かったかベディ坊や』

 

 

 自分が嫌悪される分には構わない。国を回す意味でもそうだが、それ以上に彼は兄として王が騎士達に疎まれる事を良しとしなかったから。

 臣下である以前に兄である。そういう在り方を変えずに共にあったからこそ、王は彼の前では私情を隠さず、公平無私な孤高の王としての姿を忘れ、元の素顔のままに笑う事が出来たのだろう。

 身近にまで行けば、王の素顔を見られるのではと期待した私が、恐らく一生に一度訪れるかどうかと言う幸運によって見る事の叶ったアーサー王の本当の姿。それを見せてくれた彼の事を心から尊敬すると共に、僅かばかりの憧憬も抱いた。

 私が見た、王と彼が食卓を囲み静かに談笑する光景。何という事の無い、当たり前の日常。王自身に自覚は無かったのだろう。しかし兄と過ごす時間の中でだけ、彼女は自分の為に笑う事が出来たのだ。

 王の笑顔を見た時、私は初めて“彼”と思っていた人物が“彼女”であった事に気が付いた。恐らく、私が彼女を理想の王と言う色眼鏡で見る事を止めたからなのだろう。

 どれだけ人を外れた完璧な存在に見えても、彼女もまた人間だった。それを支える兄もまた、人の心を忘れた冷血漢ではなかった。

 そんな二人が混迷の只中にあるブリテンで闘っている事実に、私は戦慄した。

 恐らくこの二人は、どちらかが欠けただけでも決定的なものが破綻する。それでいて兄は何時倒れても可笑しくない程に疲弊しているのだから危うさに目を覆うばかりだ。

 事実、それが現実になりかけたことがあった。

 

 

 

 私がアーサー王に仕え始めて半年ほどの時期にそれは起きた。

 未だ小さな勢力でありながら人々を助け、国に平穏を齎すべく各地を転戦していた王の軍勢は、とある街がたびたび飛竜の群れに襲われている事を知った。

 竜を始めとした幻想種が数多く存在するブリテンに於いて、雑種の竜である飛竜は当時数多く生息していた。

 同じ幻想種すら餌とする凶暴な飛竜にとって、無力な人間は良い餌でしかない。

 無辜の民が犠牲となるのを良しとしなかった王は即座に出陣を決めた。

 配下の騎士達も勇んで後に続こうと気勢を上げた。だがそこで静止を掛けたのが彼だった。

 彼は飛竜の数や単体の強さ、知能等が未知数のままに挑むことの危険性を説いた。

 口々に臆病風に吹かれたと罵る周囲の声も何処吹く風、彼は情報が集まるまで出陣を控えるよう王に進言したが、間が悪い事に飛竜がとうとう集落を壊滅させる程の勢いで襲い掛かって来たとの知らせが入った。王は兄の言葉を打ち切り、すぐに動けるだけの手勢を率いて救援に向かった。

 一時は王の率いる騎士の軍勢により飛竜は屍を晒すばかりとなったが、次から次へと現れる飛竜の大群と、それまで倒してきた個体よりも明らかに大きな群れの主の出現により軍勢は打って変わって危機に陥った。

 当時、王と共に飛竜の討伐へ赴いていた私もまた、見上げる程に巨大な群れの主によって呆気なく地に沈められ、守るべき主に守られるという無様な姿を晒す事となった。

 一人、また一人と戦う力を失う騎士達。情けというものを持たない飛竜達は疲れ果てた騎士達の命を容赦無く奪っていった。

 そんな中で王だけが飛竜の大群の中で二本の脚でしっかりと大地に立ち、奮闘していた。最早生き残っているのは王と、王に守られているが故に命を繋いでいた自分のみ。しかし空を自由に飛び回る飛竜達に翻弄され、次第に疲労の色が強くなる。王が倒れた時、私の命運もまた尽きる。

 私はすぐそこまで迫る死の恐怖と王の重荷でしかない自身の弱さに歯噛みした。

 数十体の飛竜を斬った辺りで、とうとう王に一瞬の隙が生じた。目敏くそこに付け込んだ群れの主が人間程度は容易く噛み千切れる大咢を開いて王に迫る。

 王がそれを知覚した時には最早逃れる機を逸した後。絶望的な状況だった。

 閉じられる竜の咢、吸い込まれるように王へと迫る牙。私にはそれを見ていることしか出来なかった。

 王の身体が噛み砕かれる光景を幻視する中、大きな人影が風のような速度で竜と王の間に割って入り、閉じられる咢に身を滑り込ませた。

 右手に携えた平たい箱のような物で上顎を、重厚な甲冑で覆われた足で下顎を抑え、何とか竜を押し留めたのは皆が臆病者と笑った彼だった。

彼が前線に立ったところを見たことがなかった為に、初めは誰が割って入ったのか分からず、見慣れない甲冑姿の男が王を助けたとしか分からなかった。それが彼であると私が気付いたのも、王の口にした彼の名を聞いたからだ。

 自陣に置いて行った義兄が突然現れたことに王が驚きを覚えるのも束の間、弾かれるようにして背後へ跳んだ彼の背中に王は押し出された。

 直後に閉じられる竜の咢、そして耳をつんざくような轟音と共に広がった閃光に目を焼かれ、思わず耳と目を塞いだ。

 まともに外界の状況を認識出来るようになった時、私の目に映っていたのは頭部が所々弾け飛んだ姿で倒れる竜と、その周囲で黒煙を上げながら立ち昇る炎。

 何が起きたのか理解出来ずに途方に暮れる一方で、顔を蒼白にした王はぐったりとしたまま起きる素振りを見せない兄の名を何度も呼んでいた。

 彼は右肩から先を失っていた。王を巻き込んで飛び退いた時、閉じられた咢に右腕を食い千切られていたのだ。後に知った話では、その時彼は右手に携えていたあの箱の中に仕舞い込んでいた礼装を起動させたのだという。

 優れた魔術師でもあった彼が使った礼装とは、溜め込んだ魔力を暴走させて吹き飛ぶだけの単純な物だった。しかし単純故に強力であったそれは彼の右腕を食らった竜の口内から喉を伝って強固な鱗に覆われていない臓物を焼き、致命傷を負わせたのである。

 その代償として、右腕を失った上に弾け飛んだ竜の頭部から漏れ出た爆風に晒されてしまったのである。彼の一回り以上も大きな体躯が壁となったことによって竜の咢からも爆炎からも守られた王に被害が及ぶことはなかったが、当の王はまるで自分が傷を負わされたかのような悲痛な表情を浮かべていた。

 彼が一命を取り止めたのは気まぐれな魔術師マーリンが傷を癒した為とのことだったが、当人達がそのことを語る事は無かった。

 何とか命を拾った彼だったが、一瞬の内に深い傷を負った彼は暫くの間、意識を取り戻す事無く深い眠りについていた。

 飛竜の群れは主を失った事で散り散りに逃げ去り、救われた人々は口々に魔物を追い払ったアーサー王の軍勢の奮戦と犠牲を声高らかに語った。その中に腕を犠牲に群れの主を討った男の話は無い。

 街の人々は私達と飛竜の群れとの戦いを遠目から眺めていた。その為に大まかな事は見て取れたのだろうが、その場にいた私ですら何が起きたのか分からなかった事の顛末を知る術を持たなかった。

 故に人々は王と私達が命懸けで飛竜の群れを追い返したことだけしか分からなかった。最早人々の熱は王が真実を公表することが出来ない程に高まっていたのである。

 王は魔術師と、義兄の提案を受け、苦い思いを隠したまま偽りの風聞を容認した。

 彼が言う所の“都合の良い選択”というものだ。風聞に足るだけの力は事実としてある。態勢が整わないまま寡兵で立ち向かったが故に救援部隊は壊滅の憂き目を見たが、十分な戦力で以て挑んだのであれば撃退は可能だったのだ。ならば事実は少し異なるのだとしても完全な偽りにはならない。そう言って彼は隻腕のままに王を説得した。

 清廉潔白であることを是とする王は難色を示したが、義兄に免じて提案に乗った。

 こうして一連の事件がアーサー王と配下による魔物対峙として片づけられたわけだが、当事者である王はやはり心穏やかではなかった事だろう。

 王を除く救援部隊唯一の生き残りである私も、事態を拗らせないよう余計な口出しを禁じられた時には納得がいかなかった。自分の為に義兄が片腕を失くした事実を隠すことは赦し難かった筈。

事実を隠すことは赦し難かった筈。

 しかし王の心中に残されていたしこりは、彼が失くした腕の代わりを用意して来たことで一先ず解消される事となった。毒気を抜かれた、と言うのは少し誤りがあるのかもしれないが、彼なりの配慮が王の心を溶かしたことは確かだろう。

 彼としては自分が隻腕で生きていく未来を案ずる妹を安心させたかったのかもしれない。その点は思い通りの結果になったが、王の心に刻まれた恐怖は消える事無く残っていることだろう。

 

 

 

 今となって、暫く義兄のいない状態が続いていた時の王の姿が酷く孤独に思える。いつも後ろに控える存在がいないだけで、彼女は大勢の騎士に囲まれながら独りになってしまうのだ。

 それこそが私の不安である。義兄を喪った時、王が自分の為に笑うことは無くなる。王の顔に差す光が永遠に失われた時、アーサー王は真に人ではなくなってしまうのではないか。

 そんな恐怖から彼に自重を呼びかけるが、彼は決まって自分の心配をしろと言って譲らない。確かに私では王と彼の心の支えとなる事は難しいだろう。

 あの飛竜の群れとの戦いでも無様な姿を見せ、彼に取り立てられた後も至らぬところを見せては彼に助けられること幾数年。私はいつまで経っても彼の中では未熟な若輩でしかない事が歯痒かった。

 妹の為に国の為の献身を見せる彼が孤立していく光景が辛かった。

 私の内心を察してか、彼は嘗てこう言った。

 

 

『俺の心配なんぞするとはいつのまにか偉くなったもんだなぁベディ坊や。

まぁ、お前は剣と槍をぶん回す以外には際立って能が無い男だが気遣いはそれなりに出来る方だと思ってる。それでも支えるだとかデカい口を叩くには役者不足も良い所ではあるが、生憎とお前以外に王のことを案じてやれる奴がいないのも現状だ。

だからお前には、例えお粗末だろうが王を案じて自分なりの動きをしてもらわねぇと困るんだ。要らん気を回すのなら、テメェ自身のことか王の事だけにしとけ。それ以上の事が出来る程器用でもないだろうがよ』

 

 

 自分に心配は要らない。ただ王とお前自身の事だけ考えろと言って不敵に笑う彼の姿はまるで慈愛に満ちた父の様であった。

 なるほど、これならば王が慕うのも頷ける。彼女もこの包み込むような温かさを愛したのだろう。それは間違いなくどんな崇高な理想よりも尊い物の筈だった。だからこそ、誰かが彼を守らなければならなかったというのに。

 その事実をブリテンの騎士達が痛感した時には、全てが終わった後だったのだから救われない。

 

 彼はそんな騎士達を果たして憎んでいたのか、憐れんでいたのか。

 少なくとも一つだけ、彼が抱いていた感情があったことは私にも分かる。

 それは即ち“怒り”だ。

 客観的に王の置かれた状況を見回し、続いてブリテン全土の状況を目にした者ならば誰しもが抱くブリテン島そのものに対する怒り。

 私も、湖の騎士も、王妃も、あの兜の騎士でさえ禁じ得なかった怒り。果たして彼の中に生じたそれはどれ程の大きさだったのだろうか。

 

 私が思うに、これは誰かに罪がある話ではないのだと思う。

 彼がブリテンの滅びを、日が昇り沈むような自然さだと表現していた。

 国の滅びとは尋常なものではない。国土も人も何もかもが壊れ果てていく中、何もかもが悪しき方向へと巡って行く。この国を取り巻く様々な事柄が、全て噛み合わなかっただけなのだ。

 故に誰もが被害者であり、加害者だった。

 決定的な破綻の切っ掛けとなった彼もまた、最大の被害者であり加害者だったのだ。

 




《本編補足》

【細長い香】
 要するに煙草。
 ただしニコチン補給するための物ではなく眠気覚ましと疲労回復用の霊薬擬き。煙を吸うとわさびを鼻の穴に注入されるような感覚とタバスコを目薬みたく注がれる感覚を数段強くしたような衝撃が脳に走り、また身体から疲れが抜けやすくする作用を与える。
 ケイ兄さんは常にこれを吸い続けて気を抜いたら立ったまま気絶しかねない状態でも意識を保ち続けていた。戦闘時には相手に煙を吹き掛けて催涙ガスのように使う事もあったりなかったり……。
 因みに吸う際には携帯吸い殻入れ兼、吐いた煙を吸い込む機能を持った礼装で灰や煙を処理することも忘れない。


【飛竜】
 『ドラゴンとか妖精とか巨人とかエイリアンがいるからいても良いよね?』という作者の勝手な解釈で出て来たモンスター。まんまfate/goのワイバーン。
 一匹一匹はそれなりに腕の立つ騎士ならサシの勝負で倒せるが次から次へと湧いて出て来たせいでウザったい。
 ボスがやられたので群れは散り散りになり、後にとある人物の手駒として利用されるようになる。


【群れの主】
 飛竜の群れのボス。
 他の飛竜がモンハンのガブラスみたいなものなら立ち位置的にはリオレウスくらいには強い個体。雑種の竜である飛竜にしては比較的に純粋な竜種に近いがそこまで圧倒的な力があるわけではない。
 それでも下手な軍隊では太刀打ちできない怪物であることは事実で、使う前にやられてしまったが実は火を吐いたりも出来た。
 生の肉が喰いたくて街を襲い。助けに駆け付けたアーサー王御一行を雑魚飛竜で疲弊させ、弱った所を美味しく頂こうとしたが、ケイ兄さんの捨て身の戦法で体内に爆弾を呑み込まされたことで呆気なく致命傷を負う。
 実はそれで死んではおらず、生きてはいたが身動き取れない状態になり、最終的にはマーリンとケイ兄さんによって素材剥ぎ取りされてしまうことに……

【爆弾礼装】
 ケイ兄さんが魔術を学んでいく中で作り上げた簡単な兵器。見た目は野球ボールくらいの鉄球で、一つにつきC4爆弾5kgくらいの破壊力がある。ケイ兄さんはこれが4つ入ったケースを自分の右腕諸共食わせて群れの主の体内で爆破した。
 この後もケイ兄さんに多用され、更に改良を加えられて凶悪な代物になっていく。

【義肢】
 群れの主に食い千切られた右腕の代わりに取り付けた腕型の礼装。オートメイルっぽい。
 ケイ兄さんがマーリンとは別口で学んだ錬金術の知識と技術を用いて作られた。
 『頑張ったご褒美』ということでマーリンが制作に関わったことでかなりの完成度を誇る。またマーリンの遊び心で火炎放射機能を搭載されており、虫の息だった群れの主の心臓を埋め込んだ。
 飛竜の心臓から供給される魔力とケイ兄さんの魔力を動力源としているのだが、飛竜の心臓は純粋な竜と比べて魔力を生み出す機能が劣化していたり、飛竜の心臓から作られる魔力と自分の魔術回路が干渉する問題から、飛竜の心臓の魔力をケイ兄さんの身体に供給することは出来ない等、幾らか制限がある。
 その為、ケイ兄さんが別の魔術を使う際の便利な魔力タンクとか魔力炉としては使えない。基本的に火とか熱風を出すくらいにしか使えないし威力もイマイチだが、後にケイ兄さんの手によって魔改造を施されていくことになる。
 細やかな物で親指の先がライター程度の火を灯す機能が付加されている。


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第6話 兄のはなし 1

前回の話と時系列が前後しますのでご注意ください。


追記:後々になって申し訳ないのですが時系列が前後していましたので6話を外伝に修正しました。分かり難くて申し訳ありません。


 卑王ヴォーティガーンが討たれてから数年余りが経った頃の事。

 俺達は一連の動乱で破壊された城塞都市の復興に着手し始めた。

 『一番重要な戦いを飛ばすな』って思うかもだが、俺はヴォーティガーンとアルが率いる軍勢との戦いの場にいなかったんだから詳細な説明とか無理で~す。何があったのか大まかにしか知らないんじゃぁ教えようが無い。

 ただ相当激しい…と言うかギリギリの勝利だった事だけは確かだ。

 事実千人以上の腕利きを送り込んだって言うのに返って来たのはアルと人間太陽光発電騎士くらいのものだったんだからマジで信じられん。他の手勢が一撃でやられたって言うんだから冗談じゃない。

 

 アルの話によると、ヴォーティガーンは“白き竜の化身”の名の通りに馬鹿みたいにデカい竜に変身して襲い掛かって来たんだとか。

 山みたいな図体、青白い熱線を口から吐き出し、湖の貴婦人から与えられたビームソード(誤字にあらず)も効かなかったんだそうな。それって何て怪獣王?

 そのトンデモぶりもある意味で当然の事なのかもしれない。何せヴォーティガーンは“ブリテンそのもの”なんだから。

 ブリテンと、そこに息づく文明を滅ぼそうとする世界の意志の具現。神秘の薄れ行く現代にへばりつく俺達神代の生き残りの中に生じた自滅因子。

 つまるところ卑王は、単にブリテンを統べる部族達の結束を乱したKYジジイではなく、何らかの意思によってブリテンを滅ぼす役目を与えられた、それこそアルと同じような境遇の存在だった訳だ。

 

 奴を斃せたのはアルの第二の武器である聖槍があったからだろう。

 この世と神代に突き刺さった楔、聖者を貫いたあの槍と同一視されるそれは後の世に広く語り継がれる星の聖剣と同等の超兵器だ。

 ぶっちゃけどっちも生身の人間が振り回して良いような代物じゃぁない。だから妹よ、ヴォーティガーンを斃してご機嫌なのは分かるがその物騒な物体X及びRを掲げて『勝ちましたよ~兄さ~ん』とか言いたさげに嬉しそうな顔しながら近づいて来るのは止めなさい。

 刃物を手に走って来るキチガイなんて目じゃないから、怖過ぎだから。剣と言う名のビーム砲は不老不死になるとかいうチートな鞘に仕舞いなさい。そしてダ○ソン掃除機の如きサイクロンドリルランス的な槍も背中に引っ下げておきなさい。専用ホルダー作ってあげたでしょ。

 

 湖の貴婦人も何たって人間にこんなもんくれてやったのか。まぁアルが選定の剣を折った…と言うか砕いちゃったからなんだけれども。

 よもや、おニューの剣を求めて湖の妖精の所を訪ねた先で神造兵器が出てくるとか思いもよらなかった。更に言うならこんな物騒な兵器を自宅にいくつも持ってる妖精連中が滅茶苦茶怖くなった。

 可愛らしくて悪戯好きとかメルヘンな妖精なんていなかった。本当に二次元世界に入りたいと願ってた前世の知り合いがこの世界に生まれてこなくて良かったと思う。次々と夢をぶち壊しにされて発狂しかねない。

 かく言う俺だって剣貰いに来ただけだってのに神秘溢れる世界のスケールのデカさを思い知らされて胃袋が悲鳴を上げ始めていた。こんな色んな桁がインフレ起こしてる世界観で死ぬ思いしていかなきゃならないとか、俺の胃SAN値はもうゼロだ。

 アルはアルで新しい剣を貰ってご満悦の様子。だが妹よ、お前カリバーン失くして今にも死にそうなくらい真っ青になってたのに変わり身早いなコラ。

 ついでに言うと事実を隠蔽する為にそこら中走り回ってた俺への労いとかは…直後に礼を言って来たので良しとする。

 

 何はともあれ、これにて選定の剣に纏わる問題は一旦解決となる。

 ホントに一時はどうなるかと思ってたが、その辺は良くも悪くも“選ばれている”アルの性質故か、とうとう世界的に有名になる最強の聖剣エクスカリバーが手に入ったわけだ。

 

 

 

 

 一連の騒ぎが起こったのは俺達が諸侯を纏め上げつつ異民族や蛮族との戦いに明け暮れていた時の事だ。

 いつもの通りに領土欲丸出しで上陸して来たサクソン人を皆殺しにしていく大変なお仕事の最中、間の悪い事にブリテンゴキブリ集団の襲撃を同時に受けてしまったのだ。

 しかもサクソン人共にも襲い掛かってるって言うのに奴らは俺達の事しか眼中に無いみたいに襲い掛かって来やがって戦場は大混乱に陥った。

 マジで何なのコイツら?横から味方が殺されてるのに目の前の敵を倒すことしか頭にないとか完全にイカレてる。

 

 俺達との戦いで既に消耗していたサクソン人は、ゴキブリことピクト人からの攻勢にも晒されて勢力を大きく削がれた状態にあった。

 そこで俺はアルやベディ坊やが率いる本隊にピクト人の相手をさせ、俺の率いる別動隊がチクチクとサクソン人を削りつつ時間を稼ぐという作戦を決行。アルには渋られたが押し切った。

 確かに俺は正面切って戦うってのは苦手じゃないが避けたいのが本音なチキン予備軍だ。そんな奴が数で勝る相手に捨て駒同然の戦いを挑むとか心配にならない方がおかしいだろう。戦力の分散が本来間違った判断であることも理解している。

 俺だってらしくない事やってる感はあったが、最早らしいとか戦いのセオリーとか拘ってられないような状況だ。気合で乗り切る以外に無い。結局俺の気合とか関係ない結果に終わったのだが。

 

 確かに多勢に無勢で戦況は終始芳しくなかった。あっという間に踏みつぶされる事こそ無かったものの、戦線は徐々に押し込まれつつあった。流石に指揮官気取りで後方から旗振ってる訳にもいかないので俺自身も十八番になりつつある斬って焼いて吹っ飛ばす何でもありの戦い方で応戦したが全体的な戦況は変えられない。

 そろそろ拙いかと冷汗を浮かべ始めた頃、俺は包囲されつつある状況から逃れて一旦仕切り直しを図るべく敵を斬って回る傍ら、さり気無く落としておいた爆弾礼装合計8発を同時に起爆させた。

 『味方を巻き込む気かよ』とか思うかもだが、足止め部隊はその時点で既に敵に押されて大分後退していたのである。

 よって俺が礼装を撒いていた地点にいるのは現状敵兵のみ。遠慮なく吹っ飛ばせるわけだ。まぁ大して効果無かったんだけれども。

 ちょっとしたプラスチック爆弾以上の爆発が起きても敵の軍勢を全員纏めて消し飛ばせるわけじゃない。部隊全体で見れば、ビックリさせて少しの間動きを鈍らせるくらいが精々だ。程無くして態勢を整えて向かってくるだろう。

 

 だがそこで状況が一気に動いた。足止め部隊に組み込んだ俺の同僚兼茶飲み友達兄弟が、敵の気勢が挫かれた隙を突いて某無双ゲーばりに大暴れを始めたのだ。

 陣形の崩れた個所を内側から広げて行き、兵を突っ込ませられるだけの隙間を作ってみせた。尽かさず兵を突っ込ませて敵陣を真っ二つにした俺達は、その後も兄弟の尽力に助けられて敵の指揮官と思しき人間を討ち取る事に成功した。

 指揮官を失って瓦解したサクソン人の部隊を適当に追い払いながら、俺はブリテンの騎士を侮っていたことを強く実感した。

 マジで何なのアイツら。リアル二刀流で竜巻か何かじゃないのかってくらいに押し寄せて来る敵の大群を切り刻んでたんだが鬼人化でもかけてるのか。アレで本当に俺と同じ種族なんだからブリテンってマジ魔窟。

 

 何はともあれ、通称野蛮兄弟による二刀流無双もあってかサクソン人は尻尾を巻いて逃げ帰った。

 足止め部隊の方が本隊よりも先に敵を片づけてしまうという常識的に間違っている事態にはなったが、良い方向に転んだことは事実なんだからあれはあれで良かったんだろう。たぶんきっと、メイビー。

 だが、本隊の状況は此方とは対照的に芳しくない。何でもピクト人の親玉格のデカい個体が現れて大苦戦を強いられているんだそうな。

 巨大ピクト人とか考えただけでも胃がねじ切れそうになるくらい鉢合わせたくない相手なんだが、兄としてはアルを放っておくわけにもいかないわけで。

 半ばヤケクソで加勢に入ってやっぱり後悔した。前世で“鎧土竜”ってネット検索した時の感覚を百倍にしたような最悪な気分だった。

 ウチのもんに続いて何なのアレ?本当にこの世の生物なのか?そろそろ本当に連中が幻想種とかじゃなくてエイリアンの類だって言われても疑わんぞ。

 そんな常時モザイクかけとかないといけない類の怪物と対面した俺は二刀流兄弟と共に戦線に加わった。と言っても俺は主に親玉の周囲にいる兵隊連中の相手をしていただけなんだけれども。

 

 流石にあの二人が加わればすぐに片が付くと思っていたんだが、流石はピクト人の親玉というべきか一筋縄ではいかない。

 斬られる度に強酸性の血をぶちまけ、武器を失くしたら爪と牙で応戦するという完全に人間を止めてる戦法を取って来る。その内インナーマウスとか出してくるんだろうか。

 増々宇宙ゴキブリの異名を持つエイリアンと同種疑惑が浮上して来た敵の猛攻に晒され、最初に二刀流兄弟の弟の方が負傷し、次に駄騎士党イエスナイト部隊筆頭格のお日様騎士が昼頃を過ぎてしまったせいかダメージを遮断出来ずに吹っ飛ばされ、吹っ飛んで来たお日様騎士が激突してきたことで俺も暫く悶絶する羽目に。不幸だ。

 

 戦況は最悪な方向に転がって行き。形振り構っていられなくなったアルは最後の手段として選定の剣に備わっている最大の攻撃手段、簡単に言えば魔力レーザーをぶっ放す機能を使った。カリバーンが放つ光を一つに束ねて照射する機能を全霊の魔力を込めて放ったのである。

 吸い込まれるようにしてピクトキング(仮)に飛んでいくレーザーは、奴が防御に回した手をすり抜けて直撃した。

 直後にピクト人の五体が木っ端微塵に砕け散り、危うく体液を浴びかけた俺を冷や冷やさせながらもアルは勝利をおさめた。

 周りに敵が残っている現状で勝鬨をあげるアイツの姿は正直なところらしくなくて違和感が大きかったが、その場のノリで誤魔化さないといけない状況に陥っていたからこその行動だったのだろう。

 

 少し話は変わるが、アルの持つ選定の剣カリバーンはそんじょそこらの剣とは比べものにもならない名剣ではあるものの、決して戦闘用に作られた代物ではない。あくまで王を選ぶ為の儀式に用いられる物。即ち“儀礼用”の剣なのだ。

 だから兵器として使用する際の出力や強度は初めから戦闘用に作られている聖剣とか魔剣の類には遠く及ばない。

 そんな物に竜種の機能を付加されたアルの膨大な魔力を注ぎ込んだらどうなるのか。それはアイツの足元に散らばる選定の剣だった残骸が物語っていた。

 

 

 王にしか扱えず、その資格を持たない者が振るえば折れるという選定の剣が砕けた。それは見方によってはアルが王としての資格を失ったと受け取られる可能性もある非常事態。

 知れ渡ればどのような混乱が巻き起こるのかは一々説明しなくても分かるだろう。盲目的に着いて来る奴も割と多そうなのが何とも言えない所ではあるが、大っぴらに広まって良い類の話ではない。例えそれが誤解であったとしてもだ。

 俺は騎士達に誤解が広まらぬよう目撃者を洗い出し、事の口外を禁じた。間近でそれを見ていたあの兄弟は素直に俺の言葉を聞き入れ、協力を申し出て来た。もう一人にも何か言った気がするが割愛する。答え何て分かり切ってるし。

 俺達は三人がかりで目撃者を探し、その殆どが親玉を失っても暫く戦いを止めなかったピクト人の手に掛かっていた事実を知った。それを喜ぶのは人としてどうかと思うが、一先ずは安心だ。

 

 今の所は変な誤解が広まっていないことは分かったが、このままでもいられない。

 大将なんだから後方で大人しくしてて欲しいのに毎回先陣切って敵に突撃かますアルは今後も続く戦場で剣を振るう姿を敵味方問わず何度も目撃される事になるだろう。

 そこでカリバーンを使わずに戦い続けていたらどうなるか。何故王の証である選定の剣を使わないのかという疑問が騎士達に生まれ、やがてそれがカリバーンを失ったからではないのかという推測に繋がるくらいにはこの時代の噂話も中々の飛躍っぷりを誇っている。

 事実は異なるが、一度噂になったことは例え間違いでも世間の中では本当の事になる嫌な風習だ。

 前世でもマスコミが芸能人とか政治家のある事無い事を報道した結果、尾ひれに加えて羽まで生えそうな勢いで誇張され、大分後になって『あの噂はデマだった!?』的なテレビ番組でお茶の間に放送されるのと同じ原理である。

 

 ここで適切な対処とカバーストーリーの作成を迅速に行わなければ、ありもしない噂話がドデカいスキャンダルに発展していく恐れがあった。

 戦後の損害把握と欠けた分の戦力の補充や負傷者への対応、辛勝に伴う周辺諸侯の評価と動きの情報収集、様々な事に目を光らせておかなければならない現状で更に火種刈りの仕事まで加わった。もうゴールしてもいいですか?駄目ですよね~分かってますよクソッタレ。

 

 とりあえずアルには俺が即行で作った『カリバーン(仮)』、略して『仮版』を渡した。実物には劣るがアルが持ってる分にはカリスマ補正で多少は輝いて見えるだろう。あの駄騎士連中なら最低限見た目だけ取り繕ってれば疑う事すらしない事は今までの経験で理解してる。

 それはそれで悲しいのやら腹立たしいのやらで釈然としないものの、今は助かるんだから目を瞑っておこう。何せ問題は根本的に解決しちゃいないんだから要らんことを気にしてる余裕は無い。

 

 確かに仮版は見た目だけならそっくりだし俺が錬金術と魔術の知識と技術を集結させて作った一品だが、所詮は贋作の聖剣だ。これから更に激化していくであろう戦いに耐えられるとは思えないし、確実に性能不足である。

 更に、アルが不当不滅の理想の王であることの条件として不老不死と言う無敵性があった。今まではカリバーンが持つ力がこれを担っていたのだが、生憎と現在その効果は聖剣の喪失と同時に失われてしまっている。

 俺としては不老不死の特性のせいで妹がいつまで経ってもちんちくりんなのは納得がいかない。このまま女性らしく健やかに育っていってほしいという願いはあった。

 だがこのまま成長していくと、その内確実に性別を偽れなくなるという確信があった。何せアルは今より更にちんちくりんな頃から一目で将来とびきりの美人になると分かる程の美少女なんだから、流石にウチのアホンダラ共でも女っぽい美少年だとか思えなくなるだろう。

 それを避ける事は、確かに臣下としては正しい行いであり、アルの身分詐称を隠蔽する為には必要な措置なのだろう。やっぱり納得は出来ないが。

 

 兎に角、不老不死に関してもそうだが単純な武器として性能面でもより良い物でなければならない。

 事実、カリバーンですら最近はアルの魔力に晒されるたびに軋んでるような状態だったのだ。ここいらで本格的にアイツの武器として相応しい強力な得物じゃないと、王の資格云々以前に、その内勝手に砕け散る羽目になっていただろう。

 

 そこで登場したのが我がクソ師匠ことマーリンだった。

 普段は正しく便所の鼠のクソにも匹敵するような下らんことしか言いやがらないが、今回に限っては割と真面目な様子でアルに相応しい武器に心当たりがあるという話を持ち掛けて来た。

 とは言え、此奴の普段の悪ふざけっぷりを知っているだけに俺とアルは全く同じタイミングで全く同じ胡散臭そうな顔をした。事実俺はつい最近コイツの悪ふざけで半日ほど性転換させられるという地獄を見せられた。

 

 アルが女であるという根本的な問題点を解消する為とか、そんな話に乗ってみれば『おおっと手が滑ってしまった~』だのと棒読み台詞と共に良く分からんビームを撃って来やがったのだ。その時の奴の表情は実に楽しそうだったから忌々しい。

 ビームが命中した直後、自分の身体が自分の知るものでなくなっていた感覚をこの時代に生まれた時ぶりに味わった。

 俺は一生忘れられない衝撃を受け。そして何故か女にされちまった俺の姿を見たアルまで精神的なダメージを受けて事態は無茶苦茶なことに。

 最近酷くなって来た肩凝りへとダイレクトに追い打ちをかけて来る重量感と半日の間とは言え突き合わねばならず、その上仕事を滞らせるわけにもいかなかった為に女の姿のまま財政と物流と人事と軍備と情報収集と土地の整備の管理を人目につかないように注意しながら処理する羽目になったのだ。

 

 その様子をご自慢の千里眼で観察してやがった碌でなし魔術師の行為を未だに忘れていない俺とアルは表情の動きが完全にシンクロしていた。それが面白かったと言うマーリンの爆笑していたのが更にイラッと来た。そのカラフルヘアーを火炎放射でアフロにしてやろうか。

 あの愉快犯魔術師を愉しませることになったのは癪だし思い通りになるのも甚だ不愉快ではあるが、奴はアルが新しい力とかを得る分には割と真面目になるからこの手の話に嘘は無い。

 2時間ほどの話し合いの後にそう結論付けた俺達は妖精が住むという湖に向かう事となった。

 

 

 アルとクソ師匠と俺は三人だけで森に入り、俺だけが獣やブリテンゴキブリの一匹も出やしないかとビクビクしながら奥へ奥へと足を進めた。

 俺としてはさっさと貰う物貰って帰りたいのが本音だった。

 必要な事とはいえ、俺とアルが抜けたら冗談抜きでウチの軍勢は完全に活動がストップする。半日も放っておいたら両手と足の指を総動員しても数えきれない不手際やら何やらが積もっていくのだ

 クソ師匠は気を張り過ぎてるとか文句言ってきやがったが、色んな心配事で気が気じゃないんだから多少カリカリしていようが文句を言われる筋合いも無いと突っ撥ねてやった。

 そのまま更に嫌味の一つも言ってやろうとした時、突然目の前の風景が切り替わり、青いと言うよりも透明という表現すら出来る程に澄んだ湖が現れた。

 暫くその場に突っ立ったまま呆けていた俺は湖のほとりに立っていた女に話しかけられて漸く我に返った。まぁ女が話しかけたのはアルだけだったんだろうけれども。

 

 女は『貴方が落としたのは金の聖剣?それとも銀の聖剣?』なんてアホな事を聞いたりせず、鞘に収まった一振りの剣を手渡した。鞘が妙にデカいと思ったのは内緒な。

 アルが鞘から剣を抜くと、周囲を木によって囲まれているせいで若干薄暗かった周囲の景色全体を照らす程の金色の光が刀身から放たれ、思わず目を瞑る程だった。

 それこそが地上の星にして最強の聖剣エクスカリバーだと語った女はアルにしか聞こえない声量で二言三言何かを語った後に霧のように姿を消した。妖精って幽霊みたいなもんなのか。

 

 

 こうしてアルはカリバーンの代わり…というかもっとヤバい得物を手に入れた。

 新しい選定の剣以外の武器を使い始めた事について騎士達には、大苦戦を強いられた前回の戦いの反省からより強い武器を求めた結果、王は湖の妖精から新たな聖剣と不老不死の力を与える鞘を与えられたのだという噂を先に流し、後にアルの口から直々に騎士達へ語らせた。

 要するに『カリバーンは失くしてないけど前回のピクト人でも楽々倒せる武器が必要だと思ってたら湖の妖精が聖剣くれました。こっちの方が強いからカリバーンはお蔵行きになっただけ』という受け取り方をされるようある程度調整を入れつつ先んじて噂を流し、後に本人の口から噂と同様の情報を流すことで真実味を持たせたのである。

 

 何度も言うようだが噂とは真偽は問わず広まった時点で本当の事と世間では認識される。その性質と、王の事に関しては耳障りの良い話題限定でポジティブシンキングになるアホ騎士共の心理を逆手に取りカリバーンが折れたことと、それによる王権の喪失という誤解の発生を起こり得なくしたのだ。

 言葉にすれば単純な事なのに、いざ実行に移すとなると死ぬほどしんどい作業の連続だった。

 まず事の顛末を知っている二刀流兄弟に噂を流させて、どのように広まっているのか変な発展の仕方をしていないのかさり気無く観察して最後にアルに演説させるタイミングをうまい具合に見計らう。

 誤解を引き起こさない為の措置なのに情報統制してるみたいで悪代官にでもなった気分だった。

 

 アルとしては騎士達を誤魔化すような真似はしたく無いのだろう。本当の事を一から十まで詳らかにすべきと最後までごねられた。

 その言い分も分かる。事実、この情報操作だって考え方によっては無駄な事でしかない。放っておいても都合の良い解釈をしてくれる期待を持てる程度にはどいつもこいつも幸せな精神構造してやがる。

 だが人間の心理とは必ず何処かに捩じくれた部分を持っているもので、それはあの見た目だけなら格好のついている騎士共にも言える事だ。

 

 戦乱の只中に在り、未来に光明の見えないブリテン。そんな絶望の只中で戦っているアイツらが自分達を率いる人間を拠り所とし、その素行や言動に対して過敏な反応を示すことはある意味当然の事である。

 前回の戦いでも他の騎士と連携した王ですら苦戦させられる程の敵が現れたのだ。もしかしたらこの先もあんな相手と戦わなければならないのかもしれない。その時、王は勝つことが出来るのか。

 盲目的に付き従う輩が多いと前に言ったが、そういう奴ほどちょっとした失敗や醜聞が致命的な疑心と失望へと繋がる恐れがある。

 

 アルは理想の王として在ろうとしているのと同時に、その姿に憧れ付き従う騎士共の思う理想を押っ付けられた状態にあるのだ。常に先頭を走り続ける為には奴らの思う“完璧な王”であり続けなければならない。

 だからちょっとした失敗や悪い噂ですらも押し付けられた理想をぶち壊すには十分だ。

 何せ完璧な王なのだから失敗何かする筈がないし、してはいけない。失敗するならそいつは完璧な王ではなく、理想の王も偽物だ。奴らはそう判断する。

 

 そんな馬鹿げたことをたった一人の人間に願う腐れ畜生のファッキンナイト集団には百回殺しても晴れない怒りを覚える所だが、当のアルが奴らに望まれるでもなくそのように生きようとしてやがるんだから嫌になる。

 昔からちょっとした失敗だけでも大袈裟に落ち込む悪癖のあったアイツが、そんな綱渡りをしているなんて見てられないなんてものじゃない。

 

 事実、アイツはカリバーンが砕けた時、俺がその理由について何度説明を入れても心の何処かで『自分が王としての資格を失ったのでは?』という疑念を抱き続けた。理想の王としての在り方を貫けない自分の情けなさに死ぬほどの衝撃を受けていた。

 俺から受け取った贋作の聖剣で戦場を駆ける時も、いつバレやしないかと俺以上にビクビクして、他人の目が無い所で青ざめる毎日を送っていたのだ。

 あんまりにも見ていられなかったものだから下手くそな木彫りの、鮭を捕る小鳥なんかを作ってやったくらいだ。何で鮭を捕る小鳥なのかって?ググれ。

 

 ただのつまらん誤解ですらこんなことになってるんだから本格的に悪印象が広まり始めた時にはとうとうアルは潰れてしまうのではなかろうか。

 そんな未来が現実になるのが恐ろしいからこうして火消しと火種刈りに勤しんでいる。そのお蔭で今回の騒ぎも結果的に良い方向へと収束していった。

 

 『王には湖の妖精の守りが加わり、更に星の聖剣の力も合わさったことで無敵性に拍車が掛かった。これで王に敵う者も阻める者もいない』と騎士共は口々に王を称え、誇った。

 アーサー王の輝きが際立つほどに、騎士共は王の放つ光に目を眩ませる。そうすれば余計な所に目が行く心配はないのかもしれない。

 士気と共に視野が狭まっていくこの現象は危険な兆候だが、騎士道精神と戦の誉れが尊ばれるこの時代に於いて、勝ち続けることと強さを求め続けることを止めては人々の希望になる事など出来ない。

 尋常な人間では、尋常ではない絶望に包まれたブリテンの人間は希望を抱かない。卑王ヴォーティガーンの引き起こした混乱は、荒んだ人々に人の中に在って人を超えた力を持つ救い主を求めさせた。そんな望みの体現がアーサー王だ

 だからアルは騎士共に弱みを見せられない。失敗できないし、失望されるわけにもいかない。変な噂を立てられるだけでもアイツにとっては大ダメージになりかねない。

 そうさせない為に俺が動いたのだとしても、結果的にそれが理想の王としてのハードルを余計に高める結果になっている現状に焦燥ばかりがつのっていった。

 

 そうする以外に無いとは言え、何れ確実にこの流れは破綻する。

 この悪循環が齎す結末は決まっている。俺が知る数少ないブリテンの未来の情報であり、アーサー王伝説の顛末。即ち内部分裂による国家の崩壊だ。

 誰かが裏切ったとか他国からの干渉があったとか、詳しい事は分からない。しかし確実にその結末へと至る土壌は出来上がりつつある。多分俺がいてもいなくてもそれは変わらなかっただろう。

 アルは理想の王であり続けて、自分の未来を自分なりに考える事を止めた騎士や国民共は、盲目的に王を信じ縋った果てに自分達の信じたものが望んだ理想の形を示さなかった事に失望する。

 そしてこれから起こるであろう事象の責任を押っ付けるだけ押っ付けて離れていくのだ。

 

 

 初めはただ新しい剣を取りに行くだけの話だったのに、聖剣を掲げるアルの姿に熱狂する馬鹿共を遠目に眺めて、俺はどうしようもない結末を垣間見た。

 更なる栄光、名声、戦功、力を手に入れる王へと絶対的な信頼を置いているように見える此奴らが最期にアルへと送るのは不義と不理解だ。俺が先んじてそれらを引き受ける決意を決めたのも丁度この頃だったと思う。

 アルが光を放つのなら、俺はそこから生じた影を呑み込み踏み砕いて行く。

 

 きっと大勢の人間を殺し、恨まれる羽目になる。

 大抵の人間には認められないだろうし嫌われることは間違いない。

 それが平気かと言われれば嘘でも肯定出来ないだろう。何せ俺はそんなに強くはないんだから。

 ただ往生際が悪いだけ、それだけの事でここまでアルに着いて来た。

 アイツの意思を変えられなかったからには俺に出来るのはアイツの味方であり続けることだ。

 それがだけが、あの馬鹿妹を孤独から救ってやれる唯一の手段だと信じていたから。それで精一杯だったから、俺は肝心な事に気が付けなかったんだと思う。

 

 アルの側にいてやれるのが俺一人のままじゃ、俺がいなくなった時は誰がアイツの側にいてやるんだって。

 俺だけでアイツを支える為とか突っ走っても俺が倒れたら元の木阿弥だって、気付くのが遅すぎたんだ。

 




《本編補足》

【ヴォーティガーン】
通称卑劣様…じゃなくて卑王様。
ブリテンを救う赤い竜の化身とかいうアルトリアとは対照的なブリテンを滅ぼす為に誕生した王様。
アルトリアの軍勢を一瞬で蒸発させてガラティーンもエクスカリバーも通用しなかったモノホンの化け物。最終的に槍トリアのメイン武器であるロンゴミニアドで倒される。
怪獣化するとデカイ竜なのだが、中身はヨボヨボの爺さんでGOAでも死に際に呪いを残していった。
ある意味アルトリアが王様になったのはコイツを倒すためだったとも言える。程に強大な敵だったらしい。
因みに父親の仇なんだがアルトリアには終始仇討ちとかの意思は無かった。ウーサーェ…


【湖の妖精】
エクスカリバーの元の持ち主。
アーサー王伝説にもちょくちょく登場する人で複数人いる模様。
エクスカリバーもそうだがガラティーンとかアロンダイトとかの物騒な代物を持ってるという客観的に見ると恐ろし過ぎる人達。ケイ兄さんに対しては基本的に無関心。


【魔力レーザー】
 カリバーンが持つ最大の攻撃法。fate/goでは黒ひげの発言から半ば公式ネタとなりつつある対男性宝具。金色のレーザーが丁度敵サーヴァントの股間を打ち抜く光景に微妙な気分にさせられたマスターは多い筈。


【仮版】
 砕け散ったカリバーンの代わりにケイ兄さんの作った贋作のカリバーン(仮)、仮バーンとも言う。
 ケイ兄さんの持てる技術を総動員して作られた贋作にしても強力な剣であり、元々戦闘用に作られている為か単純な武器として使う分には真作よりも使い勝手が良いと言う。
 単純に頑丈な剣であると同時に所持者にある程度の回復魔術を掛けてくれる。


【ピクト人】
兜やマーリンの口から語られるまで謎に包まれていた化け物揃いの円卓ですらてこずるBANZOKU。
マーリンの発言からするに竜種や巨人、妖精等の幻想種と同列の不思議生物で、ケイ兄さんの胃SAN値に最も多くのダメージを与えたエイリアン。
本作においては火星ゴキブリと映画の方のエイリアンを足して割ったような怪物で、兵隊ピクト人と、アルトリアに股間を吹っ飛ばされた幹部ピクト人と、少数のピクトクィーンが存在し、長らくケイ兄さんの胃を苦しめ続ける事になる。


【サクソン人】
本土から領土欲しさに何度でも押し寄せてくる知恵を持った“人間”
ある意味幻想種よりもタチが悪い連中でケイ兄さんの胃痛の種その2でもある。
神代の空気が残るブリテンに現代法則を運ぶ役割を世界から与えられた勢力で、こいつらがブリテンを侵略するにつれて土地や空気まで現代色に染め上げられて行く。
侵略されないとブリテン島が豊かにならない酷過ぎる状況が型月クオリティ。


【二刀流兄弟】
円卓結成前にアーサー王に仕えていた騎士にしてアーサー王伝説中最大の踏んだり蹴ったりに会い、とんでもないうっかりをやらかしてしまった人。
兄の渾名が『野蛮』『蛮人』と言うバーサーカー認定を受けており戦場では二刀流で大暴れしていたんだそうな。
本作に於いては、兄は戦場でこそ大暴れっぷりを見せるが、それ以外では温厚で優しい性格をしているホンワカ系のイケメンで何気にアルトリアが女である事にも気付き心配していた数少ない常識派。
弟は兄ちゃん大好きな血の気の多い若造で何処と無くサスケェっぽさがある。
常識派だった為かケイ兄さんとも波長が合い友達になる。そのつながりでベディ坊やとも親交があった。
頭の良い方では無いが頭が硬い脳筋でもなくケイ兄さんの献策にも理解を示してくれる良い人。
子供の頃、見知らぬ女に母親を惨殺された過去があり、今も仇を追っているんだそうな。
実の所、この二人を題材にした作品を作ろうかと思ってたくらいにはアーサー王伝説中で作者のお気に入りの人だったりする。


【性転換】
モルガンがアルトリアに使用した魔術と似て非なるもの。
マーリンが悪ふざけでケイ兄さんに使ったところ、身長180cm越えの吊り目でロングヘアー、そして3桁代に届きそうなほどの胸部装甲をお持ちのナイスバディ、通称“ケイ姐さん”が爆誕した。
ケイ兄さんに取っては忘れたい黒歴史でもある。


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第7話 兄のはなし 2

 7話にて書いたピクト人とアルトリアとの戦いの場面でfate/goをやっている方にしか分からないような事を書いてしまい読者の方々に不快な思いをさせてしまいました。本当に申し訳ありませんでした。
 問題となった部分は修正しましたが本作を楽しみにして頂いている皆様に、一部の方にしか分からない話を入れてしまった事を重ね重ね謝罪いたします。
 これからは読者の方々の事も良く考えて上で書いた文章を投稿して行こうと思いますが、それでも問題点となる部分があったのならばどうかご指摘していただければ幸いです。






 今日も今日とてお仕事三昧。城塞都市の復興状況はあまり宜しくない。

 何せハリケーンでも通った跡のような惨状なのだ。重機も無い完全な手作業じゃ瓦礫の撤去もままならない。

 辛うじてスコップとつるはしと荷車がある程度、前世の時代とは効率は比べものにもならない。勿論悪い意味でだ。

 数百人規模の人員を投入したと言うのにこれだ。果たしてまともな城の形に出来るのは何時になるのやら。

 城壁の損傷具合、修復に必要な資材の量、修復作業と資材搬入に必要な人員の配置、その他諸々やる事はびっしりで、現時点からして仕事の山の中で遭難しかけている。

 どこぞの怪獣王みたいな巨大モンスターに変身した卑王が暴れ回ったんだから仕方が無いとは思うが、あんなのが自然発生するとか本当にブリテンは地獄だぜぇ。

 

 更に嫌になって来るのが目下最大の脅威であった卑王を倒したと言うのに、土地目当てで本土から侵入を図るサクソン人と、同じ惑星の生物とは思えないブリテンゴキブリことピクト人との戦いが激化の一途を辿っていることだ。

 復興作業も完遂していない現状で、ヴォーティガーンとは別の意味で性質の悪い連中が引っ切り無しに攻め込んで来る。ブリテンに暗黒期を齎した怪物が討たれたと言うのに、この国の未来は暗いままだった。

 

 そろそろ休暇の一つも欲しい所なんだが、生憎と俺が一日サボってる間に一週間かけて漸く取り戻せるくらいの問題や事案がそこら中からポンポン湧いて来る。

 ベディ坊やを筆頭に、文官の仕事も出来る騎士達のお蔭である程度はマシになって来てはいるが、この国に於ける事務仕事のブラック加減は頭おかしいレベルだと思う。

 ぼちぼち文官の登用も本格化していかないと後々拙い事になることは想像に難くないが、それはそれで人事も担当してる俺の仕事をまた増やすことになるわけで。

 

 最近開発した意識覚醒及び疲労回復用の霊薬が無ければとっくの昔に過労でぶっ倒れてる。最悪二度と目覚められなくなってるかもしれない。

 煙草みたいな見た目と吸い方にしちまったのは完全な偶然だ。前世でも吸ってなかったし正直嫌いだったから抵抗あったんだが、慣れれば我慢できない事もない。好きにもなれないが。

 とは言え、あんまり吸い過ぎてると過労の前に肺癌で永遠の眠りについちまうかもだからある程度は控えよう。

 今も他の騎士の前では流石に控えてはいる。煙草の“た”の字も無いようなこの時代で口から煙吐いてる姿何ぞ見られたら普通に珍獣だ。

 今更悪感情が積もっていくのは構わないがベディ坊や達にまで変な勘違いを起こされると流石に凹む。

 

 まぁ俺の事は良い。否、良くはないがこれはこれで平常運転だから今更文句言っても仕方が無い。問題はアルの方だ。

 ヴォーティガーンを討ち、ウーサー王の敗北から続いたブリテンの暗黒期は終わりを告げた。しかし全体的に見た国の状況に大した変化は訪れなかった。

 結局戦いは終わらず、国土は痩せ細り、国民はひもじさに苦しんでいる。

 こんな現状をアーサー王ならば打ち破ってくれると信じていた国民達の落胆はやがて小さな悪意を芽生えさせた。

 

 

『アーサー王は輝ける王ではなかったのか』

 

『アーサー王に従っていれば豊かな国になるのではなかったのか』

 

 

 国民共が嘆き、王への不満を口にするのはある意味で仕方の無いことではあった。何せそれが弱い人間の心理なのだから。

 自分達に現状を打破できるだけの手段も気力も無いのなら、出来そうな奴に乗っかっていくのは当然の判断だし厳しい環境を生き残っていく為には必要なことだ。

 だからアーサー王に、理想の王に国の平和と自分達の安寧を願うことを弱者の身勝手と断じるのは些か酷だろう。納得がいくかどうかは別としても。

 

 ハッキリ言って良くない傾向である。

 王に対する不満がこのまま蓄積していくと、近い内に国民だけでなく騎士の心も離れていく可能性が非常に高い。

 俺が引き受けている騎士共の悪感情が少しでも王に向けられれば、奴らは意識の有無に関わらず自分達が認められないアーサー王の一面を見つけ出し、人間として正し過ぎる王の姿に恐怖する。

 今でこそ、村を干上がらせて戦に臨むようなやり方は俺の口から騎士達に伝えられるようになっている。

 だがこんなものはアルならば自分だけでも考え付いて実行に移せるだろう。更にそれを嫌って離れていく騎士がいるのであれば、そいつらを囮にして敵の目を逸らすくらいの事は簡単にやってのける。

 合理性の塊のような理想の王の恐ろしさを思い知った時、今でこそ忠義面してる輩の内、どれだけの数が残るのか。

 今でさえ騎士共に囲まれていながら孤独であるアルが、その騎士共にすら疎まれるようになった時には本当にアイツはブリテンに於いて孤立することになる。

 

 忌むべき事態を避ける為には兎に角火消しが必要だ。即ち不満の源泉となっている問題を一つずつどうにかしていかなければならない。

 結果的にどうすべきなのかは分かり切っている。連中に望むものをくれてやれば良い。

 争いの無い平和な国、貧しさとは無縁の豊かな生活。これらをくれてやれば、今でこそ何もしない自分達を棚に上げて文句ばかり垂れる馬鹿共も口を閉ざすだろう。

 だが一概に平和や豊かさと言っても実現するのは難しい。既にほぼ死んでいると言っても過言ではないこのブリテン島に於いては特にだ。

 

 ブリテンの国土は相も変わらず痩せ細っており、作物はまともに育たない。飛竜を始めとする魔物の類やゴキブリ蛮族共のせいで育った作物が無事で済むとも限らない。

 こんな土地を狂ったように奪い取ろうとして来るサクソン人は何度撃退されても懲りずにやって来るから当分平和とは無縁だろうし、豊かさはさっきも言った通りの有様なので保障のしようがない。

 元々この現状はアルの統治に問題があるだとか、長い動乱の影響だとかで形成されたのではない。ブリテン島そのものが抱えた問題なのだ。

 

 ブリテンは本土から海を隔てた異境の土地であり、西暦に入って加速度的に神秘が失われつつある世界に於いても未だに神代の空気を色濃く残している。

 竜種や腐れエイリアン蛮族、そして今日も今日とて女を引っ掛けて遊び回る大事なお仕事で忙しいクソ師匠のような夢魔が存在しているのもその為だ。

 周りには現代の動物しかいなくなったのにも関わらず、未だ恐竜とかが生息しているような場所がブリテンだ。故に、俺やアルを含めたブリテンで生まれ育った人間達もまた神代の生物の生き残りとも言える。

 

 そんなブリテンが侵略に晒されているのは、何も異民族の侵攻によるものだけではない。

 奴らがブリテンを侵略すれば、ブリテンの空気と土地そのものが現代のものに塗り替えられていく。謂わばこれは世界と言う一つの生き物が次の形に変化する過程で起こる生理現象のようなもの。

 古い細胞を壊し、取り込んで新しい細胞を分裂させていくことによって身体を作り替えていく。

 新しい細胞とは異民族や本土に充満している現代の空気と法則であり、古い細胞が神代の空気と神秘が色濃く残る世界法則、そして俺達ブリテンの人間達だ。

 つまるところブリテンの滅びは世界の意思とも言える。例え理想の王だろうが何だろうが、アル一人が頑張った所でどうにか出来るような話ではない。

 

 この事を皆が皆理解してくれたなら楽なんだが、現実は非常である。

 国民は愚かであり騎士共は愚直に過ぎる。『どんなに頑張ってもブリテンは滅びます』なんて言った日にはヤケクソ起こした馬鹿共が内乱の一つや二つも引き起こしてブリテンは内側から崩壊していく。

 そう考えると、この国で生まれながらにして滅ぼそうとしたヴォーティガーンは正しくブリテンの自滅因子とでも言うべき存在だったのだろう。

 

 世界は次の形へと完全に変化し切る為にブリテンと言う過去の遺物を葬ろうとしている。

 アルはそんな絶望的な状況下にあっても尚、ブリテンに生きる人々を救おうとしているのだ。

 無理ゲーとか割に合わない仕事だとか言いたいことは色々とあるが、最早口でどうこう言える状況ではない。俺が言葉を尽くしてもアルに王になる事を思いとどまらせることは出来なかったし、力づくで止める事すら叶わなかった。

 俺の意思はアイツの意志に捩じ伏せられてしまった。ならば俺がアイツにしてやれることは最大限アイツの望みを叶えてやれるように動く事だけ。

 そこで俺は一計を講じる事にした。

 

 俺の手勢の人員……と言って良いかは分からんが、兎に角アルの指揮下から独立した部隊を極秘裏に本土へ送り込み、そこの土と作物、その他の植物の種を数回に分けてブリテンに運ばせた。

 それなりの量を確保したら外界との関わりをある程度遮断する結界を四方に張り、その中に本土から持って来た土で畑を、その隣にはブリテンの土地をそのまま整備した畑を作った。

 二つの区画に分けた畑を更に二つのブロックに分割し、それぞれのブロックにブリテンの種と本土から持って来た種を分けて植えた状態で育ててみた。

 すると、本土の作物は本土の土では普通に育ち、ブリテンの土でも少々本土の土のブロックと比べて育ちの悪さが見られたものの概ね問題なく育った。

 ここで驚くべきことは本土の土に植えた種は勿論のこと、ブリテンの土に植えたブリテンの作物の種も今まで育てていた物に比べると明らかに育ちが良かったことだ。

 後に結界の内部の環境を調べて外部の環境と比較した所、とある事実が判明した。

 

 結界の中は地中、及び大気中に含まれる“マナ”の量が外部と比べて僅かに減少していたのだ。

 マナとは魔力の呼び名の一つであり“大源”という表現もなされる大魔力。自然界に満ちている星の息吹たる力を指す。

 神代の空気にはこれが多分に含まれており、逆に現代の空気に含まれているマナの量は非常に少ない。

 これだけ聞くと星の息吹きだとか、何か凄そうなエネルギーが少ないのに作物や他の植物がマナの多い環境よりも育つのは納得行かないかもしれない。だが大した神秘性も無い植物や人間が普通に生きていく分には高濃度のマナは必要ないのだ。

 マナが無ければ生きていけないのは、それこそ竜種や妖精、夢魔といった神代で栄えた幻想種のみ。マナの量で作物の成長に影響が出るなんてことは無い。

 

 ならばマナの減少が何を意味しているのか。

 それは即ち環境、法則の書き換えだ。十メートル四方の僅かな空間の中でのことではあるが、確かにブリテンに残る神代の空気と環境を現代の環境へと書き換える動きが進行していた。

 だから、この世界に於いて基本的に作物は上手く育たないという法則が定まりつつあるブリテンの環境と比べ結界内部の物は良く育った。

 このままブリテンに於ける国と人の在り方に変化が無い限り、それこそ俺達神代の人間の生き残りが滅びるまで凶作は続く。そんな絶望的な結論が出てしまったわけなのだが、同時に希望も見出した。

 要するに少しずつ外部の理と法則を取り入れていけば、今生きている土地や人間が一人残らず死ぬなんて事態は避けられる。アルが最も嫌うであろう国民全てを対象としたジェノサイドを未然に防ぐことが出来るかもしれない。

 詳細については語らないでおくが、後に行った外部の血族を取り入れることによる人間の方面からのアプローチで環境の変化を図った実験に於いても、今回の作物による実験と同様の周辺環境の変化が見られたことから世界が直接殺しに来るなんて事態を防げる確率は更に高まった。

 

 だが環境を変える事とはつまり、今までのブリテンの在り方を変える事を意味している。流石にアルに何の相談も無しに進められるような計画ではない。ケースバイケースでTPOをしっかり順守するのが俺のモットーだ。

 とは言え、この計画が間違いなく通るだろうという確信はあった。

 

 今までの歴史に名を連ねた王達、一番身近な例を挙げるとすればウーサー王辺りはこんな計画認めやしなかっただろう。

 何せ王には王のプライドと尊厳、譲れない在り方ってものがガッチリと定められているものなのだ。

 エジプトのファラオ然り、ローマの皇帝然り、マケドニアの大王然り、巨大な欲望と意志に突き動かされて野望の成就に邁進した人間が自分の定めた自分の国の在り方を世界の理だからと手放すだろうか。

 ある意味で身勝手と我儘を極めた人間のことを言う王ならば例え国民を残らず道連れにするような結末に終わるのであっても、一度定めた自分の生き方を簡単に譲り渡すような真似はしない。まぁ今言ったのはかなり極端な例ではあるが。

 

 だがアルは、歴史に名を連ねる王達とは明らかに違っていた。

 自身の欲も野望も無く、王としての矜持だとか尊厳だとか、そんなものは考えたことも無かった。

 アイツは国民の生活の為に剣を取ったのであり、王としての立場だって極端な話、アイツにとっては国民を救う為の手段でしかない。

 マーリンとウーサーは理想の王を作るつもりだったんだろうが、当人がその『理想の王の在り方』とやらに、欠片程の価値も執着心も見出していなかったとはとんだ皮肉である。

 

 俺は互いにどれだけ忙しくても出来るだけ欠かさないように努めて来た二人きりの時間、即ち腹ペコキングこと我が妹のお食事タイムに一連の実験の結果とこれからの計画の事を伝えることに決めた。決めたんだが………。

 

 

「兄さん、この鶏肉は少し塩味が薄くはありませんか?昨日までの物にはしっかりとした味が乗っていたのに、これでは味わい甲斐がありません」

 

「毎日塩分たっぷりの物食ってたら体壊すわアホ。健康に配慮しての味付けだよ」

 

「ちょっとやそっとの事でどうにかなるような軟な身体はしていません。兄さんの心配は杞憂と言うものです。それとお代わりを」

 

「暴飲暴食は人間としての価値を落とすって親父殿に散々言われて来ただろうが。それに塩だって貴重なんだから湯水の如く使えるわけもなかろうよ……ホレ、次の肉。

て言うか野菜もちゃんと食えやコラ、やっつけ食いはマナー違反だっていっつも言ってんだろうが。何時まで経ってもメシの食い方はガキンチョだなぁお前」

 

 

 こんな空気でシリアスな話に持っていくのは多分無理だ。

 『私が悪いのではなく食べ始めたら止まらない兄さんの料理が悪い』とか言ってる今の此奴に小難しい話題振った所で『そんなことよりおうどん食べたい』ならぬ『そんなことよりお肉食べたい』の一言で突っ撥ねられるのが関の山だ。

 この姿をあの駄騎士共が見たら何て言うのやら。もっきゅもっきゅと焼き鳥を頬張る妹の姿を見て肩に入っていた力がスッと抜けていくのを感じる。

 アルのこういう“らしい”一面を守れているという事実は間違いなく幸せな事で、きっとこれの為に頑張っているのだと言う気持ちにさせてくれる。

 俺は表情が緩んでいることに気付かないフリをして、一時の休息に興じる事にした。

 



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第8話 師弟のはなし

感想でも出て作者も思ったのですが時系列がかなり滅茶苦茶な事になっているという……

書きたいままに書いてたせいか話の構成が疎かになってしまっているのは反省しなければならないと思いつつも、更にカオスなことになってしまいそうで不安な作者ですがお付き合い下さる方には最大の感謝を。


追記:6話と7話の時系列が前後していたので話数を修正して旧6話を外伝に直しました。分かり難くて申し訳ありません。


「なるほど。外部の土、種から少しずつ外部の理を取り入れると、君はそう考えたんだね」

 

「正確には肥料、あと人もな。徐々にブリテンから神秘のみを薄れさせていく。世界から排斥されようとしている原因を取っ払ってやれば、諸々の問題は丸く収まるだろう」

 

「確かにね。凶作や異民族による侵略を始めとする事象は君達神代の生き残りを滅ぼすまで日に日に苛烈さを増していく。だが君達が神代の生物でなくなり、ブリテンが外部の法則を受け入れ染まり切ってしまえば外部からの干渉もじきに収まっていく。それは間違いではないよ」

 

 

 卑王ヴォーティガーンによる破壊の爪痕が未だ深く残る城塞都市の片隅にて復興作業に携わる傍ら、一人の魔術師と語らう騎士の姿があった。

 

 騎士は半ば瓦礫の山と化している建物の崩れた外壁に背中を預け、魔術師は山の頂上にある手頃な場所に腰掛けていた。

 騎士は此方を見下ろす魔術師を見ようとはしない。自分がこれから描く絵図を目に浮かべ、どのようにそれを推し進めるのか思案に耽りながら魔術師の言葉に応えている。

 騎士としては師であると同時にこの世で最も嫌う存在であるこの魔術師と会話を交えるなど本来は御免被る事だが、国の行く末を左右する時に蚊帳の外に置いておけるような人物でもない。

せめて承認だけでも得ておかなければいざという時に面倒な事を起こされてしまう恐れもある。騎士としてはそんな事態は極力避けたかった。

 

 

「神秘が消える分には構わない。どうせ遅かれ早かれそうなる運命だったんだ。

とは言え、君のやろうとしていることはブリテンの在り方を変えることも意味している。君の目論み通りにブリテンが現代の法則に染まった時、歴代の王達や各部族の長達が受け継いで来たブリテンは終わりを告げる」

 

「だろうな。異なる法則、異なる理、例え国と言う形で存続していたのだとしても、それはもう今までのブリテンとは違うものだろうさ」

 

 

 神秘の薄れが齎すのは竜や妖精、魔物達のような神代の生物、そして脈々と受け継がれて来た人ならざる御業も消し去る事に他ならない。

 それらは失われれば最後、二度と地上に蘇る事はないだろう。そんな不可逆の変化を引き起こそうという騎士は、事の重大さを理解した上で一切の迷いを見せない。

 

 だが、それはある意味当然の事なのかもしれない。彼にとっても、彼の義妹である王にとっても、最早この島にしか存在していない神秘を貴重には思えど全てを賭けて守ろうなどという意志は欠片も思い浮かばない。

 彼等にとって、もっと大事なものがあった。ただそれだけのことなのだから。

 

 

「国民の命には替えられない……だとよ。

お前が計画した王は、お前の思惑とは裏腹に王としての矜持よりも人の幸せを望んだ。

神秘が国民の命を危ぶめると言うのなら、アイツにとってはそれすらも排除すべき敵という訳だ。

例えそれがウーサー王を始めとした部族の長達が守って来たこの島の理であるのだとしてもな。

理想の王として作ったアイツが、その実一番王様から外れたことをしてやがる。皮肉なもんだな、花の魔術師よぉ」

 

「全くだ。彼女が求めているものと、僕やウーサーが求めていたものは違う。分かってはいたが、私は彼女を侮っていたんだろうね。勿論君の事も」

 

 

 眼下に佇む教え子から、今にも雨を降らせ始めそうな曇天を見上げた魔術師は、最近になって漸く気付いた自身の過ちを自嘲するように微笑みを浮かべ、今も国の威信ではなく人々の幸福の為に異民族との戦いに明け暮れている少女を思った。

 

 徐々に国民の悪意が高まり、騎士達の間にも不安が芽生え始めた。国土は未だに痩せ細ったままであり、外敵からの侵攻は一向に止まない。

 挙句の果てに、滅びが既に定められている事を知っても彼女は決して諦めなかった。弱音の一つも吐かずに人々の為の理想の王で在り続けている。

 そして唯の人間、凡人でしかない男が、弱々しい人間の意志一つで本来ならば到達出来ない域にまで自身を高め、たった一人で王とこの国を支えるべく奮闘しているのだ。

 

 もうじき後悔する筈、諦め始めるだろうと高を括っていた魔術師は、全てを見通した気になっていた自分の醜悪さに恥じ入るばかりだった。

 

 

「お前が侮ってたのは何も俺達に限った話じゃぁない。お前は人間そのものを侮っていたのさ。

元々、人々が望む理想の王を作るっていうのなら、その理想とやらに周囲の人間の願望が反映されていくのは当然の帰結だろうよ。

この島の国民共は自分の力で生き残っていくことを諦めた。だから自分達以外で現状をどうにかしてくれる奴を求めた。それこそが連中の求める理想の王の姿だったって訳だ」

 

 

 自分が助かりたいから、生き延びたいから。

 それは非常に原始的で、生物として当然の願いだった。騎士とて客観的に見たそれを罪であるとは言わないだろう。

 しかし、その願望を背負わされた義妹を思うが故に、彼は極めて個人的な感情で理想の王を望んだ国民達と計画した者に怒りを覚えずにはいられない。

 

 魔術師は理解していた。

 誰よりもブリテンを存続させるべく奔走しているこの男は、その実誰よりもこの国を憎んでいる。或いは世界の運命そのものを。

 だからこれまでのブリテンの在り方や国民に対する執着心も思い入れも一切無い。客観的に国を回す為に必要な要素と割り切って、彼は最適な選択肢を模索するだけ。

 その結果として国の在り方が変わろうと、今までのブリテンが消える事になろうとも彼からすれば咎めるものなど何も無い。ただ義妹が悲しまない結果に終わるのであればそれで良いのだ。

 

 

「否、違うな。君は彼女だけで精一杯なんだろうね…」

 

「あ?何か言ったか」

 

「何も。国務を預かる君がこんなに人間嫌いだと、国民も不安になるんじゃないかと心配になってね」

 

「連中は目に入っても痛くないものしか見やしねぇよ。為政者の面だの人柄だの、そんなものはそこらに転がってる石ころと変わらんさ。

邪魔にならなきゃ放っておく、目障りになったら蹴り飛ばす。所詮はその程度の価値しか感じちゃいない」

 

 

 そう。結局は誰しも自分の身の回りの事で手一杯なのだ。

 国民も騎士も、彼とてそれは同じこと。だからこそ、自分以外のことにまで手を伸ばす王の異常さが際立ってしまう。

 より多くの、より広い範囲の人間を救おうとしている彼女は、人間として生まれながら人間には到底できないことを成し遂げる為に人のものではない生き方を志した。

 それがより多くの人間を救う手段であるのなら、自分をこの世に産み落とした神秘を消し去る事すら厭わない。躊躇う事無くそれを実行に移せるのは当然の事なのかもしれない。

 

 

「君の考えは分かった。私も邪魔はしない。

だが君の案が決して楽な事ではないことは分かっているだろう。君の策を成就させるには多くの障害を突破しなければならない」

 

「当然分かってるさ。計画を進める上で満たさなければならない条件についても把握している。邪魔をしに掛かる連中の事もな。

サクソン人共の侵攻も当分続くことは間違いない。生半可な道のりにはならんだろう」

 

 

 彼の言う通り、異民族による侵攻は例えブリテンが外部の理を受け入れたとしても尚続く。

 彼等は確かに世界がブリテンへと送り込んだ刺客に他ならないが、同時に欲に駆られた人間であることも事実。与えられた役割の意味が消失しようとも、彼等の領土欲は消えないのだから世界の意思など知らずとも侵攻を止める事は無い。

 事実彼等はアーサー王の軍勢が卑王との決戦に赴いた時にも変わらずブリテンへと攻め込んで来た。この場にいる騎士が王の背後を守っていなければ消耗し切った王の軍勢は大打撃を受けていたかもしれない。

 そして、脅威となるのは何も外部からの干渉だけではない。恐らくブリテン島、神秘側からも何らかの妨害がある事が予測された。

 

 神秘は何れ滅ぶ。それは最早避けようの無い運命だ。

 だからといって、神秘が黙って消えるのを待つだけとは限らない。

 

 

 最たる例が卑王ヴォーティガーンだろう。

 騎士はブリテンを暗黒期に陥れたかの王を自滅因子と表現した。それはある意味で正しく、またある意味で間違いでもある。

 卑王は確かにブリテンを人の住めない地獄に変える勢いで破壊と死を振りまいたが、それは決してブリテンそのものを無に帰そうとしてのことではない。

 外部から新しい理が流入して来る事によってこれまでのブリテンが消えていくと言うのなら、惰弱な理など入る余地も無い程の地獄を作り上げてやればいい。

 最後の神秘の島を守る為に立ち上がった白い竜の化身は自分なりにブリテンを守ろうとしたのである。

 

 しかし当人の意思とは裏腹に、その行為は神秘の寿命を縮める行為に他ならなかった。

 確かに卑王の方法を用いれば、サクソン人のような移民族による侵略を一時の間だけ防ぐことは出来るかもしれない。

 しかし人間とは自分達が生きていくために周囲の環境を変えていく生き物だ。それはこれまでブリテンに生きて生きた人間達にも同様の事が言える。

 彼等は自分達に最適と思う環境、神代の環境をあの手この手で維持して来た。環境とは、神秘とは強烈な一個体によってのみ形成されるのではない。より多くの生物の生命活動や一種の信仰によって成り立つものなのだ。

 そんな彼等がいなくなってしまえば、例え島に侵入して来る敵を撃退できたのだとしても、大量の人間と共に押し寄せる現代の理を卑王一人で防ぎ切ることは不可能なのだ。

 そうして現代の理にブリテンが侵食されていけば神秘は薄まり、それを力としてきたヴォーティガーンも竜の化身としての機能を徐々に失っていく。

 

 そうなれば残るのは力を失った老人が一人だけ。ブリテンを守る為に立ち上がった卑王は自身の行いによって島を守ることの出来る存在を根こそぎ絶滅させた挙句、守ろうとした神秘の島としてのブリテンを早々に滅びに導く事となる。

 島を思う気持ちはあってもそれが結果的に滅びへと繋がっていく。故に騎士は卑王をブリテンの自滅因子と呼んだ。

 とは言え、卑王が神秘を守ろうとする側であったのも事実。彼と同じく自分なりの考えで神秘を守ろうとする者はまだまだいる。

 

 

 先王ウーサー王が人ではない王に次代を託すことでこの神秘の島を守ろうとしたように、今もアーサー王が異民族の侵攻を阻んでいるように、神秘側も世界の流れに逆らおうとする動きを見せている。

 それら内外からの干渉同様に、神秘だけを消し去ろうとする騎士の策を赦さない者は必ず現れるだろう。

 

 何せ神秘側の存在とて人間達と同じく生きていたいと言う欲求があるのだ。

 人知を超えた存在でも生存欲求を持たないわけではない。そういう意味では神秘も人間も大して変わらないのかもしれない。存続する為に自身を滅ぼそうとする者に抗うことはどちらにとっても当然の行為なのだから。

 ならば神秘を消し去ろうとしている彼が、神秘を守ろうとする者達の害意を一身に受ける事になるのは最早必然だ。

 

 

「となると、真っ先に思い浮かぶのはピクト人かな?」

 

「ああ。信じられない事だがあれでも一応は神秘側の生き物だからな。

こっちが神代の空気を薄れさせるよう働きかければ本能で妨害してくるだろう。

広がっていく現代の空気を感知して襲撃してくるだろうから肥料を撒いた畑は特に狙われやすいだろうな」

 

「今でさえ途轍もない被害が出ているんだろう?更に拡大していくとなると…大変だねぇ」

 

 

 自身が宮廷魔術師を務める国の事だと言うのに他人事のように言う辺りが人間性の薄い夢魔らしいことだ。

 視界に入れずとも魔術師が浮かべているであろう表情を思い浮かべられることに忌々しげに舌を打ち、直後に自身が対応せねばならない蛮族による被害の大きさを想像したことで堪らず胃を外側から抑え込んで蹲った。

 

 

「被害…復興…対処…人員…予算…うぐおおぉぉぉ………っ!!」

 

「おやおや」

 

 

 地の底から鳴り響いて来た音のように重々しい呟きは呪詛のよう。蒼白を通り越して土気色に染まりかけている表情は最早生者のものとは思えなかった。

 今にも死に絶えてしまいそうなほどに弱々しい姿を晒す騎士は、震える手つきで懐から手の平に収まる大きさの瓶を取り出す。あまりの震えで指先から滑り落ちてしまいそうになるのを必死に堪えながら蓋を開け一息に中身を飲み干した。

 すると、徐々に彼の表情に生気が戻り、脱力していた身体にも再び力が宿る。

 

 

「相変わらず臓腑が弱り切っていると見える。働き過ぎは感心しないよ?もっと僕のように適度な息抜きをして人生を楽しく生きなければ。そうでないと人間何てやっていられないからね。

それにしても大分効き目が良い物を作れるようになったみたいじゃないか。未だに研磨は怠っていないようで感心感心」

 

「煩え黙ってろクソッタレめ。脳味噌に麦酒が詰まってる幸せ非人間野郎のお前に人生云々語られたかねぇ。

それに俺が働き過ぎならテメェはサボり過ぎた。年がら年中女の尻を追い回してやがって、発情期の犬の方がまだ慎みがあるぞコラ。とっとと刺されてくたばりやがれクソ師匠」

 

 

 脂汗を額に浮かべる騎士は心身共に余裕が無い状態故か発言にも一切の抑えが利いていない。未だ体内に残る不快感を口から吐き出すようにして在らんばかりの罵詈雑言を叩きつけた。

 また何か言ってやろうと口を開いた瞬間、胃の痛みがぶり返すのを感じ、もう一つ瓶を取り出して中身を口に流し込む。

 義妹を支えていくために必要なものであるからこそ身に着けた魔術、よもや胃薬の生成に使うことになるとは予想だにしなかった。

 もう何度目かになる独白を魔術師の耳に入らぬようにと小声で漏らすが、頭上から聞こえて来るクツクツという笑いから察するにしっかり聞こえていたようだ。

 

 ばつの悪さを誤魔化す為、また懐に手を入れて今度は細長い棒のような形をした魔香を口に咥え、親指を弾く。

 立てた指の先に灯った小さな炎を香の先端に近づけ火を点けると、燃えた個所から生じた煙を吸い込み、すぐに吐き出す。

 その仕草を見るだけならば至って静かなものではあるが、彼の五感は強烈な刺激と清涼感によって強制的な覚醒を促され、掻き乱されていた思考を半ば強引に平常な状態へと戻される。

 

 

「それも程々にしておいた方が良い。

強い薬は身体に毒だ。君がそこらの人間よりも頑丈な身体の持ち主であったとしても毎日のように吸っていては身がもたなくなる」

 

「余計なお世話だクソ師匠。

副作用は最低限に抑えてるし考え無しにスパスパやってる訳でもなし。程度も弁えてるから問題ねぇんだよ。

だが多少身体に無茶させてでも今は動かねぇといかんのも事実だ。そいつはお前にも分かってるだろうよ」

 

「君の言い分も分かる。だが決して軽くない不調を抱えたままではいられない筈だ。最近そういう事態が起きたんじゃないかな?」

 

 

 一見、趣旨の読み取れない発言ではあったが、発言の裏にある意図を察した騎士は初めて魔術師の方に視線を向けた。

 魔術師は未だに薄らと笑みを浮かべて此方を見下ろしている。未だに言葉で伝えていないことを見抜かれているのは不愉快ではあったが、苛立つ気持ちは香の煙と共に吐き出した。

 

 

「ああ。踏み込んだ時にはもぬけの殻だった。大分前には俺の意図にも気付いて姿をくらます準備をしてたんだろう。

敵対するとなれば、あの性悪魔女は確かに万全な状態でも勝ち目の薄い相手ではある。だが敵に回るのは何もアイツだけじゃないんだから一人と戦う為に気を抜いてもいられん。常に他の連中の相手もし続けなきゃならない現状じゃぁ尚更だ。

アイツもそれを織り込んだ上で動いて来るだろうから余計に厄介なんだが」

 

「人間離れした王の娘もまた並みの人間から外れている。

唯一自分の同類であった父から受け継ぐはずだったブリテン島を掠め取られた挙句、それをよりにもよって君に穢されるとなれば黙ってはいまい。

そういう意味では、ブリテンの神秘を滅ぼしてブリテンの人々を救おうという君達と敵対する道を彼女が選ぶのも必然かな」

 

「敵に回るなら斃すだけだ。今までもそうして来たようにな」

 

 

 ここに至るまで多くの敵を直接手にかけ、それ以上の数の敵を自分の指示によって間接的に殺戮し、更にそれ以上の人間を謀略によって破滅させてきた。

 義妹と、その周囲の騎士達が光の中で戦う傍ら、闇の中で静かな暗闘を繰り広げて来た騎士は今度の敵が自分の良く知る人間であるというのに躊躇う姿勢を見せない。

 それは彼が冷酷だったからではなく、彼にはもっと大事な者がいたと言うだけの事。

 例え魔物であれ蛮族であれ、彼と決して浅からぬ関係を持った人物であれ、騎士は義妹の為に敵対者と戦わなければならない。敵となった者は悉く打ち倒さなければならない。

 躊躇いを覚えていては、無力な自分に折れる事無く義妹を支えていくことなど出来はしない。

 

 

「アルは今日もサクソン人共との戦いに明け暮れている。大分数を減らしつつあるとはいえ、残党がそこかしこに燻ってる蛮族連中との戦いも完全に終わったわけじゃない。

俺の計画を進めるにしたってまずは敵の排除は必要になる。ちょっかいかけて来る連中を追っ払わなけりゃ呑気に畑耕してる暇なんて無くなっちまうし外部から人間も入っては来ないだろう。

フランスと渡りはつけたが年がら年中ドンパチやってる限りウチに来たいなんて言う奴はそれこそとんだ変態野郎だけだ」

 

 

 外部の敵を義妹が、内部の敵を義兄が排除する。

 今も人の身に余る誓いを厳格に貫き戦場を駆ける義妹の為にも、自分の役目を遂行する中で躊躇などは不要である。

 そう断言する騎士だったが、決意とは裏腹に表情は暗かった。

 

 

「兎に角、これに関してはもうなるようにしかならん。

幸い工房も完成した。相手取れるだけの戦力は整えられる。

今は城塞都市の復興だ。この案件を片づけない限り何も始まらない。お前の話だと瓦礫の撤去さえ済めば、後は土精に頼んでちょちょいと壁をこさえてくれるんだろう?お前にはそっちの準備もしっかりしておいてほしいものなんだが」

 

「それについては心配いらないさ。

私を誰だと思っているんだい?世に名高き花の魔術師マーリンだ。妖精だろうと口説き落として城壁の一つや二つもすぐに作り上げてみせるとも」

 

「その働きぶりを普段から発揮出来ない辺りが傍迷惑なんだよお前は」

 

 

 名声など大して気にもしていないだろうに得意げな言い方には呆れるが、言うだけの腕を持つことは騎士が一番良く知っている。城塞都市の復興は当初の予想を遥かに上回る速度でなされる事だろう。

 それに関しては騎士も一切の疑いを持たずに最早結果の見えているものとして扱っていた。少々歪ではあるが、これが騎士なりの師に対する信頼なのだろう。

 

 

「必要な場面でしっかりと働いていれば問題無いさ。君と私ではその場面がやって来る頻度に多少の違いがあるだけでね」

 

「お前は年がら年中女遊びが出来る程度なら、俺は仕事の山で日夜遭難しかけてるんだぞ。程度の差で済ませられるかよ。

その癖面倒な話ばっか持ち掛けて来やがる。この前の王妃についての話なんぞ一体何をどうしろってんだよ」

 

「未だに戦いは終わらないとは言え、目下最大の脅威であったヴォーティガーンは討たれたんだ。先王ウーサーの敗北から始まったブリテンの暗黒期が一旦の終結を迎えたとも言える。

ならばここで華やかな話題の一つも民衆に提供して支持を得ておくべきなんだよ。王がいつまでも独身と言うのもそれはそれで問題だしね」

 

「そんな事は分かってる。俺が言いたいのは女同士を結婚させることについてだ。

流石に王妃にはアルの正体を隠してはおけない。口外させられる訳もないし納得した上で夫婦のフリをさせなけりゃならん。

そんじょそこらの貴族の令嬢を連れて来た日には、あっという間に潰れるかボロを出すのが関の山だろうが。当然のようにフォローに回るのは事情を知った上で情報操作を行える俺な訳で……」

 

「そうだね。また仕事が増えることになりそうだ」

 

「楽しそうに言うくらいならお前が代わるか?街で引っ掛けて来る女共と同じく王妃も口説き落として言うこと聞かせてくれりゃぁ此方から働きかける必要が無くなるんですがねぇ」

 

「宮廷魔術師が王妃と不貞を働いたらそれこそ大問題だ。それに私は他人の妻に手を出すようなことはしないよ?」

 

「そうだよな。恋愛処女の町娘を言葉巧みに誑かすのが専門分野だったよな。

その内お前が引っ掛けて来た女の関係者からのクレームが送られて来そうだよ全く。

そうなったらやっぱり巡り巡って俺がその対応をすることになってまた仕事が……うぐおぉあああぁぁあ!?」

 

 

 軽口と憎まれ口の応酬の果てに再び苦しそうな唸り声を上げ始めた騎士は魔術師の笑い声も聞き取る余裕すら無いまま三本目の瓶を呷った。

 右も左も問題の山。自分達が力を発揮し、順調に事を進める程に世界は風当たりを強めていく。

 花の魔術師マーリンは眼下の弟子がこれから歩んでいく道をおぼろげながらに見通した。

 未来を見る事は叶わない自分の目にもハッキリと映る苦難の連続。恐らくそれは激化の一途を辿り、彼を追い詰めていくだろう。

 果たして彼はそれを乗り越えられるのか、もしも彼が倒れた時、彼の義妹は果たしてどうなってしまうのか。

 人間性を持たなかった花の魔術師は、自覚の無いまま生まれて初めて他者の身を案じた。

 個人に執着することの無かった非人間がこの変化に気が付くのは当分後の事になる。

 

 先程も彼の口から語られた王の姉にしてガウェインの母である女性。名をモルガンという魔女の失踪から始まる一連の事件は、魔女自身とこの二人以外の人間の意識の外で静かに幕を開けた。

 親しい者同士が争い合う語られる事の無い暗闘の結末が齎すものが何なのか。それは世界を見通す目を持った魔術師にも知ることは出来ない。

 ただ一つ言えるのは、どのような終わり方を迎えるにせよこの物語が悲劇としか表現できない道筋を辿っていくことだけだった。

 




《本編補足》


【胃痛:A】
 ケイ兄さんの日々の心労が祟って発言したスキル。
 赤セイバーの頭痛持ちや桜セイバーの病弱と同種のマイナススキル。一定確率で発動しあらゆるスキルの成功率を下げてしまう上に精神力も大いに削る。薬で抑えらる程度には対処は簡単だが、何度もぶり返してくるので心を強く持たないと年がら年中腹を抱えて唸るだけのポンコツ状態になってしまう。
 当人の苦労人気質のせいもあってか発動する機会は多く、既に体質というよりも一種の呪い染みた物と化している為、胃袋を丸ごと摘出しようが痛みは続く事になる。


【胃薬】
 上記のスキルに対応する為にケイ兄さんが開発した霊薬。
 煙草よりも先に開発され、開発優先度も此方の方が高かったりする。
 即効性を高めつつ副作用を最低限に抑える工夫を為されているため、身体への負担は非常に少ない驚きの一品。
 しかし仕事の量が増えるごとに飲む頻度も上がる傾向にあるのでケイ兄さん自身控えるつもりではいる。


【ガウェイン】
 何やかんやで漸く名前が出た騎士筆頭。
 ケイ兄さんには散々な言い様をされてはいるが騎士として見れば普通に凄い人であり、能力に関してはケイ兄さんも認めてはいるのだが、出来ればもっと強かな使い方を覚えて欲しいというのが本音。
 当人のケイ兄さんに対する印象はネチネチした悪意と言うより単に気に食わない奴といったところ。意見が対立することも良くあるが自分なりの王に対する忠誠心故なので決して悪い人ではない。
 あと作者も偶に忘れかけるがモルガンの息子なのでケイ兄さんの甥っ子一号だったりする。


【モルガン】
 本編ではやたらと回りくどい言い方をしたが、マーリンとケイ兄さんに“彼女”と呼ばれていた女性。原作でもアルトリアを男にしてチョメチョメしたりモーちゃんを生んだりアグラヴェインを刺客として送り込んだりと暗躍してた。
 完全に敵対し始めたのはキャメロットが出来た後だった気もするけど作者の陰謀で早めに意志を固めて失踪する。
 原点ではブリテンを崩壊させておきながら傷ついたアーサー王を手当てしてブリテンまで連れて行く役割を担ったとか湖の妖精の一人だとかドルイド信仰の女神だとか実はアーサー王の姉でも何でもなかったとか色んな描かれ方をする人。
 Garden of Avalonで語られた設定によれば島の加護を受ける超人的な存在であり、人間離れしていたらしいウーサーの娘らしく色々と凄まじい人だがあくまでも人間。本作ではこの設定を主な人物像として採用した。
 ウーサーの娘でアルトリアの姉なのでケイとは何気に義理の姉弟だったりする。因みにケイ兄さんよりも少し年上と言う設定。
 二人の関係については追々語っていきます。
 


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第9話 兜のはなし

 本格的に時系列がごちゃごちゃになり始めるかもしれません。
 これじゃないと思う方は本当に申し訳ありません。






 あと、気が早いかもしれませんがfgoの次のストーリーがエルサレムだとか円卓だとかいう名前で、もしかするとケイ兄さんも登場するのではと思ったり思わなかったり。


 キャメロット城が完成し、円卓の席が埋まり、王はギネヴィアを王妃として迎えた。

 彼女は真相、王の正体を知った上で口外せず、ただ王妃として振る舞うことで王を支えた。

 円卓の騎士達の物語が本格的に花開いたのはこの時期だった。

 

 懸念事項の一つであった蛮族は、キャメロット城完成前にアーサー王率いる軍勢によって本拠地を奪われ、その数を大きく減らしながら周辺各地へと散り散りになった。僅かな生き残りも徐々に刈り取られるのを待つのみである。

 飛竜等の魔物の類による被害も先王ウーサーの死から始まる暗黒時代と比べれば圧倒的に数を減らしている。

 

 しかしブリテンは未だ危機に瀕している。島の土で作物は育たず、外部から取り入れた種から取れる量は非常に微々たるものであるのが現状だ。

 食用に足るだけの作物は外部から買い上げた物が大半を占め、貧しい国故に文官達は財政の管理に苦慮する。

 異民族の侵攻は止まらず、アーサー王が駆け抜けた12の会戦の終盤、度重なる戦は変わらず国民へ大きな負担を強いていた。

 

 だが、荒廃していくブリテン島の中にあってキャメロットだけは笑顔と希望に満ちていた。

 豊かな生活、平穏な日常。一昔前までは想像も出来なかった夢のような世界がそこにはあった。その夢はキャメロットを中心としてゆっくりとではあるが、確実に広がり始めている。

 国民はアーサー王の威光が齎したものであると称え、騎士達は自分達の奮闘が報われたのだと誇った。

 そんな中、現状を理解しているごく少数の者達は現実に苦悩していた。

 

 永遠に咲く花は無く、滅ばぬ国など存在しない。変わりつつある世界の中で神代より生き残った国としての寿命を迎えつつあるブリテンは、キャメロットの威光と豊かさが広がるよりも圧倒的に早く衰退していった。

 何とかブリテンを生まれ変わらせようと奔走する者は自身の企てが予想以上に上手く進まない事に焦りを覚え、相も変わらず一度の戦が起こるたびに小さな村を干上がらせてでも軍備を整えねばならない現状に更なる焦燥をつのらせた。

 

 

 そのような状況で、マーリンが信じがたい予言を口にする。

 要約すればそれは『5月の初めに生まれた子供がアーサー王に災いを齎す』と言うもの。

 

 あまりにも唐突、そして抽象的な予言。5月に生まれた誰が災いを齎すと言うのか、災いとは果たして何なのか。肝心な点を欠いたそれは情報と呼ぶにはあまりにも漠然としていた。

 

 しかし予言を聞いた者達は誰一人として、それが虚言であるとは考えなかった。

 マーリンは優れた魔術師であり、人間離れした知見を持ち、何より理想の王の誕生の予言を的中させてみせたのだ。

 これまで積み重ねて来た実績がある以上、彼の言葉は切って捨てるには重すぎた。

 

 そこで真っ先に一人の騎士が行動に移り、予言の日の前後に生まれた子供を徹底的に調べ上げた。

 恐らく中には予言の日とは別の日に生まれた者もいるだろうし、予言の子が複数名いる場合を除いて考えれば大半はただの人違いでしかない。

 

 それでも念を押して調べ上げ、絞り込んだ数十人の中に王の命に届き得る忌み子が生まれると言うならば、万全を期してそれら全員に何らかの措置を施さねばならない。

 島からの追放を訴えかける者もいれば命を絶っておくべきと言う過激な意見も出た。議論は紛糾し、如何に対応すべきか誰もが思考を巡らせた結果、打ちだされた結論は王城からの隔離、そして継続的な監視だった。

 

 貧しいブリテンに於いて新しい命は非常に重要な意味を持つ。排除しようなどと考えた日には国力や民の感情にも決して小さくない影を落とす事になるだろう。

 故に予言の子と目された子供らを調べ上げた騎士が、自分の領地に彼等を迎え育てる役目を買って出たのだ。

 

 危険因子を自分の手元にて監視し、予言通りの行動に繋がる動きを見せれば即座に対処する。そうでない者には他の国民と同じ生活を送ってもらうだけ。

 そうすれば予言されたほんの一握りを除いた何の罪も無い子供らに謂れの無い処分を下す事も無くなる。ブリテンの未来を担う者達を無為に失わずに済むだろう。

 

 王は騎士の申し出を受け入れ、予言の日に生まれた幾人かの子供等は王城から離れた騎士の領地へと引き取られた。

 

 しかし彼等を引き取った騎士はそれまでの議論がただの茶番でしかない事を知っていた。彼は調査を進める段階で予言の子に大凡の検討を付けていたのである。

 ならば何故、予言の子だと見做されてしまった見当違いな子供達の処遇など態々話し合ったのか。何故該当する人物の事を話さなかったのか。

 

 議論の場でも彼が語ったように、国力の無駄な消耗や国民感情への影響を配慮しての事であるのは事実。と言うよりも排除を止めさせた理由の大半はそれであることに変わりはない。

 ただ、予言の子が誰なのか当たりを付けた上で隠匿したのは、その人物が公表するには些か不都合な事情を抱えていた為だ。

 

 素顔を隠し、素性を隠し、後見人となった騎士によって不都合な真実も隠された彼…否、彼女は今も一人の騎士としてアーサー王に仕えている。

 

 

 

 

 その人物は、生まれた時から自分が人間でない事を知っていた。自分が何の為に計画されて作られたのかも。

 この身は普通の人間と同じく愛され望まれて産み落とされたのでも、誕生を祝福されたのでもない。

 

 自分を作った者、母である魔女モルガンの妄執を成就させる為に作り出された人の形をしたナニカ。

 普通の人間のように長く生きる事も無く、子を為すことも無く、与えられた役目を果たせばその後は勝手に壊れて行くだけの人間擬き。自分というモノを冷静に分析し、初めに抱いた感情は悲哀だ。

 

 自分には自分の意思がある。何も感じない人形などではないのだから母の願いだとか憎悪だとかに感情移入は出来ないし、それが正当なものだとも思わなかった。

 ただ、それに従う以外にどのようにして生きれば良いのか分からなかったからそうしていただけ。

 自意識だけはハッキリとしているのに人格を形成するだけの経験も思い出も無いまっさらな状態の自分。何が正しいのかも、人と同じ生き方も分からない。

 

 そんな自分に生きる目的を与えたのが、母が破滅させようと動いている人物であったのは如何なる皮肉だったのか。

 

 

 遠目に見ただけだと言うのに、その人物はまるで黄金に輝いているように思えた。

 それ程の覇気、佇まい。この世のものとは思えない騎士の頂点に立つ王は、揺ぎ無く配下達の先頭に立ち戦場へと赴く。

 彼の出陣を見送る民衆は皆一様に戦の前から勝利を確信しているかのような歓声を上げ、その偉大さと力を称えた。

 

 彼こそが、母の暗い妄執を見て育った自分が初めて目にした光。人間の域を超えた絶対者として、人間でないモノの空っぽな心に刻み付けられた理想の王の姿だった。

 いつかあの輝ける王のような立派な騎士になりたい。

 子供の憧れと言われてしまえば正しくその通りだったのかもしれない。何せ自分は知識や技術を詰め込まれただけの子供に他ならない代物なのだから。

 

 

 そんな青臭い夢を未熟な身の上なりに追い求めて、すぐ壁につき当たった。

 

 と言うより、動き始める前から袋小路に嵌ってしまっていたことに今更ながらに気が付いた。

 何せ騎士の身分でありながら素性を隠している。母に命じられ、自身の正体を悟られない為にと仮面を被って素顔を隠していた故に、周囲からの印象はすこぶる悪い。

 身分詐称や隠蔽は世間一般では大変不名誉な事だ。その両方に手を染めている者が何某か企んでいるのではと周囲から警戒されるのも無理はない。

 

 最早母の言いつけなぞどうでも良いと思える程度には元の役目を放棄しつつあったが『これを外せば最後、自身が人間でない事実が露見してしまうだろう』という、脅迫にも似た母の言葉が脳裏を横切り素顔を晒す勇気が出ない。

 

 

 それでも戦で功績を立てればいずれは王の目に留まる。周囲を圧倒するだけの力を生まれながらに与えられている自分ならば必ず他の騎士に先んじて王の下に近づけると、未熟過ぎる騎士は浅ましくも信じていた。

 

 しかし騎士は良くも悪くも一兵卒。戦に参加した所で活躍の機会そのものが何度も巡って来るとは限らない。

 上に立つ者の指示には従わなければならず、それを逸脱した行為は却って自身の戦歴に泥を塗ることになってしまう。

 

 思うように功を挙げられない事への苛立ち、長い時を生きられないが故の焦燥が積もりに積もり、冷静さを欠いた思考が再び先に述べたような周囲の和を乱すような行為に繋がる。

 命令を逸脱した突出、目の前の敵にかまけて味方の連携に亀裂を生じさせる視野の狭い判断、挙句それらを行う中で力任せに振るった異能は敵以外の者まで見境無く牙を剥く。

 

 ただでさえ警戒されていたというのに、腕は立つが血気盛んに過ぎる余り扱い難い猪武者の如き厄介者として周囲から認知されるのに時間は要らなかった。

 騎士は半ば必然的に、自軍の混乱を嫌う上官によって徐々に活躍の機会どころか戦場自体からも遠ざけられようとしていた。

 だがそれは軍隊と言う一つの巨大な生物の中に混乱が生じるのは避けるべきという、それなりの立場の物からすれば至極当然の考えであった。

 

 突出し過ぎた戦力は扱いが難しい。均一な戦力が一列に並んで進軍するのと偏ったパワーバランスのまま足並みの揃わない突撃を行うのとでは、どちらが正しい軍の在り方なのかは一目瞭然だ。

 強力過ぎる一人に着いて行く為に周囲は負担を強いられるし、着いて行けば力任せな暴れ方に巻き込まれ、勝とうが負けようが被害が出る。

 軍全体の運行の妨げになるのであれば、いっそのこと居ない方が余程やりやすい。例えどれだけの力を有する猛者であったとしてもだ。

 

 

 しかし冷遇された側からすれば納得が行かない。他の兵卒よりも多くの敵を倒し、力を示していると言うのに何故自分は認められないのか。

 若いという域を通り越して未だに幼いとも言える仮面の騎士は、自身が周囲の人間より優れた存在であることを自負している。

 

 事実、騎士が他よりも圧倒的に優れた能力を持っていることは誇張や虚勢の類ではない。

 他より強く、優れているという事実は、予定調和の如く優秀さ故の傲慢な思考を騎士の中に形成し始めていた。

 

 敵をより多く倒せる自分を使わないのはおかしい。

 悪いのはそれを理解しない他人である。

 自分は他人よりも優れているのだから間違っていない。

 

 一向に好転しない現状に更なる苛立ちを腹の底に溜め込みつつあった騎士は八つ当たりにも等しい悪感情を周囲に放っていくようになる。

 より優れた自分は正しくて、その自分の思い通りにいかない現状はきっと何かがおかしい。だから自分は悪くない。

 

 残り少ない時間を無為に過ごしていては目標に近づく前に身体が限界を迎えてしまう。のんびりとしていられる暇など無い。

 しかし、そんな事情を知っているのは本人だけ。単なる厄介者としか思えない周囲の人間から更に距離を置かれ、更に孤立を深めていったのは仕方のないことだ。

 

 

 憧れの王を追いかける筈が、瞬く間に自陣の片隅で突っ立っているだけの惨めな立場まで落とされた。

 何故こんなことになってしまったのか。ちゃんと力を示している筈なのにどうして認められないのか。

 最早母の命令など頭にない。この忌々しい仮面を脱ぎ去って自身の素顔を晒し、高々と名乗りを上げた上で戦場に舞い戻ってやろうかと考えもした。

 だが仮面に掛けた手は力任せに剥ぎ取ろうとしたところで動きを止めてしまう。

 

 何を命じられてここに来たのか、それを全うする価値は無くなっても母が自分に残した言葉は未だに胸中に残っていた。

 この仮面の奥には人間ではないモノの顔が隠れている。それを脱ぎ捨てると言うことは恥ずべき人間擬きの正体までもが周囲に晒されると言うことだ。

 

 人間の姿形をしているのに人間でないのが恥ずかしい、更なる嫌悪感に晒されるのが怖い。

 誰もが自分を奇形な物を見るような目を向けて来る光景を想像しただけで思い不安が肩に圧し掛かった。

 

 

 仮面に掛けた手をゆっくりと降ろし、そして血が滲み出さんばかりに握り締める。

 結局素顔を晒すことは出来なかった。自分の内に生じた衝動よりもあるかもしれない恐怖が上回った。

 そんな自分が情けない、悔しい、どうすればいいのか分からない。

 助けを借りることの出来る相手も周囲にいなければ、そもそも他人に助けを求めると言う発想自体が無い騎士は誰もいない城の片隅で肩を震わせていた。

 

 

「おい。そこのちっこいの」

 

 

 声が掛かったのはそんな時だった。

 突然話しかけられたことと、気配に敏感な自分が接近に気付かなかったことに驚きを覚えつつも即座に声のした方へ振り返る。

 

 そこには沈んでいく夕日を背にして佇む大柄の男が立っていた。

 背後から差し込む日の光を遮り、大きな影を作る男の姿はまるで全身から闇を放っているかのように感じられた。

 

 他の騎士達よりも一回り高い背丈、衣服越しにも分かる屈強な肉体、背中まで伸ばした黒髪を風に靡かせる男はより大きな影を作り出し、人間ではない別の生き物のようにも感じられる。

 それこそ、巨人か何かではないかと錯覚を覚える程度には目の前の男はただならぬ気配を放っていた。

 

 男は眼下で呆気に取られている仮面姿の騎士を鋭い目つきで見下ろし、真一文字に結ばれた口をゆっくりと開いた。

 

 

「お前がモードレッドか。噂は聞いてる、勿論悪い噂だが。

悪趣味な仮面姿と暴走癖で話題の問題児」

 

 

 お前に用があって来たと端的に告げる男に仮面の騎士、モードレッドは怪訝な目を向ける。

 素性を隠している自分が言う事ではないが、見るからに凶悪で怪しい姿をしている謎の男が突然用があるなどと尋ねてくれば誰しもが訝しむだろう。

 尋ねた当人もそれは理解していたのか、問い掛けられる前に相手の言葉を手で制する。

 

 

「お前の言いたいことは分かる。

俺が何者で何の用があって来たのかとかそういうことだろう」

 

 

 言葉を遮られたのは少々気に障ったが、聞きたいことを答えてくれるのであれば良い。

 偉丈高に有無を言わせぬ一方的な要求など突き付けて来ていたら拳の一つも繰り出したくなっていたかもしれない。

 そんな不安定な精神状態になる程度には今まで色々な事があったのだ。

 

 

「俺はケイ。

最近少しずつ形になって来た円卓の騎士って奴の一人だ。

更に言えば、本日付けでお前の後見人になる男でもある。」

 

 

 精々覚えておけ。

 そう締め括り、男は状況を上手く呑み込めていないモードレッドをそそくさと自身の領地まで連れて帰った。

 

 

 

 

 誰かに助けを求める事も、誰かに助けられたことも無かった。

 先の短い人生の最中、突然現れた後見人を名乗る円卓の騎士。

 予想だにしないこの出会いが、孤独だった一人の騎士の運命を大きく変えることとなる。

 

 空っぽな心に差し込んだ光が王であったのならば、冷え切った感情に熱を灯したのが彼だったと言えるだろう。

 やがて“兜の騎士”と呼ばれる事となる少年……否、少女の運命はこの時動き出した。同時に彼女を暗い底辺から掬い上げた男の運命もまた、終結に向けて加速し始める。

 

 マーリンの不吉な予言を実現させる滅びの種は、誰よりも滅びの運命を回避すべく奔走する男の手によって表舞台に送り出されようとしていた。

 




《本編補足》

【ギネヴィア】
アーサー王の嫁。
従ってケイ兄さんにとっては義妹の一人で、王妃になる前から諸々の説明を受けた上で協力してくれている。今のところは普通に良い娘。
ケイ兄さんとの仲は非常に良好。非常に良好。
複雑な女心故に時々寂しくなることも多いのだが、その度にケイ兄さんに励まして貰っている。ケイ兄さんとしても自分達の都合に巻き込んでしまった責任があるのでメンタルケアには全力を注いでいる。
原作では不倫相手に「王様の方が……」とか言われてる。


【キャメロット】
ケイ兄さんが復興と建造に苦慮していた王城。
花の魔術師のお蔭で割とあっさり完成した。
建築、設計にはケイ兄さんが大いに関わっており、ケイ兄さんとマーリン以外は多分知らない仕掛けやら隠し部屋やらが数多く存在する。
地の底に通じる通路があるだとか城の何処かに金属で出来た要塞が隠れてるだとか色んな噂が流れてる。


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第10話 魔女のはなし 1

 前回は久々の更新で色々とアレなネタを入れてしまって申し訳ありませんでした。
 今回出るキャラは原作でも殆ど触れられないままの人なので人物像の大半が作者の想像と陰謀と愉悦回路から捻り出された名状し難い何かなのでどうかご了承下さると助かります。


 生まれた時から私は周りと違っていた。

 生まれる前から違った人間になる事が運命づけられていた。

 

 自分が当然のように出来る事が周りの人間には出来ない。出来ないことが出来るようになるのが私以外の人間は圧倒的に遅い。

 最後の神秘の宿る島には外の常識と照らし合わせれば明らかに異常な力や資質を持った人間が多く生まれるという。

 だから優秀で当然、出来て当然であると思っていたし、寧ろ出来ない方がおかしいのだと考えていた。

 

 だが現実は違った。

 あらゆる事柄に於いて皆私よりも出来ない、私のように優れていない、ブリテンの外にいる劣化した理の中で生きる人間と何ら変わりない。

 それが途轍もなく奇妙な事に思えて、そんな風に思う私を周りの人間は逆に奇妙な物を見るような目で見た。

 その視線が私は耐え難い程に嫌だった。不快で堪らなくて、嫌悪感がいつも全身を駆け巡り、粟立った肌を人目も憚らずに掻き毟りたい衝動に襲われた。

 

 だから私は人の輪から一人だけ外れる事にした。

 そうすれば嫌な視線を向けられずに済むと思ったからだ。

 

 結論から言うと私の行動は思った通りの効果を齎し、同時に望外の事実を気付かせることとなる。

 人から離れて、それまで周りにいた人間達を遠目に眺めてみると、やはり誰も彼もが私よりも劣っていた。

 一人か二人は物事を私と同じように出来る人間がいると思っていたのに、そんな人は周囲を見渡しても一人としていなかったのである。

 

 そこで私は漸く気が付いた。

 周りの人間が出来ないのでも劣っているのでもなく、私があまりにも、それこそ人間離れしている程に優秀に過ぎたと言うことをだ。

 

 そう思うとたちまち私を強烈な疎外感が襲う。

 私はそうしようとする意思の有無に関わらず、誰よりも賢く、誰よりも先を行く人間として成長していく。

 私が知恵を絞れば周りの人間にとっては理解出来ない次元の思考となり、導き出した答えは天から降って来たように突拍子もないものとして受け止められる。

 技術や知識の探求者達と向き合えばすぐに並大抵の人間を超える業を身に付ける事が出来、生涯を賭けても辿り着けなかった難題の答えにすぐさま辿り着いては嫉妬と畏怖の感情を向けられる。

 

 誰もが優秀過ぎた私を称えると同時に恐れ、嫉妬し、自然と距離を取って行く。

 理解出来ない解答を突き付けられることで、自分の努力が否定されるような感覚を覚えるほどに私が力を得ていく様を見せられることを誰もが忌避したのである。

 

 私は別段他者に害を及ぼしたことも無ければ悪意ある行いを為した覚えもない。

 なのにどうしてこんなにも孤独でいなければならないのだろうか。

 

 日に日に自分の心が荒んでいくのが分かる。

 誰も私を理解出来ず、同じ認識を持てず、同じ世界で生きる事が出来ない。非効率な考え、大したことの無い力、下らない虚栄心、薄っぺらい執着心。

 周りの人間が頼りにしている物が、見ていて目が腐る程に醜く、近くにいるだけで鼻が曲がりそうになるほどに臭く感じられるようになった。

 

 だから私は人に歩み寄る事を完全に止めた。

 どうせ不愉快な思いしか抱けないのならば、初めからそんな連中と関わり合いにならなければ良い。

 

 そうして私は余計に孤立して行った。

 だが、私は自分が孤独とは思わなかった。当時の私は漸く自分と同じ存在がすぐ側にいたことに気が付いたのだ。

 

 その存在とは私の父、ウーサー・ペンドラゴン。

 一国の王にして、人間離れした人間。あらゆる面で他者より優れた、強く賢い私の同類だ。

 

 私と認識を同じくすることが出来る人間がいる。

 その人間が私と血縁と言う絆で結ばれているという事実を実感した時、私は踊り出したくなるほどの多幸感を覚えた。

 

 父は私の力を認めてくれた。

 父は私の考えを理解してくれた。

 父は私をただの人間として扱ってくれた。

 それまで私と異なるが故に私を疎み、人ならざる魔女を見るかのような目を向けて来た者達に囲まれた日常とは比べるのも烏滸がましいほどの幸福な日々だった。

 

 当時、父はブリテンに君臨する王の一人として、各民族を統べる他の王達の結束を乱し、神秘の島を混乱の只中に突き落とした卑王ヴォーティガーンを討つ為の試行錯誤の最中だった。

 最後の神秘の島であるブリテンを守る為にブリテンの国を、そこに住まう人間を滅ぼし尽し、ブリテンを外界から隔絶された秘境に変えるべく魔王となった白い竜の化身。

 各部族が持てる全ての軍勢をぶつけようとも揺らがすことすら叶わない正真正銘の魔性。それを討ち果たす戦いに父もまた日夜心血を注いでいた。

 

 その最中、父は憂いを含んだ表情で私にこう告げたことがあった。

 

 

『卑王ヴォーティガーンは強大極まる敵。例えどれ程の力を誇ろうとも、人間の範疇に収まる内には太刀打ち出来ぬだろう。

故に恐らく私では卑王を討ち取る事は叶わぬ。挑めば間違いなく命を落とす。

そうなれば、私の後を継ぐ者が必要になる。私の後継として卑王を討ち、ブリテンを統べる王となるべき者が』

 

 

 私は父が死を覚悟して卑王に挑む事に心を痛めると同時に、父の言った“後継”が自分であると瞬時に直感した。

 自分と同じく人並み外れた才覚を持つ私に卑王を倒しブリテンの王になれと、父が私にそう言ったのだと考えて疑わなかった。

 

 父が遠からず死を迎える事は私にとって唯一の同類を失う事を意味し、それは耐え難い苦痛を齎すだろうことは容易に予測出来た。

 それでも私には父を止める権利も無ければ術も無く、最後の戦場へと赴く父の背中を見送る事しか出来なかった。

 

 そして予期した通り、最も優れた王は卑王へと果敢に挑むも力及ぶ事無く敗れ去り、ブリテンより永遠に姿を消した。

 

 父の訃報を聞いた私の胸の内には空虚な感覚が吹き抜け、喪失感は心臓を抉り出されたような苦痛を与えた。

 覚悟の上であっても耐え難い苦しみに三日三晩苦しみ続け、食べ物も喉を通らず一週間と経たずに酷くやつれ果てたことを自覚した頃、漸く私の心は一先ずの再起を果たした。

 

 私には絶望に沈む暇など無い。

 父の遺言に従い、託された物を受け継ぎ、父が成し得なかったことを成して新たな王として君臨する。

 その使命の為に、私は折れかけた心を繋ぎ合わせて立ち上がった。

 

 

 

 だが、決意を新たにした私を迎えたのは予期した輝かしい未来などではなかった。

 

 

 

 父の後継者として選ばれたのは何処からともなく湧いて出た小娘だった。

 私の知らない所で父とマーリンと、父の信頼厚き臣下の間で進められていた“理想の王”を作る計画の成果、人間離れした王の血を継ぐ、人間ではない王の化身。

 

 とどのつまり、私は選ばれなかったのだ。

 

 考えてもみれば当然の事である。

 人間離れした父ですら倒せなかった卑王を倒そうというのに、同じく人並み外れた私などでは役者不足であるのは当然だ。

 もっと強い王、それこそ卑王を超える程の怪物でなければ暗黒時代の只中にあるブリテンを救う事など出来るわけがない。

 私が父の立場だったのならば当然のようにそう考えるだろうことを、当時の私は自分の都合の良いように勝手な解釈をしていただけだ。

 

 だからこうなったのは仕方の無いこと、私が愚かだっただけの話なのだと必死に自分に言い聞かせて、それでも結局納得することなど出来はしなかった。

 

 だっておかしいじゃないか。

 父を一番理解していて、父の想いを一番よく知っていて、父に一番近い私ではなく、父の想いも何も全く知らないであろう小娘が選ばれるのは。

 

 あんな小娘よりも私の方がずっと上手くやれる、王として優れた治世を布くことが出来る。

 つい最近までそこらの町娘と変わらなかったような奴がどうして父の愛を、期待を一身に受け、遺されたものを受け継ぐに相応しいと言えるのか?

 

 私の方が強い、私の方が賢い、私の方が優れている、私の方が相応しい。

 

 なのにどうして?

 

 どうして?

 どうして?

 どうして?

 どうして?

 

 その時、私を苛んだのは失意か絶望か。

 私と言う人間を保つ唯一の支柱を横から掠め取られ…否、初めからそんな物が手元に無かった事を思い知らされた私の心は、一度繋ぎ合わせた場所からバラバラに砕け散った。

 

 父との繋がりは父の姿を見たことも無ければ声を聞いたことも無い、父の考えを理解している訳でもなければ共感もしていない見ず知らずの妹の物となった。

 それの意味も重みも理解せず、魔術師や騎士達に刷り込まれた“正しさ”の為だけに突き進む愚かな小娘なんかに私の宝物になる筈だった物は奪われた。

 

 私が欲しかった物を、私が求めたものを。

 あの小娘が、あの小娘が!あの小娘が!!あんな小娘なんかが!!!

 

 許せるはずがない。

 私にとって父は全てだったのに、その父が死に、唯一残された遺産も私の物にならないなんてまるで悪い冗談だ。

 

 悪夢ならば早く覚めてほしい、出来得ることなら力づくででも取り戻してやりたい。

 だが最早どうすることも出来ない。

 妹が王座に就くことは予言され、ブリテンに広く知れ渡っていた。

 選定の剣を抜いたことで大衆は王の誕生を直に見ているのでは今更異を唱える者など居ないだろう。

 妹自身に何か仕掛けようにもマーリンの庇護下に在っては手出しなど出来る筈もなく、下手な真似をしても王を妬んだ間抜けな女が返り討ちに会う喜劇が出来上がるだけ。現状が正にそれであるのも事実ではあるが。

 

 つまるところどうしようも無かった。

 父が死地に向かうことを止められなかったように、私にはこの理不尽な現実をどうにか出来るだけの権利も資格も手段も無く、嘗て抱いた決意と展望は此処に夢幻と成り果てた。

 

 私は重く圧し掛かった絶望を忘れる為に半ば自暴自棄とでも言うべき行動に走った。自己破壊的な行為と言っても良い。

 ある時は魔術や錬金術に没頭し、あらゆる知識を気絶する寸前まで収拾し続けた。

 ある時は中途半端に学を噛んだだけの連中による中身の無い弁論を完全に論破して圧倒的な知識と能力の差を見せつけて優越感に浸った。

 ある時はそこいらの男を誘って毎晩のように快楽を貪った。

 ある時は嘗て夜を共にした男や、妻となってくれなどと下らない申し出を入れて来た連中の愛情や欲望を煽って翻弄し、最終的には身を滅ぼすように仕向けてやった。

 

 多くの人間が私によって自分の無力さと愚かさを思い知り、誰もが私に嫉妬と畏怖の感情を抱く。

 自分が周囲の人間よりも圧倒的な上位の存在であるという、まるで自分が“王様”にでもなったかのような虚栄心を満たす為だけに、私は人の自尊心や愛情、成果や幸せを踏みにじり続けた。

 だが私の抱いたものがその程度の事で埋まるような浅い空虚な筈がなく、胸の穴から伝わる虚無感は日に日に大きくなってゆくばかりだった。

 

 求めていたのはこんなものではないのだと、魂が騒めいているのが分かる。

 耳元で絶叫が上がっているかのように煩くて夜も眠れず、必死に耳を押さえて『煩い黙れ』と叫び散らしながらのたうち回り、叫ぶ力も無くなって漸く気絶するようにして眠りにつく。

 

 そんな日々を過ごして幾年か経った時のことだ。

 私は、王となる為の修行の旅から帰ったという妹を迎える催しに他の姉妹と共に呼ばれていた。

 初めは何かと理由を付けて辞退しようと考えたが、どうせだから憎たらしい妹に呪詛の一つも吐いてやろうというしょうもない悪意が参加を決意させた。

 

 あらゆる魔術の知識を貪った私は日常的な会話ですら呪いの呪文に変えられる。

 さり気無い会話の最中に悪夢や怖気に襲われる呪いでも掛けてやれば丁度良い嫌がらせくらいにはなるだろう。

 大の大人でも下手をすれば発狂する程度のしょうもない呪詛だ。理想の王であらせられるお方からすればそよ風のようなものだろうとも。

 そんな事を考える自身の顔が酷く醜く歪んでいることにも気づかぬまま、私は長旅から戻った妹と他の姉妹たちが集う屋敷に足を運んだ。

 

 胸中に渦巻くのは妹の悪意と穢れを知らないような小娘の相貌が苦痛に歪む様である。

 私は黒い喜びに胸を躍らせていた。しかし屋敷に辿り着いた私から、そんなちっぽけな欲求は跡形も無く消え去る事になる。

 

 

 

 屋敷に到着した私は妙な男と鉢合わせになった。

 平均的な成人男性と比べても大分長身なその男は、何時だったか噂に聞いた妹の義兄とかいう人物だった。

 

 妹を育てたエクターの実子であり、幼少期を共に過ごした相手。

 そして選定の剣を妹が抜いた際にそれを横から掠め取り、自分こそが王であると吹聴した間抜けな男。

 これだけ聞けば名誉に目が眩んだだけの取るに足らない小物の類でしかない。

 事実、隠された大器とか才覚があるのでもなく、目の前の男は図体だけ大きい凡夫の類であることは間違いない。

 

 私はケイと言う男を、これまでも一歩引いた所から見て来た下らない凡人共と同じ代物だと判断した。

 

 だが、妹は幼少期から共に育った義兄を心の底から敬愛し、全幅の信頼を寄せていると言う。

 巷の人々は王位を掠め取ろうとした義兄を許し、変わらず重用するアーサー王の慈悲深さと懐の深さへの称賛を口々に噂している。

 

 だが私からしてみれば、欲望のままに不義を働くような相手を薄っぺらい情のせいで切り捨てられない妹は単なる甘ったれでしかない。

 血の繋がりも無く、ただ幾らか同じ時間を過ごしただけでこの先大して役に立つはずもない有象無象を身内だからと侍らせているなど、物好きを通り越してただの愚か者である。

 大きくて重たいだけの石くれを道端から拾い上げて大事そうに抱えて歩いている妹を内心嘲笑った。

 

 だが論理的に考えた事実はどうあれ、妹がこの男を敬愛し、今後も重用して行くつもりでいる事は確かだ。

 ならばこの男がどのような人物なのだとしても、妹にとってはさぞかし大きな存在であるのだろう。だから私はこう考えたのだ。

 

 そんなに大事な人間が無様に苦しみ壊れていく様を見たら、果たしてどう思うのか。

 

 さぞや嘆くのだろう、苦しむのだろう、悲しむのだろう。

 所詮こんなものは踏み砕いた石ころの破片を頭から振りかけてやる程度のつまらない嫌がらせに過ぎない。

 私の望んだ物を横から掠め取っておいて、この程度の報復ですませてやろうというのだから寧ろ寛大に過ぎる程である。まぁ、今回だけで済ませるつもりなどないのだけれど。

 

 そうと決まればまずは目の前の男だ。

 これまで散々弄んで来た連中と同じく、ほんの少し色香を吸わせてその気にさせれば一瞬で篭絡は完了する。

 そう確信して疑わず、男と擦れ違う直前に鈴の音のような澄んだ声色で『お待ちになってください』と短く呼びかける。

 

 すると、相手は何の用かと不愛想な表情と声で此方の呼びかけに応える。

 いつもの男と比べると些か硬い応答だったがこういう堅物と会った経験が無いでもない為、然して動揺することも無く話を切り出した。

 と言っても妹の旅の供として力を尽したことへの感謝だの、噂で聞いていたよりも逞しいだの、貴方のような屈強な騎士は見たことが無いだのと、心もない言葉を並べ立てただけだ。

 

 これが普通の人間同士の会話だったのならばつまらない世辞などさっさと止めさせて本題を促す所だが、既に相手を堕とす姿勢に入っている私の言葉には術など行使せずとも男の脳髄を蕩かす魔力が宿っていた。

 耳にしただけで頬は紅潮し下品で粗末な部位がいきり立ち始める程の効力を持つそれを真正面から受けた男の口が即座に開き、返答を述べ始めた。

 

 

『何とも…そこまで褒め称えられると照れますね。

それを言うならば貴方のようなお美しい女性はこれまで見たことがありません。月並みな表現になって大変恐縮ですが、人を外れた美貌を持つ妖精ですら貴方の前では恥じらうしか無いでしょうなぁ』

 

 

 そんな事を言ってくる馬鹿な男に私は内心で侮蔑の笑みと罵声を浴びせてやる。

 所詮はこんなもの、さてこれからどのようにしてくれようか、少なくとも自分から死にたくなる程度まで貶めてやるくらいはしなければ話にならない。

 早速目の前の木偶の坊を壊してやるための筋書を脳裏に描き始めた時、男は続きを口にするべく声を発した。

 どうせ今までの連中と同じく私の気を引く為の賛美やら世辞をつらつらと並べ立てるだけだろうと思い、右から左へと言葉を受け流す姿勢に入った時だった。

 

 

『しかし噂以上に酷い目をしていらっしゃる。

家畜の糞尿と臓物を肥溜めの底で腐った泥屑と混ぜ合わせてもそのようにはならないでしょう。これでは折角の美貌も汚物を塗りたくった豚の面以下だ。

いっそのこと両方くり抜いて宝石の類でも埋め込んだ方が余程映えると思いますよ?

まぁ、その宝石よりも美しい輝きを放っている筈だった両の目をそこまで腐らせたのだ。どれだけ煌びやかに取り繕っても中身の腐臭は隠し切れないでしょうなぁ。

これまた月並みな言い回しで大変恐縮ですが心中お察しいたしますよ、姉君殿』

 

 

 一瞬何を言われているのか全く分からなかった。

 

 理解不能だった。

 

 初対面の相手に、何の前触れもなく、それも王の親族に、これから大事な催しが控えていて、ただでさえ立場が危ぶまれている身の上で。

 そんな理屈とか不当性とかも置き去りにして、私はただひたすらに“罵倒された”という事実にこれまでの人生で感じた事の無い驚愕を覚えていた。

 

 これまで誰かに自分の持つものを否定されたり、増して貶されることなんて一度たりとも無かった。

 何せ私は能力も、美貌も、立場も、全てが非の打ち所の無い人間として君臨し、それを周囲の人間に無条件で認めさせてきたからだ。

 誰もが畏れ、敬い、嫉妬するものや憎悪を向ける輩は確かにこれまでも腐るほどにいたが、そんな連中が吐き散らかすのは罵倒とも言えないような小さな遠吠えだ。

 しかし目の前の男にそのような惨めな感情は無く、冷静に此方を観察した上で世の乙女の心にナイフを突き入れ、傷口を塩塗れの手で抉り倒すような罵声を浴びせて来た。

 

 要するにこの男は本心から私の目が醜いと、遠回しに私の心根が腐っていると言い放って来たのである。

 褒め称えられ、畏れられて来た私が生まれて初めて体感した悪感情の欠片も無いままに冷え切った否定の念。

 それを自覚した途端、自分を見下ろす男の目が堪らなく恐ろしく、そして腹立たしく感じた。

 

 見透かしたような目、本当に腐臭を放つ汚物とでも相対しているかのような顰め面、凡夫の癖に遥かな高みにいる私を道端の石ころか何かと同視するかのような不遜な態度、それら全てが初めて向き合うもので、理解不能なものだった。

 人間は理解出来ないものを本能的に恐れると言うが、これが正にそうなのだろう。そして私に弄ばれ、踏みにじられて来た連中はきっとこういう心境だったのだろう。

 

 この男は間違いなく此方の魂胆を見抜いている。

 私が妹を苦しめる為に接触して来た事も、篭絡目的で誘いをかけてきたことも。

 つまり、私は知能でも知識でも圧倒的に下位に立っている人間に内心を見抜かれ、目論見を外された、失敗させられた、探り合いと言う場で“敗北”したのだ。

 

 そう、負けたのだ。

 これまで誰にも負けた事の無かった、永遠の勝者であり上位者であるこの私が、見ただけで何処までも凡才でしか無いことが分かるような、うだつの上がらない騎士風情に。

 

 それは妹に王座を奪われた時よりもある意味大きな衝撃だった。

 人間離れした人間の娘であり、その能力と才能を受け継ぐが故に誰よりもどんなことに於いても上位に立っているというこれまでの常識が揺らがされ、誰にも踏み込まれたことの無い胸中を覗き込まれた。

 

 全身の血管を恐怖と屈辱が巡って行くような悍ましさに鳥肌が立つ。

 思わず肩が強張り、爪が掌に食い込むほど拳が固く握り締められ、奥歯が軋むほどに上下の顎を噛み合わせた。

 男に媚びるような潤んだ瞳にも別の意味合いを持った雫が滲んでいて、ぼやけた視界には『してやったり』とでも言いたげな皮肉たっぷりの嫌な笑みが映っている。

 

 たった一度口を開かせただけでこんな気持ちにさせられるなんて考えもしなかった。

 遊ぶ為でも立場を分からせる為でもなく、何処までも主観的に“悔しい”という感情に突き動かされるがまま言葉を発する。取り繕ったお上品さも取り払って。

 

 

『アンタ……名前は何だった?』

 

『いえ、名乗る程の者では…』

 

『良いから答えなさい。あと、その言葉遣いも止めたら?言葉の裏から下品な本性が見て取れるようで吐き気がする』

 

『これはこれは手厳しいですなぁ。ですが立場と言うものがありまして、私としても姉君殿に無礼な物言いをすることなど、とてもとても……』

 

 

 先程これ以上に無い程の無礼な発言をしておきながら抜け抜けと言い放つ男の顔に魔術を叩き込んでやりたい衝動に襲われるが必死に堪える。それをしたら言い負かされたと認めるようなものだ。

 探り合いで負けた上に立て続けの敗北をこんな男相手に刻んだとあっては屈辱の余り憤死しかねない。

 

 ただでさえ理解不能な人間と相対して全身に怖気が走っているような状態なのだ。

 精神状態は言うまでも無く不安定そのもの、だと言うのに目の前の男はそれすら見透かした上で煽るような物言いをして来る。

 

 当初の妹への嫌がらせという目的すらすっかり忘れ去って眼前の脅威に立ち向かう事にのみ意識を集中させた。

 それが男の目論み通りであることに気付けないまま。

 

 

『自身の名を伏せたままにするのは卑しいものを抱えているからと受け取られるのではなくて?

騎士の端くれの身の上ならば、そんな風に思われるのは御免被るでしょう』

 

『真っ当な騎士道に則れば……ね』

 

 

 要するに騎士道に則る気が無いと言い放った男はその後も二、三言ほど会話を交えて漸くケイと名乗った。

 そういえば噂に聞いた名もそんなものだったように思うが、余りにも印象に残らない人物だったせいで覚えてられなかった。そんな風に皮肉を返してやれば『記憶する為の中身が腐っているのに印象だけで覚えていられるとは驚きだ』と逆に皮肉られてしまう。

 言い返そうとして口ごもり、それが今までの自分が相当に腐っていた事を認めてしまっているようで気に食わず、かと言って上手い返し方も思いつかず、またも皮肉気な笑みを浮かべる男を睨み付けるしかなかった。

 

 

 

 

 これが私と彼の出会い。

 この出会いが私にとって正しい物であったのかは分からない、彼が私にとって何だったのかも。

 ただ、彼と出会った事で私の中で何かが変わり、そして結局変わっても変わらなくても同じ結末に繋がった。

 そう思うと、少しだけ切なくなった。

 




魔女さんについてはアグラヴェインの発言や原作に於ける父の期待と愛情を一身に受けたアルトリアを強く妬んでいたこと等から人物像を形成しましたので正直公式で出て来たら書き直さなければならなくなるかもしれません……(汗)

あと最近ヒロインについて考え始めたのですが入れるべきか否か……。
正直誰とくっついてもケイ兄さんの身に碌でもないことが降りかかるのは最早避けられないわけですが、アンケートとろうかなぁ……。


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第11話 魔女のはなし 2

長期間に渡り更新が滞っており大変申し訳ございませんでした。
スケジュールの余裕が無かったことや体調不良等の理由があったとはいえ数年ぶりの投稿となってしまった事を重ねてお詫びいたします。

書き方の調子を取り戻す為にもリハビリ目的の別作品でも挟みながらちょくちょく次の話を投稿していこうと思いますので改めて宜しくお願いします。


※本編の注意事項として、若干の暴力的描写がございますのでどうがご留意下さい。


 私は強かった。

 私は賢かった。

 私は特別だった。

 

 

 人間離れした人間であるウーサー・ペンドラゴンからあらゆる事柄に於ける高い資質、そしてブリテン島に宿る原初の力である黒い呪力。

 島そのものを所有物とし、その気になれば卑王ヴォーティガーンの如き人外の力を振るうことすら出来る権限を受け継いだ。“島の主”という一点に於いては国王となった妹を遥かに上回っているだろう。

 

 更に、一度思考を巡らせれば、常人が十度は頭を悩ませねば導き出せない答えを容易く見出せる知能も生まれ持った。

 一人の魔術師が生涯をかけて漸く辿り着ける魔導の秘奥であろうとも、書を流し読んでほんの数日すれば手が届く。

 大凡まっとうな人間が積み重ねるべき努力も無しに高みへと上り詰めることが出来る類まれなる才能はあらゆる方面に於いて他者を凡俗の域に貶める。

 

 天才などという陳腐な物言いをする人間など5歳を過ぎたあたりで一人もいなくなっていた。

 才能の有無に関わらず、大半の人間の目には理解不能な力と才能を兼ね備えた人の形をしたナニカであり、近づき難き異形の者としか映らなくなる。

 

 事実、この身は純然たる人類とは異なる存在だ。

 体内に宿る黒い呪力を通して最後の神秘が残る島であるブリテンの地と繋がり、幻想種に属しているブリテン島の人間達の中でも一際人外に偏っている。

 一個の生命として見るのなら、人間よりも巨人や夢魔、竜種等が属している妖精種に近しい半人半妖なのだ。

 加えて言うのであれば母方の血筋による人外の側面まで持ち合わせているのだから、割合で言えば三分の二は人ならざる存在であるのだろう。

 

 周囲の人々から疎まれるようになるのも然もありなん。

 彼等は単に異端を嫌い、排斥ないし不干渉を決め込もうと望む本能を正常に働かせた結果として私を遠ざけたに過ぎないのだ。

 一般的な道徳心に基づけば誉められた行為ではないのかもしれないが、同時に常識的な危機感を持つ生物としては無理からぬことでもあり一概に悪行とも言えず、誰もが意見を同じくするのだから咎める者が現れるのを望むべくもない。

 

 冷静に考えればそのような答えも導き出せただろうが、生憎と被害者側は当時10にも満たない幼子だ。

 何も悪さをしていないのに自分を独りぼっちにした周囲の人間を『仕方が無い事だから』と許す寛容さを発揮出来るだろうかと問われれば、答えは当然否である。

 

 他人の気持ちを察するだとか理解するだとか、それなりに年を重ねた大人であろうと難儀する事柄に対して、生まれ持ったものなど何の意味も持たない。

 能力的に優れていることと精神的に優れていることは同意義でないと、力を持ちながらも平凡な人間的精神の持ち主でしかなかった小娘の屈折ぶりが物語る。

 

 そんな者が、己の負の感情を制御する術も持たないままに自分を疎む事の無い父を喪い、せめてもの支えとして臨んだ王の位と使命を妹に奪われて正常でいられる筈も無く、順当に歪み、当たり前に狂い、自然に暴走を開始した。

 

 父より受け継いだ才能も、ブリテンの申し子としての黒い呪力も、弱者を虐げて空虚な自己満足に浸る自慰行為の道具と成り果てていく。

 痩せ細った心の渇きを癒す事も無ければ、大きく穿たれた穴を塞いでもくれないと分かっている筈なのに、当然の事実からも目を背けて快楽の淵へと逃げ込んだ。

 そのまま行き着くところまで行き着けば、弱り切った人間としての心は完全に死に果て、嘗て求めたものへの欲求に突き動かされる亡者となっていたことだろう。

 

 

 そこで彼に出会った。

 無駄に身体が大きくて、冗談のように人相が悪くて、同じくらいかそれ以上に愛想も性格も最悪な義弟に当たる男。

 

 別段特別な才能や力を持って生まれたのでもなく、今に至るまでの人生で人域を逸脱するような力を手にする機会にも恵まれていない。

 自分のような半分人でない存在の側面を持つのでもなく、妹のように生まれつき竜の因子を有していることもない、頭から爪先から魂の奥底まで普通の人間でしかない生物。

 

 妹を害しようとするのを邪魔立てしてきたことは理解が及んだ。

 誰だって身内に手を出されたら憤りを覚えるのは当然のことであり、増して妹は忌々しい事にブリテンの王である。先王の家臣であった騎士エクターの息子にして現王第一の臣が動かない方がおかしいだろう。

 

 何ら疑問も驚愕も抱かせない当たり前の行為。

 ならばいつも通りに邪魔者は軽く蹴散らして行けば良い。指先一つ翻せば、或いは二言三言呪文を唱えれば只の身体が大きいだけの人間など肉塊以下の残骸に変えてしまえるのだ。

 

 今までもずっとそうして来た。

 王位を妹に奪われてからというもの、他者に何を譲るような真似もしたことなど無い。

 欲しい物は何であろうと奪い取り、気に入らないものは全て消してやった。邪魔する者達は一人残らず全てを奪った上で跡形も無くして来た。

 だから今回も同じにしてやろうとしたのに、他の連中と同じものである筈の人間は、いつものような有り様にはならなかった。それどころか此方の企みや行動を幾度と無く阻んでは潰していったのである。

 

 初対面の時だけではなく、その後も幾度と無く妹に対する有形無形の干渉を行おうとしたが、それら全てが標的へと効果を及ぼす前に頓挫する。

 初めは何が起こっているのか理解出来なくて、次に何かの間違いだと己を誤魔化して、やがて在り得ない筈の事態が発生していることに混乱する。

 

 此方の考えが見透かされている。

 下等生物に過ぎない存在が此方を上回っている。

 上位の存在である自分が人間風情に煮え湯を飲まされ、負け続けている。

 

 在り得ない事だ。在ってはならないことだ。

 強くて賢くて、凡俗共とは全てに於いて異なっている自分が、弱く愚かで平凡な存在に土を付けられるだけでも信じられない事なのに、目論みを悉く外されてしまうなど天地が裏返るが如き異常事態。

 

 私という存在が持つ性能は、あの男を含めた他者のそれを圧倒的に上回っている。どれだけ些細な物事であろうとも、後れをとるわけがない。一方的に勝利し、上回り、見下ろして踏みにじる側の存在なのだ。

 それがこの世界の理であり不文律、当たり前の常識だと、一切の疑問なく信じて生きて来た。それだけが、誰からも疎まれ拒絶された自分が拠り所に出来る唯一のもの。

 要は己が自信にしているものを揺るがされたことによって、自己同一性に致命的な矛盾が発生し始めていたのである。

 

 このままでは夢が壊れる。現実に引き戻される。

 何もかもが上手く行って、絶対者としての安寧に浸り続ける為には常に特別な存在でいなければいけないのに、これでは全てが台無しになってしまう。

 何も見えない聞こえないと、視界を遮っていた瞼が開かれ、耳を塞いでいた手が退けられるような思いだ。

 

 再び知覚した世界は相変わらずの有様なのだろう。

 怪物と疎む視線が四方から向けられ、拒絶せずにいてくれた父はどこにもおらず、自分が担うはずだった王位に就いた妹が栄光の道を進んでいる。

 言葉にするだけでも気が狂いそうになるほどの嫉妬と孤独と恐怖が湧き上がって来る地獄そのもの。

 

 そんな只中に放り出されるなど冗談ではない。死んでも御免だ。

 ならば、そうしようとする者を排除するしかない。妹よりも先にあの忌々しい凡人男だ。

 奴を消せば安心出来る。自己満足と自己陶酔と自己欺瞞に満ち溢れた甘い夢の世界が戻って来る。

 

 そう思い立つや、妹へと向けていた悪意は行き着く先を別の者へと変えた。

 意図的に狙いを逸らされていることにも気づかぬまま、たった一人の為の暗殺計画に腐心する日々が始まったのである。

 

 ある時は騎士を、ある時は魔術師を、またある時は人ならざる魔獣、それも両の手ではとても数え切れない物量を以て圧殺せんとした。

 これが妹に対するのだとしたら多少苦戦することはあるかもしれないが最終的には切り抜ける事も叶うだろう。

 非常に忌々しい事だが、あの小娘は王となるべくして設計、養育された事もあり生物としての性能は凄まじく高い。比例して戦闘力も相応な上、すぐ側には花の魔術師が控えている。

 ちょっとやそっとの小細工が通用するような相手ではないし、本腰を入れたら入れたで謀叛の意思を明確にした逆賊として討伐するように周囲に働きかける事だろう。

 

 対するあの凡人男には特別な力も強力な後ろ盾も無い。

 王から公私共に重んじられているという点だけみれば迂闊に手出しできる立場にないように思えるが、当の王は未熟の域を出ておらず、陰に日向に降り注ぐ悪意を権力の傘で遮る力を持たない。

 大っぴらに喧嘩を売るのならば兎も角、策謀を巡らせる裏の戦場に於いては全くの無防備と言って良い。

 

 花の魔術師も王の関係者ではあれ然程の重要人物とも認識していない臣下一人の為に骨を折りはすまい。

 例えあの男が無残に殺され王が嘆き悲しもうとも、それすら成長の糧として利用して見せるであろう事は、一つの命と心を生まれる前から己の目論む通りに作り替えた所業からして明らかだ。

 

 あれこれと理屈を並べ立てたが、要するにあの男の暗殺計画の障害となる者はいない。

 身一つでこの上位種たる自分の魔の手を捌かねばならないのだ。当然ながら、木っ端人間如きに乗り越えられるような生易しい真似はしない。

 名の通った騎士だろうがそれなりの実力を持った魔術師だろうが一度や二度死ぬ程度では済まないような絶望的な展開というものをくれてやるつもりだった。

 

 アーサー王第一の臣下が何者かの手によって惨殺されたという知らせが発せられるのは最早時間の問題。

 あのような凡庸な男の訃報なぞ数日足らずで忘れ去られるのが関の山であろうがと嘲笑を溢しつつ、その時が訪れるのを待った。

 

 

 ここで話を少し戻すが、先程あの男へと差し向けた刺客に纏わる事柄を覚えているだろうか。騎士や魔術師や魔獣共のくだりだ。

 誤解の無いように言っておくと、これらは同時に差し向けたのではなく、かといって寄せては返す波のように次から次へと送り込んでいったのでもない。送り込む必要が生じる度に新手を投入していったのだ。

 

 その意味する所は即ち暗殺の失敗。

 知恵と力と美貌を駆使して掻き集めた手勢は人間一人を跡形も残さずに殺し切って有り余る戦力だ。

 しかし、それらが標的の命を私へと献上することはなく、それどころかただの一人として帰還することは無かったのである。

 

 一斉に取り囲んで殺す算段であった騎士達は、闇討ちや遠方からの魔術や呪術によって標的の姿を視界に捉えることも出来ないまま皆殺しにされた。

 複数人がかりで発動する魔術によって寝床ごと吹き飛ばそうとした魔術師達は、術の発動途中に忍び寄って来た標的と正面からの接近戦を強いられ一人ずつ殴り殺された。

 一匹だけでも先の騎士と魔術師の集団を葬ることの出来る合成獣の群れは動体を感知して発動する炸裂の魔術と巨大な爆発を引き起こすだけの陳腐な礼装の罠によって身を削られた後、杭が敷き詰められた落とし穴に嵌った末に火を掛けられ灰と化した。

 

 こそこそと逃げ回り、隠れ潜み、罠を巡らせ、相手の土俵に一切のらず、本来の力を発揮することもさせぬまま一方的に嬲り殺す。とてもではないが騎士の所業ではない。

 それもその筈、あの男は騎士としての自覚も、そうあろうとする意志も、そうであったことすら一切無い。

 

 例えどれほどに卑怯卑劣であろうとも、為すべきことを成せるのならば、妹に魔の手を伸ばす魑魅魍魎を退けることが出来るのであれば構わない。

 外道の謗りなぞ寧ろ誉め言葉として受け取ってみせるであろう男は、在ってはならない敗北、それも当人を狙っての謀略を跳ね除けることによる言い訳のしようがない結果を突きつけてみせた。

 

 

 何故

 どうして

 なんで

 

 どうして上手く行かない

 思い通りにいかない

 望んだ結果が手に入らない

 

 高々凡人一人殺すだけのことがどうして出来ないのか

 今までは簡単に出来た事の筈なのに

 失敗続きなんて何かの間違いだ

 

 

 憎くて憎くて仕方がなくなった男が刺客を返り討ちにする情景を遠見の魔術越しに目にするたびに私は狂乱した。

 出会った時から積もり積もった怒りと憎しみ、そして恐怖がない交ぜになった激情が言葉にならない絶叫となって漏れ出し、感情の振れ幅に呼応するようにして全身から魔力が溢れ出して小さな嵐の如き様相を呈する。

 

 疾うの昔にかなぐり捨てた冷静さに続いてなけなしの理性すらも感情の波に押し流され、遂には直接的な暴力に訴えた。

 表立ってアーサー王と、その身辺にいる者に手を出せば逆賊と見做され処断されてしまうと分かっていたが故に決して侵すことのなかった一線を、一時の感情に任せて踏み越えたのである。

 

 余りにも愚かな自滅行為。

 卑王ヴォーティガーン討伐の前哨戦として処理されるのが関の山だというのに、頭の中には一人の男への殺意で埋め尽くされ、目に映る者もただ一人。

 その人物を視界に捉えた瞬間、激しく燃え上がっていた負の念が更に膨れ上がり爆発する。

 

 

 殺す

 殺してやる

 絶対に

 

 斬って殺す

 突いて殺す

 潰して殺す

 千切って殺す

 焼いて殺す

 腐らせて殺す

 溶かして殺す

 崩して殺す

 砕いて殺す

 破裂させて殺す

 

殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 胸中に秘めた言葉さえ言語化不能な叫びとなり、呼応するようにして全身から黒い魔力が炎のように立ち昇る。

 男は相変わらずの能面で此方を見据えながら仁王立ちしている。それが逃げも隠れもしない意思表示であることは明らかで、今の自分と直接対面して微塵の畏怖も抱いていない内心を体現していた。

 その立ち振る舞いが更に神経を逆撫でしたことが最期の引き金となり、全ての殺意と害意が解き放たれた。

 

 繰り出されたのは制御も術式の構築も満足に為されていない杜撰極まる魔力塊の雨。しかして単純故に強大な破壊力が宿るそれらは強固な鱗で守られた竜すら物言わぬ肉片に変えてみせる事だろう。

 防ぐことは当然不可能、文字通りの雨霰と言わんばかりに降り注いでくるのだから避けることすらままならない。

 そんな純魔力は着弾と同時に土埃と魔力光を放って暫く視界を覆い隠すほどの衝撃を放った。

 

 暫くして視界が明瞭になった時、周辺の建物が跡形も無く崩壊し着弾地点に至っては地面が大きく抉られて窪みが出来上がっている惨状が露わになる。

 当然のように男の姿は無い。あまりの破壊力で欠片も残さず消滅したに違いない。

 

 あまりの痛快さに笑い転げる。

 自分で作り上げた惨状を前にして、愉快でならないと腹がよじれる程に笑っていた。

 怒りが晴れ、心が躍った。憎き輩を塵殺せしめることの甘美に絶頂すら覚えそうだった。

 

 

 愚かにも立ち塞がり、その誇りに泥を塗っただけでなく屈辱を味わわせた取るに足らない人間風情がザマを見ろ!

 

 

 こんなに胸の空くような心地になれるというのに今の今まで何故に手出しを躊躇っていたというのか。

 いざ動けばこんなにも容易くことは済むのだ。咄嗟に放った杜撰な魔術ですらこのような結果を生み出せるのならば、もう一人の怨敵にして本命たる妹めも全力を以てすれば容易く消し炭にしてやれるに違いない。

 ああ、そうする前に大事な大事な義兄がこの世から綺麗さっぱり消えて無くなったことを教えてやらねば。

 きっと嘆き悲しむことだろう。苦痛に表情を歪ませる小娘の姿を思い浮かべるだけで愉快な気持ちになれたが、そうするなら死の証明となる物が無ければいけないと思い至り、残っている筈も無いかと落胆しつつも笑いは収まらない。

 

 せめて死んだ後くらいは何かの役に立っても良いだろうに、所詮は何の価値も持ち合わせない凡人風情、過度な有用性を期待するだけ酷というものか。寧ろ最後に散り様で愉しませてくれたことだけは褒めてやるべきだろう

 

 これまで散々虚仮にされて来た鬱憤を晴らすかの如く風に乗って霧散した男へとあらんばかりの罵詈雑言を浴びせかけていた時、突然誰かが肩に手を置いた。

 最高に愉快な心地であったところを邪魔しただけでなく、許可なく自分に触れる不遜を働いた輩が現れるなど、これでは勝利の余韻が台無しだ。

 

 こうなっては殺すしかないと、いつの間にか背後に現れた人物へ振り返る。

 するとそこには

 

 

『随分と楽しそうに笑っていましたが何か愉快な事でもありましたかな姉君殿?』

 

 

 思わず間抜けな声が漏れ出た。

 肩に置かれていた手を振り払って背後に向き直った直後に視界を埋めたのは見上げんばかりの大男。

 無駄に鍛え上げられた鉄のような筋肉で覆われた身体つきと、冗談のように人相の悪い顔立ちをした男は先程木っ端微塵になった筈の人物だった。

 存在している筈の無い者が現れた理解不能な事態に思考が停止し、追従するようにして身体も微動だにしない硬直状態に陥る。

 

 故に次の反応はとれなかった。

 男が此方の胸倉を片手で掴んで引き寄せ、空いている方の手で作った拳を下腹部に打ち込む一連の流れが他人事のように感じられた。

 我に返る暇もなく、強大な魔力を宿しているとは思えない華奢な身体は強風に煽られた木の葉の如く宙を舞う。

 

 腹部を貫通したように錯覚する威力が乗った拳は臍の下から脳天まで衝撃を浸透させ、空中に投げ出された直後は半ば意識が何処かへ飛んでいた。

 我に返ったのは地面に叩きつけられ、吹き飛んだ勢いそのまま跳ね回るように転がされた後。

 いつだったか目論見を外され続けて狼狽していた時と同様に何が起きたのか理解できず、幾ばくかの間をおいて自分が殴り飛ばされた事実に辿り着き、最後は思い出したように込み上げて来る鈍痛と食道を逆流する感覚に悶えた。

 

 立ち上がる事さえ出来ぬまま、強かに打たれた箇所を両手で庇いながら胃の内容物を吐き出す。

 痛みと圧迫感と息苦しさが同時に襲い掛かり、全身から脂汗が噴き出し、涙と鼻水が人間離れした美貌を醜く歪めていくが、顧みる余裕などある筈もない。

 

 

 何故生きている

 確かに消してやった筈なのに

 何故だ

 

 

 胃袋の中身を粗方吐き出し切り、途切れ途切れに発した擦れ声は、相手に問い掛けたというよりも理不尽な現状への恨み言に近かった。

 それでも男は律儀に答える。まるで出来の悪い子供に言い聞かせるように。

 

 

『別に難しいことはしちゃぁいませんとも。

魔術で姿を消しつつ爆煙に紛れて背後へと回り込んだだけのことです。

二流魔術師連中を送り込んで来た一件でも同じことをしていたのですが、どうやら姉君殿は観察力と学習能力が備わっていないと見える』

 

 

 あまりにも簡単すぎる答え。

 一瞬で背後に転移しただとか、幻影で惑わしただとか、高度な技術を求められるような手段などは一切用いていない。

 効果範囲の中にいれば避ける事も防ぐことも出来ない攻撃を、放たれる前に範囲の外へと逃げ出すことでやり過ごしていただけ。

 姿を消すことで、咄嗟に逃れる瞬間を見られることなく、まるで跡形も無くなってしまったかのように演出したに過ぎない。

 たかがそれしきの小細工を弄された程度で、私は相手の思惑に嵌められ隙を晒し、今現在の無様を晒しているのである。

 

 地を這う虫けらの如き自分の有様を自覚した時、胸中を駆け巡ったのは怒りや羞恥ではなく、体験した事の無い理解不能な事態に陥ったことへの不安と恐怖だった。

 冷たい土肌の感触、肌にこびりつく泥と脂汗の不快感、口の中に広がる血と胃液の混じった味。

 

 これまで他者に与えて来たであろう感覚を自分が受けているという現状が、ひたすら有り得ない悪夢としか思えなくて理解はしても納得が行かない。しかしいくら否定しようとも決して覚めてはくれない。

 無駄に時間だけが流れて、気が付けばあの男が此方に近寄って来るだけの猶予を与えてしまっていた。

 

 重たい足音がすぐ側で聞こえて、反射的に背筋が震え肩が跳ね上がる。

 恐る恐る見上げれば、体中に火傷や裂傷の類が見られ、先の攻撃で即死こそ免れたものの決して小さくない傷を負った姿が視界を埋める。

 真っ当な人間であれば風が撫ぜるだけでも苦痛を覚えるだろうに、巨壁の如く聳える肉体は一切の揺らぎもせずに聳え立っている。

 

 虚勢でも何でも構わないから何事か言い放ってやろうとしたが、先手を打つ形で胸倉を掴み上げられたせいで引き攣った呻き声が漏れるだけに終わる。

 岩のようにごつごつとした手に引き寄せられると、ついさっき殴り飛ばされた瞬間が脳裏を横切り全身の血が一斉に凍り付くような寒気が走る。

 すぐにでも逃げ出したい衝動に襲われて、振り払ってしまいたいのに体が言うことを聞かない。生まれたての小鹿の如く小刻みに震えるばかり。

 

 何ということだろう。

 特別な力も宿らない拳一つで目の前の男に対する闘争心が半ば圧し折られてしまうなんて。

 体験した事の無い苦痛と恐怖を心身両面へ刻み込んだ男は、これまで虐げて来た者達にとっての自分が正に同様の者だったと思い知らせた。

 とてもではないが、高みから一方的に踏みにじる事しかしなかった者が正面から立ち向かう勇気を奮い立たせることなど出来はしない。

 

 

『何故私がこのような無礼に及んだのか分かりますかな姉君殿?

要らぬ誤解をされては困りますので申し上げておきますが、先の魔術に対する報復に類する意図は一切ございませんし何らかの欲求を満たす為でもない。色々と“お転婆”への義憤を抱いたのでもない。

更に言うのであれば貴女が陛下の御身を脅かす意図で策を巡らせておられたからでもありません。至って簡単で当然で普通のことです』

 

 

 自慢の頭脳で考えてみろと言いながら、大凡思いつくであろう選択肢を先んじて潰して来るのだから嫌味な男である。

 深く考えずとも互いの状況や関係性、社会的立ち位置等の要素を考慮すれば簡単に導き出せる一般的な答えをほぼ全て否定して簡単だの普通だのと一体どの口が言っているのか。

 だが、当人からすれば本当に簡単な事でしかないのか、呆れ返った表情を浮かべている。

 

 

『やれやれ……まともな答えを期待するだけ無駄ということですか。

薄々分かっていたことではありますが思わず脱力してしまいます。頭の中が子供な大人というのは質が悪いにも程がある。

それも気違いに刃物などという次元に収まらない代物まで持っている始末』

 

 

 本当に困ったものだ。

 

 わざとらしく目を伏せ沈痛な様子を見せつけた直後、一睨みされれば泣きわめく子供も静まるどころか気絶しかねない三白眼が真っ直ぐに見据えて来る。

 抗う術なく蛇に睨まれた蛙と化して、次なる行動を無言で見送る他無かった。

 

 

『まず手始めに……4年前、とある騎士を傀儡として恋人たる貴族の娘を川に身を投げる事態に至るまで追い詰めさせた分です』

 

 

 提示されたのは暇つぶし感覚で行った人間遊びの一例。

 数えるのも億劫になる程度には繰り返し、それ以前に初めから数えるつもりが無かった為、たった今耳にした一件にも全く覚えが無い。

 

 後で判明するのだが、それは王が修行から戻る前に彼が行った総勢30名の不穏分子の調査の過程で知った情報らしい。

 当然の如く、その内に含まれていた私は経歴から精神性から人間関係に趣味趣向を加えて何人の異性と寝たかに至るまであらゆる情報を調べ尽くされていたのだ。

 

 ともあれ、そんなことを聞かせてどうするのかと疑問が浮かんだ直後、掴み上げていた方とは逆の手が視界の端から迫って来て、既に泥塗れになっていた頬を強かに打った。

 大きな掌は頬どころか顔面の右半分全体を隈なく打ち付けたに等しい衝撃を与え、脳を揺らされたのか視界が歪みながら明滅する。

 

 もう2、3発程殴られる程度は予想していたが、己とは関係の無い他人の話を挙げて引っ叩かれるなど予想の外である。

 

 

『次は2年前、視界に入った適当な町娘を黒魔術で呪って怪物に変えた後、親兄弟を一人残らず食い殺させた分』

 

 

 またもや過去に行ったと思しき悪行を挙げ、振り抜いた手を戻すような形で手の甲を先程とは逆の頬へと打ち付ける。

 平常な状態に戻り切っていなかったが為に何の備えも無いまま二度目の張り手を喰らう。

 小気味良い破裂音が響き、そのまま骨が螺子切れるのではないかと疑うほどの勢いで首が右へと回される。

 

 

『次は5年前、求婚を申し込んで来た他国の騎士と何度か夜を共にした後、幻術をかけて家畜と性交し続けるように正気を奪った分』

 

 

 ちょっと待て!

 

 制止しようとしたが、言葉にする前に右の頬を打たれる。

 くぐもった悲鳴が漏れ、一緒に血が混じった唾を吐き出した。

 打たれた頬は熱を帯びて赤く染まり始めており、同じ箇所に衝撃が加わる事で刺すような痛みを染み渡らせた。

 

 

『次も5年前、とある小さな騎士団に属する男全員と密かに関係を持ち、敢えてそのことを噂として流し仲違いを誘発させ最終的には騎士団を崩壊させるに至った分』

 

 

 止めろ!

 

 

 今度はちゃんと言葉に出来た。

 しかし必死の叫びも何処吹く風と言った様子で左の頬を打つ。

 

 

 ぎぃ!?

 

 

 絞め殺される豚のような声が自分の口から発せられたことも気にならない程の痛みが走り、滲むように涙が零れだす。

 

 

『次は』

 

 

 もう止めて!

 

 

 思わず懇願して、当然のように受け入れられずに再び破裂音が響く。

 連続で頭部に強い衝撃を受けた事で意識が混濁し始め、眼球が裏返り白目を晒す。

 そのまま気絶してしまえれば良かったのに、苦痛の原因たる男は許してはくれなかった。

 

 

『次は昨年の三件を一斉に挙げましょうか』

 

 

 朦朧とする意識の中で耳にした発言の意図を理解しきれずにいると、今度は連続で三度の平手が打ち込まれた。

 

 

 ぎゃ…!?

 がぁ!

 ぐえっ

 

 

 急に激しさを増した衝撃で現実に引き戻され、思い出したように自己主張する痛みに呻く。

 決して命に関わる傷を負ったわけでもないのに呼吸は荒くなり、何度かむせかえっては涙と涎と鼻水で腫れ上がった顔をぐちゃぐちゃにする。

 ほんの少し流し見るだけで他者を虜にする美貌は最早見る影もなく歪んでおり、今の姿を見て王女モルガンであることに気が付く者は皆無だろう。

 

 

『目も覚めたようなので次の件を』

 

 

 ひぃ!?やだやだ止めてぇ!!

 

 

 情けない悲鳴を上げることも気にならない。

 次々に与えられる痛みから逃れたい一心で身を捩り助けを請うが、頬を打つ手は止まらないし助けが入る事も無い。それ以前にこういう場面で助けに入ってくれるような人など思いつかない。

 胸倉を掴む手を退かそうとしても微動だにせず、身を捩ろうとも逃れられない。

 我武者羅に全身から魔力を放出しても男は倒れる事無く平手打ちを見舞う。

 

 この期に及んで初めて、今まで誰にも優しくして来なかったことを後悔する。

 結局今の状況も当然の報いと言われてしまえば反論のしようが無いのだから。

 

 

 

『次は』

 

 

 もう許して!

 

 

『次は』

 

 

 私が悪かったから!

 

 

『次は』

 

 

 もうアンタを襲ったりしないから!

 

 

『次は』

 

 

 妹にも手を出さないから!

 

 

『次は』

 

『次は』

 

『次は』

 

『次は』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれだけ時間が経っただろうか。

 

 悲鳴を上げる体力すら無くした私は死体も同然の有様で脱力し、一切力を緩める事のないまま胸倉を掴む手にぶら下げられている。

 顔面は赤を通り越して紫色に染まった部分もちらほらと見られ、虫の息も同然の呼吸音が漏れていなければ撲殺された哀れな死体にしか見えないだろう。

 

 正しく半死半生とはこのこと。

 緩急交えた平手打ちによって、意識を失うことすら許さないまま生かさず殺さず痛みを与えられ続けた。

 だが、一方的に此方を痛めつけていた側も決して無事ではない。

 始めの攻撃で負った傷に加え、もがきながら出鱈目に放った魔力を至近距離で全身に受け続けた事で傷の無い部分を探す方が困難な有様だ。

 周囲には全身から飛び散った血液で大きな染みが出来上がっている。

 

 今すぐにでも倒れたきり覚めない眠りについてしまってもおかしくはないのに、揺るぎ無く立つ姿は巨大な壁を通り越して大山のようだった。

 そんなものを崩そうとしていた自分の蒙昧さに心底後悔した頃には逃れようと暴れるだけの余裕も無くなっていた。

 

 

 おねがい

 もうやめて

 ゆるして

 いたい

 くるしい

 たすけて

 

 

 泣き言めいた言葉を壊れたように繰り返すだけになったところで漸く平手打ちが止まる。

 やっと終わったのかと一瞬だけ安心して、すぐに血の気が引いた。

 これまで散々に頬を張って来た手がもう片方の手と同様に胸倉を掴みあげ、額が触れ合う程の距離まで互いを引き寄せたのだ。

 

 視線だけで物体に風穴を穿つことが出来そうな目が視界を占拠する。

 腫れ上がった顔面を貫通して後頭部から抜けて出る錯覚を覚えたのは現実逃避の一環だったのだろうか。

 ズレた思考を吹き飛ばしたのはあからさまに怒気を含んだ低い声がすぐ目の前から発せられたからだ。

 

 

『テメェがやらかして来たことはまだまだ腐るほどにある。

その見るに堪えない豚顔が粉々になるまで引っ叩いてやっても足りない程度にはな。

だが肝心なことを理解させないまま無駄に痛めつけたところで時間の無駄でしかない。

だからハッキリと言わせて貰うぞ』

 

 

 それは叩かれる前に一度問われた、簡単に過ぎるらしい理由についてだった。

 いい加減にじれったくなったのか、或いは問い掛ける意味すら見いだせなくなったのか、此方に何事か聞く事も無く彼はそれを打ち明ける。

 

 

『誰もテメェにこうしなかったからだ』

 

 

 言われて、意味を理解出来ず。

 一考して、やはり疑問が浮かぶばかり。

 それを僅かな仕草で読み取ったのか、或いは分からないであろうことを予測していたのか、発言の真意を促されることもなく彼は口にした。

 

 

『ガキが悪さをすれば当然大人がそれを注意する。

場合によっては大声で叱りつけられるだろうし、度が過ぎれば引っ叩かれる。

人間はそうやって育っていくものだ』

 

 

 だが私にはそれが無かった。

 知った風な口を、などとは思わない。事実その通り。

 

 今に至るまで、誰も彼もが何をしようがされようが、他人が否定や制止の声をかけて来た試しは無い。

 例え間違いを犯したとしても咎める人もいなくて、ただただへコヘコと腰の低い態度をするばかり。

 その癖、少しでも此方の機嫌を損ねる恐れがある事をすれば、どんな些細な事だろうと気持ちが悪いくらいに謝罪の意を示して来るのだ。

 

 子供の頃、怪物でも見るような視線に不快感を募らせていた私は、憂さ晴らし目的で少しずつ自覚し始めた魔力を用いて部屋の掃除をしていた使用人を傷つけたことがある。

 本当はちょっとした悪戯気分だったが、幼いながら予想以上の魔力を有していた為に事態は流血沙汰にまで発展してしまった。

 当然そんなことをした私は叱られるのが当たり前の筈なのだが、どういうわけか仕様人達の責任者を務める男が被害を受けた人物を平伏させて何度も何度も謝罪させた。

 何でも、魔力が当たった時に飛び散った血を私が頭から被ってしまったことを問題視したらしい。

 

 正直に言って訳が分からなかった。

 元々私が何某かの作業をしている仕様人に魔力を当てて悪戯しようなどと考え実行しなければ良かっただけのことであり、明らかに大きな被害を受けているのは此方ではない。

 なのに被害者側に過剰なまでの謝罪を要求して不興を買わないよう必死に努めている。

 

 同様のことが昔から何度もあって、ある程度成長してからは誰もが何をされても泣き寝入りを決め込むか逃げるように距離を取るばかりで、叱るどころか反応を示す相手すら周りからいなくなった。

 だから私がどんどん逃避に走って堕落して行っても誰も止めなかったし咎めなかった。

 何人にも邪魔されぬままに地獄の底へ向かって真っ逆さまに駆け抜けていくことが出来てしまった。

 

 

『確かにテメェは周りのクソ馬鹿共に珍獣扱いされて腹に据えかねてたんだろう。

だが他人を弄んで飽きるなり壊れるなりしたら使い捨てるなんぞ下らん遊びが許される理由にはならん!

例えどんな理由があろうとも‟悪い事をしちゃいけません”ってのは当たり前の話で、それでも悪さをしでかしちまったら例え許されなかろうともちゃんと‟ごめんなさい”を言わなきゃならねぇだろうが!

それが出来てない上にどいつもこいつも教えようとしやがらねぇから俺なんぞが頭と身体に直接叩き込んでやってるってんだよ、このド阿呆が!』

 

 

 父親が悪童へ言い聞かせるようにして声を荒げる彼が語ったのは、確かに至極当たり前の話だった。

 それこそ子供が親に言われるようなことに過ぎない、簡単で当然で普通のこと。

 なのに先程まで頬を打たれ続けていた時とは比べものにならない程の衝撃を受けた。

 

 誰かに負の感情を向けられたことならいくらでもある。

 否定されたり、拒絶されたりしたことも数えきれない程経験した。

 思いやりとはとても言えないような浅ましい“善意”を向けられたこともあった。

 

 けれど彼はどれにも当てはまらない。

 

 負け犬の遠吠えや、自棄になった弱者の怨念返しでもない。かと言って薄っぺらい正義感や同情から来る見た目だけ取り繕った善行ですらない。

 憎しみや恨みつらみも無く、ただ当たり前だからと悪事を働き続けた私をこれまで犯した罪の分まで叱りつけて謝罪と反省を促している。

 それはまるで厳しくも相手を決して見捨てない姿勢の表れのようだった。

 

 

『良いか?良く聞け。

これから何か悪さをしでかす度に俺が引っ叩きに出向く。

テメェが口で言って分かるようなお利口さんじゃぁない以上、毎回身体に教え込む以外に無い。

いつも見てるからな。

四六時中監視して○○○○も満足にさせてやらん。二度とクソつまらん遊びで現実逃避が出来ないようにしてやる。

自堕落極まる安穏とした日々は今日で終わりだ。人様に迷惑かける気力も湧かなくなるまで徹底的に根性叩き直してやる。

その貞操観念とこれまで散々男の○○○を○○して来た○○○と同じくらいユルユルガバガバな頭を一から矯正してやる。泣いたり笑ったり盛ったり出来なくしてやるから覚悟しとけ!!』

 

 

 重傷を負っているにも関わらず、凄まじい気迫で捲し立てられる。

 私は痛みからか恐怖からか、或いは別の理由からかも定かでない涙を流しながら、小さく頷くしかなかった。

 

 




《本編補足》


【合成獣】
 FGOのキメラみたいな生き物。
 火を吐いたりよく分からない気弾を発射したり毒の牙やら爪やらで攻撃して来る。
 群れをなせばブリテンの幻想種とも戦える程度には強いのだが、ケイ兄さんの仕掛けた対怪物用の巨大杭とトリモチが敷き詰められた落とし穴に嵌って全身串刺し&へばり付いて動けない状態に陥る。
 止めと言わんばかりに発火性の薬液を注がれて焼却処分されてしまう。

【姿を消す魔術】
 刺客として送り込まれた魔術師への奇襲やモルガンの攻撃から逃れる際に使用。
 ぶっちゃけると風王結界みたいなもの。
 詳しい事は後々描写するが、ケイ兄さんは現状魔力放出や、それに類するスキルを持たないので代わりに色々と複雑な手法を用いて透明化だけを実現させている。
 妹のそれと比べると出力が低く防御や攻撃に転換することはまず不可能。
 低コストで全身を透明に出来る他、風の魔力でなく炎の魔術を応用している等の違いがある。


【総勢30名の調査】
 アーサー王が活動を再開するに当たって邪魔になるかもしれない人物をケイ兄さんがリストアップし内密に調査。結果として26名はシロという結果だった。
 あからさまな危険物であるモルガンは数少ないクロの中でもとりわけ要注意の対象として念入りに調べられるのだが、少し嗅ぎ回っただけでも子供大人感が凄すぎて逆に演技や擬態を疑うレベルだった。
 初対面の時も直接観察して情報通りの人物かどうかを確かめる意図があったのだが、案の定だった為に警戒するだけ損をした感を味わう。
 また、その後もモルガンには監視がつけられており、当人の動きの他にも人員や物資の動き等の観点からも動向を把握されていた。
 その為、何度か刺客を送り込んでも事前に察知されて対処される憂き目に遭っていたというオチ。
 モルガン自身はケイ兄さんを完全に嘗めてかかっていたし、そうでなくなった時には冷静さを失っていたので監視されている可能性にすら思い至らなかった……流石にアホにし過ぎただろうか?


【ケイ兄さんの負った傷】
 最初に撃ち込まれた魔術を避けたような描写をしたものの、実際には直撃を避けただけで余波によるダメージはしっかり負っていた。
 余波とは言っても今作に於いてはチートオブチートなポテンシャルを誇る設定にしてあるモルガンの攻撃であった為に身体のあちこちが火傷したり抉れたりしていた。
 しかもその後の往復ビンタの際にモルガンが暴れて出鱈目に魔力放出を行ったので全身を隈なく切り刻まれてしまった。
 最終的にどれくらい負傷したのか並べてみると、裂傷及び火傷多数・大量出血・肋骨3本及び左足骨折・内臓破裂・ついでに右の鼓膜が破れていたといった感じ。
 そんな状態で直立したままモルガンの体重を片手で支えてビンタし続けるという、自分で書いててシュールな光景に………


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第12話 魔女のはなし 3

大変お久しぶりでございます。
数年ぶりの投稿となります。

前回から色々とありました。
転職した先が、8人いた同期が2週間足らずで2人に減ってしまうような色々とアレな職場だったり、会社都合で給料が減ったり、何とか落ち着いてきたと思ったらコロナ騒動が起きたり、その影響で先日に会社都合退職の話がきたり、とにかく色々とありました。

いっそのこと、ケイ兄さんやモルガンが登場する可能性があると勝手に想像しているブリテンの異聞帯まで待とうかとも考えていたのですが、それまでの間に創作意欲が完全に無くなってしまうことを危惧しての再開と相成りました。

二度目の転職も控えておりますので、どれほどのペースで書いて行けるのかは分かりませんが、コツコツと書き進めて行こうと考えておりますのでお付き合いいただければ幸いです。


 あれからどれだけの時間が経っただろうか。

 

 大分昔のようにも、ほんの数日前のようにも感じられる。

 時間の感覚が曖昧だ。押し込められた部屋の片隅で、抱えた膝に顔を埋めているばかりの日々だからか。

 

 その気になれば逃げ出すことは容易。

 何せここは鉄格子も無ければ魔術的措置も一切施されていない、何の変哲もない粗末な屋敷なのだから。出入り口の戸を開けて外に出れば自由の身である。

 

 杜撰どころの話ではない警備体制―――というより、警戒する必要性自体を感じていないのかもしれない。

 

 ご明察とでも言っておけばいいのだろうか。今となってはそうする理由も勇気も無い。

 否、この言い方だと語弊があるか。そもそもの話、勇気などと言う殊更な代物など初めから持ち合わせていなかったと言うのが正しい。

 

 誰に憚る事無く好き放題に振る舞って来たが、それは恐れを知らない蛮勇でも、上位者としての矜持によるものでもなかった。

 これまで為して来た全ては、只管に自分を疎む他者への、思い通りにならない世界への、惨めな自分自身への、恐怖と怒りと失望を塗りつぶす為の欺瞞に他ならない。

 

 誰にも傷つけられたくないから、先んじて周りの全てを傷つけ壊してきた。

 空虚を誤魔化したいから雑多な快楽を貪っては満たされていると錯覚して、今が順風満帆と思い込んでいた。

 

 そうしている内に全身を隈なく覆い隠していった鍍金を全て剥がされたのである。

 地金が顔を見せれば、そこには自分を疎む人々の視線に怯える貧弱な女が一人。もう二度と嘗てのようには振る舞えまい。あの男のような人間が存在することを知ってしまったのだから。

 

 たとえ今までと同じようにしても再びあの男が、或いはあの男のような人間が自分を打ち負かしにやって来る。

 これまで頼みにして来た力が通用しない相手がいるというだけで、自分にとっての世界から安全圏というものは綺麗さっぱり消し飛んだ。

 

 だから此処から出る理由など無い。今更逃げ出さなければいけない理由も無い。

 もう何もしたく無いし、誰にも会いたくない。特にあの男には。

 

 だが当人は此方の願いなぞ聞き入れるつもりは無いようで――――――

 

 

 

「朝飯だ。さっさと食え」

 

 

 

 ノックもせずに部屋へ踏み入って来る人物。

 

 見上げんばかりの大柄な体躯と、泣く子も黙る人相の悪さが特徴の彼こそがアーサー王の義兄にして臣下、騎士にして魔術師、武官にして政治家、そして自分とも血の繋がらない親戚筋に当たるケイ。

 

 この男は魔女モルガンを打ち伏せた後、『王姉が何者かによって打擲せしめられたことに心を痛めた王の命により、これを保護した上で安全な場所に隠れて頂いた』などと、耳障りのいい作り話で体裁を整えつつ秘密裏に幽閉した。

 

 更には、無知な民、大凡の察しがつく程度には頭が回る者、真実を知る者、今回の件を様々な視点から捉える者達に、これまで身近な場所から悪事を働いていた怪物を王が閉じ込めたと暗に広めるなど、嫌らしい人気取りの小細工(プロパガンダ)を弄しながら現状を利用してもいる。

 

 

 その目論み通りと言うべきか、結果として誰も異を唱えることのないまま事態は収束した。

 厄介者は大人しくなり、民にもこれと言った不満を抱かせないだけの手を打って内部に巣食う危険因子を取り除く。

 見事な手腕と言うには過程に於いての粗が目立つとはいえ、目下の問題を解決せしめたのは事実。

 

 

 それだけに不可解だ。

 

 事態を収拾する。

 波風を立てない。

 

 これらを達成していながら、あの男は万難を排する為の措置を取らなかった。

 

 

 それ即ちモルガン(厄介者)の処分。

 

 犯して来た罪の数々、未だ消えない王への敵意、保有する強大な力。

 これらが悪い方向に作用することよって発生し得るリスクを考えれば、大人しくしている今の内に、或いは打ち伏せて無力化したその時点で後腐れなく命を奪っておくべきだった。

 

 先の作り話が広まった時点で、たとえ王姉が殺されたところで王の非情を訴える声が上がる事は万に一つも起こり得ない。

 何処にいて、何をしていて、どのような状態にあるのかを知る術が無いのなら、外部に対しては如何様にも言い訳出来てしまう。ならば今はただ意気消沈しているだけの危険因子、何故生かしておけようか。

 

 しかし、この男はそれをしなかった。

 決して命を奪わなかった。

 

 単純明快な最善手を打たないばかりか、こうして朝っぱらから危険人物の下を訪れるや、パンだ野菜だスープだの朝食を用意して冷めない内に食べろと言う。端的に言って意味が分からない。

 既にこれまでの遣り取りで理解不能な生物となっていた人間が更に不可解な代物になっていく。正直なところ薄気味悪くすら思えた。

 

 アーサー王が本格的に国の運営を始める前から行動し、不穏分子を洗い出し、即座に対処する周到ぶりや、手を打つ際にも一々相手の裏をかきに掛かる小賢しさからは考えられない手緩さ。

 

 初めて部屋にやって来た時こそ思わず腰を抜かす有り様だったが、何度も回数を重ねていれば慣れてしまうもの。

 勿論、心の底では未だに恐怖が燻っている。唯一の支え、なけなしの自負心を打ち砕いた侵略者にして唯一最大の天敵となった個人なのだから、こればかりはどうしようもない。

 

 しかし奇妙なことに、確証は無くとも確信はあった。この男が自分を害することは無いだろうと。

 以前見た怒れる姿が嘘であったかのように、此方の下へ訪れる彼の様子は常に穏やかだったものだから。

 

 

 やはり分からない。

 

 何を考えているのか。

 何がしたいのか。

 

 考えても考えても答えは出ない。

 そもそも自分には他者を理解するという能力は備わっていない。

 ひたすら逃げ続け、向き合わずに生きて来た者が今更どのようにして他者の胸中を見抜くというのか。

 

 依然として得体の知れない存在のままである男は、今日も次の日も、また次の日も部屋を訪れては食事を用意し、身を清めさせ、寝床を整える。

 初対面の時から散々に痛めつけられるまでの間に染み付いた人物像からは考えられない甲斐甲斐しさ。その豹変が恐怖心を戸惑いに、戸惑いを疑問へと変えて行く。

 

 

 或いはそれを見計らっていたのだろうか。

 

 ある日、夕食の片づけをしている最中に、これまで無言で此方の身の回りの世話をしているばかりだった男が唐突に言葉を発した。

 

 

「解せない様子だな。

 生かされているのがそんなに不満か?私生活も悩み事も無駄に贅沢なことだな」

 

 

 見透かすような物言いに、思わず相手の顔をまじまじと見つめてしまう。

 

 其処には相変わらずの悪人顔、仏頂面。

 しかしやはりというべきか、敵意も害意も感じられない。少なくとも出会った当初に何度か目にした、相手の怒りを煽る嘲りも、内心を露にした怒りも見受けられなかった。

 

 だから問いに対して肯定の意を返そうとするが、すっかり委縮してしまっている精神状態が足を引っ張って上手く言葉を発することが出来ない。それを見かねた相手が此方の答えに先んじて話を進めていく。

 

 

「小難しい理屈なんぞねぇよ。

 見張ると口にしたように元々お前は生かしておく予定だった。

 悪さをしでかそうが止められるだけの保証と実績があるなら生かすも殺すも同じ事だろう」

 

 

 否、同じではない。

 

 どちらでも良いというだけの話であって生かす判断を下した理由にはなっていない。

 生かしておくことによって発生する労力や危険性を踏まえて物事を考えられないほど浅はかでもあるまいに。

 

 曖昧な言葉で誤魔化す心算なのかは分からないが、いい加減に訳が分からないままでいるのは御免だ。

 この屋敷に一生閉じ籠められて暮らすのだとしても、得体の知れない相手に怯え続けるなんて耐えられるものか。

 

 だからせめて、はっきりとさせて欲しい。

 

 此方を一体どうしたいのか。

 何故こんなにも構うのか。

 そもそも、お前は一体何者なのか。

 

 いい加減に答えてくれないと、どうにかなってしまいそう。

 元々人が恐いのに、分からないものも恐いのに、意味不明な他人なんて悪夢の世界の住人だ。

 

 だから、どうか意味不明ではなくなって。

 

 お前を明確に定義するだけの材料をくれ。

 

 お願いだからこれ以上虐めないで。

 

 

 涙すら滲ませて、情けない言葉で問いを投げ掛ける。

 男は顔色一つ変えないまま、静かに受け止めていた。

 

 そして、予め用意していたかのように、求められた答えを言葉にして送る。

 

 

「どちらでも良いことになった。

 どちらでも良いことにした。

 

 自分の運命を受け入れ過ぎた阿呆をどうにかしてやろうって時に、受け入れられな過ぎた別の馬鹿が現れやがった。

 

 なら、そいつも放っておける訳ねぇだろう」

 

 

 

 ここに来て、言葉にするだけならば大凡他人には理解し得ない理由が飛び出した。

 受け入れた者だの逆に受け入れられなかった者だのと、誰の事なのか、どのように受容ないし拒否したのか、具体的な内容を欠いている。

 

 だが言葉と現状、そして今に至るまでの経緯を踏まえて考えれば、何が言いたいのかは大凡理解出来た。

 

 論理的な思考によって導き出されたというより直感的に感じたのだ。

 だから答えを明確にするべく簡潔に問う。

 

 

 

 受け入れられなかったのは自分で、受け入れたのは妹―――アルトリアなのか。

 

 

 

「そうだ」

 

 

 

 運命とはどのようなものなのか。

 

 

 

「アイツは王として生きる運命を。

 

 お前は王にも只人にもなれずに生きる運命をだ」

 

 

 

 返って来た答えは、とうの昔に分かり切っていたこと。

 自分自身、とうの昔に理解して、認められず目を背け続けていたことでもあった。

 

 それが何故、生かす理由に繋がるというのか。

 

 受け入れた方を支えるのならば分かる。

 困難な道を真っ直ぐ進み続ける者がいれば、その気高さに胸打たれて支えになりたいと欲しても無理はない。騎士を名乗る人種などはその典型だろう。

 

 対して受け入れられなかった側はどうだ。

 道を見失い迷走するばかりで、ぐだぐだと無様を晒す輩なぞ目に入れていたくないと言うのが当然の人間心理というものだ。

 

 

 

「小難しい理屈なんぞ無いと言っただろうが。

 この判断に、合理性だのそういう利口な要素は一切介在しちゃいねぇ。

 

 その手の馬鹿たれ共を野放しにしておけねぇテメェ自身のクソ下らん感傷ないし、習性か本能めいた在り方がそうさせただけだ」

 

 

 

 俺はそういう生き物なのだと吐き捨てるような口調の男は、心底忌々し気に表情を歪めていた。

 奇妙なことに、嫌悪の矛先は男自身に向けられているように感じた。 

 

 そして何となしに理解する。

 先の言葉通りならば、確かに合理的な理由など必要ない。

 今こうして、何となしに相手の言わんとしていることを理解しかけている自分と同じだ。

 

 

 何となく放っておけなかった。

 

 

 この一言に尽きる。つまりはそういうこと。

 

 つくづく訳の分からない男。

 見た限りでは、血も涙もないような手合いなのに、その人間性に根差すのは非合理の極みが如き感傷だというのか。

 

 

 

「そんな甘ったるい代物であって堪るかボケ。納得した体で見当違いな方向に流れていってんじゃねぇよこのクソ間抜け女。生き方どころか思考回路まで方向音痴かコラ。貞操観念と同じく思考回路までユルユルのガッバガバになっちまってんのか?ああ、言うまでもなくその通りだったな。すまんすまん分かり切ってることを何度も何度も言い聞かせられるのは癪に障るよなぁ。脳味噌の代わりに麦酒と砂糖菓子と○○○化した男の○○が詰まった頭に理解を求めた俺が間違ってたよなぁオイ。これからは元々の性能を完全無欠に台無しにし腐ってやがる残念理解力でもちゃんと分かるように優ぁ~しく教えてあげまちゅから良い子さんしておじさんの話を聞きまちょうねぇ~ビチクソゴミ溜め○○○姉君殿」

 

 

 

 前言撤回、やはり血も涙も無い男のようだ。

 

 並べ立てられる罵詈雑言に、或いは諦めにも似た納得を覚え始めていた思考は跡形も無く消し飛んだ。

 よくもまぁこの場面でそのようなことを口に出来たものだと感心すら覚える。無論これが一瞬にして振り切れた怒りが感じさせる一時的なものであるのは言うまでもない。嵐の前の静けさというやつだ。

 

 熱湯が煮え立つように全身から魔力が迸り、程無くして真っ赤な発光現象となって可視化される。

 呪文一つでどれだけ恐ろしい惨劇が持ち上がるのか、腐れ凡人三流魔術師でもわかるだろうに、当人は此方を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて憚らない。

 

 

 

「そういえばアンタ、さっき言ってたっけ?

 止められるだけの保証と実績があるなら生かすも殺すも同じって。

 

 質問に答える序でに証明してみてくれないかしら?」

 

 

「自分から痛めつけられに来やがるとは、もしや引っ叩かれ過ぎて妙な性癖でも開発しちまいましたか?

 

 弱い者虐めもそろそろ満ち足りた頃合いかとは思っていましたが、まさかここにきて虐められたい欲求が湧いて来るとはつくづく業が深いことで」

 

 

「満ち足りたですって?

 冗談言いなさいな。少なくとも一人、死ぬほど虐め倒したい相手が出来ましたから」

 

 

「散々言い聞かせてやったってのに未だ懲りていやがらないようですねぇ。

 

 反省も学習もしない生き物なんぞ猿以下ですよ?

 いや、比較対象に挙げちまうことすらお猿さんに失礼ですなぁ」

 

 

 

 脳裏で何かが切れる音が響くや男に襲い掛かる。

 

 恐怖は感じなかった。

 最早目の前の男は得体の知れない何かではなくなっていたから。

 

 未だ理解不能な面は多々ある。僅かながらに見え隠れする人間性も矛盾だらけだけれど、確かなことが一つだけある。

 

 この男の目に映るモルガンは怪物にあらず。

 未だに生き方も定まらない無様な愚か者に過ぎない女風情、どうして畏れなど抱けようか。

 そんな内心だけを開けっ広げにして遠慮するなと、遠慮しないと示す。

 

 

 馬鹿馬鹿しい。

 泣きたくなるほど馬鹿馬鹿しい。

 

 他者に疎まれ理解されず、他者を恐れ理解せずに生きて来た自分が、初めて何を考えているのか知りたいと、理解したいと願ったのがこんなどうしようもなく腹立たしい人間だなんて。

 

 勿論、全てを詳らかにしたわけではないだろう。

 たった今捲し立てるように罵った男があからさまに隠した本心が如何なるものなのかも分からない。分からないけれど、まだそれでも構わない。

 

 喧嘩腰でも相手と向き合って、言葉を交わして、何某かの遣り取りをする。

 今までのように、一方的に弄ぶだけの行為とは違う。打てば響き、投げかければ返される。

 

 ずっと避けられ、邪険にされるばかりだった他者との触れ合い。何の遠慮もいらない相手と、二人きりで恥も外聞も無く戯れ合う。

 

 

 悪くない。

 

 

 あのまま優しい言葉を掛けられていたら、きっとこうはならなかった。

 何も言わず、疎まずにいてくれた父に縋りついていた幼い頃のように、優しくしてくれた彼に寄り掛って動けなくなっていただろう。

 

 そう考えると、余計にこの男の非合理さが際立つ。

 依存させてしまえば暴れ出す心配も無くなる。完全に牙を抜いて、只の腑抜けた女にしてやれただろうに。

 

 だが敢えてそうしなかったのは、散々引っ叩いた上で見張ると口にしたように、矯正してやるとも言い放ったからなのか。

 矛盾を抱える一方で、律儀に有言実行の姿勢も見せる。そんなことだから意味が分からなくなるのだ。

 

 だからこんな男なんて大嫌いだ。

 大嫌いな筈なのに、もっと話したくて触れ合いたくて仕方がない。

 

 明確な、合理的な理由なんて示せない。

 

 何となくだ。

 

 何となく、暫くそうしていたくて、それで良いと思えたのだ。

 

 

 

 

 




《本編補足》



【ケイ兄さんの容姿】

 人相が悪い、悪人顔等々、ちょくちょく言及されていた。
 イメージとしては、ガングレイブの主人公であるビヨンド・ザ・グレイブ。
 詳しく特徴を挙げて行けば、三白眼は基本装備で常に眉間に皺が寄っており口もへの字に曲がっている。
 全身筋肉の塊みたいなバキバキボディな上、身長210cmというデカブツぶり。

 基本的に殺し屋めいた目つきに加えて機嫌が悪そうな印象を相手に与えてしまい、身長2m越えという巨躯も相まって威圧感が強い。

 尚、生まれ変わった当時はブロンドヘヤーに空色の瞳だったのだが、皮を引き剥がされたり全身丸焼きにされたり骨格をバキバキに砕かれるなどの負傷によって身体のあちこちを人工生体パーツで補う内に黒髪黒目の容姿になっていった。

 因みに日本人の魂が肉体に影響を与えた側面もある。



【ケイ兄さんの料理】

 今回はモルガンに、これまではアルトリアに振る舞っていた手料理の数々。

 ケイ兄さんはそれなりに高い料理スキルを持つが、カルデア厨房メンバーや紅閻魔等のガチ勢には劣る。
 ただ、食べると安心するようなお袋の味的な料理を作る為、丁寧なものが好きなアルトリアからは受けがいい。

 言うなれば婆ちゃんのけんちん汁。



【毒舌:C+++】

 ケイ兄さんの保有するスキル。

 相手を挑発、または心の脆い部分を突くことによって冷静な思考を失わせ、行動パターンを一本化させる。
 一定以上の精神力を持つ対象には通用しないが、当人の話術と組み合わせることにより相手の気を逸らし、集中力を削ることも可能。

 尚、肉体及び精神状態如何で効力が変動する奇妙な性質があり、強い負の感情を抱いた状態で発せられた言葉は非魔術的呪詛となって相手の精神を抉り取る。
 その際、相手からはケイ兄さんの発言が規制音で遮られたように聞こえ、そこに籠められた呪詛によって本能的な恐怖を抱かされる。要するにヤクザスラング。

 fgo風の効果は敵全体のチャージ減少、攻撃力減少といったところ。

 言語を理解出来ない生物にも作用し、意味を理解出来ないまま本能的な恐怖を与えて狂乱させることが可能。

 ケイ兄さんは30徹の働きづめでピリピリしている最中、貴重な農地を襲って来た竜種に罵詈雑言の限りを尽くしながら襲い掛かり、これを見事に撃退したことがあったり無かったりする。


ケイ「スッゾコラドグサレガッコラー!」

ヨタモノドラゴン「アイエエエ!?ヤクザナイト!?ヤクザナイトナンデ!?」



【モルガンのキャラ像】

 原作でも大分多面性のある精神構造をしていることが言及されているので、今作に於けるモルガンも様々な側面がある拗れまくった性格の持ち主にすべく、複数のキャラクター要素を盛り込んである。

 型月シリーズからは間桐桜、オルガマリー・アニムスフィア、静謐のハサン、殺生院キアラ、アルクェイド・ブリュンスタッド等。

 他作品からは食蜂操祈、麦野沈利(とある科学の超電磁砲)、アルベド(オーバーロード)、トール(小林さんちのメイドラゴン)、ステラ・ヴァーミリオン、黒鉄珠雫(落第騎士の英雄譚)、櫻井螢(dies irae)ウラヌス、レイン・ペルセフォネ(シルヴァリオシリーズ)、ザップ・レンフロ(血界戦線)、パープルタコ(ニンジャスレイヤー)、アクア(この素晴らしい世界に祝福を)、花畑よしこ(アホガール)等。

 最早属性の玉突き事故、設定の闇鍋、ハイサーバントならぬハイ拗らせ女とでも言うべきどうしようもない地雷女。
 良い側面も確かにあるのだが、悪い側面が大き過ぎて結局度し難い人間の屑という評価に落ち着いてしまう程度には色々とアレなモンスターアダルトチルドレンと化している。

 加えて、戦闘能力も正しくモンスターなのでご機嫌斜めになった際の被害規模が大きすぎる上に心の引き金が羽のように軽い。

 こんな女の面倒を見なければならない人物はきっと苦労するだろうなー。


 列挙したメンバーに後半変なのが交じってたって?知らんな。




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第13話 三人のはなし 1

 何故だろう。シリアス路線で書いてた筈なのに、暗すぎないよう書こうとしたらギャグ時空に突入してしまった。

 家族と一緒に真っ赤なタイツ姿をした不死身の変態男の映画を1から2まで連続で視聴した際の脳内汚染が残っていたんだろうか?
 ニーアオートマタをプレイしてシリアス成分を補給した筈なのに。或いはこれがヨルハ部隊すら狂わせた論理ウイルスの影響なのだろうか。


などと茶番めいた無駄話を挟みつつの投稿となります。
ちゃんとシリアスな方向に戻していきますのでどうか見捨てないでください(大袈裟)


 

 

 

 

 

 最近、兄と話す機会が減った。

 

 特別奇妙なことでは無い。

 

 視察や折衝、各種工作活動等の指揮で長期間離れることはままにある。

 ブリテンを束ねる王となる道を歩み出した手前、個々が抱える仕事の量と質は日ごとに増して行っているのも事実。

 更に言うなら、兄は軍事、政治問わず広範囲に渡って活躍してくれている。他の臣下が役目を疎かにしているわけではないが、やはり請け負う事柄は多い。

 顔を合わせて話し込んでいられるような時間がなくなるのも道理と、アルトリアも理解はしていた。

 

 だが、ここ最近は何かが引っ掛かる。

 これまでとは異なり、遠くへ赴いたわけでもないのに顔を見る頻度が減りつつあるからなのか、それとも以前兄が対処に動いた姉に関することなのか。

 

 監視として兄自身が様子を見に行っていることは知っている。提案を受け、許可を出したのは他ならぬ自分だ。

 定期報告も途絶えてはいない。先日の報告によると、対象の精神面で未だ不安定な箇所が見受けられるが、現状は国家運営に支障をきたすだけの脅威には為りえないとのこと。

 この手の事柄に於いて兄の目は確かだ。少なくとも監視要員を含めた周辺被害を起こすことは当面の間無いと見て良い。

 

 

 話すことが少なくなったのは普段の役割に加えて監視任務まで加わったから。

 それに関しても、これと言って危惧すべき問題は見受けられない。

 

 そう。問題は無い筈なのだ。

 だというのに気にかかる。直感が、この件を無視出来ない事柄と訴えている。

 

 言い知れない不安が胸に広がっていくのを感じる。

 兄や配下の文官達がまとめて来た資料、申告書、報告書を捌く手を止め深く息を吸いこんだ。

 心にわだかまりが残る内から下手に動いてはならないと兄も言っていた。それでも無理をして、失敗して、そのたびに散々に叱られながら手助けされてきてしまっているのだが。

 

 

 

「そんな彼が、君をすぐ助けられる場所にいない。

 そのことが自分でも不思議なくらい気に掛かっている。

 

 そんなところかな?」

 

 

 

 唐突に背後から掛かる声。

 

 椅子から腰を上げて振り返れば、窓縁に腰かける男が一人。

 不思議な色彩の髪と浮世離れした美貌の彼は花の魔術師マーリン。

 いつもは何処にいるのかも定かでない、ふらりと現れてはいなくなるばかりの人物が悪戯っぽい笑みを浮かべている。

 

 此処に居て悪いということでもないが、無意識に身構えてしまう。

 マーリンがこのような顔をしている時、決まって良からぬことが起こるのだ。

 暗示に失敗して我を忘れた騎士に絡まれ、道案内を間違えて迷い込んだ森で魔猪に襲われ、呪文を唱え損ねて効果が歪んだ魔術を受けて異性や動物の姿に変えられる。

 しかも大抵の場合、主な被害を受けるのは兄一人。意図した行動か否かは定かでないが、たちが悪い事に変わりはない。毎度控えるように言っても効果の有無は言わずもがなだ。

 更に始末に負えないのは、この魔術師が問題の発生を予期した上で尚、無視出来ない話題を投げ掛けて来ることだ。

 

 事実、兄が側にいないことが少なからず気がかりになっていることは否定出来ない。

 しかも彼は今現在、危険因子として隔離する必要性を自ら訴えた相手の側にいる。

 滅多なことは無いだろうが、アルトリアの直感は兄と会うべきであると告げていた。

 マーリンの様子から察するに、余程骨が折れる事態に兄が直面しているのか、或いは彼の下へ向かった自分に良からぬ出来事が降りかかるのか、どちらか一方であるのは確実だろうが。

 

 

 

「そんなに警戒することないじゃないか。

 僕はただ純粋に君達の為を想ってちょっとした助言をしに来ただけなんだから。

 

 いや、助言というよりも……君の背中を押しに来たと表現した方が正しいかもしれないね」

 

 

 

 相変わらずの白々しい態度。一々憤ってもいられなくなったのはいつ頃だったか。それより今は兄のことだ。

 

 

 

「背を押しに来たとはどういうことですか?

 私に何をさせようと言うのです」

 

「いやいや、僕がそうさせるわけじゃないさ。

 何も言わなかったとして、遠からず君は自発的に動いていただろうからね。

 ただ、その時期を少しだけ早めてみようと思い立ったんだよ。

 

 君の考えている通り、彼は今モルガンの御守りにかかりっきりだ。相手が相手だけに、流石に手を焼いているようだったね。

 しかも普段の仕事を手抜かりなくこなしながらの同時進行だ。相変わらず勤勉なものだよ本当に」

 

「それを知った私が何をすると?」

 

「難しい事じゃない。

 会いに行くんだろう?」

 

 

 

 そう。難しいことではない。大袈裟に悩んで、心を乱さずとも良い。気になるから様子を見に行こうというだけの話だ。

 この魔術師に促されてと言うのは些か釈然としないものを覚えるが、やることに変わりはない。

 探せばきりが無い程ある相談事をしに行く序でに、要注意人物の管理状況を確かめに行くだけだ。

 

 決してやましい事情も無いというのに引っ掛かりを覚えるのは、ほんの僅かな寂しさを埋めようとする欲求に後ろめたさを感じるからか。

 親族に対するものとはいえ、公正公平な王であらねばならない自分には本来許されない類の感情だ。理解はしているし、普段は表に出さないよう努めて押し殺しているが、兄が絡むとそれが揺らぐ。

 

 彼が悪いのではない。徹し切れない自分の未熟さこそが問題なのだ。

 事実、兄は妹相手でも臣下の礼をとり、己の勤めを黙々と果たしている。その上で限られた時間にのみ限り個人としての振る舞いを見せるのだ。

 

 同様に出来ないことを恥じながらも、時間を作って訪問の準備を整えて行く。

 連絡も入れずに押しかけるような真似はしない。上下関係を問わず報告、連絡、相談は極力疎かにしてはいけない。これも兄の教えである。

 

 

 数日後、兄が暫く前から滞在している屋敷を訪れた。

 

 比較的人口が集中している地域から離れた場所にポツンと建っている様子は奇妙な印象を与えるが、幻術や認識阻害の効果を持つ結界に四方を覆われており、人目につくことは無い。

 仮に見つけられたとして、誰が住み着いているのかを知れば大抵の人間は自ずと離れて行くだろう。

 

 立場上、人気の無い場所を一人で出歩くわけにもいかない為、一応の護衛として連れて来た数名の騎士達を待たせ、屋敷の入り口で此方を待っていた兄の下へと歩み寄る。

 顔を合わせるのは少なくとも数週間ぶりだ。変わらない姿を目にして、どこか安心にも似た感情を覚える自分がいるのを自覚しつつ静かに抑え込んだ。

 

 

 

「お久しぶりですケイ卿。

 多忙なところに押しかけてしまい申し訳ありません。

 あれから変わりはありませんか?」

 

「お心遣い頂き大変恐縮でございます我が王よ。

 御親族のことであるからには、王自らが気を配られることに間違いはありますまい。その為の時を設けることは臣下として当然の義務でありましょう。

 

 では此方へ。姉君殿もお待ちです」

 

 

 

 固い口調と形式的な遣り取り。他の騎士達が控えている以上、互いにただの兄妹としては振る舞えない。

 それでも、こうして健在な様子を見られただけでも抱えていた不安の幾分かが晴れて行くのを感じる。少なくとも足を運んだ意味はあった。

 

 しかし未だに不安の源が絶たれていないことを直感が囁いている。

 冷静に考えて、決して小さくない爆弾を側に置いている兄の現状を実際に見聞きして確認していない以上、本当に何の問題も無く彼が日々を過ごせているのかは未だ謎だ。

 

 件の爆弾、保護の名目で捕縛した姉の状態も気がかりだ。

 報告によると、周辺に被害を及ぼす行為に走る傾向は見られないとのことだったが、いざという時に発生し得る被害規模から考えて、念を押すことに間違いはあるまい。

 先に兄が口にしたように、身内の事情であるからには王として気に掛ける必要があるのも事実。故に今回は表向き其方が主な目的となっている。

 

 行き過ぎれば毒となるにせよ、敵味方問わず後ろ指を指されるような事態は極力避けるべきというのが兄の言。

 常に外聞にも気を遣わなければ、何かの拍子で人心は簡単に離れて行ってしまう。味方は勿論、そうでない相手にも嫌われない立ち回りを心掛ける必要があるとのこと。

 

視察の意味合いも兼ねた今回の訪問は国にとって、そしてアルトリア個人にとっても意味があった。

 ただ兄の顔を見たことによる幾らかの安心感だけ満足していてはいけない。寧ろ、ここからが気を引き締めねばならない場面になって来るだろう。

 

 

 

「分かってるとは思うが、和やかに茶でもしばいて世間話に興じられるなんぞと頭にお花畑な期待はするな。

 会わせても構わないと判断して今回の場を設けたが、素直に歓迎されることはまずねぇだろう。

 流血沙汰にならないよう気は遣うが、くれぐれも下手な事を口走るんじゃねぇぞ。いいな?」

 

 

 

 屋敷の玄関扉を潜ると、いつもの調子で兄が忠告を入れて来た。

 結界が張られた敷地の内側にある建物自体にも別種の結界が張り巡らされている為、この中でなら第三者に会話を拾われることも無い。

 発言一つ一つに気を遣う必要性が薄れることになるが、同時に内側から外側に呼びかけることが難しくなることも意味する。兄が言ったような、もしもの事態が発生しないよう更に注意する必要があるだろう。

 

 姉が自分に対して明確な恨みを抱いているのは以前から知っていた。

 相手からしてみれば父の後継者としての役目を掠め取ったような形になる以上、決して心穏やかにはいられないであろうことは察せられる。こうして直接対面するだけでも相手を刺激しかねない行為ではあるのだ。

 おいそれと顔を出すべきではないのかもしれない。だが、やはり己の目で見極めておく必要もあるのだ。モルガンという女が、この国と、国民と、そしてかけがえのない人に何を齎すのかを。

 

 

 姉が待っているという応接室へはすぐに到着した。

 屋敷というのだから、あばら家の如き手狭さでは決してないが、歩き回らなければならないだけの規模でもない。

 如何なる意図があるかは兎も角、この屋敷の設計と建築は全て兄が行ったとのことで、目当ての部屋に辿り着くまでに時間が掛からないようにする辺りは、基本的に余分を嫌う性分が反映されているらしい。

 

 

 

「先に言っておくが、今から何が起こっても驚くな。相手がどんな態度を取っていようが狼狽えるな。

 

 あとは……俺が入って来いというまで扉から少し離れて待ってろ」

 

「離れて?

 それは構いませんが、いつにも増して念を押しますね。もしや姉はそれ程までに私のことを?」

 

「良からぬ感情を抱いているのは事実だが、今言ったのは別の事情があるからだ。

 説明すると無駄に長引いちまう上に、要所要所で察しの悪いクソ堅物の頭じゃ理解出来ねぇ理由と理屈の目白押しときてやがる。

 

 てめぇ自身の目で見て判断した方が速い」

 

 

 

 兄の発言からは引っ掛かりを覚えないでもなかったが、人伝に聞くより自分で確かめることが目的である以上、この場で追及するより言われた通りにする方が話が早いだろうと判断し、素直に頷いておくことにする。

 

 一応、そこまで堅物ではないとだけ付け加えた後、扉の前から一歩下がった。

 そして兄が扉に手をかけ、ゆっくりと開き、室内に足を踏み入れて行く。

 

 露骨という程でもないが、妙に慎重な素振り。

 室内の人間への配慮というよりもこれは、どちらかといえば警戒していることを逆に察知されないようにしているような――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこで思考は中断された。

 

 

 

 

 兄が戸を開け中に入った直後、強烈な閃光と爆音が響き、ほぼ同時に押し寄せた衝撃が屋敷を揺るがしたのだ。

 咄嗟に魔力を纏い身を守ったことで傷らしい傷は負わなかったが、その瞬間は我が身を顧みるだけの余裕など無かった。

 

 突然の爆発は、タイミングから考えて明らかに兄を狙ったものだった。

 距離を取り、身を守る手段があったが故に無傷だった自分と違い、恐らく発生地点であろう部屋の中にいた兄はただではすむまい。

 

 急ぎ部屋の中に飛び込めば、そこは黒煙で覆われている。

 何かが爆発したのは分かったが、何故そのようなことになったのか、兄は無事なのか、声を上げて呼びかけようとした時だ。

 

 

 

「ギャアハハハハハァァ!!どうよ腐れヒューマン!

 半密閉空間内でこの爆発!テメェの貧弱ボディとペラッペラ障壁で咄嗟に防げる威力じゃねぇよなぁ?

 

 こうして一息に破壊力で圧倒すればいつもの小細工も所詮はクソ下らない手品も同然だっての!

 結局この世は力こそパワー!レベルを上げて魔力をぶっ放せばそれで全ては解決するんだよぉ!!

 

 ギャハハハッ!!ギャァハハハハハハハハハハハハハァァ!!」

 

 

 ………

 

 ………………

 

 ………………………

 

 

 何かがいる。

 何かがいた。

 

 理解が追いつかない状況の中、脳が理解を拒絶するほどに異様な存在が其処にいた。

 

 

 豊かな胸、縊れた腰、すらりと伸びた脚、アッシュブロンドの長髪に、どこか自分と似た印象を受ける顔立ち。

 これらの印象と、僅かに残る記憶の中の人物と照らし合わせた結果、その女性は今回自分が見定めようと足を運んだ目的にして実の姉たるモルガンだと思われた。

 

 だが、明確にそうであると断言していいものか。

 下卑た笑い声、女性のそれとは思えない粗暴極まる口調、美貌を台無しにする歪み切った笑み。

 よくよく見れば服や髪の端が若干焦げ付いており、煤を被ったように所々で汚れが見受けられた。

 

 こうして文面に纏めて第三者に読み上げさせれば、この事態を引き起こしたのがモルガンであることは容易に想像出来るだろう。

 しかし、当事者たるアルトリアの思考は予想だにしない事態の連続に一瞬の空白を作ってしまう。

 

 その僅かな遅れにより、モルガンの知覚が先んじて自分以外の存在を捉えた。

 気分良く高笑いを上げながら、黒焦げになった憎き男の姿を探していたところへ現れた相手に、奇しくも相手と同様の驚愕と停止を余儀なくされる。

 

 

 アルトリアが身構え、モルガンが口を開こうとした時、再び唐突極まる形で事態は変容する。

 

 

 

「大人しく待ってろっつった側から爆破テロかましてくれてんじゃねぇビチグソドブ女」

 

「げぇっ!?アンタ何で無傷ゲビュ…っ!?」

 

 

 

 突如としてモルガンの背後に現れた巨漢が見た目によらない素早さで動く。

 獅子をも絞め殺せそうな、筋肉で覆われた太ましい腕を細い首筋に絡ませ締め上げる。

 外見だけ見れば間違いなく美しい女性が、踏み潰される蛙の断末魔のような呻き声を上げる。そして見る見るうちに顔色を蒼白に染めて行った。

 

 想像の斜め上をひた走る事態に置き去られていたアルトリアが、兄の背後の床が扉のように開いていたことに気が付けたのは、素直に無事を喜ぶべきか分かぬまま思わず視線を逸らした為だ。

 恐らく床の下に設けていた空間へ咄嗟に滑り込んで爆破をやり過ごし、モルガンが完全に油断し切った所で飛び出して来たのだろう。

 自分で設計、建築した建物とはいえ、何故そんな仕掛けを施していたのやら。まさかこのような事態を予め想定していたわけではあるまいに。

 

 

 

ぢょっど(ちょっと)…っ!ぎばっでゔ(極まってる)……がんぜんにぎばっでゔっ!(完全に極まってるっ!)

 じゔ!(死ぬ!)じんぢゃゔ!(死んじゃう!)ぎょべんぎゃじゃぎ!(ごめんなさい!)びょんどびぎょべんぎゃじゃぎ!(ホントにごめんなさい!)

 あぎゃばゔがばぎゅゔじでぇぇ(謝るから許してぇぇ)ゔぇぇぇぇ(ぐぇぇぇぇ)………っ!」

 

「あ?この程度痛くも痒くもねぇって?

 

 この状況でも余裕綽々とは流石姉君殿ですなぁ。木っ端凡人に過ぎない俺にはとても真似出来ない王者の貫禄とでもいいますか。いやはや感服するばかりでございますとも。そういうことなら此方も全力で絞め落としに行かせて頂きますね」

 

ぢぎゃゔぎゃが!(違うから!)ぎゃぎゅぎゃががぁぁぁぁぁ!(逆だからぁぁぁぁぁ!)ギョギェェェェェ……っ!!!」

 

 

 

 驚愕も疑問も呆れも一先ず横に置いて、今は兄を止めるべきだろう。口端から泡を噴き出しながら、最早何の生き物の泣き声なのか分からない奇声を漏らす姉が絞め殺される前に。

 

 

 何処からか、あの魔術師の笑う声が聞こえた気がするが気のせいだろう。気のせいということにしておく。今は兎に角それ所ではないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 仲良く喧嘩する路線で行こうとした筈が、どうしてこうなった。


 即死トラップをバンバン仕掛けて来るモルガンと臨死体験が出来る程度には苛烈な反撃を繰り出すケイ兄さんって絵面になってしまいました。
 まぁ書いちゃったものは仕方が無いし、普段の二人のやり取りはこんなもんでいいかなぁ……。締めるところは締めさせますし。


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