【子蜘蛛シリーズ2】Deadly dinner (餡子郎)
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【ハンター試験編】
No.001/青い脳ミソと人食い奇術師


 クロロたちがシロノを拾い、そして『子蜘蛛』としてから数年が経った。

 

 シロノは相変わらず団員たちに鍛えられつつ、子蜘蛛としての役割を果たしている。

 念は、若さを保つ効果を持つ。その上更に母であるアケミの影響があったとはいえ、ここ三年は普通に成長しているはずであるが、シロノはあまり背が伸びなかった。アケミも小柄な方だったので、ちびなのは単に遺伝だったらしい。

 念の熟練度が向上するに連れて体術も上達し、身のこなしに問題はなく、むしろ小柄な事で出来る事も沢山ある。そして何より、本人がその事を全く気にしていない。

 だが、正しい年齢は不明にしても少なくとも十歳以上の肉体年齢ではあるはずが、シロノの身長は百三十センチそこそこしかなく、平均よりもやや低い。その身長は一年ほど前に団員になったコルトピよりも僅かに低く、シロノは相変わらず旅団いちのちびだった。

 

 

 

 

 

 

「ヒマ」

 

 ベッドの上でゴロゴロと転がりながら、既に三十回目にもならんかという「ヒマ」発言をしたシロノに、クロロはため息を吐いた。

「なら本を読め。いくらでもある」

「やだ、パパの本難しいか気持ち悪いかのどっちかだもん」

「難しいはともかく気持ち悪いとは何だ。そもそもお前は本を読まなさすぎる。だからいつまで経ってもいまいちバカなんだ」

「いいでしょ、完全バカじゃないんだから」

「なんてハードルの低い発言だ情けない。世界名作全集を全巻読破させるぞ」

「すっかりお父さんだね、団長」

 ベンズナイフ手入れしながらだけど、とシャルナークはのほほんと言った。

 今、このアジトにいるのは彼ら三人のみ。というのも、昨日彼らの“仕事”が終わったばかりだからである。だからクロロは昨日使った、詳しく言えば数人の頸動脈を鮮やかに掻き切ったベンズナイフを丁寧に手入れし、シャルナークは襲った先の動きを確認している。

 

「だって、みんな居ないし、シャル兄は忙しいし」

 シロノも、いつもはこんなふうにヒマだヒマだと喚くような子供でもないのだ。

 というのも、シロノは仕事のない時期は大概クロロにくっついて、彼の身の回りの世話をしつつ暮らしている。そのおかげでシロノの家事能力はなかなかのもので、様子を見にやって来た団員が、掃除・洗濯・炊事全てをこなしているシロノに驚き、そして何もせずに本を読み耽っているクロロを見て溜め息をついたりもした。

 しかしこうして各地にあるアジトに居る時は、いつもの家事をする必要がない。

 そんな時はいつも誰かしらが構ってくれたりするのだが、今回は集合をかけた号令が「ヒマな奴は来い」であったので、やって来たのはフェイタンとフィンクスだけだった。どちらもいつもはシロノのことを構ってくれないわけではないのだが、今回に限って二人ともすぐさまどこかへ行ってしまった。

 クロロはといえば、仕事のあと最低でも一週間は獲物を愛でるのに忙しく、シロノを構ってくれる事はない。ついでに言えば、クロロが愛でる前に獲物を触ろうものなら彼の機嫌が急降下、下手をすれば不機嫌の果てにこちらが酷い目に遭う。

 そもそもシロノは、青い脳ミソのホルマリン漬けなど、全くもって興味がない。クロロが目を付ける獲物はとても美しいものや面白いものも多いが、時々どうやっても理解できないものであるときもあって、今回がそうだった。

 

「ひま」

「よしわかった。シャルナーク、今すぐネット通販で世界名作全集を注文しろ」

「団長、シロノなら速攻で全巻燃やしてバーベキューでもするのがオチだよ」

 シャル兄は自分の事をよく分かっているなあ、とシロノは感心した。そろそろがっつり肉が食べたいな、と思っている事をどうして見抜かれているのだろうか。

「あ、そうだ」

 その時、シャルナークがポンと手を打った。

 

「シロ、そんなに暇ならハンター試験受けてみれば?」

「──ハンター試験?」

 

 ベッドの上でゴロゴロと本当に転がっていた少女は、身を起こしてシャルナークを見た。シャルナークはパソコンの画面を指差し、にこにこと微笑む。

「もうすぐ第287期の試験があるんだ。あると色々便利だよ? シロならまあいけると思うし、資格の一つも持ってたほうがいいんじゃない? 能力なくなっちゃった事だし」

 アケミがいなくなってしまってから、シロノは“おままごと”の能力が全く使えなくなった。それで団員たちの態度が変わる事もなかったが、しかし任される仕事の内容が僅かに変わったし、基礎の念能力技術や体術をかなり厳しく訓練されるようになった。この先、新たに念能力が使えるようになるかどうかもわからない、その保険として、である。

 

「ていうか旅団で資格持ってるのが俺だけってのが色々不便だし、ねえ団長」

「明らかにその理由のほうが本音じゃんシャル兄……」

 自分の事を色々考えてくれたのかな、とやや感動していたシロノは、シャルナークが新しいパソコンを買うときと同じニコニコ顔でそう言ったのを見て、脱力した。

 

「……ふむ」

 

 シロノの声など聞いていないのか、クロロは完璧に磨き終わったナイフを仕舞うと、顎に手を当てた。

「ん……?」

 クロロはふと頭の中で波紋が広がるような感覚に声を上げた。彼の首にかかっているのは、彼女の母であるアケミが眠る指輪である。普段は眠っているアケミであるが、何か重大な予知を感じると、微弱なオーラで知らせてきたり、以前のように夢枕に立ったりもする。そして彼女は、ハンター試験という言葉を聞いた途端、ぜひ、というような賛成のオーラを送って来たのだ。

(……何か得るものがあるのかもしれないな)

 クロロは少し考え込むような仕草をした。

 

「どしたの団長」

「……いや、何でもない。そうだな、いいだろう。暇つぶしには持って来いだしな」

「オーケー、じゃ申込みしよう。すぐ応募カード取り寄せるね」

 シャルナークは、目にもとまらぬ早さでタイピングを始め、あっという間に応募カード取り寄せ手続きをすませてしまった。そして、シャルナークが何か特別な事をしたのか、それともハンター教会の事務処理が早いのか、翌日に早々と応募カードが届く。

 

「歳……十歳とかでいいかな。あ、保護者承諾サインがいる」

「ああ、未成年だからな。貸せ」

 クロロは淡々とカードの“保護者承諾サイン”の欄にサインをし、シャルナークに返した。そしてシロノ本人が一度たりとも応募カードに触らないままカードは郵送され、そして本人の意思を一度も確認しないまま、シロノのハンター試験受験が決定したのだった。

 

 

 

++++++++++++++++++++++++++++

 

 

 

「ハンカチとちり紙持った? 携帯は?」

「持った」

 甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるパクノダに、シロノはこくりと頷いて返事をした。

 

 結局ハンター試験を受けることになったシロノだが、彼女自身、ハンター試験というものに既にかなりの興味を抱いていた。旅団と行動することになってからというもの、シロノは一人で行動した事があまりない。クロロの側に居るか旅団の誰かと常に一緒にいるのが自然だったから、その状況に馴染みこそすれ不満など抱いた事はなかったが、新鮮なイベントに少なからずワクワクしてしまうのは道理だろう。

 

「ハンター試験ねえ~、受かんのかよ、シロが」

「受かるほうに100」

「受からないほうに80」

 仕事のときは集まらなかったくせに、シロノが試験を受けるとシャルナークからメールで知らせが回った途端、フィンクスとウボォーギンとノブナガと、そしてパクノダとマチがやって来た。……完全に面白がられている。何かというとすぐ賭を始める彼らを、シロノは呆れたように見遣りつつ、荷物を詰めていった。

 しかしそんな彼女を見て、ノブナガがその横にしゃがんで呆れた声を出す。

 

「……にしても、マジで持ってくのか、それ」

「んー」

 そう、シロノが荷物を詰め込んでいるのは、なんと白い棺桶だった。そしてその大きさは、まさに持ち主のシロノが入って丁度いいサイズで、表には黒い逆十字のレリーフが打ち付けてある。

 現在、蜘蛛のブレスとともにすっかりシロノのトレードマークとなっているこの棺桶、シロノは毎晩これで寝るのはもちろん、遠出をする時も必ず背負っていくのである。

「あたし、お墓の中で産まれたからかなあ、これの中で寝るとママといるような気がするんだよね。それに蓋があるからうっかり光も入って来ないし」

「あー、日光アレルギーひでーもんな、お前」

「それにほらノブ兄、中は低反発クッションが張ってあるから寝心地抜群だよ」

「知らねえよ」

 シロノは棺桶の中に荷物を詰め終わると、帽子を被ってから棺桶を背負った。

 

「シロノ」

「あ、パパ。脳ミソ愛でるのはもういいの?」

「人を変質者のように言うな」

 部屋の奥の入り口に所に立っていたのは、クロロだった。

「相変わらずお前にはやる気とか緊張感とかいうものがないな。……まあ、適当に頑張って来い」

「パパも適当って言ってるじゃん……。うん、まあ、適当に頑張ってくるよ」

「……これを持っていけ」

 そう言ってクロロが投げて寄越したのは、赤と青の真逆の色が不思議な色合いで混ざる石がついた、金の指輪だった。細い鎖を通して首にかけられるようにしたそれが自分の母親の魂が眠っている存在だとは知らないシロノだったが、いつもクロロが身につけ、服の下に隠しているものだという事は知っていた。

「何?」

「まあ……お守りだ」

 クロロがそう言った瞬間、シロノだけでなく、その場に居た全員が胡散臭そうな、気持ちの悪いものを見る目をした。

「……何だそのリアクションは」

「いやだって……ねえ」

「まさか団長がそんなフツーの激励をさあ……」

 ぼそぼそと言いあう団員たちに、クロロは溜め息をついた。

 クロロとてガラではない事は自覚しているが、そもそもこうしたのは自主的な意思ではない。というのも、昨夜久々にアケミが夢枕に立ち、試験に絶対に自分を連れて行かせろと散々ごねたのだ。試験に親がついていくのがあるかとか、心配ではないのかそれでも保護者かという言い合いを散々やりあい、最終的に「命の危険が迫ったもしもの時にのみ手助けする」という約束で、アケミが憑代とするこの指輪をシロノに持たせて出す事にしたのだ。

 

「ていうか気持ち悪いよね」

「ちょっとシズク、そんなはっきり……」

 ──とはいえ。そこまでのリアクションをされると、クロロとしても自分はどう見られているのだろうか、という疑問が浮かばなくもない。

 

「えーと……」

 訓練の時はともかくとして、普段は家事を手伝ってくれる気もなければ門限を決める事もないという放任主義の星のようなクロロである。そんな彼が初めて見せた保護者らしい行動に、シロノは面食らっているらしい。

「えーと……、一日一回メールとか入れたほうがいい?」

「別にいらん」

「だよね。あーびっくりした、パパの脳ミソまで青くなったのかと思っちゃった」

 そんな会話のあと、シロノは「じゃ、いってきます」と今度こそ歩き出した。

 相変わらずどこかのんびりした……適当とも聞こえる口調の子供を、彼らは「おう」「じゃーな」「ちゃんと食べるのよ」と、これまたテキトーに見送る。

 

「シロノ」

 

 もう一度呼ぶ声に再度振り返ると、そこには、それはそれは美しい微笑を浮かべたクロロが居た。

「まさかないと思うが、落ちたら世界名作全集を読破のうえ感想文を書かせるからな」

 

 ──なんとしてでも合格せねばなるまい、と、シロノはいつにないやる気を見せて、試験会場へ向かって歩き出した。

 

 

 

++++++++++++++++++++++++++++

 

 

 

(うーん、情報収集って苦手なんだけどなあ)

 以前よりずっと日光過敏症が酷くなっている為、深く帽子を被った上からファーつきのフードをこれまた深く被ったシロノは、初めて一人で乗った船の甲板から海を眺めつつ思った。

 シャルナークなら試験会場の場所を突き止める事など朝飯前なのであるが、「最初から自分の力でやろうね」という、煌めくような爽やかな笑顔とともに発せられた厳しいお言葉により、シロノは自力でナビゲーターを探さなければならなかった。

 

 『子蜘蛛』としての仕事は、いわば旅団の雑務を行なう際の便利ツールなので、情報収集や仕事の下準備の為に潜入や尾行をした事は日常茶飯事でも、自分の欲しい情報をいちから探した事などあまりない。

 試験に落ちたら、感想文の上に反省文も書かなければならない。クロロは明言しなかったが、訓練の量も軽く五倍くらいにはなるだろう。そうなったら、……死にはしない。だが死んだほうがマシだという気分を味わうことになるのは確実だ。

 そんなわけでぐっと真剣味が増したハンター試験だったが、シロノはしょっぱなから「自分の力でやる」という手間を省ける幸運にありついた。……いや、幸運と一概に言い切るにはやや抵抗があるのだが。

 

「おや、ミニクロロ発見♦」

 

 船を降りてから、バッタリ、という言葉ぴったりのシチュエーションで出逢った奇術師は、相変わらずあの青い脳ミソぐらい理解できない奇妙な格好をしていた。彼がミニクロロと称したのは、シロノの今日の格好が通称“団長モデル”であるからだろう。

 クロロ達と出逢って初めて服を買ってもらって以来、シロノは常に団員の誰かとお揃い……のような恰好をする事が常となっていた。

 そんなわけでシロノの持っている服やバッグは既にすっかりマチブランド一辺倒と化しているわけだが、これにはマチの趣味と暇つぶしの意味も多いに含まれている。同じようなデザインでも、サイズが違うと少しずつ違っていたりして芸が細かい。盗賊を廃業しても立派にこの道でカリスマになれると確信できる腕だった。

 黒づくめのクロロと違って色は白、上着はロングコートではなくてウエストより短いジャケットだが、同じくレザーでファーの飾りと大きなフードがついている。靴はやはり白だがクロロの履いているものと同じくベルトが巻き付きネジのような鋲がついたデザインだし、被っている濃いグレーのニットの帽子にも、マチが銀で刺繍した逆十字がしっかりと輝いていた。

 十中八九激しい運動をするだろうから、“フィンクスモデル”、フィンクス以外に言わせるとただのジャージ、で来たほうがいいかと思ったのだが、気合を入れる意味で今回は“団長モデル”を選んだ。

 クロロの格好をしていると、クロロに見張られている、──間違っても“見守られている”ではない──気がして背筋が伸びる。主に震えによって。

 

「今度僕の格好もしてみてよ♣」

「ヒーちゃんの格好は何をどうやっても着れたもんじゃないってマチ姉が言ってたよ」

「酷いなァ、気に入ってるのに♥」

 ところで君はひとりでこんな所で何をしているんだい、と問うてきたヒソカに「ハンター試験を受けにいく」と正直に答えると、彼もそうだという答えが帰ってきた。

「キミも試験を受けるとは、知らなかったな♦」

「え? ヒーちゃんも受けるの?」

「うん♥」

 シロノがハンター試験を受ける事はシャルナークがメールを回したはずだったのだが、ヒソカには届いていなかったようだ。シロノも薄々思っていたが、彼は団員に結構嫌われている。

 

「ヒーちゃんはナビゲーター見つけた?」

「僕は前に参加したから、試験会場ならもう知ってるよ、特典でね。一緒に行こうか♦」

「えー」

 シロノは迷った。かなり有り難い申し出だが、「自分の力で」という言いつけには逆らっているような気がする。しかし迷うシロノに、ヒソカは言った。

「僕をナビゲーターだと思えばいい♥」

 その言葉に納得──することにしたシロノは、ヒソカの差し出した手を取った。

 

 

 

「ステーキ定食、弱火でじっくり♦」

 ヒソカと手を繋いでやってきた定食屋でそう注文すると、店主の親父の表情がピクリと動いた。

 ステーキを弱火でじっくりなんて焼き方で焼いてしまったら、肉が固くなって美味しくない、と、毎日クロロの食事を作っているシロノは知っていた。だから女性の店員に奥の部屋に案内されながら「折角肉が食べられるのになあ、レアが好きなんだけどな」と残念そうにぼそりと呟いたのであるが、そんな小さな呟きを店員は聞いていてくれたのか、律儀に出てきたステーキ定食は絶妙なレアの焼き加減で、シロノは大変満足した。

 

「おいしー」

 ぐんぐん下に降りて行くエレベーターの中でぱくぱく肉を食べているシロノを、向かいに座ったヒソカは、ピエロメイクの笑みのまま眺めた。

「ヒーちゃん食べないの?」

「食べていいよ♥」

「ありがとう!」

 結構なボリュームのあるステーキ二人前をぱくぱく平らげる子供に、ヒソカは「よく食べるねえ♦」と、常時浮かべているピエロ的な微笑を浮かべながら言った。

 数年前、ヒソカが旅団に入ったすぐの頃にヒソカが尋ねて来て偶然一緒に留守番をしたことがあるのだが、それ以来シロノとヒソカがこうして顔を合わせて長く一緒にいるのは、かなり久々の事だった。シロノは旅団メンバーではあるが『子蜘蛛』と呼ばれる所謂補欠扱いの団員だし、ヒソカはといえば集合にほとんど乗って来ない。

 ヒソカはあのクロロが親代わりになって育てている子供に今まで興味がなかったわけではないが、たまたま機会がなかったのだ。

 

「ねえねえ、ヒーちゃんってヒト食べるんだよね」

「……誰がそんなこと言ったんだい♣」

 突然わけのわからない事を尋ねて来たシロノに、ヒソカはやや呆れたような声を返した。

「え、だって、人の事見て美味しそうとか言うじゃない。そんで皆に「ヒーちゃんて人食べるの?」って聞いたら「あーそうそう」って言われたから」

「ああ……」

 多分、本当の意味を説明するのが嫌で適当な返事をしたのだろう団員たちを思い浮かべ、ヒソカはクックッと面白そうな笑みを浮かべた。ここにマチあたりが居たら、あからさまに嫌そうな顔をしたに違いない。

 

「そういう意味じゃないんだけどね♥」

「そうなの? ……なぁんだ」

 そう言うと、シロノはややガッカリしたような表情を一瞬浮かべた。それに興味を持ったヒソカは、ゆっくりと口の端を吊り上げた。

「……ボクが人間を食べるとしたら、何を聞きたかったんだい♠」

「んー」

 シロノは水を一口飲んでから、虚空を見つめた。それは、人間には見えない何かを見る猫にも似ていた。

 

「……ヒーちゃんが美味しそうっていう人がね」

「うん♥」

「あたしもわかるの。あの人美味しそうだなあって」

 

 ヒソカは、目を見開いた。しかしシロノは相変わらずどこを見ているのかわからない目をしていて、ヒソカのことは眼中にない。

 

「どんな味がするんだろう」

 

 シロノの目は何か熱に浮かされたような、うっとりしているような潤みがあった。そして、そんな目をしたシロノの小さな唇の中に血の滴る真っ赤な切り口のステーキが放り込まれて咀嚼される様を見て、ヒソカは思わず、……僅かではあるが、ぞくりとするものを覚えた。

 

「……ヒーちゃん、なんで殺気飛ばしてるの?」

「ああゴメンゴメン、キミの話が面白くてね♥」

 そして三十分も経った頃、地下百階の表示とともに、エレベーターが止まった。

 

 

 



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No.002/家族紹介マラソン

 

 

「ヒーちゃん、ゾロ目でキリいいね!」

「だね♥」

 ヒソカは受験番号44、シロノは続いて45。死番ならぬ死々番という何ともヒソカに相応しい番号、しかしシロノには“ゾロ目でキリがいい”ということ以外の他意は無いらしく、無邪気なものだった。

 

「ちょっとボクは暇を潰してくるから、また後でね♥」

「うん、またね」

 人ごみの中に向かうものの、面白いように人が避けていく中を通っていくヒソカに手を振り、自分はどうやって暇を潰そうか、とシロノは周りを見渡した。

 受験生たちは誰も彼も厳つい男ばかりで、子供はおろか、女性さえ居ない。しかし、念が使えない者たちが怖いわけはないし、旅団の仕事についていったりして厳つい男の集団はわりと見慣れているが、下手をしたら十歳以下かもしれない、小さな──そして何故か棺桶を背負ったシロノに集まる目線は多く、あまり居心地はよくない。

 シロノは軽く“絶”状態になると、地下道の壁に這う大きなパイプの上に飛び上がる。そして棺桶の蓋の隙間からイヤホンを引っぱり出して音楽を聴きながら、受験生たちを上から眺めることにした。

 

 

 

 ──それから一時間、である。

 

 シロノが暇つぶしに数えていた受験生たちが百人にもなる頃、一人の少年が現れた。

 スケボーを持った少年はでかい男たちの中に居るとかなり小さく見えるが、それでもシロノよりは頭一つ分背が高い。年齢も、シロノより少し上くらいだろう。そして彼の、逆立ってふわふわしていそうな髪がシロノと同じ白い銀髪だった事もあって、シロノは彼を目で追った。

 そして、さっきから数人に缶ジュースを配り歩いている四角い顔をした中年の小男から、少年がジュースを受け取って飲み始めた時だった。

 

(あれ)

 

 ジュースを片手にそう呟いた少年と目が合い、シロノは驚いた。

 念使いでもないのに、軽くとはいえ“絶”状態だったシロノに気付くのは、かなり鋭い勘を持っていないと無理な芸当だ。実際にも、今までここにいるシロノに気付いた人間は居なかったのだから。

「……おい、いつからそこに居た?」

「最初からだよ」

「うっそ。マジ?」

 少年は驚いた顔をすると、ぴょんと飛び上がってシロノの隣に座った。胸には99番のプレートがある。男たちは少年の身体能力とともに、そんな目立つ場所にシロノがずっと座っていたということを知り、ぎょっとした顔をしていた。

 

「マジで最初からここに居たのかよ? 全然気付かなかった」

「気付かないようにしてたもん」

「へー、すげーな」

「でも、気付いたのキミが最初だよ。誰も気付かなかった」

 そう言うと、少年は少し嬉しそうに笑った。

「子供、あたしたちだけだね。女の人もまだ一人しか居ないよ」

「えっ」

 少年が驚いた声とともに目を見開いたので、シロノは首を傾げた。

「なに?」

「フード被ってるからわかんなかった。女?」

「うん」

 そういえば地下なんだからもういいかな、とシロノはフードを取り、逆十字の刺繍がしてある帽子姿になった。あ、オレと同じ色の髪じゃん、と少年が言うので、同じ事を思っていたシロノも少し微笑む。

「眩しいのニガテなの」

「あー、俺も色素薄いほうだからわかるわかる。暗いほうが楽だよなー」

「ね」

 シロノはその上に日光過敏症であるからなのだが、無闇に自分の弱点を触れ回るなという教えを守り、それ以上は言わなかった。

 

「オレ、キルア。十二歳」

「シロノ。十歳だよ」

「やっぱ年下かあ、オレが最年少だと思ったのになー。……ってかもうちょっと下かと思ってた。オレの弟も十歳だけど、もうちょっとでかいぜ」

「ああ、チビだからねあたし」

 小さいという事をコンプレックスにしていないシロノに、キルアは陽気に笑った。

 

「キルアくんは」

「あ、“くん”とかいらねー、オレも呼び捨てするし」

「うん。……キルアはさ、そのジュース飲んで平気なの?」

 なんか入ってるでしょ、とシロノがキルアの持つ缶ジュースを指差すと、キルアはにやりと猫のように笑った。

「あ、わかるんだ?」

「何の薬かどうかまではわかんないけど、だってあのおじさん、渡した後でニヤって笑うんだもん。バレバレだよ」

「あっはっは。……オレは平気。訓練してるからね、生まれた時から」

「へー、すごいね! あたしも本でパパから教えてもらったけど……」

 そっか、どこの親もスパルタだよなあ、というキルアの言葉に、シロノはうんうんと頷いた。様々な実験動物が並ぶ机にかじり付かされ、全ての毒とその症状、解毒薬の組み合わせを覚えるまで外に出して貰えなかったあの時は、机に向かってじっとしている事が大の苦手な上に動物好きなシロノにとって、これ以上ない苦痛だった。

 

「で、シロノはこうして気配消して、気付く奴が居るかどうか試してるわけ?」

「んー、そういうつもりじゃなかったんだけど、そうなるかな。でもヒマ潰しだったから別にいいよ。結局キルア以外誰も気付かなかったし」

「あはは、大した事ない奴らばっかだって事だな」

「だねー」ときゃらきゃら笑いあっている子供たちに下に居る大人たちが青筋を立てているが、気付かなかったのは事実である。

 

 その後キルアはシロノとともに気配を消して、新しくやって来た受験生たちが自分たちに気付くかどうか眺める、という遊びに付き合っていたが、飽きたのか、191番の髭を生やした男が気付いたのを切り目に下に降りて行ってしまった。

 結局シロノにすぐ気付いたのは294番のスキンヘッドの青年ぐらいで、他はそうそう気付く事もなかった。

 そして更に受験生たちが四百人を超えた頃、三人組の受験生が現れた。三人組というのなら197,198,199番目に来た受験生もそうだったが、どうやら兄弟らしくそっくりな姿をしていた彼らと違い、403,404,405の三人はバラバラの雰囲気を持っていて、しかも一人はシロノと近い年齢の子供だった。

 

「……ぎゃあぁ~~っ!」

 

 突然の凄い叫び声が上がったほうを見遣ると、そこには両手がなくなった男と、それをやったのだろうヒソカが居た。「アーラ不思議、腕が消えちゃった」と彼は歌うように言うが、天井に近いせいもあり、シロノには、ヒソカの念で男の両手が天井に張り付いているのが見えた。

 

「気をつけようね♦ 人にぶつかったらあやまらなくちゃ♣」

(ああ、それはダメだよね)

 挨拶とありがとう、ごめんなさいは常に礼儀正しく、とアケミから口を酸っぱくして教え込まれているシロノは、ヒソカの言い分に、うんうんと的外れに頷いた。腕を切るまでするのはやりすぎだとも思うが、そこはぶつかった相手がヒソカだったからという事で仕方が無い。

 

 そして三人組に人が良さそうに話かけていた16番のプレートを付けた例の男が、彼らにもジュースを配り始めた。が、三人組は黒髪の少年のお陰でそれを飲む事はなく、男は土下座するように謝罪しはじめる。

 ちなみにがぶがぶ飲んでいたキルアは、あれから結構時間が経っているのにケロリとした顔をしているので、本当に平気なのだろう。シロノは素直に感心した。

 

(いろんな人が居るなあ)

 こんなに大勢の見知らぬ人々の中に居るのは、シロノにとって初めての経験だ。潜入の経験はあるけれど、こうして同列に並ぶというのは本当に初めてで、シロノは少しワクワクし始めた。

 

「あっ、あんなとこに女の子が居る」

「えっ?」

 黒髪の少年がシロノを指差し、同行者二人もシロノを見た。

「うわ、気付かなかった。ちっちぇーな、あれ、ゴンより下なんじゃねえか?」

 ていうかなんで棺桶なんか背負ってんだ、と、スーツ姿の、かなり背の高いサングラスをかけた男が言ったその時、四角い顔の男が慌てて言った。

「馬鹿っ、指差すなよ! あのガキ、ヒソカと手繋いで入って来たんだぞ!? ヤベー奴に決まってる!」

「えーっ!?」

 三人が心底驚いた声を上げ、四角い顔の男は「声がでかい!」と口に人差し指を当てた。

 どうやらあの四角い顔の男に絡まれなかったのは存在に気付かれなかったからではなく、ヒソカと一緒に試験会場に来たことが原因であったらしい。

 新人に目をつけるのが誰よりも早そうなあの男の事だ、シロノが“絶”を使う前からシロノの存在に気付いては居たものの、ヒソカと手を繋いで一緒に来た事と、上に登った途端に誰も“絶”状態のシロノに気付かなかった事に、近付かないほうがいいというセンサーを働かせたのだろう。

 

(あ)

 

 そのとき、シロノの反対側にある壁のパイプの上に、いつの間にか正装をした紳士が立っている。シロノと同じく軽く気配を消している彼に気付くものは誰もいなかったが、シロノが見ている事に気付いた紳士は僅かに微笑むと、片手に持った奇妙なマスコット人形を、もう片方の手でぐいと引っぱった。

 

 ──ジリリリリリリリ!

 

 すると人形の口が開き、ベロンと舌が出たと思うと、それは耳をつんざく音量の目覚まし時計のような音を地下道に響かせた。そして紳士がマスコットの額のボタンを押すと、大音量がピタリと止まる。

(……欲しいなあ、あれ)

「ただ今をもって、受付け時間を終了いたします」

 全員の視線が紳士に集まる。

 

「ではこれより、ハンター試験を開始いたします」

 

 ピィン、と、地下道内の雰囲気が張りつめた。

 そして紳士は全員に最終の確認をすると、洗練された動きで歩き出す。しかしそのスピードがだんだんと早くなっていっている事は、上に居るシロノにはよくわかった。

「二次試験会場まで私について来ること。これが一次試験でございます」

 サトツと名乗った紳士はそう言うと、やはり歩いているとは思えないスピードで歩き続ける。シロノは走り出した集団の中にひらりと飛び降りると、同じように走り出した。

(うーん……)

 しかし、図体のでかい男たちの海の中では、どうにも視界が悪い。前はもちろん左右に後ろも、男たちが高い壁となって、視界はかなり悪い。かなりの小柄ゆえに他人を見上げる事には慣れているシロノも、さすがにこれは居心地が悪かった。

「ひゃっ」

「邪魔だ、チビ!」

 しかも、ほぼわざとだろう、膝でシロノを蹴って走って行く者もいる。まさか直撃で貰うわけはないが、足下でちょこちょこ走っている──風に思える──シロノを、大柄の男たちはやや邪魔臭く思っているようだった。しかしそれはシロノだって同じことだ。

「んー」

 どうしたもんかな、とシロノは眉を寄せ、トン、と地面を蹴った。

 

「なっ……!」

 平然と壁を走り始めたシロノを、男たちが半ば呆然と見遣る。鬼ごっこの最中にクロロたちに習った壁走りであるが、シロノもこれは結構得意だ。これが使えると移動範囲が大幅に広がるし、障害物がある場所での視界が確保できる。体格が並外れて小さいシロノにはとても便利な技術だ。今現在のように。

 

「……お前らと同じ十代なんだぞオレはよ!」

「ウソォ!?」

「あー! ゴンまで……! ひっでーもォ絶交な!」

 

 下からそんなやり取りが聞こえて来て、シロノは思わず下を見た。するとさっき見た三人組の一人である黒髪の少年とスケボーを抱えたキルアが並走し、大柄なスーツの男が何やら喚いている。先程の彼の発言からするに、黒髪の少年はゴンという名前らしい。

 

「うわー! すごいね!」

 

 そしてその時、そのゴンがきらきらした目でシロノを見上げてそう言った。

「うわ、そんな事もできんのかよシロノ」

「え、キルア、知り合い?」

 さっき初めて会った、とキルアは黒髪の少年に説明した。

「てか、なんでそんなとこ走ってんだ?」

「だってみんなでっかいから、前見えないんだもん」

「じゃあこっちおいでよ! 結構見えるよ!」

 ゴンが言うと、彼らの後ろを走っている大柄なスーツの男は、壁を走るシロノを呆然と見上げながら、やや戸惑った顔をしていた。さっきシロノがヒソカの知り合いと聞かされた事を引きずっているのかもしれない。

 

 シロノは壁を蹴ると、宙で一回転して、彼らの側に着地し、再度走り出した。なるほど言う通りに結構前が見える上、何より小柄な二人が側に居るのでは圧迫感が全く違った。

「あ、ほんとだ、見える。ありがとう」

「うん! オレはゴン! こっちがレオリオ」

「あたし、シロノ」

「シロノだね。よろしく!」

 にこっ、と、ゴンは輝くような笑顔を返した。シロノは“なんかウボーに似てるなあ、強化系かな”と思いつつ、笑って「よろしくね」と返した。

「ほら、レオリオも」

「あー、……おう。なんだ、ヒソカの知り合いって割にはまともだな」

「はァ!? お前ヒソカの知り合い!?」

 知らなかった、と、キルアが驚きで顔を歪めた。「だろ? ビビるよなあ」とレオリオが相槌を打つ。

 

「ああ、ヒーちゃんはちょっと変わってるからね」

「ヒーちゃんて!」

 ありえねー! とレオリオが盛大なリアクションをとる。

「まあ、変わってるっていやお前も充分変わってるけどな……なんで棺桶背負ってんだ、まさか中身入ってんじゃねーだろうな」

「これはえーと……かばん代わりっていうか、着替えとかが」

「もっとマシなチョイスあんだろ……ギターケースとか鞄代わりにするやついるけどな……」

 レオリオが呆れたように言うと、その会話をじっと聞いていたキルアが、ぼそりと口を開いた。

 

「……なあ、お前ヒソカとどういう知り合い?」

 

 その質問には、ゴンとレオリオも“気になる”という意思を表情に貼付けてシロノを見つめていた。シロノはどう説明したものかと迷ったが、やがて口を開いた。

「んー……パパたちの……友達? いや仕事の関係で……? えーと、いや知り合い……」

「何で全部疑問系だ」

「えーと……ヒーちゃんと友達とか言ったらパパたちになんか五時間ぐらい説教されそうで……」

「お前の父ちゃん正しいぜ……」

 ひどく納得したように、レオリオはうんうんと頷いた。

「でも今回一緒なのは偶然なんだよ。船降りたらヒーちゃんいたから、一緒に来たの」

「へえ、オレらと一緒だな。ってか、ヒソカと知り合いになる仕事って何してんだよ、お前んちって」

「えーと」

 これこそどう説明したらいいもんだろうか、とシロノは悩み、そして自分たちが如何に一般社会に顔向けできない稼業であるか、人生で初めて深く痛感した。

 

「……か、家族みんなで……自営業」

 

 ちょっと辛いかなあ、とも思ったのだが、レオリオは納得したのか、それ以上質問する事もなかった。

「へー、家族多いのか?」

「うん」

「……ねーちゃんとか居るのか?」

「居るよ」

「ほほう。美人?」

「二人ともものすごく美人だよ」

「おおお! いいねえ~!」

「レオリオ……」

 ゴンが呆れたように言うが、レオリオはやけに楽しそうにその点について聞いて来た。シロノが自分の服は姉の一人が全部作ってくれたものだと言うと、「家庭的な女性なんだな!」と酷く満足そうだった。

 

 

 

 そしてその後、ペースが遅れつつもしっかりついてくるレオリオを後ろに、最年少三人組は一番前、サトツの真後ろまで来ていた。

「いつの間にか一番前に来ちゃったね」

「うん、だってペース遅いんだもん」

「でももっと走るならこのくらいで良くない?」

 まだどのぐらいあるかわからないんだし、とシロノが言うと、そうかな、とキルアが怠そうに返し、「結構ハンター試験も楽勝かもな、つまんねーの」と、本当につまらなさそうに言った。

 

「キルアは何でハンターになりたいの?」

「オレ? べつにハンターになんかなりたくないよ。ものすごい難関だって言われてるから面白そうだと思っただけさ」

 でも拍子抜けだな、とキルアはツンと唇を尖らせて言った。

「ゴンは?」

「オレの親父がハンターをやってるんだ。親父みたいなハンターになるのが目標だよ」

 それからゴンは、どこか遠くを見るような力強くてきらきらした目で、まだ見ぬ父親のことと、彼に近付きたいという夢を話した。

 

 シロノはそれを聞いて、父親に憧れる子供というのも居るんだなあ、と感心した。シロノはクロロを誰よりも凄いと思っているが、クロロのようになりたいとは正直思わない。

「シロノは?」

「んー、あたしはパパと家族に言われたから。ハンター証があると身分証明とか色んなとこで便利だから、持っとけって」

「車の免許かよ」

「すごいなー、オレ保護者承諾サイン貰うのにメチャクチャ苦労したのに」

 階段を駆け上るペースを微塵も緩めないまま、会話は続く。

「でもね、もう一つの理由は、あたしがあんまり外に出た事ないからなんだ」

 シロノ自身が覚えている限り、どこへ行くにもクロロや皆が一緒に居て、一人で知らない所や他人に対面した事があまりない。敵と対峙した事はあっても、話したりしたことは本当に少ないのだ。

「短期留学のつもりで、とか言ってたよ。ハンター試験ならさぞ濃い連中が来てるだろうから、いい刺激になるだろうって」

 なるほど、これほど濃い連中が集まる場もそうないだろう、と二人の少年は笑いながら頷いた。

 シロノとしては、旅団以上に濃い人間がそうそう居るとは思えないと硬く信じていたのだが、今回ここへ来て、とりあえず、世界は広いのだという事は十分思い知ったので、それだけでも実になっている気はする。

「パパ、訓練と勉強はスパルタだけどあとは放任主義だから。お姉ちゃん達は「女の子なんだから門限くらい決めたら」って言うんだけど、パパなんにもしないもん」

「ふーん」

「あたしのママも、“生きてて幸せならあとはどうでもいい”だし」

 テキトーだよねー、とシロノは言い、ゴンも「シンプルだね」と笑い返した。だが、キルアだけは、そんな風に笑いあう二人を、どこか遠い場所を眺めるような目で見て、言った。

 

「……いいな、二人とも」

 

 小さすぎるその呟きに二人が僅かな疑問符を浮かべたその時、光が差す出口が見えた。

 

 

 



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No.003/同類

 

 

 

 ヌメーレ湿原、通称“詐欺師の塒”。

 この湿原にしか生息しない動植物たちは、その多くが人間をも欺いて食料にしようとする、貪欲で狡猾な生態をもっている。そしてそれは、着いて早々サトツを偽試験官に仕立て上げようとした人面猿の登場で証明され、受験生たちの気を引き締めた。

 それは、猿だけでなくサトツにもトランプを投げて「死ななかったほうが本物の試験官」という乱暴な見分け方を即座に用いたヒソカのせいでもあるかもしれないが。

 

 曇っている上に湿原ではあるが、一応日中の野外であるのでシロノは深くフードを被り直し、ゴンとキルアとともに、再度走り出したサトツの後を追った。

 

「ゴン、シロノ、もっと前に行こう」

「うん、試験官を見失うといけないもんね」

「そんなことより──」

「あー、ヒーちゃん?」

 深く被ったフードの下から、シロノがけろりと言った。

「……ああ。あいつ、殺しをしたくてウズウズしてるから」

「みたいだね。ヒーちゃんの興奮するポイントってよくわかんない」

「それはオレもわかりたくねーよ……。ともかく、霧に乗じてかなり殺るぜ」

 そんな会話を交わす銀髪の二人に、ゴンが呆気にとられた眼差しを向ける。

「なんでそんなことわかるのって顔してるね」

 キルアは、陽気に笑った。

「なぜならオレも同類だから。臭いでわかるのさ」

「同類……? あいつと? そんな風には見えないよ」

「それはオレが猫かぶってるからだよ。そのうちわかるさ」

 鼻を鳴らして本当に匂いを嗅ごうとしていたゴンにキルアがそう言うと、ゴンは「ふーん」と引き下がった。

 

 そしてシロノはそのやり取りを見た上で、キルアの“猫を被っている”という申告に感心していた。

 人殺しを伴う仕事という意味での同業者は、雑な者であればゴンがしたように、本当に血の臭いが染み付いていることで容易にわかる。しかしそれは、二流以下という事の証でもある。一流は、無造作な血の臭いなどさせない。それは血を浴びずに殺しが出来るという事、また完璧に痕跡を消せるというプロフェッショナルの証明でもある。やろうと思えばむかつくほどに無害な好青年のように見せかけられるクロロなど、まさにそのいい例だ。

 そしてキルアは、犬並みの嗅覚をもっているゴンの鼻にかかっても、全く血のにおいがしないのだ。

 

 そしてその後、後方のレオリオたちに向けたゴンの暢気な対応に毒気を抜かれつつも、湿原の霧はどんどん濃くなっていく。湿原の動植物たちの餌食になってどんどん減っていく受験者たちの存在を知りながらも、立ち止まる事は自殺行為だ。

 

「すごい所だなあ……。シロノ、平気?」

「んー、嘘つきには慣れてるから」

 しかも、A級賞金首クラスの大嘘つきに。

 クロロが日常的につく、巧妙にさりげなくそしてえげつない嘘と比べれば、湿原の動物たちの嘘など単純なものだ。

 そして更に数分走った後、後方集団が別の所へ誘導されて逸れてしまった事が判明し、ゴンが心配そうに振り返るのを、キルアが諌める。

 

「ってえ──!」

「……レオリオ!」

「ゴン!」

 キルアが呼び止めるが、ゴンはあっという間に霧の向こうに走って行ってしまう。走り続けながらも、それをやや焦ったように見遣るキルアを見て、シロノは言った。

 

「だいじょぶだよ、追いかけなくても」

「……え?」

 落ち着き払ったシロノの声に、キルアが僅かにひっくり返った返事をする。

「他の人は多分ダメだろうけど、ゴンもレオリオさんも、ヒーちゃんは殺したりしないよ。逸れないで戻って来れるかどうかはまた別だけど」

「なんでそんな事わかんだよ」

「だって、二人とも美味しそうだから」

「……何だよ、美味しそうって」

 どう説明したらいいものか、とシロノは黙ったが、説明できない事をキルアも悟ったのかそれ以上何も言わず、シロノは少しホっとした。

 

「それにね、キルア」

「なに?」

「キルアとヒーちゃんは、全然同類じゃないよ」

 

 やはり淡々としているが、しかし揺るぎない様子のシロノの言葉に、キルアは本当に目を見開いた。

 

「……何言ってんだよ。お前ならわかるだろ」

「わかるよ。だから言ってるの」

 キルアはヒーちゃんと同じじゃないよ、と、シロノはしっかりと言い切った。キルアはその言葉に、何とも言えない表情に顔を歪めた。

「……そんなはずない。……オレは」

「違うってば。だってあたしの言ってる事、美味しそうっていうの、わかんないでしょ?」

「……うん」

「じゃあ違うよ。全然違う」

「お前はわかんのかよ」

 キルアの口調は少しきつかったが、それは怒っているとか言う事ではなく、ただ信じられないという動揺が混じっていた。

 

「……なんとなく」

 

 

 

 辿り着いた先、つまり第二次試験会場だというビスカ森林公園に建つ大きな建物の前で、生き残った受験生たちは待たされることになった。

 サトツのすぐ後ろにぴったりついてきたためほぼ一番乗りだった二人は、続々と集まってくる受験生たちを眺めた。そして中から聞こえて来るすごい音は何だろう、とシロノは言うが、キルアは心ここにあらずという感じで、生返事を返すだけだ。そんな彼の様子にシロノは小さく息をつく。

 

「そんなに気になるなら、聞いて来ようか?」

「……え?」

「ヒーちゃんに。あそこにいるから」

 シロノが指差した先には、ヒソカが酷く機嫌が良さそうに立っている。

「じゃ、ちょっと聞いてくる。待ってて」

「おい、なんでオレは待っとくんだよ」

「キルア、ヒーちゃんと話したいの?」

「いやそれは」

 出来れば遠慮したい、というのがキルアの本音だったが、シロノとの先程のやり取りで、自分がヒソカとは全く違う、という事に関して、何か納得できるようなもの、でなくてもヒントになるような何かが欲しかった。

 

「いいけど、キルアもかなり美味しそうだから、声なんかかけたら絶対目つけられるよ。そうなったら、……賭けてもいいけど、これから先の試験、延々ヒーちゃんの視線とか殺気とかピンポイントで受けることになるよ。それでもいいの」

「うっ……」

 それは、できればでなくかなり嫌だ、とキルアは思った。美味しそう、という言葉の意味はやはりわからないが、その語感と相俟って更に嫌な感じがする。

 

「……頼む」

「あい」

 

 シロノは頷くと、ヒソカのほうへ走って行った。

 

「ヒーちゃーん!」

「やあシロノ、数時間ぶり♥」

 ごく普通に会話を交わし始めた──しかも親しげな呼び名で──二人に、他の受験生たちは本気で驚いたのか、ほぼ漏れなく全員が目を見開いた。

「ねえねえ、さっき後ろのグループごといなくなったでしょ?」

「ああ、見ての通り、なんとか追いつけたけどね♠」

「ツンツンした黒い髪の釣り竿持った男の子と、サングラスかけた背の高いスーツの男の人いたでしょ? その人たちは殺してないよね」

 ぴくり、と、ヒソカの表情筋が僅かに動く。

 

「……どうしてそんな事聞くんだい? 知り合いかな♣」

「今日初めて知りあった人たちだけど、かなり“美味しそう”な人たちだったから、多分ヒーちゃんもそう思って殺してないだろうなって思って。確かめただけ」

「へえ……♥」

 ホントにわかるんだ、と、ヒソカは興味深そうに顎に手を当てた。

「ちなみに、シロノは他にどの人が“美味しそう”だと思う? ちなみにボクの一番のお勧めは405番と、キミと一緒に居る99番のコだね♥」

 無駄な気回しだったらしい。既にしっかり目をつけられていたらしいキルアに、シロノは心の中で謝った。

「うーんと……あたしもその二人と403番と404番、あと301番……と、294番もかな。あと、この人たちには及ばずって感じで191番のおじさん。安定してていいんだけど、他の人より、実際どんなのになるかわかんないドキドキみたいなのがないよね」

「……凄いね♥」

 ヒソカは更に機嫌良さそうに、ニコニコと笑った。シロノはきょとんと首を傾げる。

 

「なにが?」

「ボクもピッタリそう思ってたんだよ。う~ん、初めてこの感覚を共有できる人と出逢ったなあ♥」

「ええ、ホント? やばい、パパたちには黙っててね! とくにマチ姉には!」

「……どういう意味かな♣」

「ヒーちゃんと意気投合したなんてわかったら、最低でも丸一日説教食らった上にゴハンを抜かれてフェイ兄の拷問室でお尻を叩かれて、鉄板の上で正座で反省文を千枚書かされる!」

 ヒソカは、笑顔ながらも無言になった。

 

「あ、とにかく殺してないの確かめたかっただけだから。じゃあまたね」

「うん、またね♥」

 

 手を振って二人は別れ、シロノはキルアのところへ戻った。遠目で二人が会話をしていた所を見ていたのだろう、キルアは信じられないものを見たような顔をしている。

「……お前、マジでヒソカと知り合いなんだな……」

「へ? うん。あ、やっぱりゴンもレオリオも無事だって。レオリオはヒーちゃんがあっちに運んだって言ってたし、ゴンもそのうち戻ってくるよ」

「そ……、か」

 無表情ながらもどこかホっとしたようなキルアに、シロノが首を傾げた、その時だった。

 

「レオリオ!」

 

 声がしたほうを見遣ると、木にもたれかかっている上半身裸のレオリオの所に、ゴンと、もう一人の中肉中背の金髪の人物が駆け寄っていた。二人はレオリオの怪我の具合とともに無事を確認し、何やら顔を見合わせている。

 

「ところで、なんでみんな建物の外にいるのかな」

「中に入れないんだよ」

 

 キルアがそう言って登場すると、ゴンがぱっと振り向く。

 

「キルア! シロノも!」

「よ。どんなマジック使ったんだ? 絶対もう戻ってこれないと思ったぜ」

「そうだよ、キルア心配しちゃってずっとソワソワしてたんだから」

「……してねーよ!」

 シロノの言葉をキルアは思いっきり振り向いて否定するが、さっきまで色々と心配していたくせに、いざこうして会うと自然体を装うキルアに、シロノは内心笑い出しそうだったのだ。

「嘘だー、あたしが何回も大丈夫だよって言ってんのにそわそわそわそわしてたじゃない」

「だからしてないっつの!」

「キルア、心配してくれてたの? ありがとう!」

「だー!」

 その上ゴンに素直に礼を言われ、キルアの顔はとうとう赤くなった。

 

「素直じゃない子だな」

「まったくだ。でもまあいいトコあるじゃねーか」

 

 ぎゃあぎゃあと言いあっている子供三人を見遣り、レオリオと金髪の受験生……クラピカは、微笑ましげに笑った。

「そういえば、彼女は最初に見かけた子か? ヒソカの知り合いだという……」

「そーそー、今回最年少のなんと十歳。名前はシロノ」

「……シロノ……?」

「何だよ?」

「いや……」

 シロノの名前を聞いた途端、ぴたりと動きを止めて黙り込んだクラピカに、レオリオは訝しげな目を向ける。しかしそれも、時計の針が正午を指し、建物の扉が開く事で中断された。

 

 

 

++++++++++++++++++++++++++++

 

 

 

「あれシロノ、もう捕まえてたのか? ……って、なんだソレ」

「あ、キルア」

 豚を一頭ずるずると引きずってきたキルアは、既に一頭の豚を前に突っ立っているシロノに声をかけた。しかし、その豚の状態にしばし絶句する。

「……なんでこんな血塗れ、ってかデコ完全にかち割れてんじゃねーかこの豚」

「あー、ちょっと加減がわかんなかった。まずいかなあ」

「どうせ血抜きしなきゃなんねーし、焼くんだからいいんじゃねえ? でもなんだ、シロノの分も狩ってきてやろーかと思ったのに、いらなかったみてーだな」

「えー、キルアってほんとに優しーね。ありがとう」

「な……優しくねっての! お前が弱っちいんじゃねーかと思っただけだよ!」

「あはは」

 再度ムキになるキルアに、シロノはフードの下で笑う。

 

 そして難なく豚を丸焼きに仕上げて提出し、第二次試験前半に合格した七十名に、試験官・メンチから出題されたのは、『スシ』という民族料理を作れ、というものだった。

 

(スシ……はわかるんだけど、“ニギリ”ズシ、っていうのがわかんないなあ……)

 シロノはうーんと唸るが、他の受験生たちを見ると、“スシ”という語感そのものが初耳であるらしく、見当もつかないというような顔をしている。ふと視線を遣ると、ヒソカも調理台を前に首をひねっていて、少しだけ笑えた。

(でもじっとしててもしょうがないし、とりあえず、知ってるものを作ってみよう)

 うん、とシロノは一人頷くと、外に駆け出した。

 

 ──そして、二十分後。

 

「うわ、シロノもう材料集めたのかよ、早! ……っていうか知ってんのか“スシ”!?」

 両手にどっさり材料を抱えて戻ってきたシロノに、そう言ったレオリオだけでなく、受験生全員の視線が集まる。

 しかし、シロノが抱えている魚や鳥の卵、さらに果物、大きな厚めの葉っぱなど、脈絡がないラインナップから、出来上がりを想像する事は出来ないようだった。シロノ自身見た事もない動植物ばかりだが、毒がないことを確認しつつ、多分知っているものと近いだろうものをかき集めてきたものだ。

 

「んー、正直、自信はないんだけど。でも“ニギリ”じゃない“スシ”なら、家族がよく作ってくれるんだよね」

「ほほう、例の家庭的な姉ちゃんか」

「そうそう。よくわかんないから、とりあえずそれ作ってみる。惜しかったらヒント貰えるかもしれないし」

「なるほど。う~ん、やっぱ美人で料理の上手い家庭的な姉ちゃんが居ると違うね~」

「レオリオ、美人は関係ないだろう」

 横で“スシ”の形態について考察していたのだろうクラピカが、呆れたように突っ込んだ。

 

「君は……シロノ、といったか?」

「そうだよ」

「私はクラピカだ」

「クラピカさん。はじめまして」

 小さく頭を下げて挨拶したシロノに、クラピカは複雑な表情のまま無言だった。そんな彼に、シロノとともに、レオリオも首を傾げる。

 

「どしたの?」

「いや……なんでもない。私の事は呼び捨てで構わないよ」

「あ、言い忘れてたけどオレも構わねーぜ。で、シロノは料理得意なのか?」

 少し気まずい空気が流れても、レオリオが話すと不思議と場の空気が和らぐ。

「うん、料理っていうか、家事はあたしの仕事だから」

「へー。偉いな、まだこんなちっちぇーのに」

 話しながらもさっさとジャケットを脱いで腕をまくり、てきぱきと下ごしらえをしていくシロノの手際のよさに、三食料理をしているのは伊達ではないらしいな、と二人は感心した。だが同時に遅れをとるまいと会話を切り上げ、やや慌てて“スシ”についての考察を再開したのだった。

 

 

 



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No.004/険しきかなスシ道

 

 

 

 その後、レオリオが迂闊にも「魚ァ!?」と叫んでしまったため、受験生は全員が川や沼に向かってしまった。

 そんな中、シロノは無人と化した調理場で、腕まくりをすると見えそうになる蜘蛛のブレスを上にたくし上げながら、黙々と作業を続ける。そしてちらほらと魚を抱えた受験生たちがどう調理するかと迷っているとき、シロノは出来上がった“スシ”に半球型の銀色の覆いを被せると、メンチの所まで持って行った。

 

「よろしくお願いしまーす」

「アラー、あなたが一番乗り? どれどれ」

 メンチはいかにも食いしん坊な表情で、銀色の覆いをぱっと持ち上げた。そして中から現れたものを見て、一瞬目を丸くする。

「うぅ~~~ん……、惜っしい! 確かにスシだけど!」

「あー、やっぱ違うんだ……」

 

 そこにあるのは、厚めの葉っぱを丸く整えて小さめの器にし、酢と調味料で味付けした白米を敷き、その上に魚の切り身を数種類丸く並べ、そして焦げ目がないように焼いて千切りにした錦糸卵と小さく切った野菜、そして赤い小さな果物がちょんと綺麗に飾ってある──

 

「……散らしズシ、だね」

 ブハラが言った。

「う~~ん、なかなか綺麗な錦糸卵! その歳にしては上手ね~。料理は誰に習ったの?」

「お姉ちゃんとかお兄ちゃんとか……錦糸卵はお姉ちゃんのほうが、あたしよりもっと上手」

 ちなみにマチの錦糸卵は、まさに糸のように細くてふわふわしているのに弾力があり、さらに全くパサついていないという神業レベルの逸品である。

「うん、魚の切り方も、一般家庭レベルでは合格ラインね。野菜も簡単だけど飾り切りにしてあるし、それに彩りが綺麗でカワイイわ! 葉っぱを器にしてあるのもいい感じ」

「女の人用のお弁当で売り出したら、ウケそうだね」

「そうね。料理は見た目も大事だからね、センスはあるわ! どれ、味は?」

「あ」

 合格じゃないのに一応食べるのか、お腹いっぱいになったら終了なら出来るだけ食べないほうがいいんじゃないのかなあ、などとシロノは思ったのだが、わりと真剣な表情で散らしズシを食べている試験官に口出しするのも憚られ、シロノは彼女を見守った。

 

「うん、ごはんの味付けは可もなく不可もなく、普通ね。錦糸卵はちょっと太めだけどパサついてないし、自分の技量を的確に心得た感じでむしろ好印象。野菜も飾り切りしてる割には冷やしてあって体温が移ってないし、何より川魚っていう最大のネックをわかってて、お酒とか醤油、生姜、湯通しを使って泥臭さをちゃんと消してる。基本中の基本ができてるわね」

 

 そう言いながらも、メンチはぱくぱくと散らしズシを平らげていく。かなり小さめとはいえ、散らしズシ一人前を食べてしまっては腹具合を満たしてしまうのではないか、とシロノは慌てた。しかしメンチは半分と少しほど食べると、少し興味を持ったらしいブハラに残りを譲ったので、シロノは少しホっとした。

 

「うん、回数こなして手慣れた子が作ったって感じ。普段から料理してる?」

「あ、うん。パパと暮らしてるけど、パパ好き嫌い多くて味にうるさい割に家の事何もしないから……」

「あっらー、小さいのに苦労してるのねえ。あれでしょ、せっかくゴミわけてるのに平気で台所以外のゴミバコに生ゴミ捨てたりするでしょ」

「なんでわかるの!?」

「そーゆー男のパターンは決まってるのよ。しかもそれで小バエが発生したのに文句たれたりすんのよね」

 こくこくこく、とシロノは激しく頷いた。そしてクロロにリビングのゴミバコにムニエルの残りを捨てられた時は本気で殺意がわいたなあ、とシロノは回想する。それでいて、クロロは最も簡単な家事であるゴミ出しすらやらない。

 

「ものすごく料理人の才能があるってわけじゃないかもだけど、作り慣れてて基本を忠実に守ってるところがいいね。味も普通に美味しいし」

「そうね、一般家庭の料理としては上手なほうだわ。いい奥さんになるわよ!」

「……えっと、ありがとうございます」

 シロノも料理は好きだし上手になりたいと思っているので、プロ中のプロである美食ハンター二人に褒められるのは嬉しいのだが、不合格なのに褒められるのも変な感じだなあ、と、曖昧な相槌を打った。

 

「スシってとこは合ってるし基本的には間違ってないから、アタシの言った事をヒントにしてよく考えて、突き詰めていけば作れるわよ。なかなかいい感じだから、次は形が合ってれば合格にしてあげる」

「はい! ありがとうございました!」

 

 シロノは綺麗に空になった器を受け取ると、自分の割り当てられた調理台に引き返した。メンチはニコニコと微笑みながら、「がんばってねー」と小さな後ろ姿を見送っている。なかなかいい滑り出しだ、と彼女が機嫌良さそうにしていた、その時だった。

 

「出来たぜー! 次はオレだ!」

「ん?」

 皿を持ってずんずん歩いてきたのは、レオリオである。

 

「名付けてレオリオスペシャル!」

 

 さあ食ってくれ! と、レオリオがぱかっと覆いを取った中から現れたものは──……、いびつで乱暴な白米の塊から、何の調理もしていない、というかまだ生きたままの魚が埋め込まれ、頭や尾がはみ出してピクピクしているという、食べ物としてとても認識できないような物体だった。

 

 そして案の定、「食えるかあっ!」とメンチは据わった目つきでそれを放り投げ、ショックを受けたレオリオが抗議するが、メンチは意に返さない。

 

「いーい!? カタチは大事よ! ニギリズシのカタチをなしていないものは味見の対象にもならないわ!」

(さっきのちっちゃい子の散らしズシは食べたくせに……)

 見た目の差が激しかったから無理もないけどさ、とブハラは思いつつも口出ししないまま、ゴンがレオリオと同じレベルと言い渡されて不合格となり、そして続々とメンチが受験生たちを切って捨てるのをブハラは見守った。

 

「よう、どうだった? 一番乗り」

 

 シロノがニギリズシ第二号の製作に取りかかっている頃、キルアがやって来た。

「えーと……全部食べてもらえて褒められたけど不合格だった」

「……どーゆーことだよそれ?」

 キルアは首を傾げるが、説明しづらい状況に、シロノは半端な笑いを返す事しか出来ない。

「しかしお前、手際いいのなー。オレ料理なんかしたことねえっつの」

「そうなの?」

「執事やらメイドやらアホほどいるのに、俺が料理する機会なんかねーよ」

 どうやらキルアはかなりいい家の坊ちゃんらしい。生活の場にホームキーパーやらの他人を入れるのを好まないクロロに家事を全て丸投げされているシロノにとっては、かなり羨ましい話だった。

 

「あ、もしかしてこれ? さっき提出したやつ」

 

 キルアは、調理台の上にあった、散らしズシの余りを指差した。もしものときの為に多めに作っておいたので、メンチに提出した分と同量のぶんがきちんと盛りつけてある。

「うん、でもカタチが全然違うんだって。参考にはならないよ」

「いやいや、見た所でまず作れねえし。ってか美味そうなんだけど」

「あ、おなか空いてるなら食べていいよ。美食ハンターが全部食べたんだから、まずくはないと思うし」

「マジ? じゃあ貰う」

 キルアは器に使った分厚い葉の余りを細く折ってスプーン代わりにすると、散らしズシを口に運んだ。そして何口か食べた後、彼は静かに言う。

「……美味いわコレ。初めて食べる味だけど、いける」

「ほんと? ありがとー。これ、お姉ちゃんがよく作ってくれるんだよね」

「へー。……あー、なんかコレお茶が欲しくなるなお茶が」

 

 そんな会話を交わしていると、向こうにいるゴンが「あ」という形に口を開けて、こちらを見ていることに気付いた。

「キルア! 何食べてんのー?」

「んん? なんだなんだ」

 ゴンだけでなく、煮詰まっていたのかレオリオとクラピカも寄ってきた。

 

「ほっほー、これがシロノが作ったスシか!」

「美しいな。彩りがとても綺麗で食欲をそそる。さすが女性だ」

 キルアが食べた分欠けた散らしズシを覗き込み、レオリオとクラピカが感想を寄越した。

「美味そーじゃねーか、一口くれ」

「図々しいなオッサン。というか、アンタが作ってたのと比べたら何だって美味そうに見えるっつーの」

「んだとオッサン言うなこのガキは!」

「まーまー、ケンカしないでよ。キルア、オレにもちょうだい」

「……オレじゃなくてシロノに言えよ。シロノが作ったんだから」

 キルアの言葉に、三人ともがシロノのほうを向いた。

 シロノは突然の展開に驚きつつも、食べたいと言われて嫌な気はしない。「いいよ」と返すと、三人ともキルアと同じようにスプーンを作り、それぞれ口に運んだ。

 

「お」

「わあ」

「……ほう」

 

 三人はそれぞれ咀嚼し終わると、感心したように声を漏らした。

「美味いじゃねーか! うんうん、さすがお姉様直伝!」

「本人を褒めろレオリオ。いやしかし、その歳で大したものだ。この野菜の飾り切りも実に器用に……この卵、どうやって焦げ目を付けずに焼くのだ?」

「すごーい! ミトさんみたい!」

 三人が大声でベタ褒めするので、さすがにシロノも照れくさくなってきた。そして錦糸卵の作り方をクラピカに解説していると、レオリオが「やっぱ料理が出来る奴は基本からして違うよなあ」と、腕を組んで顔を顰めた。

 

「まずこの調理台の綺麗さからして違うもんな。他は生ゴミ置き場と化してるのによ」

「……それは確かに」

 レオリオの言う通り、使った後の食材の切れ端が綺麗に纏められてすっきりしているシロノのスペースに比べると、白米と生魚の残骸がぐちゃぐちゃに散乱する受験生たちの調理台は、生ゴミが散乱しているのとさほど変わりない。

 

「で、シロノ先生、次の“スシ”はどんな感じで?」

「先生とは何だレオリオ……」

「いやだってマトモに料理の心得があるのってシロノだけじゃねーか。何かこう参考に」

「姑息だなオッサン」

「オッサン言うなこの猫目小僧!」

 ぎゃあぎゃあとトリオ漫才を始めた三人を尻目に、散らしズシの最後の一口を美味そうに食べたゴンが、シロノに向き直った。

「シロノって料理上手なんだねー。いいお嫁さんになれるね!」

「へへ、実はメンチさんにも言われた。ありがとう」

 天然タラシの素質をこれ以上なく持つゴンの意図せぬ殺し文句だったが、言われたほうもまだまだ子供なシロノである。素直に嬉しいのか、シロノはへらっと笑って返しただけだった。和やかに笑いあう少年少女は、実に微笑ましい雰囲気を醸し出している。周囲の風景が奇怪な魚と格闘するマッチョな男たち、という異様な光景でなければ、尚更。

 

「で、次はどういうの?」

「うん、今できたとこ。これ」

「お? どれどれ」

 聞きつけたのか、長身を駆使してちゃっかり覗き込んでくるレオリオ。そんな彼をクラピカとキルアが呆れたように見遣るが、彼らもまた、シロノの第二の作品を覗き込む。

「おお!?」

「これは……凄いな。先程のものよりも更に美しい」

「カタチが違うって言われたし、多分“ニギリ”ってポイントを逃してたんだと思うのね。これはそこの所を考えてやってみた! 見た目もかなり頑張ったよ!」

「なるほど……これならニギリという語感、“個”で数えられるサイズや形態、新鮮な魚を使うという条件を全て満たしている……。その上見た目も素晴らしい」

 クラピカが、感心したように言った。

「これならいけんじゃねえ? 行ってみろよ」

「うん!」

 

 シロノは皆から背を押してもらい、作品に再度銀のカバーを被せると、白米と生魚の残骸でぐちゃぐちゃになった受験生たちの調理台の間を抜けて、メンチの所まで進み出た。

 

「……もー、どいつもこいつも! 観察力や注意力以前にセンスがないわ! やんなっちゃう!」

「メンチさん! できましたー!」

「あらっ?」

 シロノの散らしズシ以降一つも試食まで至らずに癇癪を起こし始めていたメンチは、再度現れた、唯一まともに食べれるものを持ってきた小さな人影に、僅かに表情を緩めた。

「待ってたわよ! えーと、シロノちゃんだったかしら?」

「はい! よろしくおねがいします!」

「ふふん、自信作みたいね。どれどれ~」

 やっとまともなものが食べられる、とメンチは舌なめずりをして銀のふたを開けた。そして中のものを見た瞬間、かなり盛大に表情を歪める。それは、かなり惜しい所でゴールを逃したスポーツ選手のようなそれだった。

 

「ぉ惜っ……し──い! ニアピン! 超ニアピン! あと一歩! いや半歩!」

「え──!?」

「惜しいっ……! ホント惜しいわ!」

「……ああホントだ、これはかなり惜しいね~」

 拳を握り締めて「惜しい」を連呼するメンチと、それに深く同意して頷くブハラ。

 皿の上には、丸く、ちょうど団子の様な大きさの丸い形をした、一口サイズ、というにはやや大きめの飯が四つ。どれもそれぞれバラバラの具だが、一つは焦げ目一つついていない薄焼き卵で包まれていて、先程の散らしズシにも使われていたキュウリに近い実を極限まで薄く切り扇形に広げたものと、赤い果物を小さく切ったものがちょんと乗せられ、彩りを引き締めている。

 

「……これは手まりズシっていうんだよ」

「えっ、名前があるの!?」

「なーに、知らないで作ったの?」

「えっと……さっきのが基本的にオッケーで、あとニギリっていうところをいっぱい考えたらこうなった……」

「……なるほどね」

 シロノは、スシといったらマチが作ってくれる散らしズシか、そうでなければノブナガが一度やってくれた手巻きズシしか知らなかった。しかしここには海苔がないし、さすがに森ではどうやったって手に入らないのだからここは散らしズシだろう、という判断を下したのだ。そしてそれに「基本は合ってるけど形が違う」という評価を下された為、ほとんど同じ材料で形が“ニギリ”のもの、ということで考えたらこうなったのである。

 

「でも見た目はさっきよりもキレイだわ、薄焼き卵もレベルアップしてるし。……この赤いの、ウメマガイの実ね?」

「んーと……味見してみたら梅干しと似てて、多くはキツいけどちょっとなら凄く美味しいし、上にちょっとだけ乗せたら色もまとまると思って……」

「食材を一つ一つ味見してるの?」

「え、だって不味いもの使ったら……不味いでしょ?」

「……そう! そうなのよ! 何でこんな最低限の事がわかんないのかしら!」

 自分が食べれるモン持って来いっつーの! とメンチは叫び、受験生たちのイライラが更に上昇した。しかしメンチは、料理に関してまともなコメントを返してくるシロノの小さな肩をばんばんと叩き、更に料理について質問する。

「で、こっちは? 皮が透けてるけど」

「うーんと、お肉とお魚と卵でちょっと濃いめだと思ったから、何かさっぱりしたのがないかなーって探したら、あの……見た目真っ青で毒々しいけど中にトロトロしたのが入ってる野菜みたいな」

「ああ、マイシュの実ね」

「それに味付けして平べったく伸ばして熱湯かけたら硬めのゼリーっていうかシュウマイの皮みたいになったから、ハーブ系の葉っぱを線切りして錦糸卵と一緒にご飯にまぶして、それから皮で包んだの」

「見た目に惑わされずに中を調べて、しかも熱を通せば固まるって言うのによく気付いたわね。うんうん、涼しくて爽やかな感じでバランスがいい」

 確かに、白い飯と黄色の卵、濃い緑の葉っぱが半透明の皮の中に透ける様は美しく涼やかで、暑い日にも食欲をそそりそうだ。そして、そんな風に色とりどりで細かく工夫を凝らした綺麗な手まりズシが、今度は器ではなく、花の形に大きく切った濃い緑の葉っぱを重ねて皿の上に敷いたものの上に、ちょんと四つ上品に載せられているのである。

「これは、さっきの生姜と醤油で味付けした魚の手まりズシね。で、こっちは……?」

「えっと、実はあんまり美味しそうだったんで、焼いた豚のお肉ちょっと貰ってたの。それにお醤油で作ったソースをかけてみた」

「……グ、グレイトスタンプのテリヤキソースがけ手まりズシ……!」

 ごくり、と、メンチだけでなくブハラも唾を飲み込む。

 

 そんな風にして、「惜しい」と言われて合格ではなかったのものの、シロノの作品は食材の組み合わせが上手くマッチして、見た目の美しさとともに、おおいに食欲をそそっていた。

 

「……やるわね……気合い入れたわねシロノちゃん!」

「あー、でもこれニギリズシじゃないんだよね。よし、今度こそ作り直して」

「た、タンマ!」

 皿を持って戻ろうとするシロノを、メンチが「ちょっと待った」のポーズで引き止めた。

「なんですか?」

「え~~……いや、その……………………ひ、ひとくち……」

「おいおいメンチ、ニギリズシの形をしてないのは試食しないって自分で」

「だって──!」

 自分で言った事は守れよ、とメンチを諌めるブハラだが、メンチは「美味しそう」と思ったものは食べずにいられない性質らしく、駄々をこねるようにソファの上で悶えている。

「でも近いじゃない! すんごい惜しいでしょ!」

「いや惜しいけどさ、ニギリズシじゃないってもう言っちゃったし実際そうだし」

「でもでもでも」

「試験官が自分の食べたい物で腹膨らまして試験に支障をきたしちゃダメだろ」

「そうだけど! ああああせめてグレイトスタンプのだけでも! ……シロノちゃーん!」

「はい?」

 呆気にとられていたシロノだったが、既に涙目になっているメンチに呼ばれて返事をした。

「食べるから! 試験終わったら絶対食べるからとっといて……! お願い! メンチさん一生のお願い!」

「うん、いいよ」

 シロノがあっさりそう返すと、メンチは手を組み合わせ、キラキラした目でシロノを見つめた。

 

「……なんていい子なの……!」

「もー……。ゴメンね、迷惑かけて」

「まったくだぜ」

 

 ブハラの言葉に応えたのは、言葉を向けられたシロノではなく、いつの間にか皿を片手に立っていた294番の受験生、ハンゾーだった。

「そろそろオレの出番だな……」

 フッフッフ、とハンゾーは自信ありげに笑うと、銀の覆いをがばっと取った。中には、一口サイズのご飯の固まりの上に、魚の薄い切り身が乗ったものがひとつ、ぽつんと乗せられている。

 

「どうだ! これがスシだろ!」

「……ふーん。ようやくそれらしいのが出てきたわね」

(あ、ダメだこりゃ)

 やる気無さげなメンチの返答に、ブハラは彼女の中の合格ボーダーラインがかなり上がってしまった事に気付いた。正解は出来なかったとは言え、プロの美食ハンターに「美味しそう」と思わせたシロノの料理がお預け状態の今、よっぽど美味しそうなものが出て来なければ、彼女のやる気は戻って来ないだろう。

 

 案の定、メンチは「ダメね、おいしくないわ」ときっぱりハンゾーに言い渡し、しかも最悪な事に、それにキレたハンゾーがスシの作り方をうっかり全てバラしてしまったのだ。

 しかも、である。受験生全員がニギリズシのカタチを知ってしまうという最悪の状況、それだけでもかなりメンチの逆鱗に触れているのに、さらにハンゾーは一番の地雷を思いっきり踏んでしまった。

「ざけんなてめー! 鮨をマトモに握れるようになるには十年の修行が必要だって言われてんだ! キサマら素人がいくらカタチだけマネたって天と地ほど味は違うんだよボケ!」

「なっ……んじゃそんなモンテスト科目にすんなよ!」

「っせーよコラハゲ殺すぞ! 文句あんのか、お!? あ!?」

(あーあ、メンチの悪いクセが出ちまった)

 

 熱くなったら最後、味に対して妥協できなくなる。そんなメンチの性格を、シロノの料理とハンゾーの罵倒が思いっきりフルスロットルにしてしまったのである。

 

「あたしだって、まさか一流の職人レベルのもんを作って来させようなんて思ってねっつの! アタシが欲しいのはスキルがあるにしろないにしろ、料理ってものに真摯に取り組む姿勢よ!」

「う……」

「見なさいこの子を!」

 メンチは、手まりズシを持ったまま怒濤の展開に呆然としているシロノを、ビシリとまっすぐに指差した。

「自分の出来る限りの技術を使い、家族から作ってもらった家庭料理の中から近いものを探し、そこから発展させていこうとするこの健気さ!」

「そ、そんなこと言ったって、このチビっ子ほど料理出来る奴なんてここにゃいねーだろーが!」

 ハンゾーの台詞に受験生たちが深く頷くが、メンチは「はっ」と吐き捨てるようにして顔を逸らした。

「だから技術は二の次だって言ってんでしょうが! 大体ねえ、人に食べさせるって気持ちがあれば例えたいして美味しくなかったとしても、少なくとも食べれるものは作れるのよ!」

 確かに、シロノ以外で提出する料理を実際に食べれるかどうか、そして美味しいかどうか味見した者など一人も居なかった。

「自分で食って美味しいと思うものを持って来るのが当然でしょうが! それなのに口に入れるって事すら考慮してないアンタたちと比べて、この子は食材ひとつひとつを味見して選抜するところから始めたわ! 見た目も考慮した上で! でもこれはもう気概とか技術とか以前の、じょ、う、し、き! 常識の問題よ!」

「う……」

「あーもー汗臭いバカマッチョどもと比べたら、この子の一生懸命さは涙が出そうだわ! どうせアンタたちもリビングのゴミ箱に焼き鮭の皮を捨てるよーな無神経なタイプばっかりなのよ! むしろてめーらが生ゴミとともに捨てられろ!」

「意味わかんねーよ! それにオレは焼き鮭は皮まで食べるタイプだ!」

「うっさい死ね! あの子に謝れ! っていうか料理という存在全てに土下座しろ! そして餓えてできるだけ苦しんで生まれてきてスミマセンと泣きながら死ね!」

「死ねってさりげなく二度も言いやがった! しかも二度目かなりヒデーんだけど!」

 

 あとはもうメンチの一方的な言葉の暴力が続くのみで、ハンゾーはまともに言い返す事など出来ずに、完敗という言葉がありありと顔に出たげっそりした様子で持ち場に引き返して行った。

 そしてスシの作り方が全員にバレてしまった以上、味で審査するしかない。それぞれがスシを作ってメンチの所に殺到するが、合格ラインが果てしなく上がってしまったメンチの試験に合格できる者が居るはずもなく。

 

 そして一人も合格者が出ないまま、メンチの腹はいっぱいになってしまったのだった。

 

 

 



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No.005/新作レシピ

 

 

 

携帯電話に向かって怒鳴り続けるメンチを、受験生たちは呆然と見遣っていた。

 

「あー……せっかくもうちょっとで合格貰えたかもしれなかったのに……」

 味と努力を認められ、あとは形を正解するだけというあと一歩の所だったのに、ハンゾーのおかげで全てが台無しになってしまったシロノは、盛大に溜め息をついた。

「確かにアレはあのハゲが悪いな。残念だったなあ、良い線行ってたのに」

 キルアが、手まりズシを食べながら言う。声がやたら大きかったのはきっとわざとだろう、数人のじろりとした目線がハンゾーに向かい、彼は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「んー……料理の腕は上がった気はするけど……」

「みたいだな。これ、かなり美味いぜ」

「……ありがと」

 余らせるのもなんだから、と集めてきた材料を全て使い切って、キルアとゴン、クラピカとレオリオそれぞれにやや小さめに作った手まりズシ四コセットは、大絶賛の嵐を受けていた。

(全員ダメなら、パパ、ペナルティ減らしてくんないかなあ……ダメかなー……)

 シロノは試験に受からなかった事よりも、美しく黒い笑顔で出迎えてくるだろうクロロのほうが百倍気がかりだった。

 

「しかし、君ほどの腕があるなら、メンチを納得させるほどのスシを作れたのではないか? あの手まりズシはプロ級の作品だったと思うが……」

 クラピカが言うと、シロノはふるふると首を振った。

「まさかあ。このくらい、ちょっと料理上手なお母さんならもっと上手く作れるよ。だってこれ、普通に本屋で売ってる料理雑誌の簡単レシピをちょっとアレンジしただけだし」

「そ……そうなのか?」

「そうなんだ……。ミトさんの凄さを今改めて実感したなあ……」

「世の中の主婦ってスゲーな……」

 今回初めてまともに台所に立った男たちは、世の家庭の女性たちに深い尊敬の念を抱いた。

「それにほら、あたしの作ったのは色々材料が使われてて、いまいちな所を色々誤摩化せるけど……でもスシはゴハンと魚だけでしょ? あれだけの材料で違いを出すっていったら、ホントに十何年も修行したプロの職人さんにしか出来ないよ」

「なるほどな……。しかし、それなら尚更この不合格には納得が行かないな」

 クラピカは真剣な顔でメンチを見遣るが、彼女は相変わらず携帯電話に向かって怒鳴り続けている。

 

「とにかくあたしの結論は変わらないわ! 二次試験後半の料理審査、合格者は0よ!」

 ざわ、と受験生たちがどよめく。

「マジかよ」

「まさかこれで試験が終わりかよ……」

「冗談じゃね──ぜ……!」

 

 ──ドゴォオン!

 

 その時、何かを破壊する音が響く。

 音のした方に顔を向ければ、それが255のプレートをつけた受験生が、調理台を拳で破壊した音だとわかった。賞金首ハンター志望だという彼はメンチに食って掛かり、ついには激昂して突進をかましたが、結局ブハラに思い切り張り飛ばされ、窓をぶち破って野外に吹っ飛ばされてしまう。

 

「……ブハラ、よけいなマネしないでよ」

「だってさー、オレが手ェ出さなきゃメンチあいつを殺ってたろ?」

「ふん、まーね」

 メンチは大きな包丁を振り回しながら、ソファからすっと立ち上がった。

「賞金首ハンター? 笑わせるわ! たかが美食ハンターごときに一撃でのされちゃって」

 見れば包丁は四本である。目に止まらぬほどの動きでそれを二本の手で操るメンチに、受験生たちが息を飲む。

「どのハンターを目指すとか関係ないのよ。ハンターたる者誰だって武術の心得があって当然! あたしらも食材探して猛獣の巣の中に入ることだって珍しくないし、密猟者を見つければもちろん闘って捕えるわ!」

 ギッ、と睨むメンチの目に、皆が怯む。

「武芸なんかハンターやってたらいやでも身に付くのよ! あたしが知りたいのは未知のものに挑戦する気概──」

「それなら尚更おかしいだろう」

 メンチの言葉を遮って、受験生の中からクラピカが進み出た。

 

「そういう審査基準ならば、シロノは合格のはずだ。真摯に未知のものに対峙し、自分の知識を集めて分析し、技術を尽くし、最終的にはあなたが食べたいと思うほどの料理を作った。他はどうあれ、彼女は貴女が言う審査基準に合格している、と私は思うが?」

「う……」

 だだをこねてまでシロノ料理の取り置きを頼んだ身として、メンチもクラピカの意見に反論する事は出来なかった。シロノは突然自分が引き合いに出された事にきょとんとしている。

「さらに、スシという専門の熟練の技がどうしても必要となるメニューで貴女を満足させるものを作るのは、気概でどうこうできるものではないだろう。確かに途中で貴女の予定を狂わせるアクシデントが発生した事は事実だが、その時点で試験官である貴女は公平な試験内容に調整する為に動くべきだった。そういう判断をする責任が試験官にはあるはずだ」

 もっともな正論に、ブハラが気まずそうに明後日の方向に目を逸らす。

 

「ともかく、シロノが不合格だというのなら、貴女の主張する審査基準は確固たるものとは言えない。それならいっそ全員の審査をやり直すべきだ」

「おう、そうだそうだ! それに見ろコレを!」

 今度はレオリオがずいと横から進み出て、シロノが持っている包みを指差した。それは厚い葉で包み、植物の蔓で結んで吊り下げた、メンチのための取り置きの手まりズシだった。

「自分を不合格にしたアンタのために、あんな美味いメシをわざわざ丁寧に包んで取り置いてるんだぜ!? こんな健気なチビっこまで不合格にするたあ、なんて冷血な女だ! 美味いものが食えればそれで良いのか!?」

「ううっ……!」

 さすがのメンチもこれには呻いた。しかもシロノはクリスタルのような目で、じっとメンチを見つめているのである。小動物のように穢れのない──ように見える──目で見つめられ、彼女は気まずくなったのか、ふいと目を逸らした。

「ホーラ見ろ! 純粋な目に耐えられなくて目を逸らしやがった! おいシロノ、あんな食欲の権化にそんな美味いモンをとっておいてやる必要ねえよ。皆で分け合って楽しく食べちまおうぜ」

「なっ……!」

 レオリオの台詞に、メンチが青くなる。

 そしてクラピカとレオリオの意見を通せばもう一度試験のやり直しができる、と踏んだ受験生たちは、口々に「なんて可哀想なんだ」「鬼だなあの試験官」「オレ涙が出てきちゃったよ」とまで言い出した。一気に悪者にされて先程ではまた違う意味で表情が険しくなるメンチに、ブハラが大きな溜め息をつく。

「な、シロノ、出来立てのうちに食っちまえって」

「えー……でも……」

 どうしたものか、とシロノは周囲の受験生たちとメンチを見比べて、小さい声で言った。

 

「……でも、メンチさんが食べたいって……」

 

 その台詞が出た途端、レオリオを始め大柄な男たちが、目眩を起こしたような、また目頭を抑えるようななど、大仰なリアクションを取る。わざとらしいそれに、キルアとゴン、クラピカ他数名は呆れた目を向けた。

「聞いたか!? 聞いたかコラ今の!」

「あーオレダメだ、泣けてきちゃったマジで」

「なんて清らかなんだ、そんな子供をあの女は奈落の底に突き落とすようなマネを」

「う、うるっさいわね! アタシだってその子は合格にしてもいいと思ってるわよ!」

 メンチが叫んだ。

「そうね、アンタの言う通りだわ404番! この子はアタシの審査基準をクリアしてるし、今からこの子だけは合格って協会にアタシが頭下げるわ。でもアンタたちはやっぱダメよ!」

 

《──それにしても、合格者一名はちとキビシすぎやせんか?》

 

 突然聞こえた、どうやらスピーカーを通しての老いた声に、全員がハっとする。そして上空を見ると、ハンター協会のマークがついた、審査委員会の飛行船がすぐそこまで近付いていた。

 

 

 

 その後、結構な高度にある飛行船から生身で飛び降りてきたのは、ハンター協会の会長であるというネテロ会長だった。そしてネテロとメンチが話した結果、冷静になったメンチが己の非を認めたことにより、再度の試験が決定した。

 

 メンチが指定したメニューは、ゆで卵。

 ただし、マフタツ山の断崖絶壁に生息するクモワシの卵で、であるが。

 

 そして受験生たちは、底が見えないほどの深い谷に飛び込むのに躊躇する者、先程の試験よりはよほど分かり易くていいと喜び、我先にと谷にダイブする者と、まっ二つに分かれた。そしてシロノもゴンたちに続こうとしたその時、後ろから声をかけられた。

「シロノちゃん」

「あれ、メンチさん」

 どしたの、と返すと、彼女の後ろから、すっとネテロが姿を現した。

「シロノ……といったかな」

「うん、そうだよ。シロノです。はじめまして」

「ホッホ。礼儀正しい子じゃの~、結構結構」

 ネテロは陽気に笑うと、少し目を細めて、まっすぐにシロノを見た。

「実はこのメンチ試験官が、お主だけはさっきの試験で合格に値すると言っておってな。そういうわけで、この試験をやりたくなければそれでもよいぞ?」

「えー」

 端で聞いていた、既に降りるのを諦めた受験生たちは「ラッキーだったな、あの子供」と思っていたのだが、不満げな声を出したシロノに、目を見開いた。

「やっちゃダメなの? あたしも卵取りたい」

「やってはいけないということではないが……」

 しかし、やってもやらなくてもお主の合格に変わりはないぞ? とネテロが言うと、シロノは、にや、と口の端を大きく上げて笑った。

「あたし、フリーフォールとかジェットコースターとか大好きだし卵も食べたいし。勝手に自分で行くってことならいい?」

「ああ……構わんよ」

「やった。あ、メンチさん、これ」

 シロノは、手に持っていた葉っぱの包みをメンチに渡した。

 

「プロにアドバイス貰うとやっぱり違うね! いつもよりすっごく美味しく作れた! ありがとうございました!」

「……そう」

「それでね、あの、できれば家でも同じ味で作って、パパや家族にも作ってあげられるようにしたいの」

 良かったら感想貰えないかなあ、と首を傾げて言ったシロノに、メンチはにこりと笑った。

「いいわよ。街でも手に入る材料で作れるよう、あとマズイとこ直したレシピ書いたげる」

「やったあ! 一ツ星美食ハンターのレシピ!」

 シロノは飛び上がって喜んだかと思うと、その勢いで「いってきまーす」と、何の躊躇もなく谷底にダイブしていった。

「……いいコだわー。美食ハンターになってくんないかしら」

 じーん、と胸に響くものを感じながら言うメンチに、ネテロは髭を撫でながら僅かに笑った。

「それは無理じゃろうなあ」

「えー? 何でですか」

 もう腹がこなれたのか、手まりズシの包みを開けながらメンチが問うと、ネテロは呟くように言った。

「……親が許さんじゃろ」

 そしてその後、出来上がったゆで卵の美味しさに感動する面々の中には、もちろんシロノも居た。ほとんど生が好きと言うシロノは、白身すら半分程度しか固まっていない温泉卵状態のゆで卵を、たいへん美味しく頂いたのだった。

 

 

 

++++++++++++++++++++++++++++

 

 

 

 そして合格者四十二名はハンター協会の飛行船に乗り込み、明日の八時に到着するまで、自由に過ごすことになった。

 皆がぐったりとして身体を休める中、しかし最年少三人は、飛行船の中を探検しようと元気に走り出し、大方を見終わった後、彼らは下の夜景が見える窓際のベンチに並んで座っていた。

 

「キルアのさァ……」

「んー?」

 やはり多少は疲れているのか、キルアとゴンの会話もやや間延びした色を持っている。

「キルアの父さんと母さんは?」

「んー? 生きてるよー、多分」

「何してる人なの?」

「殺人鬼」

「両方とも?」

 ゴンが真顔でそう聞き返すと、キルアは面白い奴、と言って笑った。そして会話が進むうちに、彼の実家が暗殺一家である事、そしてキルアは親が敷いたレールに乗って暗殺者になるのが嫌で家出してここに居ることを話した。

 

「シロノんちは?」

 ゴンがやはり無邪気に尋ねる。キルアもシロノを見た。

「自営業とか言ってたけど、ヒソカと知り合いになるような仕事なら絶対カタギじゃねーだろ」

「んー、まあね」

 しかし、世界中から指名手配を受けてるA級賞金首です、とはさすがに言いづらく、シロノはヘラリと笑った。

「パパとお兄ちゃんとお姉ちゃんたちはキルアんとこと似たようなもんだよ」

「じゃ、母さんは違うの?」

「うん。あたしのママ幽霊だから」

 さらりと言われたそれに、少年二人はぽかんとした顔をした。

「は? 何それ、死んでるってこと?」

「ううん、死んでない。幽霊なだけ」

 ますます意味がわからない、と、二人は首を傾げた。

「あたしが一人前の大人になったら、会えるんだ」

 シロノが目を細めてそう言い、二人が困惑したような、不思議そうな顔をした──その時だった。

 

「──!?」

 

 三人は、突然の殺気に素早く振り向いた。しかしその先には誰も居ない。

「どうかしたかの?」

 後方からのんびりと聞こえた声は、ネテロのものだった。ゴンは「あれ?」とぽかんとした顔をしているが、キルアとシロノには、ネテロが一瞬で移動し、そして何事もなかったかのようにこうして現れたのだ、という事がわかった。シロノはこういうすっとぼけた態度で人を食ったようなことをする性格の人間には慣れていたが、キルアはあまり気をよくしなかったらしい。むっとしたような顔をしていた。

 

「どうかな三人とも、ハンター試験初挑戦の感想は?」

 ネテロのその質問に、ゴンとシロノは「楽しい」と答えた。頭を使うペーパーテストがなくてよかった、という点に置いても同意見である。

「オレは拍子抜けしたね、もっと手応えのある難関かと思ってたから。次の課題はもっと楽しませてくれるんだろ?」

「さあ、どうかのー?」

「行こーぜ」

「まぁ待ちんさい」

 ゴンと肩を組んでさっさと踵を返したキルアを、ネテロが呼び止める。

「おぬしら、ワシとゲームをせんかね?」

「?」

「もしそのゲームでワシに勝てたら──」

 

 ──ぴょっこぴょっこぴょっこぴょっこぴょっ

 

 突然、何の音だかよくわからない微妙な音が響いた。するとシロノが「あ、ごめん、電話」と言いながら、ウサギの形をしたピンクの携帯電話を取り出した。

「……ヘンな着音……」

「えー、かわいいでしょ? あ、ネテロさん、残念だけどあたしいいや」

「そうか」

 通話ボタンを押して話しながら去っていくシロノを、老人と少年二人は見送った。しかしネテロとしては、おそらく念が使えるようになって長いシロノが一人混ざっているよりは、この二人のみを相手にするほうが色々と楽だ。

「で、ネテロさん、勝てたら何?」

「ああ」

 話を本題に戻したゴンに、ネテロは言った。

「……ハンターの資格をやろう」

 

 

 

 

 

 

 その頃、メンチ、ブハラ、サトツの試験官三人は少し遅めの夕食、というよりも夜食に近い食事を取っていた。二人はさすが美食ハンター、よく食べる。

 そしてメンチが今年は何人くらい残るだろうか、という話題をふり、今年は新人たちがいい、という意見で一致した。

 

「あたしは45番のちっちゃい女の子がいいと思うわ! いい子だし料理できるし! あと294番もいいと思うのよねー、ハゲだけど」

(唯一スシ知ってたしね……)

「私は断然99番ですな、彼はいい」

「あいつきっとワガママでナマイキよ。絶対B型! 一緒に住めないわ!」

 ブハラが「そーゆー問題じゃ……」と一応小声で突っ込むものの、メンチは聞いてはいない。そして彼にも意見を求めた。

「そうだねー、新人じゃないけど気になったのが、やっぱ44番……かな」

 始終ずっと殺気を放っていたというブハラに、メンチとサトツも、ヒソカの危なさについて同意する。

 

「……そういえば、先程メンチさんがイチオシした45番ですが」

 ひとしきりヒソカのことについて話した後、サトツが言い出した。

「44番と知り合いのようですね」

「ウソォ!?」

 メンチが素っ頓狂な大声を上げた。ブハラも驚きに目を見開き、口を開けっ放しにしている。

「嘘じゃありませんよ、手を繋いで会場に来ましたし……ホラ、その証拠に番号が一番違いでしょう」

「あ、そういえば……。でもどーゆー知り合いよ!? 全く想像つかないんだけど!?」

「さあ、それは私にもなんとも……。しかしそれだけでなく、協会で応募カードの確認をしたとき、最も話題を呼んだ応募者の一人でしたからね、彼女は」

「……あ、もしかして、あの子の親に関係ある?」

 神妙な顔でコーヒーを啜りつつ、メンチが言った。

「おや、知ってましたか?」

「ううん、知らない。でもアタシが「あの子美食ハンターになんないかなあ」って言った時、会長が「親が許さんじゃろ」って言ったから。会長がああいうこと言うんなら有名人なんじゃないの?」

「ああ、なるほど」

「ま、あのコ本人からは「家事を全くしない、あろうことかリビングのゴミバコに生ゴミを捨てる困ったパパ」っていう情報しか受けてないけど」

「……生ゴミ……」

 いつもポーカーフェイスなサトツがやや戸惑ったような表情を見せたので、メンチは驚いた。

 

「どしたの、サトツさん」

「いえ……私の抱いていたイメージとあまりにかけ離れていたものですから……」

「は? 結局誰なのよ、シロノちゃんの父親って。あの歳で念が使えるまでのスパルタ教育してる親は」

 本人から話聞く限り、仲は良さそうだったけど……と首を傾げるメンチに、サトツはゆっくりと言った。

「……本当に父親かどうかはわかりません。ただ、保護者承諾の所に名前と連絡先が」

「だから、誰よ」

「お二人とも知ってますかねえ。賞金首ハンターなら誰でも知ってる超有名人ですが」

 サトツはブラックコーヒーの上に渦巻くミルクを眺めて、言った。

 

「クロロ・ルシルフルですよ」

 

 

 

 



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No.006/爪切りの行方、闇の二人道中

 

 

 

「パパ? どしたの」

《……爪切りはどこだ》

 

 わざわざ電話をかけてきて何かと思えば、開口一番、クロロがムスっとした口調で言ったのはそれだった。今現在「あの!? 幻影旅団の!? マジで!?」とメンチとブハラに泡を吹かせているA級賞金首の首領とは思えない、生活臭漂うひとことである。

「爪切り? いつも使ってる赤いの? あれなら腕時計置いてるとこにあるでしょ」

《……あそこか……!》

 途端、何かが崩れる音がして、シロノはいやな予感のまま、目元を顰めた。

「……パパ、もしかして爪切りのせいで今部屋の中ぐちゃぐちゃになって」

《ちょっと散らかってるだけだ》

「うそだ」

 シロノは即答した。

 

「もー! 片付けなくていいからね!」

《何だその言い草は。俺だって片付けぐらい出来る》

「いや無理。パパが片付けるとよけい散らかる! っていうかめんどくさくなって全部捨てるでしょパパは!」

 以前はモノどころか家具ごと全部捨てられて、シロノはかなり唖然とした。

 しかしそれでもまだいいほうで、シロノと暮らす以前は“散らかり放題散らかってどうしようもなくなったらそのまま引っ越す・もしくは壊す”という信じられない生活をしていたらしい。

 “団長”として居るときはカリスマの権化のようなクロロであるが、こうして一旦生活の場となるとまるでダメなのである。流星街出身ということを差し引いても酷い。

 まず生活の基本がわかっていない。片付けが極端に出来ないのもそうだが、掃除機をかけることの意味を説明するのに小一時間もかかったということは記しておかねばなるまい。本を読み耽って食事を取らない風呂に入らないなんて事はザラだし、三日ほどパクノダと出掛けて戻ってきたとき、三日前と全く同じポーズで本を読み耽っていたクロロには、シロノも正直少し引いた。

 

 ホームは流星街とその外との境目にあるし、クロロ達が生まれ育った流星街がどういう所かシロノも知っている。彼らは「壊す」ということは得意だが、総じて「捨てる」ということがとても不得意だった。壊したら壊しっぱなしで、放置。こんな風だから、彼らは最初から廃墟同然の何もない所に住むことが多かったのであるが。

 しかし、流星街出身と言えど、シャルナークは精密機器と始終接しているためホコリや煙草の煙にそれなりに気を使っているし、カタナだの拷問具だのをきちんと手入れしているノブナガやフェイタンは、片付け魔でもないが散らかすという事もそうない。パクノダとマチは、シロノが来てから何となく以前に増して綺麗好きになった気がする。他の者はまず最初から物を多く持つ事をしない。

 そんな中で、クロロの家事能力のなさは、比べ物にならない位ぶっちぎりで群を抜いていた。他の者たちと違って、本だの盗んだ宝物類などやたらに持ち物が多いくせに、整理整頓という言葉は空の彼方にぶっ飛んでカオスと化し、しかも他人が触ると不機嫌になる、という質の悪さである。

 

「明日になったらいつものハウスクリーニングの人呼んでね。ていうかやっぱりホームキーパー雇おうよ! 別にそっちはホームじゃないからやばいものもないでしょ!?」

《お前が居るのにわざわざ他人を部屋に入れる必要もないだろう》

 ──ダメだ、この人完全にあたしを家政婦だと思ってる。

 シロノはそう確信して溜め息をついた。そしてハンター証を取ったらハンターとして個人で仕事ができるから、それで稼いだお金で家事代行サービスを週一で呼べればかなり負担は軽くなるんじゃなかろうか、と夢想した。一応十歳だというのに、主婦そのものの生活感溢れる夢想である。

 携帯に向かって「お願いだから何もしないでね!」とシロノが言うと、クロロはいかにも渋々というように黙った。

 

「……あたしが試験受けてる間に部屋がダメになることは覚悟してたけど……」

 シロノが家事を覚えてからというもの、クロロの生活水準が以前とは比べ物にならないぐらい上がってまともになった、というのは、他の団員たちのお墨付きである。以前はウィークリーでもないのに一週間そこらでダメになっていた部屋も、今のマンションは既に二ヶ月は使っている。ゴミ屋敷になったから、ではなく“飽きたから気分転換”というまともな理由で新しい部屋を見つけて引っ越すようになったのは、間違いなくシロノの功績だ。

 しかしこのハンター試験でシロノが留守にしたことで、久々にゴミ屋敷を理由に引っ越すことになるかもしれない、とシロノは小さく溜め息をついた。

 

「ごはんちゃんと食べてる? お風呂ちゃんと入ってね、あと」

《お前は俺をなんだと思ってるんだ》

「パパ」

 そう、クロロ・ルシルフルだ。世界で一番家事能力のない男。

 一般人から見ると娘に家事を丸投げして働きもしていないニートに見える為、ご近所の方たちから「あの方何してらっしゃる方なのかしら」と言われまくっていることを彼は知っているのだろうか。

《……試験は》

 しかし、こうしてたまに思い出したように保護者らしいことを言わないわけでもない。

「試験? 楽しいよ! 今飛行船で移動してるとこで、明日の朝から第三次試験。十二歳の男の子が二人居る!」

《やはりお前が最年少か》

 クロロは何故か満足げな声で言った。

《シャルナークが協会のデータを見たんだが、ヒソカが居るそうだな》

「あー、うん。なんかうろうろしてたかと思うと時々脈絡もなく興奮して殺しまくってる」

《相変わらず発情期の熊より手に負えない男だな。あまり近寄るなよ、お前も一応美味そうと思われてるんだからな》

「“親子揃って美味しそうだよね君たち”ってすんごいきもい顔で言われたもんね!」

《思い出させるな。ヒソカに関しては危機感は忘れずに実際の記憶は逐一消去しろ、精神衛生を健康に保つ為に》

「が……ガッテン」

 正直な所、そんな器用なことできるか、とシロノは思ったが、やけに真剣なクロロに、毎週観ている国営放送で用いられる例の返事を返しておいた。

 

 ヒソカは時々言葉に言い表せないほど気持ち悪いことになる、ということはシロノも同意見だが、シロノはヒソカのことが嫌いではない。むしろ普段は面白い人だと思っている。というのも、彼が殺す人々の中にシロノが殺すべきでないだろうと思った人間が居たことは一度もないし、そして彼が気に入る人間はシロノも気に入ることが多いのだ。──そう、今回のゴンやキルアたち然り。気が合う、というのとはやや違うが、しかし彼と自分に何か共通したものがあることを、シロノは自覚している。

 そして、クロロのことを美味しそうだと思うのは、シロノも同じだった。……言ったことはないけれど。

 

「じゃ、あたしシャワー浴びて寝るよ。パパもお風呂入ってちゃんと寝てね。おやすみなさい」

《ああ、……おやすみ》

 ピ、とボタンを押して電話を切ると、シロノはシャワールームへ向かった。パクノダからの「女の子なんだから常に清潔にしなさい」という言いつけを守る為に。

 

 

 

 

 

 

「シロノ、わざわざ起こしにきてくれてありがと!」

「んーん。でもびっくりした、ほんとにそのまま寝てるんだもん」

「限度ってもんを知らねーよな、ゴンは」

 飛行船の食堂で朝食をとりながら、最年少三人組はそんな会話を交わしていた。

 起きてから、そういえばゴンとキルアはネテロと何をしていたのだろう、とふと気になったシロノは、彼らが向かったというトレーニングルームに行ってみた。

 汗臭さがまだ残るそこには、毛布をかけられたゴンが大の字になって、実に気持ちが良さそうな顔で寝入っていたのだった。あまりに気持ち良さそうに寝ているので起こすのを躊躇ったのだが、しかしこのままだと朝食をとる時間がなくなるし、見れば汗でベタベタなのでシャワーぐらい浴びたほうがいい。そう思ったシロノはゴンを起こしてシャワー室の場所を教え、こうしてキルアも一緒に朝食をとっている。

「ふーん、そんなゲームしてたんだ。あたしもちょっとやりたかったな」

 昨夜二人がネテロとやったというボール奪取ゲームの話を聞き、シロノはやや残念そうにパンをちぎった。

 

「おや、お早う三人とも」

「おっはよー、チビさんたち」

 そして声をかけてきたのは、話題になっていたネテロ、そしてメンチである。

「おはよう!」

「おはよーございます」

「……ども」

 それぞれ挨拶をする子供たちに、ネテロはうんうんと頷き、メンチは笑みを浮かべた。

 

「あ、シロノちゃんこれ。レシピよ」

 メンチは、数枚の紙の束をシロノに渡した。シロノはぱっと表情を輝かせて、両手でそれを受け取る。

「わあ、早い! すごーい、ありがとうございます!」

「わかんないことがあれば聞いて。これあたしの携帯番号だから」

「あ! じゃああたしの携帯の番号も教えるね!」

「おいおい、試験官と受験生が個人的にコネ持っていいのかよ」

「いーでしょ、あたしの試験もう終わったもーん。料理仲間を増やして何が悪いのよ」

 キルアの突っ込みにメンチは間延びした口調でそう言い、シロノのショートボブの銀髪の頭を撫でた。

 

「そういえば、昨夜の電話は誰からじゃったのかな?」

「あ、うん、パパ」

 ネテロのさりげない質問に、シロノはさらりと答えた。メンチの表情が一瞬ぴくりと引きつる。

「ほー、やはり娘がハンター試験を受けるのは心配かの」

「んーん、超くだらない用事。なんか爪切り見つかんなくてどこにあるんだって」

「爪切り……」

 メンチが、呆れたように乾いた笑いを浮かべる。ネテロは興味深そうな表情で、更に続けた。

「ふむ、家の中のことはシロノが全部やっとるらしいの?」

「うんそうだよ、パパはゴミ捨てすらしないもん。あー、あとヒーちゃんは発情期の熊より手に負えないから出来るだけ近寄るなって釘刺されたよ」

「発情期の熊って……」

「いや、これ以上ない的確なアドバイスだろソレ」

 ゴンが呆れ、キルアが頷きながら納得する。

 そして九時半を回った頃、飛行船に、到着を知らせるアナウンスが響いた。

 

 

 

++++++++++++++++++++++++++++

 

 

 

 受験生たちが降ろされたのは、見事なほどに何もない、『トリックタワー』という塔の上だった。しかし完全に円柱型をしており窓らしいものも何もないそれは、どちらかといえば巨大な柱のように見える建造物だった。

 

「生きて下まで降りてくること。制限時間は七十二時間」

 

 メッセンジャーはそう言い、飛行船に乗ってさっさと飛び立ってしまった。

 外壁は窓や扉、足場になりそうなものは何もない。空気は薄く、覗き込めば下には雲が漂っている。それでも外壁を伝って降りようとした自称・一流ロッククライマーの男が怪鳥に狙い撃ちにされてしまったところで、受験生たちは、おそらくここにあるのだろう隠し扉を探し始めた。

 

「あ」

 

 足下に違和感を感じ、シロノはそこが隠し扉であることに気付いた。そして早速乗ってみる──が、

「動かない……」

 どうやら一定の体重がないと自動的に下には降りれないらしい。

 シロノは膝を曲げると飛び上がり、ダン! と扉の上に落ちるようにしてそれを開け、中に入った。

「やっと来た」

 

 着地した部屋の中には、既に先客が居た。

 

「あ、こんにちは」

「……コンニチハ」

 真っ黒で長い髪をした、どこか猫を思わせる雰囲気のその青年は、棒読みのような口調でそう言った。

 しかし、シロノは首を傾げる。シロノは試験が始まる直前、パイプの上から受験生を眺めていた。シロノの頭はお世辞にもあまり良くないが、『子蜘蛛』として用事を任される以上人の顔を覚えるのは苦手ではないし、強そうな受験生は番号と顔を一致させて覚えているはずだ。しかしこの青年は、かなりの実力者だろうに、シロノが見たこともない顔をしている。一瞬試験官だろうかと思ったが、受験番号がついたプレートを胸に付けているので、受験生であることは確かだ。そしてそのナンバーは、301番。

「あれえ? 301番って顔が釘だらけのモヒカンの人じゃなかったっけ」

「……他の受験生の顔なんかよく覚えてるね」

 青年は呆れているのか感心しているのか、しかし棒読みとこのポーカーフェイスは、ヒソカ以上に表情が読みにくかった。

「うん、それ俺。変装してたんだ、こっちが素」

 あれ結構疲れるし、他人の目もしばらくないから外したんだ、と青年は言った。なぜ変装なんかしてるのかとシロノは一応聞いてみたが、「ちょっとね」と返されただけで、会話は終了した。

 

 ──ガコン!

 

 その時、いきなり明かりが全て消え、真っ暗になる。

《──ここは暗闇の道だ》

 アナウンスが響いた。

《君たち二人には、この暗闇の道を、障害物を避けながら進んでもらう。光源が一切ないので目が慣れることはない》

「ふーん」

 青年が、興味のなさそうな相槌を打つ。

《なお途中で道が分かれている場合もあるが、二人が揃っていないとゴールは出来ないので、はぐれぬように注意すること。では健闘を祈る》

「……だってさ」

「はあ」

 シロノもまた、気の抜けた相槌を打った。そもそも暗闇といってもシロノにはあまり意味がないので、かなり拍子抜けだったのだ。

 

「……というか、あたし普通に見えるんだけどな」

「え、そうなの?」

 青年が、僅かに驚いた声を出す。シロノには、彼が少しだけ目を見開いたこともちゃんと見えていた。

「ただ暗いだけならオレもすぐ見えるようになるんだけど、まったく光源ないならさすがに無理だなー。ていうか人体の構造的にあり得なくない? 見えるって。目に赤外線照射装置つきの暗視スコープでも埋め込んでんの?」

「裸眼だよ。特技なの」

 そう、シロノはどんな暗闇でも、はっきりとものを見ることが出来る。

 日光過敏症故に夜中の訓練を行なううちに自然に身に付いた特技だったが、それにしては鮮明すぎる視界を確保することが出来た。色までは正確に見ることは出来ないが、その視界は彩度がかなり落ちたような世界に似ている。明かりがあるときと比べて支障がある所は全くなかった。この特技を買われて、シロノは夜間の尾行に重宝されているのだ。

 

「……まあ、見えなくても敵と君の位置ぐらいわかるからいいんだけどさ、オレも。まあいいや。じゃあ行くよ」

「はーい、よろしくおねがいしまーす」

「うん、よろしく」

 シロノは、見えないとはまるで思えない歩調でスタスタ歩いていく青年の後を追った。

 

 

 

「君さあ」

「んー? あ、そこ死体ある」

「おっと」

 最初に入った広い部屋で、暗視スコープを付けて襲い掛かってくる死刑囚たちをばったばったと倒しながら、二人は暢気な口調で会話を始めた。

「いくつ? 年」

「十歳」

「ふーん、うちの末っ子と同い年か。実力も同じ位だね」

「へー」

「念使えるだろ? ていうかさっきから“円”と、この……何だろ、この拷問具みたいな武器。これ“周”してるし」

「うん。あたしあんまり力ないし、“周”しとけばいっぱい振り回せるから」

「結構いい武器だね」

「使いやすいよ。あ、当たりそうになってない?」

「当たったら厄介な武器だけど、“周”してるし“隠”で隠してもないからね。オレの“円”に入ればすぐわかるし、避けるのはなんて事ないよ」

「えー、それはそれでショック」

「あのね、オレ、君より強いよ? かなり」

「それはわかってるけどー」

 窓際でダベるようなダラダラしたテンションの会話だが、対して囚人たちは既に血眼である。全く見えないはず──シロノははっきり見えているのだが──の受験生が、暗視スコープを付けた自分たちを瞬殺していくという信じられない状況に、彼らはかなり焦っていた。

 

「あれ、もう終わり?」

 四時間ほどかけてざっと三十人位を倒し、誰も襲い掛かって来なくなったことに青年が気付くと、シロノは「もう全部死んでるよ。この部屋は終わりみたい」とあっさり言った。

「これさあ、ホントはこう、暗闇の中で警戒する俺たちに死刑囚たちがちくちく攻撃してきて精神的疲労を煽るって感じなんじゃないの? 光源ナシの暗闇でずっと居ると精神おかしくなるって言うしさ」

「え、そうなの? なんで?」

 シロノは暗い所が好きだ。日光過敏症で日の光が苦手だというのもあるが、それにしても、夜や暗い所がとても落ち着く。だから暗い所に居て精神に支障をきたす、という意味がよく分からなかった。

「なんでって……。暗所恐怖症とかもいるでしょ」

「あ、そっか」

「俺も訓練してるから平気だけど、君が居るおかげで色々ラクだね。あ、そういえばさあ、君、名前ナニ?」

「あたし、シロノ」

「シロノね。オレ、イルミ」

 そして二人は廊下を通り、次の部屋に辿り着く。

 

 ゴゴゴ、と扉が開くと、シロノが「あ、迷路っぽいよ」とすぐさま言った。

「迷路?」

「うん、あとあからさまな罠がいっぱい。見えないと思って隠してないんだね。ていうかすぐ前、鉄球が天井にブラブラぶら下がってるんだけど」

「うわー、間抜けな光景」

 イルミの言う通り、全てが見えているシロノにとっては、罠が剥き出しの迷路は確かにかなり間抜けだった。

「でも人間相手ならともかく、無機物の仕掛けならちょっとオレには面倒だな」

「あ、そっか。殺気もオーラもないもんね」

 実はさっきの部屋で倒した死刑囚たちの暗視スコープを奪おうともしたのだが、ロックされている上、無理矢理剥がしても機械が壊れただけだったので諦めたのだ。

「悪いけど、罠の場所言ってくれる?」

「いいよー。でもあそこの壁にも槍が見えてるし、罠自体はかなり単純みたい。罠の前で罠だよって言うから、そこからせーのでいけば簡単だよ」

「ほんとに間抜けだなあ」

 そして早速、天井でブラブラしている鉄球をシロノの武器で落とし、その上を乗り越えるというかなり間抜けな方法で、彼らはまず一つめの罠をクリアした。

 

「ねえ」

「なに?」

 鉄球を乗り越えたとき、イルミに呼ばれてシロノは振り返った。

「キミさあ、ときどきオーラが“絶”になるでしょ。あれ何? 癖?」

「あー……。うん、癖」

「“纏”もかなり最小限なのに、ちょっと居場所わかりにくくてイライラするんだけど」

「あー、ごめんなさい」

 シロノは素直に謝った。イルミは、……それこそ旅団レベルでかなり強いが、一緒に居ないと課題をクリア出来ないパートナーがはっきりどこにいるのかわからないというのは、彼の言う通りイライラすることだろう。

「闘ってる時はオーラ出てるからわかるんだけどさ」

「うーん、でも、癖だからねー。手でも繋ぐ?」

 シロノがあっけらかんと言った。イルミは暗闇の中でも相変わらずのポーカーフェイスだったが、少し黙った後、「……まあいいよ、別に」と言って手を差し出した。シロノはその手を取り、さらに前に歩き出す。男だけあって大きな手は意外に温く、あの無表情な顔とはややギャップがあった。

 

「あ、イルミさん、罠だよストップ」

「ハイハイ。あ、さんとか別にいらないから」

 そしてシロノの「せーの」のかけ声で、二人は槍が左右の壁からビュンビュン飛び出てくる廊下を駆け抜ける。

 毎度こんな調子で、彼らは迷路を彷徨った。罠の前でシロノが注意を促し立ち止まり、せーので二人して駆け抜けるだけ、それに迷路のほうも課題の中で重要な所らしく、ただてくてく歩くだけ、というところもけっこうある。手を繋いで片手が塞がっていても、さほど問題はなかった。

「……見えないとそこそこのルートなんだろうけど、……なんか拍子抜けだなあ」

 イルミがぼんやりした口調で言ったそのとき、シロノが「あれー?」と、やや大きな声を出した。

「どしたの」

「ここさっきも通ったよ。なんかほら、水が流れてくるとこだもん」

「あー、なんかあるのかと思ったらただビックリさせるだけみたいなやつ?」

「そうそう。もー、罠は何でもないけど迷路がめんどくさいなー」

「罠のほうがメインだと思ってたら、迷路も造り込んでるよね。シロノ、こういうの苦手?」

「苦手! パズルとかクロスワードとかいじわるクイズとかも苦手! 算数もキライ!」

「ふーん」

 イルミは少し首を傾げると、言った。

 

「じゃあ、これからオレが道覚えたげるよ」

「え?」

「シロノが罠担当。オレが道担当。で、どう?」

 シロノにとっては異論など何もない。というか、この複雑な道を覚えられるというイルミを素直に凄いと思った。シロノも道を覚えたり地図を見たりするのはものすごく苦手なわけではないが、こんな単調な外観の迷路ではさすがに頭がこんがらがってくる。そもそもシロノは頭を使うことが大嫌いだった。

「うん、いいよ! ありがとーイルミちゃん」

「……イルミちゃん」

 年上や目上の人間にはとりあえずさん付け、という習慣があるシロノであるが、同じ操作系のマイペース同士だからなのか、シロノはイルミに対して警戒心とか、距離を取ろうとする気がやや薄かった。イルミは確かに“さん”はつけなくていいとは言ったが、しかし生まれて初めて“ちゃん”などという接尾辞を付けられて呼ばれ、少し唖然としているようだった。

 

「どしたの? 行こうよイルミちゃん」

「……いや、いいけどね別に」

 からかわれているのかと思ったが、シロノに他意は全くないらしい、と判断したイルミは、そのままその呼称で呼ばれることを受け入れた。妙な感じはするが、別に不快なわけではない。

 

「入ってからそろそろ七時間ぐらいだよ。もうクリアした人居るかなあ」

「いるんじゃない? 課題の内容にもよるけど」

 あの奇術師とか、と、イルミは心の中で呟いた。

「そっか。頑張って出ようね」

「頑張らなくてもそのうち出れるよ、このぶんなら」

 そして手を繋いだ二人は、暗闇の迷路をてくてくと歩いていくのだった。

 

 

 



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No.007/森の中

 

 

 

《45番、301番、三次試験通過第二号! 所要時間八時間三分!》

 

 あれから約一時間、イルミの記憶力のおかげで迷路をクリアした二人は、トリックタワー一階に辿り着いた。

「わーい、終わったー」

 つないだ手をブンブン振られながら、イルミは少し明かりに目を細めつつ「お疲れ」とシロノに返した。

 

「やあ、お疲れさま。君たち、一緒のルートだったんだね♣」

 広い空間にポツンと座って二人を出迎えたのは、トランプタワーを作って暇を潰しているヒソカだった。

「あ、やっぱりヒーちゃんが一番?」

「うん、君たちが来るまで二時間くらいだったけど、かなり暇だったよ♦」

 ヒソカはトランプタワーを崩すと、器用に一瞬で一束に纏めた。

「……ヒソカとシロノ、知り合いなの?」

「シロノは蜘蛛の子だよ♥」

「え、ホント?」

 既に明かりに慣れたのか、イルミはぱっちり開いた目でシロノを見た。

 

「そうだよ、あたし蜘蛛。ナンバーないけど」

「あ、聞いたことある。子蜘蛛?」

「そう。あ、ヒーちゃんとイルミちゃんは友達なの?」

「友達じゃない」

 イルミはものすごい早さで即答した。

「友達じゃないから」

「二度も言わなくたっていいじゃないか♦」

 酷いなあ、とヒソカは台詞と合っていない笑みで言った。

「……仕事の得意先ってだけだよ。ていうか暗殺者に友達なんかいらないし」

「ふーん、そうなの? あたしも友達いないよ」

「ところで君たち、なんで手繋いでるんだい?」

 ヒソカが首を傾げ、言われて手を離した二人は、暗闇の道というルートを越えてきたのだ、と簡単に説明した。

 

「ふうん。ところでいいのかいイルミ、顔晒してて♥ 」

「いいよ別に。シロノ一人に知られても別に困らないし。……あー、でも他の受験生が来る前に“ギタラクル”に戻しとこうかな」

「ギタラクル?」

 シロノがちょんと首を傾げた。

「言ったでしょ、変装してるって。というわけで、これから先はイルミじゃなくてギタラクルって呼んでね」

「うん、わかっ………………わあ!」

 イルミが突然自分の顔に針をブスブスと深く刺し始め、シロノはさすがに驚いて声を上げる。だが針を刺すごとに、イルミの顔がものすごい音を立ててと変形していき、最後にはシロノが301番と記憶していたあの顔になった。

「うわー! すごーい、全然違う顔! 面白ーい!」

「……シロノって、ほんと変わってるよね」

「うーん、どちらにも賛成♥」

 その後たっぷり余った時間を、三人は雑談したりトランプをしたり、しまいにはしりとりや古今東西までして潰した。

 そして残り時間一分、という時にゴンとキルアとクラピカ、そして三十秒、という時にレオリオと、試験前に薬入りジュースを配り歩いていた男が無事ゴールした。

 

《タイムアップ! 第三次試験、通過人数二十五人! 内一人死亡!》

 

 アナウンスが流れ、外に続く扉が開かれる。疲労の濃い者薄い者それぞれだが、受験生たちはゾロゾロと外に出るべく歩き出した。

 

 

 

++++++++++++++++++++++++++++

 

 

 

 そして、第四次試験の内容が発表された。

 緊張感漂う雰囲気の中、受験生たちはそれぞれクジを引かされ、そして皆自分のナンバープレートをしまい込む。

 ゼビル島に向かう船の中、誰が自分の獲物でそして自分は誰の獲物なのか、とピリピリした空気が充満する最中、甲板の縁でに座り込み、シロノはぼんやりと海と空を眺めていた。

(うーん、難易度ちょっと高めかなー……)

 シロノは自分がひいたターゲットを思い浮かべつつ、どうやってプレートをゲットしようか、と色々と考え始めた。

 

「シロノ!」

 

 その時、三次試験で色々あったのだろう、かなり汚れた姿の二人が、シロノのほうに走り寄ってくる。

「シロノもプレート付けっ放しだね」

「だってあたしたち目立ってるでしょ、今さら隠してもね」

「ま、そうだよな」

 シロノはヒソカと知り合いで一番違いということや第二次試験で最も目立ってしまったこともあり、今さら隠しても無意味だろう、と、プレートは胸元にそのままにしておいている。見ると、ゴンとキルアも胸のプレートはそのままだった。

「にしてもギリギリだったねー、三次試験。なに、16番のおじさんに足引っぱられたの?」

「よくわかるなー。ま、それだけでもねえんだけど」

「シロノは何時間くらいでクリアしたの?」

 ゴンが尋ね、シロノは記憶を掘り起こした。

「えーと、八時間三分。ヒーちゃんの次」

「……早!」

 二人が驚愕の表情を浮かべる。

「あたしに有利なルートだったからね。パートナーの人も強かったし。それよりクリアしてから暇で暇でしょうがなかったよ」

「そりゃ、丸三日残ったら暇だよね」

「なー、シロノのターゲットって誰?」

 キルアが暢気な声で言った。船の上の空気がぴりりと震える。しかしシロノもまたあっさりと、「二人じゃないよ」と返した。

「そっちは?」

「ん? じゃあせーので見せっこしようぜ」

「いいよ。せーの、」

 ばっ、と、三人は一応周囲に見えないようにしながら、引いたカードを取り出した。

 

「うわー、ゴン運悪いねー」

「あはは」

「キルアは運いいね。楽勝でしょ」

「え、お前これ誰だかわかんの?」

 シロノは試験が始まる前、上から実力のありそうな受験生をチェックしていた。キルアのターゲットはその中には含まれていなかったが、そっくりな顔が三人並んでいてインパクトがあったので覚えていたのである。しかし三人のうち誰がキルアのターゲットかまでは、シロノにもわからなかった。

「充分充分、あれなら三人まとめて狩れるって! サンキューな。でもシロノもいまいちクジ運ねえな、ゴンほどじゃないけど」

「あの人かー。強そうだよね」

「んー、でも頑張れば大丈夫だよ!」

 明るく言ったシロノに、ゴンが呆気にとられたような顔をしている。キルアも訝しげな表情を浮かべている。

「なに、お前強いの? そりゃ気配の消し方とか身のこなしはかなりのレベルだと思うけど」

「んー……。強………………くはないと思うけど……」

「……なんでそんな悩みながらなの?」

「うーん、いつも周りが強すぎるから、自分の実力がどのぐらいなのかいまいちわかんないんだよね、あたし」

 でもまあとにかく頑張るよ! とシロノはやはり能天気に明るく言った。

 

 

 

 二時間が過ぎて船はゼビル島に到着し、受験生たちが立ち上がる。第三次試験の通過時間が早い者順で下船して島に入り、時間差で二十四人全員が船から降りる、という説明がアナウンスされた。

(あ、なんだ。それなら結構楽勝かも)

 シロノとイルミは同時ゴールであるが、シロノのほうが番号が若いので、ヒソカの次の二番目の下船者だ。既にターゲットが誰なのかわかっているシロノにとって、それはかなり有利なことだ。

《滞在期間はちょうど一週間! その間に6点分のプレートを集めて、またこの場所に戻ってきて下さい》

 それでは一番の方スタート! という威勢のいい声が響き、ヒソカが一番最初に船に降りる。そして二分後、《二番スタート!》という声で船を降りたシロノに、全員がざわついた。まさかヒソカの次に最年少のシロノが到着していたとは、誰も思わなかったのだろう。

 

(……このへんでいいかな)

 シロノは森に入って少し歩くと極限までの“絶”を行ない、入り口付近まで引き返した。

 クロロたちに言わせると、シロノの総合的能力は、下の上、といったところだ。しかしこの“絶”だけは、物心ついた時から寝ていても“絶”ができていただけあって、旅団の誰よりも上手いのである。クロロたちですら、本気でオーラを絶ったシロノを見つけることは至難の技だ。おそらく念も知らない彼がシロノの気配に気付くのは、ほぼあり得ない可能性だった。

 シロノとイルミに一時間ほど遅れてゴールした彼は、シロノが森に入ってからきっちり四分後に船を降りた。

 念能力者でもない割にはかなり高い身体能力ですぐさま木の上に駆け上がった彼を確認し、シロノもすぐ後ろの木の上に飛び上がる。彼とシロノの距離は余裕を持っての約五メートル、シロノの武器が届く最大範囲だ。シロノの“絶”ならば、ここまで近付いても気付かれることはない。実際彼は全くシロノの存在に気付いていないが、おそらく彼もこの後森に入ってくる自分のターゲットを待ち伏せしているのだろう、ぴりぴりと神経を尖らせている。もし直前で避けられた時のことを考えて、シロノはもう少し様子を見ることにした。

 そして、彼が動いた。彼がキルアと同じターゲット集団を追い始めた事にシロノは少し驚いたが、五メートルの距離を保ったまま、シロノはぴったりと彼の後ろに着いている。

 そして彼がターゲットの実力の低さを見極めて、一瞬気を抜いたその時だった。

 

「──な!?」

「294番の忍者のお兄さん、プレートちょうだい」

 

 突然上から降ってきて、肩車のような姿勢で自分の上に乗ったシロノに、ハンゾーは心底驚き、目を見開いた。

 そして実力者だけあり、ハンゾーはシロノの細い脚が子供とは思えない力でもってがっちりと自分の首を絞める体勢に入っていること、また嫌でも口を開くようにハンゾーの鼻をつまみ、そしてもう片方の手を伸ばし、小さいがかなりの切れ味があるだろうナイフを心臓に当てていることを直ぐさま理解した。手は空いているが、首と心臓、二カ所の急所を同時に取られてはまさに手を出すことは出来ない。

「ふくっそ……!」

「プレートどこ? 服の中? あ、まさか飲んでないよね」

 息をする為に口を開けつつもだんまりになったハンゾーに、シロノは「まあ、簡単には言わないよね」と溜め息をつき、ハンゾーの鼻を離した。

「誰がやるか!」

「んじゃ刺すか折るかだよ?」

「ぐ……」

「でもこのまま首折ると血吐いちゃってブーツ汚れるし、心臓刺してもすっごい血が出て服汚れるからあたしもイヤなんだよね」

 

 ──本当の理由は、“美味しそう”だから、なんだけど。

 

 シロノはその言葉を飲み込みながら、ハンゾーの上で交渉を続けた。

「ねー、プレートちょうだい。そしたら殺さないよ」

「~~~~ふざけんな!」

「しょーがないなあ」

 暢気な声とともに、じゃら、と音がした。

「じゃあ拷問ね」

 ハンゾーは、シロノが自分の顔の前にぶら下げたその音の正体を見て、顔を引きつらせた。

 ハンゾーの顔の前でじゃらじゃらと音を立てているのは、細かい刃物がサメの歯のようにビッシリとついた、チェーンソーの鎖。そしてそのチェーンの先についているのは、“返し”方向にぎざぎざの刃が並んだブレードである。

 それが、拷問具を改造し組み合わせて作ったかなりマニアックな代物であることを、ハンゾーは持てる知識を総動員して理解した。

 

「こっ……このクソガキ! 自分がやられて嫌なことは他人にやるなって親に教えられなかったのか!?」

「えー」

 えげつない獲物を前にし、自分のことは棚に上げて喚き散らすハンゾーに、シロノはクロロから教わったことを思い出した。

「んーとね、“自分が他人にやられて嫌だと思うことは”」

「そうそう」

「“とても効果的だということだから、折をみて的確に他人へ利用しろ”って、パパが」

「そんな人道と真逆のベクトルに向かった教育聞いたことねーよ!」

 どこの外道だお前の親父! と叫びながら、ハンゾーは目の前でじゃらじゃらと音を立てるものから必死で顔を逸らした。

「……っは! そう簡単に取られてたまるっ……かあッ!」

「うわ!?」

 ボン! と音がして、ハンゾーの身体から真っ白い煙が一気に吹き出した。その煙が粘膜に染みる催涙系だということに気付いて目を閉じるには、シロノはハンゾーに密着しすぎていた。会話はこれをする為の時間稼ぎだったのか、と、たまらずにとうとうハンゾーから飛び退いたシロノに、ハンゾーはにやりと笑う。

「けほっ」

「わはははは! ゲホゲホッ、クソガキめ、恐れ入っ……ゲホ!」

「けほっ……。やー、目ぇいたーい、けほ、何これ? オナラ?」

「アホかどんだけ染みる屁こくんだよオレは! ……ゲホッ、……特製催涙煙玉だゲホッ!」

 しかしハンゾーとしてもやむを得ずの手段だったのだろう、おそらく敵に投げつけて使うはずのそれを身につけたまま爆発させたので、ハンゾー自身も催涙煙玉の被害を受けて、しきりにゲホゲホ咳き込みながら涙をボロボロ零している。

 

「ゲホッ、じゃあな外道小娘! いい線行ってたぜ、あばよ!」

「あー!」

 バッ!と飛び上がって逃げようとしたハンゾーを、シロノも慌てて追う。

「けほっ……待てー!」

「うお!?」

 全速力で木の枝の上を走っているはずが、小さな人影がぐんぐん近付いて来るのを見て、ハンゾーは涙でグズグズの目を驚愕に見開いた。

「んも~~~~、待ってって……っ、言ってるでしょー!」

 

 ──ズギャギャギャギャギャギャギャ!

 

 そう言ってシロノが思い切り投げた獲物が、まるで巨大なチェーンソーで思いきり斬りつけたように、周囲の木へ乱暴な傷を作る。多分ハンゾーに投げようとしたのが、催涙煙玉のせいでコントロールが狂ったのだろう。

「じょ、冗談じゃねーぞ! なんちゅう凶悪なエモノ持ってんだこのガキ!」

 ぞっと青ざめたハンゾーは、かなり死にものぐるいで木の中を走った。しかし四、五歳から旅団メンバーと障害物だらけの廃墟で全力疾走の鬼ごっこをほぼ毎日繰り返してきたシロノは、かなり肉薄してそのスピードについてくる。ハンゾーは以前観た、チェーンソーを持った殺人鬼に追いかけられる映画に迷い込んだような気になってきた。

「待──て──!」

「ぎゃあああああ!」

 

 ──ズギャン!

 

 今度は脇腹スレスレを通った改造拷問具に、ハンゾーは本気の悲鳴を上げた。命中精度が上がっている。催涙煙玉の効果が薄れてきていることの証拠を確認し、ハンゾーは冷や汗を流した。

 

「──チィッ!」

 ダン! と正面にあった木を思い切り蹴り、ハンゾーは木のしなりを利用して、追いかけてくるシロノの頭上を飛んだ。シロノの催涙症状が治まらないうちに方向転換の動作で撹乱、だめでも距離を持とうとした動きだと理解したシロノは、同じように木を蹴ろうとした。──しかし、

「……わあ!?」

 ハンゾーが思い切り木を蹴ったことに驚いて飛び出してきたのだろうか、つぶらな瞳の小さなリスが、シロノが蹴ろうとしていたまさにその場所にぺったりと張り付いている。

 ──シロノは動物が好きである。

 

「ふぎゃ──!」

 

 リスを避けようとして体勢を崩したシロノは、バキバキバキバキ! と密集した木の枝の中に勢いよく突っ込んでしまった。そして折れた小枝で擦り傷を沢山作りながらも、なんとか地面に着地する。リスは!? と地面を見渡せば、シロノの足首くらいの太さの枝の下敷きになっているリスがきゅうきゅう鳴いている。

「あ──!」

 シロノは慌てて枝を退けるが、リスはどこか痛めたのか、弱々しくじたばたしながらきゅうきゅう鳴いている。シロノはおろおろしつつも、ハッと慌てて辺りを見渡した。

「……あ──!」

 ハンゾーは、影も形も居なくなっていた。

 

 

 

「──ん?」

 

 自分のターゲットが誰なのかわからず、とりあえず手当り次第にと森を歩いていたレオリオは、バキバキという木が折れる音を聞きつけ、くるりと周囲を見渡した。誰か戦闘でもしていたのだろうか、しかしとにかく何か情報が欲しい、と思ったレオリオは、ナイフを片手に警戒しつつ、音がしたほうにそろそろと近付いて行った。

「……あ? シロノじゃねーか」

 レオリオは、ナイフを下ろして警戒を解いた。折れた木の枝が散乱する場所で座り込んでいるのは、身体に葉っぱを沢山付けたシロノだった。

 

「あ! レオリオ!」

「何やってんだお前? ……はっ! まさかお前のターゲット……!」

「違うよ、あたしのターゲット忍者のお兄さんだもん」

 シロノはいやにあっさりと言った上に、そんなことよりも膝の上にある何かのほうが気がかりらしい。すぐにレオリオから目を逸らし、何やらおろおろとしている。その様子に言っていることは本当だろうと判断したレオリオは、息をついてシロノに近寄った。

「忍者ね、そりゃまた強そうなのに当たったもんだ。……で、何やってんだ?」

「……あ~~~~……」

 シロノは情けない声を出してレオリオを見上げた。表情もかなりショボンとして情けない子供にレオリオは内心吹き出しそうになったが、シロノの小さな膝の上に居る、これまた小さな動物に気付く。

「ん? リス? ……あー、こりゃ脚折ってんな」

「ええええええ、うそー、ごめん~~~」

「はー? お前がやったのかよ」

 レオリオは呆れたような声を発した。しかしリスに向かって「ごめんね~~~」と繰り返すシロノに、レオリオは息をついて「貸してみろ」と言った。

 その声にきょとんとして振り向いたシロノの顔が間抜けだったので、レオリオは今度こそ小さく吹き出した。

 

 

 

 



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No.008/医者の卵と思わぬ味方

 

 

 

「はーん、忍者と格闘しててねー。でもよ、そいつに狙ってることバレちまったんだろ? こんなチビ助けてそんなヘマするなんてアホだねお前も」

「だってー」

 リスの骨折はあまり深刻なものではなかった。レオリオは自分の小指より細いリスの脚にマッチ棒で添え木を当てて、細く切った包帯を薄く巻く。するとリスは先程よりも楽になったのかぎこちない様子で体勢を整え、不思議そうな顔をしていた。

 シロノは、かなり手際のいいレオリオの手元を、口を開けっ放しにして見つめている。

 

「ん、よし。こんなもんだろ」

「すごい! レオリオってもしかしてお医者さん?」

「医者志望、な。あと動物じゃなくて人間相手の。ほら、お前もキズ見せろ」

「え?」

 一瞬言われた意味が分からず、シロノはリスそっくりの驚いたような表情を浮かべた。

「お前もスリキズまみれじゃねーか。それにその脚、けっこーばっくりいってんぞ?」

 レオリオに言われて、シロノは自分の脚を見た。そしてそこには言われた通り、ちょうどリスが骨折したのと似たような場所に、ざっくり切れて血が溢れる傷がある。折れた木の枝でやったのかと思ったが、綺麗に切れている所を見ると、どうやら体勢を崩した時、自分の獲物の刃がかすったらしい。自分の武器でケガするなんて間抜けだなあ、とシロノは溜め息をついた。

「……あー、こりゃちょっと縫ったほうがいいな。ミネラルウォーターあるか?」

 シロノは頷いて、白い棺桶の中から、飛行船の中の自販機で買ったミネラルウォーターのペットボトルを出してレオリオに渡した。

 そしてそれからのレオリオの手際は、本物の医者と変わらないほどに素早く的確だった。傷を縫うのも、まさかマチほどとは言わないが手早く縫い目も綺麗だし、何より「痛い」と思う絶妙の所で声をかけたり注意をそらしたりして痛みを誤摩化してくれるのだ。しかもそれがかなり自然で、一度予防接種に連れて行かれた先の、腕はいいらしいがかなり乱暴な闇医者と比べると、その差は天と地ほどもあった。

 

「ほい、終わり」

 包帯を巻き終わると、レオリオは道具を片付けて、ダイヤ柄のアタッシェケースを閉めた。

「ガッチリ巻いて固定したし、骨に近い所だから脚動かしてもさほど問題ねー。綺麗に切れてたから、清潔にさえしとけば痕も残らないと思うぜ」

「ありがとう!」

 シロノは笑顔で礼を言い、脚に綺麗に巻かれた白い包帯をしげしげと眺めた。

「すごいねー、もう本物のお医者さんとそう変わりないんじゃない?」

「いやいやいや、そんなことねーよ」

「えー、でも普通の人はこんな風に出来ないよ」

「そりゃアレだ、オレらはお前の作ったメシをプロ級だと思ったけど、お前にしてみりゃお母さんレベルだって言ってたろ? あれと同じだって」

「ふーん?」

 そんなもんかな、とシロノは首を傾げた。

「でもよかったねー、治るって。ケガさせてごめんね」

 逃げずにシロノの傍らに居るリスにそう言うと、リスは先程よりも元気そうな声で、きゅう、と鳴いた。お揃いの場所に包帯を巻いた、警戒心を薄めた野生の小動物と子供を見ているとレオリオの心も和んだし、弱きを救いたいという強い志がある彼にとって、その光景はとても満たされるものだった。

 彼はひとり満足げに深く笑むと、ポケットからくじの番号札を取り出す。

 

「シロノ、これオレのターゲットなんだけどよ、どんな奴か知らねえか?」

「んー……?」

 レオリオが差し出したのは、246番。シロノは覚えている限りの記憶を引っぱり出した。

「え~っと……確かじゃないけど、多分女の人だよ」

「ホントか!?」

「あたし、試験始まる前に高い所に座ってたでしょ?」

「あー、そういや……」

「どんな人が来てるんだろうと思って眺めてたんだけど、女の人少なかったからちょっと覚えてるんだよね」

 しかしあまり強そうではなかった上、シロノにも気付かないまま他の大柄な受験生たちに紛れてしまった小柄な246番は、帽子を被っていたこともあり、顔や身なりまではきちんと確認できなかった。

「だから女の人っていうのも確かじゃないんだけど……でも背はゴンとキルアよりちょっと高いぐらい? あと金髪なのは確かだよ。……ごめんね、あんまり参考にならなくて」

「んなことねーよ! 全く情報なかったからな。しかしおかげで希望が見えてきたぜ」

 レオリオはにかっ、と笑うと、鞄を持って立ち上がった。

「んじゃ、オレはそいつらしき奴を探しつつ情報収集ってとこかな。お前はどーすんだ? 忍者にはシロノが自分を狙ってるってのバレちまったんだろ?」

 適当に他の奴のプレート三枚狩るのか?とレオリオに聞かれ、シロノは「う~ん」と顔を顰め、首をひねりながら呻いた。

「……悔しいから、リベンジしてあの人のプレートゲットしたいんだけど」

「お前も大概負けず嫌いだなー。でも、無理すんなよ」

「うん、ありがとう。レオリオも頑張ってね!」

「おう! じゃあまたな」

 手を振るレオリオに、シロノも手を振り返した。

 

 そして片足を使わない走り方を早くも編み出したリスが「きゅ」と小さく鳴いて走り去ったあと、シロノも「よし」と気合を入れて立ち上がった。

 

 ──第四次試験は、まだ始まったばかりだ。

 

 

 

++++++++++++++++++++++++++++

 

 

 

(う~ん、どうしようかなー)

 

 夜が開けて、翌日。

 綺麗な水のある池を見つけたシロノは、半分土に埋めて葉っぱを被せた棺桶の中で得意の『“絶”をしながら眠る』という完璧な方法でもって休息を取り、起きて顔を洗いつつ、どうやったらハンゾーのプレートを取ろうかと考え込んでいた。

 ハンゾーは、シロノが思っていたよりもずっと厄介なターゲットだった。相手の力量を正確に見極めきれていなかった失態を悔しがっても、もう後の祭りである。

「気配感じさせずに近づける……っていうのがバレたからなあ……」

 あの男のことだ、今度は誰かしらが近付いたら反応するトラップのようなものを張り巡らせているに違いない。あの催涙の煙玉といい、彼はシロノが全く知らない道具を使う。特殊な罠を張られたら、もしかしたら引っかかってしまうかもしれない。そもそもあの機動力を持ったハンゾーをこの広い森の中から見つけるだけでも至難の技だ。

 しかしヒソカのプレートに挑戦しているゴンやキルアに「取れる」と宣言した手前、ここでハンゾーのプレートを諦めるのはどうしてもしたくなかった。

「ううう、どうしよどうしよ、でも絶対取りたいー……!」

 その時、ピリッ、とした殺気を感じ、シロノは池の淵から飛び退いた。

 

「……よく気付いたな」

「………………誰?」

 

 シロノが居た場所には、拳法着のような服を着た短い髪の青年が居た。しかしシロノは、本気で彼のことが記憶にない。……つまり、大したことがない相手だ。

「子供から奪うのは気が引けるが、諦めてくれ」

「あたしがお兄さんのターゲット?」

 無言は肯定だった。見た目通りに拳法使いらしい青年は立ち上がって構えを取ると、ノーガードできょとんとしているシロノと対峙した。

「……ハッ!」

 なかなか綺麗な踏み込みだったが、捕えようとした小さな身体は、青年の目の前から一瞬にして掻き消えていた。驚愕に目を見開く青年だが、既に飛び上がって宙返りをしたシロノは、青年の背後に着地する直前、空中で彼の首に思い切り手刀を食らわせた。

 

「かっ……」

 

 ぐるん、と白目を剥いてあっさり昏倒した青年の傍らにしゃがみ、シロノは彼のポケットを探った。34番と書かれたプレートを見て、シロノは小さく息をつく。

「ん~~~、一応貰っとこっと。一点にしかなんないけど……」

「……ならば私に貰えぬかな」

 ざっ、と草むらから現れたのは、どっしりと大柄で貫禄のある、壮年の男だった。髪を高い所で一つに結って立派な髭のある様はどこかネテロに似たようなところがあるが、ネテロのように剽軽そうなところはなく、真面目で厳しそうな雰囲気を持っていた。こちらも何らかの流派の格闘技を使うのだろうか、それらしい服装をしている。

 

「あ、おじさん、191番の人だ」

「うん? 知っていたのか。そうだ、ボドロという」

「ボドロさん。いつからそこにいたの? 殺気がないから気付かなかったよ」

「つい先程からだ。いや、私は子供と闘う術は持たぬ」

 だから殺気など発しないさ、とボドロは言った。

「その男は私のターゲットだ」

「あ、そうなの?」

「うむ。やっと見つけたと思ったら君を狙っている所だった。君も受験生であるので手出し無用とはわかっているが、もし命に関わるようであれば手助けしようと思って見ていたのだが……不要だったようだな。実に見事な一撃だった」

「そう? ありがとうございます」

 いかにも武道家らしい、武士道精神のようなものを重んじるのだろうボドロは、丁寧に礼を言ったシロノに、感心したように「うむ」と頷いた。

 

「そこで相談なのだが……」

 ボドロはポケットを探った。本当に殺気が全くないので、シロノも警戒しない。

「これだ」

 ボドロが差し出したのは、197番のプレートだった。そしてそれはキルアのターゲット、あの三兄弟グループのプレートだ、とシロノは気付く。

「それどうしたの?」

「それがな……実はこれは私が直接手に入れたものではない。突然空から振ってきたのだ」

 ボドロによると、34番の男を探して森を探索していると、何故か突然このプレートが上から落ちてきたのだという。

「へー、へんなの」

「どこかでアクシデントがあったのだろうな。一応拾っておいたのだが、実力で手に入れたものではないし、その34番のプレートがあれば私は6点溜まるから、そうなればこのプレートは不要だ」

「うん」

 シロノは頷いた。

「君がその34番のプレートを持っていても、一点にしかならんだろう? だからこのプレートと君が今持っている34番のプレートを交換して欲しいのだが……」

「いいよ」

「かなり虫のいい話だということはわかっているが……………………うん?」

 ボドロは目を見開いた。

「……今、いいと言ったか?」

「うん。だって番号が違うだけで、あたしにはどっちも一点だもん」

「そうだが……」

「あたし、こんなとこで意地はってケンカするほど大人げなくないよ。パパなんか、あたしの名前書いてるのに冷蔵庫のプリン食べちゃうけど」

「………………そうか」

 呆気にとられながらも、ボドロは34番と197番のプレートをシロノと交換した。

 

「これでボドロさんは上がりだね」

「……ああ、お陰様でな。……しかし交換してもらった後で何だが……本当にいいのか?」

「なにが?」

 きょとん、として首を傾げるシロノに、ボドロは少し遠慮がちに言った。

「いや、だから……。君が私と私の持つ197番のプレートの二枚を奪えば、34番のプレートとあわせて君は六点になるだろう?」

「……んん?」

 シロノは首をひねって考え込む。

 ぴいひょろろ、と鳥の声が間抜けに響いたその時、シロノはハッと目を見開いた。

「……あ! そっか!」

「うーむ、やはり気付いていなかったのか」

 えらくあっさり交換に応じてくれたので驚いたのだが……、と言うボドロに、シロノは目も口も真ん丸にした。

「私は子供と闘うことは出来ぬので、ゴネられたら諦めて他から三枚狩ろうと思っていた。……正直かなり助かったがな、私としては」

「そっか……あーホントだ、そうすれば六点だ。気付かなかったな~」

「悪いが、交換してしまった後だ。取引には応じられないぞ」

「あ、ううん、別にいらない。交換しちゃったんだし、あたしも自分のターゲット狩るから」

 あっさりそう言ったシロノに、ボドロは驚いて片眉を上げた。だがすぐに初めて目を細めて笑んだかと思うと、満足そうにうんうんと頷く。

 

「まだ小さいのにいい心がけだ。偉いな」

「えっと、ありがとうございます」

「うむ、挨拶もできている。礼儀正しいのは本当によいことだ。最近は礼儀のなっとらん若者が多くていかん」

 まるで先生と生徒のような会話である。……というのも、聞けば、彼は小さな道場の師範をやっているらしい。師範としての貫禄を付ける為、そして自らの力量を試すためということで、このハンター試験に参加したそうだ。

「んっとね、挨拶とお礼とごめんなさいは絶対にちゃんとしなさいってママが言うの」

「素晴らしいお母上だ。その礼の心を忘れずに鍛錬するとよい」

 ハンゾーにはクロロの教育方針をボロクソに言われたが、今度はボドロにアケミの教育を手放しで褒められた。しかし、シロノとしても、ハンゾーの評価に反論する気は余りない。クロロが外道なのは紛れもない事実だ。

 

「でもどうやって狩ろうか迷ってるの」

「ん? ターゲットが誰かわかっているのか?」

「うん。294番の忍者のお兄さん」

「彼か、なかなか強者だな……。その傷を見る限り、もしや既に一度?」

 シロノは頷き、今までの経緯を話した。ボドロは顔を顰め、「既に狙っていることがバレたのは手痛いな……」と唸りながら、髭を玩んだ。

 

「……待てよ? 忍者の青年は、三兄弟の誰かのプレートがターゲットなのだな?」

「そうだよ。ぴったり尾行けてたもん」

「ではこの197のプレートが彼のターゲット、ということもあり得るのではないか?」

 三分の一の確率ではあるが……とボドロは言い、シロノは「あ」と言って手を打った。

 

「そうだ、キルア!」

「キルア? あの銀髪の少年か、99番の」

「うん、そう。キルアのターゲットは199番だよ! 見せっこしたもん」

「ほほう、では忍者青年のターゲットは197、198番のどちらかということになるな。確率が五分に上がったぞ。……もし当たりなら、交渉材料としては充分だ」

 シロノの表情がパーッと明るくなったのを見て、ボドロも思わず微笑んだ。

「しかし、何よりまず彼を見つけなくてはならないな」

 そう言ってボドロは立ち上がる。

「二手に分かれたほうがよかろう。見つけた時の連絡はどうするか……」

「……手伝ってくれるの?」

 シロノがきょとんとして見上げると、ボドロは笑った。

 

「なに、私にばかり都合のいい持ちかけに快く応じてもらったからな。礼はきちんとせねばいかん、と君のお母上も言っているのだろう?」

 

 

 

 



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No.009/面談

 

 

 

 ──ジリリリリリリリリリリ!

 

「な、何だ!?」

 

 試験最終日、六日目の朝。

 けたたましいベルの音に、ハンゾーは驚いて辺りを見回した。

「……これ、一次試験のマラソンの時の開始ベルの音……か?」

 六点分のプレートを集め終わっていた彼だが、シロノ対策に自分の周囲十数メートルの範囲に誰かが侵入してきたら知らせる仕掛けを張り巡らし、警戒しながら後僅かの試験時間を潰していたのだが、この音はどういうことだ、と、高い木の上で寝そべらせていた身体を起こした。

「終了の音じゃねーよな、まだ一日ある……。何だ?」

 忍びたる者、怪しいものは残らず調べておかねばなるまい。そう考えた彼は、身軽な動きで木から降りると、警戒しながら音のするほうへ向かい、そして立ち止まった。

 カラン、と、ハンゾーが仕掛けた鳴子が、目の前で音を立てたからだ。

「ふむ、やっと出てきおったか」

「……何やってんだ? アンタ」

 足に引っかかった鳴子の綱を外しながら立っていたのは、ベル音を発する奇妙なマスコットを片手に持つボドロだった。

「……それ、サトツとかいう試験官が持ってたベルだろ?」

「左様。……ではさっそくだが」

 熟練して練られたような殺気に、ハンゾーが構えた。

 

「参る!」

「チッ!」

 

 地面が震えるような重い踏み込みによる突きを、ハンゾーが舌打ちしながら避ける。

「ケッ、プレートゲットできなくて最後の悪あがきか?!」

「そんな所だ」

「冗談じゃねえ、苦労して集めたってのによ!」

「ほう」

 ドン! と音がして、ボドロが再度突きを繰り出した。ハンゾーは高く跳んでそれを避け、空中で回し蹴りを放つ。しかしボドロも間一髪でそれを避ける。そして互いに間合いを見極めようと、移動しながら睨み合う。細かい攻撃を双方繰り出しながら、ハンゾーは言った。

「ったく、終了間際にベルの音で撹乱させて、寄ってきた受験生を狩るってか」

「ああ、その通り。……しかし」

「くっ!」

 一気に間合いを詰められ、ハンゾーは思わず飛び退る。しかし、ボドロが攻撃して来ることはなかった。にやりと笑う彼はハンゾーではなく、その後ろを見ている。

「……おびき出したかったのは、君一人だ」

 じゃら、という背後の音に、ハンゾーが顔色を変える。彼のすぐ後ろでは、極限の“絶”でもって近付いてきていたシロノが、ハンゾーに武器を向けていた。

 

「つっかまーえたっ!」

「しまっ……!」

 

 振り返ったその時、ハンゾーのみぞおちに、ボドロの重い一撃が入った。

 

 

 

「プレートちょーだいっ」

「くっそ──! あっ、あだだだ!」

 

 後ろ手に縛られて座禅を組まされ、さらに刃物まみれのチェーンソ-の鎖を緩く巻き付けられたハンゾーは、身動きする度に浅く刺さる刃物に声を上げた。しかも背後にはシロノが立ち、でかい刃物を背中に突きつけている。

 ちなみにシロノの腰には、あのベルのマスコットがぶら下げられている。一目見てこれが気に入ったシロノは、実は二次試験の前にサトツから譲ってもらっていたのだ。

 

「ハンゾーといったな。君のターゲットはもしや197番ではないか?」

「は? 違うね。オレのターゲットは──」

「とぼけるな」

 ハンゾーの前に仁王立ちになったボドロが言う。

「君が尾行していた199,198,197の受験生だが、この三人はいつもまとまって行動している。そしてそのうちの199番はキルアという少年のターゲットだ。ということは、君のターゲットは198,197のどちらかということになる」

「だったら何だってんだ?」

「重要な所なのだ。君が自分のプレートと、三点プレート一枚を持っているのか、それとも一点プレートを三枚持っているのか」

「はあ……?」

 わけがわからん、とハンゾーは口元と眉を歪めた。

「そして先程君は“苦労して集めた”と言った。自分のターゲットのプレートを一枚のみ狩ったなら、“集めた”という言葉は使わないはずだ。ということは君は自分のターゲットを狩ることが出来ず、一点のプレートを三枚“集めた”、そういうことだろう」

 ボドロの言葉にハンゾーは黙り込み、そしてやがて口を開いた。

「……だから何なんだ? オレのターゲットが誰であるか、何枚プレートを所持しているのかなんて、このチビがオレのプレートを狩ることには何の関係もないはずだ」

「いいや、ある。シロノ」

「はーい」

 シロノは、ポケットからプレートを出して放った。丸いプレートが、シロノの小さな手からボドロの大きな手へと移る。そしてボドロは、手の中のプレートをハンゾーに見せた。

 

「197番。これが君のターゲットのプレートだろう?」

「な……!」

 ハンゾーは、目を見開いてプレートを見つめた。偽物ではない、ということを言われずとも確かめさせる為、ボドロは目の前でプレートをくるくると回してみせる。

「今さら隠しても意味がなかろう。これが君のターゲットだ、違うか?」

「……ああ、それは確かにオレのターゲットだ。くそっ、アンタが拾ってたのか!」

 キルアがブン投げた二つのプレート、そのうちの一つが197番、そしてハンゾーが間違えて取ってしまった198番だった。散々探したが見つからず、ハンゾーは死にものぐるいで三点分のプレートを狩ったのである。

「ああ。だが私はシロノのおかげで自分のターゲットを狩ることが出来たのでな。これはシロノに譲ったから、シロノのものだ。そこで相談だが」

 まさか、とハンゾーは眉を顰めた。

「このプレートは君にとって三点。そして君のプレートはシロノにとって三点。どうだろう、君の294のプレートと、この197のプレートを交換してはくれまいか? そうすれば二人とも六点集まって合格できる」

 ボドロは穏やかに言ったが、ハンゾーは据わった目をして数秒黙った。そしてふいっと顔を明後日の方向に逸らし、「断る」ときっぱりと口にした。そんな彼に、シロノが顔を顰める。

 

「なんで──!? 誰も損しないのに! すっごいいい条件でしょ!?」

「はんっ、苦労して守ったプレート、そう簡単に渡してたまるか! 197プレートなんかいらねーな、オレは自分のプレート三点と一点プレート三枚で合格する」

 意地悪な顔をして絶対に目を合わさないハンゾーに、シロノは乳歯から生え変わって日が浅い白い前歯をイーと剥き出し、地団駄を踏んだ。

「大人げない! さいてー!」

「何とでも言え! お前みたいな凶悪なガキは落ちたほうが世の為だ!」

「なにそれ、ひどーい!」

「なんという事を言うかこのこわっぱ──!」

 ものすごい音量のボドロの怒鳴り声が、ハンゾーとシロノの耳にキーンと響いた。

 

「二次試験の時といい、なんと態度の悪い若造だ!」

「何だとオッサン! アンタにそんな事言われる筋合いはねえな!」

「年長のものには礼を尽くさぬか、たわけ!」

 ゴーン! とものすごい音を立てて、ハンゾーの脳天にボドロの鉄拳が垂直落下した。

「い、いいいいいってええ! 何すんだこのオッサン!」

「なっとらん、本当に礼儀がなっとらん!」

「何だとォ!?」

「いいか、私たちは……いやシロノは貴様を殺してプレートを奪うことも出来るのだぞ!? そこをわざわざ貴様も合格できるようにという条件で交渉を持ちかけているというのに、なんだその態度は!」

「そうだそうだ! このハゲチャビン!」

「誰がハゲチャビンだこのクソガキ! これは剃ってんだ! クリリンと同じだ!」

 背後で野次を飛ばすシロノにハンゾーが振り返るが、チェーンの無数の刃物がちくちくと身体を刺し、「あだだだだ!」と再度声を上げた。

 

「まったく、こんなに幼くともきちんと他人に礼を尽くすことを知っている出来た子もいるというのに……貴様、二十歳そこそこであろう? 恥を知れ! 恥を!」

「うるせ──よ! 二人掛かりで人をとっちめる奴らに礼どころかクソも尽くすか!」

「…………爪剥いじゃおうかな」

「なんか後ろのチビ不穏なこと言ってんだけど!?」

 薄いグレーの目を細め、シロノが口を三角にして前歯を見せながらぼそりと呟いた言葉に、ハンゾーがぎょっと目を見開いた。

「オイコラオッサン! 礼儀正しい良い子はこんな拷問具みてーなエモノぶん回したり爪剥ぐとか気軽に口に出すのかよ!?」

「頭だけじゃなくて指もハゲにしちゃうから」

「ハゲじゃね──ッつってんだろうがァアアア!」

 喚き散らすハンゾーに、ボドロは青筋を立てながら溜め息をついた。

 

「シロノは自分に得のない取引でも快く応じたぞ? 年長者として相応しい態度をとったらどうだ」

「うるせー、テメーの価値観押し付けんな! アンタの言い草は故郷の頑固親父どもを思い出して無性にムカつくんだよ!」

「ほほう、家でも手に負えん悪ガキか。その方達もさぞ苦労なさっておられるのだろう」

「あ──なんでこんなとこでしかも他人からこんなこと言われなきゃなんねーんだ……。マジでムカつく。死ね。ほんと死ねもうマジで」

「やっぱ爪剥ごうよボドロさん」

「うむ、私も片手ぐらい良いかもという気になってきた」

 イー、の顔のままのシロノが言うと、ボドロは更に目を据わらせてそう答えた。

「はァン? こちとら拷問に耐える訓練くらいしてきてるんだ。どうせ終了時間まであとちょっとしかねーっつの、それまで爪でも何でも好きにしろや。オレは何としてでも自分のプレートで合格するからな」

 深夜のコンビニに集まる若者よろしく、かなり不貞腐れた表情とバカにしきった口調でダラダラ話し始めたハンゾーに、シロノとボドロもかなりキていた。

 

「こんなん言ってるよボドロさん。ふんだ、じゃあこないだフェイ兄が新しく編み出した超痛い爪の剥ぎ方やっちゃうから」

「お前の兄貴何!? 拷問マニア!? サディストの星!?」

 その通りだったが、シロノは黙って爪を剥ぐ指を選別し始めた。

「お前の親父の教育方針といい、お前んちぜってーおかしいから! 親の顔が見てーよ!」

「人様の親御さんを悪く言うなバカ者!」

「痛ッてええええ!」

 ボドロの鉄拳が、更にハンゾーの脳天に落ちる。

 

 その後さらにやり取りがあり、しかし結局ハンゾーのボディチェックをしてプレートを見つけ出し、「最初からこうすればよかった」と思いつつも、シロノは自分とハンゾーのプレートで六点となった。

 

 シロノは最後まで197番のプレートを燃してしまおうかどうか迷ったが、結局ハンゾーにプレートを渡すことにした。

「あたしはハンゾーと違って大人げないことしないもんね」

「んだとコラ」

「ハンゾーは~、大人なシロノちゃんのおかげで~三次試験を合格しました~、フフーン」

「があああああ! 歌うなムカつく! ムカつくこのチビ!」

 試験終了のアナウンスが響いた後も、集合場所で小競り合いを続けるハンゾーとシロノを、他の合格者たちが不思議そうに見つめている。

 

 ともかくこうして四次試験が終了し、シロノは無事に十人の合格者の中に入り、最終試験の受験資格を手に入れたのだった。

 

 

 

++++++++++++++++++++++++++++

 

 

 

 再度、移動の為に飛行船──である。

《えー、これより会長が面談を行ないます》

 番号を呼ばれた方は二階の第一応接室までお越し下さい──そんなアナウンスがあり、六日間の汚れを落とす為にシャワーを浴びたシロノはスピーカーを見上げた。

 

《──受験番号44番の方。44番の方おこし下さい》

 

 

 

 座布団の上で胡座をかいたヒソカに一つ目の質問をし終えたネテロは、続けて二番目の質問へ移った。ヒソカは一拍間を開けたあと、静かに言った。

「99番♥」

 405番も捨て難いけど、一番は彼だね、とヒソカは珍しく率直な声で言う。

「いつか手合わせ願いたいなァ♦」

「ふむ、両方とも今回の参加者の中で最も若い受験者じゃの。最年少の少女についてはノーコメントかの?」

「ああ、シロノね♥」

 ヒソカは、にこりと笑った。

「そうだねえ、注目しているかと聞かれれば大いに注目しているけれど、さっきの二人とは違う意味で、だからね。だから挙げなかった♦」

「ほう?」

「手合わせしてみたくないわけじゃないんだけど、まあ実際には手合わせ以上は無理だろうし♣」

「というと?」

「知人の子なんだよ、彼女。大怪我させたら怒られちゃう♠」

 ああ、でもそれもまたいいかなァ……という考えがフっとヒソカの頭を過ったが、あまり得策ではないと思い直し、表情を元に戻した。それに、彼とてクロロと闘いたいようにシロノと闘いたいという欲求はないし、どちらかというと彼女に死んでは欲しくない。しかしそれは青い果実だからという意味でもなかった。

 

 ──ヒーちゃんが美味しそうっていう人がね、あたしもわかるの

 

 

 特異だと自分でも認めている他者への感覚を、おそらくほとんど同じ目線で持っているらしいあの少女のことを、彼は気にかけている。闘いたいかそうでないかという意味以外で、初めて。それは彼にとって、興奮はしないけれど、何かドキドキするような感覚だった。見たことのないものが現れようとしているのではないか、そんな感覚。

「くっくっく♥」

 身体を揺らして酷く面白そうに笑うヒソカを、ネテロは眠そうな目で見た。

「ふむ……では最後の質問じゃ。九人の中で今一番闘いたくないのは?」

「……それは、405番……だね♣」

 シロノと99番もそうだが…………と、ヒソカは珍しく口角を上げずにやや真剣な顔つきになると、顎に指先を当てた。

「今はまだ闘いたくない……という意味では、405番が一番かな♦ ……ちなみに今一番闘ってみたいのは、あんたなんだけどね♠」

 そう言ってからヒソカは、凶悪に笑んだ。殺気が部屋に充満する。

 

「うむ、ご苦労じゃった。さがってよいぞよ」

 

 しかしあっさりと躱され、ヒソカのぶつけた殺気は虚しくネテロをすり抜けた。ヒソカは思わず殺気を消し、仕方なく立ち上がって部屋を出る。

(……くえないジイサンだな♠)

 まるで隙だらけで毒気抜かれちゃったよ、と、ヒソカは肩すかしを食らった気分で廊下を歩き出した。

 

 

 

《受験番号45番の方。45番の方おこし下さい》

 

「しつれいしまーす」

「おお、来たの。まあ座んなさい」

「はーい」

 マチやノブナガからこういった文化をちらほら知っているシロノは、ブーツを脱いで座敷に上がる。しかし足を怪我しているので正座は出来ず、足をまっすぐに投げ出して、いかにも子供らしく座布団の上に座った。

「参考までにちょっと質問させてもらおうと思っての。ちーとだけワシとお喋りしとくれ」

「うん、いいよ」

 シロノはこくりと頷いた。

 

「ではまず、なぜハンターになりたいのかな?」

「うーんとね、あると便利だよってお兄ちゃんの一人が言って、パパがそれに賛成したから」

「ふむ、ではハンターになりたいというよりはハンター証が欲しいという所じゃな?」

「あ、うん、そう。だめ?」

「構わんよ。ハンター証の使い方は人それぞれじゃからの」

「そっか。あ、あとね、試験は色々勉強になるから行って来い、っていうのもあるよ」

「ふむふむ、なるほど」

 ハンター試験責任者であるネテロは、納得したように頷く。確かに受験者たち全員が、この試験を受けて何らかの形で成長したり得るものがあったりしているはずだろう。ただし、世間一般の親が、死亡率五割を軽く超えるハンター試験に「勉強になるから」という理由で我が子を送り出すかどうかは別にして。

「では、自分以外の九人の中で、一番注目しているのは?」

「うーん……99番と405番、403番!」

 笑顔でのわりと即答の答えに、ネテロは「ほー」と相槌を打つ。

「理由は?」

「んと、キルアは歳近いし、なんか好き」

「ほほーう」

 年頃の少女なら違う意味だったのかもしれない。いや、シロノの歳でそうであっても不思議はないのだが、シロノのそれは、本当に言葉以外の意味は含まれていない純粋なものなのだろう、とネテロは感じ取り、「他は?」と先を促した。

「レオリオは絶対いいお医者さんになると思うし、ゴンはね、なんかゴンがハンターにならないほうが想像できない感じがするから」

 注目している、というよりは合格して欲しい、と思っている人物を挙げたシロノだったが、ネテロは興味深そうな顔で頷いた。

 

「……では、九人の中で今一番闘いたくないのは誰かな?」

「403番」

 これにもシロノは即答だった。

「なぜかな?」

「だって、レオリオは闘う人じゃないから。そういう人ってあたし、闘いにくいの」

 ネテロは、じっと正面からシロノを見た。しかしシロノの薄いグレーの目は、誰もが思わず怯むネテロの目線をも透かしてしまうほどの透明度を持っていて、シロノ自身も何も変わらない笑顔のまま、ネテロを見返している。ネテロは手元の紙に何やら書き込んでから、表情を再びふっと和らげた。

「ふむふむ、わかった。ご苦労さん、行ってよいぞ」

「はーい、しつれいしましたー」

 シロノは包帯を巻いた脚を庇いつつ、ブーツを履き直して部屋を出て行った。

「……ふむ、ああいう子供が育つか。面白いもんじゃのー」

 

 

 

《──受験番号53番の方。53番の方おこし下さい》

 

「注目してるのは404番だな。見る限り一番バランスがいい」

「44番とは闘いたくないな。正直戦闘では敵わないだろう」

 

 

 

《──受験番号99番の方。99番の方おこし下さい》

 

「ゴンだね。あ、405番のさ、同い年だし。……あと、45番? どんな戦い方するのか気になるし」

「53番かな、闘ってもあんまし面白そうじゃないし」

 

 

 

《──受験番号191番の方。191番の方おこし下さい》

 

「44番だな、嫌でも目につく」

「405番と99番、45番だ。子供と闘うなど考えられぬ」

 

 

 

《──受験番号301番の方。301番の方おこし下さい》

 

「99番」

「44番」

 

 

 

《──受験番号405番の方。405番の方おこし下さい》

 

「44番のヒソカが一番気になってる、色々あって」

「う~~~~ん、99・403・404番の三人は選べないや。……シロノ? ……うん、何でだろうね、ちょっと闘ってみたい気がするんだ。女の子で歳下なのにさ、ヘンかなァ」

 

 

 

《──受験番号294番の方。294番の方おこし下さい》

 

「44番だな、こいつがとにかく一番ヤバイしな。……あとは45番。……ったく、どんな育て方したらああいうガキが育つんだ?」

「もちろん44番だ」

 

 

 

《──受験番号404番の方。404番の方おこし下さい》

 

「いい意味で405番、悪い意味で44番」

「理由があれば誰とでも闘うし、なければ誰とも争いたくはない」

 

 

 

《──受験番号403番の方。403番の方おこし下さい》

 

「405番だな。恩もあるし、合格して欲しいと思うぜ」

「そんなわけで405番とは闘いたくねーな。……ああ、45番もできればカンベンだ」

 

 

 



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No.010/Deletion memory.

 

 

 

「レオリオ、シロノがどこに居るか知らないか?」

「あー……」

 面談を終わらせたクラピカが、ベンチで長身を横たわらせて休んでいたレオリオに尋ねると、彼はどこか疲れたような顔をして、ロビーの隅を指差した。

「寝てる」

 

 クラピカは、絶句して立ち尽くした。

 

 ロビーの隅に置いてある白い小さめの棺桶が、どうしようもなく異様に目立っている。そしてその異様さのせいか、棺桶の周りには人が居ない。

「……本当にあれで寝ているのか」

「らしいな」

 気が知れねえぜ、とレオリオは呆れた口調で言って、顔の上に上着を被せて再び寝る体勢に入った。

 一番最初に呼ばれたシロノは、暇を持て余し、棺桶の中に入ってずっと眠っているらしい。そもそもシロノは普段、昼間寝て夜起きる生活を送っている。だからこの試験中、実はいつもどこか眠いのである。

 クラピカはやや戸惑いつつも、コンコン、と控えめに蓋をノックした。すると内側から、小さなうめき声とともに、ガチャリと鍵が開けられる音がした。内側から鍵が開けられる棺桶、と思うとますますシュールで、クラピカは改めて微妙な気分になる。

「ん~……、クラピカ? なーに?」

「起こしてしまってすまない」

 眩しそうな顔をして棺桶の中から身を起こし、目を擦っているシロノに、クラピカは申し訳なさそうな苦笑を浮かべて言った。

「だが今を逃すと話せないかもと思ってね。……ここは人目が多いから、場所を移しても?」

「うー、ん? ふぁ、うん、いいよ」

 シロノは寝ぼけ眼の上に寝癖が着いたまま、棺桶から出て、今度は外側についている方の鍵を閉めた。

 

 

 

 クラピカは、空と雲がよく見える飛行船の窓際にあるベンチにシロノを案内し、自分の隣に座らせた。ずるずると棺桶を引っぱってきたシロノは、素直にそれに従う。

 

「クラピカ、面談終わったの?」

「ああ」

「そっか。なんか色々聞かれたよね。何するのかなあ」

「……シロノ」

「なーに」

 窓から差し込む光の眩しさを避けるのも兼ねて、シロノは、隣に座るクラピカを見上げた。

 顔立ちが女性的で華奢なイメージのあるクラピカだったが、どうやらそれはよく隣に居るレオリオやほかの参加者たちがかなり大柄なせいもあったようだ。シロノが小さいせいもあるが、すぐ隣に座られると、おそらく身長百七十センチはあるだろうことがよくわかる。

 クラピカは、真剣な顔でシロノを見つめている。シロノは不思議そうな表情で首を傾げた。

「……シロノは、十歳だと言っていたな?」

「うん、そうだよ。そのくらい」

「“そのくらい”?」

 自分の年齢を説明するには不似合いなその表現にクラピカが反応すると、シロノは「うーん」と言いながら、くるりと視線を漂わせた。

「あたし、誕生日とかわかんないし、あと他にも色々あって……。んーと、年月計算して多分これより下はあり得ないだろうっていう歳が十歳なの。それにしちゃチビだろってよく言われるんだけど」

「そう……なのか。……なら、君の話によく出てくる君の父上は……」

「うん、血がつながったパパじゃないよ。師匠でもあるし、お兄ちゃんとかお姉ちゃんたちも、同じ感じ」

「そうか。……込み入ったことを聞いてすまない」

「んーん?」

 シロノはクラピカに顔を向け、少し眠そうな顔のまま首を振った。

「……私にも……そういう人たちが居たよ」

 クラピカは俯き加減に景色を見ながら、重い口調で話しだした。

 

「……私は、クルタ族だ。聞いたことは?」

「んーん、初めて聞いた」

「……そう……か」

 クラピカは、少しホっとしたような、おおいに落胆したような、複雑な表情を浮かべた。

 

「クルタ族は、緋の目という目を持っている。感情が高まると目の色が緋色になるんだ。その色は世界三大美色の一つと言われ、希少価値のある宝として高額で売買される」

「ふうん……」

 クルタ、ヒノメ。どちらも、──シロノに聞き覚えはなかった。

シロノとしては、正直なところ青い脳ミソやら赤い目やらを集める人間の気など知れないと思っているが、しかしそういった人体の一部を収集する人間がいるということ自体は、身近によく知っている。

「だから私の村では、外部から危害を加えて来る敵を迎え撃つ役目を持つグループがある。……私の両親は、私が物心つくかつかないかの頃に亡くなってね。一人残った私の面倒を見て、格闘技をしこんでくれたのが彼らだった。──だが、四年前」

 彼らは残さず殺された、と、クラピカは言った。隣に座るシロノには、クラピカが抑えようとしながらも漏れる殺気が感じられ、ピリピリと肌を刺した。

 

「幻影旅団、という盗賊団を知っているか?」

「んーん、知らない」

 いつもと全くもって同じ声で、シロノは今度は嘘をついた。なぜなら、シロノはA級首の大嘘つきを師匠に持つ蜘蛛の子であるので。

「四年前、数人の同胞を殺し、そのうちの一人の緋の目を奪ったのがその連中だ。私はあのとき奪われたあの人の目と、そして過去に奪われた全ての同胞の緋の目を取り戻したい。そして」

 クラピカから立ち上る殺気が、いっそう強くなった。

「……仲間を殺した幻影旅団を、残らず捕える。これが私がハンターになりたい動機だよ」

 シロノは、黙ってクラピカの話を聞いていた。「パパってば、めんどくさいことしでかしてるなあ」と思いながら。

 

「そして、もう一つ」

 

 クラピカは、シロノをまっすぐに見た。シロノも同じように見返す。

「……旅団は、私たちを残らず皆殺しにするつもりでやって来た。しかし奴らは同胞たちの命と、一人の緋の目を奪うと引き返した」

「なんで?」

 これは、シロノも本当に疑問に思った。あのクロロが、やると決めたことを途中で覆すことは本当に珍しい、というか、天災などの不可抗力以外では、シロノは見たことがない。

 

「一人の、……小さな女の子だ」

 クラピカは、酷く慎重な様子で、ゆっくりと話しだした。

「その時より……半年かもう少しか、その位前に森の中に居たのを誰かが見つけたという子で……当時四つ位だった。そして村で唯一クルタではないその子は不思議な力を持っていて、何をどうやったのか未だに良くわからないのだが……。その力を使って、一人で旅団に立ち向かった」

「すごいね、四つなのに」

 今度もシロノは素で驚いて、目を見開いていた。自分のことだとは知らずに。

「結局旅団は、既に殺した同胞の目と、その子を連れて行くこと、この二つを条件に引き下がり、今後私たちを狙わないという約束までした。……実際、あれから奴らが私たちの村を追ってきたことはない」

「え、その子連れてかれちゃったの?」

「……ああ。私たちは、四つの子供の身と引き換えに命拾いをし、生き残った」

 今でも悔いている、と、クラピカは悲痛な表情で目を伏せた。しかしもう一度シロノをまっすぐ、先程よりも強い視線で見つめて、意を決したように言った。

 

「その子の名前は、シロノという」

「えっ」

 

 シロノは、丸く口を開けた。そして、おんなじ名前、とシロノが言う前に、クラピカは興奮したような口調で続ける。

「そして、君と同じ髪と目をしていた。……シロノ、君は」

 

 ──あのときの“シロノ”ではないのか?

 

 クラピカは、縋るように、そしてとても強い意思を込めてシロノを見た。

 しかし、シロノの目はどこまでも透明で、きょとんとその視線をすり抜けさせてしまっている。その果てしないほどの透明度は、強い決意をもって、いやほぼ確信を持ってそう言ったはずのクラピカが、あまりに暖簾に腕押しな手応えに不安になってくるほどだった。

 

「ちがうよ」

 

 シロノは、あっけらかんと言った。

「あたし四年前はママといたし、そのあとママからパパに預けられたんだもん。クルタ族って今初めて聞いたし」

「しかし……」

「あー、でも、あれかも」

 思い出したように言うシロノに、クラピカは不思議そうな顔をした。

「あのねえ、ロマシャって知ってる?」

「ああ、知っているよ。ジプシー……と呼ぶと失礼になると聞いているが、ヨルビアン大陸起源の移動型民族だな」

 クラピカが博識を披露すると、シロノは「そうそう」と頷いた。

「あたしのママ、ロマシャでね、占い師なの」

「ロマシャの……? そう、なのか」

 クラピカは、僅かに驚いたような顔をした。彼はあの体験以来色々な勉強をしたが、かつてその独特で神秘主義的な考え方と文化のために長い間偏見・差別の対象とされ、酷い時は魔女狩りと称して多くが焼き殺されたという歴史を持つロマシャに、一時ひどく共感を覚えたことがある。

 

「でね、……あんまりよく覚えてないんだけど。前にママが言ってたんだ、ロマシャにはなんとかっていう特別な力を持って生まれる子がいてね、あたしみたいに真っ白なんだって」

 シロノはその透明な目で、どこか遠い所を見るような雰囲気を纏って言った。ロマシャという単語を聴いたからだろうか、クラピカにはその姿が何やら神秘的なものに見えてならなかった。

「……特別な力?」

「うん。あたしは別に何も出来ないんだけどね」

 ああ、なんだっけ名前、とシロノは一応思い出そうとしたが、思い出せなかったので早々に諦めて、ふわあと大きな欠伸をした。ここにパクノダが居れば「口を覆いなさい!」と小言を食らっている所だ。

「なんかだいぶ前のことだから細かいこと忘れたけど、他の人とは違うことができるんだって。だからその子も、もしかしたらそれなんじゃないかなあ。ほら、ロマシャとの混血って多いしさ」

 本来安定した住処を持たずに旅を続け芸を売るロマシャは、それ故に、各地に彼らの血脈を受け継ぐ者が数多く存在する。かつてはその血が濃いと差別の対象になることもあり捨て子も多かったが、ロマシャの血が人口全体にあまりにも広く浅く行き渡ってしまった今となっては、そんな事も稀になってきている。

 

「……そう……か」

 クラピカは盛大な肩すかしを食らって、……そして未だそうではないのではないかという疑問を根強く抱え、複雑に表情を歪めた。

(似すぎている。だが)

 あのとき、あの小さなシロノはおそらくだが四つ程度だった。しかし今目の前に居るシロノは、十歳。見た目だけの年齢であれば間違いないと言い切っていたかもしれないが、「十歳以下はあり得ない」とシロノは言うし、何よりクラピカが知っているシロノは拾われっ子で、村全体で面倒を見ていた。“ママ”などいるはずもない。

 

「……本当に、君はあのシロノではない?」

「うん、違うよ」

 

 そして、この断言する態度。いくら幼くとも、四つともなれば、しかもあのショッキングな光景を全く覚えていないというのはあり得ないのではないだろうか。逆に言えばショック過ぎて忘れてしまっているというのも大いにあり得るが、どちらにしても、この様子では本人を問いつめても答えは出ないだろう。

 クラピカはそう判断してこれ以上の追求を諦め、短いが重い溜め息をついた。

「クラピカはさ、その子に会ってどうしたいの?」

「……とにかく、無事を確かめたい」

 そう言って、クラピカは長い間、……たっぷり三十秒ほど沈黙した。

「正直な所、生きては居ないだろう、と」

 あの幻影旅団に、ヒトとしてではなくモノとして、珍しい戦利品として連れて行かれたあの子供が、今も無事に生きて居るとは考えづらい、とクラピカは思っていた。どんな風にかは想像できないししたくもないが、好きなように玩ばれた挙げ句に殺されてしまっている、というのが最悪のパターンで、そして当然の成り行きだろう、と。

 だからこそクラピカは、クルタではないにも関わらず、クルタ全体の無事と引き換えになって蜘蛛に連れて行かれた小さな子供に、ずっと深い罪悪感を抱いていた。

 

「だが、……もし、生きているのなら」

 謝りたい、とクラピカは言った。

「そして……可能性はとても低いが、幸せに生きていてくれればいい、と」

「そっか」

 

 シロノは、飛行船の窓から外を見た。

 シロノの知る限り、クロロたちは珍しい子供を興味半分に攫うことはあるだろうが、玩んで殺すというような趣味はない。ならばその子も、多少は辛い目に遭ったかもしれないが、そのあとクロロが飽きて施設なりなんなりに託したか、の可能性が高い。

 クロロは獲物に飽きると売り飛ばしてしまうが、よほどの特別な事情がない限り、壊してしまうということはない。そしてその際選ぶ販売ルートはいつも確かなものなのだ、ということを、シロノはシャルナークから聞いていた。それが、かつて愛した獲物たちへのささやかな餞別なのだ、とも。

 

「生きてるよ。んと、たぶん」

「……そうだろうか」

「うん、きっとそうだよ」

 獲物として攫われたというのであれば、その子供が生きている可能性は大いに高い、とシロノは考えた。逆に、ニンゲンとして攫われたのであれば殺されてしまっていたかもしれないが。

「……君に言われると、そんな気がしてきたよ」

 シロノの考えている内容など夢にも思わないクラピカは、そう呟き、悲痛な顔で微笑んだ。そして彼は、目の前にいるこの少女があの小さなシロノではなかったとしても、とてもよく似た姿をした少女に言われると、ほんの少しだけ心が和らぐような気がする、と思った。

 

「シロノ、君は今の家族が好きか?」

「うん!」

 それは、今までクラピカが見たシロノの表情の中で、一番幸せそうな笑顔だった。日に全く焼けていない白い肌が、綺麗なピンク色になる。

「いっちばん、大事!」

「そうか。それは良かった」

 クラピカは、フっと微笑む。

 

「そうだな、あのシロノも…………君のように、幸せに暮らしているといいな」

 

 青く眩しい空を仰ぎ、クラピカは、祈るように目を閉じた。

 そしてシロノはそんな彼を見てから、すぐそこにある雲の間から刺した日光に、痛みを感じるように目を細め、フードを深く被り直した。

 

 

 

++++++++++++++++++++++++++++

 

 

 

 四次試験終了から、三日後。

 飛行船の中と、着いてから丸一日教会が運営するホテルを贅沢にも丸々貸し切って受験者たちは休息を取り、ほぼ万全の体勢で最終試験に臨んだ。

「最終試験は、一対一のトーナメント形式で行なう」

 体育館並みの大きな部屋に、おそらく試験官のハンターであろう黒服の男たちとともに受験者たちを集めたネテロは、布をかけたホワイトボードを前にそう言った。

「その組み合わせはこうじゃ」

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 ホワイトボードに書かれた奇妙なトーナメント表を、受験者たちが不思議そうに凝視する。疑問だらけの顔をした彼らに、ネテロは説明を始めた。

「さて、最終試験のクリア条件だが、いたって明確。たった一勝で合格である!」

 つまりこれは、負けた者が上に登っていく勝ち抜けトーナメントなのだ、とネテロは説明した。不合格者は一人、誰にでも二回以上、勝つチャンスが与えられている。

 そしてそのチャンスの多さが公平でない理由をボドロが質問し、それにネテロが答えたとき、キルアがピクリと反応した。プライドの高い彼は、成績が良い者ほどチャンスが多い、ということに納得がいかない、と評価基準の詳しい説明を求めたが、ネテロに「ダメじゃ」と即答で一蹴された。

「~~~なんでだよ!」

「採点内容は極秘事項でな、全てを言うわけにはいかん。……まあやり方くらいは教えてやろう」

 身体能力値、精神能力値、そして印象値。審査基準はこの大きな三つからなる、とネテロは説明した。そして前者ふたつについてはここまで残っている者たちには今更ということであくまで参考程度の扱いだということも。

「重要なのは印象値!」

 これはすなわち、身体能力値、精神能力値でははかれない“何か”。いうなればハンターの資質評価こそが高得点、つまりハンターになれるチャンスを多く貰えるの最大のポイントなのだ、とネテロは言う。

 

「それと諸君らの生の声とを吟味した結果こうなった。以上じゃ!」

 

 黙りこくりながらも、ありありと納得いかない、という顔をしているキルアを、隣に立っていたシロノが見上げた。

「別にいいじゃない、勝てばいいんだし」

「そーいう問題じゃねーよ、オレの点数が低いってとこが問題なんだよ!」

 それを聞いていたレオリオは、「ああコイツ、テストが99点でパーフェクトじゃなかったからって悔しがって周りからヒンシュク買うタイプだな」と思いながら、生暖かい目でキルアを見た。対してシロノは、せいぜい自分の今までの成績と比較して自己ベストであれば満足、というマイペースタイプだ。

「まーまー、ほら、あたしもキルアとおんなじチャンス三回だし。おそろいおそろい」

「ガキをなだめるみたいな言い方すんな。オレが駄々こねてるみたいじゃねーか」

 いや立派に駄々こねてんだろうよ、と周囲の大人たちは内心で突っ込む。そしてネテロがコホンと咳払いをし、説明が再開された。

「戦い方も単純明快。武器OK反則なし、相手に「まいった」と言わせれば勝ち!」

 ただし、相手を死に至らしめてしまった場合は即失格。残りの者がその時点で全員合格、試験終了となる、という説明のあと、最終試験の開始宣言がなされた。

「第一試合、ハンゾー 対 ゴン!」

 

 

 

「あははははは、ゴンって面白いねー」

 

 きゃらきゃらと、シロノは笑う。しかし笑っているのはシロノだけではなく、そこにいるほぼ全員が、堪えきれないような笑いを浮かべていた。

 開始早々にハンゾーから首筋に鋭い手刀を食らい、脳震盪を起こしたゴンは、それから三時間延々と殴られ蹴られ、既にぐったりと床に倒れ伏していた。……しかし、それでも彼は決して「まいった」とは言わない。そして腕まで折られても、ゴンは結局信念を曲げなかったのだ。

 シロノは、黙ってその様を見ていた。フェイタンが行なう拷問と比べれば何倍もぬるい拷問だったが、きっとそういった経験もなければ訓練も受けていないゴンには辛いだろう。まず三時間耐えきっただけでもかなり驚愕ものだが、それよりも驚くべきはゴンの目だ。ただ耐えきるだけなら、訓練次第で出来る。しかし、痛めつけられて尚あんな目が出来る人間を、シロノは見たことがなかった。

 

 とにかく、そんな一方的かつ終わりの見えない試合であったが、結局ゴンの俺様理屈に折れたハンゾーが「まいった」を宣言したのだ。

「──そんなのダメだよ、ずるい!」

 いくらか回復したらしい、だがやはりボロボロのゴンが、負けを宣言して退場しようとするハンゾーの背中に指を指して言った。

「ちゃんと二人で、どうやって勝負するか決めようよ!」

 引き続きの、俺様理屈。勝負に納得していないらしいゴンはハンゾーに尚も食い下がった。そして目の据わったハンゾーは、ゴンの理屈を要約して、「こーゆーことか!?」と念を押す。

「うん!」

 

「アホか──!」

 

 かなりイイ顔で返事をしたゴンだったが、ハンゾーの素晴らしいアッパーで吹っ飛んで今度こそ完全に目を回し、試験官に担がれて、控え室で手当を受けることとなった。

 そしてハンゾーはネテロにゴンの合格を確認し、次の試合まで待機すべく、部屋の脇に寄る。

「きゃはは、負けちゃったねハンゾー」

「黙れクソガキ。ていうかいつの間に呼び捨てだコラ。年長の人間には敬意を払う育ちしてんじゃなかったのか? お?」

「ハゲチャビンのオナラ忍者に払う敬意なんかないよ」

「ハゲでもオナラでもねー! 取り消せ!」

 どうやらハンゾーとシロノは先天的に相性が悪いらしい。

 そしてシロノを小突こうとしては素早く避けられて憤慨するハンゾーに、なぜわざと負けたのか、とキルアが真剣な表情で尋ねた。ハンゾーはシロノを追いかけ回すのをやめ、キルアの問いに答える。

「気に入っちまったんだ、あいつが」

 あえて敗因を挙げるならそんなとこだ、と、ハンゾーは少し照れたような表情で言った。

 

 そして続く第二試合は、クラピカ 対 ヒソカ。

 しばらく、……明らかに手加減しているヒソカとクラピカが闘ったあと、ヒソカがクラピカに何やら耳打ちし、その直後に負けを宣言。クラピカの勝利、ヒソカの負け上がりとなった。シロノは飛行船でクラピカと話していた時、後ろの物陰にヒソカがいたことに気付いていた。多分面白がって、旅団の情報でも少し囁いたに違いない、と軽く溜め息をついた。

 

 第三試合はハンゾー 対 ポックル。

「……悪いが、アンタにゃ遠慮しねーぜ」

 このひとことが決め手となり、ポックルがあっさりと負けを宣言。そして続くは第四試合、ボドロ 対 ヒソカ。一方的な試合だったがボドロはなかなか負けを認めず、しかしまたヒソカがなにごとか囁き、ボドロが負けを宣言した。

「……ヒーちゃん、ボドロさんに何言ったの?」

「んー、ちょっとね♦ ホラ、次は君だよ♥」

 頑張ってね、とヒソカは言い、壁にもたれかかった。ヒソカはこれで勝ち抜け、ハンターライセンスを手に入れたこととなるのだが、試合は見物するつもりらしい。

 

「──第五試合、レオリオ 対 シロノ!」

 

 宣言がなされ、かなりの長身と一番小さな人影が、部屋の中央に進み出た。

 

 

 

 



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No.011/恩返し、兄弟再会

 

「お、次シロノか。どんな戦い方するのか気になってたんだよなー」

「そう? じゃ張り切っちゃおうかな」

 キルアの言葉に、シロノが明るく答える。しかし対してレオリオは、むっつりした表情でシロノの対面に突っ立っていた。そして手慣れた動作でバタフライナイフを取り出すと、パチンと広げる。何の変哲もない一般的な武器ではあるが、レオリオのナイフさばきは、かなり熟練したそれである。

「……悪いが、手加減しねーぜシロノ」

「うん、よろしくねレオリオ!」

 あくまでも明るいシロノに毒気を抜かれそうになりながらも、レオリオは一応真剣な顔を作る。

「……シロノ。確かにお前は身軽さとか持久力は大したもんだ。だがそのウェイトじゃ攻撃面はあんまり頼りにならない感じだろう。違うか?」

「あー、うん、まあね」

 レオリオの言う事はもっともで、シロノの体重は三十キロと少しぐらいしかなく、それは強化系の念のコントロールがあまり得意ではないシロノの攻撃力面で、大きなネックだった。

 

「でも平気だよ」

 

 よいしょ、と、手慣れた素早さと矛盾した声とともに、シロノは背負った棺桶の中から、素早くあの武器を取り出した。

「なっ……」

 レオリオだけでなく、ほぼ全員がその獲物にぎょっとする。キルアは、「へー」と言いながら、その獲物をしげしげと見た。

「それがシロノの獲物?」

「うん。コウモリの羽みたいで面白いでしょ」

 シロノの言う通り、チェーンソーの鎖の両端についたブレードはその反った形状もあり、二対になってもいるので、コウモリの羽のように見える。そしてその形の上、刃部分もただの刃ではなく、よく見ると細かいノコギリ状で、マニアならこれが拷問用のノコギリを改造したものだということがわかるだろう。

「へー、こりゃ受け止めにくいな。ってか、お前の仕留めた豚があんな血塗れだった理由がわかったよ」

 キルアが言った。

 拷問用故に切れにくいノコギリ・ブレードと刃付きチェーンは、“周”をしていなくても食らえば大なり小なりでも漏れなくずたずたの治りにくい傷を作る。さらに柄がなく、鎖部分にもびっしりと刃物がついている事によって受け止めてやり返す事がかなり難しいという作りのこの武器は、かなりえげつない。それに相手に受け止められる危険が少ない代わりに、自分も受け止めることが出来ないだけに扱いが危険で難しい。

「けっこー外道な獲物持ってんなあ」

「お兄ちゃんと一生懸命考えたよ」

「自作かよ!」

 そう、ダメージを受けないようにするには避けるしかないという隙も容赦もないこの武器は、シロノが“フェイ兄”と慕う、拷問とその用具のプロフェッショナル・フェイタンが考案したオリジナル武器だった。

 彼の性格がふんだんに透けて見えるこの武器に、攻撃性がない所などない。だからシロノは常に、刃物を通さない特殊加工の布の下に鉄板を仕込んだ手袋を嵌めているのである。……最終的には、“硬”で手を強化して素手で鎖を持ち、尚かつ“周”で武器を強化という使い方でと言われているのだが、シロノはまだそこまで複雑なことは出来なかった。

 

「じゃあレオリオ、いっくよー」

「ちょっ……!」

 

 シロノは手袋を嵌めた手で刃物まみれのチェーンを持ち、片方のブレードをヒュンヒュンと回したかと思うと、それをあっさりと、鋭く風を切る音をさせて投げた。目に見えないほどの投げスピードに、数人が目を丸くする。

 

「だああっ!」

 あまり格好のつかない声を上げて、間一髪レオリオがそれを避ける。彼の居た所の床にはブレードが深々と刺さっており、レオリオはぞっとした。

「よっ」

 シロノは鎖を思い切り引っぱった。

 

 ──ボゴン!

 

 ブレードが刺さったままの石の床が、ブロックごと抜けた。ブレードは“周”で強化してあるので、それを伸ばしてブロックまで念を行き渡らせているせいもあるが、ブレードのぎざぎざのエッジが“返し”になっていて、ちょっとやそっとでは抜けないようになっているのだ。

 そしてシロノはかなりの大きさの石がくっついたチェーンをブンと上に放り投げ、天井にぶつけて石を粉々にしてチェーンを抜いた。

 子供の細い腕からこんなパワーを見せられるとは思っても見なかった大人たちは、ひたすら目を丸くしている。ヒソカだけが、壁にもたれながらニコニコとしていた。

 

「ど、どんな馬鹿力してんだお前!?」

「まだまだー」

 ビュン! と風を切る音を立てて、シロノがもう片方のブレードをもう一度天井に投げる。そして天井に刺さったブレードから伸びるチェーンを掴み、ぶら下がるようになったシロノは一気に反動をつけ、もう片方のブレードをビュンビュン回しながらレオリオに向かって行った。

 

「周りも危ないよー、退いててねっ」

「ッギャアァアアア!」

 ブランコの動きでもって近付いてくる凶悪な刃物を、レオリオはまたも間一髪で避けた。レオリオだけでなく、他の全員も、範囲の大きなシロノの攻撃の被害に遭わないよう、既に部屋の壁に張り付くようにして避難している。

「よいしょー!」

「っだあああああああ!?」

 

 ──ドゴン! バキッ、ズガシャッ!

 

「おー、すげーすげー」

 キルアが、面白そうに言う。壁や床がブレードで破壊される音が、部屋中に響いている。ブレードを壁や天井に刺して自由自在に飛び回り、そしてさらに五メートルあるチェーンのリーチを生かしながら、シロノは攻撃を続けた。

「……フッ……俺はアレに森の中で三十分も追い回されたんだぜ……?」

 マジで親の顔が見てえよ、と、ハンゾーが冷や汗を流しながら言う。

「うーん、いつ見ても攻防一体で良い武器だねえ、アレ♥」

 ヒソカはにこにこ笑いながら、何か微笑ましいものでも見るかのような暢気な口調で言った。

 

 攻撃力に特化したこの武器の対処法は基本的に回避のみ、更にそのリーチは小柄なシロノの弱点を補って余りあるだけでなく、大勢の中に思い切り振り回すだけでもダメージを与えられるため、第三次試験のときのような、対多数の戦いにも大変便利だ。

 普通の鎖鎌と違って両端ともがブレード、しかも鎖にまで刃物がついていてどこに触れても危ないこの武器は、片方のブレードを牽制防御に使って尚攻撃力を失わない。

「ギッロチン、ギーロチンッ」

 シロノは歌うようにそう言って飛び上がると、深呼吸をするような動きで両手を広げ、片手ずつに持った両方のブレードに遠心力をかけた。

 

「──じょっきんっ!」

 

 そう言ってシロノは両手を前に出した。走り回った挙げ句に壁際まで逃げていたレオリオを、左右から遠心力のかかったブレードが襲う。

「──ひっ!」

 

 ──ズギャギャギャギャギャギャギャ!

 

 左右方向から壁に溝を作りながらレオリオに迫ったブレードは、壁に張り付いた彼の首から左右十センチずつの余裕を残して、ピタリと止まった。壁とブレードに首を捕えられ、そしてチェーンの檻に囲まれたレオリオは既に言葉もなく、ぜえぜえと息をつきながら、目の前でにこにことチェーンを持っている自分の身長の三分の二もない小さな子供を、何か恐ろしげなものを見る目で見遣っていた。

 

「えっへへ」

「──オイ、待っ……」

 にー、と、シロノはレオリオに笑いかけ、レオリオがひやりと汗を流す。

 

 

 

「まいったっ!」

 

 

 

 待て、と言いかけたレオリオの言葉に被さった声に、ほぼ全員がぽかんとする。「まいった」、そう負けを宣言したのはレオリオではなく、シロノだった。

「………………………………は?」

「まいった! あたしの負けね。レオリオの勝ちっ」

「な……!?」

 ズガッ、と音を立てて、ブレードが壁から引き抜かれた。シロノはブレードを振り回して壁の残骸を取り除くと、武器を手早く背中に収納する。穴のあいた壁の前に呆然と立つレオリオだったが、ハっとして背筋を伸ばした。

 

「……オイ! なんでお前いきなりまいったとか言ってんだ!? 俺が言うのも何だが圧倒的に有利だったろーが!」

「えー、だってあたし最初っからレオリオと闘う気なんかないもん」

「はァ!?」

「……ま、遊んでんのはわかってたけどな」

 だって全部ギリギリのとこで外してたし、と、しゃがんだキルアが膝に肘を立てて頬杖をつきながら言う。

「うん、なかなか楽しめるパフォーマンスだったよ、シロノ♥」

「パフォーマンスぅう!?」

 ぱちぱちと拍手をするヒソカの言葉に、レオリオが叫んだ。他の数人も、呆然としている。

 

「あんな無駄の多い派手な戦い方、実戦でするわけないだろう? シロノが本気だったら、ブレードじゃなくて鎖のほうで雁字搦めにされてるよ。「まいった」と言うまで、無数の小さい刃で肉を削られながらね♥」

「なっ……」

 恐ろしいその内容に、レオリオが青ざめる。

 

「だってキルアが“どんな戦い方するか見たい”って言うからー。キルア、面白かった?」

「うん、かなり派手で面白かった。あとで武器見せてよ」

「いいよー」

「オイコラ暢気に遊ぶ約束してんじゃねー!」

 のほほんとした会話を交わす子供たちに、レオリオがびしりと指を指す。

「シロノ! なんで負けを宣言したかの理由を聞いてねーぞ!」

「んー?」

 シロノは、きょとんとした顔でレオリオに向き直った。

 

「えっとね、あたしのママが口すっぱくして言うんだけどね」

「あァ!?」

「“挨拶とお礼とごめんなさいは絶対にちゃんとしなさい”って」

「……意味わっかんねーし……!」

「だからー」

 シロノは片足を上げ、包帯の巻かれたそこを指差した。

 

「恩とか借りとかはきっちり返せ、ってこと」

 

 にっ、とシロノが笑う。「それは?」と疑問を寄せたクラピカに、シロノは説明した。

「あー、三次試験の時にハンゾー追っかけててケガしてね、通りがかったレオリオが手当てしてくれたの。コケた拍子に骨折させちゃったリスも一緒に」

「オイ、まさかアレの借りを返したつもりってんじゃ……」

「うん」

 あっさりと返したシロノに、レオリオはどう返していいものか迷っているのだろう、向けた指先を迷わせた。そしてその様子を見て、クラピカがくすりと笑う。

「いいじゃないか、レオリオ。厚意は素直に受け取っておけ」

「……つったってなァ!」

 ちょっと切り傷縫ってリスに添え木しただけだぞ!? とレオリオは言うが、クラピカは涼しい口調で言った。

「小さきものを助けた恩返しでハンター試験に合格だなんて、医者志望の君には相応しいじゃないか。合格おめでとう」

「な……」

 照れくさいのかやや赤くなったレオリオだが、言い返す言葉がないとわかったのか、もう一度シロノに向き直った。

 

「……わかった。返されたモンがデカすぎる気もするが、お言葉に甘えて合格させてもらうぜ」

「うん」

「……医者になったら、お前だったらいつでも診てやるよ。……ありがとな」

 そう言って、レオリオはシロノに背を向けた。

 

「ホッホ、なかなか気持ちのいい決着だったの。……それにしても」

 ネテロは、部屋を見回した。天井と言わず床と言わず壁と言わず、ぎざぎざの蝙蝠ブレードで散々傷つけられた部屋は、かなりひどい有様だ。

「ボロッボロじゃの~、うーむ、こりゃひどい」

「ふんだ、ネテロさんがイジワルするからでしょ」

 シロノは頬を膨らませて、ぷい、とネテロから顔を逸らした。わざわざ部屋を破壊しまくったのは、どうやら面談で「レオリオとは闘いたくない」と言ったのにも関わらずしょっぱなからカードを組んだネテロに対する腹いせであったらしい。

「……修理代請求するぞ?」

「部屋を破壊しちゃいけないとは言われてないもんねっ!」

「それもそうか。では仕方が無い」

 ネテロもあっさりそう返し、マーメン、と小柄な秘書を呼びつけると、あとでホテルの責任者に修理を依頼しておくように言いつけた。

 

 そして次の第六試合は、キルア 対 ポックル。

 しかしキルアは先程のシロノのパフォーマンスで更にやる気が増したのか、「悪いけど、あんたとは闘う気がしない」と自信たっぷりに言い、戦線離脱。ポックルの勝利、合格となった。

 次の試合はシロノ 対 ボドロであったのだが、レオリオとシロノがヒソカとの試合でボドロが負ったケガを理由に延期を要求。

 

 ──先に闘うこととなったのは、キルアとギタラクルであった。

 

 

 

「……久しぶりだね、キル」

 

 始め、と声がかかるなりそう言った見知らぬ男にキルアは不思議そうな表情をするが、ギタラクルがふいに顔に刺さった無数の針を次々抜いていくと、その表情は驚愕に変わった。

 

「──兄……貴!」

「や」

 

 ビキビキと音を立てて変形したその顔は、釘だらけの厳ついモヒカン男ではなく、さらさらの長い黒髪をした、白い肌、切れ長の黒い目をした青年だった。

「キルアの兄貴……!?」

「え? イルミちゃんてキルアのお兄ちゃんだったの?」

「……イルミちゃん!?」

 キルアは受験者の一人が兄であったという驚きもそうだが、シロノがその兄をちゃん付けで呼んだことにも大いに驚き、思い切りシロノのほうを振り返った。

「ちょっ……シロノ!? お前兄貴の知り合いだったのか!?」

「三次試験でおんなじルートだったんだよ。ほんとの顔と名前はそのとき教えてもらったけど、キルアのお兄ちゃんってことは今知った」

 でもそういえば似てるなあ、ネコっぽいとことか、とシロノは一人納得した。

「母さんと次男(ミルキ)を刺したんだって?」

「まあね」

 背の高いイルミはまっすぐにキルアを見下ろし、キルアもまた兄を見上げている。キルアは笑みを浮かべて背筋を伸ばしてはいるが、銀髪の生え際にうっすら汗が滲んでいた。

 

「母さん、泣いてたよ」

「そりゃそうだろうな、息子にそんなひでー目にあわされちゃ」

 やっぱとんでもねーガキだぜ、とレオリオが言う。

「感激してた。「あのコが立派に成長してくれててうれしい」ってさ」

 レオリオが盛大にズッコケた。

 

 イルミは母から様子を見て来いと言われたこと、そして自分もまた次の仕事の関係上資格を取りたかったのでここに居るのだということを、彼特有の棒読み口調で説明した。そしてキルアが別にハンターになりたくてここに居るわけではない、と返すと、彼は言った。

「……そうか、安心したよ。心おきなく忠告できる。お前はハンターに向かないよ」

 イルミの目は、闇のように深い。少しクロロの目に似ているが、いつも僅かに得体の知れない熱が宿っているクロロの黒い目と比べると、イルミの目はまるで真夜中の泉のようにシンとしている。

 

「お前の天職は、殺し屋なんだから」

 

 シン、と部屋が静まり返る。イルミは更に続けた。

「お前は熱を持たない闇人形だ。自身は何も欲しがらず、何も望まない。影を糧に動くお前が唯一歓びを抱くのは、人の死に触れた時」

 お前は親父とオレにそう育て(つく)られた、とイルミは言い、そして問うた。そんなお前が何を求めてハンターになるのか、と。

 

「確かに……ハンターにはなりたいと思ってるわけじゃない。だけどオレにだって欲しいものくらいある」

「ないね」

「──ある!」

 即答でキルアの言葉をぶった切ったイルミに、キルアはめげずに食って掛かった。

「ある! 今望んでることだってある!」

「ふーん」

 必死なキルアとは逆に、イルミは何でもないような相槌を打った。

「言ってごらん。何が望みか? ……どうした?」

 黙って俯いたキルアに、イルミが言う。

「本当は望みなんてないんだろ?」

「違う!」

 キルアの声は、悲痛なほどだった。

「ゴンと………………、……友達になりたい」

 兄と目を合わせることが出来ないまま、しかしキルアは言った。切実な声で。

「……もう人殺しなんてうんざりだ。普通に、」

 普通に、という言葉で、キルアの声が僅かに震えた。

 

「……ゴンと友達になって、普通に遊びたい」

 

 それは、「何を考えているのかわからないコ」というのがチャームポイントなのにな、と彼自身も言った通り、キルアの性格からすると、痛々しいほどに素直に発された本音だった。しかし、

「無理だね」

 お前に友達なんて出来っこないよ、と、イルミは揺るぎのない声で、そしてどこまでも深い真っ暗な泉のような目をして言った。キルアの身体がびくりと震える。

「お前は人というものを殺せるか殺せないかでしか判断できない。そう教え込まれたからね。今のお前にはゴンが眩しすぎて、測り切れないでいるだけだ。友達になりたいわけじゃない」

「違う……」

「彼の側にいれば、いつかお前は彼を殺したくなるよ。殺せるか殺せないか試したくなる」

 キルアの表情がどんどん曇り、不安げな、恐怖したようなものになる。堅く握った拳は、ぶるぶると震えていた。

「なぜならお前は根っからの人殺しだから」

 イルミがそう言うと、レオリオがザっと前へ一歩進み出た。黒服の試験官が釘を刺すが、彼はそれを制し、大きな声でキルアに言った。そんな奴の言葉に聞く耳を持つな、いつもの調子でさっさと合格してしまえ、と。それは声援であり、そして応援だった。

 

「ゴンと友達になりたいだと? 寝ぼけんな! とっくにお前ら友達(ダチ)同士だろーがよ!」

 

 キルアが今までとは違う意味で動揺し、少しだけ顔を上げた。そしてイルミもまた、「え?」と声を上げて、こちらはレオリオを見遣る。

「少なくともゴンはそう思ってるはずだぜ!」

「そうなの?」

「たりめーだバーカ!」

 しかしイルミはレオリオの罵声には何の反応も示さず、「そうか、まいったな。あっちはもう友達のつもりなのか」と顎に手を当てた。そして数秒考えたあと、彼は指を立てて、言った。

 

「よし、ゴンを殺そう」

 

 全員が、それぞれ差はあれど、ぎょっとして表情を変えた。

 

 

 

 



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No.012/少年と友達、少女と死

 

 

 

「殺し屋に友達なんていらない。邪魔なだけだから」

 

 目の焦点が合わないまま、キルアが激しく震えだす。しかしイルミはそんな弟にくるりと背を向けると、ツカツカと歩き出した。

「彼はどこにいるの?」

「ちょ、待って下さいまだ試験は……」

 イルミを止めようとした立会人の試験官だったが、彼の言葉は最後まで発されることはなかった。イルミが彼を見ないまま、しかし正確に素早く放った針が、彼の顔を刺す。

 途端、ビキビキと立会人の顔が激しく変形する。その反動か、大きく不自然に歪んだ口から、意味不明な声が漏れた。しかしやはりイルミは彼を見ず、また無感動だった。

 

「どこ?」

「とナリの控え室ニ」

「どうも」

 試験官はガクガクと激しく身体を痙攣させて崩れ落ちる。どうも、と礼を言ったこととは裏腹にイルミは彼を最後まで見ないまま、扉に向かった。しかしその前に立ちはだかったレオリオ、クラピカ、ハンゾー、そして黒服の試験官たちに足を止める。

 

「……ねえ、イルミちゃん」

「ん?」

 

 緊迫した空気の中で話しかけたのは、いつの間にかイルミの近くまで来ていたシロノだった。誰も、そしてイルミ自身もその気配に今まで気付かなかったことに驚く。

 この子ホントに“絶”が上手いな、とイルミは少し感心しながら、見上げてくるシロノに首を傾げた。

「なに?」

「どうして殺し屋は、友達を作っちゃいけないの?」

 シロノの声には、レオリオたちから感じる反感や、理解できないものを見る視線は一切感じられなかった。ただ純粋な疑問として、シロノはイルミに質問した。

「そりゃね、殺しの依頼が来たとき、友達が邪魔になったら困るからさ。極端なことを言えば、その友達を殺せって依頼が来たら面倒でしょ」

「ふーん? じゃあ殺し屋って、頼まれたら誰でも殺すんだね」

「うん、まあそうだね。それが仕事だから」

 それがどうしたの? と首を傾げるイルミに数人が顔を顰めるが、イルミも、そしてシロノも表情は変わらない。シロノは相変わらずまっすぐにイルミを見て、再度疑問をぶつけた。

 

「じゃ、頼まれたら家族でも殺すの?」

「え」

「殺し屋って、頼まれたら自分の家族でも殺すの?」

 

 シロノは大真面目である。ゴンの時とは違う意味でぶっ飛んだその発言に、全員が呆気にとられて目を点にした。

「……君、バカ?」

「む。……うん、自慢じゃないけどパパからも“いまいちバカ”とのお墨付きを……」

「ホントに自慢にならないね。あのね、殺し屋一家で仲間割れしろなんて依頼、受けると思う?」

「ううん」

 シロノはふるふると首を振った。

「わかってるならなんでそんな質問するのさ」

「ん? あたしは自分の家族が一番大事だから、家族の為には何でもするよ。そんで、あたしじゃなくてもそういう人って多いよね?」

「多いっていうか……普通そうだろ」

 レオリオが戸惑い気味に答えた。

「だよね? でも殺し屋は違うのかなって思ったの。あ、でもさあ」

「今度はなに」

「家族を殺さないのは、家族が全員殺し屋の仲間だからでしょ?」

 シロノの質問の意味が理解できず、キルアが訝しげに眉の形を歪めた。そしてそれは他の者たちも同様らしく、疑問符を頭の上に浮かべている。

 

「……そんな例えはありえないよ」

 

 イルミは、ほんの僅かに目を細めた。

「オレの家は例外なく全員殺し屋。もちろん、キルもね。だから家族で殺しあうことはない。それだけのことさ」

「友達はダメなの?」

「ダメ」

「おんなじ殺し屋の友達でもダメ?」

「ダメ。家族以外の殺し屋は商売敵だからね。それにターゲットがかちあったりして敵対して殺しあうこともある。だからダメ」

「ふーん……」

 シロノは、イルミの言葉を吟味するようにして、くるりと視線を漂わせた。

 

「そっか」

「わかってくれた?」

 そう言って首を傾げたイルミに、シロノは頷いた。

「うん、わかった。じゃあしょうがないね」

「オイオイオイコラシロノ! 何引き下がってんだお前は!」

 そして今の話で何がわかったってんだ! とレオリオが怒鳴る。

「えー、だって……キルアの気持ちもわかるんだけど、イルミちゃんの気持ちもわかるし……」

「だから、そいつの理屈の何がわかるってんだ! オレにはさっぱりわかんねーぞ!?」

「いいよ別に、君にわからなくても。そこ退いてくれる?」

 そう言ってイルミが再び足を進めるが、レオリオたちもまた退こうとはしない。

「……まいったなあ……。仕事の関係上、オレは資格が必要なんだけどな」

 ここで彼らを殺してしまったら、イルミは落ちてキルアが自動的に合格となる。どうしたものか、とイルミは再び顎に手を当てた。

 

「ねえねえ」

「今度はなにさ、シロノ」

「それ、ゴンを殺してもいっしょじゃないの? 不合格になっちゃうよ」

「あ、そうか」

「なんだ、イルミちゃんもけっこうバ」

「なんか言った?」

「……ううん、べつに」

 レオリオの罵声には無反応だったくせに、シロノに言われるのは嫌であるらしい。僅かに殺気を滲ませたイルミに、シロノは口を噤む。

 

 そしてしばらく考え込んでいたイルミだが、突如「そうだ!」と、いかにも名案という風に、しかしやはり棒読みで言った。

「まず合格してから、ゴンを殺そう!」

 ビク、とキルアの身体が大きく震えた。全身に、尋常でない量の汗が流れている。

「それなら仮にここの全員を殺しても、オレの合格が取り消されることはないよね」

「うむ。ルール上は問題ない」

 ネテロがそう返すと、イルミは僅かに頷く。そして、嫌な汗をだらだらと流しながらもイルミの背中を見つめているであろうキルアに言った。

「聞いたかい、キル。オレと闘って勝たないと、ゴンを助けられない」

 イルミは振り向き、オーラをゆっくりと増幅させた。シロノにはイルミの淀み無く広がるオーラが見えたが、他の受験者には、そしてそれを向けられているキルアには、得体の知れない圧倒的なものとしか感じられていないだろう。

「友達のためにオレと闘えるかい? できないね。なぜならお前は友達なんかより、今この場でオレを倒せるか倒せないかのほうが大事だから」

 キルアの顔色は、既に紙のようだ。

「そしてもうお前の中で答えは出ている」

 

 ──オレの力では、兄貴を倒せない

 

「“勝ち目のない敵とは闘うな”。オレが口をすっぱくして教えたよね?」

 それも殺し屋の決まりなのかなあ、とシロノはぼんやり思う。もしそうでないのなら、それは随分──

(おうちによって色々あるんだなあ)

 もし自分なら、喧嘩を売られたのに買わなかった、とクロロや皆から散々馬鹿にされることだろう。喧嘩は買うどころか盗んででもやる、というのが蜘蛛である。

 

 手を翳してオーラで圧倒するイルミに、キルアが一歩後ずさった。

「動くな。──少しでも動いたら、戦い開始の合図とみなす。同じくお前とオレの身体が触れたその瞬間から戦い開始とする。止める方法は一つだけ。わかるな?」

 オーラをまとったイルミの手が、ゆっくりとキルアに近付いてゆく。キルアの緊張が極限まで張りつめるのが、全員にわかった。シロノだって、あんなわざわざ嫌な感じにしたオーラを目の前に近づけさせられたら気分が悪い。オーラや念の存在を知らないキルアにしてみれば、その気分はシロノが受けるのとはケタが違う恐怖感と不快感だろう。

「だが……忘れるな。お前がオレと闘わなければ、大事なゴンが死ぬことになるよ」

 キルアは、端から見ても気絶してしまうのではないかと思うほど緊張している。レオリオが再度大声でキルアに声援を送るが、聞こえているのかいないのか、彼はゆっくりゆっくりと近付いてくる兄の手から目を離せないまま、とうとう言った。

 

「──…………まいった。オレの……負けだよ」

 

 レオリオ、クラピカが驚愕に目を見開く。キルアは完全に俯いていた。もう緊張はしていない、糸は切られたのだ。

 イルミはそんな弟を見遣り、一瞬黙ったかと思うと、初めて笑みを浮かべて軽く手を叩いた。

「あーよかった、これで戦闘解除だね。はっはっは、ウソだよキル、ゴンを殺すなんてウソさ。お前をちょっと試してみたのだよ」

 だろうなあ、とシロノは思う。蜘蛛に居るおかげで、シロノは嘘を見破るのはわりと得意だ。イルミは初めから、ゴンを殺す気などなかった。……だがそれは、どうせキルアは決して自分に逆らわない、という確信があったから。それは、試してみた、とも言えない。ただ確認しただけだ。

「でも、これではっきりした。お前に友達をつくる資格はない。必要もない」

 そう、それを確認しただけ。イルミはキルアの頭を撫でながら、ゆっくりと言った。

「今まで通り親父やオレの言うことを聞いて、ただ仕事をこなしていればそれでいい。ハンター試験も必要な時期がくればオレが指示する。今は必要ない」

 

 ──その後。

 抜け殻のようになったキルアは、クラピカやレオリオのどんな言葉にも反応することはなく、じっと下を向いていた。

 

 

 

「……第八試合! ボドロ 対 シロノ!」

 そう宣言がされると同時に、シロノとボドロが前に出る。シロノは既に獲物を背中から外していた。

「──子供と闘う拳は持たぬが」

 ボドロは、すっと構えを取った。王道だが安定した、隙の少ない構えだ。

「手合わせ、ということであれば良かろう。殺しあいではないからな」

「ん、いいよ。殺したら不合格だしね」

 シロノも笑顔で頷いた。

 そして、「始め!」という宣言がなされたとき、シロノが目を見開く。

「……キルア!」

「なにっ!?」

 シロノの反応ですぐ背後まで迫ったキルアに気付いたボドロは、反射的に身体を捻った。ボドロはかなりの大柄である。そして、その広い壁がなくなると、シロノの視界が開けた。

 キルアの鋭い爪が、すぐそこまで迫っている。

 

 ──避けなきゃ、

 

 今なら、避けられる。身を捻って、ギリギリだけれど避けられる。キルアの爪がジャケットの表面を破る程度で、──でも、

 

 

 

 ── そ の ま ま、

 

 

 

 

「──ママ?」

 

 一瞬前なら、避けられた。

 

「あ」

 キルアが、極限まで目を見開いているのがすぐ近くに見える。青い目だ、となんとなく思った。綺麗な目。クロロが前に盗ってきたサファイアに似ている。

 

 胸が、暖かい。

 

「──あ、あ」

 キルアの表情が、みるみる歪んだ。シロノが自分の胸を見ると、そこには黒いシャツの腕が、まっすぐに突き刺さっていた。背中にも、僅かに感触がある。あ、貫通してる、と、シロノは他人事のように思った。

 

「………………キ、ル」

「あ、あ、あ、あ、」

 

 ずるり、と自分の腕から抜け落ちる暖かいものを、キルアは見つめた。ドジャ、と柔らかくて粘度のある音が耳に張り付く。

 事切れた身体は、随分と小さかった。指先に残るのは、不自然に千切れた欠片。

 今さっきまで動いていたはずの、心臓の肉片。

 

「──あ、」

 

 キルアは、石床の上に横たわった小さい身体から驚くほど大量に流れ出していく真っ赤な血を、これ以上なく焦った気持ちで見つめた。何だ、これは何だ。

「……キルア、」

 呼ばれて、ビクリと身体が跳ねる。震えながら恐る恐る顔を上げると、いくつもの双眸が自分を見ている。信じられないものを見る目。イルミでさえ目を見開いていた。耐えられなくて目を逸らせば、殺そうと思っていたはずの大柄な男が目に入る。普段なら何でもないだろうその姿が、キルアにはとても大きなものに感じられた。上から、見下ろされる。小さな心臓を突き潰した自分を、見下ろされる。

「──ひ、」

 キルアは引きつった声を上げ、一目散に走り──逃げ出した。

 

 動かなくなった、いずれは血も流れなくなるだろう小さな身体から。

 

 自分を見る目から。

 

 ──友達になりたかった、あの子から。

 

 委員会はキルアを不合格と見なし、ハンター試験は終了した。

 

 

 

 

 



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【蘇生編】
No.013/vigil


 

 

 バン! と大きな音を立てて、左手を三角に吊ったゴンが、険しい顔で部屋に入ってきた。

 

「ゴン」

 

 レオリオが呼ぶが、ゴンは脇目も振らずにイルミの所まで歩いていった。全員の視線がそこに集まるが、イルミは自分からゴンに目を合わそうとはしない。

 

「キルアにあやまれ」

 イルミが、初めてゴンを見た。

「あやまる…………? 何を?」

 ゴンは、怒った顔に、僅かに悲しそうな表情を滲ませた。

「そんなこともわからないの?」

「うん」

「お前に兄貴の資格ないよ」

「兄弟に資格がいるのかな?」

 瞬間、そこにいる全員が驚くほどに素早い動作で、ゴンがイルミの腕を掴み、そして大きく引っぱり上げた。百八十センチ台半ばの身長があるイルミだったが、思い切り空中に投げられ、目を丸くした。……避けられなかった。完全に隙をつかれたのだ。

「友達になるのにだって、資格なんていらない!」

(こいつ……)

 着地はしたものの、信じられないほどに強い力で自分の腕を握り締めるゴンに、イルミは目を見はった。ゴンの握力に悲鳴を上げるイルミの骨は、既に折れている。

 

「キルアのとこへ行くんだ」

 ゴンはイルミの腕を掴んだまま、くるりと踵を返した。

「もうあやまらなくたっていいよ。案内してくれるだけでいい」

「そしてどうする?」

「キルアを連れ戻す」

 決まってんじゃん、とゴンは言った。

 

「まるでキルが誘拐でもされた様な口ぶりだな。あいつは自分の足でここを出て行ったんだよ、……シロノを殺してね」

「でも自分の意思じゃない。お前たちに操られてるんだから、誘拐されたも同然だ! ……シロノのことだって、殺したくて殺したんじゃない!」

「それは認めるよ。191番を殺そうとしたのに、キルはシロノを殺した。ドジってね」

 ゴンが、イルミの腕を掴む力を更に強くした。そしてその瞬間、顔を歪めたのはゴンだけではない。イルミの言う通り、シロノは死んだ。キルアの腕が貫通した身体にはぽっかり穴が開いていて、即死。

 

「──ちょうどそのことで議論していたところじゃ、ゴン」

 

 前に立つネテロが言った。

 そしてそれから、受験者各々から言い分が出され、キルアの件についての検証が再度行なわれた。しかしそのどれもが確証のないもので、堂々巡り、という言葉がついて回る。

 しまいにはクラピカとポックルが自分たちの合否の正当性について口論を始めそうになり、ハンゾーがうんざりした溜め息をついた。

 

「……どうだっていいんだ、そんなこと」

 

 絞り出す様なゴンの声に、全員が彼を見た。

「人の合格にとやかく言うことなんてない。自分の合格に不満なら、満足するまで精進すればいい。キルアならもう一度受験すれば絶対合格できる。今回落ちたことは残念だけど、仕方ない。──それより」

 ギギギ、と、イルミの腕の骨が音を立てる。

 

「もしも今まで望んでいないキルアに、無理矢理人殺しさせていたのなら」

 

 短い間でも一緒に過ごした女の子を殺してしまう様な所まで、追いつめたのだとしたら。

 

「お前を許さない」

 

 ギシ、と、イルミの骨が音を立てた。まだ辛うじて全て折れきっては居なかった骨が、完全に折れた瞬間だった。しかし、イルミは僅かに目を細めただけだったので、それに気付いたものは誰も居なかった。

 

「許さないか……。で、どうする?」

「どうもしないさ。お前達からキルアを連れ戻して、もう会わせないようにするだけだ」

 折れた腕に尚も力を入れて来るゴンに、さすがのイルミも少し耐え切れなくなってきたのだろう、キルアにしたように手にオーラを纏わせ、スウとゴンに向けた。野生の勘で“なにか”を感じ取ったゴンは、反射的な動きでぱっと彼から離れる。

 そして、そこからネテロがハンターライセンスについての説明を再開した。秘書のマーメンが中心となり、数時間をかけて、ライセンスについての詳しい講義が行われ、ここに居る八名を新しくハンターとして認定する、という宣言がなされた。

 

「ギタラクル。キルアの行った場所を教えてもらう」

 そう言ったゴンに、イルミはちらりと目線を寄越した。

「やめた方がいいと思うよ」

「誰がやめるもんか。キルアはオレの友達だ! 絶対に連れ戻す!」

「……後ろの二人も同じかい?」

 ゴンが振り向くと、後ろにはレオリオとクラピカが立っていた。

「……いいだろう。教えたところでどうせたどりつけないし」

 イルミは口元に指を当て、やや遠くを見てから、言った。

 

「キルは自宅に戻っているはずだ。ククルーマウンテン、この頂上にオレ達一族の棲み家がある」

「……わかった」

 ゴンはそう言い、くるりと身体を翻すと、今度はネテロを見た。しかしイルミに対する険しい表情と違い、今の彼の表情は暗い。

「──ネテロさん」

「なにかな?」

「……シロノ、は?」

 やや震えたその声に、クラピカやレオリオ、他数名が、悲痛な表情を浮かべた。

「遺体は今、ホテルにある緊急用の霊安室に安置されとるよ」

「……会える?」

「構わんよ。じゃが、家族が引き取りに来るまでじゃ」

「……うん」

 

 

 

 マーメンに案内されて霊安室に向かおうとした三人であったが、その後ろ姿を、ハンゾーが呼び止める。

「よぉ」

「ああ、アンタか。……アンタも行くか? けっこう話してただろ、シロノと」

「あ?」

 レオリオに言われ、腕を組んだハンゾーは顔を顰める。

「フン。憎まれ口しか叩きあってねー奴が行ったってしょーがねーだろ」

「だが、」

「……それに、あんなチビの死体なんて寝覚めの悪いもん、見たくねえよ」

 早口だが重い声に、三人もそれ以上話すのをやめた。

「ま、呼び止めたのは他の用事でな。オレは国へ帰る。長いようで短い間だったが、楽しかったぜ」

 ハンゾーはそう言って、忍びにしてはやたら自己主張の激しい名刺を三人に配ると、背を向けて去った。そして次にポックルがクラピカに非礼を詫び、クラピカもまた謝罪をしたあと、彼もまた色々な情報交換をし、別れた。

 

 

 

 ホテル内にある霊安室は、地下にあった。暗くて寒いその部屋に、ポツンと寝台が置かれている。所々血が滲んだ白い布をそっと剥がすと、そこには小さな身体が横たわっていた。

 

「……シロノ」

 

 ゴンが、確かめるように呟いた。真っ白だった肌は今、更に白い。それはもう人間の顔色ではなく、大量に血が失われているせいもあるだろうか、まるで人工物の様な不自然な白色をしていた。

 クラピカは、家族が大事か、と聞いた時、頬をピンク色にして笑ったシロノの表情を思い出し、顔を歪めた。きっと生きていると言ったあの言葉も、今度こそ粉々になってしまった、そんな気分とともに。

 

「……馬鹿野郎。医者になったら診てやるって言ったってな、死んじまったらどうにもならねえっつうの」

 レオリオが絞り出すように、苦しげに、そして悔しげに言った。そして下に置いてある白い棺桶を見て、「ほら見ろ、こんな縁起の悪いモン持って来るからだ」、と悪態に近い声を出す。

「……せっかくいい気分で合格できたと思ったのによ」

「レオリオ……」

「くそっ、後味悪ィ」

 レオリオは短い黒髪をばりばりと掻いたあと、必死に何かに耐える様な顔で、シロノの顔をまっすぐに見た。クラピカはそれを見て、レオリオという男の強さを実感した。自分は、あんな風にして彼女を見ることなど出来ない。

「脚の怪我、最後まで診てやれなくてゴメンな。そんで、お前のおかげで医者になれる。……ありがとうな、マジで」

 レオリオはそう言うと、指先でシロノの額にかかった髪を少しだけ梳くと、部屋を出て行った。クラピカは彼のようにはっきりとかける言葉が見つからず、しかしせめて、と、レオリオがしたように、シロノの髪に触れようとした。しかしその額の余りの冷たさに、どうしても指が震える。クラピカは唇を噛み、ぎゅっと拳を握って暫くしてから、踵を返した。

 

「……シロノ」

 

 ゴンは、死体を見たことは初めてではない。くじら島でだって何度も葬式が出たし、今回の試験でも、沢山の死亡者が出た。しかし親しく会話を交わした人間が、しかも自分より歳下の子供が死ぬところを見たのは初めてのことだった。そして、それをしたのは、自分の友達。

 

「…………キルアを、恨まないであげて。……お願い。……ごめんね」

 

 バイバイ、とゴンは言って、目元をぐいと拭うと、部屋を出た。

 

 

 

 そしてゴンが出て行ってから、すっと二つの人影が、シロノの前に現れる。

 

「珍しいね、ヒソカが死者を気にするなんて」

「君もね♣」

 

 イルミとヒソカが、そこに居た。

「……ま、オレは、ウチの弟のドジのせいで悪かったな、と思ってね。謝ったって生き返るわけじゃないけど」

「死者にかける言葉なんか、全部自己満足でしょ? ……ああ、それにしても、ホントに死んじゃったんだねェ……?」

 ヒソカは、シロノの細くてまっすぐなショートボブを、さらりと手で掬った。

 

「……残念♠」

 

 キミの言葉の意味を知ることが出来なかったね、と、ヒソカは珍しく片眉を上げて、表情らしい表情を作った。自分が、過去にとらわれることのない性格で良かったとヒソカは思う。こんな、喉に心当たりのない何かが引っかかっている様な状態がいつまでも続くなんて事は、遠慮したい。

「で、どうすんの? クロロ来るみたいだけど」

「うーん、いや、ボクはもう行くよ♦」

 青い果実が美味しく育つのを待つのさ、とヒソカは言った。……そうすれば、青い果実かもしれなかった、もしかしたらもっと違う何かだったかもしれなかった小さな女の子のことなんて、さっさと忘れてしまうだろうから。

 部屋を出て行くヒソカの背を見遣ってから、イルミは一歩進み出て、シロノの顔を覗き込んだ。いつ置いたものやら、シロノの身体の上には、手向けの花代わりのつもりだろうか、赤いハートの女王がひらりと置いてある。しかしイルミの懐にあるのは、無骨な針くらいだ。

 ふむ、とイルミは思案して、呟いた。

 

「……オレ(殺し屋)は、何も持ってないからね」

 

 そう言って、イルミはシロノに軽くキスをした。

 以前映画でこんなシーンを見た気がするから、というなんとなくな理由からくる行動だったが、冷たい感触に顔を顰めて、少し後悔した。やっぱり死体にキスなんてするものではない。狂気の沙汰だな、とイルミはひとつ賢くなってから、背を向けた。

「さよなら。三次試験は、結構楽しかったよ」

 

 去っていくイルミには、風もないのにふわりとハートの女王が床に落ちたことなど、知る由もなかった。

 

 

 



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No.014/ハラヘリ・リビングデッド

 

 

 

「そろそろ最終じゃない? 受かってるかなー、シロ」

「読書感想文がかかってるからな。死ぬ気でやるだろ」

 

 あいつ机に向かって勉強するの死ぬほど嫌いだからなあ、とフィンクスが雑誌を捲りながら言う。お前と同じ操作系とは思えねーよな、とも言うと、シャルナークはけらけらと笑ってエンターキイを叩いた。

「ワタシが作た獲物持て行たね、負けてるわけないよ」

「ああ、あのドS根性が炸裂した拷問武器な……」

「何かノブナガ、ワタシのセンスに文句があるか」

「……ねえよ」

 ぎろりと睨むフェイタンから目を逸らし、ノブナガは愛刀の手入れに没頭した。

「……収納ケース作るの大変だったよ、あの武器」

「でもうまくカモフラージュできてるじゃない。ケースに入れてればコウモリの羽みたいでカワイイものね。あんな極悪な武器が入ってるとは思わないわ」

「そう? ならいいんだけどさ」

 パクノダの評価にマチは満足し、また何やら縫い始めた。今度は何を作っているんだ、とパクノダが尋ねると、今度はなんと気合を入れて振り袖を繕っているらしい。しかも三枚も。

 

「あら、いいわね振り袖。あの子あんまり女の子女の子した格好好きじゃないみたいだけど……私はもっと着て欲しいわ、レースとかフリルとか。せめてスカート」

「パクの選ぶのはかなりヒラヒラだもんね」

「自分に似合わないから似合う子に着せて眺めたいのよ。というか、マチやシズクもきっと似合うと思うのよね。一回着てみてよ」

「冗談。何の罰ゲームだよ」

 華やかな会話を交わす女性団員二人を、男共が遠巻きに眺める。

 

「──なんでお前ら帰らないんだ?」

 

 シロノが試験を受けにいく、と聞いて集まってからいっこうに本拠地ホームから去ろうとしない団員達に、本を持ったクロロは呆れたようにそう言った。

 

「帰らないって団長、ここが俺らのホームだろが」

「いやそうだが……。いつもはこんなに長く居ないだろう」

「ウボーとシズクはどっか出てったぜ? ボノは最初から来てねーし」

 そう言うと、ノブナガは再び日本刀に向き直った。

「……お前ら、シロノに構いすぎだ。あいつのことになるとなんでこう集合率が高いんだ?」

「シロノがいないとまともな生活もままならない団長に言われたくないなあ」

 ふう、と溜め息をつくクロロに、シャルナークがタイピングを休めずに言う。

 

「団長、シロノがいなくてマンションゴミ屋敷にして本拠地ホームに来たんでしょ? シロノと暮らすようになってから団長の生活水準メチャクチャマトモになったけどさ、その分もうシロノいないと生活できない域にきてるよね」

「あー、それは確かに。弟子だか娘だか嫁だかもうわかんねーよな」

「嫁はないでしょ」

「でも仕事ねえ時のあいつの生活、まんま主婦じゃねーか」

「……シロノの料理の腕、また上がった」

 ぼそりとコルトピが言い、携帯の画面を皆に見せた。そこには華やかな団子状の料理の添付写真とともに、《新しいレシピゲットー! 帰ったら作るね》というメッセージが添えられている。刀を組み立て終わったノブナガが、その画面を覗き込んだ。

 

「おお、美味そうじゃねーか。散らしズシみてえ」

「前はホットケーキしか作れなかったのに、成長したわねえ」

「パク、ババくせー」

「殺すわよ」

「あっぶね! 撃ってから言うな!」

 風穴が空いたソファでフィンクスが文句をたれるが、誰も彼の味方はしない。女に年齢の話をする方が悪いのだ。

 

 その時、電子音がした。クロロがポケットから携帯電話を取り出すと、画面には『シロノ』と名前が出ている。

 

「お? 合格報告か?」

「さあな」

 にやりと笑うフィンクスを視界の端に、クロロは電話を取った。

「どうした?」

 

《──クロロ・ルシルフル殿かな?》

 

「…………誰だ」

 クロロが声のトーンを下げてそう言ったので、全員がすっと表情を変える。子蜘蛛と言えど、シロノが念も使えないそこいらの人間に携帯を取られるということはあり得ない。

《ハンター協会会長の、ネテロじゃよ。普通の電話からかけてもとらんかと思ってな、シロノのものを借りたんじゃが》

「……ハンター協会会長?」

 クロロが聞き返す。ちなみにシャルナークが特殊なフィルターを装備させているこの携帯は、登録している番号でないとそんな番号はない、という音声が流れるようになっているため、ネテロの対処は当たりである。

《確認するが、今期のハンター試験を受験したシロノさんの保護者で、クロロ・ルシルフル殿。……で間違いないかの》

「ああ、そうだ。保護者連絡先にこの携帯を記入した」

《うむ》

「何の用だ?」

 そう言ったきり、クロロは黙った。ハンター協会の会長とやらの話を聞いているのだろう。

 ……しかし、団員達は訝しげに顔を歪めた。クロロが相槌一つ打たないまま、しかもどんどん無表情になっていくのである。しまいには、団員でさえぞっとする様な顔つきになってしまった。

「──……わかった、確認しに行く。……ああ、今からだ」

「……どしたの、団長」

 ピ、と電話を切ったクロロに、マチが顔を顰めて尋ねる。クロロは焦点が合っているのか居ないのかわからない顔で、ぼそりと言った。

「死んだ」

「は?」

 

「シロノが死んだ」

 

 シン、と部屋が静まり返った。

「……ちょっと、何の冗談」

「遺体の確認と引き取りに、協会運営の◯◯ホテルまで行く。シャルナーク、飛行船のチケットを取れ」

「団長!」

 マチが叫ぶ。縫いかけの振り袖が床に落ちた。

「冗談にしたってタチ悪いよ!?」

「冗談じゃない。シロノは死んだ。最終試験で」

「……嘘、だろ」

 フィンクスが、そう呟いて顔を歪めた。

「あいつがハンター試験ごときで死ぬかよ! チビたぁいえ、蜘蛛だぞ!?」

「何かの間違いじゃないの?」

 パクノダが言うが、クロロは首を振った。

「名前、身体的特徴、全て確認したがシロノに間違いない。心臓を潰されて即死だそうだ」

 

「──誰がやった」

 

 ゆらり、と、殺気を漂わせながらノブナガが立ち上がった。

「誰がやった。殺してやる」

「事故だそうだ」

「そんなわけあるか!」

 大声とともに、ビリビリと殺気が充満する。

「ノブナガ、落ち着け」

「落ち着いてられるか! 団長、俺も行くぜ。場合によっちゃそのネテロとかいうジジイ、叩っ斬ってやる」

「団長、アタシも行く」

「私も……」

「落ち着けと言っているだろう、お前ら」

 静かだが強いクロロの口調に、団員達が黙った。

「……プロハンターが詰めている場所だからな。俺も一人で行く気じゃなかったが、さすがに旅団総出はまずい。俺の他に三人までだ、あとは許さん」

「──わかったよ」

 その後話し合いやらコインやらでメンバーが決まり、クロロの他にノブナガ、マチ、そしてシャルナークが同行することとなり、彼らはシャルナークがとった飛行船のチケットで、すぐに目的地へ向かった。

 

 

 

++++++++++++++++++++++++++++

 

 

 

「……残念だわ、ホントに」

「そうだねえ……」

 家族が引き取りにくる前にお別れを、とシロノの遺体の前に椅子を持ってきたメンチは重々しく言い、彼女の後ろに立ったブハラもまた、重い声で返事をした。

「良い子だったのに……。料理のセンスもあったし、レシピも書いたげたのに」

「そうだねえ……」

「アンタ、そうだねえばっかりじゃないの」

「そうだねえ……」

 メンチは諦め、はあ、と息をついた。

「時の運とはいえ、後味悪いわねえ……。あら、コレ何?」

 椅子の脚が踏んでいる何かに気付き、メンチがしゃがんだ。手に取ったそれは、赤いハートの女王。

「……トランプ……ってことは、もしかしてあの44番?」

「花代わり、かな」

「ふうん……。知り合いってのはホントみたいね。ていうかこんなコトするなんて、あれもまたヒトの子ってことなのかしら。……踏んじゃって悪かったわね」

 薄いプラ製のカードの汚れを擦って落とすと、メンチは立ち上がってそれを寝台に置こうとした、その時だった。

 

 ──見開いた透明な瞳と、目が合った。

 

「──ヒッ、ギャャアァァァアア!?!」

「うわっ、うわ、うわうわうわうわ」

 ガターン! と椅子をひっくり返してメンチが叫び、尻餅をついた。ブハラもまたおぼつかない足取りで転びそうになりながら、青くなって後ずさりする。

 目を開いただけなら、筋肉の反射かとも思う。しかしシロノはそうではなく、首自体が横を向いていた。そして無表情で瞬きすらしないまま、メンチ達をじっと見つめているのである。

 

「ななななな何!? なに!? これナニ!?」

「わわわわかんないよ、わかんないよおおおおおお」

 

 腰を抜かしたメンチはブハラの太い脚に縋り付くが、彼もまた壁に背を預けてブンブンと首を振るばかりで、まともな答えなど返せなかった。横を向いたシロノは、やはり瞬きもせずにじっとメンチたちを見つめている。

 そして、きろり、と透明な目が動いた。

「はぅん……~~~~~~~──……」

「わあああ! メンチッ、メンチしっかりしろ、やめて一人にしないで──ッ!」

 ふー……と倒れそうになったメンチを、涙目になったブハラが必死で揺する。その甲斐あってかメンチは辛うじて意識を取り戻したがしかし、覚醒するや否や、ブルブル震える指で、あるところを指差した。

 ブハラは心から見たくなかったが、ゆっくりとその方向に顔を向ける。

 指差した先には、ゆっくりと身体を起こしている、血塗れのシロノの姿があった。

 

「うわ──!」

「イヤ──!」

 

 とうとう泣きが入った二人は、思い切り叫んで逃げの体勢に入った。しかしなかば腰を抜かした二人は、ハンターとしては無様にもまともに歩くことも出来ず、メンチなど既に四つん這いに近い体勢だった。そしてその間にも、シロノはゆっくりと身体を起こし、ついに寝台から降りようとしていた。ぐちゃぐちゃに潰れた胸は赤黒く、顔色は不自然なほどに真っ白い。薄暗い霊安室の中で、その肌と銀髪だけが、淡い燐光を放っている。

 

「──あ、」

 

 しかし寝台から降りようとしたシロノは、ほんの僅かな声を漏らし、ぐしゃりと床に崩れ落ちた。だがそれでもシロノは懸命に立ち上がろうとし、そしてズルズルと這いつくばる様な格好で、メンチたちのほうへ近付いてくる。

「ナニコレナニコレナニコレ──ッ?!」

「ああああああああああ」

 時間が経ってドス黒くなった血の跡を付けながら這ってくる真っ白な少女の姿に、二人はもう泣きながら、ひたすらブンブン首を振っていた。パニックのあまりドアがどこにあるかも思い出せなくなっている。

 

「あ…………」

「いやあああああ助けてカミサマホトケサマ味皇サマ──ッ!」

「……お…………た……」

「成仏して──ッ!」

「………………か…………た……」

「…………え?」

「……何か、言って、る……?」

 ガタガタ震えながら身を竦ませていた二人だが、シロノが小さな声で何か言っていることに気付き、ほんの僅かに身体から力を抜いた。

 

「………………なか…………す…………た……」

「……へ?」

「…………おなか……すい……た……」

 

 辛うじて聞き取れたそれは、美食ハンターの彼らにとって、とても身近で、親しみのある言葉だった。その言葉にハっとして思わずシロノを見ると、彼女はぜえぜえと苦しそうに息をつき、血塗れの身体を引きずっている。

 

「……食べさ、せ……」

「──って言われてもっ……!」

「な、何を食べさせれば……」

 何しろ胸に大穴があいているのだ、風邪をひいている人間にお粥を食べさせるのとはわけが違う。どうしたものかと二人がオロオロしていると、シロノはまた一歩這ってきた。

「食べ…………」

「わ、わわわわわかったわ! わかった! 何が食べたいのかなっ!?」

 多少意思疎通が出来るとわかったものの、さっきまで確かに死んでいた、そしてもちろん今も死んでいるべき、明らかに心臓のない血塗れの子供に這って来られては恐怖するなという方がおかしいだろう。二人は必死に壁に背中を押し付けながら、シロノに叫んだ。

「言ってごらん! 何が食べたいのっ!?」

 シロノは、すでにメンチの目の前に居る。そして血塗れの小さな手をぬっと伸ばし、彼女の手首をがっしと掴んだ。氷のように冷たい感触にメンチは声にならない叫びを上げ、失神しそうになるのを何とか堪える。そしてそれを見たブハラが、おそるおそる、引きつった妙な半笑いを浮かべながら言った。

 

「メ……メンチが食べたい、のかな……?」

「じょ、冗談じゃないわよ、おおおおおおう!?」

 

 人間は、恐怖のあまり全開の笑顔になることがある。まさにその状態に陥ったメンチは、掴まれた手を見てブンブンと首を振った。涙と汗が飛び散る。

「おなか……すい……」

「わ、わかった! わかったけどもっと別のモノで!」

「び、美食ハンターにも用意できるモノとできないモノがっ……!」

「…………………………美味し…………そう……」

「イヤアアアアアアアア──!」

 ブンブンと最も激しく首を振るメンチだが、シロノは更にメンチに近寄り、とうとう彼女にのしかかった。

「こ、ここまで熱烈に求められたのは初めてだけど嬉しくない──!」

「う…………」

 震える手でメンチがシロノを突き飛ばそうとした。が、少し力を入れただけで、シロノは苦しげな声を上げ、ずるりとメンチの脚に縋り付くようにして崩れ落ちてしまった。

「………………や……」

「あ……」

 今にも泣き出しそうな子供の顔はとても苦しそうで、メンチは思わず罪悪感を感じた。

 

 ──この子供は、飢えている。

 

「メ、メンチっ、だ、大丈夫──」

「……大丈夫」

 メンチの声は、震えていながらもしっかりとしていた。そしてメンチは初めてまっすぐにシロノを見た。浅く短く呼吸をするシロノはとても小さく、そして必死にメンチに向かって手を伸ばしている。

 

「……おなか、空いてるのね?」

「メンチ!?」

 何を言いだすのか、とブハラが焦るが、メンチの目は光を宿していた。仕事をする時の目だ、とブハラは気付き、ハっとする。

「……いいわ。こちとら美食ハンターよ、食べさせてあげようじゃないの」

「おいメンチ!? 本気かお前!?」

「うッさいッ! おなか空かした子供一人食べさせられなくて何が美食ハンターか!」

 メンチは腹に力の入った声でそう叫ぶと、背筋を伸ばし、どっかとそこに座り直した。

「腹を空かせた人間一人満足させてやれなかったなんて、一ツ星まで賜った美食ハンターメンチ、末代までの恥! ……さあどっからでもお食べ!」

「メンチ──!?」

 男前にも程があるよ! とブハラが叫ぶが、メンチは既にハラキリするサムライも裸足で逃げ出す潔さでもって、頑としてそこに座り込んでいる。

 

 そして、どこからでもお食べ、と言われた途端、シロノの目がふっと和らいだことにメンチは気付く。ああ、この子はこんなに飢えていたのか。ならば食べさせてやらねばなるまい。

 縋るようにして這ってきたシロノは、必死な様子でメンチの肩にしがみつく。首筋にかかる浅い呼吸は、生き物の口から漏れるはずはない冷気そのものだったが、メンチは目を閉じなかった。

「ありが……と……」

 小さく呟かれた言葉に、メンチはほんの僅かに微笑む。そうだ、この子はお礼と謝罪がちゃんとできる、とってもいい子だったではないか、と。

 

「……いただき……ま……す」

 

 だが礼儀正しく挨拶したシロノの口から鋭い真っ白な牙が覗いたのを見た瞬間、メンチはちょっとだけ後悔した。

 

 

 

 

 



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No.015/保護者面談

 

 

 

「いやいやいやいや……長く生きとると信じられんことに巡り会うもんじゃの~……」

 

 ホテルの大きなフカフカのソファに座ったネテロは、もう数度目かの同じ台詞を言った。

「で、二人とも大丈夫かの?」

「あんまり大丈夫じゃありません……」

 そう返すのは、メンチ、ブハラの美食ハンター二人である。ぐったりとしている二人は、既に何杯目かわからない自作の特製ドリンクを飲み干した。本来なら一日一杯でいいものだが、今はいくら飲んでも足りない気がする。

「うむ、しかし美食ハンターの鑑じゃな、二人とも」

「それはどうも……」

 ヂューッ、と音を立てて、メンチがドリンクをストローで吸い上げる。そしてそんな彼らを見ながら何やら読み物をしていたネテロが、突然顔を上げた。

 

「…………………………あ、いかん、忘れとった」

「何ですか」

「遺体引き取りに来いと、保護者に電話したんじゃった」

 

 ゴバ、と二人がドリンクを吹き出す。ルームサービスを受け取ってワゴンを押してきたサトツが、びくりと反応して脇に避けた。

 

「電話電話………………ってやっぱり出んわ。電話に出んわ。なんちゃって」

「寒い! ダジャレも現状も果てしなく寒い!」

「そこまで言わんでも。……まあどっちみち事情は説明せんといかんしなあ」

「ここに…………来るのですか?」

 サトツが、驚いた表情で言った。

「ちょっと嫌よアタシ! 幻影旅団になんて会いたくないわ! 帰る!」

「お、俺もちょっと……」

「落ち着け二人とも。それにそんなフラフラの状態で無茶言うでないわ」

「フラフラだから言ってんでしょうが! イヤァアアアイチャモンつけられて戦闘になったら万に一つも勝ち目ないわ! 殺される! 虫けらのように殺される!」

「コラコラ、極悪非道と名高い危険度A級賞金首だからといって、…………」

 

 シン、と部屋に静寂が訪れた。

 

「…………うん、無闇に襲ってくるとは限らんじゃろうが」

「説得力ゼロ!」

 わっ、とメンチが両手で顔を覆って嘆いた。

「そうですよ、肩書きだけでダッシュで地平線まで逃げたい人種です! 俺たちしがない美食ハンターですよ!?」

 ブハラもまた、重い身体を引きずって逃げようとするが、メンチと同じく腰が立たずにまともに歩けはしなかった。ネテロはやれやれ、と溜め息をついて醜態を晒す二人を眺めるが、その時、備え付けの電話が鳴った。内線であることを確認して出ると、相手は秘書のマーメンである。

 

《…………会長。……クロロ・ルシルフルと仰る方とお連れ様が三名お越しですが》

「うむ、わかった。通しなさい」

 カチャンと受話器を置き、絨毯に這いつくばる二人に今着いたそうだと伝えると、彼らは断末魔の勢いで叫んだ。

 

「来たあああ!?」

「しかも四人!? 死ぬのね!? アタシ死ぬのね!?」

「……ナマハゲが来たときの子供とてそんなに叫ばんぞ……」

 恐るべし幻影旅団、と、ネテロはぼそりと呟いた。

 

 

 

「──俺がクロロ・ルシルフルだ」

「遠方はるばる良く来たの。ワシがハンター協会会長のネテロじゃ」

 

 最上階、スィートルーム。

 アンティークのローテーブルを挟んで置かれた豪華な長いソファに、クロロとネテロがそれぞれ座っている。そしてクロロの後ろにはシャルナーク、ノブナガ、マチの三人が、ネテロの後ろにはメンチ、ブハラ、サトツの三人が立っていた。

 

(あれがクロロ・ルシルフルですか……意外と若いですね。あんな大きい子が居るようには見えません)

(余裕だねサトツさん……。俺は既にこの殺気で胃が痛いんだけど。人生で初めて食った物を戻しそうなんだけど)

(ってかあのチョンマゲ以外三人ともやたら美形なんだけど)

 何でそんなに余裕なんだよ二人とも、とブハラは突っ込みたかったが、対面している旅団員たちの殺気に口を噤んだ。特にチョンマゲ、……ノブナガの殺気はものすごいものがある。

 

「……それで、うちの」

「ああ、それなんじゃがのォ。実は重大なことを話さんといかん」

「──なんだと?」

 ビキ、と青筋を増やしたノブナガが言い、ネテロの後ろの三人は凄まじい殺気に冷や汗を流した。なんで世の中にはこんな食えもしないひたすら怖いだけの生き物が棲息しているのだろうか、という苦情を天に向かって呟きながら。

「順を追って話そう。最終試験は一対一のトーナメント戦だったんじゃが、シロノはその最中、事故によって命を落とした。心臓をひと突きで即死じゃった」

「あァ、そうだそこが大事なとこだ。誰だ、ウチのチビ殺したクソ野郎は」

「いや、大事なのはその次でな」

「──んだとこのジジイ!」

「ノブナガ、黙れ」

 ノブナガの凄まじい殺気の嵐に死にそうになっていた三名だったが、クロロのひとこともまた、ズンと鉄を飲み込まされたように重かった。そして若いながらもネテロとはまた違うタイプの貫禄を滲ませるクロロのそれは、ノブナガにも反論を許さない。

 ノブナガは殺気を収めぬままだったが、チッと舌打ちをしてそのまま黙った。

 

「……聞こう。それで?」

「うむ、それでじゃな、遺体をこのホテルの緊急用の霊安室に安置した。試験中親しくしていた受験者達が数名別れを言いにやって来て、そのあとこの後ろに居る美食ハンター二人も、霊安室に足を運んだ」

「美食ハンター?」

 声を上げたのは、シャルナークだった。

「もしかして、シロノにレシピ書いてくれたっていう一ツ星ハンター?」

「え、あ、そうですアタシです」

「やっぱりね。シロノからメールで散々自慢されたから」

「そ、そうですか……」

 一見金髪碧眼の美青年にそう言われ、メンチは微妙な表情で受け答えをした。これが違う場所であればメンチもそれなりに嬉しく思ったのだろうが、相手は幻影旅団。しかもシャルナークは、表情はそれはもう優しげな微笑であるのに、その殺気ときたら静かにドス黒く渦巻いているのである。ノブナガの率直な殺気よりもある意味怖い。

「で、ここからが本題じゃ。二人が別れを惜しんどると、シロノが目を覚ましてな」

 

「──………………………………………………は?」

 

 かなりの間の後に発された蜘蛛達のその声は、ややひっくり返っていた。そしてその瞬間、あれほど物凄かった殺気がフっと和らいだのに、ハンター三人は少し目を丸くする。

「……ちょっと待て。電話では心臓をひと突き、胸に大穴が空いている状態だと」

「うむ、その通りじゃ。血液もほぼ全部流れ出とった……というか、心臓丸ごとと肺全部、脊椎が思いっきり破壊されとった。これ以上ないほど完璧に死んどったよ」

「ふざけてんの?」

 三人の中央に居る小柄な美女……マチが、突き刺さる様な氷点下の殺気を鋭く放つ。ハンター三人はヒイイと悲鳴を上げたい気満々だったが、ネテロはけろりと受け流し、先を続けた。

 

「ふざけとらんよ。シロノは完全に死んどったが──……しかし生き返った」

「生き返っただあ!?」

 ノブナガが大声を出した。他三人も、驚きで目を丸くしているか、訝しげに目を細めている。

 

「……どういうことだ?」

「ロマシャ、という民族をご存知ですか?」

 遺跡ハンターであるサトツが言い、クロロは彼をちらりと見上げてから答えた。

「……ヨルビアン大陸起源の、所謂ジプシーと呼ばれるタイプの移動型民族だ」

「ほお。さすがに博識じゃな」

 ネテロは感心したように頷きながら、顎髭を撫でた。サトツも「その通りです」と頷く。

「ロマシャは占いや音楽、踊りなどの技芸に優れ、旅芸人として各地を放浪するのが基本スタイルです。特に音楽に関しては歴史的に大きな貢献をしていますが、」

「しかしとくに宗教的な面で独特な神秘主義的な考え方と文化を持つため長い間偏見・差別の対象とされ、現在は数が激減している。今ではロマシャを自称していても放浪はせず、各地の自治区に定住している者がほとんどだ」

「……本当にお詳しいですね。あ、私、遺跡ハンターのサトツと申します」

「サトツ? 地域別アッセンブリッジ分類を提唱する論文を発表した学者ハンターか?」

「ご存知で?」

 サトツは驚いた顔をした。クロロは手を組み直してから言う。

「先月読んだ。なかなか興味深い論文だ」

「それは光栄です」

「……それで? アンタと民族考古学の論議をするのも面白そうだが、また次の機会にしてもらいたいんだがな」

「シロノはロマシャの生まれではないか?」

 単刀直入に、ネテロが言った。部屋がシンと静まり返る。

 

「……何故そんな事を聞く」

「今回のことを説明するのに必要な前提情報だからです」

 僅かにピリリとした空気を漂わせたクロロに、サトツはゆっくりと言う。クロロは一瞬黙ってから、静かに言った。

 

「……あれの母親がロマシャだ」

 

 クロロは己の膨大な知識の引き出しを検索し、探し出したそれを、素早く脳の一番前に持って来る。

 アケミは、ヨルビアン大陸のロマシャ自治区生まれだ。多くのロマシャの女がそうであるように、彼女は最低限の義務教育を受けたあと、時には娼婦を兼ね、祭りやイベントで呼ばれる踊り子、占い師などをして暮らしていた。

 だからクロロはロマシャに詳しく、そしてこれは既に団員全員が知っていることだ。だからロマシャというアケミに縁のある単語が出たことで、後ろの三人も黙ったのである。

 

「先程貴方が仰った通り、ロマシャの文化や宗教は独特なものです」

 落ち着いてはいるようでも、さすがにクロロたちの殺気に押されているのだろう、サトツは息をついてから言った。

「その中に、“アンデッド”というものがあるのをご存知ですか?」

「……ロマシャの伝承に登場する概念だ」

 ふう、と息をついてから、クロロは淡々と話しだす。

「ロマシャの人間が死ぬことで妖精や精霊のような存在となり、多くの神秘的な力を有して現世に戻り、ロマシャたちに助けを与えるとされる」

 古代エジプーシャの復活観と似た考え方だが、死後の世界にて新たな生を得るというエジプーシャの考え方と比べ、アンデッドはあくまで現世に、人ならざる存在として戻ってくるという所が最大のポイントだ。吸血鬼や狼男、魔女などの伝説はロマシャのアンデッドが由来とする学者も多い──

 そこまでクロロが言うと、サトツは驚きに目を見開いた。

「お見事です。本当に博識でいらっしゃいますね」

「しかし、お伽噺だ」

「それが違うのですよ」

 サトツは何やら紙束と本を数冊取り出した。クロロが来るまでネテロが読んでいたものだ。

 

「移動型の民族である上に文字伝承を持たないロマシャには、生憎と物的遺物がほとんど存在しません。そのため遺跡ハンターの私はやや専門外でしてね。そういうわけで、色々ツテを使って今回初めて調べてみたのですが……これが資料です。どうぞ」

 サトツが、紙の束と古い本をクロロに手渡した。クロロはそれを受け取り、紙束の方にざっと目を通す。そして数分かけていくらかを読んだあと、クロロの目が僅かに見開かれた。

「……これは」

「そう。ロマシャでいう“アンデッド”という存在は、生前は至って普通の人間ですが、一度死ぬと特質系の能力者として生き返るという性質を持つ人間の事です」

「──シロノが、それだと?」

「おい、マジかよ」

 ノブナガが、資料を覗き込む。シャルナークも本の一冊を手に取り、ぱらぱらと捲り始めた。

 

「ファンタジーだと思われていたモンスターたちが、実は特異な能力者たちだったと?」

「そうじゃ、夢のある話じゃろ?」

 ネテロが言った。

「アンデッドの能力は多彩で一概には言えんようじゃが、ジプシー、ロマシャといえば魔女、というイメージはこのアンデッドたちの能力の特異性から来とるんじゃろうな」

「……興味深いな」

「なるほどねえ……」

 シャルナークが、魔女の挿絵の載ったページを眺めながら言った。真っ黒い渦を巻いていた殺気は、やや薄くなっている。

「どんなアンデッドになるかは、死んでみるまで本人にもわからんが……シロノは『ヴァンパイア』……俗に吸血鬼とかドラキュラとかいわれるタイプのアンデッドのようじゃ」

「吸血鬼ィ? あいつが血ィ吸うようになったってか!?」

 ノブナガが言うが、ネテロは首を振った。

「いやいや、シロノは血液自体を摂取することはない。アンデッド一族のヴァンパイアとは、つまり他人のオーラを吸い取って自分のものに出来るという能力を持った者のことじゃ」

「他人のオーラを吸い取る……!?」

 クロロたちが、驚愕の表情を浮かべた。ネテロはゆったりと頷く。

「そう。使える能力も多いが、多くの制約に最も縛られやすいアンデッドじゃな。能力的な問題だけでなく、普段の生活から日光、また炎に著しく弱い場合がほとんどらしいが、前からシロノはそれらしい体質を持っとったのではないか? アンデッドになる素養がある者は、死ぬ前から少し兆候が現れている場合があるようじゃしな」

「……あー」

 思い当たることがあり、ノブナガが天を仰ぐ。シロノは元々日光過敏症で、年々その症状が重くなっていた。

 

「まあ、過去には実際に血も飲むヴァンパイアも居て、そのせいで気味悪がられて今に至るんじゃろうな。ホレ、“こうすれば念や能力が強くなる気がする”という自分ルールを作れば本当に能力が上がるじゃろ? それに「実際に血を飲む」というルールを用いた者がいた、ということじゃよ」

「ああ……なるほど」

 クロロは怖いほど真剣な目で、物凄い早さで資料を読みながら、ネテロの話を聞いていた。

「ヴァンパイアは、己自身が持っているオーラの量が極端に少ない。最低限、一般人として生きていけるだけのオーラ──にしたって少ないかもしれんな。そのくらいのオーラしか生み出せん、何もしなければ最も弱い種族じゃ。しかし、他人からいくらでもオーラを吸い取り、無限にオーラの絶対量を増やすことが出来る」

「──無限?」

 クロロたちが、目を丸くする。オーラの絶対量を無限に増やせるなど、凄まじいことだ。

「うむ、無限じゃ。これが、ヴァンパイアがアンデッドの中でも最弱且つ最強と言われる所以じゃよ。そしてオーラの絶対量を多く保っておれば、もちろん能力を増やすことも可能になる。……ま、使った分のオーラはきっちり減るがな」

「……食事で取ったカロリーを消費するのと同じように?」

「うむ」

 ネテロは頷いた。

 

「そうそう、シロノが生前何系の能力者だったかは知らんが、その時の系統が使える能力にも影響を与えとるはずじゃ」

「ふむ」

 シロノは操作系、……だった。そうすれば、吸血鬼らしく動物を操ったり、血、いやオーラを吸った対象を奴隷のように服従させる能力だろうか、とクロロは想像した。

「アンデッドの素養を持つ人間がアンデッドとして生き返るには、死んだあと他人がオーラを当てて、アンデッドとしての第二の精孔を開く必要があるんじゃが……。こっちの二人は覚えがないと言うとってな」

「あ、それなんですけど。あの子の身体に、ちょっとだけオーラが残留したハートの女王のトランプが落ちてたんですよ。でも精孔を開くにはオーラが少なすぎたんで、実際のところはわかりませんが」

「……トランプ?」

 何故か物凄く嫌そうな顔をしたマチに、情報提供をしたブハラが焦る。旅団でトランプと言えば、あいつしか居ない。今回試験に参加していたのなら、その持ち主は十中八九あいつだろう、とマチは溜め息をついた。あんなののオーラで目覚めるなんてシロノも可哀想に、という気持ちでもって。

 

「とにかく、どういうわけか、シロノは第二の精孔を開き、アンデッドとして生き返った」

 ネテロが仕切り直した。

「まあ、あとはその資料を読むがよい」

「なんだ、譲ってくれるのか?」

「やらねば盗む気じゃろうが。ワシが欲しくて集めたものでなし、それなら最初から気前よくやってしまった方が腹も立たんて」

「……よくわかってるな」

 一応自分たちが幻影旅団であることは一度も言っていないが、やはりバレバレであったらしい。くえない爺さんだな、とクロロは思いながら、うっすらと笑った。

 

「ではありがたく頂こう。……で? 肝心の生き返った本人はどこに居るんだ?」

 

 クロロがそう言ってネテロをまっすぐに見遣り、同時に三人から、今度は殺気ではないが、ピリリとした緊張感が発された。

 

「それなんじゃがなあ…………ここには居らん。ぶっちゃけると逃げられた」

「は?」

 シャルナークがぽかんとした顔をし、マチ、ノブナガの表情が歪んだ。

 

「いやあ、元気になってから色々話を聞いとったんじゃが、生き返ったとはいえ試験中から試験終了後までは確かに死んどったんで残念ながらハンターライセンスはやれん、あともうすぐお主らがここに来るぞと言った途端」

 

 “世界名作全集が!” とかなんとか叫んで飛び出していってしもうた、とネテロはポリポリと頭を掻く。

 そしてその話を聞いた途端、クロロが片手で顔を覆って、盛大な溜め息を吐いた。

 

 

 



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No.016/コール アンド ブラックジョーク

 

「しかしまあ元気になっとったから大丈夫じゃとは思うが」

「……ヴァンパイアは自分自身のオーラの量は極端に少ない、とか言ってなかった?」

 マチが眉を顰めたまま聞くと、ネテロは頷いた。

 

「うむ。ヴァンパイアになったシロノは生き返った時、極端にオーラの量が少なくなっとった。よくわからんのだが、ヴァンパイアたちはオーラが足りなくなると、空腹感に似た一種の飢餓感を感じるらしい。生き返るなりオーラ不足で息も絶え絶えな状態じゃったシロノは、その飢餓感に任せるままに、こっちの美食ハンター二人のオーラをギリギリまで吸って元気になった、というわけじゃ」

「……その二人の?」

 クロロたち四人全員が、メンチとブハラを見た。二人はビクっと身を竦ませるが、その視線に先程までの様な凄まじい殺気はない。

「そ。おかげで見ての通りフラフラじゃ。言うておくが、その時のシロノは無敵のヴァンパイアどころか、最低限のオーラしか持っとらん上に胸に大穴、生まれたての子猫より弱っちい状態じゃった。それで美食ハンターとはいえ一ツ星の彼らのオーラを吸うことが出来たのは、ひとえにこの二人の素晴らしいプロハンター根性にある」

 

 ──腹を空かせた子供一人満足させてやれず、何が美食ハンターか。

 

 血塗れゾンビ状態で生き返ったシロノにビビリながらもそう居直ったメンチは、何をされるのかもわからないまま、シロノに身を差し出した。そしてギリギリまでオーラを吸わせ、そんな彼女の姿に覚悟を決めたブハラもまた、同じようにオーラを差し出したのだ、とネテロは二人を大いに褒めながら説明した。

 

「その甲斐あって、シロノはアンデッド特有の素晴らしい自己回復能力を発動させることができた。心臓を己で修復、再生。胸の大穴その他の傷は全て完治」

「ほお?」

「そのあとこっちに居る遺跡ハンターのサトツのオーラも多少吸って、すっかり元通りになっとった。胸に大穴あいとったというのに、跡も残っとらんかったよ。一応医者にも見せたが、全くもって健康体、だそうじゃ」

「……本当か?」

「どうぞ」

 ノブナガが訝しげな顔をすると、サトツが医者の診断書を出してきた。

「しかしこんなものより、本人に確認した方が早いのではないですか?」

「なに?」

「荷物は全て放り投げて出て行ってしまいましたが、携帯は持っていったようですよ。かけてみては?」

 あっさりとそう言われ、団員達が顔を見合わせる。

 

「……シャル」

「……うん」

 

 クロロに言われ、シャルナークが携帯を取り出し、いくつかのボタンをプッシュする。半信半疑の強い緊張感が漂う中、長いコール音がぷつりと途切れた。シャルナークが、恐る恐る声を出す。

 

「──シロ……?」

《あ、シャル兄? よかったー、パパかと思った》

 

 聞き慣れた能天気な声は、思わず聴覚を強化していた全員にはっきりと聞こえた。

 

「……シロ、生きてるの?」

《生きてるよ?》

 あっけらかんとした返答だったが、シャルナークは緊張感を緩めず、念のため言った。

「そう。……ああそうだ、前美味しいって言ってた店のゼリーだけど」

《ゼリーじゃなくてプリンだよ。カラメルと生クリームたっぷりのやつ》

「俺のパソコンのデスクトップの壁紙は?」

《前に街で撮った子猫の写真。パク姉と出掛けた時に撮って、かわいかったからシャル兄にあげたでしょ》

「……本物、だと思う」

「代われ!」

 隣でじっと声を聞いていたノブナガが、シャルナークから電話をひったくった。

 

「おいシロ! お前今どこに居る!?」

《わ、ノブ兄? どしたの》

「どしたの、じゃねえよお前! あーもー生きてんな!? 無事だな!? ボケが!」

《ボケって……》

「ボケはボケだ! あーくっそビビらせてんじゃねーよボケ!」

「代わって」

 今度はマチが電話を取った。

「──シロノ?」

《マチ姉? あっゴメン、服でっかい穴……、ジャケットは破れてないんだけど血塗れになっちゃった。洗ったら落ちるかなあ》

「………………ほんとに生きてんだね。……いいよ、新しく作ったげるから」

 フ──……と、マチの身体から緊張が抜けた。

 

「……色々あったみたいだけど、生きてるんだね」

《マチ姉……もう知ってるの?》

「うん」

《そっか。ありがとう》

「いいよ。じゃあ団長に代わるから」

《いや──!》

 それが一番イヤ──! という声が、聴力を強化しなくても携帯から聞こえた。しかしマチはそれを無視し、ソファに座るクロロに携帯を渡した。

 

「もしもし。生きてるようだなこの落第者」

《ご、ごめんなさい……》

 受話器越しのシロノの声は、気の毒なほど震えていた。

《……あのね、あの、パパ、読書感想文なんだけ》

「ああ、帰って来たら書かせるから。あと訓練五倍」

 ぎゃー、という悲痛な叫びが聞こえた。ちなみに、世界名作全集は既に購入済みである。

 

「……で? 今どこにいるんだ、お前」

《えっとね、パドキア。シルバおじさんち》

「は? なんでゾルディックなんかにいるんだ?」

 ゾルディック、という言葉を聞いて、団員三人がどうしたのか、という顔をする。シロノは試験にシルバの長男と三男が参加していたこと、また親しくなったこと、三男にすぐ伝えたいことがあったのでここに来たことなどを話した。

 

「試験に参加していた十二歳の少年というのは、ゾルディックの三男だったのか?」

《そうだよ。キルアっていうの》

「長男というのはイルミか」

《あれ? パパ、イルミちゃんと知り合い?》

 イルミちゃんて! とシャルナークが思わず言った。

 相変わらずものすごい人間をものすごい呼び方で呼ぶなあ、と呆れと感心が混ざった声で言いながら、彼は乾いた笑いとともに溜め息をつく。ちなみにイルミは、ヒソカが入団して半年くらいあとくらいから仕事の関係で連絡を取るようになっている。

 

《ってか、イルミちゃんにも用あるんだよね》

「お前が? イルミに?」

《えっと……あたしが生き返ったのは知ってるよね、パパ》

 ああ、とクロロは頷いた。そして今さらであるが、ハンター教会が運営するホテルに遺体を引き取りにきて、ネテロにお前についての説明を受けた、とも。

《じゃ、ネテロさんから全部聞いてるんだね。あたしもネテロさんから説明してもらったんだ。ちょっとびっくりしたけど、ママからほんのちょっとは聞いてたし。今まで全然意味わかってなかったんだけどね》

「そうか」

《ねえ、そこにメンチさんていう人居る? 美食ハンターの女の人》

 

 クロロはそう言われ、対面にいるメンチをちらりと見た。いきなりクロロから見られてメンチはビクッと肩を震わせ冷や汗をかいたが、クロロは彼女を確認しただけで、すぐ目線を外した。メンチは頭の上にクエスチョンマークを浮かべている。

《すっごい助けてもらったんだよ。あのね、あたし、生き返った時すごくおなか空いてたの。それでメンチさんがすごく美味しそうで、でもあたし全然力出なかったから、無理だろうなって思った。でもメンチさんが食べていいよって言ってくれた。あたし、あの時メンチさんがそう言ってじっとしててくれなかったら、また死んでたよ》

 わかるもん、とシロノは言った。

《あたしもいっぱいお礼言ったけど、どうやって返したらいいかわかんないくらい。だからねパパ、特にメンチさんと、あとブハラさんとサトツさんね、オーラ貰ったの。殺気とかぶつけないでね》

「すまん、手遅れだ」

《え──ッ! パパのバカ! ばかー!》

 ぎゃーぎゃー喚きだしたシロノの声が煩いのか、クロロは携帯電話を数秒耳から離した。

 

「わかったわかった。俺たちも礼を言っておく」

《うん、そうしてくれると嬉しいな。何もしないでね。約束してね》

「ああ。約束する」

 あの日から、約束してね、と言って約束したことだけは、クロロは嘘をつかない。シロノはホっと安心して息をついた。

「それで、イルミに何の用なんだ?」

《えーとね、あたしを生き返らせたのイルミちゃんなんだよね》

 その言葉に、クロロは少し目を見開く。

 

「イルミが?」

《うん。その前にもちょっとだけオーラが感じられたけど、あれ多分ヒーちゃんの》

「ああ、トランプか」

《そうそれ、多分ね。でもオーラが少なすぎたし、ちょっと撫でられた程度の感じはしたけど、すぐ意識沈んじゃったんだ。でもそのあとさあ、イルミちゃんがチューしてきたの》

「……は?」

 クロロは、理解できないものを見る様な目をした。

 

《ヒーちゃんのトランプでほとんど寝てるけどうとうと、みたいな状態のところでイルミちゃんにチューされてオーラがぶわってきて、完全に起きた》

「……待て。お前その時死んでたんじゃなかったか」

《死んでたよ。よくわかんないけど、魂? みたいなのの状態での意識はあったけど、ていうか心臓なかったし、身体は完全に死んでた》

「でもキスされたのか」

《うん。起きれたから一応お礼言っとくかなあっていうのと、なんでチューなんかしたんだろうっていうの聞こうと思って。それが用》

 

 シロノの第二の精孔が開いた原因は、殺人奇術師が残したハートの女王ではなく、殺し屋王子によるキスであったらしい。

 しかしなるほど、触れるだけのそれだったとしても直接、しかも最も内部に影響しやすい口から直接吹き込む形になったそれは、僅かなオーラであっても効果は大きいだろう。

 

「あいつ、ロリコンの上に屍姦趣味(ネクロフィリア)か? 立派に変態だな、知らなかった」

《ロリコンはわかるけどネクロ……って何?》

「シルバ氏に聞け」

 さらりと言ったクロロに、「うわーこの人あわよくば他人の家庭にでかい波紋呼び起こす気だよ」とシャルナークが乾いた笑いを浮かべた。

 シロノはといえば「ブラコンなのは知ってるけどなあ」とかなんとか思っていたのだが、それは本人しか知らない。

 

 その後クロロとシロノは何言かのやり取りを交わすと、電話を切った。

 

「……ねえ。ロリコンとか屍姦趣味(ネクロフィリア)とか不穏な単語が出てたんだけど」

 訝しげな表情で聞いてくるマチに、クロロはシャルナークに携帯を返しながら「ああ」と相槌を打った。

「ロリコンの屍姦趣味(ネクロフィリア)にファーストキスを奪われたそうだ。赤飯を炊いてやれ」

「思いっきり変質者じゃねーか! 何が赤飯だ、塩撒け塩!」

 ノブナガが、クロロが座っているソファの背をバンバンと平手で叩いた。

 

「まあとにかく、あいつは今パドキアのゾルディック家にいるそうだ。そのあと一度帰ってくると」

「そっか」

 シャルナークが、殺気も何もない笑顔でにっこりと頷いた。今の彼を見て、彼がA級首の盗賊団の一員だと思うものはまず居ないだろう。そして部屋の中に渦巻いていた殺気がすっかりなくなったその時、ネテロが言う。

「……まあ、そんなわけじゃ。納得して頂けたかな?」

「ああ。……うちの者が世話になった。礼を言う。先程までの非礼についても謝罪しよう」

 表情を和らげたクロロがそう言ったので、ネテロの後ろに立っていたハンター三人がやや驚いた表情を浮かべた。

 

「メンチさん、といったかな」

「はい!?」

 名指しで呼ばれた上に微笑まれ、メンチは背筋を硬直させて、ひっくり返った声を出した。

「シロノがたいへん世話になったようだ。貴女がオーラを分け与えなかったら、生き返った早々死んでいたそうだからな。保護者として礼を言う。ありがとう」

「い、いいいいいいえ」

 にっこりと美しく微笑まれても、先程までの魔王の様な殺気を思えば恐ろしいことこの上ない。というのも、後ろの三人のあからさまに渦巻く殺気よりも、地底の奥底で静かに沈殿する様なクロロの殺気は、何より最も恐ろしかった。見えない足の下で、どこまで広がっているのかわからない真っ黒なマグマがぐらぐらと、しかしゆったりと流動するあの恐怖は、一度味わったら一生忘れられまい。

「へえ、そうなんだ。それはお礼言わなきゃね」

「なかなか肝の据わった姉ちゃんだ。ウチのチビが世話になった。殺気飛ばして悪かったな」

「ありがとう」

 すっかり殺気がなくなった三人がそう言うと、メンチは赤いのか青いのかよくわからない顔色の表情を引きつらせ、ブンブンと首を振った。

 

「ま、これで一件落着ってわけだ。人騒がせなガキだぜ」

「とにかく無事で良かったじゃないか。新しい能力にも目覚めたみたいだし」

 息を吐いて肩を落とすノブナガに、マチが言った。あはは、とシャルナークが笑う。

「まったくだよ。シロノがいなくなったら誰が団長の面倒見るんだって話だもんね」

「おいシャル。逆だろう、俺があれの面倒を見てるんだ」

「シロノがいないと爪切り一つ探せないくせによく言うよ」

 爪切り、というキーワードに、メンチとネテロはシロノの話が本当だったことを確信したが、メンチとしてはいまいち実感がない。この美しき闇の魔王の様な男から、娘が居ないと爪切りも探せないとか、掃除が壊滅的に下手だとか、あろうことかリビングのゴミバコに生ゴミを捨てた挙げ句に小バエが発生して文句をたれる様な生活感など全く感じられなかったからだ。

 しかしクロロはシャルナークの言葉に全く言い返せず、無言で彼から目を逸らした。ということは、あれは全て本当らしい。

 

「……うん? もしかして、お主は十期前のハンターライセンス保持者だったかの?」

「え、俺のこと覚えてるんですか?」

 ネテロがふと言ったそれに、シャルナークが驚きと呆れが混じった声で答える。

「少々印象的だったもんでな。大きくなったもんじゃ」

「はあ、どうも……。あっそうだ、俺、外でみんなにシロノの無事を知らせてくる」

「そうしてやれ。心配してピリピリしてるだろうからな」

 というのも、ここについてきているのは三人だが、実は結局他のメンバーも「何かあったときのための援護」という名目で、ホテル周辺にそれぞれ待機しているのだ。フィンクスあたりは今頃イライラが最高潮に達しているに違いないし、フェイタンなど、路地裏で何人かを通り魔的に拷問していてもおかしくない。

 

「了解。んじゃネテロ会長、俺はお先に失礼しますね」

 

 にっこりと笑って、シャルナークは携帯のボタンを押しながら部屋から出て行った。

 そのあとネテロとクロロはアンデッドについての質問と応答を繰り返し、また試験中のシロノの様子など話し、まるで学校の保護者面談の様な雰囲気のまま、席を立った。

 

 

 

「ではな、何のお構いもせんで」

「いや、こっちこそ何の手土産も持たず失礼した」

 

 手土産って何だ、盗品か。美食ハンター二人はそんな突っ込みを心の中に抱いたが、命が惜しいので黙っておいた。

「むしろ俺の方が色々と貰ってしまったな。いい資料だ、この短期間で集めたとは思えん」

 今ノブナガが背負っている白い棺桶の中には、アンデッドに関する文献が詰められている。

 シロノが置きっぱなしにしたそれの中には、鎖が千切れた“朱の海”も入っていて、今はクロロの指に嵌められている。「帰ったら色々聞くことがある」とクロロが指輪に向かってひっそりと呟けば、むっとしたような複雑なオーラが青と赤の宝石から漏れた。

「なあに、こちとらハンターじゃ。欲しいものを集めるのが仕事じゃよ。財宝然り、文化物然り、生き物然り、美味いもの然り」

 ネテロがそう言うと、クロロは目を細めて笑った。

「……賞金首然り?」

「わはははは!」

 いま世界で最も危険と言われている賞金首の首領と、それを捕まえるハンターの長は、そう言っておおいに笑いあった。ホテルのロビー、しかもハンター教会が運営するそこに、そんな二人の笑い声が響く。

 

「しかしお主らも腹が据わっとるの~、ハンターの巣窟に来るか普通」

「ハンターが怖くて盗賊が出来ると思うか? まあ、戦いになったらなったで困るんだが」

「ほほう?」

「敵が全員プロハンターだなんて、うちの連中涙流して喜ぶに決まってる。いくら俺でも、そこまではしゃいだあいつらを締める自信はないな」

 

 ──こんなブラック極まりないジョーク、目の前で聞きたくない。

 

 目の前で大笑いする二人に対して全く笑えていないハンター三人は、心の底からそう思った。胃が痛い、とやや顔を青くしたブハラが胸の下を押さえている。

「ま、今回はハンターと賞金首ではなく、試験官と保護者としての面談じゃからな。次はそうもいかんかもしれんが」

「ああ、理解している。……では失礼、ハンターさん達」

 また縁があれば、と言って、蜘蛛の首領はファーのついた黒のロングコートを翻した。

 逆十字のマークが遠ざかって見えなくなってから、メンチが、ドサリ、とロビーの椅子に倒れ込むように腰掛けた。

 

「……冗談。A級首な上に生ゴミをリビングのゴミバコに捨てるような男なんて、二度と会いたくないわ」

 

 

 

 




こういう展開なので、シロノのナンバーの「45」は「死後」とかけてたりします。





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【ゾルディック訪問編】
No.017/再会・殺し屋王子


 

 

 

「うう……感想文……」

 ピ、と携帯電話の通話終了ボタンを押したシロノは、凄まじく重いため息をついて肩を落とした。しかし実際にクロロに会って殺気をぶつけられながら言われるよりは、電話の方がいくらかマシであることは経験上あきらかだ。

 助かったんだと考えよう、とシロノは前向きに思い直して、再び携帯電話を操作した。

 ウサギ型の携帯電話のディスプレイに表示されているのは、今から向かう家の家長の名前。

 

《──なんだ、久しぶりだな》

 

 5コールめのあと聞こえてきた声は、相変わらずダンディだった。

「こんにちはー、シルバおじさん。あのね、キルアとイルミちゃんにちょっと用があるんだけど、今からおうちに行ってもいいですか?」

《ほう?》

 驚いたような、しかし面白がっているような声色だった。そしてシロノがイルミとキルアと共にハンター試験を受けたのだと言うことを聞くと、その声色は更に深くなる。

「今飛行船でパドキアに着いた所なんだけど」

《得意の無賃乗車か》

「まあね!」

《流石、蜘蛛の子だな》

 携帯電話の向こうから、低く喉で笑う声がした。シロノも笑う。

「あ、でも遊びに行くには今日はもう時間遅いよね。迷惑なら明日に……あー、電話代わってくれたら別にそれでも」

《いや、構わない。何なら泊まっていけ》

 シルバはあっさりそう言った。

 

《しかし……来るのはいいが、もうバスは出ていないぞ》

「走って行くからいいよ。山の上におうち見えてるから迷わないし」

 念使いであれば、この距離のマラソンなどわけはない。そして何言か言葉を交わしたあと、シロノは電話を切った。

「んー、相変わらず太っ腹……」

 シロノは一頻り感心してから、ふと自分の格好を見た。“他所に出掛けるときはきちんとした格好で”というのは、パクノダの言いつけである。しかしシロノにとって勝負服ともいえる“団長モデル”は、棺桶に突っ込んだまま置いてきてしまった。だがそもそも、ズタズタな上に血塗れになってしまったあれはもう着られない。

「……いいよね。だってフィンクスが“運動によし寛ぐによし出掛けるによし、あらゆる場面で着られる万能服、洗練されたオールマイティスタイル”って言ってたし」

 うん、とシロノは頷くと、“フィンクスモデル”、つまりジャージ姿で、夕陽に向かって走り出しつつ、もう一度携帯電話のボタンを押した。

 

「もしもし、キルア?」

 

 

 

 

 

 

 ゼブロは、一週間ほど前にやって来た“客候補”三人が疲れてすっかり眠ってしまってから、一服する為に外に出てきていた。空気が澄んだ森の中で吸う煙草は格別に美味い。これはゼブロの一日の締めくくりの日課であり、また楽しみでもある。

 つい先程夕陽が沈みきって星が瞬く空を見上げ、ぷはぁ、とゼブロが紫煙を吐き出した時、突然その音は響いた。

 

 ──ギィ、ゴォオン!

 

 長年ここに勤めているゼブロは、それが第三の門が開く音であることを音だけで聞き分けることができる。そして驚きのままに振り返ると、夕闇の中、きらりと光る二つのものがあった。

「ひっ」

 白く光っているそれが目であることに気付いたゼブロは、思わず声を上げた。

 彼は第一の門を開けられる力量があるだけあって、多少気配を読むことぐらいは出来る。しかしその光る目の持ち主は、全くもって気配というものがない。門の音がしなければ、入ってきた事になど絶対に気付かなかっただろう。

 

「あれ、こんにちは。あ、こんばんはかな?」

「へ、あ、はあ、……こんばんは……」

 驚いているゼブロに向けられたのは、あきらかに子供のものである、高い声だった。ゼブロは相手が子供であることに安心しつつも、かなり戸惑いながら挨拶を返した。

 月星の光は明るいが、鬱蒼と茂る木の影に居る子供の姿は、ゼブロからは全く見えない。低い位置で青白く猫のように光る目だけが、その位置を知らせていた。

「“小さい門はダミーだから大きい門から入れ”って言われたんですけど、大きい門って、今入ってきたあの門でいいんだよね?」

「あ、ああ……そうですが……」

 あなたは、と、ゼブロは呆気にとられながら尋ねた。

「キルアとイルミちゃんに会いに来ました。あ、シルバおじさんにはさっき行ってもいいかって電話して、いいって言ってもらったんだけど」

 

 ──どこから突っ込むべきか、とゼブロは呆然とした。

 この気配の消しかたといい、そして何より第三の門まで開けられたというのであれば、この子供はそれに見あう力量を持っているのだろう。そしてキルアに会いに来たというのは、今家の中で死んだように眠っているであろうゴンたちと同じ用件だ。

 しかし長男であるイルミにというのは、キルアに会いに来るということ以上にありえなかったし、そもそもちゃん付けで呼ぶなど更にありえない。そしてシルバに直通で電話をかけた挙げ句にこれまた“おじさん”などと……

 

「おうちはこの道真っすぐでいいんだよね?」

「え、ああ、」

「そっか。じゃあ」

「あ! か、懐中電灯……」

 ぐるぐると疑問の海に沈んでいたゼブロは、闇の中を駆け出した光る目に向かって、咄嗟に浮かんだ気遣いの言葉をかけた。庭と言っても、ほぼ山道であるここを歩くのは危険だからだ。

 すると、光る目が振り向いた。少し細まったその目は、笑っているようだった。

「大丈夫、見えるから!」

 ありがとう、と高い声は言い、音もなく居なくなってしまった。そして、土の道を駆け抜けたならば砂が擦れる音くらいするはずが、その瞬間は全くもって無音だった。気配もなければ足音さえもないという不気味な現象に、ゼブロは更に戸惑う。だが去り際に、ピ、という、携帯電話のプッシュ音のような小さな電子音が聞こえたような気がした。

 そしていつの間にかすっかり短くなっていた煙草が太い指を焦がし、ゼブロは「あちっ」という小さな叫びとともに我に返った。

 

「……なんだ、ありゃあ……」

 ぼそりと呟いたゼブロは、青白く光る目を思い出し、ぶるりと体を震わせる。そして風によって森ががさがさと鳴ったことで意味もなく不安になった彼は、そそくさと家の中に引き返したのだった。

 

 

 

 ──客人が来るので、出迎えろ。

 

 それはこのゾルディックに執事として仕えるようになって、最も少なかった命令だ、とゴトーは断言することが出来る。具体的に言えば片手で足りる数だ。しかもこんな日が暮れた時間の訪問となれば、本当に初めてのことだ。

 つい今しがた、執事用の無線で、第三の門が開けられたという報告を聞いた。キルアが開けられるのも第三の門であるので、その実力がゾルディックにやって来るにそれなりのものであることが知れる。

 ゴトーはいつもの無表情ながらもこれから来る訪問者のことを色々想像しながら、試しの門を開けてしまった侵入者を迎え撃つための場所に、姿勢正しく立っていた。いつもは見習いのカナリアが待機している場所であるが、家長直々に許した来客なので、執事長のゴトーがこうして迎えに出たのである。

 

「あのー」

 

 突然投げかけられた高い声に、びくっ、とゴトーは肩を跳ね上げさせた。慌てて真横上を見ると、簡易の門として打ち立てられた、すっかり苔むした低い石の柱の上に、小さな人影がある。客がこんなに小さな子供であったこと、しかもその目が青白くきらりと光っていることに、ゴトーは二重に驚いた。

 そしてシロノが声をかけてこなければ、ゴトーはシロノに気付かず、ひとりで本邸まで通してしまっていただろうということに、密かにぐっと拳を握り締めた。

「ここ真っすぐいくと、ゾルディックのおうち? でいいの?」

「シロノ様……、ですか?」

 全く気配を感じなかったことに戦きながらも、ゴトーは尋ねた。すると「そうだよ」とあっさりと答えが返って来る。

「お出迎えするよう命じられました。執事をしておりますゴトーです」

「シロノです」

「……いえ、知ってます」

「あ、そっか」

 さっき聞かれたよね、とシロノがへらっと笑う。間の抜けたやり取りに、ゴトーは内心気が抜けた。もっと恐ろしげで才能あふれるような人物を想像していたし実際にこの気配のなさは見事であるが、シロノの実に気安く軽い返答は、ゴトーの予想にかなり反していた。

「お迎えまで来てくれるなんて、すごいね」

 ストン、とシロノは柱の上から降りた。白い艶を持つ銀髪とまだまだ小柄な容姿に、雇い主を誰よりも敬愛する執事は、少々昔のキルアを思い出す。しかし、

(ジャージ……)

 さらに思いがけないその要素に、絶句もした。シルバ直々に客として招かれた、ジャージ姿の小さな子供。いよいよわけがわからない。

 しかし優秀な執事はそれをおくびにも出さず、シロノを屋敷に案内するべく歩き出した。

 

「ねえねえ、ゴトーさんってひつ……しつじ。執事さんですか」

 今ベタにひつじって言いかけなかったかこの子供。ゴトーは心の中でそう突っ込みつつも、「左様でございます」と返すと、シロノはあからさまに羨ましそうな目でゴトーを見上げた。

「メイドさんとかもいますか?」

「ええ、居りますよ」

「そっかあ、いいなあ、うちにも居れば洗濯したりパパが散らかしたの掃除したり好き嫌い多すぎのめんどくさいゴハンつくったり毎日しなくてもいいのになあ」

 ──小さい割に、何やら苦労をしているらしい。

 ゴトーはよくわからぬままそう思い、「そうですか」と当たり障りのない返答を返した。

「あっゴトーさん、ちょっと電話かけていいですか」

「構いませんよ」

 そう返すと、シロノはジャージのポケットからピンク色でウサギの形をした携帯電話を取り出し、手早く操作をした。

 

 

 

 結構な距離を歩いて辿り着いたゾルディック本邸は、屋敷というよりも城と言った方がいい位に大きかった。シロノは、ほえー、とぽっかり口を開けて辺りを見回し、そして時々通りがかるメイドに感動していると、あれよあれよという間に、こちらでお待ちくださいね、と高級そうな調度品の置かれた広い応接間に通された。

 しかしシルバは用事があるらしく、しばらくの間ここで時間を潰していて欲しい、と湯気の立つミルクティーを出された。老舗高級ホテルのロビーのような空間と着古したジャージはかなり不釣り合いだったが、フィンクスのジャージ理論を信じるシロノは、それを気にすることはない。

 壁の立派な柱時計がチクタクと鳴るのをBGMに、シロノは床に着かない足をぶらぶらさせて携帯を操作し、「キルアやっぱり寝てんのかなー」と呟いたあと、ゆっくりと紅茶を飲んだ。

「あ、イルミちゃんだ」

 そして数分もしないうちに、重厚な扉の向こうから現れた見知った顔が現れた。シロノを蘇らせた張本人であるその“王子さま”に、シロノは「やっほー」とひらひらと手を振る。──が、

 

 ──バタン。

 

 イルミは無表情のままドアを閉め、応接間から姿を消した。あれ、とシロノは首を傾げる。しかし数秒しないうちにドアが開かれ、再びイルミが現れた。ギタラクルとしてハンター試験に参加していた時の格好はヒソカとタメを張るほど奇抜だったが、さすがに自宅だからか、首周りが大きく開いた黒いカットソーに白いパンツという、ラフな姿をしている。

 

「……双子かなんか?」

「違うよ」

 とりあえず最も現実的だと思われる答えを弾き出したイルミだったが、即座に本人に否定され、無表情のまま首を傾げる。

「じゃあ幻覚? 幻覚見るような心当たりないんだけど」

「幻覚じゃないと思うよ。ってか幻覚だと思ってさっきドア閉めたの?」

「うん」

 イルミはこくりと頷いた。先程の首を傾げる仕草といい、成人男性がやる動作としては可愛らしすぎるような気もしたが、イルミがやると不思議としっくり来る。

「だって全く気配がないしさ」

「“絶”してるからね」

「ていうか死んだんじゃなかったっけ」

「死んだよ。でも生き返ったの」

「なんで?」

「イルミちゃんがチューしたからだよ」

 そう返すと、イルミは猫に似た目を丸くした。驚いているらしい。

「ほんとに?」

「うん。生き返らせてくれてありがとね。ねえねえ、ひとりで待ってるの暇だから相手してよイルミちゃん」

 イルミはまじまじとシロノを見つめながら、テーブルを迂回してシロノの側までやって来た。

 

「ねえ、あの時完全に死んでたよね? ほんとに生き返ったの?」

「イルミちゃんもしつこいなあ。目の前で生きてるでしょ。本人だよ」

「……まあオーラおんなじだけど」

 だから疑うべくもないのだが、まだ信じられないというような声色を残しつつ、イルミは言った。

「生き返る……。そういう能力かなんか?」

「能力っていうよりは家系らしいよ、っぐゃ!」

 色んな種類の叫びと呻きがブレンドされたような妙な声を上げてから、シロノは口をぱくぱくさせた。──シロノの喉の真っ正面に、イルミが投げた太い針がものすごい早さで飛んできて、向こう側にまで貫通したからだ。

 シロノはアンデッドとしての本能だろうか、ほぼ反射に近いスピードでオーラを喉に集中させ、喉から溢れ出ようとする血液を止めた。まだあまり慣れていないアンデッドとしての肉体操作だが、肉体をオーラによって回復させるというこの行為は、“絶”をすることによって肉体を休ませるのにとてもよく似ていて、シロノが蘇って変質した自分の身体に戸惑うことはさほどなかった。……そうでなくても、こうして生きるか死ぬかの瀬戸際であれば、火事場の馬鹿力が出せたかもしれないが。

 

「わあ、すごい死んでない」

 イルミは少し目を見開いて、見事に針がぶっ刺さった細い喉をまじまじと見る。

 しかしシロノが生理的な涙を浮かべて強く顔を顰め、しきりにその喉を指差し、口元をぱくぱくさせて声なき声で「抜いてよ!」と言うので、イルミはシロノに動かないように言ってから、刺さった軌道から微塵も逸れないようにして、ピシュンと見事に針を抜いた。

 シロノは穴の開いた喉を抑え、しばらく踞ったかと思うと、けほけほと咳払いをしてから「あー痛かった」と通常通りの声で言った。そしてその喉に針のあとなど少しも残っていないことに、イルミは再度感心したように「おお」と呻きを漏らす。しかしいきなり致命傷になり得る攻撃を食らったシロノは、イルミを下から涙目で睨み上げた。

「あっぶないな、なんでいきなり殺そうとすんの!?」

「だって死んでもキスすれば生き返るっていうからさ。見たいじゃん」

「“じゃん”って! ほんとに死んだらどうすんの!」

「死ななかったからいいだろ」

「よくないよ! 死ななくてもちゃんと痛いんだからね!」

 ぶーぶー不平を漏らすシロノに、イルミはかなりおざなりな口調で「ごめんね」と口にした。シロノにしてみればこの能面で可愛らしく「ね」などと言われても微妙な気持ちになるだけだったが、彼にそれ以上のことは期待できまいと諦め、はあとため息をついた。

 

「ねえ、どのぐらいまでなら平気なの? キルにやられた時、心臓とか脊椎とかイッてたよね? 頭とかやられても大丈夫なわけ?」

「ちょっとイルミちゃん何その針。何うきうきしてんの、やめてよヒーちゃんみたいな興味持つの」

「ごめん」

 さっきの「ね」とは裏腹に、イルミはわりと真摯な様子で謝罪を口にした。その上「気をつけるよ」とまで言ってきたので、どうやらヒソカと同列に見られるのが相当嫌であるらしい。

 

 実のところ、イルミの言う通り、オーラさえ充分であれば血が出なくなるまで出血してもなんとか動ける、くらいの確信がシロノにはある。しかしそれを試されるのは真っ平御免なので、「そうした方がいいよ」と真面目な顔で返しておいた。

 

「あー、紅茶もひっくり返っちゃったじゃん」

 針が刺さった拍子に床にぶちまけられた紅茶を、シロノは残念そうに見遣った。

「結構イケる紅茶だったのに。ちょっと舌にスパイシーすぎるけど」

「お客さんだから控えめにしてるはずなんだけど」

「出来れば控えめじゃなくてナシにしてほしい」

「慣れれば癖になるよ」

 ブランデー入れたりとかもするだろ、とイルミはさらりと言うが、酒と毒では大違いである。前者なら睡眠導入効果にもなろうが、後者は本当に永眠しかねない。こぼれた紅茶は、絨毯を奇妙な色に変色させ始めていた。

 しかしこれくらいの毒なら、シロノも何とか耐えられる。何故かというと、クロロが以前「ゾルディックは幼少の頃から食事に毒を混ぜて耐性をつけさせる」というのを聞いて影響されたからだ。どこかで面白い教育法を見つける度に即座に自分で試すクロロにうんざりしたのは正直一度や二度の話ではないが、今回のように時々感謝することもある。

 

「それにしたってよくここまで入って来れたね」

「ん? でもシルバおじさんに電話したら遊びにきてもいいって」

「……親父に直接コネクション持ってんの……?」

「えっとね、四年ぐらい前に会ってね、そんとき知り合った」

「四年前……?」

 いくら幻影旅団に属しているからと言って、シルバに直接繋がりを持っているなど、なかなかにありえないことだ。しかもシロノは子供だし、何よりまだまだ半人前だ。

 そしてイルミが更に質問を投げかけ、シロノはシルバとの出会いや、その後家出をしてシルバの仕事を手伝ったことなどを話した。

 

「ああ、もしかしてあの時の……」

 シロノの話を聞いて、イルミはちょうど三、四年ほど前、仕事帰りのシルバがやけに機嫌良さそうに「お前達の嫁候補が見つかったかもしれんぞ」と言っていたのを思い出した。そして、「旅団には手を出すな」とも。

 ずっとただ単に危険度のことを言っていると思っていたのだが、それに加えてこの目の前の子供のこともあったのだな、とイルミはたった今思い当たり、一人頷いた。

「……まさか君のことだったとはね」

「うー、紅茶ー」

 しかしシロノは既に昔話の話題には飽きたのか、こぼれて空っぽになったカップを未練がましく見ながら、床に届かない足をばたばたさせている。その様子だけ見れば、本当にただの子供だ。十歳ということならカルトと同じだが、同じ年でも随分違うものだな、とイルミは少し新鮮な気持ちになる。

「そんなに飲みたかったの? じゃあまた持って来させれば?」

「それもいいんだけど、あたしおなか空いてるんだよね」

 じっとイルミを見て言ったシロノに、イルミはきょとんとする。

「じゃあ食事用意させる?」

「ううんいらない。それよりもうさっきからおいしそうでおいしそうで」

「……なにが?」

 自分を見つめる透明な目がまるで月のように青白く輝いていることに気付いたイルミは、再び小首を傾げる。シロノは真っすぐにイルミを見て、言った。

 

「イルミちゃんが」

 

 

 



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No.018/癖になる味

 

 

 

「……は?」

 

 本気で意味がわからず、イルミは首を傾げる。シロノはそんな彼をじっと見上げたままだ。

「ここんち、最初にでっかくて重たい門あるでしょ?」

「あるね」

 イルミはこくりと頷いた。

「いつものあたしなら最小限開けるだけなんだけど、シルバおじさんが“全力で開けて、どの扉まで開けれたか報告しろ”って言うからさ」

「ちなみに何番まで開けれたの?」

「三番」

 キルアと同じだ。しかし念使いとしては中の下だな、とイルミは冷静に評価する。しかしハンター試験の時の動きからするともう少し重い扉まで開けられてもいいはずだが、とイルミが呟くと、シロノが「そうなんだよね」と相槌を打った。

「だってあたし今オーラ超少ないもん。だからいつもより念入りの“絶”で省エネしてるのに、全力で門開けなきゃでさ」

「オーラが……少ない?」

「そ。その上イルミちゃんが針刺すからさあ……もーおなか空いちゃって」

 

 ──だからイルミちゃんのオーラ、ちょっとちょうだい。

 

 そう言うと、イルミはしばらく無言になった。

「……なるほどね。他人のオーラを自分のものにする……それが君の能力?」

「うん」

 こくりと頷く。さっきからじっとイルミを見上げるシロノの目は期待に溢れてきらきらしていて、『待て』を命じられている犬に似ていた。ならば先程からばたばたさせている足は、言うなれば尻尾だろうか。

「ちょっと首筋ガブッてさせてくれたらいいから!」

「そうやって食べるの? 吸血鬼みたいだなあ……」

 みたいも何もそのままなのだが、イルミは少し考えたあと、ぷい、と顔を背けた。

「やだ」

「えーッ! なんで!」

 オーラが以前通りでもイルミに歯が立たないのに、今の状態でシロノがイルミから無理矢理オーラを奪うことなど出来るはずもない。だからこうして真っ向から頼み込んだのであるが、あっさり断られ、がん、とシロノはショックを受けた。

「だって首でしょ? なんか抵抗ある」

 暗殺者として、首を晒した挙げ句に噛まれるなどというのは、やはりどうしてもあっさりどうぞとは頷けない。

「……うー、じゃ手首でもいいよ?」

 吸いにくいけど、とシロノは食い下がったが、イルミは首を縦に振らなかった。イルミの右手はゴンに握り潰されてまだ治っていないし、まともに動く左手を痛めることはしたくない、というのが彼の言い分だった。

 シロノはその言い分に納得しつつも、よほど腹が減っているのか、ぷうと頬を膨らませて不貞腐れる。

「えー!」

「だって俺暗殺者だもん」

「何さイルミちゃんのケチ。ねくろふぃりあ」

「……何だって?」

 ぴくり、と反応し、イルミはぎっ、とホラー映画に出てくる人形のように首を回してシロノを見た。心無しか殺気を滲ませているような気がする。

 

「ケチのねくろふぃりあ。……ねくろ? なくろ? ……あってる?」

 首を傾げて疑問符を飛ばしつつそう言うシロノに、どうやら意味をわかって言っているわけではないらしい、と判断したイルミは、更に問うた。

「どこで覚えて来たのそんな言葉」

「イルミちゃんがチューしたから生き返った、ってパパに報告したら「あいつ、ロリコンの上にねくろふぃりあか」って言った」

(次から料金一割増し)

 イルミは心に決めた。

「そんでねー、ねくろふぃりあって何って聞いたらシルバおじさんに聞けって」

「三割増し」

「なにが?」

 シロノは首を傾げたが、イルミは「こっちの話」と言って、何を割り増しにするのかについてはそれきり取り合わなかった。

 

「それで、ねくろふぃりあってどういう意味?」

 シロノは、最も気になっていた単語に着いて尋ねた。何やらよろしくない単語だろうことはイルミの反応でわかっていたが、彼はわりとあっさりとそれに答える。

「屍姦趣味ネクロフィリアは、死体に興奮する変態のことだよ」

「げぇ気持ち悪。えーじゃあイルミちゃんて」

「違うから」

 言い切らないうちに、イルミは即答した。間の抜けた数秒が過ぎる。

「違うから」

「二度も言わなくたっていいよ」

 相変わらずの能面ではあるが、心無しか目力を強めて強い否定を示してくるイルミに、わかったから、とシロノは頷いてみせる。しかしふと疑問が浮かび、首を傾げた。

 

「……あれ? じゃあなんでチューなんかしたの?」

 

 くりん、とシロノは首を傾げた。イルミは無表情のまま、口元に左手を遣りながら黙る。記憶を思い起こしているらしい。

「……ヒソカが、手向けの花代わりにトランプ置いたから、俺もなんかしなきゃかなと思って」

「だから何でそれでチュー?」

 そう聞かれて、イルミもシロノと同じ方向に、くりっと首を傾げた。本人たちは特に意識していないが、端から見ると何やら幼児のお遊戯のような動作である。

「……さあ?」

「さあって」

 シロノは呆気にとられた。イルミはそのときのことを思い出してでもいるのだろうか、少し視線を宙に彷徨わせながら続ける。

「なんでか他に思いつかなかったんだよね。とりあえず、冷たいし固いし死臭くさいわで最悪に気持ち悪かった」

「……えー」

「屍姦趣味ネクロフィリアに目覚めるどころかいっそトラウマになりかねない体験だったね。とにかくもう二度とするまいと思っ……何顔顰めてるの?」

「チューしといて気持ち悪いとかはちょっとなくない!?」

 イルミの感想は、少女のファーストキスを奪ったものとしては失礼極まりない。だが、シロノがあの時正真正銘死体だった事も事実だ。しかし仮にも唇を奪われた上に「気持ち悪い」に始まり「くさい」だの「最悪」「トラウマ」などとまで言われては、まだまだ思春期とは遠いシロノとていい気はしない。ついでに言えば、イルミがトラウマなどと言っても全く説得力がない、とシロノは思う。

 

「だって君死んでたし。それで生き返ったんなら、感謝されこそすれ怒られる覚えはないね」

「だからってさあ……」

 シロノはぶつぶつと文句を垂れながら、足をぶらぶらさせた。

「あああああおなかすーいーたー! ねーねーねーねー、イルミちゃんちょうだいちょうだいちょうだいおなかすいた!」

「しつこいな。あげないよ」

 一貫してにべもないイルミに、オーラ不足による飢餓感でイライラが募っているシロノは、とうとう声を荒げて暴れ始めた。ただでさえ飢餓状態の上に、かなり上質であろうイルミのオーラを隣に感じている今の状態は、正直言ってシロノの空腹感を余計煽るのだ。

 

「けち! シルバおじさんにイルミちゃんがロリコンとネクロフィリアに目覚めて死体の時にチューされたって言っちゃうから!」

「……君ね、嫁候補って目つけられてる上にそんな事報告したら、今すぐ俺と婚約するはめになるぜ」

「えええなにそれ今時チューぐらいで結婚?! イルミちゃんの箱入り!」

「そういう意味じゃなくてさあ」

 というかそれは普通男の方の台詞じゃないのか、とイルミは呆れつつ、「チューぐらいで」という発言に、やっぱりあのクロロの娘だけあるな、と密かにどうでもいい感想を抱いた。

 

「そもそも門開けただけならまだ我慢できてたのに、イルミちゃんが針ぶっ刺したからムダにオーラ使ったんじゃん! オーラ使うとおなか空くの!」

「えー、俺のせい?」

「イルミちゃんのせい! イールーミーちゃーんーのーせーいー!」

 相変わらず足をばたつかせ、更にテーブルを平手でバンバン叩きすっかり駄々っ子と化したシロノに、イルミは単調かつのんびりとした相槌を打ち、ふうと小さく溜め息を吐いた。

 

「……しょうがないな」

「ホント!?」

 了承の返事が返ってきた途端、シロノは不貞腐れていた顔を煌めかせた。

「うん、まあ針投げたのは事実だしね」

「わあい!」

「よだれ拭いて」

「──はっ!」

 口の端からたらりと漏れていたらしいよだれを、シロノは慌ててジャージの袖口で拭った。目の前でいい匂いをさせているものを食べてもいいと言われた途端に口元が緩んだらしい。

「……でもその代わり、ネクロフィリアだのキスしただのどうこうっていうのは、めんどくさいからもうこの先口にしないこと」

「わかった!」

 しゅたっ、とシロノは『よいこのおへんじ』よろしく、笑顔で腕をまっすぐ挙げた。

「あと、ヘンなことしたら速攻で刺すからね」

「しないよ」

 つくづく男女が逆な台詞を吐いている、という自覚はイルミにもあったが、相手は子供で、そして自分はネクロフィリアでもなければロリコンでもない。そう結論づけたイルミは気にしないことにして、左手を首の後ろに回し、つやつや光る長い黒髪を左肩の前に全て流した。

 

「──これでいい?」

 

 イルミは完全に母親似で、どちらかというと女性的な造形をした美形だ。この顔を見ていると意外に思うが、身長はクロロよりも十センチ近く高く、ちょうどフィンクスと同じくらいある。そして今、襟ぐりが大きく開いたカットソーのせいで鎖骨から項まで全て露になった首は筋っぽくてしっかりしており、あきらかに男のものである。さらに黒い服と髪、白い肌のくっきりしたコントラストが眩しいその姿は、相応の色気を充分に醸し出していた。

 

「いただきまーす!」

 

 しかしオーラしか見ていないシロノには、ただ純粋な意味で──というより栄養源として──おいしそう、という感想しかないらしい。大きなケーキに飛びつく子供そのままの様子で、シロノは椅子に座るイルミの膝に飛び乗った。イルミはその軽さに少し呆気にとられつつ、あーん、と開けた口の中で、白いものがきらりと輝いたのを目の端に見る。

 

 ──がぶ。

 

 擬態語で表すなら、そんな感じだった。

 オーラを吸うというのに偽りなく、“纏”の状態のイルミのオーラが、噛み付かれた所から吸い取られてシロノに移動していくのがわかった。

 

 首筋にかぶりついている感触は、人間としてはあきらかに犬歯が長い。そしてそれはきりきりと食い込んではいるが、映画で見る吸血鬼のように皮膚を突き破ることはないらしい。むしろ、ときどき小さい舌が舐めるように動いたり、口を付けたまま噛み直す仕草は、痛いというよりもくすぐったくむず痒い。

 はむはむと不器用に口を動かしている様子はどこか下手くそな印象があって、吸血鬼というよりは、おかまい無しに歯を立てて夢中で乳を吸う子犬のようだった。

(──だから……はあ)

 まさか男の身で乳を与える母犬の気分になろうとは、とイルミは再度溜め息を吐く。その吐息は文句無しに色っぽかったが、その首にかぶりついている子供は、そんなものは意にも介さず、ひたすら美味そうにオーラを吸っていた。

 キルアとよく似た色の銀髪がさらりと流れて、イルミの顎の下をくすぐる。イルミはそのくすぐったさに、左手でその髪を耳にかける。そしてそのままシロノの頭に手を遣り、撫でるように動かした。

 細い銀髪をゆっくりと掻き上げる、長い指。それにはアイスピックより太い針が挟まれていて、子供の盆の窪に迷いなく向けられていた。

 

 

 

「──ごちそうさまでした!」

 

 ぷはー、と満足そうな顔で笑うシロノは、あからさまに顔色がつやつやしていた。相変わらず“絶”をしているのでわかりにくいが、オーラは先程よりもずっと安定しているように見える。

「よだれすごいんだけど……」

 イルミは使うことのなかった針をしまうと、テーブルの上にあったナプキンをとり、少し赤く鬱血した歯形とともにべったり唾液のついた自分の首を、嫌そうに拭った。しかも半分とはいかないまでもそれなりの量のオーラを吸われたので、彼はやや機嫌が悪い。

 そしてその時、ゴトーが礼儀正しいノックと共に入ってきた。

 

「お待たせしました……、これはイルミ……様」

 思いがけない人物がそこにいたこと、しかもそのイルミの膝にシロノが乗っていることにゴトーは驚愕の表情を浮かべたが、さすがに優秀な執事、雇用主にすかさず礼を取った。

「シルバおじさん、用事終わったの?」

「はい、お呼びするように言われて参りました」

「はーい」

 ぴょんとイルミの膝から飛び降りたシロノは、ドアに小走りに駆けより、そしてくるりと振り向いた。

 

「じゃあねイルミちゃん、おいしかったよ!」

「おいしい?」

 味があるとは思っていなかったイルミは、不思議そうに首を傾げた。イルミとは対照的にすっかり機嫌が良くなったシロノは、大きく頷く。その頬には、どこかウットリしているような赤みがあった。

「あの紅茶みたいな味だったよ。葉っぱは超高級だし、蒸らし時間は完璧だし、砂糖とミルクの量も計算し尽くされてて、すっごく飲みやすいの」

「……ふぅん?」

「でも、毒が舌にびりびりくんの。だからあんまりたくさん吸えなかったけど」

 確かにちょっと癖になるかもね、とシロノが笑う。イルミはきょとんとしていたが、言うだけ言った後さっさとドアの向こうに消えていこうとしている小さな後ろ姿に言った。

「……次から金取るからね」

 

 ──三割増しで。

 

 

 

 





 ハンター試験中、ヒソカと携帯で話す時イルミが「どうやらもうすぐ二次会場に着くみたいだ“ぜ”」って言ってたのが印象深くて、たまーにほんのちょっぴりだけガードが下がると口が滑って「ぜ」が出る、とか微笑ましいなと思って言わせてみました。違和感あったらすみません。


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No.019/ホーンテッド・ゾルディック

 

 

 

「お久しぶりでーす!」

 

 ドアを開けるなりシロノが勇ましく挨拶すると、クッションが沢山盛られた上に堂々と座ったシルバは、相変わらず渋い笑みを浮かべた。豊かな銀髪も相俟って、まるでゆったりと寛ぐライオンのようだ。

 

「ほお、元気な娘っ子じゃな」

 その声に振り返ると、シロノの斜め後ろには、両手を腰の後ろに回した老人が立っていた。顎より長く垂れ下がった口髭と『一日一殺』と書かれた服が特徴的だ。

「ワシはゼノ=ゾルディック」

 鋭い眼光がどこかシルバに似ている、とは思ったが、ゼノはシルバの父でイルミやキルアの祖父であると紹介され、シロノは納得して頷いた。

「シロノです。おじゃまします」

「うむ。ところでシロノは蜘蛛の……幻影旅団の団長の娘だと聞いておるが、本当か?」

 ゼノは興味深そうな顔で、じろじろとシロノを眺めた。シロノがはてなと首を傾げると、ゼノは笑う。

「いやすまんすまん、シルバが嫁候補にどうだと言うのはどんな娘っ子かと思うてな。……いや、しかし見事な“絶”じゃのオ」

「……おじーさんがいるの、あたし全然気付かなかったんだけど」

 それなのに褒められても素直に喜べない、とシロノが唇を尖らせると、「お前みたいな童に気付かれるわけあるか」とゼノはますます面白そうに口角を上げた。

「門は第三まで開けたそうだ」

「ほオ」

「気に入ったか? 親父」

「なかなか面白い素材じゃな」

 シロノそっちのけでよく似た笑いかたを披露する親子に、シロノはもう一度首を傾げたが、さっさと本題を切り出した。

 

「シルバおじさん、キルアに会いたいんですけど」

「イルミにも用があるんじゃなかったか?」

「あ、イルミちゃんはもう会ったからいいです」

 そう言うと、「イルミちゃんときたか!」とゼノが声を上げて笑い出す。何がそんなに面白いのだろう、とシロノがシルバを見ると、彼もまた笑みを深くしていた。

 

「相変わらず面白い奴だ」

「そうかなあ、パパたちに比べれば超普通だと思うけど」

 クロロと比べる時点で立派に普通ではないのだが、それに的確に突っ込める人材は存在しない。この暗殺一家も、蜘蛛以上に臨界点を突破して普通ではないのだから。

「それで、キルアは……」

「キルアは一応仕置き中でな」

「あー、そうなんだ。じゃあお仕置き終わるまで待たなきゃダメ?」

「あと数日はかかるぞ」

「え」

 それは少し困るな、とシロノは眉尻を下げた。仕置きといえばシロノも世界名作全集読破とその読書感想文を課されており、本当に生きているのかの確認と、仕置きから逃げないようにというのを兼ねて、明日になったら旅団の誰かがパドキアまで迎えに来ることになっているからだ。シロノは勉強に関して信用がない。──毎度毎度、机に向かわせられようとする度にあの手この手で逃げているからだ。ただし、本当に逃げられたことなど滅多にないが。

 余談だが、そのおかげでシロノは元々得意な“絶”がさらに得意になり、そしてそれに比例して、団員たちの“凝”の精度も上がっている。

 

「そうだな……会わせてやらんこともないが」

 シルバはそう言って、少し目を細めた。

「──前の能力は消えてしまったのだろう? お前の母もいないようだしな」

「うん、もう使えないよ。ママは──多分おうちにいる」

 キルアに胸を貫かれた時に声を聞いた気がしたが、それ以降、シロノはアケミの気配を全く感じることが出来ない。いれば必ずわかるはずなので、きっとホームに帰ったのだ、とシロノは結論づけていた。シロノの中で、アケミと共に居た日々の記憶は鮮やかとは言い難いものになってはいたが、魂を共有して生きていたかのような感覚は強固なもので、今でもそれは変わらない。そしてその感覚があるからこそ、アケミの姿や声を感じることが出来なくても、母が無事であると確信してシロノは今日まで暮らして来たのだ。

 

「新しい能力は決まったのか?」

「あ、えーっと」

「決まったらしいな」

 随分上手くなったと言えど、シルバ相手では咄嗟に上手い嘘をつくことが出来ず、シロノは素直に観念して「まあ」と曖昧に頷いた。

「興味がある。聞かせろ」

「え」

「交換条件だ」

 お前の新しい能力を聞かせてもらう代わりにキルアに会わせてやろう、とシルバは言った。ゼノもそれを聞いて笑ったので、異論はないらしい。

 シロノはまさかここまで興味を持たれて構われるとは思っていなかったので正直戸惑ったが、少し考えた後、その条件をのむことにした。

 

 念使いが自分の能力の内容をバラすのは基本的な御法度だが、達人中の達人であるシルバとゼノ相手では、まさに子猫とライオン、抗うだけ無駄というものだ。

 それにイルミには喉を貫かれて無事だったことや、オーラを貰ったりしたことなどの一連のやり取りですっかりバレてしまっているし、そもそも『オーラを吸う』こと自体はシロノの生命活動そのものであり、能力というよりも体質に近い。

 つまりオーラを奪ってそのあとどういう能力に転じるかはまだまださっぱり考えてすらいないのだから、洗いざらいを話してしまってもさほど痛手にはならないだろう、という考えによる判断だった。

 

 

 

「他人のオーラを食べて奪う、か……」

 ゾルディックの現当主と前当主は、先程よりも更に興味深そうにシロノの話を聞いていた。そして流石その年だけあってロマシャについての知識もあったゼノは、「アンデッドとはな、久々に見たわ」と懐かしそうな表情まで浮かべている。

 

「ゼノさん、他のアンデッドに会ったことあるの?」

 シロノが丸い目を更に丸く見開いて尋ねると、ゼノは髭の先を弄りながら、「随分昔の話じゃし、ヴァンパイアは初めて見たが」と言いつつ頷いた。

「混血を含めれば、ロマシャの血を引く人間自体の数はかなり多い。アンデッドたちは今も生き残りが各地で細々と暮らしておって、中にはその能力を生かし、プロ・アマのハンターとして仕事を請け負っている者も居ると聞いておるぞ」

「へえ、そうなんだ」

 じゃあどこかでもしかしたら会えるのかもね、とシロノは軽い笑いを浮かべた。

 正直な所、シロノに自分にロマシャ一族としての誇り、──例えばあのクラピカのような──そんな感情はない。自分と同じルーツを持つ人間、しかもこんな風に特殊な体質を同じように持つ人間に会ってみたい、という気持ちがないこともないが、ロマシャが過去の歴史において散々な仕打ちを受けたということを聞いても、どうしても他人事としか思えない。そしてそれは、おそらく母のアケミも似たようなものだ。

 

「それでねえ、ただでさえおなか空いてるのに──ええと、ここんちの門開けておなか空いたから、イルミちゃんにオーラ貰ったの」

 イルミに針を投げられたことは、キス云々に繋がりそうだったので省く。そしてシルバたちは、イルミにオーラを貰ったということに酷く驚いていた。

「美味しかったよイルミちゃんのオーラ。ここんちの紅茶みたいな味がした」

「味があるのか?」

「うん。人によって違うの」

「……面白いな。よし、じゃあ試しに俺のオーラを吸ってみろ」

 さすがに実力に天と地の差があるだけあって、シルバはシロノの小さな牙など問題にもならないという風に、乗り気でそう言ってきた。しかしシロノは、ブンブンと激しく首を振る。

「無理無理! シルバおじさんのオーラなんか吸ったら、強すぎて速攻で酔っちゃうよ!」

「……酔う?」

 そう、シロノも実際に他人のオーラを摂取してみてわかったことなのだが、実は強いオーラならいいというわけでもないのである。

 

 生き返ったときかなり衰弱していたシロノは、ハンター協会会長であり、実質的にも最強の呼び名を持つネテロのオーラを貰おうとした。ネテロは快くオーラを分けてくれようとしたが、しかし、例えるならばほんの一滴のオーラでシロノは急性アルコール中毒よろしくぶっ倒れ、おまけに二日酔いのような症状まで味わうなど、復活早々酷い目にあったのである。

 

 その話を聞いて、なるほど、とゼノが頷いた。

「自分の力量より練られすぎたオーラは処理し切れない、ということか」

「そうみたい。イルミちゃんでギリギリな感じかなあ」

 

 つまり、アンデッド・“ヴァンパイア”であるシロノにとって、栄養源となるオーラの練度は、食材に例えると発酵度に相当する。

 

 念能力初心者のオーラが葡萄や牛乳であるならば、熟練者のオーラはワインやチーズだ。発酵食品は身体が慣れていないと、腹を壊すなり酔ってしまうなり、様々な身体異常を引き起こす。それにアルコールに慣れていない子供の舌と身体では、味の善し悪しもわからない。

 そこの所、イルミのオーラも実際にはかなり熟成されているし、強い。しかし、お互い知りはしないことだが、同じ操作系同士だからだろうか、彼のオーラはシロノにとってとても馴染みがよかった。

 シロノは彼のオーラを紅茶に例えたが、それよりも、紅茶リキュールの甘いカクテル、と言った方が例えとしては正確だ。飲みやすいので沢山飲めるが、度数自体は高いので、うっかり飲み過ぎると酔っぱらってしまう。

 

「あーこれ飲み過ぎるとやばいかも、って途中で気付いたんだけど、おなか空いてたしすっごい美味しいしで……」

 シロノの頭が、フラフラと動いている。

 この部屋に入ってきたときやたらテンションが高かったのも、こうして少し必要以上に自分のことを話しすぎているのも、実はイルミのオーラを摂取しすぎたからに他ならない。しかも“絶”でそのオーラを自分の中に閉じ込めきっていたせいで、すっかり『まわって』しまっている。

 

「あー、飲み過ぎた、かも……」

 

 そう言うや否や、シロノはへらっと頼りない笑みを浮かべるや否や、がくりと崩れ落ちた。耳を澄ませば、すうすうと寝息が聞こえる。

「……ゾルディック家初来訪で酔って寝こけるとは……」

 大物か大馬鹿者かのどちらかじゃな、とゼノが最大級の呆れと感心が混ざった様子で言った。しかしシルバは、不自然な体勢で一人掛けの椅子に座っているシロノをかつてのように抱き上げると、自分が座っていたクッションの山の中にドサリと下ろして、にや、と笑った。

「面白いだろう?」

「まさかアンデッドとは思わんかった。予想以上の素材じゃな。どう成長するか非常に楽しみではある」

 まあとりあえず、ウチの嫁候補としては合格ラインじゃろ、とゾルディック前家長から太鼓判を押されてしまったことを、眠りこける子蜘蛛は知らない。

 

 

 

 

 

 

「起きろ、おい」

「……んう?」

 耳障りな呼吸音が目立つ男の声に、シロノは顔を顰めて目を覚ました。

 

「──起きろ!」

 

 シルバが座っていたクッションの山の中に埋もれて眠りこけていたシロノは、クッションをどかして、自分を見下ろしている人物を見る。

 そこには、細い目をした、驚くほど丸々と太った背年が、ふんぞり返って立っていた。青年はシロノが目を覚ましたと見るや、フンと高慢に鼻を鳴らした。

「キルのところへ案内しろって言われてわざわざ来てやったんだ。さっさと起きろ」

 シルバとゼノは、どうやら約束を守ってくれたらしい。シロノは寝ぼけ眼を擦りながら、大きく欠伸をしてクッションの山から這い出た。

「今何時ィ……」

「真っ昼間だ」

 眠いはずだ。シロノにとっての真夜中である。

 シロノは欠伸を噛み殺しながら、早くしろと急かす青年の後ろに着いて部屋を出た。

 

「あのー、お兄さんダレですか。執事の人ですか」

「誰が執事だ! 殺すぞ!」

 青年は、青筋を浮かべてがっと振り向いた。しかし色々な所の肉が邪魔をして、いまいち振り返りきれていない。

 青年はミルキという名前で、ゾルディックの次男であるという。

 言われて見れば、顔の造作はイルミによく似ていて悪くない。むしろ非常に整っている。しかし太っているのとこの性格のせいで、何もかもが台無しになっていた。色々残念な人だな、とシロノはものすごく失礼な感想を素直に抱く。そもそもあんなに太っていて暗殺者などできるのだろうか、という疑問とともに。

 

「ほら、ここだ」

「拷問室?」

 鉄製の頑丈な扉を見てそう言ったシロノに、ミルキは意地悪そうににやりと笑う。

「そうだ。よくわかったな」

「だってうちにもあるもん」

 けろりと言ったシロノに、ミルキは僅かに目を見開いてから、面白くなさそうな顔をした。

 専らフェイタン専用、というよりもフェイタンの第二の部屋であるホームの拷問室には、シロノもよく入り浸っている。むしろ部屋にシロノ用のカップだのおやつだのクッションだのが常備してあるため、拷問室に憩いのグッズを置くな、とフィンクスに突っ込まれた。

「キルアのお仕置きって拷問?」

「そうだ。俺がやってる」

「ふーん」

 シロノは興味なさそうに相槌を打つ。ミルキのほうを見もしないシロノが気に食わなかったのか、ミルキは眉間に皺を寄せ、そしてふと言った。

 

「お前、うちの嫁候補なんだってな」

 

 じろり、と細い目が動いて、シロノを見た、──いや、睨んだ。

 ミルキにしてみれば、親父が直々に家に通しただけでもありえないというのに、酔ってシルバの部屋で爆睡した挙げ句に後継者のキルアに会わせてもらえるなど、天変地異が起こったと言ってもいい位のことだ。

 最初は何事かと思い、そしてそれは嫁候補という肩書きがあったからだということに納得しつつも、同時にまた驚いた。外部からうちの娘をと言って来る者は結構いるのだが、それを受け入れたことは一度もないし、ましてやこちらから──というかシルバが──見つけて来たなどというのは、本当に前代未聞のことだったからだ。

 

「お前みたいなチビが?」

「デブよりいいんじゃないの」

 痛烈にそうやり返したシロノに、ミルキは今度こそ表情をねじ曲げた。

 だがシロノのほうはうっかり酔ってしまったとはいえ、あの飲みやすさの通りあとを引かなかったイルミのオーラで腹が満たされているし、元々のマイペースな性格もあって、ちょっとやそっとの罵倒はスルーできる。しかしミルキのこの肥満者特有の常に呼吸音が混ざる話し方と、いちいち嫌味ったらしい言葉選びに、シロノもいい加減うんざりしていた。

 ──それに何より、

 

(イルミちゃんのオーラは紅茶みたいないい匂いがするのに)

 

 ミルキのオーラからは、放置して油くさくなってきた揚げ物のようなにおいがする──とシロノは思って、僅かに眉を顰めた。まあ、さすがにマジギレさせてしまいそうなので、思うだけで口には出さずにおいたが。なんだかんだで好意的に迎えられているとはいえ、ゾルディック家でその次男とやり合うほど馬鹿ではない。

 もとの素材がいいことは確かなので、食べられないことはない。しかし美味しく保つことを怠けているせいで、すっかり油が回ってしまっている。そんなにおいが、ミルキからはした。

「よっぽどおなか空いてたら食べるかもしれないけど、食欲はそそらないなあ」

「はあ!? 何の話だよ、気持ち悪いガキだな!」

 性格なのか食生活が偏っているからか、すぐにイライラする性質らしいミルキは、けっと吐き捨てた。

「お前みたいなのと結婚するなんて、死んでもゴメンだ」

「あたしだって毎日油臭い揚げ物食べる生活なんかごめんだよ」

「だから、誰がメシの話なんかしてんだよ!」

 噛み合わない会話に業を煮やしたミルキは、その苛々をぶつけるかのように、拷問室の鉄扉に手をかけた。

 

「おいキル! ヘンなガキがお前に会いに来てるぞ!」

 

 ガン! と音を立てて、ミルキが拷問室の扉を開け放つ。

 鉄板張りのフェイタンの拷問室と違って、ここは壁も床も石造りだった。拷問室特有のひんやりとした温度と、鉄臭いにおいが鼻をつく。

 そして部屋の天井から、短パン一枚のキルアが鉄の器具と鎖でぶら下げられている。

 

 彼は冷や汗をだらだら流し、紙のような顔色でこちらを見ていた。

 

 

 

 



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No.020/Visitor from the another world.

 

 

 

 鎖で拘束されて上からぶら下げられたキルアは、拷問室の石床をぼんやりと延々見つめていた。ミルキによって電流を流され放題流された身体はびりびりするが、電流はキルアに最も良く馴染んだ刺激だ。まだ拷問を受けてさほど経っていないので辛くない刺激から与えられているから、というのもあるが、さほど辛さは感じない。

 しかしそんな気持ちを差し引いても、次に鞭打ちが来ようが焼鏝が来ようが、キルアはもう、いつも以上にどうでも良かった。

 あまりにキルアが無反応なので、むしろこっちが疲れた、と、ミルキは特注の高電圧スタンガンを壁に叩き付け、続きは明日だとばかりに自室に引き蘢ってしまった。今頃菓子でも食べながら、ネットの海に沈んでいるのだろう。

 

 まるで温度のない目で、キルアは微動だにしない。拷問を受け続けて何日経っているのかは既に数えていないが、一睡もしていないどころか、今は瞬きすらしていない。一瞬でも目を瞑ってしまえば、胸に穴の空いた小さな身体や、皆が驚愕の目で自分を見るあの光景がまざまざと蘇ってきてしまうからだった。

 いっそのこと夢も見ないほど完璧に気絶したい、とキルアは思ったが、ミルキが行なう程度の拷問、しかも電流によるものではそうそう気絶も出来はしない。

 あのブタ野郎、こんなときでも役に立ちゃしねえ、とキルアが頭の隅で悪態をついたそのとき、対面する壁に取り付けられた電話が鳴った。

 

「……あ…………?」

 一応外線としても使えるが、あれは主に使用人からの連絡で使われる内線電話だ。しかしミルキがここに居ないことは、使用人たちのネットワークによって誰もがもう知っているだろう。なのに、壁の電話は延々とコール音を鳴らし続けている。この家ではありえないそれにキルアがもう一度眉を顰めたそのとき、ブツッと呼び出し音が途切れるとともに、ピー、と電子音が響いた。

 そうなったことが一度もないので知らなかったが、ここの電話は留守番電話に切り替わる設定になっているらしい、とキルアが知ったそのとき、電話のスピーカーから声がした。

 

《もしもし、キルア? ……いないのー?》

 

 ぎょっ、とキルアは目を見開いた。その声には覚えがある。

 

《シルバおじさんからこっちかければ直通って聞いたんだけどなー。寝てる?》

 

 ──この声は、

 

《シロノだけど》

 

 その名を、しかも本人としか思えない声で言われ、キルアは拷問でもたてたことがない鳥肌を全身に立て、毛穴の全てから汗が吹き出る感触を味わった。

 

《今パドキアにいるんだー。今からそっち行くから。また電話するね》

 

 ──ガチャッ、『メッセージヲオ預カリシマシタ』、ピー、ツーツーツー。

 一連の機械音のあと、真っ青になったキルアは、呆然と電話機を見つめていた。

 

 

 

《もしもーし、キルアー?》

 

《シロノだよ。今門入った。なんか三番目の門まで開いたー》

 

《あたしだよ。今執事室にいるの》

 

《キルアー、寝てる? 今応接室ー》

 

《多分もうすぐそっち行けるよ》

 

《待っててねー》

 

 

 

 

 

 

 最初の電話から後、ほとんどきっちり一定間隔でその電話がかかって来る度に、キルアは真っ青になって冷や汗を流していた。心拍数は今や心臓が破裂しそうなほど上昇し、身体はブルブルと震えている。

 そしてそのままキルアは相変わらず一睡もできず、しかし一定間隔にかかってきていたコール音が鳴らなくなったことに非常に安堵していた、その時だった。

 

「おいキル! ヘンなガキがお前に会いに来てるぞ!」

 

 ミルキのいらいらした怒鳴り声とともに、鉄扉が勢いよく開け放たれた。

「──何だ? 半日放っとかれて報えてきたか」

 ひどい顔色のキルアを見てどう解釈したのか、ミルキはにやにやと笑ってそう言った。

 

「あ、キルア、久しぶり」

 

 ミルキの言葉など、キルアはちっとも耳に入ってはいなかった。その視線は、元気? と能天気に手を挙げて挨拶して来る人物にまっすぐに向けられている。キルアはますます青くなった。ハンター試験の時にイルミと対峙した時と、どちらが心拍数が高いだろうか。

「あー、そんな格好じゃ電話取れないよね。……どしたの、真っ青だよ。そんなにこいつの拷問辛いの?」

「はっ、当たり前だろ……オイお前今俺のこと“コイツ”つったろコラァ!」

「あたしも帰ったらパパからお仕置きだよー。やんなっちゃうよね」

 怒鳴ったミルキを、シロノは無視した。体型からして血圧の高そうなミルキは更に青筋を増やしたが、胸ポケットの中の携帯がピルル、と持ち主に似合わない可愛らしい音を立てたので、渋々と黙った。

「なに? あ、ママ? うん今拷問室だけど……うん」

 ミルキは何やら短くやり取りをすると、ピッとボタンを押して通話を切った。そして二人の銀髪少年少女をぎろりと睨む。

 

「キル! このガキが帰ったらまた仕置き開始だからな! ……お前もさっさと出てけよ!」

 ヒステリックにそう叫ぶと、ミルキは全身の肉を揺らしてドスドスと足音荒く歩き、バンと鉄扉を閉めて出て行った。シロノはその後ろ姿にベッと舌を出す。

「なにあいつ。ほんとにあんなんで暗殺とかできんの?」

「……おまえ、……ほんとに、シロノ?」

 真っ青になっていたキルアは、あまりにも普通過ぎる目の前の少女の姿に、先程までパンパンに張りつめさせていた恐怖の何割かを、“呆然とする”というものに変えて声を発した。シロノはきゅっとキルアに視線を向ける。

「そうだよ」

「でも、おまえ、……オレが、」

「うん」

 シロノは、じっとキルアを見ている。

「あたしは生きてるよ、キルア」

 キルアもまた、シロノをじっと見つめている。信じられないという戸惑いでいっぱいの視線に、シロノは苦笑した。

 

「まあ、死んだのはホントだからね。びっくりするよね」

「なん、なんで」

「んー……なんていうか」

 そういう家の子なんだって、とシロノは他人事のように、しかもぞんざいな説明を返す。するとキルアが案の定、わけがわからないという風に表情を歪めた。

「うーんと、あ、クラピカ。あの人ほら、クルタ族って言ってたでしょ。そんで目が赤くなるって」

「……ああ」

「そういうのとおんなじ。一回死んでも生き返るんだって」

「そんな」

 そう説明されても、信じられない、とキルアはただただ驚愕に瞬きひとつできないでいた。シロノもそれはそうだろうなと思い、もう一度苦笑した。

 

「うん、でも、ホントなんだよ」

「……ホントに、生きて」

「うん」

「ほんとに、」

「生きてるよ」

 シロノがはっきりそう言うと、キルアは傍目から見てもわかるほどぶるりと体を震わせてからゆっくりと俯いた。

「……ンだよ」

「へ?」

「なんっ……だよあの電話ァ! メリーさんかお前は!?」

 かの有名な怪談話を例にとり、キルアは怒鳴った。

 

「えー? 普通に報告の電話じゃん」

「てめっ、死んだと思ってた人間から電話かかって来たらビビるに決まってんだろーが!」

「ビビったの?」

「……ビビってねー!」

 いやビビったって言ったじゃん自分で、というシロノの突っ込みに、キルアはきまり悪げに、さっと目を逸らした。しかしそのあと小さく、「よかった」、と、これまた震えた、とても小さな声で呟いた。

 

「……ごめん」

「ん?」

「だから……、ごめん。……シロノ、オレ」

「あ、うん。でもあたしが避けられなかったのも悪いし」

 あっさりとそう言うシロノに、キルアは顔を上げた。また困惑している。

「ってお前……」

「ちょっと別の事に気ィとられてさ、避け損なっちゃった」

「……あの瞬間に他に気取られるってどんなだよ」

「あはは」

 へらりと笑って頭を掻いたシロノに、キルアは会ってから初めて表情を和らげた。といってもそれは、心底呆れたように大きなため息をついた、というものであったが。

「あたしも悪いことしたなと思ってさ、謝ろうと思って来たんだ。キルア気にしてたんでしょ? あたしのこと殺したの」

「……なんで」

 複雑な表情でキルアが尋ねると、シロノはくりんと首を傾げて、少し笑った。

「だって、キルアはヒーちゃんとかと違うもん」

 言ったでしょ、というシロノの言葉に、キルアは目を見開いた。

「ヒーちゃんだったら、まあ、最高でも一晩寝たら忘れるんじゃないかな多分」

「でも、オレは」

「キルアは気にしてたんでしょ? もう二週間ぐらい経つけど」

 聞かれて、キルアはぐっと息を詰まらせて、胸に込み上げる何かに押されるようにして頷いた。

「ほらね」

 

 ──キルアとヒーちゃんは、全然同類じゃないもん。

 

 二度目に向けられたその台詞は、実にあっけらかんとした笑顔で発された。キルアはその言葉を噛み締めて、もう一度俯く。しかしそれは絶望や空虚や後悔ではない。それはどこか照れくさいような、熱いような、──込み上げる嬉しさを堪えるためのものだった。

 

「……サンキュ」

「ん? うん」

 

 キルアの礼に、シロノはよく分からないまま頷く。そしてキルアもまた、そんなシロノのリアクションに、相変わらずだなという意味で苦笑いを返した。

 

 

 

「……にしても、なんでお前フツーにうちに入って来れてんの?」

 長い沈黙の後、いくらか調子を取り戻したらしいキルアは、もう一つの疑問を口にする。そしてシロノがシルバと直接繋がりを持っているということを聞くと、今度は「はああ!? マジで!?」と大声を上げて驚愕した。

 

「まあねー。あ、あとお嫁に来ないかって誘われてんの、あたし」

「ブッ」

 キルアが吹き出した。あんなに青かった顔は、気のせいかやや赤い。

 もう24になる長男のイルミの結婚相手をどうしようかと母親が躍起になっているのは知っているが、まさか12の自分にもそういう配慮がされていること、そして自分よりも歳下だというこの少女がその候補に挙がっているとは。

「……マジかよ」

「マジ、マジ。あーでもあのデブとだったら死んでもやだ」

 うげえ、と表情を作るシロノに、「そりゃそうだろうな」、とキルアは納得して深く頷いた。その後「キルアもあんなお兄ちゃんで大変だね」というシロノの発言におおいいにキルアが食いついたことから話が弾み、ミルキの悪口大会はかなりの盛り上がりを見せた。最大のヒットはシロノがぼそりと言った「なんか油の回った揚げ物みたいなにおいがする」という発言で、キルアは鎖をガチャガチャいわせながら、涙が出るほど大笑いしていた。

 

「あ、時間だ」

 

 ピコン、とシロノのポケットから電子音がする。

「……行くのか?」

「うん。お迎え来るんだ。お仕置きから逃げないようにってさ。あーあ」

「そっか」

「ま、お互い頑張ろうね」

「おう」

 にか、と同じような銀髪を持つ少年少女は笑いあう。しかしキルアはふと、言った。

 

「なあ、シロノ」

「なに?」

「……オレ、オレは、……ここから、出たいんだ」

 それは本当に絞り出すような声で、シロノは首を傾げたまま、黙って聞いていた。

「お前、……俺の気持ちもわかるけど、兄貴の気持ちもわかる、って」

 極限状態だっただろうに、キルアはシロノの声を聞いていたらしい。シロノは「うん」と頷くと、独特の、のんびりと、あっけらかんとした口調で話し出す。

 

「イルミちゃんてさあ、すごいブラコンだよね」

「……あ?」

「すっごいキルアのこと好きじゃん」

「キモいこと言うな」

 キルアが複雑極まる顔をしていたが、シロノは確信を持っていた。イルミはロリコンでもネクロフィリアでもないかもしれないが、間違いなく重度のブラコンだ、と。

「だってそうでしょ。正直ちょっと退くレベルっていうか、“愛が重い”ってああいうのなんだなって思ったよあたし」

 キルアは、どう返していいかわからない。

「イルミちゃんほどヘビーじゃないけど、あたしもあたしの家族が好きだよ。だから家出しようとは思わないし、家族に出て行って欲しくないっていうイルミちゃんの気持ちはわかんなくもないんだ。でもキルアはさあ、うーんと、イルミちゃんがキルアを好きなほどイルミちゃんや家族のこと好きじゃないんだよね」

「あー……まあ、そうだな」

 こうもまっすぐ簡単な言葉で答えを導かれると、何だかとてもあっけない。キルアはそう思いつつも、しかし心のどこかがポンと軽くなった爽快感も覚えていた。

「じゃあしょうがないでしょ。好きにしたら? 家族の方が強ければ出られないだろうし、キルアが上手くやれば出られるだろうし、そんだけじゃん。出たかったら出られるように頑張れば?」

 

 それはとてもあっけなく、簡単な答えだった。

 

 自分はシロノ曰く「重すぎる愛」に辟易して家出を決行し、しかし家族の方が一枚上手だったために家に戻された。キルアはしきりに「普通に」と思ってきたが、こう言ってみると、自分のやったことは普通の家の少年がやるようなこととさほど変わりないのではないか、という気がして来る。ただその家が暗殺一家という、極めて特殊な稼業であるというだけで。

 

「……でもオレ、多分ゴンに幻滅されたと思うし」

「なんで?」

「なんでってお前、……おまえのことだろ」

「あー」

 相変わらず他人事のようなシロノに、キルアは調子を崩される。

「だいじょぶじゃない?」

「おま、何を根拠に! ゴンは……」

「だからさあ、言ってるじゃん、キルアはヒーちゃんみたいじゃないって」

 ゴンだってそれはわかってると思うし、と言うシロノに、キルアは押し黙った。

 

「まあそれはイルミちゃんもだけどね」

「……え?」

 かなり必死に否定してたっぽいし、というシロノの言葉に、キルアは今度こそ言葉を失った。

 

 人形のような顔をして淡々と人を殺すあの兄が、ヒソカ側ではない。それはキルアにとって思いもかけない、考えたこともないことだった。

 

 しかしシロノはといえば、暗殺者ほど殺しに理性を使う職業もないだろう、と思っている。ヒソカは顕著であるが、盗賊であるクロロ達もまた、感情によって、衝動によって人を殺す。欲しいもののために殺す。殺したいから殺す。

 しかし、仕事で人を殺す暗殺者はそうではない。四年前にシルバの仕事に付き合った時、彼は驚くほど手早く標的を殺した。それは戦いではなく、また殺しというよりも作業という言葉がしっくり来るようなものだった、とシロノは記憶している。いかに手際よく終わらせるか、それのみを狙った手腕はプロフェッショナルという言葉が何よりも似合っていて、蜘蛛たちの行なう殺ししか知らないシロノには、新鮮という意味で酷くショッキングで、ついでに言えばその姿を格好良い、とも間違いなく感じた。

 

「んー、だからね……。ごめん、あたしも上手く説明できないや」

「……なんだよ……結局混乱しただけじゃねーか」

「ゴメンゴメン」

 その時、ピコンピコン、と先程の音よりもひとつ多く音が鳴った。設定した時間に近付いている、と知らせるそのアラームに、シロノは今度こそ行かなければとキルアに向き直る。

 

「じゃあね、キルア」

「シロノ」

「ん?」

「……また、会えるか?」

「会えるんじゃない?」

 シロノはきょとんとした後、なんでもないように言った。

「なんてったって嫁候補だし? そーゆー“タイギメイブン”があればいいんでしょ?」

「……あー」

 そういやそうだった、とキルアは微妙な顔で返事をする。おまけにそれがシルバのご推薦であるならば、シロノとは比較的容易に会えるだろう。実際、こうしてここに居るのが何よりの証拠だ。

「まあ、あたし婿養子派だからお嫁に来る気はないけど」

「……あっそ」

「でもさー、イルミちゃんかキルアと結婚するっていうのはちょっとイイよね」

「な」

 突然さらりと言ったシロノに、キルアは思わず赤くなる。しかし何やら考え込みながら独り言に近い様子で発言しているシロノは、彼の様子を見ることなく続けた。

「だって美味しいもん」

「……なんだよお前、見かけによらず玉の輿狙いかよ」

 けっとキルアは吐き捨てるように言ったが、その顔はまだ少し赤い。

 

「いやそういう意味じゃなくて、イルミちゃんはもちろんキルアもかなり美味しそうだしさあ、……おなか空いてたらあたしここ入るなり噛み付いてたかもってぐらいだし……結婚したらソレ毎日好きなだけ食べられるってことで……」

「はあ? どーゆー……ってオイ、なんでヨダレ垂らしてんだよ。拭けよ」

「……はっ!」

 思案に耽る最中に漏れたヨダレを、シロノは慌てて口の端をやはりジャージの袖で拭った。キルアは訝しげな表情をしながら、照れを忘れて首を傾げている。

 

「……意味わかんねーんだけど」

「だろうね」

 シロノは苦笑した。

 

 こうしてアンデッドとして蘇ってからというもの、シロノが他人を見る目は、本当に「美味しいか美味しくないか」、それのみに尽きる。だがそれは以前から喉に詰まったように感じていた感覚がストンと落ちて腹に収まったようで、とてもスッキリとした気分でもあった。

 だがこんな感覚、きっと誰にもわかりはしないだろう。──ただ一人を除いて。

 

「……わかんないんなら、やっぱりキルアはヒーちゃんとおんなじじゃないよ」

 

 シロノはそう言って笑うと、今度こそドアに向かう。

 その後ろ姿に、キルアはふと呟くようにして、二度目の問いを投げかけた。

「……お前は、わかんのかよ」

 正直な所、聞こえなくてもいい、と思って発した問いだった。

 しかしシロノは、するりと振り向く。その表情は、悪戯を企むように楽しげに笑っていた。

 

「わかるよ」

 

 今度は、断言だった。

 キルアは、その笑みに戸惑う。その笑顔がどこか憂いでも帯びていたりするのならば、キルアももっと彼女にどういうことだと突っ込んで聞いてみたりしたかもしれない。

 しかしシロノの笑みには、全くもって陰りなどない。その表情はむしろ楽しそうに輝いていて、秘密の悪戯を企むようなものだった。だからキルアはどこか仲間はずれにされたような気持ちで、自分と同じ色の銀髪が鉄扉の向こうに消えていくのをただ見送っていたのであるが、ドアが閉まりかける瞬間、シロノは言った。

 

「そうそう、もしお婿に来るなら考えるよキルアー」

「はぁ!?」

「でもウチに入れば家出れるよ?」

 その言葉にキルアはハッとし、しかしすぐに思い直して首を振る。そしてその間に、「じゃあねー、ばいばーい」という間の抜けた挨拶とともに、鉄の扉がバタンと閉まった。

 

「……バッカじゃねえの」

 

 慌ただしい別れにまともな言葉を返せなかったキルアは、まだ少しもやもやとしたものを胸に抱えながら、ぼそりとそう呟いた。

 

 

 



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No.021/爆走帰り道

 

 

 

 拷問室を出て、呆れるほど長い廊下を歩ききった所に居たのは、一人の女と、シロノと同じぐらいの歳の、キモノを着た子供だった。

 

「御機嫌よう」

 

 女の声は、きんと耳の奥に刺さるようだった。

「あ、えと……。ごきげんよう、でございま、す?」

 耳慣れない挨拶をされたシロノは、戸惑いながら妙ちきりんな挨拶を返す。

「私、キルアたちの母でキキョウと申します。こちらは末っ子のカルト」

「あ、シロノです。おじゃましてます」

 ぺこり、とシロノは頭を下げた。その拍子に、未だに寝癖がついたままの髪がぴょんぴょんと色んな方向へ跳ね、シロノはそっと見上げるようにして、女の姿を見た。

 女は、実に奇妙な風体をしていた。まるで中世の映画に出て来るような膨らんだスカートのドレスはレースやリボンやフリルでこれでもかと装飾がされ、帽子は大きくやはり装飾過多で、派手な羽根飾りがスパークするかのごとく飛び出ている。そして何より特徴的なのは、その顔面が包帯でぐるぐる巻きであるばかりか、目元にごつい機械を装着していることだった。

 一目で思わずあんぐり口を開けてしまうようなその姿に、シロノは呆気にとられる。しかし女は気にせず、僅かに口角を上げて上品に微笑んだ。目元のメカが、キュインと機械音を立てる。

 

「……あのう、そろそろうちから迎えが来るので」

「ええ、聞いております。ですから玄関までご案内しようと思いまして。言っちゃ何ですけれどうちは広いですから、道順おわかりにならないでしょう?」

 マイクがキーンと鳴った時のような感触がした。口調も声質も、まるで割れて尖ったガラスのようだ。

「あ、お願いします。あと酔っぱらって勝手に寝ちゃって、ごめんなさい」

「結構ですのよ。アンデッドの方は夜中に起きて昼間に寝るものだとお義父様から伺いましたからね」

 いかにも、あなたのことはよく理解しています、という風な、何やら芝居でもしているかのような口調だった。

 

「シロノさんは、特技はありますの?」

 

 しばらく無言でてくてくと廊下を歩いていると、キキョウが突然言った。ただでさえきんきん響く声が窓のない廊下で反響して、余計に耳が痛い。そして彼女の機械越しの目線は、何故か真っすぐにシロノを見ようとしない。

「え? えーと……万引きと無賃乗車と潜入……とかかな」

 一般人ならまず間違いなく彼方までドン引きする答えだったが、キキョウはほんの少し目を細めただけだった。

「そうですか、盗賊の娘さんらしい特技だこと。ではご趣味は?」

「料理です」

「あら素敵! 私もお料理は好きでしてよ!」

 それからしばらく、シロノはキキョウと料理の話をした。毒の効果的な混ぜかたにまで話が発展するとさすがに少し閉口したが、料理の話自体はシロノも楽しい。しかし、足音の無音さを台無しにする盛大な衣擦れの音を立てるキキョウのスカートの横を歩いている子供がじっと自分を見ていることに、ふとシロノは気がついた。

 なんだろう、と首を傾げると、カルトというその子供が口を開く。

 

「お前、誰と結婚するの? イルミ兄さん?」

「んまああああ、カルトちゃんったら!」

 ほほほほほ! という、オペラの芝居でしか聞けないような笑い声を上げるキキョウに対して、カルトの表情は心無しか険しい。

「さあ。そもそもここんちの人と結婚するかどうかわかんない」

「……そうなの?」

「うん。だってあたしまだ十歳だし、結婚とか言われてもわかんないよ」

 その答えに少しきょとんとした表情を返したカルトは、少し拍子抜けしたように「ふうん」と言って目を逸らした。

 

「十歳なら僕と同じだね。背が低いからもう少し下かと思ったよ」

 そう言われて、シロノはハンター試験中にイルミが「十歳の弟がいる」と言っていたことを思い出す。そしてそれをカルトに言うと、ほんのりと嬉しそうな表情を浮かべた──気がした。それを見て、シロノは「ゾルディックってブラコン要素強いのかな」と密かに思う。最初のあの険しい顔も、もしかしたら兄の一人を取られると思ったからかもしれない──いや間違いなくそうだろう。

 

 カルトは男の子だそうだが、袖と裾の長い、いわゆる振袖のキモノを着ている。しかもカルトは微塵も裾を乱さず静かに歩いていて、シロノは素直に感心した。

 ノブナガやマチがキモノを愛好しているので、シロノもキモノは結構よく着る。寝間着にしても、ジャージの次に浴衣を愛好しているぐらいだ。しかし良く言えば活発、悪く言えばがさつなシロノは、以前振袖の裾をからげて団員たちと追いかけっこをしてパクノダに盛大なため息を吐かれて以来、袖がなく、裾も短い着物をスパッツ着用で着ているので、カルトのような格好をしたことはほとんどない。

 

(うーん、ヘンな家……)

 

 ハンター試験でも濃い人間たちに会って来たが、この家も蜘蛛の面々にタメをはる濃さである。つくづく世の中には色んな人がいるものだ、とシロノは一人感心し、相変わらずワッサワッサと音を立てている布の塊の後を着いていった。

 

 

 

「じゃあ、どうもおじゃましました」

 玄関に着いたシロノはぺこりと頭を下げると、試しの門ほどではないがやはりかなり大きい本邸の門を潜って、ゾルディック家をあとにした。

 キキョウは口元に──というか口元しか見えないのだが──僅かな笑みを浮かべてその小さい背を見送ったが、シロノがいくらか遠くまで行ってしまうと、フッとその笑みを消した。

 

「あなた! ──あなたッ!」

 

 窓ガラスの何枚かが割れてもおかしくないような声が、ゾルディックのエントランスに響く。カルトが、唾を付けた指をすかさず耳に突っ込んでいた。慣れているらしい。

 キキョウは全く揺れていないのに凄まじい早さで走り出し、シルバの部屋に向かった。そしてドアを開けるなりまた叫ぶ。

 

「あなた!」

「シロノは気に入ったか?」

 シルバは何かの本を読みながら、妻の顔を見もせず言った。キキョウはぎりりと歯を噛み締めて、絞り出すように言う。

「あの銀髪と、ロマシャのアンデッドだというのは大変よろしいと思いますわ。“絶”は見事なものでしたし、お料理好きなのも結構です。……でも何ですか、あれは!」

「あれ?」

 シルバが本から顔を上げた。キキョウは、今にもその重たい帽子を放り投げて頭を掻き毟らん勢いだ。

「あんなよれよれのジャージと寝癖で人様の家にやって来るような子!」

 キキョウは「信じられない!」と何度も叫びながら、いかにシロノのジャージがこ汚くて寝癖がエキセントリックなものだったか、きいきいと怒鳴り始めた。──フィンクスのジャージ至上論は、どうやらこの夫人には全くもって通用しないらしい。

 だがシルバは妻の喚きを全く無視し、再び本に視線を戻す。

 そうして耳も塞がずキキョウの超音波を平然と聞き流しているシルバに、未だ耳に指を突っ込んでいるカルトは、「やっぱり父様が一番スゴイ」と密かに尊敬の念を抱いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 日が高い。

 シロノは誇張抜きで肌を焼く日光を避けるため、鬱蒼と茂る木々の影を踏みながら、ゾルディックの広大な庭を駆け抜けた。

 イルミに分けてもらったオーラで、本調子とはいえないまでも、体調は良い。だから多少ながら念を使っている上に斜面を降下する道行きはとても速く、ジェットコースターのように爽快だ。シロノはその爽快さに任せて、目の前に迫った試しの門に向かって突撃する。

 

 ──ドゴ、ギィ、ゴォオン!

 

「な、何だ!?」

 百キロの重りを着けてトレーニングをしていたレオリオは、大砲の弾でもぶつかったような音に驚いて声を上げた。クラピカとゴンも、その音でぎゃあぎゃあと一斉に木から飛び立つ鳥たちに驚いて目を丸くしている。

「……あれは……第四の門が開く音、ですね」

「第四!?」

 ゼブロが唖然として呟いた言葉に、三人は揃って大声を出した。一番軽い第一の門は片方2トン、ひとつ番号が上がるごとに倍になる。第四の門は、──32トンだ。

 

 

 

 ゾルディックの人間が外出でもしたのだろうか、とゴンたちが首を傾げている間にも、門を飛び出したシロノは更に山を駆け下りていく。本来はバスが通るその道であるが、一日一本しか通らないため、がらんと人気がない。

「ん?」

 だが、くん、と鼻を鳴らしたシロノは、ぱあっと表情を輝かせた。

 

「──ウボーだ!」

「おー、シロ! 久しぶりだな!」

 

 山道の途中で木にもたれかかっていたウボォーギンは、試しの門をぶち開けたのと同じ勢いでドーンと突進して来た子供を、足下に何の揺らぎもなくがっしと受け止め、豪快な笑顔を浮かべた。

「ウボーがお迎え? 珍しいね!」

「たまたま近くに居てな。で、たまたま携帯持ってた」

 旅団との連絡手段として渋々所持してはいるが、金であれ何であれ、荷物を持つことを好まないウボォーギンが携帯に出ることはひどく珍しい。しかし連絡して来たシャルナークが珍しく困惑したような声で事情を説明したので、彼も何だか心配になり、こうして迎えを引き受けたのだった。

 

「死んだって聞いてたが、元気そうじゃねーか」

「うん、ばっちり生き返ったよ!」

「そうかそうか、じゃあ問題ねえな」

 ウボォーギンはうんうんと頷くと、シロノを肩に乗せた。そして片手に持っていた、彼には似合わないことこの上ない日傘をシロノに手渡す。日光過敏症のシロノに必需品であるそれだが、電話をとった時にしっかりと持っていくようにパクノダに釘を刺されたらしい。見たこともないその傘をどこから彼が調達したのかは謎だが、少し大きめの、丈夫な日傘だった。

 シロノが傘をポンと開いた途端、ウボォーギンは一気に走り出す。シロノが自分で走ってもそれなりのスピードだと思っていたが、やはりウボォーギンと比べると大違いだ。

 

「あーあ、帰ったら読書感想文だよー、やだなあ」

「何だ、つまんねえ仕置きだな。……じゃ、飛行船使わずこのまま走ってくか」

「やったあ! ありがとウボー」

 結局の所帰るのは同じなので悪あがきとも言えるが、自動車よりも速いウボーの肩に乗って、2メーター50センチ超の高所から景色を眺めるのは最高だ。

 シロノは、ウボォーギンが大好きだ。強化系としての力量を極める彼はシロノがどう全力で向かった所で指の先であしらってしまえるほど強靭で、そして誰よりも豪快である。そしてその反面理屈っぽいことをちまちま考えるのが嫌いで、シロノが机に縛り付けられていると、誰よりも本気で同情する。修行に一番付き合ってくれるのもウボォーギンで、廃墟で旅団いちの巨人とちびが追いかけっこをしているのは、今や日常風景だった。

 

 シロノは振り落とされないように、ウボォーギンの首にしがみつく。シロノの腕がちょうど回る位の太い首は、シロノがしがみついてもびくともしない。彼の獣の鬣のような髪に顔を埋めたシロノは、心地良さそうににこにこした。

 

「ウボーもいいにおいがするよ」

「ぶわっはっは! ンなこと言うのはお前ぐれえだぜ!」

 そんなことは生まれて初めて言われた、と言って、ウボォーギンは大声で笑った。

 

「でも、ほんとだよ」

 

 嗅覚を働かせれば、僅かに埃っぽいような、動物の毛に顔を埋めた時のような匂いもする。しかし肉体的な感覚よりもオーラに対しての感覚の方がよほど敏感になったシロノにとって、ウボォーギンのオーラもまた、とても上質で心地の良いものだった。

 酒が飲めなくてもいい匂いだと感じる、樽から出したばかりの、太陽の匂いにも似た、弾けるようなホップのにおい。多分口にしても子供の舌には苦くてまだまだ飲めたものではないのかもしれないけれど、金色の豪快な輝きは文句無しに魅力的だ。

 

「ウボーのオーラをごくごく飲めたら、気持ちいいだろうなあ」

「はっは、我ながら食い出があると思うぜ」

「だろうね」

 飲んでも飲んでもなくならない感じがするよ、とシロノが言うと、ウボォーギンは「当たり前だ!」と笑った。お前にちょっと噛み付かれたぐらいでヘタレるものか、と余裕の表情を浮かべるウボォーギンに、シロノもにやりと挑戦的に笑う。

「じゃあ大きくなったら頂戴ね! ウボーがへろへろになるまで飲んじゃうから!」

「やれるもんならやってみな」

 せいぜい途中で酔っぱらってぶっ倒れんなよ、とウボォーギンは言って、更にスピードを上げる。峠から思い切り飛んだウボォーギンの肩から見る絶景に、シロノは最高だという意味の歓声を上げ、風を受けた日傘が、ぎしりと音を立てて膨らんだ。

 

 そして調子に乗った挙げ句に散々寄り道して走り回り、帰りがかなり遅れた二人は、到着早々揃ってパクノダに怒られるはめになった。旅団の最大と最小コンビがこうしてばつが悪そうに怒られているのは、端から見てもとても奇妙だ。

 

 集まって来ていた数人の団員たちは、その“いつも通り”の光景に、無言で呆れたため息を吐いたのだった。

 

 

 

 



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【天空闘技場編】
No.022/魔女のレシピ


 

 

 

「わかる!? あそこであえてあの子を引き止めたアタシの気持ちが! アタシの胸の方が引き裂かれそうだったわ、ああああああ」

 

 引き裂かれるような身体なんぞもうないだろう、と身も蓋もない突っ込みを入れようとしたクロロだったが、しかし金縛りで動けない身体でこれ以上愚痴を聞かされ続けるのはごめんだと判断し、「そうかそれは大変だったな」と返した。

 すると枕元の女幽霊が、青い目でキッとクロロを見下ろしてくる。

「なにその言い方! 心がこもってやしない!」

「どうしろと」

 心がこもっていない、というどう言い返しも出来ないことを怒鳴られ、クロロは本気でうんざりした。──まあ、本当にこもっていないのも事実ではある。

 勝手にゾルディックに遊びに行った子供が帰って来る間、クロロはその母親と、こうして毎晩言葉を交わしていた。……といっても、実際にはアケミが一方的に語り倒していただけであるが。

 

「お前の言いたい事はよく分かった」

 

 丸々三日三晩、アケミがいかに断腸の思いで我が娘を死地に送り出したか、ということを聞かされ続けたクロロは、珍しくも本当に疲れたような声でそう言った。

「だがそろそろ話を進めないか。お前の娘のためにも」

 シロノのためにも、と、まるで親のような台詞をクロロが苦々しい表情で絞り出すと、アケミは「それもそうね」と涙を拭くような仕草をしつつ頷いた。

 物理的ななにもかも、そして大概の念ですら影響を受けない彼女に強制的にいうことを聞かせるのは、いくらクロロでも──いや、クロロだからこそ、尚更無理な事だった。アケミの最大のウィークポイントであり宝であるのは娘だが、もし盾に取ったりしようものなら、即座に約束を破った“おしおき”の念が発動し、クロロは間違いなく命に関わる大ダメージを受けるだろう。

 とりあえず要望を受け入れてもらえて安心したクロロは、溜め息をひとつついた。

 

 

「で、めでたくあれがアンデッドになったわけだが」

 ベッドに仰向けになったまま、クロロは切り出した。

「レアな上に、アレンジ次第でかなり用途の広い能力だ。蜘蛛全体にとっても大変喜ばしい」

「そうね。アタシが生きてればお赤飯を炊きまくる所よ」

 アケミはうんうんと深く頷いた。半透明に透けた赤い髪が揺れる。

「それで、お前は何をやってた」

「何って?」

「“何って?”じゃない。お前はどうなんだ。能力のひとつでも編み出したのか」

 アケミは“朱の海”に憑く幽霊で、“朱の海”の所有者であるクロロにこうして夜な夜な、文字通り「化けて出る」ことは出来るのだが、クロロは毎度金縛りをかけられるし、アケミは自分を具現化しきれてはいない。クロロがじろりと睨むと、半透明の赤毛の女は、珍しくばつが悪そうに目を逸らした。

「……だって、こんなに時間がかかるなんて思ってなかったんだもの」

「何の話だ?」

「あの子をアンデッドにすることよ」

 何故か、アケミは強く言った。

「でも、あの子がアンデッドだっていうのを、私は確信してた」

「なぜ?」

「……アタシはあの子が生まれる前から、あの子がアンデッドだって事がわかってた」

 アケミは同じ事を繰り返しただけで、クロロの質問に答えなかった。

 尋問のしようがない彼女から情報を聞き出すには、彼女の機嫌を取るしか方法はない。しかしそれも無理そうな時は、その気になるまで待つしかないのだ。ここ数年での、この女幽霊との色気の欠片もない枕越しの付き合いでいい加減それを学んだクロロは、諦めて彼女の発言を待った。

 

「アンデッドになるにはね、素養だけじゃダメなのよ」

「どういうことだ?」

「ロマシャの中で代々伝わってる芸や歌や占い、薬の作り方……これ、全部口伝なの。アタシもアタシのおばーちゃんから全部口で教えてもらったわ」

「ロマシャには、ロマシャの文字がないからな」

 

 ロマシャの人々が文字を扱えないというわけではないし、今現在ロマシャ自治区で腰を落ち着けている現代ロマシャに至っては、世界共通語であるハンター語を普通に使える。

 しかし昔ながらに放浪して暮らすロマシャの使う文字は文字というよりも暗号で、世界中の言語や文字が混ざりあっている上に、グループごと、人ごとで違う。略称や造語ばかりで書かれた他人のメモが解読できないように、ロマシャの誰かが書いた文章を解読するのは不可能とほぼ断言できる。

 何といっても、同じロマシャだろうが解読できない文字なのだから仕方が無い。ロマシャの文字が読めるのは、それを書いた人間だけであり、彼ら独特の薬の作り方のレシピなどもいくらかは残っているが、どれも完全に解読されてはいない。だからロマシャの文書は、魔女の文書、悪魔のメモ、魔界の伝言などとも呼ばれ、そして呪いに関する文書や伝承は特に、『魔女のレシピ』と呼ばれる。

 しかしだからこそ、ロマシャの歌や踊りの中には、彼らの全てが込められている。指先ひとつの動きにも意味があり、文字よりも多くのことを奥深く語っているのだ。そうして多くの意味が込められた技芸だからこそ、芸能であると同時に呪いや聖典にもなっているのである。

 

「でもその中でも、アンデッドについての伝承は、一番多いくせに一番曖昧」

「と、いうと?」

「つまり、いくつかの伝承の中にある程度の共通項はあるけど、どういう人間がアンデッドになるのかとか、死んだ時にどうすればアンデッドとして蘇るのかとか、伝わってる条件や状況がものすごくまちまちなのよ。例えば処女童貞が満月の夜に死ぬとアンデッドになるっていうのもあるし、アンデッドと交わるとアンデッドになるとか、アンデッドに殺されるとなるとか、果ては死体の上を黒猫が横切ったらアンデッドになるっていうのまで」

 だから、ロマシャにもアンデッドについてこうだと断言することなどできないのだ、とアケミは肩を竦めながら言った。

 

「しかし、お前はさっき“シロノがアンデッドだということを確信していた”と言っていただろう」

 その発言は、アンデッドになる方法は誰にもわからない、ということとは矛盾しているはずだ、とクロロが指摘すると、アケミはシンと黙った。

 

「……ダンピール」

「何だって?」

「あの子は、ダンピールよ」

「ダン……?」

「ダンピールは生まれつきダンピールなの。伝承もひとつしかないわ」

 話したくない、知りたければ勝手に調べろ。アケミは強引に説明を省くことで、それをクロロに主張した。仕方が無いので、クロロは黙って、調べもののリストメモを頭の中にひとつ書き留める。

 

「……占いって、どういう風に捉えてる?」

「占い?」

 いきなり話が変わったようだ。アケミは、このようにいつも唐突である。しかしこれに着いていって余るほどの頭の回転の速さが、クロロにはある。

「そうだな……科学的、理論的根拠として最も説得力があるのは、統計学の一形態……という見地だと思うが」

「クロちゃんらしい意見ね。でもそれは違う。本物の占いや呪いには、根拠も理屈も何もないのよ。占い、そして呪いまじないの全ては“思い込み”と“こじつけ”、“ハッタリ”、これに尽きるわ」

「占い師らしからぬ発言だな」

「本物だから言ってるのよ」

 にやりと笑うアケミの気配は、どこか湿ったような神秘を含んでいた。

 アケミによれば、占いは独自の理論と個人の経験で構成されるものであって、統計や統計学、科学としての研究とは全く無縁のものなのだという。

 例えば占星術は古代においては天文学と関連したものであったが、天文学が自然科学として発展したいま、現在では全く関係が無い。

 

「しかし、占いや呪いに効果があることもまた事実だろう?」

「あら、やっとその辺りは認めるようになったのね」

「週一間隔で幽霊と話していれば、嫌でも」

 クロロが皮肉げに笑うと、アケミも笑った。

「じゃあ話が進めやすいわね。……ロマシャは魔女の一族って言われてる。捉え方によってはただの差別発言だけど、アタシはこの言葉はある意味ロマシャの真理だと思うわ」

「……というと?」

「まず魔女の考え方を前提に理解しないといけないわね。オーケー?」

 クロロは頷いた。ただ必要だから得ようと思った情報だったが、知識に限りなく貪欲な彼は、純粋に魔女学の講義が面白くなって来たらしい。

 

「そうね、では例として、ロマシャの魔女入門としてやる呪い、『裏切った恋人を罰して後悔させる』呪い」

「ロマシャの女とだけは付き合わない」

「ロクデナシの男が多いから世の中に魔女が増えるのよ。自業自得よ」

 幽霊魔女はそう吐き捨てて、講義を続けた。

「人々が寝静まった真夜中に、ロウソクに火を灯す。そして「ロウソクの火は3度こわされた。おまえの心も3度恋を失うだろう」という呪文を唱えながら、針でロウソクの先端部分を何度もつつく。裏切った男には災いが降り掛かり、女を傷つけたことを後悔し、おまけに女のことを絶えず思い焦がれるようになる」

「おそろしいことこの上ない」

「効くと思う?」

「効くんだろう?」

 だから恐ろしいんだと言っているんだ、とクロロはため息をついた。

 

「強力な念、それに加えて制約を設定し遵守することで目的は達成される」

「その通り。優秀な魔女は優秀な念使いよ。そして“良く当たる占い師”や“霊験あらたかなお守り”というのは、ユーザーにいかに強く思い込ませることが出来ているかという催眠術的な要素の高さが一番高いポイントになる」

「なるほど。だから“思い込み” “こじつけ” “ハッタリ”か……」

「優秀な魔女の作る薬や道具は強力だけど、そのレシピに科学的根拠なんか何もないわ。トカゲの黒焼きや目玉や髪の毛を月光に浴びせながら釜で煮れば強力な惚れ薬が出来る、と何百年にも渡って魔女たちが言い続けた上に作った本人もそう信じ込んでいるから、本当に惚れ薬が出来る」

「“Faith can remove mountains”……というやつか。念の法則そのままだな」

「ええ。そう考えると、魔女学もわりと親しみやすい分野でしょ?」

「確かに、念使いには文句無しに理論的な考え方だ」

 クロロは大いに納得した。ということは、クロロにかけられている“おしおき”の念もまた、アケミの“呪い”以外の何者でもない。

 

「では、難しいことを達成するための呪い、もしくは効果の強い呪いほど、クリアしなければならない条件が難しくなるわけだな」

「その通り。優秀な生徒で嬉しいわ、ドロボーやめて魔法使いになったら?」

「ドロボーじゃなくて盗賊だと何度言ったら……」

「まあ前提講義はここまでにしておいて」

 女幽霊は、またも綺麗にクロロを無視した。

「最初に言った通り、アンデッドとして二度目の生を受ける確固たる条件は不明。ではどうすればいい?」

「……そういうことか」

 クロロは、すっと目を細めた。

 

「──“アンデッドとして蘇る呪い”をかける」

「ご名答」

 

 クロロが答えを出すと、アケミはにっこりした。

 アンデッドになる条件は不確定。ならばこちらで定めればいい。“こうすれば目的が達成される気がする”という自分ルールによる念能力の強化、すなわち“この条件を達成すれば目的が果たされる”という呪いのレシピを自分で作る事。

 アンデッドとなる可能性を秘めた自分たちの運命をその時代の魔女たちの手腕に託したはっきりした意図こそよくわからないが、アンデッドになる条件がはっきり定められていないのは、おそらくロマシャ全体による故意の情報操作によるものだろう。

 

「今回のシロノに対するレシピは──ハンター試験、もしくは試験の最中に起こるいくつかの条件、というところか」

「すごいすごい。やっぱ向いてるわよ魔法使い」

「だが腑に落ちない」

 質問を投げかけるクロロに、アケミは首を傾げた。

「なにが?」

「何故俺たちに知らせなかった?」

 いつも通りに淡々とした声だったが、優秀な占い師であるアケミには、その声にどこか咎めるような色があることに気付いて、困ったように、しかしどこか嬉しそうに苦笑した。

「“パパ”に知らせずに危ない所に出掛けて心配かけたことは、申し訳ないと思ってるわよ」

「茶化すな」

「そういうつもりじゃないんだけど。……さっきも言ったけど、難しい呪いほどクリアしなければならない条件も難しい。でもそれを軽減するのが、呪いのレシピの中に“誰にも言わずに実行する”という材料を混ぜ込むことなのよ」

「……なるほど」

 おまじないや呪いの類に、「誰にも言わずに実行する」、「誰にも見られてはならない」という条件はよくついてくる。だがそれにはそれだけの意味があるのだ、とベテラン魔女は講釈した。

 

「アンデッドになる呪いは、ロマシャの魔女の呪いの中でも最も難しい呪いよ。何しろレシピが魔女によって全て違うんだもの」

「……よく失敗しなかったな」

「自信ははあったわ。この呪いを作るのは二度目だから」

「──何だと?」

「あの子を身籠った十月十日の間に、アタシは自分に“アンデッドになる呪い”をかけた」

 クロロは、驚きに目を僅かに見開いた。しかしその驚きはひとつではない。

「なるほど、お前が『ゴースト』というアンデッドになったのはそれか……。しかし、何故そんな事を? お前は不老不死だのに興味があるようには見えないが」

「言ったでしょ、アタシはあの子が生まれる前から、あの子がアンデッド……いいえ、ダンピールだってことがわかってた。……ダンピールはね、本来、生まれてすぐに死んでしまうものなの」

 

 アケミ曰く、ダンピールというものは白い羊膜に包まれたゼリー状の身体をして生まれ、すぐに死んでしまうのが普通であるらしい。シロノのあの真っ白な容姿は、本来人ならざる姿で生まれてくるその名残であるという。

 

「でもアタシはそうさせたくなかった。だからこの子が無事に生まれて来るように、強力な呪いをかけた。アタシがアンデッドになる呪いは、ダンピールであるシロノが無事に生まれてくるための呪いのレシピの材料のひとつに過ぎないわ」

 つまりアケミは、自分がアンデッドになる呪いを材料にして、娘のために新たな呪いを拵えた、というわけである。ロマシャの魔女の呪いの中で最高の難度を誇る呪いを材料のひとつにしたそれならば、確かにこれ以上なく強力だろう。

 どこまでも娘を第一に考える母幽霊に、クロロは内心舌を巻いた。それがどんなものであれ、執着のレベルがここまで来ると凄まじい。

 

「……本来、アタシはお産のときに死ぬはずだったの。そうすることでアタシは何らかのアンデッドとして蘇り、ダンピールのあの子もちゃんと生きて生まれてくる。アタシがかけた呪いは、本当はそういう呪いだった」

「しかしお前は、シロノが生まれる前に殺されてしまった──ということか」

「……そうよ。でもさすがにロマシャ最大の呪いを材料にした呪いは強力で、アタシが死んだ後も効力を残し、お墓の中で発動した。……レシピとは少し違う形で」

 そしてそのきっかけはアケミの念、まさに──『無念』の心、それである。

「そうしてアタシは実体のない『ゴースト』という形のアンデッドになって、三十年も半分我を失うことになってしまったけど、あの子は無事生まれることが出来た。……でもあの子にも色々と弊害は残ったわ。……知ってるでしょ、あの子の日光過敏症」

「ああ」

 日光が肌に照射されることで発症するアレルギー反応のことである。

 

 それに関しては、シロノだけでなく旅団全員がかかりつけとしている、念能力者たちの間で有名な、自身も念能力者であるという闇医者が出してくれた念による日焼け止めと薬に随分助けられている。

 しかしシロノの持病であるそれは、年々症状をひどくしていた。本来なら少しでも日光に当たると──厳密には、光を見ただけでも──火傷を負ったようなひどい爛れが一面に浮き出て、動く事すらままならなくなるだろう。

 

「ダンピールは、本来なら人の姿さえしていない、とても弱い存在なの。日光過敏症だけじゃなくて、本来なら身体的にかなり虚弱なはずよ。あの子がああして元気──いえそれ以上でいられるのは、アタシがかけた強力な呪いと、念が使える事にある」

「虚弱体質の改善は、長年続けて来た“絶”による内功、内臓治療の賜物か」

 クロロは納得して頷いた。

 既にシロノが呼吸をするのと同じくらい自然に行なっているあの見事な“絶”は、害するものの目を避けるためであると同時に、自分の虚弱体質を治療するための行為でもあったらしい。

 

「そういうこと。……でも、アタシが殺されるというアクシデントで一度崩れてしまった“呪い”は、何とか持ち直して発動したものの、年月が経つ事で薄まって来てしまった。このままだと、いくら念が使えると言っても、あの子の身体はどんどん弱くなってしまう。だからアタシは、あの子をアンデッドにするための呪いを作ったのよ。絶対に失敗しないようにって“念には念を入れた”ものを作ったから、自分の修行ほったらかして五年もかかっちゃったけど」

「なるほど。……それがお前の念能力なのか?」

 クロロは、少しわくわくした様子で言った。“物理的にはどうやっても達成できなさそうなこと”を他の条件をクリアすることで実現できるとすれば、それはものすごいことだ。しかも誰にも知られない、という特典までつく。

 

「うーん、アタシはもともとロマシャの魔女だから意識してなかったけど、まあ、能力といえば能力ね、念の影響は多大だと思うし」

「そうか。ならちょっと聞きたいんだが、例えばそれで──」

「残念だったわね」

 何やらテンションが上がっているクロロだったが、アケミは彼を半目で見下ろし、ヘッと小馬鹿にしたような笑いを浮かべた。

「ロマシャの呪いはロマシャ占術のルールと、先輩魔女から伝えられた『魔女のレシピ』を隅から隅まで熟知して守った上でないと使えないんだから、もしアタシがこれを“発”にまで昇華して能力になったのをクロちゃんが盗んだとしても、とても使えたもんじゃないわよ」

 ロマシャの占い、伝承、踊り、歌などは全て口伝である──と最初に言ったのはこの事か、とクロロは納得し、ため息をついた。

「……つくづく俺を信用してないな」

「身内だろうと泥棒は泥棒だもの」

 つん、と顎を上に向けて、アケミは言い放った。

「チッ」

「舌打ちしたわね今。三十代までにハゲる呪いをかけるわよ、しかもツルツルならまだしも産毛のような細い毛が微妙にショボく残る格好悪いやつを。剃るか残すかという哀愁漂う判断に悩まされるといいわ」

 悪質である。

「下手な考えは持たないことね。アタシは祟ると言ったら全力で祟るわよ!」

 ガッツポーズ付きだった。お前どれだけ悪霊なんだ、とクロロは呻いたが、アケミは幽霊らしくなくいきいきとした笑顔を無駄に煌めかせるのみである。

「ま、とにかく、あの子は無事アンデッド、しかも『ヴァンパイア』になったわ。これからはオーラを蓄える事で、いくらでも元気になれる。アタシとしても一安心よ」

 アケミは、とても喜ばしそうににっこりした。

「そうだな」

「アラ、もうすぐ夜明けじゃないの。長話しちゃったわね」

「……最後に質問していいか」

「なァに?」

 享年24歳のアケミだが、彼女は身長もそう高くなく、クロロが言えた事ではないのだが、顔立ちも若い。そして彼女の娘は彼女にとてもよく似ているので、アケミがそうして首を傾げると、シロノにそっくりになった。

 

「さっき、“年月が経って、呪いの効果が薄れてきた”と言ったな。それだけ強力な念を込めた呪いでも、年月とともになくなってしまうものなのか?」

 アケミの娘に対する執着の凄まじさは、クロロが一番よく知っているし、一目置いている所でもあった。だからではないが、あれだけ強い念でも年月には勝てないのか、という事が、少しだけ物足りなく感じたのだった。

「ああ、そのこと」

 しかしアケミは、悪戯っぽい、しかし嬉しそうな笑みを浮かべて頷いた。

「だって、絶対に呪いをかけ続けなくちゃ、っていう理由が薄れてきちゃったんだもの」

「どういうことだ?」

 クロロは訝しげな顔をするが、アケミは尚一層にこにこする。輝くようだ。

「つまり、アタシの代わりにちゃんと面倒見てくれるパパやお兄ちゃんお姉ちゃんたちがいっぱいいるもんだから、ママは安心してしまって気を緩めてしまいました、ということよ」

 実際30年の間、呪いは同じ程度の効果のまま持続できてたんだもの、と、アケミは本当ににこにこしながら言った。そしてどこか唖然としている様子のクロロを見下ろす。

「それに、傑作じゃない。よりにもよって『ヴァンパイア』だなんて」

「それがどうかしたか」

「だって」

 堪え切れなくなったのか、アケミは声を出して笑う。

「クロちゃんが“能力を奪う”で、あの子が“オーラを奪う”、でしょ?」

 

 ──なんだか、ホントに親子みたいじゃないの。

 

 ころころと笑いながら、アケミはそう言って、朝日の中に消えていった。

 ベッドの上に残されたクロロは、思っても見なかった事を言われ、──しかもその通りである事を認識し、複雑に表情を顰めると、金縛りの解けた手で、ゆるやかに頭を掻いた。

 

 

 

 






(1)『裏切った恋人を罰して後悔させる呪い』はジプシーのおまじないとしてネットで見つけたのを引用。

(2)『Faith can remove mountains(信仰は山をも動かす)』、英語の諺。日本だと「思う念力、岩をも徹す」。

(3)蜘蛛かかりつけの闇医者は、ハンター試験中レオリオに脚を縫ってもらった時にチラッと出た「一度予防接種に連れて行かれた先の、腕はいいらしいがかなり乱暴な闇医者」と同じ。


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No.023/昼下がりの混沌コーヒーブレイク

 

 

「ぬっすっもー、ぬっすっもー」

「りょだっんはー げーんきィー」

「何だその歌……」

 

 寝不足、しかしあのまま寝ているのも何か気分ではなかったクロロは、ホームの大広間で奇妙な替え歌を合唱しているシロノとシズクを見て、げんなりとそう呟いた。

 テーブルに着いている彼女らの前にはクロロがシロノに課した読書感想文の原稿用紙があるが、あの様子だと、おそらく大して進んでいまい。

 

「何故子供は替え歌が好きなんだ……お前も一緒になって歌うな、シズク」

「え、これ替え歌だったの? 旅団のテーマソングかと思ってた」

「そんなわけあるか」

 すっとぼけた事を抜かすシズクとクロロが問答していると、ノートパソコンを操作していたシャルナークが、にやにやと言った。

「いいじゃんテーマソング。今度の仕事の時に登場とともにバックに流す?」

「パパのもあるよ!」

「……は?」

 元気に、そして何故か得意げに手を上げた子供を、クロロはぽかんとした目で見た。しかし寝不足でややぼんやりしている彼の返事を待つ事なく、シロノは「ふーんー、ふーふふーん」と前奏をハミングし始める。

「りょだんのクッロロッ、クッローロッ」

「……おい」

「ゴーミーのーなーかにー、むかしからすんでるー、痛ァ!」

 ゴッ! と短く鋭い拳骨を落とされたシロノは、激痛に頭を抱えて踞った。しかし、背後ではシャルナークが椅子から転げ落ちる勢いで腹を抱えて大笑いしている。

「団長のテーマはソロであるんだ。良かったね団長」

 シズクは常に真顔である。

「いいじゃん団長、いいスタジオ借りてレコーディングしようよ、バックに流してあげるから。ジョー=ヒサイシの名曲とともに登場する団長なら俺きっと一生ついていける!」

「うるさい。むしろ着いてくるな」

「せめて着メロ……!」

 涙を流してヒィヒィ言っているシャルナークを、クロロは睨んだ。そして未だ頭を抱えてもんどりうっている子供を見下ろすと、苦々しい表情を浮かべた。

 

「……もし俺の血が入ってるなら、こんなにアホじゃないはずだ」

「え? 何?」

「何でもない」

 クロロは重々しいため息をつくと、ソファに深く腰掛けた。

 

「どうでもいいが、変な替え歌作ってる暇があるなら課題をとっととやったらどうなんだ」

「うっ」

 ゾルディックからホームに帰ってきてここ一週間、シロノはひたすら、山積みになった『世界名作全集』と格闘していた。この一冊一冊分厚い本を読むだけでもうんざりなのに、感想文はクロロによって添削され、内容をきちんと理解出来ていないとみるとやり直しになる。既に何枚不合格になっているのか、シロノはもう数えたくもない。

 何か書き付けては消した跡がたくさん見られる原稿用紙を苦々しく見つめる子供に、シャルナークが苦笑する。

 

「シロは相変わらず本が嫌いだね~」

「だってつまんないんだもん……」

「そお? しょうがないな。俺も手伝ってあげる」

「ホント!? わあいシャル兄ありがとー!」

 シロノはぱっと顔を上げ、きらきら目を輝かせてシャルナークを見た。純粋に尊敬の眼差しで見られるのは、シャルナークとてまんざらではない。彼はにっこりと笑顔になると、うんと頷いた。

「シャル、甘やかすんじゃない」

 クロロが顔を顰めた。

「そうやってお前らが何かと甘やかすから、こいつはいつまで経ってもいまいちバカのままなんだ」

「だって団長。シロ、普段全然本とか読まないじゃん」

「そうだよパパ。あたしには難しいよ」

「自分のバカさ加減を肯定するな情けない」

 五十巻バージョンじゃなく二十巻バージョンにしてやっただけありがたいと思え、と見下ろして来るクロロに、子供は口元をひん曲げて、苦々しげな顔をした。

 

「……何さ、爪切りも探せないくせに」

「何だ反抗期か? 俺に反抗期なんて甘っちょろいものが通用すると思うなよ、ケンカを売ったと見なして高く買うからな」

「何を大人げないことを堂々と宣言してるの、団長」

 そう言ったのは、呆れきった口調がもはや定着しつつあるパクノダ、そして荷物持ちに着いていったコルトピである。食料品を買いに行ってくると言って一時間半ほど前に出て行ったのだが、帰ってきたらしい。

「まったくもう、どっちが子供だかわかりゃしない」

「俺はいつまでも子供のように純粋な心を忘れない大人なんだ」

「そしてそのまま暗黒面(ダークサイド)に堕ちてるんだよね」

 シャルナークが笑顔で言った。余計始末に負えない、という意味である。

 

 

 

「で、どうだったんだ、シズクのオーラは」

「んー……、飲みやすい方だけど、でもやっぱりあたしにはちょっときつかった」

 パクノダがお土産に買ってきたケーキを皆で食べつつ、シロノは口の周りに生クリームをつけながら答えた。

「ノブ兄とかフィンクスのオーラよりは大丈夫。シャル兄のが一番飲みやすかった、かなあ……いっぱい飲めないけど」

「操作系同士だからかな~。でもこればっかりはシロが感覚で掴むしかないからねえ」

「うう」

 念能力を考えるにしても、とりあえずオーラが充分でなければ話にならないとして、シロノは帰ってきてから、団員たちのオーラを順繰りに貰って回っていた。しかし誰も彼もシロノには強すぎるオーラばかりで、飲み過ぎて二日酔いになったりもしていた。

 そしてそんな調子で元々難航している読書感想文が上手く進むわけもなく、内容を理解出来ていない上にへべれけ状態で書かれた感想文は、既に人語にすらなっていない事すらあった。

 

「コルトピ、これ食べたい。コピーしてー」

「うん」

 ケーキをぺろりと平らげたシロノが指差した別のケーキにコルトピが左手を翳すと、ボッ! と音がして、右手が翳された空の皿の上に、同じケーキが出現した。シロノは目を輝かせると、コピーの方を「ありがとー!」と嬉々として受け取り、フォークを突き刺す。

 普通の人間が食べれば栄養にも何もならないコピーだが、オーラを食べて自分のものに出来るシロノにとって、コルトピが作ったコピーは本体通りに美味しい上に、コルトピが具現化したものなので、オーラとして栄養にもなる。最近ではコルトピがリクエストした料理やお菓子をシロノが作り、本体をコルトピが、コピーをシロノが食べる、という取引が成り立っている。

「結局、旅団の中ではコルトピの“コピー”しか食べられなかったわけだ」

「やはり子供ということか……。酒の味がわからんとは」

 コーヒー牛乳と苺のショートケーキを食べている子供を横目にそうぼやきつつ、チーズケーキを食べ終わったクロロは、ブラックコーヒーを口に運んだ。

 

 

 

「……何暢気にケーキ食べてるね、オマエ……」

「どうした、フェイタン」

 和やかなコーヒーブレイクの最中、不機嫌オーラ丸出しで現れるなりシロノを睨みつけたフェイタンに、クロロが尋ねた。

 

「オマエ、ハンター試験で念能力者でもない奴に負けたらしいね」

「ひっ」

 ぼそりとそう言われて、シロノは青ざめ、ばつが悪そうにさっと目を逸らした。しかしそのせいで、フェイタンの殺気は更に大きくなる。

「パク姉! フェイ兄には言わないでねって言ったのに!」

「そうだったかしら。コーヒーのお代わりを煎れてくるわね」

「うわーん!」

 さらりと躱して席を立つパクノダを、シロノは恨めしげに見遣った。

 ハンゾーのことがバレているのは、帰ってきてから速攻でパクノダにホールドされたからである。外から帰って来たら手を洗う、位の習慣性で行なわれるこれのおかげで、シロノはウソをつこうにもそうそうつけない。

 そして師匠としては厳しい部類に入るフェイタンにばれたらえらいことだ、と思ったシロノは口止めをしたつもりだったが、どうやら全く守ってくれなかったらしい。

 

「……信じられない体たらくね」

「ううっ……」

 どうやら、自分が作ってやった武器を持っていきながらもハンター試験に落ちた、ということが、何気にフェイタンの琴線に触れたようだ。

「ワタシ直々に鍛え直してやるね。表出る良い」

「ぎゃ────!」

「まあまあ」

 また口の周りにクリームをつけているシロノの首根っこを掴んで引きずって行こうとするフェイタンを、シャルナークが諌める。ひっくり返りそうになっていたケーキや飲み物は、シズクとコルトピが見事にカバーしていた。

「ダメだってフェイタン、シロ、まだオーラ充分じゃないんだからさ。こんな状態で扱いたって死んじゃうよ」

「なら今からワタシのオーラ好きなだけくれてやるね。口開けろ」

「いやだ! フェイ兄のオーラなんか飲んだら死ぬ!」

「どういう意味ね! 殺すよ!?」

 フェイタンは青筋を浮かべたが、シロノにとってフェイタンのオーラをがぶがぶ飲むなど、白酒(パイチュウ)を一気飲みするようなものだ。急性アルコール中毒で普通に死ねる。

「なら何か、もたもたコルトピのコピー食てるの待て言うか!」

「だってしょうがないじゃん食べられないんだからっ、ぎゃー! クリームが鼻に!」

 口答えされた事にイラついたのか、フェイタンに無理矢理口をこじ開けられてケーキをぶち込まれ、鼻にクリームが入ったシロノは半泣きで叫んだ。そのおかげで口の周りどころか、既に顔中クリームだらけでひどいことになっている。その無惨な有様にため息をついたパクノダが、煎れたばかりのコーヒーをコルトピに預けて、顔を拭くものを取りに引き返して行った。

 そしてシズクは黙々とケーキを食べており、シャルナークはまた腹を抱えてげらげら笑い転げている。

 

「……わかったから落ち着け、お前たち」

 

 殺気とクリームが飛び交う、甘いバニラの匂いの中の絶叫と罵りと半笑いの供宴。

 混沌と化したコーヒーブレイクにため息をついたクロロは、とりあえず場を諌め、パクノダがシロノの顔を綺麗に拭いたあと、全員を席に着かせた。

 

「まあ、フェイタンの言う通り、このままだと時間がかかりすぎてしょうがないのも確かなんだがな……」

 折角アンデッドとして覚醒したというのに、このままでは念の修行が始められない。慣れるまで飲み続けるという手も考えないでもないが、あのネテロのオーラを飲んだときは急性アルコール中毒よろしくぶっ倒れたというし、あまり良いやり方ではなさそうだ。

「そういえばシロノ、あの美食ハンターたちのオーラはどうだったんだ?」

「メンチさんたちはお酒って感じじゃなかったよ。メチャメチャおなか空いてたから味はよく覚えてないけど……あー……あれはすごくおいしかった……」

「シロ、よだれよだれ」

「はっ!」

 何かを思い返していたシロノは、緩んだ口の端から垂れたものを袖口で拭こうとして、しかしすかさずパクノダにハンカチを口に押し当てられた。

「そうか、自分のレベルに近いオーラなら相応に美味と思える上にきちんと自分のオーラとして取り込めるというわけか」

「……だと思う。あと、なんか……なんとなくだけど、今オーラ少ないから、そこにキツいオーラ飲むと余計になんだか……」

「へえ。あれかな、空きっ腹に飲むと悪酔いするあれかな」

「そうなの?」

「うん、ある程度食べてからの方が酔いにくいね」

 シャルナークの言葉を、酒を嗜まない子供は「へえ~」と興味深そうに聞いている。

 そしてクロロは何やら考え込んだ後、シロノに言った。

 

「──なら、腹拵えをして来い」

 

 

 

 






トトロネタ引っ張りすぎですみません。

(1)『白酒(パイチュウ)』:癖が強く、数十種類の香り成分を含むため独特の芳香を持つ中国蒸留酒。慣れない者にはキツイ匂いだが、愛好者は「薫り高い」と評する。高い度数のものは六十度くらい。色は透明。
 主原料から高粱酒(カオリャンチュウ)、中国東北部では白乾児(パイカール)ともいう。


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No.024/お兄ちゃんといっしょ

 

 

 

 ワーワーと凄まじい歓声が響く中、しかめっ面でぶつぶつと本を読みながら、少女がリングに向かって歩いていく。

「シロノ選手。武器……ではないようですが、それは置いて頂けますか」

「あ、ごめんなさい」

 パンチマークがついた服を着た審判に注意され、シロノは素直に『世界名作全集』の第二巻をそっと置いてから、リングに登った。

「……ま、無駄だけど」

「は?」

 ぼそりと呟いたシロノに審判がきょとんとした顔をする。そしてその時実況席から、マイクのノイズが聞こえた。

 

《──2345番◯◯選手、棄権! 2856番シロノ選手、不戦勝!》

 

 そのアナウンスが響いた途端、観客席から凄まじいブーイングが沸き起こる。しかしシロノはけろりとした様子で本を拾い上げると、小走りにリングを降りた。

《どうしたことでしょう! シロノ選手の不戦勝はこれで四度目となりますが──》

「フェイ兄ー、ごはん食べに行こー」

 ざわめきの中、シロノは怠そうに観客席に座っていた保護者に声をかけた。

 

 

 

 腹拵えをして来い、というクロロの言葉はすなわち、シロノの身の丈に合うオーラを天空闘技場にて充分蓄えて来い、という提案だった。

 格闘のメッカと呼ばれる天空闘技場は、主に小遣い稼ぎのプロ・アマハンターたちが集結している。しかし逆を言えば、所詮金目宛て程度の人間しか集まって来ない場所でもあるので、例えば旅団の人間たちが参加すれば、さほど苦労もせずフロアマスターになることができるだろう。

 つまり、刺激の少ないものから徐々に慣らしていけ、ということで、クロロは天空闘技場行きを勧めたのだった。

 シロノは「二日酔いと感想文から逃れられる!」と諸手を上げて喜んだが、さあ行って来いとパクノダが用意してくれた荷物にしっかりと世界名作全集全二十巻が含まれ、おまけに「天空闘技場滞在中に全て読了すること」という課題を抜かりなく頂いてしまった。スキップせんばかりだったシロノの歩調が、一気にとぼとぼとしたものになったのは言うまでもない。

 

「楽に過ごせると思うないね……覚悟するよ」

「……はい」

 

 そして天空闘技場に来るにあたって、シロノのお目付役、兼滞在中のコーチとして同行することになったのがフェイタンだった。

 “かわいい子には旅をさせろ”どころか本気で殺す気で谷底に突き落とすような今までの教育風景からすると、保護者同伴というのはかなり過保護な対応だ。しかし実際につい最近本気で死にかけた上、オーラが少なく、またアンデッドとしての新しい能力が安定していないシロノをひとりで修行させるのは一応不安だ、ということからの提案でもあるのだが、単にフェイタンがハンター試験でのシロノの失態にかなり怒っていて、鍛え直す気満々だから、でもある。

 そして彼は、猫のように脱力して無駄かつささやかな抵抗を示すシロノの襟首を引っぱって、天空闘技場に同行してきた。

「200階クラスで試合中に相手からオーラ奪えるようになるまで、適当に勝ち負け調整するね。その間徹底的に鍛え直すよ」

 つまりは念抜きでの基礎の体術指南、格闘訓練から、ということだ。

 フェイタンは小柄な容貌もあって一目ではそうと見えないが、強化系のフィンクスと手合わせをして同等の結果を出せる、かなりの肉体派である。そしてその強さの秘訣は、類い稀なる格闘テクニックによるものだ。さらに、いつも手にしている仕込み傘の剣に始まり、あらゆる暗器類の扱いにも精通している。

 読書感想文に加え、フェイタンのシゴキという地獄の日々が始まることを確信したシロノは、刑務所に入れられる囚人のように重苦しい気持ちで、天に向かってそびえ建つ天空闘技場に向かう。

 

 背後に立つフェイタンに殺気マンマンの目つきで睨まれながら半泣きでエントリーシートを書くシロノに、窓口のお姉さんが心配そうな目を向けていた。

 

 

 

 シロノは、一回戦を楽にクリアした。

 念使いでもなければ一般基準での格闘家としても二流以下の連中が相手なのだから当たり前だが、『世界名作全集』をしかめっ面でぶつぶつ読みながら、目もあわさず片手間に対戦相手を吹っ飛ばす少女は、ショーとしてもかなり見物だとして人気を博した。──100階までは。

 順調に勝ち進んできたシロノだったが、100階を境に個室が与えられることもあり、ここを境に選手の雰囲気もガラリと変わってくるので、シロノも本片手にというわけにはいかなくなる。

 そしてここは天空闘技場、対戦は全て“勝負”ではなく“試合”なのだ。殴る蹴るをしているうちにポイント取得で試合終了となってしまい、勝ちはしても噛み付くことが出来ないまま終わってしまうことが数試合、どうにかして噛み付こうともたもたしているうちにポイントを取られて負けてしまうのが数試合。

 おまけに、こういう場所での、しかもこのレベルでの猛者となると、ビジュアル的に傾向が似通って来る所がある。無駄に男臭い、いやいっそ雄臭い彼らに噛み付くのにどうしても躊躇してしまうのは仕方ないだろう、とシロノは思うのだが、もたもたと100階から上がっては落ちるシロノの体たらくと反比例して、フェイタンのこめかみの青筋は順調に増えていった。

 

 ──そして現在、ここは選手の控え室。

 

「いい加減にするね」

 ぎろり、と切れ長の目を更に細めて睨んでくるフェイタンに、シロノは身を竦ませた。

 立っているフェイタンに対し、シロノは彼の目前に正座。

 シロノは確かに恐れ戦いているようではあるが、ばつが悪そうな彼女だけを観察すれば、それは一般家庭の少女が兄に雷を食らっている、その程度のものに見える。しかしそれはシロノの生来ののんきな性格に加え、幼児の頃から旅団の中で育ち、団員たちに何かと細々と怒られ慣れているからこその反応である。フェイタンが感情のままに控え室に充満させている殺気に、周囲の人間はそれどころではない。しかも殺気が凄まじすぎて、ほとんどの人間の足が竦み、控え室から出ることも出来なくなっていた。……いい迷惑である。

「だってフェイ兄」

「ワタシに口答えするとは良い度胸ね。剥ぐよ」

 剥ぐ場所を限定されないのが余計に怖い。フェイタンの殺気、もとい不機嫌オーラが更に増幅し、シロノはひぃと小さく声を上げて縮こまる。

 

「オーラがないと何もかも始まらないね。だからとりあえずささと手当たり次第食い漁れ言てるのに。何のためにここ来たかわかてるのか」

「だってあれ、あきらかに一週間はお風呂に入ってないし! オーラもまずそうで」

「選り好みできる立場か。いい加減にしないと死のうがどうなろうが、ワタシのオーラ無理矢理口から突込むよ」

 じろりと睨まれながら脅されて、シロノは、ブンブンと激しく首を振った。

「……ゴメン」

「何? 聞こえないね」

「ぎゃあ! あいだだだだだゴメンごめんなさいフェイ兄踏まないで」

 ガンッと頭を踏みつけられて床に強制的に頭突き、もとい土下座状態になったシロノは、後頭部にかかるフェイタンの靴裏の圧力に、額で“硬”をすることで耐えた。そして周囲は、控え室のド真ん中で少女の頭を絶対零度の目で踏みつける小柄な男、という年齢制限がいるような光景に絶句するのみである。

(なんちゅうドSな兄貴だよ)

(気の毒な……)

 歳が離れていれば尚更、兄というものは多少なりとも妹に甘いものなのではないか、と、天空闘技場にやって来ている猛者たちでさえ、踏みつけられているシロノに同情を抱いた。

 二人の顔立ちなどは似ていないが、シロノがフェイタンを兄と呼んでいること、そしてシロノがフェイタンの服についているドクロマークと同じワンポイントのついたチャイナ服を纏っていることから、周囲の者は彼らを兄妹、もしくは同門の兄妹弟子、あるいはそのまま師弟関係か何かなのだろうと認識していた。

 

「でもしょうがないでしょー! 試合なんだから、」

「は? オマエ馬鹿か」

「へあ?」

 強い踏みつけのせいで床で鼻が潰れているシロノは、妙な声で返事をする。するとフェイタンは、器用にもシロノの頭を踏みつけたまま、すっとしゃがみ込んだ。

 そして白い髪の間から覗く耳をわざわざ軟骨部分に爪を立てて引っぱられ、シロノは「あだだだ!」と再度悲鳴を上げる。

「自分が何だか忘れたか? ワタシたち盗賊。欲しいものは奪い取るね」

「……あ、そっか」

「本当にオマエは馬鹿ね。脳ミソだけ腐りぱなしでないか? 頭にもオーラ送れ」

 フェイタンはそう言うと、もう一度キリキリと爪を立てて耳を引っぱり、その耳元でぼそりと、しかし鼓膜に染み付くような声で呟いた。

「今度同じことしたら、耳から熱湯流し込むよ」

(怖ァ!)

 フェイタンの発言に、シロノよりも周囲の者たちの方が竦み上がる。想像したのか、呻き声を上げながら耳を抑えている者が数名いた。

 

「やめてよ! そんなことしたら耳ダメになるじゃん!」

「はははは、そうしたらオーラ食わせて回復させてやるね。半永久的に楽しめるよ」

「楽しいのはフェイ兄だけだよ! ぎゃあああ頭潰れる! つぶれるー!」

 何やらノッてきたのか、にやりと目を細めて笑いつつ全体重プラス念を込めて踏みつけを強くするフェイタンに、シロノはまたも悲鳴を上げるのであった。

 

 

 

 ──ここで、冒頭に戻る。

 

「そうだよねー、とりあえずは別に試合にこだわらなくたっていいんだよね」

 自分としたことが失念していた、と思い直してからというもの、シロノにとっての試合と観戦は、良さそうなオーラを持った選手を選別するカタログ、もしくは食事のメニューとなり果てた。

 つまり、ともかく早々にオーラを蓄える必要にかられたシロノがとった行動が、『闇討ちでオーラを頂く』ということだった。

 ポイントがどうのこうのと考える必要なく、部屋でリラックスしているターゲットの背後に“絶”を使って忍び寄るのは、驚くほど簡単だった。そしてシロノはほぼ片っ端から美味そうなオーラの持ち主を闇討ちし、一気にオーラを食い溜めていく。

 

 だがしかし、未だ、ただスタートラインに立っただけである。

 やっと修行が始められるとあって、フェイタンは性懲りもなく愚図って脱力で抵抗を試みるシロノを、一番広い鍛錬用の体育館まで引きずってきた。

 天空闘技場は各種施設が充実しており、体育館のような広いトレーニングルームももちろん設置してある。フェイタンはゆったりした造りの上着を脱いで軽装になると、“絶”状態を保つように指示した。

「基本的に全身“絶”の通常組み手。けど要所要所で“硬”の打撃混ぜていくから、攻防力も見極めてガードするよ」

「うえええええ!? もっと優しくしてよう」

「やる前に教えてやてる、充分優しいね」

 僅かでもオーラ配分を少なく見積もってしまったら重症、それ以前にオーラ込みの攻撃をガード出来なかったら死ぬかもしれない組み手のどこが優しいのだ、とシロノがむちゃくちゃ異議のある顔をしていると、フェイタンは珍しく、とても機嫌良さそうににこりと微笑んで、言った。

「死ぬ怪我でも死なないのがオマエのいいトコロよ」

 しかしサドっ気全開の彼の笑みは、ひたすら薄ら寒いだけだ。彼の目は確かに心から笑っているが、それは獲物を前にした捕食者のそれであり、吊り上がった唇の隙間からちらりと舌が覗いたのを、シロノは見た。

 

 そしてフェイタンによる修行は、この組み手だけではなかった。

 シロノは夜起きて昼間寝る生活が基本となっているが、フェイタンも似たようなもので、天空闘技場滞在中はさらにシロノに合わせた生活を送っている。これだけ聞けば熱心に訓練に協力してやっているいい兄貴分なのだが、フェイタンがやる気を出す、イコール危険度うなぎ登りという公式が既に常識であることを、シロノは知っている。

 そして案の定、シロノは大変にデンジャーで気の抜けないフェイタンとの二人暮らしを満喫するはめになった。

 格闘のメッカ天空闘技場に師匠と弟子で足を運ぶのはさほど珍しいことではないが、師匠が選手登録をしていない場合、その個室はもちろん用意されない。同伴者は選手としての弟子の部屋に共に寝泊まりするか、もしくは天空闘技場の外に宿を取るかのどちらかだ。そして同伴者のフェイタンは、前者だった。ただ混みやすい天空闘技場周辺の宿を取るのが面倒だったというのもあるかもしれないが、最大の理由はそれではない。

 

 まず寝る時、外出時は持参している棺桶で眠るのが常なシロノだが、フェイタンは、あえてベッドで寝るようにシロノに命令した。

 与えられている個室は嵌め殺しの窓に遮光カーテンがついていたため、ベッドで寝ても支障はない。そしてベッドはシングルが一つしかないので、二人ともが寝たい時はお互いが勝手にベッドに潜り込んでいる。二人とも小柄なのでサイズ的にはさほど問題はないのだが、シロノのほうは問題大有りだった。

 

 お兄ちゃんと一緒に寝るなんて恥ずかしい、などという可愛らしい理由など、決して1ミクロンもありはしない。──フェイタンが闇討ちをかけて来るのである。

 

 物理的に距離があれば闇討ちにもそれなりに対処が出来るが、同じベッド、零距離で闇討ちを受ける恐怖はかなりのものだ。最初の頃はフェイタンが一緒にベッドに入っている時は恐怖で一睡も出来なかったし、実際に二度ほどザックリ刺され、殺人事件後そのものの血塗れのベッドは、宿泊施設のリネン係を恐怖に陥れた。

 ちなみに、いくらか慣れてきた頃に逆襲してやろうとフェイタンの寝込みを襲い、しかしあっさり反撃を食らったのも一度や二度の話ではない。

 怪我をしてもオーラさえ充分であればたちまち回復するアンデッドの体質を見越して、フェイタンはほとんど容赦というものがなかった。刺す、殴り潰す、骨を折るなどは既にデフォルトというそれで、──フェイタンは異様に機嫌が良かった。

 

「もう治たか。いいことね、次々いくよ」

 

 薄ら寒い笑顔でそう言い、嬉々としてどこから出したものやら拷問具を取り出している。

 さすがのシロノも顔を引きつらせて、必死にならざるを得なかった。オーラが充分であれば刺されようが内臓が破裂するまで殴られようが死なないし、連日のこの暮らしぶりのおかげでアンデッドとしての肉体操作のレベルが上がり、「痛覚を鈍くする」ということまで行なえるようになってはいたが、オーラが充分でなければ普通に死ぬのだ。

 フェイタンは「死なないように準備しておくのが当たり前」というスタンスなので、オーラが充分でなければ手加減してもらえるだろう、という甘えは一切通用しなかった。

 一度「今オーラないから休ませろ」と言ってもみたのだが、にやりと笑って「甘えるな」のひとこととともにナイフを振りかざしてきた彼から本気で逃げて以来、シロノは常にオーラを充分に保つよう、選手たちから必死になってオーラを摂取し溜め込んでいる。

 

 こうしてシロノが100階~190階を意図的にウロウロしている間、首に噛まれたような傷を残して自室で気絶、もしくはシロノが加減を間違えたばかりに死んだ選手が相次いだため、天空闘技場は騒然となった。

 そして当初は騒がれるだけだったのだが、しかし、シロノがオーラを貯めこむに必死なあまりに次の対戦相手までうっかり闇討ちしてしまうことが数度あったため、「同行している兄貴の方が妹のために闇討ちを行なっている」という噂まで流れた。

 しかしシロノに対するフェイタンのDVどころかもはや立派に拷問、いや殺人未遂の域に入ったドSっぷりに加え、トレーニングルームで行なわれている彼らの組み手のレベルの高さ、そして何より190階までに留まるため適当に負ける様子から、フェイタンがシロノ可愛さに暗躍したり、シロノが弱いために卑怯な手を使って上に上がろうとしている、という説の信憑性は皆無だと見なされ、結局「シロノと当たる選手は呪われる」というようなあやふやな噂だけが残ったのだった。

 

 

 

 



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No.025/6杯の天丼

 

 

 

 キルアとゴンを追って天空闘技場へ先回りしたヒソカは、ほぼ直通で登った200階にて、暇を持て余していた。

 

 天空闘技場は彼が暇潰しとしてよく利用する場所の一つではあるが、ここで彼が満足するような戦いに恵まれる事はあまりない。ここは念に目覚める登竜門としてはうってつけだが、熟練者が楽しむ場所としてはレベルが低すぎるからだ。

 だからこの場所は、ヒソカにとって「運が良ければ“青い果実”と出会える」場所、という感覚であるのだが、今回は始めから最高級の果実が二人もここへやって来る事が確定している。

 そのことで彼の機嫌は非常にいいが、しかし今の200階クラスの面々は、キルアとゴンが登って来るまで存分に楽しめる、という感じではなかった。そこそこマシなのが以前ヒソカに“洗礼”を受けてからというものリベンジを狙っているらしいカストロだが、実際に戦うのはもう少し先の話になりそうだ。

 

 そんな彼が耳にしたのが、「天空闘技場で、選手たちに闇討ちを行なっている者が居る」という話だった。

 

 その“犯人”は、決まって夕方から深夜の間に、時に選手の個室、あるいは外出した先の暗い路地で、選手たちを襲うのだという。

 しかも奇妙なのが、彼らの直接の死因がよくわからない、という所だった。抵抗した挙げ句の戦闘の後が見受けられる事はあったらしいが、致命傷だったのだろう傷もなければ、検死をしても毒の1mgも見つからなかったのだという。

 

 暗殺者ならば、これ以上ないいい仕事っぷりだ。

 しかし、更に奇妙なのが、生存者もまた多すぎる──いや、生存者の方が多い、というところである。手口の隠し方は暗殺者も真っ青だが、ターゲットを生かしているのでは意味が無い。襲われた連中は揃って瀕死、というよりは過労の挙げ句倒れたような奇妙な状態で発見されるらしいのだが、これまた目立った外傷などがなく、全員が「後ろから襲われて何も見えなかった」と証言しているという。

 

(楽しいことになるといいなァ)

 期待し過ぎてもいけないかもしれないけど、と、試合前と同じぐらいに殺気立つ選手廊下控え室付近の廊下を歩きながら、ヒソカはにこにこした。

 襲われる場所が特定できないこと、犯人の手口が不明である事、そしてやられた者たちの中にはここでもそこそこの実力者たちが結構混じっていることから、選手たちは太陽が沈むとピリピリと殺気立つようになっている。その空気は戦闘狂のヒソカにとってはとても心地よいものだったが、同時に無駄に刺激されてうずうずしてしまうので、厄介な風でもあった。

 犯人に会えなかったらむしろ自分が闇討ちに回るのもアリかなあ、などと、周りの者が聞いたら一斉に闘技場から逃げ出しそうな事を考えていたその時、ヒソカは見覚えのある人影を見つけ、きょとんとした。

 

「……フェイタン?」

 

 通路の曲がり角の影に佇んでいる小柄な影は、何度か会った事のある、旅団の古株だった。

 しかし前述した通り、ここはヒソカのような目的を持つ者や、あるいは門下生を集めるような連中のスカウト場所にはもってこいなのだが、熟練者にはあまり用の無い場所だ。だからこそ、フェイタンがここに居る、というのが、ヒソカにはとても意外に思えた。

 ヒソカは彼に声をかけようかと思ったのだが、彼が“絶”を用いてそこに佇んでいる事から、何かをやるつもりなのだろうと思い、気付かれないだけの距離を見定めると、己も絶、とは言わないまでもオーラを抑え、しばらく見守る事にした。

 

 フェイタンは獲物を待って擬態を続ける動物のように微動だにしないまま、闇に溶け込んでいる。

 実に見事な“絶”だ。ヒソカでなければ、彼の存在に気付きすらしないだろう。実際、素人丸出しのチンピラ数人が脇を通ったが、見向きもせずに通り過ぎた。

(もしかして、闇討ちの犯人って……)

 ヒソカはそう思って首を傾げるが、しかし、フェイタンにとってここの連中など殺した所で手応えなど小指の先程も無いだろうし、何より、被害者たちには外傷が無いのだ。彼の実力ならば可能な事かもしれないが、彼の趣味嗜好を考えると、それは考えられない。

 首を傾げつつも、ヒソカは彼を見守った──その時だった。

 フェイタンの細い目が、きゅう、とさらに細まった。

 

「ぎゃ──っ!」

「……ち」

 

 音も無く、しかし目にも留まらぬ早さで影の中から飛び出したフェイタンは、向こうから通路を歩いてきていた子供に向けた、苦無のような暗器を素早く仕舞った。

「……ま、ヨクデキマシタよ」

「棒読み!」

 しかもさっき舌打ちした! と、跳び上がってそのままヤモリよろしく高い壁に張り付いた子供が喚く。

「あー死ぬかと思った! 死ぬかと思った──!」

「死なないね、バカ」

「いやいや、死ぬだろ、今のは♦」

 思わずヒソカが突っ込みを入れると、フェイタンと子供が振り向いた。子供はきょとんとした顔をし、フェイタンはヒソカの姿を見るや否や、ものすごく嫌そうに表情を顰め、不機嫌なオーラを身体から立ち上らせた。通りがかった選手が、ヒッと小さな悲鳴を上げて小走りに遠ざかってゆく。

 周囲の人々は、フェイタンが刃物を持って子供を刺し殺そうとしたことなど一切気付いていない。しかしだからこそ、この子供がそれに気付いて避けたというのは相当な事だ。しかもフェイタンは、間違いなく子供の頸動脈を的確に狙っていた。

 

「やあ。珍しいねェ、キミがこんな所に来てるなんて♥ この子の修行のお守りか何かかい?」

 ヒソカはニコニコとした笑顔を更に深くすると、頭二つ分は低い彼にそう言った。フェイタンはドクロの覆面の中でフンと鼻を鳴らすと、ヒソカを無視し、壁から降りてきた子供に向き直った。

「では、ワタシもう行く。こち帰てくるまでに能力考えておくよ。良いね?」

「えー、そんなこと言われてもー」

 子供は口を尖らせてあからさまにぶーたれたが、途端、フェイタンの周囲の温度がすぅっと下がる。

「良い、ね?」

「うんわかったフェイ兄あたし超がんばるー、いえーい」

 氷点下のオーラと声色に、子供は腹話術の人形のようなひっくり返った声の早口で答え、ガクガクと頷いた。いえーい、とまで言って掲げた小さな拳が果てしなく白々しく、そして哀れだ。

 今まで散々場所を問わずに拷問のような訓練を課されている子供の姿を見てきた周囲の選手たちは、「すっかり調教されてるな……」と、半ば同情に近い視線を送った。

 子供の返事にとりあえず満足したらしいフェイタンは、別れの言葉すら言わないまま無言で踵を返し、ヒソカの横をすり抜けて、さっさとエレベーターに乗ってしまう。チン、という平和な音とともにエレベーターが閉まって下へ下りていったとき、ふうー、と思い安堵のため息をついたのは子供だけでなく、周囲の人々もだった。

 ヒソカは彼がいつからここに居たのかは知らないが、この様子からして、ここに居る間はあの剣呑なオーラで多くの初心者たちを恐怖に陥れていたようだ、という事を確信した。

 

「はー、これで毎日ナイフでぶっ刺される生活もおしまいかー」

 

 額の汗を袖で拭うような仕草をしつつ、子供が言う。ヒソカが子供を見下ろした。

「そんなことされてたのかい?」

「うん、もー何回骨折られたかわかんないし! みんなきびしいけどやっぱフェイ兄が一番スパルタだよ」

 解放感からか、子供は、んー、と伸びをした。

「あーでも能力考えなきゃ……読書感想文もあるし、うー、宿題多いよう……」

「子供も大変だねェ」

 ぐったりと肩を落とす子供にヒソカが適当なコメントを寄越したその時、ぐう、と篭ったような音がどこかから鳴った。

「クク、まず腹ごしらえでもしたらどうだい?」

「そだね、腹が減っては盗みもできないって言うもんね!」

「……どこの格言だい、それ♠」

「ウボー!」

 おそらく食堂に向かって歩き出した子供は、元気よく答えた。そしてくるりと振り向く。

「いっしょに食べる?」

「おや、お誘いかい? 光栄だなァ」

「ここの天丼、エビでっかくておいしいよ!」

 未だかつてない食事の誘い文句だったが、ヒソカはそのまま子供についていく。子供は「ごっはん、ごっはんっ」と楽しげに歌いながら、軽い足取りで食堂に向かっている。それだけ見れば本当に普通の子供なのだが、“絶”にならない程度の絶妙に抑えた“纏”をごく自然に保っていることを見抜けるならば、これが普通の子供などではない事がわかるだろう。

 

「でも、ヒーちゃんもここ来てたんだね。よく来るの?」

 

 子供のオーラをまじまじと観察していたヒソカは、そう問われ、ぴたりと足を止めた。

 そして顎に手を当てると、何かを思い出そうとするかのように首をひねる。

「……その呼び方」

「あい?」

 真正面に回り、ヒソカと同じ方向に首を傾げて返事をすると、彼は顎に手を当てている方とは逆の手で、もしかして、とでもいうふうに指を指した。

 

「……シロノ? 君、死んだんじゃなかったっけ?」

「──おっそ!」

 

 本気で一晩寝てから忘れ去っていたらしい彼に、シロノは大声で突っ込みを入れた。

 

 

 

 

 

 

「へェ……オーラを食べる、ね……面白いな♦」

 

 食堂のテーブルに向かい合って腰掛け、今までの事情を聞いたヒソカは、興味深そうに頷いた。そして小声で、最近噂になっている闇討ちはキミかと尋ねると、シロノは床に着かない足をぶらぶらさせながら「うん」とあっさり答えた。

 

「フェイ兄がやってるんじゃないかって疑ってる人が殆どだったみたいだけどね。だから今日は食べ放題かも」

「フェイタンが帰って油断してるから、かい?」

「そ!」

 にかっ、とシロノは笑い、残りの天丼を一気に掻き込んだ。

「ぷはー! おいしー!」

「口のまわりいっぱいつけてるよ、シロノ」

「あわ」

 ヒソカの言う通り、シロノの口の周りは米粒と汁まみれだった。シロノは構わず袖口でそれを拭うと、調理場に向かって叫ぶ。

「おじさーん、天丼おかわりー!」

「あいよッ!」

「……一体何杯食べるんだい?」

「いっぱい!」

「はっはっは! うまいこと言うな嬢ちゃん! ヘイお待ちィ!」

 ドン! と目の前に置かれた大丼に、シロノが歓声を上げる。しかしヒソカが呆れるのも無理はなく、この小さい身体の一体どこに消えているのか、米粒だらけの丼が、既に横に五杯重ねて積み上げられている。そういえばハンター試験の時も、一人前400グラムはありそうなステーキ定食を自分のぶんまで全部平らげていた、とヒソカは思い出す。

「いっぱい食べておっきくなるのっ! 今はチビだけど……」

「大きくなりたいのかい?」

「うん! 目標、ウボー!」

 それは無理だろう、と当然ヒソカは思うが、子供の夢は壊さないでおこう、と、6杯目の天丼をかっ込むシロノを黙って見守った。

 

「ほんへへ、ひょっほひーひゃんにひひはいんはへほ」

「喋るか食べるかどっちかにしようね♥」

「ぼべん」

 エビの尻尾が突き出た口元から謝罪らしきものとともに飛んだ米粒を、ヒソカは華麗に避けた。

「……ぷは。 そんでね、ちょっとヒーちゃんに聞きたいんだけど」

「なんだい?」

「能力ってどーやって考えるの?」

「……んー」

 熟練者にとっては、漠然とし過ぎて答えにくい質問である。ヒソカは視線を少し宙に泳がせた。

 

「フェイタンからは、何も言われてないのかい?」

「ジブンで考えるネ。ワタシそこまで面倒みきれないヨ」

 シロノは自分の目尻を両方の人差し指で引っ張って狐のような細目を作ると、カタコトの口調で言った。どうやらフェイタンのモノマネらしいが、本人に知られたらナイフをぶっ刺される程度では済みそうにない。

「……とか言っちゃってさ! あれ絶対めんどくさくなってきただけだよ!」

「じゃ、ここではどういう修行してたんだい」

「んーとね、もともとフェイ兄は体術関係のセンセーな感じなんだけど、ここではずっと組み手で“流”の練習と、不意打ちを“硬”でガードしたり“凝”で見抜いたりできるかの訓練ばっかしてた」

「流石。あくまで実戦用、な訓練だね♥」

 こうまでリラックスして食事をしていても一切の乱れが無い“纏”を見れば、シロノがそれなりのレベルの実力を身につけている事は明らかである。

 そして“発”としての能力をあえて鍛えず、こうして基礎のオーラ技術のみをかなりのレベルで磨かせている、という教育法は風変わりで、しかしどこまでも実践的──いやここはさすが盗賊・幻影旅団、“蜘蛛的”と言った方が良いだろう。

 

「修行をつけてもらってるのはフェイタンだけ?」

「ううん、みんなちょっとずつ教えてくれる」

「……それはまた」

 凄まじいが、ある意味贅沢極まることだな、とヒソカは思った。いま世界中を震え上がらせている盗賊団、全員がかなりのレベルの念能力者である幻影旅団メンバー全員から教えを受けるなど、そうそう、いや、ありえないと言い切っていいような事だ。

「クロロも?」

「パパはねー、最近ヘンなの」

 シロノはごくりと水を飲んでから、不満そうに言った。

「なんかね、修行より勉強の時間増やしたり、とにかく本読ませようとするのっ! あたし本きらいなのに! 今だって世界名作全集全部読めって宿題出てて」

「……本、か。ナルホドね」

「へ? なにが?」

 納得したようなヒソカに比べ、シロノはわけがわからない、ときょとんと首を傾げている。ヒソカは笑みを浮かべると、ゆっくりした口調で説明を始めた。

 

「聞いた事無いかな? 小さい子供が“念能力者”と言えるまで念を使えるようになることは無い、と言われてる♦」

 

 生まれながらに精孔が開いており、そのせいで無意識のまま念を使ってしまっている子供は僅かながらも存在する。赤ん坊の居る家で起こる、ポルターガイストやラップ音などと呼ばれる症例は殆どがそれだ。

 しかし、確固たる意思を持って、制約などを定めた具体的な念能力を行使できる子供は、幼ければ幼いほど存在しない。それは何故か?

 

「才能は重要だけど、才能だけじゃダメ♣」

「どーゆーこと?」

「念能力には、個人の得意分野や精神状態・人生経験などが大きく関わってくる♦」

 

 自分の能力を考え設定するには、想像力が必要になる。何の経験も無い赤ん坊は、その想像の元となる経験値がゼロ。だから赤ん坊は騒音を起こしたりものを移動させたりといった単純で漠然とした力を使えはしても、安定した一つの能力を持つ事は出来ない。

「キミも同じ♥」

「あたし、赤ちゃんじゃないよ」

 シロノは些かむっとして、眉を寄せた。しかし反してヒソカはにこにこした笑みのまま、続ける。

「経験が少ない、という点では同じ事さ。あまり旅団と行動していないボクが知る限りでも、キミは常に旅団の人間と一緒だし、彼らの行動範囲から出る事は無い♦ 旅団から長い間ひとりで離れたのは、今回のハンター試験が初めてだったんじゃないかい? キミもなかなか箱入り育ちだねえ、シロノ♥」

 にやにやと笑みを向けられ、しかしきっちり図星だったので、シロノは箸をくわえたまま、きまり悪そうな顔で黙り込む。

 

「おそらくキミのパパは、どうやっても能力を持つ事は無理だろうと思われる今までの間、キミに基礎のオーラ修行を徹底させた。ここでフェイタンとやっていたようなね♥ そしてひとりの人間として自我が出てくる──いわゆる“ものごころ”がしっかりついてきた今、箱入りで経験不足なキミに、想像力の元になるものを与えようとした♦」

 

 つまりそれが本であり、勉強、つまり、実際に経験しなくても身に付く、知識という名の疑似経験である。

 おそらく、ハンター試験に出させたのも“発”修行の為の下準備の一つだろう、とヒソカは推理する。

 強力な念能力者を育てるという目的において、“ものごころ”つく前から、見ているだけでも多大な影響力があるだろう実力者集団の中に居るという環境だけでも希有であるのに、その彼ら全員から教えを受けさせて頑強な基礎能力を育てさせ、そして疑似経験となる知識を詰め込み、その基礎を昇華する“発”を覚えさせる。そして今シロノが能力を持てたとしたら、おそらく世界最年少、またはそれに近い年齢での念能力者ということになるだろう。

 

 大事に、そして上手く育てられている、とヒソカは評価した。

 一般教育としてどうかなんて事は彼の知った事ではないが、念能力者を育てるということであれば、これ以上無い完璧な教育プランなのではないだろうか。その道ではゾルディックもエキスパートであろうが、イルミや今回のハンター試験でのキルアを見る限り、おそらくあの家では、洗脳に近い教育法をとっている。

 しかし、クロロのやり方はそうではない。シロノの性格もあるだろうが、自我を自由にさせているからこそ、キルアのように飛び出していってしまう事はまずなさそうだ。

 

「よく考えてるねえ。クロロもかなりの教育パパだ♥」

「……むー?」

 

 何か納得できないような顔をしたシロノが、曖昧に唸る。

「……そんで、結局どーしたらいいの?」

「だから、本読めって言われてるんだろう? 読んだら?」

「ええええええええ、結局それー?」

 いつの間にか食べ終わった6杯目の丼を前に、シロノはテーブルに突っ伏し、ばたばたと足を振った。椅子とテーブルがガタガタと忙しない音を立てる。

「こらこら、パパからの宿題だろう? ちゃんとやらなきゃ♦」

「……うううう」

「フェイタンとも約束したじゃないか。今度はナイフじゃ済まないかもしれないよ?」

「でもっ、……あたし、ホンッ、とに、本が、きらい、なのっ!」

 ガンッ、と、シロノはテーブルの足を蹴飛ばした。

 おそらく鉄製のそれがやや曲がった、つまりオーラの調整が乱れているのを観て、ヒソカはシロノの活字嫌いが筋金入りであることを知る。

 そして、ここまで嫌がっている所を見ると、本によって知識を得るのはシロノにとってあまり得策ではない──というか、あまりにも向いていないのではないだろうか、とヒソカは思った。

 

「……うーん」

 

 駄々を捏ねるようにしてテーブルに突っ伏したまま動かなくなってしまったシロノを前に、ヒソカは暫く考えた後、言った。

「そう、そんなに嫌なら、やったってしょうがないよね。じゃあ他の方法を考えようか♦」

「へぁ?」

 思いがけない言葉に、シロノは素っ頓狂な声とともに顔を上げた。目の前には、頬杖をついてにこにこと微笑むヒソカが、シロノを見下ろしていた。

 

「ボクも蜘蛛の一人だからね。ここに居る間、キミの先生になってあげよう♥」

 

 果実たちがここに辿り着くまでの、うってつけの暇潰しができた、と、道化師は機嫌良く微笑んだ。

 

 

 



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No.026/ママのご褒美、パパの苦労

 

 

「そういうワケで、こっちに居る間はボクがシロノの面倒見るよ♥」

《何のつもりだ、ヒソカ》

 

 にこやかに言った奇術師に、電話の向こうのA級首の首領は、低い声で呟いた。

《いきなり電話してきたと思えば……》

「一応、ひとこと連絡入れた方がいいかなあと思ってね、パパ♥」

《……お前がパパとか言うな、鳥肌が立つ》

 珍しくも、気に食わない、という感情を露にしているクロロに、ヒソカは楽しそうに笑った。

 

「ボクだってよその家の教育方針をどうこう言う気なんか無いけどね、でもあれはあんまりにもシロノに向いてないんじゃない?」

《確かにあれのバカさ加減は俺も知っているが……》

「そういうことじゃなくてさ、嫌いな事を無理矢理やらせたって身にならないよ?」

《お前にまともな意見を言われる日が来るとはな》

「失礼だなあ。ボクは単に子供好きなんだよ♣」

《……ロリコンだのネクロフィリアだの、あれも大概変態ばかりに好かれるものだ》

 ふう、とため息をつくクロロだが、ヒソカのいう事がおおいに一理ある、ということもわかっていた。

 

 念能力とは、個人の得意分野や精神状態・人生経験などが大きく関わってくるもの。好きこそものの上手なれ、という格言がおおいに生きる世界だからこそ、自分の不得意分野を無理矢理想像の糧にしようとするのは、あまり身になる行為ではない。仮にその不得意なものを身につけたとしても、嫌々出来るようになったスキルが強力な“発”に昇華する確率は低いからだ。

 それに、乾いたスポンジが水を吸うようにすべからく全てを吸収するだろうこの時期、何を経験するかは本当に重要だ。一番最初に吸ってしまった水の色は、後でどれだけ他のものを吸い込んでも、そうそう消えるものではない。

 

「ボクの能力も、子供の頃好きだったものが元になってる♥ 大事な時期なんだから、伸び伸びやらせた方がいいと思うなあ」

《……ゆとり教育は俺の方針じゃないんだが》

 クロロは、もう一度ため息をついた。

《まあ、いい。なにごとも経験だ》

「そうそう、塾にでも預けたと思ってよ♦ ちゃんと預かるからさ」

 お前が塾の先生という柄か、とクロロが突っ込もうとしたその時だった。

 

《もしもーし?! はじめましてー、ヒソカくんだっけ?》

「……どちら様かな?」

 

 突然響いた女の声に、ヒソカは受話器を耳に詰めたまま、首を傾げた。

《シロノの母のアケミで~す》

「へえ、じゃあクロロの奥さ」

《ウフフフフ、それどこの世紀末ジョーク?》

 妙なオーラが篭った声だった。

「あれ、違うのかい?」

《ちょっと事情が複雑でね。 ま、そんなことはどうでもいいのよ。ウチの子がお世話になるみたいだから、ひとこと挨拶したくて》

「それはそれは、ご丁寧に♥」

《おいアケミ、お前いきなり》

《クロちゃんたら、お世話になるのにお礼の一つも言えないわけ!? 挨拶が出来ない人間は犯罪者だろうと神父だろうと問答無用で最低よ、覚えときなさい》

 息継ぎ無しでまくしたてるアケミに、クロロは反論しなかった。その沈黙に諦めが含まれている事が受話器越しでもわかり、ヒソカは僅かながらも驚愕した。

 

《アタシもね、厳しいのも必要だとは思うけど、たまには褒めて伸ばすっていうのもアリだと思うの。ヒーくんどう思う?》

 

 いつの間にか、勝手な呼び名がついている。まるで十年前からそう呼んでいるようなナチュラルな強引さに、ヒソカは、アケミが正真正銘シロノの血の繋がった母である事を確信した。

「どう思う、というと?」

《ほら、例えば能力を考えられたらご褒美、とか、そういうのってアリかしら?》

「いいんじゃないかい? やる気も出るだろうし、ボクはいいと思うけど」

《そう? そうよね! じゃあ何か考えなくっちゃ!》

 アケミが弾んだ声を出した。

 

《──じゃ、面倒かけるけど、ウチの子をよろしくね、ヒーくん》

 無茶はしすぎないように、ヒソカの言う事はよく聞くように言って聞かせろ、あの子はあれは好きだがあれは嫌いだ、など、子供の母親はとても母親らしい事をほぼ一方的に喋り倒すと、最後に言った。

 

「了解♥ ……ああ、シロノには代わらなくていいのかい?」

《……ええ、いいの。約束だから》

 押し殺すような声で言ったアケミに、ヒソカは「そう?」と首を傾げつつも、そのまま電話を切った。

 

 

 

「ヒーちゃーん、パパ何てー?」

「ん? ちゃんと許可貰ったよ♦」

 天丼の汁まみれになった口周りをトイレで洗ってきたシロノに、ヒソカは振り向いて言った。

 

「キミのママとも挨拶したよ。元気なママだねえ」

「──ママ?」

 

 シロノの透明な目が、驚いた猫のようにまん丸くなる。

「……ヒーちゃん、ママと喋ったの?」

「話したよ♥ キミをよろしくってさ」

「そ、か」

 そう言って、俯く。どこか様子のおかしいシロノを、ヒソカは奇妙に思いながら、更に言った。

「そうそう、ちゃんと能力を開発できたら、ママがご褒美を用意してるってさ」

「へ?」

 シロノは更に目をまん丸くして、ヒソカを見上げた。

「ごほうび?」

「そう、どんなご褒美かはボクも聞いてないけどね♣ ……やる気が出たかい?」

 尋ねると、シロノはほっぺたを少し赤くして、こくこくと頷く。どうやら本気でやる気が出たらしい子供にヒソカは変わらない笑みのまま「それはよかった」と言い、歩き出した。

 

「じゃ、行こうか♥」

「どこに?」

「映画館♥」

 思いがけない行き先に、シロノは首を傾げる。すると、ヒソカは言った。

「本はダメでも、映画は好きだろ?」

「うん。なんで知ってるの?」

 ヒソカの言う通り、シロノは映画やテレビは好きだ。文字を読むのは大嫌いだが、物語を知る事が嫌いなわけではないのだ。だがなぜそれを知っているのだ、と尋ねると、彼は言った。

「さっきキミのママに教えてもらったんだよ。さすが母親だねえ、子供の事はよく知ってる♣」

 シロノはそれを聞いて、きょとんとしたあと、へらりと嬉しそうに笑った。

「天空闘技場は娯楽施設でもあるからね。下の方の一般向けフロアには、ゲームセンターや映画館なんかも沢山入ってる♦」

「へー」

 ここに来てからというもの、毎日フェイタンによる超スパルタ修行を受けていたシロノは、この天空闘技場の事をあまり知らない。しかし、暇潰しの名目で何度もここへ来ているヒソカは、この場所をかなり熟知しているようだ。

 

「何観るの?」

「そうだね、パパの心遣いを無駄にするのも何だから、あれにしようか♣」

 奇術師の長細い指が示した先にあるのは、上映時間とともに壁に張り出されたフライヤーだ。

「キミが持ってる世界名作全集の中のひとつを映画化したやつだよ♦ あれならキミも内容がわかるから、それで感想文を書けばクロロも納得するんじゃないかい?」

 ヒソカの提案に、シロノは、おお、と感嘆の声を上げた。

「ヒーちゃんって意外に頼りになるよね!」

「……キミも大概ボクに失礼だよね♠」

 母親似らしいが、父親の影響もしっかり受けている子供に、ヒソカはぼそりと呟いた。

 

 

 

 

 

 

「お前は本気で男を見る目がない」

 ヒソカからの電話を切ったあと、ソファに深く腰掛けたクロロは言った。

「何よー、良い子じゃないヒーくん」

「そういう風だから滅多刺しにされて死んだりするんだ、馬鹿」

「……そうやって人の最大のトラウマを気軽にほじくり返すあたりが外道よね、アンタって」

 アケミが目を据わらせた。

 

「まーまー、落ち着いて」

「だってシャルくん、このデリカシーのなさは問題でしょ! あの子が影響受けたらどうするのよ、教育上よくないわ!」

「まーまーまー」

 喚くアケミを、シャルナークが諌める。

 実は、シロノがフェイタンに鍛えられている間、アケミもまた、己を具現化する為の念の修行に明け暮れていた。おかげでアケミは少ない時間限定とはいえ己を具現化し、旅団員たちと普通に会話を交わせるようになっていた。

「それに俺も、ヒソカが良い奴ってのはおおいにアレだと思うなー」

「あらー、そんなにヤバい子なの?」

「やばいもなにも、旅団きってのド変態だよ。何でもイケるし」

「ふーん」

「ふーんって」

 あんなに溺愛している娘がそんなド変態と二人っきりで心配じゃないのか、とシャルナークが首を傾げると、アケミは言った。

「あの子が懐いてるってことはその変態ぶりを向けられてないってことよ。なら別にいいわ」

「そーゆーもん?」

「そーよ」

 実にシンプルな答えに、シャルナークはとりあえず納得し、いじっていた携帯を仕舞った。

 

「にしても、ダメだよ団長、自分の子供の好みやニーズは正確に把握しとかないと」

「そーよねー。クロちゃんたら、どうせ自分がシロノぐらいの頃は本ばっかり読んでた、とかそういうので、ああいう宿題にしたに決まってるのよ。ただ罰だってんならそれもわかるけど、何百年も文字離れしてるロマシャの子供が本好きなわけないじゃないねえ」

「……うるさいな」

 しかし内容に反論しないあたり、図星であったらしい。

 

 計算し尽くされた教育プランを練っているらしいクロロも、「自分が好きだったから」という安直な理由で子供に問答無用でそれを押し付けるあたり、そこいらによくいる、子供の好みをいまいち把握せずに身勝手な贈り物を与える父親のパターンにしっかりはまっているのが何やら笑える所だ。

 クロロは今現在でも筋金入りの真性活字中毒者、読書狂のビブリオ・マニアだが、シロノと同じく物心つく前から精孔が開いていたという彼の念能力が『本』であるあたりからして、その趣味趣向は幼少期からのものだろう可能性は高い。

 しかし、アケミの言う通り、文字という媒体を使わずに何もかもを伝えてきたロマシャは、総じて文字に疎い。それはディスレクシア、失読症、難読症、識字障害、読字障害などと診断しても良いレベルであることも珍しくないらしい。

 こうした症状のはっきりした原因はまだ突き止められていないが、家族性の発症例も多い事から、遺伝マーカーの可能性も深く示唆されている。もしそうなら、ロマシャの場合、何百年もそうして文字に親しまずにきたのだから、その性質が既に遺伝子に組み込まれていても何らおかしくはないだろう。おまけに、シロノの実の母であるアケミも、文字を読む事はかなり不得手な方であるらしかった。

 

「あの子もかなり字はダメみたいね。もっと小さい時だって、ほら、パクちゃんが買ってきてくれた絵本も、自分で読むより読み聞かせの方をねだってたでしょ?」

「あー、そういえば」

 シャルナークが、納得して頷く。彼もまた、自分が暗記してしまうぐらい絵本の読み聞かせをさせられたひとりである。

 

「さて、ご褒美は何がいいかしら!?」

 

 久々に娘に構えるのが嬉しいのだろう、アケミはかなりうきうきしている。

「ぬいぐるみなんかどう? パクちゃんに見せて貰った雑誌にあったのが可愛くて。でも買ったのじゃ味気ないから、マチちゃんと相談して、手作りがいいわ。身体の具現化も出来るようになってきたし、その時間で結構いいもの作れると思うのよね~」

「……アケミ」

 はしゃぐアケミに、クロロがため息をつきながら言った。

「そんな事にかまけていないで、修行を進めろ。時間が惜しい」

「──は?」

 冷静な一言に、アケミが剣呑な声で振り返った。その表情は険しい。

 

「……そんなこと? そんな事ですって? アンタあの子の為のご褒美をこんな事ってちょっと、ウフフそんなにハゲたいのかしらこの野郎」

「うん落ち着こう。ちょっと落ち着こうアケミ」

 悪霊さながらの冷たいオーラを足下から立ち上らせ始めたアケミを、シャルナークが引きつった笑顔で諌める。そんな様子に、クロロが短くため息をついた。

「……だから、その『ごほうび』を用意する為に修行しろと言ってるんだ」

「はい?」

 発された台詞に、アケミだけでなく、シャルナークもまた目を丸くする。意味がわからず惚けている彼らに、クロロは言った。

「あれが大人になったら会う、と“約束”しただろう。まさか忘れたのか?」

「……って」

 アケミが、驚愕に目を見開いた。

「でも、大人になったら、って」

蜘蛛(うち)で言う“大人”が、実年齢をどうこういうものなわけがないだろう。うちは実力主義だ。“一人前”な実力があればそれと見なす」

 そして、念能力者として一人前と言えるのは、やはり確固たる能力を得た時だ、とクロロは言い、そして、ちらり、とアケミを見た。やや半透明な彼女の指先は震えている。

 

「それに、お前にもう一度会える事以上に、あれが喜ぶ事などないと思うが?」

「──クロちゃん!」

 

 がばあ、と、アケミがクロロに抱きついた。形は取り繕っているがまだまだ完成には至っていない具現化による身体の感触は奇妙で、ひんやりと冷たく、そして質量が感じられずに羽根のように軽い。

「んもう! アンタって超時々ごくまれに惚れそうなほどいい男ねクロちゃん!」

「超時々ごくまれに、は余計だ」

 ぼそりとクロロが呟くが、アケミはまったく気にしていない。

「そうね、あの子が能力を完成させたのにママのアタシが何も出来てないんじゃ格好悪いものね! よーしアタシってば頑張っちゃうわよ! 死ぬ気で! あっもう死んでるけど!」

「うわーテンション高ぁー」

 気分がオーラに表れているからだろうか、やたらキラキラしだしたアケミに、シャルナークが生暖かい声で言った。

 そして「インスピレーションを得る為」という名目でアケミがクロロの資料室に行ってしまったあと、嵐の去ったようなそこで、クロロがにやりと笑った。

 

「ああ、やっと静かになった」

「え、それが目的?」

 シャルナークが振り返ると、クロロはもちろんだ、とゆったり頷いた。

「あれが能力を編み出したところで実力的には俺たちにまるで適わんのに、何が一人前だか」

「ま、確かにそうだけどね。でもシロは“蜘蛛”じゃなくて“子蜘蛛”なんだから、あくまで“子蜘蛛”としてなら、一人前、とみていいんじゃない?」

「……馬鹿言え。子蜘蛛は子蜘蛛だ。一人前など遠い」

 頑として認めようとしないクロロに、シャルナークは呆れつつも込み上がってくる笑いを堪えた。

 

 シロノを側に置いてから、クロロという人間が変わった、という事はない。

 相変わらず女子供問わず殺すし、盗みの手段は問わないし、むしろ子供と生活していながらそれが変わらないあたり、尚の事ロクデナシな部分が浮き彫りになったと取ってもいいかもしれない。

 しかし、変わってはいないが、今までなかった所が確実にプラスされている、とシャルナークは思う。アケミはかつて、娘を幼いままずっと側に置きたくて、子供の成長をリセットし、自分たちの時間を止めた。

 シャルナークには想像しか出来ないことだが、あれは親としての一般的な感情を極端な形にしたものだろう。そしてまた、シロノが一人前になりつつある事を「まだまだだ」と頑に言い張るクロロにもまた、その“親としての一般的な感情”の片鱗が見えるような気がするのは、気のせいだろうか。

 それに、「自分が好きだから」「自分が子供の頃そうだったから」という理由で物や課題を与えるというのもそうだが、洞察力にかけて右に出る者などいないはずのクロロが、何年もシロノが文字を読めない事に気付かなかったのは何故か。

 

(“筋金入りの本好きな自分の娘が、まさか字が読めないとは思わなかった”……ってこと?)

 

 もしそうだとしたら、親以外の何ものでもない心理である。推測でしかないし実際どうなのか聞く気もないが、とりあえず、それ以外の理由はシャルナークには考えつかなかった。

 

「……何をにやにやしてるんだ? シャル」

「いやあ、一時はどうなることかと思ったけど、団長も結構ちゃんとオトーサンしてるよねー、と思って」

「は? 何を気色悪い事を……」

「べーつにー」

 にやにやと笑いながら再度携帯を弄り始めたシャルナークに、クロロは僅かに眉を顰める。

「まさか俺が本気で“ご褒美”を用意してやったと思ってるんじゃないだろうな」

「いや別に思ってないけど」

 ていうかどうでもいいけど、とシャルナークは思ったが、余計な事は言わずにおいた。

 

「いいか、毎日毎日毎晩毎晩、金縛りをかけられ枕元で強制的に娘への想いを語られるんだぞ。俺だっていい加減安眠したいんだ」

「……ご苦労様です」

 そんな目に遭っていたのか、と、シャルナークは本気で同情した。

「しかしそれももう少しの辛抱だ。アケミの具現化と能力開発が終われば、俺も金縛りと寝不足から解放される」

「あーナルホド。そのために二人でお互いを“能力を開発すれば会える”ってご褒美で釣ってハッパかけたわけね」

「そうだ。相乗効果、一石二鳥だろう?」

 にやり、と笑うクロロの表情には、清々しいものが混ざっていた。よほど毎晩の金縛りが辛かったらしい。

「俺がいつまでもアケミの言うままになっていると思ったら大間違い──」

「クーローちゃん! ちょっとこれ読んでー!」

 クロロの言葉を遮って、アケミの声がホームに響いた。

 

「ちょっとー、アタシ字ダメなんだってば! こっち来て読んで! 早く!」

 急かす声に、クロロは座って広げた膝に肘をつき、その片手で顔を覆って俯いた。シャルナークが、とても生暖かい笑みをクロロに送る。

「ご指名だよ団長」

「……あー」

「行かないとハゲるかもよ?」

 その言葉に、ぴくり、とクロロの肩が動き、そして盛大な溜め息が彼の口から漏れた。

「お前も手伝え。団長命令だ」

「えー? まあいいけど……」

 シロノが来てから、職権乱用がひどくもなっている。しかしげんなりとしたクロロに同情したシャルナークは、彼の肩にポンと手を置いた。

 

「オトーサンは大変だねえ」

「……うるさい」

 

 

 





『ディスレクシア』:学習障害の一種。失読症、難読症、識字障害、読字障害とも。知的能力及び一般的な学習能力の脳内プロセスに特に異常が無いにも拘らず、書かれた文字を読むことが出来ない、読めてもその意味がわからない(文字と意味、両方ともそれぞれ単独には理解できている)、などの症状。幼少期に見られるのが殆どだが、大人になっても症状が改善しない場合も珍しくはない。
 英語圏に特に多く、トム・クルーズがディスレクシアであることを告白してからよく知られるようになった。ディスレクシアの著名人は結構多い。


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No.027/金のスプーン

 

 

 

 能力開発のインスピレーションを得る為の経験値取得。

 その名目でヒソカがシロノに課したのは、ひたすら好きな事をやる、という事だった。

 

「嫌いな事をイヤイヤやっても、意味はない♥」

 

 というのがヒソカの主張で、シロノは毎日、彼と色々な事をした。

 もちろん基礎の格闘訓練も多少はつけてもらっていたが、最低限のものでしかない。だからヒソカも組み手の途中で熱くなったりする事もなかったし、極々平和な基礎訓練と組み手を少しやるだけだ。

 他の選手の試合を観たりとそれなりに修行らしい事もするのだが、主にはヒソカと映画を観たり、ゲームをしたりといったことのほうが主で、端から見ていれば修行とはとても思えない過ごし方だった。むしろ遊び暮らしている、という評価の方が相応しい。

 ここに来てからというもの、フェイタンによって、食べるよりも寝るよりもまず生き抜く事を考える、という室内サバイバルな生活をしていたシロノにとって、ヒソカとの日々はとてものんびりしたもので、いっそ落ち着かない気分にすらなった。

 

「ねーヒーちゃん、こんな遊んでばっかでいいの?」

 どこか尻の据わりの悪いような顔をして、シロノはヒソカを見上げた。手の中には、ゲームセンターで取りまくった景品やら、映画館のパンフが山と抱えられている。

「遊んでるんじゃないよ。言うなれば、これは自分探しの旅さ♣」

 もっともらしくヒソカは言うが、遊び人の言い訳にしか聞こえない。胡散臭そうに眉を顰めている子供に、彼は更に言った。

「そうだね、もっとわかりやすく言うと……、これは、自分の中で特別な位置を占めるものは何か、を見つける修行♦」

「特別なもの?」

 シロノが鸚鵡返しに聞くと、そう、とヒソカは頷いた。

「旅団の皆を見ていればわかるだろう? それぞれの能力は、それぞれの得意分野を念で強化したもの、と言い換えてもいい♣」

 例えばノブナガは居合、マチは裁縫とその為の糸だ、とヒソカが説明すると、シロノは納得して頷く。

「キミのパパの能力なんかはとても複雑に見えるけど、盗み、そして本、というポイント自体はとても安直でわかりやすい形態をとってるね。強化系なんかはもっと──そうだね、ウボォーギンなんかもっと単純だ♣」

「パンチ!」

 大好きな巨人の名前に、シロノは素早く手を上げて答えた。

 

「そう♥ 自分の好きな事、得意な事、それを捉えて、突き詰めていく♦」

 

 ヒソカは指先からオーラを飛ばし、シロノが手を上げたことでこぼれ落ちそうになった景品の一つにくっつけた。

「キミは何が一番好きかな?」

 空中に浮かんだウサギの人形が、シロノに向かって長い耳を向け、聞かせてくれ、とでも言うようなポーズをとる。ひとりでに浮いて動く人形に通行人がぎょっとした目を向けているが、シロノには、彼の5本の指先から細く伸びた『伸縮自在の愛バンジーガム』が、人形の頭と手足をそれぞれ吊って動かしているのがわかる。

 首を傾げたり、耳をぴこぴこと動かしているウサギを前に、シロノは考え込んだ。うーん、と首を傾げる子供に合わせて、ウサギもまた、同じ方向に首を傾げる。路上パフォーマンスにも見えるその光景に周囲の目が集まり始めたその時、シロノはぱっと顔を上げた。

 

「──ゴハン!」

 

 

 

 

 

 

 天空闘技場は、格闘のメッカであると同時に、巨大な娯楽施設でもある。

 そしてそれは格闘技観戦だけでなく、それから派生した施設、二人が散々行った映画館やゲームセンター・ちょっとしたカジノなどもそうだが、もう一つ、名物と言われているものがある。

「ふわああああ、いいにおい」

 店先から漂う様々な料理の香りに、シロノは格好を崩した。天空闘技場、正しくはその周囲の町の名物、それがこの巨大レストラン街だった。

 この大陸きっての食い倒れ天国とまで言われたこの場所は、ありとあらゆる料理店が建ち並び、料理人たちが切磋琢磨する、食道楽の聖地なのである。

「えっへへー、食べるの大好き!」

「料理じゃなくてかい?」

「お料理も好きだよ」

 しかし、なぜ料理をするのかと聞かれれば「食べたいから」という答えが出てくるので、やはり食べるのが一番好きなのだ、とシロノは言ってから、改めて自分で納得したという風に頷いた。

「あとねえ、歌うのと、おしゃべりするのも好きかな。でもやっぱり食べるのが一番好き!」

「ふーん?」

 

 ──全部、口を使うことだな。

 

 とヒソカはぼんやり思ったが、シロノは満面の笑みで、立ち並ぶ飲食店を見回している。

「よーし食べるぞー! 試合でいっぱい稼いだもんね!」

 キャー、とはしゃぐシロノは、心の底から楽しそうだ。その様子から、食べる事がシロノにとって“自分の中で特別な位置を占めるもの”であることは確からしい、とヒソカもまた納得する。それに、そもそもシロノのアンデッドとしての体質も、オーラを「食べる」ことなのだから、この因果関係が強いものである事は間違いないだろう。

「えーとねー、まずは五番通りのねー」

「……なんだい、それ♠」

 シロノががさがさと広げた紙を覗き込み、ヒソカが尋ねる。

「さっきメンチさんに電話して、ファックスで送ってもらった!」

 ばっ、とシロノが差し出した数枚の紙には、店の所在と名前、そしてオススメのメニューがみっしりと連なっていた。紙の上部分に、“メンチ直伝・食い倒れのしおり”という文字が踊っている。しかし、それにしても量がハンパない。店の名前だけでもざっと見て五十件以上はある。

「……シロノ、これ全部食べる気」

「いえーい! 豚まんじゅー!」

 目当ての料理の名前を叫びつつダッシュした子供は、ヒソカの話など全く聞いていない。湯気の立つ赤い屋台に向かって一直線に駆けて行く後ろ姿を、ヒソカはゆっくりと追いかけた。

 

 

 

 それからというもの、シロノの日々は、誇張無しに『食』一色となった。

 夕方頃起床し、レストラン街で店をハシゴし、そして夜中になると相変わらず選手を襲って噛み付きオーラを頂く、この繰り返しだ。

「うーんとねー、次はねー」

「……その身体のどこに食べたものが入ってるんだい?」

「んー、わかんない!」

 不思議そうに尋ねるヒソカを見上げたシロノが、にかっと笑って言う。そして笑う口の端についた生クリームを、ヒソカは黙って拭ってやった。

 シロノは10歳にしては小さい方で、痩せてもいないが太ってもいない。とことこ歩いている姿を見ても、ラーメン8杯、ビビンバ3杯、カレーを4杯にフィッシュサンドを7つ、トドメにケーキバイキングを食い尽くしてきたとはとても思えなかった。

「それで、毎日食べ歩いてるけど、能力へのヒントは何か掴めたのかい?」

「……えーと」

 にっこにこの笑顔だったシロノは、途端、ばつが悪そうにさっと目を逸らした。

 

「シロノ」

「あ、あー、でもね、いっこ面白い事わかった!」

「面白い事?」

 うん、とシロノは大きく頷く。

「あのね、オーラにも、食べ物と同じで味があるっていうのは言ったでしょ?」

「ああ、言ってたね♣」

 オーラを食べることが出来るシロノ以外には理解し得ない感覚だろうが、オーラに味があるのは確からしい。

「そんでね、味でちょっとわかるようになってきた」

「何が?」

「何系のオーラかっていうの」

 ヒソカは、僅かに目を見開いた。

「……それ、本当かい?」

「うん。なんとなく特徴がある、っていうのが最近わかったの」

 

 例えば強化系は辛み、発泡など、舌に刺激を与えるスパイシーさや、あるいはがっつきたくなるボリューム感を持つ。放出系はクセがなく親しみの湧く味でのどごしが良く、麺類系の料理を彷彿とさせるのだ、とシロノは説明した。

 それを聞いて、ヒソカは感嘆すると同時に、ここ数日の飽食生活は無駄ではなかったらしい、と評価した。話を聞いていると、シロノにとって、本物の料理に対する味覚とオーラに感じる味覚にさほど差異はない。様々な料理を食べ回り、“舌を肥えさせた”ことで、オーラの味の善し悪しもわかるようになった、ということだろう。そしておそらくシロノはほぼ無意識で、オーラを食べる時、舌で“凝”を行なうことで、オーラをテイスティングして系統を判断しているのだ。

 聞けば、この天空闘技場の者たちのオーラ程度なら何系かわかるが、旅団レベルになるとオーラを食べても何系か判断する自信はない、とシロノは言った。オーラの練度は食べ物においての発酵度に相当するということらしいので、要するに、料理に対しての舌は肥えたが、利き酒ができるまでの舌とアルコール耐性はまだない、という事なのだろう。

 

「へえ……面白いねソレ♥ ボクが考えたオーラ別性格判断とも似てるし……」

「あ、そういえばそうだね」

「興味あるなあ。ね、ボクのオーラはどんな感じなんだい?」

「え」

 途端、シロノの表情が引きつった。

「そうだ、この際ちょっと齧ってみなよ。ちょっとぐらいなら平気だろう?」

「うううううんんんやめとく」

 どもりまくった返事とともに、シロノは残像が残るほど激しく首を振る。おまけにかなりの冷や汗までかき始めたその異常な反応に、ヒソカは首を傾げた。

「? どうし……」

「あー! あれ何かな!」

 わざとらしく言ったシロノが指差した先を、ヒソカは訝しげに思いつつ、しかし見てやった。そこにあったのは、やや古びたような構えの、一軒の店。

「や、ほら、一件だけ食べ物屋さんじゃないから、何かなーって」

「……気になる?」

「うん超気になる!」

 ──わざとらしい。

 A級首の盗賊が保護者であるにしては嘘が下手な子供に、ヒソカは胡乱げな目を向けた。

「や、ほらヒーちゃんだって“一目でこれだと思うようなインスピレーションが大事さ”ってゆったし」

「へえ? それがあそこ?」

「うんそう。ビッてきた。すごいビッてきた」

 こくこくと頷く子供はいかにもその場しのぎの風情だったが、ここで問いつめても仕方が無いので、ヒソカは子供と一緒にその店に入った。

 

 

 

 カラン、と音を立てたのは、ドアベル代わりにかぶら下げられた、銀のコップ。

「いらっしゃいませ。ごゆっくり」

 ゆったりとした老人の声が、奥から聞こえる。

 

 そこは、アンティーク・ショップだった。しかも、食器専門の。

 

 ヒソカの姿に少し面食らったもののすぐに気を取り直したプロ根性溢れる店主によると、食の町であるここには、食器やカトラリー、テーブルや椅子といった、食事に関わる道具に関する店も多く揃っている、という事らしい。

「アンティークの銀食器なんかは、収集家も多いんですよ」

 確かに、雰囲気よく飾られたアンティーク・カトラリーの中には、細工がしやすい銀の特性を生かした繊細かつ複雑なデザインも多くあり、オブジェとしても鑑賞の価値がありそうなものも少なくなかった。が、ヒソカは食器に興味など欠片もない。こういった方面こそクロロの出番だろうに、とヒソカは思いつつ、ふと子供の姿を探した。

「シロノ、何か──」

 ヒソカは、言葉を途切れさせた。

 

 子供は、壁のガラス・ケースに飾られた金色のスプーンを、瞬きもしていないのではないかと思うほど真剣な目で、食い入るようにして見つめていた。

 

「おや。……ビッときた?」

「うん」

 どうやら、嘘から出た誠、な結果になったらしい。

「……でも、どう“ビッ”なのかまだわかんない」

「そう……♣」

 だが、収穫としては充分だ。

 ヒソカはアンティークに興味はないし鑑定など出来ないが、よくよく見れば僅かなオーラを纏っているので、それなりに値打ちもののスプーンらしいことはわかった。

「じゃ、これ貰えるかな♥」

「へ?」

 只今、という店主の返事とともに壁から下ろされるケース、そしてそれを指示したヒソカとを、シロノはきょろきょろと交互に見遣る。ヒソカはにっこりと微笑むと、そんなシロノの頭にポンと手を置いた。

「一歩前進、のお祝いだよ♦」

 キミのママからも、褒めて伸ばせって言われてるしね、とヒソカは言い、ビロードのリボンがかけられた金色のスプーンを、小さな手に握らせた。

「頑張ってね♥」

「……うん! ありがとーヒーちゃん!」

 金色のスプーンを握り締め、子供はにっこりと笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

(って言ってもなあ)

 握り締めたスプーンをじっと見つめ、シロノは眉を顰めて小さく唸った。

 このスプーンを手にしてからというもの、シロノは食べ歩きを控え、この道具の使い道について悩む日々を送っている。

 このスプーンが自分の能力への鍵になるモノであることは間違いない、シロノの直感はそう告げているのだが、だが具体的なものにまではてんで繋がらないのである。

 ヒソカはといえば、基礎訓練と組み手の稽古をつけてくれるとき以外、今は殆ど別行動だ。きっかけは掴んだのだから暫く一人で考えてみるのがいいだろう、ということではあったが、おそらくシロノのフードファイターっぷりに付き合うのにまさに食傷したのだろう。

(うーん……スプーン……掬う、スープ……? 丸い形、うーん……)

 

 廊下のソファに腰掛け、スプーンを握り締めてうんうん唸っているシロノだったが、そんな姿を見ている者があった。

 

「どうしたんだい、ズシ」

「あ、師範代」

 押忍! と力強い挨拶をしてから、ズシと呼ばれた少年は、ズボンからシャツがはみ出した眼鏡の青年を見上げた。

「いえ、あの子が……」

「ほう……? これは……」

 シロノの姿を認めた眼鏡の青年は、少し目を見開いてから、今度はすっと細めた。

「どう思う、ズシ」

「凄いっす……あんなギリギリで保った“纏”、見たことないっす」

「そうだね。あれは凄い」

「自分と同じ位の歳なのに……」

 唖然とした様子で、ズシが言う。

 そして青年もまた、口に出さずともそれに同意した。

 “絶”になるギリギリで保った“纏”、省エネとしても内功の訓練としてもベストな状態のそれは、オーラの調節にかなり慣れた者でないと不可能な芸当だが、あの子供は普通に“纏”を保つようにして、平然とその状態を保っている。

 

「……でも、なんでスプーン睨んでるんすかね?」

「さあ……」

 スプーン曲げにでも挑戦しているのだろうか、と師弟二人は首をひねった。

「世の中にはすごい人が沢山居るんすねえ」

「そうだね」

 ズシの声には大いに感嘆が含まれているが、妬みや嫉みなどは一切含まれていない。それは負けん気の強さと少し離れる穏やかな気質だが、希有な美徳でもある、と青年は僅かに微笑んだ。

 

「自分も負けてられないっす! あの二人も200階に行きましたし……」

「え? キルア君とゴン君がもう200階に?」

 その名前を出したとき、ぴくりとシロノが身じろぎしたのを、師弟は気付かなかった。

「はい! やっぱりあの二人はすごいっす! ……師範代?」

「うーん、しかたない……」

 青年は神妙な顔つきになると、200階に上がるエレベーターに向かって静かに歩き出した。

 

 

 



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No.028/Behave!

 

 

「君 次第だ」

 

 ここに0時までに戻って来れるか、というキルアの問いに、眼鏡の青年はそう答えた。そしてゴンとキルアは青年の後について、ヒソカに背を向け、エレベーターで下に降りてゆく。

 

「さて……♣」

 青い果実たちがいなくなってから、ヒソカは広げていた“円”を収め、目線を脇に動かした。

「で、キミはそこで何やってるんだい、シロノ♦」

「うううううううううう」

 部屋の端で踞っていた、いや倒れこんでいたシロノは、呻きながら顔を上げ、ヒソカを睨んだ。限りなく薄い灰色の目は、涙で潤んでいる。

「エレベーターで上がってくるなり“絶”して倒れ込むから、何事かと思ったよ♣」

「だってエレベーター降りたらヒーちゃんのオーラが凄かったんだもん……!」

 涙声である。

「どういう意味かな?」

「オーラは味もあるし、匂いもあるのっ! ただでさえ変化系は香りがキツいのに……!」

「へえ……?」

 鼻が利き過ぎる犬に香水を嗅がせるようなものだろうか、とヒソカは首をひねる。

「で、“絶”かい?」

「……あたしは目での“凝”より鼻にしといたほうがよくわかるから、こないだからやってみてるんだけど……」

 そこに不意打ちでこれはきついよ、とシロノは泣き言を言った。

 

 キルアとゴンがこちらに来ていると知ったシロノは彼らに会いに来たのだが、エレベーターが開くなり充満していたヒソカのオーラにたまらず“絶”を行なって倒れ込み、キルアとゴンはシロノに気付かないままいってしまった、というわけである。

 

「そう言われても困るんだけどねえ……。でも、変化系の実力者とすれ違っただけでそんな有様じゃ、逆に良くないんじゃない?」

「ヒーちゃんは特別なのっ! マチ姉なんかすっごいいい匂いするし、」

「へえ。ボクのオーラはそんなに匂いがきついのかい?」

「きついなんてもんじゃないよ! もーまるで、」

「……まるで?」

 そう促されて、シロノはハッと我に帰り、奇妙な半笑いを浮かべて後ずさった。首に変な汗をかいている。

「ううんなんでもない。なんでもないよーヒーちゃん」

「いやいや、どう見てもなんでもないって感じじゃないだろう♠」

「何でもないったら! あーそーだあたし何か飲み物買ってくるあとトイレ!」

「こらこら♦」

「うわあ!」

 やはり嘘が下手な子蜘蛛は、あきらかに取ってつけたような支離滅裂な用件を宣言し、素晴らしい瞬発力でどこかに駆け出そうとした。しかしヒソカがそれを逃すわけもなく、小さなその背中に素早く『伸縮自在の愛(バンジーガム)』を跳ばしてくっつける。そしてそのまま、ビヨンとゴムの性質で自分の方に引き寄せた。

 

「……で、まるで、の続きはなんだい? この間スプーンを買った時も何か言いかけてただろう?」

「細かいこと気にするの良くないよヒーちゃん」

 あくまですっとぼけようとするシロノに、ヒソカはピエロめいた笑みを浮かべたまま、細い目を更に細めた。

「っぎゃ──! やめてやめてやめてソレ近づけないでイヤ──ッ!」

「そこまで嫌がられると傷つくなア。ねえ、どんな匂いなんだい? 教えてよ♠」

 オーラを纏わせた指先を鼻先に持っていくなり、かなりの勢いで暴れ出したシロノに、ヒソカは首を傾げた。シロノは必死で彼のオーラがついた指先から顔を背けようとし、目に涙まで浮かべている。しかしガムの性質で背中とヒソカの片手がべったりくっついているので、逃れることはできない。観念したのか、シロノは叫んだ。

「だ、誰にだってどうしても食べられないものぐらいあるでしょっ! ヒーちゃんのがそうなのっ、無理なの! きらいなの! 食べられないのっ!」

「ふうん? それは残念だなあ。でも食わず嫌いは良くないよ? ほら試しに一口」

「い、ぎゃ──!」

 口に指を、いやオーラを突っ込まれそうになったシロノは、凄まじい叫び声を上げると、火事場の馬鹿力を発揮した。

 

「あ」

 

 シロノはガムがくっついた上着を脱ぎ捨てて、一目散に逃げ出した。他の時なら追いかけていたのだが、今はゴンとキルアを待たねばならない。ヒソカは仕方なく、あっという間に小さくなっていく背中を見送った。

「……気になるなア……?」

 ヒソカは首を傾げつつ、“周”で覆ったトランプを一枚、壁に投げて突き刺した。

 

 

 

 

 

 

 ──そして、約二時間後。

 

 ぴくりとヒソカが反応し、そして一気に彼の“円”が広がる。しかしキルアとゴンは、彼のオーラを感じながらも、ずんずんと迷いなくヒソカのほうへ歩み寄り、そして座り込む彼の目の前で止まった。

「200階クラスへようこそ♥」

 洗礼は受けずに済みそうだね、とヒソカは満足げに呟く。

「キミが天空闘技場に来た理由は想像できる♣ ここで鍛えてからボクと戦うつもりだったんだろ?」

「まさかそっちから現れるとは思わなかったよ」

 手間がはぶけた、と挑戦的に言うゴンに、ヒソカはおかしそうに、何か微笑ましいものでも見たかのように、喉を震わせて笑った。

「“纏”を覚えたくらいでいい気になるなよ♠ ──念は奥が深い♦」

 そう言って、ヒソカは指と指の間に、オーラで図形を作ってみせる。“凝”をしなくてもわかるそれは、ある程度の念能力者であれば、例えば赤子に「いないいないばあ」をするようなお遊戯レベルのものであるのだが、本当に初心者な二人の少年は、険しい顔でじっとそれを睨みつけていた。

 

「……ね~、ヒーちゃあん、もーいい~?」

「シロノ!?」

 

 やや遠い曲がり角の向こうから鼻声で顔を出しているシロノの姿に、キルアが驚愕の声を上げる。ゴンなど、驚き過ぎて口を開けたまま固まっていた。

 シロノは嗅覚を強化するオーラを殆ど引っ込めた、つまり一部のみを“絶”状態にする、“凝”の反対の行為を行なっていたらしいが、体質からしてオーラの味と匂いに敏感な身体はそれでも完全に感覚がオフにはならないのか、こうして距離を取り、袖口でぎゅっと鼻を押さえていた。

「ああ、もういいよ♦」

 ヒソカが“円”を引っ込めながらそう言ってやると、シロノはホッと息をつき、とことこと彼らの方へ寄っていった。

「あー二人とも、久しぶりー」

「キルアから聞いてたけど、ホントに生きてたんだね、シロノ……」

「うん、ちょー元気」

「……そっか! 良かった!」

 深い事を問わないまま満面の笑みで言うゴンに、シロノもまたにっこりと笑い返し、「ありがとー」と返した。しかし、にこにこと笑いあう二人に対し、キルアの表情は複雑だった。

「おい……ここに居るってことはお前も念使いってことかよ?」

「そうだよ。あ、二人も使えるようになっ……」

 彼らが荒いオーラを纏っているのを見たシロノは、ほぼ無意識に嗅覚への“凝”を行う。

 

 ──そして、そのまま言葉を失った。

 

「うわ!? ちょっ、おまえ、……ヨダレ!」

「──はっ!」

 いきなり、ダー、とかなりの勢いでヨダレを垂らしたシロノに、キルアが軽く引き、ゴンが呆気にとられた。シロノは慌てて口を拭うが、しかし、目は二人に──いや、正しくは二人のオーラに釘付けだった。

 

(うああ、美味しそうだとは思ってたけど……!)

 

 まさかここまでとは、と、シロノは溢れ出る唾液を必死で飲み込んだ。

 聞く所によると、たった今“ムリヤリ起こしてきた”らしい二人のオーラは、念使いとして最低限の纏め方しかされていない、かなり荒削りなものだった。しかしそれだけに、彼らのオーラの質がとても分かり易く感じられる。

 

「青い果実ってこういうことかあ……」

「……何ブツブツ言ってんだ?」

「ううんなんでもない……」

 ふるふると力なく首を振るシロノだったが、その目は潤み、どこかうっとりとしている。そしてそんな目でじっと見られたキルアは、引くのと動揺するのとが半々の奇妙な表情で、ほんの僅かに後退した。

「……ねーキルア、試合どうするの?」

「あ?」

 とろんとした目のまま薄く笑みを浮かべて言ったシロノに、キルアはクエスチョンマークを浮かべて聞き返した。しかし彼が何か言う前に、シロノは急いたように言う。

「あのねー、あたしそろそろ試合しなきゃいけないんだけど、キルアあたしと一戦、ぐぇ!」

「ヒソカ!?」

 シロノが言い切らないうちにその襟首をぐいと掴んで引き寄せた奇術師に、ゴンが声を上げる。

 

「……はっきり言って今のキミと戦う気は、まったくない♠」

 

 ヒソカはシロノの襟首を掴んだまま立ち上がり、そして開いた方の手の人差し指の先で、オーラのドクロマークを作りながら、ゴンに言った。

「このクラスで一度でも勝つことができたら、相手になろう♥」

 そして、猫の子を持つようにシロノをぶら下げ、踵を返して歩き出す。彼のオーラに圧倒されていたゴンだが、その後ろ姿に向かって叫んだ。

「──ヒソカ! シロノをどうするつもりだ!?」

「この子のパパとママから、ここにいる間面倒を見てくれって頼まれてるのさ♦」

 いわばボクはシロノの保護者だよ、とヒソカは言い、そのまま照明の少ない暗い廊下に消えていった。

「……ヒソカにお守り頼むような親が世界に存在するとはな……世界は広いぜ」

「うーん……」

 どこか的外れな、しかしかなり同意を覚えるキルアの台詞に、ゴンはただ、彼らが消えていった暗い廊下を見つめた。

 

 

 

「さて……、どういうつもりかな♠」

「ぶはあ!」

 

 口に貼り付けられていた『薄っぺらな嘘(ドッキリテクスチャー)』が剥がされ、シロノは思いきり息を吸い込んだ。ヒソカの左手には、シロノの閉じた口元が再現されたハンカチが摘まれている。

 

「ヒーちゃんこそどういうつもりよう」

 未だ首根っこを掴まれ、しかもヒソカの目の前にぶら下げられたシロノは、唇を尖らせてぶーたれた。しかしヒソカが、いつもの笑みを浮かべつつもどこか剣呑な雰囲気を漂わせているのにも気付いて、様子を伺うように首を縮める。

「キミ、試合にかこつけてキルアを食べよう(・・・・)としたろ?」

「う」

 ずばり言われ、シロノは短く呻いた。

「うー、だってえ、あんまり美味しそうだから~」

「……その気持ちはとってもよく分かるけどね♣」

 ヒソカはため息をついた。

 しかし、そんなリアクションをとってはいるものの、彼がこの感覚について他人と全く同じ価値観を共有したのは本当に初めてのことで、どこか楽しいような気持ちも沸き上がってきていた。それはまるで、今まで自分一人しか愛好していなかった趣味の仲間を見つけた時のような。

「でもねえ、ボクだってガマンにガマンを重ねて見守ってるんだよ。抜け駆けは許せないな♠」

「えー、でもさあ、ひとくちぐらいね、ちょっとだけ」

「ダメ♠」

 ヒソカは、頑として譲らない。むっとしたシロノは、不満そうに身じろぎした。

「なんでえー!? あたしヒーちゃんみたいに殺すの目当てじゃないもん、ちょっと食べるだけだもん!」

「よく言うよ。キミ、今までも美味しそうな選手ほど、勢い余って食い殺しちゃってるだろう? そんなガマンが利かないキミがあんな美味しそうなコをいざ目の前にしたら、がっついた挙げ句に皿まで舐めたくなるに決まってる♥」

「うっ……」

 何も反論できず、シロノは渋々押し黙った。ヒソカの言う通り、あまりに美味しそうなオーラを目の前にすると、シロノは我を忘れてしまう所がある。半分だけ、ちょっとだけ、と思っていても、いざ口にすると空になるまでうっかり食べ尽くしてしまうのだ。

「……この間から思ってたけど、言っていいかな」

「な、何?」

 やけにゆっくりした口調で切り出したヒソカに、シロノは戦きながら返事をした。

 

「──キミは、ものすごく行儀が悪い♠」

 

 ずばり、とヒソカは断言した。

「がっつくし、食い散らかすし、口に入れたまま喋るし、音は立てまくるし、食べかすを袖で拭くし、……とにかく食べ方が汚い♠ 見苦しいったらないよ、親の顔が見たいね」

「や、見てるでしょ散々」

 シロノは思わず突っ込んだが、この間から思っていた──つまり前々から言ってやりたかった、というヒソカは、構わず続けた。

「仮にも女の子なんだから、もうちょっとどうにかならないのかい?」

「……ヒーちゃん、パク姉みたいなこと言うね」

「黙る♥」

「ひゃい」

 首根っこを掴んでいるのとは反対の手でほっぺたを両方からガッと掴まれたシロノは、妙な迫力を押し出しているヒソカを前に、アヒルのようになった口で不明瞭な返事をした。

 

「これはちょっとどうにかすべきだねえ……」

 ほっぺたが不細工に潰れた子供の顔をまじまじと見ながら、ヒソカは、うーん、と思案するように首を傾げた。シロノは暫くおとなしくしていたが、やがてじたばたと暴れ、無理矢理顔を逸らして、強制的なアヒル口から逃れた。

「むー、別にいいもん、ウボーとかフィンクスとかは別に何にも言わないもん!」

「強化系の言うことばっかり聞いてるとバカになるよ♦」

 さらりとひどいことを言いつつ、ヒソカは今度はシロノの顎を持ち上げた。

「うん、決定。今日からの修行は“じゃじゃ馬ならし”……いやキミの場合“奇跡の人”だね♦」

「誰が三重苦なのよう!」

 散々見た映画のうちの数タイトルを挙げる奇術師に、子供は頬を膨らませた。

 

「ヤダヤダヤダヤダ! お行儀の練習なんかしないもん、……うげぅっ」

 じたばたじたばたじたばた、と激しくイヤイヤをしながら暴れるシロノだったが、いきなり口の中に指を突っ込まれ、僅かに嘔吐きながら、いつの間にか間近に顔を近づけてきていた奇術師に、びくりと肩を跳ね上がらせた。

「……あんまりワガママばっかり言ってると、今からその食わず嫌いを矯正するよ?」

「ふぎっ、ぐえ、う──!」

 全身からゆったりとオーラを立ち上らせ始めたヒソカに、シロノは半泣きになる。口に指を突っ込まれたこの状態で“練”でもされようものなら、強制的にヒソカのオーラを食べることになってしまう。それだけはごめんだ、と、シロノは身を捩らせた。

 

「さあ、お行儀を改めるのと、食わず嫌いを治すのと、どっちがいい?」

「ほ、ほひょうひ……」

「よろしい♥」

 ヒソカはにっこりと微笑むと、冷や汗をかいて青くなっている子供の口から指を抜いた。

「うう……イヤなことはやっても意味ないとか言ってたくせに……」

「それはそれ、これはこれ♣ ……それに、ここ数日見ていてわかったけど、キミの実際の食事作法と戦い方の荒さは明らかに比例してる♦ 行儀作法を習うのは無駄じゃないはずだよ♥」

 これは、ヒソカの確信だった。食べたいだけ食べたいように、好き放題食い散らかすこの子供の食事風景は、その戦い方ともとてもよく似ている。子蜘蛛としてのスパルタ訓練は、この小さな身体に似合わない胃袋とスピードで沢山の料理を片っ端からやっつけることに長けはしたようだが、その作法はといえば、洗練されているとはとても言い難い。おそらくは旅団の強化系の面々、特にこの子供が一番懐いている巨人の影響が大きいのだろう。食べ方だろうが戦い方だろうが、子供はすぐ、好きなものの真似をするものだ。

 

「じゃ、そうと決まれば早速やろうか♦」

 

 

 

 そして、そのまま、夜中近くになった。

 シロノはひとり、天空闘技場のとあるホールに立っていた。中世風の優雅かつ豪華な内装で有名なそこは、デートスポットとしてもよく紹介される場所だ。真夜中ではあるが天井に青空が描かれたそこを、シロノは見上げた。日光の下ではまともに動けないシロノが青い空を見るのは、こんな絵でしかありえない。しかし、シロノはそんなものには何の感慨も持たず、ただつまらなそうに、リボンのついた白いエナメルの靴の踵を鳴らした。

 

「やあ、待ったかい?」

「待った」

「……そこは“今来た所”とか言う所だよ、シロノ♠」

 

 なってないなあ、とヒソカは両手を挙げて、やれやれ、といった風に首を振った。それに何やら無性にむかついたシロノは、眉を寄せて唇を尖らせる。

「ナニソレ」

「それが様式美ってものなんだよ♦ うん、その格好、似合うじゃないか♥」

 ヒソカは、にっこりと微笑んだ。

 

 シロノが着ているのは彼が手配したもので、白を基調に上品なブルーのリボンがアクセントにあしらわれた、お人形のようなドレスだった。真っ白に輝くボブカットの銀髪にも、青いリボンがカチューシャのように結んである。

 こんなフリルとレースが沢山ついた膨らんだスカートを身につけるのは、かつてシルバの仕事に着いていったとき以来で、シロノは居心地悪そうに、忙しなく足の位置をあっちこっちに変えたりしていた。

 

「ヒーちゃんはなんか、普通でヘン」

「どういう意味かな♣」

「うーん……ヒーちゃんが普通なのがヘン」

 ヒソカはいつもの奇術師スタイルとは打って変わって、メイクを落として髪を下ろし、カジュアルさも僅かに漂う品のいいスーツを着込んでいた。

 普段が奇抜すぎて見落としがちだが、彼は長い手足と適度に厚い胸、そしてすらりと高い身長という恵まれた容姿を持っている。何も知らない者が見れば、かなりの美青年、モデルか何かかと思うだろう。実際、いまでも周囲の女性たちの目をこれでもかと惹いている。

 しかし子供にとっては「いつもと違う」以上の感想は特にないらしい。しかもその少ないボキャブラリーの中から子供特有の評価「ヘン」を頂いてしまい、ヒソカは軽くため息をついた。

「……そういう時は“いつもと違ってステキ”とかね?」

「ふーん? それも“様式美”?」

「そうそう。じゃ、行こうか♥」

「え~~~~~~~~、めんどくさあ~~~~~~」

 往生際悪く、ぐずぐずとした歩き方で、シロノはぶつくさ言った。

「……そんなにボクのを口に突っ込まれたいのかい♥」

 僅かにオーラを立ち上らせながら、妖しい微笑みでヒソカがそう呟くと、シロノの背筋がびしりと伸びた。

 端から聞いていたら確実に誤解されるだろう台詞だったが──いや、周囲数メートルの人々がもれなくドン退きしてざわめいたところからするに、既にばっちり誤解を受けている。

 

「ククク♥」

 

 ヒソカはそうして喉で笑うと、片腕で軽々とシロノを抱き上げた。見た目だけならば、人形のような姿の少女を抱き上げる美青年、という絵になる姿だが、周囲には「警察……」と呟きながらチラチラと視線を遣る人々が遠巻きになっていた。既に携帯に手を伸ばしている者まで居るが、ヒソカは全く気にかけず、そのままゆったりと歩きだした。

 

 

 





タイトルの『Behave!』は、英語で、子供に「行儀よくしなさい!」と叱る時の口語です。きっちり記述すると、Behave yourself! になります。


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No.029/相席、よろしいですか

 

 

 

「オレ、いつでもOKです!」

 

 そう言って受付に申込用紙を提出したゴンは、後ろに立っている面々の方を振り向いた。

「だってさ」

「元気がいいボウヤだな」

 能面のような顔をした片腕の選手、そして車椅子に乗った選手と杖をついた義手の選手もまた、ゴンのあとについて申込用紙に記入をした。

 キルアはその様子をなんとなく見ていたが、ふと口を開き、言った。

「……なあ。シロノっていう子供の選手知ってるか? 俺みたいな銀髪で、女の」

「ああ……、知ってるよ。兄貴とかいう男と一緒に来てたガキだ」

 能面が答えた。キルアは更に問う。

「強いの?」

「200階に上がってきてからは1試合しかしてないから、何とも言えないがね。ただ……」

 能面、サダソは、シロノに関わる選手がことごとく闇討ちされている、という例の噂を話した。兄の方が犯人だという説が最も有力だったが、既にその兄が帰ってしまってからも闇討ちが続く為、階の低い選手が警戒しきっている、ということも。

「実力はまあ、弱いとは決して言えないと思うが……それとは別に、あのガキと戦いたいってヤツはあまりいないな」

「なんで?」

 これには、ゴンが質問した。

 

「噛み付くんだよ」

 そして、今度は車椅子の男が答える。話した所で自分には全く関係ない話題だからだろう、彼らの口は割と軽い。

「……は?」

「だから、対戦相手に絶対に噛み付くんだ。格闘センスが悪いってわけじゃない、むしろそこいらの奴よりは格段に良いと思う」

 だが、何故か必ず対戦相手に噛み付いた挙げ句、最後には泥仕合とも言えないような、まるで子供か動物の喧嘩のような戦い方をするものだから、シロノと戦いたいという奴はあまりいないのだ、と車椅子の男、リールベルトが肩を竦めた。

 思ってもみなかった話に、ゴンとキルアは顔を見合わせる。そして受付の係から部屋の鍵を渡された二人は、受付を後にした。

 

 

 

 ──一方、その頃。

 ヒソカがシロノを連れてやってきたのは、路地の奥まった所にある、小さなレストランだった。

 いかにも知る人ぞ知るといった風情のそこは、メンチに貰ったしおりの中にも載っていた店だ。しかし予約必須の上にどうも雰囲気が上品すぎて行き辛く今まで手つかずだったのだが、メンチのオススメであるなら味の保証はついている、とシロノはいくらか機嫌を直した。

 

「あのリストの中で、ここはボクも気になってね♥」

 この間も来たんだけど、なかなか良いよ、とヒソカは笑みを浮かべ、シロノを片腕に抱き上げたまま、マホガニーの重厚なドアを開けた。

 いらっしゃいませ、と迎える声も適度に低く、品がいい。テーブルや椅子も飴のように輝くマホガニー色で、重厚ながらも温かで落ち着く雰囲気が漂っていた。

 店内には何組かの客がテーブルに着いて食事をしていたが、予約名を告げると、ギャルソンは空いているテーブルではなく、奥に続く廊下に彼らを促し、そして奥にある扉を開けた。

 やや小さめの個室もまた、アンティークの調度品が置かれた、重厚で趣味の良い空間だった。ヒソカは、ギャルソンが引いた椅子に抱き上げていたシロノをお人形を座らせるようにしてそっと下ろし、静かにシロノの対面の椅子に腰掛けた。

 行儀よく、と言われているので、シロノもあからさまに足をばたつかせたり、あっちこっちを触るようなことはしなかった。ただ、シロノには少し高いテーブルの端にちょんと両手の指先を乗せ、くるりと部屋の中を見回してみたりはしたが、ヒソカはそれについてはいつもの薄い笑みを浮かべているだけで、特に注意はしなかった。

 

 ──奇妙な部屋だった。

 壁紙や調度品の趣味はとても良い。しかし二人がけのこぢんまりとしたテーブルの横、ヒソカとシロノを東西とするならば北側がドアなのだが、問題は反対の南側。そこには、ステンレス製の大きな台があり、そしてその上には、様々な調理器具が整然と並べられている。

「失礼いたします」

 軽いノックのあと、先程ここへ案内したギャルソンと同じ格好をした者たちが、ぞろぞろと部屋の中に入ってきた。そして彼らの手にあるのは、ボウルやトレイに入った様々な食材だ。ギャルソンたちは曇り一つないステンレスの調理台の上にそれらをきっちりと並べると、一人一人、角度30度の素晴らしいお辞儀をして退室していった。

 シロノはぽかんと口を開けて、調理台の上に並べられた食材たちを見た。多少形とも料理をするシロノには、それらがどれもこれも高級食材であることがわかる。トマトひとつとっても、色艶がそこいらの市場にあるものとは段違いだ。

 シロノはごくりと喉を鳴らし、木のボウルに盛られた真っ赤なイチゴに、思わずそっと手を伸ばした。

 

「──めっ♥」

「いっだあ!?」

 

 ビシィ! と凄まじい音を立てて、シロノのこめかみにヒソカのデコピンが炸裂した。デコピンといえど、僅かにオーラを込めたそれは、少なくともエアガンで撃たれるよりは痛い。シロノはこめかみを両手で押さえ、痛覚を切るのも忘れて、椅子の上でもんどりうった。

「行儀よく、って言ってるだろう?」

 もちろんつまみ食いもダメ、と、ヒソカはにこにこと言う。シロノがこめかみを押さえたまま涙目で彼をじろりと睨んだその時、再びノックの音がした。

 

「ヤーッホー、久しぶりねーシロノちゃん」

「メンチさんだ!」

 コックコートを纏って入ってきたのは、メンチだった。そしてなんと、彼女こそがこの店のオーナーであり、チーフシェフだという。

「んもー、いつ来るかいつ来るかって楽しみにしてたのに、なっかなか来ないんだから」

「……ゴメンなさい」

「ま、いいわ。腕振るっちゃうから、楽しんでってちょーだい」

 どうも、ここは一流のシェフ──つまりメンチが目の前で料理を作ってくれる、という店であるらしい。味も一流だが、美しい料理が出来上がっていくのを目でも楽しめる──というのがウリなのだ、ということだった。

「でもさあ、せっかくこんなにいいモノなんだから、ヘンにいじくり回して食べるより、そのままガブっていったほうが良いと思うんだけど……あっ」

 しまった、とシロノが思った時にはもう遅かった。店の、いや料理そのものの趣旨を根底から否定するその発言に、メンチの表情には笑顔と青筋が同時に浮かんでいる。

 

「ホホホホ、言ってくれるじゃないのチビちゃん?」

「あ、いやあの」

 冷や汗をかきつつ狼狽えるシロノに、メンチは素晴らしい手際で小振りなトマトを切り分け、小皿に乗せた。ストン、とトマトが空気を切るようにして分かれるあたり、相当良い包丁を使っているらしい。

「オードブル代わりね。ほい、ドーゾ」

 トマトが乗った小皿を、メンチは子供に差し出した。シロノはきょとんとしつつも、しかし瑞々しく美しい赤の中にとろりと崩れる黄緑を見て喉を鳴らすと、それを摘んで口に入れる。

「……おいしー」

 やはりかなりいい品であったらしく、塩も振っていないはずのトマトは、素晴らしい味をしていた。嬉しそうな笑みを浮かべてぱくぱくとトマトを食べる子供にメンチは笑み、そして風を切る音すらさせずに包丁を構えた。

 

「──観てなさい」

 

 メンチから、オーラが立ち上った。

 彼女の両手に持った包丁が、目にも留まらぬ凄まじい早さで食材を調理していく。そしてあっという間に、彼女の前に、2皿のスープが出来上がった。

「さ、召し上がれ」

 差し出されたスープは、宝石のようなあのトマトの赤さを持ってはいたが、完全にペーストされており、原型は全くもって留めていなかった。シロノはどこかがっかりした気持ちでスープスプーンを手に取ると、赤い液体を掬って口に運ぶ。途端、その目が見開かれた。

「どーお?」

 目を真ん丸にしたシロノに、にやり、とメンチは笑いかける。

 そのスープは、先程口にした果肉の味を、全くもって損なってはいなかった。むしろ──

「わかった? これが“素材の味を生かす”ってコトよ」

 メンチは次の料理のための食材を並べ替えながら、シロノに言う。

「そして料理人の仕事は、そこから更にプラスアルファの要素をいかに加えることができるか、っていう所。しかもその上限はない、だからこそやり甲斐があるわ」

「すごーい……」

 シロノはそう呟き、そして感嘆しながらも、夢中でスープを飲んだ。そして皿の中が空になったとき、一滴も無駄にすまいとしたからだろうか、シロノの口の周りは、全く汚れてはいなかった。

 

 そしてその後、目の前で調理されて出てくる魚料理や肉料理に、シロノは夢中になった。しかし、今までのように所構わずがっつく、ということは殆どしなかった。そしてその理由は、食べるだけでなく、メンチの調理風景を見ることにも夢中になっていたからだった。

「うわーあ……」

 始終、シロノはこんな風に感嘆の声を漏らしていた。

 一つ星を受けた美食ハンターであり、料理人としても超一流であるメンチの手際は、素晴らしいものだった。素早く、しかし素材を的確に扱い、絶妙の具合で手を加えてゆく。そして出来上がった料理はいっそ芸術的と言っていいほどに美しく盛りつけられ、目の前に出されてくる。

 いま目の前にあるのは、とある運河でしか生息していないという魚のムニエルだ。独特の骨格をしているため普通の魚のように下ろせないというそれは、メンチの手によって複雑に切れ目を入れられ、白く美しい魚肉を晒している。まるでパズルが開くような具合で開かれた魚は料理というよりも作品と言った方が相応しく、そこにナイフを入れる行為を凄まじい贅沢だと思わせた。

 シロノはフィッシュナイフを手に取ると、そっとその白身に差し込んだ。そしてふわふわの魚肉をもう一方のフォークで丁寧に掬い、丁重に口の中に入れる。すぐにもう一口、という欲求が沸き上がるが、あのソースに上手に絡めて食べるのが最高の食べ方なのだとその舌でもって知ってしまっているシロノには、料理を乱暴に扱うことなどとてもできない。

 丁寧に、そしてどこまでも真剣に、夢中で料理を食べているシロノを見て、メンチはとても満足そうな笑みを浮かべた。

 

「やればできるじゃないか、シロノ♥」

 皿がまた一つ下げられた時、ヒソカが言った。シロノは彼が食べ終わった皿をふと見るが、それは、最大限の努力でもって綺麗に食べたシロノの皿よりも、遥かに美しかった。一目見て解すのが難しいのがわかる魚の骨は、まるで最初からそうだったかのように、慎ましやかに端に寄せられている。かけられていたソースは、テーブルクロス、いや皿の美しい飾り柄にすら一切飛んではいない。それは彼が的確な所にナイフを入れ、そして巧みにフォークを使って、完全に皿の中でのみ食事を行なったからだ。

 そしてギャルソンが入れ替わり立ち替わりやって来て、最後のデザートの為の準備が整うと、メンチは今までよりも更に慎重で繊細な手つきで、調理を開始した。

 

「──ボクはね、“食べ方”についてはちょっとうるさいんだ♣」

 

 メンチの手元を食い入るように見つめるシロノをちらりと見てから、ヒソカは自分もまた調理風景を眺めつつ、言った。

 調理台の上では、様々なフルーツが次々と切り分けられている。果汁をたっぷり含んだ色とりどりの果肉が、照明の光を反射して、宝石もかくやというほどに輝いていた。

「青い果実たち、それが実る時、ボクは決して乱暴にかじり付いたりはしない♦」

 ヒソカは自分の顔に手を遣った。先が細く長い彼の指は広げられ、薬指は彼の目尻に、一番広く広げられた小指は、やや吊り上がった薄い唇にかかっていた。そのまま彼が僅かに首を傾げると、染めているのか地なのかわからない、しかし見事な金髪がさらりと流れる。

「果実が実るには時間がかかるしじれったいけれど、食べ頃まで実ったときの気分といったら、表現できないほどだね……。そして果実が熟す過程を見守るのも、また一興♥」

 薄い唇が、更に吊り上がる。わざと荒く作った生地に、長い時間をかけて作られたシロップが打ち込まれ、生地の中にしっとりと消えてゆく。

「美しく赤く染まってゆく様、どんどん薫り高くなる芳香……♦」

 薄く伸ばしたチョコレートが魔法のような手際で波打ち、薔薇の形に重ねられてゆく。ホワイト、ミルク、ブラック、数種類の味と色の薔薇が、グラデーションになるように積み上げられる。そしてボウルの中のヘラがその上を踊ったかと思うと、きらきらとした輝きがそこに落ちた。まるで魔法のような光景に、シロノはうっとりと魅入る。

 そして出来上がったのは、しっとりとシロップを含ませた土台の上に瑞々しいフルーツをカットして乗せ、そしてチョコレートでこれ以上なく精巧に作られた薔薇を飾った、至高のようなケーキだった。透明な飴の糸と雫が朝露のようにきらきらと輝き、尚一層素晴らしい効果を生み出している。

「そして、果実がほんとうに実った時──」

 ヒソカが、まるで婦人の手を取るような恭しい動作で、デザートナイフを手に取った。

 

「そこに初めてナイフを入れる、その快感……♥」

 

 ざくり、と、ヒソカは躊躇いなく、チョコレート色の薔薇を銀のフォークで無惨に崩した。漂うオーラが、彼が快感を感じていることを嫌でも知らせている。

「ひと思いに崩してしまうのも良いし、ゆっくりと皮を剥き、果肉を小さく切り刻むのもいい♦ 果実が実る間、ボクはどうやってあのコたちを素敵に食べてやろうかと、とても楽しく夢想する♥」

「……とんだ変態だわね」

「クク♣」

 呆れた声で言うメンチに笑みだけを返し、ヒソカは崩れた薔薇が乗った宝石のような果実を、滑らかな所作で口の中に入れた。口の中でふんわりと溶けるチョコレートと、最高級のフルーツの酸味が極上の調和を奏でる。ヒソカは恍惚にも似た表情で、ぺろり、と妙に長い舌で唇を舐めた。

「シロノ、キミはどう思う……?」

 問われて、熱に浮かされたようにしてぼんやりとケーキを見つめていたシロノは、そっと小さなフォークを手に取った。そして磨き抜かれた先端を、薄く繊細な花びらに近づける。

 そしてシロノは、その透明な目を逸らさずに、さくりとフォークを美しい薔薇に差し入れた。

 

 ──ぞくり。

 

 その瞬間、シロノの背筋に、今まで経験したことのない震えが走った。

 崩れた薔薇をじっと見つめたまま動かないシロノを見遣り、奇術師が笑みを深くする。その笑みは、今まで自分一人しか愛好していなかった趣味の仲間を見つけた時のような、とても楽しげな笑み。

 

 ヒソカは出会ったときからシロノを将来有望な資質を持った子供だと評価していたが、しかし、青い果実という感覚とは違っていた。

 それは今まで一度もなかった感覚で、見たことのないものが現れようとしている、という、果実に出会ったときとはまた別のわくわくしたものを呼び起こした。だからこそシロノが死んだとき、その正体が何だったのか永遠にわからなくなってしまったのかとがっかりしたものだが、いま、ヒソカはこの子供が自分にとって何なのか、はっきりと理解していた。

 

 例えるならば、ヒソカはずっと、ひとりでテーブルに着いていた、そんな風に思う。

 なぜと言って、彼の目に映るのは沢山の、そして玉石混淆の果実たちではあったけれど、自分と同じように果実を食べようと探している人間はいなかったからだ。

 ときどきお仲間かと思う人物に出会うことはあるけれど、結局彼らはヒソカの楽しみかたやこだわりを理解することなく、結局は「不味い果実」としてヒソカに食べられてしまう。そしてまずい果実を食べるはめになってしまったヒソカは、また一人、次こそはおいしい果実に出会いたいと思いながら、つまらなそうにテーブルの上の空っぽの皿をつつくのだ。

 

「おいしい……」

 

 だが今、彼のテーブルに、初めて同席者がやって来た。その同席者は、どの果実がどうおいしいのか、とてもよく理解している。まだ幼くてテーブルマナーもなってはいないけれど、ヒソカも抱くその気持ちをよく理解しているのなら、上手に食べられるようになる日も、そう遠くはないだろう。それに、ダメなところはこうして教えていってやればいいのだ。このテーブルに先に着いていた、“先輩”として。

 

「──わかってくれて嬉しいよ、シロノ♥」

 

 ひとりきりのテーブルも、別に寂しかったわけではない。しかしテーブルに登る味の善し悪しを語り合うことの出来る同士が居るのも決して悪い気分ではない、と、うっとりと、そして嬉しそうにケーキを食べる“後輩”に、ヒソカは深い笑みを浮かべた。

 

 

 

 



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No.030/ステキなパパと様式美

 

 

 

 カラン、とベルが鳴り、マホガニーの扉が開かれる。

 

「──あら、来たわね」

「よろしくおねがいしまーっす」

 この間のコックコートではなく、ハンター試験の時のようなホットパンツにブーツという格好のメンチは、礼儀正しく頭を下げたシロノに言った。

「まず人参の飾り切り五百個! 終わったらアイスバインのゼリー寄せテリーヌを5皿同時に上げて、帆立貝柱と小海老のタルタル仕立て8皿ね。バジルの風味を殺したら承知しないわよ!」

「あいっ」

 流れるような指示に、シロノはてきぱきと材料と道具の用意を始める。そしてそれらをきっちりと調理台の上に順序よく並べると、メンチが頷いた。

 

 メンチの指導で料理を作り、そしてそれを食べる、この繰り返し。どこをどう見ても料理修行とマナーレッスン以外の何ものでもないが、これこそが、シロノにとって自分の能力に繋がる修行だ、と確信していた。

 料理命のメンチの指導はある意味でフェイタンにも負けずとも劣らないスパルタぶりだったが、そのおかげで、シロノの料理の腕は既にこの一流レストランでも下働きレベルであれば立派にやっていける程度のものにまでなっていた。──実際に下働きとして使われてもいるが、そこは修行をつけてもらっている礼、ということで。

 

「あ、そーだメンチさん、今日ちょこっと厨房の端っこ使わせてもらっていいかなあ?」

「何作るの?」

「ケーキかなんか。お見舞い」

 

 

 

 

 

 

「……オレにあやまってもしかたねーだろ、一体どーなってんだこの中はよ!?」

 

 念を覚えた、いや正しくは精孔を開いた昨日の今日でギドと戦い大けがをした、というゴンを見舞いに来たシロノは、ノックをしようとして、中から聞こえた大声に手を止めた。

 どうやら無茶をしたゴンがキルアに怒られているらしいのだが、すっかり調子を取り戻した──いやむしろなお一層生き生きした様子のキルアに、やっぱりよほど家が嫌だったのだなあ、とシロノはしみじみ思った。

「……ゴーンー、いるー?」

 そしてノックの後、そうして声を張り上げると、「あ、シロノ!」という、思ったよりも元気そうな声が、扉の向こうから聞こえた。

 

 

 

「あたしも試合観てたけどさー、あっははー、相変わらず無茶するよねーゴンは。念覚え立てであれは死ぬよ。普通に死ぬ死ぬ、あはははは」

「あはは」

「あははじゃねーよお前らはよ!」

 見舞いに作ってきた、とシロノが持ってきた手作りのケーキを食べながら暢気に笑い合う二人に、キルアが怒鳴った。

「念を知らずに洗礼を受けた連中の姿はイヤって程見ただろが! 一歩間違えばお前もああなってたんだ! この程度で済んだこと自体幸運なんだぞ」

「キルアって結構世話焼きだよね」

「オメーはちょっと黙ってろ!」

 ちゃんと皿に乗せたケーキをデザートフォークで切り分けながらのほほんと口を挟んだシロノを、キルアはくわっと一喝した。

 

「ったく、何のためにメガネニイさんが教えてくれたと思ってるんだか」

「う~~~……」

 ばつが悪そうに、ゴンが唸る。

「でもさ、大丈夫かなって思ったんだよね。何回か攻撃を受けてみて……まあ急所さえ外せば死ぬことは」

 ゴンがそう言った時、ズン、とキルアが彼のベッドに足を置いた。それが思いっきり全身の骨折箇所に響いたらしいゴンは、ぶわ、と汗を浮かばせて、ベッドの上で痛みに呻く。

 そしてそんな時、しっかりしたノック音がドアの向こうから聞こえてきた。だがキルアはゴンの傷をおちょくるのに忙しいらしく、彼に代わって、シロノが席を立つ。

 

「はーい」

「おや、あなたは……」

 ドアを開けたシロノを見て、眼鏡をかけた黒髪の青年が、僅かに目を見開く。

「こんにちはー。えっと……」

「ああ、ウイングといいます。すみませんが、ゴン君はいますか?」

「いますいます。ゴーンー、ウイングさんだよー」

 シロノが声を張り上げると、二人が振り向き、そしてウイングの姿を認めると、揃って目を丸くした。

 ウイングはそのままツカツカとゴンのところまで行くと、ばつが悪そうに謝罪を口にしようとしたゴンの側頭部あたりを、パン! といい音をさせて叩いた。

 そして彼はキルアが言ったことと同じことをやたらにでかい声で説教した後、この程度で済んで良かった、と、ゴンの肩に手を置いた。

「ウイングさん……」

 彼から本気で心配した、というこことを感じ取ったゴンは、神妙な表情をした。

「ホントにごめんなさい」

「い────え、許しません!」

 ゴンの謝罪にきっぱりとそう言ったウイングは、気圧されるゴンに二ヶ月間念の修行を禁じる約束をさせると、ご丁寧に神字入りの誓いの糸をゴンの小指に巻いた。シロノは黙ってその様子を見ていたが、ウイングからのいきなりの質問にさらりと「二ヶ月」と嘘をついてのけたキルアに、盗賊になれるんじゃなかろうか、と感心した。

「──誓いの糸です。これを見て常に約束を忘れぬように」

「うん」

 ゴンは糸を巻かれた左手を広げると、神妙に頷いた。

 

「二ヶ月かあ。ちょっと長いけど、頑張ってねゴン」

「うん、ありがとシロノ」

「……シロノさんと仰るんですね」

 ゴンの左手を覗き込むシロノに、ウイングは声をかけた。

「うん、シロノです。あ、そーだケーキたべます? 買い物行ったついでに知り合いのオネーさんの厨房借りて作ってきたんですけど」

「あ、これはこれはご丁寧に……」

「シロノって料理上手なんだよ、ウイングさん」

 ハンター試験でも一人だけ美食ハンターの試験に合格したんだよね、とゴンが言ったので、ウイングは感心しつつ、切り分けられたシフォンケーキを口にし、くるりと目を丸くする。

「ほう、これは……とても美味しいですね」

「あ、いっぱいあるんで、よかったらお土産にもって帰ってください」

「いいんですか? いや、ズシも喜びます」

「……シロノお前、天空闘技場に何しに来てんだよ」

 やたらにケーキを勧めてまわっているシロノに、キルアは呆れてそう言った。まあそういう彼も、既に結構な数のケーキをご相伴に預かっているわけだが。

「えー、何って、修行にきまってるじゃん」

「何の? 料理の?」

「念だよ!」

「いやしてねーし。ケーキ作ってんじゃん」

「こーれーもーしゅーぎょーうーなーのー!」

「まーまーまー、落ち着いて二人とも」

 喧嘩とは行かないまでもやり合い始めた銀髪二人を、ゴンが仲裁した。ふんっ、とシロノが鼻を鳴らす。

 

「あのねー、殴る蹴るだけが念の修行じゃないの!」

「え、それってどういう……」

「ゴン君? ……シロノさんも」

「あ、ごめんなさい」

「そーだった、ごめんなさい」

 二ヶ月間は念について触れるの禁止、という誓いを早々に破りかけた二人だったが、ウイングに諌められ、素直に謝罪した。

 

「やはり、話しているとそちらに話が行ってしまいがちのようですね……。少し頭を冷やすのがいいでしょう。……キルア君、ちょっと」

「ん?」

「……ああ、シロノさんも。無理にとは言いませんが……」

「いーですよ?」

 

 

 

 ゴンの部屋を出て、三人はそこからそう遠くない休憩スペースにやって来た。

 ウイングが「君たちの本当の目的は何なのか」とキルアに問い、そしてゴンがギド戦のあの状況で、スリルを楽しみ、命がけで修行をしていた、ということに話が流れると、ウイングの顔色が僅かに変わり始めた。そんな彼に気付いたキルアは、静かに言う。

「……もう、遅いよ。もう知っちゃったんだから、オレも、ゴンも。教えたこと後悔してやめるんなら、他の誰かに教わるか自分で覚えるかするだけ」

 だから責任を感じることはない、とキルアは淡々と言った。

「オレの兄貴もヒソカも念の使い手だったんだから、遅かれ早かれオレもゴンも念に辿り着くようになってた」

 ウイングは、考え込むように無言になった。

 

「あ、そーいや。シロノ、お前ってどうやって念使いになったわけ?」

「あたし?」

 突然話を振られて、シロノはきょとんと目を丸くした。

「ああ、私も聞こうと思っていたんですよ。念の修行は殴る蹴るだけではない……ということまでわかっている所から見て、念を覚えてそれなりに経っていますね?」

「あー、そうなるかな」

 ウィングにも言われ、ポリポリと頭を掻きながら、シロノは相槌を打った。

「聞いてると、お前の家族も多分念使いだろ?」

「うん」

「ほう。では家族の方にゆっくり起こしてもらったんですか? なかなか理想的な……」

「うーん……や、わかんない」

「え?」

 歯切れの悪い返事ばかりするシロノに、ウイングとキルアはクエスチョン・マークを頭の上に浮かべた。

「あたし、生まれつき精孔開いてたらしいから。四大行とか習ったのは6歳くらいの時だけど、それより前も“絶”とか色々使ってたみたいだし。自分であんまり覚えてないけど」

「……な」

 シロノはさらりと言ってのけたが、かなりの特殊な内容にウイングはこれ以上ないほど驚愕している。

 そして自分が天空闘技場で200階アンダーをうろついていた頃には既に念使いだったという事実に、キルアは驚いた後、持ち前の負けず嫌いを発揮して、むすっと表情を顰めた。

 

「……ちょ、シロノさんちょっといいですか」

「へ?」

 ウイングはシロノを引っ張って数メートルキルアから離れると、シロノの身長に合わせてしゃがみ込み、ぼそぼそと言った。

「あなた、ここにどういう修行をしに来てるんですか?」

「えー、“発”、っていうか能力の開発が今のメイン? こっち来たばっかの時はお兄ちゃんと“流”の型とか“絶”と“硬”だけの組み手とかやってたけど。あ、“堅”の持続時間を伸ばす修行は毎日やってますですよ」

「……“円”はどのくらいできるのか聞いていいですか?」

「闘技場の舞台の半分くらいかなあ」

 ウイングは片手で自分の顔を覆った。おそらく、シロノの念技術の習得率は世界最年少クラスだろう。ゴンとキルアの天才ぶりにも散々度肝を抜かれてきたが、こちらも負けずとも劣らずだ、と彼は世界の広さを実感した。

「こっち居る間に“堅”5分は伸ばさないと、またパパにボロクソ言われるんだよね。ウイングさんなんかいい修行法知らない?」

 へらりと尋ねるシロノに、ウイングは盛大に息を吐いた。

「まったく……。“流”や“硬”の組み手が出来る10歳なんか聞いたことありませんよ」

「パパはもうちょっと早くに出来てたって言ってたよ?」

「な、あなたのお父上は何者ですか!?」

「……えーと、26歳自営業……自由業?」

 嘘は言ってない、とシロノは心の中で呟いた。

 

 そして戻って来たシロノとウイングに、キルアは複雑そうな視線を向けつつも、まずウイングに言った。

「……で、どーすんの? 途中で話逸れたけど、……俺らの師匠、降りんの?」

「途中で降りる気はありませんよ。むしろ伝えたいことが山ほどあります」

 ウイングは揺るぎないしっかりした声で言った。

「……キミに関してはその限りではありませんが」

 苦笑しつつそう言い、ウイングはシロノを見る。シロノは、何もわかっていない猫のように真ん丸な目をして、きょとんと彼を見上げている。

「ンだよ、コイツそんなレベルたけーとこ居るわけ?」

「とりあえず君たちよりはかなり高みにいますね」

「ちっ」

 すっぱり言われ、不貞腐れていたキルアの表情が、舌打ちとともに更に顰められた。

 さすがにウイングと戦ってシロノが勝つようなことはないし、教えることはもう何もない、というようなこともないが、レベル的にも、おそらくオーラのタイプ的にも、シロノに関しては自分よりもむしろ師範が教えた方がいいような気がする、とウイングは判断していた。

(一応女性同士ですしね)

 あれを素直に女性のカテゴリに入れるのには些か抵抗がありますが、と、心の中で、しかもひっそり呟きながら、ウイングは警戒する猫よろしくじりじりとシロノを睨んでいるキルアを微笑ましい気持ちで眺めながら言った。

 

「ズシが宿で待ってます。君も一緒に修行するといいでしょう」

「……いや、いいや」

「え?」

 キルアの返事に、シロノに対抗心を燃やしまくっている所からしてすぐ飛びついてくると思っていたウイングは、意外そうな表情を浮かべた。

「ぬけがけみたいでやだからさ。ゴンが約束守れたら一緒に始めるよ」

 そう言って、くるりと背を向ける。

「……そーゆーワケだから、シロノ、対戦どーのこーの言ってたけどムリだわ」

 シロノが食欲に任せて言いかけた誘いを覚えていたキルアに、ゴンに付き合って自主的に念修行をしないあたりからしても、シロノはキルアの律儀さに少し驚いた。

「あ、うん。いーよ別に、多分今のキルアとあたしじゃ勝負になんないし」

「テメ……」

 さらりと言われた台詞に、キルアの額に青筋が浮かぶ。

「……くっそ、二ヶ月明けたら覚えてやがれ!」

「キルア君、ゴン君に燃える方の“燃”の修行なら認めると言って下さい!」

 捨て台詞を残して早足で歩き出したキルアに、ウイングは声を投げかけた。“点”を毎日行なうように、という彼の指示に、キルアは遠ざかりつつも、片手を上げることで返事をし、去っていった。

 

「……ふー、ガマンしたガマンした」

「は?」

「あ、んーん、こっちの話です」

 キルアが去ってからぼそりと呟いたシロノにウイングが不思議そうな声を出すが、シロノはへらりと笑ってそれを躱した。

(日に日に香りが強くなるんだもんなあ、参るなー)

 ヨダレを垂らさないでいるのが精一杯だ、とシロノはもう一度ため息をついた。

 ゴンやウイングもかなり美味しそうな部類に入るが、ここは単に味の好み、いやキルアがおそらく変化系のオーラをもっているということが問題なのだ。変化系オーラは香りが強いという特徴を持ち、その芳香はいいオーラほど素晴らしいものとなる。

 フェイタンやマチも強い芳香のオーラを持つが、熟練者である彼らから立ちのぼる芳香は、薫り高くも癖のある白酒のようであったりと、ダイレクトに食欲をそそるものとは少し違う。まだまだ味覚が子供なシロノには尚更である。しかしその辺り、殆どまだ練られていないキルアのオーラは、それだけに、嗅いでいるだけでヨダレが出るようなものだった。

 

「じゃ、あたしこれからちょっと買い物行って来るんで、さよならウイングさん」

「そうですか。ああ、ケーキ、帰って弟子と頂きますね。ご馳走さまです」

「いえいえ、こちらこそ」

「え?」

 言われた意味が分からずにウイングは首を傾げたが、シロノはにっこり微笑むと、何も言わず、そのまま踵を返していった。

 

(んん、ウイングさん強化系かあ)

 

 もぐもぐと口を動かすシロノの手には、ビロードのリボンが巻かれたスプーンが握られている。

 

 

 

 

 

 

「うーん……」

 あれでもないこれでもない、とシロノが眉間に皺を寄せつつ唸っているその場所は、とあるショーケースの前だった。

「こっちかなあ、あれの方がオーラ多いけど、うーん、こっちのが好きな気もするけどなんか違うような……」

 そう言って見比べるのは、アンティークのスプーンだ。金の柄の尻部分にきらびやかなカメオが入っているものや、銀細工の透かし彫りが入っているもの、芸術作品としても評価できるそれらのカトラリーをシロノは真剣な目で眺めて──いや睨んでいた。

 

「この際新しいブランド系に行ってみるのもアリかなー」

「そう? 私はこっちの方が好きよ」

 真上から振ってきた声に、シロノは勢い良く振り向いた。

 

「……あー! パク姉だ────!」

「久しぶりね、シロノ」

 

 満面の笑みで飛びついて来たシロノを、パクノダはにっこりと笑みながら受け止めた。

「えーどしたの!? なんでこっちいるの?」

「能力がちゃんと決まりそうだっていうから、様子を見にね。順調?」

「うーん、ぼちぼち」

「……ですってよ、団長」

 そう言って振り向いたパクノダの視線を、思わずシロノも追いかける。

 

「何がぼちぼちだ。さっさと完成させろ」

 

 そこに立っていたのは、26歳・自営&自由業な男が立っていた。団長ルックではなく、黒のスラックスに光沢のあるグレーのシャツを着ている。それだけでも目立つが、長身の金髪美女が隣に居るので、尚のこと街中の注目を集めていた。

「あ、パパも来てた」

「お前、俺にはリアクション薄くないか」

 未だパクノダの腰にしがみついたままきょとんと見上げてくるシロノに、クロロは軽く溜め息を吐いた。

 

 

 

「もう絶対会いたくなかったんですけど……!」

「つれないな」

 シロノが保護者二人を連れて店にやって来た時、メンチは悲痛な声を上げて天を仰いだ。クロロが人畜無害な、身内にとっては胡散臭いことこの上ない笑みを浮かべている。

「ゴメンねメンチさん。この町で一番美味しい店に連れてけって言うからさ、そうなるとメンチさんとこだよねって思って」

「シロノちゃん……」

 何日もここで食べ歩き修行をして来たシロノが、この町での『食』について、かなりの、そして確かな情報を持っていることは、メンチ自身の保証つきである。そしてそんな子供にナチュラルに最高の賛辞を貰ったメンチは、仕方なく、招かれざる客を店の中に案内した。

 

「あの奇術師も、たまにはいいことをするのねえ」

 口の周りにソースをつけることなく、そして殆ど音を立てずに食事をしているシロノを眺め、パクノダは感動が大いに篭った声で言った。彼女はことあるごとにシロノの行儀の悪さを嘆き、どうにかならないものかと色々な努力をしていた一人だったからだ。

「ウボーやフィンクスの真似ばっかりして、一時はどうなることかと思ったわよ。まったく、うちの男連中ときたら」

「おい、一緒にしないでくれるか」

「シロノの行儀の悪さを直そうとしなかった時点で団長も同罪よ!」

「まー、男親なんてそんなもんじゃないすかね?」

 やはり見事な手際で目の前で料理を拵えながら、メンチが口を挟んだ。最初は恐れ戦いていた彼女だが、会話内容の平和さにいくらか気が楽になったらしい。

 

「……だが、確かにオーラが以前より洗練されているな」

 向かいに座る子供を見ながら、クロロが言った。

 他のことに夢中になってうっかり数日絶食するなどもザラという、食生活に関してぞんざいな所のある彼であるが、彼の食べた後の皿は文句無しに美しい。パクノダもまた、口やかましく言っていただけあってかなり洗練された所作で食事を行なっていた。シロノの行儀もかなり良いものになっているので、何も知らない者が見れば、なんと育ちの良さそうな一家だろうか、と思うに違いない。

 

「それはそうと……、さっきはアンティークのカトラリーを探していたのか?」

「うん、そうなんだけど……」

 

 メンチの所での料理修行とともにシロノが毎日行なっているのが、食器屋巡りだった。アンティークの銀食器などはコレクターも多く値段も張るというのは本当だったが、幸い、天空闘技場で100階から190階までをうろうろしていたシロノは金が有り余っている。それに、仮に金がなくてもシロノは蜘蛛の端くれなのだ。どうにでもなる。

 そしてここ数日、シロノは“凝”を使って探し出した値打ちものや、また単に自分の直感で気に入ったカトラリーを片っ端から見て回っているのだが、最初にヒソカに買い与えてもらったスプーン以来、なかなかこれだと思うようなものには出会えていない。

「アンティーク・カトラリーは奥が深い。制作者や工房が有名であればいいというわけでもないし、衛生面も考えなくてはならないものだから正しい手入れがされているかどうかも重要なところだ。一朝一夕で見る目は養えないぞ」

 さすが、超高級品専門の盗賊の首領の言葉である。そうでなくてもクロロの知識量はかなりの広分野に及ぶ途方もないものだが、その中でも、骨董品、アンティークについての知識は専門家も舌を巻いて裸足で逃げ出すレベルだ。

 特に美術品に置いて彼の右に出る者はいないだろうと言われ、実は様々な偽名で論文をいくつか発表していたりもするのだが、食器に関しても造詣が深いらしい。

 

「ええ、じゃあやっぱり古いのじゃなくて現代ブランドにしたほうがいいかなあ……」

「……お前の能力に、それらは必須なものなのか?」

「うん」

 はっきりと頷くシロノに、クロロは、ふむ、と自分の顎に手を当てた。

「……そうか。じゃあ仕方ない。俺が選んでやる」

「ふえ?」

「素直に“お父さんが選んでやろう”って言えばいいじゃないの」

 呆れた様子でパクノダが言う。いかにも仕方が無いからというような風情のクロロだが、自分の得意分野だからだろう、妙なやる気が隠しきれていない。

「何を言う、俺は甘やかしとは無縁の放任主義だ」

「威張ることじゃないでしょ。……でもまあそれも本当よね。どういう風の吹き回し?」

「アケミには手を貸してやっているのにシロノには手を貸さないのはおかしい、……とシャルに言われたからだ」

 あくまで自分の意思ではないと言いたいらしい。

 

 しかし実は、それも嘘というわけではない。

 長い間は己を実体化できない上、字が読めず、そして指輪の持ち主から一定以上の距離は離れられないというアケミが能力を会得する為には、周囲の協力がどうしても必要だ。そしてその役目は当然の流れでもって指輪の持ち主であるクロロが主に請け負うはめになっていたのだが、あらゆる意味で遠慮のないアケミの要求は、流石のクロロも時々でなくうんざりするものだった。

 そうして色々と限界に来ていた彼は、パクノダとシロノの様子を見に行くという理由にかこつけ、指輪を半ば無理矢理シャルナークに押し付けて、息抜きに出て来たのである。

 

「……ママ?」

 突然アケミの名前が出て来た事に、シロノが首を傾げる。すると、クロロは「ああ、」と頷いて、子供に言った。

 

「能力がちゃんと完成したら、アケミに会わせてやる」

 

 カラン、とフォークが落ちた。

 さらりとなんでもないことのように言ったクロロだったが、フォークを取り落としたシロノは、目を見開いて口を開けっ放しにしたまま固まっている。

「ご褒美ですって。良かったわねシロノ」

 そう言って、パクノダがシロノの頭を撫でる。呆然としていたシロノだったが、パクノダに撫でられているうちにハッと覚醒し、クロロに詰め寄った。

 

「ほんと? パパそれほんと?」

「本当だ」

「ほんとのほんと? ウソついてない?」

「ついてない。約束する」

 こう言うとき、クロロは絶対に嘘をついていない。それを知っているシロノは、もう一度目を見開いた後、テーブルマナーもぶっ飛ばして、勢い良くクロロの首っ玉に抱きついた。

 

「わああああいパパありがとー! 大好きー!」

「あらら」

 

 椅子をひっくり返し、フォークをすっ飛ばしたシロノにいつもならかなりのペナルティが課されている所だったが、この時ばかりはメンチも苦笑するだけで、何も言わなかった。

 クロロはやれやれという風な無感動な表情を浮かべ、抱きついてくる子供を抱き返すこともしなかったが、しかしぎゅうぎゅう抱きついて来るシロノの好きにさせていた。

 

「パパありがとー! えっと、あー、いつもと違ってステキ!」

「……それ、どこで覚えてきた?」

 離れている間に何やら余計なことを覚えている子供に、クロロは半目になる。しかも使いどころを間違っているせいで褒め言葉になっていない。

 

「様式美って言うんだよね?」

 

 あっけらかんと言ったシロノの頭に、久々にクロロの拳骨が落ちた。

 

 

 

 



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No.031/ファストフードの憂鬱

 

 

 

 一ヶ月が過ぎた。

 ゴンの念修行禁止期間が半分となった日の夜、キルアはチケットを購入していた。明日行なわれる、ヒソカ VS カストロの試合のチケットである。

 200階クラスの闘士ということで優先券を取ることは出来たが、それでも1枚15万もしたそのチケットを、キルアは一応ゴンのぶんもということで、2枚購入した。

 

「……ん?」

 受付内の人間がチケットを手配している間、対戦表を眺めていたキルアは、ふと見つけた名前に、僅かに目を見開いた。

「……なあ、このチケットいくら?」

「シロノ選手 VS ギド選手の試合ですか? 3万8千(ジェニー)になります」

 単なる試合や選手のデータ以上の評判や噂も教えてくれる受付は、この試合は明日の朝一番に予定されている、現在一番人気のヒソカ VS カストロ戦の前座のような扱いである、と言った。

「シロノ選手はは200階に来てからまだ一度しか試合をしていませんからね。そんな選手と中堅どころのギド選手との試合なら本当はもう少し安いんですけれど、シロノ選手は少し特別で」

「ああ、噛み付くってやつ?」

 実はあの後、キルアは録画ビデオで、シロノの過去の試合をいくつか観た。噂通り、高いレベルで格闘が出来るにもかかわらず、結局は相手に噛み付いたり飛びかかったりという、泥試合、いや動物的な試合の流れになっていく様は、結局は勝っていても、はっきり言って無様だった。

 キルアは最初普通に引いたが、しかし、いくつかの試合を見るうち、ふと気付いたことがあった。シロノは普通に戦えばそれなりに強い、これは間違いない。そしてその強さを、シロノはあくまで相手に噛み付く為にやっているのではないか、というのがキルアの見解だった。相手にいかに噛み付くか、その為に熟練されたステップで相手の背後に回り込み、引き倒す。普通に戦えば楽に勝てる相手でも、噛み付く為に機会をうかがっているうちにポイントをとられて負ける、ということも少なくないようだった。

 

 ──シロノは、相手に勝つのではなく、噛み付くのを目的に戦っている。

 

(意味わかんねーけど)

 でも確かだ、とキルアは確信していた。

「そう。小さい女の子が噛み付いて戦う泥試合っていうんで、一部の妙なマニアに人気なんですよね。結構かわいい子ですし」

「……あ、そー」

 世の中には色んなマニアがいるものだ、とキルアは半目で生温い笑みを浮かべる。

「購入なさいますか? すぐ始まりますけど」

 受付が尋ねる。キルアはしばらく無言で対戦表を眺めていたが、やがてぼそりと言った。

「……うん、ちょーだい」

 

 

 

 当日券であるにもかかわらず簡単に取れたそのチケットで、キルアは観客席に腰掛けた。見回すと、席はだいたい埋まっているが、200階クラスの試合であれば皆そうだ。

 

《さあっ、今夜は先日ゴン選手を破ったギド選手と、唯一の女性選手っ、しかも10歳という最年少選手であるシロノ選手の試合です!》

 

 威勢のいい実況アナウンスが響き、中央の闘技場に、紹介された二人が両側から登場した。

《ギド選手は現在5勝1敗、対するシロノ選手は200階ではまだ一戦しか行なっていませんが、対戦相手の◯◯選手は未だ入院中、再起不能との噂! またこの試合を含め、対戦相手に噛み付くなど、かなりワイルドな戦い方が注目されているシロノ選手ですが……。今日の服装はとてもそんな戦い方をするようには見えませんね?》

 実況の言う通り、今日のシロノの服装は、短いボレロに大きなリボンタイが印象的な、女の子らしいものだった。足下は黒のハイソックスと、ボレロと同じ白色の、先が丸く膨らんだようなデザインの、ストラップつきのパンプス。そして何より、プリーツスカートを履いていた。マチブランド・コレクションの中でも滅多に着ない、“パクノダモデル”である。

《あんな格好でいつもの戦い方をするのはあまりよくないんじゃないでしょーか、えー、観客席のマニアの皆さん、写真撮影は控えめにお願いしまーす》

 ガシャガシャと長いカメラを更に長くしている“マニア”な何人かに、実況が冷ややかなアナウンスを行なった。

 

「……んもー、なんかハズカシーなー」

「ククク」

 実況と観客のやり取りに、シロノはぷっと頬を膨らませる。対するギドは短く喉で笑うと、持っている杖を一度カツンと鳴らした。

「安心しな、お嬢ちゃん。俺に噛み付くどころか近寄ることも出来やしないさ。せいぜい行儀よくしてるんだな」

「む、言われなくてもそうするよ」

 膨れっ面のままシロノがギドに向き直ると、審判がさっと両腕を上げた。

 

『──始め!』

 

 その声と同時に、カン! と固い音がする。ギドが独楽を杖の上に並べ、臨戦態勢になったのだ。

「行くぞ!」

 そしてかけ声とともに、凄まじい回転がかかった十個の独楽が、舞台に広がる。

「はは、どうした!? 怖くて動けんか」

 突っ立ったままじっと動かないシロノに、ギドが高笑いする。そしてその時、ガツン! と独楽と独楽がぶつかり、一直線にシロノの正面に向かって行く。

「バカ、避けっ……!」

 キルアが思わず席を立つ。しかしシロノは動こうというモーションを全く見せなかった。ゴンの二の舞になる、とキルアが冷や汗を浮き上がらせたその時、シロノの唇が僅かに吊り上がったのを、彼は見た。

「……いただきます」

 

 ──カンッ。

 

「……え?」

 コロコロと、床に転がる独楽。ギドがその光景に、信じられない、というような、ひっくり返った声を出す。

「ん~~~、まずくはないけど、いまいち……」

 そう呟いて、ぺろり、とシロノは唇を舐めた。

「な……どういうことだ!?」

 シロノは、向かって来た独楽に向かって、フワリと腕を振った、それだけに見えた。しかしそれだけで、独楽は()()()()()()()()()()、まるっきり普通の独楽に戻ってしまい、コロコロと床を転がって動かなくなった。

「くっ……! ……何をしたァ!?」

 ギドが叫び、更に独楽を増やす。数が増えたことでぶつかり合う回数も増えた独楽は、数個がいっぺんにシロノ目がけて飛んでゆく。だがやはり、シロノは全く動じない。

「質より量、ってトコかな。……まあいいや」

 ふわり、と、シロノは右腕を振り上げた。

 

 ──それから、およそ10分。

 

 向かって来る独楽の周囲の空気を撫でるような動き、キルアにはそんな風に見えた。

「え~、もうお終い? お代わりは?」

「ふ、ふざけやがって……!」

 独楽をシロノに落とされてはギドが増やし、落とされては増やし。何度かそれを繰り返したが、独楽という物理的なものの数には限りがある。手持ちの独楽が出尽くしてしまったギドは、悔しげに呻いた。

 生き物のように動いていた沢山の独楽が虚しく床に散らばる様は、まるで蝉の死骸が沢山転がっている様にも似ている。

 

《──ど、》

 開始十分でギドの独楽が出尽くすというあまりの急展開に呆気にとられていた観客たちだったが、実況アナウンスが声を出したのがスイッチだったように、凄まじい歓声が沸き起こった。

《ど────したことでしょーかっ! ギド選手の独楽が全てフツーの独楽に戻ってしまいましたあっ、シロノ選手、何をしたあ────ッ!?》

(くそっ、全然わかんねえ……!)

 喚く実況と凄まじい歓声を聞きつつ、キルアも眉を顰める。シロノは、独楽の近くまでするりと手先を伸ばすだけで、独楽本体に触れてすらいない。しかしシロノの手先に独楽がすれ違った途端、独楽はオーラを失い、床に墜落していくのである。

 

「ね、疲れた?」

 コテン、とシロノが首を傾げた。

「50、んん、60コはあったもんね。もうあんまりオーラ残ってない?」

「……舐めるなァッ!」

 ギュン! と風を切る音を立てて、ギド自身が大きな独楽のように回転を始める。

《おお────ッとギド選手、出ました必殺奥義・竜巻独楽! 攻防一体のこの技に攻撃は効きませんっ、あらゆる攻撃はその回転に弾き飛ばされること確実、今までも幾人もの選手がその犠牲になってきましたっ! ……えー》

 コホン、と、実況が気を取り直す。

《この技を発動したギド選手に突っ込んでいくのは、まさに自殺行為と言えましょう! さあどうするシロノ選手っ、どうやって攻撃をしかけるのかっ、……ていうかスイマセン動いて下さーい! テレビ的なとこ考えて──ッ!》

 ギュンギュンと回り続けるギドに対してただ突っ立っているだけのシロノに、実況が痺れを切らして突っ込みを入れる。

「……ねー、攻撃して来ないの?」

「うっ、うるさいっ! この技は攻防一体の究極技なのだ!」

 つまりは相手が攻撃して来ないとどうにもならない、ということだろう。本来ならばギドにもこの状態のまま独楽を一斉に射出する『散弾独楽哀歌(ショットガンブルース)』という技があるのだが、先程独楽を出し尽くしてしまったので、それを使うことは出来なかった。

 

「……ま、いいけど。じゃこっちから行くね」

《おーっと、初めてシロノ選手から動いた──ッ!》

 タン、と床を蹴ったシロノの瞬発力は、軽やかな良い踏切だった。そして回転するギドのすぐ近くまであっという間に近付くと、ふわりと左手を振り上げる。

(……左手?)

 キルアが眉を顰める。今まで独楽の攻撃をいなしていたのは、右手だったはずだ。

「馬鹿めっ、どんな攻撃をしかけようとこの回転で跳ね返して──」

 

 ──スカッ。

 

 回転したまま意気揚々と講釈を垂れようとしたギドだったが、いつまで経っても降りて来ない衝撃に、そのまま言葉を失った。

《かっ……空振り? 空振りですか? ……あ、なんとシロノ選手空振り──ッ!》

 間の抜けた実況に、ギドも思わず無言である。ズッコケている観客が、何人か見受けられた。

 

(……何だ? 今の)

 手を振り下ろしたその瞬間、シロノの手元がキラリと光ったのを見たキルアは、その正体が何なのか見極めようと目を細める。しかし手の半分近くを覆うひらひらしたレースの袖に隠れて、それはあっという間に見えなくなってしまっていた。

「空振りじゃないよ」

 綺麗に着地を果たしたシロノが、静かな声で言う。そしてそのまま、左手を持ち上げた。レースの袖が重力に伴ってめくれ上がり、その手に持っているものの姿が露になる。

「じゃーん」

「……フォーク?」

 間抜けな口頭での効果音とともに現れた意外な道具に、キルアは思わず実際に声を出して呟く。意外に思ったのは全員が同じだったようで、フォーク、ただのフォークだよな、と訝しげにざわめいている。

 シロノが持っていたのは、金色をした、どこか高価そうではあるが、何の変哲もないフォークだった。切っ先が四つに別れた、本当に普通のフォークである。

 

「くるくるくるくる」

 そしてシロノはそう言いながら、手に持ったフォークを、空気をかき混ぜるような動きでくるくる回す。「魔女っ子っぽい……」というどこかから聞こえた呟きとともに、いくつかのシャッター音が聞こえた。……世の中には色々なマニアが存在する。

「くるくるくるくるくるくる」

「ぐっ……!?」

 わけのわからないシロノの行動にしばらく呆気にとられていたギドだったが、回り続けるうちに違和感に気付き、さっと青ざめた。

(なん、だ……これは……!)

 ぐらぁ、とギドの視界が揺らぐ。

(毒か……!? いやあのフォークは俺の身体に触れていない……!)

《どうしたことでしょうか!? ギド選手の回転が遅くなってきました!》

 素人目から見ても明らかな異変に、実況が思わず席を立って叫ぶ。

「くるくるくるくる、くるくるくる」

 シロノは既に、ギドを見ていなかった。薄い灰色の目は、自分でくるくると回し続けているフォークの先をじっと見つめている。

(なん……これ……は……)

 ギドの回転の軸が、大きく崩れた。

 ドシャアッ、と、一本足の義足を持つ身体が床に倒れ込む。素早く審判が駆け寄って側に屈み込み、ギドの様子を窺う。「立てるか!?」と審判が尋ねるが、ギドはひゅうひゅうとかすれた息を出すだけで、返事すら出来ないような状態だ。

 

『──ギド選手、試合続行不可能! 勝者! シロノ選手!』

 

 審判が宣言し、ワァッ、と歓声が起きる。

 シロノはいつの間にか回すのをやめたフォークを眺めると、ふいに口を開け、フォークをぱくりとくわえた。そして僅かに笑みを浮かべると、既に意識が朦朧としているギドを見る。

「──ごちそうさまでしたっ!」

 

 

 

《なんと、今までのワイルド極まる戦い方とは一転! シロノ選手、ミステリアスなほどに優雅な戦いです! いえそれ以前に何をしたのか全くわかりませーん!》

「やあ、シロノ♥」

「あ、ヒーちゃん」

 あっという間に終わってしまった摩訶不思議な試合に会場はまだざわざわとしていたが、さっさとそこを後にしたシロノの前に、にこにこと微笑む奇術師が現れた。

「順調に能力を使いこなしてるみたいだね♦」

「あー、んー、ぼちぼちねー」

「おや、……モノ足りなさそうだね?」

 シロノの様子を見て、ヒソカが笑みを深くしながら言った。

 

「だってえ、すぐ終わっちゃったんだもん。別に大して美味しくもなかったし、これじゃまるでファストフードだよ」

 いや、ファストフードならまだ質より量という感じでお腹いっぱいになるまで食べられるだけマシだ、とシロノはぶつくさ文句を言った。

「中途半端に食べると余計におなか空くでしょ? あれがイヤ」

「わかるわかる♣ 中途半端に戦ると余計に疼いて始末に負えない♠」

「だよねー、そんでどーでもいいスナックみたいなやつ大量に食べちゃって結局なんか微妙な感じになるだけなんだよ。やんなっちゃう」

 端から聞けばちぐはぐにも聞こえる会話だが、二人の間では、それは深い同意を伴った、ツーカーとも言えるやりとりだった。

 

「まあ、おなかの足しになっただけいいかな」

「あんまりジャンクフードばっかり食べてると、舌が鈍るよ♦」

「ヒーちゃんは基本的に高級志向だもんね」

 同じ価値観を持つ二人だが、決定的に違う所もある。シロノはオーラを食べて栄養として摂取という“食事”のスタンスなので、“質より量”というやり方も有効だが、ヒソカの場合はいわば嗜好品類の中毒による禁断症状といったほうが適切で、“質より量”もないよりはマシだが、できれば僅かであっても純度の高いものを摂取したい、という欲求がある。とはいっても、摂取しなければ耐えられない、という所は同じなので、違っていた所で大した差異ではない気もするが。

 

「明日、カストロさんだっけ、()()()()()()()()といいね」

「……そうだね♠」

 シロノの気遣いの言葉に、ヒソカは静かに返事をする。シロノは不思議そうに首を傾げた。

「……ヒーちゃん?」

 

 

 

 

 

 

 その後、小腹を満たす為にいつもの闇討ちにでも行こうかと思っていたシロノだったが、どうしてもヒソカの様子が気にかかり、その予定を取りやめた。

 

 カストロは、この天空闘技場において、ヒソカから唯一ダウンを奪った男だ。だが天空闘技場で真剣に戦っているという時点で程度は知れているので、おそらく彼はヒソカの“青い果実”、そうでなくてもそれに近い存在なのだろう。

 そんなカストロといよいよ戦えるとあれば、ヒソカはもっと嬉しがるはずだ。しかしヒソカは、ただ静かにそうだね、と言っただけだった。シロノだからこそわかることだが、あれは明らかにおかしい。

 しかし、悶々とそんな事を考えているうちにとうとう夜が明けてしまい、そろそろ寝ようかな、とシロノはエレベーターに乗り込もうとした。

 

「──シロノ!」

 だが扉が開いたその時、真っ正面に現れたのは、シロノと同じような白い銀髪を持つ少年だった。

「あ、キルア。……おはよ」

 完全に昼夜が逆転した生活を送るシロノにはあまり馴染みのない挨拶、それなりに朗らかにしたつもりだったが、しかしそれに反して、キルアの表情は険しかった。

「お前、あれどーやったんだよ」

「あれって?」

「……昨日の試合だよ!」

「うっ」

 急いた様子で、キルアが険しい声を飛ばす。興奮しているらしく、シロノが小さく呻いたことには気付かなかった。

「なあ、あれ念にしたって全然──」

「ちょ、やめてキルアヨダレ出そう」

「……はあ?」

 口元を押さえ、キルアがそれ以上詰め寄ってくるのを制したシロノに、キルアはわけがわからず眉を顰める。

 しかしシロノにとって今の状況は、夜中に最高潮に小腹が空いている時に、ものすごく美味しそうな高カロリー料理を目の前にドンと出されたような状況に近い。しかもその料理は、絶対に食べてはいけないという指示がついているときた。

 

「本気で辛いんだけど……なにこの拷問……」

「何の話だよ」

 もちろんだが意味が分かっていないキルアは、訝しげに眉をひそめる。しかしふと思い立ったというように表情を変えると、言った。

「ってか、お前ここにいるってことはヒソカの試合観に来たのか?」

「へ?」

 キルアの問いに、シロノはきょとんとした。だが昨日の夜からずっと起きているということを知らなければ、この盛況である、当然このメインイベントを観に来たと思われるだろう。

「いや、あたしチケットないし……」

「ああ、人気だったからな。優先チケットでもギリギリだったみたいだし──あ、そうだ」

 ポン、と手を叩いたキルアに、シロノは首を傾げる。

「オレ、ゴンが行けなくなったチケット持ってんだよ。これ買わねえ?」

「え」

「今から転売すんのもめんどくせーしさ、かといって捨てるのも癪だし。だって15万だぜ!?」

 安くしとくからさ、とダフ屋のようなことを言うキルアに、シロノは迷った。

 

 アンデッドになってからというもの、シロノは極力ヒソカが戦闘をしている時に近寄らないようにしていた。ああして“円”を広げられるだけでも匂いで悶絶するというのに、近距離で全力の“練”でもされようものなら気絶もしかねないからだ。

 しかし試合を見に行くということは、その危険をあえて被る、ということである。

「う~ん……」

 シロノは悩んだ。観戦自体は、得意の“絶”を使えばチケットなしで観客席に忍び込むことなど造作もないことなので、別にどうとでもなる。問題はヒソカのオーラだ。とにかく、ヒソカのオーラの()()においを延々嗅ぐというのは、かなり遠慮したい。だが、昨夜のヒソカの様子も気にかかる。

 そしてシロノは、ちらりとキルアを見上げた。平均よりも背の低いシロノにとって、キルアもまたやや見上げなければいけないくらいの背丈の持ち主なのだ。

 

「……何だよ」

 上目遣いでじっと自分を見て来るシロノに、キルアは居心地悪そうにたじろいだ。

 相変わらず、シロノの鼻には、キルアのオーラの素晴らしい芳香がひっきりなしに届いている。今だって、うつむきつつも、何度も唾を飲みこんでいるのだ。

 そしてシロノは、腹を決めた。

「……うん、キルアとなら平気かも」

「は? 何が」

「ぶっ倒れたら介抱してね! じゃ、行こ!」

 シロノはキルアの腕を掴むと、試合一時間前だというのにかなりの人だかりになっている闘技場へ向かって、ずんずんと足を進めた。

 よくわからない行動の果てにいきなり腕を取られたキルアは目を白黒させたが、すぐに我に返ると、シロノに引っ張られない歩幅を保つ。

 ……だが腕を掴む手を振り払うタイミングは、とうとう席に着くまで掴めなかった。

 

 

 

 



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No.032/最後の晩餐に向けて

 

 

 

(な~~~~んか……イマイチ)

 これが、カストロに対するシロノの感想だった。

 試合が始まるまでの間、キルアはカストロの部屋に忍び込んだときの話をしてくれた。聞く分には相当の使い手であるようだし、キルアもそう思っているらしい。念に関して初心者なキルアの評価ではあるが、プロの暗殺者としての経験は大きいし、実際、シロノにもカストロの能力は想像もつかない。

 

『クリーンヒット! &ダウン!』

 

《なんとなんと開けてビックリ、カストロ選手の一方的な攻めが続きます! ポイントはこれで4-0!》

 そして、本気を出していないとはいえ、こうしてヒソカを圧倒してもいる。

 しかしシロノには、彼が“青い果実”足る人材であるようには、どうしても思えないのだった。

(……っていうか、“青い果実”っていうよりは…… “青くなくなっちゃった果実”? みたいな)

 シロノは、攻撃を受けるままのヒソカを、じっと観察した。今の彼には、覇気がない──どこか気が抜けているような、そんな風に見えた。攻撃を受けながらカストロの能力を吟味しているようにも見えるのだが、本当にそうならば、もっと楽しそうにしているはずだ。だが──

 

「……ヒーちゃん、つまんなさそう」

「なんか言ったか?」

 

 ぼそりと呟いたシロノに隣のキルアが振り向くが、シロノはふるふると小さく首を振って、何でもない、と静かに返した。

 そしてそんなローテンションなヒソカに対し、カストロはややうざったいほどにやる気満々だ。彼は得意技であるらしい虎咬拳という拳法の構えを取ると、裂帛の気合とともに、一直線にヒソカに向かってゆく。

「あげるよ♥」

 すい、と左腕を無防備に前に出したヒソカに、闘技場中が目を剥く。しかしシロノは、彼の薄い表情を見て、ヒソカが少し気の毒になった。

「フン、余裕かそれとも罠のつもりか!? ──どちらにしても腕はもらった!」

 なんかいちいちカンに触る人だな、とシロノは冷めた目でカストロを見た。無駄に迸るやる気が鬱陶しいのもあるが、シロノの個人的な好みとして、あのひらひらした服や髪も視覚的に気に入らない。そしてヒソカもまた、まったく温度のない目で、自分の腕をもぎ取らんとしているカストロをすっと見遣っていた。

 ボン! と音がして、ヒソカの右腕が千切れ飛ぶ。

「全てが自分の思い通りになると思ったら大間違いだ」

 カストロがヒソカの背後でそう言ったのを“凝”を行なった耳で聞き届けたシロノは、とてもイライラした。ヒソカは、そんなことは思っていない。むしろ自分の予想外のものを求めているのに、あの男は何をトンチンカンなことを言っているのだろう。

 

「これも計算のうちだね♣」

 その証拠に、ヒソカの表情はとても冷めている。

 そして自分の腕を受け止めたヒソカは、カストロの能力の正体が『ダブル』であることを淡々と説明した。その間、彼の抱いていたものがどんどん萎んでいくのが、シロノにはわかる。それは“期待”だ。

 

「これが念によって完成した真の虎咬拳、名付けて虎咬真拳!」

《お────っとカストロ選手、そのままのネーミングだ────!》

 イラッ、とシロノの眉間に皺が寄った。あの男はなぜあんなにもテンションが高いのだろうか、人の気も知らないで。

「空気読め……」

 次は左腕を頂く、とやけにきりりとした表情で宣言するカストロを忌々しげに睨みつけたシロノは、妙に低い声で呟いた。

「うーん、そうだな────♦」

 千切れた自分の右腕を左手でくるくる回したヒソカは、この試合が始まってからほとんど初めて、はっきりと唇を釣り上げた。

 

「うっ」

「お、おい、シロノ!?」

 突然ぐらりとよろけてキルアに縋り付くようになったシロノに、キルアがぎょっとする。二人の両隣に座っていた観客は、刺激の強すぎる試合に貧血でも起こした少女が少年に縋り付いた、という風に見えているようだが、実際はそうではない。シロノの鼻に、ぶわ、と突如広がったヒソカのオーラが届いたせいだ。

「……うう、思ってたよりキツい」

「大丈夫かよ? って、え、おい……」

(ふわああああ、いい匂い)

 シロノはキルアの肩口に額を乗せ、鼻から思い切り息を吸い込んだ。素晴らしい香りが、一気に鼻腔に飛び込んで来る。そしてまさか芳香剤代わりにされているとは露知らぬキルアの顔は僅かに赤く、自分の腕を両手で掴んで自分の肩口付近で大きく息をするシロノを、困ったように見遣っていた。

「ちょっとやる気出て来たかな……?」

 ──嘘だ。

 キルアにもたれかかったままのシロノは、はっきりとそう思った。自分の腕の肉を噛み締めるヒソカが抱いているのは、やる気でもなければ、まして喜びでもない。

 

 彼はいま、失望したのだ。

 

 

 

 それからの試合の流れは、ヒソカの独壇場だった。

(バカじゃないのあの人)

 キルアを臭気のガードにしつつ観戦を続けるシロノは、既に眉間の皺がここ数分消えていない。『ダブル』を出すことに全力をかまけてしまっているカストロは、どうやら“凝”もろくろく行なっておらず、そのせいで彼はヒソカのトリックにするすると乗せられ、今は激しい動揺に汗を滲ませている。

「くっくっく、どうした? こわいのかな」

 後ずさったカストロに向かって、ヒソカは冷めた声で言った。カストロはヒソカのトリックを、まったくもって見破れていない。だが逆にヒソカは、カストロの能力を既に完全に見切ってしまっている。二人のその差異は、既に滑稽なほど。タネのばれてしまった手品はつまらないだけでなく、見ていてなんだか虚しいものだ。

「非常に残念だ♠ キミは才能にあふれた使い手になる……そう思ったからこそ生かしておいたのに」

 そして観客でさえそうなのだから、奇術を扱う者から見れば、それは既に腹立たしくさえ思えるものだろう。それはいま舞台に立っている希代の奇術師もまた、例外ではない。ヒソカは表情を険しいものにして、言った。

「予知しよう、キミは踊り狂って死ぬ♠」

 ヒソカがいま抱くのは、失望と、怒りだ。それは、期待をかけていたせっかくの“青い果実”が、間違った育て方をしたせいで、中身がスカスカのつまらないものになってしまっていた、その虚しさからくるもの。そしてそれは、カストロが焦り、熱くなればなるほど深まってゆく。

 

「そんなことも、知らなかったのか……♠」

 

 振り向いたヒソカの目が、ぎらりと輝いている。しかしそれは“凝”のせいだけではない。その目には、情けなく地に落ちて腐ってしまった果実に対する蔑みが、深く宿っていた。

 

 

 

「……おい、なあ、大丈夫か」

 試合が終わったあと、ぐったりともたれかかって来るシロノに、キルアは声をかける。

「あー、んー、……ヘーキ。ありがとねキルア」

「ん、おう」

 シロノはキルアから離れると、ぷるぷると頭を振った。そして大きく息を吐く。

 

 あの後、カストロはヒソカの予知通りに彼のトリックに()()()()()まま、地に伏した。ヒソカはぐしゃりと地に落ちた“果実”に背を向けると、自分の腕を拾い上げてさっさと退場して行ってしまい、既に舞台には居ない。

 

「……あたし、ヒーちゃんとこ行って来る」

「え?」

「腕ちぎれてるのはホントだろうし、治さなきゃ」

「って……」

 キルアは目を見開く。いかにも自分がヒソカの腕をどうにか出来る、と言わんばかりのシロノの言葉に、そんな事まで出来るのか、と彼はシロノを問いつめようとした。しかしシロノはさっさと立ち上がって、踵を返す。

「じゃあね! チケットのお金、あとで届けるからー!」

「おい、待てって……!」

 キルアの制止も虚しく、そう言い残して、シロノはあっという間に駆けて行く。スカートを翻して遠のいていく後ろ姿を、キルアは呆然と見つめた。

 

 

 

「あれ?」

 選手控え室に居ないのならば彼の部屋だ、とシロノはヒソカの部屋に向かった。そしてそこに至までの廊下で彼の姿を見つけたのであるが、その隣には、見知った小柄な影がある。

「──マチ姉!」

「ああ、シロノ。久しぶりだね」

 相変わらずクールな彼女は、振り返り、素っ気なく言った。

 

「なあんだ、マチ姉来てたんだ。じゃああたしが治さなくてもいいね」

「こら、タダでそういうことするんじゃないよ。しかもコイツ相手に」

「ひどいなア♠」

 諭すようなマチに、ヒソカは小首を傾げつつ言った。その顔には、笑みが浮かんでいる。お馴染みのピエロ的な笑みだが、先程の試合で見せた無表情に比べれば、断然温度のある表情だ。

 

「前から思ってたんだけど、今日の試合見ててハッキリしたよ。あんたバカでしょ」

 部屋に入って、“仮止め”状態だった右腕を外したヒソカを椅子に座らせるなり、マチは言った。

「わざわざこんなムチャな戦いかたしてさ。あれって何? パフォーマンスのつもりなの?」

「違うよ、マチ姉。あのね、ヒーちゃんはね」

「アンタは黙ってな」

 ぴしりと言われ、シロノは仕方なく黙った。

 だが、シロノにはわかっていた。あれはパフォーマンスなどではない。彼はあくまで自分が楽しむ為に戦っているのであって、観客を楽しませる為のサービスなどするはずがない。彼はただ、まずい果実をどうにかして多少でも美味しく食べようとした、それだけだ。失敗した料理に様々な調味料をふって、味を誤摩化して食べるときのように。

 それにしては両腕とこの怪我は大盤振る舞い過ぎるような気がするが、彼は美味しい思いをする為であれば、一切妥協をしない男だ。シロノはそのあたり、いっそ尊敬すらする。

「ま、あたしはもうかるからいいんだけど」

 マチはそう言って、素晴らしい手際でヒソカの両腕を念糸で縫い繋ぐ。ヒソカが具合を確かめるように指先を動かした。

「おお~~~~~~」

「いつ見てもほれぼれするねェ♥」

 見事に元通りくっついた腕に、シロノとヒソカが感嘆の声を上げる。

「間近でキミの念糸縫合を見たいがために、ボクはわざとケガをするのかも♥」

 あ、これは本当かも、とシロノは思う。先程の試合とは打って変わってすっかり笑顔を浮かべているあたり、もしかすると、まずい食事の“口直し”的な意味でマチを呼ぶためにわざと大ケガをした、という可能性は、考えられなくもない。

 

「いーから左手2千万右手5千万払いな。ところどころちぎれてるけど、自分で後は処置してね」

 アンタのバンジーガムとドッキリテクスチャー使えばなんとかなるでしょ、というマチの言葉通り、ヒソカはハンカチを取り出すと、あっという間に腕の傷をカモフラージュした。

 ──速い。

 マチもヒソカも、相当の使い手である。一流だ、と言い換えてもいい。そして一流は一流を求めるもので、“高級志向”のヒソカは特にそうだ。彼は常に自分の肥えた口に合うものを求めて彷徨い、おそらくそうなるかもしれない青い果実までチェックする熱心ぶりだ。……しかし今回、彼のその最大の楽しみは裏切られてしまった。

 

「ガッカリだったね、ヒーちゃん」

 

 シロノが、突然言った。マチは何のことだか全く分かっていない様子だが、その言葉を聞いた途端、ヒソカがぴくりと反応した。

「ガッカリ……。ああ、ガッカリ、ね。うん、まさに。ピッタリの表現だよシロノ」

「ねー」

 ふー、とため息をつきながら言うヒソカに、シロノは頷きながら相槌を打つ。

「てか、強化系だよねあの人? あの虎咬拳っていうやつ普通に極めればいいのに、そこで何であの能力? いみわかんない」

「そうなんだよねェ…… 違う念系統をあそこまで出来る才能があるってわかるだけに」

「“なんでそこでそっち行くかな!” みたいな」

「そう。それ♠」

 ビンゴ! とでも言わんばかりに、ピタリ、とヒソカがシロノを指差した。

 

 その後もまだ何やら語り合っている二人を見て、マチは何か既視感を覚えた。この光景は、どこかで見たことがある。そう、例えば夕方の電車の中などで。

(……ハズレゲーム掴まされた中学生みたいだな……)

 予約までして楽しみにしていたあのゲームの新作なんだけど、余計な新システムばっかりついててさ、どうにかこうにか楽しもうと努力はしたんだけどやっぱりつまんないからむかついて、結局ゲームソフト叩き壊しちゃったんだよね、ああ、わかるわかる、ボクでもそうするよ、あんなつまんない続編作るなんて、制作者は何もわかってないよね。──二人の会話は、要約するとつまりそんな感じであるように思えた。

 

「……盛り上がってるとこ悪いけど。じゃあ、あたしは戻るわ」

「もう?」

「マチ姉帰っちゃうの?」

 揃って同じ方向に首を傾げる二人に、マチは「仕事終わったんだから当然でしょ」、とクールに言い切る。しかし、念糸の強度には限界があるから完全にくっつくまで無茶をするななど忠告も忘れないあたり、彼女の性格だろう。

「あ! そーだ、肝心の用事」

 忘れてた、という感じで、マチが振り向いた。

 

「伝令メッセージの変更よ」

 

 その台詞に、二人がぴたりと動きを止める。

「8月30日正午までに、“ひまな奴”改め、“全団員必ず”ヨークシンシティに集合!」

「あたしも?」

「当たり前だろ。遅刻したら承知しないよ」

「あいー」

「……団長もくるのかい?」

 シロノと違ってマチのほうを見ないまま、ヒソカが言った。

「おそらくね。今までで一番大きな仕事になるんじゃない? 今度黙ってすっぽかしたら団長自ら制裁にのりだすかもよ」

「それは怖い♥」

「こわあー」

「ひとごとみたいに言ってんじゃないよシロノ」

 マチが、じろりとシロノを睨む。

「その時までに能力を使いこなせてなかったら、今度は読書感想文どころのもんじゃないよ」

「大丈夫だもん。ねーヒーちゃん」

「そうだねえ、今の感じだとかなり順調なんじゃないかな? ヨークシンに行く頃には万全になってると思うよ♣」

「ほらね」

「……それならいいけど」

 ため息をつきつつ、マチは肩の荷物を担ぎなおした。

「ああ、ところでどうだい? 今夜♥ 一緒に食事でも……」

 

 ──バタン。

 

 ヒソカがくるりと振り向いた時には、既にマチは部屋に居なかった。シン、とした静寂だけが、部屋に横たわっている。

「……残念♥」

「ガッカリだったね、ヒーちゃん」

 

 

 

 

 

 

 その後。

 試合の汚れを落とすため、ヒソカはシャワーを浴びにバスルームに入った。服を籠の中に放り込み、コックをひねる。熱めの湯が、無駄のない筋肉の上でばちばちと弾ける音を立てて落ちた。

 汚れが全て落ちきると、息をついて、湯を止める。

 

「──ん、」

 髪を拭きながらバスルームを出たヒソカは、姿見の前で足を止めた。

「あ、またはがし忘れた♠」

 細身だが、何も着ていないと尚広く見える背中。その全面に這うのは、4番の数字が刻まれた、12本足の蜘蛛。しかしヒソカはその背中に手を遣ると、あっという間にそれをぺりぺりと剥がしてしまう。そして彼の手に残るのは、ただの真っ白なハンカチ。

()()か……。新しいオモチャも見つけたし」

 

 そろそろ、狩るか。

 

 ヒソカがそうして薄く笑みを浮かべた、その時。コンコン、とノック音が部屋に響いた。音がドアのやけに低い部分からしたことで来客が誰なのかすぐにわかったヒソカは、すっとそちらに身体を向ける。

 

「どうしたんだい、シロノ?」

「あのねー、マチ姉ね、あたしも一緒だったらヒーちゃんとゴハン食べてもいいって」

 それでね、マチ姉は和食が好きだからね? とシロノは首を傾げる。つまり三番街に行く、という意味だ。そこには、この町一番の和食料亭がある。子供の修行に付き合ったヒソカは、それをよく知っている。

 共に過ごすうちに、この子供とのやり取りにどんどん言葉が要らなくなっていることを、ヒソカは深く実感していた。生まれて初めて出会った、殆ど同じ価値観を持つ存在。

 

「元気出してね、ヒーちゃん」

「……キミは良い子だねえ、子蜘蛛ちゃん♥」

 

 にこり、とヒソカは笑みを浮かべた。子供からは見えないその背中には、蜘蛛は居ない。

 ヒソカは、自分以外の誰にも属さない。それが例え、どんなに気の合う者であっても。

 同じ価値観で話せる同士が居るのは、悪くない。ヒソカはシロノと居ることでそれについては認めていたが、しかし、この子供のために身を尽くしてやろうという気などない。

 気が合うというのは、それぞれのやっていることに理解を示せるということ。だが、それに力を貸してやろうと思うかどうかは、また別の話。しかもヒソカは気まぐれな変化系だ。

 同じテーブルに着いて楽しく話が出来る相手でも、自分の皿の上の果実にまで手を伸ばしてくるような無粋な真似をするようならば、ヒソカは椅子から同席者を蹴り落とすのに躊躇いはなかった。

 

「……平気さ、青い果実はひとつじゃない♥」

「おお、前向きだねヒーちゃん」

「もちろん♥ 明日にはもうカストロの顔も忘れてるね」

「うん、そうだろうね」

 だってあたしのことも忘れてたもんね、とシロノは特に感慨もなく、けろりと言った。

 

 ──お互いを深く理解している。だが、それだけ。

 それがこの子供もおそらくそうだということを今の台詞で確信したヒソカは、また笑みを深くする。

()()()()()()()まで気が合うとはね)

 ならば。

 どちらかが席を立って、別のテーブルに移動することはあるだろう。しかし自分が椅子を蹴り飛ばす必要は多分なさそうだ、とヒソカはにっこり微笑んだ。

 

「ところでシロノ、部屋に入った時男がこういう格好をしてたら、なにかリアクションを取るものだよ♦ ちょっと悲鳴を上げるとかね」

「そうなの? それも“様式美”?」

「そうそう♥」

「そっか。今度から気をつけるよ」

 子供が素直に頷くと、ヒソカは背中を見せないようにして、器用に服を着た。

 

 ──とりあえず今は、同じテーブルに着くために。

 

 

 

 



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No.033/食えない人

 

 

「腕上げて」

 ヒソカとのランチのあとすぐ帰るのかと思われたマチだったが、彼女はシロノの部屋まで着いて来て、そして中に入るなりそう言った。

「え、合ってない?」

「ああ。袖が短くなってる」

 さすがは専属、というところだろうか。マチはいつもシロノの服が身体に合わなくなっているのを目敏く見つけ、こうして直してくれるのだった。

 シロノが素直に腕を上げると、マチは糸を使って長さを測ってから、シロノのボレロとブラウスを脱がせる。

 

「ふわ~」

「何」

「マチ姉、いいにおいする」

「……ほんとに、どんな匂いなんだかねえ」

 マチは僅かに苦笑するが、こればかりは実感することは出来ない。彼女が手早く袖の折り返しを解いていくのを、シロノはキャミソールとスカート姿で眺めた。

「ねえねえ、あとでちょっとオーラちょうだい」

「やめときな。また酔っぱらう」

「ちょっとぐらいならもう平気だもん!」

 シロノは尚もねだる。

「だってねえ、変化系は匂いが強いからね、側にいるとどうしてもおなかがすくんだよ」

「じゃあヒソカにでも貰えば」

「絶対やだ!」

 大声を出したシロノに、マチは驚いて目を丸くする。

 

「ヒーちゃんのオーラ食べるぐらいだったら絶食する!」

「……なんで? そりゃあんなののオーラ食うのは正直どうかと思うけど、変化系だし、レベルも高いだろ?」

 それに、ヒソカとシロノは仲がいいはずだ。さっきの食事中もやたら二人で仲良く話していたし、そこまで嫌がる理由が見当たらない。そんな風なことを尋ねると、シロノはものすごく気まずそうな顔をして、伺うようにマチを見た。

「……ヒーちゃんに言わない?」

「言うわけないだろ」

 即答だった。そしてシロノはそれもそうか、とでもいうように肩の力を抜くと、ぼそぼそと話しだした。

 

「……オーラの練度が高いほど、お酒とかみたいになってくのね」

「ああ、聞いた」

 シロノにとってオーラの練度は食品でいう発酵の度合いに相当し、だからまだ未熟なシロノはレベルの高すぎるオーラを口にすると酔っぱらったりしてしまう。実際の感覚はわからないが、シロノの様子を見ていれば想像はつく、とマチは頷いた。

「マチ姉もそうだけど、練度が高いとお酒っぽい感じになってる人は多いよ。そうなっちゃうとあたしは飲めないんだけど、ほら、お酒飲めなくても、お酒の樽はいい匂いって思うでしょ」

「実際飲むのと香りがいいのは別物ってことか」

「うん。そんでね、お酒系じゃない人もたまにいるのね。ヨーグルト系とか、チーズっぽいのとか、あとお茶とかね。メンチさんとかそれ系だったから、割とレベル高いけど、刺激少ないから沢山食べられるの。そういうオーラ見つけたら当たりって感じ。コルトピのもそれ系」

 なるほど、とマチは相槌を打ちつつ、玉結びにした糸を糸切り歯でプチンと切った。

 

「……でもヒーちゃんはさあ……」

「酒でもチーズでもないってこと?」

 こくり、とシロノは頷いた。

「発酵系の食べ物ってさあ……。ほら、あるじゃん」

「は?」

「……なんでこれが食べ物として存在してんの、みたいな……あー」

 あー、とか、うー、とか言葉を探して呻きながら、シロノは言った。

「行っちゃいけない方に発酵してるっていうか……」

「はっきり言いなよ」

 歯切れの悪いシロノに業を煮やしたマチが、ぴしりと言う。するとシロノはとても言い辛そうに、うー、と一度呻くと、数秒の後、言った。

 

「………………………………シュールストレミング、とか」

 

 シン、と部屋が静まり返った。

「……くさやとか」

「あー……」

「臭豆腐とか」

「よくわかった」

 そしてものすごく納得した、とマチは真顔で頷いた。

 

「なるほどね。そりゃ食べたくないわ」

 シュールストレミングというのは、塩漬けにしたニシンを缶の中で発酵させた漬物の一種であるのだが、その強烈な臭いから、「世界一臭い缶詰」などと呼称されることもある食品である。

 実は以前フィンクスがカードの罰ゲーム用にでも、ということで面白半分に手に入れて来たことがあるのだが、内部で発生した発酵によるガスで缶自体が膨れているそれは、そのガスのせいで、開封した途端に爆発の勢いで中身と汁が炸裂した。

 そしてその凄まじい臭気はどれだけ消臭剤を撒こうが消えることはなく、なんとそのアジトの部屋一室を丸々ダメにし、さらにその部屋に居た団員たちの服、あるいは髮などにもその臭いが染み付いてしまったため、原因を作ったフィンクスはしばらく非難轟々もいいところだった。あれを開けた部屋がクロロの宝物庫か書庫であったなら、多分フィンクスは今生きてはいまい、とマチはわりと本気で思っている。

 くさやと臭豆腐はシュールストレミングほど扱いに気を使わなければならないものではないが、食べ物だとは認められない、いや認めたくない臭気を持つ食品、という点でとても有名なジャポン産の発酵食品である。

 

「高級食材だしレアでもあるんだけどね──……」

 あれを食べ物として認めることは出来ないな、と呟くシロノは、どこか遠い目をしている。

「……()()()()のは本人もオーラも一緒ってことか。つくづく厄介な野郎だ」

「別にヒーちゃんが嫌いだってわけじゃないんだよ?」

「私は嫌いだけどね。さ、できたよ。着てみな」

 直し終わったボレロとブラウスを渡すと、シロノはそれをもそもそと着る。さすがのもので、袖はぴったりの長さになっていた。

 

「……背が伸びたね、アンタ」

 くるりと回って具合を見せるシロノに、マチが呟いた。

「ほんと? ウボーぐらいおっきくなれるかなあ」

「それは無理。ていうかなるな」

「えー」

 シロノは不満そうに口を尖らせる。マチはふっと溜め息だか笑みだか判別のつかない息を漏らすと、シロノに言った。

「さ、もう寝な。そろそろ昼過ぎだ。眠いだろ?」

「うん、ねむい……」

 そもそも、ヒソカの試合が始まる前には寝ようと思っていたのである。昼夜が逆転したシロノにとって、今はまさに徹夜明けの状態だ。シロノは目を擦りながら、棺桶を開けた。

「寝る前に着替えな。……スカートが皺になるだろ」

「あーい」

「さっさとする。寝酒代わりにアタシのオーラちょっとやるから」

「ほんと?」

 やったあ、と、シロノは眠気を含んだ笑顔でふにゃりと笑った。

 

 

 

 

 

 

 そして、それから更に約一ヶ月後。

 修行を再開したゴンは第二戦目のギド戦でギドを圧倒して勝利し、更にリールベルト戦でも楽勝と言っていいレベルで勝利した。

 キルアもまた、同じくリールベルト戦では圧勝。戦闘自体はやはり念初心者の戦いなのであるが、その潜在能力とそれによる成長の速さは、目を見張るものがあった。

 

「いよいよ今日から“発”の修行に入ります」

 既にすっかり教室と化した宿の一室で、ウイングは言った。そしてホワイトボードに六性図を書き込み、オーラ系統についての講義を始め、三人の少年は真剣にそれに聞き入る。

 そして自分のオーラの系統が何なのか調べる方法として水見式を紹介したウイングは、表面張力ギリギリまで水を満たしたグラスに葉を浮かべたものを用意すると、三人にグラスに向かって“練”を行なうようにと指示した。

「さあ、これで3人のオーラがどの系統に属するかわかりましたね」

「あのー、すいませーん」

 ウイングの言葉尻を遮ってノックとともに聞こえた声に、全員がドアを振り返る。

 

「あれ、おべんきょ中? 出直した方がいい?」

「構いませんよ」

 

 ドアの隙間からひょいと顔を出したシロノに、ウイングがにこやかに言う。

「何だよシロノ」

「や、ヒーちゃんの試合のチケットのお金返そうと思ったんだけど、部屋に居なかったからさ。ならこっちかなと思って。場所はゴンから聞いてたし」

「ああ、あれか。オレもすっかり忘れてたわ」

「じゃ返さなくていい?」

「ふざけんな」

「え~、忘れてたくせに~」

 ちえっ、と舌打ちしつつ、シロノはキルアに15万(ジェニー)の入った封筒を渡した。

 

「チケットって……。もしかしてオレの分のチケット、シロノにあげたの?」

 ゴンが首を傾げた。

「おー、なんたって15万だからな。捨てるのも癪だろ?」

「それでシロノと観に行ったんだ」

「そう」

「へー。デート?」

 笑顔のままけろりと言ったゴンだったが、シン、と部屋が静まり返った。

 

「ちっ……げ────よバカ! 何言ってんだお前!」

「えーだって二人で行ったんでしょ?」

「あー言われてみれば」

「オメーはちょっと黙ってろ!」

 後ろでこれまたけろりと言ったシロノに、がっ、とキルアが怒鳴る。

「そんなに否定しなくてもいいじゃないですかキルア君。シロノさんに失礼ですよ」

「だからちげーっつってんだろが!」

 ウイングにまで口を出され、キルアは再度怒鳴った。しかし声を荒げているのは彼だけだ。

 

「しょーがないよウイングさん。キルアんち、チューしただけで結婚とか言う家だもん」

「ほほう、それはまた古風な」

「おい、どこの誰が言ってんだよそんな事!」

 キルアは怒鳴りっぱなしである。そして実際は誰もそんな事は言っていないのだが、イルミとの会話の記憶の断片を引きずり出して発言したシロノは、その辺が曖昧になっているらしい。

 そしてぎゃあぎゃあと喚き立てるキルアをのらりくらりと躱していたシロノだったが、やがて言った。

「まあ、そんなことはどうでもいいんだけど」

「よくねえよ!」

「またケーキとか作ったんだけど、食べない?」

 キルアを無視して、ひょい、と大きなバスケットを掲げて、シロノは言った。そしてその動作で生まれた風でふわりととても食欲を誘う匂いが皆の鼻に届き、少年たちが一斉にウイングを見る。期待の目を向けられたウイングは、「では食べながらにしましょうか」と苦笑しつつ言った。

 

 

 

「わー、また腕上げたねー、シロノ」

「メンチさんに扱かれてるからね」

「この間のケーキも美味しかったっす!」

 テーブルに広げられているのは、甘いケーキもあるが、昼時のこの時間に合わせ、チーズたっぷりのキッシュとよく煮込まれたシチュー、そして焼きたてのパンなどだった。

「ホントお前何しに来てんだよ。料理人になった方がいいんじゃねーの」

「だからこれもあたしにとっては念の修行だって言ってんじゃん」

 やけに突っかかって来るキルアに、シロノは取り分けたキッシュをナイフとフォークで切り分けつつ、軽く眉を顰める。

「何? キルア」

「別に」

 フォークでキッシュを食べるシロノをじっと見ていたキルアだったが、質問には答えず、そのままふいと顔を逸らした。

 そしてすっかり残さず料理を食べ終わり、皿や食器をバスケットに手分けして片付けていたときだった。

 

「ああ、水見式してたんだ。懐かしいなあ」

 

 シロノは、サイドテーブルの上に置いてある、葉っぱが浮いたグラスを見ながら言った。

「懐かしいって、シロノはもうしたことあるの?」

「うん、6歳ぐらいの時」

 あっさりと返された答えに、シロノの念経歴を全く知らなかったゴンとズシが目を見開いている。そしてシロノはふいに手を伸ばし、ちょんと指を水につけ、ぺろりと舐めた。

「あ、甘い。キルアでしょこれ」

「え……」

 彼らはまだ、誰が何系などという話すらしていない。少年たちはもちろん、いやウイングなどは熟練者であるだけに驚愕が大きいようで、完全に手が止まっていた。

 

「何でわかるの?」

「え、あ、そっか」

 興味津々にゴンに尋ねられ、しまったな、とシロノは思ったが、まあこのくらいならいいだろう、と、フォークをバスケットに丁寧に仕舞いながら言った。

「んー、なんとなく?」

「……じゃ、オレが何系かわかる?」

「強化系?」

「すごーい!」

 大当たりだよ、とゴンがはしゃぐ。

「あ、自分! 自分はわかるっすか!?」

 ズシが、自分を指さしてわくわくした表情で聞いて来る。

「う~ん……」

 じー、とシロノはズシを見つめ、少しだけ顔を近づける。ズシは少し怯んだが、緊張した面持ちで答えを待った。

「ん~~~~~~~~……放出系?」

「惜しい!」

「操作系っすよ」

「あー! そっちかー!」

 迷ったんだよねー、とシロノは悔しそうに呻く。

「お前は何系なんだよ」

 きゃっきゃっとはしゃぐ三人に、キルアが言う。シロノがきょとんと彼を見返した。

「えー、言うの?」

「オレらの系統知ってんのにお前の知らないってのは不公平だろ」

 そう言って、キルアは表面張力ギリギリの水を滴も溢すことなく、サイドテーブルごと、葉っぱが浮いたグラスをシロノの前まで持ってきた。やれ、ということだろう。

 

(……そういえば、()()なってからちゃんと調べてないな)

 

 それまでは、操作系だった。

 そしてアンデッドは総じて特質系であると聞かされていたので、シロノは改めて自分の系統を調べる行為をして来なかったのだった。クロロたちも同じように思っていたのだろう、やってみろと言われたこともない。“纏”より“絶”や“円”を先に覚えたりしたことといい、シロノは毎度順序がちぐはぐである。

 しかしそう思い返すと、何だか興味が湧いて来た。特質系はどんな現象が起きるかわからないので、どんな風になるのか見てみたい気がする。

 

「じゃ、いくよ」

 シロノが、グラスに両手を伸ばした。少年たちとウイングも、神妙に様子を窺っている。

 そしてシロノが“練”を行なう。自分たちのように思い切り出すだけ、という感じではなく、あくまで最低限必要なだけ、と調整されたそのオーラに、まず皆が目を見張った。

「ありゃ」

「操作系っすね!」

 自分と同じっす! とズシが言う。シロノの両手の間に置かれたグラスは、乗せられた葉っぱが、笹舟のようにして、グラスのふちをくるくると回っていた。

 

(……あれえ?)

 おかしいな、とシロノは首を傾げた。確かに以前は操作系だったが、アンデッドは総じて特質系、『オーラを食べる』というこの能力も文句無しに特質系ど真ん中のはずだ。

(まあ操作系の割合も大きい能力だけど……。もしかしてそっちの方が強いってことかな?)

「……どうしました?」

「あ、いや、なんでもないです」

 ウイングに尋ねられ、シロノは慌てて首を振る。

「……では、3人とも。これから4週間はこの修行に専念し、今の変化がより顕著になるよう鍛錬を続けなさい」

 後片付けを終えた後、師範モードに戻ったウイングの指示に、三人の少年は「押忍!」と元気よく返事をした。

「頑張ってねー」

 そしてシロノは、軽くなったバスケットを抱え、ひらひらと手を振りながら部屋を出て行った。

 

 

 

「はー、6歳っすか、上には上がいるもんすね」

「そうだねー」

 シロノが出て行った後、ズシとゴンがそれぞれの修行のためのグラスの用意をしながら言った。

「でもカノジョが自分より実力が上っていうのは自分ならちょっとツライっすね」

「カノジョじゃねっつってんだろーが!」

 ズシの発言に、キルアがやはり怒鳴る。彼が運んでいたグラスから、盛大に水が溢れた。

「なんでっすか? かわいいじゃないっすか、シロノさん」

「そうですね、品定めするわけじゃないですが、挨拶や食事の作法も綺麗ですし。ああいうところには内面が出ますからね」

「料理も上手だしね」

「なんでテメーら揃ってシロノを勧めんだよ!」

 孤立無援になったキルアは、溢れた水もそのままに怒鳴るが、内心、この程度で済んで良かった、とも思っていた。もしシロノが嫁候補云々のことまで言いだしたら、もう完全に彼女認定されてしまいそうだからだ。更には、闘技場で延々抱きつかれていたという、所謂既成事実もある。

 

「あ、シロノさんのグラス、まだ動いてるっす……あれ?」

 ズシが声を上げ、全員が彼の目線を追う。その先には、シロノがやった水見式のグラスがあった。彼が言うとおり、グラスの上の葉っぱは、未だくるくると縁を回り続けていた。キルアのグラスが甘かったように、水見式を行なった後は、オーラが多少残るため、しばらく現象が続くのだ。

 だがそれだけなら、驚愕の声を出す理由にはならない。

 

「水が……」

「……減ってますね」

 

 ウイングが言った。

 そしてその言葉通り、表面張力ギリギリであったはずの水位は、今や半分くらいになっていた。そして葉っぱは、その低い水面で未だくるくる回っている。

「うわっ……」

 ゴンが声を上げる。くるくる回る葉っぱのスピードが急に上がり、水を渦潮のように掻き回したかと思うと、そのまま──水が、一滴残らず無くなってしまったからだった。そして乾いたグラスの底には、動かなくなった葉っぱが1枚。

「……なんか」

 シンと静まり返った部屋の中、ゴンが呟いた。

 

「葉っぱが水を飲んだみたいだ」

 

 それは、全員が同一の見解だったらしい。誰もそれを否定せず、そして、グラスの水を全て取り込んだにも関わらず何も変化のないままじっとグラスの底に在る1枚の葉を、やや気味悪そうに見つめたのだった。

 

 

 

 

 

 

 ──そして同日、それから数時間後。

 

「すごいねー、精孔開いてから何日だっけ? あれが天才ってやつだねー」

 金色のフォークとスプーンを丁寧に磨きながら、シロノが言う。

「世界最年少念能力者かもしれないくせに、よく言うよ♦」

 そう返したのは、ヒソカ。ピエロメイクは相変わらずだが、今日はいつもと少し違う雰囲気の、黒づくめの上にベルトが巻き付いたようなデザインの服を着ている。彼はすっかり自分の部屋に入り浸る子供がフォークの輝き具合をチェックしているのを眺めながら、長い足を組みなおした。

「えー、でもあたしはたまたま、ってだけっぽいもん。パパからもよくバカとかトロいとか言われるし」

「クロロがまた天才だからねえ……♠」

 

 その時、プルル、と備付けの電話が鳴る音がした。ヒソカはソファから立ち上がると、電話のある廊下まで歩いていき、受話器を持ち上げる。

《もしもし、ゴンだけど》

「やあ、待ってたよ。ボクといつ戦うか決めたかい?」

《ああ》

 7月10日に戦闘日を指定する、とゴンは言った。ヒソカが目を細めているのを、シロノはスプーンを磨きながらちらりと見遣る。

 

《天空闘技場で戦ろう!》

「……オーケイ♦ 楽しみにしているよ♥」

 そして電話がツー、と音を立てた後、ヒソカはカチャリと受話器を置いた。だがそのままじっと受話器を見ているヒソカに、はあ、とスプーンに息を吹きかけて曇らせたシロノが言った。

 

「良かったね、ヒーちゃん」

「うん♥」

 

 何が、という主語は要らない。

 振り返ったヒソカは、にっこりと笑顔だった。

 

 

 

 



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No.034/ハロー、モンスターズ

 一方、その頃。

 

「クーロちゃーん」

「何だ」

 

 既に呼び名を改めさせることを諦めたらしいクロロが、固い声で返事をする。そしてアケミはいくつかの薄い冊子──パンフレットを彼の前に示した。

「こっちなんだけどね、やっぱり子供部屋は二階に作った方が良くない?」

「何を言っている。どうせバタバタ走り回るに決まってるんだ、一階にしておけ」

「えーでも子供部屋っていったら二階でしょー?」

「どこから来る発想なんだ、それは」

 アケミが持っているのは、新築の住宅パンフレットだった。白い壁に青い屋根、内装を撮った写真類にはこまごまと付箋が貼られ、何やらメモがびっしりついている。

 

「おい、ちゃんと和室は作ったんだろうな?」

「まかせてノブくん。タタミと板敷き両方完備よ」

「わかってんじゃねーか」

 ビッと親指を立てたアケミに、ノブナガが満足げに頷く。

「まったく、お前の要望のせいでわざわざジャポンからタタミを取り寄せるはめになった」

「何だよ団長、マチだって賛成してたじゃねーか」

「そうよ、いいじゃないタタミ。あの匂い好きよ私。癒し空間よね」

「おい、何だってんだこれ」

 そう言ったのは、部屋に入ってきていたフィンクスだ。手には大量の、やはり住宅パンフを抱えている。クロロから「今から言う住宅展示場を回って片っ端からパンフを集めて来い」という意味不明の指令を果たしてきた彼は、部屋に散乱するこれまた大量のパンフと、パソコンからプリントアウトした様々な紙類、更には今クロロが広げている古書の山という光景に、訝しげに無い眉を顰めた。

「家でも建てるつもりかよ」

「そうよフィンちゃん」

「フィンちゃん呼ぶな!」

「えー、ヤンキーの呼び名っていったらちゃん付け系が基本じゃなーい?」

「何の基本だよ!!」

 具現化が可能になってから会話も出来るようになったとはいうものの、娘を遥かに上回るマイペースっぷりのアケミに、フィンクスは未だ慣れることが出来ていない。

 

「フィンちゃんも希望があれば言ってね。できるだけ意見は取り入れたいわ」

「無視か。人の話聞けやこの幽霊女テメー」

「アケミ、こいつはジャージ一枚あればいいジャージ隊だ。気にしなくていいぞ」

「何だジャージ隊って! 変なグループ作んな団長、ってか誰だ隊員!」

「生きているからラッキーよね」

「意味が分からねえ!」

 のらりくらりとしたクロロとアケミに、ビキビキと青筋を立てたフィンクスが怒鳴る。アケミが具現化できるようになってからというもの、この調子で、不本意にも彼の突っ込みスキルは上昇の一途を辿っていた。

「あ、でもフィンちゃん」

「ア゛ァ!?」

「アタシの“家”でまたあの缶詰爆発させるような真似したら、ほんと全力で祟るから。眉毛以外の毛も失いたくなかったら覚えといてちょうだいね」

「お前マジで悪霊だなオイ、ゴラ」

 精神的には既に祟られ放題な気分だ、とフィンクスは本気で思う。実体を持たないだけに殴り掛かることも出来ないのが最大のストレスだ。

「……アケミ」

「なーにクロちゃん」

「その場合だな、こう、逆に……、眉毛を、生やす……というのはどうだろうか?」

「はっ……!」

「アンタは本当に他人の嫌がることを考える力は天下一品だなコラ団長ォオ! ……テメーも「名案……!」みてーな顔してんじゃねえよ馬鹿幽霊!」

 かなりマジ顔でやりとりする二人に、フィンクスの血管はぶち切れる寸前である。

 

「ねーアケミー、LANも使えるように出来ないの? できれば無線と有線両方あるとベストなんだけど」

「あ、そうねー、ネット出来ないとシャルくんが仕事できないものね。う~ん、やってみるわ」

「よろしくー」

 凄まじい速さでタイピングを続けながら言ったシャルナークの要望にアケミは頷き、パンフの端に何やらメモをとった。

「でもシャルくんにはほんとお世話になっちゃってるわよね~、アタシもあの子も」

「ほんとだよ、マジで人使い荒いよね。団長が」

「フン」

 クロロが鼻を鳴らした。

「それで、また見つけたからフェイタンに盗ってきて貰おうと思ったんだけど、なんか連絡着かないんだよね。どこ行ったんだろ?」

 シロノの武器に関してはフェイお兄ちゃんの管轄なのにさ、とシャルナークが言うと、アケミがパソコンの画面を覗き込みながら言った。

「あー、拷問室作るの断ったら怒って出て行っちゃったのよね、フェイくん」

「なるほどね、だから機嫌悪かったんだ。しょーがないな」

 シズクあたりに頼んでみよっと、とシャルナークは携帯を操作する。

「さっ、あの子も頑張って修行してるんだから、アタシも頑張らないとね!」

 パン! とアケミは胸の前で手を打つと、また住宅パンフレットを漁り始める。時々クロロとああでもないこうでもないと言いあいながら、彼女は着実にプランを整えているようだった。

 

「……つーか、マジで家建てんのか……?」

 トイレはウォシュレットにすべきかどうかについて真剣に論争している幽霊と自分のリーダーを見て、フィンクスは人生二度目の「幻影旅団って何する集団だっけ」という心境に陥る。

「ねえシャルくん、床暖房って夏はどうなのかしらね?」

「床冷房になるのかな。調べてみるね」

 ──なんかもうどうでもいい。

 散乱する住宅パンフの山を見て、フィンクスは多大な疲労感とともに遠い目をした。

 

 

 

++++++++++++++++++++++++++++

 

 

 

 プルル、と部屋の電話が鳴る音で目覚めたシロノは、棺桶の蓋を蹴り飛ばして起き上がると、目を擦りつつ歩き、受話器を取った。

「ふわ、……あいー、幻え……じゃなかったシロノでーす」

《……お前、こんな時間に寝てんの?》

「ありゃ、キルア?」

 聞き覚えのある、呆れたような声に、シロノはまだ眠い目をぱちぱちさせた。ちなみに今は夕方4時、シロノにしては早起きな時間帯だ。

「電話してくんの珍しーね。どしたの」

《……話あんだけど。今からいいか?》

「話? 電話じゃダメなの?」

 シロノは首を傾げるが、できれば会って話したい、というキルアに、よく分からないながらも了承した。

「でもあたしも修行のノルマあるからさ、それやりながらでもいい?」

《やりながら、って……いいのか?》

「いいよ」

 欠伸を噛み殺しながら、シロノは言った。

「でも、おなかだけは空かせてきてね」

 

 

 

「……これは、ホンッットーに、修行なのか?」

「ホンッットーに、修行だよ」

 かなり疑わしげに確認してくるキルアに、いいかげんしつこいよ、とシロノもまた顔を顰めつつ返す。

「というかなんで自分らも呼ばれてるんスか……」

 ズシが気まずそうに言う。その隣には、笑ってはいるが微妙な汗を浮かべたゴン。彼らは修行のあとキルアに引っ張られてここに来たのだが、シロノとの待ち合わせだとは知らなかったようだ。

 

「でもオレたちにはいい息抜きになったじゃん、ゴハンも美味しかったし。シロノ、また腕上げてるね」

「確かに、むちゃくちゃ美味しかったっす……」

「そお? ありがとー」

 ゴンとズシ、二人の褒め言葉に、シロノはにっこり笑う。

 シロノの修行は、まずメンチの所で下ごしらえプラス約20人前のフルコースを仕上げた後料理人たちの賄いを作るところから始まり──キルアたちもご相伴に預かった──、そのあとテーブルに着いて作ったフルコースをメンチの厳しいマナーチェックのもと平らげ、それが終われば町の食器専門の通りに出てアンティーク系の製品をチェック、というものだった。四大行などの基礎練は部屋に帰ってからするのだと言い張っているが、どう見ても料理人修行と行儀作法手習いを行なっているようにしか見えない。

「じゃ、今度はあたしの息抜きね!」

「その前に今日のどこで息詰めてたのかまず教えてくれよ」

 

 ぶつくさ言うキルアを既に無視し、シロノはずんずん歩いていく。そしてシロノが向かったのは、天空闘技場に入っている巨大なシネマコンプレックスの入場口だった。昼間ならまだしも夜だけあってカップルまみれのその場所に、まずズシが怯む。

「……だからお二人で行けばいいじゃないっすか! 自分、無粋なマネはしたくないっす!」

「いちいちそういう勘違いしやがるから連れてきたんだろーが!」

「もー、何なの。別にどーでもいいじゃん。気にしすぎだよ、ねーゴン」

「うーん」

 言いあうズシとキルアに呆れた風なシロノが、ゴンに同意を求める。

「……シロノさんって結構気にしない人っすか?」

 遠慮がちにズシが呟くと、シロノは不思議そうな顔をした。

「誰かと二人っきりで出掛けるぐらいよくあることじゃん。なんでいちいち気にすんの? あたしパパともお兄ちゃんたちともよく二人でどっか行くし、シルバおじさんとパーティー同伴したこともあるし、ハンター試験の時だってイルミちゃんと手繋いで七時間ぐらい歩き回ってたよ」

「え」

 キルアが目を見開いた。動揺とショックが入り交じった顔である。

 

「……キルアさん」

「……何だよ」

「レベルが違いすぎるっす……」

「……うるせえ」

 ズシの台詞に、キルアはぼそりと覇気のない返事をした。

「で、どれ観るの?」

 電光掲示板にずらりと表示された上映中のタイトルを指して、ゴンが三人に聞いた。メガプレックス数個分のスクリーンを有する巨大シネコンだけあって、その数も半端ない。まず何が上映されているのかを把握するだけでも一苦労だ。

「あたしここにあるのは全部観たから、選んでいいよ」

「全部っすか!?」

 驚くズシに、うん、とシロノは頷いた。ヒソカと遊び回っていたとき、ここらの映画は片っ端から観尽くしてしまっていたのだ。

「つってもオレも結構観たやつばっかなんだけど」

「そうなの? オレ映画って全然観ないからどれが面白そうかもよく分かんないよ」

 こちらはインドア系シティーボーイとアウトドア系健康優良児である。じゃあキルアがオススメ選んでよ、というゴンに、キルアは上映ラインナップを見渡した。

 そしてキルアは、一枚のフライヤーに目を止めた。彼は顎に手を当て、考え込むようにじっとそれを眺めたあと、三人に言う。

 

「おい、これ観ようぜ」

 

 

 

 一体全体キルアは何を考えているのだろうか、とズシはげんなりと思った。

 

 

 ──A census taker once tried to test me.

 ──I ate his liver with some fava beans and a nice Chianti.

   (昔、国勢調査官が私を検証しようとした時、私は彼の肝臓を、ソラマメと一緒に食ってやった。

    キャンティのつまみにね)

 

 

 ガラス張りの牢に入った男が、優雅にも見えるような笑みで静かに言う。

 こういった映画があまり得意ではないズシは、目の前の巨大なスクリーンで展開されるストーリーにびくびくしながら、女の子と観るにはこれはちょっと向かない映画なんじゃないだろうか、とちらりと隣を伺った。

 座席の順は、左端にズシ、次にシロノ、キルア、右端にゴンだ。スリラー&ホラー映画として至高の名作と言われるこの映画は、元医者の食人鬼と女性捜査官のやりとりを描き、サスペンス的心理描写の巧みさも素晴らしいものであるのだが、グロテスクなシーンもやはり少なくない。しかし隣のシートに座っているシロノは、ズシとは比べ物にならないくらい平然と画面を見つめ、あろうことかぱりぱりとポップコーンを口に放り込んでいた。

(……こういうのヘーキなんスね、シロノさん……)

 ズシがちょっと泣きたくなったその時、彼はシロノを挟んで向こうにいるキルアがシロノを見ていることに気付き、慌てて目線を前に戻した。

 

「……シロノ」

「んー?」

 極限まで顰めた音量でのキルアの呼びかけに、相変わらずぱりぱりポップコーンを食べながら、シロノは小さく返事をした。

「お前、大丈夫なのかよ」

「なにが?」

「……俺が刺したとこだよ。……もしかして後遺症かなんか」

「えー? まだ気にしてたの? ないっつったじゃん」

 ポップコーンを咀嚼する軽い音とともに、シロノはキルアを見ないまま言った。あまりにあっけない返事に、キルアの眉間に皺が寄る。

「だってお前カストロ戦の時、具合悪そうだったじゃねーか」

「あー、あれ。あれはまた別」

 何でもないよ、とシロノはまたポップコーンをひとつ口に放り込み、飲み込むと、ふと言った。

「キルアは律儀だね。もういいよ、そんなこと気にしなくて」

 キルアの脳裏には、石床の上に横たわった小さい身体から驚くほど大量に流れ出していく真っ赤な血の光景や、指先に残る不自然に千切れた欠片、シロノの心臓の欠片が爪の先に引っかかっていたあの感触が未だ残っている。

 それを「そんなこと」と言い切るシロノに、キルアの表情がまた険しくなった。

 

「……お前は、オレが、……ヒソカとは違う、って言ったよな」

 シロノは返事をせず、じっとスクリーンに見入っている。キルアは、そんな横顔を見ながら、絞り出すような声で続けた。

「確かに、そうかもしれない。オレはヒソカの野郎が何考えてんだかわかんねー。……この間のカストロ戦で、そう思った」

 

 

 ──You don't want he inside your head.

 ──Just do your job but never forget what he is.

   (彼を理解したいなどと考えるな。ただ任務を行え。決して彼がなんであるか忘れるな)

 

 ──And what is that?

   (では、彼は何ですか)

 

 ──Oh, he's a monster, a pure psychopath.

   (おお、彼は怪物だ。正真正銘の、純粋なる異常者だ)

 

 

「……でも、お前は、わかるんだよな」

 キルアは、シロノのことを、ゴンのようだと思っていた。キルアがずっと抱いていた淀んだものを、まるで何でもない事のように、あっけらかんとした言葉と態度で崩していく。周りがたとえ闇であっても、おかまい無しにただ輝く星のように。

 そしてシロノが、キルアを見た。薄い灰色の目が光っているのを見て、キルアは思わずびくりと肩を震わせる。キルアと似た色のストレートの髪が、映画から反射した光で輝いていた。しかしその目はといえば、映画の光とは関係なく、ただ闇の中できらりと光っている。星のように輝く目、それはキルアの抱いていたシロノのイメージどおりのものであるはずなのに、キルアはありえない不気味なものを見ているような気がした。

 

「わかるよ」

 

 きゅう、とその光る目を細めて、シロノは笑った。

 伏せた睫毛の影の中でさえ尚光るその目を見た時、キルアは背筋に登ってくるものを感じながら、これが星などではないことを悟った。闇の中で輝く星は、太陽の光を反射して輝いている。その輝きには、理由があるのだ。納得できる、常識的な理由が。

 だがシロノの目は、闇の中でただ輝いている。それは、ありえない光。理解できない、異常な光だ。

「……なんで、わかる?」

「なんで……?」

 シロノはきょとんとした。どうして今日の天気は雨なのですか、という質問でもされたような顔だった。ただそこにあるだけの事実の意味を問われてもわからない、そんな風な。

 

 

 ──Of each particular thing, What is it in itself? What is its nature?

 ──What does he do, this man you seek?

   (特異なことごとに、尋ねてみるのだ。その中身は何なのか?)

   (その本質とは? 彼は何をするのか、君らが探しているこの男は、何をしている?)

 

 ──He kills woman.

   (女を殺してる)

 

 ──No! That's incidental.

 ──What is the first and principal thing he does,

 ──what need does he serve by killing?

   (違う! それは付随的なものにすぎない)

   (彼がやっていることの本質は何だ? 彼を殺しに駆り立てるものは?)

 

 ──Anger, social resentment, sexual frus...

   (怒りか、社会受容度、性的欲求不満……)

 

 ──No! He covets. That is his nature.

   (違う! 彼を駆り立てるのは、とても強い切望だ、それが本質だ)

 

 

「……オレは」

 キルアは、どこか悔しげな、苛ついたような、そして何か残念そうな複雑な表情で、奥歯を噛み締めた。

「オレはお前がわかんねーよ」

「だろうね」

 シロノはあっさりと言った。ごく当たり前だというように。しかもそのまま普通に映画を観始めたので、キルアは心底吃驚した。今の会話が、特別なことでも何でもないというのかと。

 キルアはじっとシロノを見つめ続けた。睨んでいるようにも見えるほどの強い視線だ。

 

「──オレと戦え、シロノ」

 

 しばらくの後、キルアはそう言った。そしてさすがにこれには驚いたのか、シロノがもう一度彼に振り向く。そのことに、キルアは少しだけホッとした。

「ゴンとヒソカの対戦のあとの時間枠、7月10日。その日にオレと戦えよ、シロノ」

 シロノは目を見開いたまま、数秒じっとしていた。目が、星のように光っている。

 そしてキルアは、その目を真正面からじっと見つめ、シロノの答えを待った。

 

 

 ──People will say we're in love.

   (人は、私たちが恋をしていると思うだろう)

 

 

 立体サラウンドから、壮麗なクラシックが流れた。変奏アリアは優雅でありながらどこか冷たく、子守歌なのか葬送曲なのか判別がつかない。

 そして、シロノはすぅー……、と一度ゆっくりと息を吸い込むと、笑みを浮かべて、言った。

 

「──いいよ」

 

 

 ──I'm having an old friend for dinner.

   (これから、古い友人“を”夕食に)

 

 

 うっとりと、心酔するような表情だった。

 

 

 

++++++++++++++++++++++++++++

 

 

 

 そして決戦前夜、7月9日。

 ウイングの宿にやって来たゴンとキルアは、一人ずつ修行の成果を彼に見せた。ゴンのグラスはテーブルからも落ちるほどに溢れ、キルアのグラスの水は蜂蜜のように甘くなっている。成果は上々、たいしたものだとウイングは呟き、そして言った。

 

「2人とも、今日で卒業です。そしてゴン君、裏ハンター試験合格! おめでとう!」

 

 え、とゴンが声を漏らす。

 実際にハンターとして活動していくために絶対に必要な“念”の技、しかし絶対に軽々しく一般にその存在を知らせてはならないそれを正しく会得できるか、その試験が今回の出会いであり修行であったのだ、とウイングは説明した。

 最初から自分たちに“念”は教えるつもりだったのか、とキルアは気が抜けたのと騙されて悔しいのとが混ざった複雑な気持ちで口を尖らせる。ウイングは更に、心源流拳法の師範がハンター協会会長のネテロであること、そして二人のことはあの老人から色々と聞いているということを話した。

「キルア君、ぜひもう一度試験を受けて下さい」

 君なら次は必ず受かります、と、ウイングは穏やかながらも強く勧める様子で言った。

「今の君には十分資格がありますよ。私が保証します」

「…………ま、気が向いたらね」

 資格、という言葉に、キルアは少し照れの浮かんだ表情で答えた。

 そして、頭の隅で思う。ハンターになるために生まれてきたようなゴン、その彼と同じものになる資格がお前にはある、と自分はいま太鼓判を押された。……ならば、あいつはどうなのだろうか、と。

「シロノは来年受けるのかなあ」

 心の中を読まれたような気がして、キルアはびくっとしながらも、そう言ったゴンを見た。

 

「……どうでしょうね。彼女は始めから念が使えますから、表の試験にさえ受かればいいということになりますが」

「あれだけ料理が上手いんだから、美食ハンターになればいいのに」

「自分もそう思うっす」

 ゴンとズシが言いあっているのを、キルアは口を挟むことなく眺めた。そしてふと視線をずらすと、ウイングが硬い表情でそれを見ているのに気付き、ぎくりとする。

 そして話題は他の合格者たちの現在の様子についてに流れ、ハンゾーとクラピカが既に念を習得したことなどを知ることが出来た。

 ──しかしウイングは、最後まで、シロノがハンターになることについて、一言も言及することはなかったのだった。

 

 

 

 ウイングとズシは、ゴンとキルアを表の通りまで送った。彼らの姿が見えなくなるまで手を振っていたズシに、ウイングは言う。

「ズシ、あなたはあと4週間同じ修行です」

「押忍……!」

 いつもの返事だが、重く自分に言い聞かせるような色が篭っている。それに気付いたウイングは、笑みを浮かべ、小さな弟子を見遣った。

「自信を持ちなさい。あなたの上達の早さは並じゃない、10万人に一人の才能です」

「押忍!」

「ただ、あの2人が1000万人に一人の才能を持っていたというだけです」

(なぐさめになってないっス…………)

 しかし、謙虚という希有な美徳を強く持つ少年は、押忍! としっかりした返事をした。そしてウイングも、いつか絶対に追いついてみせる、と表情を輝かせるズシに、改めて微笑んだ。彼が持つのは、負けん気の強さと少し離れる穏やかな気質。しかしあの2人と出会ったことで、より上を目指す意思が強まったのは間違いない。

 

「師範代」

「ん?」

「あの2人が1000万人に一人なら、シロノさんはどのくらいっすか?」

 なんといっても6歳っすもんね! と、ズシはやはり妬みのないきらきらした目で言った。

「2000万人とかっすか? もしかして1億?」

「……いえ」

 明るく言うズシに対し、ウイングは神妙な表情になると、夜の闇を遠く見遣った。

「……あの子は、……あれは、そういう次元ではありません」

「……師範代?」

 ズシが、不思議そうに首を傾げている。

 

 ハンター試験の合格者についてネテロから聞いているウイングは、まずゴンと出会い、それから接触をネテロに連絡した時にキルアの事を聞いた。ゴンもキルアも凄まじい才能の持ち主だが、希代の暗殺一家の息子だというキルアの出自に、自分はもしやとんでもない怪物に念を教えてしまったのか、裏ハンター試験の趣旨に反した行いをしてしまったかもしれない、と危惧もした。しかしキルアは正しく力を吸収し、ウイングはその心配が全くの杞憂であったことを確信した。

 だがしかし、本当の化け物は、別に居た。

 ウイングは、ゴンたちが200階に上がったとき、偶然シロノの存在を認識した。あの年齢で“絶”ギリギリで保たれた熟練の“纏”に驚きはしたものの、ギドとの戦いで怪我をしたゴンの所に行って名前を聞いた時、美食ハンターに気に入られている云々の話から、たまたま不得意な課題で落ちてしまったのだろうか、と平和な考えを持った。しかしその後聞いたあまりに早すぎる念経歴は、シロノがただ者ではないことを知らせるのに充分過ぎた。

 

 そしてネテロに連絡した際にもたらされた情報は驚くべきもので、彼は背筋に登って来る薄ら寒い気配を押さえることが出来なかった。

 邪な密猟者や略奪を目的とする犯罪者を捕らえることは、ハンターの基本活動。だが、シロノの試験申込書の保護者欄に書かれた名前は、ハンターたちのブラックリストの最上位にあるA級首盗賊団・幻影旅団の首領の名前だった。

 ウイングは、見極めようとした。

 蛙の子は蛙とは言うが、10歳以下で既に四大行はおろか“流”や“硬”の組み手が出来ていたというクロロ・ルシルフル、彼の率いる幻影旅団は、既に3ケタをゆうに越える人間を惨殺し、何百億Jという略奪を行なっている。

 化け物という名が相応しい男、その娘もまた化け物であるのか、否か。

 それは、怪物はいつから怪物なのか、そんな疑問の答えを見つけることとも等しいようにウイングには感じられた。人間である以上、産み落とした者が居て、育んだ者が居る。それでもなお、化け物は化け物でしかないのだろうか? 彼らは最初から、10万人に一人や1000万人に一人とも数えることのできない、世界から切り離されたところにある存在で、わかりあえない、理解できない存在なのだろうか?

 

「……ズシ。私はね」

 ウイングは、静かに言った。

 魔女や吸血鬼伝承のもとになった存在・アンデッド。不可思議なその存在はかつて化け物と見なされ徹底的に迫害を受け、多くのロマシャが焼き殺されたという。今ではその迫害が理不尽で根拠のないものであったとされ、ロマシャの血を引く人たちは、各地の自治区で保護されている。……だがウイングは、知ってしまった。アンデッドの少女が、本当に化け物であるのか。

 

「……あなたが決して彼女のようでないことを、幸せに思いますよ」

 

 

 

 

 

《──この結果、ヒソカ選手は10勝を達成しフロアマスターへの挑戦権を獲得しました! 健闘したゴン選手も次はがんばってもらいたいですね!》

「良かったね、ヒーちゃん」

 

 そして、7月10日。

 ゴンとの戦いを終え、上機嫌で廊下を歩いていたヒソカに、シロノはそう声をかけた。“絶”を極限まで行なっているせいで、ヒソカは声をかけられるまで、シロノがそこに居たことに気付かなかった。

「うん、今までにない収穫の予感だよ♥」

 打撲と汚れの目立つ顔をしたヒソカは、それでも笑顔である。未だ興奮気味でオーラが押さえきれていない所からするに、相当楽しかったようだ。それはもう、シロノが極限までの“絶”を行なって嗅覚をオフにしていないと、側にも寄れない位に。カストロとの試合のときとは雲泥の差である。

 

「次はキミの番だね♦」

「ん~、緊張するなあ」

 ぐり、と肩を回し、シロノは言った。本当に緊張しているらしく、表情がやや硬い。

「大丈夫♥ 今のキミならきっと上手くやれるさ♣」

「……ありがと」

 シロノは奇術師を見上げ、軽く笑顔を浮かべてみせた。

《では次の対戦です! キルア選手 VS シロノ選手!》

「じゃ、交代だ♦」

「ん」

 シロノは頷くと、向けられたヒソカの手の平にタッチして、彼の横を通り過ぎた。パン! といういい音が、打ちっぱなしのコンクリートの壁に反響する。

 そしてヒソカは小さな手の衝撃を受けた手をそのまま挙げ、振り向かないまま呟いた。

 

「──Have a good time, little lady♥」




 
作中の映画は、食人スリラーとして名高い『羊たちの沈黙』。台詞も実際のものですが、役名はsheとかheとかyouとかに変えてます。あと日本語訳は字幕を基本にしつつちょこっと意訳とかも混ぜて。
全文転載は違法ですが、多少の台詞の引用は法律違反にはあたらないと調べた上で使用しております。


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No.035/Deadly Dinner.

 

 

《さあっ! 本日は注目の試合が二戦続けて行なわれます!》

 

 ゴンとヒソカの試合で最高潮に興奮が高まっている会場、そこに更に注目の一戦が投入されれば、その歓声は凄まじい。びりびりと会場が震えているのではないかと思うような大歓声が、嵐のように巻き起こっている。

《キルア選手は3戦3勝の負け無し! うち2勝が不戦勝というラッキーボーイですが、VSリールベルト戦で見せた戦いはまさに圧倒的でした! 同じ少年選手でもパワフルで豪快なゴン選手に比べ、無駄のないスマートな戦いに定評があります!》

 キルアは既に舞台に立ち、手はいつもの通りポケットに突っ込んでいるが、険しい表情で前方を睨むようにしている。

《対するシロノ選手は最年少、しかも少女選手であります! こちらも2戦2勝の負け無し、……現れましたァ────ッ! シロノ選手です!》

 選手説明を中断して、実況が声を張り上げる。

 

《前回も可愛らしい格好が好評でしたが、今回はなんとミニスカートですっ! マニアの皆さんのフラッシュが眩しいッ! 痛いッ! あらゆる意味で痛いッ!》

 実況の言う通り、シロノの格好は、ヒップハングで膝上10センチほどのミニスカートだった。

 前身頃は硬めの生地のプリーツスカート、後ろ側はフリルを何層にも重ねて、蜜蜂の尻のように盛り上げた形になっている。キャミソールの上に羽織っているのは断ち切り箇所に真っ白なファーのついたジャケットだが、丈が胸下くらいまでしかなく短いので、スカートの後ろのフリルと細い胴がよく目立つ。

 そして頭にあるのは今までよく被っていた帽子ではなく、同じく銀色の十字刺繍がしてあるが、幅広のヘアバンドだ。約半年で既にボブカットとは言えない長さになった髪が、さらりと揺れている。

 先日マチから届けられたこの衣装は、新作マチブランド・コレクション、シロノの勝負服である“クロロモデル”の3rdバージョンである。長らくのキュロットデザインからスカートタイプにモデルチェンジしているのは、あの日シロノが“パクノダモデル”を自主的に着ていたからだと思われる。そして袖を直した時にすかさずサイズを測ったからだろう、寸分の狂いなくジャストサイズだった。

 

《女性選手が皆無に等しいここ天空闘技場! 前回スカートで登場してからファンが増えた模様です!》

 バシャバシャと観客席で光るフラッシュに、シロノは眩しそうに目元を顰め、キルアは呆れ返って半目になっている。

《さて、200階アンダーではワイルドなバトルで長らく注目を集めたシロノ選手ですが、先日のVSギド戦では打って変わって何をしたのか全くわからないミステリアスな戦いで観戦者の度肝を抜きました! 今日はどんなバトルを見せてくれるのか!?》

 その時、シロノとキルアの目が合った。

 にこ、と微笑むシロノに、キルアが僅かに怯んだような、訝しげに窺うような表情を見せる。そして審判が、彼らの間近くまで進み出た。

 

『──ポイント&KO制! 時間無制限一本勝負!』

 

 シロノは、微笑んだままだ。

 

『──始め!』

 

(まずは、様子見……)

「わ」

《こっ……これは──!?》

 開始の宣言とともに、スゥ──……と霧が広がるような動きでもって、キルアの姿が広範囲でぶれ・・、幾人ものように見えた。歩行速度に緩急をつけることで残像を見せる、暗殺術の基本歩行術『暗歩』の応用技、『肢曲』。

 シロノはくるりと目を丸くし、自分の周囲を囲むようにして残像を見せるキルアを、足は動かさず、目線だけで追った。残像ということはわかるが、念など使っていない純粋な“技術”であるだけに見破るのは至難の技だ。

 

「──チッ!」

 静かで流動的な動きから突如繰り出した鋭い手刀、今まで殆どの対戦相手を一撃で地に沈めてきた技だが、しかしそれはあっさりと避けられた。肢曲の本領は敵の目を惑わせ、そして見極めることに気を取られた敵への不意打ちにこそある。しかし、

「残像は見切れないけど、攻撃されたら反応すればいいだけだよ、キルア」

 一ヶ月近く、24時間フェイタンからの闇討ちを受ける修行をこなしたシロノには、キルアの不意打ちに反応することも可能になっていた。

「その反応速度がフツーはありえねっつーの……」

 武者震いとともに、キルアは初めて笑みを見せた。そして様子見は終わりとばかりに、すぐに地面を蹴る。

 

 ──シャシャシャシャシャシャ!

 

 双方から凄まじいスピードで繰り出される連続攻撃。だが、打撃音は、しない。

「うわ~~~~~」

 素早く治療を終えて観客席に戻ってきたゴンは、友人たちのその攻防に感嘆の声を出した。……いや、あれを攻防、と呼ぶのは厳密には正しくない。それは、キルアもシロノも、お互いの攻撃を全て“避ける”ことでいなしていたからだ。ガードという行為は致命傷を避けることは出来ても、どうしてもガードをした腕にダメージを受ける。しかし彼らは出来る限りの攻撃を避けていなし、しかもその回避の動きもどこまでも最小限で無駄がない。そうすることで、ガードのダメージを排するばかりか体力の温存も行なっているのである。少年少女の戦いとは思えない、かなり戦闘に慣れた動きだった。

「貰っ──」

 目にも留まらぬやりあいの中、シロノが見せた左手の隙に、キルアが抜かりなく反応する。

「な!」

「ブッブー」

 ハズレ! と言いつつ、シロノが右手をキルアの目前に翳した。ふわふわのファーがついた袖はキルアの視界を奪い、そして左を確実に殺そうと集中力を一点に集めていた彼は、それに反応するのが一瞬、遅れた。

 

 ──ドン!

 

「ありゃ」

『クリーンヒット! 1ポイント・シロノ!』

 左にかまけてガラ空きになったキルアの右横っ腹に打ち込んだ回し蹴りに、審判の判定が飛ぶ。しかし当のシロノはきょとんと目を丸くし、吹っ飛んだキルアもまるで猫のように空中で宙返りをすると、綺麗に地面に着地した。

 

《はっ……速────い! あまりに速いッそして無駄のない攻防! 少年少女の戦いとは思えない熟練者的な試合です! いっそ美しいとすらいえる動きでした、見蕩れて実況を忘れてしまった私を許して下さ────い!》

 実況が叫び、大歓声が沸き起こる。

「あれ~、キレーに入ったと思ったのに~」

「そう簡単に食らうかよ」

 フン、と鼻を鳴らし、キルアが姿勢を正した。避けるのは不可能、そして左を攻撃しようと右手を伸ばしていたためガードすることもできなくなっていたキルアだったが、咄嗟にそのままシロノから受ける蹴りの方向に自ら動き、ダメージを半分以下に減らしたのである。

(ケンカ慣れしてやがる)

 そう、キルアは思った。

 

 シロノのフェイント・囮としての隙の作り方は非常に自然で、いかにも本当に気を抜いてしまったかのように見えたし、そのあと自分の服を生かして袖を目隠しに使うあたりも、教科書には載っていないタイプの、実践的な戦法だ。

 形振り構わなくなった人間というものは、何をしでかすかわからない。それは“試合”では絶対に経験することのない状況であり、だから大会優勝の有段者と百戦錬磨のチンピラが殺しあいをしたとき、実際にやられるのは大概前者だと言われている。そしてあの無様な泥試合に持ち込んで尚勝利していたという事実からしても、シロノは確実に、形振り構わなくなった死に物狂いの相手との戦いを数多経験しており、もしくはシロノよりも格段にケンカ慣れ・・・・・した実力者から教えを受けている、キルアはそう確信した。

(でもオレだって、実戦経験なら負けてねえ)

 素早く確実に殺すことが生業の仕事、そしてその仕事において凄まじい才能を持つキルアは、優秀であっただけに、汚物を垂れ流しながら形振り構わずのたうち回る相手と取っ組み合いをする、などという経験はない。しかし元プロの暗殺者として、キルアはかなりの数の人間を殺してきた。その経験はシロノに負けずとも劣らないはずだ、とキルアは自負している。

 

「……ンン、キレイだねえ、キルアは」

「あ?」

 突然言ったシロノの言葉が理解できず、キルアは訝しげに眉を顰める。シロノは、笑っていた。キルアよりも更に日に焼けていない、不自然なほどに真っ白な頬に、桃色が挿す。

「ちょ────高級品ってカンジ。……あー、たまんない、ヨダレ出そう」

 シロノはくるりと首を回し、天を仰ぐような仕草をした。そして腰に巻いた太めのベルトに手を遣ると、そこにかかった、美容師のシザーケースにも似たホルダーに手をかける。キルアは警戒し、ピリ、と己のオーラの流れを改めて意識した。

「ねー、もう食べていいかなあ、いいよね、もう、この匂い、ガマンできないもん」

 それはあの日、映画のラストシーンで観た、うっとりするような笑みだった。

 

「──“いただきます”」

 

 きらり、と光るものが、ホルダーから抜き取られた。

 

 ──ビュオッ!

 

「……くっ!」

 先程の格闘で繰り出されたものとは段違いのスピードを持つ一撃、キルアは何とかそれを避けた。しかしシロノは更に畳み掛けるようにして、連続して同じような突きを繰り出して来る。真半身に構え利き手だけを突出し攻撃に用いる構えはナイフ術やフェンシングと同様の構えで、攻撃と同時に腕の距離だけ確実な間合いを取る隙のない戦術でもあった。

《シロノ選手、ラッシュ────ッ! しかしキルア選手も確実にそれを避けています! 凄まじい数の突きが繰り出されておりますが、未だ一撃としてヒットしておりません!》

 ヒートアップする実況と観客、しかしそんな周囲にも流されず、静かに首を傾げる少年が居た。

「……なんだか、おかしくないっすか? 師範代」

「ええ……」

 ゴン VS ヒソカ戦に引き続きこの試合を観戦していたズシが隣のウイングに言うと、彼はズシの言いたいことを察し、神妙に頷く。

 

「彼女は最初から、キルア君に攻撃を当てようとしていません」

 

 ある程度の格闘技経験があるものにしかわからないことだったが、シロノの突きは、キルアの身体に当てようとする意思がまったく感じられないものだった。

 いや、厳密に言うならば、キルアの身体ギリギリの空間に向かって突きを繰り出している、いわば寸止めのような攻撃だということを、ウイングは見抜く。そしてそれは、キルアとて既に気付いているだろう。

「テメ……! 遊んでんのか!?」

「えー、遊んでなんかないよー」

 

 ──ビッ!

 

 キルアの頬にシロノの突きの鋭い風圧がかかるが、やはりキルアの肌が傷つくことはない。

《シロノ選手、何か手に持っていますね? もしかしてナイフか何かでしょうか!? そうだとしたらキルア選手、一撃食らっても致命傷です!》

(違う)

 凄まじい突きが繰り出される度、先程キルアの目隠しにもなった袖口のファーの影で金色の輝きがきらりとするのを、キルアは目視していた。しかしあれは、ナイフなどではない。

「──だらァッ!」

「わ!」

 真半身に構えた上半身には、隙がない。そう見切りを付けたキルアは一気に身を引いてややロングレンジの間合いを取るや否や、体勢を低くし、シロノの足部分に突進する。

《おっと優勢だったシロノ選手、体勢を崩されましたッ! ──マニアの皆さんがカメラを構えています、さあどうなる──ッ!?》

 ミニスカートのフリルが、派手に翻る。キルアは崩れた体勢のシロノに、ビキビキと尖らせた爪ですかさず突きを繰り出す。

「わっと!」

 間一髪で避けるシロノ、しかしキルアは攻撃を畳み掛けることなく、シロノの右手の先にある輝きを、キィン! と高い音を立てて爪先で蹴飛ばした。

 

 ──チャリン。

 

 可愛らしい金属音がしたのと、体勢を整えたシロノが地面に着地するのは同時だった。しゃがむような姿勢になったシロノとキルアの距離は、ちょうど最初の立ち位置ほど。

 じっと様子を見ていた審判が、胸の前でペケマークを作り、ふるふると首を振った。

《──キルア選手、ポイントならず! そしてスパッツ! スパッツでした! シロノ選手、2つの意味で鉄壁! 何やら控えめなブーイングが巻き起こっております!》

(グッジョブ、マチ姉!)

 シロノは、スパッツ愛用者の専属スタイリストに深い感謝を送った。

 

《あ……? あれは────!?》

 そして、キルアとシロノの間合いのちょうど中間あたり落ちた金色の輝き、その正体を見た実況が、素っ頓狂な声を上げる。

 

 そこにあったのは、あの金色のスプーンだった。

 

《スプーン!? スプーンです! ナイフではありませんでした、なんとシロノ選手が持っていたのはスプーン! シロノ選手、一体何を考えているのか────!?》

 人を傷つけることとは無縁な道具の登場に、実況の声は半ばひっくり返っていた。観客たちも、ざわざわと不思議そうなリアクションだ。

《しかし前回のギド戦においても、シロノ選手はフォークを持っていました! あのフォークに毒が塗られていたのではという見解もありますが、しかし今回は先割れですらない普通のスプーン! まったく意図が読めません!》

「……やっぱりな」

 キルアが呟いた。

 

「お前の能力。“オーラを食う”能力──だろ?」

 

 シロノが目を見開いた。見抜かれるとは思っていなかったのだろう。

「えー、わかっちゃったんだ? ウイングさん?」

「いや、自分で気付いたぜ」

 キルアはシロノの能力について、一度としてウイングに助言を求めたことはなかった。それどころか、話すらしていない。ただあのVSギド戦のビデオを何度も見返し、他の色々なヒントから、一人でシロノの能力の正体を導きだしたのである。

「正確には、お前は操作系寄りの特質系、だろ? 水見式の結果見てなきゃちょっとやばかったな」

「……う~ん、やっぱ系統は人に教えるもんじゃないね」

 シロノは、ポリポリと頭を掻いた。

 

「オーラを食うって言うのは特質系ド真ん中の能力。そして操作系の能力がソレだ」

 キルアが、二人のちょうど真ん中に落ちているスプーンを指差す。

「フォークやナイフに“オーラを物理的に扱う”という特性を与えて操作し、相手のオーラを奪う能力! それはそのための道具だ、違うか?」

「なん……」

 キルアが言ったそれに、ウイングが驚愕に席から腰を浮かせた。

「さっきオレに突出してたのは、オレにスプーンを当てるためでもなければ、寸止めで遊んでたわけでもねえ。お前が狙ってたのはオレの身体が纏ってるオーラだ」

「キルアって頭いいんだねえ」

 は~、とシロノは感心のため息をついた。

「……そして、道具ごとがそれぞれの特性を持ってる」

 普通の食事と同じように、フォークはオーラを突き刺したり巻いたりが出来、そして今持っているスプーンは、オレのオーラをこそぎ落として掬ってやがった、とキルアは指摘した。

「そしてギド戦で独楽からオーラを奪った時使ったのは、おそらくエスカルゴ・フォークあたりだろ?」

「大当たり! すごいねキルア!」

 にこっ、とシロノは笑みを浮かべた。

 

 キルアの言う通り、シロノがギド戦で左手に持っていたのは、切っ先が二本に別れたエスカルゴ用の先細りフォークだ。エスカルゴを食べる時、殻から中身を引きずり出すためのそのフォークで、シロノは独楽から溢れるオーラをフォークで突き刺し、そして殻から中身を出すのと全く同じ要領でオーラを独楽から引きずり出して食べていたのだ。

 

「……なんという」

 ウイングが、半ば青ざめて呻いた。

 オーラを食べる、その特異すぎる能力は、アンデッド・ヴァンパイアとしての特性、体質でもある、とネテロから聞いては居た。

 だがそれは、人間として逸脱した行為である、とウイングは思う。

 念能力者であれば、オーラというものが、肉体にとっての血液と同じものだという感覚は深く感じている。心源流拳法に置いて“纏”を伝授する際、「オーラが血液のように全身を巡っているよう想像しろ」と指導するのは、それが最も理解しやすいからだ。

 だからこそ、他人のそれを奪い食うということは、限りなく実際に近い感覚的食人行為カニバリズムである、という認識は、ウイングだけでなく念能力者全員が抱く見解であろう。

 だがそうしなければ生きていけないというならば、百歩譲って理解もしよう。家を持たず、ひっそりと人からオーラを貰いながら流離う(さすらう)流浪の民を迫害しようとは思わない。生き物としての本能、その対象がたまたま人間だったという存在、それならば、同情することもあるだろう。

 

 ──だが。

 魂とオーラは、肉体の血肉。あの子供はそれを丁寧に皿に乗せ、食べやすいようナイフで切り分け、フォークで突き刺し、スプーンで掬い、食べようとしている。

 ナイフやフォーク、皿、グラス、美しくかけられたテーブルクロスは、食事を楽しむために人間の知性が生み出した文化だ。あの子供は、人間として生きていく上で最大の禁忌タブーとされるその行為を、知性を持って、より快適に、より効率よく行なうための能力を自ら開発し、平然と行使している。

 ……それはまさに、人として許し得ない、許されざる食事。

 

 

 ── Deadly dinner(悪夢の晩餐).

 

 

 ──あの子供は、知性を持って人間を食い殺し、生きている。

「うっ……」

「師範代!?」

 ウイングは吐き気を覚え、そして今すぐズシをこの会場から遠ざけたい衝動に駆られた。自分を慕い、心配して覗き込んでくるこの目に、あんなものを映して欲しくない。

 そして彼は、キルアを正直恐ろしいと思った。10万人に一人や1000万人に一人とも数えることのできない、世界から切り離されたところで生きる、わかりあえない、理解できない存在。そんな子供の前に立ち、その行為を冷静かつ正確に分析できるということは、彼自身もまた 化け物(モンスター)としての資質を持っている、ということになりはしないだろうか?

(……行くな、キルア君)

 ウイングは吐き気を堪えながら拳を握った。

(今の君には、ハンターになれる資格がある。私が保証します)

 だからその、闇の中で不気味に輝く光の方へ行かないでくれと、ウイングは切実に願った。

 

「何種類の道具を操作できるのかは知らねえけど、その能力にも弱点はある」

 ウイングがそんな思いをもって見つめる中、キルアは更に続ける。

「ギド戦の時、お前は回転するギドが発するオーラの端をフォークで突き刺し、皿の上のスパゲッティーを巻くように奪った。ギドの野郎が倒れたのは、毒なんかじゃない。あれはオーラを奪われ過ぎたことによる全身疲労、つまり過労でぶっ倒れたようなもんだ」

「そうだけど」

 それの何が弱点? と首を傾げるシロノの表情は、まるで恋人が話すことを興味深そうにに聞く時のような楽しさが滲んでいた。

「問題は、それに使ったフォーク!」

 キルアは更に続ける。自分が話せるのはこんなものではない、というような自信は、シロノの目を更に細めさせたが、それを彼は気付いているだろうか。

「お前はその時、右手に持っていたエスカルゴフォークじゃなく、左手の普通のフォークを使っていた。つまり」

 マナー通り、決められた使い方でしか道具を使うことは出来ない、そうだろう? とキルアは言った。エスカルゴフォークでパスタを食べるのは、マナー違反だ。

「それにそのスプーン。多分もう使えねーんだろ? 食事中に落としたスプーンやフォークを自分で拾うのはマナー違反だからな」

 そう言い切ったキルアに、シロノは、ふふ、と声を出して笑った。

「は~、エスカルゴフォークとか知ってるなんて、さっすがゾルディックのご子息さまだねー。もしかしてテーブルマナーばっちり?」

「うっせ」

 きまり悪そうに、キルアは口を尖らせた。しかしシロノの言う通りだからこそ、この能力の正体に気づけた、という所は大きい。

 

「……ま、そういうワケだ。こういう使い方しか出来ない、ってのがわかってれば動きようもある。変わってるけど怖い能力じゃねーな」

 

 いつもの余裕のあるクールさで、キルアは言った。

 変わっているし、本当にどんな風なのか実際に感じることは出来ない。しかしこうして理屈を暴き、パターンを知れば対処は出来るのだ、と。

 

 

 



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No.036/マスカット・キッス

「……キルアの言う通り、あのスプーンはもう使えないよ」

 着地の姿勢のまましゃがみ込んでいたシロノが、すっと立ち上がった。

「予想外だったなあ。……デザートスプーンでぺろっと食べちゃえると思ったんだけど」

 そう言って、シロノは地面に落ちた金色のスプーンを見、

「うふふ」

 ──嬉しそうに笑った。キルアが困惑げに眉を顰める。

 

「……何がおかしいんだよ」

「だって。思ったより食べごたえ(・・・・・)があって、嬉しいじゃない?」

 シロノは、嬉しそうに笑っている。テーブルの上に予想外に並べられた、極上の一皿に向かって。

「あのねキルア」

「……なんだよ」

「あんまりガチガチにマナーに縛られるのもよくないんだよ。ゴハンは楽しく食べなくちゃ」

「行儀ワリーぞ」

 得体の知れない汗を流しながら、キルアが軽口を叩く。

「そうでもないよ。結局テーブルフォーク使わなかったりするし」

 あんまり仰々しいのもね、とシロノは言い、再びベルトに手を伸ばした。キルアが警戒し、身を正す。

「マナー通りの使い方しか出来ないっていうのは、ホント。あの時エスカルゴフォークを使ったのは、単にそっちのほうがより食べやすかったから、それだけだよ。あれはあたしの頭より小さいモノにしか使えないから。……でも、テーブルマナーを守ってゴハンを食べるのに慣れて来るとね、デザートフォークとデザートナイフでほとんど全部食べちゃえるんだ。……こんな感じで」

 シャッ! と、金属が擦れる音。

 

《おおっとシロノ選手、いよいよ武器らしいものを取り出しました!》

 

 シロノが交差した手でそれぞれ抜き出したのは、ちょうどウェディングケーキ用のナイフと同じくらいのサイズのナイフと、それに見合う大きさのフォークだった。

 どちらも、色はスプーンと同じ金色。フォークのほうは、神話に出てくる三つ又の矛やピッチフォークのほうに形が近く、その切っ先の鋭さはとても口の中に入れるために作られたとは思えないものだった。カトラリーというよりは拷問具かなにかのようである。

 スプーンとはうってかわっていかにも凶器らしい姿をしたものの登場に、キルアだけでなく、観客たちも息を飲む。

 

「……てめ、それのどこがデザートフォークとデザートナイフだよ」

 デザートフォーク・デザートナイフとは、本来はオードブル用ではあるものの、肉料理・魚料理・そしてデザートに使用しても構わないというマルチカトラリーである。

 一般にナイフとフォークとは殆どこの二つを指すが、キルアの言う通り、カトラリーの中でミドルサイズであるはずのそれとシロノが持つ二本は、あまりにもサイズが違いすぎる。

「ほんとはなんかの儀式用で、実際どうこうするものじゃないんだけどね。お兄ちゃんが勝手に改造して研いじゃったんだよ」

 そう言って、シロノはくるりとナイフを回した。持ち手部分もまた、ナイフや剣のように持ちやすく改造されている。言わずもがなフェイタンの仕業だが、彼に武器全般の扱いを叩き込まれ、また彼自作の武器をずっと使ってきたシロノにとっては、その改造によってより扱いやすく感じられるものになっていた。

「んん」

 ヒュン、とシロノがオーラを纏わせたナイフを回す。あの扱いの難しいチェーンソーブレードを振り回していたシロノにとっては、刃渡り35センチ程度の武器は手足同然だ。

 肌が白いせいでやけに濃く見える桃色の舌が、笑みの浮かんだ唇をぺろりと舐めた。

 

「……美味しそう!」

 

 ──ビュン!

 

「くっ……!」

 かなりの瞬発力で突進してきた鋭いフォークに、キルアは咄嗟に“練”を行なった。生命維持の本能による殆ど脊髄反射に近い反応、しかしシロノはその途端、更に笑みを深くした。

「いただきっ!」

「な……!」

 キルアは目を見開いた。“練”によって増幅したことで身体から多く放出されたそのオーラに、金色のフォークが刺さっている。シロノはそのまま、ぐいっ! とフォークを引っ張った。

「っだ……!」

 空気と自分の血がくっついていて、まるごと引っ張られるような感覚。味わったことのないその感触、瞬間、キルアはエスカルゴのようにオーラを抜かれる独楽を思い出し、必死に足を踏ん張った。──しかしそれは無駄に終わる。

「よっ!」

「なぁっ!?」

 キルアが驚愕の声を上げる。フォークで突き刺し引っ張ったオーラ、シロノはそこをナイフで切り落としたのだった。そしてそのままバックステップで後ろに下がり間合いを取る。手にした大きなフォークには、不思議な事に、切りとられたキルアのオーラが突き刺さっていた。

 そしてシロノはそれを見てにんまりと微笑むと、大きく口を開け、そのオーラに口を付けた。不可思議なその行為に観客中の視線が集まる。ウイングは顔を青くして、口元を手で固く覆っていた。

 

「ふわあ……」

 

 つるりとゼリーを吸い込むようにしてキルアのオーラを吸い込んだシロノは、うっとりした顔で声を漏らした。

「……っあ~! ほっぺた落ちるー!」

 美味しいケーキを食べた女学生のように、シロノはキャー! と声を上げ、頬を赤くしてぴょんぴょん跳ねる。そして半ば唖然としているキルアに向き直ると、明るい笑顔で言った。

「もーひとくちっ!」

「やるかよっ!」

 またも突進してきたシロノのフォークを避け、キルアは上空に高く跳び上がる。しかしシロノもまた、羽ばたいた小鳥を追いかける猫のようににやりと笑みを浮かべると、膝を曲げ、一気に飛び上がった。

《た、高────い! シロノ選手、キルア選手より高いジャンプです!》

 四大行しかマスターしていないために全身“練”の状態で跳び上がっただけのキルアに対し、“硬”によって足のみにオーラを凝縮して飛んだシロノでは、その威力も段違いである。

 

「くっ……!」

「自分のオーラが今どれだけ出てるか、わかる?」

 ビュッ! と風を切る音、オーラがナイフで切り落とされ、普通ならそのまま霧散してしまうそれを、金色のフォークが突き刺して捉える。

「どのくらい、ってだいたいは皆わかってるよね。でも、“今、自分の肌から何センチオーラが出てるか”って意識したことある?」

 ないよねえ、意味ないもん、とシロノは言いながら、更にキルアのオーラをナイフで切り落としてはフォークで刺し留めていく。

 

 ウイングは、ごくりと喉を鳴らした。

 オーラの量を調節しコントロールすることは、念能力者にとって“極めた”と言える上限のない永遠の課題だ。目測で攻防力を見極め応用するのが“流”の修行。だがその量を、感覚的なものではなく、物理的な単位で捉えた者が今まで存在しただろうか。

(全く観点が違う……!)

 おそらくかなりの熟練者でも、シロノのナイフとフォークを完璧に躱すのは難しい。攻防力30、ということならできても、「オーラを3センチ纏え」ということができないからだ。

 

「ククッ、無理無理♥」

 楽しそうにクスクスと笑うのは、最上段で観戦していたヒソカだ。

「変化系、もしくは具現化系の熟練者なら、多少は対応できるけど……♦」

 ヒソカが組んだ腕、そしてその人差し指の先から、ズズズ、とオーラが放出され、ハートマーク、ダイヤ……と、トランプのマークに次々と形を変える。

 このように、オーラの形状を変えることに長けた変化系か具現化系なら、自分が纏うオーラが物理的な観点で見てどのようになっているか、ある程度把握することが出来るだろう。

 しかしフェイタンから武器、いや何よりも敵の僅かな隙を突くことが極意である暗器の扱いを叩き込まれてきたシロノは、身体から5ミリはみ出したオーラでさえあのフォークで突くことが出来る。

「四大行すら覚えたてのコが、そんな食いしん坊から逃れられるわけがない♥」

 

「~~~~~ちっ!」

「ありゃ」

 キルアは思い切り後ろに飛び、そしてオーラを消した。“絶”である。

「……オーラを身体の中に仕舞っちまえば、どうにもできねー、だろ……!」

 息が荒い。多くのオーラを奪われ、重い疲労感がキルアの身体を襲っていた。

「うん、できないね。……でもさあキルア」

 ヒュン! と音がした。シロノが鋭く回したフォークが、会場の照明できらきら光っている。

「“絶”状態の身体にこんなの刺したら、どーなっちゃうかな?」

 ただでさえフォークらしからぬ研がれ方をした切っ先、しかもオーラで覆われたそれは、鉄も貫通しそうである。

 

(……いや!)

 それはない、とキルアは判断した。

 噛み付く為に機会をうかがっているうちにポイントをとられて負けることも少なくなかった過去の試合の数々、シロノは相手に勝つのではなく、噛み付く──いや、相手のオーラを食べることを目的に戦っている。オーラは生きていてこそ発生するもの、それをわざわざ絶えさせる理由は、シロノにはない。

 

(“絶”は解かない! むしろ回復の効果もある“絶”こそ今取るべき手段!)

 

 確信したキルアは、シロノの動きから目を逸らさないまま、尚も“絶”を続ける。

(…………ちえっ)

 “絶”を解かないキルアに、やっぱり嘘に関してはキルアのほうが一枚上手だな、とシロノは口をへの字にした。

「……ま、いいけどね」

「くッ!」

 ナイフとフォークを突き出しては来ない、しかし一気に距離を詰められて、キルアは“絶”状態のまま身構えた。やったことはないが、いざという時は瞬時に“練”に移行できるよう意識しながら。

(致命傷は負わせてこねーだろうが)

 動けなくなるまで痛めつけられてから噛み付かれる、という可能性はある。あのナイフとフォークはあくまで“食事法”であって、──本質はそれではないのだ。

 

「──えぃ、やッ、よっ!」

「くっ……!」

 シロノの攻撃は主に蹴りだったが、オーラが乗っているものと乗っていないものがあり、“練”への移行に意識を使っているキルアにとっては心臓に悪いことこの上ない。

 しかしどちらにしても“絶”状態の身体で食らえば、オーラが乗っていれば重症、乗っていなくてもそれなりのダメージになる。そのためキルアは全ての攻撃をやはり避けることで躱していたが、やがてギリッと歯を鳴らして眉を顰めた。

「……テメェ、ふざけんな! 遊んでんじゃねエ!」

 シロノの攻撃は、あのスプーンの攻撃と同じく、始めからまるで当てようと思っていない。それに気付いたキルアは怒鳴ったが、シロノは言った。

「遊ぶ? そんなわけないじゃん」

「何を、」

「──“食べ物”で遊んじゃいけないんだよ、キルア」

 きゅう、と目を細めて笑う。キルアはぞっとした。

 

「隙ありっ!」

「しまっ……!」

 気を取られてしまった次の瞬間、シロノはキルアの背後に回り込んでいた。打撃が来るか、とキルアは一発勝負の“練”を気構える。

「ふ────~~~~~」

「……っどわあああああああ!?」

 だが全く予想外なその行動に、キルアは全ての行動を吹っ飛ばして大声を上げた。

 

「なっ、……にすんだテメエ!」

 思わず思い切りシロノを突き飛ばしたキルアは、耳を押さえながらかなり赤い顔で怒鳴り散らした。シロノが、キルアの首と耳に背後から息を吹きかけてきたからだ。

 てっきり会心の一撃を繰り出して来るだろうと予想していただけに、あまりに予想外すぎて全く回避できなかった。

《おーっとキルア選手真っ赤です! 耳が弱点だったんでしょうかっ!?》

「うるせーよ実況!」

《ああっ審判がポイントを取るかどうかの審議を始めたようです!》

「アホか────!」

「あははははは」

 シロノがけらけらと笑い、キルアはキッとそちらを睨んだ。

 

「どーいうつもりだシロノ!」

「んー?」

 にこにこしていたシロノは、にい、と唇を釣り上げた。唇の隙間から、小さいがやけに白い尖った歯の先が、ちらりと覗く。

「──食べにくいモノに、ドレッシングをね?」

「……何だと?」

 意味のわからない言葉に低い声を出すキルア、しかし次の瞬間、彼は驚愕に目を見開いた。

 

「なんっ……!?」

「キルア!?」

 いきなり“練”の状態になったキルアに、観客席のゴンが驚いて立ち上がる。

「ほーら、食べやすくなった」

 ダン! とまたもやシロノは地を蹴り、キルアに突進した。今度は、両手の金色の輝きをしっかりと彼に向けている。

「食っべ、ほう、だい! だよっ、キルア!」

「く、そ……!」

 自分の意思とは無関係に放出されるオーラ、そしてそれをどんどんと切り取られて奪われてゆくキルアは、シロノの攻撃を必死に避ける。しかしオーラに触れられまいと大振りに避ければその分隙も大きくなり、その分の体力の疲労、そしてオーラを削られる疲労とがどんどん溜まってゆく。

(クソッ……!)

 ぐらあ、と目の前の景色が回ったことでキルアは自分が目眩を起こしたことを知り、そして視界が眩しいラトの光る天井になったことで、仰向けに倒れてしまったことを知った。

 そして次いで、ズン! と腹の上に乗った重みに、キルアは低く呻いた。

 

『ダウン! プラス1ポインッ、シロノ! 0ー2!』

《キルア選手ダウン、そしてマウントをとられました! 手は空いているようですが、何故か全く動けない様子!》

「おくちの使い道は、なーんだ?」

 両手にナイフとフォークを持ったシロノはキルアの腹に跨がったまま、言った。

「そのいち、食べるコト。噛んで砕いておなかにゴックン!」

「く……」

 疲労でぐらぐらと揺れる視界、眩しい照明で逆光になったシロノの顔は、はっきり見えない。

「そのに、息をするコト。オーラを乗せて吹きかければ、ドレッシングの出来上がりィー。食べにくい料理をとっても食べやすく!」

「てめ、」

「遊んでるのはどっち? キルア。一回も本気で攻撃してきてないじゃん。どーゆーつもり?」

 くるん、と、フォークがバトンのように回った。

 

「はーん」

 無言のキルアに、シロノは半目になると、口を尖らせる。

「まぁだそんなこと気にしてんの? 細かいこと気にするとハゲちゃうよ」

 キルアは表情を歪めた。

 

「キレイだねえ、キルアは」

 シロノは、もう一度言った。にい、とチェシャ猫のように笑った口からは、真っ白な歯、犬歯にしては長過ぎる、……牙がはっきりと覗いていた。

「すごくキレイ。ものすごく設備の整った温室で、24時間チェックされて、虫が着かないように、最高のツヤが出るように育てられた超高級マスカット、そんなカンジ」

 サファイアかエメラルドかと見紛うような煌めく果肉と、高級感溢れ、甘みが強く、何よりも強い香りを持つ瑞々しい果実。しかもキルアのオーラは、「マスカットの女王」の異名を持つマスカット・オブ・アレキサンドリアもかくやというほどの芳香を持ち、その味もまた格別だった。思わず我を忘れてもおかしくない位に。

 

「うあー、あまーい匂いがするー、たーべちゃーいたーい」

「……ラリってんじゃねーのか、てめえ」

 至近距離には、闇の中でも勝手に光る、得体の知れない透明な目がある。今にも鼻に噛み付いてきそうな距離で言うシロノに、キルアはそう絞り出した。

「おかしくもなるよ。そのぐらい美味しそうだもんキルア」

「……知るか」

「だろうねー」

 シロノは首を傾げた。肩まで届きそうな位伸びた髪がさらりと音を立てたのを、キルアは朦朧とした意識の中でやけにはっきり聞いた。

「キルア、あたしね。食べ物で遊んだりはしないけど、ゴハンは常に楽しく食べたいの。せっかくおいしいゴハンがあるのに、無言でもそもそ食べるなんて、ヤだ」

 きらり、と金色が光った。

 

「食べごたえがあるって思ったのに、ねえ、これだけ?」

「くっ……!」

 振りかざされたフォーク、カトラリーとは思えないほど研ぎ澄まされた切っ先は、まるで拷問具か処刑用具。しかしこの場合、どちらであっても同じこと。ここは今、化け物の夕食の皿の上だ。

 キルアは顔を顰め、疲労で動かない身体に必死で力を入れた。完全にマウントを取られた身体を起き上がらせられる可能性は皆無に等しく、シロノの折り曲げた足首は、キルアの足をがっちり押さえ込んでいる。太腿に固いブーツが食い込んでいる感触が、意識のどこか遠い所で感じられた。

 

「食べちゃうよ、キルア」

 

 金色の輝きが強い照明の中に消えたその時、キルアは必死に伸ばした指先に触れた何かを、無我夢中で思い切り掴んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ちゅっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会場中が、静まり返った。

 キルアが掴んでいるのは金色のスプーン、やや尖ったその柄の尻を首筋に突き立てられかけているシロノは、キルアの顔の目の前で、にっこりと笑った。

「おくちの使い道、そのさん?」

 キルアは、これ以上ないくらい目を真ん丸にしている。

 

「ごっちそーさまでしたっ!」

 

 シロノは元気にそう言うと、フォークとナイフを丁寧に仕舞い、キルアの腹の上から立ち上がった。そして固まったキルアの手からスプーンを取り上げる。

「あのねー、キルア」

 にっこり笑って、シロノは言った。

 

「問題でーす。“よく切れるナイフ”は操作系? それとも強化系?」

 

 ──そう。

 シロノは特質系であり、また操作系。操作系は実際の物品や生き物に、そのままの状態ではなし得ない特殊な指令を実行させることが出来る系統である。つまり、単にナイフを良く切れるようにするならば、それは本来ナイフが持つ力を“強化”させたことになるので、操作系能力とはならない。

 そしてキルアはまだ知らないことであるが、強力な能力には『制約』と『誓約』が必要になる。この能力の制約&誓約の基本は、「テーブルマナーを遵守すること」。

「テーブルマナーの超基本ね。ナイフやフォークは、ヒトに向けちゃいけません」

 ならばもちろん、“食べ物(オーラ)”以外に向けてもいけないのだ。

 

「そんじゃ、またごちそうしてね。ばいばーい」

 

 シロノはあっさり踵を返すと、指に金色のスプーンを挟んだ手をひらひら振りながら、すたすた歩いていってしまった。そして残されたのは、静まり返った闘技場。

 

《……………………えー》

 コホン、と実況が咳払いをした。

《わたくし長年実況をしておりますが、このような試合はみたことがありませんっ! この場合ポイントや勝敗はどうなるんでしょうか、キルア選手まったく動けないままでありますがあれはダメージからでしょうかそれともショックからでしょうか、無駄のないスマートな戦いに定評があるキルア選手ですがやはり少年、初めての経験であっても無理はありません、いやあの感じからして間違いなくそうでありましょう! いや甘酸っぱい! わたくしこのように甘酸っぱい試合は未だかつて見たことがありません! キルア選手、甘酸っぱァ────い!!》

「うるせぇええええええッ!!」

 青筋を立てたキルアの怒鳴り声が、会場中にびりびりと響き渡った。観客席ではウイングが呆気にとられており、ズシが少し赤くなっており、ゴンはブチ切れた友人の様子に苦笑を浮かべている。ヒソカだけが、最上階で頬杖をつきながらクスクス笑っていた。

 

「……え?」

 思い切り大声を出したキルアは、はっとした。あれだけ疲れていた身体が、軽い。

(ってか起き上がれてるし……)

 既に目眩もなく、視界はくっきりとクリア。

 キルアは、口元に手を遣る。息を吹きかけてオーラを食べやすくし、そして噛み付いてオーラを奪う。……では、あれは?

「……キャッチアンドリリースってか」

 そう呟き、そしてキルアはフッと短く息を吐くと、額にぷちっと血筋を浮かべる。

「……食ったもん吐き戻してんじゃねえええええ! インコかなんかかテメエエエ!!」

《おおっとキルア選手、夕陽に向かって叫びたいお年頃か────!? それではこの辺で、200階闘技場から失礼いたします!》

 

 凄まじい歓声が未だ渦巻く中。

 7月10日の天空闘技場試合スケジュール、これにて、終了。

 

 

 



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No.037/I'm home !

 ──You don't want he inside your head.

 ──Just do your job but never forget what he is.

   (彼を理解したいなどと考えるな。ただ任務を行え。決して彼がなんであるか忘れるな)

 

 ──And what is that?

   (では、彼は何ですか)

 

 ──Oh, he's a monster, a pure psychopath.

   (おお、彼は怪物だ。正真正銘の、純粋なる異常者だ)

 

 

「キルアー」

「おう」

 ゴンに呼ばれたキルアは、ピ、とチャンネルを変えると、ドアのほうを振り返った。

「ほんとに身体とか何ともないの?」

「ああ、どーもオレが最初持ってたオーラ以上返されたみてーだ。むしろ調子いいぐらい」

《──先日のシロノ選手 VS キルア選手、審議の結果、勝敗判定は引分となりました。「青春の頃を思い出した」「次回はキルア選手にもがんばって欲しい、色んな意味で」などの声が多く寄せられ、今年の天空闘技場・メモリアルマッチの候補として最有力の試合となり、》

 ディスプレイから、聞き慣れたアナウンサーの声が流れている。

《なんといっても少年少女の甘酸っぱいファーストキ》

「だ────!」

「キルア……」

 壁にリモコンを投げつけるキルアに、ゴンが苦笑する。リモコンを投げつけた衝撃でチャンネルがまた変わり、キルアは荒く息をつくと、フン、と大きく鼻から息を吹いた。

「──ふざけやがって! あんなモンはインコがゲロ吐いて食うのと同じだろうが!」

「でもキルア、インコの吐き戻しは求愛行動だよ」

 

 どこかズレた突っ込みを入れる大自然児ゴン、キルアはやや返答に困った顔をして、「……犬に咬まれたと思って忘れる!」と宣言した。

「それで、そのシロノなんだけど」

「ああ!?」

 忘れる、と言いつつ未だ無駄に不機嫌なキルアに、ゴンは構わず続ける。

「さっきそこで会ってさ。もう飛行船乗って家帰るから、キルアによろしくってさ」

「……ああ、そう」

 疲れたような返事を返すと、ベッドの上で胡座をかいていたキルアは、そのままの姿勢でドサリと倒れ込む。

 

 

 ──You don't want he inside your head.

 ──Just do your job but never forget what he is.

   (彼を理解したいなどと考えるな。ただ任務を行え。決して彼がなんであるか忘れるな)

 

 ──And what is that?

   (では、彼は何ですか)

 

 ──Oh, he's a monster, a pure psychopath.

   (おお、彼は怪物だ。正真正銘の、純粋なる異常者だ)

 

 

 テレビからは、あの日観た映画のCMが再度流れていた。

 キルアは、シロノのことを、ゴンのようだと思っていた。今でもある意味、その考えは変わっていない。シロノもゴンも、キルアの中にある淀んだものや高い壁を、あっけらかんと崩してゆく存在だ。ただその崩しにかかってくる方角というのが真逆であり、シロノは夜で、ゴンは昼間、キルアの所にやってくる。ただただそれだけの話だ。

(理由なんか、ねーんだよな)

 キルアは、シロノのきょとんとした表情を思い出す。どうして今日の天気は雨なのですか、という質問でもされたような顔。ただそこにあるだけの事実の意味を問われてもわからない、そんな風な。

 ただそういう生き物だから、そうなのだ。

 

 ──じゃあしょうがないでしょ。好きにしたら。

 

 シロノがあっさりとそう言ったのを、キルアは今でも衝撃的に覚えている。

 どちらがいいとか、悪いとか、最初からそういう話ではなかった、キルアは今そう思っていた。そしてキルアがどちらを選ぶかもまた、単純に好みと意思の問題だ。

(……オレは)

 キルアがシーツに突っ伏した顔を少し上げると、ゴンが飛行船のチケット販売所の案内を読んでいた。窓から差し込む真っ昼間の太陽、黒い目がそれを反射して光っている。

「ん? なに、キルア」

「……いや」

 何でもない、とキルアは呻くように呟いた。

 闇の中でひとりでに白く光る目、今はただ「そうである」としか言えないが、多分、あのままシロノを追いかけていれば、なぜそうであるのか──ということもわかったのかもしれない。だがキルアはどうしても、太陽の光を受けて反射する、ごく普通の眩しい煌めきが恋しかった。──安心した。

 その点、あの闇の中のありえない光は、キルアを酷くどきどきさせた。それが恐怖なのか、あるいは恐いもの見たさなのか、羨望なのか、もしかするともっと他の何かなのか、それもまた、キルアにははっきりと認識することが出来ないけれど。

 

 

 ──People will say we're in love.

   (人は、私たちが恋をしていると思うだろう)

 

 

(でも、オレはいま、どうしてもこっちに居たい)

 好きにしたら、と言われたその言葉をオレは実行する、と、キルアはひとり拳を握り締めた。あの光る薄い灰色の目にまた出会った時、キルアはまたどきどきさせられるかもしれない、いやきっとそうだろう。しかしキルアは、決めたのだ。

(オレはそっちには行かねえ)

 シロノが居る場所がいい場所なのか悪い場所なのか、キルアには判別がつかないし、つける気もない。しかしそこで暮らし、そして家族が大好きだと満面の笑みで言ったシロノにとっては、多分世界一居心地のいい場所なのだろう。

(オレにはお前がわかんねーけど)

 でも、とキルアは思った。

(でもオレは、お前がキライじゃねえよ、シロノ)

 

 

 ──I have no plans to call on you. The world is more interesting with you in it.

   (君のところへ行くつもりは全くない。けれどこの世には、君がいた方がおもしろい)

 

 

 ピッ、とリモコンのボタンを押し、キルアはもう一度チャンネルを変えた。先程の天空闘技場ニュース、画面では、ゴンとヒソカの試合の審判がインタビューを受けていた。

《判定は公正だったと自負している。ただ今日の一件は組み合わせの関係上、採点基準を下げてでも早めに終わらせるのが──》

「……っし」

 キルアは小さく声を漏らすと、がば、と身体を起こした。

「さて、これでようやく目標クリアだな」

「うん」

 漸くいつもの調子に戻ったらしいキルアに、ゴンもまた僅かな笑みを向けて相槌を打つ。

「さあ、もうここには用がねーし、今度はお前ん家行こーぜ!」

 キルアの表情は明るい。白い銀髪が、太陽の光を反射して煌めいている。

「ホント?」

「おう、ミトさんにも会ってみたいしさ」

 そんなキルアの言葉に、そういえばもう半年以上帰っていない、と思い立ったゴンは、うん、と頷く。

 そしてそうと決まれば、と二人はさっさと荷物を背負い、チェックアウトをすませると、数ヶ月滞在した高い塔を見上げた。

 

 ──バイバイ、天空闘技場!

 

 

 

++++++++++++++++++++++++++++

 

 

 

「ありゃー? パパがお迎えなの?」

 

 飛行船から降りた時、発着場の待ち合いベンチで本を読んでいるクロロを見て、シロノは目を丸くした。何やら理由があって迎えが来ることは事前に知らされていたが、それがまさかクロロだとは思わなかったからだ。

「不満か」

「ううん、いつもと違ってステキ」

「だからそれは使い方が間違っていると言っているだろうが……」

 パタン、と本を閉じたクロロは、妙なことばかり覚えてきている子供にため息をついた。やはり塾はダメだ、特に奇術師が塾講師なんて所は言語道断だ、などと思いながら。

「でもあれでしょ、どうせジャンケンに負けたんでしょ」

「うるさい」

 生意気に拍車がかかっている。そう思いつつクロロはさっさと立ち上がり、シロノはその横に小走りに駆け寄った。黒髪の長身と、白い棺桶を背負った小さい姿、二つの後ろ姿が並ぶ。

 

「ほら」

「なにこれ」

 

 突然投げ渡されたものに、シロノがきょとんとする。それは小さな鍵だった。クロロが質問に答えないことなどざらなので、シロノは別に答えを待つことなく、ただすかさず“凝”をしてそれがオーラで具現化されたものであることをチェックした。そんなシロノに、クロロは内心小さな満足を覚える。

 

「ねえねえ、ママに会えるってことは、あたしもう大人ってこと?」

 だって大人になったら会えるって約束だったもん、と言って見上げてくるシロノに、クロロは一瞬無言になる。しかし彼はシロノを見ないまま、真っすぐ前方を見据えて言った。

「何が大人だ。生理も来てないくせに」

「わあ……」

 シロノが目を細め、生暖かい笑みになる。いつもと違うなんて錯覚だ、やはりクロロはクロロ、いつもどおり色々と最悪のようだ、と。

「でもいつか来るよ。その時はお赤飯?」

「心配しなくてもアケミが炊きまくる」

 間違いない、とクロロは思った。そうか、とシロノが頷いている。

「楽しみだねー」

「……まだ先の話だ」

「へ? 帰ったらママ、いるんじゃないの?」

 クロロは無言になると、やがて足を速めた。やたらスタスタ歩いていくクロロを、「待ってよー」と言いながらシロノが追いかけてくる。

 

 

 

「ちょ、待って超緊張するんだけど! アタシ死ぬかもしれない! もう死んでるけど!」

「うんアケミ、それもう百回ぐらい聞いた」

 カタカタとタイピンクを続けるシャルナークが、平淡な声で言った。

「シャルくんアタシおかしくない!? ちゃんとしてる!? ママ! ってカンジする!?」

「意味が分かんないよもう……大丈夫だよフツーにしてなよ」

「フツーって何!? アタシはもうわからないわ!」

「俺にはアケミがわからない」

 錯乱する女幽霊に、シャルナークはあくまで冷静だ。

「でも驚いたぞ、呼ばれて来てみれば、まさか家が建っているとは。この短期間でこれだけの能力を確立させるとは、あの頃から精霊クラスだとは思っていたが凄いな、アケミ」

「うん、まあそれは確かにね。快適だし」

 椅子に腰掛けて言うボノレノフに、シャルナークは同意した。

 

 彼らが今居るのは、“家”の中、である。

 

 好きなことを極めることこそ最も効果的な能力を作るに至る、というのはヒソカの言だが、アケミが選んだのがこの“家”だった。

 マイホームを持つのが夢だったというのもあるらしいのだが、「子供が帰って来たとき、ちゃんとした家で迎えてやりたい」、というのも大きな理由である、と彼女は言った。

 そしてアケミが具現化したこの“家”は、かつての『レンガの家』をベースに発展させたものであるため相変わらず鉄壁の防御力を誇り、さらに“陰”の応用でもって「外から全く見えない」という特性まで供えていた。

 幽霊の能力らしい、と言えば、確かにそれらしい。実際に近付くと透明な何かがそこにあるということがわかるのだが、一般人ならまず気付かないだろう。しかも『おままごと』の時の「能力者が許可しないと中に入れない」という効果も健在で、アケミが鍵を渡した人間でなければ、出ることも入ることも絶対に出来ない。

 そして中はといえば、外から全く見えなかったのが嘘のようにしっかりと内装が施され、基本的にはアケミの趣味だが、団員たちの希望もふんだんに盛り込まれていた。もちろん全てが念での具現化なので、ノブナガの希望で和室を作ることになったアケミはシャルナークが取り寄せたタタミを念で具現化し、四畳半の和室を再現。最初はタタミをピンクにして呆れられたりもしたものだが、今では立派なものだ。

 そしてアケミは、この“家”の中であれば、常に自分を具現化させることが出来る。会話をすることも何かに触れることも、全てが可能だ。

 

「ただ“円”が13坪までしか広げられなかったのが不満だわ。15坪は欲しかったのに」

「……“円”を坪単位で捉えるなんて初めて見たよ本当……」

 シャルナークが、呆れた様子で言う。

「だって土地遊ばせとくのも勿体ないじゃない。せっかくウボーくんが工事してくれたんだし」

「ウボーはプチプチ潰し程度の感覚だっただろうから別に良いと思うけど」

 

 この“家”は、「更地にしか建てられない」という制約があるので、ウボォーギンが本拠地ホーム横の廃墟をぶっ潰してスペースを作ったのだが、30坪は作った更地がおおかた無駄になっている。外から“家”は目視できないので、傍目からは、本拠地ホームの横にただだだっ広い空き地ができたというようになっていた。

 

「にしても、今回一番働いたの間違いなく俺だよね。つーかまた今から9月のヨークシンの下調べなんですけど。人使い荒すぎない?」

「シロノのカトラリーもアケミの“家”の具現化の資料も、全部お前が探したんだろう?」

「そうだよもう……。シロノのやつなんかさ、一回手放したやつまた探すなんて初めてだから大変でさあ」

 

 そう、なんとシロノが最初にヒソカに買ってもらったあのスプーン、実は元々クロロたちが盗んだもの──いやもっと詳しく言うと、シロノが初仕事に着いていったあの時盗んだ獲物の一部だったのである。

 

 シロノからスプーンを見せられたクロロはさすがのものですぐにそれに気付き、そしてシャルナークは既に売り飛ばしたそれらを探すことになったのだった。

「でもシロノ、今になって見つけるなんて、よっぽど悔しかったんだね」

「気の毒なぐらい大泣きしていたからなあ……」

 そしてあれらのカトラリーは、もっと小さい頃のシロノが実際に使っていた食器であり、遊び道具だった。あの王朝の特徴で全て純金製である食器で食事をしたり、儀式用の大きなナイフとフォークで遊ぶのは体力づくりにもなると言って与えたのだが、獲物を売り飛ばす時にうっかりそれもまとめて売り飛ばしてしまい、お気に入りの玩具を勝手に転売されたシロノはそれはもう大泣きした。

 あの頃のことは記憶も曖昧であるようだし、さすがにもう忘れているだろうと思っていたのだが、よほどお気に入りだったのか、深層心理でしっかり覚えていたらしい。

 しかし幼い頃遊び倒した道具はシロノの手によく馴染み、しかもフェイタンによる改造も加えられ、あっという間に操作できるようになったのだった。

 

「で、団長が言ってたんだけど、アケミの“朱の海”もシロノのカトラリーも、両方とも例の王様に嫁入りしたロマシャの占い女王の持ち物なんだって? なんかあんのかな、ロマシャって」

「ふむ、その女王自体がかなりの念能力者だったようだがな。特にこの二つは残っている念が強いらしいが」

「アタシが思うに、これは“記念の品”だからだと思うわね」

 アケミが言い、シャルナークとボノレノフが彼女を振り返る。

 

「“朱の海”は結婚指輪、あのカトラリーセットは二人に子供が生まれたときの祝いの品よ」

 王家や貴族の間で、子供の誕生を祝う意味でカトラリーのセットを贈ったり制作したりするのはポピュラーだ。

「女って特に、そういう記念の品……“初めてのもの”って強く印象に残るものよ。特にファーストキスのこととか、もう何年も会ってないだけに相手のことを王子様のように美化して覚えちゃってたりするし。そういう気持ちが念の強さや内容に影響してもおかしくないと思うのよね」

「乙女チックな考えだなあ」

 

 

 

 

 

 

 ──一方、その頃。

 

「……イルミ兄さん、風邪?」

「まさか」

 いきなりクシャミをしたイルミは、無表情のまま、ぐずぐずとする鼻を押さえた。カルトが驚いた顔をして首を傾げている。猛毒でも死なないゾルディックが風邪など、冗談にもならない。

「誰か噂でもしてるんじゃないの」

「あーらイルミったら! ホホホホホホ!」

 何が“イルミったら”なのか全くわからないが、機嫌良さそうに高笑いするキキョウに、イルミは「そうだね」と返しておいた。

 

「ああそうそう、九月は大きい仕事が入ったから。カルト、お前も連れて行くよ」

「本当? 兄様」

「うん、修行しといてね」

「わかった」

 カルトはこくりと頷いた。心なしか嬉しそうである。

「あら、カルトちゃんを連れて行くの?」

「爺さんと親父が連れてけって。修行になるし、まあ俺が面倒見るから」

 それに向こうもどうせ子連れだし、別に文句は言わないと思うよ、と言ったイルミに、キキョウは微笑んで頷いた。

「そう。いいお得意様ねえ」

「料金3割増しだしね」

「まー! ホホホホホホ!」

「はっはっはっはっは」

(兄様もやっぱりスゴイ……)

 再度響いた窓をびりびり震わす高笑いに棒読みの乾いた笑いを返す無表情のイルミを、指を耳に突っ込んだカルトは本気で尊敬した。

 暗殺の王子様の住む山の上は、今日もそれなりに平和らしい。

 

 

 

 

 

 

「……ここ?」

「そう」

 本拠地(ホーム)横にできていた、何もないだだっ広い空き地。連れて来られたシロノは首を傾げていたが、鍵を手にすると途端に現れた小さな白い家に、目を見開く。

 クロロが扉を開けるように促し、シロノはドキドキしながら、鍵を鍵穴に入れる。カチャリと小さな音がしてから、シロノはそっとドアノブを掴んだ。

 

「──ただいまっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fan novel of "HUNTER x HUNTER" 2 /『Deadly Dinner』

 

~ END ~

 

 




ご愛読ありがとうございました。
ヨークシン編の第三部『spider's child』に続きます。
サイトで途中まで掲載済み。


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