魔砲少女リリカル☆ザミエル (結城勇気)
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始まり
プロローグの1


 ※注意!!

 この作品は、なのは・Dies irae ニワカ知識持ちによる作品です。ニワカは嫌だ、という方はバックor我慢をお願いします。
 あと、オリジナル設定もあったりなかったりするので、その辺もお願いします。
 ちなみにガールズラブタグは念のため。




 さぁ私はどこまでザミエル卿っぽく書けるのか。


 東方守護執事との掛け持ち。とりあえず目下目標は失踪しないこと!





 気が付けばそこは暗闇の世界だった。

 

 目を開けようにも開かない。

 

 口をきこうにもうまく動かない。

 

 耳から伝達される音情報はただただ何かが流れるようなものばかり。いや、かすかに人の声のような物も聞こえはするが、くぐもっているというか、かすれ過ぎてうまく聞こえない。

 

 肌で感じられるのは暖かい何か。もごもごと軽く(うごめ)いてみれば、よく分からないが何かで包まれているようだ。さらに言えば徐々に徐々にではあるが、吸い込まれているかのようにどこかへ引っ張られている感覚がする。

 

 なんだこれは。よく分からないが何かの中にいるらしい。

 

 窮屈なほど狭い場所だ。袋に詰められているとかそういうわけじゃないらしいが、とにかく狭い。

 

 ぶち破って出てしまおうと腕に力を込めて見るものの、まるで麻痺しているかのように力が入らない。せいぜいその“壁”に触れる程度でしかない。

 

 急にどこかへ身体が引っ張られた。

 

 感覚的に頭の方に引っ張る何かがいる(ある?)らしい。

 

 抵抗してみようかとも考えたがやめた。嘆かわしい話だが、どうも自力では出れなさそうだ。状況判断のためにも、引っ張られてみようじゃないか。

 

 今度は今までにないほどに強く引っ張られた。

 

 瞬間、急に閉じた目に(まばゆ)いほどの光が差し込んできた。場所が場所だったためか、瞼越しでもかなり(まぶし)しい。

 

 と、唐突に声が出た。泣き声だ。

 

 誰のものだと思ってみれば、なんと自分から出ているらしい。己の意思に関係なく、勝手に口が泣き叫ぶ。止めようと思っても止まらない。まるで撃鉄の落とされた銃のように、歯止めのきかない泣き声が腹の底から流れて止まらない。

 

 なんだこれは。ますます訳が分からない。

 

 そんな中でも、肌に感じる感覚が変わったのを感じた。空気だ。素の空気が肌に触れている。そのほかにも何かが触れている感覚がするが、それが何かは分からない。

 

 唐突に、勝手に意識が落ちていくのを感じた。

 

 分からない。さっぱりわからない。

 

 とりあえず包まれていた何かからは脱したようだが、結局どういう状況なのか分からない。

 

 ただ一度だけ。

 

 意識の落ちるほんの一瞬。聴覚が鮮明にそれを捉えた。

 

 

 

 

 

「――おめでとうございますっ、女の子です!!」

 

 

 

 

 

 瞬間。

 

 彼女、エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグの意識は闇の底へと消えた。

 

 

 

 

 

 

 

      *  *  *

 

 

 

 

 

 

 

 ――なんだこれは。

 

 とある日の早朝。エレオノーレはこの三年間で何度目かの不毛な自問を、心の内で行った。

 

 さっぱり訳が分からない。どうしてこうなった。エレオノーレは鏡の前に立った三歳(・・)の自分を見て自問する。

 

 エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ。

 

 かつて聖槍十三騎士団黒円卓第九位大隊長、通称三騎士と言われる三人の内、赤騎士を賜り、ラインハルト・ハイドリヒのために身も心も彼への忠に捧げた彼女は、気が付けば赤子だった。

 

 何を言っているのか分からないと思うが、彼女自身も何が何だか分からなかった。あそこまで頭がどうにかなりそうになったのは初めてだ。若返ったとか頭がおかしくなったとかそんなチャチなものでは断じてない。どう考えてももっと大きな力によるものだ。

 

 あのクソ副首領閣下(メルクリウス)の仕業なのか、別の要因なのか。とにかく分からないが、今の彼女は少なくとも赤騎士であった頃のエレオノーレではなかった。

 

 がしっ、と立て鏡のふちを掴み、映る自分の姿をガン見する。手がワナワナと震えていた。

 

 ――なんだこれは……ッ!?

 

 そこに映るは一人の幼児。

 

 名は高町なのは。

 

 真紅であった髪は栗色に変貌し、顔の半分どころか全身の左半分を覆っていた火傷の跡も存在しない。名前と顔つきからして完全に日本人だろう。ドイツと手を結びながら敗戦した国の住人だ。もっとも今となっては自分もその一員なのだろうが。

 

 漆黒の軍服など欠片もなく、それを纏っていた身体も、かつての身体の腰よりも下だ。鍛え上げた身体の面影もない。というより、かつての自分の今の年頃よりも劣化している気がする。

 

 ベイの言う劣等人種とやらに成り下がったことに対しての嘆きなど今更ありはしない――というより嘆いても仕方がないと開き直った――が、それでも内から湧き上がる感情を抑えることは出来ない。

 

 今の彼女は三歳だ。

 

 だが意識があったのは生後二、三日から。

 

 頭を打ちつけてしまいたくなるほどの屈辱・恥辱がなのは(エレオノーレ)を襲った。

 

 ベアトリス・キルヒアイゼンやリザ・ブレンナー辺りが見たら、それはもうムカつく面を下げて爆笑してくれやがる様が目に映るようだ。

 

「ぐぬぬぬ……」

 

 そんな様を想像したら腹が立ってきた。思わず力を込めた手により、立て鏡のふちがぴきっ、と軽く音を立てた。見れば小さく(ひび)が入っていた。

 

 なのはは鏡の前を後にして、自室の窓際にあるベッドの上に乗り腰を下ろす。その瞬間に目に入った鏡に、どっかと腰を下ろしたせいで一瞬舞い上がったスカートの内にくまさんパンツが見えて頭を抱えた。

 

 ちなみに、彼女は好き好んでスカートを(もちろんくまさんパンツも)穿いている訳ではない。親の用意した下半身の服がスカートの類ばかり、否、スカートしかないのである。あるのならばズボンの類を穿いているだろう。いや、穿きたい。こんなヒラヒラした布きれでは落ち着かない。自分はルサルカ・シュヴェーゲリンではないのだ。

 

 なのはは一つ、深いため息をついた。

 

 このふざけた現実に打ちのめされて三年。意味もないことをうじうじと悩み続けて三年。ハイドリヒ卿に会えずして三年。一千万年かと錯覚するほどにこの三年間は長かった。

 

 母乳からは解放されたし、ある程度喋れるようになり、自分で歩けるようになればさすがに屈辱的な日々からは脱することが出来た。

 

 正直甘く見ていたとしか言いようがない。

 

 自分はかつて黒円卓に身を置いていた魔人の一人だ。喋ることも歩くこともすぐに出来ると思っていた。が、現実は氷河期よりも厳しかった。

 

 言葉を話せるようになったのは二歳直前だし、歩けるようになったのは二歳になってから数日ほど経ってから。

 

 世の子供事情には興味などなかったから疎かったが、少なくとも歩けるようになった時期に関しては、先日目にしたテレビによる情報だとかなり遅い方なのではないだろうか。

 

(というよりこの身体、随分と使い勝手が悪い……)

 

 運動神経が悪い。言ってしまえば一言だが、この身体がかつての物ではないという何よりの証拠だ。

 

 それはすなわち、下手したらこの身が朽ちるまでハイドリヒ卿に会えずじまいとなるやもしれないということだ。

 

 故に一度、否、一瞬自殺してしまおうかとも考えたが、すぐに振り払った。

 

 もしメルクリウスの仕業だったとしたら負けた気がするし、それ以外の何かだったとしたら――まぁ、決まり切っている。

 

「はぁ……」

 

 らしくない、とは思いつつも、なのはは再びため息をついた。

 

 これから、いや、これからもこの身で何年か、下手すれば何十年、何百年生きなければならない。聖遺物はあるようだが、成長している辺り不老は効いていないのかもしれない。出せるかどうかも試そうかと思ったが、さすがに自重した。周りに気づかれる可能性は避けたい。どれだけこのまま過ごすのかもわからないのだ。

 

「なのはー、ご飯よー」

 

 二階である自室に、階下から母の声が届いた。

 

 時計を見てみれば、いつの間にか朝食の時間。早朝から唸っていればいつの間にか一時間も経っていたようだ。

 

「一難去ってまた一難、ということわざが日本(ここ)にはあるらしいが……まさしくその通りだな」

 

 ベッドから降り、ドアノブをジャンプして掴み下ろして部屋を後にする。

 

 そう。今日から再び屈辱的な日々が始まる。

 

 

 

 

 

 ――幼稚園と言う名の。

 

 

 

 



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プロローグの2

 幼稚園という屈辱的な生活を乗り越え、なのはも今や小学一年生も後半。あの三年などとは比較できないほどに、苦しい三年だった。再び自殺を考慮の内にいれんとするほどに。

 

 歌を歌い、本を読んで、折り紙で遊び、積み木で遊んで、女子の積み木を崩して泣かせた男子をうるさいからと張り倒して泣かせ、喧嘩両成敗で先生に怒られ、昼寝する。給食とやらも食べた。先日家族で外食した際に食べたお子様ランチを食べてるみたいでムカついた。

 

 運動会やらお遊戯会やらにも参加させられた。

 

 前者は面倒な事態を防ぐために、自分の身体能力を極限まで、それはもう幼稚園クラスにまで抑えたうえで競争型は全て一位を取った――とりあえず一位以外は身体が拒否した――。

 

 後者は何故か王子役をやらされた。やった話は白雪姫だったか。ドイツのとある地方の民話だったはずだ。が、どうにも今回やる白雪姫は、なのはの知るものとは少しばかり違った。

 

 まず白雪姫の蘇生法が違う。なのはの知る白雪姫は、王子の家来が彼女の棺を担いで運んでいる途中、蹴躓(けつまづ)く。その衝撃で毒りんごを吐き出し生き返るという物だったのだが、このお遊戯会での白雪姫は王子によるキスで生き返るらしい。

 

 何とも女子供の好き好みそうな話だ、となのはは思っていたが、いざ配役が決まれば白雪姫にキスする王子。なんだそれはと異を唱えようとしたが、周りが予想外にも賛同しだしてタイミングを逃し、完全に流され配役決定。白雪姫の役は誰がやるという話になり女子による取り合いになった。

 

 そして本番……一言でいうならば、家族やら幼稚園の同級生やらで全なのはが泣いた。主に恥辱的な意味で(ちなみに本当にキスはせず“もどき”で終わった。白雪姫役の女子は残念がっていたが)。

 

 そんな日々を三年――歌を歌い、本を読んで、折り紙で遊び、積み木で遊んで、女子の積み木を――(後の二年間のお遊戯会全て王子役だったこと以外)以下省略――。

 

 ちなみに、幼稚園の途中、父親の高町士郎が仕事柄(ボディガード)によるケガで入院していたらしい。が、今の生活で余裕のなかった彼女は、まったく気が付かなかった。家が騒がしいとは思っていたし、最近(一応の)家族に会わないと頭の片隅で思ってはいたが。

 

 この三年間で十回ほど自殺を考えたが、メルクリウスが犯人だったら負けたことになると何とか生き延びる。そしてまた幼稚園(地獄の戦場)へ……。“城”よりも過酷な世界だと理解したのは卒園式前日だったか。

 

 ようやくこの地獄世界・恥辱の剣(幼稚園)から解放される。そんな思いから思わず、歌いながら落涙してしまったのを覚えている。周りの同級生からは何故か感動されていたがよく分からない。

 

 

 

 

 

 そして――今に至る。

 

 

 

 

 

 今やなのは(エレオノーレ)は小学一年生。それも後半。

 

 私立聖祥大付属小学校。なのはの住む海鳴市の中でも名門に入るらしい学校だ。とりあえず入学試験は平均一〇〇点で合格しておいた。制服は気に食わなかった。

 

 そうして何度かいざこざに巻き込まれつつも――今に至る。

 

 そう、今に至る。

 

(なぜこうもいちいち巻き込まれる……)

 

 なのはは心の中で嘆息した。

 

 そしてどうしたものか、と目の前の男達を一瞥して思考する。

 

 なのはは手錠と縄で拘束されていた(・・・・・・・・・・・・)

 

 隣には(彼女たち自称)友人である金髪と紫髪の少女たち。どちらも美少女と言える容貌の持ち主で、なのはと同じ聖祥大付属小学校の制服を着ている。

 

 前述したいざこざの一つによって出来た(彼女たち自称)友達だ。

 

 簡単に言えば、いじめっ子だったアリサといじめられっ子だったすずか。二人が何やら中庭でやっている中、なのはがそろそろ教室に戻ろうかと中庭を横切ろうとしたら二人がいた。

 

 どうもアリサが、すずかのヘアバンドを取っていじめているらしい。

 

 正直どうでもよかったが、非常に邪魔だったので――

 

『通行の邪魔だ、そこをどけ』

 

 と、アリサを張り倒した。

 

 その際たまたま手を放したヘアバンドがすずかの手に戻り、そのまま去っていくなのはの姿がどう見えたのか、なにやら懐かれてしまった。

 

 当然、アリサはアリサでなのはに食って掛かってきたが、適当にいなしているとすずかが乱入。何故かなのはを巻き込んでの大喧嘩になった。結果、ケンカ両成敗。先生に怒られた。なのははデジャビュを感じた。

 

 その後和解したアリサとすずか、共になのはに懐いたのかなんなのか。気が付けばいつも三人一緒だった。

 

 そう、三人一緒だった――誘拐されるのも。

 

 どうやらすずかとアリサはどこぞのお嬢様だったらしい。月村家とバニングス家。なのはは知らなかったのだが、海鳴では結構有名な家らしい。いわゆる身代金要求が目的だろう。あさましい連中だ、となのはは思う。

 

 そして同時に、油断していた――となのはは先ほどの自分に怒りを覚えた。

 

 エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグの聖遺物、極大火砲・狩猟の魔王(デア・フライシュッツェ・ザミエル)、すなわち、かのドーラ列車砲は、高町なのはの身になっても存在している。故にエイヴィヒカイトも共にあり、事実、魔人としての身体能力はある。

 

 だがどうも霊的装甲は弱まっている、もしくは消失しているらしい。あろうことかスタンガンで気絶させられてしまった。

 

 目を覚ましたのは今さっきだ。アリサの騒ぐ声で意識が起こされた。目を覚まして見ればこの状況だ。手錠と縄で拘束されたなのはとアリサ、すずか。目の前には数人の男達。顔は金髪の男一人以外は、覆面により隠されている。

 

 あえて言うと、制圧、というより殲滅は余裕だ。

 

 手錠も縄も少し力を入れれば引きちぎれるし、動かずとも、列車砲に随行していた兵団の持つ兵器を召喚し運用すれば一瞬で終わる事だろう。が、後の事を考えるとあまり得策ではないと言える。

 

 人間とは窺知し難いものを嫌い距離を置く。

 

 黒円卓に身を置いていた頃と違って、人間関係を全く気にしないという訳にはいかない今、それは正直かなり面倒だ。ベタな話だが、人体実験を行おうと狙ってくる(やから)も出てこないとも限らない。

 

 我ながら弱気なものだ、となのはは毒づく。

 

 だが、少なくとも成人するまでは気にせざるを得ないのが現状だ。前世よりも弱体化しているのは明らかだし、現代兵器も通用してしまう。今回のようなこともある。不死の英雄(エインフェリア)ではない今、バラすわけにはいかない。

 

 故に、どうするべきか。

 

「んで、これからそうするんですかいダンナ。あんたのお目当ては月村の御嬢ちゃんだけだったみてぇだが、二人余計なのが付いてきちまった。片方はバニングス家のお嬢様らしいから、身代金要求してもいいとは思いますが――」

「もう一人は放っておけ。高町を相手にするのは私としても得策ではない。あそこの連中は人間の中でも最強クラスの存在だからな」

 

 なるほど、となのはは思う。

 

 覆面をしていないあたりから、リーダーは顔を隠していない金髪の男だろうと思っていたが当たりだったらしい。

 

 その上狙いは月村すずか――。

 

(同族か、それを狩る者か……)

 

 すなわち、月村すずかの正体を知る者。

 

 なのは自身、すずかが人間とは違う、ハーフかクォーターかは判別できなかったが、純粋な人間ではない事に気づいていた。

 

 身体能力もそうだが、何より気配が違う。長年の経験、なによりヴィルヘルム(黒円卓の吸血鬼)聖遺物()と似通った匂い。

 

「吸血鬼――か」

 

 ギョッとした目ですずかがこちらへ目を向けた。同時に金髪の男も、ほぅ、と興味深げにこちらを見る。一人アリサだけ、訳も分からずなのはへ目を向けている。

 

「高町の娘は知っていたのか?」

「当たりをつけていただけだ。知り合いの(自称)吸血鬼と似た匂いがしたものでな」

 

 なのはは金髪の男へ目を向ける。

 

「貴様からも似た匂いがする――迎えにでも来たか」

「その通り」

 

 金髪の男は楽しげに笑った。まるで新しいおもちゃを貰った子供の様な笑顔だ。

 

「なるほど、君も君で普通の人間の子供とは違うようだ。成長が速いのか、高町家に何かあるのか、はたまた別の要因か。どれでもいいが……面白い」

 

 ならば一つ問おう、と金髪の男は言う。

「何故君は彼女(すずか)と共にいる? 人は理解しえない、いわゆる化け物からは距離を置く生き物だろう」

「すずかは化け物なんかじゃ――!」

「無知な子供は黙っていろ」

 

 その血のように赤い瞳を向けた瞬間、アリサは小さく悲鳴を上げて押し黙った。気が強くても所詮は子供、恐ろしいものには恐怖する。

 

「どうなんだ、高町のお嬢さん」

「愚問だな、そんなことも分からんか」

 

 なのはは、ふんと鼻を鳴らし、つまらそうにすずかへ目をやる。

 

「恐れるに値しないからだ」

「ほぅ?」

「恐れるに値せず、恐怖の対象にもなりえない。そもそも、私が恐れ畏れ、(ひざまず)く相手は一人しかいない」

 

 黄金の獣、つまり……ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒのみ。

 

「つまりは貴様もだよ、名も知らぬ吸血鬼。恐れるに値しない。どうせ下らぬ理想を描いての行動だろうが、劣等が何をしようが所詮は劣等。考えることが浅ましすぎて失笑しか出んよまったく」

 

 バカはバカでも、これならキルヒアイゼンの方が一千万倍マシだな、となのはは言う。

 

 と、今更ながら喋りすぎたか、と後悔する。どう考えても子供らしくない。多少なりとも面倒事は覚悟しなければならないかもしれない。

 

 ふと金髪の男を見ると、肩を震わせていた。怒っている訳ではない、笑っている。

 

「嘘偽りなくまさしく恐れていないという訳か。ククっ、なるほど。まったく恐怖が見えん。君のような子供が存在したとは。高町を恐れるべきか、それとも君を――どちらでもいいが面白い、面白い!」

 

 近づいてきた彼は、ガシッ、となのはの首を鷲掴みそのまま持ち上げた。二人の悲鳴が聞こえた。が、なのはは動じない。

 

「前言撤回だ。高町にも身代金要求でもなんでもすればいい。ただし、その時は彼女のあられもない姿を同封してもらうがね」

高町(うち)は怖いんじゃなかったのか?」

「怖いさ。だが個人的興味が勝った。それだけだ」

 

 ふん、となのはは笑う。男は訝しげになのはを見た。

 

 

 

 

 

 

「だから浅ましいと言った。ここまで接近されて気づけん時点で貴様は負けている」

 

 

 

 

 

 

 瞬間、なのは達三人の意識が落ちて行った。

 

 

      *  *  *

 

 

 目を覚ますと、母親・桃子の顔がまず目に入った。嬉しそうに抱きしめられた。

 

 誘拐犯は、父親の士郎、兄の恭也が打ち倒し警察に引き渡したようだ。吸血鬼は命ごと刈り取ったようだが。ただの人間なのに相変わらずだ、となのはは思った。自分たちの意識を刈り取ったのも、未だ幼いなのは達に血を見せないためだろう。

 

 数日後、月村家で話を聞いたところによると、思った通りすずか達は人間ではない、というより吸血鬼の一族らしい。とはいえ不老不死ではないらしく、長命(二百年以上は生きるらしい)なだけだとか。しかし血を飲まないと長生きは出来ないようだ。特に異性の。

 

 そして、正体がばれた場合、記憶を消す――夜の一族(吸血鬼)であるという記憶のみ――か、秘密を共有し生涯を連れ添う関係となるか。

 

 どちらかを選んでほしい、とすずかの姉である忍は言った。

 

 なのはとアリサは後者を即答した。

 

 なのはとしてはどちらでも良かったのだが、記憶をいじられるのは良い気がしないし、何より前者を選ぶとアリサがうるさそうな気がした。そんな本音を読むことは出来なかったのか、すずかは笑顔で抱きついてきた。ますます懐かれた気がするのは気のせいではない。

 

 その後、何故か唐突に開かれたお茶会で、なのははそれとなくすずか達に聞いてみた。もちろん自分についてだ。すると、

 

「「なのは(ちゃん)が子供っぽくないのは最初から」」

 

 と笑って返されたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――あっという間に一年生としての生活が終わり、二年生になり三年生になった。

 

 気が付けばなのはも八歳。今日は小学三年生の始業式。

 

 なのはの、出会いと再会と事件の一年が始まった。

 

 

 

 



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魔砲少女リリカル☆ザミエル
第一話「魔法の出会いと屈辱の涙」


 思いついたサブタイトルに合わせたら予想以上に長くなったでござるの巻。

 あと、プロローグの1の注意書きに書き忘れたけど。

 この作品のザミエル卿は、きっとちょこちょこ壊れています。お気を付けください。


 夜。木々に囲まれる林の中、それはいた。

 

 あえて形容するならば、真っ黒なマリモだ。だがそれはモコモコしているというよりグニャグニャしているというべきか。マリモがモコモコしているかはさておき、それは確実に異質な存在だった。

 

 大きさは一メートルと少し程度。形は前述したとおり真っ黒なマリモのような物。その身を構成しているのは泥のような何かだ。表面は何やらもごもごと(うごめ)いている。凹凸のある丸いその身体からは、触手型の細い腕のようなものが生えていた。さらに言えば、それには生物のように目があった。真っ赤な目だ。

 

 人間的に言わせれば目つきの悪い部類に入るそれは、林の奥、木々に遮られた向こう側にいる少年へと向けられていた。

 

 金髪の少年だ。身長は相対するマリモと同じくらい。民族衣装的な特徴的な服を身に纏い、薄茶色のマントをつけている。彼もまたマリモを見ていた。否、睨みつけていた。

 

 黒いマリモが動く。

 

 軟体動物のごとき身体がバネのように縮み、跳ねる。衝撃で土が舞い上がった。勢いよく飛び出したマリモは、弾丸のように少年に突撃する。

 

「く……っ」

 

 対する少年が取り出したるは赤ビー玉状の宝石ようなもの。それをマリモへと突き出した。

 

 次の瞬間、宝石の前面にエメラルドグリーンの魔法陣が構成されていく。術式は封印魔法。対象は当然突撃してくるマリモ。

 

 構成が完了した。だが足りない。今の僕ではこれじゃ――。

 

 魔法陣が一回り、二回り小さくなる。封印魔法に込められた魔力を強め、圧縮し収束する。

 

 逃せない、負けられない。こいつを逃せばどんな被害が出るか分かった物じゃない。バラ撒いてしまった自分が成し遂げなければならないのだ。たかが一つに手間取ってられない。

 

「ジュエルシード……封印ッ!!」

 

 マリモが木々の向こう側から姿を現し、魔法陣へと突撃してくる。

 

 それを認識すると同時、魔法を解放する。構成した術式に込められたとおりに魔法が発動し、目標たるマリモを封印せんと力を発揮する。

 

 魔法陣とマリモが激突した。

 

 封印魔法がマリモを侵食する。マリモの姿はただの器でしかない。封印すべきはその本体。核となっている歪な願望機である青き宝石。この世界にバラ撒いてしまった二一の災厄の一つ。マリモの奥底にあるそれを鎮めんと、少年の魔力がマリモの身体を食い尽くす。

 

 が、しかし。

 

「ぐっ……うわぁ!!」

 

 衝撃が走った。目の前にいたマリモがその身体を崩し、ベチャベチャとスライム状の己が体だったものをまき散らしながら吹き飛んでいく。同時に少年の目の前に展開していた魔法陣も砕け散った。

 

 マリモは――(いま)だ現存している。

 

 無傷ではない。飛び回る力もないのか、満身創痍気味に呻きながら、体を引きずり林の奥へと逃げていく姿がある。当然、少年はそれを追おうと足を踏み出そうとした。

 

 が、魔力切れの身体は限界を迎えていた。

 

 身体が意思に関係なく地面に崩れる。少年もまた満身創痍だった。あちこちにマリモとの戦闘で出来た傷はあるし、魔力もほとんど残っていない。立ち上がるだけの力も残っていない。黒いマリモを追撃するのは目に見えて不可能だった。

 

「誰か……っ」

 

 最後の手段、と。少年は残った魔力を掻き集めて念話を無差別に飛ばした。彼の気づかぬ間に、少年の身体は省エネモードともいえるフェレット状態へと移行する。

 

「誰か……助けて……っ」

 

 瞳が閉じられていく。彼の意思とは関係なしに、限界を迎えた身体が休眠状態へと入る。

 

 念話を飛ばした彼の意識は、闇の底へと消えて行った。

 

 

 

 

 無差別に飛ばされたその願い。

 

 それを受け取った少女と出会うのは、また少し後の事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      *  *  *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「という夢を見た」

 

 黒円卓第九位大隊長・エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグこと、高町なのはは屋上にいた。

 

 今は昼食の時間。母親に作ってもらった弁当を手に、なのはは今朝見た夢の話を目の前の(自称)友人の二人に話していた。

 

「また変な夢ね」

 

 サンドウィッチを一口頬張りながら言うのは、アリサ・バニングス。

 

 親は外人らしく、日本人とは違った顔立ちをしている。髪はブロンドで、整った美少女然とした彼女に似合った色だ。学校内でモテるのも当然だが、何よりもなのはも少しばかり関心するほどのカリスマの持ち主である。

 

「……たまには私から話をしろと言ったのは貴様らだ。文句は受け付けんぞバニングス」

「文句なんてないわよ、単なる感想。っていうか、いい加減アリサって呼びなさいよ」

「それは私が決める」

「……頑固め」

 

 言いながらも口元は笑っている。いつものやり取りだ。一週間に一度は行われると言っていい。

 

 小学一年の出会いから約二年間。一年も二年も三年も同じクラスとなった三人は、変わらず仲良くやっていた。少なくともアリサとすずかはそう思っているし、なのはも悪い関係ではないと思っている。

 

 こうして屋上で昼食をとるのもまた、この二年と数か月で習慣と化した。なのは的には、一人で昼を取る寂しい少女、などと見られるのは(しゃく)なので、付き合っているうちにそうなっただけなのだが、今更そんなことは問題ではない。

 

「でも不思議な夢だね。その夢に出てくる男の子、見たことあるの?」

「少なくとも、民族衣装を着た男と会ったことはない」

 

 夢とは記憶の整理だとか、意識していない願望を見ているとか、様々な見解があるが、宗教的な捉え方を排除すると、記憶に関係していると言われる説が多いように感じる。

 

 だとするならば、先の夢は記憶にある何かが関連している、と考えられるが、なのはにあんな少年も、黒いマリモの事も記憶にはない。と、いうよりあんなマリモを見たことがある方が異常だろう。

 

「ま、変な夢の話はもういいじゃない」

「……ほう、貴様から聞いておいてそれか」

 

 ギリッ、とアリサを睨みつけると、ひっ、と小さく悲鳴を上げた。

 

「な、なのはちゃん、恐いって」

「ふん」

 

 水筒に入った麦茶を、ふた兼コップに注ぎ、一気に飲み干す。

 

 コップの中に残った麦茶の水滴を見つめながら、なのはは口を開く。

 

「それでなんだ。何の話をしようとした」

「い、いや、その。将来の話……?」

「将来だと?」

「ほ、ほら、さっき先生が将来の事を考えてみましょう、って言ってたじゃない」

 

 いわゆる総合学習と言ったやつだったか。将来の夢について作文を書けという物だったはずだ。

 

「なのははなんかあるの? 将来の夢とか……」

「何故そんなものを貴様に教えなければならん」

「いいじゃない、あたしたちの仲でしょ。ねえすずか、アンタも気にならない?」

「まぁ……気になるといえば気になるけど。なのはちゃんって、自分の事話すの嫌がるよね」

「だから訊かないって?」

「なのはちゃんは頑固だから」

「一理あるわね」

「貴様ら……ケンカを売ってるならいい度胸だ」

「なのはにケンカ売るなんて自殺行為、私達には出来ないわよ」

 

 苦笑するアリサの脳裏には、なのはによってボコボコにされた中学生男子たちの姿が目に浮かんでいた。

 

 いわゆる不良という奴だった。自分からぶつかり、相手にいちゃもんをつけると言う典型的な連中だ。それをやってしまった相手がなのはであり、あまりにもしつこいからと、小学生離れした身体能力を以てボコボコにしてしまった。

 

「なのはちゃんケンカ強いもんね。それに……カッコいいし」

 

 頬を染めて照れくさそうに言うすずかに、なのはは大した感慨も照れもなく素っ気なく言う。

 

「あんなものケンカとも呼べん。殴ると蹴るしか知らん小僧や小娘の相手など、するだけ無駄な労力だ」

「……この前の中学生からしたら、アンタの方が小娘だけどね」

「関係ない」

 

 なのはではなくエレオノーレとして言わせれば、小僧であり小娘なのだから。

 

「それより、貴様らはどうなのだ」

「ん? なにが?」

「将来の夢とやらだ。バニングスが聞いてきたんだろう」

 

 残ったおにぎりを頬張り咀嚼(そしゃく)して飲み込む。中身は(さけ)だった。

 

 うーん、と唸っていたアリサは、なのはが飲み込み終えるタイミングを狙ったように答えた。

 

「……まぁ、父さん達の仕事を継ぐってのが、今のところのビジョンかしらね。夢、って言われると微妙な感じがしなくもないけど」

 

 それにすずかが続いた。

 

「私は……機械系、かな。そういうの好きだし」

 

 なのはは残った最後の一口を口内に放り込む。ふん、と鼻を鳴らした。

 

「子供らしからぬ奴らだ」

「アンタに言われたくない」

 

 

 

 

 放課後。三人は帰路についていた。

 

 いや、正確に言えば、アリサとすずかは塾に向かっている。なのははただの付き添い兼、護衛。

 

 家の者に迎えに来てもらい送ってもらう、というのを嫌った二人が勝手に決めた配役だった。

 

「なのはちゃんも塾に来ればいいのに……」

 

 残念そうに言うのはすずかだ。

 

 なのはは塾に行っていない。というより、行く必要がなかった。生きていたのが戦時だからと言って教育はおろそかにされていなかったし、なにより今は小学三年生。周りの学校よりも高度なことをやっているとはいえ、なのはにはあまり関係なかった。

 

「自宅学習だけで十分だ」

「このぉ、偉そうに言っちゃって……」

「嫉妬するくらいならとっとと追いつけ万年二位」

「追いついてやるわよすぐにっ」

 

 ぐぬぬ……と機嫌悪そうに顔を背ける。これもまたいつものこと。気分を害した訳じゃないので、気にすることはない。

 

(いつものこと、か……)

 

 なのはは二人との他愛ない、それこそ誰々がどうとか、どこの店がいいとか、そんな日常的会話に適当に加わりながら思う。“日常”というものはとてつもなく難しい。

 

 ツァラトゥストラ(藤井蓮)や彼女たちにとっての“非日常”が、エレオノーレの“日常”だった。

 

 元々大戦時に生きた人間である。その後とて、ただ一人の男に忠を尽くし戦い続けてきた。今のように戦争を忌避し、武器を取ってはならんとする日和(ひよ)った世界こそ彼女にとっての非日常であり、今更そんな世界に放り込まれても溶け込むと言うのは難しい話だ。友人(仮)がいるのも運がいいだけだろう、となのはは考えている。

 

 藤井蓮の言う平和で何事もない日常。そんな中にある、時間が止まればいいとすら願うほどに愛した刹那。

 

 彼とでは生きた時代も価値観も何もかも違う。エレオノーレにとっての全てはラインハルトただ一人。それ以上でも以下でもない。

 

 だがその中に個人的興味が無いでもない。

 

 こんな生易しい世界で生きてきた少年が、何故あそこまで戦えたのか。

 

 聖遺物だけなら大隊長を倒すことはおろか、ラインハルトと戦う事すら敵わないはずだ。メルクリウスの介入もあっただろうが、あれは一石を投じるだけであとは傍観する男である。どこまでいっても結局は彼次第。

 

 なるほど、それを探してみるのもまた一興。

 

 早くラインハルトの下に戻らねばならないのも事実だが、原因も分からなければ(個人的にはメルクリウスのせいだろうと思っている)戻る方法も分からないのだ。本題は“エレオノーレ”に戻ることだが、片手間にやってみるのもいいかもしれない。

 

「? なのは、どうしたのよ黙っちゃって」

「なんでもない」

 

 前だったらこんなこと考えなかったかもしれない。

 

 少しこの世界に毒されたか、と頭の隅で思いながら、再び二人の会話に耳を傾けることにした。

 

「あ、ここよここ」

 

 と、唐突に立ち止まったアリサが指差したのは、青青しい林道だ。

 

「ここを通ると、近道なのよねー」

 

 言いながら林道に入っていくアリサに二人は続く。

 

「普段は通らないぞ、急にどうした」

「特別理由なんてないわよ。なんとなくってやつ」

 

 気まぐれなやつめ、というなのはを気にせずにアリサは進む。止める理由もなく止まりそうにもない。そのままついていくことにした。

 

 木々に囲まれた道は心を安らかに、穏やかにする。生憎なのははそう言ったものを感じはしなかったが、人工的な風景を見ているよりは、自然の中を歩き眺める方が落ち着けるのもまた事実だ。

 

 が、しかし。なのはは自然を気にするよりも先に、周囲の警戒に頭を働かせた。

 

 木々に囲まれた林道は一本道だ。挟み撃ちなど容易に出来るはず。塾に行く日程を把握していて、ここを通る可能性を考え人数を割けるならば襲撃の可能性は十分にある。

 

 一年のころのような油断はない。どこからでも来るがいい。

 

 周囲一帯を警戒するなのは。

 

 と、その瞬間だった。

 

 思った以上に予想外なところから奇襲を受けたのだ。

 

 

 

 

 

 

《助けて……っ》

 

 

 

 

 

 

「!?」

 

 それは頭の中に直接叩き込まれた声だった。同時に聞き覚えのある声でもある。

 

 なのはは思わず立ち止まった。アリサとすずかが訝しげにこちらを見ているがそれどころではない。

 

《助けて……!》

「なのは?」

「なのはちゃん?」

 

 頭の中の声と二人の声が合わさった瞬間。

 

「……こっちか」

 

 なのはは直感的にその声の出どころを感じ取った。なんの脈絡もなく、なのはは方向転換し、そちらへ歩みを進めた。

 

「ちょ、ちょっと!? どこ行くのよっ」

「なのはちゃん!?」

 

 二人の声を無視して林道から外れる。草をかき分けて木々の奥へと進み、自分の中の何か特別なコンパスの示す方向に足を進める。引っかかる草木をどけてかき分け奥へ奥へと。背後から追いかけてくる音が聞こえるが、気にも留めずに更に奥へと向かう。

 

 唐突に視界が開けた。

 

 木々と草で囲まれた一種の広場のような空間。若干荒れてはいるが、同い年くらいの男子なら秘密基地でも作ろうとするような絶好の場所だ。

 

 そんな広場の中心に、何かが倒れていた。

 

「ちょっと、どうしたのよいきなりっ」

「何かあったの?」

「あれだ」

 

 言いながらその倒れている何かに近寄る。

 

 無機物ではない。生物だった。

 

「わっ、こ、この子……」

「怪我してるよっ……」

 

 イタチか、もしくはフェレットだろうか。クリーム色とでもいうような薄茶の毛の、胴の長い生物だ。すずかの言うとおり怪我しており、首には何やら赤いビー玉のようなものが、ネックレスのようにくっついている。

 

(こいつ……夢に出てきた……)

 

 なのはは(かが)み、そのフェレットを手に取ってみた。暖かい。息もしている。生きてはいるようだ。

 

「びょ、病院に連れて行かなきゃっ」

 

 珍しく焦っているらしいアリサが、急かすように言う。

 

「このへんの獣医さんって言うと……」

「こっちだ」

 

 記憶の中にあった付近の動物病院の場所を照らしつつ、立ち上がったなのはは走り出した。二人も後を追う。

 

 

 

 

 

 ――これが、なのはが再び“非日常”に足を踏み入れる出会いであったことを、彼女自身もまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

      *  *  *

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう大丈夫よ」

 

 包帯の巻かれたフェレットを前にするなのは達に、獣医、槙原(まきはら)(あい)は笑顔で言った。三人は礼を返す。

 

 槙原動物病院に連れ込まれたフェレットは、早急に愛の治療に回された。

 

 三十分ほどで治療は終わったらしく、台の上に寝かされたフェレットは静かに目を閉じている。

 

「怪我はそれほどでもなかったけど、随分衰弱していたわ。ずっと一人だったのね」

「フェレット……ですよね?」

 

 アリサの言葉に、愛は首を傾げた。

 

「だとは思うんだけど……こんな種類いたかしら」

 

 見たことが無い、と愛は言う。

 

 愛がフェレットを軽く撫でると、ひょこっと耳が立った。続くように目を開け、その身を起こす。首に下げた宝石が続くように垂れた。

 

 すずかがいち早く反応する。

 

「あっ、動いた」

 

 なにやら感動した様子のアリサとすずかは、笑顔でフェレットの様子を見守る。

 

 キョロキョロと辺りを見回している。警戒している、というよりは、何かを探しているような動きだ。愛に目を向け、続いてアリサに目を向ける。そのまま、すずかに目を向けて……なのはに目を向けると、そのまま視線を動かすことなく固定した。

 

 目をそらすこともなく、何か言うでもなく、なのははその目を見つめ返す。

 

 エメラルドグリーンの瞳だった。これがいわゆる可愛いという奴なんだろうとは思うが、別に姿形に関しては特別感想はない。

 

 気になったのは首からぶら下げた赤い宝石。そして、不思議なほどに一致するフェレット。思い出される今朝の夢。

 

 つんつん、とアリサにつつかれた。

 

「なのは、見られてるよ」

「……あぁ」

 

 アリサが何を求めているのか、なんとなく察しがついた。

 

 なのははゆっくりと手をやってみる。フェレットはその指先に顔を近づけ、匂いを嗅いでいるのか鼻をヒクヒクさせた。そのままゆっくり、ペロッと指先を舐めた。

 

 それを見たアリサとすずかが、感嘆の声を漏らす。が、

 

「あっ……」

 

 まだ起き上がり続けるだけの体力がないのか、フェレットは再び倒れてしまった。

 

「……しばらく安静にした方が良さそうだ」

「そうね、とりあえず明日まで預かっておくわ」

「「お願いしまーすっ」」

「うん。あ、そうだ。出来れば明日、様子を見に来てくれないかな」

 

 元気よく二人が答える。

 

「おい、そろそろ塾の時間じゃないのか」

 

 なのはが言うと、二人は揃って病院内に取り付けられている時計を見た。仲良く肩を震わせる。

 

「あっ、ヤバ!」

「ホントだっ」

「ということなので。私たちはこれで」

 

 三人そろって愛に再び礼を告げ、早足に槙原動物病院を後にした。

 

 

 

 

 

 

 再び塾に向かう途中、急ぎながらもフェレットの事を軽く相談した。

 

 アリサとすずかは、二人とも犬が何匹もいたり、猫が何匹もいたりで無理。というよりフェレットが危険な可能性がある。

 

 なのはもなのはで、飲食店である家で動物を飼うのは、原則としてすべきではない。が、里親を探す間だけでも(安全に)引き取れるのはなのはだけ。

 

 なのは自身、あのフェレットには興味があった。

 

 夢に出てきた少年と黒い巨大なマリモ。魔法陣を展開する赤い宝石。少年の言ったジュエルシード。フェレットになった少年。

 

 所詮は夢、とは思う。

 

 だが、少年がなったものと瓜二つなフェレット。これが偶然ではない、となのはの直感がささやいていた。

 

 もしかしたら、エレオノーレに戻る糸口が見つかるかもしれない。

 

 なのはは家に帰って相談してみる、とだけ告げて、塾に入っていく二人を見送った。

 

 そして夜。夕飯時。

 

 家族全員が揃い、テーブルを囲む時間、なのはは口を開いた。

 

「――という事で、しばらく家で、そのフェレットさんを預かれないかなぁ、って」

 

 なのはは文字通り“仮面”をかぶった上で、事の旨を相談した。

 

 すなわち、小学三年生(こども)らしい高町なのはというなの仮面を。

 

 さすがに家族の前で“赤騎士なのは”はマズイと判断したが故に下した、苦渋の決断だった。

 

 屈辱的以外の何物でもないが、少なくとも中学に上がるまではこの仮面をかぶり続けなくてはならない。全力を以て“赤騎士なのは”を封じ込め、“高町なのは”を演じる――ちなみに参考にしたのはアニメのキャラクター――。

 

 “小太刀二刀御神流”などという武術をやっている、父と兄・姉の三人ですら、未だに気づかないあたり、なのはの仮面は完璧だと言えるだろう。なのはの精神衛生面を考えなければ、の話だが。

 

「ふむ……フェレットねぇ」

 

 父、高町士郎は腕を組んで考え込む素振りを見せ唸る。

 

 若い男である。どう考えても二十代後半、行って三十代に足を突っ込んだ程度にしか見えない。少なくとも子供が三人もいるなどと考えつかない若さだ。独身に見られてもおかしくないだろう、と思えるほどに。

 

 それを言うなら母の桃子も同じく若かった。

 

 なのはと同じ、栗色の髪を背中まで下ろした女性だ。こちらはこちらで、二十代だと言われても疑わずに納得するレベルである。若作りしている訳でもなく、素面(しらふ)でこれなのだから恐ろしい。

 

「なのは――」

 

 目を開け、真剣なまなざしでなのはを見つめ、

 

「――フェレットってなんだ?」

 

 そんなことを言った。

 

 兄妹三人、思わずガクッとしてしまった彼らは悪くない。

 

「イタチの仲間だよ父さん」

「ペットとして人気の動物なんだよ?」

 

 苦笑して言ったのは兄の恭也と、姉の美由希。

 

 父親に似た、黒髪の青年が恭也。同じく黒髪で、首の後ろで髪をまとめ、丸眼鏡をした少女が美由希だ。

 

 冗談でもなんでもなく、本当にフェレットの事を知らないらしい。うーん、と士郎が唸っている。

 

 と、桃子が料理の乗った皿を乗せた盆を持ち、自分の席に向かいながら会話に参加する。

 

「確か、小っちゃかったわよね?」

「知ってるのか? フェレット」

 

 盆に乗せた料理を机に置き、軽く驚いた様子の士郎を見て、桃子はくすりと笑う。

 

「えっと……確か、このくらい、かな?」

 

 なのはが手で大きさを伝えると、桃子は頷く。

 

「かごに入れて、なのはがしっかりお世話出来るなら、しばらく預かるくらいいいと思うわ」

「本当っ?」

「えぇ」

 

 笑顔で肯定する桃子から目を外し、士郎は兄と姉に目をやる。

 

「ふむ。恭也と美由希の二人はどう思う?」

「いいんじゃないか」

「私も良いと思うよ」

「――だそうだよ?」

 

 笑顔で告げられたその言葉を、父も含めた肯定と受け取ったなのはは、「やったぁっ」と声を上げた。一瞬、頭の中で俯く赤騎士なのはが()ぎったが、無視してなのはは笑う。

 

 桃子は盆に乗った最後の皿をテーブルに置き、自分の席に座り、家族全員を見回す。

 

「ふふっ、さ、ご飯が冷めないうちに」

『いただきまーすっ』

 

 文字通り、“日常”となった団らんが、今日も始まる。

 

 

 

 

 

 

 夕食を食べ終え、風呂に入り歯も磨いたなのはは、部屋のベッドに腰掛けメールを打っていた。送信相手はアリサとすずか。内容はもちろん、(くだん)のフェレットの事だ。

 

 フェレットを預かることを許可されたことと、明日迎えに行くということを完結に、そして淡々と書いた文面は、小学三年生の少女が書いたとは思えない代物に出来上がった。とはいえ今までもそんなメールばかりだったし、アリサとすずかも気にしていないようなので変える気もなかった。

 

 返ってきた返信で、自分たちも行くという二人に肯定のメールを送ると、なのははベッドに横になった。

 

「……やはり携帯というのは慣れん」

 

 家族や友人との連絡手段として親にもたされたものだが、外面は少女でも中身は何十年も生きた軍人乙女である。エレオノーレのころは携帯など使わなかったし、そもそも大戦中はそんなものを使う余裕どころか存在すらしなかった。その後も“城”にいたり戦ったりと、携帯を手にする暇も必要もなかった。

 

 言い方はあれだが、老人がハイテク機器を持っているようなものだ。率直に言ってしまえば、なのはは現代機器オンチだった。

 

 今でこそ電話帳に登録されたアドレスを間違えて一掃してしまったり、返信しようとしたら、訳も分からず受信したメールをそのまま返信してしまったりという事はないが、携帯を持った初期のころはそれは酷いものだった。

 

「……そろそろ書き始めるか」

 

 言ってなのはは起き上がり、勉強机の下に向かう。格納された引き出しの一つを開け、二重底の下に入れてある日記帳を取り出す。

 

 小学一年のころから始めた日課だった。

 

 どうでもいい事だろうとなんだろうと、印象に残った出来事を書き記す。それと同時にその時点で新しく考え付いたことなどを書き連ねていくのだ。正直、性に合わないとは思っていたが、現状の情報を文面にすることで新しく分かることもあるかもしれないとの考えだった。

 

 とはいえ毎日毎日書いている訳ではなく、とにかく何か印象に残る(頭の片隅に残った)出来事があった日だけ書くのだ。故に三年間続けていても、まだ一冊使い切っていない。

 

 誰かに見られれば精神病を疑われること必至――ドイツ語で書いているから解読されなければまだセーフ、かもしれない――なので、前述したような場所にいつもは隠している。

 

 机上に広げ、椅子に座ってペンを持ち、紙上に走らせる。

 

 

 

 

 

 

『妙な夢を見た。民族衣装を着た金髪の少年と、黒いドロドロした塊の戦闘の夢だ。

 少年にも黒い塊にも見覚えはない。だがその夢はやけに鮮明に、そして綺麗に記憶に残ったのだ。

 結果として相打ちに終わり、黒い塊は逃走し少年は力尽きてフェレットになった。

 最初はこんな夢のことなど各気はさらさらなかったが、放課後、帰宅途中に起きた事件によって書かざるを得なくなった。なんと、ケガをしたフェレットを発見したのだ。それも少年が変身した物と瓜二つの。

 獣医が言うには、フェレットにしてはこんな種類は見たことが無いと言う。

 今日見た夢が、メルクリウスの介入による物か、それとも少年による物かは現状では分からない。だが、あの夢がもし現実だったとしたら。もし、昨晩実際に起こったことを夢として見たとしたら。

 関われば、何か糸口が見えるかもしれない。ハイドリヒ卿の下へ戻る術の糸口が。』

 

 

 

 

 

 

 ひと段落したところでペンを置いた。ふぅ、と一息。

 

 携帯も携帯だが、やはり日記もなれたものじゃない、となのはは思った。こんなのはキルヒアイゼン辺りがやっていればいい。

 

 時計を見た。夜の九時。今の自分は子供、ということで、就寝時間は九時半、遅くとも十時と定めていた。

 

 今の年頃にしては少しばかり遅い方な気がしなくもないが、身体は幼くとも心は大人。心が身体に引っ張られるのではなく、身体が心に引っ張られているのか、せめてその時間帯でないと眠れないのだ。

 

 時間までは本でも読んでいるか、と日記を引き出しにしまい、読み途中だった本を小さ目の本棚から取り出して再び椅子に座った。背表紙に書かれたタイトルは、『北欧神話』。小遣いを貯めて買ったものだ(本屋の店員は軽く驚いていた)。

 

 ちょうど今は『ロキの口論』と呼ばれるシーン。簡単に言えば、ロキが他の神々を侮辱する場面だ。有名なヘイムダルやフレイ、フレイヤ。果ては神々の王オーディンにまで、罪や欠点を暴露してしまうのだ。

 

 ちなみに、なのははマンガなども一応は読んでいるし、アリサの家に行けばゲームもする(めっぽう弱いが)。話題は人間関係を楽しくする手段の一つ。読んだ本に書いてあった故に、キャラじゃないと躊躇(ためら)いつつも手にしている。

 

 まさしくジャンル違いだ、となのはは思う。だが仕方ない。子供が話題とするのはアニメやゲーム、遊びの話と少しの勉強の話。多少は分からなければ話についていけない。

 

 ――とはいえ、交友関係はアリサとすずかくらいしかないのだが。

 

 『ロキの口論』の場面が終わり、ひと段落したところでしおりを挟み、閉じる。読みふけっていては、気が付いたら朝だった、なんてことになりかねない。ひと段落したら閉じる。これもまた日課だった。

 

 立ち上がり『北欧神話』を本棚に戻す。

 

 時計を見れば、ちょうどいい時間だった。ベッドに向かい掛布団を持ち上げて、ベッドとの隙間に体を滑り込ませる。

 

 ――その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

《……誰か……っ》

 

 

 

 

 

 

 

「!」

 

 跳ね起きる。周囲を見回し、辺りに家族以外の気配がないことを確認する。

 

《誰か……! この声の聞こえる誰か……っ!》

 

 林道の時と同じだ。頭の中に直接聞こえる。夢の中に出てきた少年の声、林道で聞こえた声、今聞こえてくる声。全て同じ声だと断定できる。

 

 目を閉じ、意識を集中させる。現実的な出来事ではない。だがどんなものかは知っている。かつてルサルカ・シュヴェーゲリンが語っていたのを覚えている。

 

「念話とかいう奴か」

 

 意識を自分の奥底にある“何か”に集中させる。この念話はそれを中心にして受信しているのが分かる。魔力を媒体とし、声と言葉を乗せて送り出されたものが、同じく魔力を持つ者としてそれを受信しているのだ。

 

 おそらく自分以外に聞こえなかったのはそれが原因だろう。周りに魔力を持っている者がいなかった。なのは以外に魔力を保有している者が存在しなかった故に、無差別に撒き散らされた“これ”を受信できなかった。

 

 なのはは寝巻を脱いで下着姿になり、タンスから適当な服を取り出して素早く身に着ける。

 

 その間も意識を集中させることを怠らず、受信する魔力をたどり、どこから念話が送られてくるのかを逆探知する。予想はついていた、だが万が一という事もある。魔力を使うのは初めてだが、やってみるしかない。

 

《この声を聴いているあなた! 僕に力を貸してください! この世に害をなす災厄が迫っているんです!》

 

 逆探知の傍ら、受信する魔力を鮮明に感じ取ることが出来たからか、念話の声が鮮明になってきた。

 

 そちらに耳を離さず、なのはは部屋から出た。扉を開ける音も閉める音も、階段を下り靴を履いて玄関を出る音も何もかもを漏らさずに家を飛び出す。

 

 音自体は家族に聞こえていないはずだが、相手は武術家だ。油断はできない。魔人の身体能力をフルに活用し、物音も経てずにその場から跳躍する。真上でも斜めでもない。真正面に。

 

 同時に逆探知も成功した。予想通り、槙原動物病院だった。

 

 壁を乗り越え屋根を飛び回り、夜の海鳴を疾走する。久しぶりの気分だった。思わず笑みが零れていることに、彼女は気づかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      *  *  *

 

 

 

 

 

 

 

 フェレットこと金髪の少年、ユーノ・スクライアは逃走していた。

 

 病院内を走り回り、追いかけ突撃してくるそれを避ける。棚が倒れ乗せられていた物があたりに散らばった。

 

 黒いマリモだ。

 

 正確にはジュエルシードという名の膨大な魔力を持った石を核とする思念体である。願いを叶える願望機とされたそれは、その願いを歪ませ、石に渇望した形そのもので叶えることが出来ない。

 

 故に歪んだ結果が形となる。あれはそのなれの果て。石自体が使用者を求めた(・・・)故に形を持ち、思考能力めいたものを持ったものだ。

 

 だからこそ、ユーノが自分を害するものだと認識し、排除せんとする。

 

「ッ!」

 

 避けた先にあった台に着地し、再び跳躍する。思念体は止まらずそのまま突撃し、台ごと吹き飛ばした。吹き飛ばされた台が辺りにある物を吹き飛ばし、壁にぶつかって床に落ちた。

 

 窓から飛び出すと、思念体もそれを追って外に出る。着地すると、地面が潰れた。

 

(大きくなってる……っ)

 

 おそらく時間と共に、その身を構成する魔力量が増加したのだろう。体自体が魔力で構成されているから、損傷を治すときは魔力を必要とする。そのついで――もしくは損傷を治す方がついでかもしれないが――に、自分自身を魔力で強化し、巨大化した。

 

 見れば、形自体は変わっていない物の、昨晩見た時よりも身体がしっかりしている。身体を構成している魔力量が増えた証拠だ。

 

 地面を飛び木に飛び乗る。思念体が追って突撃してきた。飛んで避けると同時、思念体に木が薙ぎ倒され、路上に飛び出した。

 

 もごもごと思念体が動く中、ユーノは地面に着地――、

 

「ほぅ、これはまた」

 

 するまえに、がしっ、と誰かにキャッチされた。

 

「!」

 

 反射的にその主を見上げる。

 

 それは、ユーノをこの病院に運んだ少女だった。栗色の髪を後ろにまとめてポニーテールにし、可愛らしい顔つきに反し、その目つきは鋭い。子供らしからぬ雰囲気の持ち主だ。大人になったころにはどうなっているか、なんとなく想像がつく。

 

 彼女の視線は、ユーノではなく後ろの思念体に向けられていた。

 

 口端が釣り上がる。

 

「夢ではなかったわけだ。なるほど、希望などという言葉は好まんが……」

 

 瞬間、思念体が動いた。

 

 骨も筋肉もない体を弾ませ折れた木を蹴り、なのは達に元へ突撃する。だがなのはは動じない。それどころか、

 

「ふんっ!!」

 

 ユーノの視界がぐるりと回った。

 

 それはなのはが回し蹴りをしたからだと気づいたのは、同時に聞こえた何かが弾ける音と壊れる音、そして視界が安定した瞬間に見えた彼女の白い足と――体が半分以上吹き飛んだ思念体を認識してからだった。

 

「なぁッ!?」

 

 驚きの声を上げるのも無理はないだろう。なにせ自分と同い年くらいの女の子(・・・)が、膨大な魔力で構成された身体を生身の蹴りで吹き飛ばしたのだから。

 

「チッ、思ったより弱体化しているな」

 

 思念体の身体の欠片が、コンクリートを砕き穿(うが)っている。電柱柱などは、半ばあたりで折れていた。鉄のような固さだ。前に見たとき、体の破片は泥のような物だったと言うのに。どうやら思った以上に内包している魔力が増えているらしい。

 

 ずるり、と残った体から触手が伸びた。それらは吹き飛び弾けた欠片たちの元へ伸び、回収していく。

 

「まだ生きてるのか、あれは」

「た、ただ傷つけるだけじゃダメなんです!」

 

 ユーノの声に反応したなのはが、初めて彼に目を向ける。

 

「あれはジュエルシードと呼ばれる石によって生み出された思念体。いくら体を傷つけても、その核であるジェルシードを封印しなきゃ――ッ!」

「どうすればいい」

「これをっ!」

 

 ユーノは首に下げた宝石をくわえ、なのはに差し出す。

 

 なのはが受け取ると、それは桃色に光り出した。暖かい光だ。まるで命が吹き返したかのような感覚すらする。

 

「これは……」

「それを持って、心を――」

「ッ!!」

 

 ユーノの言葉を遮るようになのはは飛び退いた。同時に、先ほどまでいた地面が、体の一部を巨腕のようにした思念体が叩き潰す。地面が砕け破片が散った。

 

 コンクリートの外壁に着地したなのはを追撃するように、完全に再生した思念体が突撃してくる。さらに飛び退いてそれを避ける。

 

「おいっ」

 

 空に滞空しながらなのはが叫ぶ。

 

「この宝石を持ってなんだ!」

「こ、心を澄ませてください! それで、僕に続いて!!」

 

 着地したなのはを押しつぶさんと、思念体が飛びついてくる。

 

「邪魔……だッ!!」

 

 真っ白な左足が空に掲げられる。それを思念体が目の前まで落ちてきた瞬間に振り下ろした。

 

 ドッゴォ!! と、思念体の頭(?)に踵落としが叩き込まれる。コンクリートで固められた地面が砕けた。痛覚があるのか、それともまた別の要因か、思念体はもがき苦しむように蠢く。

 

「続けろ! 私は問題ない!」

「は、はいっ!」

 

 再び視界がぐるりと回った。今度は縦方向だ。宙返りをして思念体の突撃を避けたらしい。

 

 まるでジェットコースターにでも乗っているようだ、とユーノは思った。

 

「わ、我、指名を受けし者なりっ」

 

 体を鞭のように振り回し、家々の外壁やら電柱やらをなぎ倒しながらなのはを襲う。なのははそれをローキックでそれを引きちぎり、後退しながらユーノの言う詠唱を復唱する。

 

「契約の元っ、そ、その力を解き放てっ」

 

 視界が回りに回る。その上飛んだり跳ねたり、身体が宙に浮いたりなんなり。ジェットコースターどころか、それにフリーフォールやらトランポリンやらまでもが混ざってきた。

 

 正直、恐くて口がうまく回らない。

 

 だがどうやらうまくいっているらしい。なのはが復唱するたびに、胎動を開始するように魔力が膨れ上がる。同時に赤い宝石、レイジングハートの放つ光も強くなっていく。

 

「風は空にぃ!? ほじッ……ほ、ほほ、星は天に……」

 

 竜のような(あぎと)を形成した思念体とぶつかった衝撃で、思い切り舌を噛んだ。血が(にじ)んできたのが分かる。とてつもなく痛い。

 

「そひて、ふくふの心は――」

 

 しかし幸いと言うべきか。うまく口が回らずとも、舌が痛くてうまく言えずとも。彼女はそれを正確に理解し正しく復唱してくれる。

 

 出来ればもっと穏便というか、そんな状況になるようなことをしないで欲しいのだが、直感的に言っても仕方ないと理解していた。

 

「「――この胸に!」」

 

 キィン、と魔力が振動する。なのはからレイジングハートへと送り込まれる魔力が増大し膨れ上がる。

 

「「この手に魔法を! レイジングハート――」」

 

 それは極限にまで高まり強くなって――、

 

「「――セットアップッ!」」

 

 ――爆発した。

 

《Stand by ready. Set up》

 

 解き放たれた魔力が光の柱となった立ち上り、雲を掻き消す。それだけでなく、あまりにも膨大な魔力故に、魔力の嵐ともいえる桃色の風が辺りに吹き荒れた。爆発の衝撃で思念体は吹き飛ばされ、電柱をなぎ倒して落ちる。

 

 ユーノも吹き飛ばされそうになるが、なのはの腕にしがみつき何とか耐えしのぐ。

 

「ぐ……ぅっ! これは――っ!」

「な、なんて魔力だ……ッ!!」

 

 資質があるとは思ったし、自分よりも魔力があるとは思っていた。

 

 だがこれは予想以上に予想以上だ。自分よりも魔力があるとかそういう問題じゃない。レベルが違う。

 

「おいっ、ここからどうするんだ!」

 

 はっと我に返り、ユーノはなのはの手の中から飛び降りる。

 

「イメージしてください!」

「イメージだとっ?」

「君の魔法を制御する魔法の杖、そしてその身を守るバリアジャケット(強い衣服)を!」

 

 瞬間、なのはの身が桃色の魔力に包まれた。

 

 杖が形成され、防護服が魔力によって編みこまれる。

 

「――な、なんだこれはッ!?」

 

 光が晴れ、彼女の姿が再び現れるのと、そんな悲鳴じみた声が聞こえたのは同時だった。

 

「ど、どうしたんですかっ」

「こ、ここ、こんな……ッ!」

 

 現れた彼女は、その手にしっかりと変形した状態のレイジングハートが握られている。真紅の宝石をコアとし、三日月状の金色に輝く穂先。棒状の柄と合体する付け根のあたりから冷却用の噴射口が二つ設置されている。

 

 さらに防護服、バリアジャケットも問題なく形成されていた。

 

 白と青を基調としたものだ。形としてはセーラー服に通ずるものがある。スカートはロングスカートで、裾にフリルがあしらわれている。胸のリボンに当たる部分は、金色の鋼鉄で作られており、両手にオープンフィンガーグローブをはめ、袖にはハンドガードらしき装甲が取り付けられている。

 

 正常だ。なにもかも正常に機能している。

 

「あ、あの、なにが――」

「これだバカモノっ。こ、こんな……こんな!」

 

 びしっ、と指差したのはバリアジャケット。

 

「こんな魔法少女みたいなもの着ていられるかっ!!!!」

「えぇ――ッ!?」

 

 そ、そんなことぉ!? と、ユーノは思わず叫んだ。

 

「杖は……まだいい。まだ許容できる。だがこれはダメだ、これだけは許せん! 変えろ、今すぐ変えろ!!」

「で、でもイメージしたのはあなたじゃ……」

「た、確かに一瞬聖祥の制服がチラついたのは事実だが! なにもそれをアレンジしたものを選んだわけじゃないぞっ」

 

 それともまさかこの前見た魔法少女アニメに洗脳されたのか!? などと訳の分からない事を叫びながら頭を抱え始めた。

 

 そうしている間にも思念体は復活し、こちらを睨みつけ今にも突撃しようとしている。

 

 焦った。とにかく焦った。まさかバリアジャケットが気に食わないなんてことで躓くなんて!

 

 ド――ッ!! という爆音がした。思念体が弾丸のごとく飛んできている。

 

「わーッ! じゃ、じゃあ早く変更を!! 今度こそ正式(?)な防護服をぉ!!」

「変更っ、変更だッ!!」

 

 形成されたバリアジャケットが桃色の魔力に戻される。先の形から変形し、新たな防護服の形を形成していく。

 

《Protection》

 

 バリアジャケットが再構成される中、既に目の前まで来ていた思念体が、レイジングハートの電子的な女声と共に展開された防壁に衝突した。あまりの固さにそれは壊せず、その上反射された衝撃と、プロテクションの“弾き返す”効果よって、自分自身が吹き飛ばされ再び地面に激突する。

 

 それと同時、バリアジャケットの再構成が完了した。

 

「お、おぉ……っ!!」

 

 なのはがなにやら感嘆の声を漏らした。

 

 再構成されたバリアジャケットは、まさしく軍服だった。それも漆黒の軍服。左腕には真紅の腕章が取り付けられ、首からはルーン文字らしきものが刻まれた、紅いたすきのようなものを下げている。オープンフィンガーグローブをはめていた両手には、剣に巻きつく双蛇の描かれた白い軍用手袋が代わりにはめられていた。

 

 そしてそれを身に纏った少女は――何故か泣いていた。

 

「え、えぇ!?」

 

 ――今度はなんだ、泣くほどの問題が起きたのか!?

 

 思わず頭を抱えそうになったユーノだったが、なのはは泣き続ける。泣き続けながら笑みを浮かべていた。

 

「まさか……まさかこんなにも早く、再びこの軍服に袖を通す時が来ようとは……っ!」

 

 何が何だか分からないが、どうやら感涙しているらしい。問題があったわけではないようだ。

 

「あ、あのー……」

「あぁ……すまない。封印だったな」

「は、はい」

 

 微笑みながら言うなのはに、思わず戸惑ってしまった。

 

 心なしか、若干優しくなった気がする。

 

「どうすればいいんだ」

「僕らの魔法は、いわゆるプログラムのようなもので、防御などの簡単な魔法は、最初からレイジングハートの中に入っているんですが……」

「封印の魔法は別、ということか」

 

 なのはの言葉にユーノは頷く。

 

「より大きな魔法を使うには、呪文が必要になるんです」

「呪文?」

「心を澄ませてください。あなたの呪文が浮かんでくるはずです」

 

 言うと、なのはは目を瞑り黙り込んだ。

 

 思念体は地面に激突した衝撃ではじけ飛んでいる。今は再生途中だ。時間はある。

 

 すると、キッ、となのはは唐突にユーノを睨みつけた。

 

「ひっ、な、なんですか……?」

 

 また何か問題が!? ユーノは冷や汗が垂れるのを感じた。

 

「……私に、これを言えというのか」

「は、はい?」

「私にィ……こんなフザケタ呪文を言えというのかァッ!!」

「ひぃいいいいいいいッ!!?」

(今度は呪文に文句が!?)

 

 ぐぬぬぬぬ……と、なのはは青筋を浮かべながら悔しそうに歯を噛みしめる。

 

「私は……私は魔法少女じゃないんだぞ……ッ。こんな、こんなバカげた呪文なんぞをォ……!」

「で、でもそれを言わないと……」

 

 ギリギリッ、と歯が音を立てた。

 

(そんなに嫌なの!?)

 

 が、急にガクリ、と俯きだした。

 

「……フェレット」

「は、はい」

「私にこんな物を言わせるのだ、きっちりしっかり後で説明してもらうぞ……」

「は、はい……」

 

 なのはは一歩踏み出す。その顔は青ざめ、エレオノーレを知る者からすればびっくり仰天とも言うべきほどに諦めに満ちていた。

 

「……カル……マジ……」

「?」

 

 怪訝な顔をして見守っていると、振り上げるようにその顔を上げた。

 

 

 

 

 

「リリカルマジカルッ!! ジュエルシード封印んん――ッ!!」

 

 

 

 

 

《Sealing mode Set up》

 

 なのはの叫び呼応し、レイジングハートが稼働する。封印に特化したシーリングモードへ移行し、穂先の付け根から桃色の翼が展開される。

 

 再生を完了し、再び起き上がった思念体が突撃してくる。それに対し、なのはは涙さえ見せながらも、レイジングハートを思念体に突き付けた。

 

 穂先の中心に輝く赤い宝石から、桃色の帯が数本放たれ伸びた。それは真っ直ぐに思念体に向かい、その巨躯を縛り上げる。

 

 その額に浮かび上げられるローマ数字。番号は二一。

 

《Stand by ready》

 

 準備が完了した、と告げるレイジングハートに、なのはは未だ歯をかみ合わせながら続く。

 

「リリカルマジカル……ッ!! ジュエルシードシリアル二一ッ、封印!!」

《Sealing》

 

 コアから光が放たれる。思念体の表面に浮かび上がらせたジュエルシード()を撃ちぬく封印の光。

 

 十数と放たれたそれは、なんの狂いもなく思念体を貫いた。

 

 思念体でも痛みを感じるのか、その真っ赤な目を見開き悲鳴を上げる。その体内から桃色の光を漏らし、内側から侵食され体ごと桃色に光り出し――光の粒子となって消滅した。

 

「くっ……こんなもの、ハイドリヒ卿になど見せられん……ッ」

 

 粒子は膝をつき涙を流すなのはを無視して、その場から消え去っていった。

 

 

 

 

 




 気分によってあっち書いたりこっち書いたりと、浮気しまくってるわけですが。とりあえず書き溜めてた三つはこれで投稿完了。

 次は守護執事かこっちか。できた方を先に投稿するけど……はたして。

 ていうかセリフに関して“これ危ない?”って危惧するのがいくらかあるんだけど……大丈夫かな? 怖いんだけど。

あ、ちなみに。
バリアジャケットとリリカルマジカルに関しての少佐は、個人的イメージなので、「こんなのザミエル卿じゃねえ!」というのはご勘弁いただきたいです。


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第二話「協力・共闘・同盟」

 パトカーのサイレンが夜の海鳴に鳴り響く。

 

 後からユーノに聞いた話だが、あの場には封時結界という空間を切り取って周囲の時間軸からずらす、すなわち結界を解いた後は何事もなかった状態になる魔法が使われていたらしい。……のだが、完全な結界を張るにはユーノ自身の魔力が十分ではなかったようで、一部を除いてあの戦闘痕は綺麗に残ってしまった。

 

 パトカーが出たのも、おそらく戦闘中の爆音なりなんなりも漏れてしまったのだろう。見事に先ほどの戦場、槙原動物病院付近へと向かっている。

 

 そんな戦場にいた、平凡な小学三年生こと高町なのはは、公園のベンチに腰掛けていた。

 

 屈辱に(まみ)れ崩れ落ちた彼女だったが、腐っても黒円卓の大隊長。パトカーのサイレンを耳にした瞬間に我に返り、ジュエルシードをレイジングハートに格納して早々に立ち去ってきた。

 

 しかし、そんな彼女にしてはらしくもなく、その顔には疲労の色が見て取れる。

 

「あのぅ……大丈夫?」

 

 俯くなのはの隣にうずくまるフェレット、ユーノ・スクライアの言葉に、なのはは小さく頷いた。

 

「……問題ない。今これでは、先が思いやられる」

 

 ゆっくりと身を起こし、頬を数回叩いて前を向く。視線の先にある、公園内の湖で魚が一匹はねたのが見えた。

 

 防護服――バリアジャケットと言うらしい――の問題は、黒円卓の者たちが身に着ける漆黒の軍服を再現することで解決した。“リリカルマジカル”などという、魔法少女じみたバカバカしい呪文も……納得はできないが割り切ることは出来る。いちいち細かい事で立ち止まるほど、なのはは弱い女ではなかった。

 

「……ケガは治ったようだな」

 

 身を震わせ、胴に巻かれていた包帯を器用に取り去るユーノに目をやりなのはは言った。

 

 彼女の言うとおり、包帯の中から(さら)されたには、先のケガなどほとんど残っていない。多少残ってはいるものの、全て擦り傷程度。人間にしても動物にしても、放っておけば治るレベルだ。

 

「それも魔法か」

「えぇ。あなたのおかげで、魔力を治療に使うとが出来ましたから」

「だがそのせいで結界とやらが十分でなかったわけだ」

「あぅ……」

 

 申し訳なさそうな顔をするユーノに対し、ふん、となのはは鼻を鳴らしてユーノに目を向ける。

 

「まあいい。私は気にせん。幸い誰にも見つからず、人死にも出なかった。あの程度、多少騒がれるだけで済むだろうよ」

「でも……」

「なんだ」

「……あなたを巻き込んでしまいました」

 

 目を伏せてユーノは言う。

 

 元より真面目な性格なのだろう。何かしらの考えと理由があるのだろうが、ジュエルシード(あんなもの)を一人で回収しに来るくらいだ。生真面目と言ってもいいかもしれない。

 

 だからこそ勝手に罪悪感や責任を感じるし、背負う必要のないものまで背負いだす。真面目も行き過ぎれば融通の利かないバカにしかならない。それが常に悪いとは言わないが、度が過ぎれば身をも滅ぼすことになりかねない。特に彼のようなタイプはまさにだ。

 

「くだらん」

「え?」

 

 だから切って捨てた。

 

 なのはとしては別にユーノがどうなろうと知ったことではない。だが正直イラついた。

 

「夢に見た貴様の戦い、はっきり言って情けなく嘆かわしいものだった」

「うぅ……」

 

 ユーノは何も言い返せず、小さく呻く。

 

 だが、となのはは続けた。

 

「貴様の意思、覚悟は評価できるものだった」

「え?」

「少なくとも、その辺ににいるようなクズどもよりもよっぽどマシだ。何が何でも成そうとする覚悟、そのためにくたばろうとも前に進む意思。全力を()し、諦観など一切せずに己が剣を以て戦った」

 

 故に評価すると言う。未熟も未熟ではあるが、一人の戦士として認めると。

 

 だからムカつくのだ。この自分が評価してやったにもかかわらず、今のように情けない姿を晒しているユーノが。

 

「私を巻き込んでしまっただと? 自分だけで解決できん奴が偉そうな口を利くものだ。その上、私を下に見おって。ふざけるなよ小僧が」

 

 がしっ、とユーノの胴体を鷲掴み自分の目の前に持ってくる。軽く圧迫されるほどの力で掴まれ、うきゅっ、とユーノは小さく苦鳴を漏らした。なのはの鋭い瞳が睨みつける。

 

「貴様が何を考えてジュエルシードとやらを集めるのか知らんが、そんなくだらんことで(つまづ)くのなら、最初から出てくるな。その程度の覚悟でないと言うのなら、(たわ)けた事をぬかさずにとっとと立て」

 

 言ってポイとユーノを投げ捨てる。ゴミ箱に入りそうになったが、何とか縁に足をかけて飛び逃れる。

 

 見ればなのははすでにベンチから立ち上がり、どこかへ歩き出していた。

 

 ――強い女の子だ、とユーノは思う。

 

 今まで平凡に暮らしてきたはずの女の子。それがあんな命懸けの戦場に突然出たにも関わらず、何にも動じない。さらに言えば、強がっている訳でもない。

 

 自分が彼女の立場であったら、あそこまで堂々としていられるだろうか。

 

 強くなりたい。否、強くならなければならない。今の自分は、彼女にも及ばない。

 

 走らなくてはならない。走り続けなくては。彼女が評価するに値する存在になるまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      *  *  *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 家に帰ってまず一言。

 

(やはり侮れん……)

 

 肩にユーノを乗せ、適度に速度を出しながら家に帰ってきたなのはを待ち構えていたのは、仁王立ちした兄と、後ろで手を組んで待っていた姉だった。

 

 兄はまさに怒ってますと言わんばかりのしかめっ面を浮かべ、姉は同情しますと言いたそうな苦笑を浮かべている。

 

 バレている可能性を考慮して、家の付近で“仮面”をかぶったのは正解だった、となのはは安堵した。

 

「……こんな時間にどこへ行ってたんだ?」

 

 恭也の鋭い声が、俯き加減のなのはを責める。“小学三年生な”なのはは、赤騎士なのはの時からは考えられないほどに少女で、兄に怒られれば申し訳なさそうな顔になる。

 

「その……なんか、嫌な予感がしたと言うか……この子が心配になって……」

「動物病院まで行ってきたのか」

「……うん。そしたら、この子がちょうど外に出てて……」

 

 肩に乗るユーノに手をやる。指先をそっと舐めた。

 

「……理由は分かった。でもな、こんな真夜中になのはみたいな小さな子供が外に出るのはいただけない。特に真夜中は、昼間なんかには出てこないような奴だって出てくるんだ。どんな危ない奴に襲われても不思議じゃないんだぞっ」

 

 語気を強める恭也に、ユーノも揃って肩を震わせる。

 

 言ってることは正しいし、兄として妹を案じての事だ。非があるのは自分だし、言い訳も反論する気もない――今回における反論は逆ギレと同義だろうし――。というより出来ない。全て事実で、魔法のことなど話せないのだ。確実に関わらせてもらえないだろうから。

 

 しゅんとしながら、なのはは素直に「ごめんなさい」と小さく告げた。“小学三年生な”なのはの心からの謝罪だった。

 

 それを()んだのか、それとも反省の気を察したのか、美由希がまぁまぁ、と間に入る。

 

「なのはも反省してるみたいだしっ、無事に帰ってきたんだし。今回は初犯ってことで、許してあげようよ」

「しかし――」

 

 尚も食いつく恭也に、呆れ顔で制す。

 

「はいはい、恭ちゃんの気持ちも分かるけど。外も寒いし、なによりなのははいい子だから、今日みたいなことはもうしないよね?」

 

 ウインクしながら、なのはを見る。申し訳なさそうな顔をしながら一つ頷く。

 

 恭也は若干納得いかな気な顔をするが、美由希の笑顔を見て小さくため息をついた。

 

「……分かった」

「お兄ちゃん、心配かけてごめんなさい……」

「次は、父さんも加えてお説教だからな」

「肝に銘じます……」

 

 安堵の息と共に、苦笑した。

 

「それにしてもさぁ」

 

 美由希はなのはの肩に乗るユーノをそっと手に乗せ、空に掲げるように持ち上げた。

 

「可愛いよねー、この子。ペットとして人気になるだけあるわ」

「きゅい?」

「あははっ、かーわいぃー!」

 

 頬ずりしながら抱きしめ、美由希は家の中に入っていく。

 

 残された二人は、お互いに見合わせる。苦笑い。

 

 冷たい夜風が吹きすさぶ。

 

 とりあえず寒いので、彼女に続くことにした。

 

 

 

 

 

 

「きゃぁーーーーーっ! かぁわいぃーーーー!!」

「きゅきゅっ」

「ふむ。お手」

「きゅっ」

「賢いなー」

 

 美由希のあとに続いてリビングに入った瞬間に目に入ったのがそんな光景だった。

 

 いつの間にか美由希の手から桃子の手に渡り、まさしく少女のようにはしゃぎながらユーノを抱きしめ頬ずりする。甘く大人な匂いがユーノを襲った。

 

 同い年くらいの女の子も、特有のいい匂いという物を振りまくが、これはまさしくそれの上位存在。なのはから感じた物以上の“女の匂い”。幼いユーノはそれによって引き起こされる一種の酔いに耐えながらもただのフェレットを演じた。

 

 時折その頬を舐めてやったり、お手を要求されれば素直に応える。女性陣に抱かれ愛でられ、なのはの家族たちの腕上やら首回りやらを走り回り、一人サーカスのごとく働いて働いて働きまくった。

 

 ――結果。

 

「きゅぅ……」

 

 ユーノの餌などの相談も含め、なのはの部屋に辿りつくころには、ただでさえ消費した体力を使い切り、今にも崩れそうなフェレットが出来上がったのである。

 

「まったく……いくら魔法で負傷は治したとはいえ、病み上がりの癖に働くからだ馬鹿者」

「うぅ……ごめん」

「いい。途中で止めなかった私にも非がある」

 

 “小学生なのは”は止めるタイミングを掴み損ね、結果として最後まで働かしてしまった。

 

 “仮面”のデメリットは、ある意味こういったところにある。完璧に小学三年生になりきるが故に、心の奥底はともかく思考の一部も小学三年生に侵食される。完璧、完璧と言いはしたが、そういう面で見ればまだ“完璧”というには未熟なのだ。

 

 なりきりとは、時には多重人格をも引き起こす。そういった事態は防がなくてはならない。

 

 まだまだ改善の余地はあるか、となのはは片隅で考えつつ、ユーノ専用の寝床である籠に作られた、簡易的ベッドの上に彼を寝かせる。

 

「今日は仕方あるまい。事情に関しては――学校、その授業中にでも聞かせてもらおう」

 

 念話なら距離は関係ないだろう? と聞くなのはに、ユーノは頷いた。

 

「あのぅ……」

 

 と、ユーノは怪訝な顔をしておずおずと問う。

 

「なんだ」

「なんで念話のこと……」

 

 なのははつまらなそうに言う。

 

「知り合いに年齢詐称の魔女(ビッチ)がいて、そいつの話にあった。それだけだ」

「はぁ……」

 

 魔女? と首を(ひね)るユーノを余所に、なのはは今度こそ、ベッドにもぐりこむ。

 

 意識はゆっくり、ゆったりと、休息の時の中へ消えて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

       *  *  *

 

 

 

 

 

 

 

 ジリリリリリリリリリッ!! とけたたましい音に意識を引き起こされ、なのははうっすらと目を開けた。

 

 ゆるゆるとした動きで掛布団をどけて身を起こす。髪はだらしなく跳ね、その目はポーッとしたまましばらく虚空を見つめ、だらりと落ちた肩には力強さの欠片もない。

 

 かくん、となのはの頭が傾いた。

 

 この身体になってから毎朝この調子だ。魂が生粋の軍人乙女でも、身体能力が魔人のそれであっても、すっぱりと覚醒できないのだ。身体自体が寝起きに弱いらしい。規則正しく生きているし、夜更かしも(昨日は置いといて)していないのにこのザマだ。改善も難しい。寝ない事も一度だけ考えたが、人の身で、それも子供の身体でそれは難しかった。

 

 約十秒ほどポーッとしていると、ようやく頭が働き始めた。虚空を見つめていた目は力を取り戻し、崩れていた肩は立ち直る。それと同時にベッドから立ち上がる。

 

 クローゼットから聖祥大付属小学校の制服を取り出し、鏡の横に置いてあるハンガー用のフックにかける。寝巻を脱いで下着姿になり、真っ白な手足の肌を晒す。

 

 ハンガーにかかっている制服を余計な(しわ)を作らずに取って、黒いインナーに袖を通す。その上からワンピース状の白い服と上着を着て、胸元に(ひも)リボンを結ぶ。そして鏡の前に立ち、ササッと髪をとかして後頭部にまとめた髪の束をリボンで留めて完了だ。

 

 あとは洗顔やら歯磨きやら朝食やらがあるが、なのはは髪を纏め終えたところでユーノに目を向けた。

 

「おはよう」

「あ、えと……おはよう、なのは」

 

 自己紹介は昨日帰り道で済ませてあり、なのははユーノにファーストネームで呼ぶことを許した。というのも、この先短い付き合いで済まないのは確かだし、この世界においてこういうパターンの二人(魔法少女とそのパートナー)というのは、名前で呼び合うのが普通らしいからだ。

 

 魔法少女など認めるつもりもなければそんなつもりもないが、少なくとも似たパターンであるのは違いない。故に許した。

 

 ――しかし、なのははスクライア(部族名)で呼ぶわけだが。

 

「貴様の朝食はまだ買ってきていない。近所の動物専用の店の開店時間から考えて……おそらく九時半までには来るだろう。それまで待て」

「あ、うん」

「あと、貴様の考えるタイミングで念話して来い。授業中でも構わん。どうせ分かりやしないだろう」

「え? でも……」

「私はこれでも学年主席だ」

 

 言ってなのははドアノブに手をかけ、ドアを開ける。

 

「予習復習は既に終えている。貴様が気にする必要はない」

 

 自信満々と言うべきか、それとも余裕があると言うべきか。それだけ告げて自室を後にした。

 

 残されたユーノは、静かに閉じられたドアをしばらく見つめ、ぽつりと呟いた。

 

「……やっぱすごいなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      *  *  *

 

 

 

 

 

 

 

 

 スクールバスから降りて、なのはは校門をくぐる。

 

 まだ校門であるにも関わらず、昨日のアニメは見たか、サッカーの試合は凄かった、あの俳優がどうだ、などなど。同じく聖祥大付属小学校の生徒達の楽しげな声が、あちこちから聞こえてくる。大した感想は抱かないが、朝から元気なものだ、と頭の片隅で思う。

 

 昇降口を通り、靴を履きかえようと、指定された靴箱の戸を開ける。中に入っていた上履きを手に取り、脱いだ靴を代わりに入れて戸を閉める。

 

 昇降口の目の前にある広場を通過し、階段を上る。途中、すれ違った知らない女子生徒達が「高町さんおはよう」などと挨拶してくる。一人ではない。すれ違う女子生徒は大体挨拶してくるのだ。いつもの事ではあるのだが、何故かはよく分からない。

 

 自分の教室のある階に到達し、クラスの教室まで行って横開きのドアを開ける。教室の中にいる生徒達がなのはに目を向けた。

 

「あ、なのは! おはよう」

 

 一番最初に挨拶してきたのは、なのはの席にすずかといるアリサだった。

 

 なのははそれに答えず、自分の席に向かう。クラスメイト達が、なのはが目の前を通るたびに挨拶してくる。それらに適当に反応を返し、自分の席の机に(かばん)を置く。

 

「おはよう」

「おはよう、なのはちゃん」

 

 席についてから挨拶するのはいつもの事なので、アリサは何も言わない。代わりに、ねえねえ、と何かを心配するような顔で話しかけてくる。

 

「なのはは聞いた? 昨日行った動物病院の話」

 

 要領を得ない。

 なのははすずかに説明を求め、視線を向けた。

 

「事故か何かあったらしくって……大変なことになってるみたい」

 

 その意図を正確に理解してくれたらしいすずかは言った。

 

 ――なるほど、あれは事故とされたのか。

 

 正直、事故どころではない状況なはずだ。銃痕じみた物や爆発痕のよな物もあったはずだが、銃声などの音は鳴らなかったし聞こえもしなかっただろう。せいぜいがあの思念体が突撃して、物を壊す音くらいだ。

 

 周辺住民は納得しないかもしれないが、サプレッサーなどの可能性を考慮したとしても、それ以外に説明も出来ない。下手な説明をして大多数の不安を(あお)りかねないのだし。

 

「あのフェレット大丈夫かなぁ……」

 

 心配そうにすずかが言う。

 

 なのはは椅子を引き、座りながら、

 

「あれなら私の家にいる」

 

 と告げた。

 

「えぇ!?」

「そうなのなのはちゃんっ?」

 

 鞄から筆箱を取り出して机に置き、鞄を机の側面に取り付けられているフックに引っ掛ける。

 

「どういう訳かは知らんが、出歩いていたらたまたま会ったのだ。包帯も巻かれていたし、あのフェレットだとすぐに分かった」

「逃げ出してたのかしら」

「さぁな」

 

 嘘は言っていない。嘘は。

 

 変な黒い化け物に襲われたり、フェレットが喋ったり、魔法が使えるようになったり、その化け物を封印したり。フェレット発見後の事を言わなかった(・・・・・・)だけだ。

 

「でも良かったぁ。話を聞いた時は心配で……」

「まあ、無事なら安心だわ。今度見に行ってもいい?」

「好きにしろ」

 

 嬉しそうに笑う二人を見ながら、なのはは手を胸に当てた。

 

 掌に感じる胸板以外の感触。先日の魔法の杖――デバイスというらしい――である、レイジングハートの待機形態が、首から下げられている。服の中に、下げる紐も本体も隠しているから、本人以外には分からなくなっている。

 

 今日から魔法使いとしての生活が始まる。ファンタジーとしての期待など持ち合わせていない。ファンタジー云々で言うなら、エレオノーレであった頃、すでに生活の一部だった。

 

 故に持ち合わせるのは可能性への期待。

 

 非現実的な事象には、非現実的なものでしか解決できない。

 

 ラインハルトの元へ戻る。その術。やはり非現実的なものにしかないだろう。

 

 教室内に予鈴が鳴り響く。

 

 まずは情報が必要だ。ジュエルシードの事、魔法の事。それ以外にも何かあるなら知る必要がある。

 

 なのはは本鈴に耳を傾け、教室に入ってきた担任の教師に目を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 ――ジェルシードとは、願いを叶える願望機である。

 

 一限目の授業中、念話をしてきたユーノは授業中に失礼、と軽い謝罪と朝食が来たことを言って、事情を説明しだした。

 

「この前説明したとおり、漢字は――」

 

 黙々とノートを取りながら、なのははユーノの念話に集中する。

 

 ジュエルシードは、ユーノの世界の古代遺産らしい。

 

 この世界、すなわち“地球”は、次元世界と総称される宇宙のような物の中にある、“世界”と言う名の星の一つらしい。“地球”の他にも数多(あまた)世界が存在しており、人の住んでいない、それこそ地球が出来た頃のような灼熱世界もあれば、“地球”よりも圧倒的に科学の発達した世界も存在している。

 

 ジュエルシードは、多数ある世界の一つ。その世界の中にある、ユーノとその仲間たち(スクライア)が発掘していた遺跡で見つかった石なんだとか。

 

『使用者の願いを叶える願望機、それがジュエルシード。でも、力が不安定で、正しく願いを叶えることが出来ないんだ』

 

 それに、とユーノは続ける。

 

『昨日みたいに、使用者を求めてジュエルシード単体で暴走することもある。昨日よりも危険なのは、何も知らない動物や人が間違って使用してしまったときだ。特に人が使ったときはかなり危ないんだ。下手したら、被害は昨日どころじゃ済まない』

 

 誰かが言っていた。動物は純粋であると。それ故に、ちゃんと接すれば獰猛(どうもう)な肉食獣であろうと、敵意がないことを理解し、共に生きることが出来る。

 

 だからジュエルシードが叶える動物の願いは、純粋さ故にまだマシな物なのだ。

 

 だが人間は違う。

 

 あれがしたい、これがしたい、こうなりたい、どうなりたくない、あんなのは嫌だ、こんなのが欲しい、そんなものは認めない、誰かに好かれたい。

 

 欲望が強い故に、ジュエルシードが叶える願いも強くなる。解き放つ魔力は強くなり、周りに与える被害も大きくなる。

 

『……随分危険なものが、近所に降ってきたものだな。何があった?』

 

 そんな危険なものを、ユーノはバラ撒かないだろう。少なくとも自分のために使おうとして探しに来たのではない、となのはは見ている。

 

「それでは、ここを……バニングスさん」

「はいっ」

『……僕のせいなんだ』

 

 ユーノは辛そうに声を落とした。

 

『ジュエルシードみたいなものを管理したり、次元世界の治安を守ったりしてる、時空管理局、っていう組織があるんだ』

 

 すなわち警察が次元世界レベルになった組織なんだとか。

 

 ジュエルシードを発掘し、調査団に依頼して保管してもらっていた。間違って発動でもしたら危険であると判断されたそれを、管理局の元へ輸送していた途中――、

 

『事故か、人為的か。輸送していた時空間船が何らかの災害にあってしまって……』

 

 墜落……という概念が時空間に存在しているかは分からないが、そのせいでジュエルシードなどという世界規模の災厄を、“地球”に落としてしまった。

 

『なるほど。事情は理解した――だが、今の話を聞く限りでは貴様に責などあるようには思えんのだがな』

 

 言いつつもなのはには予想がついていた。ユーノの生真面目な性格から考えて、彼が無謀にも一人で回収しに来たわけを。つまり、

 

『……僕が、僕があんなものを発掘してしまったから』

 

 ということだ。

 

 自分が発見しなければ、運んでいた時空間船は被害にあわず、自分が発見しなければ“地球”に落ちることもなく、自分が発見しなければ、ジュエルシードによる被害などあり得なかった。

 

 そんな『もしも』の話に勝手に責任を感じて、勝手に背負ってしまう。真面目すぎるが故の彼の行動と思考、選択。

 

『こんなこと、言っても仕方ないんだって分かってるんだ。僕が見つけなければ、僕が掘り出さなければなんて言ったって、この状況は変えようがない。現に二一個のジュエルシードはこの世界のこの街(海鳴)に落ちてしまった』

『……言うのもバカバカしいが、俗にいう運命という訳だ。貴様がジュエルシードを発掘したのも、今の状況があるのも』

 

 コクリ、と頷く姿が目に浮かんだ。

 

『それでも……見つけてしまったのは僕だ。発端は僕なんだ。運んでいたのは僕じゃないとか、落としたのは僕じゃないとか、そんなのは関係ない。全部の責任なんて背負えるほど、僕は強くないけど……ジェルシードは僕が回収しなきゃいけない。ううん、するべきだって思ったんだ』

 

 故に来た。たった一人でこの海鳴(戦場)に。

 

 彼には回収するべき責任はない。それを見つけたからその先に起こった全てはそいつの責任だ、などというのは責任転嫁にもほどがある。

 

 危険なものを運んでいたにも関わらず守りきれなかった運送者にも責任はあるし、事故だとして、それが整備不良などであれば、その船を整備していた者にも責はあるだろう。運ぶものに関わらず、整備不良は運送者の命に関わりかねないのだから。

 

 それでもユーノは、自分に責任があると断じた。それは生真面目故の物であろう。だがそれだけで済ませてしまえるほど、ユーノの意志と覚悟は薄っぺらなものではないとなのはは感じた。

 

 だからこそ。

 

『なら協力関係を結んでやる』

『え?』

『同盟でもいい。貴様には貴様なりの理由があるように、私にも私なりの理由があってジュエルシードには、魔法には関わらざるを得ない』

『なのはなりの……理由?』

『そのあたりを詳しく話す気はないが……利害は一致しているだろう。貴様は貴様だけではこの問題を解決できない。私も、魔法に関わらなくてはならない以上、知識や情報が必要だ』

『ま、待ってよ! この問題は――』

『危険だ、などと言うのだろう。だが、貴様だけに任せておくほうが、私としては危険だと思うのだがな』

『うっ……』

 

 ユーノのためではない。壊れては困るが、この世界のためでもない。

 

 あくまで自分のために。戻るべき場所へ戻るために。

 

『等価交換という奴だよスクライア。私は力を、貴様は知識を。互いに利用しあい、各々が持つ問題を解決する。貴様の目的はもちろん、私の目的も、その方が確実だと思うが』

 

 そのための同盟、協力関係。

 

 ユーノはもちろん、悔しいがなのは自身も、自分だけで自分の抱える問題を解決するのは難しい。だから、他人の、誰かの、仲間関係を結んだ者の力を利用し、利用した(借りの)分だけ相手に協力する。

 

 それがこの契約。

 

『貴様に拒否権はない。これを拒否していいのは自分だけで解決できる者だけだ』

『…………』

 

 友人ではない、戦友ではない。あくまで共闘関係。

 

 必要だから手をつなぐ。

 

『……分かった。協力しよう。自分たちのために』

 

 なのはを危険に巻き込むことを納得した訳ではないだろう。

 

 だがなのはの言う事ももっともなのだ。自分だけで解決できるなら、こんなことにはなっていない。

 

 だから受け入れる。

 

 受け入れざるを得ない。

 

 さらに無関係な誰かを巻き込まないために認めるのだ、この協力関係を。

 

『それでいい』

 

 魔人と異世界の魔法使い。

 

 二人の同盟成立を見計らったかのように、一限目終了のチャイムが鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      *  *  *

 

 

 

 

 

 

 

 塾に行くのに、アリサとすずかは迎えに来て送ってもらう、というのを嫌がると言ったが、それはあくま学校から塾に行く時限定だ。ただ下校するときは、バニングス家の執事兼専属運転手である鮫島に迎えに来てもらい、三人そろって送ってもらう。

 

 かといって、アリサはともかく残る二人までわざわざ家に送るわけではない。すずかは帰り道にちょうど家があるので、わざわざ送る、ということになりはするが、なのはは違う。

 

 いつも通り、アリサの帰路となのはの帰路の分岐する道で、なのははバニングス家の車から降りた。窓越しに笑顔で手を振るアリサに適当に反応を返し、車が見えなくなるのを確認して歩き始める。

 

 現在回収し終えているのは、昨日のを含めて二つのようだ。つまり残るジュエルシードは一九個。

 

 意志と覚悟に反して、随分お早いギブアップだな、と言ったらユーノは苦笑で返した。

 

 帰り道の中にある、商店街に足を踏み入れる。

 

 人々の賑わいは、昨日の事故知っているのか否か、変わらずいつも通りだ。八百屋や肉屋などの食物を売る店では、店主とどこかの奥方が楽しげに笑い、服屋では恋人が恋人の服を選んでいて、おもちゃ屋では子供たちがカードゲームをして遊んでいる。

 

 ――この中に誰かジュエルシードを持っている者がいるのだろうか。疑心が生まれ辺りの人々を見回す。が、しかしそれは判別できない。

 

 ジュエルシードは発動しなければ、その魔力反応を示さない。つまり、発動を未然に防ぐというのはかなり困難なのだ。それこそ、高度な探索魔法でもなければ。だがそれでも人間が持っている場合は発見し辛い。ポケットの中に入れられたり、どこかにしまわれてしまえば更に見つけづらくなる。

 

 他にも、魔力を広域にバラ撒いて強制的に発動させて探す、という方法もあるようだが、魔力の消費が激しい分、あまり適当な方法ではない。組織的な力もないなのは達では、二人がダウンしてしまえばしばらく行動不能になってしまう。

 

 組織と言えば、ユーノの言っていた時空管理局なる組織はどうしたのか、となのはは思う。

 

 “地球”は管理外世界という部類の世界で、管理局の法からは外れた世界らしい。だからその世界がどうなろうが知ったことではない、という事なのか。それとも何らかの理由があって遅れているのか。何にしても、しばらく管理局とかいう組織の力を借りることは難しい可能性が高い。

 

 歯痒いが、後手に回るしかない。

 

 ティー字路を左に曲がり、まっすぐの道を歩く。家は近い。

 

 とりあえず家に帰ったら、ひとまずは授業の予習復習から始めよう。そのあと、魔法についての講義でもユーノから受けつつ、ジュエルシードの探索でもするか。

 

 帰宅後の予定を設定しながら、高町家を視界にいれる。

 

 

 

 

 

 

 その時だった。

 

 

 

 

 

 

 ズン、と一瞬何かに触れら多様な感覚がした。

 

「!」

 

 強い魔力の波だ。念話に使われる程度の魔力ではない。それよりももっと膨大で、強く大きい力だ。

 

 なのはは一瞬でそれがなんなのか理解した。

 

『新しいジュエルシードだ! すぐ近くっ!』

 

 ユーノの念話が聞こえる前に、なのはは走り出した。今は真夜中ではないから、全力で走ることが出来ない。エレオノーレであったことならばまだしも、弱体化している今では、一般人に視認されてしまう。

 

 感じた魔力の波が薄れていく。ジュエルシードの発動の際に噴出した力が届いていたのだろう。今や薄れ霧散し、魔力の残滓となっていく。

 

 かといって場所が特定できない訳ではない。魔力の波が消え失せようと、その元となった物が強い魔力反応を示している。魔法における魔力を感じ取れるようになっているなのはには、元のスペックも相まってそれを鮮明に把握できた。

 

 住宅街を走り抜け、家から出てきたらしいユーノと合流しつつ現場へと到着する。あまり人気のない場所だ。目の前には長い石階段。その周りを草木が囲み、頂上には鳥居が悠然と立っている。

 

 悲鳴が聞こえた。女性の声だ。

 

 なのははユーノを肩に乗せ、一気に階段を上る。百段以上ありそうな階段を数段飛ばしで駆け上がり、鳥居の下へ。

 

「あれか……!」

 

 目の前には、気絶しているらしい女性と犬。だがその犬の大きさは大型犬よりも尚巨大だ。

 

 高さだけならなのはと同じほどあり、胴体は二、三メートル近くあるだろうか。目は小さいものと大きいものを二つずつの四つ。両耳に当たる部分は角のようなものが生えている。牙は狼のように鋭く、手足も爪も普通の犬からは考えられないほどに太い。

 

「原生生物を取り込んでるんだっ。昨日の思念体より、実体がある分手ごわいよ!」

 

 と、こちらを認識した犬が走り出す。逃げるのではなく、なのは達に襲い掛かるために。幸いと言うべきは、足元の女性を踏まなかった事か。

 

 突撃してくる犬に、なのはは舌打ちする。

 

「なのはっ、レイジングハートの起動を!」

「まさか、またあの長い詠唱を?」

「うんっ、早く!」

「…………」

 

 答えずなのはは、胸元から取り出したレイジングハートに目をやる。

 

「――本当に、詠唱が無ければ、お前の起動は出来ないのか?」

 

 正面を見れば猛スピードで突撃してくる犬。

 

 キラリと、レイジングハートの石面が輝く。

 

It is possible if it is a master.(マスターなら可能です)

 

 ニヤリ、となのはは笑った。

 

 瞬間、ドゴッ!! と、なのはの足が犬の側頭部を捉えた。魔力によって強化された犬ですら、見えても反応できない速度と力を持ったなのはのローキックは、横っ飛びしたように真横へと犬を吹き飛ばす。

 

 立ち上がる犬を正面に捕え、なのはは口を開く。

 

「レイジングハート、セットアップ」

《Stand by ready. Set up》

 

 レイジングハートから桃色の光が噴き出す。噴出した魔力がバリアジャケットである漆黒の軍服を形成し、レイジングハート自身もセットアップ形態へと移行する。三日月状の穂先を組み上げ、棒状の柄と合体し魔法の杖(デバイス)の形を成す。

 

「き、起動パスワードなしで……!」

 

 犬が動いた。地面を蹴り上げ土埃を舞い上げる。その巨躯にも関わらず、圧倒的加速度によってなのはとの間に空いた数メートルを一気に詰める。

 

 対するなのはは、ただレイジングハートを突きつけるだけ。

 

《Protection》

 

 バリバリバリッ!! と、なのはと犬がぶつかり合う。

 

 レイジングハートの先端から展開された桃色の障壁越しに、犬とは思えないほどのパワーと衝撃を感じる。だが、それだけだった。

 

 障壁に(ひび)を入れることはおろか、なのはの足を後方へ少し滑らせる程度の事しか出来ず、反射した衝撃によって犬は崩れ落ちる。

 

《Sealing mode》

 

 ガシャン、と穂先の付け根部分が稼働する。桃色の翼が展開され、コアである赤い宝石から帯が飛び出た。それは動けないでいる犬を拘束する。

 

《Stand by ready》

「リリカルマジカル――」

 

 慣れたのか、屈辱を押し殺しているのか、淡々となのはは告げる。

 

「ジュエルシードシリアル16、封印」

《Sealing》

 

 拘束する帯が犬を更に縛り上げ、レイジングハートのコアから更に放たれる帯が、犬を貫く。

 

 そのまま桃色の光に侵食され――苦鳴を漏らしながら、粒子となって消えて行った。

 

《Receive No.16》

 

 どういう原理かは分からないが、元の姿に戻った犬の横に落ちていたジュエルシードは昨日の物と同じように、レイジングハートを近づけるとコア部分に入っていった。

 

「……これでいいんだろう?」

「う、うん……完璧」

 

 ふん、となのはは鼻を鳴らし、(きびす)を返す。レイジングハートが待機形態に戻り、服も制服に戻った。

 

 ユーノはなのはの才能に舌を巻きながら、その肩に飛び乗った。

 

 

 

 




 神咒神威神楽の天魔・宿儺のセリフのせいで、転生チートオリ主ものを読むのはよくても書くのは躊躇うようになった私。

 ぶっちゃけ、聖祥大付属小学校のあの制服の着方がよくわからんかった。

 本文じゃ、黒いインナー、なーんて言ってるんだけど、実際インナーなのか、あのワンピース状(多分)の奴にくっついてるのか分からないんだよね。本編ちょろっと見てみたけど、鮮明に着替えてるシーンが見つからん…。

 検索もちょっとしてみたけど、コスプレ写真くらいしか見つからなかった。探りが浅いのかもしれないけど。




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第三話「焦熱×疾風迅雷」

 閃の軌跡の予約はいつ解放されるのか……。

 セブンスドラゴン2020Ⅱ を買うか否か……。

 そんな悩みが絶えないよ……。


 時刻は八時頃。

 

 夜中の海鳴市、その都市部はビルや店から漏れる光に照らされ、地上の夜空とでも言うべき美しさを見せる。

 

 一日の終わりが近づく中、街を歩く人々の営みは未だ途切れることを知らず、カップルであれば夜のデートを楽しみ、集まった同じ仕事場の男女達は酒を飲む。明るい街が彼らを照らす。噴水が恋人たちを祝福する。

 

 一日があと数時間で終わる。だが彼らの明るい一日はまだまだ終わらない。

 

 人々は笑い、手をつなぎ、楽しげに歩いていく。

 

 胡乱な日々でも、彼ら彼女たちにとってはそれが今の全てだ。永遠に続くようにも感じるし、続いてほしいとも思っているだろう。

 

 

 

 

 

 

 ――そんな街並みを見下ろす者が、とあるビルの屋上にいた。

 

 

 

 

 

 

 夜空を背に地上を見下ろすそれは、金髪の少女だった。一部の髪を黒いリボンで二房(ふたふさ)にして束ね、残した髪を下ろしている。服もスカートも、履いているブーツまで黒で統一されているが、夜風になびく金髪と美しい容貌もあって、彼女自身を映えさせている。

 

 少女は悠然と、ボーっと、ただただ流れゆく街並みを面白そうに、つまらなそうに見つめていた。

 

この世界(ここ)に……あるのかい?」

 

 問うた声は背後からした。女性の声だ。はきはきした声からは、快活な女性を連想させた。

 

 だが、実際に声を発したのは人間の女性ではない。

 

「ここに、この街に。あいつの言ってたものが」

 

 それは狼だった。

 

 大型犬よりも一回りほど大きいだろうか。喋るたびに鋭い牙を見せつけ、額にある赤い宝石が輝く。毛色はほとんどが(だいだい)色。ただし、手足と首回りの(たてがみ)のように跳ね回る毛だけは赤かった。

 

 しかもそれには表情があった。人間のように感情を顔で表した。今のように、真剣さだって顔に出せる。それが毛色以外の狼との違い。

 

 狼の言葉に少女は頷くと、その紅い瞳を街並みから逸らさずに小さく微笑む。

 

「母さんの求めるロストロギア。母さんの研究に必要なロストロギア。青い石の形を取った、一般呼称“『ジュエルシード』。確かにあるよアルフ。母さんが言ったんだ」

 

 言う少女の瞳は、どこか狂気じみた物を含んでいた。

 

 この目的さえ完遂すれば、きっとあの人は元に戻る。願いを叶える願望機を全て集めて、あの人に渡せば、願いは叶う。願望機に願わずとも、願望機が叶えてくれる。それ以外の結末は認めぬし、それを求めて疾走しよう。幻想に消えた幸せの日々を取り戻すために。

 

 狂ったようにそれだけを求めて(ひた)走る()を目にして、狼は悲しげに眼を細める。ギリっ、と歯が軋む音がした。

 

「……そうかい。じゃあ、とっとと持って帰ろう。邪魔が入っても面倒だ」

「うん」

 

 少女はようやく街並みから目を離し、踵を返す。

 

 続く狼に目も向けず、少女は歩き出した。願いと決意と覚悟を背に、戦場へと足を踏み入れる。

 

 スッと開いた手の中に、黄金に光る逆三角形の鋼鉄の石があった。月明かりを反射した訳でもなく、石がキラリと光る。それを見つめて微笑む少女は、それを夜空に掲げた。

 

「じゃあまずは……一つ目」

 

 言うと同時、少女の足元に金色の魔法陣が現れる。その陣が表す魔法は結界魔法。周囲一キロメートル範囲内を結界で包み、周囲からこの空間を切り取り結界外の時間からずらす。魔法に関係のある者だけを残し、それ以外を結界から弾く。

 

 この世界に魔法文化はない。残るのは十中八九、目的の存在のみ。

 

 おでましだ、と隣に並んだ狼が言う。

 

 ドスン、と目の前にあるビルの屋上に黒い何かが現れた。

 

 人型だ。しかし人間ではない。猿ではなくゴリラではなく、そもそも生物ですらない。

 

 ジュエルシード、この世界に落ちた二一の災厄が生み出した思念体。

 

 全身を雨雲が更に暗くなったようなもので形成されていて、手も足も人一人分ほどの太さがある。唯一生物的と言えるのは、顔に値する部位にある二つの赤い目。刃物のように鋭利な瞳が、刺し貫かんと睨みつける。

 

「……おとなしく封印されてくれりゃいいものを」

 

 面倒臭そうに顔を歪める狼に、少女は薄く笑う。

 

「そこまでお利口な頭は持ってないよ。思考力があるっていっても、人間ほどの物じゃない」

 

 ――それに。少女は手に持った逆三角形の石を、思念体に突き付ける。

 

「封印されたがるような人も動物も。そんな希少種いるわけないし」

《Get set》

 

 石が光る。その形態を変化させ、待機状態を解除する。黄金のコアをさらけ出し、格納されていたデバイスモードの部品が組み合わされ、形を成す。主のためだけの武器となる。

 

 ジャキ、と。変形を完遂したそれが、その手に握られた。

 

 長い棒状の柄と、黒い斧状の刃。その中心に輝く金色のコア。一般的にハルバードと呼称される形を取った己が相棒を、思念体に向ける。

 

Barrier jacket(バリアジャケットは)?》

「あの程度なら必要ないよ」

 

 思念体が飛ぶ。生物では不可能なほどに体をしならせ、常識外の速度で突っ込んでくる。

 

 速い。戦いの「た」の字も知らないような一般人では、動いたことは認識できても、その動きには目が追い付かないだろう。そのまま磨り潰されてデッドエンドだ。それが大人でもない少女なら尚更。

 

 あくまで一般人ならば、の話だが。

 

 音速に近づかんとするほどのスピードを出しながら、思念体は腕を振るった。少女の目の前に辿りつくと同時に振るいきられるよう計算され放たれたそれは、華奢(きゃしゃ)な少女が受ければ、文字通り一撃必殺。

 

 避けられるはずがない。相手はただの少女だ。武器を持っていようと、魔法を持っていようと、こんなスピードについて来れるはずがない。

 

 はずがない。はずだった。

 

「遅いよバーカ」

 

 振るいきられた瞬間、思念体の一撃は空を切った。あまりの速度、威力によって放たれたことで空気が弾き飛ばされ、破裂音が鳴り響く。

 

 視界から消え、周囲からも少女は消えた。どこだ、どこへ行った、と辺りを見回す思念体はそれに気づかない。

 

 ゴ――ッ! と、思念体の頭に漆黒の刃が叩きつけられる。非現実的な腕力で振るわれたそれは、頭をコンクリートに叩きつけるどころか突き破って、一気に一階まで叩き落される。頭上から殴られた、と思念体が理解したのは体で土煙を巻き上げてからだった。

 

 地面に伏せった思念体は、もごもごと立ち上がる。先日別の少女が戦った思念体のように弾け飛びはせず、損傷はない。ダメージだけが蓄積し、体をふらつかせる。

 

「サンダー――」

 

 見上げた空が光り輝く。視線の先には、金色の魔法陣を展開し辺りに雷のような物を発生させている少女。見つめる先は己自身。ターゲットは明白だ。

 

「――レイジッ!」

 

 閃光が(きら)めいた。思念体が動くよりも速く、雷光が地面に到達する。

 

 ビルが破壊された。いや、正確に言えば、ビルの一階が放たれた魔法により吹き飛ばされ、倒壊した。土煙と共に崩れて倒れるビルは、反対側のビルも巻き込み破壊する。ガラガラと巨大な欠片をまき散らす。落ちたそれらが道路を砕いた。

 

《Glaive Form》

 

 少女のデバイスがコアを光らせ、電子的な男声を発する。機構音を鳴らし、斧部分を一瞬分解して別の形態へ変形させる。斧の形をしていた穂先は全く別の物へ、槍の刃と化した。

 

 穂先と柄の付け根が稼働し少し飛び出る。そこから三つ金色の羽が展開された。

 

「ジュエルシード、封印」

 

 全く無事なビルの屋上に着地し、くすりと微笑みながら少女が言うと、穂先の先端に輪を作る帯状の魔法陣が生まれる。その中心に光球が現れ、バチバチと帯電しながらバスケットボールほどの大きさにまで膨れ上がった。

 

《Sealing》

 

 光球が弾け、光の柱が瓦礫の塊へ向けて放たれた。適当に撃ったわけではない。そこに目標がいると断じて撃ったのだ。

 

 そして――光柱が到達せんとする瞬間、瓦礫をどけて思念体が現れ……飲み込まれた。

 

 思念体の断末魔、爆発音。それらが鳴りやむと共に、結界内の街中を静寂が包みこむ。

 

 軽い音を立てて、少女が道路へ着地した。躊躇(ためら)いもなく崩れたビルへと歩みを進め、今さっき光の柱を放った場所の前で立ち止まる。

 

 未だ爆煙の噴き出るそこへ、デバイスを突きつける。煙の奥で何かが青く光った。ふっと浮いて煙の中から出てくると、デバイスのコア部分へすぅっと吸い込まれ格納される。

 

「幸先がいいねぇ。このまま何事もなく順調に行ければいいけど」

 

 いつの間にかそばまで来ていた狼が嬉しそうに笑いながら言った。

 

 つまらなそうな顔をする少女は踵を返し、デバイスを待機状態に戻らせ、その手に握りしめる。

 

「何かあっても関係ない」

 

 歩き出した少女に狼は続く。その体が光に包まれ形を変え、人間の女性になった。

 

「立ちふさがるものなんて、全部気にせずに走り抜ければいいんだ。退()かないなら轢殺(れきさつ)する。それだけだよ」

 

 言って笑うと結界を解いた。

 

 倒壊していたビルは元通りの姿になり、砕けた道路も瓦礫も消失した。そこにあるのは、先ほどビルの屋上から見ていた人々の平和な営みだけ。

 

 二人は夜中の都市部を歩いていく。

 

 やがて少女と女性の姿になった狼は、人ごみの中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

「なんとなく懐かしい気配がする……。誰か同じような状況になってるのかな」

 

 

 

 

 

 

 

 そんな小さな呟きを、夜の街に残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      *  *  *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「分かったら行ってこんかァッ!!」

「うんっ! ありがとう高町さん!!」

 

 なのはに殴られ、笑顔で走り去る少年。それをジュエルシード片手に見届けるなのは。肩に乗って顔を引き攣らせながら、事の顛末(てんまつ)を見ていたユーノ。

 

 そんな訳のわからない状況が出来上がった、なのはの家族が経営する喫茶翠屋の近く。見届けを終えたなのはは、周辺に人がいない事を確認すると、サイドを家に挟まれた狭い道に入り、レイジングハートを取り出してデバイス形態に移行させる。

 

 ピン、とジュエルシードを指ではじいて目の前に放った。

 

「ジュエルシード、封印」

《Sealing》

 

 桃色の光で包まれるジュエルシードは、瞬く間にその力を抑えつけられ、封じ込められる。

 

《Receive No.10》

 

 レイジングハートの中へとジュエルシードが格納されたのを確認すると、レイジングハートに労いの言葉を送った。一言返答し、待機状態へと戻ったレイジングハートを再び首から下げる。

 

 念のために、もう一度誰かいないか確認する。…………誰もいない。

 

「えーっと、なんていうか……お疲れ様」

 

 苦笑しながら念話してくるユーノを、肩から手に乗せて翠屋を目指して歩き出す。

 

「……被害もなく終えられるのなら、それに越したことはないだろう」

 

 ムスッとしながら歩いていくなのはを一瞥すると、ユーノは先ほど行われていた茶番を思い返す。

 

 今日は元々、なのはの父である士郎が監督する小学生サッカーチーム『翠屋JFC』の試合を応援しに行っていた。なのははもちろん、興味を持っていたわけでは決してないが、士郎の手前であったし学校のようには出来ず、アリサとすずかに無理矢理連れて行かれたのだ。

 

 士郎のコーチングとメンバー達の努力の賜物か。『翠屋JFC』は勝利した。

 

 その後、勝利を祝って翠屋で食事会が行われ、なのは達も参加。三人そろって、昼食をとっていた。そんな最中(さなか)だった。

 

 『翠屋JFC』のキーパーがジュエルシードをポケットにしまったのをなのはが目にしたのだ。

 

 キーパーの少年は立ち去り、用があって先に帰ったらしいマネージャーの少女を追いかけた。当然、ジェルシードを追ってなのはもそれを追う。

 

 ――そして、繰り広げられたのが先の茶番だ。

 

 発動する前に回収し封印しなければならない。だから率直にそれは私の物だ、と言って出た。

 

 困惑するキーパーの少年だったが、なのははこっそりとレイジングハートから取り出した封印済みのジュエルシードを突きつけた。そして言う。いくつかあったそれを落としてバラ撒いてしまった故に探していた、と。

 

 キーパーの少年はそれを信じたが、ジュエルシードをマネージャーへのプレゼントとしたいから譲ってほしいなどと抜かした。

 

 なのはは考えた。深く深く考えた。

 

 過激な手段に出れれば簡単な話だが、それは避けて穏便に済ますべきだと判断した。

 

 だから――殴り飛ばした。

 

 馬鹿者ッ! と叫びながら。

 

『女を物で釣るなど軟弱物のすることだ!』

 

 そうなのはが言った瞬間、尻餅をついていた少年は劇画タッチになって驚愕した。ユーノの目には何故か、彼の背後で雷のようなものが落ちたように見えた。

 

『真に惚れていると言うのなら、物ではなく言葉にしろ! それすら出来んと言うなら恋愛などする資格はないッ』

 

 どういう訳か目を見開く少年は、どういう訳か膝をついて涙を流した。

 

 そして突然立ち上がると笑いだし、なのはにジュエルシードを渡して――冒頭に戻る。

 

 ……ちなみに余談だが、そのあと少年がマネージャーの少女を近場に公園にまで連れ去り告白したところ、見事にカップルが成立したらしい。

 

「運が良かった。あの男が素直に納得したのもそうだが、今朝見ていた特撮、『マスク・ド・運転手“マグロ”』に使えるセリフがあったのも運が良かった」

「マスク・ド・運転手? あぁ、朝やってた魚の仮面をつけたライダーの特撮アニメだね」

 

 二人が言っているのは、数年前から子供たち、最近では大人も見るようになっているらしいマスク・ド・運転手シリーズだ。

 

 マスク・ド・運転手一号から始まり、二号、サーモン、シャーク、Ⅴ4、ホエール、そして現在のマグロ。魚をモチーフにした仮面をつけ、敵をやっつけたり、サーフボード型バイクに乗ったりする特撮ヒーロー。それがマスク・ド・運転手である。

 

 そして、なのはが話題についていくのに見ているアニメの一つでもある。

 

「正直、『魔法先生シュピ虫!』の敵のセリフを使う事も考えたが……」

「なのはって……何気にアニメに詳しいよね」

「? 見ていれば分かるレベルだろう」

 

 訳も分からず首を傾げるなのはに、ユーノはそうだね、と言った。

 

 ……設定資料集を読まなければ分からないようなことまで知っているのは、“見ていれば分かるレベル”と言うのだろうか、と頭の片隅で考えながら。

 

「あ、なのはおかえり」

「なにかあったの?」

 

 翠屋の外の席で待っていたアリサとすずかが、なのはに気づいて顔を向けた。

 

 なのはは少し用があっただけだ、とだけ告げて席に着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      *  *  *

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後の朝。なのはは着替えを済ませて、ユーノと共に自室を後にした。

 

 現在までに回収したジュエルシードは、先日キーパーの少年からもらい封印したのを含めて六つ。他に回収者がいないと仮定すると、残りは一五個となる。

 

 まぁ、なのはは他にはいないなどと、そこまで楽観的な考えを持つほど子供ではない訳だが。そこまで簡単に済むような代物ではないだろう。

 

 近い未来、ジュエルシードを巡って誰かと戦う可能性は十分に、いや、ほとんど一〇〇パーセントに近いのではないかとなのはは思っている。

 

 だからこそ、最近は予習復習の時間を若干削り、魔法の勉強と練習を重ねている。おかげで飛行魔法は問題なく使えるようになり、通常状態の魔法の杖以外の形も二つほど使えるようになった。

 

 階段を下りて一階へと降りる。今日はすずかの家へ招待されているため、これから月村邸へと向かう。名目上は付き添い、本音は恋人であるすずかの姉、忍に会いに行くという事で恭也も一緒だ。

 

 降りきってリビングに出ると、恭也と美由希がいた。

 

 気配を消していたわけでもないので、美由希はともかく恭也は部屋を出た段階ですでに気づいていたようだ。リビングのドアを開けた時にはこちらを向いていた。

 

「もういいのか?」

「うん、大丈夫!」

 

 笑顔で言うと、恭也はソファに乗せていた軽い荷物を手に取った。

 

「じゃあ美由希、行ってくるよ」

「お姉ちゃん、行ってきます」

「はーい、いってらっしゃい二人とも」

 

 美由希の見送りを背に、なのはとユーノ、恭也は我が家を後にした。

 

 月村邸方面へと向かうバスの来るバス停は、一〇分ほど歩いたところにある。これまでも何度か利

用し、月村邸へと行ったことがあった。

 

 バス停で待つこと数分。バスがやってきた。子供料金を払って乗り込む。これが出来るというのが、(なのは)の利点の一つだった。(ちなみにユーノは鞄の中に入れてあるので、何も言われていない)

 

 二人が席に座ると、バスの半自動ドアが閉じる。運転手が発信の旨を伝え、バスが動き出す。軽い揺れと共に前進し、通行可()を示す信号を通り過ぎる。

 

 学校でのことや友達の事、恋人の事や剣の事。他愛ない話をする兄妹二人を乗せるバスはいくつかのバス停を通り過ぎていく。時折信号前で止まりつつ、何事もなく平和に進行する。

 

 だと言うのになのはは、恭也との会話の片手間に周囲の警戒をしていた。

 

 別に何かを危惧しているとか、そういう事はない。確かにジュエルシードの有無を気にはしているが、この警戒はまた別。平和な世界に慣れきれないが故である。

 

 戦争に生きた彼女にとって、車内とは安心できない場所だ。屋内よりも安心できない。

 

 襲撃でもされれば行動が屋内より制限される。バスジャック、テロ、高町を狙っての攻撃。どれでもいいが、家や店なんかよりも、車内というのは動きづらい。さらに言えばこれはバス。自分以外の人間が乗り、そのほとんどが一般人だ。騒ぎ出せば更に動けない。

 

 その程度でどうにかなるほど(やわ)ではないが、面倒なのは変わりない。

 

 つまるところ、常時危機的意識。この国、この世界のように頭の中が平和に染まっていないからこその警戒。

 

 無意味だと分かっていてもしてしまう、根っからの軍人気質なのだ。

 

 世界はどこも戦場であり、どこで何が起こってもおかしくはない。そういう考えだ。

 

 ――まぁ、何事も起こりはしなかったのだが。それはそれでいい。

 

 目的のバス停で下車し、しばらく歩いて数分ほど。

 

 高級住宅街、というほどでもないが、少しばかり大きめで平均的なものより数万数十万ほど高そうな家々が立ち並ぶ区画。その中に異質な、どう考えても急激と言える変化。敷地レベルで周りと違う家が、否、屋敷があった。

 

 物語の中にでもあるような、裕福な一家を示す家だ。屋敷の周りは五メートルほどはありそうな外壁で囲まれているし、入るために開けるのがドアではなく門である辺り、普通の家とは違う。

 

 明らかな境界で周囲と切り離された、普通じゃない家。それがここ。

 

 バニングス家も似たような物だろうが、それは今重要じゃない。

 

 恭也が門の門の横にあったインターホンのスイッチを押す。ピンポーン、とどこででも聞くような音が鳴る。数秒もしないうちに女性の声がスピーカーから聞こえた。

 

『いらっしゃいませ恭也様、なのは様。門をお開けいたします』

 

 インターホン内と門の上部、その二つに設置されているカメラで瞬時に判断したらしい専属のメイド。軽い音と共に門のロックが外れ、開かれていく。恭也は軽く礼を言うと、躊躇いなく足を踏み入れる。なのはも同じく続いた。二人が入ったことを認識したのか、門が自動で閉じる。

 

 敷地内は外から見るよりも広く感じた。屋敷自体は十数メートルほど先に見える。二人が歩く道のサイドは、青青しい芝生が敷き詰められ、木が一定の間隔を空けて外壁沿いに植えられている。

 

 花があるわけでも噴水があるわけでもない。それらがあるのは反対側、すなわち中庭だ。だがしかし、ここを歩いているだけでもどこか別世界を歩いているような感覚に襲われる。

 

 屋敷へ入る両開きドアの前に立つと、独りでに左のドアが開いた。

 

「いらっしゃいませ。ご案内いたします」

 

 中から現れたのはメイドだった。若紫色の髪を首回りで切りそろえ、クールな顔立ちに典型的なメイド服とヘッドドレスを装備した、(まご)う事なきメイドだ。

 

 こちらです、と笑顔で先導するメイド。月村家メイド長、ノエル・K・エーアリヒカイト。それが彼女の立場だ。

 

 窓から光差し込む長い廊下を歩く。どこぞの城の廊下でも歩いているような気がしてくる。もちろん、かつてなのはのいた“城”と比べれば圧倒的に狭いのだろうが、ここ九年近くあそこで過ごしていないからか、どこか感覚的に広いと感じてしまう。

 

 しばらく歩いたところでノエルが立ち止まる。また両開きドアだ。ノエルが左右両方のドアを開けて、入室を促す。

 

 室内は明るかった。入ってすぐに目に入る巨大な窓。中庭へ通じるものだ。ちょうど真ん中に当たる場所に、白い縁の扉がある。中庭は玄関前と同じく芝生が敷かれ、外壁沿いの木、その間に咲き誇る花たち。奥の方には木々の生い茂る森のようなものがある。白いテーブルと椅子も置かれていて、外でくつろぐことも、走り回ることも出来そうだ。

 

 そんな部屋だ。キラキラしている訳ではないが、涼しげで爽やかな白い内装。一枚絵画があったり、植物の植えられている鉢が隅に置かれていたり。ごちゃごちゃはせず、されど貧相でもない。まさしくお屋敷。落ち着いた印象を受ける月村家にはお似合いと言える。

 

「おはよう、恭也。なのはちゃんも」

 

 そう言ったのは、部屋の中心にあるテーブル、それを囲む椅子の一つに座った女性だった。

 

 美人と言える人だった。どこかで見たような紫色の髪を腰まで伸ばし下ろしていて、服装はTシャツとミニスカートというラフな格好だ。少し釣った目は、見た目をクールに見せてはいるが、性格までクールではない、という事を二人は知っていた。

 

 彼女がすずかの姉である(しのぶ)。そしてなのはの兄である恭也の恋人、月村忍。

 

「あぁ、おはよう」

「おはようございますっ、忍さん」

 

 笑う恭也に続いて、なのはは笑顔で言う。中庭にいる友人二人が、相変わらずの猫かぶりっぷりを目にして苦笑していた。ぴきっ、と頭の中で何かが切れた気がした。

 

 適当に忍との挨拶を終えて中庭に出る。おはよう、と二人が挨拶してきた。残った一席につきながら返答する。

 

「相変わらず、家族の前では“アレ”なのね。裏表っぷりが凄いわ」

「今更やめたところで、何かあったのかと心配されるだけだ」

 

 ふん、と鼻を鳴らしながらなのはは言う。

 

 表が赤騎士、裏が小学三年生。裏しか知らないだろう大人たちにしてみれば、いきなり表のなのはが現れれば目を疑う事間違いない。軍人のように固く、大人顔負けに強く、まったくもって子供らしくない彼女を見れば。

 

 ……となると、小学生を乗り越えても同じような結果ではないだろうか。

 

 遠くない未来の面倒な結末を思い浮かべて、なのはは心の中でため息をついた。

 

「そりゃあ……いきなり“表”になったら、ね」

 

 口をあんぐり開けて固まる大人たちを想像してか、すずかは笑いながら言った。

 

「ところでユーノは? 連れてきてないの?」

「ここにいる」

 

 と、なのはは鞄を開ける。ひょこっ、とユーノが顔を出した。息苦しかったのか、少し嬉しそうだ。

 

 おいでー、とアリサに手招きされ、ユーノはテーブルに飛び乗りアリサの元へと走っていく。

 

 目の前まで行くと、その白い手に抱きかかえられた。頬ずりしたり、腹をさすってみたり。女の子らしく笑顔でユーノを弄り倒す。それに耐えるユーノは、何故か赤面しているように見えた。

 

「はぁ……やっぱ可愛いわねー」

 

 首回りをクルリと回るユーノに、アリサはうっとりした顔で言う。

 

「家の犬たちも、すずかの家(ここ)の猫も可愛いけど。こう、なんていうのかしらね。掌サイズの動物って、犬猫みたいな感じのとはまた違った可愛さがあるわよねー」

「そいつは掌サイズと言うほど小さくはない」

「でも両手に乗るくらいには小さいじゃない」

 

 すずかの方へと走っていくユーノを目で追いかける。

 

 

 

 

 

 

 

 ――そこで事件は起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 ユーノに何か茶色と白の物が襲った。動物ゆえか、それとも第六感的な何かが働いたのか。反射的にユーノはそれを避ける。

 

 それはひょいとテーブルに飛び乗った猫だった。茶色と白の毛を持つ、ユーノよりも圧倒的に大きい猫だ。捕まれば口でくわえられてどこかへ連れ去られ――その後の結果は言うまでもない。

 

 そんな惨劇的な未来を想像して、ユーノの全身から血の気が引いた。

 

 スプラッタ映画でもカニバリズムでもあるまいし、自分がそうなるのは勘弁願いたい。というかそんなものを(こいねが)うような異常者はいないだろう。少なくとも自分はそんなんじゃない。

 

 (ユーノから見れば)巨大な手が襲い来る。爪と柔らかな肉球が見えた。

 

 飛び退いてそれを避ける。テーブルに爪が当たる音が聞こえた。

 

 テーブルから飛び降りようかと思ったが、それは得策ではない。話に聞くと、この家には一匹や二匹どころでなく猫が飼われているらしい。追跡者が増えるなんて冗談じゃない。

 

 誰かに飛び乗って隠れるか……そのまま襲ってきたらどうする。

 

 ならばここは男らしく立ち向かい打ち倒せばいいのか。現実的ではない。体格差もあればパワーも違う。互角なのはせいぜいが速さだけだ。

 

 ――結果。なのは達の誰かが助けてくれなければ詰み。

 

『な、なのはぁああああああッ!! た、助けてぇッ!』

 

 念話でなのはにSOS信号を送る。

 

 だが現実は非情だった。

 

『その程度乗り越えて見せろ』

『た、食べられちゃうよぉ!』

『なら貴様はその程度の男だった、というだけだろう』

 

 何もする気はありません、と示すように、なのははゆったりと優雅に紅茶を飲む。エレオノーレであった頃は貴族生まれだったから、法も何もかも心得ている。紅茶を飲む一挙動全てが美しい。

 

「こらっ、ユーノ君をいじめちゃだめっ」

 

 咎めるような語気で言ったのはすずかだった。今にも襲わんとする猫を抱きかかえようと手を伸ばす。

 

 あぁ、神様はいたのかっ! 感動の情が全身から溢れ出した。目頭が熱くなり、漏れそうになる涙をこらえる。なのはの舌打ちが聞こえた気がするが気のせいだろう。

 

 猫がすずかの手に抱きかかえられる。ゆっくりと持ち上げられ、すずかの胸に引き寄せられる。

 

 ふっ、と猫が足を振った。

 

「きゃうんっ」

 

 運が良かったのか悪かったのか。振られた足が(あご)に命中し、ユーノはテーブルの下に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 膝枕ならぬ膝布団とでも言うべきか。芝生に落ちたユーノはなのはの太ももに寝かせられた。

 

 なのはは若干渋ったが、飼い主のもとにいた方がいいだろうとの事。

 

 柔らかい膝布団で横になるユーノは、しばらくの間なのはの鋭い舌の攻撃を受け続けることになったのだが、彼女の辛辣な言葉はほとんど毎日聞いてきたため少し慣れていた。何も感じない訳ではないけれど。

 

 柔らかな肌を全身で感じる。女の子特有の甘い甘い匂いに全身を包まれているように錯覚してしまいそうになる。

 

 辛辣だし自分にも他人にも厳しい。プライドが高くて、自分と同じような年頃の少女とは思えないほどの身体能力と強さもある。ぶっちゃけて言えば子供の癖に子供らしくない。

 

 だがこうして触れてみれば女の子らしい柔らかさがある。他の女の子みたいに、男にはない匂いを振りまく。そして暖かい。思わず眠ってしまいそうだ。

 

 漏れそうになった欠伸(あくび)を噛み殺し、子供らしからずとも女の子な少女の顔を覗き見る。

 

 綺麗な顔立ちだ。自分がもっと単純な男だったら、一目ぼれしていたかもしれない。(大人の前以外)目つきは怒っているかのように鋭いが、顔つきには子供らしい幼さがある。それが魅力の一つだ。「美しい花には棘がある」というのを体現しているかのようだ、とユーノはいつだったか思ったことがあった。

 

『何をじろじろ見ている』

『えっ』

 

 ――ど、どうしてバレたの!?

 

『なんだ? 小動物の癖して、私の足の上で寝て、私相手に発情しているのか』

『ち、違うよっ』

『ならば何を見ていた』

『いや、そのぅ……』

 

 やっぱなのはは可愛いよなぁ、なんて思っていたなどと抜かせば、問答無用で殺される可能性が高い。

 

 あり得ない? 否。彼女に己が理屈が通じない事をすでにユーノは悟っている。

 

『……まぁいい。男が女に発情するのは一般的だ。種族が違い過ぎるのはどうかと思うがな』

(いや、僕一応人間……)

 

 この時ユーノの知ることではないが、彼自身は初対面時、人間状態だったと認識していた。

 

 フェレット状態で出会ったこともあり、何か普通とは違う事は感じていても、人間であると認識はしていなかったなのはには通じない理論なのであった。

 

「お姉ちゃんたちどうしてるのかなぁ」

「恭也さんとイチャイチャしてるんじゃない? 二人きりで」

「ふ、二人きり……」

「……なに想像してんのよ」

「くだらん」

「そーゆーなのははさぁ。好きな人とかいないの?」

「敬愛する方はいても、そんなふざけた存在はない。必要もない」

「敬愛? 誰の事?」

「ふざけた存在ってアンタ……」

 

 大した話をするわけでもなく、三人は好きなことを楽しげに話し合う。

 

 恋話になれば、なのはが「くだらん」と連呼するし、動物の話になればなのはも含めてそこそこ盛り上がる(なのはは適当に相槌を打っているだけだが)。料理の話になると、母親に料理を教えられているなのはが教えることになり、勉強の話になればアリサが騒ぐ。

 

 他愛なく過ぎ去っていく時間。

 

 その終わりを告げたのは、なのはが唐突に感じた魔力の波動だった。

 

「「!」」

 

 力の波動、魔力の波。

 

 かなり近くから襲った圧倒的魔力の風。強制的に意識を向けさせるのは、力の嵐だ。全身をビリビリと震わせるそれは、ジュエルシードから送られた戦場への招待状だ。

 

『なのは!』

『分かっている』

 

 感じる魔力からして、ジュエルシードが発動したのは月村家敷地内。少なくとも屋敷の中ではないようだが、すぐさま現場に向かい対処しなければ、なのはとユーノ以外に被害が出る可能性がある。

 

『……森のほうか』

『僕が飛び出してそっちに行く。なのははそれを追って来て!』

 

 つまり、突然走り出したペットを追いかけろ、という訳だ。

 

 肯定の意を告げると、ユーノは太ももから飛び降りて芝生に着地。奥にある森方面へと走り出した。

 

「あ、あれ? ユーノ!? どこ行くのよっ」

 

 いち早く気づいたのはアリサだった。

 

 飛び出そうとするアリサを手で制し、なのはは立ち上がる。

 

「いい。私が行く」

「なのはがぁ? 珍しいわね……」

「迷子にでもなったら探すのが面倒だ」

「……それは私とユーノ、どっちにいってるのかしらねぇ」

「どっちもだ」

 

 アリサの文句を受け流し、なのはは森の中へと走り入っていく。

 

 同時、封時結界が張られるのを感じた。森を丸ごと包み込み、周囲から空間ごと切り離して時間をずらす。

 

 ユーノを見つけるのは、そう難しい事ではなかった。

 

 いや、正確に言えば、ユーノを見つけたのではなく、ジュエルシードを発動した犯人を見つけたのだ。そしてそのそばにユーノはいた。

 

「……なんだあれは」

 

 ユーノがいたのはとてつもなく巨大な影の上だった。それは木のせいで出来たわけでも、外壁のせいで出来たわけでもない。

 

 それは猫によって作られた(・・・・・・・・・)影だった。

 

 文字通りそれは猫だった。姿も形も猫だ。毛の色もよくいるような色だし、可愛らしい顔が厳つくなっている訳でもない。正真正銘、紛うことなき猫だ。

 

 唯一違うのは……サイズ。

 

 異常に巨大になっている。手足だけで電信柱よりも太い。全長は十メートル以上ありそうだ。一鳴きするだけで、スピーカーの目の前で音を聞いているかのように全身に響くし反響する。

 

「た、多分だけど……猫が“大きくなりたい”って、願ったんじゃないかな。それで……それが正しく……」

「あれは正しく叶えられていると言っていいのか」

「……大きくはなってるよね」

 

 にゃお~ん、と呑気に巨大な鳴き声を上げた。

 

「……気にしても仕方がない。あんなでかい猫迷惑なだけだ。とっとと封印するぞ」

「う、うん……」

《Stand by ready. Set up》

 

 レイジングハートの声と共に、なのはの身体が桃色の魔力に包まれ、バリアジャケットである漆黒の軍服が形成される。レイジングハートはデバイス形態へと変形し、なのはの手に握られた。

 

「全く……リリカルマジカル、ジュエルシード――」

 

 封印しようとデバイスを構え、呪文を唱え始めた。

 

 その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あはっ、あっははははははははははははは――――――――ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 唐突に甲高い哄笑が響き渡った。

 

 それはなのはの物ではなく、ユーノの物でもなかった。

 

 聞き覚えのない声だ。おそらく女。凛とした印象を受ける声ではあるが、吐き出し鳴り響かせる哄笑がそれを全て塗りつぶす。

 

 瞬間的になのは周囲三六〇度にあるあらゆる気配を探る。森の中から空中にまでセンサーを最大稼働させる。

 

「リリカルマジカルだってッ! うひゃはははははあははははは!! どこの魔法少女なのさって話だよっ! あはッ、あっはははははははははは――――!」

「ど、どこに!?」

 

 なのはもユーノも周辺全てを見回す。誰もいない。気配を探るセンサーも反応しない。

 

 ――違う。

 

 気配を探り誰の気配も探れないんじゃない。これはそういう類の問題ではない。

 

 ただ単純に速すぎる(・・・・・・・・・)

 

 動きが動体視力を軽く超越するほどに速すぎて目視どころか、気配を感じ取る間もなく刹那的ににその場から消失しているのだ。

 

 つまりは完全完璧なステルス。

 

 見えもしなければ感じ取ることも出来ないのであれば、それは透明人間と同義だ。それが人外だろうがなんだろうが関係はない。

 

 なのはですら感じ取れないほどの超速度での疾走。普通の人間も魔導師も不可能だ。いくら強化したところで速すぎれば身体が耐えられない。例え耐えることが出来たとしても、超高速移動だ。思考を加速でもしなければ、すぐさま何かしらに激突する運命をたどる。

 

 だが相手はそれら全ての問題をクリアし、目の前に存在している。

 

 普通の人間でもなければ、普通の魔導師でもない。異常な存在だ。同じく異常な存在を以てしなければ勝ち目はない。

 

 そして相対しているのは……同じく異常な存在であることは言うまでもなかった。

 

「レイジングハート、モードセカンド」

《Yes, my master. Mode Second, Stand by ready》

 

 デバイスモードのレイジングハートが桃色の魔力に包まれ、一瞬でパーツごとに分解される。

 

 魔法の杖ではなく、新たな形態へと移行するため、格納されたパーツを変形させ再構成し、組み上げる。金色の刃を作り出し、純白の銃身を形成する。グリップはなのはの手に合わせて構成した。

 

 二回目の形態移行ゆえに何も躊躇う事はなく、主たる高町なのはの求めた唯一無二の武器へと自身を変生させる。願われたのは二丁。求められたのはイメージ通りに使える形。全てを全て忠実にこなす。

 

 レイジングハートを包んだ魔力球が二つに分かれ、なのはの両手へと触れる。再構成した己が形態へと魔力球の形が変形し、形を成す。

 

 そして魔力の光が霧散し、彼女の両手に握られたのは、二丁の銃剣だった。

 

 杖はやり辛い。砲撃形態は時と場合によっては不利になる。故に求めたのは全距離対応型。万能型である彼女が扱いやすい形。

 

 敵は速すぎて見えない。だがそれは魔人ではない者のみ。相手の速度はユーノら常人には速すぎるかもしれないが、魔人の域ではただそれだけ。見えないなんてことはない。

 

 風が吹き荒れた。敵が巻き起こしたソニックウェーブが、周囲の木を引き裂き千切り薙ぎ倒す。その行方を追ったところでその速度故に意味を成さず、見える(・・・)なのはにも意味がない。

 

 なのはが銃剣を振るった。

 

 瞬間、ガッキィン――ッ!! とレイジングハートの刃と、相手の金色の刃がぶつかった。

 

 相手の速度とパワーを受け止めた副作用で、バカげた衝撃が空気を伝い、暴風と化す。ユーノが地面にしがみつくのが視界の端に見えた。

 

「――ははっ、やっぱり。偶然かと思えばそうじゃなかった」

 

 ギリギリと鍔迫り合う。レイジングハートの剣身とぶつかり合う、金色の魔力のよって形成された魔力刃。その元をたどり漆黒のデバイスに行き当たり、それを手にしている主に目を向ける。

 

 それは魔力光と同じような金だった。

 

 髪は光を反射する金色。両サイドで黒いリボンで纏め、ツインテールとしている。真紅の瞳は正常と狂気の混じり合った色を帯びている。整った顔立ちだ。美少女の類に値する。

 

 その手に持つデバイスの形はハルバード。その穂先の刃を上へと向け、開いた砲身から魔力刃を発生させている。

 

 バリアジャケットはまさしく黒い。黒のレオタードにパレオのようなスカート。黒のブーツ、そして黒のマント。ほとんどが黒で統一され、それらが彼女の美しさを際立たせる。

 

「懐かしい気配がした。懐かしい感覚がした。やっぱり勘違いじゃなった。知ってる匂いだよこれは」

 

 煌めく金の少女は、子供らしく、それでいて子供らしくない狂気を孕んだ笑みを浮かべた。

 

 そうだ。私も知っている。この女を、この少女を、否、この少女の中にいる存在を。

 

 その名は――、

 

 

 

 

 

 

 

「久しぶりだねぇッ、エレオノーレ!」

 

 

 

 

 

 

 

「貴様か――シュライバーッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 聖槍十三騎士団黒円卓第十二位、大隊長。

 

 ラインハルトより三騎士の一つ、白騎士(アルベド)を賜った者。

 

 ウォルフガング・シュライバー=フローズヴィトニル(悪名高き狼)

 

 白と赤。

 

 一騎当千の魔人二人が、再会する。

 

 

 




 はい、散々『金髪』と『電撃』からしてあの戦乙女な部下さんなのでは、と思われていた金色の死神の正体は、アンナちゃんでした。

 別に適当に決めたとかではないんですが、今考えてるのとは全く違う理由でシュライバー少佐殿に入ってもらってたんですけど、今となってはなんかしっくりきた感じ。


 話は変わって。
 聖遺物は出ないんですかー、っていう質問がたまに来ることありますが。
 出ます。出ますよ。ただしまだ出ません。
 あと魂云々に関しても、そのうち書いていきます。
 中身が空っぽなのか、そんなことはないのか。そういうのをちゃんと書きますので、今はもうちょっとだけお待ちを。





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第四話「結界内の攻防」

 ちょっと時間かかっちゃいました。ごめんなさい。

 言い訳だけさせてもらうとですね、ちょっと一週間ほど祖父母の元にお泊りに行ってきました。
 その時ノートパソコン持ってかなかったんで、一週間丸ごと書けなくってですね。まぁだいぶかかりました。
 もってきゃいいじゃん! って話なんですけどね……外に持っていくこと自体が怖くって。壊れたらどうしよう! って感じで。





 今回、前の数話に比べたらちょっと短めです。ちょうどいいところで区切ったら大分短くなりおったわい。


 ユーノ・スクライアはただ茫然とその光景を見ていた。

 

 始まりは彼の痛覚が反応してからだ。

 

 なのはによって唐突に蹴り飛ばされた彼は、地面に着地する直前、突然巻き起こった暴風によって大空に舞い上げられ――それを見た。

 

 誰もいない場所から(・・・・・・・・・)金の斬撃が飛んだ。

 

 それも一つ二つではなく、五つどころか十に至るまで。少なくともユーノが滞空し、地面に足をつけるまでの数秒間認識するだけでも数十、下手すれば百の斬撃が、誰もいない空間から振るわれたのだ。

 

 隠れた場所から放たれた可能性はない。結界内の森は謎の――おそらく金髪の少女が起こしたのだろうが――ソニックウェーブによって木々があらかた薙ぎ倒されているため、隠れる場所など(はな)からない。そもそも斬撃は、なのはを包囲して三六〇度あらゆる場所から振るわれる。つまりどちらにしても隠れている訳ではない。

 

 ならば光学迷彩でも使っているのか――否である。

 

 カメレオンのように周りに溶け込む方法や、光を透過・回折させる方法、空間を歪曲させる方法など、光学迷彩はいくつかの手法が存在している。が、これらは地球よりも科学の発達した世界ですら完成させることが出来ていない。

 

 カメレオンの場合は対象の表面に周りの風景をカメラで撮影し投影することで行うが、対人で使えるほどの大きさにすることが出来ていないし、光を透過・回折させる方法だと確かに透明にはなれるが、使用者が敵を見ることが出来なくなる。空間歪曲は失敗して世界を一つ消してしまったために凍結されたと聞く。

 

 誰かが完成させた、と考えることも出来るだろうが、可能性としては薄い。そもそも金髪の少女(彼女)の戦闘タイプはそういったものではない、とユーノは解していた。

 

 すなわち、異常なほど究極的なスピードタイプ。

 

 目視する事すら不可能とするほどの神速によって圧倒する、それが彼女。一撃離脱ではなく、一撃必殺。つまりは走れば終わる。彼女が走ったことを認識する前にこちらは倒されているのだ。

 

 動体視力を超えていること、さらにソニックウェーブが巻き起こることから、少なくとも音よりは確実に早い。光速だとは思えないが、それに近いかもしれない。

 

 身体が耐えきれないとかそういう問題すら度外視するほどの異常性。それが相対している敵。

 

 だが驚くべきは、金色の少女だけではない。防戦一方どころか、彼女の攻撃を捌き、更に反撃できる子供らしくない少女――高町なのはも異常であった。

 

 相手の動きは、魔力で視力を強化しようとも目視不可能な速度だ。しかしなのはは、一秒だけで数十襲い来る敵の攻撃を弾き、流し、避ける。それだけに留まらず反撃すらしてみせる。

 

 二丁の銃剣から放たれる桃色の閃光。魔法初心者だとは到底思えないほどの魔力操作、それによって最低限の魔力で出せる限りの最高の威力を連射する。

 

 彼女曰く“ブリッツ・バスター”。いつの間にか開発していた砲撃魔法だ。大した魔力も使わず、なおかつ最大限威力を落とさずに連射を可能とする。そんなコンセプトで作った(・・・)と言っていた。

 

 圧倒的才能だ。努力も欠かしていない。

 

 ……同類、なのだろう。敵である金色の少女と高町なのはは。

 

 二人から数十メートル以上離れた地面に、ユーノは着地する。

 

 小さな矮躯は、その戦いをただただ見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

      *  *  *

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――金が疾走する。

 

 地を蹴り、倒木を蹴り、空を蹴る。一瞬たりとも停止はせず、ただただひた走る。そのためだけの一挙手一投足は、自分以外の全てを引き裂き潰して轢殺する暴風だ。通り過ぎた後など死の(わだち)しか残らないし残さない。死にたくなければ眼前から退けばいい。彼女にとってはただそれだけの話でしかなく、それ以上必要ない。

 

 それが金髪の少女、フェイト・テスタロッサ。誰よりも速く、誰も追いつけない神速の狼(フローズヴィトニル)。かつてウォルフガング・シュライバーと呼ばれていた少女。それが金の正体であり、この異次元の戦闘を繰り広げる一人。

 

 相対するのは、かつて赤い女であった少女だ。名を高町なのは。シュライバーもかつて身に纏っていた漆黒の軍服をバリアジャケットとし、子供らしからぬ面をした栗色の少女。

 

 赤には程遠いほどの桃色を武器に、轢殺など許さずこんなお遊び(・・・)に付き合っている。互いに殺し合うべき時期は今ではないと理解しているが故に、あくまでこれはお遊びでしかない。

 

 そう、これはお遊び(魔法戦)だ。

 

「ははっ――」

 

 フェイトの口から楽しげな声が漏れる。

 

 ただ走るだけで巻き起こるソニックウェーブなど意にも解さず、その手に握るデバイス(相棒)『バルディッシュ』を振るう。

 

 魔力刃を展開した大鎌(サイズフォーム)となっている金色(こんじき)の刃は、動き回りながら一秒毎に数十と振るわれる。周りからしてみれば、金の斬撃が誰もいないところから飛んでいるように見えるだろう。それも三六〇度、目の前の少女を取り囲むように。

 

 だが相対している高町なのはという少女は、その程度で落とされるほど弱くはない。

 

 襲い来る金を弾き捌いて避ける。常人以上の異常な動体視力を持つ彼女には、“今の”フェイトの速度なら目視できる。そしてそれに反応するだけの身体も持っている。だから戦える。

 

「ふん――ッ」

 

 飛び退き一瞬で斬撃の包囲網から抜け出したなのはは、滞空しながら左腕を振るい、同時にレイジングハートのトリガーを引き絞る。魔法陣の展開から発動までを〇.一秒でこなし、それを連続七発。

 

 マズルフラッシュにも似た桃色の光が、左腕のレイジングハートの銃口から放たれた。弧を描くように線をつなぐそれらの正面から、七つの光柱が走る。

 

 一瞬で地面へと着弾する七つの光は、腕を振りながら撃つなどという異常な方法で撃たれたにもかかわらず、総じてフェイトに向かって正確に飛ぶ。彼女の飛行ルート、回避先を数手先読みした光柱はフェイトの眼前に迫る。

 

 ……が。

 

「あはっ、曲撃ちだなんて。遊佐司狼の真似かいエレオノーレ」

 

 桃色の線を金がすり抜ける。

 

 彼女に対して、ルートの計算など関係はない。フェイト・テスタロッサは絶対最速であり、あらゆる一瞬は数瞬と化す。どう動こうと当たるように配置されているのなら、着弾するよりも速く通り抜けてしまえばいいのだ。相手がどれだけ速かろうとも、自分は必ずそれを上回る。何があってもそれは揺らがないのだから。

 

《Photon Lancer》

 

 駆け抜けるフェイトの周りに、魔力で精製された光球、魔力弾を放つフォトンスフィア(発射体)が展開される。

 

「ボクらは今、魔法少女(笑)なんだよ? もっとそれらしく行こうじゃないか」

 

 バチバチと帯電するフォトンスフィアを置き去りにしてなのはの背後に回り、一閃。同時にスフィアが火を噴き、直射弾(ランサー)が放たれた。五×五の計二五発が、なのはに向けて射出される。

 

 正面からの弾幕、背面からの斬撃。挟み撃ちだ。

 

「私はそんなものになった覚えはないッ」

《Divine Shooter》

 

 ガキィンッ! と左のレイジングハートの刃と光刃が衝突した。

 

 ノールックで受け止めたなのはは、誘導弾(シューター)を展開してランサーを迎撃する。

 

 ランサーは弾速が速い代わりに直線状にしか進まないし、連射しているから込める魔力は分散する。つまり量より質を取ってしまえば、五発で二五発を撃ち落とすことは容易い。

 

 加えて、鍔迫り合いの接触面に魔力を一瞬で収束、爆発させる。接触している今が攻撃のチャンスなのだ。狙わないという選択肢は、なのはには存在しなかった。

 そして驚くべきことに、これまでの行動には〇.五秒も費やしていなかった。

 

 爆発寸前でフェイトはその場から逃れる。目の前が爆煙で埋め尽くされた。

 

 瞬間、全身に数多の鋭い何かが突き刺さった。

 

「ガぁッ――!?」

 

 それは桃色の針。魔力で構成された弾丸。

 

 数十発に至るそれら全てが、爆発と共にクレイモア地雷のごとくバラ撒かれたのだと、瞬時に理解するのは難しいことではなかった。

 

 爆発に当たるほど遅くない事を見越しての攻撃だ。一秒すらかけずにそんな仕掛けを施す――なるほど、さすがは赤騎士(ルべド)武器(もの)が変わろうがただそれだけ。姿形が変わろうが、彼女は間違いなくエレオノーレ・フォン・ヴィッテングルグ。

 

 戦術に特化したフェイトと、戦術と戦略を網羅した万能型のなのは。尖っている(極端)丸い(極端)か。それが二人の大隊長を分かつやり方(性質)だ。

 

「やはり貴様も弱体化しているな」

 

 爆炎を桃色の光が突き破る。雲の隙間から漏れる日光のごとく襲い来るのは連射砲撃(ブリッツバスター)

 

 ただの威嚇だ、誘導する気も当てる気も大してない。故にわざわざ疾走して避ける必要性もない。

 

「形成せずとも貴様は今よりも速かっただろう。魔法だけでのスピードかとも一瞬考えたがそういうでもない。それが今の全力疾走だ」

 

 爆煙の晴れた先には、ブーツの側面から桃色の翼を生やして浮いているなのはの姿があった。

 

「手ぇ抜いてるだけかもよ」

「貴様にそんな器用なことが出来るものか」

 

 黒円卓の幹部、大隊長たる三人。すなわち、エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ(高町なのは)ウォルフガング・シュライバー(フェイト・テスタロッサ)、そしてゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン。

 

 彼らはまさしく魔人。最強クラスの単体戦力であり、個にして軍隊(レギオン)。内に秘める喰らってきた魂は大隊規模どころか師団規模以上。一騎当千を形にしたような存在だ。

 

 そして今相対しているフェイト、すなわちシュライバーは狂犬だ。典型的なシリアルキラー(殺人鬼)である彼は、子供らしさを持つが故に野性的で、まさしく身体が戦い方を知っている。

 

 子供らしい故に手加減を知らない。誰かを殺すのは、彼にとって幼稚園児が玩具で遊ぶようなものだ。まぁ、それが魔人的には手加減と言えはするだろうが。

 

「これはお遊び(魔法戦)だよエレオノーレ。キミだって分かってるだろう。どこまでいったって実験だ、魔法がどれだけ使えるのか」

 

 フェイトは嫌に理性的に言う。

 

 つまり真の武器(聖遺物)は使わないし、必殺技(創造)だって使わない。あくまでこれは魔法戦。魔人的身体能力があろうと、必ず当たるわけでもなければ、一〇〇パーセント確実に避けられる訳でもない。

 

 何が言いたいかというと。

 

「「ボク()達大隊長の相性は関係ない」」

 

 クスリと笑うフェイトは動く。

 

《Photon Lancer Mode Guns fire》

 

 空を駆けるフェイトの人差し指の先に魔法陣が展開される。

 

 ただの発射体(スフィア)ではフェイトのスピードについて来れず、射撃しながらの高速移動が出来ない。代わりに砲撃しながらだと、スピードは落ちるし魔力消費も激しい。

 

 そのために生み出したのが魔法陣型スフィア。銃と同じように使える魔法。

 

「さぁっ、ボコボコに(穴だらけ)にしてやるよォどこがいいッ!!」

 

 目の前から消えた瞬間になのはを襲う金色の雨。超高速移動中に放たれるランサーが、包囲射撃でもされているかのように、上下左右あらゆる場所から飛んでくる。

 

 なのはは飛び回り避けながらブリッツバスターを照射する。ランサーに()められた魔力は、先のランサーと同程度。撃ち消すのは難しくない。が、前述したとおり、ランサーはあらゆる場所から撃たれる。ただ単に迎撃すればいい、という訳にもいかない。

 

「チィッ、ちょこまかとっ!」

 

 ブリッツバスターがランサーを飲み込む。

 

 展開したディバインシューターで、直撃しそうなランサーを迎撃しながら移動ルートと回避パターンを計算し、フェイトを狙う物の相手が速すぎる。どれだけ計算を修正して撃とうとも、フェイトはそれを(くつがえ)すようにすり抜けるのだ。本来ならフェイトを飲み込むはずのブリッツバスターは、一度としてランサー以外を飲み込めない。

 

 ブリッツバスターの弾速と、フェイトの移動速度に差がありすぎる。

 

 本人を直接狙ったところで当たらないし、フェイトの反応出来ない距離を考えて撃つと、近すぎて(・・・・)目標地点を通り抜けられる。逆に、それから離せば遠すぎてそこに来ない。

 

 もはや、止めるか接近戦に持ち込むか。この二つしか方法がないが、前者は拘束魔法(バインド)を使っても、ただ使うだけではブリッツバスターと同じ末路。後者はフェイトから来なければ不可能だ。

 

「ならば――レイジングハートッ!」

《Yes, My master》

 

 桃色の球体が、なのはの周囲に現れる。五や十どころではない。それは百以上あった。

 

 なのはは苦しげに顔を歪める。

 

「くぅっ……! 即興の術式だから仕方ないが……予想以上に魔力を使うっ」

 

 球体が辺りに散らばり――消える。

 

 フェイトのように高速移動している訳でもない。霧散した訳でもない。ただ消えた。

 

 ――瞬間、なのはの後方で連鎖的に爆発が起きた。

 

「ははっ、地雷、いや、機雷って訳か。でもねぇ――ッ!」

 

 ドドドドドドドドドドド――ッ!! と、なのはを囲むように爆発が連鎖する。フェイトがわざと起こしているのだろう。魔法には反応しないようにしているから、フェイト以外がかかったわけはない。ご丁寧にランサーだけは撃ちながら、展開した機雷を排除していく。

 

 爆発自体は当たらない。起爆には一瞬のラグが生じる。常人にはそれで十分なのだろうが、フェイトはその常人の域から外れた魔人。神速の彼女にとって、他人にとっての一瞬は数瞬に値する。一瞬でもラグがあれば、爆発圏内から逃れるのは容易い。

 

 なのはの視界が爆煙で埋まる。文字通り煙の壁で包まれていた。

 

「目隠しでもしたいのかい? キミにしては浅はかな考えだね」

 

 その程度でこの優位は揺らがない。それどころか相手も目隠し状態だ。

 

 だがフェイトは違った。

 

 動物的に言うならば、匂いで分かるとでも言うべきか。魂の感覚が、野性的な直感が、なのはの位置を特定する。

 

 ニヤリ、とフェイトは笑った。

 

 指先からランサーを撃ちながら、フェイトは魔力を集束させる。

 

 威力の高い射撃系統の魔法が少ないフェイトの、数少ない砲撃魔法。魔力変換資質『電気』も使用した、唯一の遠距離砲撃。

 

「サンダー――ッ」

 

 飛び回りランサーを撃ちながら――放つ。

 

「スマッ――ッ!?」

 

 放つ――その瞬間だった。

 

 左腕が誰かに引っ張られたかのように、強制的に後ろへと持っていかれた。ゴキン、と嫌な音が耳の近くで鳴った。

 

「ギ――ッ、ガァアアア――ッ!!?」

 

 左腕から全身にかけて激痛が走った。それどころか左腕に力が入らない。超速度からの強制停止だ。千切れなかったのは奇跡だっただろう。肩が外れ、肉が裂ける。暖かい鮮血が顔に降り注ぐのが分かった。

 

「浅はかなのは貴様だ、シュライバー」

 

 左腕だけではなく、バルディッシュを握る右腕と両足も更に何かに引っ張られた。(はりつけ)にされているかのように、空中で大の字にされる。

 

 かすかに正常に働いた頭が、それの正体を認識する。

 

(バ……拘束魔法(バインド)――ッ!!)

 

 かなり強固なものだ。魔人の力を以てしても、今の自分では無理矢理引きちぎることが出来ない。

 

 瞬間的に理解した。

 

 なのはが展開したのは機雷だけではなかったのだ。その中にひっそりとバインドを展開させていた。もしかしたら別の何かも仕掛けられていたかもしれない。

 

 言い訳する気はないし、言うほど今頭が回るわけでもないが、さっきまでだったら発動する前に通り抜けられていたはずだ。なら何故引っかかったのか――簡単な話だ。フェイトが減速したのだ。

 

 砲撃魔法を使うと、魔法による加速に回せる魔力が少なくなるが故の減速。

 

 なのはの言うとおり謎の弱体化しているから、単体で完全に目視できなくなるほどのスピードが出せなくなってしまっている。だから使っていた加速魔法に回す魔力が少なくなれば、当然スピードは下がる。だからバインドに捕まった。

 

《Divine――》

 

 機械音による女声が、激痛に苦しむ頭に入ってくる。

 

「バスターッ」

 

 目の前が……桃色に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

      *  *  *

 

 

 

 

 

 

 

 拘束魔法(バインド)はただのオマケだった。

 

 精々かかれば運がいい、程度の話だったし、その分一際強固な物にはしたが、警戒を考えて数も四、五個程度を離れたところに仕掛けただけだ。爆発ではなくクレイモア型の機雷。それも即興で作った、当たった部位に加重魔法をかけるものや、不可視型の魔力により構成されたネットなど、そちらの方が本命だったのだ。正直引っかかるとはなのはも思わなかった。

 

 だがフェイトはどういう訳か捕まった。数少ないバインドに。

 

「……ハイドリヒ卿のご加護か」

 

 そう考えた方が嬉しい。

 

 なのはは爆煙の中を突破し、緑を視界に入れる。

 

 落ちていくフェイトが目に入った。左腕から血が溢れ、まき散らしながら倒木の海に墜落していく。

 

 と、その時。

 

「フェイトォオオオオオオオオオオオッ!!?」

 

 聞き覚えのない声が、フェイトの方から聞こえた。

 

 フッ、とフェイトが橙色の何かに攫われた。

 

「フェ、フェイトッ! あっ、あぁっ! う、腕が……こんなッ」

 

 それは――奇怪な狼だった。

 

 喋るところはもちろん、毛色がオレンジと赤という、染め上げられたような色をしている。大きさは普通の狼よりも大きい。額には何故か宝石のような石がついていた。

 

 その狼はキッ、となのはを睨んだ。

 

「お前……お前ェッ!!」

 

 なのははその狼と、背に乗せられぐったりしたフェイトを上から見下ろす。

 

「貴様、シュライバーの、それの仲間か」

「アタシはフェイトの使い魔だッ」

「使い魔……なるほど」

 

 使い魔。すなわち、アニメや漫画のみならず、ファンタジー物の物語、特に魔法の出てくるものには大体出てくると言っていい存在だ。

 

 主の目となり手足となる下僕。物語のよって区区(まちまち)だが、目の前にいる使い魔を名乗る橙色の狼は自我を持ち、人間と同じように思考するタイプのようだ。下手すれば魔法も使えるかもしれない。

 

 だがなのはは、現状警戒する必要はない、と考えた。

 

「――私を睨みつけるのもいいが、とっととそいつを連れ帰って治療したらどうだ。そのままだと失血死するぞ」

 

 私は邪魔はしない、と地面に降り立つ。

 

 目の前にはジェルシードがあった。

 

 おそらく、先の戦闘による流れ弾が多数命中した結果、形を保てなくなったのだろう。近くに猫が寝ている。

 

「……リリカルマジカル、ジュエルシード封印」

《Sealing》

 

 ジュエルシードを封印して、レイジングハートの内部に格納する。

 

 見ると、既にフェイトと橙色の狼は血の跡を残して消えていた。

 

 一瞥だけして、なのははレイジングハートを待機形態に戻らせる。

 

 そのまま気にした様子もなく、なのはは同じく流れ弾で気絶していたユーノを拾いあげ、結界を解除してアリサ達の元へと歩みを進め始めた。

 

 

 

 




 やっぱり戦闘描写は難しいのう。
 そして相変わらず戦闘だと調子のってルビ振りまくってしまう。読み辛かったらごめんなさい。



 思ったけど、マキナがはやてになるって予想してる人いたけどさ。
 それってつまり、はやては拳圧だけで骨折れるってことだよね。

 ……怖っ。


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第五話「寡黙すぎる女も困りもの」

 ヤバい、まだ全然始まって間もないのに書く時間がない。

 四月後半に入ってから急に私生活が忙しくなっちゃって……一か月近くかかってしまいました。ごめんなさい。
 こんな序盤からこの調子じゃ先が思いやられるな……。
 何とか投稿ペースを戻していきますので、どうかご勘弁を。


 聖槍十三騎士団とは、かつてナチスドイツが存在したころに創設された組織だ。

 

 時は大戦中。ヒムラーSS長官のオカルトお遊びで結成された聖槍十三騎士団は、後に水銀の蛇(メルクリウス)と呼ばれる一人の男、占星術師カール・エルンスト・クラフトの介入によって、本物の魔人集団と化した。

 

 彼らは黒円卓という魔法陣の霊的加護を受け、歴史や怨念、血でも信仰心でも、人々から膨大な思念を浴びて意志と力を得た器物、聖遺物をエイヴィヒカイトと呼ばれる特殊な術を以て扱い、戦う。その力は、たったの十三人で主要先進国に匹敵すると世界に認識されるほどであり、団員全員が国連の裏ルートで膨大な懸賞金がかけられているほどだ。

 

 文字通り、一人一人が不老で一騎当千。更に幹部の三人は一人で師団規模の戦力であり、首領に至ってはたった一人で総軍レベル。まさしく化け物集団だ。

 

 

 

 

 

 

 ――そして、そんな聖槍十三騎士団が幹部。かつて黒円卓第九位大隊長であったエレオノーレこと、高町なのはは、家族と友人たちと共に温泉へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

「…………」

「…………」

「えーっと……」

 

 なのはの乗る車には、運転席に士郎、助手席にアリサ。後部座席には右になのは、中心にすずか、そして……左には彼女たち以外の少女が座っていた。

 

 なのはと似たような髪色の少女だ。髪を肩に触れるか触れないかというところで切りそろえ、前髪をヘアピンで留めている。青い瞳は死魚のようで、かといって死んだ目ではない。

 

 腕を組み目を閉じて、眠っているのか起きているのか分からない少女は、ただただ車に揺られている。

 

 反対側に座るなのはは、つまらなそうに車外を見つめている。

 

 それに挟まれたすずかは、居心地悪そうに肩を小さくしていた。助手席にいるアリサですら、どう切り出すべきか測りかねている。

 

 無言。

 

 ただただ無言。

 

 ひたすらに無言。

 

 出発前に何やら二人で話をしていた辺り、仲が悪いわけではないらしい。この無言が発生するようになったのは、海鳴温泉に向かって発進してからだ。

 

 常に無言、という訳でもなく、アリサとすずかが何か話せば少女は会話に入ってくる(なのはは何故か沈黙を続ける)。……が、少女が寡黙すぎて話が続かない。時折士郎もなのはや少女に話しかけるが、やはり続かない。

 

(これはさすがにキツイなぁ……)

 

 静寂に包まれる車内で、士郎も苦笑いしつつ運転を続ける。いつもなら起こり得ないほどの静寂は、どこか慣れない。数人で車に乗っているはずなのに、孤独感すら感じる。

 

 それで折れてしまうほど彼は弱い男ではないが、家にも店にもない居心地の悪さがあるのは確実で、それによって苦い笑みを溢してしまうのは、仕様の無い事だった。

 

 ふと、士郎は後ろに座るなのはの顔を覗いてみる。

 

 機嫌が悪いのか、調子が悪いのか、はたまた何か難しいことを考えているのか。彼女は若干険しい顔をしながら、ボーっと窓の外を眺めている。

 

 笑顔ばかりの彼女からは、到底考えられない光景だった。

 

 笑っているのはいいことだし、子供がいい子に育つのは、親としては嬉しい事でもある。

 

 だがどこか人間性の欠けた感じが、なのはにはあった。まるで笑顔という仮面をかぶってでもいるような――そんな感覚があった。

 

 親の前では笑顔でいよう、そんな考えがあったのかもしれない。それ故の仮面。気づかないフリをしてはいたが、気にはなっていた。

 

 きっと今目の前にいる、後ろで険しい顔をして車外を見つめるなのはが、仮面も何もつけていないなのはなのだろう。人間味の無いものではなく、仮面の裏に隠れた真の姿。

 

 士郎は苦いものではない笑みを浮かべた。

 

(新しい女の子がそうさせたのか、別の要因があるのか分からないけど……)

 

 ――いい旅行になりそうだ。士郎は何の根拠もなく、ただただそう感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ……と、そんな事を考えている士郎にも気づかず、なのはは窓の外を眺めている。

 

 頭の中でグルグル回る、どうしてこうなったのだっ、という堂々巡りの自問。そんなものを意味もなく続けながら、彼女はトンネルに入ったことで窓に反射し映った、反対側の少女の顔を見る。

 

 眠っているのか、ただ目を瞑っているのか。窓に映る少女は、腕を組みながら目を閉じている。

 

 ――八神はやて。それが彼女の名だ。

 

 なのはとはやてには何の接点もなければ、特別な出会いがあったわけでもない。本来ならば知り合いにもならなかっただろうし、よもや共に温泉へ行くなどあり得なかったはずだ。

 

 そう。ただすれ違って終わりの関係で終始するはずの二人だ。

 

 が、現実として今、二人はこうしている。

 

(面倒なことになった……)

 

 はやてがいては、“仮面”をつけようにもつけられない。あんな姿を彼女に見せるわけにはいかない。彼女も似たような事情があるとはいえ、自分も、というのは彼女のプライドが許さない。

 

 故に親の前で演じる、“小学三年生の高町なのは”が出せず、車内の会話に参加することが出来ない。士郎やアリサ達を無視する形になってしまう。

 

 普段通りに話せばいいだけではあるのだが……それでは今まで何のために、あんな屈辱的な演技をしてきたのか分からなくなってしまう。そう考えると、どうしてもそれは選べなかった。

 

 ――どうしてこうなってしまったのだっ。

 

 何度目かの意味のない自問が繰り返される。

 

 こんなくだらない事で悩む自分が情けない。いつもならこんなにネチネチグダグダ悩むこともないのに。それもこれも八神はやてと出会ってしまったからだ。

 

 ……そうだ。あの時出会う事さえなければ、こんな面倒なことには……。

 

 

 

 

 

 ――なのはの言う彼女(はやて)との出会いは、一週間前に起きた。

 

 

 

 

 

 

      *  *  *

 

 

 

 

 

 

 高町なのはは休日の昼間、珍しく一人で海鳴の街に出ていた。ユーノもいない。

 

 別にアリサやすずかが忙しかった訳でもないし、彼女たちに何か用があったわけでもない。もちろんユーノも。

 

 ならば何故か。それは今回の目的は一から十まで個人的なものだからだ。二人を誘うほどの事でもないし、誘ったら誘ったで、二人にとってはつまらない一日になるだろう(彼女個人としては、目的の邪魔になりそうな気がしたから誘わなかっただけだが)。

 

 その目的とはすなわち、歴史調査である。

 

 この世界の日本には、エレオノーレのいた世界の日本にあった、諏訪原(すわはら)市が存在しない。それが判明したのは、たまたまあるはずの場所を見たらなかっただけなのだが、それはどちらでもいい。

 

 エレオノーレのいた世界にあったはずの街。それが無いという事は、もしかすると歴史に違いがあるかもしれない。そして世界の違いを知れば、もしかすると何かが見えるかもしれない。

 

 希望的観測ではあるが、魔法とジュエルシード以外に目的を果たす(“城”に帰る)希望が見えない以上、可能性があるのならやってみる方が得だろう。少なくとも時間以外に損をする、という事はないはずだ。

 

 そんなわけで、彼女は今図書館へと向かっている。

 

 ちょうどよく大きめの図書館が、近場に存在していることは前から知っていたし、たまに利用もしていたため迷う事もなかった。

 

 家を出て歩くこと数十分。

 

 たどり着いたその建物は、大きさゆえに見つけることは容易かった。

 

 ――風芽丘(かぜがおか)図書館。

 

 それはガラス張りの近代的な建物だった。図書館にレトロなイメージを抱いている人からすれば、本当に図書館なのか疑ってしまうほどだ。

 

 なかなか大きく広くて、老若男女利用者も多い。外から見ても結構な人がいる。

 

 なのはは数段程度の階段を上り、出入り口の自動ドアをくぐって中に入る。

 

 図書館内は、当然のように静寂に包まれていた。

 

 右手には受付があり、正面左では椅子に腰かけ本を読んでいる人々が見える。あとは本棚、本棚、本棚。本棚と本ばかり。

 

「さて……」

 

 なのはは図書館内をぶらつきつつ、歴史書の類を探す。他にも何かあれば、手に取って目を通してみて、興味深ければそのまま持っていく。歴史書もまた然り。

 

 そうして本を探し続けること三十分ほど。

 

 数冊の本を手にしたなのはは、適当な席に座ってそれらを広げた。

 

 ドイツ史と日本史を中心にしたラインナップだ。他の国の歴史は適当に(かじ)る程度で済ませ、この二つを主として歴史の違いを探る。

 

 どこの歴史を見るか、ということで絞った結果がこれだった。

 

「…………」

 

 紙の擦れる音が、坦々と耳に入ってくる。

 

 一冊一冊が、そこそこ分厚いハードカバーであるのに対し、彼女はそれらを一冊十分程度で読破していく。この程度の速読は、彼女からすれば容易いものだった。

 

 持ってきた本を全て読破するのにかかった時間は、二時間もなかった。

 

「……大して変わらんな」

 

 落胆を滲ませながら、なのはは一人ごちる。

 

 速読の上、自分の世界での歴史と照合してみたが、少なくともこれらの本に載る歴史との相違点は、全く見つからなかった。それどころか、カリオストロやトリスメギストス、カール・エルンスト・クラフトの名を見るたびに気分が悪くなった。

 

(前言を撤回だ)

 

 得はしても損はしない――ことはない。

 

「……返すか」

 

 イラつく頭を鎮め、なのはは手に取った本を元に戻す作業を開始する。

 

 本棚の間を歩き回り、記憶している本の元の位置へと向かう。一冊、二冊次々と、寸分違わず抜きとった場所へと戻していく。

 

 何か思う事もなく、ただ坦々と作業をこなすこと数分。

 

「ん?」

 

 最後の一冊を元に戻したなのはは、無意識的にそれへと視線が吸い寄せられた。

 

 なのはからは約五メートルほど離れた位置に、それはいた。

 

 簡潔に言ってしまえば、それは車いすに座った、なのはと同年代の少女だ。なのはと同じ栗色の髪を首回りで切りそろえ、ティーシャツと短パンというシンプルな服装に身を包んでいる。

 

 車いすに乗っていることからして、何らかの理由で足が不自由なのだろう。生憎、なのははそんな彼女へ同情を向けるほど優しい少女ではなかったが、視線が吸い寄せられた理由はそこではない。

 

 なのはは、取りたい本が高いところにあって届かないらしい少女に近づく。

 

 そして取りたいらしい本を取り、手渡した。

 

「これだろう」

「……すまない」

 

 本を受け取った少女は、なのはの顔を見上げてきた。

 

 少女とは思えない目だった。あえて形容するならば、死魚のようだと言える。眠たげに細められた瞳は、光が失せている訳ではないものの、どこか鋭い印象を以てこちらを見つめてくる。

 

 ――それを見て、なのはは確信した。

 

 

 

 

 

「シュライバーに続いて今度は貴様か」

 

 

 

 

 

「……ザミエル」

 

 

 

 

 二人目の同類だ、と。

 

 

 

 

 

 

 

      *  *  *

 

 

 

 

 

 

 

 少女と共に、彼女の家へとやってきたなのはは、椅子に座り、甲斐甲斐しく動く少女を軽く目で追っていた。

 

 変わらず無表情ではあるが、てきぱきと紅茶を淹れる姿は、まるで女の子のようだ(・・・・・・・)、となのはは思う。

 

 周りの人間からすれば、何を言っているのかと訝しがられるところなのだろうが、なのはとフェイト、二人からすれば彼女がそうしている姿には違和感しか感じないのである。

 

 コトリ、と目の前にストレートティー入りティーカップが置かれる。

 

「……まさか、貴様までいようとはな。ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン。いや、マキナの方がいいか?」

 

 家にやって来てから今の今まで黙っていたなのはは、初めて口を開いた。

 

「どちらでもいい」

 

 少女、八神はやては短く告げると、なのはの対面に車いすを移動させ、向き合う。

 

 ――黒円卓第七位大隊長、ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン。

 

 エレオノーレ、シュライバーと同じ大隊長の一人だ。ラインハルトより黒騎士(ニグレド)を賜った()でもある。

 

 そう。『男』である。

 

 断じて『女の子』などではない。

 

「……とりあえず、だ」

 

 なのはは一瞬、訊くべきか否かを考えたが、あえて聞いてみることにした。

 

「……貴様、紅茶など淹れられたのか」

 

 正直言って、そんなイメージまったくないというのが本音だった。

 

 ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲンという男は、鍛え上げ無駄のない筋肉隆々の身体に、一分の隙もなく軍服を着こなした無精髭の偉丈夫だ。

 

 徒手空拳を以て戦う彼は、素手で戦車を破壊し、戦車の主砲をその身で受けようとも全く動じないような存在である――後者に関しては黒円卓のほとんど全員に言えることだが――。

 

 寡黙で多くを語らず、無駄な戦いや殺し合いを好まず、男の戦いなどにおける矜持(きょうじ)を持ち合わせる、まさしく『英雄』的な男。それが彼(今は彼女だが)のはず。

 

 紅茶を淹れる姿など、黒円卓で言えば精々ルサルカ・シュヴェーゲリンか、先のウォルフガング・シュライバーくらいしか想像できない。

 

 いや、百歩譲って他の団員が紅茶を淹れることが出来たとしても、目の前の男、否、女が淹れられるなど……。

 

「私が淹れては悪いのか」

「別にどうという事はないが……」

「ならば本題に入れ」

 

 無表情故に何を思っているのかは分からないが、少なくとも怒っている訳ではないだろう。

 

 少なくとも、なのはの知る限りこの程度で怒るような男ではなかった。

 

「……まぁいい。とりあえずは現状確認だ。まず――」

 

 なのはが質問し、はやてがそれに答えるという形式をとった状況確認は、(とどこお)ることなく順調に進んだ。

 

 まず、お互いの共通点として、魔人の身体能力と、どういう訳か霊的装甲が展開されていないらしいことが挙げられる。おそらくこれは、シュライバーにも当てはまる事だろう。

 

 後者の霊的装甲とは、彼らの持つ聖遺物を扱う特殊な魔術、永劫破壊(エイヴィヒカイト)による特殊な障壁のようなものだ。簡単に言えば、この霊的装甲によって、彼らは自分たちが喰った魂に比例し肉体的耐久力、すなわち防御力が底上げされるのである。それこそ、現代兵器が一切意味を成さないほどに。ちなみに、魔人の身体能力も似たような理論である。

 

 霊的装甲に隙はなく、例え眉間にデザートイーグル(対戦車ピストル)のマグナム弾を受けようとも掠り傷一つ負わない(ちなみにこれは実例である)。

 

 しかし、今はこの霊的装甲が無い。

 

 聖遺物を持つ者は、聖遺物を(もっ)てでしか倒すことは出来ない。今の彼女たちには、そうして安心できる敵など存在しなくなったという事だ。それが例え、ただの人間であったとしても。

 

 そしてこれは、はやてに限るものだが、身体の女体化(というより生まれた時の性別が女だった)、さらに謎の力によって足が麻痺させられているらしい。

 

「つまり、立てないということか」

 

 なのはの言葉に、はやては首を振る。

 

「全くではない。やれば何とか立てる」

「逆に言えば、やろうと思わなければ立てないという訳か」

「歩行も走行も可能。だが、長時間は無理だ」

「病ではないとすれば、魔法関係か……」

 

 ジュエルシードが関わっている可能性は、限りなく薄いだろう。

 

 はやての足の障害は数年以上前からの事。だがジュエルシードは極々最近になって、この世界に落ちてきたのだ。願いを叶える願望機たるジュエルシードが、別世界から彼女の足に悪影響を与えるとは考えにくい。それこそ、誰かがはやてに悪意のある願いを、正確に(もしくはこれが歪んだ結果)叶えた可能性もあるが、現状、その可能性を示唆する情報は存在しないことから、無い、としておく。

 

「……魔法?」

 

 はやてが、(分かり辛いが)訝しげに言う。

 

「ん? あぁ、貴様は知らなかったか」

 

 思い出したように言うなのはは、そっと人差し指をはやてに向けて突き出した。

 

 (分かり辛いが)怪訝な顔をするはやては、ジッとその指先に視線を集中する。

 

「っ」

 

 瞬間。

 

 何かを直感的に感じたはやては、反射的に首を横に反らせる。と同時に謎の光が、反らせた影響で軽く浮いた髪の毛の先端をかすめた。

 

「これが魔法だ」

 

 理解したか、というなのはの問いに答える声はなかった。

 

 驚いて声も出ない、などという訳ではない。元々口を開く方が少ないはやては、ただ黙って示すのみ。

 

 沈黙による肯定を受け取ったなのはは、突き出した人差し指を下げて続ける。

 

「端的に言えば、私とシュライバーは魔法(これ)に関わっている。アイツはどうも違うようだが、少なくとも漠然と可能性を探すよりはマシだろう」

 

 何の、とは聞かなかった。

 

 彼女が求めるものなど、はやてからすれば容易に想像できる。

 

 だから言葉にしたのは、別のことだった。

 

「他にはいないのか」

 

 つまり、マキナとエレオノーレ、そしてシュライバー以外に同じ状況へと陥っている者は。

 

「現状、確認しているのは貴様と私を合わせて三人。すなわち、大隊長だけだ。他はまだ分からん」

 

 そうか、とはやては一言言っただけでまた黙る。

 

 ちら、と時計を見た。時間にして約一時間半ほど経っていたようだ。なのはと共にこの家へ帰ってきたころは、十一時半ごろだったか。既に一時を過ぎ、昼時を迎えている。

 

 はやては車いすのタイヤに手をかけ、軽く移動させながら言う。

 

「昼を用意する」

「……貴様がか」

「私が作っては悪いのか」

「いや……」

 

 だからそういうのはルサルカかシュライバー辺りの……と、考えたところでふと違和感を覚えた。

 

「ん? 貴様、今なんといった」

「?」

「“私”、だと?」

 

 喋り方としてあまり違和感がなかったから、はたまた女の姿だからか今の今まであまり気にしなかったが、よく考えればまったくもっておかしい。

 

 目の前にいる少女は元男(・・)だ。一人称もしっかりと“俺”だったはず。

 

 まさか女になったから“私”に直した、などと考えるような輩でもあるまい。そう考えるとますます訳が分からなくなってくる。

 

「どういうことだっ」

 

 まさかこの世界に来ておかしくなってしまったのか。それとも女になったからおかしくなったのか。そんなに脆い男だったのかコイツは。

 

 なのはの疑問を察してか、はやては――元の人物を考えると珍しく――バツが悪そうに顔を(しか)めた。

 

「親に矯正された」

「矯正だと?」

「少女が“俺”などと言う物ではない、と」

 

 なるほど、自分の娘、それも幼い少女の一人称が男のようなそれであれば、直そうとするのも分からなくはない。元男などと知りはしないのだから。

 

 なのはには、はやての心情など理解は出来なかったが、いくらかつて黒騎士だ英雄だと謳われようとも何か思う事はあったことだろう。

 

「ゆえに……なんだ。親が死ぬまでは“私”で通したが」

 

 親が亡くなったと思ったら今度は主治医が来た。

 

 石田、とかいう医者らしい。原因不明の麻痺を起こす足を持つはやてを、当初から見る者だとか。それゆえに親とも仲が良くなり、当然患者であるはやてにもよく接するようになった。

 

 親を亡くしたという事で、親代わりを務めようと思ったりしたかもしれない。いろいろと親身になって接してくれた。

 

 ――まるで親のように。

 

「戻したら何か言うかもしれない、ということか」

 

 はやては無言で肯定する。

 

 なるほど、それは確かに面倒だ。

 

 本来であれば気にすることはなく、総じて無視してしまえばいいかもしれないが、今の彼女はまだ子供(姿形は)。大人と言う物を排除して考えることが出来ない。

 

 それに、おそらく石田という医者は面倒なほどに絡んでくる可能性が高い。大抵そういう連中は、なんとかしてあげなければ、という善意で動く。子供のころからそんな喋り方では、将来困ってしまうかもしれない。そう考え、必要以上に関わってくる可能性もあるだろう。

 

 それは……あらゆる意味で避けたい、とはやては考えたのかもしれない。

 

「……昼を作る」

 

 あまり触れられたくない話題だったらしい。はやてはそれだけ告げて、逃げるようにキッチンの方へと車いすを走らせた。

 

 ――ちなみに、昼は母親(ももこ)の作る料理と同じくらい美味かった。

 何故か悔しくなった。

 

 

 

 

 

 

      *  *  *

 

 

 

 

 

 

 

 数時間後。

 

 はやてとこれまでのこと、そしてこれからのことを話している間に日は傾き、夕焼けが道を照らす時間となった。

 

 適当に別れを済ませたなのはは、まっすぐ家路につく。

 

 家に着くころには、既に日は沈み、月がこれ見よがしに光り輝いていた。

 

 珍しく少しだけ遅い時間に帰ってきたため、少しばかり心配されてしまったが、友人の家に行っていたら遅くなったと答えると納得された。

 

 ちょうど夕飯直前だったらしく、なのははリビングの自分の席に着く。目の前にホカホカご飯が置かれた。

 

「八神はやてちゃん、かぁ。なんだか大変そうな子だねー」

「なのはと同い年で一人暮らしか。事情はありそうだが、力になってあげたいな」

 

 美由希の言葉に恭也が頷き言う。

 

 なのはとしては、はやての中身が中身だけに同情など欠片も抱けないのだが、一応二人に倣って頷いておいた。

 

「その子、学校も行けてないんだろう? 可愛そうになぁ」

「足、早く治るといいわね」

 

 自分の分を置き終えると、桃子は席に着いた。

 

 同情するくらいなら……と思わないでもないが、それは言ってもも仕様のない事だろう。どれだけ想像力を働かせようとも、当人の苦しみも思いも真に理解することなど出来ないのだ。大変だ、可愛そうだ、力になってあげたい。その程度の言葉を吐くぐらいしか、当人に対して言えることなどない。

 

 結局は何も出来ないししない。他人は他人で身内は身内だ。所詮は優先順位が違うのである。

 

 だからこそ、桃子が言い出したことを、なのはは一瞬理解することが出来なかった。

 

「そうだっ、今度月村さんとアリサちゃんと私達で行く温泉旅行に、はやてちゃんも誘いましょうよ」

 

 ――……は?

 

 待て、なぜそうなる。どうしてそういう結論に至ったのだ。というかそれはちょっと困るから勘弁してほしい。

 

「お、良いね。よしっ、後で僕が月村さんとアリサちゃんの家に電話しておくよ。なのはは、はやてちゃんに連絡してくれるかな」

「恭也と美由希も、はやてちゃんも参加していいわよね?」

「もちろん! 大賛成だよっ」

「はやてちゃんが良いって言うなら、俺は構わないよ」

「じゃあ決まりねっ」

 

 (顔には出さないが)唖然とするなのはを余所に、話がどんどんと進んでいく。

 

 気が付いたころには、月村家とアリサからの許可がとられ、なのはは電話の受話器を手に、八神家へと電話をかけさせられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ……思えばこの時異を唱えなかったがゆえに、今があるということなのだろう。

 

 キィっ、とバックする車が止まった。士郎の運転する車に乗っていた四人娘と士郎が下りる。

 

 海鳴温泉。今日の旅行地。

 

 なのはの憂鬱な温泉旅行が始まった。

 



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