魔法少女リリカルなのは外伝 (紅@あの丘の向こうへ)
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ミッドチルダの空
1.邂逅






――――0076年四月。春、彼女はあの冬の日を思い返す。









 

 

クラークの三法則の三法則目には【高度に発達した科学技術は魔法と区別できない】とある。

 

この話の舞台となるミッドチルダと呼ばれる世界では、そんな『魔法とは区別できない科学技術』が、どの世界よりもより進歩している。その技術は今も尚留まる事を知らず成長し続けている。

 

その象徴の一つと言えるのが、このミッドチルダ衛星軌道上に存在する、ミッドチルダの法で裁かれた犯罪者達を収容する衛星軌道拘置所である。拘置所のセキュリティは常に更新され、新しい機材や技術が進歩する度に、この拘置所のセキュリティは常に最高水準に達する。

 

拘置所までにはミッドチルダの地上から軌道上までの間に転送ターミナルがあり、犯罪者に関わらない人間でも手続きを行いさえすれば面会の為、最低限の行き来は許されている。だが、訪れる人間と言えば基本的に管理局の公務として尋ねる人間ばかりで、一般人がこの場に来ることなど、ほぼ有り得な無かった。

 

私は今日、濃い青の管理局指定制服姿で、公務として衛星軌道上にこの浮かぶ拘置所にやって来ていた。…いや、訂正しよう。正直に言えば公務半分私用半分といったところだ。転送ポートから出て目の前にある受付に向う。

 

「御約束の時刻通りですね。高町なのはさん、こちらの面会者記帳に記入をお願いします」

 

受付にいる女性職員が事務的な口調でそう言った。

 

差し出された面会者用の名簿に住所と所属部署、そして「高町なのは」と名前を書くと、奥で控えていた恐面の警備員が出てきた。

 

そのまま警備員の後ろを付いていくようにと受付の女性に言われ一本道の廊下を警備員に案内されて進む。廊下の途中は大きな扉で区切られていて、警備員が胸ポケットからカードキーを取り出しスリットに入れると、固く閉ざされていた扉が音を立てて開いた。

 

「ここから先が施設内となります。施設内では緊急時以外は念話や通信は出来ません。ご承知お願いします」

 

警備員が淡白な声で、私にそう言った。私は無言で頷き、彼の後に続く。

 

 

****

 

 

ジェイル・スカリエッティが引き起こした都市型テロ事件、通称『JS事件』から、もう半年という月日が経ちました。

 

はやてちゃんが設立した機動六課も解散して、六課の皆、そして私自身も本来の役職である戦技教導官として現場へと戻っていた。

 

私が九歳の頃、無茶をして負った大怪我に続いて、『JS事件』での度重なる負荷は、私の身体に大きくは無いが、深い傷跡を残ってしまった。そのことに関して、後悔はしていない。そうしなければ、今この時もなかったのだから。でも、あの事件からもう半年が過ぎたと言うのに、まだ自分の身体には鈍い痛みが残っている。

 

そして、その痛みは私を戒めるように、あの頃の思い出を鮮明に思い出させてくれた。

 

九歳の頃。それは、寒い冬の日のこと。

 

あの日、自分自身に何が起こったのか、しっかりと記憶に焼き付いている。

 

海鳴市の病院で、地獄のようなリハビリを乗り越えて、自分は空へと戻ったのだから。けれど、あの地獄のような日々の中にいた私は、今自分がしっかりと心を支える「根」なんてものを考えているゆとりなどなかった。

 

ただ怖かったから。フェイトちゃんやはやてちゃんと同じ居場所に入れなくなることが。振り返ってみればそんなことで一緒に入れなくなるわけではなかった。そんなことは杞憂だ。仮に、魔法の力を使えなくなっても、今みたいな関係は続いていただろう。

 

私は今、療養中の身だ。現場に出張って空を飛べないのは不満ではあるが、それは仕方ない。また無茶をすれば、今度はみんなに怒られてしまうだろう。もちろん、必要となれば体に鞭を打ってでも飛ぶだろうけど。

 

そんな最近の私の管理局での仕事は、隊員達の訓練カリキュラムを作ったり、事務仕事ばかりで少し気が滅入ってしまう。

 

けど、悪いことばかりじゃない。「JS事件」がきっかけで出会った、今では欠け換えの無い大切な女の子。

 

「聖王、オリヴィエ聖王女」の血を引く少女、ヴィヴィオ。

 

この平穏な日々に辿り着くまでは平坦な道じゃなかった。何度も悲しみ、何度も泣いて、それでも手に入れたこの絆。現場から離れ、穏やかに過ごす時間。仕事が無いときは全部をヴィヴィオとの時間に割いてあげられる。愛情をフェイトちゃんやみんなと一緒に、全部ヴィヴィオに与えてあげられる。

 

それは、幸せなひととき。ヴィヴィオにとっても幸せなひとときであってほしいと思う。消えない傷を背負いながらも、初めて出来た、かけがえのない自分の手で守るもの。

 

けれど、私は、後遺症やヴィヴィオを理由に現場から離れようとは考えなかった。

 

『落ちてから後悔しても遅いとよく言われるが、そもそもずっと飛び続けていることはできないのだから、飛ぶことをやめるときまでに何を残せるか』。

 

無茶をしてまで空を飛ぼうとする私を心配してくれる仲間や後輩たちにはそう言って、私は現場へ戻ることへ拘った。

 

自分が飛んでいる間に、この空に一体何を残せるか。後ろを飛ぶ後輩や、隣を共に飛んでくれる仲間に、何を残してあげられるか。そして、自分がどこまで飛ぶことができるのか。

 

それを見出だすまで、私は飛び続けようと決めた。この広い空を。

 

――何故、私がそんな考えを持ったか。

 

あの頃はそんな風に想うなんて考えもしなかった。一体何が、私をここまで変えたのか。何故、私は「飛ぶ」ことに拘るのか?それは、この八年の間に色んな人の背中を見てきたからなのかもしれない。けど、私が空に拘る大きなきっかけはあった。

 

それを確かにするために、この拘置所に来た。

 

「JS事件」前から見つけていた、ひとつの事件の資料。

 

その事件が起こった日付が「あの冬の日」から五日後だった。

 

〟ロストロギア級〝の魔法具が関わった事件だと記されているのに、その資料はデータベースの隅へ、まるで隠されているかの様に存在していた。資料ファイルのデータも、何年も前にセキュリティに重大な脆弱性が見つかり型落ちしたソフトで製作されていて、ファイルを開くだけでも、わざわざ新しいデータとして再構築しなければならないほどだった。こんな手間をかけてまで解決した事件のことを探ろうとする人間はいないのだから、自然とその資料は闇に葬られるはずだった。

 

私が、見つけるまでは。

 

そして、その『事件』を知ったその日から、私は事件についての資料を集め始めた。幸いなことに、私には幾らでも時間があった。自分が持てる人脈を駆使して、その事件をゆっくりと調べていった。そこには、私がどうしても見なければならない、調べなければならない、向き合わないといけないものがあると。

 

心のどこかからそんな確信とも言えない想いに突き動かされて。管理局のデータベースで調べれば幾らでも情報は見ることは出来たが、その重要人物とされた人の性格や考えも全てが見える訳じゃない。

 

だから、私はこの場所に来た。調べ尽くしてたどり着いた、この『事件』の答えと始まりがある場所に。

 

ずいぶん昔、寒い冬の出来事。

 

忘れられない、忘れることのない、あの冬の出来事。

 

その真相を聞くために、私はこの場所にやってきていた。「あの冬」のすべてを知る人間に会うために。

 

 

****

 

 

コツンコツン。

 

窓ひとつ無い壁で覆われた無機質な部屋。

 

その無機質さが、徐々に近づいてくる足音を嫌に響かせる。この足音は刑務官の靴の音ではない。ヒールかそれに近い、女物の靴だ。ということは、女だろうか?明かり以外何もない天井を見上げながらそんなことを考えていると、その足音がこの面会室の前で止まった。彼はやっとか…と思い、小さくため息をついた。

 

朝から面会者が来ると言われ、独房から出された拘置所の受刑者、アーチャー・オーズマンは、この面会室でずっと待たされていた。この部屋には明かりと仕切り以外には時計すらない。自分の体内時計が間違っていないのなら、三十分ほど待たされている。面会者が来てから俺を出せばいいものを。ま、でも、こっちは独房に入る犯罪者だ。理由はよく分からないが、そんな不平不満が通らないことくらい分かっているし、そんな些細なことでどうということもない。この拘置所で過ごしていた日々に得るものも失うものも無い。

 

ただ同じ毎日、変わらない日々を繰り返すだけ。精神が毎日少しずつ磨り減っていくような感覚。朝起きては、決められたプログラムを実行するロボットみたいに動き、そして夜になれば眠りに付く。こんな単調な日々を、もう何年繰り返してきたのだろうか。生きている、というよりは生かされている。

 

そんな今の自分は、ただ惰性で生きてるだけで、そんなもの死んでいるのと一緒だ。そう、死んでいるのと一緒だ。だが、俺は死んでいるつもりは無い。

 

俺は罪を償うつもりはない。

 

自分の事は置いておこう。さて、こんなつまらない罪人相手に面会をしたがるのは、一体どんな物好きなのだろうか?扉が開かれ、強面の刑務官と一緒に、腰ほどまである茶色の髪の女性が部屋に入ってきた。

 

そして、その女性は、分厚い強化ガラスを挟んで、簡素な作りの丸椅子に腰を下ろし、俺と対面した。案内してきた警備員は、そのまま面会室の入口で待機している。管理局の制服に身を包んでいる目の前の女は、当然ながら管理局の人間なんだろうが、正直見覚えはない。静寂に包まれた面会室で訪れた女性を見ながら、自分の記憶を思い返していたが答えは見つからなかった。

 

「私は、貴方に聞きたいことがあって、この場所に来ました」

 

女はこちらをしっかりと見つめて、話始めた。

 

彼女は持ってきていた鞄から端末を取り出す。そして、端末を操作し、モニターに何かが表示され、それをこちらに見えるように向けた。光学式モニターを見るのは久々だな、と思っていると、女性は――

 

「八年前の事件の話を、聞かせて欲しいんです」

 

はっきりと、馬鹿でも分かるくらいにしっかりとした口調でそう言った。

瞬間、俺は全身の筋肉が強ばったような感覚を覚えた。女のモニターには古い一枚の集合写真が映っていた。

 

その写真は、俺が長い間、心に深く刻まれている記憶を鮮明に思い出させていく。

 

「私の恩師の一人でもある方から、貴方の話を聞きました。あの事件のことを教えてください」

 

続けて彼女はそう言った。彼女が言う『恩師』。それが誰なのかはすぐ想像が付いた。管理局に関わっていて尚且つ過去の自分を知る人物なんて、生きているのなら俺の知る限り二人しかいない。

 

〝あぁ、まぁ、そうだな。〟

 

〝ずいぶんと、昔のことだ。〟

 

わざとらしく、敢えて不機嫌そうな声で俺はそう答えた。この話は、俺の、俺とあいつだけの話だから、それを話すのは癪に触るが…。まぁ、いいだろう。久しぶりに誰かと話せるのは悪くない。

 

「アンタは管理局の人間か。まぁ、その制服を見れば一目瞭然か」

 

何を思ってこの『事件』のことを聞きに来たのか、事件を口にした彼女の思惑は見えない。彼女もそんな俺を見てか、困ったように小さく笑っていた。が、突然思い出したかの様に「あ、失礼しました。時空管理局、戦技教導官の高町なのはといいます。自己紹介遅れてすみません。」と、答える。

 

――驚いた。俺は何度か眼を瞬かせた。この目の前の女が?

 

高町なのは。

 

今や管理局のエースオブエースと謳われ、最近ではお仲間入りしたジェイル・スカリエッティの起こした事件の解決にも貢献したとかどうやら。ここは犯罪者達を収容する拘置所だ。そんなニュースや噂程度の話は、管理局のプロパガンダかでっち上げられた話ばかりで信憑性は眉唾ものだ。

 

だが、俺にとっては、それ以前から「高町なのは」という名前には聞き覚えがあった。

 

「お前が――あの時のガキか?」

 

呟くような言葉。聞き取れなかった彼女は、えっ?と聞き直した。

 

――まぁいい。今になっては関係のないことだ。座り心地の悪い固い簡素な椅子に俺は座り直す。

 

「じゃあ、あー高町さん?何で今更になって俺のことを調べに来たんだ?それも八年も前に終わっている事件をな?」

 

管理局のエースオブエース様が、既に終わっている事件の何を俺に聞きに来たのか。訝かしげな目で彼女を見ていると、真っ直ぐにこっちを見ていた彼女の顔がいきなり子供っぽい年相応な笑顔になった。

 

まるで、ちょっとした嘘がバレて誤魔化すような笑顔で「公務として来たのは建前なんです」と言った。そんな彼女に、アーチャーは毒気を抜かれたような気がした。こんなまだまだあどけなさがる女性が管理局の「エースオブエース」と呼ばれるとは、世も末だなと思った。

 

「私は、私個人で知りたいんです。八年前にあった出来事を。資料やデータベースを調べれば事件のことなんて直ぐにわかります。けど、事件の真相を資料だけで読み解くことはできません」

 

「で、直接本人に聞きに来たってわけか。八年前の事件の【首謀者】である俺に」

 

俺はふん、と鼻を鳴らして彼女の眼を見て言った。なんとなくだが、持っている者の目をしている、そんな気がした。やはり、ネームバリューってやつもあるんだろうが、そういう雰囲気を持っている。

 

「…気に入った。いいだろう、話してやるよ」

 

長くなるぞと付け加えたが、そんなこと気にせず彼女は鞄からボイスレコーダーを取り出した。

 

「録音してもいいですか?どうしても聞かせたい人がいますので」

 

彼女は後ろに控えている刑務官の方へ振り返った。ちょっと、それは…と言うような顔したが、高町が両手を合わせてお願いのポーズをとった、刑務官は、そんな簡単にいいのかと思うが、静かに首を縦に振った。彼女はありがとうと刑務官にお礼を言って、こちらに向き直しボイスレコーダーのスイッチを押した。

 

「茶番は終わった?じゃあ、話そうか」

 

俺はあの過ぎ去った過去の記憶を辿り始めた。

 

無機質な部屋の中で静かに、自分のすべてを賭けたあの日々を彼女に話す。

 

たった五日間だが、自身の誇りと信念をかけた戦いの話を。

 

 

 

 

 

 

八年前。――0067年十二月、冬。

 

今でもはっきりと覚えている。

あの日の空は、どこまででも飛んでいけそうな、快晴だった。

 

 

 

 

 

【ミッドチルダの空を飛ぶ。時空管理局各部署による合同演習。】

 

首都中央地上本部、武装隊広報部は先週十一月二十八日、同組織内に所属する各部署による大規模合同演習プロジェクトを発表した。これは組織規模の合同演習としては、二年前に発生した『闇の書事件』以来の大規模な演習プロジェクトとなる。参加部署は以下の通り。

 

・次元航行部隊第一分隊・第二分隊より選抜された特務部隊(嘱託魔導師も含む)。

・航空魔導師専門部隊より航空中隊班。

・地上部隊:陸士隊・陸上警備隊・救助部隊より選抜された特務部隊。

・教育部隊:戦技教導隊第一航空中隊。

・遺失物管理部:機動一課・機動二課・機動三課・機動四課・機動五課の各課より再編成された特務部隊。

 

今回の大規模な演習プロジェクトは活発化しつつある外世界密漁団や反時空管理局への牽制が主な目的とされている。闇の書事件』により露呈した人材不足や、迷走する管理局支持率だが、この演習プロジェクトの成功が現状打破の一手となる鍵となるだろう。しかし、この演習により反管理局勢力からの抵抗行動が活発化し、市民に危害が及ぶのではないかという不安な声も上がっている。

 

(0067年十二月五日発行 ミッドチルダタイムズ情報紙より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八年前の話だ。

 

俺は、時空管理局の武装航空隊で働いていた。

 

当時の俺にはペアを組んでいた相棒がいた。航空隊で働く中、上からの指示で俺と相棒は四月を目処に部署を異動することになった。俺と相棒が航空隊からの転属先になったのが、遺失物管理部の機動一課だった。自慢じゃないが、俺と相棒のコンビは、当時の管理局内でも実力はトップクラスだった。どんな模擬戦だろうと、高難度の任務だろうと、俺と相棒がいれば負け無し、怖いものなど何もなかった。

 

四月になって転属先の機動一課の部署に集まると、他にも引き抜かれた奴らがいた。どこかで見た顔の奴らがぞろぞろといた。航空隊に次元航行隊、機動警羅隊。まぁ、とにかく色んなところからだ。後から聞いた話だが、まぁ、聞かなくても予想はつくが、急すぎる他の部署の優秀なやつらを片っ端からヘッドハンティングしたおかげで各部署からクレームが殺到していたらしい。しかし、機動一課の連中は無視を決め込んでたっけな。

 

まぁ、そんなわけで引き抜かれた魔導師達は、さっそく機動一課の特別訓練に放り込まれた。わざわざ引き抜いた癖にそこから振るいにかけようってんだ。たった二ヶ月で、十人ほどいたメンバーから四人に絞られた。勿論、俺と相棒は四人の中にいたぞ?ん、後の六人?へばって元の部署に戻っていったよ。

 

それで、その選び抜かれたメンバーの内の二名、つまり俺たち二人は一課でもっとも過酷な任務に就くと言われている第四航空中隊、通称「サイファー隊」に配属されることになった。 訓練当初の時から悪目立ちしていた俺と、そんな俺を牽制できる相棒は「サイファー隊」でも、それなりに認められていたようでな「サイファー隊」でも最も華がある攻撃隊に俺と相棒は配属されることになった。

 

さっきも言ったが、お前も教導隊の人間なら分かるだろうが、機動一課の中でも「サイファー隊」はもっとも過酷な航空中隊だ。その過酷さは編入してからすぐに思い知らされたよ。「サイファー隊」に俺と相棒が編入したその当日に、サイファー隊の先輩である空戦魔導師達と俺たちで模擬戦闘をすることになった。

 

サイファー隊の大体の概要説明を受けてからすぐに、「任務に出る前に、体慣らしにどうだ」と誘われた。俺は二つ返事で了承したよ。自信があったからな。相棒はどこか渋っていたが、模擬戦は二人一組同士で戦うから俺が返事をした時点で答えは決まっていた。そのまま空戦訓練世界まで連れていかれて、俺達はすぐに模擬戦に入った。訓練所にはあらかじめ呼ばれていたかのように機動一課の面子が揃っていて、そこで俺は初めて「試されているんだな」と思った。

 

模擬戦は、俺たちが制空権を掌握していて先輩たちが制空権を奪取するという立ち回りから始まった。本来の空戦魔導師の模擬戦は、基本的にどちらが先に制空権を抑えるかで勝負が決まる戦いだ。だが、俺たちにはあらかじめ制空権を掌握しているという設定が与えられた。

 

まぁ、新人へのハンデみたいなものだろうな。いかにも舐められていることがわかって俺は意地になったよ。当時の俺は負け知らずだったから余計にそう思ったんだろうな。開始のブザーが鳴った同時に、俺は二人の内の一人の先輩のケツに食らい付いた。相手を追っかけながら飛ぶのは得意な方だった。先輩が旋回しようが、ぐるりと宙返りしようが、ぴったりと食らい付いた。相手が一瞬でも隙を見せれば即座に攻撃をしかけるつもりだった。いつもと同じ。勝てる確信があったよ。それが、相手の狙いだと気づかずにな。

 

だが、勝負は一瞬だった。

 

眼を離したつもりはなかったが、どういうわけか、目の前で追っていた先輩の後ろ姿が、突然消えた。まるで煙のように消えていた。信じられなかった。確かに追っていた相手がいきなり消えたんだからな。索敵しようと辺りへ視線を向けた瞬間、俺の体に何かが当たった。訓練用のペイント弾特有の柔らかい感触と、背中が濡れる感触を味わった。ペイント弾の衝撃で一瞬体制を崩した俺の身体は、くるくると切り揉みながら落ちた。すぐに飛行姿勢に戻ったが、その時にはデバイスから目の前に大きな文字で「撃墜」ってモニターが表示されていたよ。

 

――驚いた。自分の価値感がひっくり返されたような感覚だった。後で聞かされたが、俺の追っていた先輩は、ただ空中でブレーキを掛けて俺の背後に回っただけだったらしい。だが、それが全く見えなかった。俺は眼には特に自信があった。今までどんな些細な動きでも、どんなに早い動きでも見失った事はなかった。だが、その自信も尽く打ちのめされた。その先輩は「俺なんてまだまだだよ、隊長は俺よりもっと早くお前を地べたに叩き落としていただろうな」と笑っていたよ。

 

サイファー隊にいたメンバーは、全員が一流の魔導師だった。当時の俺が見てきた一流ってのは、一流って自負するだけの三流野郎か、口だけ達者なヘボな魔導師ばかりだった。だが、サイファー隊のメンバーは正真正銘、実践で鍛え上げられた一流の魔導師だ。その力の差は想像を絶するものだった。俺は自分の未熟さを思い知った。けれど同時に、「ここならもっと自分を高められる」という熱を込められた気もした。この場所なら、自分の技術はもっと高みへと昇華することができるってな。自分が必要とする力が手に入れられる。そんな確信があった。自分の未熟さや、悔しさを感じるよりも先に、あの時は、そんな期待を感じた。

 

撃墜判定を受けた俺は、相棒を残して訓練所の地面に着地した。模擬戦は二人一組で行うものだ。相棒が落とされるのも時間の問題だと思いながら俺は高い空を見上げた。次の瞬間、撃墜を知らせるブザーが鳴り響いた。俺が撃墜されてから一分も立っていなかった。さすがに終わったなと思った時だ。

 

俺の視界に、とんでもない光景が飛び込んできた。撃墜判定を受けて地面に降りてきたのは、俺が追っていた先輩だった。俺は慌てて空を見上げた。上空では、他の先輩と俺の相棒が戦闘を繰り広げていた。一流の魔導師との駆け引きがまだ続いていたんだ。先輩の魔力光と、相棒の蒼い魔力光がぶつかり合って、それはまるで花火のように広がって消えて行く。

 

勝負は結局先輩の勝利で幕を閉じたが、真下に居た俺から見た限りではかなりの接戦だった。

 

手荒な歓迎を受けたその日から、サイファー隊で、また地獄のような実戦向けの戦闘訓練が始まった。

 

今思えば、あの時から相棒が、俺の越えなければならない壁だったんだろう。管理局の空戦魔導師、〝ライリー・ボーン〟が。

 

 

 

 

――NEXT



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2.名も無き魔道士たち




0067年十二月十日。

時刻は朝と昼の間。冬のミッドチルダの空で感じた風は、凍てつくように冷たかったが、その空はどこか穏やかだったようにも思えた






 

 

晴天となった演習当日の早朝。

 

首都中央地上本部から飛び立った機動一課第四航空中隊サイファー隊は、東に向かって海上を移動していた。

 

この大規模な演習が新人であるアーチャーたちの初任務となった。この一大演習プロジェクトに向け、デモンストレーションのアクロバット飛行の練習や、模擬戦の段取りのチェック、他の部署との講習会と、ミスの無いように入念に準備をしてきた。そして、この演習の為にサイファー隊は新たに十名で再編成された。もちろん、俺とライリーも、再編成された部隊に編入された。今更な話だろうが、中隊での編隊はそれぞれ通信官や後衛隊、指揮や攻撃隊の配置は決められている。その編隊の中でコードネーム『サイファー2』として、攻撃隊の位置にライリー・ボーンはいた。

 

『サイファー2、聞こえるか?』

「こちらサイファー2、感度良好です」

 

しっかりとした声でライリーはグラハム編隊長の通信に返答した。当時、編隊長としてサイファー隊を引っ張っていたのは、グラハム・アーウィン三等空佐だった。

編隊長は時空管理局ミッドチルダ地上本部の司令官、レジアス・ゲイツ中将と歳違いの同期の叩き上げで空戦魔導師になったベテランだ。当時で五十に入る年齢だったからか、グラハム編隊長は何事にも動じることなく、地上で指揮を執るときも、空にいるときでも、のんびりと構えている人だった。

 

「へへっ!ライリー!感度良好とかエロいな」

 

編隊長への返答後、すぐさま俺はライリーにそう通信を入れた。当時の俺は、攻撃隊のサイファー3として編隊の中にいた。階級はライリーと同じ二等空尉だ。俺とライリーは、訓練学校時代からの腐れ縁でな。少なくとも俺は、良き理解者であると同時に競い合うライバルとして見ていた。そして、航空武装隊でも、サイファー隊でも、俺とライリーは「バディ」を組んで飛行することが多かった。

 

「バディ」というのは、空戦魔導師の編隊飛行においての基本戦術の一つだ。

二人一組でバディを組み、サイファー隊内でもバディを一小隊として運用することもあった。十人いるサイファー隊のメンバー全員が基本的に二人一組で行動するようになっていた。俺たち二人の「バディ」は、まさに一心一体で、そのコンビネーションは数々の修羅場を潜ってきたサイファー隊の古参メンバーすら驚かせたものだ。

 

《サイファー3、アーチャー・オーズマン二尉。回線ではコードネームを。そして私語は慎むように。》

 

後方から後続してくる管制用ヘリコプターに乗るオペレーターからの注意の声が飛んできた。

 

「へいへい、かしこまりー。ったく、サイファー2?最近のオペレーターってのは固くて構いやしねぇな」

《聞こえていますよ、サイファー3!任務中は私語を慎むように!》

「はいはーいっと」

 

もちろん、俺のこういう態度は、規律が無いと上の連中から目を付けられる格好の的だ。中には俺をあからさまに毛嫌いする奴もいた程だった。だが、そう言うムードメイカーも隊には必要だと、グラハム編隊長とサイファー隊の先輩たちは、笑って言ってくれた。合同演習での機動一課航空中隊のオペレーションを担当する次元航行部隊のランディは、まったくと呆れた様子で言葉を吐いていた。

 

《機動一課第四航空中隊。全員合同演習空域に入りました。これより無人標的との戦闘フェイズに入ります》

 

大規模な演習が行われる空戦空域は、ミッドチルダの首都クラナガンから遠く離れ、市街地、郊外からさらに離れた海上沖で行われることになっていた。十二月の寒空の下、片道二時間の道のりを飛行するのは結構堪えたよ。鼻水がね。

 

《まずは通常射撃。攻撃隊は予定通り、標的ボードを指定時間内に全て、撃ち落とすようにしてください。》

 

オペレーターとの通信が終わると、鏃(やじり)のような陣を取っていたサイファー隊の編隊から、アーチャーとライリー、あの時入隊模擬戦を戦った先輩二人の計四人の空戦魔導師が急降下する形で離れる。サイファー隊、華の攻撃隊である。

 

「しっかり着いてこいよ、後輩!」

 

先輩魔導師が、後ろに振り返りながら後続するアーチャーとライリーにそう言った。

 

「ここはひよっ子に任せてくださいよ!先輩!」

 

アーチャーは先輩にそう言い返したが、急降下しながら隊を崩さずに飛ぶというのは、速度の調節が非常に難しい。

 

編隊飛行を維持して海面すれすれまで急降下。そのまま水平飛行へ。 急降下で速度を出しすぎれば、姿勢をコントロールできずに頭から真冬の海にダイビングすることになる。かといって、とろとろ飛べば編隊を維持できない。特に、後方を飛ぶ方もだが、先頭で飛んでいる方がより技術が必要となる。

 

「何度も練習させられたからな、ライリー。なぁ?」

 

十二月の冷えきった空気を切りながら、無人機がいるエリアに降下するアーチャーは、ぴったりと横に付いてきている相棒に語りかけた。

 

「あぁ、もちろんだ。いくぞ、アーチャー。ティルフィングっ!」

 

「問題ない」と単調なアイルランド語で答えたライリーのデバイス「ティルフィング」。

 

ライリーのデバイスは、今ではミッドチルダ式の主流インテリジェンスデバイスシステムだが、当時ではそれの試作機として話題になっていた代物だった。性能は次世代とは言え、まだまだ試作段階であるデバイス。北欧神話の魔剣から取った名前「ティルフィング」という名も、ライリー個人が設定した愛称〝マスコットネーム〟だ。本来の名前は、開発時に付けられたコードネームでしかなかった。「北欧神話って、かっこつけかよ」と、ライリーからティルフィングの名を聞いたときは、そう茶化したっけな。「最近、クラナガンに出てきた和食で話題の地球では、『チュウニビョウ』というファッションセンスがあるみたいだからな。それを見習ってみた」。そうライリーはドヤ顔で言っていたっけか。

 

そうそう、ライリーは大の地球文化好きでな。クラナガンにある行き付けの和食屋に、よく連れていかれたもんだ。そういえば、あの砂糖をどれくらい入れてるんだっていう『マッチャ』とかいう甘ったるい飲み物は俺には合わなかったな。

 

「ビット展開!コード、アサルトシフト」

【Tuiscint. X-S01, swing.】

 

隣にいるライリーの声とティルフィングの起動シークエンスが重なると、ライリーの周囲に蒼く輝く七つの魔方陣が展開された。同時に、ライリーの脚部から蒼い翼〝フィン〟が展開され、同時に、ライリーの周りに展開していた魔方陣から七基のビットが出現した。

 

「ビット」は、空戦戦術の得意とするティルフィングが操る妖精、七基の遠距離操作機だ。

 

ティルフィングと同じ素材フレームで構成されていて、他方向からのオールレンジ攻撃、操縦者の死角をフォローすることを可能とする次世代型装備だ。

 

――あれから八年だ。

 

お前たちの中でも「ビット」を使える奴はいるだろう。アイツは、今お前たちが使っている「ビット」の実用性証明した先駆者だと言えるだろう。当時のビットはまだまだ試作段階で、使用されていたとしても「術式の補助」という認識しかなかった。名前も《X-S01》とコードネームでしか呼称されていない。だが、遠隔操作による魔力スフィアの発射、さらに発射した魔力スフィアの反射と、それに最適化された魔力運用システムは、既存のデバイスアビリティを遥かに凌いだ。俺も「まさに無敵の装備だと」ライリーからカタログスペックを聞いたときは思ったよ。本体から射出され、目標に向かい多角的オールレンジな攻撃を仕掛ける為に開発された――それは、いわゆる戦場を駆け巡る砲台だ。加えてビットは、魔力スフィアを放射するだけでなく、自らが発射した魔力スフィア、敵が放った魔力スフィアの反射を可能とする『攻める盾』、リフレクター機能も搭載されている。

 

だが、そんな最高峰のスペックを持つこのシステムには、大きな欠陥があった。

 

その高いデバイスアビリティのみを優先して開発したからか、遠隔操作するビットの操作性は酷いものだった。言うなれば、じゃじゃ馬ってところだ。まともに動きやしない。更に、ビットに座標を指示する演算ユニットをデバイスに搭載するとなると、当時の魔法技術では情報処理の問題でデバイスの巨大化は避けられなかった。それは逆に、「戦場を駆ける砲台」と言うビットの特性を殺してしまい、さらに、操作性の悪化、持ち運びが出来ないという、デメリット面ばかりが大きくなることを意味していた。そんな状態では実戦なんかじゃ戦えない。当時のビットは、まだまだ実用段階じゃなかった。

 

しかし、ライリーはものの見事にビットを扱っている。管理局内で唯一、ビットの複雑

なリアルタイムの座標演算や、ビットの操作。それらをデバイスの支援システムに頼らず一人でやりきった。試作装備を操る技術を持っていたのが、他ならぬライリーだった。不可能と言われた壁を、アイツは簡単に突破したんだ。

 

これが、アイツが「天才だった」と言われた理由の正体だ。

 

昔、ビットを操るライリーに、『どうやって複雑な座標の演算をしながら戦闘を行っているんだ?』と、聞いた同僚がいた。その質問にライリーは「ビットが動くにもそういう『しやすい位置』っていうのがあるから、それが分かれば計算しなくてもなんとなくで大丈夫だよ」と答えたらしい。そう答えるライリーに、その場にいた全員が首を傾げたそうだ。あいつにとったら演算とか普通に考えたら難しそうなものが、「なんとなく」でできてしまう。様々な技術試験、実戦運用テストをパスして、といっても、それに適う人材などアイツ以外にはいなかっただろうが・・・、最新鋭のデバイス、ティルフィングがライリーに与えられた。

 

それは、運命だったのだろう。空戦魔導士としての実力と今だ未知数の能力を買われて、アイツは機動一課にヘッドハントされた。

 

あの日の演習でも、アイツは無敵だった。七基のビットは、まるで生き物みたいに不規則な軌道を描いてライリーの周囲から飛び立つと、俺や、標的ボードに向かって飛行していた先輩の脇を飛び去っていき、瞬く間の内に標的ボードの中心を撃ち抜いてゆく。

 

【お見事】

「さすがサイファー2!やるなぁ!」

 

第一陣の標的を撃ち抜いて行く様は、まるで元気に空を飛びまわる無邪気な妖精のようにも思えた。ボードを撃ち終え、ライリーの周囲を囲むようにビットが帰投する。だが、その時のライリーの表情はどこか不満そうだった。

 

「どうしたんだよ、相棒」

 

俺も第一陣の標的ボードを撃ち終えたところだった。アイツの隣からモニターを覗くと、複雑な  空間座標の数式が並んでいる。目眩がしそうなくらいの数字だったが、座標のデータを見る限りビットの動きがデータとなって表示されていることはわかった。

 

「クリティカルが五発、右に逸れたのが二発――か。またズレてるな。開発部のやつ、サボったのか?」

 

ライリーはモニターを閉じるなりそんな愚痴を俺に吐いた。よくある話だった。ビットの操作や座標の計算はすべてライリーの頭の中で処理されている。少しでも設定のフィッティングが合わなかったら結果に出るデリケートな機械だ。

 

とはいっても――

 

《ボーン二尉!なんでもかんでも、開発部のせいにしないで下さい!不愉快ですよ!》

 

開発部だけが悪い訳ではないが。

いきなり、通信回線に地上本部から追加ラインが加わり、女性の声が聞こえてきた。

 

《マリーさん、いくら貴方と言えど今は演習中です。正規の通信手順を踏んで連絡をですね…?》

 

《もう!わかってないなぁ、ランディくん!これは開発部の威信に関わる大きな抗議なんだからね!》

 

制止に入ったオペレーターのランディの言葉も一蹴して、画面モニター越しにまで怒っている様子が伝わってきていた。

 

開発部のマリエル・アテンザ。

 

ミッドチルダ式からベルカ式のデバイスにも詳しく関わっている。繊細なインテリジェントデバイスとは相性が悪く、これまで研究はされたものの、デバイスの破損や術者の負傷が相次いだため実際に採用されることはなかった「カードリッジシステム」をミッドチルダ式に初めて取り入れたのも彼女だと聞いていた。彼女はティルフィングの「X-S01」ビットシステムの開発や、俺のデバイスにも携わっていたから、俺とライリーは面識があった。まぁ、俺のデバイスの場合はライリーの「ティルフィング」みたいに深くは見ていなかっただろうがな。あくまで微妙な調整だけだったろうし。データを取るためにティルフィングの運用データは随時モニタリングさせて貰っている、と調整を終えたティルフィングを受けとるときにそうマリエルに言われているライリーを、アーチャーは思い出していた。

 

《数値は私が調整してから何ら異常ないんですから、ライリーさんの微妙な調整不足なんじゃないんですかねぇ?なんでもかんでも開発部のせいにしないでください!》

「マリー、お前まだ貫徹のこと根に持ってるのか?差し入れにあんみつ持っていっただろ?」

 

「あんみつ」とは、当時のクラナガンを騒がせていた「和食」のスイーツらしい。朝から並ばないと買えない有名菓子店の「デラックスあんみつ」を差し入れに持っていったと、ライリーが自慢げに話していたのは演習前日のことだ。

 

《あ、あんみつくらいで三日不眠の強行軍をさせられた乙女の怒りが治まりますかって!》

「口元にあんこ付いてるから説得力皆無だがな」

 

ライリーの意地悪な笑みに、口元に付いたあんこを拭き取って、マリエルが不満そうに睨んでいた。二人のやり取りは、ライリーにティルフィングが与えられてから何度か見ている。隊の先輩たちも「またか」といった感じで面白がっていた。俺も面白がっていたがな。

 

「ティルフィング。射角の基本設定をX軸をプラス3、Y軸をマイナス5に調整してくれ」

【了解しました】

 

ライリーは少し考える素振りをしてから、ティルフィングへ設定の変更を行った。普通なら射角を調整するだけでも複雑な演算が必要だ。それこそ開発部が頭を悩ませている演算ユニットが必要な程の事だったが、ライリーは数式すら書かずに調整を行う。

 

《いつも思いますが、なんで簡単に座標を暗算で出しちゃうんですか。座標割り出しの演算プログラムを組んでるだけで目眩がしてくるというのに》

 

不機嫌そうだったマリエルがモニター越しに不思議そうな顔でライリーを見ていた。

 

「数字を数字で見て、そこから考えるからごちゃごちゃになるんだよ。数字を他の物に置き換えて考えなきゃダメだ」

 

そう簡単そうにアイツは言うが、そんな簡単に出来るものじゃないのはその場にいる誰もが思っていただろう。

 

《じゃあライリーさんは、数字を何に置き換えているんですか?》

 

マリエルの問いにライリーは「さてなぁ」と言う。

 

「俺からしたら数式の答えの癖みたいなのがあるって感じなんだけどなぁ」

「流石天才、言うことが違うねぇ」

 

調整を終え、澄ましたようにそう言うライリーを肩組ながら俺は茶化していた。

 

「やめてくれよ。逆に俺は反動でまともに撃てないような武器を片手で振り回すお前の方が凄いよ。サイファー3?」

 

ライリーの茶化しに、俺は自分のデバイスを標的ボードに向けて構えながら答える。

「俺は相棒みたいな『曲芸撃ち』よりも、『直射撃ち』のほうが気楽なんだよ!」

アーチャーは愛機のデバイスを駆って、第二陣として出現する標的ボードを撃破して行った。近距離の格闘戦は、ライリーよりアーチャーの方が上だった。彼自身、近距離の間合いでの戦闘を好んで戦った。彼のデバイスは近、中距離に特化した仕様のため、尚更だったかもしれない。

 

せめぎ合うように戦闘が再開される。先輩の隊員たちも標的ボードを撃破し、指定空戦空域を覆い尽くすように展開された標的ボードを次々と風穴を空けていった。

 

「ライリー!」

 

標的ボードを撃ち抜きながら、俺がライリーと背中合わせになるように近づいて、そう言った。

 

「どっちが多くボードを撃ち抜くか、やるか?」

「晩飯は奢りな」

「てめぇのな!」

 

ライリーもビットを操りながら、軽く頷く。それだけの言葉を交わすと、俺たちは一気に上昇して、二手に別れた。

 

《コードネームを使えって・・・はあ、また始まったよ、二人はああなると止まらないからなぁ》

《いいじゃないですか。男の子は頼もしい方がずっといいです。それに競い合うライバルって言うのもいいですよ?どこかの女の子達のように》

 

ランディとマリエルが、競うようにボードを撃ち抜いていくライリーとアーチャーを見て、そう呆れたように言っていたのを、標的ボードを撃ち落としながら俺は通信機で聞いていた。

 

****

 

「あの演習でも、俺と相棒は競い合っていた。あいつは俺よりも負けん気が強かった」

 

厚いガラスの向こう側にいるアーチャーは、懐かしそうに眼を細ばせた。それはまるで、昨日あった出来事を話しているような。いや、昨日と言っても、間違えではないのだろう。彼にとっては、ここから出るまでが、その一日なのだろう。

 

「あの日の標的ボードも俺が一枚多く撃ち抜いてな。意地になったアイツは、先輩が狙ってた標的 ボードを撃ち抜きやがったんだよ。当然、先輩には「編隊を崩してまで狙う奴がいるか!」って編隊飛行に戻るときに、散々怒られてたっけな」

 

そんな彼の懐かしそうな瞳の奥には儚さがあった。それは、少し寂しげで、その瞳を見ていると、思い出す。それは、「闇の書」と呼ばれ、主の為に、主の元から旅立っていった「彼女」の瞳と重なって見えた。

 

ズキンと心が痛むような感覚。あの、もどかしくて手を伸ばしたいのに、伸ばせない気持ち。何かを言わなければと思ったとき、彼はまるでそれを知っていたかのように、ガラス越しに私を手で制した。

 

「そんな悲しそうな顔をするな。もうアレは「八年前」の事だ。それにあれは俺が選んだ道だ。後悔も、悔いも残しちゃいない」

 

私はその言葉を聞いて、ただ黙ってアーチャーを見ていることしか出来なかった。何を彼に言えばいいのか、わからなかった。アーチャーはそのまま話を続けた。

 

「俺は今まで、この話を誰かに聞かせようと思ったことはない。この監獄にいる間、誰かに話したこともない。まぁ、話す相手なんて壁ぐらいなんだが。それに、話して同情なんて貰った日には、俺の誇りが許さない。俺がやったことを、誰に責められようが、蔑まれようが、関係ない。誰にも誇られず、称えられず、そんなことでも俺の信念を貫いた道だ。文句はない」

 

彼は私の眼を見た。

 

「ただ、今日、俺が語ろうと思ったのは、お前がただ純粋に、この事件の真相を聞きたいと言ったからだ。なら、最後まで黙って聞け。真実を知りたいのなら聞き続けろ。俺に対する同情も怒りもそれからにすればいい」

 

持ってきていた端末から表示されているモニターには、データベースから事件資料と一緒に出てきた、当時の管理局関連の雑誌が写し出されていた。表紙には『空戦魔導師、ライリー・ボーン二等空尉。補助機能無しで試作武装"X-S01ビット"を運用した若き天才。』と目立つようなゴタゴタした文字と、気恥ずかしそうに映る、ライリーの写真が載せられていた。

 

「その記事。アイツは嫌がってたっけな。良いように管理局のプロパガンダに使われてるって」

 

アーチャーはそれを見て、フンと小さく鼻を鳴らした。雑誌で管理局が騒いでいた時、昼休みにライリーは好物の「巻き寿司」なる和食を食べながら、そう愚痴ていたと、アーチャーは言った。

 

「けど、アイツは紛れもなく天才だった。もちろん魔導師としてもな」

 

それは、俺がライリーのことを一番よく知っていると言わんばかりのアーチャーの断言だった。私も表紙を飾るライリーを見た。恥ずかしそうにはにかむ彼の姿は、今の自分とそう変わらない、どこか無邪気さを感じさせる表情に思えた。

 

「――話が逸れたな」

 

じゃあ、続きを話すとしよう。そう言うと、アーチャーは懐かしげだった瞳をゆっくりと閉じた。私の体には、無意識に力がこもっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

合同演習が始まって三時間が経とうとしていた時、すべては動き出した。

いや、戦いはずっと前から始まっていた。誰も見えない水面下で。

問題は、その戦いにどんな決着を付けるのか。それで俺は、満足できるのだろうか。

 

あの日は――――恐ろしくなるくらい、すべてが予定通りに進んでいった。

 

 

 

攻撃隊が射撃演習を終えて編隊飛行に戻ったとき、すでに変化は起きていた。

 

《次は、4ブロック先で合流予定の次元航行部隊第一分隊と戦技教導隊第一航空中隊との合同演習です。この調子で――――》

 

オペレーターのランディからの指示を聞いている最中、西から何かが湾岸に向かって北上して行くのが見えた。前を飛行するライリーが、俺へ振り返った。

 

「アーチャー、見えたか?西から何かが北上してくるのを」

「ばっちり見えてる。先輩たちも気づいてるみたいだしな」

 

ぴったりと後ろに付く俺はライリーの問いにそう言った。この演習の一環なのだろうか。そうライリーは呟いたが、どこかが可笑しいとその表情には出ていた。長年、空戦魔導師として働いていた直感がそう言っていると言わんばかりに。

 

あぁ、やはり疑問に思うかと、俺はアイツの後ろを飛びながらそう思った。

 

その時、先頭を飛行するグラハム編隊長が大きく弧を描いて旋回し始めた。後続する俺たちもいきなり軌道変更した編隊長へ追従する。隊長が飛ぶ飛行軌道は、もちろん演習の内容には含まれていない。

 

何かが起こっている。それだけが、ライリー達にははっきりと分かっていただろう。

 

****

 

「こちら機動一課第四航空中隊、サイファー隊だ!先行している部隊!聞こえるか!?」

《戦技教導隊第一航空中隊のファーン・コラード一等空尉です!》

 

先頭を猛スピードで駆けるグラハム編隊長が、この先で合流予定であった戦技教導隊第一航空中隊へと通信回線を飛ばした。IFF(識別信号)に応答なしの、北上する所属不明隊を確認した後、すぐに4ブロック先に待機していた戦技教導隊からSOS信号をオペレーターであるランディが受信した。

 

行動の有無を問う前に、先導していたグラハム編隊長が合流ポイントへと飛び立ち、後続していたライリー達も、編隊長に続く形となった。音声通信だけだが、ノイズが激しく、時折小さな爆発音や、痛みに堪えるような声が聞こえてきた。それだけでも、事態は火急を要するにことだと分かった。

 

《現在、我々は合流した次元航行部隊、第一分隊と共に北上してきた武装隊と交戦中!》

 

通信に本来応じるのは、その隊の通信員だ。だが、彼女は通信員でではない。通信員ではない人間が応じている以上、事態は深刻なのだとサイファー隊全員に告げる。こうなっているということは、編隊を維持できない状態なのか、すでに誰かが犠牲になってしまったのか…。

 

《合流予定であった次元航行部隊の二名が奇襲により被弾。救助できましたが、内一人が重傷です!至急、救援を願います!》

 

二名が被弾。二名とも救助はできたが、内一人が重傷。

 

その報告を聞き、サイファー隊全員が異様な雰囲気に包まれた。こちらは新人を迎えたばかりであり、柔な鍛え方はしていないが隊から「未帰還者」を出す危険性は増している。それに敵は外世界ではなく、管理局地上本部があるこの「ミッドチルダ」に直接攻めてきているときた。次元航行隊や、教導隊ですら防戦一方に追われている。相手も相当の手練れだということくらいは、サイファー隊の誰もが簡単に予想できた。サイファー隊は、今回の演習を前提に再編成した構成になっている。いくら熟練とは言え慣れない任に就いていては全員が不慣れな状態だ。加えて、こちらには実戦を想定した武装はほとんど無い。あまりの状況の悪さにグラハムが小さく舌打ちをした。

 

「サイファー隊各員、聞こえたな?」

 

静まり返ったサイファー隊に隊長の全隊通信が響いた。

 

「すでに二分隊が北上してきた謎の武装隊との交戦を湾岸にて開始している。加えて、救援を求めている二分隊は重傷者を抱えている状態だ」

 

改めて隊長が言う言葉には、言い難い重みのようなものがあった。それはまるで「現状のコンディションで自分達はどこまでやれるのか」という不安感を滲ませるようなものだった。

 

「決まってるでしょ?隊長」

 

静まり返っていたサイファー隊で、真っ先に口を開いたのはアーチャーだった。

 

「いつ如何なる場合でも人命救助を第一に。隊長がいつも言ってる言葉じゃないですか」

 

続いて、アーチャーのすぐ隣を跳ぶライリーがそう言った。グラハムの口癖は「人命救助」だった。「いかなる状況に置いても民間人と仲間を見捨てないのが管理局の魔導師である」と、模擬訓練の時でも口酸っぱくグラハムは言っていた。

 

「新人カップルが生意気言ってやがる」

 

ライリー達と同じ攻撃隊の先輩がそう言った。それに便乗するように、周りの隊員たちも「違いない」と笑いだした。

 

「誰がカップルですか!」

「おいおい冷てーな、相棒」

「茶化すな!」

 

ライリーはティルフィングで隣を飛ぶアーチャーを小突く。その光景を見た隊員の誰かが「痴話喧嘩見せつけんなよー」と、更にライリーとアーチャーを茶化すと全員が吹き出した。隊の張り詰めたような異様な雰囲気は無くなった。グラハム編隊長が、息を小さく吸い込む。

 

「この状況で、我々はどこまで出来るかは未知数だ。だが、味方を見捨てることはない。我々はこれより重傷者の救助、及び謎の武装隊との交戦に入り、これを撃破する!」

 

その瞬間、サイファー隊に所属する隊員の全員の表情が鋭くなった。一人一人が数々の修羅場を潜ってきたオーラのようなものを纏っていた。グラハムは振り向かずに後続飛行をしているライリーとアーチャーへ指を二本出して手首を振る。それはサイファー隊内で使用されるジェスチャーサインだ。サインを見るや、後続していたアーチャーはそのまま後方の輸送ヘリへ通信回線を開いた。

 

「ランディ!護衛してやるからヘリを次元航行部隊に近づけろ!負傷者を回収し次第、首都地上本部へ向けて死ぬ気でヘリ飛ばせ!」

《了解です!》

「攻撃隊!お前らは輸送ヘリを援護!残りは俺と共に来い!」

「了解!」

 

叫んだ勢いのまま、編隊飛行をするサイファー隊は一気に加速し、二勢力が入り交じる交戦区域へと突入する。すでに目の前には、色とりどりに入り乱れあう「戦場」が見えていた。

 

《サイファー隊、敵と接触〝エンゲージ〟!》

「サイファー隊…交戦開始!」

 

 

――NEXT



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3.交戦空域

 

攻撃隊であるライリー達、四名の隊員は入り交じる敵や味方の攻撃の最中を、海面に沿って飛びながら掻い潜っていた。

 

現場はすでに混戦状態であり、謎の武装隊と次元航行部隊、戦技教導隊が切り揉み合うように飛び 交いながら上空で凄まじい空中戦を繰り広げていた。その中を攻撃隊に護衛されながら、ランディが乗る輸送ヘリが部隊の救援に向かって突っ切って行く。

 

攻撃隊に所属する隊員は、全員が実戦経験は豊富だ。隊では新人である前衛のライリーとアーチャーも、サイファー隊に配属されるまでは航空武装隊で何度も実戦を経験している。だが、現在の攻撃の装備は、演習を想定したものであり、実戦で戦うにはあまりにも乏しいものだった。攻撃隊でかろうじて空戦対応できる装備を持つのがライリーのビットと、アーチャーの特注デバイスだけだ。ほかの隊員たちも役に立つと言えばペイント仕様に書き換えられた誘導弾くらいで、ヘリに近づく敵の索敵と防御魔法で対応するしかなかった。

「ティルフィング!」

 

攻撃態勢となっていたライリーは、息を鋭く吐き出しながらティルフィングを横一閃に振り抜く。

 

【X-S01を展開します】

 

そのまま七基中、五基のビットがライリーの周りから離れ周囲へと展開した。縦横無尽に空を舞いながら敵を翻弄するビット。発射される演習用ペイント弾には、飛行システムを一時的に麻痺させる作用があった。

 

「な、なんだこれは!お、墜ちる!?」

 

多方向から襲いかかってくるペイント弾に反応できない敵は、瞬く間に真冬の海へと落ちていった。その光景は圧倒的と言えた。既存のデバイスのアビリティを上回るビットの性能は、敵だけでなく味方をも驚かせた。だが、相手も手練れの空戦魔導師だ。

 

「こんな小細工でやられるかよ!」

 

三次元から飛び交ってくるビットからの攻撃をすり抜け、海面を沿って飛行するライリー達の方へと敵魔導師が急降下する。ゲリラ戦や、奇襲をしてくる敵は、急降下からの一撃離脱の戦法を好むと、管理局の中ではそういう法則があった。だから、相手の急降下には警戒しなければならない。

 

だがライリーは、敢えて急降下してくる敵が、応じやすい軌道にビットを向かわせた。それがライリーの得意とする戦術だ。甘い弾道に見せかけたオトリを、敵は誘われるように避わし、こちらに向かってくる。その敵の飛ぶ軌道は、ライリーが頭の中で思い描いたものと一緒だ。

 

「今だ。行け、アーチャー!」

「オーケー、アーチャー・オーズマン!頼まれた!」

 

その軌道の先は、張り巡らされた戦術の檻の中。敵を誘き出したライリーが、入れ替わるように後ろに退がる。

 

「地球で言うと、飛んで火に入るなんとやらってな…。行くぜ、ベリルショット!」

【All right. My meister】

 

ライリーの後ろから出たアーチャーが構えたデバイス《ベリルショット》は、2丁拳銃の近接戦闘用として設計されたインテリジェンスデバイスだ。

 

管理局では「闇の書」以来から、古代ベルカの解読、技術転用が行われており、後の近代ベルカへと続く技術となる技術開発が盛んに行われていた。ベリルショットはその恩恵を受けたデバイスの一つだ。内蔵された魔力磁場を利用して開発された レールガン。その強力なレールガンの反動にも耐えうる強固なボディ。加えてインテリジェンスデバイスでは珍しい、近接戦闘に特化した数々のシステムが採用されている。レールガンの銃口部に設置された魔力で構成されるブレードは、レールガンの磁場を生み出すバレルとしての役割も兼ね備えている。 その為、刀身を展開してなくてもバレルとして魔法は常時展開し続けているので、ブレードの展開も素早く行うことができた。

 

「弾けろ!」

【Masamune blaster.】

 

両手の銃口から亜高速で放たれる魔力光弾(マサムネブラスター)の威力は凄まじく、目標とした敵の手元から意図も容易くデバイスを弾き飛ばした。

 

「ぐあぁ!?」

「デバイスが!」

「オラオラオラァ!手元が甘いんだよ!」

 

ライリーのビットによって誘い出された敵から、アーチャーは金属が弾けるような甲高い音を轟かせながら、次々にデバイスを弾き飛ばして行った。その時、アーチャーのすぐ脇を太い魔力砲が掠める。

 

「うわっと!」

 

ベリルショットの防御機能は、近接戦闘を主とするアーチャーを補助し、シールドや防御魔法のほとんどをオートで発動する。掠めた魔力砲は、オートで展開された魔法盾でなんとか避わせたが、死角から撃たれたアーチャーは迎え撃つ体制が整っていない。

やったぞ、と言わんばかりに敵のデバイスからアーチャー目掛けての次射の砲撃魔法の燐光が光る。

 

それを見たアーチャーは、ニヤリと笑った。

 

「やられるのは、てめぇだ」

 

その瞬間、砲撃魔法を構えていた敵は、無数のビットに取り囲まれた。すでに射撃体制に入っていた敵は為す術もなかった。飛来した無数のビットからの攻撃受け、でたらめに砲撃魔法を撒き散らしながら、敵は海へと落ちていく。

 

「ナイスコンビネーション、サイファー2」

「全く、油断するな。サイファー3」

「阿呆、お前がそう来ると思ってわざと誘いに乗ったんだよ。演技だよ、演技」

 

ビットを引き連れて、アーチャーの隣に飛んできたライリーが不機嫌そうな目でアーチャーを睨む。

 

「そこのカップル!痴話喧嘩してないでさっさと救援行くぞ!」

「だから、カップル言わないでください!」

 

不機嫌さが更に増したようにライリーが吠えた。

輸送ヘリを護衛する先輩は悪びれた様子もなく、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべている。

 

そう茶化されながら、ライリーとアーチャーはヘリ護衛の軌道に戻った。

 

****

 

攻撃隊と輸送ヘリは、敵の攻撃を掻い潜り通信に応じたファーン・コラード一等空尉が待つ空域へ 辿り着いた。次元航行部隊は、重傷者を中心に円を描くような形でその場しのぎの防衛網を強いていた。

 

「こちらサイファー隊所属のライリー・ボーン二等空尉です!重傷者の名は?」

救援が到着したからか、ファーンの上擦っていた声が少しばかり和らいだ。彼女は両手で支えるように重傷者を抱えながらライリーやアーチャーに聞こえるように叫ぶ。

「重傷者は、高町なのはです!」

《え?なのはちゃんが!?》

 

続いてライリーとファーンがいる区域に到着したヘリから、ランディの声が通信越しに届いた。知り合いか、とライリーがランディに問おうとしたが、ファーンや他の隊員に抱えられて運ばれて きた重傷者を目にして。

 

――ライリーは、言葉を無くした。

 

足や腕には深い傷や切傷もあった。被弾時に頭が切れているのか額にはかなりの量の血が流れている。なによりライリーが驚いたのは、重傷した魔導師が、「高町なのは」と呼ばれた人物が、まだあどけなさが残る子供だったことだ。ブリーフィング中に『闇の書事件解決にした魔導師も参加する。年端もまだ幼いんだがな』と怪訝そうにグラハム隊長が言っていたことを、ライリーは思い出していた。

 

「なのは!しっかりしろ!オイ!」

 

抱えられている「高町なのは」にすがるように叫んでいる魔導師も、見た目はまだあどけない少女だ。

 

その光景を見た瞬間、ライリーの中で、何かが切れた。

 

「なんだってんだ!子供が二人もこんなところに!連れてきた奴はどいつだ!!えぇ!?」

 

殴り付けるように、血塗れのなのはを抱いているファーンや、その場にいる他の隊員を恐ろしい形相で睨み付けながらライリーは怒鳴り付けた。 反射でファーンが首をビクッとすくめ、他の隊員もライリーの異様な怒気に身を竦める。もちろん答える者などいない。

 

ライリーには信じがたいことだった。いくら人員不足と言っても、こんな年端も行かない子供を、演習とは言え戦いの空へ連れ出してきた事が。

 

結果、子供にこんな大怪我を負わせてしまった。ライリーには、そんな管理局の行いが、危険があると分かっていながら子供を空に駆り立てた者が、どうしても許せなかった。

 

「ライリー、落ち着け」

 

さっきまで揚々としていた筈のアーチャーの冷たいほど冷静な言葉を聞いて、ライリーは全員が水を打ったように静まり返っていることに気がついた。ライリーの肩に手を置き、アーチャーが切り替えたように上空で待機しているヘリに向かって叫んだ。

 

「おうランディ!さっさと重傷者と引っ付いてるガキ回収しろ!」

《わ、わかりました!》

 

アーチャーの声に、ライリーが一気に現実に引き戻された。そうだ、怒るよりも先にこの子を助けなければならない。目の前にいるファーンにライリーは頭を下げると、上空を見上げた。

 

アーチャーはすでにヘリを狙ってきている敵魔導師と交戦を開始している。

 

「行けっ…ビット!!」

 

アーチャーに続くように、ライリーは輸送ヘリへ群がってくる魔導師へビットを飛ばした。

 

「二人を収容するのにあとどれくらい掛かる!」

《三分でなんとかします!それまで、なんとか凌いでください!》

 

軽く言うなよと、ライリーと背中合わせになるような体制をとったアーチャーが毒づいた。

 

ヘリを護衛するのはライリー達攻撃隊と次元航行部隊所属の隊員数名だけ。しかも、こちらは演習用の装備だけで実質まともに戦えるのはライリーとアーチャーだけだ。いくらやり手と言えど、敵魔導師による防衛線の突破は時間の問題。 飛来する魔力スフィアをビットに搭載されているリフレクターで跳ね返しながら、ライリーは数を増して行く敵にどう対処するか思考を巡らせた。その悪化して行く状況の中、背中を預けているアーチャーも恐らく同じことを考えている筈だ。

 

どうする…!

 

その時、ライリーとアーチャーの頭上をひとつの影が飛び去っていった。真正面から突っ込んできていた敵魔導師の顔面にペイント弾が当たり、切り揉みながらその魔導師は落ちた。影が飛び去ったのを見上げた先には、もう二人の敵が墜落する様子が見えた。

 

その間、わずか数秒の出来事だった。

 

一瞬で、三人もの敵を落としたのは、グラハム編隊長だった。それも直射式しかない演習用のペイント弾で。まさに鬼神に勝る恐ろしいほどの技量と強さだった。グラハムが飛んでくる瞬間すら、二人は見えていなかった。それは、七基のビットを操る動体視力を持つライリーですら、思わず「なんという人だ」と呟くほどだった。

 

「ライリー!アーチャー!お前たちは救助者の回収作業を!コイツらは俺たちが引き付ける!」

 

グラハム隊長からの怒号に似た声が響いた瞬間、二人の前に隊長に続いてサイファー隊のメンバーが上空から降りてきた。到着したサイファー隊と、次元航行部隊の隊員と合わせれば防衛線を充分補うことができる。新参者であるライリーやアーチャーよりよっぽど現場馴れしている彼らだ。メンバーの誰にも切迫した表情をする者はいない。

 

「了解!」

「この退けってんだよ、くそったれ!」

 

ライリーの返事と同時に、敵と揉み合っていたアーチャーが敵魔導師の顔面に蹴りをかますと、二人はヘリへと身を翻す。

 

ライリーは、飛行魔法で空中に待機しているヘリの開放されているランプドアからキャビンへと乗り込んだ。人海戦術で運び込まれてくる高町なのはを、ライリーが引き受けヘリの中へと運び込む。アーチャーはヘリの外で周囲の哨戒に当たった。抱き上げた少女の身体はあまりにも軽い。戦いの空にいるにはあまりにも不向きに思えた。

 

「すまない」

 

ライリーは気を失っているなのはへ静かに呟いた。改めて彼女の幼さを思い知る。こん

な彼女をこんな場所に連れ出してきたことにライリーは憤りを覚えた。ヘリの中で待機していた救護班は、すぐに重傷のなのはを簡易型のベッドへ運ぶように指示をする。

ライリーがなのはをベッドに寝かせると、救護班が手際よく応急措置を施して行く。 だが、なのはの傷は予想以上に酷く、医療設備が整っていない現状では危険な状態だった。一刻も早く医療設備が整った場所へと運ばなければならない。

 

その時、アーチャーが哨戒しているランプドアの外から、絶叫に似た声が聞こえた。

 

「隊長!?」

 

聞き覚えのある声だった。だがグラハムの絶叫など、ライリーは聞いたことがない。

 

「どうしたんですか!?」

 

ライリーと同じくなのはを運び込んだ女性、ファーン・コラードがヘリのランプドアから身を乗り出して上空を見上げるライリーに声をかけた時、生暖かい雨が二人の顔に向かって降ってきた。同時に、ライリーの肩にどすっと、何かが当たって落ちる。ライリーの肩の装甲に何かが当たった時、まるで濡れた布で叩きつけられたような、そんな鈍く湿った音が聞こえた。

 

「え…?」

 

すぐ隣にいたファーンから、血の気が引く気配を感じた。肩から何かがずり落ち、落下して行く。

 

それを見つけたとき、ライリーの思考が一気に凍りついた。

 

晴天の空に反射して、赤く光る光点を撒き散らしながら海へと落下していくそれは――――二の腕から切断された人の腕だ。

 

「隊長オォォォ――――ッ!!!」

 

血の雨に当たったライリーは、叫び声を上げながらヘリから飛び出した。後ろからアーチャーが何かを叫んでいたが、完全に冷静さを失ったライリーの耳には届かなかった。展開していたビット七基すべてを隊長やサイファー隊のメンバーと交戦していた敵魔導師達へと放つ。輸送ヘリ周辺の七基のビットが弾けるような挙動をすると、縦横無尽な軌道を描いてサイファー隊を取り囲む敵の中へと突っ込んでいく。

敵がビットに気を取られているその隙に、ライリーはサイファー隊の編隊の元へと滑り込んだ。隊長を守るように囲む先輩たちを押し退けてライリーが見たのは、左腕の二の腕から下が無くなった痛々しいグラハムの姿だった。その瞬間、ライリーは顔から血が引く感覚を覚えた。

 

「隊長…!」

 

硬直したライリーの腰を、サイファー隊の誰かが小突いた。我に帰って振り返ると、隊長とライリーを守るようにサイファー隊のメンバーが既に隊列を組んでいる。その先輩たちの眼を見ただけで、ライリーには分かった。声に出して言わずとも、先輩達が「隊長を頼んだ」と伝えているのが。ライリーは、直ぐ様グラハムを後ろから羽交い締めにするように抱えると、ヘリへと引き摺るように運び始めた。サイファー隊のメンバーも、実戦装備がない状況で決死の防衛戦を繰り広げていく。

 

「バカが!行けといったはずだ!」

「アンタを回収しないで行けますかッ!」

 

飛行魔法すら維持できないような状態になりつつあるグラハムを担いで、ライリーは輸送ヘリへと飛ぶ。だが、防衛戦を抜けた何人かの敵魔導師が蟻のように群がり、トドメを刺さんとばかりに迫ってくる。

 

「敵魔導師に追い付かれたら仕舞いなんだぞ!輸送ヘリごと子供を死なせる気か!?」

「聞けません!そんな命令!」

 

「置いていけ」と担がれながら暴れる隊長を落とさないように支えながら、ライリーはヘリに向かって飛ぶ。ライリーにとって、救助した少女よりも、自分の恩師であるグラハムの命の方がよっぽど優先すべきものだった。

 

レジアスと同期であり、グラハム自身も管理局の高官の一人だと言うのに、彼はライリーを含め、サイファー隊の誰にも高圧的な態度で接することは無かった。寧ろ、サイファー隊に編入してから、様々なことをグラハムは教えてくれた。命を守ること、命を助けること、そして自分自身が危険な任務から生き残ること。必要なことをグラハムは教えてくれた。

 

ライリーもアーチャーも、グラハムに好感が持てた。この人になら付き従える、と。

 

〝この人を死なせるわけにはいかない。〟

 

切り落とされたグラハムの傷口から溢れる血がライリーのジャケットに染み込んで行き、生暖かいジメジメした感触がグラハムを背負う背中から脳へと伝わる。敵魔導師との距離はもうほとんどない。 絶対に死なせるものか! ライリーはグラハムを担ぎながら懸命に飛んだ。

 

だが、人を担いだまま飛行するライリーに、追ってくる敵は徐々に距離を縮め迫る。デバイスを携えた敵魔導師がライリーとグラハムの背後から飛び掛かった。

――くそっ。ライリーは隊長を庇う為、迫る敵のほうに反転すると、訪れる痛みに耐えるため歯を食いしばった。

 

一閃がライリーとグラハムを襲おうとした、その時。

 

「世話…焼かせんなッ!」

 

間一髪で、下から潜り込んできたアーチャーが、敵の攻撃を愛機であるベリルショットのブレードで受け止めていた。

 

「さっさと行け!」

 

敵とつばぜり合うアーチャーに言われるまま、ライリーはグラハムを抱え直して、なんとかヘリへ転がり込んだ。待機状態だった輸送ヘリの進路はミッドチルダ地上本部へと向き、けたたましく音を立てながら飛び立つ。痛みで顔を歪めるグラハム隊長を救護班に任せ、ライリーもランプドアからアーチャーや他の隊員の援護に向かうため、外へ飛び出そうとした。

 

《こちらサイファー3。サイファー2、お前は輸送ヘリの護衛に当たってくれ。俺たちはこっちで敵を食い止める。》

 

「悪いな、良いとこ取りで」と、いきなり繋がったアーチャーからの通信回線にライリーは怪訝な表情をした。アーチャーは「期待しとけ」と笑顔で答えた。ライリーは内心では納得できないでいたがヘリの護衛も必ず必要だ。「わかった」とライリーは答え、アーチャーの提案通り輸送ヘリの護衛に回るため、通信機を切った。

 

****

 

あの日、ライリーとの通信を終えてから通信するために海面近くまで降下していた俺は空戦空域まで戻った。

 

「各員!俺たちは敵の足止めだ。隊長たちが離脱するまで持ちこたえるぞ!」

 

副隊長の厳つい声が通信越しに聞こえてくる。俺は襲ってくる敵と競り合うようにしながら、アイツが護衛するヘリが飛んでいくのを何度も確認した。

電波回線の有効範囲内にいるかどうか、範囲エリアからヘリが出たかどうかを確認するためだ。

 

まだ俺は見つかるわけにはいかなかった。ヘリは徐々に遠ざかっていった。

 

あの時、ヘリが離れていくと同時に高鳴って行く鼓動は、今でも耳に残っている。

ヘリが豆粒のように遠くなった時、敵の一人が、片手の親指を立てて下に向けながら振った。

 

俺に見えるようにな。

 

同時に、俺たちがいた空域にスモークが散布された。スモーク内には細かな微粒子が混ざっていて、一度スモークを撒けば、衛星からのネットワークの回線信号を乱反射させ、使用できないようになる。

 

つまり、それを使えば衛星通信が無力化できる。

 

短距離ではあるが、電波障害を受けにくい強力な通信機や、有線の通信機器に対して効果は無いが、これでこの場の状況を、管理局は把握できなくなっただろう。そして、これが敵の本来の目的であり、あらかじめ決めておいた"合図"でもあった。

 

当時の管理局の魔導師は、外世界で活動するにあたって「対魔導師」の対策がまったく取り入られてなかった。本格的な訓練を受けていたのは隊長格から上、危険な犯罪事件の調査を行う執務官役職くらいだ。現場にいる一般魔導師にまで「対魔導師戦術」の訓練は浸透していなかった。

 

まぁ当然だろう。

 

そもそも、「対魔導師戦術」ということ事態に、管理局は重要性を感じていなかった。

魔力物質がある世界はあれど、それを制御し、扱うことができる技術を有した世界は殆ど無い。

 

現に、お前の出身地である外世界「地球」も、俺が住んでいた故郷の世界も「魔力」という概念は空想的な代物だという認識だったはずだ。管理局側からすれば、外世界で活動するとしても、魔法での反撃の心配性はなかった。それは、管理局が扱う魔法が、時空管理局が唯一、完全に保有し、世界の均衡を保つ「抑止力」だからだ。

 

だから、「対魔法戦術」なんてイレギュラー的なカテゴリーだったのだろう。

 

魔法という超次元的な能力に酔った、管理局の慢心。

その油断がどれほど大きな隙だったか、管理局に身を置き、前線に出ていた俺には理解できた。

 

P・T事件の時も。

闇の書事件の時も。

 

管理局は何ができた?対魔導師対策が何もされず、プレシア・テスタロッサを捕らえるときに多大な犠牲を払った。

闇の書の捕縛も然りだ。古代(エンシェント)ベルカとは言え、相手は魔導師だったはずだ。だが、管理局の魔導師たちは軒並み歯がたたなかった。

 

だが、上層部は何も変わらなかった。静かに崩れだしている「力」の均衡にも気付かない。

 

八年前の合同演習としてもそうだ。

 

「活発化する反管理局勢力と武装犯罪組織に対する牽制」と揶揄しながら、演習用で支給された武器は、お遊び程度で作られた対魔導師用のペイント弾だった。

実弾兵装にし、もしも市民に被害がでたら管理局の威厳は失墜する。

それを恐れた上層部の判断だったんだろう。「反管理局勢力、犯罪組織に対する牽制」と言っておきながら、この体制だ。

 

「対魔導師戦術」なんて、演習や模擬戦のときにしか役に立たないという認識しかない管理局。

 

誰も歯向かってこないだろうとタカを括っているような体制。

まるで自分達が生態系の頂点に君臨しているかのような思考。

 

――気に入らない。

――まったく気に入らない。

 

あの時の俺は、心の中でずっとそんなことを思い続けていた。

 

「ベリルショット。コード、“アルテイシア」

【了解。非殺傷設定を〝解除〟します】

 

俺はつばぜり合う敵から刃を離して、静かにそう言った。

ベリルショットは、俺の設定したコード通りに、非殺傷設定を解除する。

 

「アーチャー、なんで」

 

先輩は驚いたように俺を見た。

当然だ。

知っているだろうが、普通、管理局のデバイスは「非殺傷設定」を解除することはできない。

 

解除するには、開発時のプロダクトコードが必要で、そしてそれは、管理局の重要機密扱いになっているからだ。

「殺さずにこそ、理想がある」と言わんばかりに。なんともバカらしい理想だ。

 

そして俺は――そのまま隣にいたサイファー隊の先輩を、迷わずに斬った。

 

首の側面から、胴を抜けるように大きく袈裟を描いて斬った。

その時の、俺が斬った奴の顔は、今でもはっきりと覚えている。

まるで、何が起こったかわからないようなまぬけな顔で、先輩は大量の血を撒き散らしながら 空の底へと落ちていった。 手加減していたであろう、俺がさっきまで競り合っていた敵達が、次々とサイファー隊のメンバーに襲い掛かった。いくら一流という魔導師でも隊長を失い、装備もひ弱で、体力も底を尽きかけている、そんな四面楚歌な状態だったから、落とすのは造作もなかった。

 

残ったサイファー隊の全員が、あの場所で死んだ。

 

あとで聞いたが、救助信号の反応は無かったようだ。全員が苦しむ前に息絶えたんだろう。あの時の俺は、苦しまずに死んでくれて良かったと思った。自分で殺しておきながら、不思議だった。もちろん、罪悪感なんてものは無かった。覚悟は決めていたからな。

 

サイファー隊の隊紋があしらわれたバリアジャケットを着ている俺は、最早、管理局の人間ではなくなった。俺だけを残した中、武器を収めた奴らが俺に向かって敬礼のような格好をした。

 

そして、ひとりがこう言う。

 

「作戦完了致しました。リーダー」

 

この瞬間、俺はもう戻ることの無い修羅の道へと踏み出した。

肩に施された隊を象徴する紋章を剥がす。

 

――――そうして俺は、「管理局の敵」へと変わった。

 

「ご苦労だった。作戦は次のプランに進む。お前たちはこの場で待機、迎撃にくる管理局勢力を引き付けてくれ。頼むぞ」

 

俺の言葉を聞いて、敬礼していた魔導師たちは、上空に上がっていった。遠くからの敵を索適するためだ。管理局が現状打開の策として立案した大規模な演習中に謎の部隊との交戦。

 

生き残ったのは帰投した重傷者と護衛した数名の魔導師だけだ。この大規模な演習に現状打開の威信を賭けていた管理局は、この事件を無視することはできないはずだ。

必ず管理局は動く。

 

それが俺たちの狙いだった。

 

管理局が総動員で動かなければ、俺たちが「必要とするもの」が手に入らなかったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――なぜライリーと自分たちを生かしたか、だと?

 

必要だったからだ。俺たちは目立たなくちゃならなかった。生き残りを還らせ、事を荒立て、管理局を動かさなければならなかった。管理局が、この世界の絶対的な正義と勘違いしている、そんな偽善者どもに、気づかせなければならない。

自分たちが育てた、自らの過ちを。

 

―――今思えば、俺はライリーを真っ先に倒しておくべきだったかもしれない。

殺しておくこともできた。殺すチャンスはいくらでもあったのに、俺は奴を生かした。

 

それは、だだ、俺にとってみたら、奴は越えなければならないモノだったからかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

【大規模な演習中に謎の武装隊が襲撃――――計画的犯行か?】

 

十日に行われていた時空管理局による大規模演習場で、同日十一時頃、謎の武装隊により襲撃事件が発生した。襲撃されたのは、次元航行部隊・第一分隊や戦技教導隊・第一航空中隊、遺失物管理部・機動一課が演習していたエリアであり、同隊は午前十時頃に首都地上本部から飛び立ち、演習エリアである空域へ入ったところで襲撃された。

これにより現場にて交戦状態となった同隊から死傷者が十五名となっており重傷者二名、軽傷者三名は救助されたものの、遺失物管理部・機動一課では第四航空中隊『サイファー隊』の生存は絶望視されている。

 

尚、武装隊の目的は不明。大きく宣伝した大規模な合同演習がこのような形で失われるのは時空管理局にとって大きな痛手であり、今後の対応に注目が集まっていると言える。

 

(0067年十二月十日 ミッドチルダタイムズ発行情報紙より)

 

 

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4.追憶

 

「JS事件」から三ヶ月後。

 

私が「あの冬の日」の事件を調べ始めてから、もう一ヶ月が経とうとしていた。

 

業務の合間を縫って、事件の内容を調べているのだけれど、はやての知り合いで知り合った管理局の広報部の人からの情報で、事件の内容は進展を見せ始めていた。

 

当時の事件監理官に当たったレジアス・ゲイツの命令で、事件の内容のほとんどが、公表されずに  揉み消されていたというのだ。あの事件で死亡した魔導師たちの情報も、表側は反管理局勢力からの武力介入による殉職としか無く、それ以上の情報は伏せられていた。

 

その時、殉職した魔導師の遺族からの問い合わせに応じていたのが、この情報を流してくれた広報部の人だったらしい。遺族にすらも内容は隠蔽され、広報部の人も、湾曲された情報しか伝えられず、ずっと後悔と申し訳なさを感じ続けていたのかもしれない。

 

しかし、何故管理局は「あの事件」の内容を隠蔽しようとしたのだろうか?

 

ロストロギア級の魔道具が使われていると言うのに、管理局にとってこの事件は隠さなければならないないほどの何かがあったのだろうか。

 

「なのは」

「ひゃあ!?」

 

いきなり後ろから声を掛けられて、私は思わず変な声をあげてしまった。

場所は管理局の資料室。滅多に人が来ない場所であるのもあってか、長テーブルに資料を広げ、私はかなり集中してしまっていたらしい。

 

振り返ると、訓練用のウェア姿のヴィータが、怪訝そうな表情でこちらを眺めていた。

 

「あー、新しい新人の教導してんだけど、なんだったら見に来ないかって…」

「あ、あぁ。そうなんだ。わかった、ヴィータちゃん。すぐにいくよ」

 

私はそういうと、資料をバサバサと適当に纏めてファイルへと納めていった。少し距離を置いた所に立っているヴィータが、テーブルを占領していた資料の一枚を手にとった。

 

「――なのは。お前、調べてんのか?八年前の事件」

「うん」

 

資料を眺めながらそう言ったヴィータの言葉に、私も短く答えた。

 

「そんときは、なのはも怪我でそれどころじゃなかったじゃねぇか。今更調べてどうすんだよ」

 

ヴィータが資料を机に置いた。私の資料を片付ける手も、それと同じくして止まっていた。

 

「――なんとなく」

 

自然と、そう言葉が出た。

なんとなく、知らなきゃいけない気がする、と。

 

「自分でも可笑しいのはわかっているんだけど、でも、こうやって八年前の事件が私の目の前にある。これって、何か特別な意味があるんじゃないかって」

 

私は、ヴィータの眼を見据えて、はっきりとそう言った。

数秒の沈黙の後、ヴィータはあきれたように息を吐いて、ほほを指で掻いていた。

 

「なのは、お前に聞かせたい話がある」

 

そう言うと、ヴィータは長テーブルへ、トンと小さく飛んで、腰を乗せた。

 

思いがけない言葉に、私は戸惑う。そんな私を気にせず、ヴィータは淡々と言葉を続けた。

 

「アタシは、これを言ったらなのはは自分を責めちまうと思ったから。ずっと胸に秘めておこうと決めていた」

 

そして、ヴィータは私の眼を見た。

 

「けど、あの日の出来事が、今こうやって、なのはの目の前に現れてるんだ。あの日の記憶が、何の意味を持ってるのか、アタシにはわかんねぇ」

 

不意に、私の体に力が入った。

 

「けど、話さなきゃならない。あの冬の日の出来事を」

 

****

 

あの日、なのはに付き添ったままアタシは、クラナガンにある救急医療センターに入った。

 

時空管理局ミッドチルダ地上本部に隣接した救急医療センターへ、空戦魔導師に護衛される形でアタシとなのはを乗せた輸送ヘリが着陸した。応急措置はしたとはいえ、重傷であるなのはは、ホントに一刻を争うような状態だったらしい。

 

なのは以外にも奇襲で怪我をした魔導師はいたけど、輸送用ランプドアが開かれた瞬間、担架を構えた医療スタッフがすぐに、なのはを運び出した。そして、そのまま一直線に緊急処置室へと運び込まれて行く。同乗していた何人かの魔導師たちも、状況説明のため、医療スタッフと同じようにヘリから降りていった。

 

重傷の連絡を、他エリアで演習に参加していたフェイトとかはやてに、リンディが取り合っていたが、アタシもかなり気が動転していて、それどころじゃなかった。オペ室に運び込まれるなのはを、ただ見ていることしかできなかった。

 

一番早く、病院に到着したのはフェイトだった。

 

フェイトが着いた時には、なのははもうオペ室だったから、面会できる状態じゃなかった。

あんな顔面蒼白なフェイトを見たのは、後にも先にもあの日だけだ。

 

そっから順にはやてとか、シグナム達が到着したんだけど、結局面会できるようになったのは、日付が変わる直前の時間だった。

 

「――意識は失っていますが、命に別状はありません」

 

数時間に渡る処置を終えて、ICU(処置室)から個室へと移ったなのはの前で、オペを担当した医師の言葉に、集まったメンバーはホッと胸を撫で下ろした様子だった。フェイトは、なのはを失うかもしれない恐怖から解放されたのか、シグナムとはやてに慰められる形で泣き崩れていた。

 

ちょうどその時だ。

病室の外で待機していた管理局の二人のスタッフが話をしていたのは。

 

――――現地へ急行したチームから、《サイファー隊壊滅》という連絡があったというのを。

 

****

 

なのはのひとまずの無事に、安堵する皆がいる病室からヴィータは一人離れていた。

 

深夜の病院は、当然消灯されていて、赤い赤色灯が廊下の床に反射して薄暗さを増させているように見えた。

 

――あの時。

 

不意打ちだったとはいえ、一瞬でもなのはを視界から外してしまった。

 

ガン!と壁を殴った音が廊下に反響した。そんなやり場の無い悔しさが、ヴィータの中にのし掛かる。

 

――クソ!何やってんだよ! そう何度も、あの時なのはが撃墜された時に、何もできなかった自分を罵った。無理をすることの多いなのはを守る為に、同じ隊に入って頑張ってきた。常になのはを視界に入れて戦ってたはずなのに。

 

奇襲だったとはいえ、襲いかかってきたあの魔導師達をほとんど潰し終えて、一瞬なのはから目を離した隙に、なのはは撃墜された。

 

守りきれなかった。

 

ヴィータの目の前には、漠然と横たわっていたのはそんな結果だけだった。手に持っていた自分の検査結果の紙をビリビリに破きながら、悔しくて、後悔しながら、深夜の暗闇に向かって叫んだ。

 

「チックショオォォォォ!!」

「――――うるさいぞ。そこのバカ。場所をわきまえろ」

 

その時だ。広い病院内を反響する自分の叫び声に乗ってくるように、真後ろから声が聞こえた。

 

それに反応して、自分でさえ驚くほどの速度で振り返ってみると、病室から出てきていた男が、不機嫌そうにヴィータを睨んでいた。それが、ヴィータとライリーが初めて交わした言葉だった。

 

「病院の中で騒ぐな。その前に何時だと思っている」

「おめぇは――――」

「――…ライリー・ボーンだ。お前らを運んだときヘリ護衛してただろ」

 

そう言われて、ヴィータは「あ!」と声を上げた。目の前にいる男は、確かにあの空域でなのはをヘリへ運び込んだ魔導師だった。不機嫌そうな顔をしたライリーが出てきた病室の名簿板には「グラハム・アーウィン」と名が入っていた。

 

ヴィータがその人物の事を知るのは後のことだ。そのままライリーは、少し離れた場所にある自販機に向った。ごそごそとポケットから取り出した コインを自販機へ放り込む。

 

「――――わりぃ」

「わかればいいんだよ、ちびっ子」

 

その切り返しにヴィータはイラついた。

 

誰がちびっ子だ!、と喉まで出かかったが缶コーヒーを買ったライリーが、向かいに設置されたソファーに座ってしまったから反論するタイミングを逃してしまった。

 

「…アンタも、あの場所に居たんだろ?その…怪我とか無くて良かったな」

「あぁ、まぁな」

 

ライリーはそう素っ気なく言うと、先ほど自販機で買ったもうひとつの缶コーヒーをヴィータへ放り渡した。

 

「うわっ、ととっ…」

 

いきなり投げられたから、なんとも不格好に缶コーヒーを受け取った。

 

ヴィータはライリーを睨んだが、そんなことを気にしない様子で既にフタを開けた缶コーヒーに口を付けていた。

 

毒気を抜かれたヴィータも見習うように缶コーヒーのプルタブを開けて口をつける。

そう言えば、なのはが運び込まれてから何も口にしてなかったな、アタシ。そんなことを思いながら、缶コーヒーから伝わる心地よい温もりとほのかな甘さが、心に染み込んでいくような感覚を覚えた。

 

そこから暫く沈黙が続いた。何も言わずに、明かりが灯っている自販機を眺め、コーヒーを飲むライリーに沈黙に耐えられなかったヴィータは声を掛けた。

 

「その――――ありがとな。なのはを、助けてくれて」

「――――…。」

 

その時のライリーは、ヴィータの言葉に何も答えなかった。

 

ただ、ヴィータがそう言った瞬間、ライリーの表情は少し強ばっていた。だが、ヴィータはそれに気付きもしない。そんな沈黙で、さっきまで沸き出すように溢れていた後悔と情けなさが、ヴィータの体にのし掛かってくるようだった。自然と、顔もすっかり地を向いてしまっているのが、ヴィータ自身わかった。

 

「…あたしが目を離さなきゃ、なのはも撃墜されずに済んだのによぉ」

 

気がついたら、そんな言葉が出ていた。

あの一瞬、なんでなのはから目を離した?

戦場での油断が何よりも危険だってのは分かっていた。

 

何やってんだ、あたしは。

 

輸送ヘリの中で、血だらけのなのはを見ているだけで、何もできなかった。

何が、ヴォルケンリッターの騎士だ。大切な友すら守れないのに。自分のせいで、なのはは。

 

「…そんなもん、俺も一緒だ」

 

いきなり返ってきた言葉に、ヴィータは思わず顔をあげた。

 

ライリーを見ると、自販機の明かりにうっすらと照らされている天井を見上げている。

その、見上げた横顔を見た瞬間、何故かヴィータの体が金縛りにあったように一瞬だけ固まった。

 

ライリーのその横顔は、生気が無くてまるで死人のような雰囲気を漂わせていたから。

 

「お前はまだいいじゃないか。大切な仲間を失っていないんだから」

 

――〝失っていないんだから。〟

 

感情が無い淡白な口調に、ヴィータは疑問を持った。

 

「お前も…誰かを?」

 

その問いに、ライリーは小さな笑みを浮かべながら応える。

 

その顔はどこか、何かを諦めているような顔にもヴィータには見えた。それはまるで――戦乱の中を永遠にさ迷い続けていた、昔の自分のような暗い面影と重なっていて。

 

「――俺の部隊の隊長は、片腕を切り落とされて現場生命を断たれ、現地に残った部隊は全滅」

 

他人事のような淡白な言い種。

 

「あの場所にいたサイファー隊で生き残ったのは、隊長と、お前らを護衛していた俺だけだ」

 

ライリーの言った言葉を理解した瞬間、体や表情が凍り付いたように縮むような電流が走った。諦めに似たような、天井を見上げたまま笑みを浮かべているライリーへ何か言葉を掛けようとするが、浮かぶ言葉の全てがすぐに萎えていってしまう。

 

「そんな目で見ないでくれよ。責めたくなるだろ?」

 

ただ絶句するヴィータに、ライリーは困ったような顔をしながらそう伝えた。

 

…頭の中じゃわかっているんだ。

 

血塗れのあの少女を、仲間の危機に直面して。

 

失うことが怖かっただろう。

守れなかったことが悔しかっただろう。

助けられて、どんなに安心しただろう。

 

〝そんなこと、わかっているのに。〟

 

ライリーは膝の上で組んだ手に、自分の頭を預けた。

 

****

 

「離せ!離してくれ!」

 

無我夢中だった。

 

制止してくる奴等の中には、知った顔も多く居たが、さっき援護したばかりの次元航行部隊の面子が何人かいた。

 

輸送ヘリが発着するエプロンで羽交い締めにされながら、ライリーは空の先にいる仲間の元へ向かおうと無我夢中だった。

 

「落ち着け、ライリー!今更行っても、もう!」

 

訓練生時代からの同期の空戦魔導師に羽交い締めされながら説得された。

だが頭では酷く冷静に聞き入れているのに、体がまったくそれを受け入れていなかった。

サイファー隊の壊滅の報を、わかっているのに、認めたくなかった。断固として。

 

「ふざけたこと言うなよ!サイファー隊の皆が!アーチャーが!やられるわけないだろ!?」

 

羽交い締めにしてくる魔導師たちをライリーは凄まじい剣幕で睨み付ける。

 

「きっとどこかで助けを待っているんだ!行かないと…俺が行かなくちゃ!」

 

その時、羽交い締めにされていた力が緩まったかと思ったら、顔に大きな衝撃が走った。振りほどこうとしていた体制から一気に崩れて、ライリーの体は発着のエプロンの上を転げた。

 

「聞き分けろ!ライリー・ボーン二尉!」

 

殴ったのは同期の空戦魔導師だった。訓練生をしごく教官として管理局に勤めている彼の手は、ゴツゴツしていた。おかげで殴られた頬が痛く、立ち上がれずにエプロンに寝転がっていた。

 

「救援隊が再編成され、サイファー隊が消息を絶ったエリアに向かっている。その連絡を待つしかないだろ」

 

同期の言葉が、耳に入ってくる。痛みで動けず、寝そべりながら空を仰いだ。

 

何故、あの時俺はアーチャーと共に残らなかった?

何故、あの時俺はすんなりとヘリの護衛に着いていた?

 

何故――俺だけが無事に生き残ったんだ?

 

焦燥感と、居なくなってしまった者に思う孤独と罪悪感が、胸の中にのし掛かっていた。

誰かが言った。

 

「お前のお陰で、重症を負った少女は助かったんだぞ」と。

 

聞こえはいいだろうが、一人の少女のために、いったい何人が犠牲になったんだろうか。

全員があの場に残っていれば、退却させるまでには行かなくとも、全滅は免れることができた筈だ。

 

どっちが正しかったのだろうか。

 

感情に流されなかったら、俺は、どちらを助けるべきだったのだろうか。

運び込まれ、処置室で治療を受けるグラハム隊長を待ちながら、ずっと考え続けていた。

 

 

――――お前達を、助けなければよかったんじゃないか?

 

 

****

 

そんな酷いことが、脳裏に張り付いて、頭の中に居座ってしまっている。

 

なんで俺は、重症の少女を助けた? なぜ俺は、あの時、現場に残らなかったのか?

血濡れの少女を見て、激昂に任せて、少女の周りに居た奴らを怒鳴り散らした。

 

――なにが「許せなかった」だ。

 

助けなければよかったなどと、思ってしまっている自分に、彼らを怒鳴る権利なんて無いじゃないか。目の前にいるヴィータを強く責める度胸もなく、けれども、仕方ないことなんだと、上手く納得できるほど大人でもない。

 

なんて醜く、ちっぽけな器なんだろうか。

それは、はっきりとライリー自身の中へと突き刺さった。

 

黙ったままのヴィータの手の甲が、紅く染まっている。

 

それは壁を殴った時に出来た傷跡。

 

だが、その傷に重なるように、ヴィータの心には黒い影が入り込んできた。取り繕るように無理に微笑むライリーの笑顔が、言葉が、すべて自分に対しての皮肉な言葉にも聞こえたように思えた。

 

「良かったじゃないか。お前の大切な仲間は…助かったんだから」

 

そのライリーの表情を見てヴィータは何も言えなくなってしまった。ライリーは立ち上がると、ヴィータを残して廊下を歩き出した。カツンカツンと、革靴の足音が反響しながら、どんどん遠くなっていく。そんなライリーの背中を何もできないで、ヴィータはただぼんやりと眺めていた。カチリ、カチリと、時計の音が静けさに包まれた院内に響く。自販機の明かりだけが、ヴィータを照らしていた。

 

ふと、ヴィータの足が、ライリーを追うように動き出した。

 

何かを言わなきゃならない。けど、言葉をかける気持ちが追いつかない。

そんなあやふやな思いだったが、追わなきゃならないとヴィータは感じた。

ライリーを追うようにしばらく歩いていると、個室病棟と大部屋病棟の中間地点にあるエレベーターホールに辿り着いた。

 

廊下とホールの境目に入った時、ヴィータの視界に、静寂の中、赤色灯に照らされた床を睨むように佇んでいるライリーを見つけた。

 

何かを言わなきゃ、そう声を掛けようとヴィータが一歩踏み出そうとしたとき。

 

 

「――――どれだけ感謝されようと、あの子達に罪はなくても。それでも、あの子達が死んで、お前が生きていたら良かったって思う俺は、酷いか? アーチャー…」

 

 

深夜の病棟で、ライリーは頭を垂れて一人、そう消えるような声で呟きながら、噛み殺せない嗚咽を堪えながら涙を流していた。

 

ヴィータは、その場から動けなくなった。足がまるで石のように固まってしまって、声すらあげれなくて。ただ、肩を震わすライリーを見て、自分自身の拭いきれない影が、あの古代ベルカの時代に感じた戦いの理不尽さをヴィータは、今更になって思い知るのだった。

 

 

 

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4.管理局の魔道士として




――――0067年十二月十一日 早朝6時00分。

サイファー隊の生き残りであるライリー・ボーンは、機動一課に所属する他の航空中隊への編入が 決定された。

そしてそのまま、前日の演習エリアで遭遇した謎の武装隊の殲滅作戦へと赴くことなる。
攻撃してきた武装隊は、未だに管理局の演習エリアに潜んでおり、なんと管理局本部へ反攻声明を叩き付けてきた。

武装組織の名は《ヘイズレグ》。

管理局内でも度々捜査線上に上がったことがある大規模な反管理局勢力のひとつだ。
だが、肝心の奇襲目的は不明であり、送られてきた反攻声明も《一方的な正義を押し付ける時空管理局への制裁行動》としか言ってきていない。だが、前線へと駆り出されるライリー・ボーンにとっては、相手の奇襲目的や理由など、どうでもよかった。

彼にとってこの殲滅作戦は、隊長や仲間たち――そして、親友の為の復讐戦でしかなかったからだ。

****




 

 

ミッドチルダ救急医療センターの一室で、私は意識を取り戻した。

 

長い間、眠っていたような感覚で、まだ頭の中が夢うつつで、見慣れない天井をぼんやりと見上げていた。目を覚ました私に気付いたのか、すぐに、フェイトちゃんや、はやてちゃん達が声を掛ける。

 

(あぁ、私…墜ちちゃったんだ。)

 

まだはっきり覚醒してはいなかったけど、全員の安堵した表情を見て私はそう確信した。

 

昨日か、一昨日か、一週間前?

 

体内時計が完全に狂っていて、今日の日付が把握はできてない。意識がはっきりしだして、身体中に痛みが走り出した。それと同じように、少しずつ記憶が蘇ってくる。

 

あの日――――ヴィータちゃんと一緒に、異世界での任務を終えた私は、そのままクロノくんやリンディさんから言われた演習に参加するため、ミッドチルダの上空に転移した。

そんな私達の前に現れた武装隊。

 

突然だった。奇襲を受け、そのまま防戦一方へと追い込まれた。当然私も応戦した。応戦するしかなかった。

 

けど、敵魔導師が近づいてきた一瞬。レイジングハートを握っていた腕に傷みが走って気が逸れて、その瞬間、体にすごい衝撃と痛みが走って――――

 

気が付いたら海面に向かってデタラメに墜ちて行っていた。

 

自分の名前を叫びながら真上から追ってきたヴィータちゃんを見たあたりまでは記憶があるが、それから先は朧気で。

 

誰かが叫んでいたような、そんな声が聞こえた気がした。

 

ベッドに横たわっている私は、フェイトちゃんたちの後ろから空を覗く窓へと視線を移した。

 

突き抜けるような晴天。

 

その雲ひとつ無い空を切るように――――幾つもの飛行機雲が空に浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十一日、時間は正午に差し掛かろうとしていた頃だった。

 

その日のミッドチルダの空も、冬空らしく凍てつくような寒さがあったが、澄み渡るような晴天だった。だが、それに反するように、ミッドチルダの空はまさに――――戦場であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

晴天の空。

 

ちらほらと雲が点在する空の中を、切り揉み合うように魔力の帯が交差し合っていた。

敵と味方の区別が付かないほど幾人もの空戦魔導師が飛び交い合い、近くのエリアでも怒号のような叫びが上がってくる。

 

「来るぞ!全隊、構えろ!」

 

管理局へ宣戦布告を行ってきた組織『ヘイズレグ』が制空権を掌握しているとされるエリア。

 

そのエリアは管理局により、最前線、第一次防衛線、第二次防衛線、最終防衛線とエリア区分けされており、前線としていされたエリアはまさに激戦区だった。構えた管理局の魔導師たちへ向かって敵からの砲撃魔法が幾つも吹っ飛んでくる。

 

そんな中、前線で雲の隙間から飛び出したヴィータは、グラーフアイゼンを両手で構え一気に急降下へと入った。急降下に伴う体へ掛かる負担を噛み殺すように、ヴィータは奥歯をギュッと噛み締める。

 

「ラケーテン…!」

 

急降下しながら、ヴィータは既にカードリッジを充填し、ラケーテンフォルムへと姿を変えたグラーフアイゼンを構えた。目標は捉えている。

 

眼下に映る二人の魔導師。

 

パン!パン!とラケーテンフォルムのグラーフアイゼンが乾いたバースト音を鳴り響かせた。その音に合わさるように、グッとグラーフアイゼンを握る両手に力がこもる。

 

【Jawohl(了解).】

「ハンマァー!!」

 

ヴィータの声がトリガーになり、グラーフアイゼンが火を吹き出す。その瞬間、急降下で加速していたヴィータが、更に加速して、眼下にいた二人の敵魔導師の真ん中に滑り込んだ。敵は急に現れた敵に気付くが、ヴィータの方がずっと早かった。振り抜かれた鉄槌は、一瞬で二人の魔導師のうち、一人を仕留める。

 

もう撃墜を免れたもう片方は防御魔法を展開したが、ヴィータの鉄槌はその防御魔法ごと魔導師を叩き伏させた。その場しのぎの粗末な防御魔法じゃ、ヴィータのラケーテンハンマーの前では無意味だ。二人の撃破を確認してヴィータは直ぐ様に移動する。止まっている暇はなかった。

 

「ヘイズレグ」側の敵から放たれる『非殺傷設定』を解除された魔力スフィアを受けて、不慣れな管理局魔導師が何人も空域を離脱していた。離脱した魔導師を手当てする救急班も、想像絶するこの状況に上手く手が回らない。後方に設置された作戦本部も現場からの応援、支援通達のせいでパンク状態だ。

 

全員が全員、目の前で起こる事態に対応することしかできないほど、管理局の指令体制は麻痺している。

 

何せこれは、ミッドチルダでの管理局で、史上初となる『管理局本部に対する直接的なテロ行為』なのだから。この前人未到のテロ事件に対して、管理局の対応はなんとも粗末なものだった。

 

上層部直轄の部隊を除く、戦闘可能な空戦魔導師すべてを対象に撃退作戦を敢行された。おかげで、実戦慣れしていない魔導師も多く現場へ出撃させられた。不慣れな魔導師は、次々と敵に撃破されて行く。それはただ、いたずらに被害を拡大させていくだけの愚策だ。

 

ヴィータたち、ヴォルケンリッターたちも無論、召集が掛かった。「闇の書事件」を良しと見ない上層部の人間は、いくらでもいると、ヴィータたちは知っている。リンディやクロノの計らいがあって、主であるはやては召集を避けれたが、自分たちはそうはいかない。

「闇の書」と共に歩み、長きに渡る戦乱の世界で培った高度な実戦経験を、管理局の上層部が見逃すはずがない。

 

予想通りに、シグナムとザフィーラはヴィータと同じく最前線へ送られた。

 

シャマルは後衛として、第一次防衛線で治療スタッフと索敵を担当している。

 

だが、ヴィータにとってそんな管理局の思惑など些細なことでしかなかった。

 

ヴィータの目に映る敵は、重腰である管理局が撃墜を認めた存在であり、なのはを窮地へと追いやった存在でしかない。

 

 

――邪魔する奴は、ぶっ叩く。

 

 

ヴィータにとっては、ただ、それだけがこの場所にいる理由だった。

 

だが、それを簡単に許してくれる敵じゃなかった。

 

上昇するヴィータの視界の端を、何かが横切った。それを感じたと同時、嫌な感覚が頭から腹にかけて貫く。

 

(まずい…!)

 

その瞬間、ヴィータの真横で爆発が生じた。視界が僅かにシャットアウトされる。

 

設置型の魔力スフィアによる機雷トラップだとヴィータはすぐに判断した。起爆する直前に、体を反らしていたので直撃は避けられたが、非殺傷設定を解除されてる攻撃だ。まともに当たっていたら危なかった。宙をくるくると舞う体を、無理矢理戻してヴィータは周囲へ目を見張る。

 

【Gegenstand kommt an.】

 

敵が近付いているとグラーフアイゼンが警告をし、紅く輝く。すると間を置かずに頭上から魔力スフィアの雨がヴィータの頭上から降り注いできた。

 

敵は生半可な雑兵ではない。

 

敵の全員が、いくつもの修羅場を潜ってきたオーラを持つベテラン。

 

ヴィータが相手にしているのは、管理局で言う少数精鋭の特殊部隊と同じだ。

正面からじゃ分が悪いと、ヴィータは急降下からの奇襲で敵を撃破し、その場から離脱する

「ヒット アンド アウェイ」の戦術を使っていたが、そう何度も見逃してくれない。降り注いできたスフィアに対抗するべく、ヴィータも防御魔法を展開しようとした。

 

その時だ。

 

【クラスターバレット】

「ファイア!」

 

ヴィータの背後から、三発の蒼い魔力スフィアがいきなり飛び出してきた。

ヴィータの防御魔法が展開される前に、蒼いスフィアは雨のように降り注ぐ敵の攻撃へ突っ込んで行き、爆発する。

 

魔力スフィアにしては大きな爆発だった。

 

それに誘われるように降り注いでいた敵の攻撃も次々と誘爆して行き、結局一発もヴィータの元には届かなかった。

 

ヴィータは、振り返る。

 

その視線の先に、ティルフィングの発射口を正面に構えたライリーがいた。

振り返るヴィータへ視線すら向けず、ライリーは発射口を構えていた手を降ろした。

ライリーの顔を見たヴィータは、戦慄を覚えた。

 

その表情は、おぞましいほど深く、憎しみに支配されていた眼をしていたからだ。

 

「管理局の犬どもがぁ!」

「我々ヘイズレグが真に解放する平等たる世界のために!」

 

ヘイズレグ側の魔導師の叫ぶような怒号が清空に響く。

 

平等たる世界のために?

笑わせるな。

 

ライリーは、内心でそんなことを考えながら全身が泡立つような感覚を覚えた。彼自身の感情的な怒りが、最早限界を越えていた。

 

「そこから動くなよ」

 

鋭い呼気を吐き出し、ライリーはティルフィングを横一閃と振りながら近くで呆然とライリーを見ているヴィータへそう告げた。足下に魔法陣が広がる。

 

「設置型は残り三つか」

 

目を閉じて、宙をなぞるようにライリーは指先で空を曲線を描く。すると一閃と振った軌道上に、さっきヴィータの背後から放たれた同じ誘導弾、蒼い魔力スフィアが三つ出現する。

その三つの蒼い魔力スフィアは、直線的な動きでそれぞれ別の方向へと放たれた。

 

なにをするんだ?とヴィータが疑問を感じた時、三つの弾は同じタイミングで爆発した。

先ほどと同じく、魔力スフィアにしては大きな爆発のように思えた。だが、それはただ単なる爆発ではない。それは一部始終を見ていたヴィータには、はっきりと見えていた。魔力スフィアが爆発した時、その弾は拡散するように辺り一面へと僅かな欠片をばら撒いていた。それは例えるなら花火のようにも思えた。そのばら撒かれた魔力の欠片に反応するように、設置されていた敵の罠も誘爆して行く。

 

その光景を見て、ライリーが放った魔力スフィアは、誘爆を誘う迫撃弾なのだと、ヴィータは理解した。

 

「行くぞ、ティルフィング」

【X-S01を展開します】

 

同時に、ライリーをぐるりと囲むように小さな魔方陣が七つ展開される。その七つの魔方陣へ、七基のビットが転送された。そこでヴィータは、改めてライリーの操るビットを目撃した。

 

ライリーを囲むように浮遊する七基ビットの外見は、「闇の書事件」でクロノが使用したデバイス、デュランダルの浮遊支援ビットにも思えた。だが、中身の性能はデュランダルのビットとは桁外れだ。

 

「行けよ!ビット!」

 

ライリーの放ったビットの攻撃は、雲の隙間から現れた八人のヘイズレグの魔導師たち目掛けて飛ぶ。不規則な動きを敵に見せつけるように、ビットは飛翔した。

 

「なんだ?ちょこまかしやがって!」

 

そんなビットを、嘲笑うかのように八人の内の一人の魔導師が、飛来するビットの内の一基へ狙いを定めた。

 

「撃ち落としてやる」

 

簡素な作りのストレージデバイスの発射口を構えた魔導師は、そのまま直射魔法をビットに向けて 放った。迫るビットに向かって放たれたその砲撃は一直線に標的へ向かって伸びて行く。

 

「当たっ――――うわぁぁぁぁ!?」

 

嬉々としたような声で言った敵の撃破宣言は、最後まで続かなかった。

 

確かに射撃魔法はビットに直撃したが――それはまるで鏡に反射した光のように弾き返され、砲撃魔法を放った本人を飲み込んだのだ。非殺傷設定が解除された魔法は、容赦なく主を焼き、空の底へと叩き落とす。

 

その光景を目の当たりにしたヘイズレグ側の魔導師達は一気に動揺し始め、困惑の空気に呑まれた。

 

「ま、魔力が跳ね返された!」

「なんだ!?これも魔術なのか?」

 

ティルフィング本体から遠隔操作する七基の無線誘導端末ビット《X-S01》。

 

そのイレギュラーな存在は、既存のデバイスを遥かに凌ぐ。ライリーあってこその実戦装備だが、そんな管理局の最新技術を敵が知る由もない。動揺させるなど簡単なことだった。

更に、このビットには魔力スフィアの射出、リフレクターによる反射の機能の他にもうひとつ、別の機能が搭載されている。

 

「――ティルフィング。ビットをブレイクスルーシフトへ切り替えろ」

【アサルトシフトから、ブレイクスルーシフトへ切り替えを行います】

 

ライリーの言葉にティルフィングが答えた瞬間、今まで魔力スフィアの射出や相手のスフィアを反射する軌道をとっていたビットの内、三基の軌道が不規則な動きから、直線的な動きへと急激に変わった。

 

「気をつけろ!管理局の新しい技術かも――――」

 

叫んだヘイズレグ側の魔導師に向かって、一基のビットが突っ込む。

 

「え――――!?」

 

ビット先端から、魔力によるソードを発生させ、あらゆる方向から対象へ直接突き刺す機能。

 

それが、《ブレイクスルーシフト》。

 

何が起こったか、わからないような顔をした魔導師は、そんなかすれた声を出して腹に突き刺さったビットともに落下していく。非殺傷設定による過剰攻撃を抑制するリミットが付いているとは言え、その痛みは簡単に相手から意識を奪うものになる。獲物の反応が無くなったを確認するように、ビットは相手へ突き刺さる。反応がないと確認すると沈黙した獲物から離れ、ビットは次の獲物に狙いを定めた。

 

ヘイズレグ側の魔導師たちの体が強ばったのが、手にとるようにわかった。

 

「う、うああああっ!くるな!くるなあああああ!!」

 

ぎらりとソードの切っ先を光らせたビットが再び飛翔する。

 

その先にいた魔導師たちが恐怖の叫び声をあげ、逃げ惑い、苦し紛れに打ち出された魔力スフィアを撃ちながら方々へ散って行く。敵がデタラメに放った魔力スフィアを、リフレクターシステムで弾き返しながら、ビットが獲物の狩る狩人のように魔導師たちへと次々に襲いかかった。

 

何人かの敵は、司令塔であるライリーを狙おうと狙撃を試みるが、結果はビットにより防がれるという結末。

 

敵には最早、逃げ惑うという選択肢しか残されていなかった。

 

「許さない――お前達だけは――絶対に許さない」

 

敵の断末魔が響く中、ボソボソと呟きながらライリーを見て、ヴィータは背筋に冷たい何かが走るのを感じた。だが、ヴィータは止める言葉が出なかった。彼がここまで憎悪に身を委ねる理由が自分にあったから。

 

「残らず狩れ、ティルフィングッ!」

【Tuiscint(承知しました。).】

 

憎悪を孕んだライリー瞳は、逃げ惑う敵を殲滅せんと容赦なく撤退して行く魔導師たちを捉えた。突き抜けそうな空の下、複数の悲鳴が上がる。とうとう何人かの敵魔導師が、持っていたデバイスを放って両手を上げて喚いた。

 

「わ、わかった!俺の敗けだ!降参だ!投降す――がはっ!」

 

甲高い、情けを求める敵の声を……ライリーは容赦なく叩き伏せる。

 

一人、また一人と降参だと喚く魔導師を空の底に向かって叩き落として行く。その瞳には、人としての情けなど全く残っていなかった。そして最後の一人。戦意を完全に失って、ガタガタと両手で頭を抱えながら怯える魔導師に向かって、ライリーは何も言わずにティルフィングの発射口を突きつけた。

 

「ひいぃぃぃぃぃ!死にたくねぇ!死にたくないぃぃぃぃ!!」

 

敵魔導師が一際大きな悲鳴を上げる。

 

――――お前たちは、そう言った俺の仲間を、どう思いながら殺した ?

 

目の前で恐怖に震えている敵に、ライリーはそんなことを小さく問いかけた。

 

ティルフィングを握る手に力がこもる――――その瞬間、ティルフィングを握りしめるライリーの腕を綺麗な手が掴み上げた。

 

「――――もういい。やめるんだ」

 

ライリーの手を止めたのは、ヴィータと同じく前線で戦っていたシグナムだった。

 

「……離せ」

「ダメだ」

 

ライリーのぞっとするような低い声。

だが、シグナムはそれに毅然とした口調ではっきりとそう答えた。

 

「離してくれ」

「ダメだ」

「離せ!!」

「断る!!」

 

全く引かないシグナムに、ライリーは激情に任せてシグナムの胸ぐらを掴んだ。

 

「コイツらはサイファー隊を殺ったんだ!俺の仲間を殺したんだよ!その気持ちがアンタにわかんのか!?」

「だからといって、貴様がコイツらと同じことをしていい権利などない!」

 

抗議の意を示すライリーを、シグナムはまっすぐ見据えてライリー以上の声をあげて怒鳴り付けた。

 

そのシグナムの真摯な言葉を聞いたライリーは、不意に……。

 

 

〝――なんで非殺傷設定なんてものがあるか、わかるか? ライリー。〟

 

 

昔、そんなことを言われたことを思い出した。

 

 

****

 

 

『なんで非殺傷設定なんてものがあるか、ですか?』

 

ライリーやアーチャーが、機動一課に配属されたばかりの頃。

サイファー隊全隊での模擬訓練を行ってる中、訓練での指導官を務めていたグラハムが、ライリーとアーチャーにそう訪ねた。

 

『あぁ、そうだ。ライリーはどう思うんだ?』

『はぁ…現場で犯人を殺さず捕らえるため、ではないのですか?』

 

ライリーは、当然そうでしょう?と言った様子でグラハムの問いに答えた。

答えには自信があった。訓練学校時代に、教官からはそう講義で教わったのだから。

だが、その答えを聞いたグラハムの表情は、ライリーの想像とは違って困ったような顔をしていた。

 

『相変わらず頭固いなぁ、ライリーは』

 

グラハム隊長の微妙そうな表情から察したのか、隣にいたアーチャーが可笑しそうにゲラゲラ笑った。ライリーが睨み付けると、アーチャーは数回咳払いをして黙るのが最早二人の間での様式美だ。

 

『まぁ、無難な答えだろう。訓練学校の講義ではそう習ったのだろうが――俺はそれだけでは無いと思う』

 

と、言いますと?と聞き返すライリーの顔を見て、グラハムはどっしりと落ち着いた声でこう言った。

 

――非殺傷設定は、人を傷付けないためにあるのと同時に、己を正すためにあるんだ、と――――。

 

 

****

 

 

「――コイツらには、必ず法が受けるべき罰を与える。だから、貴様がそんなことをしてはダメだ」

 

静けさを取り戻した晴空の中で、ゆっくりと力強く響くシグナムの言葉をライリーは黙って聞いた。

 

シグナムの胸ぐらを掴んでいた手が、力無く落ちる。

シグナムも何も言わずにただライリーを見ていた。

 

普段は寡黙なシグナムが、なぜライリーに声をかけたのか、ヴィータにはなんとなく分かっていた。あの憎悪に身を委ねるライリーの姿が、昔の戦乱の中を生き、宛の無い闇にもがいていた時の自分と、重なって見えたから。シグナムの思いも、ヴィータと同じだったのかもしれない。

 

言い様の無い何かが、腹の底から沸き上がってくる感覚を覚えた。

 

「――――くそ!!……俺は!!俺はぁ!!」

 

ライリーの口からその沸き上がってきたものが溢れた。

 

殺意? 悔しさ? いいや――――違う。

 

目の前でさっきまで喚いていた魔導師や、ライリーが撃破した者達が管理局の局員によって捕縛され連行されて行く。

 

理不尽だ。

 

なんで。

 

なんで俺は。

 

コイツらを――仲間の仇を――殺せないんだ。

 

 

「あ"ああああああああぁぁぁッ!!」

 

 

ライリーの叫びは、敵が居なくなったミッドチルダの空に虚しく響いて、力なく消えていった。

 

 

 

――NEXT



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5.ファーン・コラード




ヘグニは、こう答えた。――おまえが和解を求めるにしても、もはや遅すぎる。私がもうダインスレイヴを抜いてしまったからだ。この剣はドウェルグたちによって鍛えられ、ひとたび抜かれれば、必ず誰かを死に追いやる。その一閃は、的をあやまたず、また決して癒えぬ傷を残すのだ。

(1120年スノッリ・ストゥルソン著「スノッリのエッダ」より引用)





 

古代の哲学者プラトンはこんな言葉を残している。

 

「自分のことをするだけで、余計な手だしをしないことが正義である」という言葉だ。

 

遠い昔に読んだ書物に記されていた物だが、その言葉を残した彼がいた時代から、どれ程の時が経ったのだろうか。

 

広大な深淵の闇の中に浮かぶこの軌道上拘置所には、その闇すら届かない。

 

この監獄の受刑者であるアーチャー・オーズマンは、自分を訪ねにきた女性、高町なのはを分厚いガラスの向こう側から眺めていた。

彼の瞳は、生気を失ったように見える反面、濁った夕日のような、消え失せた情熱の残り火が揺らめいているようにも見えた。それは野望や理想に燃えた反逆者たちの残り火を閉じ込めておく場所。この逃れることのできない鉄の監獄そのものを体現しているようにも見えた。彼は、目の前にいる彼女には関心を払わずに、ひとつしかない照明によって生み出された、おぼろげな影を見つめていた。彼は、高町なのはに自分自身の話を聞かせるために、自らの過去に、自らの歩んだ歴史に、思いを馳せていた。

 

話を戻そう。哲学者プラトンは「正義とは、三つの概念から成り立っている」と主張していた。

 

一つ目は、知識、魂、身体を外敵から保護する勇気を保つ『意識』を持つこと。

 

二つ目はそれ以外の能力、才能が互いの役割を決して侵犯しない『関係』を保つこと。

 

そして、三つ目が、そんな調和の取れた形の中で自己の責務を果たす『状況』を維持することだ。

 

この3つの意識・関係・状況が成立するとき、それはすべてに等しい正義として適した存在となる。確かに理想的であり、合理的に考えた人間関係としてはあるべき形のひとつなのだと思える。だが、それが本当の正義と言えるだろうか?

 

他人に干渉せず、ただ自分の与えられた事だけをこなす世界が、本当の平和と言えるのか。

――そもそも本当の正義が、この世にあるのだろうか?

 

善悪にでも変われる、そんな曖昧な境界を漂う正義なんかじゃあない。誰もが共感できる、『たったひとつの正義』。

 

過去にアーチャーは、そのたったひとつの正義を追い求めていた。

 

正義とは何だ?何が善で、何が悪だ?

 

この疑問は、人が人である以上、古から問い続けられた疑問の一つだ。

 

何が正義かという議論に結論が出ない一つの理由は、人によって正義に求めるものが異なるからだ。善悪は言わば光と影。それぞれには、必ず影が潜んでいる。結局のところ、善と悪の境界線は確かにあるが、白か黒かで区別できるような、そんな簡単なものじゃない。

 

支配する者と支配される者。

 

自由を勝ち取るための果てない戦い。

 

解放への戦火。

 

強者と弱者と間に横たわる歴然とした壁。

 

そして光と影。

 

対極的に見えるようで実のところ限りなく等しく接する二つの道。

 

人はいつもその選択肢を迫られている。白か黒かじゃない、曖昧な濁った色の中が、自分たちがいる世界だった。正義にも成りえて、悪にもなる。そんな曖昧な定義がこの世界には幾らでもあるというのに、誰もが共感できる明確化された正義は無い。

 

高町なのはは、アーチャーの話を黙って聞いていた。いや、何も言わずに、ただ彼の言葉に耳を傾け続けていた。自らが求める「真実」を知りたいなら、黙って聞いていることが最も正しいのだと思っている。それは正しい判断だろう。

 

そして、彼は再び口を開こうと思った。世界は歪んだ正義感に溢れているのだと。遠い昔、彼はそう考えていた。

 

生きることを戦うことで勝ち取らなきゃならない、こんなクソッタレみたいな世界。

 

 

「それじゃあ、続きを話すとしようか」

 

 

分厚いガラスの向こうにいる彼女に、彼はにこやかに微笑んだ。

 

あのときの彼は信じていた。凍るように寒い空の中で。例え、自分が世界の手のひらの上で踊らされる『道化師』であったとしても。こんな世界にでも「本当の正義」が、あると言うことを、彼は信じていた―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

0075年――三月。機動六課、設立前。

 

 

「今年も、もう終わりましたね」

 

 

ふと、横で書類を纏めていた部下が私にそう言った。彼女は窓の外を眺めている。私自身も、巣立って行くこの訓練学校の生徒たちの背中を学長室の窓から見送っていた。

 

「新しい魔導師たちが、また巣立って行く。何回経験しても、肩の力が抜けないものね」

 

私がそう言ったら、部下である彼女も「そうですね」と相づちを打った。

 

三月の終わり。寒いミッドチルダの空を見上げたのは、訓練学校学長であるファーン・コラード三佐。

 

私がこの訓練学校に学長として就任してから、今期で六回目の卒業訓練生を見送ることになる。この道を選んでから、もう七年になると思うと、「あの日」のことも、遠く過ぎ去った過去のことだと思えてしまうような気がした。

 

「では、私は地上本部へ出向いてきますね」

 

纏めた書類を確認した部下が立ち上がる。纏めていた資料は、今期の卒業訓練生の情報。今期の卒業生は、首席で卒業したティアナ・ランスターやスバル・ナカジマを含め、優秀な新人魔導師たちが多い。地上本部の現場で働く魔導師たちも大いに喜んで迎えてくれることだろう。

 

「ええ、では頼みますね」

 

私の言葉に、部下は敬礼で返すと学長室を出ていった。学長室から外を眺める。寒い空を見るたびに、遠く過ぎ去った「あの日」の記憶が、鮮明に蘇ってくる。

 

「――雪、ですか」

 

静かだと思っていたら、ちらちらと雪が舞い降りてきていた。

あまりにも静かに雪が降るので、眼下にいる卒業生たちの喧騒も、どこか遠い場所から聞こえてくるように思えて、自分だけがどこか違う場所にいるような、そんな感覚を覚えた。

 

「私は、上手くやれているでしょうか?」

 

気がつくと、私はそんなことを呟いた。

 

「貴方が思い馳せた空を、私が教えた生徒たちは、立派に飛んでいるのでしょうか?」

 

「あの日」から、もう七年が経った。あのときから、管理局は目まぐるしく変わっていった。けど、私自身の世界は変わっていない。変わらない世界。私だけが歳を取っていっているように思えてしまう。「あの日」に別れた貴方の顔は、あの日のままで止まってしまっている。

 

けれど――「あの日」から私は。

 

「それでも、私は変えようと願いますよ。貴方が目指した理想の魔導師たちが集う、管理局に」

 

何度でも願い続けよう。友との絆を願い、この空に思いを馳せる、貴方のような――。

 

「――そうですよね、ライリーさん」

 

雪が降る、寒いミッドチルダの空を見上げ、私は、あの日の空を思い返す。気がつくと私の頬には暖かい涙が一つ流れ落ちていた。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

0075年――冬。ミッドチルダ北部、第四陸士訓練校。

 

 

その日は、例年に比べてやや寒いほどの気温だった。

 

自分の古巣である「訓練学校」の敷地内を歩きながら、私は雲で陰った空を見上げた。

 

今にも雪でも降ってきそうな空だ。

 

首筋が冷え、思わずマフラーに顔を埋めながら、訓練学校の正面玄関の扉を開けた。玄関から中に進んで行くと暖房の人工的な温もりが伝わってくる。

 

「J・S事件」終結から三ヶ月が経った今日、高町なのはは、管理局の仕事が非番であった。非番の時は、本当ならヴィヴィオと共に過ごすと決めてはいたのだが、今日は特別だった。

 

「八年前の事件」を知る人物が、この場に居るのだ。私はその人の話を聞くために、この場所に来ていた。羽織っていたコートとマフラーを外して、辿り着いた教員室の扉を二度ノックする。

 

「あら、高町さん。久しぶりね」

 

出てきたのは、自分が訓練学校に居た時から知り合った教導官だった。私も「お久しぶりです」と会釈をすると、差し入れに持ってきた「翠屋」のケーキを彼女へ差し出す。

 

「もう、そんな気を使わなくてもいいのに」

 

ケーキの箱を受け取りながら、彼女は嬉しそうな、困ったような、そんな曖昧な笑みを浮かべていた。久しぶりに会ったからか、三十路に入る彼女の表情が更に柔らかくなっているようにも見えた。教員室の奥からも、「久しぶり」と、昔から知る教導官から声を掛けられた。

 

「学長は部屋にいるわ、用事があるのでしょう?」

 

教員室に入りながら、案内をしてくれる彼女がそう言った。学長室は教員室の奥にある。机に挟まれた通路を歩きながら、「はい」と、私は空返事をした。

 

けど、この教員室に入ってから、頭の中では別の事を考えていた。私が学長に会いに来た理由。私が学長に聞きたいこと。その話を聞くために、私はどう切り出すかを、何度も頭の中でイメージする。

 

「学長、失礼します。高町さんが来られました」

 

コンコン、と木を叩く軽い音で、私はイメージを止めた。

 

背筋をしゃんと伸ばす。自分でも分かる、らしくないほどに緊張している。きっと今の私の口元は、への字の口に曲がったような強ばった表情をしているだろう。案内をしてくれた教導官が、学長室の扉を開く。「どうぞ」と会釈をしているのを見てから、私は「失礼します」と一礼してから学長室へと入った。

 

 

 

「そろそろ来ると、思っていましたよ」

 

 

 

部屋の中に入ると、その人は私の方を見ず、窓の外に映る冬の空を眺めながら私にそう言った。

 

後ろで静かに扉の閉まる音が聞こえた。賑やかな教員室とは違って、学長室は凄く静かだった。この部屋だけが、まるで別世界のように思えるくらい、静寂に満ちているように思えた。

 

昔と変わらない学長の背中を見るだけで、ピリッと電気が走るような感覚を覚える。おかげで、思考の中で何度も繰り返していたイメージがすべてどこかへ飛んで行ってしまった。

 

「まぁ、お掛けなさい」

 

そう言って、私に振り向く白髪の女性。

 

訓練学校学長である、ファーン・コラード三佐。

 

彼女は、私が訪れている訓練学校の学長であり、私とフェイトちゃんも、彼女に教鞭を振るってもらったことがある。まだ若い頃、フェイトちゃんと二人掛かりで彼女へ模擬戦を挑んだ。が、結果はこちらの惨敗だった。彼女はそれほどに凄まじい魔導師であることを今でも痛感する。私は、ファーンの言う通り、それぞれ対面するように設置されているソファに腰を降ろした。

 

「貴方とこうやってゆっくりお話をするのも、ずいぶん久しぶりのように思えますね」

 

部屋の角にある紅茶セット。ワンタッチ式の湯沸かしポットからは、すでに湯気が出ていて、ファーンはポットから紅茶を二杯分注いだ。

 

「先生も、お変わりないようですね」

「えぇ。訓練学校の学長になって、もう七年目ですから」

 

私の前にカップを置くと、ファーンも静かに向かい側のソファに座った。私やフェイトちゃんがまだ訓練学校にいた時、初めて彼女と対面した時から清楚さや落ち着きを彼女は持っていて、それはまるで「聖母」を思わせるような印象だった。そして今でも、その雰囲気は変わっていない。けれど参った、私はそこで言葉が詰まった。頭の中では何を聞きたいかなんてわかっているのに、口に出そうとも億劫になるばかりだ。

 

「あの、先生」

「ジェイル・スカリエッティが引き起こした『J・S事件』。貴方が解決に導いたんですね」

 

私が話そうとするのに被さって、ファーンが紅茶のカップを傾けながら私にそう言った。

 

「噂は聞いていましたが、貴方は想像する以上の働きをしますね。貴方が訓練学校に居たときは、まだどこか手探りで落ち着きがない顔をしていましたが、今はあの日とは比べ物にならないくらい穏やかな顔をしていますよ?」

 

ファーンの言葉に、私は素直に驚いた反面、どこか嬉しいような、そんな感覚が私の中にじんわりと広がった。だけど、それとは反対に、彼女の瞳はどこか哀しみを孕んでいるように思えた。

 

「対魔導師戦術。ガジェットドローンの〝AMF〟。それに対抗するための新たな戦術、そして新たなデバイス」

 

ファーンが呟いた言葉が、すべて『J・S事件』に結びつく内容だった。フェイトちゃんも魔力結合を一時的に弱めるジャマーフィールド、通称〝AMF〟の対処法について、この訓練学校に訪れたらしい。

 

「ミッドチルダ地上本部の目覚ましい防御能力と統率性の発展は、『八年前の事件』がきっかけでもありました」

 

カップへと伏せていたファーンの視線が、私の眼を捉えた。『八年前の事件』という言葉で、胸が高鳴った。何も言えない私に、彼女は優しげな笑みを向ける。

 

「リンディさんから聞いたんです。貴方が、八年前の事件を調べていることを」

 

宙にかざした指先に、光学モニターが機械的な音と共に現れる。ファーンの指先が、モニターを何度かスクロールをすると、こちらに向ける。モニターにはメールの文章と『八年前の事件』に関する資料が添付されていた。差出人は「リンディ・ハラオウン」となっていた。

 

「そして、私のもとへやってくることも、わかっていました」

 

ファーンが資料を開く。そこには、若きファーンと共に映る、ライリーの写真がある。私にも見憶えがある写真だ。いや、これを頼りに、私はこの人を尋ねに来たのだ。

 

見つけたのは偶然だったが、私が彼女と『八年前の事件』の関係それに気付くきっかけになった写真。

 

「…教えて欲しいんです。八年前に、一体なにがあったのかを」

 

モニター越しに、私は彼女にまっすぐと、そう伝えた。

ファーンは「そうね」と静かに呟くと、何かを思い更けるように、瞳を伏せる。

 

「その前に、ひとつだけ聞きたいことがあります」

 

彼女は、私にそう言う。それは昔、同じように彼女から問われた質問の時と、同じ瞳をしていた。

 

「なのはさん、貴方は〝本当の強さの意味〟を、見い出すことはできましたか?」

 

本当の強さの意味。ファーンからの、その問いに私は迷うことなく頷いた。

 

本当の強さの意味を、私は私なりに見つけていたのだから。不思議と迷いはなかった。彼女は満足そうに頷くと、そのまま窓から外を眺めていた。

 

「これは、私が本当の強さの意味を知った時の話です。あの日も、今日のような天気で。けれど凍てつくような風が吹いていました」

 

 

 

――NEXT



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6.残心



――――0067年。十二月十一日。

当時の管理局が催した大規模な合同演習。

その演習空域に突如として現れ、襲撃してきた謎の武装組織《ヘイズレグ》。

ヘイズレグと時空管理局との間で勃発した空域内での航空戦は、圧倒的とも言える物量差で管理局側の勝利に終わった。

そして残存するヘイズレグの一味を拿捕し、事態は沈黙したという形で終結した。いや、終結したと思われた。管理局史上初となった管理局が統治する区域にて発生したテロ事件。管理局側も無傷というわけでもなく、対応に手慣れない各航空小隊、部隊に多大なる被害を払うことになった。

その結果、各時空世界を管理、統括する巨大なる司法組織、時空管理局の指令系統は、一時的とは言え麻痺する事態に陥っていた。

〝一時的な情報、指令系統の麻痺〟

その状況こそが、敵にとっての本当の狙いだと、その時の管理局にいる誰もが知るよしもなかった。






 

時空管理局、航空訓練世界。

 

演習空域でのヘイズレグ掃討作戦から帰還したライリー・ボーンは、宿舎に戻らずに、夜の闇に包まれた、この航空訓練場へと独りで訪れていた。

 

実戦さながらの模擬訓練を行うために、この訓練世界には廃墟となった街を模した等身大のオブジェクトが広がっている。

 

ビル郡に住宅地、そして工場区域。

 

規模は小さいとは言え、それはもうひとつの街と呼べるほどの精巧さだった。

 

運営費もバカにならないと聞くが、これほどの精巧さを目の当たりにすると、上層部の愚痴も頷けれた。

 

そんな仮初めの街を一望できる、オブジェクトの中でも一番高いビルの屋上にライリーはいた。格好は任務から帰ったまま、バリアジャケットのままだ。屋上の塀の辺りに腰をかけて、足を宙に投げ出していて、腰下まである特務隊仕様のバリアジャケットがバタバタと風に揺れている。

 

つい先日まで、この訓練場でライリーを含むサイファー隊が、合同演習に向けてバカみたいに同じことを何度も何度も確認しながら、訓練に明け暮れていた。飛行フォーメーション。射撃手順。遊泳飛行のパフォーマンス。そのすべての訓練が、それに費やした日々が、今でもライリーの脳裏に焼き付いて離れない。

 

「隊長」

 

飛行フォーメーションを勝手に見出すアーチャーを飽きるくらい、いつも叱咤していたグラハム隊長。

 

「先輩」

 

その様子をいつも可笑しそうに、また呆れたように見ていたサイファー隊の先輩たち。

 

「アーチャー…」

 

そして、いつも笑って返していた人物。

 

自分の親友と言える存在であり、相棒であったアーチャー。そんな思い出が、自分の背中にべったりとくっついていて離れることもない。静けさが支配するこの場所から、今でもあの頃の皆の声が、ライリーの耳へ届いてくるような気がした。

 

「…ここに居たんですね」

「――誰だ!?」

 

ふいに、背後から声を掛けられて、ライリーは咄嗟に待機状態にしていたティルフィングを起動させて、二つ叉を模した切っ先を振り向き様に背後へと構えた。

 

が、その異常とも言える行動に、声を掛けてきた人物は驚くわけでもなく、向けられたティルフィングの銃口を真正面から見据えていた。

 

「アンタは…」

 

その余裕すら伺える態度に、ライリーは警戒心を解いて声を掛けてきた人物を見た。

 

「ファーン・コラード一等空尉です。ライリー・ボーンさん」

 

「覚えてませんか?」と、そう言った彼女は、優しげな笑顔を魅せていた。まるで『自分は敵ではない』と、悠然と手を広げながら。

 

 

〝戦技教導隊第一航空中隊のファーン・コラード一等空尉です〟。

 

 

あの日、重症の少女を抱えていた女性魔導師だと、ライリーは思い出した。

 

「あぁ…昨日の」

 

ライリーはそれだけ言うと、戦闘状態にしたティルフィングを待機状態へ戻した。

ティルフィングを握っていた右手がまだ熱を帯びているのが分かる。一度灯った憎しみの炎は、そう簡単に消えない。今までの戦争や、争い事がその事実を証明しているというのに、

そんなことを、ライリーは今さらになって自覚した。

 

〝俺のヘイズレグに対する憎しみは、全く消えていない〟のだと。

 

「隣に、座ってもいいですか?」

 

落ち着いた声でそう聞くファーンに、ライリーは気にしないような素振りで闇に包まれた訓練場へと視線を落とした。それが肯定なのか否定なのか、ファーンにはよくわからなかったが、時間を持て余したのでライリーから少しだけ離れた場所へ腰を下ろす。ビルとビルの間から吹き上げてくる風の音。静寂が二人の間に横たわっていた。

 

「貴方を探すのに、色々な人に話を聞いてきました」

 

数分ほど静寂が続いてから、いきなりファーンがそう切り出して言う。

 

「そうかい、なんでわざわざ…俺を探しに来たんだ」

 

階級が上と理解しながら、遠慮なしにライリーは不機嫌そうな声でファーンに返した。ただ単純に、今は誰とも話す気になれなかったからだ。

 

「貴方のことが心配だったからです」

 

その不機嫌な声を気にすることなく、ファーンは率直に自分がここにいる理由をライリーに告げた。面を喰らったライリーは驚いたような表情をした。が、すぐに表情が陰った。

 

「――無理して、気にかけなくてもいい」

「貴方の方こそ、無理をしているんじゃありませんか?」

「俺は無理なんてしていない」

 

淡々とそう機械のように言うライリーの横顔には、まるで生気がないように思えた。

 

「嘘はもう少し上手く付くものですよ、ライリーさん」

 

その言葉だけで、彼の肩が震えている姿を、ファーンははっきりと見えた。

 

早朝、「ヘイズレグ掃討作戦」へ向かう直前の彼の表情は、恐怖を覚えるくらいの憎しみが籠った表情だった。ファーン自身、管理局に身を置くようになってから、もう随分経っていた。任務でも何度か危険な任には就いた。だが、昨日のライリーの表情のような、あれほどまでに憎悪を孕んだ瞳は、久しく見たことがなかった。

 

 

ファーン・コラードは、ベテランと呼ばれる魔導師だった。

 

 

彼女が魔導師となったのは、「魔法犯罪から市民の平和と自由を守るため」。このミッドチルダに生まれ、この世界で育ち、この世界で管理局の魔導師となった。故に彼女は、自他共にも、規律には毅然とし、厳しい意識を持っていた。それほどのベテランだった。彼女が時空管理局の上層部に居ても不思議ではない程に。が、彼女は現場にいることにこだわった。上層部に行けば、彼女の理念を貫くことができなくなるからだ。

 

「魔法犯罪から市民の平和と自由を守るため」。

 

しかし、その心情は呆気ないほどに脆く崩れ去ってしまった。

 

目の前に赤い光点と一緒に堕ちてきた人の腕。非殺傷設定が適用されている管理局内では、『人が人を殺す』ことによる殉職例は少ない。眼を閉じただけで鮮明に思い出せる衝撃的な出来事だった。

 

直後に、獣のような叫びと共に、ヘリのランプドアから飛び出ていくライリーを、ファーンはただ見送ることしかできなかった。

 

結果、彼の所属する部隊は全滅した。

 

それを聞いたのは、シャワールームで制服を着替えている時だった。情けない。気が付けば、ファーンは心の中で自分を罵っていた。

 

魔導師としては、彼女は既に完成していた。「弱きを守る力」というものを獲得していた。けれど、その力を手に入れても、自分の願いや信念に対しての欲求が満たされることはなかった。寧ろ虚しさを感じることもあった。一人が「10の力」を持っていても、他の人が「1の力」しかなければその均衡には綻びが出る。力があっても、ファーンは「弱きを守る」その信念が貫けなかった。

 

今回の出来事は、ファーンにその歯痒さを痛感させる出来事でもあった。彼よりも現場を、戦いを、何より「空」を知っている筈の自分が、何もできなかった。彼と相対するファーンには、ライリーが何故、そこまで憎しみを抱いているのか、その理由を知ってしまっていた。

 

だから、激情に任せて行動した彼を、咎めることができない。彼の手助けになれなかった自分が、彼を責める権利も立場も無いのだと思えた。

 

「ライリーさん」

 

ファーンは思考を切り替えると、改まってライリーに問う。

 

「貴方はなんで、管理局の魔導師になろうと思ったんですか?」

 

その問いかけをした時、ライリーは少し驚いたような顔をするが、すぐさま怪訝そうに目を細めながらファーンを見た。

 

「なんで、アンタはそんなことを聞くんだよ?」

「私は、この世界の市民の平和を守るために管理局の魔導師になりました。貴方にも管理局の魔導師になるきっかけがあったのかと思いまして」

 

生真面目に答えるファーンに、ライリーは雑に頭を掻きながら「俺が管理局の魔導師になった理由、か」と小さく呟いた。

 

「――俺の親父は管理局の空戦魔導師だった」

 

しばらく考えるような素振りを見せたあと、ライリーはポツリポツリと語るように話始めた。その視線は、ファーンではなく、眼下に広がる航空訓練場を見下ろしながら。

 

「それも度が過ぎる程の空好きで、家族のことも省みないで年がら年中、任務で空を飛んでた。まさに空バカな父親だったよ」

 

その時のことを思い出してか、ライリーは小さく笑う。『好きなものほど上手くあれ』とは昔から良く言ったものだが、父親とは言え、あそこまでのめり込むバカはそうそう居ない、とそんなことを思いながら。

 

「でも、俺はそんな父親が大好きだったんだよ」

 

バカみたいに空が好きで、飽きるくらい空がどんなにキレイで魅力的なのかを、幼いライリーにどれだけ語ったか。そんな父の話を、幼いライリーはキラキラした眼差しで聞いていた。父が話す全てのことがユーモラスで、新鮮だった。今でも、しっかりと覚えている。

 

「命張っても、怪我しても、空を飛ぶことを止めない、嬉しそうに飛ぶそんな親父が――――憧れだった」

 

その父親の表情が、とても満足そうで、満ち足りていて。いつの間にか、それが自分の憧れになって、追いかけるものとなっていた。

 

「だから、管理局の魔導師に?」

 

ファーンの問いに「単純だろう?」とライリーは自分の事ながら呆れたように笑って返した。そのくすみのかかった笑みに、ファーンは違和感を覚えた。

 

「そのお父様は?」

 

その違和感に従うまま、問いかけられたファーンからの言葉に、ライリーの表情が一瞬だけ固くなった。風が二人の間を横切るように強く吹く。

 

「俺が管理局の魔導師試験に挑んだ日に、異世界の危険遺失物回収任務で死んだよ」

 

少しの間を開けて、ライリーはそうファーンに告げた。

 

「しまった」とファーンは嫌に自分が感じた違和感が当たってしまったことを内心で後悔した。謝るべきかとも考えたが、彼の父は魔導士。任務中に死に直面することも、今の彼はわかっているはずだだと思った。

 

「――それは、辛かったでしょうね」

 

ファーン自身、任務中に同僚の死に直面したことがあった。原生生物に襲われてのことだ。その度に言葉では言い表せない罪悪感と後悔を思い知っている。大切な人を失うその辛さが、ファーンは理解できるつもりだった。そんなファーンを見て、ライリーは呆れたように笑う。

 

「ああ、辛かった。なにもかも投げ出してしまいたくなるほど」

 

けど、とライリーは訓練場を見渡しながら言葉を繋げる。

 

「もうひとつあるんだよ、俺が管理局の魔導師になった理由」

 

詫びるファーンの言葉を遮るようにライリーは呟く。その言葉で、ファーンの言葉も止んだ。

 

 

****

 

 

六年前。

 

ライリーは魔導師の試験に見事合格した。だが、それを喜んでくれる人はいない。母親は、物事が付く前に父親に愛想を尽かせて家を出ていっている。ライリーの家族と言えたのは、父親だけだった。

 

試験後に昔から知っていた父の同僚に呼ばれ、父親の最期を聞いた。聞いたはずだったが、父親が死んだことが漠然とし過ぎて、話の内容なんて全く入ってこなかった。

 

それからの日々は、地獄のような日々だった。

 

仕事柄、家をよく空ける父親だったから、一人で過ごすのは馴れている。

 

けれど、自分以外がこの部屋を開けることがないのだと思うと、静寂の部屋の空気が凍るように冷たい。そう思えた。合格通知が来ても、候補生としての訓練が始まっても、やる気なんて出なかった。

 

心が完全に塞ぎ込んでしまっていたのが、自分でもわかるくらいだ。誉めてくれる人なんていない。そう考えるだけで、魔導師になったことや、訓練に励む理由すら霞んでしまう。その時のライリーは、本当に何もかもを諦めたような瞳をしていた。

 

 

そんなときだった。

 

 

「おい」

 

訓練が昼に差し掛かり、一人で休息をとっているときに、伏せていた眼下に仁王立ちの影が写った。食べていた巻き寿司を置いて、ライリーは影の方へ顔を上げた。そこには、不機嫌そうな表情をする褐色肌の男が立っていた。

 

その瞳は、冷たさに覆われたライリーの瞳とは対照的に、燃え上がる炎のような、まるで生きることを渇望しているような、そんな情熱的な眼差しをしていた。

 

「確か、お前だったよな?全判定Aランクで通過したっていう候補生」

 

つり上がった瞳は、褐色肌と同じような、はっきりとした茶色で。ライリーはその眼光に魅せられながら「あぁ」と頷いた。

 

「ちょうどよかった。俺も溢れてな、バディを組む相手がいなかったところだ。判定ギリギリで通ってきたような奴と組んでも意味がないからな。俺は強くなりたいんだ」

 

訓練生は二人一組で行動を取るのだが、当時のライリーには固定のバディがまだ居なかった。仁王立ちでいる彼も同じだったのだろう。強くなりたい。そんな強い意思を孕んだ眼をしていたことは、はっきりと覚えている。組んでいた腕をほどいて、彼は自分の方へ手を差し伸べてきた。

 

「お前なら、申し分ない。俺と組まないか?」

 

他に宛がなかったライリーも手を握り返した。今思えば、それが、運命だったかもしれない。どこか含みのある笑みを浮かべながら、握った手を掲げながら、彼はこう言った。

 

「アーチャー・オーズマン二等空士だ。よろしく頼むぜ、〝相棒〟」

 

 

****

 

 

その日から、アーチャーは事あるごとにライリーに関わってきた。訓練学校でも、プライベートでも。最初は煩わしいと思っていた。無神経なまでに踏み込んでくるところとか、何がしたいのかわからないが、何かを必死に求めているところが、煩わしかった。

 

「ライリー、勝負しろ!」

 

訓練学校での模擬戦でも、ライリーは必ずと言っていいほど、アーチャーの相手をさせられた。まだ戦闘慣れしていない他の訓練生とは違って、アーチャーの戦闘センスは別格だった。

 

反対に、ライリーは相手の動きが〝なんとなくわかってしまっていた〟。先見の才とでも言うべきか。自分でもよく分からないが、相手の先の動きがリアルタイムで予測できてしまう。アーチャーの相手も、教官の相手も、動きを読めれば、なんということもなかった。これも一つのセンスと言われたらしいが、そのせいでアーチャーの相手をさせられるのは、正直釈然としなかった。

 

 

****

 

 

「てめぇ、わざと手を抜いただろ」

 

ある日の訓練、ライリーはついにめんどくさくなって、わざとアーチャーに負けた。

 

ただ、めんどくさかったから。これで相手も呆れて、離れてくれれば何の文句もなかった。わざとらしくアーチャーを無視した。離れてくれ。俺は一人で居たいんだ。ただ、単純なまでに、当時のライリーは、そんなことしか考えれなかった。

 

ライリーに暫く無視されていたアーチャーは、何かを考えるような仕草をするなり、「ははーん」と小バカにするような笑みを俺に向けた。

 

「――さては俺に勝てないから諦めたって訳か」

 

人をバカにしたような、飄々とした声。ニヒルな笑み。周りの訓練生にも聞こえるような、いや、聞こえやすいように、アーチャーは、はっきりとライリーに向かってそう言った。

 

「なんだ、俺のバディは結局のところ、俺の足手まといってことか」

 

今考えれば、なんて古典的な挑発だったんだろう。「足手まとい」、「役立たず」、「臆病者」、そんな挑発文句を浴びながら、普段は冷静なライリーの中に沸々と黒い何かが沸き上がってきていた。

 

父親が死んだ。

 

誉めて欲しかったのに。

 

その人はもう居ない。

 

管理局の父に対する反応。

 

殉職した父の遺体の無い棺の前で「名誉の死だった」と、幼いライリーにそう言ってお終いだった。父の死が、そんな単純に片付けられた。今更になってそれをどうこう言うつもりはなかったが、その押さえ込んでいた気持ちが、蘇ってくる。

 

 

 

「お前の親父も空戦魔導師だったみたいだが、お前がそんなんじゃ、親父の実力も知れるな」

 

 

アーチャーのその言葉で、ライリーの中の何かが、プツンと小さく音を鳴らして、切れた。

 

「それ以上喋るなクソ野郎!」

 

訓練生全員が見てる中、ライリーはアーチャーの胸ぐらを掴み上げ、その顔目掛けて拳を振り抜く。頬に一撃を喰らったアーチャーは、ニヤリと口元をつり上げると。

 

「悔しかったら本気でかかってこいよ!こんの臆病者が!」

 

掴みかかるライリーの胸ぐらを掴み返して、同じように顔へ拳を叩き込んだ。頬から全身へ激痛が走る。

 

「ぐっ!お前が、俺の何を知ってるって言うんだ!」

 

ライリーは殴り返す。アーチャーはよろめくが、倒れなかった。

 

「っ…あぁ!知らねぇな! 話すことさら怖がってる臆病野郎の事なんて知らねぇ!」

 

殴って体勢が崩れたライリーへ、上から振り下ろされるアーチャーの拳。飛びそうになる意識。―――なんてらしくないくらいに事をしているんだろうか。そんなことが頭を過ったが、そんな理性は、今更何の役にも立たない。

 

「お前に!お前なんかに!」

 

アーチャーの胸ぐらを掴み、睨み付ける。アーチャーも睨み返していた。答えるように、アーチャーがライリーを殴る。

 

「お前なんかに!俺のなにが!」

 

アーチャーを殴る。

 

「あぁ!」

 

アーチャーがライリーを殴る。

 

「なんで!俺は! 俺はぁッ!」

 

アーチャーを殴る。

 

「あああああああ!!」

 

殴る。殴られる。殴る。殴られる。そこから先の記憶は曖昧だった。

 

 

 

 

 

 

 

気がついたら、数人の教官に押さえつけられていた。アーチャーも同じようだった。

そのまま教官室まで連れていかれ、二人揃って浴びるほどの説教とウンザリするほどの反省文を書かされた。解放されたのは、日が暮れて暫く経ってからだった。

 

 

****

 

 

「は――、ライリー。やっぱりお前、強いな」

 

教官室から出て、絆創膏や湿布だらけになった痛々しい顔で、アーチャーにくつくつと笑っていた。笑った時に頬が動いたのが辛いのか、イタタと言って顔を押さえる。けど、その表情はどこか満足そうだった。

 

「悪かったな、悪態言って」

 

少しの沈黙のあと、アーチャーは俺の方を見ずにそう言った。

 

「いや…俺も冷静じゃなかったよ。ごめん」

 

ライリーもアーチャーと同じく、視線を交わさずに謝った。謝ってから気づく。こんなに人に素直に言葉を掛けたのは久しぶりだった。

 

「構うもんか、お前が殴ったよりも、俺の殴った回数の方が多い。だから謝らんでいい!」

 

何故か、その言葉が癪に触る。

 

「いや、俺の方が多いね。それも二発だ」

 

そこからアーチャーと泥かけ試合が始まる。お互いに「自分の方が多く殴った」と言い合いながら。まるで子供の張り合いのようにも思えた。

 

「貴様ら!まだ懲りてないのか!いい加減にしろ!」

「すいません!」

 

最終的に、教官室から出てきた鬼教官に拳骨を喰らわされ、言い合いは強制的に終了した。

 

「全く、近頃の若い奴等は」とブツブツ文句を言いながら去って行く教官の姿が見えなくなって、急に笑いが込み上げてきた。あまりにもくだらなくて。けど、あまりにも素直になれた自分もいたから。

 

「こうでもしないと、お前喋んないだろ?」

 

ひとしきり笑い終えたあと、アーチャーはそう言った。

 

宿舎へ帰る道中、アーチャーは自身のことを話してくれた。理由は言ってくれなかったが、アーチャー自身も、故郷を失って孤独になった身。だから、父親を亡くした俺に、どこか自分の面影を重ねていたのかもしれない、と。驚いた。そこまで考えてくれているとは思ってもみなかった。

 

「やっぱりお前となら、俺は強くなれる」

 

確信めいたように、アーチャーはそう言う。どこか、胸の奥の方にジワリと暖かいものが広がって行く。

 

「あぁ、強くなれるよ。俺とお前なら」

 

柄にもないことを言うもんだ。だけど、それは本心から思うことだった。それは誰にも覆せない、確かなものだった。

 

 

****

 

 

「なぁ、ライリー」

 

宿舎へ着いてから、アーチャーはまたニヒルな笑みを浮かべていた。

 

「仕切り直しだ。これからは勝った方が何か奢るってのはどうだ?」

 

人差し指をピンと出して、アーチャーはそう言う。その提案には賛成だ。

 

「あぁ、なら毎日奢りだな。食費が浮くから助かるよ」

「おおん?言ったな?なら次から手加減は無しだ」

「言ってろ」

 

そう言い合いながら、ライリーとアーチャーは宿舎へ入る。中で喧嘩騒動について聞き回されるとは知らなかったが。

 

その日から、ライリーとアーチャーの「本当のバディ」が始まった。

 

 

****

 

 

「――俺は〝仲間を守りたい〟から」

 

ファーンへ振り向きながら、ライリーはそう言った。どこか照れ臭そうに。だが、その瞳には半端な色はなく、紛れもなく本心であり、切実さを感じられるものだった。

 

「空を飛んで、落っこちないように誰かに支えられるように。誰かに支えて貰いながら、それでも俺は空を飛びたい」

 

父親はなんでもかんでも一人で背負う人物だった。家族のことも、仲間も、友人も。背負いすぎて、重くなった翼は飛ぶ力を無くして、ついには堕ちていってしまった。

 

自分の父親の出来事を知った同僚たちが「その死を受け止めて、どう乗り越えたか」と聞いてくるが、正直に言ってしまうと、今でも父の死は乗り越えれていない。

 

それでも、前に進めたのはアーチャーや仲間のおかげだった。自分が信じていた翼が折れても、隣で支えてくれる仲間がいてくれる。ライリーにとって、その隣を歩んでくれるかけがえの無い仲間を――失わないために。

 

「だから、俺は仲間を守りたかったんだ。誰も遠くに行かないように」

 

そう、父親が死んで塞ぎ込んでいた自分に、アーチャーという本当のバディが出来た。

父の遺体の無い墓標を前にして、ライリーは心に決めた。自分の大切な人を守れるようになる、と。だが、現実とはあまりにも過酷で、どんなことよりも正直だった。

 

「そう思ってても、結局は一人になっちまったんだがな…ははは。わけないな、こりゃあ」

「…ライリーさん」

 

諦めたように笑うライリーを見て、そうファーンが声を掛けたときだった。深夜だと言うのに、管理局中にスクランブル警報が鳴り響いたのは。

 

 

 

****

 

 

0067年、十二月十一日。

 

『ヘイズレグ襲撃』に翻弄された管理局は、一時の静けさを取り戻していた。

 

最前線では未だにヘイズレグの残党勢力の哨戒が続いていたが、ミッドチルダ地上本部襲撃、という最悪の結果は免れた。

 

灯りが未だに灯る時空管理局、ミッドチルダ地上本部。

 

部下6名を引き連れた〝管理局魔導師〟は、にこやかに全員に微笑えんだ。だが、その眼は笑っていない。

 

彼らが物陰に潜みながら見つめる場所は過去に回収された遺失物《ロストロギア》を保管するために設けられた区域だ。そのエリアには、その局員も何度か入ったことがあった。

 

《ロストロギア》を管理するだけあって警備やセキュリティシステムも他の施設と比べると群を抜いて厳しい。だが、今の彼の瞳に写る《ソレ》は、単なる占拠すべき標的にしか過ぎない。

 

今、ミッドチルダの季節は冬。前撒きをしておいたタネも、手段も万全だった。すべてが好都合と言ったところだろう。

 

「探知システムは切ったか?」

「抜かりないよ。探知システム、魔力抑制シールドの電源は昼間に落としておいたから」

 

すぐ後ろにいる部下が淡々と応える。

 

彼女の名はウーティ・リリィ。

 

男の部下である彼女も、まだ制服姿のままだが、前髪の間で光るその瞳は、すでに最中のような鋭い眼光だ。部下の答えに満足そうに頷く。

 

「けど、よく警備室に入れたな」

「えぇ、予想以上に管理局の奴ら慌ててからね。入るには難はなかったよ」

 

何気ない疑問に、彼女は答えながら見せるニヤリ、と笑みで返す。それに答えるように自分も薄く笑う。準備していた小型の通信端末を部下へそれぞれ分け与える。

 

「じゃあ制圧班は予定通りに」

 

保管区域の監視システムは熟知している。

 

失敗は許されない。

 

もう一度、目標を見る。辺りはすでに夜の闇に包まれ、宿舎も中にいる局員が使用する電気の光以外、闇に紛れてそこに構えられている。正面入口の見張りも交代制で一人しかいない。

 

「さぁ、ようやくだ」

 

褐色と同じ、茶色の眼を光らせながら。

 

――覚悟しろ。

 

そう心の中で呟いて。

 

「全員、行動開始。」

 

静かな声が始まりを告げた。

 

未だに管理局は、史上初となるテロ事件からの熱が冷めていない。

 

 

****

 

 

ミッドチルダ地上本部に設けられた遺失物保管区域の周辺警備セクター。

 

そこには常駐の警備魔導師が交代で警備に務めており、保管区域の各セクションの監視や、区域内に保管している危険遺失物の管理システムも、この警備セクターにすべて設けられていた。

 

十二月、ミッドチルダの冬はまだまだ続くとは言え、今日は一段と冷え込んでいる。区域内へ続く唯一の門前で警備を担当する管理局員は「ついてないな」と、寒空にむかって愚痴を吐きながら震える体を手で擦っていた。

 

そろそろ交代がくるころだと思えば、と内心ぼやきながら、かじかむ指先に息を吹き掛けて温めていると、「おおーい」、と前から管理局制服を来た一人の男性が歩いてきたのを、局員は気付いた。

 

「オーズマン二尉…?」

 

局員は首をかしげた。

 

アーチャー・オーズマン、彼とは何度か、この区域に任務で訪れた時や昼食時に顔を合わせている。

 

間違えるわけがない。目の前に現れたのは、紛れもなくアーチャー・オーズマン二等空尉だ。

 

だが、彼は行方不明になったはずなんじゃ――? そんな疑問を抱きつつ、局員はセクターに待機する他の局員へと通信回線を開く。

 

「…セクターへ。門前方から一名、こちらに向かってくる。俺の見間違いじゃなかったら、アーチャー・オーズマン二等空尉だ。シリアルナンバーの確認できるか?」

 

局員の通信に、セクター内にいる局員から「調べてみる」と通信が返ってくる。

 

局員の身に付ける管理局のバッチにはICチップが内蔵されている。それからそれぞれが所持するシリアルナンバーを調べることができ、局内での「個人」の特定ができる。だが、このシステムは管理局では軽視され気味だ。

 

元々、このシステムは局内へ不審人物を忍び込ませないように開発されたものだが、この地上本部へ侵入しようとする敵は、今まで聞いたことがないからだ。仮に居たとしても、その存在事態が眉唾物だと言えた。

 

「ナンバーを確認。ばっちりだ、オーズマン二尉に間違いない」

 

セクターからの報告に「わかった…!」と局員は答え、門前へと歩いてきたアーチャーへと駆け寄った。

 

「オーズマン二尉! なぜここに! 行方不明になったんじゃ…?」

「バーカ、俺がそう簡単にやられるわけないだろう? まぁデバイスぶっ壊れて海に落ちるわ、泳いでなんとかここまでたどり着いた訳なんだが」

 

この区域は、管理しているロストロギアに有事が発生した際に海水を流し込み、外部に設置された凍結魔法で封印できるような作りになっている。笑いながらアーチャーは言うが、その制服は全身ずぶ濡れで、寒さで微かに手が震えていた。

 

「いや、まぁここ湾岸近くに墜落したのが不幸中の幸いだったわ、アレだ。寒中水泳ってやつ?」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう? とにかく医療班に連絡をするんで、セクターまで着いてきてください。風邪を引く前に」

 

医務室はこの保管区域からは程遠い。おまけに、この区域内ではセクター外の場所では、念話も通信手段も規制されており、連絡するにも一度セクターへと戻らなければならなかった。

 

警備を担当する局員が事務所に向かって急ぎめに歩き出そうとした。

 

 

――――と、その背中に。

 

 

「――…!」

 

背中にゴツリと堅い感触が突き付けられる。

それは、明らかに銃口のそれだった。肩越しに局員が振り向くと先ほどまで飄々としていたアーチャーが笑った。けれど、眼は笑っていなかった。

 

「敵に背を向けるな、対魔導師戦では基本中の基本だぜ?」

 

いつもと変わらない口調。だが、押し当ててくる銃口の重みだけで、アーチャーの本気さを知るには十分だった。

 

「頭は押さえた。セクター占拠後、区域内の警報器の電源は全て落とせ。管理局にそこまで危機意識なんてないさ」

 

通信端末で会話しながら、彼の銃口を突き付ける手の力は変わらない。

 

《騒いだら撃つ》。アーチャーがそう言わずとも、局員には理解できた。背中に突きつけたベリルショット。この距離なら非殺傷設定でも気絶は確実だ。

 

「通信は出来ないだろうが、大声でも出されたら厄介だからな。黙っていて貰おうか」

 

その効果は充分発揮され、局員が沈黙させられてる間にアーチャーは通信で、別エリアから侵入した別の仲間を誘導し始めた。

 

「無駄だ。セクターにはこの区域内すべてを写す監視モニターがある。どこから侵入しようと――――」

 

局員は、アーチャーを見た。

 

その眼を見て、局員は喋ることを止めてしまう。アーチャーの眼には全くと言っていいほど、熱が無かった。代わりに、背筋が凍ってしまいそうになるほど、冷たい何かを孕んでいるように思えた。

 

「エリア内の全ての監視モニターには細工をしてある。今流れている映像は昨日の〝この時間〟の映像だ」

 

局員の僅かな抵抗心を、アーチャーは容赦なく摘み取った。この区域内へ「管理局員」として近付くのは容易だった。

 

清掃、視察、あらゆる建前を用いれば、前もってモニターに細工するなど、造作もなかった。計画的な作戦だった。

 

ただ単純に、局員たちがそれに気付くのが遅すぎたのだ。

 

だとすれば、こちら側の手の内はすべて読まれている。アーチャーに拘束され、抵抗できない局員は、あっけなくセクターが占拠される様を見ていることしかできなかった。

 

「オーズマン二尉!本気なんですか!?」

 

動けはしないが、局員は力いっぱいの声で背中で銃を突きつけるアーチャーに叫んだ。

 

特殊合金性の銃口が更に押し付けられる。だが、局員は気絶させられる事を覚悟の上で叫び続けた。いつも気さくに喋っていた彼が――アーチャー・オーズマンが、なぜこのような蛮行を起こしたのか、理解できなかったからだ。

 

「こんなことをしてただで済むと――」

 

アーチャーは肩をすくめた。

呆れたようにため息を吐く呼気が、局員にはっきりと聞こえた。

 

「遺失物管理セクターに異常があれば、本部から機動隊へダイレクトに召集がかかり、即座に現場へ急行する。俺たちサイファー隊でも、この区域に到着するまで、七分掛かったが、セクターを占拠するのに、俺たちは五分も掛からなかったな」

 

別段変わり無い抑揚さを孕むアーチャーの言葉に局員は言葉を失った。

 

――彼は誰だ?

 

管理局でも精鋭と呼ばれる部隊に所属している空戦魔導師か?

 

魔導師になった者は誰でも憧れを抱く「エース」と呼ばれる存在だったか?

 

だが、今の彼には、そんな栄光に満ちた光は感じられなかった。

 

あるのは闇。

 

温く、べったりと血のように張り付く寒気だけだった。

 

「管理局はこの程度の事すら想定できなかった。内部から食い破られることも考えなかった。油断だよ。これが、お前達の怠慢なんだよ」

 

「それにな」、とアーチャーは愛機であるデバイス《ベリルショット》のブレードを、硬直した局員の首もとに沿わせながら、自嘲に似た笑みを浮かべながら語る。

 

「この時を待ち望んだ俺たちに、今更平穏な道なんてありはしないんだ」

 

――そんな! 喉まででかかった言葉は、喉をズッパリと斬られた反動で出なかった。

 

 

え?斬られ…た?

 

 

赤い鮮血が、局員の首もとから噴水のように吹き出す。

 

「ごぉ…ぶぇ…」

 

言葉に表すことができない呻き声と共に、局員はアーチャーの目の前で崩れた。何が起こったかわからないような顔をしながら、膝から崩れ落ちた局員は、声にならないどどもったうめき声を上げ、やがて動かなくなった。

 

「――『非殺傷システム』なんてナマなもんに頼るから、そうなるんだよ」

 

血の海に沈むかつての同僚にそう言い残して、アーチャーは返り血を浴びた管理局制服の上着を脱ぎ捨てた。

 

「手筈通りだ、いいな?まずはこのブロックを閉鎖しろ、時間稼ぎにはなる」

 

アーチャーを含めた襲撃隊が、彼の指示に従って無防備になった保管区域の正面入口から次々と侵入していく。セクター内は既に血の海だった。生きているものはいない。

 

全員殺せと命じたのはアーチャー本人だ。

 

「ウーティはこの場で待機、悟られるな?」

 

セクターを制圧したウーティへ、アーチャーは堅い笑みを送った。だが、その眼は笑っていない。油断もしていなかった。

 

「出来る限り時間を稼げ」

 

区域内はそれぞれの保管エリアがブロック別けられている。しかも、遺失物の保管量はまさに山のようにあった。下調べもせずに乗り込めば、「目的のモノ」を探し出すのに丸一日は掛かってしまうだろう。

 

アーチャーたちの下調べは万全だったが、「目的のモノ」がどこにあるかまでは把握できていなかった。だが、その欠けていたパズルのピースは思わねところから入手することができた。

 

「D―1148。「彼」が言うならば、この場所だな。ウーティ、ロックを解除」

 

デバイスを介して写し出される、区域内の内部図面を描いたホログラフィック画面を閉じて、アーチャーはセクターで待機しているウーティへ通信する。D―1148と記されている保管庫は、長年開いてないようで、どこか古くさい雰囲気に包まれていた。

 

『ねぇ、アーチャー。その情報、信頼できるの?』

 

セクターから保管庫の扉のロックを解除しながら、ウーティがどこか不安そうに顔をしかめた。

 

「管理局のデバイスを、俺たち『ヘイズレグ』へ流してくれたクライアントが提示した情報だ。今更、俺たちを管理局へ売っても、クライアントには利益がない筈だ。今のところは」

 

アーチャー率いる反管理局組織「ヘイズレグ」の所持するデバイスのほとんどは、「彼」が管理局から横流しをしてくれた物ばかりだ。

 

いや、この計画そのものが、「彼」がいるから成り立っていると言っても過言じゃない。「彼」という協力者がいなければ、自分達はまだ井の中であぶくだけだっただろう。

 

「それに、俺たちがすがれる情報は、今はこれしかないんだ。信頼できる、できないじゃない。やるんだ」

 

退くことはできない。そんな生半可な選択肢など、アーチャーたちには残されていなかった。ウーティの操作により、三重構造のシェルター式扉が開き出す。

 

長年開かれてなかったロックシリンダーから鉄臭い蒸気が吹き上がる。

 

「さぁ、行こうか。――――俺たちの〝証〟を取り戻すために」

 

不敵な笑みを浮かべて、アーチャーは、数人の仲間を引き連れて保管庫へと足を踏み入れた。

 

 

――その日、管理局、危険指定遺失物《ダインスレイブ》は、たった七人の襲撃グループによって管理局から奪取されたのだった。

 

 

 

――NEXT

 



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7.魔剣

 

 

 

「ダインスレイブ事件文書」。

 

管理局地上本部の教導官個人デスクに、新人教導用のカリキュラムや資料を広げつつ、高町なのはは、その束ねられた資料を眺めていた。

 

今の管理局では、事件の資料全てが管理局内のデータバンクにデータとして保存されている。データバンクを共有し、情報の共有力を高めるためだ。

 

だが、この資料は珍しく紙に記述されて纏められていた。

 

事件に関わった〝ロストロギア級〟の魔法具、通称「ダインスレイブ」。

 

その頭文字を取って「D・S事件文書」と纏められているこの事件資料は、殉職したレジアス・ゲイツ中将が自宅に保管していた事件資料だと聞いた。

 

レジアス中将の娘であるオーリス・ゲイツ。

 

彼女は今、「J・S事件」での裏工作に関わっていたとして逮捕され、軌道上拘置所とは違う局内の留置場で留置されている。そんな彼女が、事件について調べている私へ、この資料を渡してくれた。

 

 

「ダインスレイブ事件」。

 

 

この事件の名を知っている人間はほとんど居ない。

 

いや、いたとしても決して口には出さないだろう。

 

この事件は、局内でのタブーに等しいのだから。この事件の調査に協力してくれているクロノや、ユーノ。私が頼ることができる様々な人たちも、管理局とは関係のない水面下で協力してくれている。

 

それほどまでに、この事件には秘密があった。レジアス中将が頑なにこの事件を公にしなかったことは、調べていた私自信にとっても疑問点であったが、この「D・S事件文書」が謎の紐を解いていくことになった。文書によると、この事件の発端には、当時の管理局内でも過激派で有名な、ある派閥の一派が関わっていた。

 

そもそも八年前の管理局が抱える問題は、魔法による反抗やテロに対する危機感の無さにあった。

 

当時の管理局には、DSAAのような「クラッシュエミュレート」という概念や、自身へのダメージとは別に、受けた攻撃によって「打撲・骨折・脳震盪・火傷・感電」といった身体ダメージが表現され、実際の負傷を受けた時と同じように痛みを感じたり、身体の動きが鈍るといった状況が再現される擬似痛覚機能を持った訓練機器が存在していなかった。

 

局員たちは殺傷性の無いペイント弾で模擬戦を行うばかりで、実戦に適した訓練を受けることは無かった。

 

この状況に危機感を感じた派閥、局内からも多くの対策意見が出されたが、既に「魔法」という強大な力を管理局が有している以上、これ以上の武装体系の強化に踏み出せば、民間からの管理局のイメージは「司法組織」から別の何かへと変わってしまう。そんな疑心を生み出すことが上層部にとっては脅威だった。

 

その変わらない貧弱さに危機を感じ続けていた過激派である一派は、「管理局の防御面」の脆さを組織全体、引いてはミッドチルダという世界全体に知らしめ、「局全体の危機管理及び武装体系の見直し」を強制的に行わせるために、今まで管理局が保有していたデバイスを密かに敵組織へ横流したのだ。

 

 

それがどれほどの被害を管理局に、このミッドチルダの世界に与えるかを知りながら。

 

 

結果的に管理局のずさんな組織体制が明らかになる事件となり、管理局は変革を要求されることになる。

 

だが、肝心のこの発端を指示した者は解明されていない。

 

尋問の際にも、この事件に関わった誰もが、その人物の名を閉ざしてたようだった。いや、それ以前に管理局側が調査を断念したのだろう。

 

レジアス中将が記述する文書では「上層部の何者かが裏にいる」と記されている。管理局の上層部にも〝闇〟があるのだと、私はこの背景の根の深さに心を鷲掴みにされたような、そんな恐怖心を覚えた。

 

デスクチェアに腰掛ける自分の体が、妙に落ち着かない。無意識に周辺に意識がちらついてしまう。

 

この文書を所有していたレジアス中将も「局全体の武装体系を強化すべき」という考えを持っていた武闘派だった。彼からしたら望まない形ではあっただろうが、これを機にレジアス中将は、局全体の武装体系の強化を実行し、今の地上本部のような「武力強化によってミッドにおける犯罪増加率を抑え込む」意識改革に乗り出したのだ。

 

だが、この事件の真相が公になれば、管理局による自作自演が疑われ、民間からの支持率は更に落ち込むことになることは避けれなかっただろう。

 

 

――そこから、管理局の〝闇〟は急速に広がっていった。いや、この時から管理局は組織らしさを手に入れ始めたのかもしれない。

 

事件に関わった全ての一派の人間は、上層部直轄の「暗部」により秘密裏に処理され、事件の真相が公になることは防がれた。

 

なぜレジアス中将は、この事件の真相を記した文書を抹消せずに局内のデータバンクや、自宅に資料を残していたのだろうか。今はもう居ない彼に、その答えを問うことはできなかった。ただ――。

 

『心のどこかで、父さんは誰かに裁いて貰いたかったかもしれません』

 

この資料を私に渡したくれたとき、オーリスは、悲しげにそう言ったのだった。彼女の瞳に映っていたレジアス中将は、何を思っていたのだろうか…そんな疑問が、私の思考を僅かに霞めていく。

 

 

「ダインスレイブ事件」。

 

 

管理局が本格的に武装強化に手をつけ出したのも、すべてがこの事件を起点に動き出している。

 

八年前の出来事が、目まぐるしく管理局を変えていった。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

陽が差していた頃の突き抜けるような晴天は影に覆われ、朝焼けが迫る空には、いくつもの黒い雲が散りばめられていた。

 

アーチャーを含む七人の魔導師は、奪い取ったロストロギア、通称《ダインスレイブ》を持って、ミッドチルダ地上本部の管轄区域からの離脱を謀っていた。

 

「これが、ダインスレイブ…?」

 

アーチャーが背中に背負うダインスレイブを見て、コンソールパネルを叩く部下、ウーティがまじまじとダインスレイブを眺めていた。

 

「やっぱり私には、ただのゴツい大剣にしか見えないけど」

「見てくれはこうだが、重要なのは中身さ」

 

一見、古びた西洋風の剣の容姿をしているが、眼を養っている者には伝わる、圧倒的な存在感と威圧感。紅い光を写す勾玉が剣の真ん中に埋め込まれており、黒と紫という禍々しい才色を施された、その《魔剣》は、見るものを圧巻させるほどだ。

 

「アーチャー、厄介なのに気づかれたみたいよ」

 

目の前で光るフィールドモニターには、既に一分隊単位の魔導師が、この保管区域を囲んでいることを知らせている。ウーティの忠告から僅かに遅れて、オンラインで通信が入る。モニターから通信画面がオートで表示されると、そこには一人の青年が映し出されていた。

 

『管理局既定内で、君たちには弁明と釈明の余地がある。君たちが大人しく投降すれば、だが』

 

「これはこれは。管理局のクロノ執務官。やはりアンタは鼻が効くようだ」

 

まるで底の見えない井戸のような暗い瞳をモニターは映していた。

 

クロノ・ハラオウンは腕が立つ執務官だ。

 

サイファー隊の仕事柄、犯罪組織を取り締まる彼とアーチャーとは何度も顔を合わせていたから、お互いに面識があった。アーチャーからの視点では彼は管理局でもトップクラスと言ってもいいほど、優秀な執務官であり、魔導師だ。本心からそうアーチャーは思う。

 

「だが、もう手遅れ過ぎたな」

 

アーチャーはモニターに映るクロノへ、まるで道化師のような不敵な笑みを送った。それは逆に、クロノの心情を焦らせる笑みという意味もはらんでいる。

 

クロノはアーチャーより年下だったが、アーチャーよりも才能は恵まれていた。だが、彼が現れたことでも、この作戦にはなんら問題などなかった。彼らは準備をしていない。だが、こちらは念入りに準備をしてきた。

 

実際問題、たったそれだけの差だった。

 

アーチャーはクロノとの会話をそこで終わらせる。

 

これ以上離しても意味がないから。通信パネルの上に乱雑に置かれた起爆トリガーを持ち上げると、躊躇いなくそのスイッチを押す。アーチャーたちとは遠く離れ、取り囲む一分隊を挟んだ反対側の場所で爆発音が響いた。

 

《警告。最重要保管庫から災害を感知。封印システムを起動させます》

 

区域内に電子的なアナウンスが流れた。警報音は電源を落としているから聞こえないが、内容は隅々まで響き渡った筈だ。

 

起爆したのは、危険遺失物でも最重要な代物を管理する保管庫近くだ。保管庫を管理するセンサーを一同に束ねるターミナルブロックを、アーチャーは爆薬で吹き飛ばした。

 

吹き飛ばされたセンサーは誤作動を引き起こし、流出した危険遺失物を冷凍封印するため、湾岸を閉鎖していた防水ゲートが即座に開いて行く。

 

『バカな!正気か!?ここには一分隊の人間がいるんだぞ!』

「正気なら、今頃、俺は〝魔導師〟なんかになってねぇよ」

 

予想以上。いや、大胆不敵と言うべきだろうか。

 

アーチャー・オーズマンに良心など無かった。開かれたゲート流れ込んでくる海水に、アーチャーたちを捕らえようと進撃していた一分隊は、瞬く間の内に飲み込まれる。

 

そして、魔導師を飲み込んだ海水は瞬時に光を瞬かせ、外部に設置された封印システムにより――魔導師たちを飲み込んだまま凍りついた。

 

「わかったか?お前達みたいな堕落しきったボンクラ共に、俺たちを捕まえるなんて無理だ」

 

「だから潔く諦めろ」アーチャーは嫌悪するような目付きでモニター越しで驚愕の表情を浮かべるクロノを睨み付け、通信を切った。

 

「――センサー近くに爆薬を仕掛けただけでこの様か。天下の時空管理局も聞いて呆れるな」

 

アーチャーは、今頃凍り漬けになっているだろう惨めな管理局員のことを考えながら、呆れたように息を吐いた。

 

「ウーティ、海水凍結魔法が効いている内に出るぞ。区域の結界は元に戻すように。自己防衛の基本だぞ?」

 

アーチャーの指示にウーティは的確に答えていた。

 

外部攻撃を想定してこの区域には結界発生装置が設けられている。だが、この市街地発展を遂げたミッドチルダにあるこの管理区域を、外部からの攻撃をしようという敵の想定を、管理局は怠っていたようだ。普通なら考えてもいない。そう、普通なら。

 

ウーティは結界発生回路に外部プログラムを組み込む。あとはプログラム通り、アーチャー達がこの区域から脱すれば結界が発動するだけ。地上本部から追手が来たとしても、本部とは結界を挟んで、逆方向に進むアーチャーたちを追うには、結界を迂回するか、結界を解除するしかない。広範囲の結界を解除するにも時間が掛かる上に、主操作パネルは監視セクターの中だ。外部を仲介し、結界を解除するだけでも逃げる時間は稼げる。

 

これでアーチャー達が脱出の際に懸念するべきものは、「地上本部外」にいる魔導師だけに、限定された。管理局、遺失物保管区域から脱した七人の魔導師たちは、悠々と遺失物保管区域から脱した。

 

 

****

 

 

『いたぞ!こっちだ!』

『隊列用意!』

 

管理局側の無線通信を傍受するアーチャーたちの小型通信機から、そんな声が聞こえた。

 

大方、演習エリアから帰投していた数チームの管理局魔導師が、こちらに向かってきているようだ。まぁ、気づかれるもの時間の問題だったか。

喉を切り裂き、殺した魔導師のことを、うっすらと思い返しながら、アーチャーは編隊飛行をする部下たちへ停止するよう合図を出す。

 

「アーチャー、気付かれたようだね」

 

アーチャーのすぐ後ろに控えていたウーティが、進路の先でチカチカ輝く魔力光を睨みながらそう言った。部下全員が、感覚を鋭く、呼気すら鋭くして行き、強行突破の為にそれぞれデバイスを構える。

 

「構わんさ。目的は達成した」

 

そんな強ばる部下たちを、アーチャーは笑みを浮かべながら手で制する。その制していた手が、ゆっくりと背かに携えられた《魔剣》へ、アーチャーの腕が伸びて行く。

 

そのアーチャーの眼光を見て、部下全員は、構えていた武器を下ろした。下ろすべきだと、構える必要はないと、本能的に感じたから。

 

「俺たちはここから出るだけだ」

 

アーチャーの手が、《ダインスレイブ》の柄に触れた瞬間、管理局に回収、封印されていた六年間、ずっと守り続けた沈黙が、解かれた。

 

巨剣の中央に埋め込まれた勾玉が、光を放ち始める。その光は、アーチャーたちの前方に構えていた管理局魔導師たちにも肉眼で確認できるほどの、まばゆい光だ。

 

「まともに握るのは初めてだな。」

《魔法回路連結。供給開始の準備を行います―――》

 

アーチャーの呟きに、腰のホルスターに収まるベリルショットが淡々とした口調で答えた。一気にダインスレイブの柄を握ると、足元に三角形の魔方陣が展開される。

 

まさしくそれは、古代ベルカ式の魔方陣だった。

 

アーチャーの周りに魔力で構成された風が舞い上がる。管理局の魔導師たちにとって、それは信じられない光景だった。

 

《ロストロギア》を扱うとなれば、過去の事件や事故を見る限り多大な準備期間や、膨大な魔力が必要となる場合が多い。だが、アーチャーはそんな〝手間〟を一切無視して、ロストロギアを起動させたのだ。

 

そう、それはまるで使い慣れたデバイスを起動させるかのように。

 

《ダインスレイヴとの魔力波長――同期完了》

 

ベリルショットとダインスレイブの波長が同調する。

目の前で起こった異常時態に戸惑う局員たちの前で、アーチャーはゆっくりと息を吐き出した。

 

「さて、試してみるか」

 

どこか楽しげな表情をして、アーチャーは太ももに装着されているホルスターからベリルショットを引き抜く。まるで早打ちのガンマンのような引き抜くモーション。その勢いのままに、標準を定めて引き金を引く。

何の事のない動き。だが、その全ての動作が恐ろしく速かった。常人では捉えることもできないような速さでアーチャーは動く。

 

ドンッと爆発染みた音が摩天楼の上空に響いた。局員たちが、いきなりの爆音に身構えた刹那――空から焔が墜ちてくる。

 

日が昇ったような明るさが、茫然自失と空を見上げる局員たちの顔を照らしていた。

 

「さぁ、かかってこいよ…そのご高説する〝正義〟とやらでな」

 

局員たちの上空を飛んでいた輸送ヘリコプターが、炎に包まれてミッドチルダの摩天楼へと落ちて行く。

 

たった一撃でヘリが炎上するなんて――呆然とする局員たちの目の前。焔を背中に背負うように、二刀のブレードを展開したベリルショットを持つアーチャーが、局員たちを見据えていた。

 

無尽蔵に力が湧いてくるような感覚。身体が驚くほど軽かった。

 

「こいつ…!」

 

咄嗟に一人の魔導師がアーチャーに向けてデバイスを構えたが、直ぐ様に手から彼のデバイスが弾け飛んだ。状況を理解する前に魔導師の肩口と脇腹、二ヶ所ほぼ同時にベリルショットの弾丸が命中する。そのアーチャーの動作に、その場にいる誰もが反応できなかった。

 

「悪いな。速さじゃ〝今の〟俺には勝てねぇよ。――ベリルショット、〝オーバーエッジ〟」

 

直撃を受け、落下する魔導師。アーチャーはベリルショットのブレードを最大展開した状態で、停止し混乱する局員達へと凄まじい速さで突っ込んだ。アーチャーの軌跡には、淡い魔力光が尾を引いていた。敵に考える暇は与えない。畳み掛け、蹂躙し、即座に制圧するだけ。

 

『ま、待て――――』

 

部隊の隊長らしき人物がそう言い終わる前に、アーチャーは止まったままの局員たちを瞬時に斬り伏せた。

 

絶叫が聞こえる暇もない。雷のように放たれた幾つもの斬撃は、茫然と立ち尽くす局員たちを容赦なく斬り伏せた。わずかな紅い光点が宙に舞うだけで、アーチャーたちを残して局員たちは堕ちた。

 

摩天楼の上空に、さきほどと同じくらいの静寂が還ってきた。

 

《ダインスレヴとの魔力波長の同調を解除します》

 

ダインスレイブの中心部にある勾玉が光が消えた。と、同時に、ベリルショットの魔力ブレードが消え、放熱口から煙を吐き出す。

 

まるで張り詰めていた糸が切れたように、重い疲労感がアーチャーの肩へとのし掛かった。

 

「凄まじいな…。これが、ダインスレイブの―――力」

 

手足の末端の感覚がなく、ビリビリと麻痺しているような不快感。まるで、自分の体じゃないような気だるさと辛さだった。

 

大きく息を吐いてから呟いたアーチャーは、背中へ手を伸ばす。背負っている巨剣を少し鞘から引き出した。外観は純粋な黒だが、剣は刃零れもせず、綺麗なままのシルバーだった。

 

ロストロギア、ダインスレイブの特性は、その禍々しい巨剣に似合うような戦闘性ではない。これはあくまでも『外装』。

 

本質は剣の芯。

 

アーチャーが知る伝承では、ダインスレイブの剣芯は、特殊な魔石で鍛えられている。

 

その魔石は人の感情に作用し、人が思えば思うほど、願えば願うほど魔力が起伏し、適正を持つ者を介して、願う者に力を与える。

 

――それが正しい気持ちであれ、憎む気持ちであれ。

 

要は「人の感情」で性質が作用されるものだ。古人はなんとも歪なものを作ろうとするのだな、と、アーチャーはシルバーに輝く刀身を眺めながら思った。

 

まぁ、いいだろう。

 

自分が求めるものに相当するなら、自分はそれ以上何も望まないのだから。アーチャーは少し抜いた刃を鞘へと戻す。その一部始終を見ていた強面の部下が、歓喜に震えているような上ずった声で、部隊を一蹴したアーチャーへ称賛の言葉を掛ける。

 

その全員の表情は「喜」。

 

〝――――勝てる、管理局に。〟

 

先ほどの圧倒的な光景を見た誰もが、そんな確信に似た予感を感じ取っている。

 

その時、アーチャーの視界の端で、何かが光った。

 

光を感じたのはほんの一瞬だったが、その一瞬でも、その光が〝敵意〟を纏っていると言うことに、アーチャーは直ぐ様に気づく。

 

アーチャーは、何の前触れもなく、空中で小さく体を回転させる。

 

「ちょっと、アーチャー!いくら奪取したからってまだ敵の――」

 

「領域内だぞ」、そうウーティがそう叱咤を飛ばそうとした瞬間、アーチャーのすぐ脇を赤い一閃が通りすぎた。通りすぎた一閃はアーチャー達の後ろへと跳んで、程なくして爆発する。

 

いきなりの攻撃で編隊が乱れかけるが、気を切り替えたメンバー全員がどこから攻撃が跳んできたか索敵を始める。ただ、一閃を避けたアーチャー一人は、前方を睨み付けていた。

 

 

****

 

 

「外したか…。さすがだな」

 

アーチャー達の遥か先にいる女性が、そう呟く。手に持つ弓形状の愛剣が、『問題ない』と彼女へ報告した。

 

烈火の将、シグナム。

 

先の迎撃作戦から、ライリーとヴィータと共に帰投した彼女は、そのまま首都クラナガンの哨戒任務に就いていた。

 

『何事もなければいいが』。そう危惧していた矢先、同じく前線から帰投していた第四小隊が消息を絶った。悪い予感は的中だった。

 

そもそもこの迎撃任務そのものに綻びはあっただろう。シグナムなどの実戦経験が豊富な魔導士は管理局には僅かだ。次元世界の調査や、探索、管理ばかりしていた実戦経験が無い魔導士たちにとって、「対人魔導士戦」は未知であり、そして圧倒的に不利だった。

 

殺傷能力を持つ魔導士相手の対策を、管理局は想定していなかったのだ。

 

直ぐ様シグナムは、消息を絶った第四小隊付近を策敵する。そこには、管理局地上本部とは逆方向に飛行する小隊がいた。七名で編成されている小隊は、管理局のシグナルを出しているが、動きが明らかに可笑しい。

 

そして、先頭を飛んでいたシグナルの表示を見て、シグナムの疑心は確信に変わった。

 

シグナルの表示は『サイファー3』。今はライリーたった一人となった、サイファー隊のシグナルが表示されていたのだ。

 

「奴らめ…!」

 

シグナムの表情には、静かな怒りが灯っていた。

 

彼女の愛剣『レヴァンティン』から放たれた一撃『シュツルムファルケン』は、超長距離の滑空し、狙いはアーチャーに定まっていた。

 

標準のモニターには表示されない程の長距離から放った音速の一撃。仮に相手が気づいた頃には、もう遅すぎる。

 

だが、その一撃を敵は避した。悠久の戦いの中で培われたシグナムの直観は察する。

 

敵は紛れもない、手練れの魔導師だと。

 

そんなことを考えていると、シグナムの眼前で何かが光った。

 

思考から一気に現実へと戻る。体は無意識だったが、動くことはできた。

 

《パンツァーガイスト》

 

レヴァンティンが魔力の鎧を彼女の体に纏わせる。その瞬間、シグナムの胸元に凄まじい衝撃が走った。防護魔法であるパンツァーガイストを展開していたにも関わらず、シグナムの体は大きく後退した。

 

いや、それ以前に超長距離だったはずの敵と自分がいるこの間合いを、一瞬にして駆け抜けてきた攻撃がシグナムを驚かせていた。シグナムは攻撃が飛んできた前方を見た。

 

だが、見るだけでは間に合わなかった。

 

淡い魔力光が尾を引き連れて、眼の前に迫った黒い影はシグナムが視認した直後、即座に飛び上がった。空中で華麗に回転する影の中から、二本の眩い魔力光刃が伸びる。

 

レヴァンティンから頭上への警告表示が発せられた。考えている余裕などない。衝撃に強ばった身体と意識を瞬時に切り替え、シグナムは腕と腰の力でレヴァンティンを無理やり頭上へ構えた。

 

刹那、衝撃、閃光。

 

レヴァンティンと二本の魔力光刃が音を立ててぶつかり合った。1テンポ遅れてシグナムが頭上を睨むと、二刀を携えた魔導師、アーチャー・オーズマンが、シグナムに襲いかかってきていた。

 

褐色肌、それと同じ茶の瞳。その瞳には、歴然とした〝敵意〟が宿っていた。

 

「スクランブルが掛かったから飛び出してみれば――どうやらお前たちのようだな!スクランブルの原因は!」

 

体を言いようの無い何かが駆け巡る感覚を味わいながら、つばぜり合いをするシグナムが敵を睨み付ける。

 

「――だとしたら、どうするんだ?」

 

それに答えたアーチャーの口元は、ニヤリとつり上がっている。彼もシグナムと同じように高ぶる何かを感じていた。

 

「投降しろ。さもなければ――」

 

そこまで出たところで、彼はつばぜり合っていたブレードを反す。その瞬間、シグナムの頬を何かが掠めた。

 

「力でねじ伏せるか?」

 

シグナムの眼には確かに見えた。つばぜり合う敵の刄から、凄まじい速さの弾丸が飛び出したのが。

 

銃剣…! それを理解したシグナムは競り合うのを止めて敵と距離を取る。

 

「昔から、弱者と決めつけた相手への態度は変わんねぇな、管理局!」

 

アーチャーは魔力ブレードを解除し、銃と化した〝それ〟をシグナムに向ける。見切れないことはない。シグナムの剣が閃光を走らせる。飛び出してきた弾丸をレヴァンティンで切り落とし、シグナムはアーチャーとの間合いを詰めて行った。

 

「さすがに当たんねぇか」

 

三発ほど撃ち終わってから、アーチャーは感心するようにそう呟いた。その茶色の眼は冷たく、憎たらしくなるほどに冷静さを魅せている。

 

「貴様…サイファー隊のメンバーだな。なぜ裏切った!」

 

シグナムは、その冷静さが気に食わなかった。仲間を殺しておきながら、なぜそんな冷静でいれる…!

 

アーチャーが銃口をシグナムからわずかに外した隙に、ホバー移動をするような軌道でシグナムは距離を一気に詰める。敵はまだ射撃体勢から戻っていない。斬り伏せるなら今が最大の隙だった。レヴァンティンの刀身に紫色の魔力が宿った。

 

「紫電…一閃!」

 

将と名乗ってる以上、シグナムは自分の剣技には絶大な自信があった。上段に構えた状態で、剣を握る腕から手にかけて力が加わる。魔力を纏ったレヴァンティンが、常人が捉えきれない速さで男目掛けて振り下ろされる。

 

「裏切ってなんかねぇよ。〝最初〟からな」

 

だが、アーチャーもシグナムと同じく行動していた。アーチャーの影から魔力光の残光が尾を引く。振り下ろしたレヴァンティンの真横から衝撃が走った。縦の垂直移動をしていたレヴァンティンは、横からの衝撃で大きく反れて、アーチャーを捉えることは無かった。

 

逆に敵は、銃剣にブレードを出現させてシグナムへと斬りかかる。咄嗟に逆手に持っていた鞘で、敵からの一閃を受け止めたが、シグナムの表情には驚愕の色に染まったのが目に見えてわかった。

 

「おいおい、なに驚いたような顔をしてるんだ?」

 

ブレードの火花の向こうで、アーチャーが口元をニヤリとつり上げた。

 

「刃物にはなぁ、斬れるやり方と斬れないやり方があるんだよ!」

 

それと同時に、もう一刀の銃剣でシグナムへ追撃する。反動でシグナムは大きく後退した。

 

(…この男!)

 

レヴァンティンを構え直しながら、シグナムは努めて冷静に、アーチャーがしたことを思い返す。

 

シグナムが放った上段の剣戟。その初動と同時に、彼も動いていた。片足を上げ、捻り、回し蹴りと同じ要領で力を込める。この男は、振り降りてくる剣の側面に回し蹴りを叩き込んだのだ。刀剣は刃と側面の腹、そして峯の部分がある。的確に側面を叩けば、刃で傷つかずに剣の軌道を反らすことができる。

 

言葉で説明するならば、それは容易なことだ。――あくまで〝出来れば〟の話だが。

 

そんな芸当を目の前の男は、平然とやってのけた。シグナムの一閃とも言える速さの剣の動きを、正確に見切り、尚且つその側面を叩いた。シグナムはアーチャーの力量に素直に感心した。

 

だが、妙な点もある。紫電一閃により纏った魔力の塊。それが、男が蹴りを入れた瞬間にかき消されたようにも――。

 

「だが…関係はない!」

 

シグナムはそこで考えることを止めた。

 

彼女は「夜天の書」と、その主を守るために生み出された、ヴォルケンリッターの将の「剣の騎士」だ。彼女は強かった。幾度となく戦場を駆け、無類の強さを誇る将であった。

 

「1対1なら我らベルカの騎士に負けはない」。そう自負するほどの経験と技術と誇りを持っている。つばぜり合うレヴァンティンの切っ先を反して、彼女は力の競り合いに耐えるアーチャーへと無理矢理に間合いを詰めていく。

 

「コイツ…!」

 

アーチャーはごり押してくるシグナムの気迫に思わず息を飲んだ。ベリルショットの柄から伸びる光刃が、シグナムの肩へと刺さって行く。だが彼女には恐れなどない。逆にアーチャーが恐れを抱いたほどだ。シグナムは自らにも代償を負わせながら、アーチャーを逮捕することを選んだ。だが、アーチャーの判断もシグナムと同じように早く、的確だった。

 

アーチャーは瞬時にベリルショットの光刃を消し、そのまま柄を反らして、銃となったベリルショットでシグナムの肩口へ銃弾を撃ち出す。その一連の動作が驚くほど早かった。

 

シグナムは光刃を消したアーチャーへ斬りかかる余裕もなく、放たれた弾丸を避わしながら後退した。アーチャーにも、光刃が消えた瞬間にシグナムに斬り伏せられるビジョンが、頭の中を過っていた。その結果へ成らないように、アーチャーはシグナムを退いたのだ。隙を与えず、無駄を与えない攻撃で。アーチャーの背中に冷たい何かが流れる。

 

彼女は『ヴォルケンリッターの騎士』だ。少しでも隙を見せれば、直ぐ様に首を落としにくる。今、自らが相手をしているのは、『そういう敵』だ。鋭く呼気を吐き出して彼は冷静さを取り戻した。

 

が、勝機はこちらにも、シグナムと同じほどの可能性を秘めていた。アーチャーは飛行魔法をオフにした。重量に逆らっていた体は、重量を思い出したかのようにアーチャーを地面目掛けて落下させて行く。

 

「市街地を低空飛行だと…! 正気か!」

 

いきなり飛行魔法を切ったアーチャーに、シグナムは呆れた。

 

だが、予想以上のことを、奴は平然とやってのける。

 

シグナムも追うように、アーチャーと同じくミッドチルダの市街地へと飛び込んでいった。市街地には人通りはほぼ無いに等しかった。昨日の襲撃報道により、街の人々も家から出ずに自粛しているようにも思えた。まばらに人がいる市街地の上空。近未来的な高層ビルを縫うようにして、アーチャーとシグナムが競うように飛び回っていた。アーチャーの飛行センスはシグナムを驚かせた。

 

大通りからいきなり路地に入ったかと思ったら、人間一人が通れるか、通れないかのようなビルの隙間へと平然と飛び込んで行く。だが、シグナムもそれで振り切られるようなことは許さない。アーチャーに続いて、シグナムも隙間へと飛び込んだ。狭いビルの隙間の中、防護服に備わった甲冑や装甲がビルの外壁にあたり火花を散らした。なんとかビルの隙間を抜けると、シグナムはアーチャーの背後から迫った。

 

それがわかっているように、アーチャーは背後を見ずに何発か、ベリルショットから弾丸を放った。シグナムは弾丸を紙一重で避し、一気にアーチャーへと迫り、レヴァンティンを振りかぶる。もちろん、アーチャーも応戦する。アーチャーはシグナムの体勢を整わせる前に既に斬り込む体勢を整えていた。流れるような動きで飛び上がったアーチャーは、ベリルショットの光刃を振りかざしながらビルの壁面に着地し、斬り込む。この飛び回るトリッキーな素早さと狂暴さに対してシグナムは冷静だった。アーチャーの切りつける光刃を防ぎながら、二人の間に不快な剣戟の音が鳴り響く。だが、互いに高揚感があったのは真実だった。

 

シグナムは魔導士として無類の強さを誇る。それは孤高の強さでもあった。並みの魔導士ならば彼女に太刀打ちはできない。

 

だが、彼は違っていた。下に伸びる外套を閃かせながら、自分と対等か、それ以上の実力者との戦いに興奮を押さえきれなかった。アーチャーは、目をぎらつかせながらシグナムを斬り付ける。交錯する閃光と二人の剣戟は、市街地の空中で凄まじい接戦を繰り広げだ。

 

衝撃で高層ビルの窓ガラスにヒビが入り、砕ける音が響いていた。シグナムは思い出す。良き友であるフェイトと剣戟を打ち合った時のことを。微かにこの剣戟の中で、シグナムの心は躍っていた。

 

「狭い空間での戦い、追いかけっこはどうだ?苦手か?」

「私はヴォルケンリッターの将、烈火のシグナムだ。貴様のような外道とは、歩んできた場数が違う!」

魔力がぶつかり合う火花の向こう見えた、シグナムの顔を見て、アーチャーは顔をしかめた。「外道、ね」と、どこか不満そうに呟く。

 

「じゃあ、アンタから見て、管理局は正義か?」

「私が従っているのは管理局などという組織ではない」

 

シグナムは顔色を変えずに、ぴしゃりと否定しきった。

 

「主の為。私が動くのは主を守るため。そして、私が従うのは、我ら夜天の書の主だけ」

 

これまでも、この先も変わることの無いシグナムの決意表明に、アーチャーは満足そうに目を細めた。

 

「ハッハー、いいね!十の為じゃなくて一の為に戦う。その姿勢、悪くない」

 

「けどな」。アーチャーは、シグナムの追撃を凄まじい速さで弾き返す。思わずノックバックしたシグナムを尻目に、アーチャーは市街地を一直線に飛行し始める。

 

「こっちにも、外道なりに譲れない理由があるんだよ」

 

路地の先は行き止まりだ。シグナムはそれを知らないだろう。彼女はこの空をよくわかっていない。そこが狙いであった。アーチャーはフィールドモニターを使わせる暇を与えずに、後ろから追撃を行ってくるシグナムへ、弾丸を放った。シグナムの弾丸を避し、アーチャーへと距離を詰めていく。

 

 

お前は、逃げられやしない!

 

 

そんな確信めいた気持ちと共に、彼女は好機と留めの一撃をアーチャーへ振り下ろす。

 

そして、その一撃は完全に外れた。

 

シグナムは、眼を離したつもりはなかったが、どういうわけか、目の前で追っていたアーチャーの後ろ姿が、突然消えた。まるで煙のように消えていた。思わず辺りを見渡そうと姿勢が崩れた瞬間、背中に強烈な衝撃が走った。背中に二発。

 

シグナムが振り返った先には、銃口を構え、ビルの壁面に張り付いたアーチャーの姿があった。

 

彼のデバイスからは、魔力で構成されたワイヤーアンカーが出ていて、それがアーチャーをビルの壁面へつなぎ合わせていた。

 

やられたと、シグナムは潔く自分が出し抜かれた事を認めた。が、衝撃の割りに、思ったほどの痛みが無い。

 

「お世話様、残念ながら弾は模擬戦仕様のままだ。そのまま堕ちてろ」

 

アーチャーがそう吐いたが、落下してゆくシグナムの耳には届かない。

 

魔法回路を一時的にシャットアウトさせるペイント弾。生ぬるい液体が、べったりとシグナムの背中に染み込んでいる。ペイント弾が当たったの衝撃で一瞬体制を崩したシグナムの身体は、くるくると切り揉みながら惰性落下してゆく。落ちてゆくシグナムの行く先には、オフィスビルがそびえ立っていた。

 

まっすぐビルへ突っ込んでゆくシグナムは、訪れる痛みを覚悟した。

 

その直後、痛み、衝撃。

 

運よく窓からビルに突っ込んだシグナムの体は、机やオフィス家具を巻き込みながら転がった。床や壁に打ち付けられ、痛み…というよりも衝撃の嵐だった。レヴァンティンが全く応答しない彼女には、最早アーチャーを追う手段は残されてなかった。

 

アーチャーが放ったペイント弾は、もともと管理局製だ。それに気付けば解除はできるだろう。

 

それでも、アーチャーが逃げるには充分な時間を稼ぐことができた。

 

 

****

 

 

「古代ベルカの騎士…ヴォルケンリッター…か」

 

追いついたウーティを背に、アーチャーは落ちたシグナムを見下しながらそう吐いた。

 

闇の書の守護騎士。今で言う、八神はやてが主となる「夜天の書」と共に大昔から戦乱の世を歩んできた歴戦の騎士。逃避行するアーチャーたちが遭遇したくはない『実戦経験が豊富な敵』だ。

 

「ぐっ…!」

 

シグナムの攻撃はほぼ全て回避した筈なのに、体中に痛みが走る。完全に見切ったつもりだったが、敵の攻撃は予想以上だった。

 

「ベリルショット」がオートで治癒魔法を発動しているおかげで、移動には影響は出ないだろうが、これ以上の戦闘は難しいだろう。彼を彼女と対等にしたのは他でもない「ダインスレイブ」の能力だ。アーチャーは鋭く呼気を吐きながら手のひらを見た。

 

「ダインスレイブ」は見た目は大剣を模しているように見えるが、

 

その実態は全く違う性質を持っていた。「ダインスレイブ」は対象者に対して無限に等しい魔力を与える。

 

そして、ただ魔力を強化するだけではない。

 

供給時では身体能力に加えて、動体視力、反応能力、自然治癒に魔力サイクルと人体に関わるすべての能力が飛躍的に増大する。この剣のどこに無尽蔵な魔力が秘められているかは分からないが、目的と恩恵だけ受けれるならば、そんなこと気にすることでもなかった。

 

身に付けるバリアジャケットも、彼に大きな力を与えてくれていた。

 

脚部や手袋には、魔力を無効化する技術が施されている。これも、デバイスを横流してくれた『彼』から提供されたものだ。外観はライリー達、サイファー隊とほぼ同じだが、中身は全く違う。ロストロギア『レリック』がもたらした、魔力を無効化する技術。そして古代ベルカから流用され、リファインされた技術が惜しげもなく使用されている。

 

『戦いには、互いに向け合った刃を収める方法もある』。

 

この最新鋭の代物を与えてくれた『彼』の口癖を、アーチャーは思い出した。だが、まだ刃を収めるときではない。研ぎ澄ました自らの刃を、彼はまだ引き抜いたばかりだ。敵である管理局から受ける恩恵には憤りを感じはするが、アーチャーたちにそんなことを言っている時間などなかった。

 

〝虎穴に入らずば虎児を得ず〟。

 

管理局を倒すため、アーチャーたちはなんども苦渋を飲んできた。すべてはこの時のためにあった。

 

「行くぞ、ウーティ。転送魔法の座標を」

「わかってる」

 

そう言うと、アーチャーは再び管理局の管轄区域からの離脱を開始する。ウーティや他の部下たちも、取り急ぎアーチャーの後へと続く。

先頭を飛ぶアーチャーの脳裏に、浮かんでは消える儚い記憶が蘇ってきていた。

 

「ようやくだ。ようやく――――俺は――――」

 

アーチャーの記憶の中で、白髪の少女が振り向いては微笑む。

 

手を伸ばしても、届かない夢。

 

冬のミッドチルダの空の風は凍てつくほど冷たく、アーチャーの頬へと突き刺さってきていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――六年前。0061年。

 

 

 

 

 

――NEXT



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8.情景



『こらーっアーチャー!』


鬱蒼とした森を抜けた先にある開けた場所。

そこには、木材や藁で作られた小屋や木造作りの家屋などが立ち並ぶ、小さいながら集落があった。

その集落の中心部にある、一際大きな民家の中から、野太い掠れ気味の怒鳴り声が辺りに響き渡る。


『また鍛練をサボったな!?』


その集落に住む村人たちは、『またか』と、そんな呆れながらも、可笑しそうに微笑みながら、洗濯物を干したり、薪を割ったり、武器の手入れをしたりなどの日常を過ごす。

その中を、一人の少女が村の中心部に向かって駆けていた。

「アルテ?どうしたのさ?そんなに急いで」

道中を急ぐ少女を、一人の女性が呼び止める。髪は長く、後ろでひとつ括りにしていて、その表情も雰囲気も穏やかなものだった。

「ウーティ姉ちゃん、聞こえなかった? またアーチャーが族長と…」
「あー、聞こえたけどね。日常茶飯事過ぎて自然の音と同じだと思ってたわ。いや結婚してからダメだね、年だね、うん」
「まだそんな歳じゃないでしょ、私と二個違いのくせに」
「あら、そうだった」

少女の不満そうな声に、女性は少し舌を出してとぼけたように笑った。

「じゃあ、私はアーチャーのところに行くから!旦那さんによろしく!」

呼び止める間もなく、少女は駆けて行く。

「あぁ、アルテ!もう…相変わらず世話好きだよね、アルテも」

呆れたように言うが、どこか共感できるところもあった。

自分も旦那のためなら、ああなるだろう。

結婚してからと言うもの、似た者姉妹だな、とつくづく思った。


****




 

 

住民や集落を一望できる二階のウッドデッキに腰を掛けて分厚い古文書を読む少年、アーチャー・オーズマンと、その少年にギロギロと怒りを孕んだ瞳を向ける還暦を迎えたくらいであろう老父が一人。

 

「勘弁してよ、じっちゃん。俺は〝そういうの〟好きじゃないんだ」

 

読み終わった順に積み重ねていったせいか、心底嫌そうに顔をしかめるアーチャーの周りには、幾つもの古文書の斜塔が乱立している。

 

「やかましい!ワシらは代々狩りや密漁者の討伐で生活の糧を得てきたのだぞ?それを否定するとは何事じゃ!」

「うっさいなぁ、俺は筋トレとか鍛練するより、勉強とか本読む方が有意義なの」

 

アーチャーのうんざりしたような言い様。老父は苦虫を百匹まとめて噛み潰したように顔をしかめる。

 

「ぐぬぬ…貴様それでもワシの孫かぁ!」

 

アーチャーが読んでいた古文書をひったくるように取り上げて、老父は更に怒鳴り付けた。

両手で耳を塞ぐアーチャーは、ほどほど呆れたような顔をしながら喚いている老父を見上げていた。と、その時。

 

「族長!そんなに大声出したらまた倒れちゃいますよ!?」

 

一階から二階へ繋がる階段をどたばたと音を立てて、一人の少女がやってきた。

 

大方、この老父の集落中に響き渡るほどの怒鳴り声を聞いて慌て飛んできたのだろう。少女はアーチャーと老父を遮るように、間へと立ち回る。間に入られた為か、怒りが怒髪天だった老父は、まだ言い足りないアーチャーへの文句の言葉を途切れ途切れに言おうとしたが、少女の睨みでさっそく黙らされてしまった。

 

「アーチャーも!たまにはおじい…こほん、族長の言うこと聞いてあげたらどうなの?」

 

全くもう!と言った様子で少女は昔からの幼なじみを睨んだ。言われようのない視線に晒されるアーチャーは、地を突き抜けそうな大きなため息を吐く。

 

「まーた始まったよ。いいか?俺は誰から何を言われようとも狩人なんかにゃならないからな!勉強して、この村を出て、立派な学者になるんだ!」

 

二人を交互に指差しながら、アーチャーは高らかにそう宣言する。風習やら伝統やらに自分の人生を振り回されてたまるか! デッキに手をかけて、アーチャーは二階から飛び降りた。

 

「あ、アーチャー!」

「アルテ! 説教ならお断りだ!」

 

音もなく地面に着地すると、二階のデッキからこちらを見下ろしている幼なじみ、『アルテ・フェング』にそう断りを入れて、アーチャーは集落の外へ向かって走っていってしまった。

 

「全くもう…行っちゃった。」

「あぁ、偉大なる戦士ヘグニよ…なぜ、あの子は戦うことを拒むのか…」

 

すっかり毒気を抜かれたアーチャーの祖父、この集落の族長は、家内に設置された神を祀る大きな神棚を見ながら、どこか悲しげにそう呟いていた。

 

この集落に住む一族は、代々狩りや猟をして生活をしてきた、言わば〝戦闘型民族〟。

 

アーチャーはそんな一族の族長家に生まれた跡取りなのだが――昔起こったある出来事により、狩りや戦うことを嫌い、励んでいた鍛錬もやめてしまった。

 

そのアーチャーと族長との間に横たわる見えない壁。

 

「まぁ――アイツがこうまで狩りを嫌う理由など、わかってるのだがの」

 

族長は位牌のようなモノを儚げに見ながら、そう呟く。

 

「アーチャーの母と父…ワシの息子と娘は、戦いで死んだ」

 

位牌に刻まれたアーチャーの両親の名。これが、アーチャーとこの一族の風習との決定的な溝。

 

「ワシを憎んどるだろうな、なにより二人を戦いへ駆り出したのはワシなのだから」

 

自嘲のような、誰にかけるべきか分からない懺悔の言葉を、族長は神を象った木製の像を見つめながら吐いた。

 

「じゃが――せめて己を己だけで守れる力を身につけて欲しいのだがな。ははは、全く子育てが下手くそじゃな、ワシは」

 

戦闘型民族ということだけあり、集落の外に出れば危険な原生生物に遭遇することもある。狩りや戦うことをしなくとも、せめて己を守る力だけでも、と族長は考えアーチャーに厳しく言ってしまうのだった。

 

「族長…」

「アルテ。毎度すまないが――」

「はい。私、アーチャー探してきます!」

 

こうやってアーチャーが家を出ていったあと、探しにいくのは幼なじみであるアルテだ。アルテはナイフや短刀などの護身用の最低限の装備を腰にぶら下げたまま、家から出ていく。

 

「--全く、アイツもこんな可愛い子がいるというのにのぅ」

 

アルテが出で行く際に、族長がため息混ざりに壇に置かれた位牌を見ながら、そう呟くのだった。

 

 

****

 

 

出ていったアーチャーがどこに行ったのか、アルテはすでに検討が付いていた。

 

集落から少し離れた湖畔。

 

この湖には、豊かな自然で育まれた魚が多く生息しており、村人にとっても格好の釣り場でもある。

 

だが、今は冬に近い時期。

 

魚の繁殖期も終わり、新しい命が育っていく時期だ。この時期の漁獲は村の掟で禁止されていて、解禁される春先までは、湖への人の出入りは少ない。

 

「アーチャー!」

 

その湖を一望できるポイント。少し小高い丘の上で、アルテの探し人はだらしなく足を広げながら、芝生に寝転がっていた。

 

「なんだよ、アルテ。狩人の話なら聞かねーぞ」

 

家を飛び出したときに持ってきたのか、読みかけの古文書を顔に覆い被せながら、アーチャーはやってきたアルテへ不機嫌そうにそう返す。アルテは寝そべるアーチャーの前まで歩き、腰を下ろした。

 

「全く、アンタも大概頑固よね」

 

アーチャーの顔に被さっている古文書を持ち上げながら、アルテは呆れたような目でアーチャーを見る。

 

「ほっとけ」

 

いつものことだろ?、とアーチャーもアーチャーで、めんどくさそうにアクビを掻いて、寝そべっていた体を起こした。今日は晴天。透き通ったディープブルー色の湖は、透き通った日差しを幻想的に水面に写し出しされていた。

 

「ねぇ、アーチャー」

「なんだよ」

 

その光景を何も言わないで見ていると、隣に腰かけていたアルテがアーチャーの顔を覗き込む。

 

「アーチャーの夢って、何?」

 

何の前触れもなく、アルテがそんなことを聞いてきた。

 

「夢ぇ?」

「そっ、夢」

 

怪訝そうな表情をしながら聞き返すアーチャーに、アルテは得意そうにフフン、と鼻を鳴らしながら笑う。

 

「夢って…さっき言ったろ?学者になるって」

「じゃなくて、なんで学者になろうって思ったのか聞いてるの!」

「はぁ?」

 

そう言うなり、アルテは湖畔へ視線を戻した。体育座りのように膝を抱えたアルテは、顎を膝へ乗せて、膝を抱えた手をギュッと締める。

 

「私は、お父さんやお母さんみたいな、立派なハンターになりたいから、ハンターを目指してる」

 

幼馴染みのアルテの家は、代々集落の中でも指折りに入るハンター職の一家だ。

 

まだアーチャーがハンターを志していた頃、ナイフの使い方や、野性動物の習性、ほどけ難い縄の結び方など、アルテの父親から様々なことを教わった。アーチャーもよく覚えている。まぁ、両親が死んでからと言うもの教わる機会は無くなったが。

 

「アーチャーは、なんで学者になりたいの?」

 

アルテが膝を抱えたままアーチャーへ視線を戻した。昼の晴天に照らされた幼馴染みの表情は、湖畔に写った光のように幻想的で。頬が熱くなる感覚を覚えたアーチャーは、思わずアルテから視線を逸らす。

 

「笑わない?」

「笑わないわ」

 

アーチャーは、視線を逸らしたまま、気恥ずかしそうに頬をポリポリと掻く。だが、その表情は、どこか決意したような雰囲気を感じさせるものだった。

 

 

「--俺は、なにが正義か。それが知りたい」

「正義?」

 

アルテは少し不思議そうな顔をしながら、そう同じ言葉を返してきた。アーチャーは気にしない様子で、湖畔を眺めながら言葉を続けた。

 

「じっちゃんとか村の皆は、狩人として生きることが幸せなんだって言ってるけどさ。

事実、俺たちは、狩った獣の肉や捉えた密漁者とかの褒賞金で生きてるわけだろ?」

 

密漁者を捕まえ、保安所に突き出しては褒賞金を貰い、獣を狩って食料を得る。それが今まで暮らしてきたアーチャー達、集落の人々の生活だ。

 

「けどさ。それは生活するための過程で、正義なんかとは全然違う」

 

獣を狩ることが正義?

 

密漁者を捕まえ、褒賞金を受けとることが正義?

 

そんな正義、アーチャーには納得できるものじゃなかった。

 

両親が死んだあの日。

ハンターとして生きることに疑問を持ったあの日から、ずっと。

 

「死んじまった父さんや母さんは村の英雄なんて言われてるけどさ、正義ってなんなんだろうって…人を守るのか、それとも人を救うのか…」

 

だから、知りたい。本当の正義ってモノを。

 

「--父さんが言ってた」

 

アーチャーは湖を見ながら、過去に過ぎ去った父との語りべを思い返していた。確か、あの日も晴天で、この場所に父と二人で来ていた。

 

 

〝――この世界はとても広い。アーチャーが、まだまだ見たことのない物や、文化や技術が、この世界そのものが無限に広がっているんだよ。〟と。

 

 

「世界中を回って色んな人とか文化とかに触れれば、見つかると思うんだ。本当の正義っていうものがなんなのか」

 

湖から舞い上がった風が、アーチャーとアルテの髪を揺らした。アーチャーが照れくさそうに話終え、アルテは数秒間を置くと。

 

「―――ぷっ」思わず、と言った様子でコロコロと鈴を鳴らすような音色でに笑う。

 

「なっ…なんだよ、笑わないってさっき言ったじゃんか」

 

そんなアルテに、アーチャーは顔を恥ずかしそうに赤らめ、ムスッと不機嫌そうにそっぽを向いた。アルテはひとしきり笑ってから、「違う違う」と言った。

 

「何が違うんだよ」

「うん…まぁやっぱりアーチャーはすごい頭いいんだね、アタシには考え付かないよ」

 

まぁコイツ昔から座学とか苦手中の苦手だったしな。そんなことを思っていると、隣に座っていたアルテがいきなり立ち上がった。

 

「うんうん、本当の正義を調べる学者さんかぁ!」

 

アルテは晴れきった空を見上げながら、嬉しそうにそう空へ向かって答えた。まるで、自分のことのように。嬉しそうに。誇らしげに。

 

「待て待て、なんでお前がそんな嬉しそうなんだよ?」

 

そんな彼女のはしゃぐ様子に、アーチャーが呆れたように問い掛けると、アルテはまた「ふふん」と得意そうに胸を張る。

 

「アーチャーが正義を調べる学者さんなら、アタシは正義の狩人さんだね!」

 

「はぁ!?」得意気に言い切ったアルテの言葉に、アーチャーは読みかけていた古文書を放り投げた。読んでいたページに挟んでいた栞と古文書が鮮やかに宙を舞う。

 

「なんで驚くのよ」

「なっ、がっ!?」

 

当たり前だろ!?、と言いたいが突拍子無さすぎて呂律が回らない。顔を真っ赤にしながら、魚のようにパクパクと口を動かしながら硬直するアーチャー。アルテはアーチャーから湖畔に視線を戻しながら、ホントに柔らかく、優しげに微笑んだ。

 

「良いと思うよ、アンタの夢」

 

ただ、それだけ。それだけの言葉で、アーチャーには確かに伝わった。〝あぁ、認めてくれたんだ〟、と。

 

今まで否定され、小バカにされるだろうと怯えて、胸に抱え込んでいた想いを、彼女は認めてくれたんだ、と。赤くなった頬は、そのままだが、気恥ずかしさは無くなった。

 

「--アルテ」

「仕方ないから、私は応援してあげるよ!アーチャーの夢!」

 

アルテはアーチャーに向き直ると、人懐っこそうに微笑む。

太陽の陽を背中に受けて、照らされた幼馴染みの笑顔。

それが、やけに愛しくて、その瞬間が、アーチャーの脳裏に焼き付いた。

 

「――仕方なしかよ」

 

照れくさそうに。いや、照れ隠しで、アーチャーがアルテに悪態を付く。

 

「あと、たまにはおじいちゃんの言うことも聞いてあげなさいよ?」

「やなこった」

 

アルテは「全くもう」と不機嫌そうに呟きながら、アーチャーの隣に寄り添って、彼の頭に自分の頭を寄りかける。

 

それだけで、二人はお互いに幸せを感じていた。

 

そう。

 

幸せだった。

 

 

 

 

あの瞬間が、来るまでは――――。

 

 

****

 

 

深き原生林の夜。

 

そこには人工的な明かりはない。

 

そんな鬱蒼とした森の中、棒の先端に油脂系の発火ランプをぶら下げながら、アーチャーは、集落へ続く山道を歩いていた。

 

「ったく、じっちゃんめ…捌いた毛皮くらい自分で渡しに行きゃいいのに」

 

その日、アーチャーは祖父に収穫品の卸売を言付けられていた。

 

場所は集落のある原生林から離れた街だ。集落から街へ出るには、山道を幾つか越えなければならない。アーチャーは朝方に集落を出たのだが、戻る頃にはすっかり陽が沈んでしまっていた。

 

「ま、店のおっさんにイノシシの肉貰ったから良しとすっかー」

 

街へ向かっている時、アーチャーが担ぐかごには、獣の毛皮や骨で作った武器や装飾品がてんこ盛りに入っていたが、それはすべて街で売りさばいてきた。かわりに顔見知りの店の店主から貰った、香辛料が擦り込まれ薬紙に包まれているイノシシの肉が入っている。

 

「アルテのやつ、喜ぶかな?」

 

肉が好きな幼馴染みが、美味しそうにイノシシ鍋を頬張る様子を想像すると、自然に頬が緩む。

 

「って何考えてんだ俺はぁ!そんなつもりなんかないんだからな!」

 

と、アーチャーはハッとしてブンブンと手に持つランプを振りながら早口にそう言い訳をした。言い終わって、返ってくる返事はない。聞こえるのは森の木々が風に揺れる音だけだ。

 

「誰に言い訳してんだろ、俺」

 

はぁ、と図上に広がる星を見上げた。人工的な灯りがないからか、山道から見上げる星空はやけに輝いて見えた。

 

「久々に街に降りたから、やけに道が長く感じるなぁ……あれ?」

 

星を見上げながら、しばらく歩いていると、下からやけに明るい光が夜空を照らしている。視線を戻すと、下から広がる薄光は、アーチャーが歩く山道のまっすぐ先の方から出ている。山道から丁度先にある小高い丘を越えれば、集落はもう目と鼻の先だ。もう幾分か歩けば、丘から集落全体が一望できだろう。

 

「集落の方がやけに明るいな。〝壇祭火〟でもやってんのか?」

 

アーチャーの村では、暦にちなんで祭壇へ炬〝たいまつ〟が灯される夜がある。

 

それは、集落に昔から伝わる神をお迎えする神聖な儀式であり、村のみんなでご飯を食べたりするちょっとしたイベントでもあった。

 

「けど、みんなそんな準備してなかったよなぁ」

 

祭壇火を灯す日は、前日ないし当日の朝から準備がはじまる。

 

だが、アーチャーが卸売に出かけた辺りではそんなイベントに備えた準備をする様子など全く無かった。

 

どちらにしろ、祭壇火が灯っているのはラッキーだ。

 

このイノシシ肉を土産に、アルテの母親にでも美味しい鍋でも作って貰おう。そんなことを思いながら、アーチャーは足軽く坂道を駆け上がり、小高い丘を抜ける――――。

 

「――――え?」

 

だが、丘を抜けたアーチャーが見た光景は、彼が想像していたものとはまったく違うものであった。

 

「家が…燃えてる!?」

 

近所の歌好きなおじいちゃんの家。

 

祖父と二人暮らしを気遣って、日用品や食料を分けてくれたおばさんの家。

 

毎日のように、自分の家にやってきていた幼馴染の家が――燃えていた。

 

アーチャーは、体が自分のものでは無いような感覚に陥り、轟々と燃え上がる自分の住む村を見ながら、ただ呆然と立ち尽くした。

 

なぜ自分の村が燃えているのか?いったい何があったのか?みんなは無事なのか。そんな自問ばかりが頭の中をグルグルと巡りだす。

 

「じっちゃん…アルテっ!」

 

原因のわからない惨事に、竦みそうになる心を、ぐっと律する。油脂式のランプを消して、かごの中へ突っ込むと、アーチャーは飛ぶような早さで丘を駆け下りた。自分の大切な人の無事を祈りながら。

 

 

****

 

 

「くそっ…一体なにがあったんだよ!」

 

焔に包まれる集落の中を、アーチャーは駆けた。

 

走っている最中に見える村の様子は、酷いものであった。通り過ぎる家の壁面は、まるで何かが爆発したかのように吹き飛んでいる。集落の中も、燃え盛る家屋や飛び散った瓦礫などで行く手が塞がり、まるで迷路のようになっており、まともに行き来できるような状態ですらなかった。行き先を遮る瓦礫を避わしながら、アーチャーは自分の家に向かう。

 

「あ、アーチャーか…っ」

 

村の中心部にあるアーチャーの家が見えてきた時。道脇から弱々しい声が聞こえた。駆けていた足を止め、アーチャーは声がした方へ身構える。声をかけてきた人物は、見知れていた人物であった。

 

「アルテの親父さん!?」

 

アーチャーは壁に持たれ倒れているアルテの父親の元へと駆け寄り、起き上がらせようと手を掛ける。

 

「おじさん!大丈夫か!?」

「俺は大丈夫だ…だが、体が動かん…っ」

 

ところどころに切傷があるが、どれも致命的な怪我ではない。だが、まだ動けるはずの彼の体はまるで動けずにいた。

 

淡い幻想的な光を放つ、光輪によって。

 

「なん…だよ、これ」

 

幾つもの光輪が、まるで罪人を捕縛するように、アルテの父親の体を拘束している。アーチャーが恐る恐る光輪に触れてみる。熱や痛みは感じはしないが、まるで鉄のような冷たい感触が手に伝わってきた。

 

「どんなカラクリかわからんが…自力でも抜けれないんだ…」

 

何度か試したのか、光輪が掛かっている腕や足は抵抗した際に出来たアザや出血がところどころに見られた。

 

アルテの父親は、この集落の中でも指折りに入る腕利きのハンターだ。その実力に似合うほど、アルテの父親は強い。未熟なトラップや罠など容易く破ることができるはずだ。そんな彼が、全くと言っていいほど抵抗できない捕縛トラップ。

 

それだけで、アーチャーには集落を『めちゃくちゃ』にした得体の知れない脅威を察することができた。

 

「――おじさん…アルテは?」

 

アーチャーはアルテの父親を起き上がらせると、小さく呟くようにそう問いた。

 

「――族長を助けると言って…アーチャーくんの家へ向かったはずだ」

「わかった。それだけ分かれば充分だ」

 

それだけ言うと、アーチャーは、アルテの父親の傍らに落ちているハンター用の戦闘具を持ち上げ、手に、腕に、脚にと手慣れたように甲冑を装着する。

 

「おじさん、ナイフと手甲、借りるよ」

 

革製のナイフホルダーに収まっている刀身を少しだけ出して、刃の状態を確認し、直ぐ様仕舞う。その目は、獲物を狩る間際に見せる猛獣の眼光のように鋭い。

 

「待て…っだめだ…君が敵う相手じゃ…っ」

「ごめんな、おじさん。けど、俺は止まる気は無いよ」

 

歴戦のハンターからの忠告を聞かずに、アーチャーは鋭く呼気を吐き出すと、一直線に目的地と定めた場所へ駆け出していった。

 

 

****

 

 

「集落にいる武装勢力はすべて捕獲しました」

「はい、ご苦労様」

 

アーチャーと祖父が住む族長の家は、管理局所属の調査部隊によって制圧されていた。屋敷内には、調査部隊によって捕縛された村の住人が幾人も床に転がっている。その中に、アーチャーの幼馴染みであるアルテや、アーチャーの祖父の姿もあった。

 

「貴様ら…!」

 

族長であるアーチャーの祖父は、ゾッとする鋭い眼光で、涼しげな顔で部下に指示を出す部隊長を睨み付けている。

 

「あー、族長様?我々、時空管理局は、あなた方が保有する危険遺失物〝ロストロギア〟を回収したいだけなのですよ?」

 

手足をバインド魔法で拘束されて壁に背中を預ける形で座らされた族長へ、部隊長は同じ視線の高さまで腰を下ろして言う。その言い種は、まるで相手を小バカにしているようにも見えて、気の短い族長の神経を逆撫でた。

 

「はっ!時空管理局など、そんなオカルト連中などに、我らの宝具をのうのうと渡せと言うか!」

 

族長は、部隊長を見据えながら、そう叫んだ。

 

この集落には、太古の昔、偉大なる戦士「ヘグニ」が持っていたとされる剣が代々受け継がれてきた。

 

剣は誰にも抜かれず、触れられずに祭壇の奥へと続く祠の中で奉られている。

 

剣は大いなる恵みを与えると同時に、抜かれれば多大なる悲しみをもたらすと、村に語り継がれてきた。だからこそ、族長になる者、その一族は村の平和と秩序を守るために『剣の守り人』としての性質も兼ね備えていた。

 

――ただ唯一。過去に剣が目覚めかけたことがあった。そのせいでアーチャーの両親が命を落とすことになった。

 

「あなた方にとって、アレは宝具かもしれません。ですが、あのロストロギアは歴とした危険遺失物。別次元ではありますが、過去にひとつの世界を滅ぼした物なのですよ」

 

アーチャーの両親が死んだ日。その膨大な魔力を探知した管理局が、村の宝具、つまり危険遺失物《ロストロギア》の回収に乗り出したのだ。

 

「わかりますか?貴方達が崇める物の危険性が。そんな危険な物を、なんの対策もされずに放置することなど出来ません。だから我々が――」

「黙れ…」

 

異様なまでの低い声と殺気が、族長から滲み出る。他の管理局員が息を飲んだが、部隊長は怯まなかった。

 

「それに反対した我々を攻撃し、捕縛して、あまつさえ持ち帰ろうと言うのか?貴様らがやっていることは…侵略と違いないわッ!」

 

気迫に満ちた声で、族長は一括する。『守り人』として生きる族長が、剣を崇め続けてきたこの村の住人たちが、管理局の話になど同意するわけがなかった。

 

あくまで持ち帰ろうとする強行な姿勢を見せる管理局と武力衝突することは必然であった。呆れたように部隊長は、ため息を吐く。

 

「先に攻撃してきたのは、あなた方でしょう?我々はそれに対処したまでです」

「よそ者がぁ…」

 

苦虫を噛み潰すような表情をする族長を気にしないで、部隊長はデバイスから表示された通信端末を開く。

 

「封印班。そちらの状況は?」

《はい。危険遺失物『ダインスレイブ』を祠内部で発見しました。これより封印措置に入ります》

 

モニターの向こう側では、すでに祠へ入った封印班が、突き立てられ、深紅の鎖で納められた剣に封印措置を行う準備に追われていた。

 

「ご苦労様、では封印を――」

 

その瞬間、満足そうに微笑む部隊長の直ぐ後ろにあったガラスが、音を立てて割れた。ガシャン、と砕ける音が部屋中に響くと共に、部隊長の足元で何かが転がる。

 

「――石?」

 

外から石が投げ込まれた。そんなことを冷静に理解した時、部屋内にいる管理局員が呻き声を上げながら床へ倒れた。局員の肩には、弓矢が深々と突き刺さっている。

 

それを見たと同時に、その場にいる全員が自分達が「奇襲」を受けたと言うことを理解した。

 

「全員固まれ!」

 

一人の局員がそう言うが、その時既に数発の弓矢が部屋内へ撃ち込まれおり、その切っ先は数人の局員の肩や胴を捉えた。

 

「屈め!窓から離れるんだ!」

 

全員が窓から離れ、それぞれ背中合わせになるように密着する。野外や空でなら話は別だが、この限られた空間である部屋内で、単独行動をするのは危険だ。数発の矢が飛び込んでくるのを、魔法障壁で防いでいると、途端に矢の雨が止んだ。防御を緩めず、一人の局員が窓から外を見渡す。

 

「なんだ、これ」

 

窓からすぐそばにあったのは、地面に杭で固定された弓と縄、そして木材と金具で作られた道具があった。まるでその配置は、何かの発車装置のようにも思えた。

 

その時、窓から外を見渡す局員の首もとに何かが掛かった。

 

「え――う、うわああああああ!!」

 

引っかかった〝何か〟がピンと張り上がり、局員は叫び声と共に窓から外へと引きずり出された。外へと引きずり出された叫び声は、遠くなりすぐに聞こえなくなった。固まっていた何人かの局員が、慌てた様子で仲間が消えた窓へと近付いた。それが襲撃者の狙いとも知らずに。

 

部隊長の真上から影が振ってきた。

 

「―――そちらからか!」

 

いきなり振り掛かってきた閃光を、デバイスの警告で気付いた部隊長が魔法障壁で受け止める。

 

普通ならば、背後から一撃を喰らわされ、行動不能になるだろう。それほどの奇襲にも関わらず、その一閃を受け止めたのは仮にも部隊長であり、経験から培ってきたモノで成せる技だ。

 

「新手か!」

 

改めて、部隊長は武器である『デバイス』構え直して、背後から迫った正体不明の襲撃者から身を引く。同時に、あまりの手際の良い奇襲で見えなかった姿を、ようやく見ることができた。

 

「――今ので、決めるつもりだったんだけどな」

 

咄嗟に身構えはしたが――襲撃者はなんと子供だ。

 

「アーチャー…?」

 

バインド魔法で拘束され、床に転がっていた幼馴染みのアルテが、ゆらりとナイフを構えるアーチャーを見て驚いた。戦うことから遠退いていたはずのアーチャー。

 

だが、ナイフを構えるその姿は、まさに獲物を狩る狩人そのものだ。

 

先ほど、局員を襲った矢の攻撃も、縄で外へと引き出した事も、すべて村に伝わる罠技法だった。アルテも、父から罠の仕掛け方を教わったが、あまりにも複雑で覚えるのに数ヶ月も掛かった。

 

そんな罠を、長年〝狩り〟から離れていたアーチャーが仕掛けたのだろうか。ナイフの構えだけ見ても、素人の動きじゃない。その身構えた領域には、一切の隙も感じさせなかった。

 

「てめぇら…」

 

バインドで拘束された村の人や、燃える家屋を見てもなんとか堪えていたが、拘束されたアルテと祖父を見た瞬間に、アーチャーの中の怒りが限界を超えた。燃え盛るような瞳で局員たちを睨みつける。

 

アーチャーは感情的には怒っていたが、行動は極めて冷静だった。

 

敵との間合いを見定め的確に動き出し、周りの局員が手出しできないよう、部隊長と自分しか戦えないような間合いを取っていた。

 

魔法が使えなくとも、すでにアーチャーは管理局の魔導師と互角に近い戦闘技術と勘を持ち合わせていた。それは努力では得られない天性的なアーチャーの才能だ。

 

部隊長とアーチャーの闘いを眺めることしかできない部下達は、食い入るようにアーチャーの動きを見た。何度も空を跳び、危険な目にもあっていたため、この少年がどれほど危険で、どれほどの驚異になるか、簡単に理解できた。

 

「じっちゃんとアルテに…何しやがったあぁッ!」

 

猛獣のように猛る眼光を光らせながら、アーチャーはゆらゆらと構えていた体制から一気に屈んで、地面とほぼ水平にになる姿勢となって、デバイスを構える部隊長へ駆け出した。

 

魔力に頼らないその身体能力に、対面する部隊長は素直に驚いていた。だが、ただ早いだけだ。その驚異的な速さに、部隊長のデバイスを構える動作がほんのわずかに遅れる。部隊長の周りに幾つもの光弾――魔力スフィアが出現し、駆けるアーチャーへと飛翔した。

 

「そんなので足止めかッ!」

 

ほんの僅かに遅れた動作から成された攻撃。

 

真っ正面から対峙したアーチャーは、魔力スフィアの動きを見切った。木材の床を蹴りだし、ジグザグな動きをすると、部隊長から放たれた魔力スフィアはアーチャーの脇を掠め壁や床にぶつかる。

 

「どっこい本命だよ…!」

 

アーチャーが魔力スフィアを避わしたことに動ずることはない。寧ろ、背後からの初撃の動きを見て、観察した結果から魔力スフィアを避すことは予測出来ていた。部隊長は、本命であるチャージを終えたデバイスの切っ先を迫り来るアーチャーへと構えた。

 

「シュート」

 

最短のショートチャージからなる短距離の直射魔法が、デバイスからアーチャーへと標的を定める。その瞬間、部屋全体が魔力による光と爆音に包まれた。

 

「隊長!アンタ…一般人に砲撃魔法を!?何を考えてるんだ!」

 

部隊長のすぐ側に控えていた部下が、ためらいなく魔法を使用した部隊長へ非難の声をあげた。ただでさえ、防衛のためとは言え村人をバインド魔法で拘束しているというのに、更に砲撃魔法を使うなど、管理局の原則に背く行為だ。

 

「別に構わないでしょう、ボーン空一尉?加減はしたし、なにより非殺傷設定なんだからさ。死にはしないさ」

 

砲撃魔法により、舞い上がった誇りを背中に部隊長は悪びれた様子もなく部下へそう言った。

 

「それに、〝二佐〟である私に、そんな意見ができるのかな?ジェームス・ボーン一等空尉?」

 

君は自分の立場をわかっているのかい?

 

そう言う部隊長を、部下である男性は睨み付けた。だが、管理局での関係は部下と指揮官。むやみに命令に背けば、部隊を危険に晒すことになる。男は不満そうに眼を潜めながら、村人をバインドする作業へと戻る。

よろしい。まぁ気絶しているだろうから、この坊やもバインドで」

 

部隊長がへらへらしながら、アーチャーが倒れているだろう場所へと、手探りで歩いていた時、ギシッ、とまるで木か何かが軋むような音が頭上の方から聞こえた。

 

「ん?」

 

音を微かに聞き取った部隊長が、上を確認する。だが顔を上げる間と同じタイミングで、真上から影が落ちてきた。ギラリ、と鈍く光る残光が、部隊長の肩から脇腹辺りへ伸びる。

 

「――ッ!?」

 

部隊長は咄嗟に体を逸らした。鈍く光る残光は、部隊長の胴体を引き裂く軌道にあったが、部隊長が体を逸らしたため、脇腹を掠めるだけに留まる。

 

「うぐっ…!」

 

ズバッ、と鋭利な刃物が部隊長の脇腹を掠める

 

。そのまま部隊長は、後ろへ飛ぶような形で後退した。ポタ、ポタ。部隊長の脇腹あたりから鮮血が染みだし、床へと滴り落ちる。だが、部隊長は痛みで顔をしかめるわけでもなく、ただ驚愕したような表情で、先程まで自分がいた地点にいる――ナイフを構えたアーチャーを見ていた。

 

「ぐっ…どうやって砲撃魔法を…!」

 

痛みに耐える部隊長の声を聞いて、アーチャーはニヤリと口元をつり上げた。

 

手に持っている〝ワイヤー〟をグンっと引っ張る。

 

いや待て、コイツはどこから〝ワイヤー〟を出したんだ?

 

アーチャーの手にあるモノに疑問を抱いていた時、部隊長の頭上から、ぴんっと何かが引っ張られるような音がした。それは天井からアーチャーの手元に向かって吸い込まれていく。〝飛んできたもの〟を受け止めたアーチャー。その手の中には一つの武器が納まっていた。杭のような切っ先と柄の後部からはワイヤーが取り付けられている道具。

 

「まさか…!」

 

部隊長は自分がいる場所から真上を見上げた。天井の梁には、何かが突き刺さったような痕が残っている。アーチャーの持つ杭のような切っ先をした道具は、おそらく投擲用の武器だ。それを天井に幾つも渡された梁へと突き刺し――後部から出るワイヤーを手繰って砲撃を跳んで避した。

 

その動作を、ショートチャージが当たる直前にしたのか?

 

咄嗟にそんな行動を?

 

だとするなら、素早い反射神経と絶対的な自信がなければ、そんな真似はできない。

――あり得ない。部隊長は屈辱にゆがんだ唇を僅かに動かして、小さくそう言った。

 

「--すごい」

 

一部始終の見ていたアルテは、アーチャーの驚異的な戦闘センスを目の当たりにして驚愕する。アーチャーの体の動き、それはまさに狩人の動き。すでに完成されたものに限りなく近い。

 

「…やはりか」

 

族長は長年、自身の孫であるアーチャーの驚異的な身体能力を見てきた。

 

二階から飛び降りても音もなくスムーズに着地する体重の移動。それを可能にするバランスセンス。訓練を怠っているというのに、アーチャーの身体能力とセンスは、衰えることはなかった。長年腑に落ちなかった何かが納得できた。

 

アーチャーの両親は、一流のハンターと呼ばれるほどの技量と才覚を産まれもって得ていた。その両親の息子であるアーチャーが、これほどの鬼才を持っていたとしても不思議じゃない。

 

先天的な戦闘センスや、類い希なる勘。元々持っていたアーチャーの才能が、怒りと共にそれを塞き止めていたタガを外れ、開花したのだろうか。

 

「二人と村の皆を解放しろ…でないと、今度は首を切り落とす」

 

部屋を照らす灯りをナイフの刀身に反射させ、アーチャーは部隊長の顔を切っ先で捉える。

 

刃物のような鋭く冷たい眼光で睨み付けるアーチャーの表情には、まだ余裕があるようにも感じられた。

 

「このガキィ…」

 

その眼を見た瞬間、今まで平静を保っていた部隊長の表情が変わった。

 

出血する脇腹辺りを抑えている手を外し、ゆっくりとアーチャーへ向けて構える。その動作を見て、アーチャーも身構えようと体を沈めようと力を下半身へ込めた――その途端、アーチャーはまるで体中の筋肉、筋が金属のように固まる感覚を覚えた。

 

「か、体が…」

 

全く体が動かない。

 

呼吸や話すことは出来ても四肢が全くもって動かなかった。

 

視線だけ動かして、アーチャーは身体の前へと構えていたナイフを見る。そのナイフを持つ腕には――さっき見たアルテの父親や、アルテと祖父の身体を拘束する〝光輪〟が光輝いていた。

 

「ふんっ!」

 

部隊長が、アーチャーへ構えた腕を横へ振る。その振った同じ方向へ、バインド魔法で拘束されたアーチャーの体も連動するように動き、木製の壁へと背中から叩き付けられた。

 

「ガハッ…!」

 

壁にぶつかった衝撃は、遠心力で更に上乗せられ、アーチャーの体を貫く。

 

木が軋む音がはっきりと聞こえた。持っていたナイフは衝撃と痛みでアーチャーの手から落ち、部隊長の足元へ突き刺さった。部隊長はバインド魔法を操り、壁へ張り付けられたアーチャーの四肢を、まるで十字架に張り付けたような体制へと変える。

 

「ぐ…あっ」

「おい、やめろ!相手は子供だぞ!」

 

その部隊長の奇行に堪えられなくなった局員が、部隊長の肩を掴んだ。その止めに入った局員を、部隊長はゾッとするような虚ろな目で見据え返していた。

 

「なんだ、君には私が受けたこの傷が見えないのか?君の目は飾りなのか?」

 

部隊長は血走った眼差しでそう言うと、足元に刺さるナイフを拾い上げた。

 

「血が流れる、この傷が見えないのか。このナイフで傷を付けられたんだ。なぁ、わかるだろう。コイツは危険だ」

「だったらバインド拘束だけで充分だろう!?」

「うるさい!こちらは最初から話し合いで事を済ませるつもりだったんだ!攻撃を仕掛けてきたのはコイツらだ。こっちは非殺傷設定で殺しはしない、だが向こうは?それは向こうが殺しに来てるからだろうが!」

 

その怒気を孕む部隊長の叫びは、まるで子供染みた幼稚さがあった。受けた傷の痛みと屈辱さで、彼は冷静さを完全に失っていた。

 

「血を流す痛みを持って解らせなきゃならないんだよ!コイツには、その報いは受けてもらう」

「やめろ!それが、管理局の魔導師がやることか!」

「黙れぇ!一等空尉の癖に、三佐の私に指図するな!身をわきまえろ!」

 

プライドを傷つけられ、我を忘れた部隊長は、止めに入った魔導師を突き飛ばして、壁に磔にされたアーチャーへ視線を戻す。その歪んだ笑みを孕む表情は、アーチャーに本能的な恐怖を感じさせた。

 

「く…そっ…」

「アーチャー!!このバカ…やめろ!!」

 

すぐ傍で身動きが取れずに床へ伏せているアルテが、部隊長か魔導師かに掛けられたバインド魔法から抜け出そうと必死に抵抗する。だが、バインド魔法は強力で、簡単に抜け出されるものではない。抵抗するアルテの腕や足の肌が、バインド魔法に締め付けられ青紫色に滲んでゆく。

 

「大丈夫だよ、ボウヤ。殺しはしない。ただ――」

 

そんなアルテの抵抗も虚しく、部隊長は、歪な笑みを浮かべながら磔にされたアーチャーへ拾ったナイフの切っ先を構えた。

 

「このナイフで――私と同じように、同じ痛みを感じるだけさ!」

 

凶器に満ちた表情をしながら、部隊長はナイフを振りかぶる。抵抗しようのないアーチャーはせめて痛みを耐えようとぐっと身体へ力を込めた。その瞬間――部隊長からナイフがアーチャーへ振り下ろされる。

 

「アーチャー!だめっ!!」

 

部下であろう何人かの魔導師たちの静止の声が耳を掠める中で、はっきりと幼馴染みの叫んだ声をアーチャーは聞き取った。

 

「――え?」

 

視線を前にあげると、そこにはいるはずのない彼女がいた。自分を守るように、悠然と両手を広げながら――直後、鈍い打音が響く。

 

「――アルテ?」

 

信じられない。そんなアーチャーの小さな問いかけに、アルテは答えなかった。か細い彼女の体が、磔にされたアーチャーへと傾く。

 

「あ…あぁ…」

 

顔を青ざめさせながら、部隊長が二、三歩と後ろへ後ずさっていた。

 

集中力が切れたのか、アーチャーに施されていた拘束魔法も解除され、アーチャーは倒れてきた幼馴染みを受け止める。

 

倒れてきたアルテの頭と背中を抱き抱える形で受け止めたアーチャーの手に、生ぬるいそんな感覚が染み渡った。そのまま動かないアルテを支えながら、アーチャーは手に染み付いた生ぬるい何かを確認する。

 

「アル、テ―――?」

 

 

手に付いていたのは、真っ赤な鮮血だった。

 

 

アルテの胸元に、深く突き刺さるナイフが見えた。

 

おいアルテ――冗談やめろよ。

 

起きろよ。

今日はお前の好きなイノシシの肉を貰ったんだぜ?起きないと全部俺が食っちまうぞ?

 

思い付く限り、そんな事を言っても、まるで糸が切れた操り人形のように、力を、生気を、全く感じられないアルテの身体が、少しずつ、冷たくなっていく。手に染み続ける生ぬるい血が、否応なしにアーチャーへ、あまりにも突然すぎる現実を、容赦なく突きつける。

 

「――アルテ…起きろよ…死ぬなよ…。死ぬな…アルテ…アルテッ!」

 

すべての感覚が遠くなって行く。抱きしめても、優しく語りかけても、もう彼女は、笑ったりしない。怒ったりしない。はにかむように恥ずかしがりもしない。あの笑顔も、もう見ることができない。宝具も、村も、家も、そして――幼なじみも。

 

すべてが奪われた。

 

なんでこんなことになってしまったんだ。

 

俺たちは、ただ、いつもと同じように、穏やかな時間にいたはずなのに。

 

何が狂ったんだ?何かが狂ったんだ。

 

「お、おい…冗談やめろ、私は…私は殺す気なんて…!!」

 

「――本隊に通達する、お前は黙っていろ」

 

 

――コイツらだ。コイツらが来たせいで。

 

 

「――――ざけるな」

 

 

――管理局が――時空管理局が来たせいで。

 

 

「ふざけるな…ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなぁ!!!」

 

 

頭の奥がビリビリと麻痺するような感覚。

 

ただ普通に暮らしていただけなのに。

 

「魔法」と言うデタラメな力で、何もかもが一瞬で壊された。

 

 

そんな不条理さが、納得できなかった。からだ全体の血が沸騰しているような熱さ。怒りのせいなのか、憎しみのせいなのか、自分の未熟さの悔しさなのか、アーチャーの視界は真っ黒く染まり、何も見えなくなって行く。

 

 

「ああああああぁぁぁッ!!!」

 

 

野獣の咆哮なんて生温い。この世のものじゃないような憎悪にまみれたアーチャーの絶叫に、その場にいたすべての人間が戦慄した。

 

《…っ――デー!――メーデー!こちら封印班!ロストロギア《ダインスレイブ》から急激な魔力反応が!こちらでは封印措置が…うああああああっ!!》

 

動かなくなったアルテを抱き抱えるアーチャーの背後。その先にある祭壇。奥へと連なる祠が、閃光に包まれた後――轟音を轟かせて爆発した。

 

その爆発の光を切り裂いて、一刀の剣がアーチャーたちがいる屋敷の天井から貫き落ちてきて、アーチャーの目の前に突き刺さる。

 

――ドクン。――ドクン。

 

剣からそんな鼓動を感じる。

 

その禍々しさに、アーチャーを除く全員が吸い寄せられるように見入っていた。過去の戦士が持っていたとされる伝説上の魔剣。

 

管理局にとって、それは指定危険遺失物。

 

 

 

その剣の名は、《ダインスレイブ》。

 

 

 

その剣が、新たなる宿主を選んだ瞬間だった。

 

アーチャーの手が、ダインスレイブへ伸びる。

 

「握るな!アーチャー!その剣は――」

 

祖父の緊迫したような、そんな声が聞こえたような気がした。

 

わかっている。そんな気がした。

 

この剣を握ることが、何を意味することなのかを。

 

わかっているような気がした。

 

けど今は、

 

 

 

 

――そんなこと、どうでもよかった。

 

 

 

 

「ああぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちら、時空管理局、第三小隊所属救援隊。

 

現在、消息を絶った調査隊並びに封印班が最後に確認された現場に到着しました。

 

こちらの状況は…簡潔に言えば絶望的です。

 

死傷者を多数確認しました。調査隊長及び調査隊員、封印班の消息は未だ不明。怪我人の中に、リンカーコアが非常に衰弱した少年を発見しました。

 

彼が持っていた剣を確認したところ、強大な魔力反応を内包している事が確認されました。恐らく、封印班が発見したロストロギア《ダインスレイブ》だと思われます。

 

これより、《ダインスレイブ》並びにそれを保有していた少年、及び負傷者の保護を開始します。通信完了。

 

 

(危険遺失物管理課、機動一課第三小隊での音声報告より)

 

 

****

 

 

その時のことは、よく覚えていない。

 

気がついたら、時空管理局の船の中にいた。

 

聞いた話によると、俺は《ダインスレイブ》を握ったまま、まるで大きな爆発があったような、荒れ果てた集落の残骸の中にいたらしい。集落に住んでいた村人や、調査に訪れた管理局魔導師も、わずかに生き残っただけ。

 

祖父の消息は――わからなかった。

 

結局、村の宝刀として奉られてきた《ダインスレイブ》は、管理局によって接収、封印された。

 

今でも夢にまで見る。

 

絶望した日々。

 

忘れられない、アルテの――幼馴染みの死も――何もかもが無駄だった。むしろ、支払った代償の方が多すぎた。得るものなど、何もなかった。残ったのは、幼馴染みが…想い人の冷たくなって行く身体の感触。剣によって多くの人の命を奪ってしまった罪悪感。生き残ってしまった孤独だけ。

 

管理局を憎んでいるはずなのに、その管理局に保護されたなんて、なんとも皮肉な話だ。

 

保護してくれた管理局の隊員たちが優しくて、その優しさが酷く憎くて、その優しさを「暖かい」と、他人事のように感じてしまっている自分自身が滑稽で、情けなくて。なんとも無力なんだろうか。

 

管理局の施設に移ってからと言うもの、どれほど無気力な日々を過ごしたものだ。朝なのか夜なのか、そんな時間感覚すら曖昧になるほどに。

 

今思えば、あのときの俺は死を望んでいたのかもしれない。いや、人としては〝生きていなかった〟だろう。何かに感動することもなく、何かを感じるわけもなく。ただ、息をしてそこにいるだけの日々。

 

 

そんな時だ。

 

あの男が、俺の目の前に現れたのは。

 

 

 

『何が本当の正義なのか――――知りたくないか?』

 

 

無気力で、何もかもを無くしてしまった俺の前に現れたその男は、不適な笑みを浮かべながら俺に手を差し伸べてきた。

 

その手を握った瞬間から、俺は、生まれ変わると決めた。何もかも失ったことに、ただ絶望することしかしなかった自分を殺して。

 

遠い昔に、幼馴染みに語った夢を叶えるために。俺が信じていた。こんな世界にでも「本当の正義」があるってことを。

 

 

なにが正義かを示すために――。

 

その為に俺は―――。

 

 

 

 

 

 

――NEXT

 



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9.反逆の狼煙



昔、アーチャーとこんな話をしたことがある。


「本当の正義っていったいどんなものだろう」。


俺はすぐに答えた。「今この世界の平和を守ることじゃないのか」と。

だが、アーチャーの考えは違っていた。

質量兵器の根絶とロストロギアの規制、管理による恒久的平和維持。だが、世界の本来の平和って、いったい何だ?、と。

管理局と、その反対派による武力衝突。各世界を闊歩する密漁集団。

そして今も、世界の大半で繰り返されている小競り合いと衝突。

そして、戦いが生み出し、戦いによって支えられてきた経済的繁栄。ミッドチルダの技術発展は、まさにソレだ。

そうだ、これがこの世界の平和だ。

生きるということを、どんな形であれ戦うことで勝ち取らなければ、生きることすら許されない世界。

多数が生きるため、その対価として少数の生け贄を支払う。

そして多数は、生きることが何不自由なく許された世界で、その事実から目をそらし続ける。

そんな、その矛盾した平和が、この世界の平和の中身だと思わないか?

そう、アーチャーの言うことは確かに一理あった。だが俺たちはただ小さな人間だ。ひとつの組織に組み込まれた歯車。

そんな俺達に何ができる?そんな平和でも、それを守っていくことが俺たちの役目なんじゃないのか?

アーチャーは俺を見て、ああ、それが誰もが考える平和の在り方かもしれないな、と、そう言った。

正義を言う者と、不正義の平和の差は、そう明確な、単純なものじゃない。血を代償に平和を得る戦いなんて誰も望んでいない。

誰もが現状の維持に必死なんだ。現状からその先を、誰も望んでいない。だからこそ、俺は、俺たちは、自分自身の信念を、正義を、信じられずにいる。

《時空管理局》という体制に取り込まれ、上から降りてくる価値観を鵜呑みにして、それが正義と信じ、それにそぐわぬモノが悪だと決めつけるばかりだ。その現状に誰もが違和感を感じていないんだ。その下で苦しめられてる人がいることも知らずに。

戦いが続く限り、この平和は続く。

平和が続く限り、また戦いを生む。

それが本当に正しいと言えるのか?

何も不自由もない人々は、遠方で起こる事件や事故を、戦いを眺めるだけで、その成果だけはニュースや情報誌で、哀しい出来事なのだと、他人事のようにちゃっかりと受け取っている。

形だけの同情と一緒に、世界の向こう側へ争いを押し込める。ここがその押し込めた場所と同じであることも忘れて。

だからこそ、この均衡はいつしか崩れる。
それ相応の代償を払うことによって。




俺は何でアーチャーがそんなことを言ったのか、深くは考えていなかった。

アーチャーに問う、何故そんなことが言い切れるのか。

何故、わかるかって? それは俺たちが人間だからだ。


あぁ、そうさ。戦いなんて、とっくに始まっている。

問題なのはそれにいかにケリをつけるか…それで人は納得できるのか…、ただ、それだけだ。


そう言ったアーチャーの瞳には、強い意思と共存するように、深い哀しみを孕んでいるように、俺には見えていた。









 

 

時空管理局、ミッドチルダ地上本部。

 

早朝にも関わらず、管理局所属の魔導師は、合同グリーフィングなどが行われる多目的ホールに招集を掛けられていた。ライリーも、その召集に含まれている。

 

昨夜のスクランブルは、ライリーが出撃準備を整える前に解除され、「何があったのか?」と言及しても作業スタッフもオペレーターも口を濁すばかりだった。

 

その翌日の早朝に緊急招集だ。

 

恐らく、昨晩の警報についての説明だろう。

 

そんなことを思いながら、ライリーは入り口から幾つもの椅子と長テーブルが行儀良く設置されたホール内をボンヤリと眺めていた。

 

時刻は予定時間ギリギリになろうとしていた。ライリーは、事件からまともに睡眠を摂っていない。いや、眠れないのだ。夢に見る――。自分に助けを求め、手を伸ばしてくるサイファー隊の仲間を。その悪夢から目を逸らしたくて、ライリーは睡眠を全く取っていなかった。

 

ライリーは入り口から程近い適当な場所へ移動し、椅子へ腰を下ろす。ホールには、既に大勢の魔導師が集まっていた。良く見る顔馴染みや、そうでない者、女性魔導師など。

 

そこでライリーは気がついた。

 

また、だ。

 

卓台があるホールの真正面。その最前列あたりに、〝子供〟がいた。

 

彼らも魔導師なのだろうが、後ろ姿だけでも、まだ年端のいかない幼子だと容易に判断できる。

 

周りには、桃色の髪の毛を後ろに束ねた、前線でライリーを制した女性や、ブロンドの落ち着いた雰囲気の女性。そして、後ろ姿でもライリーには判別できる人物がいた。

 

「――確か、ヴィータとかって言ってたよな…」

 

最前列辺りにヴィータはいた。

 

また戦場に出るのか、子供が。

 

そんな考えが、ライリーの中に過った。何か言ってやろうか、とも考えた。だが、すぐに考えることをやめた。

 

無駄だからだ。自分が喚いたところで、彼らは戦いに出るだろうし、退かないだろう。この場にいる以上は。

 

第一、自分にはそんなことを彼らに言う権利なんて無い。どうしようもない憎しみが、怒りが、腹の底で蠢いていて、それに潰されないように、それを糧にできるように、この場に居てるのだから。戦いが存在するこの場所に。

 

「となり、いいですか?」

 

一人でそんなことを考えているところに、いきなり声を掛けられた。見上げると、そこにはまた見知った顔があった。

 

「――またアンタか」

「…また、とはどういう意味ですか?」

 

ライリーの気だるそうな言葉に、彼に声を掛けたファーン・コラードは不機嫌そうに眉をしかめた。

 

「アンタもずいぶんお人好しってことだろ、もしくはストーカーだな」

「失礼極まりないですねぇ」

「だいたい、アンタ。教導隊の指揮官だろ。いいのか?ここはアンタのような指揮官様が座るような場所じゃない」

 

そう言いながらライリーは最前列より更に先に座る上官達の場所を顎で指した。本来なら、教導隊を指揮するような人間がこんな場所まで来ること事態が珍しいものだ。

 

「私は現場を大切にする主義なんですよ。それに、上層部にも私があの席に座って両手を上げて喜ぶ人もあまり居ませんから。それより、貴方の方こそ、大丈夫なんですか?」

 

ライリーの隣へ腰掛けたファーンが、ジッとライリーの顔を覗き込む。

 

「――何がだよ」

「目の下の隈、酷いですよ?」

 

まったく鏡を見ていないから、自分がそんなに酷い顔のかどうか、ライリーにはわからなかった。だが、ファーンの心配そうな表情を見るところ、だいぶ酷いらしい。わざとらしくライリーは目元をこすって誤魔化した。

 

「まぁぼちぼちってとこさ」

 

「悪夢が怖くて眠れない」なんて。彼女にこの事を言ってしまうだけで、今にも仲間を、アーチャーを思い出してしまいそうで。ライリーは言葉を濁した。

 

「でも――」

『諸君、早朝にも関わらず緊急招集を掛けたのは申し訳ない』

 

ファーンがそのことを言及しようとした矢先、正面からスピーカー越しに発せられた声によって掻き消された。

 

『今回の合同演習襲撃事件の収縮、ご苦労だった。私は地上本部中将、レジアス・ゲイツだ』

 

レジアス・ゲイツ。

管理局では古株の大ベテランで、魔力は無いが人望と人脈により、管理局では中将という地位を確立している〝地上本部を取り仕切る司令官〟と言ったところだろう。

 

レジアス中将は以前、サイファー隊の訓練カリキュラムを視察しに来たことがあった。そのレジアス中将と取り巻きを見ながら、サイファー隊の長であり、レジアスと同期であるグラハム隊長がそんなことを言っていたのを、ライリーは思い出した。

 

真正面の卓台から悠々猛々しく演説するレジアス。その豪腕な堅実振りに、信頼する管理局魔導師は何人もいる。

 

だが何故、彼がこの場に出てきたのだろう?

 

《ヘイズレグによる襲撃事件》は、すでに収束したはずなのに、今頃になって何故?そんな一抹の不安が、ライリーの脳裏に過った。

 

『早朝にも関わらず、諸君らに集まって貰ったのは、他でもない。合同演習を襲撃した武装組織《ヘイズレグ》に関することだ』

 

ドクンと、嫌な何かが胸の奥を鷲掴むように絞ってくるような感覚を味わう。

 

『今回の事件は奴らにとって〝ブラフ〟だった。敵組織である《ヘイズレグ》の真の目的は、襲撃事件による管理局指令系統の麻痺、及び混乱だったのだろう。奴らが真に目的とするモノを奪うためにな』

 

ブラフ。つまり、あの演習襲撃事件はヘイズレグにとっては、単なる陽動戦だったというのか?レジアスがそう言い終わるや、大ホールはたちまち消灯され、正面のスクリーンに映像が表示された。

 

『これは、指定危険遺失物、管理局で管理、保管していたロストロギアの一つ。通称、《ダインスレイブ》だ』

 

容姿は剣だが、その形は禍々しく、剣というにはあまりにも歪すぎて、そのロストロギアを見た誰もが、第一印象にこう思った。

 

〝魔剣〟という名が当てはまる剣だと。

 

だが、ライリーには《ダインスレイブ》という名に、聞き覚えがあった。それは六年、死んだ父の葬儀の時だった。

 

《危険なロストロギアだ。過去に一度世界を滅ぼし、このロストロギアの封印、回収任務に就いた魔導師が何人も犠牲となった》

 

モニターには《ダインスレイブ》に関するデータや、過去の事件の報告書や見聞録などが次々に表示されていく。《ダインスレイヴ》を回収、封印の任に就き、殉職した管理局魔導師の名簿も。

 

その名簿が正面モニターに表示された時、無機質だったライリーの表情が変わる。

 

〝調査隊補佐官ジェームス・ボーン一等空尉〟

 

ライリーの隣に座っていたファーンは、同じ姓名である〝ボーン〟と言う名に気付いた。ライリーへ問おうとしたが、ライリーの昔に封じ込めた事を思い出したかのような――いや、それ以上の何かを堪える表情を見て、出ようとした声が一気に冷めていった。

 

殉職した名簿に載る魔導師〝ジェームス・ボーン〟は――ライリー・ボーンの父親だ。

 

『敵は数名のチームで管理施設から《ダインスレイブ》を奪取し逃亡。追走した第四航空小隊を撃破。別方向からの追走を試みた魔導師も行動不能にし、湾岸沖にてレーダーから消えた。私も事実、手際が良すぎると思っている。恐らく、局内に《ヘイズレグ》と繋がる内通者かスパイがいたのだろう。現在、執務部署が捜査チームを立ち上げ、内部監査並びに調査に尽力している』

 

レジアスがそこまで言うと、消灯されていた演説台上に明かりが点された。集まった魔導師たちの表情は硬い。それほど、事態は深刻なのだと否応なしにわからせるほどだ。

 

『本来ならば、《ダインスレイブ》を奪取し、逃亡した《ヘイズレグ》を追跡するのがセオリーだろうが――状況が変わった』

 

レジアスは卓台に置いていたメモリー端末を取り出す。困惑し始める集まった魔導師を一望してから、マイク越しに口を開いた。

 

『この映像記憶媒体は、昨晩《ダインスレイブ》が奪取された際に、犯行を指揮したと思われる者が、わざわざこちらに届けたものだ。「早朝にも行うと思われるブリーフィングで再生するように」、という指示付きでな』

 

怒りを孕んだような声色で、レジアスはメモリーを控えていた部下に渡す。すると、再びホールの明かりが消され、正面のスクリーンに映像が映し出された。ザザザと、数秒のノイズの後に、映像が急に鮮明になり、一人の人物が映し出された。

 

 

 

『――これを見ている管理局の属者たちに告げる』

 

 

 

白銀の髪の毛。光るように冴える――赤茶色の眼光。

 

「――え?」

 

となりにいたファーンが、溢れるような、そんな声を喉の奥から出した。

なんだ、これは?思考が付いてこない…どうして?何故?

 

『――俺たちは武装組織、《ヘイズレグ》』

 

 

 

なんで、真正面のモニターに…

 

〝アーチャー・オーズマンが写し出されているんだ?〟

 

 

 

状況が全く理解できない。

 

なのに――モニターに写る、《ヘイズレグ》を象徴するであろう〝『剣と片翼の翼』のシンボル〟が描かれた旗を背中に、彼はすべての魔導師に語り掛けるように話す。

 

それは、聞き間違えるはずの無い。夢にまで出た、死んだはずの、アーチャーの声だった。

 

鮮明にまでライリーの耳へと届いてくる。そこに写るアーチャーには、いつものおちゃらけたような雰囲気はない。まるで全くの別人になったかのように冷酷で、ゾッとするような冷たい眼光をしていた。その眼光がモニターに視線を向ける魔導師を貫く。

 

『管理局の魔導師たちよ。お前達に問いたい。この『戦うことでしか生きられない』檻の中で、お前達は本当に満足しているのか?満ち足りているのか?お前達は何の為に戦い、何と戦い、何を得る?』

 

――戦うことでしか生きられない、この世界で。

『俺たちにとって、貴様らの掲げる正義など、ただなる空虚な幻想に過ぎない。魔力という圧倒的な抗体を持って、貴様ら管理局がしていることは、他国を侵略する事となんら変わりない。邪魔になるものは何であろうとも徹底的に排除する、それが管理局という組織だ。利益と富、権力。それを維持し続ける誇示と力のために、今まで一体どれ程の弱い世界が食い潰されてきた?

 

自分達は綺麗なものを理想と掲げ、汚いものには蓋をして見てみぬフリを一体いつからしてきた?

 

正義といいながら矛盾し、悪と罵りながら自らも悪をする。ましてやその悪すらも善とすり替える。そして世界は、自らの悪を認めない。認めたとしても、過ちを犯してからずっと先のことだ。

 

――いや、寧ろ非難の声は決して聞こえてこないだろう。過去に自ら負った傷跡を「被害者」面をして過ちだったと嘆く。しかし次にはその過ちすら忘れて、また過ちを犯す。

 

お前たちは今まで一体何を見てきた?

 

この世界の何を今まで見てきたんだ?

 

立ち止まって目を見開き、耳を澄まして周りの声を聞け!

たったそれだけで、なにが正しいかなんてすぐにわかる筈だ。

 

だが、お前たちはそれをしなかった。

 

我々ヘイズレグに身を置く人間は、全員が管理局によって大切なものを失った人たちだ。故郷の尊厳を管理局に奪われた者、管理局によって行われた法外な魔法実験の影響で暮らしを、家族を、すべてを奪われた者。そして、愛するものを奪われた者。

 

すべて、突然訪れた管理局と魔法によって全てを奪われた者たちだ。そして同時に、俺たちは、お前たちが目をそらし続けた結果の上に生きる者だ。

 

お前たちは魔法を独占し、その強大な力で我々を支配し続けていると思っているだろう。――それは大きな間違いだ。だから世界は、適切な罰を下した。

 

そうだ。誰もが崇める『偶像的な神』ではない。

『人間』自身がだ。

 

お前たちが目を逸らし続けた物が、今、目の前に横たわっている――。

 

いいか? 何もかもが変わるぞ。

 

魔法は、傲慢なお前たちの手から溢れ落ち、虐げられてきた我々や、弱者に光を灯す。お前たちが持つ魔法は、世界に通用する抑止力ではなくなる』

 

 

目の前に無慈悲なまでに、真実が、ライリーの目の前に広がっていく。

 

 

『これから世界で起きる事実を見るがいい。俺たちは管理局に属するすべての者達へ告げる。これは犯罪予告ではなく〝宣戦布告〟だ』

 

 

アーチャーの前へ突き立てられた魔剣、《ダインスレイブ》は、弱者の為の灯台として光をもたらし、立ち塞がる者の肉を裂き、骨を絶つ。

 

 

『貴様たちが、その矛盾した〝正義〟を掲げる限り、我々は屈しない。――聞こえているか、管理局』

 

 

力の均衡を崩す風が吹き始めた。俺たちはヘイズレグ。

 

世界は、変革する。俺たちの戦いで。

 

 

 

 

 

 

 

 

――そこで映像は途切れた。

 

アーチャーの言葉。アーチャーと過ごした日々と思い出。その数々の記憶が、ライリーの脳裏に蘇っては、消えて行く。

 

「まさか、あの人…」

「お、おい……ボーン?」

 

そこまで言ったファーンの言葉が、近くに座っていた顔馴染みの魔導師の言葉によって途切れる。

 

隣に座る魔導師はファーンの背後に視線を向けたまま、何か変わったものを見つめるような表情を浮かべていた。それに釣られるように、ファーンも振り向いた。その視線の先には――。

 

「…ライリーさん?」

 

すでに砂嵐となった正面のスクリーンを凝視しているライリーがいた。

 

見たまま、何も言わずに、ただただライリーはノイズが走るスクリーンを見つめているだけだ。だが――ライリーがこれほどまでに無表情になっているのを見たのは、これが初めてかもしれない。

 

ファーンや周りの魔導師達が、そう思うほどに、ライリーはただ黙りこんで、じっと真正面の画面を食い入るように見つめていた。そんなライリーが見つめる先で、モニターには同じように砂嵐とノイズが写り続けているだけだった。

 

 

――NEXT



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10.霞む空


闇夜の天蓋を見上げる者は、近代的な街の光に霞む星を眺めながら思った。

深淵の闇すら超えた、深い深い虚無。その虚無の中を漂う者は、はたして生きていると言えるのだろうか。

その問いに、彼は語った。

その虚無を知ってはならない。その虚無を知った者は、信念や正義などと言う概念を持たずに、ただの執念や怨念、憎悪だけしか持たず、すり減った欲を満たすためだけに、血を求める悪鬼になってしまうであろうと。

遥かまで続く黄金に輝く草原で、彼女は祈った。

誰もが夢見る、それが理想ではなくても、ありふれた幸せは、生きている者が受けれる権利であると。ただ生を謳歌するだけの微かな望み。それが何であれ、生まれてきたことには必ず意味あるという願い。

そして、荒野をさすらう誰かは叫んだ。
腰に携える剣を抜いてはならない。剣を抜きし時から、その剣の切っ先は、何者かの血を浴びなければ、溢れた狂気を治める術など無いのだから。


〝何が正解なのか〟。〝何が悪で、何が善か〟。


私は――――この物語の顛末を知ろうとする貴方達に、それを問うつもりは無い。

ただ、私の持論でしかないが、思う者、語る者、祈る者、叫ぶ者、悪も、そして善も、誰もが自分たちは別々の場所に立っていると思い込んでいる。

だが、それは大きな間違いだ。

結局のところ、同じ「灰色」の場所で足掻いているだけ。それが人間の限界なのだ。

その場から這い上がれず、その場から沈むことも出来ない。そんな曖昧で酷く不安定な場所が、私たちが存在する場所だった。







 

 

0068年、初夏。

 

 

私、高町なのはが「八年前」に大怪我をして、半年ほど経った頃だった。

 

その頃の私は、もう体重を支える為に使っていた松葉づえが無くなっていて、自分の力で立って歩けるほどに回復していた。

 

海鳴市の病院を退院して、私はミッドチルダに戻ってきた。

 

戻ってきた時、半年振りのミッドチルダの空を見上げて、私は自分が「魔法」から離れていないと自覚して、安堵感を覚えた。その思いは今でも忘れることはない。見上げた空は、雲ひとつ無い初夏の青空だった。

 

ミッドチルダに戻ってしばらく経ったその日の私は、時空管理局地上本部に隣接する医療センターへ通院していて、毎日欠かさずやっているリハビリをこなしていた。

 

その日の天気も私がミッドチルダに戻ってきた青空と似て、とても気持ちが良かった。

 

晴天が幸いしてか、体の調子もとても良くて、私は担当の先生が用意してくれたリハビリメニューとは別に、一人で普段は立ち寄ることのない医療センターの屋上まで上がった。時間は丁度夕方ごろ。窓から覗く空は綺麗な茜色に染まっていた。

 

「珍しいな。こんなところに看護師以外の人が来るなんて。俺だけの秘密の場所だと思ってたんだがなぁ」

 

屋上へ繋がる扉を開けたと同時に降り注ぐ穏やかな初夏の夕日。それを背中に、暖色を基調にした服装で、体格のいい男の人と私は、ばったりと顔を合わせた。扉から覗む屋上にはその男の人しかいなくて、その人は右手に持ったタバコと私を交互に見ると困ったような顔をした。

 

その時の私は、と言うと。いきなりその男の人から声をかけられたものだから呆気に取られたような表情をしていた。

 

「あー、〝コイツ〟のことは内緒にしておいてくれ。吸わなきゃやっていけん身体なのでな」

 

年輪を重ね、穏やかな笑みをするその人の後ろには〝全館禁煙〟という大きな立て札が立っていた。タバコを片手に持ち、屋上からクラナガンの町並みを見るその人から、私はどこか風格を感じた。とても病気や怪我で病んでいるようには見えない。

 

「あの、おじいさんはどうしてここに?」

「ははは、おじいさんか。見た目だけは若いと看護師たちからはよく言われたが、やはり改めて言われるとずいぶん…あぁ、そう言えば今年で五十一か」

 

入口近くのベンチに腰掛けた私の言葉に、少し残念そうな表情でそう応えた。

 

しまった、と内心で思ったがもう遅い。相応の歳に見られてしまったことがショックみたいに男の人は項垂れていた。だけど、当時の私から見れば五十を越えていると聞いたら、正直に言えば「おじいさん」と言ってもなんら違和感は無かった。

 

「す、すいません」

 

私は思わず謝った。

 

「いやいや。まぁこんな場所に、こんな格好をして居たなら老け込んで見えても仕方ないさ」

 

そう言うと、タバコの最後の一口を吸って、男の人は火種をフェンスの縁に押し当てて消した。消し終わったタバコを再び咥えると、慣れた手つきで内ポケットから携帯灰皿を取り出し、何事もなかったかのように吸い殻を仕舞ってしまった。

 

「さて、どうしてここに…か。うーん、どうしてかな」

 

パンパンと服についたタバコの灰を右手で払い落としてから、屋上に置かれているベンチに腰かける。私も男の人の隣に座った。

 

その男の人の胸元には、名札があった。見間違えることのない管理局の名札だった。見慣れていて私自身も持っているデザインの名札。その名札には『グラハム・アーウィン』と名が入っている。知らない名前だった。けれど、管理局の人間というだけで私は無邪気にも親近感を覚えた。

 

「グラハムさん…ですか?」

「ん? あぁ名札か。いやいや、引退したというのにまだ名札を付ける習慣が抜けていないようだ。いかんな、これは」

 

グラハムは驚いたように言うと胸元につけていた名札を外し、隠すように携帯灰皿と一緒に内ポケットへと仕舞った。

 

「そう言う君も、管理局の人間かな?〝高町なのは〟くん」

 

名札を外したグラハムは、横目で私を見ながらそう言った。その目を見て、胸が高鳴る。まるで何もかもを見透かしているような、打ち抜くような鋭い目だった。

 

「あぁ、驚かせて悪い。昔、「闇の書事件」で、君たちのことを資料で見てな。可愛らしいツインテールだったから覚えていただけさ」

 

驚く私に、グラハムはシワの多い頬を少しつり上げて微笑む。落ち着いた雰囲気。ジャケットを羽織るグラハムは左の肩辺りを右手でなでる。その手に釣られて、私の視線も左腕の部分を見た。そのジャケット袖が風になびいている。

 

――彼の左腕は、二の腕から下の肢が無かった。

 

私は驚いた。

管理局に入って、初めて体の一部を無くしている人を見た。いくら大ケガといっても、非殺傷設定で体のどこかが無くなるなんてことはなかったから。

 

「もう引退しろと、妻からも娘からも散々言われたんだがな。まぁこの様さ」

 

驚いて言葉を出せなかった私を気遣ったのか、グラハムは優しい表情のまま微笑んでいた。

 

「退役するまでに、少しでも自分の部下たちを一端まで育てようと思っていたんだが…ははは、まぁ、まさか自分がこうなるとは思わなんだ」

 

左の肩を撫でながら彼はそういった。

 

「…怖くなかったんですか…?」

「そりゃ怖いさ」

 

恐る恐る聞いた私の問いにグラハムは、はっきりとした口調で応えた。

 

「俺は、もう歳だ。手練れの若い奴に正直、真っ向勝負を挑んだところで勝てはせんとわかってた。それを弁えていた…つもりだった」

 

この左腕を失った時もそうだ、彼はなびく左の袖を手に通した。相手の気迫に、気力に競り負けた。競り負けた結果、こうやって左腕を失い、現場生命を断れた。自分で言うのも何だが、なんとも呆気ないものだった、と。

 

「だがな?」

 

どう言葉をかければいいか分らなかった私に、グラハムは得意そうに笑った。左の袖から手を離して茜に染まった空を見上げていた。

 

「こんな状況になったからこそ、長年考え続けた答えが、具体的に見えたようにも思えた」

 

グラハムは言う。

 

人はいつか老いる。積み上げてきた実力や権力からもこぼれ落ち、最後には己の肉体も自分の意志では動かないようになってしまうと。

 

「落ちを見てからじゃ後悔しても遅いと、口酸っぱく妻に言われていたんだが、そもそも現場の空をずっと飛び続けていることなんて、俺には…いや、生き物なんかに、できやしないんだ」

 

「それが戦う者としたら尚更だろう?」、そうグラハムは付け加えて話した。そう言われて、私はグッと自分の中の何かを捕まれたような感覚を覚えた。

 

フェイトちゃんと話をしようとしたときもそうだ。

 

はやてちゃんを助けたときもそうだ。

 

自分が頑張ればいいのだと。自分が強くなればいいのだと。

 

その為なら、身体などいたわらずに無茶もできる、と。

 

けど、実際はどうだ? その無茶が重なった結果、自分は今こうして、戦いから離れて自分のために怪我と戦っている。

 

〝落ちを見てからじゃ後悔しても遅い〟

 

彼の言葉が、幼い自分の心に深く突き刺さる。今、私の目の前にある現実には、その〝落ち〟が横たわっていた。当時の私にとって、グラハムの言葉は鮮烈に心へ突き刺さった。

 

「すべてを受け入れ、そしてすべてを無残にも飲み込む『空』で、自分自身が空を飛ぶことをやめるときまでに、一体何を残せるか。それが、俺が飛ぶことで得ようとしていた答えだったかもしれないな。はは、空を見上げる側になってそう思うようになったとは、気づくのが遅すぎる」

 

『空を飛ぶことで、何を残せるか?』

 

その言葉は、今でも私の心の中に根深くに残っている。私は、空に何を残せるか。そんな答えの出ない自問自答ばかりが、思考の中で繰り返されていた。

「いや、すまない。もう引退した俺が、君にこんなことを言ってしまって」

 

そう豪快に笑ったグラハムは、腰掛けていたベンチから立ち上がった。気が付くと、開きっぱなしの扉の辺りにグラハムに向かって呆れたような顔をする女の人が立っていた。その落ち着いた様子と容姿からすると、恐らく彼の奥さんだろうか。

 

「それじゃ、怖い嫁さんを待たせるのも悪いので、俺は帰るとするよ」

 

ジャケットを片手で整えると、グラハムはまだベンチに腰かける私の頭をわしゃわしゃと撫でた。ゴツゴツしていたけど、優しい感覚だった。そのまま彼は、屋上を出ようと歩き出す。

 

「あ、あのッ!」

 

私は歩き出したグラハムを思わず呼び止めた。扉へと向かっていた彼の足が止まる。

 

「グラハムさんは…空に何かを残せたんですか!?」

 

彼は…もう飛ぶことを止めてしまった彼は、この空に一体なにを残したのだろうか。その疑問と衝動が、当時の私を突き動かしていた。

 

彼は私の方へ振り返らなかった。その時の彼の言葉。その言葉から、私も探し始めたのかもしれない。ずっと飛び続けることはできない空に、私は何を残すのかを。そして残せる何か、今も探し続けている。

 

グラハムは、何かを言おうとしたが途中で止めた。納得できないような、後悔しているような、そんな感慨を思わせる息を吐いて、紅に染まる空を見上げながら呟くように溢す。

 

「俺は、残すべきモノを分っていながら、それを無くしてしまった男だ。この左腕と一緒に。君も、これから空を飛び続けるのならいつか分かるはずだ。けど、ずっと空を飛び続けることはできない。少なくとも、俺は残すことはできなかった」

 

煮え切らないように、グラハムはそう吐く。片腕を失った歴戦の魔導師は、戦いの空から降りた。後にエースオブエースと呼ばれることになる少女に見送られながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日は、管理局史上初となる都市型テロ事件《ダインスレイブ事件》が終結して、丁度、半年を迎える日付だった。

 

 

 

****

 

 

 

当時の私は、なんでグラハムさんが片腕を失ったか、その理由を知っていなかった。

 

私がその理由を知ったのは、このダインスレイブ事件を調べ始めてからのことだった。

 

グラハム・アーウィン。当時の彼が、全滅し、そのまま廃止となった機動一課の航空部隊、『サイファー隊』の隊長を勤めていたことを。

 

大ケガをした私の救出のために戦ったことを。そして、あの事件で左腕を失ったことも。

 

知らなかった。

 

グラハムは、私とあの屋上で知り合ってから今まで事件の話なんて、これっぽっちもしてくれなかった。グラハムは私に優しかった。特別と思えるほどに。教導官を目指すと言ったときは、まるで自分のことのように喜んでくれた。そして、私に色々なことを教えてくれた。私にとってグラハムは、まるで優しい先生のような思いを持っている。私は、そんな彼を尊敬していた。

 

グラハムは何故、左腕の再生手術を受けなかったのだろうか。それは、自分への戒めなのだろうか。私が調べている事件の終末に、グラハムは何を思っていたのだろうか。

 

――私は知りたい。

 

ライリー・ボーン。彼が、何を思って、この空を翔んでいたのかを。

 

 

 

――NEXT

 



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11.決別

 

 

0061年、十二月十三日 早朝。

 

その日が、管理局へ攻撃を行なった武装組織『ヘイズレグ』が通告した宣戦布告日だった。

 

宣戦布告を突き付けられた管理局には、猶予がなかった。

 

客観的に見れば、ヘイズレグと時空管理局での戦力差、物量差は、比べるまでもなく時空管理局の方が圧倒的に勝っていると言えた。

 

だが、全てのタイミングや積み重ねてきた用意周到な計画を握るヘイズレグにも、管理局に勝ちうる充分な勝機があった。

 

故に、ヘイズレグが取る策は、短期奇襲による電撃作戦に絞られた。

 

それは、特攻にも似た危険すぎる戦略。幾ら演習襲撃から繰り返された管理局内部での造反により、管理局の指令系統が混乱していたとしても、管理局の高い防衛能力には変わりは無かった。だからこそ、時空管理局が最も危険視しなければならないのは、ヘイズレグが切り札として用意したモノ、ただひとつだった。

 

ロストロギア、ダインスレイヴ。

 

それを保有し、行使できる人物はヘイズレグで、ただ一人。元時空管理局の空戦魔導師であり、機動一課所属の第三航空中隊『サイファー隊』の元メンバー。ヘイズレグ首領、アーチャー・オーズマン。

 

彼がもし、時空管理局の防衛包囲網を突破し、地上本部へ辿り着いたとしたなら、その損害は、時空管理局発足して以来の、最悪の惨事となる。

 

ヘイズレグは、何としてもアーチャー・オーズマンを管理局地上本部へと到達させるために、あらゆる手段を行じる準備を整えていた。

 

そして、時空管理局側にもアーチャー・オーズマンに対する切り札を用意する必要があった。ロストロギア、ダインスレイヴを保有するアーチャーをよく知り、彼を補足し、互角に渡り合える空戦技術を持った人物。その答えを、すでに上層部の人間は出していた。

 

 

彼を殺すに値する人物を。

アーチャーと共に空を飛び、彼ともっとも親しかった人物を。

 

 

****

 

0061年、十二月十二日

 

早朝の朝会の後、空戦魔導士であるライリー・ボーン二等空尉は、レジアスは緊急に発足した管理局内部調査を行う捜査員たちによって連行された。

 

形ばかりの任意同行といって、まるで犯罪者のよう扱われたライリーは留置室に連れて行かれ、数人の調査員から尋問をかけられていた。

 

「お前は本当に、アーチャー・オーズマンの思惑を知らなかったんだな?」

 

調査員はじれったそうに簡素なテーブルを指で叩きながら、テーブルを挟んで対面してるライリーに問いかける。何度目か忘れたその問いに、ライリーはうんざりするように天井を仰いでから、調査員を睨み付けた。

 

「だから、何度も言っているでしょ…俺は、何も知らなかったんだ」

 

アーチャーと六年間、共に過ごしたライリーに共犯者や協力者、なにかしろの疑いが持たれるのは必然だった。ライリー自身もそれくらいのことは理解できた筈だったが、彼もまた冷静じゃなかった。腹立たしそうに調査員を睨むが、お構いなしに調査員もライリーを脅すように身を乗り出して見据える。

 

「奴は管理局の中から造反者を率いて、今回の事件を起こした。お前もその一味である容疑が――――」

「そこまでにしておけ、尋問はここまでだ」

 

調査員の言葉を遮ったのは、調査員を挟んでライリーの正面にあった扉から入ってきた女性だった。調査員は振り返ると、素早く立ち上がって敬礼を返した。それから、彼女の一声で調査員はそそくさと留置室から出て行った。

 

「なんだ、選手交代ですか? ロウラン提督」

 

座るライリーは両手の自由を奪われた手錠をわざとらしく見せながら、入ってきた女性「レティ・ロウラン提督」を不満そうに見上げた。

 

「すっかり、絞られたようだな。ライリー・ボーン二等空尉?」

 

階級も気にせず、睨んできた部下を見るのは久々だよと、レティはライリーの手錠を外すと、管理局制服の上着と没収されていた愛機、ティルフィングを返した。

 

「言っただろう、尋問は終わりだ」レチィが扉の方を振り返ると、扉の前にはファーン・コラードが立っていた。

 

「彼女の弁護のおかげで、君の疑いが晴れたんだ。感謝しておくんだな」

 

レティと一緒に留置室から出たライリーを、ファーンが心配そうに労わった。上着の裾に腕を通すライリーに、レティは持っていたファイルを渡す。

 

「これが、君と隣にいるコラード一尉に与えられる任務だ。君たちには今から私の執務室へ来てもらう」

 

簡潔にそう言うと、彼女は踵を返して歩き出した。らりりーとファーンも、彼女に付いて行く形でその場を後にした。

 

 

****

 

ミッドチルダ地上本部、レティ・ロウラン提督の元へと呼び出されたライリーとファーンは執務室で、上層部から打診された任務内容を聞かされていた。

 

「…今、何て言った?」

 

窓際に置かれたテーブルに腰かける提督へ、ライリーは上官に対する態度とはまったく思えないほど、低い声と睨みを効かせながら、そう問い返した。

 

「なら、もう一度言おう、明朝に攻撃を仕掛けてくるヘイズレグに対して編成される防衛特務隊に、君を配属することが決まった」

 

普通なら、退くほどゾッとするようなライリーの剣幕と相対するレティは億劫する様子もなく、淡々とライリーにそう伝えた。

 

「君は、ヘイズレグの事実上の首領であるアーチャー・オーズマンと、古くから面識があるようだな。奴の動きや動向を察知するには、君が一番適任だと上層部の人間が防衛特務隊に推薦したんだ」

 

アーチャー・オーズマン。

つい昨日まで、時空管理局の機動一課、サイファー隊のメンバーだった魔導師。

そして、ライリーの相棒だった男。

 

彼は管理局を裏切った。いや、寧ろ最初から管理局に下っていなかったのかもしれない。この反逆の下準備として、彼はわざと管理局へ身を置いていたのかもしれない。

 

レティや管理局の名高い上官たちが、事の後にアーチャーについて調べ尽くしたが、彼の経歴や戦績などが、データバンクから完全に抹消されていたのだ。それはあり得ないことだった。一個人のデータを完全に抹消することができる人間は、データバンクの管理者か、削除できる権限を持つ高官しか居ないのだから。レティを含めた現場の上官たちはこの異常な事態に不信感を抱いていた。いくら「ヘイズレグ」が準備を整えていたとは言え、何もかもが「ヘイズレグ」へ優勢になるように傾いている。

 

それは、まるで誰かが手引きしているように―――。

 

レティは、その事を考えないように意識を切り替え、ライリーへこの話を切り出した。今は「黒幕」を探るより、目の前の驚異に対処する方が先だ。ライリー・ボーンは、彼を最も知る人物であり、アーチャーと同等に戦える空戦技術を持った優秀な魔導師だ。アーチャーに対しての相性、適応力をライリー以上に発揮できる者は、他にいなかった。

 

「君にはアーチャー・オーズマンを止める『管理局の盾』となってほしい。それが上層部の考えだ」

 

レティの言葉を一字一句聞き逃さないように、黙って聞いていたライリーの肩が、目にわかるほど震えていた。

 

「データが抹消されたアーチャー・オーズマンを一番知る管理局魔導師は、今や君だけだ。奴に的確な対処ができる人物、奴を倒すことができるのは、君以外の他にいない。管理局に所属している以上、君がやらなければならない義務だ。ライリー・ボーン二等空尉」

 

『お前は、どちらを味方する?』

 

それは、ライリーに突き付けられた管理局からの〝踏み絵〟だった。

 

黙ったままライリーは瞳を伏せていた。時空管理局に所属している以上、ミッドチルダの治安と平和を守ることは当然の義務だ。それがどんなに、個人にとって残酷なことでも。

 

ガンッ! 静寂だった部屋の中で鈍い音が響く。ライリーがすぐ脇にある机を、拳で殴り付けていた。

 

「…俺に…俺に一体、どうしろって言うんだ」

「ライリーさん…」

 

震えるライリーの隣に立っていたファーンには彼の心の苦しさを理解しようとしていた。ライリーが、どれほど理不尽で、割り切れない立ち位置に立たされているのかを。深い呼吸を繰り返し、取り乱すライリーをファーンは責めなかった。

 

いや、ライリーにとったら誰かに責めて貰いたかった。

 

仲間を殺され、相棒と、親友だと思っていたアーチャーが、自分の憎んでいる敵の首領だった。その事実を目の当たりにしながら、アーチャーを自分に討てと管理局は言う。

いっそのこと、命令でも出して、強制的に『ヘイズレグ』を迎え撃てと言って貰いたかった。敵を皆殺しにしろと、何も考えずに命令に従っていれば、どれだけ楽なのだろうか。

 

「俺はそこまで思いきりのいい人間じゃあないんだ。 突き付けられた事実を、受け止めることすらできない、ちっぽけな男なんだよ…!」

 

管理局は、選択権をライリーに与えた。最も残酷な選択を。ライリー自身、もうどれが

正しい考えなのか判断することはできず、考えたくもなかった。『管理局の魔導師』としたら、アーチャーを倒すべきだろう。けれど、『ライリー・ボーン』という個人からしたら、ライリーはアーチャーを殺すことなど、できなかった。

 

「何、泣き言を言ってんだ」

 

ふいに、ライリーの後ろから声が聞こえた。ライリーが、ぐしゃぐしゃになった顔で振り返った。

 

「グラハム…隊長…」

 

視線の先にいたのは、病床だったはずのグラハム・アーウィンと一人のまだ年端も青年だった。

 

「無限図書所属のユーノ・スクライアです」

 

グラハムの隣にいる青年はそう答える。無限図書とは、管理局が関わった事件や事故を始め、あらゆる世界の過去、歴史、文献や伝説などが多岐に渡り保管、管理されている大規模な情報管理部門だ。

 

「ここまで、彼が案内してくれたんだ。まぁ、俺も彼に用があったんでな」

 

グラハムは管理局の制服を身に付け、演習の時、訓練の時と全く変わらない様子で、ライリーの前に悠々と佇んでいた。だが、以前とは決定的に違う点があった。

 

あるはずの左腕がなく、裾が力なく垂れ下がっていた。

 

「アーウィン三佐、貴方はまだ療養しなければ…」

 

レティが突然現れたグラハムに戸惑った声色でそう言った。

 

グラハムは部屋の扉を閉めると、眉間に年輪を重ねたシワを寄せながら静寂に包まれた部屋を見渡す。

 

「片腕が飛んだくらいで、ずっとベッドに眠っておくわけにはいかんよ。ましてやこんな状態なら尚更だ」

 

「それに片手さえありゃ煙草も吸える。それだけで充分だ」と、グラハムはため息を漏らす。彼の意識が回復したのは、レジアスの演説が行われる直前のことだった。

 

サイファー隊の最期。

そして、裏切ったアーチャーの真実を知ったグラハムは、失った片腕の再生治療を蹴って、ライリーの元に来たのだ。

 

「それに…俺の隊のことだ。部下の失態は指揮官である俺の責任だ。放っておくわけにはいかん」

 

自分だけが病床にいることなど、グラハムには耐えられなかった。

自分の片腕を治すことを選べば良かったかも知れない。だが、グラハムにとってそれは、片腕以上のものを失うに等しかった。片腕を選べば魔導師としての魂が折れてしまう。

 

「ヘイズレグがダイスレイヴという驚異的な武器を持っている以上、こちらから迂闊に手出しすることは危険すぎる、そこで彼の出番と言うわけだ」

 

グラハムの行動は早かった。長年培ってきた情報網と人脈で、グラハムはユーノへ直接連絡を取っていた。

 

「ダイスレイヴの詳細は、僕が責任をもって調べだします」

 

グラハムの言葉にユーノは頷く。

 

「いい返事だ。期待させてもらうよ、スクライア」

 

グラハムは満足そうに微笑むと、静まっていた執務室にいる全員を見渡した。

 

「ダイスレイヴの戦闘能力は、ヘイズレグの魔導師の実力も考慮すれば凄まじい脅威だ。なにせ奴等は、元は管理局の魔導師なのだからな」

 

分りきっていることだったが、グラハムが言った台詞で執務室の中にいる全員の緊張感が更に増したような、そんな重い空気が流れた。特にライリー自身にとっては。

 

ダイスレイヴは管理外世界で見つかったモノだ。そして、管理局がダイスレイヴを回収するとき、目覚めたダイスレイヴの力で、アーチャーの故郷はもう元には戻らないモノとなった。

 

点と点が繋がった気もした。

 

アーチャーは、確かに故郷を失ったと言っていた。だが、まさかこんな真似をするなんて、ライリーには想像すらできなかった。

 

初めてアーチャーと心を通じ合わせて話したとき、心に届いたアーチャーの言葉は、嘘だったのか?

 

ライリーには嘘だったなんて信じられなかった。信じたくなかった。

 

こんな状況になっても、ライリーには彼を殺すなどと、微塵の考えも浮かばなかった。

自分は、『管理局の魔導師』なのか? それとも、『ライリー・ボーン』なのか? 倫理と道徳心に、気持ちと思考が追い付いてこなかった。

 

「なんで俺が、やらなきゃならないんだ」

 

突きつけられた現実と理不尽さを憂いる言葉しか浮かんでこない。

大人ぶってるくせに何一つ割り切れていない、ちっぽけな自分に何を為せと言うのだろうか。

 

「ライリー。お前と話をしたがってるのは、俺だけじゃないぞ?」

 

グラハムはそのまま横へ避けると、彼のシルエットにすっぽりと隠れていた「少女」が、ライリーの前に姿を出した。

 

「ヴィータ…」

 

グラハムやユーノと共に来たのは、ヴィータだった。彼女は彼女で、この場に来る理由があった。

 

「…アンタは、なのはを救ってくれた恩人だよ」

 

ヴィータは、見る影もなく荒れきったライリーを、まっすぐ見てそう言った。あの夜の病院で言えなかった言葉を。彼がどんなに否定しても、彼が「なのはを助けたことは間違いだった」と嘆いても、救ったという〝真実〟に変わりはない。

 

「違う! まったく違う!俺は、お前たちを救ってなんて…」

 

救ってなんていない。そうライリーはヴィータの言葉を否定した。

 

寧ろ、救わなければ良かったと自分は思ってしまった。憎みようのない憎悪の矛先を、一度でもヴィータや、あの大ケガを追った〝白い少女〟に向けてしまった。そんな自分に、命の恩人を名乗ることなんて、おこがましいことなど言えなかった。

 

「じゃあ、アイツやアタシは、誰に感謝すればいいんだよ…!」

 

力なく項垂れるライリーに、彼女が見た覇気も、気力も残っていなかった。

 

「アンタは…まぎれもなくアイツを救ったんだよ…それを悔やんでも、無かったことなんて、できねぇ。アンタには、その義務があるんだ」

 

ヴィータの怒号にも似たその言葉すら、ライリーには受け止める余裕なんてこれぽっちもありはしなかった。

 

「俺には…できない…できませんよ、隊長…!」

 

不安や疑心に心を押し潰されそうになっているライリーには戦うために必要な心構えなんて無かった。それでも、とグラハムはライリーが立ち止まることを許しはしなかった。立ち止まる猶予なんて無かった。

 

「ライリー、アーチャーは…いや、サイファー隊は俺にとって大切な仲間であり、家族同然だ。お前たち二人を息子のようにも思っている。歯止めが効かなくなったアーチャーを、誰かが止めなきゃ、この戦いは終わらない」

 

アーチャーと戦う理由はある。だがそれは「管理局の魔導師」としてだ。「ライリー・ボーン」個人として、彼と戦う理由が無い。戦って彼を倒し、殺すかもしれない。そんな可能性が頭を過るほど、体が受け入れなかった。

 

「ライリー、頼む。俺のためにも、仲間のためにも、お前がアーチャーを止めてはくれないか…」

 

この戦いを決意するには、明確な理由が必要だった。

 

 

その理由に決着を付けなければならない。しかしライリーは戦う理由を持たぬまま、グラハムの言葉にうなずくことしかできなかった。

 

 

****

 

 

次元海。

 

世界と世界の狭間がそう呼ばれている。

 

いや、時空の壁の中とも言うべき場所だろうか。

 

こちら側の壁と、向こう側の壁の中。次元世界の狭間を行き交うために必ず通過しなければならない場所。その未知なる空間は、広大な海とよく似ている。空間の果てに見える、針穴のように小さく、神々しくきらめく無数の光。その無辺の光の先には、限りなく広く、際限なく続く世界が繋がっている。どんな場所にでもだ。

 

だが、その無数に散らばる世界に属すること無く、孤独と孤立を求める者達が集う場所もあった。

 

次元海の中を漂うように航行する次元航行船が一隻。外見を言えば、時空管理局が保有する巡航L級次元航行船〝アースラ〟と似ている船。

 

だが、時空管理局が保有する船と「それ」は、決定的に違う。

 

時空間の管理と調査を名目にした管理局の船とは違い、その船は純粋な〝戦闘艦〟であった。全長は巡航L級アースラの二倍の大きさを誇る。

 

管理局の公式資料には一切公開されていない船。戦闘に必要のない生半可な部分は全て小削ぎ落とされ、獲物を狩る狩人のように研ぎ澄ませた洗練したフォルムと、充実した兵装が施されている。

 

当時でも最新艦と呼ばれたアースラよりも更に高性能であり、より攻撃的、より合理的、より扱いやすく設計されている。それは一人の者によって設計された。管理局に似合わないその野蛮で野性的な船は、名が付けられていた。

 

魔法と人を、在るべき境界線を守る存在。その船の名は―――。

 

****

 

「私は、このような作戦…容認などしない!」

 

はち切れんばかりの声量で怒鳴ったレジアスは、口中で舌打ちをした。船内にあるブリッジに連れてこられたレジアス・ゲイツ中将は、まるで議会に出ているかのように悠々と席に座る見知った高官達を睨み付けた。

 

彼は先ほど、全管理局魔導師の前での勇ましい演説を終えたばかりだ。そんなレジアスが、この「ダインスレイヴ事件」の原因である「派閥」を取り仕切る高官と対面している。

 

何故、管理局の人間がこの事件に関わっているのか。

 

管理局の人間がこの場にいるのか。この場に来るまで、レジアスは「ダインスレイヴ事件」の本当の目的など、知らなかった。レジアスは知らされずに、拉致に近い形でこの場に連れてこられたのだ。

 

高官クラスのブリーフィングを終え、執務室へ戻ったレジアスを待っていたのは、真っ黒なケープに覆われた影だった。

 

抵抗する間もなく、レジアスは押さえ付けられ、この場所まで転送されたのだ。薄暗いブリッジの先に集まる高官たちは、レジアスが先ほどまで出席した高官クラスのブリーフィングにも居た人物たちだ。

 

じゃあ、これはなんだ? 当時のレジアスは、彼らがどういう意味でこの場にいるのか、この場はどういう意味なのかを、直感的に感じ取っていたが、その思考に至った自分が信じられなかった。管理局に属する者が、管理局の脅威になるような真似をするなど、あってはならないことだ。

 

「確かに私は、貴方達とは意見を共有してきたつもりだ! だが、このような武力で訴えるようなやり方は、我々が危惧する脅威そのものじゃあないか!」

 

重圧な空気に包まれるブリッジの中で、レジアスは怯まなかった。自分が正しいと信じた意見を、億劫することなく言ってのける。それがレジアス・ゲイツという男だ。レジアスの言葉を聞いて、今まで黙っていた高官の一人が、口を開いた。

 

「どのみち、こうなるべくして選んだ道だった。賽は投げられたのだよ。考える道はない。我々は断行するしかないのだ」

 

賽は投げられた。確かに今の状況に当てはまることわざだ。サイコロは振られてしまった。

 

「だが、今からならばまだ…」

 

『投降できる』 レジアスはそこまで言葉が出なかった。向き合う高官たちも黙ってレジアスと向き合っていた。無意味だ。今投降すれば、何もかも無意味に終わるだけだ。何も変わらない、何も。レジアス本人にも分かる単純なことだった。

 

「君は、我々自身が危惧する脅威だと言ったな?」

 

高官の一人が、押し黙ったレジアスにそう言った。

 

「この堕落した習性から脱却できると言うならば、我々は喜んで脅威となろう。最早、覚悟を決める時期など、当の昔に過ぎ去っているのだ」

「な、何を言っているんだ…」

 

レジアスは、あくまで分からないフリをしていた。「ダインスレイヴ事件」の本当の目的を、分からないフリをして、管理局の『中将』という役に徹しようと努力していた。

 

「君は未来の地上本部を担う存在なのだ。それを君には理解して欲しいのだよ」

 

だが、この場に連れてこられた段階で、レジアスの努力は無意味だ。

 

「君がいくら綺麗事を言えども、君自身も我々と「同じ穴のムジナ」なのだよ、レジアス・ゲイツ中将」

 

その高官の言葉に、レジアスは何も言えなくなった。ただ、この状況を、自分にとって、どう好転させるか。その対策を、レジアスは考えるしかなかった。

 

 

レジアスの後ろの方に控える〝影〟は、怒りと驚愕に震えるレジアスを見ながら、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 

 

その姿はまさに影のようだった。辛うじて口元は見えるが、他は覆われたフードとケープのせいで、まるで影が揺らめいているように見える。ただ、その浮かべる笑みは酷く邪悪で、目を見ずとも、異様な雰囲気を感じ取ることはできた。

 

 

****

 

 

「…」

 

後方ブリッジで、船に乗り込むアーチャー・オーズマンは、次元海が広がる外の風景を一人で眺めていた。

 

この船は次元航行船であると同時に、アーチャー率いる反管理局組織「ヘイズレグ」の拠点となっていた。後方ブリッジはがらんどうの殺風景であり、機材も最小限にしか設置されておらず、ブリッジと言うより、展望ホールと名付けた方が似合っていると思えた。

 

「また、空を見ているの? アーチャー」

 

しばらく一人で外を眺めていると、後方ブリッジへ繋がる自動扉から現れたウーティが、アーチャーへ語り掛けた。

 

戦闘服から船内服に着替えた彼女は、まだバリアジャケットを着たままでいるアーチャーを、心配そうな眼差しで見つめた。

 

「ここは次元海だ。空なんて見えるわけ無いだろ」

 

ウーティの方へ向かず、アーチャーは次元海を見上げたままそう答えた。ウーティも「そりゃそうだね」、と苦笑混じりにそう言う。

 

「だけど、アーチャーには確かに見えているハズだよ、澄み渡るような青い空が」

 

答えないアーチャーの隣へウーティは移動する。彼女もまた、アーチャーと同じくどこまでも続く次元海を眺めていた。

 

「昔の感傷に浸るべきではないって、族長は言うんだろうけどね。けど、私たちは、その過去に囚われて、ここまできた。今更、綺麗ごとなんて言うつもりないよ」

 

過去に囚われても何も戻りはしない。

 

いつかの学者や、平和論者がそう論じてはいたが、人間なんて、そこまで割りきりのいい生き物なんかじゃない。一度でも灯った憎しみと言う炎は、そんな簡単に消えるものじゃない。その矛先が過去でも、現在でも、未来であっても、憎しみの根源を解消しない限り、この炎は消えない。

 

「…空を見るとな、色んなことを思う。だから、俺は空を見上げるのが嫌いだ」

 

次元海を見つめ眼を僅かに伏せてアーチャーが呟いた。彼は過去を振り返っているのだろうかと、ウーティは考えた。

 

その暗さを含ませたアーチャーの横顔は、六年前の、まだ故郷があった時の、自分の知っていた「アーチャー・オーズマン」とは、まるで別人のようになってしまっていた。眼光を揺らめかせる彼は、酷く重さを感じさせる雰囲気を纏っていた。まるで、あの日に死んだ故郷の皆の命を背負っているかのように。

 

「俺が育ったあの村での思い出。そして、管理局に保護されてからの思い出」

 

全てが憎しみで染まってしまえばいいと何度思い、何度願ったことか。時空管理局を憎んでいるくせに、今更になって色んな思いや記憶が蘇ってくることに、アーチャーは嫌悪感を覚えた。悔しかった思い、憎しみに費やした日々、そして、笑っていた日々。仮初めだと思っていたはずの世界、セピア色に染まっていたはずの世界は、こんなにも色づいて見える。

 

「アーチャー…。貴方は本当に、これで良かったの?」

 

アーチャーの様子を見て、ウーティが眼を伏せながら、女々しそうにそんなことを呟いた。

 

《ヘイズレグ》に所属しているウーティは、アーチャーと同郷の人間だ。

 

父と母、最愛の夫、そして妹であるアルテが六年前の事件で帰らぬ人となった。

 

幾ら拭おうとしても消えない後悔と管理局に対しての憎しみが、六年間ずっと自分に付いて回ってくる。だが、ウーティにとってその憎しみは、人としての間違いだとは思わなかった。憎しみこそが自分を育て、この道へと突き動かしたのだから。

 

けれど、アーチャーはまだ若い。

 

憎しみに育てられ、憎しみに支配されて生きるには、あまりにも若すぎる。本音で言うならば、ウーティは、アーチャーには〝この戦い〟には関わらないで、生きていて欲しかった。

 

管理局に下ったある日から、アーチャーはよく笑うようになった。

 

それは、管理局の魔導師で、アーチャーと同じ歳の「ライリー・ボーン」という人物に出会ってからだ。ウーティも部署は違えどアーチャーの様子を何度も見ていた。廊下ですれ違った時、食堂で見かけた時、任務中に顔を会わせたとき。どんなときも、ライリー・ボーンの隣で、アーチャーは笑っていた。まるで六年前に戻ったような無邪気さで。

 

「アーチャーは、管理局を、彼を裏切ったことに後悔はないの?」

 

後悔は無いのか、迷いはないかだろうか。

例え憎い管理局にアーチャーが残ったとしても、それでもウーティは納得できた。妹のアルテの想い人であったアーチャーにとって、それが幸せと言うなら―――。

 

 

「やめろ」

 

 

ウーティの思いとは裏腹に、アーチャーはその迷いを孕んだ言葉を振り払った。

 

「それ以上言うな。今更、何も変わらない。俺たちは、もう引き返せない。引き金を引いた。だから前に進むしかないんだ」

 

敵から戦う術を学び、武器を奪い、彼は歩みを止めずに歩き続けてきた。今の彼は、自分は冷徹な兵器だと言い聞かせ、人間らしい感情を捨て去って、鉛のように冷たい仮面のような表情をするしかない。それ以外の選択肢など無い。

 

その表情は、六年前、アルテや、村の皆が消えてしまってから、ウーティが初めて再会した時のアーチャーの表情と一緒だった。自分たちは、もう後戻りはできない道を歩いているのだ。

 

遠くに見える、灯火のような、消えてしまいそうな微かな光を頼りに、自分たちは進むしかない。この修羅の道を、突き進むしかないのだ。

 

「ごめんなさい、今更なことだったわね」

 

ウーティは、アーチャーの表情から悟ったのか、申し訳ないように頭を下げ、艦内に戻っていった。

 

「…」

 

再び、一人になったアーチャーは次元海を見つめながら、過去の記憶を辿っていた。

 

 

****

 

 

『くっそ!またスコアで負けた…アーチャー! もう一回だ! はぁ?疲れた?! ふっざけんな! 今日は食堂でランチ奢ってやっただろ! だったら付き合え!』

 

『やったぞ、アーチャー! 次世代デバイスの使用試験に合格だ! 俺の実力が証明されたって訳だな!』

 

『…すまん、アーチャー。毎日練習付き合ってくれてありがとな。今日は俺の奢りだ! どっか旨い飯でも食いに行くか! え? 日本食以外がいい? なぜあの美味しさが分んないんだよ』

 

 

 

アーチャー。お前は俺の最高の相棒だ。背中は任せるぞ。

 

 

 

****

 

 

大義からでも忠誠からでもない、裏があるわけでもなく、ただの感情だけで、六年もの間、隣を歩んでくれた〝友〟。

 

知性的な成りをしているくせに、無遠慮な態度に、お構い無く踏み込んでくる声。知らない間に、アーチャーにとってライリーは、かけがえの無い大きな存在になっていた。

今、胸の中にある大きな損失感が、その証拠だった。修羅の道を歩む自分とは無縁だと思っていた『光の中』へ連れ出してくれたのは、他ならぬライリーだった。

 

ふと思う、もし変わらず管理局に残っていれば、どんな未来があったのだろうか。

 

そんな都合の良い偶像を想像してしまった。アーチャーは思考を振り払い、自分の甘さを憂いた。貧弱な精神だと、自分を罵った。

 

引かれた引き金。六年もの間止まっていた運命は、もう元には戻らない。

 

もっと別の運命があったのかもしれないと思うこともあった。

 

しかし、そんなことを考えるだけ無駄だ。

 

根深くくすぶる炎は、そんな簡単に消えない。それに、今更後悔と懺悔にまみれた考えを言葉にすれば、アーチャーはもう前には進めない。後悔は歩みを鈍らせる。ただ、管理局の行っている「行動」は危険だと世界に伝えたいだけなのに、世界はそれを認めようとしない。だから、アーチャーたちは行動を起こした。世界に「間違い」を気付かせるために。

 

 

「…はからずも君は今、歴史の分岐点に立っているようだな。アーチャー・オーズマン」

 

 

感傷に浸るアーチャーの背後。

 

真っ暗な「影」を身に纏った男が、煙のように現れた。影が音もなくブリッジへ入ってくると、アーチャーの背筋に生ぬる何かが這うような、そんな感覚を覚えた。感傷に浸りすぎたか。気配に気づけなかったアーチャーの肌がひきつるように締まった。

 

影の中から現れた人物は「彼」だった。

 

ヘイズレグの資金提供をしてくれるクライアントであり、「本当の正義を知りたくはないか?」と、そう言って、アーチャーをヘイズレグへと誘った人物でもあった。しばらくの沈黙を挟んで、アーチャーは、僅かに伏せていた眼を上げて「彼」へと振り返った。

 

「歴史の分岐点?」

「そうさ。管理局が辿る運命が決まる分岐点だ」

 

アーチャーの視線を真正面に受け止めた「彼」は、顔を覆うフードの下にある眼光で、アーチャーを見つめていた。

 

「初歩的な技術から科学に、そして魔法へ。ミッドチルダが新たな概念を持った魔法を携え世界に現れてから、たったの百年で世界のルールはガラリと変わった。そして今も目まぐるしく変わり続けていて、まさに今、我々は変革の扉の目の前に立っていると言えるのだろうな」

 

彼はまるで影のように揺らめき、異様な雰囲気を纏っていた。

 

「この分岐点の結果次第で、今の誰もが正しいと信じ、すがっている時空管理局もあっさりと壊死するかもしれないな。過去に途絶えた文明達と同じように…」

 

狩る側であったアーチャーでも分かる、異常な殺意と威圧感があった。目先の損得ではなく、「彼」は別の何かを見据えているように思えた。

 

「私としては、できることなら話し合いのテーブルに腰を下ろしたいところだがね。それは叶いそうにない。人と言うのは、過去から学ばないものだな。なにもかも」

 

殺意と威圧感を覆い隠す「彼」は、穏やかにそう言うが、アーチャーは警戒心を解くことはなかった。おもむろに「彼」はアーチャーと同じように、煌めく次元海が見える場所へと歩んだ。

 

「君たちの戦いが間違いだとは、私は思わない。行くと言うならば、私は君を止めない。それは君の選択だ」

 

だが、と「彼」はフードの下で瞳を閉じる。その揺れる影はどこか期待しているような、悲しんでいるようにも思えた。

 

 

「忘れるな。戦いには、互いに向け合った刃を納める方法もあるということを」

 

まるで何もかも見透かしているように「彼」はそう言った。その言葉にアーチャーは未来を垣間見たような気がした。

 

ぎこちなく視線を逸らし、アーチャーは次元海の闇を見つめた。「彼」はつかの間アーチャーの隣に佇んでいると、「おやすみ、アーチャー・オーズマン」と低い声で言い、ブリッジの闇の中へと消えていった。

 

静かすぎる空間に、アーチャーは一人で佇んでいた。

 

ゆっくりと眼を伏せ、アーチャーは過ぎ去った過去の記憶を、もう二度と取り戻せない未来への期待を、改めて深い場所へと仕舞い込む。これでいいんだ、と。もう二度とあの日には戻れない。友と触れ合うこともない。けれど、それでいいんだ、とアーチャーは全く綺麗な終わり方じゃない友との別れを、心の奥底で済ませてしまったのだった。

 

 

****

 

 

十二日の夕刻。

 

明日には襲撃を仕掛けてくるヘイズレグに対して、時空管理局は防衛包囲網の設置を急ピッチで取りかかっていた。無論、ライリーやファーンもその防衛戦に備えての準備を整えている。

 

「よかったんですか?」

 

忙しなく動き回る管理局スタッフを遠巻きに眺めていたライリーに、準備を終えたファーンがそう問い掛けてきた。彼女の問いは、恐らく今朝にレティ・ロウラン提督とも話した〝防衛特務隊〟についての話だろう。

 

「…良いわけないだろ」

 

ファーンの心配そうな問いかけに、ライリーはあっさりとそう返した。

 

「正直、納得も覚悟もできていないさ」

 

ライリーは自分の愛機であるティルフィングを調整する手を止めた。

 

「『誰か』が、やらなきゃならいんだ。その『誰か』に一番当てはまったのが、俺だったってだけだ」

 

仲間だと思っていたアーチャーが、管理局へ反旗を翻す敵の首領だった。だからアーチャーを捕まえる。そこまで簡単に割りきれるほど、自分は出来た人間じゃない自分の器の小ささを情けないと憂いても、ライリーは前に進もうと足掻く。

 

『もう踏ん切りをつけてしまえばいい』

 

あぁ、そう思えたらどれだけ楽なんだろうな、と思うこともある。

 

ヘイズレグの人間を殺そうとしたとき、ただ憎しみと怒りで身体が動いていた。それがどれだけ楽なのかは、身を持って知っている。けれど、その先に待っているものは、果てない憎しみの連鎖と、自分の虚無感だけだ。

 

この戦いは、ずっと昔から始まっていたのかもしれない。いつかアーチャーと語った『正義の価値観』の話から、すべてが繋がっていた。親父が死んだとき、アーチャーの故郷が消え去ったとき、ライリーとアーチャーは自分たちが知らないところで繋がっていた。

 

アーチャーは敵となった。だから、アーチャーを止める。今は、それを言い聞かせる。

たったそれだけの自問自答に、ライリーはそう答えを付け、手が止まっていたティルフィングの調整を再開する。

 

ティルフィングは、マリエル・アデンザが〝とっておき〟の装置を取り付け、それに合わせて幾つかのバージョンアップが施されていた。素体はティルフィングのままだが、この改造によってティルフィングの攻撃力、そして運用するビット「X-S01」の運動性は飛躍的に向上するという。

 

アーチャーと戦うライリーには、ありがたい計らいだったが、試験運用をする暇もなかった為、綿密な調整シュミレーションをライリーは何度も仮想空間で繰り返していた。

 

「…あの」

 

パネルで座標位置の調整をしていた最中、考え込んでるような仕草をしていたファーンが、いきなり声を掛けてきた。ライリーが視線をファーンへ向けると、彼女はまた考えるような仕草をしたり、言うか言うまいか迷っているような表情をして、「よし!」と気合いみたいな声を出すや、何か決心したような真剣な顔つきでライリーと向き合った。

 

「この作戦が終わったら、一緒に食事に行きましょう」

「は?」

 

ファーンの突拍子もない提案に、ライリーは思わずそんな間抜けな声を出してしまった。

 

「ごはんですよ、ごはん!すごく美味しい店、知ってるんです」

 

ふふん、とファーンはいつもの落ち着いた様子とは似合わないほど、無邪気な笑みを浮かべ得意そうに胸を張った。

 

「そこでお腹いっぱいご飯を食べましょう! それから、えっと…」

 

しかし、考えていた会話のタネが尽きたのか、はたまた未だに固まっているライリーに、どうしようかと困っているのか、ファーンの言葉はだんだん尻窄みになっていき、恥ずかしそうに、胸の前で指を合わせたり離したりしていた。

 

 

****

 

 

『おい、ライリー! 暇なら飯行くぞ!飯!今日はやけ食いだ!』

 

『なんだよ、アーチャー。またフラれたのか?』

 

『そうだよコンチクショウ!だからライリーは俺を慰めろー慰めろー』

 

『そんな押し売りな慰めろなんざ聞いたことないけどな』

 

 

****

 

 

ふと、そんな記憶がライリーの頭の片隅で蘇った。その光景がどこか懐かしくて。

 

「ははは」小さく、しかし確かに笑うライリーに、ファーンは安堵するように目を細めた。

 

「貴方が笑った顔、ようやく見れました」

「…そうか?」

「ええ、いつもこんなしかめっ面ばかりでしたから」

 

そう言うファーンは両手の人差し指で目元をキッと吊り上げる。

 

「残念、俺はそこまで変なしかめっ面なんてしない」

「それは私の顔が変だって言うんですか?」

 

不機嫌そうにそっぽを向くファーンがまた可笑しくて、ライリーはくつくつと喉の奥を鳴らすような声で笑う。

「…ありがとな、元気でた」

「ふふ。それが聞けたので、さっきの愉快な顔の話しはチャラにしといてあげます」

「そりゃどうも」

 

時間は夕方の五時頃だった。ちょうど見上げたミッドチルダの空には、朱色の夕日が霞んで見えていた。

 

 

 

――NEXT

 



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13.出陣

 

 

 

――0075年 訓練学校校長室

 

 

「そして、管理局の未来を決める、運命の十二月十三日がやってきました」

 

静かな校長室の中で、彼女は懐かしそうに瞳を細めていた。

 

私も集中して聞き入っていたのか、メモを取るためにと出していた端末を操作する手が止まってしまっていた。

 

「すっかり紅茶が冷めてしまいましたね、煎れ直しましょうか」

 

この部屋に入った時に、ファーンが煎れてくれた紅茶が冷めてしまっていることに、私は気付かなかった。ファーンは立ち上がると、傍らに置かれている湯沸かしポットのスイッチを入れる。私は、紅茶の準備をするファーンの後ろ姿を見つめながら、彼女の語った過去を頭の中で改めて思い返した。

 

私にとっての「ファーン・コラード」という女性は、訓練学校の校長であり、学を教えるのがとても丁寧で、印象は『慎ましさ』や『清楚』というイメージが強かった。

 

いや、むしろ揉み合う戦場で戦っている彼女を、私はイメージすることが出来なかった。

 

ファーン・コラードは、良き先生であり、恩師の一人であり、「戦うこと」、「強さの意味」を考えるきっかけを与えてくれた人。模擬戦を通して、自分たちはまだまだちっぽけな存在なんだと知らしめてくれた人。

 

そして彼女は、訓練学校の校長。

私の中では、彼女は教師の枠にはまっていた。

 

そんな曖昧で漠然としたイメージを、いつの間にか私は勝手に彼女へ当てはめてしまっていた。彼女が、何を思って訓練学校の校長を努めているかなんて、考えたこともなかった。

 

「当時の私が、今の私を見たら驚くでしょうね」

 

ふと、紅茶葉にお湯を注ぐファーンがそう呟いた。「当時の私」というのは、「ダイスレイヴ事件」のときの彼女なのだろうか。私は紅茶を注ぐ彼女へ視線を向けていた。

 

「高町さん、現場で働く魔導師にとって一番大切な心得は、なんだと思いますか?」

「…仲間を信じること、ですか?」

 

私はいきなり問われたファーンの問いに簡潔に答えた。この答えは彼女に教えてもらったことでもあると同時に、自分自身が「現場」や「経験」から感じた大切な心得でもあった。

 

「その通りです。仲間への信頼が無ければ、現場での動きなど成り立ちません」

 

私の答えに満足するように、彼女は頷いた。紅茶を煎れ直した彼女は、私と自分の手前に置き、ソファへと腰を下ろした。

 

「けど、当時の私は、仲間を信じることを怠りました」

 

少し間があいてからファーンが言った言葉に、私は驚いた。

誰よりも「仲間」を大切にする信条を持っている彼女が、昔は仲間を信じていなかったなど、信じられなかった。

 

「正直に言うと、昔は憤りも負担も覚えていました。当時の私は、自分の力に絶対的な自信がありました。周りの同僚が、足手まといだと思うこともありました」

 

懺悔のように呟く彼女を、私は黙って眺めていた。彼女は、自分の過去を省みながら、後悔や自分の愚かさを嘆いているようにも見えた。

 

「一人が十の力を持っていたとしても、〝十は十でしかない〟。十の力を持つ人が一人いたところで、多くの一でしかない人々や、仲間を守ることは出来ない」

 

確かに、彼女は強い。魔導師として非常に強く、有能だ。間違いなく〝十の力〟を持っていると言えた。だけど、一人が飛び抜けて強くてもそれは「単独」で優れているだけで、もっと全体的に見れば、それは状況を変えるにはあまりにも微々たるものだ。

 

多くの空を飛んだ私は分かる。優れ出た杭は打たれると言うことを。

 

「『少数が多数を守る』。そのやり方には限界がありました。その現実に、私は酷く苛立ちや焦りを感じ、そして同時に、どこか諦めもありました」

 

彼女は紅茶を置くと、立ち上がり外が見える窓へと歩んだ。そして僅かに瞳を細めて外を眺める。

 

 

「…きっかけは、彼がくれました」

 

 

彼女のそれは、私に聞かせているようには思えないほど、どこか遠くへ語りかけるような、そんな声色だった。

 

「『仲間を守るために戦う』。市民や管理局じゃなく、彼は〝隣を飛ぶ仲間を守る為〟にと言ったのです。ふふっ、本当に驚きました。けれど、彼が教えてくれたのです。隣を飛ぶ仲間を信じることを。だから私は、その想いを引き継いでいる。あの日からずっと」

 

彼女は外を眺めながらそう言った。

 

彼女が信じる信念。『多数で多数を守る』こと。仲間を信じ、それがたとえ小さな力でも、手を繋ぎ合うことで大きな力を持つことができるということを。

 

それは、彼女が昔から、私やフェイトちゃんへ教え続けた魔導師としての信念だった。

 

「その理想を、私は彼から与えて貰いました」

 

けど、と彼女は外を眺める視線を僅かに伏せた。窓ガラスに写ったファーンと目があったような気がした。その写し出されたファーンの姿は、どこか若いようにも見えた。

 

「…高町さん、『魔法』とは一体なんなんでしょうね」

 

その言葉に、私は戸惑った。ファーンが問いてきた言葉の真意が見えなかった。ファーンは外を眺め続けていた。

 

私は考えた。

魔法とは何かを。

 

幼い日、まだレイジングハートを握る前。フェイトちゃんと出会っていなかった私にとって、魔法はもっと神秘的であって、その魔法には、人を救う力があると思っていた。

 

けれど、レイジングハートを握って、フェイトちゃんと戦って、解り合って、闇の書事件があって、管理局の魔導師となって、そこから私は、魔法とは神秘的なものではなく科学的であると、現実味を帯びさせるためにそう自分に言い聞かせて、結論を付けてしまっていた。

 

「私たちが魔法と呼ぶものは、神秘とは違った科学的なもの。けれど、その結果、科学と言う認識に成り下がった魔法の力は、人の傲慢さや野心、残忍さで戦う力へと使われてしまいました」

 

ファーンは、そんな私の意思を読み取ったかのようにそう呟いた。

 

「誰もが忘れていたのです。そんな当たり前のことを。忘れてしまって、私たちは多くのモノを失ってきました。失わない可能性があったというのに、私たちは自らその手を離してしまった」

 

失わなかったかもしれない〝可能性〟。けれど、それは無理だ、不可能だと、科学上で結論付けて、決めつけて、どこか諦めてしまった世界。

 

 

「あの日、世界は変わりました」

 

 

ファーンはそう言った。十二月十三日に、全てが変わったと。

 

「見方を変えれば、何も変わっていないかもしれない。けれど、確かに変わりました。少なくとも、私はそう信じています。〝あの光〟を見てしまったのだから」

 

そう呟くファーンの視線の先では、部屋の外を覆い隠すように、静かな雪が降り始めていた。

 

 

****

 

 

その日は、例年のクラナガンの冬の気温に比べて、酷く冷え込んでいた。

エプロンから眺めるクラナガンの空は、東側はうっすらと明るくなっていたが、西側の空はまだ夜のとばりに覆われていた。防衛特務隊の「ピクシス隊」の隊長として配属されたファーンは、出動時間である明朝六時の一時間前から、地上本部の輸送ヘリ発艦エプロンにいた。

 

ファーンは、その日は何故か眠りが覚めてしまったのだ。緊張や不安からではなく、それとは違う、何か別の何かを彼女は感じていた。

 

何度か経験した出撃直前の緊張感。その日の発艦エプロンには、防衛部隊が乗り込むことになった三機の『JF704-X式ヘリコプター』が引き出されていた。

 

「やれやれ、まさか、これに乗ることになるなんてな」

 

振り返ると、そこには出撃準備を終えたライリーがエプロンへとやってきていた。紺色の制服の上から防寒具を羽織る彼は、神妙な顔つきで『JF704-X式ヘリコプター』を眺めていた。

 

当時のJF704-X式ヘリコプターは、後の管理局遺失物管理部、機動六課にも正式採用される事になるJF704式ヘリコプターの試作型だった。防衛特務隊は一個小隊とほぼ同じ規模を有した部隊だ。

 

特務隊は迫撃を主眼に置いた「サイファー隊」と、ファーンが指揮する「ピクシス隊」、さらに後方ではグラハムが総指揮を執る「バックヤード部隊」が直接現場の管理を行うため、幅広く防衛ラインをカバーできるようになっている。

 

この三分隊に配備される試作ヘリコプターは、魔導士を目的地までの輸送や、現場での移動可能な管制指令部としても運用される最新式の物だ。

 

搭乗するライリー達も、カタログスペックでしかヘリの性能は知らなかった。管理局に所属しているマニアな局員が、その関係の資料を眺めながら「一度は乗ってみたい」と言うほど、このJF704-X式ヘリコプターの完成度は高く性能は、同じくエプロンへ引き出されている軽輸送ヘリコプターとは比べ物にならなかった。

 

まだ試作段階でもあるJF704-X式ヘリコプターを出してくると言うことだけで、管理局がどれほど本気なのかを、ライリーは今更ながら痛感する。

 

「先輩たち、乗りたかっただろうな…」

「ライリーさん?」

 

最新式のヘリコプターを眺めながら、呟いたライリーをファーンは心配そうに見つめた。ライリーは後味が悪そうに、冬の空気で湿った髪の毛を片手で掻く。

 

「いや、なんでもない」

 

険しい表情をしながらそう答えるライリーに、ファーンは拭えない不安を感じていた。

 

嫌な予感というのだろうか。

 

ファーン自身も、その感覚に答えを見いだせずにいた。自分が眠れなかった時にも感じた、重くジメッとした何かに。

 

「やはり朝は早いのだな、ライリー」

 

ふと、ライリーとファーンの後ろから、うっすらと映し出された人影が歩いてきた。その人影の左腕に当たる裾の部分は、力なく北風に踊っている。

 

「…冬の夜明けはいいな。心にこびりついたサビを洗い流してくれるようだよ」

「…グラハム隊長」

 

ライリーは少し低い声で、現れたグラハムと視線を交わした。

 

ライリーと並ぶように立ったグラハムは、いつもの戦闘用の服装ではなく、群青色の管理局の制服を着て、上からコートを羽織っていた。彼の胸には、「サイファー隊」の隊長を表すバッチが光っていた。

 

「私は、先に行っていますね」

 

気を利かせたのであろう、ファーンはライリーとグラハムを残して発着エプロンの奥へと消えていった。二人の間に、しばらくの沈黙が横たわった。

 

「隊長…俺は」

「怖いか?」

 

夜明け前のクラナガンの街並みを眺めるグラハムは、口ごもるライリーに簡潔に切り返した。途端に、ライリーは顔を強張らせた。

 

「アーチャーと戦うことが、怖いか?」

 

黙ったライリーに、もう一度グラハムは分りやすいほどはっきりとした口調で、そう聞いた。しばらくの間が空いた後、ライリーは首を縦に振った。

 

「…自分に正直になるなら、俺はアーチャーと戦うことが怖いです」

 

ライリーは防寒着のポケットに手を突っ込んだ。中に入れていた待機状態のティルフィングを握りしめる。けど、愛機は何も答えてくれなかった。

 

「アイツが、俺を殺しに来ると思うと…足が震えます」

 

ライリーはグラハムに正直に答えた。顔を伏せるライリーを横目で見ながら、グラハムは小さく息を吐き出した。まるでタバコの煙のように、グラハムの吐息が白息となって、クラナガンの景色に解ける。

 

「誰だって怖いさ、俺も怖い」

 

その答えは、グラハムの本音でもあった。

彼は左腕を失ったばかりだ。恐怖がないと言えば嘘になる。けれど、その感情は持ってはいけないなものだとは、グラハムは思っていなかった。

 

「だからと言って、無理にその怖さを捨てるべきじゃないさ、ライリー。怖さを捨てたら、俺たちは本当のただの『歯車』になってしまう」

 

グラハムはそう言った。

 

俺たちは機械じゃない、生きた人間なのだと。怖がり、悲しみ、痛がり、喜び、励まし合う。自分たちより歯車が優れているなら、自分たちはここにいる必要がないだろう。

 

ここにいるということは、自分たちは歯車より使えるということだ。

 

「すまないな、ライリー」

 

ふいにそう言ったグラハムに、ライリーは伏せていた顔を上げた。

 

「まだ若いお前にこんな役目を負わせなきゃならん。俺の力不足だ」

 

その言葉には、グラハムの本心が通っているのだと、ライリーは理解した。彼はこの事件の行く先がどうであろうと、ライリーやアーチャーの罪や責任の負担が少しでも自分に来るように仕向けていた。グラハムは「自分のために戦ってほしい」とライリーに言った。それはライリーがどのような選択を選んでも、自分に責任が来るようにするためだ。

 

「俺の部下はもう、お前だけだ。本当なら、俺があのバカを引きずり帰りたいところだが、今の俺じゃあダメらしい」

 

グラハムは失った片腕をなでながら、ライリーを真っ直ぐ見据えた。

 

「だからライリー。お前はお前の信じる道を行け」

 

そう言って彼は優しく微笑んだ。ライリーの目は迷いはあれど、決意に満ち溢れていたからだ。

 

「…アイツが、もし管理局に復讐を果たしたなら、もうその時は、アイツは戻れなくなります」

 

静かな声でそう言った。

 

ライリーにとって、アーチャーが今よりもっと多くの人を殺し、多くの人を傷つけて、引き返すことのできない淵へ行ってしまうことが、彼が「殺人鬼」に成り果ててしまうことが、自分の身に来る恐怖よりも、怖いことだった。

 

ファーンのおかげで思い出せた。

 

例え、どんなに堕ちようともアーチャーがライリーの親友であることに、変わりは無いのだと言うことに。

 

「俺は…まだアーチャーと戦う理由を持てていません…。けど、アイツが間違った道へ向かっている事だけは分るんです。だから…」

 

ライリーの眼を見て、満足したかのようにグラハムは、まだ夜のとばりが残る空を見上げた。残った右手で、ライリーの肩へ手を置く彼は、いつもと変わらないようでいた。誰もが不安を抱いているこの状況で彼は、落ち着いていた。

 

「なら、『俺たち』がアイツを引っ張り戻さなきゃダメだな」

 

グラハムは穏やかにそう答えた。

 

「…隊長」

「たとえ、奴が裏切っていても、こちらに刃を向けようとも、それでもアーチャーを引っ張り戻すことができるのは、他の誰でもない俺たちだけだ。他のメンバーも、生きていたら、同じことを言うだろうな」

 

一番つらい立場にいるであろうグラハムの言葉に、ライリーは言葉が出なかった。グラハムは、アーチャーを含めたサイファー隊全員のことを考えているのだ。自分の気持ちよりも、部隊の全員を優先する彼の姿に、ライリーは改めて感服していた。グラハムはライリーの肩から手を放すと、右手で管理局制服の上着に付いているバッジを外した。

 

「ライリー。俺は、未来への橋渡し役だ。俺たち老兵が、先に踏み入れば、お前たちが作るべき未来を壊してしまう。俺たちの時代は終わっているんだ」

 

後方のバックヤード隊から指示を送る統括役だ。このヘリに乗っていては、現場の支援くらいしかしてやれない。グラハムは、外したバッチをライリーへ差し出した。

 

「この役割を俺は理解している。覚束ない今を、明確な未来へと渡す架け橋」

 

それは編隊長のみが身に着けることを許されているバッジだった。

バッジを差し出したグラハムを不安げに見るライリーに、彼は年輪を重ねた顔を優しく微笑ませた。

 

「お前になら任せられる。ライリー、お前が、俺の未来だ。だから、サイファー隊を、頼む」

「…はい!」

 

一瞬の沈黙の後、力強く答えたライリーにグラハムはバッジを手渡すと、左腕の裾をなびかせながらその場を後にした。立ち去るグラハムの背中を、ライリーは敬礼をしながら、静かに言った。

 

「必ず、アーチャーを止めます。隊長…」

 

 

 

****

 

 

 

「JF704-X式ヘリコプター」の一番機へ辿り着いたライリーは、愛機である調整済みの「ティルフィング」をもう一度確認する。

 

待機状態のティルフィングはカードのような形状で、表面の透明のディスプレイには音声発言と同じ内容のダイアリログが表示されている。

 

「問題ないか? ティルフィング」

 

【Fadhb ar bith】、問題ないと音声発音で答えるティルフィングの声が、どこか愛嬌があるようにも感じられた。開発部の粋な計らいだろうか、とライリーは愛機をポケットへ仕舞った。

 

「さて、行くか」

 

ライリーは小さくそう呟いて、「サイファー隊」に宛てられたヘリのランプドア式のキャビンへと手を掛けようとした。

 

「ライリーさん」

 

ふと、それを見送っていたファーンがヘリへと搭乗しようとするライリーを呼び止めた。ファーンはライリーが搭乗する一番機ではなく、「ピクシス隊」の二番機へ搭乗予定だった為、彼女とはここで別れることになる。

 

「ご武運を」

 

森厳なその表情がファーンにはよく似合う。不謹慎だが、ライリーは改めてそう思った。ランプドアの開閉柵を掴みながら肩越しにファーンへ振り返る。

 

「レストランの予約、忘れんなよ?」

 

それだけ言って、ライリーはキャビンへ入っていった。

 

キャビンの中は、想像より広く十四席ほどある折り畳み式の座席があり、すでにそこには「防衛特務隊」のメンバーが何人か着席していた。その中には、昨日喧嘩別れのようなやり取りをしたヴォルケンリッターの騎士、ヴィータや、狂気に囚われかけていたライリーを止めたシグナムの姿もあった。

 

防衛特務隊は、現地空域へと到着した後、空域優勢を確認し次第、ライリーたちはこのランプドアから空中降下することになる。ライリーが天井に備えられた手摺を手にとったあたりで、「貴方がサイファー隊長、〝サイファー1〟ですか?」一人の局員魔導士が声をかけてきた。既に待機していた彼は、ライリーへ几帳面に敬礼する。

 

「自分はコードネーム、サイファー3を務めさせて頂きます、ティーダ・ランスター二等空士であります。ご一緒できて光栄です」

 

そう言い終わるや、他に待機していたメンバーもライリーへと敬礼し出す。どうやら自分が最後の搭乗者のようだった。

 

「…」

 

こんなとき、サイファー隊の皆なら何て言うんだろうか。

 

ふと振り返った先には、出撃に備えて開かれていたランプドアが閉まる光景が見えた。閉まるランプドアの間に…笑顔で見送ってくれるように、肩を組み合うサイファー隊の先輩たちが、ライリーには見えたような気がした。

 

ランプドアが閉まりきって、キャビン内に人工の灯りが点る。ライリーは敬礼する特務隊、新たなる「サイファー隊」へと向き直って、小さく息を吸い込んだ。

 

「アーチャーたち、ヘイズレグの実力は、知ってる通り想像を絶するものだ。だが、俺たちは勝つ。必ず勝って、奴らを止める!」

 

ライリーの言葉に、メンバー全員も、操縦するヘリパイロットも敬礼で返すと、予備回転させていたプロペラの回転数を一気に高め、空へと飛び立つ。

 

まだ朝焼けが写るミッドチルダの空へ、幾人の魔導師を乗せたヘリは、轟音を轟かせてミッドチルダ地上本部から飛び立っていくのだった。

 

 

****

 

 

【ジョセフ1より、地上本部へ。我々、航空部隊はαエリア、第一次防衛ラインの作戦開始エリアへ到着した、これより迎撃態勢に入る】

 

次元航行船の転送ポートの前で、アーチャーは管理局の通信を傍受した通信端末の電源を落とした。

 

今、この船が漂っている時空間は、ミッドチルダの次元世界とほぼ重なる位置にあった。レーダーに映らないために船の電力は最小限になっていて、非常用の赤色灯がキャビンの中を照らしていた。

 

「時空管理局側の配備が始まったようね」

 

ヘイズレグのリーダーであるアーチャーと他、数名の幹部が隊列を整えた魔導師たちの前に立っている。アーチャーの真横に控えていたウーティが、傍受していた通信端末の情報から管理局の動きを推測する。

 

予定通り、管理局側はアーチャー達ヘイズレグを迎え撃つ形の陣を取ってきた。一転突破な作戦を見越しての戦術だろう。だが、それはアーチャー達にとって予想通りの動きでもあった。

 

「――皆に聞きたい」

 

赤色灯の下で、アーチャーがその場に集まる魔導師たちへ問い掛けた。

 

「時空管理局がなぜここまで世界を管理、統括できるまでに権力を持てたのか、理由はわかるか?」

 

管理局という、たったひとつの組織が、なぜここまで次元世界に影響力を及ぼしているのか。そんな簡単な答えなど、この場にいる誰もがすでにわかっていることだ。

 

「管理局が〝魔法〟という技術を保有し、独占していたからだ」

 

アーチャー達のような、「魔法」という概念すら知らない外世界の人間にとって、未知となる魔法は、世界を統一するにはあまりにも優位すぎる代物だ。その「魔法」と呼ばれる概念は、管理局に多大なる力を与える抑止力でもあった。

 

「俺たちは、魔法という圧力の中で、六年前から止まったままの、同じ悲劇の時を歩み続けてきた。だが、それもようやく終わる」

 

終わる、いや、終わらせるためにアーチャー達はこの道を選んだ。屈辱を堪え、滑稽だとわかりながら管理局の元に下った。敵とみなした相手から必死になって魔法という概念、知識を学び、技術を磨いた。

 

今日、この日の為だけに。

 

アーチャーは静かに瞳を閉じる。光を遮った暗闇の中には、六年前から変わらずに写る幼なじみ、アルテの笑顔が浮かんでいた。

 

「俺たちは、ただひとつ求めよう。新なる正義を。限りなき悠久なる安息の時を」

 

そして、瞳を開けば世界は周り出す。

 

「何事においても信念のない者は決して勝利することはない。時空管理局、強いて言うならばこの世界は、信念という言葉や考えを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわり、惰性し続ける矛盾を孕んだ平和。悲惨な戦いは起こっていないからという消極的な解釈に乗っ取られたこの仮染めの平和により、真の平和を忘れてしまっている」

 

その惰性と傲慢さが、新たな悲しみを、怒りを、憎しみを生み出す。そんなものが正しきものであるわけがない。そんなものに、何かを奪う権利など与えられているわけがない。

 

「世界は目覚めなければならない。そうでなければ、この世界は変えられない。今、目覚めずしていつ救われるか」

 

そして、今日。この日こそが、その目覚めの瞬間となる。

 

「俺たちはその先導になる。世界の新たなる門出にさきがけて、己が信念を賭けて戦う」

 

その先に見えるであろう、真の正義を知るために。背後にある転送ポートが静かにミッドチルダへと繋がる道を開き始めた。

 

「俺たちが新に求める平和を、俺たちの願いを、どうか忘れないでほしい」

 

光の中から吹き上げてくる「ミッドチルダの空」。それは何も言わずとも、アーチャー達を待っているかのようにも思えるような、心地よくも力強い風だった。

 

「忘れずにいてくれるなら、俺は、ありとあらゆる人間からいくら憎まれてもかまわない。俺は逃げることなく憎しみを受け止め、そして背負い、この修羅の道を歩む」

 

アーチャーはギュッと口を結んだ。

 

開き切った転送ポートから見える空。霞がかかっているように見えるが、快晴。飛行条件は良好といったところだろう。遠く向こうには、幾つもの光の光点が見えた。

 

「この世の善きもの。それこそが命を賭すに値するもの。それが俺が信じる正義だ」

 

そういったアーチャーの衣服が、幻想的な光に包まれた。魔力で構成されたバリアジャケットが、アーチャーの全身を包んだ。

 

アーチャーのデバイスは管理局にいたときから変わらずに「ベリルショット」で、装備されたバリアジャケットも、戦闘に合わせた管理局側の合理化されたデザインのままだ。

 

だが、管理局の紋章や、左胸あたりに施されたサイファー隊のエンブレムは剥がされており、代わりにヘイズレグの片翼と剣をあしらったエンブレムが背中や肩、左胸に施されている。

 

光が止み、「ベリルショット」を腰のホルダーに収め、アーチャーはロストロギア《ダインスレイヴ》を背中に背負った。背を向けるアーチャーに習って、ヘイズレグのメンバーも同じようにデバイスを起動させ、バリアジャケットを身に纏う。

 

「行くぞ」

 

ぞっとするような静かな声でアーチャーがそう言うと、転送ポートに向かって一気に駆け出し、ミッドチルダの空へと飛び込んでいく。飛行魔法はまだ発動させない。きりもみ状に空の底へ落ちていきながら、アーチャーは語りかける。

 

「…アルテ。俺はまだ前に進めていない。進めないんだ。奴を越えないと…だから」

 

《yes.sr》

 

空の底が見えた瞬間、アーチャーは飛行魔法を起動する。魔力から得られた力で、きりもみ状に落ちていっていた体は止まり、ぐんっと空へ向かって舞い上がる。

 

 

「俺は進むぞ…!」

 

 

吐き出すようにそう叫んで、アーチャーは地上本部へ一直線に飛翔していった。

 

 

****

 

 

地上本部から発進した三機の「FJ704-X式ヘリコプター」は、ヘイズレグが地上本部までに通過されるとされるポイントを目印に市街から離れた海上沖を飛んでいた。

 

先頭を飛ぶ一番ヘリの中、目標地点を目指すライリーが指揮する手練れの空戦魔導師で編成された新生サイファー隊に、地上本部から通達が入った。

 

【地上本部から通達。防衛エリアβ地点にてジョセフ隊がヘイズレグと接触。現在交戦中とのこと】

 

輸送ヘリを操縦するパイロットは今の状況を憂いた。ミッドチルダで初めてとなる出撃命令、それが状況の厳しさを語っている。

 

交戦区域となるこのミッドチルダ海上沖から地上本部までの防衛ラインは、どこから攻め込んでくるかわからないヘイズレグを、如何なる状況下でも迎え撃つためにαエリア、βエリア、γエリアと三つの飽和状の区域別に分けられており、それぞれのエリアには第三防衛ラインまで設けられている。

 

この布陣は、どのエリアに《ヘイズレグ》が現れた場合でも、他エリアにいる魔導師がインターセプトできるようにするための配置だ。だが、いくら管理局と言えど人員が限られている。手練れの魔導師が相手ならば、突破される可能性は高い。

 

そこで、ライリーたち特務隊は、各エリアをヘイズレグが突破した場合に備えて設けられた最終防衛ラインに分散され配置されることとなっている。

 

【現在、交戦状態は苛烈を極めており、敵は防衛網を突破しつつ地上本部へ向かっている模様】

 

オープンチャンネルでそれを聞いた隊のメンバーが息を飲んだ。

 

「…奴等め」

 

メンバーの一人がそんな固い声をあげる。その声だけで、ライリーはこの場にいる全員が思っていることを理解していた。

 

〝本当にヘイズレグを止められるのか〟

 

これは管理局史上初となる都市型テロだ。

 

対策マニュアルも無ければ、一人一人の対魔導師の実戦経験も乏しい。この状況下、同乗している魔導師たちも地上本部からの通達に未だに動揺を隠せないといった様子だ。既存の訓練で受けてきたカリキュラムで想定されているのは、災害時の救助活動と犯罪者捕縛の対処法だけ。

 

「対魔導師」、ましてや「都市型テロ」など想定外もいいところだ。そんな状況で、自分たちは一体どこまでできるのか。

 

ライリーは薄暗くキャビンを照らす照明をじっと見つめ、この不安が満ちる空間の中で、どうヘイズレグに対処するか考えをめぐらせていた。

 

もう誰も失いたくない。

 

傲慢かもしれないが、仲間を失う苦しみに比べれば遥かにマシだった。心に空いた焦燥感は、まだ彼につきまとっている。そんな不安が、サイファー隊の雰囲気を曇らせていた。

 

ふと、コクピット側の奥の席に座るヴィータが、うなだれて床を見つめていることに、ライリーは気づいた。

 

『なぁ、ライリー・ボーン』

 

突然、ヴィータは見られていることに気づいたように、黙って座席に座るライリーに念話で語りかけてきた。ライリーは『なにか用か?』と、目線だけヴィータに向けた。幼い彼女の顔は疲れ、すこしやつれているように見えた。

 

『昨日は、あんなこと言って…悪かった』

 

弱々しい声で、ヴィータは昨日の発言に対して謝った。

 

『アタシも、はやてじゃない誰かでも…他人でも、守ることできるかな…』

 

ヴィータは自分の不安を認めていた。彼女もまた、なのはが大けがをした時のことを引きずっている。その不安げな声が、その心情を物語っていた。

 

ライリーは口をつぐんだ。互いに言葉が消え、ヘリのタービンが揺れる音だけがはっきりと聞こえてきた。こんな時、隊長は何て言うだろうか。

それを考えたライリーはわずかに息を吸い込む。

 

「…皆、交戦空域に入る前に聞いてほしい」

 

横一列に向かい合って並べられた座席に座るメンバー全員へ聞こえるように、ライリーは呟いた。メンバーの視線がライリーに集まる。

 

「相手は、非殺傷設定なんて生優しいものは使ってこない。ここから先は、未知の領域…殺し合いが待っているかもしれない」

 

その場にいる誰もが何も言わなかった。

 

シグナムはレヴァンティンを肩に抱きながら瞳を伏せる。確かに、この先の戦いは、戦い慣れをしていない者からしたら想像を絶しているだろう。シグナムは果てしない時間の中で幾度となく『こういう経験』を培ってきている。だからこそ、この異常な危機感を誰よりも感じ取っていた。

 

「俺は、皆に『自分が非殺傷設定であること』を理不尽だと思わないでほしいんだ」

 

改めてライリーはメンバー全員を見渡すようにそう言った。全員は目くばせをしながら、ライリーの言葉をじっと聞いている。

 

「ヘイズレグに対抗するために、俺たちが非殺傷設定を解除してしまったら、俺たちもヘイズレグと同じになる。いいか? 俺たちは殺し合いをするために魔法を使っているんじゃない。俺たち自身が、その誇りと信念を捨てたら一体何を信じていけばいいんだ?」

 

混戦する戦闘空域で、何を信じ、何を貫くべきか。ライリーにはその答えがまっすぐと見据えられている。メンバー達が頷いた。

 

「この場にいる全員が非殺傷設定を解除しようとも、本部から解除しろと命令が出ても、俺は変えない。俺はなんとしても、敵を、そしてアーチャーを生きたまま捕まえる」

 

『非殺傷設定は、人を殺さず、己を律するものである』。

 

ライリーはグラハムから教わった言葉を言った。この信念だけは、絶対に曲げない。これからも、この先も。

 

「俺たちならできる。そして隣にいる奴を信じろ。皆が守ってくれる」

 

ライリーはヴィータを見ると優しく微笑んだ。誰にでも、誰かを守ることはできる。

 

「多数が少数を守るためじゃない。今必要なのは、一人が一人を守ることだ。隣にいる仲間を守ることを考えろ。少数で少数を守れ。その輪が広がれば、多数が多数を守ることができる。そしてもっと大きなものを守れるようになる」

 

彼の言葉に全員が頷いた。すると、特務隊で一番の古株であるグラハムの声が無線マイクを通してキャビンの中に響いた。

 

【もうすぐ降下ポイントだ。何かと不祥事が多い管理局だ。たまには活躍して汚名返上と行こう。気張っていくぞ!】

 

やがて部隊は目的地のエリアにたどり着く。すでに先に到着していた他の部隊が、ヘイズレグの行く手を遮るように防衛ラインを張っていた。

 

「空域優先確認! 降下どうぞ!」

 

ホバリングで空中に留まっている「FJ704-X式ヘリコプター」のパイロットがキャビン内にいるライリーたちへ空域優先を知らせる。それとほぼ同時に、空とキャビンの境界線であったランプドアが開いた。

 

キャビン内へ吹き込んでくる冬のミッドチルダの風が、特務隊メンバーの出撃直前の緊張で高ぶっている体を冷やす。

 

「――」

 

開け放たれたランプドアの前で、ライリーは何も言わずに風が流れる「ミッドチルダの空」を眺めていた。飛び出せば、もう後には引けない。ライリーの中に、この数日の記憶が渦巻く。

 

 

 

 

『なんだって子供が二人もこんなとこに!連れてきた奴はどいつだ!』

 

『お前達なんか、助けなければよかった。それでも、あの子達が死んで、お前が生きていたら良かったって思う俺は、酷いか?アーチャー』

 

『許さない。お前達だけは、絶対に許さない。なんで、俺はコイツらを…仲間の仇を…殺せないんだ…!』

 

 

 

俺が管理局の魔導師になった理由。

 

〝仲間を守りたいから〟。

 

 

 

「サイファー1、ライリー・ボーン。行きます!」

 

ライリーはランプドアから空へと舞う。落下しながらライリーはティルフィングを構えて叫んだ。

 

「行くぞ、ティルフィング!」

《Stand by lady.Complete.》

 

ティルフィングの応答の直後、ライリーの体を光が包み込む。アップデートされたティルフィングの処理能力は以前より更に速く、最適化されていた。読み込まれたバリアジャケットが瞬時にライリーの身を包むと、足元から蒼く輝く魔力で構成された羽が出現し、ライリーの体を大空へと舞い上げさせた。

 

 

 

 

――NEXT



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14.混戦

 

 

0067年十二月十三日。午前十時三十分。

 

 

地上本部から程近い中央治療センターの個室の一室に、高町なのははいた。

 

「外、すごいことになってるんだね」

 

まだ怪我で体が動かないため、電動ベッドのリクライニングで上体だけ起こして、なのはは、殺風景な個室に設けられているモニターを眺めていた。

 

「私たちは、まだ嘱託魔導師扱いだから、お義母さんとクロノの進言もあって招集は掛けられなかったみたい」

 

ベッドにいるなのはの両脇には、管理局制服姿のフェイトとはやてがいた。二人もなのはと同じく備え付けられたモニターを眺めている。そのモニターに写る映像は、まさに戦争映画のワンシーンを切り取ったような、そんな苛烈を極めた攻防戦の映像が写し出されていた。内容は詳しくは知らないが、おそらく自分を襲った謎の部隊と、管理局の空戦魔導師部隊が戦闘を繰り広げているんだろう。

 

「シグナムさんたち、大丈夫かな」

「私の自慢の騎士や、心配あらへん」

 

フェイトの不安げな言葉に、はやてはシャンとした声で答えた。

はやての家族であり、夜天の書に従う騎士「ヴォルケンリッター」も、この戦いに加わっている。まだ年端も幼いはやてやフェイトは、リンディやクロノの計らいで召集は避けられたが、ヴォルケンリッターは別だった。実戦経験の豊富な騎士たちは、管理局にとって貴重な戦力だからだ。

 

「はやてちゃん…」

「皆と約束したから。何があっても無事に帰るって」

 

モニターを眺めながら、はやては力強くそう答える。はやては誰よりも信じているのだろう。

 

「それより、フェイトちゃんもまだまだリンディさんを「お義母さん」って呼ぶのぎこちないんやねぇ」

 

なのはを挟んで両脇に座るはやてが、ぎこちなさげにリンディを「お義母さん」と呼ぶフェイトをニマニマ顔で茶化した。

 

フェイトは別段、ふてくされる様子もなく照れた様子で、「あ、あはは。努力はしてるんだけど、まだ馴れなくて…」と答えた。

 

「まだまだこれからだよ、フェイトちゃん」

「うん、そうだね。なのは」

 

なのはにニコリと微笑んだフェイトは、再びモニターへと視線を戻した。なのはは、ふと病室内の天窓から空を見上げる。天窓から映る空は穏やかで、天窓を数羽の白鳩が翼をはためかせて横切っていく。

 

こんな穏やかな空の下。

このミッドチルダ地上本部からそう遠くない場所で、あのモニターに映っていたような「戦い」が行われているんだ。

 

「なのは?」

 

隣いたフェイトが声をかけてきた。見上げていた視線をフェイトに向けると、フェイトがジィッとなのはを見つめる。

 

「な、なに? フェイトちゃん」

「気になるの? 外の様子」

「え…ぁ…うん」

 

そんなわかりやすい表情をしていたのだろうか、自分は。

ぎこちなく答えるなのはに、フェイトは「やっぱり」と言いたげな様子でため息を吐いた。

 

「なのはの気持ちはわかるけど…今は怪我を直すのが大事だから」

「うん、わかってるよ。フェイトちゃん」

 

わかってるならいいんだけど、とフェイトはまだ訝かめになのはを見つめる。

 

「…フェイトちゃん、全然納得してへんやん」

「あ、うぅ…」

 

はやての呆れたようなに苦笑いと、そのツッコミにも似た言葉に、フェイトも言葉足らずになってプイッとそっぽを向いてしまった。なのはにとってその二人のやりとはちょっと可笑しくて、でもありがたいと感じるものでもある。

 

二人とも、知っているから。

 

なのはは何でもかんでも背負ってしまう癖があるのを、二人は分かっているから。

 

フェイトの事件のときも。

はやての事件のときも。

 

だから、フェイトもはやても心配している。なのはがこれ以上、無茶をしないようにと。その心配してくれる親友たちの温もりが、どうしようもなく温かくて、どうしようもなくなのはの心を締め付けた。

 

なのははもう一度、戦場のような光景を映し出すモニターを見た。モニターに写るライヴ映像は、どこか遠くの世界の話のようにも感じられて。まだ魔法も知らない昔。家のリビングで見ていたニュースでやっていた「紛争」だとか「戦争」だとか、そういうのも今と同じみたいに遠くの世界の話のように思えて。

 

けれど、なのはの体に巻かれた包帯やガーゼが、それが「非現実〝フィクション〟」ではないということを証明している。モニターの向こうへ押しやった激しい攻防戦。まるで戦争のような惨状。

 

それは決して「自分たちとは関係のない出来事」ではないということをなのはは今さらになって痛感するのだった。

 

 

****

 

 

朝日が地平線を離れ、天へと公転していく快晴の空の下。

 

風が止まった空では、幾つもの魔力で構成された光が辺りに飛び交っていた。

 

敵は管理局の防衛ラインを突破しようと轟音を立てて猛進し、管理局はそれを食い止めようと決死の防衛戦を強いられていた。ある者は非殺傷設定を解除された魔力に打たれ空の底へと堕ち、ある者は魔力に穿たれて吹き飛んでいく。穏やかな空は、まさに戦場のような喧騒と絶叫の渦に包まれていた。

 

「くそっ、ひどい有り様だな」

 

ライリーを先頭とするサイファー隊の攻撃班に加わるヴィータは、四方八方で巻き起こる小さな爆発を眺めながら独り言を呟き続けていた。

 

最終防衛ラインギリギリまで迫るヘイズレグの、何振り構わない猛攻に防衛ラインの統制力は徐々に崩されていた。手段を選ばず突破しようとするヘイズレグを、なんとか押さえているものの、ここまで混戦状態となると統制力も著しく落ちる。防衛ラインの維持すら危うかった。

 

今の防衛網をまともに指揮しているのは、防衛特務隊のサイファー隊と的確な指示を飛ばすバックヤード隊。配備された管理局の武装航空隊の数名の魔導師だ。他の魔導師は波状攻撃による撹乱をしかけてくる敵の対処と、慣れない「対魔導師」の応戦にいっぱいいっぱいだった。

 

ヘイズレグの狙いはロストロギア、ダインスレヴとアーチャー・オーズマンを地上本部へ到達させることだろう。こちらはその到達を阻止しなければならないが、それだけを防げばいいわけじゃない。

 

ヘイズレグ側の魔導師は、全員が非殺傷設定を解除している。それが一人でも防衛ラインを突破すれば、少なくともミッドチルダ市街地に被害が及ぶことになる。

 

つまり、上層部の命令は、ヘイズレグの防衛ライン突破の阻止ということだ。

 

「こんな状態でそこまでしろだって? 簡単に言ってくれるな…ッ!」

 

同じく攻撃班に所属するティーダは、静かに息を飲んだ。敵からデタラメに吹っ飛んでくる魔力の光弾を回避しながら、彼は防衛ライン突破を目論むヘイズレグの魔導師を迎撃する。

 

「ランスターの一閃は…外さないッ!」

 

突っ込んできた敵を愛機から放たれる魔力光弾で叩き落とし、ティーダは大げさに肩をすくめた。

 

「いいぞ、サイファー3。俺たちがやらなければならないことは、最終防衛ラインの突破を阻止することだ。周りに気を取られていたらこちらがやられるぞ」

 

先頭を飛び、ティーダが一人を撃墜してる間に三人の敵を行動不能にした他の隊員は、暗い声でそう指摘した。

 

「頭を切れば統制は乱れる。アーチャー・オーズマンを捕らえれば、ヘイズレグは自ら崩壊するだけだ」

 

「わかってますよ!」

 

ティーダは、乱暴な声を出して同意した。

 

「全員集中しろ! 俺たちが成すべきことはただひとつだ!」

 

その後、攻撃班は上昇すると、なるべく離れない程度に分散し、あちらこちらで各個による迎撃を始める。激化する交戦空域とは裏腹に、その日の空は不気味なほどに穏やかだった。

 

「…なんだか、嫌な予感がするな」

 

誰にも聞こえないようにそう呟くライリーの瞳は少し不安が写っていた。ライリーの持つティルフィングの外観は変わりないが、側面の一部にまるで急拵えのようなユニットが備え付けられている。出撃前日、マリエル・アデンザからの要請でライリーのティルフィングには、ある〝システム〟を増設されていた。

 

「行けるか、この新装備…!」

 

バシャンと音を立てて、ティルフィングが煙を放出した。ライリーの手を伝うように、彼の魔力が一回り膨れ上がった感覚を味わう。

 

カードリッジシステム。

 

古代ベルカ式が起源となる魔法技術であり、使用者の魔力を爆発的に増大させ魔力の強化を図るという代物。

 

だが、古代ベルカ式のオリジナルカードリッジシステムは、扱いのピーキーさや、使用時の爆発的な魔力の暴発による自爆というデメリット面で、一般魔導師にはとてもじゃないが扱いきれる代物ではなかった。

 

そこでマリエル・アデンザを中心とした開発部から考案されたのが「複合式カードリッジシステム」だった。

 

ミッドチルダ式と、ベルカ式の魔法技術を両立させた代物であり、古代ベルカオリジナルの魔力増幅力には劣るものの、扱い易さ、暴発による自爆の危険性が大幅に軽減された。それは言わば「一般魔導師用カードリッジシステム」だ。

 

これが成せたのも、「闇の書事件」以降に、管理局へ保護された八神はやてと、そのヴォルケンリッターたちの戦闘データや技術協力があってこそだった。

 

だが、まだ試験運用段階のため、限られた魔導師にしか実装されていないシステム。ミッドチルダ地上本部防衛の要となるライリーに、このシステムが与えられたのは必然といえば必然と言えたが、改造を行なったマリエルは、どこか浮かない顔をしていたことは、よく覚えている。

 

「ティルフィング!カードリッジリロード!」

《カードリッジ、リロード。カードリッジ残弾、残り9です》

 

ライリーの叫びの直後、ティルフィングの側面部に設けられたユニットがガシャン、と音を立てる。薬室を遮るカバーが開くと、開く動きに連動して排莢される。

 

本来は安全性が高く、堅実なオートマチックシステムで装填される設計だったが、前倒し過ぎる実戦配備に間に合わなかったティルフィングの供給システムには、一発一発を手で装填する直動式のボルトアクションが使用されている。

 

《新装備、ブラストシフトの運用を開始します》

 

ライリーの周囲を浮遊していたビットが、ティルフィングの先端部へ集り、先端を中心に、七基のビットが円の形を描きはじめた。

 

「弾道予測〝シューティングイノベーション〟…よし!いけぇ!」

 

攻撃可能範囲、敵の動き、気流、味方の位置。ティルフィングから送られるそれらの情報を瞬時に見抜き、ライリーは弾道予測を行うと、彼が描いた軌道はタイムラグなくティルフィングへ伝達し、七基の砲台と化したビットから一斉に砲撃魔法が放たれた。

 

ティーダはライリーの動きを横目で眺めながら、首をかしげた。

 

七つの砲撃はすべて別々の軌道で放たれ、直線的に尾を引く魔力砲撃もあれば、曲線を描いた砲撃もある。そして、そのどれもの砲撃の先には〝敵がいない〟。

 

「ライリー!こんなときにデタラメに撃ってる場合じゃ――」

 

ティーダと共に、ライリーの近くにいたヴィータが、バラバラの方向へ砲撃を放ったライリーに叱咤の言葉を投げ掛けた時だ。

 

「ぐああ!」

 

それは全員の背後から響いた。遠くの方でヘイズレグの魔導師の叫び声が聞こえた。思わず背後へ振り向くと、視線の先には、デバイスを手から弾き飛ばされ、痛みに顔を歪めながら落下して行く敵の姿があった。

 

「デバイスがッ!?」

「うわあっ!」

 

その叫び声を皮切りに、辺りから敵の叫びが聞こえてくる。ちょうど七人分だ。

 

何故だ?

 

彼の砲撃は誰もいない明後日の方向に向かっていたはずだ。特務隊の誰もが、その予想外の出来事に疑問を抱いている中、ライリーの砲撃を見ていたティーダ・ランスターとシグナムには、そのカラクリが見えていた。

 

確かにライリーは敵の居る位置とは全く別の場所へと砲撃を放った。

 

カギはその後だ。

 

バラバラの方向へ向かったはずのライリーの砲撃魔法は遊飛行する敵魔導師に命中したのだ。しかもデバイスだけを叩き落とすピンポイントな位置を。それが七発中の一発ならば偶然と言えただろうが、ライリーが放った七発の砲撃はすべて同じように敵に命中した。二人にとってその光景は、まるで敵が自らライリーの砲撃魔法の着弾位置へ滑り込んでいるようにも見えていた。

 

「なんて正確な射撃なんだ…!」

「武器叩きは、サイファー隊の十八番なんでね」

 

その異常なまでの予測と精密な射撃をやってのけたライリーは、驚きを隠せないサイファー隊のメンバーを見渡すと、次々とヘイズレグの魔導師からデバイスを叩き落として行く。その空間認識能力は驚くものだ。戦火に揉まれながら、ティーダは改めて「サイファー隊」の実力の高さを思い知った。

 

戦闘開始からしばらく経って、撹乱を仕掛けてくる敵の魔導師が残り半数を切った最中の時だ。

 

【サイファー1!グラハムだ!聞こえるか!】

 

最終防衛ラインの後方で拠点を設けるグラハムのバックヤード隊から、管理局オープンチャンネルで伝令が入った。

 

「こちらサイファー1!」

【こっちの広域モニターが、βエリアを突っ切って最終防衛ラインに向かう反応を確認した!おそらく…!】

 

ライリーは二人の敵魔導師のデバイスを弾き飛ばして、βエリアがある方へ意識を向けた。通信機から聞こえてくるバックヤード隊のグラハムの声には焦りがある。

 

ライリーたちの索敵モニターが、敵の接近を伝えた。サイファー隊全員が地上本部とは逆方向の海上沖を見据える。そこには既に幾つもの魔力で構成された光が見えていた。

 

「きたか、アーチャー…」

 

ライリーは見えた光を眼を細めて睨み付ける。すると、グラハムの通信を聞き付けた他のサイファー隊と、他部隊の魔導師が集まり始めた。サイファー隊はライリーを中心に位置に付くと、それぞれが迫り来る敵に備えて、デバイスを構えた。そして、他部隊の魔導師も、同じくデバイスを構えていた。

 

だが、向ける方向は、ライリーたちサイファー隊とは、全く違っていた。

 

「お前たち…! なんでこっちに向かって―――」

 

サイファー隊の通信官を努めるメンバーが、信じられないように呟く。その瞬間、ライリーの耳にデバイスから魔力が収縮する音が聞こえた。

 

 

「全員、散開しろ!」

 

 

ライリーの判断は想像以上に早かった。

 

オープンチャンネルの通信と念話の両方を使用して発せられた命令と同時に、あられのような魔力光弾がサイファー隊へ降り注いでくる。ライリーは即座に反応して鋭く急降下したが、その攻撃に反応できないサイファー隊の三人が砲撃魔法に晒されていた。

 

やられる、三人は戦闘不能になるのを覚悟したが、その閃光は彼らの目の前で食い止められた。

 

真逆方向へ逸らされた砲撃の唸りとまばゆい光に、三人はショックを受け、その場に立ちすくんだ。

 

「くそっ、これが報告にあったリフレクターというヤツか!」

 

三人を守ったのは、ライリーのビットだった。

 

リフレクターシステムで砲撃魔法を跳ね返す。敵魔導士たちは、跳ね返ってきた自らの砲撃を避すと、すぐさま追撃体勢へと移った。

 

「やつら攻撃を! アタシたちは味方だぞ!」

 

いきなり仕掛けられた攻撃をヴィータはかん高い声で言い返しながら、急上昇してなんとか避した。他のメンバーも身体を上手く捻り、ターンさせながら交戦飛行を開始する。

 

「コイツらは、いったい!」

 

ライリーはひとしきり攻撃を避してからあえぐように呟く。

 

【サイファー隊! ライリー! 不味いことになった! 奴等の作戦だ!】

 

通信機からグラハムの声が聞こえた。

 

「グラハム隊長!」

【管理局内部を食い破ったやつらだ。まだ造反者が残っていたんだ!】

「まったく嫌らしいタイミングで! サイファー隊とピクシス隊からは!」

 

ライリーは絶望したように叫んだ。

 

管理局に潜伏し、魔法を学ぶだけ学んだヘイズレグは管理局を内部からズタズタにしたのだから、誰が味方で敵か、状況判断の材料が一瞬でかき乱されたことになる。

 

【落ち着けライリー、サイファー隊を含め特務隊は白だ】

 

グラハムの救いのような声で、ライリーは一先ずの安心を得た。

 

【俺やお前を除いて、特務隊のメンバーは、アーチャーを含めたヘイズレグの脱局者と接点を持っていない。彼らの経歴は俺が目を通している。全員潔白な管理局員だ。それに、事件当時は全員他の現場に出ていたしな。サイファー3のランスターに至っては、今回の作戦のために別の次元世界から呼び戻してるんだぞ】

 

サイファー隊のメンバーから銃口を向けられる心配はなくなったが、結局状況は変わらないままだ。

 

まだ管理局に敵が残っていても可笑しくなかった。その嫌な予感は、ずっとライリーの中にあった。管理局本部は、離反者を探し出すべく内部調査を行っていただろうが、六年もの間、潜入していた離反者をすぐさま探し出すことは不可能に近いものだった。ライリーですら、アーチャーの企みに気づかなかったのだから。

 

「アーチャー、お前はいったいどこまですれば…!」

 

ライリーは必死に頭を働かせていた。目の前には管理局のデバイスを構えた敵が一斉に向かってくるのが見える。そして、サイファー隊を撃ち落とそうと砲撃魔法や魔力スフィアによる誘導弾を嵐のように撃ちまくってきた。

 

「クラスターバレット!」

 

ライリーは迫り来る魔力スフィアを紙一重で避し、牽制用の迫撃魔法を放った。打ち出されたクラスターバレットは、向かってくる敵の前で爆散し、内包された誘爆スフィアが、敵の放った攻撃を誘爆へ誘う。幾つかのクラスターバレットは敵へ直撃した。

 

しかし、敵は怯む様子も無くライリーへ迫ってくる。

 

「直撃でも怯まないのか! 正気かよ!」

 

数発の魔法の直撃を受けても、敵は止まらない。足を止めるどころか、より速度を増してくるようにも思えた。今まで撹乱してきた敵はあきらかに違う。狂気すら感じる敵の気迫に、交戦するサイファー隊のメンバーは思わず身を固めてしまっていた。

 

「くそっ」

 

あまりの悪さにライリーは小さく舌打ちをした。

 

「非殺傷設定なんてヤワなもんで…俺たちを止められるのかよ!」

 

考える間もない。一人の魔導師が、まだ構えてもいないライリーへ突っ込んだ。

 

「隊長!?」

 

メンバーからの驚愕したような声が高速で通りすぎるように遠ざかる。突貫した敵に押し上げられ、ライリーは上空へと舞い上がった。上下感覚が一瞬で吹き飛び、姿勢制御もままならないまま、数回空中で回転してから、ライリーは急ブレーキをかけるかのように上空で停止する。

 

めまぐるしく変わる視界で見えた敵の魔力の刃を、構えかけていたティルフィングで受け止めた。ビリビリと利き腕に力を込める。ライリーはパンク寸前になるくらい頭を働かせていた。そんなことを気にする様子もなく、目の前の敵は再びライリーに向かってデバイスを振りかざしていた。自分の周りがライリーのビットに取り囲まれてるとも知らずに。

 

「くそっ、いい加減に…ッ!」

【いい加減にするのは貴様らだ、管理局】

 

接近戦を挑んだ敵は、ビットによる多方向からの直射魔法弾に穿たれて空の底へ落ちていったが、頭上から降ってきた極音速の魔力弾を防御魔法で間髪入れずにライリーは受け止めた。

 

しかし、頭をビットに割いていた分、粗末な防御魔法しか生成できなかった為、彼は後ろへ吹き飛ばされる。

 

身に覚えのある衝撃だった。

 

つい先日も、訓練で同じ衝撃を味わっていたので、ライリーはビリビリと伝わる痺れだけで、何が起こっているのかを瞬時に把握できていた。

ほどなくして、混乱するサイファー隊の頭上に、サイファー隊と同じバリアジャケットを着た誰かが、ゆっくりと降りてきて、彼らの前に立ちふさがった。その場にいた全員が息を飲んだ。

 

「…アーチャー・オーズマンッ!」

 

ライリーは、絞り出すような声と共に、降りてきたアーチャーを睨み付ける。

 

アーチャーは何も答えなかった。

 

だが、その場にいた誰もが分かっていた。

 

彼は敵だと。

 

アーチャーは燃えるような瞳を細めて、サイファー隊を怒りと期待に満ちた眼光で突き刺す。見たことない殺意に満ちたような表情に、ライリーとヴィータ、シグナムを除いてサイファー隊のメンバーが思わず後ろに下がった。

 

「俺たちは、お前たちが平和維持のためにやってきた事の結果だ」

 

アーチャーは、静かに呟いた。太ももに備わったガンベルトから、彼はベリルショットを引き抜くと、見せつけるようにライリー達に向けて魔力光の刃を突きつける。

 

「それでも、お前たちは挑むか。このヘイズレグに」

 

改めて、ライリーたち管理局の魔導師と、アーチャー率いるヘイズレグの魔導師が睨み合う形で沈黙していた。その時、風のないミッドチルダの空は、ほんの僅かな静寂に包まれていた。

 

「アーチャー」

 

最悪な形でアーチャーとの再会を果たしたライリーは、ティルフィングを握りしめた。

 

頭の中では、わかっていたことだ。今目の前にいるアーチャーは、もう自分が知るアーチャーではないということくらい。けれどアーチャーを目の前にした瞬間、ライリーの割り切っていた思考より、感情が勝ってしまっていた。

 

「何でだ…ッ! なんでお前は! なんでお前達はここまでするんだ!?」

 

目の前に立つ、かつての親友であり、相棒だと信じた男へ、ライリーは叫んだ。彼の心には、冷静さが無かった。色々な気持ちと感情がごちゃごちゃになって込み上げてくる。

 

そんなライリーに向かって、アーチャーの隣にいた一人の魔導師が飛び出した。

 

「貴方の相手は、私よ。貴方を、アーチャーのもとへは行かせない!」

 

管理局一般魔導師が使用している物と同じデバイスを構えた魔導師、ウーティ・リリィが、ライリーの前に立ちはだかる。

 

「俺はアーチャーを止める…! お前に構ってる暇は無いんだ! どけぇー!」

 

ライリーがビットを展開すると、アーチャーを庇うように立つウーティに狙いを定めた。ウーティはビットが自分へ狙いを定めたと予測すると、迷うこと無くライリーに向かって突撃した。

 

「馬鹿な…! こっちへ来るだと!」

 

すかさずライリーはビットで、接近してくるウーティへ迎撃を行うが、彼女はすさまじい速さで移動しながら、身体を左右へ回転させてビットから放たれた魔力スフィアを避した。そのままウーティは早さを殺さないで、ライリーの懐へ突っ込み、杖型のデバイスを振るう。激しい閃光と火花を散らせながらウーティとライリーが激突する。

 

「私がここまで近づけば、貴方は浮遊ユニットに集中できないわ。このまま、私に釘付けにさせてもらうよ!」

 

火花の向こうで、ウーティはライリーにそう言い吐いた。その気迫と彼女の力で、ライリーは彼女を避してアーチャーにたどり着く手段を見失った。

 

「くそっ…!邪魔をするなぁ!」

 

アーチャーにたどり着くには、彼女を倒すしかない。ライリーはティルフィングの先端から、接近戦用の高密度ブレードを出現させると、再びウーティと激戦へ突入した。

 

ウーティは、ライリーとアーチャーを戦わせたくなかった。エリアに入って、僅かな沈黙が流れた時、ウーティは直ぐ様ライリーに狙いを定めていた。反逆者であるアーチャーに、例え仮初めであろうと笑顔を与えてくれたライリーを殺させたくなかった。もし、アーチャーがライリーを殺せば、アーチャーはまた消えない傷を背負うことになる。それだけは、ウーティはさせたくなかった。

 

「アーチャーは、地上本部へ向かう。誰にもその邪魔はさせない。それは貴方にも…!」

 

 

****

 

 

ライリーとウーティが激しい接近戦を繰り広げる一方で、アーチャーの前には、ヘイズレグの魔導師を素早くあしらった二人の騎士が立ちふさがっている。

 

「…ヴォルケンリッターが二人揃ってか。俺も案外、人気者みたいだな、えぇ?」

 

アーチャーは立ちはだかるシグナムとヴィータを挑発するような素振りで、ベリルショットを持ちながら、軽く手首を回す。

 

「こないだの烈火の将と…お前、あの時のガキか」

 

アーチャーは値踏みするような目で、立ちふさがっている二人をじろじろと見下す。いや、見下していない。アーチャーには二人を前にしても、余裕があっただけだ。

 

それだけの余裕に似合う力をアーチャーは有していたのだから。背中に背負う魔剣があるかぎり、アーチャーは負ける気がしなかった。

 

「自分の仲間すら守れないお前たちに、俺を止められるか?」

 

そう言って、アーチャーはヴィータを睨み付けた。

 

「仲間の瀕死の姿を目の前にしただけで、何もできなくなる奴に、俺を止めることができると思っているのか?」

 

分かりやすいほどに、ヴィータがアーチャーの言葉に反応した。そんなヴィータに、アーチャーは哀れんだような目を向ける。彼は言葉でヴィータに揺さぶりを掛けていた。

 

なのはの大怪我で動揺を隠せずにいたヴィータの姿を、アーチャーは知っている。こういう相手は、精神的な動揺が目に見えてわかるものだ。引き出しをつつくだけで、全ての行動に支障が生じだろう。

 

アーチャー自身は、この揺さぶり応じる期待半分と言ったとこだった。その程度で崩れる相手が、ヴォルケンリッターと呼ばれる危険因子であるとは認めたくなかったからだ。

 

「確かに、私はなのはを守れなかった」

 

身を固めたヴィータが低い声でそう呟いた。流し目でヴィータを見たシグナムは、小さく微笑む。アーチャーも哀れむような目を止めた。ヴィータの声は低かったが、その瞳は揺るぎ無い自信と信念に満ちた目をしていた。

 

「アタシは…! もう後悔はしねぇ! 今度は絶対に…アタシは守るんだ!」

 

満足するように、アーチャーは歪んだ笑みで微笑んだ。ヴィータは構えたが、シグナムは愛機、レヴァンティンをまだ構えていない。

 

「この前の決着を付けよう、オーズマン」

 

伏せていた瞳を、まっすぐとアーチャーに向ける。その目は、純粋に戦いに殉ずる騎士の目だった。

 

「私も、ヴィータと同じく守るべきものがある。水平線の向こうにいる主や、主の友人たち」

「管理局は知ったこっちゃないっか」

 

アーチャーの問いに、シグナムは小さく笑った。

 

「言ったはずだ。私が従い守ると決めたのは、主だけだと」

「見上げた忠誠心だ。感心する。尊敬もする。だが、死の淵に立った時に、一言たりとも間違えずに、同じ言葉を言えるのならば、な…」

 

シグナムはゆっくりとレヴァンティンをアーチャーに向けて構えた。

 

「なら、それは私には不要な問いだ。その立場に追いやられるのはお前の方なのだからな。アーチャー・オーズマン…!」

「あぁ、だろうな…」

 

シグナムに答えるように、ベリルショットを構える。

 

アーチャーの気迫は、想像を絶するものだった。立ちはだかるのは、こちらの筈なのに。シグナムとヴィータは体が震えるような感覚を味わった。

 

「いいだろう。受けて立つ甲斐性くらいは見せてやる。このヘイズレグを止められるか試してみろ。そして心してかかってこい。お前たちの矛盾を抱えた信念が、どこまで通用するか、俺たちに見せてみろ…!」

 

バリアジャケットを揺らすと、アーチャーは一気にシグナムとヴィータへ間合いを詰めた。

 

その速さは、並みの魔導師ならば付いて行けない速度だ。だが、ヴィータとシグナムはしっかりとアーチャーの速さに対応する。その戦いは、共に戦場にいる魔導師たちにとって、もはや別次元の戦いぶりだった。シグナムとヴィータは息を合わせて止めることのない攻撃を繰り出し、アーチャーと斬り合っていた。

 

二人の連携は芸術的なまでに息が揃っていたが、それに対応するアーチャーも、常軌を逸脱した動きであった。切りつけ、薙ぎ、叩き、受け流し、紙一重で避す。めまぐるしい戦いが戦場の中央で繰り広げられている。

 

「さすがクロスレンジならば負け無しと、豪語するだけあるなぁ!」

 

二人の化物を相手とるアーチャーは、二人と同等か、それ以上に機敏に動き回りながら興奮したように叫んだ。彼の動く後には、赤い軌跡の残光が尾を引いていた。一度彼と戦ったシグナムは、アーチャーが何らかの魔力付与を受けていることを見抜いていた。おそらく、アーチャーが背負うダインスレイヴからの影響だろうと、簡単に予想できていた。

だが、見抜いたところで、状況が好転するわけでもない。陸と空の制約がある二次元じゃなく、三百六十度、障害物がない三次元の空中戦の中で、アーチャーは二人の攻撃を容易くあしらっている。

 

彼も、シグナムたちと同じく、化物だ。

 

ヴィータも、アーチャーの腕の良さを痛感していた。油断しているつもりはなかったが、ここまで翻弄されるとは、予想していなかった。

 

「なら、これはどうだ!」

 

アーチャーは取りついていた二人を横薙ぎの一閃で大きく後退させると、ブレードモードのベリルショットを、ブラスターモードに切り替える。そして、再度仕掛けようとしているシグナムとヴィータへ、ありったけのレールガンの連射を浴びせながら、彼はぐんと急上昇をした。

 

上昇すると、そのままアーチャーは、応援で本部から飛んできていた三基の輸送ヘリ郡の中へ突っ込む。

 

「くそ、ヘリを影にしてちょこまかと…!」

 

アーチャーに追いすがるべく、同じようにヘリの間を飛び回るヴィータは、不満そうに歯を食い縛った。三基のヘリに乗る魔導師や、スタッフは、激しい航空戦のせいで援護どころか、身動きがとれなくなってしまった。

 

アーチャーが不規則にヘリの周りを旋回すると、ベリルショットに内蔵されているワイヤーアンカーを停滞するヘリ側面へ放った。アンカーが刺さっている場所を基点に、彼の軌道は凄まじい旋回をし、アーチャーを追うヴィータめがけて突っ込んだ。ヴィータが反応する間も無く、アーチャーは急旋回の回転力を乗せた膝蹴りを容赦無く打ち込んだ。

 

「あぐっ…!」

 

魔力付与による強烈な一撃は、そのままダイレクトにヴィータに叩き込まれた。反動で彼女は直ぐ後ろのヘリの側面に叩きつけられる。アーチャーのバリアジャケットは、魔力を無効化する特殊な技術が施されており、あらゆる障壁を無視した衝撃は、鋼鉄製の輸送ヘリの側面が大きくへこむほど、強烈なものだった。

 

「ガキに手をあげるのはダメなんだろうが、こっちは外道だ。手加減は無しだぞ」

 

痛みとショックのせいなのか、あまりの展開に状況が理解できていないヴィータに、アーチャーはベリルショットの銃口を向けた。が、このときに生じた僅かな隙を、シグナムは見逃さなかった。

 

銃口を構えるアーチャーの真横からシグナムが大きくレヴァンティンを振り下ろす。アーチャーはすかさずもう一方のベリルショットをブレードモードに切り替え、迫ったシグナムの攻撃を受け止めた。獲物をヴィータからシグナムに切り替えると銃と剣を巧みに使い、ヘリの合間を縫うようにシグナムと剣戟を交わす。ヴィータはようやく起き上がると、下から上がってくる轟音に気づかないまま、魔力の火花を散らしながら戦うシグナムのあとを追った。

 

三基の輸送ヘリ編隊の真下から、一基のヘリが強引に割り込んできた。

 

そのヘリはFJ704-X式ヘリコプターだ。シグナムとヴィータの二人は、そのヘリが後方でグラハムが指揮するはずのバックヤード隊のヘリだと、すぐに理解する。三基の輸送ヘリとは違った性能を見せるバックヤード隊のヘリは、正確な操縦性能で三基の中へ割って入ってみせた。

 

「隊長か…! あまり手間は掛けられないんだ。お前たちの先にある場所へ行かなければ、俺たちは進めないんだからな!」

 

ヘリのランプドアは開いていた。そこには、片腕を無くしたグラハムが、バリアジャケット姿で佇んでいる。

 

「アーチャー…お前の企みは叶いそうにないな」

 

片手でデバイスを構えたグラハムは、六つの魔力スフィアを自分の周辺に展開すると、アーチャーめがけて撃ち込む。

 

「くっ…!嫌らしいところに撃ち込んでくるもんだ!」

 

グラハムの放った魔力スフィアの弾道は、三つが回避できる軌道であるが、もう三つの弾道は、最初の三つを回避したことを予測して放たれてる。つまり最初の三つは囮で、その三つを回避したらなら、次の三つの魔力スフィアのどれかに餌食となってしまう。それは、グラハムやサイファー隊の得意とする二射必当のばら蒔き撃ちだった。

 

「懐かしいか、アーチャー!」

「…情をおだてて訴えようだって、そんなものは通用しないぞ」

 

アーチャーはグラハムの放った最初の三つの魔力スフィアを避して、残ったスフィアを全てをベリルショットの弾丸で相殺する。

 

「アンタとは、もう交わす言葉などない…!」

 

そう言って、アーチャーは、そのままグラハムに銃口を向けた。銃口を向けられても、グラハムは冷静だった。

 

「俺にはあるんだよ、俺はお前の隊長なのだからな」

 

アーチャーは何か言いたげな風に口を開くが言葉よりも怒りが満ちていた。ベリルショットの引き金にかけた指に力を込めようとした時、アーチャーの真下から細い魔力の光が僅かに彼を照らした。

 

「これは…!」

 

その光に、アーチャーは思わず息を飲む。この細い光。嫌な予感が全身へ駆け巡る。そしてこれは〝前兆〟だと、アーチャーは瞬時に理解した。

 

 

****

 

 

ウーティとの接近戦に追いやられていたライリーは、彼女の追従から逃れようと空をジグザグに飛行していた。だが、その程度で彼女が離れるわけもなく、きりもみながらデバイスでの近接戦闘を繰り広げていた。

 

「離れろよ!お前に構ってる暇は無いんだ!」

 

ティルフィングの先端から出る高密度ブレードで、彼女の攻撃を避し、反撃するライリーは、苛立ったように怒鳴った。

 

「貴方だけは、死んでもアーチャーの元には行かせない!」

 

それでも、ウーティはライリーに食らいついていた。

 

こうも張り付かれると、確かにビットの操作は困難を極める。

 

だが、それは他方向にいる複数の敵に対応するアサルトシフトの場合だけだ。目の前で食らいついてくるウーティだけを狙うなら、ビットによる対象への直接攻撃を行うブレイクスルーシフトを使用すれば、難しい計算はいらなかった。

 

だが、ブレイクスルーシフトは凶悪な一面も持っているため、ライリーは使用を躊躇っていた。火花を散らしてぶつかり合っていたウーティはつばぜり合っていたデバイスを離して、大きく振りかぶる動きを見せた。

 

「俺に…ブレイクスルーシフトを使わせるな!」

 

その一瞬の隙を見逃さなかったライリーは、大雑把な計算だけで、三基のビットを使い三つの方向から囲み込むようにウーティを挟み込む。死角から包囲したビット、突然の出来事に思考と体が反応できなかった。

 

「そんな…! あんな一瞬で座標の演算をしたって!?」

「単調で大まかな動きだけなら、あれだけ時間があったら充分だ」

「手加減して…私を馬鹿にしたって言うの? 私より年下の癖に…生意気に!」

「この場で年相応な上下関係に固執するから、足元をすくわれるんだ!」

 

ウーティをビットで拘束したライリーは、彼女にティルフィングを構える。

 

「非殺傷といっても、この技は結構効くからな。情けだ、歯を食いしばれ」

 

ライリーはそう言うと同時に、向けられたティルフィングの先端に球体状の収縮された魔力が現れ、その収縮された魔力ごと先端をビットに当てた。

 

「スタンショット!」

 

キュイン、と甲高い音と共に収集された魔力がビットに流れ込むと、彼女を拘束する三基ビットすべてを通してウーティの体へ凄まじい衝撃波を叩き込んだ。

 

「あ"あああああ!!」

 

鏡合わせのように連なる三機のビットのリフレクターは、ライリーが与えた衝撃波を反射させ、より一層威力を発揮させる。成す術もなく攻撃を浴びせられたウーティの意識は抵抗も虚しく根こそぎ奪われた。

 

「しばらく寝てろ! くそ…距離を稼がされたか…」

 

気絶したウーティの拘束を解いたライリーは上空を見渡す。彼女の追撃を逃れるために飛行していた為か、シグナムやヴィータたちがいる場所から大きく離れてしまっていた。気絶する間際、彼女はライリーを哀れむように鼻で笑っていた。彼女の狙い通り、この距離からビットを使えば間違いなくライリーには隙が生まれる。その間に残りのヘイズレグの魔導師で彼を押さえ込めばいい。すでに、何人かのヘイズレグの魔導師がライリーの元に向かってきていた。

 

「…マリー、アンタの技術を頼りにしたぞ!」

 

ライリーはティルフィングを真横に突き出すように構えると、軽く腰を落とすようにティルフィングの切っ先を光が瞬く三基の輸送ヘリがいる編隊に向けて構えた。

 

「こい、ビット!」

 

その声に答えるように、ライリーの周囲に展開していた四基のビットが、ティルフィングの切っ先へ集まり、切っ先を囲むように規則正しく並んだ。

 

「ティルフィング、カードリッジを!」

《了解。カードリッジ、リロード。残弾は残り7です》

 

ガシャンと音を立てて、カードリッジユニットから空になった薬莢が二つ飛び出した。それと同時に、切っ先に配置された四基のビットが、ゆっくりと円形に回転し始めた。回転し始めるビットから、カードリッジシステムによって増幅された魔力が発せられ、バチリ、バチリと電気へ変換されて行く。

 

《キャパシターシステム、正常蓄電中》

 

この魔力変換機構は、マリエル・アデンザがティルフィングを強化した際にアップデートしたシステムだった。ビットを含め、ティルフィングには魔力変換機構は搭載されてなかった為、ライリーが使用としているこの術式は、まさにぶっつけ本番の魔法術式だ。

 

「少し不安だが、この距離なら当てられる…はずだ。信じるぞ、マリー!」

 

ライリーの眼前にモニターが表示されると、望遠映像がバックヤード隊のグラハムと、アーチャーが向かい合っている姿を捉えた。

 

「まさか、この距離から狙撃するつもりなのか!」

 

ライリー目掛けて向かってきていたヘイズレグの魔導士は、収束する魔力光を怒りを孕んだ目で睨み付ける。彼らは自分の周辺に魔力スフィアを展開し、ライリーの行動を妨害しようとした。

 

《プラズマ出力、制限値到達を確認》

 

だが、その行動はあまりにも遅い。ライリーの前に表示されたモニター内に映るゲージが、満タンになったことを知らせる。

 

「レールガンの専売特許はお前だけだと思っていたら、大間違いだぞ。アーチャー!」

 

ティルフィングの切っ先に魔力が収縮すると、ほんの僅かな間、細い魔力光が着弾地点までのガイドラインとして照射される。

 

「グラビィティブラスト! ファイアー!」

《グラビィティブラスト、発射》

 

充填された魔力がティルフィングから放たれると、砲撃は回転する四基のビットの中を通って、瞬時に加速される。円錐形の衝撃波を放ち、その光は、向かってきていたヘイズレグの魔導士たちを巻き込んで、一直線にアーチャーへと伸びていった。

 

 

****

 

 

細い魔力光がアーチャーを照らした刹那、その光に沿うように飛来した砲撃魔法が、アーチャーに呑み込んだ。

 

「何だ、この弾速の魔力光は…!」

 

何の前触れもなく目の前を横切りアーチャーにぶつかる砲撃の光で、ランプドアにいたグラハムは思わず目を伏せる。その凄まじい速さで放たれた砲撃は、既存の砲撃魔法の弾速を遥かに上回った速さだった。

 

「この距離から狙撃だとぉ!」

 

ベリルショットに搭載されているオートガード機能により防護魔法マトイキシンが発動する。

 

シグナムの防護魔法「パンツァーガイスト」を元に作られた【マトイキシン】は、防護魔法を身に纏うことにより、魔力を防ぐのではなく、逸らす性質を発揮する。直撃した砲撃はマトイキシンの防護魔法を境目に滑るようにアーチャーから逸れていく。しかし、ダメージは軽減されたがその威力は相殺できるものではなかった。鈍い痛みが体中に走っていく。

 

「ぐぅ…この閃光はライリーか…! たった数日でこれほど力を得たのか? やはりお前は、俺の越えるべきモノか…!」

 

ダイスレイヴで身体能力と、感覚神経が高められているアーチャーでも、ライリーの砲撃を事前に察知することが出来なかった。グラビィティブラストの渦を切り裂いたアーチャーは、砲撃が放たれた場所を睨み付ける。すると、直ぐ様に動けなかった三基の輸送ヘリから、アーチャーを囲むように十人ほどの管理局魔導師が出てきた。

 

「アーチャー・オーズマン。お前の反逆もここまでだ。大人しく捕まって貰うぞ!」

 

ライリーの遠距離からの援護を好機と見たグラハムは、ランプドアから魔力スフィアを操り、包囲したアーチャーへそう告げた。先程まで激戦を演じていたシグナムやヴィータも、彼を逃がさないように挟み込む。

 

「反逆? 元よりアンタたちが始めたことだろう! これは!」

 

囲まれたアーチャーはバリアジャケットを翻し、拘束しようと迫ってきた二人の魔導師をベリルショットで斬り伏せた。

 

「魔法という言葉に甘んじ、命の重さを、尊さを忘れたお前たちが。尊厳を、大切なものを奪い続けるお前たちが正しい? ふざけるな!」

 

幾つもの魔力スフィアを受けていながら、彼はまるで痛みを感じていないように、撃ち込まれる魔力スフィアを無視し、止まること無くベリルショット振るい続ける。

 

身体にいくら痛みが走ろうとも、非殺傷設定であるならば、深い外傷を負うこともなく、受ける者も簡単に死ない。それが非殺傷設定の特性だ。

 

逆にアーチャーを相手にする魔導師たちは、振るわれる剣戟が体を掠める度に鮮血が空に散る。浅いが、幾つもの傷が隊長の体を、体力を蝕んで行く。それが、人を傷付けるということ。

 

非殺傷設定であることで「人を殺してしまう」という不安を忘れ、ただ痛め付けるだけで道徳心を疎かにした結果、アーチャーの幼なじみは死んだ。彼を含める「ヘイズレグ」のメンバーが、管理局からあらゆる「何か」を奪われたのは確かな事実だった。

 

彼らは明確な理由を抱いてこの場にいる。彼らは殺戮者じゃない。武器を手にし、戦い方を学んで立ち上がった復讐者だった。

 

「だからといって、貴様が正しいのだと言えるはずがないだろう!」

 

入り乱れる中で、シグナムとアーチャーの刃が交差し合い、火花が辺りに散る。向き合うシグナムが、腹の底から吐き出すように敵へとそう叫んだ。

 

「あぁそうさ、烈火の将。俺たちがやっていることが正義だと、言い切れるやつなんてこの世界に誰もいない。だが、お前たちの立場としてもそれは然りだ」

 

シグナムの剣戟を力業で押し返すと、アーチャーはヘイズレグの魔導師たちを従え、ランプドアに佇んでいるグラハムを怒りと興奮を孕んだ目で睨み付けた。

 

「だから俺は示す」

 

彼の揺れる外套の両脇に、魔力の光が伸びる。アーチャーにとって舞台は揃っていた。何故、わざわざ彼は取り囲まれるような迂闊な真似をしたのか。それに気付いたグラハムは反射的にデバイスを構えたが、片腕しかない彼が、ダイスレイヴで身体能力を強化しているアーチャーに、追い付くはずがなかった。

 

「俺たちはこの歪んだ正義と過去を清算し、本当の正義を世界に証明する」

 

アーチャーがベリルショットを下から振り上げた。その瞬間、ブレードの刃が空中に飛び出す。飛翔しながら三日月型に変化するブレードは、囲んでいた局員魔導師の隙間を通りすぎ、後方に滞空していたバックヤード隊のヘリのメインローターを簡単に切り裂いた。

 

「軽輸送ヘリ三基でも足りたが、アンタも出てきてくれたから助かったよ。グラハム隊長」

 

ダイスレイヴで底上げされた物理衝撃波は、ヘリの主翼であるメインローターを簡単に吹き飛ばす。アーチャーは最初からこれを目的として、輸送ヘリ編隊の中へ飛び込んでいたのだった。

 

姿勢の制御を失ったヘリは、周辺に滞空していた輸送ヘリに衝突して行くと、破片を空に撒き散らし爆発した。

 

炎をまとったヘリの部品や回転翼の破片がアーチャーを包囲していた魔導師や、シグナムたちに襲いかかる。

 

 

****

 

 

防衛ラインの通信網を担っていたバックヤード隊のヘリが堕ちた。オンラインで繋がっていた索敵レーダーは既に役立たずで、防衛ラインの通信網は完全に死んでしまっていた。

 

「何だ!今の爆発は…!」

 

グラビィティブラストを放ったあと、海上ぎりぎりまで降下していたライリーは、まるでタービンやモーターを焼け切れるまで高速で回転させているような音に耳を傾けていた。

 

【各通信網遮断! ダメだ! 使い物にならない!】

 

ライリーの目の前を、尾を引いて落ちていくそれは上空を旋回していた三基の輸送ヘリと、グラハムが指揮を執っていたはずのバックヤード隊のヘリだった。

 

 

 

そして、彼らを嘲笑うように鈍い鋼の光が防衛ラインを易々と通りすぎたのを見つけた。

 

 

 

【索敵レーダーはアテになりません! 各隊魔導師は視認で敵魔導師の突破阻止を――】

「抜けられたッ!」

 

ライリーは誰の有無も聞かずに、空中で体を反転させて一気に地上本部方向に向かって弾丸のように飛び出した。

 

「肉眼でターゲット、アーチャー・オーズマンを確認した! 追撃する!」

 

通信官が間抜けな声を上げる。ライリーは見逃さなかった。防衛ラインからさほど離れたエリアを、アーチャーが悠々とロストロギア、ダインスレヴを携えて通りすぎたのを。

 

【や、奴は、これが狙いで!】

「各隊! 動けるやつは奴を追え!」

 

混乱状態の防衛ラインだが、数名の魔導師がすでに飛び出したライリーを見習うように体を反転させる。だが、すぐさま通信が入った。

 

【ダメです! 敵が多すぎる! 今このエリアを離れたら敵魔導士が一気に雪崩れ込んでしまいますよ! ターゲットを追跡できるのは彼しか…!】

 

それに防衛ラインを抜けたアーチャーは、もはや追える距離にはいない。

 

仮に防衛ラインにいるメンバーが追ったとしても、同時に雪崩れ込むヘイズレグの魔導士の対応に追われる。そんな混戦状態では地上本部に到達する前にアーチャーを押さえることは無理だ。それほどの距離が既に開いてしまっていた。サイファーチームを除いては。

 

「湾岸隊! ターゲットは二人のエスコート魔導師に守られてる形で湾岸線に向かっている!」

 

地上本部を目指すアーチャーのすぐ後ろを追って海上沖を高速で飛行するライリーは、アーチャーの状況を湾岸線で待機している地上部隊へ伝えた。

 

【サイファー1! ターゲットが湾岸線を越えたら地上本部は目と鼻の先です! なんとしても湾岸線を突破する前に食い止めてください!】

 

海上から見える湾岸線は、雲がかかっていて不気味に見えていた。ライリーは心の中で思わず毒づく。追い付いたとしても、アーチャーをエスコートしている二人の魔導師に阻まれるだろう。敵はこちらが非殺傷設定であることを逆手にとって大層な魔法以外なら気にせず突っ込んでくる。

 

命を捨てる覚悟を持つ相手は手強い。エスコートを相手にすれば、アーチャーを止める手立てが無くなる。

 

どうする。

 

ライリーは躊躇っていた。高速で飛行するライリーは、ギリッとティルフィングを握りしめた。

 

「サイファー1! ボーン二尉!」

 

通信機から、若い声が割って入ってきた。思わず後ろへ視線を向けると、そこにはライリーを追走する形で二人の魔導師が飛んでいた。彼らはサイファーチームのメンバーだ。

 

 

****

 

 

ライリーが抜けた防衛ラインでは、サイファー隊と合流した魔導師が、アーチャーに続いて進撃しようとするヘイズレグを食い止める為に、混戦を繰り広げていた。

 

撃破されたヘリは、すでに墜落し海中に没していたが、パイロットやスタッフは墜落する中、シグナムやヴィータたちによって救出されていた。グラハムも片腕ながら向かってくる敵を蹴散らし、現場の統制を取り戻しつつある。

 

「すまない、俺のミスだ。ライリー、アーチャーを止めれるか…!」

 

通信機で繋がるライリーに、グラハムは苦しさが込もった声でそう懇願する。彼も思考を巡らせてはいたが、いくら考えてもアーチャーを止めることが出来るのは、もうライリーしか居なかった。

 

「防衛ラインからは誰一人として、もう通さん。ボーンは気兼ねせずに奴を止めろ」

 

非殺傷設定をモノともせずに突っ込んでくる敵に応戦するシグナムは、先を行くライリーにそう言った。彼女と背中を合わせるヴィータも、シグナムに続くように叫んだ。

 

「ライリー、アンタなら絶対にできる! だからミッドチルダを…その先にいる皆を守ってくれ!」

 

背中合わせの二人に向かって、真下から砲撃魔法が放たれた。

 

「私たちの役割は、もう終わったの。誰もアーチャーを止められない。誰にも!」

 

砲撃を放ったのは、意識を取り戻したウーティだった。墜落したときに海水でずぶ濡れになったが、彼女はまだ戦う力が残っていた。

 

「奴が簡単に行かせると思うか? 私たちを甘く見ないことだ!」

 

シグナムは下から上がった砲撃を身を翻すようにかわして叫んだ。

 

「私たちは今も戦い続けてる、あの日からずっと…!」

 

残った彼女たちも、場所は違えどライリーやアーチャーがと同じように、終わることなく戦いは続いている。

 

 

****

 

 

「エスコートの二人は自分とサイファー5で押さえます! ボーン二尉は、気にせずターゲットを押さえに行ってください!」

 

ライリーに着いてきたのは、ティーダ・ランスターだった。ティーダはライリーに見えるようにサムズアップをしながら、風を切る音に負けないくらいの大声でそう叫んだ。ライリーは一瞬だけ迷ったように瞳を陰らせたが。

 

「あぁ、わかった。任せたぞ! サイファー3、サイファー5!」

 

そうティーダと同じくらいの大声で叫んだ。

 

「はい!」

 

真剣そのもののような返事をしたティーダ達は、アーチャーからエスコートする魔導師を引き剥がすために魔力スフィアを放つ。アーチャーから魔導師が離れた瞬間、ティーダたちが加速し、エスコートする魔導師と交戦する体勢へと移った。四人の魔導師が一気に視界の背後へと吹っ飛んでいく。

 

その穏やかな空にいるのは、ミッドチルダ地上本部へ一直線に向かうアーチャー・オーズマンと。

 

「ケリをつけるぞ…アーチャー!」

 

そして、彼を追走するライリー・ボーンだけだった。

 

 

 

――NEXT



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15.激突

 

 

ミッドチルダ地上本部。

 

首都クラナガンの中心部に位置し、時空管理局組織の要とも言える拠点。その場所から僅か数十キロ先の湾岸線と海上沖の空間を、一直線に切り裂くように、赤と蒼の魔力光が尾を引いて切り揉み合っていた。

 

切り揉み合う二人の空戦魔導師。

 

彼らにとって、空と陸の境界線は既に無く、海面ギリギリを飛ぶ際に巻き上がった塩水が肌に張り付いた。世界が縦横無尽にひっくり返って、重力という柵から抜け出したような無重力感覚が腹の底から脳へと響き渡ってくる。

 

『地上隊!そっちでサイファー1を援護できるか?』

 

復旧した管理局の通信回線から、砂嵐のようなノイズに混ざって、魔導師たちの通信が聞こえてくる。

 

『無理だ!二人とも速すぎる!』

 

風を切るヒュウヒュウという音が、鼓膜をツンと張らせる。雲や海面に反射する光が、すさまじい勢いで後ろへ吹っ飛んで、目の前には、まだ遠くではあるが地上本部を防衛する境界線である湾岸が迫ってきていた。

 

『すげぇ…こんな空中戦、今まで見たことねぇ』

『エース同士の戦いだ!各員、持ち場を離れるな! 誰も邪魔をさせるんじゃないぞ!』

 

キュパ。

 

目の前を滑空する「相手」から風圧を感じる。すでに数回味わったその違和感に、こちらも即座に反応する。猛スピードで空中滑空しながら、グルンと体を横へ反転させて今まで飛んでいた飛行進路のラインを変えた。ほんの僅か。すぐ傍を魔力で構成された極音速のレールガンが掠めた。飛行進路を変えていなければ直撃していただろう。

 

「アーチャー、お前は…行かせない…!」

 

一直線に地上本部へ飛ぶ「アーチャー・オーズマン」に向かって、小さくそう言葉を吐くや、彼を追う「ライリー・ボーン」は、ティルフィングを目の前を飛行するアーチャーへ向けた。周囲を飛んでいたビットの先端の射出口からアーチャー目掛けて追尾型の魔力スフィアが撃ち出される。

 

「ちっ!」

 

迫ってくるライリーの魔力スフィアにアーチャーは、直進飛行する体を捻り、体を飛んでくる魔力スフィアへと向けた。

 

「蹴散らせ、ベリルショット!」

《yes sir.》

 

銃剣であるベリルショットの銃口から瞬く間に火が吹いた。搭載されたレールガンから凄まじい速さで弾丸が発射され、迫ってきていたライリーの魔力スフィアをことごとく撃ち落とした。

 

このやり取りは、ライリーとアーチャーの追走戦が始まってから既に数回繰り返されていた。ここからアーチャーがライリーへレールガンを放ち、牽制しながら合いを保って管理局地上本部へと向かう。

 

だが、今回はこれで終わりじゃない。

 

牽制するためにレールガンを放とうとしたアーチャーの背後。彼には背中越しにヒュンと風を切るような音が聞こえた。振り向くと自分の行く手には一基のビットが立ちふさがっている。

 

「くっ…!」

 

猛スピードで飛行していたアーチャーは即座に速度を急減速させる。彼にまとわり付くように円錐形の空気の膜が現れ、風船が弾けるような鈍い音が聞こえた。

 

その広がった膜に一直線に伸びる細い光が照らされた瞬間、一気に膜を消し飛ばしたが、急降下するアーチャーの脇を掠めるだけに留まる。

 

「外した…! しかし進路は塞いだぞ、アーチャー!」

 

二発分の空薬莢がティルフィングから弾き出される。ライリーは、アーチャーのレールガンと同じく、凄まじい弾速を誇る砲撃魔法「グラビィティブラスト」を撃ち出した。それも射線軸が定めにくい、砲撃を行うには適さない飛行体制のまま。

 

だが、アーチャーはその攻撃をかわしてみせたのだ。微かな焦りが滲むライリーは海面に向かって急降下するアーチャーを追うように銃口を僅かに動かした。

 

海面に向かうアーチャーも予測できなかった攻撃に体勢を崩したままだった。彼の姿勢制御を疎かにさせるほど、ライリーの高速砲撃魔法は、充分な威力を発揮した。この状況を過去にアーチャーは体験している。

 

この戦術はライリーと模擬戦をやったときと、同じ状況だった。

 

そして今自分が飛んでいる飛行ラインもライリーの思い描いた通りのラインだろう。狙って仕掛けられる相手の次なる一手も、アーチャーには予測できていた。グンッとアーチャーは空中で姿勢を安定させると、ベリルショットをブラスターモードからセイバーモードに切り替え、正面を防御するように交差して構える。

 

その瞬間、彼の視界が目まぐるしく吹き飛んだ。上空から二射目の砲撃魔法がアーチャーに降り注ぐ。互いの魔力と魔力がぶつかり合い、派手に火花が散った。

 

「ライリー…!」

「止まれぇー!」

 

ライリーの雄叫びに、アーチャーの呟くような言葉は揉み消された。同時にベリルショットから伝わってくる重い力がほんの僅かに緩まった。

 

ガツン、と凄まじい力がアーチャーの体を貫かれる。まるでバカでかい鈍器か何かで殴り付けられたような感覚だったそれは、ライリーの砲撃閃光の中から現れたビットが、アーチャーに襲いかかったものだ。海面からそう遠くない空からアーチャーはビットの直接攻撃を受け、波立つ海面に叩き付けられる。

 

空から一直線に海へと落とされたアーチャーの体は、海面で数回バウンドする。巻き上がった塩水が顔に張り付くような感覚。数回海面バウンドをしたアーチャーは、姿勢を立て直し、転がっていた自分の体をピタリと止めた。

 

「ライリー・ボーン!」

 

〝この一連の戦術〟は、訓練生時代にライリーがアーチャーにしかけた戦術だ。

 

以前はライリーもアーチャーも専用のデバイスがなく、訓練用のデバイスでやり合っていた為、アーチャー自身、この戦術にそれほど脅威は感じていなかった。だが、それは過去の話だと、彼は痛感した。過去とは違い、ライリーは次世代型デバイス、ティルフィングを持っている。そのデバイスアビリティはライリーにありとあらゆる戦術の可能性をもたらしたのだ。

 

「…ライリー。お前は、仲間の死を乗り越えて、俺の裏切りを乗り越えて。それでもお前は、まだ俺の前に立ち塞がるか」

 

しかし、それはアーチャーの予測の範囲内。

 

自分がヘイズレグの切り札となると知られている以上、自分を止めることができる人物は、必然的に管理局で一番互いを理解し合ったライリーしかいないのだから。最早、逃げ切る間合いではなくなった。

 

ライリーのしぶとさは、アーチャーが一番よくわかっている。止めようとするなら、どうあっても止めるのがライリーだ。そのしつこさが買われ、ライリーはサイファー隊の攻撃チームに入れられたのだろう。地上本部へ辿り着くには、今、目の前に立ち塞がるライリーを倒していくしかない。地上本部へ続く湾岸線を背中に背負うライリーに、海水で水浸しになったアーチャーは、自嘲のような笑みを向けた。

 

「もう止まれ! アーチャー! なんでお前はそこまでするんだ!」

 

悲痛そうに顔を歪めながら、ライリーはティルフィングをアーチャーに向けた。だが、アーチャーはベリルショットの銃口をライリーに向けずに下げたままだ。

 

「何故だと? 何故も何もない。俺は最初から俺だっただけだ」

 

ベリルショットを下げたまま、アーチャーはティルフィングを構えるライリーと向き合う。

 

「お前が感じている感情はなんだ? 俺がサイファー隊の奴らを殺したことか? 俺がお前を裏切ったことか?」

 

ライリーにそう問いかけるアーチャーは、サイファー隊に居たときと変わらないような、おちゃらけたような態度でいたが、その眼光は鋭さを保ったままだった。

 

「そのどちらかなら、その感情に対する俺の答えは決まっている。俺とお前が出会ったあの日から」

 

管理局へ正式に入局したあの日から。訓練所でライリーと出会ったあの日から。

 

「アーチャー! お前は! ここまで道を違えてでも、お前たちの望む事は本当に叶えられるのか! 今の管理局のあり方が間違っていると言うなら、武力で訴えるお前たちも、間違っているとは思わないのか!」

 

ミッドチルダの世界、時空管理局によりもたらされているこの平和が結果的に争いの上で成り立っているとアーチャーが言うなら、それが間違っているからと行動をおこしたヘイズレグも間違っている。

 

誰もが武器を持つことなく、戦うことのない世界。それがヘイズレグの理想だと言うなら、そんなものとっくの昔に破綻している。戦うことで生きることを勝ち取らなければならない世界。それが今の世界の基盤であり、根源なのだから。

 

「だったらお前が示してくれるのか。真の正義を…!」

 

その瞬間、陽気な笑みを浮かべていたアーチャーの表情が一変した。

 

怒り、後悔しているような、憎悪を孕んだそんな眼光でライリーを睨み付ける。

 

「俺は本当の正義を知りたい。その為に今まで生きてきた! 屈辱に耐え、悲しみを越えて!」

「違うアーチャー! そんなの、ただの管理局に復讐しただけじゃないか!」

「それでもだ! 俺はその為だけにこの場に立ち続けたんだ! 本当の正義を知るために…!」

 

ライリーの言葉など、もうアーチャーには届かない。

 

下げられていたベリルショットの銃口が、ライリーに向く。向き合う銃口と銃口。それが、ライリーとアーチャーの境界線だった。矛盾を抱きながら惰性化された平和の中に居る者と、それを撃ち破ろうと血の代償を支払い続ける者との境界線。

 

「アーチャー! お前がやろうとしてることは、正義でも何でもない! 殺戮者と同じなんだ! そのまま地上本部にたどり着けば、お前はもう引き返せなくなる!」

「どのみち、俺はもう引き返さない。約束を果たすためにな」

 

互いのデバイスから火が吹く。同時に、ライリーとアーチャーは上空へと舞い上がった。

 

「俺を相棒と呼ぶなら…なぜ俺を理解しないんだ! ライリィー!」

 

外れてしまった互いの魔力スフィアは海面に着弾して爆散し、それは高い水柱を上げた。

 

「お前はただ、決められた物に従っているだけだ! 過去遺失物を回収し、物理兵器を撤廃させようとしている管理局の規律に! そこに何の正義がある!」

 

アーチャーのベリルショットから極音速の弾丸が飛び出す。ライリーは向かってくる弾丸を臆することなく捉えた。直線的に飛んでくるほど、その弾道は見抜きやすい。

 

ライリーはティルフィングを一閃に振るう。アーチャーの魔力スフィアが着弾する手前の場所にビットが滑り込んだ。リフレクターシステムを起動させたビットは飛翔してきたアーチャーの弾丸を弾き返す。それでも、アーチャーの猛攻は終わらない。

 

「その搾取に、全てを奪われた者がいるとも知らずに! 規律や理想を優先して、思考を捨てた管理局が世界の善だと? そんなもの、笑い話にもならない!」

 

射撃がダメならばと、アーチャーはビットによって跳ね返した自分の弾丸や、ライリーが放つ迎撃弾を掻い潜り、強引に近接攻撃を仕掛けた。

 

「惰性し、矛盾し続けるこの偽りの世界で、お前は何を望む! 何のために戦う!」

 

鉄と鉄がぶつかり、擦り合う音と火花が散った。焦げるような鉄の匂いと、海の潮の匂いが混ざり合う。

 

「考えることすらやめた奴等を背に、お前は何を思ってそんな奴等を守る!」

 

アーチャーが扱う二丁の銃剣は、まるで生き物のように乱舞しライリーに反撃の隙を与えなかった。強化されているアーチャーの攻撃をティルフィング越しに感じる。衝撃と眼前を飛び散る火花で視界が揺れ霞んだ。けれど何故か、アーチャーの言葉だけは鮮明に聞こえていた。

 

「胸高らかに自分たちは正しいと叫ぶなら! それを証明してみせろ!」

 

二対の光刃を空に向かって振り上げ、アーチャーは渾身の一撃をライリーに見舞う。今まで以上の衝撃が、雷のようにライリーの体を突き抜けた。その一撃を受け止めた肩や骨、関節が、嫌な音を身体中で鳴り響かせる。近接戦闘を得意とするアーチャーに、力と力の勝負じゃ敵わない。何度も訓練中に思い知らされていた事だ。

 

さっきの一撃のお返しだ、と言わんばかりに派手な音を立てて、アーチャーはベリルショットを振り抜いた。なんとかティルフィングで受け止めるが火花が辺りに飛び散り、耐えきれなくなったライリーの体は、大きく真下へ吹き飛ばされる。

 

頭から仰向けに引き飛ばされたライリーの先には、波間が漂う海面が迫る。突き刺さる様な冷たさが体を貫いた。頭から海面に突っ込んだライリーの体は水面を跳び跳ねるようにバウンドする。

 

上下感覚が一瞬で狂い、重力に従う内蔵が体の中で上へ下へと暴れまわる。叩き付けられる度に、ちぐはぐになる意識をなんとか引き留めて、ライリーは忙しく入れ替わる風景の中で的確に海面へと手を伸ばした。体に急減速の衝撃が走る。硬い粘土層の地面に手を突っ込んでいるような感触が、海面に触れる自分の手から全身へと流れ込んだ。

 

デタラメにバウンドしていたライリーの体は徐々に体勢を立て直していき、海面で制止した。舞い上がった水飛沫が顔やバリアジャケットに張り付いて、高ぶったライリーの思考を冷やした。

 

「アーチャー…。俺は、この世界の正しさだとか悪だとかは、正直…分からない」

 

上空から自分を見下ろすアーチャーからの問いに、ライリーは海面へ顔を俯かせながら答えた。

 

「そして、管理局の魔導士としても、ライリー・ボーンとしても、お前を殺す理由も覚悟も俺には無い。だからこそ、俺は俺が信じている理由の為に闘う」

 

アーチャーのように、長年募り続けた執念でもなく、ファーンのような、誉れ高き理想の為でもない。亡き父の墓標の前で気付いた願い。たったひとつ信じ続けたことの為に。翼が折れても、もうダメだと堕ちそうになっても、それでも、隣で支えてくれる仲間のために。

 

「組織や規律なんかじゃない。俺は…仲間を守るために闘う!」

 

そして、全てを投げ出そうと諦めていた自分の背中を、光に向かって押し出してくれた友を、救うために。

 

「そうか…だったら、俺とお前が分かり合うことはない」

 

アーチャーはライリーを見下ろしながら、今まで一切触れていなかった魔剣に手を伸ばす。

 

「俺は過去と今の間違いを清算して明日へと進む。それが「本当の正義」を知るために必要な礎だ。この魔剣は、その為に手に入れた力だ」

 

背中に携えたアーチャーのすべての始まりである物。ダインスレヴを握った。

 

「ライリー。俺が過ちなら俺を倒してみせろ。俺を止めると言うなら、それしか手段は無いぞ。もっとも、俺はお前を越えるけどな…!」

 

起動した魔剣から魔力で作り上げられた旋風が巻き上がる。ダインスレヴから発せられる圧倒的な魔力は、否応なしにライリーの体にのし掛かってくる。

 

「もう勝たなければ、前に進めないんだ。6年前のあの日から! ずっと!」

ダインスレイヴから魔力を得たアーチャーは、海面にいるライリーに向かって、上空から一気に降下してゆく。迫り来るかつての相棒を前に、ライリーはティルフィングを構えながら、静かに呟いた。

 

 

もう――過ぎ去った懐かしいあの日には、戻れないのか。アーチャー…。

 

 

「ティルフィング! 行くぞ!」

《了解、ビット、アサルトシフト展開》

 

突っ込んで来るアーチャーを、ライリーも周囲にティルフィングのビットを展開させ、迎え撃つ。

 

「ライリィー―!」

「アーチャーー!」

 

浪間の遥か上空で、互いにぶつかり合い、もう引き返せない光が交差し合う。

 

 

****

 

 

ミッドチルダ海上沖上空、β空域。

 

「本部!こちら防衛特務隊第二班「ピクシス隊」のファーン・コラード一等空尉です! 敵部隊の捕縛を完了しました」

 

サイファー隊とは別行動だった「ピクシス隊」は、激しい攻防戦の末、敵魔導師をすべて捕縛し、α、β、γ空域内のβ空域を制圧していた。被害は無傷、とは言えないものの三空域の最終防衛ラインにいるライリーたちに比べれば、まだ編隊を再編成できるほどの余裕はあった。

 

「ピクシス隊は、このまま最終防衛ラインにいるサイファー隊へ合流します!」

 

通信機能が一時的にシャットアウトされているこの状況が良い傾向にあるとはファーンには到底思えなかった。

 

何か悪いことが起こっているような…そんな予感が、ファーンの脳裏に過る。

 

後援の部隊にβ空域を任せ、ファーンたちピクシス隊はライリーたちがいる最終防衛ラインへと急行しようと空中に留まる身を翻した。

 

【現在、サイファー隊のライリー・ボーン二尉が、湾岸線直前の空域でヘイズレグ首謀と思われるアーチャー・オーズマンと交戦中です!】

 

身を翻すと同時に入ってきた通達に、ファーンは当たって欲しくない予感が当たったのだと思わず顔をしかめる。

 

「なんてこと…! サイファー隊や他の部隊の援護はどうなっているんですか!」

【湾岸線には地上部隊による迎撃ラインが展開されていますが、二人の援護は誰も手出しできないんです!】

 

手出しができない? 多勢に無勢の混戦状態ならその意味はわかるが、たった二人の魔導士による空中戦で手出しができないなんていったいどういう状態なのだろうか。

 

「どうして! どうしてライリーさんは、一人で戦ってるんですか!」

【二人が速すぎて、索敵レーダーに捉えられないんです! 何度か援護に入ろうとする魔導士もいましたが、ボーン二尉の操るビットに阻まれて近づけないんです。迂闊に間に入れば、ボーン二尉の邪魔になるだけだ!】

 

苛立ったように言うオペレーターの言い種に、ファーンの中で何かが音をたてて引きちぎれるような、そんな感覚を覚えた。まさか彼は、一人でアーチャーを止めるつもりじゃ…!

 

「だからって…! だからって、ライリーさんに全部任せて闘わせるんですか! あんまりです!」

【他に手は無いんです! ピクシス隊は周辺空域の制圧、敵残党の捕縛を願います!】

 

ファーンの抗議を聞き入れる様子もなく、拠点のオペレーターは通信回線を切った。

 

ファーンはピクシス隊の誰の有無も確認せずに、すぐさま最終防衛エリアへ向かって飛び立つ。たった一人で戦うライリーを助けるために。ファーンに続くように、ピクシス隊のメンバーも次々に飛翔して彼女に続く。皆、思うことは一緒なのだろう。ファーンはそんなことを思いながら、遠くに見える数々の魔力の残光を眺めた。

 

「無事でいて下さい…ライリーさん!」

 

最終防衛ラインへと向う飛行魔法の速度をフルスピードにして、ファーンは一直線に目指す空域へと急ぐ。呟いた彼の無事を願いながら。

 

 

****

 

 

「防げ、ビットォ!」

《リフレクション》

 

ライリーが手をかざした先から、魔力光を放つ極音速の弾丸がこちらへ向かってくる。

 

懐を捕らえるかと言う場所まで猛スピードで突っ込んできたその弾丸は、突如、彼の目の前に滑り込んできたビットによって行く手を阻まれた。飛来するアーチャーからの攻撃をライリーはティルフィングのビットで応戦していく。

 

アーチャーの戦法は、二丁の銃剣ベリルショットを主軸にした近接戦闘と変わりはない。だが、アーチャーがダインスレヴを抜いてから、彼の魔力は急激に上がったように思えた。先ほど、アーチャーからの弾丸を跳ね返したビットの装甲にはヒビが入っている。

 

「跳ね返し切れない…このままじゃティルフィングの装甲が…!」

 

魔力は上がったアーチャーの魔力スフィアは、今までの物とは比ではない。

 

弾丸を形成する外郭シェルの硬度に加えて、殺傷威力、破壊性、どれもが考えられないほどに向上している。いくら魔力を跳ね返すリフレクターシステムがあると言えど、装甲には限界があった。このまま長期戦になればどう考えてもこちらが不利になる。

 

消耗する一方のライリーは、そうなる前に打開する一手を出した。ビットを盾にアーチャーに向かって踏み込む。

 

「この間合いに入ってくるのか!?」

 

打開するために、ライリーが選択した戦い方。

 

それは、接近戦〝インファイト〟だ。

 

アーチャーが得意とする間合いに、ライリーはそれを知った上で、自ら飛び込んできた。それは、接近戦を好むアーチャーにとっての、屈辱だった。

 

「なめやがって! この間合いに入ったってことは、お前の負けでいいんだよなぁ!」

 

そこから、魔導師同士の戦いでも類を見ないほどの、火の出るような近接での打ち合いが始まった。互いに絡み合うように跳び合っていた空戦から一転し、同じ場所を旋回するように足を止めて打ち合う。

 

「なんで攻撃が届かない…!」

 

近距離の打ち合いを好むアーチャーの動きは、ライリーの動きを完全に上回っていた。近距離に対して余裕の無い分、ティルフィングは不利だ。

 

すべてがアーチャーの方が上の筈だった。それでもライリーは彼と対等に打ち合っていた。

 

ヴォルケンリッターであるシグナムやヴィータと対等に渡り合うほどの実力を持つアーチャーに、ライリーがまともに応戦できる理由。

 

それは類い希なる動体視力と予測能力、そして積み重ねてきたアーチャーとの時間があったからだ。

 

機関銃のように飛び出てくるアーチャーの攻撃は、ライリーを捉えることはなく掠めるだけ。

 

(速い、そして重い。これがアーチャーの本気なのか…)

 

アーチャーの攻撃はどれも力強かった。甘い防御で応戦すれば、瞬く間に飲まれてしまうだろう。けれど、ライリーとアーチャーが二人で積み重ねてきた時間は、今彼が放つ手数などではとても追い付きやしないかった。その空間は積み重ねてきた時間が支配していた。

 

だが、それはアーチャーにとっても同じ。

 

狩人の眼光が冴える。ライリーの右からの振り抜きをアーチャーはまるで解っていたように体を逸らし、一切受けずにかわした。

 

(流された…!)

 

読まれたことでライリーは確信した。

今、目の前にいるアーチャーは、自分が知る相棒から遠く駆け離れている。だが変わり果てたアーチャーも、自分と同じく、共に積み上げたモノを知っている。彼はまだ、自分と同じ時間の中にいると。

 

「お前のそのパターン。右から来る振りは撃ち込みじゃなく、若干のスウィングになる癖があったよな。懐かしいぜ、相棒…!」

 

完全に外れたライリーを睨み付けるアーチャーは、そのかわした隙を見逃さなかった。演習や訓練ではない。本気の殺し合いの中で、首を目掛けてアーチャーの剣が下から競り上がってくる。

 

「ぐうっ…!」

 

咄嗟にライリーは上半身を引いて、その一撃をかわした。

 

それを周りから見たとすれば、上手いかわし方だっただろう。しかし、ライリーにとっては、それしか避けれる選択肢が無かった。まるで誘導されたように上半身を反らしたライリーに、冷たい眼光が突き刺さった。二刀流のアーチャーが即座に二撃目を構える。

 

ライリーが強敵だからこそ、アーチャーは確実性のある対処をした。

 

せり上げた時に狙った場所と同じく、もう一刀のベリルショットで首を狙った一撃を突く。貰った…! そう確信する一撃だった。

 

一瞬の内に、ライリーとアーチャーが交錯する。

 

閃光の狭間、アーチャーに見えた光景は、首を貫こうとした一撃がティルフィングのビットによって阻まれていた。

 

「その手は何度も喰らったが…今回はかわしたぞ、アーチャー」

 

バチンと音を立ててアーチャーのベリルショットが反射の反動で弾き上げられる。今度はアーチャーが大きく体制を崩した。

 

読まれていた焦りから、咄嗟にもう片方の銃剣でライリーを狙うが、思考するアーチャーより、ライリーの動きの方が速い。

 

ティルフィングの先端から放出される魔力の刃が、構えたベリルショットの銃口に深く突き刺さった。

 

同時に放たれたベリルショットの弾丸は、ライリーの肩をかすめ、深く切り裂く。ライリーはベリルショットに突き刺さったティルフィングを振り上げ、そのまま上部フレームを切り裂く。

 

二丁拳銃であるベリルショットの一つを完全に破壊した。破壊されたことによってベリルショットのフレーム内に圧縮されていた魔力が行き場を失い暴発し、自ら産み出した魔力がアーチャーの頬を切り裂いた。

 

二人は大きく仰け反って距離を放す。

 

思い出したように痛みが二人に襲いかかってきた。

 

よく手を出したとライリーは我ながら自分の反射神経に感謝していた。アーチャーの首を狙った一撃を防いだのは予測ではない。自身の勘だ。それだけでアーチャーの一撃を凌いだ。

 

お互いの初動を、お互いが解りきっている。

 

フェイントを含んでもひっかからず、仮にひっかかっても、即座に立て直して対処をする。

 

同じ時間で積み上げてきた経験と知識と技術。

 

互いに持つ手札を、互いが既に知り尽くしている。

 

そんなことを何百、何千と繰り返した先にある戦略なんて、無い。

 

常に相手の動きを予測し、その動きに対処し封じ、相手を攻略する。その繰り返しだ。

 

「ティルフィング。ありったけのクラスターバレットを展開しろ」

《了解しました。カードリッジロード。カードリッジ残弾数は残り4。残弾が半数を切りました。ご注意を》

 

ライリーに答え、ティルフィングから空になった薬莢が放出され、彼の背後へ横一列に無数のスフィアが展開されてゆく。それはまるで、ライリーの背を覆う舞台幕のようにも見えた。

 

「避けきれない魔力の壁をぶつけてやる」

《クラスターバレット・マルチレイド》

 

食い千切りに来た野獣を迎え撃つ鉄壁の騎士。この先へ進める者は、折れぬ信念を持ち、戦いに勝利した者だけだ。

 

「やるな、ライリー…だが!」

 

問題はない。それを見越していない俺じゃない。アーチャーは笑みを浮かべると、使い物にならなくなったベリルショットの対を捨て、背中に携えていたダインスレヴを鞘から引き抜く。

 

「そんなものじゃ、俺はまだ倒れないぞ!」

 

アーチャーが言ったと同時、美しい銀色の刀身を輝かせるダインスレヴの周辺に幾つもの結晶が出現した。

 

「有史以前の代物だ。その目に焼き付けろ…!」

 

現れた結晶から次々とスフィアが生成されると、アーチャーの周辺を漂い始めた。魔力を帯びたそのスフィアは、その外郭シェルの表面に小さな雷がうねりを纏っている。アーチャーがダインスレイヴを空へ掲げ叫んだ。

 

「ヘルブランディ。撃ち穿てー!」

 

ライリーに向けて振り下ろした途端、アーチャーの周辺に展開された禍々しい魔力スフィアは、ライリー目掛けて動き出した。二人が挟んだ空間で、尾を引いた魔力が激突し合った。

 

おびただしく光が混ざり爆発する。まばゆい閃光、目の前で起こった爆風で、二人は思わず顔を手で覆った。魔力が混ざった爆風が、ライリーとアーチャーの髪の毛やバリアジャケットを揺らした。

 

「あの結晶はスフィアを生成する砲撃台か。ロストロギアって何でもアリかよ!」

 

なけなしのカートリッジを消費しても相手には、かすり傷ひとつもなく、アーチャーの周りにある結晶はスフィアを生成し続けている。

 

あまりにも分の悪い状況に、ライリーは思わず毒づいた。魔力残光が、チリチリと二人の間に舞っていた。

 

「これで遠距離からの魔法はダインスレヴの前では無力だ」

 

アーチャーはダインスレヴを構え、ライリーへと切っ先を向ける。

先ほどの攻撃と言い、カートリッジで強化したライリーの魔力スフィアに、同等の力を持ったモノをぶつけて相殺する。

 

細かな魔力配分と、相手が放ったスフィアの正確な弾道予測が要求されるその技を、アーチャーが瞬時にできるとは考えにくい。アーチャーが追撃魔法などの魔力スフィアの操作を不得意とするのは訓練学校時代からライリーはよく知っている。

 

そこから予想できる可能性は、アーチャーが持つダインスレヴには高い魔力操作システムが備わっていると言うことだ。だとするなら、迂闊に追撃魔法を打っても相殺されるか、もしくはその隙を付かれるかのどちらかだろう。

 

つくづく、ロストロギアとは何でもアリなのだと思い知らされる。

 

「次は、こちらから行くぞ…ライリー!」

 

ダインスレヴから重低音の機械的な音声が空に響く。刀身の中央にはめられている勾玉が神々しく光ると、アーチャーの足元、背後へ魔方陣が展開された。

 

(なんだ、あの魔方陣は…ミッドチルダ式じゃない)

 

身構えるライリーは、アーチャーの足元に1つと、背後に1つ、出現した魔方陣を見てそんなことを考えた。アーチャーの魔方陣は元はミッドチルダ式だったはずだ。

 

だが、今の彼の足もとに広がっているのは、円形の魔方陣ではなく、どちらかと言うならば三角形に近い形状の魔方陣だ。その三角形の魔方陣、ライリーの脳裏に、その魔方陣が浮かび上がる。

 

『闇の書事件』を境に、ミッドチルダ中に知り渡った太古の魔法技術、古代ベルカ式〝エンシェントベルカ〟。

 

「さぁライリー。俺を止めて見せろ!」

 

アーチャーの背後に展開された魔方陣の中心に、彼の周囲に現れていた結晶が集まっていくと、そこへ目に見えて魔力が収束されて行く。その馬鹿げた魔力に、ライリーは背中に冷たい何かが走るのを感じ取った。

 

《敵ロストロギアから高エネルギー反応。目標は、ミッドチルダ地上本部です》

 

言われなくてもわかるだろ! あれは!

 

ティルフィングの警告に驚愕しているのを他所に、地上部隊や本部のオペレーターから「何とかしてくれ」と喚かれる。今まで見たことが無いような砲撃魔法をいったいどこまで押さえられるか。そんなことすら考え、ライリーは発動時間が最速を誇る迎撃魔法を構築した。

 

「ティルフィング! ビットとクラスタースフィアを最大展開!」

《カートリッジ、リロード。カードリッジ残弾は3です》

 

主の声に、魔剣の名を与えられた杖は答える。直ぐ様、ティルフィングはカートリッジがリロードされ、ライリーの正面にフィールドモニターが展開された。モニターの真ん中へアーチャーを捕らえる。

 

「ファイア!」

 

モニターにアーチャーを捕らえたと同時に、アーチャーは天へと掲げていたダインスレヴを振り下ろした。魔剣の動きに合わせられたように、アーチャーの背後に展開し収束された魔力が解き放たれた。

 

「なに…ッ!?」

 

放たれた砲撃魔法を見て、ライリーは驚愕した。

 

1つだった砲撃魔法は、発射されて間もなく拡散し始めたからだ。その分散した射撃魔法、目測でおおよそ百弾以上だった。

 

非殺傷設定が解除されている以上、一発でも市街地に到達したら一般市民や地上への被害は免れない。

 

「くそ…ッ!」

 

ライリーは予測に反したアーチャーの攻撃に即座に対応する。座標計算から割り出す演算では間に合わない。

 

一か八かの賭けにはなるがと、ライリーはティルフィングを与えられてから〝数回〟しか使用したことがないシステムを起動させた。

 

「ティルフィング、視神経を信号パルスに直結しろッ!」

《マスター! それは視神経に深刻な負荷が…》

 

普段は反論しないティルフィングが、ライリーがやろうとしていることに異議を発したが、ライリーは首を横に振った。

 

「早くするんだ! 考える時間はない!」

 

その言葉に、ティルフィングは黙り込むと、指示通りライリーの視神経をティルフィングに同期させる。

 

モニターに表示されていた赤いアイコンが消えると、ライリーの瞳が赤く光出した。鈍い痛みがライリーの瞳に広がる。

 

「座標計算、弾道予測、位置を…割り出し!」

 

ライリーは視線の先、飛んでくる百近い射撃魔法の動きを捉えた。ライリーの瞳の動きに連動して、ティルフィングが展開したフィールドモニターに赤いターゲットアイコンが次々と入力されていく。

 

このシステムは、眼の視神経とティルフィングの電磁信号パルスを直結させることにより、より処理機能を介さない捕捉が出来るシステム。だが、術者の瞳の神経に与える負荷は大きく、加えて捕捉しながらビットの座標演算も行うため、術者の眼に後遺症が残りかねない欠陥を抱えていた。

 

しかし百近い射撃魔法を迎撃しなければならないとなれば手段を選ぶ時間は無い。

 

「当たれぇぇぇ!」

 

アーチャーから放たれたすべての射撃魔法を補足したライリーの周辺に展開されていたビットとスフィアは、生き物のように不規則揺れ動きながらアーチャーから放たれた射撃魔法を迎撃し相殺して行く。ライリーの上空を抜けようとした百近い射撃魔法は、ライリーにたどり着くまでもない場所で全て撃ち落とされていった。

 

「真っ正面から相殺するか…ッ!」

 

横一面に広がる幾つもの爆発を目の当たりにして、アーチャーは底知れぬライリーの実力に震えた。魔力スフィアとは言え、ロストロギアから放たれた攻撃魔法を、寸分の狂いもなくライリーは撃ち抜いたのだ。

 

ライリーは臆することのない判断とそれを実行する能力。いや、思い切りがいいと言った方がいいのだろうか。ロストロギアを握ってから、アーチャーは初めて緊迫感という焦りを心の中に感じる。

 

こちらはもちろん本気だ。

 

本気で管理局に挑み、落とすと誓って戦っている。だが、ライリーも、アーチャーと同じく本気だ。自分やヘイズレグを止めると、行く手を阻むために本気で戦っている。気を抜けば落とされる。

 

そんな緊迫感が睨み合う二人の間に漂っていた。

 

「何故だ。何故お前は、俺の前に立ち塞がる…」

 

六年前に、ライリーと出会わなければ良かった。アーチャーは心の底からそう思った。彼と別の奴とバディを組んでいれば、変わっていったはずだった。自分の中に灯った炎は、変わらず灯りを放っていた筈だ。

 

だが何故だ。何故、心が揺らぐ。

 

ライリーは俺に何をした。自分の中で何が起こっているんだ。僅かにくすぶっていた心の揺れが、迷いが今になってはっきりと感じられた。

 

やっと目の前まで辿り着いた。待ち望んだモノが、目の前にある。手を出せば仕留められる筈だった。どうしてこうも重い。手足が、身体がじゃない。心が軋むほど重い。

 

 

動け。動け、動け。動け動け動け動け動け動け動け動け!

 

何故こんなにも心が重い。ライリー。お前はいったい、俺のなんなんだ!

 

 

「ライリぃいいいぃぃぃぃ―――!!」

 

 

ドクン。ドクン、とダインスレヴを握る手から、大きく蠢く鼓動が耳へ聞こえてきた。

 

まるで体が自分の物では無くなったような、脳から発せられる感覚神経がすべてシャットアウトされているような感覚。

 

視線だけ動かして、アーチャーはダインスレヴを見た。銀の刀身に埋め込まれている勾玉から、自分の魔力ではなく、禍々しい魔力が溢れだしていく。

 

 

―――その憎しみを解き放つ、時が来たのだ。

 

 

身動きが止まったアーチャーに、《ダインスレヴ》から重低音の機械音声が発せられた。だが、それはまるで、「嬉々」とするような高揚した声色にも聞こえる。

 

 

―――我は貴方、その心を具現化するモノ。さぁ、始めましょう。

 

 

ダインスレヴがそう発した瞬間、彼の見ていた世界は暗転した。

 

 

「あああぁああぁぁああああ!!」

 

 

信じられないほどの膨大な魔力が、ダインスレヴから体の中に流れ込んでくる。身体の血液全てが沸騰しているように感じられるほどの熱が走り、爪先から頭のてっぺんまで過剰に反応した痛覚が突き抜け、何も考えられなくなる。

 

「なんだ…この魔力!」

 

視神経を酷使したライリーは、眩暈をなんとか噛み殺しながらも、突然起きたアーチャーの異変に戸惑っていた。

 

禍々しい魔力がアーチャーを包んだと思った瞬間、人間の叫び声とは思えない濁点だけの声が辺り一面に響き渡る。

 

その咆哮と共にやってきた衝撃波によって、ライリーの体が一気に吹き飛ばされた。一瞬で景色が前へ飛んでいき、身構える間もなく海の海面へ叩き付けられた。後から追いかけてくるように腹部と背中に酷い痛みを感じた。

 

「痛ぅ…ッ!」

 

派手に水柱が上がる中で、予想しなかった攻撃にライリーの体は悲鳴を上げていた。舞い上がった海水がまるで雨のように海面に浮かぶライリーへ降り注ぐ。

 

「なんだよ…ありゃあ!」

 

ライリーは飛行魔法で海面から離れ、頭上にいるアーチャーを見上げる。見上げると同時に、ライリーは自分を吹き飛ばした衝撃波の正体を理解した。

 

痛みか、苦しみかで叫び声を上げるアーチャーの周辺、主にダインスレヴの周辺から魔力で作り上げられた旋風が不規則に吹き荒れていたのだ。おさらく、自分はアレを食らって吹き飛ばされたのだろう。

 

痛む腹部を押さえながら、急変した状況に呆然と立ち尽くしている最中。

 

【ボーン二尉! ライリー・ボーン二等空尉! 聞こえますか!】

 

地上本部から直通の緊急回線がライリーのもとへ入る。ティルフィングを介して、ライリーの目の前に通信用モニターが表示された。恐らく、青年は無限図書から直通で通信ラインを通してきたのだろう。後から慌てたように本部と地上拠点のオペレーターが通信を繋げてきた。

 

【今、貴方の目の前にあるロストロギア「ダインスレヴ」の文献を見つけ出しました】

 

『ユーノ』がそう言うと、ライリーが見るモニターにはダインスレイヴに関する文献や資料が次々と表示される。あれだけ膨大な情報量を誇る無限図書からこれだけの資料を見つけ出すとは、いかに苦労したのだろうか計り知れない。表示される資料の数々を見ながらライリーが呆けに取られた。その間にも半透明のモニターの向こうでチカチカ、と幾つもの光が瞬いた。

 

【強大な魔力反応をこちらで確認しました! 恐らく…それはダインスレヴの暴走です】

「んなもん、見りゃわかる!」

 

冷静に状況を分析したユーノを、ライリーは怒鳴り付けるように黙らせた。モニターを表示したまま空中停止していた自分の体を後方へと一気に飛ばす。初速から一気にトップスピードへ到達し、体の中身がぐんと押し付けられるような重力感を感じながら、後ろ向きに海面ギリギリを飛行し出したライリーに向かって、先ほどチカチカと瞬いた幾つもの光が猛スピードで突っ込んできた。

 

ダインスレイヴから放たれた魔力スフィアだ。

 

「速い…!」

 

ライリーは身体全体を使って、飛行するラインや軌道を僅かに変えてゆく。彼の辺りでボッボッボッ、と円錐状の膜と空気が割れる音が響き、凄まじい速さの魔力光弾を紙一重でライリーはかわした。

 

ギリギリで避わしたライリーの背後で、数発分の水柱が轟音を響かせ派手に上がった。天を突きそうなほど巻き上がった水柱の中をライリーは掻い潜り、魔力スフィアの嵐から逃れようと飛翔する。

 

そびえる水柱を難なく貫く数発の魔力スフィアが一直線に空を駆ける。

 

「直撃コースか…!」

《X-S01、展開》

 

ライリーの応答に答えるティルフィングは、直ぐ様ライリーの前へビットを滑り込ませた。空気の壁を突き抜けて跳んでくるダインスレイヴの魔力スフィアと、ビットのリフレクションシステムがぶつかり合った。

 

「うおお…!」

《警告、X-S01破損率、四十%》

 

繋ぎっぱなしのモニターにティルフィングから警告アラームが表示される。凄まじい速さで突っ込んできた魔力スフィアを、リフレクションシステムで跳ね返すことはできなかった。火花を散らせてぶつかり合った後、魔力スフィアは爆散する。

 

「なんつー威力だ…!」

 

辺りに広がる爆煙を切り裂いて、ライリーはアーチャーから距離を離した。自分に追従してくる七基のビットを確認すると、いたるところにヒビが入っており、装甲が完全に割れて機内の基盤が露出している部分まであった。

 

「こりゃ、ちっとヤバイかも…な」

 

いくらデバイスアビリティがあるとはいえ、デバイスそのものが壊れればそこでお終いだ。ティルフィングには、もう長時間戦闘できる余力は残されていない。

 

【ライリーさん!】

 

考えあぐねいていた時、繋ぎっぱなしにしていた通信回線へ新たにもう一人が加わった。映像回線ではなく音声だけの通信だった為、ライリーは確認するように回線に加わった人物に問う。

 

「…ファーンか?」

【はい! ファーン・コラードです! ライリーさん、無事ですか!】

 

生真面目にフルネームで答えるのが彼女らしい。こんな状況だというのに、ライリーは場違いなファーンの生真面目さが可笑しくて、小さく笑った。

 

「あぁ、今のところはな。状況は最悪だが」

【状況は最悪って…!】

 

ファーンの不機嫌そうな追求の言葉の前に、モニター回線を繋げていたユーノが会話に割り込んできた。

 

【ファーン・コラード一等空尉、でしたよね? ボーン二尉と一緒に聞いてください】

 

ユーノの森厳な言葉に、ライリーへ今までの経緯を問いたかったファーンの不機嫌そうな声も成りを潜める。

 

【それでは、状況を確認します】

 

ユーノのその言葉と同時に、ライリーはアーチャーから更に距離を離した。

 

さっきの攻撃でわかったことがあった。

 

ダインスレイヴから一定の距離に入れば、自動的に迎撃魔法が跳んでくるようだ。アーチャーから距離を取ると、ダインスレイヴからのアクションは無い。静けさを取り戻した空で、ライリーはユーノとファーン、地上本部へ事態の説明をする。

 

ダインスレイヴが性質や攻撃性。

 

それに伴う殺傷能力と危険性。

 

そして、それがミッドチルダ市街地に到達したときに及ぼす未曾有の惨劇の可能性を。

 

【ロストロギア、ダインスレヴは所持者の感情、精神エネルギーをそのまま魔力に変換し、それを媒体として外郭を構している。言わば生き物の精神エネルギーを具現化したようなモノなんだ】

 

ひとしきりライリーの報告を聞いたあと、ユーノが資料である古文書を凄まじい早さで速読しながら、ダインスレイヴの情報を、通信回線を聞く全員へ説明し始めた。

 

【精神エネルギーは酷く曖昧で不安定なものだ。そんな不安定なエネルギーで構成されている以上、具現化する魔力量にもムラが出てしまう。ダインスレイヴの特性は、主となる術者の願望を叶えるようにも仕向けられていて、体内へ特殊な魔力を流し込んで、その人が抱く一番大きな願望に対する感情を増幅させて、より大きな魔力量が得られるように精神的操作を行う仕組みになっているんだ】

 

ユーノが調べた伝承の中にこういう一説があった。

ダインスレイヴは、一度鞘から抜かれたら、誰かの血を浴びない限り鞘へは納まらない、と。これはダインスレイヴの危険性を主旨している言葉なのだろうが、事実は少し違っていた。

 

【所持の体内へ流し込まれる魔力は微量だけど、蓄積し続ければいずれ意志も理性も削り取られて、本能だけで行動するようになる】

 

これは「願望」に伴う代償を指しているのだ。人間の飽くなき願望、それに伴う感情の大きさはどんな力にも勝る。感情が増幅すれば理性も歯止めも聞かなくなる。

 

願望に魂を奪われた術者は、それを叶えるための傀儡に成り果て、魔力を蒐集する選択権も、主導権も、すべて術者からダインスレイヴへ切り替わる。所持者は麻薬のような魔力で徐々に自らの本能に飼い遊ばれ、やがては壊される。

 

「このまま暴走し続けたら、アーチャーはどうなるんだ?」

 

ライリーはユーノに尋ねた。

 

【…術者は、増幅した感情のまま行動するようになっていく。最後は術者自身の精神エネルギーも全部ダインスレイヴに吸い取られてしまうんだ。アーチャー・オーズマンの願望が「地上本部への攻撃」なら、ダインスレイヴは魔力で形成された外郭を自己崩壊させて自爆するかもしれない】

 

精神エネルギーから生まれるダインスレイブは単なる殻に過ぎない。本体の勾玉と生き物の精神エネルギーがある限り、何度でもよみがえる。ユーノはそう言った。

 

【規模が規模なんだ。人間一人とは言っても、それから成る精神エネルギーは計り知れない。そうなったダインスレイヴは、大きく膨れ上がった風船と同じなんだ。もし湾岸線に侵入されて、ダインスレヴの外郭が自己崩壊すれば…】

 

ミッドチルダの市街地が吹き飛ぶ魔力爆発と次元振が発生する可能性がある。それは未曾有の大惨事となるだろう。非殺傷設定を解除された物理的な狂気の刃が、なんの関係も無い一般市民に向けられることなる。それだけは絶対に阻止しなければならない。

 

 

【予定は変わらない。ライリー・ボーン二尉は敵首謀者が湾岸線に侵入する前に捕らえればいい】

 

 

本部の回線からオペレーターに変わって、野太い声が聞こえてきた。苛立たしげな声の主は地上本部の中将、レジアス・ゲイツのものだった。

 

【こちらも造反者を逮捕した。そちらのターゲットも捕らえさえできればこちらで封印措置をすればいいだけの事だ】

 

捕らえさえすれば。簡単に言ってのけるレジアスの言葉に、ライリーは苛立つように小さく舌打ちをした。

 

【捕らえるって、相手はいつ爆発するかわからない爆弾を抱えた敵なんですよ!?リスクが高すぎます!】

 

ユーノが直ぐに異論の声で叫んだ。

 

【ボーン二尉が食い止めているとは言え、敵はもう湾岸線の目と鼻の先にまで迫ってきてるんです! 相手が停止しているならまだしも、動き回る相手に封印措置なんて…】

 

ユーノに続くようにファーンもレジアスへ抗議するが、彼は聞く耳を持とうとはしなかった。「その場での現状処理」の一点のみを現場に突きつける。今まで押さえていられたのだから、君ならやってのけれる筈だ、と嬉しくもないお世辞にユーノもファーンも苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。

 

「……だったら」

 

そんな嫌な沈黙を、現場にいる当事者のライリーが破った。

 

「俺が直接ダインスレヴを封印すればいいんだろ? アーチャーが湾岸線に入る前に」

 

一息で言ってのけたライリーの言葉に、ユーノもファーンも呆気に取られた。いや、気持ちが彼の言葉に追い付けなかった。なんの躊躇いもないように言ったライリーの言葉に隠された、想像絶する危険性によって。

 

【無茶な…あれだけの魔力を封印するにも、相応の魔力が必要で…】

「ダインスレイヴの外郭に溜まった魔力を利用して封印すればいい。この海上沖なら、封印措置の前後に衝撃が発生しても市街地にまで及ぶことはないだろ」

【ま、待ってください! そんな思い付きで言ったような事を…規模がどれほどになるかもわからないんですよ!?】

 

ぶっきらぼうに言うライリーにファーンは慌てて叫ぶ。逆に冷静なライリーの反応が、更にファーンの心配を加速させたが、「大丈夫だ」とライリーは彼女をなだめた。

 

「もし、爆発がそっちにまで行ったとしても、湾岸線には地上部隊が待機してるんだろ? 最大出力で前面にシールドを張ればなんとかなる」

【そんな楽観的な! 第一、どうやってダインスレヴを直接封印するんですか!】

 

ファーンに割り込んできたユーノからの問いに、ライリーは数秒考えるような仕草をしてから、確信めいたように笑う。

 

「あるんだよ。とっておきがな」

 

【とっておき…?】ファーンに答えるように、ライリーはティルフィングを構えた。

 

 

「ティルフィングに搭載されているA.C.Sドライブを使う。魔力障壁を突破し、打撃を与えて一気に封印を行うんだ」

 

 

その言葉に、ユーノもファーンも驚いたように息をのんだ。特にユーノは人一倍だった。「A.C.S」という言葉を聞いたのは、三年前の「闇の書事件」で高町なのはが言ったとき以来だったからだ。

 

【ライリーさん、何を言ってるんですか!?】

 

いきなり、通信回線に地上本部から追加ラインが加わった。それと同時に、慌てたような怒りを露わにする女性の声が聞こえてくる。

 

【すいません! 開発部のマリエル・アテンザです! それよりライリーさん! 貴方って人は、自分が何をしようとしてるのか分かってるんですか!?】

 

ユーノやファーンに謝りながら開発部のマリエル・アテンザは、ライリーが今からやろうとしていることを咎めた。

 

【確かに、ティルフィングには試作段階の「複合型カートリッジシステム」を搭載したときに疑似的にA.C.Sシステムを発動できるようにはアップデートをしています!】

 

「A.C.S」とは、Accelerate Charge Systemの略称であり、別名「高速突撃システム」だ。

 

超高速で相手に飛び込み、魔力砲撃を対象と零距離で使用するもの。使用者にも多大なる被害をもたらす諸刃の剣だ。実機で搭載されたのは、高町なのはの所有するインテリジェンスデバイス「レイジングハート」一機だけであり、成功例も同じく「レイジングハート」のみであった。

 

【視神経を直結させた上に、まさかそれまで使うなんて…そんなの想定外もいいところですよ!? ティルフィングのフレーム構造上、A.C.Sシステムに耐えれるほどの強度はありません! 使用すればティルフィングが耐えきれずに自爆するだけです!】

 

確かに、外郭を破るには相手の魔力障壁をすべて通り抜けて零距離から攻撃する「A.C.S」は最も有効な手段だ。それと同等のリスクも伴うことになる。

 

攻撃中にシステムに耐えきれなかったティルフィングが壊れれば、それこそ終りだからだ。

 

「じゃあ他に手だてはあるのか?」

 

ライリーは真剣な眼差しでモニターに写る全員へ、そう問いかける。

 

「暴走するアーチャーを湾岸線に入る前に捕らえ、同時に管理局の封印班が合流。僅かな時間で封印措置。そんな組織的な連携行動を、この混乱する中で、できると言うのか?」

 

その問いに、誰も「できる」と答えなかった。誰もが、その事実が無謀極まりないと理解していたからだ。

 

「無いなら、もうこれしかないんだ。俺も色々考えてみた。だが一番確実な方法は、これしかないんだ」

 

マリエルとファーンが「でも」や「けど」と何度か口ごもったが、決定的な打開策が浮かばない。言葉が続かなかった。

 

「…やらせて欲しい。俺の信じる一つのこと。仲間を守るため。これ以上、誰にも苦しい思いはさせない。だから…すまない」

 

ライリーは、この戦いの最中も、ずっと考えていた。

 

どうすれば、この悲しみや憎しみを無くすことができるのか。

 

どうすれば、アーチャーの憎しみや悲しみを拭い去ることができるのか。

 

答えはまだ見つからない。

 

だが、やらなきゃならないことは明確にわかっている。アーチャーを止め、諦めさせることしか今の自分にはやってやれない。

 

ヘイズレグが正しかもしれない。管理局が正しかもしれない。

 

どちらにも悪と言える部分があって、どちらにも明確な善と言える部分が無くて。どちらが悪で、どちらが正義かという問答の答えは、ライリーにはわからなかった。

 

けれど、どんな理由があろうとも、人を傷つけることに正しいことなんて無いのだ。ライリーはアーチャーの前に対峙する。彼の憎しみを止めるために。彼の信念を諦めさせるために。これ以上アーチャーに罪を負わせるわけにはいかない。

 

「アーチャー。お前は…俺が止める」

 

ライリーはゆっくりとティルフィングを突撃するようにアーチャーに向けて構えた。残されたカートリッジは三発だ。全部消費してもアーチャーに届くかどうかはわからない。

 

勝負は一回きり、

チャンスも、今この瞬間だけだった。

 

その瞬間にライリーは、すべてを賭けた。

 

「A.C.Sシステム。ドライブイグニッション。行けるな? ティルフィング」

《…了解しました。プロテクト解除。A.C.Sシステムを起動します》

 

ティルフィングへ伝達された指令に連動して、ボルトアクション式のカートリッジシステムが炸裂音を響かせた。瞬く間の内に残弾カートリッジの空薬莢が排出され、ティルフィング内部にある小型化された魔力タービンが今まで聞いたことがない甲高い音を響かせ始めた。チャージされていく魔力が次第に高くなっていき、ティルフィングを握る両腕から振動が伝わってきた。

 

《警告、外骨格破損の危険性が有り》

 

ティルフィングの先端フレームにヒビが入った。他にもフレームが軋む音や、高速回転している魔力タービンにも音にムラが出来ていく。

 

「すまん、ティルフィング」

 

悲鳴に似た音を上げるティルフィングを、ライリーは見つめた。

 

「最後まで付き合ってくれ」

 

ライリーとティルフィングの付き合いはそう長くは無かったが、ティルフィングは自分のマスターが、一度決め、やると決めたらやり通す気概を持っていることを深く理解していた。流暢なアイルランド語でティルフィングは音声だけで答えた。その音声はどこか、微笑みを感じ取れるような穏やかな声であった。

 

《ええ…行きましょう、マスター》

 

身構えるライリーを、ダインスレイヴによって感情が増幅されたアーチャーが見据える。その目に垣間見えた色は助けを求める視線ではなく、和解の意を持つわけでもない。底知れぬ憎しみと憎悪を孕んだ視線であった。

 

「ライリィー・・・そこをどけぇ…! 管理局に勝たないと…お前を倒さないと…っ!」

 

震える手でアーチャーはダインスレイヴを構えた。彼の周囲に魔力によって生み出された旋風が巻き起こる。彼の中には、歪みに満ちた信念だけが蠢いていた。だがそれは皮肉にも純粋な一途な思いでもあった。

 

「前に進めないんだ…俺は! 忘れられないんだ! 忘れられないんだよぉッ!」

 

今は無き村の人々の笑顔が。厳しくも優しかった祖父の顔が。未だに瞳に焼き付く。振り返りながら微笑む、幼馴染みの笑顔が。

 

「だから…そこをどけえぇぇッ!!」

 

涙を流して、雄叫びのような叫びを上げながらアーチャーはダインスレイヴを振り抜いた。飛翔する魔力の塊と化した斬撃は、一直線に駆けライリーへ向かっていく。

 

「くそ…回避を――」

《X-S01、ビットを展開》

 

ライリーが反応する前に、ティルフィングが行動を起こした。七基ある内の二基のビットをライリーの前へと展開させ、防御体制を最速で整える。刹那、凄まじい衝撃と爆音がライリーの眼前で轟いた。

 

「ティルフィング!? 座標演算も無しに一体―――」

《ビット、三番基、四番基、大破》

 

A.C.Sドライブを展開しているライリーは、満足に回避すらできなかった。ライリーからの座標指示を無しに、オートで指令を出したティルフィングが、二基のビットを防御に回した。二基のビットは飛来した魔力の塊に耐えられず、ついにライリーの目の前で爆散し空に散っていった。

 

【ライリーさん!?】

「…大丈夫だ! やれる…ッ!」

 

ファーンからの通信に、ライリーは簡潔にそう答えると、ティルフィングを握る手にグッと力を込めた。

 

「アーチャー…悪夢は、いつか終わる」

 

もう一発、アーチャーから斬撃が跳んでくる。ライリーの命令を介さないで、ティルフィングが残り五基のビットの内、もう二基を防御に展開した。

 

「どんなに絶望の底にいても、どんな暗闇に居ても、人はいつかは光を見つけることができる。俺が、お前と出会えたように…」

《X-S01、五番基、六番基、大破》

 

二基のビットがライリーの前で爆散して、また散る。その残光の中で、ライリーは叫んだ。

 

「今が、その時だ! アーチャー・オーズマンッ!」

《A.C.S、フルドライブ。行けます》

 

その瞬間、ライリーの身体は一気に加速する。先端に伸びる半実体剣を前へ突き出し、弾丸のように空を駆け、ライリーの身体は一直線にアーチャーへと飛翔した。

 

「うああぁぁぁぁぁぁぁぁ――ッ!」

 

掠れかけた理性と意識の中、アーチャーは向かってくるライリーへダインスレイヴを振りかざす。

 

《X-S01、残り三基…防御は》

 

ライリーに追従するように跳んでくる三基のビットの内、ティルフィングは一基を防御に回した。迎え撃つアーチャーの斬撃と、向かうビットがぶつかり合い、爆発する。

 

爆発の中、その斬撃はライリーの胸部を貫いて、無数の赤い光点が空に散ったのがアーチャーには見えた。

 

〝勝った〟と、俺の勝ちだと、アーチャーに一瞬だけそんな確信に似た気持ちが脳裏を過った。しかし、その確信は外れていた。

 

「う…おおおおおおおッ!!」

 

爆煙を切り裂いてライリーがアーチャー眼前へと姿を見せた。

剣を閃かせながら、ライリーは驚愕するように目を見開いたアーチャーの懐へと飛び込んだ。

 

《プロテクション》

 

けれど、あと一歩で届くと言う頃合いで、ダインスレイヴから自動で防御魔法が発動し、アーチャーをライリーから遮った。半実体剣が、魔力の壁に阻まれて、全く前に進まない。

 

胸部から普通じゃない量の血を流す。だが、ライリーは諦めなかった。

 

「ごほっ…まだだ…! ティルフィング…ッ!」

《X-S01、ブレイクスルーシフト》

 

俯いたまま、ライリーはティルフィングへ呼び掛けると、ティルフィングもまるで解っていたように最後の二基のビットを展開させた。

 

先端から魔力刃を出現させ、ブレイクスルーシフトに入った二基のビットが、ライリーが貫こうとする位置目掛けて、一点攻撃を仕掛けた。ティルフィングを突き立てるように、ライリーはアーチャーへ向かう。ティルフィングに広がっていたヒビが、更に音を響かせ崩壊して行った。

 

「届いてくれぇー――ッ!」

 

ライリーの叫びと同時に、半実体剣の切っ先が、ダインスレイヴの防御壁を超えた。ガラスが割れるような音が、ライリーとアーチャーの耳に届く。

 

「なんだ…この光は…」

 

二人の目の前に、眼を開けてられないほどの大きな光が広がっていく。

 

その光は、どこか暖かさもあって、ここではないどこか遠くの場所へ引っ張られるような、そんな感覚を覚えた。

 

 

 

 

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16.ミッドチルダの空

 

 

全身を感じたことがないような痛みに苛まれてから、アーチャーは深いまどろみの中にいた。気を失ったのだろうか? 先ほどまでの痛みが嘘のように消えていたが、彼の体はボロボロだった。

 

「どこだ、ここは…」

 

悲鳴を上げる体を起こしてアーチャーは違和感を覚えた。

 

さっきまで感じていた冷たい空気や、潮の匂いがしない。

 

かわりに海の上では感じるはずのない草や土の匂い、眩暈がするほど、懐かしい匂いがアーチャーの鼻孔をくすぐる。彼は辺りを注意深く見渡した。周りが森で囲まれている開けた場所に、民族的な家屋が立ち並んでいる。それはアーチャーにとって、もう二度と戻ることがないと諦めていた景色だった。

 

「ここは、俺の…故郷…なのか?」

 

疑うようにアーチャーはそう口走った。

 

確かに、この光景は自分の生まれた故郷そのものだったが、誰かが生活しているような活気はなかった。

 

まるでフィールド訓練用の施設のような、綺麗に整っているだけの空間だ。

 

集落の中を歩いてる途中で、ふとアーチャーは誰かに見られているような視線を感じ取った。自分と祖父が暮らしていた集落でも一番大きな木造家屋の前で、まるでアーチャーを待っていたかのように、一人の少女が穏やかな風に髪をなびかせて佇んでいた。

 

「ア…ルテ…」

 

見間違えるはずがない。

 

その場にいたのは死んだはずのアルテ・フェングだった。アーチャーは幽鬼のような覚束ない足取りでアルテの目の前にたどり着くと、壊れ物を扱うように指先で彼女の頬をなぞる。だが、その顔には笑顔がなかった。

 

「違う…お前は誰だ…!」

 

まるで人形のように血の気のない表情をするアルテに、アーチャーは深いうねり声でそう問いかけた。

 

「そう、我は貴方が言う「アルテ・フェング」とは違う存在です」

 

無表情のままの彼女は、視線をアーチャーに向けた。その言葉を聞いたアーチャーは一気に現実に呼び戻せられたように絶望に近い表情を見せる。

 

「ここは、どこだ。あれからどうなった…!」

「ここは、貴方の精神エネルギーから読み取った貴方の故郷の記録です。それと同時に、精神流動的な空間でもあります。この空間には時も時空も全てが統一されています。過去も、そして未来も…」

 

精神流動的な空間? アーチャーは思わずそう聞き返した。対して、彼女は頷く。

 

「我はダイスレイヴそのものを孕む意識でもあります。元のダイスレイヴ。等しく恵みと災いの均衡を保ち、死と生の秤として産み出された時から続く、意識の連結体」

 

そう答える彼女はアーチャーへ掌を差し出した。その中には、銀色の刀身に埋め込まれていたダインスレイヴの本体である勾玉があった。

 

「お前は、ダイスレイヴの意識…なのか」

「大まかにはそうなるでしょう。我は古の戦禍から貴方の故郷に逃げ延びた古代ベルカ人…貴方の遠き祖先達によって作られました」

 

古代ベルカによって作られた。その言葉を聞いてアーチャーは唖然とした。何かの悪い冗談だと思いたかった。自分の祖先が、憎むべき魔法の世界の人間だったなんて信じられなかった。

 

「元々、ダイスレイヴはただの感情エネルギーから成る集合思念体。生きる者の感情エネルギーから僅かな魔力を得ては、その地に等しく恵みと災いをもたらす為に作られたはずでした。しかし、私は見つかるべきではなかった。人間には」

 

彼女の言葉の後、静かだった景色は壊落した瓦礫の山と、一面を覆い尽くす炎の光景へと変貌した。逃げ込んだその世界では考えられない技術を持っていた古代ベルカ人の地に、人間が押し入ったのは必然だった。高潔であった彼らを野蛮な人間は次々に蹂躙し、そしてダインスレイヴも人間の手に渡った。そして、その存在意義も変えられてしまった。

 

「戦乱に渦巻く、人間の飽くなき願望と妬み、憎悪、怒りによって我の力は、違った側面を写し出しました。我は複数の生きる者たちから、僅かな感情エネルギーを得ていましたが、一人の人間から過剰な感情エネルギーを得れば、副作用が起きる。エネルギーを更に得ようと、その人間の感情を無限に増幅させる」

 

やがて人間は、増えすぎた感情を制御することができなくなり、そして自ら滅びの道を歩み、その数は絶滅寸前まで脅かされた。

 

生き残った古代ベルカ人は、ダインスレイヴを奪還し、ある条件を加えた。ダインスレイヴを扱い、使役できる者の限定。滅びを待つばかりの古代ベルカ人は、彼らと人間の混血種である守り人に、ダインスレイヴを託したのだ。

 

「それから長い月日の中、我は貴方の一族によって封印され眠り続けていました。貴方の両親や、貴方が我を呼び覚ますまで」

 

景色はいつの間にか静かな集落へと戻っていた。

 

アーチャーは膝から崩れ落ちた。

 

今まで、自分たちは管理局や魔法とは別々の場所に立っていると信じていた。

 

けれど、自分たちも元を辿れば、管理局の人間と同じ人種の末裔だったのだ。今になって明かされる真実に彼の信念は意味をなさなくなってしまった。

 

結局、アーチャー達の反逆も、管理局の矛盾した正義も、同じ「灰色」の場所で足掻き合っていただけだったのだから。

 

「間違っていたと言うのか? 俺は…俺は憎い…全てを奪った管理局が…! だから俺はお前を解き放した。全てを清算させるために…! なのに!」

 

嘆くアーチャーに、彼女は優しい声で語りかけた。

 

「アーチャー。貴方はもう苦しまなくていいのよ。ここに居れば、貴方はもう一人ぼっちじゃないのだから」

 

その言葉に連なって、静かだった集落に活気がよみがえってくる。

 

 

 

 

遠くで、誰かが呼ぶ声が聞こえる。

 

 

 

とても心地のいい…安心するような声が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――

―――

―…

 

 

 

 

「お前は、そうやってその檻の中に居続けるつもりなのか? アーチャー」

 

膝を着いているアーチャーの後ろ。そこに佇む者のボロボロになったバリアジャケットを風が揺らした。アーチャーが振り返った先には、傷だらけになりながらも、優しく笑いかけるライリーが立っていた。

 

「俺を諦めの底から引っ張り出したくせに、自分は檻に閉じ籠るつもりか?」

 

ライリーはアーチャーの隣に来ると、肩に手を乗せてそう言った。

 

「黙れ…お前に、俺の憎しみの何がわかるんだ、ライリー!」

 

アーチャーは彼の手を払いのけた。わかってたまるものか。わかられてたまるものか…!

 

アーチャーは苛立ちながらライリーを睨み付けた。

 

「まるであの日とは逆だな、アーチャー」

 

懐かしそうに笑うライリーが、アーチャーには不思議に見えていた。なんでこいつは、笑っているんだ…?

 

「わからないさ。けど、そばに居てやることはできる」

 

ライリーはそう言うと、アーチャーと同じように膝を着いて、彼の眼を見据えた。

 

「確かに抱える闇はそれぞれある。悩みも、後悔も。それを全部理解しようなんてことは、他人じゃ誰もできない。わかってやることができるのは自分だけだ」

 

拭い去りたい過去に苦しむなんてことは、誰にでも起こる当たり前のことなんだ、とライリーは言った。結局は、自分で解決するしかないんだと。

 

「その苦しみを忘れなくても、いいじゃないか。今のお前の隣には俺がいる。バカやって、笑って、泣いて。嫌なことがあっても、肩を貸し合ってそれを笑い飛ばせて、闇だけじゃなくて、光があるってことを教えてくれるし…教えられる。それが友達ってやつだろ? お前が俺に、それを与えてくれたように」

 

そう言ってライリーは微笑んだ。当たり前すぎて、見落としていた簡単なこと。

 

「魔法」や自分が作り出したしがらみに隠れて、見えなくなっていた簡単なこと。

 

背負う悲しみや苦しみ。それと自分が向き合う勇気をくれるのが、他ならぬ「友」であることを。

父の死で塞ぎ込んでいたライリーの背中を押したのは、他ならぬアーチャーで、憎しみに染まった自分に光を教え、そして命を賭けてでも止めようとしたのも、他ならぬライリーだった。

 

「だから、アーチャー。戻ってこい。お前の未来はこんなところじゃない。―――帰ろう」

 

アーチャーは喉にこみ上げてきた言葉を、呑み込んでじっと耐えた。バラバラになりそうだった心を、ライリーは繋ぎ止めてくれた。

 

自分でもわかっているほどひどい人間だというのに、ライリーは頑なにそう信じてくれた。まだやり直せると。

 

「ライリー…。お前は…バカ野郎だ…底なしの大バカ野郎だ…!」

 

俯くアーチャーの真下に、小さな滴が幾つも落ちた。今になって気づいても遅すぎるというのに。

 

『――――アーチャー』

 

さっきまで聞こえていた心地よい声が、今度ははっきりと聞こえた。

 

その心地よい声色に思わず顔を上げたアーチャーの先には、ダインスレイヴの意志と名乗っていた少女がいた。その表情は無表情ではなく、優しい笑顔だった。

 

アーチャーの脳裏に焼き付いた、色あせない笑顔。

 

『貴方をずっと見ていた。数えきれない願望と憎しみを見続けた旅路を、貴方は終わらせる筈よ』

 

少女は、優しくアーチャーを包み込むと光と一緒に景色に解けていく。周りの景色も真っ白なものへと変わっていった。

 

『貴方は、私の光。もうアーチャーは、明日に進んでいいんだよ』

 

消えて遠くなっていく声に、アーチャーは立ち上がりながら目を閉じる。

目を閉じた闇の中に、もう彼女は居ない。

 

ライリー・ボーン。貴方が、共に来ると思っていました。貴方のお父さんが、この精神流動的な空間の中で貴方の自我を守ってくれています。貴方もまた、光なんですね。

 

ライリーにだけ微かに聞こえた言葉に、彼は小さく笑みを返した。

 

「違うさ。俺はただ、仲間を守っただけだよ」

 

誰もいなくなった真っ白な空間の中で、ライリーはボロボロになったティルフィングを、アーチャーに向けた。

 

「さぁ帰るぞ、アーチャー。お前の未来へ」

 

魔方陣を描いた帯が、アーチャーを包み込んでゆく。痛みはなく暖かな光とぬくもりだった。光が広がって行くと同時に、アーチャーの意識も泡となって消えてゆくように掠れていった。

 

 

〝―――ロストロギア、ダイスレイヴ…封印!〟

 

 

その声だけが、遠くの方から、わずかに耳へと届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぁ、ライリー。

 

今までのことが全部、悪い夢だったら。目を覚ますと、サイファー隊の部署で、周りを見るとサイファー隊の皆がいて、お前がいて。

 

また、皆と、お前で、雲ひとつ無い、あの空を―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気がついたら、海に浮かんでいた。

さっきまでいた空は、馬鹿みたいに遠くて、手を伸ばそうと右手を空へ掲げた。

 

「あ…」

 

呟いたように吐いた白い吐息の先には、柄から先が完全に砕け無くなったダインスレイヴがあった。

 

世界を滅ぼしたと言われた魔剣の最期は、あまりにも呆気ないものであった。

 

柄を握っていた手を緩めると、魔剣だったものは手から滑り落ちて冬の海の中へと没していく。

 

「あ…はは…は…やっぱり、お前はスゲーな」

 

海面に浮かんで、遠い空を見上げながらアーチャーは呟くようにそう吐いた。

 

「ロストロギアって呼ばれてたモンを…壊しちまうもんなぁ…はは、やっぱり、すげえよ、ライリー」

 

遠く光るミッドチルダの空へ手を翳しながら、アーチャーは、自分を止めた男の背を空に写す。親友、相棒、互いにそう呼び、そして自分は裏切った。そんな自分を、彼は止めてみせたのだ。すべてを駆けてこちらは挑んだというのに、彼は止めてみせたのだ。――すがすがしいほどの完敗だった。

 

「ははは…やっぱり、敵わねぇな…」

 

自然と、アーチャーの頬に涙が溢れた。

あの光の中で見えたもの。あれが、自分が求めていたものだったなんて、今更気付くなんて。つくづく、自分は気付くのが遅い質らしい。

 

「またいつか…空を飛びてぇな…。なぁ、相棒」

 

アーチャーは動かない体をそのまま波に任せてゆらゆらと波間を漂いながら、光る空に向かって静かにそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから二日後。

 

クラナガン沖の湾岸空域で消息不明となったライリー・ボーン二等空尉は、殉職者リストの中へと、名が刻まれた。

 

 

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17.受け継がれるもの

 

0068年十二月二十日。ミッドチルダ地上本部。

 

 

『我々の同胞、我々の生活、そして人々の自由そのものが、一連の意図的で殺人的な犯罪行為によって脅かされた』

 

 

あの歴史的な戦いから、一週間が経った日の夜。

 

ライリー・ボーン二等空尉、並びに死亡したサイファー隊の隊員たちの告別式は、ミッドチルダ地上本部の多目的ホールを貸し切って厳かに催された。簡素な祭壇に、地球の日本に伝わる方式従った、菊や蓮華、色とりどりの華々が几帳面に飾られ、中央には、一連の事件の始まりでもあった、あの合同演習直前に撮られた機動一課サイファー隊の集合写真が豪勢な額縁に納められ飾られていた。

 

そして、その祭壇の前には、遺体無き棺桶がサイファー隊に所属していた人数分の数だけ置かれている。

 

 

『尊き命が、この邪悪で排除すべき犯罪の犠牲となった』

 

 

告別式には、新生サイファー隊のメンバーであったティーダ・ランスターやヴィータに、シグナムと、あの合同演習現場からの唯一の生き残りであるサイファー隊、隊長グラハム・アーウィン三佐を始め、殉職した隊員たちの遺族や、長年親しみのあった者、そして、ミッドチルダ地上本部防衛戦に参加した魔導師たちも参列に訪れた。

 

 

『燃える炎、愛すべき友人や同胞を次々と墜とし、死に追いやった憎むべき行為は、我々の心に忘れること無い悲しみを残し、そして決してやむことのない、かつてない怒りの念を残した』

 

 

訪れた誰もが悲しみに暮れる中、管理局中将であるレジアス・ゲイツの表明演説が、モニターに写し出されていた。

 

 

『今回の事件は、我々、時空管理局を混乱と恐怖に陥らせ、退かせようという狙いによるものだろう。だが、敵はすでに失敗していると言える』

 

 

そう勇ましく語るレジアスを写すモニター。式に参列していた私は、それをぼんやりと眺めていた。

 

今回の事件、ダインスレイヴ事件は、管理局側による勝利で収束した。ライリーが、ダインスレイヴを持ったアーチャー・オーズマンを止めた後、各空域でヘイズレグ制圧の報が次々と地上本部や、地上拠点へ届いた。ミッドチルダで初めてとなった都市型テロは、あっけなく幕を閉じた。

 

 

『今回、ミッドチルダまでの侵入を許してしまった犯罪行為は、我々、時空管理局を揺らがすことはできても、我々の敗北を手にすることはできなかった。我々の同胞の血を流すことはあっても、我々の決意を砕くことはできない』

 

 

首謀者であるアーチャー・オーズマンは、捜索隊が海上沖で発見され、保護及び逮捕となったらしい。捕縛されたアーチャー・オーズマンの裁判は、近い内に執り行われることになるだろう。

 

 

『我々、時空管理局が標的となったのは我々が世界における自由と規律を示すモノだからだ』

 

 

アーチャー・オーズマンが持っていたとされたロストロギア、ダインスレイヴは、〝あの戦闘〟を境に消息を断ち、捜索から二日が経過した今でも反応は感知されず、アーチャー・オーズマンの供述通り、「破壊」されたと管理局の捜査本部によって結論付けられた。

 

 

 

『故に、その明かりを愚かな犯罪などという悪意ごときで消すことなど、何人たりともできはしない!』

 

 

そして、ダインスレイヴを破壊した当人であるライリー・ボーン二等空尉は、二度と管理局に戻ってくることはなかった。

 

 

****

 

 

0068年十二月十三日。ミッドチルダ上空。

 

直前まで繋がっていたライリーとの音声通信は、凄まじい爆発とノイズで遮断されてしまった。ライリーとアーチャーが戦う空域の直ぐそばまでファーンは到達していた。

 

「ライリーさん!」

 

いきなり響いた爆音にファーンは思わず両手で耳を塞いだ。ノイズの中に問いかけた返事は返ってこない。ファーンの身体中の血の気が失せていく感覚を覚えた。

 

【―…大丈―!…だやれる!―】

 

ノイズの中、微かにライリーの言葉が途切れ途切れに聞こえてきた。良かった、とほっと安堵したファーンは、再びライリーに声を掛けようと口を開いた。と、そのとき、張り裂けそうな爆音と、スピーカー越しにまで届いてきそうな衝撃音が、ファーンの鼓膜を突いた。

 

【ダインスレイヴから強大な魔力反応を確認! 各員、衝撃に備えろ!】

 

あまりの音に、再び耳を塞ぐファーンへ、爆音の中からオペレーターや隊員達のオープン回線が聞こえてくる。

 

「ライリーさん! 応答してください!」

 

雑音の中、ファーンは必死にライリーへ呼び掛けた。ファーンの向かう先から光が見えた。遠くの方ではあるが、蒼と緑の混ざったような大きな光が見えた。光が広がっていく最中、後からやって来た爆音と爆風が飛行するファーンの体を揺さぶる。

 

【ダインスレイヴからの放出エネルギーが収束していく…? なんだ、この暖かな光は…】

 

暖かさを孕んだその光は辺り一面をまるで太陽のように照らしながら広がって行った。その光は、その場にいた航空部隊や地上部隊、更には敵であるヘイズレグをも照らし、戦いによって研ぎ澄まされた感覚を持つ全員が、その違和感を感じ取った。

 

その違和感は何だったのか、未だに分ることはないが、それは確かに暖かく、優しい温もりを感じさせるものだった。

 

【光が、消えてゆく…】

 

光は少しずつ収束し、やがて一線の筋となって完全に消え失せた。

 

【ダインスレイヴの反応、ロスト!】

 

光が閃光となって消え去った直後、レーダーから今まで激しく反応していたダインスレイヴの魔力反応が跡形もなく消えた。

 

【繰り返します!ダインスレイヴの反応、ロスト! ダインスレイヴの反応、ロスト! 脅威は去った!私たちの勝利です!】

 

繰り返されるその報告に、オープン回線で繋がっていた隊員たちや空戦魔導師たちが凍り付いていた様子から一変して歓喜の声を上げ始めた。

 

【やった…! やったんだ!】

 

ファーンはあまりの出来事に、全身が震えるような感覚を覚えた。あの人は、ライリーさんは本当にやってのけたのだと。

 

「やったんですね! ライリーさん!」

 

ファーンは通信先であるライリーの回線へ、心から嬉しそうにそう語りかけた。だが、帰ってくるのは先ほどと変わらない、ノイズの音だけ。

 

「ライリーさん? ライリーさん、応答してください! ライリー・ボーン二尉!」

 

何度呼び掛けても砂嵐のようなノイズの中から、帰ってくる言葉は無かった。

 

 

 

 

〝レストランの予約、忘れんなよ?〟

 

 

 

 

ファーンの頭に、出撃直前に交わしたライリーの笑顔が過ぎ去った。

 

「そんな…嘘と言って…ライリーさん…!」

 

そのどれもがもう思い出にしかならないんだ、と。そのどれもがもう、二度と戻ってこない出来事なのだ、と。心のどこかで、そんな最悪の答えを見つけてしまったことを拭い去るように、ファーンは返事が返ってこないモニターに向かって、無力に小さく、何度も彼の名を叫んだ。

 

 

****

 

 

『最初の攻撃の直後、私は我が時空管理局での緊急対応計画を発動させた。我々は強く、即応できる設立された特務隊は、迅速かつ正確に負傷した管理局魔導師や現地での救援活動、および治安維持を勤め、それを全うしている』

 

 

防衛戦が収束したあと、ファーンは動ける特務隊メンバーと、現場に残っていた航空隊員を率いて、連絡が途絶えたライリーの捜索に向かった。何度も探した。

 

どこまで続く海原を、変わりの無い景色を、海面に映る陽の光ひとつも見逃すことの無いように探した。

 

朝も、昼も、夜も。

 

 

『我々の優先事項はまず負傷者を助け、これ以上の犯罪による被害から市民、引いては世界を守るため、あらゆる予防措置を取ることだ』

 

 

大規模な魔力爆発の中心にいたんだ。遺体なんか残っていない。仮に生きていたとしても。誰もがそう諦め、管理局へ帰投していっても、ファーンは探し続けた。捜索隊が編成され現場から離れるように言われても、同僚である女性魔導師から休むように言われても、ファーンは晴天とは変わって、今にも雪が降りそうな真冬のミッドチルダの空の下でライリーを探し続けた。

 

何度も、何度も、何度も。

 

 

『時空管理局の管理機能は滞りなく働き続けており、既に、この邪悪な行為の背後にいる者たちの捜索は進んでいる。私は司法当局に対して、責任ある者を発見し、裁きを受けさせるため全力を挙げるよう指示した。我々はこれらの行為を犯した犯罪者どもと、彼らをかくまう勢力を区別はしない』

 

 

管理局上層部の下した判断は、《捜索期間は二日間のみ》という、あまりにも冷たいものだった。

二日に及ぶ捜索の末、ついに彼は発見できなかった。彼の遺体すら。

 

 

『今回の事件で尽力してくれた管理局魔導師全員に、そして、ミッドチルダを守り通し、散っていった英霊に、私は感謝の言葉を送りたい。この時から我々、管理局は平和と安定を求めるすべての勢力と一緒になり、世界に蔓延する凶悪犯罪に対する戦いに勝つために立ち上がる』

 

 

上層部として、ライリーは死んだ方が良かったのではないだろうか?

 

彼が死んだほうが、彼をミッドチルダを守り通した英霊と昇華させ、英雄に祭り上げて、人々の人気や注目を集められるのだから。

 

民間からの支持が低迷していた管理局にとっては都合が良かったのではないか?

 

だから、捜索期間は二日間という限定されたものにされたのじゃないのか?

 

 

『今日この日は、人々が、正義と平和実現のための決意の名の下に団結する日だ。我々はこれまでも敵に立ち向かってきた。そしてこれからも我々は敵に立ち向かい続ける』

 

 

遺体の無い棺の前で、散々泣き通したファーンの頭の中に残ったのは、そんな下世話な思考だけだった。演説するレジアス・ゲイツを、ファーンはぼんやりと無気力な瞳で見ていた。

 

「ファーン・コラードさん」

 

ふと、参列していたグラハムがファーンに声をかけてきた。彼もまたファーンと同じように、途方もない後悔と無力さに打ちのめされたような表情をしていた。

 

「お互いに、辛いですな…まったく」

「引退、されると聞きました。グラハムさん」

 

しばらくの沈黙の後、ファーンは穏やかな口調でそう告げた。それに続くように、今度はグラハムが気まずそうに口ごもった。が、答えは早かった。

 

「私はもう、飛べませんよ。残すべきものに気づきながら、それも一緒に全部失ってしまった…。この左腕と一緒に」

 

グラハムは左腕の再生治療を受けないと決めていた。

 

自分に対する戒めだとか、罰なだとか、そんなことは考えていない。ただにこの傷は証だった。自分の力不足差が招いた結果なのだと言い聞かせるための。二度と同じ過ちを犯さないという証。

 

沈黙の中、ファーンは過ぎたライリーの面影を辿っていた。

 

彼は言った。〝仲間を守るために空を飛ぶ〟と。

 

ならば自分は、どう彼に答えてあげればいいのだろうか。一人で大勢を守ることに限界を感じている自分は、彼の信念になんと答えればいいのだろうか。ファーンは自分にできることは一体何かを考え、その答えを決めていた。彼の居ない棺の前で。

 

「グラハムさん」

 

ファーンの声を、グラハムは黙って頷いて聞いていた。彼女が決めるであろう道は、直観的ではあったが心当たりはあった。もう手配も終わっている。

 

「以前、貴方に声をかけて頂いた訓練学校の教導官のお話ですが―――」

 

 

****

 

 

『我々はこの日を二度と忘れはしない。我々は前進し、自由と世界中の善と揺るぎ無き正義を守るのだ!』

 

 

モニターの中の演説が終り、拍手の中、レジアスは舞台を降りていく。それを見届けずに、ファーンは足早に式場を後にした。歩幅を緩ませずに歩き続けると、式場の空気や、管理局内の喧騒はやがて聞こえなくなっていった。

 

 

この日。

 

戦技教導隊第一航空中隊所属のファーン・コラード一等空尉は、第一線である空から、降りることを決断したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

0076年4月。ミッドチルダ衛星軌道拘置所。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冷たい監獄の中にいるアーチャーが腰かける簡素な丸椅子が、ギシッと軋んだ。その音は、窓ひとつ無い面会室の壁中に反射して、ガラス越しに監獄の外にいるなのはには、低く響いて聞こえてきた。

 

「これが、お前が知りたがっていた八年前の事件のすべてだ」

 

あの日から、もう八年の月日が流れた。面会室で、分厚いガラスの向こう側にいる高町なのはへ、アーチャーは気だるそうに昔話の終わりを告げる。喜劇とも、悲劇とも取れる、なんとも皮肉な昔話のあっけない終わり。

 

「俺はあれから投獄された身、あの事件に関わったやつらのその後は知らねぇ。聞きたいんだったら、他を当たりな」

 

反管理局武装組織ヘイズレグ。

 

その首謀者であり、生き残った男であるアーチャー・オーズマン。彼は管理局の司法裁判に掛けられ、ミッドチルダ衛星軌道拘置所に投獄された。皮肉なことに、多大な犠牲を支払った管理局とは裏腹に、ヘイズレグの死傷者は、自爆特攻した数人を除くと怪我人だけという被害で治まっていた。

 

アーチャーが愚かだと嘆き、ないがしろにした「非殺傷設定」に生かされたのだ。捕らえられたヘイズレグのメンバーは、それぞれミッドチルダの司法によって裁かれ、ある者は未だに投獄され、またある者は釈放され自分達が否定した矛盾した平和の中を生きている。

 

アーチャーは未だに前者のままであったが、当の本人にとって、そんなことは、もうどうでもよかった。

 

「過去を洗いざらい調べられてな。情状酌量の余地はあると、誰かが進言してくれたらしいが、そんなもん長い間ここに居れば、気休めにもなりゃしないさ」

 

投獄されてから八年。

彼の 精神を磨り減らすにはあまりにも時間がありすぎた。いや、自分がここまで「アーチャー・オーズマン」という人格を磨り減らしたのには、もっと別の理由もある。

 

「…アーチャーさん。貴方は、後悔しているんですか?」

 

ガラスの向こう側で、悲しげな表情をする高町なのはの言葉に、アーチャーの表情は少し変わった。

 

「…お嬢さんよ。それを聞くのは、野暮ってもんだぜ?」

 

茶色の眼光で自分の目の前に座るなのはに向けた。アーチャーはさっきまでの虚ろな目付きとは違い、一切の後悔も見せない顔つきで彼女と向き合った。

 

「…あの日、アイツに敗けたあの瞬間に、アーチャー・オーズマンって男は死んだんだ」

 

八年前、持てるすべてを、全身全霊を持って挑んだ戦いの中で、閃光の中で垣間見た敗北。それは、アーチャーの身体を傷つけた訳ではない。ましてや、死に追いやるような恐怖を与えられた訳でもない。

 

「そうだ。俺は死んだんだよ。身体でもなく、敗けた焦燥感でもない。けれど確かに、アーチャー・オーズマンは殺された。今の俺はただの犯罪者のろくでなしだ」

 

ライリーに折られた心も、諦めさせられた信念も、もう二度と猛るように甦ってはこなかった。過去に捕らわれ続けた想いも、憎しみも、悲しみも。目の前に広がったあの暖かな閃光にすべて持っていかれたような感覚で、あの日以来、その気持ちはすっかり萎えてしまっている。

 

あれだけ答えを求め続けた、「本当の正義」を探す気力も。

 

「高町なのはさん、そろそろ…」

 

ガラスの向こう側にいる彼女の背後。扉を隔てるように立っていた強面の警備員が、控えめに彼女へそう促した。面会時間が終わる頃合いなのだろう。

 

「…お話を聞かせていただき、ありがとうございました」

 

なのはは、神妙な面持ちでアーチャーを見据えるとそれだけ言って席を立った。

 

「おい」

 

局員に促されるまま面会室を出ようとしたなのはを、アーチャーは引き止めた。促していた局員に、小さく一礼すると彼女は再びアーチャーと対面する。

 

「聞くだけ聞いといてなんだが、アンタはこれからどうするんだ?」

 

アーチャーのその問いに、なのはは少しだけ言い辛そうな表情をして答えた。

 

「ライリーさんの…お墓参りに、行くつもりです」

 

申し訳ないようにそう答えた。過去に切り捨てた焦燥感がほんの一瞬、アーチャーの脳裏を掠めた。「気に掛けてくれてありがとう」それに似た言葉が喉まで出掛けたが、アーチャーはグッと抑え込んだ。俺には、そんなことを言える資格なんて無い。自分はライリーを殺し、ライリーは自分を殺した。その漠然すぎる過去に今も向き合うこともできず、自分は死んだようにこの監獄の中にいる。毎日を単調に生き、ただ息をしているだけの有機物に成り下がっている。今の自分に彼女へそんな言葉を掛ける資格なんて無い。これまでも、そしてこれからも。

 

「そうかい、なら俺からの最後の質問だ」

 

いきなりそう言い出したアーチャーに、なのはは驚いたような表情をした。こちらからの問いかけがそんなに予想外だったのだろうか? なのはの反応にアーチャーは呆れた様子でクスリと笑う。

 

「昔話を聞かせたんだ、最後に俺の質問くらい答えてくれよ」

 

恐らく、自分は彼女と会うことはもう二度と無い。罪の贖罪に生きる自分と、管理局のエースオブエースである彼女。生きる道も、生きる場所も違いすぎる。だったら最後なんだ。アーチャーには、最後にどうしてもこの場に訪れた「高町なのは」に問いたい言葉があった。

 

「高町なのは、あんたは、何のために管理局の魔導士をやってるんだ?」

 

アーチャーの、真剣さを帯びた眼が、まっすぐとなのはへ向けられた。八年前。あれだけの怪我を負って尚、なぜお前は空にいる? 何を思って空を飛ぶ? 頑なにその気持ちと思いが腐りきったアーチャーの心に久しく衝動を与えた。

 

なのはのアーチャーからの最後の問いかけにしばらく思いを巡らせた。

 

八年前の大怪我。

 

過酷なリハビリを乗り越えて、なのはは再び管理局へと戻った。その時は、ただがむしゃらに戻ることを望んだ。そこが自分の居場所、自分が望んだ場所であり、選んだ道だったから。

そして半年前の「JS事件」解決の時。あのときも、ヴィヴィオを救うために、また無茶をしてしまった。それが祟って身体に後遺症を抱えてしまった事。そのときに主治医でもあるシャマルに長期の療養を勧められるた事。この手の傷は休んでも完治しない可能性がある事。

 

けれど、八年前の大怪我の時とは違った。今は自分で見つけ出した答えがある。

 

落ちてから後悔しても遅いとよく言われるけれど、そもそもずっと飛び続けていることなんて誰にもできない。だから、飛ぶことをやめるときまでに何を残せるか。それが、「高町なのは」が第一線を退かないという決意を表した言葉だった。

 

そして何より、なのはには空を飛ぶ理由がある。今まで、出会ってきた人たち。厳しい人も、優しかった人も、支えてくれた人も。そのすべての人が与えてくれた、高町なのはが信じる『善』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「仲間を、大切な人を守る為に、私は管理局で魔導士になりました。そしてその心を部下や皆に伝える為に、私は魔導士を続けます。飛ぶことができなくなるまで―――」

 

ニコリと微笑んで言うなのはが、一瞬、アーチャーには誰かと重なっているように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アーチャーは魔導士として夢とかあるか?』

 

掠れかけた、遠い記憶の中。

 

訓練所の後片付けをしながら、ライリーはアーチャーに何気なく、そんなことを言った。

 

『夢ぇ?』

 

アーチャーは道具を掃除しながらライリーにそう聞き返した。管理局の魔導士になって持った夢を彼は聞いてきたのだ。

 

『あるだろ?管理局に入ったならさ』

『…さてな、お前から言えよ。相手に聞くならまず自分から、だろ?』

 

その時のアーチャーは、自分を誤魔化すのに必死であったが、当の聞いてきた本人は、どこか楽しそうだった。

 

『そうだな…俺の夢は』

 

蒼く写る空を見上げながら、彼はどこか照れ臭そうに、しかし偽りはなく、まっすぐとした声色で答えた。

 

 

 

――――変わることのなかった、彼がずっと貫いた信念を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はは、ははは」

 

なのはが去った面会室の中で、アーチャーは可笑しそうに小さく笑っていた。

 

「あの嬢ちゃん、よりにもよってお前とおんなじこと言いやがった」

 

過去に過ぎ去った相棒と同じ言葉。彼女と彼の中での意味は違えど、目指す場所は同じ空。こんなに簡単で、こんなに明確で、こんなに単純な解にたどり着くまで、自分は一体どれだけ遠回りをして、どれほど大切なものを取りこぼして、失ったのだろうか。

 

「あぁ、そうか。そうだったんだな」

 

気持ちは、思いは伝わり、繋がっていく。

 

本当に、自分は何もかも気付くのが遅い質らしい。アーチャーは冷たい監獄の中、空を仰ぐ。見上げた先は確かに、冷たい天井だが、アーチャーには、はっきりと見える。どこまでも蒼く、どこまでも続くようにある―――。

 

 

「相棒、お前は飛んでいるか? あの日のような突き抜けそうな―――蒼い空を」

 

 

澄み切った、青きミッドチルダの空を―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――NEXT



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エピローグ

 

 

そう遠くない未来。冬、ミッドチルダのどこかで。

 

 

 

 

ミッドチルダにも、アイツが好んだ「地球」と同じように、四季と言う季節がある。その中でも「冬」というのは寒いものだ。そしてこの時期になると俺は否応なく思い出す。

 

あの冬の記憶を。

 

久々に戻ってきたミッドチルダの冬は、あの日の冷たさを感じられないほど、穏やかなものだった。

 

もっとも、この世界の気候は、どんな世界の人間であったとしても比較的過ごし易い。

 

見上げた空は、まるであの日と変わらない晴れ渡ったものだった。頬を打つ風は穏やかで、降り注ぐ陽の光は、身をすっぽりと埋めているような陽気だ。

 

空を見上げながら俺は想う。その暖かさはどこか、いつかの光の中で感じた温もりに似ていた。この風を、アイツも今同じように何処かで感じているのだろうか。綺麗な墓石に埋め込まれた名前を指先で辿る。

 

そこに刻まれたのは、相棒だった男であり、親友だった男であり、俺が殺してしまった男の名。

 

「…あぁ、久しぶりだな。元気だったか?…相棒」

 

遺体のない墓の前で、俺は精一杯優しくそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

俺は、今までこの場所を頑なに遠ざけ続けた。

 

すべてを捨て、失ってから気が付いた、かけがえの無い友の存在の大きさ。

 

そして、この場所に訪れる資格など自分には無いんだと、ずっと思い続け、咎め続けてきた。記憶に残る暖かい記憶。今でも叶うことのない考えに取り憑かれそうになることもある。自分に残っているものなんて、わずかに霞める思い出の残像と、未だに拭いきれない喪失感と痛みだけだ。

 

いつの間にか歳月は簡単に過ぎていて、すべてを失ったのがもう遠き過去に思えるほどの歳月が経過していた。

 

そして、俺は、この場所に来る事を決めた。

 

 

墓標の周りに供えられた小さな花びらが少しばかり温かな風に乗り、ふわりと揺れていた。

 

彼の名ばかりの墓は手入れが行き届いていた。まるで誰かがよくここにきては手入れをしているような、そんな清潔感があった。

 

きっと、誰かが忘れないでいてくれている。彼の魂は受け継がれて、今も灯火として生き続けている。

 

名も知らぬ、魔導士たちの中に。

 

「…悪いな、相棒。俺はまだお前のようには成れないみたいだ」

 

今はもう話すことも出来ない、遠い過去の友に、俺はそう告げた。

 

この瞳には、もう迷いはない。真っ直ぐとした光が灯っている。

 

これからは、何回も思い出しては、後ろを振り返るだろう。悩みもする。悲しみに押しつぶされそうにもなる。拭いきれない喪失感はずっと残り続ける。

 

…だけど、大丈夫だ。

 

生きている限り俺は、もうこんな悲劇が誰にも起こらないように、そんな未来を願い、そんな明日へ一歩でも近づけるように進み続ける。

 

あの日のお前と同じように。

 

何時か俺も辿り着くであろう、その先に居るアイツと、また語り合うことを楽しみに、今は前を向いて生きていく。風が吹く。それが、アイツ代わりのようにふわりと微笑んだような気がした。

 

「じゃあな―――ライリー。俺は、行くよ」

 

供えに持ってきた花束を置き、俺は歩き出す。

 

アイツが示した、「明日」と言う道を。

 

 

 

 

 

 

 

魔法少女リリカルなのは外伝 ミッドチルダの空

END.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜のとばりが下りる中で、誰一人として居ない部屋に訪れたレジアスは、僅かだが無数に光る遠くの明かりを眺める「影」と密会を果たしていた。

 

そこには誰もいない。

 

いるのは闇に手を染め始めたレジアスと、まるで影のように揺らめきながら、闇に包まれるクラナガンの町並みを見渡す「彼」だけが居た。

 

 

「見事な演説だったよ。レジアス・ゲイツ中将」

 

 

バルコニーに立つ「彼」は、満足するように明かりが点っていない部屋に佇むレジアスにそう告げた。

 

だが、その声色に喜びや穏やかさは無く、ざらつくような低い声は、レジアスに底知れない不快感を覚えさせていた。

 

「新しい管理局の発展への門出だ。彼らも喜んでいるだろう、監獄の中でな」

 

レジアスは「彼」のその言葉を聞いて眉をひそめた。

 

「ダイン・シーファ。貴様は一体―――」

 

レジアスは食い下がった様子でそう言葉を吐いた。レジアスがダイン・シーファと呼んだ「影」が振り返る。冷たい刃のような眼光で突き刺され、レジアスは言葉を無くしてしまった。

 

「私を貶すのはお門違いだぞ、レジアス中将。君もまた、同じ泥の中で生きるしか術がない、我々と同じ側に居る人間なのだからな」

 

レジアスはダイン・シーファの言葉に全く反論できなかった。レジアスはあの船の中で、この事件の真の目的を理解していた。

 

そして、それに便乗し、自分が理想とする「武力による犯罪行為の抑制」へ繋がるように、自分の好都合になるように事件を処理した。ライリーたちが決死の空中戦を繰り広げる中で、彼は合意の上で造反を企てた派閥の高官を取り押さえた。管理局の一派が、この事件に協力した事実を隠蔽するために。

 

「時間はかかった。が、事は全て理想通りに運ばれて行く。貴方は何も心配することはない、レジアス中将」

 

バルコニーの手すりに両手を乗せるダイン・シーファに、レジアスは苛立つような表情をしたが、しぶしぶ「彼」の言葉を理解する。その表情は堅く、暗く、怒りをはらんでいた。

 

「―――世界の発展には、いつも『闇』が付きまとう」

 

しばらくすると、レジアスは部屋から出ていってしまった。

 

誰もいなくなったバルコニーの中で、ダイン・シーファは光を照らすクラナガンの街並みに這いよるように広がる闇を愛でる。光に這いよる闇の如く、この急ぎ過ぎた発展には必ず闇が生まれる。なら、その闇は何を成すか? それは今までの歴史が証明してきている事と同じだ。

 

「捕縛された高官はどうしますか、マスター」

 

誰も居なかった筈の場所に、いきなり目元まで深くフードを被った線の細い人物が現れた。男女とも区別できない容姿で、まるで機械音声のように聞こえてくる単調なその言葉。そこには既に生気を感じなかった。だが、それは「彼」にとったら合格ラインである証。

 

 

「お前の初仕事をやろう。関わった全員の口を封じて見せろ――フェイク。我が若き『闇』よ」

 

 

背後で控える自分と同じく「闇」に生きる若き者に、ダイン・シーファは目をぎらつかせながら応える。大きな局面を迎える管理局、そして世界は大きく変わる。血を流す争いを続ける限り、彼らは更なる進歩へと歩む。自らの滅びも顧みずに。

 

 

彼は見渡す。

 

小さな光を握り潰すように手を握ると、笑っているだけだった。

 

 

 

 

 

 

――NEXT OPEN YOUR TRUE.

 



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Fの鼓動
Fの鼓動 プロローグ














この小説を、都築真紀様と、全ての魔法少女リリカルなのはファンに捧ぐ。

















 

 

嘘と言うものは、ひとつ付くと、新しい嘘を重ねてつかなければなりません。

――あなたは、本物の人間の子供に、なりたくないですか?

1883年 カルロ・コッローディ作 「ピノッキオの冒険」より引用。

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、遠い昔の時代。

 

町外れに、とても素晴らしい技術を持った人形技師がいました。人形技師は、一人娘と暮らしていて、それは幸せな毎日を送っていました。

 

けれど、ある日から人形技師は仕事で忙しくなり、よく家を空けるようになっていきました。

 

家で一人、人形技師の帰りを待つ一人娘は、毎晩疲れて帰ってくる人形技師を笑顔にしようと、綺麗な花飾りをプレゼントする為に、一人で花を摘みに出かけました。

 

 

 

そして、その帰り道に、一人娘は不運にも、馬車に轢かれて死んでしまいました。

 

 

 

人形技師は、娘を失い、哀しみにくれ、いつしか仕事もしなくなってしまいました。

 

そこにある話が風の噂で流れてきました。

 

「死者を甦らせる術がある」と。

 

人形技師は、その舞い降りてきた希望にすがり付きました。どんなものでも、どんな大金でも迷わずに差出し、ついには国では禁忌とされる『黒魔術』にも、手を出してしまいました。それほどまでに、人形技師は愛する娘を甦らせるために必死になりました。

 

 

やがて人形技師は、人形に魂を吹き込む術を作り上げました。

 

 

生まれたばかりの人形に名はありません。歯車が回されたように、ゆっくりと動き出した人形に、人形技師は――こう言いました。

 

 

『また、失敗した』

 

 

人形技師は、生まれたばかりの人形を掴み上げると、そのまま外に掘られた穴へと放り込みました。

 

生まれたばかりの人形は、何が起こったかわかりませんでした。

 

穴の中には、生まれたばかりの人形と似た姿をする人形がたくさん。ですが、どれも目の色が違っていたり、髪の毛の色が違っていたりと、姿は似ていてもどれも違う容姿をしていました。

人形たちは、生まれたばかりの人形を快く迎えてくれました。中でも、美しい金の髪色をした人形が、とても優しくしてくれました。その人形も、つい最近、この穴へと落ちてきたと、まだ生まれたばかりの人形に話しました。しかし、最近と言うには、身体はところどころに、ヒビやサビが目立っていました。話を聞くと、その人形は、他の人形よりも寿命が短かったのです。

 

 

 

それから長い時間が経ちました。

 

 

 

快かった人形たちが次々と朽ちていってしまい、最後に残ったのは、金色の髪の少女の人形と、生まれたばかりの人形だけでした。

 

すっかり弱り果てた金色の髪の人形を抱きながら、生まれたばかりの人形は、遠く頭に覆いかぶさる穴から空を見上げて思いました。

 

 

 

 

『自分達は、いったい何のために、生まれてきたのだろう』―――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔法少女リリカルなのは外伝

Fの鼓動(上)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時空管理局。ミッドチルダ地上本部。

 

その日の夜は、満月が冴える静かな夜だった。

 

夕刻過ぎまで食い込んだ会議を終えて、時空管理局二等陸佐であるアーマン・ブリッツは、自身の執務室へと戻っていた。

 

夕方には、家族が待つ我が家へ帰れるだろうと踏んでいたが、管理局の上層部の人間は、誰もが会議好きなのだろうか? そう思えるほど、今日の会議はアーマン二佐にとって長く、退屈に思えた。何度同じ議題の論答を繰り返すのだろうか。重役席に座る彼は、変わり映えない上層部の方針に退屈さを感じていた。彼に仕える補佐官も会議が終わった頃にはすっかり疲れた様子だった。

 

アーマンは、事務処理は明日にでも纏めればいいと伝え、補佐官を帰らせていた為、今は執務室に一人きりだ。

 

長年座る豪勢な椅子に座ると、彼は目元を指でなじった。

 

彼には今日中にやらねばならない仕事があった。重要な事だ。それは、管理局の人間としては非生産なことかもしれない。だが、人間としては間違っていないつもりだ。そう確信できるものを抱いている。もしこれが公の場に出ることになれば、彼は管理局を去らなければならない。彼にとっては、今日が管理局員最後の夜になるように思えていた。自分が居なくなることで、信頼してくれる部下に負担をかけることはできない。

 

彼は、誰も居ないことが逆に幸運だとも思えた。自分がやらなければならない務めを、果たさなければならなかった。自分の過去の過ちを、清算する為に。彼は疲れが残る目元から指を離すと、端末を起動し、その務めを果たし始めた。

 

その日の夜は、満月が冴える夜だった。

 

しばらく、事務処理に没頭していた後、アーマンが気がついた頃には、時間があっという間に過ぎていた。長い時間集中できたおかげで、済まさなければならない仕事も片付けることができた。彼が信頼している同僚にも、アーマン・ブリッツが知る全ての情報を記したデータを送った。これで仮に彼が管理局を去っても、そのデータがあれば問題はないはずだ。送った先の同僚が、彼の意思を引き継いでくれる。

 

アーマンはデスクから立ち上がり、壁に渡って張られたガラス窓から外の景色を眺めた。地上本部は静かで残っている人間もほんの僅かだっただろう。本部棟にも灯りは殆ど灯っていない。執務室から一望でき、いつも賑わっている中庭にも誰も居なかった。

 

「静かな夜だ」

 

美しい物を見たとき、思わず漏らすため息のように、彼は呟いた。この静けさは、まさに芸術のようにも思えた。まるでオペラやミュージカルが始まる直前の劇場に立ち込もったような緊張感がある。

 

ふと、背後のデスクから「カタン」と何かが倒れた音が聞こえた。

 

振り返ると、写真立てが倒れていた。倒れた写真立てをそっと持ち上げる。その写真には、アーマンと妻、そして娘が写っている。彼の大切な宝物だった。

 

 

 

ドンッ。

 

 

 

その写真立てを眺めていた時、急に胸を貫かれたような衝撃が走った。何の身構えもしていなかったアーマンは、急に訪れた衝撃に耐える術なくデスクにうつ向けの状態で、頭から叩き付けられた。

 

何だ?何が起こったんだ?

 

痛みより驚きの方が強かった。

 

あとから痛みが追い付いてくるが、状況が読み込めない。

 

そんなアーマンの首を、今度は背後から何かが掴んだ。人間とは思えない、力強い力で締め付けられ、呼吸は一瞬で絶たれる。空気を吸い込む器官のすべてが、壮絶な力で締め付けられた。そのまま無理矢理うつ向けから仰向けに姿勢を変えられ、上半身だけを起こされる。

 

 

 

目の前には、月を映すガラスを背に、顔を黒いフードで覆った人間が居た。

 

 

 

男のような力強さがあったが、掴む手は異様なまでに細い。月夜を背中に写し出された影は、まるで女性のようなシルエットだった。革の手袋とフードと同じく、漆黒のケープで闇に溶け込んだその姿を見た彼は、全てを察した。

 

私が管理局を去るのは未来じゃない。

 

―――今日なのだ、と。

 

「奴の…差し金か…!?」

 

呼吸が出来ない。無理矢理言葉を紡ぐだけで、肺の中の空気が一気に枯渇した。彼か彼女は、黙ったまま頷く。それがアーマン・ブリッツの命運の最期と言わんばかりに。彼にとって、それは予想外だった。奴は本気だったと、今更になって想い知る。

 

だが、それを覚悟の上で、アーマンは【彼ら】との道を違えたのだ。後悔など無い。

 

 

 

ただ、このまま死んで堪るか…!

 

 

 

それだけの意志が、アーマンを突き動かした。薄れ行く意識の中、もがくように手をバタつかせ、首を締め上げる人間のフードを掴んだ。冥土の土産に、自分を殺した奴の顔を見てやりたかった。その気概と渾身の力で、彼はフードを取った。チアノーゼで、視界がおぼろげになっていたが、微かに見えた。

 

 

満月の夜空には似合いすぎる金色の髪を。

 

影に溶け込むことができない真紅の瞳を。

 

 

「お前は…まさか…!」

 

 

 

ゴキン。

 

 

 

そこで、管理局の役職を持った男は息絶えた。

 

首の骨を綺麗にへし折った。抗おうとした彼の強ばった顔は力を無くし、だらしなくヨダレを滴ながらしばらく痙攣をして、動かなくなった。

 

アーマン・ブリッツの排除。手段は問わない。

 

それが自分に与えられた今回の任務だ。段取り通り、証拠を残さず拭き取り、自分がここに居た事実を消し去る。データの隠蔽や後始末は、自分に指令を出す【彼ら】がしてくれる。これは、何度もこなした作業。人の死など呆気がないもの。重さも、価値も、何も感じない。残ったのは、静かすぎる空間と、足元に横たわる局員の死体だけ。この死にまみれた空間が、吐き気がするほど嫌いだった。そして、その空間で、自分が育ったと言う事実を、酷く思い知る。

 

思い出す、あの暗い地獄を。

 

月の光に反射する金色の髪を隠すように、彼か彼女は、深くフードを被る。

 

窓ガラスから見上げたその夜空に浮かぶ満月は、憎いほどに、美しく冴えて見えた。

 

 

 

 

――NEXT



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1.管理局の執務官

 

新暦0068年。

 

 

「キィナ! 貴様は…何度、厄介事を俺に吹っ掛ければ気が済むんだ! えぇ!?」

 

 

次元世界ミッドチルダの首都、クラナガンに位置する時空管理局地上本部。

 

その局内の一角に、年期と相応の気迫を纏った怒号が響き渡っていた。

 

管理局内でも、凶悪犯罪や危険な事件を多く担う資格を持つ「執務官」という役職がある。

 

この資格の合格率は極めて低いものだが、これを持つ魔導士は「自身の所属する部隊、課における事件や法務案件の総括担当者」という権限を持つことができる、言わば「エリート」と呼ばれる集団。

 

しかし、難関な試験を突破し、この資格を有する優秀な局員でも、研修期間と言うものは存在していた。

 

新人執務官がまず所属することになる部署、「執務実用研修部」の室長、トレイル・ブレイザー室長。

 

彼の地獄まで届きそうな怒声で、キィナ・ナズミ執務官は、新人執務官らしく首を思わず引っ込めていた。年季の入った額に、分かりやすく血管を浮かび上がらせながら、「毎度毎度よくもまぁ…」と、呪いのような愚痴を呟いた。

 

トレイル・ブレイザー室長は、上司、部下関係があいまいな執務官役職において、新人執務官を執務官として教育する統括者であった。

 

試験合格後に直接、現職の執務官の部下になるような新人執務官もいるが、そんな例は稀であり、執務官となった者はすべからず、まずは彼のような部署での研修を受けることになる。

 

そんなトレイルが頭を抱えるほど、キィナ本人から提出された書類と、法務管理部から提出された書類は酷いものだった。

 

これは、揉め事の中心人物の言い分と、第三者である他部署の報告書を見比べて、本人がデタラメか、または曖昧なことを記述してないかチェックするのが目的なのだが、こうまで二つの報告書が同じことを書いているとなると、苦虫を噛み潰したような顔にもなるものだった。

 

キィナ・ナズミ。

 

彼女は、数ヶ月かけてやっと逮捕した犯人の法的処理を、誤って別の軽犯罪人の処分と混同してしまっていたのだ。強盗や窃盗、殺人未遂まで犯した犯人を危うく観察処分として釈放してしまうところだった。

 

その後、たっぷりとトレイルからの説教と、更に始末書地獄を言い付けられすっかりしょげてしまったキィナは、新人執務官だ。

 

トレイルは、つかの間、測るような目付きで始末書との戦いを始めた彼女を見た。

 

彼女は魔導師としてはとても優秀だ。それに若さもある。二十代手前のキィナは、トレイルよりも二十歳以上若い。ただ、魔導師としては。まだ技を磨いている最中で完成された魔導師ではない。

 

執務官になった以上、未熟さにかまけて甘えることは許されない。執務官とはそんな単純な仕事ではない。事件捜査や各種の調査を取り仕切らなければならない。法務関係の知識や処理能力があるので、管理局としては重宝されるはずなのだが、彼女は思考より手が先に出てしまうようだった。

 

上層部からの命令でトレイルはキィナの面倒を見ているのだが、別段、彼女は執務官に向いていないと思うわけではない。

 

キィナ・ナズミは、内勤の法務処理などではなく、独立して追跡や、得意とする分野の事件を専任で指揮するべきだろうと、トレイルは考えていた。書面上で事件の内容を読み解くより、現場で徹底的に調べ尽くす側の人間なんだろうと。トレイルはデスクチェアにもたれ掛かりながら肩をすくめた。

 

今年の新人執務官は目立った色を放つものが多い。

 

中でも、フェイト・テスタロッサが一際光る存在だった。

 

彼女を部下に持った執務官はさぞ満足だろうな、と、どこか嫉妬心を感じる。始末書に奮闘するキィナを見て、トレイルは思わずため息を漏らした。

 

フェイト・テスタロッサは、本年度から魔導師ランクS保持者として執務官となった魔導師だ。彼女は他の執務官とは、群を違って逸脱した存在感を感じさせる。

 

執務官採用試験はまさに難関だ。付け焼き刃な知識では受けたとしても落第が目に見えている。が、そんな試験でも「コネ」と言うものは存在する。事実、キィナ自身も彼女が所属していた航空部隊の上司から督促状があった。トレイルや他の執務官も例外じゃない。

 

ただ、彼女は違った。

 

彼女は主犯じゃないとしても、犯罪履歴を持った人物だ。

 

そんなハンデがある上で、彼女は「コネ」も無しに執務官試験に合格して、執務官となった。それに加えて、犯罪履歴を持った魔導師が執務官になったなど前代未聞。彼女の仕事振りは、とても新人執務官とは思えないものだった。

 

フェイト・テスタロッサという執務官は瞬く間の内に執務部署で話題になった。激務が続く執務官の部署としては正に救世主だ。

 

 

 

 

 

――この数年の間だけで、管理局の役職仕事や魔法関連の事情は大きく変わった。

 

特に、執務官が扱う仕事が、だろう。

 

 

 

 

 

新暦0065年に起きた「P・T事件」。そして、その翌年に勃発した「闇の書事件」。

 

その年を境に、魔法を使った犯罪が軽犯罪、重犯罪問わずにしても大幅に増加した。

 

更に一年前、管理局が独占していた魔法技術やデバイス機構が市場に流出したことも重なり、高度な魔法技術が瞬く間の内に世界中に拡散し、今まで「魔法」という抑止力にあぐねいていた勢力を、一斉に活気付けさせたのだ。

 

 

【技術共益圏の拡大】。

 

 

聞こえは良いだろうが、それはある種の時代の転換期でもある。

 

管理局が「魔法」を独占していた間では、争いと呼べる物さえ起こらなかったのに、今では、あちらこちらで「魔法」による小競り合いが発生している。

 

「魔法」という強大な力は、すでに抑止力という意味を失っていた。一度流れた情報や技術を無かったことにはできない。それにより生まれた流通もまた然りだろう。今まで明確に保っていたバランスが崩れ、「司法組織」であるはずの管理局も、レジアス・ゲイツ中将指揮の元、大きく武装体質の強化に踏み切っている。

 

時代が劇的に変わっていく。トレイルは管理局共通のデータバンクの中に山積まれた事件案件を見ながらそんなことを思った。

 

 

「どうやら、君の部署もお忙しいようだね。ブレイザー執務官?」

 

 

ふと、上から降ってきた声に目線を上げると、自分より高い階級章と、柔らかな笑みを浮かべた人物が見えた。

 

 

「あぁ、忙しくて前髪が後退しそうですよ。オールドマン准将」

 

 

トレイルは疲れたように笑みを浮かべた。チェアに座ったままで。

 

「准将」に対してその態度は、本来なら無礼になるだろうが、彼はこちらが様式だって畏まるといつも困ったように笑う。だからトレイルはラフスタイルのまま彼に敬礼を返した。

 

 

「忙しいところ悪いのだけど、一人執務官を私に貸しては貰えないだろうか?」

 

 

そう低空飛行な態度で「准将」は、ひとつの記憶媒体を取り出し、トレイルに渡した。トレイルはまだ中身も確認しないうちに、この記憶媒体は厄介なものだと判断し、顔をしかめた。とてつもなく嫌な予感がする。この「准将」が、こう頼みごとをしてくるときは、決まって厄介なものだからだ。

 

 

「生憎、ウチにも空いてる執務官は居ない――と、言ってもアンタのそれは命令なんだろう?」

 

 

トレイルの嫌味言葉に、准将は穏やかに首を横に振った。

 

 

「何を言っているんだい? 私はあくまで〝お願い〟をしているんだよ?」

 

 

意味有りな笑みを浮かべながらよく言うよ。思った台詞を飲み込んで、トレイルは再三ため息を漏らした。ありがたいことに、今は一人空きがある。データフォルダから一人の執務官のデータを開き、「准将」に見せつけた。

 

 

「そこで始末書に奮闘している奴だ。法務処理は問題ありだが、腕は確かだ」

 

 

管理局の旧き友人のお墨付きを貰ったのか、「准将」は満足そうに微笑んだ。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

キィナ・ナズミ執務官は、居心地が悪そうに辺りを見回していた。

 

自分の現上司であり、鬼のような厳しさを誇るトレイル・ブレイザー室長が、始末書の提出期限を引き延ばして、新たな任務を自分に与えてきたからだ。

 

明らかに異常だと、キィナは思っていた。

 

彼はどんな理由があろうとも、期限を厳守し、規律に厳しい人物なのだから。キィナ自身も過去に何度も自分の不始末で始末書を書いていたが、期限を引き延ばされたことは一度もない。それに、不始末をした直後に単独任務を与えられることなど、まずあり得なかった。

 

キィナは不安げに目の前にある扉を見つめた。

 

自分が立つ場所は、管理局でも上層部の人間しか入ることのない執務室フロアなのだ。改めて、トレイルから言い渡された任務データを確認した。場所は間違っていない。その事実が、キィナの不安を更に煽る。

 

何度か入室インターホンを押そうとするが、押す寸前で止めては、扉の前で悩ましそうに右往左往にぐるぐると動き回り唸る。何度繰り返したのだろうか? 周りを通り過ぎる局員たちはそう思ったが、キィナ自身は数えていなかった。

 

 

「よ、よーし。考えたってしょうがない…もうっ、今度は押すよ…!押すんだからね…!」

 

「あ、あの」

 

「はひぃ!?」

 

 

一人でブツブツ呟きながらインターホンに震える指を伸ばしていたキィナの体が途端に跳ね上がった。大げさに振り向くと、いつの間にか隣に立っていた女性――いや、少女というべきだろうか。綺麗な金色の髪をした少女がいた。

 

 

「貴方も、この部屋にご用があるのですか?」

 

 

少し遠慮気味な、戸惑った様子の声で少女がそう聞いてきた。キィナは、何事もなかったかのように身なりを整えると、咳払いをひとつして少女と向き合った。

 

 

「えぇ、私もこの部屋に用事があったの」

 

 

取り乱し様をなかったことにして、キィナは明らかに自分より年下である少女に向かって答えた。

 

見た目は、十五か十六くらいだろうか? 管理局指定とは違う、執務官用の黒い制服を来ているのが気になったが、明らかに自分より若いと、キィナは思った。

少女は、なら良かったと言わんばかりに優しげな笑みを浮かべる。

 

 

「実は私もこの部屋に呼び出されたんです」

 

 

少女はキィナに頷いた。内心でキィナはグッとガッツポーズをした。

一人で上層部の執務室に入るのは気を張るが、もう一人いるなら話は別だ。

 

 

「そうね、じゃあ入りましょう」

 

 

あくまで先輩口調を止めずに、キィナは少女にそう伝えると、さっきまで躊躇っていたインターホンを軽々と押した。しばらくしない内に扉が開くと、キィナと少女は一礼して部屋へと足を踏み入れる。

 

そこは仰々しい会議室や、睨みがキツイ補佐官がいるわけでもない。

 

いたって普通な個室オフィス。豪華な装飾もなく、木製の簡素なデスクと、一人の人物が座っているだけ。

 

キィナが想像していたよりも質素な内装であった。

 

 

「待っていたよ、キィナ・ナズミ執務官。そして、フェイト・T・ハラオウン執務官」

 

 

デスク越しに椅子に座る人物が、柔らかな声と微笑みで頷いた。思わず敬礼を忘れるような緊張感の無さだったが、二人の執務官はきちんと敬礼で返した。

 

 

「え?…フェイト・T・ハラオウン執務官…?」

 

 

敬礼の最中、キィナは間抜けな声でそう呟きながら、自分の隣で敬礼する少女を見た。

 

この子がフェイト・T・ハラオウン執務官?

 

いやいやいや、こんな少女があの「フェイト・T・ハラオウン執務官」なんて―――。冗談でも笑えないものだ。

 

キィナは恐る恐る隣に立つ少女の階級証を盗み見る。

 

 

『フェイト・T・ハラオウン/一尉/管理局所属執務官』

 

 

その階級証を見ただけで、キィナは膝を着きたくなった。

 

えぇ? 君がハラオウン執務官!? と、キィナは今すぐ声をかけたくもなったが、ぐっと飲み込む。フェイトは不思議そうに彼女を見ていたが、キィナは思わず視線を逸らした。色々と情けなくて。

 

 

「あー、そろそろいいかな?」

 

 

目の前にいる男性は困ったように笑っていた。フェイトもキィナも、二人揃ってシャンと背筋を伸ばす。

 

 

「今回、君たちを招集したジョン・オールドマン准将だ。よろしく頼む。まぁ正確にはジョン・ドゥ・オールドマンなのだがね」

 

 

ジョン・ドゥ・オールドマン准将。

 

その名は、フェイトもキィナも聞き覚えがある名前だった。三十歳という若さで、時空管理局の上層部の委員となった若き天才。それと同時に、上層部の中でもかなりの変わり者という噂もあった。

 

彼は上層部の人間とは――いやキィナやフェイトの彼に対する印象は、与えられた「准将」という階級には似合わないような人懐っこい雰囲気を感じさせた。

 

 

「君たちの上司に〝お願い〟をして、この場に来て貰ったのは言うまでもないだろうがね。まぁ適当に座わってくれないかな?」

 

 

こちらが座っていて君たちを立たせるのは申し訳ないと、肩をすくませながら、オールドマン准将は立ち上がると、部屋の隅に対面するよう並べられた簡素なソファへ移動した。机の上には人数分のティーカップに湯気立つコーヒーが注がれた状態で置かれている。

 

 

「コーヒーでよかったかな?」

 

 

ソファに音もなく座ると、彼は一口コーヒーに口を付けてから、呆然と立っている二人に首を傾げた。二人が来る時間も指定していないのに、あらかじめ用意していたのだろうか?フェイトもキィナも、准将の行動に呆気を取られながら頷いた。

 

 

「まぁ趣味で置いてるものだ。砂糖もミルクもあるから、好きに使ってくれ」

 

 

それを聞きながら、二人はコーヒーに口を付けた。美味しい。熱さも後味も引き立てのコーヒーの香りがした。二人から漂っていた緊張感は、ほどけたようだった。オールドマン准将は満足そうにコーヒーを煽ってから、鋭い目付きに変わった。

 

 

「では、さっそくだが本題に入らせて貰うよ」

 

 

彼がそう呟くと、小型端末を起動させた。准将とフェイト、キィナを隔てるように、空中に幾つもモニターが表示されて行く。

 

 

「先日、管理局地上本部に所属するアーマン・ブリッツ二佐が自身の執務室で自殺をしたという案件。君たちは聞き覚えがあるだろう?」

 

 

フェイトもキィナも、落ち付いた様子で彼からの問いに頷いた。

 

 

「もうその案件は、管理局上層部が自殺と断定して捜査を終えたのでは?」

 

 

キィナの言葉に、オールドマン准将は「いや」と首を横に振った。

 

 

「この事件は、調査をたった三日間だけして、打ち切られた。それも内密に上層部の対処がされて。早すぎると思わないか?」

 

 

彼は身を乗り出して、低い声と疑問に満ちた瞳でフェイトを見た。色白い肌で、碧眼の瞳が余計に冴えて見えた。

 

 

「ハラオウン執務官。君はこの事件は自殺じゃないという可能性を示唆していたな?」

 

 

フェイトははっきりと自分がこの場に呼ばれたことを理解していた。

 

アーマン・ブリッツ二佐の自殺事件は、自分が調査をしていたのだから。オールドマン准将は、空中に浮かんだモニターの一つを操作し、自分の前で拡大する。

 

 

「君の報告書を読ませてもらったよ。実に観察眼があるか伺えるものだった」

 

 

フェイトの報告書が写ったモニター越しに、准将は微笑んだ。

 

 

「首の傷。縄のくくり方。そして現場の状況。事細かく詳細が――いや、執着があるようなまでに、記されている」

 

 

オールドマンの言葉に、フェイトの肩が僅かに震えた。

 

 

「だが、捜査は打ち切られた。アーマン・ブリッツ。彼は管理局では上層部の人間の一人ではあったが――ハオラウン執務官。君にとって彼は、また特別な存在だったのだろうな」

 

 

准将は物思いに更けるように僅かに目を伏せていた。アーマン・ブリッツという人物は、上層部にも深く関わっていた人物であった。

 

 

「彼は元々、管理局が支援していた自然保護を目的とした新エネルギー開発事業部の室長を勤めていた。そして彼は、その仕事を突然辞め、新転換エネルギー技術を管理局に持ち込み、名前だけ立派な二佐という地位を得た。その技術は既存の大型魔導砲であるアルカンシェルの改良や、管理局の大型動力源と、多くの功績を治めている」

 

 

オールドマン准将は、フェイトの報告書とは別のモニターを表示すると、キィナとフェイトに見えるよう見せる。

 

 

「その仕事を辞めた年のことだったな。彼が担当していた新型の魔力動力炉が暴走を引き起こし、多大な被害を出した。それは――プレシア・テスタロッサ。テスタロッサ執務官、つまり君のお母さんを巻き込んでしまった事故だった。違うかい?」

 

 

キィナは、正直に言えばオールドマン准将が話している内容が理解できずにいた。確かに、キィナも隣に座るフェイト・T・ハラオウン執務官は犯罪履歴を持っていることを知っている。だが、今オールドマン准将が話している内容が、どうフェイトに繋がるか、いまいち掴めない。

 

 

「あの事故で、母さん――プレシア・テスタロッサを含めて多くの人が被害に遇いました」

 

 

フェイトの言い分に、オールドマン准将は深く椅子に座り込み、顎をさすりながら頷く。

 

 

「恨みを向けられても、仕方がない…か」

 

 

暗殺。

 

その単語がフェイトの頭から離れない。だから事細かく、彼女は現場を調べた。自殺としか思えない物証しかない現場を。フェイトは目を僅かに伏せた。

 

アーマン・ブリッツ二等佐が潔白な管理局の人間なら、自分はここまで、この案件には執着していなかっただろう。

 

だが、彼が自分の母を――プレシア・テスタロッサを狂わせた事故に関わっていたと知ったとき、フェイトは、得もいわれぬ感覚に捕らわれていた。母を狂わせた事件から逃れるように管理局に下ったアーマン・ブリッツという人物が、自ら自殺するとは、フェイトには考えられなかった。

 

 

「准将。あの…いいですか?」

 

 

ふと、キィナが遠慮気味に手を上げる。オールドマン准将は無言の了解を返すと、キィナは改まって准将に首をかしげた。

 

 

「何故、私とテスタロッサ執務官が呼ばれたのですか?」

 

「君たちには、この事件の調査をお願いしたいんだ。ただ、これは命令ではなく、あくまで私個人からの頼みだ」

 

 

オールドマン准将は静かにそう言った。キィナとフェイトは思わず顔を見合わせる。

 

「私たちが、ですか?」キィナが繰り返すように言うと、准将は頷きながら、二人に向かって身を乗り出した。

 

 

「ナズミ執務官、君の上司であるトレイルと私は、旧知の仲でね。彼が君を推薦したんだ。そして、テスタロッサ執務官は、この案件に深く関わっている。私は、上層部の底辺にいる者だが、やはり動きは異常だ。まるで何かを隠そうとしているような…」

 

 

上層部に入って間もないオールドマン准将には、事の異常さを肌で感じていた。幹部の人間の警戒心は、今までとは比べ物にならないほど緊迫している。

 

 

「アーマン・ブリッツが関わっていた事故が、ですか?」

 

 

断片的にしか事態を把握していないキィナの言葉を、オールドマン准将は首を横に振って否定する。

 

 

「いや、もっと管理局が、恐れていることだ」

 

 

 

 

 

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2.外側の選定者

 

 

ミッドチルダ。

 

首都クラナガンから遠く離れた場所に、暗雲が立ち込める独特の雰囲気に包まれた郊外地帯がある。

 

 

そこは旧世代の墓場。

 

 

古代ベルカ時代を含めた有史以前、錆ついた戦乱の傷跡が残り、今でもこの世界に古の戦いを語り継いでいる孤高の空間。

 

その地域に立ち込め続ける暗雲は、旧世代の遺跡であり、古代ベルカ時代に兵器として運用された魔法駆動炉から排出され続ける汚染魔法物質が原因だ。

 

その区域一帯は、時空管理局と並んで、次元世界に多大な影響力を誇る【聖王教会】が管理しており、まき散らされ続ける未知の魔法物質の影響もあってか、一般市民の居住、管理局の立ち入りすら、原則禁止されている。

 

その遺跡群の最深部にあたる場所。管理する聖王教会の人間すら踏み込んだことのない場所で、黒いケープを纏った者がいた。

 

 

【ダイン・シーファ】。

 

 

いつからか、彼はそう呼ばれる存在だった。

 

【絶望】と【希望】の意を併せ持つ彼の名は、歴史の表舞台には一切現れない。

 

けれど、その存在は古く、古代ベルカよりも遥か昔からあった。

 

彼は第三者の側に居る【選定者】。古から、魔法と人間の天秤を司る存在。

 

「魔法」と「人間」の均衡は、実に近く、そして遠く、決して【等しくならない】ものだ。

 

魔法とは、この世界――いや、認知する存在すべてに介在する概念そのもの。

 

認知できるすべてに【奇跡】というものがあり、人間がそれを語るには、あまりにも手に余るものであり、不釣り合いなものでもあった。人は手に入らぬそれに焦れ、恐れ、そして奉った。忌み嫌われる対象としても意味を成し、宗教的な崇拝の対象としても意味を成していた。

 

 

「魔法」と言うものは、「奇跡」と等しくない。

 

魔法と言う概念がある前提に、奇跡と言う言葉がある――はずだった。

 

 

時代が大きく進むに連れて、人は進化し、文明はその進化によって大きく変わっていった。古代ベルカや、過去に消えていった文明。

 

そして、今この世界における「文明」が手にした「魔法」。奇跡や神秘として敬っていたものが一転し、人は魔法に「根拠」や「証明」、「理由」という鎖を繋ぎ始めた。

 

人間は、愚かにも手に入るはずの無かったものを手にしようと足掻いているのだ。

 

その先に待つ、結末も知らずに――。

 

 

「上層部の一人が、嗅ぎまわっているようだね」

 

 

ダイン・シーファはドーム型の遺跡の中で、崩れた天井から覗く暗雲の空を見上げた。

 

その空は、この「世界」の行く先を、ほんの僅かに暗示しているような、そんな気を感じさせるものだった。

 

彼から少し離れた場所に立つ、同じ真っ黒なケープを身にまとう「影」が、礼儀正しく頷いて返した。

 

真っ黒な風体に似合わない「影」の赤い瞳は、ギラギラと冴えわたっている。だが、その冴えとは裏腹に、その瞳には全く熱が感じられない。

 

 

「はい、彼は上層部の人間だったので、やはり不信感を持つ人間もいるのでしょう」

 

 

単調に答える「影」は、まるで死人のようだった。人間の形をしているが、人間らしい生気はどこにも感じられない。金属で作られた機械を目の前にしているような冷たさがあった。

 

――「影」をこういう風体にしたのも、まぎれもなく「人間」だ。

 

 

「――そんな風に体裁や、形で物事を決めつけるのは、自分で考えていない事と同じだ よ。もっと物事を素直に見れなきゃならないな」

 

 

ダイン・シーファは柔らかな口調で「影」を論した。「影」は決められた動作に従うようにダイン・シーファへ一礼し詫びた。

 

ダイン・シーファは「影」の師だ。

 

しかし、彼を従えているわけではない。「影」を使うのは人間である【彼ら】だ。「機械」にかろうじての命を吹き込むため、その「教育」をする為だけに、ダイン・シーファと「影」は「師弟関係」にあった。

 

 

「アーマン・ブリッツは、持ち込んだ【利益】に似合った席に座っていた人間に過ぎない。そんな彼を嗅ぎまわっているということは、調べている人間の目的はアーマンが持ち込んだ【利益】だろう。管理局の知るべきではない闇。これを公に出すにはまだ早すぎる」

 

 

彼の死は、表立って騒がれたところでそう問題は無かった。それよりも【彼ら】が恐れているのは、アーマンが管理局にもたらした【利益】そのものが流出することだった。それが公になれば、【彼ら】が今まで行っていたことが全て無駄になる。

 

 

「では、ジョン・ドゥ・オールドマンも抹殺対象に?」

 

 

そう質問する「影」に、ダイン・シーファは首を小さく横に振って答える。

 

 

「【彼ら】は、そんな愚かな賭けはしないさ。ただ、目指すゴールを消してしまえばいい」

 

 

嗅ぎまわっている人間が目標とするのは、【利益】の真相だ。ならば、その【利益】に繋がる道を、すべて絶てばいい。その答えは人間らしく、酷く単純で、合理的だった。

 

 

「それが【彼ら】が指定した、次の掃除対象だ」

 

 

ダイン・シーファは、【彼ら】から預かった資料を、「影」へと渡す。

 

データやマイクロチップではなく、紙としてのデータだ。なんでも電子化するこの世界の中、機密を保持したいならば、この方法が一番安全だからだ。見終われば、焼却処分すればいい。

 

 

「――マスター。対象と接触した場合、目撃者が居たとしたら、その場合の処理は俺に一任させてもらっても構いませんか?」

 

 

ふと、ダイン・シーファは資料に目を通す「影」を見た。

 

そう問いてきた「影」の瞳には、先ほどとは違い、燃え盛る様な熱があった。しかし、生気の熱ではない。

 

もっと深く、黒いもの。

 

――憎悪、という例えが一番似合っている。

 

 

「――いいだろう。それが君の選択だというなら、私は止めはしない」

 

 

〝それが正しい結果をもたらすか、否か〟。

 

ダイン・シーファには、それを見定める必要があった。

 

彼は選定者だが、同時にそのバランスを操作する権限も持つ存在。

 

「魔法」と「人間」。この二つが平等に値するか。

 

平等となったその先に待つ、どの文明もが辿り――彼と約束を誓った、あの〝三人の王〟すら、躱すことが出来なかった運命を、変えれる可能性があるか、否か。まだ、その答えを出すつもりはない。

 

 

「ただ、忘れるな。互いに向け合った剣を、納める方法もあると言うことを――な。」

 

 

ダインシーファは「影」へ、それだけを伝えると、闇の中へと消えていった。

 

 

「ご期待には応えますよ…必ず!」

 

 

誰も居なくなった遺跡の中で、「影」は赤い瞳を輝かせ、歓喜するようにそう呟いた。役割を終えた資料を燃やす。その焔の中には、「フェイト・T・ハラオウン」という名だけが、はっきりと見えていた。

 

 

 

****

 

 

 

フェイト達が所属する管理局地上本部には、共有ネットワークに保存されているデータバンクに加えて、事件の捜査資料や、議事録、執務官個人単位で事件に関わったデータやファイルが保管されている巨大な資料室がある。

 

一般局員たちには解放されていないその資料室は、執務官専用だ。

 

昨日の、オールドマン准将「個人」から依頼された案件の為、キィナとフェイトは朝からこの資料室に立てこもり、あらゆる資料を遡っていた。

 

 

「けどこれ、正規の捜査じゃないんだよねぇ」

 

 

この資料室の配置は、前半分が資料を閲覧するための端末が並べられており、後ろ半分は電子書籍化されたファイルやデータが保管されている保管棚が交互に並んだ内装だ。

 

ストローの刺さった栄養ドリンクを、行儀悪く音を立てながらすするキィナは、にらめっこしていた端末のモニターから顔を上げて、うんざりした様子で天を仰いだ。

 

 

「現場は何度も調べ上げましたが、他殺である可能性はどこにも…」

 

 

キィナの反対側で資料とモニターを交互に見ているフェイトも、少しだけ疲れたように、頷いた。二人とも、もう六時間も資料と格闘している。フェイトは涼しい顔をしているが、キィナはモニターの資料を見すぎて、目元が重たそうに伏せ気味だった。

 

「個人」で依頼されたとは言え、相手は上層部の人間の一人だ。その影響力は計り知れない。

 

現にキィナもフェイトも自分たちが受け持っていた任務や仕事を全て後回しにしろと、それぞれの上司から言い付けられていた。おそらく、オールドマン准将が何かしらの根回しを着けているのだろう。当然、仕事がなくなった二人の選択肢は、准将の依頼を徹底的に調べるしかない。それも、あくまで極秘に、だ。

 

「個人的な話に巻き込まれるなんて、いい迷惑だよ」と、キィナは膨大な資料の束を虚ろな目で追いかけながら愚痴を思わず溢した。その背中から漂うオーラには、昨日のような先輩らしさが消え去っている。

「頑張りましょう」と、フェイトに励まして貰いながら資料室にはキーボードを叩く音と、資料をめくる音が響くだけ。

 

 

「フェイトちゃんは良かったの? こういっちゃあれだけど、付き合わされて」

 

 

手持ちの資料を読むキィナは、同じく資料に目を通しているフェイトにそう問いかけた。途端、フェイトの資料を調べる手が止まる。

 

 

「――私も、この事件には不信感を持っていましたし、真相が知りたくないかと聞かれたら知りたいですから。それに…私の上司も気にしていないようですから…」

 

 

そう答えるフェイトの声色は、今までのそれとは違っていたようにも感じた。彼女の声に張り付く重み。キィナが、それを理解するにはそう時間は掛からなかった。

 

この【執務官】と呼ばれる役職は、言い換えれば【エリート】と呼ばれる魔導士の総称。優秀な人間、優秀な経歴を持つ者が多い、この役職には、当然複雑な上下関係も介在している。

 

そんな中での彼女の立ち位置は、まさに劣勢そのものだ。

 

なにせ彼女は、彼の有名な「P・T事件」の重要人物なのだから。

 

あの事件が公の場で裁かれた以上、彼女の名を知らない執務官の方が少ないほどだ。キィナの上司にあたるトレイルは、フェイトの執務官としての能力を高く評価している。そんな人間も確かにいるが、彼女の過去に目くじらを立てる人間がいるのも、事実だ。

 

 

「自信持ちなって。君が思ってるほど、君の価値はそれ以上の大きなモノなんだからさ」

 

 

あっけらかんとそう言って捨てたキィナに、フェイトは一度、驚いたように目を見張った。

 

 

「キィナさんは、気にしないのですか? 私がその…前科持ちだということ」

 

「気にしないというか、それがどうしたの? と私は思うよ?」

 

 

少しオドオドしくそう言ったフェイトの言葉に、キィナは即答で返した。彼女の過去、彼女が背負う業、当事者から見た「P・T」の真相とその結末。資料室で書類を読み解く合間に、キィナがおぼろげに解りはじめた、本当の彼女の姿。

 

 

「人の過去なんて気にしたって仕様がないし、私は過去じゃなくて、今のフェイトちゃんしか知らないんだからさ」

 

 

確かに、自分が知る人間の払拭しようのない過去を知ったら、態度や見る目を変えてしまう人間もいるだろう。それが間違っているとも、正しいとも思うが、キィナ自身、それは勿体無いものだと考えていた。【過去】の出来事は風化しない、無くなることもない。

 

 

しかし、【過去】は【過去】だ。

 

 

その人間が【今】を立派に生きている。自分が知るのは【今】のフェイトだ。過去の彼女の話や成り行きなど、キィナにとったら取るに足らない話だ。

 

 

「あ、そうだ。フェイトちゃん、アーマン二佐の個人の端末のデータは閲覧したの?」

 

 

ふと、キィナは思い出したようにフェイトに問い掛けた。現場を再三調べたフェイトなら、すでにアクセスしているだろうが、確認しておきたいことがある。

 

 

「あ、は、はい。けれど特に変わった点はありませんでしたし、すぐに上層部のプロテクトが掛かってしまって…」

 

「デバッグコードからは?」

 

「デバッグコード?」

 

 

キィナの言葉に、フェイトは首をかしげた。

 

 

「ああ、やっぱり。コレってあんまり知られてないんだねー」

 

 

キィナは自分が使っていた席から立ち上がると、フェイトのパソコンのキーボードを彼女の横から割り込むような体制になって叩き出した。

 

 

「これは、トレイル室長から教わったことで、あまり使うなって釘打たれてることなんだけどね。フェイトちゃんには、特別に教えちゃうよー」

 

 

話ながら、キィナのキーボードを打つ速度は変わらない。フェイトがよく知るエイミィと同じ――とは言わないが、それでも彼女の手さばきは見事なものだ。

 

 

「それに。もともと、これは非合法な捜査なんだし。行くなら行くで、ワイルドでクールな、アウトローな感じで洒落込みましょうか」

 

 

虚ろな目に加えて、キィナはニヤリと口元を吊り上げる。

完全に悪いことをする顔だと、横顔を眺めていたフェイトは内心で思った。

 

 

「電子共有化されたデータバンクっていうのは、誰でも閲覧できて、誰でも共有できるっていう自由度が利点なんだけど、それって秘密にしたいデータとかも、誤って共有できてしまう欠点もあるの」

 

 

機密情報の漏洩のリスクが高まる。それは管理局が推進する情報の共有化の裏に隠されているデメリットだ。個人情報や機密事項。秘密にしたい物ほど、垂れ流しになってしまう。

 

 

「だから、最近の汚職だとかなんだとか、簡単に分っちゃう。ペーパーデータなら、自分の都合の良いように改変できたとしても、電子化されているなら話は別。一度記録したデータ。流してしまった情報。すべてがありのまま、共有化されたデータの海に蓄積されていくの。その積もった情報が詰まった端末を、あるデバッグコードで初期状態に戻しちゃえば、初期化と同時に、端末自体がシリアルパスとかで厳重に保持していたデータを垂れ流しちゃうバグが発生するって訳」

 

 

瞬く間の内に、アーマン・ブリッツの個人データのファイルをデバッグしたキィナは、フェイトに満足そうに頷く。

 

 

「これ、資料作成ソフトからの設計バクだって、トレイル室長からは聞いたんだけど、あまり表立ってやっちゃだめだよ? ソフトからの見直しがバレたら、管理局全体対象ってなっちゃうからね。今からソフト取り替えなんて、何徹しなきゃならなくなるか…」

 

「わ、わかりました」

 

 

バグを利用した情報の抜き取り。アウトローなこととは無縁だったフェイトには、無かった知識だ。キィナの笑みに、フェイトは頷きながら答える。デバッグされたアーマンの個人データから、次々とプロテクトが外れたデータが溢れでてきた。

 

 

「ほらほら、きたきたきた!」

 

 

会議の議事録、更にはアーマン二佐のスケジュール、更には個人の写真や情報まで、彼という人物の事情すべてがモニターに表示されていく。

 

 

「じゃ、一緒に調べていこっか。旅は道づれってね」

 

「はい!」

 

 

その表示されたファイルやデータを、フェイトとキィナは仕分けていった。彼が関わった事件や事故の資料。その資料の中で、一つ異様なデータがあった。仕分けていたキィナのキーボードを叩く手が止まる。

 

 

「フェイトちゃん…これって…」

 

 

キィナの言葉に答えず、フェイトは黙ったままモニター画面を食い入るように見つめている。

 

そのファイルに纏められていた資料は――魔力炉暴走事故の物だった。

 

事件の内容からその後の裁判、そして、事故の最もの被害者であるプレシア・テスタロッサの辿った足取りまでが、資料として一つのファイルに纏められていた。

 

 

「キィナさん。私は今、現場からの確証的な証拠も何も見つけていないです。けど、もし…この件に魔力動力炉の暴走事故が関わっているとしたら…もし、これが単なる自殺じゃなかったら…?」

 

 

フェイトは、執務官専用の制服の内ポケットから、メモ帳を取り出した。執務官になってから、ずっと調べていた。クローンとして作られたが、自分の母が、何故ああなってしまったのか。それを知るために、ずっと調べていた。

 

 

「調べてみる価値は…ある」

 

 

資料を見て、若き二人の執務官はゴクリと息を飲んだ。フェイトのメモ帳にも、今二人が見ているアーマン・ブリッツの資料にもある名前。

 

 

【ケイマン・パラメーラ】。

 

 

暴走事故が引き起こされた原因。彼は管理局から派遣され、魔力炉を未完成のまま起動させた――張本人だった。

 

 

 

 

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3.Fの系譜

 

 

ミッドチルダの首都。

 

クラナガンの空から見下ろした街の夜景は、美しい夜空の輝きに似ている。

 

眼下に広がる街の光は、不規則的に散りばめられていて、それが人工的に作り出された光だとしても、空に上がってしまえば、現実味どころか、おとぎ話に出てくる光の幻想のように感じてしまう。

 

だがそれは、その輝きに勝るとも劣らない「影」を、この世界に落とす。その光が輝けば輝くほど、影も広がり、やがてその光すら届かぬ「闇」となる。光がある以上、闇もある。闇があるからこそ、光はその輝きを鮮明に馳せさせる。必要悪――と、言うならば、それもあるだろう。しかし、「光と闇」が対等であり続けることは無い。

 

 

自分の生まれた生い立ちは、自分が生きた過去は、まさに「影」の中にあった。

 

 

生まれも、育ちも、その生き方も。日に当たることはできない。眼下を覗く、この美しくも仮初めで出来上がった光。この手は、体は、闇と溶けている。血も、叫びも、悲しみも、絶望も、この身に纏う闇に溶けている。光の中にいる、対面したガラスの中に写るもう一人の存在とは相容れない。

 

 

光と闇。

 

 

こちらは、深い闇の中。

 

ずっと考えていた。なぜ、自分は影でしか生きていけなかったのか。

 

ずっと――考えていた。

 

『自分達は、いったい何のために、生まれてきたのだろう』―――と。

 

 

 

****

 

 

 

「まさか、ケイマン・パラメーラさんが、エネルギー事業部の室長になってたなんてなぁ」

 

 

黒いスポーツカータイプの乗用車の助手席に乗りながら、キィナは高くそびえる高層ビルを見上げていた。隣の運転席では、フェイトがさっき買ってきたばかりのサンドイッチと飲み物をダッシュボードの上に乗せて、資料室から拝借した資料データを眺めている。

 

 

「アポイント取らなければお会いすることはできません、だって! なーによ、こーんな目をして言わなくたっていいじゃん!」

 

 

左右の目元を人差し指吊り上げながら、キィナは、まるで目の敵のような態度をとっていた受付スタッフの真似をしながら文句を垂れた。その顔はキィナなりのジョークだ。フェイトが含んだように笑う。

 

 

「けど、警備が厳重でしたね。まるで、何かに備えてるみたいに…」

 

「確かに、管理局指定のエネルギー事業とは言っても、警備が厳重すぎるよ」

 

 

さっきから乗っているこの黒い車は、フェイト個人の乗用車だ。執務官になってから買ったらしいが、ミッドチルダでも人気のあるメーカーと車種。一体いくらしたのだろうかとキィナは思う。ツーシータータイプだが、乗り心地はものすごく心地よかった。

 

二人は受付で露払いされてから、フェイトの車で張り込みをしていたのだ。裏口に回ってしばらく経つが、警備する人間が異常に多いように思える。

 

 

「――ナズミ執務官」

 

 

サンドイッチを食べていたキィナに、フェイトが調べていた資料を見せる。

 

 

「これは、あの事故に関わった人のリストです」

 

 

その資料は、フェイトが執務官になる前から集めていたものだ。彼女は、自分の知りうる限りの情報源から、あの事故の資料を集めていた。

 

 

「期間はバラバラですけど、関わった人たちは皆、死亡してるんです」

 

 

だが、フェイトが事故の資料を集め出した頃には、もう何かが始まっていた。関わった人間は、事故、自殺、他殺、失踪、その死因問わずにあらゆる死に方で死に、または行方を眩ませていた。それに、内容も恨みを持った人間に殺されていたり、自然的に死亡していたりと、バラバラなものだ。

 

 

「そして、私が調べてようやく残っていた、あの事故の関係者は、アーマン・ブリッツ二佐と、ケイマン・パラメーラさんだけだったんです」

 

 

フェイトが辿れる過去を知る人物。その内の一人は、もうこの世にはいない。

 

 

「そして今、真実を知っているのはケイマン・パラメーラさんだけになった」

 

 

ぎゅう、とフェイトが持っていた飲み物の容器に力が籠った。

伏せた瞳でフェイトはかき集めた資料を睨むように見つめる。

 

 

「私は――絶対にその人と、会わなきゃならないんです」

 

 

その深い決意の込もった声に、キィナは言い様のない感覚を覚えた。自分より明らかに年下なのに、彼女の声色はその年相応とは思えなかった。

 

不確かだが、自分の想像以上に、彼女が背負っている物は重くのしかかっている。

 

 

「フェイトちゃん、君は何で執務官になったの?」

 

 

キィナはカツサンドの最後の一口を頬張って、フェイトに首をかしげた。

 

 

「ナズミ執務官?」

 

「キィナでいいよ。私もフェイトちゃんって言ってるし」

 

 

もとより、自分より仕事ができ、更には容姿端麗なフェイトに、年上と言うだけで敬語を使われると、更にむず痒い。

 

「じゃ、じゃあ…キィナさんで」と、フェイトは少しだけ緊張した様子で頷いた。

 

 

「私は、知りたいんです。私のことを。母さんのことを」

 

 

運転席のシートに沈むように座るフェイトは、手に持った飲み物を見下ろしながら、ぽつりと水滴が落ちるように、そう呟くように話した。

 

自分の母が何故、ああなったのか。

 

アリシアが、何故死んでしまったのか。

 

 

――そして、全ての始まりはなんだったのか。

 

 

それを彼女は知りたかった。

 

 

「だから執務官に?」

 

「お兄ちゃん…クロノ執務官の進めもあったので」

 

 

クロノ・ハラオウン執務官。

 

執務官になった者で、彼の名を知らない者はいない。キィナもフェイトも、彼ほど優秀な執務官を他に知らなかった。

 

 

「なるほどねぇ、身近な人が目標だったと」

 

 

クロノは優秀な執務官であると同時に、フェイトと同じくらいに容姿端麗だ。執務官以外でも管理局の女性の間では人気が絶えない。そんな兄を目標にしているのだから、フェイトも少なからずクロノに憧れを抱いているに違いない。キィナはそう言いながらフェイトにニヤリといやらしい笑みを向けた。

 

 

「そ、それはともかく! キィナさんは何で執務官になったんですか?」

 

 

「もう、「さん」はいらないのに…うーん」キィナは考えるように唸った。が、

 

 

「なってみたかったからかな」

 

 

答えは思いの外、早く出てきた。

 

 

「私は、執務官になってやりたいこととか、目標とかないよ。高給取りだし、安定してるし。まぁやり甲斐はあるけどさ」

 

 

「そういうものですか?」

 

 

フェイトが首をかしげる。

 

 

「そういうもんさ。お仕事なんだから」

 

 

キィナも、当然のように頷いた。彼女は、ツーシーターの助手席側の窓を僅かに開ける。その視線の先には、警備する人間に動きがあった。

 

 

「じゃあ、その〝お仕事〟にかかるとしますか」

 

 

ニヤリと笑うキィナに、フェイトも飲んでいた飲み物を片付けて、堅い表情で頷いた。

 

 

 

****

 

 

「待ち伏せかね?いくら管理局の執務官とは言え、マナーがなってないようだな」

 

 

夜のとばりが満ちはじめた頃。黒い高級車から降りてきた白髪が混ざった髪をした男性、ケイマン・パラメーラが、行く手を遮るように止まるスポーツカーから降りてきた、キィナとフェイトを睨むように見つめていた。

 

 

「生憎、今回私たちはアウトローなので。無礼は失礼しますが」

 

 

二人とも、アポイント無しで受け付けに訪れた時は管理局の制服姿だったが、今は私服だ。管理局の人間が来たと、秘書が彼女らの顔写真を見せてくれていたので、彼女らが何者なのかはすぐにケイマンは、判断することができた。

 

どうやら上手く尾行してきたのだろう。閑静な高級住宅地の路地に入ろうとした時には、彼女らが乗る黒いスポーツカーが、まるで煙のように目の前に現れたのだから。

 

 

「ふぅん。まぁ待ち伏せられたなら仕方ない」

 

 

小バカにしたような勝ち誇った笑みで車から離れたケイマンは、まるで舞台を演じる役者のような大げさな素振りで二人の前に立っていた。

 

 

「私はやましいことをしたか? 残念ながら、身に覚えはないな」

 

 

エネルギー事業部で、不正な出来事があったか?

 

それとも管理局との間で不正な取引があったか?

 

答えはNOだ。彼には何のやましいことはなかった。

 

だが、それは現在の話。

 

 

「魔力炉の暴走事故」

 

 

キィナの隣で、ぽつりと吐かれたフェイトの言葉に、ケイマンの余裕さが溢れていた表情がぴくりと反応する。

 

 

「これだけ言えば、私たちが貴方に何を聞きたいかわかる筈ですよね?」

 

 

フェイトの睨むような瞳が、ケイマンの顔を捉えていた。余裕で満ちていたケイマンは、険しそうに眉間にシワを寄せて考えるように手でこめかみを押さえる。

 

 

「―――まいったな、まさか、その話か」

 

 

もうずいぶんと、心の奥底に閉じ込めていたことだ。目の前にいる人物が、〝あの事故〟のことを言うまでは、極めて考えないようにと努力していたが、ケイマンはあの事故を一度も忘れていない。

 

 

「貴方の名前は、亡くなられたアーマン・ブリッツ二等佐の資料に書かれていました。――すべて答えてください。話をしてくれれば、私たちも帰りますので」

 

 

アーマン・ブリッツ。自分と同じく、あの事故を知る彼の死は、ケイマンも知っていた。それを知った上で、彼は警護の強化に踏み切ったのだ。しかしこれは体裁上の保険のためだ。

 

踏み出したフェイトを、ケイマンは改めて見た。綺麗な金色の髪をした少女だ。隣にいるキィナと見比べても、特にフェイトの容姿が際立って見える。

 

ケイマンは思い出した。

 

 

「―――ひょっとして君は、プレシア・テスタロッサの娘のクローンか…」

 

 

ケイマンの言葉に、今度はフェイトの方がピクリと反応する。そうか、君があの事件の…「P・T事件」の子供だったのか。ケイマンは可笑しいように、丁寧に整えた前髪をくしゃりと撫で上げる。まさかこうも巡ってくるものとは思いもしなかった。

 

 

「全く、人生では、こういうこともあるものだな。――憐れな娘だよ、君は」

 

 

ケイマンの顔は、明らかに、異常なまでに青ざめていた。クックッと笑うケイマンを、フェイトは睨み付けながら詰め寄る。

 

 

「憐れ? どういう意味ですか…!」

 

「そのままの意味だ。君の産みの親は天才だ。あぁ…だが、あまりにも天才過ぎた」

 

 

詰め寄ったフェイトを見下ろしながら、ケイマンは思い出すように首を横に振る。

 

 

「あぁ、あの暴走事故もそうだ。プレシア・テスタロッサが、彼女が頑張りすぎたのだよ。あの事故は、起こるべくして起こってしまった」

 

「貴方たちが…!母さんを…!」

 

 

無意識にフェイトの口調が荒々しくなっていた。その声色には、キィナも、今まで聞いたことがないような、怒りを孕んだものがあった。

 

 

「私たちが?いや、違うな」

 

 

だが、フェイトの怒りを遮るようにケイマンはその言葉を否定した。

 

何が違うのか? 彼らがしたことで、母は深く傷つき、アリシアの命は奪われた。その事実は変わらない。フェイトは更にケイマンを睨みつける。

 

 

「そもそも、あの事故が本当に事故だと思っているのか?」

 

 

ケイマンは、青ざめていた表情を整えて、自分を睨み付けるフェイトと、後ろで見張っているキィナを交互に見た。彼は明らかに異常な顔色をしていたが、頭の中は冷静さを保っていた。これもまた――自分の運命なのかもしれないと。

 

 

「そうだ、あの事故は―――ただの魔力炉の暴走なんかじゃあない」

 

 

その時、ドンッと彼の背後で音が響いた。彼は振り返らなかったが、詰め寄っていたフェイトや、そのすぐ後ろにいたキィナには見えていた。

 

 

ケイマンには見えなかったが、二人には、はっきりと見えていた。

 

 

黒いフードと、地まで付きそうなケープで身を固めた人物が、ケイマンの車の上で月を背中に立っていた。

 

 

「―――やはり、来たか。私の〝運命〟が」

 

 

ケイマンはそう独り言のように呟きながら、いきなり現れたケープを纏った者の方へ、ゆっくりと振り返るのだった。

 

 

 

 

 

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4.うごめく影

 

 

 

 

高級車の上に着地した「影」は、まるで受け入れるような目をした〝ターゲット〟を視認する。

 

その影は、外装はゆるやかな着心地のいい黒いケープと、フードで覆われていた。だが、全身を暗い色で基調し、多機能を内包した体のラインに合わせたボディスーツをケープの中で着ている。

 

自分の任務を頭の中で復唱した。

 

「ケイマン・パラメーラの抹殺。方法は問わない」

 

腰にぶら下げた己の武器は、いつでも手にとれるようにしていた。

 

意を決して、「影」は高級車から飛び降りた。

 

目の前にいたフェイトとキィナは、ただ見ていることしかできなかった。恐怖で体が動かなかったから? いや、違う。突然現れた影が、あまりにも速すぎたからだ。

 

自惚れるわけではないが、魔力によるセンサーを使用していない〝ただの人間〟に、自分の動きを捉えることはまず不可能だ。それはターゲットである男性、「ケイマン・パラメーラ」にも言えたこと。

 

腰から取り出した武器が甲高い音を奏でた。一瞬で出現した、魔力で出来上がった高出力の刃。

 

それがケイマンの腹部を難なく貫く。鍔を腹部に押し付けたまま武器を起動させたので、痛みは一瞬であっただろう。ケイマンの体はピクリと一回だけ痙攣すると、致命的な一撃に抗うようによろめく。

だが、彼の眼がもう死んでいた。

 

「影」が起動させた武器を仕舞うと同時に、ケイマンはボンネットにしがみつくように力無く倒れた。腹部から溢れ出した真っ赤な血液が、彼の高級そうなスーツを染め上げていく。

 

そのやつれた顔を見るだけで、「影」はヘドが出る思いだった。

 

だが、今までのターゲットとは違うことがある。突き刺した「ケイマン・パラメーラ」も、先日処分した「アーマン・ブリッツ」も、決して死にたいして恐れたり、情けなく喚いたりなどしなかった。

 

 

 

****

 

 

 

鮮やかな動きだった。

 

その洗練された動作が、あまりにも唐突過ぎて、フェイトもキィナも対応することができなかった。高級車のボンネットにもたれ掛かったまま、ピクリとも動かなくなったケイマンを見て、フェイトは初めて人の死を垣間見ていた。

 

流れる血の海。人一人が、今、目の前で死のうとしている。

それは、とても呆気なく、だ。

 

 

「ま、待ちなさい!」

 

 

あまりの出来事に硬直したフェイトと違って、キィナは冷静に思考を切り替えることができた。

 

漆黒のケープを閃かせる人物を、睨み付ける。ケープに覆われている為、顔はかろうじて口元が見えるくらいだが、体格は細い線をしていた。女性か、男性か。判断が難しかったが、キィナは懐に忍ばせていた自分の愛機を取り出した。

 

 

「行くよ、エッジクロス!」

 

 

キィナが握るデバイスの形状は、ロザリオを模したものだ。執務官になったときに、長年連れ添ったAIをそのまま移植して新調したインテリジェンスデバイス。

 

 

『yes.Master』

 

 

単調な女性らしい声色をした電子音が響くと、握られたロザリオが変化し始め、キィナの服装も私服から戦闘用のバリアジャケットへと換装された。

 

待機モードから解き放たれたエッジクロスは、十字架をそのまま片手銃にしたような形状をしており、インテリジェンスデバイスには珍しいタイプのものだ。

 

ケープをまとった彼か彼女は、逃げる様子さえ見せなかった。デバイスを構えたキィナを悠々と風にケープを踊らせながら眺めている。

 

「ずいぶんと余裕そうだね」と、キィナは相手にバカにされてるように思えてならなかった。だが、相手は、たった今、自分の目の前で殺人を行なった『犯罪者』。油断など許されない。

 

 

「私は管理局所属の執務官、キィナ・ナズミです。武器を捨てて投降しなさい。貴方と問答する猶予は、残念ながら与えません」

 

 

業務的な口調でキィナは、エッジクロスの銃口を目の前の『犯罪者』に向けた。すると、彼か彼女は、身動ぎした。左手の掌をキィナに見せつけるように突き出す。

 

 

「―――ッ!?」

 

 

途端、キィナの身体は見えない何かに突き飛ばされた。身構えていたはずの身体は簡単に飛び上がり、彼女はフェイトの車に激突し、そのまま地面に転げ落ちる。

 

 

「そうか、お前たちは管理局か。それは―――厄介だ」

 

 

全身を打ち付けられて身じろぐキィナを見ながら、「影」はそんなことを呟いていた。

 

 

(何…!? 今の攻撃は…!)

 

 

こちらはバリアジャケットを身に付けているというのに、想像以上の痛みがキィナを襲っていた。

 

敵が放った攻撃は、まるで空気の塊に押し出されたような感覚と、全身を締め付けられる息苦しさがある。立ち上がりながら、キィナは敵の攻撃の原理を必死に探っていた。が、敵はその探りをさせる暇を与えてはくれなかった。影が再び腰から取り出した武器を握ると、空気を焼く音とともに、鮮やかな黄色の魔力刃が鍔から出現した。その魔力光を見て、フェイトは酷い既視感を覚えた。

 

とても見慣れているような…そんな感覚。

 

 

「フェイトちゃん!」

 

 

キィナの怒号に似た声に、フェイトは肩を震わせた。立ち上がったキィナは、魔力刃を手にする「影」に銃口を構えた。

 

 

「私が引き付けるから、フェイトちゃんはケイマンさんを!」

 

「わ、私も戦います! 市街戦なら経験も――」

 

「馬鹿言うんじゃないよ! 忘れたの!? 私たちの任務はこの戦いじゃない!」

 

 

状況を整理する余裕のないフェイトを、キィナはあえて一喝した。今、彼女がするべきことは、キィナを手助けすることじゃない。

 

 

「二人で敵を相手にしていたんじゃ、何も間に合わない! 今を逃せば、何も得られない! だから、貴方が聞きなさい! 貴方にはそれを知る義務があるんだ!」

 

 

キィナの言葉を受けて、フェイトは勤めて冷静になるように自分に言い聞かせた。そして踵を返すと、血を流すケイマンの元に駆け寄る。

 

 

「それに、戦技なら私もそこそこ強いんだからね…!」

 

 

と、背後から魔力同士が打ち付け合う音が響く。

 

 

「キィナさん!」

 

 

フェイトは思わず振り返ろうとした。が、その行動は阻止された。

 

血塗れの手が、フェイトの腕を掴んだ。

 

 

「―――っはぁ!」

 

 

ごほっと血の混じった咳を漏らしたケイマンは、血眼で掴んだフェイトを睨み付けた。いや、睨み付けてはいなかった。痛みと朦朧とする意識のせいで、ケイマンの表情は酷く強ばっていたのだ。

 

 

「フェイト――。テスタロッサの生き写しよ…!」

 

 

ケイマンは薄れ行く意識を、必死に繋ぎ止めた。

 

 

「見ろ――っはぁ…これが、お前の母を…お前そのものを狂わせた者の…最期だ」

 

 

フェイトは顔を横に振った。貴方には、まだ死なれては困る…! まだ、フェイトは何も知れてない。母が狂った理由を。自分の過去を。何一つ知ることができていない。

 

血が、止まらない。

 

血の海が――広がっていく。

 

 

「これが、私と、アーマンの運命だったのかもしれんな…ゴホッ…! まさか、私たちが犯した罪の証が…私の前に現れるとは…」

 

 

自嘲するように笑みを浮かべると、ケイマンは傷口を抑えるフェイトを見据えた。その表情には、痛みで強ばっていたものが消えていた。

 

 

「管理局も、我々も…間違っていたんだ…。彼女は――プレシア・テスタロッサは―――【彼ら】に、ただ利用されただけだ」

 

 

え? フェイトは、ケイマンの言葉に耳を疑った。

 

 

 

母さんが利用されていた?

 

 

 

 

「それは! 貴方たちが実験を強行して…!」

 

「――違う。彼女は知らなかった。知らせるわけにはいかなかった! 最初から知っていれば、彼女はあんなものを作るわけがなかった。だから我々は…【彼ら】は、新型魔力動力炉だと偽った。だが――それは間違いだった。彼女が利用されていたのは…我々が想像してた闇とは違う…」

 

 

そもそも、魔力動力炉の暴走だけであれだけの被害が起こると思うのか…? ケイマンの言葉には、有無を言わせない迫力があった。死の淵に立った人間の最期の懺悔だ、とケイマンは血と一緒にそう言葉を吐いた。

 

 

「このミッドチルダは…我々は――魔法によって導かれてきた…! だが、その魔法で〝兵器〟を作り上げたとしたら…どうなる!?」

 

 

デバイスなど、【アレ】に比べれば玩具に等しい。

 

魔力を純粋な兵器にしてしまったその先には――何が待っている?ケイマンは血塗れた手でフェイトの肩を掴んだ。

 

 

「あの事故は…まだ終わっていない…! あの事故は、単にいたずらに起こったわけじゃない…その理由を、君はそれを知る権利がある…!」

 

 

ごほっと、ケイマンは多量の血を吐き出した。

 

次に言葉を発せれば、それが自分の最期だと―――死の淵にいるというのに。

 

 

「【ドレッドノート計画】…それが、【彼ら】の、真の目的…それを知るんだ…いいな…」

 

 

それだけ言うと、フェイトの肩を掴んでいたケイマンの手が、音もなく血に落ちた。

 

完全に光を失った瞳が、瞼の裏に隠れていく。

 

 

そんな…! フェイトは言い様のない理不尽さに苛まれていた。

 

明確な人の死に、はじめて立ち会った。手が震える。喉がカラカラに乾いて―――上手く呼吸ができない。

 

 

「キャアァァッ」

 

 

打ち鳴っていた魔力同士のぶつかり合いは、激しい衝撃音と叫び声によって掻き消された。

 

フェイトはバルディッシュを手にとって自分でも驚くほどの速さで振り返った。目に入ってきたのは、壁にうちつけられて気を失っているキィナの姿。辺りには彼女が使っていたデバイスの残骸が散乱している。

 

 

 

そして、目の前には、漆黒のケープで身を隠した「影」が立っていた。

 

 

 

その人物は、月光とは相容れない影の中にいる。

 

言葉が出なかった。初めて感じる――恐怖が勝っていた。

 

下から見上げて僅かに、フードの下に潜む瞳を見てしまったのだ。

 

 

なんだ、あの目は。人間が、あんな目をするのか?

 

 

フェイトは、胸の心臓ごと、全身を鷲掴みにされていた。

 

 

「いまの貴様は、俺のターゲットではない。けれど間違いなく、俺の求める者だった」

 

 

機械的な声だった。見下ろす者と、見上げる者。闇の中にいる者と、月下に照らされる場所にいる者。

 

二人のいる場所は、決定的に違っていた。

 

「影」はケープを閃かせながら飛び上がると、音もなく闇の中へと消えていった。

 

残ったのは静寂。

 

 

何もできなかった―――フェイト、ただ一人が、その場に残っていた。

 

 

 

 

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5.密かなる脅威

 

 

 

――三日後。時空管理局、執務官デスクルーム。

 

 

帰り支度を済ませたトレイル・ブレイザー室長は、未だに個人のデスクに張り付いて、せっせとデータに目を通しているキィナを気にかけていた。彼女は、昨日まで治療センターで入院していた身だ。頭や腕には、まだ痛々しく包帯やガーゼが付いたままだった。

 

三日前。

 

キィナは、フェイト・T・ハラオウンと共に、ケイマン・パラメーラの身辺調査をしている時、ケイマンを刺殺した殺人鬼に襲われたのだ。

 

約一日の混濁状態が続いたキィナだったが、目覚めた途端に、彼女は退院申請をしてしまい痛々しい姿で執務官デスクルームに戻ってきた。かと思ったら、モニターに張り付いてはすっかり動かなくなってしう始末だ。

 

トレイルは鞄を肩にかけると、キィナのデスクへと向かう。だが、彼女は背後から近づくトレイルにまったく気づいていなかった。

 

まるで話しかけないでくださいと自己主張しているように着けている大きめのヘッドホンを、トレイルはお構い無くキィナから取り上げた。「あっ」と、間抜けな声と共にキィナが振り返った。

 

彼女はトレイルの顔を見るなり、しまったという反応と共に嫌そうにしかめる。なんとも失礼なやつだ。

 

 

「仕事中にヘッドホンをするとは感心せんな、えぇ?」

 

「仕事中じゃないです。〝仕事がないから頼まれ事をやっている〟だけです」

 

「それにしては、えらく真面目にデータを見てたじゃあないか」

 

 

関係ないです、といつになく不機嫌そうにキィナは上司を突っぱねた。こうなると彼女は頑固だ。トレイルはそれを嫌と言うほど知っている。彼はヘッドホンから流れてくる歌に耳を傾けた。

 

 

「【天城越え】―――あぁ、ジャパニーズソングというやつか」

 

 

幸い、彼も知っている有名な歌だった。キィナはトレイルを睨み付けると、ひったくるようにヘッドホンを奪い返した。

 

 

「返してください。それ聞いてるとモチベーションがあがるんです」

 

「そうかい。俺は和食のほうが好みだがな。今の時期はそうだな、おでんも良いものだ」

 

 

そう言うとトレイルはデスクにもたれるように腰かけた。

 

和食といい、日本文化といい、すっかりミッドチルダに打ち解けたものだなと、トレイルは思っていた。

 

数年前では一種のブームと呼ばれ、外来の物品の展示会でもやっているかと思えるほど、人が寄って集って騒ぎ倒していた。それが今となっては、日常にすっかり溶け込んでいる。不気味なほどの浸透性だ。恐るべし、ジャパニーズ文化。

 

 

「――トレイル室長。ひとつ質問いいですか?」

 

 

しばらくの沈黙のあと、キィナがデータに目を通していた顔をあげ、デスクに腰を下ろしていたトレイルを懇願するような目で見た。

 

 

「見てわからんか? 今から帰るところだぞ」

 

 

トレイルはワザとらしく纏めた帰り支度をキィナに見せつけたが、彼女は両手の掌を目の前で擦り合わせながら、「お願い」というポーズをした。このポーズに、トレイルは弱かった。

 

 

「はぁ…。で、なんだ」

 

 

トレイルはめんどくさそうに纏めた髪をわしわしと掻き上げる。

 

 

「腕力は勿論…魔力を使わないで、人を吹き飛ばすことは可能ですか?」

 

 

なんだ、超能力か何かの話か? 思わず声に出してしまった。冗談に付き合ってほしいなら他を探すべきだぞ、とトレイルはキィナを睨み付ける。

 

 

「いつになく真剣で真面目ですよ、私は」

 

 

その睨みに屈しないほど、キィナは大真面目だった。同時に、どこか怒りを孕んだような、そんな目をしている。

 

謎の殺人鬼に襲われた彼女は、頭を強く打った以外は、痛々しい見た目の割に怪我は軽傷だ。だが、彼女が愛用していたデバイスは、無惨にもバラバラにされている。接近戦にも適した強固な素材で作り上げられたはずのキィナのデバイスは、まるで溶かしたバターを切り落としたように切り刻まれていた。

 

更に、彼女自身の外傷にも不可解な点がある。吹き飛ばされた彼女の傷は全身打撲だったが、搬送された治療センターで検査した結果では、外傷からの魔力反応が全く探知されなかったのだ。

 

 

「あの時の殺人者…【黒頭巾】の物理的な力だったら、なんの疑問もないんですけど…」

 

 

【黒頭巾】。キィナを襲った殺人鬼が放った力は、物理的な力で説明できるものじゃなかった。手のひらを翳しただけで、人が吹き飛ぶわけがない。キィナが言おうとしていることを、トレイルはうっすらと察した。

 

 

「――確かに、魔力反応無しにも関わらず、吹き飛ばされたら可笑しなものだな」

 

 

『魔力は魔力に関わる事象、あるいはそれに関わる物質にしか変換できない』

 

それは魔法を行使する者の中での共通認識であり、絶対的なルールだ。

 

「水」をいくら気体、液体、固体と加工しても、「水」は「水」以外の存在、概念になることはない。

 

魔力も同じだ。魔力を使ったものは、例え変異物質であろうとも、必ず魔力が使用される。当然、魔力反応も残る。その残された魔力反応は、調べる側にも重要な手がかりになる。だが、今回の事件では、魔力反応が一切確認されていなかった。

 

 

「『魔力を魔力』に、じゃなく『魔力を物量エネルギーに変換する』か。言っておくが、今のところ、そんな技術は管理局にないからな?」

 

「ですよねー」

 

トレイルの回答に、キィナは当然だ、と嘆くように肩を落とした。

 

魔力を別の何かに変換するなど、そんなものはあり得ない。もし、魔力を物理的なエネルギーに変換できるとしたら管理局が保有する魔法技術は、また大きな局面を迎えることになる。

それはまるで、新たなる「力」のように。

 

 

「すこし、いいかな?」

 

 

と、話し込む彼女たちの前に、紙袋と小さな花束を持った男性が気の抜けそうな柔らかい挨拶と共に現れた。また邪魔モノが来たかと、彼女は現れた男性を睨んだ。途端、彼女はバネが跳ね上がったかのように立ち上がると規則正しい敬礼を示した。

 

 

「オールドマン准将!」

 

「そんな改まらなくて構わないよ。むしろそうするのは私の方だ」

 

 

痛々しい姿で敬礼するキィナを見たジョン・オールドマン准将は、持っていた紙袋と花束を近くの机に置いて、彼女と、上司であるトレイルに向かって頭を下げた。

 

 

「私の頼みで、君やハオラウン執務官にはつらい思いをさせてしまった。すまない」

 

 

その行為に、キィナは思わず言葉に詰まった。准将ともあろう立場の人間が、一介の立場である自分にこうも簡単に頭を下げていいのだろうか。少なくともキィナが想像していた上層部の人間はこんな真似をする人間ではない。

 

 

「だから言ったでしょう? 厄介ごとを吹っかけられるって」

 

 

キィナが呆気にとられてるさまを見て、トレイルは申し訳なさそうに目を細めたオールドマン准将にそう言った。新人執務官の面倒を見るトレイルの周りでは厄介ごとは尽きない。

 

 

「せめて、君の見舞いにでもと思って病室を訪ねたのだが、入れ違いになったようだね。さて、買ってきたコレなのだが、なにぶん一人では胃が辛くてな。休憩でも如何かな?」

 

 

オールドマン准将は、持ってきた紙袋から見舞いの菓子を取り出した。

 

 

 

****

 

 

 

キィナは、トレイルを介してジョン・ドゥ・オールドマン准将と会話し、いくつか彼の人間味でわかったものがあった。

 

「趣味だよ」と言って、コーヒーを淹れる彼は、トレイルと似たように気さくな人物だった。菓子を囲みながら、トレイルと話す彼がいかに優秀であり、物事に積極的であるか、すぐに理解できた。特に特徴的だったのが、彼は誰かの悪口や批判をしないことだ。会話を聞いていてもうるさくはないし、不快感もない。自分の部下に加え、トレイルの部下ひとりひとりの名前と顔を覚えているばかりか、妻や恋関係の話題まで知っている。とても部下や自分の下の者との交流を持っている人物だ。

 

キィナの上司、トレイル・ブレイザー室長とは、過去に後輩と先輩という間柄であり、上層部に入る前は、航空部隊の一小隊の隊長を務めていたそうだ。自身の昇進や見栄え、保身をまったく考えていないかのような――任務の成功と市民の安全を守ること、その役割の達成あるのみのような指揮官だったと、トレイルはキィナに話した。

 

 

「准将は、なぜこの事件にこだわったんですか?」

 

 

自然と、キィナの疑問はそこに向いた。彼がこの事件にそこまでこだわる理由はなにか。キィナ本人にも、この事件にこだわる理由は出来ていたが、肝心の〝依頼主〟の理由をまだはっきりとは聞いていない。

トレイルと談笑していたオールドマン准将の顔から笑顔が消え、かわりにすこし考えるような仕草で、自分の口元を手で覆った。

 

 

「一年前。管理局の技術が市場に横流しされた日を境に、魔法による抗争が次元世界中で撹拌した」

 

 

このミッドチルダも例外じゃないと、オールドマン准将は厳しい口調でそう言った。

 

今まで気にも留めなかったゴロツキが、手頃に魔法技術を手に入れてのさばっている。

 

開き直った管理局の技術共益圏の拡大といった提案は、こういった小競り合いを世界中にばら蒔いた。その尻拭いを末端である君たちがやっている。そうなってしまった原因がある上層部の人間は、豪華な革椅子にふんぞり返って、葉巻をふかしている。それを目の当たりにすることが、現場を、部下をよく知る彼には耐えがたい苦痛だった。

 

一年前まで、災害規模の事件が無い限りデスクワークに終われていた執務官も、今じゃ毎日のように現場に駆り出されては指揮を執っている。

 

 

「皆、順応しようと必死なんだよ。時代の流れに取り残されないように。伸び続ける管理局という木を這い上がるしかないんだ」

 

 

現場の最前線に立つ一人であるトレイルはそう答えた。その木が成長を止めるまで俺たちの忙しさは収まらないって訳だが、とも付け加える。だが、准将は「それは違う」とぴしゃりと否定した。

 

 

「逆だよ。成長を終えた木は枯れる他は無い」

 

 

停滞などという、その場に留まって足ふみができるのは【個人】だけだ。

 

【組織】や【集団】は、足ふみをすることはできない。進みか、廃れるか。巨大な組織に突きつけられる選択肢はその二つだと准将は言った。

 

 

「それって――管理局が、無くなるってことですか?」

 

「あくまで可能性の話だ。それが本当になるかどうか、誰にもわからない。だから私は賭けてみたい。あの暖かな魔法の光にね」

 

 

「暖かな魔法」――その噂、確か一年前に観測された膨大な魔力爆発で見えた光だ。

 

 

「そんな暴力的なイメージだけでは説明がつかないだろう」、准将は不満そうにコーヒーを啜った。

 

観測された光は、ある一種の光波らしいが、それを目撃した者も次々と戦意を失ったとか。それが真実かどうかはわからない。それが本当に観測されたのかも、明確な証拠もない。なにせ、全部タブー扱いだ。資料も上層部が握りつぶしたという噂もある。噂は噂を呼び、尾が付いてまた新たな噂が生まれるものだ。

 

 

「だからこそ、期待するんじゃないか。私たちがまだ見ない魔法の可能性に」

 

「けど、その可能性に期待しても、時代の流れは止まりませんよ!現に、魔法、魔力に対抗する別の何かが生まれているんですから!」

 

 

キィナは苛立ったように立ち上がってそう言った。

 

三日前に受けた傷と衝撃。

 

あれは明らかに自分が知る物とは一線を違えていた。加えて、対峙した【黒頭巾】にも不信感を覚える。敵は、まさに「魔導士と戦う戦闘スタイル」というものを確立させた立ち回りをキィナに魅せつけた。管理局が「対魔導士戦術」について明確な対策を講じ始めたのは、近年になってからだ。その戦闘スタイルや対策はまだ不完全な部分が多い。

 

つまり、【黒頭巾】は、管理局が研究する「対魔導士戦術」をはるかに上回る能力を持っていることになる。それが個人で手に入れた能力なのか、それとも組織的な何かが存在しているのか。

 

どちらにしろ、それは管理局――魔法を扱う者にとって新たな脅威だ。

 

 

「魔力に対抗する対魔法….生まれてくるのは必然だったのかもしれないな。魔法による技術は、次元世界中に知れ渡ったんだ。魔法はもう世界を管理できる抑止力じゃない。つまり、魔法の技術は世界共通のスタンダードになっちまったわけだ。ってことはだなぁ」

 

「魔法=魔法の小競り合いで埒があかないことに耐えかねた誰かが、魔法に変わる技術の開発に着手すると?」

 

「まぁ、当然の考えでもあるだろうね。抑止力はどんな場面でも必要にされるんだから」

 

 

今までは、「魔法」がその他技術より優れていることが、抑止力であるための方程式だった。それが魔法=魔法に変わってしまった以上、魔法より優れた何か、魔法に対しての抑止力を作ることくらい簡単に予想できる。

 

 

「さしずめ、魔導師殺しといったところか。そんなものが世の中に出てきたら、管理局――いや、次元世界そのものが只では済まないだろうな」

 

「あの黒頭巾に繋がる何かがあれば、准将の依頼にも進展があるとは思いますけど…」

 

 

過去十年以上遡って調べてみても、【黒頭巾】こと、キィナを襲った犯人に関する情報は無かった。敵が何者であるか、まず突き止めないことには先に進むことは難しいだろう。

 

 

「ひとつ。私にも気なるところがある」

 

 

と、考えあぐねいてるキィナに准将は言った。

 

 

「最近になって管理局の技術部にアプローチをかけてきているデバイス開発企業がある。名前はカレイドヴルフ・テクニクス社。昨日も、企業側と管理局側との間で秘密裏に会合が行われていたようだ」

 

「そんな企業、はじめて聞きましたよ」

 

「言っただろう? 極秘だと。この企業と管理局との提携はまだ公表されていない」

 

 

そこでだ。そうオールドマン准将は言うと、はじめてキィナとフェイトに「依頼」をした時のように彼女の眼をまっすぐ見据えた。

 

 

「ナズミ執務官には、私の立場や肩書きを利用した、私の代理人としてカレイドテクニクスへの視察をお願いしたい」

 

 

准将はそう言うと菓子を入れていたのと、同じ紙袋からファイルにまとめた書類を一式取り出して、キィナに渡した。

 

電子書類が一般化されているのに、わざわざペーパーデータで…と、キィナと同じく書類を目にしたトレイルは、「おお神よ」と言いだしそうなくらいに頭を抱えた。それを見て、間違いなく、これは危険な書類だとキィナは察した。

 

 

「それは、私が知る限りのカレイドヴルフ・テクニクス社の情報を纏めた物だ。これは本当なら、トレイル室長に依頼しようと思っていた物だが、君の様子を見る限り、君の方が任務に必要だと判断させてもらったよ」

 

「うへー…冗談きついですね。ちなみにアポイントくらいとって貰えますよね?」

 

 

今更、後戻りするつもりはない。そう開き直ってキィナは准将にそう聞いた。彼はにこやかに顔を横に振った。

 

つまりそれは…と、キィナの顔は青ざめる。

 

 

「ノーアポに決まっているだろう? 代わりにと言っては何だが、上層部関連の人間しか持てないタグ端末を君に預けよう。書類と一緒にファイルに同封してある」

 

 

ファイルの底を覗くと、管理局指定の名札より一回り小さいほどのカードが入っている。薄く細いフレームに、透明のガラスがはめ込められた簡素の作りではあるが、そのカード一枚で上層部の人間しか持っていないアクセス権限を得ることが出来る。

 

もちろん、パンドラの箱をあけるような危険な真似はしないが、どうやら自分はとてつもなく危ない橋を渡ろうとしているようだ。

 

正直、出たとこ勝負と言ったところだ、とも准将は付け加えた。

 

 

まぁ要塞といったわけじゃないんだ。やばくなったら全力で逃げりゃいい。

 

他人事のように言うトレイルを睨み付けて、キィナは准将と上司の三人で、作戦会議を始めるのだった。

 

 

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6.幻影

 

ミッドチルダの首都クラナガンは、高度に発展した未来型の都市だ。

 

そこには、政治、経済を担う様々な行政機関の他に、巨大なアウトレットや多岐にわたるファッションブランドが複合された商業施設が点在している。

 

そのアウトレットのひとつ。

 

そこは最近オープンしたばかりで、『開放的な海街』をイメージした屋外方式のアウトレットだ。海辺も近くであり、外観もアウトレットというよりは『街』のようにも思えるほどだった。

 

 

 

 

 

フェイト・T・ハラオウンは、アウトレットの至る場所に設けられた休憩用のベンチに座りながら、ぼんやりと晴天なミッドチルダの空を見上げていた。

 

ケイマン・パラメーラが殺害された事件から、もう一週間が経とうとしている。巻き込まれたキィナも、全身打撲といった重症で、そのまま入院となり彼女とは別行動となってしまった。当事者であり、執務官であるフェイトは、捜査に加わるものだと考えていたが、事情聴取を受けただけで、『この事件には関わらぬように』と、上司から言い付けられてしまった。

 

目の前で人が死んだショック。「P・T事件」の時。虚数空間へ、アリシアの肉体が入った培養槽と共に堕ちていった母――プレシア・テスタロッサの最期。彼女が経験したモノは、否応なしに苦しい記憶を思い出させた。フェイトの精神的な負担を考えたオールドマン准将から、フェイトは少しの休暇を与えられていた。

 

 

「フェイト、どうしたんだい?」

 

 

ソフトクリームを両手に持ったアルフが、ぼんやりと空を眺めるフェイトを横から覗き込むように伺った。人酔いでもした?と、心配そうにアルフの耳が下がった。

 

 

「うん、大丈夫だよ。アルフ」

 

 

フェイトは微笑みながら、アルフにそう返して、彼女からソフトクリームを受け取った。アルフもフェイトの隣に腰を下ろして、フェイトとお揃いのソフトクリームを頬張る。ソフトクリームを受け取ったときに見せたフェイトの笑顔。その笑顔は、まだ管理局に入る前の彼女の面影と重なって見えてしまう。

 

 

ジュエルシード。

 

 

その名を思い出すだけで、形容しがたい複雑な感情がアルフの中に蘇ってきた。

 

 

「気分転換に買い物にきたけど、良いところだね。このアウトレット」

 

 

アルフは過った不安を掻き消すように、明るい声でフェイトに笑いかけた。ここは穏やかに海風が流れ込んでいて、どこか海鳴の町に似ている。こうやってベンチに座りながらのんびりしているだけで、とても心が落ち着く。

 

事件以来、元気がないフェイトを、アルフがこのアウトレットに誘った。事件の事情は話せないとフェイト本人から伝えられていた為、アルフを含めて、親友のなのはや、はやても、フェイトが巻き込まれた事件の詳細を知らない。加えて二人は、今は別件の仕事で手が離せないらしい。顔を会わせるのも昼食と夕食くらいだが、その度になのはもはやても、フェイトを心配していた。

 

 

「フェイト…」

 

「大丈夫だよ、アルフ」

 

 

心配そうなアルフに気付いているように、フェイトは少しずつ食べていたソフトクリームを下ろした。フェイトは、やはりどこか元気がないように見える。けれど、『一人』だった時とは違う。その表情は、『一人』で耐えている顔ではない。

 

 

「大丈夫、私は一人じゃないから」

 

 

今は、親友達がいる。心を預けて、暖かな時をくれる仲間が、そして家族がいる。心の拠り所があるからこそ見せる、フェイトの弱い顔だった。

 

 

「うん…そうだね、フェイトは…大丈夫なんだね」

 

 

ふと、アルフの視界が滲んだ。自分も、すっかり泣き虫だ。自分よりまだ背が低いフェイトが、頭を撫でてくれた。元気つけるつもりが、逆に泣いてしまうなんて情けないものだ。

 

そんなこと思いながら、アルフも、フェイトも、満足そうに心が暖かさで満ちている。

 

 

「さ、アルフ。買い物の続きを―――」

 

 

フェイトが食べかけていたソフトクリームを片付けて立ち上がった時だった。

 

ドンッと地面が揺れた。

 

遅れるようにアウトレット中に爆音が轟く。アルフの手を握っていたフェイトの手に、ぎゅっと力がこもる。

 

 

「なんだい!? 今の爆発!」

 

 

立ち上がったアルフが辺りを見渡す。少し遠くに見えた黒い煙。彼女の鋭い嗅覚を刺激する焦げた匂い。途端に、アウトレット中に緊急避難案内が表示された。

 

 

《火災が発生しました。係員の指示に従って行動し、アウトレットから避難してください》

 

 

まるでデバイスのような、淡々とした電子音声が流れると、買い物を楽しんでいた穏やかな雰囲気が一変した。アウトレット内にいた客が避難案内と係員の指示に従って避難し始める。

 

 

「――アルフ、買い物はまた今度になりそうだね」

 

 

フェイトの事件といい、悪いこと続きだ、とアルフは内心で舌打ちをした。こんなに悪いことは続くものなのか、と疑問すら覚えてくる。

 

 

「行くよ、バルディッシュ」

 

 

フェイトの問いかけに、堅牢な相棒は「了解」と凛とした応答をした。フェイトは避難案内をする係員の元へ駆け出した瞬間に、フェイトの身体がバルディッシュ・アサルトによってバリアジャケットに包まれた。アルフも私服のままだが、飛び上がったフェイトへ、アウトレットの建物間を跳びながら追従する。

 

 

「管理局執務官、フェイト・T・ハラオウンです! 避難案内に協力します」

 

 

係員は急なフェイトの申し出に戸惑ったが、すぐに現状の避難状態を説明してくれた。

 

 

「このブロックの避難はほぼ終わりましたが、火災があった場所はまだ誰も…!」

 

 

係員からの説明を聞き終えた後、フェイトは管理局へと通信回線を開き、上司へ現状を伝えた。管理局側でも、この火災は確認されており、今消防隊と救助隊がこちらに向かっているようだ。

 

 

「では、私はこのまま避難誘導の協力を」

 

 

すまないな、休暇を与えていたというのに、と上司の気遣った言葉にフェイトは一礼すると、火災が発生したエリアへと飛翔した。

 

広大な広さを誇るアウトレットだが、フェイトがいたエリアから、火災が発生したエリアまでは、飛べば数分も掛からず到着できる。フェイトが着地した場所は、火災があった建物のすぐ近く。そこは少し開けた広場だった。間を入れずにアルフもフェイトの元に到着した。建物の二階に当たる場所から煙が立ち上っている。

 

ふわりとフェイトは浮かび上がると、まだ火の手が回っていない隣の建物から中へと入った。建物内部は海辺の街をイメージした外観とは全く違い、近代的な金属質の内装と、通路がある。おそらく物品の搬入用に設けられたのだろう。

 

 

「バルディッシュ、逃げ遅れた民間人は?」

 

《通路奥のフロアに生体反応が一つ》

 

 

バルディッシュの口調は単調だが、フェイトの問いかけに完璧な回答をする。煙はまだ奥のフロアまで充満していない。よし、とフェイトは金属質な通路を歩き出した。

 

 

《―――sir!》

 

 

フェイトが歩き出した直後、バルディッシュが上から警報を知らせた。

 

 

「―――!?」

 

 

反射的にフェイトが爆発的な早さで滑るように飛び込むと、フェイトがいた場所に、けたたましい音を響かせながら防火扉が降りてきた。

 

 

「フェイト!?」

 

 

後を追っていたアルフは、防火扉で完全にフェイトと引き離されてしまった。

 

 

「くっ…防火扉が…?」

 

 

フェイトは作動した防火扉を見ながら、ひとつの疑問を抱いていた。僅かな煙を探知したのか、それとも誤作動なのか、どちらか最中ではないが、明らかに不自然なことだ。真下に人がいるというのに、防火扉がいきなり閉まるなんて…。

 

すると、フェイトがいる通路の横道すべてを塞ぐように次々と防火扉が降りていく。残されたのは、バルディッシュが報告した「奥のフロア」まで続く一本道だけだ。

 

これは―――明らかに。

 

 

「フェイト!フェイトォ!大丈夫なのかい!?」

 

 

背後で防火扉を叩くアルフの扉越しの声が、フェイトの耳に届いた。念話で応じようとしたが―――。

 

 

「ッ!」

 

 

念話を試みた瞬間、耳の奥、鼓膜の近くで砂嵐のようなノイズが響き、思わずフェイトは身をたじろがせた。

 

念話が使えない――?

 

フェイトは、まだ違和感が残る聴覚を庇いながら、管理局への通信を試した。が、結果は音信不通。すべての通信機能がシャットアウトされている。

 

防火扉を叩く音が止んだ。せっかちなアルフのことだ、恐らく他の通路を探しに行ったのだろう。フェイトは改めて、奥に繋がる通路を見た。その先は闇に包まれていて、その暗さはフェイトに鮮明にケイマン・パラメーラが殺された「あの夜」を思い出させた。

 

ごくりと息を飲む。

 

暗くなって行く通路。警戒心を解かずフェイトは進んだ。進むにつれ、通路の様子は酷くなっていく。壁には煤が飛び散っていたり、無数の傷があった。灯りも途中で壊れていたり、点滅している。その中を抜けると、通路は開けた場所へと繋がった。

 

 

 

 

そこはまさに、爆心地のような酷い荒れようだった。

 

物品の倉庫だったそこには、保管されていた衣類や小物がボロボロになって散乱している。だが、可笑しい点もあった。その場には、煙や炎が一切立ち込めていなかった。建物の外から見たときは、立ち込めた煙は相当なものだった筈だ。だが、その開けた場所では煙どころか炎すら確認できない。フェイトは注意深く辺りを見渡した。なにか強い衝撃で押し付けられたように、棚や物が潰されている。

 

ふと、天井の崩落した穴から光が差し込み、フェイトは一瞬だけ瞳を伏せた。

 

――その時、フェイトの瞳が一瞬だけ、逆光で生まれた影の中で蠢く何かを見つけた。

 

 

「フェイト! あぁ、無事だったんだね」

 

 

天井の穴から、アルフの声がそのまま降ってきた。人型から獣へと姿を変えたアルフがフェイトのもとへ着地する。

 

 

「アルフ! 今…!」

 

「こっちには誰もいないみたいだね! 早くアタシたちも避難しなきゃヤバイよ!」

 

 

アルフの言葉に、フェイトは「え?」と思わず息を漏らす。「誰もいない」、フェイトのような人間とは別次元の嗅覚を持つアルフのこの言葉は、信用に値する言葉だ。

 

だが――今、フェイトの目の前、アルフの背後には、間違いなく「影」が佇んでいた。

 

 

「アルフ…? 何を言ってるの…?」

 

「え、だって。ここからはフェイトの匂いしか感じないよ?」

 

 

 

この場には、自分と同じ匂いしかしない―――?

 

 

 

アルフは、全く気付いていない。フェイトもさっきまでは気付かなかった。

 

今は意識しているから見えているだけで、一度目を離せば、完全に見失ってしまう。

 

それほど、フェイトが見る人物は「影」に溶け込んでいた。

 

 

 

 

「――わざわざ招いた甲斐が、あったものだな」

 

 

 

 

瓦礫と闇の中から、『あの夜』と変わらない真っ黒なケープを閃かせながら、「影」は現れた。声に反応して、アルフもフェイトと同じ方向に振り向いた。アルフも、まるで信じられないと言った様子で、強ばった雰囲気が伝わってくる。バルディッシュを握る手が汗ばんだ。

 

 

「お前の前では、もう【コレ】を隠す意味は無いだろうな」

 

 

「影」は二人が完全に見える位置まで歩いてくると、深く被っていたフードに手をかけた。

 

 

「会いたかったぞ―――〝フェイト〟」

 

 

ばさりと落ちたフード。空気が凍りつく。

 

下ろされたフードから伸びた金色の髪が、今まで纏っていた影とはあまりにも不釣り合いで――鮮明なまでに、フェイトには「影」と思っていた人物の顔が見えていた。

 

 

「私が…もう一人…!?」

 

 

まるで鏡で写したように、そこには〝フェイト〟が立っていた。

 

顔立ち、体躯、何もかもがフェイトと同じ。唯一、違うのは服装と、ツインテールではなく、後ろでひとつに結い上げられた髪型だけだ。

 

 

「違うな…俺には名がある」

 

 

フェイトと同じ、燃えるような深紅の瞳を伏せながら、『もう一人のフェイト』は、フェイトと対面する。

 

 

 

「俺の名は―――」

 

 

 

 

 

 

――NEXT



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7.カレイドヴルフ・テクニクス

 

 

第三管理世界『ヴァイゼン』。

 

ミッドチルダとは隣接する次元世界で、環境もミッドチルダとよく似ている。交通の便もよく、自然環境を利用したキャンプや登山が人気であるこの世界に、キィナ・ナズミは単身でやって来ていた。

 

結局、キィナ自身もカレドヴルフテクニクス社にアポイントを取ることはできなかった。オールドマン准将から借りた端末を使い、キィナは室長や上級階級の人間しかアクセスが認められない管理局の極秘データバンクにアクセスし、この企業の所在地を知った。が、その所在地には何もなかったのだ。公式の地図や記録にもない。

 

 

「准将にガセネタ掴まされたかなぁ」

 

 

そんなことを愚痴りながら、キィナは現地調達したオフロードのレンタカーを走らせる。

 

ナビゲーションする場所に、データバンクから引き抜いたカレドヴルフ・テクニクス社の所在地を登録してみたが、行く先行く先は山景色ばかり。思わず准将とトレイルを睨み付けたくなったが、所在地まで出張ってみなくてはわからないこともあるのは事実だ。

 

キィナ自身、何事も追求する質だ。

 

加えてかなりの行動派でもある。目的のためなら組織に頼らず自力で調査することを厭わない性格な彼女は、自分の目で所在地を確認しなければ、尚更納得できなかった。しばらく道を走っていたら、鋪装されていた道がいきなり畦道へと変わった。

 

オフロード車だったので足をとられることはなかったが、山間を抜ける峠道から、一気に山の中を駆ける山道へと変わった様子に、一体どこに繋がっているのだろうかとキィナの不安は増していった。茂みはより深くなっていき、昼だと言うのに夕暮れのような暗さが広がって行く。

 

あまりの薄暗さにキィナがヘッドライトを付けた瞬間だった。

 

 

「うわぁ!?」

 

 

キィナの視界に、いきなりバリケードが飛び込んできた。

 

思わず急ブレーキを踏んで、バリケードに激突する直前で車は停止する。キィナは一瞬走った背筋の冷たさと一緒に、安堵のため息を吐き出した。

 

 

「なんなのよ…これ」

 

 

車から降りて、キィナは改めてバリケードを観察した。

 

畦道の参道には似合わない巨大な『壁』だ。

 

壁に沿って歩いてみるが、それはまるで永遠に続いているかのように、山の景色の中に聳え立っていた。キィナはどこかで、確信に似た気持ちを感じていた。

 

 

この先に、ある。

 

自分の求めるものが。

 

 

しかし、どう入るものか。なにせ管理局の機密レベルの建物だ。易々と侵入は許してくれないだろう。キィナ自身のデバイスも今や修理中だ。見上げるほど高い壁を飛び越える術など、キィナは持ち合わせていなかった。

 

 

「あー、ここまで来てるのに、引き返すなんてごめんだよ!」

 

 

どん詰まりとなったキィナは苛立った様子でバリケードの周りをウロウロと見渡す。ふと、キィナは気付いた。自分が乗ってきたオフロード車の目の前の壁。その壁の一部分、自分の胸の高さと同じほどの場所に穴が空いていた。ちょうど外部端末を差し込めるほどの大きさの穴だ。

 

キィナはハッとして、胸ポケットに仕舞っていたものを取り出す。その穴は、准将から渡されたタグ端末の接続子と同じものだった。

 

 

「凶と出るか…吉と出るか…」

 

 

思わず息を飲む。厄介事になったら来た山道を全力でバックレる、と心に決めて。キィナは端末を穴へと差し込んだ。その瞬間、びくともしなかったバリケードが動き始めた。鈍い音を轟かせながら、ゆっくり開いて行くバリケードを、キィナはひきつった表情で眺めていた。

 

 

「まさか開いちゃうなんて―――准将の〝開けゴマ〟ってすごい」

 

 

悪態を付きながら、キィナは再びオフロード車に乗り込んだ。

 

『毒を食らわば皿までよ』

 

昔、巻き寿司好きな知り合いから聞いた日本のことわざを口にしながら、キィナが操るオフロード車はバリケードの奥へと進んでいった。

 

 

****

 

 

 

「お待ちしていましたよ」

 

 

駐車場まで、きっちり表示された案内に従ってバリケードの中を進んできたキィナを出迎えたのは、細身の白衣を纏った長身の男性だった。白衣の男は、運転席から呆けて眺めているキィナに一礼すると、丁寧な素振りでオフロード車の運転席の扉を開いた。

 

 

「さぁ、長旅でお疲れでしょう。中へ」

 

 

まるでVIP待遇のようだった。

 

キィナは戸惑った顔を見せないように、極めて冷静になろうと努力した。白衣の男に着いて行く形で駐車場から施設内へと案内される。この施設がどれほどの大きさか、キィナは把握できなかった。案内表示に従って運転したとは言え、移動は常に回りが暗く、迷路のように入り組んでいたからだ。

 

 

「例の物は、すでに実用段階ですよ。今は実戦を兼ねたテスト運用をしているところです」

 

 

忙しなく白衣の男と同じ姿をした研究員が行き交う通路を歩きながら、男はキィナに満足そうに微笑んでそう伝えた。例の物? 実戦を兼ねたテスト運用? キィナは、男が何のことを言っているのか把握できなかった。

 

 

「はて、貴方はこの兵器の開発現状を視察にこられたのでは?」白衣の男は、キィナを見て、わずかに首を傾げた。

 

 

 

――――

 

 

 

『最近になって管理局の技術部にアプローチをかけてきているデバイス開発企業だ。名前はカレイドヴルフテクニクス。昨日も、企業側と管理局側との間で秘密裏に会議が行われていたようだ』

 

『そんな企業、はじめて聞きましたよ』

 

『言っただろう?極秘だと。この企業と管理局との提携はまだ公表されていない』

 

 

 

――――

 

 

 

ふと、オールドマン准将との会話がキィナの中で過った。ここは白衣の男に会話を合わせるのが無難だ。キィナはすぐさま意識を切り替えた。

 

 

「えぇ、どれほどの物に仕上がっているか、楽しみです」

 

 

【管理局の人間】として、キィナは笑顔を演じた。キィナの表情に安心したのか、白衣の男も満足そうに微笑む。

 

 

「では、我がカレドヴルフ・テクニクス社が誇るラボへとご案内しましょう」

 

 

立ち止まった白衣の男は大げさに白衣を閃かせると、二つ扉を開き、室内へとキィナを誘った。

 

中に入ると、そこはラボというより白が基調な、無機質な部屋だった。屋の真ん中には研究用のテーブルが一つ。その机の上には芸術品のように飾り付けられてるものがあり、それはキィナの目を惹いた。

 

外観は全長三十センチくらいだろうか。

 

柄頭に当たる部分に着脱式のケースバッテリー機構が備わっている。

 

 

「正式名は〝テスタメント〟。『聖なる契約の意』という意味を持つ聖書の言葉です」

 

 

白衣の男はそう言うと、飾り付けられていたテスタメントを手に取った。側面についているスイッチで起動すると、鋭い金属が焼けるような音を轟かせ、鍔から長さ1メートル程の光り輝く尖形状の魔力刀身が生成される。

 

 

「これはまだ、極秘中の極秘で進んでいるプロジェクト、【ドレッドノート計画】の成果のひとつです」

 

 

ブォンとテスタメントを一振りしてから、白衣の男は笑顔でそう言った。

 

 

「『魔力を完全に物理エネルギーとして変換する』というコンセプトの元に開発された、全く新しい試作魔力駆動の兵器です。理論や仕組みはクライアントから、そして制御系統はカレドヴルフ・テクニクス社が設計し、極秘裏に開発しました」

 

 

魔力を完全に物理エネルギーにする…? キィナは表面に出ないよう細心の注意を払いながら、白衣の男がもつテスタメントを凝視した。

 

 

「テスタメントは、魔導端末(デバイス)でなく魔力駆動を利用した〝兵器〟です。勿論、『対象を殺す』ことを前提にして作られています。『魔力を完全に物理エネルギーとして変換する』というコンセプト上では、失敗作ではありますが、その能力は既存の魔導端末を大いに上回ります。動力源は使用者の魔力と、駆動部内蔵のバッテリーによる内部電源とのハイブリッド方式で運用されます。通常稼働時間は十五分、出力を最大限以上引き出す【バーストイグニッション機構】での稼働時間は五秒と共にバッテリー部、駆動部が破損すると言う制約があります。こちらのバッテリーを、単式バッテリー仕様に変えれば、出力は大幅に低下しますが、魔力を有しない装備者でも扱うことができるようになります」

 

 

白衣の男は淡々とした口調で説明するが、どれも今までの管理局にはない全く新しい技術ばかりだった。そして、この武器が『対象者を殺す』ことを前提に作られていること。とても穏やかな話の内容ではない。

 

 

「テスタメントから生成されるこの魔力刀身は、通常の魔力刀身とは違い、刀身外周を回転速度五千回の百万分の一秒――つまり、毎秒五十億回転という速度で、魔力が循環しています。接触する物質を分子レベルで分離させることで、殆どの物質を容易に貫通・切断する事が出来る他、魔力類への干渉、スフィアなど光弾等の弾道を逸らす事も可能となっています。けれど、それらも、まだ魔力消費は激しいのが当面の課題として残っているものです」

 

 

テスタメントの電源を切ると、白衣の男は元の場所へと納めた。そして次は研究用のデータをキィナにわかるよう説明し始める。

 

 

「テスタメントの刃の切断性能は、純度の高い魔力、まぁ純粋な魔力光刃に対して干渉し合います。逆に魔力で作り上げられ、尚且つ実体を持つものに対しての切断性能は、圧倒的な有効性を持つことができます」

 

 

そこでキィナは気付いた。ケイマン・パラメーラが殺された『あの夜』に現れた殺人鬼。あの殺人鬼が使用していた武器も、このテスタメントに酷似していた。

 

自分の愛機である「エッジクロス」を、バターを切るようにバラバラに切り刻んだ、あの武器が、テスタメントというなら納得もいく。

 

 

「このように、テスタメントの主眼は、基本的に接近戦用の対人格闘武器でありますが、熟練することで飛来する魔力スフィアを弾き返し、受け流すなど、あらゆる局面で攻防一体の動作が可能となります」

 

 

しかし、と白衣の男は純粋な研究意欲に満ちた瞳を伏せた。このテスタメントには前提条件の段階から『欠点』がある、と続ける。

 

 

「遠距離戦に対応する事も可能ではありますが、飛来する魔力スフィアの類を延々と凌ぎ続ける事は現実的に不可能でしょう。特に、砲撃魔導師のような相手とは特に相性が悪いんです。それはこちらでも新たなコンセプト兵器の開発を急ぐ予定ですよ」

 

 

説明し終えた白衣の男は、キィナに自信満々の笑みを渡した。

 

 

「どうですか、素晴らしい仕上がりでしょう」

 

 

確かに、この武器は計り知れない性能と影響力を持っている。魔力に対する絶対的な対策。これで、今まで抑止力ともなっていた強大な『魔力』に『天敵』が現れる。これが実用化されれば、形勢は一気にひっくり返るだろう。

 

だが―――。

 

 

「何故、こんな高性能な〝兵器〟を、管理局が…」

 

 

キィナの呟いた疑問に、笑みを浮かべていた白衣の男の表情が陰る。しまったとキィナは身構えたが、白衣の男はキィナの言葉に疑いを持ったわけではない。

 

 

「一年前の魔法技術の漏洩。あの事件を機に、レジアス・ゲイツ中将が掲げた【技術共益圏の拡大】という名目のもと、管理局が管理していた『魔法』は、各次元世界にばらまかれることになりました」

 

 

そして、次元世界のあちこちで戦いが始まった。今まで、戦いとも言えないほどだった小さなくすぶる炎が、一気に燃え上がったのだ。

 

 

「増え続け、終わりの見えない『魔力』と『魔力』の戦い。しかし、その状況は管理局にとっても好機とも言えたでしょう」

 

「今の状況が管理局にとっての好機だったと?」

 

「貴方もわかるはずです。この一年間だけで、管理局が保有する魔法技術、管理局の武装体制は飛躍的に向上しました。何故だかわかりますか?」

 

 

白衣の男の質問に、キィナは考えるように口許を覆う。

 

 

「戦うための明確な『目的』と『口実』ができたからですか?」

 

「その通りです。魔力はもう抑止力にはならない。均衡を保つという役割から解放された以上、それを制限する必要性も大きな意味を持たなくなった。魔法技術を持て余している研究機関は数えきれないほどありますよ」

 

 

そして、存分にその魔力を行使できる時代がやってきた。

 

 

「今まで、民間からの批判を恐れていた、それら研究機関は、技術共益圏の拡大を名目に、競うように魔力の研究を始めました。カレドヴルフ・テクニクス社もそのひとつです」

 

 

それは、魔力を扱うどの世界においても必然だっただろう。今まで規制されていた『檻』が無くなった。それは企業にとっても、世界にとっても、大きなターニングポイントだ。

 

 

「この連鎖は、もう誰にも止めることはできませんよ。〝何もかもが変わる。〟魔法は次のステージへと移ったのです」

 

 

白衣の男の笑みを見たキィナは、管理局が、今の世界が、底見えない毒の中に沈んでいくような―――そんな言い様のない危機感を覚えるのだった。

 

 

 

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8.もう一人のF

 

 

 

プロジェクト「F.A.T.E」。

 

それは人造生命体の研究プロジェクト。神の領域を犯す、「クローン」を生み出す禁忌。

 

私の母、プレシア・テスタロッサは、そのプロジェクトを使って死んだ娘、アリシア・テスタロッサを蘇らせようとした。

 

けど、プロジェクトFは人造生命体を作り出す技術に過ぎない。記憶をクローンに写したとしても、その人物が蘇えることはなかった。

 

いくら生前のアリシアの記憶を持っていたとしても、産み出された人造生命体とアリシアは「魂」が違うから。

 

その事実に絶望したプレシア・テスタロッサは、生み出した人造生命体から「アリシア」という名を取り消し、「アリシア」が蘇るまでの代替え品として新たな名を与えた。

 

プロジェクトから取った愛のない、人造生命体を呼称するための名前。

 

 

「フェイト」。

 

それが私の名前。

 

 

私は、「プレシア・テスタロッサ事件」と呼ばれた事件の資料を改めて読み返していた。

 

改めて資料を見ると、当時の記憶が鮮明に蘇り、まだ私の胸を千切れそうになるまで締め付けてくる。けど、私はその息苦しさを受け入れている。それを含めて私は、私なのだから。自分が生まれた経緯が望まれていなかったとしても、私の母や、アリシアに対する気持ちに嘘偽りはないのだから。まだ埋まらない損失感はあるけれど、後悔も憎しみもない。

 

 

 

しかし、私には気になることがあった。

 

 

 

「人造生命体」を生み出すということ。それは生半可な技術では不可能だ。プロジェクトFの資料を見ている限り、その技術は今の魔法技術からも逸脱しているものだ。

 

人造生命体を産み出すには幾つもの実験を行わなければならない筈だ。そこが私の中で埋めることのできない疑問だ。あのプロジェクトで産み出されたのは、本当に「私一人だけ」なのだろうか?

 

資料にかける私の手が汗ばんだ。

 

 

私は――まだ疑っていたかった。

 

この疑問が確信に変われば、彼は――なんて残酷な場所にいるのだろうか。

 

そして、その屍の上に、私が立っている。

 

 

「母さん…!」

 

 

母の背中を見て、私は知っていた。

 

人の愛はとても美しい。

 

だが、その愛が狂えば、人は人をやめて〝悪魔〟にすらなってしまう。

 

 

 

 

原因はどうであれ、確かに当時の母は、〝悪魔〟となっていた。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

「俺の名は―――フェイク」

 

 

フェイトと対峙するように、【フェイク】と名乗った彼は立っていた。

 

彼を見ると、まるで鏡に写った自分を見ているように思えてしまう。乱雑に後ろで結い上げた髪を揺らしながら、彼はフェイトと全く同じ瞳を細める。

 

 

「俺は、お前と同じように偽りの名を与えられた紛い物だ。なぁ―――プロジェクトF」

 

 

冷たい、得たいの知れない何かが、フェイトの心臓を鷲掴んだ。彼の言葉は、フェイトの胸の奥を貫かんとするほど冷たい物だった。そしてその言葉は、彼女の触れてほしくない過去を強烈なまでに揺さぶる。

 

 

「アンタ…誰なんだい!?なんで――フェイトと同じ匂いが…!」

 

「当たり前だ。俺はフェイクであり、フェイトでもあるのだから」

 

 

隣で吠えるように怒鳴ったアルフの言葉を、フェイクはぴしゃりと押さえ込むように返した。

 

 

【フェイクであり、フェイトでもある】。

 

この言葉の意味を、フェイトはよく理解できなかった。アルフを黙らせた彼は、フェイトの顔を見るなりニヤリと笑みを浮かべると、こう続けて話した。

 

 

「お前は、アリシア・テスタロッサを蘇生させるために生み出されたクローンだな?」

 

 

クローン。そして、アリシアの失敗作。

 

それが、プレシアから下されたフェイトの烙印。プレシア・テスタロッサは、アリシアを蘇らせるために【器】を作った。そして、生まれた【器】は、アリシアじゃなかった。

 

【器】は、「アリシア」ではなく「フェイト」という個人の人格を持ってしまっていたのだ。

 

けれど、フェイトはそれは理解していた。

 

闇の書が見せた泡沫の世界で、アリシアと出会い、彼女はフェイトを「妹」と呼んでくれた。「アリシア・テスタロッサ」の【器】じゃなく、「フェイト・テスタロッサ」という魂を、彼女は認めてくれた。

 

 

じゃあ――今、目の前にいるフェイクは、一体誰だ。

 

そんなフェイトの顔を見て、フェイクは心の底から嫌悪するような目で私を睨み付ける。

 

 

「自分を失敗作だと認めたお前は、ただ知らないだけだ。自分がどれほどの狂気の中から生まれ落ちた存在なのか。どれほどの犠牲の上で、今を生きていれるのかを」

 

 

フェイクは言う。私は私自身を知らないと。お前は、何も知らなすぎる、と。

 

じゃあ、私は、一体何を知らないのだろうか―――。

 

 

 

 

〝【ドレッドノート計画】…それが、【彼ら】の、真の目的…〟

 

 

 

 

ケイマン・パラメーラの最期の言葉が、フェイトの脳裏を掠めた。

 

 

「失敗作? 笑わせるな…それを知らしめる為に、俺は姿を現した。お前だけの前に…」

 

 

フェイクは、腰にぶら下がっている「テスタメント」を掴み、起動させた。黄色い魔力刃が、鍔から鉄を焼くような音ともに出現する。

 

 

「お前は間違いなく【成功作】として生まれたんだ。お前が【成功作】じゃないと言うならば…今ここでお前を、八つ裂きにしてやる…!」

 

 

〝また、あの眼だ…!〟

 

ケイマンが殺された時、ケープの下から見えたあの日の眼と同じ瞳だ。体の奥底が痙攣するような感じが駆け巡り、体の血液が一気に冷たくなる。

 

 

「得たいの知れないアンタなんかに…フェイトには指一本触らせないよッ!」

 

 

困惑を振り払うように、フェイトを庇うように立っていたアルフが、瓦礫の上を蹴る。

 

 

「ダメ…!アルフッ!!」

 

 

直感のようなものが、フェイトを咄嗟に叫ばせるが、フェイクの動きもそれと同時だった。彼が左手を掌が見えるようにアルフへ向けて突き出した。

 

途端、フェイクに向かっていた筈のアルフの身体が、反対方向へ吹き飛ぶ。まるで見えない壁に押し出されたように吹き飛ばされたアルフは、何が起こったかわからないような顔をしたまま、瓦礫の壁に叩き付けられた。

 

力無く崩れ落ちたアルフを、小馬鹿にするように見下し、フェイクは鋭い呼気を奏でる。

 

叩き付けられた衝撃で気を失ったアルフへ、フェイトは駆け付けようとしたが、彼はそれを許さなかった。フェイトが移動しようとした瞬間、彼はフェイトの何倍もの速さで飛び上がると、回転しながら閃く光剣を振りかざす。防護壁を張る暇すら無かった。ただ反射的に手に持っていたバルディッシュを眼前に取り上げて、下から伸びてきた斬撃を受け止める。

 

 

「いい反応だ、だが甘い…!」

 

 

フェイクは着地すると、漆黒のケープを揺らしながら怒濤の追撃を繰り出す。まるで幾つもの斬撃が同時に放たれてくるような速さだった。

 

 

「…ソニック!」

 

 

負けずと、フェイトもソニックフォームへと切り替え、二対の光剣となったバルディッシュで攻撃を受け止める。魔力の光がぶつかり合い、打ち付ける度に衝撃が腕を駆け巡っていた。

 

 

「〝マスター〟は貴様のことを高く買っていたようだが、俺にはそうは見えんぞ!」

 

 

激しい剣戟の中で、彼は不満そうにフェイトを睨み付ける。フェイクの剣戟は想像を絶する速さと正確さを兼ね備えていた。その技は、剣の達人であるヴォルケンリッターのシグナムとは違うベクトルの達人と言えた。

 

 

「お前も失敗作と言うなら、なぜお前は光の中にいる…! 俺はずっとお前たちを、地獄の底から見上げてきた。それも、もう終わりだ。俺はもう…見上げるばかりじゃない!」

 

 

幾つもの重なり合う衝撃が、フェイトを少しずつ後退させて行く。気が付けば背中は壁。逃げ場を防がれた。なんとか脱しようと、二刀のバルディッシュを同時に振り下ろし、相手を下がらせようとしたが、フェイクは渾身の一撃を難なく受け止めていた。

 

 

「その程度で精一杯か…!」

 

 

ぶつかる魔力光の下で、フェイクは憎悪に満ちた笑みを浮かべる。鍔競り合うテスタメントの魔力光剣から一際、擦り切れそうな甲高い音が唸る。その瞬間、フェイトの握るバルディッシュの光剣を一瞬だけ、テスタメントの光剣がすり抜けた。

 

彼はそのままフェイトの防御包囲網を突破し、一瞬で彼女の肩や太ももへ光剣を振るう。

 

 

「う”あぁぁ…ッ!」

 

 

焼けた鉄を押し付けられるような感覚が、フェイトの全身を駆け巡る。想像絶する痛みから、斬りつけられた太ももは力を失って地面へと崩れ落ちた。

 

 

「弱く脆いな、フェイト。お前は俺たちの屍の上に立つ【成功作】なんだぞ」

 

 

痛みで立つことすらできないフェイトを見下ろしながら、彼は落胆した様子だった。彼がスイッチを切ると、伸びていた光剣は瞬く間に鍔へと収まった。

 

フェイトの肩と太ももに受けた傷は、非殺傷設定で出来た傷では無い。それは完全に物理的な傷で、身体中を襲う痛みは、「闇の書事件」でシグナムから受けた攻撃の痛みと酷似していた。

 

彼は手に持っている武器「テスタメント」は、非殺傷設定などなく、完全に【殺す】為の兵器だ。

 

 

「俺が何を言っているか。わからないような顔だな」

 

 

覆いかぶさるようにフェイクが屈むと、痛みで歪むフェイトの顔を覗き込む。

 

 

「プロジェクトF.A.E.T。それは人造生命体を産み出す為の研究であり、お前の原点でもある。だが、産み出され、生き残った、あのプロジェクトの産物は、お前一人だといつから考えていた? あの狂気を味わったのは自分一人だけだと、いつから考えていた?」

 

 

プロジェクトFで産み出されたのは自分一人だけだ、と。人造生命体として、私は一人だけ、と。容姿は人間と変わらなくとも、フェイトは絶対的に人間と違う存在。

 

無意識のうちに降り積もっていた「他人とは違う」自分自身の劣等感が、フェイトの触れたくなかった心の欠片を刺激した。

 

フェイクには、それを知らしめる必要があった。

 

でなければ、フェイクは、一体何者なのかを、フェイトへ知らしめることができない。

 

 

「プレシア・テスタロッサは、お前を、アリシア・テスタロッサを蘇らせる【器】を、より完璧にする為に、幾つも人造生命体のプロトタイプを作り、実験を繰り返した」

 

 

 

 

 

 

それは母の狂気。自分が望む、たった一人の愛娘を蘇らせる為に踏み込んだ――。

 

神の領域を犯した禁忌の産物。

 

 

「―――俺は、お前が産み出される直前に作られた〝実験用クローン〟だ」

 

 

彼は、その狂気から産み落とされた――もう一人の「F.A.E.T」。

 

 

 

 

 

 

 

その時、フェイク目掛けて天空から桜色の一矢が放たれた。

 

 

「時間切れか…」

 

 

フェイクは即座に飛び上がり、向かってきた桜色の閃光を躱すと、外していた深いフードを被り直し、再びテスタメントを起動した。後続で飛来する幾つもの魔力スフィアをテスタメントで受け流す。

 

スフィアの外郭を割らずに。受け流されたスフィアは、弾道を逸らしてフェイクの足元や、すぐ側へと着弾する。そして、着弾時に巻き上げられた煙に紛れるように、彼は闇の中へと消えていった。

 

 

「フェイトちゃん!」

 

 

すぐに、桜色の閃光と魔力スフィアを放った人物、高町なのはが、倒れているフェイトの元へと降りてきた。

 

 

「なのは…」

 

 

親友に抱き上げられたフェイトは、その安心感からか、痛みと戦っていた意識を手放した。親友の呼び掛けとまどろみの中で、離れる間際にフェイクが放った言葉が反響する。

 

 

 

〝お前は必ず、俺が殺してやる〟

 

 

 

その言葉は、彼女の脳裏から離れることはなかった。

 

 

 

 

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9.暗闇の中で

 

 

 

どうして私は、こんなに悲しいのか。

 

そう感じているのに、私には訳がわからなかった。

 

これは遠い昔の語り草。

 

いつも見るその情景は私の胸から離れなかった。

 

その夢でしか感じることは無い冷たさや暖かさも、全てが遠く懐かしいものに思える。

 

 

頬を刺すように吹き付ける風も次第に暗く冷たくなり、どこかで静かに流れる河のせせらぎが聞こえた。

 

水平線を遥かに沈む夕陽。

 

その光は、赤々と山の頂を照り栄えた。

 

そして、彼方の岩に綺麗な乙女が腰をおろしている。

 

その情景にいつも現れる彼女は金の飾りを輝かせ、その飾りよりも優れる黄金の髪を梳いている。黄金の櫛で梳きながら、乙女は歌をくちずさむ。

 

その旋律(メロディ)は美しく、素晴らしく、そして不思議な力を漂わした。

 

その岩の近くを行く小舟あやつる舟人は、心をたちまち乱され、時流れの暗礁も目に入らず、ただ上ばかり仰ぎみる。ついには舟も舟人も波に呑まれてしまうだろう。

 

 

それこそ妖しく歌う。

 

ああ、彼女はまさに―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生きるということはどういうことなのか。

 

彼にとってその言葉の意味は何の価値も無いように思えた。「生」と文字を指でなぞって書いてみるが、それは単なる言葉でしかなく、自分がそれを謳歌しているかと問うならば、その言葉と彼はもっとも遠い位置に置かれていた。

 

 

「君も私たちと同じなんだね」

 

 

彼の目の前には過去があった。

 

おぼろげな感覚。

 

そんな中でも、そう言った彼女の言葉ははっきりと自分の中へと入ってきた。

 

彼女は優しく微笑みかけた。

 

光も希望もない、鉄の壁に囲まれた場所で彼は彼女と出会った。顔も容姿も同じ。この場に押し込められた幾多の”自分達”。彼は今も思う。彼女の言葉にどう答えるべきだっただろうかと。四方を囲む見上げるほど高い鉄の壁の頂点。自分たちの真上にぽっかりと空いた穴を彼女は「空」と例えた。

 

そして、その空の下が地獄であることも、すぐに思い知らされた。

 

 

地獄だ。まさに死が蔓延しているような場所。

 

 

弱々しい悲痛な叫びや声を彼は聞き続けた。長い長い時を味わう中で不思議と空腹感は無かった。だが、それと引き換えに凍えるような寒さと恐怖が満ちている。「生きる」為に手を取り合い、抱きしめあい、互いに励まし合って―― 一人ずつ自分と同じ顔をした者が死んでいく様を見せつけられる時間だけが過ぎていった。

 

暗い暗い闇の中。

 

頭上から差し込む一筋の光。

 

憎しみさえ覚えるその光は、何も知らない内から、この暗闇に放り捨てられた自分達にとって目の前にぶら下げられた希望だ。いつかはあの光の下へ。いつかはこの暗闇から外へ。無知な自分達でもわかるくらいに、その一筋の光は自分たちに「希望」や「期待」を刷り込んだ。

 

希望にすがり付きながら、自分たちはゆっくりと絶命していった。

 

明日は自分が死ぬんじゃないのか、そんな恐怖と嫌でも向き合わされて、それでも自分にできることは両腕の中で震える彼女を抱きしめることしかできない。

 

それを見る現在の彼の魂は、確かな意味の上で死んでいた。ぼんやりと自分の辿った「過去」を見つめる。

 

暗く、凍えるような地獄。

 

今でも、思い出す。今でも夢に見る。あの地獄に居た日々を――。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

打ち付けられたように、フェイクは目が覚めた。

 

嫌な汗が身に纏うアンダーウェアに染み込んでいるのがすぐに分かった。これが睡眠と呼べるものなのだろうか、フェイクは目元をなじる。

 

フェイクがいる部屋の内装は清潔感に満ちていて、室内には規則正しい電子音が流れていた。

 

 

彼が座る椅子の目の前、真っ白なベットの上で彼女が口ずさむ「歌」。

 

 

それは、あの地獄の中でも聴いていたモノであり、それがあったからこそ、フェイクや彼女は正気を保っていられたのかもしれない。

 

エーデルワイス。

 

遠い世界に伝わる花を愛でる歌。

 

彼女がいつ、その歌を知ったのかは彼女自身も記憶にない。誰かから教えてもらったのか、それともこれも”最初”から刷り込まれた物なのか。

 

短命な彼女の肉体構造も、実験の途中で生じた欠陥なのか、それとも最初から「前提」で作られたのか――。

 

自分達には、それを知る手立ても、術も無かった。

 

自分の記憶と体が全てでしかな。口ずさむ彼女を見ながら、フェイクは昔調べた彼女の歌の言い伝えを思い返した。

 

ある登山家が、地上に降りた天使に恋をし、叶わぬ恋に苦しんだ登山家が「どうかその美しい姿を見る苦しみから救ってください」と祈ると、天使はエーデルワイスの花を残し、天に帰ったという言い伝え。

 

 

「――大丈夫だよ、フィオナ。俺はここにいる」

 

 

プロジェクトF。

 

自分たちが生み出された起源がそんなものだった知ったのは、あの地獄から抜け出してしばらく後のことだ。

 

幾つも並んだ培養槽、その中に浮かぶ同じ容姿をした肉体。誰もが忘れようともフェイクは覚えている。

 

「人造生命体の作製」。

 

より効率化された生命の繁殖システム。

 

神の領域を侵す禁忌。

 

フェイクは固いグローブに覆われた自分の右手を見た。

 

この手にも肉体にも、もう彼女の暖かみを知る感覚は残っていない。そして自分にも、人間らしい情も感性も擦りきれた程度しか残っていない。「人」として生きるには、背負う傷はあまりにも大きい。

 

だが、せめて彼女が、ただ何不自由なく生きること謳歌するに対しては何の影も憂いも無い。

 

その影も憂いも、全てフェイクが背負う。そのためにならば、自分の体や魂を悪魔にでも売り払おう。

 

その覚悟を持って彼は「彼ら」と契約を交わした。

 

たとえその契約のせいで、いつか自分の存在が他の「何か」になったとしても――。

 

 

 

 

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10.蜃気楼

 

 

カレイドブルフ・テクニクス社に出向いていたキィナは、可能な限りの情報を集めることに集中していた。

 

警戒心は緩めなかったものの、ラボや施設を案内され、研究成果や今後の日程などの情報を知らされてから程なくして、キィナは帰路につく事が出来ていたのだ。

 

潜入捜査――と言うより、キィナ自身も「上層部の人間の代理」という肩書きがある。ましてやここは敵陣でもない。

 

キィナから見たカレイドヴルフ・テクニクス社は、管理局との提携が機密と言えど、まだ名を出して間もないデバイス開発企業に過ぎなかった。

 

こうして帰路に着いているというのに彼らかは組織らしい監視も妨害も無かった。そもそも彼らがそういう組織であったならば、自分はこうやって何事もなく帰れるはずは無いだろう。キィナもいくつかの犯罪組織とは面識があるからこそ、その違和感は決定的なものであった。

 

長い地下通路を抜け、再び高くそびえる壁を抜けると見渡す風景が機械的な壁面から、数時間前まで駆け回っていた山道へと戻ってくる。

 

人目に付かないこの大規模な研究施設で魔力駆動兵器が研究されている。それらは管理局主導のもと、全てが極秘の中で進められていたものだ。

 

カレイドブルフ・テクニクス社。

 

この企業も、あの研究員も、管理局から提案されたプランの元に駆動兵器「テスタメント」を作り上げた「ただの歯車」だ。

 

魔法を完全に上回る最新技術の確立と製造。

 

それを達成した彼ら企業に罪意識や罪悪感があっただろうか? キィナが思うところその答えは違う。その先の未来よりも、誰もが成し得なかった技術の開発、それに対する好奇心が罪意識や罪悪感や勝っているのだろう。

 

作ってしまった事実は抹消できない。その結果にいつか、彼らは直面する時が来る。それが善であれ、悪であれと。

 

研究員である彼らは、キィナを管理局上層部の人間と完全に思い込んでいた。キィナ自身がそういう風に振る舞ったから尚更だろうが、ここまで上手く行くのだろうかと彼女も事が運ぶにつれて緊張感と警戒心を強めていた。

 

キィナを案内する研究員に幾つかの質問をしてみたが、肝心のこの計画の【発案者】を突き止めることはできなかった。彼らの発言から出てきた管理局担当の役人の名前や担当所属のどれもが聞き覚えがないものばかりだ。おそらくその名や肩書も信憑性はないだろう。

 

 

だが、興味深い事を聞くことができた。

 

 

駆動兵器を開発するに至ったこのプロジェクト【ドレットノート計画】が本格的に開始された年が、10年前――つまりフェイトの母親、プレシア・テスタロッサが関わった魔力炉暴走事故の年からだったのだ。

 

その年に、ドレッドノート計画の基本構想の一つ【魔力を物理エネルギーに変換する】の技術理論が確立された。

 

これは偶然にしてはできすぎている。

 

 

(プレシア・テスタロッサが関わったあの事故に、「何か」があるのだろうか――)

 

 

オフロード車のハンドルを握るキィナは、そんな考えを巡らせていた。

 

そうならば、あの【殺人鬼】が起こした行動や、自殺したアーマン・ブリッツや、殺害されたケイマン・パラメーラも辻褄が合うように見えてくる。ジョン・ドゥ・オールドマン准将が話した「管理局の知られたくない何か」が、この事件に大きな影響を及ぼしている。

 

そこまでの仮説を予測して、キィナは呆然と考えに耽っていた。

 

果たしてこれは、一介の管理局員でしかない自分が踏み込んでいい物なのだろうか――。

 

 

キィナは背中から黒い影が這い上がってくるような感覚を覚えた。すぐにその感覚は消え去るが、それは間違いなくキィナの背後にまとわりつくものだった。

 

車のダッシュボードの上に置いていた通信用端末が小刻みに震えながら着信音を鳴り響かせた。山道を走っている為、着信相手が誰なのか確認する余裕もないキィナは、両手で操作するハンドルから利き手を離して、手早く端末を操作しモニターに表示された応答を押した。

 

 

『――キィナ!やっと出たか!!』

 

「やっとって、どういう意味ですか、トレイル室長? 今更電話かけてきて…」

 

 

叫ぶような音量で開口一番にそう伝えてきたのは、上司であるトレイルだった。片手間で端末を操作していたキィナは驚いたような、少しふてくされた様な声を出した。

 

こっちが命がけとは言わないが、危険極まりない潜入調査をしているというのに、労わりの言葉もないのかと。しかし、トレイルの様子もただ事ではなかった。

 

 

『こっちはこっちでそれどころじゃ無かったんだよ。いいか?よく聞け。実は――』

 

 

 

 

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11.回顧

 

 

 

アウトレットでの火災事故。

 

それを装った「フェイク」による襲撃事件の後、救急隊に保護されたフェイトとアルフは、クラナガンの中心都市からほど近い場所にあるクラナガン中央医療センターに運び込まれていた。気絶したアルフは幸いにも怪我は打撲程度で、フェイトの怪我も見た目は激しい火傷と浅い切り傷だったが大事には至らないもので、ミッドチルダの医療技術に掛かれば傷跡も残らない。

 

しかし、重要な部分は傷の大小ではない。その怪我は魔力からなる傷ではなく完全なる「火傷」と「切り傷」であり、傷跡からは魔力反応も検出されなかった。

 

救急班に同行していたなのはやヴィータも、フェイトとアルフの容態を確認した後、すぐに現場へと戻っていった。ヴィータは事件の事後処理があると言っていたが、なのははどこか思うところがあるような、そんな表情を見せていた。

 

治療を受け、念のため検査入院を余儀なくされたフェイトは、隣のベットに眠るアルフに付き添いながら自分に襲いかかってきた「フェイク」のことを考えていた。

 

自殺したアーマン・ブリッツ。フェイクによって殺害されたケイマン・パラメーラ。その二人に関しても、現場や遺留品、彼らの亡骸からも魔力反応は検出されていない。

 

そして、フェイトの前だけに正体を明かした影、「フェイク」。

 

彼の動き、戦闘技術は自分以上に洗練されていた。舞うように光剣を振りかざす彼の速さは、フェイトのソニックフォームの速度を遥かに上回っている。そして尚且つ、恐ろしいほどにその動きや気迫、思考、方法が「殺人」に特化したものとなっているように思えた。

 

 

 

「お前は必ず俺が殺してやる」。

 

 

 

その言葉がフェイトの耳から離れなかった。それを語った彼の瞳は、生半可なものでは到底到達できない眼光を宿しているものだった。生きることを極端なまでにすり減らした、鉄のように冷たい色。だけど、それでもはっきりと憎しみが伝わってくる眼差し。

 

そもそも、彼はいったい何故あんな姿になったのだろうか。

 

プロジェクトFの生き残り。私と同じ存在。ほんの僅かに生まれる時間が異なった、もう一人のフェイト。歪ながらも、母と共に過ごしたあの時間の中で、彼はいったいどこに居たのだろう。考えれば考えるほど、フェイトの中に浮かぶ疑問は増えていくばかりだった。

 

「フェイク」という存在はフェイトが今まで思いもしなかった″ある可能性″を示していた。自分以外にもあのプロジェクトによって生み出された者がいるという事。

 

そしてそれは母、プレシア・テスタロッサが大きく関わっていて、同時にフェイト自身にも大きく関わるものでもあるという事だ。

 

彼は一体何を見てきたのだろうか。

 

私と同じなのだろうか?

 

もし、私がなのはと出会っていなかったら、私が歩むかもしれなかった一つの可能性が彼だと言うのだろうか?

 

 

自分は――、一体何者なのか。

 

 

 

今まで考えないようにしてきた自分自身への問いかけが、今になって喉元に突きつけられている。

 

母との別れから、アルフと二人ぼっちになってしまった時。リンディやクロノという暖かな人に出会い、そしてかけがえの無い〝友〝と出会い、フェイトを取り巻く環境は穏やかに、そして劇的に変わっていった。

 

その変化する刻の中でも何度か「自分とは何者か」といった疑問と向き合ってきた。闇の書事件で、泡沫の記憶であったとしても、フェイトはアリシアと会い、そしてアリシアは自分を「妹」と呼んでくれた。その時に感じた温もりや、心強さは今も尚、胸の奥に優しく寄り添ってくれている。

 

けれど、フェイト自身、自分はどこへ向かっていくのかーー、これから歩んでいく未来の先が見えていなかった。

 

そんな漠然とした未来を前に、フェイトは自分を取り巻く環境から自然と執務官になる道へと歩んできた。

 

執務官として活躍するクロノには少なからず憧れを抱いていたし、そうなりたいと言う願望もあった。

 

母が何故、あのような事故に巻き込まれたのか――。なぜアリシアは死んだのか。自分の原点を知りたいという欲もあった。

 

しかし、その先は何か?と、自分ヘ問い掛けた途端に言葉に詰まってしまう。

 

理想はある。

 

けれど、フェイトには決定的に、執務官たる信念が欠けていた。

 

何のために執務官であり続けるか。

 

その答えが欠けているフェイトは、執務官としては脆い。

 

環境から、その人を導く道標となることは多い。だが、その人自身が、なるべき理想や信念、願望を抱かない限り、その道があったとしてと酷く不安定なものとなる。どうしようもないほどに。

 

 

「聞いた割にはもう元気そうだね、フェイトちゃん」

 

 

ふと声をかけられ、フェイトが振り返った先には肩で息をしているキィナが病室の入り口に立っていた。

 

 

「まったく、トレイル室長が『テスタロッサが襲われて怪我をしたー』なんて鬼気迫る声で言うもんだからさー。あわてて駆け付けちゃったよ」

 

 

群青色の管理局指定制服の上着を脱ぎながら、彼女は気さくにそう言った。真っ白なブラウスには汗が滲んでいて、うっすらと下着の型が浮かび上がるほどだった。

 

 

「――キィナさん」

 

 

フェイトがキィナと会うのはケイマン・パラメーラが殺害されたあの夜以来だった。彼女の人懐っこい笑顔がなぜかとても久しぶりのように思えた。病室に入ってきた彼女は、フェイトのいるベットの近くにある丸椅子に腰を下ろした。腕と太ももに施された治療の痕を見て「なんだか、私と代わりばんこみたいになっちゃったね」と、冗談めいたように笑う。

 

 

「フェイトちゃん、その怪我の魔力反応は?」

 

 

キィナの問いに、フェイトは首を横に振って答えた。彼女は「やっぱり」と言った様子であり、どこか納得のいったようなそんな表情を見せた。

 

 

「フェイトちゃんを襲ったのは、あの黒頭巾で間違いないようだね――その怪我も」

 

 

そう言うとキィナは持っていたカバンから資料の束と、ミッドチルダに戻ってくる道中に殴り書いたメモを取り出した。その資料とメモは、キィナがカレイヴルフ・テクニクス社でかき集めた情報と、それに基づいた調査資料だった。彼女は真っ直ぐにフェイトと向き合う。

 

 

「これが、フェイトちゃんと離れていた時に集めた私の情報。知りうる限り、お互いの情報を交換しよう」

 

 

キィナに迷いは無かった。

 

この資料が意味する管理局上層部の領域に自分が踏み込んでいいのだろうかという不安は確かにあったが、自分は局員であり、執務官だ。

 

人が死んでいる事件を建前や立場で目をつむって見て見ぬふりをするほど愚かな人間ではないつもりだ。

 

そして何より、目の前にいる「フェイト・テスタロッサ」。

 

彼女の母親が、そして彼女がこの事件に深く関わっているなら尚更だ。ここまで踏み込んだ以上、彼女は真実にたどり着くまであきらめない覚悟を決めていた。そしてそれは少なくとも――。

 

 

「――わかりました、キィナさん」

 

 

戸惑いながらも前に進む。フェイトも同じだった。

 

 

 

--NEXT

 



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