雪の軌跡・リメイク (玻璃)
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終わりという名の、全ての始まり

旧プロローグにあたる部分です。


 クロスベル自治州の、南の湿地帯に出現した碧色の大樹。それを支えていた少女は、今役目を終えた。絶望して自らの存在を消し去ろうとまでした少女は、しかし青年に救われた。《零の領域》と後に呼ばれるようになるその地から、青年は少女を連れ戻してくれた。その、青年の腕の中で。皆を見回しながら少女は安堵の溜息を吐いた。

 ……良かった。皆、生きてる。生きててくれて、良かった。そう、少女は内心で思った。微かに聞こえる胸の内のどす黒い声は、聞こえないふりをした。

 泣きながら皆に迎えられて。皆は少女を赦してくれて。少女は青年の仲間たちに謝罪と感謝の言葉を述べた。

「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……! でも、来てくれて、ありがとう……!」

 泣きじゃくる少女に、周囲にいる青年や少女たちは慌てながらも抱き着いた。まるで赤子をあやすように。少女は皆に慈しまれた。

 ただし、少女の内心は少しずつどす黒い思いが満ちて来ていた。一言で表すのならば、『どうして』である。『ごめんなさい』と、『どうして』がないまぜになった少女の心は、とどまることを知らなかった。

 ごめんなさい、自分のせいで死んでしまった人たち。でもどうしてなんだろう。どうして、自分がこんなことをしなくてはならなかったのか。

 ごめんなさい、自分のせいで傷つけられた人たち。どうか死なないでほしい。でもどうしてだろう。どうして、自分がこんなことをしなくてはならなかったのか。どうして自分でなければならなかったのか。

 ごめんなさい、皆。でも、皆とまた一緒に生きていけてうれしい。これからも一緒に歩んでいけて幸せだよ。だけど、どうしてなんだろう。どうして自分だけがこんなことをしなくてはならなかったのか。どうして自分でなければならなかったのだろうか。自分が、やりたかったわけではないのに。――私が、望んだわけではないのに。

 そうして、少女は力を喪う直前にこう思った。思ってしまった。それが力を喪った後ならば何ら問題はなかったのだろう。しかし、少女がそれを願ってしまったのは力を喪う前だったのだ。

 

 ――普通の少女でいたかった、と。普通の少女だったらこんなことしなくてもよかったのに、と。

 

 そして、その願いは叶ってしまった。それも、歪んだ形で。暴走した力は肥大化して時をさかのぼり、全てを巻き戻した。そうして、有り得ないはずの存在を生んで時は再び動き始める。その歪みが顕著に出始め、ついに露見したのは七耀暦にして1202年のこと。不穏な空気を漂わせ始めたリベール王国の片隅であった。

 そう、言うなれば――その一握の気の迷いが、邪なものを生んだ。それは野を這いずり丘を駆け抜け空に災厄を振りまいたのだ。

 ここに歪んだ物語が幕を開ける。かつて稚拙に語られた物語は、虚飾されて再び動き始めた。

 




FC編改稿が終わり次第、次話を投稿します。


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FC編・序章~父、旅立つ~
特別な日


お待たせしました。
エタってないよ~、というアピール。

本日6/30より、10日、20日、30日の十日間隔で更新しようかなと思います。

ただし、今現在のストックは約30話。
ルーアンからまだ出られてません。
すぐに増えれば更新間隔が短くなるかもしれませんが、増えなければお察し。

今話はリメイク前の旧2~3話の半ばまでのリメイクとなります。

では、どうぞ。


 七耀暦(しちようれき)1202年の秋のことである。リベール王国の地方都市・ロレントの市街より少し離れた場所に、ブライトという姓をもつ一家が暮らしていた。母は亡く、父は現役の遊撃士(ブレイサー/ゆうげきし)であるブライト家には、三人の子供達がいた。

 ブライト家の子供達のうちの一人、養女にして長女アルシェムは、早朝から自らに訓練を課すのが日課となっている。今日も今日とてアルシェムは、肩口で切りそろえられた白銀の髪と黒いリボンで首元にまかれた雪のチョーカーを揺らし、強そうな意志の浮かぶ蒼穹の瞳で木偶を見据えながら棒術具を振るっていた。少し息は切れるものの、アルシェムにとってこのくらいの訓練は文字通り朝飯前である。ひらひらと紺色のキュロットが揺れるものの、その中身が見えることはない。因みに、女ではあるがキュロットと同じく紺色のブラウスに包まれた胸はまっ平らなので揺れない。

 やがて一通りの型を終えると、アルシェムはプリーツに隠されたスリットから二丁の導力銃を取り出した。黒く塗られたその導力銃は、市販のものではない。アルシェム自身が作成した導力銃である。アルシェムは導力銃を構えて木偶を見据えた。そして、一気に撃ち抜く。何かが破裂するような音が断続的に続いた。小さな金属片が木偶に突き刺さる。しかし、出来上がる穴は1つだけで他の場所に空くことはなかった。

 それをしばらく続けていたアルシェムだが、不意に気配を感じた。ブライト家における最強の気配。彼は玄関を開けるなり口を開いた。

「精が出るな、アルシェム」

「おはよーございます、カシウスさん。もー少しで終わるのでもーちょっと待って下さいね」

 アルシェムは導力銃で木偶を打ち抜くのを中断してそう答えた。そこに立っていたのは壮年の男性――ブライト家の大黒柱にしてアルシェムの義父、カシウス・ブライトだった。こうして戸口にもたれかかっているのを見ると不良中年にみえるが、彼はれっきとしたS級遊撃士である。遊撃士のランクにはSからFまでの階級があり、無論Sが最高クラスである。S級は遊撃士協会に所属する遊撃士の中でも4人しかいない。

 そんなS級遊撃士が苦笑しながら言うのは何とも所帯じみた言葉だった。

「相変わらずだな……父と呼んでくれても良いんだぞ?」

「や、一応居候の身ですし、流石に申し訳ないですから」

 カシウスは善意で言っているのだが、アルシェムはそれを受け入れるつもりはなかった。何故ならば、彼女はとある事情でブライト家の居候になったからである。その事情がある限り、アルシェムはカシウス達と家族になることはない。いずれ別離の時が来ると分かっているからこそ、アルシェムはその誘いを断るのだ。

 カシウスはアルシェムに向けて頑固だ、と評するとそのまま戸口でアルシェムを見守ろうとした。しかし、アルシェムは見られながら訓練するのは気恥ずかしいものがあるのでカシウスに向けてこう告げた。

「……そろそろ朝ごはんを用意したほーがよさそーですね」

「……全く、気を使う必要はないってのにねえ……」

 そう言いながらもカシウスは隣をすり抜ける義娘を通してやった。いつまでもアルシェムが家族になってくれないのには何か原因があるのではないか、と一瞬考えたものの頭を振る。カシウスがアルシェムを保護した時、確かに色々と不味い状況ではあった。しかし、逆に言うならばそれだけなのである。事情が事情だけにしり込みしているのかもしれないが、カシウスとしては別に気にしなくても良いと思っていた。

 そんなカシウスの内心もいざ知らず、アルシェムは朝食の作成にかかった。準備するものはベーコンととれたて卵にレタス。それに食パンである。完全に手抜き料理ではあるが、今日に限っては赦してくれるだろう。何せ、今日は特別な日なのだ。アルシェムはフライパンにベーコンを敷き、カリカリになるまで焼いていく。焼けたらそこにとれたて卵を人数分落として半熟気味になるまで火を通す。

 と、そこでアルシェムは階上で誰かが起き出す気配を感じた。場所的には左上。ということは、何でもそつなくこなす黒髪の少年が起きたのだろう。アルシェムにとっては戸籍上義兄にあたるその少年は、名をヨシュアといった。ヨシュアの気配はそのまま数分間とどまり、次いでベランダに出た。

 そうして流れ出すのは昔リベール王国の隣国・エレボニア帝国で流行った名曲『星の在り処』である。ヨシュアの日課は朝からハーモニカでこの曲を吹くことだった。アルシェムにとっても馴染み深いその曲は、とどまることを知らずにその美しい音色を響かせていた。思わず聞きほれてしまうほどの腕前に、アルシェムはベーコンエッグを焦がしてしまいそうになった。

「うわっと……危ないなー、もー……」

 その曲に聞き惚れる資格は、アルシェムにはない。自嘲気味に笑ってアルシェムは食パンをトースターに突っ込んだ。ベーコンエッグは既に火を止め、蓋をしてある。食パンに火を通している間に、アルシェムはレタスをちぎり終えた。そこで曲が終わり、拍手が聞こえる。その拍手を聞きながら、アルシェムはまだまだ修行不足だ、とひとりごちた。何せ、その少女の気配に気づけなかったのだから。本来ならば気付けたはずだったにもかかわらず、考え事をしていたせいで気付けなかった。彼女が目指す境地が何処なのかは分からないが、そもそもが常人の考えではない。

 それはさておき、ハーモニカを吹き終えたヨシュアとそれに拍手を送った栗色の髪の少女――ブライト家長女にしてカシウス唯一の実の娘、エステルが階下へと降りてきた。アルシェムは焼けた食パンにレタスとベーコンエッグを挟みながらエステル達に声を掛ける。

「おはよー、エステル、ヨシュア。元気そうで何よりだよ」

「モチのロンでしょ! おはよ、アル」

「おはようアル、今日も美味しそうな朝ごはんだね」

 エステルとヨシュアはアル――アルシェムの愛称である――と呼ぶほどにアルシェムという少女になついていた。エステル達は順に顔と手を洗い、食卓につく。アルシェムは急いで朝食を並べ、全員に飲み物を配った。エステルには友人ティオ・パーゼルの農園から分けて貰ったミルクを、ヨシュアとカシウスにはカシウスが手ずから引いていたコーヒーを、そしてアルシェム自身には適当に入れた紅茶を。カシウスも遅れて食卓につき、食事が始まった。

「いただきます」

 ちなみに、アルシェムの料理の腕はあまり良くない(と本人は思っている)。カシウスがエステル達を連れて呑みにつれて行ってくれるエステルの友人エリッサの両親が経営する居酒屋《アーベント》の料理を食べてまだまだ敵わない、と勝手にアルシェムが思っているだけであるが、普通に何も知らない人が食べれば、感想はどこかの店でありそう、というくらいにはなる。とにかく、アルシェムは自分の料理の腕に全く満足していないのである。

「アル、お代わり頂戴!」

「はいはい、お腹いっぱいになって動けなくならないよーにね」

 それはさておき、ホットサンドイッチを食べ終えたエステルがお代わりを催促するのでアルシェムは手早く作って渡した。何度も言うが、今日は特別な日なのである。ただし、エステルの誕生日ではない。カシウスは元気いっぱいの娘に苦笑しながらこう告げた。

「まあ、しっかり喰って気合を入れるんだな。今日は遊撃士協会(ブレイサーギルド/ギルド)で研修の仕上げがあるんだろう?」

「うん、今までのおさらいだけどね」

「それが終わっちゃえば、あたし達も父さんと同じ遊撃士になれるんだからね! もう子ども扱いなんてさせないんだから!」

 鼻息も荒くエステルはそう宣言する。そう、今日はエステルとヨシュア、それにアルシェムが遊撃士になるための最終テストの日なのである。エステルはいつまでも子ども扱いしてくる父に認めて貰いたかったのだ。単なる不良中年の癖に偉そうな、とエステルは内心思っているのだが、事実は全く違う。カシウス・ブライトがエステルを一人前だと思える日が来るのは少し先の未来であろう。

 それでも、カシウスは夢想せずにはいられなかった。才能の塊と言って良いほどの可愛い娘。身内びいきもあるが、それを抜きにしてもエステルという少女は実に遊撃士向きの娘であった。すぐに準遊撃士から正遊撃士へと昇格するのではないかと思えるほどに。カシウスは道のりを教えるかのようにエステルに告げた。

「フフン、まだまだ青いな。最初になれるのは準遊撃士。つまり見習いにすぎん。一人前になりたかったら早く正遊撃士になることだな」

「むむっ、上等じゃない。見てなさいよ~、いっぱい功績を上げまくって父さんを追い越してやるんだから!」

ぐぬぬ、と言いながらそう宣言するエステルが、アルシェムには眩しく見えた。未だ見えぬカシウスの実力を決めつけて、それでも超えると宣言する様は無謀でもあった。しかし、エステルならばやり遂げるだろう。アルシェムには何故かそう思えた。

「はっはっはっ。やれるもんならやってみろ」

 からからと笑いながらカシウスはエステルにそう告げた。簡単にぬかされるつもりは毛頭ない。ただ、自分を目標にして進むのであればしるべになってやらなければ、とカシウスは思っていた。

 カシウスを超えるべく燃えるエステル。しかし、そんなエステルに冷水をぶっかけたものがいた。無論、いつも冷静沈着なエステルの義兄――エステルの中では弟である――ヨシュアである。

「エステル、言っておくけど油断は禁物だよ? 今日は最後の試験があるんだから」

「そーそー。今日行けば遊撃士になれるってわけじゃないからね?」

「え゛……? そ、そうだっけ……?」

 どうやら、エステルはボケてしまっているらしかった。もしくは嫌なことは脳内から消し去るタイプなのか。先日、エステル達担当の先輩遊撃士から言われたことをすっかり忘れている様子である。アルシェムは呆れながらエステルに言った。

「そーだよ?研修の確認テストして、及第点もらえなかったら補修だってシェラさん言ってたじゃん」

「……やっば~…カンペキに忘れてたわ…まぁでも、何とかなるって☆」

 エステルは明るくそう言った。忘れていてどうにかなるものでもない気はするのだが、エステルは難なくクリアしてしまうだろうという予感がアルシェムにはあった。理由を述べるとするならば、エステルだから。その一言に尽きる。

 因みにアルシェムが告げたシェラという人物こそが先輩遊撃士であり、カシウスの弟子でありエステルの姉貴分でもある凄腕遊撃士、《銀閃》のシェラザード・ハーヴェイである。銀髪で男の眼に悪い露出狂な格好をしている遊撃士は恐らく彼女以外にはいないだろう。

 呑気なエステルの様子を見てカシウスは溜息を吐いてのたまった。

「まったくもって嘆かわしい。この楽天的な性格はいったい誰に似たんだろうな」

「間違いなくカシウスさんです」

「……ま、まあ、それはさておきだ。そろそろ時間なんじゃないか?」

 カシウスは冷たい目で見て来る義娘から目を逸らし、時計を見てそう言った。完全に誤魔化そうとしているのがバレバレである。それで誤魔化されるのは、エステルしかいない。

「あ、ほんとだ。そろそろ行かなくちゃ」

「シェラさんを待たせると怖いからね……主に呑まされるって意味で」

「そーだね……」

 アルシェムは手早く食器を片づけにかかる。エステル達は自室まで得物を取りに上がっていた。アルシェムが食器を片づけるのとほぼ同時にエステル達は降りてきたため、アルシェムは急いで自室である屋根裏部屋に小さな鞄を取りに上がる。鞄の中にいつもの装備が入っていることを確認してアルシェムは階下に降りた。

 すると、丁度エステルがカシウスに晩御飯を聞いていたところのようだ。本日の晩御飯の当番はエステルである。それで聞いていたのだろうが……

「ふむ…ルーアン風、サモーナの蒸し焼きバルサミコ酢風味なんてどうだ?」

 カシウスはにやにや笑いながらそう告げた。この親父、確信犯である。エステルにはそんな料理が作れないと分かった上でそういう提案をしたのだ。エステルはジト目で無理であることを宣言すると、カシウスはいつものように魚フライかオムレツで良いと笑って返した。そして、市街地に行くのならばついでにリベール通信という情報誌を買ってきてほしいとエステルに要請した。エステルは快諾し、そして家を出た。

 ブライト家からロレントへと向かうには、エリーズ街道という道を通る必要がある。この街道、ロレント側からブライト家を過ぎると魔獣が出て来るために少し危険な場所ではあるが、今日向かう先は逆方向なので問題ない。ふとアルシェムは背後に気配を感じたが、見知った気配だったために見逃した。見知らぬ気配で強者であれば何かと理由をつけて尋問しに行くのだが、それは余談である。

 ロレントにつくと、いい感じの時間になっていた。遅すぎもせず、早過ぎもせずというところか。エステルは遊撃士協会の紋章を見るなり身震いしてこう言った。

「う~っ、日曜学校を卒業したばっかりなのに……遊撃士になるためにこんなに勉強させられるなんて夢にも思わなかったよ~……」

「それも今日が最後でしょー? 好きでやってるんだし、勉強なんて当然じゃん。遊撃士が簡単になれる職業じゃないのくらいわかってたでしょーに」

「それもそっか。……よし! 最後くらい気合いを入れてシェラ姉のシゴキに耐えるぞっ!」

 エステルは本人が聞いていれば笑顔で鞭打たれるようなことをのたまった。因みに拷問ではなく、シェラザードの得物が単純に鞭だからこういう言い方になるだけである。無論アッチの意味でもない。

 決意を秘めた表情でエステルが遊撃士協会の壁を睨みつけていると、そこに1人のシスターが通りがかった。強い意志の煌めく碧眼を揺らし、金色の髪を長く伸ばして後ろでお下げにしている若いシスター。そのシスターをアルシェムはよく知っていた。

「日曜学校でもその意気でいてくれれば安心できたんですけどね、エステル?」

「げっ……メル先生!?」

 エステルは声を掛けて来たシスター――メル・コルティアという名である――に向けて珍妙な声を発した。エステルがメルのことを先生と呼んだのには理由がある。というのも、メルは日曜学校でエステル達の先生役を務めていた女性だからだ。実はそれほど年齢が離れているわけではないことを知っているのは、この場ではメル本人とアルシェムだけである。メルはエステルに声を掛けた。

「おはようございます、エステル、ヨシュア、アルシェム。この時間にこんな場所にいるということは、今日が研修の最後ということですか?」

「うん、今日が最後の研修だよ」

「目上の人間には敬語を使いなさいと何度言えば……ああ、エステルですから仕方ないのでしょうが、それもまあ持ち味と思えば良いでしょう」

 メルは淡々とエステルにそう告げた。するとエステルが複雑な顔をする。恐らくは褒められたのかけなされたのか分かっていないからだろう。因みにメルはどちらの意味でとってもいいように言っている。

「それって褒められてるの? それとも……」

「好きに取りなさい……月並みなことしか言いませんが、頑張ってくださいね?」

「……はい!」

 エステルは思わぬ人物からの激励に顔を輝かせた。まさかメルから激励がもらえるとは思ってもみなかったのだろう。いつも日曜学校で怒られていただけに、嬉しさも格別である。余談ではあるが、エステルはよく宿題をさぼって怒られていたのだった。

「さ、行ってらっしゃい。きっとシェラザードさんが待ちわびているでしょうから」

「げ、忘れてた……行ってきます、メル先生!」

「行ってきます」

「行ってきます、メルせんせー……程々にね」

 エステルは元気よく、ヨシュアとアルシェムは苦笑しながらそう言った。特にアルシェムは最後の言葉をメル以外の誰にも聞かれないように小声で言ったのだが、メルはそれを聞こえなかったことにしたようだった。そのままメルは七耀教会へと向かい、エステル達は遊撃士協会へと入った。

 遊撃士協会に入ると、受付にいる金髪で妙齢の美女が声を掛けて来た。

「あら、おはよう、エステルにヨシュア、アルシェム。もうシェラザードは来てるわよ」

「アイナさん、おはよう! もうシェラ姉来てるんだ……」

 エステルは前半は元気な声、後半はげんなりした声で金髪美女――アイナ・ホールデン――に挨拶する。ヨシュアとアルシェムもそれに追随して挨拶した。アイナは苦笑しながら言葉を続ける。

「あんまり待ちぼうけを食らわしちゃうと減点されてしまうかもしれないわよ? 折角の新しい遊撃士の誕生を見れなくなるのは嫌だわ」

「あはは、安心してよアイナさん! ちゃんと合格してみせるから」

「そのためにはさっさと行かないとねー?」

「うぐっ……分かってるわよ!」

 じゃあ行ってきます、とエステルはアイナに言葉を掛け、ヨシュアとアルシェムも苦笑しながら追従した。大体エステルがやることにヨシュア達が苦笑しながら追従するのがいつものパターンである。もっとも、その内心は全く違うものだが。

 それはさておき、階上へと向かおうとするとやけに真剣な女性の声が漏れ聞こえてきた。

「……『星』と『吊し人』……『隠者』と『魔術師』に、『塔』……そして逆位置の『運命の輪』……」

 どうやら、二階にいる女性――シェラザード・ハーヴェイはタロットで占い中のようだ。とても意味深なカードに、アルシェムは内心眉をひそめた。『星』はエステル。『吊し人』と『隠者』は分からないが、『魔術師』は恐らくアルシェムの知る最悪の人物だろう。そして、『塔』はアルシェムのことである。その流れ出た声は、とどまることを知らなかった。

「これは難しいわね。どう読み解けば良いのかしら……」

 深刻な顔で黙り込むシェラザード。しかし、その空気をぶち壊しにしたものがいた。

「シェラ姉、おっはよー!」

 エステルである。エステルは元気よくシェラザードに挨拶すると、シェラザードは苦笑して立ち上がった。

「あら、3人とも珍しいわね。こんなに早いだなんて……ハッ、まさか天変地異の前触れ!?」

「シェラ姉ってば失礼ねー、最後の研修くらい早起きしますーだ!」

 べーっ、と舌を出してシェラザードを威嚇するエステル。それを微笑ましいものでも見るかのような目で見たシェラザードは、最後の研修の開始を宣言した。




一話あたりの目安はこのくらいの長さです。
あくまでも長さであって文字数ではありません。

では、また。


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最後の研修

今話は旧3話の半ば~4話までのリメイクです。
リメイクしてると、どれだけ短くて未熟だったかよく分かる。
まあ、今も未熟なんでしょうけどね。

では、どうぞ。


 シェラザードはエステルにリベール王国における基礎知識と遊撃士の心得、そしてオーブメントについての研修を行い、エステルはそれを真剣に聞いていた。アルシェムにとっては随分昔に叩き込んだことばかりなので同じことの繰り返しにはなる。それでも一応は真面目に聞いておいた。減点されてエステルと共に遊撃士になれなければ困るのはアルシェム自身なのだから。座学の研修はすぐに終わり、次は実地での研修となった。因みに実地での研修であると聞いたエステルのテンションの上がりようは周囲がドン引きするほどであったとか。

 エステル達は実地研修に取り組むべく遊撃士協会の1階へと降りた。そして、そこで掲示板を見て依頼を受けるという遊撃士の一番基本的な行動を覚えた。その次はオーブメントについての研修である。エステル達は遊撃士協会の正面にあるオーブメント工房《メルダース》に向かった。

「やあ、エステル、ヨシュア、アルシェム。シェラザードさんから聞いているよ。早速説明を始めようと思うんだけど良いかな?」

「お願いします」

 エステル達は工房の跡取り息子、フライディから説明を受けようとしたが、それを制止したものがいた。

「待て、アルシェムはこっちじゃ。別に聞かんでもわかっておるじゃろ?」

「や、あの、形式って必要でしょー?」

「問答無用、作品を見せてくれ」

 アルシェムだけを連行したのはメルダースであった。シェラザードはそれを止めることはしなかった。というのも、アルシェムにはもう必要のない説明だったからである。アルシェムは引き取られてから半年後にツァイスに留学し、1年もの間オーブメントについて学んだ経験を持つ。故に、オーブメントは既に持っていてアーツを使うためのスロットは全開放され、クオーツもそろっているのである。まさに今更な説明であった。

 エステル達が講習を受けている間、アルシェムはメルダースに妙な作品は作っていないのかどうなのかとひたすらせっつかれていた。以前作っては見せていたのがあだとなったようである。因みに一番最近のものは『くるくる舞うお人形さんNo.9』であり、風属性の七耀石と時属性の七耀石を組み合わせて作られたものである。ネーミングセンスは全くない。

 そうこうしているうちに講習が終わったようである。アルシェムはメルダースに断りを入れて話を中断させた。すると、シェラザードがエステルに向けてこう告げた。

「さあて、次はお待ちかねの認定試験ね」

 その言葉を聞いた瞬間、エステルは顔をひきつらせた。まるでそんなことは聞いていないとでも言いたげであるが、残念ながら先日シェラザードから宣言されていたことである。エステルは引き攣った笑いを浮かべながらこう告げた。

「そ、そうだっけ……あ、あたしお腹が痛くなってきたかも……」

「こーら、昨日も話してたでしょーが。全く、ガキじゃないんだから……」

「本気で忘れてたんだったら賞賛ものだよ、エステル。昨日さんざん言ってたはずだし、今朝も試験があるって言ったばかりじゃないか」

「そ、そうだっけ……」

 きょとんと首を傾げるエステル。どうやら本気で忘れていたらしかった。そんなエステルを見てヨシュアとシェラザードは呆れている。無論アルシェムも呆れていたが、昨日のエステルは眼をぐるぐる回しながら勉強していたので忘れていてもおかしくないとは思っていた。要するに、テンパっていたのである。

 シェラザードはエステル達にこう告げた。

「ホント、期待を裏切らないんだから……まあ良いわ、とにかく試験場に行くわよ」

「え、ちょ、ちょっと待ってシェラ姉、まだ心の準備が……」

 笑顔で後退するエステル。しかし、シェラザードは容赦なくエステルの首根っこを掴んで歩き始めた。

「ほらっ、きりきり歩きなさい!」

「ヨシュア、アル、お助け~」

 エステルは情けない声を上げてシェラザードに連行されていく。ただし、あの状態では歩こうとしても歩けないのではないか、とどうでも良いことをアルシェムは考えていたので追いつくのに遅れた。

 とにかく、工房の主たちに挨拶をしてヨシュアとアルシェムはシェラザード達に合流した。シェラザードの行先は七耀教会の裏であり、アルシェムはその場所が下水道に通じる場所であることを知っていた。シェラザードはエステルを直立させて説明を始めた。

「さあ、研修も大詰めね。これから3人に認定試験を受けてもらうわ。今までの成果が発揮されることをとっても期待してるからね」

「はい」

「りょーかいです」

 ヨシュアとアルシェムは返事をしたのだが、エステルは周囲を見回して首を傾げていた。さしずめ、なぜこんな場所で認定試験を行うのだろう、といったところか。やがてエステルは呆然と声を漏らした。

「……ねえ、シェラ姉。もしかして……試験って、ペーパーじゃないの?」

「はあ? エステル、あんたさっき掲示板見たでしょうが。アレが最終試験よ」

 シェラザードはエステルの言葉に困惑しつつそう返した。すると、見る間にエステルの瞳に活気が戻っていく。踊り出しそうになりながら、エステルは大げさにこう言った。

「……ああ、空の女神様……地下水路を作って下さった情け深いお心の感謝を捧げます……! ひゃっほーい、筆記じゃないって最高!」

 そのままくるくる踊りだす。因みに比喩ではない。周囲にいた鳩が驚愕してバサバサと飛び去っていった。その光景を見てシェラザードがヨシュアに耳打ちする。

「……大丈夫なの、アレ……」

「ええ、多分。テンションが上がっているだけだと思います……」

 ヨシュアは頭を抑えながらそう答えた。流石にこの行動は恥ずかしいものがある。溜息を吐きつつエステルの奇行を見ながらヨシュアは思った。何で僕、エステルのことが好きなんだっけ……と。そのくらい間抜けな光景だった。

 すると、その一連の行動を見ていたアルシェムがエステルの脳天にチョップをかました。ゴスン、と小気味いいとはお世辞にも言えない音が鳴る。それを受けてエステルがアルシェムに抗議した。

「いった~い、何すんのよアル!」

「落ち着かないエステルが悪い。ほら、シェラさんお待たせしちゃってるから」

「ううっ……最近あたしの扱いがひどくなってる気がするぅ~……」

 エステルは涙目で頭を抑えながらそう言った。エステルの扱いがひどいのではなく、エステルの反応がおかしいだけである。もう少し大人っぽくなって欲しいというのがアルシェムの願いでもあった。大人らしく、と言えば良いのだろうか。とにかく、女性としての落ち着き――と言えば差別につながるかも知れないが――をエステルには身に着けてほしかったのである。

 それはともかく、シェラザードは呆れたように口を開いた。

「はいはい、そこまでよ。落第したらキツイ補習を受けさせてあげるからね?」

「う……でもでも、実地なんでしょ? じゃあ大丈夫だってば。シェラ姉だってあたしが実践が強いの知ってるでしょ?」

「実践と本番は違うのよ。自信があるなら結果で証明して頂戴」

 そして、シェラザードは認定試験の中身を説明した。内容は、地下水路内にある宝箱の中身を回収することである。そして、念のためにと七耀教会謹製のティアの薬とこれまでに出会った魔獣を記載する魔獣手帳を手渡した。アルシェムは以前持っていたのだが、遊撃士協会に返却した後なのでもう一度貰っておく。これはアルシェムが以前遊撃士だったことを意味しない。アルシェムはツァイスに留学していた際、遊撃士協会の協力員として動いていた時期があったのだ。そのために遊撃士協会から魔獣手帳を支給されていた。

「じゃ、行ってらっしゃい」

「うん、シェラ姉! さ、行こう2人とも!」

「りょーかい」

「慎重にね」

 3人はシェラザードに見送られながら地下水路へと降りて行った。あまり広さはないものの、そこには魔獣が跋扈している。遊撃士が週に一度は掃除しているはずなのであまり大量には湧いていないのだが、それでも魔獣はいた。

 エステルは自らの得物である棒術具を持ち、ヨシュアはエステルが傷つかないように黒塗りの双剣を構え、アルシェムは二丁の導力銃を魔獣に向けた。あくまでも慎重に、それでも確実に魔獣を狩って進んでいくエステル達。その中で、アルシェムはあくびをかみ殺していた。暇だったのだ、ありていに言えば。

 アルシェムは先日、シェラザードから手加減するようにと言われていた。アルシェムにはツァイスで以前魔獣狩り専門の遊撃士協会の協力員として働いていた実績があるためだ。普通の魔獣から古代種まで狩ったらしいというその噂を、シェラザードは信じてはいなかった。しかし、念のためもある。エステルの実力を見るためだけにこの試験はあるのだから。

 アルシェムが本日四度目のあくびをかみ殺した時、ようやくエステル達は地下水路にある宝箱を発見していた。残念ながらここには宝箱型魔獣はいないのでそういう意味での警戒をする必要はない。もっとも、宝箱の中に潜んでいるのもいるようだが。

 宝箱の前に陣取っていた魔獣をさくっと片付け、エステルは宝箱を開けた。そこには手のひらに載るくらいの小箱が3つ入れられていた。エステルはそれを見て目をぱちくりと瞬かせた。そして、声を漏らす。

「……小箱? 何だろう、開けちゃっても良いかな?」

「ダメだよ、エステル。試験は捜索と回収だけで、中身の確認は含まれてなかっただろう?」

「ま、中身の推測はついてるから後で教えてあげるよ。だから我慢して?」

 エステルはヨシュアとアルシェムの制止に複雑な顔をしたが、それもそうだったと思い直した。何せ、これは試験である。何か迂闊なことをしてしまっては落第してしまう可能性がある以上、下手なことは出来ない。ただ、それでも気になるようでアルシェムに声を掛ける。

「中身って何だと思う? アル」

「エステルが合格したら多分分かるよ」

「むぅ~……分かった、諦める。というより、早く終われば見せて貰えるかも知れないわよね! そうと決まれば急ぎましょ!」

 そう言ってエステルは駆けだした。魔獣のことなど気にもしていない様子で。ただし、蛙の子は蛙と言ったところか、前方にいた魔獣はばったばったと薙ぎ倒されていったが。普通の魔獣ではエステルの相手にもならないのである。ぐんぐん進むエステルを追ってヨシュア達は急いだ。

 エステルはどんどん先に進むが、ふと立ち止まった。何か違和感を感じたようである。

「……あれ? ここ、何かさっきよりほこりっぽいような……」

 そう言葉を漏らすと、周囲を見回す。アルシェムは急速に収束しつつある気配を感じた。それは、まぎれもなく魔獣の気配である。この場所ではめったに出ない魔獣のはずだ。ヨシュアもその気配に気づき、エステルに警戒を呼び掛ける。

「エステル、気を付けて!」

「え……きゃっ!?」

「エステルッッ!?」

 そのヨシュアの警告は遅すぎたのだ。エステルの足元で急速に(ちり)が収束し、エステルの身長ほどもある魔獣が出現した。その場から咄嗟に飛び退くエステル。しかし、その行動でその魔獣には目をつけられてしまった。即ち、戦わないという選択肢はなくなってしまった。

 ヨシュアはエステルを背後に庇って斬撃を繰り出す。しかし、その魔獣を斬ったという手ごたえは伝わって来なかった。歯噛みしつつもヨシュアは手振りでエステルを下がらせる。そこにアルシェムから声が掛けられた。

「ヨシュア、もーちょい注意引いてて!」

「ああ、頼んだ、アル!」

 ヨシュアの返事を聞いたアルシェムはポケットからオーブメントを取り出して水属性のアーツを駆動させるべく準備する。ここで火属性のアーツが使えれば()目的(めてき)にも効果があるのだろうが、残念ながら何故かアルシェムのオーブメントは火属性のクオーツを受け付けない。故に、アルシェムのオーブメントで使えるアーツの中で一番効果があると思われ、かつ塵がまき散らされないようなアーツを選んだのだ。

「ヨシュア、退いて! ……アクアブリード!」

 アルシェムの声にヨシュアは飛びのき、その魔獣に水属性の単体攻撃アーツ、アクアブリードが突き刺さった。魔獣は水でぬれて動きが鈍くなる。アルシェムは次のアーツの駆動の準備をし始めた。それを見てヨシュアは魔獣がエステルを狙わないように攻撃を始める。先ほどまでよりは攻撃は当たるようになったが、まだまだ健在のようである。

「エステル、ひとまずシェラさんに連絡を取らないと……」

「分かった」

 エステルは力強く頷いて出口へと踵を返そうとしたが、エステルは出口へたどり着くことは出来なかった。エステルの眼前にも塵が収束した魔獣がいたのである。

「ヨシュア、こっちにも……!」

「くっ……」

「エステル、使えるアーツは!?」

 歯噛みするヨシュアをよそに、アルシェムはエステルにそう問うた。因みにアーツを駆動中である。エステルは慌ててその問いに応えた。

「ええっと、水属性と、火属性と……」

「火属性のアーツぶちかまして! わたしのじゃ出来ないから、お願い!」

「わ、分かった!」

 そうして、エステルが火属性アーツを魔獣に浴びせるのを見ながらヨシュアはエステルを護衛し、アルシェムは単独で逃げ回りながら水属性と時属性のアーツを魔獣にはなっていた。そのうちシェラザードが異変に気付いて来てくれるだろうと、そう信じて。

 戦況が変わったのはアルシェムの方が先だった。アーツを駆動するためのEPがなくなってしまったのだ。仕方なくアルシェムは跳弾に気を付けて魔獣を狙撃するしかなかったが、何となくで撃ち抜くだけで魔獣はダメージを負っていた。最初からこうしておけばよかった、とアルシェムは思ったものの、油断だけはせずにその魔獣を仕留め終えた。

 そして、魔獣を仕留め終わったアルシェムが背後を見た時だった。エステル達の眼前で魔獣が炎に包まれていた。エステル達は必死で気付いていないようだが、明らかにあの魔獣はエステルのアーツで燃えているのではなかった。アルシェムは舌打ちしてその魔獣を仕留めにかかる。

「アル!?」

「射線上から離れて、エステル!」

「……っ、分かった!」

 エステルも天性のカンでそれが自分の引き起こしたことではないと分かっていたのだろうか。若干ためらいはしたものの壁に張り付く。その瞬間、アルシェムはクラフトを発動させて魔獣を屠った。

「っふー……」

「終わった、かな?」

「多分……」

 エステル達は顔を見合わせてその場から立ち去った。アルシェムだけは手に持っていた小さな紙に何事かを書きつけてその場に置いて行ったが、それにエステル達は気付く様子もなかった。地下水路から上がる寸前、『お節介で悪かったですね』という女の声が聞こえた気がしたが気のせいだろう。

 そして、エステル達は地上へと戻った。そしてシェラザードに魔獣のことも含めて報告し、小箱を手渡す。

「うん……本物ね。開いた痕跡も無し、と。その魔獣のことは気になるけど、退治してくれて助かったわ」

「あんなのがいっぱいいたら大変だと思うんだけど……」

「大丈夫よ、元々はあたしが狩ってた魔獣だし」

 シェラザードはしれっとそんなことを言う。ということは、魔獣の掃除をする際に狩り零したということだろうか。アルシェムとしてはぜひとも訊問したいところではあるが、またの機会においておくことにした。今は魔獣程度にかかずらっている場合ではないからである。

 シェラザードはにっこり笑ってエステル達に告げた。

「ま、でも……3人ともおめでとう。認定試験は合格よ」

「まあ、あの魔獣以外は楽勝だったもんね」

「はは……」

 ヨシュアは曖昧に苦笑しながら考えた。あの時放たれたアーツは間違いなくエステルのものではない。そして、アルシェムのものでもなかったのだ。そして、最後に聞こえた『お節介』発言。つまりは第三者があの場所にいたことになる。一体何の目的でそこにいたのか知らなければならない気がした。と言っても手掛かりはアーツのみで他にはない。もしもエステルのストーカーならばこの先会って物理的にお話しできるだろう、とヨシュアは結論付けた。

 ヨシュアが考え込んでいるうちにエステルへの説明は終わってしまったようだ。この先は報告のために遊撃士協会に戻るらしい。ヨシュアは考え事をしながら遊撃士協会へと戻るのだった。




結構端折ってる気がしないでもないです。

では、また。


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試験後のひと時

今話は、旧5話~6話の半ばまでのリメイクです。
少しばかり展開が変わっていたりしますが、大筋に変わりはありません。

では、どうぞ。


 試験形式の依頼を達成し、アイナに報告を終えて晴れて準遊撃士となった3人は、シェラザードたちと別れて遊撃士協会から出た。すると、眼前を横切る少年たちがいた。

「おーい、早く来いよ~!」

「ま、待ってよ~!」

 エステルにとって馴染み深いその少年たちは、急いだように街の北へと向かおうとする。エステルはいつものようにその少年たちに声を掛けた。

「今日は何してるの、ルックにパット」

「げげっ、エステル!?」

「あ、ヨシュアお兄ちゃんにアルお姉ちゃん」

 エステルの言葉に大げさに反応してみせたのがルック。そしてヨシュア達の名を呼んだのがパットである。彼らは年頃の少年らしく今日も元気なようだった。

 エステルはルックの言葉にムッとしたようにこう応えた。

「失礼ね~。なによその『げげっ』てのは?急いでるみたいだけど、どこかに遊びに行くつもり? 気を付けないとダメよ~。街道には魔獣もいるんだからね」

「ふんだ、うっさいな。オトコのやることにオンナが口出さないでくんない? 遊撃士でもないくせに……」

 お姉さん風を吹かせるエステルにカチンと来たのか、ルックは負けじと言い返す。しかし、この言葉は現在のエステルの状況を指すものではなかった。そう、エステルは既に準遊撃士になっているのだ。

 エステルは不敵な笑みを浮かべながらルックに告げた。

「ふっふっふっ……甘い! パーゼル農園のミルクより甘いわ!」

「へっ?」

 エステルの言葉に動揺するルック。

 因みにルックでも分かるこのたとえはエステルの友人ティオ・パーゼルの父が経営する農園で搾乳されるミルクに起因する。このミルクはコクがあるにもかかわらずサラッとしており、しかも甘いという驚愕の飲み物である。因みにエステルはこのミルクがお気に入りで毎朝呑んでいる。よく虫歯にならないものだ、とアルシェムは思っているが、このミルクは誰もが愛好して呑むほどに絶品なのだ。他の地方にも特産品のミルクはあるが、このミルクの美味しさには負けるだろう。

 それはさておき、エステルはにんまりと笑いながらルックに向けて宣言した。

「ホホ、つい先程をもちましてあたくし、遊撃士資格を得ましたの。正真正銘、本物のブ・レ・イ・サ・ぁ☆」

「見習いみたいなものだし、威張れるような立場じゃないけどね」

「とゆーか、調子に乗り過ぎてもどーかと思うけど」

 エステルの自信満々の宣言に水を差すヨシュアとアルシェム。あまり調子に乗られてしまっては失敗した時の反動が怖いのである。実際、エステルは過去虫取りにおいて失敗してしまっている。虫を取るために魔獣(ホーネット)の巣に突っ込んだり、などなど……数え上げればきりがない。それでもあきらめずに立ち上がるのがエステルであるが。

「そこ、水を差さないの! 全く、これだからうちの捻くれた弟たちは……」

「お姉ちゃんたち凄い! やったね、エステルお姉ちゃん!」

「あー、パットは良い子ね~。癒されるわ~……」

 エステルはパットの頭を撫でまわした。パットの顔が赤いのは仕様である。流石に気になるお姉さんから頭を撫でられれば赤面もするだろう。

 その隣で、ルックが有り得ないという顔でぶつぶつつぶやいていた。

「そ、そんな……オレの方が先に遊撃士になるはずだったのに……ヨシュアにーちゃんやアルねーちゃんならともかく、エステルなんかに先越されるなんて……有り得ない……」

「『なんか』って何よう! 大体ねぇ、16歳以上じゃないと遊撃士にはなれないんだからね!」

 ルックの呟きに噛みつくエステル。どう見ても大人げないのだが、これがエステルの魅力でもある。エステルは子供からの人気が高いのだ。ロレントに住む子供達は全員エステルのことを知っているし、その人柄をも知っている。そして、エステルになつくのだ。例外としてたまに幼女がヨシュアになついたりもするのだが、アルシェムには全く子供がなつかない。ルックとパットだけが例外である。

 がるるる、と言いながらエステルとルックは張り合っていた。まるで子供同士の喧嘩である。否、確かに成人ではないので子供同士ではあるのだが。そのうちルックがエステルに捨て台詞を吐いた。

「くっそ~、覚えてろよ! 秘密基地で特訓してすぐに遊撃士になってやるからな! 行こうぜパット!」

「う、うん……お姉ちゃん達、またね!」

 そう言ってルックとパットは街の北へと走り去っていった。街の外に出ていないかだけが心配である。特にルックならば有り得る話なので少し警戒する必要がありそうだ。そうアルシェムは思った。

 エステルは走り去るルックたちを見てこうこぼした。

「まったく……すぐ突っかかってくるんだから……もしかしてあたし、嫌われてるのかな?」

「や、どっちかとゆーと好かれてるんじゃないの?」

 眉をハの字にして言うエステルに、アルシェムはそうフォローを入れた。実際、ルックたちはエステルを好いているからこそあの反応なのである。ある意味では人たらしのエステルとでも言えば良いのか。このロレントの街でエステルに悪感情を抱く者はいなかった。街の皆に好かれているのである。それはある意味で遊撃士として必要な資質であり、エステルの持つ武器でもあった。

 そこにヨシュアもフォローを入れる。と言っても、フォローというよりは曖昧な言葉を投げただけであるが。

「ま、男の子ってことさ。……それにしても秘密基地か……」

「なんかそそられる響きよね! 良いなあ、秘密基地……ロマンがあって」

 ヨシュアの言った秘密基地という言葉に目を輝かせるエステル。子供のころから男勝りだったエステルはそういう秘密基地など一般的に男の子が好むといわれるものが大好物なのだ。そこには恐らくエステルの母の影響があるのだろう。早くして母を喪ったエステルは男手ひとつで育てられたのだから。カシウスもそういったものを好むために嗜好が移った可能性は捨てきれない。

 そんなことも察知せず、ヨシュアはエステルに言った。

「そういう意味で気になるんじゃないんだけど……」

「街の外だと問題ってことでしょー? 流石にそこまでは考えてると思うけど……」

 ルックならば有り得そうだ、とヨシュアとアルシェムは同時に思った。そして同時に首を振って否定した。まさかそんなことがあるわけがない。止める大人がいるはずだと。この考えが後で事件を起こすことになるのだが、今はその時ではない。

 エステル達はロレントの住民に会うたびに準遊撃士になったこと、また応援してくれたことについて感謝の意を述べていった。町中の人が祝福してくれ、また惜しんでくれた。遊撃士になるということはロレントを必ず一度離れなければならないからである。準遊撃士から遊撃士に昇格するにはリベール全土を回り、各地の推薦状を得る必要があるからだ。

 順々に挨拶をしていき、そしてエステルは最後にカシウスから頼まれたリベール通信を買うべくリノン総合商店へと足を踏み入れた。すると、店主リノンが出迎えてくれる。

「やあ、いらっしゃい。新しい靴でも買いに来たのかい?」

「えっ、新しいの入ってるの? 《ストレガー》の新作とかっ!?」

 エステルは一気に色めきたった。エステルはストレガー社のスニーカーをこよなく愛する人種である。新作が出れば買い集め、また実際に履いて出かけることもしばしば。今エステルが履いているスニーカーもストレガー社のものである。

 しかし、今はスニーカーを買いに来たのではないのでヨシュアがリノンに告げた。

「リベール通信を下さい」

「はは、100ミラだね。残念だけどストレガーの新作は出てないみたいだよ」

「そ、そっか……残念」

 エステルはがっくりと首を落とした。ストレガーの熱狂的ファンとしてはいつでも新作をチェックしておくのは基本なのだが、ないと言われると落ち込むのである。そんなエステルの様子を見たリノンがエステルのテンションを上げるべくこう聞いた。

「そういや、エステル。無事に遊撃士にはなれたのかい?」

 無論、リノンは街の噂と何よりもエステルの胸につけられている遊撃士協会の紋章を見ているために遊撃士になれたのだとは知っている。エステルの念願の夢だったことも知っているし、遊撃士になれたことがエステルにとってどれだけ嬉しいことなのかも知っている。そのために聞いたのだ。エステルは笑っている方が魅力的なのだから。

 事実、エステルはリノンの問いに顔を輝かせて答えた。

「えへへ、うん、ちゃんとなれたよ、リノンさん!」

「そりゃあ良かった。今夜はご馳走か?」

「ううん、食事当番はあたしだからそんなに豪華には出来ないかも」

 エステルは苦笑しながら答えた。エステル自身、料理はあまり上手くない。ヨシュアやアルシェムに手伝って貰えばいくらでも豪華には出来る気がしたが、逆にこういう記念日だからこそ自分の足で立ったという証に料理も作りたいと思っていた。材料はもう揃っている。とれたて卵に、食パン。朝ごはんと使う食材は同じだが、エステルが作るものはオムレツだった。もしくは食パンをお米に変えて頑張ってもオムライス。ただし今ブライト家には肉がないため、少し頼りない感じになってしまうのは否めない。

 すると、にやりと笑ったリノンがエステルに小包を差し出した。

「ほら、これは僕からのお祝いの品だよ」

「え、これは……」

「家に帰ってから開けてくれよ?」

 エステルは恥ずかしそうに笑うリノンから小包を受け取った。それはずっしりと重く、ひんやりとしていた。因みにヨシュアがリノンをものすごい形相で睨んでいたのだが、エステルは気付かなかった。裏を返せばリノンとアルシェムは気付いていたことになる。恐らくは贈り物であっても好意からであって、恋心からではない。流石にロリコンとまでは言わないし年の差もさほどないのだが、リノンはヨシュアを敵に回す度胸がなかった。

 そんな周囲の状況にも気づかず、エステルは笑顔でリノンに礼を言った。

「ありがとう、リノンさん!」

「いっ……いやいや、このくらいは当然さ。いつも贔屓にしてくれてるからね」

「そう? じゃ、また来るね、リノンさん!」

 そう言ってエステルはリノン総合商店を出た。アルシェムは遅れて、ヨシュアはリノンにしっかりと釘を刺してから店を出た。哀れ、リノンはヨシュアに脅されて栗色の髪の女とは付き合えなくなったそうな。

 それはさておき、エステル達はブライト家へと足を向けようとした。しかし、その場で女の声に呼び止められた。

「エステル、ヨシュア、アルシェム! ああ、丁度良かった、今カシウスさんは家にいらっしゃる?」

 やけに焦ったその声の主は、先ほど受付で別れたはずのアイナだった。アイナは焦ったようにエステルの返事を待っている。エステルはアイナにこう返した。

「朝は家で書類を整理してるって言ってたけど……もしかして事件?」

「ええ、さっきユニちゃんが教えてくれたんだけど、ルックとパットが《翡翠の塔》に行っちゃったらしくて……!」

 アイナの言葉にアルシェムは顔をひきつらせた。《翡翠の塔》は現在魔獣の住処となっており、そもそも一般人が入ってはいけないことになっているはずだ。その場所にルックとパットがいるということは危険であることを示す。

 アルシェムの考えに、エステルも至っていたようだ。顔を青ざめさせてアイナに言う。

「あそこ、確か魔獣の住処だったはずよね!? 大変……」

「こうして出て来たってことはシェラさんは出掛けてるんですね!?」

「ええ、だからカシウスさんに急いで伝えて来てくれないかしら?」

 緊迫した状況の中、アイナはエステル達にそう要請した。しかし、エステルは頭を振ってそれを否定した。

「何言ってんのアイナさん! 今すぐあたし達が追いかけたら間に合うかもしれないじゃない!」

「で、でも貴方達は今日準遊撃士になったばかりじゃない! 危険だわ!」

 エステルの言葉に、アルシェムは迷いを断ち切った。今すぐに動かなければルックたちが危ないのだ。あの時引き留めさえしていればこんなことにはならなかったかもしれないのに。その後悔がアルシェムを突き動かした。

「アイナさん、じゃーアイナさんがカシウスさんに連絡をお願いします。準遊撃士とはいえ、わたしは元遊撃士協会の協力員です。少しは信用してください、手遅れになっちゃってからでは遅いですから」

 アイナはアルシェムの言葉に一瞬の逡巡を見せた。しかし、それが一番合理的だと悟ったのだろう。何かを覚悟したようにアイナは言い放った。

「……分かりました。全責任は私が持ちます。遊撃士協会からの緊急要請よ、一刻も早く子供達の安全を確保して頂戴!」

 それにエステル達は威勢よく答え、街の外へと飛び出した。エステルはリノンから預かった荷物を鞄の中に収納し、両手を使えるようにしておく。ヨシュアも壮健を構えて疾走し、アルシェムも途中の魔獣を殲滅すべく導力銃を構えた。アルシェムが探る限り、ルックたちの気配は近くにはない。

 アルシェムは歯ぎしりしてヨシュアに提案した。

「先行するから、エステルよろしく!」

「分かった、気を付けてね、アル!」

 ヨシュアは一つ返事で了承したのを後目にアルシェムは走るスピードを上げた。アルシェムの手によって銃弾がばらまかれる。それだけで周囲にいた魔獣は戦闘不能、および瀕死の状態になる。それをはた目に見ながらアルシェムは走る。

 エステル達から自分が見えなくなったことを確認すると、アルシェムは更にスピードを上げた。周囲にいた魔獣はただ殲滅されるだけ。ルックたちの気配は近くなっている。

 道中では見つけることは出来なかったため、アルシェムは《翡翠の塔》に侵入した。案の定子供の足跡があり、それが2階へと続いている。幸い、1階には魔獣がいなかったので完全にスルー。全速力でアルシェムが2階へと駆けこむと、奥の方で魔獣に囲まれているルックとパットがいた。

 アルシェムは魔獣の注意を引くために叫んだ。

「ルック、パット、動くな!」

 魔獣の注意が一瞬アルシェムの方に向く。しかし、この行動は誤りだったようだった。ルックがアルシェムを見つけて叫んでしまったからだ。

「アルねーちゃん!?」

「……っ、この、馬鹿……!」

 アルシェムは予定を変更して導力銃で魔獣を撃ち抜く。そして魔獣が怯んだ隙に魔獣とルックたちの間に文字通り跳び込んだ。きちんと狙った位置に着地することは出来たが、その結果を振り返ることなくアルシェムは反転して魔獣を撃ち始めた。

 さて、導力銃の弾丸は基本的に小さな金属片とそれを取り巻く導力によって成り立っている。先ほどからアルシェムは残弾を気にせずに撃ちまくっているのだが、それには理由があった。というのも、ブラウスの袖口には大量のマガジンがセットされているために弾切れの心配はなく、またアルシェム自身が改造した導力銃であるために弾丸は非常に小さくなっていて自然と装填数が上がっているのだ。

 しかし、限りがあるのは事実で、だからこそアルシェムは銃の腕を磨いていたのだ。アルシェムの放つ銃弾は過たず魔獣の急所へと突き刺さっていく。なお、単発でしか攻撃をしないのはクラフトを使った後の硬直を無くす為である。

 そんな中で、アルシェムに声を掛けるものがいた。パットである。

「あ、あの……アルお姉ちゃん……」

「後でいっぱい説教するからそれまでじっとしててよ。余裕がある訳じゃないから」

「ご、ごめんなさい……」

 パットは大人しく引き下がった。今何を言っても邪魔にしかならないと悟ったのである。

 そうしている間にもどんどん魔獣は増えていく。一体一体は大したことのない魔獣であるが、集まれば脅威である。何よりも視界が遮られてしまうのだ。異常発生しているらしい魔獣――ポムという名である――は、愛らしい顔つきをしているもののオーブメントにあるEPを好んで食べる傾向にある。そのためにアーツを使うことも出来ず、アルシェムはただ魔獣を狩るしかなかった。たまにきらきら光るポム(シャイニングポム)が出現しているものの、アルシェムの銃弾2発で簡単に倒れてしまう。

 アルシェムは表面にだけ焦りをだしながらただひたすらに待った。増援が来るその時を。そして――

「ヨシュア!」

「了解!」

 増援は、来た。栗色の髪をなびかせながら、琥珀色の瞳の少年を従えて。




文字数で言うとばらつきはあるけど6000~7000字程度ですかね。
ちょっと長いのかもと思いつつそう言えば万超えのSS普通に読んでるわと思い至った次第。

では、また。


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偉大なる義父上様

今話は旧6話の半ば~7話の半ばまでのリメイクとなります。

あー、文才が欲しい。

では、どうぞ。


 エステル達は山道を急いでいた。途中の魔獣が少なすぎることに首を傾げてはいたが、今はそんな些事に構っている暇はないのである。先行したアルシェムが帰ってきていないということは、戻ってこれないような状況にあるということ。エステル達は焦りながらも《翡翠の塔》へと全速力で向かっていた。

 エステルの心の中は『早く』という言葉で占められていた。早く行かなければ、ルックとパットが危ない。アルシェムならば大丈夫だろうが、ここまで戻ってこないとなると何かに巻き込まれた可能性がある。それにルックとパットが巻き込まれてしまっていたら、と考えるだけで怖かった。

 恐慌状態寸前のエステルを見てヨシュアは内心溜息を吐いた。そして、エステルを元気づけるべく声を掛ける。

「エステル、落ち着いて。大丈夫だから」

「うん……きっと、大丈夫だよね?」

「ああ、だってアルが行ったからね」

 エステルにとって、この言葉は安心できるだけの要素を持っていた。何せ、エステルは模擬戦ではアルシェムに勝ったことがないのである。エステルよりも強いアルシェムがいってくれているのだから、まだ大丈夫だと無理やり自分に信じ込ませた。

 エステル達は程なくして《翡翠の塔》に辿り着いた。中に入るとひっきりなしに発砲音が響いている。ということはアルシェムが戦っているのだ。エステル達は慎重に階上へと登った。すると、そこにはルックとパットを背後に護りながら導力銃を撃っているアルシェムの姿が見えた。その瞬間、エステルは叫んでいた。

「ヨシュア!」

「了解!」

 ヨシュアはエステルの叫びに応え、エステルと共に魔獣に突っ込んだ。エステルは魔獣を薙ぎ倒し、ヨシュアは斬り裂いていく。あっという間に魔獣はセピスと毛皮を残して消えていく。

「すげえ……」

「うん……エステルお姉ちゃんも、ヨシュアお兄ちゃんも凄い……」

 ルックとパットの感嘆を聞きながら、エステル達は魔獣を狩り終えた。狩り終えたと思っても周囲への警戒は解かない。しかし、ルックとパットは感嘆の声を上げながらエステルに飛びついた。

「すっげえっ! エステル、結構強いんだぁ! オンナの癖にやるじゃん!」

「あ、あの、かっこよかったです!」

 その光景を後目に見ながら、アルシェムは地面に散らばったセピスと毛皮を拾い集めた。セピスは後で寄せ集めてクオーツにしたりオーブメント細工を作るために使い、毛皮は売りさばく。すると結構な値段で売れるのだ。天然もののふっかふかなポムの毛皮は。がめついということなかれ、アルシェムは毛皮に隠れているかも知れないポムを探しているだけである。案の定何匹か潜んでいたので仕留め、セピスを回収する。粗方回収し終わった後にはルックたちへの説教は佳境を迎えていた。

 エステルはルックを羽交い絞めにしながら叱責する。

「ルック! 反省しなさい!」

「いたた、やめろってば! 暴力オンナ! 馬鹿エステル!」

 そうしてエステルはルックを目いっぱい叱りつけようとした。しかし、それはアルシェムの叫びによって止められた。

「エステル、避けて!」

 エステルがその声に振り向くと、背後にはこの場にはいないはずの魚型魔獣がいた。アルシェムはそれに気付いたから叫んだのである。本来ならばルーアン周辺を生息地とするはずのその魔獣はまっすぐとエステルに向かう。エステルは慌ててルックを放そうとするが間に合わない。

「え、やば……」

「……ちいッ!」

 ヨシュアがその場から駆け出そうとするが、間に合わない。それでもヨシュアは駆けた。大切なエステルを守るために。そして、一発の銃声と打撃音が響き、魔獣がセピスを残して消えた。

 ヨシュアはそれを知覚すると急ブレーキをかけ、魔獣に打撃を喰らわせた男に向けて言葉を発した。

「良かった、来てくれたんだ」

 ヨシュアの視線の先には栗色の髪の男性、人呼んで公式チート親父、カシウス・ブライトが自らの得物である青い棒術具と共に立っていた。カシウスは小さくヨシュアに向けて頷くと、エステルに向けて静かに言葉を発した。

「まだまだ甘いな、エステル。見えざる脅威に備えるために常に感覚を研ぎ澄ませておくのが遊撃士の心得だぞ?」

 エステルは放心しているようだったが、それでも何とか現実に帰ってきて叫んだ。

「と、父さん!? どうして……」

「アイナが家に駆けこんできた。……行動力と判断は評価できるが、まだまだ詰めが甘かったようだな?」

 ほらほら、父さんに言ってみな? 的なノリでエステルに迫るカシウス。エステルも思うところがあったようで正直に応えた。

「うう、面目ないです……」

 ルックを叱るためとはいえ、それ以外のことに気が回らなくなってしまっていたエステルの落ち度である。そういう意味では周囲に気を配っていなかったヨシュアとアルシェムも同罪なわけだが、それでもエステルは落ち込んだ。

 そんなエステルを見つつヨシュアはカシウスに礼を述べた。エステルを守ってくれたこと、それにエステルの遊撃士としての人生を閉ざさないでいてくれたことに。

「助かったよ、父さん」

「礼ならアルシェムに言うんだな、ヨシュア。アレがなければ間に合わんかったかもしれん」

「や、カシウスさんなら間に合ったでしょーよ。多分あれだけじゃ仕留めきれなかっただろーしね」

 いきなり話題を振られたアルシェムだったが、一応カシウスの顔を立てておいた。実際、位置的にはエステルが邪魔で魔獣を撃つことなど出来なかった。それゆえ無理やり跳弾で魔獣を撃ったのだ。威力が減衰してしまうことも理解したうえで。カシウスが来なければ、恐らくヨシュアが対処しただろう。しかし、間に合わなかった可能性もあったのだ。そういう意味では本当に危ないところだった。

 しかし、カシウスはそれを鼻で笑い飛ばした。可能性だけを見ても仕方がない。今ある結果が良ければそれで良いのだ。少なくともこの事件に関しては。

「そんなことはないさ。……それでは帰るとしよう。おーし坊主共、歩けるな?」

「は、はい……!」

「か、かっくいい……エステルの何倍もかっくいいよカシウスおじさん!」

 ルックとパットは目を輝かせながらカシウスに付きまとう。カシウスはそんな子供達を見ていたずらっぽく笑うとこう告げた。

「はっはっは、当たり前だ。それじゃあ町に戻るぞ」

「うん!」

カシウスがルック達2人を連れて歩き出す。アルシェムもそれに追従し、ヨシュアはふるふる体を震わせるエステルの隣に立った。

 エステルはキッとカシウスの後ろ姿を睨むと、心の底から絶叫した。

「む~……助けてくれたのは感謝するけど、何で良いとこ全部父さんが持ってっちゃうのよ~っ!? 納得いかなーい!」

 いかなーい、かなーい、なーい……と反響するエステルの声を聴きながら、ヨシュアは苦笑した。その言葉の答えは決まり切っているからだ。そして、ヨシュアはその答えを口にした。

「はは、それは仕方ないよ。何と言っても…カシウス・ブライトだからね」

 その言葉がすべての答えを示していた。格好良いのも、子供達に好かれるのも、尊敬の念を抱かれるのも、全て彼がカシウス・ブライトだから。そこに至るまでに切り捨てることなく持ち続けたものがあるからこそ、カシウスという人間は魅力的なのだ。それは勇気だったり、優しさだったり、精神的な強さだったりと色々ある。どれ一つとして捨てることがなかったからこそ、カシウスは今こうして尊敬される遊撃士たれるのだ。

 エステルは帰り道、憤慨しながら歩いて行った。しかし、途中から静かになり、やがて黙り込んでしまった。何を考えているのかアルシェムには手に取るように視えていたが、それを指摘することはなかった。それを解決するのはエステル自身であり、アルシェムなど役に立たないと分かっていたからだ。

 その後、エステル達はアイナに報告して帰路についた。アイナはとっさの判断とルックたちの無事を喜んでくれた。しかし、エステルは何か腑に落ちないことがあるのか足取りは重い。エリーズ街道に入ってからは更にその足取りは遅くなっていき、止まった。そして、エステルは躊躇いがちに口を開いた。

「ね、ヨシュア……あたし……遊撃士に向いてるのかな……?」

 ヨシュアはエステルの言葉の意味を正確に理解した。今日のルックとパットの件で落ち込んでいるのも、エステル自身が浮かれていただけで本当は向いていないのではないかと思っているのも察した。だからこそヨシュアはエステルにこう返した。

「……まあ、父さん譲りの武術の腕もそれなりだと思うし、お節介野次馬根性な性格にも合ってると思うけど」

 普段ならここでエステルからのツッコミが入るところなのだが、今日に限ってはそのツッコミはない。エステルは無理に笑ってこう応えた。

「えへへ、そっか……」

 エステルは少し黙り込むと思いつめたような顔でこう続けた。

「でも、やっぱりあたしってそそっかしくてその……今日もルックを危険な目に遭わせちゃったし……これから先、こんな調子でやっていけるのかなって、思って……」

 こういう時、アルシェムは何の役にも立たない。エステルを励ますことは出来ないし、何よりも適任がいるから任せてしまいがちになる。何度かそれで良いのかと自問自答したことはあるが、結局はエステルのことはヨシュアに任せるしかないのだ。短期間しかエステルと一緒にいなかったアルシェムとは違って、ヨシュアはエステルと一緒にいることが多かったのだから。

 そして、案の定ヨシュアがエステルにフォローを入れた。

「……何、らしくないこと言ってるかな」

「えっ……」

「明日より先を考えて尻込みするなんて君らしくもないよ。ずっと遊撃士に憧れてたんだろ?この程度でへこたれてどうすんのさ」

「ヨシュア……」

 そのヨシュアの言葉を聞いてエステルの顔色が戻った。やはりヨシュアの言葉は効果てきめんである。ヨシュアの話術が巧みであるという事実を抜きにしても、エステルはヨシュアの言葉を特別に感じているのだから効果があるのは当然なのだ。ヨシュアは更にエステルの心を点火させるべく言葉の油を注いだ。

「エステルは深刻な顔してるより能天気に明るく笑ってる方が良いよ」

「ありがと……って、どういう意味よっ! 全く、一言多いんだから……」

 一言多いと思うのはアルシェムも同意するところではあるが、それでもエステルには効果てきめんだったので黙っておく。こういう時はアルシェムは黙っていることにしていた。こんなやり取りに加わるだなんて、まるで家族のようだと思えてしまうからだ。アルシェムにとっての家族とは、少なくともブライト家の人間のことではない。

 そうこうしているうちにエステル達はブライト家へとたどり着いていた。エステルはすっかり元気になったようでたっだいまー、と元気に挨拶する。ヨシュアとアルシェムは苦笑しながら帰着の挨拶を済ませ、エステルがカシウスにリベール通信と遊撃士協会からの預かり物を手渡すのを横目で見ていた。

 カシウスが手紙を受け取ると、エステルはカシウスに向けてこう告げた。

「それじゃ、あたしは夕飯の支度するね。……今日は危ないとこ、助けてくれてありがと」

「ほう、いつになく殊勝だな? さあ、遠慮するな。どーんと父の胸に飛び込んでくると良い。可愛がって……」

 カシウスはニヤニヤしながらエステルの言葉にこう返したが、エステルに調子に乗るなと言われてへこんでいた。しかもカシウスの書斎から出ていくというオマケつきである。カシウスは半ば本気で落ち込んでいたが、それでも娘を案じて言葉を紡いだ。

「思ったより落ち込んでないようだが……」

「ヨシュアがフォローしましたから」

「大したことはしてないよ。ちょっと発破をかけただけさ。エステルはもともと強い子だからね」

 アルシェムの言葉を半ば遮るようにしてヨシュアは苦笑しながらそう告げた。それにカシウスは鼻を鳴らして応える。

「ふん、まだまださ。遊撃士稼業をしていれば迷うことなどザラだぞ。それを乗り越えてこそ一人前だ」

「くす、相変わらず娘思いだね」

 ヨシュアはカシウスに向けてそう言った。その言葉の中にはエステルへの思いが詰まっているような気がした。

 ちょうどそんな会話が繰り広げられていた時である。台所から焦げ臭いにおいが漂ってきたのは。そして聞こえてくるのはこの場にいないエステルの声。

「あっちゃあ~……ううん、料理も気合よ! 折角リノンさんから良いお肉もいっぱい貰ったんだし、何度でも挑戦あるのみ!」

 どうやらリノンから貰っていた小包の中身は肉だったようである。アルシェムは現実逃避にそう考えた。カシウスとヨシュアは苦笑し、次いでヨシュアが手伝ってくる、とカシウスの部屋を後にした。

 ヨシュアに次いでアルシェムもカシウスの書斎を辞し、玄関から外に出た。そしてその場で気配を消し、カシウスの部屋から外に直接通じる扉の前に座りこむ。すると、手紙を開けたらしいカシウスの声が漏れ聞こえてきた。少し集中すると小さな物音まで聞き取れるのはアルシェムの特技でもあり、とある事件の後遺症でもある。

「ふむ、帝国方面からか……何?」

 部屋の中のカシウスの気配が一瞬にして手練れの遊撃士のそれとなる。その言葉を聞きながらアルシェムは先日とある筋から聞いた情報を思い出していた。何でも、今現在ジェスター猟兵団なる猟兵団がエレボニア帝国の遊撃士協会を次々と襲撃しているのだとか。その陰にはアルシェムの過去がちらつき、十二分に罠の可能性がある事件でもある。

 この場合、ひっかけるべき獲物は恐らくこの手紙を受け取った人物――つまり、カシウス――であろう。リベール国内の別の高位遊撃士が釣れればなおよしである。カシウスはその手紙を見ながらじっと考え込んでいるようだった。

 そんなカシウスの気配を読み取ったアルシェムはこれ以上の情報は見込めないだろうと推測し、そっと扉から離れて少しずつ気配をもとに戻していく。そして、完全にいつもの気配の状態になったアルシェムはその場で鍛錬を開始した。外にいることを怪しまれないように。

 しばらく鍛錬を続けていると、急に玄関が開いた。そこから顔を覗かせたのはエステルである。エステルはアルシェムの姿を認めるとこう告げた。

「アル、ご飯出来たわよ!」

「りょーかい。……自信ありそーだね、楽しみにしてるよ」

「う゛……ぷ、プレッシャー掛けないでよ、もう!」

 すねて玄関から顔をひっこめたエステルを追って、アルシェムも家の中へと戻る。すると、そこはかとなくいい匂いが漂ってきた。これは味に期待が出来そうである。アルシェムは手を洗って席に着いた。ヨシュアは既に席についており、カシウスも遅れて席に着いた。

「ほう、これは驚いたな……旨そうだ。見た目は」

「見た目はって何よぅ。エステル特製パーゼル農園の親子オムライストマトソースがけ! 心して味わいなさいよねっ♪」

 カシウスの意外そうな声にエステルはそう答えた。エステル曰く、親子オムライスとはチキンライスに焼いた卵を掛けたものだとか。それは一般的にはオムライスと呼ぶものが多いような気がするが、エステルは断固として親子オムライスだと言い張った。

 空の女神に日々の恵みを感謝して、エステル達はオムライスを口に入れた。一口食べてアルシェムは思った。今日のエステルは本当に調子が良かったようである。チキンライスはトマトソースで炒めてあり、内容物にもしっかりと火が通っている。しかし、火が通り過ぎていて硬いわけではない。程よい硬さを保ったままである。また、卵は半熟よりも少し硬いくらいで、卵が流れ出たりはしていない。しっかりと薄焼き卵としてチキンライスの上に鎮座している。そして、上からかかっているトマトソースは先日エリッサの家からおすそ分けして貰ったもののようで、少しワインの香りがしていた。

 ヨシュアは一口食べてエステルにこう告げた。顔には意外そうな表情を浮かべているが、アルシェムは見なかったことにしようと思った。

「うん、美味しく出来てるよ。やるじゃない、エステル」

 そのヨシュアの言葉に、エステルは分かりやすく調子に乗った。比喩ではなく本当に鼻を高そうにしているあたりが微笑ましい。

「ふふん、これが真の実力よ♪やー、色々あったけど、今日はすごく良い1日だったわね♪」

「ふむ、初めて作った割には喰えるな。覚悟してたのに拍子抜けだ」

 カシウスも絶賛、とまでは言わないがエステルにそう言った。次いで、エステルの眼を見ながらこう付け加える。

「こんな上出来なものが出発前に喰えるとは思わなかった」

 その言葉を聞いてエステルは眼を剥いた。そして、カシウスに向かってこう問うた。

「どこか行くの?」

「うむ、急に大きな仕事が入ってな。しばらく家を留守にするぞ」

 それを聞いてアルシェムは内心で苦虫をかみつぶしていた。アルシェムに課せられた仕事はカシウスの監視である。しかし、今は遊撃士となった身。自ら望んでやったこととはいえ、行動の範囲を狭めてしまったのは事実だ。ただ、アルシェムにはまだ取れる手が残っていた。無論泣いて懇願するわけではない。

 アルシェムの内心も知らず、エステルは机に手をついて立ち上がった。目は見開かれたままなので少々怖い。

「ちょ、ちょっと待ってよ! それって、いつからなの?」

「明日からだ」

「あ、あ、あ、あんですって~っ!?」

 エステルの叫びがブライト家に響き渡った。ヨシュアは耳を抑え、アルシェムは嘆息したのだった。




あ、あんですってー(もはや死語)

では、また。


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義父出発前夜

今話は旧7話の半ば~8話までのリメイクです。

では、どうぞ。


 エステルの絶叫がブライト家に木霊して、消えた。その後、ヨシュアがカシウスに問うた。否、問うというよりは確認だろうか。

「さっきの手紙だね……何か事件でも?」

「なに……単なる調査だ。色々な場所を回るから1ヶ月くらいはかかるだろう。留守は頼んだぞ」

「何が『留守は頼んだぞ』よ! まったくもう……この不良中年は……」

 快活に笑うカシウスにエステルは食って掛かった。エステルはそこまで考えてはいないかもしれないが、1ヶ月もの間ロレントに釘づけにされるということでもある。それほど早く遊撃士になるための推薦状を貰えるとは思ってもいないが、少し長い間ではあった。

 ふくれるエステルを宥めたのは勿論ヨシュアだった。宥めるというよりは窘めると言った方が意味合い的には正しいのだが、ヨシュアが言うと暴れ牛を宥めているように聞こえるのである。

「仕方ないよエステル。頼まれたらそれに応えるのが遊撃士の仕事なんだから」

「分かってるけど……ね、父さん。ロレントの仕事はどうするの?」

「それについて考えたんだが…お前達、俺の代わりに幾つか依頼を受けてみないか?」

 エステルに仕事のことについて聞かれたカシウスは、そう提案した。次いで、絶句して黙り込むエステルに向けて追い打ちをかけるかのように言葉を続ける。

「新米のお前達でもやれそうな仕事を回す。難しいのはシェラザードに頼むことにする。どうだ?」

 その問いにエステルは若干後ろ向きに答えた。それは今日の事件がまだ少しだけ尾を引いているせいであり、遊撃士という仕事の重さを実感したともいえた。

 カシウスはそんなエステルに強制はしないと告げたが、エステルはヨシュア達に相談するとあっさりと前言を撤回した。やってみる前から怖気づくのは性に合わないからである。

 その後、ヨシュアは明日出発する時間をカシウスから聞きだした。それに合わせて明日は早起きすることとなり、夕食後のおしゃべりは早めに切り上げて休むこととなった。

 

 ❖

 

 深夜、エステルが眠ってしまった頃。自室の外でカシウスは晩酌を楽しんでいた。何と言っても大きな事件になりかねない話が舞い込んできたのである。自分ならば大丈夫であるという慢心は出来ず、一応は別れの準備として自らの愛した妻と娘が住むこの家を記憶に残しておきたかった。既にカシウスは慢心を捨てた後ではあるが、最近そうした大事件が起こっていないために少しだけ油断はあるかも知れない。そう思って敢えて自分を追い込んでいたのである。

 その光景を、アルシェムは気配を消しながらテラスで見ていた。別に自室で聞いていても良かったのだが、今はその自室に別の人間が着替えているために気まずくていられないのだ。女同士ではあるが。

 と、そこにヨシュアが現れた。ヨシュアは眠っておらず、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()葉が服についていた。ヨシュアはカシウスに声を掛ける。

「父さん、あんまり呑みすぎるとまたエステルに叱られるよ?」

「何、旅立ち前の景気づけさ。どうだ、付き合わんか?」

 ヨシュアの言葉を静かな笑みで流すと、カシウスはヨシュアに向けて酒瓶を差し出した。しかし、ヨシュアは複雑な顔をしてそれを固辞する。

「未成年に酒を勧めないでよ……シェラさんじゃないんだから」

 ヨシュアの言葉ももっともである。未成年に酒を与えるのは健康に害が出ると言われているからだ。もっとも、ヨシュアは判断能力を鈍らせたくないから呑まないだけだが。

 そこで、アルシェムの自室から気配を消した女が出て来た。黒髪を後ろで無造作に束ねた女だ。アルシェムはその女の姿を認めると小さく首を縦に振った。その女も紫色の瞳をカシウスに向けて盗聴を始めた。

 ヨシュア達はエステルについて他愛ない話をした後、ヨシュア自身のことについて話し始めた。

「……ヨシュア、あの時の言葉……まだ撤回するつもりはないか?」

 そのカシウスの言葉に、ヨシュアは瞑目した。そして、ゆっくりとかぶりを振る。アルシェムはヨシュアがカシウスに何と言ったかは知らなかったが、その言葉は恐らく過去に関わることであろうと推測した。ヨシュアがアルシェムよりも前にブライト家にいた以上、それは推測にしかなりえないが。

 ヨシュアは苦しそうに言葉を吐き出す。

「……僕にとって最後の一線だから。それすら守れなかったら……僕は……自分が許せなくなるから。だから……ゴメンなさい」

 ヨシュアはこういったことに関しては妙に頑固であるため、恐らくは引き下がるつもりはないのだろう。カシウスもそれを理解していて言った。それでも、カシウスはヨシュアの心変わりを切に願っていた。カシウスはそんなヨシュアにこう告げた。

「……謝る必要はない。だがな、これだけは覚えておけ。お前がどんな道を選ぼうがこの5年間を消すことは出来ん。俺もエステルも、アルシェムもお前の家族だ。どんなことがあろうとな」

 そのカシウスの言葉をヨシュアは噛み締めるようにして呑みこんだ。ヨシュアは感謝の意を述べ、そしてカシウスに就寝の意を伝えると自室へと戻っていった。

 ヨシュアが自室へと戻り、眠る気配をも察知したカシウスは苦笑しながら階上を見上げた。そして、まっすぐにアルシェムを見据えて言う。

「……良い機会だから、そろそろお前の目的を教えてくれないか、アルシェム。……横にいるお嬢さんのことも含めてな」

 カシウスはアルシェムの横にいる女を睨みつけた。ビクッと女は震える。歴戦の戦士である女だが、流石にカシウスの眼光には勝てなかった。アルシェムは女を引き連れてテラスから飛び降りる。

「いつからバレてたんです?」

「そのお嬢さんが出て来てからだ。お前に比べてあまりにもお粗末な隠形だったものでな」

 その言葉にアルシェムは女を睨む。女は引き攣った顔でアルシェムに謝罪した。そもそも、一般人ならば気付かないような些細な気配しか発していなかったのである。バレると思わなかったのはその女の落ち度であった。

「……はー、そっか。それで……帝国、行く気なんですか?」

「ああ。それがどうかしたか?」

「ちょっとした伝手があって。……今の帝国に行くなら気を付けたほーがいーですよ」

 カシウスはアルシェムのその言葉に眉をひそめた。カシウスを以てしても聞こえてこなかった情報を、何故アルシェムが知っているのかわからなかったからだ。隣に立つ黒髪の女の服装を見ておおよその見当はついたものの、アルシェムがその地位に甘んじている理由が分からない。カシウスは話を促すために言葉を発した。

「何故そう言える?」

 カシウスの疑問に、アルシェムはあっさりと答えた。

「王国軍の中に蛇が紛れ込んでるからです」

「……そうか。お前は俺が動けばそいつが動き出すと考えているんだな?」

「はい。何をしでかす気かは分かりませんけど」

 その言葉を聞いてカシウスは暫し黙考した。もしも今アルシェムの言う蛇――秘密結社《身喰らう蛇(ウロボロス)》の構成員のことである――が動き始めれば、カシウス以外に対処できそうな人物は少ない。カシウスはシェラザードを信頼しているが、まだ彼女には敵対させるには早いと思っている。他にもルーアンの元不良やA級遊撃士など頼れそうな人間はいるが、前者はともかく後者とは今連絡がつかないのだ。

 カシウスはリベール王国内がきな臭くなっているのは以前から感じていた。そのためにA級遊撃士に頼んで探ってもらっていたのだが、今、彼が何をしているのか皆目見当もつかない。となれば、他国から頼れる遊撃士を呼び寄せる必要がある。リベール王国の問題にかかわらせるにはどうにも気が進まないが、かといって他国の頼れる遊撃士はカルバード共和国の遊撃士である。彼をエレボニア帝国に送り込むわけにはいかないことも分かっていた。カルバード共和国とエレボニア帝国は犬猿の仲だからである。

 一瞬でそこまで考えた後、カシウスはやはりエレボニア帝国には自分が行くべきだと判断した。そして、リベール王国内における対策をどうするべきかはもう決まっていた。

「……ふむ。ならアルシェム、推薦状が取れ次第各地を回るようにしてくれないか?」

「……もし何かあった時の要員にするつもりですか。でも、それには多分エステル達も付いて来ますよ?」

「分かっている。これも経験の内だが……無茶をしそうになったら止めてやって欲しい」

 カシウスはアルシェムにそう告げて、黒髪の女に向き直った。黒髪の女は顔をひきつらせたが、それでもカシウスの視線を真っ向から受け止めた。カシウスはそんな女を見て言った。

「それで、アルシェム。こちらの御嬢さんは?」

「……リオ、自己紹介して。守秘義務は忘れずにね」

「分かってるよ、全く……」

 アルシェムにリオと呼ばれた女はカシウスの方を見て一度深呼吸をした。そして、まっすぐカシウスを見据えてこう告げた。

「巡回シスターのリオ・オフティシアです。以後お見知りおきを、ブライト卿」

「カシウス・ブライトだ。しかし……まさかお前が星杯騎士とはな……」

 カシウスは巡回シスターおよび巡回神父の言葉の真の意味を知っていた。その言葉で呼ばれる人間はほとんどの場合が七耀教会に所属する裏の組織《星杯騎士団(グラールリッター)》の構成員である。そして、リオも例外ではなく、彼女の《星杯騎士団》内での地位は従騎士となっていた。この場における従騎士とは一般的に外法を狩り、自由に動けるメンバーを指すことが多い。星杯騎士団の部隊長とでも呼ぶべき守護騎士(ドミニオン)の手下として各地を飛び回るのだ。

 アルシェムは自分の立場を誤認させるためにカシウスにこう告げた。

「あの時に勧誘されたんですよ。一応恩もあったから……」

「あまり良いやり方だとは思わんがな。……それで、彼女は今フリーか?」

 カシウスはリオを見てそう聞いた。アルシェムはそれにこう応えた。

「はい。でも、リベール国内はわたしに任せてリオは帝国に行けとさっきお達しがあったので……」

「つまりは戦力ということか。分かった。よろしく頼むぞ、リオ」

「はい、精一杯精進します」

 リオは若干緊張気味にそう答えた。カシウスはある意味英雄であり、そもそも一般人が太刀打ちできるような人間でもないと知っていたからである。リオも腕に覚えはあるもののカシウスに敵う気がしないために緊張していた。

 そんなリオにカシウスはまだ残っていた酒を持ちながらこう言った。

「まあ、そんなに緊張しなくても良い。何なら一杯やるか?」

「アタシは未成年です。……呑めないこともないけど」

 リオは顔をしかめてそう言った。そのリオの言葉にやはり、と思ったのかどうかは知らないがカシウスが複雑な顔をした。呑めるなら呑もうじゃないか、と言わなかったのは大人としての矜持があるからか。

 カシウスはやれやれ、と嘆息しながらこう漏らした。

「全く……洗脳でもされてるんじゃないだろうな?」

「されてませんよ。……どっかの破戒僧でもあるまいし」

「……《白面》とやらか。そういえばお前、記憶の方はどうなってるんだ?」

 カシウスは暗い顔でそう聞いた。カシウスの言う記憶とは、アルシェムの記憶のことである。アルシェムはブライト家に引き取られる前の記憶をすべて失っていることになっていた。実際はとある部分を除いてすべて覚えているのだが。アルシェムはこの際その事実をカシウスに伝えておくことにした。

「名前以外は全部戻ってますよ」

「お前ねえ、そう言うことはもっと早く言いなさい」

「名前が思い出せないと問題だから言わなかったんです。……姿かたちは分かるのに名前だけわからないからタチが悪い」

 それも、名前さえ聞けばすべて思い出せる。実際にヨシュアのことも思い出すことが出来たし、それ以外の人間も名前さえ聞けば思い出せるはずだ。もっとも、愛称などは思い出せるのでそれもあまり意味をなしていないような気もするのだが。

 カシウスはそんなアルシェムに質問を投げかけた。

「もし帝国で出て来るとすればどの執行者が出て来る?」

「……帝国ですぐに動けそうなのは《死線》。それと、多分出しゃばりのUMA……じゃなくて、《道化師》かな? 目的がカシウスさんを釣り出すだけなら彼女達だけだと思います」

 カシウスはその答えを聞いてふむ、と唸った。カシウスは《死線》という名に心当たりはなかったが、《道化師》という名前には心当たりがあった。幻術などを扱う少年だったはずだ。アルシェムの言葉をうのみにするわけにもいかないし、何よりも《死線》の実力が分からない。実際に戦うところを見なければわからないが、リオだけでは恐らく対処しきれないだろう。

「因みに、本格的に帝国から遊撃士協会を撤退させるためなら増えるか?」

「はい、恐らくは《変態紳士》……じゃなかった、《怪盗紳士》ですかね。流石にあからさまな共和国人を使うと収拾がつかなくなると思うので《変態狼》……じゃない、《痩せ狼》は出て来ないでしょーが……最悪の場合は使徒の《鋼の聖女》が動くことを覚悟しておいてもらえると」

「……なら、やはり行かなくてはならないようだな……」

 カシウスは頭を抑えながらそう言った。アルシェムの情報は有益ではあるが、可能性だけを追っていると手に負えない人物がごろごろ出て来る気がするのでこれ以上聞くと精神衛生上よくない気がしたのだ。

 そのため、カシウスは気付かなかった。アルシェムが意図的に情報を流さなかった人物がいることに。その人物はカルバード共和国人でもエレボニア帝国人でもない。ましてや、アルテリア法国人でも有り得ない。その人物の素性が割れれば混乱が起きかねないため、その人物が動くことはないのだろうが、それでも意図的に隠したのは確かである。因みにこの時点で忘れ去られている人物がいるようだが、それは割愛しておく。

「気を付けて行って来て下さいね? エステル達が泣くよーな真似だけはしないで下さい」

「ああ、それは分かっている。……最後にもう1つだけ聞いても良いか?」

「はい、何ですか?」

 カシウスは少しためらってから口を開いた。

「ヨシュアのことだ。……どう思う?」

「どうって……多分、わたしと同じようにあの破戒僧に記憶を弄られてるとしか分からないですけど」

「それ以外だ。もしもヨシュアに何かされていたとしたらエステルが哀しむからな……」

 良くも悪くも子煩悩な発言に、アルシェムは黙考した。ヨシュアに何かしら――特に洗脳――されていれば、哀しむのは少なからず心を寄せているエステルである。もしも洗脳されていて《白面》に良いように操られていたとすればヨシュア自身も傷つくのだ。そのことを理解しているアルシェムは、ヨシュアについて分かっていることを断片的にカシウスに伝えることにした。

「……さっきヨシュアが外に出てたのは気付いてましたよね?」

「ああ、それもあって聞いているんだが」

「アレが魔獣を狩りに行っているのでなければ誰かに情報を流している可能性はあります。……無論、無意識に、でしょうが」

 それを聞いてカシウスは苦虫をかみつぶしたかのような顔をした。あの時のヨシュアの格好はただ森の中を突っ切ったようにしか見えなかった。つまりは、アルシェムの予測が当たる可能性があるということだ。ヨシュアに浮ついた話はないし、連続殺人鬼が出るといったうわさも聞かないことから、可能性はかなり高い。

 そんな思考を走らせているカシウスにアルシェムは更に追い打ちをかけるように言葉を吐いた。

「後、わたしがあの場所にいた時に聞いたことがあるんです。……ヨシュア・アストレイは文字通り《白面》の人形だって」

「……成程な、ヨシュア自身が自覚していなくても《白面》の思い通りに動かされている可能性は拭いきれないということか……」

「はい、残念ながら。……出来るだけヨシュアに情報を集めさせないよーにするわけにもいきませんし……」

 もしそんなことをしてしまえば、《白面》は気付かれたのだと悟るだろう。最悪の場合はその場でヨシュアを処分されかねない。よって、カシウスとアルシェムはヨシュアを泳がせておくことに決めた。もっとも、エステルに危害を加えるようであれば容赦なく叩き潰すのだが。

 それに、アルシェムは知らないことであるが、ヨシュアは過去が追って来ればブライト家には関わらないようにする、とカシウスに宣言しているのだ。その過去とは《身喰らう蛇》に所属していたという事実であり、忌まわしい真実である。既に過去が追いついていることにも気づいていないヨシュアがそのことに気付いてしまえば、黙って姿を消しかねない。今ははっきりとヨシュアが情報を流していると言い切れないので伝えられない。

 カシウスが黙り込んでしまったのでアルシェムも合わせて黙り込んだ。すると、しばらく沈黙した後にカシウスがおもむろに口を開いた。

「……そういえば、アルシェム。お前にも言っておかないといけないことを忘れていたよ」

「何ですか、カシウスさん?」

「朝も言ったような気がするが……俺はお前も家族だと思っている。受け入れる気があるのなら、考えておいてほしい」

 その後、カシウスはアルシェムに早く寝るようにと宣言してカシウス自身も自室へと戻っていった。リオも何処かへと姿をけし、アルシェムも自室へと戻っていた。アルシェムは自室の簡易ベッドに腰掛けて深く溜息を吐いた。

「……家族、ねー……そんなの、いるわけないのに」

 アルシェムは小さく溜息を吐いてベッドに寝転がった。その夜はなかなか寝つけず、しかも悪夢を見たためにアルシェムは早朝に起きてしまって寝不足になった。




ルビ振ったら文章の隙間が……
うん、こんなもんですよね。

では、また。


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旅立つ義父と初めての依頼

今話は旧9話~10話半ばのリメイクです。
現状約1.5話分で1話のリメイクになっていますが、1話だけの時もそれ以上のリメイクにもなり得るので一応明記しておきます。

それと、旧作では描写していなかった要素が付け加えられています。ご注意。

では、どうぞ。


 カシウスがエレボニア帝国に旅立つ朝がやってきた。悪夢を見て早朝にたたき起こされたアルシェムは最悪な気分で寝汗をぬぐっていた。アルシェムが見た悪夢は、魔獣にエステルが殺されるという悪夢である。それも、かつてツァイスで見たことのある魔獣ではあるが、ロレント周辺ではあまり見ない魔獣にだ。それが本当に起こるかどうかは別にして、動かなければならない、とアルシェムは強く感じた。アルシェムの見る悪夢は大概当たってしまうのである。

 それはさておき、アルシェムは本日の朝食当番であるヨシュアの料理を食べ、自室で準備を整えてカシウスを見送るべく準備を進める。背に四分の一に分解した棒術具を仕込み、導力銃のメンテナンスもしっかり終えて腰に荷物入れとしてポーチを巻いて完了である。先日は持っていなかったが、アルシェムのポーチの中には一般人の持っていないものが2つ入っていた。1つは先日メルダースに見せてほしいと懇願された『くるくる舞うお人形さんNo.9』である。もう1つは紺色に塗られた直方体の機械。その機械の前面には透明のカバーが被せられており、その中には七色の小さなボタンが取り付けられている。

 準備を終えたアルシェムは階下に降り、エステル達と合流してロレントの空港へと向かった。空港には既にシェラザードが待機しており、カシウスの見送りに来たと推測された。シェラザードがカシウスの出発を知ったのは早朝であり、カシウスから仕事を引き継がれていたからだ。

 空港に緑色の定期船《リンデ号》が滑り込んできた。カシウスの乗る定期船であり、カシウスはこれに乗って一端王都グランセルを目指すのである。本来ならば逆回りの定期船《セシリア号》に乗る方が早いのだが、どうやら寄るところがあるようだった。それを見てカシウスはエステルに声を掛ける。

「さて……そろそろ時間だ。エステル、あまり無茶をするんじゃないぞ?」

「もう、耳タコだってば。父さんも無理しちゃだめよ? トシなんだから」

 父の言葉にそう返すエステル。何気に失礼な発言ではあるが、エステルから見ればただの不良中年。その評価もある意味間違いではないのである。カシウス・ブライト(45)、娘の言葉に傷ついたひと時である。

 カシウスは若干へこみながらも娘にこう返し、ついでに弟子のシェラザードにも声を掛けた。

「フン、まだまだ若いもんには負けられんさ。シェラザードも、急な仕事を押し付けてすまんな」

「いえ、気にしないで下さい。先生の代わりが務まるか心配ですけど」

 シェラザードは敬愛するカシウスから仕事を任されたことがうれしいのか頬を上気させてそう答えた。因みに、今のところカシウスにしか頼めなかった仕事はなかったようだ。もしもカシウスでなければできない仕事があったとしたら徹夜してでもその依頼をこなしただろう。シェラザードではカシウスの代わりにはなれないのだ。

 しかし、カシウスはそのことをおくびにも出さずにシェラザードにこう告げた。

「謙遜するな。ついでに悪いが、何かあったら3人を頼むぞ」

「フフ、任せて下さい。決して甘やかさずに厳しく見守りますから」

「分かってるじゃないか」

 そう言って2人でにやりと嗤い合う。あまりにも悪い笑みをしているのでエステルはそれを見て不平を漏らした。

「何よそれ……」

 恐らく見守られるのはエステルだけであるが、アルシェムは曖昧に笑っておいた。ヨシュアは遊撃士として動くのは問題ない。アルシェムも同様である。ある意味で似たような経験を持つヨシュア達は正遊撃士にしてもそん色ない働きが出来るのだ。ただし、エステルには経験が足りないためにシェラザードに見守られる羽目になるのだろうが。

 そこまでアルシェムの思考が行ったところで、《リンデ号》離陸のアナウンスが鳴った。それを聞いてカシウスが《リンデ号》に乗り込む。ヨシュアとエステルはカシウスを見て見送りの言葉を発した。

「父さん、行ってらっしゃい。こっちのことは心配いらないから」

「仕事が終わったら遊んでないで早く帰ってきてよね。……待ってるから」

 因みに、カシウスは依頼でちょくちょくブライト家を開けることが多かったが、遊んで帰ってきたことは一度もない。特に、アルシェムがブライト家に来てからは依頼が終わると即刻ブライト家に戻ってきていたくらいである。

 カシウスは苦笑しながらエステル達に告げた。

「人聞きの悪いことを言うな。だがまあ……なるべく早く帰って来るさ。元気でな、3人とも」

 カシウスがそう言った瞬間、空気を呼んでいたのか《リンデ号》がようやく離陸した。ボース方向へと船首を向け、雲の彼方に消えていく。

 それを見送っていたエステルは不意に寂しそうな顔をした。いつものことではあるが、やはり不安もあるのだろう。もしかしたら動物的なカンが働いていてカシウスの身に何か起こるのかもしれないと察しているのかもしれない。

 その様子を見ていたシェラザードはエステルに声を掛けた。落ち込む妹分に声を掛けるのは姉貴分の役目である。

「寂しそうな顔しなさんな。どうせすぐに戻っていらっしゃるわよ。何の調査か知らないけど、先生だったらあっと言う間だわ」

「さ、寂しくなんかないってば! いつものことだし。何言ってんの!?」

 エステルは慌てたようにシェラザードに抗弁する。それでも不安は消えないようでエステルの顔から物憂げな色が完全に消えることはなかった。そんなエステルを見てシェラザードは苦笑して応える。恐らくは遊撃士としてちゃんと生きていけるかでも悩んでいるのだろう、とシェラザードは判断したからだ。

「はいはい、そういうことにしといてあげるわ。それじゃ、あたしは仕事だけど……困ったことがあったら遠慮なく頼りなさいよ?」

「うん、でも最初のうちは自分達の力で頑張ってみるよ。どこまでやれるか試してみたいしね」

「フフ、ナマ言っちゃって。…ま、2人が付いてれば心配ないか。3人とも頑張りなさいよ」

 そう言ってシェラザードはひらりと手を振り、その場から速足で歩き去っていった。エステル達はそれを見送ってから遊撃士協会へと向かった。いつまでもウジウジしていればカシウスに顔向けできないとエステルは思ったからである。

 遊撃士協会に辿り着き、早速カシウスの代理として動き始めようとアイナに伝えると、アイナは複雑な顔をしてエステル達に告げた。

「申し訳ないんだけど……実は、今人手不足でね……誰か1人はこの依頼から外れて欲しいの」

 それを聞いたエステル達の反応は三者三様だった。エステルは顔をしかめ、ヨシュアは何事かを考え込み、アルシェムは思わず眼を半眼にしてアイナを見た。アイナはアルシェムの反応にたじろいだが、この決定は覆せない、とでもいうようにアルシェムを見た。すると、アルシェムが小さく溜息を吐いてこう言った。

「じゃー、アイナさん。この中で分けるとしたらどー分けます?」

「そうねえ……やっぱり、片方をコンビにするならエステルとヨシュアが適任かしら」

「でしょーねー……分かりました、小さな依頼からちまちまやっていきます」

 その言葉を聞いた時、ヨシュアの顔に僅かに安堵が浮かんだのをアルシェムは見逃さなかった。ヨシュアはまだアルシェムを警戒している節がある。それで別行動になって安心しているのだろう、とアルシェムは勝手に判断した。実際はエステルと一緒で良かったヒャッハー、とヨシュアは思っているのだが。

「じゃあ、早速エステル達には依頼の内容を説明するわね。アルシェムはそこの掲示板の内容を見て動き始めてくれるかしら?」

「分かりました」

 アルシェムはエステル達になされている説明を聞きながら掲示板を見た。そこには子供の字で書かれたとみられる依頼があった。依頼内容は、光る石の捜索。依頼人はカレルという人物のようだった。

 アルシェムは説明の邪魔をしないようにそっと遊撃士協会から出て依頼人の待つ《メルダース工房》の裏へと向かった。そこには1人の少年が所在なさげに立っていた。アルシェムは少年に近づいて声を掛ける。

「初めまして、カレル君……でいーかな?」

「お、おう」

 少年――カレルは戸惑ったようにうなずいた。恐らく、アルシェムのように若い風貌をしている遊撃士が来るとは思ってもみなかったからだろう。カレルは戸惑いながら依頼について詳しく話してくれた。何でも、文字通りキラキラ光る石を探してほしいとのこと。無くしたのはリノン総合商店とメルダース工房の間。そして、何度か探したものの見付からないために依頼したのだとか。アルシェムはその情報を自分の中で咀嚼してからこう告げた。

「……成程、じゃー、普通に見つかる場所にはないね……うん、探してくるからその間これでも見て時間を潰しててくれる? おねーさんがキッチリ見つけて来るから」

「あ、うん……」

 アルシェムはカレルに『くるくる舞うお人形さんNo.9』を渡して駆け出した。見るのは荷物の隙間やその下である。自然と注目するのは地面となっていた。そして、一瞬の煌めきがアルシェムの眼を射た。

「いったー……って、もしかして、アレかな?」

 アルシェムは注意深くその場所――排水溝を覗き込んだ。すると、確かに光る何物かが落ちている。ロレントでの排水溝は、直下に水が流れていることを意味しない。排水溝の真下は地下水路である。そう、先日遊撃士の認定試験で潜ったばかりのあの地下水路だ。アルシェムは七耀教会の裏手に回り、地下水路に潜った。

 地下水路には、先日狩ったばかりなので多少は減っていたものの、相変わらず魔獣が闊歩していた。アルシェムは溜息を吐きつつ導力銃で魔獣を狩り、またどうしてもアーツを使わなければ倒せない魔獣――特に、先日の塵の魔獣――は自身の持つもう1つのオーブメントで対処していた。そのオーブメントであれば、アルシェムも火属性のアーツを扱うことが出来る。逆に言うのならば、そのオーブメントを使う以外にアルシェムに火属性アーツを扱うすべはないのだ。

 アルシェムの持つ、遊撃士協会等で支給されている一般的な戦術オーブメントはかなり特殊なのである。具体的に言えば、嵌められるクオーツの属性が限られたスロットが3つもある。そのせいでどちらかと言えば攻撃阻害系のアーツや補助系のアーツに秀でたオーブメントとなっているのである。一通りの回復系アーツと地属性の行動補助系アーツ、それと時属性および幻属性の行動補助系・行動阻害系アーツ。それとそれに付随する地属性・時属性・水属性の攻撃系アーツのみがアルシェムの使えるアーツである。

 対して、アルシェムが独自に作り上げ、星杯騎士団でも正式採用されつつある戦術オーブメント《LAYLA》は全ての属性のアーツが使える代わりに各属性につき1つのアーツしか使うことが出来ない。たとえば、地属性アーツならば地面を割って行動を阻害し、水属性アーツならば氷の壁が敵を押しつぶす。火属性アーツならば敵だけを燃やす攻撃となり、風属性アーツならば自分から半径一アージュ(1メートル)以内を除き任意の距離まで周囲に竜巻を起こす。時属性アーツならば敵の動きを数秒間止め、空属性アーツならば任意の点に敵を固定する。そして、幻属性のアーツは幻影で分身を作る、という効果がある。

 それはさておき、アルシェムは光る石――実際には砕けたクオーツの欠片である――を回収し、地下水路から脱出した。ここまででは、アルシェムが遊撃士協会から出てからまだ30分と経っていない。それゆえに、だろうか。地下水路から出て来たアルシェムは七耀教会の角でエステル達と鉢合わせた。

「あ、アル。もしかして今依頼の途中?」

「うん、まー。エステル達は今から移動?」

「うん。今からティオの家に行って魔獣退治よ。お互い頑張りましょ?」

「そーだね、エステル達も街道に出るなら油断しないよーにね?」

 アルシェムはエステル達に手を振って別れ、『くるくる舞うお人形さんNo.9』で遊んで待っているはずのカレルのところへと向かった。七耀教会からメルダース工房まではさほど時間がかからない。それでも速足でアルシェムは急いだ。眼前にカレルを見つけると、アルシェムは砕けたクオーツの欠片を差し出しながらカレルに話しかけた。

「お待たせ。これかな? 光る石って」

「ああ、これだよ。オレの綺麗な石……」

 そう言ってカレルは砕けたクオーツの欠片をアルシェムの手から取り、空にかざす。確かにキラキラと煌めいていて綺麗ではある。ただし、もしもそれを持ったまま街道に出ることがあるのならばとても危険なため、アルシェムは一応一言注意だけは入れておくことにした。

「それ、砕けたクオーツの欠片なんだけど……街道で出しちゃだめだよ?」

「これ、クオーツの欠片なのか? あの、オーブメントとかに入ってる?」

「そーだよ。もう割れてるからクオーツとしては使い物にはならないけど……」

 すると、カレルは目を輝かせてその石に見入った。七耀石の煌めきは魔獣だけでなく人間をも魅了するものなのだろうか。アルシェムは、昔どこかで誰かが、この星に存在するすべての生き物が、空に輝く七色の光を望み、その願いを聞き届けた空の女神が光を降らせたからこそ、今オーブメントやアーツといった形でその恩恵を受けられるのだという寓話を語っていたのを聞いたことがあった気がした。

 それはともかく、アルシェムはクオーツの欠片に見入るカレルに向けて苦笑しながらこう告げた。

「興味があるならメルダース工房の中にいっぱいあるよ」

「……うーん、行ってみたいけど……実は時間がないんだ」

「そっか……あ、そーだ。その人形ね、中に七耀石入ってるんだ」

 アルシェムがカレルにそう言うや否や、カレルは『くるくる舞うお人形さんNo.9』を凝視した。どちらかというとクオーツよりもオーブメント細工の方に興味があるようだ。感嘆の眼で見つめるカレルに向けてアルシェムはこう伝える。

「もし欲しかったらあげるよ? 趣味で作っただけだし」

「良いのか!?」

 ガバッと勢いよくアルシェムを見返すカレル。正直驚いて後ずさりそうだったのだが、それを何とかこらえて首肯する。するとカレルは今にも踊り出しそうになりながらも礼を述べ、謝礼にとドリルミートボールという料理を手渡してくれた。アルシェムはそれを受け取って別れを告げ、遊撃士協会へと向かった。

 遊撃士協会の中では、アイナがコーヒーを飲みながら一息吐いていた。どうやら仕事が一段落したところらしい。ん、と伸びをして首を鳴らしたアイナは入ってきたアルシェムを見て驚き半分、羞恥心もう半分で彼女を出迎えた。

「あら、お帰りなさい。どうかしたの? 何かわからないことでもあった?」

「や、掲示板の光る石の捜索っていう依頼を終わらせてきましたってゆー報告に?」

「やるじゃない。じゃあ、報告して頂戴」

 アイナはカウンターの下から依頼用紙を取り出してそう告げた。アルシェムは依頼中にあったことを余さずアイナに報告した。アイナはその要点だけを聞き取り、用紙に記していく。そうして依頼は完遂したことになり、報酬が手渡された。

「よく頑張ったわね、少し休む?」

「いえ、手配魔獣が出てるみたいなんで気分転換に狩ってきます」

 アルシェムはそう言って遊撃士協会から出た。後には、それ気分転換じゃないわよ……と呆然と呟くアイナだけが残される。そんなこともいざ知らず、アルシェムは手配魔獣のいるミルヒ街道へと足を運んだ。

 ミルヒ街道にアルシェムが侵入して数十分後、そこには煌めくセピスがそこかしこに転がっていた。それを発生させたのは言うまでもなく導力銃を両手に構えて走るアルシェムである。一段落ついたところでアルシェムは紺色のオーブメントを駆動させた。といっても、一般的な戦術オーブメントとは違って明確にこのアーツを使用するという意識を持っていたわけではない。アルシェムがしたことと言えば、金色のボタンを押しただけ。それだけで散らばるセピスはアルシェムの手元へと収束した。そして、再び雑魚魔獣を狩り始める。ミルヒ街道にいる魔獣如き、アルシェムの敵ではないのだ。

 この場に出る手配魔獣でも、アルシェムの相手にはならない。ミルヒ街道を中ほどまで進んだアルシェムは手配魔獣と接敵してそう思った。

 掲示板によると、その手配魔獣の名はパインプラントというらしい。パインプラントという魔獣はロレントでは珍しいものではないが、基本的にはミルヒ街道には出ないのである。それゆえ、見慣れない魔獣がいる、という報告が住民によってなされたのだろう。基本的にエリーズ街道の奥にある森《ミストヴァルト》に出現する魔獣は、こうして手配魔獣とされた。

 パインプラントの攻撃方法については、ただ1つのことを除いて特段気を付けることはない。気を付けるべきことがあるとすれば、それは――

「最後は自爆、なんだよねー……危ない危ない」

 そう嘯きつつアルシェムはパインプラントから十分に離れたうえで不破・弾丸というクラフトを使い、パインプラントを狩り終えた。このクラフトは実に30発もの銃弾を一気に対象に叩き込む対魔獣専用クラフトである。人間に叩き込んだらミンチになるため、基本的には対人使用はしていない。

 周辺を確認し、街道灯の異常を見つけつつも手配魔獣が残っていないことを確認したアルシェムは駆け足でロレント市街へと戻ろうとした。すると、わき道から男性が歩いてくる。アルシェムはその男性に見覚えがあったために声を掛けに行った。

「お久し振りです、おじさん」

「おお、アルシェム。丁度良かった、君も夕食を食べていかないかね?」

 お茶目に笑った男性は、パーゼル農園の主フランツ・パーゼルである。何故街道に出て来ていたのか事情を聴くと、辛うじて採れた野菜の出荷に出向くついでにエステル達を一晩預かると遊撃士協会に伝えるためだそうだ。アルシェムはその場で護衛を買って出た。

「遊撃士もつけずに出るのは危険です。さっきまでこっち、手配魔獣出てたんですから……全く。ロレントまでは護衛しますよ」

「ありがとう。……ああ、ついでに帰りも送ってくれないかね? そうすれば手間も省けるし」

「……えーと、お世話になります?」

 アルシェムとフランツは連れ立ってロレントへと向かった。途中の魔獣は襲い掛かって来ない限りは無視である。フランツの歩幅に合わせていたため、ロレントに帰り着いたのはおやつ時。

 そこでようやくアルシェムは気が付いた。昼食を取っていないということに。自覚してしまえば後に起こることは1つしかない。即ち、お腹が鳴ったのである。

「……アルシェム?」

「え、あ、えーっと……空耳、じゃないですかね?」

 フランツは挙動不審になるアルシェムを詰問し、昼食を取っていないことを知るとアルシェムを強引に居酒屋アーベントに押し込んだ。アルシェムはフランツと給仕をしてくれていたエステルの友人エリッサに見張られながら昼食をとる羽目になったのであった。




付け加えられた要素は「夢」。
どちらかというと巫女的な要素にはなりますが、まあこれ以上のネタバレは(多分)終盤あたりで明かすことになるかと。

では、また。


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パーゼル農園での魔獣退治と兵士の訓練

今話は旧10話半ば~12話までのリメイクとなります。
展開が旧作とは変わりますので、ご注意。

では、どうぞ。


 アルシェムは昼食を取った後、パーゼル農園の主フランツ・パーゼルと別れてメルダース工房を訪れていた。先ほど手配魔獣を狩っていた際、故障しかけた街道灯――魔獣除けのためのもので、故障していると逆に魔獣が寄ってくる危険なシロモノである――を見つけたからである。

「……とゆーわけで、フライディさん。交換するためのオーブメント灯と整備パネルのコードの情報を下さいな」

「そう言えばそんな時期だったね……うん、お願いするよ。開錠コードは『544818』だからね」

「りょーかいです。報告は明日でもいーですか?」

「ああ、構わないよ」

 そうして、アルシェムはフライディから街道灯を受け取ると、遊撃士協会へと向かった。手配魔獣の討伐の報告と今夜の身の振り方に関することである。本来ならば今夜の身の振り方をアイナに伝える必要性は全くないのだが、事情が事情であるためだ。

「……というわけでですね、アイナさん。夕食にお呼ばれしちゃったわけですけど……」

「まだエステル達の魔獣退治は終わっていないってことね。……分かりました。アルシェム、出来れば魔獣が農作物等に被害が出ないように気を付けておいてもらえるかしら?」

「因みに、その過程で魔獣を狩ってしまってもいーですか?」

 満面の笑みでアルシェムがそう告げると、アイナは怯んだ。普通、魔獣を狩ることに喜びを覚える人種はそういないからである。と、そこでアイナはツァイス支部からの申し送りにあったある異名を思い出した。

 アルシェムの非公式な二つ名、《氷刹》。氷のように冷たく、刹那の間に魔獣を狩る。遊撃士協会の協力員だった時の彼女は、まさにその二つ名通りに慈悲もなく魔獣を狩り殺していっていたらしい。その実力は一流の遊撃士も認める程のモノ。それをZCF(Zeiss Central Factory)の導力銃開発部門のテスターとして動きながらこなしていたというのだから恐れ入る。

 アイナは顔をひきつらせながらアルシェムにこう告げた。

「……で、出来ればエステル達に経験を積ませてあげて欲しいけど……もし、手に負えなさそうだったらお願いするわ」

「りょーかいです。じゃー、行ってきますね」

 アルシェムはピッ、と敬礼するとアイナの言葉を聞かずに遊撃士協会を飛び出した。その足でリノン総合商店に向かい、フランツを拾ってパーゼル農園へと急ぐ。

 フランツが一緒にも拘らず急ぐのは、日が暮れてしまうと魔獣が活発化してしまう為である。アルシェム単独ならば何も問題はないのだが、一緒にいる人物を危険に晒すわけにはいかない。それで、出来得る限り速足で歩いて貰ってパーゼル農園へと向かったのだ。その結果、丁度日が暮れたころには無事にパーゼル農園へとたどり着くことが出来た。

 パーゼル農園でアルシェムを待ち受けていたのは――大量の食事だった。さあ喰え! と言わんばかりに並べられた料理にアルシェムは苦笑を禁じ得ない。フランツの妻ハンナは、明らかにこの場にいる人間の食事量をはるかに超える料理を出してくれたのである。大皿で饗されているためにアルシェムの取り分は少々少なくてもそれが露見しそうにないのは不幸中の幸いではあったが。

「じゃあ、ありがたくいただきます」

「どうぞ、たんと召し上がれ」

 ともあれ、食事が頂けるのは家計的にも有り難いことではあったので大人しくご馳走になるアルシェム。途中、おせっかいなティオに明らかに少ない食事量を指摘されて冷や汗をかきながらも楽しい食事は終わった。

 食事が終われば次は休憩である。エステルは何故かティオの部屋に引っ張り込まれていった。休憩のため、と言いながら静かにしている気はないらしい。アルシェムは内心で溜息を吐きながら外に出た。ガールズトークを聞いているほど余裕があるわけではないのである。主に胃が。要するに、食べ過ぎで胃が重いのである。外の空気を吸いながら、アルシェムは魔獣の気配を探った。まだ、近くにはいないようだ。

 いないならいないで好都合である。いつもは遊びに連れられているのでパーゼル農園の構造を全て把握しているわけではない。故に、アルシェムはパーゼル農園内を散策し始めた。魔獣が潜むならどこか。魔獣が狙うとすればどこなのか。ぐるりと一周したところで、アルシェムは1つの結論を出した。

 もしも狙うのならば、やはり畑の野菜であろう。何故食べ物に困る事態になっているのかは皆目見当もつかないが、魔獣が意味もなく農作物を荒らすことはない。つまりは、何らかの理由で住処を追われ、ロレントで見つけられる雑草では食事にならないから農作物を荒らす。

 と、そこでアルシェムはあまりにも自分の考えが飛躍していることに気付いて総毛だった。ロレントで、とはどういう意味だ。つまり、ロレント以外の別の地方から魔獣が流入してきているのではないかと無意識のうちに考えてしまっているということだ。恐らくはあの悪夢に関係しているのであろう。あの悪夢に出て来た魔獣は主にツァイスに生息する魔獣。その魔獣が犯人であると無意識のうちに断定してしまっているのだ。

 アルシェムは頭を振ってその考えを頭から追い出した。たかが夢なのだ。そんな夢を盲信するわけにはいかない。たとえその悪夢が何度も的中していたのだとしても、今回もそうだとは限らないのだ。アルシェムはエステル達が出て来るのを待ちながら、思いついた策に必要な材料を集めた。

 一時間ほどそうしていただろうか。ヨシュアがエステルを伴ってパーゼル家から出て来た時には、アルシェムの身体は冷え切っていた。何と言っても今の季節は秋。後で温かい布団にでもくるまらせて貰おう、とアルシェムが考えたのは言うまでもない。

ヨシュアは外にいたアルシェムを見て意外そうに眼を見開いた。エステルにしていた説明を中断し、アルシェムに声を掛ける。

「あれ? どうしてアルが外に出てるんだい? というか、それは……?」

「あー、その、アイナさんからの依頼でね。農作物に被害が出ないよーにだけ見張りに行って欲しいってさ」

「ああ、なるほど……それについても考えなくちゃいけなかったね」

 そう言ってヨシュアが黙り込む。何か策を考えているのだろうが、この場に限ってはアルシェムの方が策を出すのが早かった。何せ待ち時間が長かったのである。アルシェムの主観では、この待ち時間の間に策の1つや2つ、思い浮かんでいない方がおかしいと考えていた。アルシェムはヨシュアに提案した。

「ヨシュア、わたし今、セピスを大量に持ってるんだけど……それを囮にして引き寄せるってのはどー?」

「何で一杯持ってるのかは聞かないことにするけど、どうやって囮にするつもりだい?」

「これだよ。これを使って一番農作物に被害が行かない場所に設置する」

 そう言ってアルシェムがヨシュアに見せたのは、全長2アージュ程の加工された材木だった。今は布を被せられているので見えないが、ヨシュアがその布の中に入って確認するとそこには大量のセピスが埋め込まれていた。他の魔獣が集まってきたらどうするのか、とヨシュアは問うたが、アルシェムはそこについても対策を施していた。パーゼル農園の柵を、魔獣が入り込める隙間――正面の門である――を残して勝手に一夜限りの魔獣除けの街灯に変えていたのである。その場所以外からは侵入できないため、侵入経路の絞り込みも出来る。また、周囲の魔獣は先ほどアルシェムが殲滅しているので入り込んできても少数になる。

 ヨシュアはそれを聞いて複雑な顔をし、アルシェムに告げた。

「ねえ、アル。……農作物に被害が行かないように見張りに来たんだよね、君」

「農作物に被害が行きそーな気がするからこーやって対策したんだけど?」

 アルシェムとヨシュアはエステルに分からないレベルでにらみ合い、そして先に折れたのはヨシュアだった。ヨシュア達に依頼されたことは、魔獣退治。アルシェムに依頼されたのは農作物への被害の軽減。それらを合理的に達成するにはその策が有効であると判断したためだ。

「……分かったよ。じゃあ、早速設置してしまおうか」

「りょーかい」

 そうして、魔獣退治は始まった。まずはエステルが侵入してきた魔獣を気絶させる。ヨシュアがその魔獣を見て草食かどうかを判断、ついでに見たことのない魔獣は魔獣手帳に記載する。アルシェムは後詰でエステルとヨシュアから逃れた魔獣を殲滅――といっても、ほぼ来なかったが――する。普通に撃退すれば魔獣は逃げて行ったため、農作物に執着する様子はない。しかし、とある魔獣の群れは違った。

 連携を組んで襲い掛かってきた魔獣――畑荒らし、という文字通り農作物を狙う魔獣らしい――は、何度エステル達が撃退してもしつこく迫ってきたのだ。それを見てヨシュアはこの魔獣がパーゼル農園を荒らしていたのではないかと判断し、エステルが気絶させた隙にロープで縛り上げた。

 その後、事前にフランツ達から言われていた農作物襲撃の時間帯が終わって1時間ほど経過するまで魔獣の撃退は続けられた。その間、先ほどの畑荒らし達のようにしつこい魔獣は現れなかったため、魔獣の撃退を終わらせてフランツ達に報告へと向かった。無論、アルシェムは正面の門に魔獣除けを設置し、材木からセピスをはがして回収したが。

 フランツ達はまだ起きていてくれたようだ。娘の友人たちが魔獣退治をしているのに眠れるわけがない、と言うハンナにエステルは満面の笑みで感謝の意を告げる。そこでエステルがハンナに告げた。

「ところでコイツら、どうしよう?」

 その言葉に最初に反応したのはヨシュアだった。

「魔獣に情けをかけてどうするのさ、エステル。僕達は魔獣退治に来たんだよ?」

「そもそもここに出るはずのない魔獣のはずだから、出来れば生態系を壊さないためにも確実に駆除しといたほーがいーと思うけどね……」

 次いで、アルシェムも追い打ちをかける。そもそもがロレントに出る魔獣ではないので、生態系を守るためにも駆除は必要であるとアルシェムは考えている。そもそも魔獣を殲滅して回っている――つまり、生態系を全力で破壊している――アルシェムにその言葉を言う資格はないのだが、アルシェムはそれを口に出すことはしなかった。それを聞いてフランツは考え込んだ。

 そんなヨシュア達に更に抗弁するエステル。エステルはすっかり畑荒らしに絆されてしまったようだ。

「でも、食べ物がないから出て来てるんだよね?」

「うーん、どっちかというと多分元の住処から離れすぎて帰れなくなったってのが一番の理由だろーだけど……リベール国内で見たことあるの、ツァイスでだし」

「ツァイスか……遠すぎるね。どちらにせよ元の場所に返すわけにもいかないし……」

 ヨシュアは出来ることなら畑荒らしを殺害したくないと思うエステルを説得しようとしているようだ。アルシェムも畑荒らしを殺す以外の選択肢を狭めにかかっている。その説得に、最終的にエステルは折れた。

 結局、結論としてはパーゼル農園の外で畑荒らしを駆除することと相成った。エステルは自身がそれを止めそうだと思ったのでパーゼル農園内で待機し、アルシェムは魔獣除けを施していた柵からセピスを回収していった。

 その後、フランツ達の勧めでエステル達は泊まっていくことになった。その際に寝る部屋についていろいろ問答があったりしたのだが、ここでは割愛する。この日もヨシュアは未明にパーゼル家を抜けだして何処かへと向かって行ったのだが、アルシェムは敢えて追うことはしなかった。再びアルシェムは悪夢を見たため、追う気力もなかったのだが。

 次の日、朝食まで美味しくいただいてしまったエステル達はパーゼル農園の前で振り返った。農園の中からはフランツやハンナ、そしてティオやその双子の弟たちが手を振って見送ってくれている。

「また来るね、おじさん、おばさん、ティオ! ウィルにチェルも元気でね!」

 エステルも負けじと手を振りかえしてパーゼル農園を去る。少し出たところでアルシェムは立ち止まった。それに気付いたエステルがアルシェムに向きなおる。

「どうしたの、アル?」

「そーいや、昨日故障した街道灯見つけちゃっててさ、換えに行かなくちゃなんないんだ。だから先帰っててよ」

「そうなんだ……うん、分かった。何か掲示板の依頼を押し付けるみたいになっちゃってるけど、お互い頑張りましょ!」

 エステルの激励に手を振って応えたアルシェムは、エステル達に背を向けて街道灯の修理へと向かった。修理する前に周囲の気配を探り、魔獣がいないかどうかだけ確認する。先日の乱獲でほぼ魔獣はいなくなっていたようなので、アルシェムは手早く修理を終わらせた。ロレント方面へと戻りながら他の街道灯のメンテナンスも行い、小さな故障はその場で直していった。

 アルシェムはロレントに帰り着くと、交換した後の壊れたオーブメント灯をフライディに渡して遊撃士協会へと急いだ。先日の報告が終わっていないためだ。アルシェムが遊撃士協会に入った時、エステル達は先日の報告を終えていざ次の依頼の説明を聞こうとしているところだった。

「……あ、アル。お帰りなさい!」

「ただいまエステル。アイナさん、報告だけいーですか?」

「ええ、今なら大丈夫よ。エステル達からも聞いたけど、貴女の口からも聞かせて頂戴」

 アイナはエステル達から聞き取った内容を書いた依頼用紙を取り出し、アルシェムの報告を書きとめはじめた。アルシェムも誇張することなく説明を終わらせる。すると、アイナは困惑したように口を開いた。

「そうそう、アルシェム。貴女昨日もう1つ依頼を受けていたでしょう? 手配魔獣以外に」

「え、何のことです?」

「街道灯の交換よ」

 その言葉を聞いてアルシェムは首を傾げた。というのも、いつもの手伝い感覚でやっていたため、フライディからの依頼になっているとは思ってもみなかったのである。

「え、いつもの手伝い扱いじゃないんですか?」

「いえ、フライディさんが正式な依頼として持ち込んできたのよ。……多分、ご祝儀代わりじゃないかしら?」

「そ、そーですか……じゃー、報告しておきますね」

 そうして、アルシェムは追加で報告を行った。アイナもその内容を書き留め、依頼の内容に齟齬がないかを確認していく。そして、報告が終わるとアイナはアルシェムに掲示板の依頼に戻るよう要請した。

「ありがとう。じゃあ、今日も掲示板の依頼をお願いね?」

「分かりました」

 アルシェムは掲示板を見た。すると、今日はミルヒ街道の奥のヴェルデ橋に駐屯する兵士から依頼が来ているようである。他にも依頼があるにはあるが、1つずつ確実にこなすしかなさそうなので報告がてら一度ずつ戻ってくるつもりである。必要事項を書き留め、アルシェムは魔獣が減り過ぎて快適なミルヒ街道を進んだ。これ以上魔獣を狩る必要もないので一般人の全速力でアルシェムはヴェルデ橋まで駆けた。

 ヴェルデ橋に辿り着き、詰所に入ると、ヴェルデ橋警護隊長――アストンという名で、やんちゃなルックの父である――が待ち受けていた。アルシェムがアストンに依頼を果たしに来た旨を告げると、アストンは心配そうにアルシェムに告げた。

「アルシェム君1人で大丈夫かね?」

「大丈夫ですけど……いつもの導力銃じゃなくて棒術具でも構いませんよね?」

「ああ、是非そうしてくれ」

 アストンは不安そうな顔をしながらも訓練をするために新兵を呼んできた。そして、ヴェルデ橋の前で新兵と向かい合う。その新兵を見てアルシェムは内心、落胆していた。このレベルの新兵ならば手加減どころか片手間に訓練してやらねばなるまい。と、そう思った。

 アストンの合図とともに、訓練が始まった。まずは1人目。おっかなびっくり斬りかかってくる兵士の銃剣を受け止め、足を払ってみる。すると、あっけなく彼はこけた。

「えっ」

 アルシェムがその事実に困惑していると、横から2人目が斬りかかってきた。しかし、アルシェムはそれを無意識のうちに棒術具の石突きで受け止める。すると、兵士は銃剣を押し込もうとして力を入れた。アルシェムはそれを見て思いっきり棒術具を兵士とは反対側に引いた。

「うわっ!?」

「ええー……」

 アルシェムは困惑しながら2人目の戦闘不能を確認した。彼は勢い余って前のめりにこけてしまったのである。これにはアストンも困ったようで、一応は終わりの合図を出していた。アルシェムはアストンに提案した。

「アストンさーん……基礎体力から付けてもらったほーがいーんじゃないですか? この体たらくじゃ夜盗どころか飛び猫に殺されかねませんよ?」

「……ああ、そうだな。取り敢えず、ありがとう、アルシェム君。いい経験になった……と思う」

「これで訓練を終わりにするのはもったいないですし、アドバイスだけしてもかまいませんか?」

「ああ」

 アルシェムは立ち上がった兵士達に何事かを書きつけた紙を渡した。そして、笑顔でこう告げる。

「まずは他人の動きを見るところから始めたほーがいーのかもね。あ、その内容はアストンさんと相談してやってね?」

「え……これ、を?」

「うん。それを。では、アストンさん。また何かあれば遊撃士協会まで!」

 アルシェムはそう告げてヴェルデ橋を後にした。その後、ミルヒ街道を全力疾走しつつ魔獣を狩る新兵さん達が見られるようになったという。

 それはさておき、アルシェムは遊撃士協会に戻ってアイナに報告した後、薬の材料として魔獣の羽とベアズクローという植物を求める依頼をこなすべくミストヴァルトに向かった。そして、比較的近くにあったベアズクローを採取して以前から持ち合わせていた魔獣の羽と合わせて依頼主――七耀教会所属のデバイン教区長である――に届けるのだった。

 なお、余談ではあるがこのデバインという人物はティアの薬やティアラの薬、更にはキュリアの薬といった人々の暮らしに欠かせない治療薬を発明して一躍有名となった人物でもある。今後もその恩恵にあやかる気がしているアルシェムは多めに材料を渡しておき、流通量を増やして貰うことで値段が下がることを願っていた。……もっとも、七耀教会に定められた値段であるために値下がりすることなど有り得ないのだが。

 アルシェムはアイナに報告した後、次の依頼へと赴くべく動き始めた。




カットカットカットォ!
ってのは冗談で、長さ的な問題でキリの良いところで切るとえらい短くなったので統合。

では、また。

あ、夏休み最終日も近い諸君、宿題は早いこと終わらせておくのが吉ですぞ。
始業式当日に6つも宿題残してたわたしが言うことじゃないが。


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危険物と鉱山と

今話は旧13話~14話冒頭までのリメイクです。
たまに一段落だけで依頼が終わることもあったりして。

では、どうぞ。


 アルシェムは次なる依頼に首を傾げていた。というのも、キノコを採ってきてほしいという依頼なのだが、どのキノコなのか指示がないのである。会ってから内容は聞かせて貰えるのだろうが、ここに書かない時点で危険な香りがしていた。もしも毒キノコ等で悪用しようとする輩ならばすぐに軍につきだすつもりで、アルシェムは依頼人オーヴィッドの待つ空港へと向かった。

 空港では件のオーヴィッド氏がいらいらしながら待ち受けていた。もしかしたら、こちらを先に済ませておいた方が良かったかもしれない。ただし、掲示板の中で一番怪しい依頼だったのだから出来るだけ時間に余裕を持って当たりたいと思ったのである。と、アルシェムは心の中で言い訳をした。

アルシェムはオーヴィッド氏と思しき人物に笑顔で話しかけた。

「お待たせしました。準遊撃士のアルシェムです。遊撃士協会にキノコ採集の依頼を出されたオーヴィッド氏で間違いないでしょうか?」

 すると、オーヴィッドは一瞬眉をしかめ、アルシェムを見定めてから口を開いた。どうやら、信頼して貰えそうである。

「ようやく来たか……オーヴィッド商会代表のオーヴィッドだ。時間もないので依頼の内容を伝えるぞ」

「はい、お願いします」

 すると、オーヴィッドは依頼の内容を話し始めた。何でも、『ホタル茸』という名のキノコを探しているようだ。使用目的は明らかにはしなかったが、どうしても手に入れたいとのこと。

 因みに、ホタル茸とは、文字通りホタルのように光るキノコのことである。しかも、ただの光ではない。このキノコは七耀の力が流れている脈の上の草むらに群生することが多く、自然と七耀石と同じ性質を持ってしまっているのだ。つまり、魔獣を引き寄せるのである。

 アルシェムは失礼にあたるかも知れない、と思いつつもオーヴィッドに質問をした。

「失礼ですが、オーヴィッドさんはそのキノコをどうして手に入れたいのでしょうか?」

「どうして、だと? それを言う必要があるのか?」

 眉をひそめてオーヴィッドはアルシェムに問い返した。アルシェムはオーヴィッドにも分かるようにホタル茸について噛み砕いて説明する。

「ええ、というのもこのキノコ、魔獣を引き寄せる光を放ちますので。犯罪に利用されることがあるんです」

 そこまで言うとオーヴィッドもその可能性に気付いたようだった。自分が外から見える範囲で持ち運びすれば魔獣に襲われるということに。もっとも、アルシェムは

それを利用して人間を襲わせようとしているのではないかと疑っていたのだが。

 オーヴィッドは顔を真っ赤にして反駁した。

「そんなことするものか! 食べるんだよ、食用だ!」

「食、用……ですか」

 遠い目をしながら、アルシェムはとある記憶を掘り返していた。即ち、その『ホタル茸』を食べた記憶を。

 あの時は確か魔獣も何もいない場所で運悪く野宿する羽目になったのだ。その時に生えていたのがこのキノコ。決して美味ではないが、食べられないこともない味だったはずだ。

 複雑な顔をしながら、アルシェムはオーヴィッドにこう告げた。

「分かりました。では早速採取してきます」

「夕方の定期船が出るまでに頼むぞ」

「はい」

 アルシェムはオーヴィッドの前から辞してこのあたりで一番七耀石の影響が強い場所――つまり、鉱山の近く――まで足を運んだ。そして、付近の草むらを探る。ホタル茸はキノコというだけあって湿気の多いところに生息するためだ。幸い、そのキノコ自体はすぐに見つかった。周囲に群がる魔獣は殲滅済みのため、魔獣に襲い掛かられるといったこともない。アルシェムは状態の良いものを厳選して10個ほど採取しておいた。

 アルシェムがキノコを採取し終え、ロレントへと足を向けようとした瞬間だった。突然地響きがしたのは。

「……地震じゃない。でも、震源は……鉱山? 今は昼過ぎだから、流石に鉱員さん達は中に……マズい!」

 アルシェムはその場から駆け出した。もしも今鉱員が鉱山に入っていたとすれば落盤が起きている可能性がある。可能性があるだけで確定ではないが、それでも確認しておくべきだろう、とアルシェムは判断した。

 それと同時に、アルシェムは昨夜の悪夢を思い出していた。落盤に呑まれ、岩の下敷きになるエステル。身動きの取れないところに巨大な魔獣が襲い掛かってそのまま嬲り殺される夢だ。もしも今日カシウスの代わりに受けた依頼で鉱山に行っていたとすれば、この夢が当たってしまう可能性も無きにしも非ずなのだ。

 焦りながらアルシェムは鉱山に辿り着き、逃げ出て来る鉱員をかき分けながら鉱山の中へと向かった。下層へ行くためであろうトロッコに沿って走り、下に降りたままの昇降機に向かって飛び降りる。

「うおっ!?」

「済みません、遊撃士です! 取り残されている人は!?」

「え、ええっと……遊撃士の嬢ちゃん達があっちに……」

 鉱員がそう言った瞬間。アルシェムの耳に小さな悲鳴が聞こえた。聞こえた瞬間にアルシェムは迷わずその方向へ駆け出す。すると、鉱員と思しき男が土埃の奥から現れる魔獣に襲われているところだった。

「下がって、昇降機へ!」

「ひ、ひいいいいいいっ!?」

 アルシェムがその男に声を掛けると、男は何度も転びながら昇降機の方へと駆けて行った。それに構うことなく、アルシェムは正面を見据えた。微かに匂う火薬を感じながら土埃の奥へと目を凝らす。すると、巨大な甲殻類の魔獣がこちら側へ出ようとかさかさと足を動かしていた。普通の女子ならば硬直して鳥肌でも立てて叫ぶところだろうが、生憎アルシェムはこの程度の魔獣は恐怖の対象ではない。

 アルシェムは導力銃をしまい、棒術具を組み立ててその魔獣を睨みつけた。そして、ポケットの中に手を入れながら土埃の中へと突進する。

「……シュトルムランツァー」

 アルシェムはクラフトを発動させて甲殻類の足を全て奥へと押し込んだ。次いで、ポケットの中にある特殊オーブメントを駆動させる。すると、暴風が起きて甲殻類は耳障りな音を立てながら後退した。

 魔獣を追ってアルシェムは土埃の先へと抜ける。すると、そこには魔獣の巣と思しき空間が広がっていた。そして、その中にはわさわさと甲殻類の小形魔獣が大量に湧いて出て来ている。

「……いや、何でこんなにいるの?」

 アルシェムは思わず遠くを見ながらそう言った。これを狩りつくすのは流石に時間がかかる。とはいえ、放置するわけにもいかない。

考える時間を稼ぐために、アルシェムはポケットの中のオーブメントの翠色のボタンを再び押し込んだ。すると、アーツが発動して魔獣が奥へと吹き飛ばされていく。その隙に、アルシェムは全力で考えた。この状況をいかに早く切り抜けるかを。

 そして、アルシェムはおもむろに鞄からホタル茸を1つだけ取り出すと、崩壊した入口から一番遠い位置に投げた。過たずキノコはアルシェムの狙った位置に落ち、魔獣はこぞってそのキノコに群がっていく。そして、完全に魔獣がキノコに魅了されて密集しすぎたその時をアルシェムは待った。右手に棒術具を持ち、左手に導力銃とオーブメントを持って。

 魔獣が一か所に団子のように固まった瞬間、オーブメントのスイッチを押したアルシェムはクラフトを発動させて駆けだした。左手の導力銃を連射し、外側の魔獣を粉砕していく。当然、魔獣もそれに気付いて抵抗しようとするがもう遅い。発動したアーツは、対象の位置を固定する空属性のアーツ。動けるはずがないのだ。

 間を詰めたアルシェムは導力銃を一時的にブラウスの中にしまい、両手で棒術具をもつ。そして、全速力の突きを複数回繰り出した。手ごたえは硬い。それでも、確実に魔獣は死に絶えていく。

 小形魔獣が全滅したころ、巨大な魔獣はキノコを咀嚼してアルシェムに狙いを定めていた。しかし、アルシェムのクラフトはまだ終わっていない。棒術具の突きが容赦なく巨大な魔獣に突き刺さっていく。魔獣は右に左にハサミを振って逃れようとするが、アルシェムは止まらない。

「流石にさ、本気を出すわけにもいかないんだよね。だからこのまま死んでよ」

 アルシェムは小さくそう嘯き、クラフトを終えてもなお同じ速度で棒術具で魔獣を打ちのめしていく。

 そして――魔獣は、アルシェムの手によって殺害された。完全に動かなくなり、セピスを残して魔獣は消えた。アルシェムは空属性のアーツでセピスを回収し、その場を後にする。

 すると、崩落した個所を過ぎたところにヨシュアがいた。ヨシュアは一瞬訝しげな顔でアルシェムを見たが、すぐに顔に笑みを張り付けて問いかける。

「やあ、アル。何でこんなところに?」

「マルガ山道にキノコ採集に来てて、地震っぽいのがあったからさ。もし崩落でもしてたら危ないなーと思って見に来たんだ。ヨシュアは?」

「僕達は父さんの代理で来てたんだ。そうしたらいきなり地面が揺れて魔獣が溢れて来たんだけど……途中でめっきり来なくなって。もしかして、アルが退治してくれたのかい?」

 ヨシュアはまるでアルシェムのことを詮索するかのようにそう問うた。実際、ヨシュアはアルシェムの力量について多分に疑っていた。明らかに裏の世界の人間の動きをすることが多かったからである。もしもヨシュアを狙いに来た刺客ならば問題ないが、エステルを狙っている悪党の仲間であった場合が問題である。エステル自身は自覚していないが、彼女は誰かに命を狙われていてもおかしくないのだ。カシウス・ブライトへの復讐として。

 アルシェムは遠い目をしながらこう応えた。

「あーうん、何か凄いの出たから退治してた」

「そ、そっか……うん、けがはないみたいだね」

 ヨシュアはアルシェムの様子を見てそう言葉を濁した。疑っていると思わせてはならないのである。もっとも、アルシェムにはヨシュアの感情も視えているので完全に気付いたうえで放置しているのだが。

 アルシェムは苦笑しつつヨシュアに返した。

「基本的に間を取ってしか戦わないからね、わたし。それで、鉱員さんが逃げてくの見えたけど……ここ、もー誰もいない?」

「うん。……どうかした?」

「逃げてった鉱員さんさ、火薬の臭いがしたんだけど……ここって爆薬とか使って掘り進めるような鉱山じゃないよね?」

 ヨシュアはその言葉に眉をひそめた。火薬の臭い、ということは人為的に崩落が引き起こされた可能性があるからである。ヨシュアは首を振ってそれを否定した。

「そっか……七耀石でも狙われてるかな?」

「うん、多分……今日の依頼がその関係だったから……依頼主には厳重に保管するようにお願いしておくことにする」

「それが賢明だよねー……さて、上に戻ろーか? 不法侵入の謝罪もしなきゃだしねー……」

 ヨシュアはそれに首肯し、先導して鉱山の外へとアルシェムを誘導した。エステルと鉱員達は外で待っていたようである。エステルはアルシェムを見ると目を丸くして叫んだ。

「何でアルがいるの!?」

「地震っぽいのを感知したから崩落とか起きてないか見に来たんだ。案の定起きてて魔獣まで湧いてたからびっくりしたけど」

「そ、そっか……」

 エステルは何とも言えない顔をしながらそう言った。心なしか落ち込んで見える。アルシェムはそれを見ないふりをして鉱山長に頭を下げた。

「済みません、勝手に出入りしちゃって……一応報告しておきますけど、崩落の奥にあった魔獣の巣は殲滅してきました」

「いやいや、誰にも怪我がなくて良かったよ。嬢ちゃん達がいなかったら俺達は魔獣に喰われて死んでたからなあ」

「エステル達が皆さんを避難させてくれてなければ本当にそうなってたかもしれませんね。……割と、強い魔獣だったので」

 アルシェムは遠い目をしてそう言うと、ふと太陽を見た。かなり傾いて、赤く染まってきている。ぎぎぎ、と音がしそうなほどぎこちなく首を戻して鉱山長に向き直ると、アルシェムは勢い良く礼をしてこう叫んだ。

「済みません、時間がないので先に失礼しまっす!」

「お、おう……」

 戸惑う一同を放置して、アルシェムはマルガ山道を駆け下りた。夕方の定期船に間に合わなくなってしまう。アルシェムはロレントの市街を駆け抜け、空港に突入した。すると、待っているはずの場所にオーヴィッドはおらず、代わりに定期船がすでに停泊していた。つまり、もう乗り込んでしまっているということだろう。アルシェムは定期船に乗り込んだ。そして、離陸のアナウンスに焦りつつも客席を探すとあっさりとオーヴィッドが見つかる。

 アルシェムは肩で息をしながらオーヴィッドに声を掛けた。

「す、みません……遅く、なって、しまって……」

「あ、ああ……ま、間に合ってよかった」

「では、確かにお渡ししましたから……失礼、します」

 アルシェムは深々と頭を下げてオーヴィッドの前を辞した。定期船の甲板に出た瞬間、定期船が動き始めた。このままでは密航になりかねない。アルシェムはその場から空港の外の茂みへと向けて飛び降りた。幸い、それに気付いた人間はいなかったために事なきを得た。そのままフェンスの隙間を潜って空港内へと戻るアルシェム。

 そして、アルシェムは肩で息をしながら空港から出た。ゆっくりと遊撃士協会の方へと向かうと、何故か教会から出て来た蒼い髪のジェニス王立学園の制服を着た少女にぶつかってしまった。流石に疲れていたため、避けることが出来なかったのだ。少女はアルシェムにぶつかって手に持っていた本を取り落としてしまった。

「済みません、お怪我はありませんか?」

 アルシェムは少女に謝罪し、本を拾い上げながらそう告げる。すると、少女は微笑みながらこう返した。

「大丈夫です。こちらこそ申し訳ありませんわ。私、前を見ていなかったものですから……」

「わたしも少し注意が足りなかったようです。申し訳ない……」

 お互いに頭を下げ、謝罪しあう2人。

「いえ、こちらこそ本当に申し訳ございませんでした……」

「いえいえ、わたしも前を見ていなかったので……」

「いいえ、私こそ……」

「いや、わたしが……」

 少女とアルシェムの謝罪合戦はこのまま数回続いた。辟易したのだろうか、そこで少女はアルシェムにこう告げた。

「ふふ、どちらも前方不注意ということでここは手を打ちませんか?」

「で、でも……」

「でもは言いっこなしですわ」

 そう言って少女はアルシェムに軽くウインクした。それでアルシェムは若干緊張を解いた。持ちっぱなしになっていた本を少女に手渡し、アルシェムは少女にこう言った。

「では、後ででも構いません。もしも怪我などに気付かれましたら遊撃士協会までご連絡をお願いします。準遊撃士のアルシェム・ブライト、と言えば通じるはずですので」

「あら、律儀なんですね。……分かりましたわ、そこを落としどころとさせていただきましょう。伝言を入れる際はジョゼット・ハールより、と伝えておきます」

 にっこりと少女――ジョゼットは微笑んでそう告げた。アルシェムはそれに首肯し、お互いに挨拶をする。

「御機嫌よう」

「御機嫌よー」

 ジョゼットは貴族のような雰囲気を感じさせるカーテシー(お辞儀)を行い、アルシェムもそれにならってキュロットの裾をつまみ、礼をする。いささか芝居がかっているようでもあるが、ジョゼットの方は様になっているために優雅に見えた。アルシェムは子供のお遊戯レベルだが。

 アルシェムはその仕草に内心眉をひそめていた。若干恥ずかしかったから、というのもあるが、『ハール』という貴族の家名は聞いたことがなかったからである。それは後で調べることにして、アルシェムはジョゼットがホテルの方へと向かうのを確認してから遊撃士協会へと向かった。

 そこで、アイナに本日の依頼の報告を行った。無論、定期船から飛び降りたのは内緒である。ついでに鉱山での出来事も詳細に報告しておくと、蒼い顔をしたエステル達に盛大に怒られてしまった。

「何してんのアル!?」

「そんな大事になってたんだったら僕達を呼んでよ!?」

「い、いやー、だってさ? 呼ぶ暇もなかったし……ね?」

「「ね? じゃない!」」

 その後、たまたま遊撃士協会に寄ったシェラザードも真っ青になるほどこってり絞られたアルシェムは、罰として本日の夕食をシェラザードに奢ることになってしまった。しかも、居酒屋のアーベントで。呑兵衛のシェラザードに酒をおごるというのはある意味自殺行為でもあった。……もっとも、アイナがその場にいれば破産していただろうが。

 その日のアルシェムの財布の中身は、一気になくなってしまったという。そもそも、アルシェムは財布の中には必要な分のミラしか入れない――といっても、一応は一万ミラは入れてある――主義である。貯蓄の大元はカシウスの勧めでエレボニア帝国とカルバード共和国に挟まれたクロスベル自治州の銀行IBC(International Bank of Crossbell)に預けてあるため、懐は全く以て痛まなかったのだが。




ジョゼットさんの出番増量のお知らせ。

では、また。


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子猫とお嬢様(偽)

今話は旧14話冒頭~15話半ばのリメイクとなります。

独自設定が多数炸裂しますご注意。

では、どうぞ。


 シェラザードに財布の中身をむしられた次の日、アルシェムは再び掲示板を見ていた。現在アルシェムが受けられる依頼は2つ。子猫の捜索と手配魔獣である。アルシェムはまず子猫の捜索から終わらせることにして遊撃士協会から出た。行先は居酒屋アーベントのテラスである。

 アルシェムがその場に辿り着くと、いかにも困っています、という風情を醸し出した女性が立っていた。アルシェムはその女性に話しかける。

「初めまして、遊撃士のアルシェムです。イーダさんで間違いないでしょーか?」

「あ~、ブレイサーさんね?」

「はい。何でも、子猫をお探しとか。特徴を教えて頂けませんか?」

 何ともゆっくりとした話し方をする女性だが、アルシェムは辛抱強く言葉を待った。

「ええっとねえ~、とおってもカワイイ顔をしてて~、性格も良くって~、それで、秋の夕日に照らされた小麦畑みたいな色をしてるの~」

「そーなんですか。分かりました、すぐに見つけてきますのでここで待ってて下さいね」

「お願いね~」

 アルシェムは内心でイーダの話し方を鬱陶しいと思っていたが、顔には出さないでおいた。依頼の達成には関係ないだろうが、少しでも心証が良い方が望ましいからだ。アルシェムは一礼してイーダの前を辞すと、ゆっくりと気配を探りながら子猫を探し始めた。

 子猫は比較的早くに見つかった。時計台の前にそれらしき子猫がいたのだ。アルシェムは気配を消して子猫に近づいた。もう少しで確保できる、とアルシェムが思ったその時。

「にゃぁお~ん」

 子猫はさっと後ろを向いてアルシェムを視認すると駆け出した。アルシェムは子猫に追走し、市街から出ないよう、また袋小路に追い詰められるように誘導していく。しかし、子猫は必死に逃げ、とうとう建物の中に逃げ込んでしまった。場所は、七耀教会である。

「……全く。メルせんせーにも手伝ってもらおーかな……」

 アルシェムはそうぼやきながら子猫を追った。気配を探り、動かなくなった場所へと向かう。すると、そこには金髪のシスターが子猫を抱いてあやしていた。

「にゃ~ご。にやゃゃあ~」

「にゃ~ご。にゃお?」

 しかも、無駄に似せた鳴き声で猫と会話までしているではないか。ふと机の上を見ると、『猫語日常会話入門・上級者編~これであなたも猫マスター~』と題された分厚い冊子が置かれていた。アルシェムは呆然としながらメルに声を掛けた。

「あー、メルせんせ?」

「にゃっ!? いつからそこに……!?」

「さっきから。あー、うん……見なかったことにする」

 アルシェムが目を逸らしながらそう言うと、メルは顔を真っ赤にしながら殴りかかってきた。その碧眼にはわずかながら涙が浮かんでいる。どうも猛烈に恥ずかしかったようだ。

「い、いるなら声を掛けて下さいと何度も言ったでしょう!」

「や、まさか猫と戯れてるとは思わないから! しかも、捜索対象の猫と!」

「ふしゃーっ!」

 いかにも猫っぽく威嚇してくるメルを宥めつつ、アルシェムは彼女に伝えるべきことがあったのを思い出したのでこう告げた。

「メルせんせー、いや、メル。わたしがロレントから去ったらルーアンへ転属して。今のロレントを見張る意味はないから」

「……分かりました。監視対象はあの方になるんですね?」

「勿論。あと、『ジョゼット・ハール』についても調査をよろしく。それ以外にも何かあれば教えて」

 アルシェムはメルにそう指示をすると、くるりと踵を返した。メルはそのアルシェムの背に頭を下げ、次いで思い出した。未だ自分が猫を抱えたままだということに。メルはアルシェムに子猫を渡そうとしたが、何を思ったのかアルシェムはメルを連れ出した。

「そーいえば子猫って柔らかいよね。潰しそうだよね。とゆーわけでメルせんせー、手伝って?」

「いや、普通に扱えば潰しませんから……」

 メルに懐いている子猫は大人しく抱かれているのだが、アルシェムが手に取ろうとすると思いっきり威嚇してくるためにこの処置である。基本的には動物に好かれていないのを今更ながらに思い出したアルシェムは地味に傷ついていたとか。とにかく、アルシェムは無事にイーダに子猫を届けることが出来た。

 アイナに苦笑されながら報告を終え、アルシェムは次なる依頼へと向かった。場所はエリーズ街道。依頼の内容は、ライノサイダーと呼ばれる魔獣の討伐である。先日駆逐しすぎたミルヒ街道とは違い、エリーズ街道には魔獣が跋扈していた。

「うーん、それにしても……パインプラントに、ライノサイダーか……」

 アルシェムは魔獣を駆逐しながら考え事に没頭していた。内容は、先日狩った手配魔獣・パインプラントと今回の手配魔獣・ライノサイダーについてである。この二者の魔獣はともにミストヴァルト、という森に出現する魔獣である。パインプラントは偶然かも知れないが、ライノサイダーまで出て来てしまってはミストヴァルトで異変が起こってしまっていると言っているようなものだ。その原因の1つは心当たりがあったものの、アルシェムの知る原因だけではないはずである。アルシェムの知る原因は、二年ほど前からあるもので今回いきなり異変を引き起こすようなものではない。つまり、ミストヴァルトに何かしらの異変が起こったということである。

 これは調査する必要があるかも知れない、とアルシェムは思った。今何かしらの異変が起こっているとして、他人に調査されてアルシェムがミストヴァルトに隠している物体を見つけられては困るのである。対処方法がないこともないが、できれば自分の目で確かめておきたかった。

 アルシェムは手配魔獣を難なく片付け、遊撃士協会へと向かった。

「あら、もう手配魔獣を狩ってきたの?」

「はい、それでちょっとばかし気になることがあるんですけど……」

 アイナはアルシェムの懸念を聞いて眉をしかめた。魔獣の生態系が崩れただろう場所では何か異変が起こっている、という考え方は確かに以前からあったし、半々くらいの確率で原因が見つかるからだ。アイナは暫し考え込み、そしてアルシェムに言った。

「こんなことを準遊撃士に頼むものでもないんだけど……協力員としての経験を持つ貴女になら任せられるかもしれない。……準遊撃士アルシェム、貴女にミストヴァルトの調査を依頼します」

「分かりました、承ります。今から昼食を取って出かけますけど……もし、夕方になっても戻って来なかったらシェラさんに連絡をお願いします」

「ええ、分かったわ」

 アルシェムはアイナに行ってきます、と声を掛け、居酒屋アーベントで軽くサンドイッチをつまんでから再びエリーズ街道方面へと向かった。すると、街道に向かおうとする蒼い髪の少女を見かけた。先日アルシェムがぶつかったジョゼットである。アルシェムはジョゼットに近づいて声を掛けた。

「そっちは街道ですけど、何か用でもあるんですか?」

「ふえっ!?……あ、あら、アルシェムさん……だったかしら。御機嫌よう」

「ご機嫌よー」

 飛び上がったジョゼットはそれでも優雅なカーテシーをアルシェムに向けて行った。アルシェムも返礼しておく。ジョゼットはそれでは……と言いながらそそくさと逃げ出そうとするが、アルシェムはそれを引き留めた。

「どこに行くんですか? ジョゼットさん」

「え、ええ、少しミストヴァルトに行ってみたいなあ、と思いまして……」

 ジョゼットの顔は若干引き攣っている。内心ではとっとと行きたいから離せバカ! と思っているのだが、アルシェムは知る由もない。イライラしているのは分かっていたが、何を焦っているのかわからない状況だ。

 ここで、ジョゼットはある失態を犯してしまっている。それは、アルシェムの前で行先を告げてしまったことだ。ミストヴァルトには何かしら異変が起きている可能性がある。そして、その場所に行きたいと言うということは、よっぽどの変人でない限りミストヴァルトの異変に関わっていると宣言しているようなものである。

 アルシェムは疑いを顔に出さずにジョゼットにこう言った。

「そうなんですか! わたし、今からミストヴァルトに行く予定があるんです。良ければ護衛しましょうか?」

 その言葉に、ジョゼットはあからさまに引いた。これはもしかするとばれているかも知れない。懐の中にひそませたとあるものに無意識のうちに触れながらジョゼットはそう思った。もしばれていなかったとしても、アルシェムは遊撃士である。もしもミストヴァルトの奥にあるアレが見つかってしまえば取り返しのつかないことになる。そうなる前に、この遊撃士をどうにかしなければならない。そこまでジョゼットが考えた時だった。

「ジョゼットさん?」

 唐突にアルシェムから声を掛けられて、ジョゼットは飛び上がった。そして、あからさまに挙動不審になってこう答える。

「あ、ええと、じゃあお願いしますわ」

「はい。じゃー、行きましょーか」

 そうして、ジョゼットはアルシェムと連れ立ってミストヴァルトへと向かう羽目になってしまった。ジョゼットとしてはアルシェムを排除してミストヴァルトへ向かいたいのだが、アルシェムには隙がない。しかも、魔獣を見るや否や狙撃して倒していってしまうのである。折角《銀閃》が依頼で外している時を狙ったというのに、こんな兇悪な遊撃士が残っているとは思ってもみなかった。

 そこで、ジョゼットに救いの神が現れた。前方から仲間がやってきたのである。ジョゼットはポケットの中に手を入れてその仲間に目配せをした。

 アルシェムは呑気に歩いてくる男を見てこうつぶやく。

「……あれ、街道を歩くなんて勇気あるね、あのおにーさん」

「そうですわね」

「あ、ジョゼットさんもだったか……あんまり無謀なことはしないよーにね? 心配してくれる家族がいるのなら、尚更、さ」

 アルシェムがそう言った瞬間だった。ジョゼットはポケットの中でオーブメントを駆動させた。

 そして、アルシェムに、時属性アーツ・ソウルブラーが複数個アルシェムに突き刺さった。

「……気付いてたけど、やり過ぎ……」

 そして、アルシェムは気絶した――ふりをした。本来ならば懐の特殊オーブメントのおかげで状態異常とは無縁なのだが、ジョゼット達の目的を知るために敢えてそうしたのである。これ以上仲間がいるのかどうか、そしてどういう理由でミストヴァルトに向かうのかを知るためである。気絶した振りをしたアルシェムは、こっそりと鞄に穴をあけ、その隙間からネジの入っている袋に穴をあけた。

 ジョゼット達はアルシェムが気絶した振りをしているのに気付くことなくアルシェムを担ぎ上げ、そしてミストヴァルトへと向かった。迷いなく奥へと進む一行は、気付かない。アルシェムがネジをばらまきながら運ばれていっていることに。

 ミストヴァルトの奥の空間に辿り着くと、そこには野営の後と複数の男達が待っていた。どうやら仲間らしい。そこにはアルシェムに見覚えのある男も交じっていた。ジョゼットは部下らしき男に指示してアルシェムを後ろ手に縛らせた。そこで気絶から回復していたことに気付かれたのだが、既に縛られた後なので問題ないと思ったのだろう。アルシェムが二度目のアーツを喰らうことはなかった。

 アルシェムはそれを良いことに起き上がって座ると、ジョゼットにこう問いかけた。

「……で、ジョゼットさんや。何やらかしたの? 七耀石でも盗んだ?」

「なっ……何でばれてるの!?」

「だってさ、鉱山で爆破してくれちゃったヒトがそこにいるんだもん。疑うなってのがおかしーってね」

 目ざとくそれを指摘してやれば、ジョゼットは舌打ちをして言った。

「てことは、鉱山でコイツを助けてくれたのはキミってことか……よくも邪魔してくれたなって言いたいとこだけど、それだけは感謝しとく」

「素直じゃないなー、全く……」

「う、うるさいっ!」

 ジョゼットは顔を赤らめながら悪態をついた。どうも、猛烈に恥ずかしいようである。アルシェムは苦笑しながら言葉をつづけた。

「あー、そーいえばその七耀石さ、多分買い手付かないよ」

「え……」

「女王生誕祭前のこの時期に、わざわざ遊撃士に依頼してまで取りに行かせる七耀石だよ? 間違いなく保証書がついてるし、多分直筆の署名も入ってるはずだから」

 アルシェムがその言葉を吐くと、ジョゼットは慌てて懐から七耀石を取り出した。翠色に輝く翠耀石である。ロレントでは特によく産出する七耀石だ。宝飾品としても、更には飛空艇等の導力源としても貴重なものだ。翠耀石の売り上げはロレント地方の収入の約七割を占めている。

 そして、そんな特産品である翠耀石であるが、大振りで、なおかつ宝飾品としての価値が高いものには産地等を保証する保証書が付けられているものが多い。恐らく、この翠耀石も同様であろう。アルシェムはあずかり知らぬことではあったが、この翠耀石はロレント市長クラウス氏よりリベール王国の女王アリシアⅡ世陛下へと献上されるものである。当然保証書はつけられており、クラウス氏は別の場所に保管していた。

「……お、お嬢……」

「……そう言えば、そうだったかもね。確かにミラにはなるけどそんなことまで覚えてらんなかったし……うん、売れないならただの石ころなんだよねえ、これ」

 そう言ってジョゼットは空に翠耀石を翳した。太陽の光に反射して翠耀石は煌めいている。ジョゼットはしばらくその煌めきを見つめていたが、ゆっくりと目を閉じて手を降ろした。

 ややあって、ジョゼットは翠耀石をアルシェムのキュロットの上に置いた。

「……返しといて」

「捕まる気はない、と……うーん、遊撃士としてはこのまま大人しくお縄につけ! っていうところなんだけどなー……」

「え?」

 アルシェムの言葉に眉をひそめるジョゼット。遊撃士としては、という言葉に引っかかったのだろう。アルシェムは紛うことなく遊撃士なのだが、その言い方だと別の立場があるようにも聞こえるのである。

 眉をひそめるジョゼットにアルシェムは棒読みでこう告げた。

「どー見てもこの場所、飛空艇か何かを止めた痕跡があるんだよねー。んでもって、多分わたしだけじゃ止めらんないんだよねー」

「何が言いたいのさ?」

「要するに、しばらく抵抗しないであげるから、事情が聞きたいなってこと。何でミラが必要なのか、とかさ。どーせそっちも暇でしょ?」

 アルシェムが意味ありげにそう言うと、ジョゼットはしばらくアルシェムをぽかんと見つめていた。そして、ハッと我に返ってこう問うた。

「そ、そんなの知ってどうすんのさ?」

「情状酌量の余地がある気がするんだよね、ジョゼットさん達。根っからの悪人でもないしクズでもない。だから何でこんなことをしなくちゃいけなかったのかの理由が知りたいんだよ」

 周囲にいる男達はそんなことを話す必要はない、だのどうするんですかお嬢、だの騒いでいる。しかし、ジョゼットはそれを意に介することなく黙り込んだ。確かに事情はある。ミラをためて、いつか故郷に帰りたい。それがジョゼット達《カプア一家》の目的であり悲願である。ただ、どこかしら甘い兄のせいというべきか、おかげというべきか、凶悪な犯罪に手を染めたことはなかった。この七耀石強奪だってそもそも反対されたのだ。ここにきて、ジョゼットの中で少しずつ溜まってきていた罪悪感が表に出始めていた。

 しばらくして、ジョゼットはアルシェムに告げた。

「……暇つぶしだよ。こっちに迎えが来たら終わり。そっちにも迎えが来たら終わりね」

「ん、りょーかい」

 そうして、ジョゼットは語り始めた。自らの過去、数年前までの幸せな日々を。

「……アンタだったら多分気付いてるんだろうけどさ、もともとボクは帝国貴族の一員だったんだ。これでも一応貴族のお姫様だったんだよ? 笑えるよね」

「や、笑わないけど。ジェニス王立学園の制服があそこまで似合うのはそーゆー事情があったからかー……」

「べ、別に褒められてもうれしくないからな! ……そ、それで……うん。3年くらい前に……家に、リドナーとかいう男が来てさ。それで、土地を売らないかって持ちかけて来たんだ」

 そして、ジョゼットの兄はそれを受けた。土地はリドナーに売られ、何かしら事業が始まるはずが――始まらなかった。その後、土地の権利書は《クリムゾン商会》なる商会に売り払われ、慌てて長兄は買い戻そうとするも交渉に失敗。何度も何度も交渉に足を運ぶたびにミラが失われていった。本格的にマズイと次兄が思った時にはもう遅い。既に残された領地を経営するだけのミラは既になく、心無い使用人は宝飾品等を盗んで逃げ去り、また信用をも失っていた。あったものはと言われれば多額の借金のみ。止む無く長兄は統治権を相談の上、所属するノルティア州の領主ログナー侯爵ではなくバリアハート州の領主アルバレア公爵へと移譲。残った財産を飛空艇を残して二束三文で売り払い、何とか借金だけは返上した。しかし、《クリムゾン商会》は新たな借用書を取り出して借金の返済を迫ったため、長兄はようやく騙されていたと気付いた。というのも、書いたこともない借用書だったからである。慌ててその場を切り抜けて屋敷へと戻り、残していた飛空艇へと次兄とジョゼット、そして最後まで残ってくれた家臣達を乗せてエレボニア帝国を脱出した。

「……それで、空賊をやりつつ今に至るってわけ」

「……成程。うん、やっぱ人が良すぎるわ、ジョゼットさんのお兄さん」

 アルシェムは嘆息しながらそう告げた。アルシェムならばその場で復讐に走るだろう。復讐を選ばずにただ愚直に取り戻すという様は、確かにお人好しだった。




少なくともFCに関しては事件に関連のある場所と手配魔獣の元々の生息地って合致してたりするんですよね。
意識的に制作側が頑張ったんでしょうね……

では、また。


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立つジョゼット跡を濁さず

今話は旧15話半ば~16話半ばまでのリメイクとなります。

では、どうぞ。


 時は少しばかり遡る。アルシェムがジョゼット達に捕縛されたちょうどそのころ、ロレントの遊撃士協会に駆け込む老人がいた。名はクラウス。ロレント市を治める市長である。クラウス市長は遊撃士協会に駆け込むなり混乱した様子でまくしたて、その場にいたシェラザードに諭されてゆっくりと事情を話した。

 曰く、市長宅に強盗が入ったらしい。その場にいたシェラザードはエステルとヨシュアを伴って調査へと赴いた。その結果、盗まれていたのはエステル達が苦労して運搬したあの七耀石だった。シェラザードが事情聴取を、ヨシュアが七耀石の入っていた金庫とその金庫があった部屋を、エステルがそれ以外の場所を調査し、それぞれ情報を持ち寄って犯人について考察した。

 犯人は複数。うち一人は小柄で女性の可能性があること。金庫の番号を知るために特殊な粉を使ったこと。狙いは七耀石のみでその他の者は荒らしただけで手を付けていないということ。保証書は金庫の裏に張り付けていたため、目に入らなくて無事だったこと。また、金庫のある部屋に出入りした人物はエステル達以外には一人しかいないこと。そして、エステルが見つけた葉っぱから、行先もしくは帰り道がミストヴァルトであるということが分かった。

「で、でも……あのジョゼットさんがこんなことするかな?」

「見た目に騙されちゃいけないよ、エステル。どんなに善良に見える人でも犯罪を犯すときは犯すんだ」

「ヨシュアの言う通りよ、エステル。とにかく、そのジョゼットって娘が今どこにいるか探しましょ」

 シェラザードはそう言って手分けして調査するようエステル達に指示し、ヨシュアは空港へ、シェラザードはホテルへと向かった。エステルは道を歩いていた人達に情報を聞いていく。そして、やはりジョゼットはホテルからチェックアウトを終えて空港を使わずに脱出するつもりであることが分かった。目撃情報から、エリーズ街道方面へと向かったらしい。

 シェラザードは遊撃士協会に駆け込み、エリーズ街道方面へと向かうことをアイナに伝えた。

「アイナ、あたし達は今からミストヴァルトに寄ってからボース方向に向かうわ。何かあったらリッジに全部回してやって」

「シェラザード、ミストヴァルトに向かうんだったらアルシェムの様子も見て来てほしいのだけど」

「……どういうこと、アイナ」

 シェラザードは眉をひそめてアイナを見る。アイナは少し迷ったものの、それでも告げた。まだ夕方にはなっていないものの、少しばかり嫌な予感がしたからである。

「最近の手配魔獣が全部ミストヴァルトから出て来てる魔獣だったから、アルシェムに調査を任せたのよ」

「……マズイわね。もし魔獣じゃなくて盗人達がいたらいくらアルでも対処しきれないかもしれないわ」

「もし本当に犯人がミストヴァルトに逃げ込んでたら、ですけど……急ぎましょう、シェラさん」

 シェラザードはヨシュアの言葉にうなずき、アイナを見てから遊撃士協会の外へと飛び出した。エステル達もそれに続き、やけに魔獣の少ないエリーズ街道を駆け抜けていく。

 ふと、ヨシュアは足元の違和感に気付いた。いつもならば土を踏んでいる感触がするのだが、今足元に何か別のモノがあった気がしたのだ。それに次いでエステルもそれに気付いたようだ。

「シェラ姉、待って! これ……」

 エステルは足元に会ったかすかに光る物体をつまみ上げた。それはネジだった。小形で、オーブメント細工等に使うアルシェム特製のネジである。シェラザードも気づいて足を止め、それを確認した。

「……アルに何かあったみたいね」

「シェラ姉、これ、あそこにもある!」

 エステルが指さした先に、ネジはまっすぐ続いていた。シェラザードはそのネジを見失わないように追う。そして、ネジはやはりミストヴァルトへと続いていた。ついでに複数の人間が最近出入りした足跡も。

「間違いないわね。恐らく、ネジを見つけたあの時点でアルは捕まってるはずよ。そうじゃなければこんなにこの足跡が沈むわけがないもの」

「そんな……」

「多分アルなら大丈夫だとは思いますよ、シェラさん。恐らくわざとネジを零していったんでしょうし、アルが見た以上に味方がいる可能性があるんじゃないでしょうか」

「かも、知れないわね。とにかく、ここからは慎重に進むわよ」

 エステルとヨシュアは静かにうなずき、シェラザードについて奥へと進み始めた。少なくとも、アルシェムはミストヴァルトの魔獣を駆除していたわけではないらしい。いつもよりも少しばかり強い魔獣に苦戦しながらエステル達は進んだ。

 そして、エステル達はとうとう見つけた。後ろ手に縛られたアルシェムと、盗賊たちと思しき男達と、そしてジョゼットを。

エステルは咄嗟に飛び出そうとするがヨシュアに止められる。ヨシュアは小声でエステルに告げた。

「今はまだ駄目だ。隙を見ないと……」

 エステルは歯を食いしばって頷いた。本当は今すぐに助けに行きたい。アルシェムはエステルにとって家族なのだ。だが、その当のアルシェムはといえば――

「ふーん、そーなんだ。大変だったね……それで《カプア一家》とか名乗りながら空賊やってたわけだ」

「あ、憐れむなってば! そ、それより今度はアンタのことを教えてよ」

 談笑していた。それも、敵であるはずのジョゼットと。その光景にはシェラザードも頭を押さえている。一体何をやっているのだろう、アルシェムは。エステル達は心の中でそう思った。

 そんなエステル達を放置して、アルシェムは言葉をつづけた。無論、そこにエステル達がいることに気付いているのである。

「わたしのこと? そんなこと聞いてもつまんないだけだよ」

「えー、不公平だよそれ!」

「だーめ、時間切れ。大人しく投降してくれない? 流石に情状酌量の余地はあるんだしさー……」

 そう言いながら、アルシェムは振り返ってじっと背後を見つめた。ばっちり目が合ったヨシュアは顔をひきつらせながらシェラザードに判断を仰ぎ、シェラザードは溜息を吐きながらエステルを促す。

「時間切れって……」

「ごめんね、こっちが先に来ちゃった。もーちょっと後だと思ったんだけど……」

 すっとアルシェムは立ち上がって縄を引きちぎり、慌ててナイフを構えようとした盗賊達を蹴り倒した。それを見てジョゼットは慌ててアルシェムから間を取る。すると、エステルとヨシュアが脇から飛び出してきた。

「何やってんのよ、アル!」

「や、だってあと何人いるか分かったもんじゃないし。それに、根っからの悪人でもなさそーだったから事情を聞いてたんだけど」

「アルだったら捕獲出来たんじゃないかな?」

 ヨシュアが威圧感のある笑みでアルシェムを見た。アルシェムは肩をすくめてそれに応えた。普通にやれば確かに捕獲は出来たからである。しかし、それをしてしまえば背後にどれだけの組織がついているものか分かったものではない。最悪の場合、彼女らは尖兵でエレボニア帝国に命じられてテロ行為をしに来た可能性もあるのだ。よって、アルシェムは迂闊に動くことはしなかったのである。もっとも、彼女らはエレボニア帝国とは切れていそうだが。

 ジョゼットはじりじりと後退し、アルシェムに蹴り飛ばされた盗賊たちも下がっていく。

「さて、ジョゼットさんや。もー一回聞くけど、投降する気は?」

「ないよ。捕まるんだったら皆一緒が良いしね」

「うん、わたしとしても一網打尽にしたいかな」

 じりじりとアルシェムはジョゼットに近づいていく。シェラザードも同じように近づき、ヨシュアもいつでも飛び出せるようにスタンバイする。そして、場が膠着したその瞬間。

「……ありゃ、ダメか」

 アルシェムは唐突にその場から後方へと下がった。次いでシェラザード達にも後退するように声を掛ける。

「機銃掃射されたくなかったら下がって、シェラさん達!」

「はぁ!? 今この状況で下がるの!?」

「待って下さい、シェラさん。この音は……」

 ヨシュアもそれに気付いたようだ。次いで、エステルも。空気の動き方が変わったのだ。次第に風は強くなり、そしてその場には――

「乗れジョゼット! ロレント進出はお預けだ、ボースで面倒なことが起きた!」

「遅いよキール兄!」

 緑色の小形飛空艇が現れた。その飛空艇から顔を出して叫んだ男は、ジョゼットと同じ髪の色をしていた。どうやら、ジョゼットの言葉にもあったように兄妹らしい。

 アルシェムはそれを冷めた目で見ながら導力銃を飛空艇に向けた。

「ねー、キールさんとやら。投降する気はない?」

「あると思ってんのか?」

「だよねー……全く。飛空艇落とされるのと今ここで全員投降するの、どっちが良い?」

 アルシェムは飛空艇の機銃に銃口を向けながらそう言った。キールはその意図に気付いたのだろう。全員が乗り終わったのを確認するや否や全速力で上空へとのがれた。

「待ちなさい……!」

「ちょっと、七耀石を返しなさーいっ!」

 エステルが飛空艇に取り付こうとするが、もう遅い。飛空艇はそのまま飛び去って行ってしまった。アルシェムは苦笑しながらエステルに翠耀石を手渡した。

「エステル、はいあげる」

「アル、こんな時に……って、え?」

「ちょっとアンタ、これ……!」

エステルとシェラザードが信じられないものを見たかのような目でアルシェムを見るので、アルシェムは眼を明後日の方向に逸らしながらこう答えた。

「や、その、保証書がないから売れないよって言ったらいらないってさ」

 もっとも、アルシェムが口に出さなかっただけで保証書を偽造する方法などいくらでもある。そこに気付かないあたりがジョゼットも悪人ではないのだろう。

 アルシェムは呆然としているエステル達を放置して周囲の気配を探った。やはり、《カプア一家》以外の侵入者はいないようだ。稀に来ているであろう人間はそもそも生態系を壊さずに出入りしているためカウントに入れない。

 それにしても、とアルシェムは思う。キールの言った面倒なこととは何だろう。ジョゼットの話では拠点はボースであっても何か重大事件を起こしてしまうようなことはやっていないはずだ。何かが起きたことだけは確かなのだろうが。

 それから、アルシェムはシェラザードとエステルに絶賛怒られながら帰路についた。何故あの場所にいたのかも含めて、説明を交えながらである。ヨシュアは何も言わなかったものの、全力でアルシェムだけを威圧していたので怒っていることだけは確実だった。

 エステル達はクラウス市長に七耀石を返しに行き、アルシェムは遊撃士協会へと向かった。流石にアルシェムが依頼されたわけでもないのに付いて行くのもどうかと思ったからである。決してこれ以上怒られたくないからという理由ではない。

「ただいまです、アイナさん」

「あら、お帰りなさい、アルシェム。案外早かったのね。シェラザード達に会わなかった?」

 アイナの問いに、アルシェムはこう答えた。

「会ったというか……ちょっと助けてもらいました」

「どういうこと?」

 アイナがいぶかしげな顔でそう問うので、アルシェムは簡単に説明を始めた。無論ジョゼットの事情についても、である。飛空艇のスペックまで明かした時には、アイナの顔は引き攣っていた。それでもアイナは百面相をしながら依頼の紙にその内容を書き留めていく。そして、丁度報告を終えたところでエステル達が遊撃士協会へと戻ってきた。

「ただいま、アイナさん!」

「お帰りなさい、エステル、ヨシュア、シェラザード。ちょうどアルシェムからの報告を聞いたところよ。貴女達からも教えて頂戴」

「分かったわ」

 そして、エステル達も報告をはじめた。報告を聞き終えたアイナは少しばかり考え込む。それを見てシェラザードはアイナに言葉を掛けた。

「……アイナ、そんなに悩まなくても良いんじゃない?」

「……そうね、シェラザード」

 アイナは受付のカウンターの下から紙を3枚取り出した。そして、そこにさらさらと文字を書き込んでいく。文字を書き終えたアイナは軽く咳払いをしてエステル達に向き直った。

「エステル、ヨシュア、アルシェム。これを受け取って頂戴」

「え……」

「これって」

 エステル達は驚愕の目でその紙を見つめた。その紙の正体は正遊撃士資格推薦状。これをリベール王国支部全てで受け取れば正遊撃士になる権利が発生する。アルシェムはそれをゆっくりと受け取った。エステル達もそれに続いて受け取る。

「ええ、ロレント支部での正遊撃士資格推薦状よ。今回の事件でも活躍してくれたことだし、遊撃士として動いていくための基本は出来てるっていう判断ね」

「というよりアイナ、アルに任せた依頼なんて高位遊撃士にする依頼じゃないの。何考えてんのよ」

「貴女も忙しかったでしょう? それに、《氷刹》なら出来ると判断したの。ある意味では成功だったともいえるわね」

 アイナの答えにシェラザードは頭を押さえた。アルシェムがアイナに依頼された手配魔獣の異変については本来シェラザードが受けるべき依頼だったのだ。その時はまだシェラザードの他の依頼にめどがついていなかったために回すことが出来なかったのだが、本来ならば何事にも優先されるべき依頼である。大型の魔獣が迷い込んできて生態系を壊しているのならばそれを退治し、犯罪の温床が出来つつあるのならばそれを排除する。それを準遊撃士に回さざるを得ないほど、ここ最近のロレント支部は忙しかったのである。

「……悪かったわね、アル」

「昔は結構似たよーなことやってたので問題ないですよ」

 アルシェムはシェラザードの言葉をサラッと流してほかの地方に回ろうかどうか悩んでいるエステル達に声を掛けた。

「それで、エステル。他の地方に推薦状を取りに行きたいって?」

「うん、でもやっぱり父さんに相談しないといけないかなって」

「まー、ひと声かけたほーが良いんだろーけど……実は推薦状を貰えたらほかの地方回ってても良いって許可は取ってるんだ」

 その言葉にエステルとヨシュアは眼を剥いた。何故行く前に自分達に告げていかなかったのか、とでも言いたげである。

「ええっ!?」

「カシウスさんが出る夜にたまたま起きたらそう言われたけど」

「……父さん、それで僕達に言うのを忘れてたんじゃ……」

 エステル達は微妙な顔をして顔を見合わせた。流石に健忘症ではないだろうが、あり得る気がしたのだ。実際にアルシェムが聞いたのは深夜であるため、嘘は言っていない。

 そうしてエステル達は相談の上他の地方へと足を向けることに決めた。しかし、王都グランセルに向かうかボースに向かうかで意見が割れた。エステルが王都を選択し、ヨシュアとアルシェムがボースを選択したのである。

エステル達がそれ以上の相談を始めようとした時だった。アイナの奥にある導力式通信機が鳴ったのは。アイナは受話器を取って通話し始める。

「はい、こちら遊撃士協会ロレント支部です。……ご無沙汰しております。本日はどのようなご用件で……ええっ!?」

 アイナが唐突に声を上げた。それに気付いたヨシュアがエステルに声を潜めるようにとジェスチャーする。アルシェムは耳を澄ませて盗聴した。アイナの通話はなお続く。

「大変なことになりましたね……え? はい、先日から出張に出ておりますが……何ですって!?」

 そう叫んだアイナの顔からは血の気が引いていた。どうやらとんでもない事件が起きたらしい、とアルシェムは思った。漏れ聞こえる限りでは定期船が行方不明で、なおかつカシウスが乗っていたということである。もしも本当に乗っていたのならば即座に解決していそうなものだが。

「し、失礼しました。にわかには信じられなかったものですから……はい、家族への連絡はこちらから。大丈夫です、本人達も遊撃士ですから」

 アイナはそのまま二、三言葉を交わし、通話を終えた。タイミングを見計らってアルシェムがアイナに声を掛ける。

「何があったんですか?」

「……定期飛行船《リンデ号》がボース上空で消息を絶ったのよ。軍が大規模な捜索をしているそうだけど、まだ見つかっていないみたい」

 そして、多少情報を付け加えた後アイナは告げた。

「それで、そのリンデ号にカシウスさんが乗っていたらしいの」




ボス戦→始まらない。
い、いや最初は頑張ろうと思ったのよ?
ただ、戦闘に出来なかっただけで。

では、また。


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前向き=エステル

今話は旧16話半ば~17話までのリメイクとなります。

では、どうぞ。


 アイナから衝撃的な言葉を告げられたエステル達は、アルシェムを除きブライト家へと帰宅した。アルシェムはというと、アイナの頼みにより七耀教会へと赴くことになったのだ。七耀教会へ入ったアルシェムはデバイン教区長に声を掛け、とある人物を連れ出した。言わずもがな、シスター・メル・コルティアである。

 アルシェムはメルと連れ立って遊撃士協会へと戻ると、アイナがメルにこう告げた。

「落ち着いて聞いてくださいね、メル先生。……ご親戚のシスター・リオ・オフティシアさんが行方不明の定期船《リンデ号》に乗っていた可能性があります」

「……え、と、それは……定期船と一緒に行方不明、ということですか」

 メルは案外落ち着いていた。というのも、事前に説明を受けていたからである。リオはまずカシウスと一緒にルーアンに降り立ち、カシウスがとある人物に協力を要請。次いで遠回りになるものの時間的に早く行ける反対周りのセシリア号に乗って王都グランセルへと向かい、エレボニア帝国大使館へと探りを入れ、ついでにカルバード共和国大使館からとある人物に連絡を入れる。そこからボース方面へと向かってリンデ号に乗り、そのまま国内を回ると見せかけてボースで離陸直前に下船。モルガン将軍に許可を得、秘密にしてもらったうえでハーケン門を通過し、帝都へと向かっているはずである。つまり、ボースを出たリンデ号にはカシウスとリオは乗っていないはずなのである。

「ええ……」

「そうですか……分かりました。本部にも連絡しておきます」

 そう言ってメルはふらふらと出て行った。アルシェムはアイナに断りを入れてから遊撃士協会を後にし、七耀教会へと向かう。アルシェムはメルに指示してデバイン教区長から懺悔室の使用許可を取るように命じ、アルシェム自身は気配を消してメルの後を付いて行った。デバイン教区長は一瞬顔をしかめたものの快く許可を出し、メルはそのまま懺悔室へと直行した。

 懺悔室に入ったメルは口を開いた。

「全く、無茶をしないで下さい。肝が冷えました」

「無茶はしてないってば。それより、情報は集まった?」

「ええ」

 メルはアルシェムに報告を始めた。内容は《カプア一家》について。ほぼアルシェムがジョゼットから聞いたことと一致するが、それ以外にも情報があった。カプア一家を騙した《クリムゾン商会》の母体は猟兵団《赤い星座》だった、という情報である。この猟兵団はエレボニア帝国有数の猟兵団で、団長は《闘神》バルデル・オルランド。副団長に《紅の戦鬼》シグムント・オルランドが据えられている。そして――何よりも、《鉄血宰相》ギリアス・オズボーンともかかわりがあると言われている。

「……臭いね」

「ええ。特にノルティア州に属するはずの領地がバリアハート州に併合された時点で怪しさが満点です」

「そのあたりは慎重に調べて。藪を突いて龍に出られちゃ困るから」

 メルはその言葉に顔を引き締めて返事をした。アルシェムはそんな彼女に新たな指示を出すことにした。

「ついでに調べられるなら使えそーな遊撃士と《蛇》関連についても調査よろしく」

「分かりました。それで……いつ転属になります?」

「明日にでも。手続き関連はアインに頼んで」

 メルの言葉にそう告げたアルシェムは立ち上がった。それに続いてメルも立ち上がる。そして、アルシェムはメルにこう告げた。

「従騎士メル、ルーアン大聖堂への転属を命じる。従騎士ヒーナと連絡を取り合って職務に励むこと」

「委細承りました」

 メルはかしずいてその命令を受け入れ、アルシェムはそんなメルを見下ろしていた。これがアルシェムとメルの正式な関係である。アルシェムが上司で、メルが部下。ついでにリオも部下である。アルシェムの部下は全部で3人おり、最後の一人――ヒーナ・クヴィッテはグランセル大聖堂に勤めていた。本来ならばもっと増やしても良いのだが、都合の良い駒がいない。アルシェムにとって有益な駒である人物はそれほどいないのだ。このことについて口うるさく言う枢機卿が多いのだが、殊更強調して言ってくる男には辟易していた。もっとも、その男は畏れ多くも法王猊下のご子息であらせられるためにやんわりと流すことしか出来ないのだが。

 それはともかく、アルシェムは用事が済んだので七耀教会から去った。無論、出るときは気配を消しつつ隠形で姿まで隠しながら、である。すっかり日も暮れたため、アルシェムは急いでブライト家へと向かった。

 アルシェムがブライト家へと戻ると、陰鬱な空気がリビングを包んでいた。夕食の準備は既にできているようであったが、誰も手を付ける様子がない。アルシェムは溜息を吐きつつヨシュアに話しかけた。

「ただいま。……大丈夫?ヨシュアもシェラさんも」

「ええ、あたしは大丈夫よ。問題なのは……」

「エステルが落ち込んでるみたいなんだ……食欲がないから先に食べててくれって」

 どこまでも突っ込みたい衝動に駆られつつアルシェムはその衝動に耐えた。そもそもエステルが食欲魔人のような捉え方をされていることについて小一時間ほど問い詰めたい気分にもなったが、耐えた。

「そっか……にしても、カシウスさんがいて定期船が行方不明ってなかなか凄い状況だよねー」

「ええ……まさか先生が……なんて……」

「シェラさんシェラさん、もしカシウスさんが乗ってたらエンジントラブル以外何でも解決できそーじゃないですか?」

 アルシェムはシェラザードにそう告げた。シェラザードはゆっくりと頷くが、それでも万が一ということもある、と告げた。信じられないが、カシウスが不覚を取ってしまったのならば相当に危険な状況である。もしも本当にカシウスがその飛行船に乗っていれば、の話だが。

「一体、どうして……」

「そもそもカシウスさんが乗ってないなら分かるんですけどね。カシウスさんが何らかの事情で降りて、それが名簿に反映されてなくて、なおかつ何かが起きた可能性」

 そのアルシェムの言葉にヨシュアが反応した。

「流石にそんな偶然が重なる可能性なんてないと思うけど……」

 そう言いながらも、ヨシュアはその可能性を視野に入れ始めたようだった。有り得ないことではないが、何かしら奇跡が積み重ならない限り起こり得ないだろう可能性を。そして、その可能性は当たっているのである。カシウスは現実にボースで飛行船から降りているのだから。

「でもさ、ヨシュア。飛行船に起きることなんか墜落かハイジャックしかないんだよ。墜落だったらとうの昔に見つかってるはずだし、ハイジャックならハイジャックで見つけにくい場所に隠れてる」

「墜落ならまだしも、ハイジャックに父さんが乗り合わせてたらいくらでも取り押さえられるね」

 苦虫をかみつぶしたかのような顔でヨシュアが言う。それでもしもカシウスが乗り合わせていたとして、ハイジャックが起こったのだとすれば。犯人は普通の人間ではない。裏の人間か、もしくは凶悪なテロリスト、はたまたエレボニア帝国やカルバード共和国から戦争を起こすために送り込まれた工作員などなど。

 そこで、ふとアルシェムは思い出した。つい先ほど、ボースで何事か起きたようなことを遊撃士協会以外で聞かなかったか。

「……シェラさん、今日の空賊団が関わってる可能性は?」

「無きにしも非ずだけど……そんな大それたことが出来そうな連中じゃないわよ?」

「『ボースで面倒なことが起きた』が、ハイジャックを指していないとは限らないかなーと」

 アルシェムの言葉にシェラザードが考え込む。暫しの静寂がその場を包んだ。

 と、そこにエステルが階上からリビングへとやってきた。

「あー、お腹すいた。良い匂いね♪」

「エステル? えっと、その……大丈夫なのかい?」

「もーダメダメ。お腹すいて死んじゃいそう」

 エステルは眉をハの字に下げてそう告げた。それでこの場の静寂は完全に破られた。シェラザードは唖然としてエステルを見ていたが。エステルはそのまま食卓につき、空の女神に恵みを感謝してから食事に手を付けた。因みに本日の食事は鶏肉のバジルソースがけ。作者はヨシュアである。

「うん、美味しい。……あれ、皆食べないの?」

「いや、食べるけど……」

 そう言いながら食卓につくヨシュアに続いてシェラザードとアルシェムも食卓についた。それぞれ日々の恵みを感謝してから食事に手を付ける。美味しいのはよく分かるが、落ち込んでいるはずのエステルの様子にアルシェムは美味しいはずの料理を上手く味わえないでいた。

「ほらほら、シェラ姉も遠慮しないでってば。何なら、父さん秘蔵の《スタインローゼ》20年ものでも呑む?」

「す、《スタインローゼ》ですってぇ!? しかも20年もの!? ……じゅるり」

「シェラさん、鳳凰烈波喰らいたいんですか?」

 突如立ち上がって獲物を狙う女豹の目つきになったシェラザードをアルシェムは窘めた。《スタインローゼ》とは、高級な赤ワインである。特に20年物が一番評判がよく、好事家たちの間では値段が付けられなくなっているとか。カシウスはそれを買ったと主張していたが、アルシェムはカシウスが仕事の報酬で貰ってきたのだと知っていた。何せ、その《スタインローゼ》にはアルシェムが密接に関わっていたからである。

 シェラザードはアルシェムの言葉を聞くとハッと我に返って座った。

「え、遠慮するわ。……それよりエステル、部屋で何してたのよ? 何かごそごそしてたみたいだけど……」

「ん~? 旅行道具一式と替えのパジャマ探してたの。お気に入りのがなかなか見つからなくって」

 その言葉でヨシュアは察したようだった。やはり、エステルはボースに行く気なのだと。そして、ヨシュアも一緒に行く覚悟を決めた。何があっても離れないとは言えないが、カシウスと約束した事柄がヨシュアを追ってこない限りはエステルと共に生きる。エステルを護り、自らの役目を果たすのだと誓っていた。

 シェラザードもエステルが何を決めたのかは悟ったようだった。この状況でパジャマである。エステルがトチ狂ったのでもない限り、向かう先はカシウスが行方不明になったボース。恐らくはそこで動くのだろうとは思うのだが、エステル達はまだ準遊撃士。出来ることは少ないのはずである。シェラザード自身もボース入りするつもりではあった。カシウスは自らの敬愛する師匠である。その師匠に何かあったのならば解決すべきだとも思うし、自分が解決したいとも思っていた。それにエステル達だけで行かせるわけにもいかない。

「そう、行くのね?」

「うん。あの悪運の強い父さんのことだから何もないとは思うんだけど、じっとしてるのは性に合わないから」

「問題があるとすればロレント支部の深刻な人不足なわけだけど……シェラさんや、当ては?」

 気丈に笑って見せるエステルを見つつ、アルシェムはシェラザードにそう問いかけた。すると、シェラザードは複雑な顔をしながらこう答えた。

「正直言って、リッジだけじゃ回らないと思うわ。王都支部から応援は呼ぶだろうけど……最低でもA級クラスの働きが出来る人が1人でもいれば……」

「……シェラさん、ちょっと出て来る。流石に先に手配しといて貰わないとマズイよ、これ」

 アルシェムは厳しい顔をしてシェラザードにそう告げた。すると、シェラザードも厳しい顔になってこう返した。

「あたしが行くわ」

「や、シェラさんはここにいて? エステル達と明日以降の打ち合わせしててもらったらわたしはそれに合わせられるから。流石に全部準遊撃士同士が決めちゃまずいでしょ」

「……それも、そうね」

 シェラザードはそのままエステル達に向き直って明日以降の動きについて打ち合わせを始めた。アルシェムはそれを後目に再び遊撃士協会へと向かった。流石に夜も更けて来たのでアイナは受付から離れているかと思ったのだが、ボースとの連絡の取り合いやらなんやらでまだ忙しかったようだ。アイナはまだ受付にいた。

「……あら、アルシェム? どうかした?」

「カシウスさんの件です」

「……今ボースと折衝してたのよ。ボースには今高位遊撃士がいなくて……それで、カシウスさんとも縁が深いシェラザードか王都支部の遊撃士を送ろうって話になったところなの」

 アイナは困ったようにそう漏らした。アルシェムは少しばかり考え込み、そしてアイナに告げた。

「アイナさん。王都支部って今誰がいます?」

「そうね、アルシェムが知っていそうな有名な人はいるわよ。《方術使い》とか」

 アルシェムはその単語を聞いた瞬間アイナに詰め寄って真偽のほどを確かめた。アイナはたじろぎながらもその答えを返すと、アルシェムが盛大に溜息を吐くのが見えた。

「えっと……どうしたの?」

「王都支部と連絡取ってもらえます?」

 アイナはアルシェムの様子に引きながらも王都支部に連絡を取った。

「もしもし、こちらロレント支部です。少しばかりお話があるのでこちらの遊撃士と代わりますね」

 アイナと入れ替わるようにしてアルシェムは通信機の前に立った。アルシェムの目は焦点が合っておらず、また能面だったのでかなり怖い雰囲気を発していた。

「通信代わりました。《方術使い》はいますか? ……はい、至急代わって下さい。至急です。相手はアルシェム・ブライトだと言って貰えれば」

 くい、とアルシェムの口角が上がる。しかし、それは笑っている顔などではなかった。否、笑っている、というよりは沸点を通り越してしまったので笑いしか出ない、というのが正確なところであろう。

「……お久し振りです、クルツさん。お願いがあるんですが……え? 断っちゃうんですか? わたし、とっても困ってるんですけど……ねえ、あの時の貸しは返していただけないんですか?」

 アイナはアルシェムの脅迫とも取れる言葉を止めることは出来なかった。あまりにも雰囲気が怖すぎたのである。瞳孔はカッ開き、笑みを浮かべている様はまさに般若。

 もしもここにレミフェリア出身のとある少女がいればこう言っただろう。アルシェムの背後に暴風雪が見えます、と。もっとも、その少女はこの場にいないのでその発言をする者はいないのだが。とにかく、アルシェムの雰囲気は冷たい氷のようだったのである。首に巻く雪のチョーカーの如く。

「ね、クルツさん……わたしを殺しかけた貸し、返してくれないんですか? ……あはは、色よい答えを返して下さってありがとーございます。では、しばらくロレント支部で動いてくださいね?」

 その後、アルシェムは二、三ほどクルツに言葉を吐き捨ててからアイナに通信機を戻した。アイナは顔をひきつらせながら王都支部の男性と言葉を交わし、細かい調整を終わらせてから通信を終えた。

 アイナは通信機の受話器を置くと、アルシェムに向きなおってこう問うた。

「アルシェム、一体あのクルツさんと何があったの……?」

「えーと、その……わたし、ツァイスに留学に行ってたじゃないですか。その時にですね、ちょっとばかしありまして……」

「あのクルツさんが貴女を殺しかけた、というのは……」

 アイナは眉を顰めながらアルシェムに問い直す。アイナにとってクルツはある意味では恩人なのである。

 アイナの本名はアイナ・ホールデン。そして、飛行船公社を立ち上げた人物の名はサウル・ジョン・ホールデンである。ホールデン氏の死後、遺産は孫娘たるアイナにすべて引き継がれたのだが、その遺産を狙って親族がアイナの命を狙っていたのだ。親族だけではない、他にも親族を名乗る赤の他人がハイエナのようにアイナを襲ったのである。アイナは屋敷から逃げ出し、王都を彷徨いながら王城を目指すことにした。

 しかし、親戚の雇った猟兵団の連中に狙われて途方に暮れ、アイナは遊撃士協会を訪れた。そこで出会ったのが当時準遊撃士だったシェラザード・ハーヴェイ。シェラザードはアイナを連れて逃げつつ王城に駆け込もうとするが、数の多さに押されて打つ手がなくなってしまう。

 そこに現れたのが一応当時新人であった《方術使い》クルツ・ナルダンである。クルツは遊撃士グンドルフと共に符術と呼ばれる東方の技で猟兵団を一掃し、リベール王国内に潜む猟兵団の検挙に一役買ったのであった。

 アイナとシェラザードが猟兵団に殺されかけたところを救われた、という意味でクルツはアイナの恩人になるのである。そのクルツがアルシェムを殺しかけたなど、信じられることではなかった。

 アルシェムは冷笑しながらアイナにこう告げた。

「カシウスさんの養女になりましたって言ったら信じて貰えなくて。余程有り得ないことだと思われたんでしょーけど……」

「そ、そう……」

 アイナはあまりの威圧感にそれ以上を聞くことを諦めた。その後、アイナはアルシェムと打ち合わせてシェラザードの仕事と掲示板の仕事をリッジとクルツに1:3で割り振ることを決めた。クルツはご愁傷様である。

 そして、アイナはアルシェムをブライト家へと帰した。後でクルツからその話について詳しく聞こう、と心に誓いながら。

 アルシェムがブライト家に帰り着くと、シェラザード達は既に明日に備えて寝てしまっていた。明日からの動き方は卓上にメモ書きが置いてあったので困らなかったのだが。

「……全く」

 アルシェムの呆れたような呟きは、そのまま夜闇に消えて行った。




次話は旧作には含まれていなかった話になります。

では、また。


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閑話・クルツとアルシェムの出会い

はい、宣言通りリメイク前にはない話です。

いかにしてアルシェムがツァイスに留学することになったのか。
そして、いかにしてクルツがアルシェムに嫌われるようになったのか。
では、どうぞ。


 時は暫しさかのぼる。

 数年前、アルシェムがカシウス・ブライトに引き取られてから半年ほど経ったころだった。アルシェムはエステル達と上手くやってはいたのだが、決してエステルを姉だのヨシュアを兄だの呼びはしなかった。無論、カシウスを父とも呼びはしなかったのだが。それはともかく、アルシェムはエステル達以外に懐こうとはしなかったのである。エステルはアルシェムを遊びに連れ出そうとするが、アルシェムはカシウス監修のエステルの護身術の修行以外に外出に付き合うことはなかった。それ以外の時間、アルシェムはずっと屋根裏部屋で過ごしていたのである。

 そもそも、アルシェムが屋根裏部屋で暮らすことに最初エステルは難色を示した。カシウスもそうだったが、エステルは特にアルシェムと同じ部屋で暮らしたがったのである。しかし、アルシェムはそれを拒否した。自分の部屋が欲しい、というのが建前であったが、そもそもエステルと同じ部屋で暮らすのは論外だったからでもある。アルシェムはカシウスの前に暗殺者として姿を現したのだから。カシウスは苦渋の決断を迫られ、結局は屋根裏部屋を片付けてアルシェムの部屋とすることになった。それからというものの、アルシェムはどこかしらに出かけては屋根裏部屋に籠るようになった。エステル達の遊びには付き合わず、である。エステルはアルシェムを見かねて虫をアルシェムに見せつけに行ったのだが、全力でアルシェムが拒否したために虫は断念。釣りもやることにはやるが、熱心にやるわけでもない。

 当然である。その当時のアルシェムは忙しかったのだから。屋根裏部屋にはメル・コルティア及びリオ・オフティシアがたびたび訪れ、報告を兼ねつつ情報交換を繰り返す日々だったのだ。当然、何かをする余裕もなく、虫が好きなわけでも魚が好きなわけでもないアルシェムはエステルに付き合っている義理はなかった。

 そんな時だった。アルシェムがカシウスからあるものを渡されたのは。

きっかけはカシウスが忘れたお弁当を遊撃士協会へと届けに行ったことである。アルシェムはエステル達と一緒に行ったその先で、通信機が故障してしまっているのを見てしまった。エステル達がカシウスにお弁当を手渡している間、アルシェムは通信機を直す老人メルダースの手つきをじっと見つめていた。そして、こう指摘したのである。

「あの、ここ……何か不思議なことになってませんか?」

 驚くメルダースを背に、アルシェムはそのまま通信機の異常を瞬く間に直してしまった。そこから、アルシェムとメルダースの付き合いは始まったのだ。アルシェムは暇さえできれば工房に通いつめ、メルダースもそんなアルシェムを親戚の子供のようにかわいがった。そして、次第にアルシェムはオーブメントにのめり込んでいったのである。

 そんなアルシェムにカシウスが渡したものは、ツァイスへの留学推薦状。推薦人は無論カシウス・ブライトである。それに慌てたのはアルシェム。そも、アルシェムがカシウスのもとに来たのはとある目的があるからであり、目を離すわけにはいかなかったのである。

 しかし、アルシェムはそれを断りきることは出来なかった。何故ならば、ツァイスに行かなければならない理由が出来てしまったからである。それを受けて、アルシェムは数日を掛けて説得された体を装った。そして、アルシェムはツァイスへと1年留学することになったのである。それと時を同じくして、1人の少年がロレントを訪れることになった。その少年の存在がなければアルシェムはツァイスに留学することは出来なかった。その少年の名は、ワジ・ヘミスフィアという。彼はロレントに長期滞在しつつカシウスに張り付き、動向を伝えてくれたのだ。もっとも、巡回神父としてなのでカシウスにはバレていたかも知れないが。

 おかげで後顧の憂いなくアルシェムはツァイスへと旅立つことが出来た。ツァイスには任務が待ち受けていたのだが。

 ツァイスに到着したアルシェムは、空港で呆然としながら立ちすくむ羽目になった。それは――

「何てアホみたいなつくりしてんの、この空港……」

 幅を取らないためなのか、下から生えてくる飛行船を見てしまったからだ。確かに合理的ではあるのだろうが、誰もやろうとはしないだろう。そもそも、思いつきもしない。まさか、空港の立地的に土地が広く取れないがために、停泊した飛行船を別の機械で動かして先に飛ぶはずの別の飛行船に入れ替えるなど。その飛行船《ライプニッツ号》は、そのまま荷物を積んで飛び去っていった。

 呆然とするアルシェムに声を掛けたのは青い髪でつなぎを着た壮年の男性だった。

「よう、嬢ちゃん。ここの造りに興味があるのか?」

「ええ、まー……でも、よく思いつきましたね、こんなアホみたいなこと……」

「ああ、そりゃあラッセルの爺さんだからな」

 遠回しにこの男、ラッセルの爺さん――アルバート・ラッセルを貶している気もするが、変人の発想をしているという意味では褒め言葉なのかもしれない。男はアルシェムにこう告げた。

「それより嬢ちゃん、アルシェム・ブライトって女の子知らないか?」

「わたしですけど」

「そうか、よかったよかった。俺はグスタフ。整備長をやってる。工房長に頼まれてあんたを迎えに来たんだ」

 そして、アルシェムは男――グスタフ整備長に連れられて工房長の元へと向かうことになった。途中、好奇の視線がアルシェムに幾度も突き刺さったが、アルシェムは気にしないことにした。どうせここでのアルシェムはヨソモノなのである。すぐになじむことは出来ないだろうが、この視線も今だけだろう。どうせ1年はこの場所で暮らすのだから。

 グスタフはアルシェムを気遣いながら進み、ツァイス中央工房へとアルシェムを案内する。その合間にもアルシェムはツァイスの構造――特に動く階段――について質問し、グスタフはそれに応えていった。やがて工房長室へとたどり着くと、グスタフはアルシェムの背を押して中に入るよう促した。

「案内してくれてありがとーございます」

「いやいや、どうってことないさ」

 グスタフは頑張れよ、とだけアルシェムに告げて去っていった。なお、恰好を付けすぎたため工房長の元へ連れてくること、というお願いを工房長室の前までで叶えなかったたために後で叱責されることになるのだが、それは余談である。

 それはさておき、アルシェムは工房長室の扉をノックした。

「失礼します」

「どうぞ」

 中から聞こえたのは壮年の男性の声。アルシェムは軽く息を吸って工房長室へと足を踏み入れた。アルシェムが少しばかり緊張しているのは、初めて会う人だから――ではなかった。

 アルシェムは震えそうになる声を押しとどめながら腹に力を入れて工房長を見据え、告げる。

「初めまして、マードック工房長。カシウス・ブライト氏より紹介されましたアルシェムと申します。よろしくお願い申し上げます」

「初めまして、アルシェム君。話はカシウスさんから聞いているよ。存分に学んでいくと良い」

「ありがとーございます」

 アルシェムは感謝の意を表すために軽く頭を下げた。マードックはそれを微笑ましいものでも見るかのように見ている。

 アルシェムから見て、マードックは柔和そうな男性だった。しかし、あくまでも柔和そう、というだけで本当に柔和な人物かどうかは分からないのだ。今のところ邪なことを考えている様子はない。もし一般的にアルシェムが怖くないと思える人物と比べるとするならば、少しばかり疲れているくらいか。

 マードックはアルシェムに向けて優しく笑うと、ちょっと待っていて、と声を掛けて通信機に手を伸ばした。

「もしもし、ヘイゼル君? ……ああ、うん。ティータ君だが……そうか、ありがとう」

 それだけ話したマードックは通信機の受話器を置き、アルシェムに向きなおった。

「今から君がホームステイすることになるご家族の方に来てもらうんだ。きっと仲良くなれると思うよ」

 にこにこと笑いながらそう告げたマードックは本気でそう言っているようだった。これだけでは判断しきれないが、ひとまずは良い人なのだろう、とアルシェムは思う。警戒を解くことはないが、それでもうわべだけでも打ち解けるべき人物であろう。彼はこのZOFの最高責任者なのだから。

 ややあって、工房長室の扉が叩かれた。外から響くのは甲高い少女、というよりも幼女の声。マードックが許可の意を告げると、幼女は勢いよく工房長室へと飛び込んできた。

「おはようございます、工房長さん! それで、それで今日から家に来る人ってこの人ですか?」

「ああ、そうだよ」

 まなじりを下げて応対しているのを見るに、恐らくマードックは子供に甘いのだろうとアルシェムは判断した。もっとも、一般的な人間は子供に甘いことが多いので参考にもならないが。少なくともアブない人物ではないようだ。

 アルシェムは幼女の目を見て挨拶をした。

「初めまして、本日よりお世話になりますアルシェムと申します。一年間よろしくお願いします」

「あっ、は、初めまして! わたし、ティータ・ラッセルっていいます! 今日から一年、よろしくお願いしますね!」

 ティータ、と名乗った幼女は好奇心を抑えきれずにそわそわしつつそう返した。どう見ても年下の少女である。カシウスは行けばわかる、と言ってホームステイ先のことを何一つとして言わなかったのだが、ティータが姓を告げてくれたおかげで大体のことが分かった。

 恐らく、アルシェムがホームステイすることになるのはラッセル家。あの、導力革命の父アルバート・ラッセルの実家なのだろうと推測出来た。報告によると一家そろって同じ家に住んでいるため、別の家に住むということはないだろう。それに、現在ではエリカ・ラッセルやダン・ラッセルが各地を放浪しているという報告もあったためにツァイスにはいないはずだ。ティータを独りにしないため、という名目もあるのだろうが、流石に迂闊すぎやしないだろうか、とアルシェムは思った。

 と、そこでティータは急激にテンションを下げた。何かしらを思い出したらしい。マードックに向けてティータはこう問うた。

「あ、その……おじいちゃんはどこですか? アルシェムさんに会いに行くって言ってたのにいなくなっちゃって……」

「そういえば……ああ、そうだ、実験中のモノがあるからって朝から籠ってたはず……まさか」

「あう……多分、忘れちゃってるんだと思います。実験室、行って来ても良いですか?」

 顔を青くするマードックにつられてティータの顔も暗くなる。恐らくは身内の不始末、とでもいうべき事態に焦っているのだろう。ティータは出来たお子さんである。アルシェムはそんなティータを見かねて声を掛けた。

「あの、一緒に行ってもいーですか? ほら、やっぱりこちらから挨拶した方がいーでしょーし」

「で、でもアルシェムさんはお客さんですし、えっと、その……」

 ティータは困ったような顔をアルシェムに向け、胸の前で握り拳を作って小刻みに振っていた。何だこの可愛い小動物は。アルシェムはそう思った。

 そんな小動物なティータを困らせるわけにはいかない。とある人物という例があるにもかかわらず、アルシェムはティータに対する警戒を完全に解いてしまった。目を伏せ、申し訳なさそうにアルシェムはティータに告げる。

「あ、ごめんなさい。入っちゃいけない場所でしたか……」

「ち、違いますよ! 本当だったらおじいちゃんが挨拶に出て来なくちゃいけなかったんですし、アルシェムさんにわざわざ足を運んでもらうのもなって思って……」

 そんなティータとアルシェムの様子を見かねたのか、マードックが再び通信機を手に取った。そして小声で受付のヘイゼル、という名の女性に何かしらを告げていた。もっとも、アルシェムには丸聞こえだったために、その通信がアルシェムとティータを実験室につれて行くことを伝える旨であることは分かっていたが。

 その後、アルシェムはマードックに連れられて実験室へと向かうこととなり、そのまま流れで実験にも付き合うことになった。その日実験していたのは導力砲及び導力銃の小型化の試作品の試射。前者は思いっきり個人的な理由でティータの護身用に使うためのものだったが、後者は市販するためのものだ。そして、この場にいる人間で実際に使う人間と年齢が近いのはアルシェムしかいない。よって――

「撃ってみんかね? アルシェム」

「え、いーんですか?」

「勿論じゃ」

 そして、アルシェムが試射した結果。装填数は100で、的に空いた穴は1つ。しかし、アルシェムの手元は全くと言って良いほどにぶれていなかった。そのことを鑑みたラッセル博士が的の裏を見て、その事実は露見した。

「えーと……」

「こういうのを、ワンホールショット、とか言うんじゃなかったかの?」

「ふええ~っ……」

 苦笑しながらラッセル博士が見ているのは的の裏にめり込んだ金属片。それは、異様な光景だった。金属片が金属片に食い込んで一部の隙もなく背後の壁を穿っている。当然、穴は1つしかないためにそれ以外の場所には当たっていない。

「……どこぞのへっぽこ遊撃士に頼むよりかは余程適任かも知れんの」

「博士、そういうのは内心だけにとどめておいてください……」

 マードックは疲れたように言葉を零す。つまり、マードックの疲れの原因は大部分がラッセル博士ということになる、とアルシェムは判断した。というのも、マードックがラッセル博士に合流して以来、マードックの疲れが目に見えて増したからである。

 と、その時だった。甲高い音が室内に響き渡ったのは。

「な、何じゃあ!?」

「こ、これは……!」

 マードックが顔をしかめる。それだけで、アルシェムは緊急事態だと察した。警報の後に流れたアナウンスにより、カルデア隧道から魔獣が襲撃してきたことが周知される。

 アルシェムはラッセル博士に向けて手を差し出し、こう告げた。

「取り敢えず、誰もいなかった時のために食い止めるくらいはします。だから、弾倉を貰えませんか?」

「し、しかし……」

「マードック、この娘っこはカシウスの養子じゃぞ? 魔獣くらいどうともせんわい」

 その言葉で、マードックも吹っ切れたようだった。アルシェムにカルデア隧道への出口の防衛を任せると、マードックはそのまま遊撃士協会へと向かったようだった。アルシェムはカルデア隧道へ向かう出口へと向かい、そして文字通り湧いてくる魔獣を撃ち殺していった。一撃も外すことなく。際限なく湧いてくる魔獣は、アルシェムがツァイスに来る理由を作った原因なのである。アルシェムはあくまでも冷静に魔獣を屠っていった。

 途中、試行錯誤しつつとある方法で魔獣の無限湧きを止めたアルシェムは、異常な魔獣がオーブメント灯を破壊してしまったことにより襲ってくる普通の魔獣の相手をする羽目になっていた。そもそも誰かに連絡して直して貰おうにも誰もおらず、また自分で直そうにもそんな暇がない。このままではまずい、とアルシェムが思った瞬間だった。

「方術・儚きこと夢幻の如し」

 若い男の声が響き、周囲の魔獣が殲滅された。ようやくの救援である。恐らくは遊撃士だろう。アルシェムはそう判断した。

そして、アルシェムは周囲への警戒を緩めずに背後を振り返ろうとして――出来なかった。アルシェムの背に槍と思しき刃が触れていたからだ。

「動くな」

 厳しい声だった。恐らくは、背後の男はその声の通りに厳しい顔をしているのだろう。アルシェムはゆっくりと手を上げた。すると、男はアルシェムに再び声を掛けた。

「銃を捨てろ」

「えーと、これ借り物なんで置いてもいーですか?」

 しかし、男はそれを良しとしなかったので仕方なくアルシェムは片手で安全装置を掛けて――流石にそれは見逃してくれた――銃から手を放した。少しでも自分から遠ざかるように。

 次いで、男はアルシェムに問いかける。

「貴様は何者だ」

 アルシェムはその問いに懇切丁寧に答える必要性を感じなかった。この場合、魔獣を食い止めていたアルシェムは怪しい人物であるわけがなく、非があるのはいきなり刃を突き付けて来た男にあると思ったからだ。

「アルシェム・ブライトです。カシウス・ブライ……」

「嘘だな。カシウスさんに娘はいるが貴様ではない」

 しかし、この場合は適切ではなかったようだった。アルシェムの言葉が終わらないうちに、刃がアルシェムの背に僅かに食い込んだ。そこでアルシェムは気付いた。恐らくここにいる男はカシウスの知り合いである、と。そして、エステルのことも知っているのだと。それが分かったからといってこの窮地から脱せるわけではないのだが。

「誤解です、わたしはカシウスさんの娘ではないですけど……」

「ようやく尻尾を表したか」

 アルシェムの背に明確に刃が突き刺さった。ここまですれば逃げるとでも思ったのだろうか。しかし、アルシェムは動かなかった。微かな違和感が、アルシェムにそれを赦さなかったのだ。

 そして、沢山のことが一度に起きた。男の横から魔獣が現れて男に襲い掛かる。アルシェムがその魔獣を排除すべく動き出す。男は突如動き始めたアルシェムに穂先を合わせなおす。そして――

「何故、避けなかった……!?」

 アルシェムは男の槍の穂先に右肩を貫かれた。そして、辛うじてアルシェムに蹴り殺された魔獣はセピスをまき散らしながら消滅した。

 それ以来、駆けつけた巡回シスターにより右肩のけがを直して貰ったアルシェムはこの遊撃士――クルツ・ナルダン――を半眼で睨みつつ恨むようになったのである。




リメイク前に想定していた話では右肩でなく右胸を貫かれていたという。
流石に重傷になりすぎるので右肩に変更。

この章は今話を以て終了。
次話から次章に入ります。

では、また。


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~消えたカシウス・ブライト~
ボースへ


今話は、旧18話~21話半ばまでのリメイクとなります。

では、どうぞ。


 夜が明けて。エステル達は長期旅行の準備を終え、それぞれが荷物を持って遊撃士協会を訪れた。無論、アイナに出立の報告をするためである。アイナはシェラザードから事情を聴くと苦笑しながらこう告げた。

「……ええ、昨日アルシェムから聞いたわ。王都支部から心強い援軍も呼べたし、心置きなく行って来て頂戴」

「恩に着るわ、アイナ。この件が終わったらすぐ帰ってくるつもりだけど、いざとなったらリッジに押し付けといて」

 シェラザードは厳しい顔でそう告げる。リッジ、というのはロレントに所属している(はずの)遊撃士である。ロレント支部では高難易度の依頼をカシウスが、中難易度の依頼をシェラザードが、そして低難易度の依頼をリッジと準遊撃士たちでこなしていた。仕事の割り振りが多少おかしなことになっている気もするが、そもそも高難易度の依頼は滅多に来ず、中難易度の依頼はそこそこ来るが、低難易度の依頼は山ほど舞い込むのである。突発的事態に強いカシウスに余裕を持たせるのは勿論のこと、シェラザードにも余裕を持たせるべくリッジを成長させる必要が出て来ているのである。まさにカシウスがいないこの時期には特に。

 と、そこでアイナはシェラザードに言うべきことがあることを思い出した。

「そうそう、シェラザード。少しだけ時間を貰えないかしら? 貴女が受けるはずだった依頼について引継ぎだけお願いしたいのよ」

「分かったわ。あんた達、悪いんだけど外で待っててくれる?」

「あ、じゃああたし時計台の前で待ってるよ。……ちょっと、挨拶したい人もいるしね」

 エステルのその言葉にシェラザードは妙に感傷的になりながら許可を出した。シェラザードは知っていたのである。エステルが挨拶しておきたい人物を。その人物が、すでにこの世にいないことまでも。

そのままエステル、ヨシュアと次いで出て行くが、アルシェムはその場にとどまった。アルシェムの視線の先には掲示板。そして、そこには地方間を超える依頼が張り出されていたのである。

「アル?」

「あー、アイナさん。この親書の配達って依頼、受けときます。どーもロレントからボースに行く必要があるみたいですし、交通網の問題から一番早く着くのはわたし達でしょーから」

「ああ、その依頼まだ果たしてなかったのねリッジ……分かったわ、報告はボース支部でして頂戴」

 アルシェムはそれに了解、と返して遊撃士協会から出た。時計台の上でラブコメを繰り広げているエステルとヨシュアなど眼中にはないのである。そもそもこの時計台はアルシェムにとってある種の証のようなもの。気軽に上ることも、最早見ることすら赦されていないとアルシェムは思っていた。この時計台の逸話くらいアルシェムは調べて知っていたのだから。即ち、ロレントの時計台は、10年前――七耀暦1192年に起きた《百日戦役》と呼ばれるリベール王国とエレボニア帝国間の戦争で破壊された、という事実を。

 アルシェムはそのまま時計台を通過して七耀教会へと入り、デバイン教区長に依頼の件について話をしていた。

「……そーいうわけですので、親書を配達させていただきます」

「そうですか……あて先はボースのホルス教区長です。お願いしますね」

 そう言ってデバインはアルシェムに手紙を渡した。アルシェムはそれを破らないように鞄の中に入れる。すると、デバインがアルシェムにこう告げた。

「……貴女が、あの娘を救ってくれたのですね」

「さて、何のことやら分かりかねますが。……中身的にはこれ、新しい薬についてですよね?」

 デバインが何を言っているのか、アルシェムにははっきりと分かっていた。デバインは多少なりともアルシェムの正体を知る人物なのだから。というよりも、アルシェムの正体を知っている必要のある人物だった。そうでなければアルシェムはロレントに潜んでいることは出来なかったのだから。

 だからこそ、敢えてアルシェムは話を逸らした。デバインの言う『娘』はアルシェムが救ったわけではなく、自分の足で立ちあがったのだから感謝されるいわれも何もない。そうアルシェムは思っていたからである。

 デバインはわずかに苦笑しながら首肯し、もしも材料が手に入るようならばもって行って欲しいと重ねて依頼した。アルシェムは首肯し、七耀教会を後にする。その場に残されたデバインは、静かに祈った。

「……どうか、あの娘の行先に空の女神の恩寵があらんことを」

「なくても生き延びますよ、アルシェムなら。そろそろあたしも準備してから出ますね?」

 デバインの背後に立った金髪の娘は彼にそう告げた。デバインは滅多に見せない柔らかな笑顔を見せて彼女を見送った。

 アルシェムは時計台の前でエステル達と落ち合った。既にラブコメは終わっていたようで、少しばかり待たせてしまったようだが。

「お待たせ」

「そんなに待ってないから大丈夫よ。さ、行きましょ?」

 そして、エステル達はボースへ向けて歩き出した。エステルもヨシュアも小さな鞄と着替え等が詰まった大き目の鞄を持っていたため、魔獣との戦闘に支障が出るだろうことは容易に想像できる。実際、幾度かの戦闘で鞄は邪魔であるという結論に至ったのか、交代で全員分の鞄を持ちあうことになった。

 数度の魔獣との戦闘を終え、エステル達はボースへと向かう関所に辿り着いていた。先日アルシェムが兵士に訓練を施した場所――ヴェルデ橋である。詰所に入って手続きを行うエステル達だったが、案外すんなりと許可が出たことに驚いていた。アストン曰く、身元がしっかりしているから、とか。

 実際、ここにいる人間で厳密に身元がしっかりしているのはカシウスの娘エステルのみである。シェラザードはそもそもスラム街の出身であるし、ヨシュアはカシウスに引き取られるまでの経歴があやふやである。無論、アルシェムなど言うまでもない。ある意味激動の人生を送ってきたアルシェムには、明確に身元を証明することなどできなかった。

 それでもアストンが許可したのは、ひとえにカシウスが身元引受人だからである。シェラザードについてはカシウスの弟子であるということが功を奏していた。軍部の人間にとって、カシウスは紛うこと無き英雄なのだ。その英雄が信頼した人物を疑うことなど、彼らには出来なかった。

そうしてエステル達は無事にボース方面へと足を踏み入れることが出来た。少しばかり不穏な内容の助言付きで。

「……それにしても、何でハーケン門だと遊撃士の身分を伏せなくちゃいけないのかな?」

「何となく先生から聞いたことあるような気がするんだけど……何だったかしら」

 シェラザードは首をひねっているが、アルシェムには分かっていた。ハーケン門所属の軍人で、遊撃士と遺恨のある人物と言えば1人しかいない。そして、その人物はある意味物凄く手ごわい御仁なのである。もっとも、アルシェムはそのことをシェラザードに教えるつもりはないが。

 と、そこで巨大な魔獣が現れた。どう見てもこの周辺では見なかった種類。つまりは手配魔獣指定されているかまだ発見されていないかのどちらかであろう。

「シェラさんや、あれ」

「うわ、キングスコルプにクインスコルプじゃない……これってクローネ山道に大体生息してるはずなんだけど……」

「迷い出たにしては遠いですよねー……とりあえず狩ってから報告しましょーか」

 そう言ってアルシェムはそのサソリ型魔獣を狙撃した。今回の荷物持ちはヨシュアだったので荷物に邪魔をされることはなかった。アルシェムが気を引いて、エステルが前に出て、シェラザードがアーツで補助をする。恐らく経験を積ませるためなのだろうが、基本的にシェラザードが前に出ることはない。

 程なくして魔獣はセピスを残して消滅し、散らばったセピスは財布ならぬセピス袋に収納された。そして荷物持ちをヨシュアからアルシェムに変更して一行は先へと急ぐ。

 しばらく進むと、アルシェムは前方から何者かが近づいてくる気配を感じた。手練れではないが、そこそこ普通の遊撃士レベルの気配と何かを動かすエンジン、それに乗っているであろう一般人の気配。アルシェムは荷物運搬と護衛の遊撃士であると結論付けた。そして、それは当たっていた。

「よう、シェラザードじゃないか!」

 護衛の遊撃士はシェラザードにそう声を掛けた。胸元には支える籠手の紋章が輝いており、手入れを怠っていないのだろうと推測される。正遊撃士のランクとしてはCくらいが妥当なところだろうか。

 そんな男にシェラザードが言葉を返す。

「久しぶりね、ブラック……いや、バロックだっけ?」

「グラッツです。皆覚えてね」

 赤毛の冴えない男――グラッツは複雑な顔をしながらそう言った。皆、というからには何度も名を間違われていたのだろう。ある意味存在感も無ければ覚えやすい名でもないのでこういう事態も起こってしまうのだろうが、少しばかり可哀想である。グラッツは今後ことごとくその名を間違われることになるのだが、本人は知る由もない。

「ごめんごめん。それで……積み荷は王都までかしら?」

「ああ。ついでにロレント―グランセル間で何か依頼があればこなしとくさ。……あの先輩が震えながらロレントに行ったらしいからな……」

 グラッツは遠い目をしながらそう言った。グラッツの言う先輩とは言わずもがなA級遊撃士《方術使い》のクルツ・ナルダンのことである。クルツが誰かに脅されてロレント支部まで出向くことになったのは名誉のために伏せられていたのだが、怯えていたのは周知されてしまったようだ。ご愁傷様である。

「ごめん、お願いね」

「ああ、そっちも多分例の事件を追うんだろ? 詳しくは先にルグラン爺さんから聞いてくれ。くれぐれもそのあたりは守ってくれよ?」

「……何かあるのね。分かったわ。そっちも頑張ってね」

「ああ」

 そのままグラッツはその場から去っていった。何となく哀愁が漂っているのは気のせいだろう。恐らく。多分。

 シェラザードが先を促し、一行はボースへと急いだ。途中の魔獣は……まあ、アレである。ほぼアルシェムによって殲滅されてしまった。

 ボースに辿り着くと、アルシェムはエステル達と別れて依頼を果たすべくボースの七耀教会へと急いだ。幸い、今の時間は日曜学校も説法の時間も被ってはいなかったようである。ゆったりとした雰囲気の中で、アルシェムは祭壇の前に立つ男に声を掛けた。

「済みません、ホルス教区長でお間違いないでしょうか?」

「ほっほっほっ、いかにも私はホルスですが……何のご用でしょうか?」

 アルシェムは自身に向き直ったホルスにデバインから預かった手紙を手渡した。ついでにあらかじめ手に入れてあったベアズクローと魔獣の羽も、である。

「ロレントのデバイン教区長からの親書です。それと、それに関する材料も」

「ほっほっほっ、これはこれはご苦労様。確かに受け取り申しましたぞ」

 ホルスはほっほっほっと言いながらそれを受け取った。どこから突っ込めばいいのか分からないが、彼は会話にいちいちほっほっほっという声を入れなければならない呪いにかかってしまっているのである。この呪いをかけたのはとある人物であり、教会が全力で追っている組織の一員なのだとか。威厳が持たないので残念ながらボースに左遷されたホルスであるが、本来の実力ならば枢機卿補佐くらいにはなれるのである。このほっほっほっさえなければ彼はとても優秀な人物なのであった。

 アルシェムは内心で顔をひきつらせながらホルスの前を辞し、七耀教会からでた。通りすがりに喧嘩をしている女性とメイドがいたが気のせいだろう。まさか公共の面前で言い争うメイドと主人などいるはずがないからである。メイドは主人を立てるもので、恥をかかせるものではないのだから。

 遊撃士協会へとたどり着いたアルシェムは早速転属願いにサインし、正式にボース支部の準遊撃士となった。受付の老人――彼がグラッツの言うルグランである――はシェラザードにこう告げた。

「これで市長の依頼は任せられるんじゃがのう……」

「も、もしかして……」

「うむ、グランツもしばらく帰って来んし、人手が足りんのだ」

 しれっと名を間違われているが、グラッツのことである。名は間違っていても人手という認識はあったようでルグランはそう言った。そこでアルシェムは内心で溜息を吐きながらルグランに提案する。

「じゃー、ロレントでもやってましたけどわたしが掲示板に回りましょーか?」

「何?」

 ルグランがいぶかしげな顔をする。ここで判断するのはシェラザードだと思っていたので、まさか準遊撃士がその判断を下すとは思っていなかったのである。こういう場合の判断は普通正遊撃士がするものである。決してヒヨッコの準遊撃士がするものではない。

 しかし、シェラザードはそれを部分肯定した。

「掲示板を任せるのはまあ、異議はないんだけど……良いの? こっちじゃなくて」

 シェラザードの懸念は、アルシェムにとって的外れも良いところである。カシウスがリンデ号に乗っていないことは確定しているし、アルシェムがわざわざエステル達と行動を共にしても人材の無駄。故に、一番合理的で効率的な方法を提案したのである。

「だってそんなにいらないでしょーに。気にはなりますけど、ボース支部の依頼が滞っちゃ意味がないでしょー?」

「……そうね、ごめん」

「謝罪は必要ないです。それよりとっととリンデ号を見つけて何が起きてるのか教えてください」

 そうして、割り振りは決まった。シェラザード達はボースの市長――メイベルという美人市長らしい――に会いに行くことになり、アルシェムはまず掲示板を見た。すると、そこには東ボース街道の手配魔獣の依頼とレストランの食材の収集、そしてラヴェンヌ村に出るという魔獣の捜索の依頼が出ていた。アルシェムはそれを見てそう言えば手配魔獣らしきものを狩ったな、と思い出したためにルグランに報告した。

「あ、ルグランさん、ロレントで受けた親書の配達の依頼、先に終えてきました。あと通りがかったので東ボース街道の手配魔獣も」

「うむ、シェラザードから聞いておるがお前さんからも報告を頼む」

 そしてアルシェムはルグランに仔細を話し、ルグランもそれを依頼書に記していった。そして報告を終え、アルシェムは食材の収集と魔獣の捜索の依頼を受けることを告げて遊撃士協会を後にした。

 まず、向かう先は高級レストラン《アンテローゼ》。ここで働いている女性から食材の入手の依頼だった。手っ取り早く用件を告げて入用の食材をリストアップして貰うと、アルシェムがその食材を大量に持っていることが露見。そのまま食材を手渡して依頼を終わらせた。

 一端遊撃士協会に寄ったアルシェムは報告を終え、そのままラヴェンヌ村へと向かうことにした。

アルシェムは遊撃士協会を出たところでエステル達に出会った。何故か先ほど言い争いをしていた片割れ――メイドの方である――を連れていたエステル達に声を掛ける。

「エステル、市長さんは?」

「今探してるとこよ。アルは?」

「ん、今からラヴェンヌ村方面に行ってくるよ」

 エステルとアルシェムはお互いに行ってらっしゃい、と言い合って別れた。ボースの街を出るまでは速足で歩いていたアルシェムだったが、街道に出た瞬間駆け出した。恐らく、この時点でリンデ号が見つかっているということはないだろう。アルシェムの脳内の地図で、リンデ号を意図的に隠せる場所の候補は意外に少ない。そして、そのうちの一か所はアルシェムの向かうラヴェンヌ村の奥である。昼ならばともかく、夜ならば目立たずに隠せたはずだ。

 途中の魔獣はほぼ無視して、道も完全に無視したアルシェムはラヴェンヌ村まで一直線に駆け上がった。村の前に立つ歩哨には少しばかりいぶかしげな顔をされたがご愛嬌である。

 アルシェムがラヴェンヌ村に入ると、村の中で言い争いをしている子供達を見つけた。どうやら夜に大きな影の何かが飛んでいただのいるわけがないだの、そういう言い争いのようである。アルシェムはその会話を聞いて恐らく当たりであると目星をつけ、村長宅へと向かった。

 アルシェムがここで子供達に声を掛けないのは間違いなく怖がられるからである。例外は数人ほど確認できたものの、アルシェムが年下に好まれることはない。ほぼ十割の確率で泣かれるか逃げられる。流石にアルシェムはロレントで学んでいたので二の轍を踏むようなことはしなかった。

 村長宅に入り、魔獣を退治しに来た旨と廃坑の奥を見たいので許可が欲しい旨を伝えると、村長は快く廃坑の鍵を貸してくれた。魔獣はもともとラヴェンヌ鉱山に住みついていたらしいが、廃坑となってからは眠りについていたはずだという。アルシェムはもしかしたら、と前置きをして廃坑の奥に誰かいるのかもしれません、と伝えたことで鍵を借りる正当な理由を作ったのだ。

 魔獣を狩ると言った時は少しばかり身の心配をしてくれたが、お世辞かなにかだろう。そう判断したアルシェムは村長に礼を言い、そのままラヴェンヌ廃坑へと続く山道を登り始めた。

「……あっち、かな」

 魔獣の気配を探り、付近の魔獣を殲滅しながらアルシェムは廃坑へと向かう。途中で上空から奇襲してきた魔獣もいたため、これが件の魔獣であろうと判断して念入りに退治しておいた。

 そして、アルシェムは廃坑に足を踏み入れたのである。魔獣の巣は徹底的に潰し、誰かが出入りした痕跡を消さないように慎重に進む。アルシェムは既に確信していた。この先に、何かしらの手掛かりがあるのだと。そして――

 アルシェムが露天掘りで見つけたのは、紛うことなくリンデ号だった。それと、見たことのある空賊共。

「何やってんの、あんたら」

「ゲッ……アンタ、ロレントの遊撃士!? おい、話が違うぞ! 早すぎる!」

「……はい?」

 アルシェムは空賊――キールを引き留めるべく動き出そうとしたが、後一歩で手が届かず飛び去られてしまった。仕方がないのでアルシェムはリンデ号を調査する。リンデ号からは全ての物資とオーバルエンジンが抜き取られており、動かすことは困難に思えた。無論、乗客はいない。アルシェムはお手製のインスタントオーバルカメラで撮影しつつ現場検証を終え、痕跡を消さないように慎重にラヴェンヌ村へと戻った。




話動きすぎィ!

では、また。


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帝国からの旅行者

ちょっとばかしあの人の正体を隠してみました。

では、どうぞ。


 リンデ号発見の知らせを、アルシェムはラヴェンヌ村村長に告げなかった。もしも何かしらの陰謀が動いているのならば、今は動けないと判断してのことである。先ほどキールが告げた『話が違う』という発言。この発言がアルシェムに真実を告げることをためらわせた。

 アルシェムは遊撃士協会まで戻り、ルグランに魔獣の退治を終えたことを報告した。

「……ふむ、それで廃坑の奥を確認してきたと」

「はい。それが問題なんですが……シェラさん達は?」

 ルグランには魔獣が起きるのが不自然であるために廃坑の奥を念のために調べたことを告げた。その内容を告げるのは、シェラザード達も一緒の方が良いと思ってアルシェムはルグランにそう問うた。その答えは、市長に面会している最中かもう終わったところだろうということ。そうこうしているうちにシェラザード達が遊撃士協会へと戻ってきた。

「あら、アル戻ってたのね」

「シェラさん……そっちの進捗状況は?」

 シェラザードはアルシェムの問いに顔をしかめて応えた。

「一応これから市長さんの手紙を持ってモルガン将軍に会いに行くつもりよ」

「こんな夕方、とゆーか、夜に?」

 そう。とうの昔に日は暮れていたのである。火急の用であるといえば恐らくは通してくれるのだろうが、この時間に訪問するのは非常識である。シェラザードは口を引き結んでこう答えた。

「それも、そうなのよね……アルは掲示板の依頼は順調かしら?」

「あー、それについてなんですけど……ちょっと時間貰えます?」

「え?」

 アルシェムの答えにシェラザードは困惑した。掲示板の依頼に手古摺ってアルシェムが疲れているのだと勘違いしたからである。しかし、事実は違う。アルシェムは思わずうなずいたシェラザードを見てルグランに2階を貸してくれるよう要請した。そして、丁度戻ってきた別の正遊撃士――実は新米らしいアネラス・エルフィード――に受付を頼んで階上へと向かった。当然エステルやヨシュアも一緒に、である。

 席に着いたアルシェムはおもむろに一枚の写真を取り出した。そこに映っていたのは――

「ちょっと、アル! これって……!」

「リンデ号、だね」

 思わず立ち上がったエステルには見向きもせず、ヨシュアは険しい顔でその写真を見た。そしてシェラザードはと言えば呆けていた。まさかこれほどまでに迅速にリンデ号が発見されるとは思っても見なかったからである。しかも、掲示板の依頼をしていただけのはずの新米準遊撃士如きに。アルシェムはルグランにした報告を繰り返してシェラザードに伝えた。

「ラヴェンヌ村で、最近は出てなかった魔獣が出てたんです。それで、それが掲示板の依頼になってたんですけど……まー、生息地を脅かされない限りは出て来ないと思ったので元々の生息地――廃坑らしいです――を魔獣の掃除がてら探索してみたんですよ」

「それで、奥にリンデ号があったってわけね……それで、乗客は?」

 シェラザードはアルシェムの目を真っ直ぐに見てそう問うた。アルシェムは写真を増やしつつこう返す。

「乗客、乗員全て消えてました。貨物もオーバルエンジンも根こそぎです」

「そっか……」

 その答えにエステルが落胆したかのように椅子に座りなおす。ヨシュアはさり気なくエステルの肩に手を回して慰めようとしていた。だが、エステルはそれをはねのけた。

「じゃ、じゃあ、他に手掛かりとかは!?」

 余程心配なのだろう。決して泣きはしないが、その瞳には不安が揺れていた。無理もない。この乗客の中にカシウスがいたとエステルは思っているのだから。その心配は的外れであり、全くの杞憂なのだが。

 アルシェムはエステルの問いにこう答えた。

「手掛かりってーか、犯人ってーか……とにかく、犯行グループは分かったよ」

「ええっ!?」

 これにはヨシュアも驚愕したようだ。そこまで容易に分かることではないとヨシュアは経験上分かっていたからである。もっとも、その経験はまっとうなものではないが。アルシェムは淡々とその犯行グループの名を告げた。

「《カプア一家》」

「って……ジョゼット達のこと!?」

「そーだよ。キールが貨物の残りを略奪しに来てたみたいで飛空艇に飛ばれて逃がしちゃったけど」

 今のところそれだけが心残りである。まあ、たとえあの時に捕縛していたとしても人質の場所や仲間の場所を吐いたとも思えないが。しかし、シェラザードはアルシェムに励ましの言葉を掛けた。

「いや、あんたはよくやったわ。というか、まさかそんなところから手掛かりを持って来るだなんて思いもしなかったわよ……」

「うむ、儂も驚いたが……今日はもう遅い。もう休んだらどうかね?」

 ルグランの言葉ももっともであるが、実はアルシェムのみ夕食を食べていないのである。エステル達はメイベル市長のご相伴にあずかって食事を済ませていたのだが、アルシェムにはその暇がなかった。

「それもそうね。雑魚寝になるけど遊撃士協会に泊まっても大丈夫かしら?」

「うむ」

 そこで、アルシェムのお腹が限界を迎えた。盛大に鳴ってしまったのである。シェラザード達は顔を見合わせて何故かエステルを見た。一同の内心を代表してヨシュアがエステルに告げる。因みにジト目である。

「エステル……君って娘は」

「ち、違うわよ! あれだけ頂いたんだし、お腹はいっぱいだもん」

「え、じゃあルグラン爺さんかしら?」

「何でそうなるんじゃい! 儂もきちんと喰ったわ!」

 そして、一同の視線がアルシェムに向いた。アルシェムはその視線からスッと目を逸らした。大量の冷や汗がアルシェムの額を流れ落ちる。

「……アルね」

「うん、そうよね」

「間違いなくアルだね」

 そして、シェラザードとヨシュアはアルシェムの隣に回り込んだ。自分が悪いと分かっているのでアルシェムはそれを避けない。避ければ説教が長引くだけだと良く知っているからである。

「アルっ!」

「ひゃい!」

 この日、受付代理を頼まれたアネラス・エルフィードは涙目になりながらボース市民の対応に追われることになる。というのも、エステルの怒鳴り声があたりに響き渡ったからだ。ボースの男性陣はあの怖い声を止めてくれと嘆願し、女性陣はあの怒り方を是非伝授してほしいと嘆願しに来ていた。

「ふえ~ん、どうしてこうなるの~!?」

 アネラスの嘆きがボースに響き渡ったのは言うまでもない。

 

 ❖

 

 次の日。エステルに散々怒られたアルシェムは久しぶりの悪夢にたたき起こされた。エステル、ヨシュア、シェラザードがリンデ号の前で王国軍に射殺されている悪夢である。あまりにもリアルな夢だったので、一瞬本当にあったことかと錯覚しかけたくらいだ。何故射殺されているのかは分からなかったが、それでも下手人が誰かは分かっていた。夢の最後に出て来たのはモルガン将軍だったからである。

 この日、エステル達はハーケン門に行くことになっているが、アルシェムもまたそれに同行させて貰えることになっていた。というのも、証拠を見つけた人物として証言を語る必要があるからである。もっとも、遊撃士嫌いで通っているモルガン将軍の前に出るので支える籠手の紋章は外しておくが。

 ルグランに挨拶を終え、東ボース街道からアイゼンロードに入る。途中で検問に引っかかりかけたが、エステルがボースのメイベル市長の使いであることを示すとしぶしぶ通してくれた。途中には魔獣がかなり湧いているようだ。恐らくは軍の手が回っていないのだろうと推測出来た。そこまでの大事件なのである。

 アルシェムはハーケン門に近づくにつれて気が重くなっていくのを自覚していた。ハーケン門と言えば、エレボニア帝国との国境に立つ砦なのである。10年前の《百日戦役》で破壊されてからは更に堅牢な砦として立て直された。《百日戦役》が起こるきっかけになったのは、ハーケン門よりさらに北に上った国境のとある村で起きた『不幸な事故』。アルシェムは残念なことにその『不幸な事故』についてよく知っていた。誰もが知り得ない真実までも。

「これがハーケン門……メチャメチャ大きいわね~!」

「帝国との国境だからね」

「うーん、そっか……この先は帝国なんだもんね……」

 あの『不幸な事故』を構成するパーツがこの場所だった。『不幸な事故』で使われた『あるもの』はここから盗み出されたものだったからである。それを使って、あの『不幸な事故』は起こされてしまったのだ。あるいは事件とでもいうべきなのかもしれない。

 エステル達はシェラザードの指示により支える籠手の紋章を外して鞄にしまった。そして、ヨシュアが兵士に取り次ぎを頼んだところ、現在モルガン将軍は不在とのこと。捜索活動の陣頭指揮を執っているらしく、今日中には戻るだろうとのことだった。

 しばらく戻らなさそうなモルガン将軍を待つエステル達を見かねた兵士達の勧めによって、休憩所にいさせて貰えることになった。モルガン将軍が戻ってくれば呼びに来てくれるらしい。

そして、そこにアルシェムが足を踏み入れた瞬間だった。アルシェムの知る金髪が目に入ったのは。

「フッ、驚いたな……本場のリベール料理を食べるのは初めてだが、なかなかの美味だ」

「ほう、嬉しいことを言ってくれるじゃねえか。街に行きゃ、美味いリベール料理を食わせてくれる店は色々とあるぜ。楽しみにしてるこったな」

 休憩室で居酒屋を営む主人と話すいかにもちゃらんぽらんな男。金髪で、どこかナルシストの臭いを発している気障な男。その男をアルシェムは知っていた。その男の正体さえも。

「勿論、そのつもりだよ。場末の酒場でこれだ、今から期待出来るというものさ」

「ヘッ、場末で悪かったな。ついでにワインでもどうだ?安物だが、結構イケるぜ」

「フム、いただこうか……」

 なぜこんなところに彼がいるのか、アルシェムは分からなかった。どう考えてもあり得ない。今このときこの場所にこの男がいる意味が分からない。何の意図があって彼がここにいるのか、分からない。分からないことだらけである。

 混乱するアルシェムをよそに、エステル達はどこか座れる場所を探していた。幸い、隅の方が開いていたのでそこに座る。すると、その金髪の男がワイングラスを片手にエステルに近づいてきた。

 因みに、この間にシェラザードが手際よく人数分のジュースを買っていたことをアルシェムは知らない。

「やあ、ご機嫌よう。リベール人のようだが、帝国に旅行かな?」

「ううん、あたし達は野暮用でここに来ただけなの。帝国には行かないわよ」

 その男の言葉に、エステルは律儀に返す。飄々としていて意図がなかなか読めないが、何かしら目的を持ってこの場に来ていることだけは分かった。そうでなければ今ここでリベール王国へと向けてこの男が来る理由が分からないからだ。

 その男にヨシュアが問いかける。多少は警戒心を働かせているようである。

「そういうあなたはエレボニアの人みたいですね。旅行ですか?」

「フッ、仕事半分、道楽半分さ。しかし、野暮用か……君達の正体が見えてきたよ」

「え、正体?」

 きょとんとするエステル。若干警戒のレベルを上げたヨシュア。シェラザードは品定めをするような眼で彼を見た。そして、アルシェムは。一度しか会ったことがないにも関わらず、最大限に警戒のレベルを上げていた。彼の知るアルシェムの正体を明かされると非常に困るのである。

 そんな警戒を意にも介さず、その男はこう告げた。

「ずばり、遊撃士だろう?」

「ど、どうして……」

 それでアルシェムは警戒を少しだけゆるめた。この場合、アルシェムに出来ることは彼を脅して本当のことを話させないことしかない。脅す材料はいくらでも転がっているのだが、地雷を踏んでしまわないように気を付ける必要があった。だから、アルシェムは機先を制して言葉を吐いた。

「はったり半分でしょー?」

「フッ、よく分かったね子猫ちゃん」

「ハゲろ」

 彼がその言葉を吐いた瞬間、アルシェムは咄嗟にそう言いかえしていた。流石に子猫はない。そもそもアルシェムにとって苦手なものを取り揃えているこの男とはお近づきにもなりたくないのである。

 男は体をくねらせてこう返した。

「そ、そんなに睨まないでくれたまえ。夜闇に輝く銀色の髪に、冷たく煌めく蒼穹の瞳……まるで澄みきった空のようだ。思わず抱き締めて」

「もげろ」

 アルシェムはまたしても男の言葉を一刀両断した。アルシェムの腕には既にじんましんが浮かんでいた。鳥肌を通り越してしまっているあたり、この男のことがいかに苦手なのかが見て取れるだろう。

 若干怯えた男はアルシェムにこう問うた。

「何が!?」

「ナニが」

「ヒエッ……」

 今度は明確に半歩ずれた。それで近くなったのはヨシュアである。ここで標的は変更された。

 男はヨシュアに近づき、泣くふりをしながらこうこぼす。

「ぐすっ……ガラスのように繊細なボクのピュアハートはブロークンだよ。どうかボクを慰めてくれないかい? 琥珀色の君……」

「謹んでお断りします。というか寄らないでくれませんか?」

「ぐはっ……」

 男は完全に崩れ落ちた。それと同時に兵士が休憩所に現れ、モルガン将軍が帰ってきたことを知らせてくれる。エステル達は急いでジュースを飲み切ると休憩所を後にした。何故か男も一緒に。もっとも、外に出た瞬間にアルシェムはその男に近づいてぶっこぬくぞ、と脅したために離れて行ったが。

 兵士達の案内に従って兵舎に入り、右奥の執務室の扉をノックする。すると、低くしわがれた声が入室を促したためにエステル達は執務室に入室した。

「良く来たな。わしの名はモルガン。アリシア女王陛下からこのハーケン門を任されておる者だ」

 厳しい顔でそう告げた老人――モルガン将軍は、少しばかりいぶかしげにエステル一行を眺めた。モルガンがエステルを見ると、彼は眼を眇めた。どこかで見覚えがあるような気がする少女だ、と思ったのである。

 そんなことともいざ知らず、ヨシュアが代表してモルガンに告げた。

「初めまして、メイベル市長の代理の者です。ご多忙のところ、失礼します」

 こういう交渉ごとはヨシュアが得意であるためにシェラザードが押し付けたのである。経験を積ませるためでもあるのだが、少しばかり迂闊である。これがヨシュアでなければ即刻追い出されていたことだろう。

 エステルがメイベル市長からの手紙を差し出すと、モルガンは厳しい顔を崩さないままに読み終えた。そして、部外秘のことについて説明してくれる。リンデ号はボース国際空港を離陸した後、ロレントへ向かう最中に失踪したらしい。さまざまな可能性が考えられたが、今朝がたに犯行声明が届いたことで墜落や魔獣の襲撃といった可能性が消えた。飛行船公社に《カプア一家》から犯行声明と共に身代金を要求してきたのである。

 と、そこでエステルが思わず言葉を零してしまった。彼らとはロレントでやりあったばかりだ、と。それを聞いたモルガンはエステル達が遊撃士であると気付いてしまった。アルシェムはそこから交渉をしようと試みたもののあえなく失敗。そのまま追い出されてしまったのだった。




ダイジェスト感半端ない。

では、また。


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モルガン将軍との取引

今話は旧22話半ば~23話のリメイクとなります。
恐らくとても読みにくいので、今話に限り傍点がふられているところは紙に書いてあることだと思って下さいませ。

では、どうぞ。


 犬のように追い立てられて、エステル達はモルガンの執務室から、というよりも兵舎から叩き出されてしまった。それに抗議するエステルに反駁するモルガン。だんだんとヒートアップする言い争いに、シェラザードまでもが加わってちょっとした騒動に発展してしまっていた。

「黙れ遊撃士! 大体……」

「何言ってんのよ、無能の集団の癖に! 大体ねえ、……」

 どちらも相手の非を徹底的につきたいようである。周囲の人間がドン引きするほどに彼らはヒートアップしていく。

 その光景を見ながらアルシェムは遠い目をしつつ、ヨシュアに問いかけた。

「……ヨシュア、これ止められる?」

「武力行使で良いなら……」

「駄目だからね?」

 ヨシュアにもアルシェムにも、この騒動を止めるすべはない。周囲の兵士もだ。一番に騒動を収束させるべき大の大人たちが言い争っているので、ストッパーがいないのである。大の大人は言うまでもなくシェラザードとモルガンである。

 シェラザードの言い分は、もともとボースでは《カプア一家》と思しき強盗事件が相次いでいたにもかかわらず、軍が仕事をしないからロレントから出張って来る羽目になり、モルガンが情報を遊撃士協会に流さないからこうして身分を隠して調査しに来た、というもの。表面から聞けばもっともである。確かに軍さえ《カプア一家》を即座にとらえていればここまで被害は大きくならなかったのだから。

 対するモルガンの言い分は、《カプア一家》をとらえるために組織の規律に支えられた軍隊を動かすべく証拠集めをしていたものの、遊撃士協会の失態もあって証拠を集めきれなかったために軍隊を大規模に動かすことも出来ず、調査の邪魔をする遊撃士がいるからこそこうして情報を止めていたのだ、というもの。こちらももっともである。ロレントで《カプア一家》が動いたという情報は少なからずボースでの調査に影響を与えた。そのせいで警備に僅かなほころびが生じたのだから。

 どちらの言い分ももっともであるが、どちらにも非がある。シェラザードの言い分にはそもそも自分達が《カプア一家》をとらえられなかったという事実が含まれていない。もしもあの時の対処がうまくいっていれば――そもそもあの場には《カプア一家》の構成員全員が揃っていなかったので上手くいくという前提からして有り得ないのだが――今頃こうして《カプア一家》に悩まされることはなかった。

 因みにあの場合の最善手は、エステルとヨシュアでその場にいる空賊を捕縛し、なおかつシェラザードとアルシェムが浮いたままの飛空艇に乗り込んで構成員を脅す。そしてアジトに案内させて攻め入るという少しばかり無茶なものである。

 モルガンを訪ねる際にも、遊撃士嫌いであること以上にシェラザードが知っていなければならないことがあった。それは、モルガンとカシウスに面識があるということ。このことさえ思い出して――そもそも、知らないはずがない――いれば、堂々とエステル達をリンデ号に乗っていたはずのカシウスを探している娘たちであると紹介して情報をねだることだって出来たのだ。

 そして、モルガンにも非がある。ボースでの強盗事件を調査していたのは軍であり、遊撃士協会に流されるべき情報は当然のことながらなかった。調査の邪魔をされるからである。もしもその情報がリベール王国中の支部に回っていれば、アイナも忠告くらいはしたはずである。それがなかったのは、モルガンが遊撃士を嫌っていたために情報を流すことを嫌ったからである。もっとも、そのほかにも意図があったようだが。

 とにかく、お互いの非をあげつらいながら自分の非を認めない彼らは少しばかり、というか大いに大人げなかった。シェラザードがこともあろうにモルガンを耄碌ジジイ呼ばわりすると、モルガンはシェラザードをあばずれ女と蔑み返す。大人げないというか、そろそろ子供の喧嘩になりつつある。因みにエステルはシェラザードがキレた時点で我に返って一歩下がって青ざめていた。流石にこれはまずいかも、と内心では思っているのだろう。

 このある意味馬鹿げた状況を打ち破ったのは――美しいリュートの音色だった。それに次いで男が声を発する。

 

「フッ、悲しいことだね。争いは何も生み出さない……ただ、不毛な荒野を広げるのみさ」

 

 その声の持ち主は、先ほど休憩所でアルシェムに撃退された男だった。自己陶酔した顔をしながら彼は歌う。とあるオペラの一節を。地味に上手い、というか、本格的である。結構な音量が出ているので休憩所からもなんだなんだと見物に出て来る人がいた。

それに毒気を抜かれる一行。アルシェムは明確に辟易しながらモルガン将軍の耳元に口を寄せて告げた。

「カシウス氏のことで話があります。ついでにリンデ号のことでも」

 モルガンは最初の一言に意表を突かれたようである。アルシェムに合わせて小声でこう返す。

「黙れ遊撃士」

「わたしの話を聞かないなら十年前のハーケン門の失態と北の山崩れについて全力で吹聴します」

 アルシェムの冷たい声に、モルガンは凍りついた。そのことについてはハーケン門の中、いや、王国軍全体でもタブーの話であり、そもそもこんな小娘が知っているわけがない話である。しかし、アルシェムの目は嘘を吐いていなかった。その事実について、アルシェムは本当に知っている。それをモルガンは直感した。

「……何故知っている」

 それでも、モルガンは問わざるを得なかった。あの時の真実はモルガンも知りたいことだった。そのせいで犠牲にしたものだってある。そのことを、モルガンは深く悔いていた。もしもあの時の自分にもっと力があれば、あんなことは起こさせなかったのに。そう、あの男のような人間を出さなくても済んだのに――

 男が歌い終わり、兵士達がその男をつまみ出そうとしたところでアルシェムはモルガンにこう告げた。

「わたしの話を聞いてくれたらお教えしますよ」

「……分かった」

 その言葉だけは普通の音量で話していたので、急変したモルガンの態度にエステル達は驚いた。先ほどまで激昂していたはずのモルガンが実に無念そうな顔でアルシェムの言葉を受け入れているのである。

「ええっ!?」

「ちょ、ちょっとアル、あんた……」

 困惑するエステル達。アルシェムは苦笑しながら少しばかり事情を説明した。

「モルガン将軍とちょっとばかし情報交換しようと思って」

 あながち間違いではないところがミソである。アルシェムの知る事実と、モルガンの持つ情報を交換する。ただ言っていないことがあるだけでこれは事実だった。

「あ、じゃああたし達も……」

「それはならん」

「ええっ、何で!?」

 エステル達は粘った。話をしたいと願い出たのはエステル達であり、それが依頼だったのだから。しかし、モルガンは話の機密性によりアルシェム個人と話すことを選び、兵士達を使ってエステル達をハーケン門から追い出してしまったのである。アルシェムはシェラザードに後で報告する旨を伝えておいたので宥めておいてくれるだろう。そう思いながら自らにとある処置を施し、モルガンを促した。

 ともかく、アルシェムはモルガンと連れ立って執務室へと戻った。モルガンは部下に人払いを命じ、その部屋にいるのはアルシェムとモルガンだけとなった。

 モルガンは扉の前から兵士が離れるのを確認するとゆっくりと口を開いた。

「……それで、話とは?」

「そうですね、まずはリンデ号について。というか、これがカシウス氏の話なんですけど……」

 そう言いながらアルシェムは遊撃士手帳に()()()()()、と書いてモルガンに見せた。幸いなことに頭上には気配はなかったのだが、どうも盗聴器が仕掛けられているようだったからである。アルシェムにそれが分かったのは偶然であり、察知していなければ最悪の可能性だってあった。すなわち、敵に情報を漏らしてしまうという失態を犯す可能性。

 アルシェムが盗聴器を察知できたのはポケットの中のオーブメントのおかげである。色々と機能を拡張しているうちに妙なことが出来るようになっていき、今では盗聴器の探索までもこなせるようになってしまったのだ。何とも奇妙な進化を遂げたオーブメントであるが、その特性上あまり使われることはない。

 モルガンはそのアルシェムの態度にいぶかしげな顔をしながらもいらない紙を出して()()()()、と書いてみせた。どうやら通じたようである。

「リンデ号が失踪した際、カシウス・ブライトという遊撃士が乗っていたそうです」

 アルシェムは言葉を発すると同時に言葉とは別の文言をモルガンの手元の紙に書き込んだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。モルガンは紙にその返答を書きながらこう答えた。

「有り得ん。あ奴が乗っておったら間違いなく解決している頃だろう」

 モルガンが書き記した文言は、()()()()()、だった。モルガンがカシウスに頼まれてそのことを秘密にしていたはずなのに、目の前の生意気な小娘はそれを知っているようである。その理由は分からないが、この情報だけで別のことを言いたいのだと察した。

 アルシェムは眉間にしわを増やしたモルガンに言葉を返す。

「ええ、そーでしょーね。ただし何かしら不測の事態が起きていたなら別です」

 それと同時にアルシェムは文言を書き記す。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。それを見てさらに眉間のしわを増やすモルガン。()()()、と書きながらモルガンはアルシェムにこう言いかえした。

「不測の事態、か……つまり、厄介な相手である可能性が高いと?」

「はい。ロレントで彼らを取り逃がしてから少しばかり調べてみたんですが……どうも彼ら、元帝国貴族らしくて」

 漏らしてもよさそうで重要な真実をサラッと明かしながらアルシェムはつづる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。それを見た瞬間、モルガンは机を叩いて立ち上がった。

「何だと……ッ!?」

「落ち着いてください、モルガン将軍」

 アルシェムは苦笑しながら紙にこう書き記した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それを見たモルガンはゆっくりと腰を落ち着けた。そして、書き記す。()()()()()、と。

「何もまだ帝国のスパイと決まったわけでもありませんし、ね?」

 アルシェムはモルガンの疑問に応えた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。それにモルガンはうーむと声を漏らしながら考え込んだ。

「それはそうだが……可能性がないわけでもあるまい?」

「まー、そーですけど。もし帝国の工作員だったらもっとうまくやるんじゃないですか?」

 モルガンは()()()()()()()()()()()()、と紙に書き記した。それにアルシェムは苦笑しつつこう書き返した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

「う、うむ……そうかもしれんな」

 モルガンは罰悪げな顔になってこう記す。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。アルシェムはすっと顔を引き締めてこう書いた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

「そもそも帝国が身代金を取ってまでリベールに喧嘩を売る理由が見つかりません」

「そうだな……ならば、たかが空賊ということか」

 モルガンは顔を思い切りしかめながら書き記した。()()()()()()()()()、と。アルシェムはそれにこう書き返した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 モルガンはそこで手元の紙から顔を上げてまじまじとアルシェムの顔を見た。まさか気付いていないとは思っても見なかったのだが、エステル達にも冷たい反応をしているあたり、遊撃士というフィルターで見えなくなっていたのだろうと推測出来た。

「油断は出来ませんが、ね。リンデ号もまだ見つかっていないようですし……」

 ややあって、モルガンは手元の紙にこう記した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。アルシェムは()()()()()()()()()()()()と書き、続けてこう書いた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。モルガンはその理由を黙考した後にこう書き記した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

「うむ、早急に見つけ出して空賊共に正義の鉄槌を喰らわせてやらんとならん。ついでにあの男にもな」

「や、勘弁してやって下さい……一応義父ということになっているので」

 アルシェムは苦笑しつつそう返し、手元の紙にはこう記した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。それを見たモルガンは一瞬眉を顰め、かつて『アルシェム・ブライト』となる前の彼女の身に起きたことを思い出した。確か、それまでの記憶を全て消されたのである。その事実がモルガンにアルシェムの書いた言葉を信じさせた。モルガンは()()()()、と記し、続いて山崩れについて書くようアルシェムに要請した。

「義父だと? まさか、貴様は……」

「はい、アルシェム・ブライトです。先ほどの栗毛の少女が実子のエステル。黒髪の少年が養子のヨシュアで、銀髪の露出狂が弟子のシェラザード・ハーヴェイです」

 ()()()()()()()()とアルシェムは書き記して少しばかり躊躇った。それはアルシェムにとって忌まわしい思い出であるからである。それでも、話すと約束したからには語らなければならない。ただし詳細に話すのは精神的によろしくないと判断したために、アルシェムは大部分を端折って話すことにした。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()それがアルシェムの記した言葉である。それは重要な部分が多々省かれていたものの、モルガンが確認したかった事実について知るには充分だった。アルシェムがその場所を知っている理由は、なんてことはない。そもそもその場所出身だったからであった。

「そうだったか……済まないことをした。ついては個人としての謝罪文を書くので少しばかり待っておれ」

「分かりました」

 ()()()()()()()()()()()()()()、とモルガンは記した。モルガンの知る山崩れ――もっとも、実際には山崩れでもなんでもない事件――の真実を、彼女は知っているのかもしれない。しかし、モルガンはアルシェムの年齢を目算で計算してそれを諦めた。当時アルシェムの年齢は間違いなく一桁。詳しく覚えているわけがなかったからである。

 アルシェムはモルガンが記した言葉にこう書き返した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。アルシェムは知っていた。少なくともアルシェムを除いた3人があの場から逃げ延びていたからである。うち2人は、アルシェムのよく知る場所で働いていた。もう1人に関しても居場所は掴んでいる。もっとも、名乗り出て来るかどうかは別であるが。

 モルガンはその言葉に一瞬硬直し、一拍置いてから物凄い勢いで書いた。()()()()()()()()()()()()()()、と。モルガンにとっては信じがたいことである。あの村は全滅したはずであり、そもそもアルシェムが生き残っていることすら想定していなかったからだ。あの村で起きたことは実に奇々怪々であり、当時のモルガンには理解出来なかった。即ち――襲ってきたはずの下手人共が全て首を飛ばされているという異常事態を。それでいて、村人たちは誰も首を飛ばされていなかった。五体満足ではない死体も多かったが、とにかく首を飛ばされている死体はなかったのである。故に、下手人は二種類考えられた。

 ()()()()()()3()()()()、とアルシェムが記すと、モルガンは大きく目を見開いて硬直した。そんなに、とでも言いたいのか、それだけしか、と言いたいのかは分からない。

 そろそろ間が持たなくなってきたのでアルシェムはモルガンに話しかけた。

「どうかなさったんですか、モルガン将軍」

 アルシェムが問うと、モルガンは数々の言葉を押し殺して低い声でこう告げた。

「いや……少しばかり書き損じてしまってな」

 そう言いながら、手元でくしゃくしゃにしかけてしまった紙にこう記す。()()()()()()()()()()()()()()、と。ハーケン門から銃が盗まれたのは事実であるが、当時の責任者はモルガンではない。それでも生き残りの身を案じたのは、ひとえにあの事件のことを知っていたからだ。その結末までも。

 アルシェムはそれが誰であるかを明かすことはしなかった。ただ、どこにいるのかを示すのみ。そして、全員の居場所をふと考えて――愉快なことに気付いた。まさにモルガンにとっては灯台下暗しであろう。アルシェムは紙にこう記した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 そう。あの村の生き残りは、全てリベール王国に存在した。1人は遊撃士として。1人はシスターとして。そして、1人は軍の中に。何の因果か、彼らは徐々に近づいていくのである。アルシェムはあずかり知らぬことではあったが、彼らは最終的に王都グランセルに集結することになるのだ。そして、互いに互いの身を喰らい合う蛇となる。

 モルガンは天井を仰ぎ見た。そんなに近くにいるとは思ってもみなかったのである。今後、女王に報告して何かしらの理由をつけて謝罪をさせて貰おう。モルガンはそう思っていた。しかし、それを否定するものがいる。

 アルシェムはモルガンの内心を読み取ってこう紙に記した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。その言葉にモルガンは荒れ狂う。()()()、と書く字はひどく乱れていた。

 そして――流石に遅いと思ったのだろう、兵士が扉をノックするまでアルシェム達の無言の応酬は続いた。アルシェムの答えは、無論言えませんである。モルガンはどうしても知りたがったが、プライバシーを盾にアルシェムは情報を死守した。

 そうして、アルシェムはモルガンとの会談を終えてハーケン門から出た。そこにいたであろう男は既におらず、アルシェムは単独でボースまで戻った。いつもの速度ではなく、ゆっくりと。そうしなければ叫んでしまいそうだったから。




どちらにせよ読みにくくなるのは間違いない。

では、また。


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アガットと掲示板の依頼

今話は旧24話~25話冒頭までのリメイクとなります。

掲示板の依頼が一瞬で終わったりします。端折る都合で。

では、どうぞ。


 アルシェムがハーケン門から戻ると、エステル達に出会った。どうやら西ボース街道方面へ出るようである。エステル達は自分たちの目でリンデ号の調査を行いたいようだった。アルシェムはエステル達に掲示板の依頼に戻る旨、そして軍に迂闊に情報を流さない旨を伝えて彼女らと別れた。そして、そのまま遊撃士協会へと戻ると早速掲示板の依頼を引き受けて遊撃士協会から出た。

 まず、最初の依頼はベアズクローの調査。依頼人はスペンスという男性である。アルシェムはボースマーケット内で薬屋を営んでいるらしいその男性に接触し、先日ロレントの有名人デバインが発表した新薬の材料の安定的な供給地を欲していることを聞いた。材料自体は先日アルシェムがホルスに渡したためにスペンスにわたっているようである。

 アルシェムは手持ちの材料を一応スペンスに渡すと、ボースで適度に湿気ている場所――霧降り峡谷へと赴き、ベアズクローを採取して戻ってきた。少しばかりイライラしていたので、道中の魔獣は全てセピスと化して消滅させられている。幸い、その光景を見ている人間はいなかったのでさして問題になることはなかった。少しばかり有り得ない速度で移動したのだが、そこは一般人であるスペンスには分からないことである。アルシェムはスペンスにベアズクローが霧降り峡谷に生えていること、そして採取するときには少し上位の遊撃士に依頼するようにお願いしておいた。

 遊撃士協会に戻ったアルシェムは依頼の達成を報告し、西ボース街道の手配魔獣の依頼を受けた。ルグランはアルシェムの依頼達成の時間のあまりの速さに顔をひきつらせていたが、それでもきちんと依頼の達成を認めてくれた。

「さて……手配魔獣かー。手ごたえのあるやつだと良いな」

 アルシェムの機嫌はなお悪い。八つ当たりされる魔獣はたまったものではない。疾走する銀髪の悪魔が魔獣を狩り殺していくのである。結果、魔獣がアルシェムから逃げ出すという珍現象が起きたのだが、それでもすべて狩られていったので他人に被害は出なかった。

 さて、西ボース街道には分岐があり、片方はルーアン方面へ向かうクローネ山道に、もう片方はラヴェンヌ村へと続く道とがある。そのラヴェンヌ村へと続く山道から1人の男が降りてきた。赤毛にバンダナを巻き、大剣を背負った特徴的な男である。胸元には素朴な石で出来たネックレスと支える籠手の紋章が光っていた。残念ながらグラッツではない。男はアルシェムを見かけると意外そうな声を上げた。

「何だ、今日は珍しい日だな。遊撃士に4人も会うなんて……」

「あ、正遊撃士の方ですか。初めまして、準遊撃士のアルシェムです。よろしくお願いしますね、先輩」

「妙な呼び方をするな、アガットで良い」

 赤毛の男――アガット・クロスナーは遊撃士であった。二つ名は《重剣》。アルシェムは知らぬことであるが、ラヴェンヌ村出身の凄腕遊撃士である。シェラザードが話術向き――先日のモルガンの件では話術向きではない印象があったが――であるのに対し、彼は力押し向きである。座右の銘は『喧嘩は気合いだ』という何とも荒っぽい男であった。

「アガット……《重剣》の、ですか」

「……まあ、そう呼ばれることもあるな。それより、さっきシェラザードにも聞いたんだが……ラヴェンヌ山道の魔獣を倒したのはお前か?」

「あ、はい。これからも湧かないとは限らないので廃坑内のも排除しておきました」

 さらっと言うアルシェムにアガットは眉をひそめた。何故ならば、あの魔獣はアガットの基準では準遊撃士如きが狩れるような魔獣ではないからである。しかも単独で、など有り得ない。故に、アガットはアルシェムを睨みつけながらこう凄んだ。

「下らん嘘を吐くんじゃねえぞ、準遊撃士」

「嘘ついても仕方ないですけど……ま、信じて貰えませんよねー」

 ふう、と溜息を吐きながらアルシェムはアガットにこう提案した。因みにアガットは既に大剣の柄に手を掛けている。とんだ不審者扱いであった。

「今から手配魔獣のサンダークエイクってのを倒しに行くので一緒に来ません?」

「……良いぜ。討ち漏らされたら困るしな」

 とことんアルシェムを信じる気のないアガットはアルシェムの提案に賛成し、次いで妙な真似をしたら斬る、と告げた。アルシェムはそれに苦笑しつつ手配魔獣を探していく。幸い、すぐにその魔獣は見つかった。かなり大型の魔獣だったからだ。

「さて、じゃー……まー、やりますかね」

 アガットも手配魔獣を視認できたとアルシェムが判断した後、周囲に他人の気配がないことを確認してアルシェムは離れたところから銃撃を始めた。

「……成程、導力銃か」

「えー、まー。今のところこれ使ってますね」

 アガットの洩らした呟きにも返事をしつつ、アルシェムは特定の一点を抉り続けた。どんな生物でも弱点であろう――目を。アガットは油断せずにその光景を見ていた。いつ何時あの魔獣が暴れ出すか分からなかったからである。しかし、魔獣はそれどころではなかった。激痛に暴れ出すことも出来ずにその位置に釘づけにされていたのである。

 数分ほど経っただろうか。アルシェムは唐突に銃撃を止めた。無論、銃弾がなくなったわけではない。もう撃つ必要がなくなったからである。

「ふー、終わった」

「終わったって、おい……」

 アガットが困惑する中、その魔獣はセピスを残して消滅した。つまり、手配魔獣の討伐完了である。アガットは唖然としながらその光景を見ていた。アルシェムは別の意味でその光景を見ていたが。

 サンダークエイク。それは、空洋性の魔獣である。空を漂い、地上へと向かうことはほぼない。軍の巡視艇がリベール王国中を飛んでいるのはこの魔獣を狩るためでもある。もしもサンダークエイクが地上に降りることがあるとすれば、それは上空で巡視艇がサンダークエイクを駆り損ねたか、巡視艇が飛べない状況で増え過ぎ、地上へエサを求めて降下してくるかのどちらかである。例外があるとすれば、古代人たちが時のアーツを駆使して宝箱の守り人と化した場合もあるが、それはかなり希少な例であろう。

 今回の場合は巡視艇が飛んでいなかったからだとアルシェムには推測出来た。何せ今のボースには制限を掛けられており、飛行船は飛ぶことすら赦されないのだから。早くこの事件を解決して貰わなければ、とアルシェムは思った。

「……実力は分かった。だが、驕るなよ」

「分かってますよ。……さて、わたしはボースに戻りますが、アガットさんはどうするんです?」

「俺は少しばかり調査することが――」

 アガットはそう言いかけて止めた。アルシェムは既に臨戦態勢に入っている。周囲に、統率の取れた気配がしたからである。アルシェムは気配のする方向を仰ぎ見て――警戒を解いた。何故なら、そこにいたのは軍の連中だったからである。

 それを確認したアガットは舌打ちをしてこう漏らした。

「チッ、よりによってあのオッサンか……」

「あー、モルガン将軍ですね。もー動いたのかー……」

「じゃあな」

 アガットはひらりと身をひるがえしてクローネ山道の方へと向かった。アルシェムはそれを見送ってボース市内へと向かう。途中、モルガンに呼び止められたアルシェムはシェラザード以下2名がラヴェンヌ村方面におり、何らかの調査をしているらしいことを伝えておいた。そして、アルシェムは遊撃士協会へと足を踏み入れる。

「ルグランさん、西ボース街道の手配魔獣終わりましたよっと」

「ふむ……お前さん、昼飯は喰ったのか?」

「……食べてから次の依頼に向かいマース」

 アルシェムは掲示板を見てルーアンへ向かう為の護衛の依頼を遊撃士手帳に書き写すと、ルグランに護衛の依頼を受ける旨を伝えて外に出た。ボースマーケットの中で買い食いをし、ついでに携帯食料を買い込んでおいた。安い時に買うのが一番である。

 ボースマーケットから出たアルシェムは、《フリーデンホテル》に向かった。そこに依頼人のハルトという人物がいるからである。ホテルのフロントに準遊撃士の紋章を見せながらハルトに呼び出しを掛けて貰い、準備は既に整っているとのことからすぐに出発することになった。ふと気になってルーアンより先の護衛はどうするのかとアルシェムが問うと、ハルトはルーアン支部の遊撃士に迎えを頼んだとのこと。忘れ物がないかだけを確かめて貰っている間にアルシェムは遊撃士協会に戻ってルグランにその旨を伝え、ルーアンに連絡を取ってもらった。

 そして、アルシェムはハルトを護衛しながらクローネ山道方面へと向かったのである。先ほどまでこちらには手配魔獣が出ていたために少しばかり速足で歩いて貰って、魔獣はすべて排除しながら進ませて貰った。ハルトの顔が引き攣っていたのは言うまでもない。

 クローネ山道へと差し掛かると、アルシェムは警戒のレベルを上げた。先ほどまでとは違い、この場所は山である。魔獣除けの街道灯があるとはいえ、襲ってこないとは限らないのだ。それも、上から襲ってくる可能性を否めないのが問題なのである。先ほどの手配魔獣のような空洋性の魔獣が出てくればかなり危険なのだ。この護衛対象という荷物を抱えている状況では、特に。

「あんまり離れないでくださいね?」

「あ、ああ……」

 若干怯えられている気もするが気のせいである。少なくともアルシェムはそう思っている。事実はどうあれ、護衛していることに変わりはない。魔獣を粉砕しながらアルシェムは進んだ。ハルトは胃液が逆流しないように耐えながら進んでいたが、アルシェムがそれに気付くことはなかった。

 アルシェムはさして頓着せずに受けたが、そもそも護衛の依頼は単独で受けるような依頼ではないのである。少なくとも2人、欲を言えば3人以上欲しいところである。先に進んでおいて依頼人の目に触れないところで魔獣を粉砕する役と、依頼人を護衛する役。それに、後方を警戒する役がいれば完璧だ。しかし、今現在ボース支部にその余裕はない。アルシェムの見ていない掲示板の依頼をこなしている遊撃士・準遊撃士がいるのだが、そもそもボース支部に限らずどの支部も手一杯。この混乱した最中に人数を割くだけの余裕はないのである。

 そして、途中で愛らしい羊の魔獣に襲撃されつつ――あ、ジンギスカン食べたいとハルトはのたまった――、無事にアルシェムはハルトを関所に送り届けることが出来た。引継ぎの遊撃士もすぐにここまで辿り着いていたのだが、どう見ても新米で単独の準遊撃士。少しばかり不安を感じながらもアルシェムはハルトを引き渡した。

 依頼を達成した後、アルシェムはクローネ関所から離れたところでクローネ連峰に足を踏み入れた。そして――

「ひゃっはー!」

 全力で真っ直ぐ駆け下りた。それが一番の時間短縮の手段だったからである。声に意味はない。1時間と掛からずアルシェムはボース市街へと戻って来れた。途中で王国軍に撃たれそうにもなったが気のせいだろう。アルシェムは何も見ていない。エステル達がぽかんとした顔で連行されていくところ等見てはいないのだ。遊撃士協会に戻ったアルシェムはルグランに依頼達成の旨を報告し、次の依頼――アンセル新道の手配魔獣を受けることを告げた。

「……有り得んほど早く帰ってきておるが、もしやお前さん、昼ごはん抜いたんじゃなかろうな?」

「抜いてませんよ、今日は食べました。ちょっとばかしショートカットしただけです」

「そ、そうか……」

 ルグランの引き攣った顔を見ながらアルシェムは遊撃士協会を後にした。向かう先はアンセル新道。リベール王国最大の湖・ヴァレリア湖へと続く道である。湖畔には《川蝉亭》という旅館があり、釣りまでさせてくれる観光スポット。今でこそリンデ号の件で客足が減っているものの、普段は予約でいっぱいなのだとか。

 アルシェムは件の《川蝉亭》の直前で手配魔獣アンバータートルを発見し、周囲に他人の気配がないかどうか確認してからポケットの中のオーブメントを駆動させた。理由は簡単である。アンバータートルは物理攻撃を一切受け付けない。その上、弱点となるのが火属性のアーツだったからである。何なら、燃えた木でも投げつけておけば退治できないこともないのだが、流石に危険だったのでやめておいた。アンバータートルは余程火属性のアーツに弱いのか、一瞬にして燃え尽きていった。

 ふと、アルシェムはヴァレリア湖の方を仰ぎ見た。血のように赤い夕焼け。それが、アルシェムの感傷を掻き立てた。アルシェムはかつて文字通り血の洪水の中で佇んでいたことがある。それが日常と化し、何も感じないこともあった。それでも、アルシェムをアルシェム足らしめてくれていた存在がいる。その存在の名前を、アルシェムは思い出すことが出来なかった。大切な名前だったはずなのに。顔だって、どんなことが好きで、どんな仕草をしていたかだって思い出せるのに。それなのに、名前だけが思い出せないのだ。

 短く溜息を吐いたアルシェムは、ふと思い出した大切な人の言葉を思い出して《川蝉亭》へと向かった。そこで自発的に夕食を取る。思えば、いつだってアルシェムを形作っていたのは彼女だった。色々と世話を焼いてくれて、アルシェムを『人間』足らしめてくれたのは彼女だった。その彼女のことを思い出しながら、アルシェムは食事を終えて一服していた。

 そこで、アルシェムの耳にとある噂が飛び込んでくる。

「今夜は出るかな? あの幽霊」

「お客さん……怖くないんですか? 恋人と無理心中した女学生の幽霊なんて」

「いやあ、結構好みなんだよねあの子。ジェニス王立学園の制服を着てるとこなんてたまんないぜ」

 アルシェムは全力で顔をひきつらせた。この場所でジェニス王立学園の制服を着ていそうな人物なんて1人しかいないからである。つまり、この場所にはジョゼットが訪れたことがあるということである。しかも、幽霊と判断されるとすれば夜。そして、無理心中ということは湖の方へ向かったか湖から出て来たかのどちらかである。しかし、何故ここに出て来る必要があるのかは分からない。最悪、湖の中の孤島に飛空艇が止められている可能性もないわけではないのである。ただし、湖の中の孤島に乗員乗客がいるとすればリンデ号の位置がおかしい。残る可能性はここで軍内の内通者と取引をしているくらいか。

「ごちそうさまでした」

「またどうぞ」

 それ以上の情報は得られそうになかったのでアルシェムは《川蝉亭》を出た。途中、アンバータートルがわき出て来たと思しき《四輪の塔》が一、《琥珀の塔》へと赴いてみた。すると、そこには飛空艇を止めた跡らしき地面のへこみが見て取れた。つまりは、飛空艇に驚いて逃げだしてきたのだろう。それ以外にも理由はありそうであるが、今のアルシェムには知りようのないことである。

 アルシェムは遊撃士協会へと戻り、そしてアンセル新道の手配魔獣の討伐を報告した。無論それ以外のことについてもである。

「……ふむ、流石は《氷刹》といったところかの」

「えーと……エステル達は?」

 妙に感心した顔でルグランが言うので、アルシェムは話を変えた。あまり口外してほしくはないのである。ツァイスでの黒歴史など。魔獣を毎日狩りまくった思い出など今は思い出さなくても良いのだ。

ルグランはその意を知ってか知らずかこう告げた。

「今夜はハーケン門にお泊りじゃ」

「お、お泊り……ですか」

 アルシェムは顔をひきつらせながらそう答えた。内心では全力で胸をなでおろしている。つまり、エステル達は間違って射殺されたりしなかったということだ。その可能性が消えただけでも安心できた。

 ルグランの勧めによって、そのままアルシェムは遊撃士協会に泊まらせて貰った。

 

 ❖

 

 次の日。アルシェムは再び悪夢にたたき起こされた。寝起きは最悪である。今回は、薄暗いレンガ造りの遺跡のような場所で大男が乱射する導力砲にエステルとシェラザードが撃たれ、同じように撃たれて満身創痍になった金髪の男の眼前でヨシュアが殺戮を開始するという何ともおぞましいものだった。アルシェムの知る限り、ボースの中にそんな場所はない。《琥珀の塔》内の雰囲気とも違ったからである。因みに、金髪の男とは、ハーケン門で会ったあの男である。名はオリビエ・レンハイム。アーツと導力銃を得意とする放浪の音楽家――ということになっている御仁である。

 アルシェム自身は気付いていないが、アルシェムは『夢』を信じはじめていた。それが本当に起こってしまうかもしれないことであると真剣に考えてしまうほどに、アルシェムに多大な影響を与えてしまっていた。アルシェムが顔を洗って朝食と取ると悪夢の後遺症は既に消えていたために、ルグランも誰も気づくことはなかったが。

「おはよーございます、ルグランさん」

「おはよう、アルシェム。実はのう……」

 開口一番にルグラン曰く、エステル達を迎えに行くのはメイベル市長に任せるとのことなので、アルシェムは掲示板に仕事を片づけることにした。本日の依頼は霧降り峡谷の手配魔獣である。

「じゃー、行ってきますね」

「うむ」

 アルシェムはルグランに見送られて遊撃士協会から出た。ボース市街から東ボース街道へと向かい、途中の分岐を折れて霧降り峡谷へと侵入する。

 霧降り峡谷は、年がら年中霧が出ているためにその名がつけられた峡谷である。実に安直な名であるが、名は体を表すということだろう。アルシェムが訪れた時も変わらず真っ白に霧が降りていた。

 手配魔獣を見つけ出すべく、アルシェムは霧降り峡谷を文字通り跳び回り始めた。いちいちつり橋を渡るよりは早いからである。魔獣を狩りつつ跳んで、跳んで――だからこそ、アルシェムは道を間違えてしまったのである。

「……はい?」

 アルシェムが迷い込んだその先には、とある存在が待ち受けていた。




とある存在はまだ明かしませんよー。
3rdまでお待ちを。

では、また。


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思わぬ潜入

今話は旧25話冒頭~26話までのリメイクとなります。

アジト潜入回です。

では、どうぞ。


 アルシェムは呆然としながらその場所を後にした。どうでも良い情報と、途轍もなく壮大な話を聞かされたアルシェムは至極動揺していた。何故。どうして。それが、アルシェムの心中を渦巻く言葉。アルシェムの問いに応えられるものは、いない。

 呆然としながらでも、手は止めない。周囲の魔獣を殲滅し、手配魔獣を探していく。そして――見つけた。手配魔獣マスタークリオン。霧降り峡谷の上の方にのみ生息するはずの魔獣である。美しい見た目とは裏腹に恐ろしい攻撃方法を持つ魔獣でもある。この魔獣はバッカルコーンという器官を使って攻撃を繰り出すのだ。因みに燃えない。むしろ極度に冷えたマスタークリオンの繰り出す攻撃によって酷い凍傷を起こすことがある。

 そんな魔獣を、アルシェムは導力銃の狙撃だけで倒しきった。その手配魔獣が倒されて変わったことと言えば、周囲の温度が若干上がったことと――

「わあっ!? な、何だよコイツ!?」

「バカ、避けろジョゼット!」

 さほど遠くない場所からそんな声が聞こえてきたことくらいか。アルシェムは嘆息しつつ声が聞こえてくる方へと急いだ。声の位置を特定したアルシェムは更に嘆息した。というのも、その場所ががけの上だったからである。十中八九この上にいるのだろう。飛空艇があるかどうかは不明であるが、アジトである可能性を捨てきれない。アルシェムは導力銃に『直上にアジトの可能性アリ。小形飛空艇で乗り込めるかの確認と手配魔獣が直上にも出たようなので退治しに行く』と書いた紙をくくりつけて真上からは見えない場所に置き、崖を登り始めた。

 登ると言っても両手両足を使って登るわけではない。少しばかり下がってから勢いよく駆け上がりつつ跳び上がって上を目指したのである。気配を消して行くことも考えたが、どうせ手配魔獣の退治で姿を現すことになるのでやめた。姿を現さずとも、もっと言えば手を動かさずとも魔獣を殺害することは可能であるが、今はその手段を取るわけにもいかない。

 そして、その場所に辿り着いたアルシェムは呻いた。そこにいた魔獣は、やはりマスタークリオン。しかも8体もの群れがジョゼット達を襲っていたのである。アルシェムは即座に背に隠していた剣を抜いた。一応二振りの剣が隠されているのだが、二振り目をアルシェムが抜くことはまずない。一振りで十分であるという見方も出来るが、何よりもアルシェム自身が二刀を使うことを拒むのだ。ではなぜ彼女が二振りの剣を持っているのかと問われると、それは償いのために他ならない。決して忘れてはならない記憶を自らに刻み込むために、アルシェムは常に二振りの剣を持ち歩いているのである。

 まずは、ジョゼット達付近にいる魔獣から。アルシェムは一気に跳躍してジョゼット達とマスタークリオンの間に降り立った。

「な……!?」

「遊撃士!?」

「話は後、今はこいつを倒すことを考えて!」

 呆然とするジョゼット達に迫りくるマスタークリオン。あまりにも数が多いのでアルシェムはまずマスタークリオンと距離を取ることにした。剣を握り、とあるクラフトを発動させる。

「……雪月華」

 遠心力を利用して振り回された剣からは、冷気が放射された。この技の本来の持ち主ならば焔の気を発生させてマスタークリオンを焼き払っただろう。しかし、アルシェムは彼ではない。そのために同じ技でも変質してしまうのだ。元の技の名は、鬼炎斬といった。そのクラフトに斬られた二個体と吹き飛ばされた六個体とに分かれるマスタークリオン。前者は良い、ほぼ死に体なのだから。しかし後者はまだ生きているのだ。

「ああ、もうっ!」

 ほぼ死に体の二個体に、アルシェムのものではない導力銃の弾丸が突き刺さった。発射したのはジョゼットである。扱い慣れないというわけではなく、むしろ昔から馴染み深いものであるかのようにジョゼットは導力銃を握る。

「一体ずつ仕留めてくから援護よろしく!」

「……分かった。今はどうこうしてる場合じゃなさそうだ」

 キールも追随して小型爆弾を投げた。爆発し、少しばかり後ずさるマスタークリオン。それを後目に、アルシェムは一番近いところにいるマスタークリオンに目をつけた。一気に間を詰め、先ほどとは違うクラフトを発動させる。

「不破・燕返し」

 ひゅかっ、と鋭い音を立ててアルシェムの持つ剣が踊る。目にもとまらぬ必中の剣技。三連続の剣閃で何者をも逃さぬ檻と為すそのクラフトは、マスタークリオンを倒すにいたった。計算で言えば、あと5回繰り返せばマスタークリオンを殲滅できることになる。

「後ろ、気をつけな!」

「分かってる、よ!」

 発砲音と甲高い剣閃が響いた。一刀両断されたマスタークリオンはそれで沈んだ。あと、4。アルシェムは直感に従って右を仰ぎ見た。そこではアーツを発動させ終えたマスタークリオンの姿が。そのアーツが狙うのは――

「え、ちょっ……!?」

 ジョゼット、だった。アルシェムはジョゼットに向けて突っ込み、蹴り飛ばしてアーツの効果圏内からジョゼットを外す。無論、その代わりにアルシェムはその場にとどまる羽目になり――そして、アーツを喰らう。

「あ、アルシェム!」

 ジョゼットの悲鳴のような絶叫。しかし、アルシェムは何事もなかったかのようにアーツを発動させようとしている別の個体に突進していた。再びクラフトを発動させ、狩り殺す。残りは3。

「な、何で無事なの!?」

「知らない! でも今はそれどころじゃねーでしょーが!」

 怒鳴りながらアルシェムは再び跳んだ。今度はキールの背後にである。そこにバッカルコーンをむき出しにしたマスタークリオンがいたからだ。落下の衝撃も加えつつ唐竹割にして、残りはあと2体。

「済まん、助かったぜ!」

「気ぃ抜かないの! まだ終わってないから!」

 そう言いつつ、振り返りざまに一閃。ダメージを受けたマスタークリオンは後退しながら逃げ回る。それを追うアルシェム。

 と、そこに新たな人物が現れた。巨大な大男である。その大男はアルシェムとマスタークリオンが一直線に並んだ瞬間、導力砲をぶちかました。アルシェムはそれを避けることが出来なかった。何故なら――

「え、ちょ」

「ど、ドルン兄!?」

「何やってんだよ兄貴!」

 アルシェムの背後には、ジョゼットがいたのだから。避ければ当たる。だからこそ避けず、マスタークリオンを破砕した導力エネルギーはそのままアルシェムを吹き飛ばした。

 ジョゼットは無傷だったが、アルシェムが自分の方に飛んでくるのをただ見ているしかなかった。動けなかったのだ。まさか自分の兄が自分に向けて導力砲を撃ってくるとは思っても見なかったので。その場で動けたのはキールだけだった。

「ッバカ、避けろジョゼット!」

 手に握っていた小型爆弾をアルシェムに向けて投げつけ、爆発させる。その衝撃で再びアルシェムは飛ばされた。軌道が逸れたためにジョゼットには当たらず、床をのた打ち回る羽目になったのだ。

「ぬおおおおおおぅ……い、痛いから!」

 因みに一般人ならば死んでいる。前方からの衝撃で内臓が潰れて、後方からの爆発で背骨が折れているはずなのだ。アルシェムが一般人だったならば。しかし、アルシェムは一般人ではない。ただの遊撃士でもない。アルシェム・ブライトは逸般人なのである。衝撃は全て受け流して転がった。そのため、結構派手にのた打ち回っていたのだ。

「ば、バケモンかよ……」

「……じゃなくて、キール兄! あんなことしたら死んじゃうってば、殺す気だったの!?」

「あー……多分、死なないからー……うー、全身ガタピシ……」

 キールが引き攣った顔でアルシェムを見る。確かにキール自身にはやり過ぎたという自覚があった。たとえ妹を守るためとはいえ、一応は命の恩人を吹っ飛ばしたことに変わりはない。ただ、普通なら死んでいるはずのアルシェムがよろよろと起き上がるのを見て有り得ないと内心で繰り返しているのは言うまでもない。

「あと1匹だー……」

「いや、無茶すんなって! 吹き飛ばした俺が言うことじゃないけ」

 キールが言葉を終える前に最後のマスタークリオンは死んでいた。殺したのは勿論大男――《カプア一家》の首領にしてキールとジョゼットの兄、ドルン・カプアである。

「うぇーい……」

 立ち上がりかけたアルシェムはそのままパタッと倒れた。力尽きた――のではない。力尽きたふりをしているのだ。このまま無事にこの場所を出られるとは微塵も思っていない。だからこそ、無力化されたという認識をさせて内部に留まろうと思ったのだ。

「キール、そいつは何だ? 何でここにいる」

「多分遊撃士だとは思うが……何でここにいるんだろうな?」

 キールにも、無論ジョゼットにも分かるはずがない。アルシェムがここにいる理由など。アルシェムが後で話すと言ったきりなのだ。

 その後、ドルンはジョゼットに指示して気絶したように見えるアルシェムを捕縛させた。どこまで遊撃士に情報がいっているのかを知るためである。ドルンとしては殺しても良いと思っていたのだが、何かが邪魔をして殺せという指示が出せなくなったのである。その理由が何なのか、ドルンが知ることはない。

 アルシェムはそのまま連行され、とある一室に監禁された。最深部により近い一室である。そこに至るまでに、アルシェムは人質の居場所やこの場所の構造を把握していった。気配を探るのはお手の物である。やはりカシウスの気配とリオの気配がここにないことを確かめて、アルシェムは監禁された。

「それで……何でここに?」

「手配魔獣狩りに来てたら悲鳴が聞こえたから」

「やけにあっさり答えるな……」

 キールは頭を押さえながら溜息を吐いた。恐らくアルシェムは嘘を吐いていない。事実、アルシェムは嘘などついてはいないのだ。もしかしたら空賊のアジトがあるかも知れないとは思っていたが、今見つけるつもりは毛頭なかったのだから。

「近いんだけど」

「あ、ああ……悪い。ぶっちゃけた話、遊撃士共はどこまで掴んでる?」

「それは流石に言えないと思うけど」

「だよなぁ……」

 キールは再び溜息を吐いた。あっさり答えられても驚くが、恐らくこれ以上の情報を吐くことはないと分かってしまったからだ。そもそも、キールはこの作戦に気のりしてはいなかった。飛行船ジャックなど、そもそも手に負えるような事態ではない。それなのに、ドルンはいとも簡単に実行してしまった。まるで人が変わってしまったかのように。

「そういや、まだ名前を聞いてなかった気がするんだが」

「アルシェム・ブライト」

「ブライト……って、待て、待て待て。ブライトってあのブライトか!?」

 キールは瞠目してアルシェムに詰問した。もしもキールの知るブライトならば、とてもまずいことになる。相手はゼムリア大陸有数の遊撃士になってしまうかもしれないのだから。

「あれ、じゃーカシウスさん乗ってなかったの?」

 アルシェムにしてみれば当然のことであったが、知りようのない事実を知っていることを悟られないためにこう問うた。キールの知るブライトは恐らくカシウス・ブライトであるからだ。

「な、何ぃ!?」

「ど、どうしたのさキール兄?」

 キールは大げさに驚いてみせた。本人にしてみれば完全に寝耳に水で、そんな厄介な人物が乗り込んでいるかも知れないとはつゆほども思っていなかったからである。流石カシウス。ネームバリューはかなり高い。

「ま、マジで言ってんのかソレ。あのカシウス・ブライトが乗ってるって……?」

「乗客名簿に名前があったんだけど……いなかった? 栗毛に飄々とした一見不良中年」

 それを聞いたキールは黙り込んだ。そんな男がいた覚えはない。つまり、カシウス・ブライトは乗っていなかったということなのだろう。そこでジョゼットがキールに声を掛けた。

「キール兄、時間が……」

「あ、ああ。そうだったな」

 動揺しながらもキールは立ち上がった。そして、アルシェムを見下ろしながらこう告げる。

「頼むから大人しくしててくれよ。……兄貴が何をしでかすか分からんからな」

 そうして、キールとジョゼットはその部屋から去っていった。アルシェムはふっと溜息を吐いて部屋を見回す。どうみても、夢の場所だった。つまりここにエステル達が乗り込んでくる可能性があるのである。その点については、アルシェムは失策を犯したといえよう。エステル達を危険から遠ざけるのであれば、導力銃に紙をくくりつけて置いてくることはなかったのだ。手掛かりさえなければ間違いなく見つからない場所なのだから。

 アルシェムは部屋の中で大人しくしていた。恐らくこのまま人質として使われるか、殺されるかのどちらかである。前者ならばまだ良いが、後者であれば最悪だ。まだアルシェムは死ぬ気はない。そんなことを考えているうちに、アルシェムは眠ってしまった。肝が太いから、という理由でもなく、単純に眠り薬をばらまかれたからだ。

 数刻後、頭痛を耐えながら起きたアルシェムは眼前にむさい大男がいて絶叫する羽目になった。

 

「ひっきゃああああああっ!?」

 

 一応アルシェムも乙女である。目を覚まして眼前にむさい男がどアップでいれば叫びたくもなるだろう。しかし、アルシェムの場合はそれだけでは収まらなかった。全身は痙攣し、瞳孔は激しく揺れ、どこか焦点が合っていない。完全に、アルシェムは目の前の男に恐怖していた。

「失礼な奴だな。まあ良い、知っていることを話せ」

 むさい大男――ドルンの言葉もアルシェムの耳には入っていない。ただ、顔を寄せるドルンに怯えるだけである。

「や、やだ……こ、来ないで……」

 縛られながらもアルシェムは後ずさる。目には涙が浮かんでおり、必死である。これ以上近づかないでほしい、とその目は哀願していた。しかし、ドルンは凶悪な笑みを浮かべながら間を詰める。

「近づかねえと話も出来ねえだろうが」

 ドルンは嗜虐的な笑みを浮かべながらゆっくりとアルシェムとの距離を詰める。縛られていて身動きの取れないアルシェムをいたぶるかのように。

「嫌……嫌、ぁ……来ないで、来ないで……」

 必死に間を取ろうとするアルシェム。しかし、後ずさるのにも限界がある。ここは野外ではなく屋内なのだから、壁があるのだ。アルシェムは壁際に追い詰められてしまった。

 ドルンはそんなアルシェムの上に身を乗り出した。顔の横に勢いよく右手を突き、左手は床について。アルシェムからは見えない位置ではあるが、右足はアルシェムの足の間に差し入れられているのが分かった。そして、ドルンは顔をアルシェムの顔に近づける。

「それで、どこまで知ってる?」

 そこで、ぷつん、とアルシェムの理性がキレた。反動をつけずに頭突きを繰り出し、ドルンが僅かに後ずさった隙にドルンの下から抜け出す。しかし、足は笑っていてそれ以上動けそうにもなかった。マスタークリオン退治の際のダメージも抜けきってはいない。

「……テメェ」

 鼻を押さえながらドルンはゆらりと立ち上がった。そして――

「ふざけんじゃねえぞゴルァ!」

「ひっ……」

 後ずさるアルシェム。その際に外れてしまったチョーカーだけは絶対に離しはしなかったものの、アルシェムの顔にいつもの余裕はない。ドルンは嗜虐的な笑みを浮かべ、そのまま思う存分アルシェムをいたぶった。殴り、蹴り、導力砲を使って撃ち。その異常事態に気付いたキールとジョゼットが止めに来るまで、ドルンは妙な興奮状態にあった。




マスタークリオンのバッカルコーンが気になる方はクリオネでググって下さい。
もしくは、集中できない天気予報。
はたまた、燃えろ!バッカルコーン。

では、また。


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空賊の棲まう砦へ

今話は旧27話~29話半ばまでのリメイクとなります。

別名、巻き込まれるアネラス回。

では、どうぞ。


「えっ、新人ちゃん、まだ戻ってきてないんですか?」

 ルグランからの言葉を聞いたアネラス・エルフィードは思わず聞き返していた。ほぼ面識のない人間ではあったが、ルグランからその行方不明と思しき新人――アルシェム・ブライトの武勇伝について嫌というほど聞かされたことがあるからである。以前に準遊撃士としてツァイスに赴いた際にもツァイス支部受付キリカ・ロウランや町の人間からも嫌というほど聞かされていた《氷刹》――氷の如く冷たく、刹那のうちに魔獣を仕留めることからそうつけられたらしい――遊撃士協会の元協力員。アルシェムが霧降り峡谷の手配魔獣を狩りに行ったのは早朝で、今は昼過ぎ。彼女のペースならばもう既に戻ってきていてもおかしくないはずである。

「うむ。出来れば見に行って貰えんか? シェラザード達は今少し立て込んでおるからの」

「分かりました」

 アネラスは表情を引き締めて遊撃士協会を出、霧降り峡谷へと向かった。途中の魔獣はその手に持つ刀で一刀両断し、先を急ぐ。この周辺の魔獣はアネラスにとっても敵ではなく、少しばかり進行速度を遅らせるだけの障害物と成り下がっていた。

「う~ん、もうちょっと精進しなくちゃね」

 アネラスはそんな自分のペースを見て不満げに頬を膨らませる。アネラスの先輩、《方術使い》ならばこんな時は魔獣をすれ違いざまに切り捨てたりして急ぐのだろう。アネラスはまだその境地には至っていなかった。

 霧降り峡谷に入ると、アネラスは足跡を調べた。アルシェムと思しき人間が何度か出入りした足跡がある。その足跡はまっすぐ奥に――続いているわけもなく、何故か飛び飛びについていた。しかも、橋には一切足跡をつけずに。

「……え、ええ~……ちょ、ちょっと新人ちゃん……」

 それが何を意味するのか、アネラスは半信半疑ながらも理解した。アルシェムはこの橋を渡るという行為を無視して落下すれば無事で済まない峡谷を跳びまわったのである。踏切も素晴らしく、着地も完璧。無駄に文句のつけようのない所業だった。バカバカしい所業でもあったが。

 後で説教をしないと、とアネラスは思いながら先を急いだ。これでもアネラスは八葉一刀流――ユン・カーファイという名のアネラスの祖父が師範代であり、カシウス・ブライトやクロスベルのA級遊撃士アリオス・マクレインと同じ流派である――の端くれ、気配を読むことには他人よりも長けている。アルシェムの気配を覚えているわけではないが、それでも人間の気配がほぼないということはアルシェムに危険が及んでいる可能性もあるのだ。

 そして、アネラスは霧降り峡谷の最奥まで辿り着いた。途中で迷い出たらしいマスタークリオンに頬ずりをしようとして襲い掛かられたのはご愛嬌である。勿論キッチリと退治してある。そこに落ちていたのは黒塗りの二丁の導力銃だった。それも、何かがくくりつけてある。アネラスはその紙片を導力銃からほどいて中を見た。

「……う、う~ん……え、この上……? 本気で?」

 紙片を読み終えたアネラスは空賊のアジトがあるという頭上を仰ぎ見て唖然とした。アルシェムはここを登っていったのだろうが、流石に無茶である。とっかかりはあるものの、普通登ろうとは思わない崖。それを登っていったのだろう。確かにここで足跡は途切れているし、何かが落下した跡もない。そして、今のアネラスにはがけを登る用意がない。そもそもそんな事態になっていようとは思っても見なかったからである。

 アネラスは導力銃を持つと、その周囲を調べ始めた。他に道がないかを確認するためである。登るための道を探しながら手を着いていたアネラスは、偶然触れた刀の鞘と崖が触れ合う音に違和感を感じた。鈍くない、というよりも小気味いい音が鳴ったのである。

「も、もしかして……」

 一応向こう側に気配がないことを確認したアネラスは、近くに落ちていた石を音源に向けて投げつけた。石は過たずその場所に当たり、そして甲高い音が響いた。つまり、この先は空洞なのだろう。このあたりには確か古代の砦があるらしいという噂もあったので、抜け道となり得るかも知れない。もっとも、『かもしれない』であるために間違いである可能性もあり、ここを使えると思いこんでは危険だろうが。

 そこまでわかれば十分である。恐らくアルシェムは空賊に捕まったのだろう。そして、アジトの位置はこの頭上。それ以外の詳しい情報がアネラスにはないため、このまま乗り込むのは危険だと判断した。くるりと踵を返したアネラスは一目散にボースへと戻った。そのまま遊撃士協会まで駆けこむと、丁度エステル達も遊撃士協会に戻ってきていた。

 アネラスはあずかり知らぬことではあったが、エステル達は南街区での強盗事件の調査を終えて来たのである。アルシェムが行方不明かも知れないというルグランの言葉を聞きつつもアネラスが捜索に出たことを理由にそのまま調査に出かけていたのだ。そして、エステル達も遊撃士協会に戻ってきたという次第である。

「アネラス、どうだった?」

 シェラザードが息せき切ってアネラスに尋ねた。アネラスは真剣な顔でシェラザードに告げる。

「新人ちゃん……っと、アルシェムちゃんですけど、手配魔獣はきちんと退治してました。でも……どうも、空賊のアジトに乗り込んじゃったみたいで」

「待ってアネラス、意味わからない」

 シェラザードは頭を押さえた。何故に手配魔獣を退治しに行って空賊のアジトに乗り込むことになるのか。エステルは不安そうな顔で、ヨシュアは厳しい顔でアネラスの言葉を聞いていた。何故か同行している金髪の男――オリビエ・レンハイムも珍しく眉をひそめている。

「手配魔獣が出てたところの頭上にアジトがあって、手配魔獣がそっちにも出たから退治しに行ったみたいです……崖、どうやって上ったのかわかりませんけど」

 シェラザードはアネラスから差し出されたメモを受け取って流し見た。そこに書かれているのはアジトの可能性と手配魔獣の出現。恐らく、悲鳴なり何なりが聞こえたのだろう。それを救出しに行ったという点では実に遊撃士向きなのだが。空賊と鉢合わせして無力化できなかったということは、かなり手ごわい相手だったのだろう。

「まあ、条件的には一致するんだけど……」

「小形飛空艇しか停泊できなさそうな場所、ですね」

「アルってば……また無茶して……あとでお説教してあげないと」

 三者三様の返事をしたが、オリビエだけが黙ったままだった。オリビエの知る人物がアルシェムと同一人物だとするならば、空賊如き一蹴出来るはずなのである。つまり、この場合は恐らく空賊と対峙して負けたのではなく、空賊を救ったのではないだろうか。悪辣な猟兵団がらみの輩ではなさそうであるが、人質を手配魔獣に殺させる可能性だってあるのだから。それで手配魔獣を倒しきって、集中攻撃等で落とされたのならば幸いだろうが、殺されていた時がマズイ。そもそもオリビエが会いに来た人物はリベールにはいないようなので本来ならば付き合う義理もないのだが、一応相手は元帝国貴族であるために自分が行くことで尻拭いをしたという実績を作らなければならないのである。実にかったるい仕事であるが、未来の有望株を見れただけ良しとしよう、とオリビエは思っていた。

「それと、これは最後まで確認してないっていうか確認しちゃったら多分不味かったんですけど……下から侵入できるかもしれません」

「どういうこと?」

 アネラスはシェラザードに導力銃を拾ったあたりの壁を叩くと空洞があるような音がしたことを報告した。それが空賊のアジトに繋がっているかどうかは分からないことも併せて。シェラザードは黙考した。十中八九空賊のアジトは霧降り峡谷だろう。しかし、そこから侵入するのは至難の業である。

 と、そこでヨシュアが口を挟んだ。

「シェラさん、さっき聞き込みした時に《川蝉亭》方面でジョゼット達らしき男女が目撃されてましたよね?」

「ええ、そうね」

「もしそれがジョゼット達だとして、徒歩ではボース市内を通らないと《川蝉亭》まで行けないと思うんです」

 ヨシュアの言葉に、シェラザードは聞き込みを再開する必要がありそうだと思った。今度はジョゼット達の目撃情報を探す必要があるだろう。と、次はエステルが口を挟んだ。

「ねぇ、歩きじゃなかったらあの飛空艇を使うんじゃないかなあ、シェラ姉」

「エステル、何を考えてるの?」

 シェラザードはエステルの考えが何となくわかったが否定したかった。それは少しばかり危険な賭けになるからである。

「登れないんだったら連れてってもらえば良いかなーって」

 確かに分かる。確かに、その通りではある。しかし、危険すぎるのではないだろうか。万が一空賊に見つかってしまえば切り抜けられない可能性だってあるのだから。それをやるにはいささか戦力不足な感を否めない。相手はアルシェムを捕えた空賊なのだ。

「方法は考えてるんでしょうね?」

「え、いや、そこまでは……でも、アネラスさんが言うみたいに登れない場所にあるんだったら連れてってもらうしかないんじゃない?」

「そ、そうだけど……」

 シェラザードは迷った。それ以外に方法がないわけではないが、それをしてしまうと逃げられる可能性があるのである。軍の中に内通者がいるかもしれないことは捕えられていた時にモルガンから告げられたことであり、そういう意味では頼ることが出来ないのだ。

 しばらく考えた後、シェラザードは条件付きでエステルの言を受け入れた。周囲でジョゼット達の目撃証言が出なければエステルの提案に乗ることにしたのである。シェラザードはそのままエステル達に指示して目撃証言がないかを探った。アネラスも手が空いていたのでそれを手伝い、ジョゼットの目撃証言がないことを確かめた。

 その後、シェラザード達は打ち合わせをした。シェラザード、エステル、ヨシュアが《川蝉亭》付近にあるであろう飛空艇に忍び込み、アネラスが別の出入り口かも知れない場所で待機し、もしもそうだった場合の保険として押さえておくことになった。

 シェラザード達はそのまま《川蝉亭》へと向かった。途中で飛空艇を止められそうな場所を探しつつ向かったのが功を奏したのか、《琥珀の塔》の前に停泊する飛空艇を発見することが出来た。そこでシェラザード達は二手に分かれた。ヴァレリア湖の方へと向かったジョゼット達の会話の内容を把握するためである。ヴァレリア湖方面にはヨシュアが、エステル達は隙をついて先に飛空艇へと潜入していた。――おまけで、何故かオリビエも一緒に。

 ここまできてしまった以上は追い返すことも出来ず、シェラザードはオリビエをつれて行く決断を下した。オリビエも共に貨物庫の中で大人しくしていると、ヨシュアが来ないうちに飛空艇が動き始めてしまった。エステルは慌ててしまうが、声を出してはいけないことを理解しているので何とかこらえる。

 因みにヨシュアはというと――

「まあ、こうなる気はしたけどね……」

 飛空艇の足に捕まって遊覧飛行していた。行先はやはり霧降り峡谷のようで、霧で視界が効かなくなりつつ、湿気で手元が滑りそうになりつつもヨシュアは鋼の精神で耐えた。中にいるエステルを守るためである。まさにエステル命。エステルがいないと生きていけないヤンデレ男の正念場である。途中で見つからないように立ち位置を変えながらもヨシュアはきちんと付いて来ていた。

 そして、飛空艇は止まった。霧降り峡谷にある古代の砦で。ジョゼット達はヨシュアにもエステル達にも気づくことなく飛空艇から去っていった。

「ふあ~あ、さっさと休みたいぜ。この間からこっちずっと動きづめだし……」

「だよなあ。ドルンの兄貴、本当にどうしちまったんだろうな……」

 見張りの注意が飛空艇から逸れた瞬間。ヨシュアはその場から飛び出して双剣を抜き、柄で首筋を強打した。崩れ落ちる見張り。それをヨシュアは近くにあった縄で手早く縛り上げた。

 そして、飛空艇の中に侵入するとエステル達を見つけ出した。

「よ、ヨシュア!?」

「あ、あんた……」

「ちょっと頑張ってみました。見張りは昏倒させましたから早く行きましょう」

 ヨシュアの言葉に何か言いたそうに口を開いたシェラザードは口をつぐみ、頷いた。シェラザードが先頭に立って空賊の住む砦を進む。あたりには魔獣もたくさんおり、エステル達は出来得る限り音をたてないように魔獣を狩って進んでいった。一つ一つの部屋はヨシュアが気配を探り、誰もいないことを確認してエステルが踏み込んで中の調査を行う。その間にシェラザードとオリビエは周囲の警戒を行う、という形で一行は進む。

 そのパターンが通用しなくなったのは、とある部屋の前についてからだった。その部屋からは話し声が聞こえたのだ。中には空賊がいるらしい。エステル達はその場に一気に突入して空賊を無力化し、捕縛した。

「さーて、色々吐いて貰おうかしら」

 シェラザードは自らの得物を手で扱き、おもむろに空賊の顔の横にたたきつけた。飛び上がる空賊。

「ひ、ひいっ……」

 とてもイイ笑顔でシェラザードは攻撃を当てないように空賊を責め立てる。それに怯えて人質の場所を吐く空賊。しかし、彼らは首領たちの居場所を吐くことはなかった。余程忠誠心が高いのだろう。シェラザードはそのまま空賊たちを捕縛して部屋を後にした。

 その先も魔獣がまた湧いていた。この場所で暮らしていると考えると空賊もずぼらというかある意味合理的というか突っ込みどころ満載の奴等である。毎日腕試しの出来る家と考えれば合理的かも知れない。男所帯ってこんなものかしら、とエステルが洩らしてヨシュアとオリビエに全力で否定されていた。

 一つ下の階に降りたエステル達は再び部屋を発見していた。ここまでにも部屋はあったのだが、物騒な物音がしている部屋は他にはなかったのだ。そう、その部屋は――

「アル!」

 既にアルシェム・ブライトに制圧されていた。所々服は破れていて、その隙間からは打撲痕が見て取れる。それでもきちんと両足で立ち、空賊を一人残らず縛り上げていた。

「……あ、エステル」

「あ、エステルじゃないわよ! 心配したんだからね!?」

「ごめんごめん、流石に空賊でも魔獣に喰い殺されるのを見逃すわけにはいかなかったしさ」

 頬を軽く掻きながらそう言うアルシェムは完全にいつもと同じ様子に見えた。そんなアルシェムに突っかかるエステル。

「それにしても、もっとこう……誰か呼ぶとかなかったわけ!?」

「そんな時間的余裕はなかったんだよねー……あのまま放置してたらヒャッハー人質魔獣に突っ込んじゃうぜ祭りとかやりかねなかったし」

 いつでも悲観論で備えているアルシェムにとって、魔獣に人質を食い殺させるだの人質同士で殺し合いをさせるなどという方法を空賊が取らない保証がなかったので乗り込んだのである。もしも人質を取っておく必要がなくなった場合に問題になるのが人質の扱いなのだから。人道的な人間ならば解放するだろうが、アルシェムが接した限りのドルンは恐らく人質を殺してしまうだろうと分かっていた。それが本性であるかどうかは別にして。

「空賊の首領たちは最下層にいるけど、人質の脱出が先かも」

「無理よ。まだ別のところに潜んでるかもしれない空賊に挟み撃ちにされる可能性があるわ」

 シェラザードはそう言って人質の解放を後伸ばしにした。ついでに乗客の顔を見てカシウスがいないことを確認しつつ、解放はもう少し後になることを告げる。そこで、アルシェムはシェラザードに提案した。

「シェラさんの想定が当たってたら人質を無防備に残しておくわけにはいかないですよね?」

「人手が足りなくなるわよ。アンタを捕える実力のある空賊を相手にするにはフルメンバーで当たるしかないわ」

 アルシェムは眉をひそめた。まさかそこまで考えもなく乗り込んでくるとは思っても見なかったのだ。人質の安全確保に動くのは当然であるし、人手が足りないとはいえ誰かいたはずだ。そこで、アルシェムは思い出した。

「そういえば、昼あたりに霧降り峡谷に誰か来ました?」

「アネラスがアンタを探しに来てたわよ、それがどうかしたの?」

 シェラザードは首を傾げながらそう問い返した。確かに昼ごろにアネラスがアルシェムを捜索しに来ていたが、何故そんなことを問うのかわからなかったからだ。

「アネラス先輩、今はどこにいらっしゃいます?」

「え、昼に何か空洞っぽいのがある場所があったから一応その前で張ってもらってるけど……」

「そーですか。シェラさん、アネラス先輩をこっちに呼びましょう。脱出は出来ないにせよ守りは必要です」

「どうやって呼ぶ気なの?」

 シェラザードは眉をひそめてアルシェムに問うた。アルシェムは昼に外から何かを叩く音がしたために外に通じていそうな場所に見当をつけ、武器を取り返してからこの部屋まで静かに駆けて来たのだ。アネラスを呼ぶまでの間はエステルとヨシュア(とついでにオリビエ)にこの部屋の防衛を任せてアネラスを中に引き込むことを提案した。シェラザードは渋い顔をしながらもその提案を呑み、すぐに行動を始めた。

 階下に降りたアルシェムとシェラザードは息を殺して横穴と思しき場所に入った。そこが音の聞こえてきた方向だったからである。アルシェムが壁を押すと、その壁はゆっくりと横に動いて開いた。眼前には唖然とした顔のアネラスが。

「え、あれ、新人ちゃん?」

「えーと、アネラス先輩。人質の安全確保にご協力願えませんか?」

「わ、分かった」

 アネラスは何も聞かずにその場から動いた。あまり抗弁していると空賊に見つかるかも知れないと思ったからだ。アネラスを加えたシェラザード一行は人質のいる部屋まで戻り、エステル達と交代した。

 アネラスと交代してエステル達を加えたシェラザード一行は再び階下へと降りた。逃走防止のためにオリビエを先ほどの動く壁の前に配置したシェラザード一行は、一気にカプア三兄妹のいる部屋になだれ込んだ。すると、そこには言い争いをしていたカプア三兄妹が。

「なっ……」

「ゆ、遊撃士ども!?」

「てかアンタ大丈夫なの!?」

 三人三様の反応である。動揺するカプア三兄妹の隙を突くように、エステル達は攻撃を開始した。




そして始まらない戦闘。

では、また。


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《リンデ号》ハイジャック事件解決

今話は旧29話半ば~29話終了までのリメイクとなります。

メリクリ代わりに特別話でもなんでもない普通の話をぶっこむスタイル←

では、どうぞ。


 空賊のアジトに乗り込み、首領たちのいる部屋に侵入したエステル達。言い争いをしていた彼らの隙を縫って動き始めたのは、ヨシュアだった。

「あ……」

 しかも、ヨシュアは一目散にジョゼットに突っ込んでおり。

「あわわわわ……!」

「じょ、ジョゼット! ボーっとすんな!」

 キールがジョゼットに危害を加えさせないようにすべく爆弾を投げるも、導火線をヨシュアが切り裂いて不発にさせられてしまう。ヨシュアはそのままジョゼットの懐に突っ込んで双剣の柄でジョゼットを無力化していた。

「チ……!」

 それを見てヨシュアに斬りかかろうとするキール。しかし、そんなキールの死角からエステルが滑り込んで剣を弾き飛ばす。キールはそのままヨシュアに無力化された。後は、ドルンだけ。

 しかし、そのドルンが問題だった。ジョゼットとキールが無力化されたと見るや彼女らに攻撃を仕掛けたのである。

「え、ど、ドルン兄!?」

「おい、何すんだ兄貴!?」

「……使えねえ奴らだな」

 ドルンの瞳には、微かに赤い光が浮かんでいた。なおもドルンは彼女らに攻撃を仕掛けようとするため、犯人を死なせないためにエステルとアルシェムに指示を出すシェラザード。

「エステル、キールの方を護りなさい! アルはジョゼットの方、良いわね!?」

「分かった!」

「りょーかい、シェラさん」

 その指示に従ってエステルとアルシェムはそれぞれキールとジョゼットの前に立つ。実はまだ導力銃を返して貰っていないアルシェムはエステルと同じく棒術具を手に持っていた。導力銃ならばこの場から援護できたのに、と歯噛みしながら攻撃の方法を観察する。

 そんなアルシェムを愕然と見ながらジョゼットが声を漏らした。

「あ、アンタ……」

「黙って守られててよ? 流石に痛いものは痛いから」

 アルシェムはジョゼットに一瞥もくれることなくそう返した。

 アルシェムとエステル以外の人員――ヨシュアとシェラザード本人はドルンに向かって攻撃を再開した。ヨシュア以外に前衛がいないためにヨシュアが真っ当にドルンに接近して導力砲の軌道を変え、シェラザードは中距離から導力砲を奪うべく鞭で攻撃を繰り出しつつアーツを使って必死にヨシュアの回復を行う。

 それを見つつジョゼットはアルシェムにしがみ付いて懇願した。

「こ、こんなこと言うのは筋違いだって分かってる。でも……あんなの、いっつも優しくて不器用なドルン兄じゃない。だから……」

「アレ、やっぱり正気じゃないわけかー……ものっそい陰謀の臭いがしてきたなーこれ……」

 アルシェムは溜息を吐きつつエステルの背後にジョゼットを押し込んだ。ジョゼットは身をよじらせて抵抗する。

「あ、ちょっと何すんのさ!」

 ジョゼットはアルシェムに護られるのは良くてもエステルに護られるのはなぜか癪に障るようだった。アルシェムはそれを意に介さずにエステルに告げる。

「エステル、この場は任せたよ」

「分かったわ。絶対守り切ってみせるから、無茶はしないでね?」

 そう言ってエステルは気合いを入れなおして棒術具を握った。それを見たアルシェムはエステルにひらりと手を振り、次の瞬間猛然とドルンに特攻した。それに気付いたヨシュアが導力砲の軌道をアルシェムの方向から逸らす。

「取り敢えず、恨み晴らさでおくべきかー!」

 そして、アルシェムは棒術具でドルンの顎を跳ね上げた。いきなり顔を跳ね上げられて頭を揺らされたドルンはたたらを踏む。その時点でようやくアルシェムに気付いたシェラザードは怒鳴った。

「幽霊じゃないのよ! てか、何で出て来たの馬鹿アル!」

「ヨシュアの適性は前衛じゃなくて遊撃だからです!」

「そうじゃなくて! 何無茶してんのって言ってんのよ!」

 シェラザードは敵の眼前でアルシェムに詰め寄った。取り敢えずしばいて良いだろうかコイツ、とアルシェムは思った。敵を完全に無力化したわけでもないのにアルシェムにかまけて注意をしていない。

「あのままジリ貧で全員お陀仏よりましでしょう。それより油断しないで下さいって、シェラさん」

 アルシェムの視線の先では、ドルンが起き上がろうとしていた。油断せず棒術具を構えていると――

「……あん? こりゃあ、どういう状況だ……?」

 きょとんとした様子のドルンが起き上がった。正確に言うのならば、洗脳が解けたというべきなのだろう。正気に戻ったドルンは油断なく武器を構えるヨシュア達を見ながら首を傾げていた。

「おおい、ジョゼット、キール、どこだ? 一体何が起きてる?」

 その様子にシェラザードが困惑する。先ほどまでの敵愾心は一体なんだったのだろうか。今は全く感じられない敵意に首を傾げているのはエステルもだったが。その隙をついてキールが懐から煙幕を取り出し、そして叫んだ。

「事情は後で説明する! 取り敢えず、この場は逃げるぞ兄貴、ジョゼット!」

「え――」

 煙幕を投げつけたキールはジョゼットの手を取って走り始めた――つもりだった。ドルンもキールに連れられ損ねたジョゼットに追いついて手を握る。では、キールが手を握っている人物はといえば――

「神妙に捕まりなさいってば!」

 エステルだった。即座にキールの手を振りほどいて棒術具で薙ぎ倒す。しかし、その隣をすり抜けようとしていたドルンがキールを拾って駆け出した。ドルンは力持ちなのである。

「待ちなさーい!」

「お、追うわよヨシュア、アル!」

 シェラザードは返事も待たずに駆けて行った。ヨシュアもそれを追い、アルシェムも追おうとして――止められた。

「待ちたまえ」

 アルシェムの腕を素早くつかんだのはオリビエだった。やけに真剣な目で見て来るのでアルシェムはオリビエの手から自分の腕――既にじんましんだらけである――を引き抜いて軽く睨みつけた。

「何、アレ逃がすとややこしくなるんだけど」

「やれやれ、そんな傷だらけの身体で向かう気かい?」

 オリビエはアルシェムの視線にひるむことなく懐からオーブメントを取り出してアーツを発動させる。水属性回復アーツ、ティアラ。ティアの上位版のアーツは瞬く間にアルシェムの傷を癒した。次いで、オリビエはアルシェムに自らの着ていたコートを掛ける。服が少しばかりきわどいところまで破れていたためである。本来ならば茶化すところであったのだが、周囲に他人がいないためにそれは止めておいた。

 アルシェムはそれに袖を通すことなく、オリビエに冷たくこう告げた。

「走りにくいからいらない」

「いや、アルシェム君……だったかな。流石にその恰好は眼に毒だから着ていてくれたまえ」

 呆れたように言いながらオリビエは先に駆けだした。こうすれば返すにせよ追いつくまでは来ていてくれるだろうという推測の元にそうしているのである。しかし、オリビエの読みは外れた。

「わたしのが足早いから」

 ひょい、とコートをかけなおされて追い抜かされるオリビエ。それを呆然と見ながらオリビエはひとりごちた。

「前と変わらずお転婆だねえ……」

 コートを着直し、気を取り直してオリビエはアルシェムを追った。

 

 ❖

 

 ドルンは逃げながら状況を把握すべくキールとジョゼットに質問を繰り返していた。しかし、如何せん記憶がない。飛行船ジャックなどどこの小説の話だと思ったほどだ。しかし、全て真実。自らがやらかしてしまったことに変わりはないのだ。たとえ、覚えていなくとも。

 ドルンは考えた。首謀者は恐らく自分であり、皆は自分について来てくれただけである。少しばかり、というよりも恐らく死刑になりそうな気もするが、全ての罪を自分が負えばキールやジョゼットは助かるだろう。冷酷に彼らに命令していた演技をしさえすればいい。ここまで連れてきてしまった家族を死なせるわけにはいかない。もう、これ以上自分のへまに付き合って貰うのも申し訳ない。

「ど、ドルン兄! 自分で走れるから……!」

「そうだぜ兄貴、降ろしてくれって!」

 ドルンはジョゼットとキールを降ろし、先に走ってもらった。彼らに見えないように導力砲を持ちながらドルンは走る。恐らく他の仲間は先ほどの遊撃士っぽい集団に捕まっているだろう。徐々に近づいてくる終わりの時に、ドルンは覚悟を決めた。たとえ誰かが自分を操ってこんなことを起こさせたのだとしても、自分がやらかしたことに変わりはないのだから。

 恐らく軍の人間は信じないだろう。ドルンが操られていたことなど。ここはリベール王国である。エレボニア帝国人をリベールの人間がどう扱うかは、手に取るように分かっていた。音に聞こえるアリシアⅡ世女王陛下は人道的だろうが、軍の人間もそうだとは限らない。彼らが自分達の供述を信じることはないだろう。何せ、女王から身代金をせしめようとしていたのだ。女王を敬愛しているであろう軍部の人間がドルンの供述を信じるはずがない。

 ドルンはあまり良くない頭で考えた。知恵熱が出るのではないかというほどに考えた。これ以上の最善の手はないかと。そして、どうしてもドルンには考え付かなかったのである。ドルンが犠牲になって他の家族を救う道以外には。

 《山猫号》が取り押さえられていて既に軍の人間がいたことに気付いた時は、丁度良いと思った。これで余計な手間は省けるだろう。突破しようとキールが叫んだがもう遅い。

「……済まん、キール、ジョゼット」

 ドルンは小さく謝罪して導力砲を構えた。

「武器を捨てて手を上げろ!」

 そう、金髪の士官が叫んだ瞬間――ドルンはキールとジョゼットに向けて導力砲を撃っていた。

「なっ……」

「ドルン兄ッ!?」

 吹き飛ばされていくキールとジョゼット。これで良い。これで――ドルンは、悪役に徹することが出来る。ドルンは精一杯凶悪な顔を作って腹に力を入れ、叫んだ。

 

「道を開けやがれこのゴミクズ士官共があああっ!」

 

 そうして導力砲を乱射する。それを唖然とした顔で見つめる弟妹達に、心中で済まない、と謝り続けながら。キールたちを加害者であり、被害者にして恩赦を願うならばこの方法しかなかった。誰かを犠牲にしてその他すべてを救う方法。

 士官たちは導力銃を構えてドルンに向けてくる。しかし、ここで死ぬわけにはいかない。最後までドルンは悪役として、黒幕として生きていなければ意味がないからだ。そして――

 

「あんたは阿呆か!」

 

 ドルンは背後からの回し蹴りに意識を刈り取られた。

 

 ❖

 

 急にトチ狂ったように導力砲をぶっ放し始めたドルンに回し蹴りを喰らわせたアルシェムは、意識を失ったドルンを捕縛した。それに次いで、王国軍がキール、ジョゼット、そして奥へとなだれ込んで他の空賊たちを連行していく。

 アルシェムは嘆息しながらドルンを王国軍に引き合わせた。正確には、モルガンに。

「……全く、似合わないことして……」

「……これはどういう状況か、説明して貰おうか? カシウスの養女」

 厳しい顔でアルシェムに問うモルガン。アルシェムは視界の端で金髪タマネギ頭の士官とその付き人、ついでに何故か新聞記者のような二人組の男女が奥へと消えていくのを確認してからこう答えた。

「ここに手配魔獣が出まして。悲鳴が聞こえたんで乗客乗員の安全確保のために乗り込みました」

「後ろの遊撃士共も一緒に、か?」

 モルガンは複雑な顔をしてアルシェムに問うた。アルシェムはモルガンの瞳の中に映っている遊撃士を見ながら苦笑して応える。

「いえ、掲示板の依頼をこなしててたまたま見つけたんで単独で。エステル達は……どーやって来たんだろ? シェラさーん?」

 本当はどうやって来たのかを知っていたアルシェムだったが、一応先輩の顔を立てる意味でシェラザードに顔を向けた。すると、シェラザードはモルガンにこう言った。

「空賊の一味っぽい目撃情報があったからそれをたどってそこの飛空艇に忍び込んできたのよ」

「……せめて軍を待てんかったのか」

「あら、空賊にはそちらの情報が筒抜けだったみたいですけど?」

 バチバチとにらみ合うシェラザードとモルガン。先に目を逸らしたのは、意外にもモルガンだった。後ろめたいことがあったのは事実であるし、内通者の確認も出来たのだ。それが誰であるかは把握できなかったが。モルガンは鼻を鳴らしてこう告げた。

「……フン。ともあれ――事件解決への協力、感謝する」

「……これも遊撃士の務めよ。こんな危険な賭けになったのはもうしょうがないけど、せめて次からは連携できるようにしておいてほしいわね」

「善処しよう」

 シェラザードはモルガンの答えに完全に毒気を抜かれてしまった。ここまで殊勝になられてしまうと責めることも出来ない。シェラザードは呆けたままモルガンを見つめる羽目になった。

 そして――空賊たちが完全に確保され、軍の飛空艇に乗せられた。それをぼんやりと見ながらアルシェムは考えていた。どうやって帰ろう、と。自分だけならば崖を飛び降りれば済むのだが、オリビエがいる以上はそれも出来ない。

 と、そこに声を掛けて来た者がいた。金髪タマネギ頭の士官である。

「ご苦労だったね、君達」

「あ、リシャール大佐」

 士官――情報部司令、アラン・リシャール大佐はエステル達に事情聴取のためにハーケン門までこのまま同行してほしいと告げた。アルシェムが止める間もなくシェラザードは了承してしまい、この場にあってはいけない一番の危険物と共にハーケン門へと向かうことになってしまった。

 この場にあってはいけない一番の危険物とは――オリビエ・レンハイムのことである。本名オリヴァルト・ライゼ・アルノール。エレボニア帝国皇帝、ユーゲント・ライゼ・アルノールが実子にして庶子である。そんな彼を厳しく訊問されてはアルシェムとしてもオリヴァルト本人としても困るのだが、今この場で断れるような雰囲気でもない。

 そうして、アネラスを加えたシェラザード御一行様は、ハーケン門で事情聴取をされた後、遊撃士協会へと戻ったのだった。――何故かオリヴァルトはあっさり解放されたのだが、その真意を知る者はいない。




というわけで、本日から5、10、15、20、25、30日の更新となります。
やったね倍だよ!

では、また。


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カシウスの消息

今話は旧30話~32話までのリメイクとなります。

では、どうぞ。


「……本当にご苦労様でした。やはり、わたくしの目は間違ってなかったようですわね。皆さんだったら絶対に解決してくれると思いましたわ」

 これが、アルシェム達が遊撃士協会に戻った際に訊いた第一声だった。ボース市長、メイベルの言葉である。ただし、メイベルの知らないところで起きていた細々とした――たとえば空賊が良心的だったことや、妙な場所から情報が得られた――ことがなければ事件は無事に解決はしなかっただろう。もしもこの犯人が極悪非道のテロリストならば人質は確保された時点で殺害されていただろうし、アルシェムが情報を集めなければ《リンデ号》の発見は遅れただろう。しかし、実際には人道的だった空賊によって衣食住を完備されていた人質は健康だったし、情報はきちんと集まって事件は解決した。

 メイベルの言葉に、何か思うところがあったのか苦笑しながらエステルが応える。

「でも、軍に良いとこ持ってかれちゃったしなぁ。解決したとは言えないかも……」

「そんなことはありませんわ。仮に、皆さんがいなかった場合、軍の突入も上手く行ったかどうか。逆上した空賊に人質を傷つけられたかも知れませんから」

 実際に傷つけられていました、とは口が裂けても言えないアルシェムであった。一応ドルンの得物が導力砲だったお蔭で切り傷はなかったため、服に隠れて目立たない打撲が何か所かできただけで済んだ。押すと痛いだけで、動くのに支障はない。骨も折れていないと思われるので、概ね問題はないだろうとアルシェムは判断していた。

 メイベルに追従してルグランがエステル達を褒める。

「うむ、お前さん達が潜入してアジトを制圧していたおかげじゃ。……もっとも、約一名は潜入というか捕まっておったようじゃがの」

 ルグランはアルシェムを睨みつけた。確かに潜入でもなく捕縛されていたのは事実であるが、要救助者がいたことも確かである。アルシェムは小さくぼやいた。

「いや、普通悲鳴が聞こえたら行くでしょーに……」

 その声が聞こえていたのだろう。ルグランはアルシェムを叱咤した。

「やかましい。相手の力量と自分の力量差くらい考えい、馬鹿者」

「え、ルグランさんはマスタークリオン×4の後に足手纏い抱えながらさらに8体倒しといてその要救助者に不意打ち×2されて人質が無事かどうか確かめるのに力尽きたふりをしたのを力量不足で片づけるんですか?」

 アルシェムは引き攣った笑顔でルグランを見ながらそう告げた。その場に沈黙が落ちた。一同の顔は全力で引き攣っていた。確かに、それは力量不足とは言えない。一応アルシェムが考える最善を成したのだろう。しかし、そんな奇異な状況が起こり得るとも思っていなかったのも事実である。

「……アル、よくよく強い魔獣に縁があるんだね……」

「あ、あははは……」

 ヨシュアが零した言葉に、アルシェムは苦笑を返すことしか出来なかった。確かに強い魔獣に縁はある。ロレントでの甲殻類然り、今回のマスタークリオン然り。本来であれば難なく狩れる魔獣だが、突発的な事態に対応しきれていないあたりはまだまだ未熟なのだろう、とアルシェムは思った。

 と、そこで我に返ったシェラザードが厳しい顔で言葉を続ける。

「確かに空賊は逮捕出来たし、人質も解放出来たけど……幾つかの謎が残っちゃったのが悔やまれるわね」

「湖畔にいた男達と空賊の首領の奇妙な態度ですね……」

「……ヨシュア、あたし湖畔にいた男達の話、聞いてないわよ」

 シェラザードに言われて気付いたのだろう。ヨシュアは湖畔にいた男達の説明を始めた。

 エステル達が飛空艇に忍び込んでいた頃。ヨシュアはヴァレリア湖畔でジョゼットとキールの会話を聞いていた。その時に湖から黒装束の男達――声で男であると判断した――が現れ、何かしら取引をしていた様子だったのだという。どう見ても物凄い手練れが混じっていたことを含めてヨシュアは説明を終えた。――少しばかり覚えていた既視感の説明を省いて。

 シェラザードは眼を閉じて黙考しながらその報告を聞き終え、複雑な顔でこうこぼした。

「それが恐らく軍に繋がってくるんだろうけど……何かイロイロ情報が足りない感じがするわねえ」

「なーんか巨大な裏が待ってそーですけど……何にせよ、もう王国軍に任せるしかありませんからどーしよーもないですね」

 実際、アルシェムはそれ以上の情報を持っている。しかし、それを話すことは出来ない。どこでその情報を仕入れたのかと問われれば、アルシェムはこの場にいられなくなるのだから。

 そこで、話の流れを打ち切るようにメイベルが手を打って告げた。

「兎に角、人質が全員無事に戻って来ただけでも幸いですわ。空賊逮捕のニュースのおかげで街にも活気が戻りつつあります。感謝の気持ちに、少しばかり報酬に色を付けさせて頂きました。……アルシェムさんにもね?」

 最後はアルシェムに向けてウィンクまでするオマケつきである。その言葉にアルシェムは遠い目をしながらこう答えた。

「あー、わたしはなーんにも役に立ってませんよ」

「ご謙遜ですわ、《氷刹》殿。貴女がいなければ人質が魔獣の餌に……なんてこともあり得たようですし、ボース市長としてボース市民に及ぶかもしれない危険を排除して下さったことを感謝いたします」

 メイベルは柔らかに笑ってアルシェムにそう告げた。そして今度はオリビエの方へと向き直ると、彼にも感謝の意を述べた。すると、オリビエはこう返した。

「フッ……《グラン=シャリネ》分の働きが出来たのであれば良いのだがね」

 その言葉にアルシェムは硬直した。何をやらかしてエステル達と一緒に行動することになったのかは分かっていなかったが、恐らくその《グラン=シャリネ》が関わっていたのだろう。そして、このボースにおいて《グラン=シャリネ》といえばレストランに保管されていたものしか思い当たらない。つまり、オリビエはそれを恐らく呑んだのだろう。そのお代代わりに協力して貰った、らしい。アルシェムは全力で嘆息したくなった。何やってんだこの放蕩皇子、と言わなかっただけましかもしれない。

 メイベルはオリビエにも謝辞を述べ、遊撃士協会を後にした。それを見送ったエステルがしみじみと言葉を零す。

「うーん、何だか物凄く感謝されちゃったわね」

「あれ以上事件が長引いていたら流通は更に混乱しただろうからね。市長さんが喜ぶのも当然だよ」

 ヨシュアはエステルに優しい笑みを向けながらそう告げた。特に、メイベルは商人上がりの市長である。特に流通や経済に気を掛けていたため、早期解決はとてもありがたかったのだろう。これ以上混乱が続けば流通は滞り、各地でボース産の果物等が高騰する羽目になっただろう。

 エステルは照れながらはにかんで言った。

「えへへ、何だか嬉しいな。あたし達が頑張ったことで皆のお役に立てたんだったら遊撃士冥利に尽きるってもんよね♪」

「フフ、ナマ言っちゃって。でも確かにあんた達ももう新人とは言えないわね。正直、今回は色々驚かされたわ。……ほんと、色んな意味でね……」

 シェラザードはそう言って物凄く遠い目をした。あ、あそこに鳥がーだの、三途の川がーなどと言い出しそうなほど遠い目をしていた。無理もないだろう。ヨシュアならばいざ知らず、エステルも成長しているのである。一番の驚きは恐らくアルシェムの手配魔獣からのアジト潜入が挙げられるのだろうが。

「……まあ、さっきまではアルシェムにはやらんつもりだったが、気が変わったわい」

 ルグランは渋い顔をしながら紙にアルシェムの名を記入し、次いでエステル、ヨシュアの名も記入した。その紙は――

「これって……」

「あの、良いんですか?」

「エステル達はともかく、わたしはしばらく反省しておれぃ! って言われるのを覚悟してましたけど」

 先ほどまではアルシェム手渡されない予定だったそれは、ボース支部からの正遊撃士推薦状だった。これでルーアンに行ける。ルーアンに行けば、メルが待っているだろう。アルシェムが命じておいた情報をまとめて、淡々と通常の職務をこなしながら。

 ルグランは憮然とした顔でこう告げた。

「うむ、これだけの事件を解決したとあっては推薦せぬ訳にはいかんじゃろ。どうか受け取って貰いたい」

 それを聞いて、アルシェムも推薦状を受け取った。鞄の中に丁寧に直し、内心で溜息を吐く。アルシェムは思っていた。何故まだここにオリヴァルトがいるのだろうか、と。

 アルシェムの内心をよそに、シェラザードが零す。

「ふふ、良かったわね。カシウス先生が聞いたらさぞ喜ぶと思うんだけど……」

「……うん……」

「……そうですね……」

 エステルとヨシュアはその言葉を聞いて舞い上がっていた心が一気に沈んだ。シェラザードは空気を読むべきだとアルシェムは思った。落ち込むエステル達にアルシェムは声を掛ける。

「や、カシウスさんですし乗ってないんだったら何かしら言伝くらいあるんじゃないですか?」

「そうね……」

「ほら、リンデ号から降りたんだったらそのままリンデ号に言伝を乗せてて言伝ごとハイジャックって可能性もなきにしもだし」

 と、アルシェムが言った瞬間だった。タイミングよく飛行船公社の職員がやってきたのは。

「ごめんください、こちらにカシウス・ブライトという方のご家族はいらっしゃいますか?」

「……え、あ、はい。娘ですけど」

 それに動揺して応えたのはエステルだった。それは流石に動揺もするだろう。アルシェムがいっている端からそのような話が来たのだから。

「ああ、良かった。実はリンデ号の積み荷の中に入っていたロレント支部への荷物だったんですが、問い合わせたらこちらにご家族がいらっしゃると聞きましたのでまだいらっしゃるかなと思って急いできたんです」

 飛行船公社の職員はそう言ってエステルとヨシュアあての封筒と小包をエステルに手渡し、何故か別になっていたアルシェムあての封筒をアルシェムに渡した。

「あ、ありがとうございます」

「では、確かにお渡ししましたよ」

 そう言って飛行船公社の職員は戻ろうとして思い出したように振り返った。

「ああ、それと……空賊の逮捕、本当にご苦労様です。おかげで助かりました」

 照れくさそうにそう言った職員は、足早に帰っていった。余程恥ずかしかったらしい。余談ではあるが、彼は勝った者がエステル達あての荷物を持っていき、ついでにお礼を述べるという大じゃんけん大会の優勝者でもあった。

 それはさておき、ルグランは遊撃士協会の二階で手紙を読むように気を利かせてくれた。その際オリヴァルトが空気を読まずついてきたのは言うまでもない。手紙を先に開けることになったのはエステル達。エステルは早速手紙の封を切って読み上げ始めた。

 

『エステル、ヨシュアへ

 

 そろそろ代理の仕事を終わらせただろうか? 最初は躓くこともあるだろうが少しずつ確実にこなせば良い。お前達ならば必ず出来るはずだ。

 さて、こちらの仕事の方だが、少々困ったことが起こってな。女王生誕祭が終わる頃まで家に帰れないと考えてくれ。俺が戻るまでどう過ごすかは自分で決めると良い。16歳という実り多き季節を悔いなく過ごしてほしい。

 シェラザードとアイナに宜しく伝えておいてくれ。   カシウス・ブライト』

 

 エステルが読み終えたのち、最初に感想を零したのはシェラザードだった。カシウスらしい、とのことだ。その無難な内容に、アルシェムは自らの持つ手紙を握りしめそうになった。恐らく、あそこには書けない情報が書いてあるのだ、この手紙には。

「アルの方はどうなの?」

「開けてみるから待ってって」

 アルシェムは手紙の封を切り、中身を一瞥して――渋面を作った。それほどまでにカシウスからの手紙には苦々しい事実が書いてあったのである。

「ど、どうしたの?」

「何故にわたしに託すかなーカシウスさん……」

 アルシェムは少ない時間で書いてあることを誤魔化す方法を考えた。結果――

「シェラさん、カシウスさんがいない間に《スタインローゼ》が減ってたら鳳凰烈波だって」

「あ、あんですってー!?」

 シェラザードの名誉を傷つける羽目になったのであった。シェラザードがエステルの如く死語で反応を返すほどに、酷い内容であった。流石にシェラザードもカシウスがいない間にワインをこっそり飲もうなどとは思っていない。

「あ、ヨシュアはエステルを襲わないよーにってさ」

「襲わないからね!?」

 一応、エステル達への注意書きということにしておけば誤魔化せるはずである。実際に似たようなことが書いてあるのだから。相手は全く違うのだが。

「エステルはお腹出して……」

「寝ないわよ! 何言ってんのアルってば、もう……」

 その後、エステル達はオリヴァルトにそそのかされて小包を開けた。そこに入っていたのは漆黒のオーブメントだった。ツァイス留学の経験があるアルシェムからすれば有り得ないような代物である。

「……キャリバーなし、継ぎ目なし、ネジ等も無し、うっわー……何この怪しー物体」

 それに付随していたメモには、こう書かれている。『例の集団が運んでいた品を確保したので保管をお願いする。機会を見てR博士に解析を依頼して頂きたい。K』

 アルシェムはR博士の目星がついていた。Kという人物には全く以て心当たりがないが。R博士。それは、恐らく――Albart Russel博士のことだ。導力革命の父にして、アルシェムがツァイス留学の際に居候になった家でもある。

「アルバート博士……っと、こっちのほーが通りがいーかな。カシウスさんがこんな物体の解析を頼むとしたら、ラッセル博士しかいないでしょー」

「え、誰?」

 エステルの言葉にその場にいた人間は凍りついた。日曜学校でもさんざんやったはずの人物であり、このリベールで女王陛下に次いで有名人ではないかというほどに有名な人物である。その人物を、誰? の一言で切り捨てられるエステルはやはりおかしい。色々と。

「アルバート・ラッセル博士。導力革命の父で、わたしがツァイス留学してた時に居候になった家の主だよ」

「ふーん、そうなんだ。じゃあ、その博士に会いに行った方が良いのかな?」

 しかし、ヨシュアはそれを否定した。『機会を見て』という言葉を巧みに使ってルーアン経由でツァイスまでゆっくり行くことを提案したのである。アルシェムが疑っていることを知らないヨシュアは、信ぴょう性のありそうな言葉を並べ立ててエステルを説得してしまった。アルシェムとしても今のところはまだツァイスに行きたくないために甘んじて受けたが。ツァイスにはアルシェムの黒歴史が眠っているのである。

 その後、エステル達は正遊撃士を目指すべく各地を旅することを決めた。無論アルシェムも一緒に、である。話を終えたエステル達は、階下に降りた。すると、ルグランが困ったように通信機の前で平謝りしていた。

「す、済まんアイナ嬢ちゃん、すぐ返すから……だから酒だけは勘弁してくれぇぇぇぇぇい!」

 男、ルグラン。心からの絶叫である。そして、通信先――アイナ・ホールデンの泣き落としという名の脅しにより、シェラザードはロレントへと戻ることになった。ついでにオリヴァルトもロレントに向かうらしいのだが、その前にボースマーケットで買い物をしたいという。オリヴァルトは何故かアルシェムを連れてボースマーケットへと侵入した。

「……何のつもり?」

「いや、あの手紙には間違いなく別のことが書かれていたんだろうと思ってね。……聞かせてくれないか?」

 オリヴァルトは真剣な顔でそう言った。アルシェムは溜息を吐き、オリヴァルトに見せられる部分だけをちぎって封筒に入れ直し、手渡した。こんな不用心な場所で言うつもりはない。アルシェムにとっても、オリヴァルトにとっても問題しかない内容だからである。オリヴァルトはそれを受け取り、懐に入れて買い物を終えた。

 そして、エステル達はシェラザードとオリヴァルトを見送るべくボース国際空港へと向かった。飛行船に乗ったシェラザードが複雑な顔でエステル達に告げる。

「それじゃ、あたしはロレントに戻るけど……うーん、やっぱり心配ねぇ。本当について行かなくて良いの?」

 それは、一応はカワイイ妹分たちを心から案じる声だった。しかし、エステル達は笑ってそれを受け流す。

「も~、大丈夫だってば。シェラ姉がいたら修行になんないじゃない」

「ロレント支部のほーがヤバいんじゃねーですか? かなり人不足でしょーに。アイナさん、多分アレヤケ酒入ってましたよ?」

「大丈夫ですよ。何とかやっていけます」

 エステル達のその顔を見て、シェラザードは少しばかり不安もありつつも送り出すことに決めた。少しばかり実力が足りなくとも、経験することは大切である。シェラザードはエステル達を激励し、オリヴァルトはおちょくられながら飛行船は飛び立っていった。

 アルシェムは、手紙の内容を思い返す。その、少しばかり不吉な内容を。

『ストレイ卿へ 少しばかり厄介な状況だ、しばらくは帰れない――つまり、蛇が動き始めるだろう。十分に留意してほしい。

 あと、演奏家殿に伝えてほしい。ヴァンダール氏が君を探しているから近いうちに帝国大使館に出頭してほしい、と。 カシウス・ブライト』




次回、再び旧作にはなかった話を入れてこの章は終わります。

では、皆様よいお年を。


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閑話・カシウス及びリオの大冒険

寒中お見舞い申し上げます。その理由は察してください。

まさかの帝国遊撃士協会襲撃事件のあらまし。
トヴァル氏の口調なんて分かんねえですよ。

まあ、それはさておき……どうぞ。


「さて――行くぞ、リオ」

「はい、ブライト卿」

 定期飛行船《リンデ号》に乗ったカシウスとリオはまずルーアンへと向かった。リンデ号の中でカシウスとリオは色々なことを話した。出身、生い立ち、今までどうやって生きていたのか――そして、帝国の情報まで。カシウスの話をリオは興味深く聞いたし、カシウスもリオの話を興味深く聞いていた。

 ルーアンへと降り立つと、カシウスはまっすぐ遊撃士協会へと向かった。

「ああ、カシウスさん! お久し振りです、今日はどうしたんですか?」

「ああ、久し振りだな、ジャン。アガットはいるか?」

 ルーアンの遊撃士協会の受付ジャンは笑顔でうなずき、そろそろ依頼から返ってくる頃だと告げた。すると、タイミングよく――

「ジャン、終わったぜ……って、ゲッ、オッサン!?」

「久しぶりだな、アガット。お前に頼みたいことがあってな……ジャン、二階を借りても?」

「勿論です!」

 ジャンの満面の笑顔に見送られたアガットはカシウスに遊撃士協会の二階へとドナドナされていった。ジャンに事情を話したリオもそれについて行く。

「いきなり何だよ?」

「実は、国内に不審な黒装束の男どもがいてな……そいつの調査を頼みたい」

 その言葉に、アガットは息を呑んだ。その依頼は確かカシウスにしか受けられないと言われた依頼のはずだからである。その依頼を自分に任せるということは――何かが起きた、ということだ。

「一体何があった、オッサン」

「何、少しばかり厄介なことになっていてな……詳細は省くが、今その件にかかずらっていられる場合ではなくなった」

 カシウスは真剣な顔でそう告げた。アガットはその顔を見て尋常でない事態が起きたのだと気付いた。しかも、そちらをアガットに任せないということは、それこそ事態が緊迫しているということ。

 アガットは何故か付いて来ている得体の知れない女――シスター服を着ているものの、ただ人ではないことが分かっている――に疑念の眼を向けた。

「それは、隣の女と関係あるのか?」

「彼女は協力関係にあるだけだ。……受けてくれるか?」

「当たり前だろうが。いざとなったら頼れそうなやつにでも頼るさ」

「……済まんな、頼む」

 アガットはカシウスの殊勝な態度に、事態の緊迫さ加減を見て取った。手伝おうか、と一瞬思ったものの、恐らく手伝えるような事件ならば先に言っているだろうと思えた。

「ああ、どこに行くかは知らんが……気をつけて行って来いよ」

「勿論だ。……ああ、あと……うちの娘たちが準遊撃士になってな。そのうち会うだろうからよろしく頼む」

「そうか……分かった」

 そこでカシウスは立ち上がった。これ以上ここにいる意味はなく、アガットにも用事を伝え終えたからである。リオも続いて立ち上がり、ジャンと言葉を交わすとルーアンの空港へと向かった。そこで反対周りの定期飛行船《セシリア号》に乗って今度は王都グランセルへと向かった。

「……カシウスさん、少しばかり大聖堂に寄っても良いですか?」

「ああ、大使館に寄っている間に済ませてくれ」

「分かりました」

 カシウスはリオと別れてエレボニア大使館へと向かい、リオはそのままグランセル大聖堂へと向かった。

 エレボニア帝国大使館へと向かったカシウスはダヴィル大使にこれから帝国遊撃士協会襲撃事件についての応援に帝国に向かうことを告げた。

「そ、そうですか……貴男ほどの方が動いてくださるとは、光栄です」

すると、ダヴィル大使はそのことに複雑な顔をしながらも歓迎してくれ、また帝国へも連絡してくれた。どうやら、遊撃士協会にあまり良い印象がないようだ。もしくはカシウスという駒が動いたことによる動揺か。カシウスはそれを見極めるべくダヴィル大使の言動・行動を観察していた。

 一方、グランセル大聖堂へと向かったリオは、そこに配属されている同僚――アルシェムの従騎士、ヒーナ・クヴィッテと接触した。

「巡回シスターのリオです。……シスター・ヒーナ・クヴィッテはどちらに?」

「ああ、奥の告解室におります」

 告解室へとリオが赴くと、そこには黒髪の麗人が待ち受けていた。シスターにしておくのがもったいないほどの美人である。彼女はリオを見るなり手早く情報を流した。

「やはり、帝国では《蛇》が動き始めているようですね。《死線》に、《道化師》。ただ、《鋼》は動き始める様子はありません」

「ありがと、ヒーナ」

「それより……『彼』の様子は?」

 ヒーナは不安そうにその言葉を紡いだ。実際に顔には不安げな色が浮かんでおり、余程その『彼』に執着していることがうかがえる。リオはその『彼』の様子をヒーナに伝えた。

「元気だよ。ただ……」

「ただ、何ですか」

「やっぱり上司と一緒みたいでね。問題はそれに紛れて洗脳が見抜けないことくらいかな」

 その言葉にヒーナは顔をしかめ、次いで涙をこぼした。ヒーナがこれほどまでに案じる人物は、しかしヒーナのことを思い出すことが出来ないのである。小さな情報にまで一喜一憂するヒーナは、本当に『彼』のことを愛していた。

 リオは最近の情報から武装に至るまでをヒーナに全て伝え、ヒーナはそれを涙をこぼしながら聞いた。やがて報告を終え、リオはヒーナの前から辞した。

 その後、リオと合流したカシウスはカルバード共和国大使館を通じて一通の手紙を出した。あて先は、ジン・ヴァセック。カルバード共和国のA級遊撃士、《不動》のジンである。その手紙が早く届くことを願いつつ、カシウスは王都グランセルを後にした。

 王都グランセルを後にしたかカシウスは《リンデ号》に乗船し、ボースからロレントへ向かう最中に突然キャンセルして飛行船から飛び降りた。リオはボースで下船しており、カシウスが偽装工作をしている間に旅行に必要なものを少しずつ買い集めていた。そして、そのままハーケン門へと向かったのである。

 リオとカシウスは終始無言だった。ハーケン門につく前にリオに今後気配を消し続けるようにという指示を出した以外、彼らは口を開くことはなかった。カシウスはハーケン門の執務室にこっそり侵入すると、そこにいたモルガンは溜息を吐いた。

「何をやっておる、カシウス」

「お久し振りです、モルガン将軍。実は――」

 カシウスはモルガンに事情を話した。すると、モルガンは秘密にしておくことを含めて快く了承した。

「貴様が動かねばならんくらいだ、余程緊迫しておるのだろう」

「ええ、まあ。それよりもモルガン将軍、リベール国内で怪しい集団が動いているという報告は上がっていますか?」

 カシウスの言葉にモルガンは眉をひそめた。そんな報告はどこからも来ていない。そういう不審者の情報を持っているであろう情報部からもそんな情報は回ってきてはいない。

「いや……」

 モルガンが首を振るので、カシウスは厳しい顔のままこう続けた。

「そうですか……最近、手紙の返信がなかったので何かしら王国軍の中で起きているとは思っていましたが……」

「待て、手紙だと?」

 モルガンは立ち上がった。カシウスの手紙など、ここ最近受け取ってはいない。ましてやモルガンから送った手紙もこの分では届いていなさそうである。つまり、王国軍の中で検閲を行って手紙を排除した何者かがいる、ということである。

「成程、検閲して捨てられていましたか……」

「思ったよりも、こちらもまずい状況のようだな」

 カシウスとモルガンは厳しい顔をして向き合った。ここ最近情報を分断されていたということは、どこまで敵に知られているか分かったものでもない。今度からは某姫君が使うシロハヤブサでも使わせて貰いたいものだ、とカシウスは思った。

「こちらの状況は義娘も少しばかり知っているようですから、もし会うことがあれば彼女から聞いてください」

「義娘、というと――あの殿下を襲った不届き者のことか」

 モルガンは顔をしかめた。アリシア女王の孫娘を襲撃した小娘を思い出したからである。かの小娘は操られて姫を襲撃したらしく、襲撃後は記憶を全て消されていたらしい。その義娘が何故ここで出て来るのだろうか、とモルガンは思った。

「ええ。どうやら独自の情報網を持っているようです」

「それを見逃したのか、カシウス」

 かつて王族に弓引いた小娘の怪しい動きを止めなかったという意味では、モルガンの言葉は正しいだろう。しかし、カシウスはその情報ソースが別のところからものであると知っていた。

「いえ、あの子はどうも七耀教会とつながりを持たされていたようですな」

「……貴様の背後の小娘関係か……信頼できるのか?」

 モルガンはカシウスの背後のリオを見ながらそう言った。リオの背には冷や汗が流れている。どちらかというとリオは荒事専門であり、交渉事には基本的に向かないのである。

「今のところは、といったところです。もっとも――あれはあれで結構甘いところがあるのでそこに付け込めば取り込めるかと」

「あー、ブライト卿? 流石にアタシの前でその発言は頂けないんですけど」

 そこでリオが口を挟んだ。すると、カシウスの目が光った。アルシェムが七耀教会と接触したのはほんの数日間である。その短期間で従騎士と仲良くなる期間があったとは到底思えない。つまり、彼女は――

「リオ、お前交渉下手だろう」

「し、知ってますよ! 交渉事に向かう必要がないからアタシがブライト卿につけられたんですから」

 リオは気付かない。自らの失態を。これ以上口を開いてはどんどん墓穴を掘るだけとなっているのに、彼女が気付く様子はない。

「お前が、俺につけられた、ねえ」

「え、あ、今のナシ! お願いブライト卿アタシ後でお仕置きされちゃう!」

 カシウスは気付いた。アルシェムの正体の一つに。それは――星杯騎士の上位、《守護騎士》であるということ。リオに命令が来たように見せかけていたが、恐らくあの場で命じられたことなのだろう。アルシェムは恐らく《守護騎士》なのだ。いつから、とは分からないが。

「全く……一つ、聞かせてくれ」

「アタシがバラしたってあの子に言わないでくれるなら」

「良いだろう。アルシェムに――リベールを害するつもりは、あるか」

 その言葉にリオは瞠目した。それだけはありえないことだからである。確かに少々恨みがあることは否めないが、それだけ。むしろアルシェムの恨みはエレボニア帝国に向いていると言って良い。

「それだけはありえませんね。確かに多少リベールを恨んでることはあっても、リベールが過失をしてあの子が不幸になったわけじゃないですし。ここ、あの子の第二の故郷って言ってましたもん。それに……あの子が恨んでいるのは、多分結社ですから」

「……そうか」

 カシウスは、アルシェムは恐らく10年前の《百日戦役》で孤児にでもなったのだろうと結論付けた。確かに一部分はあっているが大部分は外れている。これ以上時間を潰すわけにもいかないので、カシウスは二言、三言モルガンと話すとエレボニア帝国方面へと忍び込むことにした。

 そして――数日後。

「やれやれ、奴さん達も派手なことをしてくれたな」

 カシウスはエレボニア帝国の帝都ヘイムダルにつくなりこうこぼした。それに追従するリオは、シスター服を着ていない。どこにでもいそうな町娘の格好をしたリオは、気配を完全に消してカシウスについて歩いていた。向かう先は帝都の遊撃士協会。数日前に襲撃された場所である。

 遊撃士協会につくと、カシウスは帝都支部の被害状況を確認した。完全に崩壊していた支部の周りには黄色いテープが張られており、帝国軍が一般市民が入らないようにガードしている。カシウスは遊撃士の紋章を見せて中へと入らせて貰った。

「……直下に爆弾を仕掛けてドカン、か」

「しかもこの爆薬……《蛇》の可能性が高いですね」

 一通り調査を終えたカシウスは帝都支部周辺で掲示板を立てて依頼をこなしていた遊撃士と合流し、他の支部の被害状況を聞いた。すると、他にも支部が爆破されたようである。カシウスはその遊撃士に爆破された支部に所属する遊撃士に伝言を頼んだ。

 そして、カシウスはひとまず帝都のホテルの部屋を借り、そこを臨時本部とした。

「……ずいぶん派手だが、たかが俺如きのためにここまでするかね、フツー」

 カシウスは溜息を吐いた。というのも――カシウスが動くたびに諜報員と思しき人間がカシウスに付きまとっていたからである。鬱陶しいことこの上ない。そんなカシウスにリオはこう返した。

「謙遜はよしてくださいよ……貴男はもっと自分の評価を知るべきですね」

「やれやれ……」

 カシウスはぼやきながらそこに先ほどとは違う遊撃士――トヴァル・ランドナーを呼び寄せた。この遊撃士は昔運び屋をしていたという奇怪な過去を持つ遊撃士で、自身で改造したオーブメントを駆使して闘う遊撃士である。小説『カーネリア』に登場するトビーとは、彼のことらしい。

「それで、俺はここで囮になれば良いんすね?」

「ああ、頼む」

「最初の指示くらいは出してってくださいよ? 方向性が分からないとどうにも、ね」

 苦笑するトヴァルに苦笑を返しながらカシウスは指示を出した。崩壊した支部の遊撃士は辺境に集まり、そして導力通信の放棄をするように、と。次いで、帝国軍にはいまだ健在な支部を守ってもらえるように要請した。

「今の帝国軍が支部を守るかって言われると、アレですけどねえ」

「やはり、そうか……トヴァル、もしお前が猟兵団だとして――お前なら、どこで補給する?」

 トヴァルはしばし考え、とある地点を複数指さした。

「ここと、ここと、ここっすね」

「そうか……」

 カシウスは黙考した。程よく離れているため、カシウス達だけで動くことは出来ない。そして間違いなくカシウスはマークされている。ならば、誰を動かすべきか。

 そこでトヴァルがカシウスにこう告げた。

「あー、近くにサラがいますけど」

「なら決まりだな。ここにはサラで、ここにはトヴァル、残りはリオだ」

「え、カシウスさん……このお嬢さん信頼出来るんですか」

 若干トヴァルは引きつつリオを見つめる。リオはトヴァルという名に訊き覚えがあったので自己紹介を兼ねて正体を明かすことにした。

「巡回シスターの、リオ・オフティシアです」

「ゲッ……あの女の回し者かよ……」

 リオの言葉を聞いたトヴァルの顔が面白いほどに歪んだ。トヴァルの知り合い、というか命の恩人からの手助けだと分かってしまったからだ。その恩人の名は、アイン・セルナート。《紅耀石(カーネリア)》とも呼ばれる、同名の小説『カーネリア』の主人公でもある。現在は《星杯騎士団》の総長を務める《守護騎士》第一位である。

「そういうことですよ、トビー」

「止めて黒歴史掘り返すの止めて」

 トヴァルは顔をひきつらせながらそう言った。案外いいパートナーになるかも知れない、とカシウスは思った。

 そうして――カシウスはエレボニア帝国の遊撃士たちと協力しつつ《ジェスター猟兵団》と渡り合って行くのだった。そこに《死線》と名乗る女や《道化師》がいたのは言うまでもない。この件で、リオは猟兵団の拠点を次々に打ち壊して行ったことから二つ名がついた。――《破城鎚》。それが、リオの二つ名である。

 裏社会で一躍有名になってしまったリオは、その後見るたびに全力で引かれるようになってしまったそうな。




とまあ、こんな経緯があったわけでして。

では、また。


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~白き花のマドリガル~
ボースからクローネ関所へ


旧33話~34話のリメイクです。

では、どうぞ。


 シェラザード達をボース空港で見送ったエステル達は、ボースマーケットで暫し買い物をしてからルーアン方向へと徒歩で向かうことにしていた。

「ね、アル。アルは何か買わないの?」

「消耗品はもー買い揃えてあるから別に」

「ふーん。ま、いっか」

 エステルはその後、一時間ほどボースマーケットで買い物を楽しんだ。ヨシュアは呆れたように見ていたが、アルシェムは女の子の買い物は長いという統計的に証明されている事実を盾に少しでも長く買い物をさせようとした結果である。エステル自身は気付いていないようだが、十分ストレスも溜まっていたはずだ。父親が人質になっているかも知れないという不安と闘いながら今日まで頑張ってきたのだから、少しくらいご褒美があっても良いだろうという気遣いである。

 ふと、エステルが露店の前で立ち止まった。可憐な女性が営む店である。何を売っているのかと覗き見てみると、カステラのようだった。それを見たエステルが目を輝かせる。

「ヨシュア、これ美味しそうじゃない?」

「そうだね。3つもらえますか?」

「はい、少々お待ちくださいね~」

 ヨシュアがそのカステラを買い、外のベンチで昼食代わりにして堪能する。濃黄色のふわふわの生地に、少しばかりほろ苦い焦げ目。売り子さんは『東方の甘い餡子というものを挟んでもおいしいですよ』と言っていたが、これ以上甘みを足さなくても十分満足する甘さであった。ついでとばかりにアルシェムはエステル用にミルクとヨシュア用にコーヒー、自分用に紅茶を買って一息ついた。

 これっで十分リフレッシュできただろう、と思ったアルシェムはエステルに声を掛ける。

「さて、じゃー、行く? エステル」

「あはは、うん。行こっか、ヨシュア、アル」

 エステルはそう言って勢いよく立ち上がり、一度遊撃士協会に寄ってから西ボース街道に向かった。途中の魔獣は、エステル達が粉砕した。エステル達も成長しているのである。――もっとも、ヨシュアはエステルに合わせたレベルに抑えているだけなのだが。クローネ山道の魔獣も難なく粉砕し、エステル達は夕方にクローネ関所へとたどり着いた。

「は~、やっと着いたわね」

「そーだね。……さて、泊めてくれるかな?」

 アルシェムは勢いよく伸びをするエステルに苦笑してそう返した。既に日は傾いて来ており、ここから下山するのは危険である。もっとも、エステルのことさえ考えなければ突破できるのだろうが、流石にそこまでして先を急ぐつもりもない。

「え、どうして?」

「エステル、流石に夜の峠越えはお勧めしないけど……」

「あ、そっか。この先にあるのは一番近くてもマノリア村……って、流石にそこまで強行突破は出来ないもんね。あは、あははは……」

 エステルは遠い目をして笑った。この先は峠を越えてさらに道を進まないと休める村が出て来ないのである。途中で野営をするという手も無きにしも非ずなのだが、流石に今の状況でそれをするのは危険すぎるだろう。

 協議の結果、関所で泊めて貰えないか聞いてみることにした。聞くのはじゃんけんで負けたヨシュアである。そして、ヨシュアは見張りをしていた兵士に上手く取り入って泊めてもらえるように誘導した。幸い、部屋が空いているので無料で泊めてくれるという。ヨシュアは早速副長と隊長に挨拶に行き、体調室の隣の休憩所を使って良いとの許可をもらった。

そのまま休憩所に通されたエステル達は荷物をほどき、休憩する。ヨシュアが暖炉をつけて一息ついていると、そこにクローネ関所所属の副長が入ってきた。

「お邪魔するぞ」

「あ、どーぞ。お世話になってます」

「遠慮すんなって、いつもこっちが世話になってるんだし」

 からからと笑う副長。どうやら、副長はお堅い軍人とは違うようだった。豪放に笑いながら彼はこう提案した。

「今夜は泊まりなんだろ? 夕食、俺達と同じメシで良けりゃご馳走するけど……どうする?」

「え、良いの?」

「勿論だ。それに……うわさに聞いたところによると、あんた達が空賊事件の解決に協力してくれた遊撃士たちだろ? そんなボースの恩人に食事も出さねえなんて軍の名前がすたるぜ」

 副長の申し出を断る理由はなかったので、ヨシュアはその提案を受けた。何から何まで済みません、という言葉を添えて。副長は味に期待はするなと言いながらもそこらのマズいレストランよりは数段美味しい料理をエステル達に振る舞ってくれた。

 振る舞ってくれた料理は、サモーナのルーアン風バルサミコソースがけと、パン。それに、野菜と肉たっぷりのミネストローネである。若いうちはこんぐらい喰いな! と言わんばかりに大量に振る舞われた料理を、忌憚なく美味しいと感動しまくったエステルによって副長の機嫌は上々だった。

 食事を終え、半ば強引に後片づけを手伝ったエステル達は休憩所に戻ってくつろいでいた。美味しいご飯を無料で食べさせてもらった上に無料で泊めてもらうのは気が引けたからである。このおかげでクローネ関所の遊撃士人気はうなぎのぼりだった。

 と、突然休憩所の扉が叩かれた。それにエステルが返事をすると、副長が顔を覗かせた。

「ちょっと失礼」

「あ、副長さん」

「本当にありがとうございます、ご馳走様でした」

 エステルとヨシュアの満面の笑みを見て副長はだらしなく笑った。どうやら骨抜きにされてしまったらしい。

「一応朝飯も残りもので良ければ食べてってくれよ? ……張り切って作り過ぎたから」

「え、良いの?」

「流石にそこまでしていただくわけには……」

「遠慮すんなって。困ってる時はお互い様、だろ?」

 そうして副長に上手く丸め込まれたエステル達は朝食もお相伴にあずかることになった。話がまとまったところで、ようやく副長が本題を話し始める。

「それでだな、もう1人客が来たんだが、相部屋でも構わないかい?」

 その言葉にアルシェムは眉をひそめた。今この時間にクローネ関所まで来るような一般人はいない。すっかり日も暮れたあとであるため、危険すぎるからだ。一般人でなく、軍人がここまで通すということは――

「遊撃士ですよね、多分。一体誰です?」

「え、何で遊撃士だと思うの? アル」

 エステルの疑問にアルシェムは少しだけ解説を加えた。こんな時間に一般人がここまで来られるわけがない、という事実を。エステルはそれに手を打って成程、といった。そしてエステルは相部屋を快諾し、中に通されてきた遊撃士を見て驚愕した。

「あ、アガット!?」

「フン……どこかで見たような顔だぜ」

 そこに現れたのは、ふてぶてしい態度の赤毛の遊撃士、アガットだった。知り合いなのを見て取った副長は後のことを仲間内で決めてくれと言って去っていく。それを確認したアガットはエステル達に向き直って言葉を零した。

「さてと……オッサンの子供達とヒヨッコだったか」

「あ、自己紹介まだでしたっけ。一応カシウスさんの養女のアルシェム・ブライトです」

「……あのオッサン、何考えてんだ……」

 アルシェムの自己紹介を聞いてアガットは頭を押さえた。アガットから見て、アルシェムはどう見ても準遊撃士にしては実力がありすぎる少女である。エステルやヨシュア程度ならともかく、アルシェムは異常という言葉に尽きた。そんな彼女を養子にしたということは、カシウスにも何か考えあってのことなのだろうが――と、そこでアガットは我に返った。そんなことはどうでも良い。何故彼女らがここにいるのかが分からない。何を考えているか分からない実力不足の準遊撃士共が無茶をしないように目的を聞いておく必要があった。

「それで、何だってこんな場所に泊まってやがる。シェラザードはどうした?」

「シェラさんはロレントに帰りました。今はこの3人で旅をしています」

「正遊撃士目指して王国各地を回ろうと思って。修行を兼ねて、自分の足だけでね」

 ヨシュアとエステルの答えを聞いてアガットは呆れ返った。先日、カシウスから任された依頼を少しばかり手伝ってもらおうかと一瞬でも考えた自分が馬鹿らしく思えたのだ。その程度の実力は当然カシウスに叩き込まれているはずだと思っていたのもある。しかし、先日見た限りではヨシュアとアルシェムに少しばかり腕に覚えがある程度で、エステルに関しては論外。カシウスは何をしていたんだとでも言いたげである。

 アガットはそういう理由で呆れ返って言った。

「正遊撃士? 歩いて王国一周だぁ? 随分と呑気なガキ共だな」

 自分にまかされた依頼も知らないで、という副音声がつくこの言葉であるが、カシウスは家族にその依頼関係の話を全くしていないのでその呆れは見当はずれでもあった。

「あ、あんですってー!?」

「多分カシウスさんもあなたにやらせたと思いますけど。自分の足で自分の護るべき場所を見て回れって」

「年齢が違うっつうの、年齢が。大体なあ、お前等みたいなガキが簡単に正遊撃士になれるわけねえだろ? 常識で考えろや、常識で」

 図星を突かれたアガットだったが、それでも確かにアガットとエステル達では遊撃士になった時期が違った。アガットはその前に下積み――と言っても、不良集団の中で暴力を振るっていただけである――があったのである。しかし、エステル達には恐らくそれがない。いかにカシウスが鍛えただろうとはいえ、実戦の経験がなければどうしようもない。

「うーん、アガットさん。簡単になれるわけないと思ったからこうしてじっくり経験を積もーとしてるんだけど……」

「ちんたらしすぎだっての、ったく……事件は突発的に起こるんだよ。《リンデ号》だってそうだ。あの事件――シェラザードの手も借りずにお前達だけで解決できたと思うか?」

 アガットの問いにエステルは黙り込んだ。確かに、あの事件はエステル達だけで解決したわけではない。しかし、誰かの手を借りて進んでいくことが悪いことなのだろうか。

 考え込むエステルに小さく溜息を吐いたアルシェムはアガットにこう反駁した。

「想定がおかしーですアガットさん」

「何だと?」

「仮にシェラさんがいなくて、不審者帝国人もいなかったとしましょーか。それでエステル達に出来なかったことと言われれば突入だけです。それも、人数不足ってゆーだけでね」

 アガットはその言葉に眉をひそめた。シェラザードという遊撃士がいなくても軍とさえ連携が取れていれば解決したかのようないいぶりである。

「《リンデ号》の場所の情報だって、空賊の目撃情報だって、たとえわたしがいなくともエステル達なら拾えます。それにあの時軍と迂闊に連携していれば逃げられていた可能性だって高いんですよ」

 アルシェムの言葉に、アガットは鼻を鳴らして答えた。

「どうだかな。力も経験もない新米のガキだぞ。テメェは多少覚えがあるようだが……浮かれて咄嗟の判断も出来ずに周りの足を引っ張るのがオチだ」

「う、浮かれてなんか無いもん! あんたの方こそ、こんな時間に峠越えなんか危ないって分かっててやってんの?」

 エステルはそう抗弁するが、流石にそれはマズイ。間違いなくアガットの方が経験も力もあるからである。この時間に峠越えをするリスクも考えて、なおかつやらなければならないような事態が起きているのだとアルシェムは推測した。

「エステル、流石にアガットさんのほーが経験はあるんだしそこまでね。多分この人、事情があってこんな時間にも拘らずここにいるんだろーから」

「お前に擁護される筋合いはない。それに俺の方は仕事だ。物見遊山の旅と一緒にするんじゃねえ」

「ふーん、仕事、ねぇ。遊撃士協会のでしょー?」

 ふてくされた様子のアガットは思わずそこで情報を漏らしてしまった。

「ああ、お前等のオヤジに強引に押し付けられた……」

 と、そこで思わず口が滑ったのを自覚したのかアガットは言葉を止めた。流石にこの件を手伝えるほどの力量が彼女らにあるとは思えなかったからである。すると先が気になるエステル達は騒いだ。勿論アガットは誤魔化して早く寝るように言ったが。

 そして、アガットがベッドを1つ占領してしまったのでどうやって寝るかを協議する羽目になったのは言うまでもない。ベッドは、2つしかないのだ。結局、エステルとヨシュアが一緒に寝ることになり、アルシェムは荷物から寝袋を引き出して寝ることになった。エステルとアルシェムが一緒に寝れば良いだけの話なのだろうが、生憎ヨシュアにはアルシェムの寝袋のサイズは小さすぎたのだった。

 

 ❖

 

 アルシェムは、深夜に目が覚めた。いつものように悪夢を見たからである。その悪夢は――ちょうどここ、クローネ関所が黒装束の男達によって占拠され、エステル達もアガット含めて無力化されて殺されている、というものである。流石に笑えない話だった。もしもあり得るならば、この瞬間にでも――と思ってアルシェムは寝袋を脱いで装備を整えた。

「……アル、起きているのかい?」

 そこに声を掛けたのはヨシュアである。うなされているときには声を掛けないが、こういう不審な動きを始めれば声を掛ける。それがヨシュアクオリティである。アルシェムはヨシュアにこう答えた。

「何か嫌な予感がして……予感、でとどまれば良いなーと思ってた時期があったよ全くもー!」

 答えている途中に、関所周辺の魔獣の気配が一変した。明確に敵意を持って迫りくる魔獣の気配に、アルシェムは総毛だった。その声でアガットも起き出す。

「何騒いでや……ッチ、そういう勘だけは鋭いわけか!」

 アガットはベッドから跳ね起きてボース側の入口へと駆けだした。アルシェムはそれを見てそちら側はアガットに任せても良いと判断し、エステルを起こして魔獣の気配がすることを伝えた。そして関所内で仮眠している兵士を起こすように重ねて伝え、アルシェム自身はルーアン側の入口へと急いだ。

「うっわ、こっちの手薄すぎ!」

「くっ……ゆ、遊撃士の嬢ちゃん、か?」

「ちょっとばかし掃除するんで入口の防衛だけ頼みますねー」

 アルシェムは負傷していた兵士を扉の方へと押しやり、棒術具を組み立てて魔獣の群れの中に突っ込んだ。頭を叩きつつ、寄ってこないように牽制する。そもそもこれだけの魔獣が関所に集まるのはおかしな話でもある。せめて誰か手伝いに来てくれれば――すぐ近くにある魔獣除けの街道灯の調子を見るのに、と思っていた。

「邪魔! ってーか、統制とれ過ぎてて逆に怪しーよこれ!」

 棒術具で魔獣を薙ぎ倒し、吹き飛ばしつつも――数が減らない。大ダメージを受けた魔獣はすぐさま消えるのだ。そして新手がやってくる。恐らくコレは操られているのだろう、とアルシェムは思った。

 と――そこに、アルシェムの待ち望む救援は来た。

「うおりゃあ!」

 豪快に飛び上がって魔獣に大打撃を与えたのは――アガットだった。それを見てアルシェムはアガットの背後に回り、死角からアガットに襲い掛かろうとする魔獣を弾き飛ばす。

「ッチ、こっちが本命か……!」

「アル! 街道灯を!」

 そこにエステル達も現れ、状況を見たヨシュアがアルシェムにそう指示を出す。アルシェムはヨシュアと入れ替わって即座に街道灯の調子を確かめた。

「お、おい! 無闇に触るな!」

「1年のツァイス留学経験持ってます、街道灯の点検くらい出来ますからそっちを!」

「……ッチ、どうなっても知らねえぞ!」

 アガットは吠えた。そして――エステルも兵士を中に引き込み終えて扉を死守すべく立ちはだかる。エステル達は、魔獣狩りを開始した。

 アルシェムはというと――

「……やっぱ正常なんだけどなー……ってことは、やっぱ操られてるわけか……」

 溜息を吐きつつ点検を終え、ボース側の街道灯も一応点検してからルーアン側に戻り、まだ残っていた魔獣退治を手伝うのだった。




というわけで、ろ……アガットおにーさんの登場でした。

では、また。


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クローネ関所から木蓮の村、マノリアへ

旧34話から37話までのリメイクです。

では、どうぞ。


 あの後、魔獣を狩り終えたエステル達は何故かアガットに遠回しに褒められつつ関所の中へと戻っていった。そして、明日――というよりも、最早今日であるが、次に動き始めるまで休んでおけというアガットの言葉に従って眠りについた。

 今度は悪夢を見なかったアルシェムは、早朝に目を覚ましたアガットに気をつけて行ってください、とだけ声を掛けて再び床に転がった。体は十分に休めているが、この先何が起こってもおかしくないからである。深夜の魔獣は明らかに統制が取れていた。しかも、あの技術はアルシェムの知る技術だったのである。

 やがて何事もなくエステル達が起き出したのでアルシェムも起き上がった。副長の宣言通り朝食をご相伴にあずかり、通行手続きをしてから彼らに別れを告げ、エステル達はクローネ関所を後にした。因みに、深夜の魔獣騒ぎの後には何も起こらなかったらしく隊長も副長も首を傾げていたのだが、その理由をアルシェムが告げることはなかった。

 クローネ山道を楽に踏破し、マノリア間道に出たエステルは歓声を上げた。というのも――

「見て見て、ヨシュア、アル! 海よ、海!」

 眼前には雄大なテティス海が広がっていたからである。魚介が豊かな海であり、海路での外国との玄関口でもあり、交通の要衝としても有名な場所だ。そして、この場所は――2年前、アルシェムがカシウスに保護された場所でもあった。

エステルは間道に張られた柵いっぱいまで乗り出してテンションも高く言った。

「青くてキラキラしてめちゃめちゃ広いわね~! それに潮騒の音と一面に漂う潮の香り……うーん、これぞ海って感じよねっ!」

 そんなエステルを見つつヨシュアは苦笑して訊いた。

「エステル、海を見るのは初めて?」

「ううん、昔、父さんと定期船に乗ったときちらっとみた記憶はあるんだけど……こんなに間近で見るのはひょっとしたら初めてかも」

 そう言ってエステルは海を堪能するように眺めた。この先には実は砂浜があるのでそこに行くと間違いなくテンションも高く波と戯れる気がしてならない。

ヨシュアは「うふふ、つかまえてみなさ~い」と言いながら走るエステルを夢想した。――凄く、イイ。しかしそれを顔に出すことなくヨシュアはアルシェムに問うた。

「僕も海は久し振りだけど……アルは?」

 その問いにアルシェムは苦笑しながら答えた。最近苦笑しかしていない気もするのでそろそろ表情筋が固まってきた気がすると思いつつ。

「ん……多分、あるよ」

「え、多分なの?」

「ルーアンに来たことあるはずだから間違いなく見たことあるはずだけど、覚えてないからねー」

 無論、真っ赤な嘘である。何が嘘かというと、覚えていないというのが嘘である。アルシェムは記憶喪失ということになっているが、実際にはほぼすべてを鮮明に覚えているのだから。覚えていないのは――名前だけ。

「あ、そっか……」

「気にしないの、わたしは気にしてないから。ほら、進むよー?」

 アルシェムはわざと先行することでそれ以上の詮索を防いだ。あまり突っ込まれるとぼろが出る、というわけではないが、確実に怪しまれてしまうからだ。エステル達も慌ててアルシェムの後を追ってきた。

 魔獣を狩りつつ進むエステル達は、時折景色を楽しみつつ進む。エステルのテンションは間違いなくハイで、ヨシュアも少しばかりつられているようだった。

「あ、ねえねえ、あそこにある高い建物ってもしかして灯台なのかな?」

「多分そーだね」

「登らせてくれたりするかなあ?」

 わくわくという擬音語が聞こえそうなまでにテンションの上がったエステルはアルシェムの返事を待つことなく灯台に向かった。分岐を左に行けばマノリア村についたのだが、どうしても灯台に上りたかったようである。何とかと煙は高いところに上りたがるというが、エステルもそれに当てはまってしまうらしい。決してエステルはバカではないのだが。

 エステルは灯台に辿り着くと、灯台の扉の前にいる老人に話しかけた。

「あの、ここって登れる?」

 にっこりと笑顔でエステルは問うたのだが、老人は顔をしかめてこう答えた。

「何じゃいお前さんらは。今は忙しいんじゃ、バカなことを言っていないで……」

「エステル、この灯台何かとっても魔獣の気配するんだけど……」

「さっさとマノリアにでも……む? お前さんらは……」

 老人はエステルの胸元をじろじろと見た。ヨシュアはそれを見て老人に対する警戒レベルを引き上げる。内心では何をしてくれているんだ僕のエステルに! くらいは思っているかも知れない。

 エステルの胸元にあった支える籠手の紋章を認めた老人は、いきなり顔を真っ赤にして怒り出した。

「何じゃ、遊撃士ならさっさとそう名乗れぃ!」

「済みません。灯台の中に魔獣が侵入したから退治してほしいということでいーですね?」

「分かっておるならさっさとせんか!」

 そもそもなぜ灯台の中に魔獣が入ってしまったのかや、どうして遊撃士と分かった瞬間に起こりだしたのかを聞いてみたい気もしたのだが、事態は緊迫していそうなのでアルシェムは灯台の扉に手を掛けた。

「では行ってきます。エステル、ヨシュア。そっちから魔獣が来ないかだけ見張っててね」

「モチのロンよ! 気を付けてね」

 エステルの言葉にアルシェムはひらりと手を振って応え、灯台へと突入した。そこには――懐かしの魚型の魔獣が。先日、ロレントの《翡翠の塔》でエステルを襲いかけたあの魔獣である。アルシェムは壁と床に傷をつけないように手加減しながら魔獣を狩っていった。

 一方――エステル達はというと。

「わわっ……」

「やっぱり来たね。下がっていてください!」

「分かっておるわい!」

 魔獣が灯台に迫ってきていた。エステルは老人を守るように前に立って魔獣をけん制し、手が空けばアーツで援護。ヨシュアはヨシュアでエステルに――あくまでも老人にではない――近づいてきた魔獣を縦横無尽に切り裂いて退治していった。

 かなりの数が大挙してきているので、恐らくどこかの街道灯か灯台の機能そのものが壊れてしまっているのだろうと思いつつヨシュアは魔獣を狩っていく。と、その時だった。

「塔内の魔獣は全部狩ったけどー! 灯台の魔獣除け機能切れてるから、直して良いですかおじーさまー?」

 灯台の上の出入り口から顔を覗かせたアルシェムがそう叫んだ。すると、老人は自分が直すと言って聞かない。しかし、いくらアルシェムとはいえ魔獣の狩り残しがいる可能性もあるので、エステルはヨシュアにこう提案した。

「ヨシュア、ちょっとだけお願い! あたし、おじいさんを上まで護衛してくるからその間だけ!」

「分かった! アルのことだから魔獣はいないと思うけど、十分気を付けて!」

 エステルはヨシュアの言葉を聞くと老人を連れて灯台をのぼりはじめ、ヨシュアはエステル達が中に入るなり扉に張り付いて魔獣を通さないようにした。エステルは魔獣に遭遇することなく老人を灯台の上まで誘導し、アルシェムに老人を任せると階下へと駆けだした。アルシェムはそのまま老人を手伝って魔獣除けを修理し、一応魔獣が来た時用に警戒もしていた。エステルはヨシュアと共に魔獣を掃討していた。

 やがて――魔獣の波は切れた。魔獣除けの効果が発揮され出したのである。それを見てエステル達は警戒を解き、灯台の扉をしっかりと閉めて階上へと向かった。

「こっちは何とかなったわよ、アル」

「こっちも何とかなったよ。魔獣除けがちょっと弱まってたみたいだからアリモノで修復しちゃったけど」

 エステルは顔をひきつらせた。アリモノで修復できるんだ、とエステルは思ったとか思わなかったとか。それよりも、今は依頼人(仮)に報告をする方が先だった。

「おじいさん。魔獣は退治しちゃったよ」

「ふん、遊撃士なら当然じゃい」

「え、えーと……あ、ほ、他に困ってることとか、ないかな?」

 エステルはあくまでも間を繋ぐためにこの言葉を発した。しかし、老人はその言葉に反応した。片眉を上げ、エステルをまじまじと見てからこう返す。

「まだまだじゃが、気配りは出来るようじゃの。……ふむ、どことなくあの壮年の遊撃士に似ているような気がするのう……」

 しかし、老人は頭を振った。老人の知る壮年の遊撃士はこの状態で酒のつまみでも置いて行ったりする気配り上手、というよりも気を配りすぎる男だった。その男の正体を何となく掴めたアルシェムは苦笑しながら老人に告げる。

「エステルはそりゃー似てると思いますよ。でも、その人に追いつくにはまず正遊撃士になるところから始めないといけませんからねー……」

「え……」

「ふん、まだまだヒヨッコじゃの。まあでも、このまま気配りを忘れずにおればおのずと越えられるじゃろ」

 そして、老人は折角登ってきたのだからと少しだけ灯台から外を見せてくれた。

「わあ……すっごいいい景色……」

「うん、綺麗だね」

 エステルは海を見て感嘆の声を上げているが、ヨシュアは実は違った。横目でエステルを観察してそう言っているのである。アルシェムは実に複雑な顔をしながら海を眺める羽目になったのだった。

 老人に別れを告げたエステル達は、マノリアへの道を急いだ。というのも――太陽の位置は既に真上に近い。昼食時が近いのである。加えて、先ほど目いっぱい運動したエステルはとてもお腹を空かせていた。

 そして、程なくして一行はマノリア村へとたどり着いた。

「は~っ、やっと人里ね」

「いや、やっとって言うけどエステルさんや、結構早いペースで進んでたよ? 灯台の件を抜きにしても」

「だってお腹空いてたんだもん。折角ここまで来たんだしさ、どこかに入って料理でも頼まない?」

 エステルの提案は快く受け入れられ、一行は近くにあった《白の木蓮亭》に入った。そこは一応宿屋なのだが、食事処も併設しているようである。クローネ峠を越えて来たことに驚かれつつエステル達は昼食を買った。エステルとアルシェムは魚介類のパエリア。そしてヨシュアはスモークサモーナのサンドイッチである。おまけでハーブティーもつけてくれ、更に食事にお勧めのスポットを教えて貰ったエステルはそこで食べることを提案した。

「良いね」

「あ、わたしはパス。ちょっと書き物しないといけないからこのままここで食べてるよ」

 そして、エステルとヨシュアは外に出て展望台方面へと向かった。アルシェムはそのままその場でゆっくりとパエリアを堪能するのだった。

「お嬢ちゃん、あの2人……」

「はい、そーですよ……あんな中で美味しく食べられますかってーの」

 アルシェムは店主の問いにそう答えてパエリアを食べ勧めた。流石に、エステルとヨシュアの邪魔をするわけにもいかなかったからである。一応アルシェムは空気の読める女なのであった。

 と、そこにジェニス王立学園の制服を着た女子生徒が入ってきた。紫がかった髪を肩よりも上で切りそろえた上品な女子生徒である。ジョゼットという前例はあるものの、彼女の方がはるかに高貴な女性に見える。

「あ、あの……クラム君、見ませんでしたか。あ、白い帽子をかぶった10歳くらいの男の子なんですけど……」

 その女子生徒の顔を見た瞬間――アルシェムは盛大に顔をしかめた。というのも、思いっきり見覚えがあったからである。正直に言って、話しかけたくなどない。話しかければ確実に厄介なことになる。しかし、今のアルシェムの身分は遊撃士である。話しかけないわけにもいかない。

 アルシェムは腹をくくってその女子生徒に話しかけた。本来ならばアルシェム如きの平民が簡単に話しかけられるような女性ではないのだが、話しかけないわけにもいかないので。

「あのー……何かお困りですか?」

「あ、えっと………………え?」

 女子生徒はアルシェムを見るなり硬直した。ある意味当然である。アルシェムは彼女を知っていたし、彼女もアルシェムを知っていた。ただ、出会い方が物凄く特殊だったのである。

「お久し振りです。今は遊撃士をやってます」

「あ……そう、なんですか……」

 女子生徒は少しばかり困ったように視線をさまよわせていたが、それ以上に大切なことを思い出したのだろう。彼女はアルシェムに向かって口早にこう言った。

「この間は自己紹介もしていませんでしたよね。クローゼ・リンツです。あの、それで男の子を見ませんでしたか?」

「や、見てません。外に遊撃士があと2人ほどいるので聞いてみましょーか」

 女子生徒――クローゼ・リンツはアルシェムに追従して《白の木蓮亭》を出た。アルシェムは出際にごちそうさまでしたとだけ告げたが、その言葉もクローゼの耳には入っていないようだった。

 クローゼの心中は複雑だった。何故彼女がここにいるのか。そして、何故こんなタイミングで出会ってしまうのか。今の自分の地位を失いたくはないのに、なぜこんな時に限って。

 そんなクローゼの心中を察したアルシェムは彼女にこう告げた。

「そんなに心配そうな顔をしなくても、誰かに正体を言うだなんてことはしませんから。……借りばっかりありますし」

「……お願いします、絶対、誰にも言わないで下さい……!」

「支える籠手の紋章とシロハヤブサに誓って」

 アルシェムは真面目な顔でそう告げた。アルシェムはクローゼの弱みを握ったも同然なのだが、今彼女を利用する気はなかった。彼女を利用するとしたらもっと後になるだろう。その時のリベール王国の情勢如何によって、クローゼはアルシェムに利用される可能性はあった。

 クローゼはアルシェムの瞳を見てアルシェムを信用することを決めた。

「……信じ、ます」

「ありがとうございます……っと、エステルー!」

 クローゼに礼を言ったアルシェムは何かを探している様子のエステルに声を掛けた。すると、エステルはすぐに駆け寄ってきてアルシェムに問うた。

「アル、帽子かぶった10歳くらいの子見なかった!?」

「奇遇だね、エステル。わたし達もちょーどその子を探してるんだけど」

 アルシェムの答えに、少年を見ていないことを察したエステルは拳を握りしめて震えた。

「あんの悪ガキーっ、一体どこに行ったの!」

 鼻息も荒く周囲を見回すエステル。しかし、当然少年はいない。アルシェムがクローゼに聞かれてから探した気配は、既にマノリア村を離れていた。

 アルシェムはエステルに問う。

「え、エステル、何が……あれ、遊撃士の紋章は?」

「その悪ガキに盗られたのっ!」

 すると、クローゼはエステルに向き直った。一応、クローゼはクラムの保護者としてマノリアに赴いていたためだ。監督不行き届きで咎めを受けても構わないという覚悟でクローゼは頭を下げ、言った。

「済みません、多分クラム君がやったんだと思います……」

「え、あ、えっと……アル、どちらさま?」

 エステルはクローゼのことが目に入っていなかったようでそう問うた。アルシェムはクローゼを紹介――無論、一般人『クローゼ・リンツ』としてである――してからクラムと呼ばれる少年を探していることを告げた。

 そして、マノリア村内をくまなく探したエステル達はクローゼの誘導に従い、マーシア孤児院へと向かった。クラムは孤児院であり、今現在もそこに住んでいるのだという。

 そのことを知ってからしばらく悩んでいたエステルは、メーヴェ海道――マノリアからルーアン市街へと向かう道である――の分岐で立ち止まってこう宣言した。

「よし、決めた! 他人のものを取るのは悪いこと、境遇云々は関係ないわ!」

「エステルらしいね」

 ヨシュアが遠回しに賛成し、そしてその分岐を内陸に向かって曲がると――そこには、小さくも可愛らしい孤児院があった。




というわけでクローゼおねーさんの登場でした。

では、また。


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マーシア孤児院から海の都ルーアンへ

旧37話半ば~41話半ばのリメイクです。

みんなだいすきジークお兄さんの登場。

では、どうぞ。


 マーシア孤児院に辿り着いたエステルは、クラムを見つけると説教の体勢に入った。クラムは言い逃れしようとしていたのだが、クローゼの泣き落としによってそれも敵わず。クラムはエステルとクローゼの二段構えで説教されてしまった。見習いたいわ、とマリィ――孤児のうちの一人で、とてもしっかりものである――は思った。

 説教のされ過ぎでグロッキーになったクラムはうめき声を漏らす。

「う、うう……」

「クラム君……もうこんなことはしないって約束してくれる?」

「わ、分かったよクローゼ姉ちゃん……」

 クラムはしばらく説教されてから非を認め、エステルにしぶしぶ支える籠手の紋章を返した。そこまでは本当に真面目な話をしていたのである。――その、鳥が現れるまでは。

「ピュイーッ!」

 甲高い鳴き声を上げて、真っ白い鳥が飛来した。

「あら、ジーク?」

 クローゼは呼んでもいないのにジーク――リベール王国の国鳥であり、クローゼととある人物たちの間で共有されているペットでもあるシロハヤブサの名である――が飛来したことに驚いていた。しかも――

「うっわちょっ、やっぱこー来んの!? やめてマジで止めて目に当たったら失明するってーの!」

 クローゼが命じてもいないのにアルシェムを襲い始めたのである。ジークの瞳にはなぜか怒りが浮かんでおり、絶対アルシェムを赦さんバードと化していた。頭を何故か集中的に突く当たり、かなりの悪意が見て取れる。このままではアルシェムはジークに突き殺されてしまうだろう。

 それを見て取ったクローゼは慌ててジークにお願いした。

「ジーク、止めて! お願い!」

「……ピュイ」

 明らかに納得していない表情のジークは、それでもクローゼの命に従ってアルシェムを突くのを止めた。しかし、隙あらば突こうとしているのが目に見えている。アルシェムはジークにだけは気を許さないでおこうと切に思った。

 ジークにしてみれば、アルシェムは赦すべきでない敵だから突いていたのである。しかし、生憎ジークがそのことを伝えられるのは敬愛する主クローゼと何故か憎き敵アルシェムだけ。ジークは一緒に行動しているらしい若い遊撃士たちに注意できないのを酷く残念がっていた――と書くと、人間に見えるかもしれないが、あくまでもジークはシロハヤブサである。決して鳥頭ではない意味不明の賢さを持つ鳥・ジーク。彼の生態を、アルシェムは知りたいとも思わなかった。

 と、そこに騒動を聞きつけたのか孤児院の中から女性が出てきた。柔らかい雰囲気の、いかにも優しげな女性である。

「あらあら、何の騒ぎですか?」

「あ、テレサ先生」

「あのね、あのね、ジークがお姉ちゃんにぴゅーんでざくざくなの!」

 物凄く物騒なことを言う幼女に、テレサ――テレサ・マーシアはこのマーシア孤児院の院長である――は眉を顰めながら問うた。どちらかというと困っているふうでもある。流石にその説明では把握できないのだろう。

「ポーリィ、えっと……」

「済みません、先生。その……ジークが、ちょっと」

 クローゼは顔を真っ赤にしながら弁明した。というのも、ジークはクローゼのペットという認識が成されているからだ。何も知らない一般人から見ればペットのしつけがなっていないと言われるだろう。実際は、とある人物がクローゼのためにとつけてあるのだが。決してペットなどではない。

 事情を聴いたテレサはアルシェムに問いかけた。

「大丈夫ですか、遊撃士さん」

「えー、まー……確かに動物に好かれたことないから分かりますから、えー……」

 アルシェムは物凄く遠い目をしてそう答えた。動物にも魔獣にもアルシェムは好かれることはない。というよりも、むしろ忌避される傾向がある。本来ならばジークには避けられているのだろうが――とある事情で、アルシェムはジークに恨まれていた。

「そ、その……」

「気にしないで貰えると助かります……あは、あははは……」

 どう見ても情緒不安定なアルシェムを見て、テレサはエステル達を含めてお茶にしないかと誘った。流石に落ち着いて貰わないと、この先魔獣に襲われては申し訳ないと思ったからだ。

 孤児院の中で、孤児たちと一緒にエステル達はおやつを取った。時間的にはあまりお腹が空いていることはなかったのだが、紅茶とアップルパイの組み合わせが絶妙で美味しかったからである。この紅茶は普通の紅茶ではなく、アップルパイの中身に入れてある野生のアップルの皮で煮出した紅茶――所謂、アップルティーである。少し酸味の強いアップルを歯ごたえが残る程度に甘く煮て、それをさくさくのパイ生地の中に封入して作られたアップルパイはまさに至高。同じアップルを使っているからか、味もこれ以上ないほどにマッチしていた。

 その、至高のアップルパイを堪能したエステルは思わず言葉を漏らした。

「あー、美味しかった」

「ふふ、それは良かったです。今日のアップルパイはクローゼが焼いてくれたものなんですよ」

 満面の笑みで言ったエステルに、テレサはそう返した。すると、エステルの目がクローゼに向く。そして、にわかに目を輝かせながら尊敬の念を宿してこう言った。

「そうなんだ、凄い!」

「え、えっと……それほどでもないですよ」

 クローゼはエステルの喰いつきように少しばかり引きながらもクローゼは答えた。このアップルパイの作り方はクローゼの祖母から教わったもの。上手くできているようで安心したと言えば安心したのだが、まだまだ祖母の味には敵わない、と思っていた。実際、クローゼの祖母――リベール王国で一番偉大な女性である――の作るアップルパイとクローゼのそれとは比較しても遜色ない出来なのだが、今現在のクローゼの状況では比べることが出来ないためにその判断になっている。

 その後、少しばかり歓談したエステル達は日が傾く前にとテレサに暇を告げ、孤児たちに見送られながら孤児院を後にした。クローゼは王立学園の門限までに戻れれば良いからとルーアンの案内を申し出てくれ、エステル達はそれを喜んだ。

 メーヴェ海道をルーアン市街方面へと抜けようとすると、何故か男の悲鳴が聞こえた。

「うおお~、誰かぁぁぁぁ!?」

「え、何!?」

 その声にエステルは困惑して足を止めてしまう。比較的近くで発生した悲鳴に気を取られたのだろう。

「あー、見て来る。エステル達は先にクローゼさん連れてルーアン行ってて」

「え、でも……」

「まだルーアン所属じゃないけどクローゼさん一応一般人だからね、エステル。つまり護衛対象。危険に晒すわけにはいかない。おけー?」

 戸惑うエステルを口早に言いくるめたアルシェムは、エステル達から離れて悲鳴の方向へと駆け付けた。そこには――何故か、丸腰の男がいた。しかも、護衛に遊撃士もつけずに。

「た、たーすっけてー!」

「分かったから大人しくしてて下さいねそこの人! 後でお説教!」

「ひえっ……」

 全力で叫んでいた男を叱咤したアルシェムは、魔獣を殲滅した。この際方法は問わない方向でいったので、かなり凄惨な現場になってしまったのは言うまでもない。魔獣の気配がなくなったことを察知した男は、そこで一息ついてこうこぼした。

「うおお~……今回はヤバかったな……」

「……取り敢えず、何でこんな場所で護衛もつけずにいるのか教えて貰えません?」

 溜息を吐きながらそう問うと――男は、とてもイイ笑みを浮かべながら親指を立て、こう言った。

「ありがとさん、遊撃士ちゃん! じゃあな!」

 そして走り去っていく。流石に怪しいとは思ったものの、今ここで追いついて何かしら巨大な陰謀でもあれば止めきれないのは見て取れたので追うのは諦めた。アルシェムはそこからエステル達を追い、ジャバという魔獣に苦戦しているエステル達に追いついて一緒に撃破した。

「あ、ありがと、アル」

「それは良いけど……うん、何でこんなとこにこんな魔獣がいんの?」

 アルシェムは首を傾げながらそう問うた。というのもこの魔獣、普段は林に潜んでいるのである。つまり、何らかの理由で海道に出て来たということだ。その理由がろくでもないものでなければ良いのだが、とアルシェムは思っていた。最近の手配魔獣はやたらと危険なことに繋がっているからである。

「それは分からないけど……アル、君って人はリベールの魔獣の分布まで把握してるのかい?」

 アルシェムの思考を何となく予測出来たヨシュアは呆れたようにそう告げた。アルシェムはそれに、無駄なことだけ覚えてるんだよと返した。確かにある意味無駄なことである。ヨシュアは何も言い返すことが出来なかった。

 そこから少し進んだところで、アルシェムはふと海岸の方を見下ろした。すると、そこには砂浜に流れ着いた樽らしきものがある。

「あ、エステル、あそこに何か不審物あるから調べて来るー」

「え、あ、ちょっとアル!?」

 エステルの制止も聞かず柵から飛び降りたアルシェムは、慎重に樽を調べ――そして、樽の中から海図の切れ端と趣味の悪い骸骨をあしらってあるダガーを手に入れた。何ともいえない顔をしつつもアルシェムは飛び上がってエステル達の元へと戻り、とりあえずその海図とダガーを遊撃士協会に預けることに決めた。

 そして――一行は、ルーアン市街へとたどり着いた。遊撃士協会に寄ったものの、少しばかりカッコイイお姉さん遊撃士に受付――ジャンという名らしい――にお客が来ているらしい。それでは手続きが出来ないので、エステル達はクローゼの勧めもあってルーアン市街を散策することになった。

 倉庫街の方へ向かうと、何やら騒がしい。どうも誰かが絡まれているようである。アルシェムはエステル達と顔を見合わせ、言い争っている男女の元へと向かった。そこには――

「だからあたしは急いでいると言っているでしょう」

「別に良いじゃん、用事なんてほっぽって俺達とイイことして遊ぼうぜ」

 いかにも不良です、と言わんばかりの青年たちと、それに絡まれているシスターがいた。金髪で、碧眼のシスターである。紛うことなく――メル・コルティアであった。

 アルシェムはとりあえず両者の間に割って入った。

「イイことの内容によってはご同行願うことになるかもよ、不良君達」

「ああん? 何だテメェ」

 アルシェムに向けてガンを飛ばしてくる青年たち。それをのほほんと見ていたメルは今更のようにこう言った。

「……あら、アルシェムではありませんか」

「って、メルせんせ? うわー、罰当たりだわーこの不良君達。よりによってシスターに手を出そーとする? フツー」

「余計な口挟んでんじゃねえぞ、ガキ」

 そう言って紫色の髪の男がアルシェムの胸ぐらをつかもうとして――その手を、メルに叩き落とされた。

「痛ってぇ! 何しやがるこのアマ!」

「それはこちらのセリフですよ。婦女子に手を上げるなど、最低です」

「テメェにゃ手を上げてねえだろうが!」

 アルシェムはその言葉を聞いて物凄く遠い目になった。確かにアルシェムの胸はない。絶壁である。激しい運動をしたって全く揺れない奇蹟のようなシロモノである。いわゆるひんぬー。だが、流石に(多分)女であることを棄てた覚えは毛頭ないのである。

 アルシェムは微かに体を震わせながらこう告げた。

「わたし、女だけど」

 しかし、目の前の不良達はそれを信じなかった。

「はあ? 冗談も休み休み言えよ!」

「そんなまな板な女がいるかよ!」

 赤髪の不良と緑髪の不良が口々にそう言った。どうでも良いが、なかなかにカラフルな頭をした不良どもである。

 酷い。アルシェムに向けて言うにはとても酷い言葉である。アルシェムの胸が絶壁なのは確かに真実である。だが、流石に胸だけで女子かどうかを判断されるのは腑に落ちなかった。そのため――自然と、言い返すことになる。

「王室親衛隊のユリア・シュバルツ中尉見てきたら? あの人、わたしと同じくらい絶壁だから」

 そう言った瞬間。

 

「ピュイーッ!」

 

 怒り心頭 の シロハヤブサ が 現れた!

 ジークは上空から一気にアルシェムの頭に突き刺さろうとした。しかし――アルシェムは、それを避けた。ジークは勢いを止めきれずにそのまま突入し、そして。

 

「ぐぼはぁぁ!?」

 

 赤髪の男の鳩尾にクリーンヒットした。もう、突き刺さる勢いでジークが突撃したのである。むしろ貫通していないというのがオカシイ。有り余った勢いを存分に生かしたジークの突撃は、正直に言って命の危険を感じるレベルである。

ジークが突撃した場所を押さえて大げさに蹲る赤髪の不良。

「れ、レイス!?」

「ぬぐおおおおお……」

 そして、その赤髪の不良――レイスという名らしい――の前に慌てたように降り立ったジークはぺこぺこと頭を下げ始めた。どうも、謝罪しているつもりらしい。意味不明なまでにハイスペックな鳥である。むしろシュールだ。

 メルは苦笑しながらレイスの服を捲った。

「うぉい!?」

「はいはい、じっとしてて下さい。……あー、これなら大丈夫。内臓破裂もしてないし、骨折もしてない。結構丈夫なんですね、貴男」

「い、いやあ、それほどでも……」

 メルに診察されて鼻の下を伸ばすレイス。流石に美人に看病されるというのは夢のような出来事だったのだろう。メルが立ち上がろうとすると、レイスはむしろもっと看病してて! とでも言いたげな名残惜しそうな顔でメルを見上げた。

「一応、安静にしとかないとダメですよ。どこか休めるところにつれて行ってあげてくださいね?」

「あ、ああ……」

「では、お大事に」

 メルはそこで優雅に礼をし、アルシェムを連れだってその場から去った。ついでにその手にジークが握られていたのは言うまでもない。

 エステル達と再合流したアルシェムは、ついでに合流したメルからジークをクローゼに引き渡した。

「す、済みません……」

「いえ、相手のかたに大事がなくてよかったですよ、クローゼさん。その……どう見てもアルシェムを狙っていたようですので、出来れば止めて頂けると良心が痛まないんですが」

 良心が痛まなければジークを止めないのだろうか、とアルシェムは思った。どれだけ本気かによって、メルの後の楽しみ()が増えるのは言うまでもない。

 と、そこでエステルがメルに話しかけた。

「そういえばメル先生、クローゼさんとも知り合いみたいだけど……いつルーアンに来たの?」

「《リンデ号》の事件の最中ですね。多少時間はかかりますけど、ボース上空を使わなければ《セシリア号》の方が早かったので」

「そ、そうだったんだ……」

 その後、メルはエステル達と別れて七耀教会へと戻った。アルシェムの手に紙きれを握らせて。ヨシュアだけが、メルが去っていくのを冷たい目で見ていた。




ルーアンでの主人公はジークお兄さんです。
嘘です。

では、また。


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犯した罪と、償いの罰

旧41話半ば~43話のリメイクです。
通信制限で重たい。

では、どうぞ。


 七耀教会のシスター・メルと別れたエステル達は、遊撃士協会の方へと向かっていた。その途中、エステル達に近づいてくる一行があった。

「やあ、君はジェニス王立学園の生徒さんだね。こんなところで何をしているんだい?」

 そう言って、空色の髪の青年はクローゼに話しかけた。しかし、クローゼの顔は冴えない。何度か顔を合わせているはずなのに、彼はすっかりクローゼの顔を忘れているらしかった。

 クローゼはにっこり笑ってこう答えた。ただし目は笑っていない。

「……1年ぶりですね、ギルバート先輩。前年度の生徒の名簿は役立ちましたか?」

「あ、ああ! あの時の子か。見違えたよ、クローゼ君」

 ギルバートは見るからに狼狽して言った。記憶の底から無理矢理に名前を引きずりださざるを得ないほどに、クローゼの顔が恐ろしかった。笑っているのに笑っていない女性はこれほどまでにコワいのかと、自覚した。

「えと、こちら準遊撃士のエステルさんとヨシュアさん、それにアルシェムさんです。こちらはギルバートさん。ジェニス王立学園のOBの方です」

 そんなギルバートに、今度は心からの笑みを浮かべながらクローゼはエステル達を紹介した。ギルバートだけでなく、その背後にいる御仁にも。

 少しばかり冴えない男は、それを聞いて自己紹介をした。

「おお、遊撃士の諸君かね。私はルーアン市長のダルモアという。以後お見知りおき願うよ」

「あ、はい。よろしくお願いします」

 ダルモアと名乗った男――本名モーリス・ダルモア、かつての大貴族の系譜であり、いまだに上流階級の代表者ともいわれている資産家でもある――はその後、エステル達と二言三言話した後、しばらく忙しいかも知れないがよろしく頼むと言って去っていった。エステル達はダルモアの言葉に首を傾げつつも遊撃士協会へと戻った。流石にこれ以上彷徨っているわけにもいかないからだ。

 遊撃士協会に入ると、快活そうな男が声を掛けて来た。

「いらっしゃい、遊撃士協会へようこそ! ……って、クローゼ君じゃないか」

 営業スマイルから一転、きょとんとした顔になった暫定受付の男はクローゼを見て意外そうな声を出した。それにクローゼは微笑みながら返した。

「こんにちは、ジャンさん。今日は依頼じゃなくてエステルさん達におつきあいさせてもらっているところなんです」

 ここで主導権を握らなければ受付の男――ジャンが延々と話し続けることを知っているクローゼは、そう機先を制した。すると、ジャンはどうみても王立学園の生徒ではないエステル達を見て目を眇め、次いでこう叫んだ。

「もしかして、君達があのボースの空賊事件の立役者、ブライト三兄妹かい!?」

「まとめられ方がすっごく不本意だし、立役者じゃなくてお手伝いしただけだけど多分そうよ」

 エステルは憮然とした顔でそう答えた。恐らく三姉弟と言われたかったのだろう。確かに誕生日的には正しい――ヨシュアがS1185/12/20、アルシェムが恐らくS1185/12/25、エステルがS1186/08/07に誕生している――のだが。

 それを聞いてクローゼが驚いたようにエステル達に向き直り、次いでエステルの手を取った。

「そうだったんですか!? 私、《リベール通信》の最新号で読んだばかりなんです!」

 あまりにもクローゼが目を輝かせて見つめてくるので、エステルは少しばかり赤面してしまった。そして、何やら言い訳をするかのように言葉を零す。

「ほ、ほんとに手伝いだけだってば。実際に空賊を逮捕したのは王国軍だし……それに、今思い返せば色々ギリギリだったって思うし」

「それでも凄いです! その若さでそこまでの活躍をなさるなんて……!」

「そうそう、謙遜しなくて良いよ。ルグラン爺さんも褒めてたしね。……さ、このルーアンでも活躍してくれることを期待してるから、その最初の一歩として書類にサインしてくれ。さあ早く!」

 鼻息も荒く迫ってくるのがクローゼだけであったらエステルも耐えられたのだが、そこにジャンが加わると流石に引きつった顔を隠せなくなったようだった。誰も青年を脱しかけたオッサンに近寄られて嬉しいとは思わない。もし嬉しいと思う人物がいれば、それは対象者に惚れているかただの変態かのどちらかであろう。

 エステル達は転属の手続きを終えてから先ほどダルモアが言っていた『忙しくなるかもしれない』という情報についてジャンに尋ねた。すると――

「え、王族の偉い人が来るの!? もしかして女王様とか!?」

「いや、エステル。女王陛下がいらっしゃるんだったら間違いなくここまで情報は降りてこないし他の支部から遊撃士をじゃんじゃん借りて来てカシウスさんにどうにか渡りをつけたうえで引きずり戻してると思うけど」

 テンションを上げたエステルに、アルシェムは立て板に水を流したように返した。その答えに苦笑しつつジャンが応える。

「はは、流石にそこまではしないと思うけど……うん。女王陛下じゃないことだけは確かだよ。何でも、ルーアン市の視察にいらっしゃったんだってさ」

 そこでアルシェムは内心で首を傾げた。ルーアン市の視察に来ている王族になら確かに心当たりはある。そしてその人物には既に十分な護衛がついており、それ以上護衛を増やせばお忍びでいる意味がなくなってしまう。つまり、その人物ではないのである。

 ということは、消去法でもう1人の王族の人間ということになる。

「ジャンさん、ジャンさん、もしかしなくてもその人、公爵閣下?」

「……どうしてそう思うんだい?」

「親衛隊をつけられるのは王族直系の王孫女殿下だけだし、それ以上の警備の強化はしなくて良いからです。もし警備が必要になるとしたら公爵閣下のほーかなって」

 ジャンは頭を押さえて溜息を吐いた。無駄に察しが良すぎるのも考え物である。一応部外者がいるからここまでぼかしてきたのに、無駄になってしまった。クローゼに知られても何ら問題はないとは思うのだが、念のために情報は秘匿しておくべきだろうと思っていた矢先にこれである。

 遠い目をしながらジャンはこう告げた。

「アルシェム君、アルシェム君、守秘義務って知ってるかい?」

「問題ないですジャンさん、多分公爵閣下ならやらか……ごふん、派手……げふん、えと、ルーアン市に多大なる影響を与えて下さると思うのですぐに露見しますから」

「誤魔化せてないよアルシェム君!」

 ジャンの抗弁を、アルシェムは苦笑しながら聞いていた。本来ならば部外者に聞かれるべきでない情報ではあるが、クローゼにバレる程度ならば問題ないのである。むしろ、クローゼは知っておくべきだと思ったのでこうしてあっさりバラしたのであった。

 その後、エステル達はもう夕方になるということで依頼を受けるのは次の日にすることにし、寝床の確保のために遊撃士協会から出た。と、そこでエステルがふと何かに気付いてアルシェムの首元を見た。

 それに気付いたアルシェムはエステルに問いかける。

「どーかした? エステル」

 エステルは先ほどから何か引っかかっている気がしたことがようやく氷解したようにすっきりした顔でアルシェムに指摘した。

「アル、チョーカーは?」

 その指摘に、アルシェムは首元に手をやって――顔を青ざめさせた。いつもつけている雪の紋章のチョーカーが、ない。バタバタと荷物を探り、そこにないことを確認するとどこで落としてしまったのかを考え始めた。あのチョーカーはアルシェムにとって二重の意味で大切なものなのである。

 焦っているのを見て取ったのか、ヨシュアが口を挟んだ。

「マノリアに着いた時はまだつけてたと思うよ」

「……探してくる」

「え、アル! もう夕方だし、魔獣が……!」

 引き留めるエステルの声も無視して、アルシェムは走り出そうとした。しかし、ヨシュアに腕を掴まれる。それを勢いよく振りほどこうとして――思いとどまった。心を乱してはいけない。今、心を乱してしまえば――大変なことになってしまう。アルシェムは浅くなりがちだった呼吸を少しずつ元に戻していった。

 それを見て取ったヨシュアは、アルシェムの腕を握る手から力を抜いてアルシェムに問いかけた。

「大切なものなんだね?」

「多分昔からずっとつけてたって言えば分かってくれる?」

「……分かった。一緒に探した方が良いかい?」

 しかし、アルシェムはそれを断った。少し冷静になって考えてみれば、チョーカーを落としたであろう場所は明白だったからだ。やはりアルシェムにとってジークは凶兆の星らしい。ジークに突かれたあの時に落としたのだろう。

「目星はついたから、先にホテル取ってて。日が暮れても戻って来なかったら遊撃士協会に泊まってるから」

「分かったわ。気を付けてね?」

「勿論。……あ、ついでと言ったらアレだけど、クローゼさん。王立学園まで送ろーか?」

 アルシェムの提案にクローゼは頷き、クローゼはしっかりとエステル達に学園祭の宣伝をしてから彼女らと別れた。はね上げの終わったラングランド大橋を越え、メーヴェ海道へと向かうアルシェム達。

 ルーアン市街から少しばかり離れたところで、アルシェムは立ち止まった。クローゼはそれに首を傾げてアルシェムに問うた。

「どうかしたんですか、アルシェムさん」

「……言っておかないといけないことがありまして」

 精神状態は不安定なままであるが、それ以上にアルシェムはクローゼに――否、クローゼと名乗る目の前の少女に伝えておかなければならないことがあった。2年前、まだ『アルシェム・ブライト』となる前の彼女が犯した罪を謝罪するために。その時は、対面で謝罪することを赦されていなかったから。

「あの時は――本当に、申し訳ありませんでした」

 アルシェムはクローゼと名乗る少女に向きなおって頭を下げた。そうするだけの理由があった。そして、クローゼと名乗る少女――リベール王国王孫女クローディア・フォン・アウスレーゼにも、それを聞く権利があった。

 クローディアは瞠目してその謝罪を聞き――そして、何かを堪えるように瞑目してから静かにこう告げた。

「頭を、上げて下さい」

 アルシェムはクローディアの言葉に従い、ゆっくりと頭を上げる。そして、クローディアの言葉を待った。

クローディアは、ゆっくりと告げた。

「あの時の記憶は――貴女にはないのでしょう? ですから、謝る必要はありません。悪いのは貴女を操っていた人です」

 その瞳には毅然とした色が浮かんでおり――そして、何も疑っていないことが見て取れた。だからこそアルシェムは謝罪するのである。その時に吐かざるを得なかった、嘘を暴いて。

「いいえ。わたしは操られてなんかいませんでした」

「……え……?」

 クローディアが硬直する。ずっと、クローディアは祖母からこう聞かされていた。彼女を襲った刺客は、記憶を奪われて悪い人に操られていたのだと。しかし、当の本人は違うという。ならば、一体どういうことなのか――

 アルシェムはクローディアの困惑を見越していた。その困惑に答えるようにアルシェムは本当のことを吐きだしていく。

「わたしは――あそこから、抜けなければならなかったんです。万が一何かを間違ってあなたを殺してしまわないように最高の護衛を頼んで――それで、わたしはあなたを暗殺する振りをしに行きました。あなたを利用したんです」

 2年前。『アルシェム・ブライト』となる前の彼女は――とある組織に属する暗殺者だった。大人も、子供も、老人も、女も、男も、そうでない人間も――精神的に殺して、社会的に殺して、肉体的に殺して回る暗殺者だったのだ。そして、上司から受けた任務が――クローディア・フォン・アウスレーゼの暗殺。目的は聞かされていなかった。当たり前だろう。その上司にとって、アルシェムは人形だったのだから。

 そして、上司からその任務を受ける前に――アルシェムはとある人物から別の依頼を受けていた。命令と言い換えても良いだろう。とにかく何かしらの偽装工作を行い、その組織から抜け出すように要請されていた。とある事件の影響で、アルシェムはとある人物の子飼いとなっていたからである。結果――アルシェムはクローディアを殺すことなく、任務に失敗したことにして上手くその組織から抜け出した。カシウス・ブライトという後ろ盾を得て。

 アルシェムはもう一度頭を下げた。

「だから、申し訳ありませんでした」

 クローディアは黙考して――そして、答えを模索した。アルシェムに対する裁決を。自分にその権利はないと知りながら、赦しを求めているアルシェムのために。本当ならば、このまま殺すべきなのだろう。王族を狙ったのだから間違いなく死罪が確定する。しかし、虚偽の理由により情状酌量の余地はあった。記憶と意志を奪われた状態だったということが加味されたのだ。その罰が、カシウス・ブライトに見張られること。甘い罰でもあったし、途中から恩赦が出て自由にもなっていた。

 しかし、本来の理由が明らかになってしまっては――その情状酌量は認められなくなってしまっていた。つまり、クローディアはアルシェムに死罪を言い渡す必要があるのだ。

 クローディアは、しかしそれをしていいものかと迷っていた。アルシェムを殺すのは、実は簡単である。要はジークを止めなければ良いのだ。ただ、クローディアは将来国を背負って立つ可能性のある人間である。簡単に判断して良いことではないのだけは確かだった。今、クローディアは命を握っているのだから。

 そして――クローディアは結論を出した。目を開け、胸を張って告げた。

「顔を、上げてください――アルシェムさん」

 アルシェムは再び顔を上げる。聞かなければならない。自分の犯した罪の、その採決を。そして――クローディアは。

 

「一度だけ。一度だけ――私を助けて下さい。それがどんな些細なことであっても」

 

 甘い、甘い裁決を下した。それだけで、クローディアは赦すつもりだった。そのことにアルシェムは瞠目し、応えた。

「一度だけと言わず、何度でも。わたしが『アルシェム・ブライト』である限り」

 そうして、クローディアに向けて膝を付いた。『アルシェム・ブライト』である限り、アルシェムはクローディアを助けることを誓った。たとえいつか『アルシェム・ブライト』でなくなると知っていたとしても。アルシェムはそのまま持ってきてしまっていた荷物からレイピアを取り出し、クローディアに捧げた。

 クローディアはそれを受けた。そうしなければ、アルシェムは赦されないのだから。剣をささげるということは、騎士とするということ。そこまで堅苦しくするつもりもなければ縛り付ける気もさらさらなかったのだが、クローディアは受けた。

 そうして――渡したレイピアをそのままクローディアに押し付けたアルシェムは、彼女を王立学園まで送り届けることになった。その道中で、クローディアは裁決の内容を詰めた。

 『アルシェム・ブライトはクローディア・フォン・アウスレーゼが望むときのみ傍に侍り、その力を振るう』というのがクローディアの出した条件。それにアルシェムはこう付け加えた。『その力が、誰かを傷つけることになると覚悟して』と。

 そして、クローゼ――ジェニス王立学園の制服を着ているときはそう呼ぶようにと命じられた――を送り届けた後、アルシェムはマーシア孤児院へと向かった。道中の魔獣は全て一撃で狩り殺し、孤児院に辿り着いたころには――夜になってしまっていた。

 そのころには憔悴しきっていたアルシェムは、辿り着くなり孤児院の扉を思い切りたたいた。すると、すぐに扉が開いた。

 無論、出て来たのはテレサである。テレサは少しばかり不安げな顔をして外を見た。

「はい、どちらさま……って、貴女は」

「あの、このあたりに黒いリボンのチョーカー落ちてませんでしたか」

 アルシェムはテレサの言葉を遮るようにそう言った。これ以上精神安定剤を欠いた状態であったら、色んな意味で不味いからである。がたがたと震える身体。カチカチとなる歯。精神的にはとてもヤバい状況である。どこからどう見ても。アルシェムとしては流石にまだ怪事件の発端になる気もないので、余計にあせっていた。

 テレサはアルシェムの様子を見てただ事ではないと察し、そう言えばマリィが落し物を見つけたと言って差し出してくれたことを思い出した。ポケットを探り、目当てのものを取り出す。そして、アルシェムに手渡した。

「これですよね?」

「あった……よ、良かった……」

 アルシェムはそのチョーカーを握りしめると、その場にへたり込んだ。本当に無くしたくないものだったからである。それならばチョーカーとして付けておくのもどうかと思うのだが、とある制約があるために首元に巻いているのが一番無くしにくいのだ。

 テレサはへたりこんだアルシェムを見てこのままにはしておけないと感じ、アルシェムを孤児院の中へと招き入れた。そして、昼間の残りのアップルティーを温め、アルシェムに差し出した。

 アルシェムは一瞬だけ躊躇して受け取り、口をつける。甘い香りが漂い、少しばかり気分が落ち着くとテレサにお礼を言った。

「……ありがとうございます」

「構いませんよ。すぐに気付いて差し上げれば良かったのだけど……」

「いえ、わたしもさっき気付いたばかりで……本当に、ありがとうございました。どうしてもなくしたくないものだったので」

 その後――テレサはアルシェムに泊まっていくようにすすめ、アルシェムは恐縮しつつもそれを受けた。子供達からは少しばかり遠巻きに見られていたものの、テレサの勧めもあって一緒に遊んでいると打ち解けてくれる。

そして、夜が更けた――




不穏な空気を漂わせながら、でも今回はここまで。

では、また。


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焼失、傷心

旧44話のリメイクです。
一話につき二話ほど詰め込みが出来なくなってきているので、総話数が三分の二ではきかなくなるかもしれません。
つまりまた三百話弱……?

では、どうぞ。


 夜が更けて、アルシェムは子供達の服を繕っているテレサの手伝いをしていた。あまり得意ではないものの、縫えるだけマシである。どこぞのメイドだったらきっと恐ろしいまでに精緻な刺繍でも入れてくれるんじゃなかろうか、と思いつつアルシェムは服を繕い続けて――ふと、手を止めた。この場所に立ち寄りそうもない手練れの気配が複数したからである。

 険しい顔をして手を止めたアルシェムに、テレサが問いかける。

「……どうかなさったんですか?」

「……テレサせんせー、ここ、誰か来る用事あります?」

 テレサが首を振ると、アルシェムは繕い物を置いて導力銃を取り出した。そしてテレサに子供達の部屋に行くようにすすめ、自分は階下に降りて人間の気配を探る。数は3人。相当な手練れである。

 アルシェムは扉の前に立ち、薄く扉を開けて外を窺うと――そこに、液体が投げつけられた。独特のにおいがするそれは、可燃性の油である。

「――ッ、何してんの!」

 バンッ、と扉を蹴り開けたアルシェムはその液体を投げた人物に導力銃を向けようとして――横から飛び出してくる何者かに向けて発砲した。それは人間ではなく、魔獣。クローネ峠で出現した調教されている魔獣である。その魔獣はひらりとかわし、逃走していった。

 そして――その隙に、複数の火属性アーツが放たれた。瞬く間に燃え広がる焔。

「ちょっ……あーもー!」

 犯人たちはこの場から去っていった。それに歯噛みしながらアルシェムは孤児院の中に駆け戻る。この時点での消火は不可能であるし、なによりも犯人を追うことも出来ない。中にテレサと子供達がいるからだ。

 二階に駆け上がり、テレサに向けてアルシェムは叫ぶ。

「せんせー! 今すぐ全員起こして、降りてください!」

「この臭いは……火事ですか!?」

「いーから早く!」

 アルシェムの叫びに急かされたテレサは子供達を全員起こした。子供達は火事だと分かるとすぐさま飛び起き、先導するアルシェムについて避難を始めた。

 子供達とテレサを連れて階下に降りたアルシェムは、あまりの火の周りの速さに舌打ちをする。

「火の回りが早すぎる……ッ!」

 毒づき終わるや否や、アルシェムはとあることに気付いて飛び出した。勢いよく崩れて来る入り口付近の天井の梁に、アルシェムに出来たのはその腕で梁の落下を物理的に止めることだけだった。

「アルシェムさん!」

「熱っ、あっつ、ちょっ、早く出て皆!」

 アルシェムが必死に支えている間に、テレサは子供達を全員外に逃がした。最後尾にいたテレサは、アルシェムを連れて脱出しようとしたが――出来なかった。何故ならば――

「アルシェムさん、皮膚が……!」

 アルシェムの皮膚は、熱に焙られ過ぎて梁に張り付いてしまっていたのである。当然、無理やりはがしてしまっては筆舌に尽くしがたい痛みがアルシェムを襲うのは間違いない。しかし、アルシェムの決断は早かった。

「先出てせんせー、何とかして脱出するから!」

「で、でも……」

「絶対脱出するから! 流石に共倒れになるとか子供達が可哀想だし!」

 ここで、子供達を引き合いに出したのが良かったのかテレサが脱出する。そして、残されたアルシェムは――脱出しようとして、崩壊した天井に呑まれた。瓦礫の下でアルシェムは考える。このまま、ここから逃げ出すことは可能である。しかし――それは、テレサたちがここにいなければの話だ。最終手段を使えばこんな炎くらいどうということはない。しかし、人目があると不味いのである。どうする。アルシェムは翳みそうになる意識の中でただそれだけを繰り返していた。

 

 ❖

 

 燃え盛る孤児院から脱出し、振り返ったテレサはそれに気付いた。気付いてしまった。アルシェムが付いて来ていないことに。そして――天井が、崩れてしまっていることに。

「あ……」

「アルシェム姉ちゃんッ!?」

 クラムが叫んで駆け込もうとするのを、マリィが止めていた。それでも中に駆け込もうとするクラムをポーリィとダニエル――孤児院の残りの子供達の名前である――も協力して抑え込む。流石にぼんやりしていてもクラムが飛び込めばどうなるかなど目に見えていたからである。

 テレサはあまりのことに意識が遠くなりかけて――堪えた。子供達の前なのだ。今倒れるわけにはいかない。だが、テレサを救うためにアルシェムがあの中に取り残されてしまったのも事実で。咄嗟に周囲に水がないかを探した。海まで行っている時間はない。どこか、どこかこの周辺に火事対策のためのバケツがあるはず。そう思ってテレサが探し始めて。すぐさま見つけ出された火事対策のために置いてあったバケツの水は、ひっくり返されて地面に浸み込んでしまっていた後だった。

「そんな……」

 バケツの前でへたり込むテレサ。泣き叫ぶ子供達。もう、どうにもならない――そう、思った瞬間。

 

「退いていろ」

 

 この場にはいないはずの人間の声が聞こえた。マノリアの人間でも、ルーアン市の人間でもない。少なくとも、テレサが見たことのない人物だった。

 その、象牙色のコートを着た男は不思議な造形の剣を片手に孤児院の中に侵入した。それを、テレサは祈るような眼で見ていた。このまま、あの男性が無事にアルシェムを救い出してくれることを願いながら。

 

 

 燃え盛る孤児院に突入した象牙色のコートを着た銀髪の男は、梁を蹴り飛ばした。途端に粉々になる梁。再建する際に再利用されるかもしれなかった資材ではあるが、こうなってしまっては使えない。それでも、彼は進んだ。無駄な犠牲を出さないために。

 そうして――人の気配を探って、見つけた。先ほど蹴り飛ばした梁の下に、微かに紺色の服が見えたのだ。彼はその人物に負担がかからないよう迅速に瓦礫を粉砕していき――そして、埋まっていた少女を発掘した。言うまでもなくアルシェムである。

 男は下敷きになっていたアルシェムを抱え上げた。そして、そのアルシェムの顔を見て呆然とこう漏らす。

「……何故、ここに」

 彼にとって、アルシェムはこの場にいるべきではない人物だったのである。彼としては、どこかで野垂れ死んでいてくれればいいと思っていた。とっとと死んでいて欲しいと欲していた。だが、彼女は生きていた。今、ここで。

 そして、彼はアルシェムを救ってしまったのである。無駄な犠牲は出さないと誓った彼は、死んでほしいと願っているアルシェムを見ても――それでも、彼女を救うことに決めた。どうせ無駄な命ではあるが、ここで無駄に犠牲にしてしまっては後々問題が起きてしまう。それに、先ほど退いていろと言ってしまった手前、助けないわけにもいかなくなってしまっている。

 アルシェムは、微かにあった意識で彼にこう答えた。

「……どうして……ここ、に……ン、兄……」

 それだけ告げると、アルシェムは意識を落とした。本来ならばこのまま警戒し続ける必要があったのだが、今のアルシェムの状態ではそれは叶わなかった。

 そんなアルシェムを見て、彼は歯ぎしりする。アルシェムに兄などと呼ばれる筋合いはないのだ。そもそも彼には弟分と妹分がいるのだが、その妹分は『ここにいるアルシェム』ではないのだから。それでも、先ほど決めたことを覆さないために彼は孤児院から脱出した。

 途端にテレサと子供達が駆け寄ってくる。

「アルシェムさん……!」

「な、なあ、無事なのかアルシェム姉ちゃん!?」

 クラムが彼に詰め寄ると、彼は無表情を必死で保ちながらこう答えた。

「気を失っているだけだ。恐らく命に別状はない」

 それを聞いてほっと胸をなでおろすテレサ。一瞬だけ彼はテレサを見て表情を歪め――そして、アルシェムを抱えたまま歩き始めた。

 テレサは不安げに彼に問う。

「あの、どこへ……」

「マノリアへ救援を呼びにいく。流石にこれ以上の人間を護衛しながら動くのは難しいから待っていろ」

 そう言って、彼はマノリア村へと急行した。マノリア村の《白の木蓮亭》にアルシェムを預け、孤児院が燃えた旨を伝えて村人が準備している間に姿を消す。そうして、彼はそのままどこかへと消え去って行ったのだった。

 

 ❖

 

  誰も殺さないで! /自分は殺しているのに?

  貴女なんかに助けられたくない! /わたしは貴女を助けたかったのに。

  お前がいたから彼女はこんな目に! /違う、わたしは危ないって知らせたのに。

  姉さんの仇! /違う! 違う! 違う!

 

  ――消えろ! /ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 

  どうしてこんなところにいるの? /皆死んだから。

  一緒に暮らそうよ! /そんな価値なんてない。

  何で庇ったの!? /お願い、生きて!

 

  おお、すばらしい検体だ! /どうでも良い。

 

  服が剥がれる。/嫌だ、脱がさないで。

  体が動かない。/誰か助けて。

  甘い液体。/甘くておいしいけど飲みたくない。

  はい、よろこんで。/ダメ、行かないで。

  はい、よろこんで。/ダメ、行かないで。

  はい、よろこんで。/ダメ、行かないで。

 

  そうして、皆が死んでいった。そこで生き残れる人間は――

  そうして、皆が殺されていった。そこで生き残ったのは――

 

 ❖

 

 アルシェムは悪夢の底でもがいた。地獄から逃げ出したいと願って。決して楽園なんかではない世界から逃げ出したいと祈って。そうして――ようやく、目が醒めた。

「いやああああああああああああっ!」

 叫びながら勢いよく起き上がると、アルシェムの目の前には見覚えのある少女達と――そして、男がいた。

「……ぁ……」

 肩で息をしていたアルシェムは、男を見た瞬間全身がわなないた――恐怖のために。過去の悪夢の直後に、すぐ近くに男がいればどうなるか。それをアルシェムは本能で知っていて――だからこそ、掛けられていた毛布を頭からかぶって縮こまった。そして、宿の人間には悪いが口の中に毛布を突っ込んで叫ぶ。

「うあああああああああああああああああっ!」

「あ、アル!?」

 狼狽する見知った少女。しかし、アルシェムには彼女に構う余裕がなかった。必死で身に着けていた武器を遠ざけて毛布で自分の動きを制限することにしか神経を傾けられていないからである。

 そこで男がアルシェムに近づいてきた。

「ど、どうかしたアル? 大丈夫かい?」

 近づいて話しかけた。たったそれだけで――アルシェムは暴れた。背にあてられた手を跳ね飛ばし、気配を探って出来るだけ男から離れるように遠ざかる。少しばかり近づいて来ようとしていたが、そこで見知った少女達の片割れが男に声を掛けた。

「ヨシュアさん、下にシスター・メルがいらっしゃるので呼んできてください!」

「あ、ああ、分かった!」

 男が遠ざかって行く気配がする。しかし、油断は出来ない。何故ならば、まだ戻ってくるかもしれないから。だからこそアルシェムはまだ丸まったままで震えていた。少女達ならば良い。ただ、男という存在が受け入れられないのである。過去の経験によって。特に、ひげ面の男などは最悪である。アルシェムのトラウマを全力で掘り起こしてくるからだ。

 そして、そこに男とさらに見知った気配の少女が入ってきた。びくり、と震えて男から出来得る限り距離を取ったアルシェム。男は新たに入ってきた見知った気配の少女に止められてその位置を動かないことになった。

「アルシェム、毛布剥ぎますよ」

「……メル……せんせ?」

 そこに出現したのが、アルシェムの信頼する人物だったことに気付いたアルシェムは毛布からおずおずと顔を出した。顔は青白いのに全力で泣いたのか眼だけが充血してしまっている。それを見たメルは内心で溜息を吐きながら先ほど階下で手に入れておいたものをアルシェムに手渡した。

「飲んでください。落ち着きますから」

「……薬じゃ、ない……?」

 アルシェムは、それが怪しいものではなくメルが差し出した信頼性の高いものであると、脳内では分かっていた。しかし、これまでの経験からか――それが薬であれば飲む気は全くなかった。

 それを、メルはよく理解していた。だからこそ、メルが差し出したものは湯気の立ったミルクセーキ。たとえば色のついた液体が混ざっていればすぐに分かりそうな飲み物を用意していたのである。

 メルはアルシェムにミルクセーキを近づけながら中身の色を見せつつ言った。

「ただのミルクセーキですよ」

 アルシェムはゆっくりと手を伸ばしてそれを受け取り、少しずつ冷ましながら飲んだ。じんわりとあったかい液体が体を温め、恐怖で冷え切った体を万全の状態へと近づけていく。同じく精神も、あったかい飲み物を飲んだことでリラックスし、落ち着いてきた。

 そうして――ようやく事態を把握した。ミルクセーキを呑み終わったアルシェムはゆっくりと深呼吸し、詰めていた息を吐いて――そして、まだかすかに震える声でメルに礼を言った。

「……ありがと、メルせんせ。落ち着いた」

「それは良かったです。取り敢えずベッドに戻りましょうか。一応応急処置はしましたけど、まだ治り切ってはいないはずですから」

 メルの言葉に従い、アルシェムはゆっくりとベッドへと戻った。少しばかり腕がひりひりするが、それ以外はあまりけがはなかった。そして、エステル達に向き直ったアルシェムはメルの手を握りながら何があったのかを語り始めた。悪夢のことではなく、あくまで放火事件のことを。




若干アルシェム視点にも見えないことはない件。

では、また。


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放火の犯人(偽)

旧45話~46話のリメイクです。

では、どうぞ。


 アルシェムが孤児院で起きたことを語り終えると、ヨシュアは複雑な顔をして黙り込んだ。この部屋はアルシェム専用にとってあった部屋で、子供達はいない。もしも聞き耳を立てていたら困ると思ったのか、話を始める前にクローゼが子供達を階下に誘導した。だからこそ、この場にいるのはアルシェムを含めた新米準遊撃士3人とテレサ、アルシェムに付き添っているシスター・メルだけである。

 メルは昨夜の火事の一報を聞いたルーアンの遊撃士協会から依頼され、《白の木蓮亭》に派遣されてきた。というのも、子供達とテレサには怪我はなかったものの、アルシェムの怪我を治療する必要があったのである。両腕の重度の火傷と、擦過傷。それと、いくつかの打撲痕の治療のためだ。アルシェムは隠していたつもりだったのだが、メルは空賊事件の一件でついた傷も綺麗さっぱり治しきっていた。後でお説教をかます予定であることは言うまでもない。

 ヨシュアが脳内で事件の整理している間に、エステルが憂鬱そうな顔で言葉を漏らした。

「つまり、放火なのは確実なのよね……」

「まー、一応目の前で放火されたわけだし……にしても、目的が読めないんだよねー」

「目的?」

 エステルは首を傾げた。善良な孤児院に対して、放火を行う人間がいるということだけでも信じがたいことである。誰かの恨みを買っているとは考えたくないし考えられない。しかし、動機がなければ事件は起きないもの。つまり、孤児院に対して何かしら思うところがある人間がいるわけで――そこまで考えて、エステルは身震いした。犯人は孤児院に、何の不満があるというのだろうか。

 エステルが考えていることに思い当たったアルシェムは苦々しい顔を保ったままテレサに問うた。

「テレサ先生、心当たりはありますか?」

 しかし、テレサは首を振った。ミラにも余裕はなく、恨まれる覚えも全くない。ミラに余裕があればもう少し子供達にも贅沢をさせてあげられるとは思ったが、生憎いつも寄付で成り立っているので経営はギリギリ。自分の食事を切り詰めてまで維持していたのをクローゼに看破されてからは、喰うに困らないくらいの援助を国から受けられるようにはなった。しかし、それも微々たるものでハーブを売り物にして稼ぐのがやっとである。恨まれる覚えも当然ない。

 テレサは無意識にあることを考えないようにしていた。孤児院という存在が邪魔だという考えで、燃やされたのではないかという懸念である。孤児を疎ましく思う風潮は確かにエレボニア帝国と比べると風当たりは弱いものの、確かに偏見はあるのだ。孤児が疎ましい。素性の知れない怪しい子供。何をしでかすか、分からないしつけのなっていない孤児、という印象は確かにリベール王国の中でもあった。比較的寛容なだけで、決して孤児を排斥する風潮がないとは言えないのである。

 ヨシュアはそこで言いにくそうに口を開いた。

「そうなると、嫌な話ですが愉快犯という可能性もありますね……事件前後に、変わったことはありませんでしたか?」

「そうですね……アルシェムさんがいらしたこと、くらいでしょうか。流石にあの方は関係ないでしょうし」

「あの方?」

 テレサの言葉尻を捕えたのはエステルだった。あの方、ということは子供達とテレサ、そしてアルシェム以外に第三者がいたことになるからである。テレサはその問いに、アルシェムを火の中から救い出した銀髪で象牙色のコートを着た20代後半くらいの男性の情報を伝えた。

 すると、ヨシュアはひくっと口角を震わせた。どうやら心当たりがあるらしいが、犯人ではないと判断して話を続けようとする。

 しかし、話は続かなかった。何故ならば、クローゼに案内されてルーアン市長モーリス・ダルモアとギルバート・スタインが訪ねて来たからである。ダルモアは開口一番にテレサを案じる言葉ではなく、遊撃士がいることに気付いた旨の言葉を吐いた。

「おや、遊撃士諸君も一緒だったか。流石はジャン君、手回しが早くて結構なことだ」

 それに、アルシェムは眉をひそめた。皮肉なのか、それともここに遊撃士がいてほしくなかったのか。そもそも遊撃士協会としては情報が入り次第遊撃士を向かわせるはずである。当然、情報が入るのは市長よりも早い。市長が来ても何も出来ないのは分かり切っているため、《白の木蓮亭》の亭主は先に遊撃士協会に連絡を入れたのである。無論アルシェムはそのことは知らなかったが、この場に遊撃士がいないことの方が違和感であろう。だからこそ眉をひそめたのである。

 そんなアルシェムに気付くことなく、ダルモアはテレサに声を掛けた。

「さて……お久しぶりだ、テレサ先生。先程知らせを聞いて慌てて飛んできたところなのだよ。だが、本当に御無事で良かった」

「ありがとうございます、市長。お忙しい中をわざわざ恐縮です」

「いや、これも市長の勤めだからね。それよりも、誰だか知らんが許し難い所行もあったものだ」

 憤慨したようにいうダルモア。ここで再びアルシェムは引っ掛かりを覚えた。遊撃士協会に伝わった連絡は、エステル達の話を聞く限りでは『孤児院が燃えたから調査に来た』というもの。そして、放火であるというのはエステル達が調査し、アルシェムが証言した結果分かったことである。つまり、彼らが知っているはずがないのである。今この時点でこの事件が放火であるという真実を知るのは、犯人かそれに準ずるものでしかありえない。

 だからこそ、アルシェムはダルモアにカマをかけた。

「ダルモア市長、まだ放火だとは伝わってないはずなんですけど、いつその情報を仕入れたんですか?」

 その言葉をアルシェムが履いた瞬間、ダルモアはぴくりと眉を動かした。眉を動かした、だけだった。アルシェムでなければそれは視えなかったため、ダルモアは誤魔化しきることが出来たのである。

 そう、こう言って――

「いや、誰かから聞いたわけではないよ。テレサ先生の性格はよく存じ上げているからね。火の始末にはかなり気を使う方なんだ。不始末ではあるまい」

 ちなみにこの時のダルモアの内心は全力で動揺していた。何かしらの関与があるのはアルシェムの目で見れば一目瞭然。ただし、証拠も何もないので問い詰めることは出来ない。あの時に現れた男達の中には、ギルバートもダルモアもいなかったのだから。

 アルシェムは能面のまま話を促した。いつもならば冷たい目で蔑むのだが、今はその余裕がない。先ほど一応落ち着いたとはいえ、まだアルシェムは不安定なのだ。アルシェムに促されて、ダルモアは問うた。

「どうだね、遊撃士諸君。犯人の目途はつきそうかね?」

 それに、ヨシュアが応えた。可能性は数多あるが、愉快犯の可能性も捨てきれない、と。その言葉をダルモアはさも真実であるかのようにすり替えを行う。可能性があるというだけであるが、ダルモアはこう言ったのだ。

「そうか……何とも嘆かわしいことだな。この美しいルーアンの地にそんな心の醜い者がいるとは」

 ダルモアの中では、愉快犯であってほしいのだろう。アルシェムにはそう見えて仕方がなかった。何かしらの恨みを買うような人間ではないことは恐らくダルモアも理解していてそう言っているのだろうが、今のアルシェムは偏見を以てダルモアを見てしまっている。即ち――モーリス・ダルモアがこの件に関わっている可能性がある、と。

 ぎゅっとアルシェムは手を握りしめて、その考えを追い出そうと努めた。今の自分には正常な判断が出来ないと分かっているからである。その考えを追い出すべく、別のことに思考を割いた。いつ何時でも行っている、その場に在る気配の把握。

 だからこそ、気付いた。この部屋の扉の前に誰かがいる。そして、中の話に聞き入っている。気配を消す技術はないため一般人。恐らくは、息を詰めて聞き入っているのだろう。

 そして、このタイミングでダルモアの言葉に便乗するように愉快犯の可能性の、さらにあり得る可能性を告げる男がいた。

「市長、失礼ですが……今回の件、もしや彼らの仕業ではありませんか?」

 男は――ギルバート・スタインは、そう言ってとある集団の名前を挙げた。外で誰が聞いているとも知ることはなく。その名前は、《レイヴン》。エステル達はあずかり知らぬことではあったが、倉庫街の不良達の名でもある。

「《レイヴン》って……」

 その名を知らぬエステル達のために、メルは分かりやすく説明した。

「昨日あたしに絡んできた男達がいましたね? 彼らですよ、エステル」

「え……あの不良達のこと?」

 そこで、扉の向こうで盗み聞きをしている気配が動き始めた。それだけ訊ければ十分なのだろう。つまり、そこにいた人間の目的は――犯人の情報を、知ること。そして、それを求めるのは――現状、孤児院の子供達しかいない。

 うーんと首を傾げてエステルが言葉を漏らす。

「そこまで大それたことするかな?」

「いや、分からないけど……」

 エステルの疑問は、《レイヴン》本人たちにしかわからないことである。ヨシュアも考え込んではいるが、結論はまだ出せないようだ。

 エステル達が考え込んでいるのを見て取ったアルシェムは、厳しい顔をして起き上がった。そして、告げる。

「ごめん、エステル、ヨシュア、ちょーっとストップ」

 アルシェムは頭を押さえながらそう言った。そして、無理矢理にでもベッドから出ようと画策した――画策しただけで、メルに止められたが。

「何をしているんですか、アルシェム! 今日だけは絶対安静――」

「それどころじゃねーから」

「それどころじゃないのは貴女の身体です!」

 メルはアルシェムが事情を説明する前にベッドに押し戻そうとする。しかし、アルシェムはどうしても動き始めなければならなかった。恐らく、先ほど盗み聞きをしていた人物は《レイヴン》の居場所を知っている。そして、恐らく問い詰めに行くのだろうから。

 だからこそ、アルシェムはメルに告げた。

「誰か盗み聞きしてて犯人っぽいの聞いただけでダッシュしてったんだけど、それでも止める?」

「何ですって?」

 メルは窓に駆け寄って外を見た。すると、一目散にルーアン市街地方面へと駆けていく帽子をかぶった少年の姿が目に入った。メルも知っている。彼が誰であるのかを。日曜学校を開くためにマノリア村を訪れたことのあるメルは、孤児院の子供達の顔もきちんと覚えていた。――クラムだ。

 一瞬にして顔を青ざめさせ、窓から飛び出そうとして押さえる。流石に一介のシスターが窓から華麗に飛び立って子供を確保しにはいけない。だからこそ、メルは青い顔をしたままで振り返って告げた。

「……クラムです」

「おっけ。……ギルバートさん、流石に憶測で物を言いすぎですよ。……失礼」

 アルシェムはベッドの横にきちんと揃えてあった靴を素早く履き、窓に駆け寄って飛び出した。メルがそれを止めようとするが、後一歩のところで手は届かなかったようだ。おかげでアルシェムは万全とは言えない身体のままで飛び出せたのである。

 万全ではないながらもきちんと着地で来たアルシェムはそのままクラムを追って駆け出した。

 

 ❖

 

 エステルは窓から飛び出すアルシェムを呆然としながら見ていた。一応怪我の具合の報告をメルにして貰っていたものの、普通はあの状態で動けるはずはないのである。腕の火傷は一応ほぼ完治させてあるものの、肉体に残った疲れは少なくとも丸一日は絶対に安静していなければとれない、と言われたのである。だというのに――アルシェムは飛びだして行った。

「エステル、追おう!」

「あ、うん!」

 ヨシュアに声を掛けられるまで呆然としていたが、取り敢えず追わなければならない。無理をさせられるような身体ではないのである。エステルはヨシュアとクローゼと共に《白の木蓮亭》を飛び出した。

 飛び出したところでクローゼが声を上げる。

「ジーク!」

 ジークはすぐさま飛来し、クローゼの意をくみ取ってクラムを救うべく先行した。この判断をクローゼが後悔するのはもう少し経ってからである。

 とにかく――エステル達はクラムを追った。珍しく途中の魔獣が狩り終えられていないので少しばかり足止めを食らったが、あくまでも少しばかりである。エステル達も成長しているのだ。エステル達は必要最小限の戦闘だけでルーアン市街まで辿り着いた。

 と、そこでエステルが目ざとく目的の人物を見つけ出す。

「クローゼさん、前!」

「あ……待って、クラム君!」

 クローゼは慌ててクラムの名を呼んで引き留めようとするが、クラムには聞こえていないようだった。――ついでに、前方を走っているアルシェムにも。ラングランド大橋に差し掛かったクラムは無事に通過するが、アルシェムは――不運にも渡っている途中に跳ね橋であるラングランド大橋の跳ね上げに巻き込まれてしまっていた。

「……って、アル、あのバカ……!」

 ヨシュアが舌打ちをして方向転換をし、ホテルの船着き場には確か小舟があったはずと思い至ってホテルに駆け込む。クローゼとエステルもそれに追随した。その背後では――アルシェムが、無理矢理跳ね橋を飛び越えていた。ぎりぎり向こう側には渡れたようである。

 ホテルの地下で小舟を借り受けたヨシュア達は急いで倉庫街の方へと向かい――そして、クラムが入ったと思われる倉庫に突入した。

 

 ❖

 

 倉庫の中でたむろしていた《レイヴン》達は困惑していた。と、いうのも――

「た、たのもーっ!」

「おるぁ待てって言ってんでしょーがクラムぅぅぅ!」

 いきなり少年が乗り込んできたばかりか、先日ナンパをしたレイス達を撃退したつるぺったん女が飛び込んできたのである。まず組み合わせが意味不明である。しかも――

「ピュイイイイイイッ!」

「ごふぁ!?」

 先日レイスに突き刺さったシロハヤブサが女の後頭部に突き刺さったのだから。あれは痛い。レイスは心の中でそっと手を合わせた。脳震盪でヤバいことになっていなければ良い、とも思っていたが。レイスは不良の割に心の底から悪に染まり切れていないのであった。

 流石のクラムもクローゼの飼い鳥ジークの所業に驚いたのか、少しばかり冷静さを取り戻したようだった。ぎこちなくアルシェムに声を掛ける。

「……えっと、アルシェム姉ちゃん?」

「……ジーク……後で焼き鳥にしてやるー……」

 取り敢えず意識はあるようである。アルシェムは後頭部を押さえながらゆっくりと起き上ろうとして――

「ピュイ! ピュイイイッ!」

「ごふぅっ!? 」

 今度は脇腹とみぞおちに嘴を喰らって悶絶する。流石に一般的な鳥だったら問題なかったのだが、相手はジークである。ジークの最高飛行速度は《百日戦役》中の軍事飛空艇の速度にも匹敵する。そして、そんな速度で体当たりされれば悶絶は必至。むしろよく抉れなかった、と自分の肉体をほめたくなったアルシェムであった。何とも恐ろしい鳥である。

 プルプル震えながらやっと痛みを堪えることのできたアルシェムは、涙目になりながらクラムに声を掛けた。

「クラム、犯人、違う。こいつら多分無関係だかみゃあああっ!?」

「ピュイイイイイイッ!」

 クラムに真実を告げようとするアルシェムを、再び邪魔するジーク。ことごとくアルシェムの邪魔をするジークである。主人の意を汲んで動くジークは、《レイヴン》を怪しいとみているのだ。つまりクローゼもそれを疑っているということなのだろう。

 そして、《レイヴン》達は今一番出てはいけない手段に出てしまった。紫髪の不良――ロッコがこう指示したのである。

「お、おい、今のうちだ! 叩き出せ!」

 緑髪の不良――ディンがクラムをつまみ上げ、レイスがジークを蹴り飛ばしながらアルシェムの腕をつかみあげた。そして、その瞬間だった。

 

「クラム君達から手を放してください!」

 

 逆光で顔は見えないものの、凛と響く声。シルエットはジェニス王立学園の制服のように見える。そして、その背後に付き従うツインテールの遊撃士と双剣を構えた遊撃士。

 まあ、つまりはエステル達のことである。彼女らは《レイヴン》がアルシェムを痛めつけたと勘違いして戦闘を開始してしまったのだった。――しかも、クローゼまでもがレイピアを突き付けて。




ジークお兄さんの大・勝・利!
……スミマセンデシタ。

では、また。


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ルーアンでの掲示板の依頼・上

旧47・49・50話のリメイクです。
推敲の結果、順番が前後しました。

では、どうぞ。


 ジークに襲われたアルシェムを《レイヴン》に襲われたと勘違いしてエステル達が襲撃を始めて数分後。

「……全く、女の子と子供に暴力を振るおうとするなんて……恥ずかしくないんですか!」

 すっかりクローゼにぶちのめされてしまった《レイヴン》達は説教されていた。クローゼとエステルの二段構えで。ヨシュアは顔をひきつらせながらアルシェムの治療を手早く行い、クラムに怪我がないかを確かめていた。

 エステルが腰に手を当ててロッコの顔を覗き込み、告げる。

「大体ねえ、あんなボロボロになるまで小突き回すってどういう了見なのよ!」

「あれは俺らじゃねえっつってんだろうが!」

 全力で反駁するロッコだったが、その勢いはクローゼに止められた。

「じゃあ誰がやったって言うんですか?」

 怒鳴るように怒るエステルと、諭すように怒るクローゼ。クローゼは怒りのあまり視線の温度が絶対零度と化していた。一応何もしていないはずなのに、不憫な奴等である。

アルシェムは遠い目をしながら《レイヴン》を擁護するべく口を開いた。

「あー、クローゼさん?」

「アルシェムさんは黙っていてください」

 しかし、クローゼは取り合おうとはせずに一言で斬って捨て、《レイヴン》達に向き直る。

「いや、下手人は《レイヴン》じゃないんですが……っておーい、聞いてますー?」

 アルシェムはクローゼに呼びかけるが、クローゼは反応すらしなかった。無論、クローゼはアルシェムの言い分を信用してはいないのである。だから彼女はアルシェムの言葉を完全に無視した。

しかし、エステルは違った。

「え、じゃあ誰なの? アル」

 アルシェムに下手人の正体を問うたのだ。そして、アルシェムはそれを答えようとして――

「じーぐげほぁ!?」

「ピュイイッ!」

 再びジークに邪魔をされた。危険すぎる鳥である。アルシェムの近くにいたヨシュアは顔をひきつらせながらジークを見ていた。情け容赦もなく鳩尾に一撃を入れに来る鳥がいるだろうか、いやいないはずだった。

 ぴくぴくと痙攣しながら、アルシェムは抗弁する。

「犯人、は、ジークェ……」

「ピュイっ」

 しかしジークは得意げに鳴いただけ。アルシェムはジークのことを心底うぜぇと思った。因みにクラムはその光景を見て顔をひきつらせ、次いで心の中で誓った。絶対にジークを怒らせないでおこう、と。流石にあんな突撃をかまされては死んでしまうと本能で察したからである。

 と、そこに横やりを入れるようにして入口に現われた人物がいた。

「おい、何やってやがるお前ら……」

 その声に振り返ったエステルは紅い髪で大剣を背負った遊撃士を見た。無論のこと、《重剣》のアガット・クロスナーである。彼は頭を押さえながら大剣の柄に手を掛けていた。油断はしていないが、一気にやる気がそがれたようである。

 そんなアガットにエステルが声を掛けた。

「あ、アガット? 何でここに……」

「それは後回しだ。おいロッコ、状況を説明しやがれ」

 アガットは、こともあろうに遊撃士ではなくそこにいた不良に声を掛けた。しかしロッコはそれを拒否。あえなくアガットにぶっ飛ばされる羽目になったのであった。その後、ひとしきり不良をブッ飛ばし終えたアガットはようやくエステル達に向きなおった。

「それで……何でテメェらがこんなところにいやがる?」

「ええと、その……」

 どう説明したものか、と悩むエステルを見たクラムは、どうやら困らせてしまったらしいと敏感に察した。両手を拳型に握りしめ、アガットに向けて叫ぶ。

「え、エステル姉ちゃんたちは悪くないぞ! オイラが飛び出したから、それで追っかけて来てくれたんだ!」

 それを見て、アガットは意外そうに眉を上げた。ただの無謀なガキだと思っていたが、カシウス風に言うのならばなかなか見どころがあるようだ。

「ほう、それで?」

 クラムは必死に弁解した。自分を追ってきてくれたがために不良の親玉っぽい男――あながち間違いではない――に絡まれているエステル達を擁護するために。悪いのはクラムであり、エステルたちは何も悪くないのだと。

「放火の犯人がこいつらだって聞いて、かっとなって飛び出しちゃって……で、でもここまで来て、アルシェム姉ちゃんが違うって言ってくれなきゃオイラ、そのまま飛び掛かってたと思う……」

「……おい小娘、違うと断じた理由は?」

 アガットがぎろりとまだ悶絶したままのアルシェムに向けてそう告げた。今この段階で判断することは恐らく不可能だろうと思っていたからである。

しかし、アルシェムはよろよろと起き上りながら答えた。

「だってあいつら、弱いし……そもそもオーブメント持てるだけの財力もない。放火犯はもっと手練れの、それこそ特殊部隊みたいなやつらだと思うから」

「……後で根拠を聞く。とにかくここから出るぞ」

 アガットの言葉に、エステル達は素直に撤退した。アガットの威圧感に耐え切れなかったというのもあるが、実際《レイヴン》達を本気では疑っていなかったからである。もっとも、アルシェムだけはよろよろと移動する羽目になったが。ジークが再び襲撃して来ようとしていたが、それはクローゼが止めていた。

 そして、エステル達がアガットに護衛されてきていたテレサとクラムを引き合わせている間にアルシェムはアガットによって遊撃士協会へと引きずり込まれた。ジャンがぼろぼろのアルシェムにぎょっとした顔をしていたが、事情を説明――ジークに敵視されているという事実を告げた瞬間に壁に穴が開きそうなほど突かれたが――すると妙に納得してくれた。

 そこでアガットがジャンに告げる。

「放火の件、俺に引き継がせろ、ジャン」

 アガットの言葉にジャンは眉をひそめた。新米準遊撃士でも捜査できそうな案件だと判断していたためだ。しかし、アガットは正遊撃士。そう言うからには何か根拠があるのだろう。

 ジャンはアガットに問いかけた。

「……そんなにきな臭いのかい?」

「ああ、恐らくあのヒヨッコどもには荷が勝ちすぎるだろうからな。事情聴取にこいつだけ借りておくぞ」

 そう言うと、アガットはアルシェムを半ば担ぎ上げるようにして遊撃士協会の二階へと引っ込んだ。アガットが荷物を降ろしている間、アルシェムは遊撃士協会に備え付けてある救急箱の中身を駆使してジークにつけられた傷にガーゼと湿布を当てる。

 そして、アガットはアルシェムに向きなおった。

「それで……一体何が起きて倉庫であんなことになった」

「クローゼという学生があの場にいたでしょー。彼女とは一応面識がありまして……えー、もー色々とあってですね、それでクローゼの飼っている鳥、ジークって言うんですが、奴には嫌われてるんですよ……」

 壊れたように笑いながらアルシェムはそう告げた。流石に倉庫でのことはあまり放火の件には関係ないとはいえ、それでも説明する義務はあると感じたからである。《レイヴン》に濡れ衣を被せたままではいられないというのもあるが。

その表情に若干アガットは引きつつ質問を変えた。

「そ、そうか……それで、放火の現場に居合わせたのはテメェだったな。何が起きたか逐一話せ」

 それに、アルシェムはあったままのことを告げた。唯一、アルシェムを炎の中から救い出した男についての詳細は省いたが。それを聞いたアガットは眉をしかめてアルシェムに問うた。

「今、魔獣って言ったか?」

「えー、あの関所で襲ってきたのと同じタイプの。ついでに犯人たちは似たような黒い服を着てました」

 アガットはしばし考え込んだ。あの孤児院が狙われたのは恐らくアルシェムがいたからではないだろう。むしろ、それならばアルシェムを救う人間を襲撃するなり孤児院の子供達を人質にするなりして確実に息の根を止めるはずである。しかも、アガットが追っている黒装束の男達と特徴も似ている。彼らの目的が何であるかは分からないが、各地で混乱を巻き起こしていることだけは間違いない。

 アガットはぽつりと漏らした。

「……きな臭いな」

「そーですね。目的は見えませんけど、十中八九愉快犯じゃないでしょーし」

 アルシェムもアガットも、この放火が愉快犯でないことだけは十分に把握していた。何故ならば、愉快犯で燃やすのならば孤児院よりも市長邸やラングランド大橋の方が話題になる。孤児院を燃やしても困るのはテレサたちだけである。

 アガットは鼻を鳴らして吐き捨てた。

「……フン、調べる必要がありそうだな」

 いろいろと調べれば調べる程に根は深そうである。問題はどこから絞り込むか、だ。どこから絞り込むべきかを考え込むアガット。

アルシェムはそんなアガットにヒントになるような言葉を投げかけた。

「……ねー、アガットさん。孤児院が燃えて得をする人っていると思いません?」

「何?」

「だってあそこ、あんなに見晴らしが良くて海岸にもマノリアにもほど近いんですよ? 観光スポットとか作るにはよさそーな場所だと思いません?」

 マーシア孤児院は、アルシェムの告げる通り見晴らしも良く、まさに観光スポットとして運用できそうな場所でもある。もしもそこに別荘でも立てれば良い値段で売れそうだ。そのことに、アルシェムの言葉を眉を寄せながら聞いていたアガットは気付いた。

 アルシェムの推測には続きがあるだろうと思い、アガットは先を促す。

「……続けろ」

「観光スポットとか作るには孤児院が邪魔って人もきっといるかなーと。ほら、身分の高い人って孤児とかあんまり好きじゃないですし」

 その言葉も鑑みつつ、アガットは捜査の方向性を定めた。あの孤児院を邪魔だと思う人物を片っ端から調べることにしたのだ。そして、それには人手が足りない。たった一人で全てをこなせると思うほどアガットは無茶な人物ではなかった。

「……チッ、おいアルシェム」

「何です?」

「あのヒヨッコどもにはバレねぇようにルーアンの有力者たちの情報を集めろ。俺は今来ている外部の人間から当たる。テメェは内部の人間から当たれ」

 そのアガットの言葉に、アルシェムは頷いた。そうして、アガットは二言、三言エステル達と言葉を交わし合ってから遊撃士協会から出て行った。アルシェムは小さく溜息を吐きつつ階下に降り、エステル達と二手に分かれて掲示板の依頼をこなしつつアガットからの頼みごとをこなすことにした。

 エステル達と依頼を分配したアルシェムは、早速依頼をこなしながら情報収集に努めることにした。エステル達に振り分けた依頼は倉庫の鍵の捜索と、整備鞄の配達、クローネ山道探索の護衛。アルシェムはそれ以外の依頼を引き受けた。そして、エステル達と合同でクローゼからの学園祭への協力の依頼も受けることになってしまったので後でアガットに連絡が必要だろうとアルシェムは判断する。

 とにもかくにも、依頼をこなすためには動き始めなければならない。アルシェムは早速依頼をこなすべく動き始めた。まず、アルシェムが向かったのはアイナ街道。何も考えずに息抜き感覚で出来る手配魔獣の排除からである。ついでにそのままエア=レッテンまで向かって迷惑な旅行者への対応をこなし、戻ってきて燭台の捜索に向かい、最後に礼拝堂で待つというお宝捜索の依頼人の元へと向かう。その間に試作品の捜索もこなせるだろう。面倒なことは先にやってしまう派なのである。

 アイナ街道をしばらく進むと、そこに現れたのはヘルムキャンサーという魔獣だった。この魔獣は《紺碧の塔》に生息しているはずの魔獣である。《紺碧の塔》で何かしら異変があった可能性は否めないが、取り敢えず今は関係なさそうなので手配魔獣を排除する。物理攻撃は効かないようだが、生憎アルシェムの導力銃の弾丸は一部を除き導力で出来ている。さして困ることもなく手配魔獣を狩り終わった。

 すると、狩り終わった手配魔獣から散ったセピスに紛れて、何やら導力銃のようなものが出現した。どうやら、この手配魔獣が呑んでしまっていたらしい。確かに導力銃の動力源には七耀石が使われているので手配魔獣が呑んでしまっていてもおかしくはない。

 その導力銃を鞄の中にしまったアルシェムは、そのままエア=レッテンまで突っ走った。途中の魔獣は目についたものだけを粉砕する形である。出来るだけ早く市内に戻って情報を集めなければならないため、全ての魔獣を狩っている暇はないからだ。

 エア=レッテンに辿り着いたアルシェムは、迷惑な旅行者とやらを捜索した。そこまで大きな関所ではないため、すぐに見つかるだろう。案の定扉の前に旅行者と思しき人々は集まっているのを見たアルシェムは、そこに紛れていた王国軍の兵士に話しかけた。

「済みません、依頼を受けてきました」

「お、おお! 来てくれて助かったよ」

「この中ですね? 出来るだけ穏便に済ませてきますので、出来たら離れていてください」

 扉から中に入ろうとしていた旅行者たちの対応を王国軍の兵士に任せ、アルシェムはその部屋の中に入る。すると、そこには――

「黙れ、フィリップ! 私はここが気に入ったのだ。何しろエア=レッテンの滝を間近に臨むことが出来るからな!」

 などとのたまういかにも偉そうな人物がいた。アルシェムは彼の名を知っている。デュナン・フォン・アウスレーゼ。ただいまルーアンに視察に来ているはずの王族の人間である。

 アルシェムは溜息を吐きながら対応にあたっていた副長と代わった。

「む? 誰だお主は」

「初めまして、デュナン公爵閣下。フィリップさんとは大変ご無沙汰しております」

 アルシェムがいささか芝居がかった様子で一礼すると、フィリップは眉を寄せた後目を見開いた。どうもアルシェムがここにいるとは思ってもみなかったらしい。確かにアルシェムとフィリップは面識があるとはいえ、状況が特殊すぎた。

 フィリップはデュナンの前に体を滑りこませてアルシェムと対峙する。

「貴女は……」

「今は準遊撃士として動いております、アルシェム・ブライトです」

 その言葉に、フィリップは一気に警戒を引き上げた。先ほどまで確信が持てなかったとはいえ、名乗られたことでアルシェムの正体を理解したからである。フィリップはアルシェムがかつてデュナンの姪クローディアを暗殺しようとしたことを知っていたのだ。

 フィリップは滅多にない厳しい声でデュナンを下がらせた。

「お下がりください、閣下」

「う、うむ……」

 デュナンはフィリップの声に含まれた厳しい響きを感じ取って後ずさる。デュナンは、これほどまでに警戒したフィリップを見たことがない。それほどまでに危険な相手なのだろうか、と思いつつ様子を見守る。

 本来ならばここでデュナンは騒ぎ立てていただろう。正面にいる女が、暗殺者かも知れないのだから。しかし、フィリップの雰囲気に気圧されてしまって迂闊に声を出せる状況ではなかったのである。故に、デュナンは下がるだけにとどめておいた。

「それで、アルシェム殿。我が主に何の御用ですか?」

 全力で警戒しているフィリップに、アルシェムは溜息を吐きながら答えた。

「遊撃士として受けた依頼ですよ。こちらの組んだ警備体制を全力で乱されてしまっては御身に何が起こるやも分かりませんから、ルーアン市街に戻っていただけないかと」

「……確かに、準遊撃士の紋は身に着けておられるようですが……その証拠は」

 フィリップは警戒を解かない。アルシェムが操られていたことを知ってはいても、それが本当なのかどうかわからないからである。口では何とでも言えるし、そもそも犯罪結社出身者だ。信頼することなど出来はしない。

 しかし、ここでアルシェムに助け舟を出した人物がいた。それは、先ほどまでデュナンを説得しようと試みていた副長である。

「あー……申し訳ないんですが、他の旅行者の迷惑になるってぇのを聞いていただけないみたいですし、交渉事は遊撃士の方が得意ですからこちらから依頼したんです」

 それを聞いたフィリップはかっ開いていた目をゆっくりと閉じ、すっかりおびえてしまったデュナンを連れてエア=レッテンから退去することを確約した。アルシェムは道中の護衛を買って出たが、全力で断られたのは言うまでもない。




ジークお兄さんは規制できません。
だって国鳥だからね。
仕方ないね。

では、また。


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ルーアンでの掲示板の依頼・下

旧48話のリメイクです。
後半にはエステル達視点もあります。

では、どうぞ。


 エア=レッテンから戻ったアルシェムは、武器屋に寄って導力銃の試作品を探しているはずの研究者に会っていた。彼の名はカルノー。かつてアルシェムがツァイスに留学していた際に会ったことのある人物である。カルノーはアルシェムが遊撃士になっていたことを祝ってくれ、また少しばかり残念そうにしていた。カルノーはアルシェムの技師としての技術を買っていたのである。

 アルシェムはカルノーに遊撃士の方が性に合っていることを伝え、武器屋を後にした。残っているのは燭台の捜索とお宝捜索という依頼だけである。後で用事のある場所で待っているらしいお宝捜索の依頼を後にして、アルシェムは燭台の捜索にかかることにした。――といっても、遊撃士協会で報告を終えてからだが。

 遊撃士協会で報告を終えると、すれ違いそうになったエステル達からきちんと昼食をとるように念入りに言われてしまったため、軽く昼食をとる。そして、そのままダルモア邸に向かって歩き始めた。

 ダルモア邸に辿り着くと、アルシェムは庭で作業をしている人物がいたので話しかけた。一応ダルモアも容疑者ではあるのだ。ルーアンの中で観光名所を作るとして、一番得をするのはダルモアなのだから。

「こんにちは。素敵な御庭ですね」

 心にもないことを言いつつアルシェムは庭師を見た。すると、庭師は少しばかり照れつつこう返してくれた。

「ああ、ありがとう。ところで何の用だい?」

 そこでアルシェムは準遊撃士として依頼を果たしに来たことを伝えた。すると、庭師は屋敷を振り仰いでからアルシェムにこう答えた。

「ああ、今はいらっしゃるからこのまま入ると良い。……ま、最近はやたらとお偉方の出入りが増えたからもしかしたら中断させられるかもしれないけど」

 その言葉に、アルシェムは眉を動かした。お偉方がルーアン市長邸に訪れるのは珍しいことではない。しかし、この時期に増えたとなれば――かなり、怪しいだろう。白か黒かと聞かれれば黒に近いと言わざるを得ない。ジェニス王立学園の学園祭関係で増えたとも考えられるが、流石にまだ時期が早過ぎた。

「そうなんですね、ありがとうございます」

 アルシェムは庭師を適当にあしらってダルモア家に足を踏み入れる。すると、何故か秘書が玄関先で待ちかまえていたので、アルシェムは彼に話しかける。

「済みません、盗難事件の捜索依頼で来ました、準遊撃士ですが」

「ああ……って、君かい!? もうけがは大丈夫なのか?」

「えー、まー。ご心配をおかけしました」

 ぎょっとした様子のギルバートにアルシェムは苦笑しながらそう返した。一般人ならばいざ知らず、アルシェムは頑丈に出来ているのである。それに七耀教会の秘術が加われば、大けがをした次の日に全快しているなど造作もないことだ。

 引き攣った笑みを浮かべているギルバートは、盗まれたものの詳細を伝えてくれた。何でも、ダルモア家の家宝である『蒼耀の灯火』が何者かに盗まれたらしい。そして、盗んだ犯人はとあるカードを残して行ったとか。

 そのカードをギルバートから受け取って見たアルシェムは、盛大に顔をしかめた。

「……『怪盗B』、ねー……」

「ええと、知っているのかい?」

 ぎこちなく問うてくるギルバートに、アルシェムは遠い目をしながら答えた。

「国際的な犯罪者ですよ。死蔵されている宝石から女性まで何でも盗んでいく、ね」

「え、じょ、女性まで……?」

 アルシェムはこの犯罪者を知っていた。そして、その犯罪者の手口までも。というのも、この『怪盗B』なる人物とアルシェムは会ったことがあるのだ。一時期に至ってはアルシェムが彼に師事していたことすらある。

 小さな宝石から、女性まで。さまざまなものを盗んでいく『怪盗B』であるが、盗まれるモノには得てして共通点がある。それは、『日の光が当たらないモノ』であるということ。もしくは、『持ち主がその物品を持つのにふさわしい人物ではない』ことである。今回の場合は恐らく後者であろう。

 そして、犯行時にも特徴があって――彼は、謎かけをして盗んだモノの近くに潜んでいることが多いのだ。その謎が解かれない限り、物品が帰ってくることはない。それは謎が解かれないことをその目で彼が見ているからである。今回の場合は、このダルモア家に潜んでいる可能性がある。

 アルシェムは若干引いてしまったギルバートに声を掛けた。

「まー、それは置いといて。出来れば家宅捜索から始めたいのですが?」

「それはもうやったんだ。家人たちを総動員してね。だから、そのカードに従ってくれないか?」

 そう言うギルバートは、少しばかり慌てているようにも思えた。そんな雰囲気を出されてしまっては、アルシェムとしてはますますダルモア家に疑いの目を向けざるを得なくなってしまう。

 半眼になるのを必死に抑えつつ、アルシェムはこう返した。

「そーですか、分かりました。では失礼します」

 そう言って礼をし、踵を返してダルモア邸の玄関から出る。すると、庭ではいつの間に出現したのか意味不明な人物――身なりだけで言えば、執事のようである――と庭師がおしゃべりをしていた。

「……え、良いんですか? ダリオさん」

「はい、今日はいろいろありましたし……今は手すきなので休憩してきてください」

「ありがとうございます」

 どうやら、庭師に休憩を与えたようである。アルシェムはその執事の背後に忍び寄ると、彼に密着して導力銃をその背に突き付けた。そして、低い声でこう告げる。

「……怪盗B。正直に盗品を出さないと風穴開けるよ?」

 しかし、ダリオと呼ばれた執事のような人物は困惑した雰囲気を醸し出してこう告げた。

「え、ええと……これは何の冗談でしょうか?」

「はぐらかしても無駄かなー。そんな身のこなしの執事がいるわけないし」

 ごり、と導力銃をめり込ませてアルシェムがそう告げると――ダリオ、否、怪盗Bの雰囲気が一気に変わった。少しばかり底冷えのする快楽主義者の気配である。怪盗Bは声色すら変えてこう告げた。

「……何故分かったのか、参考までに聞いても良いかね?」

「何でって……いや、さっきまで庭には庭師さんしかいなかったのに二階にいたはずの執事が玄関も裏口も使わずに飛び出してるってのがオカシイから?」

「相変わらず、気配にだけは鋭敏すぎるのだね」

 たらり、と冷や汗を流しながらそう言う怪盗Bに、アルシェムは冷たい声を返した。

「相変わらずって言われても多分初対面だしね。ま、どーでもいいから燭台返せ」

 すると、怪盗Bは小さく嗤いながらこう答えた。

「君の慧眼に賞賛を込めて進呈しよう」

 そう言って怪盗Bが手渡してきた燭台は、紙に包まれていた。アルシェムがそれを受け取った瞬間、怪盗Bは身をひるがえして逃げていく。

「こら待て! ……っつっても、聞くわけないかー……」

 消えていく怪盗を見て、アルシェムは嘆息しつつ燭台から紙を引きはがして状態を見た。流石に美術品をめでるのが好きな彼らしく、傷一つついてはいない。その包み紙を一瞥して丁寧に畳んでから、アルシェムはダルモア邸へと戻った。

「おや、どうかしたのかね?」

 玄関へ入るなり、ギルバートがそう声を掛けて来た。どうも待ち構えていたというよりは無理に押し入られないようにしたかったらしい。ギルバートはアルシェムを見て、そしてその手元を見るなり硬直した。というのも、そこには盗まれたはずの《蒼耀の灯火》が握られていたからである。

「そーいうわけで、見つかりましたので返却までに」

「は、早かったね……」

「えー、運よく実行犯に鉢合わせましたので。残念ながら燭台を傷つけてしまう可能性があったので追えませんでしたが、よければ侵入経路だけでも割り出しましょーか?」

 ギルバートはそれを口早に断り、この依頼は終了した。余程探られたくないらしい。アルシェムはギルバートたちへの疑念を深めた。

 アルシェムはダルモア邸を後にして遊撃士協会で報告を終え、とあるものを受け取ってから七耀教会へと向かっていた。最後の依頼はお宝捜索という何ともロマンあふれるモノである。アルシェムが遊撃士協会で受け取ったのは、ルーアンを訪れる際に見つけていた海図の切れ端とダガー。もしかしたら関係あるのかもしれないと思ったので受け取ってきたのであった。

 七耀教会へと入ると、そこには礼拝堂に似つかわしくない男がそわそわしながら何かを待っていた。十中八九、依頼人のジミーであろう。アルシェムは彼に話しかけ、夢あふれる大海賊シルマーの残した宝の地図を手掛かりに宝探しを依頼された。しかし、アルシェムはその地図を見て苦笑する。というのも、海図の切れ端とダガーを手に入れたのは丁度そこだったからだ。アルシェムはそれをジミーに手渡し、狂喜乱舞するジミーに依頼の完了を念押ししてから彼から離れた。流石に海図の切れ端から別のものを探している時間はないのである。

 そして、一応名目上は元生徒が元先生を訪ねに来たという体を取ってアルシェムはメルに接触した。ロレントでメルに依頼した調査の途中経過を聞く為である。カプア一家と、使えそうな遊撃士と《蛇》関連の情報だ。メルはアルシェムに分かった情報を余すことなく伝えた。リベールにいる主要な遊撃士。《身喰らう蛇》で分かっている構成員の名前。そして――カプア一家の情報までも。

 アルシェムはそれを聞いてメルを労い、とある紙切れを取り出してメルに見せた。

「……これは?」

「信ぴょう性、あると思う?」

 困惑するメルにそうアルシェムが問うと、メルはそれをじっくりと見て頷いた。この紙切れは信頼できるということである。それさえわかればよかったので、アルシェムはメルに礼を言って七耀教会を後にした。

 遊撃士協会に戻ったアルシェムはジャンに盛大に引かれつつも報告を終え、エステル達が戻ってくるのを待つのであった。

 

 ❖

 

 時はアルシェムと別れた直後までさかのぼる。午前中のエステル達はというと――

「ふふ~ん、どんなもんよ!」

 エステルが釣り道具を手に、倉庫の鍵らしきものを吊り上げていた。酔っ払いが海に叩き込んでしまった倉庫の鍵をエステルが釣り上げたのである。普通はそんな器用なことは出来ないような気もするが、エステルは生粋の釣り人。将来かの《釣公師団》にも認められるほどの腕前であるために、少しばかり苦戦はしたものの見事釣り上げることが出来たのであった。

 それを見て、目を輝かせて手を叩くクローゼ。

「凄い、凄いですエステルさん!」

 純粋に凄い技能を持つエステルをほめそやしたクローゼは、そもそも何故エステル達の依頼にくっついているのか。それはクローゼから申し出たことであり、この忙しい時期に遊撃士協会から人手を出して貰うことに対するお詫びでもあった。

 それを知ってか知らずか、クローゼの同行を反対しなかったヨシュアも意外そうなものを見る目でエステルを見た。

「まさか君の釣り好きがこんなところで役立つなんて思ってもみなかったよ」

「ふっふっふ、どうだ参ったか!」

「いや、何と戦ってんのさエステル……」

 ヨシュアは自慢げに鍵に向かって自慢し始めるエステルに向けてそう突っ込んだ。

 その後、倉庫の鍵は無事に持ち主に返され――無論、釣り糸は外してある――事なきを得たのであった。少しばかりざらついているのには首を傾げていたが、海の底に沈んでいたので乾燥して塩がついてもおかしくないだろう。

 とにかく、エステル達は次の依頼へと向かった。次の依頼は整備鞄の配達、のついでにクローネ山道探索の護衛をこなすことにしていた。整備鞄を配達し次第護衛に向かう方針だ。オーブメント工房から整備鞄を受け取ったエステルは、工房の店員からこんなことを聞いた。

「灯台守の爺さんはちょっと偏屈だけどさ、ずっとあそこに一人でいるからなんだ。昔は海に出て《アゼリア・ロゼ》を呑みつつ辛口アンチョビで一杯、とかやってたけど今じゃ出来ないし……分かってあげて貰えると助かるよ」

「そ、そうなんだ……うん、分かったわ。じゃあ、確かに整備鞄の配達、請け負ったわよ」

「ああ、頼む」

 そうして、オーブメント工房から出たエステルはヨシュアにこう告げた。

「ねえ、ヨシュア。やっぱりこういうときって差し入れとか持って行っちゃ駄目かなあ?」

 それを聞いたヨシュアは、エステルの懇願するような顔に内心だけ全力でテンションを上げながら目を見開いた。そして、応える。

「いや、良いと思うよ。ちょっと出費は痛いかも知れないけど、こういう気配りも大事だと思うし」

「そっか、良かった! ヨシュア、あたし今から《アゼリア・ロゼ》手に入れて来るから辛口アンチョビ買ってきてくれる?」

「お安い御用さ」

 そうして一度エステル達は二手に分かれ、エステルとクローゼでカジノバー《ラヴァンタル》へ、ヨシュアは生鮮雑貨店へと向かった。エステル達は整備鞄から灯台守のところへ行くのを一目で看破した店主が《アゼリア・ロゼ》を無償で譲り渡してくれたので比較的早く済んだが、ヨシュアは生鮮雑貨店で辛口アンチョビを探したものの売り切れていたことが判明した。

 エステル達は合流すると、ヨシュアの報告を聞いて辛口アンチョビはマノリアで手に入れれば良いという結論に達した。おそらくマノリア村の方が在庫はあると思われたからである。エステル達は整備鞄を持ってマノリア村へと急いだ。

 途中の魔獣はアルシェムがこの間あまり狩らなかったので比較的多かったが、エステル達の敵ではなかった。クローゼがいることで戦闘に幅が増えたというのもある。とにかく、エステル達は順調にマノリア村へとたどり着いた。途中でクローゼが孤児院の方角を見てしんみりしたこともあったが、気にはしても捜査は出来ないのでエステル達も少しばかり悔しい思いをしながら通り過ぎた。

 マノリア村に辿り着くと、ヨシュアは早速辛口アンチョビをゲットした。そして、エステルと相談して整備鞄の配達をヨシュアが行い、後からエステル達に追いつく形をとることになった。

 ヨシュアが灯台の方へと去り、エステルはマノリアの端にある家を尋ねた。そこに依頼人がいるはずだからである。

「すみません、ご依頼の遊撃士ですけどー」

「あ……あの、済みません、叔父ったら先に出発しちゃったみたいで……!」

「ええっ!?」

 エステルは依頼人の言葉に驚き、少しばかり事情を聴いて依頼人の叔父を追いかけることに決めた。流石にこのまま放置してしまえば依頼人が哀しむと思ったからである。エステルはクローゼに謝罪しつつクローネ山道へと急いだ。

 灯台までの魔獣はヨシュアが殲滅してくれていたようで比較的早く進めたのだが、その先はまだまだ魔獣が多い。エステルとクローゼは悲鳴か何かが聞こえないか耳を澄ませながら先を急いだ。

 マノリア間道を抜け、クローネ山道に入っても男性は見つからない。エステルは焦りながらも先へと進んだ。そして――

「う、うわああっ!」

 叫び声が、聞こえた。そこにいたのは卵のような魔獣に追われる中年男性。恐らく、あれが叔父なのだろう。

 エステルはクローゼに向けて叫びながら飛び出した。

「クローゼさん、あたしあのおじさんの前に行くから挟み撃ち!」

「は、はい!」

 クローゼもそれに反応し、エステルが少しばかり段差になっているところから男性の前に滑り込んだところで戦闘を開始した。その魔獣――ボイルデッガーRは、火のアーツが得意なようなのでエステルが思い切り吹き飛ばして男性から逸らしつつクローゼがアーツで仕留めるという形で全滅させた。

 全ての魔獣を狩り終わったエステルは、男性に向き直って一言だけ怒鳴った。

「こんな危ないとこ来るのに護衛を待たずに来ちゃダメでしょ!」

「い、いや、うむ……少し入るくらいなら大丈夫だと思ったんだが、甘かったようだな」

 別にこのくらいは何とかなった、といえるほど無謀でもなかった男性はエステルにそう答えた。そして、謝罪の意を示すために頭を下げる。それを見たエステルは男性に用は済んだのかを問い、用がないことを確かめてからクローネ山道を脱出した。途中でヨシュアとも合流し、マノリア村に戻った瞬間。

「次からはちゃんと遊撃士に自分で依頼してちゃんと遊撃士を連れてってよね! それで死んじゃったらアメリアさんが悲しむんだから!」

「う、うむ……」

「返事ははい、よ!」

 そのまま男性はエステルに説教されることとなり、エステルを止めて遊撃士協会へと戻ったころには既に夕方になってしまっていたのであった。




これからもたまにエステル達視点が登場します。

では、また。


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ジェニス王立学園へ

旧51話~53話のリメイクです。

では、どうぞ。

※2017/02/20,22:47追記。学園祭前日準備辺りに言葉足らずだったのを修正しました。


 エステル達と合流したアルシェムは、実は休日だったクローゼと共に夕食をとり、エステル達はホテルへ、クローゼはジェニス王立学園の寮へ、アルシェムは遊撃士協会の二階へと向かった。そして、明日に備えて休んだのであった。

 アルシェムは再び悪夢を見ることになった。恐らく灯台の中だろうか。密閉空間で灯台守のお爺さんとエステル、ヨシュア、そしてアガットが重傷を負い、クローゼが身分を明かして命乞いをしているという光景である。結論としてクローゼがその場から離された瞬間にエステル達は射殺される羽目になっていた。

 最早悪夢にも慣れたものでアルシェムは顔をしかめながら起き上がり、荷物をまとめた。エステル達がクローゼから受けてしまった依頼は、ジェニス王立学園に泊まりこまなくては出来ないものだったからである。アガットにはまだ告げていなかったので、出来れば今のうちに伝えておきたかった。

 その願いがかなったのだろうか。アガットが遊撃士協会に現れた。アガットとしてはアルシェムと情報交換をするために現れたので出現するのは当たり前ではあるのだが。遊撃士協会の二階でアガットとアルシェムは情報交換を始めた。

「それで……ルーアン内部で怪しい奴はいたか?」

「えー、まー」

 アルシェムはアガットに報告した。最近お偉方が訪問する回数が増えたダルモア邸の話を。そして、盗難事件にも拘らず実況見分をさせて貰えなかったことも。更には、盗難事件に際して燭台を包んでいた紙がダルモア家の裏帳簿のものだったということまで。

「……フン、思ったより使えるらしいな」

「そっちは何かありました?」

 アガットはそれに首肯してグランセル王城から念のために引っ張ってきたルーアンの税収の資料を取り出した。外部の人間で怪しい人物は見当たらなかったため、早々に内部の人間を疑うことにしたのだ。そこには、明らかに計算の合わない帳簿があった。

「……怪しいのはダルモア、か……」

「ただし、彼独断かってゆー確証がないのが問題ですよねー。やろうと思えばこれくらい、秘書のスタイン氏にでもできますし」

 アガットは黙考した。アルシェムが有能なのは認めるが、これ以上関わらせていいものかと。ある意味被疑者の一人でもあるのだ、アルシェムは。だからこそこれ以上関わらせて捜査を引っ掻き回されるよりは遠ざからせた方が賢明だと判断した。

もしここで反駁するようなら黒の可能性が高くなってくる。そう思いつつアガットはアルシェムに宣言した。

「……取り敢えず、テメェはここまでだ」

「あ、そーなんですか。ちょっと助かったかもです」

 だからこそ、アルシェムのこのほっとしたような答えに眉を寄せることになったのだ。アガットが事情を聴くと、どうやら先日倉庫にいた女学生――クローゼのことである――からの依頼で学園祭まで泊まり込みになる可能性が高いとのこと。アガットは釈然としないもののアルシェムに依頼終了を言い渡した。

 そして、アガットは捜査を続けるべく遊撃士協会から立ち去った。アルシェムも階下に降りてジャンに挨拶を終え、エステル達を待つ。すると、程なくしてエステル達は現れ、そのままジェニス王立学園へと向かうことになった。

 ジェニス王立学園までの道では、比較的魔獣が少なかった。アルシェムが狩っていた分もあるのだが、それにしても少ない。アルシェムはいぶかしく思いつつも足を進めたのだった。

 ジェニス王立学園へとたどり着くと、クローゼはコリンズ学園長にエステル達を紹介し、次いでクラブハウスへと向かった。そこに生徒会室があるらしい。生徒会室に足を踏み入れると、忙しそうに作業をこなす女生徒とそれを補助する男子生徒がいた。

 その女生徒たちにクローゼは声を掛けた。

「ただいま、ジル、ハンス君」

 そのクローゼの声に反応したのか、女生徒――ジルが顔を上げてクローゼに声を掛けた。

「お帰り、クローゼ。今丁度修羅場が終わったところよ。後でまたちょっと手伝ってもらうかもしれないけどね」

「孤児院のチビ達と院長先生のこともあったのは分かる。でも悪いけど手伝ってくれ……もしくは差し入れでも可」

 男子生徒――ハンスがジルに追従してそう言い加える。どうやら相当忙しかったようである。クローゼは苦笑しながら謝罪し、助っ人を連れて来たことを告げた。その瞬間。

 

「「よくやったクローゼ!」」

 

 とジルたちは叫んだ。最早救世主でも見たかのような顔にエステルとヨシュアは絶賛引いていたが。

 その後、自己紹介を済ませたエステル達とジル達は今回の依頼である劇について語り始めた。演題は『白き花のマドリガル』。中世リベールの悲劇、というか恋愛もののアレンジらしい。そのアレンジの内容がオカシイのだが、それはさておき。

 ジルは考えがまとまったのかエステルにこう宣言した。

「よし、決まりね! エステルさんは剣でクローゼと決闘して貰うわ!」

「ええっ!?」

 驚愕するエステルを放置して、今度はアルシェムに宣言するジル。

「そしてアルシェムさん! あなたにはクローゼ達の師匠役になってもらうわよ!」

「何故に!?」

 最後に、ヨシュアに向けてジルは宣言した。

 

「ヨシュア君は――お楽しみね!」

「なんでさ!?」

 

 一部ヨシュアを放置しながら、劇の配役は決まったようだった。そもそも劇の配役が決まらなかったのはクローゼの相手役がいなかったから、だそうだ。むしろこの学園内でクローゼに対抗できてしまう女生徒がいればそれはそれで問題である。クローゼの剣の師は、王国軍のとある士官なのだから。

 そして、衣装合わせをすべく講堂に向かったエステル達。流石に衣装は考えてあったのか、エステルのものは紅、クローゼのものは蒼、そしてアルシェムのものは紫だった。どれも王国親衛隊の衣装を基調にしたものである。もとは男子用だったのだが、この三人娘のとある部位は貧相なので普通に収まったことを明記しておく。因みにそれを明言してしまったハンスはお仕置きを受けることになったそうな。

 エステル達が衣装を合わせると、ジルは眼を輝かせて感嘆の声を上げた。

「おお……イイわね」

 と、いうのも――エステルが演じる紅騎士ユリウスは貴族であり近衛騎士団長。当然内側から自信がみなぎっている彼女は、少しばかり雰囲気は違うものの貴族として威厳があると言っても良い。対するクローゼが演じる蒼騎士オスカーは平民上がりの猛将。当然礼節をわきまえていて知的な雰囲気を醸し出す彼女は、本来の身分を抜きにしても『貴族から見ても認められるほどの優秀な平民』になれるだろう。そして、アルシェムが演じるのは紫騎士ブラッド。他国からの流れ者でありながらも総大将として動ける渋いオッサンの役である。威厳は微塵もないのだが、どこからどう見ても只者ではない雰囲気を醸し出せばいいとジルに言われたので常時少しばかりの殺気を放出する羽目になっていた。

 そして、肝心のヨシュアはというと――

「……なんでさ……」

 若干涙目になりながらも衣装はきちんと着ているあたり、律儀であるともいえるだろう。黒髪のヘアピースのおかげで全く以て男子には見えない。むしろ、コレが男子だったということを誰もが信じたくなかった。

 

 そこに、まさしく白の姫セシリアが現出したのである。

 

 流れるような黒髪――手入れを怠らなかったヘアピースであるため、かなり状態はいい――に、神秘的な琥珀色の瞳。頭上に乗せられた華奢なデザインのティアラの宝石は、艶消しを施してある本物の紅耀石で作られている。髪に隠れた耳たぶにはこれまた艶消しを施してある小さな紅耀石の耳飾りが揺れ、表情を引き締めていた。首元を飾るネックレスも耳飾りとセットのもので、少し大振りな紅耀石と小さな銀耀石でふくらみのない胸をカバー。その下には髑髏のネックレスが重ねがけされていた。

 白の姫を象徴するかのようにドレスは谷間の直上の紅バラを除いて純白で、紅バラの下と腰回りを強調するためのリボンだけが装飾となっていた。それに合わせた白手袋も、かなり繊細な刺繍が入っていてミラがかかっていることをうかがわせる。これで足元が疎かかと言われるとそんなはずもなく、ヨシュアの足にはこれまた純白のローヒールが履かされていた。

 そして、問題なのは――

 

「……ジル、信じられるか……? こいつ、ノーメイクなんだぜ……?」

 

 虚ろな声でハンスが告げたとおり、この状態でヨシュアは化粧の一つもしていないのである。エステルとアルシェムを除く、うっかり覗き見していた女生徒を含めたその場にいる女子諸君が轟沈した。彼女らの内心は一致している。即ち――

 

「(女として)負けた……!」

 

 なお、この女生徒諸君が立ち直るには数日間の時を要したと明記しておく。

 

 ❖

 

 ヨシュア女装事件から、数日――その爪痕も色濃く残る中、エステル達はコリンズ学園長の計らいもあってジェニス王立学園の短期留学生として通学することになった。実は制服を支給するという話があったのだが、とある人物の要請でその話は立ち消えた。というのも、その人物が制服を着てしまえばその身体に残る数多の傷跡が晒されてしまうことになるからである。他国からの留学生や大富豪の子息令嬢も多数在籍している学園としては、心に傷跡の残りそうな控えめに言ってもグロい傷跡を見せることを良しとしなかったのであった。

 そうして、遊撃士としての仕事着を着たまま授業に参加させて貰ったエステル達。彼女らの学園生活は、これまでの遊撃士として動いている中では得られないものが多かった。専門的なことや、普通に生活しているうえでは知りえないこと――たとえば、人体の構造について――など、多岐にわたる。

 エステルはどちらかというと落ちこぼれる傾向にあったのだが、たまに穿つような発言をするので少しばかり先生たちから目をつけられた。知識が伴っていないのに穿った発言が出来るということは、それなりに頭の回転が良いということ。エステルに知識が伴えば、どれほどの大人物が出来上がるだろうか。それを夢想した教師たちが多かったのだ。おかげでエステルの知識量はこの一時に限りぐんと増えたのであった。

 ヨシュアはどれでも甘いマスクでそつなくこなすので特に女性教師たちから人気があった。因みに女生徒からも人気があり、何度か告白もされたらしい。しかし、告白した女生徒たちは、ヨシュアのにっこり笑顔からの『僕、好きな人がいるから』に打ちのめされるという悲劇に見舞われていた。因みにその好きな人を突き止められた人物はジルとクローゼ以外にはいない。

 ヨシュアがたまにハーモニカを吹いて休憩する役者たちを癒していると、それに目をつけたジルに閉会の音楽を流してくれるように要請されたこともある。ヨシュアはそれを断ったが、ジルの巧妙な手回しによって結局披露することになったのは言うまでもない。ヨシュアは最後まで抵抗したのだが、結局披露することになってしまったことで開き直って全校生徒を巻き込んだ。

 アルシェムはエステルとヨシュアを隠れ蓑にして出来るだけ目立たないように過ごしていた。なので周囲の評価はヨシュアにくっついている虫かエステルの妹というだけ。たまにヨシュアに振られた女生徒たちに詰め寄られたり、いつの間にか信奉者が出来ていたエステルお姉様親衛隊に詰め寄られたりしていた。言葉で説得することもなく普通に逃亡するので生徒たちの間での評判は最低ランク。本人は全く気にしていなかったが、エステル達には心配されていた。

 また、学園祭での出し物である劇の練習にも邁進した。エステルはセリフを覚えるのに苦労しつつも、クローゼともう一人の剣を扱う役者に実戦的な剣の扱いを伝授した。一応カシウスから剣の手ほどきを受けていた彼女は、あまり向いていないものの一般人よりは扱えるためである。ヨシュアは可憐に演技をしつつハンスと共に台本の改訂にいそしみ、演出にも口を出した。アルシェムは勢い余って舞台装置を傷つけるエステル達の尻拭いに奔走することになるのであった。手先が器用なため、修繕はどちらかと言えば得意なのである。

 そうして、日々は過ぎていった。

 学園祭、前日――本番まで厳密に言えば丸一日を切ったころ。通しの練習を数十回もこなせば、セリフの間違いも減ってくる。この日も数回通しを行い、最後の通しが終わったところで、役者たちは各クラスの出し物の手伝いに奔走することになっていた。無論、そんななかで取り残されるのは外部の人間。つまり、エステル達である。

「何か、手伝えることないかな?」

 というエステルの提案により、エステルは肉体労働、ヨシュアは書類仕事、アルシェムは導力器系統のメンテナンスを行うことになった。エステル達に手伝われた学園生たちは皆エステル達に感謝し、明日の成功を願い合った。もっとも、アルシェムの手伝いは生徒では全くできないことだったので感謝されることもなかったのだが。そもそも目立つ場所に導力器の電盤がないので生徒達がアルシェムの仕事を見ることがない。サボりとは思われてはいなかったのだが、わざわざメンテナンスしていたと公言する必要もないためにそうなったのであった。

 そうしてあっという間に時間は過ぎていく。学園も飾りで彩られ、皆の気分も浮き立っていった。例外もいたものの、お祭りムードに呑まれていくことで妙なテンションになっていった人物もいたようである。

 そんな中――アルシェムは、導力器全般のメンテナンスを終え、近場にいた用務員と教師に旧校舎について聞き、絶賛魔獣の気配のするそこに足を踏み入れていた。すると、やはりそこには魔獣がおり、魔獣たちは日ごろの――特に最近のアルシェムのうっぷんを晴らすのに役立ったと言っておこう。

 その後、ジル企画のプチ壮行会に少しだけ参加したアルシェムは、途中でコリンズ学園長に呼び出された。エステル達は壮行会にそのまま参加していたが、アルシェムは学園長から依頼を受けることになった。というのも、このジェニス王立学園はルーアンから少しばかり距離があるのである。いくら遊撃士たちが定期的に掃除しているとはいえ、魔獣が出ないとも限らない。今手すきの遊撃士たちで魔獣を狩り倒しているが、もしもジェニス王立学園に侵入しようとする魔獣がいれば狩っておいてほしいという依頼だった。

 学園長からの依頼を二つ返事で受けたアルシェムは、ジェニス王立学園の正門の前で佇み、魔獣の気配を感じた瞬間に狩っていった。夜闇にまぎれているのでエステル達に見えることはない。だからこそえげつなく殺傷することが出来るのである意味楽だった。

 魔獣を掃除していた遊撃士たちがジェニス王立学園の正門まで辿り着き、そしてルーアンに帰り着いたころ――ようやく、アルシェムは女子寮に戻って眠ったのだった。そのころには既にエステル達は眠っていたので詰問されることはなかった。

 

 

 学園祭、当日。たくさんのお客が集まる中、カラースモークが打ち上げられ、そして――

「ただいまより、学園祭を開催します!」

 生徒会長ジル・リードナーの宣言によって、学園祭が始まった。エステルとヨシュアはクローゼと共に孤児院の子供達と回る予定のようだが、アルシェムはそれに参加することはしなかった。というのも、劇の大道具小道具をチェックしているときに先日まではついたはずの照明が壊れてしまっていたのである。しかも、音響機器に至っては配線が切れてしまっていた。今からオーブメント工房に行くわけにもいかないのでアルシェムが修理することになったのである。

「……何がしたいのかねー……」

 アルシェムは溜息を吐きつつ照明を修理し、音響機器の切れた配線を直していた。心配させないように何も言ってはいなかったが、この音響機器に関しては目についた配線という配線を切り裂かれていたのである。恐らくは、鋭利な刃物で。何とか時間までに直りそうだったからよかったものの、気付くのが少しでも遅れていればどうにもならなかっただろう。

 ちまちまと配線を繋ぎ直し、補強して作業を続けるアルシェム。このままでは学園祭を回ることなど到底できないだろう。もっとも、アルシェムは学園祭を回ろうとも思っていなかったため、別に気にしてはいない。しかし、後でジル達に気を遣われるかもしれないと思うと、少しばかり気が重かったのは否めなかった。

 作業の途中で孤児院の子供達が講堂に入ってきた気配がしたが、アルシェムの作業していた場所は講堂の二階部分。走り回りはしないだろうが、一応危険なのでテレサが子供達を登らせないようにしていたようだ。おかげで会話という邪魔が入ることなく作業を進めることが出来た。

「アル、終わりそうー?」

「んー、多分劇が始まるまでには」

「分かった、じゃあ後で何か食べ物でも差し入れるから食べなさいよ!」

 という会話がエステルとの間であったとかなかったとか。

 エステルからの差し入れを食べ、ギリギリで修理を終わらせたアルシェムは急いで衣装に着替え、劇に臨んだ。




ドレスの描写をがんばってみた。
次回からマドリガルです。

では、また。


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白き花のマドリガル・上

旧54話~55話半ばまでのリメイクです。

今回に限り三話連続投降です。マドリガル読みきるのに半月とかちょっとどうかと思ったので。
因みにこのマドリガル、前作とは少しばかり変わっております。

では、どうぞ。


 開演、五分前。低くブザーが鳴り、観客たちは話を控え、静かに開演を待つことになった。座席にはそうそうたる顔触れがそろっている。ボース市長にしてジェニス王立学園卒業のメイベル市長と、その隣にメイドのリラ。ルーアン市長のダルモアと並んでコリンズ学園長が座っている。学園祭に出資したデュナン公爵とお付きのフィリップは最前席に陣取っている。そして出来るだけ邪魔にならないところにいようとしている孤児院の子供達とテレサをハンスがこっそり目立たないが良い席に案内していた。

 他にも何故かいるピンク色の髪の士官やぼさぼさ頭の新聞記者もいるが、それはさておき。

 

「ただいまより、生徒会主催の史劇《白き花のマドリガル》を上演いたします」

 

 すぐに五分という時は経った。女性の声が響き、次いで低いブザーの音が鳴る。照明は落とされ、完全に暗くなる。これから舞台が始まるのだと、観客たちは心をときめかせて今か今かと待っていた。

 

 ❖

 

 ブザーの余韻が消えたことを感じたジル・リードナー扮する語り部は、スッと、立ち上がった。手元には壮麗な装飾が成されている一冊の本があり、それを開いて観客を見据えた。一度目を閉じ、はやる心を押さえつけて。

 ジルは、ゆっくりと語り始めた。

 

「時は七耀暦1100年代のこと。100年前のリベール王国、それは未だに貴族制が残されていた時代」

 

 そこで一度言葉を切り、小さく息を吸う。ジルの声は比較的通る方ではあるが、声の小さい人たちのために念のためにピンマイクを配布してあるため、全力で息を吸うわけにはいかないからだ。流石に自分の息を吸う音を観客たちに聞かせようとは思わない。

 吸った息を、ジルは言葉に変えて吐き出した。

「同じ人間であるのに、なぜ押さえつけられなければならないのか。その悲痛な叫びを胸に、商人たちを中心とした平民勢力が台頭してきた時代」

 棒読みにならないように、出来るだけ抑揚をつけて。誰の耳にも届くように。ジルはそう心の中で自分に言い聞かせながらつづけた。

「貴族勢力と平民勢力とが対立するのはこの時代では当然のこと。どちらの意見も食い違い、王家の仲裁も七耀教会のとりなしも全く功を奏さなかった、そんな時代」

 そこまで言い切ったジルは本を持つ手を少しずつ動かし始めた。この後、右手で舞台を差さなければならないからである。慎重に動かしつつ、口上を述べるジル。

「時の国王陛下が崩御され、喪が明けたころ――うねる歴史の流れの一筋は、確かにグランセル上の屋上にある空中庭園にありました」

 そして、スッと右手を開き、指をそろえて舞台を差す。すると、ぎりぎりジルの目では見えていた講堂の二階の機材スペースにいたハンスがジルにあたっていたピン・スポットライトを消すと同時に舞台に照明が当てられた。ジルはそのまま目立たないよう舞台袖に消えていき、夜の空中庭園を模した舞台上にはヨシュア扮する白の姫セシリアと見るに堪えない侍女たちが残された。途端にざわめく観客席。恐らくは侍女の中身について笑っているのだろうが、今からその喧騒は消える。なぜなら――

 

「街の光は、人々の輝き――あの一つ一つにそれぞれの幸せがあるのですね」

 

 柔らかな声が、観客たちの耳朶を打った。少し低めの、しかし澄んだ声。その声は観客たちを忘我の境地へと引き込んだ。そして、ヨシュア――声だけは別人のようである――はこの観客たちを更に魅惑の渦へと叩き込むべく声を発する。

「それなのに、ああ、わたくしは……」

 そして、なよなよと回転しながら座り込む。地味に衣装のスカート部分は床を擦っており、そのスカートと床の間に空間が出来ないかと野郎どもは釘付けになってみていた。無論ヨシュアにはそこまでサービスするつもりはない。

 と、そんな可憐なヨシュアに駆け寄る見るに堪えない侍女達。そのうちの、侍女リンファという役の男子生徒が裏声でヨシュアに話しかけた。

「姫様、そろそろお休みくださいませ。あまり夜更かしをされてはお身体に触りますわ」

「リンファ、レイニ……良いのです、わたくしなど。このまま生きながらえていても民たちを困らせてしまうだけですもの」

 儚く、弱弱しく。最初はすねる感じで少しばかり子供っぽさを表現しようという話もあったが、ヨシュアの身を切る提言によってセシリア姫は王になる資質を十分に兼ね備えた庇護欲をそそる恋だけが欠点のスーパーお姫様と化していた。

 そんなヨシュアにもう一人の侍女役の男子生徒が反駁する。

「まあ、どうかそんなことをおっしゃらないで下さいまし!」

「わたくし、結婚などいたしませんわ。お父様の遺言ではありますが、誰を王配に選ぼうが即位しようものなら国が割れてしまいます。そんな光景だけは見たくありません」

 ふい、ともう一人の侍女レイニ役から顔を逸らしたヨシュア。因みに王配とは、女王の伴侶のことである。実権は女王が握り、その多くはどこかの貴族から選ばれている。

 と、そこにアルシェム扮する紫騎士ブラッドが舞台袖から登場した。そして、ヨシュアに語りかける。

「どうやら殿下はご機嫌がすぐれないようですな。少しばかり報告があり申したのだが……」

「ブラッド将軍……貴男も、国が割れるのは見たくないでしょう?」

 ヨシュアに問われて、アルシェムはスッと目を細めた。因みに練習を始めた当初は普通に吹き出してしまってお話にもならない状況だったのである。ヨシュアの目にはどうやったのか涙が浮かんでおり、まさにうるうる、といった感じで見上げていたからだ。

 アルシェムは大げさに溜息を吐いてヨシュアに答えた。

「殿下、殿下が即位召されなかった時のことをお考えなさい。今のラドー公爵にも、クロード議長にも国を渡すわけにはいかぬでしょう」

「ですが、ブラッド将軍……」

 なお迷う様子のヨシュア。ラドー公爵は貴族派の重鎮で、クロード議長は民主化の最先鋒である。どちらに実験が握られてしまってもリベールという国は引き裂かれてしまうのが目に見えていた。

 それにアルシェムは諭すように言い含めた。

「誰が何といおうが、姫様はこのリベールの至宝にあらせられます。良き王配殿下をお迎えになって王国を治める分には彼らも文句は言えないでしょう」

 この言葉を、アルシェムは別の人物に言いたいと思っていた。今この場にはいないのだが、恐らく彼女は決して結ばれることのない恋心を抱いている。アルシェムには、誰かに恋をする気持ちは分からないが、それが厄介なものであるとはわかっている。だからこそ、恋に惑わされずに、と言葉を付け加えて伝えたいのだ。彼女のためではなく、彼女が恋している男のために。

 顔を曇らせたヨシュアは、迷うように独り言を吐き出した。

「良き王配、ですか……それは、ユリウスとオスカーのどちらなのか……わたくしには、決められない……」

 ユリウスを選べば、貴族派を勢いづける結果となってしまう。かといって、オスカーを選べば古き良き伝統が失われてしまうかもしれない。それに、なによりもセシリア姫という存在はユリウスとオスカーを同等に愛していた。

 再び顔を伏せたヨシュアに視線が集中した瞬間に、ゆっくりと舞台は暗転していく。そこに出るべき役者が位置につき、身だしなみを整える。アルシェムは暗転した後に大掛かりな舞台装置の移動を手伝い、全てが移動し終わると同時に舞台袖に引っ込んだ。舞台上から消えるべきアルシェムが退場したことを確認したハンスが照明をつける。そして、スポットライトが当たったのはエステル扮する紅騎士ユリウスだった。

 少し緊張気味に、それでも声を張り上げてセリフを語るエステル。

「なあ、覚えているか、オスカー。幼き日、剣を模した棒きれを手にしてこの路地を駆け回った日々を」

 次に、カッ、とでも効果音がありそうな勢いで点灯したスポットライトがクローゼ扮する蒼騎士オスカーに当たる。観客席で子供達がきゃああ、と小さな声で叫んでテレサに窘められていた。

クローゼも少しばかり震えそうになる声を押さえてピンと声を張り上げた。

「勿論だ、ユリウス。忘れることなど出来るものか。君と、セシリア様と無邪気に過ごした宝物のような日々を」

 歌うように言い終えたクローゼのセリフをきっかけに、照明がスポットライトから普通の明かりに変わる。

 それを契機にしてエステルが思い出し笑いをしながらこう言った。

「ふふ、あの時は驚いたものだ。すわ父上からの追手かと思えば、ブラッド殿だったあの時の衝撃を……」

「ああ、ブラッド殿の第一声が姫様! だものな……流石の私も驚いたよ。そんなまさか! とね」

 クローゼも苦笑しながらそう返す。因みに内心ではエステルが思い出しすぎて笑い転げなくて本当に良かったと思っていた。練習の時、ここでエステルが爆笑して使い物にならなくなったことがあったので。その時何を思い出していたのかと聞くと、巨大な虫を見せた時に唖然としていた小さなヨシュアの顔だったそうな。

 エステルが思い出話を続ける。

「その後に姫が庇って下さらなかったら、首と胴体は泣き別れしていただろうなあ」

「そうだな……あの舞い散る木蓮のような可憐さの中に清水のような潔さがなければと思うと、な」

 因みに、セシリアが庇わなければユリウスもオスカーも牢屋にぶち込まれていたことだけは確かであったらしい。と、ハンスが脚色した脚本の中には書かれていた。一応暫定的に一国の姫君を勝手に城から連れ出したように見えるからである。誘拐の濡れ衣などすぐに着せられただろう。その時の恩を返すためにユリウスもオスカーもリベール王国内で地位を築き始めた、という設定だ。

 そして、エステルがクローゼのセリフに返答した。

「ああ、姫は我らの金耀石だった……しかし、その輝きも日増しに翳りを帯びている。貴族と平民の不満がいつ暴発してしまってもおかしくない……」

「そうだな……そして、その暴発の種となってしまうのが他ならぬ我らの存在。一体、どうすれば……」

 俯くエステルとクローゼ。それを合図にしてアルシェムが舞台袖から舞台へと滑り込んだ。そして、エステル達に声を掛ける。

「二人とも、こんなところにいたのか」

「ブラッド殿! その……」

 エステルが、ユリウスとオスカーが一緒にいる理由を告げようとして言葉に詰まるふりをする。今ここに一緒にいる理由を告げることは出来ないのである。ユリウスが言えばそれは貴族派の発言となり、オスカーが言えば平民の発言となってしまうのだから。

 だからこそ、アルシェムは不自然に間が開かないようにセリフを続けた。

「オスカー」

 ただクローゼを呼ぶだけのセリフである。クローゼは背筋を伸ばしてアルシェムに向きなおり、返答した。

「はい、ブラッド殿」

「クロード議長がお前を探していたぞ。早く行ってやると良い」

 それにクローゼは敬礼を返すと、観客席から見た右手に消えて行った。後でそちら側にクロード議長役の女子生徒と共に出て来る予定だから右手に消えたのである。

それを見届けたアルシェムはエステルに向き直り、次のセリフを告げる。

「お前にはラドー公爵閣下から伝言を預かっている……可及的速やかに帰宅せよ、とな」

「いっ……わざわざありがとうございました、ブラッド殿! 失礼いたします!」

 エステルが顔をひきつらせたのは、一応国の軍の最高位にいる人間に対して伝言を頼むほどユリウスの父は増長したのか、と表現しようとハンスが言ったからである。エステルはそのまま観客席から見た左側へと去って行った。そして、残されたアルシェムにスポットライトが当たり、周囲の照明が消える。

 アルシェムはこの場面での最後のセリフを吐き出した。

「立ち止まれば、後はないのだ……顧みることすら赦されず、彼らには戦うしか道が残されてはいない。空の女神よ、彼らに恩寵を……」

 この間に、実は光がギリギリ当たらないところまでで準備が始まっている。観客席から見た右手にはエステルとラドー公爵役の女子生徒が。そして左手にはクローゼとクロード議長役の女子生徒がスタンバイし始めている。アルシェムは、セリフが終わると同時に左手側に抜けて次の場面のスタンバイを手伝い始めた。

 アルシェムがスポットライトの真下から消えると照明が切り替わり、ラドー公爵役の女子生徒とエステルのいる右手にのみ照明がついて彼女らが言い争いを始めた。

最初に口火を切ったのは、ラドー公爵役の女子生徒だった。

「ユリウスよ、お前にも分かっておるはずだ。これ以上平民共の増長を赦してしまえば……ましてや、我らが主と仰ぐ御方が平民出身となった日には、伝統あるリベールの権威は地に堕ちるであろう」

「お言葉ですが、父上。東に共和国が建国されてから早十年が経とうとしております。最早、平民勢力の台頭もやむなしかと」

 神妙な顔で言うエステルに、ラドー公爵役の女子生徒は音高く机を叩いて立ち上がった。

「悍ましいことを言うな! 何が自由たる平等か! 貴賤も十把一絡げにして伝統を棄てるその浅ましき奴らに国を渡すくらいならば、帝国の軍門に下った方がはるかにマシよ!」

「父上!」

 エステルがぎょっとした顔でラドー公爵役の女子生徒に詰め寄ると、そこで照明が消えた。エステルはそのままその女子生徒と共に机を片付け、次の場面の舞台装置へと静かに変えていく。次にこの半面を使うのは一つ場面を飛ばしてクローゼと暗殺者役の女子生徒である。路地裏風に変えられていく右反面の舞台装置。

 対する左半面では、クローゼとクロード議長役の女子生徒のいる左半面に照明が当たり、彼女らが言い争いを始めた。

 口火を切るのはクロード議長役の女子生徒である。

「オスカー君、君には期待しているんだよ。王家さえ味方につけられれば貴族派を抑え込み、我らの悲願である平等な世界を実現することが出来る」

「しかし、議長……自分には納得できません。このような政治の駆け引きにセシリア様を利用するなど……」

 顔を曇らせて言うクローゼに、クロード議長役の女子生徒は酷薄に嗤いながらこう続けた。

「フフ、自分の気持ちに嘘を吐いてまであの姫君を守りたいというならば我々に従いたまえ。さもなくば姫君をも巻き込んだ流血の革命を起こすしかなくなるのだから」

「議長!」

 クローゼが厳しい顔で反駁したところで、照明が消える。左手側では舞台装置が切り換えられ、どこかの執務室のようになる。左手側の次のシーンはアルシェムとエステルのシーンなのである。クローゼはなかなか大変ながらもセリフはきちんと覚えているらしい。

暗転した左手側から照明のついた右手側へと重い足取りで登場したクローゼは、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「……流血の革命を起こさせるわけにはいかない……ユリウスにも、セシリア様にも自分は生きていて欲しい……自分は、一体どうしたら良いんだ……」

 オスカーの苦悩の言葉。クローゼはそのセリフを言い終えると深く溜息を吐いて壁に背をもたせ掛けた。因みにこの背後では万が一にも舞台装置が倒れないようにと今出ていない役者たちが支えていたりする。

 そこに、ふらふらとした足取りで暗殺者役の女子生徒が現れた。酒に酔った様子の彼女はふらふらとクローゼの前を通り過ぎようとして躓く。

「うわっととと……」

「おっと、大丈夫か? ……酔っているのか……?」

 クローゼがその女子生徒を支えた瞬間、彼女はクローゼの肩に右手を回して肩を組んだ。そして、セリフと共に左手を突き上げる。

「うぇーい、俺様酔ってまーす!」

「お、おい……ッ!?」

 クローゼが怯んだ瞬間、女子生徒は右手に持っていた模造短剣でクローゼの右腕を切りつけた。クローゼは腕を押さえて女子生徒を振りほどき、剣を抜いて対峙する。しかし――すぐに、腕を押さえて剣を持ち替えた。

 そして、うめくように声を絞り出す。

「くっ、利き腕が……」

「必要ないだろー? なあんにも選べなくて右往左往してる騎士様にはよお! ついでに命も置いてってくれや!」

 女子生徒がクローゼに襲い掛かった瞬間、照明が切り替わって右手側の照明は消え、左手側の照明がつく。そこには迷った顔のエステルと無表情のアルシェムがいた。




うん、何か書くのは難しかったけど楽しかった。

では、次話(2017/02/25/09:00投稿)も続けてどうぞ。


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白き花のマドリガル・中

旧55話のリメイクです。
連続投稿の真ん中です。最新話から来た人はお気を付けくださいな。
一話で全部終わらせるのには無理があったのです……
なのでもう一話この後投稿されまっす。

では、どうぞ。


 照明が切り替わり、執務室のような舞台装置とアルシェム、そしてエステルが照らし出された。エステルの顔には苦悶の表情が浮かんでいる。ゆっくりと、エステルが口を開く。

「……帝国を止めた騎士よ。黎明の騎士ブラッドよ。……私は、どうすればいい……?」

 生憎と、アルシェムはその答えを教えることは出来ない。というか知らない。ただアドバイスめいたことを言うだけだ。

 アルシェムは無表情のままにエステルに返答した。

「オレに聞いてくれるな。その答えを出すのはお前とオスカーでなければならん」

「しかし……」

 瞳を揺らして迷うエステル。ユリウスとしては、誰も犠牲にせずにこの事態を治めたい。しかし貴族派の重鎮の嫡男としては――オスカーを殺すべきだと心が告げていた。

そんなエステルに、アルシェムは告げる。

「お前は誰かに決められた道を歩みたいと思うのか? 己の意志で何一つ決められぬような愚物には教えることなど何もない」

「……そう、ですね……失礼します」

 エステルはそのまま舞台袖へと退場していった。因みにヨシュアがアルシェムを刺すような眼で見ていたりする。エステルを泣かせるな! と最初は何度言われたことか。流石に生徒達の正面で言われたことはないが、二人きりになった時に絶賛責められた。

 そして、そのままアルシェムは右手側へと移動してオスカーとも問答を始めた。

「ブラッド殿……自分は……」

「ユリウスにも言ったが……己の意志で何一つ決められぬような愚物には教えることなど何もない」

 迷った瞳をしたクローゼに、アルシェムはそう告げて懐からティアの薬(小道具であるが、中身は本物)を取り出して投げ渡した。そして、アルシェムは退場する。

 アルシェムが舞台上から退場するとともに、舞台は暗転した。半分の用意は終わっていたものの、もう半分の用意が終わっていなかったためである。アルシェムとクローゼが全力で手伝い、準備を終わらせたところで舞台上にはエステルとヨシュアが立った。

 そして、舞台に照明が当たる。

「お久し振りです、姫」

 口火を切ったのはエステル。ヨシュアはそんなエステルに向き直って冷たく言い放った。

「ええ、本当に久しいですねユリウス……今日はどうしたのですか?」

「国中に流れるかもしれない血を、最小限にするためにお願いに参ったのです」

 神妙に、厳粛に、悪く言えば無感情にエステルはそう告げた。何度も何度も悩み、これ以上の結果を出せなかったユリウスとしてエステルはヨシュアにそう告げたのである。

 ヨシュアはそれに対してまた冷ややかな声で応えた。

「それは、ユリウス。貴男とわたくしが結婚せよということですか?」

 しかし、エステルは静かに首を振ってそのヨシュアの言葉を否定した。それでは流血を止めることなど出来ないからである。エステルはじっとヨシュアを見つめてこう告げた。

「確かに私は貴女をお慕いしております。今ここで貴女に伴侶として選ばれればどれほど嬉しいでしょうか。しかし……それでは、流血の惨劇は免れないのです、姫」

 そのエステルの言葉に、ヨシュアは目を伏せて答えた。

「……平民たちの不満が爆発してしまうでしょうね。それはオスカーを選んでも同じこと……何が言いたいのです、ユリウス」

 目を開いてエステルを見据えたヨシュア。その真意を抉り出すかのような表情に、しかしエステルは怯まない。

エステルはそれに臆することなく答えた。

「私と、オスカー。我々が国民の前で決闘を行います。誰の目にも勝者と敗者が分かるように。そして、その勝者に……姫の夫たる幸運をお与えいただきたいのです」

 その言葉に、ヨシュアは息を呑んで絶句し、後ずさった。それを合図にしてハンスは照明を暗転させる。それを契機に舞台袖から役者たちが出来るだけ静かに舞台装置を変え始めた。

 舞台装置を次の場面に備えて動かす中、語り部役となったジルは、準備しているのが見えないように幕の前に立って本を広げた。それをきっかけにハンスがジルにピン・スポットライトを当てる。

 ジルはスッと息を吸ってゆっくりと語り始めた。

「ユリウスの要請を受けたセシリア姫は、決闘を承諾しました。そして、自らの名の下にユリウスとオスカーが決闘を行うことを広め、仲介人としてブラッドを指名しました」

 舞台上ではまだ作業が続いている。そして、ジルのセリフもまだ残っていた。

「また、セシリア姫は水面下で動き始め、この決闘の結果でこの国の将来を決めるとラドー公爵、クロード議長らに宣言。決闘までは争いを禁じました」

 あともう少しで準備が終わるのをはた目に見ながら、ジルは少しだけ話す口調を遅くした。このままでは話し終わっても準備が終わらないからである。

「緊迫した情勢の中、ただセシリア姫だけが二人の無事を祈っていました。決闘を赦しておきながら、セシリア姫はどちらにも死んでほしくなかったのです」

 そこで言葉を切ったジルは、最後の言葉を告げるべく息を吸った。

「そして、決闘当日――様々な勢力が見守る中、セシリア姫の名においてユリウスとオスカーは戦うこととなりました」

 ジルはそう言い終わると、本を閉じて大仰に一礼した。頭を下げたままでいると、スポットライトが消えるのを感じた。スポットライトは当たっていると熱いのだ。だからこそ、消えればその熱がなくなるのでわかる。たとえ視界を封じられていても、だ。完全にスポットライトが消えると同時に舞台に照明がつき、ジルはそのままゆっくりと舞台袖へと消えて行った。

 舞台上では、真ん中にアルシェムが、右手にクローゼが、そして左手にエステルがいた。アルシェムの背後に景色状態でラドー公爵役の女子生徒やクロード議長役の女子生徒、平民男性役の女子生徒に貴族女性役の男子生徒、見るに堪えない侍女達と七耀教会の司教役の女子生徒が並んでいる。因みにヨシュアは王立競技場を模した舞台装置の一段高いところから見守る形になっていた。

 そして、口火を切ったのはアルシェムだった。

「ユリウス、オスカー、前へ」

 その言葉と共に、エステルとクローゼが腰から剣を抜いて一歩進み出た。剣を構え、お互いを睨み据える。ピリッと空気が変わった。

 先に口上を述べたのは、エステル。

「我が友よ。私の剣には全てがかかっている。そして、それは君の剣も同じだ」

「ああ……分かっている。王国の未来と、姫との未来……分かっているさ、こうしなければ綺麗には解決できないのだと」

 少しばかりまだ迷っているように見えるクローゼに、エステルから叱咤の声が飛ぶ。

「臆したか、オスカー!」

「いいや。君と戦わずして未来はない……皆が、笑いあえる未来のために自分は戦おう!」

「ああ、私もそうだ……それでこそ、やりがいがあるというものだ!」

 エステルは不敵に笑った。対するクローゼは真剣な顔のまま、気持ちを切り替えていく。

 戦意が最高潮になったところで、アルシェムは剣を天に掲げ、告げた。

 

「さあ、剣を以て運命を切り開くのだ、若き騎士達よ! 彼らの気高き魂、空の女神も照覧あれ! ……いざ、始め!」

 

 そうして、エステル達は決闘を始めた。エステルが剣を巧みに操ってクローゼを壁際まで追いやると、クローゼもすかさず隙を見て反撃。エステルを反対側の壁まで追いつめる。何度かその攻防を繰り返し、鍔競り合ったところでクローゼが零した。

「やるな、ユリウス……」

「それはこちらのセリフ、と言いたいところだがオスカー……何を隠している?」

 そのエステルのセリフで動揺して少し力が抜けてしまい、じりじりと後退するクローゼ。怪我をしていることを、オスカーはユリウスには悟られたくなかったのである。

 クローゼは額に汗を浮かべながらこう返した。

「何のことだ?」

「とぼけるな。帝国軍を退けた武勲が! この私が憧れ、追い続けたその剣の冴えが! こんなもののはずがないだろう!」

 ギンっ、と音を立ててエステルは背後に下がり、クローゼも同様に下がる。お互いに少しばかり息が上がっているものの、まだ体力の限界ではない。

 クローゼは痛みのあまり剣を取り落としそうになった、という設定で反対の手で剣を握った。

「まさか、お前……!」

「問題ない。戦場ではこの程度、当たり前だろう?」

 それを聞いてアルシェムの背後で決闘を見守っていたラドー公爵役とクロード議長役が言い争う。しかし、アルシェムはこれから来る一番の難所に緊張し始めていた。といっても顔には出していなかったが。そして、クローゼがエステルに宣言した。

「次の一撃で全てを決しよう。自分は……君を、殺すつもりで行く」

「オスカー……分かった。私も次の一撃に全てを賭けよう」

 そして、エステルとクローゼは駆け始める。ヨシュアが観客席を模した場所から飛び降り、アルシェムは腰に差した二本目の剣を抜いて走った。

 

「はあああああああああああああああああああああああああああっ!」

「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

「だめ――――――――――――――――――――――――――ッ!」

 

 エステルとクローゼが剣を振りかぶる。エステル達の剣が交差するところに、ヨシュアの身体が滑り込む。ヨシュアの身体の背後で剣が交差する。照明は空間を真っ赤に染め、一瞬だけヨシュアが剣に貫かれた残像が映し出された。そして――照明が、元に戻される。そこで、遅れてアルシェムの剣がその剣たちを跳ね上げた。

「あ……」

 小さく声を上げたのは、ヨシュアだった。それを見て、エステルとクローゼも言葉にならない音を零す。

 その両者の手には、既に跳ね上げられてしまったために剣はない。宙を舞った剣が舞台上でカランと音を立てて地面に落下した。その音を契機に、ヨシュアはゆっくりと回転しながらクローゼの腕に収まるように倒れ込む。

「間に合わなかったか……」

 アルシェムの、悔やむような声に我に返ったようにエステルが叫ぶ。

「ひ、姫――――――――――――――――――――――――ッ!」

「せ、セシリア、どうして……」

 クローゼが問いを発すると、ヨシュアは少しだけ体を起こして観客に顔が見えるように体制を整えながらこう告げた。

「最初からこうしようと……決めていたのです。……皆が争うくらいならリベールなんて、必要ありません……」

 とぎれとぎれでありながらも、声の通りはすこぶるいい。観客を引き込むように発された声は、小さくとも聞き取りたくなるような響きを帯びていた。

「姫……」

 クローゼはヨシュアの体勢が少しばかりつらそうだったので腕でその身体を支えた。エステルは心配そうに覗き込んでいる。ヨシュアは少しばかり楽になった体勢で言葉をつづけた。

「わたくしは、責任を取らねばならなかったのです……わたくしが別の未来さえ、選んでいれば……皆さんから、笑顔を奪うこともなかったかもしれないのに……」

「殿下、そうおっしゃいますな。どこぞの強情張り共さえ歩み寄れれば、殿下が思い悩むこともなかったでしょう」

 アルシェムはヨシュアの言葉にそう返した。強情張り、と言ったところでラドー公爵役の女子生徒とクロード議長役の女子生徒を見てそれが誰なのかを示して。アルシェムに見られたその二人は気まずげに目を逸らした。

「わたくしが、橋渡しに……どれだけ、考えが違っても……わたくしという緩衝剤を以て、治められていたならば……こんなことには、ならなかったのに……」

「セシリア……もう、もう喋ってくれるな……」

 クローゼの懇願も、ヨシュアは聞きはしなかった。ヨシュアはこほこほと咳き込むと、言葉をつづけたのである。

「司教様……告白いたします。……今日、わたくしは……ブラッド殿を使って、オスカーと、ユリウスを犠牲にして……リベールという国を立て直すつもりでした……」

 司教様、と呼ばれた時点で司教役の女子生徒が進み出てヨシュアから見える位置に立った。完全に観客には背を向けずに、である。それを見てヨシュアは続けた。

「でも……でも、いざ、その瞬間が来ると……勝手に体が動いて……だって、わたくしは……ユリウスにも、オスカーにも死んでほしくなくて……」

「もう良い! もう良いから喋らないでくれ、セシリア……!」

 そして、その時が、やってきた。

「ああ……どうして……わたくしは、ただ、皆に……争って欲しくない、だけなのに……」

 ヨシュアは身体から力を抜き、目を閉じて首を傾けた。それは、即ちセシリアが死んだということを示していた。

 そのヨシュアの様子を確認したエステルは悲痛な叫びをあげた。

「姫……嘘でしょう? またすぐに起きて下さって、その笑顔を見せてくれるのでしょう……? ねえ、姫……返事をしてください、姫!」

「セシリア……?」

 呆然とする二人に、ヨシュアは応えない。この時点では仮死状態になっていることになっているためである。そして、今回の件で利権を得ようとしていたラドー公爵とクロード議長に向かって声が投げつけられた。

「あんた達のせいだ……あんた達が貴族がどうとか平等がどうとか言って、それでセシリア殿下は追い詰められなさったんだ!」

 それは、平民男性役の女子生徒の声だった。それに追随するように、貴族女性役の男子生徒もモブも口々に二人を罵り始める。それを止めたのは――

 

「もうやめてくれないか、皆……セシリアは、皆が争うのを望んではいない」

 

 ヨシュアを抱きかかえていたクローゼだった。エステルに目配せしてヨシュアの身体を任せると、立ち上がって全員を睥睨する。そこには、いかにも王侯貴族のような気迫と威厳が備わっていた。

 それに圧されたように平民男性役の女子生徒がうろたえながら言葉を紡ぐ。

「で、でもよ……騎士様。この人らのせいで、セシリア殿下はお亡くなりになったんですぜ?」

「ああ、そうだ。それは、自分の罪でもある」

 目を伏せて神妙な顔でそれを認めるクローゼ。

「だったら!」

「だからこそだ! だからこそ、我々は争うべきではない! ……セシリアが、何のために飛び出したのか……思い返してくれ」

 沈痛な顔をしてそう宣言したクローゼに、周囲にいた人間は黙り込んだ。それぞれが胸に手を当て、何故ヨシュアが飛び出してまでエステルとクローゼを止めたのかを思い返す。

 その光景を合図に、クローゼは言葉をつづけた。

「セシリアは、橋渡しにならねばならなかったと言った……つまり、それだけ皆の認識がお互いからかけ離れていたということだ。自分も、議長も、公爵も、ユリウスであっても……貴男でも、貴女でもそうだ。我々は、同じ人間だというのに、分かり合おうとすらしなかった……だから、セシリアは言葉をぶつけあえるようにその身を犠牲にした」

「……そう、だな……オスカー。私達も、もっと働きかけるべきだった……父上にも、議長にも」

 エステルがそう告げると、ラドー公爵役の女子生徒やクロード議長役の女子生徒達が次々と言葉を交わし始めた。今までしてきたこと、これから成すべきことを話しあって、分かり合って。

 これで、ようやくリベールはよくなるのだと。観客たちでさえ悟った。




この後は……まあ、分かりますよね?

では、この後(2017/02/25/10:00)も続けてどうぞ。


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白き花のマドリガル・下

旧56話のリメイクです。

連続投稿最終です。最新話から来た人は二話ほど戻ってください。

では、どうぞ。


 リベールという国に平和が訪れるだろう。それを確信させる光景を見たアルシェムは、エステルの傍に屈みこんで告げた。正確には、エステルが膝枕しているヨシュアに、である。

「……もう、よろしいですな? 殿下。流石にこれ以上肝を冷やされたくはありませぬ」

 その声に、エステルは信じられないと言ったようにアルシェムを見返そうとして――出来なかった。何故なら、ヨシュアがゆっくりと起き上ったからだ。

「な……ひ、姫!?」

「出来ればもう少し聞いていたかったのですが、ブラッド?」

 エステルの声とヨシュアの声に呆然とするクローゼ達の目の前で、アルシェムはヨシュアを立たせた。そして、首にかけられていて壊れたネックレスを取り外す。

「こんなものまで用意して……本音を引き出すにはちょうど良かったのでしょうが、もう二度としてくださいますな」

「あら、でも効果的だったでしょう? これでダメなら、リベールは滅びるべきだと思いましたもの」

「せ、セシリアッ!? 傷は大丈夫なのか……いや、その前にどうして……!」

 狼狽するクローゼに、ヨシュアが種明かしをした。

「コレはブラッド殿から頂いた守りのネックレスですわ。一度だけならば命の危機に瀕しても救ってくれるという……ですから、そんなに泣かないでオスカー、ユリウス。わたくしはきちんと生きていますから」

 それを聞いた瞬間、一同は抱き合って泣き始めた。無論、演技である。それを微笑ましいものでも見るかのような顔で見たヨシュアは、クローゼに向きなおってこう告げた。

「先ほどの演説、見事でした。正直に言って、あの状況だとどちらを選んでも同じかと思っていたのですが……リベールのためを思うと、貴方と結ばれるのがリベールにとって一番良いようですね、オスカー」

「セシリア様、しかし……ユリウスのことは……」

 逡巡する様子のクローゼ。彼女に、エステルが妙に晴れ晴れとした顔でこう告げた。

「いや、受けろオスカー」

「き、君はそれで良いのか!? 君とてセシリア様を……」

「ああ、愛している。だがな、オスカー。私には姫とリベールを選べと言われても姫しか選べない。絶対に私は姫の言うことなすこと全てを肯定してしまうよ。それでは意味がない」

 フッ、と笑いながらエステルはクローゼに告げた。

「だからこそ、姫が死んでしまって呆然としていた私よりも皆を叱咤した君の方がふさわしい。姫の夫としても、リベールの王配としても」

「ユリウス……分かった、自分は……」

 と、そこまでクローゼが告げた時だった。急に客席がざわめき、そして中年男性が老齢の男性の制止も聞かずに舞台上に上がってきてしまったのである。そして、彼は一喝した。

 

「ふざけるな! 何故伝統あるリベールの王家に平民などの血を入れねばならんのだ!」

 

 その、言葉で。舞台上が凍りついた。観客席もまた凍りつき、ただピンク色の髪の士官だけが口を歪めていた。それを見たアルシェムは内心で溜息を吐き、次いで一度しまっていた剣を抜いて叫んだ。

 

「この場を何と心得る! リベール王国が姫、セシリア様の御前なるぞ! 控えよ!」

 

 びりびりとその声は響き、硬直していた生徒達は更にすくみ上った。険しい顔をして叫んだアルシェムに老齢の男性――フィリップは思わず剣を抜いてしまっていた。

 アルシェムの言葉に返答したのは、中年男性――デュナンだった。

 

「それがどうした! 私はリベール王国が次期国王候補、デュナン・フォン・アウスレーゼであるぞ! 貴様こそ控えよ!」

 

 この時点で、アルシェムは事態の穏便な解決は諦めていた。一番近くにいたエステルに後でつじつまを合わせるからとにかく舞台上から生徒を避難させると小声で伝え、もう一度叫んだ。

「今更のこのこと現れて場を乱し、あまつさえセシリア様の決意を無にしようとするとは……王族の風上にも置けぬな!」

 そう言いながらもアルシェムは後でこれは謝罪を入れないといけないな、と思っていた。どこからどう見ても王族への侮辱になってしまっているからである。

「な、何だと!? そこの無礼者を討て、フィリップ!」

 激昂するデュナン。頭に血が上り、顔が真っ赤に染まってしまっている。

しかし、アルシェムはそれを歯牙にもかけずにクローゼとエステルに告げた。

「オスカー、姫を安全な場所へ。ユリウス、皆を避難させよ」

「え、し、しかしブラッド殿……!」

 エステルはアルシェムに反駁した。どう考えてもこのまま戦いになるのは目に見えており、なおかつあの糸目の執事は間違いなく強いと感じ取ってしまったからである。

 しかし、アルシェムはエステルに向けてこう告げた。

「心配するな。オレを何だと思っている、ユリウス。畏れ多くもリベール王国軍の総大将を任されているのだぞ? あの程度の敵を蹴散らせなくて何とする」

 無論これはエステルに彼と戦わせないための口実である。それが分かってしまったから、エステルはそれに従った。

「……分かりました。ご無事で」

「ああ」

 エステルが去っていくのを見届け、舞台上に残された役者はアルシェムだけとなって。ようやくアルシェムはフィリップに向き直った。

「……さて、だ。何故君はその女に従っているのだ? サファイア・フィリップ」

「私は……先王より閣下に仕えるよう命じられ、それを職務として全うしてまいりました。ただそれだけのことでございます」

 神妙な顔で、しかし警戒を緩めることなくフィリップはそう言い切った。両者にある緊張は高まり、弾けようとするその前に。アルシェムは彼にやらなければならないことがあった。

「まあ、良いだろう。それよりもだ……お前はその剣でこのオレと相対する気か?」

「左様にございます」

 アルシェムは内心で顔をひきつらせながらフィリップの答えを聞いた。というのも、もし双方が本物の剣で、しかも刃引きされていないものを使えば血が飛び散りかねないからである。

 アルシェムは足元に落ちていたユリウス用の剣とオスカー用の剣を足で跳ねあげ、思わず抜いてしまった本物の剣を背に戻して片方の剣をフィリップに投げ渡した。これは無論模造剣であるため、せいぜいできても打撲痕かみみずばれ程度である。

「使え。オレはもう血が流れるのを見たくはない」

 その言葉に、フィリップは悟った。ここは舞台上であり、血で舞台を汚してしまえば弁償ものだということを。アルシェムを傷つけることをためらわないあたり、彼は忠実に主人を守っているともいえるが。

「……承知した。では……」

 フィリップも剣をしまい、模造剣を構えた。一瞬の静寂。そして――

 

 ギィンッ、と甲高い音を立てて。舞台の中央で、アルシェムとフィリップは切り結んだ。

 

 ざわめく観客席。しかし、アルシェム達は止まる気がない。一合、二合、そして――数十合。幾度となく切り結ぶその姿は、観客からは辛うじて見えなかった。というのも……

「……早過ぎて見えないのー」

「ぽ、ポーリィ、しーっ!」

 ポーリィという幼女が語った通りだった。観客席にいたほとんどの人物が、その攻防を見て取ることが出来なかったのである。取り敢えずものすごく速い何かが動いているという認識しか出来ないのだ。

 因みにこの攻防をきちんと見て取れたのは講堂の一番後ろに立っていた象牙色のコートを着た男だけだと言っておく。

 あまり長引かせるつもりのないアルシェムと、ただ主のために戦うフィリップ。両者の剣舞は一進一退で続く。基本的にアルシェムは防戦一方なのだが、たまに反撃めいた攻撃を入れることもあった。

 そして、今一度アルシェムとフィリップは中央で鍔競り合う。

「……どうやって収拾をつけるおつもりなのですか」

 観客には聞こえない声量でそう告げたフィリップ。どうやら事態を収束させる気はあるようである。

それに、アルシェムはこう返した。

「要するに決闘できなくなれば問題ないでしょー。剣折ります」

 そう答えると同時にアルシェムは背後に飛び退く。フィリップも一瞬遅れて背後に飛ぶ。ごくり、と観客が息を呑んだ。これで、決着がつくだろうと思われたからだ。

 アルシェムはフィリップに告げる。

「次で終わりだ、サファイア。……殺す気で来い」

「承知いたしました――いざ、参る!」

 そして、両者は駆け出し――舞台上で、剣が交差するかと思われた。しかし、それは実現しなかった。何故なら――

 

 バキィィン、と激しい音がしてアルシェムの持つ剣もフィリップの持つ剣も砕けてしまったのだから。

 

「何と……」

 うめくように、フィリップは声を上げる。まさか本当に剣を折ってみせるとは思ってもみなかったからである。しかも、自分の分も含めて。今、アルシェムは剣の切っ先同士を精確に突き合わせて破壊したのである。

 アルシェムはニヒルに笑いながらこう告げた。

「まさか砕けるとは思ってもみなかったが……これ以上続けることもあるまい?」

 すると、フィリップは背後をちらりと見やって応えた。

「そう……ですな。今日のところは出直してくるとしましょう」

 フィリップの視線の先には、腰を抜かしたデュナンがいた。先ほど剣が砕けたことに驚いたのだろう。フィリップがさ、帰りますぞと言っても何も反応しなかったため、完全に放心してしまっているようだ。

 こうして――舞台上から、イレギュラーは去った。完全に舞台袖に彼らが消えるのを見届けたアルシェムは、がくんとひざを折った。因みに演技ではない。消耗しすぎたのである。

「……オレも、老いたか……」

 自嘲げに嘯くアルシェム。老いた、というよりは腕が落ちたとでも言うべきなのだろう。確かに神経はかなり使ったので精神的な消耗が大きかったのは確かだが、それにしても消耗しすぎた。

 そこに、エステルが駆け寄ってくる。どうやら事態は解決したらしいと判断したようだ。アルシェムは必死で息を整えて立ち上がった。

「あ……ブラッド殿ッ! ご無事ですか!?」

 一瞬アル、と呼びかけたエステルにアルシェムは苦笑しかけた。今この場でのアルシェムはブラッドであるからだ。一応言い直したあたり今が劇中だということを思い出してくれたのだろう。

 アルシェムはエステルに向かってこう告げた。

「ああ、無事だ……と言いたいところなのだがな」

「えっ……」

「どうやら、オレも老いたらしい。これは先ほどお前たちの剣を止められなかったことからも明白だな」

 自嘲げに笑いつつ、アルシェムは台本に戻った。一応この先は台本通りに進めるつもりなのだ。今更感が半端なく滲み出してはいるのだが。

 スッと、雰囲気を変えて。アルシェムはエステルに問いかけた。

「ユリウス。オレの、最後の頼みを聞いてくれるか?」

「さ、最後って……ブラッド殿、何を」

「リベールには新しい風が必要なのだよ。故に……これを受け取って欲しい」

 アルシェムは腰に差していた剣をエステルに差し出した。それは、王国軍総大将の剣、ということになっている小道具だった。それを見て瞠目するエステル。

 エステルは動揺したようにアルシェムに問う。

「ぶ、ブラッド殿、これは……どういう、意味ですか」

「どういうも何も、お前に我が地位を譲り渡すと宣言しているんだが」

 苦笑しながらそう言うアルシェム。本来であればユリウスとオスカーを止められなかったことに責任を感じて位を降りる発言をするのだが、今回の場合はそれだけでは足りないだろう。

 エステルは驚愕した表情でアルシェムに返した。

「し、しかしブラッド殿! それはオスカーに手渡されるべきものであるはずです!」

「何を言うか。王配となるオスカーにこれを渡してみろ、戦乱が起こればすぐにすっ飛んで行ってセシリア様を悲しませかねんぞ」

「それはそうかもしれませんが、私には荷が勝ちすぎているかと……」

 何気にエステルがオスカーを貶したのだが、一応そういうセリフなのである。練習の時にエステル達が何故ここでオスカーを貶すのかと何度も聞いたのだが、結論が出なかったためにそのままになっていた。

 それに、アルシェムはこう答える。

「今は、お前以外に適任はいないのだ。オレを含めても、な」

「ブラッド殿……」

「受けよユリウス。そして、セシリア様とこのリベールを守り抜くのだ」

 その言葉に、エステルは眼を閉じて頷いた。アルシェムはエステルにその剣をわたし、静かに退場する。

 そこでようやく照明が切り替わり、エステルにスポットライトが当たった。エステルはそこで剣を抜き、天に向かって掲げながらこう宣言した。

「……ブラッド殿。しかと……しかと、その願い賜りました……!」

 そうして、舞台上から照明が消え、急きょセリフを追加したジルが再び登場した。その手には本が握られておらず、ピン・スポットライトに照らされながらジルはセリフを告げた。

「こうして――ブラッドはリベール王国を去りました。これ以上ここにいても彼に出来ることはなく、老兵はただ去るのみだと言い残して――」

 その間に舞台では準備が進められていた。その演出の提案者はジルであり、デュナンが乱入してきた時点でインパクトの強いシーンを追加するとハンスに伝えたのだ。

 その内容を思い返しながらもジルは言葉をつづけた。

「ラドー公爵やクロード議長。そして、先ほどの公爵閣下も加わり、どこまで伝統を重んじて、どこまで自由を求めるのかを語り合い――」

 舞台上では粛々とそのシーンの準備が進められている。因みにジルの位置からは見えないが、アルシェムは幕の陰で衣装を脱ぎ捨てて着替え終え、力尽きていた。

 そして、ジルは最後の一文を告げる。

「時は過ぎ、機は満ちて。めでたくも結ばれたセシリア姫、そしてオスカー殿下の結婚式の日と相成りました」

 そこで照明は切り替わり、ジルにピン・スポットライトが当たったまま舞台に照明がついた。そこには出来得る限り装飾を盛ったヨシュアと近くにあった王族っぽいマントを纏ったクローゼ、そしてそれを取り巻くアルシェムを除いた役の生徒達が集った。

「彼らに幸あれ。リベールに栄光あれ。リベールに、永久の平和あれ――!」

 ジルの声が響き、それをヨシュアとクローゼ以外が唱和して。ヨシュアとクローゼが顔を傾けてキスをする。そして――幕が、下りた。




フィリップも大概人外だが、それに対応できるアルシェムも人外だと思う。
書いていて思いました。いや、そうなるように書いたんだけども。

では、連続投稿はここで終わりです。次回は2017/02/28です。


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学園祭の終幕

旧57話冒頭までのリメイクです。
ここから話が引き伸ばされてしまうのです。

では、どうぞ。


「……おわ……った……」

 アルシェムは着替え終わってからずっと舞台袖の椅子に座り、力尽きていた。流石にやり過ぎたのである。しばらく休憩すれば復活するのだが、流石に直後に演技をつづけたのに無理があった。

 幕が下りきった瞬間、エステルがアルシェムに駆け寄ってくる。

「あ、アル、大丈夫!?」

「水分……水でも可……もー絶対あれやりたくなーい……」

 と、そこに舞台の前から戻ってきたジルがアルシェムのもとに合流した。アルシェムのいかにも力尽きていますという光景に苦笑し、舞台上の片づけだけは免除する。

 そして、ジルはハンスを使って水分を持って来させた。ハンスはジュースを買ってきてアルシェムに手渡そうとするのだが、アルシェムは受け取ろうとしない。

「……おい、アルシェム?」

「椅子の上置いて……今受け取ったら多分零す……」

「お、おう……」

 最早グロッキーなアルシェムを見て何も言えなくなったハンスは、アルシェムのすわる椅子の横に別の椅子を設置し、そこにジュースを置いた。ストローをつけてあったので助かったが、もしストローがついていなければアルシェムは水分にありつくことが出来なかっただろう。全力で剣と剣を打ち合わせてしまったせいで右腕はしびれて使い物にならない。左腕は比較的マシになっているものの、ものを握ろうとすれば痙攣していた。

 しばらくして――片付けにもひと段落ついたころ。役者およびスタッフは力尽きたアルシェムを端に寄せて一服ついていた。

「いやー、しっかし驚いたわね……」

「ああ、公爵さんね。流石にちょっと空気読んでほしかったかも……あの決闘は何が起きてるか見えなくてすごかったけど」

 ジルとエステルが歓談していると、周囲の役者たちが急にざわめいた。

 それに気付いたジルがふと振り向くと、そこには今しがた噂をしていた公爵の執事がいた。

「あ、えっと……」

 空気が死んだ。それも無理はないだろう。先ほどまで舞台上で超絶技巧の決闘をやらかしていた人物が現れたのだから。全員がかたずをのんで彼を見つめ、そして――

 フィリップは、深々と頭を下げてから口を開いた。

「このたびは、閣下がご迷惑をおかけして大変申し訳ございませんでした。これも私の不徳が致すところ……」

 それに誰が対応すべきなのか、と生徒達は顔を見合わせ、そして生徒会長たるジルに顔を向けた。ジルは顔をひきつらせつつフィリップに告げようとして、アルシェムに機先を制された。

「こちらこそ、閣下を侮辱することになってしまい申し訳ございませんでした。あのまま穏便に終わらせられるだけの知恵もなく……その、お怪我はありませんかフィリップさん」

 この時点でアルシェムはようやく復活しており、立つことは出来るようになっていた。まだ何も握れない状態ではあるが。

「いえ、あの場合は致し方ないでしょう。私よりもむしろ貴女はご無事ですか?」

 そのフィリップの問いに、アルシェムは苦笑しながらこう答えた。

「や、思ったより力強かったのでちょっとばかし手がしびれたくらいですよ」

「あれで手がしびれた程度とは……いやはや、このフィリップ、貴女様のことを少しばかり見誤っていたようです」

 むしろずっと見誤っていてくれ、とアルシェムは内心で思った。もしフィリップと正面でやり合うことになれば相当ギリギリまで自分を追い詰める必要がありそうである。もしくは得物を変えるか。そうしなければ、とても剣一振りだけでは勝てる気のしない人だった。

 そんなアルシェムの考えも知らず、フィリップは懐から革袋を取り出してアルシェムに差し出した。

「閣下よりお詫びを、と申し付かっております。どうかお受け取りください」

 アルシェムは顔をひきつらせてフィリップに告げた。

「この劇の代表者は生徒会長のジル・リードナーです。渡すのならば彼女に。わたしは気にしていませんので」

 フィリップはジルにそれを渡そうとしたが、ジルもそれを受け取るのを拒否した。流石に中身がミラだと分かっている時点で学園長を通さないわけにはいかなかったからである。

「ハンス、出来れば超特急で学園長呼んできて」

「あ、ああ……」

「いえ、私めも参りましょう。お手数をおかけするわけにはいきませぬ」

 そうして、結局ジルはハンスとフィリップを連れてコリンズ学園長を探しに行くことになった。その場も自然と解散となり、ぱらぱらと役者たちは残り少ない学園祭を楽しもうと去って行った。

 そんな中。ヨシュアはアルシェムを見ながらこう問うた。

「アル、アレで手がしびれただけなのかい……?」

「いや、集中力遣いすぎて精神的に疲れたけど、まーそのくらい?」

「そのくらいで済むって……」

 ヨシュアはアルシェムの言葉に溜息を吐いた。もしあの決闘のレベルの戦闘をアルシェムが出来るのだとすれば――警戒するに越したことはないのである。恐らく、ヨシュアでも不意を突かなければアルシェムを倒すことなど出来ないのだろうから。

 と、そこに孤児院の子供達が駆け込んできた。

「クローゼ姉ちゃん!」

 そう言ってクローゼに飛びついてきたのはクラムである。クラムはそのままクローゼの『オスカー』を絶賛してはしゃいだ。それに続いてマリィはエステルを、ポーリィともう一人の少年――ダニエルという名である――は美人過ぎたヨシュアを褒めちぎっていた。

 そんな中、テレサはアルシェムに近づいてこう告げた。

「貴女も頑張っていましたね。特に最後の決闘……あれは、仕込みですか?」

「もしそーだったら、わたしは真性のMだと思うんですが」

 アルシェムは遠い目をしてテレサの言葉に答えた。実際、フィリップとの決闘が仕込みだったらあそこまで追いつめられはしなかった。せいぜい一撃必殺で終わらせていただろう。一応実力者ということになっているため、違和感はないだろうから。

 テレサはそんなアルシェムの様子に苦笑しながらクローゼに向けて告げた。

「そ、そうですか……クローゼも、エステルさん達もとても良かったですよ。見ていて本当に引き込まれる劇でした」

「先生……ありがとうございます」

 クローゼは見て貰った喜びと褒めて貰ったことによって少しばかり涙腺が崩壊しそうになりながらそう答えた。基本的にクローゼが心の底から褒められるのはテレサからのみだからである。

 そんなクローゼを見つつ、テレサはクローゼにこう告げた。

「本当に……本当に、ルーアンでのいい思い出になりました」

「先生、じゃあ……」

 クローゼがテレサのその言葉に反応した。学園祭を回る前に、テレサから示唆されていたこと。テレサと子供達が、ルーアン市長から提案されたことである。王都の別荘の管理を行いながら子供達の世話をする、という提案を呑むことに決めたということだろうか。

 クローゼは恐怖した。このままでは自分の母のように優しくしてくれる人が遠い所へ行ってしまう。身分を隠しながら、ここまでクローゼが学園に通えていたのは寮で同室のジルと、そしてテレサがいたからである。もし彼女らがいなければ――クローゼ・リンツという存在は一年と保たず崩壊していただろう。

「ええ、市長のお誘いを受けます。いつまでもこのままではいられませんから」

「そうですか……」

 クローゼは目に見えて落ち込んだ。今ここでテレサたちがいなくなれば、クローゼは他に支えを見つけることが出来るのだろうか。今は一応安定したとはいえ、これからもそうである保証などどこにもない。たとえ短い間であったとしても、『クローゼ』として生きていく中に既にテレサたちは組み込まれてしまっているのだ。どうしようもなく。それはクローゼにとってのルーティンだった。学園生活を送って、テレサのところに通って。ジルや子供達のためにアップルパイを焼いて。そんな日常が崩れてしまっては、クローゼでいられなくなるかもしれなかった。他ならぬ、クローゼ自身の意志によって。

 一度は『クローゼ』を棄てようとさえ思ったのだ。孤児院が焼かれたときに。『クローゼ』でなくなって、それで孤児院を自分の権限で立て直せばテレサたちは救われるかもしれないと思った。だが、テレサはそれを望まないと知っていた。だからこそ、クローゼはその意志を呑みこんで、まだ『クローゼ』でいることを選んだ。まだ、テレサたちはクローゼから離れていかないのだと。少しだけ距離が離れるだけで、ずっと日常にいてくれるのだと思っていた。

 しかし、違った。日常はすぐに崩れてしまうのだ。孤児院が一夜で焼失したように。その昔、物心つく前に愛してくれた両親のように。日常はかけがえのないもので、失いたくないもの。出来るだけ長く、続いてほしいものである。

 だから、クローゼは。一度は仕舞い込んだ気持ちを静めておいたままには出来なかった。ずっとやるまいと、テレサにもそう望まれているだろうことをクローゼはするつもりだった。もう、失いたくなかった。

 顔を上げ、そしてテレサに向けてその言葉を告げようとした――その時だった。

「何て顔してんのよ、クローゼ」

 ジルが、クローゼの無二の親友が現れた。その背後にはハンスと、そしてコリンズ学園長がいる。ジルの手には、茶色い封筒が握られていた。

 クローゼは呆然としてその親友の名を呼んだ。

「ジル……?」

「そんな顔しなさんな。あんたは笑ってる方が似合うっての。……学園長、どうぞ用件を」

 ジルはクローゼにウィンクしてコリンズ学園長を促した。学園長はゆるりと微笑んでテレサの方へ向けて進み出る。その目には、慈愛が溢れていた。

 学園長はテレサに向き直ると、穏やかに微笑んでこう告げた。

「久しぶりだのう、テレサ院長。折角来て頂いていたのに挨拶が遅れて申し訳ない」

「とんでもありません。本当に、素晴らしい学園祭にお招きいただいて感謝しています」

 テレサは学園長に微笑み返し、そう言い終わると頭を下げた。テレサは、本当にルーアンを出立する前に学園祭に来られて良かったと思っていた。子供達にとっても、テレサにとっても良い思い出になったからである。テレサのもう一人の子供の素晴らしい晴れ舞台を見れて、本当に良かった。これでもう思い残すことはない、と思っていた。

 学園長はそんなテレサに茶目っ気を入れながらこう言った。

「いやいや、来ていただいて本当に良かった。……ところで院長、この学園祭で集まった寄付が何に使われるかご存じだったかの?」

 テレサは眼を瞬かせてその問いに答えた。昔から有名なことであるため、テレサも知っていたのだ。

「福祉活動に使われるとお聞きしています。去年は確か就労支援に使われたとか……」

「うむ。そうじゃのう。他にもルーアン市街の道路を均したり、他の教育機関の援助にも使っておった」

 学園長の言葉を聞いたクローゼは、目を見開いて彼の顔をまじまじと見た。その顔には何かを企んでいるような色が浮かんでいる。願わくは、学園長がクローゼの思った通りのことをしてくれるように、とクローゼは願った。

そんなクローゼを見た学園長は、クローゼに小さくウィンクし、そしてテレサにこう告げた。

「さて、今回もたくさんの著名人が来て下さってな。何と寄付金が150万ミラも集まった。これをどう使うべきかと先日皆で会議を行ったのじゃ。その結果を、ジル君。テレサ院長とクローゼ君に教えてやっては貰えないかね?」

 学園長の言葉を聞いたジルは、満面の笑みをたたえながらテレサとその隣に立つクローゼにこう告げた。

「教職員、生徒会、全校生徒および来賓の皆様にお願いしたアンケートによると、前回の学園祭から今回の学園祭までで一番窮地に陥った福祉施設――つまり、マーシア孤児院に全額寄付することに決まりました」

 テレサは眼を大きく見開いてわななくと、声を震わせて叫んだ。

「そんな、これを受け取るわけにはいきません! これは皆様の心で、私達が受け取っても公共に還元出来ないんです……前回までの寄付金は皆様の心が皆様の生活に還元されるからこそのものだったはず……! ですから、これをお受けするわけには……!」

「テレサ院長。何も無条件で受けて頂こうとは思っておらんよ。これを見なされ」

 学園長は苦笑して懐から紙を取り出した。そして、テレサに差し出す。

 テレサはその紙を受け取り、そこに書かれている内容を震える声で読み上げた。

「……マーシア孤児院は、ジェニス王立学園学園祭の寄付金を、受け入れる代わりに――」

 それ以上がどうしても読めなかった。涙がにじんで、前が見えなかった。前が見えなくても、そこには未来があった。未来があることが、嬉しかった。嬉しすぎて、言葉が出なかった。言葉が出なくて、代わりに嗚咽が漏れた。

 クローゼが耐えきれなくなってテレサの持つ紙を覗き見て。そして――その続きを呆然と言葉にした。

「必ず子供達をリベールに貢献できるような人物に育て上げること……そして願わくは、子供達がこのジェニス王立学園に特待生で入学してきてくれることを望む……学園、長……」

 クローゼも、声を震わせながら涙をこぼした。テレサがこれを断れないことを知っていて、学園長はこんな提案をしたのだ。何よりも子供達のためになり、そしてテレサとその夫ジョセフとの思い出が詰まった孤児院を手放さなくても良いように。

 学園長は穏やかにこう告げた。

「これでも、受けては貰えんかね?」

「学園長……」

 涙に潤むテレサの瞳には、しかしまだ迷いが見えた。このままこの寄付金を受け取って良いものか。無論子供達を社会に送り出すのはテレサの役目で、立派に育ててあげたいと思っている。それを知っていて――しかも、立派に巣立ってくれるための土壌も用意してくれている。ここまでの厚意を、果たして受け取って良いものかと。

 確かに嬉しい。だが、本当に自分達がこれを受けてしまって良いのかと――ただそれだけが、テレサの心にあった。

 そこで、口を挟んだのはクローゼだった。呆然としていたクローゼは、ようやく事態を呑みこめたのだ。これはチャンスだ。クローゼが、大切なものを失わないための。だからこそクローゼはテレサにこう告げた。

「先生……どうか、受けてもらえませんか」

「クローゼ……?」

 テレサは、久し振りに不安定なクローゼを見た。先ほどまではいつも通りだったのに、この話になってからのクローゼはずっと不安定だったようだ。それすらも見えていなかったことに、テレサは愕然とした。

 クローゼはテレサに向けてこう告げた。

「お願いします……ジョセフおじさんとの思い出のためにも……ハーブ畑のためにも……子供達のためにも、わ、私のためにも……」

 声を震わせながら、涙をぼろぼろとこぼして。クローゼの言葉は、確かにテレサに届いた。――もっとも、テレサがこのままこれを受け取らずに王都へ行くと言ってしまえば、クローゼは壊れてしまうだろう。だからこそ受けるのだ。たとえあと数年で『クローゼ』がいなくなってしまうことを知っていても、今『クローゼ』が壊れるのを何よりもテレサが見たくなかったから。

「――分かりました。学園長……この話を、受けさせてください」

「ああ、勿論だとも。いずれ君の子供達がこのジェニス王立学園の門を正式にくぐるのを、楽しみにしているよ」

 そうして、その場は涙に包まれた。哀しいのではない。悲しいのではない。悔しいのではなく、辛いのでもない。ただ皆が嬉しくて――そして、そのこみあげるものに、皆が涙した。

 しばらく皆は泣き続け、そしてジル達が我に返ったのは、学園祭の終了を告げなくてはならないチャイムが鳴ってしまったからであった。ジルはヨシュアを引っ立て、テレサたちに断りを入れてから放送室に駆け込む。

 アルシェムはその場に残り、学園長と孤児院のメンバーたちの目の前で閉会を告げること、とジルに念を押されたのでアルシェムはその場に残ったが。

「えっと、一体何が……」

「閉会の挨拶ですよ。今年に限り、こういう形になるそーです。……笑わないで下さいね?」

 そうして――ジルが閉会を告げ。そして、ヨシュアの吹く澄んだハーモニカの音色が校内に響き渡る。一節を聞き終わった生徒達は、片付けの配置につきながら口ずさみ始めた。ヨシュアの吹くその歌の、歌詞を。――星の在り処、と題された歌を。

 アルシェムはテレサたちの前でその歌声を披露した。お世辞にも上手いとは言えないが、気持ちだけは籠っていた。アルシェムにとってもこの曲は、この詩は思い出深いもの。過去に置き去りにした小さな自分から、唯一遺せたもの。物心ついたころの故郷と、義姉と、義兄と、義弟とともに、置き去りにする予定だったもの。

 こうして――ジェニス王立学園の学園祭は、ハプニングもあったものの無事に閉幕した。




原作よりもちょっとばかし子供っぽくなったクローゼさんでした。
寄付金の端数っぽい50万ミラの説明は次回で。

では、また。


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黒装束の襲撃者

旧57話前半のリメイクです。
タイトルからお察し。

では、どうぞ。


 学園祭閉幕後、アルシェムは学園長に依頼されて正遊撃士のカルナと共に孤児院の子供達とテレサをマノリアまで護衛することになった。本来ならばカルナだけに依頼する予定だったのだが、予想以上に膨れ上がった寄付金――その中には、ジルが劇の責任者としてフィリップから手渡され、そのままジルがその場で寄付した慰謝料50万ミラも含まれている――を狙う不届き者がいるかもしれなかったからである。加えて、まだ孤児院放火の犯人が分かっていないとアルシェムから聞かされたことから、まだ怨恨の線が残っていると学園長が判断したからだ。

 アルシェムとしては後片付けを手伝うつもりだったのだが、依頼とあっては仕方がない。エステル達にいろいろ頼みつつ、腕のしびれはもう取れたと示してアルシェムは護衛の依頼へ向かうためにカルナと再び合流した。

「お待たせしました」

 小走りにアルシェムがカルナとテレサたちに近づくと、テレサはまだ赤い目をしたまま苦笑してこう言った。

「ゆっくりしていてくださっても良かったのですよ?」

「や、むしろ護衛者を待たせるほーが問題なので。お気づかいありがとーございます。カルナ先輩もお待たせしました」

「《氷刹》の腕前、楽しみにしてるよ」

 カルナはにやっと笑いながらそう言った。アルシェムは顔をひきつらせながら背から組み立て式の棒術具を取り出し、素早く組み上げる。アルシェムが見たところ、カルナの得物は大型の導力銃だったからである。

 そうして――アルシェムはカルナと共にマノリアへと向かった。アルシェムが前を、そしてカルナが後ろを警戒する形である。ヴィスタ林道を抜け、メーヴェ海道に入り。そして、マノリアまであと少し、というところでアルシェムは足を止めた。

「どうしたんだい?」

「……カルナ先輩構えて。来ます」

 いぶかしげな顔をするカルナにそう声を掛け、アルシェムは棒術具を構える。その、瞬間だった。

 

「……またお前か」

 

 黒装束を着た男達が、一行を取り囲んでいた。アルシェムの前に立った人物がその言葉を発した。アルシェムはその言葉で、彼らが孤児院を放火した人物たちであることを直感した。

「用件は何? 返事しないと全員漏れなくぶちのめすけど。返事してもぶちのめすかもしれないけどね」

「生憎お前には用はない。眠っていて貰おうか」

 アルシェムの前に立っていた人物が彼女に突進し、手に持っていた噴射機を顔の前に突き出した。それを見たアルシェムは咄嗟に棒術具で噴射機を弾き飛ばし、宙に浮いた噴射機ごと棒術具を目の前の黒装束にたたきつける。

「な……」

「カルナ先輩、いけますか……カルナ先輩?」

 アルシェムは背後で、複数人が崩れ落ちる気配を感じた。しかもカルナからは返事もない。ということは――

「ゆ、遊撃士のお姉さん!?」

「……っ、皆、屈んで!」

 アルシェムの絶叫に、子供達とテレサは咄嗟に従った。その気配を感じ取ったアルシェムは――棒術具を宙に投げあげて懐から二丁の導力銃を抜いた。そして、両腕をまっすぐ伸ばして乱射する。

「な……気は確かか!?」

「あんたらこれくらいじゃ死なないでしょーが」

 アルシェムの銃弾は、黒装束たちに突き刺さる。容赦なく頭も狙っているが、彼らが死亡することはない。今アルシェムが使っているのは、敢えて威力を落とした鎮圧用のスタン弾であるからだ。無論、それでも当たり所が悪ければ死ぬが。そもそも彼らの装備は一級品。軽い銃弾如き、無効化できるのである。

 そして、空気を切り裂いて落ちて来た棒術具を導力銃の代わりに握る。どこからどう見ても曲芸だが、一瞬気を引けるという意味でアルシェムはこの技術を愛用していた。難点は一度使えば対策を施されてしまうくらいか。棒術具が唸り、黒装束たちを薙ぎ倒して行く。

 しかし――アルシェムは、次に落下してくる導力銃を握ることは出来なかった。何故なら、それを取ってしまえばどうなるか分からなかったから。即ち――

「あ……」

「マリィ!」

「動くな遊撃士。さもなくば撃つ」

 人質を、取られてしまったのである。人質になってしまったのはマリィ。子供達の中でもしっかり者の少女だ。アルシェムは警告を受けた瞬間、棒術具を止めた。落下してくる導力銃はぎりぎり微調整を施して足のホルスターにおさめることが出来たが、それだけだ。今反撃する方法がない。

「目的は寄付金?」

 だから、せめて出来るだけ情報を落とすべく言葉を紡いだ。答えは、目の前で噴射された催眠スプレーだった。

 

 ❖

 

 夢を見た。二度と思い出したくない過去の夢を。誰も救えず、誰も守れなかった、そんな夢を。周囲にいた少女達が死んでいく。その場で唯一友と呼べた少女とも引き離された。煉獄に移され、大切な家族に出会い。その家族は壊れてしまって。最早会うこともないと思っていた最初の家族たちが助けに来てくれた。しかし希望はない。最初の家族たちは、彼女を酷く憎んでいたから。

 その、どれもが碧く、碧く、碧く染まる。思い出も、人生も、何もかも。彼女を形作る全てに沁みわたり、彼女という名の存在は既に染まり切っていて。身を内側から灼き、心を壊し、魂までも染め上げて。

 懐かしい碧。二度と見たくなかった碧。大切な人達に出会わせてくれた碧。大切な人達を壊して行った忌々しい碧。それでもそれは彼女を形作る重要なファクターだった。

 彼女は必死に抗った。その、碧に。まだ抵抗できる。何故ならば、一度彼女はそれに魂までどっぷりつからされていたのだから――彼女には、確かに耐性があった。

 

 ❖

 

「……テレサ先生と子供達が、マノリアの近くで何者かに襲われた」

 エステル達がその知らせを聞いたのは、学園祭の片づけを終えてルーアンへと戻ろうとしている時だった。時は既に夕方。その情報を伝えてくれたザックという青年からは、以下の情報を得られた。

 まず、当然のことであるがテレサと子供達が何者かに襲撃されたということ。そして、護衛のはずの遊撃士が一人、気絶させられていたこと。そして、宿の通信機が壊れていたために彼が走ってルーアンへと伝えに行くこと。

 それを聞いたヨシュアは、すぐさまエステルにこう告げた。

「エステル、僕は大急ぎでルーアンまで伝えに行ってくる。途中の魔獣は無視していくからかなり時間が稼げるはずだ。エステルはクローゼと一緒にこの人を連れてマノリアに向かってくれるかい?」

 このままザックにルーアンへと伝言を頼んでも良かったのだが、今は夕方である。ここから魔獣が活発になってくるのだ。だからこそこのまま彼をルーアンに向かわせるのは危険すぎた。

 それにエステルは頷いた。

「分かった。クローゼ、ちょっときついかも知れないけど……」

「……いえ、大丈夫です。急ぎましょう」

「じゃ、ヨシュア。また後で」

 エステルがヨシュアにそう声を掛けると、彼は手をひらりと振ってルーアンの方へと姿を消した。エステルもクローゼとザックを連れ、マノリア村へと急ぐ。途中の魔獣は、敢えて狩らずにおいた。何者かに襲われた、の何者かが魔獣である可能性も捨てきれないからである。

 マノリア村に辿り着いたエステル達は、ザックと別れて《白の木蓮亭》へと急いだ。エステルは胸騒ぎを抑えることが出来なかった。彼の話の中には――アルシェムがいない。もしもアルシェムがいたならば、彼女が先駆けとして情報を伝えに走っただろう。やられた遊撃士がアルシェムならば、相手はかなりの手練れだ。先ほどの決闘を抜きにしても、アルシェムは強いとエステルは認識しているのだから。

 《白の木蓮亭》の二階に上がり、部屋に入ったエステル達はベッドに寝かされたカルナとテレサ、そしてそれを取り囲む子供達を見た。

「皆……」

 思わずクローゼが洩らした言葉に、子供達が縋る。自分達の親とも呼べるテレサが倒れたため、心細かったのだと思われる。クローゼは泣きついてきた子供達をあやして心の安定を図っていた。

 一方、エステルはというと。

「……えっと、瞳孔……開いてない。大丈夫……で、えっと、脈も……大丈夫。このちょっと変な臭いが気になるけど……流石にあたしじゃ分かんない」

 シェラザードに叩き込まれた遊撃士としての心得を頭の中から引っ張り出しつつ、先日ジェニス王立学園で学んだこと――偶然、理科の人体を学んだところであった――を思い出しながらカルナとテレサを診察していた。

 それが一通り終わると、エステルは屈みこんで子供達に問うた。

「ごめんね、辛いとは思うんだけど……何があったか、教えてくれる?」

 それに応えたのは、マリィだった。ポーリィとダニエルは涙ぐみ、クラムは歯を食いしばって言葉を発することすら辛そうだったから。

「あたしが説明します……」

 マリィはエステルに告げた。マノリアへと向かっている最中、突然アルシェムがカルナに警告を発したこと。そして、黒い服を着た変な人達が自分達を取り囲んだこと。アルシェムが用件を聞き、それに応えず襲い掛かってきたこと。カルナは不意を突かれて顔に何かを噴射されたこと。

 そこまで説明し終えて、マリィの声が震える。

「そ、それで……あたし、あたしが捕まっちゃって……それで、アルシェムお姉さんも倒れちゃって……!」

「マリィちゃん……無理しなくて良いわ。ありがとう……怖かったね……」

 全身が震えはじめるマリィを、クローゼは掻き抱いた。落ち着かせるように、背中を叩いて。マリィはクローゼにしがみ付いたまま震え続けた。

 それを見ていたクラムも声を震わせて言葉を漏らす。

「……あいつら、あの封筒とアルシェム姉ちゃんを持って行ったんだ……オイラ、取り返そうとしたけど……思いっきり突き飛ばされて、その隙に逃げられちゃって……」

「クラム君……」

 クローゼはクラムも引き寄せて抱き締めた。震えながらも、クラムは涙を零そうとしなかった。何も出来なくて悔しい。何も出来なかったから、泣く資格なんてない――そう、クラムは思っていた。

 クローゼはそんなクラムに優しく声を掛けた。

「クラム君が無事で良かった……どこにも怪我はない?」

「……ない。でも……オイラより、アルシェム姉ちゃんが危ないかも知れない」

 クラムは、自分の見たものを全て伝えなければならないと思った。そうすればきっと、寄付金も連れ去られたアルシェムも取り返せると信じて。今泣いても、何も出来ないだけ。この事態を解決するには――エステルに、情報を伝えなければならない。

「アルシェム姉ちゃん、きっとあいつらと会ったことあるんだ。またお前かって言われてたし……それに、あいつら……アルシェム姉ちゃんの方が強いから楽しめるって言ってた……」

「え……」

 エステルは言葉を零しながら考えた。アルシェムはその怪しい人物と会ったことがある。その情報を、どこかで聞いたことがなかったか。そうだ――孤児院の放火の、初動捜査の時に。そう考えた時、エステルの中で何かがつながった。

「……そっか、だから愉快犯とかじゃないんだ……」

 そこまで考えがいたった時だった。扉が開き、ヨシュアとアガットが出現したのは。

「何が愉快犯じゃないって?」

「あ、アガット!? 何で……って、そんな場合じゃないか。孤児院の放火の犯人よ」

 エステルがそう言った瞬間、アガットは部屋の中の子供達を一瞥してからこう告げた。

「……場所変えるぞ」

「……う、うかつだったわ。クローゼ、皆のことお願いできる?」

「私も……いえ、分かりました」

 クローゼはエステルの言葉を聞きたいと思ったが、子供達を放置することが出来なかったのでそう言った。しかし、そこにいた《白の木蓮亭》のおかみが気を利かせてくれてクローゼも共に聞くことになった。

 階下に降り、机を借りたアガットはエステルに問う。

「で、取り敢えず概要とさっきの愉快犯じゃないってのの説明をしやがれ」

「う、うん……」

 エステルはここまでの経緯をアガットに伝えた。アガットは厳しい顔でそれを聞いていたが、愉快犯でない、というエステルの言葉の意味を聞くとエステルを睨んでこう問うた。

「……何故そこでアイツが敵の一味だとは思わない?」

「あに言ってんのよ。アルは家族だし、何よりアンタも聞いたんでしょ、アルの報告。放火の犯人は黒装束の男達って」

 エステルの言い分は、放火の際にアルシェムが目撃した人物たちが孤児院をどうしても再建させたくなくて襲撃した、というものである。そこにはアルシェムが犯人の一味であるという可能性は全く考慮されていない。

 だからこそ、アガットは問うた。

「じゃあ何で連れ去られた」

「そ、それは分かんないけど……とにかく、万が一アルが犯人の一味だったとしても、追いかけなきゃ何も始まんないわ」

 アガットはしばしエステルの瞳を見て――舌打ちした。何かを見透かすような、澄んだ瞳。その目は、限りなくカシウスに似ていた。その目にアガットは逆らうことが出来ないのだ。それをしてしまえば、何か大切なものを裏切ってしまう気がして。

「……チッ。取り敢えずこっちからも伝えておくぞ。《レイヴン》の連中が消えた」

「このタイミングで消えたってことは恐らく何か関係はありそうですけど、急ぎませんかアガットさん。暗くなってきますし」

「指図すんな」

 アガットは舌打ちしながら立ち上がり、《白の木蓮亭》から出た。すると、外は夜になってしまっている。これでは実況見分など出来はしない。アガットが再び舌打ちをして急ごうとすると、そこに甲高い鳴き声がしてジークが現れた。

「あら、ジーク? ……えっと、トドメを刺しちゃだめよ……? もう。それで、どっちに行ったのかわかる?」

 クローゼがジークと会話していると、アガットはヨシュアを引き寄せて小声で問うた。

「……あの一般人、頭大丈夫か?」

「ええと、一応あのシロハヤブサとは意思の疎通ができるらしいですし、かなり賢いことは僕達が既に体験してますから多分そういうアブない人ではないです……」

 ヨシュアは苦笑しつつそう答える。確かにこの光景では頭を疑われてもおかしくない。というか、ヨシュアもこれがクローゼでなければ疑っていただろう。

 そうして、クローゼは黒い服の男達が向かった方角を指し示した。今はそれ以上手がかりもない。故に、アガットもしぶしぶそれにしたがってジークを追った。はたから見ればとてもシュールな絵面だったに違いない。

 ジークを追い、魔獣を狩りつつエステル達は進む。ジークは途中の分岐を折れてバレンヌ灯台の方へと飛んで行った。それを追い――ヨシュアは足元を調べて確証をもつ。複数人の足跡が見て取れたのだ。間違いなく彼らはここに駆け込んだに違いない。

 エステル達の目の前で、バレンヌ灯台は不気味な静けさを伴って佇んでいた。




またお前か。黒装束たちじゃないけどこの後も何回も関わるんで言われてもおかしくないなーと。

では、また。


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真の黒幕の手先

旧57話後半~61話のリメイクです。

アルシェムさんが兇悪になる回ともいう。

では、どうぞ。


 ジークの誘導に従い、バレンヌ灯台に乗り込んだエステル達は薬と暗示によって操られた《レイヴン》達を無力化しながら上へと登っていた。これまでの《レイヴン》達とは一線を画す実力を持たされた彼らは、限界まで肉体を酷使してエステル達を足止めしてくる。しかし、エステル達も複雑な思いを胸に彼らを打倒して行ったのであった。

 そして――《レイヴン》を倒し終わって。最上階へと続く階段を上っている途中でエステル達は話し声がするのに気付いた。息を殺し、その話の内容を盗み聞くエステル達。

 はっきりと聞こえたのは、どこかで聞いたことのある声だった。

「よくやってくれた。あの薄汚れた建物も、もう再建されはしないだろう。これで連中に罪を被せれば万事解決というわけだね」

 その声に、クローゼはクッと眉を寄せた。どこかで聞き覚えのある男性の声。それも、つい最近聞いた声のはずである。クローゼの中では、既にその人物が割りだせていた。しかし、彼女はそれを信じたくはなかった。

「我らの仕事ぶりに満足して頂けたようだな」

「ああ。それよりも、念のために確認しておくが……証拠が残ることなどないだろうな?」

 もう一人の声に、アガットが目を細めた。この声には一応聞き覚えがある。それも、ずっと追っていた相手である。つまり今回の件も黒装束の彼らが関わっていたということだ。彼らの目的を、アガットは知らない。ただリベールに混乱をもたらしているということだけは分かっていた。

「安心するが良い。下の連中が正気を取り戻そうが、灯台守が目を醒まそうが一切覚えてはいない。無論……この女もな」

「そういえば、何でこの女を連れて来たんだ?」

 クローゼにとって聞き覚えのある声がそう問うた。女、という単語にエステルが反応して飛び出しそうになるが、アガットとヨシュアに止められる。階下にもいなかったということは、ここにアルシェムがいるのだろう。

 黒装束の男が彼の問いに答えた。

「この女はこれまでにも我々の邪魔をしてくれた人物でな。この際罪を被せるのに非常に都合の良い人物でもあった。故に――首謀者として突き出させればお前に矛先が向くことはあるまい」

「なるほど……」

 と、そこで別の黒装束の男と思しき声が男性に問うた。

「しかし、あんな孤児院を潰して何の得があるのやら……」

「あの場所は風光明媚な街道沿いで、しかもルーアン市ともマノリア村とも近い。別荘地としてはこれ以上にない立地条件だとは思わないかね?」

 この言葉に、クローゼは我知らず手を握っていた。確かに孤児院のあった場所は都会の喧騒からも離れた安らげる場所である。そこにある孤児院を燃やしたのは、恐らく――

 クローゼは首を振ってそれを否定した。否定したかったのである。この声の持ち主が――市長秘書ギルバート・スタインが、そんなことを考える人物であったとは信じたくなかったから。

 しかし、男の――ギルバートの声は続く。

「あの場所は孤児院にはもったいない。それよりは豪勢な別荘をたくさん建てて国内外の富豪に売りつける方が有効活用できると市長はお考えなのさ」

 クローゼは思わず耳を塞ぎそうになって、堪えた。今ギルバートはとても重要な証言をした。彼は単独でこれを考えたわけではない。市長が――モーリス・ダルモアがこの件に関わっている。耳を塞ぐ代わりに、クローゼは歯を食いしばって飛び出したくなるのを堪えた。

 黒装束の男がギルバートに問う。

「それが何故孤児院を潰すことにつながるのだ?」

「はは、決まっているだろう。別荘地に孤児院があるというだけで価値は半減してしまうのだよ。富豪というのは孤児院というものをひどく嫌うからな」

 違う、とクローゼは叫びそうになった。そんな人たちばかりではないと。そう信じたかった。しかし、それは真実でもあった。確かに大富豪たちは親のいない子供達を嫌う。真っ当に育ってきたわけではないと差別する。自分達とは違う人種であるとさえいうものもいる。だからこそ、彼らは孤児を排除したがる傾向にある。

 ギルバートの声は、続く。

「それに、あの場所を売れとあの頑固な女に言おうが夫の残した土地だから、売るわけがない。だからこそあの場所から追い出してその間に別荘を建ててしまおうとしているんだ……そうすれば、いかなあの女であっても、泣き寝入りするしかなくなるだろう」

 そこで、クローゼの我慢が限界を迎えた。エステル達の制止も聞かず、腰からレイピアを抜き放って幽鬼のように階段を上り終えた。

 そして、クローゼはギルバートに告げる。

「……それが動機ですか、ギルバート先輩」

 その声にぎょっとしたギルバートは後ずさり、黒装束の男達は武器を構えた。エステル達は敵だと判断したようである。

それを見てもクローゼは動じない。動じる理由がない。確かに撃たれれば死ぬが、今はそれを気にしている場合ではないのだ。クローゼには、孤児院の子供達とテレサ、そして何よりも自分のために彼らに言わなければならないことがあるのだ。

 クローゼはキッとギルバートたちを睨みつけて言った。

「そんなことのために……先生たちを傷つけて、思い出の場所を灰にして……あの子達から笑顔を奪って……! それを、よりによってアルシェムさんに罪を被せるんですか……!」

「おかしなことを。この女は元々罪人だ。それに罪を一つや二つ増やしたところで、何が変わる?」

 嘲るように、黒装束の男はそう告げた。そして――

「それに、この女は今から罪を犯すのだ」

「え……」

 エステルが眉をひそめる。今からアルシェムが罪を犯す、と言われてもどう考えてもあり得なかったからである。何故なら、エステルの目の前でアルシェムは気絶しているのだから。

 しかし、ヨシュアは察した。先ほどまでの《レイヴン》と同じである。薬と暗示でもって、恐らくアルシェムは操られることになるのだろう。ヨシュアは双剣の柄を握りしめてアルシェムからの攻撃に備えた。

 黒装束がギルバートに問う。

「見られたからには皆殺し、で構わないか?」

「も、もちろんだ! 一人も生かして返すな!」

 その、ギルバートの言葉を合図にアルシェムは立ち上がった。そして――

 

「くっ……くっくっ……ふははは……」

 

 喉から声を漏らした。それは、誰がどう聞いても嘲笑だった。それに怯んだようにエステルが棒術具を握りなおす。ヨシュアはその場から飛び出そうとして、アガットはクローゼの前に立った。

 アルシェムは、動いた。ただし――

「な……ガッ!?」

「何をして……グフッ!」

 黒装束たちに向かって。アルシェムは彼らが構えていた導力機関銃を跳ね上げ、的確に鳩尾を蹴って少しばかり灯台守から距離を取らせたのである。落下してきた導力機関銃を受け止めたアルシェムは、片方の導力機関銃を地面に落として黒装束の男の片割れを蹴った。

「グッ……バカな……暗示も薬も完璧だったはず……」

 ぼやく黒装束たちの言葉を、アルシェムは聞いていなかった。アルシェムは手に持った導力機関銃の銃身を両手で持って怖いくらいの満面の笑みを浮かべながらその男に告げた。

「うんそーだね。暗示は、ばーっちり効いてたよ?」

「な、ならば何故正気でいられる!?」

 黒装束の男の問いに、アルシェムは銃身を両手で捻じ曲げながらこう答えた。

「大概の薬ってか毒ってかに耐性あるから無駄だって。何より、一番耐性のあった薬使われるとはねー……」

 ばきょん、とまぬけな音がして導力機関銃が捻じ切れた。それを素晴らしくイイ笑顔でおこなったアルシェムは、黒装束の男達にこう問うた。

「この薬、どっから手に入れたの?」

「お、教えられるか!」

 黒装束の男達はそう反駁するが、既にアルシェムの雰囲気に圧されていた。笑顔で自分達の使っていた武器を捻じ切られると流石に怖いのである。しかも、素手で。

 アルシェムは捻じ切った導力機関銃を更にギリギリと捻じ曲げつつもう一度問うた。

「あの薬、どっから手に入れたの? 一応結構ヤバーいお薬なんだけど、アレ。量産してたら多分カシウス・ブライトがすっ飛んでくるレベルの」

「し、しらな……ヒッ!?」

 黒装束の男が知らない、と応えようとすると、アルシェムは捻じ切れた導力機関銃の残骸をその顔の隣に物凄い勢いで突き立てた。途中までは間違いなく当たるコースで、当てる直前で床へと進路を逸らして。

 今この時に限り、アルシェムは割と本気を出していた。アルシェムに盛られた薬は、彼女の暗い過去ともかかわりのあるものなのだから。もしもこの薬が増産されて世間に広まるようなら――アルシェムは、その薬を作った人間を完全に殺してしまうだろう。完膚なきまでに叩き潰して、塵一つ残らぬように滅して。

「ねー、ほんとーに知らないの? 正直に答えたほーがいいよ?」

 アルシェムは残骸になっていない導力機関銃を拾い上げ、怖いくらいに笑みを浮かべてこう告げた。

 

「こうは、なりたくないでしょう?」

 

 妖艶に嗤ったアルシェムは、言いながら導力機関銃を限界まで捻って真半分に折った。因みに、普通は捻じ切るどころか捻ることすら不可能である。アルシェムも薬を盛られていなければ不可能だっただろう。

 それを見た黒装束の男は――叫びながらアルシェムに向けて突進した。理性よりも恐怖が勝ったのである。

「うわ、うわああああああああああああああっ!」

「だーからムダだって」

 アルシェムは呆れたように笑いながら黒装束の男の持つ短剣を避け、腕を掴んで投げ飛ばす。黒装束の男はいとも簡単に投げ飛ばされた。投げ飛ばされながら、黒装束の男は覆面の下で引き攣った笑いを漏らす。

 それが、アルシェムにとっての隙となった。アルシェムが投げなかった方の男が、煙幕を焚いたのだ。

「わわっ……」

「チ、逃がすか!」

「その程度で、わたしがどーにかなるとでも?」

 エステルは怯み、アガットは飛び出し。アルシェムは手に持っていた導力機関銃の残骸を地面に落として自らの導力銃を抜き、黒装束の男達を撃ち抜いた。黒装束の男達は少しばかりよろめいたが、動きを止めることはせずに灯台から飛び出して行く。

 煙が晴れると、そこには途方に暮れた様子のギルバートと僅かな血痕、そしてエステル達しかいなかった。因みにアガットは黒装束の男達を追って飛び出して行ったようである。

 それを見て不利を悟ったのか、こそこそと逃げようとするギルバート。それを、アルシェムは軽く投げ飛ばした。

「ぎゃああっ!?」

「こーらこら、逃げないの。はい寄付金奪取。クローゼ、パス」

 後ずさって逃げようとするギルバート。しかし、アルシェムは彼を逃がさなかった。アルシェムは笑いながらギルバートの懐を漁り、抵抗しようとすれば関節を極めて身動きをとれないようにする。程なくして、ギルバートの懐にあった寄付金はアルシェムによって奪取され、クローゼに投げ渡された。

 それを受け取ったクローゼはハッと我に返って叫んだ。

「え……じゃなくて、アルシェムさん! 身体は大丈夫なんですか!?」

 クローゼがアルシェムに詰め寄る。無理もないだろう。アルシェムは先ほどまで薬を盛られて暗示を掛けられていたかも知れなかったのである。クローゼが見た限りではそのような痕跡は全く見当たらなかったが、何かしらの影響があるはずだと思ったからである。

 そんなクローゼにアルシェムは笑いながら答えた。

「あー、うん、大丈夫。まだちょっと抜けきってないけど、動いたら抜ける系統の薬だから問題ないかな」

「え、えっと……」

 クローゼが困惑したようにアルシェムを見るが、彼女はそれ以上の答えを出すことを拒んだ。アルシェムはこの薬の名も、効果も知っていた。しかし、それをこの場に存在する何者にも告げるつもりはなかったのである。

 その後――エステル達は《レイヴン》とギルバートをマノリアにある風車小屋を借りて拘禁した。ルーアン市へと連行しても良かったのだが、そうしてしまえばダルモアに気付かれる恐れがあったためだ。

 完全に余談ではあるが、アルシェムは《レイヴン》とギルバートを縄でひとまとめにして括り付けたオブジェを一息にマノリアまで連行していた。というのも、アルシェムの盛られた薬を抜くには、その効果を使い切る必要があったためである。一番顕著な効果は、肉体のポテンシャルを最大まで引き出すこと。それを大いに活用したのである。

 彼らの拘禁には、眠らされていたカルナが協力してくれた。アルシェムはカルナと共に残り、彼らを見張ることになった。流石にアルシェムには市長逮捕に向かうまでの体力もなく、薬の効果が抜けきっていないとヨシュアに判断されたからである。そのため、カルナと共に風車小屋を見張ることになったのだが――

 カルナは、アルシェムを気遣ってこう言った。

「ああ、一応シスターがいるみたいだから診て貰っておいで」

「え゛……」

 アルシェムは途轍もなく嫌な予感がしてそっと背後を振り返った。すると、そこには――

「アルシェム?」

 とてもイイ笑顔をしたシスター・メル・コルティアがそこにいた。先ほどのアルシェムの笑みと勝るとも劣らないイイ笑顔である。無論、嬉しくて笑っているわけでも楽しくて笑っているわけでもない。ただただ怒りの沸点をはるかかなたに置き去りにしたために、笑うしかないのである。

 メルは風車小屋の裏にアルシェムを連れ込み、法術で傷を癒した。いかな法術であれども失った体力は戻らないが、そもそもアルシェムに盛られた薬は体力に関係するものではない。脳に働きかけてポテンシャルを引き上げるものである。

「……あまり無茶をしないで下さいと言っても、貴女は守らないのでしょうね」

 法術を掛け終えたメルは、ぽつりとそう零した。メルがアルシェムを案じているのは、顔を見なくともわかった。もっとも、アルシェムにとっては顔を見ずとも、声を聴かずともそのことはよく分かったが。特に今の状態では、他人の感情など手に取るようにわかるのである。

 アルシェムは苦笑しながらメルに返した。

「仕方ないでしょーに。無茶も無理も通さないと皆が死んじゃうんだから」

「貴女だけが動く必要はないと言っているんです。この際言わせて頂きますけど、もう少し手駒を増やしなさい」

 しかし、アルシェムはその言葉に首を横に振った。あくまでもメルの言うことを聞く気はないという意思表示である。アルシェムが使える手下を増やさないのには理由があるからだ。もっとも、個人的な理由であってメルを説得できるようなものではないのだが。

 メルは嘆息し、次いで一人でルーアンまで戻っていった。これ以上何を言ってもアルシェムは聞かないことを身を持って知っていたからである。脳内でこれから必要になるであろう資料をリストアップしながら、メルはルーアンまで帰り着いた。

 一方、アルシェムはそのままマノリア村で監視を続けた。アルシェムにはルーアンに戻り、事件解決に貢献することも出来た。失ったのは体力ではなく精神の平静だけなのだから。黒装束の男達と激しく戦闘をしていれば筋肉痛で身動きもとれなくなっただろうが、アルシェムはただ鋼鉄の塊を捻じ切っただけである。若干腕が筋肉痛を訴えているだけで他に異常はない。

 ならば何故、彼女はマノリアに残ったのか。その理由は、風車小屋の中の黒装束の男達にある。

 アルシェムは、黒装束の男達の正体を半ば掴んでいた。いくら彼らが一般人よりも少し強いレベルとはいえ、アルシェムの目はごまかせない。彼らはとある人物に訓練されている。そして、その人物をアルシェムはよく知っていた。

 その人物が動いている以上、この場の男達は逃走する恐れがある。だからこそアルシェムは風車小屋の前でただ見張りを続けた。彼らが逃走しないように。そして、とある人物が彼らを奪取しに来ないように。




アンチクローゼに見えなくもない。

では、また。


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さようなら、ルーアン

旧62話~63話のリメイクです。
展開が変わっていたりするのはやっぱり仕様です。

では、どうぞ。


 エステル達は、孤児院放火事件の黒幕たるモーリス・ダルモアを追い詰め、船までも駆使して無事に逮捕することが出来た。その逮捕の際には王室巡洋艦《アルセイユ》が出張り、あわや高飛びせんとしていたダルモアを阻止したらしい。マノリアで王国軍にギルバートたちを引き渡した際にその知らせを聞いたアルシェムは内心で盛大に眉を顰めながら溜息を吐いた。

 因みに、《レイヴン》達は取り調べを受けたものの罰を受けることはなかった。彼らも共に被害者であると認識されたからである。彼らは全身筋肉痛に悶えながらもルーアンに戻ってくることが出来ていた。

 アルシェムは彼らの引き渡しを終えると、マノリアからルーアンへと戻った。流石に本調子でもないので道中の魔獣は程々に狩り、ゆっくりとルーアンへと戻ったため、辿り着いた時には既に夕方になってしまっていた。

 因みにアルシェムは灯台の一件から一睡もしていない。それは、灯台で盛られたとある薬が原因である。アルシェムにとってあの薬は、忌まわしいものでありトラウマを作り上げた根元でもあるのだ。もしも眠ってしまえば――また、見たくもない悪夢を見てしまうような気がして。だからこそ、アルシェムは自身に眠ることを良しとしなかった。

 眠ることを拒否していたアルシェムだったが――しかし、それはエステルに看破されてしまっていて。遊撃士協会に帰り着き、エステルと顔を合わせた瞬間にアルシェムはベッドに叩き込まれてしまった。

 そして――案の定、悪夢がアルシェムを襲った。アルシェムの過去の夢と、恐らくは未来の光景が入り混じる。それが本当に起きることかどうか、アルシェムに判断するすべはない。

 血まみれの、小さな村で。慟哭しながら逃げ出すしかなかった忌まわしい記憶。今、その場所で生きている人間はただの一人としていない。一般人が立ち寄ることすらも――出来ない。その場所で、『アルシェム』になる前の彼女は自らも血にまみれて慟哭していた。

 顔を真っ赤に染めた全裸のエステルが全裸のヨシュアを投げ飛ばそうとして逆に投げ返され、恐らくは露天風呂の縁石で頭を打って血を流しているエステルの姿に、それに後悔したかのようにエステルを連れ去って山奥で自害するヨシュアの姿。

 つややかな声と煉獄の光景が入り混じる場所で。逃げることも出来ずただその合唱に声を連ねるだけしか出来なかった忌まわしい記憶。今、その場所で生きている人間はただの一人としていない。そこは既に廃墟と化している。その場所で、『アルシェム』になる前の彼女は啼きながら泣いていた。

 《紅蓮の塔》の上でアルバート・ラッセル博士が人質にとられ、突如現れた飛空艇が機関銃を乱射してエステル達を虐殺する光景。ヨシュアは間一髪で逃れるが、エステルを見た瞬間にラッセル博士のことを無視して黒装束の男達を惨殺していた。その夢は、最終的にヨシュアがレイストン要塞に突入し、死ぬまで兵士達を虐殺するという光景に続いていた。

 死体とミラが入り混じる世界で。何も感じずにただ殺すことしか出来なかった忌まわしい記憶。今、当時彼女と会った標的で生きている人間はただの一人としていない。ただの一人も、例外など出さなかった。その世界は、歪ではあったけれど小さな幸せが共に在った。

 カルデア鍾乳洞内部の一番奥の湖畔で、出現したオウサマペングーにエステル達が蹂躙されている姿。アルシェムはとある理由でオウサマペングーの性能を知っているのだが、それでもエステル達ならば対抗できるはずだった。しかし、エステル達はペングーたちにイワシまみれにされてオウサマペングーに弾き飛ばされ、湖の中で溺死した。

 虚言と理不尽が入り混じる世界で。必死に抜け出そうとして抗った懐かしい記憶。今、その場所がアルシェムの居場所となっている。本来、そこ以外にはアルシェムに居場所などない。その世界は、懐かしい幸せと共に『アルシェム』となった彼女にまとわりついていた。

 グランセル王城、女王宮のテラスで。エステルとクローゼ、そしてシェラザードはとある男に打ちのめされ、再起不能の重傷を負っていた。そこに駆け付けて来たヨシュアはそれを見て激昂。下手人を探し出すために暴走して――その男に殺されて、死ぬ。

 そして――アルシェムが、『アルシェム・ブライト』となった空間で。自らの全てをさらけ出すことの出来ないもどかしい記憶。今もなお、アルシェムは『ブライト』を裏切り続けている。ただ、自らの居場所を守るためだけに、アルシェムは戦っていた。

 そして――アルシェム自身も、見たことがないはずの場所で。巨大な人形兵器に蹂躙されて屍をさらすエステル達の光景。そこに、カシウスが駆け付けて来て――自らの無力さを嘆いて絶叫し、人形兵器と相打って死ぬ。

 どれもこれも、悪夢だった。アルシェムの夢の中では、ただエステル達が死んでいった。それを望んでいるはずなどないのに、夢の中でアルシェムは何度もエステル達が死ぬ様を見せつけられた。それと同時に、逃れ得ぬ過去も。

 アルシェムがうなされていたことを、エステル達は知らない。エステル達はアルシェムを寝かしつけると掲示板の依頼をこなしていたからである。三日三晩うなされ続け、しかしそれでもエステル達がそばにいるときはアルシェムのうめき声は発されなかった。その理由を、アルシェムが知ることは――ない。少なくとも、今のところは。

 そうして、アルシェムが目覚めて。掲示板の依頼もひと段落ついたらしいエステル達は、アルシェムを連れて次の地方へと向かうことにした。推薦状は先日発行されており、そこにはアルシェムの分もあったらしい。

 次に向かう地方の名は、ツァイス。アルシェムがカシウスに引き取られてから半年後、一年間留学していた地でもある。そして、アルシェムが一番赴きたくない都市でもあった。アルシェムはツァイス留学の際、到着直後のトラブルによって遊撃士協会の協力員として働いていたからである。その時には相当な無茶をしていたため、推薦状を貰うのは至難の業になりそうな地方なのだ。

 それはさておき、アルシェム達はラングランド大橋でクローゼを待っていた。孤児院放火事件の解決の際にクローゼがツァイスに旅立つ際は見送らせてほしいと申し出があったためである。そういうわけでラングランド大橋の上で待っているのだ。

そして――

 

「ピュイーッ!」

 

 クローゼが現れる先駆けとして、ジークが現れて。そして、アルシェムに突き刺さった。

「だーから突くの止めてって! もー、わたしは敵じゃないっての!」

 アルシェムが何を言っても突くのを止めないジーク。遠くから見ればじゃれているように見えるだろうが、実情は違う。ジークは割と本気でアルシェムを殺しに来ていた。

 それから目を逸らしたヨシュアはエステルにこう告げた。

「……き、来たみたいだね」

「そ、そうね……」

 エステルもジークから目を逸らしてそう応える。現実逃避でもしなければこの光景は受け入れられそうになかったのだ。

 クローゼは、すぐに現れた。ついでにジークを叱ってアルシェムを突かせないようにする。アルシェムは心の底からクローゼに感謝した。あのまま突かれ続けていれば、対処は出来ていたとはいえ重傷を負いかねなかったからである。

 そうして――エステル達は、クローゼを伴ってエア=レッテンへと向かった。それを越えればツァイス地方へと抜けることが出来るのである。途中の魔獣はお別れ代わりに殲滅して一行は進んだ。

 エア=レッテンに辿り着いた一行は、クローゼを除いて通行手続きを終えた。クローゼからの情報によると、ここからツァイスに抜けるにはカルデア隧道という街道を通る必要があるらしい。そして、その街道はトンネルなのだそうだ。

 アルシェムはカルデア隧道に何度も足を運んだことがあるため、近づくにつれて気が重くなっていることは誰も知らない。そんなアルシェムを放置して、エステル達はクローゼと別れを惜しんでいた。

「……エステルさん、ヨシュアさん、アルシェムさんも……修行の旅、頑張ってくださいね。お父様の行方が分かることもお祈りしています」

「うん……ありがと、クローゼ」

「君達も元気でね」

 エステルとヨシュアはクローゼに手を振った。しかし、アルシェムは動かない。まだツァイス地方へ行きたくないという感情もあるのだが、それ以上に気になることがあったからである。具体的に言えば、気配を感じたのだ。

 アルシェムの様子を訝しんだエステルが問う。

「アル?」

「……ちょっと先行ってて、エステル、ヨシュア」

「え、それは別に良いけど……どうかしたの?」

 エステルの問いに、アルシェムはこう答えた。

「クローゼとちょっとばかし話すことがあってさ。内緒のお話したいから」

「僕達は聞かない方が良いのかい?」

 ヨシュアの問いに、アルシェムはイイ笑顔でこう告げた

「うんマズい。具体的にはヨシュアってエステルのことがす」

「分かった分かったから取り敢えずその口閉じようかアル」

 ヨシュアはアルシェムに全てを言わせずにそう返した。どうやらエステルには知られたくないようである。若干顔が赤くなっているあたり、まだまだ初心――演技でもなく、心の底から本当に恥ずかしいらしい――である。その隣でエステルは頭の上にはてなマークを飛び散らせていた。

「と、取り敢えず行こうエステル」

「え、あ、うん……早く追いついて来なさいよね、アル」

「はいはい」

 そうして、アルシェムはエステル達を見送った。クローゼは若干顔を曇らせながらそれを見送り、完全に見えなくなってからアルシェムに問うた。

「……それで、お話とは?」

「出来ればシュバルツ中尉にも伝えたいんですが」

 アルシェムは、『クローゼ』にではなくクローディアにそう告げた。それを理解したクローゼは顔を引き締め、後ろを振り仰いでシュバルツ中尉――クローディアにつけられた親衛隊の隊長ユリア・シュバルツのことである――を見た。

 途端に彼女はクローゼに近づき、彼女を半ば庇うようにしてアルシェムの前に立った。どうやら、アルシェムのことを信頼していないらしい。

 ユリアはアルシェムに問うた。

「……何用だ、『アルシェム・ブライト』」

「一応、ご忠告をと思いまして」

 アルシェムはただただ冷淡な目をユリアに向けた。ユリアからの視線も同じように冷淡であるため、どこからどう見ても敵対しているように見える。実際、ユリアの中ではアルシェムと敵対していることになっている。

 ユリアは知っていた。『アルシェム・ブライト』となった彼女が、自らの守るべき主を殺害しようとしたことを。もしも再び『アルシェム・ブライト』が主に接近し、害を成そうとすれば即座に切り捨てるつもりだった。その許可も、リベールで一番高貴なる女性から頂いていた。

 ユリアは警戒を解かずにアルシェムに問うた。

「殿下はご存じでしょう。あの黒装束たち――彼らの正体を、わたしは今回の件で知ることが出来ました」

「な……!?」

 クローゼの目が見開かれた。ならば何故、アルシェムは誰にもその事実を告げなかったのか。クローゼにすらも明かさなかったその事実を、何故今になって明かすのか。彼女には分からなかった。

 だからこそ、クローゼは問うた。

「何故、今になってそれを……? エステルさん達には聞かせられないことなんですか?」

「エステル達には、まだ過去のことなんて話してませんからね。彼らの正体を語ろうにも、情報源を明かせないなら話したって怪しまれるだけですし」

 アルシェムは飄々とそう言って笑った。アルシェムの情報源――というよりも、彼らのクセににじみ出るとある人物――を明かそうとすれば何故知っているのかをエステル達に伝えなければならない。そして、それを伝えることは出来ないのだ。『ヨシュア・ブライト』が存在する以上。情報の漏えいという意味でも、彼自身の心を守るためにも――アルシェムは、それを告げることが出来なかった。

 ユリアとクローゼは、顔をしかめてアルシェムの言葉を聞いていた。つまり、『アルシェム・ブライト』の過去に関係のある人物が関わっている可能性があると言われているのだ。そのくらいのことは分かった。

「……色々な伝手から情報を集めて分かったんですけどね。あの黒装束たち――もっと言えば、彼らの上層部。それは、情報部です」

 だからこそ――アルシェムからそう告げられた時、彼女らはそれを容易に信じることが出来なかった。アルシェムの過去に関わる人物ではなかったのか。もしくは、その過去に情報部が関わっているのか。前者の疑問は正しいが、後者の疑念は全く以て正しくはない。情報部が設立されたのは、アルシェムが『アルシェム・ブライト』となってからのことだ。

 ユリアは疑念を口に出した。

「どういうことだ。貴様の過去が関わっているのではないのか?」

「関わってますよ。情報部に、とある人物が潜入しているんです」

 そのアルシェムの言葉に、クローゼ達は絶句した。情報部といえば、アラン・リシャール率いる一派のことである。副官にカノーネ・アマルティアというユリアの軍学校時代の同輩がおり、少数精鋭の特殊部隊だったはずだ。当然、王国軍では軍人として採用する前に身元の確認を行う。情報部ならばなおさらである。そんな中で――王国軍に潜入できる輩などいるはずがないのだ。たとえ情報部が独自の採用方法を取っていようが、リシャールがそれを赦すはずがない。

 アルシェムは、クローゼ達にこう付け加えた。

「えーと、そんな顔されても困るんですけど……ま、記憶を云々できる人材があそこにはいますし、潜入自体は簡単ですよ。要は危険人物でないと思い込ませればいいだけの話ですから」

「だ、だが先日貴様はクローゼに記憶の話は嘘だと……!」

「いろいろ説明するのが面倒だったのでそーいう表現になりましたけど、思い出せないモノだってあるんですよ」

 へらへらと笑いながらアルシェムはそう告げる。アルシェムにとって思い出せないものはただ一つを除いてどうでも良い。ただ一人の大切な少女の名さえ取り戻せればそれで構わないのだ。そこに大切だったはずの家族の名が含まれていようが、最早どうでも良い。大切だったはずの家族は、『アルシェム』となる前の彼女の心を殺したのだから。

 ユリアはアルシェムの表情にいら立って声を荒らげる。

「そういうことはきちんと説明して差し上げろ!」

「シュバルツ中尉声おーきい。静かに、ここ公共の場所だから」

「誰のせいだと思っている、誰の!」

 がう、とでも言わんばかりに噛みついてくるユリアに内心辟易としつつ、アルシェムは本題に入った。

「ま、それはどーでも良くて。今回《アルセイユ》を動かしたそうですね?」

「あ、ああ……」

「……はい、私がお願いしました。どうしても……どうしても、捕まえたかったので」

 クローゼは何かを堪えるような表情でそう言った。実際、もしも高飛びされていたらと思うと、今でもクローゼは怒りで我を忘れそうになる。それほどまでに、ダルモアはクローゼにとって赦されざることを成した敵であったのだ。

 だからどうした、とアルシェムは思う。もっと重要なことを、敵かも知れない人物たちに教えてしまったことが問題なのだ。

 アルシェムは溜息を吐いてこう告げた。

「それで、もしリシャール大佐が何かしら悪事を企んでいれば貴女の正体という重要なカードを握られたことになるんですが、そのあたりは理解していらっしゃる?」

 その言葉に、今度こそクローゼ達は絶句した。確かに、彼らが黒幕だというならば――クローゼとユリアの関係を匂わせるような行動は慎むべきだったのだ。

「で、でもどうして情報部が……!」

「往々にして高い忠誠心は利用されやすいということですよ。……失礼、そろそろエステル達と合流しなければなりませんので」

 まだ何かを聞きたそうにしているクローゼを放置し、アルシェムは踵を返した。空には、暗雲が垂れ込めている。それが、リベールの未来を暗示しているようで、アルシェムは少しばかり気分が悪くなった。




さて、次は閑話です。

では、また。


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閑話・クローディア姫暗殺未遂事件

というわけで、前作では語らなかった(と思う)クローゼ暗殺未遂事件です。

では、どうぞ。


 七耀暦1200年、とある場所にて――

 

「クローディア・フォン・アウスレーゼを暗殺してほしい」

 

 それが、長い銀髪の少女に告げられ、課された任務だった。丸眼鏡をかけ、どことなく禍々しい雰囲気のする男がそう告げたのである。その男は銀髪の少女の上司で、彼女は彼に逆らうことは出来なかった。ありていに言うならば、彼女は彼に人質を取られていたのである。銀髪の少女にとって、その人物たちが人質になり得るかと言われると、本当はそうではない。彼らが彼女を見捨てたその時に、彼女は彼らを見限ったのだ。何度も何度も信じてほしいと願ったのに、彼らは彼女を信じなかったのだから。

 

「分かった」

 

 しかし、それでも少女は逆らわなかった。少女にとって、この任務は渡りに船だったのだから。心残りはあるとはいえ、彼女はここから抜け出さなければならなかったのである。

 その理由を語るためには、二年ほど前までさかのぼる必要がある。そのころには既に少女は人を殺し、各地で暗躍する立場になっていた。その時に交わされた、別の人物たちとの契約によって――少女は、現状から脱却しなければならなかったのだ。もしも彼女がそのままその場所に留まり続けることを選べば――闇の世界は一大抗争に包まれただろう。それほどまでに、その人物たちは少女を重要視していた。

「……ごめん。ありがとう……さよなら」

 少女はその任務を受け、そして今までいた場所に小さく別れを告げて旅立った。そうすることしか出来なかった。心残りはあるが、その人物を連れてはいけないのだから。

 

 少女は旅立った。暗殺対象のいるリベール王国へと。

 

 リベール王国への潜入は、思いのほか簡単だった。同僚から教わった、人形を操るだけの技量を持ってさえいれば親子連れに見せかけることなど簡単なことだった。ただし、少女は自分の親という存在を見たことがない。故に――両親という存在をかたどった人形は、どこか浮世離れしたものになってしまっていた。

 リベール王国へとあっさりと潜入することに成功した少女は、とある人物に連絡を取った。その人物は少女を闇からさらに深い闇へと堕とそうとする人物でもあった。しかし、少女には彼女以外に頼れる人物などいない。だからこそ少女はその人物を頼るしかなかったのだ。

 少女はその人物と連絡を取り合い、決行の場所と時間を伝えた。その人物はからからと笑いながら告げた。

 

「ああ、分かった。何、心配することはない。思う存分に当たって砕けるが良いさ」

 

 少女はその言葉を信じた。そうして――クローディア・フォン・アウスレーゼの暗殺に及んだのである。入念な準備の上に、必ず失敗しようという気概を以て。流石に、少女には現状から抜け出すために何の罪もない女を殺すつもりはなかったのである。

 当時、クローディア姫は見識を広めるためにジェニス王立学園へと入学することを検討していた。そして、その視察のために彼女はルーアンへと訪れていたのである。クローディア姫はジェニス王立学園からルーアン市街、アイナ街道を歩いてエア=レッテンを見学し、その後街道外れの空き地から飛空艇に乗って王城に帰還するらしい。それを知っていたからこそ、少女はルーアンという土地で彼女を暗殺することにした。

 そうして――少女は念入りに計画を練って暗殺に向かう。時間帯としては、少々危険だっがルーアン市街からアイナ街道に出てエア=レッテンに向かう間が丁度いいだろうと見当をつけた。

 クローディア姫は予定通りにルーアン市街に出て、そしてエア=レッテンに向かうべくアイナ街道を何の疑いもなく歩いてきた。周囲には護衛もいるが、一人を除いて脅威になりそうな人物はいない。予定通りである。

 ただし、一つ付け加えるとするならば――少女の想定した強者は、そこにはいなかった。その代わりだろうか。クローディア姫には、どこにも隙のない栗色の髪の男性が付き従っていたのである。

「……作戦、開始」

 少女は、待機していた場所からそっと抜け出した。そして、あらかじめ用意しておいたキノコ――ホタル茸というキラキラと光るキノコである――を手に、走り出した。

 ホタル茸は、魔獣を引き寄せる性質を持つ。それは少女の中でも、少し腕利きの遊撃士たちでも知っていることであった。そういう意味では、とても危険なキノコであるともいえる。一時、このキノコを利用して魔獣の乱獲をしていた遊撃士もいたらしい。

 それはさておき、今回も例外はなく少女に魔獣が群がり始めた。少女の横から魔獣が迫りくる。それでも少女はキノコから手を離さない。キノコを手で隠しているため、前方からは全く魔獣は来ない。後方にも魔獣はいるが、これは少女が引きつけて逃走しているために横から襲ってきた魔獣が背後に迫る形になっているだけである。

 少女はそのまま何度も転倒し、いかにも必死に逃げていますといった様相でクローディア姫に近づいて行った。

「あ……!」

「む、魔獣か! カシウス殿、魔獣をお願いします。私は姫を!」

 少女に気付いたクローディア姫が声を上げ、それとほぼ同時にそれに気付いた女性士官がクローディア姫に張り付く。そして、栗色の髪の男性――カシウスと呼ばれた壮年の男性である――が魔獣を殲滅すべく飛び出した。

 少女はカシウスとすれ違い、女性士官の前まで転がり出る。女性士官は魔獣に向けてレイピアを構えたまま少女にこう告げた。

「もう大丈夫だ。カシウス殿は強いからな」

 それを、少女は俯いたままで聞き――カシウスが魔獣を殲滅して戻って来られるだろうというタイミングで懐からナイフを抜いた。そして、長い髪をひるがえしながら女性士官の方を向き、吹き飛ばす。

「な……ガッ!?」

「ユリアさんッ!?」

 クローディア姫の悲鳴が聞こえる。吹き飛ばされた女性士官――ユリアという名らしい――は必死の形相で立ち上がろうとする。しかし、立ち上がれない。それほどまでに強烈な一撃を受けたのだ。もう、ユリアは間に合わない。間に合うはずがない。既に少女はクローディア姫の眼前にいるのだから。彼女はクローディア姫の死をその目で見ることになるだろう――少女が、本当にその気であれば。

 少女は他の護衛もユリアと同じように吹き飛ばし、クローディア姫に向けてナイフを振り上げて――そして。

 

「……え?」

 

 少女は、ナイフの切っ先をクローディア姫の目の前で止めていた。手は震え、先ほどまで感情を見せなかった青い瞳は潤んでいる。唇が震え、歯が鳴り、そして彼女は声を絞り出す。

 

「……に……にげ、て……」

 

 その言葉に、クローディア姫は瞠目して硬直した。眼前にはナイフ。そして、それを構えている少女は一筋の涙をこぼしながらふるえている。何をどうすれば良いのか、クローディア姫には分からなかったのだ。

 それを見て、内心で舌打ちをしながら少女は繰り返す。

「……逃げて……はや、く……!」

 しかし、クローディア姫は動けなかった。純粋に恐怖が勝っていたのだ。クローディア姫には、これまで暗殺者が差し向けられたという実感の湧く襲撃はなかったのだ。だからこそ――今、目の前でナイフを向ける少女に対応することが出来なかった。逃げることが、出来なかった。

 クローディア姫は恐怖で固まっているが、少女は焦燥を感じて固まっている。とっとと少女を止めに来なければ、クローディア姫は死んでしまう。なのに――カシウスは、少女を止めに来ないのだ。

 じりじりと堪え、少女はカシウスが戻ってくるのを待って――そして、その時は来た。

 

「殿下!」

 

 カシウスが、少女に向けて棒術具を振るう。少女はそれをナイフで受け止めた。カシウスはじりじりと円を描いて動き、少女と立ち位置を入れ替える。そうすることで、カシウスはクローディア姫と少女の間に入ることに成功した。

 カシウスは少女を睨みつけたままクローディア姫とユリアに向けて言った。

「お下がりを、殿下。シュバルツ少尉、殿下を!」

「は、はい!」

 ユリアがクローディア姫をつれて下がり、少女の射程圏内にはカシウスのみが残された。といっても、少女にしてみればカシウスさえ抜ければ容易に暗殺をこなすことが出来る。相手がカシウスでなければ――かの、カシウス・ブライトでなければ、焼け石に水だっただろう。しかし、現実に彼はそこにいた。

 少女は既に瞳から感情を消してカシウスに襲い掛かった。少女の持ち味は、どちらかと言えば敏捷性にある。打撃力もそこそこ強い方ではあるが、それはカシウスに対応できないほどではない。しかし、対応できないほどではないだけで、少女の膂力は十分に彼の予想を裏切っていた。

「……何だ、この力は……!」

 カシウスが思わず声を漏らすが、少女はそれに応えることはない。一応、少女は今操られていることになっている設定なのである。

 数合、カシウスと少女は打ち合った。力は互角。カシウスは力を受け流しているが、少女は全く力を受け流さずに力任せにナイフを振るっていた。恐らくこのままカシウスと少女が戦い続ければ、先に力尽きるのは少女のはずである。

 しかし――カシウスは油断しなかった。らちが明かないと思ったカシウスは少女から隙を引き出すべく敢えて棒術具をわずかに下げる。一応実力の上ではカシウスの方が上であるため、敢えて少女のとる手段を絞り込むために隙を作ったのである。

 案の定、少女はカシウスの懐に飛び込んでくる。そして、そのままナイフを握った右腕を――

 

 振るうことが出来なかった。

 

 右腕よりも数瞬遅れて閃いた左手が、右腕を止めていたからである。思い切り、痣になりそうなほどに右腕を握りしめながら少女はその瞳に感情を戻してカシウスに告げた。

「……と、めて……」

 カシウスは、それで少女が操られているらしいということを悟ったようである。険しい顔でカシウスは少女にこう告げた。

「――分かった」

 その言葉と共に棒術具が閃き――少女は、意識を刈り取られた。

 

 ❖

 

 意識を失った少女を、カシウスは拘束した。そして、単独犯でない可能性を考慮して視察を切り上げ、飛空艇でグランセル王城までクローディア姫を護衛した。無論、少女も共にそこに乗せられている。

 本来であれば、王族を狙ったものは死、あるのみ。しかし、カシウスの懇願によって少女は辛うじて生を繋ぐことが出来ていた。というのも、少女が操られていたようにカシウスには見えていたからである。実際に少女は操られてはいないのだが、暗殺する意思がなかったことだけは確かだ。

 事が事だけに、カシウスは女王と協議のうえで女王宮にて少女の尋問を行うことにした。軍部に引き渡せば即処刑、かといって遊撃士協会に引き渡したところで処分は変わらないだろうからである。

 少女は、女王宮の片隅で寝かされていた。と言っても、床ではない。ベッドは流石に使わせられないとユリアが強硬に反対したため、ソファに寝かされているのである。

 そうして――半日ほど経ったころだろうか。少女が目を醒ました。ゆっくりと瞼を開き、眼を瞬かせて――そして、こう言った。

「……知らない、天井……? というか、何か夢でも見てるみたいに豪華すぎるけどここ天国?」

「目が醒めたか」

 少女の言葉に苦笑しかけたカシウスが表情を戻してそう言った。すると、少女はびくっと跳ね上がって起き上がった。どうやら怯えているらしい、とカシウスは判断して警戒を解くように笑顔を向けた。

 しかし、少女の身体はそのまま震えはじめ、その目には警戒の色が色濃く浮かんでいた。ようやく絞り出した言葉は――これだった。

「ここは、どこですか。あなたは誰ですか。どうしてわたしはここにいるんですか」

 その問いに、カシウスはこう答えた。

「ここはグランセルだ。俺はカシウス・ブライトという遊撃士だよ。最後の問いについてはまだ答えられん」

 その言葉に、少女は眉を寄せた。何かおかしなことでも聞いたかのような顔である。カシウスは少女の言葉を待った。

 そして――少女は、こうのたまった。

「グランセルって、リベール王国の、ですよね? 何でさっきまで東方人街で逃げてたはずなのにグランセルにいるんですか、わたし」

 少女の言葉にカシウスは盛大に眉を寄せた。もしもこの少女の言うことが本当のことなら、彼女に先ほどまでの意識はなかったことになる。つまり、本格的に操られていたかも知れない可能性が浮上してきたのだ。しかも、なかなかに不穏な言葉が混ざっている。逃げていた、というのは一体何からだろうか。

 カシウスは問うた。

「さっきまで東方人街で逃げていた、というのはどういう意味だ?」

「え、そのままの意味ですけど……こう、物語とかに出て来る魔物っているじゃないですか。アレが丁度人間っぽい形になって襲ってきたので逃げてたんですけど……」

 そこで少女の顔色が急激に悪くなっていった。瞳孔は開き、先ほどまでの会話で一端は解けていた緊張がぶり返してきたかのように体を固くする。

 そして、震える声で続けた。

「あれ? ……おかしい、ですね……だって、背中がとっても熱くて……それで、血がいっぱい出て……でも、でもここは死んだあとの世界じゃなさそうで……え……?」

 一言一言、口から滑り出るたびに少女の震えは大きくなっていく。声までも震え、瞳が揺れる。カシウスは一端ここで止めるべきかとも悩んだ。しかし――少女の方が、結論を出すのが早かった。

 

「じゃ、じゃあ……アレは、夢じゃなかった……? わたしは、人を、殺した……?」

 

 そう言い終わると同時に、少女は頭を抱えて蹲り、カシウスを見ないように顔を伏せた。それを見たカシウスは、これはいけないと思い少女に駆け寄る。しかし、結論から言うならばカシウスのその行動は間違いであった。

「お、おい、しっかり……」

 カシウスが少女に手を差しのばした瞬間。

 

「いや、いやああああああああああああああああああああっ! こ、来ないでええええええええええええええええっ!」

 

 少女は、絶叫してカシウスを拒んだ。その声に驚いたユリアと女王が室内に飛び込んでくるが、少女にはそれが見えていない。長い銀髪を振り乱し、頭を抱えて叫びながらソファから逃げ出して部屋の隅へと這いずる。

 これは、尋常な怖がり方ではない。そう思ったカシウスはすぐさまユリアに七耀教会に行かせ、シスターを呼んだ。女王には退席して貰い、カシウス自身は少しばかり離れた場所でそれを見守る。

 結局――少女はそのまま駆け付けた七耀教会のシスター・アイン・セルナートに引き取られて本格的に精神の治療を施すべくアルテリア法国へと送られた。そして、少女が七耀教会から戻って来た時――カシウスは、少女がアルシェムという名以外の全てを喪っていたことを知った。




というわけで、こんな感じでアルシェムはブライト家に転がり込んだのでした。

では、また。


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~黒のオーブメント~
こんにちは、ツァイス


旧64話~65話半ばまでのリメイクです。

では、どうぞ。


 アルシェムはクローゼ達と別れると、カルデア隧道を駆け抜けていた。思ったよりも時間が取られてしまったため、エステル達が予想外に先へと進んでしまっていたからである。ただし、駆け抜けていると言ってもただ走っているわけではない。留学中のほぼ一年ほどの記憶が、魔獣の出現予測位置を教えてくれる。そして、その場所と寸分違わぬ場所に出現する魔獣を一撃で葬りながらアルシェムはエステル達に追いつくべく駆け抜けていた。

 付近に一般的な遊撃士がいれば驚いたことだろう。風が吹き抜けたかと思えば魔獣が消えているのだから。アルシェムは駆け、そして――急停止した。

「あれ、これ……あー、整備不良かな?」

 アルシェムの視線の先には、街道灯。しかも、妙にピカピカ光って点滅している。何かしらの機能が壊れている可能性が高い、とアルシェムは判断した。それを修理すべく街道灯を覗き見るが、どうもアルシェムの知らない技術が使われているようである。仕方なく、アルシェムはツァイスに向けて急ごうとした――実際は、すぐにその場で足を止めたのだが。

 アルシェムが足を止めたのは、足音が聞こえたからだ。しかも遊撃士ではなく、恐らくは子供の。この場所に出現するであろう子供は、アルシェムの知る限り一人しかいない。

「……はあはあ……あ、あれ? もしかして……」

「や、久し振り、ティータ。もしかしてコレの修理に来た?」

 息切れをしながら駆けつけた金髪の幼女に、アルシェムは苦笑しながらそう告げた。すると、幼女――ティータは息を整えながら大きく頷いた。そのため、アルシェムは作業を手伝うべく工具を取り出そうとした。

 もっとも、それはティータに止められたが。

「あ、その型の工具だとちょっとやりにくいかもです」

「やっぱ最新だね、ツァイス……っと、ティータはそのまま作業続けてねー」

 ティータの持ついかにも使いやすそうな工具を一瞥し、次いでとあることに気付いたアルシェムは導力銃を抜いた。というのも、その周囲には魔獣が集まってきていたからである。

「ふえ?」

「大丈夫大丈夫、一応今は遊撃士だから退治も簡単」

「そ、そうですよねっ! アルシェムさん、お強いですし」

 そうして、ティータは作業を始めた。アルシェムは群がってきた魔獣を退屈そうに一撃で仕留めながらエステル達に追いつける時間の概算を計算していた。もっとも、その計算は無駄になりそうだったが。

「……あれ、もしかしてあれって……」

「うん、杞憂だったみたいだね」

 というのも、エステル達はどうやら引き返してきたようだからである。ティータとすれ違ったか、もしくはアルシェムを迎えに来たのか。恐らくは前者だとアルシェムは判断した。

 魔獣を殲滅し終え、街道灯の修理も終わったところでティータがアルシェムに向けて告げた。

「あ、あのあのっ、ありがとうございました!」

「いやいや、準遊撃士として当然のことをしただけだしね。それよりティータ、工房長はツァイスにいる?」

「今日は一日お部屋に籠ってるって言ってましたけど、工房長さんに御用なんですか?」

 あざとく首を傾げてそう問うティータ。あくまでもこの年齢だから許されるのであって、アルシェムがやると全力で叩きつぶされかねない所業である。

 アルシェムは笑ってティータの言葉を否定しつつエステル達を指さした。

「いんや、わたしじゃなくて主にあのおねーさん達が用事あると思うよ」

「ふえ?」

 ティータはどうやらエステル達には気付いていなかったようである。アルシェムの指が指し示す方向を見たティータはあ、と言葉を漏らした。というのも、先ほどすれ違った男女だったからである。

「あ、さっきの……」

「えっと、さっきぶり? ……じゃなくて、アル。この子と知り合いなの?」

 色々と混乱しているのか、エステルが頭の上にはてなマークを飛び散らせながらそう問うた。それも無理はないだろう。エステルはアルシェムがツァイスに留学していたことを知っているが、そこでどのような人達と触れ合っていたかを知る機会はなかったのだから。

 アルシェムはティータの持つ鞄を取り上げながらこう告げた。

「知り合いっていうか……わたしが留学した時に泊めて貰った家の子だよ」

「あ、えと、わたし、ティータって言います! よろしくお願いします」

 ティータは空気を読んで自己紹介し、丁寧に頭まで下げた。それに合わせてエステル達も自己紹介をし、長々とこの場に居座るべきではないことを思い出したのかツァイスまで急いで向かうことになった。

 と、そこで何かに気付いたかのようにティータがアルシェムに声を掛ける。

「あ、アルシェムさん、鞄……」

「次からはちゃんと遊撃士連れて来てくれるんなら家の前で返してあげるけど」

「……ご、ごめんなさい。近くだから大丈夫かなって思ってたんです……」

 少しばかり落ち込みながら謝罪するティータの頭を、アルシェムはぐりぐりと撫でまわしながら告げた。

「近いから大丈夫って過信してたらいつか痛い目に遭うから言ってんの。博士を泣かせたくないでしょー?」

「はい……気をつけます」

「なら良し。さーてエステル、ヨシュア、進むよー?」

 そうして、アルシェムはエステル達とティータを連れてツァイスへと足を踏み入れた。もっとも、アルシェム自身は何度か発作的に引き返しそうになってはいたが。どう考えても黒歴史になってしまったツァイス留学の時の記憶がよみがえってきたからである。完全に自業自得だ。

 中央工房でティータと別れたエステル達は、アルシェムに先導されてツァイスの遊撃士協会へと向かった。エステルがツァイスの街並み――主に動く階段や昇降機――を見て素っ頓狂な声を上げていたのはご愛嬌だろう。

 遊撃士協会に入ると、そこには黒髪の女性が待ち受けていた。目を閉じたまま、彼女はエステル達に向けてこう告げる。

「いらっしゃい、良く来たわね。エステル、ヨシュア。ツァイス支部へようこそ」

 その言葉にエステル達が瞠目する。エステル達はツァイスについたばかりで、彼女に自己紹介どころか名乗りすらしていないはずなのだから。

 それに苦笑しながらアルシェムは黒髪の女性――ツァイス支部の受付にして、泰斗流師範代《飛燕紅児》キリカ・ロウラン――に挨拶をした。

「相変わらず情報が早いですね、キリカさん。お久し振りです」

「ええ、久し振りね。まさかこちらの道を選ぶとは思ってもいなかったけれど。……手続きを終えたら工房長に話を通しに行きなさい。貴女ならアポなしでも問題ないでしょう」

「ハハハー、留学経験バンザイ」

 アルシェムは遠い目をしてそう言い放った。そしてふらふらと手続きを終えようとして、書類を見た瞬間に乾いた笑いを浮かべた。そこにあった書類は、アルシェムがツァイス支部に所属する旨の書類ではなかったからである。

 アルシェムにつられるようにエステル達も手続きをしているが、彼女らの書類はルーアンまでと同じ転属届だった。しかし、アルシェムのものは違う。というのも、そこには――遊撃士協会協力員特別推薦状、と書かれていたのだから。

 遊撃士協会協力員特別推薦状。それは、最初遊撃士協会の協力員として働いていて、その後準遊撃士となった人物に依頼の遂行なしに遊撃士の推薦を与える書類である。滅多に発行されない伝説の代物であるが、キリカはアルシェムが遊撃士協会の協力員として働いていた功績を本部に事細かに報告していた。そして、ロレントでアイナがアルシェムを準遊撃士に認定したことで本部がツァイス支部にのみ発行したのである。アルシェムはツァイスでしか遊撃士協会の協力員でいなかったため、他の地方では適用されなかったのだ。

 アルシェムはちらりとキリカを見た。すると――

「とっととサインしなさい」

 キリカはアルシェムにしか聞こえないようにそう告げた。アルシェムは遠い目をしてその書類に必要だった直筆のサインを施す。そして、キリカはエステル達の書類とアルシェムの書類を回収した。

「……これで手続きは終わりよ」

「じゃ、工房長に会ってきます。エステル達の方が当事者なんで連れて行きますね?」

「構わないわ。今は依頼も少ないから回るでしょう」

 アルシェムはキリカの許可を採れたため、エステル達を連れて中央工房へと舞い戻った。受付のヘイゼルに話を通し、工房長が在室していることを確認して二階を訪ねる。

 扉を叩き、工房長室に入ると疲れた様子を必死で隠しているように見える男性が立ち上がった。彼こそが工房長マードックである。

「おお、良く来たねアルシェム君。聞いたよ。遊撃士になったんだって?」

「えー、まー。工房長も比較的お元気そうで何よりです」

 アルシェムは苦笑してそう言った。恐らくは慢性のストレス性胃潰瘍に悩まされているだろうマードックであるが、最近はどうもストレスの元が比較的おとなしいようである。その証拠に顔色も良い方だし、昔は微かに漂っていた煙草の臭いがほぼない。

 マードックはアルシェムにこう告げた。

「君のことだからてっきり研究者になるのかと思っていたが、そっちの道を選ぶんだね」

「……そーですね。研究者って道も昔はありましたけど、今は取り敢えず準遊撃士やってます。カシウスさんの子供達と一緒にね」

 マードックの言葉にアルシェムはそう返す。しかし、アルシェムには、研究者になるという道などなかった。その道はいつの間にか消え去ってしまっていたような錯覚があるだけで、実際は最初から開けてなどいなかった。アルシェムには数多の選択肢があるように見える。しかし、実際には選ぶことすらままならないまま流れに呑まれていくことしか出来ないのである。

 そんなこともつゆ知らず、マードックは納得したようにアルシェムに返した。

「ああ、やっぱり後ろの子達はカシウスさんの子供達だったか。紹介して貰っても?」

 アルシェムは頷いてエステル達を紹介し、エステル達もそれに続いて名乗った。すると、マードックはカシウスに昔よく世話になったことを話し、エステルを驚かせた。

 しかし、驚くだけ驚いたエステルは用件を忘れてはいなかったようで、鞄から黒いオーブメントを出して詳細を説明した。そして、手紙に書かれたR博士とKという人物の確認をした。

「R博士は恐らくラッセル博士だろうね。しかし、Kは……まさか、あの人か?」

「え、心当たりがあるんですか?」

 マードックの言葉に体を乗り出して質問を投げかけたのはヨシュアだった。よほど気になるようで、詰め寄ろうとしているのを必死に抑えているようにも見える。マードックもエステルもそれに気付いてはいないが、アルシェムはそれを冷たい目で見ていた。

 そして、マードックはその名を告げた。

「ほら、君も会ったことがあるだろう? クルツさんだよ」

 アルシェムはその名を聞いた瞬間遠い目をした。確かに彼の名の頭文字はKだった。Kなのだが――アルシェムはそれを信じたくはなかった。何といっても、クルツは一度彼女を殺しかけたのだから。しかも、勘違いで。

「あー……クルツってあのクルツですか……クルツ・ナルダン……《方術使い》……暫定A級……うわー、ガチかー……」

「あ、アル? どうしたのそんな遠い眼して」

「……いやー、だって、ねー……あの人だけはないわーと思ってたから……」

 アルシェムはそう言ってクルツという人物について思考を巡らせた。かつてアルシェムを殺害しかけ、その後平謝りしてはくれたもののタイミング悪くトラウマを誘発した彼のことを。

 彼は、カシウスには娘はいるがアルシェムではないと断じ、アルシェムの右肩を槍で貫いたのだ。その時に巡回シスターが駆け付けなければ、アルシェムは右腕を失っていただろう。その後、クルツは留学初日から怪我をしたアルシェムを見舞ったのだが、昏睡している中で顔を近づけて看病しているのがいけなかった。当時はようやく刃物を振り回さずに叫ぶだけで恐怖を遠ざけられるようになっていたから良いものの、時期が狂えば彼はアルシェムによって殺害されていた可能性だってあった。

その時のことを貸しにしてリンデ号の際はロレントに呼び出したのだが――と、そこまでアルシェムが考えた時だった。

「……あれ? じゃーあの人、それ送りつけるまでもなくロレントには持ってこれたんじゃ……」

 ようやく、アルシェムはそのことに気付いた。クルツがここにある漆黒のオーブメントを送りつけた主ならば、リンデ号の事件の際にロレントに呼びつけられたのだからその時に運搬するのが一番安全だったはずである。あの時はそれを送った後だったのか、それとも――

 エステルはアルシェムの洩らした言葉に首を傾げた。どうやらクルツとアルシェムは面識があるらしいというのは分かったが、何故彼がロレントにこのオーブメントを持って来ることが出来たのかが分からなかったからだ。

「え、どういうこと?」

 エステルの問いに、アルシェムは頭の中で情報をまとめながら答えた。

「リンデ号の事件の時にシェラさんの代わりに王都支部からロレントに遊撃士を派遣して貰ってるんだけど……それがクルツ・ナルダンだったんだよね」

「え……」

「何でアルがそれを知ってるんだい?」

 ヨシュアは不思議そうにアルシェムに問うた。というのも、ヨシュアも表向きロレントに派遣されてきた遊撃士が誰だったのかは知らなかったことになっている。実際にはもしかしたらそうかもしれないという不可思議な確信があるだけで、本当にクルツが派遣されてきていたのかどうかを確認するすべはなかったのだ。

 アルシェムは苦笑しながらヨシュアの問いに答えた。

「あー、あの人わたしに借りがあって。それでボースに行くって決まった日の夜に遊撃士協会に応援をお願いしに行った時に、王都支部に《方術使い》がいるって聞いたから半ば脅してロレントの比較的危険じゃないけど異様に数の多い依頼をブン投げたんだ」

「……え、A級遊撃士に半ば脅しって……アル……」

「……あれ、でもそれって何かおかしくない?」

 ヨシュアが愕然とする中、エステルが首を傾げる。というのも、エステルは気付いてしまったのだ。あの時――通信機器が壊れているわけでもないのに、彼から何も伝言がなかったことに。

 珍しくまだよく分かっていないヨシュアはエステルに問うた。

「えっと、おかしいって……?」

「だって、リンデ号にこれを乗せたわけでしょ? しかもその後ロレントに来てるじゃない、その人。当然リンデ号の件は知ってるはずだし、これがリンデ号にあることも分かってたと思うのよね」

 ヨシュアはそこでようやく事態を把握した。確かにそうである。クルツがこのオーブメントを本当に発送していたならば、当然そこで伝言か何かがあってしかるべきである。

 ヨシュアは納得したような顔でエステルに告げた。

「なるほど。確かにそれについてはロレント支部から伝言があってもおかしくないね」

「でしょ? ……まあ、だから何って話にはなるんだけど」

 エステルは苦笑しながらそこで話を打ち切った。流石にこれ以上マードックという部外者の前で話すことではないし、何よりもエステルの中であやふやにではあるが形を持った推測が、今ここで話し続けることの危険性を訴えて来ていた。

 もしも、クルツがオーブメントを送ったことを覚えていなかったとしたら? それが、今のエステルの危惧である。記憶がない、もしくは混濁しているのは空賊の頭やダルモアで見られた現象である。もしも彼らが操られていたと仮定するならば、《レイヴン》達もそれに当てはまるかも知れない。もしも、クルツも記憶が曖昧になっていたとしたら。これまでのことを鑑みて、それはあの黒装束の男達が関与していることになりかねない。それをここで話すのは、あまりにも危険すぎた。マードックの安全という意味でも、どこに彼らが操っている人物がいるのかわからないという意味でも。

 実際、エステルの危惧は無意識で彼女自身が強くそれを感じているわけではない。ただ、漠然とこのまま話し続けることに危険を感じただけである。ただ、そこに今まで起きたことが絡んでくるのなら、話は別になる。

 やがて、マードックは話を変えてティータを呼び出し、ラッセル博士の家までエステル達を送り届けるように要請した。




というわけでさくっとツァイス到着です。

では、また。


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黒のオーブメントと依頼

旧65話半ば~68話までのリメイクです。

では、どうぞ。


 ラッセル博士の家に辿り着いた一行は、話をするどころか博士にこき使われそうになった。しかし、アルシェムが博士を正気に戻した――というよりも周囲を見て分からせた――ために未遂で終わった。

 博士は苦笑しながらアルシェムに問うた。

「済まん済まん。それで、今日はどうしたんじゃアルシェム?」

「博士にお客。カシウスさんの子供達だよ」

 そう言ってアルシェムがエステル達を指し示すと、博士は眼を見開いてエステル達を観察した。エステルの容姿を見れば大体はカシウスの血を継ぐことが分かっているのだろうが、ヨシュアに対してもどこに見られる特徴なのかをしっかりと把握しようとしているようにも見える。

 そして、観察を終えた博士は遠い目をしながらこうこぼした。

「成程……まさかカシウスの子達が訪ねて来るとはのう……」

「あ、やっぱり博士って父さんと知り合いなんだ」

 エステルは博士にそう言った。もしもここで博士があやふやなことを言った場合、エステルはあのオーブメントを渡さないつもりだった。一応カシウス宛に届いた荷物である。信頼のおける人物に解析を頼みたいのは当然のことだった。

 エステルに軽く試されていることにも気づかず、博士はこう答えた。

「うむ、あ奴が軍におった頃からじゃから、ざっと20年来の付き合いになるかの」

「あ、わたしもカシウスさんとお会いしたことありますよ。おひげの立派なおじ様ですよね?」

 そのティータの言葉を聞いたエステルは、確かに博士とカシウスの面識があることを確認した。息を吐くように嘘を吐く人物など、エステルはヨシュアくらいしか知らない。ティータにそれが出来るとも思えなかった。

 それと同時に、恐らく博士は悪い人ではないのだろうという確信も得た。半ば直感ではあるが、エステルは自分のカンを信じた。ヨシュアにはもう少し疑うことを覚えた方が良いとは言われるが、今ここで博士を疑ったところで、博士の意志でエステル達が害されることはないだろうと分かったからである。無論、直感で、ではあるが。

 エステルは、鞄の中から黒いオーブメントを取り出して博士に差し出しながら言った。

「ええっと、その……父さんあてに届いた小包なんだけど、イロイロおかしなこともあったし今父さん行方不明だから、出来れば解析? してほしいなって思って」

 博士はそのオーブメントを受け取って眼鏡を直した。くるくると手の中でもてあそびながら博士の知る一般的な『オーブメント』との差異を明らかにするためだ。

 その様子を見ながらアルシェムは博士にこう告げた。

「キャリバーなし、継ぎ目なしで、しかもおかしな性能を発揮したらしーですよ」

 ヨシュアはアルシェムの発言に言葉を付け加える。

「ああ、そう言えばアーティファクトに干渉してたみたいだったね。黒い光が広がって、アーティファクトが壊れた、だったかな」

 それを聞いた博士は、思い切り顔をしかめた。というのも、もしもその現象が本当であれば――このオーブメントはとんでもなく危険な物体になってしまうからである。

 ただし、それでも測定装置にかけるしかないだろうというのが博士の見解だった。というのも、その現象が本当なのかどうかが分からないからである。確かにヨシュアの目ではそう感じられたのだとしても、実際にそのアーティファクトが壊れてしまったという物証を示されない限りは根拠のない戯言になってしまうからである。

 博士はアルシェムとティータに指示を出し、黒いオーブメントを測定装置にかけた。そして――その、結果は。

「あ、あれれ……? お、おじいちゃん、タコメーターがぐるぐる回り始めちゃったよ!?」

 ティータの悲鳴のような声がラッセル家に響く。それを聞いたアルシェムはポケットの中で戦術オーブメントを発動させようとしたが――発動しない。

「博士、導力器が止まってる! 直接触れてないのにってことは、波及するタイプの可能性が……!」

 ふっ、とラッセル家の明かりが消えたことでエステルが周囲を見回すと、窓の外でも明かりが消えていっていた。どうやらあのオーブメントの仕業らしい。

 エステルは焦ったように博士に叫んだ。

「ちょっ、ちょっと! 外の明かりまで消えてっちゃってるわよ!?」

「な、何ぃ!? え、ええい仕方ない! これにて実験終了じゃあ!」

 博士が測定装置のスイッチを切ると、しばらくしてから明かりが復旧した。それを見てアルシェムはそのオーブメントについて推測を立てはじめる。博士も同様で、脳内でいま起きたことの把握に努めているようだった。

「……どう思うかの? アルシェム」

「導力を流すと、導力を停止させる……というよりは、多分これ、停止させるんじゃなくて付近に使われてる導力を伝って際限なく吸収してってるような……」

「ふむ……しかし、どこにも蓄積されておる様子はないのう。よって、先ほどの現象は敢えて『導力停止現象』と名付けておくが……」

 アルシェムと博士は険しい顔で顔を見合わせて視線の中だけで通じ合った。このオーブメントは、危険すぎる。分かることは少ないため、確かに調べるのは面白いだろう。しかし、これは――面白いという次元で話して良い代物ではない。

「博士、この先の調査の算段は?」

「分解じゃろうな。何度も測定して先程のようなことになってはたまらんわい」

 険しい顔でそう話し合うアルシェム達に、エステル達もあまり理解はしていないながら危険なシロモノだとは認識したようである。エステルは、出来れば取扱注意という注意書きくらいはつけておいてほしかったと切実に思った。

 と、そこに人間が近づいてくる気配がした。ほぼ鍛えてもいない一般人の気配だったので、アルシェムはその人物をマードック工房長だと断定する。今この時にこの場所に乗り込んでくる度胸があるのは、キリカかマードックしかいないからである。

「はーかーせぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 アルシェムの推測通り鬼のような形相をしたマードックがラッセル家に怒鳴り込みに来、そして博士に散々文句を言ってから消えた。大体的な異常が起きればラッセル博士のせい、という風潮が出来上がっているため、マードックは今回もラッセル博士の実験の副作用と発表するだろう。アルシェムはマードックの胃の冥福を祈った。

 その後――エステル達は、実験のせいで夜が更けてしまったのでそのままラッセル家に泊まらせて貰うことになった。まだとっていなかった夕食もアルシェムがティータを手伝って作り上げ、またエステル達は皿洗いをしてティータを助けた。そのひと時は、ティータにとって久しぶりに大勢で食卓を囲める幸せなものになったそうな。

 

 ❖

 

 深夜になり、エステル達が寝静まった頃。アルシェムは黒いオーブメント――先ほどの実験で《黒のオーブメント》と名付けられたそれを見ていた。いくら見ても形が変わるわけではないし、分解できるようになるわけでもない。しかし、アルシェムはそのために黒のオーブメントを見つめているのではなかった。

「……既視感? 懐古? それとも……憎しみ?」

 アルシェムの声が小さく響く。誰も、起きる気配はない。ヨシュアならば起きそうなものであるが、今回に限ってはその場にいない。再び気配を消して消えているのである。だからこそ、アルシェムはこうしてじっと黒のオーブメントを見つめていることが出来た。

「……鍵。もしくは……誰かへの福音?」

 口から漏れ出る言葉は、アルシェムの意識していないものである。しかし、アルシェムはその浮かび出る言葉を確かなものにすべく黒のオーブメントを見つめているのだ。その黒のオーブメントから感じるものを、アルシェムは整理する必要がある。それも、早急に。何故だかそんな気がして、彼女はそのまま一晩夜明かしをした。

 

 ❖

 

 次の日。早朝からラッセル博士は黒のオーブメントをひっ掴み、中央工房へと駆けて行った。無論、伝言は残してあるもののティータにひと声すらかけずに、である。これと決めたら猪突猛進なのがラッセル博士であった。

 アルシェムはティータと朝食を作り、エステル達と共に食べてから遊撃士協会へと向かった。そして、エステル達は一度博士の元へと向かうことになり、アルシェムは掲示板の仕事を片づけることになった。

 エステル達と別れたアルシェムは、まずトラット平原道へ出て行方不明の導力運搬車と手配魔獣を探し始めた。この導力運搬車はヴォルフ砦に向かうものらしいが、まだ到着していないらしい。街道沿いに探せばすぐに見つかるだろう。

 案の定、手配魔獣クロノサイダーを狩り終わった後で導力運搬車を見つけたアルシェムは、どうやら故障しているらしいのを見て取ると周囲の魔獣を一掃した。護衛にウォンという遊撃士がついていたため、作業の間は念のために護衛をお願いして故障した部分をざっと見る。

 すると、どうも根本的にエンジンがダメになっているらしい。アルシェムは溜息を吐きながらウォンにこう告げた。

「……うーわ、こりゃーダメですね。すぐに替えのオーバルエンジン持って来るのでそのまま護衛をお願いします、ウォン先輩」

「あ、ああ……」

 アルシェムはウォンの返事を聞き終わると、すぐさま踵を返して最短距離でツァイス市街へと戻った。そして、中央工房の五階にある《カペル》というコンピューターを使ってオーバルエンジンが保管されている場所を検索する。すると、カルデア隧道の出入り口にあるらしいことが分かったので、エレベーターを使って階下へと降りた。

「済みません、っと……ここはルーディさんの管轄でしたか」

「あれ……もしかしなくてもアルシェムかい!? 戻ってくる気になったとか……」

「いえ、準遊撃士です。トラット平原道で運搬車が立ち往生中。んでもってオーバルエンジンの取り換えをしないと動かないのでオーバルエンジン下さいな」

 ルーディは何故か落ち込んだ様子でアルシェムにオーバルエンジンを渡した。それを受け取ったアルシェムは、ルーディに別れを告げてトラット平原道へと戻る。先ほどよりは荷物が重くなってはいるが、彼女にとっては誤差の範囲内であろう。何せ、彼女はその背に一対の双剣を背負い、組み立て式の棒術具をその横に仕込んでいるのだから。

 トラット平原道へと戻ったアルシェムは、早速オーバルエンジンを取り換えて運搬車が動くようになったのを確認すると、ヴォルフ砦へと向かった。運搬車発見の知らせと、事情説明のためである。

 ヴォルフ砦に辿り着いたアルシェムは、門の前で居眠りをしていた兵士を叩き起こして運搬車の件を告げた。その際、別の依頼も頼まれそうになったが、恋文を渡す類のものだったので直接会って気持ちを伝えろと一蹴しておいた。近々、中央工房の地下で彼は頬をはたかれることになるがそれは余談である。

 ヴォルフ砦から戻る途中、アルシェムはツァイスに留学していた際によく訪れていたストーンサークルを訪れた。特に何の意味もないであろう環状列石ではあるが、アルシェムにとっては周囲の魔獣さえ片付ければ一人になれる素敵な場所である。

「……あれ?」

 と、そこでアルシェムはその環状列石の中央にある石に違和感を覚えた。というのも、その石は彼女が訪れた時とは少しばかり違う形をしていたのである。不思議に思ったアルシェムはその石に近づいて違和感のある場所に手を伸ばした。すると、そこには――

「……何で『ハーツ少年の冒険・下』がこんなところに? しかも、ご丁寧に紙にまで包んであって……」

 その本は、中央工房の図書室のものであった。本の上部に捺してあるハンコがそれを物語っている。アルシェムは首を傾げながらツァイス市街へと戻った。

 遊撃士協会へと入ったアルシェムは、キリカに報告を終える。すると、彼女はアルシェムにこう告げた。

「エステル達はティータと一緒にエルモ村へ向かったわ」

 アルシェムはそのキリカの言葉に少しばかり考え込んだ。何故今エステル達が、しかもティータを連れてエルモ村へと向かったのか。その答えに推測がついたアルシェムは口を開いた。

「ふーん……あー、もしかして給湯器でも壊れました?」

「その通りよ。掲示板の仕事が終わったら行っても構わないわ」

 アルシェムはそれを聞くと首を振った。アルシェムが行っても邪魔になるだけだと分かっていたからである。それに、それよりも気がかりなことがある。それは、黒のオーブメントのこと。一体あれが何なのかが分からない以上、下手に離れない方が良い。掲示板の依頼が終わらなければ張り付けないだろうが、逆に言えば終わらせてしまえば問題ないのだ。

「や、あのオーブメントのことも気になりますし早めに依頼を終わらせて博士に張り付いてますよ」

「……そう。じゃあこの臨時司書の依頼を終えたらそうして頂戴」

「分かりました」

 アルシェムは臨時司書の依頼を受けると、階段で中央工房の二階へと向かった。工房長室の前を通りがかると、微かに煙草の臭いがした気がするが気のせいだろう。アルシェムは資料室へと入ると、司書のコンスタンツェに話しかけた。

「コンスタンツェさん、依頼を受けてきました」

 すると、コンスタンツェはけだるげに設計室、実験室、そして医務室から貸し出し期限切れの本を回収してくるように依頼した。アルシェムは即座に動き、石灰質と実験室から本を回収して医務室に向かった。

 医務室には――

「……絶対に逃がしませんからね、全く……!」

 と、鼻息も荒く拳を握る中央工房の医者ミリアムがいた。アルシェムはそんなミリアムに本を回収しに来たことを伝え、どうしてそんなに怒っているのかを聞いてみた。すると、ミリアムはこう答えた。 

「煙草が盗まれたのよ! 禁煙週間だっていうのに……こんな卑劣なことをして、犯人さんは絶対に許さないんですから!」

「……煙草……ですか。えっと、ちょっと一緒に来てもらえますかミリアムせんせ」

 アルシェムはミリアムから本を回収すると、彼女を連れて階段で資料室へと向かった。その途中で、工房長室の前で立ち止まる。

「……気のせいだと思ったんだけどなー……」

「え、ま、まさか……」

 アルシェムは工房長室にマードックがいることを確認すると、息を深く吸い込んで奥の部屋へと続く扉を注視した。そして、マードックの気を逸らして奥の部屋に押し入る。すると――

「わー……ほんっとーにあったし……」

「工房長……?」

 そこには、つい先ほど消したばかりの煙草があった。ミリアムは瞳からハイライトを消してマードックに詰め寄る。アルシェムはごゆっくり、と言ってその場から去った。依頼として受けているわけでもなんでもないので、最後まで見届ける義理はないのである。

 そして、資料室に戻ったアルシェムはコンスタンツェに本を渡した。すると、まだ別の場所に貸し出し期限の終わった本があるという。その手掛かりをコンスタンツェに渡されたアルシェムは、それを見て絶句した。というのも――

「『エルベキツツキの生態』とか『31本の糸杉』はまだ赦す。でも『ハーツ少年の冒険・下』、そのヒントは見つけて貰う気ないでしょー」

 最初の二者は比較的よく分かった。『エルベキツツキの生態』のヒントは何故か短歌風だったし、『31本の糸杉』のヒントは縦に読めば何とかわかった。しかし、『ハーツ少年の冒険・下』のヒントは――

 

 ● ●

  ×

 ● ●

 

 であった。ふざけているとしか言いようのないヒントである。先ほどアルシェムが見つけていなければ、かなり長期間探し続ける羽目になっただろう。

 アルシェムはまずトラット平原道のストーンサークルで『ハーツ少年の冒険・下』を発見したことを告げてコンスタンツェに渡した。そして、二つのヒントをもとにツァイス市街から飛び出した。

 まずは、エルモ村。短歌風のヒントは《紅葉亭》内の池であることを理解していたアルシェムは、エステル達とすれ違うように『エルベキツツキの生態』を手に入れた。そして、次にアーネンベルク。アーネンベルクは王都グランセルを取り囲む巨大な城壁のようなものである。そこの3階にある樽に、『31本の糸杉』は隠されていた。ついでに、『31本の糸杉』の間に挟まれていた紙とクオーツを回収してアルシェムはツァイスに戻ったのである。

 そして――何を忘れているのかも分からないままに、アルシェムはコンスタンツェに本を返却した。

 日が傾きかけたころ、遊撃士協会に報告に戻ったアルシェムは、般若のような表情のキリカに出迎えられることになったのである。

「……キリカさん? えっと、何が……」

 キリカは、実にイイ笑顔でアルシェムに告げた。

「――昼食は?」

 その日――遊撃士協会ツァイス支部では、滅多にみられない満面の笑みをたたえたキリカが一人の準遊撃士に説教する光景が見られたという。




ちょいと変わってますね。

では、また。


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中央工房襲撃事件

旧69話のリメイクです。
展開が多少変わっているのは仕様です。

では、どうぞ。


 キリカに説教されて遅めの昼食をとったアルシェムは、その後遊撃士協会でエステル達がツァイスに戻ってこない旨を聞くと手早くつまめる食料と飲料を買い込んで中央工房の工作室へと向かう。

 右手にはニガトマトサンドとフライドチキンが大量に入ったバスケット、左手には濃い目に入れて貰ったコーヒーと紅茶のボトル。それを工作室に持ち込んだアルシェムは、内燃式エンジンの発する轟音の鳴り響くなかでラッセル博士に向けて叫んだ。

「博士ー! 今日、ティータとエステル達《紅葉亭》に泊まりだってー!」

 すると、博士は一度電動ノコギリを止めてアルシェムにこう返した。

「何じゃって?」

「今日、ティータとエステル達は《紅葉亭》に泊まりだって。後多分忘れてそーだから夕食持ってきた。コーヒーも」

 それを聞いた博士はコーヒーを所望し、濃いコーヒーを飲みながら作業を再開しようとした。しかし、アルシェムはそれを止めた。

「何じゃ?」

「一回端っこだけ斬ってみましょーか?」

「は、端っこだけ……まあ、やってみると良いじゃろ」

 アルシェムは博士の言葉に甘えて背から剣を抜いた。そして、固定されている黒のオーブメントに向けて剣を振り下ろし――甲高い音がして、剣が飛んだ。

「うぉう!? あ、危ないのう!」

「か……ったぁー……何で出来てんのこれ……」

 アルシェムの想定では、一リジュほど斬れる予定だったのだ。しかし、黒のオーブメントに切れ目は全く入っていない。アルシェムが振り下ろした剣がゼムリアストーン製であるということを加味すると、このオーブメントはゼムリアストーンかそれ以上に固くしなやかな金属で作られていることになる。

「因みにその剣は何製じゃ?」

「まさかまさかのゼムリアストーン製。これ、ますます真っ当なオーブメントじゃないですね」

「……ふむ。取り敢えずはこの装甲を剥ぐしかないようじゃの」

 博士も苦い顔をしてそう答えた。アルシェムの知る金属で、ゼムリアストーンよりも固い金属は一つしかない。それは、とある集団が開発した金属。名を、《クルタレゴン》という。

 もしも、そのクルタレゴン製ならば――このオーブメントには、アルシェムの過去が関わっていることになる。つまり、過去が追ってきているのだ。そのことにアルシェムは顔をしかめながら、博士が切断を再開するのをただ見ていた。

 夜が更け、夕食を取り。残ったニガトマトサンドは明日の朝食にすることにしてアルシェムは作業を静かに見ていた。あのオーブメントの正体は何なのか。そして、何故既視感があるのか。何度考えても分からないが、それでも考えることに意味がある。

 思考のループから抜け出せないまま、アルシェムは博士と共に徹夜してそのオーブメントの装甲の切断作業を見ていた。途中で仮眠できないと苦情が来たが、博士はそれを突っぱねた。自宅に帰って寝ろ、と言われてしまっては確かに言い返すことは出来なかったからである。

 そして、夜が明けて。二人して早朝からマードックに怒られつつ三時間ずつ仮眠を入れ、オーブメントの切断作業は続いた。まだまだ切れない、というよりもエンジンが振動してしまうために刃が一定の場所に当たっていないのだ。だからこそ、少しずつ削れてはいるもののその装甲の中身を拝むことは出来ていなかったのである。

 昼過ぎになり、ニガトマトサンドもフライドチキンもコーヒーも紅茶も切れたころだった。アルシェムはいきなり立ち上がると作業台の前に立ち、右手で背から剣を抜いた。棒術具でないのは、壁に引っかかるためである。何故彼女が剣を抜いたのかというと――

「……なーんでまた、あんたらなんだか」

 アルシェムの目の前には、黒装束の男達がいたのである。黒装束の男達も覆面の下では物凄く嫌そうな顔をしていた。とことん関わる運命にあるようだ。黒装束のうちの一人が、口を開いた。

「ラッセル博士とそのオーブメントを引き渡して貰おう」

「断ったら?」

「……貴様を殺してでも奪い取る」

 その黒装束の言葉に、交渉の余地はなさそうだった。そのため、アルシェムは剣を構えて電動ノコギリを止め、博士に告げる。

「作業台の下にいて下さいね。どう見ても撃つ気満々みたいですし、流れ弾に当たって欲しくないので」

「う、うむ」

 博士は素直にアルシェムに従い。作業台からオーブメントを外して作業台の下に入った。そして――

 

「撃て!」

 

 黒装束たちが、一斉に発砲を始めた。アルシェムが反撃するためには銃を抜いて射撃すればいいのだが、今それをすれば作業台がハチの巣になって博士が死んでしまう。だからこそ――アルシェムに取れる方法は、これしかなかった。

 

 剣を以てすべてを弾き返す。

 

 無論、言葉にすれば簡単であるが生半なことではない。しかし、アルシェムに取れる方法はそれしかないのだ。

 アルシェムは弾く。弾く。弾く。作業台に当たらんとする銃弾を、自らの身と剣で叩き落とす。無論、それだけで全てが防げるわけもなく――アルシェムの身は銃弾によって傷つき始めていた。

 圧倒的に、手数が足りない。そう判断したアルシェムは、剣を右手だけで持って左手を背に差し込んだ。そして抜かれる二刀目の剣。その二振りの剣を以て――アルシェムは、全ての銃弾をしのぎ終えた。

「……何て奴だ……」

「ぜー、ぜー、ちょ、博士もいんのに容赦なく撃ちすぎじゃねーですかねー!?」

 アルシェムは既に満身創痍。しかし、まだ立つことだけは出来ていた。二振りの剣を構えたまま、彼女は動き始める。そう――誰の目にもとまらぬ方法で。

 

「な、消えた!?」

 

 その声を発した黒装束は、後頭部を殴られて昏倒していた。しかし、彼の背後にはもはやアルシェムはいない。昏倒した黒装束に気付いた別の黒装束も、すぐさま昏倒させられていた。

 そんな中――その場で指揮を執っていた黒装束は舌打ちをしてオーブメントを駆動。ラッセル博士に向けて地属性アーツのアースガードを掛けた。そしてハンドサインで部下たちにもアースガード、使える者はアースウォールを掛けさせる。そして――

「いい加減にしろ……タイタニックロア」

 部屋中を巻き込んだ広範囲地属性攻撃アーツ、タイタニックロアで部屋の中を蹂躙した。その影響で電動ノコギリが破壊されたり作業台が破壊されたりしたが、人的被害はほとんどなかった。そう、ほとんど。

 この中で唯一被害に遭ったのは――両手に剣を持ち、オーブメントを駆動する間すら惜しんで黒装束たちを昏倒させていたアルシェムだけだった。さしものアルシェムも、これには耐えきれずに傷だらけになって倒れ込む。

 ラッセル博士が連れ去られるのを、アルシェムは薄れゆく意識の中で見ていることしか出来なかった。

 

 ❖

 

 温泉を堪能したエステル達は、エルモ村からツァイス市街へと向かっていた。途中で東方風の男性とも出会ったが、市街に入ってからはそんなことは頭からすっぱり抜け落ちてしまった。と、いうのも――

 

「な……あ、あれ、煙出てない!?」

 

 エステルが中央工房を指さして叫んだのだ。それを見てヨシュアとティータも息を呑む。慌てて中央工房の前に駆け寄り、避難している人達から事情を聴くと、地響きがあった後、何らかのガスが発生して煙が出ているらしい。

 そこで、周囲を見回したティータがマードックに問うた。

「あの、おじいちゃんはどこですか?」

 その言葉に、マードックは周囲の人間にラッセル博士の退避を確認したのかを聞く。しかし――答えは否。つまり、博士はまだ中央工房の中にいる可能性が高いのである。

 道案内にティータを連れ、エステル達は煙の上がる中央工房へと侵入した。すると、ヨシュアがこの煙の正体に気付いた。どうやら攪乱用の煙幕のようである。三回の工作室へと向かう道すがら、落ちている発煙筒をヨシュアが分解して煙を少なくしていく。

 そして、工作室へと入ると――そこには、惨状が広がっていた。部屋の中にある者は全て瓦礫と化し、所々に赤いモノが付着している。そして、瓦礫に隠されるようにして動く物体があった。

「な、何よこれ……」

「取り敢えず、ここで何かがあったのは確かみたいだね」

「お、おじいちゃん、いるの!?」

 エステルとヨシュアが警戒しながら瓦礫をかき分けていく。ティータは瓦礫に駆け寄る前にヨシュアに止められていたため、震えながらエステル達を見ていた。すると――がらりと瓦礫が崩れ、剣を瓦礫に突き刺しながらよろよろと立ち上がる人影があった。それは――

「アル!?」

「……エステル? ……博士は……」

 血を流しながら立ち上がったアルシェムは、しかしすぐに膝を折ってしまう。エステル達はアルシェムに駆け寄ってエステルが水属性回復アーツのティアラを掛け続け、ヨシュアがアルシェムを抱え起こしながら問うた。

「一体何があったんだい!?」

「博士が……黒装束に……っ、あと、黒のオーブメントも……」

「く、黒装束ですって!?」

 驚愕するエステル。何故ここに黒装束が現れるのか。そして、何故博士と黒のオーブメントを連れ去ったのか。謎は尽きない。だが、今はそれどころではなさそうだった。

 アルシェムは荒く息を吐きながらヨシュアに告げる。

「急いで……黒のオーブメント、彼らが使うなら……多分、《カペル》が……」

「――分かった。アガットさんも出来れば協力してください」

 ヨシュアは厳しい顔でアルシェムを瓦礫に横たえ、立ち上がって背後にいたアガットに声を掛けた。顔を見もせずに彼だと分かったのは、ヨシュアの訓練の賜物である。主にエステルの居場所を把握することにしか使っていなかったが、エステルを狙っている――とヨシュアが思っている――男達の気配を覚えることで識別が出来たのである。

 ヨシュアの声にエステルが振り返ると、そこには確かにアガットがいた。アガットは厳しい顔で首肯し、《カペル》とは何なのか、一体どこに存在するのかを問いながら階段を駆け上がる。

 誰も気づいてはいなかった。瓦礫に横たえられたアルシェムが、ゆっくりと、しかし確かに動き始めていたことに。

 

 ❖

 

 ――動け。アルシェムは自らの身体に命じた。ボロボロの身体に鞭打って、彼らが逃走時に使うであろうルートへ向けて動き出す。床を這い、それが傷に響くと分かればポケットの中のオーブメントで自分を吹き飛ばしながら進む。その先にあるのは――昇降機だ。

 こつん、とアルシェムは昇降機の扉に寄りかかり、降下する音が聞こえてきたところで階下へ降りるためのボタンを押した。扉が開き、アルシェムは昇降機の中に倒れ込む。

「何っ!?」

「ば、バカな……動けるはずがない!」

 彼らに迷う時間は残されていなかった。早着替えで全裸だったものもいたため、判断が遅れたというのもある。しかし、それ以上にアルシェムという証拠を残して行くわけにはいかなかった。ここまで這って来たにせよ動いてきたということは、彼らのことを証言出来てしまう可能性があるのだから。

 だからといって、アルシェムを殺すわけにはいかない。この場所で死体を出すわけにはいかないのだ。何かがあったことは悟られてしまうだろうが、死人を出してしまえば王国軍からの干渉が強くなってしまうのだから。多少横槍は入れられるにせよ、詳しく調べられるのだけは避けたいのだ。

 加えて、『アルシェム・ブライト』の身分は遊撃士。彼女が死ねば遊撃士協会から厳しい追及があるだろう。そういう意味では――アルシェムの身は保障されていた。先ほどもむやみやたらに彼女を撃っていたのでない。行動不能に出来るよう、手足や関節を狙っていたのだ。だからこそ、彼女の顔にはすすはついていても傷はついていない。

 黒装束の男達は、決めた。アルシェムを博士と共に箱詰めにし、親衛隊の制服を着て堂々とツァイスから脱出した彼らは、箱からにじみ出る血を必死で隠しながら《紅蓮の塔》へと向かった。

 

 

 エステル達は困惑していた。黒装束の男達を追っていたと思えば、出て来たのは親衛隊だったというのだから。恐らく親衛隊は嵌められたのだろうが、今はその理由を考えている場合ではない。現場に残されていた血の跡から察するに、アルシェムは昇降機に乗り込んだだろうからだ。そして、アルシェムの姿は忽然と消えている。つまり――彼女もまた、連れ去られたのだろう。

「……何か、アルばっかり危険な目に遭ってる気がするけど……」

 エステルがそう呟いた。ロレントから今まで、重大事件が起きるたびにアルシェムが行方不明になっていた。まるで何か関わりがあるかのように。しかし、実際には人質に取られたり操られそうになっていたり今回のように重体になったりと災難にばかり巻き込まれているだけだ。彼らと――黒装束の男達と何か関わりがあるわけではない。関わりがあるわけではないはずだ。

 ヨシュアはその呟きにこう返した。

「むしろ自分から首を突っ込みに行ってるような気もするけどね」

 ヨシュアのその言葉を聞いて、エステルは顔をしかめて考え込んだ。もしもアルシェムが彼らと関わりがあるのなら――そう考えて、エステルは否定する。もしも関わりがあるのなら、危害を加えられたり操られたりするわけがないのだ。

 それに、エステルの直感でいけば他にも怪しい人物はいる。ここまで何度も会い、エステル達を追うように、もしくは先回りするように出会う人物がいる。気のせいかもしれない。だが、偶然にしては出来過ぎている気がした。

 それは――

「……エステル、ヨシュア、アガット。博士の行先が分かったわ。この人が目撃していたの」

 今もエステルの目の前にいる男だ。アルバ教授。彼とは、行く先々で出会う。そして、彼と出会った後には――必ず、重大事件が起きている。気のせいかもしれない。気のせいにしては、偶然が過ぎる気もする。今のところは疑っておくしかない。

 エステルはそう思いながら付いて行くと聞かないティータを説得し、《紅蓮の塔》へと出発するのだった。

 それを建物の陰から見る男が一人。

 

「――中々、興味深いお嬢さんだ。流石はかの英雄、カシウス・ブライトの娘だけある」

 

 その怪しい人物に気付く人物は、ただの一人としていなかった。




エステルさんが少しばかり鋭いのも仕様です。

では、また。


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アルバート・ラッセル誘拐事件

旧70話のリメイクです。

では、どうぞ。


 中央工房から連れ去られ、《紅蓮の塔》の屋上に連行されたアルバート・ラッセルは、一度目を醒ましていた。ゆっくりと目を開け、服についた血を見て彼は一体何があったのかを思い出した。彼は傷つけられてはいない。ということは、このおびただしい量の血は――アルシェムのものだ。

 そこで完全に意識が覚醒して周囲を見回す。それで黒装束たちに気付かれても博士は止まらなかった。自分の愛弟子は、アルシェムは、どこに。焦って周囲を見回して、そして――見つけた。彼の隣で服をどす黒く染め、顔を青ざめさせたアルシェムの姿を。

 どうやら意識はないらしいが、このまま放置しては死んでしまうかもしれない。博士はリベール王国一と言われる頭脳を駆使して彼らがアルシェムを殺さないようにする方法を考えた。いつもならばこういう交渉は全てマードックに丸投げしている。完全に博士は技術畑の人間で、こういった交渉には全く向いていないことを彼は自覚していた。それでも、アルシェムを救うために知恵をひねり出さねばならない。

 ややあって、博士は口を開いた。

「……それ以上その娘に危害を加えると、カシウスの奴がすっ飛んで来おるぞ」

 博士の頭では、その言葉しか思いつかなかったのだ。彼らが間違いなくアルシェムを害するのを止めるであろうセリフは。そして、そのセリフは正解だった。

 そもそも、彼らはアルシェムを殺そうとは思っていない。しかし、彼らはアルシェムをとある薬漬けにしていいように操ろうとしていたのである。それをすれば、博士の考えでは間違いなくカシウスが飛んでくる。どんな状況にあろうが、カシウス・ブライトという男は一端家族と認めた人間を見捨てはしない。それは、彼が最愛の妻を護ることが出来なかったからであり――自らの立てた作戦で、結果的に妻を殺してしまったからでもあった。

 黒装束の男の一人が博士の言葉に応える。

「この女がカシウス・ブライトの養女であることは我々も承知しています。しかし、この女はクローディア・フォン・アウスレーゼとカシウス・ブライトを殺そうとしたとも聞いているのです。そんな女をあのカシウス・ブライトが本気で助けに来ると思うのですか?」

 博士は、その言葉に自信満々にこう答えた。

「間違いなく来るじゃろうな。あ奴は情に深い。ついでに、アルシェムを害せば儂も今すぐ舌を噛んで死んでやるわい」

 その言葉に、黒装束たちは完全にアルシェムを害することを諦めた。それを見て内心でにんまり笑った博士は黒装束たちに居丈高にこう命じた。

「ほら、とっとと治療せんか」

「ちょ、調子に乗らないでいただきたい、博士。今の貴男の立場をもう一度思い出していただけると助かりますな」

「どうせ儂は殺せんのじゃろ。あー、壁で頭を打とうかのーう」

 博士が黒装束をおちょくるようにそう告げる。すると、黒装束は舌打ちをしてアルシェムに水属性の高位回復アーツを掛けさせた。それを見た博士は自分は殺されないという確信を持ち、さらなる要求をしようと口を開こうとして――出来なかった。

 目の前に突き出された噴射機から霧が吹き出るのを見て、博士は咄嗟に息を止めようとしたのだ。しかし、言葉を発するために息を吸っていた博士は既に十分な量の霧を吸ってしまっていた。即ち――催眠剤を。

 そして、ラッセル博士は意識を失ってしまった。

 

 ❖

 

 エステル達はアルバの情報をもとに、《紅蓮の塔》の前まで来ていた。塔の中から狼型魔獣アタックドーベンが飛び出してくるが、エステル達は難なくあしらう。そして、退治し終わったエステル達は《紅蓮の塔》を静かに上りながらアタックドーベンについて推測を立てていた。

「……なーんか、妙に不自然なのよね、あの魔獣」

「不自然って?」

「だって、普通に群れだったらボスみたいなのがいるじゃない? でも、あの魔獣って全部同じような感じだから気になって」

 そのエステルの言葉に、アガットは眼を見開いてエステルを見た。まさかそんな観点からあの魔獣を見られるとは思ってもみなかったからである。しかし、いつもならば噛みついてくるであろうエステルはアガットには一瞥もくれずに硬い顔をして考え込んでいた。

 そして、魔獣を退治しながらエステルはヨシュアに問う。

「ね、ヨシュア。離れたところからでも命令できるボスがいるか、そもそもボスがいなくて他のナニカがあの魔獣たちに命令してるかだったらどっちの方が有り得るかな?」

 ヨシュアは一瞬、その技術について言わないようにしようと思った。エステルが知るにはあまりにも暗い世界の話だ。だが、それ以上にエステルが納得してくれそうな理由がない。

 ヨシュアは渋面を作ってエステルに返した。

「前者は有り得るかもしれないけど、後者についてはあるよ。猟兵達なんかが良く使う手だけど……戦闘用に訓練された戦闘犬っていうのがある」

「……そっか。じゃあ、きっと野生とか偶然じゃなくてあいつらが使ってるんだよね……」

 エステルは落ち込んだようにそうつぶやく。魔獣を操る技術は、エステルには見当もつかない。元の野生の魔獣に戻れるのかどうかも、そもそも最初から野生だったのかどうかも分かっていない。ただ、それをさせたであろう黒装束たち――状況証拠だけの決めつけだが、恐らくは間違っていないだろう――がどうしようもなく許せない。

 エステルの落ち込んだような言葉に、アガットが厳しい顔で言葉を返した。

「おい、まさかとは思うが、あの魔獣に情けをかけるんじゃねえぞ?」

「わ、分かってるわよっ! ますますあの連中に手加減する要素が減っただけだもん」

「なら良いが……奴らは基本的に容赦ねえ。あの魔獣だって奴らを調べ始めた時から時間を選ばずに襲撃してきやがる。せいぜい気を抜くんじゃねえぞ」

 エステルはその言葉に素直に頷いた。その言葉には素直に頷いたのだが――そこで、首を傾げた。アガットは、いつから黒装束の男達を調べ始めたのだろうか。

 今聞けば教えてくれるかもしれない。エステルはそう思ってアガットに問うた。

「えっと、アガット。何であの黒装束たちを調べてたの?」

 エステルの問いに、アガットは渋面を作った。そう言えばまだ説明もしていなかった。一度単語はポロリとこぼしてしまっていたが、恐らくそれだけでは分からないだろう。そして、最早エステル達はこの黒装束たちに関わらないという選択肢は取れない。ここまで何度も遭遇すれば、目をつけられているに違いないからだ。しかも、あまり認めたくはないが彼女らはカシウス・ブライトの子供達。狙われない理由がない。

 アガットは嘆息してエステル達に告げた。

「もともとはお前らの親父から押し付けられた依頼だ。怪しい動きをしてるやつらがいるから出来るだけマークしろってな」

「あん……そ、そうなんだ」

 エステルはあんですってー、と叫びそうになって堪えた。この上には博士とアルシェムを誘拐した犯人がいるかもしれないのだ。下手に刺激するわけにもいかない。叫びを呑みこんだエステルは無難な言葉を出した。

 それにアガットは意外そうな顔をしながらエステルに向き直る。この間会った時よりはまだ成長しているらしいと思ったからだ。特に、エステルの成長速度が尋常ではない。やはりオッサンの娘か、とアガットは思った。

 アガットの様子にエステルは動揺したように声を上げる。

「な、何よ?」

「いや……何でもない。とっとと連中をとっ捕まえて爺さんとあのバカを救出するぞ」

 そうして――エステル達は《紅蓮の塔》の屋上へと向かった。

 

 ❖

 

 アルシェムは全身に走る痛みが和らいだことで意識を取り戻していた。目は閉じたまま、周囲の気配を探る。近くにはラッセル博士。そして、黒装束レベルの手練れが3人。後は――階下から静かに上ってくる3人の人物たち。うっすらと目を開けて確認してみれば、この場所は《紅蓮の塔》だった。

 登ってくる人物たちは、恐らく遊撃士だろう。エステル達の可能性がかなり高いが、流石に希望を持ちすぎてはいけない。手配魔獣を狩りに来ただけでここまで来ない可能性だってあるのだ。彼らが一番接近し、黒装束たちが油断した隙に博士だけでも逃がす。彼らが近づけば騒ぎを起こすだけで近づいて来てくれるだろう。アルシェムはそう判断した。

 そして、待つ。彼らが出来るだけ近くまで来て、引き返そうとする瞬間を待った。待って、待って、待って――気付いた。微かな話声が、アガットとエステルの声であることに。目指しているのはこの場所で、アルシェム達を救出に来てくれたのだということに気付いた。

 それならば、アルシェムが行うのは博士の安全を確保しながら撤退すること。傷は回復されたとはいえ、血がまだ足りないのであまり無茶は出来ないがそのくらいは出来るはずだ。武器を握るためにはばれないように縄をほどく必要があるが、ちょうどよく背後は壁である。アルシェムは出来るだけ腕を動かさずに縄をほどき、緩んだことを悟られないように手の中に握りこんだ。剣だけは取り上げられているものの、導力銃も棒術具も残っている。戦うには事足りるだろう。

 そうして――エステル達が、《紅蓮の塔》の屋上に現れた。エステルは開口一番に叫ぶ。

 

「この世に悪が栄える限り、真っ赤に燃える正義は消えず……ブレイサーズ、只今参上ッ!」

 

 その言葉に、全員が遠い目をした。アガットも、ヨシュアも、黒装束たちも。アルシェムに至っては顔をひきつらせていた。しかし、アルシェムは気付いた。今が、好機だと。黒装束たちの注意は完全にエステルに向いているからだ。

 アルシェムは博士の位置を確認すると、足の縄を引きちぎって博士を抱え上げ、黒装束たちから距離を取るように駆け出した。血が足りないせいで鉛のように体は重いが、動かないことはない。

「な、何!?」

「アル! そのまま逃げてて! 黒装束たちはあたし達が引き受けるから!」

「く、ふざけるな!」

 アルシェムに向けて発砲しようとする黒装束。いつもならば普通に避け切れるのだが、今は万全の状態ではない。黒装束が引き金を引こうとした瞬間――彼は、銃を取り落とした。

「な……」

「注意散漫ですよ。……はっ、せい!」

 というのも、ヨシュアがクラフト絶影を使って彼に切り付けたからである。動揺した隙をついてヨシュアは彼に連撃を加え、ついでに銃を蹴り飛ばして離脱する。

 ヨシュアの特攻によってアルシェムは黒装束たちから十分に離れられ、《紅蓮の塔》の階段まで辿り着いた。そのままアルシェムは動けなくなって壁に背をもたせ掛けていたが、この場を護り切れば何も問題はない、とアガットは判断して吠えた。

「よくやったヨシュア! 言い遅れたが、遊撃士規約に基づき、てめえらを逮捕・拘束する! 取り敢えずとっとと捕まっとけや!」

 そのアガットの声で、本格的に戦闘が始まった。アガットは階段前で陣取ってアルシェムと博士まで黒装束たちを近づけないようにし、回復アーツと主にクラフトで攻撃し続ける。エステルは前衛でダメージディーラーとして動き、大袈裟に動いて相手の目を引きつける。そして、ヨシュアは大きく動くエステルの陰から黒装束たちを狙い、痛撃を浴びせていった。エステルがどうしても派手な動きが出来なくなった場合はアガットと交代してエステルが回復兼遠隔攻撃系クラフトを、アガットが派手に暴れまわることになっていた。

 それを後目に、アルシェムは取り上げられていなかったポーチの中から増血剤を取り出してバリボリと大量に摂取する。失った血を早急に取り戻さなければならない。エステル達は善戦しているとはいえ、増援が来ないとも限らないからだ。ついでに、念のために発信器を仕込んでおくことにする。

 と、そこでアルシェムは気付いた。階段の陰から顔を半分覗かせ、こちらを窺う幼女がいることに。掠れる声でアルシェムは彼女に向けて告げる。

「……ティータ?」

「アルシェムさん……おじいちゃん……」

 じわり、と涙を浮かばせ、ティータは博士に飛びつこうとした。その背後に――影が。

「……ッッ!」

 アルシェムは咄嗟に飛び出してティータを捕えようとする黒装束を蹴り飛ばした。そしてティータを保護し、アガットに向けて怒鳴る。

「アガット! 下から増援と何故かティータが!」

「んだと!?」

 アガットがアルシェムの方角を振り向こうとして必死になった黒装束に邪魔をされる。ヨシュアも、エステルも黒装束たちの相手でアルシェムの増援に来ることは出来ない。最悪の状況が今出来上がった。

 アルシェムは血が足りなくて所々消えている視界を何とか確保しながら黒装束たちをけん制する。しかし、彼らは執拗に博士を狙った。たまにティータを狙ってくることがあるのが不可解だったが、彼らは博士の確保をもくろんでいるようである。

「……そったれ……」

 アルシェムは悪態をつきながら判断した。この場で優先すべきは――ラッセル博士、ではなかった。ラッセル博士ならば間違いなく殺されない。恐らくあの黒いオーブメントを分析し終えるまでは間違いなく生きているだろう。それでなくても《導力革命の父》だ。殺すのならば何度でもチャンスはあったのに殺されなかったということは、博士を生きたまま確保したいということだろう。五体満足のまま分析させられる可能性が高い。

 対してティータは、ラッセル博士への切り札となり得る。目に入れても痛くないようなかわいがりぶりで、ティータを人質に取られれば間違いなく博士は相手の軍門に降るだろう。博士だけを死守してしまった場合は、遠からず両方を奪われてしまう可能性が高いのだ。そして、人質となった場合のティータは間違いなく五体満足ではいられないだろう。良くて監禁、普通に考えて洗脳までは有り得て、最悪の場合はラッセル博士の前で拷問されて死ぬだろう。

 故に――アルシェムは、ティータだけは死守した。その結果、博士は黒装束たちに確保された。

「お、おい、何してるアルシェム!」

「あ、アルシェムさん……! 離してください、アルシェムさん!」

 ティータがアルシェムの腕の中でもがく。だが、アルシェムはきつく抱きしめたままティータを離さない。黒装束たちはアルシェムがティータから離れないと見るや、即座に撤退を始めた。近くまで迫ってきていた飛空艇にラッセル博士を運び込み、その隙を狙ってアガット達が博士を救出しようとする。しかし、黒装束たちはもがくティータに向けて発砲し、アガットがそれを防いだ間にそのまま飛び去ってしまったのである。

 飛空艇が完全に見えなくなってから――アルシェムは、ようやく腕から力を抜いた。ティータは震えながらアルシェムに向けて声を浴びせる。

「何で……何で離してくれなかったんですか!?」

 それにアルシェムは答えようとして――出来なかった。声を出したつもりだったが、口から洩れたのは空気だけだったのである。口の中はカラカラで、何か水分を含まなければ話せそうにもなかった。

 それに気付いたヨシュアがアルシェムに水筒を渡すと、アルシェムは一気に中の水を飲み干して答えた。

「……悪いけど、優先順位の問題だよ」

「どういう意味だ」

 アガットも険しい顔をしてアルシェムを睨んでいる。何故、あそこで博士ではなくティータを護ったのか――アガットには理解出来なかった。間違いなくティータは誘拐されないと思っていたからである。

 アルシェムは肩で息をしながら告げた。

「博士を誘拐されてもしばらくは生かしておいてくれるけど、孫娘で博士に可愛がられてるティータを誘拐されたら博士が釣れて酷い目に遭わされる可能性が高かったから」

「……そこまで外道じゃねえとも言い切れねえか」

 アガットは顔をしかめながら考え込んだ。確かに街の中では魔獣に襲われることはなかったが、それだけだった。大型魔獣を狩っている間に嗾けられたこともある。無論、全部撃破したのだが。

 アガットが顔をしかめる様子を見て、アルシェムは眉をひそめてアガットに問うた。

「……それより……アガットさん、ちょっとそのまま静止して貰えません?」

「あ?」

 アガットが静止した隙に、アルシェムは手を伸ばしてアガットの傷口を見た。そう――先ほど庇って貰った時についた、銃弾の跡だ。その傷はかすり傷にしては異常な色をしていた。みみずばれどころの話ではない。青紫色をしているその傷口は間違いなく毒に侵されている。

「どうしたのよ、アル」

「……ヨシュア、アガットさんの意識飛ばして」

「はあ!?」

 エステルが目を見開いた隙に、ヨシュアが動いてアガットを気絶させる。アガットはまさか実行されるとは思ってもみなかったようで、一発で昏倒してくれた。その後、アルシェムは多少マシになった貧血をおしてアガットを担ぎ上げ、途中で巨体の遊撃士にアガットを運んでもらってツァイス市街へと向かったのであった。




名前の出ないあの人乙。

では、また。


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レイストン要塞、急襲

旧71話前半のリメイクです。
短くすると言っておきながら前作の一話の半分しか内容がないという……どゆこと?
しかも後半、あまりにも長い説明(切れなかった)が入るという。原作既プレイしていれば分かる話を文章で取り敢えずまとめると超絶長くなる件。

では、どうぞ。


 見る見るうちにアガットの顔色が悪くなってきたことが分かり、急いで医務室に担ぎ込んだ後。アガットの容体について医務室付きの医師ミリアムが下した判断は、七耀教会に頼るしかないというものであった。しかし、七耀教会を訪ねてみたものの材料を切らしており、すぐには処方できないことが分かった。その材料はカルデア隧道の途中にある鍾乳洞に生える『ゼムリア苔』なる苔だという。

 エステル達は遊撃士協会に依頼したことがあるというビクセン教区長の言葉に従って一度遊撃士協会に戻り、キリカに情報を貰って鍾乳洞へと向かうことになった――先ほどアガットを運んでくれた巨体の遊撃士ジンと、無茶な動きをしないと約束させられたアルシェム、そしてどうしてもアガットのために動きたいと懇願するティータと共に。

 鍾乳洞に入ったアルシェムは、最短距離でゼムリア苔を採取すべくわき道をすべて無視して道筋を指し示して行った。

 それを見て、エステルがいぶかしげにアルシェムに問う。

「……何でアルが知ってんのよ?」

 それに、アルシェムは遠い目をしながらこう答えた。

「手配魔獣の温床だったり犯罪組織の温床だったりしたから、ここ」

「物騒すぎない!?」

「こういう人の寄り付かないとこって結構そういうのが多いんだよねー」

 はっはっはっは、と笑いながらアルシェムはさくさくと誘導を続ける。無論、途中の魔獣たちは殲滅されていた。ジンは顔をひきつらせながら内心で思う。やっぱこいつらカシウスさんの子供達だ、と。

 ジンはそこでふと気になったことをアルシェムに問うた。

「お前さん、遊撃士協会の協力員だったとキリカが言ったが……今、いくつだ?」

「ジンせーんぱい。レディに体重と年齢を聞くのはマナー違反ですよ」

「う……す、済まん」

 ジンは怯んだようにそう答えた。確かにデリカシーがない、空気読めとは何度も言われた。しかし、まさかエステル達とも年齢が変わらないように見える小娘にそれを言われるとは思ってもみなかった。それにヨシュアは苦笑し、エステルは首を傾げてこう告げた。

「えっと、確かヨシュアよりぎりぎり年下だったんじゃないの?」

「エステルェ……ま、いっか。ヨシュアよりも多分五日ほど年下かな」

 溜息交じりにアルシェムがそう零すと、ジンは眉をひそめてこう問い返した。

「多分?」

 その言葉に、エステルとヨシュアは顔を見合わせた。そう言えばそうだった。アルシェムには記憶がない。ということは、当然誕生日も明白ではないわけで――エステルが慌ててフォローしようとしたが、アルシェムは少しばかり大きめのペンギン型魔獣を一撃で仕留めてこう返した。

「拾われた日が誕生日らしいですよ。小さい頃は毎年雪の降る中で祝われていたので」

「……済まん」

 ジンはしょげ返ってしまったが、エステルとヨシュアは眼を見開いていた。というのも、アルシェムから過去のことを明白に聞けたのはこれが初めてだからだ。今までは何を聞いても記憶がないの一点張りだったのだから。

 エステルが動揺しながらアルシェムに問う。

「え、えっと……アル、思い出したの?」

「ちょっとだけね。もーちょっといろいろ思い出してから話そうと思ってたんだけど、まーいい機会だったかな。……っと、前」

 アルシェムはそう言って前方を指し示した。そこには――

「わあ……」

「綺麗……」

 エステル達が持ち込んだ明かりで美しく輝く地底湖が目の前に出現した。岸壁から露出しているらしい紅耀石がその光を増幅して周囲を幻想的に照らし出す。しばしその光景に見とれたエステル達だったが、我に返って『ゼムリア苔』を探し始めた。ゼムリア苔は七色に光り輝く発光植物である。岩場に近づき、地底湖に落下しないように固まってから明かりにカバーをかぶせると、すぐに見つかった。目の前が美しい七色に輝いたからである。

 それを採取し、急いでツァイスへと帰ろうとした瞬間だった。アルシェムとジンは身構え、次いでヨシュアが双剣を抜いた。すると――

 

「クエーッ!」

 

 奇声を上げながら登場したのは、大型のペングーだった。それを見たアルシェムは途轍もなく遠い目をしながらその場を飛び出した。

「え、ちょっとこらアル!?」

「目つぶしかーらーのー、吹っ飛べ!」

 慌てるエステルをよそに、アルシェムはオウサマペングーに銃弾で目つぶしをしてバランスが崩れたところを蹴り飛ばした。面白いような勢いで飛んだペングーはそのまま何故か対岸に開いていたらしい穴に突っ込み、そのまま奥へと消えていく。

「悪は滅びた!」

「多分それ絶対違うからね!?」

 ヨシュアに突っ込まれつつ、あの魔獣を狩りに行くすべもないことからそのままツァイスに帰還することになった一行。途中の魔獣たちはすぐさま蹴散らされ、ビクセン教区長にゼムリア苔が渡されたのは未だ日付も変わらない頃。結局、その日の夜のうちにアガットへと薬を届けることが出来た。

 そして――ティータがアガットを看病している間。エステル達は体力を温存してラッセル博士の救出に動くべく体を休めていた。アルシェムはツァイス市街に戻るなりラッセル邸へと向かおうとしたのだが、エステル達に連行されてたらふくご飯を詰め込まれたあと、遊撃士協会の階上で眠らされることになった。

 エステル達もラッセル邸ではなく遊撃士協会で眠り、ヨシュアがどこかへと消えて戻ってくるのをアルシェムは気配だけで察した。ここまでくるともう明白だ。ヨシュアは敵と――《身喰らう蛇》と繋がっている。そのことに内心で溜息を吐きながらアルシェムは体を休めた。

 そして、次の日。エステル達は早起きし、ジンを見送ってから遊撃士協会へと舞い戻っていた。ラッセル博士を連れ去った飛空艇の情報が王国軍から来ていないか確認するためだ。

 アルシェムは昨夜から言い出せなかったことを、ようやく口に出来た。

「あー、えっと……博士の行方、頑張ったらわかりますけど」

「え……」

「あ、あんですってぇー!?」

 エステルはアルシェムを掴んでがくがく揺さぶり、何故それが分かるのかを問い詰めた。アルシェムはエステルをいったん止め、未だ治っていなかった貧血で頭がくらくらしながら答える。

「発信器、仕込んでたの。何があっても良いようにね。だから痕跡をたどられても困らない博士の家で追おうと思ってたのにエステル達ってば問答無用で連行するし……」

「……う、ごめん」

「そういうことならアルシェム、貴女はすぐにその発信器の場所を特定しなさい。くれぐれも一人で向かおうなんて思わないように」

「分かってますよ」

 アルシェムはキリカにひらりと手を振ると、勝手知ったるラッセル邸へと向かった。中に侵入すると、早速機器を使って発信器のある位置を割り出す。座標を出し、方角を見定めて――そして、指し示す場所を特定して顔をしかめた。

「……レイストン要塞、か」

 アルシェムは地図と解析結果を持ったまま遊撃士協会に戻り、キリカに報告する。エステル達は別の情報――ドロシー・ハイアットが訪ねて来てレイストン要塞の写真を撮っていたらしく、そこに飛空艇がうつりこんでいたのをエステルが発見した――をもとにレイストン要塞に揺さぶりを掛けに行ったようだ。

 アルシェムは結果をキリカに説明し、そして推測をまとめるために情報を口に出した。

「もしも軍が――いや、ここまで来ると多分正規軍じゃない、非正規軍のうちの誰かがこの状況を望んでいるんだとしたら何を目的にしてるか」

 その言葉に、キリカも呟きを返す。協力員の時にやった方法だ。情報をキリカに話せば非常にまとめやすいのだ。キリカしか知らない情報だってたまに漏れてくる。

「額面通りにとらえれば黒のオーブメントをどうしても解析しなければならない状況にあるわね」

「じゃー、何でそれを解析しなくちゃいけないの。この国で導力止めて軍が得する場所なんて……あるかも」

 アルシェムはふと思い出してしまった。かつて酒の席でラッセル博士が洩らした言葉を。グランセル王城の地下にある、巨大な導力反応のことを。もしもそれすらも止められるのだとしたら。アルシェムは眼を見開いて震えた。

 キリカはそんなアルシェムを見て告げる。

「導力で封印された兵器でも取り出したいのだとすれば危険だけど、今のリベールの情勢ではそれは有り得ないのではないかしら」

「いや、女王陛下は高齢だよ、キリカ。次期国王の選定の時期が近づいてる……国が、揺らぐ時かも」

「もしその想像が当たっていたとするなら、危ないのは傀儡にしにくいクローディア殿下の方でしょうね。ついでにクローディア殿下と懇意にしている親衛隊を貶めているというのも理由になるかしら」

 キリカは難しい顔をしてそう零す。アルシェムには何のことだか分からなかったが、恐らく黒装束たちが親衛隊の格好で逃亡したのだろう。そうでなければここでそんな話は出ない。ということは――

「そうなると――クローディア殿下が危ないわね」

「国家不干渉だから助けに行くなって?」

「いいえ。クローディア殿下を確保する際に周囲の一般人に被害が行く可能性があるから出来れば救出に向かった方が良いわ」

 キリカはそういうと飛行船公社に連絡を入れ、王都グランセル行きのチケットを確保した。そしてアルシェムに向けてこう告げる。

「本当なら正遊撃士に頼むべきなんでしょうけど、事情を知った上で今すぐに動けるのは貴女だけ。よって、アルシェム・ブライトに依頼するわ。クローディア殿下を発見し次第遊撃士協会まで護衛なさい」

「分かりました。すぐに発ちますんでエステル達には説明お願いします」

「分かったわ」

 キリカはアルシェムに向けて必要経費としていくばくかのミラを手渡すと、すぐに遊撃士協会を発たせた。アルシェムはそのまままっすぐに空港に向かい、グランセルへと一足先に旅立ったのであった。

 

 ❖

 

 レイストン要塞でマクシミリアン・シード少佐に揺さぶりを掛けたエステル達。運よく導力停止現象が起こったため、そこにラッセル博士が囚われていることが確定的になったことを受けて遊撃士協会に帰還し、キリカと彼女を訪ねて来ていたマードックに報告をした。

 すると、そこに毒から快復したアガットと連れ立ってティータが現れたため、エステルはアガットに乞われて同じ説明を繰り返した。遊撃士規約第三項で軍への干渉は認められていないのだが、ラッセル博士は民間人。ならば遊撃士協会第二項を抜け道として救出に向かうことが出来る。その代償に中央工房は王国軍と敵対したと言われても仕方のない立場におかれることになるだろうが、マードックは救出を依頼した。マードック曰く、ラッセル博士はリベールにとって欠かせない人材だからだそうだ。

 そうなると救出方法を探る必要があり、手段を探しているとティータがあることを思い出した。きっかけはエステルの発言。引き金はマードックの返事だった。工房船《ライプニッツ号》で潜入できないかとエステルが提案して否定され、アガットが積み荷に紛れても無理かと問うたその返事が、ティータに天啓を齎した。

「あ、あのね、お姉ちゃん……おじいちゃんがね、お姉ちゃん達が来る前に完成させてた発明が使えると思うんだ」

 それは――生体感知器の走査を妨害する装置。エステル達がラッセル家を訪ねる直前に博士が作成していたオーブメントである。黒のオーブメントを調査した後にこっそり博士が動作実験をしていたので動くのは間違いない。ティータはその装置が存在することをキリカに訴え、念のためにエステル達を護衛としてラッセル家へとその装置を取りに戻った。家は荒らされていなかったため、比較的すぐに手に入れることが出来た。

 その装置を持って遊撃士協会へと戻り、潜入のプランを立てるエステル達。ティータにしかその装置は動かせないことをアガットが知ると反対したが、それ以外の手段がないことを盾にティータは同行する権利を得た。

 そして――エステル達は、工房船に乗ってレイストン要塞をめざし、同乗していたグスタフの機転によって細かいチェックを免れてレイストン要塞へと降り立った。見張りを躱し、事前に見当をつけておいた場所へと進んでいく。

 幸い、誰にも見つからずにその場所――中央の研究棟に辿り着いたエステル達。鉄格子のはまった窓からちらりと内部を覗き込むと、そこにはラッセル博士と情報部のリシャール大佐、そしてカノーネ・アマルティア大尉がいた。

「ラッセル博士……本当にありがとうございました。《ゴスペル》の制御方法を突き止めていただいたおかげで我々は先に進めそうです」

「ふん……やはり貴様が黒幕じゃったか、情報部の司令リシャール。カシウスが知ったらぶん殴られるぞ」

 交わされる会話。カシウス・ブライトの行先を探しているという情報。ラッセル博士が黒のオーブメント――《ゴスペル》の制御方法を解明してしまったということ。そして途中で入ってきたロランスという名の男がもたらした、『白き翼が網にかかった』という情報。

 それに次いで、リシャールが博士にこう問うた。

「それにしても、博士……あのような殺人者を庇うなど何をお考えだったのですか」

「殺人者? はて、心当たりなど全くないのう」

「とぼけないでいただきたい。アルシェム・ブライト――あの、小娘のことですよ」

 それを聞いて一同は息を呑む。エステルは今にもどういうことだと問い詰めたくて仕方がない様子だった。しかし、耐える。今行っても間違いなく博士を救出することは出来ないからである。

「あ奴は記憶を無くしておる。それを追及するのは筋違いじゃろう」

「私にはそうとは思えないのですよ。あの娘は――何かを隠している。七耀教会とも繋がっているようなそぶりもありますしね」

 リシャールの言葉にアガットは眉をしかめる。確かにアルシェムは何かを隠しているだろう。しかし、それがスパイだのなんだのという性質のものであるとは思っていなかった。

「じゃったらどうした。また誰かを殺しに行くとでも思っておるのか?」

「いえ、そうならないように手は打つつもりですよ。そのための駒も用意できそうですから」

 そう言ってリシャールはアマルティア大尉とロランスを促して博士の監禁部屋から辞した。

 その会話を聞いていたヨシュアは――実際には、その男の声を聴いてであるが――呆然とした。何故、この声に聴き覚えがあるのか。そして、何故この声の持ち主がこんなところにいるのか。だからヨシュアはエステル達の会話を聞きのがした。ただし状況を見て扉の前の見張りを倒すことは見当がついたのでそう返し、双剣を握りなおして機を測る。すると――その見張り達自身が正体を明かしてくれた。

「俺達情報部の隠密部隊《特務兵》は王国のため、理想のために大佐の手足となって動くことが使命だろ? 爺さんの見張りであっても気は抜くなって」

 それを聞いたアガットは飛び出そうとするが、ヨシュアに止められる。ヨシュアは足元にあった石ころを拾って彼らの気を逸らし、背後に立って一撃のもとに昏倒させた。そして装備を取り上げ、縛り上げて研究棟に押し入り、ラッセル博士と交代で監禁してから脱出を始める。ラッセル博士の要請で《カペル》のユニットを取り出してティータが保管するなどという時間もあったが、概ね順調に脱出できそうである。

 そう油断した、その時だった。部屋に監禁したはずの特務兵が懐から何某かを取り出し、地面にたたきつけたのは。とたんに響き渡るサイレン。巡回を始めさせるシード少佐。エステル達は中央の研究棟のあるエリアから抜け出せなくなってしまった。波止場から逃げるのは諦め、身を隠しながら脱出方法を探るエステル達。

 そして――最終的に辿り着いたのは、よりによって司令部だった。兵士達が丁度報告のために戻ってこようとしており、万事休すと思いきや――

「来い、こっちだ!」

 男の声が響き、エステル達はそこに活路を見出した。もとよりそれ以外に選べる道はない。声に誘導されながら辿り着いた先は、司令室。そして中で待ち受けていたのはシード少佐だった。ヨシュアに指示して扉の鍵を閉めさせると、手短に事情を話して脱出の準備をさせる。

 そして、シードはエステル達に自分とリシャールが元カシウスの部下だったことを明かすと時間稼ぎのために動くことを確約した。エステル達はそのまま脱出口を使って脱出し、ラッセル博士は無事に救出された。

 そのままラッセル博士とティータを逃がす必要があるためにアガットは彼らを連れて逃亡することを決め、少数で動かすためにエステル達に手を引かせた。それを引け目に感じるエステルには博士がアリシア女王陛下への面会を依頼し、彼女に《ゴスペル》について伝えてほしいと言った。エステル達はティータと別れを惜しんだが、あまり引き留めては危険なので程々で済ませて遊撃士協会へと帰還した。

 

 ――かくして、歯車は廻る。




はっはっは……一日でこいつら頑張り過ぎだろうとか突っ込んだら負けです。

では、また。次は閑話を挟みます。


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閑話・伝説の協力員《氷刹》

リメイク前にはない話です。
題名通り。ただし、報告書風なのでお話ではないです。

では、どうぞ。


 これは、遊撃士協会ツァイス支部から提出された、とある記録である。当時から受付だったキリカ・ロウランの記録とその記録を見た遊撃士諸君、そして遊撃士協会本部のコメントが、そこには克明に記されていた。

 

 ❖

 

 ツァイス魔獣異常発生事件および協力員アルシェム・ブライトについての報告書 (記録者:キリカ・ロウラン)

 閲覧日:S1202.9.30

 着任初日

 ツァイスにて大規模な魔獣の襲撃が発生。ロレントより留学に来ており、当時まだ協力員でなかった彼女は新型導力銃の実験の最中に当該の襲撃に巻き込まれ、アルバート・ラッセル博士から予備の弾倉を貰い受けて対応。カルデア隧道から襲い来る無数の魔獣を撃退。

 撃退後、ツァイス支部より派遣されたA級遊撃士クルツ・ナルダンが到着。あまりの手腕に不審を覚え、彼女を詰問。右肩に傷を負わせる。その場に駆け付けた巡回シスター・リオ・オフティシアにより治癒を施され、事なきを得る。

 

 追記:まさか彼女が本当にカシウス・ブライト遊撃士の養女であると思わなかった。反省している。(クルツ・ナルダン)

 追記:まさか初日からこんなことに巻き込まれているとは思わなかった。クルツはもう少し落ち着いて行動するように。(カシウス・ブライト)

 追記:クルツ遊撃士には謹慎もしくは罰金を命じた。深刻な人手不足より、昨年度の年収の三割を遊撃士協会に寄付することに決定した。(本部)

 

 二日目

 ようやく負傷を完全に治しきり、記録者と交渉。遊撃士協会の協力員として主に導力銃のテスターとして動くことで契約した。この際、クルツ遊撃士は責任を取るべく彼女を看病していたのだが、協力員にトラウマがあることが発覚。以後、接近禁止を申し渡した。

 

 追記:いくら七耀教会のシスターが有能だったとしても刺し傷が都合一日で完治するわけがない。治癒力が非常に高い人物であると見受けられる。(本部)

 追記:もしかしたら東方の技術も少しばかり持っているかも知れんな。気功系統など。(ジン・ヴァセック)(リン)

 

 五日目

 導力銃β-1の実地テスト中、協力員は知らずに手配魔獣サンダークエイクを退治する。クルツ遊撃士が駆け付けた時には既に当該魔獣は力尽きてセピスと化しており、念のために間違いがないか周囲を確認したが発見できず。

 その後、記録者と相談して無理のない程度で手配魔獣の退治を請け負うことで再契約した。

 

 追記:深刻な人不足であったためである。(キリカ・ロウラン)

 追記:だからと言って戦闘訓練も受けていない一般人を手配魔獣狩りに駆り出して良いものではない。(本部)(ヴェンツェル)

 

 十日目

 本部より当該協力員への手配魔獣の振り分けの停止を通達。しかし、この日の依頼には間に合わず。何故か大量にカルデア隧道にわきだしたペングーの除去を依頼したところ、数時間の奮闘の末に全滅させることに成功。しかし、その後もペングーは出現し続けた。ペングーがわき出て来る原因を掴むことは出来ず、撤退。他の依頼も滞るため、近隣支部より遊撃士を借り出して警戒に当たる。

 この際、人手不足の観点から後方支援のみの協力を申し出た協力員の要請を承諾。中央工房からの申し出もあり、導力兵器系統のテストをペングーたちを的にして少しでも数を減らすことになった。

 

 追記:深刻な人手不足により近隣支部より要請されて派遣されたのは、ルーアン支部よりカルナ遊撃士、ボース支部よりグラッツ遊撃士である。(キリカ・ロウラン)

 追記:この日、カシウス・ブライト氏より当該協力員についての情報が入る。協議の末、魔獣退治に関しては解禁することが決定された。(本部)

 

 十七日目

 度重なるペングーの襲来により、集中力を欠いた準遊撃士が死亡。これによりツァイス支部の準遊撃士が揃って辞職し、ますます人不足が深刻となる。記録者は独断で魔獣狩り全般の依頼を当該協力員に依頼。当該協力員は快諾し、手配魔獣狩りとペングー狩りにいそしみつつ中央工房でペングーの行動を阻害する装置の研究を開始。

 

 追記:この独断に対し、本部は記録者キリカ・ロウランに一ヶ月分の給料の返納を命じた。(本部)

 追記:反省はしている。しかし後悔はしていない。最善の策はこれ以上になかったためである。(キリカ・ロウラン)

 追記:記録者キリカ・ロウランに更に一ヶ月分の給料の返納を命じた。(本部)

 

 二十六日目

 協力員によって『ペングー除去装置Ver.1.0.0』がカルデア隧道に設置される。それと同時にカルデア隧道の一般人の通行が禁止され、迫りくる魔獣を撃退することに成功する。しかし、動く者すべてを射撃するアルゴリズムが組まれていたため、使用の停止を求めた。

 協力員はすぐさま『ペングー除去装置Ver.1.0.0』を撤去し、魔獣退治のローテーションの間を縫って改造を始めた。

 

 追記:何というものを発明している。悪用されては危険なため、破壊を要請する。(カシウス・ブライト)

 追記:遊撃士協会としてその機械を外部に出さないよう要請。当該協力員はそれを快諾し、ペングーの異常湧出が止まった暁にはノウハウごと破壊することを確約した。(本部)

 追記:どんな協力員なんだよ。(トヴァル・ランドナー)(サラ・バレスタイン)

 

 三十七日目

 協力員によって『ペングー除去装置Ver2.1.1』がカルデア隧道に設置される。撃ち漏らしはあったものの、概ねペングーだけを撃退することに成功。更に異変がない限りは静観することに決定した。

 

 追記:狙いは全てイワシになるように設定しました。(アルシェム・ブライト)

 追記:協力員の追記を見た本部は使用の停止を命令。すぐさま当該協力員は改修し、ペングーの内包する七耀石の分量・配合にのみ反応するVer.3.0.0を完成させ、その日のうちに設置した。(本部)

 

 六十五日目

 手配魔獣の頻発により、支部内はパニック状態。遊撃士たちに一日一手配魔獣の退治を徹底させる。体力に余裕のあるものはそれ以上狩るように要請。当該協力員も例外ではなく、彼女は一日二手配魔獣は軽く狩ってくるので依頼がスムーズに動くようになった。

 この日、当該協力員は手配魔獣三種十匹を退治した。

 

 追記:原因の追及を急ぐよう記録者に要請。(本部)

 追記:七耀教会にも協力を要請した。(キリカ・ロウラン)

 追記:あまり無茶はしないように。(カシウス・ブライト)

 

 八十二日目

 手配魔獣の頻発が止まらない。一日一手配魔獣の退治では追い付かなくなり、一日二手配魔獣を請け負って貰うことになった。既に半数の遊撃士が手配魔獣に傷つけられて市内を駆け回るだけの依頼に従事するようになっている。

 そんな中、当該協力員は進んで手配魔獣を狩っていた。最近の一番の成果は古代種を一種含めた手配魔獣三種十一匹狩りである。

 

 追記:非常事態なのは分かるが、協力員にばかり古代種系手配魔獣を回さないように。(本部)

 追記:……見間違いではないようだな。まだ年若いというのに興味深い。(アリオス・マクレイン)(スコット)

 

 百一日目

 七耀教会からの協力取り付けに成功。星杯騎士(本人と七耀教会の意向で名は伏せる)が調査を開始。護衛にと遊撃士協会と深くつながりのない協力員を指名する。本部の指示を仰ぐ。

 

 追記:それ以外の人物ではダメだというのならば仕方がない。(本部)

 

 百三十二日目

 当該協力員を連れまわす星杯騎士に警告を送る。何でも、星杯騎士と共に当該協力員は手配魔獣を乱獲しているようである。協力員に怪我をされては困るが、七耀教会とも関係を悪くしないために警告でとどめる。

 この日、星杯騎士と当該協力員は一緒に古代種系手配魔獣三種を含む手配魔獣八種三十匹を退治した。

 

 追記:本部より七耀教会へ警告を送付。返答は『星杯騎士に一任している』とのこと。(本部)

 追記:(コーヒーらしき染みがついている)おい馬鹿止めろ。……取り乱した、何をさせているんだ七耀教会は。(カシウス・ブライト)(トヴァル・ランドナー)

 追記:……見間違い、ではないだと……(アリオス・マクレイン)

 

 百五十五日目

 魔獣の異常発生について原因が特定できたとのこと。十分な準備をしたのち、原因を除去するらしい。星杯騎士によると、原因は取り除いてはいないものの一度は終息させたとのこと。手配魔獣の目撃もない以上、しばらくは平穏な日々になりそうである。

 因みにその終息した前日、別行動をしていた当該協力員は一人で古代種系手配魔獣四種十六匹を退治していたことをここに明記しておく。

 

 追記:くぁwせdrfgthy(裏面からビニールテープで補修してある)……キリカァァァァァ! (本部)

 追記:彼女以外大小の負傷があったため致し方なく依頼した。(キリカ・ロウラン)

 追記:……当該協力員に報奨金10万ミラを贈呈しておく。(本部)

 追記:え、えっと……本当に人間、なのよね? (エオリア)

 

 二百七日目

 本日、魔獣の異常発生の原因の除去を開始する。当該協力員も参加し、異常の根源とも思われるカルデア鍾乳洞へと突入。一体どれだけ発生しているのか、鍾乳洞の中の空間全てにペングーが詰まっていて先に進むのも困難な様子。ペングー除去装置の量産を依頼される。

 

 追記:……もう何も言わんぞ。(本部)

 追記:え、何それめちゃくちゃ見たかったなー。ペングーの群れ……じゅるっ。(アネラス・エルフィード) (エオリア)

 追記:その光景、かなりグロいと思うわよ……(シェラザード・ハーヴェイ)

 

 二百三十六日目

 『量産型ペングー除去装置Ver.5.5.0』完成。鍾乳洞前まで運搬し、ペングーを正面から除去しながら内部に向けて装置を押し込む作業を開始する。この日のうちに進めたのは約数十アージュ程。先は長いようである。

 

 追記:どうやってペングーが生存していたのかの調査も依頼する。(本部)

 

 二百六十七日目

 ようやく見渡せるほどペングーを除去することに成功。内部に装置の設置を開始する。この時点より、一日に発見される手配魔獣の減少を確認。繁殖しすぎたペングーが原因だと推察された。

 

 追記:カルデア隧道以外にもペングーが流出していた可能性アリ。(本部)

 追記:確認したところ、テティス海を渡っていった種と川を遡上していった種があるようである。(キリカ・ロウラン)

 

 三百日目

 洞窟湖を残してペングーの除去に成功。副産物としてペングーの毛皮という商品が出回り始めるようになる。たたき売りされているが、質は上々。警戒する必要があるだろう。

 

 追記:バリアハート産の毛皮の価格に影響を与えた模様。(本部)

 

 三百三十五日目

 この日、ようやく洞窟湖までペングーの除去に成功。巨大ペングー『オウサマペングー』『ディバインペングー』の目撃あり。当該協力員は星杯騎士と協力して両者を討伐。

 原因はその二者のペングーたちとそれによって毛皮を流通させることを目的とした猟兵団《グリンピース》の首領ベーコンによって意図的に引き起こされたペングーの大量発生であることが判明した。

 

 追記:今後の動向に気を付けるように。(本部)

 追記:首謀者はアーティファクトを使用していたようで、七耀教会本部へと連行された模様。(キリカ・ロウラン)

 

 三百六十七日目(最終日)

 中央工房より、魔獣の大量発生の終息宣言が出される。この日に当該協力員は留学を終えてロレントへと帰還。協力員契約もここで切れた。

 

 追記:これほどの逸材を一般民として放置するのはどうかと思う。(アリオス・マクレイン)(クルツ・ナルダン)(ジン・ヴァセック)(トヴァル・ランドナー)(以下省略)

 追記:カシウス・ブライト氏より入電。当該元協力員は遊撃士になる意志を見せたため、特別措置について協議することに決定した。(本部)

 追記:同僚になれる日が待ち遠しいぜ。(グラッツ)(カルナ)

 

 ❖

 

 以上が報告書の内容である。これが遊撃士協会本部にて会議にかけられ、満場一致でツァイス支部に限りアルシェム・ブライトに対して遊撃士協会協力員特別推薦状を発行することが認められたのであった。




後悔はしてないキリッ

では、また。


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~王都繚乱~
白き翼に吹く追い風


旧71話後半のリメイクです。ここから次の章にします。
章ごとに短くなっていく件。

では、どうぞ。


「はあ、はあ……」

「こちらです、クローゼ!」

 王都グランセルの周囲をぐるりと回るエルベ周遊道から王都へと入るキルシェ通りに、不審な二人組がいた。片方は反逆罪で追われている親衛隊の制服を着た女性。そして、もう片方はジェニス王立学園の女子制服を着た少女だった。どうも、何かから逃げているらしい。

 親衛隊の女性――親衛隊隊長ユリア・シュバルツが逃げるのはまだわかる。アルバート・ラッセル博士誘拐の首謀者ともされ、今やリベール王国中から追われる人物なのだから。しかし、クローゼが追われる理由が分からない。一般人から見れば、『クローゼ』はただの女生徒なのだから。

 しかし、『クローゼ・リンツ』はただの女生徒ではないことを、彼女に追手を掛けている首魁は知っていた。はた目から見ればユリアがクローゼを脅して人質にし、一緒に逃げさせている絵にしか見えないその光景は、実はこのリベール王国で二番目に高貴な女性の身を護るために繰り広げられる逃走劇なのである。

「止まれ、ユリア・シュバルツ! 貴官には反逆罪の疑いが掛けられている!」

 背後から聞こえる怒号を発する男――黒装束を纏った特務兵である――は、そのことを知らない。ユリアがいたいけな少女を脅して逃げさせているようにしか見えないのだ。だからこそ、クローゼを保護しようとはすれ、傷つけようとはしていなかった。

 と――そこに、甲高い音が響き渡る。何かが破裂したような音だ。クローゼはその聞き覚えのある音に眉をひそめた。ここにいるはずがないのだ。クローゼの知る限り、彼女は現在ツァイスにいるはずなのだから。

 しかし、クローゼの読みは外れる。精確に追手の四肢を撃ち抜いたその女は、クローゼ達に並走しながら彼女達に声を掛けたのだ。

「まだご無事なようで何よりです」

「な……何故ここにいるんですか!?」

 苦笑しながらそう告げた女――アルシェムにクローゼは思わず返事をしてしまう。今はそんな余裕はないはずなのに、である。クローゼにしてみれば有り得ない人物が有り得ない場所にいるために驚愕しているのだが、アルシェムはそれを意に介さない。

 じゃりっ、と音を立てて体を反転させたアルシェムは振り向きざまに背後から追ってくる特務兵たちを精確に狙撃した。そしてもう一度振り返るとクローゼ達に並走する。

 そして、アルシェムはクローゼに答えを与えた。

「色々なことを総合的に考えた結果、一般市民を巻き込んで騒動になりそーなのはあなただったので一般市民の護衛のために駆けつけました」

 そう言う彼女の胸には、準遊撃士の紋章はない。今ここで立場をばらせば、特務兵たちに遊撃士協会への格好の攻撃の材料を与えてしまうからだ。アルシェムはたびたび特務兵を狙撃しながらクローゼ達を護衛する形になる。

 それにクローゼはようやくアルシェムが救援に来てくれたのだと察してこう返した。

「それは分かりました。でも、ここからどうやって……」

「方法は一つしかないでしょーに」

 アルシェムは嘆息してクローゼの言葉を受け流した。現状、この状況を脱するためにはクローゼを遊撃士協会に放り込むしかない。そこにユリアを連れて行くか否かが問題なのである。

 だからこそ、アルシェムはこう告げた。

「選んでくださいシュバルツ中尉。彼女の身を脅かして自らの身の安全を取るか、自らを犠牲にして彼女を護るか」

 その言葉に、ユリアはこう答えた。

「そ、それは勿論クローゼの身の安全が最優先に決まっているだろう!」

「駄目です!」

 クローゼはユリアの答えを聞く直前からそう反駁した。ユリアの答えなど分かり切っていたからだ。クローゼの、クローディア・フォン・アウスレーゼの望みは、このまま誰も傷つかずに安全を確保することだ。ユリアが欠けることなど、考えたくもなかった。

 しかし、それは叶わないのである。遊撃士協会に二人まとめて匿うことは出来ない。そして、七耀教会にも二人まとめては匿えないのである。一人ずつなら誤魔化せる。そのためには、双方ともに危険を冒さなければならないのだ。

「クローゼ!」

「いくらユリアさんの頼みでも、それだけは譲りません! 誰かを見捨てて逃げ延びるような人間にはなりたくありませんから!」

「クローゼ……」

 その主従の会話にアルシェムは嘆息する。一体どうしろというのだろうか。今は言い争っている場合ではないのだ。背後から迫りくる大量の特務兵たちをどうかわすかが問題なのだから。

「全く……ジーク、信頼できないのは分かるけど今回に限ってはわたしの方が適任だからね。シュバルツ中尉よろしく」

 嘆息しながら口早に頭上の鳥にそう告げたアルシェムは、クローゼを抱え上げてその場から駆け出した。クローゼは何とかユリアの元へ戻ろうと暴れるが、アルシェムはそれをさせない。今戻らせては何もかもが台無しになる。

「離して、離してくださいアルシェムさん!」

「今は自分の心配して貰えませんかね。このまま遊撃士協会まで行けるかどうか五分五分なんですから」

 クローゼは暴れる。今ここでユリアの元へと戻らなければ、二度と会えなくなるかもしれないのだ。なのに、アルシェムはそれをさせてくれない。逃げなければならないのは頭で分かっているのだ。しかし、感情がそれを赦さなかった。

 そして――ついに、クローゼは感情のままに悪手を選択してしまう。グランセル市街は目の前というところで、クローゼはアルシェムにこう宣言したのだ。

「降ろしなさい、命令ですアルシェムさん!」

 その命令は――聞かなければならない。何故なら、彼女は誓ってしまったから。『アルシェム・ブライトはクローディア・フォン・アウスレーゼが望むときのみ傍に侍り、その力を振るう』のだと。彼女が望まないことを成すことは出来ない。

 苦々しい顔をしながら、アルシェムはクローゼに告げる。

「それで、どうするっていうんです?」

「ユリアさんを助けに行ってください。私はここまで来れば大丈夫ですから」

 クローゼはアルシェムにそう命令し、王都へ向けて歩き始めた。アルシェムはその命令を聞かなければならない。このまま行かせたとしても、遊撃士協会にはたどり着けないだろうという確信があったというのに。それが、アルシェムとクローディアとの間になされた誓いだから。

 ぎりっ、とアルシェムは歯噛みして猛スピードで駆け始めた。先日の出血分の失血は何とか補填された。十全とはいかないが、ある程度は動けるはずなのだ。だからこそ、このままさっさとユリアを救出してクローディアの元へと戻る。そうするしか、なかった。今はまだ、約束破りで処刑されるわけにはいかないのだから。

「……バカ。しがらみから逃げることなんて出来ないって知ってるはずでしょうが」

 自分をそう叱咤したアルシェムは、乱戦状態になっているユリアの元へと駆け付けた。途端にジークが襲い掛かってくるが、もう構ってはいられない。特務兵を殺さない程度に次々と伸し、ユリアの離脱を確認したところで――背後に、恐ろしいまでの気配を感じた。感じたことのある気配。良く知っていて、なおかつ今は会いたくなかった気配。ついでに別の人物たちの気配もする。

 アルシェムはくるりと振り返ると、そこには2人の男性と1人の女性がいた。

「やあ、久し振りだねアルシェム・ブライト君」

 そう声を掛けたのは、金髪の男性。情報部大佐アラン・リシャールだった。その隣には副官のカノーネもいる。そして、最後の一人は油断なく剣を構えてアルシェムの動きを見ていた。

 すぐに対応できるように銃から手を離さず、アルシェムはリシャールの言葉に応える。

「ええ、お久し振りですねリシャール大佐。最近地方で暗躍している黒装束の男達を伸したので是非連行して事情を聴いて貰えませんか?」

 あくまでもそれは建前である。目の前に倒れ伏しているのは、リシャールの部下なのだから。連行されるわけもなく、事情を聞かれることすらないだろう。だが、敢えてアルシェムはそう告げたのだ。いかにもリシャール達と特務兵がつながっていないという前提で。

 それに、リシャールはこう答えた。

「はて、彼らは私の直属の部下たちでね。最近地方で暗躍していたのは彼らの存在を知って罪を被せようとした何者かの仕業であることが確認されている。故に、君には無関係の人間を傷つけたとして事情を聞かねばならないのだが」

「秘密部隊の情報を手に入れられて、かつ模倣できるなどどのような集団が可能なのでしょうか? そのあたりを是非お教えいただきたいですね」

 リシャールとアルシェムとの間で火花が散る。しかし、その拮抗は長くは続かなかった。突如背後から男が斬りかかってきたのである。アルシェムは咄嗟に銃身を立ててその剣を受け止めた。

「落ち着きたまえ、ロランス君」

「いつもの貴男らしくなくてよ、ベルガー少尉」

 しかし、ロランス・ベルガーはその剣を止めようとはしなかった。剣にさらに力を込めながら彼はリシャールに向けてこう告げたのである。

「公務執行妨害です、閣下。自分が気を抜けば彼女はすぐにでも逃げ去っていたでしょう」

 無論、アルシェムに逃げる意思はなかった。しかしその言い訳は通じない。この場において、『正義』は彼らの側にあるのだから。

 そして――アルシェムはそのまま気絶させられて拘束され、何故かエルベ離宮へと拘禁されることと相成ったのであった。

 

 ❖

 

 エステル達は焦っていた。アガットと博士、そしてティータが逃げたことを受けた王国軍――否、情報部は、空路を封鎖してしまったのである。故に、エステル達は飛行船ではなく徒歩でツァイスからグランセルへと向かっていた。昨晩から全く寝ていないが、それ以上にエステル達を焦らせる情報をキリカは開示したのである。

 

『アルシェムには、先に王都に向かって貰ってこれから起きるかもしれない混乱に備えて貰っている』

 

 その言葉にエステルは無性に不安を感じた。エステルの中では、アルシェムが単独行動をすると必ず何かひどい目に遭わされてしまうという方程式が出来上がっているからだ。エステルはキリカにそう告げると、彼女からは出来る限り早くグランセルへ到着するようにと言われてしまった。だからこそ飛行船を使おうとした矢先にこの封鎖である。嫌な予感を止めることが出来なかった。

 だからこそ、ヨシュアを引っ張ってまでセントハイム門まで来たのだが、そこで再び足止めを食らいそうになってしまったのだ。そこに現れて窮地を救ってくれたのは、アルバだった。

 彼を見たエステルは、この先も何か起こる予感がした。彼が出現すると何かしら事件が起こる。もしも、今回も何か事件が起こるのだとしたら。しかし、彼がいなければ事件が解決しなかったのも確かであり、エステルの思考は混乱してしまっていた。

 それを悟ったのか、アルバは長話をせずにグランセルまでの同行を申し出、エステル達もそれ以外にこの門を抜ける手段がなかったためにやむなくそれを受けた。そして、無事にセントハイム門を抜けてグランセルまで辿り着いたのである。

 そこでアルバと別れると、エステル達は遊撃士協会へと向かった。所属変更願と博士からの依頼の相談、そして何よりもアルシェムが何事もなくそこにいるのかどうかを知りたかったのだ。

 遊撃士協会に入ったエステル達は入るなり受付の人物にこう告げた。

「えっと、ツァイス支部から来ましたエステル・ブライトとヨシュア・ブライトです。あの……アル、アルシェム・ブライトはいますか?」

 すると、受付の人物は渋面になって応えた。

「グランセル支部の受付のエルナンです。……アルシェム準遊撃士は、先日転属した直後に飛びだして行ったきりですね。……それがどうかしたんですか?」

 その言葉を聞いたエステルはがくがくと震え始めた。その様子を見たエルナンはただ事ではないことを察してエステルに問いかける。ヨシュアも何故エステルが震えているのかは察することが出来ないのでおろおろしていた。

 やがて、エステルは震える声を押し殺して口を開く。

「……アルのことだから、また危険な目に遭ってる気がするのよね」

 その言葉を聞いたヨシュアは妙に達観した表情でああ、と声を漏らした。確かにその可能性はあるだろう。というよりも、今この場所にいない時点で絶対に何かに巻き込まれているに違いない。妙に確信を持ててしまったのだが、それ以上の答えはない気がした。

 エルナンはエステル達の様子を訝しみつつこう問う。

「ええと、彼女は特に危険な目に遭って来たんですか……? あの報告書を見る限り、滅多な相手には後れを取らないと思うのですが」

「ほ、報告書?」

 エステルが首を傾げるが、ヨシュアにもその報告書には心当たりがない。因みに、その報告書の名称は『ツァイス魔獣異常発生事件および協力員アルシェム・ブライトについての報告書』である。

 ヨシュアはその報告書が気になったが、今はそれどころの話ではないのでエルナンに向けてこう告げる。

「僕も気になるけどそれは後でね、エステル。お話しないといけないことがあるので、出来れば少し時間を頂けますか?」

「少し待っていただけますか? もうすぐ武術大会に出場する遊撃士を送り出さなければならないので」

 困ったようにエルナンはそう返すと、脇の階段からタイミングを見計らっていたのかボースのアネラス・エルフィードとグラッツ、ルーアンのカルナ、そして見覚えのない緑色の髪の男性が現れた。

 緑色の髪の男性がエステル達に柔らかく笑いかけながらこう促す。

「済まないね。すぐに出るから話を続けてくれたまえ」

「いえ、こちらがお邪魔をしているのでお気になさらないで下さい」

 ヨシュアはその男性にそう答え、彼らを見送ろうと出口の方を向く。エステルもそれにならって出口の方を向くと、男性は苦笑してエステルに向けてこう告げた。

「アルシェム君のことなら心配いらないよ。何なら、エルナンさんからあの報告書を見せて貰うと良い」

 そして、彼はカルナ達を連れて遊撃士協会から出て行った。エステル達はそれを見送ってからエルナンに向きなおり、ヨシュアがこれまでにあったことを全て説明し始める。それが、誰の陰謀なのかまで。

 それを聞いたエルナンは天を仰いで遠い目をした。そこまで壮大な計画が進んでいるというのに、自分には察せなかったこと。そして、自分が先ほどまで首謀者リシャールを信じていたことに呆れてしまったのである。

 この時点での問題は二つ。どうすればアリシア女王に会えるかと、アルシェムが一体どこへ行ったのかである。前者は足で情報を集めればいいのだろうが、アルシェムについては情報が集まるとは思えなかった。彼女はほとんど何も手掛かりを残して行かなかったのである。ただ一言、エルナンに伝言を残していただけだ。

 

『今から民間人を保護してくるから、何があっても彼女を遊撃士協会から出さないでほしい』

 

 この保護されるべき民間人が一体誰なのか、エステル達には全く以て想像がつかなかった。だからこそ、アルシェムの情報を後回しにしてどうすれば女王に面会できるのかを模索するしかなかったのだ。

 王城について探りを入れたエステル達は想像以上にリシャールが王国の中枢に食い込んでいること、そして傀儡にされているデュナンの情報を手にすることが出来た。ついでにデュナンの動向を調べるべく王立競技場へとエステル達は足を運ぶ。そこで、予想だにしない幸運をエステルは耳にすることになった。

「北、紅の組。遊撃士協会グランセル支部、クルツ選手以下4名のチーム!」

 そう司会が言った瞬間、エステル達は顔を見合わせた。つまり、先ほど話していた緑色の髪の男性がクルツ・ナルダンである可能性が高い。あの《福音》をどんな経緯で手に入れたのかは聞いておく必要がありそうだった。因みに試合は順調に進み、クルツ達は危なげなく予選を通過したようである。

 その後、ツァイスで出会ったジンという遊撃士が単独で、何故か出場している《レイヴン》達を伸している光景を興奮して見物しつつ試合が終わり――そして、エステル達にとって最大の僥倖が転がり込んできた。

 それは、デュナンが宣言した『賞品』。その内容は――三日後に開催される宮中晩餐会への招待状を発行するというもの。それさえあれば、公的に城に入ることが出来るのである。

 エステル達は観客席で考えを詰め、控室へと向かってカルナ達に予選突破のお祝いと依頼の引き継ぎのお願いをしようとして、失敗した。グラッツが単独で戦うジンのためにエステル達が出場したらどうかと思いついたのだ。エステル達はそれに圧され、何の話も出来ずに彼らと別れることとなってしまった。

 武術大会に出場できるという高揚と《福音》についての話が出来なかったという葛藤から物凄く複雑な顔になったエステルは、後者を一瞬だけ忘れて雄たけびを上げた。エルナンにも相談して武術大会そのものには出場することにし、そのためにジンを探して彷徨うことになるのだった。

 因みに、エステル達はエルベ周遊道で襲われているシスターを助けて無事にジンと会え、武術大会に出場できるようになったことをここに明記しておく。ついでに神出鬼没なオリビエ・レンハイムも含まれてしまったのだが、それはご愛嬌というものだろう。

 ともあれ、エステル達は首尾よく城に潜入するための切符を手に入れたのであった。




だ、大丈夫。エステル達の動きもこれから入れていくから。

では、また。


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武術大会一日目

ここから四話ほど、武術大会あたりのイベントとその裏で動いている話になります。
全て旧72話と裏話になるというちょっと異例の事態。
流石に描写がないのもどうかと思ったので、大幅追加になります。

あ、あと、残酷な描写になりかねない光景が四話とも最後に出て来ます。薬物ダメ、絶対。苦手な人は飛ばしてください。

では、どうぞ。


 武術大会、一日目。ジンと共に選手登録を終えたエステル達は、一度キルシェ通りまで出て魔獣を狩りつつ体を温めてから王立競技場へと舞い戻った。そして中に入ると、そこで何と《レイヴン》の連中と遭遇したのである。

「あ、あれ、あんた達……」

「フン……妙なとこで会うもんだ」

「ひゃはは、ここで会ったが百年目だぜ!」

 鼻を鳴らす紫色の髪の男――確か、ロッコと呼ばれていたはずの男である――を無視して、エステルはにやにや笑うレイスに向けて声を掛けた。それも、心配そうな顔をして、である。

「それはどうでも良いけど、あの後ジークに突かれなかった?」

「……俺は、突かれてねえ。俺は、な……」

 レイスは疲れたようにそう告げた。そして、視線で背後にいる男を差す。そこには――

「……む、毟られたんですか……」

 ヨシュアは引き攣った顔でそうつぶやいた。流石に鳥とはいえぴかぴかになるまで毟られたいとは思わない。毟られて赦せるかどうかといわれるとヨシュアの場合では八つ裂きでは足りないかもしれない。

 ヨシュアの目には、スキンヘッドになってしまって格好が悪いのでサングラスをかけてみたがイマイチに合わないという可哀想な青年が映っていた。残念ながら眉毛もないので、髪色からは一体誰なのかは分からない。ただ、雰囲気で恐らくディンと呼ばれていた男だろうということだけは分かった。

 ディンがゆらりと幽鬼のように蠢いて呟いた。

「……この恨み、お前達で晴らして良いよな? 試合で」

「あー……頑張ったのね。ここにいるってことは本戦に出るんだろうから、よっぽど特訓したんじゃない?」

 エステルの言葉を聞いたディンはかっと目を見開いてぱかっと口を大きく開けた。それを見たロッコとレイスは顔をひきつらせてディンに飛びつく。何かを叫ぼうとしたらしい。

「……ご、ごめん。言わない方が良かったみたいね。もしこれから当たるんだったら正々堂々戦いましょ」

「あ、ああ……」

 《レイヴン》達は毒気を抜かれたようにそう返事をして去って行った。暴れ出そうとしていたディンまで呆けたのだから、エステルにとってはあっけにとられる光景になっていた。

「な、何だったのかしらね……」

「さ、さあ……」

 試合開始前の、そんな一幕。エステル達はいい具合に緊張を抜くことが出来たのだった。

 

 ❖

 

「続きまして、第二試合――南、蒼の組。つい先ほどメンバーの揃いました、カルバード共和国出身の遊撃士にして武術家ジン選手以下4名のチーム!」

 わあっ、という歓声が響く。それに呑まれそうになりつつも、エステルはアリーナへと足を向けた。ジンは泰然としており、オリビエは緊張など無縁。ヨシュアも飄々としている。いつも通りな彼らを見て、エステルは少しだけ落ち着いて棒術具を握ることが出来た。

 そして、対戦相手は、とゲートの方を見ると、司会が答えを告げてくれた。

「北、紅の組。チーム《レイヴン》所属、ロッコ選手以下4名のチーム!」

 どうやら、《レイヴン》が相手のようである。エステル達は気を引き締めてそれぞれの武器を構え、そして――

「始め!」

 開始の合図が、聞こえた。そう思った瞬間だった。

 

「「お前の頭は禿げ頭!」」

 

 まぬけな掛け声が聞こえたかと思うと、ディンの様子が豹変した。息を大きく吸い、そしてサングラスで隠された眼を大きく見開いた。

「な、何よ?」

「……嫌な予感がひしひしとするねえ。というわけで邪魔させて貰おう!」

 動揺するエステルの陰からオリビエが導力銃の射線を確保し、ディンに向けて発砲する。しかし、その銃弾はディンを傷つけることは出来なかった。

「シュコオオオオ……シュコオオオオ……フンヌっ!」

 何と、ディンはその腹筋で導力の弾丸を弾き返したのである。オリビエはその光景に目を見開いた。流石にそれは想定外だったからである。そこにヨシュアが飛び出し、ディンの脇をすり抜けて《レイヴン》の一員であることしかわからない男を一撃で昏倒させ、アリーナの端まで投げ飛ばした。

 ――チーム《レイヴン》の一人目、戦闘不能。

 そして、それを見届けたヨシュアは叫ぶ。

「ジンさん、ディンさんを! 僕はこのまま――ッ!?」

 ヨシュアが咄嗟に背後を振り向いて双剣を翳すと、レイスのスタンロッドが降ってきていた。どうやらかなり俊敏になったようである。そのままヨシュアと数合打ち合うと、レイスは離脱して今度はエステルに襲い掛かろうとした。

「舐めるな……!」

 それを見たヨシュアがクラフト魔眼を発動させ、レイスを引き留める。その間にジンはディンとやり合い始めた。エステルは流石にヨシュアとレイスの戦いに割ってはいれるとも思わなかったので近づいて来ていたロッコと打ち合う。この時点でほぼ団体戦の意味がなくなっているのだが気にしてはいけない。

 エステルはロッコのスタンロッドを受け止めて目を見開いた。思っていたよりも重い打ち込みだったからだ。流石にカシウスよりは軽いが、並の遊撃士なら押されているだろう。

「中々やるじゃない……」

「何のための特訓だと思ってやがる。ここで沈んでもらうぜ!」

 ロッコはそのままエステルに向かってヘッドバッドをかました。エステルは嫌な予感に従って後ろに飛ぼうとして――足を滑らせた。結果、何が起こるかというと。

 

「……まな板だ」

 

 ロッコのつぶやきが、一瞬で静まった王立競技場内に響く。彼の頭は――エステルの胸部に埋まっていた。ヨシュアから黒いオーラが立ち上がったように見えたが、それも一瞬で消える。それは――

 

「あはっ」

 

 エステルが顔に満面の笑みを浮かべて思い切り膝をロッコの下半身に叩き込んだからである。ロッコは悶絶して吹き飛んだ。オリビエはそれを見てきゅっと内またになって怯える。それを見ていたレイスもである。観客の何人かも同じ動きをした。彼らが思うことは一つ。アレは痛い。

 エステルはゆらりと立ち上がってひゅん、と棒術具を振るうと、未だ悶絶しているが戦闘不能判定が出ていないロッコに向けて突き付け、こう告げた。

「降参するのと今のをもう一回喰らうの、どっちが良い?」

「スミマセンデシタ降参します!」

 ――チーム《レイヴン》のリーダー、ロッコ。棄権により戦闘不能。

 エステルはロッコを言葉で戦闘不能判定にさせると、そのままディンと戦うジンの元へと駆けた。ちらりと見た限りでは、レイスはオリビエとヨシュアに完封されていたからである。

「キシェエエエア……」

 妙な音を発するディンに近づくのは流石に抵抗があったが、このままジンにだけ任せていては決定打が入らないだろう。エステルはそう考えてジンの陰から棒術具を突き出し、ジンに代わってディンの気を引く。

「助かる!」

「ううん、多分あたしじゃ決定打は入れられないから大技の準備しててジンさん!」

 その光景を後目に見ながら、ヨシュアは早く決着をつけるべくレイスの背後に回り込もうとする。だが、レイスもその速度について行くことは出来ないまでも対応しようとするため、決定打がいれられないのだ。

 と、そこにオリビエからの声がかかる。

「退きたまえヨシュア君!」

 ヨシュアはオリビエの声を無視しようとしたが、本能がその言葉に従った。ギリギリまで引きつけ、導力で出来た弾丸が通り過ぎようとするときに上体を思い切り逸らしてレイスに直撃させる。

「いってぇぇ!?」

「終わりです」

 ヨシュアは痛みに動きの止まったレイスの鳩尾に双剣を叩き込み、全力で顔をひきつらせたレイスを気絶させて蹴り飛ばした。

 ――チーム《レイヴン》レイス、戦闘不能。

 チームメイトが全滅したことを感じたのか、ディンに焦りが出て来たのを見て取ったエステルは牽制だけではなく反撃を視野に入れて様子を見ていた。ちらり、とレイスを見てディンはエステルを転ばせ、隙を作って叫ぼうとする。

「タラタラして」

「遅い、雷神脚!」

 しかし――ジンが、上空から雷の如く落下してきたことで押しつぶされ、あえなく戦闘不能となった。それを見た司会はマイクを持ち、エステル達の勝利を告げるのだった。

 

 ❖

 

 試合が終わり、控室から次の試合をゆっくり観戦しようとしたエステル達は――司会の言葉に吹いた。というのも――

「北、紅の組。空賊団《カプア一家》所属、キール選手以下4名のチーム!」

 と司会が叫んだからである。デュナンの計らいで服役中の態度が真面目だったことから首領を除いたメンツが出て来ているらしいが、正直に言って有り得ない。異例すぎる事態である。一体何故、と思う間もなく試合が始まり――さして時間もかからずに正規軍を撃破した。

 それを見て、ヨシュアは思う。一体何人の人間が情報部の凄さを思い知っただろうか。空賊の逮捕にリシャールが関わっているという事実を知る一般市民たちが、あっけなく空賊に倒された正規軍を見て。これもまた、プロパガンダなのだろう。

 それを示すかのように、次の試合は特務兵と正規軍の戦いがあった。そこで――ロランス、と呼ばれた男がある程度まで特務兵が戦った後に正規軍を蹂躙し、試合を終わらせたのである。

 単純な人間は思うだろう。特務兵ってやっぱり強いんだ、と。思慮のある人間は思うだろう。正規軍は不甲斐ない、と。そして、政治に関わるものはこう思うだろう。――特務兵を、正規軍にすべきなのではないだろうか、と。

 因みに、ヨシュアはロランスの太刀筋を見て彼の正体に思い至ったようであった。ヨシュアは呆けたまま、エステルに声を掛けられるまで彼を見つめていた。

 大会が終わり、エステル達は何故か《レイヴン》達から地下水路の鍵を貰って遊撃士協会へと戻った。因みにジンとオリビエは酒場で呑んでいる。それについて行かなかったのは、何か情報がないかを知るためである。特に、ヨシュアが情報に拘っていた。

 遊撃士協会では特に重要な情報を得ることは出来ず、ホテルに戻ろうとしたエステル達はリベール通信のナイアルに捕まった。これ幸いとエステル達は情報料代わりにカレーをおごらせ、そして自分達の持つ情報と引き換えに情報収集して貰えるよう要請するのだった。

 

 ❖

 

 アルシェムは、目を閉じたまま状況を把握していた。彼らの会話の内容から、ここがエルベ離宮で、クローディアもつかまっていること。そして、ユリアがまだ逃げおおせていることを知った。もう、ここからは逃げられないだろう。彼女にはクローディアを死なせる意志などないのだから。

 と、そこでアルシェムはいきなり冷水をぶちまけられて覚醒を余儀なくされた。

「冷たっ!?」

 ぷるぷると首を振ったアルシェムはゆっくりと目を開け、目の前に立つ女を見た。それは――

「おはよう、アルシェム・ブライト。良く眠れたかしら?」

 桃色の髪の士官。カノーネ・アマルティアだった。その隣にはリシャールもいる。ロランスと名乗る男はこの場にはいないようだが、逃げようとすれば察することの出来る位置にいるのだろう。彼にとってグランセル市街とエルベ離宮など誤差のようなものなのだから。

 アルシェムは視線の温度を下げてカノーネを睨みつけ、冷たい声でこう返した。

「最悪かな。つーかさ、宙づりにされて良く寝れるとかどんなニンゲンなわけ?」

「口の減らない女ね。今から何をされるか分かっていないのかしら?」

 カノーネはそう言って手に持っていた注射器から薬剤を少しだけ押し出して見せた。アルシェムの目には見える。その液体の色は――碧、だ。アルシェムの顔から血の気が引くのを、カノーネとリシャールは確かに見た。

「うふふ、素直な子は好きよ。……これを打たれたくなければ質問に答えるのね」

 カノーネは注射を持ってアルシェムに近づき、彼女の腕に注射器を突き立てようとして止まった。反応も出来ないほどこの薬が怖いのか、と思ったのである。しかし、アルシェムはソレが怖いから黙っていたわけではなかった。

 震える声を絞り出し、結果掠れてしまったのも気にせずにアルシェムはカノーネに告げる。それほどまでに、状況はひっ迫していたともいえる。ソレは、その薬は――国際法で数年前に取り決められた、取引が禁じられている薬だ。

「何で……いや、誰からソレを手に入れたの?」

「質問するのはこちらよ」

「喧しい答えろ。カシウスさんから鳳凰烈波じゃ済まない代物だよ」

 その言葉に、カノーネは嘆息してリシャールを振り向いた。リシャールは渋面を作りながら微かに頷き、それを促す。カノーネはリシャールから顔をそむけると、顔に愉悦を浮かべてアルシェムの腕にその薬を注入した。

 アルシェムは注射針を刺された瞬間、微かに震えたものの薬による何かしらの効果が出ることはなかった。それは、アルシェムにとって一番の耐性がある薬物なのだから当然ともいえる。顔を伏せ、いかにも効果が出たように見せかけたアルシェムを見てカノーネは満足そうである。

 注射針から一滴残らずアルシェムに薬剤が注入されると、カノーネは注射器をケースに入れて懐にしまった。そして、アルシェムに向けて問う。

「さて――じゃあ聞こうかしら。二年前、クローディア殿下を暗殺しようとしたのは何故?」

 その言葉を聞いたアルシェムは、顔を伏せたまま肩を震わせた。泣いているのでは勿論ない。嗤っているのである。彼らの目的はリベール王国の平穏であり、王国そのものではないことは分かっている。しかし、今それを聞くということは何を意味するのか。純粋に知りたいだけなのかどうか、今のアルシェムにはまだ判断がつかない。

「それを――話すと思う?」

 伏せていた顔を上げたアルシェムの顔には、冷や汗と同時に酷薄な笑みが浮かんでいた。それを見たカノーネは眉を顰め、薬剤の追加の許可を貰うべくリシャールを振り仰ぐ。

リシャールはそれにこう答えた。

「使い物になるレベルまでなら許可する。私はこれから王城に戻るが……くれぐれもやり過ぎないでくれたまえ」

「承知しておりますわ、閣下」

 カノーネは恭しく頭を下げ、リシャールが立ち去ろうとしてからは扉の外に立っていた特務兵たちと共に敬礼して彼を見送った。




ゴメン、ディン。悪気はなかったんだ赦せ。
表と裏みたいな構成を意識したので表の武術大会にはネタが入ったり入らなかったり。

では、また。


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武術大会二日目

二日目です。
ここで少しだけ変更点が入るので予めご報告を。

この日にドルン・カプアは――出ないッ!

では、どうぞ。


 武術大会、二日目。店で装備を整えたエステル達は、ジンとオリビエを連れて王都の地下水路へと訪れた。その際、王国軍人にいぶかしげな顔をされたものの、ジンが武術大会の出場者であることを見て取ると手のひらを返したように応援してくれた。

 複雑な気分になりつつも先日はほぼ確認できなかった連携とお互いのクラフトの効果を見せ合って作戦を練るエステル達。幸い、クルツ達はここにはいないし特務兵たちも周囲にはいない。空賊など言わずもがなである。おかげで存分に打ち合わせることが出来た。

 その後、地下水路を出たエステル達は軽く腹ごしらえしてから王立競技場に辿り着いた。先日のように控室に入ろうとすると、今回もまた知り合いに会った。

「あ~、エステルちゃん達だ~」

 ゆったりとした喋り方の、その女性はドロシー・ハイアットという。リベール通信社の凄腕カメラマンであり、ほぼエステル達と共に各地を旅してきたように感じられるほど出会った女性だ。

 他愛無い話――にしてはイロイロと物騒な言葉を並べ立ててくれる彼女との会話をエステルは何とか終わらせ、控室に向かう頃には精神的に疲れ果てていた。というのも、ドロシーがツァイスでの一件やあれやそれを何も知らないジンやオリビエの前で話そうとするからである。それを阻止するのにとても疲れてしまったのであった。

 控室に入ると、そこには誰もいなかった。まだゆっくりしているのだろうか、と思いつつ待つが、くる気配すらない。ヨシュアは眉を細めてこちらの控室に来るのが誰なのかを推測しようとした。特務兵たちだったら即座に逃走するかしらばっくれるつもりで、である。

 そして、試合開始直前になって――控室に現れたのは、何と空賊たちだった。キールにジョゼット、そして名も知らぬ空賊たち二人。彼らが警備兵たちに連れられてやってきたのである。

「……何だよ。こっち見んなよ」

 かすれた声でジョゼットはエステル達にそう告げた。目の前にいるのは、ジョゼットの兄ドルンが捕縛される原因にもなった遊撃士たちがいる。今、ドルンは一人でレイストン要塞の個人牢に入れられているのだ。毎日毎日『俺が全部指示した。全責任は俺にある』と言い続けて。だからこそ、ジョゼットは――特にキールは、実行犯でありながらも保護観察処分となっているのだ。あの時ドルンが暴れたからこそ、彼は恐怖で手下たちを支配していた残虐非道な男ということになっているのだ。

 そんなジョゼットの状況も知らず、エステルはジョゼットに向けてこう告げた。

「そんな青い顔してるんだから見ないわけないでしょ。何でそんな顔色悪いの? ちゃんと食べてる?」

「うっさい。アンタには関係ないだろ」

 エステルの言葉を一蹴するジョゼット。エステル達が悪いわけではないのは本当は分かっている。だが、割り切れるものではない。エステル達に捕まらなければ。《リンデ号》を襲撃しなければ。黒装束の男達――特務兵の言うことを聞かなければ。ジョゼットがロレントに行かなければ。リベールで稼ごうとしなければ。そもそも空賊に等ならなければ。あの男が――カプアに狙いを定めなければ。そうすれば、こんなことにはならなかったのに。

 ジョゼットとエステルの会話を見ていた警備兵たちは眉をひそめ、エステル達にこう告げる。

「申し訳ないが、彼らとはあまり口を利かないでほしい。面倒を起こされては困るのだ」

「面倒を起こす気はないけど……」

 そのエステルの反応を警備兵は見ていない。彼らは基本的にエステル達を信用する気はないのだ。ここの警備を任されているのは、リシャールに敬服している兵士達だけなのだから。多少漏れ聞こえる噂――本来ならば部外秘のはずなのでわざと洩らされているのだろう――を聞きかじったところによると、年若い遊撃士の扮装をした人間達が各地で暗躍しているらしい。そして目の前にいる遊撃士――特に、エステル達――は、いかにも該当しそうなのだ。

 警備兵たちはキールたちに向けて釘を刺した。

「分かっているとは思うが、ここには一個中隊の兵が警備についている。逃げようなどと思わないことだな」

「あんたらは勘違いしてるんだろうが、何度でも言い続けるぜ。俺達は、絶対に兄貴を見捨てない。だからと言って兄貴を助けて逃げられるかっていわれると恐らく不可能だ。今も、この先もな」

「ふん、どうだか」

 そう言い捨てて、警備兵たちは出て行った。後に残ったのは暗い雰囲気のみ。キールたちは誰も話すことはなかった。話す気分にもなれなかったのだ。

 そんなジョゼット達の様子を見てエステルはジョゼットに近づき、小さく声を掛けた。

「あたしを罵るのは別に良いんだけど、一つだけ教えてくれない?」

 しかし、ジョゼットはエステルの言葉に反応しない。黙って前を向いたままだ。エステルはそれをポジティブに肯定と取って話を続けた。

「あんた達を出場させたのって、誰?」

「……何とかっていう公爵の温情で、勝ったらその分だけ減刑するんだって。何でそんなこと気にするんだよ」

 その言葉を聞いたエステルは眉をひそめた。間違いなく公爵はそんなことを言わないと直感したのだ。彼は空賊事件が起きたことは知っているが、事件が解決した時点でいかにも興味を無くしそうである。というか、覚えていられるわけがない。ルーアンで二度目に彼に会ったとき、デュナンはエステル達に誰何の声を掛けたのだ。

 では、それが何を意味するのか。エステルはジョゼットから離れてヨシュアを手招きした。そして、小声で問う。

「ね、ヨシュア。あの公爵さんがジョゼット達のこと覚えてて温情で出場させるって有り得るかな?」

「多分有り得ないね。減刑するっていうのもフィリップさんが止めないのは変だ。とするなら……情報部が口封じのために恩赦を与えたいのかもしれない」

 それを聞いたエステルが息を呑む。エステルでもわかる。恩赦を与えられるのは国王のみ。そして、この場合アリシア女王が恩赦を与えるのはおかしい。つまり、彼らは――デュナンを本気で国王に据えようとしているのだろう。

 エステルは暫し考え込んでからこう告げた。

「じゃあ、やっぱり情報部の被害者ってことよね……うん、決めた」

「えっと、どうしたんだいエステル?」

 首を傾げるヨシュアに、エステルはこう宣言する。

「絶対この件、どうにかしましょ。大佐に何をやらかしたのか全部吐いて貰って、ついでにジョゼット達が減刑されるんなら御の字よね」

 すると、ヨシュアは瞠目した。確かにジョゼット達は情報部の被害者だろう。しかし、起こしたことは起こしたことだ。減刑されるべきではないし、ヨシュアとしては出来れば抹消するか利用するかしておきたい。

 だが、内心を押し隠したヨシュアはエステルにこう答えた。

「うん、そうだね」

 その様子を、ジョゼット達は醒めた目で見つめていた。

 

 ❖

 

「南、蒼の組。先日はチーム《レイヴン》に勝利した遊撃士と自称音楽家の混成、カルバード共和国出身の遊撃士にして武術家ジン選手以下4名のチーム!」

 司会の声に従って、エステル達はアリーナへと足を踏み入れた。相手は特務兵かクルツ達。どちらが当たろうが強敵であるのは間違いない。緊張はしていないが、武者震いはしていた。

 そして、司会が相手チームを読み上げる。そのチームは――

「北、紅の組。先日は猛者ぞろいの精鋭部隊をチームワークで降した正統派遊撃士、遊撃士協会グランセル支部、クルツ選手以下4名のチーム!」

 クルツ達だった。ここで遊撃士同士を潰し合わせて城に入れないようにしたいのかとヨシュアは勘ぐってしまう。恐らくジョゼット達では特務兵には勝てないだろうから、どう終わらせるかはすべてあちらの裁量次第ということになりそうだ。

 両チームが開始位置についたのを確認した司会は、開始の合図をした。

「勝負始め!」

 その合図と同時に、エステル達は作戦通りに動き始めた。クルツ達のチームの要は間違いなくクルツで、その次のキーマンはカルナであろう。だからこそ、スピードで翻弄できるヨシュアがクルツの元まで滑り込み、ジンがアネラスとグラッツを抑えてエステルがオリビエを護衛する形になる。

 ヨシュアはクルツの懐に滑り込むと、彼に向かって問いかけた。

「済みませんクルツさん、お伺いしたいことがあるんですがよろしいでしょうか?」

「今は試合中だから後にしたまえ」

「あ、じゃあ武術大会が終わってからにします」

 ヨシュアはあっさりと引き下がる。物理的にはクルツの周りをちょこまか動いて方術を使わせないようにしているため、カルナ達には支援が追いついていない。それに気付いているカルナはヨシュアを牽制しようとしているが、オリビエからの狙撃で牽制すらさせて貰えない。

「くっ……仕方ない。まずはあんたからだね!」

 カルナの叫びにいち早く反応したのは、アネラスだった。アネラスはジンの横をすり抜けてオリビエに迫る。しかし、それを阻んだのはエステルだった。

「ジンさん、アネラスさんは任せて!」

「済まん、すぐに終わらせる!」

 ジンの答えを聞いたエステルはアネラスと打ち合う。実力はほぼ互角で、手の内もそこそこ分かっているために出し抜くことが出来ないのだ。と、そこでエステルがカルナと撃ち合いを続けるオリビエの護衛が出来なくなったところで、オリビエが一世一代の勝負に出たらしい。

「喰らいたまえ!」

「あんたもね!」

 彼らは同時に撃ちあって同時に戦闘不能となった。

 ――グランセル支部チーム、カルナ。武術家混成チーム、オリビエ。戦闘不能。

 そこで、ヨシュアの猛攻を捌きながらクルツが叫んだ。彼は見ていたのだ。カルナが戦闘不能になったところを。

「アネラス君、下がりたまえ!」

 カルナが戦闘不能になり、クルツが動けない今、セラスのアーツを使えるのはアネラスだけ。だからこそ下がるように言ったのだが、エステルは彼女を逃がさなかった。

「行かせないんだから!」

「え、えーっと……と、通してーっ!?」

 アネラスは叫ぶが、エステルは逃がさない。何度も連撃を浴びせてエステルだけに集中させる。エステルとアネラスの戦いは再び拮抗した。

 一方、ジンはというと――

「ふう、そろそろ終わらせるか」

「出来ればもうちょっと待ってもらえるとうれしいんだけどな!?」

 グラッツが何とかジンの猛攻を防いでいたが、遂に――落ちた。ジンに強烈な一撃を食らわされたからである。

 ――グランセル支部チーム、グラッツ。戦闘不能。

 グラッツが倒されたのを見たクルツは、ヨシュアから抜け出すべく思い切りその場から駆け出した。しかし、ヨシュアは進行方向を邪魔してクルツを進ませないようにする。

「邪魔をしないでくれたまえ、ヨシュア君……!」

「嫌ですね。だってコレは勝負なんですよ?」

 いっそ清々しいほど眩しい笑顔を向けられたクルツは、背後から襲い来た強者の気配に背筋を震わせた。この気配は恐らくジンだろう、と思って背後を薙ぐが――

「何っ!?」

 そこには誰もいない。しいて言うなら、観客たちがいるくらいか。つまり、観客の中に得体の知れない気配があるということで――では、何のために。理由が分からないのが不気味だが、恐らくエステル達が仕込んだものではないだろう。クルツはそう考えながら、落ちた。ヨシュアがクルツを背後から気絶させたからだ。

 ――グランセル支部チーム、クルツ。戦闘不能。

 そして、それを見たアネラスは降参した。これ以上続けても間違いなく勝てないからである。

 司会は、エステル達の勝利を高らかに宣言した。

 

 ❖

 

 空賊たちは、結局ほぼ何もさせて貰えずに敗退した。彼らに返された武器はキールの剣とジョゼットの導力銃だけ。爆弾や煙幕は全て返却されなかったのである。だからこそ、キールは練度の差でほぼ何もさせて貰えずに特務兵の一人と何とか相打って戦闘不能。ジョゼットにだけは攻撃がいかないように空賊たちが頑張っていたので何とか普通の特務兵たちは倒せたものの、ロランスが動き始めた瞬間から総崩れした。

 空賊たちが倒れ、最後の一人になったジョゼットは奮闘した方だろう。ロランス相手に五分持ったのだから。ロランスが四分その場から動かなかったからというのもあるが、結局その間に決定打を入れられずに首筋に剣を突き付けられた。そして、ロランスは彼女に告げる。

「何か言いたいことは、あるか?」

 ジョゼットはその言葉に頭に血が上って絶叫した。

 

「うっさいこの詐欺師! あんたらさえドルン兄におかしなことしなきゃこんなとこにいなくて済んだのに!」

 

 それを聞き終えたロランスは、ジョゼットを気絶させて勝利した。観客たちはざわめいていたが、ロランスはそれを否定することなくアリーナから去って行った。それを見て慌てて特務兵たちの勝利を宣言した司会は、ジョゼットの言葉は犯罪者の言葉なので信頼に値しないことを念押しすると、決勝戦のカードを発表して今日の試合を閉幕させた。

 その後、エステル達は一度解散し、ジンとオリビエを居酒屋に放り込んでナイアルと会った。そして、リシャール、カノーネ、ロランスの情報を貰う。そのついでにナイアルは『クローディア姫』に縁談を探している人物がいることを伝えた。その人物とは、リシャール。何故彼がクローディアの縁談を探すのか。それを知るためにも勝ってほしいとナイアルから激励されたエステル達は、これから人と会うことになったナイアルと別れて遊撃士協会へと向かった。

 遊撃士協会では、エルナンから女王誕生祭当日にエレボニア帝国から後続が訪れるという情報と今朝探索した地下水路のさらに奥に進むための鍵を貰うことができた。そこからホテルに帰ろうとすると、何故か街を兵士が巡回している。話を聞くと、テロリスト対策のために夜間の外出を控えて貰いたいとのこと。エステル達は彼らに送られてホテルまで戻り、ついでに武術大会の出場者であることを看破されて激励された。

 ホテルに戻り、部屋の前まで来たエステル達。そこで、エステルは部屋の中から物音がすることに気付いた。ついでに、鳥の羽ばたきの音も。それを聞いたヨシュアの意識が一気に引き上げられる。今このタイミングで接触されるということは、何かしらの後ろめたいことを頼まれる可能性が高い。もしくは、このまま始末されるか。それにエステルを巻き込みたくはないが、大人しく待っているような娘ではない。

 ヨシュアはエステルに小声で臨戦態勢を整えたまま部屋に突入することを告げると、エステルは信じられないという顔をしながらも頷いた。エステルは棒術具を構え、ヨシュアは双剣を構えて――部屋に踏み込む。

 しかし、そこには誰もいなかった。しいて言うならば、鳥の羽と手紙が一枚落ちていただけだ。それを見たヨシュアは、厄介事を頼まれる可能性が高くなったことを察した。それに一人で対応しようとするが、エステルはヨシュアを止めて一緒に行きたがる。

 結局――ヨシュアは、エステルを連れて指定された大聖堂へと向かうことになり、何とか巡回を躱しつつそこに辿り着いた。すると、そこには――ジンと合流する際に助けたシスターがいた。心当たりが完全に外れたヨシュアは警戒を少しばかり解きつつも彼女の正体が分かったことを告げた。すると、彼女は頭布を取ってその顔をさらす。そこに、ユリア・シュバルツがいた。

 ユリアから事情を聴き、アリシア女王に面会して欲しいと頼まれたエステル達はそのために武術大会に出ていること、ラッセル博士からの依頼についても言及した。ユリアは驚いて流石はカシウスの子供達だと感嘆すると、エステル達に彼女からの紹介状を渡して女官長のヒルダ夫人に会うようにすすめた。彼女ならばアリシア女王と引き合わせてくれる可能性が高いらしい。

 話を終えたエステル達は、主要施設の見回りに来たという兵士と鉢合わせしないよう裏口から脱出し、巡回を避けてエーデル百貨店の傍のベンチに座っていた。そこでエステルはヨシュアの『心当たり』について聞こうとするが、途中で止める。エステルはヨシュアが話すまでは過去のことを聞かないとルールを自分に課していたのだ。それに対してヨシュアは今回の件が解決してカシウスが帰ってきたら昔のことを話すと約束し、エステルもまた思い悩んでいることを話すと約束したのだった。

 そして、エステル達はホテルの部屋に戻り、仮眠を取って明日――最早今日になってしまっているが――に備えるのであった。

 

 ❖

 

「信じられないわね……貴女、本当に人間なのかしら?」

 カノーネが告げる。それに、アルシェムは応えることが出来ない。何故なら、体中があの薬に浸されているからである。腕から注射され、食事にも混ぜられ、時には口から直接流し込まれて――だが、彼女はまだ正気を保っていた。

 彼女が陥落するまで、あと少し。




ユリアとの面会はキンクリされました。ご了承ください。

では、また。


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武術大会三日目・決勝戦

エステルさんには少しばかり頑張ってもらいました編。
うちのエステルさんは前衛棒術使いというよりもアーツと棒術をバランスよく使う後衛です。

では、どうぞ。


 武術大会、最終日。エステル達はエルナンから借りた地下水路の鍵を使って体を温め、念入りに準備を進めていた。相手は特務兵。しかも、怪物的な強さを誇る男がそこにいるのである。負けられない戦いだが、同時に勝てる気もしない試合だった。

 地下水路で魔獣を退治しながらエステルが零す。

「……アルがいればな……」

「……エステル……」

 エステル達が派手に動いている間、アルシェムはこっそり何かをしているのかもしれない。そう思っていても、ここまで消息がつかめないと不安になってくる。どこかで力尽きているのではないか。特務兵に捕まっているのかもしれない。捕まって、ひどい目に――そこまで考えて、エステルは思い切り首を振る。今はそんなことを考えていても仕方がない。今できることを着実にやっていくしかないのだ。

 そんなエステル達の様子を見て、触れてはいけないと思ったのかジン達はアルシェムがいないことに口出しすることはなかった。

 午後になり、しっかりと腹ごしらえをしたエステル達は王立競技場に向かった。控室に入り、無駄に緊張するのを防ぐために観客席を見て回るエステル達。そこで、何故か無料でチケットを譲ってもらったアルバと何故か真っ青な顔をしたクルツ、そして控室に戻る前に何とロレントのクラウス市長と再会することが出来た。

 そして――試合が、始まる。

 

 ❖

 

「南、蒼の組。人数が足りないというアクシデントに見舞われつつも優勝候補と目された遊撃士チームを降した、カルバード共和国出身の遊撃士にして武術家ジン選手以下4名のチーム!」

 わあっ、と歓声を浴びてエステル達はアリーナへと出た。相手が顔も見せない不審者たちであるため、エステル達の人気は高い。ただし、エステル達が勝つ方にかけている人物は少ないそうだが。

「北、紅の組。空賊共との戦いで圧倒的な強さを誇ったリーダー・ロランス少尉擁する、王国軍情報部特務部隊所属のチーム!」

 こちらにも歓声が上がるが、エステル達の時よりもそれは少ない。正直に言って不気味だからというのもあるだろう。エステル達は彼らとは口も利かずに所定位置についた。――もっとも、ヨシュアは何かを問いかけようとして止めたのだが。

 そして。

 

「空の女神も照覧あれ……勝負、始めッ!」

 

 最後の試合が始まった。始まった瞬間、飛び出したのはヨシュアとエステルだった。ロランスのためにジンは温存しておくべきだということになったからだ。まずは、一番近くにいた特務兵アドルを、エステルが棒術具で薙ごうとする。しかし彼は短剣でエステルの棒術具を受け止めると、思い切り力を入れてからふっと抜く。それでエステルの体勢を崩そうとしたのだ。

 特務兵アドルの思惑は上手く行ったように見えた。エステルはバランスを崩し、前のめりに倒れ込んで――にやっと笑った。特務兵アドルはぎょっとして背後に向けて飛び退る。彼が飛び退る前にいた位置を、ヨシュアが薙いでいた。そのままヨシュアは特務兵アドルを追って一撃いれようとする。

 と、そこに特務兵ボズウェルがヨシュアに向けて突進し、特務兵アドルを救おうとするが――

「フッ、そこだ!」

 アリーナの奥からオリビエが狙撃し、その銃弾を防御するために一端止まらざるを得なくなる。そして、そこにエステルのクラフト撚糸棍が突き刺さった。

「ぐっ……」

「ヨシュア!」

「分かってる!」

 特務兵ボズウェルが怯んだ隙にヨシュアが彼に特攻し、狙いが狂ったものの何とか短剣を破壊して離脱。特務兵ボズウェルは舌打ちしながら下がり、後方支援要員だった特務兵クリストと入れ替わって導力機関銃を取り出した。

 その時である。ロランスが剣をすっと持ち上げてエステルを指したのは。それを見た特務兵ボズウェルは即座にエステルを狙撃し、ロランスがエステルを集中的に攻撃するよう指示したのを知らせた。それに追随するように特務兵たちはエステルに迫る。

 それを見たヨシュアは即座にエステルの救援に入ろうとするが、当の本人に掌で否定されてしまう。

「エステル!?」

「大丈夫だから、フォローお願い!」

 エステルは巧く銃弾を弾きつつ特務兵たちをあしらい、何とかその場におしとどめている。ヨシュアがそのフォローに回ったことで、ロランスへの警戒が一瞬外れた。その瞬間――ロランスは一瞬だけ殺気を解放する。

「ッッッッ!?」

 その殺気にあからさまに反応してしまったのは――ヨシュアだった。無防備になってしまったヨシュアに向けて銃弾と斬撃が放たれる。斬撃に関しては問題なかった。それはエステルが対処したのだから。しかし――銃弾は、ヨシュアの右腕を掠って飛んで行った。

「ヨシュア!?」

「大丈夫だ! だから集中してエステル!」

 ヨシュアの絶叫に、エステルは従うことしか出来なかった。特務兵たちは手ごわいのだ。満足に自分の戦いもさせて貰えない今の状況では特に。ぎりっと歯を食いしばってエステルは棒術具を唸らせる。今は粘るしかないのだ。絶対にヨシュアかオリビエが状況を打破してくれる。そう信じて。

 そして、そのエステルの信頼に応えたのは――オリビエだった。

「エステル君!」

 オリビエの叫びと構えに何をするか悟ったエステルは思いっきり特務兵たちに棒術具を叩き込んでしゃがんだ。その頭上を通り過ぎていくのはオリビエのクラフト、クイックドロウである。エステルに痛撃を食らわされ、避けることもままならなかった特務兵アドルとクリストはそのまま倒れてしまう。

 ――特務兵チーム、アドル、クリスト。戦闘不能。

 これで、エステルは比較的自由に動けるようになった。そう思ってちらりとオリビエを見て礼を言おうとして――出来なかった。エステルがオリビエを見た瞬間、オリビエは膝を付いていたからだ。

「済まん!」

「まだ戦えるから気にしないでくれたまえ!」

 ジンの謝罪に、暗に前を向けと告げるオリビエ。エステルはそれを見てギュッと棒術具を握りなおして特務兵ボズウェルに向けて突っ込む。すると、ボズウェルはエステルに向けて攻撃を再開した。

「……まだ、まだいけるんだからねっ!」

 エステルはその銃撃を歯を食いしばって弾き飛ばしながらじりじりと前進する。ボズウェルはエステルのあまりの胆力に一瞬だけ怯えてしまった。もしも、自分がその立場だったら――そう、考えてしまった。それが隙になることすら分からないほど、その時には忘我していたのだ。

 そして――彼は、エステルの捨て身の策にまんまとはまってしまう。

「……後ろがお留守ですよ」

 背後から忍び寄ってきていたヨシュアに痛撃を食らわされ、特務兵ボズウェルはそのまま昏倒した。これで、後はロランスだけ――そう思った瞬間。

「なっ……」

「ヨシュアッ!?」

 ――特務兵チーム、ボズウェル。武術家混成チーム、ヨシュア。戦闘不能。

 ヨシュアは、ロランスの一撃で派手に跳ね飛ばされてアリーナの壁に激突した。それを何の感慨もなく眺めていたロランスは剣をゆるりと動かして構えると――一閃。猛烈な風が吹き荒れ、エステルもあわやヨシュアの二の舞になる、と思いきや――

「うわっと……大丈夫か、エステル!」

「あ……ありがと、ジンさん!」

 ジンがエステルを受け止め、そこにすかさず飛んできたのは何故か薔薇の花だった。飛来した元を見ると、何故かオリビエが手品師のように取り出した薔薇の花束にティアラの薬を振りかけるという微妙な光景を目にしてしまったのでエステルは目を逸らした。目を逸らしても薔薇の花はもう一度飛んできた。それで体中の疲労が和らいだことにエステルは気づく。それはそれでどうかとも思うのだが、今は四の五の言っている場合ではない。

「行くぞ、エステル」

「モチのロンよ!」

 ジンの声と共に、エステルはロランスに迫った。ロランスはエステルを見つめたまま軽く剣を振る。すると――

「な……ふ、増えた!?」

 何と、ロランスが2人に増殖した。増殖した方のロランスはゆっくりと特務兵クリストへと近づいて行く。アレはマズイ、と判断したジンはエステルに向けて叫んだ。

「分け身のクラフトだ! エステルはそっちを!」

「わ、分かった!」

 エステルは慌てて増殖した方のロランスに向けて駆け出すが、間に合わない。彼は懐から七耀教会謹製のセラスの薬をクリストに呑ませてエステルに向き直ろうとした。しかし――エステルはロランスが何をしたのかを察すると、すぐさま間を詰めてSクラフトを発動させたのである。

「余計なことしてんじゃないわよ! 桜花、無双撃!」

 その大技を受けてロランス(分け身)は消滅し、クリストも倒れ伏してしまう。エステルはクリストとついでに隣で倒れているアドルをアリーナの端までころがし、ロランスの方を顧みた。すると、ジンとロランスがほぼ互角に戦っているのが見える。といっても、ロランスの方が優勢でアーツを使おうとしているらしいオリビエの妨害までしてのけているのだから流石とでもいうべきだろうか。このままではじり貧である。

「何とかして、回復しないと……」

 エステルはオリビエと対角線上くらいになるように場所を移動してオーブメントに手を掛ける。すると、すぐさまロランスから猛烈な風――というか剣圧――が送られてくるのを感じた。慌てて射線上から離れるエステル。しかし、それはロランスにとって貴重な一手を外させることになる。

「受け取りたまえ、ヨシュア君!」

「いちいち叫ばなくて結構ですオリビエさん!」

 これで、ようやく場は整った。最初から決めていたのだ。ロランスには二人がかりで当たると。そして、回復要員はいればいるほどいい。だからこそ――エステルは前に出たい気持ちを棄てて回復に専念することにした。妨害されようが何されようが、オリビエかエステルのどちらかが回復に成功すれば良い話である。

 続けてティアラのアーツを発動させかけたであろうオリビエに向けてロランスが剣圧を送るが、今度はエステルがヨシュアの回復に成功する。後は簡単だ。ジンかヨシュアを回復し続ければ良い。どちらも大丈夫そうなら剣圧を避けきれないであろうオリビエに向ければ問題ないのだ。それを繰り返せば何とかロランスにも勝てるはずだ。

 勝てる。少なくとも、エステルはそう思った。そう思ってしまったのだ。それが間違いであることに気付くのは、比較的すぐだった。突如、ロランスがジンとヨシュアの間から消えたのだ。

 そして、エステルの目の前にはロランスがいる。驚愕したエステルは慌てて棒術具でその剣をガードするが――思い切りロランスに吹き飛ばされてアリーナの壁に激突した。猛烈な痛みがエステルを襲うが、まだ動けないことはない。

「エステルッッ!」

 ヨシュアの絶叫も、エステルの耳には届かない。エステルは駆けつけようとするヨシュアに大丈夫、という趣旨のハンドサインを億劫そうに送ってオーブメントで自身を回復する。回復して痛みが安らいだところで、ほっと一息つくことが出来た。

 と、そこで――エステルは、気付いた。今、ロランスからの妨害はなかった。もしかしたらもう戦闘不能になったと思って見逃されたのかもしれない。この場所は――使える。ばれないように小さな動きでオーブメントにEP回復薬を突っ込み、とある補助アーツを自分にかけてから軌跡を辿られてエステルがまだ無事であることを悟られないような攻撃アーツを準備する。チャンスは一度。失敗は、赦されない。

「……あたしが、やるんだ」

 エステルは痛む節々を無視してオーブメントを駆動させた。選んだアーツは――シャドウスピア。上手く行けば、一撃でロランスをノックアウトできる少々危険なアーツである。しかし、エステルにとれる手段はそれしかない。アクアブリードでもファイアボルトでも危険だったのだ。ストーンハンマーでもアースランスでも良かったが、敢えてシャドウスピアを選んだのは上空という視角外の場所からの奇襲性を買ったからである。ストーンハンマーでなかったのは、エステルの目視した限りではシャドウスピアの方がスマートに見えたからである。他意はない。

「うまく、いってよ……!」

 そして――それは、エステルの願いどおり上手くはまった。期待通りの効果を発揮することはなかったが、エステルは間違いなく痛撃を喰らわせることに成功したのである。そして、その隙を突くようにジンとヨシュアがロランスを攻撃する。

 ロランスも何もせずにその連撃を受けさせられたわけではない。ジンの攻撃は剣でいなし、ヨシュアには足払いを掛けることで危機を脱した。そして、ジンの拳を弾いて振り上げた剣の勢いそのままにヨシュアに剣を振り下ろそうとする。

 しかし。

 

「ヨシュアに手ぇ出そうとしてんじゃないわよこのスカシヘルム!」

 

 エステルの威勢のいい声に思わず手を止めてしまったロランス。それが、致命的な隙となった。ヨシュアが素早く立ち上がり、背後に回り込んで首筋に双剣を当て。ジンはロランスの前に立ちふさがっていつでも拳を振り抜けるように構えた。

 それを見たロランスは溜息を吐いた。このまま振りほどいて殲滅するのはたやすい。しかし、この場は『負けなければならない』のだ。だからこそ、彼はすっと両手を上に挙げ、良く通る声でこう告げた。

 

「――降参する」

 

 その、言葉が会場中に沁みわたった瞬間。武術大会の勝者を告げるアナウンスと爆発的な歓声が王立競技場中に響き渡ったのであった。

 

 ❖

 

 ――喧騒が聞こえる。おめでとう。よくやった。流石は遊撃士。若いのに凄い。格好良い。きゃあああオリビエさまああ。こっち向いてヨシュアくーん。うおおおエステルたんマジ天使。A級遊撃士は伊達じゃないな。

 あまりの騒ぎに、彼女は耳を塞ごうとして、出来ないでいた。否、塞ごうと思えば出来たのだ。しかし、今それをしてしまえば自由に行動できることがばれてしまい、増援もあるはずがないためにこのまま朽ち果てるのが分かっていた。だからこそ、彼女はその場で吊られたまま顔をしかめているしかなかった。自分が身じろぎをすると耳障りなキイキイという金属音がするため、身動きもしたくないのである。

 実際には、その場にいる人物にとって喧騒など聞こえるはずもないのである。窓は閉め切り、建物の内側にいるはずの人物には、ざわめきなど一切聞こえるはずがないのだ。王立競技場とこの場所は少し離れているのだから。

 彼女の視界に映るモノは、決して多くはなかった。そこらじゅうに広がる空の注射器。中身の詰まっていたはずの段ボールの中にも、空の注射器。床にこぼれて染みを作っている碧い液体。それと――その液体に負けないくらい蒼い顔をした見張り役の特務兵だけだった。そこが元々客間だったことを知る者など、ここにはいない。

 彼女の肌を触るのは、とげとげしい空気だった。実際にはとがっているはずもない空気。しかし、今の彼女にとっては風が吹くことは幾千もの針で刺されるのと同義である。あまりの痛みに絶叫して気絶し、何度碧い液体の混入された水でたたき起こされたことか。その水でも猛烈な痛みが襲うものだから、彼女の喉は既に枯れ果てていた。

 誰かがこの場を見ていたとしよう。その誰かに対して、『ここにいるのは――否、在るのは叫ぶ肉塊である』と言ってもそれはたやすく信じられただろう。彼女は叫ぶ以外に何もすることはなかったのだから。

 

 そう、彼女――アルシェム・ブライトは。既に、壊されていた。それを知る者は、未だにいない。




おにーさんには余力を残して降参して貰いました。このあたりはエステルの成長度が低めだったからという裏事情もあったり。

では、また。


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女王陛下との謁見

四話目。つまりここまでが旧72話に詰まっていたという……頭大丈夫だったか、わたしよ。

大分つめこみ気味ですが、どうぞ。


 武術大会が終わり、日も暮れかけたころ。エステル達は王立競技場前でオリビエと強制的に――といっても、彼の言動・行動を見ている限りでは当然であるために可哀想だとは思うが憤りはしない――別れさせられ、そのまま王城へと向かった。

 王城内に入ると、カノーネに入れられた探りを何とか躱しつつエステル達は宿泊部屋へと滑り込んだ。そして、招待客が一体誰なのかを全員知るべく動き始める。それを、ジンは苦笑しながら見ていた。

 招待客はルーアンを除いた各地方の責任者たちと、コリンズ学園長。エステル達は彼らの話を聞くうちに少しずつ気になる情報を心に留めていく。メイベル市長からはモルガン将軍とほぼ連絡が取れないことを。コリンズからは今回の晩餐会への出席者がほぼ半数であることを。そして、工房長からはまだラッセル博士が情報部に見つかっていないことを知らされた。

 一通り情報を聞き終えたエステル達は屋上へと至る階段を発見し、女王宮に続く空中庭園へと出た。そこから見える景色はまさに百万ミラの価値のある暖かい地上の星々とも例えられるべきものであるが、エステル達はそれをゆっくりと見学している暇はない。何とかしてこの奥にあるであろう女王宮に侵入し、アリシア女王に面会しなければならないのだ。

 しかし、エステル達は女王宮の門前で特務兵に門前払いを受けてしまった。険悪なムードになりかけたそこに割って入ったのは、中年の女性。彼女は特務兵たちを一喝すると、エステル達を誘導して特務兵から見えないギリギリの場所で立ち止まり、エステル達に自己紹介をした。彼女こそ、ユリアが会えと言った女官長のヒルダである。エステル達はユリアからの紹介状を手渡すと、ヒルダはその筆跡を見てエステル達を侍女の控室へと誘導した。

 控室でヒルダはエステル達に女王の状態を伝えると、エステル達の意向を汲んで何とかエステル達が女王に会えるよう手引きすると告げた。エステル達はそれを聞いてヒルダの前を辞し、晩餐会へと向かうのだった。

 晩餐会に向かったエステル達は、若干緊張しつつもなんとかぼろを出さずに食事自体は終えることが出来た。しかし、その後でデュナンが告げた言葉が問題だった。女王が体調不良というのは分かる。そういう建前で謁見も見舞いも出来ないのは分かっていた。しかし、女王がデュナンに譲位するという話を聞いて動揺を皆が隠しきれなかった。そして、クローディアに縁談が来ていることも。

 食事の味も分からないままに丸め込まれた市長達はともかく、エステル達は陰謀がここまで周到に進められていることに驚いた。もっと単純に――女王とクローディアを暗殺ないし幽閉してそのままデュナンに譲位させる――事を進めるのかと思いきや、外部から不信感を持たれないようにするその狡猾さに舌を巻いたのである。実際、晩餐会が終わって宿泊部屋に戻ったエステルは思わずその周到さに声を漏らしてしまったほどだ。

 その後、腹ごなしと称してエステル達は宿泊部屋を抜け出すと、何とリシャールに出くわしてしまった。リシャールはエステル達と話があるらしく談話室に誘ってきたため、変に断れば角が立つと思いヨシュアはそれを受けた。

 談話室でリシャールが語ったのは、カシウスのことだった。いかにカシウスがリベールに貢献したのか。それをエステル達に語ったのである。そして――エステル達にこう問うた。

「そういえば武術大会の時から思っていたのだが……あの銀色の髪の子はどうしたのだね? 確か、アルシェムという名の……」

「アルは……今、ちょっと別の依頼で動いていまして。連絡がつかない状況なんです」

 リシャールの問いに答えたのはヨシュアだった。キリカから聞いた限りでは全く間違いではない。王都で混乱が起きるかもしれないから、先に行って正遊撃士たちの負担を減らしておく――とキリカは説明していた――ことが、アルシェムに依頼されたこと。

 それを聞いたリシャールは険しい顔をしながらこう告げた。

「では、今は近くにいないわけか……一つ、忠告をしておこうと思ってね」

「忠告、ですか?」

「ああ。恐らく君達にとって重要な忠告になると私は思っているよ」

 リシャールの言葉に、エステルは言い知れぬ不安を感じた。アルシェムに関することで、エステル達が忠告されるべきこと。これまでならば心当たりなどあるわけがなかったが、あの時の――レイストン要塞でラッセル博士にリシャールが告げていた――あの言葉が脳内にリフレインする。『アルシェム・ブライトは殺人者である』。そんなはずはないと信じたいのに、心のどこかでそれを信じはじめている自分がいた。

 そして、リシャールはエステル達に向けてこう告げた。

「あの子にあまり深くかかわらない方が良い。きっと――いつか、後悔することになるよ」

「……どういう、ことですか」

 眉をひそめて硬直したエステルの代わりにヨシュアがそう応える。しかし、リシャールはその言葉に返答することなく談話室から去って行った。エステルは不安をぬぐいきれずに眉をひそめている。ヨシュアも険しい顔をしてリシャールの後ろ姿を見つめていた。

 胸の中のもやもやは晴れないが、今は動くしかない。今からリシャールがデュナンと面会するということは当然カノーネも同じで、マークは外れていることになる。動くのならば今のうちだった。

 晴れない気持ちを抱えながらエステル達は侍女の部屋に向かい、侍女の変装――当然ヨシュアも、である――をさせて貰った。一瞬だけシアという名の侍女が自信を無くしてしまっていたがヨシュアが美人過ぎるのが悪い。

 侍女の格好をしたエステル達は何とか特務兵たちを誤魔化して女王宮に侵入した。このまま謁見しても何ら問題はなかったのだが、ヨシュアは断固として着替えることを主張した。流石に男の沽券に関わるらしい。一体どこに隠し持っていたのか、エステルの分の着替えまで忍ばせていたヨシュアはクローディアの部屋を借りて着替えさせてもらい、ようやく女王と謁見することが出来た。

 女王に博士から言われたことを告げたエステル達は、王城地下に埋まった謎のアーティファクトの存在を知る。そして、何とかして大佐の陰謀を止めなくてはと息巻くエステルを見て女王は流石はカシウスの子供達と漏らした。そこからはカシウスの昔話――というよりは英雄譚―になり、最後にはリシャールが何故陰謀を巡らそうとしたのかという推測が語られる。そこからクローディアの救出依頼が発された。

 そして、最後に女王はこう告げた。

「……それと、もう一人確実に助けて頂きたい方がいるのです」

「えっと、それって……クローディア姫様とは別に、ですか?」

 エステルの問いに女王は首肯した。そして、その人物の名を告げる。

「アルシェムさんも、情報部に囚われているのです」

「何かの間違い……ではなさそうですね。でも、どうして陛下がアルのことをご存じなんですか?」

 ヨシュアは女王にそう問うた。これまでの情報を集めた限り、アルシェムと女王に接点はないはずだからである。そもそもアルシェムはヨシュアの知る限り真っ当な道を歩んできた人間ではない。そういう手段で会ったことがないとすると、女王が案じること自体がおかしい。何故なら、アルシェムと面識があるということは――アルシェムに、危害を加えかけられたということになるのだから。

 女王は軽く目を伏せ、迷うそぶりを見せてからエステル達に告げる。

「アルシェムさんは……カシウス殿に引き取られる前、とある犯罪集団の手先として使われていたのです」

「……え」

「……そして、人を殺していた、ということですか」

 ヨシュアは厳しい顔をしてそう続ける。そろそろエステルにはアルシェムを危険人物として見て貰わなければならないからだ。これ以上、アルシェムをエステルに関わらせるわけにはいかない。だからこそ、ヨシュアはエステルにアルシェムを嫌わせる方向に仕向けようとしたのである。

 女王はうつむきがちにこう答えた。

「あくまでもその可能性はある、程度ですが……もしもリシャール大佐が他人を意識なく操る術を持っていたなら、彼にとってアルシェムさんはとても使いやすい人物となってしまうのです。……もしもわたくしとクローディアが暗殺されたとしても、アルシェムさんのせいに出来てしまいますから」

「あ、アルはそんなことしません!」

「落ち着いて、エステル。ルーアンの《レイヴン》を覚えてるだろう?」

 ヨシュアの言葉にエステルはびくりと体を震わせる。しかし、エステルにはまだ反撃する材料が残っていた。それは――他でもない、アルシェム自身が見せた一つの事実。

「でも、ルーアンの時のアルは操られてなかったじゃない」

 しかし、ヨシュアはそれに首を振った。あの時は限りがあった。今回は、限りがあるとは限らないのだ。そして、アルシェムがそれに耐えられるかどうかすらも分からない。

 だからこそ、ヨシュアは諭すようにこう告げた。

「アルが捕まってるってことは、もっと量を打たれる可能性だってあるんだ。……陛下、アルのせいに出来るということは、アルはブライト家に来る前、陛下かクローディア殿下を暗殺しに来たんですね?」

「……ええ。二年ほど、前の話です。幸い、その時はカシウス殿に止めて頂きましたが……無傷で確保されたアルシェムさんは、過去の記憶を失っていたのです」

 エステルは息を呑んだ。何があって記憶を失ったのかは知らなかったが、せいぜい頭を強く打った程度だと思っていた。そんなことがあったとは思ってもみなかったのだ。

 女王は言葉をつづけた。

「七耀教会でも、彼女の記憶を戻すことは出来ませんでした。わたくしとカシウス殿は話し合い、アルシェムさんがもしも再び操られるようなことがあっても止められるようにとカシウス殿に引き取られ、七耀教会の監視までつけられていたのです。わたくしは、自らとクローディアの身可愛さにアルシェムさんを監視の檻に入れてしまった……」

「陛下……」

 女王は沈んだ顔に作り笑顔を浮かべると、エステル達に謝罪した。それが余計に痛々しい表情になっていることに、女王は気づいていない。

「……済みません。年寄りの懺悔を聞かせてしまって……そろそろ戻らないと怪しまれてしまいます。どうやってここまで来て下さったのかは存じ上げませんが、着替えが必要なのではないですか?」

「あ……は、はい」

「……では、失礼します」

 こうして、エステル達は女王との謁見を終えた。侍女の服装に着替えたエステル達はフィリップに気付かれ、カノーネに色々追及されそうになりつつもジンの助けもあって無事に宿泊部屋へと戻ることが出来たのであった。

 

 ❖

 

 クローディアは久々に幽閉されていたエルベ離宮の《紋章の間》から連れ出された。勿論逃げ出すことは出来ない。《紋章の間》に集められた人質たちを見捨てることは出来ないからだ。彼女は、リベール王国の王孫女。民を見捨てることなど、在ってはならない。

 カノーネに連れられ、特務兵たちに囲まれて案内された客間は、凄惨なありさまだった。そこかしこに漂う甘い匂い。そこら中に散らばる透明の注射器。そして――その中央に吊られた、見覚えのある人物。

 クローディアは思わず声を上げていた。

「……アルシェムさん……!」

「無駄ですわ、殿下。聞こえてはいません」

 冷淡にそう告げるカノーネに、クローディアは憤る。どう見てもアルシェムは長時間この場所で吊られていたのが分かるからだ。普通、人間は長時間吊られていることに慣れられるわけがない。関節が抜けて筋肉が千切れそうになり、激痛にさいなまれる可能性が高いのだ。

「アルシェムさんに、何をしたんですか……!」

 震える声でクローディアはそう告げた。一体いつからアルシェムはここに吊られていたのだろう。クローディアと共に捕えられた時だとしたら――アルシェムは、計り知れない苦痛を味わわされていることになる。

 そんな怒りを込めたクローディアの言葉に、カノーネは嗜虐的な色を浮かばせながらこう告げる。

「あら、殿下。彼女を気遣ってもよろしいんですの?」

「……どういう意味ですか」

 声を押し殺してそう問うたクローディア。カノーネが何を言いたいのかわからない。精確には――分かりたくもなかった。予想できることは一つしかないだけに。そんな予想など当たって欲しくない。

 しかし、カノーネはさも愉快そうにこう告げるのだ。

 

「彼女はこれから女王陛下を弑し奉り、後継者たるデュナン閣下のお命を狙うのです」

 

 カノーネの瞳は、嘘を吐いてはいなかった。分かっている。彼らがアルシェムを使うとすれば、当然この使い方しかない。外敵をすべて排除させるよりも、こうして暗殺者として使う方がより効果的だ。既に暗殺者だったという事実を持つ彼女ならば、女王やデュナンを殺しても動機が十分にあると判断されるだろう。その時は操られていたという公式な記録があったとしても。

「そんなこと、アルシェムさんがするわけがありません」

 取り付く島もないというようにクローディアは言い切る。有り得ないことではない。しかし、そんなことをさせてはならないのだ。嘘を吐いてまで闇から抜け出したいと願ったアルシェムに、闇を押し付けることなどあってはならない。それがどれだけ自分勝手な言い分だったとしても。

 しかし、カノーネはその頭脳を最大限に働かせてはじき出したより良い未来――リベールにとって良い未来だとカノーネが思っている――について歌うように語る。

「そして、彼女は閣下に倒されてこう告げるのですわ。――『クローディア殿下に依頼されてやりました』とね」

 クローディアは絶句した。そんなことをすれば――自分は廃嫡どころか処刑される。そんなことが怖いわけではないが、冤罪で死ぬのはご免だった。そして、そんなことに使われるアルシェムでもないはずだ。操られでもしない限り――そこで、クローディアは気づく。

 目を見開き、震える声で絶叫するクローディア。

「ま、まさか、ここに散らばっている注射器は――!」

「その通りですわ。ここにある全ての薬を彼女に打ちました。流石にこれで操れないことなどないでしょう。決行は女王生誕祭の日――うふふ、楽しみですわね?」

 カノーネのたのしげな笑いに、クローディアは眼前が真っ赤になる錯覚を見た。リベールを乗っ取るためにそんなことをしでかそうだなんて、信じたくなかった。しかし、これは現実なのだ。

 クローディアはぎり、と歯を食いしばりながら耐えた。アルシェムを救うのに、民を犠牲にすることは出来ない。だが、それ以外にアルシェムを救う方法が見つからない。

 カノーネは悔しげに顔を歪めるクローディアを連れて《紋章の間》に幽閉し直し、エルベ離宮からグランセル王城へと戻っていった。

 

 ❖

 

 エステル達は色々とカモフラージュしながら王都内を駆け回っていた。ジンは酒を買いに行くふりをして居酒屋に向かい、そこにいたグラッツに声を掛ける。ヨシュアは武器の手入れをする振りをして武器屋に向かい、カルナに事情を説明して遊撃士協会へと誘導した。エステルは百貨店に買い物に行くふりをしてアネラスに事情を説明する。

 そして、エステルと合流したジンはホテルに向かってクルツに事情を説明し、何やら不穏な顔色をしている彼に事情を説明した。途中で発狂しそうになっていたがジンが治療できたので良しとしよう。その間にヨシュアはリベール通信社に向かってナイアルに会いに行っていた。彼はいなかったものの、ドロシーの証言によってクローディアがそこに保護されているという情報を得ることが出来た。そのついでにヨシュアは大聖堂に寄ってユリアに話をつけようとしたが既に行方不明になっており、仕方なく遊撃士協会に戻ることになる。

 遊撃士協会の二階で作戦を練っていると、そこにユリアたちが現れて協力を申し出てくれる。どうやら女王からの依頼を知ってここまで来たらしい。親衛隊を含めて作戦に参加してくれることになったユリアだったが、ここでも新しい情報を齎してくれた。

「ああ、そうそう。その特殊な連絡手段によると……アルシェム君も、エルベ離宮に囚われているそうだ。動ける状況にはないようだが、自分の身くらいは守れるだろう」

「え、ええっ!?」

 エステルはそのユリアの言葉に驚愕した。まさかそんなところから情報が来るとは思いもしなかったからである。何故それをユリアが知っているのか。それを問おうとしたが、そんな時間はないと思い直した。

 そして、作戦は決まる。エステル達は準備を整えて気合いを入れなおしてエルベ離宮近くのエルベ周遊道へと赴いたのであった。




さて、ようやっと突入までこぎつけたぜ。

では、また。


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エルベ離宮解放作戦と王城攻略作戦

旧73話半ばまでのリメイクです。
この一話でエルベ離宮が解放されます。

では、どうぞ。

……あ、冒頭の人は変態ではないです。


 月明かりに照らされ、特務兵たちは伸びていた。親衛隊に打倒され、遊撃士たちに追い込まれて。全てを捕縛した彼らはエルベ離宮へと突入する。それで、何を見ることになるのかも知らずに。

 

 ❖

 

 エステル達がエルベ離宮に突入しようと機会を窺っている頃。その当の離宮の客間に見張りで立っていた男は興味本位で目の前の人物をもてあそんでいた。その人物――アルシェム・ブライトは多少の刺激でも反応するのだ。ただし18禁的な行為ではない。肌を突くだけで、絶叫する。それは、この部屋に張り込むことになってしまった彼にとってたまらなく面白い刺激だった。

 何十回目の刺激だろうか。彼がアルシェムの脇腹を突いた瞬間――彼は下半身の猛烈な痛みに襲われて悶絶した。蹲る彼の頭上を、風が撫でる。そして盛大に派手な金属音がして何かが落下する音がした。それが一体なんだったのか、彼が知ることはない。彼はそのままその部屋から叩き出されて気絶させられたからだ。

「……い、たた……っ、急が、ないと」

 アルシェムは、外の動きに気付いていた。そして、陽動が間違いなく足りないことにも気づいていた。陽動が足りなければこの離宮内にとらえられているはずのクローディアを解放することが出来ないことも、分かっていた。

「……後でぶちのめす……あの変態オッサン」

 部屋の中を探り、自らの装備を取り戻したアルシェムはピルケースから鎮痛剤を取り出して噛み砕いた。今ここで動かなくて、どこで動く。だからこそ――全身を苛む苦痛を無理やり鎮痛剤で抑えこんで暴れはじめたのである。

 特務兵たちは武器も持たないただの暴力の嵐の前に沈んでいく。途中で親衛隊が混ざり始めたことに気付いたアルシェムは彼らを巻き込まないように配慮しながら特務兵たちを地面にたたきつける。死なない程度の加減しながら暴れるのは本当に骨が折れた。

 と、その時だった。

「アル! お願い!」

 エステルがアルシェムを呼んだのは。アルシェムもエステル達が侵入していたことには気付いていたが、彼女らの動きに気を遣っている余裕はなかったのである。エステルが頼んだのは、《紋章の間》の扉の破壊だった。

 アルシェムは頷き、扉の前に立って意識を集中させる。そんなアルシェムを見たジンは息を呑んだ。計り知れない、扱いきれるはずのない量の気を練り上げているのを感じたからだ。

 小さく吐かれた息と共に、その気が解放される。それは――過たず、扉を粉砕した。破壊ではない。粉砕である。

 部屋の中に飛び込んだエステル達が見たのは、呆然としている人質たちと顔を盛大に引きつらせたドレス姿のクローゼだった。一瞬だけ心配そうな顔になったものの、それでも変わらず立っているアルシェムを見て安心し、そして粉砕されてしまった扉を見て顔をひきつらせたのである。一体何をやってくれているのだと。

 そして、エステル達が少しばかり心配していた人物――ナイアル・バーンズは不幸なことに扉の前にいたらしい。粉砕された扉の材料を浴びながらも大口を開けて向こうの風景を見て声にならない声を上げていた。

「な、な、な……」

「あ、ナイアルじゃない。助けに来たわよ!」

 エステルが掛けた声にも反応しない。目の前で扉が破壊されるくらいなら分かる。もし救援が来るのならば鍵を探している間もないだろう。しかし、粉砕されるとはどういうことなのか。

 エステルは反応しないナイアルが心配になって声を掛ける。

「ナイアル? おーい……」

「駄目だエステル、放心状態みたいだ……」

 ヨシュアは引き攣った顔でそう返すと、そこに声を掛けてくる人物がいた。無論奥に立っていたクローゼである。

「エステルさん、ヨシュアさん。こんなところで会えるなんて……それに、アルシェムさん。大丈夫なんですか?」

 クローゼの問いにアルシェムは頷いて答える。ついで、エステルがクローゼと初対面だと思い込んで自己紹介をしようとした。しかし、本人に指摘されてようやくクローゼだと気付く。が、今度はクローディアはどこなのかと困惑し始めた。

 それに答えを告げたのは、そこにいた幼女だった。

「お姉さん、お姫様はお姫様なんだよ?」

「えっと……お姫様? が、お姫様って……え、待って、でもそれって……!」

「リアンヌちゃん……えっと、その、エステルさん。私……」

 エステルはぐるぐると目を回して考え込んでいたが、しばらくして唸り始めた。何かを悩んでいるらしいが、流石に奇行過ぎたので周囲の人々に引かれている。しかし、エステルはそんなことを気にしてはいなかった。

「よし、クローゼはクローゼ! お姫様なクローゼもクローゼよね!」

「え、エステル……君って子は……」

「ありがとうございます、エステルさん……本当に、嬉しいです」

 頭を押さえるヨシュアと微笑んでそう答えるクローゼ。そして、エステル達はクローゼに――クローディアに、事情を説明するのであった。――そこに、アルシェムの姿は、ない。

 アルシェムの姿があったのは、エルベ周遊道。そこは現在、魔の区域と化していた。巡回に出ていた部隊は全滅し、周遊道から出ようとする者は完膚なきまでに叩きのめされて木々にしばりつけられる。何故そんなことが起きているかというと、アルシェムに打たれた薬を抜くためである。無論、これだけでは抜けないことは確かなのだが、やらないよりはいいだろう。これで、エルベ周遊道付近を巡回していた特務兵たちは全滅した。

 そしてエルベ離宮に戻り、エステル達の気配を辿って客室へと向かったアルシェム。その客室に入った瞬間、アルシェムは全員から盛大に睨まれた。

「……え、何?」

 枯れた声でそう答えると、より一層視線がとげとげしくなる。一体何故かと考えたアルシェムは、答えを出すことが出来なかった。それは――

 

「アル、正座」

 

 エステルが笑顔で怒っていたからだ。状況が状況だけに時間は短かったものの、アルシェムはエステルに盛大に説教されてしまった。曰く、捕まってるのになぜそんなに元気なのかと。アルシェムが薬のことを告げるとエステルは息を呑んだが、それでも説教をつづけたのである。

 そして、説教を終わらせたエステルはアルシェムを椅子に座らせてユリアに告げる。

「えっと、ユリアさん。さっきの作戦にアルも入れてもらえないかな?」

「……それは、どうしてだい?」

「こういう言い方も嫌なんだけど、あたしたちは強力な味方を手に入れられて、アルの薬が早く抜けるから」

 エステルの言葉にユリアは眉をしかめた。女王から聞いた限りでは、エステルはアルシェムの事実を聞いたはずである。それでいて信頼しようというのか、とユリアは思った。ユリアにとって、アルシェムは犯罪者なのだから。

 しかし、操られる危険がない――本当に操られているのならば今この瞬間に全滅させられているだろう――こと、そしてアルシェム自身の意志もあって多数決でアルシェムの参加は押し切られた。

 そして、ヨシュア、ジン、オリビエは王城の地下に繋がっているという地下水路に潜み。親衛隊全員とシェラザードを除いた正遊撃士たちは街区の中に潜み。エステル、シェラザード、アルシェム、クローディアが特務飛行艇を使って王城に直接乗り込む手筈となったのであった。

 

 ❖

 

 ヨシュア達城門解放係は、地下水路を進みながら周囲の魔獣をできるだけ避けていた。消耗を防ぐためでもあるのだがそれ以上に追手を阻害するためである。市街には特務兵が巡回で出回っていたこともあり、いつ気づかれるのかわかったものではない。だからこその対策であるが、その心配は杞憂だと言わざるを得ないだろう。特務兵たちは一人、また一人と港へと消えて行っているのだから。

 そして、ヨシュア達が隠し通路の入口に辿り着いた時だった。市内を巡回する特務兵たちは半数にまで数を減らし、しかし彼らはその事実に気付くことはなかった。

 隠し通路を無事に見つけたヨシュア達はその先へと進む。昔からずっと封鎖されていたのか、魔獣も手ごわくなっているのだがそれを意に介することもなく彼らは進んでいく。

 そして、終点にぶち当たった一行は立ち止まり、ヨシュアが壁を調べて先ほどの隠し扉と同じスイッチがあることを確認した。

「……ここが目的地のようですね」

「ふむ……なら、ここで正午まで待機だな。飯でも食うか?」

 そう返したジンの手に握られていたのは大量のオロショ(魚)と粗挽き岩塩、そして串だった。どうやら焼いて食べようと思っているらしい。それを見たオリビエが酒を飲みたいと言いかけたが自重。扉の前から少しばかり離れて焼いて食べることになった。

 小さい魚ながら脂ののった白身に、粗挽きの岩塩を振りかけて焼けば――美味しそうなにおいに耐え切れなくなってオリビエが一串取って食べる。

「あふっ……あっつ、いや~、美味しいねえ」

「ちゃんと火を通さないとお腹を壊しても知りませんよ……」

 そう言いつつもヨシュアもその魚をむさぼっていた。警戒心などあるわけがない。ヨシュアに何かしらの毒を仕込もうにも、この大きさの魚にヨシュアに効く量の毒が入っていればわかるからだ。

 そして彼らの胃が満たされ、一息ついたころ――十二時を告げる鐘が鳴り響く。

 

 ❖

 

 親衛隊員とシェラザードを除いた正遊撃士たちは早目に携帯食料で食事をとり、体調を整えてキルシェ通りで気を静めていた。今すぐにでも乗り込みたい。しかし、足並みをそろえなければ助ける者も助けられないかもしれない。それだけは、嫌だった。

「……ここで総員待機だ。……早まるなよ」

「イエス・マム!」

 だからこそ彼女らは時を待つ。十二時の鐘が鳴り響くのを。

 そして――待望の、鐘が鳴った。

 

 ❖

 

 一方、エステル達はというと。

「いや~、やっぱり釣りは良いわね♪」

 緊張でがちがちになり過ぎないようエステルは釣りをしていた。それを勧めたのはアルシェムである。ここぞという時に動けなくなっていられると困るからだ。エステルの釣果次第では昼食になるかも知れない。そう思いつつアルシェムはクローディアとともに飛空艇の操縦方法を再確認していた。

 因みにシェラザードは整備士として来てくれていたペイトンをからかいつつティアの薬等の常備薬を安くで譲り受け、また周囲の魔獣で肩を温めていた。

 エステルが緊張をほぐすための釣りを終え、釣果を確認すると――シュラブ二匹とレインボウが五匹。そしてカサギンが無数に釣れていた。エステルはどうやら調子に乗り過ぎたらしい。

「……えっと、ま、お昼ご飯代が浮いたと思えば良いわよね♪」

 火を熾してそれらを焼き、エステルはシェラザード達を呼ぶ。ペイトンも一緒になって焼かれた魚を食べ始めると、クローディアがこうつぶやいた。

「……おばあ様とこういう食事をしてみたいですね」

「クローゼ……大丈夫よ。確かにリシャール大佐は悪いことをしてると思うけど、多分悪い人じゃない。だから、絶対まだ女王様は無事でいるわ」

 クローディアの言葉にエステルはそう返す。そこだけは妙に自信があった。本当にどうしようもなくなった時には女王に危害を加えることもあるかも知れないが、人は死ねばそれで終わりなのだ。女王は生きていてこそ、利用できる。エステルはそこまで考えてはいないが、女王に危害を加えられることなどないことだけは確信出来た。

「エステルさん……そうですよね」

 クローディアは噛み締めるようにその言葉を噛み締める。そうであってほしかった。女王にとってクローゼは直系の孫であると同時に、クローゼにとって女王は唯一の祖母なのだから。

 そして――食事を終えたエステル達は、十二時を目前に飛空艇に乗り込んだ。

 

 ❖

 

 時は少しばかり遡り、エステル達が作戦を開始したころ――ハーケン門では。

「……礼は言わんぞ」

「いえ……もう少し早く戻ってくるつもりだったんですが、思ったよりも長引きまして」

 老人と、壮年の男性が語り合っていた。その周辺には特務兵たちが転がっている。それを片っ端からハーケン門の牢に放り込んでいるのは、黒髪のうら若き乙女、というかシスターだった。

 シスターは憤慨したように壮年の男性に告げる。

「カシウス卿! 手伝って下さいってば!」

「そうだな、次はツァイスに向かわねばならんし少しばかり急ぐぞ、リオ」

 そう言ってカシウスも作業を手伝った。全ての特務兵を牢に放り込んだ彼らはモルガンから飛空艇を借り受け、モルガンを連れてツァイスへと向かった。レイストン要塞にはリオは乗り込めない――外交上の理由で、である――ため、救出すべき人物たちの元へと向かうモルガンへと同行した。

 レイストン要塞は――カシウス一人によって制圧された。軟禁状態だったシードも解放し、彼の家族もリオ達によって救出される。そして寝入りばなだった特務兵の士官は昏倒させて牢に突っ込まれ、彼の名においてレイストン要塞の兵は動かないようにと厳命させた。

 そうして、カシウス達はレイストン要塞から小舟を使って王都グランセルへと侵入せんとするころには太陽が丁度直上に来る前だった。湖から上がり、小舟を隠して巡回の特務兵たちをぶちのめし、近くの倉庫に叩き込む。その作業をカシウス達は続けた。今の状況でこれが最善手だと信じて。

 

 ❖

 

「さあ、これから始まるのは喜劇である。否、悲劇だろうか。それとも愛憎劇だろうか」

 ――嗤う。くつくつと、嗤う。その人物は今の状況を心の底から楽しんでいた。彼がこの事態を望み、この形になるように人間達を誘導してきた。あるいは――彼こそが、黒幕とでも呼ぶべき人物だろう。

 彼は、コーヒーを片手にゆっくりと口をつけ、ソーサーに戻す。

「どれでも構うことはない。どの演目が始まろうが、私の目的は果たされるのだから」

 そして彼はなあ、そうだろう? とでも言いたげに壁際に視線を投げた。すると、そこに緑色の髪の少年が現れる。どうやらずっとそこに潜んでいたらしい。そこにいるはずの彼に、誰も気づいてはいなかった。

 何よりも異常だと思えるのは、そんな話をしていても周囲の人間達は普通に仕事をしていることだろう。まるで彼らがそこにはいないかのように動き回る人物たちがそこにいた。

 そんな彼ら彼女らを一瞥した碧色の髪の少年が告げる。

「ウフフ、そうだね。教授も良くやるよ、全く……」

 口では苦々しいことを言っているが、彼の顔に浮かんでいるのは喜色満面の笑い。教授と呼ばれた彼よりも純粋な笑みを彼はその顔に浮かべていた。

 そして、ふう、と溜息を吐いた緑色の髪の少年は、ぺこりと一礼してこう告げた。

 

「――さあ、序曲の始まりだ」




地味にカシウス達の動きが入っているという。

では、また。


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王城解放作戦、決行

旧73話半ば~74話のリメイクです。
闘いの描写が苦手なのがよく分かる回。

では、どうぞ。


 リベールの命運を決める鐘の音が、鳴った。鳴り始めたその瞬間から救国の志士たちは各々の役割を果たすべく動く。それは、誰にとっても例外ではなかった。そう――エステル達だけでなく、自らを救国の志士だと信じるリシャール達も含めて。

 

 ❖

 

 ヨシュア・ブライトは作戦の始まったこの瞬間にあっても冷静であった。否、緊張することはあれど高揚することは出来なかったのである。そういうふうに彼は出来ているのだから。彼らの役割は、王城の城門を開くこと。そして、途中で閉じられないようにそこを確保することである。

 親衛隊の詰所だった場所に彼らが突入すると、サンドウィッチ片手にコーヒーを飲んでいた特務兵たちは驚いてむせてしまった。その間にジンとヨシュアで特務兵を拘束し、オリビエが変態的に縛り上げる。

 それを微妙な顔で見ながら、ヨシュアはジンにこう告げた。

「ジンさん、僕が開閉装置を操作します」

「ああ、頼む。俺はこのままこの場所の確保だな」

 ジンが扉を睨みつけて拳を構え、ヨシュアが城門の開閉装置を操作した。そして――城門が、開く。その音を聞きながら、ヨシュアは双剣を握りなおしていた。ヨシュアの仕事はこれからだ。ここでヨシュアが開閉装置を守り抜いていても一番の特性が活かせない。だからこそ、ヨシュアはユリアたちと相談して決めていた。城内になだれ込んだ親衛隊員と共に特務兵の排除に当たることを。

 詰所から飛び出したヨシュアは、縦横無尽に駆け回って特務兵たちを翻弄し、確実に動けなくしていった。

 

 ❖

 

 親衛隊員たちとクルツ達正遊撃士は正午の鐘と共に城門前にいた特務兵に襲い掛かった。そして、彼女らは無傷で城門前の特務兵たちを拘束することに成功したのである。事前に掛けられていたクルツの方術によって僅かな力場に包まれた肉体は不意打ちに対抗できなかった特務兵たちでは傷一つ付けることは出来なかったのだ。

 内部に侵入したユリアは部下に向かって命じる。

「よし、リオン以下四名は城門前で待機! 特務兵どもにこれ以上この城を荒らさせるな!」

「イエス・マム!」

 親衛隊たちが城門前で門番に成り代わり、ユリアと正遊撃士たちは城内の部屋の安全を一室ずつ確保していく。挟撃や待ち伏せを警戒してであるが、特務兵たちは数はいるもののあまり質が良いとは思えなかった。いつもより少しだけ弱い手ごたえにユリアは言いようのない不安を覚えた。

 まさかどこかに本命の部隊がいるのでは。ユリアの胸中にはそんな疑念が渦巻き始める。しかし、今のユリアには目の前の特務兵たちを片付けることしかできない。ギリ、と歯を食いしばりながらユリアは特務兵たちの排除に努めた。

 そんなユリアの様子を見つつ、方術で支援するクルツも歯がゆい思いをしていた。何せ、今の彼に出来ることは一秒でも長く支援を続けることだけなのだ。その他の戦闘行為は遊撃士協会からも禁止されていた。

 自覚はあるのだ。暗示か何かを掛けられて記憶を消されたということは、何かしらおかしな行動をとってもおかしくないと思われるかもしれないと判断されてもおかしくないことに。だが、敢えてクルツには支援を任された。そして、もしもクルツに不審な動きがあればすぐさま残りの正遊撃士たちによって取り押さえられることになっている。その現状がたまらなく歯がゆかった。

 何故、あの時不覚を取ってしまったのか。何故、あの時話しかけられた人物の顔が思い出せないのか。何故。今考えてはいけないことだと分かってはいても、思考はぐるぐると巡る。

 そんなことを考えているからだろう。クルツの支援が、一瞬だけ遅れた。そしてそこから戦線が崩れ始める。

「く、クルツ先輩!?」

「あ、ああ、済まない!」

 アネラスに声を掛けられ、クルツは慌てて支援を再開した。しかし、崩れ始めたモノは元には戻らない。瞬く間に特務兵たちと混戦状態になってしまった。しかも、女王宮の方から追加で部隊が登場する。このままの状態が続けば、作戦が破たんしかねない。

 それを見て焦るクルツ。どうすれば、と思ったその瞬間だった。クルツの前から一人の少女が飛び出して行ったのは。その少女は混戦状態の真っただ中に飛び込むと、青白い顔に無理に笑みを浮かべてクラフトを発動させた。

「何やってんだいアネラス!?」

 カルナが咄嗟にアースガードのアーツを発動させ、特務兵に切り刻まれんとしていたアネラスの肉体を護る。そして、そのアネラスを中心に特務兵たちが粗方引き寄せられて行った。

 そして、アネラスは――叫ぶ。

 

「我こそは《剣仙》ユン・カーファイの弟子、アネラス・エルフィード! この首、簡単に取れるとは思わないでよねっ!」

 

 それは、完全に死に至る一手だった。しかし、アネラスはためらいもせずにそれを行った。そうしなければ全滅する。それが分かっていたからである。アネラスは全ての特務兵の視線を浴びながら、震える手を押さえつけて刀を振るった。

 そして――そんなアネラスを見たカルナは歯を食いしばってアーツを発動させる。しかし、そのアーツは回復のアーツではなかった。時属性アーツ、ホワイトゲヘナ。それがカルナの発動したアーツである。背後からの不意打ちを受けた特務兵たちはその衝撃で脳震盪を起こして倒れ伏す。

 それに追撃を喰らわせるべく影の薄さを活かしたグラッツが襲い掛かり、数人の特務兵を叩きのめした。ついでに別の方向の一角が崩れたのだが、彼らがその理由を知ることはない。混戦の中ぬるぬると変態的に動き回るヨシュアなど目視できるものではないのである。そこに親衛隊も加わって、アネラスの策ともいえない無謀な行為は実を結んだ。

 遊撃士・親衛隊員優勢になった今――確実に、制圧の時は近づいていた。ついでに、アネラスとクルツがカルナから説教される時も近づいていた。

 

 ❖

 

 そうして――満を持して、特務飛空艇が現れる。それを見上げたカノーネが何かしらわめいているが、操縦している側には全く聞こえないのでどうでも良いことだ。着陸だけクローディアに任せたアルシェムは、飛空艇から飛び出してカノーネの頭の上に着地した。

 微かな振動だったが、カノーネは気づいたのだろう。腕を振り回して頭上に乗っていたアルシェムを振り落した。アルシェムはおちょくるようにカノーネに声を掛ける。

「あ、ごっめーん」

「こ、こ、小娘ェェ……!」

 カノーネは分かりやすく激怒した。こういう手合いは逆上させて手段を狭めた方が扱いやすいことを知っているアルシェムは敢えてそうしたのだが、カノーネはそれに気付いた様子はない。

 アルシェムはそのままカノーネを一撃で昏倒させると、彼女を盾にしたまま特務兵たちの攻撃を封じて無力化した。そして着陸する飛空艇。そこからエステル達が登場し、王城内から飛び出してきた特務兵たちを無力化する。その間、アルシェムは特務飛空艇のオーバルエンジンを引っこ抜いて城門前に迫る特務兵の頭上に投げ落としておいた。悲鳴が聞こえたのは気のせいである。

 女王宮前の特務兵を蹴散らし、内部で待ち構えていたデュナン――手を出すつもりはなかったが、女王を人質にして切り抜けようとしてあっけなく階段の手すりで頭を打ち、気絶してしまった――とそのお付きの特務兵たちも無力化して進む。因みにフィリップと一触即発になりかけたが、何とかクローディアのとりなしで戦闘にはならなかった。

 その代わり、アルシェムは女王の私室に向けて鋭い眼を向けた。いつもならば、アルシェムは感じなかっただろう。だが、今のアルシェムは全てが鋭敏化された状態。その先にいてなおかつ気配を消している男の存在も理解出来る。出来てしまう。

 だから、アルシェムはエステル達を止めようとした。しかし、エステル達の気合いは凄まじく、止める間もなく特務兵を蹴散らして女王宮のテラスまで来てしまったのである。そこには、女王とその護衛をしているらしい男がいた。それは――

「ロランス・ベルガー少尉……!」

「ようやく来たか……」

 ロランス・ベルガーと名乗る男だった。しかしアルシェムは知っている。彼の名はロランス・ベルガーではないことを。そして、こんな場所にいるはずのない人間であることを。

 アルシェムは静かに息を吸ってエステル達に告げる。

「殿下、エステル、シェラさん。……お願いだから邪魔しないでくださいね」

「どういう意味よ?」

 シェラザードがいぶかしげに返すが、アルシェムはもはやそれを聞いてはいなかった。背中から双剣を抜き、テラスに突き刺して一歩進み出て――告げる。

「女王陛下を解放してくれるかな?」

「……今の私は女王陛下の護衛についている、と言っても?」

 不敵に仮面の奥で嗤って男はそう返した。しかし、アルシェムはその言葉を歯牙にもかけない。何を言えば彼が動くのか。それを、彼女はよく知っていた。故郷と思えた場所を喪ったあの時から。

 だからこそ、彼女は告げる。

「今のあんたに与えられた任務が本当に女王陛下の護衛であっても、あんたはそれを絶対に放棄する」

「……ほう? どこからその自信が溢れ出て来るのかは知らんが、それが本当に聞く価値のある話だとも思えんな」

「《ハーメル》」

 アルシェムがその単語を口にした瞬間。ベルガー少尉の気配が変わった。女王もベルガー少尉の背後で目を見開いている。凍りついた空気の中、一番に口を開いたのは――女王だった。

「アルシェムさん、貴女は何を……」

「正確に申しあげましょうか。そこの――《ハーメル》出身の男にも分かるように」

 困惑する女王は、アルシェムの言葉にさらに驚愕した。《ハーメル》というのはリベール王国内では禁忌の言葉。特に――王国軍人の中でも知っているものは一握りに限られるその情報を、彼女は知っていると言ったのだ。

 そして、彼女は宣言した。テラスに差した双剣を握りしめ、音高く抜き放って。

 

「我が名は、アルシェム・『シエル』。かつてクローディア殿下を弑そうとしたモノであり――そして、《ハーメルの首狩り》と呼ばれたモノ」

 

 それを聞いたベルガー少尉は――完全に正体がアルシェムに割れているのを理解した。そうでなければ、今ここでそれを告げる意味がないからである。アルシェムの背後にいる当事者や家族に聞かせるような言葉ではない。

 だからこそ、彼はそのアルシェムの言葉にヘルムを脱いで問うた。

「……どうやら最初から気づいていたと見える。いつから全てを思い出していた?」

「逆に聞くよ。あんた達は本当にわたしが全てを忘れたと勘違いしてたわけ?」

 アルシェムは殺意をベルガー少尉と名乗っていた男に向けた。彼も同じく殺意をアルシェムに向ける。その両者が発する濃密な死の気配に、エステル達は呑まれかけた。その場所で平然としているのは二人だけ。アルシェムと、彼だけである。

「そうやって……全てを欺いてきたのか。家族も、友人も、仲間も……何とも愚かしいことだな」

「あんたにだけは言われたくなかったな、それ」

 両者の間で緊張が高まり、そして――アルシェムが若干剣先を下げた瞬間。彼とアルシェムはその場から飛び出し、切り結んだ。シェラザードでも辛うじて追えないレベルの攻防。それを、エステルは必死に目を凝らして追おうと努めていた。

 ベルガー少尉が斬りかかる。それをアルシェムは紙一重で避け、左手の剣でベルガー少尉の胴体に向けて突きを放った。しかしベルガー少尉は半身になって避け、引き戻す途中だった剣でアルシェムの右手の剣を狙う。アルシェムは右手を横にずらすことでそれを避け、左手の剣を引き戻しながらベルガー少尉の手を狙って右手を振るう。

 一進一退の攻防が、続く。アルシェムもベルガー少尉も決定打を放つことは出来ず、その代わり重傷を負うこともない。そんなレベルの高い剣舞のような光景がエステル達の前に広がっていた。

 エステル達はそれに割って入ることも出来ず、ただ歯噛みしながらそれを見ていることしか出来なかった。ベルガー少尉はエステル達が割って入った瞬間、彼女らを無力化して盾にするだろう。

 だからこそ、シェラザードも迂闊には動けなかった。今のうちに女王を確保するのが遊撃士として出来ることだろうが、下手に動けば彼が何をしでかすか分からない。ギリギリのところで保たれているように見える均衡を崩せば、間違いなく押し負けるのはアルシェムだろうと思えたからだ。

 幾度目かの鍔競り合いで、ベルガー少尉がアルシェムに声を掛ける。

「これほどの技量がありながら……何故『闇』から逃げ出そうとしなかった」

「今ドーピング状態だからこれだけ渡り合えてんだけど」

 ベルガー少尉の問いにアルシェムはそう答えると、腕から力を抜いて左に避けた。ベルガー少尉は体勢を崩すことなく剣を引き戻し、アルシェムに袈裟懸けに斬りかかる。ただし、それはアルシェムに掠ることはなかった。彼女は左に避けた瞬間、背後に向けて跳んでいたからである。

 そして、アルシェムは分かりやすくベルガー少尉を挑発した。

「まあでも、あんたの腕もこの程度だったからあの集団に良いように蹂躙されたんだよねえ」

「……貴様」

「一番怪しい人間に愛する女性を託さなくちゃいけなかったのってどんな気持ち?」

 その言葉をアルシェムが吐いた瞬間――彼女はシェラザードに目配せしながら吹き飛ばされた。先ほどまでとは明確に違う、濃厚に過ぎる殺意。それを纏いながら剣を振るうベルガー少尉を、吹き飛ばされてから辛うじて体制を整えたアルシェムはギリギリあしらっていた。

 アルシェムからの目配せを受けたシェラザードは戦いから目を離して女王に眼を向けつつ移動を始めた。何が何だかわからない状態ではあるが、ベルガー少尉の注意が女王から逸れているのは確かだ。だからこそ、今のうちに逃げて貰わなければならない。女王はシェラザードからの視線を受けてゆっくりと移動を始めた。

 じりじりとシェラザードに女王が近づき、女王にシェラザードが近づいて行く。エステルはシェラザードの動きに気付いているが、クローディアの傍から離れるわけにもいかないのでその場で待機していた。

 そうして――アルシェムと、ベルガー少尉の戦いは終盤に差し掛かる。あれだけ斬り合っていればお互いの剣は刃こぼれしていてもおかしくないというのに、どちらの剣も曇り一つない輝きを放っているのはいささか不自然ではあったが、どちらも特別製なのだろう。アルシェムは双剣を構えなおし、ベルガー少尉も腰を落として剣を上段に構え――そして。

 

「鬼炎斬!」

「雪月華!」

 

 お互いのクラフトが炸裂し、相殺し合って生まれた衝撃によって両者は吹き飛ばされた。

 

 ❖

 

 混乱する王都の中を駆け巡る。そして、巡回している特務兵たちを角が立たないようにぶちのめす。それが、今カシウスとリオが成していることだった。

「な、何だ貴様らは!?」

「通りすがりの遊撃士だ!」

 棒術具と素手でぶちのめされ、少しばかり名誉を傷つけられる格好にされて転がされていく特務兵を見て、小さな子供が一言漏らした。

「ままー、あれなあに?」

「しっ、見ちゃいけません」

 薄れゆく意識の中でそれを聞いていた特務兵はこう思ったそうな。無念……と。




※錬金○師じゃないよ!

では、また。


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王城の地下に眠るモノ

旧75話~77話半ばのリメイクです。
ジークさんマジ便利。そしてどうしてこうなった。

前話をもってお気に入り50&UA10000到達しました。皆様本当にありがとうございます。

では、どうぞ。


 ようやく特務兵たちを全員捕縛し終えたヨシュア達は急いで女王宮へと向かっていた。というのも、彼らが退治した特務兵の中にベルガー少尉が混ざっていなかったからである。ついでにカノーネも。もしかしたら、エステル達が危険かも知れない。そう考えるとヨシュアは飛んでいきたくなるのだが、今ここで素の身体能力を見せるわけにもいかない。だからこそ焦って駆け付けたのだが――

「……何コレ」

「いやはや……女性というのは恐ろしいねえ」

「……え、エステル……流石はカシウスの旦那とレナさんの娘御だな……」

 そこで彼らが見たのは、エステルに説教されているアルシェムだった。また無茶をしたのだろうというのは比較的すぐに分かったのだが、怒られている内容がイロイロおかしすぎて判断に困る説教でもある。

「大体ねえ、何だってあんなに挑発してんのよ! も、もしかしたら死ぬかも知れなかったじゃない!」

「死んでないから問題ないね」

 などなど。主にエステルがアルシェムの不用意な行動に注意をしているはずなのだが、いつもとは違ってアルシェムは甘んじて説教を受けているわけではないというのがヨシュアにとって違和感だった。一体何があったのか、と聞こうにも荒ぶるエステルを止めることもままならないためそのまま説教を流し聞いていると、とんでもない言葉が次々と飛び出してくる。

 ロランスとアルシェムが戦った。まあそれはイイ。互角に戦ってみたり言い合いをしてみたり挑発をしてみたり最終的には吹き飛ばされたり。一体アルシェムは何をしているのだろうか。ヨシュアはそう思って遠い目で空を見上げた。今日も空が綺麗である。

 と、そこでエステルに反抗していたアルシェムが話をそらすように女王に話しかけた。

「聞きたいことは恐らく大量にあるでしょーが、それは後で。今はそれよりもリシャール大佐の確保に動かないといけません」

「アル、まだ話は――」

「エルベ離宮にも王城の中にも姿が見えないとなると、急がなくてはなりませんね。申し訳ありませんがエステルさん、お説教は後になさってください。事は一刻を争うのです」

 エステルの言葉を遮った女王はエステルにそう告げ、そして駆け付けて来たユリアにエステル達を地下の宝物庫に案内するように命じた。ユリアに先導された一行は地下の宝物庫に向かい、何者かが出入りした痕跡を横目に見つつ内部に侵入する。すると、そこには――

「な――こんなもの、この前まではなかったはずなのに!」

 そこにあったのは、地下に通ずる昇降機。ここまで探してリシャールが見当たらない以上、ここにいる可能性が高い。それを知ってエステル達は何とか昇降機を動かそうと試みるが、導力式のロックがかかっていることが判明した。

「そ、そんな……」

 途方に暮れる一行から一縷の望みを掛けられたアルシェムはロックの方式を見て顔をしかめた。今は材料がない、というよりも何度も大量に水(のようなもの)をかぶってしまっていたため、アルシェムの持っている道具はショートしてしまっている可能性が高いのである。

 と、そこでアルシェムはとある気配に気づいて宝物庫の入口を仰ぎ見ながらこう告げた。

「この程度ならすぐって言いたいとこだけど、生憎カードキー方式のは道具がないと無理かなー。っつーわけで博士、出番ですよ」

「何じゃい、この程度すぐに解決できるじゃろうに」

 溜息を吐きながら現れたのは、何とラッセル博士だった。アガットとティータも一緒に来ていたようで、アガットはクローディアとコントのような会話を繰り広げていた。

 そして、博士の手によってロックは外される。昇降機に乗り込んだ一行――何故か女王も乗り込もうとしていたが、地方から舞台が王城奪還のために駆け付けて来るという急報を聞いて断念していた――はそのまま地下へと降りた。

 そこに広がっていたのは――古代文明の遺跡であった。しかも、淡く光っていることから未だに稼働しているらしい。時間がないのは確かであるが、探索を行う必要もあると判断したため、エステル達は拠点確保組と探索組に分かれることになった。なったのだが――ここで、問題が発生してしまった。

「ピュイっ」

「ジーク、待って、ダメ!」

 クローディアの制止も聞かず、ジークが隙を見つけたとばかりにアルシェムに襲い掛かったのである。それをアルシェムは余裕を持って躱すが――初見の場所でそんなことをすれば何が起きるか分からないというのに迂闊に動いたのが問題だったのだろう。

「あ、アル、後ろ!」

「へ……ちょ、ま、待てって言ってんでしょーがぁー!」

 がぁー、がぁー、がぁー、とアルシェムの声は反響して消えていく。アルシェムの背後には地面がなかったのである。ジークに思いきり押されたアルシェムは、そのまま遺跡の中を落下する羽目になった。ジークが高らかに鳴いたのを、アルシェムは確かに聞いた。

 

「ピュイイイイッ!」

 

 俺の勝利! じゃねえよ! とアルシェムは思ったらしい。ワイヤーを駆使しながら落下していくアルシェムは、ある意味最速で遺跡を踏破していた。地面を踏んではいないのだが、深部に至るという意味で。

 最深部に辿り着いたアルシェムは身を潜め、待った。アルシェムとしては《輝く環》が出現しても何ら問題ない。というよりは出現して貰わなければ困る。そのため、単独で動くのは危険だというのを免罪符にして完全に気配を消し、リシャールの様子をただ見守っているのだった。

 

 ❖

 

「ど、どうしよう……」

「え、えっと……た、多分大丈夫だと思うよ……ほ、ほら、今までだって相当危ない目に遭ってきたのに生還できてるし」

 途方に暮れるエステルをヨシュアが慰める。微妙に自信なさげなのは、アルシェムが例外なく酷い目に遭ってきたのを知っているからだ。別に彼としてはアルシェムがどうなろうとエステルが無事でさえいればいいのだが。

 クローディアが今にも泣きそうになりながらエステルに謝罪する。

「す、済みません……! ジークがとんでもないことを……!」

 しかし、それに返答したのはエステルではなかった。何かに気付いたヨシュアがエステルを制したのだ。

「クローゼ、多分アルは生きてるよ」

「え……」

「ほら、これ」

 ヨシュアが指し示したのは、近くの柱に刺さっているらしい爪状の物体。それには、透明な糸が結び付けられていて柱に巻きついているようだった。それは紛うことなくワイヤーである。

「これで、アルシェムさんは体を支えている、と……?」

「いや、多分……」

 キン、と音を立ててその爪が外れ、落下していく。ヨシュアの目にはそのワイヤーが一瞬緩んだのが見て取れた。つまり、アルシェムが自分で外したのである。だからこそ生きていると確実に言える。何故そんなものを常備しているのかというのには首を傾げるが。

「うん。やっぱり自分で外したみたいだ」

「えっと、じゃあ先に進めばアルと合流できるってことよね?」

「多分ね。もし合流できない場所にいたとしても、最悪今の道具さえあれば移動には困らないはずだから」

 それを聞いて一安心したのか、クローディアはほっと胸をなでおろして膝を付いた。どうやら気が抜けてしまったらしい。そんなクローディアの様子を見つつ、エステルは皆に指名されて探索のリーダーを任されたために探索組を決めた。

 何となくカンがしばらくはリシャールにかち合わないと囁いていたため、エステルは探索組を決めるのに少しばかり悩んだ。ジンは温存しておいた方がよさそうであるし、オリビエは帝国人であるためそもそも内部をうろつかせてはいけない気がする。ティータは論外、アガットは温存しておいた方がよさそう、などなど考えた末、エステルは探索組を決めた。

 探索組はエステルとヨシュアが確定しているため、選ばれるのはあと二人となる。それに選ばれたのは――シェラザードと、結局アガットだった。連れて行くにあたって論外だったのは勿論ティータとクローディアである。ティータは度胸はあっても、エステルとしては未知の場所を連れまわすのは怖い。クローディアも以下同文。オリビエは信用できるとはいえ口が軽そうなイメージがあるためにあまり内部をうろつかせたくはないし、何より事故があっては問題になりそうである。自然と選択肢は遊撃士だけに限られ、ジンかアガットかシェラザードを残すことになると考えた。そして、エステルが選んだのはジンをティータ達の護衛として置いて行くことであった。

 そして、エステル達は探索を開始する。襲い来る人形兵器には驚いたものの、先ほどのベルガー少尉との戦いで消耗していないエステルにとってはほぼ敵ではない。ばったばったと薙ぎ倒して先に行き止まりや昇降機のある分岐に目印をつけつつ進む。

 セピスをいちいち拾い集めるのは面倒であるため、それは拠点確保組に任せた。いくつかの部屋からは強力な武器、というか古代遺物が何故か宝箱に入れられて保管されているという謎の光景が見られたがそれはどうでも良いだろう。宝箱を開けるとどうやってその中に潜んでいたのだという人形兵器もあったがご愛嬌だ。

 途中、女狐ことカノーネを確保しつつシェラザードからジンへとメンバーを入れ替えたエステル達は先へと進む。カノーネがいたことによってその先にリシャールがいるのは確実となったため、急いだのだ。

 そして――結局、アルシェムとは合流できずにエステル達は最深部へと突入した。

 

 ❖

 

「……ようやく、念願が叶う――」

 リシャールは手に持ったゴスペルを装置に設置した。このまま待てば、リシャールの望む《輝く環》が出現するはずなのだ。誰から聞いたのかすら思い出せないその情報をうのみにしたまま、リシャールは破滅へと突き進む。

 彼は知らない。ゴスペルをその装置に使っても――《輝く環》そのものは出現しないということを。その様子を冷たい目で見ている人物がいることなど、リシャールは知らなかった。

 

 ❖

 

 エステル達が出現するのを待っていたアルシェムは、ジークの存在に気付いて顔をしかめた。このまま出て行けば話どころではなくなってしまう。ジークに突かれて終わりだ。そのため、アルシェムは敢えて姿を見せずにリシャールの背後に回り込もうとしていた。

 アルシェムの耳にはリシャールの語る『奇跡』とエステルの語る『奇跡に見える可能性』が聞こえていた。そんな綺麗事だけで全てが終わればどれだけ楽だっただろうか。全ての人間の行動が作用して、奇跡を産むこともあれば惨劇を産むこともある。そして、その軌跡がこの世界を形作っているのだ。

 アルシェムはその『奇跡』という都合の良い言葉を嫌っていた。奇跡が起こったというのは結果を見た人間が言うもので、その裏で犠牲になった人間からすれば奇跡でもなんでもないただ起きるべくして起きたことに成り下がる。『正義』も同じだ。都合も耳触りも良い言葉は、時に全てを貶める。それが嫌いだった。

 だからこそ、リシャールの求める奇跡が虚構のものであると教えたくなったのかもしれない。何故かアルシェムには分かってしまったその事実を、彼女は衝動のまま口にした。

「奇跡。都合の良い言葉だよねー。でも残念。多分ここには《輝く環》なんて存在しない」

「何!?」

 リシャールが背後を振り返った時、既にゴスペルは装置の上にはなかった。アルシェムが手でもてあそんでいたからである。ぽーん、と頭上に投げあげ、落下してきたゴスペルを受け止めたアルシェムはリシャールに投げつけながらこう告げた。

「こんな障害があるだけの場所に、本当に《輝く環》が眠ってるとは思えないんだよね」

「……君は知らないかもしれないが、ここには大量の人形兵器が眠っていたのだよ。排除しきれなかった分に関しては導力技術を駆使して使役している」

「別に時間を掛ければ粉砕できるわけだから、たったそれだけの警備で至宝を眠らせておくってのも疑問なわけでさ」

 装置を横目で見ながらアルシェムはそう零す。しかし、リシャールはその言葉を受け入れようとはしないだろう。

 ――分かっていた。どうやってリシャールがここのことを知ったのか。彼がここのことを知るためには――誰かの入れ知恵がなければ不可能だという事実を、アルシェムは知っていたのである。その誰かが誰であるのかすら、アルシェムは推測出来ていた。

 アルシェムの言葉の途中にリシャールの手の中でゴスペルが鈍く輝いた。その光は部屋中に広がり、何かを解放した。少なくともアルシェムはそう感じたし、それは事実でもあった。

 そして、それを裏付けるかのように――装置が言葉を発した。

 

「全要員に警告します……《オーリオール》封印機構における第一結界の消滅を確認。封印区画最深部において《ゴスペル》の使用があったものと推測。《デバイスタワー》の起動を確認しました」

 

 その言葉に、誰もが動くことが出来なかった。何が起きるのかわからなかったため、身構えることしか出来なかったのである。そんな中――言葉を発するものがいた。無論、アルシェムである。

「あーあ、そーいうことか。道理でここまで警備が緩いわけだよ」

 アルシェムの言葉にも誰も応えることが出来ない。何となく理解出来ないことはないが、頭がついて行かないのだ。ここに《輝く環》はない。少なくとも、今は出現する様子がないことだけは分かるのだが。

 四方に立っていた柱が地面に沈み込み、地面と同化する。一体何が起きているのか。リシャールですらもその事態を把握しきれていなかった。何故か把握できてしまっていたのは――アルシェムだけ。

 装置が言葉を続ける。

 

「《環》からの干渉波発生……《銀色》より対抗波の妨害を確認。《環の守護者》の封印、限定解除されました。全要員は可及的速やかに封印区画から撤退してください」

 

 その言葉に続き、この部屋の壁だと思われていた場所が割れる。そこはどうやら扉だったようである。そこから現れたのは――巨大な人形兵器だった。そして、その人形兵器すらも耳障りな合成音を発して告げた。

 

「再起動完了……《娘》の存在を確認……MODE:捕縛・連行に変更……座標確認、封印機構施設最深部……《環の守護者》トロイメライ、これより周囲の人間の排除と《娘》の奪取を再開する」

 

 その言葉が発された瞬間――トロイメライと名乗った人形兵器の背後から、もう一体同じ型の人形兵器が現れた。どうやら《環の守護者》は本気らしい。封印が限定で解除されたとはいえ、することは変わらないようだ、と何故かアルシェムはそう思った。

 動揺からようやく復帰したヨシュアがリシャールに問う。

「た、大佐……これは一体!?」

「い、いや……これは私も想定していなかった……!」

 リシャールは困惑したようにトロイメライを見ているが、どうやら襲い掛かってくるらしいと分かれば刀を抜いた。従えるのではなく斃す道を選んだらしい。

 エステル達も各々が武器を抜き、構える。エステル達もリシャールも、今は気持ちは一つだった。この人形兵器を排除しなければならない。そのためには――今リシャールを拘束しなくても構わない。リシャールにしてみても、今彼女達を無力化すれば自分が生きて帰れるか分からない。だからこそ、彼らはどちらともなく協力することにしたのである。

 そうして――『クーデター』の最終幕が今、始まった。




前回からの変更点
→トロイメライさん達の言葉
→トロイメライさんの数
→リシャールさんと共闘
→トロイメライさんとちゃんとした戦闘になる(!)

ほんと、どうしてこうなった。書いてたらトロイメライさんがいつの間にか増えてしかもリシャールが頑張ってくれた。何を(ry

今後の展開にはあんまり関係ないので良い、よね……?

では、また(逃亡


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輝く環の守護者

旧77話半ば~77話終盤のリメイクです。
最初は追加エピソード。
そしてトロイメライさんと戦っているだけのお話。

では、どうぞ。


 王都グランセル、王城前――そこには、ロレントとルーアンから動かされた王国軍の部隊が到着していた。門前で守備していた親衛隊員と押し問答になり、一触即発の雰囲気が漂う。女王宮から続く空中庭園に現れた女王はそれを見て息を吸った。

 しかし――その息は、声として吐き出されはしなかったのである。何故なら、そこには――

 

「止めんか、バカ者どもが!」

 

 親衛隊員と王国軍の隊長がもみ合っているところに、棒術具を持った壮年の男性が割り込んだからである。その姿を見た中堅以降の軍人たちは眼を見開いた。そこにいたのは――かつての英雄だったからである。カシウス・ブライト。それが、その男の名だった。

「何故邪魔をなさるのですか、カシウス殿! 陛下を叛逆者の手からお救いせねばならないという時に!」

 そう叫んだのは、ロレントを預かる守備部隊のアストン隊長だった。彼は情報部に踊らされ、女王と王孫女が叛逆者に囚われたという凶報――無論、カノーネが誇張して伝えたものである――を信じていたのである。だからこそ、叛逆者の筆頭たる親衛隊を庇う様子を見せたカシウスを糾弾した。

 しかし、カシウスはそれを意に介した様子もなく頭上を振り仰ぎ、告げる。

「さて、陛下が本当に叛逆者に囚われているのか、それはその目で確かめるとよろしいでしょうな」

 その声に応えたのは――無論、女王だった。

「少しだけ待っていただけますか? すぐに降りますから」

 常と変らぬ落ち着いた声に、兵士達はざわめく。女王は囚われているのではないのか。そうでないのなら、一体何故情報部は自分達を動かしにかかったのだろうか。動揺でざわめく兵士達に、カシウスはタイミングを見計らって告げた。

「さて、取り敢えず武器は置いた方が良いだろう。お前達こそ叛逆罪に問われかねんぞ?」

「し、しかし……!」

「それでは陛下をお救いすることが……!」

 若い士官たちが次々と声を上げる中、アストンは眼を閉じて黙考した。確かに、叛逆罪に問われた親衛隊は信用できない。しかし、だからといってカシウスを信頼できないとは思わない。彼は《百日戦役》の英雄にしてリベールの救世主。かの《剣仙》の技を受け継ぎし《剣聖》。もしも本当に親衛隊が叛逆していたのなら、とうの昔にカシウスが排除しているだろう。

 親衛隊が本当に叛逆者だとすれば即座にカシウスが排除してくれる。アストンはそう判断し、眼を開けて腹の底から声を出した。

 

「鎮まれ」

 

 その声に、身体を震わせて若い士官たちは従った。いつも温厚なアストンがこれほどまでに畏怖を感じさせる重い声を出せるのかと、同輩たちは思った。

 そして――開いたままの城門から、女王が現れる。そこにいつも付き従っているはずの親衛隊の姿はなかった。女王はただ一人でここまで歩んできたのである。武器を持った人間の前に出るというのに、ただの一人も護衛をつけずに。

 それを見てアストンは悟る。女王が親衛隊を護衛として連れていないのは――自分達が親衛隊を信じていないからだと。一国の王が護衛すら付けずに一国民の目の前に現れるなど、有り得ない話なのである。

 女王は兵士一人一人の顔を順々に見回してからゆっくりとこう告げた。

「皆様はわたくしたちが囚われたという報を聞いて集まって下さったのですね」

「わ、我々は陛下をお救いしようと……!」

「バカ、黙って聞いていろ!」

 血気盛んな若い士官が声を上げるが、中堅の士官に拳骨を落とされて黙り込む。それを女王は困ったように微笑を浮かべつつ言葉をつづけた。

「ええ、確かに――わたくしは囚われておりました。ですが、遊撃士の皆さんのおかげで今は解放されています」

 女王は語る。ここにいるすべての人間の心に届けるために。争う必要などどこにもないのだという事実を。同じリベールを想う民たちの間で争い合って欲しくなどないのだから。

「世間ではわたくしは病に倒れただとか親衛隊の皆さんが叛逆しただとかと言われているのは知っています。ですから――誰かから聞くのではなく、皆さん自身の目で確かめてほしいのです」

 その言葉は、兵士たち一人一人に確かに届いた。彼らはあまりにも――誰かから聞いたことをうのみにしかしてこなかった。情報部から回ってきた情報を疑うことなどなかった。何故なら、味方だから。だが、今回に限ってはそれは間違っていたのかもしれない。ただ、確証は持てない。

 それを見越して、女王はこう告げた。

「皆さんに命じます。各地の守備に支障がない程度に王城に駐留し、わたくしを護衛してください。そして、その目で見てほしいのです。本当の真実はどこにあるのかを」

 しばらく、誰も話すことはなかった。その言葉を呑みこんでいるのだろう。部隊長たちは何かしらを考え込んでいる。これからどう動くべきなのかを考えているのだが、どうするのが最善なのかを判断しかねているようだ。

 一番最初に答えを出したのは、アストンだった。

「申し訳ございませんが、陛下。このアストン、陛下が囚われ遊ばしたと伺って取りも直さず駆け付けて参った次第です。お恥ずかしながらヴェルデ門の守備は今ほぼ誰もいない状況にしてしまったように思います。しかれば、このままヴェルデ門守備部隊はもともと陛下より賜った職務を遂行すべく帰還させていただきたく」

「……分かって下さってありがとうございます。どうか、貴男の思うようになさってください」

 アストンの申し出に女王からの許可が下りると、次々と部隊は引き返して行った。その場に残ったのは、数人の中堅と若手の士官たち。女王が目で問いかけると、彼らを代表して一番年かさの男性が応えた。

「親衛隊の皆さんを疑うつもりはないのですが、どうやら派手にやりあっている様子ですからな。立っているのもやっとという者もいるでしょうし、どうかお手伝いさせてください」

 彼の顔に浮かんでいるのは疑いではなく本心から女王を案じる色だった。親衛隊の服はよく見ずともぼろぼろで、相当長い時間戦っていたものだと思われる。だからこそ、彼らは親衛隊の負担を減らすべくそう申し出たのだ。

 それを理解したからこそ、女王は彼に頭を下げた。

「ご厚意に感謝します」

 そして――女王はカシウスに何事かを耳打ちすると、王城の中へと戻って久し振りの執務に取り掛かったのであった。

 

 ❖

 

 《環の守護者》トロイメライはその活動を開始した。一体はエステル達を襲撃し、もう一体は――

「な、何かアルってやっぱ疫病神にでも憑かれてんじゃない!?」

「否定したいけどしきれないのが何とも言えないかもー!?」

 アルシェムだけを狙っていた。しかも、アルシェムとエステル達を分断しようと動いているのが丸わかりである。分断されたらされたでアルシェムにとる手段がないわけではないのだが、出来れば少しは楽をしたい。楽をしたいのだが、トロイメライはそれを赦してくれそうにない。

 そこでリシャールが叫んだ。

「エステル君、先にこちらの一体を片付けるべきだ!」

「で、でもそれじゃあアルが……!」

「そろそろわたしも楽したいんだけど仕方ないよねー。時間稼ぎしか出来ないから実質二体分全部倒しきる覚悟はしててよ?」

 そう告げたアルシェムは、敢えて分断されるために大きく跳んだ。これでもうエステル達は一体に集中しなければならなくなってしまう。それが分かっていたからこそ、アルシェムはその行動に出た。

 そして、アルシェムは導力銃ではなく棒術具を握る。そうしなければ、攻撃が全くと言って良いほど通らないのだ。導力銃の出力を調整すればどうとでもなるのだが、今はそれをしている時間が惜しい。それに水浸しになったまま整備もしていないのでどの道使えないというのは確かである。因みに薬の効果がまだ残っていれば普通に装甲をへこませるくらいは出来たのだが、生憎薬は既に切れてしまっていたためにその戦法は取れない。

「……まったくもー……何でこー、さー? 押しつぶすとかじゃなくて動きを止めようとして来るかなー……」

 嘆息したアルシェムは棒術具を握ったまま壁を使って跳ね上がり、トロイメライの青いユニットの上に飛び乗った。そしてそれを足場にしてさらに飛び上がり、トロイメライ本体に飛び掛かった。

「取り敢えず、腕一本ちょーだいな」

 狙うは右肩。思い切り振りかぶった棒術具を地面に向けて叩きつけるイメージで振り下ろせば、猛烈に硬い手ごたえがあった。どうやらとんでもなく硬い素材で出来ているのは間違いないようだ。恐らくはゼムリアストーン製なのだろう。衝撃は逃がせたが、正直に言って硬すぎる。到底今のアルシェムでは倒しきることなど不可能であろう。――持っている棒術具は一般的なものであるからして。

「硬っ!?」

 アルシェムは宙返りして反動を受け流し、アクロバティックに動き回りながらトロイメライを翻弄することだけに集中した。楽をしたいというのは何だったのかと言わんばかりに跳ね回るアルシェムを見てリシャールは呆れつつももう一体のトロイメライに攻撃を加えていた。

 エステル達の方はと言えば、不気味なくらいに順調であった。我慢を覚えたエステルが後衛で、ヨシュアが遊撃、ジンとアガットが前衛。それに加えて反則じみた速度で動き回るリシャールがいるためである。正直に言ってトロイメライ一体に対しては過剰なまでの攻撃が加えられるのは間違いない。遊撃役のヨシュアも加わって火属性補助アーツを唱えているからこそできる芸当である。エステルとヨシュアのオーブメントのEPが半分を切るまでこの戦法でゴリ押ししようと誰かが言いだしたために実現した光景だ。

「受け取ってジンさん! フォルテ!」

「済まん、助かる!」

 ジンにはエステルが補助することになっている。というのも、ジンに関しては攻撃を受けてもそうそう回復アーツを掛ける必要がないからだ。ヨシュアよりもオーブメントのEP総量が少ないエステルにとっては防御の上手いジンを補助する方が安心感がある。

 そして、アガットの方はヨシュアが補助することになる。

「フォルテ!」

「おっしゃあかかって来いごるぁぁぁ!」

 機械相手に凄んでも意味がない、というのは言わないお約束である。こういうのは気合いがモノを言うからだ。喧嘩は気合いだ! とは彼の座右の銘である。エステルに関しては補助で手いっぱいであるが、ヨシュアはそうではないためアガットの攻撃で出来た隙を埋めるようにトロイメライに攻撃を加えていた。

 リシャールは自前で補助アーツを掛けつつ高速変態軌道で動き回るので誰も補助アーツを掛けようとは思わなかった。どう考えてもリシャールを補助するよりも全体の攻撃力を底上げする方が意義があるように思えたからだ。

 そうして――先にEPに限界が来たのはエステルだった。EPがめでたく半分を切り、それをジン達に伝えると戦法が変わる。エステルが回復を担当し、ヨシュアが補助を担当するようになったのである。それを感じ取ってもトロイメライは戦法を変えない。腹からビームを出し、腕を振り回してエステル達を襲う。ただし、それをエステル達が見切れないわけがないのである。ここまで戦ってきてある程度の癖がつかめたエステル達に死角はない。

 ごり押し戦法で戦うエステル達であったが――トロイメライ一体目を倒せたのは、戦い始めてから優に三十分を超えたころだった。腕・脚・頭は完全に破砕され、見る影もない。エステル達だけでトロイメライに立ち向かっていればこの戦果は挙げられなかっただろう。――トロイメライを五体不満足にしたのはリシャールだったのだから。

 そうして、エステル達がトロイメライ二体目に目を向けると――そこでは、ほぼ無傷で何故か網を振り回しているトロイメライとその網から逃れようと必死に回避しているアルシェムの追いかけっこが繰り広げられていた。

「……突っ込んだら負けかねえ」

 ジンが困惑したように言うが、覚悟を決めたのかトロイメライ二体目に向かって駆け出す。因みにエステル達はその場から既に駆けだした後だった。回復と補助担当のエステル達が何故駆けだしているのかというと、もう既にEPが尽きてしまっているからである。最早フルボッコで倒すしか道は残されていないのだ。

 アガットやジンのオーブメントもEP切れで回復薬も持ち合わせてはいない。だからこそ、この場で一番のダメージディーラーであるはずのジンが気功を利用したクラフトを駆使して総員の回復に当たっているのである。あべこべだとか言ってはいけない。

 やっとアルシェムの傍まで寄れたエステルは彼女に向けてこう問うた。

「アル、大丈夫なの!?」

「とっくの昔に薬切れてるから大打撃とかは無理だけど取り敢えず元気だよ」

 肩で息はしているものの、まだ余裕はありそうなアルシェムはそう答えた。実際、まだまだ余裕はあるのである。純粋に速度で言えばアルシェムの方がトロイメライよりも勝っているため、攻撃を受けてはいないのだから。問題があるとすれば、鎮痛剤の効果が切れたことくらいか。だからこそ途中からアルシェムの動きは鈍く、また武器を振るっての攻撃は出来ないでいる。

 ただし、どう見てもほぼ傷を負っていないアルシェムを見てぼやく男がいるのは仕方がないことである。

「むしろあれを薬なしで翻弄していたというのに驚きなのだが」

「薬盛った張本人が言うな働けタマネギ」

「計画にはうってつけの人材だったのだから仕方がないだろう! 君こそ前科を見直してから言いたまえ」

 軽口を叩くリシャールもまだまだ元気そうである。大佐というのは伊達ではないのだ。ついでに――《剣聖》カシウスの弟子であるというのも。ぶっちゃけて言おう。もしもエステル達がリシャールと正面切って戦っていれば、二体目に入る以前にエステル達は全滅していただろう。九割がリシャールのせいで。残りの一割はトロイメライである。

 それはともかく、単純に腕力だけの戦いで軍配が上がるのはトロイメライである。このままごり押しでやられるほどトロイメライは生易しい存在ではないのだ。だからこそ――皆で順々に切り札を切っていこうとしているのだ。

 まずは、リシャールから。順番に特に深い意味はないのだが、まずは少しでも機動力をそいでもらおうという目論見からである。リシャールのオーブメントもEP切れであるため、先ほどまでの蹂躙っぷりは発揮できないが――

「――ふむ、腕一本か」

「いやいやいや、何ですっぱり切れるんだよ!?」

 腕の一本くらいは斬り飛ばせるようである。流石はリシャールと言ったところか。腕を喪ったことでぐらり、とバランスを崩しかけたトロイメライに対してとっておきを繰り出したのはジン。多段とび蹴りでトロイメライを壁にぶち当て、大きな隙を生み出してくれる。

「アガットさん、今です!」

「分かってる!」

 ヨシュアの声を聴く前から準備を始めていたアガットがそこに向かって飛び上がり、落下時のGをも利用して装甲にひびを入れるのに成功した。リシャールも大概であるが、鉄塊を振り翳してそこまでの破壊力を生み出すアガットもなかなかである。

 アガットがその場から飛び退くと、そこに突っ込んだのはエステルだった。エステルのとっておきをトロイメライに炸裂させている間にヨシュアも同じように攻撃を加えていた――エステルに向けて繰り出されそうなもう片方の腕を破壊するという執念を見せつけて。

 因みにアルシェムは攻撃を繰り出しても意味がないことをわかっていたために攻撃には参加していない。翻弄する方にのみ力を入れていたからである。むしろおちょくっていたのだが、感情のないトロイメライにどこまで効果的だったのかは推して知るべし。

 トロイメライが倒れるまで、あと少し。それは誰が見ても分かったのだが――ここで、全員に限界が来てしまった。まずは、エステル。全力で戦い続けた影響か、膝を付いてしまう。そんなエステルに向けて放たれた攻撃をヨシュアが受け流そうとして失敗。アガットも剣先が下がっている。ジンも肉体を酷使しすぎて顔をしかめているくらいだ。リシャールに関しては汗だくになっていて剣先がぶれ始めている。

 もう、ダメだ。誰かがそう思った。実際に誰かがそう零した。それを認められないのは――ここまで攻撃に参加出来なくて余裕のあるアルシェムのみ。棒術具は強度の問題で使えない。剣については個人的な理由から抜きたくない。導力銃は故障中。ならば――どうすべきなのか。答えは一つしかなかった。

「……出し惜しみ、してたかったんだけどなー……」

 自嘲するようにアルシェムがそう零す。それは――その姿を、特定の人物に見せたくなかったから。だが、そうも言っていられない。このままでは全滅する。それを避けるには――もう、その手段を取るしかない。

 アルシェムは、初めてただ純粋に他人を護るためだけにその双剣を抜き放った。




アストンさん誰とか言わない。
トロイメライ斃しきれてないとか言わない。
ほんっと、申し訳ない。だがいつの間にか(ry

では、また。


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束の間の終息、廻る運命

旧77話終盤~80話半ばのリメイクです。
とか言いながらFC編最大の変更だったり。

では、どうぞ。


「……誰も、死なせるわけにはいかない……」

 それは、無意識のうちに漏れた声だった。誰も死なせたくない、ではない。『死なせるわけにはいかない』のだ。何故そう確信するのかは分からない。だが、アルシェムはこの場において誰も死なせてはならないことを『知っていた』。何故なら、ここでエステル達が命を落とすことなど『有り得ない』のだから。

 彼女はこの件が終わった後、最低でも恐らく丸一日は寝込むことになるだろう。悪夢にうなされながら寝込み、その悪夢に拒絶反応を起こしながらしばらく過ごすことになるだろう。――分かっていた。その代償さえ払えば、この場の誰もが死なずに済むことを。

「……アル……?」

 ヨシュアの戸惑ったような声が、アルシェムを思いとどまらせようとする。だが、最早アルシェムは止まれない。自らの意志では――止まることなど出来ようはずもないのだ。それは――□□□の意志に反するのだから。

 抜き放った双剣が煌めいて。アルシェムの身体はブレた。そして――トロイメライの目前でその双剣が振り下ろされる。何度も何度も。執拗に。再起不能になれとでもいうかのように。完膚なきまでに原形を残さないように。そんな膂力が残っているはずもないのに、アルシェムはただ双剣を振り下ろし続けた。

 もはやだれの目から見てもトロイメライは動かない。だというのにアルシェムの手は止まらない。無理に振り下ろされているため、アルシェムの方は既に限界を超えている。だというのに――彼女は手を休めることが出来ないのだ。

 その状況からアルシェムを救い出したのは――その場にはいなかった人物だった。

 

「落ち着け、アルシェム」

 

 この場にはいなかったはずの壮年の男性の声。リベールの英雄、カシウス・ブライトがそこにいた。しかし――アルシェムの手は止まらない。止められなかったのだ。アルシェムが手を動かしているのは自らの意志ではなかったのだから。

 だからこそカシウスはアルシェムの両手を押さえ、トロイメライから遠ざけた。それでもまだ動こうとするアルシェムを見て嘆息したカシウスは一撃で彼女を昏倒させる。そうまでして、ようやくアルシェムは止まれたのである。

「この、バカ娘が……」

 薄れゆく意識の中で、アルシェムは確かにカシウスの言葉を聞いていた。

 

 ❖

 

 その後――リシャールを説得したカシウスはエステル達を連れて地上に戻った。昏倒させられたアルシェムはカシウスに担がれて、である。疲労困憊だったエステル達一行はそのまま事情聴取を受ける間もなく王城の客間で力尽きた。

 全員が気を失っているのを確認した女はカシウスに声を掛ける。

「……カシウス卿、彼女達にはやっぱりキャパオーバーだったんじゃ……」

「もう一人くらいは遊撃士を呼んでおくべきだったかも知れんが、どの道遊撃士として動くならこのくらいの事件に関わることもあるだろう」

 彼女の言葉に驚いた様子もなくカシウスはそう返し、担いだままのアルシェムを連れて客間から出た。いくら手練れの遊撃士たちとはいえ、気絶していては何が起きても対処は出来ないだろう。クローディアから聞いた限りでは意識を奪って操る薬を盛られていたアルシェムを彼らの近くには置いておけない。

 だが、女はカシウスに向けてこう告げた。

「あ、隔離じゃなくて女王宮にお願いします」

「……正気か? リオ」

「正気ですって。というか起きてますし、アル」

 リオはそう言って担がれているアルシェムを見た。どうやら途中から起きていたことに気付かれていたらしい。アルシェムはその視線を感じたが、体勢的にどうしようもなかったので声を出すだけに留める。

「いや、丸一日くらい寝かせて……連戦辛い……」

「後でお説教だ」

「勘弁してカシウスさーん……エステルからも説教される予定あるのに……」

 身体から力を抜いたままアルシェムはそう告げると、そのまま意識を失った。そんなアルシェムを別の客間に軟禁して監視を始めたカシウスは、女王からの依頼も受けつつ苦虫をかみつぶしたような顔で彼女の監視を続けるのであった。

 

 ❖

 

 リシャールが捕縛されてから三日後。その間にアルシェムは体調を戻し、医師の診断を受けてエステルにしこたま怒られるという行事をこなしていた。因みにエステル達は女王生誕祭前の依頼を今日からこなし始めていたが、アルシェムに関しては女王生誕祭まで安静にしているように言われたために客室でぼんやりしていた。歩くのすらほぼ禁止されたのである。暇を持て余すには充分な環境だった。

 だからこそ、アルシェムは監視の名目でそこにいたカシウスと休憩に訪れた女王と話すことを選んだのである。もっとも、話を振ってきたのはカシウスからであったが。

「アルシェム。先日の件について聞きたいことがあるんだが……」

「どの件ですか? 答えられるものだったら多分答えますよ」

 ベッドから体を起こしたままアルシェムはそう返した。ベッドから出ることは禁止されているが、起き上がること自体は止められていないので寝ころんだままだと失礼だろうと判断してのことである。

 カシウスはアルシェムに問う。

「陛下と、殿下から伺った。――《ハーメルの首狩り》の件だ」

「あー、そっち……まー、いーですけどね。どこからお話しましょーか……」

 アルシェムは遠い目をしながら一度深呼吸をし、語り始めた。目を閉じればあの時の光景がよみがえってくるとでもいうかのように、目を閉じて。

 

 ❖

 

 エレボニア帝国南部、リベールとの国境付近にハーメル、という村があったのはもうご存じのはずですよね。《百日戦役》が始まる前にその村が王国軍の装備を持った何者かによって滅ぼされ、その何者かも惨殺されていたということも。それが、《百日戦役》のきっかけになったのだということもご存じなんですよね。ええ、簡単にまとめると本当にそれが真実なわけですが……その犯人が一体誰で、どうしてそんなことをしたのかが知りたいのでしょう。生存者が全て表舞台に出て来ていなかった時点で知るすべはなかったはずですから。

 まずは、王国軍の装備を持った何者か、について。あれは恐らく猟兵団です。もっとも、正規の猟兵団ではなく猟兵崩れと言った方が正しいのでしょうが。彼らはとある人物から依頼を受けてリベールとの国境にある村を襲撃するように依頼されていたようです。ハーメルに決まったのはどこぞの変態が吹き込んだからですね。その光景を見たわたしはそれを村人たちに伝えたんですけど……まあ、そもそもわたしは孤児だったので、所詮は部外者だったわけです。勿論部外者如きの言葉なんて聞き入れては貰えませんでした。

 そのまま村を追放されて二度と帰ってくるなって言われたときは流石に堪えましたね。犬でも追い立てるみたいに追い出されて、着の身着のままで村から出されて。まあ、それでも皆を守りたかったから近くに潜伏していて、それであんなことになったわけですが。

 ……話がそれましたね。それで、惨殺した方――俗に《首狩り》と呼ばれる方はですね、わたしです。村に襲撃を掛けた猟兵達を全員ぶっ殺せば村人たちは助かるかも知れないと思ってやりました。その時のわたしはバカでしたから……物理的に首さえ飛ばせば間違いなく襲撃は止まるのは明白でしたので首を斬り飛ばすという方法を取ったんですよね。その分時間がかかりましたし、そんなことをしていたから『家族』だった人に嫌われたわけですが。いくら見知らぬ孤児を引き取ってくれた人物とはいえ、流石に人殺しを『家族』にしていたくはなかったらしいです。

 そんなに意外ですか? わたしから『家族』という言葉が出るのは。確かに親の顔なんて見たことありませんし、本物の『家族』がいた覚えもありませんけどね。その時一緒に暮らしていた人達は――確かに、わたしにとって『家族』でした。姉のような人と、弟のような存在。それと、姉のような人が一途に愛していた人。それが、その時のわたしの『家族』でした。

 ……今は違うのかって? 当たり前でしょう。二度と顔を見せるなって言われて人殺しって罵られて今なお村人たちを惨殺したことにされているのにそれを赦すほどわたしは寛容じゃありませんし。一人に関してはまあ、わたしを逃がすために言ったことだったようなので彼女個人は赦していますけど。彼らを赦すかどうかっていうのは微妙な線ですね。だってまだ勘違いは続いてますから。……やってもいないことで恨まれて、それで責められて赦しておけるほどわたしは優しい人間じゃないんですよ。

 その『家族』はどうなったのかって? そうですね……生き残りは誰もいないことになってますもんね、仕方ないです。……ただ、生き残ったのはわたしの『家族』達だけなので、結局皆を助けることなんて出来なかったんですけど。そうです。姉のような人と、弟のような存在、そして将来姉代わりの人の夫になるだろうと思われた人です。彼らだけが生き残りました。

 村から焼け出されて自炊し始めた彼らと、七耀教会に保護された彼女。どちらが幸せだったのかは知りません。知りたくもありませんけどね。彼らに関しては変態が目をつけていたので野垂れ死にだけはしませんでしたけど。彼女に関してはまあ、裏でも生き延びる術を叩き込まれたとだけ。

 彼らが今どこにいるのか、ですか。一人は遊撃士で、もう一人は七耀教会にいて、最後の一人は《身喰らう蛇》にいますよ。……遊撃士は誰かって、もしかして本当に気付いてなかったんですか? ああ、いや。推測はしてても否定したかったんでしょうけど……ま、想定通りの人ですよ。弟のような存在です。本人に言えば恐らく「僕の方が年上だから!」とか言うんでしょうね。実際、誕生日自体はあっちの方が少しだけ前ですし。

 それだとオカシイ? 何言っているんですか。だって、《身喰らう蛇》には最悪の破戒僧《白面》がいるんですよ? 奴が今の『彼』を造ったんですからそれは当然ですって。ああ、ついでに言っておきますけど遊撃士と《身喰らう蛇》にいるのは別の人物ですからあしからず。

 七耀教会の人物には会えないのか、ですか……正直に言って会って頂いても問題はないと思うんですけど、こればっかりは本人に聞いてみないと分かりませんし……多分はぐらかされて終わるんで期待はしないでほしいですね。正直、あの人と交渉するのだけはしたくないんでお任せしたいです。

 また、今後《蛇》が接触してくるでしょう。まだわたしの席は残っているはずだから。だから……わたしは、もうアルシェム・『ブライト』ではいられません。だからと言って『アストレイ』でもいられるわけがない。そんな権利なんてあるはずがない。だからわたしは、アルシェム・『シエル』に戻ります。止めても無駄ですよ。カシウスさんならご存知でしょうけど、しがらみって奴が多すぎてここに留まり続けられるような綺麗な身ではないんです。

 わたしは人殺しで、詐欺師で、根無し草でなければならない。この先もそうやって生きていくしかないんですから。

 

 ❖

 

 誰も、何も話さなかった。やがて時間が来て女王が退出してもそれは変わらなかった。カシウスは何かしら考え込んでいるようであったし、アルシェムは何も話す気分ではなかったからだ。

 ふと、窓の外を眺めたアルシェム。そこには――

 

「って待てジークそれ多分死ぬってー!?」

 

 猛然と窓を突き破る勢いで飛んでくるジークがいた。アルシェムが慌てて窓を開けると、無論ジークはそのまま突っ込んでくるわけで。カシウスが対応する前にアルシェムは鳩尾に嘴を突っ込まれて悶絶した。

「お、おぐお……」

「ピュイっ! ピューイ!」

 正義執行! 大勝利! じゃねえ! とアルシェムは思った。正直に言って猛烈に痛い。これならジークの身を案じて窓を開けるんじゃなかったとアルシェムは後悔するが後の祭りである。

「ぶ、無事か?」

「な、何とか……ジークェ……よーし今度から全面的にあんたの身の安全だけは気にしないことにするぞー……」

「ピュピューイ!」

 余計な御世話だ! と言ったらしいジークはアルシェムの脳天を嘴で突いて気絶させた。カシウスが慌ててジークを追い出さなければ間違いなくアルシェムの身は危険だったであろう。――主に、頭髪が。

 そうして――運命の日は、来る。

 

 ❖

 

 女王生誕祭が始まった。アリシア女王の挨拶から始まり、祭りが始まって。クーデターでの功績を鑑みた遊撃士協会はこの日をエステル、ヨシュア両名の正遊撃士任命の日と定めた。そこに、アルシェムの名前はない。それは何故かというと――彼女は遊撃士になるわけにはいかないからである。準遊撃士ならばまだ良い。だが、正遊撃士になってしまうことだけは問題だった。

 そもそも彼女が準遊撃士となったのは任務のため。『カシウス・ブライトとその周辺の監視』が彼女に課せられた任務だったからである。カシウスが帝国に出かけたのは想定外だったが、アルシェムとしてはエステル達の監視の方が気が重くなかったので万々歳だ。その結果払ったのは身バレという代償だが、カシウス相手にならむしろプラスになるだろう。

 一番骨が折れたのはエステルの説得だったが、これは記憶を完全に取り戻すための旅に出るという建前で誤魔化した。ついでにブライト姓から抜けることを告げると大泣きされたのだが、カシウスの動向がしばらくは分かりやすい状況になると判断されたため、撤退命令が出たのだ。もう、カシウスとエステルの『家族』だという証は必要ない。そして、正遊撃士としての資格も。

 生誕祭が終われば、アルシェムは旅に出る。それが分かったのか、正遊撃士となったエステル達はやたらとアルシェムを連れまわした。まるで思い出づくりをするかのように。

 町中を巡り、屋台を冷やかし、生誕祭に訪れていた旧知の人々と語り合って。それがアルシェムにとっていい思い出になるようにとエステルは願っていた。――もっとも、アルシェムはそんなものは必要としていない。思い出など邪魔なだけ。他人との縁など柵にしかなりえないと彼女は判断していたからである。だからこそ、表面上だけは楽しむふりをして誤魔化していた。何の意味もない行為に付き合うだけの余裕はまだあったから。

 だからこそ、彼女が感じるこの感情は偽物のはずだった。エステルに連れまわされていて、楽しいと不覚にも思うこの気持ちは。このまま離れたくないと思うこの気持ちは。独り立ちという表現を使われるのが、こんなにも心苦しく思えるのかと。

 アルシェムはたった一人で生まれ、たった一人で生きていく。そう決めたはずだった。あの日あの場所で、空の女神のステンドグラスに誓ったはずだった。そのはずなのに――揺らぐ。

 こんなにも自分は弱かっただろうか。誰かの支えを必要とするほど弱くなってしまっていたのだろうか。そんなはずはないと信じたかった。何故なら――アルシェム・『ブライト』だった彼女は、ずっとエステル達を裏切り続けていたのだから。裏切っている人達に支えを求めているだなんて、絆されてしまった証拠ではないか。

 そんなことなど信じたくはないというのに――アルシェムはまだ、つながりを求めていたのだろうか。気付けばエーデル百貨店でエステルと揃いのブローチを購入していた。エステルのは金縁にオレンジ色のブローチで、アルシェムのは銀縁にスカイブルーのブローチ。そこまでして、自分はエステル達と繋がっていたいと思っているのかと購入してからアルシェムは愕然としていた。

 何度こっそり捨てようとしたか分からない。だが、いざ捨てようとすると手が動かない。認めてしまえば、恐らく楽だったのだろう。だが、アルシェムはその感情を認めることだけはしなかった。

 

 即ち――『離れたくない』という感情を。

 

 認めてしまえば、もう一歩も動けなくなってしまっただろう。だが、認めるわけにはいかないのだ。アルシェム・『ブライト』でなくなった彼女は、もうエステル達の傍にいる資格などありはしないのだから。

 だから、錯覚なのだ。何物にも代えがたいと思える目の前の光景など。いつか壊れると分かっているこの光景を尊いと思うこの感情など。そう思い込むことで、アルシェムは心の均衡を保っていた。

 

――予定調和は変わることなく、邪悪によって生み出された邪なものは野を這いずって現れる――

 




後一話と閑話を挟んでFC編は終了です。

では、また。


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その一握の気の迷いが

旧80話半ば~81話のリメイクです。
ということは、前回は81話も使ってFC編を終わらせたということか……約三分の一がFCってどうよ。

では、どうぞ。


 王都を一通り廻ったエステル達は、休憩と称してエーデル百貨店横の休憩所で休んでいた。何故かエステルがアイス屋が混んでいることを確認しているのだがアルシェムはどうでも良いことだと聞き流していた。聞き流すのはイイのだが――エステルが挙動不審過ぎて逆に気になってしまったアルシェムは、エステルにこう提案した。

「外してよーか、エステル?」

 その提案を聞いたエステルは顔を真っ赤に染めて黙り込んでしまった。どうやら脳みそがぴんく色をしているようである。こういう時は邪魔をしてはならない。何故なら馬に蹴られるからだ。――俗説でしかないが、流石にヨシュアには蹴られたくないのである。どう考えても邪魔者だオーラを全力で出していたからにして。

 アルシェムは百貨店を回り込むと、近くの木の陰に潜んだ。出刃亀をしたい、というわけではない。何も今までヨシュアに引っ付いていたのはエステルとの仲を邪魔するためではないのである。

 ヨシュア・ブライト。今でこそそう名乗っているが、彼はそもそも『ブライト』などと名乗れるような人間ではないのだ。彼はアルシェムと同じ裏社会に生きていた人間なのだから。そう――同じ穴の貉という言葉がこれ以上なくあてはまるだろう。もっとも、アルシェムが浸かっているのは光すら見えないような暗闇であって、ヨシュアのように辛うじて後戻りできるような場所にはいないのだが。

 それはさておき、ここでエステルが何かしら告白でもするのかと思ったのだが、どうやらその目測は外れたようである。肝心な時にヘタレたエステルは、本当に取り返しのつかなくなってしまうミスを犯したことに気付かずにアイスを買いに行ってしまった。

 

 そう――その、エステルの一握の気の迷いが。ヨシュア・『ブライト』にとっての転換点になってしまったのである。

 

 ヨシュアは複雑な顔でエステルを見送った。というのも、アイスを買いに行くと宣言したはずのエステルはアイス屋とは全く別の方向へと駆けだして行ってしまったからである。脳裏に浮かんだ彼にとっては有り得ない想像――エステルに好かれているのかもしれない――をぶんぶんと首を振って揉み消すあたり、ここまでは普通に余裕があったようである。

 何せ、ヨシュアは木陰に隠れているアルシェムに声を掛けて来たのだから。

「それで、どうしてそんなところに隠れてるんだい? アル」

「いようがいまいが結果は変わらなさそーなんだけど、いないよりはマシかなって」

 アルシェムはそうヨシュアに返答し、木陰から出てある一点を睨みつけた。その視線の先には――とある男がいる。青年と呼ぶには年を取り過ぎ、壮年と呼ぶにはまだ若い。そんな中途半端な年齢に見える男だ。アルシェムはこの旅の間、奇跡的に彼に会わなくて済んだのだが――知っている。覚えている。その、醜悪な顔を。

 ヨシュアもその男性の顔を見て顔をこわばらせ、いつでも双剣を抜けるようにして相対する。最初に声を発したのは――その男だった。

「やあ、しばらくぶりですね、ヨシュア君。そちらの方は初めましてだと思いますけど」

 声だけを聴いていれば普通の男性だ。しかし、アルシェムには分かる。もとい、視える。その言葉の奥に隠しきれない歓喜と愉悦が混じり合っていることが。その男がただの男ではないということを、アルシェムは嫌というほど知っていた。

 だからこそ、ヨシュアを手で制してアルシェムが返事をする。

「初めまして? 何をバカなこと言ってんだか。今は何て名乗ってるか知ったこっちゃないけどね、『教授』?」

「アル……?」

 ヨシュアが困惑したようにアルシェムを見るが、どうせこれから行方をくらませる身である。どれだけ疑念を抱かれようが関係ない。最悪ヨシュアに背後からばっさりやられるのだろうが、それに対応できないようではこの先生き残ることなど出来やしないのだから。

 困惑したような顔で男はアルシェムに告げる。

「ええっと、どこかでお会いしたことありましたっけ……?」

「丁寧語はもうやめてよ。鳥肌立っちゃう。そんな擬態しなくても今ここにはあんたが張った認識阻害の結界があるんだし」

 その言葉を聞いた男は、一瞬目を見開いて――そして酷薄に嗤った。その笑みを見たヨシュアは本能的に危機を感じて双剣を抜き放った。ヨシュアはアルシェムをそこまで警戒していないが、事と次第によってはこの場で斬る覚悟である。

 ヨシュアの警戒っぷりを見たアルシェムは少しだけ安心していた。それだけ警戒できれば十分である。たとえ――ヨシュア・『ブライト』がツクリモノであると分かったとしても、気を抜いている状態から聞くよりはマシなはずだ。

 そんなヨシュアの状態を見て、満足そうに男はアルシェムに告げる。

「いつから思い出していたのだね?」

「皆していつからいつからって聞くけどさー……それ、そんなに重要なことなわけ?」

「……何?」

 男が眉を寄せてアルシェムを見つめる。アルシェムは生ごみでも見るかのような目で男を睨み返し、大きく溜息を吐いた。アルシェムは心が醒めていく心地がした。今まで温度のあった世界が灰色に見える。この先は、彼女にとっての戦場。

 アルシェムは死んだ魚のような眼をしながら言葉を吐く。

「遅延式の記憶阻害なんてどうとでもなるでしょーに。あんたにとっちゃ計算違いかもしれないけどね? 《身喰らう蛇》の《使徒》第三柱、《白面》のワイスマン」

 最後のアルシェムの言葉に、ヨシュアが双剣を揺らして反応した。どこかで聞き覚えがあるはずなのに何かが邪魔をして思い出せないようである。そもそも思い出せないように暗示をかけたのは男――ワイスマンなのだから当然だろう。

 眉を寄せながらワイスマンはアルシェムに問う。暗示が既に解けていたというのならば、その時点でヨシュアのことにも気づいているはずだからだ。何故なら、ヨシュアとアルシェムは《身喰らう蛇》に所属していたのだから。

「……暗示が既に解けていた、というよりは誰かに解いて貰ったようだな。分かっていたのならば何故ヨシュアの暗示も解いてやらなかった?」

 その問いに、アルシェムは応える。どうせその暗示を解いていたとしても、結果は何も変わらないということに。この旅の間――あまりにも、ヨシュアは変わらなさすぎたのだ。精神的にという意味ではない。彼が遊撃士として動き始めたことで鈍ったカンが取り戻されるはずだったのに、それが全く磨かれてこなかったのだから。

「どーせ月一くらいでヨシュアに会って暗示のかけなおしでもやってたんでしょーが。カンを全部取り戻されたらイロイロ台無しになるから」

 ヨシュアは眼を見開いた。確かに、ヨシュアはワイスマンに何度も会っていた。ロレントの《翡翠の塔》で。ボースの《琥珀の塔》で。ルーアンのジェニス王立学園で。ツァイスでは遊撃士協会で。そして――グランセルでは、セントハイム門と決勝戦の直前に。この頻度はおかしいと思っていたし、空賊たちのごとく何かしらの暗示をかけていたとすれば一番怪しい男なのだ。

 ヨシュアはワイスマンを糾弾するように口を開く。

「それだけじゃない……各地で記憶を消された人達の裏には貴男がいたんですね?」

 《カプア一家》のドルン。ルーアンのダルモア。クルツに、リシャール。彼らの記憶を奪い、操作していたのはワイスマンだろう。ヨシュアはそうあたりをつけていた。

 ワイスマンはそれを暗に肯定してヨシュアに告げる。

「よくぞ認識と記憶を操作されながらそこまで気付いた。流石私が造っただけはあるな」

 肩を震わせて嗤うワイスマンは本当に上機嫌だった。それとは正反対にアルシェムの機嫌は急降下している。これからヨシュアは暗示を解かれる。そして、胸糞の悪い話とともにあることを思い出すと理解していたアルシェムは憂鬱だった。もっとも、命を狙われる理由が増えるだけなのでどちらかと言えば些事ではあるのだが。

 そして、ワイスマンが指を鳴らした。これが彼流の暗示の解き方である。その音をトリガーとして、ヨシュアの脳裏に昔の記憶がフラッシュバックした。そして、アルシェムの脳裏にも。アルシェムはただ記憶を失ったわけではない。不完全ながらに記憶を取り戻した代償として、人物は理解出来ても名前が出て来ないという痴呆症のような状態に陥っていたのである。その名称の記憶が彼女の脳内にあふれかえっていた。

 その記憶の奔流が収まって。最初に口を開いたのはヨシュアだった。

「……確かに、あなたなら納得は出来る。あのベルガー少尉にしても……そうだ」

 確かに暗示は解けたらしい、とワイスマンは判断して愉悦の笑みを浮かべた。これから明かすとっておきで、ヨシュアが絶望するだろうということを理解しているからだ。その絶望する心さえも、ワイスマンが手掛けたモノ。ヨシュア・ブライト――否、『ヨシュア・アストレイ』はワイスマンの最高傑作なのだから。

 これからみられるであろう絶望に愉悦を滲ませてワイスマンがヨシュアに告げる。

 

「久しぶりとでも言っておこうか? 《執行者》No.ⅩⅢ《漆黒の牙》――ヨシュア・アストレイ。それに、No.ⅩⅥ《銀の吹雪》シエル」

 

 ヨシュアはそのワイスマンの言葉に顔をそむけた。そんなことを聞きたくてワイスマンと問答をしているわけではない。胸のうちで警鐘を鳴らしているものの正体を知るために情報を抜きださなければ。そんな焦燥に駆られながらも双剣を手放さずにワイスマンに対峙している。

 緊張した場をほぐす――正確には程よい緊張感を保つ――ためにアルシェムが口を開いてもそれは同じだった。

「出来れば一生会いたくなかったってーの。どーせ始末しに来たんじゃないんでしょ?」

「相変わらず察しは良いようだね。計画の第一段階も無事に終了して時間が出来たからこうして会いに来たのだよ」

 ワイスマンはそこから遠回しに話を引き延ばしつつヨシュアに何かを気付かせるべく言葉を吐き出し続ける。《身喰らう蛇》の目的が知りたければ戻って来い。戻ってこないのは分かっている。カシウスとエステルを棄てて闇に戻ることなどできようはずもないだろう。

 じわじわと嫌な予感がヨシュアの胸中を駆け巡る。それが当たらないようにとヨシュアは心の中で願うが――当たらないわけがないのだ。ヨシュアの希望的観測は、斜め上にずれて切り捨てられた。

 

「おめでとう、ヨシュア。君はもう自由だ。この五年間、本当にご苦労だったね」

 

 その言葉の意味を一瞬で理解してしまって。その意味を理解するのを理性が拒んだ。それがヨシュアに起きたこと。対してアルシェムは危惧していた通りだと内心で溜息を吐く。ただそれだけだった。ヨシュアに対する言葉はそれだけだろう。ただ、アルシェムにかけられる言葉に推測が出来なくて困るくらいだ。

 だからこそ、《身喰らう蛇》からの決定を聞かないようにアルシェムは言葉を紡ぐ。

「ま、そーくるよね。ヨシュアが情報を流してわたしがその補佐って? ばっかじゃねーの、ワイスマン」

 その顔に精一杯の嘲笑を浮かべて。震えそうになる手を意志の力でねじ伏せて。恐怖など感じないように。出来得る限り弱みを見せないようにして、アルシェムは強がる。逆に言うのならば、強がることでしかワイスマンに反抗できないのである。

 事実、ワイスマンはアルシェムの痛いところを突くように言葉を吐く。

「確かに君からの報告は一度もなかった。だが、ヨシュアの暗示を解かなかったのは復讐のつもりかね?」

 正直、アルシェムとしては『そんな義理はないから』と答えても良かった。復讐などするつもりもない。ヨシュアにあるのは一応借りばかりで、貸しはないはずなのだから。それにアルシェムがヨシュアの暗示を解くよう七耀教会に要請したとしても恐らくは無駄だっただろう。

 本音を隠し、アルシェムは建前をワイスマンに告げた。

「復讐する義理なんてないけど、暗示を解いたところでヨシュアが自由になるってわけじゃなさそうだったから? 暗示程度であんたがヨシュアを手放すはずないし」

「クク……そうなるように造ったとはいえ、本当に君は興味深い。そこまでヒントを与えたわけでもないのにそれほどの考察……流石は盟主より賜った素材なだけある」

「ヒトを素材扱いしないでほしいんだけど……」

 アルシェムのぼやきはワイスマンには聞こえていない。興味深い物体が目の前にあるワイスマンは周りのことなど見えてはいないからだ。アルシェムとしては今の隙にワイスマンを物理的に消滅させたいのだが、愉悦していても腐っていても《使徒》。そんな隙はない。

 ひとしきり自身の傑作たちを称賛し終えたワイスマンはヨシュアに声を掛けた。

「君のくれた情報は本当に役に立ってくれたよ。君が逐一遊撃士協会とカシウス・ブライトの動向を報告してくれたおかげで一番の不安要素を国外に誘引し、このクーデターを利用して《輝く環》の《門》をこじ開けることが出来たのだから。だから――改めて礼を言おう、ヨシュア。この五年間、本当にご苦労だった」

 その言葉はヨシュアの心を絶望で汚染した。今までエステル達と過ごした時間、無意識ではあってもヨシュアはずっと彼らを裏切り続けていたのだ。本当の父は既に亡いが、カシウスは本当に自分の父親のようだった。本当の姉は既に殺されているが、エステルは本当に姉のようであり妹のようでもあった。あの幸せな時間を――ワイスマンによって汚されてしまった気がした。

 わなわなと全身を震わせてヨシュアは言葉を零す。

「……嘘だ……」

 ヨシュアとしては信じたくはなかったのだろう。しかし、ワイスマンがそれを可能にする男だとヨシュアは骨の髄から思い知らされていた。ここでワイスマンが嘘を吐くメリットがない。だからこそ、信じたくなくて嘘だと口にする。

 だが、ヨシュアにも本当は分かっていた。無駄にクリアな思考が、ワイスマンによって形作られた合理的な思考フレームが残酷な答えを吐き出してくる。これは全て真実である。認めなくてはならない。ヨシュア自身がエステル達を裏切っていたという事実を。

 ワイスマンは告げる。甘い蜜のような罠を。このまま何食わぬ顔でエステル達の元へ戻れば良いのだと。しかし、エステル達の元に戻れば再びワイスマンにエステル達を売り渡さなければならなくなる。エステル達の元には戻れない。これ以上、ヨシュアはエステル達を裏切りたくはなかった。

 ワイスマンは告げる。苦い毒のような事実を。ワイスマンの最高傑作たる殺人兵器がエステル達の元に戻れるわけがないのだと。エステル達が眩しすぎて、ヨシュアはその光に灼かれてしまうだろうことを。そして、戻ったとしてもヨシュアは幸せになどなれない。ヨシュア・アストレイは人々の死骸の上に立って生きて来たのだから。彼らがヨシュアを幸せに生きさせてくれるはずがないのである。

 そうして、ワイスマンはヨシュアに《身喰らう蛇》への誘いを残して去って行った。

 

 ❖

 

 アルシェムは女王宮の女王の私室で女王と会談をしていた。これからの方針を決めるためだけではなく、純粋に最後に言葉を残して行くべきだと思ったのだ。アルシェム・『ブライト』は今夜いなくなるのだから。ヨシュアの『星の在り処』をBGMにして、アルシェムは雑談を続ける。

「本当に、遊撃士をお辞めになったのですね……」

「そもそも正遊撃士になれるような人間じゃないのは陛下がよくご存じだと思うんですが」

 今でこそ雑談であるが、そろそろ本題を切り出さなければならないとアルシェムは感じていた。今夜中にグランセルを離れなければならない以上、そう時間があるわけではないのだから。

「……貴女が《身喰らう蛇》の構成員だったからですか?」

「それだけだったらもっと話は簡単だったんですけどね。……近々《身喰らう蛇》が動き始めます。恐らくは《輝く環》をリベールから奪取するのが目的でしょう」

 アルシェムの言葉に女王は眉をひそめた。今回、《輝く環》は発見されなかったからである。だからこそ地下空間で起きたと報告されたことが何を意味するのかを知る必要があるのだが、全く以て手掛かりがないのだ。

 女王はアルシェムから情報を引き出すべく問うた。

「アルシェムさん、貴女は何をご存じなのですか……?」

「わたしが知ってることなんて限られますけど、この件に関しては《身喰らう蛇》幹部から聞きました」

「……どうやら、対策が必要になりそうですね……」

 深刻そうに考え込む女王。いつの間にかヨシュアのハーモニカは途絶えていた。いつもよりもさらに薄いヨシュアの気配に、何を決めたのかを察してアルシェムは動き始める。女王の前を辞してヨシュアの気配を追ったのだ。会談自体はお開きになった雰囲気だったため、一礼して去るだけで良かったというのも大きい。

 アルシェムがヨシュアの気配の下に辿り着いた時、エステルが崩れ落ちた。どうやらヨシュアはエステルを眠らせたらしい。エステルを地面に横たわらせたヨシュアはアルシェムに向きなおった。

「……『シエル』か」

「一応本名は『アルシェム・シエル』らしいから別にいつも通り呼んでくれて構わないけど」

「邪魔をしにきたのかい? それとも本当に僕を始末しに来た?」

 そう言葉を吐き出すヨシュアの視線の温度がみるみる下がっていく。執行者としてのカンを取り戻し始めているのだろう。エステルという大切なものを切り捨てることによって。

 だからこそ、アルシェムは告げた。

「いや、どっちも違う。……まだヨシュアなら後戻りできるから。引き戻してくれる人がいる限り、絶対に。それを伝えに来たんだ」

「……どうだかね。それより、君はこれからどうするつもりなんだい?」

「少なくとも《身喰らう蛇》の敵にはなるよ。ヨシュアの邪魔をしないとは限らないけどね」

 そう言って、アルシェムはヨシュアに背を向ける。ヨシュアはエステルにも背を向けてその場から立ち去った。それに次いで、アルシェムも。その様子を、木陰から険しい顔でカシウスが見ていた。




閑話を挟んでFC編終了!
誰が何といおうとFC編は終了じゃあ!

では、閑話をお楽しみに。


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閑話・彼の独白/彼女の独白

独白なので読みにくいかと思われますが、仕様です。

では、どうぞ。


 昔――そう。僕がまだ、あの村に住んでいた頃のことだ。ヨシュア・ブライトではなく、ヨシュア・アストレイだったころ。僕と姉さんは孤児だった。母と呼ぶべき人は僕を生んだときに死んでしまったそうだ。姉さんがそう教えてくれた。父と呼ぶべき人は母が死んだショックで自殺してしまったそうだ。姉さんがそう教えてくれた。

 その代わり、孤児だった僕達にはもう二人、家族がいた。僕が生まれた数日後に雪の中に棄てられていた銀髪の双子の姉妹。姉のシエルと妹のエルシュア。どちらも顔だちだけはよく似ていた。性格は全く以て違ったけれど。

 姉のシエルは何でもできるエルシュアを妬んでいる節があった。虚言癖があって。自分ばかり構って欲しそうにしていて。何も出来ないくせに何かが出来るとでも言いたげに胸を張る。本当に醜い女だった。

 妹のエルシュアはシエルの妬みにも負けずに健気に生きていた。シエルの虚言癖を受け流し、何でもシエルに譲って。料理も洗濯も剣術も何でも出来るのに何のとりえもないと謙遜する。もしかしたら、僕の初恋は彼女かも知れなかった。

 僕たちは可愛げのないシエルを『シエル』と呼び、人懐っこいエルシュアを『エル』と呼んだ。やがて隣の家に住んでいた真面目なお兄さん――レーヴェという愛称の、姉さんの好きだった人――も加わって、僕達はそれなりに幸せに暮らしていた。

 だけど、そんな日常がずっと続いてくれるわけがなかった。ある日突然シエルがいつもの虚言癖を発症して騒ぎ始めたんだ。

 

『村の外に猟兵がいて、この村を狙っている』

 

 その言葉を誰もが信じなかった。当たり前だろう。シエルは嘘つきなんだから。それを誰も信じなくて、でもその時に限っては何故かしつこく言いまわるシエルに村長もしびれを切らしたんだと思う。いつもシエルの嘘には困らされてきたから。

 だから、村長はシエルを村から追放した。二度と戻ってこないように。エルだけは村長を説得しようとしていたけど、村長がそれを聞き入れることはなかった。そして――エルも村から消えてしまった。

 それから、数日して。僕達はシエルの言葉が真実だったことを知る。

 

『うわあああああああっ!』

 

 突如夜中に上がった身の毛もよだつ悲鳴に、僕達は跳ね起きた。一体何が起きたのかわからなかった。姉さんが窓から外を覗き見て、すぐに僕のところに駆け寄ってくる。そして、僕の手を引いてタンスの中に隠れた。

 何が起きているのか。僕は姉さんに何度も聞いた。姉さんは怖い人たちが村を襲っているのだと答えてくれた。ここから先は静かにして、見つからないようにしなければならないということも教えてくれた。

 だけど、現実というのは非情なもので。家には火がつけられて、タンスから脱出しなくてはならなくなった。姉さんは僕を連れて家から飛び出す。勿論怖い人たちは僕達を追いかけてくる。僕は怯えることしか出来ない。だって、僕は要領が悪くて、何も出来ない取り柄のない子供だったんだから。

 姉さんに連れられて逃げて、でも僕達はすぐに怖い人に捕まってしまった。僕は殴り飛ばされて、ほっぺたを押さえて蹲る。そしてその怖い人は銃を放り投げて姉さんも殴った。けど、姉さんは殴り飛ばされたわけじゃなかった。そのまま怖い人に組み敷かれてしまったんだ。

 このままだと、姉さんがひどいことをされてしまう。僕はそう感じて、姉さんを組み伏せた怖い人が持っていた銃を構えてソイツに向けた。そして――

 

『カリン姉――――――――ッ!』

 

 鬼気迫る表情の、見覚えのある少女が血まみれになって突っ込んできた。その両手には一振りずつ剣が握られている。そして、その剣は――真っ赤に染まっている。つまり、彼女は誰かを殺してきたということで。

 僕は半狂乱になって撃った。だって、目の前にいるのはヒトゴロシだ。でも、その銃弾は彼女には当たらなかった。狙いが外れてしまったのだ。だけど、それでも問題はなかった。少女が狙っていたのは姉さんじゃなかったから。

 

 姉さんに覆いかぶさっていた男は、シエルに首を飛ばされて死んでいた。

 

 姉さんは間一髪助かった。だけど、目の前には人殺しが――シエルがいる。だから僕はシエルに銃を向ける。いくら姉さんを助けてくれたからと言って、姉さんを殺さない保証なんてどこにもないんだから。だけどシエルはこう告げた。

 

『立って、ヨシュア、カリン姉。ここから逃げないと……!』

 

 信頼なんて出来るはずがない。シエルは嘘つきなんだから。エルが言ったことだったら信じる。だけど、この場にはエルはいないんだ。どうやってこの人殺しから姉さんを引き離せばいいんだろう。そう考えた時だった。

 姉さんを助けてくれたのは、レーヴェだった。村一番の剣士で、将来遊撃士になるんだって言ってたレーヴェ。レーヴェは姉さんからシエルを引き離してくれた。そして、シエルの嘘を暴いてくれる。

 そうだ。こんなことになったのもシエルのせいなんだ。シエルが怖い人たちを招き入れて、シエルがこの村を襲わせたんだ。そうじゃなかったらどうしてこんな辺境の村が襲われるって言うんだ?

 そんな話をしていた時だった。何度も何度も信じろってシエルは言うけど、信じて貰えないから強硬手段に出たんだと思う。僕とレーヴェ、姉さんとシエルに分断できるようにダイナマイトを投げ込ませたんだから。

 ダイナマイトで吹き飛ばされた僕は、レーヴェに連れられて村を脱出した。僕は隣の村に預けられ、レーヴェは姉さんを助けるために村へと戻ったらしい。だけど――姉さんは、見つからなかった。そうレーヴェは言った。レーヴェは嘘を吐かない。だから、僕は――壊れた。

 僕は毎日ろくに食事もとらなかった。喋ることなんて出来るはずがなかった。レーヴェがいてくれることは心強かったけど、それはそこに姉さんがいてこそだったから。僕は姉さんを想い続けて、形見だと渡されたハーモニカを吹き続けた。そうすれば姉さんを感じられる気がして。そうすることだけが、僕に出来ることだった。敵討ちなんてできっこない。だって僕には何のとりえもないんだから。

 そうやって毎日を過ごすうちに、とある人物が僕達を訪ねてきた。そして、レーヴェと僕にこう提案したんだ。

 

『私がその子の心を直してあげよう。ただし――代償は、支払ってもらうよ』

 

 僕はそんなことはどうでも良かったけど、レーヴェはこんな僕を見ていられなかったみたいだ。だから、その男の下に僕を預けた。そうして、僕がまともに言葉を話せるようになって感情を取り戻した時には、僕はもう殺人兵器と化していた。

 猟兵団の殲滅。要人の暗殺。出来るだけ派手に殺せという指示を受ければ見せしめのように首をさらしたりもした。毎日のように人を殺し続けて、気付けば僕の手は真っ赤に染まっていた。――そう、あの時のシエルと同じように。

 そうして、僕とレーヴェはある時こんな任務を受けた。《身喰らう蛇》のシンパが情報を漏らしているので、その人物を暗殺するついでに《楽園》という名の施設を壊し、そこで使われているモノを奪取してくる。それが任務。僕とレーヴェは二人でその施設を破滅に追い込み、そこで生きたいと願う少女二人と奇妙な薬を奪取した。これが『再会』だなんて、僕は気づかなかったけれど。

 救出した二人の少女は、執行者候補として動き始めた。一人目の少女の名は、レン。すみれ色の髪の可愛らしい少女だ。《楽園》にいた影響で、布地の多い服を好んで着るようになった。彼女の覚えの速さは異常ともいえるスピードで、それでももう一人の陰に埋もれがちになっていた。何故なら――もう一人の方が凄まじかったのだから。

 もう一人の少女の名前は――シエル。そう、シエルだ。シエル・アストレイ。僕達の村を滅ぼした彼女が、何の因果かあんな場所に囚われていたのだ。いい気味だと思ったのは内緒だ。シエルは、僕達の技術を物凄い勢いで吸収していった。僅か半年足らずで《鋼の聖女》と打ちあえるようになっていたのはもう何も言えない。本当にどうなっているんだと思った。シエルにそんな才能はなかったはずなのに。

 ちょうどその頃だった。シエルが盟主直々に任務を与えられたのは。そして、その任務を終えたシエルはレンに次いで執行者No.ⅩⅥ《銀の吹雪》となった。何かしらのアーティファクトと融合したらしいといううわさは聞いたけど、真偽は定かじゃない。

 それからしばらくして、僕に単独の任務が言い渡された。それは、『カシウス・ブライトの暗殺』。正直に言って無茶ぶりにも程があるとは思った。だが、勝算がないわけではない。そうやって意気込んで彼の英雄を襲撃して――僕は失敗した。だけど、始末されるはずだった僕を拾ってくれた人がいたんだ。

 

 それが――僕の、父さん。標的だった当の本人。リベールの英雄、カシウス・ブライトだった。

 

 そこからの僕は本当に幸せだった。何日かは妙に緊張しつつ追手がかからないかと気を揉んだけど、エステルと過ごすうちに――というか振り回されるうちに――僕はすっかり丸くなっていた。誰かに強要されたわけでもない。泣き落としをされたわけでもない。だけど、僕は初めての感覚に戸惑って――受け入れたんだ。

 

 もっと、ここにいたい。

 

 それが、僕の願望だった。危なっかしいだけだと思っていたエステルに、僕はあっけなく救われていた。幸せだった。エステルの傍にいられるというだけで、それだけで本当に幸せだった。

 ……だったらエステルを棄てるな? そのままその場所にいれば良い? 馬鹿なことを言わないでくれないかな。こんなに幸せを感じていた僕は気づかなかったんだから。こんなに良い人たちを、守りたいと思った女の子を、僕はずっと裏切り続けていたんだ。

 父さんの情報を売り渡して。その結果エステルを危険な目に遭わせて。これ以上僕の過去にエステル達を巻き込みたくないから。だから僕はエステルの元を去ることを決めたんだ。

 結局僕は誰も守れないんだ。エルシュアを追放させ、姉さんを死なせた僕には、誰も守れるはずなんてなかったんだ。だから、だから――僕は……エステルを、僕という汚らわしい存在から引き離すために、エステルの元を去るんだ。それだけが、僕に出来ることなんだから。

 

 ❖

 

 ……昔、私が七耀教会のシスターでもないただの村娘だったころのことです。私には父母はいなくても可愛い弟と義妹がいました。そして頼りになる格好良い幼馴染も。弟、義妹、そして幼馴染。彼らがいるだけで、私は満たされていました。弟と義妹を養うために畑を耕していても、何の苦にもなりませんでした。だってそうでしょう? 私には幸せをくれる人たちがたくさんいましたから。

 そうやって暮らして、ハーモニカを吹いて。それだけで良かったんです。他には何も望みませんでした。必要ありませんでしたから。

 

 だけど――ただ平穏に暮らしたいという望みは長くは叶いませんでした。

 

 当然ですよね。平和な日々なんてあっけなく壊れるものですから。その知らせを持ってきたのは、義妹でした。『この村に危機が迫っている』という事実を伝えに村中を駆けた彼女は、しかし誰にも信じてもらえることなく追放されました。……ええ、そうです。私も――それを、信じることはしませんでした。本当は信じていただなんて白々しいことを言うつもりはありません。ただ――私が村から追い出されれば、弟はどうなるのか。それを考えてしまっては、動けなかったのです。

 彼女の言葉を信じなかった代償はすぐに支払われました。義妹が去ってから数日も経たないうちに村は焼き討ちに遭ったのです。家は焼かれ、畑は荒らされ、村人たちが逃げ惑う。それはまさに地獄のような光景でした。所々で艶やかな声が響き、絶叫を上げながら絶命する皆を後目に、私は弟を連れて逃げ出します。

 だけど――だけど、私もまた代償を支払わなければならなかったのです。腕を掴まれ、弟と引き離されて。力ずくで地面に引き倒されて、その後に起きるだろうことはもう推測出来てしまっていました。だから、出来るだけ誰かが逃げる時間を稼ごうと精一杯抵抗して――私は血しぶきを浴びたのです。

 目の前に立っていたのは全身を他人の血で染めた義妹でした。そして、彼女は逃げようと私と弟に持ちかけて来たのです。私は義妹に従おうかと一瞬思い、しかし彼女の言葉通りに襲撃があったことに疑念を感じて身の振り方を決めかねました。そこに幼馴染が駆け付けて、義妹を罵りました。

 

『お前のせいだろう。お前がこいつらを手引きして、皆を殺して回ったんだろう――!』

 

 その言葉を、義妹は何度も何度も否定しました。幼馴染はそれを信じる気はないため、話は平行線です。それよりも逃げなければ、と思ったところに――何か筒状のものが投げ込まれたのです。

 そして、私はその爆発に巻き込まれて弟と幼馴染とはぐれてしまいました。一緒に飛ばされたらしい義妹は周囲の襲撃者たちを殺して回っていて、少しずつでも私を逃がそうとしてくれているのがよく分かります。でも――義妹を信じなかった私のために、義妹を人殺しにしていいのか。私は今の暮らし可愛さに義妹を見捨てたのに、これ以上義妹に罪を犯させていいのか。

 迷ってはいられませんでした。これ以上義妹の手を汚させたくない。何よりも、私自身がそれに耐えられなかった。だから、告げたのです。このまま見捨てて貰えるように。そして、どうか義妹が逃げてくれるようにと。

 

『早く私の前から消えてよ、この人殺し。私はずっと貴女のことなんか嫌いだったし、穀潰しだし、軽蔑してる。だからさっさと私の目の前からいなくなって頂戴――!』

 

 今思えば、なんてひどい言葉なんだろうと思います。守ってくれたのに、なんてことを言ったんだろうと思っています。だけど、あのときの私は義妹と一緒に逃げられるほどの体力が残っていなかったのです。だから、足手纏いになりたくなくてそう言いました。

 義妹はその言葉にひどく傷ついたようで、私に一言謝罪して立ち去りました。義妹が見えなくなって、自分が言ってしまったことがどれだけ義妹を傷つけてしまったのかと考えるとそれだけで胸が張り裂けそうでした。それでも――ここで死んでやるわけにはいかない。そう思って立ち上がって、私は逃げ惑いました。村に背を向け、話し声の聞こえない方向に駆けて、駆けて――そして、とある人物にぶつかった衝撃で気を失ったのです。まだ、死ぬわけにはいかないのに。もう一度、義妹に会って謝らなくてはいけないのに。

 ですが、私は死ななかったのです。私がぶつかったのは、七耀教会の重鎮でした。名を――アイン・セルナート、と言います。私は彼女に見いだされ、本来の名を隠して生きていくことになりました。そうしなければ殺されるから、とセルナート総長は仰います。それを疑いもせずに、私は修練に明け暮れました。何故なら――あの村は、全滅したと聞かされたから。

 私は総長と《千の腕》と呼ばれる凄腕の従騎士に教えを乞い、狂ったように修行を続けました。そうすれば、理不尽に奪われる命を少しでも掬い取ることが出来るようになると信じて。

 やがて私は見習いから従騎士に昇格されることになりました。そして、その時に上司としてつけられた守護騎士の名は、思ってもみないモノでした。

 

《守護騎士》第四位《雪弾》El Strey。

 

 これが、私の上司の名です。この名の響きを聞いただけで、私はそれが一体誰なのかに気付きました。本当に簡単な話なのです。ただ――『Ciel Astrey』より、『Ci』と『A』を取り去っただけなのですから。

 そうして、同時期に彼女と引き合された従騎士リオと従騎士メルとともに彼女と顔合わせをすることになり。そして、私は義妹に再会することが出来たのです。あのころよりもより荒んだ眼をして、あのころよりも大きくなり、あのころよりも不安定になっていた義妹に、私は震えながら許しを請いました。

 どうか赦してほしいだなんて言える立場じゃない。本当にひどいことを言った。だけど、もしも赦してくれるのなら――もう一度、やり直すことは出来ないかと。そう言いました。白々しいにも程があるとは思います。

 ですが、そこで思いもよらないことを聞くことが出来たのです。そう――弟と、幼馴染の消息です。正直に言って、生きているとは思いませんでした。しかも、あの正義感の塊のような人がよりにもよって《身喰らう蛇》などという邪な結社に身を落としているだなんて。あるいは信じたくなかったのかもしれません。数年前に殉職なさった《千の腕》から、幼馴染かも知れない人物について聞き及んではいましたから。

 そうして、義妹の指示に従って――私は、今ここにいるわけです。従騎士リオ・オフティシアは巡回シスターとして。従騎士メル・コルティアはロレントの大聖堂からルーアンの大聖堂に転勤という軌跡を辿って。そして――私、ヒーナ・クヴィッテはグランセル大聖堂所属になって。

 すぐ近くに弟がいて、幼馴染がいた。知っていました。だけど、私は動くことなど出来ませんでした。それが義妹の指示でしたから。いつか会える。面と向かって、ただいまと言えるように――私は今日も、修練を続けています。




前作を既読の方はエルシュアって誰ってなると思います。一応宣言するなら、『エル』です。分かりにくいかと思ったので。

では、このままSC編に突入しますので五日後に。


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SC編・序章~乙女の決意。少女と蛇の再会~
仕込みの開始


旧82話のリメイクです。
SC編開始。

では、どうぞ。


 グランセル王城からアルシェムは消えた。ヨシュアも消えた。そのことに気付いたのはカシウスだけだった――という事実に、アルシェムは気づいていた。もう少し気配を探るべきだろう。ジンとかジンとかジンとか。アルシェムはそう思いつつグランセル大聖堂へと向かった。そこに待ち合わせの人物がいるからだ。

 アルシェムがグランセル大聖堂に入ると、その人物は顔を曇らせてアルシェムを待っていた。誰にも話を聞かれないようにわざわざ《始まりの地》まで開けての密談である。その人物は、アルシェムに向けてこう問うた。

「それで――あの子は、どうしましたか?」

「《白面》に復讐しに飛び出してった。だからプランBで行くよ、ヒーナ」

 ヒーナとアルシェムが呼んだ女性は、琥珀色の瞳を揺らめかせて口を押さえた。余程衝撃的だったらしい。彼女の出自を鑑みれば致し方ないことではあるのだが、それでも彼女は職務を忘れてはいなかった。そう――従騎士という立場における職務を。

「そっ……承知しました。一度報告に戻るのでしょう、アルシェム?」

「まー、カシウス・ブライトの監視も終わったことだしね。リベールからの撤退命令は出てないから配置はそのままで。リオと一緒に行ってくるよ。ヒーナはメルとこのままリベールの情勢の把握をお願い」

 ヒーナはアルシェムの言葉に了承の意を示し、彼女と連れ立って《始まりの地》を出た。そして大聖堂の礼拝室へと戻ると、そこには思いがけない人物が待ち受けていた。それは――

「……リオ? 何だってこの場にカシウスさん持ってきたわけ?」

「えっと、その……ごめん」

 従騎士リオと、何故かその背後で厳しい顔をしているカシウス・ブライトだった。カシウスはリオの背後をつけて来たらしい。とんでもないことを言い始めかねなかったため、アルシェムはもう一度《始まりの地》を開けさせてカシウス達をそこに誘導した。

「それで、カシウスさん。何だってリオについてきたんです?」

「何、リオから面白いことを聞いてな? 何でも、お前はただの星杯騎士じゃないらしいじゃないか」

 アルシェムは遠い目をして現実逃避をした。何故にばれている。リオから聞いたということは情報漏洩をしたということで、つまり切り札が少なくともカシウスには知られているということだ。そこから連鎖的に女王に伝わっていてもおかしくはない。カシウスに知られているだけならば良いが、女王に知られているというのはかなり痛い。交渉に使えなくなってしまう。

 遠い目のままアルシェムはリオに宣言した。

「リオ、しばらくこき使うからそこんとこよろしく」

「ヒエッ……しょ、承知……」

 あまりにも遠い目をしすぎて眼球の動きが恐ろしいことになっているアルシェムから目を逸らしてがたがた震えながらリオはそう答えた。アルシェムの遠い目はある意味恐ろしいのである。――主に、瞳が上下に小刻みに動いたり円を描いたりしているという意味で。

 アルシェムは眼を元に戻してカシウスに問うた。

「それで、カシウスさん。それを知った上でわたしに接触してきたのはどういうわけですか?」

「あ、ああ……ヨシュアは独自に《蛇》を追うらしいが、お前はどうするのかと思ってな」

「さあ。上からの指示がないとどうなるかは分かりません」

 首をすくめてアルシェムがそう告げると、カシウスは真剣な顔でアルシェムを睨んだ。どうやら次の指示はもう出ていると思われているらしい。残念ながら報告にも戻っていないためにどうなるかは未だにわかってはいないが、恐らくこのままリベールに残留することにはなるだろう。

 ただ、それを伝えるわけにはいかないのでアルシェムは嘆息した。次に指示されるのは一体何だろうか。恐らくは続けて『リベールのアーティファクトの回収』が含まれるのだろうが、それだけではなさそうな気はする。

 と、そこに足音が聞こえた。カシウスは警戒したように微かに身構えるが、生憎そこに現れるのは味方でしかありえない。そこに現れたのは、金髪碧眼の麗人だった。しかも、カシウスも面識のある人物である。

「……シスター・メル?」

「これはどういう状況なのか説明してほしいのですけど、アルシェム?」

 金髪の麗人――メルは全く笑っていない目でアルシェムを見ながら微笑みそう問うた。ある意味コワい。アルシェムはカシウスがここにいる理由を何となくは察していたが、はっきりしていないので部下に責任をぶん投げた。

「リオがばらした」

「ちょっ、アルシェム!?」

「後でリオはお説教です。それより、言っておかなければならないことが」

 アルシェムはメルの言葉にうなずくと、メルはアルシェムの耳元に口を近づけてカシウスから口元が見えないように隠しながら囁いた。『リベールへの影響力の強化と《環》の回収、そして《身喰らう蛇》構成員の削減をこれから送る守護騎士と共に当たること』。要約すればそれだけの話だった。つまり、このままリベールで動けということ。

 アルシェムは渋面になって考え込み、そして一つの結論を出した。

「カシウスさん、わたし達はまだしばらくリベールで動くことになりました。本部に報告を入れてから本腰を入れることになりますが、こちらも《蛇》を追うことになりそーです」

「ふむ。なら目的は同じということだな」

 アルシェムにはカシウスが何を言いたいのか大体察していた。ここで取引を持ちかけさせようというのだろう。自分から持ちかけるより相手から持ちかけさせた方が条件を緩くさせやすいから。

 しかし、アルシェムはそれに引っかからなかった。

「えー、同じよーですね。ま、しばらくは《蛇》も潜伏しているでしょーから追っても見つからないとは思いますが」

「それは俺も同感だ。……ヨシュアもしばらくは潜伏しているだろう」

 そして、沈黙。どちらかが話を持ちかけて来るのを待っている状態である。むしろここで話を終えてもアルシェムとしては何ら問題はないのだ。リベール中枢部へのパイプなど、カシウスだけではない。直接女王にも会うことが出来るため、別にカシウスとのパイプを無理やり維持することもないのだ。最早『家族』でもないカシウスとのつながりなど、なくても構わない。

 対するカシウスは少しばかり焦っていた。ここでアルシェムを逃せば、このまま逃げ切られてしまう可能性が高い。何だかんだと言い訳をしてブライト姓を抜けたアルシェムは、恐らく二度と戻っては来ないだろう。だからこそ、心変わりをさせるためにもこのままずっと協力関係を築いていたかったのである。カシウスにとって、血は繋がっていなくともアルシェムは『娘』なのだから。

 その心情の差があればこそ、先に折れたのはカシウスだった。

「……協力してくれないか」

「何をです?」

「《蛇》の件でだ。もしもエステルがヨシュアと追うと言ったら、協力して欲しい。そうでなくとも、情報共有くらいは出来ればそちらとしても助かるんじゃないか?」

 アルシェムはその提案を聞いて黙考した。要はエステルにヨシュアを追わせなければ良いだけの話である。監禁でも何でもすれば間違いなく協力はしなくても良い。ただし信頼は地の底に堕ちるが。もし協力することになったとしてもアルシェム本人が表だって動くわけにはいかないので人物指定をされていない以上はある意味セーフ。情報共有はしても良い。ならば、決まりだ。

「条件を付けても?」

「ああ。そちらにもそちらの都合があるだろうしな。ただ、あまりおかしな条件は付けないでくれると助かる」

 カシウスはそう答えた。協力関係になることを呑んでさえくれればまだ時間はあると踏んでのことだ。このままアルシェムを闇の道へと戻すわけにはいかない。闇の中を歩んできたのだろう彼女に、これ以上闇に浸かって欲しくはなかったのである。――もっとも、アルシェム自身はカシウスの思うより深い闇の住人であるため、抜け出すことは不可能であり、光を見ることすらままならないのであるが。

 アルシェムは何の感情も浮かばせずにカシウスに向けて告げた。

「アルバート博士に《福音》への対抗策を探ってもらうことと《蛇》構成員の殺害の見逃しと《ハーメル》の一件の再調査。主に『誰』が『誰』を殺したのかというのを中心にしてお願いしたいな」

 カシウスはその言葉に渋面を造った。最初と最後の条件に関してはまだ問題はない。ただ、問題があるとすれば軍を動かすときに何といわれるかが問題なだけだからだ。しかし二つめの条件はマズイ。流石に殺人の見逃しだけは出来ない。リベールは法治国家であり、殺人は罪になるからだ。

 だからこそ、カシウスはこう答える。

「《蛇》の構成員の殺害に関しては出来ればやらないでほしい。《ハーメル》の件に関しては分かったが、これを呑むには条件が欲しいな」

「ものによるけど」

「七耀教会側の『生き残り』と交渉できるように取り計らってくれないか?」

 アルシェムはその言葉に目を見開き、視界の端で微かに頷く人物を見て首肯した。その人物こそが、七耀教会側の『生き残り』。彼女の正体をバラさないという条件付きでならば問題ないだろう。このあたりについては後で色々と言い含める必要はあるだろうが、それほどひどい条件ではない。

「それはしますけど、間違いなく彼女からも条件出されるけど良いんですか?」

「ああ、それは構わない。というよりも当然だと思っている」

 そうして――カシウスとアルシェムは契約を交わした。カシウスはこの契約を思い返した時、何故もう少し条件を詰めておかなかったのかと後悔することになる。

 

 ❖

 

 夜が明けた。雨が降っていた。隣のベッドには誰もいない。一体どこにいるのだろう、ヨシュアは。エステルはそう思った。いなくなったはずがない。あのまま去っていっただなんて夢に違いないのだから。

 エステルは部屋から飛び出してヨシュアを探す。王城の中。客室の一室一室まで。女王宮も訪ねた。ヒルダ夫人に聞いても分からない。王城には――いない。なら、どこにいるのか。

 考えた結果、エステルはこう判断した。――ヨシュアは先にロレントの家に帰っているのだと。そんなことは有り得ないというのは心のどこかで分かっていたのだろう。しかし、信じたくなかった。ずっと一緒にいたヨシュアがいなくなるなんてあるわけがない。アルシェムがいなくなった上にヨシュアもいなくなるなんて有り得ないのだ。

 飛行船に飛び乗り、途中でナンパを仕掛けてくる不良神父と会話をしつつもエステルは思う。早くヨシュアを見つけなくては、と。ヨシュアを見つければ安心できる。エステルの居場所は、ヨシュアの隣なのだから。

 しかし――ロレントに着いても。誰に聞いてもヨシュアを見たとは言わない。家に戻っても人の気配がしない。それでも部屋を開けて、どこかにヨシュアがいないかと探すエステル。それを、不良神父は痛々しいものを見たような顔で見ていた。

 そして、ヨシュアの部屋まで探したエステルは気づいた。――ここに、ヨシュアはいない。昨日の出来事は夢でもなんでもなく、事実だったのだと。ヨシュアは、エステルを置いて行ってしまったのだと。カシウスもいない今、エステルは――一人ぼっちだった。

 エステルが絶望に身を任せて涙を流そうとしたその瞬間。聞き覚えのある声が聞こえた。

「おじゃましまー……って、何でこんなとこにネギみたいな不良神父がいるわけ?」

「誰がネギや! 誰が不良神父やねん!?」

 お前だよお前、とエステルは心のどこかで突っ込みを入れつつその覚えのある声の方を振り向いた。そこには――旅に出てしまったはずの、アルシェムがいた。今までと同じ格好で、昨日となんら変わりのない様子で。

「アル……?」

「エステル、何打ちひしがれてんの? 悲劇のヒロインやっててヨシュアが帰ってくるわけ?」

「そ、それは……」

 少しだけ期待したのかもしれない。アルシェムに変わりがないということは夢ではないのかと。しかし、アルシェムから告げられたのはヨシュアがどこかへ行ってしまったという事実。それを受け入れるのに、エステルは少しの時間を要した。

「……分かってるわよ。ヨシュアは……行っちゃった。悪い魔法使いを殺すために……」

「……ずいぶんメルヘンチックなたとえだけど、アイツってそんな可愛げはないんだよねー……」

 エステルの言葉に、アルシェムは遠い目で返した。いくらどうあがいてもワイスマンは可愛くない。魔法使いというよりは魔王の方が似合いそうである。もしくは大魔王でも可。

 しかし、エステルはその言葉に露骨に反応した。アルシェムの言葉はつまり、『悪い魔法使い』の正体を知っていることになりはしないだろうかと思ってのことである。

「え……あ、アル、悪い魔法使いが『誰』なのか分かるの!?」

「まーね。一応わたし、ヨシュアと同僚だったみたいだから」

 しれっと爆弾発言をかますアルシェムに、エステルは久々にこう叫んだ。

 

「あ、あんですってー!?」

 

 最早死語なのだが、誰もそこには突っ込まなかった。その場にしれっといたシェラザードも、カシウスもである。カシウスはアルシェムについていくばくか知ってはいたが、シェラザードは知らなかったために同じように驚愕していた。

 驚愕していただけではなく、実際に詰問もしたが。

「ど、どういうことよアル!?」

「今は個人的に時間がないからその話はカシウスさんから聞いてくださいシェラさん。因みにエステル、ヨシュアを追うならあの『ベルガー少尉』を倒せないまでも喰いつけるくらいにはなっといた方が良いかな」

 アルシェムはシェラザードの詰問を避けてエステルにそう告げると、エステルは絶句した。女王宮でのあの超人的な戦いを見せられてから一週間。まだ鮮明に思い出せるその戦いは、控えめに言っておかしかった。控えめに言わなければ超人的過ぎて最早有り得ないレベルの戦いだったと言っても良い。ただ、不思議と喰いつけないとは思わなかった。

「そ、そんなにヤバい人がうじゃうじゃいるの? その悪い魔法使いのところ……」

「正式名称《身喰らう蛇》ね。そのあたりはカシウスさんから詳しく聞いてよ。わたし時間がなくなってきた」

 時計をちらりと見て定期船の時間に間に合わないと見たアルシェムは焦りながらそう告げた。こんなところから《メルカバ》を飛ばすわけにはいかないのである。特に、エステル達がここにいる今は。

 焦るアルシェムにカシウスが問う。

「どこに行く予定なんだ?」

「ちょっと伝手を当たりに行く予定なんだけど、定期船の時間が……」

「……分かった。また何かあったら王城かレイストン要塞に寄ると良い」

「りょーかい」

 アルシェムはカシウスとそれだけをやり取りすると、ブライト家から出てロレント空港へと向かって行った。ついでに不良神父もその場を去ったように見せかけて家の外で聞き耳を立てている。残されたエステル達は話を詰め始めた。

 エステルの意志は固い。ヨシュアを追う。そのために、強くなる。そう決めたエステルは強い。カシウスの提案で、エステルはレマン自治州にあるル=ロックルという場所の訓練施設に合宿に赴くことになった。多少は悩むかと思いきや、即決だったようである。

 というのも、エステルはアルシェムはともかくヨシュアに頼りきりだったからである。交渉も、戦闘も、依頼も。全てがヨシュアがいなければ上手く行かなかったような気がするのだ。まだまだ自分は未熟で、このままヨシュアを追うのが危険だというのも理解出来た。だからこそ、即決したのである。因みにアルシェムが普通に除外されたのはある意味反面教師だったからでもある。独断専行で危険な目に遭いまくる。しかし、それは恐らく自分が不甲斐なかったからだとも思った。だからこそである。

 そうして――エステルは、頼りに出来る人物の支えなしに自分の足で立って動くことを決めた。これが、エステルが本当に遊撃士としての道を歩む最初の一歩だったのかもしれない。それでも、今まで培って来たものと、これから培うものとを合わせればエステルは前に進める気がしていた。少しずつではあっても、確実に。




少しだけ展開が以前とは違いますが、大筋に変更はありません。

では、また。


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七耀教会本部への報告

旧83話のリメイクです。

では、どうぞ。


 アルシェムが定期船に駆け込み、複数の航路を使いながら途中で行方を眩ませる工作を終えたころ。カシウスへの情報漏洩の罰として一人で《メルカバ》肆号機を操縦することになったリオ・オフティシアは涙目になりながら必死で操縦していた。普通は複数人で操縦するものなのだが、現状の彼女の主エル・ストレイの従騎士はリオ含め三名しかいないのである。

「絶対、ぜぇったい後で危険手当貰ってやるぅー……!」

 《メルカバ》は空を舞う。しかし、その姿を見ることが出来る人物はいない。高高度で飛行し、なおかつ光学迷彩で姿を消しているからだ。問題があるとすれば機影が見えてしまうかもしれないことだけだが、そこはアルシェムの腕の見せ所。幻属性のクオーツをふんだんに使用したオーブメントを常時駆動させることで、《メルカバ》の影のみを認識させない結界を機体の周囲千セルジュに張り巡らせているのだ。もしも機影をとらえようとするなら、その《メルカバ》の存在する場所から直線距離で千セルジュ離れたところから望遠鏡を使うしかない。レーダーも普通に誤魔化してしまうので色々な意味で危険な飛行物体であった。

 それを操って故郷アルテリアまで辿り着いたリオは、途中で細い鋼糸を旧市街に投げ落とした。二度引かれる感触があって、それをリールで引き上げる。果たして、そこにはアルシェムが捕まっていた。アルテリア入国ぐらいまでならばしつこい追手がいたとしても問題ない。だが、この先はついて来させるわけにはいかないのである。リオはそのまま大聖堂――というよりはもはや宮殿か何かと呼べよとでも言わんばかりに巨大な城――の《メルカバ》専用発着場に《メルカバ》を到着させた。

「いやー、お疲れ」

「うう……ストレイ卿のバーカ……」

「んなこと言って良いと思ってんの? わたしの従騎士」

 二人でふざけ合いながら、彼女らはアルテリア大聖堂に降り立った。そこで彼女らを出迎えてくれたのは思ってもみない人物だった。むしろ、その可能性を考えたくはなかったという意味で。

「やあ。お帰りなさい、エル」

 そこに立っていたのは金髪を肩口で切りそろえ、豪奢な僧衣に身を包んだ青年だった。その衣服が示すのは、彼の身分が枢機卿であるということ。見た目の年齢からすれば有り得ないほどの出世をしている人物である。――血筋を鑑みなければ、だが。

「ただいま帰着いたしました、ジョバンニ枢機卿猊下」

 彼の名は、ジョバンニ。フルネームはジョバンニ・ウリエル。アルテリア法国の法王エリザベト・ウリエルが嫡子である。十年ほど前に市井から引き取られはしたが、血筋ははっきりしている。ある程度の期間父方の親戚に養育を頼んでいた、というふれこみであるらしい。もっとも、アルシェムにとってはどうでも良いことであるが。

 ジョバンニは丁寧に礼をしたアルシェムに困惑したように手を振りながらこう返した。

「そんなにかしこまらないで、エル。僕はもっとキミの顔を見ていたいんだ」

「お戯れをおっしゃいますな。……報告がありますので、御前失礼いたします」

 アルシェムは笑顔を張り付けてそう答え、礼をしてその場を立ち去った。そこで「戯れじゃないのに……」などとのたまう枢機卿など知らないったら知らないのである。アルシェムが最初に七耀教会を訪れてから幾度もこうして顔を合わせるが、どうにも彼女はジョバンニが気に喰わないのだ。出来るだけ関わりたくないと思っているし、何なら視界にも入れたくないと思っている。

 内心で溜息を吐きながらリオを従え、迷路のような道を進むアルシェム。防犯の観点から迷路状になっているのはよく分かるし、今現在の状況ではとてもありがたい――たまにジョバンニは追いかけて来るからである――のだが、急いでいるときにはとてもイラつくというのが現状である。

いっそ導力式の認証ゲートでもいくつか作ってやろうか、と思いつつアルシェムは迷路を抜けて小さな庭園に出た。そこに一瞥もくれずに突っ切り、最終的に辿り着いたのは円形の建物だった。

「あー……気が重い……」

「イロイロ無茶しすぎなんだって、ストレイ卿は」

 リオと何でもない会話をしつつ正面玄関を抜け、その真正面にある部屋――上空から透かして見れば円の中央からまっすぐ奥の壁までつながった部屋である――の扉を叩いた。すぐに返事が返ってきたため、アルシェムはリオと共に入室する。

 部屋の中で待っていたのは、緑がかったカーキ色の髪と真紅の瞳を持つ女性だった。しかも何がおかしいのかにやにやと笑っている。女性はアルシェムに向けてこう告げた。

「五分遅れだぞ、ストレイ卿。また枢機卿猊下に捕まりでもしたか、ん?」

「や、単純に飛行船が遅れただけだから、セルナート総長」

 ニヤニヤ笑う女性にアルシェムはそう返すと、溜息を吐いた。そう。あの枢機卿に絡まれるのはいつものことなのである。それで遅刻することも多々あり、からかいのネタにもされているが、彼女らが言うような甘い関係に等なったこともないしなりたいとも思わない。主に、過去の体験が関係して。

 アルシェムはその女性――守護騎士第一位《紅耀石》アイン・セルナートである――に向けて報告を始めた。カシウスが七耀教会に敵対することがないかを。そして、どう使えば七耀教会の利になるのかを推測も含めて、である。完全にカシウス・ブライトを売ったような形に見えるかもしれないが、彼は大陸に四人しかいないS級遊撃士なのである。警戒していない国はどこにもなく、警戒していない組織などありはしないのだ。いずれ誰かが調べることになるのならばと出来る限り詳細に報告したアルシェムは多分悪くない。

 途中からリオに報告を代わってもらって全てを詳らかにし、アルシェム達は報告を終えた。

「……成程な。迂闊には動かせんか……」

「まーでも、今はリベール軍に取り込まれた状態だからこちらから動かすって形は難しいと思うよ」

「だろうな……さて、ご苦労だった。ゆっくり休めと言いたいところだが……人員はいつでも足りていない。すぐにリベールに戻ってケビンと協力すると良い」

 そう言ってアインは煙草を一服し、ゆっくりと紫煙を吐き出した。どうやら話はこれで終わりのようである。しかし、アルシェムからの話はまだ終わってはいなかった。何故なら、任務についてどこまでやって良いのかという許可を得なければならないのである。彼女の脳裏には、偶然が重なりあわなければできない奇策が閃いていたのである。

「それなんだけど、アイン。《身喰らう蛇》構成員の引き抜きってあり?」

 アルシェムの問いに、アインは眼を見開いた。そして腹を抱えて笑い出す。どうやらアルシェムの考えていることに思い当たったようである。リオはそんなアインを見て絶賛引いていたが、態度には見せないようにしていた。

 ややあって、笑いを抑えたアインはアルシェムに問う。

「人物によるな。お前が御しきれるような人物でない限りは認めん」

「え、じゃーヒーナとかが抑えられても?」

 アルシェムはそうアインに返した。アインはヒーナの名を聞いて硬直した。ヒーナ・クヴィッテという女性はアインの愛弟子であり、昔アインの従騎士として引き抜こうかと思っていたくらい優秀だった女性だ。主に話術と法術において彼女はその才能を発揮する。

「許可する。だが、鎖は忘れるなよ?」

「勿論。あ、あと、リベールへの影響力を増す件に関してだけど……全てが上手く行けばヒーナとソイツにするかも」

「成程な。お前が引き抜こうとしているのは『彼』か……」

 アインはアルシェムの提案した人物が誰なのか思い至ったようで、暫し黙考した。確かにその人物はヒーナには逆らえないだろう。そしてリベールにも多大なる貸しがある。アルシェム本人が動けなくなる事態は避けたいし、何よりも釘をさすだけよりも人員を配置した方が効率的と言えば効率的である。デメリットはと言えば、ヒーナがリベールに釘づけにされるだろうということくらいか。

 考えをまとめたアインはアルシェムにゴーサインを出し、アルシェムはにやりと笑ってそのサインを受け取った。そして、他に言っておくことはなかったかと考えて――思い出した。言っておくことはどころではない。間違いなく報告しなければならないことを忘れていた。

「そーだアイン、忘れてたんだけど……」

 その言葉にアインは首肯したため、アルシェムはリベールで得たある意味一番重要な情報をアインに伝えたのだった。

 

 ❖

 

 一方、リベールに残されたヒーナとメルはというと、独自行動を再開するべく動き始めていた。ヒーナがある程度アルシェムの思考を想定できるため、準備だけでも進めておくべきかと思ったからである。とはいえ、ヒーナとメルが動くことになるとは到底思えないために主にリオの準備を進めることになるのだが。ヒーナもメルも戦闘員として動くというよりはいざという時の切り札であるべきだからである。

 よって、彼女らが準備するのは秘薬系統。新しく開発されたアセラスの薬とティアラルの薬を中心にして大量に調合していく様をグランセル大聖堂の司教に見られていたが、何もツッコミはなかったので良しとする。

 武器の整備も忘れてはならない。もっとも、リオのものは持参していってしまっているはずなので手入れは出来ないが、自分達のは出来る。メルの装備は申し訳程度のボウガンとアルシェムの開発した特殊オーブメントである。メルはアーツ極振りとでもいうべき体質をしており、一般的なオーブメントを使うと対人には使えないような強力な性能を発揮してしまうのだ。故に、特殊オーブメントのメンテナンスだけは欠かさないようにしていた。

 ヒーナの装備はと言えば細い針の如き法剣である。特殊オーブメントは持っているがあまり使うことはなく、この法剣と法術を駆使して敵を無力化し、交渉に持って行くのが彼女の戦い方である。また、彼女が独自に開発した法術、虚無の弾丸はアルシェムの従騎士達の中では重宝されている。――もっとも、その法術の効果があまりにも読めないので他の星杯騎士たちが使っていないだけともいう。

 虚無の弾丸という法術は、東方の気功の原理を利用して無属性の弾丸を放ち、その弾丸の中心で周囲に漂うアーツの残り香を利用して増幅して相手に状態異常を付与するという壊れ性能な法術なのだ。どんな状態異常が引き起こされるかはいまだに解明されていないため、使い勝手が悪いともいう。

 そこまで手入れが終わったところでメルが一言ぽつりと漏らした。

「……あまり無茶をしないであたし達を頼ってくれればいいんですけどね……」

 そのひとりごとにヒーナが言葉を返す。

「アルシェムのことですから、頼るということはしないでしょう。昔からそうなんですから……」

 はあ、と溜息を吐きながら秘薬を袋詰めにし始めたヒーナは、今は異国の地にいる主のことを想った。昔からそうなのだ。誰にも頼らず、その結果何かしら自分に不利益を被る。大体の場合は怪我で済んでいるが、いつか取り返しのつかないことをやらかしそうなのだ。特に、精神的に追い詰められたときは。

 これでも少しは緩和されたのだ。重要でないことだけでもヒーナ達に頼るようになったのだから。だが、緩和されただけであって何でも一人でやろうとする傾向はまだ消えてはいない。一人でやればその分他人への犠牲が減ると思っているのだろうが、ヒーナから言わせて貰えば複数人でやった方が誰も怪我をしなくて済むのである。

 それでもヒーナがアルシェムを見捨てないのは、恩と借りがあるからだ。そして、『家族』であった者としての親愛。ただそれだけでヒーナはアルシェムに従っていた。自分を顧みることはなくとも、他人に気遣うことが出来るアルシェムをヒーナは見捨てられなかった。まだ、『ニンゲン』という部分を棄てたわけではないと分かるのだから。

「……早く帰ってきてね、アルシェム」

 ヒーナは秘薬を袋に詰め終わると、アルテリアの方角を見てそうつぶやいたのだった。

 

 ❖

 

 リベール王国、ロレント市の一角にあるミストヴァルトにて。森の奥深くには一隻の船が停泊していた。それも、滅多なことでは人間が踏み入れられないくらい奥地に。その船の名は《メルカバ》伍号機。守護騎士第五位《外法狩り》ケビン・グラハムの所有する機体である。無論この場所にその船の主は存在し、目の前のモニターで通信を行っていた。

「……それで、エルちゃん。君らはどう動くつもりなんや?」

 目の前に映し出されているのは一応とばかりに僧衣を引っかけた銀髪の少女。誰あろう、アルシェムである。カメラで見切れている場所には恐らく従騎士達がいるのだろうとケビンは推測していた。

 通信先のアルシェムがケビンに向けて答える。

『従騎士ヒーナについてはグランセルに据え置き。従騎士メルについてもルーアンに据え置きかな。従騎士リオは……ま、カシウスさんについて行って名が売れちゃったからエステル達に同行させるとするけど』

 その答えにケビンは黙考した。リオという名の従騎士については知っている。理由があったとはいえ、闇で活動するはずの星杯騎士が名を売ってしまったという本末転倒なことになってしまっている女だ。そして、その実力はケビンも知っていた。

 大剣の形をした規格外の法剣を操る女。数々の従騎士を薙ぎ倒し、《紅耀石》の従騎士筆頭と目された女である。それが新しい守護騎士の従騎士となった時は騎士団内でかなり騒がれたものだ。

「……《破城鎚》をか……ま、ええやろ。オレは色々巡りつつエステルちゃん達にちょっかいかけてたら状況も分かるやろうしな。で、アンタは?」

『わたしは折角別の立場(笑)があるんだし、そっちから闇討ちなり話し合いなりで執行者たちを削いでくよ。だから間違っても全力で攻撃しないで貰えると助かるかな』

 ケビンはアルシェムの言う別の立場を知っていた。元執行者の守護騎士というのは彼女しかいないからである。執行者No.ⅩⅥ《銀の吹雪》シエル。それが、《身喰らう蛇》に所属していた彼女の名である。

「そうか……分かった。《銀の吹雪》ってちゃんと名乗ってや?」

『勿論。……っと、そろそろ定期船に乗り込まないと。じゃ、オーバー』

 アルシェムには一方的に通信を切られたが、ケビンとしてはどうでも良かった。使える手があるなら仲間でも使う。そして、アルシェムの使う手はかなり有効な手になるはずだ。何せ、相手の戦力を削ぐどころか説得できればこちらの戦力が増えるのだから。たとえそれが天敵ともいうべき《身喰らう蛇》の構成員だとしても。要は逆らえないように暗示をかけてやれば良いのだ。

 ケビンは自身の従騎士達に向けてこう告げた。

「さて、君らはアルテリアに戻っててくれ。あんまりここに長居すると万が一カシウス・ブライトに捕捉された時が怖いからな」

「し、しかし……!」

「問題ない。今回はサポートもおるし、単独潜入の方が都合がええんや」

 ケビンはそう言って《メルカバ》から降りた。そして《メルカバ》が飛び立つのを見送る。そうしないと理由をつけてでも居座りそうだったからだ。彼らがいたところで足手纏いであるし、何よりも彼らは戦闘要員ではなく《メルカバ》操縦要員なのだ。アルシェムの従騎士のように両方をこなせるというわけではない。

 彼女と同じように、ケビンもまた教会本部から従騎士を増やすよう何度も要請されていた。もっとも、彼もアルシェムも従騎士を増やすことはないだろう。少数精鋭の方が動きやすいと分かっているからだ。かつて彼の義姉ルフィナ・アルジェントも単独行動で動いていたと聞く。

 と、そこでケビンは義姉を思い出すとともにその妹リースについて思い出した。

「……リース、今何しとるやろうな……大食いの選手にでもなっとったらおもろいんやけど」

 木々の隙間からのぞく空に向けてそうつぶやいたケビンは、首を振ってその思考を振り払った。どう考えてもリースがそんな大食いの選手になっている光景が思い浮かばなかったからだ。むしろ飲食店とかで働いていそうである。

 ケビン・グラハムはふう、と溜息を吐くと、その場から立ち去った。

 

 ❖

 

「ほら、こんなのが可愛いんじゃない?」

 王都グランセル、エーデル百貨店にて。銀髪の煽情的な格好をした女性が栗色の髪の少女に向けてそう告げた。言うまでもなくシェラザードとエステルである。彼女らはエステルの新しい仕事着を見に来ているのだった。

 準遊撃士まではまだ仕事着を決める必要はない。しかし、正遊撃士ともなれば仕事着を決める必要が出て来る。そうでなければ、緊急時に特徴だけで遊撃士を探さなければならなくなった時に困るからである。だからこそ、シェラザードはいつも同じ服を着ていたし、エステルも最初からそれに慣れるべく同じ服を何着も買って着続けていた。

 準遊撃士から正遊撃士になる時の切り替えで服装を変えて登録していなければ、後々面倒な手続きと共に書類を何冊か提出する必要があるのだ。だからこそ、今のタイミングでシェラザードはエステルの仕事着を買いに来たのであった。

 まずは色から決めよう、と言われてエステルが告げた色はオレンジ。アルシェムと共に買ったブローチの色と合わせたかったのである。シェラザードはその選択に異を唱えることはしなかった。何となく推測はついたからである。

 だが、次のエステルの言葉は推測出来なかった。

「……えっと、それで……その、す、スカートに……しよう、かな」

 シェラザードはエステルの言葉を聞いて絶句し、そしてこれをネタにエステルをからかい倒すことに決めた。まだまだ精神的に不安定な妹分を慰めようという魂胆もあるが、半分以上は面白がっている。

「ふ~ん……じゃ、こんなのはどうかしら?」

 そうして――エステルはシェラザードにそそのかされるままに膝上ミニスカートな仕事着を買い、身に着けることになるのであった。




ここは長くやっておくべきかと思ったので引き伸ばしに引き伸ばされたのでした。

では、また。


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《銀の吹雪》と《怪盗紳士》

旧84話のリメイクです。
しばらくは執行者編ともいえますかねえ。

では、どうぞ。


 ――その日、彼女らは同じ空間に存在していた。一人は銀髪の少女。もう一人は、青い髪の男性だった。片方は言わずもがな、アルシェムである。当時はシエルと名乗っていた。そして、もう片方はブルブランと名乗る男。本名かどうかは定かではないが、世間では《怪盗B》の名で知られる人物である。そんな彼女らは、とある場所で向かい合っていた。

「……そうだ。そこからこう……」

 ブルブランがアルシェムに手ほどきをしているのは変装の技術。どこへ行くにしても本当の姿をさらさずに動く方が後々都合が良いのである。万が一目撃証言があったとしても別の姿に変装すればいいのだから。

 アルシェムがブルブランに指示された通りにこなし、一通りの作業を終えたころ。そこに一人の少年が訪れる。黒髪で、琥珀色の瞳が特徴的な少年だ。無論皆大好きよっきゅんことヨシュアである。

「変装の訓練の途中だったんだね、ブルブラン」

「ああ、ついでに君もやっていくと良い」

「そうだね。今回はどんな人に変装しようか?」

 ヨシュアがブルブランにそう問うて。そうして悪夢は始まるのである。ブルブランはヨシュアに次々と指示をして変装させていく。長い黒髪のヘアピース。上げ底をするためのシークレットブーツならぬシークレットピンヒール。網タイツに黒のレオタード。かさ増しするための胸パッド。煽情的なメイクに、最後にトレーとうさ耳を着けて完成である。

 ――バニー☆ヨシュアの爆誕であった。ブルブランは予想以上の出来に鼻を押さえ、アルシェムは遠い目をしてヨシュアの格好から目を逸らす。取り敢えず直視してはいけないモノがそこには存在した。

 しかし――それを運悪く直視しまった男がいる。それは……

 

「バニーカリン、だと……!?」

 

 《剣帝》レオンハルトだった。滅多に崩さない表情を崩し、驚愕の表情でヨシュアを見つめている。どうやら、破壊力があり過ぎるようである。顔は紅潮し、そのまま天にでも召されていきそうな表情をしていた――物陰で。アルシェムは誰かがいることには気付いているが、それが誰だとは特定できていない。

 そこにこれまた混沌を生み出す人物が現れた。いかにもふざけた雰囲気を纏った緑髪の少年、No.0《道化師》カンパネルラ――人呼んで宇宙人もしくはUMA、信頼は執行者ナンバー並――である。

 カンパネルラはバニーヨシュアを見て噴き出した。

「ぶふっ……よ、ヨシュア、キミ、何て恰好をしてるのさ!?」

「似合っているかしら?」

 そのカンパネルラの問いにヨシュアはしなをつくりながら答えるものだから、物陰のレオンハルトはそのあまりの破壊力にコメディタッチで吐血して悶絶する羽目になったのは言うまでもない。その物音でレオンハルトに気付いたらしいヨシュアは彼を見てこの変装は完成度が高そうだと思ったらしい。全く以て見当違いなのだが、そこは突っ込んではいけない。

 さて、敢えて描写してこなかったが、アルシェムは一体何に変装しているのかというと――

「で、キミはキミで何を大真面目にお婆ちゃんやってるの」

「え、だって誰もこんなお婆ちゃんが襲撃者だなんて思わないと思うから?」

 老女だった。それも、どこにでも良そうな気のいいお婆ちゃんである。腰を曲げているのは辛いものがあるが、杖を使いさえすれば体重は支えられる。実に合理的だろう、とアルシェムは言わんばかりに胸を張った。

 ――そんな、ある日の光景。

 

 ❖

 

「……なんてこともあったねえ」

 そう零したのは、ブルブランだった。ここはジェニス王立学園旧校舎の地下。ほこりまみれになった迷宮の奥深くに、二人の人物がいた。一人はブルブラン。そして、もう一人は長い銀髪を持て余している女だった。白い姫袖のブラウスに、紺色のプリーツスカート。白いタイツに編上げのブーツをはいたその女は、ブルブランの言葉に相槌を打った。それが本当は誰なのかを知っている人物はその女以外にはいない。

 この二人にはいくつかの共通点がある。《身喰らう蛇》に所属している/していたこと。その手は浸み込んだ血で穢れ、後戻りするつもりもないこと。そして、何よりの共通点として二人は似た仮面をその顔に張り付けていた。

「さて、シエル。今回は《ゴスペル》の実験で、実は今のところ手は足りているのだよ」

「うん。Bならその辺はぬかりなくやってるだろーなーとは思ってた」

 シエルと呼ばれた女――無論アルシェムである――は、隙を見せずにそう答える。彼はまだ知らないはずだ。《銀の吹雪》ことアルシェムが《身喰らう蛇》に戻るつもりはないことを。だからこそできる語り合いである。実際、アルシェムとしてはブルブランとなど話していたくはなかったのだが、情報を引き出すためである。

 ブルブランは何かを思い出したようにアルシェムに告げる。

「ああ、でもお願いしたいことはある」

「え、何?」

 アルシェムの疑問に、ブルブランはとある物体の整備を頼むことで応えた。アルシェムの目の前に屹立していたのは巨大な人形兵器。どこから持ってきたのかやどうやってここまで運び込んだかなど様々な疑問はあるがそれは問うてはいけないだろう。ブルブランは《身喰らう蛇》の執行者なのだから。恐らく不可能を可能にする手段はいくらでも持っているだろう。

 残念なことに有用な情報――《白面》の居場所など――は得られなかったが、ここでブルブランを叩き潰しておくというのも一手だろう。そう思ってアルシェムは人形兵器の整備をしながら仕込みを始めていく。

 粗方仕込みが終わったところで、ブルブランがアルシェムに声を掛けた。

「おや、どうやらお客人のようだ。……何なら、一緒にもてなしてやるかね?」

 アルシェムは周囲の気配を探って気付いた。と言っても、まだまだ遠い場所で魔獣と誰かが戦っている気配がしただけなので誰がいるとは特定できなかったが。この場合であれば迷い込んできた一般生徒という選択肢だけはないだけに、アルシェムはこう答えた。

「いや、流石に執行者二人がかりは可哀想だと思うよ?」

「ふむ……それもそうだね。ではゆっくりと観劇していてくれたまえ」

 そう言ってブルブランはその空間から移動した。アルシェムは肩を震わせて嗤うと、目の前におかれている紅茶に下剤を混ぜ、ブルブランの荷物の中にある全ての食物に細工をした。ついでに着替えや仮面にも麻痺毒を塗っておく。

 と言われるとアルシェムはブルブランを殺しにかかっているようだが、実はそうではない。彼ならばこれくらいの毒は体調が悪くなるくらいで済むし、そもそも致死性のある毒は入れていないのである。――今のところは。アルシェムにしてみればちょっとしたいたずらである。やられる本人からしてみれば洒落にならないいたずらではあるが。

 そして、アルシェムはその空間から出て隠形でブルブランの背後に潜んだ。ヨシュアにも劣らない精度の隠形であるため、ブルブランは看破できないだろう。そうして待つこと数分程。そこに現れたのは、想定通りの人物たちと想定できなかった人物だった。

 

「あ、あの幽霊!?」

 

 そう叫んだのは久し振りに会うエステルだった。その背後にはアガット、クローディア、そしてエステル達に同行するように命じていたリオがいる。ここまでは想定通りだった。しかし、そこにいるはずのない人物が混じっている。それは――

「フッ……とんだ目立ちたがり屋だねえ」

「テメェが言うな……」

 自称《演奏家》、オリビエ・レンハイム。エレボニア帝国の皇族であり、《放蕩皇子》の名をほしいままにする自由人。本名をオリヴァルト・ライゼ・アルノールという男がそこにはいたのである。恐らくはまたミュラーから逃げてきたのだろう、とアルシェムは思った。

 現実逃避気味の考えから復帰し、隠形を解いたアルシェムは忘れてはならない名乗りを上げる。その際、ブルブランに「出て来るのかね?」と言われたのはご愛嬌だろう。

「さて、初めましてになるのかな。あんた達が追い求めていたであろう《身喰らう蛇》の執行者、No.ⅩⅥ《銀の吹雪》だよ」

 それを聞いたリオがピクリと眉を動かしたのをアルシェムは見てしまった。後でお仕置き確定である。こんなところで怪しまれる要素を作らなくても良いというのに、何をしてくれているのだろうか、とアルシェムは思った。

 それを気にした様子もなくブルブランが続く。

「同じく私は執行者No.Ⅹ《怪盗紳士》ブルブラン。世間では《怪盗B》としても名が通っているよ。以後お見知りおき願おうか」

 ブルブランの言葉を聞いたエステル達は身構えた。やはり執行者が二人もいると思うと緊張するのだろう。だが、今のところアルシェムはブルブランを手伝うつもりは毛頭ないのである。残念ながら。

 アルシェムはひらりと手を振りながらこう告げる。

「B、それじゃーわたしは消えてるから」

「見物もしていかないつもりかね?」

「だって見てたって意味ないしねー」

 ひらひらと手を振ってその場からアルシェムは姿を消す。今は顔見せだけで良いのだ。エステル達と対立するつもりはこれっぽっちもないのだから。今のところは。今後は状況次第にもなるだろうが、今はまだ対立はしたくなかったのである。

 姿を消したアルシェムに警戒する様子のエステル達だが、ブルブランは彼女らが消えたアルシェムに向けた警戒という名の隙を突くことはしなかった。その代わり、壁の向こうに隠している人形兵器の起動を始めている。

 そこに声を掛けたのはクローディアだった。

「……あなたの目的は一体なんなんですか……?」

 微かに声が震えているのは恐怖しているからなのだろうか。それでも気丈に声を上げる姿にブルブランは胸を打たれたらしい。口角を上げてクローディアの問いに答えることにしたようである。

「それは野暮というものだよ、我が麗しの姫君」

 その言葉をブルブランが発した瞬間、エステルは声を上げてしまった。

 

「な、何でクローゼのことを知ってるの!?」

 

 その言葉は、彼に確信を持たせるに至った。本当はブルブランとて『クローゼ』がやんごとない身分の女性であることには感づいていたし、その裏付けもしていた。しかし、その事実を確信できるほどの情報があったわけではないのだ。もしクローディアが高貴な身分の女性でなかったとしても彼はそう呼んだだろう。彼にとって美しく麗しいものは至宝なのだから。

 ブルブランはまだまだ甘いエステルに教え込むようにして言葉を吐いた。

「フフ……元市長を逮捕するとき、私もそこに居合わせていたのだよ」

 その言葉を聞いたエステルは眼を見開いた。あの時に近くにいた/居合わせたと言えるのはエステル達とダルモア、ナイアル、デュナンとフィリップだろう。しかしそれ以外に居合わせようとしてできる人物はと言えば、とエステルは考えて――見つけた。そう言えば、あの時扉の前には執事がいなかっただろうか。

「ま、まさか、あの執事!?」

 エステルの言葉に、ブルブランは少しばかり意外そうな顔をした。まさかあの言葉だけで真実に辿り着くとは思ってもみなかったからである。これは評価を上方修正できるだろう、とブルブランは判断してエステルの言葉に返答する。

「ご名答。ああ……あの時の我が麗しの姫君は美しかった。凛々しく悪を糾弾するその姿……まさしく私のコレクションに相応しい」

 その言葉をブルブランが吐いた瞬間、クローディアは背筋に悪寒が走るのを感じた。何か狙われている気がする。クローディアのその思いは正しかった。ブルブランは次いでこう告げたのである。

「あの時の美しい輝きをもう一度見せてくれたまえ……巨悪に抗うその姿を!」

 ブルブランの声と共に、人形兵器ストームブリンガーがエステル達の隣から現れた。がしゃん、がしゃんと音を立てて迫り来る人形兵器を見たエステル達は、ブルブランへの警戒を解かずにそれぞれの武器を構える。

 しかし――その努力は、ほぼ無駄になった。牽制を入れようとオリヴァルトが放った弾丸が、全てを決したのである。

 

「ピー、タ……ゴルァ、スー……ウィッチ」

 

 そう、ストームブリンガーが音声を発した。そして、オリヴァルトが銃撃した場所から徐々に崩れ始めたのである。エステル達は油断せずにストームブリンガーの崩壊を見守ったのだが、爆発するだとかいきなり暴走し始めるだとかという事態にはならなかった。本当に壊れたようである。

「……え、ええー……嘘でしょ……」

 その場に妙な沈黙が流れた。一体どう反応すれば良かったのかわからなかった人物が半分ほど。《怪盗紳士》とやらは噛ませ犬的な存在ではないかと思った人物がもう半分ほど。そして、例外の人物は――とある人物に向けて問いを発する。

「どういうことだね? シエル。君はきちんと整備をしてくれたのではなかったのかな?」

 しかし、ブルブランのその問いに応えはない。アルシェムにはブルブランの疑問に応えるつもりなど毛頭なかったためだ。答えたところでアルシェムが得るものなどないのだから。

 そこで、ブルブランのこの動揺を付いてエステル達が彼の捕縛へと動き出す。ゆっくりとエステルとアガットはブルブランに近づき、視線が外れた瞬間に一気に間を詰めようとしたのである。

 しかし、ブルブランは腐っても執行者。それくらいのことには対処できる。奇術でその小部屋の明かりの光度を上げると、小刀を取り出してエステル達の陰に投げつけたのである。結果、エステル達は駆け出そうとした体勢のままでその場に縫い付けられてしまった。俗にいう影縫いという状態である。どういう原理なのかと突っ込んではいけない。

「くっ……」

 一歩も動けなくなったエステル達は焦りながら体を動かそうと試みる。このまま動けないと好き放題やられると誰もが分かっていたからである。クローディアの救世主となるべく吶喊してきたジークもブルブランの目前で止められ――本当に刺さる直前だった――、万事休すかと思われたその時。

 

「おおっ、皆さんキュートですねえ」

 

 突如現れた不審人物――リベール通信社のカメラマン、ドロシー・ハイアットである――がその手に持っていたカメラで盛大にフラッシュを炊いて写真を撮ったのだ。結果的にそのフラッシュの光によってエステル達は影縫いから解放されたが、ドロシーの暴虐はまだ続く。

「その表情も良いですねえ~、はい、チーズ」

「ぬおっ……」

 目の前でフラッシュを炊かれたブルブランは眼を閉じて後ずさる。執行者とはいえブルブランも人間なのである。目の前で閃光が瞬けば目つぶしされたのと同じ状態になるのは言うまでもない。

 馬鹿げたことではあるが確かに劣勢に立たされたことを察したブルブランは、捨て台詞を吐いてその場を去ったのだった。




多分疲れてたのよ。

では、また。


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《銀の吹雪》と《痩せ狼》

旧85話のリメイクです。

では、どうぞ。


 ――その日、彼女らは同じ場所で修練をしていた。片方は言わずもがな、アルシェム。もう片方はサングラスをかけて煙草を吸っている男――ヴァルターである。何度煙草は体に悪いと進言してもヴァルターは煙草を吸い続けているため、アルシェムは半ば彼の健康について諦めていた。

 そんな彼女らがいるのは空の上。飛空艇のデッキにて、二人は対峙していた。

「……おいおい、本当に始めて一週間も経ってないのかよ……」

 アルシェムの練る気を見てヴァルターがそう零す。いくら上達速度が異常であるという情報があったとはいえ、これはない。流石に酷過ぎる。確かにアルシェムの同類も同じように異様なほど早く気を身につけてはいたが、その人物よりも早いとなると異常というよりは特異だった。

 ヴァルターの視界に映る彼女の気は、恐ろしいまでにとぐろを巻いている。比喩ではない。本当に、蛇のようにとぐろを巻いているのだ。およそアルシェムのような少女がまとめきれる量ではない大量の気の集まりが、そこにはあった。

 と――そこに、とある人物が通りがかる。

「ヴァルター、何かレーダーにおっそろしい物体が映ってるんだけど……」

 緑色の髪の少年、カンパネルラがひょっこりと現れたのだ。彼は計器類を見ていて、デッキの上に発生した異常な魔獣のような物体を発見し、それが一体なんなのかを確かめに来たのである。そして、それは彼にとって不運の始まりとなる。

「丁度この辺……ブホァ!?」

 カンパネルラがその地点――アルシェムの前の空間である――を指さした瞬間だった。彼は何故か思いっきりぶっ飛んで行ってしまったのである。しかも、服がぼろぼろになりながら。

 そこで集中を切らしてしまったらしいアルシェムは眼を開けた。当然、目の前には何故かカンパネルラがぶっ飛んでいるという光景しか映らない。複雑な顔をしながらアルシェムはヴァルターに問う。

「えっと……何が起きたの?」

「……取り敢えずテメェ、大量に気を練るの禁止」

「はい?」

 首を傾げるアルシェムを見ながらヴァルターは戦慄していた。彼の目には映っていたのだ。気で出来た蛇――というよりはもはや龍――がカンパネルラの鳩尾に向かって突進し、荒金のようにその服を削って行ったのが。

 さしものカンパネルラも死んだか、と思ってヴァルターが声を上げる。

「死んだか?」

「し……死んでないよ! 何なのアレ!」

 憤慨した様子のカンパネルラ――服以外は全くダメージを受けていない様子である――を見て、あ、コイツ不死身だとヴァルターは思った。つまり、技をかけ放題ということになる。

 ニヤァ、と嗤ったヴァルターはカンパネルラに告げた。

「――ちょうど良い。付き合え」

「えっ……ちょおおっ!?」

 カンパネルラが吹き飛ばされていく。当然、アルシェムの訓練など後回しである。ヴァルターは、獰猛な笑みを浮かべながら嬉々としてカンパネルラ狩りを始めるのだった。

 因みに、アルシェムの創り出した気の龍は危険すぎるため、今後一切創造しないようにというお達しがあった。それが理由でアルシェムの気についての訓練はここで終わってしまったそうな。

 ――そんな、日常。

 

 ❖

 

 リベール王国、ツァイス地方。エルモ村の奥に存在する源泉にて。そこで、足湯に浸かりながら語っている人物たちがいた。ジジ臭いとか言ってはいけない。この温泉は気力を回復するという意味の分からない効果を持つのだ。気を扱う男――ヴァルターにとっては理想郷のような場所である。

「……えっと、そんなことあったっけ」

 そんな場所で昔話に花を咲かせていたアルシェムは冷や汗をかきながらそう言った。そんなこともあったかもしれないが、生憎記憶には残っていないのである。そう言えばヴァルターに会うたびにカンパネルラ(の服)がぼろぼろになっていた気もしなくはない。だがきっと気のせいに違いないメイビー、とアルシェムは思った。

 疲れたようにヴァルターはアルシェムに返す。

「あったんだよ……テメェ、あの後直下の七耀脈が乱れに乱れまくってたんだぞ……」

「え、何それコワイ」

 そんな他愛もない話に花を咲かせて。しかし、アルシェムはそれ以外のことにも精を出していた。足元の浅い温泉の中に浸かった七耀石をせこせこ回収していたのだ。謎の効能を持つ温泉の中に沈んでいるのだから、七耀石にももしかしたら謎の効果があるかも知れないと思ってのことである。

 ヴァルターは頭の上にタオルを乗せながらくつろいでいる。

「いい湯だな」

 ハハン、と鼻歌を歌いつつくつろぐその様子はやはり老人にしか見えない。何故か彼は温泉で定番なあの曲を鼻歌で歌っているのである。アルシェムはその鼻歌をあっさりスルーしてヴァルターに問うた。

「実験は順調?」

 ヴァルターはアルシェムの言葉に鼻歌を止めてこう答える。

「ああ。今度は誰が止めようとして来るか……楽しみだぜ」

 アルシェムは、ヴァルターには都合の良いようにブルブランの件を告げておいた。決してきちんと戦って善戦したなどという説明はしていないが、ブルブランを退けたという一点を以てヴァルターはエステル達一行の実力を楽しみにしているようである。

 と、そこでヴァルターは入口方面から誰かが侵入してくる気配を感じたようである。温泉から上がって足を拭き、体をほぐして移動し始めた。アルシェムには何も言わなかったため、どう動いても文句はないだろうと勝手に解釈して彼女も動き始めた。

 具体的に彼女が始めたことはと言えば、ヴァルターの浸かっていた足湯に仕掛けを施すことだった。と言っても、導力式ではない。足湯のお湯を限界まで増やし、近くのくぼみに水に触れると解ける紙で蓋をした塩酸を配置したのだ。ヴァルターが足湯に浸かってお湯をあふれさせた場合、そのお湯で紙が溶けて硫黄分と塩酸が反応するという仕掛けである。想像を絶する痛みに襲われて最終的には死ぬので良い子も悪い子も決して真似をしてはいけない。

 そして、次にアルシェムはヴァルターの財布の中のミラを取り出して硝酸をぶっかけた。これでヴァルターは一文無しである。硝酸は触れるだけでイロイロ溶けるので良い子も悪い子も以下略である。

 また、ヴァルターの荷物の中にある煙草の箱に小さな導力器を取り付けた。これは銀耀石を利用して作られており、彼がこの煙草の箱を処分しない限り幻影が現れるという効果を持っている。具体的には、額に肉と書かれる。鏡を見るか他人から指摘されるまでは気づかないことを考えると、微妙に笑えてきたが哀れだとは思わない。

 食料にはブルブランと同じく麻痺毒系統を仕込み、これでいたずらは終了である。えげつないと言ってはいけない。アルシェムとその周囲にいた人物はヴァルターからある被害を受けているのだ。――そう、受動喫煙させられているという被害を。

 そこまで終えて、アルシェムはヴァルターを追った。無論足湯には浸からないように注意して、である。流石に自分の仕掛けた罠で死にたくはないのだ。そして、彼女は見た。ヴァルターと、その前に存在する極彩色のミミズと対峙するエステル達を。

「わー、気色悪い……」

「気色悪いとか言うな。これでもなかなかの変異具合だぞ?」

「のーさんきゅーだわー……つーか、女の子の前でやらかすことじゃないわー……」

 ヴァルターの言葉から察するに、《ゴスペル》を使って変質させた七耀脈の影響でこうなってしまったようである。ここまで巨大化してしまっては、ドリュー系の魔獣の中でもグランドリューを連れて来なければ捕食すらして貰えないだろう。生態系を壊しまくっている。因みに、ジークならば餌に出来るかと問われるとそれも否である。彼は硫黄臭のする場所に侵入するのをクローディアから止められていたのだから。

 エステル達はというと、その極彩色ミミズに手間取っているようである。むしろこの場に遊撃士以外の人間を連れてきていることに突っ込みを入れればいいのだろうか。エステルとアガット、そしてリオは固定だ。それは分かる。だからといってあと二人連れて来るのにクローディアとティータはない。クローディアに関しては立場的にも問題がある。ティータに関しては、毛一筋でも怪我をさせてしまっては保護者が鬼と化す可能性があるだろう。そもそも幼女をここに連れてくる時点で色々と間違っている。

 その先頭の様子を見てヴァルターは零す。

「……チッ、期待外れか……?」

 その言葉に、アルシェムは呆れたようにこう返した。

「や、パワーファイターが二人しかいないでしょーに。明らかに人選ミスだよ」

 この場にジンがいればまた違ったのだろう。彼さえいれば膂力という意味でミミズごときには引けを取らなかったのだろうから。しかし、いない人物がいればと論じても詮無いことである。エステル達は補助アーツを駆使してアガットとリオを強化しまくっていた。

「それにしても女の方はともかく、あの男は荒削りすぎるぜ」

「A級が一人でもいれば違ったんだろーけどねー……」

 たとえば、《風の剣聖》。アリオス・マクレインという名の男ならばこの程度は一閃して一網打尽に出来るだろう。ジンも力押しで何とかなる。ただし、アルシェムの言うA級の中にクルツは含まれない。色々とやらかしてくれたクルツに対する信頼などそもそもないからだ。

 エステル達が長い時間をかけて極彩色ミミズを倒したころには、ヴァルターはすっかり醒めてしまっていた。この程度で《身喰らう蛇》に逆らうというのなら、無謀だからやめておけとでも言いたいのだろう。しかし、エステル達には諦める理由はない。

「み、皆……大丈夫?」

「大丈夫だよ」

「は、はい……」

「勿論だぜ」

「は、はうう~っ……」

 一人、どう見ても大丈夫ではなさそうな人物がいるがそこは突っ込んではいけない。彼女は若すぎるのである。そんな彼女――ティータを庇うようにしてアガットはヴァルターに大剣を向ける。

 その様子をヴァルターは煙草をふかしながら見ていた。ふう、と紫煙を吐き出して彼は告げる。

「……つまらねえ」

「え?」

 エステルはヴァルターの言葉に首を傾げた。一体何を以てつまらないと断じられたのだろうか。その疑問を抱いてしまったからこそ――ヴァルターの動きに反応することが出来なかった。

 この場で反応出来たのは二人だけ。アルシェムと、リオだけである。そして、ヴァルターの狙いがリオだったことが幸いした。リオはヴァルターの拳をギリギリのところで止めていたのである。

 リオは憤慨したようにヴァルターに告げた。

「何すんの、この変態!」

「誰が変態だゴルァ!?」

 いきなり変態呼ばわりされたことで思わず怒鳴り返してしまうヴァルター。リオからしてみればヴァルターはただの変質者だったのである。――彼の手が伸びた先には、リオの胸があったのだから。

 だからこそ、リオはヴァルターを成敗することに決めた。

「アンタ以外に誰がいるんだっての。喰らえ、インフィニティ・ホーク!」

 そのリオの声とともに荒々しく振られた大剣は、ワイヤーでつながれた剣の刃をまき散らしながらヴァルターの肉体を切り裂いた。完全に対人用ではないのだが、生憎ヴァルターは一般人ではない。おまけに七耀教会から言われているのは執行者の《身喰らう蛇》からの脱退。死亡すれば自動的に脱退になるため、対応としては全く以て間違ってはいないのである。

 ヴァルターは狂った笑みを浮かべて気を集めながら叫ぶ。それは、さながら狼の咆哮。

「クッハ……そうこなくてはなァ!」

 そしてヴァルターがリオに殴り掛かった。しかしリオはそれを半身で避け、拳が振り抜かれた隙に大剣を滑り込ませる。ヴァルターはそれを上体を逸らして避けた。今度は大剣を振り抜いた隙をヴァルターがつくのかと思いきや、彼がバック宙をして体制を整えた時にはリオの姿はそこにはない。

「……そっちか!」

 ヴァルターは自分のカンだけを信じて振り返りざまに拳を振り抜いた。そこには確かに何者かがいたが――それは、リオではない。

「何すんのヴァルター!?」

 それは、意図的に気配を発していたアルシェムだった。アルシェムは憤慨したようにヴァルターを詰問するが、彼はそれを意に介そうとはしない。

「そんなところにいるのが悪い!」

 と宣言してリオの姿と気配を探る。そして、リオの気配を見つけたと判断してそこに目を向けてみれば、そこにはやはりリオはいない。それを見てヴァルターはリオが気功使いであると判断する。

 あたりに蔓延する殺気は消えていないというのになかなか出て来ないリオに、ヴァルターがしびれを切らしそうになった時だった。そこに、新たな人物たちが現れたのは。

 

「無事かエステル!?」

 

 そこに現れたのは、ジンとシスターだった。エステルはその正体をいち早く看破してその名を告げる。

「え、り、リオさん!?」

「やっほー、エステルちゃん。まさかこんなところで分け身がやられるなんて思ってもみなくてさー」

 そのリオの言葉がネタばらしだった。エステル達に同行していたのは、リオ本人ではなく分け身だったのだ。その割には精巧に動いていて複雑な会話も出来ているということに疑問は残るものの、正真正銘の分け身である。

 そのことを悟ったヴァルターは歓喜した。あの程度ではないのだ。分け身というのは得てして本人よりも性能が劣るモノであり、リオと呼ばれた女はあれ以上の技量を持っているということになる。

 ただ、リオともう一度やり合うその前に問題があった。それは――

 

「久しぶりだな、ジン」

「ああ。正直、こう言った形では出会いたくなかったよ――ヴァルター」

 

 泰斗流の使い手、《不動》のジン・ヴァセック。かつてヴァルターと同じ師を仰ぎ、時を同じくして切磋琢磨しあっていた男である。そして――その致命的なまでの鈍感さで、ヴァルターの愛する女を苦しめた男だ。

「……ちょうどいい。ここで死合うとしようや、ジン」

「ヴァルター……俺は、お前を止める」

 そうして、彼らは気を練り始めて――戦いを始め、られなかった。

 

「バカなの? ねー馬鹿なの? 死ぬの?」

 

 アルシェムがヴァルターの首根っこを掴み、思いっきり後ろに引いたのである。彼女が危惧する未来は、全てが崩落の下になってしまうこと。こんなところで気を練れば冗談抜きで死にかねない。

 だからこそ、アルシェムはヴァルターを引かせ、エステル達をも引かせたのであった。




後々の伏線っぽいものを追加してみるスタイル。

では、また。


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《銀の吹雪》と《殲滅天使》

旧86話のリメイクです。
最近一話ずつのリメイクなのは仕様です。

では、どうぞ。


 ――あの時、彼女らは同じ世界で同じものを見ていた。アルシェムと、すみれ色の髪の少女。すみれ色の髪の少女の名は、レンという。十六番という番号を与えられた少女と十五番という番号を与えられた少女は――《銀の吹雪》と《殲滅天使》は、同じ場所で生まれ、そして同じく闇に堕ちた。

 その闇の中でも、穏やかな時は流れるものである。アルテリア法国の七耀教会の総本部の御膝元で、彼女らは買い物をしていた。今日の名目はアルシェムの執行者就任祝い。実はレンの方が先に執行者になっており、アルシェムは彼女に対してお祝いもしていない――とある任務で《身喰らう蛇》を離れていた――ため、レンの執行者就任祝いを兼ねてもいるのである。

 彼女らが訪れた店はゴスロリ風の服が多く取り扱われている専門店《イノセントメイデン》。そこで、レンがアルシェムを着せ替え人形にして服を選んでいた。ベタベタのピンクフリルから、シックな服まで。アルシェムにとっては残念なことに、フリルもしくはレースが一つもついていない服は存在しないのである。

 何度も服に袖を通しながらアルシェムはレンに訴えかける。

「れ、レン~……も、もうちょっとフリル少な目で……」

 しかし、レンはアルシェムの言葉をバッサリと切って捨てた。

「駄目よ、女の子は着飾らなくちゃ!」

 そう言って手渡されたのは、茶色のジャンバースカート。既に買うブラウスはアルシェムが今身に着けている姫袖のもので決定しているため、それに合わせる服を模索しているのだ。因みにこのブラウスはこの店で一番フリルの少ないブラウスでもある。襟に控えめのレースがあしらわれていて、胸――と言ってもまな板だが――の下で切り替えられており、姫袖の起点の部分にもリボンがあしらわれているだけの比較的シンプルなデザインのものだ。

 シャッ、と音を立ててアルシェムがそのジャンバースカートに着替えている間もレンは休むことはない。次に何を着せれば似合うかを考えつつ服を選ぶ。もし機会があれば、その服を着て執行者として活動してほしいとレンは思っていた。服は着なければただの布きれなのだから。

 そして――レンは発見した。これならば文句はないだろうと思える一品を。そのスカートは、この店には珍しく細かいプリーツの入った紺色のスカートだった。裾からレースが見えているものの、それほど派手ではない。そして何より、膝よりも若干下までの長さがある。これならば文句はないだろう。そう判断して試着をしているアルシェムの元に戻った。

 そこには、似合わないとは言わないがそこはかとなく違和感のあるアルシェムが待っていた。どうやら茶色は思いのほか似合わないようである。試着室のカーテンから姿を見せていたアルシェムはレンに向けてこう告げた。

「……ど、どう?」

「うーん……それでも良いけど、シエルの好みに合いそうなのがあったのよね」

 そう言ってレンはその手に持ったスカートを差し出した。アルシェムはこれなら比較的足を晒さなくて済む、と思いつつ受け取って試着室のカーテンを閉めた。次に出て来た時にはそのスカートを穿いているだろうと思ったレンは着替えが終わるのを待つ。

 そして、アルシェムは着替えを終えて出て来た。その姿を見てレンは頷くと、店員に向かってこう告げる。

「シエルが着ているのを一式、あと白のタイツとそこのショートの編上げブーツを買うわ。一括で」

「え、ちょっ……」

 アルシェムが止めようとするのを店員は聞こうともせずにレンに向けてこう問うた。

「かしこまりました。お召しのままお帰りになりますか?」

「ええ、このままよ」

 そうして、アルシェムの意見は封殺されたままその服はお買い上げとなり、先ほどまでアルシェムが着ていたもの一式はその店の紙袋に収納されることになったのであった。店員はにこにこ笑顔で紙袋を一つ余計に準備し、そして見送りまでしてくれる。

「ありがとうございました」

 店を出たところで手渡された紙袋の数が多くても、レンは気にしなかった。それがアルシェムの荷物だと疑わなかったからだ。しかし、その紙袋の中身はアルシェムが買ったものである。元々アルシェムの荷物ではなかった。

 アルシェムはレンと手を繋いで大通りを歩き始める。途中の露店でレンと揃いのリボンを買って、道の端っこでお互いの髪にリボンを結びあった。

「うふふ、お揃いね」

「そうだね……っと、これ」

 そこで、アルシェムは先ほどの紙袋をレンに向けて差し出した。レンは不思議そうな顔でそれを見ていたが、服のお返しとお祝いだとアルシェムが告げると破顔して受け取ってくれる。その中に入っていたのは――

「わあ……」

 レンが感嘆の声を上げる。彼女の視線の先にあったのは、すみれ色のケープだった。ちくりと頭が痛んだ気がしたが、それでも大切な人からの贈り物を貰えたことでレンは幸せの絶頂にいた。

 しかし――空の女神は残酷だった。幸せの絶頂にいた彼女を、不幸のどん底まで陥れるのは簡単である。彼女の視線の先にいたのは、赤子を抱いて幸せそうに笑っている一組の家族だったのだ。赤毛の女性と、すみれ色の髪の男性。抱かれた赤子の毛は赤い。

 その家族の、母親は告げる。残酷な言葉を。

 

「前の子はあんなことになってしまったけれど、でもよかった。女神様は私達をお見捨てにはならなかったのね」

 

 結局、彼らの言葉を聞き終えてしまうまでレンはその場から動けなかった。彼女の闇は深い。容易には抜け出せないのは分かり切っていたことである。しかし、今この時にそんな言葉を聞かなくてはならないのかと、レンは空の女神を恨んだ。

 ――そんな、日常の中の悪夢。

 

 ❖

 

「久しぶりね、シエル」

「うん、久し振り、レン」

 リベール王国、王都グランセル。エルベ周遊道から外れておくに入ったその場所で、アルシェムとレンは再会を果たしていた。数年ぶりの再会である。もっとも、アルシェムはこのまま《身喰らう蛇》に戻ることはないのでもしかすると最後の対面となるかも知れないのだが。

 レンの目の前にはどこかで見た覚えのある人形たちと、巨大な紅の人形兵器がいた。あった、と表現するのは安直だろう。人形たちに関しては『あった』でも全く以て問題はない。しかし、紅の人形兵器――ゴルディアス級人形兵器《パテル=マテル》はレンのよりどころであり、微かにではあっても感情を持っているのだから。

 レンは気になっていたことをアルシェムに問う。

「ねえ、シエル、ヨシュアは今どうしているのかしら? 帰ってくるって約束したのに一向に帰ってくる気配がないの」

 その問いに、アルシェムは顔を曇らせて答えた。実際にヨシュアに《身喰らう蛇》に帰られても困るのだが、レンに嘘を吐くわけにもいかないのだ。レンは、アルシェムの大切な『妹』とでも呼ぶべき存在なのだから。

「ヨシュアは……ここ数年で大切な人が出来たみたいだよ」

「そうなの?」

「うん。ヨシュアを闇から救い出してくれた人がいたんだ。エステルって言う名前の、太陽みたいな娘だよ……まあでも、今はその人から離れて行動してるみたいだけど」

 その言葉を聞いたレンは口をとがらせてむぅ、と唸った。ヨシュアが帰って来ないのはその人のせい。ヨシュアはその人とやらに情が移ってはいるが、その人の存在がなくなればレンの元へと帰ってきてくれるだろうと彼女は判断した。

 ただ、自身だけの判断では怖いと思ったのかレンはアルシェムに問いかける。

「そのエステルって人を消せばヨシュアは帰ってきてくれるかしら?」

 その問いに、アルシェムは即座に首を振った。縦にではない。横にである。エステルを消せば、ヨシュアは暴走特急ばりに《身喰らう蛇》に対して手段を選ばず襲撃を掛けるだろう。下手人に対してはどんな報復があるか分かったものではない。ヨシュアはヤンデレの上にエスコン――エステル・コンプレックスの略――なのである。

 首を振るだけではなく、アルシェムは言葉を付け加えた。

「無理。そんなことしたらヨシュアに嫌われるどころか五寸刻みにされてもおかしくないと思うよ」

「そ、そう……」

 そう言ってレンは思考を巡らせ始めた。どうすればヨシュアがレンの元へと帰ってくるのかを。

 一つ目は、エステルを《身喰らう蛇》に入れること。危害を加えてしまえばヨシュアから何をされるか分からないが、《身喰らう蛇》に招けばヨシュアもついてくるかもしれない。ただし、デメリットとしてはエステル本人が承認しないことには《身喰らう蛇》に入れられないこと、そしてもし彼女の意志に反して入れたのならばヨシュアに嫌われたうえで《身喰らう蛇》が壊滅しかねない。

 二つ目は、《身喰らう蛇》に関係なくエステルを誘拐すること。どこかの山奥にでも隠れ家を見つけてエステルを監禁し、ヨシュアをおびき寄せて穏やかに暮らすというのも悪くないかもしれない。しかし、デメリットも当然ある。まず、大人しくエステルが監禁されない可能性がある。そして、ヨシュアがエステルを監禁したことに何も言わないとは思えないことだ。これもまず却下である。

 三つ目は――レン自身が、《身喰らう蛇》から脱退すること。そうすればヨシュアのいるところにいても何の問題もない。ただし、もしもレンがヨシュアに嫌われていればと考えると怖くて動けない。

 結局、レンは動けない。失うのは怖いのだ。自分の全てが否定されてしまう気がして、怖い。その感情は数年前に一度味わったことがあるからこそ、もう二度とあんな思いはしたくないと思っているのだ。

 そんなレンを見かねてアルシェムは告げた。

 

「もし、レンが――表に戻る勇気が出たら、わたしと一緒に暮らさない?」

 

 その言葉は、アルシェムが星杯騎士となった時から抱いていた思いだった。間違いなくずっと《身喰らう蛇》に居続けることは出来ないと彼女は知っていた。そう――『シエル』が執行者となるその前から。執行者となる前から、アルシェムは守護騎士だったのだから。

 アルシェムの言葉にレンは動揺する。

「え、で、でも……」

「今すぐはちょっと無理だけど、七耀教会の方に根回しできる人を知ってるんだ。《パテル=マテル》についてはちょっとイロイロ手続きはあるだろうけど、七耀教会の後ろ盾があれば《身喰らう蛇》も手出しは出来ない。頑張れば抜け出せないこともないよ」

 そのアルシェムの誘いを聞いて、レンは眼を閉じる。その誘いは正直に言って本当にうれしい。本当に何のリスクもないのだとすれば、その手を取ってしまいそうだ。だが、《パテル=マテル》が本当に七耀教会に認められるとは到底思えない。分解されて終わりというオチとて有り得る。それだけは許容できなかった。

 だからこそ、レンはアルシェムの申し出にこう回答した。

「シエルの言葉はとっても嬉しいわ。でも……レンね、《パテル=マテル》がいなくなったら生きていけない。《パテル=マテル》が絶対に分解されないっていう保証がない限り、レンはそっちにはいけないわ」

 その言葉を聞いたアルシェムは少しばかり落ち込んだような顔をした。ただしその脳内ではいかにして《パテル=マテル》を認めさせるかという問題について考え始めていた。

 もう少し《パテル=マテル》が小さくて軽ければ問題はなかった。最悪の場合、《メルカバ》に積みさえすればいいのだから。アインにさえ根回しできれば何の問題もなかった。しかし、彼の巨大さでは《メルカバ》に搭載するのはとても無理である。何よりも機密保持が護れない。アルシェムはレンを従騎士にするつもりなど毛頭ないのだから。

「そっか……」

 しんみりとした空気が二人の間に流れた。それを察したのか、レンが話題を変えようと試みる。

「そう言えば、シエル。シエルは今回の計画に関わるつもりはあるの?」

 レンの問いを幸いとばかりにアルシェムはそれに応えた。こればかりは本音で、である。ただし余計なことは言わないように簡潔に言うことにはしたのだが。本音を言えば立場的に《身喰らう蛇》に戻るわけにはいかないことを説明しなければならないので省いたのである。

「いや。だってわたし、教授嫌いだし」

「わからなくもないけれど、今が楽しければそれでいいじゃない?」

 アルシェムはレンの言葉に曖昧な笑みを浮かべることで答えに代えた。今が楽しいだけでは生きられないのだ。先の先まで予測したうえで動かなければ、しがらみに足を取られて死にかねない。

 これ以上ぼろを出さないよう、アルシェムはレンに別れを告げた。

「そろそろ行くね、レン」

「そうなの? 折角だからお茶会を見ていけば良いのに」

「ごめんね。あんまり時間がないんだ。本当は見てたいんだけど……」

 レンにはアルシェムが少しばかり焦っているように見えたため、あっさりと別れを告げた。しかし、実際はアルシェムは焦ってはいない。ただとある人物と接触を持たないわけにはいかないだけである。

 アルシェムはレンと別れると、隠形で身を隠したままグランセル大聖堂に入った。そしてヒーナを呼び出し、今現在確実にリベールに干渉しようとしている執行者について情報の共有を行うように告げる。

 今現在動いていることが分かっている執行者は4人。《剣帝》に《痩せ狼》、《怪盗紳士》に《殲滅天使》である。もしかすると《幻惑の鈴》と《道化師》も出張ってくる可能性もあるが、まだ確証はない。《幻惑の鈴》に関しては関係者が遊撃士の中にいることが確認できているため、ほぼ確実には来るのだろうが。《道化師》の気まぐれだけはどうも読めないのである。

 ヒーナと別れ、レンが配置しているだろう役者が『誰』であるか探るために一端ボースに寄ったアルシェムはそこにいる人物の組み合わせに顔をしかめた。そこにいたのは物陰に隠れているシェラザード・ハーヴェイとアネラス・エルフィード、そして――

「……そこにいるのはシエル、かな?」

 そう声を掛けて来たのは、緑色の髪の少年――もといカンパネルラだった。どうやら彼も関わる気満々のようである。アルシェムは溜息を吐いたうえで能面になって言葉を吐き出した。

「えーとそこにいる遊撃士二人に告ぐ。早くお茶会に招待されないとグランセルが大変なことになりましてそーろー。関係資料等はそのあたりから勝手に探りやがってくだせーな」

 酷く棒読みの言葉にシェラザードとアネラスは動揺してしまったようである。いるのが気配でバレバレだ。シェラザードとアネラスは油断せずに武器を構えてゆっくりと現れる。

 口を開いたのは、シェラザードだった。

「悪いけど、あんた達を放置するわけにもいかないのよね。素直に捕まって目的云々語ってくれる気はないかしら?」

「そんなことを言われると捕まる気にも言う気にならないんだけどなぁ……」

 カンパネルラがぼやくが、アルシェムは違った。その場から全速力で逃げに徹したのである。カンパネルラなど知ったことではない。

「え、あ、待ちなよシエル! このか弱い僕を置いて行く気!?」

「うん。つーか、あんたならすぐ抜け出せるでしょ。遊撃士さん達、テントの中をとっとと調べるんだね。じゃ、ばいなーらー」

 ひらりと手を振ってアルシェムはその場から飛び出し、山を越えて逃げおおせるのだった。背後で「何でYAAAAAAAAAA!」と叫ぶネギ神父などアルシェムは知らない。知らないったら知らないのである。

 その後、シェラザードとアネラスはテントの中を調べて全力でグランセルへと向かったようである。そして予定通りにお茶会は進んだようだ。伝聞でしかないものの、アルシェムは事態について驚くほど詳しく把握できていたことをここに明記しておく。




執行者の格好のイメージはそんな感じ。

では、また。


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《銀の吹雪》と《幻惑の鈴》

旧87話のリメイクです。

SCってFCより長くなかったっけ……短くなるんだけど(困惑)

では、どうぞ。


 ――あの時、彼女らは同じ罪を背負っていた。大切な人達を死に至らしめてしまった女と、大切な人達を護り切れなかった少女。似て非なるものではあっても、失うかもしれなかった対象はほぼ同じ。その女――ルシオラは後悔していた。アルシェムと同じように。想いを受け入れて貰えなかったことで罪に手を染めてしまった自分に対して。

 そんな彼女らは、とある庭園でお茶をしていた。周囲に咲き乱れているのは色とりどりの薔薇。アルシェムの前にあるのは紅茶で、ルシオラの前にあるのは東方から伝わったジャスミン茶である。

「……ルシオラは紅茶、呑まないの?」

 アルシェムは目の前のポットを持ち上げてルシオラに問う。しかし、ルシオラは黙ったまま急須からジャスミン茶を入れることで拒絶の意を示した。アルシェムは紅茶派で、ルシオラは東方系のジャスミンだとかプーアルだとかウーロンだかというお茶派なのである。

 急須から注いだジャスミン茶を一口口に含んだルシオラは、それをゆっくりと嚥下してアルシェムに問う。

「シエルはジャスミン茶を呑まないのかしら?」

「や、嫌いじゃないけどせっかくいい茶葉が手に入ったし、今は紅茶を楽しんでたいなーって」

 因みに、ここでアルシェムが呑んでいる紅茶の銘柄はディンブラという。薔薇の香りがする紅茶らしい。分かりやすく言うならば、午○の紅茶のストレートティー――断じておい○い無糖などではない――と同じ味だと言えば分かる人もいるのではないだろうか。

 と、そこにとある人物が現れた。

「あ、美味しそうなお茶会してるんだね。混ぜてよ」

 彼の名はカンパネルラ。言わずと知れた《道化師》である。そして、彼の登場とほぼ同時に、折角の紅茶とジャスミンの香りを台無しにする人物がやってくる。それは――

 

「や ら な い か」

 

 と言いながら煙草を吹かして酷薄に嗤ったヴァルターだった。因みに彼がやろうと言っているのは模擬戦。ついこの間発覚したカンパネルラの謎の強靭さを買ってのガチンコ勝負である。

 そこで、ルシオラは俯いて立ち上がった。アルシェムにはルシオラの顔が見えていたため、彼女がかなり怒っていることが分かっている。しかし、その顔が見えていないヴァルターとカンパネルラには分からない。それが、彼らの不幸だった。

 ルシオラは肩を震わせながら声を漏らした。

「ふふ……うふふ、うふふふふふ………」

「え、あ、えーっと、ルシオラ?」

 カンパネルラはルシオラの様子がおかしいことにここで気付いて撤退しようとする。しかし、ヴァルターに捕まっているため逃げることが出来ない。ここでカンパネルラがヴァルターを振り払って逃げてさえいれば巻き込まれなかったというのに、彼はその選択を誤った。

 ルシオラはバッとその手に持った扇を広げた。

「折角の最高級の茶葉が……」

 そして、その扇が振るわれると――彼らの視界には執事のような格好をした能面のレオンハルトが見えた。しかも、複数。その執事レオンハルトは手に持った剣を振りかぶって――

 

「天誅」

 

 と口々に言いながら襲い掛かってくる。ヴァルターはひとまずカンパネルラから手を離して執事レオンハルトに立ち向かい始めた。カンパネルラは顔をひきつらせてその場から脱出し、事なきを得ているがヴァルターだけは違った。

「ちょっ……」

 本来ならば拳の一振りで幻影を消すことなど容易だったはずのヴァルターは、ルシオラの怒りによって天元突破された幻影を解くことが出来ていない。不意打ちだっだというのもあるが、彼は根本的にこの幻影を消す気がなかった。彼の目的は強者と戦うことだからである。たとえそれが幻影であっても、レオンハルトよりも若干劣る性能しか持っていないとしても、ここでレオンハルトとやりあえるのは僥倖らしい。

 ルシオラはふらふらとレオンハルトの幻影と戦っているヴァルターを後目に優雅にジャスミン茶を呑んだ。ヴァルターが暑苦しく戦う度にルシオラから遠ざかっていることに、彼はまだ気づいていない。

 ルシオラはふう、と溜息を吐くと言葉を漏らした。

「全く……煙草なんて絶滅すればいいのに」

「ま、確かに香りは台無しだよねー……」

 アルシェムも同意するように苦笑して紅茶を呑み終ると、席を立った。そろそろ休憩の時間も終わりにした方がよさそうだったからである。この後はまた訓練を再開するか、任務が入るかの違いはあっても体を動かすことには変わりない。

 と、そこにルシオラがアルシェムに声を掛けた。

「シエル」

「何? ルシオラ」

「……また、一緒にお茶をしましょう」

 アルシェムはその言葉に首肯し、その後も何度かルシオラとお茶会をすることになる。そこにレンが混ざることもしばしばあり、安らぎのひと時ともなっていたのであった。

 ――そんな、非日常の中の平穏。

 

 ❖

 

 リベール王国、ロレント地方。ミストヴァルトのセルべの大木の下で。自然物では有り得ない椅子と机の上に、高級感の漂うポットと薫り高いお茶が用意されていた。無論、その椅子には二人の人物が座っており、片方の人物はどこかの露出狂遊撃士のような格好をしていた。もう片方は言うまでもなくアルシェムである。

「……お茶菓子はないのかしら?」

 そう問うたのはシェラザードばりに露出の多い女性――ルシオラだった。アルシェムは苦笑して手に持った紙袋をテーブル――ルシオラが幻術で変化させているだけで、実際には切株である――の上に置く。

 その紙袋を開くと、そこにはマカロンとクッキーが入っていた。ハンカチを開いたアルシェムはその上にざらりとそれらを滑り落とし、ルシオラに勧める。ルシオラはそれを手に取ってさくりとかじった。

「あら……もしかしてこれって」

「そ。リンゴ味のマカロン。こっちはオレンジ味ね」

 アルシェムの説明を聞きながらルシオラはマカロンをかじった。本日のお茶は東方のお茶ではなく紅茶。銘柄はヌワラエリア。今回に限って、紅茶はルシオラが用意していた。唐突に紅茶が呑みたくなったとルシオラは言っていたが、恐らくアルシェムが来るのを予測していたのだろう。

 アルシェムも自作のマカロンをかじりながら紅茶を楽しんだ。今日の紅茶にはレモンを入れたくなるが、今ここにはレモンはないためオレンジ味のマカロンで我慢する。

 まるで敵対していることなど忘れてしまったかのような光景であるが、そもそもルシオラにはシエルが裏切っていることなど伝わっていない。執行者同士で久しぶりに顔合わせをしているのだろうとしか思っていなかった。

 ルシオラは穏やかな時を過ごしながら茶飲み話としてこう切り出す。

「そう言えば、シエル。ブルブランが最近面白いことになったのを聞いていて?」

「や、聞いてはないけど……何かやらかしたの? あの変態紳士」

 首を傾げてアルシェムはそう問い返す。全く以て心当たりがない、とでも言いたげな顔をしているが、内心では違う。この間やらかしたいたずらが功を奏したのかもしれないと期待してルシオラの話を聞こうと思っていた。

 ルシオラは肩を震わせながらこう告げる。

「彼、この間ルーアンのカジノの景品になったそうよ」

「……は?」

 いたずら成功について聞きたかったというのに、その答えは流石に予想の斜め上過ぎた。ルシオラから詳しく聞くと、彼女は快く語ってくれる。何でも、ブルブランはカジノで一儲けしてから別の場所へと移動しようとしていたらしい。しかし、カジノまでもう一歩というところで体が動かなくなったそうだ。そして、カジノの主人がよくできた人形だと勘違いしてカジノに運び入れ、麻痺が解けて逃げ出そうと思った矢先に景品として出されたらしい。

 つまり、ブルブランへのいたずらは物凄い形で成功してしまったようである。まさか麻痺毒如きでそれほど動けなくなるとは思ってもみなかった。アルシェムは顔をひきつらせながらクッキーをかじる。

 紅茶でクッキーを流し込み、アルシェムはルシオラに問う。

「それで、そこからあの変態紳士はどうやって脱出したの?」

「……持ち帰られて倉庫に入れられた後、こっそり抜け出したらしいわ」

「そ、そっかー……」

 アルシェムは遠い目をした。流石にその事態は想定していなかった。しかし、それで終わりではなかったらしいのだ。何と、もう一度体が動かなくなり、怪奇現象だなんだと言われながらもう一度倉庫に戻されたらしい。

 災難だ、とは思ったが、別に同情するつもりもなかったアルシェムはカップを傾けて紅茶を呑む。そして、次に話題になったのは――

「……えっと、もー一回」

「だからね、シエル。あの煙草男、変質者として指名手配されたらしいわよ」

 ヴァルターのことだった。多分その評価はおかしい、とアルシェムは思う。確かに言っていることは変態的に聞こえないこともない。しかし、彼が言いたいのは強い人間と戦いたいということだけで、他意はないはずなのだ。あってたまるか。

 ルシオラはクッキーに手を伸ばしながらアルシェムに告げる。

「特徴がこれまた傑作なのよ。黒塗りの眼鏡に額には肉って書いてある筋肉ダルマなんですって」

 危うく口の中のものを吹き出しそうだったアルシェムは、何とか耐えた。おかげで鼻の奥が痛くなったがそれを気にしている場合ではない。ヴァルターは気づかなかったのか。煙草の箱に細工がされていたことに。

 曰く、彼が指名手配されることになったのは、ツァイス市街で大道芸を始めたことに端を発するらしい。恐らくはアルシェムがミラを物理的に消滅させたことで文無しとなったためだろう。何となくその光景を見てみたい気にもなったが、そこはかとなく笑いの予感がしたので想像するのは止めておいた。

 瓦を割り、丸太を砕く大道芸人のうわさはすぐに広がったらしい。額に肉と書かれているのを除けばあからさまに一般人ではないのだが、娯楽は娯楽である。たちまちミラが集まり、ほくほく顔でツァイスを脱出しようとして――見てしまったらしいのだ。強い男を。しかもツァイス市街で。

 彼は言った。『や ら な い か』と。至極真面目なその男――マクシミリアン・シードは拳を構えるその男が模擬戦を申し込んでいると思い、それに真顔で応えてしまったらしい。『ああ』――その、シードの言葉が終わる前に街の女子――ただし腐っている――はふおおおっ! と歓声を上げたそうだ。そして、シードに聞こえる範囲で言ってしまったのだ。

 『濡れ場よ!』という言葉を発した女性は、生涯そのことを後悔することになる。何せ、目の前でシードがブチ切れたからだ。真面目なシードでも濡れ場の意味は知っているのである。『この街中で婦女子にそんなことを口走らせるとは何事だ! 不埒ものめ、連行する!』と叫んだシードは、ヴァルターの望み通り死合いを始めた。

 そして、最終的にはヴァルターは這う這うの体で逃げ出したそうだ。そして、シードはその場にいたらしい奥さんに正座させられて説教されたとか。誰が一番哀れなのかは言うまでもない。

 それを悶絶しながら聞いていたアルシェムはプルプル震えながら顔を上げた。すると、思い出し笑いをしているルシオラが見えた。ここは笑いどころで間違いないらしい。

 ひとしきり笑い終わった後、ルシオラはアルシェムに問うた。

「貴女も何か面白いお話はないの?」

 アルシェムはその言葉に応えて面白い話――というよりも、半ば謎かけのような言葉を口にする。

「じゃ、救われないと思っているけど他の人から見れば救われてる女の話でもしよーか」

 それは、ルシオラに打ち込む楔のようなものだった。たとえ聞き流していようが、絶対にルシオラは聞き流せない話だ。アルシェムはゆっくりと語り始めた――とある女の話を。

 彼女は孤児だった。孤児院に入れられて、そこから里親に引き取られた。その里親はとても優しい人で、他にも子供がいるにも拘らずその女にも優しくしてくれる。そんな親に――特に父親に、女は惚れてしまった。

 しかし、その想いを告げられると思うほど女はおめでたい頭をしていなかった。彼女がその恋心を父に告げれば家庭は崩壊する。分かっていて、言えなくて数年が経って――女は少女から女性になっていた。

 その頃からだった。彼女に記憶の欠落が見られ始めたのは。ふと気が付けば、別の場所にいる。それが怖くなって父に相談するけれども父は真面目に取り合おうとはせず、曖昧に言葉を濁すのだ。それが何故なのか、女は分からなくて苦しんだ。

 そしてその日はやってくる。父は女にお見合いの相手を連れて来たのだ。顔合わせをした瞬間からの記憶は、彼女にはない。彼女が気付いた時、父は彼女の目の前で崖から飛び降りていた。そして悟った。――父を殺したのは自分だと。

 そこから女は家から逃げ出し、紆余曲折あって人殺しの集団に拾われた。だが、彼女は優しすぎて。殺せと言われた標的を催眠術でマインドコントロールして操る術を手に入れ、人殺しの集団はそれを容認した。そして、女は人を殺すことなく生きているのである。

 ――それを聞き終わったルシオラは、眉をひそめてアルシェムの顔を見た。一体何が言いたいのかわからなかったのだ。何かしらが琴線に触れて来て、何だか癪に障る話。その真意を聞くべく、ルシオラはアルシェムに問うた。

「それで……彼女はどうして救われていると思うのかしら?」

「だって、彼女は自分の意志ではただの一人も人間を殺してないんだよ?」

 そう言われて、ルシオラは気づいた。確かに彼女が手を掛けたという父親は勝手に目の前から飛び降りたともいえる。そうだ、勝手に自分で――そこで思考にノイズが入る。でもルシオラ・ハーヴェイだった自分は想いを告げて自分で団長を殺さなかったか。そうに違いない。団長はこのまま一緒にはいられないとルシオラに告げたから。それを容認することなんて到底できなくて。だから。ルシオラ・ハーヴェイだった自分は団長の背を――その映像がぶれる。

 一瞬だけ垣間見えた映像には、優しく微笑みながらルシオラの方を振り向いた団長の姿が映っていた。そうだ。ルシオラ・ハーヴェイだった自分はそんな優しい団長を――

 そこまで考えたルシオラは、中身もないのにカップを傾けている自分に気付いた。無意識に飲み干していたことに気付かなかったらしい。ルシオラは罰の悪そうな顔でカップをソーサーにおいた。

 そこで、アルシェムは薄く笑いながらネタをばらす。

「ま、実際その女は誰も殺してなんかいないんだけどね。父親は義娘の気持ち悪さに辟易して自殺したんだし」

 そしてアルシェムはカップに残っていた紅茶を飲み干して立ち上がった。余ったお菓子は回収するつもりもなかったため、そのまま置いて行くつもりである。あまり食べると太るのだ。

 来る時よりはお菓子の分身軽になったアルシェムはルシオラに告げる。

「じゃ、またね」

「……ええ……」

 呆然としたままのルシオラを放置して、アルシェムはその場を去る。そこには、思索にふけるルシオラがただ一人残されていた。




しいて言うなら嫌がらせの結果。

では、また。


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《銀の吹雪》と《剣帝》・上

旧88話~89話半ばまでのリメイクです。

一話には、まとまらないのでした。

では、どうぞ。


 ――あの時、彼女らは同じ場所で穏やかな時を過ごしていた。少なくとも、彼女がいなければ。彼らはそう信じていた。穏やかな顔で笑いあう象牙色の髪の青年と黒髪の姉弟。彼らの中にいたはずの銀色の少女は、彼らの記憶の中にはいなかった。象牙色の髪の青年の名はレオンハルト。そして黒髪の姉弟の名はカリンとヨシュア。銀色の少女は言うまでもなくアルシェムである。

 彼らの記憶の中に生きる少女達の名は、シエルとエルシュア。無愛想な少女と、人懐っこい少女。非日常の象徴と日常の象徴。彼女らとともに、彼らは生きていた。シエル達は捨て子であり、カリンが拾ったのである。

「レオン兄、レオン兄、今日も勝負しよう?」

 そう無邪気にレオンハルトに語りかけるのはエルシュア。彼女はレオンハルトと共に遊撃士を目指す同志であった。同じ得物を使い、同じようにけいこをし、たまに模擬戦を行う。基本的にはレオンハルトが勝利するのだが、たまにエルシュアが勝利することもあった。

「ああ。手加減はしないぞ?」

「望むところだよっ!」

 はたから見ていても微笑ましい光景。ただし、その剣戟は微笑ましいでは済まされない。レオンハルトには剣の天稟があったし、エルシュアもレオンハルトには及ばないものの中々の才があった。

 そうして勝負は終わり、そこにカリンとヨシュア、そしてシエルが現れる。カリンの手には飲み物が、シエルの手にはおやつが入っていると思しきバスケットがあった。それを見てエルシュアは歓声を上げ、カリンに向かって駆け出す。

「カリン姉、来てくれたの?」

「ええ。そろそろ終わるころだと思ってね」

 カリンは木陰に腰をおろし、一同もそれに倣った。カリンの入れてくれたハーブティーを呑みながら、レオンハルトとエルシュアは体を休める。それを見たカリンは懐から取り出したハーモニカを吹き始めた。それに合わせてシエルも歌い始める。

 穏やかな時間。誰もが幸せで、何もかもが光り輝いていた時だった。無論、そんな時がずっと続くわけもない。終わりの時は徐々に近づいて来ていた。それを誰もが望んでいなくとも。

 きっかけは、シエル。彼女が血相を変えて村の外から飛び込んできた時だった。

 

「大変だよ、村の外に猟兵みたいな人たちがいて、ここを襲うって!」

 

 その情報を誰も信じることはなかった。何故なら、シエルという少女は嘘を吐く癖があるのだ。エルシュアの方が可愛がられているからと言って、妬んでいるのである。少なくともレオンハルトはそう思っていた。

 ただ、いつもと違ったのはシエルが皆にその情報を吹聴して回った時の態度だった。本当に必死に彼女はその嘘を訴えかけていて、もしかしたら本当のことではないかと思わされた人物もいた。

 しかし、村の外から帰ってきた村人がそんな人物たちを見ていないことを証言すると、いつものようにシエルが嘘を吐いているのだと判断される。それが分かっていてなおシエルはその嘘を吹聴して回った。それまで以上に必死に。

 シエルの嘘をいい加減腹に据えかねていた村長がシエルを村から追放するまでそれは続いた。しかし、流石に追放されてからは村に現れることはなかったのである。何故かその時からエルシュアも姿を見せなくなっていたが、不思議なことに誰も彼女を探そうとはしなかった。

 

 そうして――運命の日は、来る。

 

 目の前に広がるのは焼けていく家屋、退廃的な光景。逃げ惑う村人たちは、無残に殺されていく。それを見たレオンハルトは、部屋の隅にかけてあったお下がりの剣を持って駆けだした。

 カリン達を救わなければ。レオンハルトの脳内にはそれしかなかった。近づいてくる猟兵達を一刀両断にし、駆ける。愛しい幼馴染の元へと。そして、彼は見た。彼女に覆いかぶさる猟兵と、蹲るヨシュア。そして、その猟兵の首が宙を舞うのを。

 その猟兵を殺したのは――シエルだった。何故かカリン達にはその剣を向けてはいないが、血で濡れたそれは既に幾人もの人間を斬っているに違いない。だからこそ、レオンハルトは彼女を糾弾した。

 

「お前がこいつらを招き入れたんじゃないのか!?」

 

 彼女はそれに上手く応えられないようだった。それがますます彼女への疑念を膨らませる。本当に彼女は村人たちを売ったのではないか。その服についている血は村人たちのモノではないのか。

 レオンハルトが彼女を詰って。だが、そんなことをしている場合ではなかったのだ。丁度、カリンとレオンハルト達を引き離すようにダイナマイトが投げ込まれたのである。

 その時のことを思い出すと、レオンハルトは未だに葛藤を余儀なくされる。何故、レオンハルトはカリンではなくヨシュアを護ってしまったのか。少しでもダイナマイトに近かったからとはいえ、何故自分がカリンを護ろうとしなかったのか。ヨシュアを救えたことは確かに嬉しかった。しかし、レオンハルトが真に護りたいと願っていたのはカリンではなかっただろうか。

 結局、レオンハルトは足手纏いなヨシュアを近くの村まで運び、戻った時には全てが終わっていた。そこにはただの一人も生者はいなかった。村人たちは無残な屍を晒し、猟兵達もまた胴体から首が泣き別れしていた。

 その村の中心で、レオンハルトは慟哭する。

 

「うああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 その慟哭は――誰にも届かない。救いたいと願った大切な女性にも。救った弟分にも。近くにいるのならば救わなければならなかった妹分にも。猟兵達を村に招き入れた憎い少女にも。

 ――そんな、地獄。

 

 ❖

 

 リベール王国、ボース市。霧降り峡谷の奥深くにて。本来ならば道もなくたどり着けないようなその場所に、アルシェムは潜入していた。本当ならば姿を隠す必要などないのだ。そこにいる存在とアルシェムとは面識があるのだから。以前準遊撃士としてボースを訪れた際、間違ってそこに迷い込み、その存在との面識を得たのである。

 その存在の名は――

「レグナートに何してんの? 《剣帝》」

 レグナート。リベールの聖獣である。そしてその前に立っていたのは《剣帝》ことレオンハルト。人呼んでレーヴェである。彼をレーヴェと呼ばないのはアルシェムと使徒の第二柱《深淵》くらいのものである。

 レオンハルトは顔をしかめると、アルシェムに向きなおって応えた。

「……シエルか。教授に言われて《ゴスペル》の実験をしている」

 そう言ってレオンハルトはレグナートに向きなおった。まるで『シエル』には興味がないと言わんばかりのその態度は、それ以上のことを答えるつもりはないと示しているようだ。

 アルシェムは苦笑しながらこう返した。

「実験するのはいーんだけどさ、何でレグナート?」

「計画に関わっていない貴様には関係のない話だ」

 にべもなくそう返すレオンハルト。以前から嫌われているのは知っていたが、ここまでとは思っていなかった。彼からしてみれば当然の話なのだが、アルシェムは彼にそこまで嫌われるようなことをした覚えはない。どちらかの記憶が食い違っているのである。そして、この場合間違っているのはレオンハルトの方だった。

 アルシェムは溜息を吐いてその場から立ち去ることにした。このままここにいても身のある話など望めそうもなかったのだから。ゆっくりと背を向けて立ち去るアルシェムに、レオンハルトは声を掛けることはなかった。

 レグナートと話し合うという目的を果たせなかったアルシェムは、霧降り峡谷から脱出して隠形で姿を隠した。これより先はどの姿で動こうが関係ないと思えたのだから。執行者の姿で動いても何ら問題はない。執行者でなくとも問題はないのだ。――星杯騎士でさえなければ。

 だからこそ、おおっぴらに動ける格好をアルシェムが選んだのは必然だった。隠れ動くよりもしがらみは多いが、その分出来ることが増えるのである。その出来ることの中には、レオンハルトとの対峙もあった。

 よって、アルシェムは変装を解き、以前までと同じ格好に着替えなおしてボース市街へと足を踏み入れた。その先には恐らくエステル達もいるだろう。そう考えると実に気が重かったが、アルシェムはそれでも進んだ。リオがいればレオンハルトとは戦えるだろうが、勝てるとは言えないのだから。

 アルシェムがボース市街を散策していると、久し振りにメイベル市長達と顔を合わせることになった。メイドのリラを連れて歩くさまはまさにお嬢様なのだが、メイベルはただのお嬢様ではない。ボース市を一手に支える敏腕市長なのである。

 メイベルはアルシェムに声を掛けた。

「あら、そこにいるのは……アルシェムさんではありませんか?」

「あ、お久し振りです、メイベル市長。ご機嫌いかがですか」

 アルシェムはそつなくメイベルに返すと、メイベルは苦笑して応えた。

「あまりよろしくありませんわね」

 そして、メイベルはアルシェムに問われるままに応えた。最近ボース市で発生している異様な数の手配魔獣の情報を。アルシェムはその情報を聞いて顔をしかめた。この後に持ち出される話が一体何なのか想定できてしまったからである。

 メイベルはアルシェムの想定通り、こう切り出してきた。

「貴女は以前遊撃士協会の協力員で、《氷刹》という二つ名まで与えられたのでしょう? 協力しては頂けないかしら」

「お断りします。わたしはもう遊撃士協会とはかかわりのない人間なので」

 アルシェムは淡々とそう答えた。アルシェムはもう遊撃士ではない。そして、協力員でもないのだ。悪く言えばただのプー太郎なわけだが、働く気もないのである。既に収入源はあるのだから。

 メイベルはたじろいでアルシェムの言葉に答える。

「そ、そうですか……じゃあ、エステルさん達に頼みますけれど本気なんですの?」

「本気ですよ。エステル達に任せておけばいーんです」

 冷たくそう言い放ったアルシェムはでは、と言ってその場から立ち去った。そういう依頼は遊撃士にすればいいのだ。アルシェムが関わろうと思っているのは《身喰らう蛇》であり、手配魔獣などではないのだから。

 そして足早にメイベル達から遠ざかろうとして――失敗した。横から飛び出してきた女が、アルシェムに抱き着いたからである。その女の髪は栗色をしていた――無論、エステルである。彼女らはロレントでの試練を超えてここまで来たのであった。

「アル……!」

「エステル、苦しい離してぎゃー」

 アルシェムは棒読みでそう返しながらエステルを引きはがしにかかる。エステルの腕力では圧死することはないが、痛いのは嫌なのである。しかし、エステルはアルシェムを離そうとはしなかった。

 しかも、それに追随するようにくっついてくる少女がもう一人。アルシェムの腕をつかんで離さないその少女は――ティータだった。腕を握りしめたままじっと見上げて来るティータを見てアルシェムは遠い目をする。

 そんなアルシェムの遠い目を止めたのはシェラザードだった。

「その目は止めなさい」

「痛いですシェラさんのばーか」

「……もっと痛くしてあげても良いのよ?」

 シェラザードは鞭を取り出してアルシェムを半眼で見た。無論この場合の正答は素直に謝ることである。慈悲はない。アルシェムは眼を元に戻してエステル達を強引に振りほどいた。

「取り敢えず邪魔」

「じゃ、邪魔って何よぅ! し、心配してたんだからね……!」

「心配しなくても問題ないのに……」

 ふう、と溜息を吐くと、エステルは憤慨しながら説教の体勢に入ろうとする。流石に道端で説教をされては敵わないと判断したシェラザードに首根っこをひっつかまれ、アルシェムはもう踏み入れるまいと思っていた遊撃士協会に連行されていった。メイベルたちもびっくりである。

 遊撃士協会に叩き込まれたアルシェムは、エステル達が依頼終了の報告を見ていても良いのかと思いつつ大人しくしていた。大人しくしていないとティータが涙目で睨んでくるのである。これにはさすがに参ってしまったようだ。因みに彼女らが受けていた依頼は様子のオカシイ手配魔獣の討伐だったそうだ。メイベルの依頼は少しばかり遅かったようである。

 アルシェムはエステルの報告が終わって話が途切れるころを見計らった。ぜひとも耳に入れておいた方がよさそうな情報を伝えるためだ。ただ、痛い子だと思われそうなのは必至だが。

 そして、話が切れる。アルシェムはルグランに向けてこう告げた。

「あ、そーいえばこの間の少尉殿、見たよ」

 そうアルシェムが発して一拍の後。一同は思い思いに声を上げた。それが誰なのかを彼女らは知っていたからである。ロランス・ベルガーという偽名を使っていた男。それが、アルシェムの言う少尉殿である。

 エステルがアルシェムの方を掴んでがくがくと揺らしながら問い詰めて来る。

「ど、どこで見たのよ!?」

「霧降り峡谷の上の方。ただし古代竜に《ゴスペル》っていうオマケつき」

 無論、そこまで聞いたエステルが言う言葉は一つしかない。久々の死語である。

 

「あ、あんですってー!?」

 

 その後は質問攻めに遭うしかなかった。レグナートと友達だと言えばエステル達には可哀想なものを見る目で見られたが、それ以外に説明しようもないのだ。一体どう説明すれば良かったというのか――彼が、そもそもアルシェム・シエルという存在を知っていたということを。

 だからと言って寂しい子扱いはない。アルシェムに友人がいなかったわけではないのだ、と主張しかけて止めた。そう言えばアルシェム、ボッチである。エステルの友人は知り合い扱いであるし、彼女以外を経由して友人になれる人物がいたわけでもない。クローディアはどうかと言われると、友人ではなく王族だと答えるしかない。ティータは留学先の子供であるし、それ以外に友人はと言われると――いなかった。《身喰らう蛇》連中は論外。レンはどちらかと言われると手のかからない妹程度の認識だ。そう言えば昔とある場所で友人になった水色の少女がいた気もするが、そもそも今の立場になった時点で友達と言えるかどうかは謎である。

 質問攻めの中で一応初対面ということになっているリオとも自己紹介を済ませたころ。アルシェムは不意に背後を振り向いた。勿論そこに誰かがいるわけでもなく、建物の先に強い気配を感じたのだ。

「どうしたの、アル?」

「なーんか嫌な予感するんだよねー……」

 複雑な顔をしたアルシェムは、怪訝そうにアルシェムの背後を見やる一同を放置して遊撃士協会から飛び出した。そして、彼女がそこで見たモノは――

 

「……わーい、そりゃねーよ、レオン兄……」

 

 竜の背にまたがる無駄に格好いいレオンハルトだった。




レオンハルトから見たハーメルの一件はこんな感じ。

では、また。


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《銀の吹雪》と《剣帝》・下

旧89話半ば~91話のリメイクです。

やっぱり若干展開が変わるという。

では、どうぞ。


 リベール王国随一の巨大マーケットの上に、それはいた。悪く言えば上に人の乗った酷くシュールな爬虫類。格好よく言うとイケメンに使役された無駄に迫力のあるドラゴンである。言うまでもなくイケメンはレオンハルトであり、ドラゴンはレグナートである。

 アルシェムはレグナートには話が通じないと判断し、レオンハルトに向けて声を掛けた。

「取り敢えずこれ以上暴れさせんの止めて貰えるかなレオン兄。後でレグナートが気に病むから」

 その声を――正確にはその呼び名を――聞いたレオンハルトは顔を歪めてアルシェムを見下ろした。どこか記憶に残っている顔。彼が『シエル・アストレイ』だと思っている少女が、そこにいる。それだけで激昂しそうにもなるが、ここは街中。今はレグナートを御するだけで精いっぱいなのである。

 だが、言葉だけは返した。

「そう呼んでいいのはエルだけだ。貴様じゃない」

「あんたの言うエルなんて最初から存在しないんだけど、ま、言ってもしょーがないよね」

 アルシェムは煽るようにレオンハルトに向けて吐き捨てる。煽っているのはわざとで、注意をアルシェムのみ向けさせるため。確かにエステルは強くなっただろう。だが、今この状況で彼と対峙して無事に生き残れると思うほどアルシェムは彼女の強さを信じてはいない。

 そこに火に油を注ぐような行為をする人物がいる。それは、『執行者を捕縛ないし殺害する義務のある』リオだった。

「執行者No.Ⅱ《剣帝》レオンハルト、大人しくお縄についてよね! さもないと……ね?」

 すらり、と抜き放たれるのはエステル達ももう見慣れた大剣型の法剣。この距離でも十分レオンハルトに届くだろうことは、彼も十分理解していた。かつて彼は戦ったことがあるのだ。法剣の持ち主、《紅耀石》が従騎士《千の腕》ルフィナ・アルジェントと。

 その場の空気が切り替わる。戦闘に突入する直前のその空気に、エステル達はボースマーケットがレグナートによって押しつぶされかけていることを一瞬だけ忘れかけた。

 その空気にさらに火種を持ち込むのがアルシェムだ。今ここで、偽りの答えを吐くわけがないことをアルシェムは知っていて彼に問う。

「ねー、レオン兄。答えて」

「……何を答えろと言うのだ? お前如きに」

「あんたが今なお知ろうとしない真実に背を向けてまで執行者を続ける理由を」

 その瞬間――レオンハルトはその手に持っていた剣を一閃させた。吹きすさぶ嵐。しかし、アルシェムはそれを避けることなく受け切った。何故か全くの無傷で出て来たアルシェムは、それでもなおレオンハルトを見つめ続けた。

 そんな彼女を見てレオンハルトは言葉を吐き出す。

「……見極めるためだ。この世界が……誰かを犠牲にして成り立っているべきなのか」

 アルシェムはそのレオンハルトの答えを鼻で笑った。実際に誰かが犠牲になってしか成り立たない世界であるのは確実なのに、彼は一体何を言っているのだろうか。誰かの犠牲無くして人間は生きていけない。そんな当たり前のことが常識としてまかり通る世界を、見極めたいのかと。

 馬鹿にするようにアルシェムは言葉を吐く。それが彼にどう受け取られるのかもわかっていてなお、言葉を吐くのを止められない。

「そんなバカげたことにこれから先も命をかけていくって? あんた真性のバカだよ」

「貴様にだけは言われたくないな。カリンを殺した貴様にだけは――!」

 レオンハルトがレグナートの背中を蹴って飛び出そうとしたその瞬間。レグナートが炎を吐いた。どうやらギリギリまでは制御されていたようだが、レオンハルトが激昂したことで彼の制御下を一時的に離れてしまったようである。

 それに真っ先に反応したのは、この場で一番常識からかけ離れた技を使えるリオだった。

「それ冗談抜きでヤバいよお馬鹿! えーと、詠唱省略! グラールスフィア!」

 リオが展開した力場はレグナートの炎で焙られるはずだったエステル達の身体を見事に守ってみせた。――もっとも、背後の家屋ことレストランの前の壁は消し炭になったが。従業員たちは壁越しだったため、ぎりぎり火傷程度で済んだようである。

 そこでようやくレグナートの制御を取り戻したレオンハルトが舌打ちをしてボースから移動させ始める。彼らが向かう方角には村があることは知っているはずなのだが、それでも彼は移動する気のようだ。そちらの方が被害が少なくなると見て。ただし、そこに住んでいるはずの人間個人個人にまではもう気が回っていない。被害を少なくしたところで、傷つく人間がいるのは確かなのだが。

 レグナートの飛び去る方角を見たアガットはその場から駆け出した。ラヴェンヌ村はアガットの故郷なのである。その故郷にあの巨体が降り立てば――間違いなく、被害は甚大なものになるだろう。それだけはさせてはならない。

 アルシェムはゆっくりと溜息を吐いてエステルに告げた。

「……アガットさんはわたしが。エステル達はボースマーケットの中の人たちの救助を」

「……無茶だけはしないでよね。アル、単独行動取ると大抵酷い目に遭うし」

「否定は出来ないってのが何ともねー……りょーかい」

 エステルは多少逡巡しているようだったが、アルシェムは強引に押し切ってその場から駆け出した。このまま何もなければいい。だが、このまま何も起きないとは楽観視できなかった。

 アガットを追い、ラヴェンヌ山道からラヴェンヌ村、次いで廃鉱方面へとアルシェムは急ぐ。このままアガットとレグナートが対峙することよりも、レオンハルトと対峙されることの方が危険だと思ったのだ。特に精神的に追い込んだのはアルシェムなのだから、少しばかり責任を感じるのも無理はない。

「流石に死ぬまではやんないだろーけど……万が一ってのがあるから困るよね」

 露天掘りになった場所に、恐らく彼らはいるのだろう。アガットはともかく、珍しくレオンハルトまで気配を消していないのだから流石に分かる。レグナートの唸り声も聞こえるため、そこに彼らがいるのはほぼ確実だ。

 アルシェムがその場に飛び込んで見たのは、レオンハルトとアガットが対峙している様子だった。思ったよりも最悪の状況である。今のアガットではレオンハルトには勝てない。そもそも個人で挑めるような人物ではないのだ、レオンハルトという男は。実際に挑んだ者達もいるが、その人物たちも色々な意味で規格外であるため判断基準とはなりえないだろう。

「……来たか」

 レオンハルトがアガットから目を離さないままにそうつぶやいた。アガットはその言葉に横目で廃鉱からの出口を見やると、そこには準遊撃士でもなくなったアルシェムがいる。何故ここまで一人で追いかけて来たのかを問う前に、彼女は口を開いた。

「さーてレオン兄。すっごい気になることがあって聞きに来たんだけど勿論質問には答えてくれるよね?」

 彼女の顔には、笑みが浮かんでいた。酷く歪な笑み。無理やり自分を鼓舞して笑顔を見せつけようと必死に努力したけれど失敗したような引き攣った笑みがそこにあった。その顔に、アガットは何も言えなくなった。先ほどまで感じていた怒り――彼はレオンハルトがレグナートにラヴェンヌ村を燃やさせたと思っていた――が生ぬるく感じられるほどに、恐らく彼女は怒っている。

 レオンハルトはアルシェムの言葉にこう答えた。

「貴様がカリンと村の皆に詫び、その場で死ぬというなら聞いてやっても良いが」

 彼はアルシェムを――『シエル・アストレイ』だった彼女を赦すつもりなど毛頭ないのである。出来ようはずもなかった。彼の愛する女性を死に至らしめ、平穏な生活をぶち壊した彼女を赦すことなど。

 しかし、アルシェムは告げる。彼の怒りなど知ったことではないとでも言わんばかりに。

「何でわたしがカリン姉と《ハーメル》の皆を殺したことになってるのか聞きたいんだよね」

 その問いは、しかしレオンハルトを激昂させるだけだった。彼女は冤罪だと主張しているのである。だが、レオンハルトは忘れていない。彼女が予言した後、本当に猟兵達が襲ってきたことを。その手に血塗られた剣を握りしめて村を駆けていた彼女を。

 だから彼は叫んだ。

「貴様が奴らを手引きしたんだろうが!」

 彼女が猟兵達を手引きしなければ今でもとは断言できないが幸せに暮らしていただろう。カリンも死なず、ヨシュアも壊れずに生きていたに違いない。そう思うからこそレオンハルトはそう吠えた。

 その前提からして間違っていることを、アルシェムは知っている。アルシェムが手引きなどしなくとも――それどころか、彼女が存在しなくとも――猟兵達はハーメルという名の村を襲撃していたことを。彼女は『何が起こ』ろうとも『《ハーメル》という名の村が襲撃される/された』ことを『知って』いた。

 だからこそアルシェムは冷酷な声で告げられる。淡々と、ともすれば暴発しそうな感情を押さえつけて。

「何でわたしがカリン姉と《ハーメル》を襲撃させるために誰かを手引きしなくちゃいけないわけ?」

「貴様はエルを恨んでいたはずだ……! 皆に愛されるエルを! だから彼女も殺したんだろう!?」

 話についていけていないアガットだけが気付いた。アルシェムの手が限界までにぎりこまれていることに。それに、レオンハルトは気づいてはいない。気付くはずもない。彼が見ているのはアルシェムの顔だけであり、手にまでは注意を払っていないのだから。

 アルシェムは体を震わせるレオンハルトに向けて告げる。

「それは物理的に無理なんだけど……ま、『エル』のことは置いておいて。レオン兄はカリン姉の死体を見たの?」

 その答えは、レオンハルトの剣戟だった。アルシェムは即座に背から剣を抜いてその剣を受け止める。レオンハルトの剣には強烈な力が加えられていたが、アルシェムはそれに普通に拮抗してみせた。いつもならば後退するかいなして避けるのだが、今日に限っては違う。

 アルシェムもまた、怒り狂っていたのだ。彼女は確かに人殺しである。何人もの人間を殺し、時には罪なき人間をもその手にかけて来た。しかし――彼女が犯した原初の罪の中に、無辜の村人は含まれていないのだ。彼女が殺したのは猟兵だけ。村を護るために剣を取り、ほとんどの人間を護り切れずに逃げ出した。故に、レオンハルトの言葉は前提からして間違っている。

 しかし、レオンハルトはそんなことなど知る由もない。彼の記憶では、『シエル・アストレイ』が村に猟兵を手引きし、村人たちを虐殺して回った《ハーメルの首狩り》なのだから。

「貴様が……貴様がカリンを吹き飛ばしたのだろうが……」

 故に、矛盾だと薄々は気づいていつつも彼はそう告げるしかない。カリン・アストレイは『爆殺された』。それが彼の中での真実なのだから。死体が残っていなくともおかしくはないのだ。少なくとも、レオンハルトはそう判断していた。

 ギリギリのところで拮抗を保ちつつ、アルシェムがそのレオンハルトの言葉に返す。

「アレでカリン姉が粉々になったって言うなら、何でレオン兄もヨシュアも生きてたわけ?」

「あれはカリンがダイナマイトに覆いかぶさってくれたからで……!」

 そんな事実はない。あの場に投げ込まれたダイナマイトは、少しでも猟兵達の楽しみを増やすために殺傷力を極限まで減らしてあったのだ。そこまでアルシェムは知らなかったが、彼女はカリンと共に吹き飛ばされたのだ。そして、『最期になるであろう言葉』を受け取ってその場から逃げた。それが真相だ。

 だが、その場にレオンハルトがいなかった以上何を言っても通じないことくらいは分かっていた。たとえ、アルシェムがダイナマイトを手に入れる術がなかったと主張しても同じだろう。彼はアルシェムの言葉など何一つ信用する気がないのだから。

 だから彼女は――思考を放棄した。分かり合おうとはもう思わなかった。どうせ記憶を改ざんでもされているのだと、諦めた。それでもアルシェムは一縷の望みは捨てきれなかった。何故なら、レオンハルトも――かつての、『家族』だったのだから。

 力を抜いて背後に飛んだアルシェムに向けて、レオンハルトが剣を構える。しかし、アルシェムは剣を収納した。ただ一つのことを聞く為だけに、アルシェムは言葉を紡ぐ。

 

「さて問題です。『エル』は――一体誰だったでしょうか?」

 

 酷く歪な笑み。しかし、今回に限ってはアガットにはそれが泣き笑いに見えていた。そんなアルシェムの問いにレオンハルトは律儀に答える。それが、真実であると信じて。

 

「エルは――エルシュア・アストレイは、貴様の双子の妹だ」

 

 それを聞いた瞬間。アルシェムは壊れたように嗤いはじめた。それがレオンハルトには真実を指摘されて壊れたように見えて、ますます怒りを高ぶらせてくる。そこに誰かが現れようが関係なかった。そこにいる全ての元凶を――斬る。

 駆け出すレオンハルト。無防備なまま嗤い続けるアルシェム。それを見て止めようと駆け出すアガット。だが、それ以外にこの場に現れた人物たち――エステル達のことである――は動けない。目の当たりにしたアルシェムの狂気に動けないでいたのだ。

 交錯する剣と大剣。辛うじて拮抗するものの、そもそも地力が違う。すぐにアガットが押し込まれ、思わず背後を確認したアガットはそこに誰もいなくなったことを確認して受け流すように下がった。

 そこにいたはずのアルシェムはどこに行ったのか。アガットはそう考えるが、今は目の前の敵をどうにかすることの方が先だ。もう一度の剣戟。鍔競り合いになり、ギリギリと押し込まれながらもアガットは退かない。

「……退け。貴様には関係のないことだろう……!」

「関係ならあるさ。《百日戦役》前に山崩れに襲われたはずのハーメルの話なら尚更な……!」

 余裕のないレオンハルトの言葉にも、アガットは返答することが出来た。先ほどからのおぼろげな会話で気付いたことがある。《ハーメル》という村は、昔ラヴェンヌ村と交流のあったあの村は既に滅んでいるのだろう。《百日戦役》後にはもう既に交流はなかったのだから、その前に。山崩れなどではなく、猟兵に襲われて。そこまでわかれば十分だった。《百日戦役》前に国境近くの村で惨劇が起きたとすれば? ――当然、戦争の火種になりかねない。そして、その戦争でアガットは大切なものを喪った。

 恨むべきはアルシェムなのかもしれない。だが、不思議とアガットはアルシェムを恨む気にはなれなかった。確かに彼女は気に喰わない。気には喰わないが、嬉々として他人を害する人間には見えないのだ。だからこそ、事情を聴くべくアガットはアルシェムを護った。背後にはいないとしても、目の前の男はアルシェムを狙っていることに変わりはないのだから。

 そして、アガットの背後から消えたアルシェムは何をしているのかというと。レオンハルトの横に回り込んで強烈な蹴りを放っていた。

「対応できないとでも思うか?」

「別に対応出来ないでほしいとか思ってないけど、今は多分それどころじゃなくなるしね」

 レオンハルトはアルシェムの蹴りをいなしていたが、彼はそれを受け止めておくべきだったかもしれない。何故なら、彼女が次に起こした行動は――常軌を逸したものだったのだから。

 アルシェムの気配が一気に変わる。濃密なまでの死の気配。それを感じ取ったレオンハルトは剣を握りしめたまま一度距離を取る。一体彼女が何を考えているのかわからなかったからだ。そして、レグナートの隣まで下がった時――彼は悟った。アルシェムが何を狙っていたのかを。

「GYUOOOOOOOOOO!」

 レグナートが、恐慌状態に陥っていたのである。その場で暴れはじめたレグナートを、レオンハルトは抑えるしかなかった。これ以上被害を出させてはならないのだから。そのまま飛び去ったレグナートとレオンハルトを後目に、アルシェムは意識を手放す。流石に精神的な疲労が強すぎたのだ。それを受け止めたのは、アガットだった。それだけを確認したアルシェムは闇に意識を任せるのだった。

 

 ❖

 

 空に飛び去ったレグナートは《アルセイユ》によって追い詰められ、大量の催眠弾を撃たれてヴァレリア湖に墜落した。しかし、《ゴスペル》を取り外そうとした瞬間、突如レグナートは目を醒まして飛び去ってしまう。それを追って辿り着いたのは霧降り峡谷だった、らしい。

 らしい、というのは後で聞いたからである。アルシェムはその作戦に参加できるほど精神に余裕がなかった。ドクターストップならぬシスターストップもかかっていたため、最初から参加するという手もない。結局取り逃がしたことを聞いたアルシェムはレグナートの住処について情報を出して再び遊撃士協会に軟禁されることになった。

 アガット達がレグナートの住処に旅立った後、残されたクローディアやジン達から何故遊撃士を止めたのかと詰問を喰らいそうになるのだが、アルシェムはそれを華麗にスルー。少しばかりヨシュアの気配がしたためにそれを追って一度姿を眩ませた。

 そして手に入れた情報はと言えば、ヨシュアが《紅の方舟》グロリアス――《身喰らう蛇》の保有する巨大飛空艇――を爆破するというクレイジーな情報のみ。アルシェムは頭を押さえながらこれから先の方針を考えるのだった。

 因みに、エステル達は無事にレグナートを解放することが出来たそうな。その際、伝言らしきものを受け取ってきていたエステル達はそれを本人に伝え、アルシェムは能面になってその伝言を受け取った。




エルシュア誰だよって思った方。覚える必要はないです。

では、また。


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《銀の吹雪》と《紅の方舟》・上

旧92話~93話半ばまでのリメイクです。

ここも二部立て。

では、どうぞ。


 エステル達はレグナートから《ゴスペル》を引きはがし、遊撃士協会に戻ってきた。アルシェムはエステル達から伝言を受け取ると、何故か尋問を受ける羽目になった。というのも、このあたりでアルシェムの目的をはっきりさせておきたかったようなのである――クローディアが。

「それで、アルシェムさん。貴女が旅に出た本当の目的は何なんですか?」

 無論、詰問してくるのはクローディア。エステル達は笑顔で問い詰めるクローディアに若干引いてしまっている。この光景をこのまま見続けたくはなかったルグランは、エステル達に二階を使うように誘導した。

 エステル達に続いてアルシェムは二階に上がり、全員に向き直って答える。

「目的なんて知ってどーするんです? 殿下」

「事と次第によってはこのまま遊撃士協会に貴女の拘束を依頼します」

 クローディアは表情を硬くしてそう返した。どうやら本気らしい。エステルもアルシェムの目的は気になっていたようで――記憶を探す旅だという出発前のアルシェムの言葉はもう信じてはいない――、真剣な顔でアルシェムを見ていた。

 アルシェムは嘆息してこう返す。

「復讐。私怨。あとは、取り戻すためでもあるとお答えすればよろしいですか?」

「具体的にお願いします」

 復讐だと聞いたクローディアの顔は険しい。エステル達は怪訝そうな表情をしているものの、それでも少しばかり警戒を高めた。一体何に対する復讐になるのかが問題なのだ。普通に復讐してはならないというのは簡単だろう。しかし、どうしても感情が許さないことだってある。

 問い直されたアルシェムの瞳から温度が消え始めた。ふざけていた色は鳴りを潜め、次第に真剣な色を帯びる。ある意味では本音をこれから明かす羽目にはなるが、本当の目的を誤魔化すという意味では演技も必要だろう。

 アルシェムの瞳を見たジンは、更に警戒を強めた。彼女の目がどちらかと問われれば裏に近い人間のそれだと彼は知っていたのだ。恐らく、とんでもない話が飛び出してくる。

 アルシェムはゆっくりと口を開いた。

「わたしの『家族』だった人達の記憶を歪めた人物に対する復讐ですよ」

「その方は今リベールにいらっしゃいますか?」

「今……は、どーでしょーね。多分いるんじゃないですか? 地上にいるかどうかは保証しませんけど」

 その答えに、クローディアは考え込むそぶりを見せた。それがどういう意味を持つのかは分かるが、本当にそんなことが可能なのかどうかが分からないのだ。もしも地上ではなく地下にいるということならば、どこかに建物を所有していることになる。そして空にいるのならば、軍用飛空艇を欺くだけの性能を持った飛空艇を持っているということになる。

 クローディアが考え込んでいる間にエステルが口を挟む。

「ねえ、アル……その人ってさ、ヨシュアに関係ある?」

 アルシェムはその言葉に瞠目した。直感ではあってもそこまでつなげられるとは思わなかったのだ。アルシェムはまだヨシュアに関係のある話だとは一言も言っていないし示唆もしていないというのに。正直に言えばアルシェムはエステルの直感を舐めていた。

 エステルの問いに応えるアルシェム。

「あるよ。エステルの言ってた『悪い魔法使い』氏のことだからね」

「……何となく、そんな気がしてたけど……その人って、もしかして特定の人の記憶だけ曖昧に出来る?」

 アルシェムは眉を跳ね上げた。つまり、アルシェムの知らない間にエステルはその人物――《白面》と接触していたということになるのだ。しかも、特定の人物の記憶だけを曖昧にするということは複数回は会っているということ。

 ならばやらなければならないことがあるのだが、生憎この場でそれを命じることは出来ない。守秘義務に抵触してしまうからだ。だからこそ、彼女は自分から動き始めたのである。

「それ完全に暗示なんだけど……何なら出来るところまで解こうか?」

「え、解けるのリオさん!?」

 彼女、こと従騎士リオ・オフティシアである。彼女はエステルの言葉にうなずくと、周囲の人間に少しだけ離れるように言ってエステルの暗示を解いた。すると――エステルはゆっくりと瞬きして言葉を漏らす。

「……アルバ、教授?」

 どうやらエステルはほぼ思い出したようである。リオの腕が良いわけではなく、エステルが自力でほぼ暗示を解いていたためである。どちらかと言われれば、リオは法術よりも武術の方が得意なのだ。

「誰それ。わたし会ってないけど……違うか。顔を合わせる必要がなかったんだ、ヨシュアと違って」

 アルシェムは言葉の途中で納得した。確かに、ヨシュアと違って報告の義務がなかったアルシェムには暗示をかけなおす必要などなかった。七耀教会にまで連れ込まれたアルシェムを警戒されていたというのもあるだろう。

「どういう……って、まさか、そうやってヨシュアから……!?」

 そして、エステルもまた自分の言葉の途中である事実に気付いた。彼は各地の人間に暗示をかけて回っているだけの人間ではなかったのだ。行く先々でアルバ教授と名乗る男に会ったのは、ヨシュアに暗示をかけるためだったと考えると納得もいく。もしくは――起きた事件そのものがカモフラージュだった可能性だってある。

 アルシェムはエステルの推測を肯定した。

「多分ね。むしろ記憶を曖昧にするのは副作用みたいなもので、操る方が本領みたいだけど」

 その言葉に反応したのは、クローディアだった。思索から帰ってきて会話に参加する時を待っていたらしい。

「待って下さい。ということは、ダルモア市長やリシャール大佐は……!」

「ついでに空賊の頭さんと《レイヴン》の連中も恐らくそうですね。所謂完全なる黒幕とでも言いましょーか」

 それを聞いた一同は絶句した。つまり、これまでエステルと共に関わってきた事件がその人物によって引き起こされたというのだ。にわかには信じがたい話ではあるが、それでも彼らは信じざるを得ない。そこにヨシュアという前例があるからだ。

 驚愕から最初に復帰したクローディア――ある程度予測は出来ていたためである――はアルシェムに問う。

「それが……アルシェムさんの、復讐相手ですか」

「そーですね。だから遊撃士を辞めたんですよ。アレを止めるには殺すしかないから」

 そう。《白面》を止めるだなんていうのはそもそも無理なことなのだ。彼が求めるモノは未だ完成に至らず、人生をかけて追い求めていくだろう。それを諦めさせることは、どうあってもアルシェムには出来ないことだから。

 そこでシェラザードが嘆息しながら口を挟んだ。

「法に触れることっていうのはちゃんとわかってるみたいね……」

「当たり前でしょーが。いくら水面下でDEAD OR ALIVEな人物でも公衆の面前で殺すんだったら流石に遊撃士は駄目でしょ」

「アルシェムさん、多分そこじゃないと思います……」

 ティータに突っ込まれるという珍現象も起こったが、アルシェムの意志は変わらない。どんな状況になっても、殺せる状況が来たらアルシェムはためらいもなく《白面》を殺すだろう。もう一人どうしても許せない人物もいるが、その人物も同様である。

 少しだけ場が和やかになったところで、アルシェムは話を切り上げるべく声を上げた。

「さて、そろそろいーですか?」

 その言葉に反応したのはクローディアだった。このままアルシェムを行かせるわけにはいかない。殺害予告までしてしまっているのだ。このまま行かせてしまっては、死ななくて良い人間を死なせてしまうことになりかねない。もっとも、それにその人物が当てはまるかどうかは別だが。これに関しては女王の判断を仰ぐべきだろう。

 クローディアはアルシェムに向けて告げる。

「……約束、してくださいアルシェムさん。その人を殺す前に、私達の前に連れて来るって」

「確約は出来ません。わたしはもう『アルシェム・ブライト』ではないので」

 アルシェムはこれ以上追及が来ないようにその場から姿を文字通り消した。それを見た一同はざわめきの声を上げるが、その中で一人だけ険しい顔をしている人物がいる。それは、アガットだった。

 アガットは先ほど聞こうと思っていたことがあった。しかし、聞きそびれてしまったのだ。アルシェムのあまりの言葉に。まさか、この場に復讐などという言葉が出て来るなど思ってもみなかった。それも、先日対峙したレオンハルトなる男にではない復讐というではないか。てっきり、あの男に対する復讐を始めるのかと思っていた。

 何かあるのだ。アガットはそう判断して考えを保留することにした。このまま考え続けたところで答えは出ないと分かっていたから。

 

 ❖

 

 遊撃士協会から脱出したアルシェムは、再び変装した。一般人としてではなく、次は執行者として動く必要があるからだ。万が一見つかっても言い逃れの出来る格好をしておく必要がある。これからアルシェムは、《紅の方舟》グロリアスに潜入するのだから。

 方法は簡単だ。ヴァレリア湖の湖畔の研究所に備え付けられている飛空艇に侵入しておけばいい。そのまま勝手に連れて行ってくれるはずだ。たとえ誰に見つかろうが問題はない。今のアルシェムは――たとえ恰好だけだとしても――執行者なのだ。

 執行者の格好になったアルシェムは湖畔の研究所まで駆けた。といっても、陸路を使ったわけではない。彼女は湖面を駆けたのである。無論深夜にではあるが。手段は無数にあるとしても、ボートを使って近づくよりは感づかれないだろうと判断してのことだ。きちんと気配も足音も消しているのでよほどのことがない限りは見つからない。

 そうやって湖畔の研究所に潜入したアルシェムは、途中で正遊撃士の軍団を横目に見つつも無事に飛空艇まで辿り着いた。一人ばかりボートに乗って流されていっているようだが、それはそれ。色々と複雑な気分になりつつもアルシェムはタイミングを計った。

 

 ❖

 

 ルグランからチケットを貰い、《川蝉亭》で休暇を取っていたエステルは遠くからボートが流れて来るのを見た。そこには――傷だらけのクルツが乗せられていて。その事態を以て休暇は終わりを告げたのである。

 エステルはすぐさまクルツを救出し、そこに駆け付けてきた巡回神父ケビンにも治療を依頼しつつ彼から事情を聞こうとした。しかし、彼は何も覚えていないという。それに、一度同じような状態になったこともあると。

 それを聞いたエステルはリオに頼み、クルツの暗示を解いて貰った。その際にリオがケビンのことを『上司』であると思わず零してしまったことでケビンが七耀教会の中でも暗部に位置する人間であると露見してしまった――星杯騎士である、というところまでであるが。守護騎士であるとこのタイミングでばれていればこの場の人間すべてに暗示を掛けなければならなかっただろう。

 ともあれ、これでケビンも湖畔の研究所に同行できる理由が出来た。エステル達はボートを借り、待機班と要救助者たちを運ぶ班、そして湖畔の研究所に潜入する班とに分かれた。待機班はティータとオリビエ。要救助者たちを運ぶ班はジンとクローディア。そして潜入班はエステルとケビン、リオ、アガットにシェラザードという具合だ。

 エステル達はボートに乗って湖畔の研究所を目指す。そこに、何があるかを知るために。

 

 ❖

 

 暗示をかけた遊撃士たちが一人、また一人と倒されていく。それを見ていた男が歪に嗤った。

「フフ……それでは、彼女を招待してあげるとしよう」

 彼の目論見は、あわよくば彼女ことエステル・ブライトを《身喰らう蛇》に入れること。そうすれば彼の作品は更に昇華され、『超人』へと近づくことだろう。もしそうならなかったとしても、エステルさえ押さえておけばヨシュアをもう一度鎖につなぐことはたやすい。それが彼の望みだった。

 その望みに迷いを隠しながら協力する少女が一人。彼女もまた、彼の作品――ヨシュア・アストレイを大切に想うものだった。とはいっても、愛しているという意味でも恋しているという意味でもない。ただ純粋に、兄のような存在に帰ってきてほしいと願っているだけだ。帰ってくると約束したのに帰って来なかった彼に。

 だからこそ、ヨシュアにとっては残酷なことにはなるかも知れなくても自分の望みを優先させた。ヨシュアは約束を破ったのだ。その報いは受けなければならない。彼女自身がそうだったように。

 必ず迎えに来るから。その約束を、今度こそ守ってもらえると思っていた。前回守ってもらえなかったのは、その人物たちが『偽物』だったから。そして、彼女自身がそれを信じ切れていなかったから。だから彼女は報いを受けた。自覚はしていなくても、心の奥底ではそう思っていた。

「そうね。そうすれば絶対ヨシュアは帰ってくるの……」

 だから、今回も自分の言葉を信じ切れていないことに彼女は気づかなかった。信じていたのならば、彼女は当たり前のことを口に出したりはしない。彼女は根本的に人間という存在を信じることが出来ていないのだ。一番身近な人間に裏切られたのだから。

 エステル達が乗り込んできたのを確認した彼女――レンは、人形を操る要領でヨシュア人形を操っていく。そうして、それが斃されていくのを見ながらエステルを見た。一時ではあっても心を通わせた年上の少女を。エステルは、迷わなかった。それがヨシュア本人ではないと理解出来てからは。

 全てをエステル達が破壊し終わると、彼――ワイスマンがエステルの前に姿を現す。エステルはそれが誰なのか理解した瞬間、その場を飛び出してワイスマンに迫った。レンはそれを見て思う。エステルはやっぱり眩しいのだと。

「……少しくらい、汚れちゃってても良いのに」

 ぽつり、とレンが零した言葉は誰にも聞こえなかった。催眠剤をまき散らされて眠るエステルを、レンが人形を使って回収する。それをワイスマンが演出のために抱き上げたところで気付け剤を撒く。

 そこで気が付いたアガット達がエステルが周囲にいないことを知る。周囲を見回して、部屋の奥の空間にワイスマンに抱かれたエステルを見つけるやいなや全員がその場から駆け出した。それを見たワイスマンは見せつけるようにゆっくりと踵を返すとその場から立ち去って行く。彼の口元は歪んでいた。ワイスマンはこういう目の前で何も出来ずに仲間を奪われる系の愉悦を求めていたらしい。

 そうして――アガット達はワイスマンに追いつくことが出来なかった。後一歩のところで飛空艇に飛び立たれたのである。その場にはエステルを呼ぶ全員の絶叫が響き渡ったという。

 

 ❖

 

 アガット達の絶叫を聞きながら、アルシェムは飛空艇に潜んでいた。中にではない。外に、だ。中に潜んでいるよりも鋼糸を何本か使って飛空艇の真下に潜んでいる方が安全だったからだ。因みに執行者たちに見つかった場合、訓練とでも称するつもりである。

 やがて飛空艇は《紅の方舟》グロリアスまで辿り着いた。案外すぐだったのは、リベールでこれから大きなヤマを片付けるからなのかもしれない、とアルシェムは判断する。

 飛空艇からワイスマンたちが離れていくのを確認したアルシェムは、周囲にある飛空艇のほぼすべてにとあるオーブメントを仕掛けた。超小型の、しかしある意味恐ろしい物体である。それは、アルシェムが《ゴスペル》をこっそり解析した結果出来上がったものなのだ。具体的に言えば、飛空艇のオーバルエンジンが始動し、一定時間導力をそのオーブメントに流すことで電源を入れ、電源が入った瞬間にオーバルエンジンから導力を奪って爆発するという凶悪な性能を持つ。

 それを仕掛け終わったアルシェムは、周囲を確認して目立たないところに仕掛けられた爆弾を見つけた。どうやら他にも侵入者が――ヨシュアがいるらしい。しかも、彼はグロリアスを破壊するつもりとみた。アルシェムはそれにも便乗していくつか見つけやすい場所に数個、見つけにくい場所に数十個、先ほどの凶悪なオーブメントを機関部に仕掛けておく。

「……墜ちろ、グロリアス」

 ぼそり、とアルシェムは呟くと、グロリアスの構造を思い出してエステルが捕えられそうな部屋をしらみつぶしに当たっていく。いくつかは外れたが、比較的すぐにエステルは見つかった。というのも、そこでレオンハルトがエステルと会話をしていたからである――《ハーメル》の。

 アルシェムは一度心を落ち着けてからその部屋に侵入するのだった。




グロリアスへの仕掛けがグレードアップしますた。

では、また。


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《銀の吹雪》と《紅の方舟》・下

旧93話半ば~94話のリメイクです。

最初はシリアスなのに以下略という。

では、どうぞ。


 レオンハルトがエステルに《ハーメル》の顛末を語り終えた瞬間。その場に人間が増えた。それに気付いたのは、レオンハルトだけだった。

「……何の用だ、シエル」

「何のって……ねえ? 決まってんじゃん、レーヴェ」

 いぶかしげに問うてくるレオンハルトに、アルシェムは仮面の下で歪に嗤った。こんな滑稽なことはない。いくらレオンハルトの記憶が歪められているとはいえ、一般的な人間が分裂するわけがないことにくらい気付いてほしかった。

 アルシェムはレオンハルトを冷たく見据えて告げた。

「その話、執行者になってから何回も聞いたけど一つ腑に落ちないことがあるんだよ」

「……何?」

 レオンハルトの顔は硬い。彼女が一体何を言い出すのかが分からないからだろう。アルシェムが――『シエル・アストレイ』が、『《銀の吹雪》シエル』であることになどとうの昔に気付いていて無視している彼には分からない。

 だから、アルシェムは彼に分かってもらおうとは思っていない。分かってもらうのではなく、分からせる。それが、彼女が取る最後の手段。

 

「エルシュア・アストレイとやらはどこに消えたの?」

 

 その思考は、確かにレオンハルトの意識を凍りつかせた。今まで彼は頓着もしていなかったのだ。いずれ義妹になるかも知れなかった少女の行方など。それが一体何故なのかを彼は考えて――酷い頭痛に襲われる。

 そして、それを見逃すアルシェムではなかった。アルシェムはエステルを引き寄せると、レオンハルトに向けてボールを投げつけた。そのボールの中には様々な香辛料が含まれており、レオンハルトは咄嗟に跳ねのけようとしてそのボールを破裂させてしまう。

 必然的にボールの中身は飛散し、レオンハルトはそれを盛大に吸いこんでしまってむせ始めた。エステルの腕を掴んでその場から脱出したアルシェムは扉に細工をし、彼が無理に出て来ようものなら爆発する導力式のロックを掛けて逃走を始めた。

 いきなりのことについて行けないエステルはアルシェムに問う。

「え、えっと、あの……」

「質問は後で受け付け……ないでもいいや。はい、装備。ついでにオーブメントもね」

 アルシェムはエステルに向けて装備一式とオーブメント――全部同じ場所に固めてあったので回収しておいた――を渡すと、エステルは素直に受け取って素早く身に着けた。

 そしてアルシェムに向かって礼を言う。

「あ、ありがと……じゃなくて! あなた、執行者なんじゃないの!?」

「だから? それがあんたを助けない理由になるわけ、エステル・ブライト」

 アルシェムはエステルの腕を離して先行する。エステルは何も言わなくてもアルシェムについてきた。このまま何もしないよりはアルシェムについて逃げた方が勝算があると踏んでくれたのだろう。襲い来る人形兵器への対応もほぼ満点である。

 数十体の人形兵器を薙ぎ倒して甲板に出ると、そこには一個小隊程度の構成員が待ち受けていた。

「あ……」

 エステルが顔を引き締めて棒術具を構え、突破できるかと少しばかり不安になった顔をその部隊に向ける。すると、その部隊の中から青い髪の青年が歩み出て来て格好いいポーズを決め、告げた。

「フッフッフ……これでもう逃げられないぞ!」

「うわー……元市長秘書……何やってんの?」

 アルシェムは複雑な顔をしてその人物――ギルバート・スタインに問う。すると、ギルバートはそこまで頼んでもいないのにここに来るまでの来歴を語ってくれた。グランセルの混乱に乗じて逃げ出し、そのまま《蛇》に拾われたらしい。ある意味とんでもない経歴である。どういうところに目をつけられたのかは分からないが、それなりに光るものがあると認められてのことなのだから。そうでなければ彼は《蛇》の構成員と接触した時点で死んでいるだろう。

 アルシェムは知らぬことではあったが、ギルバートを拾ったのはカンパネルラである。彼はギルバートの芸人気質を買って暇つぶしに《身喰らう蛇》に勧誘したらしい。そういう意味では警戒する必要もなさそうだが、生憎アルシェム達はそれを知ることはない。

 不意打ち気味に部隊を全滅させてもそれは同じだった。カンパネルラはここにはいないのだから。その代わりに現れたのは――彼らと同じ紅装束に身を包んだ少年だった。

 その少年を見たアルシェムは呆れたように言葉を吐く。

「……もう顔を隠す必要はないんじゃない? つーか、とっとと顔を見せてあげなよヨシュア・『ブライト』」

「え……」

 その言葉にエステルが瞠目し、その少年に近づく。すると、少年――ヨシュアは被り物を脱ぎ捨て、驚くほど冷たい目をしたままアルシェムに告げる。

「君にだけは言われたくないな。いい加減、全部エステルに明かすべきなんじゃないのかい?」

「それ、あんたがわたしを警戒してるだけでしょーが。まーでも、誓ってあげるよヨシュア。『空の女神とカリン・アストレイに誓って《銀の吹雪》はエステルに危害を加えない』って」

 ヨシュアは瞠目し、一瞬で間を詰めてアルシェムの首筋に双剣を突き付ける。アルシェムはそれに動じることなくポケットから導力銃を取り出し、振り向きざまにエステルを狙っていた銃を狙撃した。その狙撃は過たずすべての銃口に突き刺さり、彼らの導力機関銃を機能不全に追い込む。そして、その直後ヨシュアがその構成員達に襲い掛かって手足の腱を斬り、物理的に動けなくする。

 そしてヨシュアはアルシェムの目を見て問うた。

「……信じて、良いんだね?」

「むしろそこまで信頼されてないのはショックというか何というか。取り敢えず足止めは任されてあげるから愛の逃避行でもしてなって」

 アルシェムは苦笑してそう答えた。足止めと告げたのは、気付いたからだ。無事にロックを解除して脱出してきたレオンハルトが追いついてきたことに。アルシェムはその背からひと振りの剣を抜く。その動作で何かに気付いたエステルはアルシェムに何かを告げようとするがもう遅い。

 ヨシュアはエステルを引っ張って駆け出した。エステルはヨシュアに何か言いたげにしているが、今は逃げるしかないと分かったのだろう。納得した後は後ろを振り返ることなくかけていく。

 それを横目で見送ったアルシェムは、目の前に現れたレオンハルトに問うた。

「……行かせてよかったの?」

「立ち向かってくることを予想していたが……当てが外れたとでも言うべきか」

 レオンハルトは感情をうかがわせぬ顔でそう返した。もしエステルがここで彼に立ち向かってくるようであれば。もしヨシュアが姿を現さずエステルの補佐をしていれば。レオンハルトはその選択を受け入れるつもりでいた。きっと、その選択は――価値のあるものだから。

 しかし、彼らは逃げ去った。レオンハルトにさえ立ち向かえないようでは、この先が思いやられる。彼らならばよもや、と思っただけにそれは残念だった。――代わりにアルシェムがここに残っているのが彼にとっては意外なことではあったのだが。

 レオンハルトの言葉に苦笑したアルシェムは懐からとあるものを取り出してレオンハルトに見せる。

「いや、でも立ち向かってはいるみたいだよ? ほーらこれ」

 それを見たレオンハルトの顔色が、確かに変わった。それは――爆弾だったのである。信管はぬかれているようだが、それだけだ。あまり複雑なつくりでもないが、一つ見つかったということは複数個ある可能性がある。この爆弾の作り方はヨシュアだ。レオンハルトはそれを確信して踵を返す。そうしなければ、最悪グロリアスが墜落させられてしまう可能性があるからだ。

 そうして、アルシェムはレオンハルトと戦うことなくその場を後にした。エステル達に追いつくべく進むその先には、破壊された人形兵器の群れ。エステル達が破壊していったのだろうそれを辿って行くと、格納庫のあたりでエステル達に追いつくことが出来た。

「シエル! レーヴェは!?」

「爆発物の処理をしなくちゃって駆けてった。取り敢えず脱出したほーがいい」

「……分かった」

 釈然としない様子のヨシュアは、それでも先に進むことを優先した。とにかくエステルをここから無事に地上まで送り届けなければならない。こんなところでエステルを喪うなんてヨシュアの心が耐えきれそうもないからだ。

 しかし、それを邪魔するのが執行者クオリティである。目の前に現れた新たな執行者がエステル達の道を阻む。その執行者とは――

「やあ、遅かったね? ヨシュアにシエル」

「カンパネルラ……!」

「わー、宇宙人だUMAだ母星に帰れー」

 うty……カンパネルラだった。彼は指を鳴らして人形兵器を召喚すると、高みの見物を決め込んだ。人形兵器に邪魔をさせるだけで地上に返さない気はないらしい。アルシェムはカンパネルラの甘さを鼻で笑うと人形兵器を完膚なきまでに破壊した。

「……え、も、もうちょっと保たせる予定だったんだけど……」

「善は急げってやつだよ」

 アルシェムは半笑いになりながら慌てて襲い掛かってこようとするカンパネルラを完封し、エステル達を先に行かせる。だが――彼女にとって誤算だったのは、エステル達がアルシェムを放置したまま脱出しなかったことだ。いつまでたっても聞こえてこないエンジン音にアルシェムは業を煮やした。

「何で先に行かないの!?」

 その怒鳴り声はエステル達の元まで届いたようで、エステルの怒鳴り声が返ってくる。

「あんたを置いて行けるわけないでしょ!? いいからとっとと来なさいってば!」

 置いて行けばいいのに、と毒づくアルシェムを見たカンパネルラは周囲の状況を見て時間稼ぎは十分に出来たと判断した。構成員達が近づいてきたのだ。カンパネルラはアルシェムの前から転移して消え、アルシェムは舌打ちをして一番近くの飛空艇から機銃をひったくって駆け出した。

 目指すはエステル達のいる飛空艇。一番奥にあるのは分かっていたため、周囲の飛空艇を破壊しながら進む。そして――アルシェムはエステル達の元に辿り着いて。手に持った機銃に驚愕されつつも《紅の方舟》グロリアスから脱出することが出来たのである。

 やいのやいの騒ぐエステルを中に押し込めたアルシェムは機銃を構え、追ってくる飛空艇に攻撃を加え始める。結社製だけあって生半な銃撃では墜落しないのだが、どんな物体にも弱い場所はあるもので。アルシェムはそこを狙って狙撃を続けた。反動は凄いが、死ぬほどではない。

 やがて、追ってくる飛空艇に一隻の色違いの飛空艇が混ざった。その飛空艇にはアルシェムも見覚えがある。あれは――《山猫号》だ。つまり、《カプア一家》がヨシュアを救うべく動き始めていてくれたのである。

 その援護もあって、全飛空艇を撃墜したアルシェム。何度か《山猫号》までアクロバットワイヤー飛行をする羽目にはなったが無事に全てを撃墜できて重畳である。最終的に捕まっていたのは《山猫号》だったため、地上にだけ降ろして貰えるように交渉して――そもそも彼らはヨシュアの無事を確認するために着陸する気だった――無事にアルシェムは地上に降り立ったのである。

 そこからアルシェムはそっと逃げ出そうとしたのだが――失敗した。というのも、笑顔のヨシュアに腕を掴まれたのである。

「どこに行く気なんだい、シエル?」

「別にどこだって良いでしょーに。ヨシュアには関係ない」

 アルシェムがそう告げてヨシュアの腕を振りほどこうとすると、反対の腕をエステルに捕まれた。こちらも超絶笑顔。何というか、大層お怒りの様子である。アルシェムは内心で面倒だと舌打ちをしながらエステルに告げる。

「離してくれるかな、エステル・ブライト」

「離したら行っちゃうんでしょ? アル」

 そのエステルの言葉で《銀の吹雪》と『アルシェム』が同一人物だと気付かれたとアルシェムは判断した。ということはこれから先はこの姿は使えないということになる。得られたものは大きいが、失ったアドバンテージの大きさもさるものだった。

 ふう、と溜息を吐いたアルシェムは、エステルとヨシュアの隙をついてその場から逃げ出した。

「あ、こら待ちなさいってば!」

「逃げない方が身のためだよ?」

 すると即座にエステル達はアルシェムを追ってくる。どうやら本気でアルシェムを逃がす気はなさそうであった。エステルはアルシェムから事情を聴きだすために、ヨシュアは余計なことをエステルに話さないよう口封じのためにアルシェムを追う。

 アルシェムはそのままジェニス王立学園方面の林へと突っ込んで逃亡する。《山猫号》が着陸したのはどうやらルーアンの浜辺だったようなのだ。林に突っ込めば少なくともエステルは撒ける。アルシェムはそう判断した。判断したのだが――

「待ちなさーい!」

「いやいやいや、いきなり何でそんなタフなわけ!?」

 エステルはぴったりとアルシェムに追随していた。普段のエステルの力量なら簡単に撒けたのだが、今は違う。今のエステルはヨシュアを繋ぎ止めておくことに成功したことと両想いだったことが分かって乙女パワーが全開なのだ。今なら何でもできるらしい。

「止まらないとアーツ撃つわよ!」

「いや、それ何かダメなやつだからー!?」

 撃つわよ、と宣言している割に既にアーツを発動しているあたり、どうやら見境はなさそうである。ただ人間に向けてファイアボルトを撃つのはどうかと思う。今は林の中に入っていたから良いとはいえ、街中でやると明らかに事案だ。

 林では撒けなかったアルシェムは仕方なく建物を利用して死角に入ることを思いつき、ルーアンの街区に特攻する。この街で一番死角をつくりやすくて近い建物は遊撃士協会。三階まで引きつけて飛び降りれば撒けるだろう。きっと。多分。あまり自信はなくなっているのだが、今捕まると色々吐かされそうで怖いのである。逃げるしかない。

 遊撃士協会に突入したアルシェムは驚愕したジャンを後目に三階まで駆け上がる。エステル達も続いて突入したため、ジャンは眼を回してしまった。有り得ないことが立て続けに起こったことで脳の処理限界を超えてしまったようである。

 三階まで追いつめられたように見えたアルシェムは、エステル達が追えないだろうと判断してひらりと窓から飛び降りる。しかし、エステル達もあろうことか窓から飛び降りて華麗に着地し、アルシェムに追いすがる。

「うそーん……」

「いい加減止まりなさいってば!」

 エステルの叫びをアルシェムは聞き入れない。捕まった時のことを考えた方が良いかも知れないと思いつつアルシェムはアイナ街道に出てツァイス方面へと向かう。ツァイスならばルーアンよりも町が複雑なためだ。撒け――そうもないのは確かだが、足掻かないという手はない。

 逃げるアルシェム。追うエステル達。追いつかれるのは時間の問題なのだろう。ただ逃げ続けるのは、説明が面倒だからというだけではなかった。――怖かったのだ。アルシェムは。彼女自身は気づいていなくとも、怖かった。恐れていたと言っても良い。

 アルシェムは、ここまでして追ってきてくれるような存在に出会ったことがない。色々やらかして、特にヨシュアにとっては仇のような人間を追ってくるとは思ってもみなかったのだ。放っておかれると思っていた。そこまで――想われているとは思わなかった。

 だから、求められているという事実からもアルシェムは逃げていたのだ。その逃避が最終的に大量の質問攻めという未来を生むと分かってはいても。それでも逃げざるを得ない。

 アルシェムは人間を信じていない。信じては裏切られを繰り返してきたからだ。人間の本質はきっと善なのだとは信じていない。絶対に他人は裏切るのだとアルシェムは思っていた。『家族』でさえ、彼女の言葉を信じることはなかったのだから。まだアルシェムが幼女だったころも。幼女から少女となりつつあるときも。天使から執行者へと生まれ変わる課程であっても。どの段階にあっても、アルシェムは裏切られ続け、裏切り続けていたのだから。

 途中で追跡にシードが加わりつつもツァイスを抜け、グランセルまで走るアルシェム。この時点で相当な時間が経っているのだが、アルシェムは気にした様子もない。エステル達の形相がどんどん怖くなっているのも知る気はなかった。

 途中から目的がすり替わってご飯を食べろになっていたことにもアルシェムは気づかず、アーネンベルクを飛び越えてグランセルをひた走る。しかし、この逃走劇が長く続くわけもなく――

 

「いい加減にしろ――鳳凰烈波ァ!」

「ゴファ!?」

 

 ジャンから連絡を受け取ったカシウス・ブライトに吹き飛ばされたアルシェムは、そのまま拘束されてグランセル王城へと連行されていくのであった。

 




次回は閑話です。それをやる必要は本当にあるのか的な蛇足お話です。

では、また。


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閑話・カンパネルラがギルバートを見初めたわけ

はい、文字通りです。
書いていたら筆が乗って一時間半くらいで書けた話。

では、どうぞ。


 時は少しばかり遡る。彼は必死に追手から逃げていた。ある時は草むらに伏せ、ある時は木々の合間を走り抜け、そしてある時は女装までして逃げ延びることにしていた。彼が逃げているのはリベール王国軍から。そして、彼が追われているのは彼が犯罪者だからである。

 青い髪。整った端正な顔立ち。理知的な表情。綺麗に決まるスーツ姿。しかし、それらは彼から強烈に漂う噛ませ犬臭が台無しにしていた。残念イケメンとでもいうべきだろうか。取り敢えず彼は悪く言ってしまえば顔だけ男だった。

 彼の名はギルバート・スタイン。元ルーアン市長モーリス・ダルモアの秘書だった人物である。そしてそんな彼の特技は――水泳だった。一応テニスも得意である。彼はたまに分身したり観客席まで選手をブッ飛ばすことも出来る――妄想の中でだけだが。

 水泳が得意とは言うが、彼が得意な泳ぎは一つしかない。そしてそれは潜水でも背泳ぎでも平泳ぎでもバタフライでもクロールでもないのである。彼が得意な泳ぎ方は、犬かきであった。たかが犬かきと侮ることなかれ。アレでも一応いろいろと便利な泳ぎ方なのだ、犬かきは。まず顔が出る。もがいているように見えるのでそのまま心優しい人に救出して貰える可能性がある。そして、何よりも重要なのは――

「来るなァァァッ!」

 ギルバートの叫びと共に吹っ飛ばされる王国軍兵士。犬かきのいいところは、バタ足などと違って追手を蹴りつけても前に進めることだ。実に有用である。特にこういうときには。

 追手から逃げるために彼がしたのは、王都から方向も定めずに夜のヴァレリア湖に飛び込むこと。これで暗闇に紛れて探しにくくなったことだろう。それに今はカノーネ達の捜索に大部分の兵士が割かれている。ギルバート一人を見つけるために大量の兵士が使われているとは思えない。だからこそ彼はそれを敢行したのである。

 このまま犯罪者として裁かれるくらいなら、逃げる。どこまでも逃げ続ける。それがギルバートの考えだった。逃げればどうにかなるとは考えていない。刹那的に今逃げられていれば問題ないと思っていたのだ。基本的にその一瞬さえよければ彼は良いのである。

「畜生……絶対、絶対に逃げ切ってやるぅぅっ!」

 夜闇に彼の絶叫が響き渡る。その絶叫を聞きつけて王国軍兵士が彼を追いかけて来るが、ギルバートは何とかして逃げ延びるつもりでいた。こんなはずじゃなかった。こんなふうにみじめに生きるくらいなら、いっそ犯罪者になってしまった方が良い――実際は今も普通に犯罪者なのだが、自分の手で重犯罪を起こすという意味である――と彼は思っていた。

 どうしてこうなってしまったのだろう。彼は自分の人生を思い返した。

 

 ❖

 

 もともと、ギルバート・スタインという人物は大した人物ではなかった。それを彼自身が痛いほどに理解していた。彼が変わろうと思ったのは、両親から勧められてジェニス王立学園を受験しようと思った時だった。何をやっても落ちこぼれで、周りの人たちからは生暖かい目で見られる。そんな自分から決別したかったのである。だから彼はジェニス王立学園に入学しようと必死に勉強した。

「そんなに勉強したって意味ないって」

「お前の頭でジェニスなんて受かる訳ないだろ」

 周囲の人間からはそう言われたし、ほぼ冗談で彼にそれを勧めた両親からも何度も止められた。しかし、彼はその意志を貫き通した。何故なら、変わりたいという願いがあったからだ。このままみじめなままで人生を終えたくない。だから、彼は必死に勉強した。その代償は、今まで多少なりとも他人から逃げることで鍛えられていた逃げ足が遅くなること。だが彼はそれを気にすることはなかった。何故なら、彼は今から変わるのだから。

 彼から見た王立学園の生徒はとても光り輝いていたのだ。あたかも彼らが特別な人間のように。その仲間入りをしたくて、彼は一心不乱に勉強して――そして、彼は果たした。ジェニス王立学園に入学できたのである。

「ここが、ジェニス王立学園か……!」

 入学当時の彼は光り輝いていた。ピカピカの一年生である。制服に袖を通して学園の正門をくぐった時、彼は本当にジェニス王立学園に入学することが出来たのだと実感できて思わず涙してしまったほどだ。ここから彼は憧れのジェニス王立学園生になって彼らのように光り輝く人間になるのだ。少なくとも、入学当初はそう思っていた。

 しかし、彼は変わることはなかった。ジェニス王立学園の生徒になっても彼は特別な人間になることは出来なかったのだ。当たり前だろう。環境が人を作るとはいえ、最初に醸成されたモノは簡単には変えられない。難しい授業に必死について行くが呑みこみは悪く、先生たちからもさじを投げられる始末。がんばればなんとかなる。その言葉が本当なのだと、彼は信じたかった。ずっと信じ続けていようと思っていたものが、折れた。

「……何とかして、何とかして頑張らないと……!」

 別に特別な人間になんてならなくても良いんだ。そう思えれば一番良かったのだろう。しかし、彼はそうは思えなかった。特別な人間にならなければ皆から見捨てられる。だから彼は王立学園でも模範生であろうとし、勉学に関しても同室の男子に迷惑がられながらも必死で頑張った。何度かカンニングもした。先生にばれないかと冷や冷やで逆に成績が下がったのでやめたが。

 それが報われたのは――本当に最後だった。彼の成績は下の下だったのだが、最後だけは何が起きたのか上の下くらいまで上がっていたのである。それをもろ手を上げて彼は喜んだし、彼の成長っぷりを見た先生たちもいつになく喜んだ。

「これで……これでやっと――!」

 感涙を落としながら、彼は確信した。変われる。みじめなギルバート・スタインではなく誰から見ても非の打ちどころのないギルバート・スタインになれると。そう信じた。だが、本当にそれだけだった。彼はむくわれこそしたものの、自分が変われたとは微塵も思えなかったのだ。変われるとは確かに思ったが、変われたとは思わなかったのだ。

 

 そこで彼は諦めるべきだったのだ。変わろうなどと思わず、普通に一般的な男性として生きて行こうと思うのなら。商才がなくとも、農業が出来なくとも、ただそこで生きていようと思うのなら。

 

 しかし、彼は諦めなかった。変わりたかったのだ。その強固な思いは彼の心を焼き焦がし、爛れさせる。王立学園を卒業した彼は相応の野心家へと育っていった。官僚になろうとグランセルまで赴いては何度も試験に落ち、実家の貯金がなくなっていこうとも彼は気にしなかった。たった一つの願いを胸に、彼は官僚への道へと向かっていたのである。

 彼の願いは、思わぬことで叶った。グランセル勤めの官僚ではなく、足しげくグランセルに通っていることで顔見知りになったモーリス・ダルモアとの縁が出来たのである。まじめで熱心な男性であるとダルモアはギルバートを評し、秘書になってくれないかと頼み込んできたのである。

「いいん……ですか? 僕なんかで」

「勿論だとも!」

 ギルバートはそれを即座に受けた。そこまで評価して貰えることが純粋にうれしかったからでもあるし、自分が変わるきっかけにもなると思ったからである。そして、それは様々な意味で当たっていた。彼が一般市民から市長秘書にクラスチェンジした瞬間であり、後の犯罪の黒幕にクラスチェンジするフラグにもなったという意味では。

 ギルバートはようやく本当の意味で変われると確信した。ダルモアの秘書になって、どんな雑用を言いつけられても必死にこなした。いつの間にかそれらは彼にとって苦も無く出来ることに変わっていった。これで――変わったのだと確信出来たのである。

 

 だが、彼の意志を打ち砕く事件が起きてしまったのだ。彼の全てを全否定するような、そんな事件が。

 

 それは――彼が偶然ダルモアの裏帳簿を見つけたことに端を発する。そこに書かれていたのはとんでもない額の負債。ダルモアが共和国で先物買いをして手痛くすった負債である。それだけを見てダルモアを糾弾すれば良かったのだ。しかし彼はそうしなかった。どこからそのミラが出ているのかを確認してから追及すべきだと思ったのである。そして、その負債をどこから返済したのかを確認してしまった。その負債は、ルーアン市の予算から返済されていたのである。

 それを、ギルバートはダルモアに追及した。

「どういうことですか、市長!」

 しかし、彼の正義感めいた追及が彼にトドメを刺すことになった。彼の問いに絶句していたダルモアは、不意に昏く嗤いはじめるとこう告げたのである。

 

「……君は一体どういうしつけをされていたのかね。勝手に他人の家の中を探るなど……育ちが知れるというものだよ」

 

ガツンと頭を殴られたような衝撃があった。ダルモアにしてみれば苦し紛れの一言であったのだが、ギルバートにとってはこれまでの人生すべてを否定されたように受け取れてしまったのである。

 

 だから、ギルバート・スタインという人間はここで一度『死んだ』。

 

 ダルモアはギルバートに口止めをし、失職または全ての罪をギルバートに被せると脅して彼を服従させた。実際、その時のことをギルバートはほとんど覚えていない。ただ言われるがままになっていたからだ。自分を全否定されて。今までの努力は無駄だったのだと気付かされて。呆然自失だったのである。

 その時から、ギルバートは努力するのを止めた。変わろうとするのを止めた。そんなことをしても意味がないからだ。これからの彼は自分の楽なように生きる。当時のギルバートが取れる一番楽な道は、ダルモアに従うことだった。少なくとも彼はそう思っていた。そう思わされていたと言い換えても良い。その時には既にとある人物がダルモアに接触していたのだから。

 ここで明かそう。彼、ギルバート・スタインは一度壊れた。そしてそれを再構築したのは彼だけの力ではなかったのだ。この時から実は彼は《身喰らう蛇》と関わっているのだが、そのことはとある人物以外誰も知らない。その人物とは、言わずもがな《白面》ワイスマンである。

 ワイスマンはあまりにもダルモアが簡単に暗示にかかったので暇つぶしにギルバートを改造したのである。妙に意志が薄弱になっていたところを付け込まれたと言い換えても良いだろう。とにかく、リベール各地に散っている《身喰らう蛇》の情報提供者たちの一人としてギルバートは生まれ変わったのである。

 ギルバートはワイスマンに改造されたときに一つの贈り物をもらった。それは今まで絶対に持つことの出来なかったものであり、これから先も一生手に入るはずのなかったもの。

 

 それは――絶大なる自信だった。

 

 そもそも彼自身には自信がなかった。自信を持てるような経験がなかったのである。もしあったとしても、ダルモアに全てをぶち壊されたギルバートからは失われているだろうものだ。

 考えてみてほしい。落ちこぼれと蔑まれ、変わろうと努力しても報われず、努力そのものを否定されて。それで自信を持つことが出来るのだろうか。出来るはずがない。ギルバートの少し前の発言を思い出すと分かるように、彼は自身ですらも蔑んでいるのだから。『僕なんか』。これは自分の可能性をおしとどめる悪い言葉だと誰かが言ったが、そもそも可能性なんてあるわけがないと思っている人間に対してその言葉を告げる意味はあったのか。

 ともあれ、自信を手に入れたギルバートは精力的に動き始めた。彼は、マーシア孤児院放火事件に関わり、ダルモアに代わってその指示を実行する人形と化したのである。孤児院を放火させ、黒装束の男達と取引をして。危ない橋は全てギルバートが渡った。そうやってすべてが上手く行くと思っていた。妙な自信がそれを後押ししていたのも大きい。

 彼らを止めたのは、年若い遊撃士たち。言わずと知れたエステル・ブライトとヨシュア・ブライト、アルシェム・ブライト。そしてギルバートは正体を知らないが、お忍びで王立学園に通っていたクローディア・フォン・アウスレーゼ。彼らのせいで、計画は全て水の泡。ダルモアと共にギルバートは捕縛されることになったのである。

 

 ❖

 

 ギルバートは悪態をつきながら必死に泳いでいた。どこへ向かっているのかは彼自身も知らない。そこに霧が漂って来ようが、あるはずのない施設が見えようが関係なかった。逃げ延びられればそれで問題ないのである。逃げればまた栄光への道が開けるはずだと彼は信じていた。

 泳いで、泳いで――そして、彼は力尽きる。湖岸にまで辿り着けたギルバートは、意識を失うことだけはなかった。荒く息を吐いてその場に寝転がり、息を整える。まだここは間違いなくリベール国内。逃げるにはここからまた姿を眩ませなければならない。だが、彼は今すぐには動けなかった。

 幸運というべきなのだろうか。不運というべきなのだろうか。あるはずのない施設から出て来た少女がギルバートを見下ろしている。万事休すか、とギルバートは思ったが、違った。

「……ふぅん。中々面白い人ね」

 そう言った少女はギルバートの目の前から走り去っていった。誰か大人を呼びに行って、そのまま通報されて人生は終わるのだろう。彼はそう思った。しかし、少女に連れられてその施設から出て来たのは少年だった。

「ね、面白そうでしょう?」

 得意げに笑う少女は少年にそう話しかける。少女が何かしらを言う前からプルプル震えていたその少年は、恐怖のあまりふるえているのではなかった。それは勿論――

 

「あははははははっ、レン、キミよくこんな面白いの見つけたねえ!? あひゃひゃひゃははっ!」

 

 おかしくて笑っているのだ。何がオカシイのだ、とギルバートは思う。もしかしたら大の大人がこんな場所で力尽きているのをおかしいと思われたのかもしれない。だが、どうやらそうではなさそうだった。

 少年が腹を抱えながら言葉を続ける。

「く、くくく靴にシヴァス……! ネクタイがカサギン……!」

 ギルバートには全く意味が分からなかったが、取り敢えず彼の声を聴いて目線だけで足を見る。すると、何故気づかなかったのかわからないが靴がシヴァスだった。何を言っているのかわからないとは思うが、靴がシヴァスであることには変わりない。端的に言うならば、履いていた囚人用の靴がなくなってシヴァスに足を喰われていると言えば良いだろうか。

 そこまで認識したギルバートは絶叫した。

 

「ななな、なんじゃこりゃあああ――――――――――――――――――――――ッ!?」

 

 その声を聴いて胸元でぴちぴち暴れ出すカサギンは容赦なく大口を開けたギルバートに吶喊してくる。流石に生でカサギンは不味い気もするのだが、ギルバートに止めるすべはない。全身が筋肉痛でもう動けないのだ。

 少年はゲラゲラ笑いながらギルバートのことを笑う。しかし、何故だかソレが不快にはならなかった。単純に面白いから彼は笑っているだけなのだろう。そう思うと、ギルバートもなんだかおかしくなってきて少年と一緒に笑い始めた。

「ふはは、あははははは……」

「はー、はー、キミ最高……! いひひひひひひひ……ひー、ひー……」

 その笑いは何故だか暖かくて。だからこそ、ギルバートはその後の申し出を断らなかったのかもしれない。その時は本当に自分を認めて貰えたと思えたのだから。あくまでその時限定だったが。

 

「ねえ、キミ。僕と一緒に来ない?」

 

 その申し出を受けたギルバートは、数週間後には後悔することになっているとも知らず快くそれを受けた。そして、その数週間後までに彼がやったことはと言えば、筋力トレーニング、射撃、潜入工作の基礎などなど。どれも落ちこぼれだったが、それでも少年――カンパネルラは笑って許してくれた。少なくともギルバートはそう思っていた。あの一言を聞くまでは。

 

「もー、キミって最高の暇つぶしだよね!」

 

 ギルバートはその言葉を聞いて物凄く渋い顔をしたという。だが、不思議とそれは嫌ではなかった。だから彼はそこに留まり、その後もカンパネルラに弄られ続けることになったのであった。これが、ギルバートが《身喰らう蛇》入りした顛末である。




ホント自分で何を書いているんだろうと思った。

では、また。


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~狂い始める歯車~
《ハーメルの首狩り》という存在


旧95話のリメイクです。

では、どうぞ。


 グランセル王城に連行されたアルシェムは、一通りエステル達が女王に報告するのをぼーっと聞いていた。未だに変装は解いていないので遊撃士連中からは盛大に警戒されているのだが、彼女にとってはどうでも良いことだ。

 グロリアスからの脱出について語り終えたエステル達は、アルシェムに眼を向けた。それで女王は察したようにアルシェムに告げる。

「……貴女が……エステルさん達を助けて下さったんですね。出来れば正体を見せては頂けませんか?」

「え、この場で服まで脱げっておっしゃる?」

「そこまでは言いません。……貴女が、私の思った通りの方であるのならそこまでしなくとも分かるはずですから」

 アルシェムは完全にばれていることを理解した――と言っても、アルシェムが以前捕縛された際と同じ服を着ていれば当然と言えば当然なのだろうが。アルシェムは溜息を一つつくと、仮面を外した。

「……あれが素顔……?」

 シェラザードはいぶかしげな顔でアルシェムを見ているが、すぐには気づかないだろう。髪型というのはなかなかに侮れないモノなのだ。急激に変えれば誰なのか一瞬わからなくなる。それも狙ってアルシェムはかつらをつけていた。

 しかしそれももう意味がない。アルシェムは無造作に髪を引っ張ると、ずるりとそのかつらが落ちる。それを見て声にならない悲鳴をティータが洩らすが、その下から現れるのも同じ色の髪だ。

 そうして、アルシェムは女王に返答した。

「これでよろしいですね?」

「ええ……貴女からも事情を聞かせて下さい、アルシェムさん」

 アルシェムの名を聞いたシェラザード達は驚愕したように彼女を見る。しかし、アルシェムがその視線を意に介することはなかった。どこから語り始めれば良いのか分からなかったからだ。女王の言う事情が、一体どこまでの事情を指すのか。

 悩んだ末にアルシェムは女王に問う。

「さて、事情とおっしゃいますが、陛下。一体どの時点からの事情をお話しすればよろしいですか? 生まれた時から? それともカシウス・ブライトに引き取られる直前から? もしくは――」

「宜しければ、生まれた時から。事と次第によっては貴女にお伝えしなければならないこともありますので」

 それを聞いたアルシェムは非常に複雑な顔をした。というのも、生まれた時からの昔語りをするにはこの場にいる人物はあまりにも向いていない。どこまで詳しく話せと言われるかにもよるが、場合によっては未成年者には聞かせられない話もしなければならない。それに――ヨシュアの話と食い違う証言をはたして彼が受け入れるかどうかも問題である。

 故に、アルシェムの答えはこれだった。

「申し訳ございませんが、生まれた時から話そうと思うと御前に血が流れるかもしれないのでお断りさせていただきます」

 それを聞いたカシウスはアルシェムの言葉に眉を寄せる。その言葉がどういう意味なのか一瞬測りかねたからだ。何故血が流れることになるのか。アルシェム自身が暴走するという意味では恐らくない。とするならば――この場で一番不安定で暴走しそうなのは。

 そこまで考えたカシウスはアルシェムに問う。

「アルシェム。その話には《白面》とやらが関係あるのか?」

「《白面》の得意技は認識と記憶の歪曲だってこと。悪いけど、リベール大トライアスロンした後に本気で襲撃してくるヨシュアとか多分対応しきれないし」

 アルシェムはカシウスの問いにそう答えた。半分は本音だが、半分は冗談である。本気で襲撃してくるヨシュアを止めることは簡単だ。今まで使わなかった切り札を使えば彼を廃人にすることも出来る。ただ、それをするのは躊躇われるのでそう告げたのだ。

 どういう話になるのかは大体想像がついたカシウスはリオに問う。

「……シスター・リオ。ヨシュアにまだ暗示がかけられているかどうか分かるか」

「見て分かるんなら苦労はしませんって。どっちかというとアタシは荒事専門だってご存じでしょうブライト卿……」

「なら、神父ケビンならどうだ?」

 カシウスの問いに、リオは少しばかり考え込んだ。今ケビンを呼び出しても良いのだが――これ以上手札を明かさないという意味で――、いつかどこかのタイミングでヒーナ・クヴィッテと女王に面識を作らなければならないだろうことはアルシェムから聞いている。ならば、今ここでそのカードを切っても良いのではないか。リオはちらりとアルシェムを見る。すると、彼女は瞬きでヒーナを、と告げていた。

 ならば迷う必要はない。リオはカシウスにこう返す。

「あの人よりもそっち方面が得意な人を知ってますから、彼女を呼びましょう」

「ほう……しかし、時間がかかるのではないか?」

「いえ、彼女はグランセル大聖堂に勤めているので」

 それを聞いた女王はユリアに頼み、ジークを使って大聖堂に連絡を入れた。そして、女王は彼女が辿り着くまでの間に謁見の間から情報が漏れない女王宮の女王の私室へと移動させた。どこまでもうわさが広がっていくのは避けたかったのだ。間違いなくアルシェムは《ハーメル》の真実を知っているのだから。

 移動が終わってから、アルシェムは色々とグロイ話になるかも知れないことを警告しておく。免疫のない人物や年若い人物には酷だと思ってのことだ。その結果、ティータとシェラザードが客室で待機することになった。本当はティータだけだったのだが、彼女に関しては色々と行動的な面があるためにお目付け役が必要だったのである。それならばアガットが、となるかも知れなかったのだが、彼はアルシェムの話を聞きたいのだと主張したためにそういう人選になった。

 そして、その女性――シスター・ヒーナ・クヴィッテが現れる。彼女を見たヨシュアは少しばかり動揺するが、きっと人違いに違いないと思い込んで平静を保つように努めた。きっとどこかには存在しているに違いないのだ。黒髪に琥珀色の瞳の女性など。

 その場に到着したヒーナは女王に向けて挨拶をする。

「初めまして、アリシア女王陛下。畏れ多くも御尊顔を拝し奉ることが出来、至極光栄にございます」

「挨拶は結構です。先ほどの手紙通り、こちらのヨシュア殿に暗示がかけられていないかどうか確かめてほしいのです」

 女王はヒーナの仰々しい挨拶を遮ってそう告げた。ヒーナはちらりとヨシュアを見ると、僅かに迷ったような表情をして無表情の仮面をかぶりなおした。そこにいるのがたとえ愛しい弟であっても、今は事実を告げるわけにはいかない。たとえ彼が彼女の存在を求めていたとしても、だ。

 だからこそヒーナはヨシュアにとって、そしてアルシェムにとっても酷なことを口にする。

「恐れながら、陛下。もしも彼に暗示が掛けられていたとしても、その暗示が表層に出て来ていない限り解くのは困難です」

 それは、アルシェムに暗に殺されかけろと言っているのと同義でもあった。暗示が表層に出て来ている、というよりも改ざんされた記憶が違和感を訴え出す痛みがなければその病巣が何処にあるのかわからないというのも原因の一つだろう。

「そうですか……困りましたね。ヨシュア殿も聞いておかなくてはならない話なのですが……」

 と、そこでヨシュアが複雑な顔で申し出た。曰く、自分が我慢していれば良いのだと。話し合いの結果、ヨシュアが暴走を始めた場合、カシウスが止めるという条件で話を始めることになった。

 アルシェムはゆっくりと息を吐き出し、最初の一言を告げる。

「わたしは――孤児でした」

 

 ❖

 

 父も母も知らない孤児でした。当然、姉妹なんている訳もない……嘘だって? あー、その時点から改ざんかー……うん。そうだよ、ヨシュア。あんたのいう馬鹿げたことが真実だって言ってんの。『エルシュア・アストレイ』なんて存在しない。そこにいたのはわたし――『シエル・アストレイ』だけだった。

 なら『エル』は誰なのかって? だからわたしだってば。話が進まないからちょっと黙っててよ。それでですね。わたしを拾ってくれた人の名はカリン・アストレイと言います。ヨシュアのお姉さんで、とても優しい人……あーだからさ、話が進まないんだってシスターさんおねがーい。

 ……えっと、それでカリン姉に拾われて暮らしてたんですよ。隣にはヨシュアがいて、カリン姉にはレオン兄――こういった方が通じやすいですね。ベルガー少尉がいました。それなりに幸せに暮らしてましたよ――あの日までは。その件については一度陛下には申し上げましたが……ああ、そうですか。ヨシュアに伝えるのも目的の一つだと。分かりましたお話しします。

 わたしは村はずれの森に薪を取りに出ていました。でも、わたしはそんなものを拾い集めているどころではない場面に直面したんです。柄の悪そうな男達に、端々に出て来る《ハーメル》の名前。そこを襲えば良いと……それが、クライアントの要望だと彼らは告げました。クライアントは誰なのかって? ヨシュアそれ聞いても絶対ソイツ殺しに行かないでよ? ……いや、外交的に問題のある人物になるし。

 彼らが告げたのは『エレボニアの大佐殿』という隠語でした。事を起こし、それを解決してからその手柄を手土産に帝国でのし上がるのだと。そして、《百日戦役》の前に退役した佐官なんてわたしの調べた限りでは一人しかいません。……まさか皇……オリビエからその単語が聞けるとは思わなかったな。そーですよ。ギリアス・オズボーン。十中八九彼の指示です。他に佐官を騙る人物がいなければ、ですけど。

 ま、それでですね。それを私は告げて回ったわけです。誰の指示で、というのだけは伏せましたけど。それが誰の指示かなんて明かしたらますます信じて貰えないでしょう? ……まあ、もっとも最初から信頼なんてあってなかったようなものですけどね。あまりにも騒がしく吹聴して回ったのでそんな事実は有り得ないと思った村長からは追放されたわけですし。

 追放されたのはまあ、根には持ってないんですけどね。それでも襲われるって分かっているのに何もしないという手段だけはなかったんです。わたしは近くに隠れていて、猟兵達が近づいてきたのを見て襲い掛かりました。《首狩り》の異名はここから来るわけですけど……人間って頭と胴体がお別れすると間違いなく死ぬじゃないですか。下手に手負いにするよりそうした方が後々面倒がなくて良いと思って、わたしは猟兵達を皆殺しにすべく剣を持って走ったわけです。

 物陰に隠れては猟兵を殺して、物陰に隠れては猟兵を殺して。そうやってわたしは必死にカリン姉たちを探し回っていました。どこかでまだ生きていてくれるはずだと思って。それで――間一髪間に合ったんです。トラウマを植え付けるとかそういうのは完全に頭からぶっ飛んでましたけど、彼女の目の前で変態チックなことをやらかしかけてた猟兵には生からおさらばして貰いました。

 そこにまあ、レオン兄が合流しまして。この時点で一番罵りやすかったわたしを罵ったわけです。わたしが猟兵達と繋がっていて、招き入れたんだろうって。人の話も聞かなかったくせに何をって話なんですけど。その時はまだまだメンタルは弱い方だったので何も言い返せなかったんですけど、言い返す時間もなかったんですよね。

 そ。ダイナマイト。レオン兄はアレでカリン姉が爆殺されたって信じてるけど、実はそうじゃなくて……ってちょ、落ち着いてって。吹き飛ばされても確かにカリン姉は生きてたけど、その後はわたし知らないんだってば! 何でって……助けに行ったのに面と向かって罵倒されて平静でいられるほどわたしのメンタルが強かったとでも思ってんの? そのままカリン姉を置いて猟兵を全滅させに行ったんだって。カリン姉と合わせる顔もなかったからだけど。

 それで――わたしは人殺しになりました。猟兵達を全員屠って、でもレオン兄達のところには帰れなくて。だからわたしはそのまま逃げだしました。……そんな細かいところ突っ込まないでよヨシュアー……ま、いーけど。どうやらわたしは共和国まで足を延ばしていたらしいです。そこでとある家に拾われて、わたしはもう一度『家族』を得て……でも、それも長続きはしませんでした。

 そこで顔を真っ青にしてるジンさん、正解。児童連続誘拐事件ってあったの知ってますよね? カシウスさんが解決に関わった奴。あれに何故か巻き込まれまして。そこから助け出しに来たのが何故かレオン兄とヨシュアだった時にはものっそい驚きましたよ。そのまま《身喰らう蛇》に保護されましたけど。

 《身喰らう蛇》に保護された後はもう言わずもがなですけど、暗殺と潜入の毎日でしたよ。執行者になってからの方が圧倒的に多かったですけど。残念なことにレオン兄達と再会したところで素直に喜べるような状況でもなくなってましたし――あの人、よりによってわたしがカリン姉を殺したんだろう、ですよ? それだけはないわーと思いながら対処してましたけど――そこまで記憶が食い違いになっているならこれ以上そばにいたって思い出して貰えはしないでしょう。

 だから、わたしは《身喰らう蛇》から抜けることを決めました。完全に私欲からでしたけど、正直助けて貰った恩は返しきったとは思いましたし。それで《白面》から言われた任務に行くふりをして捕縛して貰おうと思ったんです。それが――クローディア殿下の暗殺という任務でした。

 いや、最初は七耀教会にリークしたんですけど、何故かその場にいたのはカシウス・ブライトで驚きましたって。それで操られているふりをして捕縛して貰いました。そこから記憶に欠けがあることを確認して七耀教会まで行かせて貰う口実を作って、掛けられているかも知れない暗示を解いて貰ったわけです。実際、記憶喪失だったのは事実ですし。

 どういう意味かって? 人の名前と固有名詞だけが分からないんです。たとえば、《漆黒の牙》がどんな容姿をしていたかを知っていたとしてもそれがヨシュアだと結びつかないという感じですかね。取り敢えずイロイロ頑張りましたし頑張ってもらいましたけど、どうも記憶消去だけは解けなかったみたいです。他人から名前が出れば思い出せるんですけどね。

 ま、そんな感じでわたしはここまで生きてきたわけですけど。聞きたいことはありますか?

 

 ❖

 

 そこまで聞いて、いの一番に質問をしたのはエステルだった。

「アルは……そ、その……ヨシュアのことどう思ってるの?」

「『家族だった』。それだけだよ。今はもうどうでも良いし、『家族』に戻ろうとも、もう一度『家族』になろうとも思わない。あー、付け加えとくけど恋愛対象とかでもないからね」

「そ、そうなんだ……」

 アルシェムの言葉に考え込むそぶりを見せるエステル。アルシェムは恋愛対象でもないと言い切ったのは、エステルがヨシュアを好いているからなのだろうと推測したからだ。彼女自身は誰かに愛されようとも思っていないし誰かを愛そうとも思っていない。そんなことをしても一銭の得もならないからだ。例外もいるが、彼女はあくまでも『妹のような存在』。可愛がりはしても愛されようとは思わない。

 次に質問を浴びせたのはジンだった。というのも、彼はアルシェムの巻き込まれた児童連続誘拐事件の解決に関わった人物だからである。アルシェムを救い出せなかったのは確かだが、一体その《拠点》がどこにあったのかくらいは聞いておきたいのだろう。

「思い出したくないことなら良いが……お前さん、どこにあった《拠点》から救出された?」

「流石にそこまでは知らないですけど、ヨシュアなら知ってるんじゃないですか?」

 ジンはその言葉を聞くとヨシュアに問い直すが、ヨシュアはその施設の場所を伝えられなかった。覚えていないのだ。あの時期には大量に任務に駆り出されていたのだから。思い出そうとすれば地図でも引っ張ってきて一つ一つ思い出しつつ記憶を引っ張り上げるしかない。ただ、今はそんな時間がないことだけは確かである。

 その話を後回しにし、次に問うたのはヨシュアだった。

「結局――《首狩り》として指名手配されていたのは君?」

 アルシェムはあずかり知らぬことであったが、実は《ハーメルの首狩り》は秘密裏に指名手配されていた。ただ、彼女は見つからなかったために今では指名手配を解かれている。因みに《首狩り》という怪談自体は広がっていたためにそういう存在がいるらしいことはうわさに聞いて知っていたのだが。

「多分ね。聞いた程度だけど、ぶっちゃけアレはないわー……首落としたの、猟兵だけだってのに」

「そうなのかい?」

 ヨシュアのその問いに答えたのは、女王だった。アルシェムが以前に依頼した村人と猟兵の死因の精査の結果が出たらしい。

「村人の方々は銃殺されていることが多かったようです。刺殺されていた方もいらっしゃいましたが、どれも胴体に傷があったと。対する下手人たちはほぼ首がなく、首があっても袈裟懸けにばっさり斬られている方がいるのみでした」

 その後、いくつか他愛ない質問を終えてから最後に質問を繰り出したのはカシウスだった。どうしても気になることがあるらしい。

 

「お前は――もう、家族を作るつもりはないのか?」

 

 その問いは、アルシェムの顔を歪ませた。アルシェムがもう一度『家族』を作ることなど有り得ないことだからだ。この先に起こる全てのことにその『家族』を巻き込むことは出来ない。ましてや、アルシェム――『エル・ストレイ』は星杯騎士である。しかも、守護騎士。そんな恨みばかり買いそうな地位にいる彼女に、大切なものを巻き込むだけの度量はなかった。

 だから、アルシェムはカシウスに答える。

 

「わたしの『家族』はカリン姉であり、レオン兄であり、ヨシュア『だった』。そして、共和国のあの人達『だった』。それで十分です」

 

 その表情は泣いているようにも見えて、カシウスはそれ以上問うことは出来なかった。即ち――カシウスとエステルは過去形にしても『家族』ではなかったのかと。その問いさえ発していれば、アルシェムはエステル達と永久に決別することはなかっただろう。この時点でそう問うてさえいれば、限られているとはいえ顔を合わせている時間があるのだ。その真意を直接聞くことが出来たかも知れなかったのに。

 

 そうして――《ハーメルの首狩り》の真実は、あと一人の生き残りを除いて村の住民に伝わったのだった。




ちょっとだけ過去をばらすのを多めにしてみた←

では、また。


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第二結界、解除

旧96話~97話のリメイクです。

タイトル通り。

では、どうぞ。


 《ハーメル》の真実が生き残りに明かされてから、一同が気持ちを落ち着けたころ。女王宮に親衛隊の一人が駆け込んできてとある情報を齎した。それは、各地方にある《四輪の塔》の異変と紅の兵士、機械人形の跋扈。本格的に《身喰らう蛇》が動き始めたことを指す報告であった。

 それを聞いた女王はエステル達に異変の解決を依頼したが、その際にクローディアが決然とした表情で《アルセイユ》の貸し出しを申請した。どうやら彼女はそれで《四輪の塔》を回るつもりらしい。クローディアの申し出を、女王は覚悟を決めたような顔で受けた。それはつまり、クローディアをほぼ後継者として周囲に知らしめる行為でもあった。王族用の巡洋艦をたかが一王族に貸し出すことなど本来であれば有り得ないことであるのだから。

 女王の許可を得たクローディアはどうしても帰国しなければならない用が出来たオリビエを除く一行を《アルセイユ》に誘導するが、アルシェムは《アルセイユ》には乗らなかった。乗ったところで意味がないからだ。大人数で同じように行動するよりも、別れて行動する方が効率が良い。だからこそ、アルシェムは単独行動を選ぶことにしたのである――といっても、名ばかりの監視はつくが。

 リオを名目上監視として別行動を赦されたアルシェムは、王都周辺に出没しているかも知れない紅の兵士をどうにかするという名目で行動を始めた。ただし、本当に名目だけであって王都周辺に出没するだろう紅の兵士を退治するつもりは毛頭ない。もし紅の兵士が来たならば、ヒーナに任せるつもりだった。恩を売らせるという目的で。いささか急すぎる気もするが、今まではヒーナを目立たせるわけにはいかなかったからこそ目立てる時に目立っておこうという腹だ。

 では、アルシェムはどう行動するのか。それは――

「……全部秘密裏に行動って流石に無理があるんじゃ……」

「無理でも押し通す。《蛇》の人員削減も任務だからね。ってことで各地の構成員達をまとめて使い物にならなくしにいくよ」

 それがアルシェムの目的だった。最悪、一人も執行者たちを減らせなかった時のために任務のための建前が欲しいのだ。殺害でも別に構わないが、リベール国内では殺さない方が後々カシウス達からの追及を逃れられる。そのため、アルシェムが取る方法はこれまで禁じ手にしていたものとなる。そう――今までさんざん出し渋っては窮地に陥ってきた禁じ手である。

 その禁じ手とは、《聖痕》。《守護騎士》としての必須条件の一つである。少しばかり変則的ではあるものの、アルシェム自身にもその《聖痕》が刻まれていた。それを買って盟主はアルシェムを執行者と成したのである。それを以てアルシェムはある意味《白面》と同じくらい外道なことをしに行くつもりであった。それを自覚しているかどうかはさておき。

 メルカバに乗り込んだアルシェムとリオはエステル達の負担を減らすべく、ロレントへと旅立った。紅の兵士達を減らせばエステル達の戦闘も少なく済むだろう。ただし屋上でやらかしている執行者に関しては無視である。《輝く環》を回収するには一度出現させる必要があるからだ。何が何でも出現を阻止することだけはない。ないものを回収は出来ないのだ。

 その行動には間違いなく今の格好のままではマズい。《銀の吹雪》であれば裏切ったことを周知することを代償に《聖痕》で何とかしたと言えば何も問題はない。しかし、今のように顔を晒したままではこれから先の行動に支障が出かねない。よってアルシェムがとる行動はと言えば、もう一度仮面をかぶりなおしてかつらをつけることだった。

 そうして最初に辿り着いたのは《翡翠の塔》の前。そこで入口を警護しているらしい紅の兵士達の注目を集めるために――兵士達がアルシェムを目視しなければならないのである――敢えて姿を現してこう告げた。

「ご苦労様。ここにいるのはこれだけ?」

「お疲れ様であります! 街道に別働隊がいますので……」

 しかし、その兵士は最後までその言葉を告げることが出来なかった。何故なら、アルシェムは返事を聞く前に冷たく言葉を吐いたのだから。そう――この世界では十二人しか紡ぐことの出来ない力ある言葉を。

 

「……我が深淵にて瞬く蒼銀の刻印よ。我が命に応え、彼の者共の意志を凍てつかせよ」

 

 その言葉をトリガーにして、アルシェムの背に蒼銀の紋章が浮かび上がる。六枚の花弁のようなその紋章は所謂雪の結晶の形をしていた――だからこそ、彼女の執行者名が《銀の吹雪》なのである。そして、守護騎士としての通り名《雪弾》も。属性を述べるとするならば、水。アルシェムは恐らく幻も混ざっているだろうと考えている。

 紅の兵士達の瞳から光が消え、アルシェムが紋章を消すと同時に彼らは倒れ伏した。どうやらきちんと効いたらしい。呼吸はしているものの、何かしらのアクションを起こす様子は見られなかった。むしろ行動できていればそれはそれで問題である。本人の意志とは裏腹に動いていることになり、引いては《白面》に操られていることになるのだから。

 ついでにリオが念のためにと彼らに動けない程度の重傷を負わせてその場から撤退する。巡回に出ている別働隊に関しては今はスルーしておくことにして――そんなことをしていれば見つかるリスクが高まる――、アルシェムはリオと共にボースの《琥珀の塔》へと向かった。

 すると、下からでもわかる巨大な人形兵器が塔の上に鎮座しているのが見えた。どうやらここにいるのはレンらしい。生憎今は見つかる訳にもいかないので兵士達の意志を奪うだけで終わらせることにする。見付かったら弁明が面倒なのだ。特に彼女に対しては。

 精神的な疲労が少しばかり溜まっては来るのだが、そんなことを気にしていては先には進めない。ここで倒れるわけにもいかないのだ。少なくとも、《輝く環》を回収し終わるまでは。義理はないかも知れないが、アルシェムはここで死ぬわけにもいかないのである。ケビンはサポートだとアインは言っていたが、残念ながらその言葉をうのみにするほどアルシェムは素直な性格ではない。何せ、ケビンは《外法狩り》なのだ。アルシェムを狩って帰ることすら可能だろう。

 だからアルシェムは星杯騎士団を裏切ることが出来ない。《身喰らう蛇》の時のように抜け出すことは出来ないのだ。無理やり引きちぎろうとするならば、それ相応の権力と地位、そして実力をつける必要がある。今のところは抜け出す気はないので従っておくが。

 ツァイス、ルーアンとメルカバを向かわせながら、顔色が徐々に悪くなっていくのをアルシェムは自覚している。精神的疲労だけでは説明できない何かが起きようとしている気がしてならないのだ。だが、敢えてアルシェムはその感覚から目を逸らす。この感覚を説明してしまったら『アルシェム・シエル』という人間が根本から崩れていく気がして。

 だが、アルシェムは逃げられない。思考を別の方向に逸らそうとすれば逸らそうとするほどに頭の中でとある言葉が巡るのだ。それは――

 

『お主は《□》の一部だ』

 

 それはとある存在から語られた眉唾物の話であるはずだった。だが、それが眉唾物であると肯定できるほどアルシェムは自身を知っているわけではない。『アルシェム』という自らの名でさえも、ふと浮かんできたものでそれまで一度もそんな名を名乗ったことはなかったのだ。カリンにつけられたものでさえない。ならば、それは一体『誰』がつけたものだというのだろうか。

 彼のあの言葉は全て真実だったのだろうか。それを、アルシェムは嫌が応にも考えざるを得ない。どれほど思考を逸らそうが思考はそこに行きついてしまうのだから。《四輪の塔》の兵士達を止め、グランセルに戻ってきたアルシェムはそれを実感していた。

 小刻みに震え始めたアルシェムをリオがぎょっとした顔で見る。だが、アルシェムにはそれを気にかける余裕などない。今の彼女は、嵐の前の静けさに不吉なものを感じているとでも言えば良いのだろうか。とにかく彼女は正気である時には珍しく――錯乱しているときは別である――怯えていた。

 《メルカバ》から出ていたアルシェムは近くの木に背を預けていたが、立ってはいられなくなっていた。ずるずると滑り落ち、地面にへたり込む。リオはそんなアルシェムに手を伸ばそうとしたが、視界の端で煌めいたものが気になって空を見上げた。すると、そこには――

 

「まさかあれが――《輝く環》!?」

 

 金色に輝く巨大建造物が、そこには存在していた。神々しいようにも見えるが、どちらかというと成金趣味にも見えるあたり一応は人間の作ったものとでも言えば良いのだろうか。その威容にリオは息を呑むが、アルシェムはそれを見上げている場合ではなかった。

 彼女の中の本能が叫んでいるのだ。アレは御するべきもの。アレは従うべきもの。アレは――アルシェムはそこで思考を強引に断ち切った。そうしなければとても動くことなど出来なかっただろう。ただ一つはっきりしているのは、アレはアルシェムにとって敵であるということ。下手に機械音等で話されるよりは情を持たなくて済む分楽だった。少なくとも、カシウス達の監視よりはずっとやりやすい。アレに乗り込んで中枢をなす部分を持ちかえれば良いだけの話なのだから。

「……リオ、確認……普通のオーブメントは使える?」

 アルシェムは痛む頭を押さえながらリオにそう告げた。すると、リオは一般的な戦術オーブメントを取り出して駆動させようとする。しかし、それはうんともすんとも言わなかった。やはり《ゴスペル》のような効果を発しているらしい。《ゴスペル》に関しても《輝く環》関係のモノであることはほぼ確実。そのための対策をアルシェムは用意していた。

「はいこれ。一応オーブメントの使用はしばらくなしでいってくれた方が良いんだけど、不測の事態が起きたら困るし」

 それは、小型のストラップだった。オーブメントにくっつけておけば《ゴスペル》の力場を遮断するように造ってあるのでこれさえあればオーブメントも動くだろう。《メルカバ》に関してはそもそも導力エンジンだけで動いているわけではないので全く以て問題はない。

 アルシェムもほぼ無用の長物と化しているオーブメントにそのストラップを取り付けて一度王都の中に戻ることにした。一端準遊撃士の時の服に着替えなおして、である。あの恰好のままでいると執行者と勘違いされかねないからだ。

《メルカバ》の中で着替えていると、扉の向こうからリオが語りかけて来た。

「……あのさ、全部抱え込まなくて良いからね」

 その言葉にアルシェムは息を呑んだ。抱え込んでいるつもりはない。だが、彼女らを頼りにしていないのは確実だった。確かに彼女らはアルシェムの従騎士である。だが、それ以前に一人の人間なのだ。信頼など出来ようはずもなかった。

 それでもリオはアルシェムに告げる。

「アタシ、バカで単純だからさ。ストレイ卿を――アルシェムを信頼する理由なんて一つだけで良いんだ」

 扉の前でリオが身じろぎをする。その手に握られているのは、腰に下げられた星杯の紋章。それはかつて彼女にとって憎むべき象徴であり、現在では救いの象徴だった。

 リオは星杯の紋章を握りしめてアルシェムに思いを告げた。

「あの腐れ親父を通してじゃなく、アタシ個人を見てくれる。それだけで充分なんだ。だから――アタシはアルシェムについて行くって決めたんだ」

 それを聞いてアルシェムが感じ入る――などということは当然なく。悲しいことに彼女の思考は最悪リオを使い潰しても文句は言われないだろうという最低な方向に向いていて。だから彼女はリオに遠慮をするのを止めた。

 アルシェムは着替え終わってリオに向けて言葉を投げかける。

「どーぞお好きに。さてリオ、次はヒーナと合流して七耀教会の立場から恩を売りに行くよ」

「――了解!」

 リオは晴れやかな顔をしてアルシェムに続いた。その顔を見てもアルシェムは何かを感じることはない。アルシェムにとってリオはただの使える駒なのだから。そこに優秀なという冠詞がつこうが、リオに対して仲間であるとかそういう特別な感情を持つことはなかった。

 そうしてアルシェムはリオを連れて王都内に帰還し、ヒーナを拾ってから王城へと向かう。導力が止まっていることに何人かは気付いているが、まだ大きな混乱にはなっていないようだった。この隙にすり抜けなければ、この先どこまで混乱が広がるか分かったものではない。

 立場的な問題から謁見を申し出たのはリオということにし、女王と面会する。

「ご覧になりましたか、陛下」

「あの空に浮かぶ建造物のことを言っていらっしゃるなら、はいと答えておきましょう。あれが――《輝く環》なのですね?」

「ええ。あの《ゴスペル》とやらと同じような効果があるようですから、恐らくここだけでなくリベール全土で導力は使えないものとみて良いかと」

 リオの言葉に女王は眉をひそめた。もしもリオの言葉が本当ならば大変なことになる。特にツァイスでは導力が無ければ町の機能がほぼ死んでしまうのだから。それでなくとも調理や明かりはほぼ導力を利用している。今はまだ派手に混乱していることはないが、これからますます混乱は広がっていくだろう。

 そこまで考えて女王は気づいた。《輝く環》が発する力場的なものは本当にリベールにだけしか広がっていないのだろうか、と。そこまで思い至った女王はすぐさま近くにいたユリアにこう告げた。

「ユリアさん、可及的速やかにハーケン門とヴォルフ砦との連絡を! 導力が通じていない以上今すぐは無理でしょうが、数日中には結果が欲しいのです」

「は……分かりました!」

 ユリアは意を察することはなかったが、急がなくてはならないことだけは分かったようだ。女王が考えたのは、《輝く環》の力場の効果範囲。もしもそれが真円もしくは真球を描く形で広がっているならば、リベール全土のみならず他国にまで及んでいる可能性があるからだ。それどころか、ゼムリア大陸全土にまで――それを引き起こしたのがリベールだと知れたらどうなるか、女王は理解していた。――戦争が、起こる。それも《百日戦役》などは比較にならないくらい大規模な。

 女王は少しでも安心したくてリオに問うた。

「リオさん、《輝く環》が原因で起こる導力停止現象の範囲はどこあたりまでになるか推測は尽きますか!?」

「アタシでは分かりません。ヒーナなら分かる?」

 リオは女王の問いに顔を曇らせてそう答え、ヒーナに向けて問いを発した。すると、ヒーナは難しい顔をして考え込んでいる。頭の中にはリベールの地図が展開されているのだろう。

 ヒーナは難しい顔をしたまま女王に答えた。

「確証がなくて良いのなら」

「お願いします」

 女王はヒーナに頭を下げる。王族が簡単に頭を下げるものではないが、今は頭を下げてでも情報を得るべきだった。リベールの存亡どころかゼムリア全土の存亡が関わる可能性があるのだから。

 苦虫をかみつぶしたような顔をしたままヒーナは女王に向けて返す。

「リベールという国が《輝く環》ありきで出来たというのならば恐らくゼムリア大陸全土ということはないでしょう。ですが、それが現在のエレボニアやカルバードに被らないかと言われると明答しかねます」

 女王はそれを聞いて考え込んだ。今の情報を裏付けるためには古文書なり歴史書なり何なりを読み解く必要が出て来るだろう。だが、今ここで七耀教会の介入を招いては後々困るかも知れない。政治介入までは流石にしないだろうが、七耀教会、ひいてはアルテリアに狩りを作ることになるのは明白だからである。

 だが、それでも女王は決断した。先のことを考えていても仕方がないのだ。今は協力して貰って、後から寄付なり何なりで介入を防いでしまえば良い。古文書や歴史書を読み解くには、やはり七耀教会の手伝いが必要だと思われたからだ。歴史博物館に関しては不審人物を――エステルからそこに《白面》なる人物が勤めていたことを聞いていた――雇っていた前科があるのでイマイチ信頼しきれない。

 だから女王はおもむろに口を開いた。

「リオさん、ヒーナさん、お願いがあります。ヒーナさんの言葉を裏付け、かつ《輝く環》についての情報を得るためにこの城にある古文書を七耀教会の目線から解読してくださいませんか?」

 その提案を聞いたアルシェムは内心でにやりと笑った。これで貸しは作れる。あちらから貸しを作らせてほしいと願い出ているのにその手を取らないだなんてもったいないことは出来ない。

 そして、その考えはヒーナも同じようだった。ただし条件が付くが。

「私で良ければ喜んで。ですがシスター・リオに関してはエステルさん達と一緒に各地を回ってもらった方が良いでしょう」

「何故ですか?」

「陛下、アタシ本読んでたら数分で寝そうになります……体動かしてる方が得意なので、是非」

 女王の疑問にリオはそう答え、アルシェムの監視を一時ヒーナに預けることを告げた。女王はそれを快諾し、リオはエステル達と合流しに行くことになる。ヒーナはそのままアルシェムを連れて書庫へと向かった。

 書庫へとたどり着くと、親衛隊の一人が監視としてついたもののアルシェムが内容を見られないということはなく、次々と古文書を読破していくことが出来た。あまり関係のないような情報から、それなりに信頼性の高そうな情報までいくつか詰め込まれている。

「……《環》の守護者に追われ……これ何のことだか分かりますか、アルシェム?」

「第一結界とやらの消滅の時に何か襲撃してきた人形兵器の名前が《環》の守護者でトロイメライってったけど」

 などなど。多かったのは《輝く環》がどういったものであるのかという情報よりもいかにして《環》の監視から逃れるかと言った情報。どうやら《輝く環》に対する抵抗勢力がいたらしいことはよく分かった。恐らくそれがリベール王家の祖なのだろう。

 ユリアが集めてこようとしている情報が届くまでは数日を要する。そして、その数日の間にどれだけの情報が集められるかが勝負だ。それ以降は恐らくアルシェムごとつまみ出されるだろう。今ユリア本人の警戒はアルシェムまで届いていないのだ。たとえ親衛隊が見張っていたとしても。

 だからこそ、今のうちに集められる情報は探して行くつもりだった。この機会を利用しない手はないのだから。




ぶっちゃけ言って、ケビンの方も第二結界の解除を止める気はなかったと思われるのでこんな感じに。

では、また。


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闇からの来襲

旧98話~100話のリメイクです。

では、どうぞ。


 アルシェム達が資料を探している間に、エステル達は各地を回って混乱具合を確認していたらしい。ラッセル博士の発明で零力場発生器なるオーブメントが完成していたため、王城と遊撃士協会の通信機の近くにおいて回るという作業のついでではあったのだが、なかなかの混乱具合だったようだ。

 そうしているうちに集まった情報によると、帝国南部と共和国西部までは導力停止現象が起きてしまっているようである。後で七耀教会の方からフォローが必要になりそうである。ただ、そのあたりは全てケビンに丸投げすることにしたアルシェムはあまり気にはしていなかった。今のところ外交的に何かしら言って来そうなのは帝国の方。共和国は普通に外交ルートを使うだろうが、帝国は実力行使で来る可能性があった。

 もっとも、それよりも前に襲来するのが《身喰らう蛇》であろうことは想像に難くない。このまま《輝く環》を《身喰らう蛇》が手に入れるとして、邪魔になるのはエステル達と国家権力であろう。だからこそアルシェムは未だに王都に留まっているのであった。

 そして、その判断は正しかったようである。王国軍兵士の報告で城門前まで《身喰らう蛇》の紅の兵士と執行者が近づいてきていることを知ったアルシェムは、ヒーナに最終防衛線――女王の私室ではなく袋小路に出来るクローディアの部屋に立てこもっている――を任せて女王宮前の空中庭園で執行者たちを待ち受ける。もう一人誰かが潜んでいることには気付いていたが、敢えてアルシェムはそれに触れないでいた。

「……来た、かな」

 ぽつりとアルシェムが呟くなり空中庭園の入口から執行者たち――レン、ヴァルター、ルシオラ、ブルブランである――が現れる。それを見て彼女は手に持った棒術具を握りなおした。意識を執行者モードに切り替えて執行者たちと対峙する。最早、そちらに戻ることはないのだと態度で見せつけて。

「そこを退いてくれるかしら?」

 執行者たちを代表してレンがそう告げた。しかし、いくらレンの頼みでもここを退くわけにはいかない。何故ならアルシェムはリベール王家に恩を売るためにここにいる。対処できる人物がアルシェムとその奥にいる人物のみだというのもあるが、九割は下心ありありである。

 レンの言葉にアルシェムはこう答えた。

「お断りするよ。通りたかったらわたしを倒してからどうぞ」

「あらそう? なら、遠慮なくやらせて貰うわね」

 レンはスッと大鎌を取り出して構え、腰を落とす。アルシェムは姿勢を変えずに無言のまま棒術具を操った――棒術に則ってではなく、槍術に則って。その技の名はシュトゥルムランツァー。《使徒》の第七柱《鋼の聖女》の得意技である。かつてアルシェムは彼女に師事していたことがあるのだ。それは、明白に《銀の吹雪》が《身喰らう蛇》に逆らうという証左だった。外部で同じクラフトを扱える人間はごくわずかなのだから。

 そのクラフトが突き刺さったのは、レンではなく一番脅威になりそうなヴァルター。断じて煙草の恨みがあるとかそういう理由ではないのである。ないったらないのである。

「……ほう?」

「手加減してる余裕はないみたいだからさ。さっさと決めさせて貰う」

 アルシェムは殊更冷酷にそう告げると、もう一度シュトゥルムランツァーを放ってから棒術具を上空に投げあげた。そしてスカートから導力銃を取り出して乱射する。この時点でルシオラがダウンしているのだが、アルシェムはそれを意に介することはない。今は全員をダウンさせる必要があるのである。恐らくワイスマンでもエステルの前でクローディアとヨシュアをにゃんにゃんさせて後でヨシュアを絶望させるなどという全力で外道な行為は恐らくやらないはずだ――断言できないのは彼が外道であることをアルシェムが知っているからである――が、念のためである。

 故に、彼女が発動させているクラフトは――Sクラフトという特殊なクラフトだった。

「――ッ!」

 アルシェムの裂帛の気迫がブルブランを怯ませる。そこに先ほどからばらまき続けている銃弾が突き刺さっていく。いつもとは違って殺傷能力をかなり引き上げてあるため、防御しなければ間違いなく死ぬ。そういう方法を取ることでアルシェムは執行者たちを逃がさないようにしていた。

「くっ……《パテル=マテル》!」

 レンは紅の人形兵器《パテル=マテル》を呼び、自らの楯とする。しかし、アルシェムはレン以外の執行者にそんな逃げ道を与えるつもりは毛頭なかった。落下してきた棒術具をキャッチして導力銃を背後に放り投げたアルシェムはそのままもう一度シュトゥルムランツァーを起動。そのままなす術もなくブルブランとヴァルターは沈んだ。

「……本気なのね」

 《パテル=マテル》で上空に避難していたレンがそうつぶやく。すると、アルシェムは濁った眼でレンを――否、《パテル=マテル》を見ながらこう告げた。

 

「《パテル=マテル》、今から全速でルシオラ、ヴァルター、ブルブランを拾ってレンを乗せたままグロリアスまで離脱」

 

 それは命令だった。アルシェムにしてみればブラフ程度のもので動揺さえさせられれば良かったのだが――何と《パテル=マテル》にはまだ《銀の吹雪》の命令行使権が残されていたようである。ひょいひょいひょいと三人を拾い上げた彼はそのまま全速力でその場を去って行った――飛ぶ直前に飛び降りたヴァルターを残して。

「えー……あんたが残るの?」

 アルシェムは複雑な顔をしてヴァルターにそう告げる。すると、ヴァルターは酷薄に嗤ってこう返した。

 

「や ら な い か」

 

 アルシェムは思わず遠い目をした。本音を言えば何言ってんだコイツ、である。だが、五体満足のまま帰すわけにはいかないのも事実。だからこそアルシェムはヴァルターと対峙しようとして――思いとどまった。そこにいる誰かに手柄を半分くらい渡しても良いと思ったからである。これは恩を売ることにもつながるだろうと思えたという理由もないではない。果たして、そこにいた人物とは――

 

「仮にも婦女子に向けて何たる発言かね?」

 

 金髪の男だった。ただしそれはオリヴァルトではなく、腰にはどこかから調達してきたらしい刀が差さっていた。それに、どう考えても頭部の物理法則に反しているだろう髪はセットまでしてあるようだ。つまり彼――アラン・リシャールは自分の意志で脱獄してきたわけではないらしい。髪をセットしている時間があり、なおかつここに寄っている暇があるのならばとうの昔に逃げ出していてもおかしくないからだ。

 アルシェムはリシャールに向けてぼやく。

「仮にもって何なわけ……女子だよ恐らくたぶんメイビー」

「せめて反論するなら断言したまえ……」

 リシャールは呆れたような声をアルシェムにかけているが、その実視線はヴァルターに向いていて油断もしていない。完全に狩る気モードである。そうして――両者は数度打ち合った。リシャールは刀で。ヴァルターは拳でだったが、その拳は異様に硬く刃を通さない。それでもリシャールの刀はヴァルターの拳に一筋の赤い線を刻んだ。

「……やるな」

「東方系……《泰斗》あたりの流派と見た」

 リシャールの言葉に顔をしかめたヴァルターは一端跳び退ろうとする。しかし、リシャールはヴァルターを逃がさない。彼が後ろに飛んだのよりも早くその懐に滑り込み、刀の峰で思い切り切りつける。それを辛うじていなしたヴァルターは冷や汗をかきながらリシャールの刀を弾こうと攻撃を繰り出した。

 そんな光景を眺めながらアルシェムは現実逃避を止めた。このまま何もしなくとも決着はつくだろう。駆け付けて来ているエステル達――眼下に城内に駆け込んでいるのが見えた――もそう時間はかかるまい。ならばアルシェムがやることはと言えば、もう一度執行者たちが戻ってこないかどうかの警戒だった。

 幸い、執行者たちが戻ってくることはなく――ヴァルターには逃げられたが――無事に事態は終息しそうである。彼女の眼下では特務兵たちが紅の兵士達を合わせ技で屠っていた。

 女王宮まで辿り着いたエステル達は元情報部の連中が何故ここにいるのかと訝しんでいたが、恐らくカシウスの差し金だろうとアルシェムは思う。こういう時に手柄を立てさせれば恩赦もあり得るからだ。実際にそうなりそうなやり取りも聞けたので情報部の連中は恩赦されることになるのだろう。と現実逃避気味にアルシェムは思う。

 そんな彼女の隣で穴が開きそうなほど見つめて来るアガットの存在などないったらないのだ。非情に気まずい空気の中、それを打ち破ってくれたのは王国軍の兵士だった。

「大変です、陛下!」

 彼からもたらされたのは、ハーケン門の向こうからなぜ動いているのか不明な戦車を引き連れて帝国軍が迫っているという情報。女王はそれを聞いて瞠目し、今すぐ動かなければと準備に動こうとして――止められた。

「おばあ様……私に、任せては頂けないでしょうか」

 止めたのはクローディア。これを機に政治に携わって行こうという腹なのだろう。その覚悟は結構だが、今この時に発揮されなければならないものではない。一歩間違えば戦争が起きるというのに彼女はその交渉をやり遂げようというのだ。

 気持ちは嬉しいし何よりも孫娘の成長が嬉しい女王ではあったが、流石に不安はあるだろう。だからこそ、アルシェムは女王と共に空中庭園に出て来ていたヒーナに目くばせした。幸い、彼女は理解したらしい。

「陛下、私にクローディア殿下の後押しをさせては頂けませんか? 《輝く環》を――アーティファクトだと証言できる七耀教会の人間がいた方がスムーズに交渉できると思うのですが」

「ヒーナ殿……」

 女王にも勿論それが建前だと分かっていた。しかし、内政干渉になりそうなほど踏み込めばアルテリアにも咎が及ぶ。だからこそそこまでは踏み込まないだろうと判断して女王はクローディアとヒーナに交渉を任せた。立会人として申し出たエステルもそれに同行することになり、遊撃士連中もそれについて行くようである。アルシェムはしれっとそこに混ざっておくことにした。

 そうして、クローディアはエステル達遊撃士とアルシェム、そしてヒーナを連れて王都の波止場に出た。ティータと交渉が苦手なリオ、行く理由がなくそもそもそこにはいなかったケビン、クルツ達は留守番である。陸路を行くよりも湖を船で行く方が早いからである。ついでに零力場発生器を王城から借り出して導力式モーターの船を動かせば完璧だ。

 数時間もかからないうちにボースに辿り着いたクローディア一行は街道を走り、ボース市街を抜けて連絡が行っていたハーケン門からの迎え兼護衛を従えながらハーケン門へと向かった。その間、誰もが口を閉ざしている。

 ハーケン門に辿り着いた時、そこで出迎えたのは焦った様子のモルガンだった。

「モルガン将軍……交渉は、私に任せて頂けますか?」

「殿下……分かり申した」

 モルガンは止めることもなくただ付添としてクローディアの後ろに着き、その場で陣形を組んで待ち受けていた帝国軍人たちの元へと赴いた。そこで待っていた帝国軍は帝国軍第三機甲師団所属の《隻眼》のゼクス。フルネームをゼクス・ヴァンダールという人物だった。アルシェムは彼を見た瞬間、これならばクローディアでも行けると確信する。

 なぜなら、彼はリベールに侵攻するのを良しとしないだろう人物だからだ。オリヴァルトと繋がっているであろうゼクス――オリヴァルトの護衛ミュラー・ヴァンダールはゼクスの甥である――ならば、まだまだ説得の余地がある。アルシェムはミュラー、ひいてはヴァンダール家が誰を守護しているのかを知っていた。アルシェムとオリヴァルトは以前会ったことがあるのである。ただしアルシェムは『アルシェム』とも『シエル』とも名乗らなかったし、オリヴァルトも名は名乗りはしなかったが。

 そうして、交渉は始まった。導力が止まって危機に陥っているであろうリベールをとある方法――蒸気機関である――で動かしている戦車を以て援助に訪れたゼクス。その軍隊をリベール国内に入れたくないクローディア。その交渉は間違いなくゼクスの方に傾いている。何故なら、彼らは知っているからだ。《輝く環》がアーティファクトであったとしてもリベールが兵器として使ってくる可能性があることに。

 それを突かれると痛いのだが、そも《輝く環》がアーティファクトであることを証明するすべがないとゼクスは思っている。その場にいるシスターが沈黙を守っているのは怖くはあるが、それでも反論するすべはないと判断していた。それが、間違いだと気付く間もなく。

 だからこそ、ゼクスが《輝く環》がリベールの新兵器でないという証拠を求めた時にヒーナが口を挟んだのだ。

「失礼ながら口を挟ませていただきますわ、殿下、閣下」

「……アルテリアは内政干渉でもしてくるつもりかね?」

 ゼクスはそう告げるが、ヒーナはそれを涼しい顔で流した。この程度のことを内政干渉というのなら、ゼクスのしている行為も内政干渉だと言いがかりをつけられる。その程度のことなのだ。

「いいえ。ただ、アレがアーティファクトであると証言しに参っただけです。しかし――少々見ていられなかったので口だけは挟ませていただきますわ」

「……何?」

 ゼクスはヒーナの言い分にひるんだ。彼女の言い方であると内政干渉しますと言っているようにも聞こえたからである。実際、ヒーナは半ば内政干渉に当たりそうな言葉を吐くのであながち間違いではない。

「閣下はアレがリベールの新兵器ではないかとおっしゃいますが、もしアレがそうだとすると何故リベールはアレを使ってエレボニアへと侵略していないのです?」

「それはリベールにしかわかるまい」

 ゼクスはヒーナの質問をうまくかわした。確かに《輝く環》が本当に兵器だとすればリベールにしか理由は分からないからだ。しかし、ヒーナはそれだけで済ませるほど甘くはない。

 ヒーナは言葉を続ける。

「ええ、そうですね。ですが、貴男方とて同じ事でしょう? むしろ新兵器を引っ提げてリベールに侵略して来ようとしている分たちが悪いとは思いませんか?」

「……貴殿には関係あるまい」

 ヒーナの言葉に怯んだゼクスはそう返した。ある意味的は得ているのだ。大義名分があるにせよ、事実は変わりがない。そもそも彼はこの命令に乗り気ではなかったからこそここで隙を作ったともいえる。

 交渉の流れを強引にリベールに持って行くべくヒーナはゼクスに宣言した。

「私はリベールの女王より信任を得てここにいます。私の言葉を信頼しないということはアリシア女王の言葉を信頼しないということでよろしいのですね?」

 無論、ゼクスとしてはよろしいわけがない。今ここでゼクスに求められているのは支援という名目でリベールに貸しをつくり、あわよくば領土をぶんどること。リベールと全面的に戦争をしに来ているわけではないのだ。リベールと戦争をしても間違いなく勝てるという状況ではないからこそ、彼はそれ以上のことをやらかすわけにはいかなかった。

 だからこそゼクスはこう答える。

「いや……だが、もしもあれが本当にリベールの新兵器などではないとしてだ。アレを止める手段がない以上は支援が必要になるのではないか?」

 ゼクスの言葉にヒーナは黙って上空を指さして下がった。これ以上ヒーナが出る幕はないと判断したのだ。事実、先ほどから聞こえていた微細な音にアルシェムは気づいていた。そう、それは――オーバルエンジンの、音だ。

「な……」

 ゼクスもそれに気付いて絶句する。エステル達も、クローディアでさえその情報を知らなかったのだ。ゼクスにまで情報が漏れているはずなどないのである。それが動くことを知っているのは――カシウスと、中央工房の人間だけなのだから。

 そこで浮遊しているのは《アルセイユ》。導力式のその飛空艇は、しかしラッセル博士に巨大な零力場発生器を取り付けられて《輝く環》の影響下にあっても動くようになっている。

 

「止める手段ならこちらで用意しております、中将閣下」

 

 その声を発したのは、無論カシウスだった。その後はもはや消化試合と言っても良いだろう。カシウスがゼクスとやりあって。分が悪いと言いながら何故かオリヴァルトが出て来て。たったそれだけのことでエレボニアのリベール侵攻はなくなったのだから。

 エレボニアがリベールに恩を売る代案としてオリヴァルトが乗り込んでくるということもあったが、概ねアルシェムの予定通りに事は終わった。そう――後は、アルセイユで《輝く環》に乗り込むだけである。そうすれば、全てが終わる。

 アルシェムは、それを望んでいたはずなのに何故かこの時間を終わらせたくないと思う自分がいて困惑していた。




そういうわけで、タマネギにも活躍して貰いました。

では、また。


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いざ、《輝く環》へ

旧101話~103話のリメイクです。

15,000ものUA、ありがとうございます。

では、どうぞ。


 《アルセイユ》に乗り、準備を一通り終えてから一行は《輝く環》に向かわんとしていた。その中には、先ほどの交渉で置いて行かれた面々もいる。アルシェムはティータまで連れて行くのはどうかと思ったのだが、本人が行く覚悟を決めてしまっていたので動かすことは出来なかったのだ。ただし、そこにヒーナはいなかった。リオと入れ替わりでグランセルに降り立った彼女は別ルートで《輝く環》に向かっているのである。

 緊張をほぐすために談笑しているエステル達をよそに、アルシェムは警戒のレベルを上げていた。恐らく、というよりも間違いなくグロリアスが追ってくると分かっていたからだ。どのような状態であれ、出来得る限りは《アルセイユ》を近づけたくないだろうことはわかり切っている。一応最後の手段は用意しているものの、使わない方が良いに越したことはないのだ。

 そんなアルシェムに声を掛けて来たのは目立たないようにしていたケビンだった。

「……何でそんなに警戒しとるんや?」

「グロリアスが追ってくるのは確実だし、いつどのタイミングで《白面》がヨシュアをお持ち帰りしようとするか分かんないから」

 アルシェムの答えを聞いたケビンは顔を引き締めた。前者についてはケビンも考えていたが、後者については確証がなかったのだ。ヨシュアに《白面》が何かを細工しているのはほぼ確実だったのだが、それでも確定とは言わない。ヨシュアが操られてもケビンとしては別にどうでも良い――もし操られて何かしらやらかしたらそのまま自害してくれるだろうという目論見もある――ため、敢えて放置していたというのもある。だが、いつ寝首をかかれるか分からない状況という不確定要素はなくしておくべきだろう。ケビンはそう判断しなおしてヨシュアに近づいて行った。

 アルシェムはそれを後目に見つつ甲板の方へと向かった。《アルセイユ》の武装でも十分あしらいきれるだろうとは思ったのだが、念のために迎撃に出ておくべきかと思ったのである。

 そこに、一人の親衛隊員が追いかけて来てアルシェムに告げた。

「隊長からの伝言です。殿下に危害を加えたら抹殺すると」

「別に危害を加えたいとは思ってないって言っといて。ついでにグロリアスが追いついてくるだろうから警戒レベル上げた方がいーよって」

 そう言ってアルシェムはその親衛隊員に見向きもせず甲板まで出た。最早目視できる位置に浮かんでいるグロリアスを見て舌打ちをしたアルシェムは、グロリアスから急速に近づいてくる影に向けて発砲する。

「……うーわ」

 アルシェムはその影を完全に目視して正体を看破した。そこにいたのは――二足歩行の龍型機械人形の上にまたがったレオンハルトだったのである。ある意味完全本気モードだと判断しても良いだろう。ただ、それで《アルセイユ》を止められるかと言われると五分五分と言ったところ。そして、その確率はレオンハルト自身によって下げられる。彼は、この事態をエステル達に止められるかどうか試したいのだ。

 レオンハルトの意志とは関係なく、アルシェムは彼の妨害を阻止するために動くしかないのだ。そうしなければ、まだ《身喰らう蛇》と繋がっていると思われてもおかしくないのだから。たとえそれが元『家族』であったとしても。

 龍型人形兵器――ドラギオンから少しばかり身を乗り出したレオンハルトはアルシェムに問う。

「邪魔をする気か?」

「いろいろ期待を持ちたいのはよーく分かるんだけどさ。そもそも前提条件からして間違ってることにそろそろ気づいてほしいんだけどなー」

「……何だと?」

 遠い目をして告げたアルシェムにいぶかしげな顔をするレオンハルト。彼の目的は『カリン亡きあと、彼女を犠牲にして成り立っているこの世界に本当に価値があるのか』を確かめることである。それのどこが間違っていると言いたいのだろうか、彼女は。よりによってカリンを殺したアルシェムが何を言っているのか。レオンハルトはそう思っていた。

 アルシェムは遠い目をしたままレオンハルトに告げる。

「目隠ししたまま裏の世界から表の世界がどれだけ正しいかなんてばかばかしくて見ていられるわけないじゃん」

「何が言いたい……!」

「何がって……レオン兄が間違ってるってことを言いたいんだよね。まずカリン姉は――」

 アルシェムがそう言った瞬間、強風が吹いた。だからレオンハルトはその真実を聞くことはなかった。否――実際に強風など吹いてはいない。ただ、彼が認めたくないだけで。そして、彼が認めたくない真実を虚構に変えるのが《白面》の技だった。

 

 レオンハルトの記憶の限りでは、カリン・アストレイが生きていることなどあってはならないのだ。

 

 認められない真実を聞かされたレオンハルトは剣を振りかぶる。いつも冷静沈着な彼の顔に浮かぶのは怒り。それほどまでに、アルシェムの告げた真実は彼の心をかき乱したのだろう。それが嘘だと思わされている彼には、その剣を振るうことでしか晴らせない思いがある。

「嘘だ……」

「わたしが嘘を吐くメリットがどこにあったって?」

「……大方、時間稼ぎでもしたいのだろう……なれば貴様をここで討つ――!」

 レオンハルトは激情のままに剣を振るう。だが、アルシェムはその剣をいともたやすくいなした。今の怒り狂ったレオンハルトの剣など、アルシェムに通ずるはずがなかったのだ。彼女にだけではない。今の彼の状態では、エステルにすら劣るだろう。

 アルシェムとレオンハルトが戦っている様子が見えたのか、ヨシュアが飛び出してくる。しかし、その時には既に《アルセイユ》は《輝く環》に到着していた。ある意味時間稼ぎだけは出来たとでも言うべきだろう。

 そのことを認識したレオンハルトは激情を呑みこんで何とか気持ちを落ち着けた。ここでじっとしているわけにはいかないのだ。

「……フン」

 だからこそ、余裕があるように演技してレオンハルトはその場を立ち去ったのである。そうしなければその剣を弟のような存在にまで振るうことなど出来そうにもなかったのだから。

 ヨシュアは何かを言いたそうに去っていくレオンハルトを見ていたが、気を取り直してアルシェムに向きなおった。

「……アル、その……」

「何を聞きたいか知らないけど、今はそんなことよりも自分の心配したら? 万が一ってこともあるだろうし……特に、わたし達は」

 アルシェムが意味深にそう返すと、ヨシュアは顔を引き締めた。アルシェムがいいたいことは恐らく暗示のことだろう。同じような時期に同じような環境で過ごしていたアルシェムとヨシュアにならば共通してありうることがあるのだ。そう――同時期に、《白面》の元にいた彼女らにならば。

 ヨシュアはアルシェムを気遣うように声を発する。

「アルは……大丈夫なのかい?」

「わたしのはヨシュアのよりもーちょい厄介だからどーしよーもないんだけど、ヨシュアのならシスターか不良神父に頼めば何とかなるんじゃない?」

 どこか楽観的にアルシェムはそう返す。実際、ヨシュアの暗示を解くのですら行動をトリガーにしなければならないほどのものである。アルシェムの暗示は――既に解いていると周囲には説明しているが――精神の奥深くで複雑に絡み合って定着してしまっているのだ。《聖痕》で凍結しているために余程のことがない限りは操られはしないが、それでも完全に解ききることは不可能に近い。

 アルシェムの言葉に顔を曇らせたヨシュアは彼女に告げた。

「この後頼むつもりだけど……もし、君が操られたら――」

「あー、一応全力で抵抗はするよ? するけどさ……もし無理だったら、ヨシュアの思うとおりにしてくれて構わない」

 その言葉にヨシュアは息を呑んだ。ヨシュアの思うとおりに、ということは最悪殺しても良いということなのか。殺してでも止めてくれというわけでもなく、ただヨシュアの思うとおりにしていいということはそういうことだ。

「……分かった」

 ヨシュアはその覚悟を受け取った。もしもエステルに危害を加えようとするならばヨシュアはためらうことなくアルシェムを殺すだろう。もしそれでヨシュアがエステルに恨まれたとしても、彼はそれをやり遂げるつもりだった。それが、せめてもの――贖罪になると信じて。

 《ハーメル》の一件の真相を聞いて以来、ヨシュアはアルシェムにどう接して良いか分からなくなっていた。本当は生きていてくれたことを喜ぶべきだったのかもしれない。だが、今までは記憶の歪曲によって彼女を憎んでいた。それを簡単に変えられるほどヨシュアは《ハーメル》の件に固執していないわけではないのだ。誰が黒幕かが分かっても、あの時ヨシュアの目の前に現れたアルシェムは紛うことなく『人殺し』だったのだから。今ではヨシュアも彼女と同じ『人殺し』ではあるが、それでも譲れないものはある。姉の仇かも知れないと思っていたアルシェムがそうではないと知ったとしても、彼女を簡単に赦すことは出来ないのだ。

 アルシェムはそんなヨシュアの内心を知らずそう提案した。まだ恨まれていても構わないと思って。もう、ヨシュアは『家族』ではないのだから。もしもまだ恨まれていて殺したいと思うのならば好きにすると良いと思った。どうせこの先、ヨシュアとはもう会うこともなくなるだろう。その前に気持ちの整理をしていてくれた方が闇討ちもされないだろうと計算してのこと。それ以外に理由はない。

 甲板から中に戻ったアルシェムとヨシュアは、《アルセイユ》の復旧作業――撃墜はされていないとはいえ、無理矢理着陸したことに変わりはないので帰りのことを考えると修理は必須である――に入っている一行と合流した。これから《輝く環》を探索するのだろうが、それよりも前にやっておかなくてはならないこともあるのだ。特にアルシェムは、ここからどうやって単独行動を勝ち取るかを考えていた。馬鹿正直にエステル達に付き合う義理はないのである。

 だが、その考えはリオに遮られた。

「あ、シュバルツ中尉! アタシ達は別方向から探索に向かうから。馬鹿みたいに一か所に固まって探索するよりは効率的だし」

「そ、それはそうだが……達とは?」

 困惑したようにユリアはリオにそう返すが、彼女はアルシェムの手を掴んで連れて行くというジェスチャーをしてそのまま《アルセイユ》から脱出してしまった。追ってくる気配もないのでそれはそれで問題ないのだが、流石に怪しすぎる気がしなくもない。

 なのでアルシェムは一度リオを引き返させ、ユリアにこう耳打ちさせておいた。『もしアルシェムが敵と通じていてもこっちで対処するから不意打ちはさせない』。それは、ユリアがまだアルシェムを疑っていることを前提にして、アルシェムを連れ出すことでクローディアの安全確保をしているのだと思わせるための方便だった。

 そうして戻ってきたリオと合流したアルシェムは一度彼女と目を合わせると、微かに頷いて駆け出した。馬鹿正直に探索などやるわけがない。《アルセイユ》が完全に見えない場所に動かしてあるであろう《メルカバ》に辿り着く為だ。途中でグロリアスが見えて別方向に止めているだろうと判断したアルシェムは方向転換をして《メルカバ》まで急ぐ。《アルセイユ》の方が足は速いが、流石にもうついているだろうと思ったからだ。待たせるわけにもいかない。

 数十分の後にステルス状態の《メルカバ》まで辿り着いたアルシェムとリオは、見つからないように内部で待っていたヒーナともう一人の人物と合流していた。もう一人の人物とは、ここの所めっきり空気になっていたメルである。ずっとルーアン大聖堂でスタンバイしていたのだが、あまり動くこともなかったため空気となり果てていたのだ。

「お待たせ、メル、ヒーナ」

「いえ、本当にさっき着いたところですから。それで……ここからは手筈通りに?」

 メルはアルシェムにそう問うた。アルシェムはその言葉に首肯し、もう一度確認のために声に出して指示を確認する。メルはそのまま《メルカバ》内で待機で、何かあれば単独でも脱出することになっている。リオは《外法狩り》のサポートで姿を眩ませたままこっそりついて行く。そして、ヒーナはアルシェムと共にとある人物の確保に動くことになっていた。

 それを言い終えたアルシェムは思い出したようにヒーナに向きなおって伝える。

「あー、それで目標が確保できて協力が得られたらちょっと頼みたいことがあるんだけど、ヒーナ」

「何かしら?」

 ヒーナは胸騒ぎがしていた。何かとんでもないことを言われる気がしてならない。それも、彼女のこれからの人生を左右するような何かを。悲しいことにそういう予感だけはよく当たるのだ。特に、彼女が七耀教会に入ってからは。

 そしてその予感は当たる。アルシェムは彼女にこう告げたのだ。

 

「ヒーナ……いや、カリン姉。レオン兄と一緒にリベールに残って欲しい」

 

 ヒーナは――否、かつてカリン・アストレイだった彼女は頭が真っ白になった。それは、アルシェムを置いて七耀教会から離脱しろと言われているのだろうか。リベールに残って一体どうしろというのか。アルシェムを残して幸せになれとでも言うつもりなのだろうか。

 そこまで思考が至った時、カリンは唇を噛んだ。そんなことが許されるわけがない。たとえ《ハーメル》の件が防げなかったとしても、逃亡する理由ならアルシェムが持ってきていたのだ。それを聞かず彼女が追放されるのを黙って見ていた時点で赦されるはずがないと思っていたのに。それでもなお助けに来てくれた彼女を罵倒してしまった。そんな彼女に謝罪はしても一生その罪を償わなければならないと思っているのに――当の本人から、戦力外通告をされる? そんなことは、あってはならない。

 カリンは唇を震わせてアルシェムに抗議の旨を伝えようとして――アルシェムに機先を制された。

「勿論七耀教会所属のままでいて貰うけど、身柄はリベール預かりになってもらう。事と次第によっては《ハーメル》の件でいつでも証言台に立てるようにしてて欲しいんだ」

 そのアルシェムの言葉を聞いたカリンは震える声を無理やり絞り出した。

「……私は……足手纏い、ですか?」

「どう考えたらその結論になるのかイマイチ分かんないけど、それはないかな」

「でも……私は、エルについて行くって決めたのに……」

 逡巡するカリン。しかしカリンの迷いはアルシェムには届かない。カリンがアルシェムについてくる理由などないのだ。ぶっちゃけ言ってどうでも良いとアルシェムは思っているのだから。ただ有効だと思われる一手を打つだけだ。

「《ハーメル》の一件を知ってるカリン姉と、王国軍所属だった経緯のあるレオン兄。エレボニアの増長を削ぐにはうってつけの人材なんだ。頼まれてくれない?」

 義妹のお願いにカリンは結局逡巡したまま了承の意を示すことしか出来なかった。アルシェムについて行って、贖罪を果たしたかったというのは本音だ。だが――カリンは途中で気付いてしまったのだ。もし、アルシェムに嫌われていて引きはがしにかかっているのだったら? それが真実なら――カリンは大人しく引き下がるしかなかった。

 そうして、一同は行動を始めた。メルはその場で待機。リオはケビンを追跡すべく《アルセイユ》方面に戻っていった。カリンはアルシェムと共に中央の塔を目指して動き始め――はしなかった。というのも、これを機にグロリアスをどうにかしてやろうとアルシェムが企んだからである。前回の破壊工作はレオンハルトに邪魔をされたようなので彼が出払っているだろう今がチャンスだ。

 カリンにもグロリアスを破壊することを伝えたアルシェムは内部に侵入し、爆発物を仕掛けていく。途中でエステル達が突入してきて何かしらを探し回っていたようだが、幸いアルシェム達にも爆発物にも気づかなかったようだ。ヨシュアだけは爆発物に気付いていたが、こっそりいくつか追加していたので黙認するということだろう。

 エステル達と何故かそこにいた《カプア一家》がグロリアスから脱出すると、アルシェム達も脱出してとある装置を作動させた。それは時間差で煙を吐き出させる発煙筒を作動させるスイッチだった。にわかに騒ぎ始めたグロリアス内部には目もくれず、アルシェムはカリンを連れて中央の塔へと向かう。

 中央の塔まで辿り着くと、アルシェムは頭上を振り仰いた。ショートカットして上から降りていく方が確実にエステル達よりも先にレオンハルトに接触できると思ったからだ。そして、何か所かあるでっぱり部分に鋼糸を投げつけつつアルシェムはカリンを連れて上昇していく。途中、執行者たちがいるのも見えたが別に彼らには用がない。唯一レンだけは今のうちに味方に引き込めるだろうが、今はカリンの正体を悟らせないために長時間の会話はしない方が良いだろう。

 そう考えていたからだろうか。最上階まで登ろうと鋼糸を巻き取りつつ登っていたアルシェム達が撃墜されたのは。

 カリンは複雑な顔をしながらそこでぼやいた。

「……撃墜されたのに何で受け止められてるのか教えて貰えないかしら」

「うーん、誤射?」

 アルシェムも苦笑しながら返す。彼女達がいるのは――《パテル=マテル》の腕の中だったのだ。まさか撃墜されたのに受け止められるとは思ってもみなかったアルシェムは小さく彼に感謝の言葉を伝えた。

 そこに呆れたようにレンが言葉を掛ける。

「呑気に会話しているところを悪いのだけれど、降りてくれるかしら?」

「あ、ごめんごめん。レンの特等席だもんね」

 アルシェムはレンの要請に従ってカリンを連れて《パテル=マテル》の腕の中から脱出した。といっても彼が高さを調節してくれたので飛び降りる羽目にはならなかったのだが。その行動を見てアルシェムは《パテル=マテル》にまだ味方だと思われていると確信した。本当に一応であるが、アルシェムも彼に命令する権限を持っているのである。

 それを幸いとアルシェムはレンにこのまま上に上ることを告げ、邪魔をするようなら《パテル=マテル》に邪魔をさせることにした。もっとも、レンはアルシェムを妨害することなくすんなりと通してくれたため、意味はなかったのだが。

 そして、その塔の上に待っていたのは――やはり、レオンハルトだった。




次回は……お察し。

では、また。


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最強格の裏切り

旧104話のリメイクです。

タイトルからお察しください。

では、どうぞ。


 《輝く環》の中枢《アクシスピラー》頂上にて――彼は剣を抜いて目を閉じていた。もうすぐここにエステル達が――もとい、ヨシュアが来る。心のどこかで自分を負かしてほしいとは思っているが、そう簡単に負けてしまうつもりもなかった。自分が間違っていることなど認めたくないからだ。

 故に、彼――レオンハルトは気づかなかった。そこに現れた二つの気配が双方ともに見知ったものであることに。認められるはずがないのだ。彼の中ではその女性――カリン・アストレイは死んだことになっているのだから。

 頂上に現れた二人を見てレオンハルトが零す。

「……わざわざ危険を冒してまで先回りするとは、余程死にたいとみえる」

「いや、別に。用事があるのはわたしじゃなくてこの人だから。その用事が済んだらいくらでも付き合ってあげるよ」

 レオンハルトの呟きにアルシェムはそう返す。前回彼と対峙した時よりは精神的に余裕があるため、いきなり怒り狂ったりはしないのである。裏を返せば彼女が精神的に追い詰められた後であれば問答無用の殺し合いになったわけだが。

 その余裕のある返事に眉をひそめたレオンハルトは淡々と返す。

「俺はその女に用はない」

「つれないこと言わないでよレオン兄。この人がいなかったらわたし、問答無用でレオン兄を叩きのめす予定だったんだから」

 アルシェムの顔には冗談の色はなかった。もしもカリン・アストレイという女性がここで生きていなければ、アルシェムはレオンハルトを物理的に叩きのめして暗示&洗脳のコンボで無理矢理《身喰らう蛇》を脱退させていただろう。

 カリンは呆れたようにアルシェムを窘める。

「そこまでしなくても話し合えば良いだけでしょう……全く。誰に似たのかしら」

 その声を聴いたレオンハルトは動揺した。二度と聞くはずのない女性の声がしたのだから当然だろう。アルシェムが殺したと信じているその女性が生きているなど、そんな甘い幻想は捨て去ってここにいるはずなのだから。

 レオンハルトは声を絞り出してアルシェムを糾弾する。

「バカげたことは止めろ……それ以上カリンを侮辱するなら一思いに斬ってくれる――!」

 彼の手は震えていた。怒りと、驚愕。それとほんの少々の畏怖。それらが入り混じった表情を浮かべ、揺れる剣先をアルシェムに向けている。カリンに向けないのはたとえ幻であったとしても彼女に剣はむけられないと思っているからか。

 嘆息しながらカリンはレオンハルトに返した。

「止めて頂戴ね、レーヴェ。今度こそ本当に死ぬから」

「今度こそ、だと……? カリンはあの時死んだ! ここで生きているわけがない……!」

 その言葉を聞いてなお、レオンハルトは剣先をカリンにはむけようとしない。それをアルシェムは失笑しながら見ていた。彼は一番単純な事実を忘れているのだ。たとえアルシェムを殺したところでカリンは消えはしない。何故なら――アルシェムは、幻術には適性がないのだから。オーブメントは幻属性で三つも縛られているのに幻術が使えないというのもおかしなことであるが、事実である。

 激情のままにレオンハルトがアルシェムに斬りかかろうとして――カリンの手が翻る。それだけで、レオンハルトの剣は止められていた。彼の剣には細い金属が巻きついていたのである。

「な……」

「全く……手間を掛けさせないで貰いたいわ、レーヴェ」

 その金属は、カリンの握る柄に繋がっていた。それこそがカリンの得物。リオとは正反対の法剣。針金の如く細いレイピア型の法剣である。あまりに細いのでごり押しには向かないが、その代わりクラフト『インフィニティ・スパロー』に相当する彼女オリジナルのクラフト『インフィニティ・ニードル』は斬られたことにも気づかせないほど薄く皮を剥ぎ、血を流させて戦闘力を削ぐという優しい彼女には似つかわしいクラフトに仕上がっている。

 カリンの言葉に対し、レオンハルトは彼女の法剣を振りほどいて声を震わせる。

「黙れ、偽物が……!」

 ついに彼はカリンにその剣を向けた。幻などではないというのは先ほどの攻撃で理解したからだろう。故に、彼はカリンを騙る人物をアルシェムが連れて来たのだろうと判断した。

 それを察したのか、カリンはレオンハルトに向けて告げる。

「私が偽物だというのなら、証明してみせるわ。後悔しても私は知りませんからね」

 カリンはそう言い捨て、レオンハルトと対峙しながら少しばかり記憶を掘り起こした。何を言えばレオンハルトは自分がカリンだと認めてくれるのかを考えて――気付いた。全力で彼が言い当てられたくない事柄を示せばいい。彼に都合の良いことばかりを言えば攻性幻術だと思われてしまうのは否めないのだから。

 だからこそ、カリンは大真面目な顔でこう言い放った。

 

「貴男の生家の貴男の部屋のベッドの下に大量に隠されていたのは幼馴染み束縛系の官能小説二十七冊」

 

 それに対し、レオンハルトは――

 

「悪かったそれ以上言ってくれるな」

 

 ごいん、とでも音がしそうなほど勢いよく土下座した。無論そのことをアルシェムが知っているわけがない――というよりも当時の彼女に内容が理解出来るわけがない――と知っていて、なおカリンに知られていたくはないことだったからである。穴を掘って埋まりたい。この場所に穴はないのである。因みにアルシェムはレオンハルトを軽蔑した目で見ていた。

 だが、カリンは止まらなかった。

 

「それと――何故か一冊だけとても擦り切れた幼馴染みの弟と一緒に幼馴染を云々するさんp……」

「止めてガチで止めて俺が悪かった」

 

 レオンハルトは顔を真っ赤にさせたまま地面に頭を打ち付け続けた。もうこんな記憶など消えてしまえとでも言いたげである。無論アルシェムはそんな本を彼が持っていたことなど知らない――知りたくもない――のでアルシェムの幻術では有り得ないのである。もしそれが出来るのならば超高度な幻術使いだけ――ルシオラをも遥かに凌ぐ天災――であろう。

 よって、自然と彼は目の前の女が『カリン・アストレイ』であると認めてしまっていた。カリンならば知っていてもおかしくないのだ。レオンハルトの家を掃除していたのはカリンだったのだから。

 とんでもないことを大真面目な顔で言い終えたカリンは表情だけ笑みを作ってレオンハルトに問いかける。

「信じたかしら?」

「ももも勿論信じたに決まっているだろうだからこれ以上言うなください」

 ちらっとだけ顔を上げたレオンハルトはカリンの表情が彼女が怒る時特有の笑みになっていることを確認してプルプル震えながらそう返した。ここまで幻術で再現されてたまるか、とでも言いたげである。昔からレオンハルトはカリンの尻に敷かれているのであった。

 そして、レオンハルトは尻に敷かれながらも懲りない男である。

「だ、だが何故その女などと一緒にいる……ヒッ」

 最後までその言葉を言い切ることが出来なかったのは、カリンが笑みを深めたからだ。正直に言ってそのまま目をカッ開けば般若にでもなれそうである、とアルシェムは思ったが、ちらりとカリンに見られたので自重した。

 カリンはうふふ、あはは、と嗤いながらレオンハルトに向けて優しく問いかけた。

「ねえ、レーヴェ? 一体レーヴェはシエルのことをどう思っているのかしら? 怒らないから言って御覧なさい」

 ちら、とレオンハルトはカリンを見たが、彼女の顔は変わらない。威圧するような笑みを浮かべているだけだ。そして、その顔は無言の圧力を以てレオンハルトに回答を求めていた。ただしそれは恐らく正答にはならないのだが。

 レオンハルトは恐る恐る応える。

「《ハーメルの首狩り》にしてお前を……殺した女だ」

 カリンはそれを聞いた瞬間、目をカッ開いて手に持った法剣を地面に打ち付けた。ビシィィィィィィッ! と強烈な音を立てて地面が割れる。いやいやいやどうなってるんだよとアルシェムが突っ込もうとするが、考えるだけ無駄になりそうなのでやめた。たとえ古代遺物を毀損しているとか思っても口に出してはいけない。怒れる乙女は怖いのである。

 なおもカリンはレオンハルトに問う。怒りがまだ天元突破していないだけマシだろう。そうなれば手が付けられなくなるとかそういうレベルではなくなるのだから。

「それを何の疑いもなく信じていたの、レーヴェ?」

「あ……は、はひぃぃぃぃぃっ!」

 既にレオンハルトは涙目である。怒れる乙女は怖い。しかし、それよりも怒れるカリンは恐ろしいのである。正直に言って、一秒も説教されたくないレベルだ。アルシェムもされたくないと思っている。

 レオンハルトは内心ではこう思っていることだろう。怒らないって言ったのに、言ったのにぃぃぃ、と。残念ながらその理屈は今のカリンには通用しない。するはずもないのである。彼女は怒っているのだから。カリンの死体も確認せず、義妹を疑ってまで死んだことにされたという事実に。たとえそれを成したのが《白面》であったとしてもカリンは赦すつもりはなかった。

「うふ」

「か、かかかカリン? カリンさん? カリン様ぁぁぁぁぁ!?」

「お仕置きね、れぇぇぇぇぇゔぇ?」

 カリンはとてもイイ笑顔でそう宣言した。レオンハルトは顔をひきつらせて逃げようとするが、アルシェムが逃がさない。今ここで逃がすわけにはいかないのだ。ここでレオンハルトを仲間に引き入れるつもりなのだから。羽交い絞めされたレオンハルトはアルシェムを振りほどこうとするが、適わない。カリンの瞳に気付いてしまったからだ。彼女の瞳は――泣きそうなほどに、潤んでいて。

 そうして――カリンは力ある言葉を紡いだ。

 

「……空の女神の名において聖別されし七耀、ここに在り。識の銀耀、時の黒耀、その相克をもって彼の者に打ち込まれし楔、ここに抜き取らん……」

 

 その力ある言葉は、レオンハルトの精神に作用して歪にゆがめられた記憶を正していった。その中で生まれてしまった幻想の少女は――跡形もなく消えていく。そんな人物など最初から存在しなかった、というのが正しいことだと、今のレオンハルトには分かっていた。

 

 『エルシュア・アストレイ』は存在せず、『シエル・アストレイ』という少女が二人分の行動を成していたということにようやく彼は気づいたのだ。

 

 それを呑みこむのにやや時間をかけたレオンハルトは自分の記憶を否定しようとする。何度も、何度も。しかし、事実は変わらない。彼らは――警告を発した少女を追放し、人殺しとまで罵って貶めたのだ。その事実は覆ることはない。過去を変えることなど、彼には出来ないのだから。――否、たとえできたとしてもそれを彼はしないだろう。あったことは変えてはならないのだから。それが、彼への罰。

 アルシェムは震えながら事実を受け止めようとしているレオンハルトを一瞥し、柱の陰に潜んでいるであろう人物に向けて発砲した。当たることを期待はしていない。だが、その人物はそれを意に介することなく彼女の前に現れた。

 彼こそが――アルシェムの仇であり、《ハーメル》関係者をこうなるよう仕向けた元凶である最悪の破戒僧、《白面》ゲオルグ・ワイスマン。

「よくもぬけぬけと顔を出せたね、教授?」

「クク……何、君が一体どんな手段を使ってくるのかを鑑賞していたのだよ。まさか私も知らない手を使ってくるとは思ってもいなかったがね」

 くつくつと嗤いながらワイスマンは手に持った杖をアルシェムに向ける。しかし、アルシェムはそれを意に介することはなかった。たとえそれが――彼の持つアーティファクトの中で最強の一つであったとしても。今現在、アルシェムを操れるのは《□□□》だけなのだから。

 だが、アルシェムのその目論見は甘かったようである。警戒してしかるべきだったのだ。この場所が一体どこなのかを失念していない限り、よく分かっていたことのはずである。そう――ここは。

「戻ってきたまえ、シエル。君のいる場所はここにしかない……!」

 干渉力を強めたワイスマンの手に、アルシェムはいともあっさりと堕ちた。解けなかった暗示が、場所に反応してより凶悪に効いてきたのである。アルシェムは顔をこわばらせ、数秒の抵抗を見せたのちにワイスマンの隣まで跳んだ。

 それを見たカリンは思わず叫ぼうとするが、レオンハルトに押しとどめられる。彼は既に(見た目だけ)立ち直っており、ワイスマンに対峙していたのだ。

「何のつもりかな、レーヴェ」

「悪いが、俺は結社から抜けさせて貰う……そいつもな」

 それを聞いたワイスマンは酷薄に嗤うとアルシェムに命じた。

「それは残念だ……殺れ」

 アルシェムはその指示に忠実に従い、背から剣を一振りだけ抜いてレオンハルトに斬りかかった。レオンハルトはそれを受け止めるが、動揺もあってかアルシェムに押されてしまう。そこで一度力を抜いて体勢を崩しにかかるのがいつもの彼女のパターンなのだが、今回は違った。そのまま鍔ぜりあったまま離れようとはしなかったのである。

 今度こそ激昂したレオンハルトが吠えた。

「ワイスマン……貴様!」

「残念だが、君達と遊んでいる暇はないのでね」

 ワイスマンはレオンハルトを一瞥し、興味がなさそうな顔をしてからその場から去って行った。ついでにドラギオンを増殖させていくという小細工はしたものの、それだけだ。そのほかに小細工は何もしていない。

 それを確認したアルシェムは――力を抜いて後ろに跳んだ。しかし、レオンハルトはそれを予期していたのか体勢を崩すことはない。そのまま油断することなくアルシェムに剣を向け続けていたが、それは無駄に終わった。

 なぜなら――

「あー、余計な体力遣わせにかかんのホント止めてくんないかなあの変態……」

 呆れたような表情になったアルシェムが剣を背にしまってそうぼやいたのだ。操られたと判断していたレオンハルトはまだ油断はしていないが、それでも動揺してしまう。その隙をアルシェムはつくようなことはしなかった。何故なら、彼女は操られてなどいなかったのだから。

 その様子を見たカリンは恐る恐るアルシェムに問う。

「……アルシェム?」

「無事だよ無事。一瞬だけとんでもなく干渉されたから反射で《白面》の元には跳んだけど、イロイロ誤魔化すのにちょっと演技してた」

「なら良いけど……とりあえず、周囲の人形兵器たちをどうにかするのが先ね」

 アルシェムを案じたようにカリンが言う。その間にも人形兵器たちは動き始めているので油断は出来ない状況だったのだが、アルシェムが操られていないと分かって随分やりやすくなった。

 その後、アルシェム達はドラギオンを全力で狩っていっていたのだが、いつエステル達がそこに合流したのか誰も分かっていなかった。いつの間にかレオンハルトとヨシュア、カリンとエステルが並んで戦っているのである。アルシェムは何度か見間違いじゃなかろうかと思って目をこする羽目になった。

 そして、ドラギオンを狩り終えた後――ヨシュアは、レオンハルトと仲直りを果たした。ただしカリンのことは内緒にしていてくれと本人から要請があったために彼からヨシュアに伝わることはなかったのだが。

 

 そうして、ヨシュア達《ハーメル》の人間にとって一つの終着点に辿り着く――




こんなんレーヴェちゃう! と思う方はこの先も扱いはこんな感じなのでブラウザバック。
こんなレーヴェでもいいよ! と思う方はこの先もどうぞ。

では、また。


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対執行者用決戦兵器『暗示』

旧105話終盤までのリメイクです。
暗示ってホント便利だわー。

では、どうぞ。


 ドラギオンを全機撃墜したエステル達は、最低限の護衛を《アルセイユ》に残してワイスマンの元へ――《輝く環》の中枢へと乗り込もうとしていた。エステル、ヨシュアは勿論、そこにはこの事態を見届ける義務のあるオリヴァルトとアガット、それにミュラーもいた。因みに《アルセイユ》の護衛はシェラザードとクローディア、ティータが請け負っている。

 空気と化したジンは退路の確保のために屋上に待機することになっていた。《カプア一家》に関しては《アルセイユ》に話を通し、修理が終わり次第近くまで移動させることになっているらしい。最悪の場合はミュラーがオリヴァルトをひっつかんで《山猫号》でエレボニアに帰還する予定である。

 何故クローディアが同行しないかというと、彼女と《白面》を接触させてしまうと彼女も操られてしまう危険があったからである。エステル達ならばまだトカゲのしっぽ切りで排除できるが、クローディアには操られているという疑惑すら向けさせてはならないのだ。

 その理屈で行けばオリヴァルトも留守番ということになると思われるが、彼の場合は違う。皇位継承権のない《放蕩皇子》がいくら操られていようと、それこそ厄介者として排除されるだけで国が揺らぐわけではないからだ。まだエレボニアにはセドリック、アルフィン両名が存命であるため、加えて皇位継承権もなく彼を後ろ盾する貴族がヴァンダールだけであることを鑑みても彼の命はさほど重要ではないのだ。

 レオンハルトとカリンに関しては、昇降機が戻ってきてから不意打ち要員として続くことになっていた。戦力は多ければ多いほどいいというものではないが、どこまでも増え続ける戦力というのは侮れないのである。一人増えたからもう増えないという考えだけはさせるつもりはなかった。

 敢えて探索班には入らなかったケビンは《輝く環》のある場所で待機している。その場所に誘導するように暗示をかけるのがカリンとリオの役目でもあった。そうすれば、少なくともワイスマンを殺害せしめることは出来るのだから。

 無論、アルシェムもエステル達と同じようにワイスマンの元へと向かうことになっていた。エステル達と共に昇降機に乗り込み、《輝く環》の中枢へと向かう。道中では誰も言葉を発さなかった。この先に待ち受ける強敵に向き合うために、誰もが精神を落ち着けていたのである。

 通路を抜け、中枢にて待つワイスマンの元に辿り着いたエステル達は油断なく彼に向けてそれぞれの得物を向けた。それを見たワイスマンは不敵に笑いはしたが、そこに交じっている人物を見て動揺した。

「バカな……暗示が効いていないだと!?」

「一応あれ、抵抗できるみたいだし何とかしてみた」

 ワイスマンが動揺したのはアルシェムが正気だったからだ。彼女を出し抜いてエステル達がここに来たのだと言われればまだ理解出来たのだが、彼女自身が暗示にかかっていないという事態は想定していなかった。

 しかし、ワイスマンはすぐに動揺を抑えた。何故なら、まだ手はあるからだ。彼の求める愉悦はエステルとヨシュアさえいれば成し得るものだから。ついでにこの場にカリンとレオンハルトがいれば完璧だったのだが、そこまで望むのは贅沢だろう。

 ワイスマンはこれから始まるであろう絶望の惨劇のブザーの如く主役の名を語る。

「クク……君が使えなくとももう一人使える人物がいるのを忘れてはいないかね。なあ、ヨシュア……?」

 その言葉と同時に指を弾いたワイスマンは、確実にヨシュアに掛けられていた暗示が発動するのを感じた。ヨシュアは即座にその場から跳び、双剣を構えてワイスマンの横に降り立ったからである。その切っ先が向くのは、エステル。

「ヨシュア……!」

 エステルの声にも、最早ヨシュアは反応しない。今、彼の中ではワイスマンが絶対唯一の存在。エステルなど塵芥である。無論、他の人物たちなどそれ以下の存在に成り下がっていた。つまり――鏖殺したとしても、何も感じない。ただ掃除をしただけ。そうなるように、ワイスマンはヨシュアを『造った』のである。

「さあヨシュア、君自身の手で愛しい少女を――エステル君を葬りたまえ」

 ワイスマンは最早その顔に浮かぶ愉悦を隠そうともせずにヨシュアに命じた。ヨシュアはふっ、とその場から消え、エステルの前に出現して彼女を斬り殺そうとして――出来なかった。

「チィッ……!」

 ヨシュアの双剣は、アガットの大剣に受け止められていたのだから。

「アガット!?」

「目ぇ、醒ませっつうの!」

 エステルの悲鳴を聞きながらアガットはヨシュアに蹴りを入れようとして失敗する。ヨシュアは一気に力を抜くと、若干バランスを崩したアガットの蹴りから逃れてみせたのだ。執行者最速は伊達ではない。

 と、そこに銃弾が突き刺さった。それを放ったのはオリヴァルト。だが、牽制のために放ったそれはヨシュアに当たることなく背後の壁を穿つ。舌打ちをしたオリヴァルトの元にヨシュアが迫り――ミュラーに叩き落された。

「一応こんなのでも主なのでな」

「こんなのって……いや助かったよミュラー」

 複雑そうな顔をしているミュラーにオリヴァルトはそう返すが、油断はしていなかった。ヨシュアという名の少年がどこまでやれるのかを読み違っていたというのもある。だが、それ以上にこの状況を打破しなければエステルもヨシュア自身も傷つくと分かっていて早く決着をつけたかったのだ。

 吹き飛ばされたヨシュアの元に駆けるのはアルシェム。アルシェムはこれ以上ヨシュアにエステルを傷つけさせないために彼の動きを止めるべく飛び出していたのだが、ヨシュアはいとも簡単にその場から逃れた。

 その瞬間だった。ワイスマンが嗤って杖を掲げたのは。

 

「無粋な真似は止めたまえ」

 

 その一言で――アガット達のあがきは無駄に終わる。ワイスマンは魔眼と呼ばれる邪法でエステル以外の動きを封じにかかったのだ。彼らはいともあっさりとその邪法の前に屈した。

「くっ……」

「いやはや、流石にこれはまずいかもねえ……」

「言っている場合かオリビエ!」

 こんな時にも漫才をやっているエレボニア主従は置いておいて、まずい状況なのは確かである。何せエステル以外が動けないということは彼女にこの人数を護らせてなおかつヨシュアに勝ってもらわなければならないのだから。

 その圧倒的不利な状況を前に、アルシェムは珍しく吠えた。

 

「こ、の程度で……ッ、動きを止められたなんて、思わない方が良いよ教授ッ!」

 

 アルシェム流魔眼の破り方は簡単である。単純に体が動かないという情報量を超えるモノで上書きしてやれば良いのだから。ある人は将来気合いで破るというとんでもないことをしてのけるが、アルシェムの場合はもう少し恐ろしい。暴発させる覚悟で気を練ったのである。何かしら威圧感のある気配が溢れていることに一同は気づいていた。

 それが一体なんなのかをおぼろげながらも把握してしまったアガットは顔をひきつらせながら零す。

「……ちょ、ちょちょちょちょっと待てアルシェムおいそれ駄目だろ……!」

「何を……ッそれは!?」

 ワイスマンも珍しく顔をひきつらせて後ずさろうとする。だが――アルシェムに出来るのは、実はここまでだった。刺激さえ与えれば確かに以前カンパネルラを吹き飛ばしたように攻勢に転じることも出来ただろう。だが、気だけを練れても体が動かないのでは刺激を与えることなど出来はしない。

 ただ、この場合はそれでもよかった。何故なら――アルシェムを止めるべくヨシュアが突っ込んできていたのだから。

「――ッ!?」

 ヨシュアはこれがどういう効果をもたらすか動きを止められないところまで来て気付く。刺激を与えてしまうのはもう仕方がないと割り切って出来得る限りスピードを緩め、背後に飛ぼうと努力して――結果、暴風雨のような気の嵐に呑まれてヨシュアは吹き飛ばされた。ついでにヨシュアの背後にいたワイスマンも。

 だが、ヨシュアの暗示がそれで解けるかと言われるとそれは否だった。吹き飛ばされたヨシュアにエステルが駆け付けようとして、それに先に気付いたヨシュアがエステルを押し倒して身動きをとれなくする。

「エステル!」

 それは、誰の叫びだったか。呼び方からして消去法で行けばアガットかアルシェムだとかそう言う情報は別に必要ではない。ただ、エステルが窮地に陥っていることだけは確かだ。半ば呪縛から逃れていたアルシェムは完全に魔眼の効果から逃れるべく身じろぎをする。それを誰も注目して見ていることはなかった。

 エステルがヨシュアに声を掛ける。自らの声が彼に正気を取り戻させる助けになると信じて。

「ヨシュア……ヨシュア、目を醒まして」

 だが、ヨシュアはエステルのその声に呼応するようにゆっくりと右手の剣を頭上へと振り上げる。あたかもそれをエステルの記憶に、またヨシュア自身の記憶に長くとどめ置くかのように。それを見ながらアルシェムはポケットに手を突っ込む。いら立つほどにゆっくりだが、まだ間に合うと信じて。

 ヨシュアがエステルの末期の言葉を吐くのを待つかのように剣を静止させ、何の感情も浮かばせない瞳でエステルを射抜く。それを見たエステルは、もう終わりなのだと悟ってヨシュアのために震える声を押し出した。

「ごめんね、ヨシュア……一緒に歩くって約束したのに……約束、先に破っちゃう……」

 せめて、ヨシュアを苦しめないために。エステルはヨシュアを見つめるのを止めて目を閉じた。死ぬのが怖いというのもあったが、もしもヨシュアがこの先解放されて生きていくことになれば間違いなく自身の目に責め立てられると思ったからだ。たとえエステルが今そんな色をうかばせていなかったとしても。

 迫り来るであろう剣を夢想しながら、エステルは小さく呟いた。

「大丈夫、ヨシュアのせいじゃないことはあたしがよく分かってるから……」

 そうして、ヨシュアの手が振り下ろされ――るわけがなかった。金属同士がこすれ合う嫌な音が響いて、ふっとエステルの身体の上からヨシュアが消えた。エステルはそれは自身が死んだからかとも思ったのだが――どうも、おかしい気がして。ゆっくりと目を開けて起き上がった。

 すると――

「え、あれ……?」

 エステルの眼前では、ワイスマンに突撃して吹き飛ばされるアルシェムとヨシュアの図が展開されていた。いきなりの超展開にエステルはついていけていない。一体何が起こっているというのだろうか。取り敢えず死んだというわけではないようである。

 吹き飛ばされて起き上がったヨシュアがエステルに近づいてきてばつが悪そうに口を開く。

「……ゴメン、エステル……その……」

「謝らなくて良いってば。悪いのはあのへんた……じゃない教授でしょ?」

 ヨシュアはエステルのその言い分に複雑な顔をした。確かにワイスマンは変態――というか自分達ハーメル組を除いて《身喰らう蛇》にはある種の変態しかいないんじゃないかとヨシュアは思っている――なのだろうが、まさかエステルの口から言及されるとは思ってもみなかったのだろう。

 その変態呼ばわりされたワイスマンはというとヨシュアの暗示が切れ、もう一度操ろうとしても干渉すらできないことに驚愕している。どうやら予定外だったようだ。だが、そこで硬直しないのが流石《使徒》とでも言うべきか。

 ワイスマンは、無意識に《輝く環》に近づいてから杖を掲げた。その行為が意味するのは――

「……アルシェムッ!」

 アガットが叫んだ。その声にエステルが先ほどまでアルシェムがいた場所を見ると――そこにはいない。何故か嫌な予感がしてエステルはワイスマンを見て。そして――目を見開いた。ワイスマンの隣にアルシェムがいる。

「……ヨシュアがダメだというのならば、別の手段を取るしかあるまい?」

 ワイスマンはそう嘯いた。アルシェムの瞳には光がなく、その両手には導力銃ではなく代わりに背から抜かれた双剣が握られていて。トラウマを抉られたヨシュアはそれでも目を逸らすことはなかった。ヨシュアが操られなくなったのなら、ワイスマンが次にとる行動はそうなると予測していたというのもある。ただ、彼女が次にどういう行動をとるのかを見極めなければならなかった。

 ワイスマンの隣に飛んだアルシェムを見たアガットがぼやく。

「おいおい……冗談じゃねえよな?」

「はっはっは……現実逃避はよしたまえよアガット君。さしもの僕も控えているじゃないか」

 オリヴァルトは額から汗を流しながらそう返した。彼はアルシェムの恐ろしさをよく知っている。当時はまだ幼かったアルシェムが、成長してどこまで強くなってしまったのかと思うと戦慄してしまうほどだ。今すぐここから逃げ出すべき。本能ではそう感じているのだが今逃げれば何のためにここまで来たのかわからなくなってしまう。

 そうして――ワイスマンは、アルシェムに命じた。彼女にとって一番酷だと思われる命令を。

 

「さあ――シエル。君の家族をその手で葬りたまえ」

 

 しかし、アルシェムはその場を動かない。氷像のようにその場でただ硬直しているだけだ。動く理由がない限りアルシェムは動かないのだ。たとえ心の底では『家族』を求め、『家族』に戻りたいと希っていたとしても。その想いは――彼女自身の手によって凍結されているのだから。

 故に彼女は動かない。そこに『シエル』の家族は存在しないから。彼女の想いを理解していないワイスマンは一向に動く様子のないアルシェムを信じられないものを見るような眼をしてもう一度命じた。

「シエル、君の家族を――」

 だが、その言葉を遮る者がいる。今この場で一番の法術の遣い手が。彼女こそアルシェムの元『家族』。もしも今現在でもアルシェムが彼女を『家族』であると認識していれば即座に殺されかねない女性だ。

「無理よ。その命令ではアルシェム・シエルは動かないわ」

「誰だッ……!?」

 ワイスマンは狼狽してらしくもなく誰何の声を上げる。その声に呼応するように姿を現したのは、黒髪で琥珀色の瞳が特徴的なシスターだった。そう――シスター・ヒーナ・クヴィッテ。かつてカリン・アストレイという名だった女性である。

 カリンは静かにアルシェムを操れない理由を語った。

「この場に『アルシェム・シエル』の家族はいないということです。エステルさんは『アルシェム・ブライト』の家族であったかもしれないけれど今は違う。ヨシュア……君も、『シエル・アストレイ』の家族であったかもしれないけど今は違う。アガット・クロスナーもオリヴァルト殿下もヴァンダール氏も当然違う。ここにいる皆、彼女の家族ではないのよ。分かり切ったことだけれど」

 その言葉に動揺するのはワイスマンだけではない。アルシェムの過去を全く聞いていなかったアガット達や彼女の過去を聞いていたエステル達でさえその言葉に動揺した。それではまるで、エステル達も『家族』だと思っていなかったようではないか。

 カリンは言葉を続ける。

「それに――知らないようなので言っておきますが彼女、貴男の暗示にはもうかかりませんよ。七耀教会の方で念入りに処置してありますから」

 その言葉をカリンが告げると同時にアルシェムは双剣を背にしまってその場から跳んだ。カリンは全く警戒することなく彼女を迎え、一発でこピンを食らわせておく。心配させた代償だろうと既に暗示から解放――カリンがある名を告げたことで――されていたアルシェムは思う。

 でこピンされた額を抑えながらアルシェムはエステルに向けて告げる。

「えーと、ただいま」

「た、た、た、ただいまじゃないわよ! 寿命ちぢんじゃったじゃないバカ!」

 エステルの怒声もアルシェムは聞き流し、その瞳に意志を煌めかせて再度ワイスマンに対峙した。とあることをワイスマンに問うために。ここにいる人物たちには聞かれない方がよかったのだが、後で話す時間を取るつもりはなかったのだ。

「教授、一つだけ質問良い?」

「……答えると思うか?」

 そう問い返すワイスマンに彼の意志は聞いていないとばかりに言葉を聞き流して彼女は問うた。

 

「――《ハーメル》にわたしを棄てる前、わたしを棄てたのは一体誰?」

 

 それが、彼女が今ここに立っている理由だった。それさえなければアルシェムは即座にワイスマンを殺しにかかっていただろう。だが、そうしなかったのはこの問いの答えを得るため。その答え次第では、これからの動き方を考えなければならなくなると分かっていて彼女はそれを問うたのだった。




パーティが以前と違う気がする? よくあることだ。気にしちゃいけねえ。

では、また。


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《輝く環》のワイスマン

旧105話終盤~106話のリメイクです。
ある意味山場。

では、どうぞ。


「――《ハーメル》にわたしを棄てる前、わたしを棄てたのは一体誰?」

 

 そのアルシェムの問いは、虚しく響いた。その言葉の意味を理解出来た人物はその場で一人だけしかいない。エステル達も、《ハーメル》出身の人物たちも、ただ一人を除いた誰一人としてその意味を把握することが出来ない。

「アル、それってどういう……」

 困惑したエステルがそう問うてもアルシェムはただワイスマンの瞳だけを見つめていた。エステルの問いに答える気はないのだ。そんな義務も権利も義理もないのだから。

 アルシェムの言葉の意味を理解出来たのは――ワイスマンだけだ。何故なら、《ハーメル》にアルシェムを棄てたのはワイスマン自身なのだから。当時はまだ七耀教会に所属したまま《身喰らう蛇》との二足の草鞋を履いていたワイスマンだが、流石にその時のことは忘れようもない。泣きもわめきもせず、ただ眠っているだけの赤子を盟主から託されたワイスマンは彼女の命令通り外の世界へとアルシェムを出したのだから。

 沈黙を保ったままのワイスマンにアルシェムが再度問いかける。似て非なる質問ではあるが、彼女が問いたい事柄を明白にした問いを。

 

「答えてよ、ワイスマン。……わたしの両親は一体誰だっていうの?」

 

 ワイスマンはアルシェムの問いに眉を顰め、はたと気が付いた。彼女が求めているものはどこまでも『家族』なのだと思ったからだ。アルシェムは《ハーメル》に自身を棄てたのがワイスマンだと『知って』いる。何故彼女がそれを知っているのかを問うてもワイスマンには分からないことではあるのだが、とにかく彼女はワイスマンが《ハーメル》に自身を棄て、そして彼女の父でないことを知っていた。

 そこまでして『家族』を求めていて、あの時暗示に従わなかったのは本当に暗示を破られていたからだろう、とワイスマンは思う。そうでなければ、『アルシェム・ブライト』の家族たるエステルや『シエル・アストレイ』の家族たるヨシュア達を鏖殺していたに違いない。

 彼がアルシェムについて知っているのは、『アルシェム・シエル』という存在が盟主からもたらされたものであるということのみ。それ以外にワイスマンに把握出来たのは彼女が厳密な意味での□□ではないということだけだ。精神を□□に近づけなければ、彼女は目覚めることすらなかったのだから。――そういう意味でいえば、もしかするとアルシェムの父はワイスマンと言えるかもしれない。

 故に、ワイスマンはストレートに真実を答えた。それがアルシェムの精神に一番効果的にダメージを与えると分かっていたから。

「私は君を盟主より賜った。その前のことは盟主に聞くと良い……もっとも、ここから生きて帰れるとは思えないがね」

 ワイスマンの答えにアルシェムはわずかに目を見開き、肩を震わせた。背後にいたアガットは彼女が泣いているのかと思ったが、その考えはすぐに否定される。何故なら――彼女は、嗤っていたのだから。

「はは……あははははははは……!」

 その嗤い声を聴いたヨシュアは思う。アルシェムがそこまでして求める答えは、恐らくろくでもないものなのだろうと。可能性を挙げればきりはないだろうが、盟主の娘という可能性も無きにしも非ずだ。その場合であればなぜ手放したのかという疑問がわくが、それも恐らく些末なことだろう。

 ひとしきり笑い終わった後、アルシェムはなおも肩を震わせながらおかしそうにワイスマンに告げる。

 

「うんお答えありがとう。もう用無しだから死んでイイよ……むしろ死ね」

 

 ワイスマンはアルシェムの言葉を聞きながら愕然としていた。目の前の女は存在すべきではないモノだ。アレはあってはならないモノだ。アレは有り得ないモノだ。アレはあるはずのないモノだ――! 胸のうちで警鐘が鳴り響いている。一刻も早くここを逃げ出してアレから遠ざからなければ――文字通り、死あるのみ。それを本能で感じたワイスマンは震えた。

「……アルシェム君」

 アルシェムの声を聴いていたミュラーは思う。こんな嗤い方――こんな雰囲気を、未だ成人もしていない女子が醸し出して良いはずがない。否、むしろ人間が出して良いはずがないのだ。その考えを振りほどいてミュラーは剣を握りなおす。今は誰であろうとオリヴァルトに害をなす人物を打ち倒すしかない。それがたとえ――エステル達の『家族』であったとしても。

「何……を、言っている……」

 ワイスマンは見た。空虚な瞳。声だけは嗤っているというのに、その顔には何の表情も浮かんでいない。精巧な人形のようにも見えるその表情から読み取れることは一切ないのだ。まるで感情が全て死に絶えたかのようなその表情に、ワイスマンは柄にもなく震えた。

「止めろ、見るな……」

 その目で見るな。何もかもを見透かすようなその瞳を止めろ。ワイスマンは恐慌に陥る。そのままアルシェムに見つめられ続けていれば、恐らく彼は何もすることなく破滅することになるだろう。彼の夢である『超人』を生み出すことすらできずに。視点を変えればアルシェムこそワイスマンの生み出した『超人』ともいえなくはないのだが、ワイスマンはそのことに一切気づくことはなかった。いっそ不自然なまでに。

 その恐れは彼に□周目の歴史を踏襲させた。彼自身は今すぐには実行する予定のなかったことを。今ではなくこの先追い詰められてからならやっても良いと思っていたことを。そうしなければ、何も出来ないままに殺されると分かっていたから。そうだそのまま死ね、と誰かが囁いた気がするが、ワイスマンはそれを無視した。まだ死にたくないのである。

 だからこそワイスマンは声を絞り出す。このまま死ぬことなど望んではいないのだから。

「そ、う簡単に……死ぬと思うかね?」

 ワイスマンの声が震えていることを指摘する人物は誰もいない。エステル達もまた、アルシェムの笑い声に凍り付いていたのだ。どこか生理的な嫌悪感を生み出す声に、一歩も動けなくなっていて。

 

 だからこそ、ワイスマンはそれを実行することが出来たのだ。即ち――《輝く環》との融合を。

 

 誰もが動けなかった。ワイスマンが何をしているのかを察していても、動けなかったのだ。そのままではワイスマンが攻撃を仕掛けて来ても誰も動くことはままならなかっただろう。そこで動いたのは――カリンだった。彼女はこんな異常な空間でも正常な判断を喪っていなかったのだ。

「皆さん、しっかりしてください!」

 パァン、という乾いた破裂音が響く。カリンが手を打って生み出されたその音に体を震わせたエステル達は、ようやく呪縛から抜け出すことが出来た。慌てて武器を構えなおし、ワイスマンに向けて駆け出す。

 一番早かったのは、意外にもヨシュアではなくエステルだった。裂帛の気合いを迸らせ、ワイスマンに一撃を入れようとする。

「やあっ!」

 エステルの棒術具がワイスマンに触れる直前。その棒術具が弾かれた。どうやら障壁か何かを張っていて攻撃を通さないようにしているようである。それを看破したエステルは首を横に振って一端大きく離れた。

 その横をすり抜けていくのはオリヴァルトのアーツとアルシェムの導力銃の弾丸。しかし、それも通さない。ならば力ずくでぶち壊せるかと考えたアガットの突撃も効果がない。つまり万事休すと言ったところか。

「アーツも打撃も通らないなんて……」

「どうすれば通るんだろうねえ……」

 エステルのつぶやきを汗を一筋たらしたオリヴァルトが拾って唇を噛む。このままのたれ死ぬ前に彼自身はミュラーに回収されるだろうが、そんな後味の悪い事態にだけはしたくない。

 その状況を打破したのは――打撃でもアーツでも、法術でもない特殊な効果のある攻撃手段を持つ人物だった。彼はワイスマンの死角から現れ、思い切りその手に持った剣を叩きつけたのである。

 その剣は、過たずワイスマンの障壁を叩き砕いていた。

「な……バカな……」

「フッ……やはり外の理で造られたこの剣ならば通るのだな」

 狼狽し声を漏らしたワイスマンに気障に答えたのは、タイミングを見計らって隠れていたレオンハルトだった。その手に握られた剣ケルンバイターは外の理で造られた剣。当然、この世の道理など叩き潰せる。そういう風に作られているのである。

 そして攻撃一番乗りを果たしたのは――エステル達ではなかった。

 

「GYUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!」

 

 耳障りな咆哮をあげたドラギオンが一体、ワイスマンの頭上に現れて踵落としをしたのである。一体どこから、と思ったエステルは首を巡らせてレオンハルトを見ると、目の前でレオンハルトはドラギオンにぐっと親指を立てて見せた。どうやら彼がドラギオンを制御して襲わせているらしい。一応そのドラギオンの制御権はあらかじめ《身喰らう蛇》から貰っていたのでクラッキング等をしたわけではない。

 剣を構えなおしたレオンハルトは、次いでエステル達にも声を掛けた。

「今ならば攻撃も通るだろう、エステル・ブライト」

「あ……え、えっと……よし。皆、行くわよッ!」

 エステルはドラギオンの所業に呆けていたのだが、レオンハルトの言葉に我を取り戻して一同に声を掛ける。そうして――因縁の相手ワイスマンとの最後の戦いが幕を開けた。

 はたから見ていればかなりシュールな絵面になっていたことだろう。後方支援しか許されなかったオリヴァルトから見れば中々に愉快な喜劇を見ている気分だった。ただし命の危険は大いに付きまとっていたが。オリヴァルトが後方支援しか許されていないのはミュラーが止めたからである。もっとも、どんな敵が近づこうがミュラーが全て粉砕するのだがそこは突っ込んではいけない。

 オリヴァルトの目の前では、狼狽したように腕を振り回す巨大化ワイスマン(ただし最早人間の姿ではない)がドラギオンとじゃれ合っている。

「やめ、止めたまえ!」

 正確に言えば、ワイスマンの頭上にはドラギオンが居座り、定期的に踵落としをしているのである。ワイスマンはそれに対応しようとするが如何せん上手く行っていない。耐久力がけた違いなのだ。流石《身喰らう蛇》製人形兵器。世界最硬クルタレゴンは伊達ではない。――もっとも、ワイスマンには誤算も誤算だっただろうが。何よりもレオンハルトにドラギオンの制御を任せたのが間違いである。

「くっ……ええい、仕方あるまい……!」

 いくら頑張っても倒せないドラギオンにワイスマンが対応を諦めた時には既にエステル達が準備を終えていた。オリヴァルトの補助アーツで筋力・敏捷性を盛大に高めた一同はワイスマンに飛び掛かっていく。

「積年の恨み、ここで晴らしてみせる!」

 まずはヨシュア。彼は自身の手でワイスマンを討ちたいとは思っていたが、本人の適性は遊撃もしくは囮。だからこそ彼はワイスマンの目――どこにあるとか言ってはいけない――につく場所で跳びまわりながら攪乱する。数十分はワイスマンはヨシュアに対応しようとしていたが、敏捷性を最大限にまで高めたヨシュアを捉えられるわけがない。その間だけは立派に攪乱の役目を果たしていた。

「覚悟しやがれ!」

 アガットは言わずもがな前衛で思い切りワイスマンをぶっ叩いていく。たまにヤバい攻撃が来そうになればいったん下がるか大剣を壁にして蹴りで反撃する、という行動に走っていた。いかにも脳筋な戦い方であるが、とにかくワイスマンの力を削がなくてはならない今は有用な戦術でもある。おかげでワイスマンは一部が見せられないよ! 状態にされていた。この場にティータがいなくて重畳である。

「床に穴あけとか、ちょっと反則じゃない?」

 エステルはエステルで補助アーツと回復アーツを使いながらワイスマンの攻撃を見ることに集中していた。何も考えずに前に出て戦おうとも思ったのだが、どんな攻撃が来るかを見極めてからの方が良いと思ったのだ。オリヴァルトの護衛でその場から動かないミュラーにワイスマンの行動パターンをぽろぽろと零しながら全ての行動を把握し終わるとその場から跳びだして行った。

「行けるわよね、レーヴェ?」

「誰に言っているつもりだ?」

 カリンとレオンハルトに関してはエステル達から見えない位置に陣取り、レオンハルトは攻撃、カリンは法術でそのサポートをしつつワイスマンの弱点を探っていた。中々に息の合ったコンビで、未だにカリンの法術のおかげで傷一つついていない。

 その光景を見ながらアルシェムは声を漏らした。

「……これ、わたし必要?」

 アルシェムの呆れも当然だった。どう見ても戦力的にはオーバーキル。ワイスマンはほぼなす術もなく攻撃すら封殺されているように見える。そんな中に飛び込んで行こうがワイスマンの倒れる時間が早まるだけだ。どちらかと言えば長引かせて暗闇の中脱出したいアルシェムとしては参加を渋ってもおかしくはない。

「君も攪乱に行け。その方が勝つ確率が上がるだろう」

 アルシェムのぼやきを拾ったミュラーが彼女にそう告げる。彼は時折エステル達に声を掛けて危険を知らせつつオリヴァルトを守護しているのである。決してサボっているわけではないことをここに明記しておく。

 確かにこのまま何もしないでいるわけにはいかないし、何よりもいらぬ疑惑をもたれることになる。そう判断したアルシェムは夜闇にまぎれた撤退を諦めた。胸のうちで軽く溜息を吐くと、棒術具を取り出して肩を回し、告げる。

「へいへーい」

 アルシェムはミュラーにそう返してその場から駆け出した。狙うは誰の攻撃も当たらなさそうなワイスマンの正中線の中央あたり。エステル達の間をすり抜けつつ軽く跳び上がり、壁を使いながらワイスマンを撹乱していく。その瞳にはいつもの輝きが戻っていた。

 誰も気づかない。アルシェムがこうして動き回っている間にも、押し殺しているものがあることを。何かを叫びだしたくてたまらないのに、それを堪えて棒術具を振るっていることを。気付かせないようにしているのだから当然だ。泣いたって叫んだってそれはどこにも届かないのだ。ならば全てを隠し通すしかない。そう。全ての心の叫びを零に帰して。

 『アルシェム・シエル』という存在がやがて零になって消えてしまうまで――彼女はその想いを全て隠し通し、一言たりとも語ることはないだろう。このまま誰一人として信用できないのならば。たとえ誰かを信頼出来たとしても、その言葉をその人物に吐けるどうかは別だ。その人物が誰かによってもアルシェムの言葉は変わるだろう。何故なら、彼女の語れないことは本人も把握しきれないほどたくさんあるのだから。

「――ッ!」

 少し油断すれば声が漏れてしまいそうで、アルシェムは声を押し殺す。エステル達に感づかれても困るのだ。アルシェムはエステル達を心の底から信頼しきることなんて出来ようはずもなかったのだから。彼女にはエステル達に対して負い目がある。任務のためにずっと利用してきた相手を心の底から信頼しようにも、どこから湧き出したか分からない罪悪感が邪魔をするだろう。

 本当なら、と彼女は胸のうちで零す。本当なら、彼女はエステル達と一緒にはいられない存在で。そもそもそんな資格も無くて。そんな権利すら恐らくないのだろう。だが――彼女が『アルシェム・シエル』として生まれて来た以上、この場にいる義務があって。どれほど辛い真実がそこに横たわっていようとも、彼女はそこで戦い続けなければならないのだ。

「喰らいやがれ、ドラゴーン、ダーイブ!」

「桜花、無双撃!」

「秘技、幻影奇襲!」

 ワイスマンに立て続けに喰らわされるSクラフト。エステル達の奥義。それを見ながらアルシェムは思う。これは全て彼女らの物語なのだと。アルシェムが出る幕など本当はないのだと。それでも彼女は存在を示すためにその攻撃に加わって。

「……眩しいなー……」

 ぽつり、と一言言葉を漏らした。彼女自身が輝くときなど恐らく来ない。きっとこの先も昏い闇の中で生きていくのだろう。それが彼女の運命で、宿命で、義務なのだ。それを思い知らされるようで苦しかった。

 アルシェムの眼前で、ワイスマンは光を散らして爆散した。

 




この部分書いてる時、妙にリオがでしゃばってきてて困った覚えがある。お前そこにいねえから。

では、また。


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《輝く環》の破滅

旧107話~108話半ばのリメイクです。

カンパネルラさんが真っ黒なのは仕様だね。

では、どうぞ。


 光を散らして爆散したワイスマンは、本来の姿を取り戻していた。と言っても五体満足なわけではない。服は所々敗れ、そこから血がにじんでいるようである。ワイスマンはぎり、と歯を食いしばった。このまま終わるわけにはいかない。

「……まだだ……このまま終わってなるものか……!」

 ワイスマンから漏れ出た声にエステルが反応する。しかし、それはもう遅い。ワイスマンはあっという間に転移してその場から消えてしまったのである。エステル達は狼狽するが、それどころではない事態が起き始めた。一定の場所に鎮座されていた《輝く環》が移動してしまったことで崩壊が始まってしまったのである。もしくは再構築とでも呼ぶべきなのだろうが、今エステル達がいる場所が崩れることに変わりはない。

 顔をひきつらせたアルシェムは声を漏らした。

「これ、まずいかも?」

「言ってる場合じゃないわよ! 皆、早く逃げないと……!」

 エステルが先導し、その場から退避を始める一行。その中には――レオンハルトもカリンもいなかった。無論アルシェムもである。どうやらレオンハルトは物陰に隠れている最中にカリンからある程度事情を聴いたようで、協力してくれるらしい。これで任務の一つが片付くだろうとアルシェムが思ったのは言うまでもない。戦力増強万歳である。

 長時間暗示に晒され続けたワイスマン――戦闘中にカリンがこっそり陰からかけていた――は、予想通りケビンのスタンバイしている場所に転移していた。そして、ケビンのボウガンから発された文字通り必殺の攻撃は、ワイスマンの不意を打つことに成功したのである。

「な……に!?」

 狼狽するワイスマン。まさかこんなところで不意打ちを受けるとは思ってもみなかったというのもある。だが、それ以上に何故ここにこれほどまでに過剰戦力を集められたのかということに彼の意識は向いてしまっていた。彼の視線の先にはケビンとリオ、それにレオンハルトにカリンまでいたのである。

 憤怒の表情でワイスマンはボウガンの矢が刺さったままでケビンに声を掛ける。

「……貴様か、星杯騎士……」

「いやー、流石にその状態で死んでないってのも哀れなもんやしここで死んどき、ワイスマン」

 ケビンの声は明るい。しかし、その瞳の奥でわだかまっているのは無明の闇だ。このままワイスマンが死んでくれれば、ケビンはまた一つ罪を背負うことが出来る。そうすればいつか――報いを受けられると信じていた。真性のドMである。

「とっとと滅したいからちょっとぶちのめさせてね、ワイスマン?」

 そこにケビンの補佐として付けられていたリオが現れてその手に持った大剣を振るう。その大剣の破片の乱舞がワイスマンを斬り裂き、無残な姿に変えていく。そこから逃れようとワイスマンが転移しようとするが――不意にその手から杖が落ちた。

「……何?」

 手に力が入っていない。杖を拾い上げようにも体も動かない。一体自分の身体に何が起きているのかわからない。ワイスマンは理解出来ないことの連続に恐怖した。一体ケビンは、リオは、ワイスマンに何をしたというのだろうか。その答えは、ケビンからもたらされた。

「皮肉なもんやな。アンタの故郷を襲ったもんがアンタを破滅させることになるやなんて」

 ケビンの言葉にワイスマンは眼を見開いた。彼の言葉が本当ならば――ワイスマンに打ち込まれたのは《塩の杭》。一部、いやほんのひとつまみであっても触れたものを塩に変えてしまう恐るべきアーティファクトだ。彼の故郷ノーザンブリアと同じように。

 それを認識したワイスマンは思わず声を漏らす。

「な……《塩の杭》、だと……!?」

 全身が痛みもなくただの無機物に置き換わって行くのを感じた。このまま死ぬしかないのだと。それは嫌だった。これでは何のために《身喰らう蛇》に入ったのかわからなくなるではないか。『超人』を作るため――そんなものは建前だったことをワイスマンは思い出す。そうだ。ワイスマンは、故郷に起きたあの事件をどうしても認められなかったのだ。あの早過ぎる女神の恩寵を乗り越えるために、彼は研究をつづけたのだ。自身が《塩の杭》を乗り越えるために。

 眼下から煌めきが消えて。このまま死んでしまうのだと理解して。もしかすれば盟主に懇願すれば助かるかも知れないと思ったその時だった。ワイスマンの目の前に、盟主直属の異質な執行者、《道化師》カンパネルラが現れたのは。

 軽い調子で、だが額に汗を浮かばせたカンパネルラがワイスマンに声を掛ける。

「え、ちょっと教授、こんなところで死ぬの?」

「カンパネルラか……!?」

 ワイスマンは恥も外聞もなくこの年齢不詳の少年に縋ろうとした。だが、ワイスマンが一歩カンパネルラに近づいた瞬間に彼は大げさに跳び退る。どうやら、彼はワイスマンの状態を看破したようであった。

 カンパネルラはおどけたようにワイスマンに告げる。

「触らないでよ教授」

「……何故だ……助け、て……」

「だーめ♡」

 縋るような瞳をカンパネルラに向けていたワイスマンは、その表情を目の当たりにしてしまった。助けを求めているというのに、カンパネルラの顔に浮かぶのは満面の笑みなのである。それも、見る者を魅了するような蠱惑的な笑みだ。不覚にもワイスマンは一瞬だけ見惚れてしまった。その事実は墓場まで持って行くつもりだが。流石に見た目少年に欲情するような性癖は持っていない。

 カンパネルラは、ワイスマンに最後の絶望を与えに来たのだ。これ以上生きていられても彼としては困るから。増長されて盟主の地位を脅かされてしまっては元も子もないのだ。盟主の『計画』に不確定要素はいらない。

 カンパネルラは万人を魅了する笑顔を浮かべたままワイスマンに労いの言葉を告げた。

 

「お疲れ様、教授――使徒第三柱《白面》ゲオルグ・ワイスマン。冥府の底から見守っててよ、《身喰らう蛇》の『計画』の成就をね」

 

 そうして、カンパネルラはワイスマンに向けて一礼した。辛うじて意識の残っていたワイスマンはその礼を魂に刻みつけて――塩となって崩れ落ち、風に吹かれて消滅した。

 それを感じ取ったカンパネルラはワイスマンの傍に落ちていた杖を拾い上げ、ケビンに向けてにやりと嗤う。嫌な予感がしたケビンはカンパネルラに向けて今度は普通の矢を装填したボウガンで攻撃を加えるのだが、効かない。

 矢が突き刺さったところに手を当てたカンパネルラは声を漏らす。

「痛いじゃないか、もう……」

「平気な顔で立ってるくせに何言うとんねん……」

 ケビンは苦い顔をしながらそう告げた。どう見ても致命傷にはならないだろう。ここでカンパネルラを仕留められれば後々色々と楽になるのだろうが、そうは問屋が卸さないようだ。

 ふとカンパネルラがケビンの隣にいるリオに視線を移した。

「あー、キミ、この間の。ねえ、僕のあげた二つ名は気に入ってくれたかな?」

「女の子に《破城鎚》はないと思うよ、《道化師》……大人しく投降する気はなさそうだからぶちのめして良いね?」

 リオはとてもイイ笑顔でカンパネルラにそう返す。流石に女子として《破城鎚》は認められなかったようである。当時壁に穴をあけたり猟兵達をぶっとばしたりした彼女のやっていることはまんま破城鎚なのだが、そこは突っ込んではいけない。

 カンパネルラは大げさに体を震わせて応える。

「怖い怖い。じゃ、僕はさっさとお暇するとしようかな」

 カンパネルラは再び一礼し、指を鳴らして転移しようとして――その場にいた全員からの全力攻撃を受けながら消えた。そして、既に離脱を始めていたグロリアスに着地しようとしたのだが――そこに転移した瞬間、カンパネルラは身の危険を感じてもう一度転移したらしい。地上でグロリアスを見上げたカンパネルラは引き攣った顔で爆散するグロリアスを見る羽目になったそうな。

 それはさておき、ケビンはリオと共にそこを脱出しようとして声を掛けられることになった。

「や、ケビン。お疲れ」

「何や……アルシェムちゃんかいな。それで、確保はしてくれたんか?」

「とーぜん。じゃ、わたしとケビン以外は肆号機で脱出ね。はい行動開始!」

 アルシェムはさらっと言葉を吐くと、その場にいた人物たち――実はリオだけではなく、カリンとレオンハルトもいた――はリオに先導されて別の方向へと駆けて行った。アルシェムもケビンと連れ立ってエステル達と合流する。しれっと混ざったのでどこに行っていたのかは問われなかったのが重畳だろう。

 本来ならばアルシェムもリオ達と一緒に脱出すればいいのだが、そうしなかったのは『アルシェム・シエルが消えた』という事実をよりエステル達に認識させるためである。恐らくエステル達はアルシェムがそのまま消えても探さない――あくまでアルシェムがそう思っているだけ――だろうが、念のために。

「不良神父、何かあったらエステルとヨシュアを担いでってね」

「何かって……分かった。流石にオレもまだカシウス・ブライトには睨まれとうないし」

 ケビンは苦笑しつつそう返す。その懸念が現実となる時は、近い。何故なら、アルシェムの懐に《輝く環》があるというのに崩壊が止まらないからだ。再構築されているのかもしれないと思ったアルシェムの予測は外れたらしかった。予想外にワイスマンの接続は《輝く環》を狂わせてしまったようである。

 そして、その時は来た。念のために殿を務めていたアルシェムは目の前の橋の異変に気付いたのである。このままでは崩れる――そう判断したアルシェムの行動は早かった。ヨシュアを掴んで橋の向こうへと投げ、それを唖然とした顔で見ていたエステルをも同じように投げたのである。

「アル!?」

 エステルの狼狽したような声は――しかし、アルシェムには届かなかった。エステル達の後ろを走っていたケビンが駆け抜けた後から橋が崩れていくのだ。アルシェムは橋を飛び越えようとして――やめた。流石にこんなところで墜落死だけは避けたいのである。

 次々と崩壊する床を見て、アルシェムは乾いた声を漏らした。

「うわー……」

 引き攣った顔で前方を見たアルシェムは、流石に飛び越えられないことを悟る。どこかに鋼糸を引っかければいいのだが、ひっかけた場所が崩れないとも限らないのだ。

 エステルがアルシェムに向けて声を上げる。

「アル、大丈夫!?」

「うん、崩落には巻き込まれてな……ういっ!?」

 アルシェムが返事をした瞬間、彼女の身体が傾ぐ。エステルが悲鳴を上げるが、アルシェムは何とか体勢を立て直してみせた。墜落死は出来ない。ここには《輝く環》があるのだから。

 アルシェムの今の状態は――柱状の構造体の上に立っているだけ、である。その背後にあったはずの道も崩落してしまっていた。つまり彼女は既に孤立してしまっていたのだ。その状況を打破する手段は、ない。少なくともエステル達にはそう見えた。

 だからエステルは声を限りに叫ぶ。

「アルッ!」

「先行っててエステル、ヨシュアも。ここでエステル達が死んだら元も子もないし、何とかしてみるから」

「でも……っ!」

 このまま別れればもう会えないとでも思っているかのようにエステルが体を震わせる。このまま進んでくれなくては困る。エステル達は、カシウス・ブライトという鬼札を無理やり押さえ込める存在なのだから。それ以外にも僅かに理由はあったのだろうが、アルシェムは敢えてそういう考え方をした。

 だからこそ、アルシェムはその場に残っていたケビンに告げる。

「ケビン・グラハム……エステル達を、お願い」

「……任せとき」

 ケビンは瞬く間にエステル達を抱え上げると、その場から駆け出した。どんな力持ちなんだと言われても仕方がないが、抵抗しているのはエステルだけだったので彼にとっては楽な仕事でもあった。

 それを見えなくなるまで見送ったアルシェムは、鋼糸を取り出して来た方向に投げる。エステル達と鉢合わせするわけにはいかないのだ。別の方向から《メルカバ》に向かうのは必定だった。

 何度か瓦礫が崩れてあわや墜落死という事態にもなったが、一応アルシェムはもう一度太陽の光を浴びることが出来た。《アクシスピラー》を見つつ方角を確認して《メルカバ》へと駆ける。途中で何故かルシオラを担いだレオンハルトと合流することにもなったがおおむね順調である。

 ようやく《メルカバ》へとアルシェムが滑り込んだと思えば、着陸していた場所が崩れ始めた。最後まで油断はさせてくれないらしい。アルシェムはメルに命じて《メルカバ》を光学迷彩で隠したまま離陸させた。

「……で、レオン兄。何でルシオラ?」

「知らんが……あのまま置いておくわけにもいくまい」

 レオンハルトは頬に紅葉のかたをつけたままこう答えた。まさか女連れで戻ってくるとは思わなかったカリンがレオンハルトの頬を張ったのである。思いっきり平手で。相当痛いだろうが、治療してやるつもりは毛頭ない。よりによって執行者を連れてきてしまったのだ。

 アルシェムは溜息を吐いてリオに告げる。

「ルシオラに睡眠薬を。しばらく寝かせておくつもりだから栄養剤を点滴しておいて」

「承知」

 リオは苦笑いをしながらそう答え、今の命令をこなすべくデッキから出て行った。そこに残されたのは操縦しているメルとカリン達。今から始まることを鑑みればメルにも席を外して貰うべきなのだろうが、そうしてしまえば会話が面倒なことになってしまう。故に、残した。

 無意識に深呼吸したアルシェムはレオンハルトに問うた。

「ねえ、レオン兄……わたしに付いて来てくれる気はある?」

「ないとは言わない。もう一度……カリンと会わせてくれたからな」

 レオンハルトの瞳には罪悪感が浮かんでいた。無理もないだろう。先ほどまでカリンの仇だと思って激しく憎んでいた人物が、実は惨劇を防ぐべく動いていたことを知ったのだから。そして、彼はその忠告を聞かなかった。それゆえにとまでは言わないだろうが、結果として《ハーメル》は滅んだのだ。罪悪感を抱かないわけがなかった。

 アルシェムは更に問いを重ねる。

「とあることを条件に、カリン姉とずっと一緒にいられるとしたら?」

「条件など関係ない。もう、一生離すつもりはない」

「レーヴェ……」

 頬を染めながらカリンがレオンハルトを見つめているが、アルシェムはそんなことを気にすることはなかった。もう離れたくないというならば、その気持ちを盛大利用させて貰おう。そのための策は考えてあるのだから。

「じゃ、レオン兄はこのままわたしの従騎士になってもらって、後は手筈通りに」

「ええ」

 カリンはそう答えたが、まだためらっているようだった。リベールへの楔としてこのまま配されるのであれば、アルシェム達とは別れることになる。第一線で戦うことも恐らくなくなるだろう。自分達だけ安全な場所にいて良いのか、とカリンは思っていた。

 と、そこでレオンハルトが口を挟む。

「お前……守護騎士だったのか!?」

「何かイロイロあってね。こーんなあほ臭いほど肩書を持ってるのってわたし位じゃない?」

 乾いた笑みを浮かべたアルシェムに、レオンハルトは問いを重ねられなかった。確かに彼女は驚くまでの肩書を持っていた。執行者。元準遊撃士。伝説の遊撃士協会の協力員《氷刹》。守護騎士。カシウス・ブライトの元養女。改めて考えてみれば思いつくだけでもそれだけある。驚くべきことを通り越して最早異常だ。この先もまだ増えそうな予感がするあたり空の女神には好かれていそうである、とレオンハルトは思った。

 《メルカバ》は飛翔する。アルテリアに向けて。生きていることを知られては困る人物たちを乗せて。なお、途中でレオンハルトは着替えさせられたのだが、そこにあったのは女性用の修道服しかなかったため女装でアルテリア入りすることになったことをここに記しておく。おかげで彼を紹介されたアインが大爆笑したのは言うまでもない。




エステル達と別れるタイミングがまた変わったりして。あんまり意味はない。

次回は閑話です。誰得なお話とだけ。

では、また。


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閑話・ゲオルグ・ワイスマンが《使徒》になったわけ

誰得話です。わたし得なわけないです。そしてなぜかコレも筆が乗ったという。……好きなんか、こういう転落人生書くの。

では、どうぞ。


 ゲオルグ・ワイスマン。その名を聞いて諸君らが思い浮かべるのは悪辣な変態狂人であろう。だが、誰しも最初から壊れているわけではないのだ。ここに記すのは彼の人生の軌跡の一端。彼が神学生から《使徒》となるまでの軌跡である。

 

 ❖

 

 時は七耀暦1178年。当時のノーザンブリア大公国、公都ハリアスクに《塩の杭》が現れたのは、空の女神神学校ハリアスク分校に通ういたいけなゲオルグ少年十一歳の時だった。突如現れた《塩の杭》にごく普通の中流家庭に生まれたゲオルグ少年になす術などあるはずもなく、彼ら一家は逃げ惑うことになったのだ。背後から迫りくる塩。それに呑まれれば彼らも塩と化すことが分かっていた。何故なら、既に隣人たちが塩と化したのを見ていたのだから。

「あっ!?」

 そして、彼らの中で一番に犠牲になったのはゲオルグ少年の幼馴染の少女だった。名をカナンという。足元の石につまずき、転倒した直後に塩の波に呑まれた。彼女の悲鳴がゲオルグ少年の耳に届いた時には遅かったのだ。

「カナ、ン……?」

 彼がちらりと背後を振り向いた時にはもうそこに少女カナンはいなかった。既に塩と化し、人としての一生をまっとうに終えることなく消え去ってしまっていたのだから。

「ゲオルグ、気を取られていては死ぬわよ!」

 立ち止まりそうになったゲオルグ少年を叱咤したのは母エシェット。強引にゲオルグ少年の手を引いて自分の前に押しやり、追い立てるように後ろから煽った。そうしなければ息子が塩になってしまうとエシェットは思ったのだろう。

 そして、彼女がゲオルグと位置を入れ替えたことで悲劇が起きる。エシェットの役目は時折背後を振り向いて皆を急かすこと。二人の娘と息子、そして主人を急かして確実に生き延びさせる役目を追っていた。それが、彼女に出来た最後の行動になるとも知らずに。

 エシェットは塩の波がどこまで背後に迫っているか振り向き――そして、そのまま塩に呑まれたのだ。声すら出せずにエシェットは塩と化した。それを、最後尾になってしまったゲオルグ少年はその目に焼き付けてしまったのだ。

「父さん、母さんが……!」

「いいから走れ、ゲオルグ!」

 ゲオルグ少年の父ロトは心が折れそうになっている彼を急かした。今は一人でも多く生き延びなければ。そう考えていたからだ。一人でも多く生き延びて、このことを伝えなくてはならない。誰に。誰かに、だ。

 そうしているうちに、塩の広がる勢いが少しだけ弱まった。そして幸運なことはまだあった。打ち捨てられていた荷物運搬用の導力車をロトが発見したのである。ロトはこの際窃盗だろうが気にしないことにした。動いて、身内だけが生き残れば良いのだ。

「ゲオルグ、ベラ、テラ! 乗れッ!」

 ロトはゲオルグ少年と長姉ベラ、そして次姉テラにそう声を掛けた。彼らは急いでロトの後ろの荷台に乗り込み、乱暴に走り始めた導力車に必死に捕まりながら逃げ延びた。

 結局、彼らはその日一日逃げ続け、それ以外は誰一人欠けることなく生き延びることが出来た。だが、それだけだった。忌々しい塩はノーザンブリアの穀物庫ともいわれる州をまるまる呑みこんでしまったのである。しかも、塩の広がりが収まったと思えば雨が降ってきてしまい、地面を耕すわけにもいかない。ノーザンブリアは地面を耕していて死にましたなどという馬鹿げた証言がまかり通ってしまう死の国と化してしまったのである。

 ロトは毎日情報を聞くためと称して酒屋に入り浸った。妻を喪った悲しみに溺れていたいとも思ったのだが、それでも情報だけは少しずつ集めて行った。ベラとテラは別の方法で情報を集めに行った。と言っても生活費を稼ぐ必要があることをロトが気付いていないため、彼女らが働かなくてはならなかったというのもある。彼女らは色を売り、その客から情報を集めて行ったのだった。そして、ゲオルグ少年はというと――七耀教会の炊き出しに協力し、時には神学生の立場を利用して説法を行っていた。

 ゲオルグ少年は思う。もしも、アレが女神からの贈り物だとすると――空からもたらされたのでそれ以外にはありえないとゲオルグは思っている――、空の女神は彼らに滅べと言いたかったのだろうかと。一体誰が、空の女神の怒りを買ったのかと。姉たちと父からの情報を聞いてそれは少しだけ変わった。悪徳の限りを尽くし、この事態に真っ先に逃げ出したという国主バルムント大公こそがこの事態を引き起こしたのだと。

 ゲオルグ少年はバルムント大公を憎んだ。恨んだ。幼馴染の少女カナンを殺したともいえる彼を――殺したいほどに。

 

 その時が契機だったのだろう。彼に眠る異能の力が発現したのは。

 

 ゲオルグ少年のその異能は半ば暴走気味に蔓延していった。バルムント大公を討つ、という風潮が出来上がるまでに。急性アルコール中毒でロトを、そしてとった客に腹上死させられてベラとテラを喪ったゲオルグ少年の暴走は止まらなかった。

 その時に気付いていればよかったのだろう。丁度近くを巡回していた七耀教会の《守護騎士》第八位《吼天獅子》が。彼がゲオルグ少年を直々に福音施設へと送り届けたのだから。ゲオルグ少年は暴徒と化しかけていた民衆の群れに呑まれかけたところを《吼天獅子》に救出されたのだ。その際、イロイロあって彼は《聖痕》をゲオルグ少年の目の前に晒すことになってしまった。

 ゲオルグ少年は《吼天獅子》の《聖痕》について記憶を封じられた、ことになっている。しかし、彼の中で暴走していた異能はその暗示を歪め、意味のないモノにしていた。

 ノーザンブリア大公国は、バルムント大公によって立て直しを図られることになる。その噂を聞いたゲオルグ少年が暴走を始めるのは致し方ないことであろう。ただ、その時は彼はある程度その異能を操れるようになっていた。民衆たちを。次いで、慰問に訪れたバルムント大公の付き人達を。まるで伝染病が広がるように洗脳していったゲオルグ少年は、あの運命の日の一年後に事を起こした。

 

 バルムント大公は、民衆、軍部、そして全ての人々に憎まれ、討たれたのである。

 

 その結果、ノーザンブリアは大公国ではなく自治州へと姿を変えた。旧軍部は猟兵団となり、他国へと出稼ぎに出ることになる。誰もが貧しく、塩に呑まれた故郷に帰ることも出来ず、ただ彼らは日々を必死に生きていた。

 それを見たゲオルグ少年はこれではダメだ、と思う。変えなければ。ノーザンブリアを変え、再び活気あふれるあの光景を目にしたい。その純粋な欲望を胸に福音施設の院長に告げる。

「院長。僕は――七耀教会の司教様になりたいと思います」

「そう……応援するわ」

 院長はそれはそれは熱心に応援してくれた。彼女は既にゲオルグ少年の操り人形だったからだ。院長は七耀教会本部に手紙を送り、ゲオルグ少年は十三歳にして修道士となった。

 そこからだ。ゲオルグ少年が本格的に歪んでいったのは。彼は手駒を増やしてノーザンブリアにミラを落とすべく腐心し始めた。手始めに、孤児院の子供達が独り立ちできるようになれば七耀教会で得た情報をもとに商売をさせた。少しずつノーザンブリアに活気を取り戻して行けば、いずれ立ち入り禁止の場所にも入れるようになるだろうと信じて。

 朗らかに笑う孤児院の子供がゲオルグ少年に告げる。

「ありがとう、ゲオルグ兄ちゃん!」

「大したことはしてないよ。皆が幸せになれるように……もっともっと頑張らないと」

 ゲオルグは熱心に学んだ。貪欲に、周囲の誰よりも優れた人物であると誤認させて。その甲斐あって彼は新進気鋭の聖務官として十八の時に法聖省入りを果たすことになる。そこで、彼は知った。

 

 あれは――《ノーザンブリア異変》と外では呼ばれているあの事件が。女神の創造の力の現れだと言われていることを。

 

 つまり、ゲオルグの家族たちはその空の女神の新たなる創造に巻き込まれたのだ。人の命は決して気まぐれで失われて良いものではないというのに。しかも結果的に出来上がったのは誰も立ち入れない死んだ大地。むしろ、七耀教会がそう考えていることにゲオルグは愕然としたのである。

 封聖省のトップがゲオルグに告げた。もしもあの異変について知りたいというのなら、この《塩の杭》を研究して実用化しろと。人間を塩に変えることで確実に対象を殺害せしむる聖具として確立させよと。ゲオルグは、出世のために断ることは出来なかった。

 研究を続けていくうちに、一つゲオルグが気付いたことがある。《塩の杭》は密閉された空間の全てを塩と化すが、それ以上には広がらないのだ。人間に直接打ち込んだときにもその現象は見られた。要は、打ち込んだ対象を確実に塩と化すという特性を持っているのである。それ以外に被害はもたらさない。

 この時点で、ゲオルグは幾人もの同胞を殺害してきた。《塩の杭》を人体に打ち込むという実験において、一般人と《塩の杭》の近くにいた人間とにどういう影響があるかを調べさせられていたからである。

「どうして……」

「……ッ」

 幾人もの同胞が、ゲオルグの手によって死んでいった。その度にゲオルグは壊れていった。異能が暴走し、そんな目で見るな、と思った時には既に同胞が死んでしまっていたこともある。その事実が、ゲオルグを奥深い闇の道へと誘ったのである。

 彼は知った。効率的な人間の壊し方を。彼は知った。どうあがいても《塩の杭》には逆らえないことを。彼は思った。ならば、これを打ち込まれないような人間として進化してしまえば良かったのだと。そうすれば、家族も国も塩にまみれて沈むことはなかったというのに。

 狂気にまみれながらゲオルグは《塩の杭》を解析していく。そして、遂に彼は《ノーザンブリア異変》について考察をし終えたのである。ゲオルグは早速それをレポートにして提出した。

 

 要約すると、ノーザンブリアで《塩の杭》が刺さっていた場所に何らかの物体があった。その物体が影響を及ぼしていた範囲を《塩の杭》が塩と化させたのではないかと。

 

 それを報告したゲオルグは、枢機卿から厳重注意を受けた。その理由は分からない。ただ、そこにあったはずのナニカが失われてしまったことを認めたくないのだろうとゲオルグは思った。散々形式がなっていないだの育ちが知れるだのなんだのと罵ってくれたものだが、既にゲオルグは彼らには微塵も興味がなかった。

 七耀教会は、既にゲオルグの敵と化していたのである。知り過ぎたゲオルグに、表向きには口止め料を、裏からは暗殺者が差し向けられるようになった。彼はそれに抗った。こんなところで死ぬために生まれて来たのではないのだから。

 そのうち、ゲオルグは思いついた。どうせこのまま殺されるのならば、思い切り醜聞をまき散らして死んでやればいいのだと。思い立ったが吉日である。ゲオルグは鏡を使って自分を歪めた。そこまで彼が追い詰められていることに、誰も気づきはしなかったのである。

 そんな、ある日。彼にとって運命を変えたもう一つの出来事が起こった。いつものように実験を繰り返した後、苦いコーヒーを一気飲みして気分を変えようとしていた時だった。ふいにゲオルグは気づいた。背後に得体の知れない何かが存在することに。

「誰だ」

 勢いよくゲオルグが振り返ると、そこには金色の髪の美しい女性がいた。ただ、ゲオルグには分かっていた。彼女が真っ当な人間ではないことに。それも悪い方向にではない。狂信者の域にあるような女性だった。

 女はゲオルグに向けてこう告げる。

「神父様。わたくしの願いを聞いてくださいませんか」

 ゲオルグはからからになった喉から声を絞り出して答えた。

「今日はもう遅い。明日来たまえ」

 しかし、女は動かなかった。女はそのままゲオルグに願いを告げたのである。そして、ゲオルグは――ワイスマンはその願いを叶えるために動き始めた。その女――盟主は、ワイスマンの歪んだ願いを叶えてくれるからだ。

 

 即ち――『超人』の製作を。

 

 ワイスマンは早速準備に取り掛かった。女から預かった赤子の精神を歪め、覚醒させる。この作業は簡単なようで至極難しい。何せ、人間という定義に当てはまる範囲で歪めなければならなかったのだから。

 次に彼がしたのは、赤子を育てる先を用意すること。目の届く範囲である必要は恐らくないだろう。どのような手段を使ってでも生き延びられるようにしてあるのだから。故に、ワイスマンはサイコロを振って赤子を預ける場所を決めた。それが――《ハーメル》。ついでにその村に潜入して何人かの精神も弄っておいた。出来栄えが楽しみである。

 それからというものの、ワイスマンは進んで《塩の杭》を解析するようになった。どうやれば武器になり得るか。そればかりを考えて。高圧水流で削り出すという案を出したのはワイスマンだ。

 目覚ましい成果を上げながら、ワイスマンはついに二十三歳の時に司教の座に上り詰めた。しかし、彼が得たモノは望んでいたものではなかった。もう、この地位も別に必要はない。いつか本格的に排除されるまでワイスマンはここに居座るつもりだった。盟主に情報を流すためにも。

 ただ、長らく排除されない状況というのも暇なもので。ワイスマンは色々と動き回りながら愉悦を求め始めた。誰かが苦しむさまを見ているとなぜか心が満たされるのである。

 故に、ワイスマンはまいた種の収穫に赴くことにした。そこでくすぶっている猟兵モドキたちにあの《ハーメル》の名を吹き込んで、民衆たちが苦しむさまを目の当たりにした。

 

「ははは……クククククク……クハハハハッハハハハハハハハハハッ!」

 

 それは、予想以上にワイスマンに愉悦を齎してくれた。預けた赤子が逃げてしまっていても、彼は別にどうでも良かったのだ。彼女を軸に織り成される悲劇の数々。それがワイスマンに充足を齎していたのである。

 そのほかにもワイスマンは人体実験を行う悪魔崇拝の集団ともかかわりを持った。子供達の悲鳴を聞いていると心が洗われるようだった。子供達が苦しんでいるのだと知っていても、自分は虐げる側であって虐げられる側ではないと思うことが何よりのスパイスだ。

 その悪魔崇拝の集団から、面白い薬を入手した。何かに使えるかも知れないと思って解析するが、その薬は特定の地域でより強い効果を表すことが分かる。これは面白い。その薬の色が常軌を逸した碧色であることも彼の興味を煽った。

 ワイスマンは派手に悪魔崇拝の集団を渡り歩いた。早く殺しに来いと。もっと絶望を見せろと。既に狂った心で苦しみをまき散らしながらワイスマンは嘲笑う。返り討たれる暗殺者たち。哄笑するワイスマン。

 やがて――七耀教会が重い腰を上げ、七耀暦1195年に遂に破門を言い渡した。しかし、ゲオルグ・ワイスマンという最悪の破戒僧が残した爪痕は深く、七耀教会は信頼回復と組織改革を強いられることになる。まさしくそれがワイスマンの狙いであると見抜けたのは、星杯騎士団の団長アイン・セルナートだけだったと言われている。

 

 ❖

 

 こうして、ワイスマンは《身喰らう蛇》の一員となり、《使徒》となった。《塩の杭》の実験に関わっていたワイスマンがその実験の成果によって殺されたのは皮肉以外に言いようがない。




ワイスマンの家族の名は全てオリジナルです。原作がそうである可能性は多分ないです。というか幼馴染とかいるんかなこいつ。

では、また。


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~次への準備~
比翼連理


 旧108話半ば~109話終盤のリメイクです。
 脳内で映像がすぐに思い浮かべられる人は注意です。
 あと、活動報告に重大なお知らせがありますので是非ご一読ください。

 では、どうぞ。


 《メルカバ》に乗ったアルシェム達一行はアルテリアに到着した。何故かまた待ち構えていた枢機卿猊下を一蹴したアルシェムはアインに会うべく迷路を抜け、レオンハルトとカリンをつけて走破する。

 待ち構えていたアインはアルシェムの報告を聞こうとして――レオンハルトの状態を見てしまって大爆笑した。

「お、お、おま……ククックククク……」

「し、仕方がないだろう! 神父服がなかったんだ!」

 そう。お忘れかも知れないが今のレオンハルトは女装状態。いうなればレオ子状態である。案外似合っているところがまた憎らしい。しかしこのままでは話が始まらないため、ケビンの部屋から神父服を無断拝借して着替えさせた。

 息切れした様子のレオンハルトはプルプル震えながらアインに告げる。

「……これで文句はないだろう」

「あ、ああ……十分笑わせて貰った……」

 アインは腹を抑えながらそう答えた。笑いの発作を必死に抑えているようである。この様子であればこの後そこまで深刻そうな任務を言い渡されはしないだろうとアルシェムは踏んでアインに報告を始めた。

 リベールへの影響力の強化と《環》の回収、そして《身喰らう蛇》構成員の削減をケビンと共に当たること。それがアルシェムに与えられていた任務だった。リベールへの影響力の強化は後回しにし、《輝く環》をアインに手渡して《身喰らう蛇》の執行者をどれだけ減らしたのかをアインに伝えた。ブルブラン、ヴァルター両名は消息不明。ルシオラはこれから交渉。レンは手ごたえがあって、レオンハルト、ヨシュアは完全に脱退。そしてワイスマンは死亡。中々の戦果である。

 そこまで聞いたアインはアルシェムに問う。

「よくやった。それで……そこの《剣帝》を連れて来た理由は?」

「シスター・ヒーナ・クヴィッテと共にリベールに配置するため。戦力的にも境遇的にもバッチリだし、勢いを付けすぎるエレボニアの牽制にもなるかなって」

 アルシェムの言葉に、アインは頷いた。そもそも出来るものならやれとアインは焚きつけていたのだ。それをやり遂げたことに文句はつけないし何よりも良すぎる戦果だとも思える。

 もっとも、リスクはあるのだ。レオンハルトが裏切る可能性。カリンという人材の喪失。だが、それを乗り越えてなお有用だとアインは判断した。それほどまでに、リベールという国は調停役として適していると判断したのである。

 アインはレオンハルトを跪かせた。従騎士として忠誠を誓わせるためである。

「ではレーヴェ。貴殿を守護騎士第四位《雪弾》エル・ストレイの従騎士に任じる。略式ではあるが、これは正式な任命だ」

レオンハルトはそれを聞いて頭を垂れ、返事をした。

「謹んで拝命する」

 こうして、レオンハルトは正式にアルシェムの従騎士となったのであった。実力的にはレオンハルトの方が強いのだが、彼は《聖痕》持ちではない。そのことをレオンハルトはいずれ知ることになるだろう。

 その儀式を終えて、アインはにやりと笑って告げた。

「ああ、そうそう。これからはお前の戸籍をどうにかするために『レオンハルト・アストレイ』と名乗れよ?」

 レオンハルトはそれを了承しようとして――彼女が告げている本当の意味に気付いて顔を真っ赤にした。つまり、アインはレオンハルトとカリンに結婚しろと言っているのである。

 顔を真っ赤に染めたカリンは動揺してアインに問う。

「え、えええええっとそそそそそそ総長、それって……」

「おいおい、これくらいで動揺するなよ、ヒーナ……いや、カリン。表に出るならそちらの名の方が良いだろう? 悪い虫がつきようもない」

 アインはにやにやと笑っている。カリンとレオンハルトは何も言い返すことが出来なかった。それに――嬉しかったのだ。ずっと想い合っていた幼馴染と結ばれるのは。

 アルシェムはそれを茶化すことなく放置し、アインに告げる。

「アイン、悪いんだけどわたしサイズの神父服ちょーだい」

「それは構わないが……お前、変装しすぎじゃないか?」

「正体をバラさないのに色々使わないといけないんだし仕方ないでしょーに。必要経費だって」

 アインのツッコミにも動揺することなく、アルシェムは神父服を手に入れた。これで『リベールに貸しを作る謎の神父』の出来上がりである。断じてアルシェムでも『シエル』でもない。

 正体を隠したままで居続けることは難しい。それはアインにも分かっていたが、今は一つ切り札が切られてしまったところだ。立て続けに切り札を明かすわけにはいかない。よって許可したのである。

 話に区切りがついたと思ったアインは次の任務を言い渡す。

 

「次はクロスベルに向かえ、ストレイ卿。《蒼の聖典》と協力して――《D∴G教団》とその背後にいるらしい組織を壊滅させろ」

 

 その言葉を聞いた瞬間。アルシェムは眼を見開いた。その名は――その、教団は。一度潰したはずであり、まだ生き残っているとも思えなかったもの。もう二度と出現してほしくなかった教団だった。

 アルシェムは声を震わせてそれに応える。

「――御意」

 そして、アルシェム達は再び《メルカバ》に乗り込んだ。

 

 ❖

 

 《メルカバ》に乗り込んだアルシェムは、メルにリベールへと戻ることを告げた。目的は――女王とカリンおよびレオンハルトを引き合わせるため。そして、《雪弾》の正体を誤認させるためである。

 故に、アルシェムは操縦をカリンとリオに任せてメルに髪を切ってもらっていた。オーブメントで幻影を見せて誤魔化す手もあるのだが、万が一それがバレた場合が面倒なのだ。肩口から少し伸びていた髪をうなじで切りそろえ、ボーイッシュに仕上げて貰う。

 さら、と髪を撫でたメルが呟く。

「もったいないです……」

「別に伸ばしてても邪魔なだけだしねー」

 しれっとアルシェムはそういうが、彼女は忘れていた。メルの逆鱗はそこにもあったということを。メルはいっそ穏やかに笑った。遠い目をして、ハサミをしゃきしゃき鳴らしながら首をこてんと倒す。音に気付いて振り返った時にはもう手遅れだった――主に、謝罪という面で。

 メルは口角をぴくぴく動かしながら声を漏らす。

「アルシェム、世の中には髪を伸ばさないとチリチリになって取り返しのつかないことになってしまう人もいるんですよ……?」

「え、あ、う……」

「アタシとか、アタシとか、特にアタシとかね……! しかも、三つ編みして誤魔化さないとそれドレッド? とか言われるんですからね!?」

 ――そう。メルはとんでもない癖っ毛の持ち主であった。短くしてしまえば大昔の音楽家の肖像画。長く伸ばしても重みで伸ばしているだけなのでくるくるしているのは変わらない。そもそもシスターって髪を切っても良いんだっけという疑問もアルシェムの頭をかすめたが、聖務に支障をきたすならきっと切っても良いはずだと思う。

 その後、アルシェムはリベールまでの道中ずっと説教されてしまった。ルシオラに全力で睡眠薬を投与していて正解である。ここでルシオラと交渉しても良かったのだが、メルのせいで時間がなくなってしまっていた。

「え、えーと……も、もうすぐ着くんだってよ、アルシェム、メル」

 このリオの言葉がなければメルの説教はもっと続いていたであろう。アルシェムは急いでメルの前から去り、神父服に着替えて執行者仮面ではない別の仮面を用意した。何故あるのかは問うてはいけないのである。

 女王宮の直上に到着したことを知らされたアルシェムは、カリンとレオンハルトを連れてワイヤーで静かに女王宮に降下するのだった。

 

 ❖

 

 リベール王国、王都グランセルの女王宮。その女王の私室で、冷めた紅茶を前にした女王とクローディアがユリアからの報告を聞いていた。どうやら行方不明者――アルシェム達のことである――が見つからなかったという報告のようだ。

 沈痛な顔をしたユリアが報告の最後を締めくくる。

「……以上、《輝く環》崩壊による被害の報告を終わります……」

 女王が厳しい顔をしてユリアの報告を聞き終え、彼女を労って下がらせた。脳内にあるのは行方不明だと聞かされたレオンハルト、アルシェム、リオ、そしてヒーナという名のシスターのことだ。的確に七耀教会のメンバーだけが行方不明になっているのは何かあったからなのかと勘ぐってしまいそうにもなるのだが、それではアルシェムとレオンハルトが消えた意味が分からない。

 ふう、と溜息を吐いた女王は言葉を漏らした。

「行方不明者、四人……ですか……」

「リオさんあたりなら生きていそうな気もしますけど、アルシェムさんは……」

 呼応するように暗い顔をしたクローディアはそう漏らす。テラスで能面になって聞いている本人がいるとも知らずに。本人としては、まさか心配されているとは思いもしなかったのだ。しかも一国の姫君に。

 重い沈黙が降りた、その時だった。

 

「お邪魔させていただくよ」

 

 テラスから二人の人物を引き連れた男が現れたのは。言わずもがなアルシェムだが、絶壁な胸のおかげで女子であるとは思われていない。神父服であるのもそれを助長している。

 クローディアは慌てて立ち上がろうとしたが、女王がそれを制した。もしかしたら非公式で面会があるかも知れないと思っていたからだ。それに、彼の連れている二人の人物の片方は間違いなくヒーナなのだから、さしずめ彼女の上司と言ったところなのだろう。

 女王は気持ちを落ち着けて言葉を告げた。

「七耀教会の方と……いえ、星杯騎士団の方とお見受けします。どういった御用でいらしたのでしょうか?」

「お初にお目にかかる、アリシア女王陛下、クローディア王太女殿下。わたしの部下が殿下達とは別ルートで帰還したようなのでその報告にと参らせて頂いた次第」

 そう言ってアルシェムは下がった。それに呼応するようにカリンがフードをかぶった人物――レオンハルトである――の腕を取って前に進み出た。ここから先はカリンの出番である。こういう交渉ごとに関してはカリンに任せるのが楽で話が早いのだ。

 カリンは微笑を浮かべて女王に告げた。

「大変ご心配をおかけいたしました、陛下。別ルートで帰還いたしました私ヒーナ・クヴィッテとリオ・オフティシアの無事をお知らせいたします。もう一人一緒に脱出いたしましたが、それは後で。まずは《輝く環》のお話をいたしましょう」

 女王はカリンの言葉に目を見開き、安堵したように胸をなでおろして続きを促した。すると、カリンは《輝く環》を回収したこと、そして責任を持ってアルテリアで封印処置を行うことを告げた。ただし破片等は申し訳ないがリベールで回収してほしいとも。

 申し訳なさそうにカリンは告げる。

「勿論私どももより近くで協力させて頂きたいと思うのですが……」

「……協力はありがたいと思いますが、本題はそれではありませんね?」

 女王はカリンの言葉にそう返した。カリンは浮かべていた申し訳ない顔を笑顔に変えて頷く。確かにこれは本題ではない。そして、その本題を切り出すには手持ちの情報を一つ明かす必要があるのである。明かしたくないわけではなく、むしろ女王から切り出すのを待っていたのでこれは好都合である。

 カリンはゆっくりと目を閉じ、そして告げる。

「ええ、本題に入りましょうか。私達は――貴女方に保護を願い出に来たのです」

 その言葉に女王は瞠目した。いきなり何を言い出したのかわからなかったのだ。ヒーナ・クヴィッテという人物がリベールに保護を願い出るなどという状況は流石に想定していない。

 女王は動揺を隠せぬままにこう返す。

「保護……ですか。何故七耀教会でなくリベールに……?」

 その問いに、カリンは頭布を取って応える。そこに現れるのは艶めいた黒髪と琥珀色の瞳。違うだろう、とクローディアは思っていても否定できなかった。彼女は――あまりに、『セシリア姫』に似ている。

 だからこそ、無礼とは知りながらも声を漏らさずにはいられなかった。

「貴女は……貴女が、ヨシュアさんのお姉様ですか……?」

「ええ。ヒーナ・クヴィッテというのは偽名です。私は――カリン・アストレイは死んだことになっていますから」

 そう告げたカリンは隣に立っている人物からフードを奪った。そこに現れるのは無論レオンハルトである。クローディアは腰を浮かしかけてやめた。今の彼からは敵意を感じられないからである。

「彼も同じです。リベールに頼りたいのは、ここにヨシュアがいるから……それだけでは理由になりませんか?」

 カリンのその言葉に、女王は頭を回転させるのをいったん止めた。誰が拒めるだろうか。自分達のせいで歴史の闇に放り込まれることになった《ハーメル》の人間を。その理由だけでも十分だった。家族を求める気持ちは分かるから。

 だが、女王は敢えてひとつ問うた。

「貴女の上司はそれを承知しているのですか?」

「無論だ。本人たちがここに腰を落ち着けたいというのならば是非もあるまい。ヒーナの……カリンの才は惜しくはあるがな」

 カリンに答えさせず、アルシェムはそう口を挟んだ。それを最終的な納得の材料とした女王は色々と条件を詰め、結果的にカリンとレオンハルトは親衛隊特務分隊《比翼》という名でリベールに滞在することになった。つまりは王城の中で見張られていろと言うのである。地位まで与えて貰えるとは思わなかったアルシェムは望外のことに口角を吊り上げそうになるのだが、それは余談である。

 ひとしきり条件を詰め終わった女王はアルシェムに問う。

「先ほど、別ルートで脱出したのはリオさんとカリンさん、そしてもう一人と言いましたが……」

「それは……レーヴェのことですわ、陛下」

 期待を裏切られた女王は顔を曇らせた。どうしても最後まで生き延びていて欲しい人物が死んでしまったのだと思われたからだ。アルシェムとしては死んだことにしたい人物である。無論本人なのだが。

 女王はカリンに問うた。

「では、アルシェムさんは……」

 カリンは悲痛な表情で首を横に振る。ここで生きているわけだが、それを言うわけにもいかないのだ。また偽名を使う羽目になるだろうが、それはもう致し方ないとしか言いようがない。

「そう、ですか……」

 沈んだ様子のクローディアと女王にお悔やみを申し上げ――自分で自分のお悔やみを申し上げるのもどうかと思ったのだが――、アルシェムは《メルカバ》へと戻る。大切な『家族』を切り捨てて。

 不思議なことに、全く心は痛まなかった。




 レオ子とか誰得。

 では、また。


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邪なものを生んだ

旧109話終盤~111話のリメイクです。
その気にならないと出来ない閃へのフラグ立てと言っても過言ではない。

では、どうぞ。


 《メルカバ》に戻ったアルシェムはリオ達に結果を報告し、リベール上空からクロスベルへと向かった。その最中、ようやくルシオラが目を醒ました。というのも当然で、睡眠薬を抜いて気付けにブランデーを叩き込んだのである。かなり強引な起こし方であるが、ルシオラを仮眠室から出すわけにはいかなかったので仕方がない。

 当のルシオラにしてみれば、シェラザードから逃げようと飛び降りたのに何故か別人に捕まっている状況である。しかも見覚えのない人物に。これはこれで危険な状況であることに変わりはない。

 警戒を解かず、目の前に現れた仮面の神父に声を掛けるルシオラ。

「これは……一体どういう状況なのかしら?」

「《輝く環》の内部で気を失っているところをわたしの部下が助けた。調子はどうかな?」

 そう仮面の神父――アルシェムが答えると、ルシオラが眉をひそめた。彼女の直感が告げているのだ。目の前にいるこの神父はどこかで会ったことのある人物だと。それが誰だったのか、判断することが出来ない。

 それにしても、とルシオラは思う。拘束するでもなくただ寝かせているというのが解せない。彼は恐らく星杯騎士団の団員であろうと思われたからだ。彼らにとって《身喰らう蛇》の構成員は目の仇。拘束されるなり殺害されるなりは流石に覚悟していた。しかしそれがないということは、何かしら交渉がしたいのだろう、とルシオラは判断する。

 その判断をもとにルシオラは言葉を紡いだ。

「悪くはないわ。だけど、どうして顔を隠しているのかしら?」

「暗示は完璧なものではない。そういうことだ」

 アルシェムの答えは曖昧なもの。まさか顔見知りだから隠していますとは言えない。とはいえ、ルシオラ相手では顔を隠していてもばれる危険がある。最終的には本当に暗示に頼らなければならないだろうと思うだけにアルシェムの気は重かった。

 ならばリオかメルに頼めばいいとは思うのだが、彼女らでは恐らく話にすらならないだろう。流石に《メルカバ》内で嫌悪感を抱いていない相手を殺害されるのは避けたい。彼女らが負けないことだけは確かではあるのだが。

 アルシェムはルシオラに提案を投げかける。

「さて、君には三つの道がある。このまま執行者として死ぬか、裏切り者として情報をすべて吐き出してから死ぬか、我々の協力者として生きるかだ」

 それを聞いたルシオラは考え始めた。このまま死ぬのは勘弁願いたい。まだもう少し生きていて、シェラザードが成長するのを見ていたいのだから。ただ執行者として動こうにももうそんな原動力はなかった。

 

 彼女は見てしまったのだ。《アクシスピラー》から落下した時に。走馬灯とでもいうべきものを。

 

 未来を見通す力を持って生まれたせいで親から疎まれ、殺されかけたこと。両親から逃げて、ドブネズミのような生活を始めたこと。そこから救い出してくれた、数多の未来を持つハーヴェイ一座の団長。いつも不確定な未来を持つ団長に、惹かれていったこと。そして――あの日。ルシオラが手を掛ける前に、自分から足を滑らせて崖から落ちて行った団長を。

 死にゆく団長の顔が笑顔だったのは、ルシオラを責めないためだったのかもしれない。今となってはその真実は分からないが、それでも確かに――団長は笑っていた。決して憎しみも恨みも込められた表情ではなかったのである。

 団長が死んだのはルシオラのせいだ。これだけは断言できる。だが、団長はルシオラのために死んだのだ。確定した未来などないと。自分に縛られる必要はないのだと。そう伝えたかったと思いたい。

 だからこそ、ルシオラが選ぶ道は生の道。団長が命を賭して教えてくれたことを、どこまでも追い求めなくてどうする。それを思い出させてくれたシェラザードにも改めて会いに行こうとは思う。多分きっとその内。

 ルシオラは、アルシェムに答えを告げた。

「残念だけれど、選ぶのは四つ目よ」

「……ほう?」

 微かに身構えたアルシェムを見て、ルシオラはベッドから立ち上がった。アルシェムと視線を交差させ、強い意志を煌めかせて――告げる。その、選択を。恐らく呑んでもらえないだろうその選択は、失敗してもまだ生きる道があるから。

 

「元仲間は売らないわ。でも、執行者としての活動はもうしない。それではいけないかしら?」

 

 アルシェムはその言葉を聞いて口角をひきつらせた。あまりに都合の良い答えである。しかし、彼女が納得してそう行動してくれるのならば問題はない。誓約書でも書かせて七耀教会に送り付けておけば問題ないだろう。

 脳内で考えをまとめたアルシェムはルシオラに告げる。

「誓約書を書くというのならば認めよう」

 そのアルシェムの言葉に驚愕したルシオラは絶句したが、結局誓約書を書くことで合意した。誓約書を書かせたアルシェムは、そこで扉の前に誰かが立っていることに気付く。

「少し待っていろ」

 そう言って扉の前に立っていたメルからハーブティーを受け取り、ルシオラに饗する。ルシオラはそれを黙って呑み干し――そして、眠りについた。催眠剤入りだったのである。

 ルシオラが眠ったことを確認したアルシェムは、メルに暗示を掛けさせて彼女をミシュラム内に棄てておいた。上手くすれば住み込みで働いてくれるだろう。そうしてルシオラの件については一段落――と思ったのだが。

「……えっ」

 何とはなしに誓約書を読み直していたアルシェムは裏面に走り書きされた言葉に気付いてしまったのである。曰く、『貴女の正体も誰にもばらさないから安心なさい、シエル』。どこまでルシオラの能力が凄いのかアルシェムは見くびっていたようであった。

 

 ❖

 

 ルシオラを解放してから数時間後。突如アインから通信が入った。何でも、東方人街でアーティファクトが発見されたらしい。その回収に当たるように要請された――リオが。ただ、残念なことに今いるのはクロスベル上空である。しかも、もう一つ通信が入ってしまった。

 モニターに映し出された男がアルシェムに告げる。

『あー、ストレイ卿。顔を合わせるのは初めてだな?』

「ああ、初めまして。《匣使い》のトマス・ライサンダー卿で間違いないな?」

 アルシェムがそう問いを発すると、男――《守護騎士》第二位《匣使い》トマス・ライサンダーは頷いた。どうやら人員の貸し出しを願い出たいらしい。詳しく条件を聞くと、彼はこう答えた。

『ストレイ卿の従騎士で、出来るだけ有名じゃない奴で、実力者が望ましい。後、新型オーブメントのARCUSの適性が高そうなやつ』

「そうか……ならば《破城鎚》では具合が悪いだろう。メル」

 アルシェムは帝国では知られてしまっているであろうリオではなく、メルを呼んだ。リオに一時操縦を任せたメルは即座にアルシェムの隣に立ち、一礼する。メルに行ってくれるかと目で問うと、微かに頷いてみせた。

「彼女を貸し出そう、ライサンダー卿」

「シスター・メル・コルティアです。以後お見知りおき願いますね」

 すると、トマスは頷いて了承の意を示した。次いでアインからの依頼であるアーティファクトの回収の場で合流すると告げ、通信を切ってしまった。つまりこのまま《メルカバ》を動かして行く必要があると思われる。

 アルシェムはメルとリオに操縦を任せると、その場で考え込み始めた。ここでアルシェムから従騎士を借り出すということがどういう意味があるかを考えたのだ。戦力を削ぐため、と言われると分からなくもないが、今から行く先でそこまで戦力がいらないとも思えない。もしくはルシオラを従騎士にしたのだと勘違いされている可能性もある。

 実際は、アルシェムは今まで監視されていただけである。任務を成功させたことで信頼を得、監視する必要がなくなったので従騎士達を分散させられたのだ。その内新手の従騎士達が送り込まれてくる手筈にはなっているのだが、しばらくは二人でも問題ないと判断されたためである。アルシェムもリオも単独で《メルカバ》を運用できるのだから。

 東方人街上空に辿り着いたアルシェム達は、抗争が起こっているらしい場所を見つけた。どうやら猟兵団同士が争っているらしい。恐らくその渦中にアーティファクトがありそうだと踏んだアルシェムは、上空からリオだけを降下させた。本人は《メルカバ》内で待機である。念のために使い捨ての仮装もとい変装をしておいてはいるのだが、恐らくすぐにトマスが辿り着くだろう。

 アルシェムは上空からその様子をモニターし続けた。

 

 ❖

 

 にらみ合う猟兵達。犬猿の仲ともいえる彼らは、二つのアーティファクトを求めて争っていた。現在そのアーティファクトのうちの一つを確実に持っているのは《西風の旅団》団長《猟兵王》ルトガー・クラウゼルである。もう一つに関しては、《黒月》支部長ツァオ・リーが持っているらしい。そのどちらかを奪うべく《赤い星座》団長《闘神》バルデル・オルランドが獰猛な笑みを浮かべていた。

 空から落下してきたリオはその三者のど真ん中にクラフトをぶちかました。死にはしない程度に手加減はしているのだが、生憎死なないだけで動けない程度の威力にはなってしまったらしい。それに巻き込まれなかったルトガー、ツァオ、バルデルは落下してきたリオを見て警戒心をあげた。

「何者だ……?」

 誰何の声を上げたのはバルデル。それにリオは応えることなく法剣を振り回した。彼の問いに答える必要は全くないからだ。彼女の身分はその服装が――シスター服がそれを示してくれる。知らせるのはそれで十分だった。

 リオの振り回した法剣を危なげなく回避するツァオ。そのツァオを身代りにして法剣に巻き込もうとするルトガー。気合いですべて跳ね返したバルデル。三者三様ではあるが、リオの一つ目の目的は果たされたと言っても良い。何故なら――彼女の手には、ツァオが握っていた緑色に光るアーティファクトが握られていたからである。

「手癖の悪いお嬢さんですね。それは私のモノですよ」

 ツァオが飄々とそう告げる。彼が手にしていたアーティファクトは正式名称こそわからないものの、破壊工作にうってつけのものなのだ。しかも、犯人が誰かは絶対に知られない。ただ風が吹いたというだけで《黒月》を疑うような人物はいないはずだ。

 しかし、リオはそれを否定するように口を開いた。

「これはアーティファクトだよ」

 リオの言葉に、殊更驚いたようにツァオが目を見開き、殊更ゆっくりと何かを含ませるように告げる。

「おや、そうでしたか。中々面白いオーブメントだと思って買ったのですが、それがアーティファクト」

 ツァオはリオからそのアーティファクトを取り戻すことを諦めた。ここはリオに売りつける方が有意義だろうと考え、言い訳を考えながらいくら吹っかけようかと思案する。流石に星杯騎士の前で堂々とアーティファクトが欲しいと宣言して異端認定されるだけの度胸はない。今ここでツァオが死ぬわけにはいかないのだ。これからクロスベルまで赴かなければならないのだから。

 しかし、そのツァオの計算を崩す人物がいた。それはバルデルである。

「おいおい、そいつァ俺達が狙ってたもんだぜ。それを横取りしていったのは誰だァ?」

 彼としてはアーティファクトもミラも欲しい。故に、何とかリオからアーティファクトを取り返して交渉し、ミラと引き換えるところで両方持ち逃げする気でいた。それが猟兵のやり方で、正当であると信じていたからだ。生憎リオはそのアーティファクトを手放すつもりはないのでその交渉は最初から成り立たないのだが、それは彼には分からないことだ。

 それに、更に口を挟むのがルトガーである。彼はそのアーティファクトをある意味一番必要としている人物だった。

「悪いが《闘神》、《黒月》の。そいつは俺が最初に目をつけていた」

 何のために、とは彼は言わない。何故なら、ここで口にするのもはばかられるような理由なので。といっても大量殺人に使うだとかそういう理由ではない。ただ自らの養女へのお土産にしようと思っていたのである。フィーという名の少女にそのアーティファクトを使わせればどこぞの《漆黒の牙》とやらも顔負けの速さで動けるはずである。それは彼女の生存率を上げるのに繋がるはずだ。

 ここに三つ巴ならぬ四つ巴が完成する。そして――最初に動いたのは、その四人のうちだれでもなかった。その場にようやくたどり着いたとある人物が切り札を切ったのである。二番目に動いたのは、何が起き始めたか即座に理解したリオ。彼女はその人物の切り札が何を意味するのかを知っていたのだ。彼女が捨身でその場から逃れたその瞬間――バルデルとルトガーが黒い《匣》に包まれたのである。

 因みにツァオはリオの行動を見て跳び退っていたためにぎりぎりそれから逃れていた。そして新手の気配を感じると交渉どころではないと判断し、周辺に散らせていた部下たちを回収しながら撤退していった。これ以上は不利だと見抜いたツァオの独り勝ちである。状況だけを見れば。ただ、本人は負けたと思っているのだがそれは仕方のないことであろう。

 それを見届けたリオは気配のする方を見て頭を下げ、告げる。

「ありがとうございます、ライサンダー卿」

「いや、先におっぱじめてくれてて助かったぜ」

 木陰から現れたのは――トマスだった。すぐに来るだろうとは思っていたが、タイミングを見計らっていてくれたらしい。トマスはリオからアーティファクトを受け取ると、《匣》の中にしまった。

 そしてリオに向けて問う。

「んで、コルティア嬢はどこに?」

 その問いに彼女は頭上を指さした。トマスはすぐに上空を見るのだが、そこには太陽が輝いているだけだ。どういうことかといぶかしげにリオを見返すと、彼女は苦笑してこう答えた。

「この状況は見えていると思うのですぐに降下してくるかと」

 リオがそう口にした瞬間、彼女の真横で小さく音がした。どうやらステルス状態で降下してきていたメルが着地したらしい。リオに触れてステルスを解いたメルはトマスに向けて一礼した。

 トマスはそれを見て頷いた。実際の年齢を考えるとあまり適してはいないが、メルはトマスの求める年齢に見えないこともなかったからだ。恐らく波乱を呼ぶであろうトールズ士官学院の《Ⅶ組》に入れるには適した人材だ。

 ニッと笑ったトマスはメルに告げる。

「よろしく頼むぜ、メル」

「よろしくお願いします、ライサンダー卿」

 微かに緊張した様子のメルを見てトマスは内心で苦笑する。今まで守護騎士が使ってきた従騎士にしては青い気もするが、これ以上熟練の技を持つ人物だとかえって怪しまれかねない。

 メルの緊張をほぐすべく、トマスはお茶目に笑って告げた。

「これからはトマス教官と呼べ、な?」

「承知いたしました」

 こうして、メルはエレボニアで起きるかもしれない異変に備えて旅立っていった。彼女の軌跡は《特科Ⅶ組》と交わり、本来の歴史とは異なる軌跡を描いていく。それを知る者は、今ここにはいなかった。

 

 ――そう。ここで撒かれたメルという名の火種は、エレボニアで生まれた邪なものの行動を結果的に悪辣にしてしまったのである。

 

 それを知ることなく、アルシェム達はクロスベルに乗り込んでいったのだった。そして、下調べの後に閃光に呑まれることになる。それすらも、彼女らは予測することなど出来なかったのであった。




多分こんなに子煩悩じゃないルドガーさん。見たことないけど。

この後まさかの章が終わりなので閑話を挟みます。

では、また。


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閑話・従騎士達の生い立ち

というわけでここまで来てやっとリオとメルの生い立ちのお話です。

では、どうぞ。


 《星杯騎士団》所属、《守護騎士》第四位《雪弾》エル・ストレイが従騎士、《破城鎚》とも呼ばれるリオ・オフティシア――生まれた時の名はリオ・フィラリア=オフティシアという名だった女性は、七耀暦1183年アルテリア法国にて生を享けた。枢機卿の父グェンワ・オフティシアと名家の令嬢でおっとりとした母ネリア・フィラリア=オフティシアに囲まれた生活は、それなりに幸せだったと言えよう。――あの事実が判明するまでは。

 その事実が判明したのは、リオが十三歳の時。アルテリアに流れ始めていたある噂がきっかけだった。それはあることないことを付け加えた数人の枢機卿たちの醜聞である。その中には父グェンワの名も含まれていた。曰く、彼らは機会があればとある場所に赴き、女を食い物にしている。曰く、その女の中には年端もいかない少女が混じっている。曰く、それを担保にミラを横流しにしている――などなど。

 

「そんなこと、あるわけないじゃん」

 

 最初はリオも信じてはいなかった。噂を聞いただけで鼻で笑い、聞き飛ばしていたのだ。聞く価値などあるはずがないのだ。枢機卿たる父がそんなことをするはずがない。いつも忙しくて会えないだけで、そんないかがわしいことなどしてはいないはずなのだから。信じていたかったのかもしれない。彼女にとって、彼は父なのだから。

 《変態枢機卿》。《背信枢機卿》。《ハゲ変態》。《黒毛和豚》。さまざまな蔑称が父には付けられていた。そのどれもをリオは信じていなかった。厳しい父がそんなことに手を染めるわけがないと思っていたのだから。だから笑い飛ばしていた。そんな噂は事実無根で、父は立派な人物だと言い続けた。その主張は誰にも受け入れられることはなかったが、父が正しいことを彼女が知ってさえいれば良かったのだ。

 だが、噂というモノは非情なものだ。その矛先は妻たるネリアにも、無論娘たるリオにも向けられるようになった。

「見て、《変態の娘》よ」

「きっとあの子も……」

「あの《不義の子》と関わっちゃだめよ。きっとフィラリアの血なんて一滴も引いてないに違いないもの」

 

「――《黒毛和豚の娘》め!」

 

 たちまちリオはいじめのターゲットとなり、毎日が色を喪って行った。どこへ行くにも彼女は一人だった。そうでなければならなかったのだ。そうしなければ、誰かが傷ついてしまうから。孤立したリオに先生たちも声を掛けることはなかった。だからこそ、彼女は本当に孤立してしまった。誰も味方はいない。母もその内噂なんて消えるのだからと日和見るだけで彼女のことを気に掛けることはない。

 毎日繰り返される陰湿ないじめ。誰もが蔑んだ目でリオを見る。それが嫌になった。だから、リオは決意した。家を出よう、と。そのために必要なのは、実力。得意な実技を中心にリオは努力を重ねた。努力して、努力して、努力して。その内、実技で勝てる人物はいなくなった。筋力で勝てる人物もいなくなった。それを成したのは、彼女が十四歳の時だったというから彼女の異常さがよく分かるだろう。

 一度、リオは母を問い詰めたことがある。あんな噂を流されて悔しくないのかと。しかし、母はその噂を否定しなかったのだ。リオはこの時点で母も見放した。自分だけが父を信じているのだと思っていたのだ。自分だけが父の味方でいられるのだと。そう、信じて日々実力をつけるべく狂ったように修行に明け暮れる彼女を母は止めなかった。母もきっとリオを見放したのだと、彼女は思っていた。

 だが、ネリアは知っていた。実家から連れて来た使用人たちが泣きはらした顔で暇を告げていくのを。ネリアの父から再三怒りの手紙が届くことを。その理由さえ。知っていて、放置していたのだ。彼女にはどうすることも出来なかったのだから。ネリアとグェンワは政略結婚で、名家でありながらも没落したフィラリア家の血を絶やさぬため、また経済的に援助して貰うために結婚したのだから。文句など言えようはずもなかった。

 そして、どんどんリオ達は病んでいき、ネリアにいたっては寝たきりとなってしまった。それでも父は帰って来ない。リオは、噂の方を信じはじめていた。消しても消しても上書きされる落書きだらけの屋敷。日々放り込まれる罵詈雑言の手紙。そこにリオ達がいようがいまいが繰り広げられる恐らく尾ひれのつきまくった噂話。ここまで来れば、もうリオに信じられるものはなかった。

「先生。父の噂は……どこまで真実なのでしょうか」

 ある日リオはそう神学校の教師に問うた。教師は何も気にしないようにと諭そうとして――やめた。彼女をここで突き放せば完全に壊れてしまうことが分かったからだ。座学はともかく、実技においては他の生徒達の群を抜くほどに優秀な彼女をこんなところで壊してしまっては、後で何を言われるか分かったものではない。

だからこそ、彼女はリオにこう告げた。

「少しだけ待っていなさい。本部に問い合わせ、事実確認をしますから。ですが一つだけ――心に留めておいてほしいことがあります」

「なん、ですか」

「どんな真実が出て来ようとも、受け止めなさい。いくら時間がかかっても構わないから……絶対に、受け止められるようになりなさい」

 教師はそう言って七耀教会本部へとその足で赴いた。その結果――リオは、噂が概ね真実であることを知った。噂を聞いてその気になって父を見れば、使用人の女性たちを追いかけているのが丸わかりだった。物陰でおやめくださいお館様! と言っているのにやめないのも見たことがある。それを見ないようにして、リオは神学校に通っていた。

 その内、実技だけで見れば神学校一であるリオの実力を買ったアイン・セルナートは彼女の望み通り星杯騎士団へと彼女を引き抜いた。そこは実力主義で。くだらない噂に振り回される人物などどこにもいなかったのである。夢のような環境に連れて来てくれたアインをリオは崇拝した。アインはリオにとってまさに救世主であったのだ。

 アインはリオに名を改めることさえ赦してくれた。『フィラリア』の名と『オフティシア』の名。彼女は両方とも棄てたかったのだが、それは出来なかった。人名にも限りがあり、ただのリオとなることは教会本部から赦されなかったのだ。どちらかを残さなければならない。そして、彼女が選んだのは――祖父母の実家からの圧力もあった――『オフティシア』の方だった。かの《変態枢機卿》の娘が『フィラリア』を名乗ってくれるな、これを機に縁を切るとまで言われたのだ。ただ、リオは縁が切れてせいせいするとは思っていたのだが。

 そして、彼女にとってもう一つの救いとなるだろう情報が入団と前後するように入ってきた。それは――グェンワ・オフティシアの消息不明。リオはその時点で彼が死んでいるだろうと思っていた。女に刺されて死ぬのなら本望だろうとまで思っていた。実際には男に豚め、と罵られつつ殺されたことなど知るはずもない。だが、確かにリオは昏い喜びに身を任せそうになったのだ。すぐにそれは打ち消したが。

 アインの従騎士候補として毎日精進し、いつか本当に彼女の従騎士になることを夢見た。だが、その夢はかなわない。リオ・オフティシアという女性はアイン・セルナートの従騎士にはなれなかったのである。

 彼女は新しく代替わりした《守護騎士》第四位に仕えることになったと、ある日聞かされた。

 彼が死んだことを知ったのは、リオが仕えることになると引き合わされた新しい《守護騎士》からだった。彼女が騎士団入りしたのは父の消息不明を聞いた数か月後だったのだが、諸般の事情によって顔合わせは出来ていなかったのである。その《守護騎士》はリオよりも二歳年下の少女だった。シエル・アストレイというのが当時の名だったのだが、そのままではマズいということで改名され、エル・ストレイとなった彼女からリオは父の死を知らされた。

 

 父の死だけではない。父の醜聞が噂よりもさらにひどいことを思い知らされたのである。

 

 彼女は言った。《楽園》なる《拠点》に、《黒毛和豚》と自ら名乗った聖職者がいたことを。その聖職者はアッシュブロンドの男に斬り殺されたのだと。そして――積極的に少年と幼女を、性的に襲っていたのだと。

 リオがそれを聞いて思ったのは、ああやっぱりね、という淡白な感想だけだった。もう父には期待しないと決めていたのだ。父にも、母にも期待はしない。恐らく目の前の少女とて《黒毛和豚》の娘だと見て来るだろうから、彼女にも期待しない。任務で使い潰されて死ねばいいや、とまで彼女は思っていた。そうすれば楽になれるから。

 だが、それは間違いだった。彼女はリオにこう告げたのだ。

 

『それが何か関係ある? 父親が何かやらかしたからってあんたもそうだとは、わたしは思わない』

 

 その後に彼女はあんたにそういうケがあるなら別だけど、と付け加えたが、リオは即座に否定した。アレと一緒にされたくはない。あらゆる感情が湧きだしそうになる中でそこだけ理性が働いたのは僥倖だっただろう。リオは生涯で二人目の信頼できる人物を見つけたのだ。彼女に仕えられることに、リオは感謝した。こんな人はきっともう出て来ないと思ったのだ。

 そして、急速に信頼できる人物を増やした彼女は水を得た魚のように活気のある女性となった。これまでは死んだ魚のようだったのに、とアインから散々からかわれても良かった。信頼できる人物がいるというのは本当にいいものだと思った。

 たった一言で、そしてその後の行動でリオ・オフティシアはエル・ストレイに――アルシェム・シエルに仕えることを決めた。その忠誠は、一生涯続くことだろう。アルシェムがそれを望んでいるかどうかは知らずとも。

 

 ❖

 

 《星杯騎士団》所属、《守護騎士》第四位《雪弾》エル・ストレイが従騎士、メル・コルティアという名の女性は七耀暦1182年にアルテリアにて生を享けた。父は亡く、母は七耀教会で働いていると教えられて――実際には死んでいる――いた彼女は立派なシスターになるのが夢だった。それが最初から叶わぬ夢であることなど知らずに。

 正確には、彼女の母はただの母体だった。『メル』という存在を生み出すための母体。そして、七耀教会にとって使い勝手のいい存在として彼女は生を享けたのだ。法術、アーツに特に親和性の高い男女を掛け合わせて創り出された彼女は、ある意味七耀教会の闇でもあった。それゆえに彼女は疎まれていたのである。ただ、彼女はそんなことなど知ることもなく彼女にとってはごく普通の生活を送っていた。

 メルの日課は、アーツを発動させてその結果を報告すること。そして、毎日法術を使えるように努力することである。その結果、メルは十歳になるまでに《星杯騎士団》に内定が決まっていた。法術は七耀教会にいれば使える人物はいくらでもいる。だが、メル程強力な効果を持つ法術・アーツを扱える人物はそう多くはなかったからだ。そんな毎日でもメルは笑っていた。頑張っていればそのうち母に会えると信じていたからだ。

 それが崩れたのは彼女が十五歳の時だった。その年にしては体が未成熟で小柄かつ童顔だったことが決め手となったのだ。《楽園》という名の《拠点》が何者かによって襲撃され、《D∴G教団》の存在が七耀教会内で明らかになったのである。そこに入り浸っていた異端の枢機卿たちを殺してくれたことには感謝していたが、教会のミラを横流しされて資金源とされていたことだけは本部は赦さなかったのだ。

 七耀教会本部は、そのあたりから流れ始めた《拠点》の情報を集めつつその情報を確実にするためにある一手を打つことを決めた。それは、ある程度の実力を持つ子供達を《拠点》に実験体として送り込み、内部から情報を流させること。その裏の目的は《D∴G教団》の使っている手法を七耀教会に持ち帰ることではあったが、とにかく《拠点》を破壊すべく情報が必要だったのだ。それに、メルは選ばれた。

 表向きには《D∴G教団》に囚われて救出された『生存者』はレミフェリア出身の少女だけだとされている。だが、実際には『生存者』はかなりの数に上ったのだ。ただ、彼ら彼女らが自力で脱出していたために頭数に入らなかっただけのこと。外道だという意見も出たが、その意見は封殺されていた。それだけ七耀教会は裏に通じていなければならなかったからである。

 故に、メル達は居場所が正確ではないがそのあたりに《拠点》があるだろうという場所付近でうろついて捕獲されるために送り出された。メルはそれに何の疑いも持っていなかった。これが終われば母に会える、と本部から言われていたのだから。まだ一度も会ったことのない母に会うために、メルは喜んでその身をささげたのである。

 

 それが、自らの人生を決定的に狂わせてしまうとは知らずに。

 

 メルが潜入したのは帝国の《拠点》。小さな孤島にあるらしいという情報をもとに、海を泳いで漂着したと偽装していたメルはすぐさま研究者たちに捕獲され、連れて行かれた。その中で繰り広げられていたのは阿鼻叫喚の地獄。毎日が実験で、毎日が死と隣り合わせだった。

 その《拠点》はかなり変わった拠点だった。その《拠点》では薬を注入されるだけではなかったのだ。《拠点》の中央には小さな水球が浮かんでいて、そこには小柄な妖精が囚われているのである。メルはそんな《拠点》でただひたすら実験に耐えた。逃げ出す隙がなかったのである。

 

「《楽園》をもう一度」

 

 それがその《拠点》――《失われた楽園》のスローガンだった。朝起きるときも、夜寝るときも必ず唱和されたその言葉をメルは次第に嫌悪していった。理由は何故だかは分からない。だが、どんどん引き上げられていく感受性が何かを受け取ったとしても不思議ではなかった。

 毎日の苦痛なんて耐えてさえいれば終わる。皆だって痛い思いを、苦しい思いをしているんだから自分だって耐えなくちゃだめだ。皆は自分よりも年下なんだから。自分が皆を護らなくちゃ。メルが自分にそう言い聞かせ続けて、数か月が経った。そうやって耐えていなければ今にも逃げだしてしまいそうだったからだ。ここを暴くために来ていても、戻って彼らにそれがばれてしまえば皆が死んでしまう。そんなことなんて赦されるわけがない。

 ギリギリのところで心を壊されることなく耐えていたメルに救いが現れたのは、そんな時だった。その日は月蝕の日だったことをメルは後に知った。そして、その月蝕は――普通のモノではなかったのだ。

《拠点》中央の小さな水球が割れる。それだけで――その中にいた彼女は目覚めたのだ。そして、叫んだ。

 

「取り敢えず……やっぱり人間なんて嫌いなのッ!」

 

 そう言った彼女はメルの理解出来ない攻撃で周囲に群がっていた白衣の研究者たちを薙ぎ倒した。光が乱舞し、金属の塊が蹂躙し、加害者たちが死んでいく。それを見て――メルは思った。今しかない。今動かないと皆が死んでしまう――!

 そして、メルは隠し持っていたオーブメントを発動させた。発動、させてしまったのだ。それが何を引き起こすのかも知らずに。

「ファイアボルト――!」

 アーツの発動のトリガーはそれだけ。だが、その言葉が引き起こした事態はメルの想像を超えていた。突然、アーツが暴走して火属性アーツを周囲にばらまき始めたのだ。しかも、無差別に。辛うじて息をしているだけの子供達にも。

「あ……あ……」

 メルは震えた。自分が引き起こしていることに。自分の行為が――この場所にいるすべての人物を焼き尽くすつもりだと分かってしまったからだ。なのにオーブメントが手から離れない。手から離そうとしてもこわばったまま開かないのだ。このままではいけない。皆を殺してしまう。それだけはしてはいけないのに。

 結局、オーブメントが止まったのは全てを焼き尽くした後だった。妖精もその場から飛び去って行き、そこに残されたのは灰になった研究者たちと子供達とその施設だけだった。救いたかった子供達も。持ち出さなければならなかったサンプルも。全てが灰になってしまった。母に会えないことよりも、自分がやらかしてしまったことに恐怖した。

 そこに現れたのがメルが帰還しないことを知らされ、本部の立てた外道作戦にガチギレして飛び出してきていたアイン・セルナートだった。恐らく外道作戦が実行されたのは封聖省あたりからの圧力がかかったのだろうとアインは思っている。その被害者を救出しに来てみれば、そこに残されていたのは彼女と灰だけだったのだから驚いて当然だろう。

 がたがたと震えながら必死に手からオーブメントを引きはがそうとしているメルにアインは告げる。

 

「済まなかった。よく――生き延びてくれた。感謝する」

 

 彼女の言葉は、メルには届かなかった。ただ、誰かが来たと思って顔をあげただけだ。オーブメントから集中が逸れたのを見て取ったアインはすぐさまメルからオーブメントを奪い、無言でメルを連れてその島から立ち去った。

 そしてアインは全ての真実をメルに告げる。ここで告げて本部とは縁を切らせなければ間違いなくメルは使い潰されて死ぬだろうから。もしくは蜥蜴のしっぽ切りよろしく外法認定されて殺されるだろう。アインの見た光景はそれを助長する材料にしかならない。《D∴G教団》は、メルに異能モドキを身につけさせてしまったのである。それを知られては、メルは死ぬしかない。それを防ぐために《騎士団》入りさせようとしたのだ。

 メルは流されるままに返事をし、流されるままに《星杯騎士》となった。何度も自殺を図ったが、死ねなかった。彼女が殺してしまった子供達の分まで生きなければならない。それが、償いになると信じて。

 メルに多少なりとも救いを与えたのは、彼女の主となったアルシェムだった。彼女はメルのためにオーブメントを開発し、EPが続く限りアーツを発動させ続けてしまうという異能モドキをオーブメントの方から対処してみせたのだ。これで、もう同じことを繰り返さないで済む。それは少しであっても彼女の心に平穏を与えた。

 彼女はアルシェムに忠誠を誓ってはいない。ただ、形式的にそうしているだけだ。だが、いずれ彼女を取り巻く環境が変わる。その環境が――メルに救いと安息を齎すことを、彼女だけが知らない。




思ったより重い話になって困惑してるでござる。

次回から3rdに入ります。
そして、3rdでは閑話は入れません。

では、また。


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3rd編・序章~光と影の迷宮~
呼ばれて飛び出て


旧112話~114話のリメイクです。

3rdの間中、何があっても閑話は入りませんのでご了承のほどお願いします。
……だって、扉の話をやるからね。

では、どうぞ。


 ――遥か、先史の時代。未だ空に金色の都市が浮かび、荒廃していた大地をよみがえらせるべく七つのアーティファクトが機能を十全に働かせていた頃。汚染された水と空気と土壌を浄化し、限りないエネルギーを生み出して再び人間という存在がこの地に君臨するために奮闘していた時のことだ。数少なくなっていた人間達は、金色の空中都市で管理され、生み殖えるために徹底的に管理されていた。

 そうすることで彼らを正しく導けると信じたとある存在に対して、一人の女性が反旗を翻す。彼女の名はセレスト・D・アウスレーゼ。彼女は仲間を募り、金色の空中都市より逃れることで支配から解き放たれようとしたのである。幾人もの犠牲が出、仲間だった人物たちは次々と洗脳されて裏切っていった。それでも彼女は諦めなかった。何故なら――こんな状態が正しいわけがないと信じていたからだ。ただ飼い殺しにされているだけの状況が、正しいわけがない。

 それを補佐すべく動き始めたのがセレストの友人ユーリィ・E・シュバルツである。彼女もまたこの状況を良しとしない者の一人で、もっぱらその戦闘力においてセレストを支えていた。

 彼女らが勝利するためには、以下の三つすべてを満たす必要があった。一つ目は、金色の空中都市――《輝く環》から脱出して干渉波の届かない場所まで逃げきること。二つ目は、《輝く環》そのものを封印すること。そして、三つ目は――《輝く環》のサブシステムを管理していると言われている《銀の娘》の奪取である。

 一つ目だけならば容易だ。《環》を欺いてただ逃げるだけで良い。だがその内《環》に捕捉されるのは目に見えているし、そもそも彼女らだけが逃げ延びたとしても何の意味もない。人類を《環》の干渉から外すために彼女らは行動しているのだから。二つ目に関しては多大なる犠牲を払って第一結界を完成させた。第二結界に関しては後々に完成させれば問題なくなるだろう。そして、三つ目が一番厳しい条件なのである。それが意味するのはつまり、《環》と表裏一体である《影の国》に侵入してその人物を捕捉・奪取するというモノなのだから。

 三つ目の条件をクリアするために、セレスト達《封印機構》のメンバーは《レクルスの方石》を開発。それを通じてセレストは《影の国》内に自らの人格の一部を投射し、明確な隙だと思われる《銀の娘》を捜索した。

その結果――『セレスト』は《銀の娘》を確保。《レクルスの方石》を通して《銀の娘》を受け渡した瞬間から作戦は始まった。セレストが《封印機構》の大多数を連れ、ユーリィが《銀の娘》を抱いて走る。一番危険で重要な役を負ったユーリィは、まさしく死地に足を踏み入れていた。

 ――予定時刻となって。ユーリィは《銀の娘》を抱いたまま走り回るのを止めた。もう撹乱は終わりだ。そして、彼女の命も――ここで、終わる。そのために彼女はここに残り、《環》の演算能力を大幅に彼女に割かせていたのだ。皆のために。

 ただ、ここで誤算だったのはユーリィが非情になり切れなかったことだ。彼女は惜しんだのだ。《銀の娘》の命を。だからこそ、その場でではなく空へと彼女は跳んだ。普通ではないかもしれない《銀の娘》ならば、水中に落下したとしても死にはしないと信じて。

 

 彼女が最期に見たモノは、《銀の娘》を連れ去る金髪の女性だった。

 

 

 《影の国》の、影の迷宮の中。そこで佇んでいたゴルディアス級人形兵器《パテル=マテル》の前から回収された封印石は二つあった。それを見つけたのは《守護騎士》第五位《外法狩り》ケビン・グラハムが従騎士、シスター・リース・アルジェントの一行だった。彼らが何故《影の国》にいるかというと、突然の閃光に呑みこまれたからだ。もっと言えば、《輝く環》より落下した《レクルスの方石》をケビンが回収したことに端を発する。

 そして、その状況で起きる不可思議なことは彼らに奇妙な連帯感を齎していた――その、立場如何を鑑みずに。今現在、ここに存在するのはそうそうたる顔ぶれである。リベールの王太女とその護衛の女性(あと鳥)。エレボニアの《放蕩皇子》とその護衛の男性。そしてリベールの新米遊撃士たち三人とベテラン遊撃士三人。退役軍人に元空賊現運送会社の社員。中央工房の見習いに――そして、先ほども述べた《外法狩り》とその従騎士。どこからどう探せばそうなるのかと思うような顔ぶれである。

 彼らは皆先ほど回収された封印石からこの世界に出現し、協力し合って試練に立ち向かっていた。現在では《外法狩り》が《聖痕》を使ったことによる後遺症でダウンしているものの、それ以外の人物たちは固唾を呑んでその封印石から現れる人物たちに注目していた。

 一つ目の封印石から現れたのは、新米遊撃士の一人エステルが探し求めていた少女。《殲滅天使》レンだった。彼女は健やかな眠りについているらしい。すやすやと聞こえそうなほど穏やかに眠る彼女を見て一同はほっこりしていた――隣に立つ人物を見るまで。

 隣に立っている人物――つまり、二つ目の封印石から現れたのは、女。彼女らが行方不明と聞き、生存は絶望的だと言われていた女だった。それは――

 

「あ、アルッッッッ!?」

 

 信じられない、とでも言うかのように目を大きく見開いて叫ぶエステル。一同も息を呑んで彼女が何か語り出すのを待った。何事かを話してくれれば彼女が生きていると実感できると思ったからだ。

 アルシェムはぼんやりと前を眺めたまま大きく溜息と言葉を吐いた。

「わー……台無し……悪夢だわー……」

「な、何でよぅ!?」

 そのイロイロと台無しにするアルシェムの言葉に突っ込みを入れたのは無論エステル。死んだと思っていた彼女が生きていたことに喜んでいるのに、第一声がそう来るとは思ってもみなかったのだ。彼女を見て心配かけて悪かった、の一言くらいは期待していたエステルである。この反応には無理もなかった。

 だが、そもそも心配されているとも思っていないアルシェムからその言葉が出ることは有り得ない。故にアルシェムの次の言葉はエステルに向けてのモノではなかった。

「ほら起きてって、レン。この状況で寝てたら捕まっちゃうよ?」

 何と隣で眠っていたレンを起こしにかかったのである。つまりこのまま状況をリセットして追及を無くそうとしているのである。アルシェムには、エステル達と話し込む気はさらさらなかったのだから。

 レンは目をこすりながらゆっくりと起き上った。

「うーん……あら? シエル……?」

「ちょっとごめんね?」

 苦笑しながらアルシェムはレンに向けて殺気を向けた。それで完全に覚醒したレンは周囲を油断なく見回して驚愕する。そこにいるはずのない人物たちがいるからだ。否――レン自身が、有り得ない場所にいるからである。

 物凄い勢いで考えをまとめながらレンが言葉を漏らす。

「どういうこと? 説明して、シエル。どうしてレンがこんなおかしな場所にいるの?」

「残念だけどわたしもまだ状況が確認できてないかな。ただはっきりしてるのは――さっきまでいた場所とは全く別の場所だってこと。ともすれば異次元って可能性もある」

 アルシェムの答えも少しばかり早口だった。こんなところで生存を明らかにするつもりはなかったのだ。誰かにバレるまでは死んだことにしておくつもりだったのだから。どうやって生き延びたのか、という問いに答えられないからでもあるが、それ以上に面倒だったのだ。エステル達と関わるのが。

 彼女らの疑問に答えたのは、リースだった。

「ここは《影の国》という場所で、何かしらの試練をクリアしないと脱出できないアーティファクトのようなものの内部だと思われます」

 その答えをあっさり教えたことにヨシュアは眉を寄せるが、リースはそれを気にしてはいなかった。何故なら、リースはアルシェムのことを知っているのだから。彼女が《身喰らう蛇》の構成員ではなくなっていることは、知っていた。故に教えたのだ。

 アルシェムはリースの情報を聞いて眉を寄せた。ある意味そうそうたる顔ぶれで突破できないアーティファクトとはどういったものだというのだろうか。何かしら既視感のある光景を訝しげに見ながらアルシェムは考え込む。何よりも聞き覚えのあるその《影の国》という単語が記憶を刺激してくるのだ。アルシェム自身がこの場所を知っていると仮定したとして、その理由は何故なのかと考えると――ある答えに辿り着く。

 スッと目を細めたアルシェムはリースに向けて問うた。

「この場にいない人物がいると思うんだけど、ソイツどこ」

「えっと、ケビンのことなら……あっちで人事不省中ですが」

 リースが指さした方向で、確かにケビンは眠っていた。何かしらをやらかしたのだろうことは分かったので、アルシェムは眉を寄せて口角をひきつらせ、無理に笑顔を作ろうとして失敗した変顔になって告げる。

「よーしぶん殴る」

「えっ」

 狼狽したリースが動けないのを良いことにアルシェムは動きだそうとするが――一同に総出で止められてしまった。ぶん殴ったら出られる気がしていたアルシェムにしてみれば不本意なことに、ケビンは無傷で眠ったままになった。

 エステル達は総出でレンを説得し、状況の打破に協力してくれるよう要請したことで彼女も事態の解決に関わることになった。アルシェムも空気を読んで協力はすることにしたが、慣れ合うつもりはない。ここからどうやって死んだふりをするかが問題なのだ。もう何の意味もない気もするが。

 結局、アルシェムがいなければ進めない場所があるとのことで連れ出されたため、エステル達からの追及はなかった。拠点で休憩したり食事を用意する係が必要であるし、何よりもケビンの看病をする人物が必要だったというのもある。暫定的にリースが先導することになっている探索班は、アルシェムの要望でレンとクローディアを連れて行くことになった。

 そうして訪れた扉には、星の紋様と共にこう書かれていた。

 

『白銀の哀れなる娘を引き連れよ:定員四名』

 

 その文言に心当たりのあったアルシェムは顔を盛大にしかめてリースに問いかける。

「シスターさんや。この扉って該当する人物が開けたらどーなんの」

「それは……その、大体がその人物の過去が他者視点の映像として浮かび上がることになりますが」

 リースの答えにアルシェムは遠い目をした。この文言に当てはまりそうな過去ということは、誰に知られてもマズいものである可能性が高いのだ。故にアルシェムは最後の抵抗を試みる。

 恐る恐るアルシェムはリースに問うた。

「コレ、一人で入るのは……?」

「四人でないと入れないと思います」

 彼女の残酷な答えを聞いたアルシェムはがっくりうなだれ、クローディアとレン、そしてリースにも口止め――後でリースに記憶を封じて貰う――ことに決めたのは言うまでもない。

 そして、アルシェムは扉を押し開ける。

 

 ❖

 

 場所は、リベール王国ボース地方霧降り峡谷だと思われる。そこにはあたかも地面を跳ねまわる妖精のように跳びまわるアルシェムの姿があった。何をやっているんですか、というクローディアのツッコミは誰の耳にも届かなかった――アルシェム自身を除いて。

「この先には……出てないと思うけど一応確認しとくかな」

 映像の中のアルシェムがそうつぶやいた。彼女の目の前に広がっているのは橋のない地面とその先に続く道。その隣にはウェムラーという名の男性が住んでいる山小屋があった。それを聞いて、その場所を完全に特定した本人は頭を押さえた。この情報だけは流石にクローディアには知られない方がよかった。ある意味所有権を主張されそうだったからである。

 そんなアルシェムの苦悩も知らず、映像は続く。地面を蹴り、対岸に飛び移った彼女はどんどんと山を登って行く。この光景を知っている人物はここにはいない。それをアルシェムは知っていたが、この先に何が待っているのかくらいは誰もが知っていることだろう。

 そして、頂上の洞窟に足を踏み入れたアルシェムは、そこで意外なモノと対面することになる。それは――古代竜、だった。れれれ、レグナートさん!? というクローディアの悲鳴やあら、楽しそうねというレンの声は聞こえないったら聞こえないのだ。気のせいに違いない。アルシェムはそう自分を騙した。

 驚愕した様子の映像内アルシェムはこう漏らす。

「はい!? な、何でこんなところに……いや、こんなところだからこそいるんだろーけどさ……」

『お主は……』

 彼女の声に反応したのか、古代竜――レグナートが目を醒まして声を漏らしたのだ。それを聞いた彼女は跳び上がった。流石に古代種は何度も狩ったことはあるがここまで巨大な竜は狩ったことがないため、油断せずに殺しにかかるところだったのだ。そこに声を掛けられて驚くなという方が難しかった。

「喋るの!? 知的生命体!? UMA!?」

 混乱して失礼なことばかり乱発する彼女にレグナートは呆れたような眼をしたが、すぐに居住まいを正した。彼にとって『アルシェム』は近しく、また見守るべき存在だったからだ。

 レグナートは告げる。

『我はレグナート。古の盟約を護り、この地を見守るモノだ。……よく、来たな。哀れなる《銀の娘》よ』

「は? いきなり見ず知らずの古代竜に哀れまれる理由なんて知らないけど、失礼すぎない?」

 普通ならば畏怖してしかるべきその言葉の響きを、アルシェムはさらりと受け流しているようだった。言葉の内容は受け流す気はないようだったが。何でそこで喧嘩を売ってるんですか……と頭を抱えるリースがいることなどアルシェムには見えていないのだ。きっと気のせいに違いない。

『……『アルシェム・シエル』よ。人にあらざる娘よ。我は古の盟約に縛られし存在。故に盟約から外れしお主を見守ることしか出来ぬ』

「あーはん? 何であんたがわたしの名前を知ってるわけ?」

 そして、彼の口から語られるべきでない言葉が漏れ始める。それを聞いた彼女らがどう反応するのか――アルシェムは想像もしたくなかった。これをぶった切って先に進む方法はないのかとも思ったが、どうやらなさそうである。このまま大人しく見ていろということなのだろうか。それが――復讐だとでも言うのだろうか。

 彼は言った。

 

『お主は《環》より連れ出されし一部。何処かから来て《環》に連なるが別個の存在。故に、盟約により《環》を見守る任に着いた我が見守る権利はない』

 

 そうだ。確かに彼はそう言った。アルシェムは覚えていた。この時点で――彼女自身が人外認定されていたことを。そして、それをアインにしか告げなかったことも。一体誰に明かせようか。アルシェム・シエルが本当の意味での人間でないことなど。

 そこから先の記憶は欠け落ちたようにおぼろげである。いつの間にかウェムラーの山小屋まで戻ってきていたアルシェムは、そのまま別の方角へと跳んで行った。

 

 ❖

 

 映像を見終わるなり、アルシェムはリースに目配せをした。リースは軽く頷いてクローディアに暗示をかける。それだけでクローディアは何を見たのかを思い出せないようになっていた。

 次いでレンにも暗示を掛けようとしたリースは、しかしアルシェム本人によって止められた。レンは知っていても良いと思ったのだ。ただ、どう反応されるのかが怖いだけで。

 レンは静かに考え込んでいて、それをまとめたところで顔をあげた。その顔には真剣な色が浮かんでいる。そして、彼女は告げた。

「――シエルが、これを止められない理由は?」

「当時と全く同じ存在ではないから、だと思うよ。当時の記憶なんてないし……」

「……そう」

 レンはそう返して黙り込んだ。ここから正規の方法以外で出る方法をレンが模索しているのがアルシェムには分かったのだが、彼女にはもはやどうしようもないこと。ここから出るには正規の方法しかないのだから。

 リースは何故か出現した封印石を持って一同を急かし、その先に扉があることを確認した。このまま進んでもメンバー的には問題ないようだったため、リースはそのまま進むことを決める。その扉に書かれていたのは――『白銀の槍姫、鎌を振り翳す少女を引き連れよ』という文言だった。

 今回はその文言に従って扉に手を触れたアルシェムとレンのみがその星を模した扉の中に吸い込まれていくことになったのである。




唐突に始まった過去話に困惑したかと思いますが、扉なので。

では、また。


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想定外の人物

 旧115話のリメイクです。

 では、どうぞ。


 ――カルバード共和国、東方人街。七耀暦1195年のことである。未だアルシェムが《ハーメル》から逃げ続けていて、もう一つの『家族』を得て数年が経った頃。またしても彼女はその場から追われるようにして移動させられることになった。というのも、いきなり背後から襲撃を受けたのである。その襲撃者たちは異形へと変わってアルシェムと隣にいた彼女を攻撃し、その彼女と遅れて駆け付けた父が襲撃者たちを撃退したのだが、そこにアルシェムの姿はなかったのである。

 連れ去られた彼女が意識を取り戻した時、そこは阿鼻叫喚の地獄だった。あちらこちらで石の寝台に寝かされた少年や幼女たちが泣き叫び、それを愉悦を浮かべた顔で白衣の研究者たちが記録し続けている。その光景に、彼女は疑問を持つことしか出来なかったのである。

 

 シエル・マオと名乗っていた当時の彼女は、自らの腕に突き刺されている点滴の針を認識することが出来ていなかったのだ。

 

 そして、それに気付いた研究者たちがアルシェムに寄ってきて点滴のつながる先にある碧い薬を足し、一向に変わらない顔色を観察し始める。まるでそれを行うことで悦楽が得られるとでも思っているかのように。

 アルシェムは顔をしかめて研究者に声を掛けた。

「……ここは、どこ」

 アルシェムの声は思ったよりもしわがれていて、水分が足りていないのだと彼女は自覚する。周囲を見回せば、頭上に碧い薬の入れられた袋が見えた。アレが入っているのなら、水分は足りているような気がするのに、と彼女は胸中で呟いた。

 この中には、アルシェムの問いに答える者はいない。何故なら、研究者たちにはそれに応える義務も無ければ権利もないからだ。ただにやにやと笑ったまま数回彼女の頭上の袋を取り換えるだけだ。

 もう数度袋を取り換えた研究者たちの顔色が変わってきた。まさかここまで変調もなくただその薬を吸収するだけという検体は他にはいなかったからだ。ある意味良い検体であり、悪い意味でいえばミラを喰う検体である。

 だが――それも、終わりを告げる。いかな彼女が《□□□□□□□》であったとしても、限界というモノがあるのである。それは唐突に始まった。他の子供達のように頭を抱えて転げまわれればまた放置されたのだろう。だが、彼女に出た異常は頭痛ではなく全身の痛みだった。

 

「あ、が、ああああああああああああああああああああああっ!」

 

 声を限りにアルシェムは叫ぶ。周囲の子供達と同じように。ただ、彼らと違うのはどこも抑えずにただ涙を流して天井を仰ぎ見ていることか。アルシェムはそこで死を覚悟した。このまま破裂して死ぬのだと。だが、そうはならなかった。研究者たちがそうさせなかったのだ。ある意味稀有な検体をここで死なせてはならないと点滴を止め、発作が治まるのを待つ。

 その叫びは、彼女の声が枯れたことで止まった。荒く息を吐き、必死に呼吸を整えようとしても体の異常がそうはさせてくれない。ということはつまり、ここから逃げ出すことも出来ないということだ。冷や汗と涙でぐしゃぐしゃになった顔でアルシェムは研究者たちを睨んだ。

 研究者の一人がそれに気付き、声を漏らす。

「何だ? まだ気力があるのか」

「本当に珍しい検体だな……もう一人も確保できれば良かったんだが」

 もう一人の研究者の答えに、アルシェムは希望を持った。それなら、『家族』は無事なのだと分かったからだ。早く抜け出して合流しなければならない。あがいてあがいて、抜け出さなければ。

 その気になって観察し始めると、逃げ出す隙があまりにもない。研究者たちが休憩に行く時間はランダムだった。たまに人外の物体が歩き回っていることもある。それに、自分だけではなく他の子供達も逃がさなければ逃げ切れない。問題は山積みで、解決しそうにもなかった。

 そんな時だ。隣に水色の髪の少女が運ばれてきたのは。彼女もまた特殊な検体のようで、かなり長期間ここにいるが死にも気が狂いもしていない。しかも、何かしらの異能のようなものを発現しかけている兆候がある。そういう子供を集めておこうと研究者たちは思ったのだ。

 そして、運ばれてきた彼女は虚ろな目をしたまま天井を見上げるだけだった。早くこの状況を何とかしなくてはならない。そうしなければアルシェムもいずれそうなってしまうだろうという予感があったのだ。

 無駄だろう、と思いつつもアルシェムは少女に声を掛けてみた。

「……ねー」

 アルシェムの期待は、ある意味良い方に裏切られた。何故なら、彼女から返事があったからだ。

「……だ……れ……?」

 アルシェムはそこから彼女と少しずつ会話を重ねた。お互いの名前を名乗り合い――無論アルシェムは『シエル』と名乗っている――、日々励まし合い、時には庇い合って。少しだけでも支えが出来て、余裕が出来た。

 

 そんな時だった。アルシェムが、別の場所に『移送』されることになったのは。

 

 移送話が出たことは、アルシェムも少女――ティオも知らなかった。ただ、いきなりアルシェムが連れだされて別の場所に消えたというのがティオから見た見解だ。アルシェムは抵抗しようとしたのだが、催眠剤を打たれてしまって意識を失った。

 そして、次に目を醒ました時――アルシェムは、別の地獄にいた。そこかしこで響く艶めいた声。何かを打ち付けるような音と、汚い声。そこでは、叫び声は聞こえなかったのだ。代わりに響いているその声もまた、この場所の異常を表していた。

「これ、は……」

 アルシェムは困惑した。今までつけられていた点滴が一つもない。その代わり、着ている服が変わっていた。今まで着たことのないような上等な生地の服。そして、一部屋に集められた幼女たちとたまに少年たち。その中の一人としてアルシェムはいた。

「出番だよ、十六番」

 ここで与えられた名は、十六番。ただの番号ではあるが、呼ばれなくなった番号がいくつもあることに彼女は気づいていた。古参の子供もいるのだとうわさで聞いたアルシェムは、それが誰なのかを知ろうとも思わなかった。知りたくなかったのだ。そう聞いてしまえばその子を憐れんでしまう気がして。

 だが、彼女のその願いは叶わなかった。すぐに彼女は知ることになったのである。最古参の――『十五番』の少女のことを。彼女とはよく話したし、仲良くもなった。だから最古参の少女なのだと言われたくはなかったのだ。ここで互いを憐れんでどうなる。それよりもここから脱出する方法を考える方がまだ建設的だ。そう思ってアルシェムは情報を集め始めた――『お客様』の『相手』をすることで。

 集まる情報はくだらないものばかりである。この子可愛い。いや『十五番』は最高の天使だ。『あの男』が《熊殺し》を引き抜いた。幼女サイコー。いやショタだろ。帝国では《鉄血宰相》が『とんでもない手段』を使って周囲の国を併合しにかかっている。パトロンになっているだけある。最初はどうかと思ったがなかなかいいものだ。『あの場所』を提供して『あの競売会』を開いている。ここに来るために稼いでいると言っても過言ではない。――『リベールの英雄』が動きを見せた。

 また、そこに現れる顔ぶれもくだらない人物ばかりだった。見事にどこかの国の重鎮ばかりなのだ。皆考えることは同じということなのだろう。自治州の議員。変態枢機卿。帝国貴族。共和国議員。自治州の警備隊司令。金持ちのボンボン。帝国軍人。自治州の職員。犯罪結社の重鎮たち。そして――遊撃士協会の幹部。実にそうそうたる顔ぶれである。

 日々を耐え、壊れていく『十五番』の少女と共に支え合いながら隙を探して。そして――その日は終わりを告げる。そこに現れたのは、かつてアルシェムが『家族』と呼んだ少年と青年だった。

 

 ❖

 

 扉から出て来たレンとアルシェムは同じような顔をしていた。無表情で顔色が悪く、ぼんやりしていたのである。それを見たリースは何を見たのか察することは出来なかったが、取り敢えず拠点に戻ることを選択した。流石にこの状態で彼女らを連れまわすことは出来ない。自殺行為といっても差し支えないだろう。

 故に、その扉から吐き出された封印石をも回収したリース一行はいったん拠点へと戻ったのである。そして石碑に回収された封印石を合計三つ翳した。先の扉で一つ、後の扉でもう二つという構成である。二つまではアルシェムもそれが誰なのか想像がついたのだが、三つ目については全く以て心当たりがなかった。

 そして、封印石が解放され――

「……は?」

「……えっと」

「……ここ、どこですか?」

 二人のシスターと一人の少女が姿を現した。前者は当然リオとメルである。だが、後者の少女を知っている人物はこの場にはほぼいなかった。その水色の髪の少女の名を知るのは――レンと、アルシェム。そして、ジンだけである。ジンにいたっては姿を知らないので彼女が誰であるとは特定できないのだが。

 しばらく沈黙したリオとメルはリースから事情を聴いた。だが、その事情を聞かされても全く分からない少女がここにいる。その少女は困惑したままその光景を見ていることしか出来なかった。

 それに声を掛けたのはエステルである。

「えっと……どちらさま?」

「え、あ、えっと……エプスタイン財団所属のティオ・プラトーですけど……これっていったいどうなってるんですか?」

 首を傾げるティオに一同は代わる代わる《輝く環》のことから説明した。理解は出来ていないようだが、状況は把握出来た様子のティオは微力ながらも手伝うことを告げる。そんな彼女に全員が自己紹介を始めた。エステルから始まり、遊撃士の自己紹介が進む。身分を隠す必要がある人物たちは隠したままで偽名を名乗った。そして、その自己紹介がジンまで来た時だった。

「え……」

 ティオは小さく声を漏らした。彼の名に聞き覚えがあったからだ。その名は児童連続誘拐事件に携わった遊撃士代表として知らされていた名である。まさかこんなところで会えるとは思ってもみなかった。彼ならば――知っているかも知れない。ティオの知りたいことを。

 だからこそ、次の人物の自己紹介を遮ってティオは問うた。因みに遮られたのはリースである。

「あ、あの……ジンさんは、児童連続誘拐事件に関わったあの《不動》のジンさんで間違いないですよね?」

「あ、ああ……そうだが。それがどうかしたか?」

 ティオは震えそうになる声を絞り出して問うた。悪夢の記憶の中で希望を齎してくれた少女の名を。

 

「――ジンさんは、『シエル』という名の女の子をご存じではありませんか? もしくは――《銀の吹雪》という名の方を」

 

 その問いに、アルシェムは思わず吹き出しそうになった。まさか覚えているとは思ってもみなかったし、覚えていられてもそれはそれで困る話だ。むしろ後者についてどこから聞いたと言いたい。ああ奴から聞いたのかいやそんなことはどうでも良い、問題なのは――この場にいる殆どの人間がそれが誰だか知っていることだ。全員の視線がアルシェムを刺した。

 それでもなお話そうとしないアルシェムに、ジンはトドメを刺すように言葉を投げつける。

「そうだな、《銀の吹雪》っていう通り名があって『シエル』と名乗っていた女ならそこにいるが」

「……え」

 ティオがその場で硬直した。まさか情報が得られるとは思っていなかったからだ。しかも『シエル』という名の少女は彼女の心の支えとなり、クロスベルの捜査官たちは《銀の吹雪》の協力を得て彼女を救い出した。その両者が同じだという想定はまずなかった。

 混乱する脳内をどうにか整理してティオは問う。

「貴女が……?」

 ティオの縋るような瞳がアルシェムを刺す。だが、彼女はそれに答えずに大きく溜息を吐いてその場から掻き消えた。ティオが動揺して周囲を見回そうとして――鈍い音が響く。その音の方向を見れば、ジンがアルシェムに殴り飛ばされていた。

 ヨシュアでも見たことのないような凍りついた瞳をジンに向けたアルシェムは、顔をしかめて起き上がった彼に向けて吐き捨てる。

「前々から思ってたんだけどさー……あんたデリカシーなさすぎ。だから《飛燕紅児》が苦労してるんだってーの」

「おい、何して――」

「黙ってて」

 アガットが口を挟もうとするが、アルシェムは一言で切り捨てた。この男はしれっと何を明かしてくれているのだ。それが今の彼女の心情である。一応は彼の中では一般人になっているはずのアルシェムを、よりによって犯罪結社の通り名で紹介するとはどういう了見なのだろうか。

 冷たい目でジンを睨み据えたまま彼女は告げる。

「名前の方はともかく通り名の方を一般人の女の子に明かしてどうしたいわけ? 彼女を裏の世界に巻き込むとは考えなかったの?」

「い、いや、でも……お前さんは足抜けしているだろう?」

 ジンの問いはアルシェムを更に不愉快にさせるだけだった。この閉鎖空間で判断能力が鈍っているというのもあるだろうが、流石にその考えは甘すぎると言っても良い。そんなに簡単に足抜けできるような組織ならば、ヨシュアはあんなに熱烈に勧誘されてはいないだろう。アルシェムも同じだ。ここで生存がバレた以上、どこからか情報が洩れていくのは止められない。間違いなくもう数度は勧誘があるだろう。そこに関係のない一般人がいればどうなるか。考えなくても分かることだろう。

「足抜けしてるよ。完全に関係なくなるのはいつになるかは分かんないけどね?」

「え……」

「驚くことじゃないよ、エステル。僕はまだ何回か接触があると思ってる。奴らはそう簡単に手放したりはしない」

 顔を曇らせたエステルにそう返したヨシュアはアルシェムの怒りを少しばかり理解していた。カシウスがヨシュアの全てをエステルに明かさなかったのは、ヨシュアに《身喰らう蛇》からの接触が間違いなくあると判断したからだ。それは準遊撃士となってからも変わらなかったし――それに、ヨシュア自身が《身喰らう蛇》に接触していた。覚えていなくともそれが事実だ。

「その接触の時に近くにいた人間がどうなるか、あんたも知ってるでしょ? ――研究所でのエステルみたいになるんだよ」

「――ッ!」

 ジンはようやくそこに思い至ったようだった。湖畔の研究所でエステルは連れ去られ、ヨシュアをおびき出すための餌とされた。あわよくば取り込もうとしたとも聞いている。あの事件に関わったティオを、これ以上裏の世界に関わらせてはならない。エステルと同じ目に遭わせてはならないのだ。

 だが、そこでティオが口を挟んだ。

「お気遣いはありがたいと思います。……でも、どうしても知らないといけないことがあるんです。それが裏の世界に繋がっていたとしても」

「何を?」

 アルシェムは最大限まで表情を柔らかくしてティオに問うた。ティオはその問いに対して息を吸いこみ、震えないように気合を入れる。そうしなければこの問いは発することが出来ない。

 

「あの人を、ガイ・バニングスを――殺した犯人を」

 

 その言葉にアルシェムは瞠目した。彼のことはアルシェムも知っていた。一緒に行動したのはわずか半日足らずだったが、それでも印象に残る男だったのは確かだ。ただ彼女が知らなかったのは、彼が死んでいるということだけ。もっと活躍して出世しているだろうと思っていただけに、それなりにショックを受けたのだ。

「死んだ? あの熱血野生バカが?」

 アルシェムがそう問うた声は、乾いていた。ティオはその言葉にうなずき、だから裏のことだって知りたいんですと続けた。その衝撃で放置されていた二人はいじけていたのだが、その場にいた誰もが気付くことはなかった。

 その後、何とかリオとメルの機嫌を取った一行は改めて探索へと出掛け、そして戻ってきた。次に行先を塞いでいる扉に必要なメンツがだれ一人いなかったからである。その星を模した扉に記されていたのは――『白銀の首狩り、闇に壊されし少年を引き連れよ:定員二名』という文言だった。




 というわけでフライングティオ。

 では、また。


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策の失敗

 旧117話~118話終盤までのリメイクです。旧116話が飛んでいるのは以前に語っているからです。

では、どうぞ。


 《ハーメル》についての映像を見終えた一行は現れた封印石を解放すべく石碑まで戻ってきていた。アルシェムの顔色は優れない。この状況で出て来る可能性のある人物といえば限られてくるのだ。そして、彼女であっても彼であっても出現してしまえば――その時点でほぼ策は失敗したと言っても良い。やりようがないわけではないが、いくらでも作れたはずの策はこの時点でほぼ消え去っているのだ。《輝く環》は彼女に何の恨みがあるというのだろうか。

 そう思いつつも翳される封印石の解放を止めることは出来ない。今の彼女に権限などあるはずもないからだ。故に、現れた人物を見てもどういう反応をすればいいのか分からなかった。何故なら――そこに現れた人物は、アルシェムの知っている姿をしていなかったのだから。

 肩口がわずかに膨らんだうす紫色のジャケットに、同じ色のロングスカート。襟元には金色のハヤブサが刻印されたブローチ。腰には細剣と思しき物体を吊り下げられている。長い黒髪は同じくうす紫色のリボンでまとめられていた。そして、何よりも注目すべきなのはその左手の薬指だろう。彼女の左手にはその瞳の色と同じ琥珀色の宝石があしらわれた優美な指輪が嵌められていた。

 そして、彼女を見たとある少女はその口を開く。

「貴女もこちらに、ということはあの人はどうなさったんですか?」

「分かるはずもないと思いますが、殿下。一応申し上げておきますけれど、状況が全く把握できていないのでご説明願えますか?」

 彼女に問いかけたのはクローディアだった。彼女の答えを聞いたクローディアは口早に現状を説明し、把握して貰う。その間中彼女――カリン・アストレイは誰にも気づかれないようにアルシェムに合図を送っていた。アルシェムのことを――彼女がカリンの主であることを語ることは間違いなくできない。七耀教会のカードをみすみす捨てるのと同義だからだ。だからこそ、彼女が許可を求めているのは自身の正体を明かす許可である。それにアルシェムは微かに首肯することで応えた。

 クローディアが説明を終え、カリンが皆に向き直った。

「改めまして、ご挨拶を。リベール王室親衛隊特務分隊所属、カリン・アストレイです。皆様どうぞお見知りおきください」

 その言葉に絶句したのは、エステルとヨシュアだけだった。数度しか聞いたことのないヨシュアの姓を覚えていろという方がオカシイのだ。故に、驚いたのはエステルとヨシュアだけ。

 ヨシュアは分かりやすいほど動揺して叫んだ。

 

「ね、姉さんッッッッ!?」

 

 何ィ!? という絶叫が響く中、ヨシュアは目の前の人物を見つめた。間違いなく目の前の彼女はヨシュアの姉である。いや自分から名乗ったから嘘ではないと思うのだが、信じられなかったのだ。本当に――生きていてくれるなんて。

 カリンは申し訳なさそうな顔をしてヨシュアに告げた。

「久しぶりね、ヨシュア。元気そうで何よりだけれど、元気すぎてもエステルさんを困らせるだけよ?」

「え、あ、あうあう……」

「ねねね姉さんッ! ま、ままままだだから!」

 カリンの言うことが何となくわかってしまったエステルは顔を赤面させて黙り込む。遅れて意味を察したヨシュアは思わず言わなくても良いことまで叫んでしまった。確かにまだなのだが、今ここで口に出すことでもない。

 とそこにニヤニヤ笑いながら突っ込みを入れる人物がいる。

「おや、ヨシュア君ってば意外と奥手なんだから♪」

「黙っていただけませんかオリビエさん潰しますよ」

 ヨシュアの冷たい言葉に突っ込みを入れたオリヴァルトは縮み上がった。ここから話の主導権を貰おうと思っていただけに反撃の強さに思わずたじろいでしまったのである。ヨシュアの姉であるということは――彼女は、《ハーメル》の生き証人に違いないのだから、オリヴァルトが粉を掛けようと思うのは当然だ。《鉄血宰相》に対する強力なカードになるのは間違いないのだから。

 カリンはその様子をにこにこと見ながらつづける。

「あらあら、微笑ましいわね。……それはともかく、先に進まないことには脱出の目途も経たないのでしょう? 微力ながらお手伝いしますわ、殿下」

「え、ええと出来ればティータちゃん達がいない時にしてあげてくださいカリンさん……」

 クローディアは顔をひきつらせて応えた。カリンの戦い方ではとかく血が出ることが多い。薄皮を剥いだり穿ったり云々、とにかく大量の血を見る戦いになりかねないのである。故に、クローディアはそう答えたのだ。

 それに反応したのがヨシュアである。

「クローゼ、姉さんって戦えるのかい……?」

「ヨシュアさん……その、黙っていて申し訳ありません。カリンさんから口止めされていて……えっと、そのあたりの事実はご本人から聞いてください」

 思い切り目を泳がせるクローディアからはもう何も聞き出せないと悟ったヨシュアは視線をカリンへと向ける。だが、彼女から聞きだすのもそれはそれで骨が折れそうだった。昔からカリンには勝てないのだ。腕力以外では。

 だが、今回に限っては口を割らせる必要はなかったようだ。カリンから言葉を紡いできたのだから。

「いろいろ気づいていないとは思ったけれど、まさかそこまでとはね……リースちゃん、頭布貸して頂戴」

「ちゃんは止めてくださいって何回言えば分かってもらえるんですか……」

「リースちゃんはいつまでも可愛らしいリースちゃんよ?」

 リースはぎゃふん、とでも言わんばかりに能面になって頭布を差し出した。カリンはそれをおもむろに被ると、ヨシュアに向き直ってみせる。ヨシュアはその姿で大体のことを察した。そうだ、確かに彼女はカリンに似ていた。あのシスターは――カリン本人だったのだと。

「も、もしかして……シスター・ヒーナ!?」

 ヨシュアとほぼ同時に気付いたエステルがそう叫ぶ。カリンはご名答です、とでも言わんばかりに微笑んでみせた。そこからは皆が思い思いに質問を始めるので収拾に手間取った、とだけ記しておこう。

 いち早く抜け出したリースが会話に参加できていない人物たちを連れて探索に向かったことなど、その場で話に興じていた者達は気づかなかった。

 

 ❖

 

「一応は初めましてということになるね」

「ええ、オリヴァルト殿下。ヒーナ・クヴィッテは偽名でしたから」

 カリンを取り巻く人々は、何故彼女が『ヒーナ・クヴィッテ』でなければならなかったのかという疑問を解消すべく質問を浴びせかけていた。カリンはそれに嫌な顔をすることなく答えていく。

「偽名を使っていたのは……」

「残念ながら、『カリン・アストレイ』で生きていれば消されていました。だからこそ拾って頂いた方の勧めに従って偽名を名乗っていたのです」

 オリヴァルトの問いにカリンはそう答える。実際、当時彼女がそのまま『カリン・アストレイ』として生きていれば消されていたのだ――エレボニアに。生き残りが何かを告げればそこからエレボニアの策だったと引きずり出される可能性だってあったのだから。故に、何も語れないようにヨシュアとレオンハルトは《身喰らう蛇》へと回収された。彼らは自分から頼ったと思っているが、本当はエレボニアが彼らを引き取らせたのである。たとえ何かを語ったとしても信頼されない立場にするために。故にカリンはアインの勧めに従って偽名を名乗ったのである。

 次に問いを発したのはヨシュアだった。

「今までどうやって過ごしてたの、姉さん」

「そうね、生きるための術を教えて貰いながら何度か任務についていたりはしたわ。勿論、命の危険がないモノばかりだけれど」

 カリンが命の危険のない任務にばかり着くのは、類稀なる交渉力があるからだ。《千の腕》を喪った七耀教会はその後継者をむざむざ死なせるような任務には就かせなかった。故に、彼女が本当の意味で命のやり取りをしたことはない。むしろ今の地位――リベール王室親衛隊特務分隊――にいる方がよほど危険だともいえる。世界最強格の護衛がいるとはいえ、彼女が戦う機会もあるのだから。

「ヨシュアに……会いたいとは、思わなかったんですか?」

 そう問うたのはエステルだった。エステルはヨシュアが相当シスコンであることを知っている。女装した際の偽名にまで姉の名を使うくらいだ。形見のハーモニカを毎日吹いていることもそうだし、たまに悪夢にうなされて零すうわごとは全て『姉さん』なのである。それをシェラザードに話すと、苦労しそうねと言われてしまった。エステル自身もそう思っている。

 エステルの問いに、カリンは目を伏せて答えた。

「……会いたい、とは思っていたわ。でも、会うわけにはいかなかったの」

「どうして……」

「エステルさんは、あの子が――アルシェムが一度七耀教会に送られたことは知っていますか?」

 カリンは遠まわしに説明しようとそう告げた。その時に聞いたのだと分かってくれればそれで良かったのだ。だが、エステルはそれ以上のことを理解していた。アルシェムからヨシュアの所在を聞かされていたとしても、カリンが会いに行けない理由。それは恐らく――ヨシュアを護るため。

 もしも当時ヨシュアがカリンと再会できたとしよう。カリンは間違いなくワイスマンに目をつけられていたに違いない。ヨシュアを操るための駒として利用され、人質にされたはずだ。故に、カリンは名乗り出られなかった。

 そう解釈してエステルは呟きを返した。

「そっか、アルから聞いて……もしカリンさんが人質になってたら間違いなく詰んでたわね、あの戦い」

 それを聞いてカリンは内心で瞠目する。そこまで考えられる娘がヨシュアを好いていてくれるとは思わなかったのだ。ヨシュアについて行けば間違いなくエステルは弱点となるというのに。狙われる立場になりかねないと分かっていてなおヨシュアを好いていてくれるエステルを、カリンは好ましいというよりも眩しい思いで見ていた。

「ワイスマンがもし私を人質にとっていたら、恐らくアルシェムもヨシュアもレーヴェも完全に貴女達に敵対していたでしょうね……」

「か、考えたくないな……」

「全くだ」

 身体を震わせてその想像を打ち消そうとするオリヴァルトと同意するミュラー。流石にあの状況でアルシェム・ヨシュア・レオンハルトと共にワイスマンと敵対などということになっていれば間違いなく詰んでいたに違いない。むしろ肉片一つでも残れば幸いだろう。

 と、そこである意味空気を読まない勇者が口を挟んだ。

 

「あ、あのあのっ、カリンお姉さん。ご結婚なさったんですか?」

 

 勇者の名はティータ・ラッセル。彼女の問いはその場に残っていたほぼ全員を絶句させた。確かに、彼女の指には結婚指輪と思しきものが光っている。だが、彼女が結ばれるとすればあの時行方不明になったレオンハルトに他ならないはずだ。だが、彼の生存は明らかにはなっていない。もしも彼が死んでいるのなら――それはかなり無神経な質問となりやしないだろうか。

 だが、その一同の想いとは裏腹にカリンはポッと頬を染めてこう答えた。

「……もうすぐ、挙式をしようねって言っているの。よかったらいらっしゃい? ティータさん」

「え、あ、は、はい……お、お相手は?」

 周囲が声にならない声で止めようとしているのだが、ティータにそこまでの空気は読めない。無邪気に問うたその答えを聞くのが怖くて一同は息を呑んだ。カリンの言葉を待つしかないのだ。

 カリンは照れたままこう答えた。

「勿論、レーヴェとよ。職場結婚って夢だったのよねえ」

 一拍。後に絶叫。つまり彼女はレオンハルトの生存はおろか所属までもしれっと明かしたことになる。レオンハルトが生きていてクローディアの親衛隊にいる。喜ぶべきことなのかどうなのか一同は反応できずにいたらしい。

 

「れ、れれれレーヴェェェェェッ!」

 

 どこぞのシスコンが魂の叫びをあげていたが、一人を除く一同は知らんふりをすることでやり過ごした。除かれた少女はヨシュアを励ましていたらしい。

 

 ❖

 

 一方、少し離れた場所で話し込んでいたのはアルシェムとティオ、そしてレンである。探索に出かけたのはリースと空気に耐え切れなかったシェラザード、メル、リオ、アガット、ジンだったので自然と残ったのが彼女達になったわけだ。彼女達の会話は自然と共通する話題になっていた。それは――

「……そう、でしたか……別の《拠点》でも、遊撃士たちが入っていない場所があったなんて……」

「むしろシエルが――っと、ごめんなさい。アルがそこから脱出して情報が漏れ始めたというのが正しいかしら」

 《D∴G教団》のこと、である。無論他にもいくつか《拠点》があることは彼女も知っていたのだが、どういう経路でアルシェムがティオの囚われていたアルタイル・ロッジに現れたのかが疑問だったのだ。遊撃士たちの合同作戦より前に助け出されていたのならば、もっと情報が得られていたかも知れないという思いも多分にあったのだが。

 レンの言葉にアルシェムが言葉を追加する。

「というか、遊撃士連中がなかなか突入してくれないもんだからしびれを切らして突入したっていうのが正しいんだけど」

「期間を考えるともう少し早くに何とかならなかったのかとは思うけれど、仕方ないわね。散々妨害も入っていたはずだから」

 交友を深める、というのとは少し違うだろう。彼女らがしていることは、ある意味で復讐の話し合いでもあった。今後もしも《D∴G教団》が彼女らの目の前に現れるようなことがあれば――完膚なきまでに叩き潰すために話し合っているのだから。ティオも例外ではなかった。まだ真っ直ぐとは立ち向かうだけの勇気はないとはいえ、お礼参りくらいはしても良いと思っている。

「その、参考までに聞きたいんですけど……どこまで動かしたんです?」

「あ、それはレンも興味があるわ」

 ティオが無邪気に問うた。その答えを聞いてどこまで彼女がやらかしていたかを知るために。実際、彼女が情報を垂れ流しにした人物たちはそうそうたる顔ぶれで、彼らが揃えばどんな奴等でも一網打尽に出来ただろうという人物たちだ。

 アルシェムは遠い目をしながらその問いに答えた。

「帝国だと《隻眼》とか。リベールだと《剣聖》とかモルガン将軍とか。あ、共和国は《不動》とか《飛燕紅児》とかイロイロ? そのあたり経由で多分クロスベルにも伝わっただろうし……アルテリアにも情報は流したけど、反応が鈍かったんだよね」

「……本気すぎて何も言えないんだけど」

 レンは微妙な顔をしてそう返した。どう考えても各国のいいとこ取りをしている。《隻眼》のゼクスは間違いなく清廉潔白、質実剛健な典型的な帝国軍人である。彼が惑わされることは少ないだろう。《剣聖》は言わずもがな。モルガン将軍は実は恐妻家らしいので問題はない。《不動》のジンは《飛燕紅児》のキリカと末永く爆発すればいいと皆から思われていたため、誘惑はされない。もれなく《飛燕紅児》より鉄拳制裁である。本気も本気。血祭りに上げる気満々である。

 レンの顔を見たアルシェムは乾いた笑いを漏らして答える。

「はっはっは、レン、怒り心頭で周りが見えないくらいだったらあのヒト――もとい師匠に頼めば良かったんだけどね? それをすると《蛇》側に突っ込ませちゃうじゃない」

 だから嫌だったんだよ、とアルシェムが締めくくるとレンは遠い目をした。彼女の言う師匠――《鋼の聖女》アリアンロードなどが出張ってきた場合、間違いなく解決はしただろう。その代わり《身喰らう蛇》が強大になっていたのは間違いないだろうが、ある意味本当に確実な方法だ。

 子供達をどんな形でも良いから生かしておきたかったのならば、そうすべきだったのだろう。だが、当時のアルシェムは『闇』に囚われてどうあがいても抜け出せない状態だった。そんな状態に他の人物たちを巻き込みたいとは思わなかったのである。

 その後、レンとティオとの語らいを続けているうちにリース達が帰還したらしい。近くでもぞもぞ動き始めたケビンを叩き起こしてから、アルシェム達はリース達に合流するのだった。




 ね、姉さんッ! が全てを持って行った感が半端ないです。

 では、また。


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~守護者の試練~
心の奥底の願望


 旧118話終盤~119話のリメイクです。

 鬱注意。

 では、どうぞ。


 リース達が帰還し、今までと色の違う封印石を石碑にかざした。何となくアルシェムはその封印石が『誰』なのかを察していたのだが、その予感を必死に振り払っていた。何故なら、もしもその人物だった場合――彼女はアルシェムの正体をばらしてしまう可能性があるのだ。出現した瞬間に殺害は流石にマズい。というかしたくない。

 だが、アルシェムの予感は当たってしまった。その封印石から現れたのは――

 

「――やっと直接、言葉を交わすことが出来ますね。ふふ、何百年ぶりになるのかしら――《銀の娘》」

 

 クローディアによく似た姿の、女性だった。紫色の髪に、独特な意匠の服をまとった女性。アルシェムはスッと表情を消して様子をうかがう。彼女が何を口走るのかを見極めるためだ。もしも余計なことを口走るようなら――存在ごと消し去らなければならないだろう。彼女が《守護騎士》たる故に。それ以上に、皆に知られることを恐れているから。

 その言葉に困惑したようにシェラザードが声を漏らす。

「え、えっと……誰のことかしら?」

 まさか自分のことではないだろう。そう思っているような口ぶりである。確かにシェラザードの髪は銀色で、そう呼ばれてもおかしくはない。だが、目の前の女性の視線は明らかにシェラザードの方向を向いていない。故にそう告げたのだ。その視線の先に誰がいるのかを半ば自覚しながら。そんなことは有り得ないと必死に自分に言い聞かせて。

 その女性は微笑みながら一同に礼をした。

「ふふ……初めまして、我が末裔と我が庭園を訪れし客人達よ。私の名はセレスト。セレスト・D・アウスレーゼといいます」

「あ、どうも……」

 しれっと言葉を返したのはエステルである。この状況でも物おじしていないのは流石というべきなのだろうが、イロイロと聞き流してはいけない言葉があることを突っ込んではいない。何となくそういうモノだと理解出来たのだろうが、その感覚を言葉にしない限りは皆に共有はされない。たとえ共有していたとしても、何も変わらなかっただろう。彼女が告げる言葉は一つの結末を呼ぶ。

 セレストはアルシェムに視線を固定したままにこやかに告げた。

「たくさんのことを説明したいところではありますが、どうしても一つだけやらなければならないことがあるんです」

 そしてセレストはするりとその場から動き始めた。誰も、それを止めることが出来ない。当たり前だ。彼女は霊魂の類ではないとはいえ、この場所では実体がない。たとえどれだけの人物が阻もうとも――そもそも一同には阻む気はないのだが――彼女はそこに辿り着いただろう。そう――彼女が《銀の娘》と呼ぶアルシェムの目の前に。

 そうしてセレストは真剣な顔で問うた。

 

「貴女を連れて逃げた彼女は、どうなりましたか?」

 

 アルシェムは目を細めた。皆の前で尋問まがいのことをしてまで消息を知りたいくらいなら、別れなければよかったではないか。仄暗い感情がアルシェムの中で渦巻く。そんなことを聞かれて、当時意識の欠片すらなかったはずのアルシェムに何が答えられるというのだろうか。たとえ夢でその状況を知ったとしても――それが本当のことだと、彼女に判断するすべはないのに。

 アルシェムはかすれた声でこう返した。

「人違いだと言っても信じないんだろうからこう返しておくよ。本当に覚えていると思っていてそんな質問してるわけ?」

「ええ。意識がないのであれば――《影の国》の制御など出来るはずがありませんから」

 セレストの言葉に一同はざわめいた。もしもセレストの言っていることが本当ならば、アルシェムはここから出る術を持っていることになりやしないだろうか。制御できるということはそういうことだ。ただし、そこに当然出て来るべき疑問は押し殺されている。もしも当時から生きているのだとして、何故《ハーメル》に棄てられていたのか。そして、どうやって生き延びていたのかという疑問である。

 半眼になったアルシェムはセレストに告げる。

「知らない、としか言いようがないね。それにこんな場所を制御できてるんならとっくに逃げ出してるってーの」

「ならば、貴女はどうやって……」

「その答えはわたしの質問に答えて貰えればきっと分かるよ。多分きっとメイビーだけどね」

 セレストの困惑した顔を不機嫌そうに睨みつけたアルシェムは、既に余裕をなくしていた。セレストにこの場所で彼女の全てを暴かれ、エステル達に全てを知られるという懸念を気に掛けられないほどに。そんなことを気にかけていたとしても、アルシェムはその質問をしただろう。どうせいつか知らなければならないことなのだから。

 アルシェムは、問うた。かつて別の人物に向けられた問いを。その問いに答えが返ってくることなど期待せずに。

 

「さて問題です。わたしの親は誰でしょう?」

 

 あくまでも、その情報が得られれば彼女自身の正体が暴けるというだけのことだ。彼女自身も知らないその正体の如何によってアルシェムのこれからの行動が変わってくる。ただの一般人であれるというのなら、その方が本当は良かったのだ。間違いなくそんなことは有り得ないのだが。ただの一般人であってほしい。アルシェムはそう願いながら待った。

 エステル達はその答えを、恐らく『セレストの子孫』あたりだと推測した。ただ、そうなると彼女にはリベール王家の血が流れていることになるのだが、そのあたりは考慮していない。セレストの『我が末裔』という言葉はクローディアを指したのかアルシェムを指したのかわからなかったがゆえにこの推測である。無論、後者では有り得ないのだが。

 セレストは瞠目した後、困ったように答えた。

 

「《環》が《影の国》の制御のためにどこかから預かった子ですから、私も貴女の親は知りません」

 

 その答えは、アルシェムを確実にエステル達と同じ『ヒト』ではないと証言するものだった。もしも《輝く環》が《影の国》の制御のためにどこかから子供を――赤子を預かってきたとして。それがただの一般人の赤子である可能性はあるだろうか――そんな可能性、あるはずがない。情報量だけでも軽くコンピュータを超えるというのに、ただの赤子にそんなものの制御ができるはずがないのだ。

 そこまで思考が至った時、彼女が取る行動は一つだった。そう、たった一つしか取れる行動はなかったのだ。いつだって彼女の奥底にあった願いはただ一つだけ。それも、間違いなく叶わない願いだ。その願いを叶えるために、彼女は足掻いて足掻いて闇に呑まれた。どう足掻いても抜け出せないのなら――取るべき行動は、それしか残されていない。

 一歩、また一歩とアルシェムは後ずさり始めた。その意図をセレストは掴めない。もし掴めていたとしても――彼女にはアルシェムを止める術がない。

 

「そっか、あーそっか……バカみたい。もう、どうでも良いや」

 

 吹かないはずの風が、アルシェムの言葉を乗せてエステル達まで届いた。その声に反応して思い思いアルシェムの問いの意味を考え込んでいたエステル達はアルシェムを見る。既に、彼女はエステル達から離れたところに立っていた。後ずさるその先には、星々が輝いている。いつもならばきれいな景色だと言えば良いだけの話なのだが、今は違う。そこに足を踏み入れようとするということは――

「アル……?」

 エステルは一歩アルシェムの方へ踏み出そうとして、出来なかった。足元に威嚇のために発砲されたからだ。発砲したのは、アルシェム本人。どういう理由があってそうしたのか、エステルは頭でわかってはいても呑みこめないでいた。そこまで不安定になったアルシェムを見るのは初めてで。だから次の行動も容易に想像できたのに止められなかった。

 庭園の端。そのまま足を踏み外せばまっさかさまに落下するというその場所へと、アルシェムは進んでいく。後ろ向きに、ゆっくりと。もしかしたら止めてほしいのかもしれない。止められたいのかもしれない。だが、アルシェムとしてはそれすらもどうでも良かった。たとえ体が自分の意に反して機敏に動かなくとも、出来ることはあるのだから。

 もう数歩で落下できる位置に来た時だった。金縛りから解けたようにティオが叫ぶ。

「アルさん! 止まって下さい……!」

 それに続くようにエステル達も叫び声をあげてアルシェムを制止しようとするが、彼女は止まらなかった。止まる必要がなかった。何故なら彼ら彼女らはただの有象無象だから。誰もアルシェムを止められない。そこにはアルシェムの『家族』など、存在しないのだから。もし止められるのならば『家族』だけ。そこに、彼女の心を震わせるものなど――

 

「止まりなさい、アルッッッッ!」

 

 一つだけ、あった。彼女は今にも泣きだしそうな顔をしながら自らの得物を抜いていた。その手に携えられた大鎌は、彼女の――レンの内心を表すように震えている。その声に呼応するようにアルシェムの足が、止まった。それは、心のどこかでレンを『身内』だと認めている証。もっと言えば――本当に『妹』だと見ている証でもあった。

 このまま行かせてなるものか。レンはそう思った。限られた時間でレンが自分なりに出した答えは、『アルシェムはヒトではない』。そんなもの、レンには関係なかった。苦しい時に隣にいてくれて。姉がいればこんな感じなのかと思わせてくれて。もう一度『家族』の暖かさを思い出させてくれたのはアルシェムだから。正体などどうでも良い。そこにアルシェムがいてくれるというのなら。

 レンは叫んだ。自らの策を成すために。

 

「止まらないと、レンがアルを殺すわ!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、アルシェムの瞳に少しだけ光が戻った。だが、すぐにその光は消えてしまう。それでも足は動いてはいない。逝こうとしないだけで良かった。まだ説得の余地があると思えるのだから。だからレンは策を成すために集中する。周囲の声など聞く気もない。ただ、レンに出来ることはアルシェムの中の自分だけ。彼女の中にレンという存在が生きていなければ、この策はきっと成功しない。

 思うように動かない身体を動かそうとしながら、アルシェムは言葉を返す。

「好きにすれば良いよ。本当にそうしたいならね」

 予想以上に冷たい言葉にレンの心が揺れる。このまま死なせてなるものか。アルシェムがレンに――『妹』に、『姉殺し』をやらせるような人物ではないことくらいよく分かっているのだから。

 声が震える。それでも伝えたいことがあるから、レンは言葉を紡ぐのだ。

 

「勿論レンはアルを殺したくなんてないわ。でも……でもッ! アルがアルを殺すくらいだったらレンが殺すわよッ!」

 

 レンの視界はぼやけていた。滲んだ涙が視界を遮ってくるのだ。だが、狙いだけは外すつもりはなかった。アルシェムが自分を殺してしまうくらいなら、レンが殺す。死にたいくらい追い詰められているのなら、レンが救ってみせる。何度も死の淵から呼び戻してくれたアルシェムを孤独なまま死なせたりはしない。死なせてなど、やるものか。

 だが、レンの気持ちは通じない。何故なら――ようやく動いた足が、庭園の床がないことを告げていたのだから。そのまま倒れ込むだけで良かった。そうすれば、アルシェムは死ねる。誰の手も――レンの手だって煩わせずに。そうして身を投じて――

 

「……何、で……」

 

 彼女は死ねなかった。アルシェムの背後には、鉄の塊が音もなく鎮座していたのだ。彼――《パテル=マテル》に受け止められたアルシェムは、そのまま確保されて二度と自分の意志で死ねなくなった。

 レンは自らの策が成ったのを感じた。追い詰めて身を投じるのなら、誰かが受け止めれば良い。ここは虚構世界。ならば、《パテル=マテル》だって想像すれば出現するはずなのだ。間に合わないかと思ったが、アルシェムが少しでもとどまってくれていて助かった。もう一瞬でも早ければ、《パテル=マテル》の出現は成らなかったのだから。

 震える声でレンは告げる。

「聞きなさい、アル。どうしても気になるって言うんなら教えてあげるわ」

 その声に、アルシェムはレンに顔を向けざるを得ない。こんなレンの声は初めてだった。このまま舌でも噛み切って死ねばいいのだろうが、動かないモノはどうしようもない。だから、聞くしかなかった。その言葉を。

 

「レンはアルの両親なんて知らない。でも《パテル=マテル》の『娘』はね、レンとアルなのよ」

 

 矛盾しているその言葉は、レンにとっては真実だった。そう。レンはアルシェムの両親など知るわけがない。あの時――《楽園》で顔を合わせたのが初めてなのだから。だが、確実に言えることはある。夢のある言い方をすれば、アルシェムはレンと共に《パテル=マテル》の『娘』なのだ。夢のない言い方に言いかえれば、《パテル=マテル》に命令できるアカウントを持つのはアルシェムとレンだけである。

 レンにとって、《パテル=マテル》は『偽物』の両親に代わってレンを護ってくれる親だった。故に、アルシェムにとってもそうであってほしいと思ったのだ。アルシェムにとっても、《パテル=マテル》は両親に代わって彼女を護ってくれる『親』なのだと。

 レンは言葉をつづけた。

 

「ということはね、アル。アルはレンのお姉さんなの。妹の前で死ぬお姉さんがいるかしら?」

 

 そんなもの、いくらでもいる。アルシェムはそう返そうと思った。だが、言えなかった。目の前で友人となった子供達が死んでいった少女の前で、親しくなっていたアルシェムが死ねばどうなるかくらい考えれば分かることだったのだ。そこまで想われているとも思っていなかったというのもあるのだが、それも口には出さないでいた。

 ただ、一言だけ。アルシェムはレンに零した。

「……どう足掻いても、死なせてはくれないんだね」

「当たり前でしょ。お姉さんは妹の我が儘を聞く義務があるのよ」

 そこでアルシェムは抵抗を止めた。レンも、そこにいる誰もがアルシェムを死なせてはくれないのだと理解してしまったから。死ねば□□になれると思ったのに、それすら赦してくれない。それを、受け入れるしかないのだと。嫌が応にでも理解させられてしまったのだ。

「そっか……じゃあ仕方ない」

「し、し、し、仕方ないって何よこの馬鹿アル!」

 そのまま疲れて目を閉じようとしたアルシェムに怒り心頭だったのはエステルである。彼女はアルシェムに半泣きになりながら小一時間以上説教を喰らわせたのだった。その説教を、アルシェムは珍しく神妙な顔で聞いていた。




 レン回ともいう。

 では、また。


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《影の国》とは

 旧120話~121話のリメイクです。

 では、どうぞ。


 小一時間にもわたる説教を終えたエステル達は改めてセレストに向き合い、この《影の国》の概要を説明して貰った。一人だけ拾い集められる単語だけでは状況が全く把握できていない少女もいたが、それは後ほど解決することにして説明を終わらせて貰う。

 《影の国》とは――《輝く環》のサブシステムであり、虚構の世界でありながらも現実を反映しつつ独自の法則で動く影絵の世界。全くの偽物というわけではなく、全て現実でもあり得ることが具現化した場所である。そして、それはその場にとどまらず《影の国》を越えて現実世界にまで影響を及ぼしていくのだ。そうやって、《輝く環》は人間の欲望を叶えてしばりつけた。

 セレスト達《封印機構》はその呪縛から抜け出すために端末《レクルスの方石》を作り上げ、人類を《輝く環》の制御下から離れさせようとしたのである。ただの奴隷から一人の確固たる人間として生きていくために。彼女らはその作り上げた《レクルスの方石》によって眉唾物の噂だと思っていた《銀の娘》を発見し、それを《影の国》から出すことによって攪乱に使えるだろうと判断した。そして《銀の娘》を奪って逃走しつつセレストの人格を《レクルスの方石》を使って《影の国》内で破壊工作を行った。

 その結果、彼女らは多大な犠牲を払いつつも《輝く環》を封印せしめることに成功したのである。《封印機構》はその後解体され、リーダーだったセレストが人々をまとめ上げてリベールという国を作ったのであった――というところは流石にセレストは知らない。ここに存在するセレストは《レクルスの方石》を使って《影の国》内に侵入させられた人格。本人と情報が共有できているわけがない。

「そして……《環》の封印によって私と《影の国》は緩やかな消滅を迎えるはずでした。ですが、数百年……いえ、数千年でしょうか。途方もない時間の後に、ある人物がこの場所に現れたのです」

「それが……《影の王》ですね?」

 険しい顔をしてヨシュアがそう返すと、セレストは神妙な顔でうなずいてみせた。《影の王》とは、今現在の《影の国》を支配している人物であるらしい。その程度の認識で十分だと言われたのでアルシェムは何となく納得していたのだが、どうにも腑に落ちないことがあった。『意識がないのであれば――《影の国》の制御など出来るはずがない』。このセレストの言によると、《影の王》には意識があり、なおかつ膨大な情報量を捌けるということだ。そんな人間などほぼ有り得ないと言って良い。

 アルシェムの中で絞り込まれた『容疑者』は本当に僅かだった。アルシェム自身、メル、そしてケビン。次点でオリヴァルトあたりもありそうな気もするが、何となく違うと分かっていた。

 もしアルシェム自身が犯人ならば既にこの場から逃げ出せているだろう。彼女自身の望みを叶えてくれるのならば、エステル達を取り込むことなど有り得ない。そして、メルでも恐らく有り得ないだろう。彼女の『異能モドキ』はそちらに特化したものではないのだから。

 この世界を好き勝手に作り替えられ、全ての人物と面識がある人間など限られる。特にティオと面識がある人物など。そういう意味ではケビンも犯人では有り得ないのだ。ティオはケビンと面識があるようには思えない。可能性があるとすれば搬送先の病院で精神異常が認められて治療のために呼ばれたということくらいなのだろうが、当時ケビンは従騎士から守護騎士になるかどうかという時だったはずだ。従騎士の時であればありうるかもしれないが、守護騎士になってしまっていれば有り得ない。

「……容疑者は、二人……かな?」

 その、思わず漏らした言葉が全員を驚愕させた。まさかいきなり容疑者という言葉が出て来るとは思わなかったからだ。しかも、一番犯人に近そうな人物から出る言葉だとも思えない。攪乱か、と実はいたリシャールは思っていた。

 ほぼ空気と化しているジョゼットがアルシェムに問う。

「ど、どういうことだよ?」

「あーいや、この場所を構築できるくらいの情報量を捌ける人物を脳内で絞り込んでたんだけど、イロイロ腑に落ちなかったから複数犯なのかなって」

 曖昧な言葉に首を傾げる一同の中。唯一その言葉を理解出来たのはカリンだった。省略されている言葉を補填し分かりやすく要約すれば、こうなる。『《影の国》を完全に制御化におけるくらいの情報量を捌ける人物を絞り込んだが、イロイロな事情を鑑みた結果一人で為したのではなく複数人でこの世界を形作っている』。二人だとした理由は全く分からなかったのだが、そこにも理由はあるのだろう。

 そこに口を挟むシェラザード。

「それってもしかして、《黒騎士》とかいう奴のことじゃない?」

「……誰それ」

 その当人を見ていたらしいシェラザードは分からない人たちに向けて《黒騎士》について説明した。どこか見覚えのあるような気がするフォルムのシルエットで、顔を隠していること。たびたび《影の王》に協力している様子が見られること。後取り敢えずは男だと思われることなど。思いつく限りの説明を施した。

 と、そこでアルシェムは気づく。何故か気配を消して近づいてくる人物がいることに。それが《黒騎士》かと思いきや、視線を動かすとケビンである。どうやら人事不省から立ち直ったようだ。

 とても怪しい容疑者相手にすることはといえば、一つしかなかった。

「取り敢えず、その《影の王》とやらの目的とか知らないの? そこの重役出勤のネギ!」

「誰がネギや、誰が!」

「「テメェだよ」」

 思わず突っ込んでしまった人物たちの言葉にコメディタッチで傷ついたケビンは三秒で立ち直ったようである。ケビンはそのままそこにいる人間が誰なのかを確認するように周囲を見回した。

 そして――

 

「って、何でこんなカオスなメンツになっとるん!? ヒトの増え方おかしない!?」

 

 彼も思わず突っ込んでしまった。まだ増えるかもしれないとは思っていたものの、まさかこの人物は出現しないだろうと思われた人物までいるのである。最早突っ込むことしか出来なかった。

 エステルは困惑しつつケビンに問う。

「えっと……も、もう大丈夫なの? ケビンさん」

「あ、ああ、大丈夫やけど……大丈夫やけどな、エステルちゃん……」

 ケビンは頭を抱えた。こんなところで会いたくない人物ナンバーワンがケビンの目の前で微笑んでいた。その人物は――

 

「ケビン君、ケビン君、歯を食いしばってくれるわよね?」

 

 うふ、と笑いながら思い切り腕をしならせたビンタでケビンをダウンさせた。彼女が一体誰かというと――カリンである。一応この二人の間にも面識はあったらしい。慌ててケビンを助け起こしたリースは、しかしカリンに食って掛かることが出来ない。何故なら、リースよりもカリンは強いからだ。肉体的にも、精神的にも。

 カリンは助け起こされたケビンに向けてこう告げた。

「はい、事情説明して。見当はついていますって顔をしていたから大体のところは掴んでいるんでしょう?」

「いいいいいい、イエスマム!」

 びしぃっ、と綺麗に敬礼したケビンは一同に少しばかり説明をした。《影の王》の正体については何となく心当たりがあることを。それが『誰』だとは明言しなかったものの、分かる人物には分かった。ここにはケビン・グラハム個人ではなく《外法狩り》を知る人物たちがいるからだ。

 その説明を終えて、ケビンは取り敢えず探索に戻ることを決めた。先に進まないことにはどうしようもない。セレストによると、《影の王》は《第七星層》にいる可能性が高いらしい。今現在は《第五星層》の終わりがけらしいので早く進みたいのだろう。

 一旦探索に出たケビンは先に進むための人員を変更しなければならなくなったらしく、すぐに戻ってきた。ケビン曰く必要なのはクローディアとアガット、そしてアルシェムらしい。ただしアルシェムは人数に入れられないらしく、『《鍵》を除き定員五名』とのことだ。

 結局ケビンはクローディア、アガット、メル、レン、アルシェムを連れて探索を再開した。《第六星層》はどうやらエルベ周遊道風の場所らしい。そこに立っている七耀石で出来た石碑からどこかに飛ばされる可能性はあるとはいえ、あまり広くはなさそうである。

 行動範囲内にある石碑――蒼耀石の石碑に一行が触れると、予測通りどこかに飛ばされたようだ。その場所に見覚えがある人物は、いぶかしげにその光景を見ていた。その場所は――

「学園、ですか……」

 クローディアの通っていたジェニス王立学園――の、モノクロ版だった。そこかしこに人形兵器と思しき騎士がうろついているが、このメンツならばそうそう遅れは取らないだろうということでメルが提案し、分散して探索を行うことになる。

 その提案を聞いたアガットは声をあげた。

「なあ、ずっと疑問だったんだが……シスターたちは皆神父の同僚ってことで良いのか?」

「さ、察してるなら口に出さんとってもらえますかねアガットさん……他言無用でお願いします」

「いや、リオの奴は知ってたが……まさかルーアンのシスターもそうだとは思わなかったからな」

 それを聞いたメルはアガットから視線を逸らした。こんなところで暴露することでもなかったのだが、後でどうせ理由を聞かれることになるのは分かり切っている。説明の機会は後ほど設けた方が良いだろうと判断した。

「それはまた後ほど、皆さんの前でご説明します。それよりも探索が先ですよ」

「そ、そうだな。それでどう分ける?」

 アガットは逆らえない何かを感じてそう話を変えた。するとケビンがツーマンセルで回ることを提案して人員を分ける。分け方としてはケビンとレン、クローディアとアガット、メルとアルシェムである。組み方に関してはほぼこれ一択しかなかったのだ。

 まず、一番に組み合わせが決まるのがクローディアとアガットである。ケビンとクローディアでも良いが、決定力に欠けるためだ。アルシェムとは過去の事件関連で組ませられないし、メルに関してはケビンと同上である。これ以外に組み合わせが有り得ない。

 そして、次に組むのが残ったケビン、レン、メル、アルシェムであるが、この時点で組み合わせてはならないのが《身喰らう蛇》コンビである。もう抜けたアルシェムと戻ってはいないとはいえまだ所属しているレンを一緒にするわけにはいかない。故に、この二人は分ける。そしてレンに理解があるかどうかわからないメルを彼女と組ませるのもどうかと思ったのでケビンがレンと、メルがアルシェムと組むことになった次第だ。

 一同は場所を決めて赤い甲冑だけ倒すことに決め、散った。ケビンとレンは本校舎を担当し、クローディアとアガットは男子寮とクラブハウスを担当する。そしてアルシェムとメルは女子寮と講堂を担当することになり、旧校舎に関しては色々といわくつきのような気がするらしいので後回しということにするらしい。

 女子寮に入った瞬間、温厚な顔をしていたメルが般若の形相になってアルシェムを睨みつけた。

「え、あ、えっと……メル?」

アルシェムは顔をひきつらせてメルに声を掛ける。すると、メルは表情を崩さないままに口から言葉を吐き出した。

「いきなりあんなことをするなんて一体何を考えているんですかこのお馬鹿さんは貴女が何を考えていたのかは確かに分かりますし気持ちを分かってあげられないまでも推測は出来ますけどこっちがどれだけ心配したと思ってるやがるんですかいやいやまさかあたし達が貴女のことを心配しているだなんて思ってもみなかったんでしょうけどこっちはとても心配していましたなので一応怒る権利はありますよねそうですよねなので大人しく怒られてくれますよねええそうですか大人しく怒られてくれますかありがとうございますというわけでぶん殴りますイイですね?」

 メルはそう言いながら拳を振り上げ、神妙な顔をしたアルシェムをぶん殴った。アルシェムは逆らうつもりはなかったので黙って受け入れたが、後で地味に嫌がらせでもしてやろうと思っていた。アルシェムとしては別にそこまで――自身の生死にまでとやかく言われる筋合いはないと思っている。

 一撃で気が済んだらしいメルと共に、アルシェムは赤い甲冑だけを倒し終えた。そして女子寮から講堂に移って同じく殲滅する。あまり手ごたえは感じなかったので、何かあるのだろうと思いつつも外に出てケビン達と合流することにした。

 すると、旧校舎に続く道の前に向かっているケビンとレンを見つける。それに次いでアガットとクローディアも合流し、いつの間にか色を取り戻した後者に背を向けて旧校舎へと突入――出来なかった。というのも、目の前に立ちふさがった人物たちがいたからだ。

「……シュコォォォ、シュコォォォォ……」

「……えっと」

「突っ込んでやるな……大体姫さんの鳥のせいだから……」

 困惑したようにその人物を見たクローディアに、アガットは頭を押さえてそう告げた。その人物はスキンヘッドで、似合わないサングラスをかけている。そう、ある意味一番のジークの被害者ことディンである。同じくロッコとレイスもいるのだが、生憎眼中にはない。

 そして、会話する隙も与えずに戦端を開かせてしまったのは、この言葉だった。

 

「あら、どうしてそんな似合わない禿げ頭をしているのかしら?」

 

 その言葉を告げたのはレン。そして、それを聞いた瞬間のディンの反応は――

 

「き、キエエエエエエッ!?」

 

 奇声を上げながらの吶喊であった。レンはそれをひらりと避けるが、彼の拳が抉った地面を見て顔を引きつらせる。どれだけの力が込められているというのだろうか。ロッコとレイスもあ、これ止められねえから! と告げつつ襲いかかってきたため、その場は混戦状態となる。

 その場で状況を把握出来ていたのはアガットだけだったため、自然と彼が指示を出すことになる。アガットはその場にいる人物で相性がよさそうな組み合わせを模索し、叫ぶ。

「ディンの野郎は俺、レイスはアルシェム、ロッコはレンと神父で当たれ! 姫さんとシスターは援護!」

「はい!」

 返事をしたのはクローディアのみだった。アルシェムが赤毛のレイスに向かうのを見て消去法で紫頭がロッコだと判断したレンとケビンは隙を見つつ攻撃を当てて行く。アガットはディンを抑えているので精一杯だったため、柄ではないのだが防衛戦を余儀なくされる。この中で一番早く終わる戦いは――無論、素早さ対決となっていたアルシェムとレイスの戦いであった。

「ひゃはは! これで終わりだぜ!」

「速い分防御が薄くなるって分かってるんだからさー……もーちょっと、急所は守ろーよ」

 スタンロッドを振り上げたレイスの懐に、ロッドをすり抜けて入り込んだアルシェムは鳩尾に一撃。ついでにアーツを発動させながら下がって避けさせないように導力銃で誘導して沈めた。

 そして、レイスを片付けたアルシェムは最後にディンを全員で袋叩きにする方が良いと判断してロッコを消しにかかろうとするのだが、そこでアガットから声がかかった。

「代われアルシェム!」

「了解」

 アガットの代わりにディンの攻撃を受け止めたアルシェムは、あまりにも硬すぎる攻撃に眉をひそめた。後で絶対事情を聴くと心に決めつつ攻撃を捌き、彼がバランスを崩したところで弛緩している部分に攻撃を入れる方法を取り始めた。

 そして、数十秒の後――アガットが唐突に叫んだ。

 

「全員下がりやがれ! これで決めてやる……!」

 

 その声に反応して全員が飛び退る。すると――その間に宙に飛び上がっていたアガットが、Sクラフトを発動させた。地面に大穴をあけかねない威力のそれは、過たずロッコとディンを打ち据えて押しつぶす。

「……南無」

 思わずアルシェムが拝んでしまったのは無理もない。彼らは叩き潰されたまま消えて行ったのだから。ここに存在するのは偽物だと直感している以上流石に死んではいないと思うのだが、やり過ぎであることに変わりはなかった。

 そして、一行は先に進めるようになったために旧校舎へと足を踏み入れる。そこに待つ人物がとんでもない手練れだと知る者は、まだそこにはいない。




 一番の被害者→ディン。

 では、また。


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刀剣戦隊カタナンジャー、《剣狐》グリーン

 旧122話のリメイクです。タイトル通り。

 では、どうぞ。


 旧校舎に突入した一行は、そこで思いがけない人物が待ち構えているのを見た。見た目は普通の老人だ。だが、彼を舐めてはいけない。彼の名は――フィリップ・ルナール。元王室親衛隊大隊長にして《剣狐》の異名をとる『鬼の大隊長』である。

「お待ちしておりました、殿下」

 慇懃無礼に礼をしたフィリップには、しかしつけ入るすきがありそうもなかった。あるとすれば老齢で衰えているかも知れないという希望的観測のみなのだが、生憎フィリップの剣はどちらかといわれると剛ではなく柔。衰えはあまり関係がないのである。

 クローディアは細剣を携えたフィリップの姿に瞠目し、次いで声を漏らす。

「フィリップさん!?」

「王太女殿下に刃を向けるなど万死に値しますが……そうせざるを得ないこの身の不徳をお許し下さい」

 苦渋の表情で剣を抜いたフィリップに隙はない。あるとすれば多少の躊躇いだけである。クローディアにさえ傷をつけずに勝てるのならば、彼はその方法を取っただろう。だが、この場にいる『フィリップ』に命じられたのは『侵入者の排除および扉の守護』。故にクローディアが向かってくるならば刃を向けなければならない。あの時――クーデターの終盤、クローディアはデュナンに細剣は向けても傷つけはしなかった。なのに自分が剣を向けてはデュナンの叛逆が疑われてしまうかもしれないのだ。

 彼が王室に仕えるのは、クローディアの父ユーディスと交流があったからだ。フィリップの息子がユーディスと同い年であり、乳飲み子として育ったためにその父たるフィリップもユーディスと交流があった。ユーディスとその息子もろともカルバードの客船《エテルナ号》が沈んだのは忘れられない苦い記憶である。その記憶からフィリップを必死に立ち直らせてくれたのが誰あろうデュナンだったのだ。

 デュナンの兄ユーディスはあまりにも優秀で、デュナンがどれほど優秀になったとしても間違いなく国王になると目されていた。故に彼は少しばかりグレていたのだが、兄を害そうなどとは思っていなかった。むしろ兄が優秀なのを幸いと国中を見て歩いていたのである。そのうちに贅沢も女も覚えたのだが、そのあたりは女王直々にお叱りがあったそうだ。

 そんな放蕩者だったデュナンは、ユーディスの死によって第一王位継承者となった。しかし、様々なことを兄に頼り過ぎていたことが災いする。彼は三倍以上に増えた政務をこなしきれなかったのだ。近くで落ち込んでいた護衛――親衛隊長を辞してそのまま城を去ろうとしていた初老の男である――を捕まえて政務を手伝わせなければとてもやっていられなかった。そして、その初老の男にとっては忙しいことこそが救いになったのである。その男こそ、デュナンの現在の護衛フィリップだ。

 忙しく動き回るうち、苦い記憶も少しは薄れてきて。そのまま城を辞そうとしたフィリップは一日、また一日とデュナンに引き留められて政務を共にこなしていった。ただ何もせずにいるよりもこうして動いている方が良い。そう思ったフィリップは、女王の助言もあってデュナンの護衛に落ち着いた。

 それから十数年。毎年ユーディスの命日にはあまり酒の飲めない女王を差し置いてフィリップがデュナンと呑み明かしていた。デュナンは驚くべきことに、年月を重ねてもユーディスを恨むことはなかった。優秀すぎた兄。だが、もう死んでいるのだからとやかく言っても仕方がない。明日からきっと頑張るから命日だけは呑ませてくれと懇願したデュナンを、フィリップは止めなかった。畏れ多いことではあるが、フィリップはユーディスも息子のように見ていたのだから。悼んでくれるというのなら、それを止める道理はない。

 フィリップはデュナンの良き理解者であった。ただしあまり強く出ると姿を眩ませてしまう為、政務を滞らせないためにも諫言はあまりできてはいなかったのだが。そして、デュナンにとっても――フィリップは、良き理解者であったのだ。早くに父を亡くしたデュナンにとって、フィリップは父のような存在であった。だから甘えてしまっていたのである。ある意味共依存ではあるのだが、それを正せる人物はいなかった。

 だから彼はデュナンを庇ってばかりいたのだ。今この時でさえ、恩人たるデュナンを護るためにクローディアに許しを乞うている。その事実を知らないクローディアは、しかしこの場の特異性を理解していたためにそれを赦した。

 目を少しばかり開いたフィリップは、そこにいる人物たちを見回す。すると、見覚えのない人物も存在するが手ごわい相手も交じっていることに気付いた。その相手と目を合わせると、彼女は好戦的な笑みを浮かべる。

 彼女――レンはフィリップにこう告げた。

「ふふっ、細目のオジサン、お久し振りね。今度こそちゃんとレンの相手をして貰うんだから、覚悟しなさい?」

「お嬢様は……いつぞやの。いやはや……お気に召すと良いのですが」

 そう言いながらもフィリップは剣先をぶれさせることはない。既に精神は戦闘モードに切り替えられているようである。左手を振り、何やら人形兵器のようなものを召喚したフィリップは一度瞑目した。

 そして、カッと目を見開いて宣言した。

 

「元王室親衛隊大隊長、《剣狐》フィリップ・ルナール。第一の守護者の門番としてお相手致します」

 

 その宣言が終わるや否や、フィリップは飛び掛かってきた。彼が目指す先にいるのは一番落としやすいと見たのであろうメル。彼女は武装はしているもののどちらかといわれれば後方支援型に見えたのだろう。事実、彼女の得意技はアーツであり、武器はボウガンである。支援を得意とするであろうと思われる以上、真っ先に落とすべき人物であるのは間違いない。

 しかし、フィリップが支援から断とうと動き始めたその進路にアガットが割り込んだ。後方支援を落とされては勝てないのは道理である。故に、割り込んだ。フィリップの振るう剣の重さに、思わずアガットが言葉を漏らす。

「お、おいおい……サバ読んでねえだろうな!?」

 彼が言葉を漏らすまでに、その剣は重かったのだ。本当にこの剣を振るっているのは老人なのかとアガットは戦慄する。伊達に《剣狐》などと名乗っていないと思った。か弱そうな老人姿で惑わせているのかと。

 だが、フィリップが《剣狐》と呼ばれているのは若いころからだ。年を取ってからそう呼ばれるようになったのではない。彼がそう呼ばれているのは――若い頃、それはそれは甘い顔をした二枚目だったからだ。ただのチャラそうな男に見えて、彼はとんでもなく強かった。故に、見かけで騙して返り討ちにするから《剣狐》。今の外見では全く似合わないだろうが、言葉を通じて相手を翻弄する術も心得ているのだ。

 アガットと切り結びながらフィリップはじりじりと機を計る。そして、アガットが最高潮にフィリップに意識を向けたと思った瞬間――

「老け顔とは言われたことがありますな」

 しれっと真顔でそう返したフィリップ。その言葉に多少動揺したアガットは、フィリップをそのまま留めておくことが出来なかった。彼は一瞬の隙を突かれて懐を抜けられてしまったのである。アガットが動揺して意識に隙が出来たからこそ成し得たことだ。素の状態でも十分強いが、敢えてフィリップは策を弄することを選んだ。そこに、付け入って貰える隙が出来ると判断して。

 そんなフィリップの行動にアガットは瞠目したものの、後続で迫ってきた人形兵器の対応で彼を止めることが出来ない。アガットはしばらく人形兵器たちを相手に立ち回ることになってしまった。

 そうしてメルに迫るフィリップ。だが、肝心の彼女は無表情のままボウガンを構えているだけだった。そこから矢が発射されることは、ない。何故なら、今メルが撃つと味方を誤射してしまう可能性が高いからである。事実、そうなるようにフィリップは誘導していた。彼女が撃てば、フィリップは避けただろう。その先には絶対に誰かがいるように仕向けたのだ。

 それを止めたのはフィリップに向けて駆け出していたレン。彼女は不敵な笑みを浮かべつつ横合いからフィリップに襲い掛かる。

「あらあら、よそ見は駄目よ? オジサン」

「多対一の際は後衛から潰すと決めておりますので」

 むしろそんな想定をしていることを口に出すのは下策であるのだが、フィリップはそれすらも自らの力に変える。そうやって意識を誘導すれば必ずどこかに隙が出来るものだ。レンと数合打ち合い、彼女自身の力も利用してレンを吹き飛ばしたフィリップはメルに向かうと見せかけてその前に立ちふさがっているケビンに狙いを定めた。

 狙いを定めたのは良いのだが、ふと引っかかることが出来てしまった。先ほどから視認できていた中にいたはずの人物が消えている。その人物が一体何をしているのかが気になったのだ。その人物が昔クローディアの暗殺を企てたものであると知っているがゆえに。その警戒が、フィリップを救った。

「……うっそ対応しちゃうそれ!?」

 横合いから繰り出された風を切る音に細剣を向けると、派手な音がして何かが弾かれる。ちらりと横目で見てみれば、そこにいたのはアルシェムで握られていた棒術具が跳ねあげられていた。気配を断つのが得意なのだろう、とフィリップは判断して頭の中にとどめ置く。彼女がクローディアにさえ害をなさなければ放置しても良いと判断したのだ。

 実際、今の不意打ちに対応出来たからフィリップはそう思ったのであって、実際は放置してはならない人物だったりする。アルシェムは今本気で気配を消していたわけではないからだ。どこまで気付くかというギリギリのラインで気配を消そうとアルシェムが画策していたからこそフィリップは対応出来たのである。カンと風圧だけで避けられるものではない。

 と、そこにフィリップが意図的に意識の中から消していた人物から攻撃が加えられる。

「アクアブリード!」

 クローディアはアーツでフィリップを狙い撃つが、フィリップはそれをひらりとかわして迫ってきていたジークを躱す。その先でジークに突かれている人物がいることなどお構いなしだ。むしろ好都合ともいえた。その人物――アルシェムが一瞬であっても身動きが取れない状況というのは。身動きが取れないということは、気配を消そうともその場にいることが分かるからだ。

 ケビンから狙いを移したフィリップはジークに襲われているアルシェムに一撃を――入れられなかった。彼女は有り得ない方向に体を曲げながらくねくねと変態軌道で避け始めたのである。

 フィリップは裂帛の気迫を込めてアルシェムに攻撃を加える。

「ふっ!」

 それと同時にジークがアルシェムに襲い掛かるのだが、彼女はそれをも避けて見せた。幾度も繰り返されるイタチごっこ。なまじ避けられてしまっているからフィリップは気づかない。ジークを止めるであろうクローディアが、何も言ってこないことに。

「実はてめぇらグルだろぎゃーやめてー」

 アルシェムはそれに気付かせないためにジークの独断専行だと思わせるべく言葉を吐く。実際は恐らくグルではないはずである。いくらジークがアルシェムを殺したいほど憎んでいたとしても、今ここで脱出する機会を逃すかもしれない状況で攻撃してくるほど愚かではない。もっとも、ジーク本人(鳥)は嬉々として攻撃を加えているように見えるのだが、きっと気のせいに違いない。

 そんなふうにのらりくらりと剣とジークを避けられているフィリップは内心穏やかではない。誰か一人でも落とさなければまず勝ち目はないのだから当然だろう。むしろ勝つ気はさらさらないのである意味好都合といえば好都合なのだが、個人的にはアルシェムにはお礼参りをしておきたいところである。

 そのアルシェムに対する執着が、フィリップの隙となった。

 

「アルシェムさん、ごめんなさい!」

 

 クローディアの叫びを聞いたアルシェムは一瞬眉を寄せ、フィリップの攻撃を避けるのを止めて動きを止めにかかった。ある意味下策ではあるのだが、アルシェム達としても手詰まりだったからである。

 そして――繰り出されるのは、高位アーツ群。メルとクローディアの水属性アーツ。レンとケビンの時属性アーツ。その四者のアーツがアルシェムに動きを封じられたフィリップに襲い掛かる。

「な……」

「遅えっ! 喰らいやがれ!」

 そこで怯んだフィリップはアルシェムに憑りつかれたままアガットのSクラフトをまともに受ける。無論アルシェムもまともに受けるのだが、彼女にはダメージは全く入っていなかった。何故なら――フィリップの死角でオーブメントを駆動させ、補助アーツを身にまとっていたのだから。

 だが、その後は離脱を余儀なくされる事態が起きる。まさかここでソレを明かすとは思ってもみなかったアルシェムは、メルから放たれた水属性アーツをまともに受けかけてそれに気付く。メルは――アルシェムに改造されたオーブメントを使っていないのだ。

 その事実に次に気付いたのはケビンだった。星杯騎士団中でもある意味極秘にしなければならない『異能モドキ』をいかんなく発揮してしまっているメルに向けて小声で怒鳴るという器用なことをしてのける。

「何しとんねんメルちゃん!」

「この程度であの御仁が終わるとは思えないんです!」

 メルの言葉通り――フィリップは立ち上がった。見た目は満身創痍だが、その剣筋にぶれはない。まだまだ戦う気満々のようである。狙いはまだ変えられず、アルシェム。今の攻撃で彼女も弱っているだろうと思ってのことである。故に彼は気づかない。アガットがSクラフトを発動させたその意味を。

 そう。アガットはレンの協力を得て既に人形兵器を殲滅させていたのである。故に、一同が取る行動はフィリップへの集中攻撃。しかも強力な攻撃を叩き込むという手法を以てフィリップを倒しにかかる。

 フィリップはなかなか当たらない攻撃に思わず声を漏らしてしまう。

「ちょこまかと……!」

「いや、避けないと危ないからね? フィリップさんも以下同文」

 そう返したアルシェムはフィリップの背後に誰もいなくなったのを確認すると、棒術具を投げあげて導力銃を構えた。彼女のSクラフトが発動したのである。銃弾の嵐がまき散らされ、フィリップは必死に叩き落とす。しかし、銃弾のあまりの数に捌ききれなくなる――と思った瞬間に銃弾の嵐は止まり、落下してきた棒術具を受け止めるついでに導力銃を投げあげたアルシェムが突っ込んでくる。

「く……っ」

「取り敢えず、沈めってーの!」

 アルシェムの気迫に押されて繰り出される連撃を受け切れなくなるフィリップ。彼の身体に打撲痕が広がっていくが、まだ致命傷にはならない。そして、そこに鬼のような所業を成す少女が残酷な言葉を告げた。

 

「来て、《パテル=マテル》!」

 

 それは、鋼鉄の巨大人形兵器を呼んだ。それを横目で確認してしまったフィリップはアルシェムの連撃を受けるのを覚悟で遮二無二跳び退る。その場所に留まれば間違いなく蹂躙されると本能が告げていたからだ。

 しかし、フィリップは跳び退ろうが跳び退るまいが運命を変えることは出来なかった。何故なら、彼の仕える主の姪がフィリップの立ち位置を調整すべくSクラフトを発動させていたのだから。

 

「ごめんなさい、フィリップさん! サンクタスノヴァ!」

 

 空の女神の力を借りて起こされた爆発は、フィリップを強引に《パテル=マテル》の射線上に押し戻す。そしてトドメが――

 

「ダブルバスターキャノン!」

 

 レンの合図と共に繰り出された二門の砲撃が、最後に反撃せんとSクラフトを発動させていたフィリップを狙い撃った。フィリップはそれでも最後の気合いだけでSクラフトを発動させ――

「で、ででで出鱈目だわ……」

「全くです……」

 二人の戦闘不能者を出した。レンとメルである。クローディアに当てなかったのは王室に仕える者としての矜持か。とにかく、治療の余地を残してしまったのは確かである。

 故に、勝ったのはケビン達だった。

 

「祈りも悔悟も果たせぬまま……千の棘を以てその身に絶望を刻み、塵となって無明の闇に消えるが良い!」

 

 《聖痕》を発動させたケビンの一斉掃射が、フィリップを薙ぎ払う。そして――ようやく、フィリップは膝を付いた。




 原作がこんな穴だらけ設定の訳がないですね。フィリップ氏つおい。

 では、また。


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刀剣戦隊カタナンジャー、《風の剣聖》ブラック

 旧123話~124話終盤までのリメイクです。

 風なんだしグリーンにしようと思ったけどこいつはブラックかなって。

 前話をもって20000UA達成しました。ありがとうございます。

 では、どうぞ。


 ようやく膝を付いたフィリップは、この先にまだ戦うべき人物がいることを告げ、消えて行った。その瞬間、ケビン達は膝を付く。流石にきつかったというのもあるが、皆がそもそもフィリップを甘く見すぎていたからだ。過信せずに挑んでいればもう少し余裕は出来たのだろうが、あの外見であの力強さは想定できるはずがない。

 皆が息を整えている間、アルシェムは荒く息を吐いているふりをしながら周囲を見回した。フィリップは『第一の守護者の門番』と称したのだ。当然、この先に第一の守護者がいるはずなのである。

 そして、彼女の視線はとある物体を捉えた。ここに来てからはお馴染み『扉』である。アルシェムはその扉に近づいて記されている文言を読み上げる。

「『銀色の吹雪、天使を殲滅せし者、金色の暴走姫。そして、水色の喪服の少女を引き連れよ。さらば道は開かれん』……だってさ」

 アルシェムはその文言を見てどれが誰なのかを類推する。『銀色の吹雪』は勿論アルシェムだろう。そして、『天使を殲滅せし者』はレン。『金色の暴走姫』はアーツが暴走してしまう『異能モドキ』を持つメル。最後の『水色の喪服の少女』は恐らく――彼女だろう。

「成程な。取り敢えず一回戻らんとあかんみたいや」

 ケビンは皆がまだ息を整えている最中に《レクルスの方石》を使い、拠点に戻った。『水色の喪服の少女』――ティオを連れて行かなければならないため、その間だけ休憩である。

 そして、取り敢えずまだ力尽きていたアガットとクローディアを置いてケビンが説得して連れてきたティオを連れ、一行は再び扉の前へと舞い戻った。その扉は何事も変わった様子もなく佇んでいる。

「……ほな、アルちゃん」

「分かってるって」

 アルシェムがそう応え、扉に触れた瞬間――ケビンは複雑な顔で後ろを向いた。扉に吸い込まれる時の感覚がなかったのだ。置いてけぼりになったのは間違いないだろう。そのまま万が一扉が破壊されたときに備えてケビンはわびしく待機した。

 一方、扉の中に吸い込まれたアルシェム、レン、メル、ティオはというと――目の前に佇む長髪の男に困惑していた。一応全員が彼のことを知っているのだが、何故今ここで出て来るのか理解出来なかったからである。

「……成程。お前達を排除しなければならないのか」

 その男の――現在では遊撃士協会クロスベル支部所属のA級遊撃士にして《風の剣聖》の異名を持つ――名はアリオス・マクレインという。ティオにとってはある意味恩人の一人である。彼女を救いに来たのが彼とガイとその上司、それに《銀の吹雪》と名乗ったアルシェムなのだから。

「えー……何で今よりによってコイツなわけ……」

「あら、じゃあやっぱり彼なのね?」

「……えっと、斃さなくちゃいけないんですか?」

 アリオスの顔には困惑が浮かんでいた。誰かと戦うよう義務付けられたような『夢』で、まさか猛者ではなく少女達と戦う羽目になるとはつゆほども思っていなかったのである。

 だが、彼のその油断には付け入るすきがあるだろう。侮られていればそれだけやりやすい。アルシェムは念のためにメルを後方待機させ、レンと共に特攻することになった。ティオはメルの隣で支援をお願いする。流石に前衛はやらせられないからだ。武器的にも、事情的にも。

「ま、アレを倒さないと帰れないのは確実なんだし……ねッ!」

 アルシェムはティオにそう告げて――消えた。アリオスは目を見開くが、どこを見てもアルシェムの姿はない。状況を察したレンがアリオスに迫ってきていたので仕方なく彼はレンと相対する。

「……ふうん?」

「な……」

 レンとアリオスとの力の差は大きい。無論アリオスの方が強いという意味で。だが、レンは体捌きと遠心力、その他もろもろを駆使して彼と互角に打ち合い始めた。打ち合い始めたのは良いのだが、彼はすぐにレンに対応してくる。流石はA級というべきか。

 だが、レンに対応されたとしてもそれ以外のことでアリオスの調子を崩せれば良いのだ。気配を消したままのアルシェムはアリオスの背後から静かに殴りかかる。武器を使わなかったのは、先ほどフィリップに反応されてしまったからだ。

「ぐっ……」

「浅かったかなー……ま、でも間は詰められたわけだしね。レン!」

「うふふ、やるのは久し振りよね♪」

 アルシェムの声にレンが反応して。拳のままアリオスに加えられていた攻撃が一瞬だけ逸れる。その隙を見てアリオスがアルシェムに刀を突き出そうとして――思い切り引き戻す。刀の柄から響いてくる硬質な音。

 ちらりとレンを見れば、彼女は意外そうな顔をしながら大鎌を振るっていた。

「あら、危機察知能力はそこそこあるみたいね?」

「うん、そうみたいだね。でも――」

 レンの言葉に答えたのはアリオスでなくアルシェム。そして、今の一瞬の間に彼女の手には一振りの剣と銃が握られていた。アリオスはそれにはまだ気づいていないが、アルシェムとレンに完全にはさまれたことを悟った。

「……それが狙いか?」

 このまま嬲れば確かにアリオスは落ちるだろう。だが、彼もタダでやられるつもりはなかった。そこまで甘く見られているのであればまだ対応できる。その場から飛び退ろうと足に力を込めた瞬間――

「情報を入手しました」

 感情の乏しい声がアリオスの耳朶を打った。その声に聴き覚えがあった彼は思わずその少女の方角を見てしまい――あえなく跳び退るのに失敗する。ちらりと見えた限りでは、他人の空似などではなく確かにあの時の少女だった。何故ここにいるというのか。

 その思考が、ここでは命取りとなる。彼の目前からレンが。そして背後からはアルシェムが攻撃を開始したからである。それも、猛スピードで。いつ補助アーツが掛けられたのかと錯覚しそうになるほどのスピード。彼がいくら刀を振るおうがその攻撃をいなしきることが出来ない。

「最初は――」

「アルからよ!」

 アルシェムが発した言葉に気を取られたアリオスは、背後から叫ばれたレンの言葉に動揺する。未だに彼はアルシェムとレンの名を知らないのだ。何となくは把握しているだろうが、それに確証はない。故に、アリオスが取った行動はレンに向けて刀を振るうことだった。

 アリオスの行動を見たレンが薄く笑いながら大鎌でその刀を受け止めた。

「残念ね?」

「不破・雪牢!」

 アリオスは背後から聞こえた声に、背後から襲い来る攻撃に思わず横に飛び退った。しかし、攻撃から逃れることが出来ない。どういうことなのか理解が追いつかずに、それでも背後の攻撃に対応するために振り向いた。彼の頭上から迫りくる一撃を、辛うじて肩に掠らせるだけで済ませる。

 頭上からの一撃目を喰らってしまい、左下からの二撃目、右からの横薙ぎの三撃目をアリオスが受け止めた時だった。アルシェムは右の脇の下から左手を閃かせてアリオスを近距離から撃った。聊か曲芸じみているのだが、意表を突くときには使えないこともない。アリオスは辛うじてアルシェムの剣を滑らせ、当たらないようにしてその銃弾に対応するために刀を動かす。

 だが、彼が行うべきはその行動ではなかったのだ。何故なら――アリオスが振り向いたせいで背後に回ることになったレンが、少しだけ離れた場所にいたのだから。それは、彼女のSクラフトの一つだった。

 

「うふふ、もう逃がさない……!」

 

 その声にアリオスが振り向いた時にはもう遅かった。急に振り向いたせいでわずかに崩れてしまった体勢のまま、アリオスはレンからの攻撃を受けてしまう。このままでは嬲り殺しにされてしまうと分かっているのに、対応が出来ない。ひとまず抜け出せばいいのだろうが、それをさせてくれるほど彼女らは弱くはなかった。

 そして、アリオスはその後十分ほど粘ったが、《パテル=マテル》からの砲撃とアルシェムのSクラフト、それにティオの魔導杖――簡易アーツをタイムラグがほぼなしで発動させられる杖のことである――から放たれたSクラフトによってあえなく沈むこととなった。

「……む、無念……」

 ぱたり、と音を立てて倒れたアリオスは、そのまま消えていく。そして彼が消えると同時に、彼女らの目の前に映像が広がった。

 

 ❖

 

 七耀暦1198年のことである。カルバード共和国、アルタイル市のとある場所に向かう銀髪の少女がいた。少女というよりは幼女といっても差し支えないかもしれない。ふわりと広がった姫袖のブラウスに、シックな紺色のスカート。そして編上げブーツをはいた彼女は、その顔を謎の仮面で隠している――というところまで視認したアルシェムは遠い目をした。それをやる必要ある? とでも言いたげである。

 だが、映像は止まらない。彼女は手に握った槍を固く握りしめると、正面からその場所に乗り込もうとして――立ち止まった。正面に複数人の何者かがいたからだ。敵ならば全て屠るつもりなのだが、どう見ても彼らはその中にいる人物たちとは違うようであった。

「……ここか」

「ああ……」

 黒髪の妙齢の男性。そしてもう二人は年若い青年たちのようだった。その後ろ姿を見ただけでティオには誰なのか分かったのだが、それを明言することはなかった。ただどこかにいるであろうシスターに見られてはいないかと気にしただけだ。

 映像の中の少女はそんな彼らに背後から近づいて声を掛ける。

「ここに入る気?」

「誰だっ!?」

 少女の気配に完全に気付いていなかったのか、長い黒髪の青年が刀を抜いて振り返った。反射にしては良い動きである。だが、背後の人間が今敵対する気がないかも知れない状況では悪手ではあった。

少女はその刀を指先だけで止めて淡々と言葉を紡ぐ。

「静かにしてよ。こっちは出来るだけ静かに侵入したいんだから」

「……何者だ?」

 改めて誰何したのは妙齢の男性だった。その手にはショットガンを携え、煙草を吐き捨てて問うた。思わず少女はその煙草を全力で踏みにじる。こんなところで吸って臭いでばれたらどうするとでも言いたげである。

 少女はそのまま妙齢の男性に問いを返した。

「そーいうのを聞くんだったらまず自分達が正体を明かせば?」

 すると、妙齢の男性はぴくっと眉を動かした。この少女がもしも敵側だった場合、今正体を明かすのは下策である。仲間を呼び集められて潰されては終わりだ。彼も、彼の部下もそれなりに場数は踏んでいるものの、数で押されては勝てない可能性だってあるのだから。

 だが、茶髪の青年は妙齢の男性の内心を慮ってなおこう告げた。

「そうだな。俺達はクロスベル警察の者だ。俺がガイ、あっちのおっさんがセルゲイ課長、無愛想なのがアリオスだ」

 青年の――ガイの言葉を聞いた少女は硬直した。まさか本気で答えが返ってくるとは思ってもみなかったのだ。少女が有り得ないこととはいえあちら側である可能性がある以上、それを明かすべきではないと彼女でも分かっていたというのに。

 少女は乾いた声でこう返した。

「……ごめん割と冗談だったんだけど、今この状況で普通そーゆーこと明かす?」

「おいおい冗談だったのかよ。あ、でもこっちが教えたんだからそっちも教えてくれるよな?」

 にかっと笑ったガイは少女にそう求める。すると、仮面の下で物凄く複雑そうな顔をした少女は悶々と考え込んだ後、《銀の吹雪》と名乗った。無論名ではないのだが、そこは突っ込んではいけない。所属を語れないというのも恐らくそれで理解して貰えるだろう。

「因みに何て呼べば良い?」

「好きに呼べば?」

「え、ええー……」

 困惑した表情のガイは、その後の少女の行動を止められなかった。正面入り口から外を窺いに来た人間っぽいナニカに見つかるや否や、少女はそのナニカを殺害したのである。

「あ、ちょ、おい……」

「何?」

「……何で、殺した?」

 ガイは真剣な表情で少女に問う。しかし、少女はそれに答えずに内部へと侵入していった。まるでその言葉に返せるものがないとでも言うかのように。セルゲイは慌ててアリオスとガイを急かし、少女を追う。

 しかし――彼らは追いつけない。すれ違うことは出来ても、追いついて殺人を止めることは出来なかったのだ。何せ彼らは子供達の生死を確認しなければならなかったのだから。ただ、少女は子供達には手を掛けてはいないようだった。

 彼らが少女を止められたのは、彼女が最奥にいたる直前になってからだった。ガイが少女を呼び止めることに成功したのだ。

「おい待てって!」

「何? 早くしないと皆死んじゃうんだけど」

「まだ質問に答えて貰ってないぞ。何で殺した?」

 ガイの真剣な瞳に、少女は溜息を吐いてこう答えた。『もう彼らが人間に戻れることはない』と。そして、その中に連れ去られた子供達がいないことも明かした。それを聞いたガイは眉をひそめる。彼女は――やけに、ここについて知り過ぎてはいないだろうか。

 その疑問をガイは少女にぶつける。

「それを知ってるのは――ここにいたことがあるからか?」

「……鋭いんだか鈍いんだか。その言葉に敬意を表して一言だけ。わたしは――とある女の子を探しに来たんだよ。そして、その子はまだ見つかっていない」

 そう言った彼女はそのまま最奥へと突入する。ガイもセルゲイ達を急かして少女を追った。最奥にいたのは――人の形をしていないナニカと中央の祭壇に水色の少女。その水色の少女を視認した少女はその場から消え、人の形をしていないナニカを一瞬にして殲滅する。

「ティオ……!」

 思わず漏れた少女の悲鳴のような言葉を、ガイは一生忘れることはないだろう。点滴をぶった切り、脈を計った少女は震えながら水色の少女を抱き起していた。弱々しく動くその指は――まさしく彼女が生きていることを示している。

「生きてる……」

 弱々しく水色の少女をかき抱いた少女は、仮面の下から涙をこぼした。生きていてくれてよかったと。心の底からそう思った。だが――それと同時に思うことがある。今の自分が彼女と一緒にいることは出来ない。もう二度と、会ってはならない。同じような目に、もう二度と遭わせないためにも。

 故に、少女はガイに水色の少女を託した。

「……この子を、お願い。多分レミフェリアの子で、名前はティオっていうはずだから」

 そうして少女はその場から立ち去ろうとする。しかし、ガイはその手を掴んで止めた。早くしなければティオという名だという少女の命も危ないのだが、目の前の少女を放置するわけにもいかなかったからだ。

「……何?」

「あ、っと、お前この子の知り合いなんだろ? せめて快復するまでは一緒にいてやってくれないか」

 だが、少女の答えは否だった。そんなことをしてしまえば、ティオを再び闇の中へ誘うことになってしまう。故に少女が取る行動は、ガイの手を振り払うこと。ただそのまま立ち去れば良い。そう思ったのに――立ち去ることが出来ない。

 少女はそのままガイの目を見据えると、一言だけ残した。

 

「わたしはもう戻れないけど、ティオまで引きずり込むわけにはいかないから」

 

 その一言で未練を断ち切って、少女はその場から消えた。ガイは周囲を見回し、病院にティオを預けてからも幾度となく少女を探し続けたが――彼の生きているうちには、遂に彼女を見つけることは叶わなかった。




 この時点でも既にかませ化しているあたり何とも言えん。

 では、また。


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リベールの団子三兄姉弟

 旧124話終盤~125話までのリメイクです。

 ※この団子三兄姉弟に血縁関係はありません。

 では、どうぞ。


 映像が消えた。扉が消え、アルシェム達はケビンの待つ場所へとはじき出される。ケビンは地味にいじけながらもきちんと守護してくれていたようで、周囲に数匹分の魔獣の死骸が残されていた。それを見た一同の顔色は暗い。一人だけ懐かしそうな顔をしている人物もいるが、すぐに悲しそうな顔に変わった。いくら映像で見ようとも、彼らは既に道を違えている。そのうちの一人は――既に、死んでいるのだ。

 複雑そうな顔をしたメルが口を開き、ティオに告げる。

「まさかとは思っていましたが……貴女もでしたか」

「……その、あまり公言したいことではないので……」

「気持ちはよく分かります。《影の王》の悪趣味も程々にしていただきたいですね……」

 沈んだ顔をしたティオは、メルの言葉に一瞬だけ疑問を持った。貴女も。それはアルシェムとレンの同類であることを指していると思っていたのだが、どうやらそれだけではなさそうだったからである。しかし、彼女はそれきりその疑問を思い出すことはなかった。それよりもいじけているケビンが立ち直って先に進めるようになったことに気を取られたのだ。

 現れた転移陣に乗ると、蒼耀石の石碑の前まで引き戻された。それに加えて行ける場所が増えているらしく、それを示すように琥耀石の石碑が輝いていた。そこに記されていた文言は、『刀の乙女、不動なる空気、光り輝く娘、狩り残された双剣、銀色の露出狂。全てに通ずる銀の鍵を携えよ』。間違いなくこのまま先には進めないと分かった――『刀の乙女』は恐らくアネラスである――ため、一度拠点に戻る。

 そして、ケビンは石碑に記されていた文言を出すことなく連れて行く人物を呼び出す。文言を出せば間違いなく怒り狂うと流石のケビンでもわかったからである。『刀の乙女』ことアネラス、『不動なる空気』ことジン、『光り輝く娘』ことエステル、『狩り残された双剣』ことヨシュア。そして、『銀色の露出狂』シェラザード。アルシェムはそのまま連行されればいいようなのでその場で待機していた。

 ケビンに集められた一行はそのまま探索に出かけ、そして――石碑の文字を見てしまう。そこに記されたある意味残酷な真実は、同行していた二人ほどの心を的確に抉った。そう――ジンとシェラザードである。

「……空気……」

 ジンは落ち込んだ顔で指を突き合わせていた。全く以てかわいくないのでやめて頂きたい、とアネラスは思ったという。確かに落ち込むのも分かる気がするが、それを表すのに乙女っぽいやり方を選ぶ必要が何処にあったというのか。

 それとは対照的に、シェラザードの方は怒り狂っていた。

「だ、だ、だ、誰が露出狂なのよ!?」

「あは、あははははは……」

 苦笑いを零すことしか出来ないケビンは、目線だけでアネラスを促す。アネラスはケビンの視線に気づくと軽く頷いて石碑に手を当てた。すると――またしても別の場所に転移させられてしまう。その場所は、湖畔の研究所(仮称)であった。ただし鏡写しで左右反転しているが。どうやら次はここで探索しなければならないようである。

 この場所を訪れたことがあるための複雑な顔をしながらエステルは進む。この先に行って何が起きるか何となく推測出来てしまったからだ。同じくその状況を予測できたのはあの時同行していたケビンとシェラザードのみだ。もっとも、もしかしたら程度で確証には至っていないのだが。操られた遊撃士たちが出現したとしても対応は出来るだろうが、あまりやりたいものではない。

 そのエステル達の推測を裏付けるような人物が現れる。あの時と全く同じ。一階の最奥で待ち受けていたのはグラッツだったのである。ただし操られてはいないようで、自我はあるようだ。

 ひょいと手をあげたグラッツは、アネラスに向けて声を掛けた。

「よう、アネラス。エステル達も。待ちくたびれたぜ」

 しかし、グラッツの言葉にアネラスは応えない。俯き、静かに言葉を紡ぐ。その手には既に刀が握られていた。

「グラッツ先輩……私、学んだんです」

「えっ」

 いきなりアネラスが何かを語り始めたかと思うと、彼女は顔を上げてにっこり笑い、その場から飛び出した。手には刀を。心は常に静謐に。乱さず、いつもと変わらぬ笑みを浮かべたまま――彼女は。

 

「こういう時は、先手必勝なんですよ!」

 

 グラッツに向けて斬りかかった。問答をする気はないらしい。そんな後輩の姿にシェラザードは苦笑しながら後に続く。確かに今ここで問答をする必要はない。そんなことをしている暇があればとっとと先に進んで帰りたいのだ。シェラザードにはまだまだやることがあるのだから。そう、たとえば――まだ死体も見つかっていないルシオラの捜索、とか。そんなシェラザードに触発されたようにエステルとヨシュアも負けじと飛び出した。

 それを見たグラッツは諦めたように覆面の猟兵を召喚して叫ぶ。

「ああもうっ、会話ぐらいさせろよアネラス!」

「嫌です! だってだってここにはぬいぐるみさんがいないんですよ!?」

 アネラスの叫びが切実に響く。彼女にとっては致命的なことのようだ。アネラスの心を占めているのはふかふかのこげ茶色のクマのぬいぐるみ。可愛らしいランドモアの限定品だ。帰ったら是非とも手に入れたい。

 その、アネラスの想念がグラッツに悲劇をもたらした。

「そ、そういう問だ……ぎゃー!?」

 効果音にすればちゅどーん、あたりが妥当なのだろうか。アネラスのぬいぐるみ愛が溢れてグラッツに炸裂したようである。具体的に言えば、巨大なクマのぬいぐるみが現れてグラッツの目の前で爆発したのだ。ふかふかで、こげ茶色の。紛うことなきランドモアの限定品である。アネラスは目を輝かせてそのぬいぐるみに抱き着こうとしたのだが、その直前で爆発してしまってグラッツと同じく吹き飛ばされてしまった。

 一同は手を止めて複雑な顔になり、煙が晴れたところで焦げているグラッツとアネラスを見て拝んだ。アネラスについてはすぐに起き上がったのだが、グラッツは完全にダウンしてしまっているらしい。しかも彼はそのまま消えてしまうという不運に見舞われた。会話したかったのだろうが、残念ながら《影の王》はそこまで赦してはくれなかったらしい。

 哀れなグラッツが消えた後から現れたカードキーを利用し、順序を思い返しながらケビン達は進む。グラッツの惨状はもう見なかったことにするしかない。現実で覚えていないことを祈るばかりだ。むしろここにいるのが偽物というだけで本人に記憶が流れ込まないでいてくれればそれで良い。今の記憶が残ってしまっていればあまりにも可哀想すぎる。

 そして、二階の最奥までさくさく進んだ一行は、そこで待ち受けている女性を目にした。その顔に浮かぶのは呆れだった。どうやらグラッツの様子を把握していたらしい。

 溜息を吐きながら彼女はぼやいた。

「グラッツ、やられるの早過ぎやしないかい……」

 その女性――カルナは導力銃を構えながら覆面の猟兵達を召喚する。とっとと準備を整えなければグラッツの二の舞になると判断したのだ。アネラスはそれが此度の敵らしいと判断して警戒を強めた。

 

 だが、カルナはもう数十人その猟兵を召喚すべきだったのだ。そして、それに紛れて逃げるべきだった。本気で勝つ気があるのならば。

 

 カルナは複雑そうな顔をしたままエステル達に告げる。

「済まないね。手助けは赦されていないみたいだし、こんな機会はめったにない。どれくらい強くなったのか見せておくれ」

 ただしジン、てめえはかかってくんな、とでも言いたげに拘束されるあたり、彼も不運な男である。だが、ジンはすぐにその拘束から逃れることになった。何故なら――

 

「あれ、カルナさん。今回はその覆面の人に『子猫ちゃん』って言わせないの?」

 

 エステルの無邪気な問いにカルナが轟沈したからである。確かにあの時――エステルとアネラスがレマン自治州のル=ロックルで訓練していた時――は、自分だと悟らせないためにそんな発言もした。だが、今のこの状況でそれを持ち出されるとは思ってもみなかったのだ。思い返してみれば猛烈に恥ずかしい。何が『子猫ちゃん』だ。腕に鳥肌が立った。

 そして見事にカルナは動揺してジンの拘束が外れる。図らずもエステル、ファインプレーである。拘束から復活し、『く、空気とは言わせんぞ!』と叫びながらここぞとばかりに暴れ回るジンの手によって、カルナは数分も保たずに降参する羽目になるのだった。ある意味彼女も哀れである。

 カルナはそのまま次の相手が誰かを警告しようと思ったのだが、このまま教えて万全の対策の上で向かわれてもそれはそれで癪に障る。してやられたのは確かだが、やられたままでいるのもそれはそれで複雑な気分だ。

 そのため、カルナはふてくされたようにこう告げた。

「おねーさんからの最後の意地悪だ。次の相手は教えてやんない」

 そして、頬を膨らませたまま彼女は消えて行った。後に残されるカードキー。それを手に取ったエステル達は次の相手が誰なのか推測が出来ているようである。このパターンで来るなら、次は恐らくクルツらしい。

 アルシェムはその場にいなかったので推測は出来ないのだが、確かに有り得ない話ではないと判断した。だが、同時にある意味苦手とする相手であるため顔をしかめる。流石に右肩の恨みは忘れていないのである。

 そんなアルシェムの顔を見てエステルが顔をひきつらせ、問う。

「えっと、アル? 顔怖いよ?」

「次が本当にあの緑ヘタレだったら瞬殺していー? 文字通り」

「いや、殺しちゃダメだからね!?」

 アルシェムの答えにヨシュアが突っ込んだが、生憎彼女はそれを聞こうとは思っていなかった。本格的に邪魔になれば首を取るつもりである。たとえヨシュアの前であったとしても。

 カードキーを使い、三階に上がった一行は先へと進む。そのあたりの敵はそこまで強くはないのだが、それが逆に不気味ではあった。まるでこの先にいる敵のために体力を温存しろと言われているように思われるのである。

 敵を蹴散らして辿り着いた三階の最奥には、エステル達が思った通りクルツが待ち受けていた。

「……来たか、アネラス君……に、アルシェム君もいるのか……これは苦しい戦いになりそうだ」

 クルツは渋面を作ってそう告げる。自分の不注意で傷つけてしまった少女がいるとどうにも調子が狂うのだ。気後れするというのが正しいのだが、それだけではなかった。何故か――今でも、あの時の判断は間違っていなかったと思ってしまっているのだ。彼女の正体――元執行者である――を遊撃士協会から聞いたからかも知れないが、それだけでもない気がする。

 初めて会った時から、クルツはアルシェムという存在を否定したくてたまらなかった。今でこそ抑え込めているものの、初めて会った時は明らかに怪しい人物であり、かつその胸のうちで鳴らされている警鐘に従って動いてしまった。排除すべき。そう思ってしまうのに、そこにいるのは『ただの』少女なのだ。最大限に警戒し、排除しにかかるのは当時のクルツにとっては当然だった。

 故に、クルツが気を付けるべきなのは――アルシェムを殺さないようにすること。情状酌量の余地もない正当な理由もなく殺人を犯した人物が遊撃士でいられるわけがないからだ。たとえこの場所が夢であったとしても、それだけは心掛けなければならない。今のところ《身喰らう蛇》から足抜けしているアルシェムを、カシウスの家族の前で殺してしまうわけにはいかないのだ。

 そこに、エステルが口を挟む。

「クルツさん、一応あたし達もいるんだからね。忘れて貰っちゃ困るわ」

「はは、そうだったね……」

 そしてクルツは槍を構えて覆面の猟兵を召喚する。しかし――その猟兵は、身動きすることすら赦されなかった。その場から消えていたアルシェムが一瞬のうちにその猟兵達を斬り伏せていたのである。

「え」

「遅い」

 困惑したような声を漏らすクルツに、アルシェムが襲い掛かる。クルツはアルシェムの剣を受け止めにかかった。そうしなければ――先ほどまでの覆面猟兵と同じように一撃で終わっていただろう。

 だが、クルツはそこで終わっておくべきだった。ここで最後だと判断したエステル達からのSクラフト祭りを連続で受ける羽目になったのだから。Sクラフトで打ちのめされたクルツは、ダイイングメッセージを遺そうとしつつ消えて行った――カードキーを、残して。

 そのカードキーはまだ先に進めといわんばかりに輝いている。つまり、クルツで最後ではなかったわけだ。一同はお互いを回復させつつそのカードキーを使って先へと向かう。そのあたりを哨戒しているはずの人形兵器が一体もいないというのも疑問だったのだが、この先に誰が待っているのかということの方が疑問である。アネラス関係で待っているとすればカシウスなのだが、どうやら違いそうなのだ。

 屋上に上がって一行が見たのは、黒髪長髪の女性だった。彼女を見て目を見開いたのは、ジン。

 

「キリカぁ!?」

 

 思わず漏らしたその声は、女性の正体を示していた。泰斗流門下生。奥義皆伝《飛燕紅児》キリカ・ロウラン。ある意味で遊撃士協会の最強格の人材だった――既に彼女は遊撃士協会を脱退している――人物がそこに待ち受けていた。

 キリカはふう、と溜息を吐いて声を漏らす。

「そんなに驚くことじゃないでしょう。まあ、そこにいる唐辺木は放っておいて……久し振りね、遊撃士さん達。私が帰国して以来かしら?」

「き、キリカさん……お久し振りです」

 少しばかりキリカを苦手とするアネラスが代表してそう応える。すると、キリカは苦笑して一同の顔を見回した。すると、懐古の色が浮かんでいるのはエステル達のみで、ケビンとアルシェムにはその色がないのが見て取れる。ケビンならば確かに理解は出来るが、アルシェムがそうでないのは少しばかり意外だった。

 その視線に気づいたアルシェムはキリカに向けて告げる。

「帰国した先であんたが何をしようとしてるのかはなんとなく知ってるけど、正直見誤ってたかな」

「あら、貴女に情報が流れているとは思わなかったけれど?」

 揶揄するようにキリカがそう返すが、生憎アルシェムはその情報を仕入れていた。《飛燕紅児》が――あの、キリカ・ロウランがカルバードに帰って国に仕えることになった、という情報を。活人の道を探し求めていたはずのキリカが、よりによって救うべき人間を絞り込んだことに少なからず驚いたものだ。別に節操もなく争いを止めるために動き回れというつもりは毛頭ない。だが、彼女が追い求めるべきはその道であったはずなのだ。

 冷たい目でキリカを見据えつつアルシェムは言葉を投げつける。

「あんたはその選んだ道で絶対に後悔するよ。……あんたが動けば救えたかもしれない命をたくさん見殺しにすることでね」

「さて、どうかしらね」

 はぐらかすようにキリカはそう返すと、他の面々が何も話そうとしないのを見て取った。これ以上の会話は不要ということだろうか。ならば、門番としての仕事を果たすまでだ。

 故にキリカは宣言する。

 

「……さあ、始めましょうか。《泰斗流》門下奥義皆伝、キリカ・ロウラン……第二の守護者の門番としてお相手するわ」

 

 そしてキリカは獣を召喚し、襲い掛かってきた。




 ※なおキリカは含まれない模様。

 では、また。


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活人の道、殺人の道

 旧126話の半ばまでのリメイクです。
 
 題からわかるとおり、キリカさんのお話。

 では、どうぞ。


 襲いかかってきたキリカを一同に任せたアルシェムは、まずキリカが召喚した獣を排除することに努めた。といっても、大したことはしていない。生物である以上、どうしても急所となる場所はいくらでも存在するからだ。撃ち抜くのは目でも胸元でも良い。何なら首を飛ばしてしまえば間違いなく戦闘不能には出来るだろう――ヨシュアのトラウマさえ考えなければ、だが。

 今ここでヨシュアを使い物にならなくするのはまずいため、アルシェムは獣の目を撃ち抜くことに決めた。ある意味グロい光景が広がるが、致し方ないことだろう。スピードを重視すればソレが一番早かったのだ。胸元を撃ち抜いても死ぬまでにタイムラグがあるのだが、目を通して脳をぶち抜いてやれば信号が行かないので動かなくなる。

 そして獣を葬ったアルシェムは気配を消す。彼女が獣を狩る僅かな時間の間に、エステル達はキリカを順調に追い詰めていた。当然のことながらジンとアネラスが前衛である。珍しくエステルがヨシュアと共に遊撃に回り、ジンの巨体の陰から飛び出して攻撃を仕掛けていた。シェラザードとケビンは後衛に徹しているようである。それを見て、アルシェムは後衛に回った。といっても攻撃するわけではない。シェラザード達と同じく補助と回復に徹するだけである。キリカに向かって無闇に撃てば、間違いなく誘導されて味方に当てられてしまうからだ。

 と、そこで不意にアルシェムは背から剣を抜いてシェラザードの前に飛び出し、剣を振るった。気付いたのだ。何かが視界の端から飛来してシェラザードを狙っていたことに。アルシェムが振るった剣から甲高い音がして弾かれていくその物体を視認することにアルシェムは努めた。その物体の正体はキリカの偃月輪。本気でやる気満々である。

 その偃月輪が通過してからシェラザードは反応した。

「えっ!?」

「アレ、飛び道具にもなるみたいだから気を付けてシェラさん」

「あ、ありがと……」

 あのスピードではシェラザードには捉えられなかったようである。いちいちこちらの死角を突いてから襲撃してくるので当然と言えば当然なのだが。アルシェムは援護をいったん止めてシェラザードとケビンにすべて任せ、偃月輪を叩き落とすことに全神経を傾ける。そうしなければ援護できなくなって総崩れになる可能性があるからだ。

 偃月輪を弾くこと自体は簡単なのだ。ただ剣を振り回していれば当たるのだから。だが、高速で回転しながら飛来する偃月輪を叩き落とすのは至難の業になる。剣を当てれば間違いなく回転に邪魔をされて偃月輪は弾き飛ばされていってしまうのだ。しかもたまに二つ飛んでくる。これに対応するためには、どちらか一つでも偃月輪を封じる必要がありそうだった。

 遊撃として頑張っているエステルは、思わず声を漏らす。

「う~っ、せめて武器が何とかなれば……」

「流石は《飛燕紅児》……」

 エステルとヨシュアは背後から戻ってくる偃月輪に悩まされていた。攻撃を加えようとした瞬間に戻ってくるのだ。それを避けても時間差でもう一つが滑り込んで冷や冷やすることなどざらだ。ならば偃月輪を持っている間に攻撃すれば良いだけの話なのだが、キリカは得物を持たせればヴァルターより強いとジンに称されるだけあって簡単にいなされてしまう。ヨシュアの隠形からの攻撃でも半ばカンで反応されてしまうあたりたちが悪い。

 どうにかしてキリカに偃月輪を完全に手放させなければならない。エステルの考えはそこにいたった。だが、どうやればキリカから武器を奪えるだろうか。ジンに弾き飛ばして貰う――却下。出来るものならもう終わっている。ヨシュアに頑張ってもらう――却下。以下同文。かといってエステルにもアネラスにも恐らく対応は出来ない。

 一瞬だけシェラザードの鞭で絡め取ってもらおうかと考えたが、そうする前に鞭の方が切断されそうである。これも却下だ。この先何があるかもわからないのにシェラザードの武器が欠損するのはよろしくない。ケビンにも恐らくどうにもできないし、先ほどから弾いているアルシェムにもアレが精いっぱいなのだろう。弾いているだけマシだともいえる。

 エステルは対応策を考えるのに集中したくてアルシェムに向けて叫んだ。

「アル、代わって!」

「あいあい。でも後ろでも気を付けて。結構な頻度で飛んでくるから」

 さらりと返され、取り敢えずは考える時間を確保したエステルはケビンとシェラザードに断りを入れて彼らの背後で考え始めた。武術の腕では恐らくここにいる誰もが敵わない。なら、それ以外でどうすれば良いのか。クラフトを使う――その暇も与えずに偃月輪は飛んでくる。せめてヨシュアのクラフト・魔眼を発動させるだけのわずかな時間を稼げれば何とかなるかも知れない。だがその隙は一体どうやって与えるのか。

 と、そこでエステルは一つ思い出したことがあった。現実世界で何度もお世話になったSクラフトを。その使い手が、ここにいることに。そのSクラフト――グラールスフィアを使えば、どれだけ強烈なアーツを放っても防げるはず。なら、誰にアーツを放ってもらうのか。この中で一番アーツの適性が高いのは――多分、シェラザードだ。

 エステルはシェラザードに向けて問う。

「シェラ姉、今一番殺傷性の高い攻撃アーツ何が使える?」

「……他に条件は?」

 シェラザードはエステルの問いに回復アーツを飛ばしながら答えた。何かを思いついたのだろうが、あまりにも物騒な質問だ。今現在シェラザードが使える威力の高いアーツはと聞かれると、恐らくシャドウスピアになるのだが――それを使っても避けられてしまう可能性が高い。故に、エステルに問い直したのだ。絶対に当てる必要があるのか、それとも単純に威力の高いアーツで良いのか。

 エステルはその問いにこう答えた。

「範囲は広くて良いから、確実に当てられるアーツでお願い」

「……それなら、ダークマターのアーツね。あたしが使える中で一番効果範囲が広いわ」

 それを聞いたエステルは、一体どんなアーツだったのかを思い出して決めた。ダークマターは空属性のアーツで、ある一点を指定してそこに生物を引き寄せるアーツだ。それなら、一旦ヨシュアにはキリカから離れて貰った方が良い。離れて貰って偃月輪を取られる前に魔眼を発動して貰えれば問題ないはずだ。偃月輪が何処まで飛ぶのかも問題だが、キリカのいた位置にエステルが滑り込んで弾けば落とせると信じたい。

 エステルは覚悟を決めてケビンに向けて告げる。

「ケビンさん、今から全体にあの攻撃が通らないSクラフト使って。それでシェラ姉にダークマターのアーツでその場から引き離して貰うわ」

「……成程な。任せとき」

 そう言ってケビンが詠唱を開始する。ここから先はタイミングが重要になるのだ。ギリギリまでキリカには悟られない方が良い。悟られて対応されてしまえば、また新しい策を考えなければならないのだから。詠唱の間は、長く感じた。この策を成功させる。成功させて、皆で帰るのだ――そう思いつつエステルはその間の回復を担い、ケビンの詠唱が終わると同時に駆けだした。

「ヨシュア離れて!」

「ああ!」

 ヨシュアはエステルの叫びに応えてその場から飛び退る。すると、間一髪で飛び退こうとしたキリカとジン、そしてアネラスがアーツに引っ張られていく。どうやら成功しそうだ。アルシェムはギリギリ効果範囲から外れた位置にいたので巻き込まれはしなかったようである。その場から少しばかり離れた場所でエステルの行動を見つつキリカに警戒していた。

「――止めるッ!」

 エステルは気合いを入れ、キリカのいた位置と寸分たがわぬ場所に滑り込んで戻ってきた偃月輪に棒術具を思い切りたたきつけた。だが、回転は止まらない。キリカのいる方角からは確かにそれたのだが、それだけだ。弾かれた方向が読めなかったせいで地面すれすれを這いながら偃月輪はキリカの元へとまっすぐ向かう。このままではキリカの手に偃月輪が渡ってしまう――

 そう思った時だった。

「一人で足りないなら二人でやりゃーいーのよ」

 エステルの行動を認識し、何をしようとしたのかを悟った瞬間に猛スピードでその場から駆け出していたアルシェムは、手に持っていた剣を投げつけて偃月輪を止めていた。嫌な音を数秒立てた偃月輪は、そのまま徐々に回転を弱めて――止まった。その偃月輪に追いついたアルシェムが剣を抜いて奪取し、急いでケビンの元まで駆けて地面に突き立てる。

 エステルはそれを見て言葉を漏らす。

「後一個……」

 後一個奪えば、キリカは無手になる。それで間違いなく勝てるかといわれれば首を傾げるのだが、今武器を握られているよりはましだ。だが、そのエステルのつぶやきでキリカに彼女の策がバレた。キリカは読唇術も使えるらしい、とどうでも良いことをアルシェムは思う。

「なるほどね。武器を奪えばどうにかなるとでも思ったのかしら?」

 キリカはそう告げると、敢えて偃月輪を地面に突き立ててジンに向かい合う。偃月輪をいつでもとれる場所に置いておくのは保険だが、無手ならばなんとかなると思われたのは心外だ。これでも泰斗流の門下生なのである。彼女の父の流派は、そこまで甘くない。

 そのことを知っているジンはキリカに向けてこう告げる。

「ああ、お前はそんなに甘くない。だがな……忘れたのか? ここにいるのは俺だけじゃない。あれからどれだけ鍛えたかも鈍ったのかもわからんが……あのころよりも少し強い程度だ。それなら今の俺に倒せないわけがない」

「なら、見せてみなさいジン!」

 その応酬の間に、ヨシュアがこっそり偃月輪を奪取してケビンのいる場所に突き立てていたのをキリカは知らない。――もっとも、視認していたとしても全く以て関係なかったのだが。キリカとジンの本気の打ち合いにエステル達は混ざれなかったからだ。

 偃月輪の守護に回ったエステルは遠い目でジン達の応酬を見ながらヨシュアに声を掛ける。

「……ね、ヨシュア」

「言わないでエステル。多分ジンさんが恥も外聞も棄てて素手でやろうぜって最初から言ってればそれで済んだ話だなんて言わないで」

「それ自分で言ってるわよヨシュア……」

 呆然と技の応酬を見ているエステル達は、取り敢えずキリカとジンから離れていた。どうせ混ざれないのならば観察しておこうという腹である。ただ、シェラザードだけは空気を読まずにジンに補助アーツを掛けていたりしたのだが、それはまた余談である。

 結局――その後、数十分の間ジンとキリカは打ち合っていたのだが、お互い満身創痍になって戦いを止めた。その顔には好戦的な笑みが浮かんでいるのだが、これ以上は《影の王》が許してくれないようである。キリカの姿が透け始めた。

「あら、もう終わりなのね」

「いや、もう終わろうぜキリカ……流石に疲れた」

 辛うじてへたり込むのを堪えていたジンはそう溜息と共に零す。これ以上続けられても困るのだ。主にオーバーユースしすぎた筋肉が大変なことになってしまうから。ヴァルターと戦って以来久し振りに泰斗流の門下生と戦ったのだが、ここまで神経を使うものだっただろうか。

 キリカの姿が徐々に透けて、消えそうになって――そこで突如異変が起きる。そのまま消えるはずだったキリカが実体を取り戻したのだ。だが、だからといって戦わなければならないというわけではないようだ。

「……成程。未練があるからとはいえ、手合せできるほどには残れないのね」

「いやいやいやいや、キリカお前何を……」

 本当にキリカが襲い掛かって来ないと確証できないジンは狼狽した。再び戦えと言われても流石にもう無理だ。手合せできるほどには残れないという言葉を信じれば、もう戦う気はないのだろうが。

 キリカはアルシェムに視線を向けて問う。

「どうしても気になったのよ、アルシェム。……何故、私の選んだ道が犠牲を生む道だと?」

 彼女は戦いの途中どうしても気になってしまっていたのだ。そうでなければエステル達など数分も保たなかった。だが、彼女の思考をその言葉が占めていたせいで彼女らにも勝機が訪れたのである。

 キリカが選んだ道は、祖国カルバードに戻って情報機関《ロックスミス機関》の室長として動く道。彼女のさじ加減ひとつで、より少ない犠牲で外交も内政も進められるはずなのだ。それなのに、アルシェムは彼女の選んだ道を多大なる犠牲を生む道だと言った。その理由がどうしても知りたかったのだ。

 アルシェムはキリカの問いにこう答える。

「あんたが選んだ道は、共和国人しか守れない道だからだよ。より多くの共和国人を護って、その分だけ多くの帝国人やリベール人、クロスベルの住民まで犠牲にする」

 そう。キリカはより多くの共和国民を救い、また守るための道しか選んではいないのだ。いくら彼女が奮闘しようとも、絶対に帝国臣民もリベールの民も、共和国を宗主国と仰ぐクロスベルの民も守ることは出来ない。彼女のさじ加減ひとつで、死ななくても良かった人物が死ぬことになる。代わりに死ぬはずだった人間が助かるのかもしれないが、犠牲が出ることに変わりはない。そして、助かってしまう死ぬはずだった人間は善良だとは言い切れないのだ。

 キリカは眉をひそめて反論する。

「そうとは限らないわ。より円滑に交渉を動かせば――」

「それ、交渉のテーブルにすら着けない人間は数だけを見た最小限の犠牲の中で死ねってことだね?」

 アルシェムの身もふたもない言葉にキリカは絶句した。そんな暴論をいきなり叩きつけてどうしてほしいというのか。確かに、救えない人物は少なからず出るだろう。その覚悟は出来ている。その罪を背負う覚悟も、いつか罰を受ける覚悟も出来ている。その覚悟を、アルシェムは崩したいのだろうか。

「そんなことを言ってるのではないわ」

「言ってるんだってば。直接自分の手の届かない場所にいる人間を、本当の意味で守れるとでも思ってんの?」

 珍しくらしくないことを言うアルシェムに違和感を覚えたのはケビンだけだった。アルシェムはこんな殊勝なことを言う人物ではなかったはずだ。どちらかといえばキリカの言い分になら納得してしまうような――他人を数でみられるような人間だと思っていた。

 キリカはアルシェムの言葉にこう答える。

「――守れる、ではないのよ。守るの」

「それで? あんたが交渉の末にその人たちを守ったとして――それで、あんたは犠牲をゼロに抑えられるって?」

 有り得ない。そう言ってアルシェムは嗤った。全ての物事には犠牲がつきものだ。誰かが『何の犠牲もなく事件は解決しました』といってもそれは絶対に真実ではない。たとえば、αがβに人質にされたとする。キリカがそのαを怪我をさせることなく救出したとしても、そこには犠牲になったものがあるのだ。それはαの恐怖と時間。αは恐怖と時間という犠牲を支払って解放されたのだ。そこに怪我や死がついて来ないだけマシだという意見もあるだろう。だが、αが感じた恐怖も人質にされていた時間も取り消すことは出来ないのだ。そういう意味では、犠牲を出さないという言い方は間違っていると言えないだろうか。

 アルシェムは言葉を紡ぐ。

「誰も怪我をしなかったから犠牲がない? 誰も死ななかったから問題ない? 有り得ないってそんなの」

「そんなことを言っていたらきりが――」

「それをフォローしないで、何が最小限の犠牲に抑えるって? 遠くからほら守ってあげたでしょって言って、心のケアも何もしないでいるのはただの偽善者でしょ」

 キリカの言葉をぶった切ってアルシェムはそう言い終えた。そのままブーメランで自分に突き刺さる言葉でもあるのだが、それはそれ。アルシェムは犠牲を最小限に抑えようなどと考えてはいない。彼女が歩む道は、『アルテリアに最大限に益がある』道。それに『彼女の想う人物をできるだけ護る』という条件を付け加えたものだ。それ以上のことはもう考えられない。故に、本来ならば偉そうに説教できる立場ではないのだ。

 だが、キリカはそれを知らない。だからアルシェムは彼女に厚顔無恥にも説教できるのだ。キリカを説得することが『アルテリアに益を齎す』から。彼女をアルテリアに引き抜けば共和国の力をも削ぐことが出来るのだ。それが彼女の選んだ道だから。

「……それは」

 キリカは脳内で言葉をまとめようとするが、出て来ない。アルシェムの考え方ではどう足掻こうが犠牲者が出るのだから。そこまでは知ったことではないと言ってしまえば終わりだった。だが、それを言うのは躊躇われたのだ。この道は、本当に活人の道なのかと疑ってしまったから。

 アルシェムは、キリカに最後の言葉を投げつけた。

 

「人間を肉体的に殺したら人殺しになる。でも、人間を精神的に殺しても人殺しになるとは思わない?」

 

 その言葉に、キリカは完全に揺らいでしまった。故にその場にとどまることが出来なくなってしまう。そのまま、何も言うことが出来ずにキリカは消えて行った。求める答えと違う爆弾を抱えさせられて。

 一行は重い空気の中次の扉を探し当て、メンバーを変えて挑まなくてはならないことを確認するといったん拠点へと戻っていった。次の扉に必要なのは、『音楽家、音楽家に付き従う騎士、大いなる銀の鍵』。該当するのはオリヴァルトとミュラー、そしてアルシェムだった。




 もっといいたとえがあれば良かったんですけどねえ。

 では、また。


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帝国の蒼き反抗者

 旧126話半ば~127話のリメイクです。

 では、どうぞ。


 拠点から扉まで舞い戻った一行は、再びケビンだけを残して扉に吸い込まれていった。一人仲間外れにされたケビンは膝を抱えて待っているのだが、それは突っ込んではいけない。

 扉の中には、待っている人物が――いなかった。ただ蒼い巨大な機械人形が待ち受けているだけだ。そして、その機械人形は何と言葉を発したのである。声質的には男。それもかなり若いと思われる。

「……いやいやいやいや、どんな夢だよ」

 思わず突っ込んだ男の声。今のこの状況を夢だと勘違いしているらしい。だが、生憎オリヴァルトもミュラーもアルシェムも彼にとってここがどんな扱いになる場所なのかを指摘できなかったので黙っていた。

 すると、男は一瞬だけ沈黙してこちらを観察しにかかったようである。彼は何となくパニックに陥っているらしい、というのはアルシェムにも把握出来た。そこに流れていたのは重い空気ではなかったからだ。

 男はぶつぶつと声を漏らす。

「おかしいだろ夢にしちゃ。何で《放蕩皇子》とその剣……しかも見たことないおにゃのこ……前者は分かるけど、後者は全く以て意味わかんねえ……」

「おやおや、ということは君はリベールの人間ではないね。どうやらエレボニアに関係のある人物と見た」

 男の言葉にカマをかけるようにオリヴァルトがそう告げると、男はあからさまに動揺したようなうめき声をあげる。機械人形から出て来る気は全くない様子の男は、オリヴァルトに向けて剣を向けながらこう告げた。

「まあ良い。もしこれが夢だっていうなら聞かせて貰う……倒した後にな!」

 そう言って襲い掛かってくる機械人形。だが、その機械人形はオリヴァルトにもミュラーにも、ましてやアルシェムにも触れることが出来なかった。何故なら――

 

「レンに出来るんだったらわたしにも出来るんだよねー、生憎。っつーわけで《パテル=マテル》、バスターキャノン時差発射」

 

 今まで黙っていたアルシェムが口を開いて機械人形を指さすと、《パテル=マテル》を召喚したからである。いきなり登場した紅の機械人形に男は狼狽したようだが、すぐに立て直して《パテル=マテル》に襲い掛かった。

 その際に声を漏らしてしまうのも致し方ないことなのだろう、男が知っているそのサイズの機械人形といえば、ソレしかないのだから。

「騎神か……!?」

「続いて連接剣に向けてバスターキャノン。威力は減らしめで、生け捕りしてねー」

「ちょちょ、ちょっとまっ……」

 しれっというアルシェムに一歩後ずさった機械人形は、しかし《パテル=マテル》の攻撃を防ぐことが出来なかった。というのも、彼が機械人形に搭乗した状態でずっと相手にしてきたのは近接武器を扱う相手。まさか砲撃だけで追い詰めにかかってくるとも思ってはいなかったからだ。

 だが、ただで終わるつもりはない。既に彼は、ここが夢であることなど忘れてしまっていた。

「っそ……喰らいやがれッ!」

 機械人形が振るった連接剣は、《パテル=マテル》には受け止められなかった。というのも、男の知らない少女がその剣を手に持った棒術具で止めていたからだ。メチャクチャだ――彼はそう思った。

「ミュラーさんや、オリヴァルトだけ頼むね」

「お前はお前でオリビエに敬意を払え。一応は皇子だぞ……」

 小言を言いながらもミュラーはオリヴァルトを守るように立つあたり、職務には忠実なのだろう。その場はアルシェムと男の一騎打ち――といっても《パテル=マテル》もいるし彼の操る機械人形もあるのだが。

 そこで彼は生まれて初めて見た。少女の皮を被った悪魔を。大げさかもしれない。だが、男にとってアルシェムは悪魔に見えたのである――自らの操る機械人形の腕を容易く引きちぎる光景を目の当たりにして。

「うっそだろオイ!?」

「機械人形の弱点そのいちー。関節部は脆い」

「いやいやいや、脆いとかそういう問題じゃなくてな!?」

 にやりと笑いながらそう告げたアルシェムに、思わず男は突っ込んでしまった。どうやら相当なツッコミ体質のようである。きっとヨシュアあたりと気が合うに違いない。もしくはドロシー・ハイアットに密着取材させれば自滅してくれるに違いない。

 なおもアルシェムの暴虐は続く。次に彼女が行ったことは、機械人形の首を狙って剣を振るうことだった。

「機械人形の弱点そのにー。人間が乗り込むなら頭か胸になることー」

「おわっ、ちょ、おま、まっ……」

 アルシェムの振るう剣を避けつつ男は反撃を繰り出そうとするが、全て避けられてしまう。俊敏なのだと思って膂力は少ないと判断して敢えて受けるという手もあったのだが、先ほど腕をちぎられているのでそれはない。

 そして、アルシェムは頭部ばかりを守って他が疎かになっていることを確認し、一気に足もとに潜り込んでその脚部を切断した。転倒させられ、なおも足掻こうとする男だったが、文字通り手も足も出ない。修復は出来るが今すぐには出来ないのだ。

「チッ……!」

「はいはい大人しく出て来て投降してねー。そしたらこの茶番も終わるし」

 そうしなければぶっ殺す。アルシェムの目線は確かにそう言っていた。何も出来ないのならば、このまま出て行くしかない。そう判断した男は武器を手にその機械人形を消した。

「消えるのそれ……」

 呆れたようにアルシェムが呟くのを見て、男はいぶかしげな顔で彼女を見た。先ほどまでは濃厚に殺気を感じたのに、今は全く感じない。それどころか敵対する気もなさそうである。

「……殺さねえのか?」

 故に、思わず彼はそう問うていた。ここが夢であることなど、彼の頭の中からは吹っ飛んでいた。現実ではないかもしれないにせよ、攻性幻術でもないからだ。確かに悪夢のような戦いぶりをしてくれたものだが、男にとってその戦い方に心当たりは微塵もなかったのだから。

 アルシェムは男に向けてこう返す。

「殺気を向けてたのは悪かったけど、アレを脱がさないといつまでたっても戦闘状態だったかなーと思って」

「そ、そんな軽い気持ちであんだけの殺気かよ……一般人じゃねえな?」

「そーいうあんたも一般人じゃないでしょーに。何者?」

 アルシェムは彼の正体についてはまるで心当たりがなかった。もしかしたらこの先関わるかも知れない人物なのかもしれないが、今現在情報網には入っていない。この年代で、エレボニア関係だと推測される彼の所属についてあり得るとするのなら――士官学院生か。

 男は躊躇ったように何度か口を開いたり閉じたりしてから告げる。

「あー、取り敢えず通りすがりの一般市民ってことにしといてくれ」

「あ、そ。呼びにくいから名前教えてよ」

 その問いには男は答えなかった。今ここで彼の持つ名前の一つでもあげようものなら、一発でお縄である。唯一害のない名前もあるのだが、それを明かしてしまうとその人物があの機械人形――騎神を扱えてしまうことがばれてしまう。それはそれで今はまずいのだ。

 男が何も告げようとしないのを見て取ったアルシェムは彼に向けて言葉を紡いだ。

「言う気もないなら仕方ないね。取り敢えずバンダナ君って呼称しとくけどいい?」

「好きにしろよ……俺はお前を何て呼べば良いんだ?」

「んじゃー、エルとでも。まーでも、あんまり時間はなさそうだから手短に言っておくよ」

 仮称バンダナ君の身体が透け始めたのを見て取ったアルシェムはそう告げた。このまま何の手がかりもないまま逃がすわけにはいかない。消えた人物たちが突然死しているのならば別だが、それは恐らく有り得ないと分かっていたからだ。

 アルシェムはバンダナ君に向き直る。

「《蛇》関係ならとっととそこから手を引くことを推奨する。レジスタンス関係なんだったら主義主張によってはオリヴァルトに協力したら? レジスタンス関係なら恐らくあの《鉄血宰相》に恨みがあるんだろうし。多分有り得ないけど《鉄血の子供達》なんだったら主人に伝えてくれると助かるな。いずれ――《首狩り》がお礼参りに行くって」

 バンダナ君は、それを聞き終わると同時に消滅した。最後まで聞こえてはいたのだろうが、答えは是非聞きたかった。場合によっては手駒にも出来たかもしれない人物である。あれほどの『異能』持ちならばなおさらだ。

 彼が消えると同時に、アルシェム達の前に映像が浮かび上がる。その映像は彼女にとっては思ってもみないモノだった。

 

 ❖

 

 七耀暦1198年の年末、エレボニア帝国のラマール州にあるカイエン公爵邸にて。年の瀬も近づいたころに行われた仮面舞踏会に、異物が紛れ込んでいた。異物は三人。一人目は年若い金髪の男性。二人目はその金髪の男性が隣に従える黒髪の男性。そして、いつもならば存在しない銀髪の少女だった。

 一人目の金髪の男性に関しては、特筆すべきことは何もない。武装もしていなければ武術の心得もあまり感じられないからだ。少々視線の運び方は気になるものの、許容範囲である。問題なのは二人目の方だ。彼は恐らく武器を携帯しており、いざとなれば抜くだろうと思われる――と、銀髪の少女は推測していた。

 そうやって分析されていることに、彼らは気づかない。出来れば誰にも見とがめられたくなかった少女にとっては幸運なことに、仮面のせいでより幼く見える彼女に気を配るものは誰もいなかった。どうせ誰かの連れだろう、と思ったからだ。

 今回少女が請け負ったのは、『カイエン公邸を襲撃してくるテロリストを、客に誰一人被害を出さずに無力化して殺害すること』という依頼である。上司を通じて伝えられたその依頼へと向かった彼女を待っていたのは、『変装などしないで動き回っていて欲しい』というクライアントからの追加依頼。その事情は少女には分からなかったし、知るつもりもなかった。

 と、そこで不意に先ほど気付いた不審者が少女に近づいてきた。丁度ダンスの切れ目で、相手に恵まれていない少女を憐れんだつもりなのだろう。余計なお世話である。だが、ここで断れば目立ってしまうので少女はその場で金髪の青年を待った。

 金髪の青年は少女に向けてこう告げる。

「やあ、可愛らしいお嬢さん。一曲踊ってくれないか?」

「初めまして、見知らぬ方。こんな貧相な小娘でよろしければ」

 喜んで、とは少女は続けなかった。せめてもの抵抗である。だが、青年は少女の抵抗を知らないふりをして手を取った。思わず振り払いそうになったのを堪えつつ、少女は始まった曲に合わせて踊り始めた。

 青年のダンスは異様に上手く、社交界に出る経験はそれなりに多いのだろうと思わされる。少女は心の中で、彼への評価をただの放蕩貴族に書き換えた。素性の分からない不審者ではないのだろう。招かれてきた人物、ということは黒髪の男性は護衛か。

 そんな少女の内心もいざ知らず、男は歌うように声を漏らした。

「流れるように波打つ銀髪に、冷たく煌めく蒼穹の……まるで澄みきった空のような瞳。可愛らしい君が自分のことを貧相だなどと貶す必要はないよ」

 だってこんなにも君は魅力的じゃないか――と、男は続けた。それを聞いた瞬間、少女は全身に鳥肌が立った。クサい。それ以上に痛い。このセリフを素面で言える彼の頭の造りが知りたくなった。

 そう思って青年の頭部を思わず凝視してしまった少女に彼は続ける。

「おや、気に入ってくれたのかな? なら是非僕のことはお兄様と呼んでくれたまえ」

「絶対にお呼びしませんからご安心ください」

 溜息を吐いて少女はそう返すと、そろそろ予定時間が迫っているのを確認した。先ほどのワルツの終焉が開演の合図なのだ。少女は小さくお辞儀すると、青年の元から離れていく。背後から突き刺さる視線を他人で遮った少女は、扉に近づいてするりと外へ滑り出た。

 そして、あらかじめ用意された部屋で気配を消しつつドレスを脱ぐ。いつものスカートに関しては既にはいているものの、上だけは見えてしまうので中に着込んでおくことが出来なかったのだ。手早くブラウスのボタンを留め、仮面を付け替えて髪型を変える。これ以上は時間がないのでカモフラージュは出来ないだろう。

 そのまま部屋から出た少女は、ホールの中に銃を持って入っていく男達を印象付けつつ排除すべく動き始めた。手に握られているのは長い槍。彼女の身の丈を優に超えたものである。

 少女はホールの中に気配を消して侵入した。

「動くなァ!」

 会場内でそう叫んだ男は、招待客たちに向けて銃を向ける。招待客たちは悲鳴を上げながら後ずさった。失神した人物もいる。どうやら女性陣はあまり気もが太くないようであった。

 それを確認した男は、要求を告げるべく口を開く。

「我々は貴様ら貴族共に虐げられ、全てを喪った! 故に貴様らにも同じ思いを味わわせるべくここに立ったものである――!」

 それ以上に口上が続くはずだったのだろう。貴族たちに色々と要求をぶつけたいという気持ちがよく伝わってくる。だが、少女は思わず空気の読めないツッコミをかましてしまった。

 

「いやいや全てってあんたら生きてるじゃん」

 

 その言葉を聞いたリーダーと思しき男が少女を見る。この場に似つかわしくない格好をした少女だ。彼女も異物で、同じようにレジスタンス活動をしているのだろうかと一瞬だけ思って首を振る。もしも彼女も虐げられていたのだとすれば、あんな上等な服を着ていない。あんな手入れの面倒そうな長い槍など持っているわけが――長い槍? そこで男の思考は止まった。

「何者だ!」

「うーん、何者でもないってのが答えなんだろうけど。ま、取り敢えず恐喝と殺人未遂ぐらいは問えるだろうから――処刑ね」

 その声は、淡々と紡がれていた。棒読みだったと言っても間違いではないほど感情を感じさせない言葉を置き去りにして少女が消える。リーダーは思わず身構えたのだが、彼には衝撃がなかった。

 その代わり、少女が襲撃していたのは思わず彼女に発砲しようとしていた一人の仲間だったのだ。彼は少女の槍に貫かれ、肺に穴をあけられてもだえ苦しんでいる。それを遅ればせながら認識した一同は少女を敵だと判断した。

「こ、殺せ――ッ!」

 リーダーの絶叫を聞いた一同は一気に色めき立ちながら少女を襲撃する。その場は一気に混戦と化した。本来ならば数十秒もかけずに制圧できるのだが、敢えて時間をかけているのはそういう依頼だからだ。

 時間を掛けつつ一人、また一人と打倒しながら少女は嘯く。

「相手の正体も知らないくせに『殺せ』はないって」

 その少女のひとりごとに返事をする者がいた。その場から逃げようともしない隣に護衛を従えた男だ。因みに他の招待客たちはじわじわと廊下に出て逃げ出しているようである。

「いやいや、君も処刑だと言っただろうに……」

「まだ一応殺してないからねー」

 少女はあくまでもまだテロリストたちを殺してはいない。今回の狙いの裏には『帝国貴族を狙えばこれだけの苦しみを味わって死ぬことになる』という警告を発する目的がある故に一撃で殺していないだけだ。

 そして、リーダーを除く全員が打倒され、肺に穴をあけられてもだえる羽目になる。リーダーは、その惨状に声を無くしてしまっていた。一体自分達は何をしているのか。何のためにここに来たのか。目の前の少女に殺されるためではない――はず、だ。彼の思考は、迫りくる少女の槍に分断されて消えた。

 その瞬間――男が叫んだ。

「逃がすなミュラー!」

「分かっている!」

 金髪男性の叫びを受けてミュラーと呼ばれた黒髪の男が少女に向けて猛然と駆け出す。しかし、少女は軽く地面を蹴って飛び退り、大仰に礼をして告げる。

「今宵の余興はお楽しみいただけましたでしょうか。エレボニア貴族はこのような卑劣なテロリストになど屈しません。では――また、お会いしないことを願って」

 そのまま少女は消えた。煙のように、元から存在しなかったように。少女の存在を示していたのは、無残に殺されたテロリストたちだけだった。




 というわけで、フライングあの人。実は閃やってないからしらないんですがね。

 では、また。


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僅かな諍い、鉄壁の要塞

 旧128話~129話までのリメイクです。

 では、どうぞ。


 扉から帰還した一行はやはりいじけていたケビンを急かして次の石碑を確認した。次に進むべき石碑は、紅耀石で出来た石碑。そこに記されていた文言は『剣聖の後継者、漆黒を支えし者、太陽を支えし者、鎌持てし少女、赤毛の男、銀の鍵を引き連れよ』。『剣聖の後継者』が誰に相当するのかはともかくとして、『漆黒を支えし者』は恐らくエステルで『太陽を支えし者』はヨシュア、『鎌持てし少女』はレン、『赤毛の男』はアガットだろう。

 オリヴァルトとミュラーをパーティから外したケビンはアルシェムに問うた。

「……割と連戦やけど……大丈夫か?」

「移動中に休んでるっちゃ休んでるからね。普通に前衛ばっかりだったら今頃ぐったりだけど」

「さ、さよけ……」

 しれっととんでもないことを言うアルシェムの言葉を、ケビンは呆れたように聞き流した。確かに他人に比べれば相当タフなのだろうが、心配して損した。非常事態が起きた時には彼女に代理をお願いすることも考えていただけに。

 と、そこにレンがやってきた。次に向かうのに必要だからとオリヴァルトに呼んで貰ったのである。

「アルは昔から無茶ばっかりするんだもの。少しは手を抜くことを覚えた方が良いわ」

「いや、流石に今手を抜いたらマズイと思うよ……多分この先もバケモノレベルの人達ばっかり持って来るだろうしね」

「レンが、心配なの。アルがどう思ってるかなんて関係ないわ」

 帰れなくなることを、という副音声を脳内で再生しつつアルシェムはレンの言葉に苦笑した。確かにここで致命傷を負ったり死んでしまえば帰れない可能性も確かにある。あるだけで確実に帰れないとは限らないのだが。

 アルシェムはレンに向けてこう返す。

「じゃ、わたしからもレンに。もうちょっと皆と一緒にいて欲しいな」

「……どういう意味?」

「慣れ合う必要はないけど、特定の人とだけぎすぎすしてると効率が下がるから」

 その言葉にレンは心当たりがあるようで渋面になって黙り込んだ。このところずっとティータとティオと共にいるため、他の人物たちと話すことはあまりないのだ。それでもエステル達ならば何の問題もないが、一人だけ全く連携の取れていない人物がいる。それは――

「余計なお世話です」

「はっはっは、シスターさん、自覚あるんじゃん」

 リースだった。この場にいるシスターは複数人いるが、アルシェムがこの場で『シスター』と呼ぶのはリースだけだ。リースにとってレンは敵。七耀教会の怨敵たる《身喰らう蛇》の構成員なのだから当然と言えば当然か。

「私としては彼女を野放しにしておくことの方が危険だと思っているのですから、多少そうあってもおかしくはないでしょう」

「あ、それはそれで問題かな。レンが執行者だからそういうんだったら元とはいえわたしも一緒だからね。わたしを捕縛しておいたら多分永遠に進まないから」

 その言葉にリースは顔をしかめる。確かにリースの知る『アルシェム・シエル』は元執行者である。しかし、それ以外の面を知っている――『エル・ストレイ』であることを知っている――身としては、野放しにしておいても何ら問題はないのだ。むしろ心強い協力者である。

 故にリースはそのことを口にしようとした。

「ですが貴女は――」

「シスター・リース・アルジェント」

 しかし、アルシェムの一言によって止められてしまう。リースはアルシェムの瞳を見て、自分が何を漏らそうとしたのかを悟ってしまった。場合によっては減俸では済まない。

 と、そこでレンが口を挟んだ。

「仕方ないわね。お姉さんに妥協できないんだったらレンから妥協してあげるわ」

 溜息をつき、呆れたような顔でレンは思案する。今ここでリースに妥協させるために何を告げれば良いのか。それは事実無根であってはいけない。十分にありうることだとリースに思わせなければこの先支障しか出ないのだ。

 そして、レンは考えをまとめてリースに告げる。

「ここから出て一年は確実に《身喰らう蛇》には戻らないわ。何なら監視をつけていてくれても良いわよ?」

「それを、信じろと?」

「信じられないんだったらこの話はここまでね。といってもしばらくは戻る気はないんだけど……」

 レンの言葉を聞いたリースは思案した。たった一年間であったとしても、この小賢しい頭脳を持ちなおかつ一般的な遊撃士には対応できない武術を扱えるレンを野放しにしないで済むのならば確かにこの申し出は有り難いと言えば有り難い。それを信頼できるかが問題なのだ。何せ、しばらくリース自身が動けない。監視の人員は別のところから割いて貰う必要がある。

 それに、このままではいけないとリース本人も理解していた。自分がレンに注意を割きすぎていて何かが起きてしまってからでは遅いのだ。今はこの提案を呑むべきだ。そう思うのに、感情が邪魔をする。

「……分かり、ました」

 その言葉を絞り出すのに、リースは数分を要した。後でイロイロ詰めることを約束したリースは、そのまま離れて行った。エステル達ももう既にその場に現れていたからである。

「ほ、ほな行こか」

 その微妙な空気をぶった切るべく、ケビンは一向に声をかけて移動を開始するのだった。結局、『剣聖の後継者』が誰なのかはセレストにお伺いを立て、リシャールであることが判明したので彼をもつれて一行は進む。

 紅耀石の前まできた一行は、リシャールに石碑に触れて貰って別の空間へと跳んだ。そこは――

「れ、レイストン要塞か……またここに乗り込む羽目になるとはな……」

「……物凄く嫌な予感がするんだけど……気のせいよね?」

「ごめん、エステル。否定しきれない……」

 アガットの言葉通り、レイストン要塞だった。かつて難攻不落と呼ばれていたそこに潜入した経験のある三人が渋面を作る。それほどまでに過酷な環境なのだろうか、とアルシェムは思った。彼女はレイストン要塞には潜入していないため、難易度がよく分かっていなかったのである。

「取り敢えず、建物以外の場所から行くで」

 慎重にケビンと共に一行は進む。探索の末、今のところ研究棟以外は一切入れないことを確認できた一行は発着場に辿りつく。すると――

 

「皆、下がりたまえ……!」

 

 リシャールの叫びと共に一同は飛び退っていた。というのも、飛空艇から機銃で一斉掃射されてしまったからである。唯一レンだけが《パテル=マテル》を呼んで薙ぎ払って貰おうとしていたため、アルシェムが捕まえて撤退した。

「何でダメなの、アル?」

「強行突破とかルールの逸脱とかすると最悪の場合空間ごと圧壊とかされるんじゃないかなって」

「それは……痛そうね」

 渋面を作ったレンはしぶしぶ引き下がった。流石にこんな意味不明な場所で手の込んだ自殺をするほどお先真っ暗ではないのだ、レンは。一行は研究棟まで戻って内部に突入する。すると、そこには一人の男が待ち受けていた。

「やあ、久し振りだね。ようこそ……とでも言えばいいのかな?」

「シード君……君が一番なのか。やれやれ、先が思いやられるよ……」

 深く溜息をついたリシャールは、そのまま腰を落としてシードに突撃した。シードは顔をひきつらせながらその剣を受ける。どうやら、リシャールはやる気らしい。ここで邪魔をするのもどうかとは思うのだが、立ちふさがるのがシードの役目だ。やるしかない。

「王国軍所属、マクシミリアン・シード中佐……レイストン要塞元守備隊長の名に賭けて貴方方を無力化する――!」

 気合を入れ、リシャールから間を取ったシードは王国軍兵士を召喚して再びリシャールと切り結んだ。のだが、シードはここで読み間違った。王国軍兵士を召喚する暇があるのならば速攻でリシャールを倒しておくべきだったのだ。

 なぜなら――

「取り敢えず、動けなくしたら問題ないんだよねー」

 とか言いつつ王国軍兵士の四肢を撃ち抜く恐ろしい女がいたからである。瞬く間にやられた王国軍兵士に動揺している隙に、シードはエステル達からフルボッコにされて沈んだ。彼が弱いわけではない。ただ、恐ろしく連携の取れたエステル達の攻撃とそれに合わせたリシャールの動きについて行けなかっただけである。

「……な、成程……流石は、カシウスさんの、お子さんたちだ……ぐふっ」

 シードはそう呻きながら懐から鍵を取り出し、倒れた。そしてその鍵を遺して消滅する。一同は申し訳ないやらなんやらそんな気持ちがないまぜになった状態で鍵を拾い上げ、次に向かうべき場所へと向かった。

 シードが持っていた鍵は兵舎の鍵だった。一階部分には誰もいなかったのだが、二階部分で誰かが待ち受けているようである。何となく嫌な予感を覚えながらアルシェムは進んだ。

 そして――そこで待ち受けていたのは。

「お待ちしておりましたわ、閣下」

「カノーネ君……君か」

 リシャールは複雑そうな顔をしてそう応えた。ある意味リシャールはカノーネを苦手としていたのだ。忠実について来てくれるのは良いのだが、如何せん自分を盲信しすぎているのではないかと。その理由は本人は気づいていないのだが、はたから見れば一目瞭然である。

 故に、カノーネを轟沈させたのはレンの言葉だった。

 

「あら、まだ結婚していなかったの? タマネギ大佐とオバサン」

 

 タマネギ大佐、というのもオバサンというのもカノーネの耳には入っていなかった。結婚。結婚――リシャールと、結婚。そんなことが出来ればどれほど幸せだろうか。毎朝おはようアナタって言って、いってらっしゃいって熱いキスをして――キャー、というのがカノーネの内心である。

 いやんいやんと体をくねらせているカノーネを物凄く複雑な顔で見つめたリシャールは、せめてもの慈悲だと一刀の元に切り捨てた。その際、あっはあああああん! とか言いながら消えて行ったのは気のせいに違いない。

 全員が複雑な顔をしながら、ピンクの鍵を遺して消えたカノーネを見送った。

「……な、何て濃ゆい御方なんや……」

「言ってやらないでくれ、ケビン殿……」

 リシャールも頭を抱えながらそう応えるしかなかった。一体いつからあの部下があんなおかしな人物にすり替わってしまっていたのか、考えたくもない。いやあれもカノーネ君の可愛いところなのだとリシャールは自分に言い聞かせて取り敢えず先に進むことになった。

 カノーネの残した鍵は見覚えのないモノだったが、どうやら司令部のものだったようである。三階ほどあるだろうその迷路状の司令部を迷いながらも一行は進む。取り敢えずカノーネのことには誰も触れなかった。誰しも触れてはいけない領域というモノがあるに違いない。

 そして、一行は二階へとたどり着く。すると、そこには――

 

「遅いッ! 何をしておったというのだ!」

 

 といいながらいきなり襲いかかってくる老人が。無論彼はモルガンであり、手に持ったハルバードは伊達ではない。かつて《リベールの武神》と呼ばれたこともあるモルガンは現在暴走状態のようである。

「え、ちょ、ちょっとモルガン将軍!?」

「ええい腹の立つ腹の立つ腹の立つ! こんなに腹が立ったのはッ、カシウスの奴が遊撃士になった時以来だ!」

「お、おおお落ち着いてくださいモルガン将軍、積極的に僕を狙わないで下さいって!」

 暴走モルガンが最初に狙いをつけたのはヨシュアだった。一番装甲が薄そうだと思われたのか、レンが見えていなかったのか。恐らくは後者だろう。今のモルガンは見えるモノ全てを粉砕しにかかろうとしていた。

「しゃーない、皆一斉にかかるしかないで!」

 ケビンの判断により、一同はそれぞれ個々にモルガンに襲い掛かった。エステルは追われ続けているヨシュアを救うべくその援護に。アガットは純粋にモルガンと打ち合うために猛然と突撃した。ケビンは補助アーツ係で、レンは攪乱だ。アルシェムはというと、楽をすべくケビンと共に補助に回っていた。

 そんなアルシェムにケビンが突っ込みを入れる。

「いやいやいや、アルちゃん……前衛やろ?」

「楽させてよー……絶対この後カシウス・ブライトなんだから……」

「そ、それもそやな……」

 ケビンはアルシェムの言い分を聞いて妙に納得してしまった。確かにここまでリベールの軍属(元を含む)ばかりだった。故にこの先に出てくるのもリベールの軍属の人間だと思えば残るはカシウスくらいになってしまう。しかも、最初に指定されていたのが『剣聖の後継者』だ。恐らく、この空間の最終ボスは彼なのだろう。

 また前回、前々回と同じように門番などといわれてしまっては困るが、その先に誰が出現するのかは最早理解出来ない。前回はまさかの見知らぬ人物であったし、前々回はアリオス・マクレインというある意味どこから連れて来たんだと言われても仕方がない人物だったからだ。

「自由がきけば直々に《影の王》とやらを叩きのめしてやるところだ……!」

「そ、それだったら大人しく倒されてくれないかな、モルガン将軍! そうしたらモルガン将軍の協力があって《影の王》が倒せるんだから!」

 エステルの言葉をモルガンは全く以て聞いていなかった。恐らく聞こえていないのだろう、とアルシェムは思った。エステルの声だけではない。他の音全てがモルガンにとって別の音声に聞こえている可能性がある。

 アルシェムにとってそれはどうでも良いことなので、取り敢えずてっとり早く仕留めることにした。こんなところで足止めされていても良いことは一つもないのだ。モルガンには悪いが、とっとと抜けさせてもらうことにする。

「……取り敢えず戦えないような傷を負わせればいーのよね」

 ぼそっと不吉なことを呟いたその声を聴いたものは本人しかいない。アルシェムは、暴走して回るモルガンの四肢に向けて銃撃した。外れても良いのだ。今のモルガンに避けた先に誰かがいるなどという誘導は出来ていないのだから。

 それを数度繰り返した後――モルガンは姿を薄れさせて消えて行った。その頃には、司令部はボロボロ。崩壊していないのは恐らくココが現実ではないからだと言わんばかりに破壊しつくされた司令部を見た一同はまた一様に微妙な顔を見せた。

 エステルが複雑な顔でぽつりと恐ろしいことを漏らす。

「……モルガン将軍に暗示とかかけて暴走させたら、一日でレイストン要塞って落ちるわよね……」

「怖いことを考えないでくれたまえ、エステル君……」

 リシャールはそう返すが、何よりも恐ろしいことを考えていた人物は他にいた。それも、珍しく現実主義者のヨシュアである。

「いや、エステル……モルガン将軍だったら暗示を普通に跳ね返す気がするんだけど……」

「ははは、そんなまさか……うん、多分……きっとメイビー……有り得ないに違いないってははははは……」

 ケビンはその可能性に思い至ってしまって乾いた笑いを漏らす。肉体的にもダメージを負ったが、それ以上に精神にダメージを負った一行は一度拠点に戻って現実逃避するのだった。




 モルガンおじいちゃんつおい。

 では、また。


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刀剣戦隊カタナンジャー、《剣聖》ブルー

 旧130話のリメイクです。

 こいつをレッドにしても良かった気もする。

 では、どうぞ。


 拠点で少しばかり休憩し、気力を回復させた一行は改めてレイストン要塞(偽)の三階まで辿り着いていた。メンバーは変わらずリシャール、エステル、ヨシュア、アガット、レン、ケビン、アルシェムである。モルガンに粉砕されていた建物は、一応通れるレベルには修復されているようだ。

 皆が覚悟を決めて扉を開くと――そこには、果たしてカシウス・ブライトが待ち受けていた。

「……来たか」

「「父さん……」」

 カシウスの呟きにエステルとヨシュアが声をそろえて反応した。気が合うというか相性ピッタリというか、取り敢えず突っ込んではいけない域でシンクロしているらしい。アルシェムは遠い目をしながらカシウスを見つめた。

 当のカシウスは溜息をついてケビンに問う。

「まさか、まだ異変が終わっていなかったとは……ケビン殿、騎士団の方では予見できていたか?」

「いえ……まあ、封聖省の歴々がどれだけ把握しとるかは分からんですけど」

「ふむ、そうか……まあ良い。どうせ前座ではあるが後ろは茶番だ。安心して挑むと良い」

 カシウスはそうケビンに返すと、棒術具を取り出した。普通に戦う気満々である。しかも、視線はアルシェムの方を向いているあたりお灸をすえられそうでならない、とアルシェムは思った。

 その後、カシウスは一同に声をかけてからアルシェムに告げる。

「それで……アルシェム。戻ってくる気はないのは分かるが、そのまま突き進むつもりなのか?」

 カシウスはアルシェムが星杯騎士だと――リオの上司だと知っている。故に、そのまま進めばいばらの道だと知っているのだ。未だに義娘だと思っているらしいのは分かるが、どう考えても血も繋がっていなければ気持ちも通じ合えない。

 故に、アルシェムはカシウスにこう返した。

「今更後退できるとでも?」

「……そうか」

 今はとりつく島もないと思ったのか、カシウスは素直に引き下がる。どのような事情があって隠しているのかは分からないが、今ここで積極的にアルシェムの正体を明かしたいわけではないことだけはよく分かった。出来れば手加減してやりたいところだが、そうもいかないのがこの世界。むしろアルシェムの正体を明かさせるつもりで行くしかないだろう。彼女には、理解者が必要なのだろうから。

「では――行くぞ」

 そうして、カシウスは猛然と駆け出した。まず襲撃すべきは、一番厄介な人物。この場においては――恐らく、ケビンだろう。《聖痕》という存在が一体いかなるものなのかはカシウスも完全には理解出来ていない。だが、潰すべきなのはそこなのだろう。ケビンの前にいるエステル達を蹴散らそうとして――失敗する。

「悪いけど、一発逆転につながりかねない奴を一番に狙うのは分かってたから、ねッ!」

 カシウスの目の前に立ちふさがったのは、アルシェムだった。その手に持っているのは、カシウスと同じく棒術具。このメンバーの中では後方支援に徹すると思っていただけに意外なチョイスだ。

「良いのか? 支援に徹しないで」

「冗談。本気のカシウス・ブライトがいるのにわたしが後方支援なんてしてられるかってーの」

 アルシェムの判断の意味を掴みかねたカシウスは、取り敢えずアルシェムを目の前から排除すべくクラフトを発動させる。無数の打撃がアルシェムに襲い掛かる――と思いきや、アルシェムも似たような軌跡でカシウスの棒術具を辛うじて弾き返した。

 と、そこでカシウスはクラフト直後に反転する。そこにリシャールが現れたからだ。いくらリシャールが研鑽を積んでいようがカシウスに対応しきれないことはないだろうが、ここでアルシェムとリシャールに挟まれるのはよろしくない。双方ともにさばききることは出来るだろうが、少し厳しいのは確かだ。

 カシウスは体をひねってアルシェムとリシャールを少しばかり跳ね飛ばし、その場を離脱する。一歩飛び退ったところで背後から近づいてくる気配に気付き、棒術具を振った。

「……流石だね父さん」

「お前もな」

 猛スピードで突っ込んできていたらしいヨシュアを弾き返したようで、くるくる回りながら遠ざかっていく。それを視認することなくカシウスは再びクラフトを発動させた。今度のクラフトは、飛来していたレンの鎌を思い切り地面にたたきつける形で炸裂する。

 だが、彼の想像した通りに彼女の鎌は粉砕されなかった。その代わり猛スピードで地面を滑って行ったのである。

「……いやいや、ゼムリアストーンよりも硬くしなやかな金属って……」

「喰らえオッサン!」

 呆れたようにそれを思わず見送ってしまったカシウスは横合いからアガットの襲撃に遭った。それも一歩下がることで躱すが――不意に背中に何かが当たるのを感じた。それが何なのかを確認することなくアガットの振るった大剣を追いかけるように上体を倒す。

 股の間からちらりと視認した限りでは、エステルのようである。アガットと挟撃して突きを放ったのだろう。正直に言って、追い込まれていたと言っても過言ではない。

「気持ち悪いわよその避け方……」

「お前ねえ……父親に向かって気持ち悪いはないだろう」

 そのままカシウスは横に転がってアガットの二撃目を避けた。この時点でまだ動いていないのはケビンのみ。ということは――後方支援はケビンだけということだろうか。押し切るしか勝機はないと思われたのであれば心外である。

 要は、支援が飛ぶ前に無力化すればいいのだ。手加減できないのなら稽古をつけるつもりでやるしかない。どう考えても同時攻撃は四人までしか出来ないのだから、完全包囲される前に誰か二人ほど落とすしかない。

 一番最初の生贄は――突っ込んできたリシャールか。

「押し切らせて貰います、カシウスさんッ!」

「出来るものならやってみろ、リシャール!」

 骨を切らせて肉を断つ。そのくらいの覚悟で行かなければリシャールは落とせない。幸い、リシャールに教えていた流派は《八葉一刀流》。独自のアレンジはあまり加えていないようだから剣筋を見切るのはたやすい。

 次に来るのは恐らくクラフト・洸波斬。技の出で分かる。

「おおおっ!」

「ふんっ!」

 そう来るのなら――カシウスとしてはそのクラフトの真下を潜り抜けてナニに一撃を当てるしかない。あまりやりたくないが、男であれば一撃でノックアウトしてくれるだろう。ついでにこの光景を見ている約半分の男性陣も怯ませられるはずだ。

「おごっ……」

「済まんリシャール、しばらく落ちていろ」

 悶絶するリシャールを後目に、次に襲い掛かってくる少女を迎撃する。どうやら鎌は無事に回収できたらしい。カシウスはリシャールから距離を取りつつレンと打ち合った。

「ヨシュアといいお前さんといい、《結社》の連中は子供を兵士にして楽しいのかねえ?」

「知らないわ。でもレンはこうやって戦えるようにならないと生きて来られなかった。戦うすべを教えてくれた点に関しては確かに《結社》には感謝しているかも知れないわね」

 一撃でも掠ればレンは沈むだろうと分かっているのに、カシウスは当てられないでいる。レンもそれなりに場数は踏んできているらしい。カシウスの打撃を受け切れるだけの膂力がないのは双方ともに理解していた。

 故に、カシウスは一撃だけでも喰らわせるべくクラフトを発動させて――その隙に、レンに背後に回り込まれた。

「何……」

「うふふ。隙、見つけたわ」

 そうしてレンはカシウスに向けて鎌を振るおうとして――突如突き出してきた棒術具に派手に吹き飛ばされた。気力でカシウスがクラフトをキャンセルし、棒術具を引き戻したのだと気付いた時にはもう遅い。レンは壁に打ち付けられてしまっていた。

 さて、ここまででほぼ動きのない我が娘は――と思って周囲を見渡してみれば、ケビンの護衛に回っているらしい。突っ込めるときだけ援護する形のようだ。次に狙うべきはこちらに迫ってきているアガットになる――と思った、その瞬間。

「ッ、せいっ!」

「ちっ……父さんの野生のカンが鋭すぎる……」

 背後に向かって薙いだ棒術具が再びヨシュアを弾き飛ばした。レンのように壁にたたきつけられることはなかったが、遠ざかったことに変わりはない。カシウスは猛然と近づいてきているアガットに向けて間を詰めた。

「オラァ!」

 アガットの振るった大剣を棒術具で受け止めたカシウスは彼と打ち合い始める。真正面からアガットを打ち破ってもそれはそれでいいのだが、それではあまり成長が見られない。ここは一旦間を取るべきだと思ったカシウスは、嫌な予感を感じつつ身を沈める。

 そのままカシウスはアガットに足払いを掛けて――背後から振るわれていた棒術具を避けた。何となく嫌な予感がしたのは間違っていなかったらしい。だが、今回はその嫌な予感を感じさせたのはヨシュアではなかった。

「まー、避けるよねー」

「アルシェムか……!」

 カシウスは苦虫をかみつぶしたような表情でその棒術具を受ける。視認すらできずに予感だけでしか察知できないということは、ヨシュアと同等かそれ以上の隠密能力を持っていることになる。ここにきてそれはあまりにもマズイ。

 故に、普通に打ち合いに来るアルシェムを沈めようとカシウスは動こうとする。振り返ったことでアガットを背後に回してしまったが仕方がない――と思ったその瞬間。この戦いで最大の嫌な予感を感じてアルシェムの棒術具とアガットの大剣が掠るのもいとわずに大きく横に飛んだ。

 直後、カシウスがいた場所に向けて砲撃が放たれるが、最早そこには誰もいない。

「うふ、うふふ……一緒に戦ってくれるのよね、《パテル=マテル》?」

 全身の痛みをこらえながら《パテル=マテル》の手の上に座り込んだレンはそうつぶやいた。今までのような機動性を保ちつつカシウスを襲撃するのはもう不可能だ。ならば、レンがやるべきなのは大技でカシウスを追い込むこと。そして、それは今回は成功したのである。

 

「僕はもう逃げない……!」

 

 ヨシュアの発動したSクラフトに、カシウスを巻き込めたのである。どこにいても襲撃自体は可能なのだが、襲撃しやすい場所に誘導すればよりダメージを与えられるのは言うまでもない。

 だが、カシウスはヨシュアからの攻撃を全て受け切ってヨシュアを沈めてみせた。これで残るはアルシェム、エステル、アガット、ケビンのみ。レンに関しては《パテル=マテル》の動向に気を配っていれば問題ないし、リシャールは悶絶し通しだったので先ほどの砲撃に呑みこまれていた。しばらくは動けまい。

 と思っていれば、今度はアガットのSクラフトである。ヨシュアを沈めた瞬間に上空から猛烈な勢いで突っ込んでくるあたり、容赦がないとでもいうべきだろうか。だが、カシウスは多少腕にダメージを受けただけだ。そのままアガットを重力加速度に従って地面にめり込ませておいた。

 このままだと全滅である。誰もがそう思った。ケビンの《聖痕》を使っても倒しきれるか自信がないのだ。それを悟ったアルシェムは、ケビンに告げる。今ここでするべきではないことを。ここで全滅するわけには、いかないから。

「ケビン……」

「何や、珍しく名前呼びしてきて」

「わたしに三十秒頂戴。あと、後始末は頼んだ」

 いぶかしげに顔をしかめたケビンは、アルシェムの言葉の意味を正確につかんで思わず制止の声を上げようとした。しかし、それ以外に打破する方法がないのも確かだ。後始末と彼女が言うことも確かに理解出来たしケビンには実行できることだったので渋い顔でうなずく。

 そして、ケビンは残っているエステルに向けてこう頼んだ。

「三十秒だけ、カシウスさんをどないかしといてもらえへんか。そうしたら、アルちゃんが何とかしてくれる」

「……悔しいけど、分かったわ」

 エステルもここまでカシウスを観察してきて思ったのだ。アレは勝ち目がない。カシウスの知らない一撃を叩き込まなくては、間違いなく勝てないのだと。そして、アルシェムがそれを成せるというのなら任せるしかない。今エステルがすべきことは、アルシェムを信じて時間を稼ぐこと。

 故に、エステルはカシウスに向けて駆け出した。

「行くわよ、父さん!」

「来い、エステル!」

 カシウスもその狙いについては何となく読めていたが、今は敢えて愛娘の成長を観察することを選んだ。ここをしのぎ切ってもまずいというのもあるが、今それを選べる程度の自由はあるようだからである。

 これで決めて、全員無事に帰ってきてほしい。カシウスはそう願っていた。手加減するのは赦されていないにしても、心情だけは誰にも操らせはしない。手は抜かないが、判断を故意に誤るくらいはしても良いだろう。

 ――五秒。カシウスとエステルが棒術具を打ち合った。エステルの気合は十分で、カシウスの一撃目を受けるどころか二撃目を出させないようにさらに踏み込んでくる。

 ――十二秒。微かに聞こえた声で、アルシェムが何かしらのアーツを唱えたのを察した。だが、今目の前で棒術具を振るっているエステルから逃れようとはしない。逃れたところで、アルシェムが唱えたアーツはただの水属性補助アーツ。立ち上がれた人間がいたとしても一撃で昏倒させられる。

 ――二十秒。エステルに痛撃を与えようとした瞬間に地面から生えて来た槍に気付き、後退を余儀なくされる。このクラフトはどうやらケビンのもののようである。ここで決着をつけてしまっては終わってしまうので有り難い。

 そして――二十九秒。アルシェムが小さく呟くように何かを唱えているのが聞こえた。

 

「……我が深淵にて煌めく蒼銀の刻印よ。我が前にその力を示せ――」

 

 ――三十秒。エステルがそれを数え終わったのか、思い切り飛び退る。カシウスはそれを追おうとして――出来なかった。彼の周囲に氷の檻が生えて来たからである。危うく突き刺さるところだったが、何とか立ち止まることで串刺しだけは免れた。

 そして――カシウスは、アルシェムの方を振り仰ぐ。すると、昏い目をしたアルシェムの背に何かが――《聖痕》が、煌めいているのが見えた。それ以外にも、彼女の胸の前に何かが収束しているのが見える。それがどういう目的で生成されたモノなのかを察したカシウスは氷の檻を破壊して逃げようとしたのだが、もう遅い。

「こんなところで切るはずじゃなかったんだけどな、この切り札」

 アルシェムの言葉と共に撃ち出された氷柱は、必死で体をひねって躱そうとしたカシウスの脇腹を盛大に抉った。そこで技が終わるものだと思っていたカシウスは、いつまでたっても消えない氷の檻から抜け出せていない。

 

「済みません、カシウスさん――ここで、決めさせていただきます!」

 

 その声に気付いた時――カシウスは終焉を受け入れた。何故なら、先ほどまで悶絶していたはずのリシャールが刀を抜いて迫ってきていたのだから。先ほどの水属性補助アーツはアルシェムが決めきれなかった時の保険。そして、それを任せるに足る人物は――リシャールしかいなかった。ただそれだけのことなのだろう。

 カシウスは目を閉じてその剣閃を受け入れた。




 何とか六千字で倒れてくれたよこのおっさん。二話続きでおっさんを倒すとか描写しきれないし。

 では、また。


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守護騎士達の茶番

 旧131話~133話のリメイクです。ちょいと短め。

 では、どうぞ。


 リシャールに斬られ、膝をついたカシウスは大きく息を吐き、呼吸を整えて立ち上がった――棒術具を棄てて。もうここから逆転することは不可能だ。それに、死ぬ気で暴れる理由ももうなかった。

 故に、カシウスはこうこぼす。

「あれが――お前というわけか、アルシェム」

 自らの義娘に向けてカシウスが零した言葉は最早アルシェムには届かない。いくら詰ろうが責めようが哀れもうが、彼女の心に届くことはもうないのだ。何故なら、もう彼らは『家族』ではないから。

「だから何? それがあんたに関係あるとは思わないね」

「……そうか……後悔の少ない道を選べよ」

 冷たい目でもう『家族』ではないと、戻る気すらないと宣言されたカシウスはそれだけをアルシェムに告げた。これ以上彼女に言うべきことはない。もし彼女に誰かが何か言えるとするなら――それは、彼女の『家族』でしか有り得ない。カシウスではアルシェムを引き留められる楔としての存在にはなれないのだ。

 カシウスはエステル達に一言ずつかけてから、消えた。皆がカシウスという壁を乗り越え、先に進む。例外は多少いるものの、彼らにカシウスが何かできることはもうないのだ。

 カシウスが消えた場所に現れた扉に、文字が現れる。どうやらこの先にまだいるらしい。カシウスは茶番だと言っていたが、流石に休憩しておきたかった。故に、一同は一度拠点へと戻る。次に必要なのは、『琥珀の姫、黒豚の娘、止まらぬ金色、大喰らいの娘、銀の鍵』だ。

 一行は十分に休息を取ってから『琥珀の姫』ことカリン、『黒豚の娘』リオ、『止まらぬ金色』メル、『大喰らいの娘』リース、そしてアルシェムを連れて扉へと向かった。無論、その直前にエステル達には暗示をかけてアルシェムのことを忘れさせている。

 扉の前に立ったケビンが複雑そうな顔をした。ここに連れてきた人物たちは全員星杯騎士団のメンバーだ。このメンバーで当たらなくてはならない人物がこの先にいると思うとそれはそれで不安な気もする。だが、進まないわけにもいかないのだ。

 そして、ケビンは扉に手を触れ――扉の中に一同は吸い込まれた。そこで待ち受けていたのは――

「ワジかい!?」

「やあ、久し振りだねケビン。元気してた?」

 《守護騎士》第九位《蒼の聖典》ワジ・ヘミスフィアだった。現在はクロスベルに潜入しており、なかなか自由にやっているとか。中性的な顔立ちも相まって性別不詳の御仁である。

「ストレイ卿もあの時以来だね。今度クロスベルに来るって?」

「あーうん。ただ、イロイロ予定が崩れまくってるから想定外の方法で潜入することになるかも」

 ワジの問いにアルシェムは遠い目をしながら答える。生存が明かされてしまった以上、偽名を使って潜入はもはや悪手にしかなりえないのだ。故に、本名で何かしら自由に動けるだろう場所に潜入するしかない。遊撃士という選択肢をあそこで潰したのはあまりよろしくなかったか、と今更ながらにアルシェムは思っていた。

「へえ、そうなんだ。……さて、多分模擬戦で良いと思うんだけど、やる?」

「せやな。やらな帰れへんし……ま、ご愁傷さまとだけゆうとくわ、ワジ」

「えっ」

 ケビンの言葉に虚を突かれたワジに、一気に従騎士達が襲い掛かった。先ほどまで動いていなかったので彼女らは元気いっぱいなのである。因みにケビンもアルシェムも彼らに加勢するつもりは毛頭ない。あの程度の休憩でダメージがすべてなくなるわけがないのだ。比較的ダメージの少なかったケビンは別だが。

 結局――ワジは従騎士達のえげつない攻撃によって倒れることとなった。インフィニティ・スパローとその派生形×三と火属性アーツで燃やされることによって。ある意味不憫と言えば不憫だった。

「……お、覚えてなよケビン、エル……」

 哀れなワジは全身傷だらけになりながら消えて行った。そうして――映像が浮かび上がる。

 

 ❖

 

 七耀暦1200年の夏、アルテリア法国の七耀教会総本山にて。カシウス・ブライトに保護されたアルシェムという名の少女は記憶を取り戻すためという名目で七耀教会の最奥、迷宮庭園の奥へと連行された。もっとも、それ以前に表の聖堂で暗示を解いては貰っていたのだが。

 そこで待ち受けているのは、誰あろう《守護騎士》第一位《紅耀石》アイン・セルナートである。彼女はアルシェムに向けてニヤニヤと笑みをこぼしながらこう告げた。

「ようやく来たか。待ちくたびれたぞ?」

「仕方ないでしょーに。色々手筈が狂ったんだから……」

 頭を抑えながらアルシェムはそう返す。彼女は最初から七耀教会の人間に捕まるつもりだったのだ。そのためにクローディア暗殺を七耀教会にリークしたのである。しかし、現れたのはカシウス・ブライトだった。二度手間にも程がある。

 溜息を吐いたアルシェムにアインはからかうように問うた。

「にしては、記憶ははっきりしているようだな? アルシェムというのは偽名か、シエル?」

 その瞬間――アルシェムは名状しがたい感覚に襲われた。はっきりとその時自覚したと言い換えても良い。彼女はその時真に『アルシェム・シエル』となったのだ。顔をしかめたままどちらも偽名ではないことをアインに告げたアルシェムは、就任式をとっとと終わらせたいと思っていたアインに連行されて身だしなみも整えぬままに法王と面会することになる。

 薄布のベールで被われた小さな空間に、法王はいた。彼女に向けて跪いたアインは恭しくこう告げる。アルシェムは慌ててアインに従うように跪く。

「猊下。連れて参りました」

「ご苦労様、アイン。お下がりなさい」

「――は」

 何となく癇に障る甲高い声がアインに退出を促し、アルシェムをその場にとどめ置く。アインの言葉から、ここで就任式が行われるのだと察していたアルシェムは跪いたままでいた。

 すると、法王がアルシェムに告げる。

「初めまして、会えて嬉しいわ――守護騎士となる者よ。貴女はこれより守護騎士エル・ストレイと名乗りなさい」

「承知いたしました」

 なんとなく気分が悪くなってきたような気もするのだが、必死にそれを堪えて声を絞り出す。記憶のどこかをしきりに突いてくる。この声は、癇に障る。あまり長い間聞いていたい声ではない。

 だが、法王の話はまだ終わらない。

「わたくしは法王エリザベト・ウリエル。貴女を第四位の守護騎士《雪弾》として迎え入れますわ」

 たったそれだけの言葉が苦痛に感じるなど、どうかしている。アルシェムはそう思いつつも拝命します、と答えて儀式を終わらせた。手渡された星杯騎士団の紋章を受け取ったアルシェムは、そのままその部屋を退出する。

 すると、扉の外で待ち受けていたアインに声を掛けられた。

「……どうした? あまり顔色がよろしくないようだが」

「……よくわかんない……」

 アルシェムはぼんやりとしたままそう応えた。そう応えるしかなかったのだ。あの耳障りな声は一体どこで聞いたことがあるのだろうか。アルシェムは記憶を何度も浚ったが、その答えはついに出なかった。

 そして、アインに連れられて元の場所に戻ったアルシェムは、自らのサポートをするという従騎士達と引き合わされた。一人目はメル・コルティア。金髪碧眼の、アルシェムよりもわずかに年上に見える少女である。二人目は黒髪のリオ・オフティシア。こちらもアルシェムよりも年上に見える少女。そして、三人目は――

 

「ヒーナ・クヴィッテです、ストレイ卿。よろしくお願いいたしますね?」

 

 その声を、その顔を、彼女を構成するすべてを認識した瞬間――アルシェムは限界まで目を見開いて涙をこぼしていた。アルシェムは彼女を知っている。もし彼女がアルシェムを忘れているとしても、アルシェムは彼女を忘れることなんて出来ない。

 震える声を押し出してアルシェムは呆然と呟く。

「……どう、して……ここに」

 アルシェムの声を聴いたヒーナは眉を寄せ、意味を手繰り寄せようとしているようだ。だが、もう一度だけでいい。声を聞かせてほしい。そうすれば――名が変わっていても、立場が変わっていても何度でもアルシェムは呼ぶだろう。その名を――

 

「カリン、姉……?」

 

 かつて姉と慕ったカリン・アストレイの名を。艶やかな黒髪。琥珀色の瞳。記憶に残る柔らかい声。恐らく、どれか一つでも違ったとしてもアルシェムは彼女がそうだと判断しただろう。忘れるわけがない。あれほどまでに慕い――あれほどまでに、手ひどく裏切られた女性は。

「……ヒーナ、知り合いか?」

「……ええ。でも、どうして……今までどれだけ探しても見つからなかったのに……」

 アインとカリンの声がアルシェムの耳朶を打つ。その声と、あの時の最後の言葉が重なり合う。消えろと。人殺しと。思いつくがままに罵ったのだろうその言葉を。聞きたくない。聞いたって――どうせ、裏切られるだけだから。

 だが、アルシェムの口はひとりでに言葉を紡いでいた。

「……アインが、カリン姉をあそこから連れ出したの?」

「《ハーメル》の件のことを言っているのならば、そうだ。偶然通りがかってな……」

「そ、う……」

 アルシェムに出来なかったことを、アインはいとも簡単に成した。それが何故だか腹立たしかった。自分にだって守れたのに。あのまま戦い続ければいつか猟兵達は全滅させられたのに。

 その黒い感情を知らず、アインは問う。

「因みに一応聞いておくが、他にエレボニアからの粛清を逃れた《ハーメル》の生き残りはいるのか?」

「……粛清、って、どういうこと」

「何だ、知らなかったのか。……裏から七耀教会に依頼が来た。《ハーメル》に関わった全ての人物を粛正するように、とな」

 無論断ったが、他に生き残っている人物がいれば危険だと警告を発する必要があるだろうから、とアインは続けたのだがアルシェムは聞いてもいなかった。そんなことになっているだなんて知らなかった。浅かれ深かれ《身喰らう蛇》という名の闇の中にいたアルシェムにすら入って来ない情報。それを発することができる人物は本当に限られてくる。

 アルシェムはアインにこう返した。

「警告は必要ないと思う。《蛇》にいたわたしの耳には全く入らなかったし――それに、《蛇》の中にいるレオン兄もどこかに潜入に行ってるヨシュアも無事だから」

 暗にそれ以外に生き残った人物はいないのだと告げて、アルシェムは歯を食いしばる。裏から七耀教会に依頼を回せる人物。それは――《身喰らう蛇》自身か国家。もしくはその中枢にほど近い人物だろう。

 そして、アルシェムは知っていた。あの件を機に人生が変わった人物を。彼の名は――ギリアス・オズボーン。《鉄血宰相》と言われ、強引で周到な方法を取って周辺の自治州や小国を今なお吸収し続ける政策をとる人物だ。そして、恐らく《ハーメル》の首謀者の一人でもある。

「そう……レーヴェも、ヨシュアも無事なのね」

「多分。あーでも、そう簡単には死なないと思うよ――あいつらが自分から《ハーメル》出身だと名乗らなきゃね」

 吐き捨てるように言ったアルシェムは、涙を乱暴に拭った。これ以上この話をするのは精神的につらいものがある。あまり思い出したいことでもなければ、そこから始まる地獄を無理に思い返したくないという気持ちもあった。

 アルシェムはここで話を切るべくカリンから視線を外し、メルとリオに向けて挨拶した。どちらも硬くなっているようで、少々気後れするものもあるのだがこういうのは慣れるしかないのだろう。

 淡々と支給されるというメルカバについて説明してくれるリオに向けて敬語でなくとも良いと告げると、物凄く変な顔をされてしまった。身分については徹底的に叩き込まれているようである。どうやらそれだけでもないようなのだが、そこに自分から敢えて突っ込もうと思うほど今は余裕がない。いずれは腹を割って話す必要はあるのだろうが。

 だが、アルシェムの心配は杞憂に終わった。というのも、いきなりリオの方がこう問うてきたのだ。

「あの、ストレイ卿は……グェンワ・オフティシアという男をご存知ですか」

 アルシェムが知っているわけがないと思いながら、知っていられたらどうしようと思っている。アルシェムはそう判断した。そして、幸か不幸かアルシェムは彼のことを知っているのである。

 アインが窘めるようにリオに告げる。

「おいおいリオ、コイツはエレボニアから《蛇》に行った女だぞ? 知っているわけが――」

「いや、知ってるけど、それがどうかした?」

 そう応えたアルシェムは、リオの顔が硬直するのを見た。そして、諦念を浮かべながらアタシはその娘です、という彼女の言葉を聞いた。アルシェムからしてみればだから何だ、という話である。父が誰でナニをしていようが関係などない。世間一般的には偏見を持ってみられるのだろうが、アルシェムにとってその見方は一番嫌いな見方だ。何故なら、《ハーメル》では『孤児』というレッテルで自らの言葉を信じて貰えなかったのだから。

 故に、アルシェムはリオのために言葉を紡いだ。

「それが何か関係ある? 父親が何かやらかしたからってあんたもそうだとは、わたしは思わない。……まあ、あんたにそっちのケ――げへへへへとか言いながら少年幼女に襲い掛かることね――があるんだったら別だけど」

「ある訳ないでしょ! ……って、え? 少年……? 何それアタシ知らない」

 リオは猛然と抗議してからアルシェムの言葉に含まれる自らの知りえないことについて疑問を持った。何故アルシェムがそんなことを知っているのか。もしかして、父と呼ぶのも悍ましいあの男は――この、少女を。リオはそう思って震えた。

「えっと、その……あのヒト、レオン兄に豚めとか罵られながら斬り殺されたわけなんだけど……もしかしてそこから知らない?」

 その言葉を皮切りに、アルシェムは洗いざらい吐かされてしまった。過去の――《楽園》という名の《拠点》にいたことを。そこでメルもなぜか反応を見せたのだが、その時のアルシェムはその理由を知らなかった。後に本人から少しだけ聞くことが出来ただけだ。

 そうして、ひと段落ついたところでアルシェム達には任務が言い渡された。『《剣聖》に張り付き、動向を監視して報告すること。正体がばれないのが最優先』。それが、アルシェム達に与えられた任務である。違和感を抱かせない程度に近づくことが重要らしい。

 この任務が終わるまで、アルシェムは七耀教会にシスターとして登録しないようにアインに告げた。そうしなければ、カシウスはどこからでもこのこと――アルシェムが守護騎士であること――を嗅ぎ付けて来るだろう。故に、全てを見届けるまでは遊撃士として動くことにしたのである。年齢が資格を取るに満ちたら、だが。

 その後、アルシェムは丁度非番だった守護騎士第五位と第九位に引き合わされた。その際、弄りやすそうな人物だったために第五位の方を花瓶だのネギだの不憫だのとからかったのだが、それはまた別の話だ。

 こうして――《守護騎士》第四位《雪弾》エル・ストレイは生まれたのである。この後も小さな任務には駆り出されたのだが、それはそれでまた別の機会に語られるだろう。




 こういう時ってやっぱ3rd便利だわ。

 では、また。


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茶番の前座

 旧134話のリメイクです。
 めりーくりすます。

 では、どうぞ。


 黒耀石の石碑に記されていた文言は、『《影の王》に代わり、《黒騎士》が告げる。滅びし里の遺児、山猫の紅一点を引き連れよ』というものだった。それにしたがってケビンはヨシュアとジョゼットを連れて行くことになった。今回に限りアルシェムは除かれているのだが、その理由は杳として知れない。念のためのサポート要員としてリースもついて行ったのだが、彼女はその石碑の先へと赴くことが出来なかった。

 石碑の先の世界は《紅の方舟》ならぬ《黒の方舟》だったらしく、複雑な構造を何とか少数で切り抜けながらケビン達は進み――格納庫まで来ると、そこには元空賊《カプア一家》の面々が待ち受けていた。といっても、その一員であるジョゼットはこちら側にいるので彼女だけは再現されていなかったが。

 葛藤を見せるジョゼットにドルン達は気にするなと声を掛けつつ早く帰って来いという温かい言葉を掛け、全力で向かってきた彼らをケビン達は苦戦しつつ何とか討ち破った。

 そうして、先ほどは進めなかった場所に小さな石碑が現れる。『《影の王》に代わり、《黒騎士》が告げる。滅びし里の遺児、麗しの姫君、酒呑まるる皇子、猛獣使い、唐辺木の熊、鐘の交錯する地の娘、銀の鍵を引き連れよ』――それが、その石碑に記された言葉だった。一度戻らなければならないことにケビン達はほっとしつつ、一度拠点へと戻ってメンバーを入れ替えた。

 『滅びし里の遺児』――ヨシュアはそのままに、『酒呑まるる皇子』ことオリヴァルト、『麗しの姫君』クローディア、『猛獣使い』シェラザード、『唐辺木の熊』ことジン、『鐘の交錯する地の娘』レン、そしてアルシェム。それが次のメンバーである。アルシェムには、この時点で誰が出現してくるのかは予想できていた。どう考えても執行者関係である。

 そして、小さな石碑に触れた一行は――ヨシュア、クローディア、オリヴァルト、レンを除いて鉄格子の中に入れられてしまった。どうやら破壊は出来ないようで、ついでにその隙間から攻撃しようと思っても何故か銃撃が通らないようだ。しかもなぜかクローディアだけジェニス王立学園の制服になっている。

 アルシェムはその様子を視認すると微妙な顔でこうこぼした。

「……うーん。メンバー多すぎて可哀想だから区切られたかな?」

「相手はあの変態紳士ね……何とか切り抜けられるだろうけど、何も出来ないってのは歯がゆいわ」

 シェラザードは悔しそうに唇を噛んで檻の中から変態紳士ことブルブランを睨みつける。ブルブランにもその様子が見えるのか、苦笑しながらクローディア達に向かい合っている。

 そんな中、ケビンはシェラザードに問うた。

「……勝算はありそうですか? シェラザードの姐さん」

「あると思うわよ。どう見ても前衛が足りないけど、レンが《パテル=マテル》を使ってくれればね」

 そのシェラザードの答えにアルシェムは眉をひそめる。というのも、彼を『使う』という表現はいかにも道具的なのだ。レンにとっては、《パテル=マテル》は道具ではない。

 故に、アルシェムはシェラザードに告げる。

「悪いけどシェラさん。『使う』だなんて言わないで。《パテル=マテル》は、レンのパートナーなんだから」

「……分かったわよ」

 シェラザードはアルシェムの言い分を渋々受け入れたような返事をするのだが、本心では理解していない。何故なら、自らの得物はただの物体であって魂を持っているわけではない。得物を消耗させずに戦えるほど、シェラザードは熟練の技を持っているわけではないのだ。故に彼女は長い間同じ得物を使い続けることは出来ない。むしろ長い間得物を消耗させず戦えるのは例外のレオンハルトとケルンバイターのような組み合わせに限られる。

 だからこそ、パートナーというほど愛着を持つことは出来ないのである。武器の種類には愛着はあるが、個々の武器そのものに愛着があるわけではない。いずれ喪うものに執着しすぎると命取りになりかねないのだから。

 それぞれが複雑な思いを抱えている中、突如戦いは始まった。というのも――ブルブランが不用意な発言をしてしまったからだ。

「おお、我が姫よ! 斯くも貴女は美しく気高い! すぐにでもこの手に入れたいと欲するのは私だけではあるまいよ」

 そのブルブランの発言への答えは、冷たい目をした一同からのSクラフトだった。クローディアから始まり、ヨシュアとレンによる足止めを喰らったブルブランはオリヴァルトのSクラフトを受けてぼろぼろになり――そして、ニガトマトサンドを早食いしたクローディアの手によってもう一度Sクラフトを喰らって倒れた。

 倒れた後にブルブランはまた一言告げる。

「我が姫……下から見える光景も格別だ。我が姫、万歳」

「……是非、冥府へ赴いてください♪」

 その言葉が示していること――制服に変えられた自身の下半身はスカートである――を瞬時に理解してしまったクローディアは、思わずイイ笑顔を浮かべながら親指で首を掻っ切るしぐさをしながらブルブランにとどめを刺してしまった。ブルブランの自業自得である。因みに、とどめと表現したが動けなくなっただけでブルブランが死んだわけではない。

 ブルブランが消えると、今度はクローディアとオリヴァルトのいる位置に鉄格子が生えて来た。どうやら、次は彼女らを戦えなくしたらしい。ついでに制服が元の服に戻っているのは仕様のようだ。もしやブルブランの思念がクローディアに制服を強要していたのかもしれないと思って怖気を感じた人物がいたらしい。

 クローディア達が拘束された代わりに解放されたシェラザードと地の文ですら空気と化していたジン、そしてケビンが解放される。

「……ということは、次は――」

 誰かが零した言葉がきっかけとなったのか。急速に実体化した二つの人影は、見覚えのあるものだった。片方は煙草をくわえており、もう片方は安定のガムテープな露出狂姿だ。言うまでもなくヴァルターとルシオラである。

 ニヒルな笑みを浮かべたヴァルターが口を開く。

「俺達ということだ」

「そういうこと――だけどヴァルター。以前私が言ったことを覚えていて?」

 にこやかに一同を見たルシオラは一転してヴァルターを睨みつける。どうやら、煙草の臭いはこんな場であってもだめらしい。ふんす、と気合を入れてヴァルターの口から煙草を奪い取るとそのまま彼方に投げ捨てた。

「何しやがる!」

「私の肺の健康を害するために吸っているというなら別だけれど、そうでないならやめなさいと言っているでしょう?」

「俺がヘビースモーカーなのは知ってるだろ!? 良いじゃねえか生き返ったんだから、一本ぐらいよぉ!?」

 まるで夫婦漫才だが、その会話の中にあったとある一言にジンが反応した。『生き返った』ということは――もしや、ヴァルターは。いや、しかし、いつ彼が死んだというのか。《アクシスピラー》だって《四輪の塔》の時のように滑り降りていけば《紅の方舟》で逃げられたはずだというのに。

 故に、ジンは言葉を漏らしていた。

「どういうことだ、ヴァルター。『生き返った』……と、いうのは」

「何だジン。そんなところまで鈍くなくても良いだろうが」

 その言葉で――ジンは悟る。ヴァルターは何らかの理由で死んだ。ここにいるのはただの存在としての彼で、現実世界では――ヴァルターという人間はもういない。兄弟子が死んだことに、ジンは眉を下げる。

 それを見たヴァルターは苦笑しながら告げた。

「そんな顔すんな。いつか決着はつけるべきだったろ? ――《泰斗流》の正当後継者の座も、キリカの奴も、全部てめぇのモンだ」

 そんなものはいらない。ジンは思った。そんなものよりも、ヴァルターに表の光の当たる道に戻ってきてほしかった。確かに師父リュウガ・ロウランはヴァルターに殺された。だが、そんな彼にもやり直す道があっても良いはずだ。幸せになってはいけない人間なんて、いないはずなのだから。満足そうに殺人拳を振るっているヴァルターにだって、まっとうに生きる道があったはずなのだ。そして、その道を歩ませることが――ジンに出来る、彼への贖罪だったのかもしれないのに。

 自覚していた。ヴァルターに言われるまでは気づかなかったことを。毎日武術だけに全てを注いでいた時には気付かなかったことだ。彼の心は、いつだって《泰斗流》とキリカに向いていた。そして、キリカの心も――今はどうかは定かではないが――ジンに向いている。そのことが、キリカを好いていたヴァルターにはどうしようもない苦しみだったことももう理解した。

 故に、ジンはヴァルターに償わなくてはならない。たとえあの時、満足そうに打ち合っていたのだとしても。それが自己満足だと理解していても。万に一つの可能性もないのだとキリカの口から聞かせることで、ヴァルターの暴走を止めなければならなかった。それがどんなに残酷なことだとしても――ずっと、彼女の口から聞けなかった言葉をヴァルターは知るべきだった。

「――済まん」

「は?」

 知らず、漏れた謝罪の言葉にヴァルターが眉を寄せているのも知らずにジンは考えに没頭していた。どうやれば、もっとうまくヴァルターと和解できたのかを。過去のことを考えてもどうしようもないことだと分かっていてなお。

 そんなふうに悩んでいるのを理解していたヴァルターは眉を思い切りよせながらジンに向けて一撃、拳を振るった。考えに没頭してしまっているジンは、当たる直前に気付いて――だが、それを避けようとはしなかった。ヴァルターの拳を受けてジンが吹っ飛んでいく。

 それを見た一同はヴァルターに非難の眼を向けようとしたが――あまりにもヴァルターから発せられる気配が濃厚だったために思わず後ずさる。彼が纏っていたのは濃厚な殺気だったのだ。

 

「――てめぇらはルシオラと遊んでろ。ジン、てめぇはこの手でぶっ飛ばす」

 

 その声に呼応するように、一気にジンに間を詰めたヴァルターを起点にして透明な壁が現れた。そして、ヴァルター対ジン、ルシオラ対その他メンバーという構図が出来上がってしまう。

 それを見てルシオラは呆れた声を出した。

「あらあら。仕方のない人。……まあ良いわ。こちらもこちらで適当に終わらせましょう」

「て、適当って、姉さん……」

 複雑そうな顔をしてシェラザードが声を漏らすが、ルシオラは知ったことではない。ここからシェラザードが帰って行ってくれればそれでいいのだ。また再び現実世界で相見えた時に色々と語り合えば良い。

 宣言通り全力で戦いつつも思考だけはサボって適当に戦ったルシオラは、いとも簡単に捕縛される。

「……姉さん」

「フフ……真面目にやっても仕方がないのよ、シェラザード。いずれまた――会えるときも来るのだから」

 ルシオラの不意打ち気味の言葉にシェラザードが瞠目して――その隙にルシオラは消える。シェラザードは思いがけなく知ることの出来たルシオラの生存という情報に安堵していた。

 そんな光景を皆が見守っている――わけもなく、分断されたままのジンとヴァルターの様子を見ていた。加勢に入ろうとしても透明な壁に遮られて一同は助太刀にすらいけない。銃弾一発通さないその壁に歯噛みしつつ一同はその様子を見守ることしか出来なかった。

 

 ❖

 

「たかが俺のことでここまで腑抜けるか、ジン」

「俺は――」

 戦いは一方的だった。ヴァルターがジンを蹂躙している。ヴァルターには傷一つついていないのに、ジンは既にボロボロなのだ。その理由は簡単だ。ヴァルターの拳は全てノーガードで通していてかつジンの拳は全くヴァルターまで届いていないだけ。

 ヴァルターは舌打ちしながらジンに告げる。

「てめぇが俺を殺したわけじゃない。それなのに何故そこまで迷う」

「俺は、お前の――」

 その言葉の先は分かっている。故にヴァルターはジンを殴ってその続きを言わせなかった。一体何様のつもりなのだと。ヴァルターの気持ちに気付けなかった。ただそれだけのことを何故そこまで思い悩むのか。

「俺は既に死んでいる。なのに、何故俺の感情に気を遣うような真似をする」

「それは、俺が――」

 その言葉の先は、ヴァルターには分かっていた。故に、ジンは殴られてその続きを言えなかった。鈍い。確かにジン・ヴァセックという男は尋常でなく鈍い。だからこそできることもあるだろうに、ジンはそのことにまでまだ思い至っていない。

「俺はグロリアスの墜落に巻き込まれて死んだ。この先に生きるてめぇに気遣われるいわれなんてない」

「――それでは、俺の気が済まない」

 今度は言い切れた。何故なら、ヴァルターは不機嫌そうな顔で拳を止めたからだ。だから何だ。ヴァルターを気遣ったというのなら、何故安らかに眠らせてくれない。師父に合わせる顔も、キリカに合わせる顔もないのに。このままヴァルターを破らなければ、《影の国》はいずれ現実世界まで浸食を始めてしまう。そうなれば、合わせる顔もないというのにありもしない愛を求めてキリカに会いに行ってしまう気がする。そんなことは、してはいけないのに。

 ヴァルターは声を震わせてジンに告げる。

「……ふざけんな」

 師父とキリカに合わせる顔がなくなってから、ヴァルターは絶対に後戻りできないように生きて来た。進んで犯罪に手を染め、他人を殴って金銭を奪い取り、他人を殺して生きて来た。どうせ合わせる顔もない。ならば、思い切りこの身を穢してしまえば良い。名も知れぬ女を壊しながら、ヴァルターは自分を穢していた。そうして《身喰らう蛇》に誘われ、積極的に人を殺して生きて来た。そうすれば、二度とキリカに会わなくても良いと思ったから。しかし、何度もキリカが恋しくなってはそのあたりの女を漁って壊していた。それが赦される場所だったのだ、《身喰らう蛇》は。

 故に、ヴァルターは《身喰らう蛇》に居場所を見出した。間違いなく活人の道を選ぶであろうキリカならば絶対にこちらには来ないと信じて。二度と関わることはない。そう思っていたのに、上からの依頼でリベールの名が出た時には了承してしまっていた。そこに、キリカがいると知っていたから。四輪の塔でキリカと顔を合わせた時は、飄々とした顔を取り繕うので精一杯だった。本当ならば満面の笑みで抱き着きたいと思っていたのに。今そうしてしまうと、キリカを壊して、穢してしまう気がして。

 だからこそ、ヴァルターはジンに《アクシスピラー》で裁いて貰えればと思っていた。キリカが愛し、師父の覚えも良かった弟弟子に全てを託して人生を終えようと思っていたのだ。だが、ジンはどこまでも甘く――ヴァルターは生き残ってしまった。這う這うの体でグロリアスまで帰還した時には、またいつか決着をつけようと思っていた。だが、突如グロリアスが爆散したことでヴァルターは悟ったのだ。どこまでも、自分の運はジンに持って行かれているのだと。それならそれでもう良かった。そのまま死ねば、幸せなキリカとジンの姿を見ずに済むのだから。

 そうしてヴァルターは死んだ。だが、ここに再現されてしまって――飽きるほど考える時間が与えられてしまって、ヴァルターは悟ったのだ。最初から死んでいれば良かったのだ。あの日、師父を殺すくらいなら。キリカの中で『ヴァルター』が死ぬくらいなら。師父に殺されて、キリカの心の中に傷跡として残ればよかったのだ。

 悟ってしまえば早かった。このままやる気もなく消えれば良かった。だが、《影の王》はそれを赦してくれない。ならば、もしもジンが迷っていれば尻を叩く役目になれば良いと思った。

 だというのに、ジンは想定以上に迷っている。こうなれば、ヴァルターに出来るのはもう一度根性を叩きなおすことだけだ。自分という壁を乗り越えて貰うしかない。そうしなければ、キリカが悲しむから。

 

「立てよ、ジン……兄弟子からの、最後の手土産くらい持って行け」

 

 そうして、ヴァルターは久しく使っていなかった活人拳を解禁する。もう二度と使うまいと思っていた、活人拳を。未練があったから《泰斗流》自身は捨てられなかった。殺人拳に走った。だが、彼の中からは活人拳は失われてなどいなかったのである。それは歪んだ愛の形。キリカのためだけの活人拳。

 それを見て、ジンは本能的に拳を振るった。その拳はヴァルターの頬に突き刺さる。そして、ヴァルターの拳は――ジンの、心臓の真上を突き刺していた。だが、不思議とその拳からは痛みがもたらされない。

「ヴァルター……?」

「これで満足だ。てめぇに――償って貰うことは、もうねえよ。てめぇの大切なもんはもう奪ったからな」

 そして、ヴァルターは光に包まれながらこう告げる。てめぇが多分尊敬していたであろう、ヴァルターって名前の兄弟子をな、と。その後、完全に消える直前に口が動く。

 

『キリカと幸せになりやがれ、ジン』

 

 その言葉は、ジンの心に静かに降り積もる。ケビンはちらりと再び現れた小さな石碑の文言を読みつつ呆然と涙を流しているジンを連れて拠点へと戻る。しばらく、ジンは休ませておくべきだ。皆の共通見解により、彼はヴァルターの言葉の意味をかみ砕くように理解する時間を得たのだった。




 クリスマスプレゼントにちょっといい人なヴァルターをプレゼントするよ!

 ……冗談です。

 では、また。


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夫婦喧嘩とペングー

 旧135話~137話までのリメイクです。

 では、どうぞ。


 再び現れた小さな石碑。そこには、ただ一言だけ書かれていた。『《影の王》に代わり、《黒騎士》が告げる。来るなください』――その言葉の意味を理解した一同は困惑した。一人を除いて、だが。

「……うふ、来るな、ですって。行くしかないわよねぇ。さあて、どうやって連れ戻してあげようかしら」

 見る者が見れば分かる真っ黒い笑みを浮かべたカリンが物凄い怒りのオーラを発しながらそう告げていた。どうやら、《黒騎士》は皆が無意識にでも考えた人物その人であるらしい。そうでなければ、連れ戻すなどという言葉は出ないはずだ。

 引き攣った顔で、その場にいた皆を代表してヨシュアがカリンに問う。

「えっと、姉さん。もしかしなくても……」

「ここまで出てこないんですもの。レーヴェに決まっているわ。カシウスさんよりも上位だとは思わないけれど……まあ、イロイロ手段はあるのでしょうね」

 うふふふふふ、と嗤いながらケビンを急かし、黒曜石の石碑の中へと向かおうとするカリン。誰、という指定はなかったのでカリンのストッパー用にヨシュアとエステル、アルシェムがそれに加わって《黒の方舟》の奥へと進む。

 あまりにもカリンが急ぐので、ケビンは消耗を防ぐ意味でも彼女を止めにかかる。

「か、カリンの姐さん……そない急がんでも」

「うふ、ケビン君。私はね、とっととここから脱出したいのよ」

「さ、さいですか……」

 昔からカリンの方がケビンよりも確実に強いのに彼女に勝てる可能性はやはりなかった。故に、ケビンはカリンを止めるのは失敗する。彼は心の中で願わずにはいられなかった。レオンハルトが思い切り手加減してくれるかこれ以上カリンを怒らせないことを。

 しかし、無論それは通じるはずのない願いで。漆黒の衣装に身を包んだレオンハルトは、その瞬間からカリンを怒らせにかかっていたようである。服装がまずカリンの趣味に合わない。理不尽ということなかれ。レオンハルトの服の趣味は――あまり、よくない。

 凍りついた空気の中、動けた人物は無論彼女だけだった。

 

「レーヴェ? ここにいる真意を聞いても良いかしら……?」

 

 こてんと首をかしげたカリンは、いつの間にか手にしていた法剣を地面にたたきつけた。風切り音とともに鋭い音が鳴り、一同は震えあがった。カリンは本気で怒っているに違いない、と。

 レオンハルトは思い切り目を泳がせながらこう答えた。

「え、あ、えっと……く、来るなくださいと言っただろう、カリン……」

「あら、レーヴェのクセに口答えするの? 未来の義妹にばらすわよ……?」

 何を、とカリンは明言しなかったため、エステルは首をかしげるだけで済んだ。だが、ヨシュアはカリンがこういう時に持ち出す言葉を思い出してしまっていたため、顔を赤らめる。というか何故レオンハルトがそんなモノを持っているのだと今なら言える。

 その光景を見ながらこそりとケビンがアルシェムに問うた。

「アルちゃん、カリンの姐さん何をばらそうとしてんの?」

「ヨシュアに聞いてよ……女子に聞くな。つーか、もし持ってるならシスター・リースに見つかる前に全部処分しといた方がいーよ……カリン姉の再来リースバージョンとか見たくないでしょー?」

「お、おう……」

 ケビンは顔をひきつらせながらヨシュアに問おうとする。だが、既に彼はエステルから同じ質問をされていた。分からないことは聞くを実行してしまったエステルは、言葉を濁して中々答えを言おうとしないヨシュアに詰め寄らんとしていた。

 だが、ここで答えが出る。カリン達の問答で、カリンにレオンハルトが何故ここにいるのかを知られてしまったからだ。昔のよしみでここにいる、と口走ってしまったことで何となく《影の王》の正体が予測出来てしまったカリンはこう叫んだのだ。

 

「こ、この浮気者ぉぉぉぉぉっ!」

 

「い、いや待て違うそうじゃない落ち着けカリンいや落ち着いてください!」

 平伏してカリンにそう懇願するレオンハルトだが、その願いはかなわない。カリンはぷくりと頬を膨らませながら法剣を引きずり、レオンハルトにさらに近づいたのである。耳を貸せというジェスチャーに、レオンハルトはつられてしまって――

 

「レーヴェの生家のレーヴェの部屋のベッドの下に大量に隠されていたのは幼馴染み束縛系の官能小説二十七冊と幼馴染たちとの三Pものと変態グッズが十数種類!」

 

 そのあまりの内容に、一同は轟沈した。エステルは顔を真っ赤にさせて俯いている。ヨシュアはそんなに持っていたんだ、と思いつつ複雑な顔でレオンハルトを見ていた。アルシェムは聞き流して知らんふりをしている。そして、ケビンは物凄く微妙な顔に哀れみを浮かべてレオンハルトを見つめていた。

 カリンの言葉と一同からの視線にノックアウトされたレオンハルトは、コメディタッチに吐血して倒れ込んだ。

「ゴファ……」

「あ、あうあう……」

「レーヴェ……」

 どう対処すべきか、と一瞬ヨシュアは考えたのだが、邪魔をすればきっと馬に蹴られるだろう。むしろカリンにあの法剣で蹂躙される気がしてならない。邪魔しないでおこう。ヨシュアはそう決意した。

 因みにヨシュアはそういう類の本は一冊も持っていない。脳内エステルだけで十分だというのもあるが、もし見つかればカリンのように怒り心頭になって襲い掛かってくる図が容易に想像できてしまっていたからだ。

「うわぁ……多分ルフィナ姉さんでもそこまでやらんで……」

 憐みの目を向けていたケビンは文字通り尻に敷かれて説教されているレオンハルトを見て遠い目で素数を数えていた。むしろ天井の染みを――いやそれは違う。思考が混乱している。羊が一匹執事が二匹……そうじゃない落ち着けケビン、クールになれ。どう見ても現実逃避している人間の図がそこにはあった。

 この先に待つ人物が一体『誰』なのか分かっていて、なお現実逃避している。カリンをその人物に重ね、そこから目を逸らすことで。だが、いつまでも目をそらしてはいられない。恐らく――ここから出るためには、そのことを自覚しなければならないのだから。

 そして、ここに空気を読めない人物が爆誕した。

「おーい、カリンの姐さん。あんまりこういう何があるか分からんとこで説教は止めてんか」

「……そうね。あとざっと千時間ほど説教したいところだけれど……ここでやることではないわね」

 カリンはそう応えたのだが、レオンハルトがわずかに助かった! という顔をしてしまったので元の木阿弥になってしまう。何から助かったのかと責められ、自分からだと言わせて泣きまねをし。立派な悪女がそこにいた。

 ケビンが途方に暮れたようにヨシュアに懇願する。

「……ど、どうにかしてやヨシュア君……」

「いや、流石に僕も馬には蹴られたくないというかあの法剣で蹂躙は嫌というか……」

 ヨシュアも目を泳がせてそう応えたのだが、その答えは彼女にとって気に喰わないモノだったらしい。レオンハルトから標的を変えてヨシュアに説教を始めてしまったカリンを止めることは出来なかった。

「あー、何かストレスたまってそーだね、カリン姉……」

「いやいやいやいや、ストレスて……そういうもんやっけ……」

 ケビンは、どうすることも出来ずに説教を続けるカリン達を見届けるしか出来なかった。因みに、舞台装置と化していたレオンハルトはその頸木を気合いで引きちぎらされて一緒に拠点に戻ることになる。セレストにどうやって、と問われたレオンハルトは頬を真っ赤に晴らしながらアイノチカラデスと応えたそうだ。

 

 ❖

 

 レオンハルトを拠点に迎えた――結局あの後三時間は説教し通しだった――一行は、またしても出現した扉に記されたヒントをもとにパーティを組みなおしていた。『大剣を振り翳す少女』リオと『かつて囚われし金の姫』メル、『姉喪いし少女』リースと、そして『猫耳の少女』とアルシェム。猫耳の少女が一体誰なのかを誰も分かってはいなかったのだが、辛うじて該当しそうな人物が見つかった。それは――

「こ、これはセンサーなんです、猫耳じゃないんです……!」

 久方ぶりに探索に出ることになるティオだった。確かに頭につけているカチューシャは猫耳に見えなくもない。しかも、実際に探索に行くと普通に扉に入れてしまったので《影の王》には猫耳と判断されているようであった。

 因みに――扉に入れたのは女子のみで、ケビンはまたしても取り残されることになった。どういう意図があるのかは全く分からないのだが、一つだけ確かに言えることがある。アレは可愛くない。

 アルシェム達の目の前に現れたのは、何と人間と魔獣のコンビだった。しかもアルシェムは彼を知っているのである。一番最初の短期任務――カシウスの監視は長期任務になる――で、外法認定すれすれになった男だ。彼の名はベーコン。猟兵団《グリンピース》の首魁である。因みに構成員は既に一網打尽にされてこの世にいない人物が多い。

 そして、魔獣の方はというと――ディバインペングーだった。クエックエッと鳴きながら威嚇しようとしてくるあたり、あの時の個体らしい。相当恨みを買っているようだ。

 アルシェムは盛大に顔を歪めて遠い顔をした。

「……えー……何でこいつら……」

「えっと、知ってるんですか? アルさん」

 問いを投げかけたティオにアルシェムは言葉を濁しながら答えた。昔関わったことのある奴らだ、と。それ以上のことは恐らく説明するまでもないだろう。何故なら、この後の映像はそれに関するものになるのだろうから。

「取り敢えず、ベーコンの方はこんがり焼けば問題ないしペングーの方は火属性アーツが比較的効くと思うよ……」

「そうですか。なら、早速始めましょう皆さん」

 疲れたような声で対策法を告げたアルシェムに、リースが声をかけることで戦闘が始まった。色々と開き直っていたメルにディバインペングーを任せ、他の面々はベーコンを瞬殺しにかかる。

「ふはははは、そうだ、もっと呼べ、もっと呼ぶのだ……!」

「取り敢えず倒れておきなさい」

 ベーコン自身は猟兵団の首魁とはいえ頭脳派である。故に、リースの一撃で昏倒するのも無理はない話だ。そして、ディバインペングーの方も以前と同じくメルのアーツによって跡形もなく焼き尽くされた。

「あっけないですね……」

 そのリースの言葉にアルシェムは苦笑した。本来ならば前座でペングーがざっと空間を埋めるくらいいたのである。それがないだけ精神的に楽なのは確かだ。そうして、映像が一同の目の前に広がった。

 

 ❖

 

 どうしてこうなったのだろう。ベーコンは顔を歪めて目の前の少女達を見つめていた。その少女達はベーコンがこれから何億と稼ごうとして捕獲していたディバインペングーを焼き尽くし、上質の毛皮として売りさばくはずだったペングーをことごとく鏖殺してしまったのである。これで、故郷に送る何億のミラがぱあになったと判断したベーコンは崩れ落ちた。

 時は七耀暦1200年。ベーコンは貧困で喘いでいるノーザンブリア自治州のために前々から計画していたことを進めることにしていた。彼が目を付けたのは、リベールに生息するペングーという名の魔獣だった。その魔獣から採れる毛皮は貴重でなおかつきちんと加工さえすれば上質の手触りになるのである。これで一儲けしよう。そう思うのに時間はかからなかった。

 そして、ペングーについて調べていくうちに上位個体たるオウサマペングーとディバインペングーという魔獣の存在を知った。彼らはペングーを呼び寄せる習性を持っているらしい。ならばと思ってあらかじめ準備していたアーティファクトを手に捕獲に走ろうと思えば――何やらクエックエッと大声で叫ばれて、その後の記憶は途切れた。

 目が醒めれば、どうしてディバインペングー様を捕獲して稼ごうなどと思ったのだろうと不思議に思った。彼はきっと神なのだ。自らの下僕たちをベーコンに分け与えてくれて懐を潤わせてくれる。本当にそれだけで良い。ミラは故郷に入ればそれでいいのだ。自分の懐になどいらない。ここには上質のイワシがたくさんある。喰うには絶対に困らない。

 その日からそこで暮らし始めたベーコンは気づかなかった。一体彼が何を引き起こしてしまったのかを。ディバインペングーに取りつけたアーティファクトにどんな効果があったのかさえ彼は知らなかったのだ。そのアーティファクトは、特定の魔獣を呼び寄せて無限に増殖させていくという凶悪な性能を持つアーティファクト《地獄の釜》であったのだ。

 その結果が、カルデア鍾乳洞中に詰め込まれたペングーの群れである。しかし、ベーコンはそのことに気付けなかった。というのも、ベーコンは外に出て毛皮を売りさばくために目立たない別の道を作っていたのだ。そちらにはペングーが生息できないため、彼は気づくことが出来なかったのである。ただ合唱で自分を癒してくれているのだな、程度にしか彼は思っていなかった。

 カルデア鍾乳洞からあふれたペングーはやがてカルデア隧道にも広がり、ツァイス市街へと押し寄せんとしていた。そのことに危惧を抱いた遊撃士協会は準遊撃士と遊撃士のペアでカルデア隧道側の入り口を警護させ、毎日ペングー狩りをさせるという方針を打ち出す。

 

 そこに現れたのだ。ツァイスの救世主とでも呼ぶべき存在が。

 

 その人物は、ロレントから留学してきた年端もいかない少女だった。彼女はZOFに留学しつつもとあることがきっかけで遊撃士協会の協力員として働き、『ペングー除去装置』なるものを作り出してカルデア隧道側の入り口はおろか鍾乳洞までペングーを除去せしめたのだ。その発想と武力に遊撃士協会は目をつけた。本格的にこの事件の解決に関わってもらおうと決めたのである。人員不足だったため、という言い訳はあるのだが、当時の受付は数か月分の減俸処分をうけたそうだ。

 遊撃士協会はそこから本格的に少女に協力を要請するようになる。それとほぼ同じ時期から、七耀教会が動き始めた。星杯騎士を派遣してくれたのである。これは誰も知らぬことではあるが、少女とその星杯騎士にはつながりがあったのだ。言わずもがな、少女はアルシェムであり星杯騎士はリオである。リオはそもそもアルシェムと同じ時期にツァイス入りしていたのだが、その時点までは正体を隠して普通のシスターをやっていた。

 やがて原因を特定したアルシェムは――星杯騎士としてリオが特定した、とは言えない――もう一人の従騎士メルを一時的に呼び出し、協力を仰いでペングー詰め状態のカルデア鍾乳洞への突入を決行した。このときにはまだメルにはアーツ恐怖症――自ら使用したアーツで無辜の子供達を鏖殺してしまったことからである――が残っていたのだが、アルシェムが作成した特殊オーブメントの試作品によってその恐怖症を克服しつつ先に進む。

 そうして最奥に辿り着いた一同は――一様に複雑な顔をしてベーコンとディバインペングー、そしてオウサマペングーに襲い掛かった。前者は捕縛、後者二匹は消滅させる形で異変の原因を取り押さえた一行は、報告書をまとめてそれぞれの持ち場へと帰還するのだった。

 この件を無事に解決させたことをきっかけに、短期間で終わらせられる任務が数回アルシェムの元に舞い込んでくるようにもなるのだが、それはまた別の話である。彼女には、本来ならば十数件ほど割り当てられる予定だった。しかし、数回で任務が済んでいるのは裏で《外法狩り》が自分の身体を壊すべくオーバーワークをしていた結果なのだが、アルシェムがそれを知ることはなかったのであった。




 ……よいお年を。来年も本作をよろしくお願いします(本編から目を逸らしつつ)


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~遠い炎群~
《紫苑の家》


 旧138話のリメイクです。

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 では、どうぞ。


 一度拠点に戻った一行は、靄のある場所に進むために必要な鍵が何なのかを考えていた。誰が必要なのか。それを知っていたのはセレストとケビンのみだった。ただし、それが一体誰なのかを皆に説明する気もなく彼はこう告げる。

「取り敢えずリース。あとカリンの姐さんと《剣帝》と……アルちゃん。このメンバーで行ってみますわ」

「そ、そう?」

 困惑したような顔でエステルがそう返すが、ケビンにそれを確認しているような余裕はない。もしもこの先に待ち受けているものが彼の想像通りならば――リースを連れて行くことすら嫌なのだ。しかし、リースを連れて行かなければ帰れないというのならば立ち向かう必要がある。最終的に暗示をかけて記憶を消滅させたところで痛む良心などもう残っていない。故に、ケビンはその道を選んだ。

 靄の手前まで皆を誘導したケビンは振り返って一同にこう告げる。

「ほな行くで……皆、覚悟だけはしといてくれ」

「ケビン、それってどういう……」

 リースが困惑したように声を上げるが、ケビンはそれを聞かなかったふりをしてその靄の中に足を踏み入れる。カリンとレオンハルト、アルシェムもリースと共にその靄をくぐって――そして、現れた場所に困惑した。

「ここは……」

「どこ?」

 出現したのは、七耀教会の福音施設。ただしその場所を知っているのはケビンとリース、そして一度だけ訪れたことのあるカリンのみだった。アルシェムとレオンハルトには縁のない場所だったというのもある。

 そこは――

 

「《紫苑の家》――オレらが住んでた場所や」

 

 ケビンの言葉通りだった。ケビン、リース、そしてルフィナ。その三人はここで暮らし、成長した。ここは福音施設という名の孤児院なのだ。そこが何故再現されているのか、理解しているのはケビンだけ。

 そんなケビンを見ながらカリンが問う。

「……とにかく、進めばいいのねケビン君?」

「ああ、そうです」

 どこか困ったようにそう応えたケビンは、本当ならばここには誰もいてほしくないと願っていた。この先に待つ真実が一体いかなるものなのかを知っているから。それを、ここにいる皆に明かされるのが嫌で。だが、進まなければならない。皆はケビンという存在に巻き込まれて良いほど腐った人間ではないのだから。

 カリンはそんなケビンにこう告げた。

「本当は進んでほしくないんでしょう。この先に再現されているかも知れないのはルフィナ様の死体だから」

 そのカリンの言葉にケビンとリースは息を呑んだ。確かに、ルフィナはここで殉職した。少なくともリースはそう聞かされていたし、ケビンは彼女を看取りさえした。それが再現されているのかもしれない――それは、ケビンにとっては確かに恐怖だった。

 しかし、ケビンはその言葉を首を振って否定する。

「確かに……あんまり進みたくはないです。でも、この先に姉さんの死体があることだけは有り得へんですわ」

「それは何故?」

「……ほんま……姉さんに似てカリンの姐さんも容赦ないですな……」

 それきりケビンは黙ってしまった。一行はそんなケビンに掛けられる声もなくリースに先導して貰ってその《紫苑の家》を探索した。ただ、そこにあったのは暖かな暮らしがあったということだけ。人もいない。魔獣もいない。誰もいない《紫苑の家》が再現されただけの場所。その場所が、これまでの場所と同じように脅威を持っているとは思えなかった。

 一通り見終わり、礼拝堂の鍵だけが閉まった状態なのを確認したアルシェムはケビンに問う。

「で、礼拝堂の鍵は誰が持ってるの、ケビン。カリン姉? それともシスター・リース? もしくは――」

「――オレやない。あの日の当番は、リースやった」

 珍しくまともに名を呼んだアルシェムに大袈裟に反応することもなく、ケビンは淡々とそう告げた。ルフィナが死んだ日――《紫苑の家》最後の日の礼拝堂の鍵当番はリースだったと。リースは困惑したようにケビンに問い返すが、ケビンはただポケットや懐を探れと言うばかり。リースは困惑したままポケットを探り――見つけた。古ぼけた真鍮の鍵。それは間違いなく礼拝堂の鍵だった。

 呆然とした様子でリースが言葉を零す。

「どうして……」

「ここがあの日の再現やということや。この先は――あの日の真実につながっとる。先に進んだらもう、後戻りは出来ひん。全てを知る覚悟はあるか、リース」

 ケビンはリースにそう問うた。それはどこか先に進ませたくないような響きを含んでいる。そのことに気付いたリースは、この先に進まなければ帰れないという事実も含めて理解した。真実を受け入れる勇気を。ここに自分がいるのもまた必然なのだと。この先に待っているのが、本当に殺される直前のルフィナだとしても。先に、進まなくてはならない。

 リースはケビンに決意を告げた。

「とっくの昔に出来てる。あれから従騎士の修行に入る前にここに来て真実を知ろうとしても取り壊されていたから……その時に、覚悟はもうしてた。私に真実を見せて、ケビン。時間がかかるかも知れないけど――全部、受け入れるから」

「そうか……分かった。なら、とっとと行くか」

 そうして、ケビン達は礼拝堂の中に足を踏み入れた。中へと進みながらケビンは語り始める。あの日起きたことを――真実を、全て語るつもりで。

 

 ❖

 

 五年前のことや。何者かに雇われた猟兵団がこの《紫苑の家》を占拠した。……何や、調べとったんですかカリンの姐さん……そうです。典礼省の元司教、オーウェン。そいつが汚職でやめされられたのを逆恨みしてここを襲撃させた。そいつがどうしとるか? さあ、地獄の底で後悔してるんとちゃうかな。

 リース、お前が覚えとるのは猟兵共が侵入してきて皆を捕縛して――そこから病院で気を取り戻すまで覚えてへんやろ? いろいろその間にはあったんやけど、まだただの孤児やったお前には覚えていられたら困ることやったんや。……そうや。お前の記憶を封印したのはオレや。オレしかそのときにはそれが出来ひんかったからそうした。

 そこまでして隠さんとあかんことは何かって? ……今のお前の立場やったら明かせるで。ここはな、封印指定されたアーティファクトの目眩ましやったんや。そう、丁度この隠し扉から先に続いてる《始まりの地》に、そのアーティファクトは封印されとった。それをオーウェンは知っとったんや。やからここを襲撃してそのアーティファクトを奪い取ろうとしてた。

 ――あの日。オレとルフィナ姉さんは久々に帰省する予定やった。もう一人お客人を招いてな、盛大にパーティーを開いて山ほどお土産を渡すつもりやってん。え、もう一人が誰かって……ああ、サプライズやったしリースは知らんわな。カリンの姐さんや。前々から行きたいて言うとったし、お招きしたわけや。ま、それが最初で最後のお招きになるとは思ってなかったんやけど。

 ルフィナ姉さんとカリンの姐さんとは街で合流してからここに向かうつもりやったんやけど、ルフィナ姉さんたちの乗ってた汽車が遅れててな。オレだけ先に到着したところでその一報が届いたんや――町はずれで、黒ずくめの男達が山道に向かってるっていうな。それを伝えてくれたんはエメローゼ市の教区長さんやったなあ。丁度、ルフィナ姉さんが遅れるっていう連絡をしてくれた直後のことやった。

 急いで《紫苑の家》に向かったオレは、門を封鎖してる男達を見て猟兵団やと判断した。気配からして数は五から十ほど。救援はない。なら、オレが行くしかないと思った。オレが行かな――お前と、チビ達が危ないってな。やからオレは一人で制圧に乗り出した。闇討ちみたいな方法やったけど、何とかほぼ全員を無力化してな……でも、解放したチビ共の中にも先生の所にも、どこを探してもお前がおらへんかった。

 猟兵団の一人をとっ捕まえてお前の居場所を吐かせようとしても何も言わん。しゃあなしに全部孤児院の中を調べて……さっきの場所にお前のリボンが落ちてるのを見つけた。やからきっとこの先におると思ったんや。急いで追いかけて――それで、追いついたのがこの先にある場所なわけや。そこには台座の上に《ロアの魔槍》っちゅうアーティファクトが安置されとった。

 《ロアの魔槍》っちゅうアーティファクトはな、正直女神の秘蹟の下に作られたとは到底思えへんシロモノやった。手にした者の肉体を《化物》に変える……そんな《魔槍》をな、追い詰められた猟兵は掴んだ。まあ、何が起きるかって当然のことやけど、そいつは身体能力を大幅に向上させて異形になったわけや。その時のオレには――そいつをどうにかすることなんて出来んかった。

 簡単に言うてしまえば、オレはそいつに叩きのめされた。手も足も出ずに、気絶して無防備なお前に向けてその《魔槍》を振るおうとする猟兵の所業を見てることしか出来んかった。もどかしくて、もっと力があればお前を救えたかもしれんのに。そう思いながらお前に向けて手を伸ばして――その時や。オレに、《聖痕》が顕れたんは。

 オレの《聖痕》のことはまだあんま詳しく話してなかったな。そうやな……どこから話したらいいか。……リース、お前、オレと初めて会ったときオレのことどう思った? ……成程な。何を見て来たか、か……どうやら姉さんは知っとったみたいなんやけど、な。あの時……お前と姉さんに初めて会ったとき。丁度、オレは母親を殺してきた直後やった。

 

 ああ、ちょっと大げさな表現やったかな。正確に言うなら、オレは母親を見殺しにしたんや。あの冬の日に。

 

 元々オレの家はな、母子家庭やったんや。母ちゃんとオレだけ。父親はたまに顔を見せに来るけど、それだけ。どうやらどっかの金持ちのぼんぼんやったみたいでな。普通に別の家庭を持っとった。所謂妾の子って奴なんやろ。まあ、オレはそんなことどうでも良かったし、父親なんておらんでも良いと思ってた。オレは母ちゃんと二人でいれば幸せやと思ってたし、母ちゃんもそうやと信じてたんや。

 でもな、オレが七歳の時――険しい顔した父親が来て言うた。『もう、援助することは出来ない。会うのもこれっきりになる。本当に申し訳ないとは思っているが、これで何とか暮らしていけ』――そう言うて、アイツは紙封筒に入れた僅かなミラを残して一家で夜逃げしていった。どうやら事業に失敗してたらしくてな。借金抱えて逃げ惑ってたらしいで。今となってはもうどうでも良いことなんやけど。

 そうなって本当の意味でオレと二人きりになった母ちゃんは心を病んだ。元々心は弱い人でな、心と同じように体も弱っていった。近くで雇ってもらっとった父親系列の店からも追い出されて、その時のことが原因で周辺の人らから心無い噂を流されて……オレは、母ちゃんを元気づけようとして失敗した。オレな、どっちかっちゅうと父親に似とったみたいで。母ちゃんにとってはオレを見てるのも辛いみたいやった。

 やからオレは出来るだけ家から離れて朝早くに出て夜遅くに帰るようになった。朝は母ちゃんが起きる前に三食分を作り置きして飛び出して、昼の間にどっかの店で雇ってもろて元気づけられるような食べ物を買って母ちゃんが寝てるやろう夜遅くに帰るようにした。たまに母ちゃんと顔を合わせるだけの生活になったけど、それでもよかった。オレは――母ちゃんと、ずっと生きてたかったから。

 

 でもな、それは裏切られたんや。

 

 母ちゃんは、あの冬の日に寝てるオレの首を絞めてきた。謝罪の言葉と、疲れたっちゅう言葉と、心中しようっちゅう言葉。それをうわごとのように繰り返しながらな、オレの首を締めんねん。苦しかった。死にたくないと思った。母ちゃんと一緒に生きてたいと思った。だから――オレは、がむしゃらに母ちゃんを突き飛ばして雪の降っとった町に飛び出して行った。きっとしばらくすれば頭も冷えるやろうと思って。

 ……無論、言い訳や。今は割と後悔してる。あの時、飛び出さへんかったら――母ちゃんは、自殺なんかせんかったんかな。そう。しばらく彷徨った後に家に帰ったらな、母ちゃん……死んどった。

 ……済まんな、しょうもない話聞かせてもうて。でもな、まさにその時なんやと思うんや。オレに《聖痕》が刻み込まれたんは。オレの《聖痕》の属性を表現するとしたら――多分、『報復』とか『後悔』とかになるんやろ。

 

 ちゃんちゃらおかしくて下らんことや。オレは、それほどまでに――絶望しとったんや。

 

 ここでようやくさっきの話に戻れるわけやけど……初めて《聖痕》を顕したオレはな、猟兵の持ってた《魔槍》の力をその場で取り込んだみたいなんや。それを増幅させたうえで容赦なく猟兵に叩き込んだ――まあ、自明の理なわけやけど、猟兵は細切れと表現するのもおこがましいほどに細かく千切れて絶命した。

 そこで止まれば、どれほどよかったことかと思ってる。でも、止まらんかった。湧き上がってくる昏い感情に、オレは身を任せた――そもそも、制御なんか最初から出来てなかったんや。この時にお前に当たらんかったんはホンマに奇跡みたいなもんやで。昏い感情を溜めて溜めて――それで、オレは丁度後ろから現れる形になったルフィナ姉さんに向けてそれを解き放とうとした。

 姉さんはな、お前を巻き込まん為に法剣とボウガンでオレを牽制しながらリースを引き離して、やっぱり来てたカリンの姐さんにリースを任せた。カリンの姐さんはリースを連れてすぐに上がって行ったらしいわ。そんなことにも気づかんほど、オレは血と暴力に飢えとった。

 最初はな、姉さんも頑張ってくれとった。何とかオレを正気に戻そうと持久戦やりながら法術を叩き込んでくれとった。それが無理ならいつものあの声で説教を。でも、それでもオレは止まらんかった。そこにおるのが――姉さんでなくて、母ちゃんに見えとったんや。何で止めるんやと。何でオレは自分に従って正しいことしてるのに止められんなんのやって。

 

 止められたくなかったんやろ、飢えてたから。それを満たしたかった。あさましい感情や。

 

 だから姉さんは――もう、打つ手が一つしかないことに気付いた。ちゅうてもオレを殺して止めることやない。オレの欲を満たすことで、姉さんはオレを止めようとしたんや。

 ……もう、分かったな、リース。そうや。ルフィナ姉さんは――お前の自慢の姉さんは、オレの下らん欲を満たすためにその身を犠牲にした。体中穴だらけになりながらもオレに抱き着いて、抵抗もせずに――そのまま、事切れてた。そうや。オレが、姉さんを殺したんや。大好きで、この手で守るために頑張って来たのに……同じその手でオレは守りたかった人を無残に殺したわけや。

 殺すつもりはなかった……ああ。ここまで聞いてもリースはそう思ってくれるんやな。いいや……確かにあの時のオレは姉さんを殺すつもりやった。母ちゃんとダブって見えとった姉さんを……裏切られた腹いせに、嬉々として《魔槍》を叩き込んでやったわ……何回も何回も……この手に感触が残るんちゃうかってくらいに……ハハ、母ちゃんと姉さんをまとめて葬ったも同然やろ?

 これがな……リース。お前が知りたかった真実や。話したからには、裁かれる覚悟も出来てるわ。お前にやったらいい。お前の思うようにしてくれ……

 

 ❖

 

 《始まりの地》の最奥で、甲高く乾いた音が一つ、鳴り響いた。音を発生させたのはリースで、音を発生させられたのはケビンだ。振り抜かれたリースの平手は、過たずケビンの頬を打ち抜いていた。ケビンは何もかも諦めたような瞳で地面を見ている。

 だが、リースは違った。リースの目には涙が浮かび、眉はつり上がり、顔は紅潮していた。そして、叫ぶ。

 

「この……バカッ! 何が裁かれる覚悟なの……! 私は、私が怒ってるのはそんなことじゃない……!」

 

 ケビンがリースの名を呼ぶが、リースはそれを意に介することはなかった。彼女は怒っていたのだ。自らの不甲斐なさに。ケビンに一番近いところにいながらその苦しみを分かち合ってあげられなかったことに。それほどまでに自分は頼りなかったのかと。――ケビンには自分に頼るつもりがなかったことも、リースは理解していた。何故なら、彼は苦しみたがっているから。

「どうして……五年もそんな重いものを一人で抱えてるの……! 近くにあなたの家族が、私がいたのに……その私に、一言も言わないで……一緒に抱えさせてもくれないで……!」

 そのリースの糾弾を、ケビンは甘んじて受ける。これが求めていたもの。少しばかりニュアンスは違うかもしれないが、彼が求めていたのは罰である。リースからの糾弾は十二分に彼の苦しみとなった。

 だからだろう。次の言葉に、目を見開いてしまったのは。

 

「だから……ずっとケビンが《外法狩り》をやってたのは……自分一人で苦しんで姉様を殺した罰を受けていると思いたかったからなんだね?」

 




 副題:ケビン語り。

 では、また。


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《影の王》からのプレゼント

 旧139話~140話のリメイクです。

 では、どうぞ。


『――その通りさ』

 

 リースの言葉に呼応するように、とある人物が声を発した。それはこの場にはいなかったはずの人物。そして、この場に現れなくてはならなかった人物だ。その人物は――《影の王》。誰もがその到来を予期していたため、誰も驚くことはなかった。

 《影の王》はケビン達に告げる。

「よくぞここまで来た。ここより先は《第七星層》――私の生まれた場所にしてすべての星層の礎となる場所だ」

 アルシェムはそれを聞いて僅かに眉をしかめた。《影の王》がアルシェムが考えたとおりの人物ならば確かに入口がこの建物なのは理解出来る。だが、そうなれば説明のつかないことが出てきてしまうのだ。無論ここまでに語られてきたこと。ティオ・プラトーの存在だ。アルシェムつながりと言えば遠くないのかもしれないが、ケビンからはかなり遠い。ならば、《影の王》が純粋に『彼女』であることは有り得ないのだ。

 故に、『彼女』だけでなく誰かが混じった状態の彼女がそこに現れるはずなのだ。アルシェムに因縁があり、かつ心の奥底から畏れている人物が。それが誰なのか、アルシェムにはまだ確信はない。ただ、あのあたりの人物なのだろうと勝手に見当だけはつけていた。

 ケビンは《影の王》に向けてその名を告げる。皆を現実に帰すために。

 

「余計が御託はいらん。とっととその悪趣味な仮面を外せや、《影の王》――いや、ルフィナ・アルジェント!」

 

 その言葉にリースが息を呑む。一同は苦い顔をして《影の王》が仮面を外すのを待ち――そして、仮面の下から現れた彼女が確かに星杯騎士にして《千の腕》の異名を持つ第一位の従騎士ルフィナ・アルジェントであることを確認した。ただし、姿だけ。彼女らのほとんどの人物が彼女を『ルフィナ』だとは信じていなかったのだ。見れば分かる。彼女にあまり深くかかわっていなかった者ほど見えるその特徴。それは――いちばん深い印象を与える彼女の瞳だ。彼女の瞳にはいつだって慈愛が満ちている。しかし、目の前の『ルフィナ』には――張りぼてだけの偽善がありありと見て取れたのだ。

 『ルフィナ』のその顔を、その瞳を見たレオンハルトがケビンに向けて告げる。

「本人とはとても思えんが、ケビン・グラハム。本当にこの先に進むつもりなのか?」

「……当たり前やろ。そうすればこの件は解決や」

 ケビンの答えに一向は黙り込み、目配せして――レオンハルトがケビンを拘束した。このまま行かせる気はない。このままケビンを行かせれば、彼は生き地獄を味わうことになる。そうしたくないというのもあるが――実際は、第五位の《聖痕》を永久欠番にしないためだ。今欠けられても困る。特に、《守護騎士》には。故に、レオンハルトにケビンを拘束させた。

 ケビンは信じられないものを見るような眼でアルシェムを見る。

「何さすねん、アルちゃん!」

「言い訳だけは後で聞いてあげる。でもね――ケビン・グラハム。あんたにそんな権利があると思ってんの? その血と肉を七耀の理に、魂を女神に捧げたはずのあんたに? 勝手に生き地獄で魂を擦り減らすような権利がどこにあると?」

「それは……でも、そうせんと皆が帰れへんで?」

 ケビンの言葉にアルシェムは湧き上がってくる嗤いを抑えられなかった。ケビンがこのまま煉獄を模した場所にしばりつけられて、事態が果たして終息すると本当に思っているのだろうか。いいや、有り得ない。何故なら――聞いたではないか。このまま現実世界に侵食していく可能性があると。罰を受け続けたケビンが再び逃げないという保証が何処にあるというのか。ケビンが再び逃げに走ってしまったら――全てが侵食されるだろう。

 ケビン・グラハムを取り込んだことによって浸食される現実世界は、阿鼻叫喚の地獄と化すだろう。ただ周囲の人間達を罰するためだけの悪夢のような地獄。それが現実になるところをアルシェムは見たくなかった。

 アルシェムは『ルフィナ』を見てこう問うた。

「本当にあんたが『ルフィナ・アルジェント』ならば――こんなふうにケビンを甘やかしたりしない。苦しみ続けるのならば一人でではなく、皆の間で苦しみ続けろって言う。そーじゃない? 実妹のシスター・リース」

 最後だけはリースに問いかける形になったが、概ね言いたいことは言えた。目の前の『ルフィナ』は絶対に別人だ。それに身近な人々が気付けるか――それだけの問題なのだ。近すぎても見えないものがある。故に、アルシェムは改めて言葉にしてリースに問うたのだ。

 リースはアルシェムの言葉を受けて顔をあげた。

 

「――当然です。あなたは姉様なんかじゃない……! 姉様は、苦しくても生きろって言う! 苦しみを吐き出してでも盛大に苦しみ抜いても、どうなったって皆と一緒に生きろっていうもの……!」

 

 それは、かつてルフィナが孤独の淵からケビンを掬い出したこと。ただ一人で孤独に消えていかないように、繋ぎ止めたこと。生きてさえいればどんなことだって出来ると、そう伝えたかったのだと、リースは信じたかった。故に、目の前の『ルフィナ』を彼女は否定する。安易に孤独な逃避に走らせるようなことを、リースの知るルフィナはしない。

 そのことに、ケビンはようやく気付けたのだ。ケビンの知るルフィナは、こんなに甘い人ではなかった。死にたかったのに生き延びさせて。もう大事な人を作るつもりもなかったのに大切な人になってくれて。死なせたくなかったのにその身を犠牲にして。いつだって、ルフィナはケビンの望む形には生きさせてくれない人だった。それでもその底にあったのは、慈愛なのだと信じたい。

 故に、ケビンは足掻けるだけ足掻くことにした。そうして、どう頑張ってもそこにしか道がないというのならば――甘んじて受ける。でも、今はその時ではない。何故なら、ケビンはまだ満身創痍でもなければ一応頼りに出来るだろう守護騎士ももう一人いる。ならば、まだどうにかする道はあるはずだ。道があるのならば、足掻かないという手段をとることは赦されない。

 そう思ってケビンが『ルフィナ』を睨み据えると――突如、『ルフィナ』が姿を変えた。

「な……」

「……成程。そう来たか……」

 そこにいたのは――既に『ルフィナ』ではなく。別人の少女だった。波打つ銀色の髪の、どこか悲しそうな瞳をした少女だ。神々しく見えるだけであって、別に神とかそういう類の人物ではないことだけは分かる。何故なら、彼女が本当に神だとすればただ一人にだけ憐憫の色を見せることなど有り得ないからだ。全ての人物に等しいのが神であって、ただ一人に執着するような神はとうの昔に破滅しているだろう。

 彼女はアルシェムにこう告げた。

「わたしなら、貴女の願いを叶えられる」

「必要ない。それに……あんたの姿を見て大体わかった。要するに、願いをかなえてくれる=死でしょうが」

 その言葉に彼女は悲しそうな顔をして首を横に振る。となると、永遠に幻影の中を彷徨わせられるか。アルシェムはそう思った。彼女の心の奥底の願いは、絶対に叶うことはないと知っているのだ。ならば願うだけ無駄というもの。叶わない願いなら永遠に胸の中に沈めておけばいい。どうせかなうことのない願いならいっそ深く沈めて。

 少女はアルシェムに向かってこう返す。

「他人の好意は素直に受け取っておいた方が良いよ。そうじゃないと――」

 言葉の途中で少女は姿を変え、『ルフィナ』の形をとって――告げた。

 

「こうなるのよ」

 

 にこりと花開くように嗤った『ルフィナ』は手を振るって――そして、全員がその場から落下し始めた。驚愕に目を見開く一同。しかし、この事態に対抗する術を持つのはアルシェムのみ。それ以外の面々に出来ることはと言えばケビンがリースを、レオンハルトがカリンを捕まえることだけだった。アルシェムはというと、《聖痕》を発動させて氷の円盤をつくりだし、一同を回収する。

 一応氷の円盤に降り立てたケビンは中央で円盤を維持しているアルシェムに声をかける。

「アルちゃん、これ大丈夫なんか!?」

 すると、渋面を作ったアルシェムがこう返す。

「保証はしない。っつーか、正直に言って衝撃を和らげられるかどうか五分五分だと思うから一応衝撃に備えてて」

「お、おう……」

 複雑な顔で手伝えることがないことを悟ったケビンはリースと共に衝撃に備えた体勢をつくり、その様子を見ていたレオンハルト達も同じく似た体勢を作る。そうして――最初はパリ、という小さな音。それに連続して連鎖的に響き渡る破砕音。減速して、傾いて、そしてケビン達は辛うじて道の上に投げ出された。少しでもずれていれば下にまっさかさまである。

 そして、当のアルシェムはというと円盤の真ん中から滑り落ちて転がっていった。幸いなことにそのまま道の半ばで止まったのだが、どうしたのか動き始める様子がない。それを見たレオンハルトとカリンは顔を見合わせ、慌ててアルシェムに駆け寄って抱き起こす。

「大丈夫、アルシェム?」

「……悪いけど、しばらくは動けないかな」

 カリンに声を掛けられたアルシェムは、本当に珍しくそう応えた。アルシェムはそもそもあまり弱音を吐くことはない。弱みを誰にも握られたくないからだ。だから強がってずっと生きて来た。今になってこう答えたのは、単純に動けなかったからだ。《聖痕》は、精神を喰らう。容赦なく神経まで犯した《聖痕》は、身体に痛みを生じさせるのである。アルシェムとしてはもう一歩も動きたくなかったし、何よりも節々に幻痛が走っていて立ち上がることさえままならなかった。

 それを察したのか、カリンがアルシェムを抱え上げた。とにかく対策を考えなければ――そう思ってカリン達はケビンのいる場所まで戻ろうとして――気付く。何かが邪魔をして先に進めない。そこに透明な壁があるかのように、カリン達はケビン達と分断されてしまった。愕然とした表情で壁を殴り、レオンハルトが剣で切りつけようともその壁は動こうともしなかった。

「これは……!」

「分断されたか……そっちは大丈夫そうか?」

「アルシェムは――ストレイ卿は動けそうにありませんが、とにかく先に何があるかだけは確かめておくことにします。だから、気を付けて――ケビン君」

 アルシェムの代わりにそう応えたカリンは、アルシェムを背負ったままレオンハルトと共に別の道へと進み始めた。ケビン達も少々遅れて別の道を歩み始めたようである。しばらくは魔獣のような何かが出るだけで何とかなった。あまり強くもなく、レオンハルトの一撃だけで倒れるのが多かった。アルシェムとしてはずっとそうであればいいと思っていた。苦戦などしない方がいいのだから。

 しかし、しばらくして辿り着いた小さな広場では、無数の泥人形のような魔獣がたむろしていた。それらはアルシェムを視認すると怨嗟の声を上げ始める。

「オ前サエイナケレバ良カッタ……」

「私タチハ幸セニ暮ラシテイタノニ、アナタガ来タセイデ……!」

「オ前サエイナケレバ、村人達ハ皆生キテイタダロウニ……!」

 その言葉で、大体のところを察した。彼らは――恐らく、《ハーメル》の住民たちだろう。死してなお煉獄の炎の中で踊り狂う彼らは、アルシェムから聞いたことを全く生かせなかったその罪で業火に焼かれている。他人を信じず、死してなお呪っている彼らには罪があるのだ。無論、彼らの言い分もある意味では正当ではあるのだが。アルシェムさえいなければ、《ハーメル》が襲われる確率はわずかではあれども下がるのだから。

 そんな事実を知らないカリンとレオンハルトは眉を顰め、何も言うことなくかつての村人たちを滅し始めた。そこにはどんな感情が含まれていただろう。ただ、何かを押し殺すような顔でカリンとレオンハルトはその村人たちをきっちりと殺し終えた。その中には猟兵も交じっていたのだが、そのことに彼女らは気づいていない。ただ、この先に進まなければ帰れないという事実を知っているから邪魔ものを排除しただけだ。

 複雑な顔をして黙り込んでしまったカリンにレオンハルトが声をかける。

「……割り切れ、カリン。彼らは――もう、生きてはいない」

「分かっている……分かっているわ、レーヴェ」

 カリンはそれでも他に何かできなかったのかと自問自答しながらアルシェムを抱えて進む。こんな光景は、誰も望んでいなかった。アルシェムも望んではいない。ただ、恐らくはケビンの願望に引きずられているのだろうということだけは分かった。そのため、後でカリンとレオンハルトはケビンを叩きのめすつもりである。立場はケビンの方が上なのだが、それは敢えて見ないことにした。

 そうして彼女らは先に進み――そして、また小さな広場に出た。そこでたむろしていた泥人形は、先ほどよりも幾分か小さい。それに、どこか幼い雰囲気を醸し出していた。

 彼ら彼女らもまた、怨嗟の声を漏らす。

「ドウシテ……ドウシテ、君達ダケガ助カッタノ?」

「痛イ……熱イ、苦シイ……」

「助ケテ……アタシモ連レテイッテ……ジャナキャ、代ワッテ……」

 そのどこか聞き覚えのある声に、アルシェムは顔を曇らせた。あの時の、子供達の声だ。同じように囚われ、同じように実験されていた――子供達の。彼らが死してなお煉獄の炎に焼かれなければならないのは、その魂を歪められたからだ。正しく清らかな魂は天上の苑へと行けるが、歪んだ醜い魂は煉獄に墜ちて焼かれる。彼らには何の罪もない。ただ、彼らを歪めて回った人物がいるだけだ。

 顔を悲しみにゆがめたカリンはぽつりとレオンハルトに声を漏らす。

「……レーヴェ」

「分かっている。楽にしてやるのがせめてもの……」

 レオンハルトも渋面を作ったまま手に持った剣を振るった。なるべく苦しまないように、一撃で葬って。アルシェムは本格的に辛くなってきた。こんな光景をこのまま見せられ続けるのなら――立ち止まってしまっても良いかと思えるほどに。だが、それは出来ない。どれほどの苦しみが待ち受けていようとも、アルシェムは戻らなければならない。

 再びカリンとレオンハルトは進む。その先に小さな広場が見えてしまうことが苦痛だった。そこに待ち受けている屍人が誰なのかと考えるのが嫌だった。それでも、先に進まなければ帰れない。カリンはレオンハルトとアルシェムと共に戻るのだと誓った。レオンハルトはカリンとアルシェムだけは返すと誓った。アルシェムは、最悪の場合には自分を犠牲にしてでも全員を帰還させると誓った。改めて誓わなければもう一歩も進めなかったからだ。

 そして、また小さな広場に辿り着く。そこで待ち受けていたのは――細剣を握った、泥人形だった。これまでのように多数たむろしているということはなく、ただ一人だけ佇んでいた。

彼女は――何故かアルシェムにはそれが彼女だと分かった――アルシェムに向けて告げる。

「アナタサエ、助ケヨウトシナケレバ……ワタシハ、生キテ帰レタカモ知レナイノニ……」

 一瞬だけ見えた幻影に見覚えはなかった。その声に聴き覚えはなかった。ここまで生きて来て、全く知らない人物のはずだった。だが、アルシェムは――心のどこかで認めていた。アルシェム・シエルは彼女を知っている。それも、こうして覚醒する前に。となると彼女は――

「ユーリィ・E・シュバルツ……?」

 アルシェムが呆然と声を漏らす。こんなところで邂逅するとは思わなかった。むしろ、死んでからなら恨み言を言われる時も来ると思っていた。だが、今ここで出会ってしまった以上はその声を聴く義務がある。彼女は、アルシェムのために死んだようなものだから。

「後悔ハシテイナイケレド……ワタシノ分マデ、生キテ足掻キナサイ……苦シンデ、苦シンデ、煉獄ニ来ナサイ……」

「さーね。どこまで生きていられるかなんてわたしの知ったこっちゃない。ただ、最後の望みだけは叶うと思うよ――わたしは大悪党だから」

 アルシェムはそう彼女に返して、カリンの背から導力銃で彼女を撃つ。彼女はゆっくりと倒れ――そして、消えた。アルシェムは小さな声でカリンを急かし、彼女らは進んだ。先へ――未来へと。

 そうして、終点に辿り着くと待ち受けていたのは巨大な禍々しい門だった。そこには他に誰もいない。ただ、遠くを透かし見てみればケビン達が向かう先もここに通じていることが分かった。待っていれば合流できるだろう。

 それを三人とも察したところで、カリンがレオンハルトに向けて言った。

「レーヴェ、周辺の警戒をお願いね」

「ああ。任せておけ」

 レオンハルトが鷹揚に頷くのを見ると、カリンはアルシェムの死角でオーブメントを駆動させてアルシェムを眠らせにかかった。そうしなければ考え込みすぎて壊れてしまうかもしれないと思ったのだ。

 そして、アルシェムは一時の安らぎを得た――ケビン達が、そこに辿り着くまでの短い間だけだが。




 何か前には出てこなかった人もいますが、気にする必要はありません。察せられる人は察せられるでしょう。

 では、また。


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《白面》からの誘惑

 旧141話~142話半ばまでのリメイクです。

 では、どうぞ。


 ケビン達が自分達の待つ場所に辿り着いたことを、アルシェムはカリンに揺り起こされてから気付いた。そこまでは完全に気絶していたのである。眠っていたというのは実は正しくなく、ただ瞼を閉じていただけだったはずなのだが、いつの間にか意識が落ちていた。普通人はそれを眠っているというのかもしれないが、全く疲労が取れていないので気絶と呼称しておく。

 それでも挨拶の言葉はこれになるだろうと思ってアルシェムはケビンにこう告げた。

「……おはよー」

「何や、大分やられとるやん……そっちもそんなにヤバいのが出たんか?」

 ケビンは暗に自分達も大変だったという意味を含ませながらアルシェムに問うた。その瞬間、カリンとレオンハルトから猛烈に冷たい目を向けられてたじろぐ。一体自分が何をしたのか――と考えて、もしも自分と同じことがアルシェム達にも起きていたらと考えると罪悪感が溢れて来た。ここに罰を求めたのはケビンなのだ。ある意味とばっちりともいえる事態には謝罪しなければならないだろう。

 故に、ケビンは目を泳がせながらアルシェムに告げた。

「あー……スマン」

「謝る必要はないけど……問題があるとしたら、ここが終着点ってことかな」

 彼女はいわくありげな閉ざされた門を視線で示すと、ケビン達はその門を見て眉をしかめた。というのも、どこからどう見てもその門は聖典にて語られている《煉獄門》なのだから。そして、聖典にはその門の存在は示されていても開く方法は記されていない。だが、もし記されていればそれは偽典もしくは焚書扱いになっていただろう。何故なら《煉獄門》は『生者と亡者を隔てる関所』なのだ。むやみやたらに開かれてしまっては現世に亡者が溢れ返ってしまうのだから。

 だが、この門を開く以外にここから脱出する方法はないように思われた。ここに来るまでには小さな広場があっただけで他にめぼしいキーポイントがあったわけでもない。一番目立つファクターがこの《煉獄門》である以上、この門に何かしらを作用させなければ脱出できないのは分かり切っていた。それが一体なんなのか――アルシェムには一つだけ心当たりがある。

 門、という言葉を口の中で反芻したアルシェムは口を開く。

「ちょっと試してみる」

「え……」

 アルシェムは未だふらつく足取りでその門まで辿り着き、そして触れた。ここでの彼女の呼称はほぼすべて統一されていた。《銀の鍵》――つまり、ずっと示唆されていた可能性があるのだ。どこかの扉を開くための鍵。それが、アルシェム自身を指しているのは明白なことで。もしこの門とアルシェムが対応しているのならば、開けられないことなど有り得ようか。

 アルシェムの手が門に触れようとして――止まった。正確に言うならば全身が凍りついた、というのが正しい。その様子を訝しげに見ていた一行も遅れてそれに気づき、振り返ってその人物が立っている場所を睨みつけた。そこに立っていたのは、一人の男性。眼鏡をかけ、髪をオールバックにした男性だ。その手には古代のアーティファクトらしい魔導杖が握られている。

 その人物は顔に愉悦を浮かばせながらこう告げる。

 

「触れるのは止めておきたまえ。ただ人として生きていたいのならば、ね」

 

 その言葉は、確かにアルシェムの精神を揺さぶった。その声も、その内容も。その声に含まれた感情も。全てがアルシェムを揺さぶり、門に触れるという行動を阻害して彼女をその人物のいる方へと振り向かせていた。ただ人として生きていたい。確かにアルシェムの願望にはそれもあるのだ。絶対に認めてはならない感情。認めてしまったら、自分のナニカを永久に否定してしまうかのような恐怖。

 アルシェムは紙のように白い顔でその人物の名を呼ぶ。

「――ワイスマン。こんなところで……来るか普通?」

 アルシェムの問いにワイスマンは満足そうに嗤った。何もかも捨て去って孤独に生きようとするのならば、ワイスマンの声を聴かずにそのまま門に触れていればよかったのだ。そうすれば『鍵』は『錠前』を開いたことだろう。解放された『錠前』の中からは全ての答えが導き出されるはずだ。ただし、それは《煉獄門》が開くという意味ではない。

 ワイスマンはアルシェムにこう返した。

 

「来るとも。ここは《第五位》を罰する地にて――《第四位》を運命に引きずり戻す地なのだから。こんな面白そうな場所に私が来ないことなどあるわけがあるまい?」

 

 その言葉に、一同は息をつめた。以前アルシェムが零した『犯人は複数』という言葉。それがここでつながったのだから。つまり、この事態を引き起こしたのはケビンとアルシェムということになる。彼が知っているはずもない《第四位》と《第五位》の情報を知り得るとするのならば、あの『ルフィナ』から聞いた以外に説明がつかないのだから。

 ワイスマンはその事実がいかにも面白いことだというように嗤い続けていた。彼がここで知り得たのは、アルシェムについての全て。その情報の断片はこの《星層》に嫌というほどあふれかえっていた。故に、彼はその断片をつなぎ合わせて推理した。『アルシェム・シエル』という名のイキモノが一体何であるのかを。真っ当な『ヒト』でないことだけは確かだったので、想像は膨らみに膨らんでワイスマンの愉悦を満たした。

 アルシェムは嘆息してワイスマンに告げる。

「来なくていーよ本当にもー……いっそ異名を《白面》じゃなくて《面白》に改名したら?」

「するわけがあるまい。そも、自ら名乗り始めたモノでもないモノを改名できると思っているのかね」

 呆れを含んだその声にもまだ愉悦は浮かんだままだった。ヨシュアなどよりもよほど『ジンコウ的』な『化物』が、こうして普通の会話をしていることすらおかしなことなのだ。『アルシェム・シエル』はもっと超越していなければならない。無理やりに嵌めた『ニンゲン』という枠から盛大にはみ出させなければならない。そうすれば――ワイスマンの望んだ『超人』が目の前で誕生するかもしれない。『ニンゲン』を超越したその先の存在へと。

 しかも、それが成せなくとももう一人『超人』となりうる存在が目の前にいる。それが、ケビン・グラハム。彼はヨシュアのように『天然』で心を壊して生きて来た。その彼から『ニンゲンらしさ』を奪い取れば更にすぐれた『超人』ともなり得るだろう。そして、それは《影の王》の望みでもある。利害が一致するからワイスマンはここでこうしてじっとしていたのだ。

 更に更にここにはレオンハルトまでいる。生死は定かではなかったが、ここにこうしているということは彼が生者であるあかしだ。彼からも徹底的に『ニンゲンらしさ』を奪い取れば『超人』になり得る。それも望んで《身喰らう蛇》に入るように誘導した人物だ。素質は十分にある。今のこの状況はワイスマンにとってはまさに垂涎の状況なのだ。踊り出していないのが不思議なほどである。

 くつくつと嗤いを漏らしながらワイスマンが続ける。

「目の前にこれほどのサンプルがあって何故とどまっている必要があるのかね。ああ、オリジナルの《聖痕》にこれほどの潜在能力があろうとは……」

 その言葉に引っ掛かりを覚えたのはアルシェムだけだった。どうしても消せない違和感があるのだ。今の言葉の中には、どうしても無視できない事実が混じっている。それは――『オリジナルの《聖痕》をワイスマンが調べられなかった』という事実。何故、ワイスマンは《聖痕》を調べられなかったのか。目の前にずっとアルシェムというサンプルがあったはずなのに。

 故に、アルシェムはワイスマンに問う。

「へーえ、じゃー、わたしの《聖痕》を調べたことはなかったわけだ。あれだけ機会があったのにね」

「……!」

 その問いに一同が目を見開いた。確かにそれはそれで奇妙な話だ。アルシェムが《聖痕》を得てから数か月は必ずワイスマンと接触する機会があったはずなのだ。《聖痕》を得たのちに彼女は執行者となり、クローディア暗殺未遂を機にそこから脱したのだから。それまでの時間を全て任務でワイスマンの前から姿を消したままでいられるはずもなく、実際にアルシェムは何度もワイスマンと対面していることを覚えていた。

 ワイスマンはその問いに渋面を作って応える。

「ああ、それは盟主から止められていたのだよ――君への精神的干渉が赦されていたのは、《ハーメル》に君を棄てに行ったときまでだからね」

 つまりそれまでは盛大に弄っていたらしい。アルシェムはそう解釈した。確かにそれならばアルシェムの《聖痕》を調べられないのは分かる。彼女の《聖痕》は先天性のものではなく後天性のもの。アルシェムの魂には、前任者の遺品より干渉されたことによるいわば《聖痕》の焼き付けが行われたのだから。もしもそれすらも予定調和のうちならば分からないが。

 そこでケビンが口を挟む。

「取り敢えずオレらに分からん話すんのは止めて、とっとと滅されてくれるかワイスマン」

「そんな大口をたたいていても、君は結局分かっているのではないのかね? ここを出るためには君が犠牲になるしかないことに」

 ケビンはワイスマンの返答に思わず口をつぐんだ。確かに今それ以上の答えは出せない。《影の王》を叩きのめして皆を脱出させる方法を吐かせるのも手ではあるのだが、それはここから出られればの話だ。まずはここから脱出する方法を考えなくてはならないのに、その結論はいつだってケビンが犠牲になる道だった。ケビンにも少しだけルフィナの気持ちが分かったかもしれない。

 だが、アルシェムはそのワイスマンの言葉を否定する。

「いや、別にそれだけじゃないけど」

「……ほう?」

「……どういうことですか、アルシェムさん」

 眉をひそめたワイスマンは興味深げにアルシェムを見るだけに留めた。何をするのかが興味深かったからだ。因みに問いを発したのはリースであり、ケビンを犠牲にしない道があればそれに縋りたいと思っている。リースにとってケビンは大切な家族なのだ。ルフィナを殺されてなお慕える唯一の家族。ずっと一生一緒にいたいと思える人物なのだ。

 アルシェムはリースの問いにこう答えた。

「一つ目、わたしがあの門に触れること。問題があるとすれば何が起きるか分からないことくらいかな。二つ目、ケビンが《聖痕》を完全開放して制御下におくこと。無論、ワイスマンをブッ飛ばした後でっていう制約はつくけどね」

 それを聞いたワイスマンは思案顔になった。確かにそれはそうなのだが、そうなってしまっては面白くない。ワイスマンが見たいのは、ケビンもしくはアルシェムが《聖痕》に制御されるという光景だ。《聖痕》に彼らが御されれば『超人』に近いと思われる。そこにあるのは人間の意志ではなく、空の女神の意志の一端なのだろうから。

 しかし、ワイスマンの願いはかなわない。ケビン達は全会一致でワイスマンを倒すことに決めたようなのである。まずは不安要素を排除してから事に当たろうとじりじり近づいてくる一行を見たワイスマンは慌てて《影の王》に与えられた権限の中でも最上級の悪魔を複数体召喚した。

 それを見たケビンが舌打ちをしてその悪魔の正体を明かした。

「アスタルテとロストルム……! この《煉獄門》に相応しい奴等を連れてきおって……そんな匠の心遣いいらんし!」

「別に匠でもなければ心遣いをしたわけではないが、ケビン・グラハム。いかな《守護騎士》二人とはいえこの状況を切り抜けるのは困難ではないかね?」

 ワイスマンがケビンにそう返すと、もう二体ずつアスタルテとロストルムを増殖させた。やり過ぎということなかれ、ワイスマンはアルシェムに追い込まれた過去を持つからこそこの対応である。

 対するケビン達の状況は決して芳しくはなかった。精神的疲労は全員がピークを通り過ぎている。ケビンは動けるが、アルシェムはしばらくは動ける状態にはない。無理に精神的苦痛を凍結させれば動けないこともないだろうが、どうしても万全の状態と比べるとかなり劣るのだ。

 ケビンは乾いた笑みを浮かべながら独り言を漏らす。

「はは……確かにな。ぶっちゃけ言うてこれはないわー……」

「ま、一体ずつ着実にブッ倒すしかないわけだけどねー。はっは……ないわー」

 アルシェムも盛大に溜息をついた。これは限界超えをするしかなさそうである。しばらくぶっ倒れるのも覚悟しておく必要がありそうだ。取り敢えず、目の前のろくでもない男を倒すことを優先する。そう考えて、アルシェムは導力銃を抜いて《煉獄門》にもたれかかった。他の面々もそれぞれ武器を抜いてワイスマンに向けて襲い掛かろうと準備していた。

 そこでワイスマンがケビンにこう提案した。

「――最後の提案だ、ケビン・グラハム。私の目の前で人間らしさを棄てるが良い。そうすれば――この事態も切り抜けられよう」

 その言葉に、ケビンは苦虫をかみつぶした顔をした。確かに、この場で人間らしさを棄てて『超人』になればこの事態も何もかもすべてが解決するのかもしれない。だが、人間らしさを棄てるということは――こうして生きているという実感も、隣に立つリースのことも、ルフィナを自分の手で殺してしまった実感も、あの時の――ルフィナから口移しされたチョコレートの味も、全部全部棄ててしまうということだ。

 

 ケビン・グラハムという人間はあの時――ルフィナとリースに会った瞬間に死の淵から救い出されて新生したのだ。

 

 それを棄てるということは今の自分を否定することになる。ルフィナを殺したことを忘れてはならない。母親を見殺しにしたことを忘れてはならない。これまでに任務を通じて出会った《外法》達を殺したことを忘れてはならない。リースを悲しませたことを忘れてはならない。それは、ケビン・グラハムが背負うべきものなのだから。

 背負うことは罰ではないのだ、きっと。ケビンはここに至ってそう思う。ただ単に背負っただけなら、心に重荷を抱えているだけの状態だ。確かにそれは苦しい罰に思える。だが、そうではないのだ。罪を背負って、足掻くこと。それが、罪を負った人間の責務なのかもしれない。それは決して罰ではなく、成長の糧なのだと思う。罪を犯すのは確かにいけないことだ。無論罪を犯さないよう注意するのは当然だ。だが、罪を犯してしまったのならば。そこからどう生きるのかが重要となる。

 罪を犯し、罪にまみれて生きていくのか。罪を犯し、しかしその罪を償うべく生きていくのか。これまでの道は前者だった。誰も救われない道。誰かを救うためではない道だ。だが、これからのケビンが進むべきなのは恐らく罪を償って、新たな罪に立ち向かう道だ。誰かを救い、救えなかった人たちの分まで他人を救う道。ケビンにはそうできるだけの力がもう備わっている。

 ケビンはゆっくりと言葉を紡ぎだした。

「……確かに、オレは臆病さとかヘタレさとかを棄てるべきなんやろうけどな、ワイスマン。それを棄てたら――オレは、あの時のチョコレートの味も忘れてまうことになる。それだけは赦されへんのや」

 ケビン・グラハムにとってルフィナから貰ったチョコレートの味は救いの味。あの味を忘れてしまえば、きっとケビンは死ぬだろう。ケビンの思い出の中のルフィナ達と一緒に。そんなことはもうしてはならない。もう二度と大切なことを間違ってはならない。大切な人達を――守る。それが、原初のケビンが目指した道だと自分でも言っていたではないか。

「お、おおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 心の中で決意を固めたケビンは、目をカッ開いて胸に手を当て、仁王立ちになって吼えた。その様子をレオンハルトがドン引いた目で見ていることは知らない。知らなくても問題はないだろう。いきなり何吼えてるんだコイツ、というのがレオンハルトの内心である。何となく理由が分からないでもないのだが、今このタイミングでやるというのがまた無茶である。温存する気はないらしい、とレオンハルトは判断した。

 そうして――ケビンの背に青白い《聖痕》が現出する。それは、これまでケビンが《聖痕》を発した時とは違い、いうなれば清浄な気配を発していた。これこそが本来のケビン・グラハムの《聖痕》。今まで使っていたのとは違う光の側面だ。

 それを見たリースが思わず声を漏らす。

「凄い……」

「……悪いけど、このまま試させて貰うでワイスマン」

 そうして、ケビンの蹂躙が始まった。ある意味主砲と化したケビンをリースが守護しつつ、一体ずつダメージを与えていく。リースだけでケビンを守りきれないときはカリンも守護に加わっていた。レオンハルトは遊撃と足止めでまだ消滅していない悪魔たちを斬り伏せ、時には部分欠損以上のダメージを与えていく。それを、アルシェムは門にもたれたまま見ていた。

 見ていた、と書くとアルシェムが何もしていないように見えるだろう。しかし、彼女はタイミングを計っているのだ。ワイスマンがいる限り悪魔は何度でも出現するのだろうから、彼の隙をついて一撃で射殺できるように。

 そんな彼女の耳には幻聴が聞こえていた。その声はずっと彼女に語りかけ、ここから出る方法の前段階としてしなければならないことを伝えて来る。その声が一体誰の声なのか、アルシェムは何となく予想がついていた。あまりにえげつないことを提案されている気もするのだが、アルシェムはそれを気にすることはない。

 この世界は想念が形を持つ。ならば、ワイスマンを完全に滅せるような物体の創造とて難しいことではないのではないか。アルシェムは自らの持つ導力銃に想念を込める。ワイスマンをこの世界から完全に排除できるような弾丸を。ワイスマンを、この世界にはなかったことにできるような弾丸を。カモフラージュのためにあの時と同じ塩で出来た弾丸を。何物にも避けられないように、音をも超えるスピードで。

「――今」

 アルシェムは射線が通ったのを確認してワイスマンに一発撃ち込んだ。それは過たずワイスマンに突き刺さり――ワイスマンは、アルシェムの想定通り塩をまき散らしながら消えて行った。




 裏技的ワイスマンの倒し方。

 では、また。


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~いつか、辿りつく場所~
暗示破りマイスターがいた代償


 旧142話半ば~145話までのリメイクです。どんだけ詰め込んでるんだか。

 では、どうぞ。


 《煉獄門》の前でワイスマンを滅した一行は、何故かそこに出現したお笑い担当のギルバートと共にセレストによって開かれた《煉獄門》から脱出した。その場にいた人物たちは疲労困憊だったのだが、このまま何もしないわけにはいかない。セレストが掴んだ《影の王》の居場所へと赴くために一向は準備を始めた――というのを、後にアルシェムは知った。というのも、彼女は精神的負担がかかり過ぎていてぶっ倒れていたからである。ただし気は失っていない。

 そして、その間にひそやかに行われていたことがあった。それは――ケビンやリースと言った星杯騎士達にはばれないように、自分達の状態に違和感を抱いたエステルがジンに依頼することで行われていたことだ。エステルは気づいていたのだ。あの時――カシウスと戦った後に何かをされたことに。大切なことを、忘れてしまっていることに。

 エステルの依頼を受けたジンは、エステル本人とヨシュア、そしてカシウス戦にいたリシャールとアガットとレンに掛けられた暗示を解いた。といっても、レンに関しては自分で解いていたようだが。そうして彼女らは思い出したのである。大切なことを――大切な人に纏わりつくアルシェムの正体を。

 ただ、エステル達はアルシェムの正体を他の人たちに明かすことはなかった。もしそんなことをすれば後で全員まとめて記憶を消される羽目になるかも知れないからだ。それだけは避けたい。

 そうして、エステル達は一人ずつアルシェムの看病と称して彼女に接触することにした。まず最初に接触しに行ったのは、エステル。エステルはアルシェムの看病をしていたクローディアと代わって、もう本棚から情報を引き出せないか――この拠点の本棚を一番うまく『使う』ことができるのはクローディアであるからだ――調べてほしいとお願いしたのである。

 まんまと看病の座を勝ち取ったエステルは、未だ蒼い顔をしたまま寝転がっているアルシェムに問いかける。

「ねえ、アル。アルは――星杯騎士、なの? ケビンさんと同じ」

 その問いを聞いたアルシェムは物凄く長い溜息をついた。エステルの言葉で暗示を解かれたのはもう分かったのだが、それが必要なことだとは分かっては貰えなかったらしい。情報が漏れるだけで問題になるというのに、暗示を解いた馬鹿がいるようだ。星杯騎士とて闇だと、何故分かってもらえないのだろうか。アルシェムは一瞬のうちにそこまで考えた。この状況で暗示を無理やり解けるような人物は――従騎士達にもケビンにも動機はないため――恐らく気功が使えるジンだろう。余計なことをしてくれたものだ。

 アルシェムは目を細めてエステルにこう返した。

「それが、何かエステルに関係ある?」

 それは事実上の肯定だった。否定は出来ない。それは事実なのだから。ただ、どこまでも誤魔化す必要はあるだろう。ブライト家に居候していた間、アルシェムは彼らに星杯騎士としての任務をこなしていたことなど微塵も感じさせたことはないのだから。むしろ気づかせてはならなかったから細心の注意を払った。だからリベール近郊の小さな任務しか回ってこなかったのだ。

 エステルは眉を寄せて問いを重ねた。

「あるわよ。たとえばいつからそうだったのか、とかね」

「わたしにそれを答える義務があるとでも?」

 アルシェムは問いに問いを返した。いつから、なんて答えられるはずがなかった。その答えを告げた瞬間、アルシェムが《第四位》であることが確定してしまうのだから。裏の世界に流布する《守護騎士》の情報の中には、アルシェムの存在はない。もしも《第四位》の情報が流れていれば、前任者の殉職時期とアルシェムの《守護騎士》化の時期が重なっていることに誰かが気付いているはずだ。それをまだ悟らせてはならない。

 エステルはアルシェムの答えに表情を険しくして最後の問いを発する。

「じゃあ、これだけ答えなさいよ。……アルは、ずっとあたし達を騙してたの?」

「……そんなことないよって言えば満足?」

 アルシェムの返答に、エステルは悟った。ずっと、アルシェムはエステル達を騙していたのだと。恐らくアルシェムはカシウスを監視するために送り込まれてきて、自分達は家族だと思っていたアルシェムにずっと監視されていたということなのだと。ヨシュアも似たようなことをしていたが、彼がアルシェムと違うのはそのことを悔いていることだ。アルシェムは、『家族』の監視に何ら良心の呵責はない。

 分かっていたこと、だったのかもしれない。以前アルシェムはエステル達にこう告げた。『わたしの『家族』はカリン姉であり、レオン兄であり、ヨシュア『だった』。そして、共和国のあの人達『だった』。それで十分です』と。つまり、その中にエステル達は入っていなかったのだ。エステル達は『家族』ではなかった。『家族』には、なれなかった。

 エステルは声を震わせ、やっとこの言葉だけを吐き出す。

「……アルの、バカ」

 そして、そのままその場から小走りで去って行った。それと入れ替わるように来たのはリシャールである。ヨシュアはどうやらエステルを慰めているようだ。その光景を見ながら、アルシェムはあの戦いのときの全員分の暗示を解かれたことを察した。どうやら面倒なことになりそうである。本当に後で締める程度では済ませられないかもしれない。

 手持ち無沙汰になってね、と言いながら看病に来たリシャールにアルシェムは問うた。

「で、タマネギ大佐は何が聞きたいわけ」

「タマネギはよしたまえ。……この数年ほど、情報部から情報を抜いていたのは君かね?」

 ああ、そのことか。アルシェムは得心した。確かにアルシェムは情報部から情報を抜かせていた。特務兵たちも人間なのだ。必要悪だと分かってはいても罪悪感には勝てないモノだ。そういう時に縋るのは信仰しかない。故に、彼らは教会に告解に来るのだ。そして、その告解の担当者がすべてアルシェムの手のものだったという、それだけのことなのだ。ぼかして懺悔をしても、いくつもの情報が集まれば真実に近いものが描き出せるのだから。

 アルシェムはエステルの時と同じように答えを返す。

「それが、何か大佐に関係ある? もー情報部の人間でもないのに」

「いや、一体いつから君が《守護騎士》だったのかと思ってね……確かに、君は《身喰らう蛇》の構成員だったようだが、それ以上の技量がなければ我々から情報を抜くことなど出来んよ。故に――君は、カシウスさんに引き取られる前から《守護騎士》だったのだ。そしてエステル君達を騙して潜入していた。違うかな?」

 確かに、アルシェムが《身喰らう蛇》の構成員のままならば情報部の情報を抜くことは至難の業だっただろう。一人一人とっ捕まえて拷問の上に聞きだす手段をとるしかない。アルシェムには暗示は使えないのだから。だが、《守護騎士》として部下を持てるアルシェムは、暗示という手段が使えるようになる。そうリシャールは思っているのだろう。アルシェムは嘆息した。

「だから何なわけ、大佐。エステル達に謝罪しろとでも?」

「いや……ただ、一つだけ言わせて貰えるなら、エステル君達の気持ちも考えてみてはくれないだろうか」

 それだけだ、と言ってリシャールは去って行った。エステル達の気持ちを考えろと言われても、アルシェムには彼女らの気持ちは分かるはずがないのだ。アルシェムはエステル達ではないのだから。故に、リシャールの言葉はアルシェムには一片も沁み入ることはなかった。ただアルシェムの精神的苦痛を増やしただけである。エステル達を案じてのことなのはよく分かるのだが、それが何故アルシェムにつながるのか彼女には理解出来ないのだ。

 嘆息しながら次の来訪者を待っていると、入れ替わりにヨシュアがやってきた。どうでも良いがそろそろ怪しまれるとアルシェムは思う。だが、そんなことも関係なしにヨシュアはアルシェムの元まで辿り着いた。

 険しい顔をしたままのヨシュアはアルシェムを糾弾する。

「エステルから話は聞いたよ。君は……自分で言っていて恥ずかしくないのかい?」

「恥じらいとか必要だと思う?」

「……それが任務ならこなす。君がそういう人なのは分かってるけど……エステルは、君にとって何だったんだい?」

 ヨシュアの瞳がアルシェムを射抜いた。先ほどからずっと思っているのだが、精神的疲労でぶっ倒れているとケビンは説明していたはずなのだが何故彼らはこうしてアルシェムの精神に負担をかけに来ているのだろうか。足手纏いを増やしたいのなら最初からそう言えば良い話だとは思うのだが。残念なことに、アルシェムはエステル達が彼女を訪ねに来た理由を察することが出来ないためそういう思考になる。

 アルシェムはヨシュアの問いに対してこう答えた。

「元観察対象の娘。それ以外の何者でもないけど」

「……そう。じゃあ、僕は……?」

 ヨシュアはすがるような瞳でアルシェムを見た。ただしアルシェムには何の効果もない。せいぜい、エステルにやれよと思うくらいだ。アルシェムにそんな目を向けられても、彼女にはヨシュアの望む答えを返すことは出来ないのだから。

 淡々とアルシェムはヨシュアに告げる。

「元観察対象の養子で、いつか元観察対象の娘に入り婿するってくらい?」

「……姉さんのことは」

「『家族』だった人。ねーヨシュア、もーいーでしょ? そんなどうでも良いことに時間を割いてていいの? 今のこの状況で」

 アルシェムは鬱陶しそうにヨシュアの問いにそう返答し、溜息をついた。皆は忙しそうに動き回っているのが見えているのだ。ヨシュアも準備を進めなければならないとは思うのだが、一向に行こうとしない。アルシェムとの語らいなんて必要なものでもなんでもないというのに。

 ヨシュアは、アルシェムの返答を聞くと押し殺した声でこう問うた。

「君は、自分のことをどうでも良いことだと言い切っていて悲しくないかい?」

「別に。だって、ヨシュアにとってわたしのことなんかどうでも良いことでしょ? ヨシュアはエステルのことだけ考えてりゃいーじゃねーの」

 その言葉を言い終わるやいなや、ヨシュアの手が閃いた。手加減したのか、拳ではなく平手だった。だが、痛みだけは本物で生理現象として涙がにじんだ。それを瞼を閉じることで目の中で拡散させ、ついでに痛みも逃がす。

 そんなアルシェムを見ながらヨシュアは一言つぶやいた。

 

「どうせ君は何も僕らのことなんかひとつも分かっちゃいなかったんだ」

 

 そして、ヨシュアもその場から立ち去って行った。アルシェムはだから何だと思う。ヨシュアはエステルのことだけ考えていれば良いのだ。どうせアルシェムは『家族』ではなくなったのだから。『家族』でないなら、ただの他人だ。それで良い。

 立ち去って行ったヨシュアと入れ替わりに来たのはレンだった。もうこれ以上は来なくても良いと思いつつアルシェムは寝転がったままレンを待った。むしろ寝てしまいたいのだが、それは彼女が許してくれなさそうである。

 レンはアルシェムの横に立つとこう問うた。

「……アルは、《第四位》ってことで良いのね?」

「……うん。だからそれが何か――」

「ううん。《第四位》がアルだろうが誰だろうがレンにはどうでも良いことなの。ただ、言いたいことがあってきたのよ」

 これまでとは違う風向きの話になるのかと思ったアルシェムは、脳内でそれを否定した。こういう時に考えるのはきっと皆一緒のことだ。騙されていた。嘘つき。そのまま排除したがるのはよく分かる。だからきっと、レンの話もそんな話なのだと思っていた。

 だが、レンはアルシェムにこう告げる。

 

「アルが《第四位》になった時、レンを見捨てないでくれてありがとう」

 

 その言葉は、アルシェムに衝撃をもたらした。それは、いつアルシェムが《第四位》になったのかを全て理解していなければ吐けない言葉だ。特にレンには。アルシェムが《第四位》になったのはレンとともに救出されてからのこと。アルシェムが――『シエル』が《銀の吹雪》になる直前のことだ。それ以前の、《楽園》にいた時に《聖痕》を得ていたならばすぐさま破壊していただろうとレンは判断したのだ。アルシェムはそう推測した。

 確かに、レンを見捨てることは出来なかった。数少ない『友達』で『同志』だったあの時も、今も。どこか心の奥底でレンを見捨てることを恐れている。だから死のうとしてもレンの言葉で思いとどまった。今も、レンの言葉に揺さぶられている。

 アルシェムはかすれた声でレンの言葉に返す。

「……そうするのが都合がよかったからだよ。《第四位》になった瞬間に結社から姿を消せば絶対に感づかれるから」

「ほとんど嘘よね、それ。確かにそんな理由もあったとは思うけど、それ以外にも目的はあった。違う?」

 レンも容赦がなかった。ただ、エステル達の糾弾とは違ってどちらかというと責められているというよりはアルシェムの隠し事を全て解きほぐされているような感覚だったが。

 確かに、アルシェムは《第四位》になった瞬間に《身喰らう蛇》から姿を消さなかったのには理由がある。まだまだレンが不安定だったこと。《ハーメル》の真実をレオンハルト達に伝えたかったこと。そして――《白面》を見極めること。あの時既に仮にではあるがアルシェムは任務を受けていたのだ。既に破門されていた《白面》だったが、その目的が謎のままではあまりにも危険すぎる。故に、何を目的としているのかを探るという理由もあったのだ。

 だが、アルシェムはそれを口にしようとはしなかった。

「さあね」

「ふうん……誤魔化しても良いけど、レンには全部わかってるんだから意味ないわよ。いろんな理由があったとは思うけど、レンはあの時にアルにいて貰って嬉しかったの。それだけは覚えておいてほしいわ」

「善処する」

 レンの言葉を全て受け取るわけにはいかないため、アルシェムは曖昧にそう応えた。案の定レンも政治家の答弁みたいね、と笑って返してくれた。それ以上に交わすべき言葉はなかったし、レンもそれ以上アルシェムに今言うべきことはなかった。

 居心地のいい沈黙が流れる。ずっとこのままでいても良いのに、と思いながらレンは呼びに来たのであろうエステルを軽く恨んだ。そろそろ準備が終わったらしい。ただし何の準備をしているのかを聞かされていなかったアルシェムは知らなかったのである。

 故に、アルシェムはレンに問うた。

「何の準備が終わったって?」

「あら、アルには誰も説明してなかったの? ここから脱出するのよ。《アルセイユ》っていう船に乗ってね」

 あ、あんですってー、とエステルのお株を奪う叫びをあげたアルシェムは、その当人に背負われてその場を後にする。単純に人手が足りないから背負われているのだろう。まだ歩く気にもなれないので背負って貰えるのは有り難いのだが、《アルセイユ》に着くまでエステルは何故か緊張し通しだった。アルシェムにしてみれば何故ここに《アルセイユ》が、なのだがそれは問うてはいけないのだろう。

 《アルセイユ》に着くと、エステル達は一様に目を閉じて何かを念じ始めた。アネラスに至っては「アルセイユアルセイユアルセイユありゅしぇいゆ……あう、噛んじゃった……じゃなくてアルセイユアルセイユ……」などと呪文を唱えている。どうやら、皆の想念で《アルセイユ》を動かすようだ。そうでなければアネラスの醜態が説明できない。

 そして、起動が成功してそのまま《アルセイユ》は動き始めた。どんどん加速し、理論値を越えて限界値を叩きだした《アルセイユ》はなんと時速五千セルジュも出ているようである。計器をちらりと見た時にそう見えた。

 そこまで見たアルシェムは、軽く溜息をついて船室から脱出した。向かう先は後部デッキ。間違いなく追跡者が出るだろうと思ってのことである。そう考えなければ来なかったのかもしれないが、生憎思い当ってしまったので出るしかない。

 誰かが追いかけてくる気配もしたのだが、想念で扉をむりやりロックしたアルシェムは物理的にその人物を隔離した。扉を叩きながら叫んでいるエステルの声がする。開けなさい、開けないと後で説教一日ぐらいするわよ! という声だ。だが、エステルがそんなことを言っているなどきっと気のせいに違いない。そう思えばその声も遠ざかっていった。

 そこでアルシェムはふと渋い顔をした。ワイスマンの時から思っていたが、あまりにも簡単に想念で環境を上書きできてしまっている。確かにあの状況を早く打破できればと《煉獄門》には触れた。だが、何も起こらなかったのではなかったのか。あの瞬間から、確かにアルシェムは変わっていた。この世界で想念の力を振るうのがいとも簡単になっている気がする。そして、それはきっと気のせいではないのだ。

「……何だかなー……」

 この世界において、『アルシェム・シエル』は『鍵』と称された。それは、彼女自身が『鍵』だったのか『鍵』というきっかけを待つ『錠前』だったのか。それを知るすべはなかった。ただ、言えることはある。『アルシェム・シエル』と《影の国》は相互に作用しあう『鍵』だったのだ。前者は機能を大幅に封印し、後者はアルシェムの機能が封印されていたためにその効果が発揮されていなかった。

 追ってきたドラギオンを、アルシェムは導力銃で追い払った。弾丸はワイスマンの時に使ったのと同じもの。想念で出来た概念否定の弾丸だ。何度撃っても次から次へと出現するドラギオンを撃つのは、なかなか楽しかったらしい。一撃で倒れてくれるため尚更、といったところか。

 最終目的地《幻影城》に辿り着いた時、アルシェムは《アルセイユ》に乗り込む前よりも元気だったのだが、誰もその矛盾について指摘することはなかった。ただ元気になってくれてよかったとだけ思っていたと記しておく。彼らの中で、追跡者などいなかったのだ。その姿がどんな形であれ悟られないように、アルシェムは想念で細工をしていたのだから。

 そうして、ケビン達一行は現実世界へ帰るための最後の戦いに挑むこととなるのであった。




 ジンさんの活躍場所はここで終了のお知らせ。

 では、また。


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それは野を這いずり

 旧146話~147話までのリメイクです。
 100話まできてしまった。
 では、どうぞ。


 セレスト曰く、《幻影城》と名付けられたその場所に辿り着いた一行は、《影の王》の指示に従ってどの門から誰が入るのかを決めていた。右門には、金の巨人。左門には、黒の幻想。正門には、紅き聖獣。そして、大門には世界の意志が待っているらしい。大門に関してのみケビンとリースが必要なのは確定のようだ。文字から類推しつつ、誰がどの扉に入るのかを決めていくのだが――ここで、一つ問題が起きた。

 本来ここにいるべきではない人物たち――アルシェムとその従騎士達、そしてティオである――は、どの門からも侵入を拒まれてしまったのだ。取り敢えずは彼女らは居残りということにしてそれぞれ分かれていく。因みにギルバートも弾かれていた。ギルバートに関しては文言が後から付け加えられたので、正式にその場にとどまっていれば良いという大義名分を得ていた。

 そして、彼女らは以下のようにわかれる。右門には、ヨシュア、エステル、ティータ、レン。左門にはアネラス、ジョゼット、オリヴァルト、ミュラー。正門にはアガット、クローディア、ユリア、リシャール。そして、大門にはケビンとリース、そしてシェラザードとジンである。ティータとアガットが離れる際にひと騒動起こしかけたのだが、それはそれ。やはりアガットはロリコンだったということである。

 ひと騒動を無事におさめた後、緊張も少々ほぐれた一行は気合いを入れて彼ら彼女らが揃って門をくぐっていった。その瞬間――アルシェム達は足元の地面の感覚がなくなるのを感じた。

 それにパニックを起こしてわたわたするティオ。

「えっ、えっ、こ、これどうすればいいんですか!?」

「何で元市長秘書が落下を免れてるのかから聞きたいんだけど……ほい、ティオ捕獲」

 アルシェムはパニック状態のティオを掴んで周囲を見回した。他に対応できていない人物はいないとは思うのだが、念のためである。案の定カリンはレオンハルトが捕獲しているのを確認したし、メルはリオが捕獲しているのを確認した。着地できないこともないだろう。あの時のように重力に従って落ちているわけではないからだ。故に、アルシェムは《聖痕》を使ってすらいない。

 そうして着地した先には、波打つ銀色の髪の少女が待ち受けていた。

「……どうして来たの? このままここに留まっていれば、貴女は幸せになれるのに……」

 悲しそうな顔をして。哀れんだ顔をして。少女はそう告げる。少女からしてみれば、ここにはアルシェムの望むものが全て手に入るはずなのだ。それなのにそれを棄てるような行為に走るアルシェムが理解出来ない。少女には、アルシェムの望むものが手に取るように理解出来てしまっているだけになおさらである。ここにいれば、アルシェムは幸せになれる。少女からすれば、それは真理だった。

 しかし、アルシェムはその言葉を完璧に戯言だと切って捨てた。

「ここにこのまま留まる? んなことしたら現実が全力で浸食されていくわけだけど、それ本気で言ってるわけ?」

「貴女の望むものはすべてここにあるんだよ。貴女が望むなら、何だってここには在れるのに。貴女が願うなら、何にだって成れるのに」

 少女は知っていたのだ。最初から、『アルシェム・シエル』という女の望みを。何故ならアルシェムは少女にとっての□□□であり、世界に求めた□□なのだから。故に、少女とアルシェムは□□だともいえるのだ。だからこそ少女はそう告げられる。本来ここに存在しなかったはずの存在であるのは、少女とて同じなのだ。この場所には存在せず、しかし少女の場合は別の場所に存在していられる。それだけがアルシェムとの違いであり、それが決定的に相容れない要素でもある。

 目に涙をためて少女は告げる。

 

「貴女の望みは、ヒトに成ること。貴女の願いは、普通の人間に成ること。貴女の祈りは、幸せを求めている。それなのにどうしてそれを否定するの?」

 

 ――それは、事実だった。アルシェムの心の奥底に沈められた望みは、願いは、祈りは全て言い当てられていた。アルシェム・シエルは人間ではない。だからこそヒトに成ることを望んでいた。アルシェム・シエルは普通の人間ではない。だからこそ普通の人間に成りたいと願っていた。アルシェム・シエルは幸せではなかった。だからこそ、幸せになりたいと心の底では祈っていた。

 だがアルシェムはそれらを全て拒否しにかかる。

「その望みが叶わないのも、その願いが叶わないのも、その祈りが届かないのも。全部分かり切ったことだからだよ」

「なら、どうして望みも願いも祈りにも近づこうとしないの?」

「あんたにだけは、言われたくないかもね」

 そうして、アルシェムは導力銃を抜いた。これ以上の会話の必要性が認められなかったからだ。少女にだけは言われたくない。それを、アルシェムは心の底から感じていた。根拠はどこにもない。だが、少女はアルシェムの終生の敵になるだろうと確信出来てしまったのだ。そして、少女も悲しそうにそれを見つめて手を振るった。少女が消えて、同じ場所に極彩色の巨いなる存在が姿を現す。

 極彩色に染まっていても、大きさが依然と異なっていたとしても、その個体をアルシェム達は知っていた。何故なら、彼を狩ったのはアルシェムであり、彼から《輝く環》を断ち切って回収したのも彼女であるからだ。そう、それは――

 

「アンヘルワイスマン――!」

 

 七耀教会内でつけられたものではない俗称を、彼女は叫んだ。あの場にいてそれをしっかり見ていたカリンは、ワイスマンの存在を皮肉ってそう名付けていたのである。《輝く環》を取り込んで、無慈悲な天の使いとなったワイスマン。そもそも破門されて外法認定されていた彼を、カリンは一生赦すつもりはなかった。故に、誰からも失笑される呼称をつけてやったのだ。

 初見の相手ではない。それは、こちらにとって有利となり得る。何故なら――全く攻撃の通らない障壁が張ってあったとしても、対抗手段があることを知っているからだ。アンヘルワイスマンの姿を見た瞬間、レオンハルトが駆け出してその障壁を砕いた。

 そして、怒涛の攻撃が始まる。レオンハルトが前衛で、カリンがその補助を。リオが前衛で、メルがその補助を。アルシェムは固定砲台化しつつティオの護衛に回っていた。このままここでティオを死なせてしまえば国際問題にもなりかねないからだ。

 それに気付いたティオはアルシェムに声を掛けた。

「あの、アル、前に――」

「正直に言ってさ、あの巨体と剣とか棒術具で渡り合うとか考えるだけで力尽きそうだからヤダ」

「え、ええ……」

 ティオは困惑したような表情を浮かべているが、それがアルシェムの本音なのだ。先ほどまでぶっ倒れていたのである。あんな体力と精神力をごりんごりん削ってきそうな相手と等渡り合っていられないのだ。それを従騎士達に任せるというのもどうかとは思うのだが、少なくともアルシェムよりは皆元気なはずである。適材適所という言葉でアルシェムは自身を納得させていた。

 と、その時だった。アンヘルワイスマンが、声を発したのは。

 

『汝を安息の地へと迎え入れん』

 

 その言葉に身の危険を感じたアルシェムは、ティオを抱え上げながらその場から飛び退った。注意深くその場所を見ていると地面が消えてしまっている。その下には虚空が広がっているようにも見えた。流石にアレに巻き込まれれば消滅も免れまい。それを本能的に察したアルシェムはアンヘルワイスマンの行動を見ながら繰り出される攻撃を避けにかかっていた。

 頭のセンサーで空いた穴を測定していたらしいティオがアルシェムに声をかける。

「アル、あれに嵌ると多分庭園まで戻されます……!」

「えー……何て面倒なことしてくれやがるのアイツ……」

 アルシェムが顔をしかめると、アンヘルワイスマンはにやりと嗤った――ように、感じられた。そして、次の瞬間。

 

 これまでとは比べ物にならないサイズの穴が開いた。

 

「え……」

「ちょっ、冗談じゃな……」

 それは、アンヘルワイスマンにまとわりついて戦っていた従騎士達をも巻き込んで庭園へと一行を転移させた。そう、そのはずだったのだ。少なくとも、アンヘルワイスマンにとっては。

しかし、従騎士達の認識は全く違っていた。穴に落とされたと思いきや、アンヘルワイスマンの背後に出現していたのだから。彼女らはその死角から持ち得る限りの最大の攻撃を繰り出した。

「――鬼炎斬!」

「七耀の裁きを受けて! セレスティ・ホーク!」

「ファイアボルト!」

「貫け、スフィアノヴァ……!」

 最初は言わずもがなレオンハルト。レオンハルトのクラフトはアンヘルワイスマンに痛撃を与えた。その痛みを感じた瞬間に有り得ないと感じたアンヘルワイスマンは振り返ろうとして、リオのクラフトに全身を荒金で削られたように削り取られる。それに苦悶の声を上げれば、エンドレスで続くファイアボルトに全身を焼かれてさらに声なき悲鳴を上げる羽目になった。それが終わるか終らないかという時に、最後のカリンのクラフトが炸裂し、全身のいたるところに突き刺さった法術の弾丸によって引き起こされた様々な状態異常にただ悶えることしか出来ない。

 アンヘルワイスマンには――それを操っていた少女には、理解出来なかった。何故彼ら彼女らがそこにいるのか。そして、彼らが存在するのならば何故アルシェムとティオが存在しないのか。前者の答えは出ないが、後者の答えはすぐに出た。アルシェムは、ティオを抱えたまま少女の背後に存在したからである。

 そして、少女は気づくのが遅すぎた。その胸には、既にアルシェムの持つ剣が生えていたからだ。信じられないものを見たかのような顔で振り返ろうとした少女は声を漏らす。

「な、何を――」

「あんたを殺せば半分は解放されるんだろうからね。ちょっと小細工させて貰った」

 アルシェムはそう言って剣をねじり、心臓――否、少女を構成している『核』のような部分を破壊した。アルシェムがしたことは本当に簡単なことだ。ただ、アンヘルワイスマンが開けた穴の先に辿り着くとされていた庭園をアンヘルワイスマンの背後に位置するように設定しただけなのだから。《影の国》の管理者としての権限を取り戻しているアルシェムにとって造作もないことである。

 そして、アルシェム達が少女の背後を獲れたのも同じ理屈だ。といってもこちらの方は少々複雑、というよりも賭けに近かったのだが。アルシェムは、『アルシェムが穴に嵌れば少女の背後に出る』という法則を付け加えたのだ。そしてわざと穴に嵌り、少女の背後を取ったのである。

 そして、アルシェムは消えゆく少女にこう声を掛けた。

「二度と顔を見ることがなければいいね」

 それに、消滅する間際に少女が口の動きだけで伝えた言葉は――『有り得ない』だった。この先必ず逢うことになるのだろう。そして、恐らくは敵対する。そのことにアルシェムは複雑な顔をして少女の消滅を見届ける羽目になってしまった。

 そうして――アルシェム達はセレスト達の待つ場所へと帰還する。一番先に終わったようで、まだ誰も戻っては来ていないようだった。一同は黙り込んだまま、複雑な顔をして皆を待つ。そうしていないと皆の中で共通認識が生まれてしまうかもしれないからだ。ティオにだけは知らせてはならない。故に、一同は黙り込んでいるのである。

 次に帰ってきたのはエステル達だった。出現したのは金色の《パテル=マテル》だったようで、ロボット大決戦の様を呈していたそうだ。エステルとヨシュアはひたすらティータの護衛に回らざるを得なかったらしい。それも《オーバルギア》を召喚するまでで、《オーバルギア》に乗ったティータはそこそこ無双していたらしかった。あの面白いオモチャ、いつか弄りに行きたいわというのはレンの言である。

 その次に帰還したのはアガット達。帰ってきた瞬間にティータがアガットに抱き着いたのはもうご愛嬌としか言いようがない。好感度がすでに振り切れているのであった。彼らが戦ったのは紅色のレグナートだったらしい。ここはここでカオスだったようだ。土壇場で閃いてしまったクローディアがアガットの口にニガトマトサンドを詰め込んではドラゴンダイブのエンドレス戦法を提案してしまったのである。アガットは今全力で口直ししたいのだが、それを言うとテンパったティータが何を言い始めるのかわからないので――大概この男もムッツリである――黙り込んでいた。

 最後に帰還したのはアネラス達。どうやら全員が初見状態で黒い《トロイメライ》に当たってしまったようで全員がぼろぼろである。それでもミュラーとオリヴァルトだけが綺麗なのはひとえにミュラーの力量が凄まじいと言えば良いだろうか。とにかく疲労困憊ではあったのだが、一応全員が無事だった。

 そして、ケビン達が入っていった門が開いた。どうやらあちらも終わったようなのだが、一向に誰かが出てくる気配もない。いぶかしげに思った一行は不安を押し殺しながら最奥へと駆け付ける。

 そこにいたのは、おろおろとして倒れ伏すケビンとリースを見つめるシェラザードと気功でどうにかしようとしているジンだった。カリンが慌ててケビン達の様子を見に行き、恐らくはもう目を醒ますだろうと断言して皆の不安を沈めたところで彼らは目を醒ました。

 ケビン達は自分達に起きたこと――ルフィナの姿を模した《聖痕》を滅した――が気絶した末の出来事だと知って動揺していたが、セレストの言葉によってそれが本当に会ったことだと確認することが出来て安心していた。もしもあれが夢ならば、イロイロと台無しであるからだ。

 このままではこの場所は崩壊する、というセレストは次いで現世への門を開くことを宣言した。そして自らに残された力をほぼ使い切ってその《天上門》を開いたのだ。別れの時が、近づいていた。

 だからといってアルシェムに何かを言えるわけでもない。別れの言葉など、切り出せるわけがなかった。これっきりというわけではないのは分かっている。恐らくまた会うだろう。会いたくないと思っていても、会わざるを得ない状況がきっと来る。だから別れの言葉なんていくらでも出てくるはずなのだ。だが、彼女から別れの言葉は出ない。

 たくさんの追及を避けるためにとっとと脱出しなければならないのに、何故かエステル達に縋ってしまいそうで怖かった。それを理解しているのかいないのか、メルが一歩進み出る。

「年長者から、というわけでもありませんがお先に行きましょうかね。いろいろやることがありますから」

「メル先生……」

 エステルがメルを仰ぎ見た。階段を半ばまで進んでいたメルはその言葉に振り向き、苦笑しながらこう返す。

「いつか言おう言おうと思っていたのですが……エステル。あたし、貴女と四つほどしか変わりませんからね」

「えっ」

 エステルは目を見開いた。それはどっちの意味だろうと取りかねたからだ。流石に十三ということはないだろう。ということはメルは二十一ということで。さして変わらないとはいえ、それだけしか差がないということに純粋に驚愕していた。因みにヨシュアも同じである。まさかそこまで若いとは思ってもみなかったのだ。

 それに次ぐようにリオも年齢を告げて――リオはメルの一つ年下である――去って行った。色々と開いた口がふさがらない一同は、こっそり気配を消していたアルシェムには気付かなかった――ティオを除いて。

 何故ティオは気づいたかというと、アルシェムが話しかけたからだ。

「……戻ったらすぐに七耀教会に行ってくれる?」

「安否確認、ですか。分かりました」

 ティオは微かに頷いた。この事態は恐らく七耀教会の管轄なのだろう。故に、巻き込まれた人物の安否を確認するのは当然のことなのだ。恐らくアルシェムが隠していることは、それに通ずるからそういうのだ。気付いたことを悟らせてはいないが、ティオはアルシェムが星杯騎士かもしれないと分かっていた。流石にあそこまでシスターたちに囲まれていてそうではないと言われるのもおかしな話だ。

 ティオが気付いたことを敢えて隠しているのは、忘れたくなかったからだ。暗示をかけて記憶を消される、というのは何となく理解出来てしまう話だから。実際、ティオが入院しているときにも提案されたのだ。悪夢のような記憶を消して生きていきたいかと。だが、ティオはそれを断った。確かに悪夢のような出来事だったが、全てを忘れてしまえばガイのこともシエルのことも忘れてしまうから。

 そうしてカリンとレオンハルトが門をくぐって行くのを見届けたアルシェムは、ティオと共に門へと向かった。

「皆さん、その……ありがとうございました。あまりお役には立てなかったかもしれませんけど……」

 ティオの言葉にエステルが気にしないようにと声をかける。役に立たないとは思っていない。むしろ、やるべきことをこなしてくれただけ有り難いと思っていた。それに、レンと皆を繋ぐ手伝いをしてくれたこともある。足手纏いだとすら思ってはいなかった。因みにティータがティオにまたお話(専門的な)をしたいと言うとティオは目を輝かせて是非にと応えていた。

 ティオが門の外に去って行き、アルシェムはそれをゆっくりと追った。そこに声をかけて来たのは、エステルだった。

「……アル、その……」

「レン、また――逢おうね」

 だが、アルシェムはエステルの言葉には何も返さない。返す必要すら感じていないのだから。故に、アルシェムはレンに向けての言葉だけを投げて門の外へと向かった。その先に光などないと知りながらも。野を這いずることしか出来ないと分かっていても、アルシェムには進む道しか残されてはいなかった。




 そういうわけで、3rdは終了です。
 意図して100話にまとめたわけではないのでそれなりにビックリしてます。
 では、また次の章で。


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零編・序章~特務支援課、発足~
蠢く《雪弾》


 旧148話~151話までのリメイクです。

 では、どうぞ。


 閃光の後、アルシェム達は《メルカバ》肆号機の中に戻ってきていた。といっても、既にエレボニア帝国に潜入しているメルはそこにはいなかったのだが。問題があるとすれば、あの《影の国》での出来事のせいで大幅に計画を修正しなければならないことくらいか。アルシェムが生き残ってしまっていることが露見してしまっている以上、それは致し方ないことである。しかも身バレまでしている。アルシェムは《影の王》を恨まずにはいられなかった。

 計画の修正が必要になっているアルシェムは待っていた。メルからの連絡を。メルに与えていた任務は、《守護騎士》第二位《匣使い》の補助。だが、それ以外にも任務を任せなければならない状況になりつつある。本当に個人的なことになってしまうが、それを任務だと偽っても問題ないだろう。《匣使い》の目さえ欺ければ、メルはどんな鬼札にもなり得るのだから。

そして、待ち望んでいた連絡が来た。特殊オーブメント《LAYLA》を通じてくる連絡は、メル以外に有り得ない。

『もしもし、メルです。今大丈夫ですか?』

「うん。問題ないよ……と言いたいとこだけど、一回戻ってきて。《匣使い》への言い訳は《LAYLA》のメンテだってことにして」

『分かりました』

 十分理由としては通るだろうその言い訳をメルに伝えると、通話は切れた。一応まだ普及していないとはいえ《守護騎士》に新たに配布されることになった《LAYLA》のメンテナンスはアルシェム以外には出来ない。アルシェムが作り、セーフティを掛けているからだ。それを解析しようものなら自爆するようになっている。それをトマスも知っているからこそメルを戻さないわけにはいかないのだ。

 通話が切れると、タイミングを見計らったようにモニターに映像が出た。《紅耀石》――アインからの連絡だ。《影の国》についての報告が求められるだろうことは容易に推測できる。

故に、アルシェムはアインに問うた。

「《影の国》についての報告は必要?」

『いや、大方はケビンから聞いてある。そっちの巻き込まれた人員は全て無事か?』

 アインはそう応え、問いを発した。どうやらケビンが気を回して全員の無事を確認して貰っていたらしい。本当に珍しいことであるが、ケビンも《影の国》にいたことによって変わったのだろう。

 アルシェムはアインの問いにこう答える。

「メルからも連絡があったけど、わたしとリオ、それにメルは確実に無事だよ。カリン姉たちはリベール経由で教えて貰って」

『ああ、そちらは既に確認してある。それともう一つ言っておくことがあってな』

「何?」

 カリン達の無事にひとまず安堵したアルシェムであったが、アインから何か言われることがあるということに微かに動揺した。今このタイミングで、となると見透かされている可能性もあるのだ。これから本気で私情で動こうとしているだけに、怖いものがあった。

 だが、アルシェムの心配は杞憂に終わる。アインはこう告げたのだ。

『《身喰らう蛇》関連で従騎士を補充するのは良いが、程々にな』

「えー……ルシオラは別に従騎士にしてないんだけど……」

『そうか? それなら良いが……枢機卿ドノ達に余計な隙を晒すなよ? ではな』

 そして通信が切れた。間違いなく言い逃げである。アルシェムは遠い目をしながら溜息をついた。これからまたクロスベルの下調べで入手したブツの解読に当たらなければならないのである。本来ならば既に解読が終わっている分だけで十分なのだが、目を通さないわけにはいかない。たとえそれで精神的にダメージを受けるのだとしても。

 アルシェムはリオに向けて指示を出した。

「さーて、メルが戻ってくるまでにブツの解読を終わらせて潜入用の服装でも見繕わないとね」

「それハードすぎる気がするんだけど……ま、いつものことか」

 嘆息しながら了承の意を示したリオは、アルシェムと共にブツ――中世の書物の解読を始めた。

 

 ❖

 

 入学試験を終えたメルは、アルシェムに連絡を取った後に列車に飛び乗っていた。無論恰好はシスター服でもなく、ラベンダー色のセーターに白いロングスカートをはいたラフな格好である。乗る前に買っていたココアで暖を取りながら、メルは帝国に思いをはせていた。

 メル・コルティアという人物にとって、エレボニア帝国は憎むべき敵である。かつて帝国の片隅にある離島に囚われたことのあるメルにとって、そこから少しでも早く解放されるのを阻害した帝国貴族たちは敵なのだ。とある場所――《楽園》が崩壊した後も、彼らは脅迫され続けて資金を供出し続け、口をつぐんだままだったのだから。脅迫されていたからといって彼らを赦す気にはなれない。

 そして、積極的に《楽園》と《D∴G教団》を支援していたあの男は、明白にメルにとっては敵だったのだ。故にメルは帝国に行けることになった時に内心では歓喜していた。やっとあの男を殺せるのだと。たとえ上司の手伝いでだっていい。間違ったふりをしてあの男を殺したところで、誰が咎めようか。

 本来ならば、恨むべきはアルテリアなのだろう。本来ならば存在しなかったはずの『メル・コルティア』という存在を生み出し、地獄に叩き込んだのは彼らなのだから。だが、彼らを狩るのはたやすいのだ。帝国にいる人物たちとは違って、彼らにはいくらでも汚職の証拠を突きつけられる。それほどまでに、アルテリアの枢機卿や聖職者たちは腐敗しきっていた。

 彼らを殺せば、あるいは救われるのだろうか。

「……ないですね」

 冷静にメルはそう零した。有り得ないのだ。人を殺して救われることなどあるはずがない。復讐をして、誰かが喜ぶわけでもない。だが、やらずにはいられないのだ。自分が手に掛けた子供達のためにも。利害関係が一致するから一緒にいる哀れな主のためにも。仇の娘たる友人のためにも。メルは、復讐を遂げなくてはならない。それだけがメルの存在意義である。

 メルという復讐鬼を乗せた列車はクロスベルに滑り込んでいく。だが、改札を出たメルの姿を見た者は、誰一人として存在しなかった。

 

 ❖

 

 《メルカバ》内で資料を読み解いていたアルシェム達は、何者かが近づいてくるのを感じた。この《メルカバ》が停泊しているのはノックス大森林の奥。警備隊も訓練で使わないような場所である。警戒レベルを上げて外部モニターでその人物を確認して――アルシェム達は警戒を解いた。そこにいたのはメルだったからである。

 《メルカバ》に入り込んだメルは、アルシェムを見るなりこう告げた。

「ただいま帰着しました」

「はいよーお帰り。言い訳のために《LAYLA》点検しとくから、ちょっとだけ待ってね」

 アルシェムはそう返してメルから《LAYLA》を預かると、一度分解してから組みなおした。それだけで恐らく問題ないだろうと思ってのことである。それから、アルシェムは紅茶を準備してメルとリオに振る舞った。長い話になるだろうと思われたからだ。

 そして、彼女はメル達にこれからの指針を告げた。

「――というわけなんだけど、協力して?」

 その指針を聞いたリオは難しい顔をして考え込んだ。アルシェムのやりたいことは分かる。それに、いずれ言われるだろう任務にも重なるはずなのだ。最近のエレボニアは力を付けすぎているのだから。それに、《身喰らう蛇》に関しても同じことが言える。だが、それはアルシェムの意志であって上からの指示ではないのだ。たとえそれがあの男の抹殺であったとしても。

 それとは対照的に、メルは妖艶に嗤って頷いた。

「勿論です、アルシェム」

「ありがと。受けてくれるんだったらイイこと教えとくね」

 そしてメルに耳打ちされる内容。それに、メルはとろけるような笑みを浮かべた。アルシェムが告げた言葉はまさにメルの求めるモノだったからだ。メルは条件すら付けずにその指針に協力することにした。

 一方、リオはというと――

「それは、将来必要になると思ってやるんだよね?」

「勿論。あの男をどうにかするには、イロイロ揺り動かさないといけないし、それに――」

 アルシェムはリオの耳に魔法の呪文を呟いた。それは、リオの心に沁みいって毒のように体中を巡った。アルシェムはリオの闘志に火をつけることに成功したのだ。といっても、間違いなく乗ってくるだろうと分かっていて言っているのだが。

「――分かった。存分に使って?」

 その言葉を受けたアルシェムは、極悪な笑みを浮かべて宣言する。

 

「じゃあ――始めよう。ここから、わたしたちの復讐を」

 

 ❖

 

 数日後、クロスベル市街にて。いつもの街並みに、異物が二つほど紛れ込んでいた。一人目は黒髪の女性。長い髪をひるがえし、肩口の大きく開いたセーターと太ももの中ほどよりも上部にまでしか届いていない短パンを穿いた女性が数多の男達の視線を釘付けにしながら颯爽と歩いて行く。無論、リオである。何人か彼女にナンパを仕掛けようとしていたが、リオはそれをあっさりと避けていた。

 そして、もう一人は言わずもがな、アルシェムである。彼女はクルーネックの黒いセーターとこれまた黒いジーパンをはいて東通りの露店を冷やかしていた。色々と物色はするものの買いはしない。アルシェムの場合、買わずとも作れるからだ。作れるのならば余計なミラを使う必要がない。

 彼女らの目的は、クロスベルという町にうまく溶け込む形で潜入することだ。アルシェムならばオーブメント工房で働いても問題ないし、リオならば遊撃士のような職業に就ければ御の字だ。無論、それ以外の選択肢があるのならばその方が良いに越したことはない。リオを遊撃士にするのは色々とリスクが高すぎるからだ。今回の任務は、遊撃士協会にも悟られるわけにはいかないのだから。逐一行動を監視できる遊撃士は全く以て好ましくない。

 もっとも、旧市街の不良達のようになるつもりは毛頭ない。というよりも、そこに紛れ込めば同類が存在してしまうのだ。同じ場所に星杯騎士を固めておくことほど愚かなことはない。身バレという意味でも、七耀教会にも悟られたくないという意味でも。これから彼女らが遂行する任務は、本当に個人的なことを多分に含んでいるのだから。

 そして――まずは、リオの方に動きがあった。

「なあなあ、ちょっとお茶しに行かない?」

「え、普通に嫌だけど……って、触んなヘンタイ!」

 言葉の途中でリオの腰に手を回してきた赤毛の男性は、思い切りリオに投げ飛ばされた。情けなく投げ飛ばされると思いきや、その男性はきちんと受け身を取ってすかさず起き上がる。そこそこ出来る人間のようだ、とリオは判断した。次いでその男の顔を見て――得心する。何故こんな場所にいるのかはおいおい調べるとしても、彼ならばこのタフさは理解出来る。

 男性は殊更痛がる振りをしてリオにちょっかいを掛ける。

「いてて、積極的だな……ちょっとふざけただけだろ?」

「ふーん? それ、警備隊の制服だと思うんだけど。今って絶賛勤務時間内じゃないかなーっておねーさん思うんだよね」

 リオは男性にそう返すと、ちらりと男性の背後を見た。そこに同じような制服を着た女性が立っていたからだ。心なしかじっと見つめられている気もしないではない。きっと気のせいだ。目をつけられていいことはあまりない。

 そう思うリオの感情とは裏腹に、女性は黙ってつかつかと男性の元へと歩み寄って――そして、その耳をつまみ上げた。アレは痛い。下手をすればもげる。だが、そのあたりの力加減は出来ているようで実際にそうなることはなかった。

「痛い痛い!」

「痛くしてるんだから当たり前でしょ! 全くもう……」

 そしてその女性――ミレイユという名らしい――は、男性に向かってくどくどと説教を始めた。漏れ聞こえる限りではランディという名らしいその男性は、ひたすらぺこぺこと謝っている。どうやらライフルの訓練から逃げ出したらしい。リオからしてみれば、とてもおかしな話だ。何せその男性は――《闘神の息子》ランドルフ・オルランドその人であるはずなのだから。

 ランドルフ・オルランド。彼は《赤い星座》の元頭領バルデル・オルランドの息子である。使う得物はブレードライフル。故に、ランディと名乗るその男性がライフルから逃げ出すことなど有り得ない。何らかのトラウマを負った可能性もあるが、そのあたりは調査するしかないだろう。まさかこんな場所にこんな大物がいるとは思いもしなかったので、リオは若干焦っていた。

 そんなこととはいざ知らず、ミレイユはリオに告げる。

「済みません、うちのランディが失礼しました」

「ああいや、別に気にしてないけど……投げちゃったし」

 取り敢えずとリオが答えた言葉は、ミレイユに衝撃を与えた。ハルバードの訓練では比類なき実力を見せつけるランディを、この女性は投げたと言ったのだろうか。ミレイユには無論できない芸当であるし、間違いなくどの警備隊員にも出来ない所業だ。

 これは有望な人材だ、とミレイユが判断したかどうかは定かではない。何故なら、ミレイユの隣にもう一人の女性が立ったからだ。見た目からして偉い人物だと分かる。リオは彼女がどういう人物なのかを知っていたために内心で頬をひきつらせた。クロスベル警備隊副司令のソーニャ・ベルツだ。何故こんな場所にいるのだろうか。

 ソーニャはリオに向けて告げた。

「確認しても良いかしら」

「え、あ、はい」

「この男を――ランディ・オルランドを投げたのね? 体術だけで」

 リオは何を当然のことを言っているのだろうと思いながら首肯した。リオにとっては普通のことであっても一般人には出来ない所業であることは既に彼女の頭からは抜け落ちているのである。迂闊というよりも、このあたりはアルシェムの指導不足であった。

 その後――しつこく警備隊への勧誘をされたリオは、後日返事をすると言ってその場を離れた。流石に警備隊ともなれば独断では決められないからだ。リオは屋台でジュースを買って呑みながらアルシェムと自然に合流できる時を待ったのであった。

 一方、アルシェムはというと――遊撃士時代の癖が抜けきっていないのか、ひったくりをとっ捕まえたり強盗を叩きのめしたりしていた。正直に言ってアルシェムの方も一般人に溶け込むというミッションは完全に失敗していると言えた。

 数件の事件解決に関わったことで、行く先々で出会った刑事レイモンドに連れられてアルシェムはクロスベル警察に足を踏み入れることになった。数件まとめての事情聴取である。ただし、本部内はかなり忙しいらしく手すきと思しき刑事がアルシェムの聴取を担当することになるらしい。

 聴取室で待っていたアルシェムは、担当だという刑事が現れたのを見て思わず遠い目になってしまった。流石にこんな場所での再会は予想外だったのである。目の前に現れた彼の名は――

「取り調べを担当するセルゲイ・ロゥだ。よろしく頼む」

「え、あ、はい、アルシェム・シエルです」

 あの時、《D∴G教団》に突入したオジサン刑事の名と同じだったのだから。一通り事情聴取を終えた後には既に夕方になっており、軽く食事でもしてから別れることになった。どうやら若く見られているらしく、連れて行かれた先のバーではまさかのお嬢ちゃん呼ばわりされてしまうアルシェム。

 流石に許容できなかったアルシェムは、セルゲイにこう告げた。

「お嬢ちゃんはないって……十七は多分越えてるんだし」

「多分って……いや、何でもない」

 多分という理由を聞きかけたセルゲイは、複雑な事情があるのだろうと思いながら質問をそこでとどめた。流石に会って数時間しか経っていない女に向けてその質問はどうかと思ったからだ。しかし、アルシェムは色々と偽装しつつ説明だけはしておいた。哀れんでもらって職でも斡旋して貰えれば御の字だと思ったからだ。

 アルシェムがした説明は、こうだ。物心ついた時には両親は既に亡く――そもそもいないので間違いではない――、各地を転々としながら育っていた。各国を回って住む場所でも探そうと思っていたが、イロイロと水が合わない。故にクロスベルに来て落ち着ける場所があるかどうか見に来たのだと。ついでに職もないので職探しをして数年はいるつもりをしている、と。嘘しか言っていない気もするが、イロイロ明かせないことを省けばそうなるだけにたちが悪い。

 そして、思惑通りアルシェムはセルゲイから職を斡旋され――もっとも、斡旋された職は想定外だったが――、ようやく潜入の目途が立ったのであった。まさかの職業に苦笑いするしかないアルシェムだったが、リオから持ってこられた職業を聞いて思わず吹き出し、GOサインを出した。

 こうして――星杯騎士を含んだ二つのクロスベルの公的機関が、徐々にその動きを変えていくのであった。




 ちょうど空編が100話で終わったのでこっちも100話以内で終われればいいと思う今日この頃。

 では、また。


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特務支援課設立

 旧152話~153話のリメイクです。

 では、どうぞ。


 七耀暦1204年2月――クロスベル警察内に、新しい部署が設立されることになった。特務支援課という名の部署だ。課長はセルゲイ・ロゥ。そして、構成員は異例尽くしの面々五名だった。その中に悲しくも含まれてしまうアルシェムは、一番に警察署内で待っていた。というのも、他にすることがなかったからである。リオに関してはもう既に警備隊員として働き始めているのでなかなか会えないというのもあるのだが。

 最初に現れたのは、意外にも女性だった。普通こういう時には遅れて来る方が可愛げがあるような気もするのだが、彼女には通用しなさそうである。堅物そうな雰囲気を醸し出すその女性はすまし顔で入室してくる。クロスベルに関する資料を集めた際に見た顔がそこにあった。

 現れた女性を見たセルゲイはこう告げる。

「よく来たな。特務支援課、課長のセルゲイだ。よろしく頼む」

「エリィ・マクダエルです。こちらこそよろしくお願いします」

 そう、彼女こそクロスベル自治州の中心都市クロスベル氏の市長ヘンリー・マクダエルが孫娘である。真珠色の髪を腰のあたりまで伸ばし、その瞳には強い意志が浮かんでいる。いかにも気の強そうな女性だな、とアルシェムは思った。

 と、そこでエリィと目があった。どうやら自己紹介を求められているらしいと悟ったアルシェムはエリィに向けて姓名だけを告げる。

「アルシェム・シエル。よろしくね?」

「ええ、よろしく。気軽にエリィって呼んで頂戴」

「おーけー。こっちもさんとかまだるっこしいのはつけなくて良いから」

 あははうふふと笑いあいながらアルシェムはエリィと親睦を深めることにした。仲良くなる必要はあまりないが、これから先何が起こるか分からない。味方は多ければ多い方が良いのだ。それが有能な駒であるほど。そして、エリィはそこそこ有能な駒だと言えた。少なくとも立場だけは美味しい。市長の孫娘という立場は色々利用できるだろう。

 そう思って少しばかり談笑していると、不意にアルシェムは扉の方を向いた。今とんでもなく懐かしい気配が扉の前に立ったのを感じたからである。こんな場所で再会しなくともいいのだが。というよりも、ここで再会すると色々と説明が面倒になるのだが、もうどうしようもないだろう。既にその人物は扉を叩いている。

 ノック音に対しセルゲイは入るように促した。

「どうぞ」

「失礼します……?」

 ひょこっと顔を覗かせたその少女は、遠い目をして顔をひきつらせた。そこにいるはずのない人間がいるのを視認してしまったからである。何度か眼をこすり、頬を叩いて夢ではないかといろいろ試していた。

「どうした?」

「いえ、何だかイロイロ間違ったような気がして……」

 彼女が物凄く何かを言いたそうな顔をしていたので、後で事情を説明すると口パクで伝えるアルシェム。そこにいた少女は、水色の髪に黄金の瞳を持っていた。そう、言わずと知れたティオ・プラトーである。

 ティオはこほんと咳払いをしてエリィに向けて告げた。

「えっと、初めまして。エプスタイン財団から出向してきたティオ・プラトーです」

「エリィ・マクダエルよ」

「アルシェム・シエル」

 思わず知ってます、と口走ってしまったティオは少しばかり焦った。アルシェムがどこまで明かしてこの場にいるのかが全く分からなかったからである。下手に言えば守秘義務で記憶消去もあり得ると分かっているだけに挙動不審になってしまっていた。

 そんなティオを見たエリィは彼女を気遣うように声をかける。

「ええと、大丈夫かしら……?」

「はい、多分きっとメイビー大丈夫に決まってます多分」

「それ大丈夫に聞こえない……というわけで久し振り、ティオ。口に出しちゃいけない場所以来だね」

 いつまでも汗ダラダラのままで放置するわけにもいかないのでアルシェムはティオにそう声を掛けた。ティオはそれを聞いて顔を引きつらせる。『口に出しちゃいけない』って絶対追及されるパターンです、と思いつつも『口に出したくない』ではないので《影の国》のことだと理解した。

 その様子を見てどうやら知り合いらしいと判断したエリィはアルシェムに問う。

「えっと、知り合いなのよね?」

「うん。色々あってね」

「そ、そう……」

 色々、という部分を強調して言われたので何となく聞いてはいけないことなのだと判断したエリィはそこで追及を止めた。下手に追及してしまって関係が壊れてしまえばこの先が大変だからである。

 微妙な沈黙が流れた。その沈黙を断ち切ったのは、やはりノックの音だった。

「入れ」

「うぃーっす」

 聞こえてきた声は男の声だった。そして、足を踏み入れて来たのは――赤毛の男性。リオから報告のあったランドルフ・オルランドである。まさかこっちに回されてくるとは思ってもみなかったのだが、戦力としては申し分ない。

「ランディ・オルランドだ。よろしくな」

 ランディと愛称で名乗った彼にアルシェム達も姓名だけの自己紹介を返した。それ以上のことはこれから知れば良いだけの話である。今ここでやる必要はどこにもない。どこに耳があってもおかしくないのだ。

 ランディは女性陣の自己紹介を聞き終わると、くわっとセルゲイに向けて目を見開きながら問うた。

「まさかのハーレム状態っすか?」

「そんなわけあるか。もう一人来る……んだがな。流石に遅いから見て来る」

「うぇーい」

 がくっと肩を落としながらランディは返事をした。セルゲイの言葉通りならばもう一人は間違いなく男なのだ。彼はランディだけのハーレム状態にはならないと暗に告げていたのだから。

 アルシェムはそんなランディを見て口角を上げながら告げた。

「一応言っとくけど……本人の合意なしにしようとしたら、もぐよ?」

「え、な、何をっすかね?」

「ナニを」

 ランディはその言葉だけで意味を理解してしまった。場をほぐすための発言が何だか物騒なことになってしまったことにも気づいた。これはマズイ。主に年上(恐らく)としての威厳が。

 ランディは冗談で声を震わせながら答える。

「も、ももも勿論しないっすよ……」

「ま、冗談はここまでにして。職務内容を何となく鑑みるに、もう一人君がパワーファイターのド近接じゃないときつそうだよねー」

「へえ? お前はパワーファイターじゃないんだな、そうすると」

 ランディは少々意外に思っていた。エリィという女性は恐らく導力銃をたしなむ程度の腕だろうし、ティオという少女は棒術かそれとも別の特殊な武器を扱うのだろうと思われる。だがアルシェムからは何も読み取れなかったのだ。近接なのか、遠隔なのか。ただのアーツ使いだというのだけは有り得ないということだけは分かる。アーツを使うだけにしては筋肉がつきすぎているように見えるからだ。

 ランディの言葉に対してアルシェムが返す。

「ま、もう一人君の得物次第かな。でもド近接は疲れるから嫌なんだよねー……」

 アルシェムからしてみれば疲れる程度である。ド近接で戦うということは得物はあまり使い慣れていない――と言っても一般的な遊撃士よりもできる――剣になるからだ。もしくは拳でも可だが、一応アルシェムも恐らく女子であるので魔獣に素手で触るのは避けたいのである。

 彼女の返答を聞いたランディは遠い目をした。疲れて嫌なだけで出来るかと問われれば出来ると答えるのだろうと推測出来たからだ。確かにランディの得物はスタンハルバードで、どちらかと言われると中距離の武器である。布で覆ったまま持ってきてはいるのだが、それが何なのかアルシェムは理解しているようだ。女性陣が後衛ということは、もう一人の男が前衛でない限り少し厳しいのには変わりない。そこにアルシェムが申し出たもう一人の得物次第という言葉はある意味有り難い言葉であった――主に、ランディの精神衛生上の問題で。

いかに《闘神の息子》といえども、流石に四人もの人間を守りながら戦うのはきついのである。ランディはそもそも誰かを守りながら戦うという戦い方をしてこなかったのだから。

妙な沈黙が流れ、それを断ち切るべくランディが口を開こうとした時だった。扉が開かれてセルゲイともう一人の男が現れたのは。

「待たせたな。コイツで最後だ」

 そう言ってセルゲイが押し出した男に、アルシェムはどこか既視感があった。見たことがある気がするのだ。それも、セルゲイの隣で。もしくは彼女が存在しない様々な景色で。

 その男は真面目な顔をして直立し、名と所属を告げた。

「本日付で特務支援課に配属になりましたロイド・バニングスです」

 色々と至らないところもあるでしょうが、と続けようとしたロイドをセルゲイが制止し、堅苦しくならないように言う。どうやら先に親睦を深めておいたのは間違いではなかったらしい。ここから仲良しこよしで頑張っていこうとでも言うのだろう。

 アルシェム達はそれぞれ名を名乗る。それぞれに複雑な思いを抱えながら。エリィは正式な捜査官がロイドだけであることに気付いていた。ティオは彼がガイの弟であることに気付いていた。ランディはロイドがひ弱そうに見えることに若干落胆していた。そして、アルシェムは――何故だかロイドに敵意を感じていた。理由は分からない。だが、何故か印象は最悪だったのである。

 その後、ロイドたちはセルゲイの指示に従ってジオフロントの入口までやってきていた。ここで初めて、支給された戦術オーブメント《ENIGMA》を通じて業務内容を説明されたのである。セルゲイの言から察するに、このジオフロントに潜って何かしら異変がないか探ることが推測出来たアルシェムは思わず心の中で遊撃士かよ、と突っ込んでいた。

 ロイドが通話を終えると、アルシェムは一同に向けて、というよりもロイドに向けて問うた。

「えーと、ロイドって呼んでいい? ロイドの得物は?」

 ロイドは前者の問いに肯定の意を返すと、腰に吊っていたトンファーを外してアルシェムに見せた。アルシェムはそれを見て遠い目をした。つまり前衛になるのは必須だということだろう。導力銃を使って後衛をやるには後衛が多すぎる。そして、棒術具等で中衛になればロイドだけが前衛になって戦線を支えるのがおぼつかなくなる可能性がある。ランディを前衛に据えればいいかとも思うが、彼を中衛に据えるのは確定だからだ。スタンハルバードで近接をやるには取り回しにやや難があるからである。

 アルシェムは息を吐きながら告げる。

「おっけー……前衛かー」

「えっと……アルシェム、だったよな。何でそんなに落ち込んでるんだ……?」

 ロイドは困惑したようにアルシェムに問うた。アルシェムはその問いに全員の武器を見せることで答える。どう見ても前衛が足りないことを示したのだ。ロイドもアルシェムが前衛になることについては納得した。落ち込んでいる理由はあまり納得していないが。

 結局、アルシェムはジオフロント内部に入ってから得物を決めることにした。広さを見てからなら拳という選択肢も避けられると考えてのことである。そして、ジオフロント内に侵入したアルシェムが出した結論は――

「うん、剣でいーかな」

 だった。その結論に意外そうな顔をしたティオがアルシェムにこそこそと小声で導力銃か長物系でないのかと問う。アルシェムもティオに合わせて小声でどれでもそれなりにいけることを告げておいた。

 その様子を見ていたランディがティオに問うた。

「なあ、さっきから気になってたんだが……ティオすけとアルシェムちゃんは知り合いなのか?」

「えっと、はい。友達です」

 後恩人でもあります、と続けようとしたティオだったが、恩人のおの字を言う前にアルシェムに口をふさがれた。流石に今これ以上の情報を出さなくても良いとの判断を下したからだ。

 いぶかしげな顔をするランディにアルシェムは強引に話を変えるべくこう返す。

「ま、イロイロあったんだって。それとまどろっこしいからアルでいーよ。ちゃん付け慣れないから気持ち悪いってのもあるし」

「お、おう……」

 そこから俺も俺もと呼び捨てにして貰おうと便乗してきたロイドに年を問うたことでアルシェムとティオの関係については誤魔化せたようである。因みにこの中で一番年長なのは言わずもがなアルシェムであり、次が二十一のランディ、十八のロイドとエリィ、そして十四のティオと続く。一番年長であることはアルシェムは言わなかったが、多分十七歳くらいだろうと告げておいた。意識が覚醒してからその年月過ごしたという意味である。肉体の年齢を教えると色々と面倒なことになるため伏せておいた。

 そこからロイドたちはジオフロントの奥へと向けて進んでいく。ロイドとアルシェムが魔獣を食い止め、ランディがそれをすり抜けた魔獣を屠りつつエリィとティオがそれを支援する形である。一度だけティオもランディの手伝いで中衛まで出てくることもあったが、それは数に押されかけたからである。そうでなければランディが一掃していたはずだ。

 そうやって進んでいくうちに、アルシェムの耳はジオフロントの異常を捉えた。

「……ロイド、ここって侵入できるのは入り口だけだよね?」

「え、あ、えっと……構造を知ってるわけじゃないから断言はできないけど、マンホールから入ろうと思えば入れないことはないかな」

 ロイドがどういう意味かとそこから問おうとする前に、アルシェムはティオと目を合わせていた。ティオはその目配せの意味をくみ取ったのか聴覚に神経を傾けて音を聞く。そして――

「反響を計算するに、この先のようです。恐らくダクトのようなものの中かと」

「どういう意味かしら……?」

 ティオの答えを聞いたアルシェムは、エリィの疑問を聞き流して先行するとだけ宣言して走り去ってしまった。残されたロイドたちは口を大きく開けてそれを見送る。そんな中、ティオは真っ先に我に返ってロイドたちを急かして先へと進んだ。彼女の聴覚が正しければ、この先に少年がいるのである。それも、すすり泣いている子供だ。それを放置するわけにもいかず、ティオは口早に説明しつつロイドたちを先導したのである。

 そして、辿りついた先では――

「ふえええええええええん!」

「あー……やっぱ泣かせたかー……」

 大泣きする少年と、その少年をしっかりと捕まえつつうなだれているアルシェムがいた。どうやら侵入者はこの少年だったようである。ロイドたちが見えた少年はアルシェムを振りほどいて――実際には服が破けるのでアルシェムから手を放した――見た目的に一番包容力のあると思われるエリィに抱き着いて泣きじゃくった。

 それを見たティオは冷たい目でアルシェムを見ながら責める。

「何泣かせてるんですか、アル」

「昔から子供が全然懐かないんだってば……例外もいたけど」

 なら何で先行したんだという問いも発しかけたのだが、ティオはそこで自重しておいた。というのも、ロイドとエリィがその少年――アンリという名らしい――から聞きだしたことによると、もう一人リュウという名の少年がここに侵入しているらしいのだ。聞いてみてからティオがサーチしてみれば、この先に魔獣とは違う人間の熱分布を持つイキモノが存在するため、この奥に進んでしまっているのだろうことは容易に理解出来る。

 ロイドはアンリ少年を連れたままリュウ少年を探しに行くことに決めた。そして、アルシェムには出来るだけ前衛で頑張ってほしいと。どう見てもアルシェムがアンリに怖がられているからだ。近づけて逃げられでもすればアンリが危険になる。

 そして――ロイドたちは、アンリという同行者を加えてジオフロントの奥へと足を進めた。



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既知との遭遇

 旧154話~155話半ばまでのリメイクです。


 ロイドたちが侵入していたジオフロントは、正確にはA、B、C、Dの四区画に分かれている。そして、ロイドたちととある少年が今いるのはA区画だった。その最奥まで辿り着いていたとある少年――リュウは、じりじりと魔獣に間を詰められている。

「こ、こっち来るなぁ~……」

 思ったよりも情けない声が出て、自分が恐怖を感じていることを明白に聞き取ってしまったリュウは更に震えた。大人たちの知らないたのしい冒険だったはずが、どうしてこうなってしまったのだろうか。こんな場所に魔獣がいるなんてケーサツのタイマンだ、と思いつつ後退する。

 ここで死んでしまうのだろうか。何も出来ないままに。実際、リュウにはなんの力もない。遊撃士のように強いわけでもないただの少年だ。迫りくる魔獣を退治できるような凄い力などあるはずがなかった。

「あ――」

 一人の少年の命の灯火が消えんとする、まさにその時だった。

 

「エリィ、魔獣の気を引くだけで良い! リュウの方は任された!」

 

 一人の女の声が響いた。次いで、導力銃と思しき発砲音も。そしてこのまま死ぬのかと思っていて目を閉じていたリュウは、思わず目を見開いていた。こんな都合のいい幻などあるはずがないと思ったのだ。宙を舞ってリュウの前に着地する銀髪の女。そして、その女は――

「取り敢えずそっちに吹っ飛ばす!」

 そう叫ぶと同時に持っていた剣を思い切り薙いだ。すると、目の前にいた魔獣たちは剣先に触れてもいないのに弾かれていく。どういう原理なのか全くわからないとそれを口を開けてみていると、銀髪の女がリュウの目を見て告げた。

「ちょっとだけ下がってくれる?」

「え、あ……うん」

女の言うとおりに少し下がると、何とその女は剣を背中に直してしまった。何をしているのか、と思いつつ見ていると、女は穴の開いたポケットの中から導力銃を取り出した。むしろどう入ってたんだろうと突っ込みかけたリュウは魔獣がこちらを向いたことに気付いた。

思わず喉から悲鳴が漏れてしまうリュウ。

「ひっ……」

「あ、ちょっと見ない方がいーかも。あんまりお上品な戦い方出来ないからねーわたし」

 恐怖に固まったリュウに向けて女がそう言うが、むしろ見ていない方が怖い。結局リュウは、女とその仲間たちが魔獣を一掃するその瞬間まで見届けていた。その手並みは遊撃士を髣髴とさせるほどに鮮やかだ。

 トンファーを持った青年が突っ込み、足止めをする。スタンハルバードをもった男性がそこに突撃して魔獣を粉砕する。それで足りなければ杖のようなものを持った少女がアーツを飛ばして殲滅するかリュウの目の前にいる銀髪の女とはまた違った色の銀髪の女性が導力銃で仕留める。

 これだけの人数でジオフロントに現れているというのもそれなりにおかしなことだが、それでもリュウの脳裏に現れた言葉はこれだった。

「やるじゃん、兄ちゃんたち! もしかして新人さん?」

 しかし、リュウの言葉に男達はいぶかしげな顔をした。どうやら違うようである。かといってこんな手練れが警察にいるわけもない。なら彼らは何者なのだろうと龍が思った時だった。

 先に保護されていたらしいアンリが男達に問いかける。

「あの、遊撃士の方ですよね……?」

「いや、俺達はクロスベル警察の者だけど」

 その瞬間、リュウとアンリは盛大に驚愕の声をあげた。それだけは有り得ないと思っていたからである。昨今のクロスベル警察はマフィアにおびえ、共和国人におびえ、帝国人におびえるただの腰抜けたちだからだ。それでいて遊撃士たちが現行犯逮捕した犯人たちをバカスカ逃がし、汚職と賄賂が横行しているのが常である。そんな警察に、魔獣狩りが出来るとも思ってはいなかったのだ。

 腰抜けの警察にそんなことができるのかと散々わめいたリュウとアンリだったが、女――アルシェムと名乗った――がそれに水を差した。

「はいはい腰抜けでも何でもいーからとっとと脱出した方がいーと思うよ。こういう一番奥の場所って大体強力な魔獣が潜んでたりするし」

「よ、よし出よう今すぐ出よう! あーお日様が恋しいなあっと!」

 リュウが慌てて回れ右をして新米警察官たちを急かすと、ロイドと呼ばれた青年は苦笑しながら歩き始めた。それにエリィと呼ばれた女性が続き、リュウとアンリが彼女について歩いて――そして、その後からは誰もついて来なかった。

「どうしたんだ、ランディ?」

「取り敢えず撤退してな、ロイドにお嬢。ティオすけも」

「いえ、ランディさんこそ撤退してください。アルの攻撃に巻き込まれると大変なことになりますから」

 ランディとティオの言葉の意味が全く分かっていなかったロイドだったが、次の瞬間嫌というほどその言葉の意味を思い知らされることになる。というのも――階段を上った先の踊り場の天井から、巨大な魔獣――ビッグドローメという種である――が落下して来たからである。

 それを溜息をついてみていたアルシェムは、剣を抜いて魔獣と対峙したまま言葉を漏らした。

「後ろに構いながら狩れるほど容易な相手じゃないんだよねーこーいうの。だって間違いなくアーツ使ってくるし」

「狩れないとは言わねえんだな……」

「はっは、単独撃破で周囲に何の気遣いもいらないなら楽勝だけど」

 そう言いながらアルシェムが飛び出し、魔獣に剣の柄で強烈な一撃を喰らわせてその場から後退させた。その隙にティオが魔獣の情報を解析し、どのアーツを使えば効率的に狩れるかを割り出す。

 その結果が出たティオはアルシェムに向けて叫んだ。

「火属性アーツです、アル!」

「ごめんわたしのオーブメント火属性クオーツ嵌んないから無理! というわけでゴリ押し!」

 そう言いながらアルシェムは徹底的に魔獣を切り刻み始めた。アーツを使わせる隙を作らないためだ。アーツを使わせてしまえば恐らくは全滅してしまうと半ば直感していたからである。

 その攻撃に、火属性アーツが加わった。

「取り敢えず軽い援護だけだ、無茶すんなよ!」

「分かってる!」

 そのアーツのヌシ――ランディにそう返したアルシェムは、恐らく彼がその場にとどまって守護役を果たしてくれていると判断した。これを機に少しだけ隙の多い攻撃に切り替えようと思ったのである。

 強烈な一撃を加えた反動で下がったアルシェムは、先ほど魔獣を吹き飛ばすのに使ったクラフトを使ってさらに間を開けた。そして――貫通力を高めた導力銃の弾丸で魔獣に穴をあけていく。

「機関銃とかあったら絶対早いんだけど、なー!」

「いやあるわけないだろうが!」

 ランディは思わず突っ込んでしまった。まさか近接を棄てて導力銃で蹂躙を始めるなど思ってもみなかったからだ。何となく感じたもう一人の存在を考えてもそれはそれで危険である。

 導力銃をひとしきり撃ち終わったアルシェムは、そこから再び一気に間を詰めて今度は棒術具を取り出した。それを槍の如く魔獣にたたきつけていって――そして、遂に。

「はい終わりー」

 最後に地響きがするほどの叩きつけを行ったアルシェムは、セピスを残して破砕した魔獣を顧みることなくそう告げた。余裕とは言わないが、危なげなく魔獣を退治することは出来たと感じたロイドは遠い目をする。確かに手練れなのかもしれないとは思っていたが、子供達をロイドとエリィに護らせたうえで――そもそもそんな打ち合わせはしていない――魔獣を粉砕する力量は本物だと思えたのだ。

 それを踏まえたうえでロイドは思う。彼女はいったい何者なのかと。そして、ロイドと同じ思いを抱いたものがこの場にいる。ただし、ロイドたちにはいまだ視認できていない人物であった。その人物は――

 

「……まさか対処できるとはな」

 

 思わず声を漏らし、ジオフロントの整備用デッキから飛び降りた。危なげなく着地した男性を見たリュウ達は目を輝かせてその男に纏わりつく。彼らの言葉から察するに、男の名はアリオスというらしい。

 なぜこんなところにいるのかと問おうとしたロイドは、厳しい顔をしたアルシェムに止められた。といっても制止されたわけではない。機先を制されたのである。

「あのさー、アリオス・マクレイン。新人を試すような真似をするのは良いけど、勿論こっちが力及ばなかった場合に対処できるようにしてたわけだよね?」

「無論だ」

「趣味悪っ。ハイエナかあんたは」

 アルシェムの評価を聞いたアリオスはやや険しい顔になってアルシェムを睨み返す。今までそんな評価を貰ったことがないというのもあるのだが、ここ半年以内に見た悪夢で見た顔と重なったからというのもある。無論悪夢だと思っているのはアリオスだけで、その悪夢は《影の国》での出来事であるわけだが。

 さまざまな推測をまとめた結果、アリオスはアルシェムに問うた。

「まだお前には名乗った覚えはないのだが?」

「少しは自覚してよ有名人。大陸有数のA級遊撃士。《風の剣聖》だなんて呼ばれてるあんたが分からないとか有り得ないと思うけど?」

 視線と視線が絡み合う。むしろ殺気にならないだけマシだとも思えるが、必要とあらばアリオスもアルシェムもこの場で一戦交える気でいた。あまりにもアリオスから見たアルシェムは怪しすぎたし、アルシェムから見たアリオスも胡散臭かったのだ。

 その雰囲気をぶち壊したのは、ロイドだった。

「え、そうなのか?」

 その瞬間――アリオスとアルシェムの間にあった緊張が霧散した。むしろ何故知らないとアルシェムは言いたいのだが、アリオスの心境はとても複雑だった。誰が考えるだろう。昔同僚に連れられてきて一緒に呑んだことまである少年が自分のことを覚えていないなど。アリオス・マクレインにとってロイド・バニングスとは、同僚だったガイの弟なのである。無論それだけではないが、覚えていて貰えていないというのもそれはそれで複雑だった。

 アルシェムは盛大に溜息をつくと、ティオにこう告げた。

「ティオー、あの扉の先って何かわかる?」

「昇降機ですね。既にロックは解除してあるのであれで帰り道はショートカットできるはずです」

 しれっと返したティオの言葉に疑問を覚えたのはロイドだけではなかったのだが、この場所に長居する愚を誰もが犯したがらなかったためにその疑問は放置された。流石に先ほどの魔獣で懲りたのである。

 急いで地上に戻った一同は、オーバルカメラのフラッシュに出迎えられることになった。それの持ち主は女性で、どこかの記者らしいことは容易に想像できる。そして、クロスベルでこういう写真を欲しがる雑誌と言えばクロスベルタイムズしかないことを知っているアルシェムは遠い目をした。こんな場所で写真を撮られても真実など伝わるはずがない。

 その想いも知らず、その記者はにこにこと笑いながらこう告げた。

「いやー、良い画が撮れたわ♪ 特務支援課、初仕事からA級遊撃士に惨敗、ってね!」

「あーはいはいクロスベルタイムズの人ね。一応子供達は無事だけど、こういうことがないように注意喚起の文章くらいは勿論乗せてくれるって考えていいのかな?」

 アルシェムがその記者にそう返すと、可愛くないわね、と言いつつ名刺を渡して記者は去って行った。名刺によると確かに彼女の所属はクロスベルタイムズで、グレイス・リンという名の記者だそうだ。

 何だか良いところを取られたと感じた一同は警察署に戻って報告を行い――その際副署長から愚痴を言われた――、旧クロスベルタイムズ本社ビルへと向かった。そこがこれから特務支援課の本拠地になるらしい。むしろどうやってこの建物を用意したのかという問いから始めたいような気がしたアルシェムだが、クロスベルだから汚職関係を突いて何とかしたと答えられそうだったので止めておいた。

 とにかくここで暮らすことになるということだったので、警察署に一時仮置きさせて貰っていた荷物はこの場所に運び込まれていたのだが――ここで難癖をつけた人物がいた。それは――

「え、こんな広い部屋使えない」

 アルシェムであった。彼女に与えられた部屋はエリィ達と同じような広さのワンルームだったのだが、そもそもまともな部屋で暮らしたことのない――大体はメルカバか屋根裏部屋だった――アルシェムにとっては広すぎる一室だったのだ。結局、協議の結果しぶしぶアルシェムが広すぎる部屋をそのまま使うことにはなったのだが、アルシェムは全く以て満足していなかったことをここに記しておく。

 それはさておき、運び込まれていた荷物を開いたアルシェムは一時間もかからないうちに収納を終えていた。私服もほぼなければ仕事着も決まっているため服を出し入れする必要がほぼないことに加え、今はまだ広げる必要のないモノばかりだったからだ。

 することがなくなったアルシェムは取り敢えず暇つぶしにオーブメント細工でも作ろうと机の上に工具類を広げる。そして、革袋に入ったセピスを七袋置いてどれを使おうか思索し始めた。この環境をどうにか狭めるためにも大きめの細工を作りたいところである。

 結局、アルシェムが思いついたのは蒼耀石を利用したウォーターサーバーだった。水は一滴たりとも必要ない代わりに蒼耀石のセビスをぶち込んでアーツの要領で水を出すシロモノである。何となく思いついたものであるが、災害時などには役立つだろう。もっとも、災害時に魔獣を狩りにいける人物はと言えばアルシェムくらいしかいないことが問題だが。

 そのセピス式ウォーターサーバーを組み立てている最中だった。誰かが扉を叩いてきたのは。アルシェムは何となく誰が来たのかを理解したのだが、スイカの声がなければ寝ていると勘違いされかねないので答えた。

「起きてるけど誰?」

「あ、ロイドだけど……ちょっと良いかな?」

「今ちょっと取り込み中だから作業しながらで良ければどーぞ」

 アルシェムの返答を聞いたロイドは扉を開けて入ってきた。遠慮という言葉を知らないのだろうかと思いつつアルシェムは金具を締め、仕上げにかかった。ロイドはその様子を唖然とした表情で見ている。

 中々口を開こうとしないロイドにアルシェムは問うた。

「で、ロイド。夜這いしに来たわけじゃないとは思うけど何の用?」

「ええっと……アルはこのままここにいるつもりなのかなって思って」

 アルシェムは、と言ったということはロイド自身が悩んでいるということなのだろうとアルシェムは判断した。ここにいても良いのか、この場所にいれば出世は恐らく望めなくなると副署長から言われたことが気になるのだろう。

 故に、アルシェムはロイドにこう答えた。

「ぶっちゃけ言って、仕事がないと生きていけないんだよねわたし」

「え……」

「両親は知らないし養子にして貰ってたところとは縁切って来たから収入がないと生きていけないわけ。あーゆーあんだすたん?」

 ロイドはその返答を聞くと顔を曇らせて謝罪してきた。不用意に聞いて悪かったと思っているのだろうが、アルシェムからしてみればこれが普通なので謝罪される意味が分からない。

 何だかそのまま気まずい空気になりそうな雰囲気だったのでアルシェムは話題を変えた。

「で、ここにいても出世が見込めないどころかすぐ潰されそうだからどうしようか悩んでるって感じかな?」

「あ、ああ……」

「じゃ、結論から言ってあげるよロイド。あんたが一課や二課に配属されたとしても――その真面目さや正義感が出世の邪魔をすることになる」

 だから、どうせ長続きはしないのだと。そう告げてやった。間違いなくロイドは不正を見逃せないような性格をしている。あの数時間だけしか一緒にいなかったとしても、分かるのだ。ロイド・バニングスは――あのガイ・バニングスとほぼ同じ性質をしているのだと。

 それを聞いたロイドは一層悩みを抱えたような顔になって部屋を辞した。別にどうでも良いのだ。この場所が存続されようがされまいが、アルシェムにとってはどちらでも良い。存続されれば面倒が減るな、というくらいだ。

 そして、アルシェムはロイドが去った後はセピス式ウォーターサーバーを完成させて一息ついたのだった。




 なにやってんだ、とつっこんではいけない。イイネ?

 では、また。


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旧友からの問い詰め

 旧155話のリメイクです。


 深夜――ロイド達が寝静まり、なかなか寝付けなかったアルシェムが次はどんなオーブメント細工を作ろうかと思案していた頃。アルシェムの部屋の扉が控えめに叩かれた。

 その叩き方で何となく誰なのかは分かったのだが、声を掛けないわけにはいかないのでアルシェムは小声で返事をした。

「起きてるよ」

「では失礼します」

 帰ってきた返事も小声で、静かに扉を開いた少女――ティオは体を扉の内側に滑り込ませると静かに扉を閉めた。その恰好は昼間に見た格好のまま。黒いインナーに銀色の胸当てをつけた格好だ。パジャマには着替えていないので、今まで起きていたのは確実なのだろう。その長い水色の髪に寝癖も何もついていないのもその考えを裏付けている。

 アルシェムはティオに問うた。

「どしたの、こんな時間に」

「聞いておかなくてはならないことがあったから来たんですよ。後で説明すると言っていたでしょう?」

 そう告げるティオの瞳には真剣な色が浮かんでいた。アルシェムの立場を覚えているが故になぜこんな場所にいるのか疑問に感じていたのだろう。ティオの記憶は敢えて消さずに残しておいたのだから、星杯騎士であるということは完全に覚えているはずだ。ティオの場合は忘れさせてもつけているセンサー類から色々と類推されて間違った方向に行かれる可能性があること、そして何よりも暗示を持ち前の感応力で悟られてしまう可能性があったのである。

 ふう、と嘆息したアルシェムは肯定の言葉を吐いた。

「あー、そーだったね」

「ええ、そうです。それで――クロスベルで、何かが起きると思っているんでしょう? アル」

「起きる――というよりは、半ば引きずり出すの方が正しいかな」

 ゆっくりと言葉を吐き出しながら、アルシェムは闘志に火をつけた。――そうだ。引きずり出すのだ。あの悪夢のような日々を押し付けて来た男を。その元凶となった人物たちを。楽には死なせない。そのためには、クロスベルで起きるだろう混乱を抑える必要がある。クロスベルで動き始めるであろう全てに備えてアルシェムはここにいるのだ。

 ティオはアルシェムの言葉を聞いて微かに眉をしかめ、問うた。

「何が起きるのか、私に教えて貰えますか」

「一応守秘義務ってのがあるんだけど」

「じゃあ、アルの正体を警察本部の中で吹聴して回ります」

 そこまで聞いたアルシェムはスッと目を細めた。つまり彼女はアルシェムの任務の邪魔をしようとしているのだと思ったからだ。内容次第では復讐心を突いて利用するつもり満々だっただけに、その言葉は頂けない。アルシェムの正体を吹聴して回られては、警察本部を丸ごとどころかクロスベル中の住民に暗示をかけて回らなくてはならない可能性がある。

 完全に仕事モードに入ったアルシェムはティオに言葉を投げつける。

「そうなる前に記憶を消されるとは思わなかったわけ?」

「思いませんよ。なんだかんだ言って、アルってお人好しでお節介なんですから」

 視線と視線が絡み合う。しばらく見つめ合って――先に目を逸らしたのは、アルシェムだった。確かに記憶を消すのは色々な意味で不可能だ。まずアルシェムは法術を修めていないので使えない。今クロスベルにいる人員で暗示が使えるのは、今は警備隊に所属している彼女とどこかに潜伏している星杯騎士達だけだ。それさえタイムラグがあるため危険すぎる。

 これは、情報を少しでも洩らさない限りティオは退いてくれないだろう。彼女の過去にもかかわることだけに、あまり口外はしたくなかったのだが仕方がない。改めて協力を取り付けられるのならばそれで問題ないのだ。アルシェムはそう判断した。

 長く息を吐いたアルシェムは、ティオに向けて告げた。

「あんまりティオが聞いて楽しい話じゃないんだけど」

「構いません。何が起こるか分かっていれば備えられますから」

 ティオの決意は固いようだった。彼女にも目的がある。恩人の一人であるガイ・バニングスが死んだ理由を知ること。見付かっていない下手人を探すことだ。その下手人を見つけてどうするのかと問われると困るのだが、一応警察に引き渡すつもりだ。その後で逃亡するようならティオ自身の手で討つ。それが可能かどうかは分からない。仇を討ったとして、ガイが喜ばないのも分かっている。だが、しかるべき報いを受けさせなければ気が済まないのだ。

 その決意を感じ取ったアルシェムは言葉を漏らす。

「《D∴G教団》の首魁と、それを隠れ蓑にしている人物たちを追っている」

 それを聞いたティオは思わず息を呑んだ。その話が今更出て来るとは思えなかったからだ。しかも、今のタイミングで言われるということはほぼ首魁が誰だか分かっているということ。彼らを狩る準備が出来ているかどうかは分からないが。それでも思いがけないかたき討ちのチャンスは、ティオの心に暗いさざ波を起こさせた。やっと、復讐を始められる。

 声を震わせてティオは誰何した。

「その人が……誰だか、分かっているんですか」

「大まかなところまでは、ね。ただ隠れ蓑にしてるやつらの方がヤバいかも知れない」

 かも知れない、とアルシェムは表現したが、間違いなく《D∴G教団》を隠れ蓑にしている人物たちの方が厄介である。何せここまで表立った動きをしてきていないのだ。裏でもほぼ動きを掴ませないように動いている彼らを始末するのはアルシェムの役目でもある。それに付随する可能性のある□□についてもだ。むしろ水面下の動きさえつかめれば一気に行けるということなのだが、彼らも周到にそれを掴ませない。

 アルシェムの言葉を聞いたティオは平静を失っているようだった。無理もない話である。彼女に辛い過去を押し付けたのは《D∴G教団》なのだから。その悪魔崇拝の教団をも隠れ蓑に出来る人間がいるというのはどれほど恐ろしいことなのか。そして、あの悍ましい儀式で得たものをどう使うのか。そこまで思考が至ってしまって、呼吸が乱れる。

 無数の断末魔。幼い子供達の嘆き。恨み。全てを忘れることなど出来なかった。むしろ、今でも鮮明に思い出せる。思い出してしまえば、その後は熱で寝込んでしまう。そして悪夢と現実の中を彷徨うのだ。その中でずっと縋っていたのが、ガイから貰ったストラップだった。あれさえあればもう恐ろしいことは何もないと理解出来る。

 ティオは《ENIGMA》を取り出してみっしぃのストラップを握りしめた。そうすれば少しでも落ち着けると分かっていたし、そう信じていたからだ。ガイから貰った大切なお守り。不安定になった時の、ティオの精神安定剤。それを握りしめて徐々に呼吸を落ち着けていくティオは、気付かなかった。アルシェムも平然と語れていたわけではないことを。

 アルシェムも、それなりに顔から血の気が失せていた。それだけで済んだのは《影の国》を出て以降制御がより容易になってしまった《聖痕》の存在があったからだ。本来ならば涙を流しながら布団にくるまってダンゴ虫状態になりながら叫ぶスタイルに移行していたに違いない。泣き叫びたくなる心を凍てつかせて、アルシェムは感情の嵐に耐えていた。そうしなければ、ならなかった。

 そして、ティオが落ち着いてきたころ。アルシェムもようやく平静を装えるようになって声を発した。

「辛いならここでやめるけど?」

「……やめないで下さい。あんな目に遭う人たちなんて、もう出しちゃいけないんです……だから、続けて下さい。私が乗り越えるためにも」

「……わかった」

 アルシェムとしてはここで話を止めたかったのだが、どうもティオはそれを赦してくれないようだ。それに、乗り越えなければならないのはアルシェムも同じである。いつまでも男に恐怖している場合ではないのだ、いい加減。ついでに人間不信もいつかは克服しなければならない。いつかはいつかであって、今である必要は全くないのだが。

 アルシェムはティオに語った。再び動き始めた《D∴G教団》のことを。何故彼らが存続できているのかからも含めて。

「そうだね。まずは一番重要なところから始めようか」

「はい。……どうして、まだ教団が存在しているのか、からですね」

 ティオは顔を固くしてその問いを発した。声は震えていたが、その目は真剣だ。今夜も恐らく悪夢を見るだろうことは確定しているので、行けるところまで行ってしまおうと思ったのだ。悪く言えば開き直っているのである。どれほどの悪夢を見たとしても、その悪夢を打ち破れるような情報は得たいのだ。あの時に死んだ純粋無垢な『ティオ・プラトー』を供養し、明日へと進むために。

 アルシェムはそんなティオを見つつこう返す。

「うん、折角ヤバい人たち集めて殲滅したはずなのにどうして生き残っちゃってるのかってのが問題。誰かが資金提供していたってーのもあるだろうけど、わたしはソイツが薬学系統に詳しい人間じゃないかと踏んでるんだ」

 その言葉にティオは衝撃を受けた。確かに有り得ない話ではない。グノーシスを薬と呼ぶのも悍ましいが、確かにアレはクスリの類だ。故に薬学系統に詳しい人間だろうというのは納得できる。ただ、《拠点》が潰された後も資金提供しているような人間がいたというのだろうか――あの、悍ましい実験に?

 資金提供をしていた人間の悍ましさに震えながらティオはアルシェムに問う。

「医学系でいけば、内科とか外科とかそういう選択肢もあったと思いますけど……何で薬学なんですか?」

「どんな薬を作っていても怪しまれないからだよ。しかも普通の薬と偽って市民に配ることだって出来る」

「そ、それは……そうですけど」

 アルシェムの答えにティオは戦慄した。ということは、アルシェムはどこかの病院にその人物が潜んでいると考えているのか。このあたりで病院があるとすれば――聖ウルスラ医科大学なのだ。ティオがかつて搬送され、グノーシスを抜くのに入院させられていた場所。その場所に、あの時既にその人物が潜んでいたら。それを考えるだけで恐ろしい。

 だが、アルシェムはティオのその考えを否定した。

「あーでも、それなりに最近に赴任してきた人物だと思うよ。ずっと研究し続けてたにしては――去年盛られたグノーシスと思しきクスリは効果が弱かったから」

「……え?」

 ついでにアルシェムから言葉の爆弾を飛ばされたティオは目を見開いて硬直した。それも根拠だということか、という考えよりも先に再びグノーシスを盛られたのかという考えの方が出て来て驚愕したのだ。それを平然と話せるアルシェムの精神状態にも。

 数秒おいてティオがアルシェムに小声で詰め寄る。

「大丈夫だったんですか……!?」

「ま、ここで生きてるわけだからね。イロイロ破壊工作しないといけなかったからドーピングしてたと思えば何とか冷静でいられたし」

「そういう問題じゃないと思うんですけど……」

 しれっと返したアルシェムにティオは思わず呆れてしまった。あの悪夢のような記憶を――ティオがようやく数週間に一度程度しか見なくなった悪夢を、アルシェムは既に乗り越えているのだ。こうして笑って話せるほどに。そう勘違いした。実際は全く以てそんなことも無ければ恨みつらみも深いのだが、それはさておく。

 若干の呆れを含ませたままティオはアルシェムに返した。

「それで、どうしてクロスベルに彼らが潜伏してると考えているんですか?」

「あーそれは簡単。この辺に散らばってる古代遺跡から資料をかっさらって全部読みこんだところによると、《D》とやらがこの地に存在してたっていう記録があってね。それとグノーシスの効果を比較した資料――あの時押収された資料ね――を見比べたらあーら不思議。クロスベルの中心に近づくほど効果が高まっているじゃあーりませんか。ま、それはついでだけど、本当はグノーシスの流通ルートを探ったらクロスベルに辿り着いただけなんだけどね」

 おどけてそうティオに答えたアルシェムの声はほんのわずかだけ震えていた。全てを知らせるわけにはいかない。ここで全ての情報を開示してしまえば――アルシェムが□□であることがティオにまでばれてしまう。半ばばれているようなものだが、最後の確信まではさせてはならないのだ。□□であることに、ティオを巻き込むつもりはないのだから。

 ティオはアルシェムの声の震えには気付いた。だが、何かを隠していることには気付けなかった。たとえ気づいていてもアルシェムは隠し事をしていること自体を全力で否定しただろう。それが怪しまれることになると分かっていても。知られるわけにはいかない。巻き込むわけにはいかない。最終的にアルシェムがどうなろうとも、これ以上《D》や《G》に関わらせてはならないのだ。

「それで、ですか……」

「あと、押収した資料には資金提供者の情報も書かれてたんだよね。全部黒塗りにされてたけど。いやー全部調べるのは面倒だったよ。最終的にほぼクロスベルに集まってるってのが分かってからは早かったけどねー」

 それが、彼らがクロスベルに潜伏していると思った理由だ。隠れ蓑にしている人物たちについてもほぼ確信を持てているので周囲への影響を全く考えなければ今すぐにでも狩れるのだ。彼らの目の前で外法認定を宣言し、クロスベルのどこかに潜伏しているもう一人の星杯騎士と協力しさえすれば。

 だが、それは出来ない。彼らを狩れば、間違いなくクロスベルは大混乱に陥るだろう。アルシェム個人としては、今なお教団と繋がっているであろう変態髭親父などはクロスベルが大混乱に陥らないのならば今すぐにでもぶち殺したいのである。正直に言ってクロスベルは帝国よりも――アルテリアの枢機卿どもの腐敗具合には遠く及ばないだろうが――腐っている可能性が高い。

 その昏い考えを遮るようにティオがアルシェムに問う。

「……私に、手伝えることはありますか?」

「いや基本的にはないけど……一つだけ教えてよ」

 誰がガイ・バニングスを殺したのか。そう続けたアルシェムの言葉は、ティオに更なる驚愕を齎した。今このタイミングで聞くということは、ガイの死も教団に関わっているということではないだろうか。少なくともアルシェムがそう考えているのはよく分かる。そうでなければ、今聞く意味がない。全くの無関係ではないということに、ティオは暗い感情を募らせる。

 ティオは彼女が知る限りのガイの死因を列挙した。《オルキスタワー》建設現場で倒れていたガイ。彼の肉体には微かな切り傷と、背後から撃たれたと思しき弾痕が残されているだけだった。そして、ガイの得物――トンファーとクロスベル警察のバッジは持ち去られている。容疑者と思しき人物すら絞り込めていないというクロスベル警察の怠慢に呆れたことまで。

 それを聞いたアルシェムは、眉をひそめて言葉を吐いた。

「――あのガイ・バニングスが銃を持った相手に背を向ける?」

「ええ、有り得ないと思います」

 その点だけは間違いなかった。アルシェムとティオの知る『ガイ・バニングス』は何があってもそれが正しい道である限り前に突き進む熱血漢だった。その彼が拳銃を持った相手と対峙していて背中を向けて逃げるだろうか。結論から言えば有り得ない。つまり、ガイは背後から不意を打たれて殺されたことになる。

 アルシェムは顎に手を当てながら声を漏らす。

「武器を持ち去ったということは、犯人に不利な情報が刻まれてたってことだろーし……」

「私は、複数犯だと思っています」

 ティオはそんなアルシェムの声に断言するように答えた。そうでなければおかしいのだ。トンファーが凹んでいたにしろ切り刻まれていたにしろ、そういう証拠となり得るものが残されていない限りは持ち去る理由がないのである。そして、残されているであろうトンファーの傷は恐らく弾痕ではない。弾痕ならばトンファーを持ち去ろうが持ち去るまいが銃の特定のわずかな一助になってしまうだけだ。ほぼ意味がないのである。

 故に、少なくとも犯人としてあげられるのは、銃を使った人間とガイと対峙した人間の二人はいるはずなのである。ガイを殺そうと思う人間が二人もいたことに、最初ティオは困惑した。真っ当な人間から恨みを買うような人間ではないことだけはティオが一番よく知っていたからである。なら裏の人間かと言われれば、それも首をかしげることになる。何故なら、証拠は残さないにしろマフィアがガイ殺しを吹聴しないわけがないからだ。

 それを聞いたアルシェムは、脳内で犯人をリストアップした。誰でも導力銃が手に入るわけではないのだが、ガイを殺す動機を持ちつつ銃を扱える人物と言われると限られてくる。ここ数週間程度でクロスベル市民の顔をある程度見てはいたのだが、それに該当しそうな人物は今のところはいない。警察内の人間も容疑者と言えば容疑者なのだが、動機が見えてこない限りは犯人には出来ないのだ。

「……そっか。ま、調査はしておくよ。今日はもう寝た方がいーよ、ティオ」

「でも……いえ、そうですね。明日からもよろしくお願いします、アル」

 ティオは不平を口にしようとして止めた。目の端に時計が映ったからだ。深夜の三時である。流石にこれ以上はティオ自身もアルシェムも朝がつらくなるだろうということでこの場は解散となったのであった。

 

 ❖

 

 暗い闇が渦巻いて、全てを呑みこもうと大きな口を開けた。闇から飛び出す石と釘バット。叩き潰されるロイド・バニングス。倒れ伏し、血を流している彼に駆け寄るエリィ・マクダエル。彼女に襲い掛かろうとするマフィアを返り討ちにするランディ・オルランド。マフィアに人質にされて冷静に状況を見られなくなったティオ・プラトー。

 もう、分かっていた。この悪夢は乗り越えなくてはならないモノだ。



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初めての支援要請

 旧156話~157話のリメイクです。


 アルシェムとティオは、次の日無事に起きることが出来た。どちらも夜更かしに慣れているためだろう。アルシェムはその任務の特殊性から、ティオはエプスタイン財団での経験から夜更かしには慣れていたのである。

 そして、この日は特務支援課が正式に活動を開始する日でもあった。朝食は先日話し合って――じゃんけんで決めたともいう――エリィが朝食を作ることになっていた。そもそもが不平等なじゃんけんだったのだが、それを知っているのはティオとアルシェムしかいない。そして、よほどのことがない限りその事実については触れないことにしていた。

 朝っぱらから少々豪勢にマフィンサンド――スクランブルエッグとベーコン、それにレタスとトマトが挟まっている――とコーヒーもしくは紅茶を飲食した一同は、ティオの操る端末を覗き込んでいた。この端末は先日ここに辿り着くなりティオが調整していたもので、クロスベル内に広がっているネットワークに接続することができる。

 その端末から支援要請と呼ばれる依頼を受ける形になるのが特務支援課だそうだ。その内容は多岐にわたるものの、概ね遊撃士と同じことが出来ると言っていい。むしろ遊撃士よりも優れているところもあるのだ。現行犯だけでなく、確たる証拠があれば政治家までも逮捕できるのである。遊撃士は国家不干渉があるため――クロスベルが国であるかどうかはまた別の話である――に、原則的に国政に関わる一定の地位を持つ人間を捕縛することが出来ないのだ。

 それはさておき、ティオによると早速来ている支援要請があるようである。といっても、支援要請に関する補足説明という名の支援要請であるため、チュートリアルと思えば良いのだろう。説明はクロスベル警察本部の受付で行われるとのことで、一同は早速警察本部へと向かった。

 警察本部に足を踏み入れ、受付にいる人物に話しかけると、その人物はニコリと笑ってこう告げた。

「お疲れ様です、特務支援課の皆さん。本部受付兼特務支援課専用の報告担当、フラン・シーカーです。よろしくお願いします!」

 正直に言って、フランは受付の中でたらいまわしにされていた厄介事を引き受けさせられたと思っていた。それでも笑顔で受けたのは、これ以上誰かに仕事を押し付けないためである。端末が弄れてかつ他にやりたいと思う人物は存在しなかったのだ。むしろすぐに潰れるのならば厄介な業務が減るのに、と内心では思っている。

 ただしフランは職務に忠実な人間だった。故に、特務支援課に所属する人物たちに懇切丁寧に説明をする。先日セルゲイより受けた説明をほぼそのまま繰り返す形にはなるのだが、面倒な部署でも真面目な人間が揃っているようである。きちんと説明を聞き終わってくれたので何となく気が楽になったフランだった。

 そんなこととはいざ知らず、ロイドたちはフランに説明された通り支援課ビルに戻り、端末から本部へと報告を入れた。本部で報告を受けたフランはそれを確認してから本日の支援要請――遊撃士から回された厄介事ともいう――を支援課の端末に送り付ける。突発的にこんな仕事が入らなければ普通に受付だけしていられるのだが、そうも言ってはいられないのである。

 そして、フランが送り付けた支援要請を見たアルシェムは思わず内心でやっぱり遊撃士かと突っ込んでいた。送られてきた支援要請はジオフロントの手配魔獣の退治の要請と紛失物の捜索の要請、そして不在住戸の確認の要請だったのである。最後のものはともかく、前者二つは完全に遊撃士協会から回ってきたと判断できてしまうのだ。

 アルシェムはロイドに提案した。

「ねーロイド、これ、手分けして回った方がよくない?」

「いや……今日は初日だから慣れるって意味でも一緒に回った方がいいと思う」

 ロイドは少しだけ考えてからそう応えた。アルシェムはその答えを苦々しく思うのは、まだ遊撃士時代の癖が抜けきっていないからなのかもしれない。思ったよりも染まっていたのは意外だったが、リーダーの指示に従わないのもどうかと思ったアルシェムはそっけなく分かったとだけ答えた。

 そんなアルシェムを宥めるようにランディとエリィが声をかけてくる。

「ま、そんなすぐにゃ支援要請も来ないだろ」

「そうよ。ゆっくりやって行きましょう?」

 アルシェムはその声に首を前に傾けるだけで答えた。そんなことは有り得ないと分かっていたからだ。遊撃士協会クロスベル支部は西ゼムリア一遊撃士を酷使する協会として有名なのだから。仕事を振れる人間が増えたとなればじゃんじゃん振ってくるに違いないのだ。

 内心で微妙な思いを抱えているアルシェムを連れたロイドたちは、最初に紛失物の捜索に当たることにしたようである。歓楽街にあるホテル《ミレニアム》に滞在しているトロントという名の旅行者からの依頼だということで、まっすぐに歓楽街へと向かった。

 そして、フロントに一声かけてからトロントのいる部屋に向かったロイドは依頼の内容を聞いて考え込んだ。どう考えても五人で探し回るよりは手分けして探した方が早いと思えたからである。故に、今回は素直に手分けして動くことになった。探す対象はお土産と財布ともう一つ――アルシェムが提示したヒントでトロントが思い出した共和国息の乗車チケットである。トロントがうろついたという港湾区にはロイドとティオ、東通りにはアルシェム、百貨店には伝手があるらしいエリィとランディが向かうことになった。

 信頼されているのかどうなのかはよくわからなかったが、とにかく単独行動の権利を手に入れたアルシェムは東通りに向かった。ここには遊撃士協会があるのであまり近づきたくはないのだが、仕事は仕事だ。さくっと終わらせればそう問題はないだろう。そう判断して露店を冷かしつつぼんやりした男性が何かを落とさなかったか聞き込みを続けた。

 すると――一番奥の露店でそれらしいものを拾ったという男性がいた。冷やかすだけになるというのもどうかと思ったアルシェムは有用な情報料代わりにとそこで売っていた風車を買い、トロントの買ったお土産を手に入れたアルシェムはそのまま露店を抜けて遊撃士協会の前を通りがかった。

 とたんにアルシェムは強烈な視線を感じた。さりげなく遊撃士協会を見てみると、そこからこちらを窺っている人物がいる。アルシェムは思わず目を逸らしてその場から足早に立ち去ってしまった。完全に不審者の所業である。

 いち早くホテルまで戻ってこられたアルシェムは、トロントにお土産を見せて紛失物であることを確認すると扉の方を見た。誰かが来た気配がしたからだ。次いで叩かれる扉。トロントは入ってくるように促すとエリィとランディがそこには立っていた。

 代表するようにエリィがトロントに告げる。

「財布が見つかりましたよ」

「ああ、良かった~……あとはチケットさえ見つかれば帰れるよ」

 安堵の顔をしているトロントだが、最後の一つが一番の難題だろう。何せ、紙なのだ。吹き飛ばされてしまっていれば最悪見つからない可能性だってあるから手分けしておきたかったのだが、ロイドはその可能性には思い当たらなかったらしい。

 だが、アルシェムのその心配は杞憂だったようだ。ティオと共に息を切らしながら戻ってきたロイドの手にはまぎれもなく列車のチケットが握られていたのだから。トロントはそれを満面の笑みで受け取ると、感謝の意を伝えてこれでもう帰れることを伝えた。依頼終了である。

 次にロイドが選んだ依頼は不在住戸の確認の要請だったようだ。ロイドに先導されて向かった行政区の市庁舎で言われたのは、来るとは思っていなかったの一言。これは遊撃士以上に頑張らなければマイナスイメージを払拭することは出来ないようだ。

 そして、手渡された資料に書かれていた不在住戸に関する資料を見たロイドは、またしても手分けすることを提案した。流石に旧市街と住宅街、ついでに東通りはそれなりに離れているという判断なのだろう。旧市街と東通りは一緒に出来ないこともないと思うのだが、ロイドは敢えてそうはしなかった。というのも――

「東通りのは一緒に行って遊撃士協会に挨拶に行っておいた方がいいと思うんだ」

 という思惑があったようである。アルシェムとしては先ほどの視線の主に出会うことになるのであまり行きたくはなかったのだが、ほぼ同業者になるために挨拶は必要だろうというロイドの言によって説得された。

 それはさておき、ロイド達男衆は旧市街に向かったためにエリィ達女性陣は住宅街に向かったのだが、エリィの様子がオカシイ。何故だか奥の家をちらちらと見ながらそわそわしているのである。その理由を一瞬考え込んだアルシェムは、その場所が一体なんだったのかを思い出して思わず声に出した。

「エリィ、実家が気になるのは分かるけど一応職務中ね」

「ひえっ!? な、ななな何のことかしら気のせいじゃない?」

 エリィはあからさまにあせったようにそう応えた。何を焦ることがあるのか皆目見当もつかないが、まあ実家を見ていることに気付かれて恥ずかしがっているとかそのあたりだろうとアルシェムはあたりをつける。実際は執事や祖父に見られていないかどうか気にしていただけなのだが。

 住宅街の不在住戸は、比較的すぐに調査を終えられた。というのも、中に人の気配はないものの手入れはされているし全く人間が踏み入れていないということもないからだ。誰かの持ち家もしくは倉庫代わりなのだろう。それ以上のことを調査するのは今の状況では無理なのでそこで調査を切り上げ、アルシェム達は東通りへと向かった。

 そして、ロイド達と合流すると不在住戸だと記載されている場所には何人もの人間が出入りしている様子が見て取れた。掲げている看板を見るとそこには《釣公師団》と記されている。

 それを見たアルシェムは、思わず声を漏らした。

「えー……あの変人釣り師集団クロスベルにまで広がってんの……」

「知ってるのか、アル?」

 アルシェムの疲れたような声を聴いたロイドは思わずそう聞き返す。もしも知っているというのならば話も聞きやすいかと思ったからだ。その問いにアルシェムは団体名を知っているだけでこの中にいる人物たちを知っているかどうかは分からないと答えた。ぶっちゃけ言ってリベールの王都で外見を見たことがあるだけなのである。中身の人間を知っているとは到底言えなかった。

 遊撃士協会の隣にある《釣公師団》と逆隣の《アカシア荘》を手分けして調査――資料に記されていた情報は誤記であり、《アカシア荘》の方に空き部屋があった――し終え、書類を完成させたロイドたちは遊撃士協会内部から声を掛けられた。

「ちょっと、良いかしら」

「え……」

「アナタじゃないわ。そっちの銀髪ショートのアナタに用があるんだけど」

 それを聞いたアルシェムは遠い目をしてお断りしますと言い放った。面倒なことになりそうな予感がひしひししているのである。現在進行形なのは、断りきれないと踏んでいたからだ。どうせ遊撃士協会には挨拶をしに行かなければならないのだから。

 案の定断りきれなかったアルシェムは、ロイド達と共に遊撃士協会に足を踏み入れた。そこで恐らくは受付を担当しているであろう男性(?)はロイドに一枚の紙を手渡して問題に回答するように告げた。どうやら何かしらの仕事を触れるか否かを見たいのだろうとアルシェムは判断する。

 アルシェムがロイドの様子を他人事のような眼で見ていると、受付はアルシェムに問うた。

「で、アナタ。どうして遊撃士に戻らないの? ――魔獣狩りの凄腕協力員にして元準遊撃士《氷刹》アルシェム・ブライト」

「その紹介の仕方はキリカかなー……次会ったら容赦なくぶちのめす」

 アルシェムの物騒な回答にエリィとロイドが目を剥いた。回答の内容だけではその事実を否定していないように感じられたからというのもある。むしろ確実に年上だと思われる人物に対して敬語も使っていないという事実に驚愕していた。

 受付はアルシェムに詰め寄って問う。

「理由を聞かせて頂戴」

「え、まずわたしは『アルシェム・ブライト』じゃないし。何より遊撃士やってたら絶対襲撃されるからヤダ」

 その回答に受付は顔をひきつらせた。確かにアルシェムがブライト姓から抜けたのは知っている。折角の《剣聖》の義娘という立場を棄ててまで何をしたいのかという問いもあるのだが、それは今聞いても答えは貰えないだろう。それよりも、最後の言葉だ。何故遊撃士になれば襲撃されるのだろうか。もしも《身喰らう蛇》等の襲撃を予測しているのならばむしろ遊撃士であった方が情報は入りやすいのだが。

 その疑問を受付はアルシェムにぶつける。

「どうして襲撃されるのかしら」

「だって間違いなくこっち来るもんあのリア充イチャラブ極甘カップル。とっとと結婚してしまえーなあいつらが追ってる人、クロスベルにいるし」

 何その定冠詞。一同の気持ちが合致した瞬間だった。この場でその人物たちの正体が分かったのはティオと受付だけだった。受付はもう少ししたらクロスベル支部に来ると言っていた二人組のことを言っているのだろうと感じた。

「えっと……もしかして気まずくて籍を抜けたとかそういうオチなのかしら」

「そもそもわたしにそこにいる資格がないからだけど。……これ以上聞きたいんだったら有料ね」

 そんな殺生な、と言う受付――最後に自己紹介をしてミシェルと名乗った――を簡単にあしらったアルシェムは、ロイドの手が止まっているのを良いことに手元の髪を覗き込んで全ての問題に正答していることを確認するとミシェルにその紙を渡してとっとと退散することにした。支援要請の報告をまだ終えていないからというのもあるが、手配魔獣を長々と放置するのは色々と問題があるからである。

 名残惜しそうなミシェルを放置してロイドたちは行政区へと戻り、市庁舎で報告を終えた。その際も驚愕の表情で見られたのは言うまでもない。彼女らの言葉を代弁するならば、『この無能警察がまさかここまできちんと調査してくれてなおかつ報告にまで来てくれるなんて有り得ないと思っていた』である。警察の信頼が地に落ちている証左でもあった。

 市庁舎で報告を終えたロイドたちは最後の支援要請である手配魔獣を狩りに行くことになった。手配魔獣がいるのはジオフロントA区画。昨日と同じ場所からジオフロントに侵入した一同は、アルシェムの行動に全力で引いていた。というのも――

 

「おらおらおらおら邪魔邪魔邪魔邪魔ァ! 進路塞いでたら全滅さすぞこらー!」

 

 と、彼女は乙女失格な叫び声を上げながら導力銃を二丁持ちでブッパしているからである。魔獣狩りを始めると性格変わるのかな、とロイドは思ったそうな。ついでにアルシェムだけでも十分手配魔獣も狩れそうだと思ってしまったのも無理はない。

 たまにロイドに射線が向くこともあって大いに身構えるのだが、無論ロイドに当たることはなかった。その背後で魔獣が湧いていることに気付いたが故に撃っているのである。ロイドに当てるつもりなど毛頭なかった――他人から見ればそうは全く見えないのだが。

 その様子を見たティオはポツリと言葉を漏らす。

「そんなに遊撃士の話をするの、嫌だったんですか……」

「ティオちゃん、何か事情を知ってるの?」

 その呟きを逃さなかったエリィがティオに問う。エリィにとって遊撃士とは希望だったからだ。クロスベルで生まれ育ったエリィはクロスベル警察が腐っていることを知っている。そして、どんなふうに腐っているのかを見極めるために特務支援課に所属した彼女にとって、遊撃士はある意味仕事内容的には夢のような職業だったのである。何せ、上層部が腐っていないのは分かり切っているからだ。

ティオはエリィの問いに遠い目をしながら答えた。

「……リベールでも有数の凄腕新人遊撃士カップルを知っているというだけですが」

「か、カップルって……もしかしてさっきの話に出て来た」

「ええ。ミシェルさんの呼称を聞くに、アルと彼女らは恐らくは家族だったと思われます」

 実際、ティオはその凄腕新人遊撃士カップルとアルシェムの関係を直接見聞きしたわけではない。だが、彼女らの姓は『ブライト』だ。それとあの親密さを考えれば家族だったと判断しても間違いはないだろう。

 そこに、アルシェムから声が返された。

「それあのバカップルの前で言わない方がいーよティオ。絶対ガチギレされるから」

「そうなんですか?」

「だってねー……あの関係性は、『家族』だったとは口が裂けても言えない」

 その声と同時にアルシェムはジオフロントの最奥へと足を踏み入れた。そこで待ち受けているのは手配魔獣メガロバット。それを冷たく一瞥したアルシェムはまずは羽を撃ち抜いて墜落させ、目玉と口腔内を狙って導力銃を乱射した。

 その凄惨な様子を見せつけられたロイドは思わずアルシェムに口走っていた。

「おい、アル……一応女の子もいるんだから自重してくれって!」

「これが一番早いんだけど。っつーかだから手分けしたかったんだけど」

 それに対するアルシェムの答えは醒めきっていた。イライラしていたというのもあるが、一番手っ取り早く殺して何が悪いとも思っている。魔獣は害悪というわけではないが、人間に危害を加える可能性が高いからこそ『手配』されるのだ。ならば迅速に狩らない理由がない。誰かが傷ついてからでは遅いのだ。それこそ警察の怠慢にされてしまうのだから。

 その理屈をアルシェムが説明することはない。何故なら、アルシェムはそもそも□□には□□□はずの□□だから。故に、彼女がロイドに対してそういう類の気付きを必要とすることに対して説明を加えることは全くない――否、出来ないのである。

 一行の気まずい雰囲気は、地上に戻るまで続いた。




 ※なお乙女ではない。

 では、また。


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不良の喧嘩

 旧158話~159話のリメイクです。


 ジオフロントの手配魔獣を片付け、順調に本日の支援要請を終わらせたロイド達。ジオフロントから地上に戻ったことで《ENIGMA》に電波が届くようになったからなのか、ロイドの《ENIGMA》に通信が入った。

「はい、特務支援課、ロイド・バニングスですが」

 ロイドは通信先の人物――残念なことにアルシェムにはそれがセルゲイであることが分かった――から旧市街で不良達が不穏な空気を発していることを聞かされているようだ。出来るならばその仲裁もしてほしいとのこと。通信を終えたロイドは一同にそう説明して旧市街へと急行した。通りがかった遊撃士協会からはまたしても視線を感じたが気のせいだろう。

 アルシェムは旧市街に入る前にその事態に気付いてしまった。というのも、クロスベル入りしてからずっと探し続けていた気配がそこに存在したからである。それは、アルシェムの同僚の気配だった。同僚であるとともにアルシェムにとって要注意人物ともなり得る『彼』がそこにいるという時点で事態がややこしくなるだろうことは容易に推測がついた。

 そして、旧市街に突入した一行は一触即発状態に陥っている不良同士のにらみ合いを見ることになる。片方は十字を模した青い服装の不良集団《テスタメンツ》。そして、もう片方は赤い服装の不良集団《サーベルバイパー》であることをここ数週間のクロスベル暮らしでアルシェムは嫌というほど理解させられていた。絡まれることこそなかったものの、妙に喧嘩が多いのだ。自然と噂になるのは避けられなかったというべきなのだろう。

 その一触即発状態の不良達の間に飛び込んだロイドはこう言い放った。

「クロスベル警察だ! ここでの喧嘩は市民の迷惑になる。今すぐにやめるんだ!」

 ロイドの言葉に返ってきたのは、爆笑だった。今更警察が出張ってきたところで不良集団には何ら問題はないのだ。クロスベル警察は腰抜け。その評判を定着させるのに一躍買っているのが彼らなのだから。やめろと言われたところで、少し脅かしてやれば逃げ出すに違いない。少なくとも、その場に集まっていた不良達はそう感じていた。

 実際、その言葉を口に出した人物がいた。

「おいおい、腰抜けの警察が止めに来たって冗談だるぉ? ま、冗談じゃないなら邪魔者ってことでやっちまうが……?」

「冗談ではありませんが、あまり煽らない方がいいと思います。主に貴男方のために」

 その人物に冷ややかに返したのはティオだった。彼女の言葉に嘘はない。アルシェムが暴走を始めれば間違いなく彼らは一撃で昏倒する羽目になるだろう。というかけが人が出る。

 だが、そのティオの気遣いは不良達のいらだちに火をつけた。腰抜けどころか小娘に馬鹿にされたのだ。腰抜けの警察よりも不良達の方が弱い。小娘が宣言したことはそういうことだ。

 そう判断した《サーベルバイパー》の構成員が切れた。

「余計な御世話だァ!」

 そう言って得物――釘バットを振りかぶって襲い掛かってきた。それを一番近い場所にいたロイドが受け止める。不良はまさか受け止めにかかるとは思わず驚愕の表情を浮かべた。防ぐという行為だけでも彼らはただの腰抜けではないと理解させられてしまったからである。

 そこから先は、ほぼ乱戦だった。護身術だけで戦う羽目になって若干危険なエリィをティオに守らせつつランディとロイド、そしてアルシェムが不良達を投げていく。各々の武器で攻撃を加えないのは、万が一の場合に怪我をさせたという名目を作らせないためだ。市民に危害を加えたから特務支援課は解散と言われてもおかしくない状況に立たされているのだから。

 そんな中で、アルシェムは襲い掛かってくる不良を投げながら左右に視線を巡らせた。そろそろこの騒ぎを聞きつけてリーダーがやってくるかも、と思ったからである。案の定奥のバー《トリニティ》からはアルシェムの同僚が、逆方向の倉庫《イグニス》からはとさか頭の青年がそれぞれやってきていた。

 それを伝えるべくアルシェムは声を張り上げ気味に告げる。

「とっとと止めてよそこのリーダーさん達。部下の統制も取れないってーの?」

 その声にいら立ったような表情で《イグニス》方面からやってきていた青年――《サーベルバイパー》の首領ヴァルド・ヴァレスが状況を部下に問うた。無論、怒り心頭というまでもない状況ではあるが怒るヴァルドは恐ろしいことを知っている部下たちは怯える。そして、アルシェムの同僚――《テスタメンツ》の首領にして《守護騎士》第九位《蒼の聖典》ワジ・ヘミスフィアも同じように問うた。こちらは恐怖政治ではないようで普通に状況を説明していたが。

 ヴァルドとワジはそれぞれに言い聞かせるように告げる。

「準備も済んでねえってのに突っ込むたぁ……バカかお前らァ……?」

「全くだよ。これから盛大に潰しあえるっていう大事な時期なのに騒ぎを起こしちゃだめだろう? そう言うのは準備が終わってからやらないと」

 全く以てそういう問題ではないと思うのだが、これまで小競り合い程度の争いしかしていなかったはずの彼らがいきなり潰しあいを始めるのは何故なのかとアルシェムは疑問を持った。むしろ、ワジの方が全く冷静でないことに疑問があるのだ。いつもは冷静沈着で下手に言質を取らせないような話し方しかしないワジが、何故今こう宣言するのか。

 ヴァルドとワジの発言にアルシェムは呆れたように口を出した。

「潰しあいたいのはよく分かったけど、一応警察って奴は治安維持も仕事の中に含まれててね。全員まとめて検挙されたいか、事情を話して邪魔をされたくないかどっちか選んでみたら?」

 アルシェムの発言にワジは爆笑した。まさかこんな状況で再会するとも思ってはいなかったというのもあるのだが、それ以上に彼女が正義を体現する警察官になっていることがどうしようもなく笑えたのだ。彼女の過去を断片ではあっても知っているだけに。どちらかと言われると、アルシェムには警備隊の方が性に合っているように思える。

 対するヴァルドはいら立ちを隠そうともせずにアルシェムに問うた。

「腰抜けの警察に口を出す権利はねえだろうが。それとも何か? ここで腰抜けじゃねえことを証明してみるか……?」

「個人的には構わないんだけど、そろそろこの集会を解散させないと近隣住民の皆さんの迷惑なんだよねー。ましてやそんなむさい男だらけの倉庫とか行きたくないし」

 アルシェムの返答を聞いたヴァルドはその言葉が終わらないうちに釘バットを振り上げてアルシェムに向けて振り下ろした。しかし、アルシェムはそれを軽く避けた。ヴァルドの得物は釘バットという形状というか性質上、振り上げて降ろすという動作があるせいで、アルシェムを捉えるには遅すぎる攻撃になってしまっているのである。

 釘バットを避けられたヴァルドは舌打ちをしながらワジに向けて告げた。

「……必ず決着はつけるぞ、ワジ」

「ああ、望むところさ。お互い全力で潰しあおう」

 ワジは苦笑しながらそう返した。アルシェムの行動にしばらく爆笑していたかったのだが、この状況はそれを赦さないだろうと分かっていたからだ。ワジとヴァルドはお互いに舎弟に声をかけて撤収していった。

 それを見送った特務支援課の一同も解散しようとしたのだが、リーダーであるロイドがそれを止めた。

「……なあ、どうして彼らはお互い全力で潰しあう必要があるんだ?」

「分かんないなら聞きに行けばいーんじゃない?」

 ロイドの言葉にアルシェムはそう返した。最初からそのつもりでその問いを発したのだろうと分かっていたためである。ロイドは苦笑すると、手分けすることを学んだからか《サーベルバイパー》《テスタメンツ》両者にまとまって聞いて回るのではなく二手に分かれて聞きに行くことにした。最初はロイドとランディで女性陣を守るつもりだったようなのだが、残念なことにむさ苦しい中にこれ以上男を連れて行くのは精神衛生上よろしくないと感じたアルシェムによって断られたためにロイド、ランディ、エリィとアルシェム、ティオに分かれたのである。

 そして、ロイド達が《サーベルバイパー》に事情聴取に向かったのを見届けたアルシェムはティオを連れて《テスタメンツ》達のたまり場《トリニティ》へと向かった。《トリニティ》はビリヤードやダーツ等の遊びのある所謂おしゃれなバーである。そこで格好をつけて待っているワジはそれはそれは絵になっていたそうな――ただし、持っているアルコールと思しき液体はアップルジュースだったのだが。

 ワジはアルシェムに視線を向けると意外そうにこう言い放った。

「……へえ、てっきりあっちの少年が来ると思ったんだけど?」

「か弱いオンナノコにあのむさい男どもの巣窟に出向けと?」

「か弱い……だと……」

 ワジは大げさなリアクションをし、次いで自分の行動に笑いを禁じ得なくなって爆笑し始めた。ある意味とても失礼なのだが、こういう人間だとアルシェムは知っていたために溜息をつくだけで終わった。

 深いため息をつき終わったアルシェムはワジに問うた。

「《テスタメンツ》のリーダーに聞くけど――《サーベルバイパー》と全面的に潰しあう理由は?」

「タダじゃあ教えられないね。むしろ、君に教えて何か僕にメリットがあるのかな?」

 ワジはそう応えて意味深に笑ってみせる。本人としては普通に教えても一向に構わないのだが、ここにいるのは本当の意味での『ワジ・ヘミスフィア』の部下だけではない。舎弟たちもいるのだ。体面というモノを取り繕う必要があった。

 それに対してアルシェムは遠い目をしながら出来る限り誤魔化す方向で笑いのネタを提供する。

「ネギ野郎の渾名の愉快な変遷」

「……え?」

 唐突なアルシェムの発言にワジは目が点になった。そういうモノを必要としているのではないのだが、めくるめく笑いの予感がしてワジはその発言を止められなかったのである。

 そして、それは間違いではなかった。アルシェムは遠い目のままでこう告げたのである。

 

「《外法狩り》から《ブラックアロー》、《蒼き流星》を経て、最終的に《千の護手》に落ち着いた。なお《紅耀石》からは悪いことは言わないから《千の腕》の身内と相談して決めろと言われた模様」

 

 それを聞いた瞬間――ワジは噴き出した。確かにワジは《外法狩り》――ケビン・グラハムから渾名を《千の護手》に変えたことは聞いた。だが、その途中経過は全くと言っていいほど知らされなかったのである。ワジからしてみれば、流石にブラックアローはない。むしろどこから出て来たブラックアロー。ブラックランスならばクラフト由来なのだろうなと何となくわからないでもなかったのだが、ブラックアローは、ない。あと《蒼き流星》の蒼はどこから来た。というか自分とだだ被りである。

 それらの思考が巡り巡ったワジは、その後五分ほど爆笑し続けた。呼吸困難になりつつも発作的に笑いがこみあげてくる状態に陥ったワジはしばらく使い物にならなさそうである。それを複雑な顔をしながら見つつアルシェム達は《テスタメンツ》のメンバーから事情聴取を終えた。最初はワジから許可がないと話せないの一点張りだったのだが、本人が笑いながら許可を出したことで事情が聞けるようになったのである。

 なんでも、構成員の一人であるアゼルという青年が五日前に襲撃されたそうである。それも、《サーベルバイパー》からの闇討ち。背後から釘バットで殴られて滅多打ちとのことだ。つまり姿は見ていないのかと問うと、一同はそろって首を縦に振った。しかし姿を見る必要はなかったとも。《サーベルバイパー》が釘バットを使っているのは身に染みて知っていたからだ。

 そこまで聞いたアルシェムは推測を重ねて事実により近くなるように再構成していた。つまりは、こうだ。夜道を歩いているアゼル。背後から釘バットを持った人物(達)が襲い掛かって滅多打ちにする。そして、姿を見せないように逃走する。一見、《サーベルバイパー》からの宣戦布告と見られてもおかしくはない。だが、なぜこの時期にやらかしたのかというのが問題である。

 その疑問を解消するために必要となりそうな二つの情報をアルシェムは知っていた。というのも――前提として、ここクロスベルは犯罪の温床である。ドラッグや人身販売こそないものの、グレーゾーンの犯罪は山のように溢れている。そして、このクロスベルの闇を取り仕切っている連中が存在するのだ。《ルバーチェ》。それが、その連中の名である。彼らはクロスベルの闇のほぼ全てを掌握していると言っていいだろう。それに対抗するように新しく支部の出来た《黒月》も要注意だろう。

 だが、《ルバーチェ》にもまだ掌握できていない場所がここクロスベルには存在する。それが旧市街なのだ。この旧市街は混沌とした(不法)移民やならず者共の格好の隠れ場所であり、そこには《ルバーチェ》ですら掌握不可能なほどの手練れが紛れ込んでいることもある。故に、彼らは下手に手出しすることはなかったのだ。

 そんな彼らにもチャンスはやってくるものである。数年前に流れて来た少年と、旧市街の中でもそれなりに序列の高かった男がそれぞれ不良達をまとめ上げたのだ。といっても、彼らに出来たのは弱者を庇護下に入れることであって、まれに紛れ込む手練れたちを袋叩きにすることしか出来ないような集団ではあったが。それでも親に逆らう程度で《ルバーチェ》に入る度胸もない荒くれ者どもをヴァルドがまとめ、クロスベルの未来を憂える若者たちをワジがまとめ上げているのは事実である。

 どちらの構成員達も、《ルバーチェ》にとっては魅力的だったのだ。特に今このタイミングでは。というのも、《黒月》が介入してきたことによって《ルバーチェ》の戦闘員たちは減少してしまっているのだ。戦闘訓練もさほど必要ない若者どもを引き込めるのならば有り難いことはない。故に、構成員達を引き抜くために邪魔なヴァルドとワジさえ戦闘不能にしてしまえば――運よく相打ちにでもなってくれれば――その間に《ルバーチェ》は彼らを取り込むことができると考えているのだろう。

 そこでアルシェムはその推測を裏打ちすべくワジに問うた。

「ワジ、ここ最近《ルバーチェ》もしくは《黒月》が訪ねてきてない?」

「ああ、ひと月くらい前に《ルバーチェ》から傘下に入らないかってお誘いは来たけど。《黒月》はなかったかな」

 それを聞いてアルシェムはほぼこの推測に間違いはないと確信した。ティオに向かって微かに頷くと、ワジに礼だけを言ってその場を後にしようとする。ワジは何かわかったことがあったら教えてくれとアルシェムに声だけを掛けて彼女を見送った。

 《トリニティ》から出たアルシェム達はロイド達が戻ってくるのを待っていた。というのも、事情を聴きに行っているだけのはずなのにやたらと遅いのである。余計な注目を集めるのもどうかと思ったアルシェム達は一度東通りに入って露店を物色していた。職務中だという突っ込みはしてはいけない。

 露店を物色しつつ、ティオがぽつりとアルシェムに漏らした。

「今回の件に《ルバーチェ》と《黒月》とやらがどう関係あるんですか?」

「後者はともかく前者は密接に関係あるだろーね。でもまだ確定じゃないからロイド達が戻ってきてからにしよーか」

 ティオはその後も何かしら考え込んでいた。この事件にティオなりに向き合ってみようと思っているのだろう。その光景が微笑ましくて何となく見つめてしまっていたのは内緒である。因みにアルシェムにそういうケはない。ないったらないのである。

 そして、一通り時間を潰し終えたアルシェム達は旧市街から出て来たロイド達と合流した。どうやらロイドたちの方も収穫はあったようである。ただし、ロイドから聞けたのは《サーベルバイパー》のメンバーを襲撃したのは《テスタメンツ》のメンバーではない可能性があるというその一点のみだったが。

 アルシェムはロイドに問う。

「それだけ?」

「だけって……他に何か気になる情報でも見つかったのか?」

 ロイドの問いにアルシェムは彼が裏社会が関わっていることを察していないことを理解した。《サーベルバイパー》の構成員達は確かに荒くれ者どもである。そういう小難しい話は聞けなかったのだろうと内心で納得して――不意に背後を振り向いた。

「わわっ!? き、気付くの早過ぎじゃない?」

「ヨシュアレベルならともかく、一般人が不自然に見て来るなーくらいは分かるよ……何か用?」

 呆れながらアルシェムが振り返ると、そこには――先日アルシェムが冷たくあしらった《クロスベルタイムズ》の記者グレイス・リンがいた。彼女はどうやら再び特務支援課を記事にしたいと思っているようである。どういう内容にするかどうかは別問題ではあるようだが、売れる記事を書きたいのは確実だろう。ロイドに向けて不良達の対立にはほかの理由があることをほのめかしていた。

 その狙い――一応は特務支援課の活躍を記事にしたい――を何となく読み取ったアルシェムは、グレイスに向けてこう告げた。

「ね、記者さんや。……とっておきの特ダネの情報を教えるからあんたから見た不良達の対立の事情をロイド達に教えてあげてくれない?」

「内容によるわね」

「そーだね。期待のホープ、遊撃士協会に現る! とかどうかな?」

 グレイスはアルシェムの言葉にきらんと目を輝かせた。クロスベル支部に遊撃士が来るという噂は確かにあったのだが、それが一体誰なのかをまだつかめてはいなかったからである。

 アルシェムとしては記事にして貰って噂にすることで彼女らを下手に動かないように牽制したいのでこれはこれでいい機会である。グレイスが興味を引くだろう内容を、アルシェムは開帳した。

 

 ――エステル・ブライトおよびヨシュア・ブライト。二つ名は今のところ付けられていない。エステルは栗色の髪の快活な少女で、ヨシュアは女装の似合う黒髪の青年である。リベール王国を主として活動圏内にしていた遊撃士たちで、《リベールの異変》の解決にも一役買った弱冠十七歳の兄妹。ただし兄ヨシュアは養子であり、恐らく遠くない将来に一度籍を抜いてエステルと結婚という形でもう一度籍を入れなおすことになるだろう。見た目に似合わぬ堅実な実績が特徴。また、父はかの《百日戦役》においてリベールの勝利に多大なる貢献をした英雄カシウス・ブライトである――

 

 その情報を聞いたグレイスは歓喜して必要のない情報までばらまいたようだ。《龍老飯店》でグレイスからの情報提供を受けなかったアルシェムはロイドから後にそう聞いた。




 次の投稿は三日後です。二月最終日は30日ではないので。

 では、また。


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不良抗争、決着

 旧160話のリメイクです。

 前回とは三日しか空いていませんが、この先は5の倍数の日に投稿するのは変わりません。今回が特殊なだけです。

 では、どうぞ。


 ロイド達と一旦別れ、気配を消した状態で《ルバーチェ》と《黒月》に探りを入れていたアルシェムはロイドからの連絡を受けて支援課ビルへと戻っていた。盗み聞きは聞いた場所が場所だけに偶然聞いたのだとは言えず、証拠にはならないのだが裏付けにはなる。案の定《ルバーチェ》のルートを《黒月》が潰して回っていることを聞けたアルシェムはそれを裏付けとしてロイド達に説明することにしたのである――それを説明する前にロイド達は別の場所に赴くことになったのだが。

 というのも、ロイドがセルゲイに今回の件について指示を仰いだことに端を発する。セルゲイの判断を仰ぐべきだと判断したロイドは、帰るなり彼に判断を仰いだのだ。彼は報告を終えたロイドに『好きにすると良い』と告げ、困ったら西通りのグリムウッド法律事務所を訪ねるよう助言したのである。当然、ロイド達はセルゲイの助言に従ってグリムウッド法律事務所に向かうことになった。

 グリムウッド法律事務所。それは、西通りにあるクロスベルでも有数の法律事務所である。所長はイアン・グリムウッド。近所の住民からは熊ひげ先生という名で親しまれている彼が、清廉潔白な人間ではないことをアルシェムは知っていた。少なくとも、全く後ろ暗いところがないというのは有り得ない。脱税等の罪を犯しているというわけではないのだが、一つの理由では説明できないほどの回数とある場所に出入りしているのだ。白に近いグレーとでも言ったところだろうか。

 法律事務所に入ったロイドは一応を代表してイアンに声をかける。

「済みません」

「やあ、いらっしゃい。相談かな? それとも依頼かな? もしくは……おや」

 イアンはロイドを見て一目でガイの弟だと看破した。ガイの葬式に来ていたらしい。そこで初めてロイドに兄がいたということ、既に死んでいることを察したエリィとランディは若干気まずそうな顔をしていた。アルシェムにしてみれば知っていた情報だったので、別段気にすることもなく別のことを考えていたのだが。葬式に顔を出すということは、それなりにガイとも親しかったということだろう。怪しむ理由が一つ増えたと思いつつ、アルシェムはイアンの話に耳を傾けているふりをして彼を観察した。

 見た目からすると、ただの一般人に見える。ただ、体格の良さと掌がそれを否定しにかかっていた。何か運動をやっていたのではないかとも思えるほどの体格の良さについてはあまり心配していない。アルシェムの心配は別の場所にあった。それは――彼の、掌である。エリィと同じ手。そして、オリヴァルトとも同じ手だ。そう――この掌は、銃を扱う者特有の手なのである。

 イアンはロイド達に《ルバーチェ》と《黒月》の抗争について教えてくれた。《黒月》がクロスベルでの勢力を拡大するために《ルバーチェ》の活動の妨害を行っていることを。そして、そのせいで《ルバーチェ》には少なくない犠牲が出ているということも。そこでようやくロイドは今回の件を構成するピースを集め終えたのである。

 そして、支援課ビルに戻った一行は、一階で今回の件に関するまとめを行っていた。さまざまな情報を再構成しつつ、どうすれば不良同士の抗争を止められるかという手段を導き出すのが最終的な目的である。ロイド達は《サーベルバイパー》《テスタメンツ》両者から聞いたこととグレイスからの情報、そしてイアンからの情報をもとに状況を再構成していた。

 ロイドがその時の状況を、問題点を明らかにしてまとめる。

「《サーベルバイパー》のメンバーの襲撃と《テスタメンツ》のメンバーの襲撃に共通するのは、犯人の顔を見てないってことだ。その犯人が互いのメンバーだとは断言できない」

「ふむ、つまりは誰か――たとえば《ルバーチェ》とかでも良いですね。誰かが故意に彼らを抗争させたがっている、ということですか」

「ああ、そうだと思う」

 ロイドの言葉に答えたティオには何となくこの件の全容が浮かんできていた。《ルバーチェ》に少なくない犠牲者がいるということは、人員が足りないということ。人員補充のために不良達は確かに有用だろう。しかし、彼らは一度ではあっても《ルバーチェ》からの誘いを蹴っているはずだ。一体どうやって取り込むつもりなのか、とティオは思案する。

 そこにエリィが口を挟む。

「抗争をさせたがっているって言っても、その理由がよく分からないんだけど……」

「イアンさんの話からすると、《黒月》とやらのせいで《ルバーチェ》には人が足りていないんだ。そこに彼らが入ったら即戦力になるとは思わないか?」

 ロイドの回答にエリィは瞠目した。確かに人員補充にはなるのだろうが、かなり無茶苦茶な話であるとロイドは分かっていないのだろうか。一瞬だけそんな考えがエリィの頭をよぎった。しかし、エリィは頭を振ってそれを否定する。現実に起きていることなのだ。シミュレーションではない。有り得ないか有り得るかと問われれば、有り得るのだ。

 険しい顔をして黙り込んだエリィを横目で見つつ、今度はランディが口を挟む。

「でも、子分たちはともかくリーダー共はどっちも首を縦には振らないんじゃねえか?」

「それは……」

 ここで初めてロイドは言いよどんだ。確かに彼らは傘下に入れと言われても断るだろう。だから全面抗争させてお互いを潰させれば良いと思ったのだが、そうなってしまえばそうなってしまったで余計リーダーに愛着がわいてしまう可能性だってあるだろう。それで余計に引き抜きにくくなっては本末転倒だ。だが、ロイドには今回の件がそんなばくち的な計画ではないと何となく感じられていた。何か、理由がある。

 アルシェムはロイドの考えに一つの外道な手段を以て答えた。

「あ、それは多分頑張ってあの二人を同士討ちさせて大けがを負わせておけば何とかなるよ。治療費代わりに傘下に入れって脅せばいー話だし」

「おいおい、物騒だな……」

「でも、有り得ない話じゃないわ。クロスベルの闇は《ルバーチェ》が仕切っているし、何をしでかしても揉み消せるから……」

 アルシェムの言葉にエリィはそう返した。そうだ。エリィは何を忘れていたのか。彼女は知っていたはずなのだ。《ルバーチェ》がどれだけ悪辣な手段を使えるのかを。揉み消せる範囲にあれば、何でもやらかす連中だとエリィには分かっていたはずなのだ。クロスベルはエリィの出身地であり、彼女の祖父を悩ませてきたのもまた《ルバーチェ》とハルトマン議長であったと知っているのだから。

 これはもはや仮説ではない。ほぼ真実に近いだろう。ロイドは確信した。多少は違う個所もあるだろうが、これは全て真実となり得るのだ。最悪を想定しつつ最善に向かって事件を解決できるように動かなければ。ロイドはそう判断して各々に出来ることをするために皆に相談を持ちかけた。どうやれば、一番穏便に解決できるのかを。

 そして、それぞれがやることが決まった。ロイドはヴァルドとワジに話をつけ、おとり捜査を行って犯人を見つけ出すことで落とし前をつけてくれと頼みに行くことになった。不良達を襲撃したのがお互いだったという誤解がなくなれば全面抗争をする意味がないという理由でそれを呑んでもらおうと思ったのである。無論、犯人の検挙には両者が手伝うことが条件である。ヴァルドは少し渋ったが、ワジの説得によってそれを呑んだ。

 エリィはIBC(International Bank of Crossbell)あてに手紙を書くことになった。一体何をするつもりなのかというと、《ルバーチェ》の資金源を分かっているものだけでも止めて貰うためだ。そこに友人がいるらしいのだが、それが誰なのかをエリィが告げることはなかった。その日のうちに帰って来た手紙では、不正取引の疑いでいくつか口座を凍結したという返事。そして早目に顔を出しなさいという連絡であった。

 ランディに関しては、元警備隊員であるということから警備隊に連絡を取ってもらった。しかし、警備隊は今回の件如きでは動けないと副司令に告げられた。《ルバーチェ》絡みでも動きが鈍くなる警備隊に舌打ちしつつ、ランディは邪魔だけはさせないよう副司令に依頼していた。副司令はそういうところには気が回る人物であるため、快諾してくれたらしい。

 ティオは何もすることがない、と思いきやそうではない。彼女には彼女の役目があった。それは、アルシェムが製作した使い捨て端末による《ルバーチェ》へのクラッキングである。といっても情報を抜くことが目的なのではなく、本部に混乱をもたらすことが目的だ。何者かが妨害工作をしていると思って貰えればいいのである。ばれれば威力業務妨害に問われるだろうが、今回は誰にもばれないようにやるので問題はない。ロイド達にすら何も言っていないのだ。

 そして、アルシェムはというと――大急ぎでオーバルカメラを製作していた。写真はいい証拠になるからである。まだ一般的ではないものの、合成という手段があるので決定的な証拠とは言えない。しかしはっきりしていることが一つだけある。ないものは撮れないのだ。故にアルシェムは買うより安い自家製オーバルカメラを組み立てていた。

 全ての工程が終了し、準備が整ったところで――不良の抗争阻止作戦は決行された。

 

 ❖

 

 ある日の深夜のことだ。旧市街にいるとある人物は焦っていた。そろそろ結果を出さなくてはならない。構成員を増やし、《黒月》に主導権を握られないようにしなくては。そう思って《ルバーチェ》の構成員が焦っていた。このところずっと《黒月》からの妨害が続いている。一時に関しては電気が全く通らなくなったことすらあった。《黒月》の方はとぼけているが、絶対に彼らの妨害工作に決まっている、と彼は思っている。

 故に、今日こそ決行しなければならない。緊迫した旧市街の空気をぶち破り、不良どもを争わせるのだ。そして、残った方が強者になる。その強者を《ルバーチェ》は喜んで迎え入れるつもりでいた。雇い賃には多少色を付けるとでも言い張れば飛びつくだろう。それに、不良のリーダーたちが争い合って重傷を負ってくれるとなお喜ばしい。彼らも彼らで邪魔なのだから。

 そんな彼の視界に入ってきたのは、《テスタメンツ》の装束をまとった人物だった。たった一人で夜道を歩いている。不用心なことだ、と彼は思った。そして、連鎖的に判断を下す。《テスタメンツ》が一人で出歩いているということは、使うのは釘バットだ。釘バットでその人物を叩きのめし、危うい均衡を崩してみせる。そうすれば幹部への道だって夢ではない。彼はそう思っていた。

 そして、その人物に向けて集団で釘バットを叩きつけようとして――

 

 失敗した。

 

 手ごたえがおかしいのだ。人体を殴ったにしては妙に硬いその感触。それに――ちらりと見えた顔は、《テスタメンツ》のメンバーとは違っていた。どこか見覚えのあるような気がする茶髪の青年だったのである。彼の頭の中で警鐘が鳴った。こいつをこのままにしておいてはならない。ここで殺すか、重体にしなければならない。姿を――見られてはならない。

彼はこのまま無抵抗でいるうちに重傷を負わせるべきだと判断した。これが一体誰であっても、重傷者の――特に頭を打った人物の話を真面目に聞く警察官など存在しないからだ。頭部に強い衝撃を加えると稀に記憶の混濁が起きることを、長年の経験から彼は知っていた。早く頭部に衝撃を加えなければ。殺すまでは行かなくとも、せめて脳に異常があると病院が判断するほどに殴らなければと彼は焦った。

故に、彼がその人物の頭を打ち据えてやろうと釘バットを振り上げたところで――その人物の服の袖が翻る。

「せいっ!」

 これまたどこかで聞いたことのある声が彼の持っていた釘バットを弾き飛ばす。手に持っていたのはトンファー。嫌というほどに見てきたその得物は、かつてあの人物が使っていたものとほぼ同じ型のものだ。それで完全に分かった。その人物は――数年前に《ルバーチェ》に付きまとっていたガイ・バニングスの縁者――恐らくは弟のロイド・バニングスと思われる――であることが。つまり、警察官であるということだ。

 彼はロイドを視認した瞬間に叫んでいた。

 

「失敗した――撤退だッ!」

 

 失敗した。失敗した。失敗した。彼の頭の中に巡っているのはその言葉だけだった。今失敗するわけにはいかなかったのに、失敗した。警察にバレたということは動向が多少なりとも漏れていたということだ。しかもロイドは《テスタメンツ》の服を着ている。つまり、《テスタメンツ》には話が通されていると見て良い。そうでなければ見間違うほど精巧な服を作れるわけがないのだ。

 叫んだ彼に、屋根の上から導力銃が突き付けられる。

「動かないでッ!」

 それはクロスベルでは知らない人間のいない人物。クロスベル氏市長の孫娘、エリィ・マクダエルだ。警察に入ったという情報は聞いたことがあったが、まさかこのタイミングでこんな危険な場所に出現するとは思ってもみなかった。彼女を撃てば事態を硬直させられると思って彼はエリィを指さすが、何故か反応は全くなかった。つまり味方の数人はやられているということになる。

 ならばと彼は手振りで《イグニス》を指した。もしも《テスタメンツ》にのみ話が通されているのならば《サーベルバイパー》を襲撃するまでだ。ここにこれだけの人物が集まっているということはあちらの警戒は薄い可能性が高い。それにあちらは比較的単細胞であるため、《テスタメンツ》にやられたと何の疑いも持たないだろう。そうだ、倉庫の隙間からスリングショットで大量に石を投げ込んでやれば良い。それで誰かが傷つけばやはり全面抗争にまでは持って行けるだろう。

 近くに潜んでいた構成員達は、それを見て一斉に動き始めた。屋根の上に潜伏していた人物は水色の髪の少女を人質にとろうとして――失敗する。何処かから出現した短い銀髪の人物がその構成員を冗談のように吹き飛ばしたからだ。しかも水色の髪の少女に至ってはそれに追撃を掛けている。仲間を人質にとって目をそらさせることは出来ないようだ。

 比較的低い家の屋根によじ登った彼は、相方と一緒に《イグニス》へと向かおうとして――出来なかった。

「おいおい、本気かよ?」

 赤毛の男がそこに立ちはだかっていたからだ。言うまでもなくランディなのだが、彼らがそれを知ることはない。大胆に間を詰めたランディはスタンハルバードを振るうと、一撃で彼とその相方を吹き飛ばした。辛うじて屋根にしがみ付いて彼と相方は体勢を整えなおす。その間ランディは待っていたのだが、彼らがその理由を知ることはないのだ。

「クッ……ならば!」

 彼は歯を食いしばり、相方を立ち上がらせて屋根から蹴り落とした。流石にこの行動は想定外であると判断してほしい。そんな彼の希望的な願望は――無論、叶いやしなかった。逃げなければと彼も飛び降りたところで、旧市街の奥へと向かえる方角にはヴァルド・ヴァレスが。東通りへと抜ける方向にはワジ・ヘミスフィアが待ち受けていたからだ。

「逃げンじゃねえぞ」

「そうそう。僕らを虚仮にしてくれたんだ。少しは大人しくしていて貰おうかな?」

 この言葉で、彼は完全に諦めた。出世も、自らの小指も。このまま落ちぶれていずれ殺される道を歩むしかなくなったのだ、彼は。

 

 そうして――彼ら《ルバーチェ》の構成員は東通りの入口にある広場に集められ、アルシェムと何故か出現していたグレイスに写真を撮られて警察署へと連行されていった。

 

 だが、彼らは一昼夜もかからぬうちに釈放される。クロスベル警備隊の司令。クロスベル警察の上層部。そして、議員たちからの圧力が掛けられたからだ。彼らは証拠不十分として釈放され、しかし市民たちは《クロスベルタイムズ》で真相を知っているという混沌とした状況が生まれることになったのであった。

 

 ❖

 

「……お願い。皆を――守って」

 そんな声が響いた。少女の声だ。それを聞いたことがある彼女は、顔をしかめる。その少女が全ての原因だと何となく知っているからなのか、彼女が少女を睨む目は冷たい。それでも少女は怯まない。少女から彼女は見えていないのだ。故に、哀しみを瞳にたたえながらも彼女に□□する。

 

 途端、彼女は暗闇へと引きずり込まれた。

 

 そこに広がる光景は、全てが悪夢。全てが起こり得た可能性であり、これから起こり得る可能性の全てだ。無数の世界で様々な人物たちが死んでいく。それを破砕し、なかったことにするのが彼女の役目。

 襲い掛かる黒服の連中。撃ち殺される一組の男女。怒り狂い、暴走を始める闘争の化身。がくがくと震えながらも抵抗する水色の少女。残された二人を黒服の男達はじわじわと追い詰め、傷を負わせ、死へと導いて行く。水色の少女の援護は次第に追いつかなくなっていき、闘争の化身は斃れ、水色の少女も手折られる。無残な屍を朝日に晒し、魔都は混迷の様相を呈していく――

 何度も何度も繰り返される可能性。それを、少女はどうにかしろと彼女に告げる。

「お願い。皆を――」

 それに、彼女は反論することは出来ない。何故ならまだ彼女は少女と同じステージに立つことを赦されていないから。少女のために生き、少女の願いを叶え、少女の望みを体現するのが彼女の役目。

 

「お願い――皆が、幸せでいられる可能性を、見つけて」

 

 純粋無垢なる声。だが、それは他人を穢す声だった。自らの手を汚さず、他人を穢して叶う願望。それに穢された人物は、逆らうことはない。――少なくとも、今はまだ。




 分かる人には『彼女』が誰なのか分かるでしょうけど、ネタバレ禁止でお願いします。

 では、また。


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閑話・ブライト兄妹の話し合い

 あるいは未来の夫妻。そんなに糖度は高くないとは思いますけど、ちょっとご注意を。

 では、どうぞ。


 七耀暦1204年――カルバード共和国にて。二人の男女が遊撃士協会から沈痛な面持ちで出て来た。女の名はエステル・ブライト。そして男の名はヨシュア・ブライトといった。彼らがここを訪れたのは、児童連続誘拐事件についての資料を閲覧するためである。そこに記されているであろう被害の状況を見に来たのだ。あまり収穫はなかったものの、エステル達はそれ以上調べようとはしなかったのである。

 というのも、そもそも彼女らが知りたい情報はその場所にはほぼなかったことが挙げられる。念のために寄っただけなのだ、彼女らは。それ以前にエレボニア帝国での調査を終えていたエステル達は裏付けを補強するような話が欲しかったのだ。それは、別件で見つかった。

 彼女らが調べていたのは、《殲滅天使》レンこと『レン・ヘイワース』の記録だ。彼女がいかにして誘拐されたのか。それを知るためにここに来ていたのである。彼女が預けられていた家が火事に見舞われて、そこからレンが連れ去られたという事実だけが彼女らが知りたいことだったのだ。決して――レンが見捨てられて棄てられたわけではないという事実につながるかも知れない真実が、知りたかったのだ。

 エステルは沈痛な面持ちのままでヨシュアに問う。

「ヨシュア……レンは、売られてなんかないって知らないのよね?」

「ああ……でも、分かっているとは思うんだ。それでも売られたっていうのは自己防衛だと思う」

 ヨシュアの答えにエステルは考え込んだ。何とかして、レンに真実を伝えなくてはならない。孤独なままでいて良いとは思えないのだ。それはエステルの我が儘でもあったし、願いでもあった。さびしくて迷子になってしまった子供。それがレンだと思っているから。だから、家族になりたいと思ったのだ。傍に寄り添って、大人になるまでは見守っていてあげたい。

 そんなエステルの気持ちを知っているヨシュアは、それでもなお確認するように問いを口にした。

「まだ引き返せるよ、エステル。君は――どうしたい?」

「なーに言ってんのヨシュア。そんなことで悩んでるんじゃないわ」

「じゃあ、何に悩んで――いや、怯えてるのさ、君らしくない」

 エステルは悩みがないとは言わなかったことに気付いているヨシュアはそう返した。だが、エステルは答えない。顔色を悪くして唇を震わせているだけだ。どんな状態のエステルもこよなく愛しているヨシュアではあるが、長々と何かにおびえて震えているエステルを見ていたいわけではないのである。嗜虐趣味は多分ない、はずなのだ。

 震えたままのエステルに、ヨシュアは手を差し出して告げた。

「ちょっと落ち着ける場所で話そうか、エステル。東方人街が近いから東方風のカフェでゆっくりしない?」

「あ……うん、ごめん」

 ヨシュアに気を遣われたことを察したエステルは反射的に謝罪した。こういう気遣いに関してはヨシュアの方が上手である。言わない約束だろ? とでも言わんばかりにエステルキラースマイルを発射すると彼女の手を引いて東方人街へと向かった。ここもまた、調査すべき場所でもある。何せこの東方人街、《拠点》のあったアルタイル市内部に存在するのだ。いかないという手はなかった。

 東方人街に入り込むと、食べ物のいい香りが漂ってきた。豚肉を詰めた饅頭。それの変わり種で豚の角煮を詰めた饅頭。からりとあげられた胡麻団子に焼きそば。白濁した酒に、小麦粉で作られた麺が入った汁物。豪快に焼かれた鳥の半身に、屋台に並ぶ美味しそうな食べ物の数々。異国情緒あふれるその空間は、まるでお祭りのよう。

 その雰囲気につられて、エステルのお腹が鳴った。

「……あう」

「はは、どこか店に入ろうか」

 顔を赤らめたエステルに内心で全力で萌えながらヨシュアはそう告げた。その言葉に反応してエステルのお腹がさらに鳴って、ヨシュアを拳でぽかぽか殴るという何とも甘い空間を作り出した。それを宥めるのにヨシュアが……としているうちに周囲に甘い空気を蔓延させたのは言うまでもない。その周辺の屋台では唐辛子等で味付けした漬物が飛ぶように売れたそうな。

 それはさておき、エステル達は近くにあった店に入った。トゥディリという名の、このあたりでも一風変わった店である。似ているようで違うと言えば良いのだろうか。外が派手派手しさを感じさせる光景だとすれば、こちらは静かで落ち着く空間だ。丸い窓に、紙で作られているらしい物体がはめ込まれている。どこからかカコン、と言う音まで聞こえてくる空間に、ここなら落ち着けるだろうとヨシュアは判断した。

 そしてエステル達は早速メニューを見て注文をした。

「あ、じゃああたしはこのわらびもちで」

「僕はひやしあめ(激辛)でお願いします」

 エステル達の注文を聞いた袖の長い風変わりな服を着た店員はかしこまりました、と言って去っていった。エステルなら似合うだろうな、とヨシュアは思いつつ――何故そう思うのかを突き詰めれば間違いなくヨシュアはぶん殴られる――エステルを見た。すると、甘味が楽しみすぎて先ほどの考えはぶっ飛んでしまっているようだったのでヨシュアは敢えて言葉を出さないでいた。

 そして、程なくしてエステルの待ち望んでいた甘味が登場した。透明で、添えてある串で刺して食べるらしい。お好みで掛けて下さいと黄色い粉の入った入れ物と黒い液体の入った入れ物がエステルの前におかれた。そして、ヨシュアの前には涼しげなガラス細工のコップが置かれている。その中には淡いカラメル色の液体が入れられていた。

 もったいないから先に食べようとエステルが主張したため――本来の目的は忘れていなかった――、ヨシュアはその液体を口に含んだ。すると、甘くて辛い不思議な味がする。最初はシロップのような甘さが広がり、その後からジンジャーの香りがヨシュアの喉を襲ってくるのだ。流石激辛とだけあって、刺激はなかなかのものである。ヨシュアは顔色を変えずにひやしあめをすすっていた。

 一方、エステルはまず黄色い粉を舐めてみた。何やら香ばしい味がする。ただ、甘さは控えめなようだ。そう感じて今度は黒い液体を舐めてみる。すると、思いがけないほどの甘さにエステルは目を見開いた。これはシロップそのものではないのだろうか。そう思いつつも四角い透明の物体を口に入れる。若干の抵抗がありつつも、その物体は容易に口の中に味を広げた。ほのかな甘みがついている。

 そのままでも十分美味しいのだが、エステルは店員に言われた通りまずは黄色い粉をかけて食べてみた。すると、香ばしさも相まってより甘みを感じるようになった気がする。少々粉っぽいが、それもまた楽しい。一つ食べ終わり、今度は黒い液体をかけてみる。今度は、濃厚な甘みがエステルの味覚を直撃した。これは嵌るかもしれない。そう思いつつ、エステルは黄色い粉こときなこと黒い液体こと黒蜜を掛けながら無心に食べ進めていった。

 その最中、はっと我に返ったエステルは黒蜜ときなこを掛けたわらびもちを串に刺してヨシュアの方を向いて差し出した。

「あ、あ~ん……」

 前にもされたことがあるのだが、ヨシュアはその破壊力に悶絶しそうになった。前回は満面の笑みだったのだが、今回は顔を赤く染めて恥じらう乙女なエステルである。後で君も食べて良いかないやよくない自制しろクールになれヨシュア落ち着くんだヨシュアそうだこれくらい姉さんたちもやって――いや違う。混乱しつつ、壊れた機械のように周囲を見回して誰も見ていないことを確認したヨシュアはそれを口に入れた。

 口の中に、黒蜜でコーティングされたきなこにさらにコーティングされたわらびもちが侵入する。エステルはあまり気にしていないようだったが、間接キスゥゥ! と思いつつヨシュアはそのわらびもちを口の中で盛大に堪能した。変態である。因みに味はほとんどわからなかったそうな。故に、ただ美味しいよとしか返すことが出来なかったのも仕方のないことだろう。

 そして、ヨシュアはエステルに向けてコップを差し出しながら聞いた。

「結構辛いけど、飲んでみるかい?」

「あ……うん」

 エステルは顔を真っ赤に染めながらひやしあめを手に取り、慌てて口に含んで――吹き出しそうになったところを何とか飲み込んだ。辛い。でも美味しい。吹き出すなんてもったいない。その根性で、エステルは口に含んだひやしあめを飲み下した。因みに彼女は気づいてはいないが、ヨシュアはさりげなくエステルの飲み口に自分の飲み口が来るように調整していた。紛うことなき変態である。

 そして、その後は二人とも黙り込んだまま黙々とお互いのブツを飲食していた。エステルの脳内は恥ずかしいけど分けてあげたかったし、いいいいいいいいいイイヨネ、である。いい具合に混乱しているが、ヨシュアの策謀に気付いた様子はない。ヨシュアはエステルと間接キスだ、ついでに恥じらうエステル激萌えと思いつつひやしあめを飲んでいた。言わずもがな、エステルが呑んだ飲み口からである。最早ムッツリである。

 そして、全てを食べ終わったエステル達に店員がゆっくりしていってくださいと分厚い陶器のコップに入った熱いお茶を出して下がっていった。因みに所謂緑色のお茶ではなく、ほうじ茶である。そのお茶を飲みながらほっこりしたところで、二人の精神状態はリラックス状態になった。

 そこでエステルがヨシュアに切りだす。

「……あのね、さっきのことなんだけど……」

「うん」

「もし、あたし達の推測が間違ってたら怖いなって思ったの」

 エステルは自分の手を温めるように陶器のコップを握りしめてほうじ茶を一口飲んだ。それは気持ちを落ち着けるためで、ほろ苦いお茶の味と温かさはエステルの背をおしてくれるようだった。

 意を決してエステルが告げる。

「もしも、なんだけど……レンの両親が、レンを拒んで置いて行ったんだって言われたらって」

「それは……」

 ヨシュアはエステルの言葉に有り得ない、と言おうとして何の説得力もないことに気付いた。ヘイワース夫妻の心はヘイワース夫妻にしかわからない。故に、ヨシュアが何を言おうが変えられないのだ。その可能性が少しでもある以上、ヨシュアは有り得ないと断言することが出来ない。

 エステルとしてはやむにやまれぬ事情が積み重なってレンがああなってしまったのだと信じたかったのだ。そのための裏付けもとった。だが、偏った見方をせずに真実を追い求めていると思っていても、その想いが胸のうちから消え去ることはなかった。レンには救われて欲しかったのだ。両親に愛されてないなんて嘘だと教えてあげたかった。

 コップを持つ手に力が籠められ、水面が微かに波立つ。それを意に介する様子もなくエステルが続ける。

「本当はそうじゃないんだって、何となくわかる。でも……もし、レンを嫌って棄てたんだったら? どこかで愛してほしいって願ってるあの子に何て伝えればいいのかな」

 故に、彼女は怖かった。レンを棄てたのだとヘイワース夫妻に宣言されることが。そうなってしまえば、あまりにレンが救われない。その事実を隠すという手もあるだろうが、いずれレンは知ってしまうだろう。否、もう既に知ってしまっているのかもしれない。それを想うと怖かったのだ。やってみないと分からない。確かにエステルはそう思っている。

 だが、その結果がレンにとって辛い現実だったら――? その時、エステルはその事実を受け止められるだろうか。恐らく受け止められないだろう。そして、レンと家族になれる可能性も潰えるだろう。そのことがどうしようもなく怖かったのだ。受け止めたい。でも、エステル自身が受け入れられるほどやさしい現実がそこにあるとは限らないのだから。

 そう語り終えて黙ってしまったエステルにヨシュアは告げた。

「……レンの両親がどう言うかなんて、僕らにはどうしようもないことだよエステル。それでレンが傷つくかどうかも、僕らにはどうしようもないことだ」

「でも」

「でも、君はそれを含めて受け止めるんだろう?」

 エステルの反論をおしとどめてヨシュアはそう告げた。どんなことがあっても逃げないと、エステルはヨシュアと約束した。レンの過去を知っているヨシュアはそう告げるしかなかった。最初はエステルが知ることすら嫌だったのだ。そういう汚い世界があることなんて見せたくなかったから。それでもエステルは受け止めて進んだ。それを今更止まるわけにはいかないだろうと告げたのだ。

 分かっていた。ヨシュアには、分かっていたことなのだ。エステルが迷うことも、その迷いによって選択がぶれることも。レンのいたあの場所がどういう意味を持つ場所なのかを理解していて彼はエステルに何度も覚悟を決めさせてきたのだから。そして、今更エステルが引き返さないことすらも。だからこそ発破をかけるためにエステルにそう告げたのだ。

 ヨシュアの言葉にエステルは目が醒めたようだった。涙をこらえるように眉を寄せ、口を真一文字に引き絞る。覚悟を決めなければならない。そうしなければ、また家族になりたいと願った人に逃げられてしまうかもしれないから。手ひどく裏切られる形ではあったが、エステルはアルシェムと『家族』でいたかったのだ。どんな形でも良い。もう一度家族に戻れたらと思っていた。もう戻れないのだと半ば直感してはいたが。故に、レンを逃がしたくないという思いもあった。向き合って欲しいのだ。辛い過去にも、辛いだけのことしかなかったわけじゃないと。逃げずに受け入れてほしい。エステルと、家族になることも。

 エステルは目を閉じて覚悟を決めた。

「……うん。受け止める。受け止めて――レンに、伝えたいの。レンが誰に愛されなくても、あたしたちが愛してあげるって」

「その意気だよ、エステル」

 エステルの覚悟を受けたヨシュアは微笑んだ。ヨシュアはエステルが覚悟を決めて前を見つめる表情が飛びぬけて好きだ。そしてそのまま前へと進める勇気も。ヨシュアが決して持ち得なかったものを、エステルから分けて貰えるような気がして。人形だった彼は、エステルを守る一人の人間に成ることをずっと前から選択しているのだから。

 ヨシュアの言葉に押されたエステルは、もう一つ宣言した。

「それと、ね。……あのバカに、もう一回会いたい」

「会ってどうするつもりだい、エステル。多分アルは戻ってこないと思うけど……」

 その宣言にヨシュアは渋面を作って応えた。ヨシュアはまだアルシェムを赦してはいないのだ。全てを騙し、逃げて行った義妹を。全てを救おうとしていたのに、感謝の一言も受け取ろうとしない彼女を。赦せるはずがなかった。アルシェムが法術でワイスマンの術を解いていてくれればエステルに死の覚悟をさせずに済んだというのもある。だが、それ以上に赦せないのは――恐らく、カリンもレオンハルトもアルシェムの従騎士だということだ。家族を従えるというのが赦せない。

 更にカリン達がそれを快諾しているらしいというのがヨシュアを苛立たせていた。それはつまり、弱みを握られて従っているわけではないと分かってしまっているからである。かつては憎んだ義妹に何故従えるのか。命を救われたからというだけで従うような人たちではないことをよく知っているだけに苛立つのだ。何故。ヨシュアは未だに答えを出せないでいる。

 だが、エステルは半ば答えを出しているようであった。

「戻ってくる来ないはどうでも良いのよ。ただ、事情を全部アルの口から聞きたいだけなの」

「そっか……」

 ヨシュアの気のない相槌もエステルには気にならなかった。何故アルシェムが星杯騎士――それも、守護騎士なのか。いつからそうなのか。本当にブライト家に潜入していたのは任務だったからという理由だけなのか。本当に――エステル達を、家族だとは思っていなかったのか。全ての疑問に答えてほしい。そうすれば、エステルはあっさりではないにせよアルシェムを責め立てるのは止めようと思っていたのだ。

「だから、エステルはアルの消息も気にしていたんだね」

「うん……全然集まらなかったけどね。ほんと、どこ行っちゃったんだか……」

 そう言ってエステルは生温くなったほうじ茶を呑み干した。因みにヨシュアの方は既に飲み終えており、後は代金を払うだけとなっている。話もひと段落したことであるし、ヨシュアは店から出ることにした。エステルもそれに気付いたのか財布を取り出そうとしている。ヨシュアはそれをおしとどめて会計をしに店員に声をかけるのだった。

 なお、会計終了時に値段確認票を渡されたヨシュアは、それとは別に二枚ほどの紙きれを渡されたのだがそれをエステルに悟らせることはなかった。そこには恥じらうエステルが串にわらびもちを刺して突き出している静止画とエステルがひやしあめを飲んでいる静止画が刻印されていた。つまりは隠し撮りであり、しれっとネガごと盗難していたヨシュアに店員が気付くのはそれから数時間後のことであった。

 それはさておき、エステル達は東方人街を一通り――エステルが食い倒れツアーをやっていたり屋台で射的などを楽しんだ――巡り、アルタイル市支部で挨拶を終えてから二人はクロスベルへと旅立っていったのであった。レンの真実を突き止めるために。そして、アルシェムから真実を引き出すために。

 だが、彼らは知る由もない。アルシェムが『ブライト』を名乗らなくなった時点でエステル達に何も語ろうとは思わなくなっていることを。『アルシェム・ブライト』を棄てた時点で、彼女は決めていたのだ。自らの道にエステル達を巻き込むことだけはしないと。口にも態度にも、それこそ心にも思ってはいないだろうが、本能の奥底ではアルシェムの答えは決まっているのだ。

 そのことを知ることもなく、エステル達がアルシェムに再会するのはそう遠い時ではなかった。




 ※盗撮は犯罪です。


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~神狼たちの午睡~
魔獣被害の調査(アルモリカ村)


 旧161話~162話のリメイクです。


 不良同士の抗争を止めてから数週間が経った。特務支援課として動き始めたアルシェム達は瞬く間に有名になった――遊撃士の猿真似として。やっていることは今のところ遊撃士とほぼ同じなのでそう言われても仕方がないのだが、それでも警察の名誉回復に一役買っているのは言うまでもない。聞き込みのロイド。荒事のランディ。電子のティオに、調停のエリィ。そんな二つ名が囁かれるのもそう遅くはないだろう。因みにアルシェムは前と変わらず――遊撃士協会から流布されたため――《氷刹》である。

 ロイドは他人から話を聞くのがうまい。確かにエリィもうまいのだが、どちらかと言われるとエリィは子供から聞く方が得意である。そして、ロイドは信頼されやすいのか重要な情報を零して行く人々が多いのだ。故に、ロイドは聞き込みを得意とするという認識が成されていた。戦闘力があるのは前提条件であるためそのあたりは考慮されていない。

 ランディは戦闘力がただあるだけではなく、抵抗しつつ逃亡する犯人をほぼ無傷で取り押さえるのに長けていた。アルシェムも苦手ではないのだが、どうしても周囲への被害を先に考えがちであるためにランディの思い切りの良さに負けるのである。元々が警備隊員だったということもあって犯人の制圧戦には必ずと言っていいほどランディが駆り出されていた。

 そして、ティオは主にネットワーク等を駆使しながら必要な情報を抜き出して行くのに長けている。といっても、主に彼女が行うとすればシステムのメンテナンス等なのだが。警察業務に関係ないと思われがちだが、外部からのクラッキングでデータが破壊されないように細工するという点では優秀であった。主に官公庁やIBC等のビジネス関連の困りごとに駆り出されることが多い。

 エリィに関しては、ロイドとセットで喧嘩の仲裁等に駆り出されることが多かった。政治的な考え方をよく知るエリィにとって、お互いの落としどころを探るのはお手の物なのである。ロイドが両者を宥めつつエリィが解決に向けての手法を模索するという形で働くことが多かったのだが、警察内部でも政治的なアドバイザー的立場を確保しているのは言うまでもないだろう。

 そんな中で色々と異端なのがアルシェムである。街道の治安維持を主に行っている、というと意義が広すぎて何をしているのか全く分からないが、要は魔獣を狩っているのである。バスの護衛や車両の通行の際の安全確保等に動いているため、クロスベル市内であまり見かけることはない。だが、近隣の村や施設に向かう際には重宝されていた。稀に遊撃士の依頼を肩代わりしていることもあるのだが、それを知る者はほぼいない。

 さまざまな方向で活躍する特務支援課のメンバー。むしろ特務支援課として活動する意味があるのかと問われることもあるのだが、日々の事件の中から大きな事件を引きずり出すこともあるために警察本部でも特務支援課を積極的に潰すことは出来なくなってきていた。

 そんなある日のことだった。警備隊の副司令ソーニャ・ベルツから依頼が来たのである。断るという選択肢は主にランディのせいでなかった。ただ、その情報については疑問な点がとても多かったのである。

 まず、被害の発生場所。被害を受けたのはアルモリカ村と聖ウルスラ医科大学、そしてマインツ鉱山町である。アルモリカ村とマインツだけならばまだ分からなくもない。マインツはクロスベル市から北北西にあり、アルモリカ村は北北東だ。魔獣の生息範囲として有り得ない立地ではない。しかし、聖ウルスラ医科大学は別だ。聖ウルスラ大学はクロスベル市から南南西にあるのだ。単一の魔獣の生息範囲という意味においては広すぎて有り得ないと言っていい。

 だからといって別の魔獣がそれぞれ襲撃したにしては証言がおかしいのだ。この三つの地点が受けた被害も不自然だが、それらが単一の狼型魔獣によって引き起こされたというのがおかしい。アルモリカ村では農作物の被害だけにとどまっているのに対し、それ以外の二者は人的被害まで出ているのだ。どういった差異があるのかを改めて調査しなければならない。

 ロイドはこの調査を全員で行うものにすると決めた。ついでに支援要請も確認してそれらをこなし終えたら向かうことにし、お互いに役割分担をする。本日の支援要請は図書館より延滞本の回収、ベーカリー《モルジュ》より食材集め、そしてIBCよりセピスを利用した新サービスの運用協力だった。

 それを見たロイドは皆にこう告げる。

「じゃあ、延滞本の回収には俺とティオで。食材はランディが聞いて一人で行けそうだったら調達を始めておいてくれ。IBCはエリィとアルに頼む」

 それに皆が良い返事を返してこの日も始まった。延滞本の回収に関してはロイドとティオが分担してクロスベル市内を駆け巡る。ランディはロイドの幼馴染オスカーから必要な食材を聞いて魔獣狩りに出かけていた。そして、アルシェムはエリィと共にIBCに向かう。どういう内容かは分からないが、それぞれのセピスを千くらい持って行っておけばいいだろうとアルシェムは判断して所持していた。

 IBCに辿り着いたアルシェム達は受付にいたランフィという女性に話しかけ――その際エリィと知り合いであるそぶりを、そしてマリアベルなる人物がエリィとも知り合いであることを漏らした――、支援要請をこなすことにした。

 もっとも――

「じゃ、お願いします」

「え、こ、こんなに……?」

 アルシェムとランフィの温度の違いは酷かったが。あくまで実験的にやる予定だったランフィはいきなりそれぞれの属性のセピスを千ずつ扱うことになるとは思っていなかったのである。そのことで多少は混乱したものの、それ以外はほぼスムーズに換金が完了した。これで依頼は完了である。ただ、アルシェムとしては疑問も残る。何故銀行がセピスを扱うのか、という点だ。後で換金はするのだろうが、そうでないなら何に使っているのかわかったものではない。

 不信感を覚えつつもアルシェムはエリィを連れてIBCを後にした。合流場所はロイドと連絡を取ったことで図書館前に決まり、アルシェム達が一番乗りでランディが遅れて合流、そしてあとは返却するだけだったロイドとティオが合流して全員が集合した。

 全員が揃ったところでアルモリカ村へ向かうべく東通りから街道に出たは良いのだが、目の前でバスに行かれてしまった。アルシェムにとっては何ら問題はないのだが、体力のなさそうなエリィだけが心配である。ティオはあれから多少なりとも鍛えているようなのであまり心配はしていないが、エリィは美容以上に鍛えているということはなさそうなのだ。

 しかし、アルシェムの憂慮はティオによって現実のものとされてしまう。

「仕方ありませんね。歩いて行きましょう。計算上は二時間待つよりも歩いたほうが早く着きます」

「ちょっと待ってティオ、そこそこ体力に自信がある程度じゃー魔獣退治分の疲弊もあるから普通に疲れると思うんだけど」

 アルシェムは慌ててそう返すが、ティオはその言葉に対して魔獣はアルシェムが倒すことが前提であると返した。アルシェムからしてみればただの嫌がらせである。効率は確かに良いのだが、主にエリィが戦闘経験を積めないというのはそれはそれで問題だった。この先、アルシェムがいることによってどんな苦難に巻き込まれるか分かったものではないのだから。

 結局、ロイドの判断を仰いだ結果徒歩でアルモリカ村を目指すことになった。アルシェムが導力銃に持ち替えて魔獣を蹂躙しながら進み始めたのは言うまでもない。たまに出現するすばしっこい魔獣も普通に仕留めているあたり集中力は失っていないようだが、アルシェムは荒れていた。ロイド達もそれを追いながら魔獣を狩っているのだが、到底アルシェムの魔獣狩りのスピードにはついて行けていない。

 セピスの回収に関しては最早堂々とアルシェムが発明品を出したためにする必要はなくなっていた。空属性の広範囲かつ弱体化ダークマターである。イロイロ違うものも集まっては来ていたのだが、それを言うとその場で改良し始める可能性があったのでロイドは何も言わないでおいた。落ちた食材やミラ系はロイド達が拾い集めて進むことになった。

 そんなことをしていたからか、分岐を北に折れた時点でエリィが力尽きた。流石に若干ではあっても戦いつつ進むのはきつかったようである。分岐の先にあった休憩所で一休みしつつ、それでも歩けそうにないエリィはロイドに背負われてアルモリカ村へと向かうことになったのであった。エリィはなかなか恥じらっていたのだが、鈍感なロイドがそれに気付くことはない。

 そして、アルモリカ村に辿り着いた一行は止めてあった導力車を横目で見つつまずは村長から話を聞かせて貰いに行った。そこで得られた情報は、白い毛並みの狼型魔獣が農作物を荒らしたという情報。そして、村長曰くその正体は神狼である可能性があるのではないかという情報だった。ロイドはその情報を得たのち、村民たちからも話を聞く許可を村長から貰っている。

 ここでも村民に一人一人聞いて回るのは骨であるため、分担をして話を聞いて回ることにした。力尽きているエリィは食事処になっている宿屋の一階での聞き込み。村人たちにはロイドとランディ、そしてティオから聞き込みをする。一番魔獣を狩っていて負担が大きかったアルシェムは宿屋の宿泊客から話を聞くことになったのであった。

 アルシェムは何となく嫌な予感を覚えつつ了承し、宿屋の二階に来ていた。宿泊客は二組しかおらず、その内の一人は貿易商だという。まずは嫌な予感のしない方から話を聞いたアルシェムは、もう一つの部屋の前で逡巡していた。

 この嫌な予感は、貿易商が宿泊していると言った時点以前からしていたのだ。厳密に言えばアルモリカ村に入った時点からである。そこに止めてあった導力車が一体誰のものであるのか、アルシェムは嫌というほど知っていた。クロスベルを調査するうえでいやがおうにも調べざるを得ない人物だったのだから。それ以外にも理由は勿論あるのだが、気が重いことに変わりはない。

 だが、話を聞かないわけにはいかない。アルシェムは扉を叩いて中の人物が返事をするのを待った。

「はい、どちら様ですか」

「済みません。少々お話を伺ってもよろしいでしょうか」

 アルシェムの返答は硬い。それでも中にいた男性はアルシェムの言葉を快諾した。そうなれば部屋の中に入らざるを得ない。アルシェムは意を決して部屋の中へと入った。そこで待ち受けている人物が誰であるのかを知っていても。

 そこにいたすみれ色の髪の男性は立ち上がってアルシェムに自己紹介をした。

「初めまして、クロスベルで貿易商を営んでいるハロルド・ヘイワースと申します」

「……初めまして。クロスベル警察特務支援課のアルシェムです。本日はこちらの魔獣被害についてのお話を伺いに来ました」

 厳密に言えば確かに初めましてなのだが、アルシェムはハロルドを見たことがないわけではない。遠目からではあるが、アルシェムは彼らを見たことがあったのだ。ヘイワース夫妻と、その子どもを。レンの居場所を奪った言葉を聞いていた。あれは家族を求めていたレンにとっては残酷な言葉だった。レンの生存を信じていない言葉。いくらでも誤解を生めるような言葉だ。

 ハロルドはアルシェムの問いについて貿易商だからこそ知りうる情報を教えてくれた。聖ウルスラ医科大学では人的被害が出ているという情報だ。だが、アルシェムはそれを真面目に聞くことができていなかった。滅多に取らないメモを取っていたのはそのせいだ。そうしなければ、全てを記憶から消してしまいたくなるかもしれなかったから。

 粗方魔獣被害について話し終えたハロルドはアルシェムの顔色の悪さに気付いた。真っ青というほどではないが血の気が失せている。この件に関して調べているにしてはおかしな反応にハロルドは内心で首をかしげた。

そして――彼の生来からのお人好しの気質がその問いを口にさせた。

「あの、顔色があまりよろしくないようですが……」

「あー……済みません。四年ほど前に奥様と赤ん坊を連れた貴男に似た人が物凄い発言をしたのを思い出してしまって」

 アルシェムの言葉は、ハロルドの顔色をも変えさせた。四年前と言われると、自分が自暴自棄になっていたところから這い上がり始めた時期だ。自暴自棄になって、それでも息子コリンが生まれて再び幸せになろうと妻と誓った時期でもある。それが本当に自分のことで、目の前の彼女を知らぬ間に傷つけていたのかと思うと胸を締め付けられる。

 そう思ったハロルドはアルシェムに問うた。

「四年前、ですか……よろしければ、話してみてください。話すだけで楽になるということもありますから」

 それが、ハロルドにとっての運命の分岐点だったのかもしれない。彼がそこでその事実を知らなければ、運命は変わらなかったのかもしれない。だが、ハロルドは選択した。自らの罪と――自らの後悔と向き合う選択を。文字通り人生を変えてしまった娘のために。それが彼にとっていいことなのか悪いことなのかは空の女神のみが知っていることだろう。

 アルシェムは逡巡する様子を見せたが、やがて話し始めた。

「……四年前のことです。わたしはとある事情でアルテリアにいました」

 アルテリアという文言を聞いたハロルドは眉を動かした。確かに四年前ハロルドは妻と息子を連れてアルテリアに観光に行っていたのである。借金を返し終えて、娘を迎えに行った帰りに赦されたくて立ち寄った国。娘は既に火事で焼け死んでいたらしいと聞かされた時に、どれほど後悔したか分からない。アルテリアの大聖堂で何度赦しを乞うたか分からない。

 彼女は続ける。

「親に棄てられた妹のような子と一緒に買い物をしてたんですけど……その時に、偶然聞いてしまったんです」

 前の子はあんなことになってしまったけれど。昔のことは忘れよう。それが、その子のため。その言葉を羅列したアルシェムは、はっきりとハロルドの顔色が変わるのを見た。やはり後ろめたいことがあったのかと疑いを持ってしまうのも無理はない。アルシェムは人間というモノを根本的に信頼していないのだから、彼らが『前の子』を見捨てるような発言をしていてもおかしくないと思っているのである。

 だが、言葉を続けようとしたアルシェムの声を遮ってハロルドは告げた。

「いいえ……いいえ、私達は、あの子を見捨てたいとは思っていませんでした」

「……どういう意味ですか?」

 アルシェムは冷たい目でハロルドを見ながら先を促した。どんな話が出て来ようとも、アルシェムはそれを利用しようと思っていた。レンを巻き込まないためにクロスベルから追い出す口実にするか、ただの一般人として親元に帰すか。その手段としてこの会話の最初から録音していたのである。捜査ならば違法であるが、これは捜査ではない。個人的な感傷だ。

 ハロルドは続ける。

「娘を信頼できる人のところに預けて……借金を返すために、働いて。借金を返し終わったら迎えに行くつもりだったんです」

「娘さんを置いて行く必要が何処にあったんですか?」

「……余裕がなかったんです。精神的にも……邪魔だった、というわけではありません。今では何があっても一緒にいれば良かったと後悔しています」

 そう。あの時のハロルドには精神的余裕がなかった。娘を連れて逃げることに煩わしさすら感じていた。手のかからない子ではあったものの、自分のことでいっぱいいっぱいだったハロルドには娘の気持ちを考えるだけの余裕がなかった。冷静になって考えれば分かることなのだ。あの時のハロルドの行動は――たとえ守るためであっても――娘を棄てる最低な行為だったのだと。

 アルシェムは追い詰められていくハロルドに追い打ちをかけた。

「じゃー、どうして娘さんがどっかで生きてるって信じてやれなかったの?」

「そんなこと! ……そんなこと、思う権利なんてありません。私は……私達は、私達の都合であの子の手を離してしまったんです。今更生きていてくれだなんて虫のいいことは言えませんよ……」

 ハロルドは娘を見殺しにした。誰が何といおうとそれは事実だ。あの時、ハロルドは自分達が楽になるために娘を預けた。それを否定することは出来ない。言い訳なんて許されるわけがない。そうしてしまったがために娘は死んでしまったのだから。娘を死に至らしめたのは――確かに、ハロルド達なのだ。悔やんでも悔やんでも悔やみきれないが、それが事実。

 アルシェムは涙をにじませ始めたハロルドに更に声をかける。ただし、今回は追い詰めるのではなく一筋の希望を見せるために。

「もし。もし――娘さんが生きていると言ったらどうします?」

「そうですね……もし、そんな虫のいい話が、夢のような話があるのなら……一生をかけて、レンに償おうと思います。赦されなくたっていい。レンが望むなら殺されたって構いません。私達は、それだけのことをレンにしたんです……」

 それを聞いたアルシェムは、ハロルドが本気で後悔しているのだと知った。殺されたっていいだなんて普通の人間は言わない。それだけ悔いているのだと思いたかった。あの時あの場所で、レンを傷つけた報いを今受けているのだと思いたかった。そうでなければどちらも救われない。レンも、ハロルド達も。これほど悔いていてなお、リアルタイムで通じることのない彼らの思いも。

 だからこそ、アルシェムは予定になかったことを聞いた。

「あなたから見た娘さんは――レンは、どんな子ですか?」

 その質問にハロルドは目を見開いた。そして、精いっぱいの笑顔を作って誇らしげに告げる。

 

「優しくて賢い、最高の娘です」

 

 これが親という存在なのか。アルシェムは呆然とそう考えた。レンにしたことを後悔していてなおそう言えるというその性根が信じられなかった。そう思うのならば何故諦めてしまったのか。諦めなければ――見つけられた可能性だって、あったはずなのに。少なくともリベールの異変の時点で見つけられていたはずなのだ。遊撃士協会には『《身喰らう蛇》の《執行者》No.ⅩⅤ《殲滅天使》レン』の存在が記された文書があるのだから。

 アルシェムは声を震わせて話を聞かせてくれたことへの感謝を告げ、部屋を辞した。ハロルドは胸の痛みを押さえながらアルシェムを見送ったのだった。



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期待の新星

 旧163話~164話半ばまでのリメイクです。


 アルモリカ村での調査を終えたのち、ロイドと合流したアルシェムはしかし一緒にクロスベル市へと戻ることはなかった。というのも、再び巡り合わせが悪くバスがすぐには来ないタイミングで調査を終えてしまって、なおかつその場でハロルドから声を掛けられてしまったからだ。先ほどの会話でお互いに顔を合わせたくなかった二人は、アルシェムが街道を爆走するという方法で事なきを得ることになる。――もっとも、それを見ていたロイド達は唖然としていたのだが。

 その次の日に赴くことになった場所は、聖ウルスラ医科大学だった。何となく嫌な予感を覚えつつ目を醒ましたアルシェムは余裕のなさを見せないようにいかにも普通に振る舞っている。嫌な予感、もとい気配は遊撃士協会の方から発されているため、アルシェムは恐らくエステル達が到着したのだと判断している。隠れ潜んでいたい、という願望は無論叶えられるわけもなく新たに出されていた支援要請を確認した。

 本日の支援要請は臨検官補佐の募集だけであった。それに五人もぞろぞろついて行っては邪魔だろうという判断と子供がいた場合普通に泣かれる自信があったアルシェムは、市街を回って何か起きていないかどうかを調べて回ることになった。警邏という名のさぼりのように感じるかもしれないが、普段と変わったことがあればすぐに知ることができるという点では間違ってはいない。

 支援課ビルでロイド達を見送ったアルシェムは、すぐさま東通りに近づかない方向で巡回を始めた。こんな街中でエステル達に鉢合わせすれば大変なことになる。最悪切りかかってくる可能性がある以上は接触は控えた方が良いだろうという判断だ。正直に言って、アルシェムはまだエステル達の堪忍袋の緒の切れやすさを過信していなかったのである。

 そして、一番最初に出会った事件は――

「どったの? 子猫なんか抱えて」

「あ……お姉さん」

 リュウとアンリが抱えていた子猫の飼い主を捜すという何とも微笑ましい事件だった。事情を聴くと、この子猫は住宅街から歩いてきたらしい。ついでに大人にはあまり近づこうとしないと。住宅街でリュウ達と同い年くらいの子供のいる家と言われるとあの家かもう一つの家に限られる。そうアルシェムは判断した。このままおいておいても良いことにはならないため、取り敢えず子猫を元の場所に戻すべきだろう。

 アルシェムは潰さないように子猫を抱えようとして、力加減を間違えて引っかかれた。

「ふにゃあああっ!」

「わー! ご、ゴメンって力加減難しいんだってだから暴れたら潰れるってばー!」

 わたわたと格闘し、イロイロと引っかかれながら最終的に出した結論は野宿用の鍋の中に入れて運ぶという方法だった。これならば引っかかれる心配も潰す心配もない。もっとも、その鍋が使えなくなるということだけが難点なのだが。鍋如きが使えなくなったとしてもいずれすぐ買えるという判断でもあるが、最悪の場合は綺麗に洗浄して再利用するつもりであった。

 鍋入り子猫を抱えつつ、アルシェムはあの家ことヘイワース家に突撃して棒読みで猫を飼っていないことを聞きだして早々にもう一つの家へと向かった。

「すみませーん」

「はい……あらあら、可愛らしい子猫ね」

「ええ、小さなお子さんと触れ合っていたと思しき子猫なんですが……どこの子猫か心当たりがないかとお嬢さんに伺いたいのですがよろしいでしょうか」

 そのタイミングでにゃーん、と鳴いた子猫の声に二階からこちらを窺っていた少女が反応した。ぴょん、と跳び上がり、次いで顔を真っ青にしてアルシェムに飛び掛かってくる少女。どうやら子猫の入った鍋ごと奪取しようとしているようである。物凄く必死に飛び掛かってこようとする少女だったが、アルシェムにしてみればそれこそ子猫がじゃれて来ているようなもの。簡単にあしらうことができる。

 一通り暴れ終わって息の切れた少女――サニータという名らしい――は、アルシェムに向かって告げた。

「ね、猫ちゃん食べちゃダメーっ! サニータの猫ちゃんなの! 食べたらダメ!」

「え……」

「いや、普通に抱えたら潰しそうだからこう鍋に入れただけなんだけど……」

 ダメったらダメー、とアルシェムにぴょんぴょん飛び掛かるサニータに母親はこの子猫を可愛がっていたのは自らの娘だと理解したようである。そう言えば夫が書類がダメになっていたと騒いでいたことを覚えていた母親はアルシェムから子猫を預かると、家族会議を開くと宣言して笑顔で二階へと上がって行った。この先は関わるべきではないだろう。そう判断したアルシェムはその家から脱出する。

 そして、一通り他の場所も回りつつロイド達の支援要請が終わるのを待つ。大して異変は起こってはいなかったものの、嫌がらせ程度にセピスの返金をしておいても損はないだろうと判断したアルシェムはIBCで換金を終えてクロスベル駅へと向かった。駅について程なくしてロイド達が現れ、他に支援要請が出ていないことを確認してウルスラ間道へと出る。すると――

「何でこんなに混んでるのかしら……」

 バス停が異常に混んでいた。ロイド達が話を聞いて回ると、どうやら遅れているらしい。ロイドが市庁舎に連絡を入れると、もう既に聖ウルスラ医科大学からは発車しているようで、どこかで止まっている可能性があるとのことだ。聖ウルスラ医科大学から見てもバスが止まっている様子は見えないため、少々は進んでいるらしいことが分かった。

 また歩くの、とげんなりした様子のエリィを励ましつつ、ロイド達は先を急いだ。エンジントラブルで止まっているのか魔獣に襲われているのかわからないからだ。エンジントラブルであっても、魔獣からの襲撃に遭っていたとしても、どちらにせよ救援は必要である。一応魔獣に襲われているという最悪の想定をしつつ避難のために途中の魔獣を一掃してロイド達は進む。

 そして、ウルスラ間道の中ほどまで来た時だった。

「――ティオ、先導よろしく!」

「分かりました、すぐに追いつきます!」

 唐突にアルシェムがそう叫んで駆け出した。多数の魔獣の気配を感じ取ったのだ。それと同時に、多数の人間の気配も。既にアルシェムは片方の導力銃をしまっていた。道を切り開いて魔獣を潰すのならば、導力銃では間に合わない可能性があるからだ。現に見えているバスは大型魔獣に取り囲まれていた。優先順位を一つでも間違った瞬間に乗客は死ぬ。

故に、アルシェムは――

「カーテン閉めて!」

 叫びながら跳躍。魔獣とバスの間に入り込んだ。右手にはそのまま握られた導力銃。そして、左手には持ち替えた剣が握られていた。カーテンを閉めるよう促したのは恐怖でパニックになるのを避けるためだ。アルシェムが今からすることは――殺戮なのだから。カーテン、と叫んだのはカーテンが窓から見えたからだ。そうでなければ顔を伏せろと怒鳴っていただろう。

 導力銃で牽制を加えつつ大型魔獣の首を狩り始めたアルシェムを見て、乗客たちは恐怖で息をつめながらカーテンを閉めた。少々聞いてはいけない音――胃から物体が逆流している音である――も交じっているようだがアルシェムにそこまで気にしている余裕はない。何故なら、本格的に大型魔獣が襲い掛かってきているからだ。それも、波状攻撃とも呼べる形で。

 そこで駆け付けて来たロイド達に向かってアルシェムが叫ぶ。

「ランディ、ロイド、ティオ! バスの裏面! エリィはバスの中、急いで!」

 それを聞いたロイド達は迅速に動いた。エリィはバスの中に駆け込んで――といっても力尽き掛けだったが――ドアの前に立ち、導力銃を構えた。ランディ、ロイド、ティオがバスの街道に面していない側に移動して森からの奇襲に備える。油断は出来ない。先ほどから見えている大型魔獣は、気の抜けるような貧弱な魔獣などではないのだから。

 そして、瞬く間に乱戦状態となった。最初、エリィはアルシェムの補助をしていたのだが、ロイド達の戦線の方が崩壊しそうだと思ったアルシェムによってバスの中からの援護に切り替えさせられた。大型魔獣を食い止めつつティオのアーツで仕留めていくロイド達も手一杯で、それぞれが最善を尽くすべく動くしかない。ロイドがティオを守り、ランディが遊撃で魔獣を撹乱し、ロイドに対応しきれない魔獣をエリィが撃ち、そしてティオがしとめる。じりじりと押され、ほとんど余裕はなくなっていく。

 故に、それは必然だった。アルシェムもまた――もう二度とやらない、と心に誓った行為に出る羽目になるのは。勝手に右手が導力銃を棄て、背中から剣を抜いている。そう、それはまさに――《首狩り》。特に、今急速に近づいてくる人たちの前ではやらないと誓っていた禁忌の技。殺すために使う、効率のあまりよろしくないはずの文字通り必殺技。

 思うように動かない自らの身体に殺意を覚え、アルシェムはそれをそのまま放射する。歯を食いしばり、唇を噛みちぎって――

「――ッ!」

 声にならない声を迸らせて、大型魔獣の首を一瞬のうちに全て落とした。一度で切れないはずの分厚い脂肪もいとも簡単に斬り裂いたその剣は、反射的に飛び込んできていた影にも向いてしまう。その数瞬早く飛び込んできていた人物は狙いが全てセピスと化したことに気付いて愕然とし、次いで宙に浮いたままの身体をひねってそのままアルシェムに襲い掛かってしまった。

「な……」

「このタイミングでエステルはないわー」

 大きく溜息をついたアルシェムは、驚愕に目を見開きながら飛び込んできた女性に間違っても剣が触れないように手放してその棒術具を素手で受け止めた。そしてその勢いを利用して彼女の陰から突入してきていた青年に向けて投げ飛ばす。しかし、牽制のために利用した女性は青年を止めるに至らない。青年は女性を受け止めると、彼女を自立させてそのままアルシェムに双剣を突き付けた。

 青年――ヨシュアは、厳しい顔で告げる。

「動かないで貰えるかな」

「……動いたら斬るって? だからどーしたってーのさ。今はそれどころじゃないしまた後でね」

 アルシェムは何ら顔色を変えることなく背後に向けて跳んだ。それにヨシュアは追随しようとしたが、その跳躍で彼女は何とバスの中まで踏み入れてしまっていたのである。これでは聞きたいことも聞き出せない。ヨシュアがアルシェムに聞くべきことは、一般人には聞かせられないことばかりなのだから。無理やり引きずり出しても良いが、その場合後々の説明が面倒なことになりかねなかった。

 バスの中に踏み入れたアルシェムは運転手に向けて声を掛けた。

「ね、運転手さん。ちょっとオーバルエンジン見て良いですか?」

「あ、えっと……」

「ツァイスに一年留学してたことあるから調子くらいは見れますし」

 アルシェムの声に慌てた様子でバスから飛び出した――既に魔獣は一掃されているため安全である――運転手は、バスのボンネットを開けるとオーバルエンジンの様子を見始める。それを横から覗きこんだアルシェムはこれなら直せると判断して手を出した。瞬く間に不具合が直されていく配線を見つつ運転手は安堵の声を上げている。

 その様子を見て険しい顔をしているのがヨシュア達である。何故アルシェムがここにいて普通に過ごしているのか。それが全く分からなかったからだ。もしかすると女性――エステルの目的と同じなのかもしれないと思ったのだが、それだけでここにいられるような立場の人間ではないはずなのだ。何故なら彼女は星杯騎士。表に出ることのない闇の仕事人であるのだから。

 だが、彼女は現に今ここにいる。その理由を何としても探り出さなければならないというのにそれをすることはままならないのだ。ここにはほかの人間がいる。それに――アルシェムの胸に光っていたのは、星杯の紋章でも遊撃士の紋章でもない別のバッジだったからだ。つまり、どこかの機関に重複して所属しているということ。それがどこなのかを探る方が先決かも知れない。

 そう判断したヨシュアは、バスの裏にいる人物たちに声を掛けた。

「あの、そっちは大丈夫でしたか?」

「え、あ、ああ……遊撃士、ですよね?」

 茶髪の青年――ロイドがそう返してきて。その場にいるメンツにヨシュアが固まった。ヨシュア達も色々と調べてからクロスベルに足を踏み入れているのだ。特に市長の孫娘と赤毛の男が一緒にいる理由が全く以て理解出来ない。何故市長の孫娘とあの《闘神の息子》が共に存在するのか、ヨシュアには全く以て理解出来なかった。遊撃士協会の受付ミシェルからは驚くわよ、としか言われていなかったのだ。流石にこの事態は想定していなかった。

 と、そこで茶髪の青年の背後からひょっこりと見知った顔を出してきた少女がいた。

「――何だ、エステルさん達じゃないですか。あの娘を追いかけて来たんですか?」

「て、ティオちゃん……? 何でここに」

「特務支援課の職務の一環です。エステルさん達はどうしてここに?」

 冷静にそう応えたティオに、エステルは市庁舎からの依頼を受けたことを説明した。どうやらまだ完全に信頼されてはいないらしいとティオは感じた。むしろそんな感情が視えたという方が正しいのだが、今は触れないでおく。ああ、なるほど、とつぶやいたティオはただ淡々とその場にいる人物たちを紹介した。この状況を説明する必要性を感じたからだ。

「えっと、こちら特務支援課のリーダー、ロイド・バニングス捜査官です。あちらの男性はランディ・オルランド。それとエリィ・マクダエルと――まあ、あとは知ってますよね。今は同僚として働いています」

「えっと、アルも?」

「はい、アルもです」

 ティオの答えを聞いたエステル達は物凄く微妙な顔をした。つまり、アルシェムは遊撃士ではなく警察官であるということだ。ある意味物凄く似合わない職である。いくら星杯騎士の任務である可能性が高いとはいえ、警備隊員や遊撃士になるという選択肢は本当になかったのだろうかと思えるくらいだ。アルシェムが正義を語るところなど、エステル達は見たことがなかった。

 と、そこに全く話の分かっていないロイドがティオに問う。

「ええっと……ティオ、そちらは?」

「ああ、そう言えばそうですよね。こちら、B級遊撃士のエステル・ブライトさんと同じくB級遊撃士のヨシュア・ブライトさんです。ちょっとしたことでお知り合いになりまして……」

「は、はあ……」

 因みにロイドさんよりも年下です、とティオが宣言した瞬間ロイドとランディはあからさまに驚愕していた。まさかこんなに若いのにB級遊撃士にまで上り詰めているとは思わなかったのだ。エステル達自身が普通に出会った人物に言っても信じて貰えないのだから仕方のないことだろう。遊撃士資格を持てるのは満十六歳から。そして、彼らの年齢は少なくとも十七歳。異例のスピードでランクが上がったと言っても限度があるだろう。

 と、そんな会話をしているところでバスのエンジンがかかった。どうやら直ったらしい。エリィだけは物欲しそうな目でそのバスを見送っていった。逆方向に向かう――忘れてはいけないが、本日のロイド達の目的地は聖ウルスラ医科大学である――バスに乗ったところでここまでの行程が無意味になるだけである。その様子を苦笑しながらアルシェムが見ていた。

 そんなアルシェムを見てエステルが詰め寄った。

「ちょっとアル! なんっっで、こんなところにいるのよぅ!」

「別にどこにいたってわたしの勝手でしょーが。あんたにわたしの行動を縛る権利はないね」

「むぐっ……そうだけど!」

 きゃんきゃんと騒ぎ立てるエステルに、アルシェムはあくまでも冷淡に返答する。エステルが熱くなればなるほどにアルシェムの感情は冷えて行った。こんな場所でエステル達に再会したくはなかったのだ。もっと落ち着いた場所で、落ち着いて会話ができる状況であればもう少し柔らかい対応をしただろう。もっとも、クロスベルにいる目的を語ることだけはしなかっただろうが。

 ほぼ一方的な言い争いをするエステル達を唖然とした表情で見ていたロイドは、ふと我に返ってヨシュアに問うた。

「えっとあの……ヨシュア君。アルとエステルさんって……」

「呼び捨てで構いませんよ。僕達の方が年下なので」

「あ、ああ……」

 ニコリと一部の隙もない営業スマイルで応えられたロイドは狼狽していた。そういうケがあるわけではないのだが、ある意味怖気が走ったと言えば良いのだろうか。ロイドのその感覚が当たっていることは、全力でヨシュアから目を逸らしているティオが証明していた。ティオには視えていたのだ。笑顔の裏で怒り狂っているヨシュアの感情が。

 ヨシュアは表情を崩さないままロイドの問いに答えた。

「家族ですよ。もっとも、アルに言わせれば『元家族』だそうですが」

 コイツコワい。ロイド達はヨシュアに本能的に恐怖を覚えた。そして、何があってもヨシュアを怒らせないようにしようと誓った。先ほどのアルシェムへの所業を見ていないとはいえ、怒らせると何をされるか分からないからだ。

 アルシェムとエステルがきゃんきゃん喧嘩しながらじりじりと進み始めたことによって、一行は聖ウルスラ医科大学へと移動を始めた。途中の魔獣はエステルやヨシュア、アルシェムの八つ当たりによって一掃されていくのだが、ロイド達はそれに介入する暇もなかったそうな。



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聖ウルスラ医大での聴取

 旧164話半ば~165話のリメイクです。


 聖ウルスラ医科大学に辿り着いたロイド達は、エステル達と別れて病院内の受付まで来ていた。ロイドがそこでナースを一人呼び出していたのだ。そのナースさえいればある程度事情は了承してくれるだろうし本人への事情聴取もスムーズにできると判断したため、ロイドは彼女――セシル・ノイエスに渡りをつけた。

 受付で多少訝しがられたものの、本人の登場によって受付担当の疑問は解消されたようである。もっとも、彼女がロイドに抱き着いたことで新たな疑惑――ロイドがセシルの恋人ではないかという疑惑だ――が浮かび上がってしまっていたが。実際は全くそんなこともなく、セシル・ノイエスという女性はロイドの兄ガイ・バニングスの婚約者だった女性である。後でセシルは勘違いを解くために奔走することになるだろう。

 にわかに騒がしくなった待合室から、患者への負担を考えてセシルは皆を休憩所へと案内した。あのまま騒いで興奮しては身体に障る患者も出てくるだろうという判断だ。そこでロイドが一通りの事情を話し終えると、セシルは看護師長に話を通すべく断りを入れて去って行った。

 それを見送って胸に手を当て、一言漏らすエリィ。

「……負けたわ」

「ねーエリィさんや、ケンカ売ってる?」

 アルシェムは敢えて下を見ないようにしてそう返した。下を見れば綺麗に地面が見えるだろう。遮る胸などほぼないのだから。ただしティオは胸当てがあるのでそんなことはないだろう。中身のサイズがどうなっているかどうかはアルシェムも知らないことであったが。もっとも、もしもアルシェムがティオの胸の大きさを知っていたとすれば絶望していたに違いない。齢十四の少女に完全に負けているのだから。

 それはさておき、ギリギリと歯ぎしりの音が響く方を見てみれば、ランディが悔しがりながらぼやいている。

「くそぅ……羨ましすぎるぜロイドォ……! あんな美人なお姉さんとお知り合いだと……? 不公平だろ……」

「ええっと……し、知り合いというか、兄貴の婚約者だった人だから……な?」

 ロイドの困惑したような答えにランディは一瞬だけ眉を寄せたが、敢えて深刻な空気にするよりも茶化して終わることにしたようだ。ロイドの頭をぐりぐり撫でながら羨ましいなコンチクショーとしきりにぼやいていた。

 そんなことをしているうちにセシルが戻ってきた。どうやら許可が下りたらしい。セシルは一行を先導して魔獣に襲撃されたというリットンの病室へと案内されていった。アルシェムは何となく嫌な予感が続いていることに眉を寄せているのだが、それに誰かが気付いた様子はなかった。

 セシルが立ち止まってこの病室にリットンがいることを告げると、アルシェムは顔をひきつらせた。カーテンですら遮られていない病室の中に、この場所での最有力容疑者がいたからだ。その男はリットンを診察していて、何ら変わったところのない普通の男に見えないこともない。

 だが、彼は普通の男ではない。アルシェムは知っている。識っているし、知っている。聞こえる声にも覚えがある。あの時と何ら変わりのない声と、顔と、雰囲気。あの口が地獄行きを告げ、あの手が運命を加速させ、あの雰囲気で以て煉獄の主となっていた。忘れるはずがない。忘れていてはならない。忘れてしまっては、何のために――アルシェムは。

 何故ここにいる。何故そこにいる。何故生きている。何故、そこで一般人のように笑っていられる。その裏に何人の犠牲があったのか、本当に理解しているのか。平凡な人間の振りをしてそこに居座っていられるのか。何人が彼を恨みながら死んでいったと思っているのか。あの苦しみを与えた貴様が、そこで平然とのうのうと生きているのは何故だ。

 アルシェムがそこまで考えた時だった。ティオがアルシェムに声をかけて来たのは。

「……アル?」

 その一言だけで良かった。ティオは純粋にアルシェムを心配している。それが分かったから、アルシェムは冷静になれたのだ。ティオには悟らせてはならない。異変を告げるべきではない。今この時に、ティオがそれを知っているはずがないのだから。

 故に、アルシェムはティオの声を無視してロイドに声を掛けた。

「ロイド、ちょっと先に屋上見て来るよ。こんなぞろぞろ行く理由もないしね」

「え……あ、ああ……」

 ロイドは困惑したようだったが、アルシェムの言葉に納得したように送り出した。少々様子がおかしいと思ったのはあるのだが、今はリットンから話を聞くのを先にすべきだと判断したのだ。アルシェムとはあとでも話せるのだから。話してくれるかどうかも分からないが、もし話せないようなことなら時間をかけて聞き出せばいいと思っていた。

 故に、アルシェムは一人で屋上に赴いた。エリィとランディ、そしてティオは気づいていてアルシェムを放置した。ティオに関しては触れてはならないことをわかっていたからだが、エリィは何となく追えないと思っていたからであり、ランディは野生のカンで一人にした方がいいと思ったからだ。その気遣いがありがたいとアルシェムが思ったかどうかは別であるが。

 とにかく、屋上に上がってしなければならないことは精神を落ち着けることだった。大きく息を吸いこみ、吐き出す。吐くときに体が震えていることに気付いて深呼吸を繰り返す。心拍数を押さえて、平静を保てるレベルまで落ち着いて。そこからアルシェムは屋上を調査し始めた。

 傷の位置と、襲われた位置。そして、どう考えれば一番合理的に説明できるのか。それを考えつつ、黒い獣の毛を回収してアルシェムは一つの結論に至った。襲われた位置に魔獣が到達するために、どのルートを使えば良いかを考えれば普通に分かることなのだ。獣の毛はそもそも鳥型魔獣ではなく四足歩行の獣の特徴を持っている。つまり、魔獣は地面からやってきたはずで――敢えて頭上から投下されたとは言わない――、そのために必要な踏み台となる場所に傷も足跡もなかったのだ。

 アルシェムは無表情で言葉を漏らす。

「新興の猟兵団か、魔獣を使役する必要のある組織――ま、この場合だと《ルバーチェ》かな」

「こないだの人員補充が出来なかったからってか?」

 アルシェムは唐突に聞こえたその声に内心で飛び上がった。どうやら完全に平静にはなり切れていなかったらしい。アルシェムの間合いの外に立っていたのは、ランディだった。ランディが間合いの中に入っていないのは簡単なことだ。何故か殺気立っているアルシェムに近づくだけで斬られかねないと判断したから。故に、ランディはアルシェムと目を合わせてから彼女に近づいた。

 しかし、アルシェムは渋面を作ってランディに告げる。

「あ、ごめん今近づかないでねー。ランディみたいなむさい男に近づかれたらちょっと何するか分かんない」

「そ、そうか……あー、で、何か分かったか?」

 アルシェムの言葉に狼狽した様子のランディは、しかしすぐに切り替えてアルシェムにそう問うた。アルシェムはランディに調査の結果分かったことを告げる。魔獣が入り込んだのは――駐車場の方からなのだと。もし看護師長にでも話を聞いて大きめの車が止まっていたと言われれば完璧だ。それが《ルバーチェ》ならばほぼ間違いないだろう。

 ランディもその目で物証を確認して頷いた。ついでに恐らく新興の猟兵団ではないことも確認――もとい、わざわざこの場所で実験する意味が分からない――出来たために容疑者はほぼ《ルバーチェ》に絞られたのである。後は物証を一つ一つ固めていくだけだ。

 そう判断したアルシェムはランディに先導して貰って建物の中に戻った。すると――

「あら、どうだった? ランディ」

「ああ、イロイロ興味深いことが分かったぜ。そっちはどうだった?」

「後で話そう」

 ロイドも何かしらつかみかけているようで、ランディにそう返した。そして病室の扉を叩く。いきなり何を始めているのかと思いきや、セシルがそこにいるらしい。普通は病人が誰かも分からない時点で声をかけるのすら躊躇うと思うのだが、ロイドは躊躇しなかった。セシルが返事をすると、病室の中に入ってしまったのだ。

 調査の経過と対策を練ろうと思っていることをセシルに告げると、セシルは頷いてベッドに座っている少女に向けて謝罪した。

「ごめんね、シズクちゃん。私このお兄さんたちとお話があるの」

「いえ、お気になさらないで下さい。それよりも、そのお兄さんたちって……?」

 ロイド達はそのシズクと呼ばれた少女が目を閉じたまま自分達の方に顔を向けているのを見て訝しんだ。何故目を開けないのか――否、ここにいる理由を考えれば分かることだ。目が見えないのだろう。見えないのか、見ようとしないのかは分からないが。

 セシルが目線で促してきたというのもあるのだが、誰何されて答えないというのも警察としてどうかとも思うのでロイドは特務支援課の一同をシズクに紹介した。

「俺は特務支援課所属のロイドっていうんだ。こっちは同僚のランディにエリィ、ティオ、それとアルシェム。よろしくな」

「貴男方が……えっと、いつも父がお世話になっています。シズク・マクレインです」

 その言葉を聞いてエリィは驚愕した。何となくそんな気がしていたティオと入口の患者名の記されたプレートを見ていた他の面々はやはりそうなのかと思っていたのだが。ただ、こんな良い子があのアリオスの娘だとは信じられない様子だった。

 少々シズクと談笑した一同は、セシルがシズクから引き出した情報――リットンが魔獣に襲撃された際に聞いた謎の甲高い音のことだ――を聞いて病室を辞した。そして、一応ナースたちからも話を聞くべくナースステーションへと向かう。

 すると、そこにいた女性――看護師長が特務支援課のメンバーを見て瞠目し、声を押さえて叫ぶという器用なことをした。

「あんた……ティオちゃんじゃないかい!?」

「……ごぶさたしています、マーサ師長さん」

「ああ、やっぱり! こんなに美人さんになって……っと、ごめん。話があるんだね?」

 ティオは首肯すると、立ち話では出来ない話をするので奥に通して貰えるように頼んだ。看護師長は面識のある人物がいるからか、快く奥へと通してくれる。ナース用の休憩所のような場所で、セシルが淹れてくれたコーヒーを飲みながらロイドは看護師長から話を聞いた。

 その最中で口を挟むようにアルシェムが問う。

「ちょっと聞いて良いですか? ……最近、もっと言えばリットンさんが襲撃された日。《ルバーチェ》が大型トラックででも訪ねて来てません?」

 看護師長はその言葉に瞠目した。それが答えだ。これで《ルバーチェ》ではなく別の組織であればもっと事件は複雑になっていただろうが、今回はある意味わかりやすい。足りない人員の代わりに魔獣を使おうとしているだけなのだから。

「その顔だけで十分です。……ロイド、他に何か気になることは?」

「ないとは言わないけど……そうだ、魔獣がもう一回侵入しないように対策は出来そうだったのか?」

「あー、屋上のフェンスを追加すれば問題ないかな。フェンスのある場所にもう数アージュ程の高さのある奴を」

 どこ、とは敢えてアルシェムは指定しない。病院の裏にトラックを持って行けば魔獣が侵入することなど容易なのだから。そういう意味では、フェンスもあまり意味がないのだがそれは言ってはいけない。全てにおいて完璧などという言葉は有り得ないのだから。

 その後、ロイド達は《ルバーチェ》との取引に注意を喚起して聖ウルスラ医科大学を後にした。今回はバスに乗れたので帰りは楽だったのだが、一同の顔は冴えない。この間から続く《ルバーチェ》の暗躍に何か危ないことが起きるのではないかという懸念がぬぐいきれないのだ。この先確かにそういうことは起こるだろうが、今心配しても何も出来ないと分かっているアルシェムは別のことで顔を曇らせていたのだが。

 バスから降り、支援課ビルへと戻った一行は報告のためにセルゲイの部屋を訪ねた。経過報告という形にはなるが、最終報告ではない。まだマインツ鉱山町には出かけていないからだ。

 事情を一通り聞き終えたセルゲイは煙草の煙を吐き出しながら口の端を上げて言葉を零す。

「そうか……にしても、歩いて行くなんて遊撃士の真似でもしてるのかと思ってたが、偶然とはな」

「え……」

 セルゲイの言葉にロイドは瞠目した。その言葉の裏を返せば、遊撃士はいつでも街道を歩いているということになるからだ。あの距離をいつも歩いて行っているというのもそれはそれで時間ロスな気もしないではないのだが、それ以外に何か有益な理由があるのだろうか。

 ロイドの疑問には、そのままセルゲイが答えた。ただし、何か揶揄するような色が含まれていたのは否めない。

「自分が守るべき場所は自分の目で確かめる、だったか? アルシェム」

「……カシウス・ブライトの格言ですね。今日会ったイチャラブバカップル……ごほん、遊撃士たちの父親の」

 アルシェムはしれっとそう答える。ここでそう告げるということは、セルゲイはアルシェムがかつて準遊撃士でリベールにいたことを知っているもしくは調べたのだろう。調べることについて何かしら言うつもりはないが、今ここで明かすことでもない。

 だが、セルゲイは更に爆弾を投下する。

「バカップルとは言うが、凄腕なんだろう? お前も一緒にリベールの異変の解決に大いに貢献したんだろうに」

「ええっ!?」

 セルゲイの言葉に、一気にアルシェムに視線が集まった。クロスベル出身ではなさそうだったが、まさかリベールから来ていたとは思いもしなかったのだ。しかも、先日の《リベールの異変》に関わっていたとは思えなかった。確かに遊撃士だったらしいという情報はあったが、《異変》に関われるほどの立ち位置だったとは思いもしなかった。

 一同の驚愕にアルシェムは嘆息して応える。

「一緒にしないで貰えません? 五割がエステル、二割がヨシュア、後の三割はエステルを核に集まってきた遊撃士その他の功績なんでわたしは別に関係ねーです」

「関係ないというわけではないだろう? ……その時に遊撃士を辞めてたんだとしても、な」

 セルゲイの視線が何かを探るような視線に変わる。アルシェムは目を細めてその視線を真っ向から受け止めた。周囲に広がる緊張感。今不用意に言葉を発すれば何かが台無しになってしまうという妙な緊張感の中。最初に動いたのは、やはりアルシェムだった――ただし、緊張感をさらに高めるという方向にだが。

「あんまり首突っ込むと次の日には死体になってるかもね、セルゲイ・ロゥ。ただし下手人はわたしじゃないだろうけど」

「脅迫のつもりか?」

「いんや、ただ事実を言ってるだけだよ。藪を突いて蛇を出すどころの話じゃなくなるって意味ではね」

 セルゲイとアルシェムの視線がぶつかり合って、緊張感が最大まで高まろうとして――ふと、それが途切れた。途切れさせたのはセルゲイの方だ。それに気付いたアルシェムも半ば無意識に出てしまっていた殺気をおさめる。

 だが、その痕跡を残すつもりはあるようでセルゲイはアルシェムに告げた。

「後で話がある」

「あーはいはい。話せるとこまでならね。あとロイド達の同席も無しで」

 それでおおむね合意できたため、その場はお開きとなった。実に微妙な空気の中でとる夕食はあまり良いものではなかったのだが、これもまた必要なことだ。最終的には和解できるだろうという根拠のない自信からロイドは雰囲気を取り繕おうと奮闘するのだった。

 そして、深夜――ロイド達が寝静まった頃。アルシェムはセルゲイの部屋の扉を叩いていた。彼が起きていることは気配だけで分かったし、待たれているというのもまた理解していたからだ。セルゲイは昼間の格好のまま待ち受けており、アルシェムには見せなかったがショットガンを帯銃していた。

 話を切りだしたのはセルゲイだった。

「それで、確認だが……お前、今も《身喰らう蛇》に所属しているのか?」

「してないよ。今後必要があれば戻るかも知れないけど、多分そんなことは起きないと思う。犯罪組織に所属してないとできないことなんてもうないしね」

 実にあっさりと応えたアルシェムだったが、内心ではホッとしていた。セルゲイが《星杯騎士》まで辿り着いていたならば抹殺もしくは記憶の抹消もあり得るからだ。この場で記憶の抹消が出来ない以上、抹殺の可能性が出てくるというのは頂けない。しかも状況がアルシェムが犯人だと語っているようなものだ。故に、セルゲイの問いはある意味都合がよかったのだ。

 だが、本題はそこではなかった。セルゲイはもう一つの問いにこそ答えてほしかったのだ。

「もう一つだ。お前とは、今年会ったのが初対面か?」

「……多分ね。ま、一回記憶ぶっ飛んでるから保証はしないけど」

 セルゲイが確信したかったのは、アルシェムがあの時――ティオを救出した時に出会った仮面の少女《銀の吹雪》と同一人物なのかどうかだ。もし同一人物ならば伝言を預かっている。それも、もうすでにこの世にいない人間からの。

 だが、アルシェムはそれを肯定しなかった。何故ならば今後の行動に制約が加えられそうだからだ。特に彼らからどう思われているのか判然としない今では。元執行者だとは知られていても問題ないが、その時にやらかしたことを知られるわけにはいかない。

 その後、話が続かなかったのでアルシェムはセルゲイの前から辞した。これ以上追及されても後が面倒だと思ったからだ。何となくもやもやした気分を感じつつもアルシェムは眠りにつくのだった。

 

 ❖

 

 黒い狼型魔獣が、四人の男女を取り囲む。嬲るようにじわじわとけがを負わせ、身を削り取り、血を流させていく。囮となるべく飛び出す赤毛の男性は、遠くへ、遠くへと誘引されていって。茶髪の青年は無残にかみ殺されて。銀色の髪の女性は囚われ、喪服の少女は女性に絶望を見せるべくその場で屈辱を与えられた。救援に来たと思しき白き神狼はそれを止められずに操られ、自らの意志に反して荒れ狂う。

 そして魔都は闇に呑まれ、闇が支配し、混乱の極みに陥り――滅ぶ。

「そんなこと、赦さない」

 少女の声が響く。その光景は、銀色に包まれて見えなくなった。赦さない、赦さない、殺させたりなんかさせない――その声とともに数多の悪夢が消し去られていく。それと共に消えていく銀色の靄を彼女が気に掛けることはないだろう。そもそも銀色の靄は自らの力の一端だと思っているのだから。



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神狼の導き

 旧166話~168話半ばまでのリメイクです。


 あくる日。悪夢で飛び起きたために気分が悪いアルシェムは早朝からオーブメント細工を作って気を紛らわせていた。何かをしていれば気がまぎれるというのもあるのだが、今日に限っては少々いかれたオーブメントを作ろうと画策してのことだ。悪夢に影響されたともいえるのだが、備えあれば憂いなしである。アルシェムが作っていたのは、一度だけ強力な水属性の治癒アーツを掛けて自壊するオーブメントだ。必要になるかどうかは別にして、あって困るものではない。

 それを組み上げたところで、階下で人が動き出す気配を感じた。本日の朝食の当番は確かエリィだったはず、と考えつつアルシェムは身支度を始めた。食事を終えればすぐに出られるようにするというのもあるが、何となくしっかり着替えておいた方がいいと思ったからだ。

 定時になって階下に降り、先日の情報の共有をしつつロイド達と共に食事をとったアルシェムは入口の方に目を向ける。何となくの理由が分かったというべきなのか何というべきか、そこには来客があったのだ。さっさと後片付けを終わらせるためにアルシェムはエリィの手伝いに行った。

「……食器洗いのためのオーブメントを作るのも良いかな」

「アル、それ普通に作れると思えないんだけど……」

 ポツリとつぶやいた言葉に突っ込みを入れられつつ洗い物を片付けたアルシェムとエリィは居間に戻った。すると、そこに見慣れない人物たちがいる。制服を見るに、どうやら警備隊員らしかった。更に階級章を見ると明らかに偉い人――うち一人がソーニャ・ベルツ副司令である――だったのでとにかくセルゲイに対応を投げようとしたのだが、先日の魔獣の件で来たようなのでとにかく居間で話を聞くことになった。

 そこで聞かされたのは、ある意味不自然な言葉。クロスベル警備隊は魔獣被害に遭っているはずのマインツ鉱山町から撤退し通常業務に戻るというのだ。司令からの命令であるため、ソーニャが逆らえるわけもない。一応異議申し立てはしたようなのだが、一度魔獣被害があってから日が経っているのに襲われていないことから撤退を決めたと答えられたそうだ。

 明らかに圧力がかかっていると分かったロイド達はそれぞれ顔をしかめた。情報を共有して分かったことはと言えば、アルモリカ村と聖ウルスラ医科大学を襲った魔獣はそれぞれ別の魔獣だったということと、医科大学を襲った方は訓練された魔獣である可能性があるということだ。そしてこのタイミングでの警備隊の撤退ともなれば、《ルバーチェ》からの圧力がかかったと見られてもおかしくない。

 ロイドはソーニャにこれまでの経緯をまとめて報告した。

「……というわけなんです」

「なるほどね。……出来るだけ協力はするつもりだけど、撤退命令に反することは出来ないことだけは覚えておいて頂戴」

 ソーニャの答えにロイドは緊急時であるということを告げれば動かせると判断した。撤退命令に反して残留することは出来なくとも、緊急要請を断れるわけがないのだ。特にロイド達は《ENIGMA》で連絡できるのだから。

 と、そこで傍に控えていた女性士官のうち黒髪の女性の方が口を挟んだ。

「副司令、アタシを休暇ってことにして返り討ちにしに行っちゃだめですか?」

「駄目よ。そもそも休暇の申請なんて出していないでしょうコルティア軍曹……」

 ソーニャは頭を押さえた。入隊して以来めきめきと頭角を現して出世してきた彼女はたまにこうして無茶なことを言う。確かに彼女の力量で出来ないこともないのだろうと思えるのだが、実際にやらせられるかと言われればそれは否なわけだ。何故なら、彼女が懲戒免職の対象になりかねないから。今はまだ彼女を手放すわけにはいかないのである。

 ソーニャに窘められているその黒髪の女性を、アルシェムは嫌というほど知っていた。『コルティア』と呼ばれているものの、彼女の本名ではないことも。何故なら、彼女はアルシェムの従騎士リオ・オフティシアなのだから。昨年の帝国遊撃士協会襲撃事件で有名になってしまったために偽名を使うよう指示したのもアルシェムなのだから知っていて当然だ。

 ロイド達がいぶかしげにリオを見ていることに気付いたソーニャはリオ達――もう一人桃色の髪の士官がいる――を紹介した。

「そういえばまだ紹介していなかったわね。黒髪の方がリオ・コルティア軍曹。それでもう一人の方がノエル・シーカー曹長よ」

 ソーニャの言葉を聞いたリオとノエルはびっと敬礼してロイド達に挨拶をした。何となく軍隊的なのだが、生憎クロスベル警備隊は軍隊ではない。軍隊式の階級があろうが、ライフルやスタンハルバードを制式採用していようが、彼女らはあくまで警備隊なのである。宗主国だと主張するエレボニアとカルバードによってクロスベルは軍隊を持てないことになっているのだから。

 それはともかく、敬礼して自らの名と階級を名乗ったリオ達に――もとい、ノエルに声を掛けた人物がいた。ロイドだ。

「えっと、シーカー曹長ってもしかして……フランの?」

「ああ、いつも妹がお世話になっています」

 若干照れたようにノエルはそう返すと、少しばかり世間話に花を咲かせた。それにきりがついたところでロイドがまとめていたらしい調書をソーニャに手渡す。それを横から覗き見ながら、うら若き警備隊員たちはその顔に似合わぬ物騒なことを呟いていたりもしたが些細なことだ。重要なのは、警備隊員と情報を共有できたというその一点のみなのだから。調書の内容に満足したソーニャ達は、ロイドに礼を言うとその場から去って行った。

 それを見送ってから本日の行動を決めるべくロイドがティオに声をかける。いつの間にか端末係と化していた――アルシェムが触ると勝手に改造される恐れがあるとティオから止められているためアルシェムが触ることはほぼない――ティオは、端末を弄って支援要請を表示させてロイドにその説明を始める。本日の支援要請は裏通りのイメルダ夫人から廃アパートの魔獣駆除要請とマインツ山道にいる手配魔獣の駆除要請だ。

 ロイドは皆に告げる。

「じゃあ、今日は手分けしないで行こう。手配魔獣はマインツに行く途中に退治すればいいだろうから」

 それに皆が返事をすると、それぞれ忘れ物がないかだけチェックして支援課ビルを出た。そして向かう先は、裏通りに住むイメルダの営む店。一応真っ当なものを取り揃えてはいるのだが、立地が立地だけに色々と疑いを掛けたくなる店だ。何せ、《ルバーチェ》所有の建物のすぐ近くなのだ。これでもし《ルバーチェ》と関わっていてアーティファクトなんかを扱っているようならば少々痛い目に遭わせなくてはならない人物だった。

 そのアルシェムの心配はある意味当たることになる。ただし――別の方向で、だが。

「……あー……そーいや、そーだっけ……」

 アルシェムの視線の先にあったのは、一見人間と見紛うほどの精緻な人形だった。かつて似たようなものを使った人物を知っている身としては、その作り手が誰なのかを意識せざるを得ない。それに――何より、アルシェムはその人形の制作者のことをよく知っていた。人形にかける情熱も、あの場所にいるにしてはある意味マトモであることも。

 アルシェムの視線を追ったエリィはそこの人形を見て目の色を変え、呆然と呟いた。

「嘘……これって、まさかローゼンベルグ製なんじゃ……」

 ローゼンベルグ。表の人間にとっては、精巧な人形を作る人形師。しかし、一部の裏の人間にとっては違う。《十三工房》の一角の主、ヨルグ・ローゼンベルグは《身喰らう蛇》の技師だ。あの《パテル=マテル》とそれに類するゴルディアス級人形兵器の開発者であり、多くの人形兵器のひな型を作り上げた人物。そして、アルシェムにとっては祖父のような人物だった。あの少女にとっても。

 依頼の話をするイメルダの顔を見ながら、アルシェムは鞄の中に入れてあるレコーダーを握りしめた。あの少女――レンが、安全な場所に身を寄せているとするならば彼の住む場所でしかありえないのだ。それでなくともクロスベルは様々な意味での緩衝地帯となっている。アルシェムやリオが星杯騎士として教会のシスターとなれなかったのは、かつてこの場で星杯騎士が失態を犯したからだ。

 それに、《身喰らう蛇》にとってもわざわざ情報の流れやすいこのスパイ天国のクロスベルに大きな拠点を設ける意味がない。何かしらに手出しをすれば無駄に名が売れてしまうのだ、クロスベルでは。情報の広がる範囲を押さえるという意味でも、クロスベルでの行動は避けていることが多かった。逆説的に言えば、だからこそヨルグはここに拠点を設けていると言っていい。《身喰らう蛇》から距離を置きたい構成員にとっては、クロスベルはある意味安住の地だった。

 そんな考え事をしているうちに、アルシェムは旧市街の廃アパートまで来てしまっていた。どうやら話が終わった後も生返事をしながら動いていたようだ。途中で誰かが離れて行った――東通りでみっしぃというキャラクターの人形が欲しいとだだをこねる子供にカジノの景品を取ってくるという一幕があった――らしいのだが、アルシェムは全く意識せずティオの後ろをついて歩いていたようだ。

 呆けていてもやることはやっている。一度我に返った後ももう一度思案に没入してしまったアルシェムは、廃アパートの損害を出さないようにしながら魔獣退治にいそしんでいたようだ。会話にも一応参加していたようで誰にも不審がられることはなかった。

 廃アパートの魔獣退治は、途中ヴァルドが乱入してくるというハプニングがありつつも無事に終わった。一度休憩がてら昼食をとることになり、港湾区の屋台で五人そろってラーメンをすすってからマインツへと向かう。一瞬だけエリィが、これって作法はどうなってるのかしら、などと言っていたが気楽に喰えと言われて気恥ずかしそうにすすっているという一面もあったがそれはどうでも良いことだろう。

 山道に出てマインツに向かう一行は、分岐点にあるバス停で一度立ち止まった。マインツは左だと書かれているのだが、未だに手配魔獣に遭遇していないのだ。分岐を右に行く道は明らかに急こう配なのだが、市民の安全のために行かないという選択肢はない。

 一行は、案の定右の分岐にいた手配魔獣を狩ってから行けるところまで進む。そこに何があるのかを知っているのは、この場ではアルシェムだけだった。

「――ローゼンベルグ工房、か」

「ええっ、ここが……!?」

 アルシェムが思わず漏らした言葉にエリィが驚愕の声を上げる。エリィのような乙女にとって、ローゼンベルグ製の人形は憧れなのだ。特にエリィの友人は好んでその人形を集めているらしい。つまりは金持ちということなのだが、いずれ知ることになるのだろうから今はそこには触れないでおく。

 それよりもアルシェムが求めているのは、この場にいるはずの人間だ。故に、アルシェムは声を発した。

「いるの?」

 誰に向けられたか分からない問いに、ロイド達は眉をひそめた。もしも彼女が指している人物がマイスター・ローゼンベルグであるならば彼女は彼と面識があることになる。そうでないなら、この場所に一体誰が存在するというのだろうか。

 その答えは、近くの茂みからもたらされた。

「いるわよ。どういうつもりでアルがここに来たのかは知らないけど、おじいさんなら今はいないわ」

「レンに渡すものがあって来ただけなんだけどね、わたしは。一応職務はあるけどわたしの口からこの場所について語るのもどうかと思ったから黙ってた」

「あら、何を持ってきてくれたのかしら?」

 少女は――レンは、くすくすと笑いながらそう返した。ロイド達は老人ではなく少女が出てきたこととアルシェムがその少女を知っていたことに対して驚愕し、硬直している。因みにティオはレンがここにいることは知らなかっただけなので硬直とまではいかないのだが、空気を読んで何も話さずにいた。

 そんな中、アルシェムはレンに向けて何らかのオーブメントを手渡した。

「……これは?」

「録音機。内容は今ここでは言わないけど……聞いても聞かなくても、レンの自由だよ」

 手渡されたものの正体を問うたレンは、そう返されて目を見開いた。アルシェムから録音した物体を渡されて、それに録音されているものが一体何なのかなどレンには一瞬に推理できてしまったからだ。そして、もしもそこにレンの知りたくないことが録音されているとしたら、そもそもレンに手渡したりしない。アルシェムならば間違いなく隠匿するだろうということも分かっていた。

 故に――レンは理解する。ここに録音されていることは真実なのだ。少なくとも、話者同士にとっては。そして、アルシェムはレンがそれを聞くことを望んでいる。その理由だけが分からずにレンは眉を寄せた。

 黙考――後に、レンは疑問を吐き出した。

「どうして、アルが……?」

「どうやって、とは聞かないんだね。まあいいけど……ただのエゴだよ。こうすればわたしの気が済むだけだから」

「……そう」

 アルシェムの言葉に、レンにはもう返す言葉がなかった。きっとアルシェムは気づいていないのだ。それに気付いて貰いたいとレンが思っていたとしても、アルシェムは恐らく認めない。あの時でさえアルシェムは肯定の言葉を吐かなかったのだ。いずれ、それでアルシェムが破綻する時が来るとレンは分かっていてなお言葉を出さない。それは、アルシェム自身が気付くべきことだから。

 レンはロイド達にヨルグがしばらく戻ってこないことを告げ、工房の中へと入って行った。それを見送ったロイド達は、複雑そうな顔をしながら工房を後にするしかない。ここにいても何も出来ることはなく、やるべきことがこの先にあるのだから。

 だが、ランディはどうしても気になることがあってアルシェムに問うた。

「アル。お前、あの子は――」

「昔の仲間みたいなもんだよ。この答えで満足? ランディ」

「……そうか」

 アルシェムの答えにランディは複雑そうな顔をして黙り込んだ。ランディには分かっていたのだ。レンと呼ばれた少女が只者ではないということも。そもそもアルシェムは警察にいるべき人物ではないことにも。仲間という言葉で更に絞り込めた。裏に関わっていたというのはあの時セルゲイに向けた殺気でもう十分すぎる程に分かっている。聖ウルスラ医科大学で見せた結論もそれを助長している。だが、今の質問で更に絞り込むことが出来た。

 アルシェムはきっと、猟兵団ではない犯罪組織の一員だったのだ。ランディはそう結論づけた。そうでなければ今までみせた異様な実力が理解出来なくなる。それらしい噂は聞いたことがなかったのだが、あの少女の方から探ることは出来るのだ。何となくピックアップできる実力者は何人か知っている。それで絞り込めば、アルシェムが何らかの理由でスパイ活動をしているかも知れないという可能性を探れるのだ。

 それぞれが何かしら考え込みながら分岐まで戻って来た時だった。アルシェムとティオがバッと顔を上げて分岐の左に鋭い視線を向けた。

「ティオ、今の」

「ええ、狼の遠吠え――このトンネル道を抜けた先です」

 その会話にロイド達の意識が一気に引き締まった。狼。つまりそれは、今までの魔獣被害の被疑者でもあるのだ。何故か今回は先行しないアルシェムと共に一行はトンネル道を抜けることに専念した。途中の魔獣はほぼ無視である。襲い掛かってきそうな魔獣だけアルシェムとエリィが撃ち抜いて威嚇するだけで、魔獣は逃げて行った。どうやら何かにおびえているようだ。

 そして――トンネル道を抜けた先には。

「――ッ!」

「白い、狼――!」

 白い狼が、悠然と佇んでいた。白いと言っても全てが白いわけではなく、所々に碧い毛並みが混じっている。どこか知性を感じさせる瞳をロイド達に向けながら、狼は声を上げる。

 その瞬間、アルシェムの耳には渋い男声が滑り込んできた。警戒する必要はない、我はここに真実と謝罪を告げに来たのだ。その声にアルシェムの記憶が刺激される。知っているはずがないのに、知っている。見下ろしていたのだろうか。それとも乗せられていたのだろうか。どちらにせよ、アルシェムはその声の主を知っていた。今まで生きて来て一度も見たことがないというのに。

 だから、だろうか。アルシェムが狼への対応を冷たくしたのは。

「アルモリカ村の件なら自分で行って謝罪してきたら? 取り敢えずわたしは大体分かっているからロイド達に言っときたいって言うなら好きにすればいーし」

「あ、アル……?」

 狼狽したロイドから声を掛けられるアルシェムだったが、彼女はそれに反応することはなかった。何故なら狼が再び鳴き声を発したからだ。貴女様がそうおっしゃるのならば従います、という声に変換されたその鳴き声にアルシェムはあからさまに顔を歪める。それはアルシェムが今最も聞きたくない言葉だったからだ。

 その顔のまま硬直したアルシェムにロイド達は怪訝そうな顔をしていたが、ティオも会話が分かっている風情だったので通訳を頼んで狼と話を始めた。はた目に見ればとてもシュールな絵面なのだろうが、会話してしまった以上いきなり無力化するという手段も取れないのだ。意志が通じるのならば、事情が聴けるだろうから。事情如何によっては殺処分もあり得るのだろうが、話を聞いている限りではそうはならなさそうである。

 なぜなら狼はこう語ったからだ。アルモリカ村では同胞が腹を空かせて農作物を頂戴したが、聖ウルスラ医科大学へは赴いていないと。そして、恐らく次の事件はこの先で起きると。

 その話を聞き終えてようやく硬直から快復したアルシェムは、狼に協力を要請してその場に放置し、ロイド達と共にマインツ鉱山町へと向かった。狼を連れて街に入ることなど出来るはずもないからだ。狼を手懐けたことでロイド達からは大いに引かれたのだが、それは言うまでもないだろう。途中でアルシェムがどこかを睨みつけていたような気もするが一瞬であったためにロイド達は気づいてはいない。

 マインツに辿り着いた一行は少々すれ違いがありつつも町長と話をし、《ルバーチェ》からの圧力があったことを知らされつつ町民たちへの事情聴取の許可を得た。事情を聴き、作戦を立てる。その作戦が決まったのは、夕方になってからだった。

 

 かくして彼らは、魔都の壁に挑む――



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魔獣襲撃事件、終結

 旧168話のリメイクです。


 今度こそ失敗は許されない。男はそう思った。前回の人員増強の失敗で会長マルコーニからはお小言と減給までされてしまった。今回失敗すれば――恐らく、男の命はないだろう。事故と称してトラックにひかれるか港湾区あたりで水死体になるかジオフロントに投げ込まれるか、そのあたりで処分されるだろう。二度もの失敗を見逃すほど《ルバーチェ》は甘くない。

 故に、この実験は必ず成功させなければならなかった。魔獣を完璧に操る実験を。そもそも魔獣を狗笛で使役するという技術はあるのだが、今回《ルバーチェ》はとある薬をそこに取り入れたのである。その薬は魔獣たちの能力を大幅に上げるという凶悪なものだと男は聞かされていた。当然、副作用もあるのだろうが男にそれは知らされてはいない。知る必要のないことであるからだ。

 被害者が出るだけならば何ら問題はない。だが、妨害が入るのならばそれは別である。前回の失敗の苦々しい記憶が男の脳裏によみがえった。忌々しい遊撃士の猿真似ども。それに、何故かおかしなところで仲のいい不良の頭たち。彼らさえ邪魔をしなければ、今頃彼は新人教育を任される幹部となっていたはずなのだ。使われる側から、使う側へ。それは男にとっての夢でもあった。

 今度こそその夢を叶えなければならない。さもなくば男には無意味な死が待っている。だというのに、今回もまるで成功する予感がしないというのは頂けない。昼間から潜伏していた場所で、男は目撃してしまっていたのだ。彼にとっての不幸の根源――特務支援課の面々を。しかもそのうちの一人とは目まで合ってしまった。男の野生のカンでは、このままだと失敗してしまう。

 だが、彼には魔獣を使ってマインツの町民を襲撃する以外に出来ることはなかった。いっそ特務支援課を狙えば良いとも思ったのだが、一応彼らは警察の人間である。真っ向から警察に楯ついて揉み消すといった形を、決して《ルバーチェ》は取らない。なりふり構ってはいられないというのに、彼らは成功する確率が一番高い方法をとれないのだ。

 魔獣の試用以外にも出来ることがあると思いついたのは男だった。魔獣の試用の成功だけでは使われる側から抜け出せないことは分かっていたからだ。だからこそ、魔獣の脅威から守るという札を使って聖ウルスラ医科大学とマインツの町長を脅した。資金源の獲得に口を挟めるようになれば大幹部も夢ではない。失敗する可能性もあるのだが、様々なリスクを考えたうえで男はそれを実行に移した。この大博打しか男には残されていないからだ。

「……ふぅ……」

 煙草を口にした男は大きく煙を吐き出す。大して美味しくもない代物であるが、男にとっては精神を落ち着けるためにはうってつけのものなのだ。魔獣はこの煙を嫌がることも分かっているが、どうしてもやめられなかった。仕事の成功よりも男は心の安定を取ったのだ。それを無意識に見ないようにして男は同じように魔獣の試用を任された同僚たちを見回す。

 一人一人を目に焼き付けて、男は告げた。

「……分かってるな。俺達に――次は、ない」

 この場にいる何人が生き残れるだろう。男はぼんやりとそんなことを考えた。ここにいるのは前回失敗した男達である。つまり、男と立場は全く同じなのだ。失敗すれば死ぬ。もしかすると死ぬよりもひどい目に遭わされる可能性もある。それでも栄達という光を求めて彼らは戦うしかないのだ。たとえそれが全く勝ち目のない戦いであったとしても。

 男は軽く目を閉じて、ゆっくりと開けた。――時間だ。今この時を持って彼らの運命を決定づける作戦が始まったのだ。失敗は許されない。《ルバーチェ》のためにも、彼ら自身のためにも。男が右手を開いて揺らし、親指から順に折っていく。指を折るたびに手を振ってタイミングを皆に伝え、そして折る指がなくなって――マインツに向けて人差し指を突き出した状態で止まった。

 その瞬間――甲高い音が響き渡る。人間の可聴域にぎりぎり引っかかる程度の笛の音。魔獣どもを操るための楽器。そして、男達にとっては唯一無二の武器。その音に従って魔獣どもがマインツへと突撃していく。魔獣どもは人間を襲撃して重傷を負わせるまで戻っては来ないだろう。そういう命令を出したし、そう仕込んだ。誰が死んだって男には関係ない。揉み消すのが大変だろうが、男の考えた策を実行するには好都合である。

 永遠の如く長い時間が過ぎた。後で思い返せば、本当に短い時間だったのだろう。だが、男にとっては永遠に感じた。成功してくれればいい。なのに、成功する予感が全くしない嫌な気分のまま過ぎる時間は長いのだ。早く戻ってきてくれればいい。だが、あまりに早く戻ってくると不安になってしまう。男は戦地に向かった恋人を待つ女の気分が分かった気がした。帰って来ようが来るまいが、万事うまく行ったと確信できるまでが長い。

 そして、男にはその万事うまく行ったという確信が訪れることはついぞなかった。何故なら――マインツから逃げ帰ってきた魔獣は、ボロボロだったのだから。男の本能が警鐘を鳴らす。これは危険の前兆であると。懸念要素――あの忌々しい遊撃士の猿真似にして、逮捕権を持ってしまっている警察のお荷物部署――が牙をむいたのだと。

 故に、男は叫ぶ。

「――撤退だ、今すぐにッ!」

 早く逃げなければならない。この場所から今すぐに。出来れば、《ルバーチェ》の手の届かない場所まで。国境を越え、不法移民として逃げ延びる以外に彼らに生き残る道は既に残されていないのだ。逃げなければ彼らは死んでしまう。人間として生きられなくなる。死ぬだけならばまだ良いかも知れない。男の脳裏には一番最悪な想像が浮かんでいた。

 

 有り得ない話ではない――魔獣を操るのに使う薬が、何故霊長の長たる人間に効かないことがあろうか、などという話は。

 

 故に、結果的には彼らの罪をクロスベル自治州内に知らしめるためにやってきた声は、彼らにとって死神と同義。まだ市長の孫や幼女の声ならば彼らは気にせず逃亡できたかもしれない。だが、彼らの耳朶を打ったのは特務支援課の最後の女の声だった。

「はっはっは、悪いね。折角の現行犯なんだしさー……そうみすみすと撤退なんてさせると思う?」

 ぞくり。彼らの背に戦慄が走る。彼女の――アルシェム・シエルとかいう女の声は、それほどまでに底冷えのした声だった。何の憐憫も感じられないその声に、仲間たちは思わず足を止めて戦闘態勢になってしまった。足を止めず、走り去っていたならばまだ生き残るチャンスはあったのかもしれないというのに。だが、現実には男も含めた全員が足を止めて彼女に向かい合っていた。

 ただ、その場にいたのはアルシェムだけではない。《ルバーチェ》にとって仇敵ともいえた男の弟ロイド・バニングスもランディ・オルランドも、とにかく全員が集結しているのだ。最早マインツ方面へと向かって逃亡する道はなくなった。男は唇を噛んで逃げ道の一つを潰した特務支援課の面々を睨みつける――鉱山町に逃げ込んだところで逃げ切れるわけでもないという冷静な部分のつぶやきを完全に無視して。

 にらみ合ったところで声を発したのは、リーダーとしての役割を果たしているらしいロイドだった。

「クロスベル警察、特務支援課だ! 大人しく投降しろ!」

 その瞳は義憤に燃えていて。それを見た男達はロイドを激しく憎悪した。光の当たる世界でだけ生きてきた彼は、これから男達が受けるであろう苦しみを絶対に理解出来ないからだ。たとえ闇に兄を殺されたのだとしても、ロイドは決して闇に堕ちることはない。自分達のように煉獄の釜で灼かれるような事態には決して陥らないのだ。それが何よりも憎らしい。男達の見当違いの憎しみは、せめて一人でも道連れにしてやろうという妄執にすり替わる。

 その妄執が、男達を狂わせた。

「……ふふ……」

「ははは……」

 全員が狂ったように嗤い始めて。男は手にしていた狗笛を吹き鳴らした。その際にティオ・プラトーが微かに顔をしかめたのを見ても彼の良心は痛まない。男はどうしても生き延びなければならないのだ。待っている家族は男にはいないけれど――それでも、たった一人。一目見た時から恋をしていた、あの女に告白するまでは。その想いが叶わないものだと知っていても。そうでなければ死んでも死にきれない。

 ――かかれ。狗笛でそういう意味の音の羅列を魔獣たちにたたきつけて、男達も特務支援課の面々に飛び掛かろうとして――出来なかった。

「出来ればそれ以上罪を重ねない方がいいと思うんだけどなー……ま、何となく末路は分かってるけど情けを掛けられるような立場じゃないし、ごめんね」

 顔を微かにしかめたアルシェムから発されるプレッシャーに、男達は耐えられない。彼らは知っていたのだ。下部構成員達のまとめ役にして元《西風の旅団》所属のガルシア・ロッシからよく敵対している組織の人間に向けられるそれと同質のプレッシャーを。しかも、アルシェムが発しているのはガルシアとは比べ物にならないくらい濃密な殺気。

 それでも辛うじて声を絞り出せたのは、奇跡に近いのかもしれない。一瞬だけ温まったかのような喉が、かすれ声でも指示を通せるほどの大きさで声を発せたのだから。ただし出た声は残念ながら全く以て事態を解決できるようなものではない。彼らの運命は、ここで捕縛されることになっているのだから。

 

「ふざけるなあッ!」

 

 だからこそ、それは魂の叫びだった。確かに情けを掛けられるほど落ちぶれているのだろう。後がない彼らにはそれも当然のことだと受け入れられる。だが、アルシェムが彼らの状態を把握しているのだとすれば、彼女もまた闇に属していた/属している人物なのだ。その人物が警察に所属していて、彼らを捕縛する。男にとってそれは悪夢と同然だった。

 しかし、アルシェムからかけられる声は最初彼らを引き留めた時とは違って憐憫に満ちている。

「ま、闇に堕ちたのが間違いだったってことだよ。たかがこの程度で失敗するようじゃーね。否応なしにここにいる人たちには申し訳ないけど――」

 その後のアルシェムの言葉は欺瞞に満ちていた。誰が受け入れられるだろうか。彼女から発された言葉を。どうせ畜生にも劣る扱いを受けるのならば、自分から人間を棄てろととった男達は激昂した。濃密な殺気のみちた場所でその殺気の主に逆らうなど愚の骨頂であると、自ら死の淵に近づくのと同義だと分かっていてなお彼らはその言葉に激昂するのだ。

 

 彼女は言った。出来ることなら、このまま狂ってしまえば良いよと。

 

 それは、今までのことを否定するのと同義だった。自らの成したことの因果を引き受けず、狂ってしまえば良いなどと。いい具合に狂えば確かに苦痛を苦痛だと感じなくなるかもしれない。畜生にも劣る扱いをされても何も思わないかもしれない。だが、彼らは失敗すれば人間として扱われないことを覚悟でここにいるのだ。恐怖はあれど、覚悟はしているはずなのだ。濃密な殺気の前にその覚悟が薄れていたとしても、それがなくなることだけは有り得ない。

 激昂した男達は、故に気付かなかった。目の前の女が自らの意志で彼らを踏みにじろうとしているわけではないことに。微かに震える左手が閃いて、導力銃から信号弾が放たれても、逃げ場はないとでも言うかのようにアリオス・マクレインの存在を明かしたとしても。彼女がその場から一歩も動かなかったことに、誰も気づくことはなかった。

 そうして――男達は捕縛された。悲壮な顔をした男達の中にすぐに釈放されるという楽観視をしている者は、いない。

 

『因果応報、だもん。□□□は悪くないもん』

 

 連行される最中、男達はそんな少女のつぶやきを聞いた気がした。

 

 ❖

 

 夜が明けてから、ロイド達はソーニャ達に戦車でクロスベル市まで送り届けられた。戦車の中では警備隊からの謝罪と感謝の言葉を受けとり、そのままクロスベル警察にご案内されたのである。本来ならば警察官たるロイド達に事情聴取の義務はなかったのだが、事情が事情だった。上からの圧力がかかったのだ。それに、何人か再起不能になった人物もいるとあっては事情聴取は免れなかった、というのもある。アルシェムの言葉で実際に発狂してしまった人がいたというのがネックだ。

 懇切丁寧に事情――ここで《ルバーチェ》に送還されるだろう犯人たちはこの先恐らく人間としての扱いを受けないだろうから、せめて狂っていればそれも乗り越えられるのではないだろうかと判断した――を説明したアルシェムは、次にやれば問答無用で懲戒免職にされることと減給六か月に処すという処分を受け入れた。自らの成したことの結果がそこにあった。

 正直に言って、アルシェムに当時の記憶はほとんどない。判断の内容すら後から咄嗟に出したものだ。彼女が自発的に動いていて覚えているのは、男達相手に軽く殺気をぶつけたところまで。それ以降はおぼろげにしか覚えていない。今までと違う現象に眉を顰めてはいたものの、やってしまったのはアルシェム自身である。その責任は、取らなければならなかった。

 故に、事情聴取が終わったのは夕方で。ほとんど精神的に力尽きかけた彼女の前に、とどめを刺す案件が出現した時点で彼女は遠くを眺めて一言つぶやいた。

 

「もげろ、クソガキ」

 

 ただしその言葉が誰かに届くことはない。大きく溜息をついたアルシェムは、そこに居座っていた大型魔獣――神狼ツァイトを放置して自室にこもってふて寝したのであった。

 

 ❖

 

「冗談じゃねえッ!」

 男は、それが夢だと思っていた。呆然としている彼の視線の先に映るのは男達のために怒り狂うガルシア・ロッシの姿。今度こそ見捨てられる。そう思っていたのはやはり間違いだったのだろう。制裁は十分に受けさせられたが、それ以上のことはされていない。せいぜい全身に打撲があるくらいだ。骨折もさせられていないし、その気になれば歩き回ることだって出来る。

 男達――魔獣襲撃事件の実行犯たち――の処分を、ただのリンチで済ませてくれたのはガルシアの温情である。マルコーニは彼らに薬物を盛って魔獣と同等の扱いをすればよいと判断していたにもかかわらず、ガルシアはそれを拒否したのだ。男達の全身に恐怖という名の制裁を植え付ける、という建前の元に。ガルシアはこの中で一番闇らしからぬ義理堅い男だったのだ。その義理堅い男が、卑怯な手段で部下たちに力を手に入れさせることを呑むはずがなかった。

 マルコーニが冷たい一瞥を男に投げかける。男はそれを見返すことが出来ない。何故なら、失敗したから。会わせる顔もないはずなのに、逃げることすらできなかったから。だが、ガルシアはそれを赦さなかった。彼の拳が唸り、男の頬を打ち据える。

 そして、襟元を掴んで男を吊し上げ、低い声で告げた。

「目を逸らすな。テメェのしたことくらい、テメェで受け入れろ。庇ってやれるのはこれっきりだ。分かったんなら――どうしたいのか態度で示せ」

 男は喉を震わせて、ガルシアにつるし上げられたままマルコーニの瞳を見た。まだぎりぎり男は折れてはいない。折角ガルシアが与えてくれたチャンスを不意にするわけにはいかないのだ。もう後戻りできないと思っていたのに、温情でここにいられる。ならばガルシアのために動かずしてどうしろというのか。男の瞳は獣の如くぎらついていた。

 そして、つるし上げられたまま男は告げる。

「次こそは――次こそは、絶対にお役にたってみせますッ!」

 そこにもし、などという言い訳は介在させない。何故なら、そんな問答は無意味だからだ。もしだなどと考える暇があるならば、男は自らを鍛え上げるのに使うべきなのだ。それが、男に出来る唯一の恩返しなのだから。彼はもはや《ルバーチェ》に仕えているわけではなかった。男はこの時この瞬間を以て『ガルシア・ロッシ』という個人に仕える忠実な部下となったのだ。

 野心にぎらつく眼をした男に、マルコーニは告げる。

「ふん。出来るものならな。だが、次失敗すれば――分かっているな?」

「はい」

 そうして、男はしばしの間生きながらえた。それが幸いだったのかどうかは――誰も、知らない。

 

 ❖

 

 ――それは悪夢だった。暗い劇場で魔都の将来を憂える老人が大剣に叩き切られ、それと折り重なるようにその孫娘が白濁に身を染めて倒れ伏している。その傍らには壁に縫い取られたまま血の涙を流す正義漢がこと切れており、必死に抜け出そうとした後なのか傷口が酷くゆがんでいた。その劇場の入り口では魔導杖ごと首を飛ばされた哀れな少女が大量の血しぶきを上げながら倒れ込んでおり、その惨状を作り出した男と相打つように鬼の形相をした男性が力尽きている。

 そこに、銀色の靄が襲いかかって全てを否定する。老人は多少のけがをしただけで生き残り、孫娘は純潔を奪われず、正義漢もそんな孫娘と共に犯人を追っている。出口で哀れな少女と男性が男を挟み撃ちにし、何事も起こらず取り押さえられる犯人。その犯人の姿すら銀色の靄がつつみかけて――止まった。犯人を消すわけにはいかないのだ。そんなことをすれば、□□□の大事な人が悲しむから。

「駄目、これじゃあ足りない。もっと、もっと――」

 その少女の声は欲に塗れていた。その欲を際限なく叶えるための術を彼女は持っていて、彼女はその力を振るうことに何のためらいもなかった。何故なら、その力は彼女自身の持つ力でもあったのだから。




 次は閑話です。

 では、また。


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閑話・《パテル=マテル》と子供達

 タイトル通り。

 では、どうぞ。


 七耀暦1200年初頭。《身喰らう蛇》の管轄下におかれている《十三工房》のうちの一つに複数の子供達が集められた。その中には、執行者候補R3ことレンと執行者No.ⅩⅥ《銀の吹雪》ことシエルが含まれている。そして、彼女らの目の前には紅色の巨大な機械人形――ゴルディアス級人形兵器《パテル=マテル》が置かれていた。本日は子供達の神経系と《パテル=マテル》を接続し、緻密かつ柔軟、反射的かつ本能的な戦術的運用をも可能にすることを目的とした神経系接続実験の日なのだ。

 ここまで来るのに、実に多大なる年月が掛けられた。さまざまな異常を乗り越え、まだまだ課題を抱えつつも兵器として一応の完成を見るために彼らは一丸となって働いてきたのである。そこに人道的でないだの実験に使われる材料がもったいないだのという考え方は全くない。彼らはただ兵器を完成させるためだけに心身を注いでいた。

 その最たる人物であり、この計画の責任者たるF.ノバルティス博士はにやにやとした笑いを顔に張り付けながら子供達に語りかける。

「これはチャンスなんだよ。この機械人形とリンクして使役できれば――執行者も夢じゃない」

 その言葉に、子供達はこの実験に参加出来たことを喜んだ。彼らは孤児だったり、陰謀によって《身喰らう蛇》に落とされたポテンシャルの高い少年少女である。出世すればそれなりに楽な暮らしができることも知っているし、成果が出せなければ使い捨ての駒として処分されるだけであると重々分かっている。だからこそ、このチャンスを彼らは喜んだのだ。その先に何が待つのかも知らずに。

 ここにいる時点で、成功する可能性がないとは言わない。候補者たちに適性があるからこそここに呼ばれたのである。流石にノバルティスも狂人ではあるが無駄に子供達という資源を消費したいと思っているわけではないのだ。と言っても人道的な観点でそう思っているのではなく、適性のない子供達を使うという時間のロスをなくしたいとは思っているだけである。故に、適性のある執行者候補と希望してきた執行者――この実験に参加するときのみ執行者資格を停止している――のみを実験体としたのである。

 そして、生み出されるのは惨劇。あるものは意識不明となり、あるものは心停止して空の女神の元へと召され、あるものは心神喪失し、あるものは精神崩壊して殺処分された。ここまで失敗するとは思ってもみなかったのだろうが、はたから見ればただの虐殺である。確かに《パテル=マテル》と神経接続するには四つのフェーズをクリアする必要があるとはいえ、これはひどい。

 阿鼻叫喚。それがこの計画を裏で呼称するにふさわしい言葉だろう。今まで実験を行ってきた中で無事に生き残った者はいないのだ。運が悪ければ接続第一相で異常が起きる。普通にしていても第二、第三相で異常が起きることが多く、たまに運のいい者は第四相までは異常が出ないが結局はそこどまり。いつしか子供達の間で地獄への片道切符の計画だと言われ始めていた。

このまま成果が出ないものかと思われ、計画が一時凍結になるその直前のことだ。形式上の接続成功者が出現した。研究者たちは度重なる失敗に内心では諦めを抱きながらも成功すると信じてやまないノバルティスについて行っていた。ノバルティス自身も成功しないかもしれないと思い始めていた頃のことだった。一人の――否、正確に言うならば二名の接続成功者が出たのは。

それは――コードR3、と呼ばれた少女だった。

 

「やっ……いやあああああああああああああっ!?」

 

 少女の叫びが、その実験の失敗を告げたものと思われたのだが――ここで、予期せぬアクシデントが起きたのだ。

「レンッッ!?」

 銀色の髪の少女――シエルがそこに突入してきたのである。研究員たちの制止を振り切ったシエルは、レンの手に触れたのである。その瞬間――異常を示しかけていた全てのデータが正常に書き換わった。その際、微かに銀色の靄が見えた気がした人物もいたそうだが恐らくは気のせいなのだろう。一瞬しか視認できなかったのだから、そう思うのも無理はない。

 静寂を破ったのは、ノバルティスだった。

「……何が起きたのかね?」

「わ、分かりません……」

 動揺する研究者たち。そこで何が起きているのか、彼らにはすぐには理解出来なかった。文字に起こすだけならば簡単だ。飛び起きるようにして顔を涙に濡らしたレンが、シエルにしがみ付いて泣きじゃくっているのである。ただそれだけのことだ。ただそれだけのことが、彼らには全く以て理解出来なかったのである――既に、この計画は破綻していると思っていたので。研究者たちはレンがただ泣きじゃくっているだけでそれ以外の異常がみられないことが理解出来なかった。

 有り得ないことなのだ。この時点で異常が出ていても心身ともに無事でいられるのは。心停止。心神喪失。精神崩壊。意識不明。これまでのことから鑑みて、それらの状態に陥っていない目の前の少女の状態が信じられないのである。ただ泣きじゃくっているだけで、話している言葉も意味不明な言葉の羅列にすらなってはいないのだから。つまり、レンはただ泣きじゃくっているだけなのだ。

 そして、彼らは奇跡を見る。

「な……」

「バカなッ!?」

 突如動き始めた《パテル=マテル》が、レンとシエルをその手に乗せたのだ。しかも、天井を導力エネルギー砲で破壊したではないか。唖然として硬直した研究員たちを嘲笑うように瓦礫が降り注ぎ、パニック状態が発生する。そして、その混乱に乗じた《パテル=マテル》は二人の少女を掌に乗せたままふらふらとその場から飛び去った。

 彼らにとって幸運だったのは、当時は深夜であったことだ。さもなくばふらふら飛行する《パテル=マテル》などすぐに撃墜され、その存在が露見してしまっていたのだろうから。もっとも、一般市民たちにとっては幸運ではなかったのだが。ただ、それでも《パテル=マテル》という機械人形の存在は一人の少女をも暗闇から救い出す光明となる。

 飛翔する《パテル=マテル》は、幸いにして誰にも発見されることなくクロスベルの山中に降り立った。そこは言わずと知れた《ローゼンベルグ工房》。《パテル=マテル》のひな型を作ったヨルグ・ローゼンベルグの住処であった。胸騒ぎがしていたヨルグは降り立った《パテル=マテル》を見てすぐさま事態を把握し、即座に工房の中に少女達を含めて保護を行う。

 そして、《パテル=マテル》のログと少女達の様子を見たヨルグは声を震わせた。それが誰の仕業かよく分かったからだ。

「ノバルティス……ッ!」

 それはヨルグにとって最も許せないことの一つで。ヨルグの思い描く人形と人形遣いの在り方とはかけ離れているものだった。人形遣いの使う人形はあくまでも人形でなくてはならない。それが彼の持論だ。どれほど表情豊かであろうが、人形本体に感情が宿ってはならないのだ。何故なら、人形側にも人形遣い側にも余計な軋轢が生まれてしまうのだから。

 確かにヨルグは人形単体ならば感情を持っていても良いと思っている。だが、人形遣いとのセットでそれはあってはならないと思っている。矛盾しているようだが、人形自身が苦悩すると分かっている以上、使われる人形には感情があってはならないと思っているのだ。人間に操られている人形はいずれその頸木から解き放たれたいと願うだろうから。

 故に、目の前の光景はある意味奇跡的であった。《パテル=マテル》のログが吐き出しているのは、ずっと少女達を守護しなければならないという命令だけなのだから。どれだけ非合理的であったとしても、少女達と離れたいとは判断していない。奇妙なことではあるが、《パテル=マテル》には既に感情の兆しのようなものが芽生え始めていたのである。

 苦虫を二、三十匹まとめてかみつぶしたかのような顔をしたヨルグはすぐに行動を始めた。一息に手紙を書き終えると、手近にあった天使型メッセンジャー人形に持たせて《紅の方舟》グロリアスへと飛ばしたのである。

 確かにヨルグ・ローゼンベルグは闇の世界に属する人間である。それも、一般人の思うほど浅い闇ではない。一般人が知るだけで消されかねない《十三工房》に関わっている。だが、幼い子供達を嬉々として人体実験に供そうとするほど腐った人間ではない。ヨルグが闇に関わりを持っているのは、人形を作る際に手に入りにくい材料を手に入れるためである。断じて誰かを苦しめようだとか殺したいだとか思っている人種の人間ではないのだ。

 そう。ヨルグは闇に属するにしては優しすぎる人物なのである。向いてないんじゃない、とNo.0から言われるほどに。少なくとも、保護した子供達に紅茶とお菓子を供する程度には常識を持っている人物であった――もっとも、用意したのはヨルグではなく人形たちなのだが。

 ただし、目の前の少女達も一般人ではないことをヨルグは忘れていた。少女達は饗された食物に手を付けようとはしなかったのだ。

「どうした? 喰わんのか」

 ヨルグはそう問うて、その途中で気付いた。この少女達は先ほどまで実験体として扱われていたはずである。当然出される食物に手を付けた瞬間に死ぬなどという事態は想定していてしかるべきだろう。一応彼女らは逃亡してきたように見えるからだ。もっとも、ヨルグは彼女らがここにいるのは彼女らの意志ではなく《パテル=マテル》の意志であることを知っているのだが。

 だが、少女のうちの一人――銀髪の少女は紅茶の香りを嗅いで軽く頷いた。

「有り難くいただきます、マイスター・ローゼンベルグ」

 どうやら少女はヨルグのことを知っていたようだ。紅茶を一口呑んだ彼女は、数秒ほど味わってから――恐らく毒見のつもりだろう――不安げに座っていたすみれ色の髪の少女に紅茶を勧めた。呼び合っている名前からするに、銀髪の方がシエルですみれ色の髪の方がレンのようだ。年は恐らくシエルの方が上だろう。どことなくツクリモノめいた容貌だが、ヨルグのカンが外れることはない。

 善意で出した食物を警戒されるのは悲しいのだが、彼女らはそうしないと生きて来られなかったのだろう。ヨルグはそう結論付けた。そうでなければ、まだまだあどけない年頃の少女達だ。何の警戒もせずに美味しくいただいてくれるはずである。年端もいかぬ子供達から無垢さを失わせる《身喰らう蛇》を、ヨルグはまた一つ嫌いになった。

 ゆっくりとお菓子を食べ終えたシエルはヨルグに向けて一礼し、告げる。

「此度は工房に保護していただいたばかりか施しまでいただいてありがとうございました、マイスター・ローゼンベルグ。わたしは執行者No.ⅩⅥ《銀の吹雪》シエル、こちらの子はレンと言います」

「そこまで硬くなる必要はない。連絡はこちらからしておくからゆっくりしていくと良い」

 ヨルグは仏頂面のままそう応えた。見た目にそぐわぬ丁寧な口調は、恐らくは《身喰らう蛇》内で仕込まれた礼儀――もとい演技の一環――なのだろう。しかし、子供には子供らしくしていて欲しいヨルグにとっては不快だった。こんな子供にまで何を仕込んでいるのだと。《身喰らう蛇》の年齢を介さず否応なしに巻き込んでいくスタイルを、ヨルグは好んでいない。

 だからこそヨルグは子供らしくゆっくりしていってほしいと申し出たのだが、シエルはそれに首肯することはなかった。

「済みません。でも、まだわたしは結社の中で力をつけられてるわけじゃなくて……自分のことで精一杯なんです」

「あら、そんなことシエルが気にする必要はないわ。だってレン、今から頑張って執行者になるもの。そうしたらまた一緒にいられるでしょう?」

 そんな少女達の言葉を聞いたヨルグは口の端を歪めた。レンは無邪気に言っているが、それはそう簡単なものではないのだ。それに、レンが執行者になれば人間を殺めることになる。執行者候補の時点で人間を殺すことだけは確定しているのだ。そうして躊躇いを失くさせ、後戻りできないようにしなければとても執行者としては使えない。

 かといって、ヨルグが少女達を救えるかと言われるとその答えは否だった。何故なら、シエルの方は既に執行者である。彼女に後戻りする道はない。ならば、レンの方はどうか。そう考えてヨルグは内心で首を振った。レンの方も後戻りする道はないのだろう。もしあるのなら――シエルの方がレンを突き放して一般人の世界へと戻そうとしただろうから。

 ヨルグは考える時間が欲しくて少女達に声を掛けた。

「今からグロリアスに向かうのは止めた方が良いだろう。夜が明けているからな」

「えっ……」

「ここにいることは伝えてあるから、日が落ちてから出ると良い」

 送ろう、という言葉だけは出さなかったが、ヨルグの意図はシエルに伝わったようである。このままこの場所にいる方がイロイロと安全なことを理解していたシエルはヨルグの言葉に甘えることにしたのであった。

 何となく少女達が心配だったヨルグであったが、彼にも生活というモノがある。一応、人形の売り上げだけで生きていられるのだが、食料は流石に買いに行かなければならない。立地上の関係もあって、まさかピザを配達して貰うわけにもいかず週に一度程度は買い物に出かけることにしているのだ。クロスベルの劇団《アルカンシェル》の舞台装置の調子を見るついでに。それが運悪くこの日だったのだ。

 ヨルグはシエル達に用があるから出ると言ってクロスベル市街へと出た。工具の類は全て《アルカンシェル》においてあるので財布以外は何も持っていない。そうでもしなければ帰りの荷物が大変なことになるのは分かっているので、年一回の道具交換の時以外はそういった感じで出ることになるのである。

 そして、彼は《アルカンシェル》での整備の後に運命的な出会いをすることになる。

「あの、マイスター・ローゼンベルグ……で間違いないでしょうか?」

「そうだが」

 突然声を掛けられたヨルグは、声の方向を振り向いて――そして、柄にもなく息を呑んだ。そこにいた人物は、先ほどまで一緒にいた少女の髪と同じすみれ色の髪を持っていたのだ。しかも、どことなく似ているようにも感じる。顔のつくりや細々とした所作が。ヨルグは人形師としての優れた観察眼で彼がレンと関係のある人物だと理解していた。

 あの少女には家族がいる。それを何となく理解したヨルグは話だけでも聞こうと思った。運命だと思ったのだ。レンと出会ったこの日に、レンの家族と出会うということは。確率にすればどれほど低い可能性であろうと、有り得ないことではない。だが、滅多にあり得ることではないことをヨルグは長く生きてきたその経験から悟っていた。

 そこに立っていた男性は申し訳なさそうにヨルグに告げる。

「少々お時間をいただけませんか?」

「……手短にしろ」

「ありがとうございます……!」

 そして男性――ハロルド・ヘイワースと名乗った――は、必死にヨルグに対して人形を取り扱わせてくれないかと頼み込んだ。その様は見ているだけでも痛々しく、ミラに困っている様子が見て取れる。綺麗なのはスーツだけで、中身はもう既に擦り切れていた。それが分かっていてなお、ヨルグはその話に耳を傾ける。この契約が上手く行けば娘に会いに行けるんです、という悲痛な叫びも、ヨルグは醒めた目で見るしかない。

 ヨルグがおぼろげに理解した内容では、ハロルドの言いたいことはこうだった。事業に一度失敗しているがこれから成功させるべく頑張るので信頼してほしい。もし成功すればこれまで以上に儲かるだろう。そして、その内容と共にハロルドはヨルグの情に訴えかけていた。借金さえ返せるようになれば娘に会いに行ける、という言葉がそれだ。

 ヨルグはハロルドに問うた。

「何故――娘を置いて働こうと思った?」

「そ、それは……連れて行けば、危険だと思ったからです」

「……そうか」

 ハロルドは知らない。この時点で彼の娘はもう既に闇へと堕ちていることを。ハロルドが迎えに行ってももうそこにはいない。闇に堕ち、光に生きられなくなってさらに闇を望んでいる。そのことを、知らないのだ。何故そうなったのかさえ。ヨルグはレンの事情を詳しく知っているわけではないが故に勘違いした。要するに彼らは信用のならない家にレンを棄てたのだと。レンにはもう、帰る家はないのだと。

 故に、ヨルグは決めた。これ以上闇に関わるまいと決めていた誓いを破ることを。闇に浸かり、あの少女に少しでも居場所を作るために。

「一体だけくれてやる。これ以降、儂に関わろうとするな」

「え……」

 ヨルグはハロルドにそう告げて踵を返した。ハロルドは慌てて追い縋ろうとするが、何故かヨルグに追いつけない。擦り切れた成人男性よりも、日々が充実している老人の方が元気なのは当然のことだが、それにしてもヨルグの歩みは早かった。彼の心の中は怒りで満ちていた。どうしてこうも世の中は理不尽なのだと。何故子供達ばかりが虐げられねばならないのだと。

 ハロルドを振り切ったヨルグは、工房に戻るや否やグロリアスから戻ってきていた天使型メッセンジャー人形に《身喰らう蛇》の盟主に宛てた手紙を持たせた。そこに記したのは、《パテル=マテル》完成のための一切の作業の完全移譲を懇願する内容だった。これ以上レンをノバルティスや《身喰らう蛇》の連中の好きにはさせられない。レンに執行者の地位を与えるために、ヨルグはその身の才能を使うことを決めたのだ。

 天使型メッセンジャー人形は、夜になる前に戻ってきた。そこに記されているのは『諾』の単語と『ただし執行者シエルは帰還させること』という文言のみ。そうして、ヨルグは《パテル=マテル》の完成のためにレンを預かることになった。

 《パテル=マテル》の改良は日に日に進む。途中でノバルティスが横やりを入れてこようとすることもあったが、ヨルグはその全てを機械人形たちに撃退させた。これ以上レンを苦しめないために。

 彼は分かっていたのだ。これがエゴだと。だが、やらずにはいられなかった。彼の手が届くのならば、救える子供達全てを救いたかった。それは贖罪でもあったのかもしれない。ただ、彼はあの時の悲劇を起こさないために彼に出来る戦いをしているのだ。かの騎士人形の作成者に相応しく、誰かを守るための人形を作って。

 そうして――《パテル=マテル》は完成した。それと同時に、レンの執行者就任が決まった。彼女につけられたコードネームは《殺戮天使》。その悍ましい名前を、ヨルグは一度も口にすることはなかったという。その少女を呼ぶ時には、ただレンとだけ呼ぶ。そう決めた騎士人形の作成者は、《パテル=マテル》を見つめながらかつての愛弟子とどこかの国の姫の話を思い返していたのだった。




 独自設定として『人形の騎士』要素を含んでいます。

 では、また。


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~銀の月、金の太陽~
忍び寄る悪夢の陰


 旧169話のリメイクです。
 おかげさまでお気に入り件数が100を越えました(二話くらい前に)。これを励みに……

 創立記念祭以降書きます(2018/4/10現在、まだ零のインターミッション書いてる)。


 神狼ツァイトが特務支援課に警察犬として受け入れられてからしばらくが経った。正直に言ってツァイトが警察犬として認められるとは思っていなかった――そもそもツァイトは犬ではなく紛うことなき狼である――アルシェムは、そんな彼の様子を見ながら複雑な思いを抱えていた。鉱山街マインツでツァイトから告げられた言葉がしばらく日数が経った今でも耳にこびりついて離れないのである。

 そんな中、特務支援課という部署は既にクロスベル市民からなくても構わない存在からあってくれた方がうれしい存在にクラスチェンジしていた。それに一役買っているのがツァイトだというのだから始末に負えない。警察犬としてのツァイトは文句なしに優秀であり、それ以上に動物の好きな子供達の遊び相手として着目されたのだ。その火付け役は誰あろうグレイスであり、クロスベルタイムズである。

 警察署内でもむやみやたらと煙たがる傾向は薄れてきており、最早表だって特務支援課に苦々しい言葉を告げて来るのは副署長のみだ。一課の刑事も内心では苦々しくは思っているだろうがほとんどの人間がそれを顔に出すことはない。二課に至っては最早なくてはならないお手伝いさん的存在になっている。軽犯罪等を取り締まるのに特務支援課の見回りが欠かせなくなっているのである。

 そんなある日。特務支援課の端末に珍しい支援要請が寄せられた。一つ目は新アーツの効果確認。エプスタイン財団が中央区のオーブメント工房《ゲンテン》を通じて出してきている依頼であり、些細なバグによって組めてしまったアーツの効果を確認してほしいとのことである。二つ目は警備隊の演習。言わずもがなクロスベル警備隊からの依頼であり、特務支援課の全員とタングラム門の警備隊員とで演習を行いたいそうだ。

 それ以外にもアルモリカ古道の私有地に魔獣が出没しているという依頼があったため、今日に限っては手分けして動くのを止めた。経路を考えればむしろ手分けする方が非効率的なのである。タングラム門に着くまでに少々時間がかかってしまうかもしれないが、状況報告のためにアルモリカ村に寄ることを考えればむしろバスを使えるだけ効率的ともいえるかもしれない。

 ロイド達はオーブメント工房に寄ってアーツの説明をしてくれたロイドの幼馴染ウェンディとの関係をからかいつつアルモリカ古道へと向かう東クロスベル街道へと足を踏み入れた。

 そのまま街道を走りはじめようとするアルシェムにロイドは声をかけた。

「……流石に、時間が押すと問題だから今日はバスを使うからな?」

 アルシェムにとってはさして時間がかからぬことではあるのだが、ロイド達が同じスピードでついて来られないことはアルシェムにも分かっていた。何度もやらかしたらそれはもう弁えるしかなくなるだろう。ただ、最近は手配魔獣があまり出没していなかったためにストレス解消が出来ていないのも確かである。生き物の命を奪っておきながらストレス解消だと称するのはあまりにも失礼なことなのだろうが、アルシェムがそこを気にしたことはない。

 溜息とともに憂鬱な気持ちを吐き出すアルシェム。

「まー、そうなるよねー……折角のストレス解消が……」

「は、はは……」

 ある意味ブラックな発言にはランディでさえ苦笑するしかない。大人しく来たバスに乗り込んだ一行は、アルモリカ村へと赴いて村長からアルモリカ古道の私有地の鍵を預かった。その私有地は少々アルモリカ村から離れるらしい。そこに辿り着いたアルシェムは何故こんな場所に私有地を持っているのかと激しく問い詰めたいところだったのだが、湧いている魔獣の数を見て目を細めた。

 そして、ロイドに向かって告げる。

「中の魔獣、街道に向かって投げるから後始末ヨロシク」

「えっ」

 ロイド達がその意味を計りかねている間に、アルシェムは私有地の扉の鍵を開けて内部に侵入した。そして――宣言通り、投げた。比喩でもなんでもない。ただそこにいる魔獣を棒術具で絡め取って遠心力を利用し、街道へと叩きつけているのである。一応アルシェムとしては私有地の持ち主に気を遣っているつもりだ。中で魔獣を殺せば、魔獣の体内に含まれている微粒子レベルの七耀石の影響でその土地に悪影響が出ないとも限らないためだ。

 とにもかくにも普段のストレス解消にと魔獣を絡め取って投げる様はとても一介の警察官には見えなかったそうである。後にアルシェムはそう聞いたのだが、むしろただの警察官ではないことは既に知れ渡っているのでどうでも良いと思っていた。既に知名度だけで見ればロイド達以上なのだ。主にエステル達がグレイスの取材の時にばらしてくれたおかげで。いい迷惑である。

 その他もろもろのイライラを魔獣を叩きつけるという行為で晴らしたアルシェムは、全力で複雑な顔をしているロイド達と共にアルモリカ村まで戻って村長に魔獣を退治し終えたことを報告し、バスを待つ間に昼食をとっておいた。この後は、肉体的にはほぼ疲労していないとはいえ警備隊員との演習なのだ。しっかりと腹ごしらえをして準備をするのは当然である。

 そうして準備を終えた一行は、アルモリカ村からバスに乗ってタングラム門へと向かった。道中の魔獣は今回に限り完全無視である。そうでもしなければ時間がなくなってしまうからだ。最終的に歩きながら帰るだけの余裕があるかどうかも分かっていないため、体力を温存するに越したことはない。タングラム門に辿り着いてから、彼らはその予測が正しかったことを知るのである。

 というのも――

「じゃ、シーカー曹長、コルティア軍曹、警備を最低限残して皆を集めていらっしゃい。ああ、貴女達は絶対に参加するように」

「はーい、了解でっす副司令」

 ソーニャに言われたリオはその場から駆け出し、瞬く間に五十人弱の隊員を連れて帰ってきたのである。この人数を相手に演習を行うという時点で持久力でもつけろと言われているような気分になるのも当然だろう。特務支援課側には代えの人材などいないのだから。顔をひきつらせたロイド達は、処刑場に連れ出される囚人の如くタングラム門前の広場に引き出されたのであった。

 乾いた笑いを抑えきれずにロイドが零す。

「は、はは……冗談じゃないよな?」

「目の錯覚じゃないわよね……?」

 エリィも同じく遠い目をしていたのだが、彼らの心配は杞憂に終わるだろう。というのも――特務支援課にはランディがいるからだ。すこぶるやる気になっているランディは不敵に笑いながら警備隊員たちを見据えており、視線だけで彼らを委縮させていた。ついでにあまりやる気のなかったアルシェムもリオに挑発されて多少はやる気になっている。久々に歯ごたえのある相手――無論リオのことだ――と戦えるので、本当に多少ではあるが高揚している。

 ソーニャは隊員たちを半分に分け、リオに指示を出した。

「じゃ、貴女達のグループから始めなさいコルティア軍曹」

「了解です副司令。シーカー曹長合図お願い」

 リオはそう言ってランディを見た。まずこの場で知っておくべき戦力はランディ――もとい、『ランドルフ・オルランド』だったからだ。彼が特務支援課に異動になる以前には模擬戦の機会がなかったのである。アルシェムの実力については知らないわけではないので後回しだ。それに、今日は指揮官扱いで演習に参加するため、彼女が扱うのは法剣の代替のスタンハルバードではなくライフルなのだ。油断は全く以てできなかった。

 そして、ノエルからの合図が発される。

「では、始め!」

「A隊はランディに、B隊はロイドに集中! C隊は後衛を落として!」

 ノエルの合図を聞いた瞬間にリオはそう叫んでいた。最初から決めていたことである。A隊を犠牲にして、ランディを足止めする。B隊にはロイドを早々に落として貰ってA隊に合流する。そして、C隊は後衛を二人落とした段階で相手の前衛二人のうち消耗している方を叩くと。このうち、落とされる後衛はエリィとティオであろうことは想像に難くはない。アルシェムを落とせるような練度の警備隊員は最早一般人ではないのである。

 そうして、一番最初に削り切られたのはロイドだった。流石に一対八は辛かったらしい。ただし相手の警備隊員を六人戦闘不能まで追い込んでいるので――今回の模擬戦のルールには戦闘不能状態から戦線に復帰しない旨が盛り込まれている――そこそこ頑張った方だともいえるだろう。飛び道具から後衛を守っているという事情もある。何よりも今回に限って新アーツの実験をアルシェムに頼んだことにより前衛が足りていないのだ。もっとも、アルシェムはまだその新アーツを使ってはいないのだが。

「ごめん、皆……!」

「やっぱり火力不足になっちゃうか。うーん……やっぱ手配魔獣系も回した方がよさそーだよね、これ」

 頽れるロイドを見ながらアルシェムはそう零し、しかし前衛に回ることはない。誰かから言われない限りは自重しようと勝手に自分ルールを敷いたからだ。その場で導力銃を撃ち続けつつこれは負けるかな、と内心嘯いている。ロイドが六人減らしたとはいえ今アルシェム達が対峙している警備隊員は十五名を超えているのだ。なりふり構わないのであれば一瞬で終わるのだが、ここは敢えて苦戦しておいた方がよさそうである。主にロイド達の成長のためにだが。

 大勢がランディに群がる中、援護の手も次第に追いつかなくなっていく。ティオが回復に回り、エリィが補助を掛けつつ隙あらば高位攻撃アーツを叩き込んでいるのに、だ。警備隊員の数を恃んだ回復にはやはり勝てない。それでも地道に警備隊員を一撃で戦闘不能にしていくあたり、どうやらランディも多少は本気を出し始めたようである。

 だがジリ貧なことに変わりはない。それに痺れを切らしたエリィがアルシェムに声を掛けた。

「アル、お願い!」

「突っ込めってこと? あーはいはい。仕方ないなー……ホロウスフィア」

 エリィの非難がましい視線を一身に受けつつアルシェムは新アーツ――ホロウスフィアという名のアーツで、隠密の効果がある――を唱えて一番外側の警備隊員を投げ飛ばした。動きを見せた瞬間に肉体が色を取り戻すのを見たアルシェムは眉をしかめつつ近くにいたもう一人の警備隊員を無力化する。

 その様子を見たランディが機を待っていたと言わんばかりにスタンハルバードを振り下ろして吼えた。

「反撃開始だッ! アル、テメェ後で覚えとけよ……?」

「はっはっはっはっは、マジかよやだなー……」

 アルシェムはランディの言葉に顔をひきつらせて近くにいた警備隊員を弾き飛ばした。ついでにその警備隊員で別の隊員を薙ぎ倒すという芸当を始めたアルシェムにライフルが向けられる。

 そのライフルの持ち主はリオだった。

「やっぱ二人はきついって……!」

「ま、確かにきついだろーね。頑張ってー」

「アルシェムさん絶対倒す」

 アルシェムが他人事のようにリオをからかってみれば、彼女はいとも簡単に平静を失った――ように見せた。本人はいたって冷静であるが、ただの模擬戦如きが夜が明けても終わらないなどという状況が出来上がってもらっては困るのだ。リオにとっても、アルシェムにとっても。もっとも、そういう状況が起こるのはアルシェムが積極的に攻撃に加わらないことが条件だが。

 そして、結果は――

「えっと、特務支援課の皆さんの勝ち、です」

 ランディとアルシェムでリオの動きを完封して終わらせた。その他の警備隊員はリオを押さえている間にエリィ達に任せたので随分苦戦したようだ。援護のエリィが落とされたところで、苦肉の策に出たティオが魔導杖で警備隊員をぶん殴るという奇策を繰り出してなんとか全滅させられたらしい。最早泥仕合としか言えない様相に、ソーニャはあきれ果てていた。

 それを後目に、ランディはアルシェムに問う。

「どういうつもりだ?」

「積極的に前衛に行かなかったこと? それとも、新アーツを使うまで前衛に加わろうともしなかったこと?」

「どっちもだ。足りないのは分かってたろ?」

 ランディの目は厳しい。だが、アルシェムは溜息をついて肩をすくめた。彼の言っていることは最初から分かっていたが、ずっと頼りきりでいられても困るのだ。いつまでアルシェムが特務支援課にいて良いのか分からない以上、頼られっぱなしでは後が怖い。彼女が抜けた直後に連携不足で全滅と言われた日には寝覚めが悪すぎるのだ。

 故に、アルシェムはこう返す。

「分かってたけどさ。これは模擬戦だよ? 本気になる必要もないし、死ぬ可能性も低い。なら試したって問題ないでしょ。もしわたしが外してる時に大人数と応戦する羽目になったらどうなるのかっていうのは、さ」

「……まあ、鍛え直した方が良いかもなってのは分かるけどな……次は真面目にやれよ?」

「分かった」

 真面目に手を抜いてやる、という言葉を省いてそう応えたアルシェムは、新アーツのテストは終わったことにして前衛に回った。次に相手をするのは残ったもう半分と指揮官ノエルである。手を抜いてやらないと本当に一瞬で終わってしまうあたり、練度の差が分かるだろう。終わるのは無論ノエルたち警備隊員の方であるが。

 警備隊員とロイド達の回復を終えると、ソーニャはリオに指示を出して合図を出させた。

「じゃ、始め!」

 リオの合図で、今度こそアルシェムが飛び出した。前衛はロイドとランディ、そしてアルシェム。後衛はエリィとティオ。いつも通りの編成である。ただし、今回のアルシェムは早く終わらせるために得物を変えていた。先ほどまでの導力銃ではなく、棒術具を取り出していたのである。大勢を鎮圧するには攻撃範囲に複数人巻きこめる棒術具の方が効率が良いのだ。

 あまり手の内を見せず、なおかつ早く終わらせるためにアルシェムは敢えて分断される道を選ぶ。

「先に後衛片付けて来る」

「えっ」

 アルシェムの言葉に思わず振り向いてしまったロイドは、背後から迫ってくるスタンハルバードの一撃を喰らいそうになりながら彼女を見送った。見送ることしか出来なかった、というのが正しい。彼女に追随しようとしても、ロイドには一瞬で周囲の警備隊員を沈黙させられる技術はないのである。そして、ランディはそれを当然のように見送ることすらしなかった。アルシェムならばそれが出来ると分かっているからだ。

 飛び出したことによって一斉に狙われたアルシェムは、しかしぬるぬると動きながらライフルから放たれる銃弾を避けていく。そして、一番近くにいた警備隊員からライフルを蹴り飛ばして無力化していく。武装解除してからの容赦ない一撃――どこを狙っているのかは敢えて明言しない――を受けた警備隊員たちは悶絶して倒れ込んでいく。

 それに気付いていて対応が遅れたノエルは、歯噛みしながらアルシェムに導力機関銃を向けた。

「くっ……!」

「遅い」

 思ったよりも正確に飛んでくる弾丸を避けつつ、アルシェムはノエルの懐に入り込んで鳩尾に一撃を入れ、ついでに首筋にも一撃叩き込んで気絶させておいた。無論武装解除も忘れない。そして、後衛を片付け終えたアルシェムはそのまま反転して警備隊員たちを挟み撃ちにしていくのだった。

 その結果、模擬戦は第二戦も勝利した。先ほどとは違って危険な場面すらない。それを見たソーニャは、渋面をつくりながら考え込んだ。確かにリオやノエルは逸材である。単独でも遊撃士に勝るかも知れない人材だ。だが、アルシェムも同じ――否、それ以上に強い。本当の意味での本気を出していないランディだけならばともかく、アルシェムがいると模擬戦としての体裁すら成り立たないのだ。

 故に、模擬戦の第三戦としてソーニャが提案したのはアルシェムを除いた特務支援課の面々と指揮官のいない警備隊員たちとの模擬戦だった。

「――どうかしら、バニングス捜査官?」

「え、えっと……ちょっと無理があるような気がするんですが……」

「……さっきまでの模擬戦に勝てたのは、彼女の力に頼り切りだからよ。彼女の力抜きで、貴男達がどこまでできるか見てみたいの」

 ソーニャの言葉に不快感を覚えた一同は、その模擬戦を受けた。アルシェムの力だけでやってきたわけではないことを証明したくなったのだ。ソーニャはそれを見越して挑発していたのだが、ロイドとエリィはそれに気付かずに受けている。ティオにしてみればどちらでも良いしこの場合指示を出すのは後方から全てを見渡せる自分がやるべきだと思っていた。ランディはどこまで足手纏いを守り切って勝てるかなどと考えている。

 そして模擬戦を始めて――終わった。もう筆舌に尽くしがたいほどの泥仕合になったその模擬戦は、最終的にロイド達の勝利で終わった。もっとも、立っていたのはランディだけだったのだが。いくら鍛え始めたからと言っても、もともと戦闘になれている人間ではないエリィが一番最初に沈み、ロイドは途中までティオの援護に助けられつつも一歩及ばず。ティオも最後は魔導杖を振り回して応戦していたものの、応戦かランディの回復かの二択で迷った結果倒された。

 そして、ボロボロになりながらもなんとか全戦全勝で模擬戦を終えたロイド達は、休憩所で軽く休憩を入れてからタングラム門を後にするのだった。



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銀の月の来訪

 旧170話のリメイクです。


 タングラム門からクロスベル市街に戻ってきた一行は、報告のために支援課ビルに戻ることにした。しかし、アルシェムは支援課ビルの前まで来ると唐突に立ち止まってしまう。

「どうかしたんですか、アル?」

「……どーゆー……いや、何でもない」

 立ち止まったアルシェムを不思議そうに見たティオは、とんでもないモノを目にしてしまった。それはアルシェムの掌の中にある。あってもまあ、さしておかしくない物体だ。しかしティオの知っている限りではそんな形状をしていなかったはずである。そもそも小判型の戦術オーブメントであるからにして。そう――戦術オーブメント《ENIGMA》は、アルシェムの手の中で変形していた。それも、握りつぶす形で。

 ティオは壊れた機械のような動きでアルシェムを仰ぎ見てこう返した。

「それのどこが何でもないんですか……」

「え、あー……やっちゃった。ちょっと直してくる」

 動揺のあまりオーブメントを握りつぶしてしまったことに遅ればせながら気づいたアルシェムは、玄関からではなく裏口から自室に戻ることにする。何故なら、玄関から入るととある人物に出会ってしまうからだ。今の精神状態で彼女に会えば、アルシェムは何をしでかすか分からなかった。最後まで隠し通すと決めていたことの一つを守れなくなりそうで。故に、彼女に極力関わらない方向でいこうと思ったのだ。

 何故裏口から入るのかと疑問に思うロイド達にお客がいるからとだけ告げたアルシェムは、裏口から自室に戻った。扉に鍵を閉め、溜息をついて《ENIGMA》の修理にかかる。そう時間のかかるものではないのですぐに階下に降りなければならないだろうが、敢えて丁寧に時間をかけて修理を終わらせるアルシェム。階下にいる彼女が、何を依頼してきているのかなど知りたくなかったのである。

 だが、修理が終わってしまったからには階下に降りなければならない。それに、どうやら彼女もアルシェムのことを待っているようで、このまま部屋に立てこもれば無用な疑いを掛けられそうである。

 故に、アルシェムは部屋から出て階下に降りた。

「あ、アル。直ったのか?」

「あれくらいなら余裕だけど……依頼人さん放置して会話すんのはやめといた方がいーと思うな」

 ロイドから声を掛けられてそう返したアルシェムは、数年ぶりに見る『□□』の顔を見た。当時とは、一部を除いてほぼ変わっていない。濃い紫色の髪。年齢よりも若く見える、整った容貌。丁寧に鍛え上げられた全身の筋肉は、あの時よりも更に磨きがかかっている。そして、当時とがらりと変わったその部分――胸は、あろうことかエリィよりも巨大だった。

 その少女は、アルシェムに向けて問う。

「貴女は……」

「他人に名前を聞くときは自分から名乗った方がいーと思いますけど?」

 敢えてアルシェムは少女の言葉に被せるようにそう応えた。彼女に明言されるわけにもいかず、またアルシェムからそうであると回答することも出来ない。アルシェムの表の経歴が途切れる最後の部分に関わる彼女を、これ以上関わらせるわけにはいかない。思い出させたくないのだ。あの時の悪夢を――人外に襲われるという経験をした、彼女に。

 少女はアルシェムの言葉にこう返した。

「あ、えっと、私はリーシャ・マオって言います。今日はその、特務支援課の皆さんに依頼を……」

「特務支援課所属のアルシェムです。よろしくお願いします――で、ロイド、依頼内容は聞いた後だよね?」

 アルシェムは少女――リーシャの言葉にそう返してからロイドに目線を移した。ロイドはそれを不思議に思いつつも依頼内容について詳しく説明する。彼によると、劇団《アルカンシェル》のスター、《炎の舞姫》イリア・プラティエに脅迫状が届いたそうだ。アルシェムには何故リーシャがその依頼を持って来るのかが分からなかったのだが、要領を得ないランディの言葉を聞く限りリーシャも《アルカンシェル》に所属しているようだ。それで依頼を持ってきたということだろう。

 来客用カップに注ぎ足された紅茶を一口飲んで、リーシャは更に言葉を付け加える。

「あの、それと……これは依頼ではないんですけど……」

 そこまで言ってリーシャは黙り込んでしまう。何か内心で葛藤があるようで、どう言ったものかと悩んでいるようだ。本当に彼らが信頼できるのかと、目の前にいるアルシェムがリーシャの知る『エル』ではないのかと――様々な思いが胸中を駆け巡っている。

 それを見かねたエリィがリーシャに声をかける。

「言いにくいことでしたら言わなくても構いませんよ。気にしませんし……」

「いえ、言いにくいことじゃないんですけど……その、さっきの依頼のこともありますし……」

「複数の支援要請を受けることもあるのでそのあたりは大丈夫だと思いますけど……」

 そのエリィの言葉に、リーシャは腹をくくったようだった。胸の前に右手を当て、拳を作って握りしめる。浅く息を吐いて、声を出すために息を吸って――そして、その言葉を吐きだした。

「……人を、探してほしいんです。時間がかかっても構いませんから……」

 ロイド達はリーシャの言葉に顔を見合わせた。時間がかかっても構わないということは、最近行方不明になったわけではないということだ。しかも、リーシャは最近クロスベルに来ているはずで、尚更ここでは見つけにくいような気もする。どこで行方不明になったのか、何故見つけたいのかを聞かない限りは目星すら付けられないだろう。

 一同を代表してロイドが問う。

「どんな方ですか?」

「……エルという名の、長い銀色の髪の女性です。もし生きているのなら、恐らく年齢はロイドさんと同じくらい……だと思います」

「生きて……って、亡くなっている可能性もある、ってことですか?」

 エリィがそう聞き返す。すると、リーシャの顔が目に見えて曇った。どうやら死んでいる可能性の方が高いらしい。無理もない、とアルシェムは思う。何故なら、リーシャが最後に『エル』を見たのは――魔人に背を斬り裂かれた姿であったはずだから。死んでいてもおかしくない。だが、現実には『エル』はその場から生き延びていたのである。何故なら、『エル』は――アルシェム本人なのだから。

 だが、アルシェムはそれを明かすことはしない。明かす意味がないからだ。かつて『□□』と呼んだ彼女らの元に帰れなくしたのは――そもそもあの冷たくもあたたかい場所にいる権利などありはしなかった――アルシェム自身。その後完全に闇に堕ちきったアルシェムから、リーシャに言える真実などどこにもなかった。彼女は既に裏の人間ではあるだろうが、闇に染まり切っているわけではないのだから。

 そんなアルシェムの内心もいざ知らず、リーシャが言葉を零す。

「……むしろ、死んでいる可能性が高いと、思っています。でも……でも、やっぱり探さないままでいるのは嫌で……だって、エルは……」

 『家族』だから。そう、リーシャは告げた。リーシャにとって、自身のことを『エル』としか名乗らなかった少女は正真正銘の『家族』だったのだ。あの時点で母は既に亡く、父からは忌まわしい業を受け継ぐべき存在だとみなされて毎日を過ごしていたリーシャにとって、『エル』は孤児であっても父が家に招き入れた時点で『家族』だった。たとえ父が家に招き入れた目的が、リーシャから甘さを棄てさせるための手段としての生贄にするためだったのだとしても。

 そんなリーシャを見て、アルシェムは告げる。

「あんたが最後にその人を見たのがどういう状態だったのかは知らないけどさ、死んでる可能性が高いってことは瀕死だったってことだよね?」

「……そう、です」

「逆に考えてほしいんだけど……もし死んでなかった場合の方が結論は悲惨だと思わない?」

 ひゅっ、と息を吸いこむ音がした。それは、敢えてリーシャが考えて来なかったことだからだ。あの状況で、死んでいなかった場合。背中を引き裂かれ、そのまま連れ去られた、というのがリーシャの見た事実。だが、その後彼女が生き延びていたとして――どういった扱いを受けると思っていたのか。分かっていたはずだった。何故なら、その事件の解決には父も関わっていたのだから。

 故に、そのことは考えないでいたのだ。連れ去られてなお生きていた場合――本当に彼女が五体満足で精神的にも無事でいられるか、などとは。それを察したランディがアルシェムを窘めるように声を発する。

「おい、アル」

「……ごめん、言いすぎたかも。でも、死んでいる可能性が高いっていうなら、そういう覚悟もしておいてもらった方がいいと思ったんだ。実際――わたしは死にかけの状態から裏社会に取り込まれた人たちを見てるわけだし」

 ここに事実を知る者がいれば何を白々しい、と言ったことだろう。アルシェムの言葉はそっくりそのまま彼女自身のことを指していて、『家族』であると知っていながらもそれを否定するような言葉を発するのだから。だが、どんな矛盾を抱えていようとアルシェムはリーシャに明かすことだけはしない。そう――『アルシェム』なら。

 リーシャはアルシェムの言葉を受けて言葉を零す。

「でも、それでも――生きて、いてくれるなら。その方が、私は嬉しいです」

 アルシェムはそれを欺瞞だらけの言葉だ、と思った。どんな状態で生きているのかなど、リーシャはまるで気にしていない。極端なことを言えば、たとえどこかの施設で実験動物として飼われている状態であっても、生命活動を停止していなければその方がいいのだと。そう言っているようにアルシェムは受け取った。

故に、アルシェムはリーシャに言葉を吐いた。

「……そーですか。じゃ、片手間にでも探してみるので情報を下さい。その人がどういう人で、いつどこで誰によって瀕死にされたのか」

「……はい。エルは――」

 その後の話は、アルシェムの意識にすらのぼらなかった。既に知っていることが故に、聞き流しても何の問題もなかったのだ。何故なら『エル』はアルシェム自身のことで、今ここで生きているのだから。聞いたところで探すつもりもなければ、生存の情報を渡すわけにもいかなかった。リーシャがいつどこで、どれだけの罪を犯してきているのかを知っていてなお、これ以上闇に落とすわけにはいかないと思っていたのだ。

 そして、一通りの話を聞き終わった後ロイド達は歓楽街に向かった。リーシャからの願いで劇団《アルカンシェル》に顔を出す必要があったからだ。ここクロスベルの観光の目玉ともいえる《アルカンシェル》は、多くの人が集まる歓楽街に存在する。そして、その中では劇団員たちが切磋琢磨しながら世に素晴らしい作品を送り出しているのである。

 一行が《アルカンシェル》の正面まで辿り着いた時だった。目の前に歩く男性から声を掛けられたのは。

「おや、エリィお嬢さん!」

 名を呼ばれたエリィは硬直した。何故ならその男性は、エリィにとって今あまり会いたくない人物だったからである。その隣に立つ身内すらも。エリィはその場所から一度逃げ出してしまっていると言っても過言ではないのだから。その男性は、身内の――ヘンリー・マクダエル市長の秘書なのだ。そして、本来であれば市長の立つ位置こそがエリィの目指すべき場所。最終的な目的地だった。

 今はエリィにとってのモラトリアムで、迷いの時間だ。それを知っていてなお声をかけて来た男性に向けてエリィが声を発する。

「あ、アーネストさん……」

「お元気そうで何よりです、お嬢さん」

 アーネストと呼ばれた男性は、エリィにニコリと笑いかけた。それを見てアルシェムは首筋まで鳥肌が立った――あまりの爽やかさにある種の拒絶反応が出た――のだが、それに気付く者はいない。プレ公演の下見に来た、というアーネストを見ながらアルシェムは彼についての情報を脳内でまとめなおし始めた。

 アーネスト・ライズ。エリィの祖父ヘンリー・マクダエル市長の秘書であり、将来は政治家になることを夢見ている若者である。ただし、清廉潔白なヘンリーとは対照的にある程度の裏取引は出来るようで、ヘンリーが判断に困るような法案が出された際にはまずアーネストから説得すれば何とか通せると、裏の世界ではもっぱらの噂である。

 裏社会とのつながりは恐らくほぼないだろうが、アルシェムは彼にとある気配を感じていた。本当に僅かな違和感。気のせいかと思えるほどに薄く、アルシェムの知るあの忌まわしい気配がしている気がする。気がするだけで、気のせいかも知れない。もしもあの忌まわしい薬が関わっているのならばとうの昔に表を歩けるような状態ではなくなっているはずなのだ。たとえ摂取量がごくわずかであったとしても。

 アルシェムがそう考えている間に、エリィはヘンリーとの会話を終えていた。エリィから支援課の一員として紹介されたときも反射的に頭を下げていたので考え事をしていたとは気づかれていないのだが、良い態度とは言えないのは確かだ。

 内心で溜息をついたアルシェムは、《アルカンシェル》に入って行こうとするロイド達を追った。入ったところで一度止められたのだが、ロイドが名乗るとすんなりと通して貰え、奥へと案内される。

 

 そこには――《炎の舞姫》がいた。

 

 まるで風に揺らめく炎のように儚く揺れる。そうと思えば次の瞬間には力強く地を蹴り、まるで燃え盛る焔のように周囲の空気を焼き焦がす。辺りを照らし、温め、時には我ここにありと激しく主張しながら舞い踊るその女性こそが、劇団《アルカンシェル》の看板女優。誰もが目を奪われる美しい《炎の舞姫》、イリア・プラティエだった。

 イリアには目を離せないような魅力があった。見る者の心にすんなりと入りこむ声を持っていた。どんな時でも、観客を舞台にのめり込ませるだけの説得力があった。それゆえに――アルシェムは危惧した。もしもイリアが『クロスベル独立を目指す果敢な女性』を演じれば、イリアの演技を見た民衆たちはその思想に憑りつかれていくだろう。そういう風に利用されても何らおかしくはない。

 イリアの舞が終わった時――惜しみない拍手を送りながら、アルシェムは顔には出さないようにしながら内心では眉をしかめていた。イリアは危険だ。この演技力に目をつけられた時が、恐らく《炎の舞姫》イリア・プラティエの最期だろう。たとえリーシャが隣にいてもそれは同じこと。肉体的に生き延びようが、精神的に生き延びようが、恐らく社会的に抹殺される。それが分かっていてなお、イリアは踊るのだろう。ろうそくにともる炎のように。

 そうぼんやりと考えていたアルシェムは、故に気付かなかった。目の前にそのイリアが文字通り跳んで近づいてきたことに。イリアは猫に似た笑みを浮かべてアルシェムに告げた。

「う~ん……アナタ、《アルカンシェル》で踊ってみない?」

「……え? えーっと……あ、そーゆー……いや、色んな意味で無理なんで却下します」

 アルシェムは暫しイリアの言葉の意味を取りかね、言葉を脳内で反芻してから断った。というのも、そもそも特務支援課から出る気がないことに加えて《アルカンシェル》に関われない理由が多数あるからだ。たとえば、身体。アルシェムの身体には昔の稼業の影響で大量の古傷があり、化粧で誤魔化そうにもどうにもできない傷も多々あること。そもそもそんな余裕がないこと。そして――《アルカンシェル》には、《身喰らう蛇》の手が伸びる可能性があるからだ。

 一番最後の理由はあまり有り得ないことではあるが、ヨルグが裏社会に落とされかねない執行者候補たちを保護する名目で利用する可能性だって無きにしも非ずなのだ。そもそもヨルグが関わっている時点であまり立ち寄りたい場所でもない。ついでにここにはリーシャもいる。そういう意味では、クロスベル内でもアルシェムにとっては鬼門に位置することに変わりはなかった。

 しかし、イリアはアルシェムの顎に手を当て、下から覗き込むようにしてもう一度問う。

「ポテンシャル的には満点なんだけど、というかリーシャと同じくらいの才能を感じるんだけど……外堀から埋めて良い?」

「良かねーですし、そもそもイロイロ誤魔化さないといけないのがある時点で無理ですってば」

「じゃ、賭けをしましょ」

 そう言いながらイリアがアルシェムの首に手を伸ばして。うなじのリボンを引っ張ってチョーカーを引っ張った。アルシェムの手がイリアの手に伸びるが、イリアは持ち前の運動神経で後ろに飛び退く。が、アルシェムも同時に地面を蹴ってイリアとの間を詰めていた。

「返して貰えますか」

「一分以内に取り返せたら諦めてあげても良いわよ?」

 イリアはそのままバク転をして舞台に上り、チョーカーを持った手を上に掲げた。いかにもとって御覧なさいとでも言わんばかりに伸ばされた手に向けてアルシェムの手が伸びて――きちんと取れずに、弾いた。

「――ッ!」

 それを見たアルシェムの顔色が変わった。アルシェムの手に弾かれたチョーカーはそのまま上空へと舞い上がり、そしてシャンデリアの上へと辛うじて引っかかってしまったのだ。アルシェムはイリアに阻止される前に彼女の横をすり抜け、舞台を蹴ってシャンデリアに引っかかったチョーカーを今度こそ掴み取る。そして、着地したアルシェムは大きく安堵のため息を吐いた。

「……二度とやらないで下さい。これは、何よりも大事なものなので」

「あ……ごめんなさい。そこまで必死になるようなものでもないと思ったから……」

 イリアはアルシェムの必死な様子に何かを感じたのか、素直に謝罪した。その後、ロイドにイリアが抱き着くというハプニング――イリアはセシル・ノイエスの友人であり、よくセシルからロイドのことを聞いていたため――もありつつも特務支援課の一同は事情を聴くことに成功した。脅迫状を出してきかねない人物の情報も得られたのだが、アルシェムにとっては看過できない名前がそこに記されている。

 故に、アルシェムはロイドに別行動をすることを告げてその場を立ち去るしかなかった。これ以上その場にいれば、ぼろを出しそうだったから。



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推測/確定された結果

 旧171話のリメイクです。


 ロイド達と別れ、支援課ビルに一度戻ってきたアルシェムは脅迫状の内容を思い返していた。『公演を中止しなければ《炎の舞姫》に災いが降りかかるだろう――銀』。ここで重要なのは脅迫状の内容などではない。差出人の方である。アルシェムはある事情により、その人物のことを知っていた。何故なら《銀》は、その脅迫状を持って依頼に来たその当人なのだから。

 ここで調査すべきなのは、誰が《銀》を騙って脅迫状を出したかである。そもそも《銀》本人が脅迫状を出すことなど有り得ないのだ。何故なら《銀》とは、東方人街の魔人の総称であり、根本的に暗殺者であるからだ。《怪盗紳士》ことブルブランのような劇場型犯罪者ではなく、どちらかと言われると《漆黒の牙》ヨシュア・アストレイに近い。その存在すらも悟らせずに対象を暗殺するのが《銀》。依頼人が存在しようが、そもそも《銀》を知っている以上はその存在を隠匿するだろう。脅迫状を書く意味がない。

 つまり、その脅迫状を書いた人物は《銀》の名を知っていながらも、その暗殺者という特性を知らない/活用しようとしない人物であるということだ。そういう意味では、一番に黒幕と思われる《黒月貿易公社》――東方系マフィア《黒月》は犯人足りえない。もしも彼らが本当に《銀》とコンタクトをとれていたとしても、彼らにとって《銀》はいわば虎の子である。たかがイリア如きに駆り出すような人物ではない。そもそもイリアを襲撃したいのならば夜道にこっそり襲撃すれば済む話である。

 かといって、イリアに恨みをもつであろう人物――彼女に手を出そうとして思い切りビンタされた《ルバーチェ》会長のマルコーニが関わっているかと言われればそれもおかしい気がする。確かに警察関係者に《銀》の存在を知らしめるためには有効かもしれないが、それが《ルバーチェ》にとって得になるかと言われると疑問である。後々に使おうと思えば使えるカードにはなるのだろうが、それとイリアに復讐するのとは別の話だ。

 そこまで考えてアルシェムは溜息をついた。

「……ふー……イリア・プラティエを害する必要がある人物、ねー……」

 そんな人物がいるとするのならば、劇団《アルカンシェル》内のはずだ。だが、もしもイリアを主役から引きずり落としたいのだとしても、脅迫状の内容がオカシイ。公演を中止した時点でイリアの代役は――もしそんなつわものがいたとしても――表に出られない。何せ、その公演は中止されているのだから。故に、内部犯であればこう書くはずなのだ。『イリアを降板させろ。さもなくば彼女に災いが以下略』と。そういう意味では、内部犯である可能性はほぼない。

 もしも本当にあの脅迫状を出したのが《ルバーチェ》だとすれば。イリアの身はかなり危険だろう。そういう意味では特務支援課が警護に就くというのは少々危険であるともいえる。流石に大勢のマフィアどもを相手取れるほど、ロイド達は強くはないのだから。そこにアルシェムが加わったとしてもあまり結果は変わらない。アルシェムは戦うことは得意だが守ることは苦手なのだから。

「……潜入、か」

 そうつぶやいたアルシェムは、仮面をつけつつ目立たない服に着替えてその場から姿を消した。同業者がいれば気付かれるのだろうが、気付かれた方がむしろ話は早いだろう。万万が一《銀》が脅迫状を出していた場合、彼女が《ルバーチェ》周囲をうろつくことはないのだろうから。正体は明かさないまでも情報交換が出来れば上々だ。そう考えたアルシェムは、《ルバーチェ》のビルへと気配を消して侵入した。

 《ルバーチェ》のビルの中でアルシェムが探すものはというと、帳簿だ。裏帳簿でも普通の帳簿でも良い。ここ数か月以内に帳簿さえあれば《ルバーチェ》が黒幕かどうかは確定するだろう。彼らが黒幕ならば、そこには共和国あるいは彼女にむけて支払われた痕跡が必ず残っているはずなのだから。帳簿を見つけ出すのにはさして時間は必要ない。隠す場所は大体分かっている。

 ついでに、いい機会なのでアルシェムは《ルバーチェ》内を探索することにした。気配を消しているので誰にも見とがめられることはないのだが、ばれれば普通に不法侵入で逮捕である。要はばれなければ問題ない。その考えで、アルシェムは帳簿を探しつつ内部を探索する。あからさまに仕掛けが必要な場所は無視して、抜け道を探しながらの作業である。

 その内部には、かなりの数の違法な物体が存在した。武器は当たり前に置いてある――クロスベル自治州内で武器を持つことができるのは警察官か遊撃士、警備隊員または武器携帯許可証を持つ人間だけである――上に、恐らくリベールから持ち込まれたのであろう飛び猫という名の魔獣、それに人形兵器まで。これを公に出来れば普通に《ルバーチェ》を潰せるだろうと思えるだけの物証がそこにはあった。

 そして、目的のブツ――帳簿を手に入れたアルシェムは、念のために数年分ほどを音が出ないように改造してあるオーバルカメラで撮影してその場を後にした。《ルバーチェ》ビルから脱出したところでアルシェムはとある気配に気づく。相手も気づいてはいるようだが、個人の特定にまでは至っていないようだ。それを幸いとアルシェムはその人物を撒いて自室へと帰還した。

 自室へと戻った後はすぐに施錠をする。その人物がアルシェムに目星をつけていた場合、侵入してくる可能性があるからだ。ついでにカーテンも閉めて成果を確認した。その結果は――

「普通にシロ、か。振り出しじゃん、もー……」

 そこに、誰かに暗殺の依頼をした痕跡はなかった。ついでにとばかりにガイが死んだ時期の分の帳簿もみてみるが、そちらも外部の人間に暗殺を依頼した痕跡はない。《ルバーチェ》内の誰かがガイを殺したにしては、その人物に対する褒賞が出ているわけでもない。つまり、そちらに関しても《ルバーチェ》はほぼ無関係だということだ。

 ここで前提は振り出しに戻った。ある意味黒幕が《ルバーチェ》ではないと分かっている点については進展したともいえるが、犯人の目星が全くつかなくなった点では後退したともいえる。このあたりで一度思考の方向を変えなければならないということか。そう考えて、アルシェムは有り得そうな可能性を口に出した。

「目的がイリア・プラティエである場合。もしくは目的が《銀》である場合。あとは、イリア・プラティエが手段の場合……手段?」

 そこで、アルシェムはふと何かが引っ掛かったような感覚を覚えた。目的がイリアでない場合の方が何となくわかる気がしたのだ。たとえば、目的が《銀》の場合。この世の大多数の人たちが《銀》についてほとんど知らない。ただ《銀》という名だけを知っていた場合だ。それが裏社会の人間であることを理解したうえで、つなぎを取りたい人物がいるのならばどうか。

 そう仮定した場合、ある意味では別の犯人像が浮かび上がる。何らかの目的のために人手として《銀》が必要で、その名を民衆に知られるリスクを犯しつつもそれでもリターンが大きい場合だ。仮定するならば、共和国が黒幕だった場合である。《銀》を雇い、クロスベルの要人全てを闇に葬ってそこに電撃侵攻し、占領する。それならば確かに説明できないこともない。むしろ《銀》の存在が知られることによって共和国の子飼いだと認識させ、《銀》とクロスベルを手元に引き寄せられる。

 だが、その場合ならば何故共和国内で接触しなかったのかという問題が浮上する。接触できなかったからこそクロスベルで接触を図ったという可能性もあるが、それこそ人の行先などというものをあてずっぽうで当てられるほど共和国に優れた人材が眠っているとは思えない。たとえキリカ・ロウランがいようとも、《銀》の正体を掴むのには時間がかかるはずだ。ましてや《銀》がクロスベルに現れたのは数か月前。正体を掴むには少々時間が足りないような気もする。

 もしくは、共和国が全く関係なかった場合だ。たとえば、帝国。別の諸外国でも恐らく同じなのだろうが、共和国の一番の敵は帝国である。帝国が《銀》という手札を手元に置きたがっている場合ならば、どうか。その場合ならば標的は無論《銀》だけでなく共和国系議員も含まれるだろう。《銀》をミラで雇い、共和国系議員を殺させることで共和国に帰りづらくして手元に引き込む。有り得ない話ではない。

 そういう想定で動いているとすると、それはそれで奇妙な点が出てくる。ここまででクロスベルに潜入している《鉄血の子供達》をアルシェムが認識していないことだ。こういう大きな事態を動かすためにはまず前兆があるはずなのである。たとえば《銀》を雇うために使う人手が、彼女に容易く殺されるようでは意味がない。交渉相手として誰かが赴くのであれば下っ端ではなく必ず《氷の乙女》や《かかし男》などの《鉄血の子供達》が動くだろう。だが、それがないのだ。

 そこまで思考を巡らせたアルシェムは溜息をついた。

「……流石に、どうやっても綺麗に説明がつかないってのはねー……目的がやっぱ違うのかな? 目的はイリアでも《銀》でもない、とすると――彼女達は手段ってことかな?」

 再びアルシェムは思考を転換した。いっそイリアと《銀》が何かを隠すための手段であれば、もっと納得のいきそうな説明が出来るのではないか。そう思ってアルシェムは、まずは脅迫状が指し示す公演について情報を整理し始めた。

 劇団《アルカンシェル》のクロスベル自治州創立記念祭公演。演目は『金の太陽、銀の月』。内容はともかく、クロスベル自治州民がこぞって見に行くだろう公演である。演者は主役がイリア・プラティエ、準主役がリーシャ・マオ。その他の演者はほぼ雑魚と言っても過言ではないが、興行収益は過去最高レベルになるだろう。プレ公演には各界の重鎮を招いてお披露目される予定だったはずだ。

 そこまで考えて、アルシェムは気づいた。誰かが邪な思いを抱いて狙うとすれば、イリアや《銀》以外にも狙いどころがあることに。

「そっか、重鎮の暗殺か! それなら《銀》を犯人に仕立て上げれば操作の間に証拠を隠滅できるし……でも、それで『誰』を狙う?」

 またしても思考の渦に巻き込まれたアルシェムは、狙われる可能性のある人物をリストアップしていく。クロスベル自治州議会議長ハルトマン。クロスベル市市長ヘンリー・マクダエル。商工会議所の取りまとめ役――否。そうではない。アルシェムは忘失していた事実を掘り起こす。そう、そもそも彼らを狙うとしても、黒幕が《銀》の存在を知っていなければならないのだ。《銀》を知れてなおかつ大物を狙うならば、ハルトマン議長かマクダエル市長以外に有り得ない。

 そこで、アルシェムは狙われている人物をマクダエル市長だと仮定して捜査を開始することにした。マクダエル市長が狙われる可能性は確かに低くはないのだが、調べる数の多いハルトマン議長から調べるのは骨だからである。それと、アルシェムはハルトマン議長が心底気に喰わないからだ。警察官としてはあるまじきことだが、大勢さえ揺らがないのであれば普通に死んでもらっても構わないと思っている。別に死んでも彼に関しては代わりは存在するのだから。

 アルシェムはENIGMAを置いたまま自室から出て――因みにこの時点では既に夕方になっている――、職務から帰宅して誰もいないであろう市長室へと姿を消しながら侵入した。どういう場所で誰が狙っているか分からない以上隠形で隠れて油断させるという目的もあるが、アルシェムはマクダエル市長に話を通す気がないので普通に侵入罪で訴えられるからともいえる。

 ここでもまず調べるものは帳簿である。ミラの流れを見れば大体のことが分かるためだ。たとえば、そう――

「――ッ!?」

 アルシェムが思わず息を呑むような証拠。そこにあったのは不自然なミラの流れ。どう考えても誰かが別の目的で流用しているミラがあるのだ。それがあのダルモア元市長の時と同じようにマクダエル市長が横領しているというのならばまだ分かりやすい。人格を見る限りでは有り得ないようにも思えるが、やむにやまれぬ事情があるという可能性もある。

 その帳簿をオーバルカメラで撮影したアルシェムは、その場からマクダエル邸へと移動した。すぐさまマクダエル市長に報告する、というわけではない。脅迫状の件には関係がないのかもしれなくとも、この不自然なミラの流れについて隠蔽されては困るからだ。主に、弱みを握って手駒にするときには。

 マクダエル邸に侵入したアルシェムは、執事の目を盗んで帳簿の中身を確認した。帳簿、というよりは家計簿に近いそれには何ら不自然なところはない。ついでに家探しをしてあからさまに怪しい文書などを探るのだが、そこで見つかるのは乙女の――筆跡からして作者は女性である――ポエムのみ。しかも、一束に限ってはマクダエル市長の自室の本棚にファイリングされていた。

 粗方探し終えたアルシェムは、マクダエル邸を後にした。まだシロではないと決まったわけではないが、クロである可能性もまだあるのだ。ここで得た情報はエリィにも渡さないようにしなければ、と思いつつ支援課ビルに戻ると――

 

「ど こ に 行 っ て た ん で す か 、 ア ル ?」

 

 とてもイイ笑顔で、魔導杖を握りしめたティオが玄関の前で仁王立ちしていた。どう見ても怒っている。それもそのはず、アルシェムは自室を出る際には必ずENIGMAを置いて出ていたのである。主に途中で鳴ったりすればややこしいことになるので。夕食が出来た、という連絡を誰がしてもつながるわけがないのである。因みに現在の時刻は午後十時。夕食には少々遅い時間である。

 アルシェムは引き攣った笑いを浮かべながらティオに返した。

「え、えーっと、その、捜査?」

「そうですか、捜査ですか。夕食を忘れるぐらい頑張ってたんですよね、アル? それで、こんな時間になるまで捜査し続けなくちゃいけないなんて、一体どこに捜査に行ってたんですか? まさかとは思いますけど、私達には言えないような場所に行っていた、なんてことは無論ありませんよね?」

 ゴゴゴゴゴ、とでも効果音が鳴りそうなほどの威圧感を醸し出したティオは怒り心頭であった。というのも、《アルカンシェル》の帰りに会った二人組からとても気になる情報を聞いていたからだ。『こんなこと言うのもどうかと思うんだけど……アルってば、単独行動すると大体危険な目に遭うのよね。だから、出来たらで良いんだけど……あんまり一人で行動させないでくれない?』と。無論話者はエステルである。

既に単独行動をしているという意味で手遅れであることを伝えると、エステル達は顔をしかめて捜査の内容を知りたがった。無論守秘義務があるので教えることは出来なかったのだが、明日までにアルシェムが帰って来なければ調べている概要だけでも話さなければならなかっただろう。そうしなければ勝手にエステル達は付きまとって来ただろうことは容易に想像できた。

そんなこととはいざ知らず、アルシェムはティオの問いに答える。

「はっはっは、言えないかなっ!」

「アルーッ!」

 イイ笑顔でそう返答したのが悪かったのか、アルシェムはその後二時間ほどティオに膝詰めで説教されてしまった。言えないような捜査をしていたのも、言えないような場所に赴いていたのも事実である。特に、特務支援課の面々には伝えるわけにはいかない場所だ。どこから情報が漏れるかもわからず、祖父を大切にしているエリィにも伝えるわけにはいかないことであるからにして。

 無論、玄関先で説教されていたわけでもなく普通に居間に連行されて説教されたのだが、その際にティオは捜査内容をさりげなく説教に混ぜるという技術を披露していた。どうやらロイド達はロイド達で少々進展はあったようだ。といっても、《銀》の実在と《ルバーチェ》が関わっていないだろうという予測のみだったが。そこから察するに、ロイド達は《ルバーチェ》と《黒月》に事情聴取を行ったことになる。

 合法的な手段でその証言をもぎ取ってきたことに対してアルシェムは少々評価を底上げしたのだが、その後のことが問題だった。捜査一課が出張ってきているというのだ。これまで以上に違和感を覚えさせないように動かなければならないという時点で、アルシェムは全力で溜息をつきたくなった。捜査一課は無能の塊ではないのだ。ただ、検挙数を上げても上からの圧力で釈放せざるを得ないだけで。

 説教から解放されたアルシェムは、自室に戻って端末を立ち上げた。本当は寝ろと全力で言われたのだが、調べ終わっていないのだから寝るわけにもいかない。証拠をつかむのは早い方がいいのだ。それだけ段取りが簡単になるのだから。調べるのはマクダエル市長とその秘書アーネスト・ライズの口座の入金記録と引出記録だ。マクダエル市長の分はすぐに発見できた。帳簿と照合しても何ら不自然なところはない。

 次は――そこまで考えた時だった。

「……え、ちょっ」

 端末の画面が、いきなり乗っ取られた。それを成している人物は恐らく近くにいるのだろうから、そういう意味では驚いてはいないのだが、今このタイミングでやられるというのは面倒である。何せ、もう少しで全ての情報が抜けるからにして。アルシェムは端末のキーボードを激しく叩いて制御を取り返すと、必要な分だけの情報を抜き取ってIBCのサーバーから撤退した。

 そして、自室の扉に向けて声を発する。

「えーっと、入る?」

「勿論です。というか寝ろって言ったじゃないですか」

 扉を開けて入ってきたのは案の定ティオである。先ほどの妨害も間違いなく彼女だ。ティオは憮然とした表情でアルシェムの部屋に入り、椅子に座った。そして、床に散らばっている写真を手に取ろうとしてアルシェムに取り上げられる。

「……何で見せてくれないんですか?」

「何で見せてあげるって言うと思ったの?」

 無言の攻防。勝者は無論アルシェムであるが、ティオは目的を果たしたので何も文句は言わなかった。一瞬だけ見えたその文字が何を示すのかさえわかれば類推は可能である。

 故に、ティオは小声で怒鳴るという器用なことをしてのける。

「何でこんなヤバい場所に不法侵入してるんですかアルっ!?」

「やだなーティオ、迷子になったって言ってよ」

「どうやったら《ルバーチェ》とか《黒月》とかで迷子になれるんですか! 今のところ脅迫状の件でクロである可能性なんてどちらも低いのに――!」

 ティオはそう小声で怒鳴って、不意に気付いた。先ほどから意図的に見える場所にある現像された写真の違和感に。内容自体は恐らく数字の羅列なのだろうが、あからさまにここ最近のミラの動きがオカシイ。ある意味これは収穫だったのでは、と思ったティオはアルシェムが取り上げない写真だけをかき集めて食い入るように見た。この数字の羅列が誰の不正を明らかにするものなのかを、ティオは既に理解している。

 震える声でティオはアルシェムに問うた。

「これ、は……」

「悪いけど、絶対に誰にも言わないでほしいかな。証拠隠滅されても困るし、何よりも現行犯逮捕させたい理由があるから」

「でも、この人って……しかも、脅迫状の件に関係あるとは限らないじゃないですか」

 ティオは困惑したようにアルシェムの言葉に返す。アルシェムの口ぶりでは、まるでその人物が何かをやらかすようにしか聞こえないのだ。しかも、決まった未来として。ティオが見る限りではその人物と脅迫状とにはなんら関連もないのだ。しかも、犯罪を未然に防ぐのではなく現行犯逮捕したいという。ティオには、アルシェムの目的が全く以て読めなかった。

 そんなティオにアルシェムが言葉を告げた。まるで、それは託宣の如く響く。

 

「これは、決まった未来。予定された道筋。その道筋に全面的に従うことはせず、その道筋を辿りながらもより良い未来のために動かなければならない。それが、わたしの役目。それが――『アルシェム・シエル』という駒に与えられた使命なのだから」

 

 その後のことを、ティオは覚えていない。気付けば彼女は自室で目を醒ますことになる。それが予定調和だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



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深入りの代償

 旧172話のリメイクです。ある意味残酷な描写なのかもしれないので注意。
 薬物ダメ絶対。

 では、どうぞ。


 次の日。アルシェムは寝不足でぼんやりした頭を滅多に呑まないコーヒーで覚醒させた。否、本来であれば寝不足と表現すべきではないのだが、アルシェムは先日ティオに告げたことを守るつもりもなければ駒に成り下がる予定もなかった。それが、彼女にとってどういう意味を持つのかを分かっていながらも。故に、その気配を霧散させるべく脳にカフェインを送り込んだのである。

 無論、カフェインを脳に送り込んだ程度ではその気配が霧散することはないのだが、気休めにはなる。心の中で溜息をつきながら、アルシェムはその日二杯目のコーヒーを呑み干した。途端にカフェインを取り過ぎた胃がきりりと痛む。こうなることが分かっていてなお、アルシェムは敢えてコーヒーを飲んだのだ。その痛みによって気を紛らわせるために。

 そんなアルシェムの前では、若干甘酸っぱい空気が漂っている。ほとんどうわの空でアルシェムは聞いていなかったのだが、エリィとロイドが何やら楽しく夜の会話をしていたらしい。そう言えば昨夜頭上に気配があったな、と思い出したアルシェムはその会話を普通にスルーした。関わる理由も無ければ茶化す理由もないからだ。正直に言って、今のアルシェムにはそこまで余裕がなかった。

 故に――珍しくも、アルシェムは他人の話を完全に聞いていなかった。

「……アル? 聞いてるかしら?」

「……何か言った、エリィ?」

 そのアルシェムの返答にティオが微かに眉を顰める。寝不足か何かでぼんやりしているのかもしれないとでも思ったのだろう。いぶかしげに目で問うてくる様子は、とても先日のあの言葉を覚えているようには見えなかった。それが余計にアルシェムを苛立たせる。

 それを察することなくエリィが憤然とアルシェムに返す。

「だから、支援要請の件でどれか任されてくれないって言ってるの」

「テスタメンツのけいことか論外だし魚なんて釣る前に逃げられるのが関の山だし聖ウルスラ医科大学に関しては今関わったら何するか分かんないからヤダ」

 アルシェムは立て板に水を流すかのように一息にそう言い切った。実際アルシェムがいっていることに何ら嘘はない。テスタメンツのけいこに関してはレベルが違いすぎる故に繊細な力加減が必要になるが、アルシェムにはその余裕がない。魚釣りに関しては少々殺気立っている今のアルシェムの状態では恐らく近寄っても来ないだろう。今の状態では聖ウルスラ医科大学に赴いた時点で、全てのシナリオをブッ飛ばしたうえで壊滅させかねない。故に、その返答だった。

 すると、ランディが茶化すように声をかけて来た。

「おっ、もしかしてお嬢に妬いてんのか?」

 あくまでも、場を和ませるための発言である。ロイドとエリィがいちゃいちゃしていたという会話がなければそもそも出てこない言葉だ。もっとアルシェムに余裕さえあればその意図に乗ることも出来ただろう。だが、今のアルシェムにはほとんど余裕がない。一度発散させるなり何なりしなければ本日も調査には赴けないというのに。

 故に、アルシェムのとる行動は一つだった。おもむろに立ち上がったアルシェムは、ランディのすわる椅子の背を掴んで引っ張り上げた。

「うえっ?」

「あ、思ったより軽ーい。投げて良い? ランディ……」

「え、遠慮しとくぜ……」

 アルシェムの声に狂気を感じたランディは、大人しく降参することにした。むしろ投げて良いと肯定した時点でランディは大変な目に遭っていただろう。ギャグ時空ならば壁にめり込む程度で済んだだろうが、リアルではそれに派手な血のエフェクトがつくという意味で。

 《銀》からの依頼も来ていたようだが、アルシェムはそれを意に介することはなかった。アルシェムがそれを調べれば確実に《銀》を確保することは出来るのだろうが、それではロイド達が《銀》に邂逅することが出来ない。□□□にとって、それは赦されないことだ。故に、アルシェムはロイド達と《銀》が接触するその瞬間までは何も手が出せないのである。

 取り敢えずそういう形で支援要請を一つも受け持たない形に持って行ったアルシェムは、一度自室に戻って大きく溜息をついた。本来ならば支援要請を手伝うなり何なりしなければならないのだろうが、日に日に大きくなっていくある一つの違和感がアルシェムにそれを赦さない。それはまるで、地の底で何かが這いずりまわっているような奇妙な感覚だ。あるいは、誰かに見られているような。

 アルシェムは本能に従って自室からある場所へと向かった。彼女自身にも目的地は分かっていない。だが、確実にどこかを目指していることだけは確かだ。その足取りには迷いも無ければ揺らぎもなかったのだから。目指す先を、アルシェムは本能的に悟っていた――ジオフロントだ。クロスベルの汚職の象徴にして、□□□を《□□□□》へと至らせる魔法の一端。

 その、ジオフロントの奥深くに彼はいた。その身から碧い気配を漂わせ、魔人となる一歩手前の状態まで来ている。それが一体誰であるのか、アルシェムは視認した瞬間に諦念と今まで抱いていた違和感を肯定することが出来た。そう、彼は――

「……ほう?」

「……もっと他に方法だってあったと思うんだけど、何だってソレを使ってまで市長を殺したいわけ? アーネスト・ライズ」

 クロスベル市市長秘書、アーネスト・ライズ。彼こそが、アルシェムの探し求めていた人物である。そして、今回の件の実行犯でもある男だ。アルシェムは、その男が手にしている物体を見て全力で眉を顰めざるを得ない。何故なら、それは――忌まわしき、碧いあの薬だったのだから。

 アーネストは眉を寄せてアルシェムに問う。

「君はこれが何だか知っているのかい?」

「知ってるよ。でも、今更ソイツに関わらなくちゃいけないだなんて考えたくもなかった」

 アルシェムはさも嫌そうにそう返した。だが、無論それは本心ではない。アーネストの手にしている碧い薬を、今度こそ破滅させるためにアルシェムはクロスベルに来たのだから。知らないはずがなかった。関わらない方法など、あるはずがなかったのだ。彼女が『アルシェム・シエル』であり、《星杯騎士》『エル・ストレイ』である限り。

 思えば、ずっとあの薬に関わらなければならないというヒントはどこにでも転がっていたのだ。リベール王国で散々盛られたあの人を操る薬は、碧い色をしていた。関係がないはずの場所で、ティオに再会した。何よりも、恐らくはアルシェムがその薬に関わったことそのものすらがヒントだったのだ。いずれ、この薬と相対しなければならないという意味で。

 アーネストは興味深そうな顔でアルシェムを見る。

「今更、ということは前にも関わったことがあるということだね」

「そりゃーね。むしろ、それ以外で知ってたら普通にそっち側にいると思わない?」

「……違いない」

 アルシェムの答えを聞いたアーネストはくつくつと嗤った。確かにそうだ。彼はまだ偉大なるあの方から全容を聞いてはいないが、この薬の流通については多少の手を加えていた。薬の出所をわからなくするために、自分の口座のみならずエリィの両親の口座までも利用してミラの流れを加工する。それがどういう意味か分かった時にはもう既に遅かったのだ。その時には、彼はどっぷり薬に浸かっていた。

 アーネスト・ライズはそもそも優秀な方ではない。秀才でもなければ、鬼才でもない。天才でもなければ、偉大になれるような器も持ち合わせてはいなかった。ただ他人よりも努力の方法がうまかっただけで、凡庸な男だったのだ。それを変えたのがアーネストの信奉するあの方であり、薬であった。

 その薬を抜く方法は、自然の流れに任せるしかない。アーネストはそのことを知っていた。故に、余裕。この薬さえあればどんな人間でも組み伏せられるし、他人の機微も良く分かる。たとえば、今目の前で冷たい目でにらんでいる女の内心すらも手に取るようにわかる。冷静なように見えて、アルシェムが激昂していることすら彼には分かっていた。

 それを理解されていることを分かった上でアルシェムが問う。

「その薬を手放し、自首する気は?」

「あると思うかい? この《真なる叡智》を手放すことなど、誰にも出来るはずがないよ」

 この薬さえあれば、アーネストは憧れていたものになれる。権力をふるい、自分の意のままにクロスベルを操ることも、それ以上のことだって――いとも簡単に出来てしまうだろう。故に、アーネストは薬を手放すことはしない。手放すことなど有り得ない。彼は一般人とは違うのだ。《真なる叡智》に選ばれた、トクベツなニンゲン。それが、今のアーネストを支えているものだった。

 それをアルシェムは鼻で笑う。

「ハッ、ばっかじゃねーの? んなもんに選ばれてニンゲンを超えたところであんた達はどうせ傀儡なのに?」

「持たざる者の遠吠えにしか聞こえないとは思わなかったのかい? いくら吠えたところで、選ばれていない君にはニンゲンを越えられないというのに」

 彼は知らない。かつてアルシェムがその《真なる叡智》と共に在ったことを。そして、誰よりもそれに近いことを――知らない。これからも、知ったところで利用することなど出来ないのだ。何故ならアーネストは、ただの駒だから。そういう意味では皮肉にもアーネストはアルシェムに近かった。彼女もまたただの駒で、決められた予定調和の通りに動かされているだけなのだから。

 それをアルシェムは既に自覚している。そして、その頸木から抜け出そうとしている。ただし残念ながらそれが叶うとはだれも保証しない。もしもその望みが叶うことを知っているものがいるとするならば――それは、□□□以外にはありえなかった。ここは□□□の支配する場所であり、□□□の望んだとおりに全てが動いているのだから。

 そして、□□□は――望んだ。願った。祈った。それこそが□□□の考える最高の未来に通じていると分かっていたから。故に――

「――残念だよ。君は、知り過ぎた。ここで消えて貰おう――!」

 アーネストはスーツのズボンの中に仕込んでいた大剣を取り出してアルシェムに向けて突進した。無論、アルシェムもその大剣を甘んじて受けるようなことはしない。どう考えても今のアーネストの膂力に勝てる道理がなかったからだ。今のアーネストはドーピング状態で、アルシェムは全くの素面なのだから。大剣を振り抜いたアーネストが壁にめり込む前に止まる。

 どうせなら壁に突っ込んでくれればいいのに、とひとりごちたアルシェムはアーネストから距離を取った。今はアーネストから薬を抜くことしか出来ない。とっておきの裏技もないわけではないが、恐らくそれをする前にアルシェムは止められるだろう。そうしてしまえば、□□□の望みは叶わないから。ただし手がないとは言っていない。アルシェムにもまだ出来ることはあるのだ。

微かに構えを変えたアルシェムに、アーネストは再び大剣を振り翳したまま突進してくる。

「――ッ!」

 今度は、ギリギリだった。髪をかすめて通り過ぎたアーネストは、しかしやはり壁にはぶつかることはない。完璧にその力を使いこなしていると言っても良い。だが、アーネストは細部まで気を遣っているかと言われると――そうではなかった。アルシェムの手に握られたモノに驚愕して声を上げる。

「な、それは――ッ!」

「はっは、こんな手段とかマジ使いたくなかったんだけどねー……そうしなきゃいけないんだってさ。全く……」

 透明の瓶に入れられた、碧い薬。アルシェムはそれを一錠取り出し、躊躇なく口の中に放り込んだ。残った薬は効き始めたドーピングの腕力に任せて粉々に粉砕する。ついでに瓶も粉砕したので若干手から血がにじんでいるがそれだけだ。これで、アーネストとアルシェムの条件はほぼ同じ。後は元々の素養と実力がものをいうことになる。

 思考がクリアになる。アーネストの思考が、はっきりとアルシェムにも分かる。敵意、懐疑、忠誠心。そんなものが渦巻き、そこに若干の恐怖が混じったところで――アルシェムは動いた。地面を陥没させてしまうような威力で地を蹴り、アーネストの懐に入り込んで無防備なみぞおちに拳で一撃。その手には何も握られていないが、それで十分だ。アルシェムは素手でも十分強い。

 内臓まで潰れそうな一撃を受けたアーネストは直前に地面を蹴って後退していたのだが、威力を減衰させることに失敗していた。突っ込んでくるのは分かっていたが、予想以上の速度で懐に入り込まれてしまったからだ。辛うじて内臓が潰されるのは避けたのは良いものの、嘔吐感だけは堪えられそうもない。アーネストは敢えて咳をすることで血を吐き出し、嘔吐の欲求を満たした。

 そしてアルシェムから距離を取りつつも大剣を中段に構えなおし、問いを投げかける。

「……随分、この薬に慣れているようだね。君は一体、どこの《拠点》にいたんだい?」

「素直に答えると思ってるの、アーネスト・ライズ。もしそーだとしたら随分とおめでたい頭だ、ねッ!」

 アルシェムは返答を終える前に動いていた。風を切る音と共にアーネストの背後に回り込み、意識を断ち切ろうとする。だが、アルシェムがアーネストの行動を察せるように、アーネストも彼女の行動を察せるのだ。成功するはずがなかった。アーネストは最小限の動きで振り返る動作と連動させて下から斬り上げてアルシェムの手刀を大剣で受け止めようとする。無論、そんなことをすればアルシェムの手が切れてしまうのは明白なわけだが、アルシェムはそれをも読んで大剣の軌道とは逆にしゃがみこんで足払いを掛けていた。

 彼女は強い。アーネストは足払いを掛けられてバランスを崩しながらそう思った。目の前の女は《真なる叡智》に耐性があり、なおかつ利用できるだけのポテンシャルを秘めている。ならば、アーネストという忠実なる僕としてはアルシェムという駒を利用すべきなのだろう。自分から摂取したとはいえ、保険をかけておくに越したことはない。万が一アーネストが動けない事態になったとしても、あの方にとって有用な駒は残しておくべきだ。

 地面に片手を突き、大剣を持ったままバク転をしたアーネストは迫り来るアルシェムにカウンターを入れようとはしなかった。その代わり、大剣の腹でアルシェムの拳を受け止めたのである。

 それを見たアルシェムは、眉を顰めて距離を取る。

「……何のつもり?」

「何……君も、こちら側に来ないか思ってね」

 殊更にゆっくりと言葉を吐きだしたアーネストは、息を整えつつタイミングを計り始めた。彼の目的は、今のところたった一つに収斂されている。アルシェム・シエルを《真なる叡智》の中に沈める。ただそれだけのために、アーネストはタイミングを計っているのだ。アーネストの生活基盤の一つとして組み込まれたこの場所――ジオフロントの最奥には、地面の下に隠し部屋を備えているのである。その隠し部屋には、《真なる叡智》が満ちているのだ。

 しかし、アルシェムにはアーネストの意図が読めない。

「絶対に嫌かな。むしろ、叩き潰してやりたいと思ってるよ」

 眉を顰めたままアーネストに向けて突進したアルシェムは、しかし彼に攻撃を加えることが出来なかった。思わぬ方向から飛んできたアーツに気を取られ、彼から目を離してしまったからだ。目を離しただけ、と言えばそれまでかも知れないが、今この時に関してのみは悪手にしかなりえない。アーネストの狙いは、まさにアルシェムが目を逸らすことに賭けられていたのだから。

 アルシェムが目を逸らすことによって死角になった場所から手刀を繰り出すアーネスト。その手刀は急所をわずかに逸れながら、それでもアルシェムの背中へと叩き込まれる。

「カッ……は、あッ!」

 背中に叩き込まれた手刀によって息が一気に吐き出されたアルシェムは、それでも抗うように地面に手をついて足払いをかけようとする。だが、痛烈な一撃を貰った時点でアルシェムの負けは決定していた。否――この戦いを始めた時点から、こう終わることは決められていた。軽々とアルシェムの足払いを避けたアーネストは、アルシェムに接近するや否や体勢を元に戻す前に床に叩きつけた。そして――

「あ゛、がっ!?」

 肩甲骨を押さえつけながら、右腕を思い切り引っ張られたアルシェムは、関節を外されたのを感じた。浮かび上がる冷や汗と激痛を懸命にこらえながら抵抗しようとするが、もう既に遅い。ネクタイとベルトを使って完全に拘束されたアルシェムは、ジオフロント内のアーネストの隠し部屋へと連行された。その部屋には、お香もかくやと言わんばかりに甘ったるい匂いが充満している。

 その匂いに心当たりがあったアルシェムは、痛みをこらえながらアーネストに言葉を叩きつける。

「こんな、濃度の……!」

「クク……まあ、ゆっくりと堪能してくれ」

 部屋の中を横切ったアーネストは、奥にしつらえられた扉を開けてそこにアルシェムを投げ込んだ。思っていた高さで地面に叩きつけられなかったアルシェムは、そこが部屋として利用する場所でないことを悟る。アーネストの足よりもなお下へと掘り下げられたそこに満ちていたのは、碧い水。つまりそこは《真なる叡智》の風呂であった。

「心変わりを祈るよ。君は――こちら側に来るべき人間だ」

 そう告げたアーネストは、浴室の扉を施錠してそのまま隠し部屋から出て行った。それを無駄に鋭敏化された感覚でアルシェムは感じ取る。このままでは本格的にマズい、と思ったアルシェムは、取り敢えず浴槽の壁を利用して起き上がった。

「……後で絶対ぶっ飛ばす」

 アルシェムはそう吐き捨て、左手を一気にネクタイから引き抜いた。濡れたことによってネクタイが若干ゆるんだのだ。右手からもネクタイが滑り落ち、アルシェムはそのまま浴槽の壁に右肩を押し付けて関節を入れた。

「……っ、絶対……ぶっ飛ばす……!」

 自分をそう叱咤しなければ、アルシェムはそのまま力尽きてしまいそうだった。水の中に手を差し入れ、まだうまく動かない手を動かしながら足の拘束もほどき、立ち上がる。アーネストの誤算は、アルシェムにまだ動く気概があることを理解していなかったことだ。そして、《真なる叡智》漬けにされたことがあるという経験を舐めてかかっていることにある。

 息を吸いこみ、扉に左手を叩きつける。扉は歪んで吹き飛び、アーネストの隠し部屋を荒らした。それを追うようにして部屋の中心まで這い上ったアルシェムは、その背に《聖痕》を浮かび上がらせて《真なる叡智》を凍結し、圧縮して懐に入れる。

 そして、アルシェムはその部屋を後にした。後で調査に入るべきなのだろうが、今はその気力はないので。



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クロスベル市市長暗殺未遂事件、終結

 旧173話のリメイクです。


 男は最早計画が止められないところまで来たのを確信して笑みを漏らした。見る者を戦慄させるような、生理的嫌悪感を覚えさせる笑みだ。ただし、その顔を見る人間は彼のいる場所にはいない。いたとしても、その人物にすら何も出来なかっただろう。男は既に、《アルカンシェル》の舞台に気を取られる標的に向けてナイフを振り下ろそうとしているのだから。

 思えば、彼――アーネスト・ライズがここまでこぎつけるにはかなりの手間と時間を掛けさせられた。主に警察権力やマフィアどもに対する牽制や裏工作、という意味で。そもそも普通に生きてさえいれば、彼にはそんなチャンスなど訪れはしなかったのだが、生憎アーネストは分かりやすく――といってもそれを外に見せないだけの気概はあった――権力に執着する男だった。それを見透かした――アーネスト風に言うのならば見出してくださった――男さえいなければ、ただの一議員にすらなれずに消えていただろう。そんな、よくある人間だった。

 彼が一度目の転機を迎えたのは、マクダエル市長の秘書になってから数年後だった。さまざまな折衝を繰り返して精神的に参っていたアーネストは、比較的仲の良かった議員と共にカジノを訪れたのだ。スロットの回転を見ていればなんだか心が落ち着いたし、当たった時には人生というものすら軽視しかけたほどである。特にカード等のベットの積み上げでは、運さえよければ彼の一ヶ月分の給料などすぐに稼げてしまうのである。働くのも馬鹿らしいと思えてくるのも仕方がない。

 だが、アーネストはギャンブルの誘惑からは逃げ切った。あくまでもその時はであるが、議員と行った次の夜にスッた金額を考えるだけで自分には向いていないと分かっていたのである。一度に稼げる分、失う分も多い。賭けという要素が加わるような稼ぎは安定しないどころか損の方が多いと理解したのだ。故に、その晩以降アーネストがカジノの門をくぐることはなかった――あの時までは。

 あの時――アーネストが、マクダエル市長に叱責されるレベルの失敗をした時だ。丁度慰めてくれるエリィも留学でおらず、誰にも自分の気持ちを理解して貰えない状況が続いたことがあった。アーネストはそれを忘れるべく――そもそも糧に出来るようなものではない――べろんべろんになるまで呑み、安酒の缶を部屋のごみ箱に投げつけつつふと思い出したのである。――あの時のスロットは、楽しかったなと。

 酔いつぶれたままでアーネストはカジノに出かけ、そして――大勝ちした。楽しかった。ギャンブラーとは、あのくそじじいに怒られながらする秘書よりも、何と楽しい職業だろう。その日最後の賭けの結果をわくわくしながら待っていると、目の前が真っ暗になってきて倒れてしまったが。カジノでも呑んでいたので急性アルコール中毒で倒れたのである。

 そして、二度目の転機を迎えた。搬送された先で、アーネストは人生を狂わせる運命と出会ったのである。偉大なるあの方、とアーネストが呼ぶ男は、点滴と称して薄碧い薬をアーネストの体内に注入した。そして厳しい顔で彼と約束したのである。『賭けは一週間に一度、三十分まで』と。それさえ守っていれば、莫大な借金も返せるだろうと。

 借金、という言葉を聞いてアーネストは訝しんだ。昨夜は随分と勝ったはずであり、今のアーネストの懐は温かすぎるくらいに儲かったはずなのだ。それなのに莫大な借金とは、どういうことだろうか。

 

 そしてアーネストは知る。どこぞの市長も真っ青な借金を背負ってしまったことを。

 

 最後の勝負。あの、最後の勝負で――アーネストは有り金どころか身銭まで全て使ってしまっていたのである。あの元手が何処から出たものなのかを思い出してさらに頭が痛くなった。あのミラは――そう、丁度その時その場所にあった通帳を元手にしたものだ。つまり、クロスベル市の予算だ。マクダエル市長から任されていたそれを、アーネストはこともあろうに全力で使いこんでしまっていたのである。

 嘘だ、と思っても現実は覆らない。それは全て真実であり、アーネストの身を苛む現実だったのだから。アーネストは医師の処方した精神安定剤と思しき薬を飲みつつ必死に働いてミラを補填し始めた。だが、いくら補填しても借金は減らない。その理由を後にアーネストは知るのだが、当時はまだ必死に働くことしか出来なかったのである。

 共和国で先物買いをし、帝国の賭場で荒稼ぎをし、次第にアーネストは壊れていった。このままミラを稼いでいたところで、アーネストがそれを返しきれるとはもう思えなかったのである。次第に増えていく精神安定剤をかみ砕きつつもアーネストはミラを荒稼ぎしていった。不思議と、医師の言葉を信じている限りはギャンブルでも常勝であったし政治的な折衝であってもいつでも上手く行った。

 そうしてアーネストは次第にその医師に傾倒していったのである。アーネストがその医師を崇拝するまでに至ったところで、その医師は目的を明かした。アーネストをていの良い駒にするためだけに。そして、アーネストはその崇高なる目的に同意した。悪魔に魂を売りとばしたのである。

 そして、アーネストはあの医師――偉大なるあの方のための駒として生きることを決めたのだ。偉大なるあの方がクロスベルで生きやすくするために。偉大なるあの方の目的を邪魔させないために、マクダエル市長を利用して。アーネストは今や、偉大なるあの方の一番忠実な部下と化していたのだ。あの方とやらがアーネストをそうみているかどうかは別にして。

 偉大なるあの方の言いなりになることで、アーネストは無事に借金は返し終えた。だが、ギャンブル依存症は直らなかった。故にアーネストはクロスベル市の予算から横領を繰り返し、ギャンブルで使いこんで勝った分をあの方に納め、ばれないように補填しなおしていく。その作業も次第につまらなくなっていって、遂にアーネストは思ってしまったのだ。

 

 マクダエル市長さえいなければ、クロスベル市の予算を使いこんでも誤魔化す必要はなくなるのに、と。

 

 本格的にアーネストがマクダエル市長の後釜に収まれば、何でも出来る。豪遊だって夢ではないし、妹のように思っていた初恋の少女をも得ることができる。偉大なるあの方もマクダエル市長が邪魔だと零しているのを何度か聞いた。ならば、アーネストがやることは一つだった――マクダエル市長の暗殺という、最悪の手段。

犯罪に手を染めるということ自体には忌避感はなかった。既にアーネストはクロスベルの法を犯している。これ以上罪が重なったところで、偉大なるあの方のために働いたという勲章になりこそすれ罪悪感など湧くはずもない。故に、アーネストは協力者であると偉大なるあの方から紹介された超大物と共に動き始めたのだ。そう――クロスベル自治州で、ほぼトップに立っていると言っても過言ではない男と。

まず、アーネストはその男――ハルトマン議長からとある情報を仕入れた。共和国から暗殺者――《銀》がクロスベルに入国している可能性があるという噂だ。それを利用し、罪を被せられる人物を確保する。何かあっても《銀》という暗殺者のせいにすればアーネストはまず疑われない。そして、彼が狙っている人物をこれまた仕入れた情報からイリア・プラティエにする。こうすることで捜査の目を撹乱することにしたのだ。

後は何も出てこない場所を探る警察をせせら笑いながらエリィを手に入れる算段を付ければいい。実際、エリィに声を掛けた時には心が揺らいでいたようだし、そうでなくともマクダエル市長が死ねば嫌でも戻って来ざるを得ないだろう。彼女にはそれだけの才能があるのだから。

さあ、後は――このナイフを振り下ろすだけでその願いは叶う。他ならぬ自分の手で――! そう思いながら、アーネストはナイフを振り下ろそうとして。

 

「それが本当にあんたの意志なわけ? アーネスト・ライズ」

 

 突如暗がりから伸びてきた手が、そのナイフをもぎ取っていた。アーネストは自分の聴覚がおかしくなったのかと言わんばかりに声がした方へと全力で振り向いた。そこにいたのは――無論のこと、アルシェムだった。

 アーネストは動揺のあまり声を漏らす。

「バカな……動けるはずがない――!」

「うっせー男。まずは安全確保はいどーん」

 彼女は何の感情も浮かばせない顔でアーネストの腕をつかんで、投げたようだと彼は感じた。というのも、気付いた時には既に背中から地面に叩きつけられていたからだ。息が詰まるが、すぐにアーネストは跳ね起きる。しかし、既に彼の目的の者はすぐには手の届かない場所にいた。アルシェムが指示を出したのか、警備員の後ろに避難させられていたのだ。

 そして、その前でアルシェムは腰を軽く落として何らかの武術の構えと思しきものを取っていた。両足を軽く開き、微かに前傾姿勢を取っている。アーネストは己の直感を信じて、スーツに仕込んでいた大剣を持って突進した。

「おおっ!」

 気合を入れるべく声をあげたアーネストを見て、アルシェムは即座に動いた。警備員に保護されていたマクダエル市長の目には見えなかったが、次の瞬間にはアーネストは弾き飛ばされている。

 アルシェムはそれを追いながらアーネストに向けて告げた。

「こらこら、今演技中だってば。大声は禁止。逃げられなくなっちゃうよ?」

 無論、警察官としてはあるまじき発言である。ある意味ではパニックを起こさないための発言なのだが、今の状態のアーネストとアルシェムの戦いが激化してしまうことを考えるとむしろ避難させた方がいい。それをあえて考えないようにしながらアルシェムは再びアーネストの鳩尾に拳を叩き込んだ。

「ガっ……容赦、ないね」

「すると思う方が間違ってるんじゃねーの? さて宣告しとこうかな。公金横領の疑いと殺人未遂の現行犯で逮捕するぞー」

「なっ……」

 マクダエル市長が絶句しているが、アルシェムはそれを知ったことではないと切り捨ててアーネストに手錠をかけた。そしてアーネストはアルシェムに無理矢理立たされ、その場所から押し出されようとする。これで終わりなのか――そう思ったアーネストは、即座に嫌だ、という感情をはじき出した。当然である。今こんな場所で捕まってしまえば、あの方にどんな迷惑がかかることか。

 故に、アーネストは思い切り腕を振り回して抵抗した。

「おああっ!」

 その腕が、アルシェムの頭上を猛烈な勢いで薙いだ。アーネストは頭を殴り飛ばすつもりだったのだが、アルシェムがそれを察知して自らバランスを崩して背後に倒れ込んだのだ。しかし思いのほかアーネストの腕が早くて腕が額を撫でる。一瞬意識を飛ばしたアルシェムは、無意識のままに宙返りして元の体勢に戻る。その間にアーネストは猛烈な勢いで走り始めていた。仕切り直さなければならない。

 扉を体当たりで跳ね開け、そこにいた人物をひっつかんでアーネストは走った。何だかとても柔らかい女性を掴んだ気がしてふと手を見れば、そこにいたのはエリィである。驚愕に目を見開くエリィもまた美しい。アーネストは一瞬見惚れ、次いで自らを見る嫌悪の色を感じる前にエリィを気絶させた。アーネストが欲しいのは従順で可愛らしいエリィだ。決して逆らう彼女ではない。

「エリィ!」

 扉に突き飛ばされてたたらを踏んだロイドもエリィが連れ去られかけているのを見てすぐさまアーネストを追い始めた。自室で寝ていることになっていたはずのアルシェムが出歩いていることに眉を顰めていたが、今はそれどころの話ではない。アレを街中に解き放っては何が起きるか分からないからだ。牽制のための発砲も、今近くに市民がいないこの状況が望ましいはずだ。

 そのことを、無論アーネストは分かっていて走っていた。一刻も早くこの直線を抜けなければ良い的である。いつまでたっても発砲されない状況に疑問を持つことなく廊下を曲がり、出口へと向かうアーネスト。無論エリィの柔らかさを堪能するのも忘れない。目が醒めていれば即座に叫ばれただろうが、気絶しているエリィには出来ないことだ。

 アーネストを牽制するはずのアルシェム――今導力銃を持っていると思われるのは彼女しかいない――はしかし、導力銃を抜いていなかった。それどころか、装備すらしていない。先日《真なる叡智》風呂に落とされたときに浸水してからまだメンテナンスが終わっていないため、使うことすらできないのだ。故に今持っているのは狭い場所でも取り回しのきく剣のみ。その他の仕込み武器たちは精神的疲労と肉体的疲労を鑑みて置いて来てしまっているのだ。

 これでやっと外に出れた。そう思ったアーネストは――

 

「おらあっ!」

「止まって下さい!」

 

 ランディのスタンハルバードに押しつぶされ、ティオの魔導杖で薙がれていた。咄嗟にエリィを守ったが、すぐに彼女をもぎ取られてしまう。アーネストは今エリィを得ることを諦め、背中にのしかかっているランディを弾き飛ばして逃走を再開した。

「なっ……!」

「あーもうっ! こんな使い方したくないってこんちくしょー!」

 弾き飛ばされ、唖然としていたランディは猛烈な勢いで飛んでいく剣とアルシェムをそのまま見送って我に返る。逃がすわけにはいかない。最早逃げられないだろうとも思うが、念のために動かなければならないのだ。たとえアーネストが――そのふくらはぎに剣を生やしていても。奇妙なのは、アーネストが剣を抜く素振りもせずに走り去ろうとしていることだ。普通あのままでは大怪我どころか後遺症も残りかねない。

 そして、歓楽街を出ようとしたアーネストは、背後からの叫びに一瞬だけ気を取られた。

 

「働けツァイト!」

 

 アーネストの耳にも、辛うじてその言葉は届いていた。アルシェムの叫びではない。それは――『御意』と応える渋い男の声だ。気配を感じて咄嗟に飛び退こうとするがもう遅い。荒々しい呼吸と共にアーネストは地面へと引き倒される。

 その正体を見て、アーネストは愕然としたように叫んだ。

「なっ……警察犬――ッ!」

 そう。そこにいたのは白い毛並みが特徴の犬だったのだ。最近とみに市民に人気の、特務支援課所属の警察犬である。もっとも、本人(狼)に言わせれば誇り高き神狼であり、決して犬などではないのだが。爪が食い込み、振りほどこうとすればぎらつく牙がアーネストの眼前に晒される。パニックを起こして暴れ出そうにも、それすらも許されない。

 そこに追いついてきたアルシェムが、アーネストの足を縛ってから剣を抜いた。ついでに応急手当てを済ませるあたり、まだアーネストを死なせるつもりはないようである。先日の意趣返しのつもりなのか、ネクタイで手首を、アーネスト自身のベルトで足首を拘束する。

「はい、確保ぉー。ロイド、ランディ、移送よろしく。油断したら引きちぎって逃げかねないから本気で抑えこんでねー」

 そう言ってひらひらと手を振ったアルシェムは、ロイド達と入れ替わりにアーネストから離れた。ロイド達はアーネストを抱え上げて移送するしかないのかと本気で悩んだのだが、そこはツァイトが働いてくれるようだ。おかげで、ロイドがアーネストの腕を、ランディが足の拘束を押さえつけたままツァイトが移動するという摩訶不思議な光景が出来上がってしまった。

 アーネストは全身をよじらせ、なおも逃げようとして叫ぶ。

 

「何故邪魔をした! 何故あの方の偉大さが分からないっ! 貴様もそこに在ったのだろう! ならば何故――ッ!」

 

 その絶叫には、誰も答えることはなかった。ただ一人だけ――ティオだけが、眉を顰めてアーネストを睨んでいた。

 

 ❖

 

 その後。アーネスト・ライズは無事に逮捕され、拘禁され始めてからは自失状態となっているらしい。クロスベル警察は彼の主治医の指示のもと、投薬による治療が施され始めたという。彼がクロスベルに与えた混乱は、思ったよりも小さなものだった。そう――本来『アーネスト・ライズ』という男が引き起こすはずだった混乱よりも。

 まず、ヘンリー・マクダエル。彼は気落ちこそしているものの、五体満足のまま事件の終結を迎えた。事件後の事情聴取の後は丸一日寝込んだものの、その後は見た目では元気に振る舞い、他人に心配を与えないように動いていた。当然、捻挫もしていなければがくっと気力が落ちるなどということもない。ただ、変化があるとすれば好きで飲んでいる青汁モドキの苦みが三割増し程度で増えたくらいか。それにしても、すぐに元に戻ったそうだが。

 次に、エリィ・マクダエル。彼女もヘンリーが一日寝込んだときには看病に帰っていたものの、再び政治の道を志そうかと思うことはなかった。丁度都合よくアーネストの代わりが見つかったこともあるため、ヘンリーを何が何でも助けなければならないという思いには囚われなかったのである。物思いにふける日もあったようだが、そこまで深刻なものでもなかった。

 クロスベル市もさほど混乱することはない。一般市民は、自らの生活に直接かかわらなければどうでも良いことなのだ。自分達を脅かさなければ、たとえ議員が総辞職したとしても何ら反応することはないだろう。

 この結末に、満足したように首肯する少女がいた。傷つく人は最低限で良い。幸せになれる人たちが多ければ多いほど、良い。何よりも少女が大切に想う人たちが、最低限の苦しみと最大限の幸せを味わってくれるのならば、それでいいのだ。幸せな未来のために。満ち足りた余生を、送るために。

 

「そのために――私、頑張るよ、ロイド」

 

 その呟きは、空に溶けて消えた。




 次は閑話です。

 では、また。


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閑話・《銀》と《雪弾》

 新115話・銀の月の来訪の裏話です。

 では、どうぞ。


 あの子はどこにいるのだろう。あるいはあの人が『エル』なのだろうか。そう思い続けて数日。リーシャ・マオは本日も二足の草鞋を穿いていた。劇団《アルカンシェル》の大型新人という煌びやかな表の顔と、カルバード共和国の闇にして不死の魔人《銀》という裏の顔。その二つの顔を使い分けてクロスベルにいた。拍手喝采を浴び、それに応えるために振るその手でリーシャは人を殺す。それが彼女の生き方だから。

 クロスベルに来てからは、まだ誰も殺してはいない。だが、二年前に《銀》を継いだあの日から――リーシャは既に両手では数えきれないくらいの人を殺めていた。政敵、怨敵、裏切り者。そのどれもを弑し、裏社会の秩序をある意味守ってきた。その道に後悔がないとは言えないが、もう一度やり直せるとしても恐らく同じ道をたどるだろうことは想像に難くはない。

 あの日――リーシャが一人の家族を喪った日から、数年間。先代《銀》ことリーシャの父は、彼女には何も言わずに何らかの組織を探っていたようだ。当時から何となくは察していたし、死んだ後に残ったものから類推するに、胡散臭い悪魔崇拝の宗教団体を調べていたのだろう。あの魔人どもが、どこ産のモノなのかを知るために。それが、共和国のためになると信じて。

 だが、リーシャは父の遺志を継いでそれを調べようとは思えなかった。調べればいずれ辿りついてしまうかもしれないからだ。かつて家族と呼んだ『エル』という少女が、既に死んでいるかも知れないという事実に。それを直視出来なくて、リーシャは他人からの依頼に逃げ続けていた。

 リーシャがクロスベルに来たのは、疲れたからだ。人を殺し続ける日常に。いっそ、どこかで職を見つけて暗殺者を辞めてしまおうか。そう思ったことも何度もあった。だが、そう思う度に絶対に外せないお得意様からの依頼が舞い込み、リーシャは人を殺し続けることになる。その依頼からも逃げ出すためにクロスベルに来たのだ。人を殺して生きていていいのか。その問いが、何度も彼女の脳裏にリフレインする。その度に彼女はその声から意識を逸らした。

 劇団《アルカンシェル》を訪れたのは、本当に偶然のことだ。一通りクロスベルを見て回ろうと思って劇場の前を通りがかったところに、声を掛けられたのだ。それが男だったらリーシャは完全に無視をしていただろう。だが、そこにいたのは金髪の美女だったのである。彼女はイリア・プラティエと名乗り、そして――強引にリーシャを劇場の中へと引きこんだ。そして見せたのだ。彼女の、他人を惹き込む演技を。それに魅せられたリーシャは、少しだけ彼女のそばにいたいと願ったのだ。

 そうして、舞姫リーシャ・マオが生まれた。人を殺すこともなく、ただ他人を楽しませるために踊る。それはいつものリーシャからはかけ離れていて――とても、楽しかった。人を殺さずに生きることが、どれほどの幸福かを知った。《黒月》から《銀》に接触があったとしてもそれは色あせることなく彼女の視界に色鮮やかに焼きつく。離れられない輝きが、そこにはあった。

 何度も、辞めようと思った。だけど、辞められなかった。《アルカンシェル》とイリアによって彩られた毎日を、リーシャは手放せなくなっていたのだ。手放さなければならないと思うほどに、大事だった。大切だった。喪いたく、ないものだった。故にリーシャは二足の草鞋を穿くことに決めたのだ。誰も咎めやしないだろう。どちらにも、素性がばれなければ。

 そんな時だ。短い銀色の髪の、『エル』によく似た女を見かけたのは。あの時とは違って髪は肩口よりもさらに短く切りそろえられていても、見間違えることはない。あの時とは違ってその瞳に光があったとしても、見間違えることなど有り得ない。見慣れないチョーカーを巻いていても、どんな格好をしていても、見間違うはずがなかった。あの時あの瞬間に背を斬られた少女が、そこにいた。

 声を掛けようと思って、その背を追おうとした。だが彼女の足は意外に早くて『舞姫リーシャ』のままでは追うことが出来ない。すぐに見失って、幻だったのではないかと震えた。幸せな日常を過ごすリーシャに、エルが恨みをぶつけに来ているのかと。

 だが、幻ではなかった。《クロスベル通信》に掲載された記事に彼女が乗っていたのだ。特務支援課の一員として。そして――エルではなく、アルシェム・シエルとして。丁度イリア宛てに脅迫状が届いたところで、ならば特務支援課に依頼すればいいと思った。そういう理由を作れば、面と向かって会えると。また家族に戻れると。そう、信じていた。

 

『他人に名前を聞くときは自分から名乗った方がいーと思いますけど?』

 

 この、言葉を聞くまでは。

 

 他人。誰が一体他人だというのか。リーシャの家族であるはずなのだ、目の前の女は。なのに彼女はそれを否定する。名を知っているはずなのに、名乗らせようとする。その顔には感情が全くと言っていいほど浮かんでいなくて、それが皮肉にも当時のエルと同じ顔で。だから、リーシャは分からなくなった。本当に、目の前の女がエルなのかどうかが。同じ顔をしただけの別人なのかもしれない。そう、思った。

 アルシェムと名乗った彼女の言葉に流されるように、リーシャは己の思考を誘導させられる。エルという名を出して、探して貰えるように頼んだ。目の前にいるはずの、彼女のはずなのに。背を斬られて死にかけていたというくだりを思い出した時には、とうの昔にエルが死んでいるかも知れないという事実を、改めて突き付けられたような気がした。

 その後、エルのどんな話をしてもアルシェムは一切表情を動かそうとはしなかった。その隣に立っていたティオという名の少女がやけに冷たい目でアルシェムを睨んでいたのが印象的だっただけだ。目の前の女は、エルではないのかもしれない――その想いが、一日を過ぎるごとに降り積もっていく。

 だというのに。だというのに、だ。今、《黒月》から出てビルの上を疾走し、《アルカンシェル》の近くで変装を解いたリーシャの目の前に立ちはだかる人物が、それを否定した。

「――今、なんて」

「何度も言わせるな。おまえの行動を多少縛る代わりに、おまえが必要としている『エル』という名の女の情報をやろうと言っている」

 長い、銀色の髪。顔には珍妙な仮面をつけ、神父服を纏った奇妙な男。そいつはリーシャに向けてそう告げた。その男は分かっていないのだろうか。この時点で、彼が『エル』の生存を確定させたということに。こういう取引の場合、情報の信頼性が乏しくなった時点で取引が成り立たなくなることが多い。しかも肝心な取引の第一回目を嘘情報で踊らせるような輩は信頼とは程遠くなる。特にこういう神父などという職業に就く人物の場合、完全な嘘を交渉道具にはしない。

 リーシャは震える声で言葉を押し出した。

「情報によります。間違った情報なんて渡したら、殺しますよ」

「虚偽の情報など渡すわけがないだろう。おまえには大事な手駒になってもらうつもりだからな。その代わり、《黒月》と切れて、わたしの指示通りに動け」

 その言葉にリーシャは表情を固定した。感情の揺らぎをこの男に見せ続けるのは危険だ。折角の情報源を逃すわけにはいかない。恐らくリーシャの想像通りならば、特務支援課はエルの調査には動いても情報を得ることは一切できないはずだからだ。

 そんなリーシャを見た男は口の端を歪めて告げた。

「……まあ、正直に言ってわたしとしてはおまえのことなどどうでも良いのだがね。あの子は――エルは、おまえに人殺しを続けてほしくないそうだ」

 リーシャは息を呑んだ。まさか、知られているとは思わなかったのだ。確かに多少裏に通じていそうだというニュアンスの発言はあったものの、リーシャが《銀》であることなど知っているはずがない。更に、父が死んだことも知っているはずがなければ、リーシャが《銀》を継いだことを知っているはずもないのだ。それを教えたのは、恐らく――この男。

 そう判断したリーシャは大剣を抜き放ち、男に突き付ける。

「……エルに話したんですか、私のことを」

「そんなわけあるか。彼女は最初から知っていたぞ。《銀》のことも、おまえが《銀》を継いだことも、な」

 目の前が真っ白になった。最初から知っていたとは、どういうことなのか。既にリーシャが人を殺したことがあることも知っているというのか。《銀》の正体なんてどこから聞いたというのか。いつから、彼女に知られていたというのか。最初からというのは、一体いつだったのか。

 がたがたと震えはじめるリーシャを、その男は冷たい目で見ていた。彼に――否、彼女にとってリーシャの怯えはどうでも良いものだからだ。『家族』として裏切られたわけでもない。たった数年間だけの、かりそめの『家族』だっただけの少女のことなど、彼女にとっては今やどうでも良いことなのだ。変わってしまったのは彼女の方で、リーシャ達ではないのだから。

 神父の扮装をした彼女は震えるリーシャに追い打ちをかけるように言葉を掛ける。

「安心すると良い。エルはおまえが人殺しでも良いそうだが、殺人鬼にはなって欲しくないだけだ。まあ、人殺しのエルが言えた義理ではないがね」

「な……ん、そんな……何で、エルがっ!?」

 仮面の神父の言葉にリーシャは声を震わせて叫んでしまった。咄嗟に口を押さえるが、周囲には聞こえてしまっているようだ。通行人からの視線を避けてリーシャと神父はわずかに場所を移動する。

 彼女は溜息をついてその問いに答えた。

 

「何故、と問うからには、彼女の全てを受け入れるだけの覚悟があるのだろうな? リーシャ・マオ。彼女がおまえに会う前に何をしていて、おまえと別れた後に何をさせられていて、その後どうなったのか。この先彼女に待ち受ける宿命を、受け入れるだけの覚悟がないとはいうまいね?」

 

 だが、リーシャはその答えを聞いてはいなかった。何故、どうして、という言葉をうわごとのように繰り返すだけで、彼女の言葉に反応しようともしない。仕方なく、彼女はリーシャの目の前にとあるものを翳して、いかにも暗示を掛けますという様相を見せつけた。そして――

「詠唱省略、凍りつけ」

 その、一言で。リーシャは今あった記憶を喪って――正確に言えば、凍結されてしまっていた。そのままリーシャを背中から突き飛ばし、彼女はその場から離脱する。もっとも、突き飛ばしたところで呆然としていてもリーシャの技能に衰えはない。軽やかに地面に降り立ったリーシャは、微かな違和感に眉を顰めながら稽古へと出掛けて行った。

 それを見ながら、彼女は言葉を零す。

「……あーもう、やってることマジであの変態と一緒だし……まあでも、必要なこと、らしいからねー。今はまだ逆らわないでいてやるよ、クソガキ」

 そのぼやきを聞く者は誰もいない。彼女もまた、その場から立ち去った。そしてその場には密談の証拠など何一つ残されることはなかったのであった。

 

 ❖

 

 同日、夜――旧市街に借りている安アパートに帰ったリーシャは、部屋の中に入ってからその異常に気が付いた。この部屋に誰かがいる。それも、ほぼ完全に気配を消したうえで。それを感じた途端、リーシャの雰囲気が変わった。少々運動神経の良い少女の雰囲気から、暗殺者のそれへと。それに反応したようにその気配が揺らいだ。

 そして、その気配の主が声を発する。

「《星見の塔》で待つ」

 その言葉の後、指を弾くような音がして――瞬間、リーシャの脳裏に昼間の会話がよみがえった。得体のしれない忌々しい男との会話。その会話で判明した、エルの生存。そして、エルに既に《銀》の正体を――自分の正体を、知られてしまっていたことまで。

「――ッ」

 ぎり、と歯噛みしたリーシャは、それでも周囲に異常を知らせる程の声を上げることはなかった。周囲に知らせて何になる。今リーシャがすべきことは、あの男を問い詰めてエルとあの女が同一人物かどうか確かめることだけだ。即座に《銀》の装束に着替えたリーシャは、戸締りをきちんとしてから気配の主を追った。

 徐々に距離は詰まっている感覚はあるが、相当な手練れであることに変わりはないだろう。特に気配を消すことに関してはリーシャとほぼ同等か、それ以上だ。その証拠に、街道で眠っている魔獣がその気配の主に反応することなど一切ない。あの男の服装から察するに、恐らくは星杯騎士か。つまりエルは星杯騎士の支配下にあるということになるだろう。

 ようやく《星見の塔》に辿り着いたリーシャは、敢えて屋上から階下へと向かった。不意を打てればと思ったのである。しかし、それは叶わない。何故なら、その人物もまた屋上から《星見の塔》に侵入していたのだから。それ以前にリーシャの気配もとらえていたため、不意打ちなどなんの意味もないというのもある。

 そして相対した神父は、昼間と全く同じ格好をしていた。

「成程、暗示を解くほどの実力はまだない、と。まあ、わたしからこれ以降暗示をかけることはないがね」

「……それを、信用できるとでも?」

「する必要はないな。暗示をかけずともこちらにはカードがある。それは分かっているのだろう?」

 そのカードが何を指し示すのかを分かっていて、リーシャは暗器を握りしめた。今ここで殺し、あの女を問いただせば済む話なのだ。それが恐らく一番手っ取り早い。この男の魔の手からもエルを守ることができるだろうから、一石二鳥だ。そう考えたリーシャは気づかれないように間を計り始める。

 すると、彼女は笑いを漏らしながらこう告げた。

「ああ、わたしを殺すのは止めておけ。その瞬間エルも死ぬことになる」

 その言葉に、リーシャは硬直した。硬直せざるを得なかった。この男はエルの意志を尊重するようなことを言いながら、平気で自分の道連れにすると言っているのだ。エルがこの男の手下ではなく、捕虜として捕まっている可能性が出てきてしまった。しかも、あの女――アルシェム・シエルとは別人の可能性すらも。

 ぶるぶると震えながら、リーシャはその場にとどまった。自らの手でエルを殺すことなどあってはならないからだ。

「貴方という人は……」

「因みに今は普通に五体満足で生きているぞ。おまえが下手を打たなければ、だがな」

 神父はリーシャの逃げ道を潰した。つまり、リーシャが従わなければエルを殺すと言っているのだ。無論、彼女にとってエルは文字通り一心同体であるのでリーシャに殺されれば彼女も死ぬことは確定している事実なのだ。

 未だ震えているリーシャは、神父に問う。

「……私に、何をさせたいんですか」

「そうだな、手始めに――今度創立記念祭に行われる《黒の競売会》。アレに潜入して貰おうか」

「……ツァオ・リーが言っていた、あの……ですか」

 リーシャは手始めに、という言葉を苦々しく思いつつもその内容に眉を寄せた。そもそもリーシャは《黒月》からの依頼でそこに侵入する予定があったのだ。あわよくばそれを中止させることを依頼されていた彼女にとって、それは意外でしかない。もっとも、この悪辣な男が《ルバーチェ》関連の人物でないことが分かっただけでも重畳である。

「ああ。といっても侵入しているだけでいい。その他の指示については《黒月》からのものに従え」

「ただし誰も殺すな、貴方のことも誰にも言うな、ですか?」

「分かっているじゃないか」

 くつくつと神父が笑った。それが何故か泣いているように見えて、リーシャは困惑した。一体何故、この男が泣いているように見えてしまったのか。そもそも泣くような人物にも見えないため、どうしても引っかかる。

 だが、リーシャの困惑を吹き飛ばすように神父は告げた。

 

「報酬は今回に限り先払いしておこう。『エル』は――ここにいる」

 

 その言葉に、リーシャの困惑は本気で吹き飛ばされた。ここに、ということはクロスベルにいるということか。つまりあの女は本当にエルである可能性が高いということだ。生きていてくれたことについては嬉しい気持ちしかないが、目の前の男がエルを生かしたのだとすれば何かよからぬことをしていないとも限らない。

 そこに思い至ったリーシャはキッと神父を睨みつけて詰問した。

「……手を出してはいませんよね?」

「……は? ああ、そんなことは物理的に不可能だから安心すると良い。もっとも、彼女が置かれていた状況を鑑みるに手を出されていないとは思えないがね」

 その言葉を言い終えると同時に、神父はリーシャから放たれた暗器を避けた。彼女が死ねば間違いなくエルも死ぬというのに、なかなかに激情家のようだ。その後、彼女はリーシャとともに細々とした条件を決めてその場から去った。

 そして、自室に帰り着いた彼女――アルシェムは大きく溜息をつく。

「阿呆か。どうやって自分で自分に手を出せると……あー、出来ないこともないかー。やらんけどね」

 自家発電(意味深)をするだけでトラウマ発症である。手を出していないというよりは、出せないというべきだった。次にリーシャという駒を動かすときには《D∴G教団》の調査にしてくれる、と思いつつ服を脱ぎ去り、パジャマに着替えてベッドに寝転んだ。

 『家族』を騙すことに罪悪感はある。だが、そうやって手綱をつけておかなければならないという感情が、リーシャへの態度を冷徹にさせた。彼女に出来るのは、ただリーシャを守るためにリーシャを騙して手駒にすることだけだった。



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~創立記念祭~
創立記念祭一日目


 旧175話のリメイクです。


 マクダエル市長暗殺未遂事件からしばらくして。混乱も落ち着き、無事にクロスベル自治州創立記念祭も行われる運びとなった。警察官とて人の子である。いくら年中無休であるとはいえ、交代で休暇が与えられるのは当然のことだ。そして、特務支援課もその例外ではない。ただ、少々特殊だったのは――支援課に関わる業務を行う職員も共に休暇を与えられたことか。見計らったように休暇を奪い取ったであろうノエルは、妹フランと共にロイドと創立記念祭を楽しんでいるようだ。

 ランディはカジノに入り浸り、エリィはマリアベル・クロイスと共に祭りを謳歌し、そしてティオは部屋の中にこもりきりになるかと思いきや、《エーデル百貨店》でみっしぃなるキャラクターの限定発売があると聞いて飛んで行った。そしてセルゲイもまた、どこかの青髪の麗人と共にバーで飲んでいるだろう。つまり何が言いたいのかというと、完全にアルシェムに向けられる目はないということになる。

 故にアルシェムが取る行動は簡単だった。このところほとんど放置し通しだった《メルカバ》肆号機の整備及び掃除である。ついでにノエルと共に非番になれるよう強引に交渉したリオも加えて、久々に大きいモニターでの連絡を行おうというのだ。整備及び掃除は早々に終わらせ、アルシェムは通信をエレボニア帝国にいるメルにつなげようとする。小さな呼び出し音が数十秒続き、そして切られた。どうやら取り込み中らしい。

 アルシェムは溜息をついてリオに向き直った。

「ま、忙しいんだろーね……忘れてたよ、あっち一応学生だわ。先にこっちの打ち合わせを終わらせとこうか」

「あいあい。といってもあの一件以降はまだ変わったことは起きてないみたいだけどね」

 苦笑してそう応えたリオは、主がその程度のことならば理解していることを分かっていて合いの手としてその言葉を吐いていた。会話を円滑にするための合いの手であり、他意はない。《ルバーチェ》や《黒月》関連で水面下での小さな衝突がいくつか起きているようだが、アルシェム達が気にする類のものではないことくらい重々承知していた。

それに似たような苦笑を返したアルシェムは、一転して真面目な顔になって返す。

「こっから先で重要なのはどこまでの不確定要素が入るかってこと。特に帝国からの介入なんて厄介極まりないからね」

「ああ、《鉄血の子供達》のことか……そうだね、《氷の乙女》はともかく、《白兎》《黒兎》は多分ないだろうとは思うよ。ほんのガキンチョに勤まるほどクロスベルの情勢は甘くないだろうしね」

 そのリオの返答はアルシェムにも分かり切っていた。《氷の乙女》ことクレア・リーヴェルトは領邦軍の監視に追われてその他のことに手を回せるような状況ではないだろうし、《白兎》ミリアム・オライオンも《黒兎》アルティナ・オライオンもクロスベルに来させるには経験が足りなさすぎる。たとえ生まれた時から《十三工房》に入り浸っていたとしても、だ。

 故にアルシェムはリオの言葉にこう返答した。

「まだ見ぬ《子供達》の可能性もあるけど、まー、多分ここは一番確実な《かかし男》で来るんじゃない?」

 そしてアルシェムはモニターにその男の映像を映し出した。そこに映っているのは赤い髪の優男。かつてリベールに滞在し、クローディアと接触していた諜報員である。そして――《鉄血宰相》ことギリアス・オズボーンの腹心ともいわれる男だ。実際にアルシェムが会ったことはないが、顔も名前も一致させることができる。諜報員という割には自身の写真を普通に新聞社に掲載させているので写真は比較的容易に手に入る上、二等書記官という仮の地位まである彼はある意味諜報員らしくない諜報員だ。

 それでも彼が諜報員足りえるのは、その行動でそれとは気づかせないだけの演技ができるという才能と見た目に寄らず戦闘もこなせるというギャップを持ち合わせているからに他ならない。その気になれば遊撃士すら騙せる彼ならば、混迷を極めるであろうクロスベルに現れてもおかしくはない。経験も十分であるし、ただの観光客にも化けられるであろう彼ならば。

 渋面を作りつつアルシェムは言葉を吐く。

「一応こっちはわたしが目星をつけておくよ」

「いや、アルがしなくても……って、そうか。一応共和国の方のも気を付けとかなきゃいけないもんね。初日に現れるなんて目立つことはしないんだろうけど……そっちに目星は?」

 そうリオに問われたアルシェムは、口の端だけを歪めて答えた。

「多分、《飛燕紅児》かな。堂々と乗り込んでくると思うよ?」

 脳裏に浮かんだその人は、現在では《ロックスミス機関》という部署の室長を務めており、かつてリベール王国のツァイスという地方都市で遊撃士協会の受付を務めていた女性だ。凄まじいまでの《泰斗》の技と他人から情報を引き出して整理することに長けた彼女ならば直接乗り込んできてもおかしくないのだ。いくら以前煽っていたとしても、恐らく彼女は《ロックスミス機関》からは抜けない。

 アルシェムに釣られてリオも渋面を作った。

「あの人か……実力行使なんてされたらたまったもんじゃないね」

「実力行使は流石にないと思うよ。んなことしたら帝国から潰されるし」

 眉を顰めたリオにそう応えたアルシェムは、それでも《飛燕紅児》――キリカ・ロウランが実力行使してくる可能性を捨てきれないでいた。帝国に潰されず、かつ共和国の利にもなるような状況があれば間違いなく手出ししてくると断言できてしまうだけになおさらだ。抑止力にできそうな人材に心当たりはあるものの、彼に貸しを与えたこともないので確実にアルシェム本人が出張って止める羽目になりかねない。

 と、そこまで話が続いたところで通信が入った。その相手は先ほどつながらなかったメル。どうやら忙しい中時間を割いて連絡を繰れたようだ。

『メルです。今特別実習でケルディックにいますけど、一体何事ですか?』

「あー、ごめん。久々に情報共有しようと思ってたんだけど、そっち昼間は動きにくいの忘れてた」

 苦笑しながらその通信相手に返すと、軽く溜息をつく音が聞こえた。どうやら呆れているらしい。だが、それも長くは続かない。メルにもアルシェム達に伝えなければならないことがあるのだから。

 故に、メルは性急に言葉を吐いた。

『それは構いません。誤魔化すのに少々手間取りましたけどね……教官殿のことなのですが』

「何? あのオッサン、何かやらかしたの?」

『オッ……いえ、ロジーヌという友人が出来たので、一応ご報告までにと』

 メルの返答を聞いたアルシェムは一瞬眉を顰めた。その名前に聞き覚えがなかったからだ。ちらりとリオを見ると、彼女は口の動きだけで『《匣》卿の従騎士』と伝えてきた。つまり彼は――否、星杯騎士団はそれなりに帝国での《身喰らう蛇》の動きが本格化すると考えているらしい、とアルシェムは遅まきながら悟った。メルを助っ人として召喚したのも、単純にアルシェムから戦力を削ぎたかったのではなく、《蛇》に対する戦力増強だった可能性もある。

 そう考えつつ、アルシェムはメルに返した。

「成程ね。あまり深入りせずに仲良くしなよ?」

『承知しています。それ以外にも二三、伝えておきますね』

 そうメルが言うと同時に、アルシェムは《メルカバ》につけられたある機能を起動させた。何となく聞き漏らしがあってはならないと思ったからだ。それでなくとも双方が盗聴されても良いように――そもそも盗聴できるような人物がいればの話だが、念には念を入れて――言葉を誤魔化しているのに、聞き漏らしや聞き間違いなどあってはならない。

 そして、メルは若干の沈黙ののちにこう告げた。

『学生の友達が増えたんです。エマ・ミルスティンとクロウ・アームブラスト、それにリィン・シュヴァルツァー。前から女、男、男です』

「へえ、友達が増えるのはいいことだけど、学生としての本分も忘れないようにね。気になってるバンダナの君はいた?」

『ええ、恐らく真ん中に。出来ればお礼をしておこうと思いますが、どうすればいいと思いますか?』

 それに、アルシェムは唸り声で返す。今手に入れた情報を脳内でまとめようとしたのだ。『友達』は不審者の隠喩だ。因みにロジーヌに当てはめた『友人』は仲間である。メルは《身喰らう蛇》や《鉄血の子供達》、それに類する不審者のあぶり出しを行っているのである。誰が怪しいにせよ、メルは黒だと決まれば即座に彼女らを殺すだろう。

 そして、アルシェムの使った『バンダナの君』というのは以前《影の国》で出会った青年のことだ。蒼い機械人形――恐らくはキシンと呼ばれている――を異能の力で動かす男。帝国にいるのは何となくわかっていたため、捜索を依頼していたのだ。その返答は恐らくまだ見つかっていない、だと思っていたアルシェムは思わずうなったのである。まさか彼が士官学校にいるとは思わなかった。

 取り敢えず返答せねばなるまい、と思ったアルシェムはその場しのぎに言葉を紡ぐ。

「取り敢えず、売れそうな場所で恩返ししたらいいと思うよ」

『そうですよね……ええ、そうします。もしかしたら両想いかもしれませんし、一度手紙で告白してみようと思います』

「ん、その方が奥ゆかしい感じがしていいんじゃない?」

 何となくメルの会話が隠語から逸脱してきているのだが、アルシェムは何とかその意味をくみ取れた。『両想い』というのは恐らく、メルと同じく《鉄血宰相》の敵だということだろう。そして、『手紙で告白』というのは顔を隠しての交渉。下手にやれば問題が起きかねないが、それが露見する前に恐らくメルは事を終わらせるだろう。

 と、そこでアルシェムはふと思い出したことを口にした。

「あれ、シュヴァルツァーって貴族じゃ……」

『正確にはユミルに棄てられて男爵に拾われた養子、だそうですが。丁度、アストレイが消える前後だったかと』

 その言葉にアルシェムは眉を顰めた。メルの隠語すら消えた会話の中に、恐らくはとても重要なものが隠されている。そんな気がしてならない。『アストレイが消える前後』――つまり、《百日戦役》が始まる前。その時点で帝国に起きた異変など、心当たりは一つしかなかった。《ハーメルの悲劇》。そして、それに関わった人物たちの中に、リィン・シュヴァルツァーという名の男が存在した可能性がある。

 ここでアルシェムの持つ情報のアドバンテージが若干活きた。リィンの素性について、可能性のないものを消せるのだ。少なくとも、《ハーメル》の住人の中には『リィン』なる少年はいなかった。そして――殺しつくした猟兵崩れの中にも。あと可能性があるとするならば――あの、男のみだ。猟兵崩れの子供という可能性もあるが、可能性としては低いだろう。猟兵がわざわざユミルに子供を棄てる可能性などあるはずがない。

 しばし、言葉を考えたアルシェムは平坦な声色で答えた。

「ふーん、血がつながってないんだ。ユミルに棄てるってことは相当冷血な奴なんだろうね」

 その答えにメルは息を呑んだようだった。アルシェムにもその気持ちはわかる。学生の、とわざわざつけたということは、クラスメイトである可能性が高いということだ。そのクラスメイトが『血』――《鉄血宰相》と関わりがあるなどとは、考えたくもなかったのだ。身のこなしとしては黒、言葉の端々からみせる態度では白であるリィンは、メルにとっては黒にほど近い灰色なのだ。しかし、それでも彼が白であることを信じたくなるような人格をしていることに間違いはない。

 一瞬の逡巡の後、メルは返答する。

『そう、かもしれませんね』

「……他に何か、変わったことはあった?」

『ああ、そう言えば、なのですが。最近帝国のラジオで《蒼の歌姫》という歌手がいましてですね……』

 アルシェムに促されて情報を流したメルは、そこで言葉を区切らざるを得なかった。というのも、そこで盛大にアルシェムが噴出したからだ。げほげほと咳き込むアルシェムにリオが水を差し出し、事なきを得る。驚いて気管に唾が混入したらしく、胸の中心辺りが盛大に痛くなるがそれどころではない。本気でメルがそう言っているのだとは思いたくなかったが、聞き間違いでもないようだ。

 涙目になりながら、アルシェムはメルに返した。

「いや、まさかそんなところでその名前を聞くとは思ってなかったんだけど……うん、世の中ってのはなかなかに深淵だよ……」

 それを伝えられたメルは、一瞬だけ息を呑んだ。怪しいとは踏んでいたが、まさかそこまでの大物だとは思いもしなかったのだ。アルシェムが言葉の中にさらりとまぜた《深淵》という単語――それは、《身喰らう蛇》第二柱《蒼の深淵》を指すからだ。まさか本人ではあるまいと思ったのだが、本気でそのようだ。そう判断したメルは、もう一人の懸念事項について補足することにする。

 何でもない風を装って、こう告げたのだ。

『ついでに友達のエマ・ミルスティンも同じくらい歌がうまいらしいですよ』

「流石に同じくらいは言い過ぎだと思うけどねー……」

 そして、無言。アルシェムは言葉を発しないことでメルの話を促したのだが、メルはそれ以上語ることはないようでそのくらいですかね、と言って会話を終わらせにかかった。つまりそれだけの情報しかまだ集まってはいないらしい。それでも重要な情報ばかり掴んでいるあたりが優秀さの表れだろうか。

 内心で溜息を呑みこみつつ、アルシェムは会話を終わらせるために言葉を吐いた。

「まあ、あんまり派手な成績取って貴族に睨まれないようにね。ほら、公爵家とかに睨まれると後々面倒だから」

『ええ、気を付けます。……まあ、そういうことを気にしていたら《Ⅶ組》なんてやってられませんけどね……では』

 そして、メルは通信を切った。アルシェムは深く溜息をつき、脳内で情報をまとめ始める。粗方の情報をまとめ終えたのち、アルシェムはリオに多少指示を出してから《メルカバ》を去った。

 自室で寝転がり、眉を顰めてアルシェムは呟く。

「……引っ掻き回しすぎだろ、《鉄血宰相》ドノ……」

 苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべつつ、アルシェムはそのまま眠りについた。

 

 ❖

 

「もっと、もっと力が必要なの」

 虚空に響く、少女の声。それと同期するように蠢きだす銀色の靄。それは因果を紡ぎ、運命を操り、彼女にとってのより良い未来を作り上げていくための道具だ。この時期においても、運命を操る必要があるのだと。そう少女は思っているのだ。完璧な世界のために。誰もが幸せになれる、理想郷のために。ロイド・バニングスが。エリィ・マクダエルが。ティオ・プラトーが。ランディ・オルランドが。彼らに関わる全ての人間達が、幸せになれるように。

 彼らを死の淵から救う、闇に愛された少女。レンという名の、執行者。彼女を完全に闇から抜け出させ、クロスベルのために動く駒となるように隷属させる。そうすればロイド達が死の淵に陥っても必ず助けてくれるのだと識っているから。そのために、少女は銀色の靄を操った。それと同時に浮かび上がってくる、近い将来有り得るかもしれない未来を観測する。

 

 射殺される有力者たち。アサルトライフルを振るう黒服の連中。眼鏡をかけてスーツを着、トンファーで必死に抵抗するロイド・バニングス。下半身から血を流し、虚ろな瞳で月を見上げるエリィ・マクダエル。同じく虚ろな目で地に伏せる、フェミニンなドレスに身を包んだティオ・プラトー。般若のような形相で湖に浮かぶランディ・オルランド。飛び交う銃弾。怒号の連続。無表情な優男。嘆く女性に、哄笑するクロスベルの闇の主――

 

 そんな未来を、少女は破壊した。殺させてたまるものか。尊厳を奪わせてなるものか。これ以上自分からロイド達を奪わせてなるものか。明るい未来を壊させてなるものか。憎しみを込めてそれらの未来を念入りに破壊し、代わりに銀色の靄で包み込む。そうやって全てを自分の都合のいいように改変して、改変して、改変しつくして――

 ふと、そこで少女は手を止めた。誰かに見られているような気がしたのだ。だが、少女はそれを即座に否定する。そんなことは有り得ないのだ。この世界を観測できるのは少女のみ。並行世界というモノが存在するとしても、この場に至れるのはごく少数の彼女だけなのだから。故に有り得ない。自分のほど近くから見られている感覚というモノは。

 暫し手を止め、周囲を見回した少女は何もないことを確認すると再び作業を開始した。彼女の目には見えていない。彼女の耳には聞こえていない。彼女の肌は感じていない。そこに、たった一人の少女の□が存在することなど――理解出来るはずもなかった。たとえ認識していたとしても、恐らく少女はそれを信じることなく消去しただろう。

 地の底から響くような、恨みの籠った低いアルトの声がその場に現出する。

 

『……見つけた』

 

 その、少女よりも微かに大人びた女の声も彼女には聞こえることはない。女の持つ憎しみも、恨みも、□□でさえ――少女は感じることはないのだ。何故なら女と少女の道は最初から分かたれており、出会うことなど有り得ないのだから。

 故に、少女は聞くことはない――

 

『絶対に――貴様を、そこから引きずりおろすッ!』

 

 女の、絶対の意志を閃かせた決意をも。



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創立記念祭二日目・支援要請

 旧176話~177話のリメイクです。


 創立記念祭二日目。寝覚めの悪かったアルシェムは不機嫌になりながらもそれを悟らせないように表情を作って早目に階下に降りていた。本日の朝食の当番だからだ。適当にお食事用マフィンとベーコンとスクランブルエッグとあとはサラダで良いだろうと思いつつそれらを準備し、ついでに飲み物も準備する。自分だけ紅茶を淹れるのもどうかと思ったので朝はコーヒー派の課長以外の分の紅茶の準備だ。

 それらの準備が整ったところで皆が揃い、手早く食事をとる。足りないという輩に関してはサラダを投げつけておけばいいだろう。いつもはゆっくりと食事をとるのだが、本日に限ってはそれはなかった。何故なら、先日休んだ分のしわ寄せが本日にもつれ込んでいるからである。実際、アルシェムが朝からこっそり端末を覗いたところによると五、六件は入っているようだ。

 朝食をとり終わったロイドは、入っている支援要請を確認した。

「今日の支援要請は《クロスベルタイムズ》のグレイスさんからクロスベル百景についてのお願い、交通課から違法駐車の取り締まり、ベルガード門のミレイユさんから重要物の捜索、ジオフロントB区画の手配魔獣、最後に聖ウルスラ医科大学から医師の捜索願い、だ」

 かなり多彩なジャンルにわたっているが、それは今日が祭りだからだ。平常時であれば一日休んだ程度でこれほど大きい支援要請が来ることもない。特に祭り特有の支援要請――グレイスの支援要請などそれが顕著である――については、急いでやった方が良いだろう。

 ロイドはそう考えて一同に振り分けを告げた。

「……えっと、グレイスさんの支援要請はエリィとティオに頼む。終わり次第俺とランディと合流してくれ。俺とランディは交通課からの支援要請が終わり次第聖ウルスラ医科大学からの支援要請に向かう。後の手配魔獣はアル、君に頼むよ。医師の捜索が終わり次第ベルガード門に向かうから、それまでに目星をつけておいてくれると助かる」

 それに一同は返事をし、そして解散した。ロイドがクロスベル百景の依頼にエリィとティオを当てたのは、十中八九オーバルカメラを使うだろう依頼だからだ。こういう感性を求められる依頼には、アルシェムはあまり向いていないので除外したのだろう。違法駐車の取り締まりについても、逃走車が出た場合に弁償を求められかねないほど破壊してしまう可能性がある。そして医師の捜索をロイド達が四人で行うのは、ベルガード門とは違って人の命がかかっている可能性があるからだ。

 ある意味自分の負担が大きい気がする、と思いつつアルシェムはジオフロントB区画へと向かった。道中の魔獣退治は最早作業であり、アルシェムの気に止まることはない。ついでにうっかり作業で手配魔獣を狩ってしまうが、退治すれば良いだけなのでそれについては全く問題はないと言っていいだろう。人目さえなければ一撃必殺で終わらせられる。脳天に銃弾を撃ち込んでも頭蓋骨をスライスしてもどうせセピスと化して死ぬので問題はない。

 軽く溜息をついたアルシェムは、手配魔獣を退治した旨を端末で報告してベルガード門へと向かった。道中は走りつつ魔獣を退治する――というわけではない。流石に観光客の前でスプラッターはまずいだろうと判断し、軽くジョギングする程度の速度で魔獣を行動不能にするだけで済ませていた。バスは無論使わない。一応バスよりは早く着く予定でクロスベル市を出発しているからだ。

 ベルガード門にアルシェムが着いたのは、昼になろうかとしているところだった。門の中に入ると、あからさまに怪しいブルーシートが恐らくは戦車を包み込んでいる。まさかとは思うが、この中身を紛失したわけでもあるまいと思いつつアルシェムは司令室へと向かった。

「失礼します、特務支援課のアルシェムです。ゲ……いえ、司令殿はいらっしゃいますでしょうか」

 思わず下種と言いかけたものの、司令と取り繕ったアルシェムはその返事に驚いた。というのも、あからさまにあの下種司令の声ではなかったからだ。お入りくださいと告げたその声は、若い女性の声だったのだ。どこかで聞き覚えのある気がする声だ、と思ったアルシェムは、その正体を考えつつ扉を開けて司令室へと入った。すると、そこには金髪の女性士官が待ち受けていた。

 彼女はアルシェムを見てこう告げる。

「わざわざご足労頂き、ありがとうございます。クロスベル警備隊のミレイユと申します」

「特務支援課所属のアルシェムです。重要物を紛失されたと伺いましたが、他の人員は別の支援要請で出払っていますのでまずはわたしが捜索に当たります。あちらの支援要請が終わり次第合流するとのことです」

 アルシェムがそう返すと、ミレイユは苦虫をかみつぶしたかのような顔になった。どうやら相当な重要物が紛失したらしい。事情を聴くと、どうやら先ほどのブルーシートの中身を動かすための起動キーを紛失したそうだ。しかも、それを適切に管理すべき司令が酔っぱらってどこかで落としたという体たらく。アルシェムは遠い目をして司令の行動を聞き終えた。

 そして、一言。

「ほんっとろくなことしねーなあのくそ司令」

「え、ええっと……」

「何でもありません、ミレイユさん。そんな、あの下種司令がクズだなんて分かり切ったこと、一言も言ってませんって」

 いや言ってるだろ、とミレイユの目が雄弁に語っていたが、アルシェムは努めてそれを無視していた。こういう場合は普通、ミレイユが司令の名誉のために言い返すのが普通なのであるが、残念なことにこの司令にはそこまでの人望はなかった。何せ《ルバーチェ》と繋がっているどころか幼女や少年にまで手を出す司令である。イロイロともう、立場のある人間として終わっていた。

 司令が《ルバーチェ》と癒着していることのみ知っているミレイユは渋面を作って黙り込むしかなかった。何故目の前の警察官がそれを知っているのかという疑問はあったが、先日の狼型の魔獣の件でそう言っているのだろうと何となく自分を納得させている。どういう意味でアルシェムが司令を下種でクズだとけなしているのか、ミレイユは一生知ることはないだろう。

 しばらく沈黙が続いてしまったので、少々気まずくなってしまったのを払拭すべくアルシェムが告げる。

「えーと、もう一度確認しますが、食堂で呑んだ後門内をふらふら歩きまわりやがったんですね? あの司令」

「ええ、恐らく。流石に門を越えたりはしていないことだけは確認してあります」

「んじゃ、まずは普通に探しても見つからないような死角から探していくことにしますね。上から下に見ていくので、屋上に上がる許可を下さい」

 ミレイユはアルシェムのその言葉に許可の意を返し、通常業務へと戻っていった。非番の時間になった人員のみが起動キーの捜索に当たっているらしい。それでも一向に見つからないあたり、司令の失態にしてしまいたいという意思が透けて見えるようだ。もっとも、この場合に責任を取らされるのは司令ではなく次に地位の高いミレイユだろうが。

ベルガード門の士気の低さに内心不安を覚えつつ、アルシェムは屋上へと上がった。そして屋上の床を一瞥し、ふとクロスベル市内の方に目を向けたところでちかりと何かが光った。どうやら光るような何かがそこにあるらしい、と思ったアルシェムはその場所を見た瞬間表情を歪ませた。というのも、光っていたのはそんな加工をしてあるはずのない街灯の天井部だったからだ。それも、屋上からでは届くはずのない場所の。確かに位置的には屋上よりも下なので有り得ない話ではないが、割と天文学的な確率でしかその場所にそんなものは存在しないはずだ。

アルシェムは手を組み合わせてぐるぐるまわし、ついでに足首も回して軽く準備運動を終えた。そして――

「え、あ、ちょっと!?」

 近くにいた警備隊員の制止も聞かず、屋上のフェンスに足を掛けて跳んだ。着地する先は街灯の上。一リジュでもずれてしまえばその光るモノを落下させてしまうかもしれないという緊張感の中で――アルシェムは、それを無事に成功させてみせた。爪先立ちで街灯の上に立ったのだ。そして爪先立ちのまましゃがみこみ、光っていたものの正体を暴く。

 拾い上げたそれは――紛うことなく、鍵だった。

 

「あンの変態がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 その場で思わず絶叫してしまったアルシェムは、後で反省文を書く羽目になったそうな。

 

 ❖

 

 ベルガード門での支援要請も無事――死屍累々で反省文を書く状態が無事だと表現するならば――終わったアルシェムは、クロスベル市内へと戻ってきていた。無論支援要請を終えたことはロイド達には伝えてあるのですれ違いになるということもない。この後の予定は市内の巡回となっているため、アルシェムはロイド達との合流を待たずに巡回を始めていた。何となく、このお祭り騒ぎに便乗する輩がいるような気がして仕方がなかったのである。

 そして、アルシェムのその予感は当たる。やけに旧市街が静かだと気付いたアルシェムは急いで東通りを抜けて港湾区へと向かった。そこでなければ歓楽街に彼らがいる可能性が高いと思ったからだ。このお祭り騒ぎに便乗するとすれば、騒がしい場所を選ぶのが当然のことである。そして、港湾区へと向かったアルシェムの判断は誤ってはいなかった。何故なら、《サーベルバイパー》のメンバーの一人が《テスタメンツ》のメンバーに向けて今にもその釘バットを振り下ろそうとしていたのだから。

 アルシェムは顔をひきつらせてその場から跳び、それが振り下ろされる直前に両者の間に滑り込んだ。

「はいストップー」

 両者の間に咄嗟に滑り込んだものの、被害が全くないとは言えない。《テスタメンツ》の方もスリングショットで投石しようとしていたためだ。やむなく双方に被害がでないように両腕を犠牲にするしかなかった。といっても、後で見れば痣になっているかも知れない程度だが。僅かな痛みを覚えつつスリングショットの弦を掴み、釘バットのバット部分を掴んだままアルシェムは交互に双方を睨みつける。

 それにたじろいだのか、《テスタメンツ》のメンバーの方が声をあげた。

「ま、祭りを盛り上げようとけん……交流試合をしようとしててだな」

「祭りで喧嘩を見て楽しいのは変な嗜好の奴だけだから! せめて場所を考えて、警察に許可取ってからにしなさいって」

 やんのは良いのか、と言わんばかりの表情になった彼は、それでもなお食い下がる。

「いや、許可が出る気がしないんだが」

「ならやるなってーの! あんたらが喧嘩するのは勝手だけど、特にこんな人通りの多い場所でやって他の人に怪我させて賠償しろって言われたらあんたらにそんなミラあるわけ?」

 特にマフィアとか帝国人観光客とか共和国人観光客とか! と続けると、不良達は一斉にばつの悪い顔になった。どうやらそこまで考えが回っていなかったらしい。ワジは何を考えているのか、と一瞬思ったが、絡んでくるならその強さでも図ろうとしていたのだろうと思い直した。それで周囲への被害が拡大することを考えてはいなかったようだが。考えていれば《黒月》前で喧嘩などやろうとも思わないだろう。

 アルシェムは青筋を立てながら不良どもに一喝した。

「おら、とっとと旧市街へごーほーむ!」

「え、お、おれ、旧市街に住んでるわけじゃ……」

「はりーはりーはりー! 強面お兄さんにお説教されたかないでしょ?」

 アルシェムの言葉を聞いてとある警察官の顔を思い浮かべてしまった一同は、一様に青い顔になりながら旧市街へと走り去っていった。もっとも、ヴァルドとワジは顔色を悪くしていることはなかったのだが。この場所で騒ぐリスクを考えた結果、彼らも撤退することに決めたようである。すれ違いでエステル達遊撃士と特務支援課のメンバーが駆け付けてきたようだが、アルシェムは彼女らもあわせて旧市街へと放逐した。

 それに対してヨシュアがぼそりとアルシェムに漏らす。

「珍しく手際が良いね。対人関係なのに」

「失礼だなー。ま、事実だけど」

 ははっと乾いた笑みを浮かべたアルシェムは殿を務め、旧市街へと不良達を無事に追い込んだ。そこで彼女を待ち受けていたのは、彼らの有り余った熱気。ついでに言うならば、祭り気分への便乗を期待されていた。無茶ぶりである。

「で、喧嘩以外で何か盛り上がれる様なのはないのかよ?」

 そう話を振ってきたのは、《サーベルバイパー》の一員である。完全な下っ端ではないようだが、かといってヴァルドに近い位置にいるわけでもない。故に彼の言葉を聞く必要はどこにもないわけだが、残念なことにヴァルドもワジも期待するような眼でアルシェムを見ていた。つまり何か考えろと言うことである。しばし考え、他人に迷惑のかからない方法を思いついたアルシェムは、ヴァルドに声を掛けた。

「ね、何か台になるようなもんない? このくらいの高さの」

 このくらい、というところでアルシェムは胸の下あたりを掌で示した。すると、ヴァルドはドラム缶が丁度そのくらいの大きさだと言って手下たちに言ってすぐに取って来させた。ノリノリである。

 微妙にボルテージが上がっていることに気付いたのか、ティオがアルシェムに問うた。

「何をするつもりなんです?」

「ん? 腕相撲大会とか?」

「……それ、アルが有利過ぎません……?」

 ティオが呆れたように返すが、そもそもアルシェムは参加する気はない。本気を出せば恐らく保たないからだ――ドラム缶が。凹む程度では恐らく済まされない。相手の腕ごとドラム缶の蓋をぶち抜くことになる。流石にそこまでする気もないのだが、手加減をすれば様子だけで看破しそうなやつらがいるので参加は見送ろうと思っている。

 故にアルシェムはこう答えた。

「いや、わたしは審判。不良軍団V.S.正遊撃士二人V.S.特務支援課なら相当いい勝負になると思うよ」

 無論、声を大きくして、だ。周囲にいた不良達とエステル達、そしてロイド達に聞かせるためである。ヴァルドは渋っていたが、何故かワジがノリノリだったのでそのまま『~第一回・チキチキ腕相撲大会in旧市街~』が開催されることになったのであった。因みに第二回の開催予定はない。どうせならば、見ていてハラハラしても誰も怪我をしないようにしようという意図があるのだ。

 そういうわけで始まった腕相撲大会は、初戦からいきなり本命馬が負けるという事態が起きる。最初の対戦相手は遊撃士チームよりヨシュア、そして特務支援課チームからエリィだった。アルシェムとしては普通にヨシュアが勝つだろうな、と思っていたのだが、ある意味エリィの読み勝ちとでもいうのだろう。ヨシュアがエリィの手を握り、アルシェムが開始の合図を告げた瞬間、エリィは小さく悲鳴を上げたのだ。

 具体的には――

「痛っ!?」

 小さく、しかしヨシュアの耳に届くよう計算された声。それとともに大袈裟にしかめられる顔。それに気付いたヨシュアは、慌てて手から力を抜いてしまって――そして、その隙を突かれてエリィに負けた。抵抗しようとした時には既にヨシュアの負けは決まっていたのである。次にヨシュアと《サーベルバイパー》のメンバーを戦わせようと思っていたアルシェムは唖然としてしまった。まさかそう勝つとは思わなかったのである。

 ならばこのままエリィに少々勝ち進んでもらおうと《テスタメンツ》のメンバー・アゼルを指名すると、あっさりアゼルは敗北。エリィはそのまま勝ち進んだ。流石に三連勝はさせられない、と判断したアルシェムは、何か腹案があるらしい《サーベルバイパー》のメンバー・コウキを指名する。指名された瞬間にニヤァと嫌な感じに嗤ったコウキに、エリィは一瞬怯んでいた。

 そして、目一杯の力を込めながら――叫んだ。

 

「CHI☆CHI☆WO☆MOGE!」

 

 そのあまりにもアレな叫びにエリィは轟沈した。これで次に挑戦されるのはコウキということになる。女性陣からの絶対零度の視線を受けつつ、コウキはそのまま笑う。次に女子があてがわれれば、そのまま似たような戦法で行くつもりでいた。もっとも、後で制裁されるような内容だが。次の彼の相手は特務支援課のリベンジのためにロイドを出すため、永久にその内容が女性陣に明かされることはない――そう、『ナイチチ』という侮蔑は。

 女性陣からの威圧を受けたロイドは、背中に冷や汗をかきながらコウキに危なげなく勝ち、次の対戦相手となったエステルに負けた。腕力で負けた、というよりは技で負けたという方が正しいだろう。何せ、エステルはロイドの力を利用して自分の勢いに変え、ドラム缶の蓋が凹む威力で腕を倒したのだから。勝者はエステルだったが、ドラム缶を上下逆転する時間だけインターバルを取ることになってしまった。

「ふふ~ん、楽勝楽勝♪」

 調子に乗ったエステルはにやにやしながらも《サーベルバイパー》、《テスタメンツ》両者を降した。完全に調子に乗っている。ということで、アルシェムは特務支援課の対抗馬ティオを出すことにした。ランディは出すと全勝してしまうのでよろしくない。両者が手を組んで、開始の合図を告げると――エステルにとっては思いがけなく、二人の力は拮抗した。

 そしてエステルを負かしたのは――ティオの、『このバカップル』発言であった。一瞬で赤面し、轟沈したエステルはぷるぷる震えながらヨシュアの元へと戻っていく。そして、次に誰を選ぼうかと思った瞬間――ヴァルドが名乗りを上げた。この時点でアルシェムは他のメンバーを出さないことを条件にして彼との試合を認め、試合を開始する。

 開始二秒で沈んだヴァルド――主にティオの口撃のせい――のリベンジにと出てきたワジと戦ったティオだったが、お互いに腕相撲よりも口撃を重視したため、あからさまにヤバい言葉がイロイロと飛び出していた。決定打はワジの声真似『みししっ』であったが、それはティオが本気を出すきっかけになった言葉であってワジの勝利の決め手になったわけではない。

 

 最終的に勝利したのは、ティオだったことをここに明記しておく。



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創立記念祭二日目・食事会

 旧178話のリメイクです。


「ねえ、ロイド君。よかったら食事に行かない?」

 

 エステルのその言葉を聞いた瞬間、ハイライトを消したヨシュアはロイドの背後に立っていた。波乱の腕相撲大会が終わったと思いきや、まさかのエステルからのデートの誘いである。しかも、恋人であるヨシュアではなく別の男。いつエステルをたぶらかしてくれたんだろうこの野郎、とヨシュアがロイドをちょっと消したい気分になってもおかしくなかった。

 それにアルシェムがでこピンをかます。

「……ヨシュア。深読みしすぎだと思うよー?」

「えっ……って、いつの間に!?」

 ロイドはいきなりアルシェムが頭の横にでこピンを繰り出したのを見て後ろを振り返ると、気配もなくヨシュアが立っていて驚いた。怒っているような気がするのは気のせいではないだろうが、ロイドにはその理由が分からない。故に助けを求めるようにエステルを見るが、それがヨシュアの逆鱗にふれてしまったようである。ぐわし、と頭を掴まれてエステルの方を見ないように固定されてしまった。

 ロイドは困惑して背後のヨシュアに声をかける。

「よ、よよよヨシュア……?」

 ロイドからは見えないが、ヨシュアは実にイイ笑顔でロイドの頭を固定していた。ついでに力を込め始めているあたり、相当動揺しているらしい。脳内ではエステル取られるエステル取られると連呼しているのだろう。

 それを見て実に微妙そうな顔をしたティオがエステルに耳打ちする。

「エステルさん、多分ロイドさんをデートに誘ったと勘違いされてます」

「あ、あんですってー!? そ、そんな訳ないでしょ!?」

 ないんだ、と呟いたヨシュアはロイドの頭から手を離した。エステルの様子から、嘘をついているような感じは受けなかったからだ。つまりロイドは無罪だということだ。そもそも自分の行動がイロイロと危ないことは棚に上げてヨシュアはそう心の中で評した。警察沙汰にならなければ今のところは何も問題ないのである。一応目の前にいる警察官たちは職務中のはずなのだが。

 遠い目をしながらアルシェムはエステルに返す。

「んじゃ、どーゆーつもりなわけ?」

「ちょっと情報交換したいなって思っただけ。特に――《黒の競売会》について、とかね」

 その言葉をエステルが言った瞬間、アルシェムは大きく溜息をついた。まさかそこに首を突っ込もうとして来るとは思いもしなかったからだ。悲しいことにアルシェムは《黒の競売会》が開催され始めた時期にその存在を偶然耳にしたため、知っているのだが。アレにエステル達が絡む要素が今のところ見付からないのである。まさかレンが来ると思っているわけでもあるまいし、と思っていると、くいくいと袖を引っ張られた。

 その手を辿ってその人物を特定すると、彼女は顔を近づけて来てこう問うた。

「どうしてアルが知ってるのかしら?」

「むしろわたしとしては何でエリィが知ってるのか理解出来ない。市長はアレにエリィを関わらせるような人じゃないと思ってたんだけど……?」

「名前だけ聞いたことがあるだけよ。流石に中身までは知らないわ」

 エリィは顔をしかめてそう返す。どうやら伝聞で名前だけを聞いたことがあるだけらしい。このままではアルシェムが知っていることを全て説明しなければならなくなりそうだ――険しい顔でエステル達が睨みつけてくれているからにして。どこでその情報を仕入れたかについてアルシェムはこの場にいる面々に明かす気は全くないので、どう説明するかと頭を悩ませる羽目になりそうだ。

 そして、にっこり笑ったエステルに腕を掴まれたアルシェムを追うようにして、特務支援課の面々は《龍老飯店》に入店した。

「いらっしゃいませアルー!」

「サンサンさん、お任せコース七人前下さい!」

「分かったアルねー!」

 しれっとエステルが注文をしているのだが、彼女は恐らく忘れているに違いない。アルシェムが小食であることを。前菜は恐らく食べられるだろうが、主菜に辿り着けるかすら不明である。物凄く複雑な表情でエステルを見れば、何故か物凄くイイ笑顔でサムズアップしていた。殴りてぇ、とアルシェムが思ったかどうかは別にするが、どんどんと料理が運ばれてきた。

 まずは、コーンと卵のスープ。少しとろみのついていてあっさりとした味わいの琥珀色のスープの中に、芯から切り落としたコーンとふわふわな卵が浮いている。蓮華でそれを掬って口の中に入れれば、胃が落ち着いたような気がした。今度支援課で作ろう、と思う程度には美味しかったのでそれをゆっくりと呑み干す。エステル達も話を忘れたのか、先に料理を味わうことにしたのかは分からないが無言で食していた。

 次に出てきたのは回鍋肉という料理で、豚肉とキャベツに味噌で味付けをして焼いたものだ。あっという間に大皿からなくなったので、恐らくは美味しかったのだろうとアルシェムは思った。箸が皿に群がっていたのでそれが収まってから取ろうと思っていたのだが、残念ながら箸が止まることはなかった。食い意地はり過ぎだろ、とアルシェムは戦慄していたが、誰もそれに気付くことはない。肉の取り合いをしているエステルとランディなど見ていないったら見ていない。

 その次の海鮮あんかけ焼きそばと麻婆豆腐はもう、机の上が最早戦場だった。流石にスープだけでは腹は満たされないのでアルシェムも頑張って取ったが、小皿一皿分と実はスープの後から登場していたジャスミン茶を堪能しているうちに消えていた。このまま気付かれずに皆が食べつくしてくれたらいいな、とアルシェムが思っていたのは事実だ。実際にはティオに気付かれていてしれっと皿に具が増えていたのだが。

 あっさりさっぱり棒棒鶏や見た目からして辛そうなエビチリも取り合いばかりしていた。美味しいんだろうナー、などと思いつつ遠い目でアルシェムはそれを見ているだけだが。ここでティオとエリィも食べ過ぎてペースが落ちていた。エステル? ああ、あいつは普通に健啖家だから。それらすべてを食べきるころには、ロイドとヨシュアも脱落しかけていたのだが。

 そしてようやくデザートに突入した時だった。エステルが話を切りだしたのは。

「……それで、アル。《黒の競売会》について知ってることを吐きなさい」

「ここではちょっと、嫌かな」

「何でよぅ」

 いきなり出鼻をくじかれる形になったエステルは頬を(胡麻団子で)膨らせた。恐らくは想像もしていないのだろう。一体どの時期にアルシェムがそれを知ったのかということは。

 故に、ヨシュアに分かるようにアルシェムはこう答えた。ヨシュアに分かってもらえれば止めて貰えるからだ。

「八年前の話になるんだけど、それでもここで無理矢理口割らせたい?」

「八年……?」

 首を傾げたエステルだったが、流石にヨシュアは分かったようだ。

「……ごめん。じゃあ、後で支援課に伺っていいかな?」

「むしろそうして。そんなに想定外でもなかったでしょー?」

「そう、だね」

 顔を曇らせてヨシュアが答えるものだから、ティオもその言葉に気付いたようだった。そういうことか、と。あの場所で――あの場所から、移送された《拠点》で。アルシェムはそれを聞いたのだろうと。

 故にティオは話を逸らすべく口を挟んだ。

「それより、今はお二人の活躍を聞きたいです、エステルさん」

「活躍って言うほどのものじゃないわよ?」

「《リベールの異変》の立役者が何言ってるんですか」

 そのティオの言葉で、ランディが乗ってきてその場はエステル達のリベールでの活躍の話へと無事にすり替わったのだった。

 

 ❖

 

 食事を終え、盛大に話し疲れたエステル達は支援課ビルを訪れていた。その際に何故かアルシェムが一人警察から呼び出していたのだが、彼を待つ間に概要について説明することにした。流石に彼――アレックス・ダドリー刑事が《黒の競売会》について知らないはずもないと思ったからだ。

 故にアルシェムは、エステル達に向けてこう告げた。

「えーっと……そもそも《黒の競売会》ってのは闇のモノを色々とオークションにかけて売りさばくってヤツなのは知ってる?」

「分かってるわよう、それくらい」

 エステルはながらそう応えるが、ロイド達の方を見れば初耳であるのは表情で一目瞭然なので軽く説明をすることにした。主催者はハルトマンでマルコーニら《ルバーチェ》がそれを支えていること、そしてそれが《ルバーチェ》の資金源にもなっているということを。ロイド達は渋面をつくりながらそれを聞きつつ、内心ではほぼ同じことを思っていた。また《ルバーチェ》かと。

 あることが気になったエリィが先を促す。

「ねえ、アル。それって一体いつから始まったの?」

「……それが丁度八年前のことだよ。丁度マルコーニが《ルバーチェ》の会長になったあたりだから、そんなに歴史のあるオークションってわけじゃない」

 その答えに、一同はそれぞれ顔をしかめた。ほとんどの人間はそんなに前からハルトマンと《ルバーチェ》がつながっていたのかという考えだったのだが、ヨシュアとティオは違った。八年前というその単語は、アルシェムにとってもティオにとっても大きな意味を持つ単語だ。八年前、ある場所に囚われていた彼女らには自由などなかったのだから。

 無論、詳しく知っていることについて突っ込む者もいる。

「何でアルがそれを知ってるんだ?」

 ロイドである。普通に過ごしていれば――クロスベルに在住しているロイドであっても――知るはずのない情報である。それを一体どこから仕入れたのかがロイドには無性に気になった。どうやら昔アルシェムは後ろ暗い職業に就いていたらしいとは何となく感づいているロイドであったが、ソレ関係で仕入れた情報なのだとしたらある意味確実だとも思えるからだ。

 だが、アルシェムは顔をこわばらせて返答をしなかった。自分で明言しておいて、その単語に気を取られてしまっていたからだ。八年前。エレボニア帝国のとある場所に存在した、あの地獄。あるいは煉獄とでも呼ぶべきその場所のことを、説明するだけの勇気はまだ持ち合わせていなかったのである。しばらく沈黙し、何度か口を開こうとしては閉じを繰り返した。

 そして、僅かにかすれた声で答える。

「ハルトマン本人から直接聞いた話だからだよ。ただし、あっちがわたしのことを覚えてるとは限らないけど」

「ええっ!?」

「おいおい、本人からって……」

 一同は大いに驚いた。どうやって本人からそんなことを聞き出せたのかすら理解出来ないからだ。実際には、ハルトマンは当時まだ『シエル』だったアルシェムとナニをしながら自慢げに話して来たので一方的なものだった。それを流石にこの場で話すのもどうかと思うのでアルシェムは誤魔化す気満々である。もっとも、この場でなければ話すのかと言われるとそんなことはないのだが。

 ふう、と溜息をついてアルシェムは言葉をつづけた。

「とにかく、《黒の競売会》が行われるのはミシュラムのハルトマンの別荘。持ち物は黒地に金の薔薇が刻印された封筒。あとはフォーマルな格好でいらっしゃいませってとこ?」

「……行ったこと、あるの? アル」

 あまりに詳しい説明に、先ほどの事情が思い当ってしまって聞きにくそうにしていたエステルがそう問うた。流石に時期を考えればエステルにも分かることだ。どうやってアルシェムがレンと知り合ったのか、ヨシュアに聞けば分かるはずなのだから。それでもこの情報について聞き逃すわけにはいかない。言ったことがあるのならば雰囲気だけでも知りたいからだ。出来れば、今回のうちに潜入しておきたいから。

 それにアルシェムはこう答えた。

「ない。まーでも、その気になれば招待状を手に入れることくらいは出来なくもないかな?」

 そう言った瞬間、支援課ビルの玄関扉が思い切り開かれた。どうやらダドリーが到着したらしい。その顔には怒りが浮かんでいたので、多少外にも声が漏れていたようだ。もっとも、ここで知られてはいけないことを話すつもりはないので何ら問題はない。たとえ《銀》が聞いていたとしてもアルシェムは話を止めることはなかっただろう。

 顔に怒りを浮かばせたままダドリーはアルシェムに問うた。

「一体どういうことだ。何故お前が《競売会》の招待状を手に入れられる」

「《リベールの異変》解決前までは《結社》にいたからねー、わたし。その伝手で手に入れられないこともない」

 その言葉にダドリーは懐に手を入れかけて、止めざるを得なかった。懐のショットガンに手を掛けようとした瞬間、アルシェムはその場から消えていたからだ。ダドリーは落ち着いて周囲を見回すと、アルシェムはティオの真後ろに立っていた。ついでにヨシュアから拳骨を落とされている。どちらの動きもダドリーには追い切れていなかったし、ランディが辛うじて見て取れたくらいだった。

 そこに助け舟を出したのはずっと沈黙を保っていたセルゲイ。

「今は抜けてるそうだ、ダドリー。アルシェムもそう煽ってやるな」

「煽りたいわけじゃーないんだけど。ま、昔も今もクロスベルで法を犯したことはないから、ここで逮捕することだけはできないと思っといてくれれば問題ないよ」

「そういう問題ではない! 何故クロスベルに元《結社》の人間が来たのか、そこが問題だ」

 そこなの? とアルシェムは思ったが、それに関してはヨシュアも同じなのでちらりと見てやる。ヨシュアにはふいと目を逸らされる。よし、ヨシュアも道連れにしてやろう、とアルシェムは決断した。無論嫌がらせと行動の束縛に他ならない。あまり派手に動かれるとアルシェムとしても困るのだ。特にヨシュアに裏で動かれると洒落にならない。

 よって、アルシェムはこう爆弾を落とした。

「それに関してはヨシュアと一緒なんだけどねー。《結社》から離れて行動してる一人の《執行者》を追ってる、というか何というか」

「……何だと? 何故そこにブライトが……」

「あ、そこ二人ともブライトだから。文脈でもわかるけどね。……だって、ヨシュアも元《執行者》だもん」

 その事実を知らなかったのは、ダドリーだけだった。一気に冷たい目でヨシュアを睨むようになるが、ヨシュアはヨシュアでアルシェムを睨んでいた。どうしてこう面倒事ばかり持ち込んでくれやがるのだろうか、とヨシュアは思いつつ溜息をついた。

 そしてダドリーに告げる。

「ダドリー刑事、僕もアルももう《執行者》に戻るつもりはありませんよ。戻る理由もありませんし、たとえ強制的に戻されることがあったとしても逃げ出せるだけの実力はありますから」

 ヨシュアはそう言い終えて、なおもダドリーの瞳を見つめた。ダドリーもその瞳を見返し、沈黙する。重い沈黙の中、ロイド達はここにいて良いのかという居心地の悪い思いをしていた。それが三十秒ほど続いて――そして、ダドリーは目から力を抜いた。

「――そうか」

 納得したわけではないが、信頼は出来るだろう、とダドリーは思った。少なくともヨシュアに関しては、だ。恐らくはカシウス・ブライトがヨシュアを強制的に《身喰らう蛇》からは逃がしてくれているだろうからその点に関しては何ら心配することもないだろう。アルシェムに関しても、一つ保証さえくれれば信頼しても良いかも知れない。もっとも、そのためには二度と戻れないように内部情報を吐き出させる必要があるだろうが。

 故にダドリーはアルシェムに告げた。

「シエル。お前は創立記念祭後に知っている限りの情報だけは吐いて貰うぞ」

「あーはいはい。どの道この先のクロスベル警察にあって困る情報じゃないから、じゃんじゃん吐き出して差し上げるよ」

 それはさておき、とアルシェムは言って《黒の競売会》への招待状を手に入れる方法を提示した。一つ目は《身喰らう蛇》構成員から譲り受けること。たとえばレンやヨルグからだ。レンには論文関係で招待状が送られてくるだろうし、ヨルグにはローゼンベルグ人形という実績があるので、彼とのつながりを得るべく送られてくるだろう。

 二つ目の方法は、それ以外から調達することだ。一番簡単な方法と言っても良い。マリアベル・クロイスに頼む、だ。ミシュラムで開かれる以上、クロイス家に贈らないわけにはいかないのである。故に必ずマリアベルの元には届いているだろう。それに同伴する形で潜入する。

 そして、取るわけにはいかない三つ目の方法はヨシュア、アルシェム、あるいはランディにのみ出来ることだ。昔の立場を利用して手に入れる――暗殺でも、強盗でも良い。それ以外にも正体を明かして招待状をねだるという方法もある。

 そして、出された結論は――保留、だった。無論三つ目の方法は取るなと言われたので(表面上では)取らないが。潜入だけは確実にするつもりだった。今回で、《黒の競売会》を終わらせる。それがアルシェムの使命だったから。



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創立記念祭二日目~三日目・支援要請

 旧178話半ば~180話終盤までのリメイクです。


 深夜。誰もが寝静まった頃、アルシェムの部屋に来客があった。静かに叩かれた扉の向こうに誰がいるのか、その人物が扉の前に立った時点でアルシェムは既に把握している。ただし何故彼が深夜に女の部屋を訪ねてくるという暴挙に出たのかわからなかったのだが。

 アルシェムは鍵を開け、静かに扉を開けてその人物――ランディを引き入れた。

「……あっさり入れていいのか?」

「やらかそうとした瞬間に斬り落とすんじゃない?」

 いぶかしげな顔をしてそう問うたランディにアルシェムは口角を片方だけ上げてそう応えた。因みに斬られる対象はナニではなく、首である。つまりランディは夜這いをした時点で命の危険があるといっても過言ではない。もっとも、彼がここを訪れた目的はそういう大人の時間を過ごすためではなく、どうしても聞いておかなければならないことがあったからだ。

 故に、イロイロと勘違いされる前にランディはアルシェムに問うた。

「さっき、ヨシュアと俺、それにお前にのみ出来る方法があるって言ったな」

「うん、する気は今のところないけど」

「そうじゃない。……何で俺が裏の人間だったって知ってる?」

 そう言ってランディは目を細めた。正直に言って凄むロイドよりも数倍コワい。ただしその程度の殺気ならばアルシェムも慣れているので普通に返答することになるのだが。

「ここ来る前にね、ランディのお父さんに――バルデル・オルランドに会ってるからだよ」

「……親父と? どこで……」

「それは秘密。まあ、彼と面識があるわけだから当然ランディのことも知ってたわけ」

 それ以上の情報を掘り下げて聞かれるとアルシェムとしては非常に困る。そもそも何故彼と敵対していたのかを語ることは出来ないからだ。いずれ明かすことになるとしても、今はまだ正体を明かすわけにはいかない。折角裏から逃げ出せた人間を元の場所に戻そうとするほどアルシェムは鬼畜ではない。それが今の同僚ならばなおさらだ。

 渋面を作ったランディは溜息と共に言葉を吐き出した。

「……成程な……」

 そしてランディは黙り込んだ。何かを考えているらしい、とアルシェムは思うが、彼がそのままここに留まっているのも色々な意味で危険なので会話を促すことにした。

「……それで、用件ってそれだけ?」

「いや、本題はこっからだ。お前は――裏に、《結社》に本当に戻るつもりはないのか?」

「ないよ。意味ないし、戻った方がデメリットが多いから。ま、メリットが多くても戻るつもりはないけどね」

 正確には戻れない、なのだがそれを明言する必要はどこにもないだろう。最終的にはその理由として今現在アルシェムが置かれている立場を明かさざるを得なくなるとしても、それを今明かすだけのメリットはない。ランディが未だ《赤い星座》に帰るつもりがある可能性がある以上、明かせないともいえる。情報漏洩は最低限にしておいた方が良い。

 それに――と、そこまで考えて、アルシェムはふと意識が混濁するのを感じた。そして自分の声帯を使って自分ではない誰かが話し始めるのを感じる。

 

「それに、『アルシェム・シエル』の役目はより良い未来を選択するためのトリガーだから。たとえ何があってもロイド達と敵対することだけは有り得ないし、あってはならない」

 

 その後の記憶はアルシェムにもランディにもなかった。

 

 ❖

 

 創立記念祭三日目。かなり寝不足気味のアルシェムは、目をこすりながら起床して着替え、階下へと降りた。そこには既に朝食が用意されている。どうやら本日の当番はエリィらしい。手早くがっつり食べられるベーグルサンドと紅茶が用意されているが、セルゲイだけは自前でコーヒーを用意していた。全員が食卓に着くのを待ち、そして食事をとる。

 食事をとり終えれば、端末を見て本日の予定を決めるのみだ。ロイドは本日も豊富な支援要請を見て、マインツ鉱山の魔獣退治にランディとエリィを、ストーカーの調査に自身とティオを、そして古戦場の手配魔獣をアルシェムに振り分けた。残る偽ブランド商の追跡はタングラム門から集合時間を決められているため、終わった人から順次合流する予定だ。

 アルシェムは懐の導力銃を確認してから、古戦場へ向けて走り出した。幸いなことにバスは近くにいないため、爆走していても何ら問題はないだろう。導力車でいきなり通りがかる人に関しては音で分かるので視認できる範囲に出る前に速度を落としている。街道灯の近くの魔獣のみを射殺するだけはしておき、アルシェムは一時間もしないうちに古戦場へとたどり着いた。

 すると、奥に行くまでもなく手配魔獣セピスデーモンが出現していた。最近忙しくて消費できていないセピス分を嫌がらせのようにIBCで交換してやろう、と思いつつアルシェムは敢えて少々時間をかけたうえで倒した。上手く外殻に当てれば大量のセピスが手に入るのである。無論アルシェムがその手段を取らないわけもなく、数十分の格闘――もとい、導力銃での低威力での蹂躙――を経てセピスデーモンは消滅した。

 と、そこに素早く動く魔獣が現れた。すわシャイニングポムかと思ってアルシェムがそちらを見てみると――

「……何故にトマト?」

 緑色のトマトがいた。動くトマトだ。しかも何故か顔がついている。動きが気持ち悪かったので思わず射殺すると、汁が飛び散ってあたりに何とも言えないヤバイ臭いが充満した。この臭いには心当たりがある。そう、あれは確か――リベール原産のニガトマトである。何故こんなところにいる、もといあるのだろうか。あの激苦トマトが。しかも中身を飛び散らせて消滅したはずのニガトマト魔獣は、何故かニガトマトを落としている。いやどうなってんだよ、とアルシェムは思った。

 実態を調査しても良いのだが、どうせくだらない理由があるような気がしてアルシェムはニガトマト魔獣を盛大に無視することにした。それよりも今すべきは次の支援要請にこたえることだ。幸い、ここからタングラム門までの距離はそうない。歩いてもゆうに間に合うだろう。そう思ったアルシェムは、ゆっくりのんびりと歩きながらアルモリカ古道をタングラム門方面へと歩いて行った。

 そして――定時になっても、誰もタングラム門には現れなかった。アルシェムは軽く食べられる昼食を食堂でとっていたのだが、ENIGMAが鳴ることも無ければ声を掛けられることもなかった。どうやら皆、手間取っているようだ。取り敢えずは市内で待機しておいてもらうべきだろう。今から来てももう間に合わないのだから。よってアルシェムはENIGMAからロイド達に通信を入れて、もし間に合うようならバスの到着口で待つように伝えておいた。

 昼食を終え、一服した後にタングラム門からの依頼人であるシーカー曹長とその補佐のコルティア軍曹――もといリオ――と合流したアルシェムは、偽ブランド商がクロスベル入りするという情報を得たことを彼女らから聞いた。もっとも、その情報がどこからもたらされたものなのかも問題なのだが。警察内部よりのタレコミである可能性もあるが、犯罪者を隠れ蓑にしてスパイが流入してくるという可能性すらあるのだから。

 一通り話を聞き終えたアルシェムはノエルに問う。

「それで、入ってきた観光客ってのは見せて貰えるの?」

「はい。今はバスの都合が悪いという口実をつけて食堂で待機して貰っています」

「……そ。分かった。一通り顔見て情報だけ取ってくる。曹長と軍曹は服で目立つし近くで待機しててもらえる?」

 そのアルシェムの言葉に分かりました、と答えた二人は、食堂の中へと入っていくアルシェムを見送った。そこに不安はない。リオの方は無論のことながら自身の主を信じないということはないのだが、ノエルの方は別だ。ただ、何となく。何となくアルシェムは信じられると、そう判断しているのである。人間的に好きになれるかどうかは完全に別になるが。人間的に問題があるのだとしても、信頼できる人間はいるものである。

 それはさておき、食堂の中に入ったアルシェムはそこで自身の失敗を悟った。まさかこのルートから本気で入って来ようとするスパイがいるとも思っていなかったからだ。それも、裏をかいたつもりになっているだろう共和国の人間が。端的に言えば、そこにいたのは黒髪の麗人だったのである。そう――人呼んで《飛燕紅児》キリカ・ロウラン。ロックスミス機関の室長がそこにいた。

「……あら」

 しかも声を漏らすというわざとらしさまで発揮してくれた。いい迷惑である。彼女に関しては完全に警備隊と警察に情報を売ってやろう、とアルシェムは心に誓いながら共和国からの観光客たちと会話を始めた。大半は普通の観光客。だが、そこに紛れている異分子が――二人。一人は言わずもがな、キリカである。芸能関係の仕事についていると抜かしたが、無論アルシェムがそれを信じることはない。

 問題なのは、この発言をした人物なのである。

「ええ、孫と一緒にミシュラムに遊びに行こうと思っていましてね。前に来たのは五年前だったかしら……」

 見かけ上はヒトのいい老女だ。だが、アルシェムには分かる。注意深い人物ならば誰でもわかるだろう。何故なら孫と一緒に遊びに行けるような施設は、五年前には存在していなかったのだから。そう――所謂ミシュラム・ワンダーランドは五年前には影も形もなかったのである。この老女がスパイではなく、偽ブランド商であるのは最早明白だ。何故ならスパイならばそんなあからさまな失言などしない。中途半端にクロスベルを調べた結果だからこその失言だ。

 故に、それを理解したアルシェムは一度食堂から出てノエルのいる場所へと移動した。

「……取り敢えず怪しいのが二人、かな」

 開口一番にそういうアルシェムにノエルたちは顔をしかめ、詳細を聞きたがった。ここで検挙できれば市内にそういう人物を入れないで済むからだ。だが、一人はともかくもう一人については不可能だ。何故なら彼女が明白にスパイであると自供したわけではないのだから。当然、キリカの方をノーチェックで通さざるを得なくなってくる。老女の方はともかく、だ。

 微かに顔をしかめながらアルシェムはノエルたちに説明した。

「一人は顔見知りだけど、証拠がないからこのまま通すしかない。もう一人は会話的に問題しかないからそのまま検挙できるよ」

「えっと、顔見知りって……」

「元遊撃士協会リベール王国ツァイス支部の受付、キリカ・ロウランっていう黒髪の美女なんだけどね。一回共和国に帰って何故か芸能関係の仕事をしてるらしいよ? ……《泰斗流》の師範代が」

 それを聞いたノエルは険しい顔になって黙り込んだ。流石にノエルでも《泰斗流》の名前は知っている。確か今のクロスベル所属遊撃士にも一人いたはずだ。その師範代――ある意味では一番強い人が芸能関係の仕事をしている。そんなことがあり得るのだろうか。むしろ、スパイ活動をするために肩書を騙って侵入してきたと言われた方がしっくりと来る。

 対するリオは遠い目をしながら言葉を零す。

「あー、じゃあ、副司令にでも報告しておくし、警察の方にも報告しておくよ。何だってまた泰斗の麒麟児が……」

「何か理由があるんだろーけどねえ。ま、そろそろ時間もアレだし、偽ブランド商だけ検挙しておこうか?」

「……そうですね。では、偽ブランド商をここで検挙してしまいましょう」

 険しい顔をしたまま、ノエルはそう提案した。本来であればクロスベル警察に連行したうえで聴取を受けさせるべきなのだろうが、水際で食い止めるという意味ではこの際市内にすら入れずタングラム門で撃退した方が外聞が良い。バスに乗せる際に食堂に忘れ物をしているという名目で老婆を引き留め、バスが出発した後に正体が割れていることを告げて色々あったものの偽ブランド商を捕獲することが出来た。

 なお、その際に起きた老婆逃走事件についてタングラム門からは一切の声明は出されていない。しかし、風の噂によれば全員が走り込みの訓練を三倍に増やされたらしい。そこにいたはずのアルシェムは、そのことについて遠い目をするだけでやはり一切を語ることはなかった――警備隊の名誉のために。

 

 ❖

 

 一日のうちに走り回り、割と力尽き気味のアルシェムはそれでもなおバスを使ってクロスベル市に戻ろうとはしなかった。街道を早歩きで通り過ぎ、魔獣を狩り、不用意に街道に出ている観光客に注意を促しながら市内に戻った頃には夕方になってしまっていた。キリカにも絡まれていたのだが、アルシェムは面倒だからと適当にあしらうことしかしていなかったので何も情報はぬかれていないはずである。

 それはさておき、本日もまた何かしらの問題が起きたようだ。《ENIGMA》の鳴る音を聞いたアルシェムはそう思った。そうでなければ今このタイミングで鳴るはずがない。

 アルシェムは道の端によって《ENIGMA》を手に取った。

「はいアルシェム・シエル……えっ、あ、そー。わかった、端末持って向かうからちょっとだけ待ってね」

 そう言って通話を終えたアルシェムは、通信相手――ロイドから言われた事案について思案する。本日の一大事件はどうやらヨナ・セイクリッドという人物と『仔猫』と呼称された人物に関わりがあるようだ。ロイド達は彼のことを知っているようだが、残念なことにアルシェムは彼――あるいは彼女――のことを知らない。何故ならヨナとロイド達が接触した時点において、アルシェムがヨナと関わる必要がなかったからだ。

 支援課ビルに戻ったアルシェムは、ロイドに指示された場所に辿り着くまでに端末を使って『ヨナ・セイクリッド』という人物を調べた。端末から得られる情報として、性別は男でティオと同じ年くらいの少年であるらしいことは分かる。彼がエプスタイン財団に所属していることもだ。そんな彼が捕えたい『仔猫』が誰であるのか、アルシェムには残念なことに見当がついていた。

 今現在のクロスベルにおいてネットワーク上で逃げ回れる人物はと問われると、かなり限られてくるからだ。言わずもがなアルシェム、そしてティオ、追いかけられる技量を持っているからこそ依頼をしてきたであろうヨナ、そして――レンだ。それ以外にもいないわけではないが、彼女がヨナから逃げるなどという怪しい行動をこのタイミングでとるわけがないのでその選択肢は排除できる。故に、恐らく『仔猫』はレンであろう。

 そう思案しながらジオフロントに潜ったアルシェムは、目の前に広がる光景に遠い目をした。

「……何この不摂生なガキ」

「アルは他人のことなんて言えませんよね? むしろヨナの方がきちんと三食取っているようなので健全です」

 しれっとティオが言い返すが、流石にこれより不摂生であることなどあるまい、とアルシェムは思う。目の前に広がるのは端末以外何もないはずの部屋ではなく、そこらじゅうに宅配ピザの空箱が散乱している汚部屋なのだから。たかが一食程度抜いたところでどこが不摂生なのだか、とアルシェムは思っている。もっとも、ティオから見ればどっちもどっちなのだが。ヨナは栄養が偏っているがアルシェムは栄養が足りていないという点において五十歩百歩なのである。

 ピザの箱から目を逸らしたアルシェムはヨナに問うた。

「それで、『仔猫』を捕まえればいいの? それって物理的に? それともネットワーク上で?」

「そりゃネットワーク上……って、物理的に捕まえられるのかよ!?」

「いや、今クロスベルにいる人で『仔猫』のハンドルネーム使いそうなクラッカーと言われればあの子しかいないしねー。ちょっと本気出さないと危ないけど、出来……うん、出来ないこともない」

 脳内でアルシェムはレンとのガチバトルを想定して身震いしたが、それでもそう返した。レンとのガチバトルなど笑えたものではないのである。間違いなく《パテル=マテル》にぶっ飛ばされる未来しか見えない。しかもレンは無限に回復されるのである。流石パパとママ。一応アルシェムにもまだ適用されないこともないが、権限を切るのはレンにはたやすいだろう。

 そこにロイドが口を挟んだ。

「出来ないこともないって……その、もっと穏当にな? 口頭注意とか出来ないのか?」

「聞く子じゃない。好奇心の塊みたいな子だからねー……まあ、クロスベルで法を犯すことだけはないと思うけどね」

「ええっと……」

 ロイドは困惑した表情で言葉に詰まった。アルシェムの言う『あの子』が誰なのか、何となく想像できてしまったからだ。アルシェムが親しそうに話す子供で、得体のしれない子供など彼女しかいないのだから。マインツ山道にある《ローゼンベルグ工房》に住まう少女。レンという名のあの少女が恐らく『仔猫』なのだろう。思い返せばあの時、アルシェムは彼女のことを『昔の仲間のようなもの』と称していた。ということは彼女も裏社会に所属している/していた人間で――

 そこまで考えて、ロイドは首を振った。今それは恐らく関係ないのだ。ヨナの話を聞く限り、『仔猫』はネットワーク内を荒らしているというよりは遊び場に使っている印象なのだから。もしもそういう裏社会に流すために情報を抜いているというならば、ばれないようにやるはずだ。そういう場合、情報を抜いているということを知られてはならないのだから。

 そして――アルシェムとヨナはその場に残り、ティオはロイドと共にジオフロントのB区画へと移動した。アルシェムの魔改造端末はともかく、ティオはその場に端末を持ってきているわけではなかったからだ。ロイドとティオは過去の話をしていたようだが、アルシェムとヨナの間に流れる会話というモノは存在しない。話す必要もない。『ヨナ・セイクリッド』は『アルシェム・シエル』に触れる必要などないのだから。

 アルシェム達はしばらくの時間端末内での鬼ごっこに明け暮れていたが、それも時間がかかったわけではない。日が沈む前に鬼ごっこを終え――『仔猫』は最終的に捕まったがヨナをおちょくって逃げて行った――、ロイド達は支援課ビルへと戻ったのであった。




 だがニガトマトマン、貴様は駄目だ。


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創立記念祭三日目・夜

 旧180話終盤~181話直前までのリメイクです。


 ヨナからの依頼を終え、支援課ビルに戻ってきたアルシェムは目の前の光景を見、そして階上の気配を探って溜息をついた。どう考えても一人多い。応接間兼リビングには既にロイド達が揃っているのに、丁度アルシェムの自室のあたりに微かな気配があるのだ。それも、よく知っている気配が。さっきの今でここまで移動したのはそれなりに驚くものの、予想は出来ていた。

 どうせならたまには外食して来ようと思ったアルシェムは、人数分夕食を用意しようとしていた食事当番のエリィに声をかける。

「ああ、エリィ。悪いけどわたしの分はいらない」

「え? 何か予定でも入ったの、アル?」

「うん、まあ、そんなところかな。どれだけ時間がかかるか分かんないし、もしかしたら外食してくる可能性もあるから」

 ふうん、とつぶやいたエリィに階上の気配を察した気配はない。どうやら気付いていないようだ。それはロイドも同様だが、彼は何となく察していた。恐らくレンに会いに行くのだろう、と。そうでなければいきなり出かけようなどとは言わないだろう。アルシェムが特に親しくしていそうなエステル達とは先日食事に出かけたばかりなのだから。

 それ以外に親しい友人と聞かれて、ロイドが知っているのはティオしかいない。というよりも、アルシェムは自分のことをあまり話さないのでわからないのだ。どんな友人がいるのかも、昔のことですら。聞かれてもはぐらかすことの方が多い。故に、ロイド達がアルシェムについて知っていることは驚くほどに少なかった。もっとも□□□に言わせれば、ロイド達がアルシェムのことを深く知る必要もないと言うだけのことであるが。

 と、そこにランディが冷やかし気味に声をかける。

「愛しの彼女か?」

「……その表現はわたし、どうかと思うんだけど……まあ、あながち間違ってもないし、相手が男じゃないことだけは確かかな」

 そこまで言い終えてアルシェムはとんでもない誤解を生む発言を肯定してしまったことに気付いた。アルシェムには女の子同士の絡みに偏見があるわけではないが、自分がそうであるかと言われるとまた別の話だからだ。因みにアルシェムが恋愛対象として見る人物は過去現在未来において存在しない。ただ、もし彼女が恋をする気になるとするのならば、それは恐らく性別に関係なく彼女をすべて受け入れてくれる人なのだろうとは言える。

 故に彼女は恋をしない。愛することも無ければ、共に将来を歩もうと思える伴侶を探そうなどと思ったこともない。そんなことをしている暇があるならば、彼女は今頃フツウのニンゲンとして暮らせているはずだ。彼女に恋だの愛だのという余計な感情を抱かせて目的を果たせなくなるくらいならば、□□□は自ら動くだろう。その目的を成就させるために。

 結局、若干の誤解をアルシェムは解くことはなかった。解く意味がないからだ。

「じゃ、日付が変わる前には多分帰ってくると思うけど、気にせず寝てていいからね」

 ひらり、と手を振ってアルシェムは準備のために自室へと戻った。そこに待ち受けていたのは――すみれ色の髪の少女。かつて『レン・ヘイワース』であり、《殲滅天使》として活動し、今現在ではただ『レン』と名乗る少女だ。その彼女が、いつもの特徴的なロリータ服でベッドの上に座っていた――アルシェムが手慰みに作ったオーブメントを触りながら。

 暇が出来ればオーブメント細工を作っていたアルシェムの部屋は、最早本来の広さの半分ほどになっている。大物細工も多数あるが、それ以上に小物細工であふれかえっているからだ。何かしらの気の迷いでその気になれば、オーブメント細工職人としてでも食べていけそうな規模である。もっとも、アルシェムがその道を歩むことだけは有り得ないのだが。

 手元でオルゴール状のオーブメント細工を弄りながらレンは悪戯っぽく笑う。

「うふふ、アルとお付き合いするのも悪くないかもしれないわね」

「いや、レンにはもっといい人がいると思うんだけど……まあいっか。それで、何か話があるんじゃないの?」

 複雑な顔をしてそう返したアルシェムに、レンはオーブメント細工を置いて近場のレストランへと移動することを告げた。どうやら既に貸切にしてあり、ミラも払っているようである。ミラを無駄にするのも嫌だったアルシェムとしてはそれを断る理由はどこにもなかった。家族同然のレンとの食事なのだ。少々ミラが張ろうが、それが楽しくないわけがない。

 支援課ビルよりほど近くのレストラン《ヴァンセット》に入ったアルシェム達は、少な目の量で出てくるフルコースに舌鼓を打った。その間レンは一切何も話そうとはしない。何か考えていることがあるらしく、脳内で言葉をまとめながら食事をしているようだ。何となく何を言われるのかアルシェムには分かっていたので、心の準備をして貰う為にも声を掛けなかった。故にその場に響くのは微かにこすれ合う食器の音のみ。

 デザートのソルベに入ったところで、ようやくレンは口を開いた。

「……あの録音、聞いたわ」

「……そっか」

 その言葉だけで、アルシェムには分かった。あの時――魔獣被害の件でアルモリカ村を訪れた時、ハロルド・ヘイワースと交わした会話を録音したものだ。むしろそれ以外録音したものを渡した記憶はない。レンの顔には覚悟を決めたかのような色が浮かんでいた。つまり、結論を出したということだ。それもこうして話すまでの間にすら迷うほどの大きな決断を。

 何となく、アルシェムにはレンの選択が分かっていた。否――知っていた。何故ならそれは彼女の知るはずのない情報であり、同時に彼女が知っていなければならない情報なのだから。レンの選択は、アルシェムにとっても――□□□にとっても重要な意味を持つものだ。その選択をする権利はレンにあるが、その選択を提示するのは□□□の義務。□□□にとって、レンの選択は矯正/強制しなければならないほどに重要なのだ。

 レン・ヘイワースはロイド達にとっての救い手であり、ロイド達はレン・ヘイワースにとっての救い手である。その未来は変える必要はない。ただ、彼女が揺らぐという事態だけは避けなくてはならないのだ。何故ならレン・ヘイワースはこの先ロイド達を数度救う。そして、クロスベルの未来にも大きくかかわる道行の道しるべとならなければならない。□□□がそう決めたのだ。

 アルシェムはそれを、聞き届けなくてはならない。見届けなければならない。道を外れるようならば、矯正/強制しなければならない。それがアルシェムに与えられた役目なのだから。たとえどれほど彼女がそれを望んでいなかったのだとしても、それが『アルシェム・シエル』に――やがて『アルシェム・シエル=□□□□□□』となる彼女に与えられた役目なのだから。

 そして、レンはその小さな口から答えを吐き出した。

「……全部を、受け入れることは出来ない。でも……でも、確かめなくちゃいけない」

 その声には少なくない葛藤が含まれていた。棄てられたのかもしれないという考えを、これから受け入れなければならないということに対する怯え。それでもレンは知らなくてはならないのだ。あの両親がレンを売ったのか。そうでなければ、いつまでたっても先に進むことなど出来ないのだから。ひとところに留まり続けるのは確かに楽だ。だが、進まなければ何も変わらない。

 棄てられた、売られたというのならば話は簡単だ。もう二度と会わないようにクロスベルから消え、ここで燻る不穏な影からも逃げれば良い。両親が死んだところでレンの関知することではないし、最早関係のないことだ。実の娘を売るような両親など、二度と『両親』だと思わない。自分の手を汚す価値もなく、ただよどみに呑まれて死んでしまえば良い。そう、レンは思っている。

 だが、そうでなかったのならば。彼らが預けたのは善意からで、本当に全てが不幸な事案の重なり合いだったのだとしたら。その時は――レンは、選ばなくてはならない。光ある道を示してくれたエステル達のためにも。そして――闇から抜け出すことのできない『姉』のためにも。そして、未だ『レン・ヘイワース』を喪ったことで苦しんでいるであろう両親のためにも。

 微かに全身を震わせているレンにアルシェムは言葉を返す。

「そう決めたのなら、わたしは何も言わない。言わないし、言えない」

 そして、アルシェムは謳うように続けた。それは決してアルシェム自身の言葉ではなく――

 

「何を決めようとも、何を成そうとも、貴女に与えられた役割をきちんとこなすのならば――レン・ヘイワース。貴女がどんな選択をしようと私は受け入れるわ」

 

 それを、レンは理解した。神託の如きその言葉を。今の言葉はアルシェムの言葉ではない。誰の言葉なのかも理解出来ない。ただ、分かることは――今現在、アルシェム・シエルは何者かに乗っ取られているということだ。その事実を彼女は正しく理解した。理解し、飲みこんで目を細めたレンはその黄金の瞳で彼女の微かに碧く光る瞳を射竦める。陶然としているその瞳は、一瞬だけ揺らいでいつものアルシェムの瞳に戻った。

 そこに浮かんでいるのは、困惑。目の前で険しい顔をしていられるレンに対する疑念と困惑だ。

「……レン?」

 アルシェムの困惑に、レンは困惑した。何故今の自分の反応でアルシェムが困惑するのかが全く以て理解出来ないからだ。自覚して発した言葉ではない、という情報を無意識に脳内に叩き込みながらレンは思考を巡らせる。そうしてはならない、という脳内に鳴り響く警告は無視。そうでなければ、何か取り返しのつかないことが起きてしまう。そう感じたからだ。

 故にレンは確認するかのように声を発した。

「……アル、今――何があったの」

 固い声で問い詰めて来るレンの言葉を、アルシェムは理解することが出来ない。何者かに――□□□に借りられた自らの口から出た発言を、正気のままで聞き終えた人間など今までいなかったからだ。それを今レンが正気を保ったまま聞き、それを理解しているというその一点において、その事実をアルシェムは理解出来なかったのだ。

 否、理解出来てはならないのだ。理解してしまえば全てが崩壊してしまうのだから。アルシェムが□□□□□□だということまで察知されてしまえば、その先にあるのは破滅しかありえないのだから。アルシェムは純然たるニンゲンなどではなく、ただの□□であることなど、知られてはならない。既にヒントはあの時に出されてしまっていたのだとしても。

 レンがそれを分析してしまう前に、アルシェムは声をかける。

「いや、疲れてたんじゃないかな。最近ちょっとぼんやりすることがあってね……」

 そのとぼけた言葉を、アルシェムは最後まで言い切ることは出来なかった。誤魔化したかったわけではない。ただ、知られたくないだけだ。ただでさえ普通のニンゲンではないと知られてしまっているのに、これ以上どういう立場なのか知られるのも嫌だから。それ以上に――そこまでアルシェムのことで案じられていると思いたくなかったのだ。いずれ『アルシェム・シエル』は『消える』から。

 虚ろに笑って声を発するアルシェムを、レンはこわばった顔で叱責した。

「誤魔化さないで。今、アルを乗っ取ってたのは誰だって聞いてるのよ」

 レンの叱責に、アルシェムは顔をこわばらせた。その問いに答えることは絶対に出来ないからだ。何故なら、アルシェムはまだその人物に会ってすらいない。存在すら知らないはずなのだ。否、『在る』ことは知っているが、それが本当に稼働できる状態なのかどうかすら知らない。そのはずだ。たとえ夢の中でその人物を見つけたのだとしても。

 近い将来、アルシェムは彼女に会う。それは運命であり、既定のレールの上を走るようなものだ。『シエル』として《ハーメル》にいたのも、『アルシェム』としてリベールにいたのとも同じ。既定のレールの上を走るようなもの。絶対に外れてはならない道。外れれば、恐らく彼女に待つのは――尊厳すらない、死ですらない悍ましいナニカだろう。

 故に、アルシェムの答えはこうだ。こう、応えるしかない。

「……知らない」

 しかしレンはアルシェムの答えを否定するかのように断言する。

「嘘。アルは知ってるはずよ。そうじゃないと説明がつかないもの。たとえそいつが誰だとしても、『レン・ヘイワース』なんて単語が出るのはアルか、エステル達かくらいしかいないんだから」

「違う……そんなはずない。だって、だってわたしは――」

 アルシェムの瞳が狂気を帯びる。それは確定事項ではないにもかかわらず、その口調は断定の色を帯びている。その言葉に、レンは更に顔を険しくした。何故アルシェムが未来形でこのことについて語るのかわからなかったからだ。理解出来ないわけではない。ただ、そんなことがあり得るのだとすれば――何故、アルシェムはことごとく不幸にダイブしまくっているのかが理解出来ない。

 要するに、レンはアルシェムのソレを未来視の類だと思ったのだ。先ほどまでアルシェムを乗っ取っていたのは未来の『アルシェム・シエル』ならばそれで説明もつく。他にまだわからないことはいくつかあるが、それも問い詰めればすべてわかるはずだ。それですべて解決する。そのはずだった――少なくとも、レンの思考の中では。

しかし――次に出るその言葉が、それを真っ向から否定した。

 

「『アルシェム・シエル』は『レン・ヘイワース』をクロスベルに縫いとめるための楔。私がそう決めたの。他でもない《□と□の□□》が」

 

 最後の言葉にはノイズが入って聞こえない。だが、それでもアルシェムには理解出来てしまった。これで、全てがつながってしまった。誰がアルシェムを生み出し、その未来を決めて来たのか。それがこの乗っ取りの主。その真なる正体だ。分かっていた。そんな気もしていた。それでも、認める気はなかった――自らの運命を、他人に決められ続けてきたことなど。

 今や、アルシェムの顔色は紙よりも白かった。既に青ざめるを通り越してしまっている。そして、レンも同様だ。顔色が悪くなっているのはホラー体験をしたからではない。ただ、この一瞬で何となく推理できてしまったからだ。アルシェムがニンゲンではないことくらいレンも理解していたつもりだった。だが、そこまでニンゲンに似せられていないとは思いもしなかったのだ。

 これでは――『アルシェム・シエル』はただの人形ではないか。ギリ、と歯を食いしばってレンは正面を見据えた。そこにいるのはアルシェムだけだが、その向こうにいるはずの誰かを透かし見るように。だが、そういう時に限ってソイツが出てくる気配はない。自分の『姉』を乗っ取り、操り人形の如く動かしているその相手を縊り殺したい。そうレンは思った。

 殺気を放ち始めるレンにアルシェムは言葉を掛ける。

「え、あー……な、なんちゃって?」

「これ以上誤魔化す気ならいくらアルでも折檻コースよ」

「アッハイ」

 冗談で気を紛らわそうとして失敗したアルシェムは、それ以上揺らぐことはなかった。これ以上レンの前で深く考察してはならないと判断されたからだ。その判断した主が《聖痕》を使い、動揺する精神を凍結させた。これ以上考えさせてはならない。今偶然『アルシェム・シエル』を観測していたからこそ良かったものの、そうでなければ□□□の計画が崩れ去るところだったのだ。

 それ以上の動揺が見られないアルシェムにレンは再び目を細め、そして一言発した。

「――帰るわ」

「う、うん……気を付けてね」

 アルシェムは自身に違和感を覚えつつそう返す。何をされたのかは何となく理解しているが、今このタイミングで干渉されるとは思ってもいなかった。それも、他人に露見するほどのレベルで。

 柄にもなく不安を覚えつつ支援課ビルに戻ったアルシェムは、誰とも顔を合わせずに自室にこもり、考え事をしながらオーブメント細工を量産する。そうすることでしか、彼女は不安を解消することは出来なかった。

 

 ❖

 

「……何で」

 その声には、困惑が満ちていた。それはそうだろう。自らがつくりだし、都合のいい存在として操ってきたはずの『アルシェム・シエル』が初めて反抗めいたことをしたのだから。彼女はあの時、レンに『アルシェム』の《聖痕》を使って記憶の凍結を行う予定だった。それが一切発動しなかったのだ。アルシェムが彼女の思い通りに動かなかったのはこれが初めてだった。

 『アルシェム・シエル』はいつだって彼女の思い通りに動いてきた。『カリン・アストレイ』を救い、『レオンハルト』を救い、彼女を救うに足る存在のことごとくを救わせてきた。その代償に『アルシェム・シエル』がどうなろうが関係のないことで、憎まれようが恨まれようが彼女には一切関係がないと思っていた。何故なら□□□は『アルシェム・シエル』の上位存在だから。

 故に今更抵抗めいたことをされて困惑したのだ。『アルシェム・シエル』はただの駒で、彼女の思い通りに動くことしか赦されていないのだから。『アルシェム・シエル』のいる世界はいわば彼女の夢と願望の詰まったものだ。好きに出来ないことなどあるはずがない。そう――あるはずがないのだ。ただの駒に過ぎない『アルシェム・シエル』が彼女に反抗してくることなど。

 彼女はアルシェムの反抗を気のせいだと鼻で笑わなかった。注意すべき――そして、逆らうようならば処分しなければならない。そこまで考えていた。そうすることでロイド達は救われる。そして、自分も――

 

「だから、邪魔なんてしないで――『お人形さん』」




 ある意味これで大体のネタは割れています。が、ネタバレ感想は禁止でお願いします。

 では、また。


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創立記念祭四日目・支援要請と少年

 旧181話~182話のリメイクです。


 徹夜したアルシェムは、もやもやした気分を晴らすことすらできずに階下に降りた。本日の食事当番はアルシェムで、全員分を作らなければならないからだ。故に作業に没頭していられそうなほど手の込んだものを作ることにした。ジャガイモのポタージュに手作りパンである。なお、作業に没頭しすぎたためか全員では食べきれない量であるとここに明記しておく。

 微妙に機嫌の悪いアルシェムを誰も茶化すことなく朝食の時間は終わり、ティオが端末を操作して本日の支援要請の内容を確認した。本日の支援要請は五件。窃盗事件と盗難事件、そして東クロスベル街道及びマインツトンネル道の手配魔獣と古戦場での観光客の捜索である。何となくアルシェムは盗難事件の詳細を見て嫌な予感がしたのだが、ロイドの采配により手配魔獣の討伐に向かうことになった。もやもや、というよりもイライラしていると思われたらしい。

 事実そうだったので、アルシェムは東クロスベル街道の手配魔獣バブリシザーズとマインツトンネル道の手配魔獣グランドリューを昼食時までにそれはそれはエグイ方法で殲滅した。周囲に誰もいない時間帯を選んだので目撃はされていないが、仮に目撃者がいれば苦情どころの話では済まなかっただろう。それをわかっていてわざわざ人の少ない時間を選んでいたともいう。

 深く溜息をついたアルシェムはロイドに連絡を取った。

「あ、もしもしロイド? 手配魔獣二件終わったけど……」

『そうか、こっちはまだ窃盗事件の捜査をしてて……エリィとランディには盗難事件の捜査に回ってもらったから、アルは古戦場を頼む』

「あーはいはい。りょーかい」

 何故かことごとく荒事を任されているような気がするのは恐らく気のせいではないのだろう。アルシェムの声に余裕がないことにロイドも気づいていて彼女に荒事を回しているのだ。イライラし通しのままで対人関係の支援要請に回られても問題しか起きないので。特にアルシェムの言動はある意味依頼者の癇に障ることが多いのだ。故にこの措置は妥当なものでもあった。

 軽く溜息をついたアルシェムは、古戦場の前へと急いだ。依頼が出されているのが朝だったということは、今頃大変なことになっているに違いないからだ。アルシェムとしては遊撃士が動いているだろうと思って特段急ぐこともなかったのだが、ここまでの支援要請への道中にて今現在クロスベルにいる遊撃士たちをほぼ全員視認している。つまり誰も動けてはいないということだ。急がなくては、観光客の命が危なかった。

 古戦場の前に辿り着くと、丁度遊撃士が二人入って行くところだった。

「そこの遊撃士さん達、今から捜索?」

「君は……《氷刹》か」

「その呼ばれ方、あんま好きじゃないけど……それより、本気で今からなんだね?」

 アルシェムの言葉に答えた遊撃士――恐らくヴェンツェルという名だ――は念押しをするようなアルシェムの言葉に困惑の表情を浮かべ、次いで首肯した。というのも、アルシェムが何故そのことを知っているのかわからなかったからだ。観光客の捜索を行おうとしていることを何故か彼女は知っていて、それでも彼女の言葉は事実だからこそ首肯したのだ。

 それを見たアルシェムは舌打ちをして手短に事情を説明した。

「特務支援課にも支援要請――依頼が来てる。朝に入ったけど、どうせ遊撃士が動くだろうと思って放置してたら誰も来てないみたいだったから来た。急いだ方が良いと思う」

 それを聞いたヴェンツェルはちらりと古戦場の中を見て苦い顔をし、そしてこう返した。

「そうか……なら、手分けしよう」

「ヴェンツェル!?」

「スコット。今はそのあたりをどうこう言っている場合ではない」

 その言葉を聞いてチッ、と舌打ちをしたスコットは手振りでヴェンツェルを促して古戦場の右手の道へと突入していった。それをアルシェムは溜息をついて見送り、軽く目を閉じて周囲の気配を探った。古戦場の前で立っている門番が一人。そして数々の魔獣の気配と、二人の遊撃士の気配。更に一般人レベルの気配が分散して二つ――それぞれが魔獣の気配の近くに。

 そこまで察したアルシェムの行動は早かった。まずは近い方からだ。何故か遊撃士たちは途中で別れてしまっているので、出口に近い方から撤退させるべきだと思ったからだ。数分もかからずにヴェンツェルに接近したアルシェムは、魔獣の死角から飛び込んで吹き飛ばした。

「なっ……」

「わたしの方ははずれみたいだったから。その人の避難は任せたヴェンツェルさん」

「し、しかし!」

 抗弁しようとするヴェンツェルに、アルシェムはいら立ちを視線に込めながら静かに告げた。

「こういう言い方は好きじゃないけど、《氷刹》は魔獣狩りのエキスパートだって知ってるはずだよね? 足手纏い。邪魔。とっとと安全な場所につれてってあげてくんない?」

「……分かった」

 苦虫をかみつぶしたような表情で了承したヴェンツェルは、観光客を連れてその場を後にした。姿が見えなくなったのを確認した瞬間――アルシェムは、その魔獣の脳天と目、そして痛みのあまり咆哮した魔獣の口の中に向けて発砲した。当然のことながらそこまでされた魔獣はセピスと化して消滅する。それを気配だけで感じてアルシェムはその場から駆け出した。次はスコットの方だ。

 途中で棒術具を取り出して道なき道を時間短縮のために使い、アルシェムはもう一人の観光客の元へとたどり着く。そう――傷だらけで倒れるスコットと、そのスコットを震えながら看病しようとしている観光客の元へと。

 舌打ちをしたアルシェムは、自分に扱える最大級の治癒のアーツをぶっ放した。

「だー、もーっ! ティアラ!」

 その声に微かに反応したスコットはピクリと手を動かしたが、それ以上動くことはない。手はオーブメントに触れているのに何故、と思ったアルシェムは、その原因に思い当たって彼の《ENIGMA》にEP回復薬をぶち込んだ。戦闘に使いすぎてもうないのだろうと思ったからだ。そして即座に反転し、顎を振り下ろそうとしている古代種の魔獣に向けて鋭い突きを放った。

 鈍く吠えた古代種は、しかし倒れることはなかった。どうやら相当強力な魔獣のようだ。そう判断したアルシェムは、傷ついたスコットと観光客が無事に出られるような策を考えなくてはならなくなった。といっても、アルシェムが直接的に彼らを脱出させることは出来ない。この時点でアルシェムの役目は目の前の古代種を狩ることになっている。

 ならばどうするべきか。それを考えて――スコットの行動に遠い目をした。

「アクアブリード!」

「何でそう来るよ自分回復して逃げろよ今大切なのはそこの人の安全確保だろ常識で考えておいこら依頼内容覚えてんのかこの馬鹿遊撃士が!」

 思わず思考を口に出したアルシェムは、スコットの顔面めがけてEP回復薬を投げつけた。そして背後を顧みることなく強制的に魔獣を下がらせる。この魔獣が激しく強いわけではない。アルシェムが一人ならば何の苦もなく狩れる相手だ。それこそ、数年前の彼女であったとしても。ただ問題なのは、『アルシェム・シエルはロイド・バニングスたち特務支援課の盾であってそれ以外の他人を守るためには出来ていない』ことだ。故に彼女は他人を守るための戦いは下手なのである。

 よって、この場で彼女が取るべき行動は一つしかなかった。

「スコットさんや、その人連れて退避しててくれない? あんたら邪魔で倒せないから」

「で、でも!」

「マジで邪魔ガチで足手纏いもうホントいらない気ぃ遣わせるのやめてくんない?」

 スコットに向けての退避勧告。そして、彼はそれを舌打ちして受け入れた。アルシェムに向けて反感を持ちながら。スコットにしてみれば、あんな古代種をたった一人で相手どろうというのが問題なのだ。二人で協力すれば何とかなると思えたのにも拘らずあの勧告。スコットがどうやら魔獣狩りについてはエキスパートらしいがあまり頭がよくないのだろうという判断をするのも無理はない。

 それでもスコットは観光客を連れて逃げた。何故なら、依頼は観光客の捜索であって古代種の討伐ではないからだ。追ってくるのならば討伐しなければならないのだろうが、追ってこないのならばその理由はない。ただの無駄骨である。改めて手配魔獣指定されてから遊撃士が集団で狩りに来ればいい話なのだ。たった一人で格好つけて死亡フラグを立てる意味などない。

 遠ざかるスコットの気配に、アルシェムは内心溜息をつきながら棒術具を構えた。

「さ、取り敢えず――死んどけばー?」

 微かに感じる視線を放置して、アルシェムは棒術具を槍のように扱って古代種を打ちのめす。それはあからさまに殺人技であり、その視線の主を警戒させるに足るものだ。もっとも、その視線の主はアルシェムが警戒対象であることを知っているはずである。その人物は――遊撃士なのだから。当然遊撃士協会に残されているだろう『アルシェム・ブライト』及び『アルシェム・シエル』の情報を知っているはずだ。

 なればこそ、アルシェムが選んだその技に苦言を呈するために出現するのは必定。その人物は、厳しい目で古代種を狩りきったアルシェムを見ながらこう告げた。

「……スコットにそれを見せなかったのは裏に戻るつもりがあるからか? アルシェム・シエル」

「相変わらず趣味の悪い男だよね、アリオス・マクレイン。古代種を早急に狩る必要があって、他人の目がない状況が出来れば一番早いのはこういうエグイ技だって分かってるんじゃねーの?」

 その返答と共に、アルシェムはアリオスを睨みつけた。何故この場所に彼がいるのか。それを考えるだけで愉快な想像が溢れて来るからだ。この場所は既に調査済みなのだから。ついでに□□□からの猛烈な情報量を考えれば、この場所にアリオスがいる理由もおのずと理解出来てくる。それゆえの警戒だ。暫し二人はにらみ合い――そして、目を先に逸らしたのはアルシェムだった。

 ふう、と小さく溜息をついたアルシェムはアリオスに背を向けて声をかける。

「じゃ、おいたは程々にね――A級遊撃士さん」

 そして、そのまま振り返ることなくアルシェムはその場を後にした。古戦場の前にはもはや誰も立ってはいなかったので、無事を確認するためにアルモリカ村へと赴けばスコットとヴェンツェルが観光客と談笑しているのが見えた。どうやら無事らしい。それならそれでいい、と判断したアルシェムはヴェンツェルの視界にだけ姿をさらしてからクロスベル市へと戻った。

 すると、《ENIGMA》が突如鳴動した。どうやら誰かからの連絡らしい。

「はいアルシェム……あー、ロイド。どったの? 古戦場のは終わったけど……はぁ?」

 通話を始めれば相手はロイドで、彼から語られる言葉はアルシェムの想像の斜め上をいっていた。というのも、子供が一人行方不明らしい。それも、コリン・ヘイワースという名の。昨日の今日でこれである。アルシェムにしてみれば何かしらの作為を感じられて仕方がなかった。それこそクロスベルにいるらしい《怪盗紳士》の仕業かとも勘ぐったくらいである。

 だが、それは違うようだった。ロイドからの通話が切れてすぐにもう一度《ENIGMA》が鳴ってその事実が判明したからだ。

『もしもしアル? その……もしかして、そこに男の子がいないかしら』

「いないよ。わたしは今回の件に関して一切関係ない。でも……」

 くらり、とめまいがして。アルシェムは自分の意志で発しているわけではない言葉をレンに伝えた。

「これは予定調和。そして――貴女のために準備された舞台の幕開け」

『……そろそろ黙りなさいよ。そんなこと言われなくたって、これが機会になりかねないことなんて分かってたわ』

 歯ぎしりしながらそう応えるレンは、アルシェムに昏い決意を抱かせた。これ以上レンに何かをしでかす前に、□□□をどうにかしてくれよう、と。もっとも、その思考は一瞬でかき消されてしまったが。

 アルシェムは混濁しそうな意識を必死に保ちながらレンに返した。

「……取り敢えず、レン。わたしはその子、探した方が良い?」

 通話の向こう側でレンはしばらく沈黙し、そして掠れそうな声でこう返した。

『……うん』

「分かったよ。……大丈夫。何があっても生きた状態で見つけ出すから」

 五体満足で、とはアルシェムは約束しなかった。どんな状態であったとしても、たとえ死にかけていたのだとしても、アルシェムはレンのためにしかコリン・ヘイワースを救う気はなかった。それが警察官としての資質を問われることになろうとも。

 アルシェムがコリン・ヘイワースを見つけ出すためにすることは、ただ軽く目を閉じて背を壁に預けることだけで良かった。既にコリン・ヘイワースの気配を覚えているからだ。同時にハロルド・ヘイワースとソフィア・ヘイワースの気配も。東通り、いない。中央広場、いない。住宅街にもいなければ、西通りにも裏通りにもいない。歓楽街にもいない。行政区にもいない。ならば後は――港湾区だ。

 アルシェムはその位置をレンに向けて告げた。

「多分港湾区……だけど、ちょっと待って港湾区に行かずに支援課へ! その地域を走ってるだろう導力車を見つけて、レン!」

『分かったわ! ……ちょっと急ぐわよ、ロイドお兄さん!』

 《ENIGMA》の向こうでロイドに話しかけているらしいレンに、少々顔をひきつらせたアルシェムはその気配を追いながら言葉を付け加えた。

「向かってる方角は西……っと、西クロスベル街道に出た!」

『見つけたわよ! 共和国行き貨物トラック! 一回切るわね!』

 ぶつん、と唐突に切られた通話を後目にアルシェムは速度をあげた。住宅街を抜けて西クロスベル街道に出られたからだ。それに追随するようにレンが追いついて来て、ロイドがその隣で《ENIGMA》からどこかに通話していた。

「あ、もしもしこちらクロスベル警察です! そちらの貨物に少年が紛れ込んでいる可能性がありますので、至急――」

 その声を放置して、アルシェムは駆ける。このままレンとヘイワース家の邂逅をより良きものにするチャンスを逃せないからだ。アルシェムとしても、□□□にしても。故にアルシェムの速度は上がる。それは癪ではあるが、今だけは感謝しても良かった。昨日の今日だろうが何だろうが関係ない。『妹』が『家族』を取り戻せるのならば――そう在るべきなのだと、信じて。

 道中の魔獣は全て一撃で殲滅され、ただセピスをそこらじゅうにまき散らすのみ。緩やかに速度を落としたトラックが止まったところに、アルシェムは出来得る限り減速して突入した。鍵開けをする必要すらない。荷台の扉は、いともたやすくアルシェムの手によって開かれた。そして、そこにいたのは――

「ほえ~? おばちゃん、だあれ?」

「こういう場合はおねえちゃんって呼んでほしいなーってわたし思うんだけどなー……」

 きょとんとした顔で座り込む一人の少年。コリン・ヘイワースがそこにいた。脱力したのもつかの間である。この場に必要なイベントは、まだあったようだ。コリンを抱え上げたアルシェムは、トラックの運転手に彼を預けてその背から剣を抜いた。その方が確実に殺せるからだ。アルシェムに気付かれず接近できる魔獣などほとんどいないというのに近づいてきた魔獣どもを狩るのには。

 ただ、言葉だけは忘れない。

「あー、運転手さん。その子を離さずに、絶対に外を見ないで下さいね?」

 その返事は、必要なかった。アルシェムの振るった剣が魔獣を一太刀にて殺害したことに気付いた運転手がコリンの頭を抱えて運転席で蹲ったからだ。この場面を少年に見せてはならない。それを察せられるだけの良識は、普通の人間である彼には備わっていたようだった。そんなことを察することもなく、アルシェムはただただ魔獣を殺しつくしていく。どれほど殺そうが尽きない魔獣が、ある条件を満たすまで。

 条件の一つ目。それは運転手によって引き起こされる。あまりの陰惨な事態に嘔吐し始めたのだ。それを見たコリンは不安に駆られ、その場から逃げ出す――そう。運転席から、扉を開けて外へと。コリンは何かに導かれるようにその場から駆け出し、アルシェムの手の届かない場所へと走っていく。

 それを見てアルシェムは歯ぎしりをした。

「……ッ!」

 何故今。その想いがアルシェムを支配する。その焦りが、安易に他者を殺せる手段を取らせた。空いている右手に剣が握られ、より多くの魔獣が屠られていく。それでも魔獣は減らない。どんどん増えて、運転手にトラウマを植え付ける。

 そして条件の二つ目が満たされた。そこにレンが到着したのだ。彼女の大鎌の一投は、いとも容易く魔獣どもを斬り裂いて。そしてコリンに襲い掛かろうとしていた魔獣を一網打尽にした。それと同時に消える魔獣。アルシェムの振るう剣が空振りして、血糊を吹き飛ばす。それを苦い顔で見ながら、アルシェムは双剣を背にしまった。これ以上武器は必要ないからだ。

 今はレンのための舞台。これは、予定調和。それが□□□によって定められた――運命。

「……私……そう。私はッ! ……死んじゃえば良いって思ってたのに……分かってたのに……!」

「……レン」

「分かってるのよ! こんな子、生きてたって死んでたってどうでも良いんだって! でも……!」

 その先は言葉にならなかった。わざとそうしたのか、言葉に詰まったのかはアルシェムには分からない。だが、言葉にならなかったその部分こそがレンの本当の気持ちであることだけは察せられた。

 それを察せられないロイド達――途中でティオがエリィとランディを連れて追いついて来ていた――は、コリンとレンを護りながらクロスベル市に戻った。それ以外に彼女らに出来ることがなかったから。




 


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創立記念祭四日目・『レン』

 旧183話半ばまでのリメイクです。


 無事に保護され、気が抜けたのか眠ってしまったコリンをティオの部屋で寝かせている間、レンは彼の隣から離れることはなかった。無論、アルシェムも。レンはコリンに付き添っているのだが、アルシェムはレンにつきそっていた。そのガキがどうなろうが、アルシェムにとっては意味がないからだ。ただレンが気にかけているのならばそれで良かった。

 と、そこに扉が叩かれて声が掛けられる。

「レンさん。今、ロイドさんが連絡したそうです。……もうすぐ、こちらに来ると」

「……ティオ。分かったわ、ありがとう」

 レンはそう返すと、アルシェムの手を握った。その手は冷たく、微かに震えている。それだけでアルシェムには彼女が緊張していることが分かった。何を覚悟しているのかさえも、分かっていた。故にアルシェムはただ黙ってその隣にいようとして――

「……レンは、どうするの?」

 その□□□の発した言葉に凍り付いた。そんなことはレンが決めることだ。アルシェムが口を挟むべきことではない。だがその声に、余裕のないレンは気づくことが出来なかった。それがアルシェムの言葉ではないことを、レンは知らなくても良かったのだ。今自分がどうなれればいいのか。その自問自答に□□□の言葉が混ざろうとも、レンには気づくことは出来ない。

 それを狙っているのか、□□□はなおも言葉を発する。

「私はレンの気持ちを尊重するよ。レンの選択を邪魔したりなんかしない。それはレンが決めるべきことだから」

 それに誘導されるかのように、レンは迷いを振り捨てた。この先、こんな機会が二度とあるとも思えない。いつか気持ちの整理が着いたら会いに行く、などということが起こり得るとも思えない。何故ならコレは奇跡/軌跡なのだから。この先何があろうとも、この機会を逃せば感情的になって話し合える機会など二度と訪れないだろう。本心を聞くことも。

 故に、レンは選んだ/選ばされた。

「――会うわ。それで、全部決着をつける。そのためにアル……お願いがあるの」

「何?」

「手を。このまま、手を握っていて欲しいの。怖気づいたレンが逃げちゃったりしないように。ちゃんと……向き合えるように」

 それに返される答えは当然肯定の意で。たった一人で選ぶべきその道を、レンは□□□によって強制/矯正されていた。全てはそう――□□□の愛するロイド・バニングスたち特務支援課のメンバーのために。彼らの救い手たる『レン・ヘイワース』はただの『レン』ではなく『レン・ヘイワース』でなければならない。そうでなければ――クロスベルが滅びる。

 手を繋いで、心を落ち着けて。レンが落ち着いた数秒後に扉がノックされた。

「いらっしゃったわよ」

「うん。普通にお通ししてくれて良いから」

 エリィの声にそう返したアルシェムは、自分の発した声が終わるや否や部屋に飛び込んできた夫妻を見て内心で軽く溜息をついた。ここまで必死になるのならば、何故レンを置いて行ったりしたのか。否――恐らくは、レンのことがあったからこそここまで必死になれるのだろう。親、というモノがこういうものなのかどうかアルシェムには分からない。分からないが、そうであればどれほど残酷なのかと思ってしまう。

 ベッドで寝かされているコリンの元に駆け寄った夫妻は、眠る我が子を抱きしめてむせび泣いた。その隣に見捨てられた自分の娘がいるとも思わずに。それが娘と息子に対する態度の違いのように見えて、アルシェムの手に知らぬうちに力が入る。もしもこれが逆なら。コリンがレンと同じ目に遭い、ここで眠っているのがレンならば。彼らは同じ態度をとっただろうか。

 落ち着くまでむせび泣いたハロルドは、涙で腫らした瞳をレンに向けて言葉を漏らした。

「……貴女は……」

「……ッ」

 久し振りに自らに向けられた両親の言葉にレンの声が詰まる。それは怒りによるものなのか、哀しみによるモノなのかレンの中で整理が付けられていない。覚悟は決めていたのに、いざという時になると全てがぶっ飛んでしまっていた。彼らはレンの両親だ。だが、レンがそれを認められるかと言われるとまた別の話である。彼女の中では未だ彼らの真実が確定しているわけではないのだから。

 そこにアルシェムが口を挟んだ。

「彼女は、息子さんを助けるのに一躍買ってくれた方です」

 名は告げない。告げる意味がない。自らでそれに気付かなければ、ハロルド達がここにいる意味がないからだ。もっとも――もし万が一気付かなかったのだとしても気付かせる方法などいくらでもある。大切なのは過程ではなく結果なのだから。『レン・ヘイワースが家族と和解しクロスベルに残る』という結果さえ満たされれば、細部はどうだっていいのである。

 わずかに動揺したハロルドは、レンに向けて頭を下げた。

「私達の息子を助けて下さってありがとうございます」

「……別に……別に、私は大したことなんて、してないわ」

 震える声に、ハロルドは何を思ったのか。約八年ぶりに聞く娘の声を理解したということは有り得ない。既にレンは声変わりを果たしている。その当時と声が同じわけがない。だが、それでもハロルドの顔に浮かんでいたのは動揺だ。この声に聴き覚えがある。そういう予感がしたのだ。彼女は、もしや――自分達の娘なのではないのかと。

 故にハロルドはそれに探りを入れるかのような発言を無意識に発していた。

「……いいえ。貴女はかけがえのない私達の子供にまた会わせて下さった。本当に、本当に感謝しています」

 コリンに、と彼は言わなかった。目の前の少女がもしも娘ならば、ハロルドにとってはそれも事実だからだ。よく見れば、自らによく似た髪の色。顔だちは妻ソフィアにも似ている。娘と別れたあの時とは全てが違っていたとしても、変わらないモノだってあるのだ。それは『レン・ヘイワース』が自分達の娘であるという事実。目の前の少女がそうであったにせよそうでなかったにせよ、それは変わることのない真実なのだ。

 だからこそ、少女が乾いた声で漏らした声にハロルドは呆然とするしかなかったのだ。

「……本当に、そう思ってるの?」

「……え?」

「かけがえのない子供だから、会わせてくれてありがとう? なら、かけがえのある子供なら会いたくなかったのかしら」

 その言葉は、ハロルドの精神に多大な一撃を与えた。今、少女は何と言ったのか。『かけがえのある子供』。そんなモノ、ハロルド達にとっては有り得ないことだ。今ここにいるコリンだって、昔手を離してしまって今目の前にいるかもしれないレンだって、ハロルド達にとってはかけがえのない子供だ。ヘイワース夫妻にとってかけがえのある子供などという存在はなかった。

 だからこそハロルドは少女に反駁する。

「かけがえのある子供なんて、私達にはいません。今ここにいるコリンも、昔死なせてしまった娘も、私達にとってはかけがえのない――」

「なら、どうして手を離したの? どうして一緒にいようとしなかったの!? ……どうせ、貴男達にとって娘が邪魔だったからでしょう?」

 口角を上げて皮肉げに笑う少女には、確かに昔の面影などなくて。しかしだからこそハロルドには分かった。彼女が亡霊だろうが何だろうがどうでも良い。再び会えたのならば、あの時の後悔を、過ちを伝えなければならない。それが親として誤ってしまったハロルド達に唯一出来る償いだから。ただ――レンを喪って心を病んでいたソフィアは震えるままに何も言うことが出来ない。

 声は震える。体も、心も。だが、それでもハロルドは伝えなければならない。

「……それを、否定することは私には出来ません。その時に余裕がなかったのは事実ですから」

「あら、認めちゃうのね」

 所詮親なんてその程度よね――そう言いたげなレンの言葉に、ハロルドは完全に自制をかなぐり捨てた。そこにロイド達がいようが、誰がいようが気にしてなどいられない。目の前にいるかもしれない娘に伝えなければならないことがたくさんあるのだ。故に、ハロルドは最早周囲に気遣うことなどしなくなっていた。もっとも、ロイド達はそれを察して一人ずつそっと部屋から退出していたのだが。

 自制をかなぐり捨てたハロルドは娘に自分達の想いを伝えるために言葉を吐きだす。

「でも……私達と一緒にいて、娘が目の前で害される可能性があるのに連れて行くことなんて出来るわけがなかった!」

「じゃあ、何!? 目の前で傷つけられないんだったら娘なんてどうなっても良いってこと!?」

「そん――」

 ハロルドの言葉は、そこでレンの絶叫に叩き切られた。

 

「殴られたわ! おかしな薬だって呑まされたわ! 沢山の男の人の相手だって、何だってやらされたわ! レンの身体に汚れてないところなんてない!」

 

 今、レンは自らを『レン』と呼称した。その意味を彼女は理解していない。理解せずとも良かったのだ。何故なら、ここにいるのはただの『レン』である必要はどこにもなく、闇と悪意に染められた『レン・ヘイワース』であるべきなのだから。そして、ハロルドもソフィアもそのことに気付いた。昔の面影は――無垢で無邪気な少女はもうそこにはいない。だが、そこにいるのは紛うことなく自らの娘なのだと。

 今の叫びの内容に、ハロルド達は絶句するしかなかった。今彼女に嘘を吐く必要などどこにもない。つまりこれは真実だということで――レンは、自らの娘はそんな目に遭ってきたということで。自分達が手を離さなければ、そんな目には遭わなかったのかもしれないのにと突き付けられているような気にさせられた。殴られた。一体誰に? おかしな薬を飲まされた。一体どうして? たくさんの男の人の相手。一体何があって、そんなことをさせられていたのか。それをハロルド達が完全に理解することはできない。

 何も反応できない両親に向けて、レンが震える声を吐き出す。

「邪魔だったから置いて行ったっていうのを否定できない? そんなの嘘だってレンは知ってるわよ! 『前の子はあんなことになってしまったけど』? 『あのことはもう忘れよう』? 所詮その程度の存在だったんでしょう、レンなんて!」

「それはッ! ……それは、あの時心に余裕がなくて――」

「それはつまり本性ってことよね。余裕がない時にこそ本性って出るものだわ。……すぐそばにレンがいたことにすら気づかないんだもの」

「――ッ!」

 ハロルドは何も返すことが出来なかった。何故ならそれは事実だからだ。あの時は手のかからない娘すらも煩わしくて、守るべきものを他人に預けてしまったのはハロルド自身。妻だけは絶対に守ると誓っておきながら、自らの娘は他人に託せるほどの愛しか持ち合わせていなかったという証拠。借金取りから逃げるためとはいえ、してはならないことだった。それを今は理解している。

 そこに口を挟む部外者がいた。

「レン。わたしに普通の親子は理解出来ないけど――あそこに売り渡すつもりでこの人たちがレンを置いて行ったわけじゃないってのは分かってるでしょ?」

「……その言い方は嫌いよ、アル。……でも、もしそうならそれで借金なんて全部帳消しに出来てるはずだものね」

 その後も借金の返済のために身を粉にして働いていたことを、レンは知っていた。お節介のように調べて教えに来る人物たちもいた上、自分でも僅かに聞きかじっていたからだ。知るつもりがあろうが無かろうが、リベールであの『ヘイワース夫妻人形』を使った時には知っていたこと。ただの情報としてだけでも、彼らが必死で働いて借金を返済したことも知っていたし、娘が死んだと思っていることも知っていた。

 ハロルド達は何も言えなかった。故に、アルシェムは――□□□は会話のきっかけを作るべく言葉を吐きだす。

「私からも聞きたいんだけど、どうしてレンが生きているかも知れないって信じられなかったの?」

「……レンは、私達が死なせてしまった。私達はレンの分まで幸せでいなくてはならない――そう決めなくては、生きていけなかったからです」

「探し続ければ良かったのに。そうすれば――去年には情報だけなら見つかってたと思うよ?」

 その言葉にハロルドとソフィアは息をつめた。ということは、『レン』は一度であっても表舞台に出て来ていたということだ。どういう形であるにせよ、その情報を手に入れられなかったというのは、ひとえに自分達がレンを死んだと認識していたからに他ならない。レンを探し続けていれば、情報だけであったとしても去年見つけられていたということはそういうことだ。

 だが、当の娘はそれを皮肉げに笑ってこう返した。

「あら、そんなのでレンを見つけたって意味ないわよ。だってこの人たち、レンが今までどういう生活をしてたかなんて想像もつけられないんだろうしね」

「どういう……というのは……」

 レンはハロルドの知らない表情で微笑んで告げた。

 

「たくさんの人を殺したわ。いっぱい訓練して、《パテル=マテル》にも出会ったのよ。それで皆でお茶会をしたの。楽しい楽しい狂ったお茶会をね」

 

 だからレンは汚れている。そう彼女は告げた。そうしなければ生きていけなかったし、そうしたいからそうやって生きて来た。他人を殺し、自分のためだけの居場所を確保する。自分の居場所のためならば、少し親しくなった人ですら容赦はしなかった。誰にも痛くされない方法は、痛くしてくる人たちを殺すことだった。それはとても単純なことで、簡単なこと。

 そこでずっと黙り込んでいたソフィアが口を開いた。

「なら、どうして私達を殺さなかったの、レン。どうしてコリンを助けてくれたの?」

「……そんなの、簡単なことだわ」

 そう言ってレンは俯いた。そうだ、簡単なことなのだ。レンにとって、ヘイワース夫妻などどうでもいい人たちだから。それ以上の理由はない。故にレンはそれを口にする。

 

「だってそうでしょう? パパはレンを護ってくれて、ママはレンを愛してくれる。それがパパとママなら、レンのパパとママは貴方達じゃない。《パテル=マテル》なのよ」

 

 それは訣別の言葉で。それでも、レンは自分の言葉に自信を持てなかった。何故なら、本当にハロルドはレンを護ってくれずソフィアはレンを愛してくれなかったのかどうかまだ整理しきれていないからだ。もしかすると守られていたのかもしれない。愛されていたのかもしれない。でも、それをレンが感じ取れないのならば――それに本当に意味はないのか。

 その迷いを断ち切るように、ソフィアはレンの言葉を否定した。

「違うわ、レン。貴女にはもう分かっているはずなのよ……私達の可愛い娘。うぬぼれかも知れないけれど、勘違いかも知れないけれど、それでも私は信じています。レンは、私達を愛してくれているんだって」

 その言葉に、レンは嘲笑してソフィアの顔を見た。

「……面白いことを言うのね? なら――聞かせて、ママ。貴女にレンの何が分かるっていうの?」

「私には――ママにはレンに起きたことを多分全部は理解出来ないし、受け入れることは出来ないんだと思う。ママたちが貴女にしたことを考えれば、分かってあげられるだなんて口が裂けても言えないわ。そんな資格がないことだって十分わかっています。でも……」

 ソフィアはレンの瞳をまっすぐに見つめて宣言した。

 

「私は、ソフィア・ヘイワースはレン、貴女の母親です。貴女に起きたことを受け入れることは出来なくとも、貴女自身を受け入れられないことなんてない。娘を受け入れられなくて何が母親ですか」

 

 その言葉に、レンの心は少しだけ揺らいだ。《パテル=マテル》は確かにレンのことを受け入れてくれていたはず――それは、本当に? ただレンに対して無条件に従うよう作られているだけではないのか。《パテル=マテル》はノバルティスから与えられたもの。本質的にはレンを補助するための機能の付いたただの機械人形でしかないのだ。

 微かに全身を震わせたレンに、ハロルドも声をかける。

 

「……私は、レン。パパ達は貴女から罰せられるべきなのだと、そう思うよ。レンは私達を一生赦さなくて良い。それだけのことを、私達はしたんだ。でも、レンがもし赦してくれるのなら――私達にも、レンをそんな目に遭わせた奴らを憎む権利をくれないか」

 

 隣に立つアルシェムには、レンの震えが痛いほどに感じられた。どうすればいいのか、どうしてやれば自分の気が済むのか。レンはそれを頭の中でぐるぐると考え続けている。訣別しようと心に決めたはずなのに、二人の言葉に心が揺らいでいた。

 

 そしてレンは――

 




 気になるところでしょうが、切ります。一話に14000字弱はちょっと個人的に読みづらいので。


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創立記念祭四日目『レン・□□□』

 旧183話半ば~184話までのリメイクです。タイトルでネタバレしかねないので伏せています。

 では、どうぞ。


 

「……言っておくけどレン、パパ達が思ってるほど『綺麗』な『子供』じゃないわよ」

 

 突き放す方を、選んだ。突き放される方が本当にそれで離れてくれるとは限らない。しかし、レンはその選択しか出来なかった。この場で殺しても良かった。無視したってよかった。和解する必要なんてどこにもなかった。言葉を掛ける必要すらないはずだった。彼らは最早レンとは関係のない人物だ。それなのに、レンが選んだのは完全なる拒絶ですらなかった。

 荒ぶる心に従い、激情のままにレンは《殲滅天使》として鎌を構える。そして勢いよく振りかぶり――振り下ろした。何度も、何度も、ハロルドとソフィアを切り刻むかのように。ただ、それは一度たりとも彼らを傷つけることはなかった。当たっていない――否、心の奥底では当てる気が全くないのだから、当たるはずがない。それこそがレンの答えだ。

 そして、それに対するヘイワース夫妻の答えは――

「……何で、避けないのよ」

「避ける必要なんてないのよ、レン。だって私達はレンにそれだけのことをしたんだもの」

 ソフィアはそう返すが、しかしレンをそそのかすことだけはしなかった。何故、当てないのかと。それだけのことをレンにした。殺されてもおかしくないほどの経験のきっかけを作ったのは間違いなくソフィアたちなのだから、殺されても当然だった。コリンのことは心残りでもあるが、レンは彼を救ってくれた。ならば殺されることはないだろうと思っている。

 そしてそれはある意味正しかった。レンに彼らへの殺意はないのだから。故にアルシェムにも止める気はない。これは必要なことなのだと分かるからだ。故に手出しはしない。レンに殺意がないことなど、アルシェムには手に取るように分かっているのだから。

 レンが鎌を振り上げようが、ハロルド達は逃げようともしない。それを理解して、レンは震える声を吐き出した。

「……卑怯よ。そんなことされちゃったら……期待なんてしないって決めてたのに、台無しじゃない」

 その声と共に一筋の涙が流れ落ちる。そして手に持っていた鎌も――床に転がっていた。そんなレンを見たハロルド達は、ゆっくりとレンを抱きしめた。我が子を寒さから守るかのように。離れていた間の分を埋めるかのように。そして、レンもハロルド達の抱擁を受け入れ、抱き返した。それこそが答え。レンがかつて『レン・ヘイワース』として生きていたことを認めたという証左だった。

 そんなレンに、ハロルド達は声を掛けた。

 

「生きていてくれて……いいや、生まれてきてくれてありがとう、レン」

「もう一度会えてよかった、だなんて口が裂けても言えないけれど……愛してるわ、レン」

 

 その言葉に応えはなかった。必要なかったのだ。何故ならレンはハロルドとソフィアに――否、自らの両親の抱擁を受け入れ、抱き返したのだから。それこそが雄弁に物語っている。彼女もまた、両親を愛しているのだと。レンを置いて行ったことは確かに恨んでいる。だが、殺したいほどに憎んでいるわけではない。両親にやむを得ない事情があり、精神的な余裕もなかったが故に起きたこと。

 だからこそ、レンは伝えることにした。『レン・ヘイワース』が死んだ物語を。どれだけ時間がかかっても良い。ただ、自分の言葉で全てを伝えるために。ただしそれは今でなくともいい。今彼女がしなければならないことは、今後の自らの身の振り方を決めることだった。

「レンも愛してるわ、だなんて言わない。どこかでけじめはつけなくちゃいけないもの。だから――そのけじめをつけるために、必要な人達がいるの」

 呼んでくれる? とレンはアルシェムに向かって言った。アルシェムはそれに首肯し、《ENIGMA》を取り出して通話を始めた。レンの求める人物たちが誰なのか、本能的に察したからだ。恐らく最後まで追いかけているであろうあの二人をこの場に呼ばないという選択肢はどこにもなかった。

「もしもし、こちらアルシェム・シエル――」

『アル! あんた今誰と一緒にいるの!? レンは――』

「うるさいエステル。ヨシュア連れてとっとと支援課のビルに来て。話は通しとくから」

 そう一方的に告げたアルシェムは、すぐさま通話を切って階下にいるロイドに向けて通話を始め、エステル達を通すように話をつけた。そして、絶対に覗くなとも釘を刺した。込み入った状況になるのは目に見えているからだ。レンがどういう選択をするのかによって、誰がどのように動くのかが変わる。もしかすればレンは『レン・ヘイワース』に戻るのかもしれないし、『レン・ブライト』になるのかもしれないからだ。どちらにせよロイド達が救われればそれでいい。

 そして、その場には間違いなくアルシェムは必要ない。故に彼女はレンに向けて告げた。

「レン……もう、大丈夫?」

「何言ってるのよアル。アルもここにいてくれなくちゃ困るわ。……関係ないだなんて言ったら怒るわよ?」

 離されようとしたアルシェムの手をより強く握り返して捕まえたレンは、そう言って頬を膨らませた。それが今日はじめて見せた子供らしいしぐさで。ハロルド達はくすりと笑いを零した。それを生み出せたのが自分達でないことに嫉妬もした。それほどまでに――レンにとってアルシェムという存在は大きいのだと分かってしまったからだ。

 そんな微笑ましい光景をぶち壊すのが最大限に焦ってここまで駆けつけた人物である。

「レン!」

「あらエステル。ちょっと急ぎ過ぎじゃない? 大丈夫? 誰か二、三人撥ねてないでしょうね?」

「は、撥ねるわけないでしょ!? そこまでそそっかしいわけ、じゃ……」

 レンにそう言いかえしたエステルは視界の端に入った夫婦を見て凍りついた。何故今ここにこの夫婦がいて、レンが平然と言葉を返してきているのだと。ぎぎぎ、と壊れた機械のようにヨシュアを振り向けば、ヨシュアもまた笑顔で硬直していた。どうやら情報が処理しきれていないらしい。ぎこちなく顔を室内に向けてみれば、アルシェムまでいるではないか。

 エステルはアルシェムに詰め寄って説明を求めた。

「あああああアル! こ、これどういう状況!?」

「レンはヘイワース夫妻の事情を知って、ヘイワース夫妻はレンの事情を多少なりとも知った。そーいうことだよ」

 その言葉を聞いたエステルは驚愕に目を見開き、そして――ゆっくりとその事実を受け入れた。レンは愛されていなかったわけではないと知ってくれたのだと。ヘイワース夫妻がしたことでレンがどんな目に遭わされたのかを彼らが知ってくれたのだと。じわじわとそれを理解して――そして崩れ落ちた。

 それに少なからず衝撃を受けたレンが問いを発する。

「ちょっと、エステル!? どうしてエステルがそこまで……」

「……だって、言ったじゃない。レンの家族になりたいって。あたしは、レンが愛されてなかったわけじゃないって知ってくれて……良かったと思う」

 そしてエステルは感極まったかのように涙をこぼし始めた。それをあやすようにヨシュアが背を叩き、彼女を宥める。このバカップルが! とアルシェムは叫びそうになったが、ふと隣を見ればもらい泣きをしているヘイワース夫妻も同じような光景を見せつけてくれていたので遠い目をしてやり過ごすしかなかった。

 と、その空気を断ち切るかのようにレンが手を叩いた。

「ほら、何のためにエステル達を呼んでもらったか分からないでしょう? ……話をしましょう。レンが、これからどうするのかをね」

 それを聞いたエステルは微かに息を呑んだ。そこにエステル達が介入する余地が残されていないように感じられたからだ。レンに『愛されること』を覚えなおしてほしいと思っているエステルは、当然彼女と一緒に住むという選択肢を望んでいる。だが、何故かレンはその選択肢を選ばない気がしていた。いくらエステルがそう望もうともレンは恐らくその選択肢を選ばない。そんな確信があった。

 故にエステルは畏れた。そのレンの選択を耳にすることを。レンが口を開くことさえ。それでもレンは選択する。そうでなければならないからだ。『ロイド・バニングスたちの救出役』という役目を果たすためには、何も選択せずそこに留まることは赦されていない。エステルはヨシュアの手を握り、ヨシュアはエステルの手の冷たさに内心驚きつつも彼女の手を握り返す。

 そしてレンは告げた。

「あのね、パパ、ママ。レンは……まだ、おうちには帰れないわ」

 その言葉にハロルド達は衝撃を受けたようだが、それでも帰ってきてほしいと言える立場ではないことを理解していたので首肯した。分かっていたことだ。レンに対してしてしまったことが、輝かしいレンの八年間を奪ってしまったことなど。それを捨て置いてさあ一緒に暮らそうなどとは口が裂けても言えるはずがなかった。そんなこと、赦されるわけがない。

 故にハロルドは震える声で続きを促す。

「……そう、なのか」

「だってね、まだレンは清算を終わらせてないんだもの。ちゃんと罪は償わなくちゃいけないわ。レンは『悪い子』だけど、それくらいちゃんと分かってる」

「でもそれは――」

「レンのせいじゃない? そんなことないわ。だって、レンは自分でやったんだもの。パパとママにやらされたわけじゃない」

 だから償わなくてはならない、とレンは言った。誰に対して、どうやって、とは彼女は言わない。誰を殺したかなんて覚えているわけでもないし、どこに行ったところで裁かれるはずもない。レンはまだ未成年で、かつ過去に起きたことから情状酌量の余地があると判断されるだろうとは容易に想像できたからだ。悪くても短期間の懲役刑程度。ならば、自分で償うしかない。自分が帰属するべきクロスベルのために。

 リベールで犯した罪はリベールで償う。エレボニアで犯した罪はエレボニアで償う。カルバードで犯した罪はカルバードで償う。いつかどこかで犯した罪は、その場所に赴いて償う。そして《身喰らう蛇》とは完全に決別する。そうしなければレンは帰れない。過去が追ってきて、両親と弟を危険にさらしてしまうかもしれないことを考えれば、そのくらい当然やってしかるべきだった。

 そして、レンがまずやるべきことは《身喰らう蛇》との決別だった。そして、それが出来る場所はここしかない。今計画が進行中のこのクロスベルにおいて、完全に《身喰らう蛇》と敵対する。そのために出来ることは、何だってする。たとえもう一度闇に堕ちることになろうとも――最後に光の側で笑っていれば良い。闇から帰れない彼女のためにも、光側の止まり木にくらいはなりたいのだ。

 故に――レンは、訣別のための一歩を踏み出した。

「だから、しばらくはここにいるわ。この場所で、レンに武器をくれた人たちにお別れするためにね」

 その言葉の意味を最初に理解したのはヨシュアだった。レンはここで《身喰らう蛇》と敵対し二度と戻れないようにするつもりなのだと。つまり、このクロスベルで《身喰らう蛇》に敵対できてしまうような何かが起こりつつあるのだと。しばらくはやはりクロスベルにいなければならない、と判断しつつヨシュアはレンに問いかけた。

「ここに……って、どういうことかな、レン」

 レンの真意を問うたヨシュアは、半ばその答えを予想していた。エステルと一緒に暮らすという選択肢はもうないのだと分かっていたが、『ここ』がどこを指すのかによって色々と動き方が変わるからだ。特務支援課を指すのならばまだ良い。だが、アルシェムの隣を指すのだとすれば――それは、選ばせてはならない道だった。二度と光の当たる道に戻れないだろうことは、アルシェムが証明している。

 ヨシュアの問いにレンは答えた。

「だって、遊撃士になれるのは十六からでしょう? まだ流石にレンには早いし、あんまり向いてないわ。だからここなのよ」

「つまり、特務支援課にいる、ってこと?」

 エステルはレンの言葉にそう問い返した。レンはそれを首肯することで返し、明言することは避けた。何故ならレンが最終的に目指す場所は今いる場所――アルシェムの隣なのだから。誰かへの償いを終えて、レンがおとなになったら彼女はアルシェムと共に生きるつもりなのだ。恐らくそれが最後に償うべきことなのだろうから。

 

 レンには分かっていたのだ。『アルシェム・シエル』が《身喰らう蛇》に堕ちたのは――恐らく、レンのせいなのだと。

 

 恐らく『レン』『ヨシュア』というパーツがなければ『アルシェム』はそこにはいなかった。それが本能で分かっているからこそ、彼女を《身喰らう蛇》に堕とした責任を取らなければならないと判断している。故に、最後はどうなろうがレンはアルシェムの隣にいるつもりだった。両親への償いは、レンがおとなになってハロルド達が子離れをするまでの期間でいい。

 わずかに顔に苦い色を浮かばせたレンは静かに言葉を吐きだした。

「……それに、特務支援課でなら万が一があっても安心でしょう?」

「……それは……でも、レン。ご両親のことはどうするんだい?」

 レンの思考が少しなりとも理解出来るヨシュアはそう問い返す。レンが特務支援課にいるだけではマズいだろう。公的機関に所属する以上、レンは姓を名乗る必要がある。そしてレンの本当の名を知っている人物は、《身喰らう蛇》の中には数えるほどしかいない。強いてあげるのならば既に死んだワイスマン、盟主、そして第七柱くらいか。そんな中でクロスベルに暮らす人間と同じ姓を名乗れば、軽率な輩にすら関係を疑われかねない。

 そういう意味でレンを引き取りたいという思惑もあったヨシュアの問いは、しかしレンには通じなかった。

「大丈夫よ。偽造戸籍に一人分名前が増えるくらい、誰も気にしやしないわ」

「ぎ、偽造戸籍って……レン?」

 唐突に飛び出す物凄い言葉にソフィアが困惑したように声を漏らす。戸籍を偽造することは確かに出来るらしいと聞いたことはある。だが、今なぜそれが出て来るのかわからなかったからだ。普通にヘイワース籍に戻れば良いだけの話ではないのか、と思っていたソフィアにとっては理解しがたいことだった。

 だが、その驚きをレンは別のものと勘違いした。

「あっ……えっと、そのー……」

 目を泳がせながらちらりとアルシェムを見るレンに、アルシェムは事態を理解して遠い目をした。つまりレンはこう言っているのだ。既に偽造されているであろう『アルシェム・シエル』の戸籍にレンの名前をぶち込めと。

 しれっと自分の戸籍が偽造したものであることがばれるが仕方がない、とアルシェムは思いつつ悪あがきをする。

「別に、それは構わないけど……レン、エステル達のところじゃなくて良いの? カシウス・ブライトの後ろ盾って結構効くよ?」

「そんなのがあっても困るだけだわ。それに……エステル達に期待を持たせたくないもの」

「あたしは! ……あたしは、レンが幸せでいてくれたらそれでいいんだもん……幸せで、いてくれたら……十分だもん」

 震える声でそう返したエステルに不思議そうな顔をするハロルド達。何故そこでこの二人が出て来るのかというのが理解出来なかったからだ。いぶかしげな顔をする二人にヨシュアが手短に説明をした。エステルはレンと出会って、レンの全てを受け入れて愛してあげたいと思ったのだと。ハロルド達と家族に戻れないのなら、新しく自分達が家族になってあげたかったのだと。

 だが、レンが幸せでいてくれるのならば。エステルはそれで良かったのだ。そう思わなければやっていられなかった。レンと家族になるために、ここまで来た。それが拒否されて平然としていられるほどエステルの精神は強くない。

 それが分かっているからこそ、レンは言葉を贈った。

「……ありがとう、エステル。でも、ごめんなさい。エステル達と暮らすのは確かに魅力的ではあるけど、それじゃあレンは満足できないの。レンはレンの我が儘のためにここに住んで、レンの我が儘のためにアルと同じ姓を名乗るわ。アルがどういう存在かなんて関係ない。アルはレンの過去で、現在で、未来なのよ」

「ちょっと待ってレンそれ何か口説かれてるっぽいというか本気で誤解生みそうなんだけど」

「口説いてるわけじゃないわよバカ」

 茶化すように口を挟んだアルシェムの言葉をレンはそっぽを向きながら否定した。それはどう見ても照れ隠しのようであって。はたから見れば完全に同性愛者に見える光景でもあった。アルシェムとしてはそういう関係を望まれたとしても否定することはないのだが、世の中の偏見というモノは往々にして他人に普通であることを強いるものだ。故に茶化して誤魔化すしかない。

 レンの言葉に不安をあおられた夫妻に向きなおり、レンは更に言葉を紡いだ。

「帰らないわけじゃないわ。でも、まだけじめをつけ終えてない。それさえ終わったら――レンは、『レン・ヘイワース』はパパとママのところに帰るわ。その時になったら――きちんというから。だから、まだ『ただいま』って言わない」

「……レン」

「その代わり、もう一回始めましょう? 親子として、もう一度『家族』になるために。パパ達にはレンのいない間のことを教えてほしい。レンはその代わり、パパ達のいない間のことを伝えるから。だからそれが全部終わって、レンのけじめがつけられたら、その時は――」

「……ああ。そのときになったら、『お帰り』と。そう、レンに返すよ」

 そしてヘイワース夫妻とレンは再び抱き合った。その光景が奇蹟のようで、エステル達は泣いた。アルシェムはその光景をどこか複雑そうな顔で見ていて、故に気付いた。この光景を作り出したのは紛れもなく自分なのだと。そうでなければレンは両親と面と向かって和解など出来なかった。エステル達と暮らし、そして緩やかにヘイワース家へと戻れただろう。

 だが、現実は違う。レンは恐らく実家に戻らない道を選んだ。実家に戻らず、ただ戦い続ける道に誘い込んだのはアルシェムだ。その選択をさせたのも、そういうふうに仕向けたのもアルシェムだ。それを悟って、アルシェムは胃の奥からこみあげてくるものを必死にこらえた。これは自分の罪だと。たとえ何者かがそうなるように仕向けていたのだとしても、それは自分の罪なのだと理解した。

 

 そうして――レンは。『レン・シエル』としてクロスベルに残る道を選んだ。




 綺麗な和解ではないですし、ご都合主義も満々ですけどこういう解決方法しか思いつかなかったので赦してつかあさい。

 では、また。


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創立記念祭最終日・潜入

 旧185話~186話半ばまでのリメイクです。


 祭りの騒々しい空気もそろそろ名残惜しいものになる本日は、創立記念祭最終日である。あのあと、レンは特務支援課に泊まることになった――大変散らかっているアルシェムの部屋で。当然オーブメント細工が散乱しているアルシェムの部屋をそのまま使うわけにもいかず、レンに怒られつつ掃除を終えたころには既に日付をまたいでいた。

 流石にそこからベッドを搬入するには無理もあり――そもそもセルゲイに許可を取るのが一番時間がかかった――、結局レンはアルシェムと同じベッドで眠った。ヘイワース夫妻が見ていなくて幸いである。先日の百合疑惑が確定されてしまうところだ。もっとも、レンもアルシェムもそれを気にすることはないのだが。

 ベッドから起き上がったアルシェムは、綺麗に整頓された机の上に乗せられたものを見て物凄く複雑な顔をした。というのも、そこにあったのは黒地に金薔薇の描かれたカードだったからだ。すなわち《黒の競売会》への招待状である。そう言えばリーシャに潜入しておけと言ったっけ、と思い出したアルシェムは自分も潜入しておくことにした。どうせ潰す競売会だ。一度くらい覗いておいても罰は当たらないだろうと判断して。

 それを懐にしまおうと手に取ると、そこにあったカードは一枚だけではなかったことに気付いた。

「……成程ね、わたしの分と、レンの分ってわけだ」

「あらおはよう、アル。流石に受け取ったものは有効活用した方がいいと思って持ってきちゃったけど、それアルの分じゃないわよ」

「え?」

 眉を寄せてその真意を聞こうとしたアルシェムは唐突に気付いた。レンにねだられてそういうモノを与えそうな人物が思い当たったからだ。お爺さんことヨルグ・ローゼンベルグである。確かに名の売れた人物で、ハルトマンがつながりを作りたいであろう人物であるのは間違いなかった。上手く弱みを握れれば莫大な富を手に入れられるからだ。

 そう思ったのだが、レンは懐から何かを取り出しながらとんでもないことを言った。

「《殲滅天使》の分と、お爺さんの分、それに――《怪盗紳士》の分よ」

「え、ちょっと待って、は? 最後の何て?」

「だから、《怪盗紳士》の分。偽物とすり替えて来ちゃった♪」

 あ、あんですってーとエステル張りに叫んだのは仕方のないことだろう。どうやってすり替えたのかを問い詰めたい気分ではあったが自重した。三通もあればエステル達とアルシェム、そしてもう一組が潜入するには充分だからだ。これから作戦を練る必要がある。ある事情でリオという手駒を動かせないアルシェムにとって、どういう形で《黒の競売会》に潜入するかというのは重要だった。

 不法侵入でなく、堂々と侵入できるというのならば簡単な話だ。ただ変装してそこにいるだけでいい。頃合を見計らって気配ごと消えさえすれば好きに動けるのだから。つまり、誰にも自分がそこにいることを悟られさえしなければどう動いたところで問題にはならない。

 そう判断したアルシェムは、レンに向けて告げた。

「あのさ、レン……」

「分かってるわよ。一枚はロイドお兄さんたちに、もう一枚はエステル達に渡して、アルの持ってる一枚は誰にも言わないでほしいって言いたいんでしょう?」

「……うん、それでお願いします」

 久し振りの察しの良いレンの姿にアルシェムは毒気を抜かれたようにそう応えた。以前はこの生活が当たり前で、だから今はイライラすることも多くなっている。全てが全て察しの良い人間ばかりではないのは分かっているが、それでもこの打てば響くような答えのある生活は、以前の自分に引き戻されていくようで。それはそれで嫌なものではなかった。

 朝食のために階下に降りたアルシェム達は、ロイドの作った簡易な朝食を手早く片付けた。というのも、全員が何かしら考え込んでいるようだったからだ。こういう時に手早く食べ終えておくというのは会話の主導権を握るということにおいては重要であった。それは心に余裕がある証左だからだ。そして、アルシェム達にはロイド達が何を悩んでいるのかが分かっていた。今日に限って悩むとすれば、それはやはり《黒の競売会》のこと以外にありえないからだ。

 口火を切ったのは、ランディだった。

「それで、どうすんだよロイド?」

「どうするって……」

 その言葉の意味が分かっていながら、ロイドは答えに窮した。《黒の競売会》の内情は確かに知りたい。だが、だからといって潜入するための方法があるわけではないのだ。ロイドの手に《黒の競売会》の招待状がない以上、どうすることも出来ない。

 それはエリィも同じだったようで、彼女はポツリと言葉を零した。

「せめて、招待状さえあれば……」

「あら、お姉さんたちは《黒の競売会》に行きたいの? 意外……でもないかしら。警察官としては見ておきたいってところかしらね」

 エリィの言葉に返答したレンに、ロイド達の視線が一気に集まった。どうやら何かを含ませているらしい言葉だったからだ。先日漏れ聞いたところによるとレンは裏の人間。つまりは招待状を手に入れられる可能性があるということだ。譲ってもらえるかも知れない、とまで思ったかどうかは別であるが。

 その視線を受けたレンは懐から二枚の黒いカードを取り出して笑った。

「はい、これは何でしょう?」

「ま、まさかそれって……」

「アルと、レンさんの分ですか?」

 ティオの言葉には険があったが、もしついでに送られてきたものなのであれば何も言うことが出来ない。これを発送した当時レンはまだ執行者であったはずだからだ。ただ、そうなるとアルシェムはまだ裏社会に生きる人間だという認識が成されていることになる。

 しかし、それはレンによって否定された。

「違うわよ。お爺さんは行かないって言ったから貰ったの。だからコレはレンの分と、お爺さん――ヨルグ・ローゼンベルグの分よ」

「ええっ!?」

「いや……驚くことでもないんじゃないか? ローゼンベルグ人形の製作者なわけだし……」

 驚愕するエリィにそう返したロイドは、この二枚の招待状をどうやってレンから貰おうか思案し始めた。ただで譲ってもらうわけにはいかないだろう。だからと言って金銭でやり取りするのは警察官としていただけない。一応察してはいるが、恐らくレンは裏の人間だった少女だ。金銭取引をするわけにはいかない。なら、どうすべきか。

 そこまで考えて、ロイドの思考はレンに遮られた。

「一枚はエステル達にあげて来るけど、もう一枚は好きにすれば良いわ。レンにはもう必要のないものだし、わざわざあの変態議長を見に行くのも嫌だから」

「え、あ、ああ、いいのか?」

「そう言ってるじゃない。その代わり、今日一日アルを借りるわよ」

 そうしてレンはアルシェムを一日自由にすることを条件にロイド達に一通の招待状を譲った。ロイド達はその招待状を見ながらどういう扮装をしてミシュラムに赴くかを考えているが、レンとアルシェムがそれに付き合う義務はない。何故なら今日一日アルシェムを借りきっているのだから、都合のいいように解釈すれば特務支援課として動く必要はないということだ。

 レンはアルシェムを連れて遊撃士協会へと赴くと、受付ミシェルに頼んでエステル達と二階を貸してもらえるよう要請した。そこで行われるのはやはりエステル達がいかにして《黒の競売会》に潜入するかであり、その方法を思いついたアルシェムからの提案にエステル達は――

 

「あ、あんですってー!?」

「一応僕にも羞恥心ってものがあるんだけど!?」

 

 と叫んだそうである。一体どんな話をしたのかミシェルは知りたがったのだが、レンは面白がって話さず、アルシェムは笑いを堪えていて喋れず、エステルとヨシュアは複雑な顔でウンソレシカナイなどと呟いていて話が出来る状況ではなかった。後日その情報をミシェルが知った時、妙に生き生きとした顔で仮装を頼んだそうである。

 そして、レンに仮装グッズを用意されてしまった二人は複雑な顔をしながら私服に着替え、午前中のうちにミシュラムへと向かったらしい。らしい、というのはアルシェムがそれを見ていたわけではないからである。彼女は彼女でレンに遊ばれていた。百貨店で靴を買い、ストッキングを買って化粧道具をそろえたころには既に昼を過ぎていた。

 ミシュラムに侵入し、軽く変装をしてからレンと食事をとったアルシェムは、何故かレンが他人名義でもっているミシュラムの別荘でレンが買い物から帰ってくるのを待っていた。それ以外に出来ることはなかったからだ。今現在リオに連絡を取ると問題しか起きないというのもあるし、着替えられるところまでは着替えておいた。それ以上に出来ることはといえば、声色を変える準備くらいか。

 レンが戻ってきたころには、アルシェムの声はアルトのそれからソプラノあたりまで高くなっていた。

「おかえり、レン」

「……念入れ過ぎじゃない? まあ良いけど……」

 複雑な顔でそう応えたレンはアルシェムに蒼いドレスを差し出し、着るように促した。アルシェムはそれを受け取って難なく着替え終わると、次には手袋を渡された。指紋を残さない意味でも、腕を隠す意味でも理解は出来るのだがそれはそれで珍しいデザインではある。レンが選んできたものは露出がほとんどないドレスだったのだ。首も隠れ、肩も最低限だけしか露出せず、胸元にすら露出がない。その代わり足は露出しているが、ストッキングをはいているので傷跡が見えることもない。レンなりに気を遣った結果である。

 そしていそいそとレンは化粧道具を取り出し、アルシェムに化粧を施した。決して美人だとは言えない顔が化粧によって特徴のある顔に変わる。敢えて細く描いた眉毛。瞼の上には薄紫色のアイシャドウ。少し長めに引かれたアイラインでコケティッシュな雰囲気を醸し出し、チークはあまり乗せない。淡いピンクの口紅を乗せ、まつげを全力で増毛すれば最早別人である。誰だ貴様はレベルだ。ついでに胸に詰め物が足された。

 偽乳の上を飾るのは涙滴型の蒼耀石のネックレス。左手の薬指には透明な石のついた指輪。耳にはネックレストップと同じデザインのイヤリングを飾り、右手にはチョーカーを外して巻き、飾りのついていない銀環を左腕にいくつか嵌めれば完成である――と思ったアルシェムであったが、どうやらレンにはお気に召さないようである。机の上のハンドバッグがシンプルなデザインであることも原因だろうが。

 口をとがらせながらレンは唸った。

「……やっぱり、もうちょっと派手な方がよかったわね」

「十分派手だと思うんだけど……」

 アルシェムのぼやきがレンに届くことはない。レンはそのままヘアメイクに走り、見事にカールされてお団子にされた髪――なおカツラである――にやはり涙滴型の蒼耀石のついた簪が差された。頭が重くて仕方のないアルシェムである。因みに武装はしていない。レンは敢えて体のラインが出るドレスを選び、武装していないことをあからさまに示させようとしていると分かったからだ。あくまで無害な一般人を演じさせるつもりである――もっとも、その願いがかなうことはないが。

 全ての支度を終え、レンの別荘から出たアルシェムは彼女に見送られてハルトマンの別荘へと向かった。そこが会場だからだ。何となく見覚えのある男女がその別荘に近づいて行くのを追いながら近づき――そして、声の聞こえる範囲でそのやり取りが始まったのを聞いて咄嗟に屈みこんだ。靴の調子が悪い振りをしているのだが、正直に言って肩が震えているので泣いているように見えなくもない。周囲に誰もいなかったのが幸いした――彼らにも、そんな余裕がなかったのは確かだが。

 目の前にいた男女は、門番に向けてこう告げたのだ。精一杯低くしたその声で。

「やあ、もうあいているかな?」

「ええ。招待状はお持ちですか?」

 それに応えて招待状を見せ、何故か男にしなだれかかったのは女である。聞き覚えのある――しかもずいぶん昔に一度きり――声でその女は自然にその男に甘えた。今は女だからと盛大に甘えるあたり策士である。

「ふふ、ここに見えないかしら?」

「……た、確かに。ようこそ、《黒の競売会》へ。お名前を頂戴してもよろしいでしょうか?」

「――ユリウスだ。こちらはセシリア。どちらもお忍びできているのでね、家名は明かさずとも良いだろう?」

 そう言いながらいちゃいちゃしている二人に辟易としたのか、黒服の門番はそのまま彼女らを通してしまった。失態その一である。その正体は勿論エステル/ユリウスとヨシュア/セシリアであり、『白き花のマドリガル』より名前を取っている。ただし、その時と格好は勿論違っている。エステルはオリヴァルトの如くうなじで髪をまとめて蝶ネクタイ付きのタキシードを纏っていた。そしてヨシュアは――金色のドレスに身を包んでいた。当然髪はかつらをかぶっており、耳の横でパーマを当てた髪を団子にして黄色いバラを飾っていた。流石に美人である。

 エステルはたじたじとしながら婚約者設定を崩さないためにいちゃいちゃしてくるヨシュアを伴って内部へと足を進めていった。笑わせてくれる、と思いながら必死にアルシェムは体勢を戻すと、何事もなかったかのようにゆっくりとハルトマン邸に近づいて行った。無論パートナーはいない。頼む人物もいなければ、頼める人物もいなかったからだ。

 ハルトマン邸に近づいたアルシェムに黒服が声をかける。

「失礼、招待状はお持ちですか、マダム?」

「残念ながらわたくしはまだレディよ。ほら、これでいいのでしょう?」

 既婚者に見られることに苛立ったアルシェムはさっさと中に入るべくハンドバッグから招待状を取り出し、見せつけた。それを見分した黒服は頷き、そしてアルシェムにも名を問う。そこでアルシェムは敢えて『エルシュア』と名乗った。ちょっとしたジョークのつもりであり、エステル達にも通じるようにするためでもある。黒服たちは名を聞いてからアルシェムを中へと通した。

 中に入ると、見覚えのある連中であふれていた。裏通りのイメルダ夫人やキリカ・ロウランなど少しでも裏に通じて良そうな人間は片っ端からいると言っても良い。そこに今回ここに潜入すると連絡を貰っているわけでも潜入すると宣告しておいたわけでもない人物もいたわけだが、それはそれで良いだろう。いずれ情報交換はするが、それは今でなくともいい。

 そこにいた顔ぶれを覚えたアルシェムは、下手に声を掛けられる前に控室へと向かった。少々疲れたというのもあるが、そこにエステル達がいなかったからだ。案の定控室の方向でエステルとは出会った――何とぶつかられる形で。

「おっと、すまない」

「……それが似合うあたりどうかと思いますわ、ユリウス殿」

 しぐさまで女性らしくないエステルは、ぶつかられても対応は女子らしくなかった。遠い目でそう思わず告げてしまったアルシェムがエステルにいぶかしげな顔で見られることになるのも当然である。しかも探りを入れようとしてきた。

 多少目に力を入れた状態でエステルがアルシェムに問う。

「失礼だが、以前にお会いしたことがあったかな?」

「あら、ここで素性を問うのはマナー違反ですわよユリウス殿。それと……誤解を生む発言は止めて下さらない?」

 そう言ってアルシェムはエステルの背後で妙に殺気を醸し出しているヨシュアを見た。相変わらず美人である。世の中の女性が総じて顔を引きつらせるレベルだ。女装しない方が世のため人のためである。主に本人の精神衛生上の問題で。下手をすればいつか掘られるに違いない。

 エステルの腕を取ったヨシュアは、アルシェムを半眼で睨みながら告げた。

「ユリウスは私のものでしてよ、貴女の出る幕はありませんわ」

「……砂糖吐いていーですかこのバカップルめ」

 その発言でまずヨシュアが首をかしげた。どう考えても相手はエステルとヨシュアのことを知っているが、こんな顔をした女が知り合いにいただろうか。候補はほとんどいないのだが、それでもヨシュアは問わずにはいられない。

「……貴女を、ここでは何と呼べばよろしいの?」

「『エルシュア』と。そうお呼びくださいな、セシリア嬢」

 その答えにヨシュアは咳き込んだ。まさか本当にアルシェムだとは思わなかったからだ。化粧をすれば女は化けると言うが、ここまで化けるとは本当に思ってみなかった。本気で別人である。誰コイツ。本気でヨシュアはそう思った。いつも化粧をしていないのはある意味もったいない、とも。絶世の美女というわけではないが、エレボニアの貴族令嬢と紹介されれば疑えないレベルではある。

 因みにエステルはその名を聞いた覚えがなかったので首をかしげた。

「セシリア、知り合いかい?」

 そうヨシュアに問うと、小声でヨシュアに突っ込まれていた。『アルだよ!』というその小さな叫びにエステルは思わずあんですってー、と叫びそうになったが、寸前で堪えた。まさかアルシェムがここまで化けて来るとはエステルにも思えなかったからだ。つまりエステルも化粧をすればかなり化けるのではなかろうかと一瞬高望みをしたのは言うまでもない。




 アルシェムはどちらかと言うと化粧で化けるタイプだが面倒だから化粧しないタイプ。

 では、また。


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創立記念祭最終日・邂逅

 旧186話半ば~188話半ばまでのリメイクです。

 前話をもちまして30000UAを達成いたしました。ありがとうございます。


 エステル達と別れたアルシェムは案内された控室に少々仕込みを施すと、ロイド達がどうやってくるのかを知るために会場に戻った。すると――

「オーランド様、みっしぃ、みっしぃのケーキです!」

「お、落ち着けプラトニック。ほら、好きなだけ食べて良いから」

 という微妙な違和感を醸し出す二人組がいた。当然のことながらランディとティオである。オーバルカメラでぱしゃぱしゃとケーキの写真を撮る――振りをして周囲の客の顔を撮るティオ。黒服に注意されていたが、ティオの上目遣いの『駄目……ですか?』にやられた黒服たちはフィルムを没収することだけはしなかった。カメラは没収されていたが。

 なお、本日のランディの格好はかなりチャラい。髪と同じ赤色のスーツに、首元を大きく開けて金色の鎖のネックレスをつけている。それだけではなく煙草をふかし、サングラスまでかけているのだから大富豪のドラ息子というよりはただの不良にしか見えなかった。なお、髪は今日は束ねていない模様である。ワックスをつけてたっぷり膨らませているあたりがもう何とも言えないほどチャラかった。

 そしてティオはというと、いつもとは違って黒は着ていなかった。若草色のドレスに身を包んでいたのだ。大人っぽい、というわけではなく可愛らしい。胸元から腹にかけて細いリボンで編上げてあり、おへその中心辺りで止まっている。そのあたりから若草色の布地が分かれ、白いレースがフリル状に膝が隠れるくらいまで広がっていた。足は若草色の革のパンプスで包まれていた。

 更に袖は姫袖になっており、薔薇の紋様があしらわれている。首元にはそれに合わせるように薔薇のネックレスをつけ、その薔薇と合わせるように髪は後頭部で全てまとめられて小さな薔薇のピンとミニハットで飾られていた。何故か伊達眼鏡をかけているが、それすらも薔薇の紋様があしらわれている。さしずめ薔薇の妖精と言ったところか。

 みっしぃに羽目を外しそうになっているティオを生暖かい目で見ながらアルシェムはランディに話しかけた。

「失礼ですけれど、どういうご関係ですの?」

「あれは俺の女だ。文句あるか? お嬢ちゃん」

 ねえよ、とアルシェムは思いながら腕に発生したじんましんをさすった。お嬢ちゃんなどと呼ばれるのに慣れていないというのもあるが、何よりも声色が気持ち悪かったのである。ナンパしてくる気ならば面倒だ――後で弁明をするのが。メイク様様、レンの化粧の腕万歳である。

 故にアルシェムはランディに気付かせる方法をとることにした。

「文句はありませんわ。ただ……どうしてもそういう関係には見えなかったもので」

「……ほう? それはどういう意味だ、お嬢ちゃん」

「お嬢ちゃん呼ばわりは止めて下さる? わたくしには『エルシュア』という名がありますわ、戦の申し子殿」

 その答えにランディは動揺したかのように手にしたグラスを揺らしたが、すぐにアルシェムと目を合わせた。顔かたちなどからアルシェムの正体を探っているようだ。もっとも、他人に見えるレベルの化粧といえど特殊メイクではないので見る人が時間をかけてじっくり見れば誰なのかは分かるレベルである。そして、ランディは見て分かる方の人種だった。

 目を細め、そして小声で問うランディ。

「……アル、か?」

「断言して下さる方が女としては嬉しいですわよ、オーランド殿」

 くすりと笑ったアルシェムに内心ドン引きしたランディは、動揺したままティオを呼び寄せた。

「プラトニック」

「何ですか、オーランド様……って。何とお呼びすれば良いですか、お姉様?」

 とてとてとやってきたティオが発した言葉に、今度はアルシェムが内心でドン引きした。何故にそこでお姉様と来るのか理解出来なかったからだ。イロイロと関係を疑われるような発言は慎んでほしいものである。

 とはいえ、答えを返さないわけにはいかないのでアルシェムはこう告げた。

「『エルシュア』ですわ、プラトニック嬢」

「そうですか。ではエル姉様とお呼……」

「死ぬほど面倒なことになるのでやめてくださいます? ガチ泣きしますわよわたくし」

 ティオが不穏な発言をした瞬間、アルシェムは思わずそう遮っていた。近くにリーシャがいたらどうしてくれる、と思いつつ気配を探り、そこに気配がないことに安堵した。今はまだ確証を持たせてはならないのだ。どうせ『エル』に戻れることなど有り得ないのだから、リーシャにも余計な期待を持たせる必要はない。『エル』は『死んでいる』のだ。

 アルシェムの答えに何かを感じ取ったティオは目を細め、次いでこう返す。

「ではエルシュアお姉様。また後で」

「ええ、また後で、プラトニック嬢」

 その目線の強さに、アルシェムは気圧されながらそう返した。恐らく帰れば謎の説教が待っているのだろう。そんな雰囲気をティオは醸し出していたので。視界の端に金髪ドリルの女性に連れられた眼鏡の青年を見つけたところで、アルシェムはその場から撤退することにした。青年はともかく、金髪ドリル――マリアベル・クロイスに見つかるのが面倒だからだ。

 アルシェムは『エル・ストレイ』としてリーシャの前でつけていた仮面を取り出し、その場から抜け出した。誰も追ってくる気配がないことを確認し、視線のない場所で仮面をかぶる。そこで、唐突に声が聞こえた。

 

『ミツケテ』

 

 その、声が。その響きが。それに含まれる感情が。全てがアルシェムを苛んだ。足先から凍り付いて行きそうな感覚を味わいつつ、アルシェムは気配を消したまま進む。進むしか、なかった。その声にアルシェムは気づかされてしまったからだ。ずっと目をそむけて居たかった事実を、受け入れることしか許されていないことに。その声は。どこか懐かしささえ感じるその、声は。

 

 紛うことなく『アルシェム・シエル=□□□□□□』の運命を指し示していた。

 

 道を違えることは赦されない。抗うことは赦されない。ただその声に従い、その声のために生き、その声のために死ぬ。それしか赦されていないのだということを、その声は指し示していた。無条件にアルシェムを従わせるその声に――しかし、彼女は抗おうと試みて。心臓が、軋むのを感じた。耐えがたいほどの痛み。胸を押さえて痛みを和らげることすらできない。そのせいで隠形が解けようとも、アルシェムは立つことすらままならなかった。

 故に――彼女が取る方法は、それを凍りつかせることだった。心臓の痛みが動きを阻害するというのならば、痛みなど凍りついてしまえば良い。必要ないものは、容赦なく切り捨てられる。切り捨てなければならない。『アルシェム・シエル』がただの個人になるためには、必要のないものなど切り捨ててしまわなければ生きていられない。

 そして、一時的に痛覚を凍結させたアルシェムは目の前を見知った気配が通り過ぎるのを見過ごしていた。気付いたのは出品されるモノがある部屋を警備していた黒服が倒れた時だ。それで、何者かが侵入していることに気づき――気配を読んでそれがリーシャ・マオであることを知った。彼女は品物を物色し、たった一つ愉快なものがあるのを見て眉を顰め――それを持ち出そうとした。

 それを反射的にアルシェムは止めてしまった。

「そこまでしろと、誰が頼んだ?」

 声色は『エル・ストレイ』と同じもので。ただし格好は普通に女性なのでさぞリーシャは困惑したことだろう。彼女は息をのみ、眉を顰め、そして探るような視線をアルシェムに向けて送ってきたのだから。

 声も随分と動揺したものになっていた。

「き、貴様は……女装の趣味でもあるのか?」

「ねーよ!」

「そ、そうか……いや、うん……その……趣味は人それぞれだからな……」

 黙れ、と思わず怒鳴りつけそうになったアルシェムだったが、そこは足元の黒服を起こさない程度の理性を働かせている。近くにあったクッションをリーシャに向けて投げ、そして低い声で告げた。

「間もなくここに特務支援課の連中が来るだろう。彼らを五体満足でこの建物から出られるようサポートしろ」

「……報酬は?」

「児童連続誘拐事件。それを調べれば、『エル』のことが多少なりとも分かるだろう」

 リーシャはアルシェムの答えに息をのみ、首肯してその場から姿を消した。隠形で影からサポートするつもりらしい。そこにロイド達がやってきた。どうやら彼らも出品されるモノを見に来たようだ。そこに佇んでいる仮面の女を見て困惑しているようだった。

「あの、貴女は……」

「とっとと中を見てきたらいかがかしら、この無自覚ハーレムキング」

「何で今罵られたんだ?」

 困惑するロイドに、仮面の女の正体が分かっているランディたちは早く中を検めようと提案した。そうでなくとも、長い間姿が見えなければ怪しまれてしまう。そう考えてのことだ。もっとも――その考えは中を見た瞬間に吹き飛んでしまうのだが。

 アルシェムには分かっていた。そこに、一つの気配があることに。その気配こそが今回の騒動を大きくする火種。これからのクロスベルの激動に注がれる油のようなもの。黄緑色の髪を持ち、黄金の瞳を煌めかせるニンゲンのようなナニカ。それがそこに在ることを、アルシェムは知っていた。否――あの声に、知っていなければならぬと強制されたのだ。

 そしてもちろん――その名を知っていた。

「キーアはねぇ、キーアっていうんだよ!」

 知ってるよこん畜生、とはアルシェムは洩らさなかった。ただ拳を握りしめただけだ。それを不自然に見せないように部屋の扉に近づき、外の気配を探って――そして、扉をぶち抜いた。

 それに困惑したかのようにランディが声を上げる。

「お、おい何してる!?」

「バレたんだってば。とっとと逃げるよ――そのクソガキ連れて」

 顔は勿論ランディたちには見せていない。仮面をかぶっていてもなお構造上隠せない口元の歪みすら、背を向けることで見せることはなかった。見せる必要がない。何故なら彼らは庇護対象であり、庇護対象を不安にさせるようなことはしてはならないからだ。全てが終わってからならば、いくらでも倒れられる。そこに危険が残されていない限りは。

 そう――どんな手段を使ってでも、この場からロイド・バニングス一行を逃がすのがアルシェム・シエルの役目である。故に、使えるモノは何でも使われる。たとえそれがアルシェムを傷つけるのだとしても。

 折角のドレスを血で汚し、守られるべき対象のロイド達に心理的に負担を与えながら道を切り開くアルシェムにティオがたまらず声を掛けた。

「ちょっと、自重してください!」

「出来たらいいですわねー、プラトニック嬢」

「何で棒読みなんですかこの馬鹿!」

 それが出来ないから、敢えて感情を乗せずに言葉を告げているだけである。アルシェムが自重すれば、一筋でも油断をすれば、ロイド達が傷ついてしまうかもしれない。キーアと名乗る少女を連れ、ここからロイド達が無傷で脱出することが絶対条件なのだ。そこにアルシェムが含まれていることなど有り得ないのだから、自重などしている場合ではない。もっとも、最後の一線だけは守り通すつもりだが。

 アルシェムはただ拳を振るっているだけ。それでも、彼女のその拳は狗共の頭を破砕するに十分。つまり――黒服の頭を粉砕することなど簡単だということだ。それに思い当たったロイドも声をあげた。

「あ、あの! 黒服は――」

「分かっていますわ、ニンゲンを殺す気など微塵もありません――というか気付いてないの、この鈍感」

「え?」

 アルシェムに横目でにらまれてロイドは怯んだが、それに怯えたキーアに促されるようにして歩を進める。どこかの部屋に隠れるなどということはせず、正面突破で彼らはハルトマン邸を後にした。

 ハルトマン邸の近くから邸内を窺っていたエリィが慌てて近づいてくる。

「ロイド! その子は――?」

「競売品に紛れ込んでたんだ! 詳しい話はあとにしよう!」

「なっ――わ、分かったわ!」

 エリィは一瞬絶句したが、それでもすぐに気を取り直してロイド達と共に走り始めた。既にロイドの頭の中にはエスコートしていたはずのマリアベル・クロイスのことなど残されていない。何故なら間違いなくマリアベル・クロイスは安全な場所にいるのであり、そもそも安否を気にする必要のない人間だからだ。今ロイド達が生き残るためには必要な人物ではないが故の忘却。

 ただし、ロイド達が逃げるために必要になるであろう船は、ニンゲンの防衛反応に反することは出来なかったようである。ロイド達が辿り着くその前に、既に出港してしまっていた。

「船が……!」

「安心しなさいな、別に困りはしませんから」

 いつまでもどこで聞いているか分からない他人に向けて正体を隠し続けるために謎の口調を続けるアルシェムは、懐に忍ばせていた《ENIGMA》を取り出して通話を始めた。

「こちら吹雪。殲滅嬢の手を貸して下さらない?」

 その通信の内容がロイド達の耳に届くことはない。何故ならそれは承諾の意を伝えるだけのもので、ロイド達を助けるための妨げにはならないものだから。その妨げになるとすれば――

「……やっと追いついたぜ、てめぇら……よくも虚仮にしてくれやがったな?」

「あら、虚仮にしたくてしたわけではありませんわ――《キリングベア》ガルシア・ロッシ。たかが素手で熊を格殺出来る程度で通り名を貰える弱者が」

 その瞬間、妨げ――ガルシア・ロッシ率いる《ルバーチェ》のメンバーたちは言い知れぬ恐怖を覚えた。目の前のガルシアからすら感じたことのない濃密な殺気。その両拳から滴る血と、全身に浴びているその返り血の異様さ――そして、それを浴びてなお嗤えるその女の異常さに。

 アルシェムは腰を軽く落とし、構えを取って名乗った――とうの昔に捨て去った名前を。

「わたくしは――元《身喰らう蛇》所属、執行者No.ⅩⅥ《銀の吹雪》シエル・アストレイ。止められるものなら、止めて見せなさい」

 誰も動けない、否――動けない。一歩動けば殺される。それも、先ほどまでの狗型魔獣と同じように頭を一撃で粉砕されて。それを否応なしに理解させるような濃密な殺気の中で動けるのは小心者か、もしくは――

「――誰も動くんじゃねえぞ。アレは俺が始末する」

 守るべきものがあり、そのためには死地すら厭わぬ者。守るべき部下のいるガルシア・ロッシその人のみ。アルシェムはただ口角を上げ、軽く地を蹴ってガルシアの懐に潜り込んだ。それを本能で感じ取ったガルシアはそれにしたがって後退しようとして、すぐ背後に部下がいることに気付いて敢えてその攻撃を受けることを選んだ。そうしなければ、部下が自分の体重とアルシェムの打撃で圧死すると分かっていたからだ。

 アルシェムも分かっていて打撃を放った。ガルシアが避けないと分かっていたからだ。

「――あんたは強いよ、ガルシア・ロッシ。だけど、守るべきものなんてのは弱くなるための枷でしかない」

「てめぇ……」

「安心して、骨は折ってない。せいぜい二、三日血反吐吐く羽目になるくらいだから」

 それは普通に重症じゃねえか、とガルシアは思いながら意識を失った。そして、それと同時に《ルバーチェ》の構成員達も。アルシェムがやったのではない。彼らの背後から近づいていた魔性の女(男性)――ヨシュアがやったのだ。ガルシアが死んでいないことを確認し、次いでロイド達の方を向く。

 そこでようやく殺気から解放されたロイド達は彼女(男)を見ることが出来た。

「あ、あの……?」

「……気付いてくれないっていうのも変装の意味では良いんだけど、僕としては気づいて貰った方がその、気まずくないというか何というか……」

「しかたないんじゃない? ヨシュアちゃん」

 そのアルシェムの言葉に、ヨシュアちゃん言うな! というヨシュアの叫びが叩きつけられたのは言うまでもない。




 エリィのドレス姿はあまりにも顔が売れすぎているので無期限延期となりました。ご了承ください。

 では、また。


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創立記念祭最終日・脱出

 旧188話半ば~終わりまでのリメイクです。


 その後、殲滅嬢ことレンと、レンに依頼されたセルゲイがボートをチャーターして迎えに来てくれたおかげで脱出できたロイド達は、エステル達も含めて一度支援課ビルへと足を踏み入れていた。何にせよアルシェムのその姿に対する説明が必要だったからである――この期に及んで気づいていないロイドも含め。ロイドが鈍感なわけではない。ただ、着飾ることのないアルシェムがめかしこむとどうなるか知らなかったが故である。

 故に最初に発される問いはロイドからのものだった。

「で、結局君は……?」

 その問いにアルシェムは天井を仰ぎ、ティオとランディはやれやれと首をすくめ、エリィは複雑な顔をした。エステルとヨシュアに至っては苦笑している。その様子にロイドは困惑したが、分からないものは分からないのである。若干の既視感はあったものの、それが一体誰なのかは分からない。否――たとえ正体が分かったのだとしても、それが果たしてロイドの知っているアルシェムなのかどうかを判断することが出来ないのだ。

 その皆の様子を見ても察せていないロイドにアルシェムは言葉を吐き捨てる。

「えぇ……嘘でしょこの鈍感男。ガチで分かんないの? レン、化粧落とし頂戴」

「……屈みなさいこの馬鹿。折角のドレスをこんなにしちゃって……ほら、ヨシュアもこれで化粧を落としておかないとランディお兄さんに狙われても知らないわよ?」

 狙わねぇよ、と思わずランディは突っ込んだ。流石にそこまで命知らずではない。そんなイチャラブバカップルの間に入って馬に蹴られるような真似は流石にしたくなかったのである。エステル達が相当な手練れであることは分かっていたので。それに、今のヨシュアを狙えば男が好きかも知れないという誤解を与えかねないので。一応ランディはノーマルである。

 そんなランディを後目に、レンはアルシェムを屈ませて顔を優しく拭っていく。その間にアルシェムは髪を引っ張り、ヘアピースを外していた。その光景にロイドがぎょっとしていたのだが、二人は気にすることすらしない。こんなもの、日常茶飯事であったからだ。いきなり禿げるというわけでもないので別に驚きの光景でもない。いっそバニーヨシュアの変装を解く方が驚きの光景だろう――イロイロな意味で。

 目じりに引かれた蠱惑的なアイラインが剥がれ。瞼の上を彩る薄紫色のアイシャドウも拭い去られる。頬の上に乗っていたオレンジ色のチークも、淡いピンクのルージュも、全てがその布一枚で拭い去られて。徐々に表れるその顔は、やはり見覚えのあるはずの顔。ただ、それが本当にアルシェムであるとは信じられないだけで、そこにいるのはよく見知った顔だ。

 仕方なく世話を焼くレンの対応で『誰』なのか何となく掴めたセルゲイは、アルシェムに問う。

「そこまでして潜入する必要があったのか? アルシェム」

 そこまで、というのは正体がばれない程度の変装をして、という意味だ。女子は髪の長ささえ変わればほとんど別人に見える。別の自分になりたい、という願望で髪を切ることも、女の象徴ともいえる髪を伸ばすことで背伸びをしようともする。柔らかい印象を生み出すために髪をカールさせることもあれば、いっそ真面目な雰囲気を出したくて巻き毛を矯正することすらあるのだ。

 ある意味背伸びをしたアルシェムの姿は、いつもの数倍は蠱惑的に見えていた。そのメイクを剥ぎ、いつも通りに戻った彼女はいつものように言葉を吐く。

「ぶっちゃけ言って恨みしかないしねー。ま、結果的にこーいう人身売買的な証拠もつかめたし、もう《黒の競売会》は開催できないだろうから結果オーライってことで」

 首をすくめながらそう返したアルシェムにロイドは驚愕の顔を向けた。アルシェムの化粧後の顔は化粧前の顔と全く違っているように見えたからだ。もっとも、基礎部分は変装するか整形しない限り変えられないのでじっくり見れば一応気付けるかもしれないレベルではあったのだが。なおヨシュアは性別まで偽っていたので普通に誰も気づいてはいなかった。流石ヨシュアである。

 と、そこでヨシュアが口を挟んだ。

「それで、アル。君の持ってた招待状は《銀の吹雪》の分だったのかい? それとも――」

 その後の言葉が容易に予想出来たアルシェムは言葉を被せるように口を開く。というよりも、被せざるを得なかったともいう。ここにいる人物で、アルシェムが《星杯騎士》だと知っているのはティオとヨシュア達だけだからだ。今すぐに正体を明かすなどということになれば、今後の行動に差し障ってしまう。主に同じ《星杯騎士》に邪魔をされる可能性が上がるという意味で。

 故にアルシェムはおどけた口調でこういうのだ。

「それがなんと《怪盗紳士》の分だったりして……」

「はあ!? 何でよ!?」

 驚愕するエステルにそれはこうこうこういう理由で、と説明していたアルシェムは気づかなかった。今更隠すことでもないと思っていたこと――まだ、セルゲイには明かしていなかったコードネームをしれっと知られてしまったことに。確かにアルシェムは《身喰らう蛇》の《執行者》だった、とは明かした。だが未だ《銀の吹雪》であったことは明かしていなかったのである。それよりも隠さなければならないものを隠せたという時点で安堵してしまっていたのだ。

 《銀の吹雪》と呼ばれたことに対してを否定も肯定もしなかったアルシェムに対し、セルゲイは妙な納得と共にそれを真実だと確信させられた。

「そうか、やっぱりお前が――《銀の吹雪》だったんだな?」

「えっ……あ」

 確信を持って発されたセルゲイの言葉に面倒なことになりそうな予感がして、アルシェムは遠い目をした。この後何日それで潰されるだろうと思いつつ、溜息を吐く。どうせこの後にはダドリーあたりから《身喰らう蛇》の情報を提供すべく尋問があるはずなのだ。そこで明かされるよりは面倒ではないと言えば面倒ではないのだが、面倒なことに変わりはない。

 そのいかにも面倒だという雰囲気を醸し出すアルシェムの様子を見たセルゲイは、咥えていた煙草の煙を吸い込みつつ苦笑するしかなかった。その裏で、かつて共に少女を救い出した戦友が生きていてくれたことへの安堵を隠しながら。

 

 かつての部下ガイ・バニングスより託された遺言を、彼女に伝えなければならないという決意と共に。

 

 ❖

 

 殺されたロイド達。無残な死体。残酷なまでの赤と、白。千切れた四肢と、その身を染め上げる鮮血。首を落とされる。腕をもがれる。獣にかじられ、原形をとどめない状態にされる。殴殺、撲殺、刺殺、射殺、圧殺――ありとあらゆる殺害方法にて、殺される。尊厳を奪われながらの死。拷問の末の死。未来に起きうるすべての彼らの死。

 それらすべてを否定する。否定。否定否定否定否定――! そんなの赦さない。赦してやるわけがない。それが、彼女の役目。それが、彼女の成すべきこと。それが、彼女の存在理由。死なせない。殺させない。尊厳など、奪わせるはずがない。酷い過去を、現在を、未来をすべて否定する。有り得てはならない。そんなもの、可能性ごと砕いてやる。

 

 ――本当に?

 

 それだけの力があるのなら、何故救わなかった。何故彼の故郷は滅びた。《ハーメル》が滅びなければ悲劇など起きなかった。あの場所が襲われたというそのことだけで、何人の死者が生まれたと思っている。何故彼女は尊厳を奪われた。彼女の尊厳が奪われなければ、もしかしなくとも何人が助かったというのか。それらすべてに問いかける。何故、と。その理由はもう既に分かっていた。

 

 その道筋を選ばなければロイド・バニングスたち――□□□の大切な人達が幸せになれないから。

 

 故に彼らは煉獄の焔に焙られ、幸せという名の果実を実らせるための供物となる。幸せというモノは、不幸があってこそ感じられるものなのだ。故に、彼らの不幸は一部を除いて取り除かれている。そう――四人すべてが揃っている時以外の不幸は、そのままに。特務支援課としての不幸は軽減して。特務支援課であれば幸せだという事実をより強調するように。それは、□□□の望んだ世界。全てが叶う、幸せな場所。

 だから□□□はロイドに救われたいがために自らを救ってくれたであろうガイ・バニングスの死に介入しなかった。□□□をいとおしんでくれる母親のようなエリィにとって、過去の象徴である憧れのアーネスト・ライズは犯罪者となった。□□□を慈しんでくれるランディとティオをクロスベルに釘付けにするために『彼女』を使った。

 

 全ては『特務支援課』による救いを求めるが故に。

 

 そして、現状を鑑みるに最早『彼女』は必要ない。故にここからは全て『彼女』への悪感情を溜めさせ、追い出さなくてはならない。何故なら『彼女』は『特務支援課』の一員ではないのだから。『彼女』はただの駒。誰からも必要とされずに死んでゆけばいい。それを見ながら愉悦に浸るのだ。『彼女』は『私』ではないと。だから、幸せなのだと。そのために生み出した駒だ。

 タイムリミットは『私』が《□□》になる直前まで。そこまでに排除できなくとも問題はない。殺せばいいのだから。自分で置いた駒をどうしようが自分の勝手である。そして、幸せになるのだ。ただのおんなのことして。

 

 それこそが、彼女の願い。普通の女の子になりたいと願った、□□□の――

 

 ❖

 

 《黒の競売会》解散に貢献した元犯罪者に対する仮司法取引について

  (部外秘、コピー厳禁、デジタル化厳禁、厳重に保管のこと)

  製作者:アレックス・ダドリー

 

 先日、クロスベル自治州内では違法行為を働いていない秘密結社の構成員二人の協力により《黒の競売会》の違法性を証明することに成功。司法取引――なおエレボニア帝国とカルバード共和国に知らせることはしない――とともにクロスベル自治州民となる契約を交わす。司法取引には、下記の秘密結社の情報が使われた。

 二人の証言をもとに、ここに秘密結社《身喰らう蛇》について分かったことを記す。

 まず、《身喰らう蛇》の頂点に立つ人物――盟主と呼ばれる人物について。本名は不明、性別は声から判断して女である。時に未来を推測しているかのような発言をすることがある。《外の理》――何のことであるのかは二人も理解していない――で作られた武器を部下に授けることがあり、元構成員《殲滅天使》(後述)にも大鎌を渡している。まず目的すら不明のため、何に注意すべきかも不明。

 その下に八人の《使徒》がおり、さらにその下には二人の知る限りでは十四人以上の《執行者》がいるらしい。詳細の分かる《使徒》及び《執行者》について下に記す。

 

 第二柱《蒼の深淵》ヴィータ・クロチルダ。妖艶な美女であり、歌手として活動していることもあるらしい。鳥のような生物など、にわかには信じがたいものを使役する。

 第三柱《白面》ゲオルグ・ワイスマン。ノーザンブリア出身、元封聖省所属。かつて《最悪の破戒僧》と呼ばれた人物でもあり、既に死んでいる人物。外道で狡猾。彼によって《身喰らう蛇》に入らざるを得なかった構成員(後述)も多数いるらしい。

 第六柱《(通り名は不明)》F・ノバルティス。《殲滅天使》の使役する巨大人形兵器やその他人形兵器の量産に関わる男。二人の証言によるとただの変態ド腐れ野郎。機械系統にはめっぽう強いため、注意が必要。

 第七柱《鋼の聖女》アリアンロード。《鉄機隊》と呼ばれる部下を持つ。何故《結社》にいるのかわからないほど清廉潔白な女性。年齢不詳。槍の達人であり、普通の方法ではその槍を防ぐことは出来ない。《鉄機隊》にはハルバードを得意とする《剛毅》のアイネス、超絶的な弓の使い手《魔弓》のエンネア、そしてかのアリオス・マクレインと互角かそれ以上と言わしめる《神速》のデュバリィの三人が所属している。

 第一柱、第四柱、第五柱について分かっていることはほとんどなく、面識もないとのこと。《使徒》について分かることは以上である。

 

 次に、《執行者》についての情報を記す。

 《執行者》No.0《道化師》カンパネルラ。彼について分かることは性別くらいであるが、しいて言うならば攻性幻術の達人であることが挙げられるらしい。幻術というモノが存在するのかどうかはさておき、厄介な人物であることに変わりはない。もっとも、味方からも『信用はナンバーと同じくらいある(要するにない)』『UMA』『ある意味変態(幻術のせいなのか不死身に見える)』と評されている。緑色の髪の少年の姿を好んで使用している模様。

 《執行者》No,Ⅰ《劫炎》マクバーン。物理的にどうやってと問いたくはあるが、炎を操る魔人であるらしい。性別は男。『混ざっている』らしいが、一体何がどのように『混ざっている』のかは不明。

 《執行者》No.Ⅱ《剣帝》レオンハルト。既に結社からは脱している男。剣を操る。マクバーンよりは弱いそうだが、それでもかの《剣聖》カシウス・ブライトでも勝てるかどうか疑問視されるほどの腕前。なお現在では妻帯者である。《リベールの異変》における敵対者であり、同時に解決の功労者でもある。《白面》による被害者の一人。アッシュブロンドに象牙のコートという姿で以前は行動していた。

 《執行者》No.Ⅵ《幻惑の鈴》ルシオラ・ハーヴェイ。彼女もまた結社からは脱しているらしい。現在の居場所は不明。幻術の使い手らしい。彼女についての詳細は遊撃士シェラザード・ハーヴェイに聞けば分かるとのこと。青色の髪で、露出した格好を好むとのこと。

 《執行者》No.Ⅷ《痩せ狼》ヴァルター。《泰斗流》をもとにした暗殺拳の使い手だった。既に死亡。《リベールの異変》に関わった人物らしい。『ただの筋肉ダルマ』と言われているが、それなりの強さを誇る男であったのは間違いない。彼についての詳細は遊撃士ジン・ヴァセックもしくは《泰斗流》免許皆伝《飛燕紅児》キリカ・ロウランに聞けば分かるとのこと。サングラスに煙草を吸ったガタイの良い変態らしい。

 《執行者》No.Ⅸ《死線》クルーガー。今現在では活動しているといううわさは聞かないらしい。女性。ワイヤーを使うらしい。暗殺集団の一員だった可能性があるとのこと。

 《執行者》No.Ⅹ《怪盗紳士》ブルブラン。元帝国貴族であり、奇術を使って他人を惑わすことが多い。希望に満ち溢れる者を絶望に叩き落した瞬間が一番美しいとのたまう男。最近クロスベルに出没したらしいので、注意が必要。本来の姿は青色の髪に仮面をしているらしいが、それが素顔なのかどうかは不明。、

 《執行者》No.ⅩⅢ《漆黒の牙》ヨシュア・アストレイ。既に結社から脱し、現在は《剣聖》カシウス・ブライトの養子ヨシュア・ブライトとして遊撃士となっている。双剣を扱い、合理的な思考能力を持つ。《白面》による被害者の一人。

 《執行者》No.ⅩⅤ《殲滅天使》レン。既に結社から脱し、現在戸籍上では後述の《銀の吹雪》の妹ということになっている。大鎌を扱い、特務支援課に協力する意向を示している。

 《執行者》No.ⅩⅥ《銀の吹雪》シエル。本名はアルシェム・シエルであり、特務支援課の一員。結社から脱したのは《リベールの異変》後であり、《執行者》→準遊撃士→《執行者》→特務支援課という特異な経歴を辿っている。主な武器は導力銃だと本人は言っているが、カシウス・ブライトに指示していた影響か棒術を扱える。また、剣もそれなりのレベルである。正直にいって意味不明な人物。

 その他の《執行者》No.Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ、Ⅶ、ⅩⅠ、ⅩⅡ、ⅩⅣあるいはそれ以降のNo.を持つものについては詳細が分かっていない。

 

 また、《執行者》ではないがその下の訓練生で素性の知れている人物について記す。ギルバート・スタイン元リベール王国ルーアン市市長秘書。彼はいかなる理由か、《身喰らう蛇》と接触し、訓練生として動いている模様である。

 

 以上の内容により、元執行者《殲滅天使》レンと元執行者《銀の吹雪》シエルことアルシェム・シエルの罪を減じ(もっとも、彼女らがクロスベル自治州内に置いて罪を犯したことはない)、今後も特務支援課の監視の下に自由行動を許可せしむるものである。

 

 ❖

 

「……こんなところか」

 ダドリーは盛大な溜息を吐きつつ報告書を書き終えた。そこに記されている情報は確かに有益ではあるが、ダドリー個人で扱うには荷の重すぎる案件である。もっとも、これを提出する先というモノもないのだが。特に警察の上層部に知られれば何が起きるか分かったものではない。ダドリーとしてはアルシェムがどうなろうが知ったこっちゃないが、レンに関しては別だった。

 既に彼は聞いているのだ。レン・シエルと名乗るようになった彼女が、もともと誰であったのか。その彼女が、いつか家族の元へと戻れるように――何に巻き込まれたのかも知っての上で――尽力したいと思っている。何故なら彼女が元々クロスベル自治州民で、守るべき民であるから。そう――何があっても、守らなければならないのだ。ここクロスベルで、レンという存在を。この報告書はレンの身分を保証すると同時に、彼女の自由を奪う可能性のある書類だ。

 故にダドリーはこの書類を信頼のおける仲間にしか見せなかった。信頼できない仲間に見せれば何が起きてしまうのかは自明の理だ。商売人の中にはハロルド・ヘイワースが邪魔な人間だっている。そんな人間に利用されないように厳重に保管しておく必要があるのだ。ただでさえ今は《黒の競売会》の後始末に追われている。いつもよりも厳重に保存しなければならない。

 

 ――彼は気づかない。自らの思考の矛盾に。

 



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閑話・インターミッションあるいは女の戦い

 旧189話及びインターミッション編のリメイクです。


 《黒の競売会》の破滅から一週間。特務支援課の一同は謹慎を命じられていた。と言っても罰ではない。下手に外出すれば危害を加えられる可能性があったからだ。《ルバーチェ》をはじめとする裏社会の人間達に、《黒の競売会》の報復と称して。もっとも、化粧した姿でしか姿をさらしていないアルシェムやここ一週間の間に正式に特務支援課所属となったレンは別であるが。

 特に報復に気を遣わなくて良いレンが買い出しを担当し、一応特務支援課の一員として顔が売れてしまっているアルシェムに関しては遊撃士たちが対応しきれない手配魔獣を深夜に狩りに行く生活を続けていた。しかし、外に出られる分アルシェムにストレスがたまらないかと言われればそれはまた別の話で――

 現実逃避を止めたアルシェムは、うんざりとした顔で腰のあたりに抱き着いている少女を睨みつけて洩らした。

「……いい加減うざいんだけど、このクソガキ」

「えーっ、キーアもコーヒー飲む!」

 そういうことが言いたいんじゃねえよ、とでも言いたげにアルシェムは久々に自作した全自動コーヒー淹れ機と全自動紅茶淹れ機の前で溜息を吐いた。ところ構わず抱き着いてくる少女――キーアに辟易としていたのである。確かに最初から相容れないだろうと分かってはいた。アルシェムが我慢すれば丸く収まる話だとも思っていた。それがどうだ。

 無邪気に笑いながら熱湯を持っているアルシェムに抱き着くキーア。今から料理を始めようとするレンにまとわりつくキーア。今から出かけるというのに涙目になって引き留めようとするキーア。どこに行ってもキーア。支援課ビルの中では常にキーアの声が響いていると言っていい。正直に言って子供に怖がられることに定評のあるアルシェムでは、対応しきれるものではなかったのである。

 いくら無邪気な子供を装っているとはいえ、これはひどい。というよりも鬱陶しい。そしてそれをロイド達が赦しているということ自体に気持ち悪さすら感じるのだ。何をしても怒らない。何をしてもデレデレととろけた顔で面倒を見る。何をするにも、どこにいようがキーアが優先される。その事実に嫉妬しているわけではないが、違和感を覚えることだけは確かである。

 子供だから何をしても良い、というのは嘘だ。アルシェムはそれをよく知っている。子供でも他人を殺すのはよくない。他人に危害を加えるのもいけない。他人に迷惑をかけてもいけないし、我が儘だけを言って困らせて良いわけでもない。ものには限度があるのである。その限度を知って、子供は大人へと成長していくのだ。――もっとも、その限度を思い知り過ぎた子供がまともな大人になれるかと言われると答えは否であるが。

 それはそうとしても、我が儘をそのまま赦すのはどうか。しかし現にアルシェムは、エリィから小言を言われているのである。

「もう、アル! キーアちゃんは子供なのよ?」

 腰に手を当てて怒るエリィは、まるで保護者のようだ。確かに保護責任者ではあるのだが、キーアについての責任を全て負っているわけではない。現にキーアがやらかしたことに対してはただ甘やかすだけ。怒ることもなく、注意すら怠っているのである。その内注意くらいはするようになるのだろうが、子供の言い分を全て信じ込むあたり保護者としては適当ではない。

 故にアルシェムはこう返した。

「だからって熱湯をコップに入れた時点で抱き着いてくる危険物に気を遣う気はねーよ」

 危険だ、とアルシェムが返せばエリィはヒステリックに返答する。

「そこはアルが気を付ければ良い話でしょう?」

 いや、それが出来るのは一部の人間だけだから、とはアルシェムは言わないでおいた。こういう面倒な説教が始まった場合、言い返した時点で負けなのだ。黙ってお説教が終わるまで大人しくしておくに限る。そうすれば全てが丸く収まるのだから。そう、しなければならないのだから。アルシェムには、それに対して何かアクションを起こすことなど認められていない。たとえ起こしたところで説教の時間が長くなるだけなのだ。それをアルシェムはよく知っていた。

 要約すれば、こうだ。アルシェムはいい年をした大人なのだから、キーアに気を遣うべきだと。キーアはまだ子供なのだから見守るべきなのだと。人身売買に遭うところだった少女を甘やかして何が悪いのだと。アルシェムにしてみればそれがどうした、である。確かにいい年をした大人――エリィが思っているより千数年ほど年上――ではある。だが、それと危険な行為をする子供を叱らないのとは別の話だ。

 エリィからの小一時間の説教を聞き流したアルシェムは、料理を終えて運び終えたレンにみられているのを感じた。どうやら食事の始まりを待たれていたらしい。今日のメニューはスコーンと紅茶もしくはコーヒー。付け合せのジャムはエリィ手製のものもあれば、レンが新しく作り直したものもあるようだ。先に食べておけばいいのに、と思えば彼女から声がかかった。

 ただし、その声が向いているのはアルシェムではない。エリィだ。

「エリィお姉さん、折角の紅茶とスコーンが冷めちゃったんだけど」

 その冷たい声にエリィは我に返った。自分の説教のせいで折角レンが手作りしてくれたスコーンが冷めてしまっている。怒らせたのはアルシェムで、悪いのもアルシェムなのでエリィ自身が悪いわけではない。しかしレンの作ってくれたスコーンにはそんなことは関係ないのである。食べ物には罪はないのだ。たとえキーアを毛嫌いしかけているレンが作ったのだとしても。

 レンに対して罪悪感を覚えたエリィは素直に謝った。

「あ、ご、ごめんなさい……」

「……まあ、良いわ。温め直してくるから、それまでにそのくだらない会話を終わらせておいてね」

 くだらないって何よ、とエリィは言い直そうとして呑みこんだ。何故ならこの会話はことあるごとに繰り返されているからだ。もう何度も繰り返した会話であり、いつも結論は同じ場所へとたどり着く。アルシェムが、キーアに自分から関わらないでいれば良い、と。そう言って居間から出て行ってそのまま部屋へと籠ってしまうのだ。むしろ今まで食事の時になれば居間に戻ってきていたのも奇跡のようなものである。

 アルシェムのせいでここ数日の特務支援課の雰囲気は最悪だった。少なくとも、エリィはそう思っている。キーアにも非はあるのかもしれないが、アルシェムの方が年上なのである。そこは譲ってあげるべきなのではないだろうか。もしくは優しく諭してあげる、だとか。幼少のとき、あまり構って貰えなかったエリィとしてはキーアくらいの年ごろの子供を見れば甘やかしたくなるのである。

 それはもしかすると、ロイド達も同じであったのかもしれない。警察官としての職務があったためにあまり頻繁には兄ガイに構って貰えなかったロイド。忌まわしき《D∴G教団》のせいで素直に両親に甘えられなくなり、家を飛び出すようにしてクロスベルに来たティオ。そもそも猟兵生活をしていたせいで殺伐としており、甘えが許される世界にはいなかったランディ。彼らもまた、自分が甘やかされなかった分キーアを甘やかしてやりたかったのかもしれない。

 それぞれが思うところのある気まずい空気の中、口論の間待っていたロイド達――もっとも、ただ待っていたわけではなく存分に口ははさんでいたわけだが――は食事を始めた。キーアに関すること以外では、誰も口を開くことはない。ただ、記憶喪失だというキーアのために出来ることをという会話をしたのみだ。そろそろ外出しても危険は少なくなっているだろうというセルゲイの判断の下、キーアを連れて病院やクロスベル大聖堂を当たるということで話はまとまった。

 そこでアルシェムは口を挟んだ。

「――ま、それはどうでもいいとして」

「どうでも良いって何だよ!?」

 ロイドの気色ばんだ様子に言葉選びを失敗したことを悟ったアルシェムは、内心で溜息を吐いてつづけた。

「……あーはいはい、重要なことね。それはそれ、これはこれ。そろそろ遊撃士の方が手が回らなくなってるらしいし、そんなぞろぞろいらないでしょ、付添いなんて」

 正直に言ってどうでも良い。アルシェムにとってのキーアなどどうでも良いことだ。たかが子供――ただの子供ではないにせよ――のためだけに、クロスベル市民を蔑ろには出来ない。遊撃士の人手が足りないというのは前々からわかっていたことで、いくらリベールの若手二人が加わろうがそれを完全に解消できたわけでもない。一応《黒の競売会》でのエステル達の面が割れていないので多少は楽なはずだが、それでも苦しいことに変わりはない。

 故にそれを手伝う、と言っているのだが、ロイドはそれを額面通りに受け取ることはなかった。

「……正直に、キーアと一緒にいたくないって言ったらどうなんだ、アル」

 ロイドの厳しい視線に、アルシェムは色々と諦めた。どうせ言ったところで言い訳にしかならないと分かってしまったからだ。

「……もー、面倒だからそーゆーことにしとけばいーよ……」

 盛大に溜息を吐き、アルシェムは装備を整えに自室に戻った。その間にロイド達はキーアを連れてクロスベル大聖堂へと向かったらしい。セルゲイからそう聞かされたアルシェムは興味なさそうにふーん、とだけ洩らして外に出る。レンはロイド達について行った――などということはなく、アルシェムの隣でただ黙ってついて来ていた。レンはキーアの正体が分からない限り近づく気もなかったのである。故にアルシェムの近くにいることを選んだ。

 レンはアルシェムに向けて口を開く。

「……支援要請が一件。手配魔獣だけど……アルに任せましょうか?」

 心底心配そうなレンの顔に、アルシェムは毒気を抜かれたように苦笑した。レンに心配されるほどに自分に余裕がなくなっていることに気付いたからだ。余裕がないのは分かっていたが、心配を掛ける程だとは思っていなかった。

 ばつが悪そうにアルシェムはレンに返す。

「いや、その……うん。ちょっと、イラついてるから狩ってくる。ついでによるところがあるから待っててくれると嬉しいかな」

「そう、分かったわ。なら、レンは街の様子を見ながら困ってる人がいないか探すわね」

 そう言ってレンは支援課ビルから離れて行った。それを幸いとレンに八つ当たりしたくなかったアルシェムは手配魔獣のいるジオフロントへと足を向ける。手配魔獣自体はどうでも良いのだが、それ以外にも確認しなければならないことがあるからだ。前回確認しに行った時には何も異常はなかったが、念のためである。その場所とは――以前、アーネスト・ライズがねぐらとしていたあの部屋である。

 部屋の中をぐるりと見回して、アルシェムは一言つぶやいた。

「……増えた?」

 アルシェムの目の前に広がる光景には、何ら変わりはない。しかしアルシェムの感覚は、確かにそこにあの薬の気配を感じ取っていた。既に薬風呂は中身を含めて処分してあるはずなのに、である。しかもその所在地は上の方であり、この部屋の中には存在しないことを示している。しかも複数だ。眉を顰め、それがどういうことなのかを考えて――アルシェムは目を見開いた。そんな、まさか。

 目をかっぴらいたまま、アルシェムは自分の感覚を信じられなくなって叫んだ。

「嘘だろオイ!?」

 思わず荒い口調になってしまったのも無理はない。以前まで彼女が把握していた分の気配だけではなくなっていたのだ。ジオフロント内の端末室へと駆けこみ――その途中にいた手配魔獣は粉砕された――その端末を利用してクロスベル自治州内の全ての情報を読み解く。それはただの電子上の情報だけではない。そこにいる人間の気配を無理やりに読み取って――猛烈な頭痛と共に、アルシェムはそれを確認した。

 

 そこらじゅうに広がる、《真なる叡智》の気配を。

 

 薄く、広範囲にわたって在るその気配。《真なる叡智》と呼ばれたその薬の、気配。それが――まるで蜘蛛の巣を張り巡らせているかのように散らばっていたのだ。それも数人という規模ではない。数百人、否、もしかすると千人はくだらないかも知れない規模で広がっている。その理由をアルシェムは見逃していた。否――分かっていて、否定していた。そんなことをするはずがないと。

 否定しようがしまいが現実は変わらない。問題は、何故クロスベル自治州民全体に《真なる叡智》が蔓延しているか、だ。だが、アルシェムはその分かりきった理由を否定したくてたまらなかった。そんな外道がいるわけがないと。《D∴G教団》はどう考えても外道の集団だったというのに。平和で安穏とした空気に浸かり過ぎたのか、それを否定したくてたまらなかったのだ。

 自らの感覚を否定するために、アルシェムはその場から跳び出して森へと向かった。《メルカバ》の置いてある森だ。あの端末よりも数倍性能のいい端末を使えばそれが分かるはずだ。《叡智》に侵された人間が、クロスベルにどれだけいるのかを。そして――それを、確認した。

 アルシェムは自虐的にそれを口にする。

「はは……知らぬは観光客ばかりなり、とか……ないわー……」

 そうだ。当然なのだ。ここクロスベルにおける病院は一つしかない。小さな診療所ならば数か所程度はあるかも知れないとは思うが、それもできて応急手当だけ。オーブメントなどという便利なシロモノが普及している今、それで小さな怪我程度を治せるのに診療所が必要となるわけがなかった。故に病気の治療はと言えば聖ウルスラ医科大学病院で。そこで出される薬の中に少しずつそれが紛れ込んでいるのならば、クロスベル自治州民全員に多少はあってしかるべきだったのだ。

 無論、程度はある。基本的には『その』効果を実感できるほど摂取している人間はいない。むしろ抜けていることの方が多い。だが、クロスベルにはかつてより『不幸な』事故が多く起きていた。つまりはその被害者は多いのである。そう――大手術を行わなければならなかった人間や、投薬による治療を続けている人間。つまりは、大量に薬を使うことのある人間だ。それらの人間が、どうして《叡智》の影響下にないと言えよう。

 

 そう――クロスベル自治州は、とうの昔に《真なる叡智》に侵されてしまっていたのだ。

 

 そう考えれば、イロイロとつじつまの合うことは多い。何故クロスベルでネットワークなどというモノが広がったのか。金融関係の支社がクロスベルに出来ているのはなぜか。たかが自治州の銀行なのに諸外国からの預金が集まっているのは何故なのか。クロスベル自治州民の商談が、大きな損害を被るほどに破談になったことがないのはなぜか。

 要は、情報なのだ。情報さえあれば、それらすべてを第六感が導いてくれる。こうすれば上手く行く気がする、という予感と共に成功を収めることができる。たとえ失敗したとしても、生存本能が最低限のラインで破滅しないようにフル回転する。不幸な事故は確かに多い。だが、その分の『幸せ』――もっとも、それを何と呼ぶのかは人それぞれだが――がもたらされていることは間違いないのだ。

 それを因果応報、と東方の言葉でいうらしい。だが、その因果は作られたもので、引き寄せられたものだ。不幸な目に遭っただけ『幸せ』あるいは『成功』が舞い込んでくる。不幸な記憶の方が印象に残りやすいが故に露見しない真実。それはつまり、クロスベルの全てが《真なる叡智》によって支えられているという現状。それが果たして正しいことなのか、アルシェムには判断することが出来ない。

 それでも――彼女は立ち止まることを赦されてはいない。ただ先に進み、その果てに□□となることを望まれている。ただ、それだけのために生きるしかない。それが嫌で、叛逆するために足掻いて――それでも、まだ、彼女にはその道から抜け出すことは出来ていないのだ。抜け出すことが果たして正解なのかどうかすら、分かっていない。

 だが、アルシェムは決めた。

 

 たとえ何が起ころうとも――全てを、零になどさせはしないと。

 

 ❖

 

 ――邂逅した。自らの運命を変えるための駒に。全く以て気が合う気もせず、自らの持つ『□□□□』能力も効かず、□□□が□□であろうとも手加減することはない。ただ、計画のために必要なものが何故自分と『合わない』のかが全く以て理解出来ない。彼女の感情が、彼女の意志が、彼女の思惑が分からない。何もかもが分からないことばかりだ。

 それでも、□□□は彼女の意志など切って捨てる。それは□□□の幸せには必要のないものだからだ。ただの代替人形。それに感情も意志も思惑も必要ない。ただ道具でさえあればいいのだ。最終的に□□□が幸せになるために。何かを犠牲にしなければ幸せになれないことなど、分かりきったことだからだ。誰かの幸せは誰かの不幸せの上にしか成り立たない。ならば、□□□は彼女の不幸せの上で幸せになる。切り捨てられるのは自らが作った道具と関係のない人たちだけでいい。

 □□□はそっと呟いた。

「……大丈夫。今度こそ、失敗なんてしない」

 数多の世界で、数多の好きな人達が死んでいった。それを救おうとして失敗したのは恐らく、誰も犠牲にしたくなかったからだ。犠牲さえ受け入れれば結果はついてくるというのに。それでも誰も犠牲にしたくなんかなくて、だからこそ□□□は彼女を造った。自らと同じようにただのツクリモノとしてではなく、数多の□□□の願いを束ねて。

 

 彼女を――《□の□》□□□□□・□□□=□□□□□□を、造った。

 

 それは確かに□□□の所有物であり、人形であった。故に□□□の自由にしていいものなのだ。□□□□□・□□□□も言っていたではないか。お人形さんを好きにして何が悪い、と。□□□は悪くない。悪いのは、□□□に不幸せを押し付けてくる世界の方なのだ。だから□□□が悪いなどということはあるわけがない。理不尽に苦しめられているのは□□□なのだから。

 □□□がいたからロイド・バニングスは、エリィ・マクダエルは、ティオ・プラトーは、ランディ・オルランドは殺される。尊厳を奪われ、無残に刻まれ、名誉を地に堕とされ、あるいは撃たれ、殴られ、蹴られ、轢かれ、潰され、突き落とされて。原形をとどめていないことなど珍しい。いつもいつも、誰だか分からないほど無残な状態になって殺される。それは□□□のせいで、□□□を守ったからこそそうなった。それが嫌だから□□□はやり直した。

 何度も何度も繰り返して。やっとわかったからこそ□□□は彼女を造った。だから、今度こそ幸せになれるはずなのだ。たったひとりの、ただの女の子として。《□と□の□□》、《□の□□》□□□としてではなく、ただの女の子として。

 

それが、彼女の望んでいること。

 



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~忍び寄る叡智~
現る影


 旧191話~192話のリメイクです。


 キーアが保護されたことによる混乱が収まって、しばらくたったある日。支援課ビルには珍しい客人が訪問していた。といっても、訪問したことがない人物というわけではない。クロスベル警備隊の隊員二人――ノエル・シーカー曹長とリオ・コルティア軍曹である。彼女らは朝食前に来て、相談があるのだと言った。時間があるのならば付き合って欲しい、ということは厄介事を調査する必要があるということか。

 その疑問を解消したのは、言葉を飾る気すらなかったリオの言葉だった。

「ぶっちゃけ言ってね、戦力を貸してほしいんだ」

「ちょっ、リオさん!」

 ぶっちゃけすぎです、というノエルをよそに、リオはその概要を説明した。マインツのトンネル道を途中で逸れた場所にある《月の僧院》と呼ばれる遺跡についての話である。以前のウルスラ間道にある《星見の塔》と同じ状態になっているらしい――もっとも、アルシェムはその当時《真なる叡智》風呂に漬かっているころだったため概要すら知らなかった。

 説明を聞いてみれば、要するに上位三属性――空・幻・時属性のことだ――が働いた状態になっているとのこと。《星見の塔》の前例を考え、《鐘》の鳴動を止めればそれで解決する話だそうだ。そこを突破するためにノエルとリオとで頑張ってみたものの、少々厳しい状態だったとのこと。支援要請も含め、どう分担すべきかをロイドが考え始めた。

 しかし、その思考はレンに遮られた。

「悩む必要はないわね。図書館にはロイドお兄さんとノエルお姉さん、料理を作るのはエリィお姉さん、人探しはティオとランディお兄さんに任せて、月の僧院へはレンとリオお姉さんとアルが行けばいいもの」

「そ、その根拠は?」

 ロイドは狼狽して問うた。ある意味では適任だとは思うのだが、月の僧院に挑むにしては人員が少ないのではないかと。ノエルとリオだけでは足りなかったというのに、そこからノエルを引いてレンとアルシェムを足すだけで何とかなるものなのだろうか。確かにレンとアルシェムはかつて犯罪組織に属していたらしいというのは分かっているが、あまりにも危険すぎる気がする。

 しかし、レンはロイドの懸念を見透かしてこう答えた。

「ロイドお兄さんはクロスベル出身でしょう? なら面識のあるだろう図書館に回せば話が早く済むわ。ノエルお姉さんは手分け要員ね。この中で一番家庭的なのはエリィお姉さんだから、料理を作るのも得意なんだと思う。人探しなんてのはティオの十八番だろうし、人手がいるとしてもランディお兄さんならクロスベル大マラソンしてもまだ何とかなりそうだもの。月の僧院に関しては気にしなくて良いわ。もしリオお姉さんが足手纏いでも、レンとアルでなら魔獣に気付かれずに目的地まで行けちゃうから」

「そ、そうか……その、どうにもなりそうになかったら連絡してくれよ?」

「……分かったわ」

 今の間は何だ、とロイドは突っ込みたかったのだが、レンはアルシェムとリオの手を引いて玄関へと向かってしまった。玄関先には警備隊の車両が置いてあったのだが、鍛えているから必要ないと一蹴してノエルに押し付ける――この判断をノエルが感謝するのは数十分後である。何せ、ロイド達はクロスベルを一周することになってしまうのだから。

 そして、歩いてアルシェム達は《月の僧院》へと向かった。その間には当たり障りの会話があるかと思いきや、全員が沈黙している。レンから何かしらの質問が来てもおかしくない、とアルシェムは思っていたが、聞かれない限りは答えないことにしていた。レンはレンでリオが一体どういう状態なのかを考えるのに忙しかったので会話する気すらない。リオはリオで、先日アルシェムから報告を受けていたものの《殲滅天使》が共に歩いていることに違和感しか覚えていなかった。

 トンネル道を抜け、《月の僧院》を目視できる範囲まで来てやっとアルシェムが口を開く。

「……完全にコレって《影の国》化じゃないですかやだー」

「あれ、ロイド達と《星見の塔》潜ってないの?」

「行ってない。てーか、それどころじゃなかったって言わなかったっけ?」

 はて、とリオが考え込んだ横でレンが眉を顰めた。目の前の《月の僧院》から垂れ流される異界の気配に嫌というほど覚えがあったからだ。夥しい血の匂いと、うんざりするほどの怨念。これは恐らく――あの時と同じか、それ以上。しかも同質というオマケつきである。無意識に微かに歯噛みしたことにすら、レンは気づくことはなかった。

 微かに震える声でレンが問う。

「結局、ここはあそこと似て非なる場所だって考えて良いのね? アル」

「……分かっちゃうか。うん、そうだよ。似てるけど――こっちのほうが古くて悪辣だ」

「……そう」

 レンは唇を噛んで黙り込んだ。クロスベルに来た時から調べていたから、こういう事態になることも分かっていた。それでもなお抑えきれないのが感情で、それを乗り越えるためにレンはクロスベルに来た。全てを乗り越え、受け止められたなら――いずれ『両親』も受け入れられるようになるのかもしれない、と思って。彼らのしたことを聞いて、完全に赦したわけではない。それでも、レンは先へと進みたかった。とどまったままではいたくなかったのだ。

 だが、アルシェムはレンの沈黙を苦痛を耐えるためのものだと勘違いした。それ故――

「んじゃ、リオ――従騎士リオ、行って来い」

「ちょ、待――ブン投げないでよおおおおお!?」

 ブン投げた。それはもう見事にブン投げた。遠心力を使って投げられたリオは辛うじて法剣を取り出すことに成功し、鐘にそれを巻きつけて停止することに成功する。後で絶対に殴ってやる、と心に決めつつリオはその鐘の鳴動を法術で止めて地上へと飛び降りた。この程度――といっても5セルジュはあるが――ならば飛び降りても何ら問題はない。そういうふうに訓練したからだ。

 それを見てレンは我に返った。そして何してんだアイツら、と思いつつ言葉を漏らす。

「えっと……その、解決したってことでいいのよね?」

「うん、そうだね。念のために中を見て回っても良いけど、無駄だよ? 気配ないし」

 それでも職務上――無論、特務支援課としてのである――は確認しなければならない。血なまぐさい匂いを我慢しながら一通り見て回って、外に出たところでENIGMAが鳴った。それを耳に当てて通話ボタンを押すと、発されているのはロイドの声。どうやらマインツで何かあったようである。幸い、アルシェム達からすればマインツはかなり近いので、他の人員を拾っていくようロイドに告げて通話を切った。

 追いかけてくるロイド達のためにトンネル道から先の魔獣を殲滅しながらマインツに向かったアルシェム達は、そう言えばマインツ集合だというだけで誰が何を支援要請してきているのかを知らないことに気付いた。ロイドを待たなければならないことだけは確かである。そしてロイド達が来るには数十分ほど余裕があるはずである。アルシェム達は満場一致で早目の昼食をとっておくことにした。

 そして、昼食をとり終え、ロイド達と合流したアルシェム達はマインツ町長より聞いた情報をもとにクロスベル市内へと急いで戻ることになった。というのも、ガンツという名の鉱員がカジノに入り浸ったまま戻ってきていないというのである。カジノでただ負けているだけならばある意味良い、とアルシェムは感じているのだが、それを明かすことは出来ない。何故なら、アルシェムはまだ《真なる叡智》について知らないことになっているからだ。

 それでもアルシェムの口からは言葉が漏れた。

「……負け越してマフィアに連行か、もしくは勝ちすぎてマフィアに連行か……」

「いや、アル。ガンツさんって結構賭け事には弱いはずなんだ。だからあるとしたら負け越しの方だと思うんだけど……」

「普通に考えれば、ね。でも……残念だけどそうじゃない可能性も考えておいた方がいいかなって」

 そうじゃない可能性、というあたりで何を懸念しているか気付いたティオが顔色を変えた。まさかそんなはずはない、という思考と、アルシェムが何故ここにいるのかを知っているからこそ十分にあり得る、という思考が拮抗する。もしもアルシェムの予想が当たってしまっていたら――ティオは。それを、乗り越えなければならないのだ。

 ティオの顔色に気付いたランディがアルシェムに厳しい視線を送り、次いで眉を顰めた。何故今自分はそんなことをしたのか。そして、何故アルシェムの言葉が正しいと思えたのか。それを考えようとして――その思考が遮られる。

 ランディの思考を邪魔したのは、ノエルの声だった。

「どういうことですか? そうじゃない可能性って……」

「……あんたが知ってどうにかできるものじゃ……いや、そっか。警告は出来るわけだ」

 その一言一言がいちいち癇に障る。そう思いながらノエルはルームミラーでアルシェムを睨んだ。すると走行中にもかかわらずアルシェムは手元の走査手帳に何事かを書きつけてちぎっている。何をしているのだろう、と思いつつその行動を注視していると、アルシェムはその紙きれを懐にしまった。行動の意味が全くもって理解出来ない。

 ノエルが複雑な顔をしていると、アルシェムは何を考えているのかわからない顔で告げた。

「とにかく、実物を見てから考えないといけないから急いで」

「は、はあ……」

 マインツ山道を抜け、クロスベル市内に進入したロイド達は警備隊の車両を支援課ビルに置いてカジノへと急いだ。そこにまだガンツがいるかどうかは分からないが、何故か急ぐべきだと思えたからだ。その予感がさらに強くなるのは、カジノの支配人の言葉を聞いてから。

「……ガンツ様、ですか。今はホテルにいらっしゃるはずです。今のガンツ様は一体どんな善行をこの短期間にお積みになったのか、信じられないほどの強運をお持ちですよ」

「……つまり最近になってから強くなったってことですね?」

「ええ。私どももあやかりたいくらいです」

 そう言ってほんの少し口角をあげた支配人にランディは戦慄した。つまり、ガンツは支配人があやかりたいほど儲けたのだ。カジノの資金を食い散らかすほどに。要するにまだマフィアに目をつけられてはいないだろうが、それも時間の問題なのだと。ガンツの滞在先がホテル《ミレニアム》の最上階スイートルームであることを聞きだしたロイド達は、急いでそこへと向かった。取り返しのつかない何かが起きているような――そんな予感に囚われたからだ。

 ホテルのフロントでガンツの部屋のスペア・キーを借り、部屋の前まで辿り着いて鍵を開けようとしたロイドの腕を、アルシェムが握った。

「アル?」

 あまりの力と、手の震えにロイドがアルシェムの顔を見る。珍しいことに彼女の顔面は白く、血の気が引いている。何かを言おうとして口を微かに開いては閉じて――何を言いたいのかロイドには分からなかった――歯を食いしばっているのさえ見て取れた。どういうことだ、とロイドが問おうとして、アルシェムにさらに腕を握られる。

 それで心が定まったのか、アルシェムは声を発した。

「……レン、ティオ、支援課ビルに――」

「戻りませんよ。そういう反応だってことは、アレなんでしょう? ……いい加減、逃げるわけにはいきません」

「右に同じよ。むしろアルの暴走を止められる人間がランディお兄さんだけっていう方がレンには怖いわ」

 その反応に一同は疑問符を頭上に浮き上がらせている――リオだけはそういう振りをしている――が、ロイドだけは違った。何せ腕を握られたままなのだ。痛いことに変わりはなかった。

 困った顔でロイドはアルシェムに告げる。

「アル、その……腕」

「……あっ。ごめんロイド」

 手を離されたロイドは、それでもまだ痛みの残る腕に違和感を覚えた。腕に痣が残るほどに強く握りしめる、というほどの何かがあるのだろう。ロイドはそう判断した。慎重に扉を叩き、中にいるであろうガンツに声をかける。

「済みません、ガンツさん。特務支援課です。少々お話を伺いたいのですが……」

『ああ? ……とっとと入れよ!』

 ガンツの反応に一同は困惑した。以前に少々面識があるガンツとは、反応がまるで違う。扉を開けて中に入れば、そこにいたのはガンツ当人だったのだが――隣にホステスをはべらせている――、ロイド達には彼が本当にあのガンツだとは思えなかった。まるで別人なのだ。まるでどこぞの大富豪のような堂々とした立ち居振る舞い。自身に満ち溢れた顔。それがガンツであると、ロイド達は自身を持って宣言することが出来ない。

 だが、アルシェムとティオ、レンは違った。それがガンツであると、分かってしまった。第六感を刺激してくるその感じが――まさに、あの時と同じで。その両隣から微かにする碧い気配よりも数百倍は濃い、その気配。

 かすれた声でガンツに問いが投げられる。

「……単刀直入に聞くよ、ガンツさん」

「何だ、お前?」

「幸せを呼ぶ碧い薬に心当たりは?」

 その瞬間――ガンツの顔色が目に見えて変わった。懐を押さえて立ち上がり、その質問を投げつけたアルシェムを睨みつける。アルシェムはその視線を真っ向から受け止めた。危険域にはまだ達していない。今抜けば、まだ取り返しはつくはずだ。落ち着いてやれば――絶対に成功するはずだ。そんな思考が彼女の頭の中を占める。取り返しがつくのならば、救われればいい。そう考えてアルシェムは懐を見据えた。

 そんなアルシェムにガンツが泡を食ったように言葉を発する。

「何だ、コレは規制されてないはずだぞ!」

「残念だけど、規制云々はどうでもいー話なんだよね」

 苦笑し、次いでアルシェムは彼にとって重要となるだろう言葉を吐いた。

 

「判断力の低下。五感の大幅な上昇。一定の閾値を超えれば昏睡。行き着く末は肉体の変容――つまりは怪物になるわけだけど、それでも使いたいの?」

 

 その言葉にロイドとエリィは戦慄した。一体どこでそんな情報を手に入れたのだろうと。それを知っていたから、先ほどまでも焦っていたのかと。一方でランディは眉を顰めていた。そんな薬があったとして、猟兵連中が活用していないわけがない。猟兵の中でも外道な連中ならば子供でも誘拐して大量に呑ませればいい話だ。それだけで戦力が手に入る。手綱を握れるか、という問題はあるだろうが、敵だらけのところで解放すれば何の問題もない。

 ガンツはアルシェムの言葉を一蹴する。

「そ、そんなわけあるか! 出鱈目言って取り上げる気だろう!? コレは俺のだ……絶対に渡すもんか!」

 そこまで言い終わると、アルシェムに向けて突進してくる。しかし、アルシェムはそれを避けることすらしなかった。元々のポテンシャル自体が違いすぎるのだ。ただの鉱員ごときに負ける程、アルシェムは弱くなったつもりはない。叩きつけられる拳を掴み、蹴りを繰り出そうとした足を踏みつける。それだけでガンツは動けなくなった。

「なっ……」

「ロイド、ランディ、そこの――おねーさん達避難させて。エリィはおねーさん達と一緒にお話ししててね」

 そう言うや否や、ガンツの腕を掴んで何事かをし始めるアルシェム。レンとティオには何をやろうとしているのかわかったが、それを止めるにはあまりにも時間がなさすぎた。一瞬、というわけではない。ただ、目の前で起きている現象を認識して、それがどれだけ危険なことなのかを察するのが遅かっただけだ。アルシェムに接触している部分から彼女へ向けて流れ込む碧色の光の奔流。それが意味することは。

 それを理解したレンがアルシェムに叫んだ。

「やめなさいアル!」

「……仕方、ないじゃん……っ、こうでも、しないと――ッ! この人、本気で……手遅れになる……ッ!」

「その前にアルが死んだら意味ないじゃないっ! とにかくその人から離れて――ッ!?」

 一瞬でガンツとの間を詰めたレンはそのままアルシェムから彼を引き離そうとして――唐突に光の奔流が収まったことに気付いた。遅かったのだ。この時点で全てが終わっていた。ガンツという鉱員の定められた運命も。この先彼がどうなり、何に巻き込まれるのかも。そして――その、全てが。光の奔流と共に、砕け散った。それを理解したものはその場にはいなかった。

 

 そうして――アルシェムは、その場に膝をついたのだった。

 



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濃碧の壁

 旧193話~196話半ばまでのリメイクです。ある意味つめこみ。


 突然暴れ出しそうになったガンツを取り押さえ、何事かをして膝をついたアルシェムに駆け寄ったのはロイドだった。既にホステスたちは隣の部屋に避難――もっとも既に逃げ出している――させてあり、取り敢えずガンツを取り押さえて事情聴取をしに戻ってきてみればこの様子だ。ガンツに何かをされたのだと勘違いしても無理はない。

 故にロイドから出るのはアルシェムの身を案じる言葉だった。

「アル、大丈夫か!?」

「……大丈夫、じゃーないかなー……」

 ロイドの問いに返された言葉は震えていて、顔色も悪い。まさかと思ってガンツを見てみれば、彼はうろたえた様子でアルシェムを見ていた。既に解放されているのを見て取り押さえようとして――先ほどまでの異様な様子が消えていることに気付いた。一体どうなっているのか、と思いつつアルシェムにアーツを掛けようとして止められる。

「やめて。そーいう異常じゃない……けど、うーん……どーすっかなー、これ……」

 迷った顔をしつつ、眉を寄せてアルシェムは立ちあがった。どこか足元がおぼつかない様子ではあったが、立ち上がりは出来る。ということはどういう状況なのか。ロイドには皆目見当もつかなかった。無論同じく戻ってきたランディにも、エリィにも理解出来ない。この中でアルシェムの状態を理解出来るのはレンとティオだけだった。

 ぎり、と歯を食いしばってレンがアルシェムに告げる。

「……先に、古戦場に行ってなさい。すぐに行くから。それまで周囲の魔獣とでも遊んでなさいよ」

「……その手があったか……うん、全員連れてきて。そこの二人も……いい経験になるだろうから」

 そう言ってアルシェムは文字通り姿を消した。その状態でも気配を断てる上、隠密行動も出来る。あまり目立たない方が良いだろうという判断からだ。もっとも、アルシェムが姿を消したことに一同は大いに動揺することになるのだが、彼女にそれを気にしている余裕はなかった。身体のうちから湧き上がる力に、そのまま堪え切れる気がしなかったからだ。感覚も鋭敏になっている。

 アルシェムが古戦場に着くのはそこから数分後。ガンツから碧い薬を強奪したうえで車両を駆使したロイド達が古戦場に辿り着いたのは数十分後。その数十分の間に、古戦場の魔獣は少数を除いて殲滅されていた。殲滅されていないのは古戦場から逃げたあるいは必死に隠れ潜んでいる魔獣のみである。そこかしこに散らばるセピスを集めながら、ティオの道案内に従って辿り着いた先には――

「なっ……」

「うっ……」

 思わずエリィが吐きそうになるほどの魔獣の血にまみれた女――無論アルシェムである――が片手ずつ剣を握った二刀流の状態でロイド達を見ていた。軽く、どころかかなりホラーである。思わず身を引いたロイドは、その女が一瞬で消えたのを認識した――その瞬間。

「ぼやっとすんな、ロイド!」

 同じく消えそうな勢いで動いたランディがロイドを庇うような形でその攻撃を受け止めていた。その攻防に一瞬でも頭がついて行かなかったロイドはそのまま動けないでいる。対するランディは内心で冷や汗をかいていた。これほどの重い攻撃を受けるのはいつ振りか、と思うほどだ。この衝撃はほぼ父バルデルに匹敵する。しかもあのスピードだ。一瞬たりとも気の抜ける攻防ではなかった。

 歯を食いしばって受け止めているアルシェムの剣から一瞬力が抜け、ランディは体勢を崩しそうになって立て直す。こういう攻撃はよくあるもので、緩急をつけて相手のリズムを崩すことで隙を作る戦法だろうと推測できる。故にランディは今度は自分から仕掛けようと足を踏み出して――そこにアルシェムがいないことに気付いた。どこに消えた、と思って周囲を油断なく見回せば、エリィを庇ってロイドが剣の柄で打ち据えられている。

 それでも一応トンファーでそれを受けられたロイドは必死にエリィの前で踏ん張った。

「ぐっ……」

「ロイド!?」

 驚愕に顔を見開いたままのエリィは、そこからアルシェムを撃てばよかったのにそうは出来なかった。血みどろの女と邂逅してからまだ三十秒も経っていないのだ。まだ頭が追いついていなくても無理はなかった。その代わり、援護としてティオからのアーツがアルシェムに降り注ぐ。アクアブリードという名の、基本の水属性アーツだ。

 しかし、アルシェムはそれを避けることすらしなかった。

「……丁度、良い……視界が広がって何より、だ!」

 一瞬力を抜き、ロイドが受け止めている力を利用して背後に飛んだアルシェムはそこに待ち受けていたレンと切り結ぶ。その無茶苦茶な挙動に一同がぎょっとして――彼女は吹き飛ばされた勢いのまま背後を向いてレンの大鎌を受け止めた――ようやく我に返った。

 そこで一番最初に声を発せたのは、色んな意味で事情が分かっていないノエルだった。

「な、何で襲い掛かってくるんですか、アルシェムさん!?」

「……戦闘、訓練扱い……とかに、しといて、くんない? ……とにかく動いて……発散、しないと……『痛い』まんまだし……大人しく、してるよりは、こうする方が……薬を抜くには、効率的だし、ね」

 薬を抜くには、と彼女が言った時点でランディは察した。恐らくガンツにした行動で彼の中にあった薬をどうにかして自分の体内に取り込んだのだろう、と。どうやったかは今関係ない。いずれ聞く必要はあるだろうが、今は――アルシェムからその薬とやらを抜く方が先だ。そうしなければ事情すら聞けなくなる可能性がある。彼女の言った副作用が本当であれば、早く抜くに越したことはない。

 どういう状態なのか理解していないロイドだったが、それでも一つだけ分かったことを口にする。

「……とにかく、戦って発散すればいいんだよな?」

「……そ、だよ……最近ほとんど手配魔獣狩ってない分も、訓練……しなきゃね」

 そして――この日、古戦場では絶え間なく戦闘音が響き渡ったという。近隣住民から依頼を出され、状況確認に来た遊撃士たち――エステルにヨシュア、そして彼らの帰りが遅いために様子を見に来た遊撃士たち――も盛大に巻き込まれていた。最後まで戦闘不能にならず立っていられたのはランディと補助アーツ係に徹したティオだけだったという。

 その日の晩は、アルシェムは盛大に怒られたうえで全員に晩御飯をおごる羽目になり、龍老飯店が大いに儲かったそうな。宴会状態にはなったが、夜が更ける前に解散することになったために彼らは気づけない。気付かない。

 

 その日の深夜、《黒月貿易公社》のビルが《ルバーチェ》の構成員達によって襲撃されたことに。

 

 ❖

 

 次の日の朝。《クロスベルタイムズ》の記者グレイス・リンから連絡を受けたロイドは、比較的動かなくとも良い支援要請を先日無茶をしたアルシェムとお目付け役としてレンに押し付けて《黒月》のビルを訪ねている。そのことについてアルシェムは遠い目をしながら周囲からの視線に耐えていた。というのも――

「アルシェムのねーちゃん、何でツァイトに乗ってんだ!?」

「わたしに聞かないで……もーほんと、恥ずかしいんだからさ……確かに肉体的には無理してないけど精神的にはこれきついって……」

 ツァイトが気を効かせたのか精神的に致命傷を与えたいのかは分からないが、アルシェムを乗せて支援要請を受けているからだ。羞恥プレイか、と問いかけてみればツァイトは『貴女様の御身を慮ったが故です』と答えるのみ。全力で撲殺しそうになったが、理性でそれを押さえつけてアルシェムはその羞恥プレイに甘んじた――甘んじなければならなかった。

 そんなアルシェムにレンが親指を立てて言う。

「大丈夫よアル、これで《クロスベルタイムズ》の一面はいただきだわ」

「いらないよそんなの!?」

 盛大に突っ込みを入れるものの、今の状態では写真を撮ってくるグレイスからカメラを奪うことすらできない。体が楽かと言われると微妙なラインなのだが、絵面が酷い。まだレンなら絵になるかも知れないのだが、この年で――外見年齢的な意味だ――狼に乗って歩き回るのはちょっとどころか激しく羞恥心を刺激してくる。しかもレンはそれをニヤニヤしながら見てくる。物理的に逆らうことが出来ない以上、遠い目をするしかなかった。

 それよりも支援要請である。聖ウルスラ医科大学の依頼はともかく、墓守から支援要請が来るのはそれはそれで興味深い。――もっとも、内容は全く興味深くはないが。鎮魂の花を探してきてほしい、というその内容にレンが街道を回らないと集められないことを教えてくれなければ延々と地べたを這いつくばる羽目になったに違いない。

 道中で珍妙な依頼――自分の格好がすでに珍妙であると言ってはいけない――を受けつつ鎮魂の花を集め終えたアルシェムは、大聖堂で待つ墓守にその花を渡しに行った。そこで鎮魂の花を知っていることに若干驚かれつつも無事花を供え終え、聖ウルスラ医大の依頼を後回しにして急ぎであろう珍妙な依頼を果たすべくマインツ山道へと進んだ。

 レンは微妙な顔をしつつ言葉を漏らす。

「……ねえ、アル」

「何?」

「……レンも乗って良いかしら?」

 その方がある意味速いし、とはレンは言わなかった。どちらかというと狼の背に乗ってみたいという純粋な興味から来た言葉だったからだ。ツァイトは快諾はしなかったものの、アルシェムのお願いには屈してレンを乗せる。そして《ローゼンベルグ工房》へと駆けて行った。他人に目撃されていれば間違いなく『も○のけ姫』などと揶揄されたに違いない。

 《ローゼンベルグ工房》に到着し、何を勘違いされたのか人形に襲撃されそうになったものの無事に珍妙な依頼――イメルダからローゼンベルグ人形受け取りをお願いされていた――を終え、やはりけもの道を駆け下りる。一応配慮はしているのでスピードは行きよりもゆっくりだったが、絶叫マシン並みの体験だったことは間違いない。

 イメルダに人形を渡し、取り合えず報告――聖ウルスラ医科大学の依頼はあまり受けたくないので出来れば押し付けたい――に戻ったアルシェム達は、この短時間で二つも支援要請をこなしてきたことに怒り心頭のティオに出迎えられた。彼女曰く無茶しすぎ、とのことである。しかし、強制的にベッドに叩き込まれるかと思いきやティオは絶対に援護しかしないことを念押しして手配魔獣の支援要請を任せてきた。怒っているのではないのかと思ったが、どうやらそれどころではなくなっているらしい。

 先ほどティオ達が事情を聞きに行ったところ、《黒月》を《ルバーチェ》が襲撃したのは確からしい。そしてその実行犯の中には《熊殺し》ガルシア・ロッシが入っていないことも確かだそうだ。急激な下っ端のパワーアップに、ティオは何が関わっているのかわかっていてあの錠剤をガルシアに突き付け、これが関係しているのかと問うた。その答えが驚愕に彩られた顔だった、というのだ。これで確定である。

 急に現実味を帯びてきた《真なる叡智》の浸食に、ティオの顔色は悪い。

「……とにかく、私達は聖ウルスラ医科大学に行ってこの薬の分析をお願いしに行きます」

「危険だと思うけど……」

「でも、私は何の手掛かりもないよりはゆさぶりをかける方を選びます。……いつまでも、逃げてはいられません」

 ついでに支援要請もやっておきますから、という言葉にアルシェムは負けた。ティオ達を病院へと送り出し、アルシェム達はもう一度ツァイトに乗って手配魔獣――何と《星見の塔》と《月の僧院》、そして《太陽の神殿》のある古戦場である――を排除するために出かける。そんなところの手配魔獣を一体だれがどうやって発見し、警察に伝えたのかは大いに考えるべきだろうが、今はそれどころではない。

 《月の僧院》と《星見の塔》の手配魔獣を片付け、古戦場の手配魔獣をも片づけた時だ。アルシェム達は、古戦場に近づく人間の気配を感じた。それも中途半端に手練だと思われる気配だ。魔獣は粉砕されているのだろうが、恐らく力任せにしかしていない。あまり意志の感じられない人間の群れの行進に、アルシェムは自身の行動が遅すぎたことを悟った。

 それでも伝えないわけにはいかない。目の前にいる連中は――《ルバーチェ》のメンバーなのだから。アルシェムは《ENIGMA》を使って一課のダドリーに連絡を入れる。

「こちら特務支援課、アルシェム・シエル。ダドリー捜査官ですか? ……現在アルモリカ村方面の古戦場で手配魔獣を退治したところなんですけど、目の前に何か眼が虚ろな《ルバーチェ》構成員と思しき人物たちがいまして……一応事情聴取は試みますけ、どぉっ!?」

 そこで《ENIGMA》が物理的に機能を停止した。《ルバーチェ》の構成員が《ENIGMA》を破壊した――というわけではなく、急激に動き始めた《ルバーチェ》の構成員達の俊敏さに驚いて握りつぶしてしまったのである。フレームごと握りつぶしたのでアルシェムの《ENIGMA》は再起不能になった。身体能力を向上させる効果がある《ENIGMA》を破壊してしまったことにアルシェムは苦虫を潰したような顔をしながら《ルバーチェ》の構成員達に向き直る。

 会話は間違いなく通じない。だが、それでも彼らがクロスベルの住民であることに変わりはなくて――傷つけることは出来ない。その判断の下アルシェムは動き始めた。《真なる叡智》に侵された状態の人間を強化なしの状態で無力化することがどれほど困難なことなのかは分かっている。故に、彼女が取れる行動は一つしかないのだ。

 レンはアルシェムと共にそれに突っ込む、というわけではなく自身の《ENIGMA》を操作して通信を繋げた。増援を呼ぶためではなく、人を来させないためである。あのままの状態で説明もなく放置されれば、誰だって状況を知りにここまでやってきてしまうに違いないからだ。誰も寄せ付けないために、レンはダドリーに説明を始める。

「こちらレンよ。アルの《ENIGMA》はちょっと通信できない状態になっちゃったからレンが説明するわ」

『通信できない状態というのはどういう――』

「ちょっとびっくりして握りつぶしちゃっただけよ。怪我したわけじゃないわ。……それで、今の状況なんだけど」

 レンは懇切丁寧に今の状態を説明した。アルシェムが《ルバーチェ》構成員を薙ぎ倒し、ツァイトがそれを手伝っていること。いくら倒しても起き上がってくるため、適当なところで切りあげて帰還すること。そして今流行りの《幸せの薬》――《グノーシス》について、戻ってから説明する必要があることを。もっとも、説明するのは恐らくレン本人ではないが。

 一通り説明を終えたレンは、アルシェムに加勢するために通信を終えて大鎌を取り出した。数は多いが、本来であればレンの敵ですらない烏合の衆だ。なおかつこの状況を打破するための方法はと言えば先日のように《グノーシス》をどうにかして彼らから排出させるしかない。だからと言ってレンに同じことが出来るかと問われれば否であり、それ以外に方法を思いつくかと言われても否である。

 故にレンはアルシェムに問うた。

「ちょっとアル、この状況どうするつもりなのよ!?」

「大丈夫。考えはあるし――何よりここに人目はないからね。容赦なく使えるからちょっとだけ手伝って」

 人目をはばかって容赦なく使えないもの。それをレンの脳がはじき出した。《聖痕》である。確かに吸い出しさえすればそれが一番いい方法のようにも思えるが、吸い出す方法が問題なのではないか。そう思ったが、アルシェムはそれ以上の説明をすることはなかった。要するにそれしか方法がないということだ。納得は出来ないが、そうしなければならないという義務感に圧されてレンは《ルバーチェ》の構成員達を一か所に固め始めた。

 《パテル=マテル》をも駆使し、しばらくしてまとめあげられた《ルバーチェ》の構成員達は――

 

「我が深淵にて煌めく蒼銀の刻印よ。我が声に応え――彼の者共に巣食う《叡智》を凍てつかせよ」

 

 アルシェムのその発言によって凍りついた。と言っても、文字通り氷に包まれたわけではない。精神を操っていた元が凍結されたせいで身体に電気信号が行きわたらなくなってしまったのである。そしてその後、どこからとは言わないが碧い液体が中空に浮かび上がり、凍りつく。それこそが《叡智》。《グノーシス》と呼ばれる禁忌の薬だ。

 それを元の錠剤の形状に戻し、袋に入れたアルシェムはレンを伴ってその場から去った。《ルバーチェ》の構成員達を捕縛すべきなのだろうが、それをしても今は意味がないことを理解していたからだ。あくまでアレは応急処置であり、まだ彼らが操られる可能性は多大に残っている。下手に市内に連れ帰って被害を拡大させるよりも、アルシェムは放置することを選んだのだ。

 支援課に戻ったアルシェムを待っていたのは、手配魔獣を狩った直後に起きたことに関して怒り心頭になっていたティオだった。もっとも、彼女の方も彼女の方で無理をしていたらしく顔色が悪かったので早目に説教を切り上げさせて寝かせたのだが。キーアがティオに添い寝しに行ったのは本当に余談である。



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碧き過去

 旧196話半ば~197話のリメイクです。


 碧い顔をしたティオを自室に戻して寝かせ、報告のために課長室を訪れたアルシェムを待っていたのはあの錠剤だった。目の前に見せつけられたその錠剤に少々ダメージを受けたアルシェムは軽くそれを差し出している人物を睨みつける。それでも話を切りだしたのは、先ほどレンが『説明する』と言ったダドリーである。彼もこれが一体なんなのかを知りたいのだ。

 故に問うた。

「それで、これは結局何なんだ?」

「――《グノーシス》。昔《D∴G教団》とかいうトチ狂った悪魔崇拝の宗教団体が使ってたヤバい薬だね」

「何だと!?」

 アルシェムがしれっと答えを発したことにダドリーは驚きを隠せなかった。その場にはロイド達もいたが、まず《教団》の概要からして彼らは知らないので何が何なのかは全く分かっていない。ただセルゲイだけはそれを知っていた。何せ、カルバード共和国にあった《拠点》――《アルタイル・ロッジ》に踏み込んだのはセルゲイとその部下たちだったのだから。当時そこに現れた少女《銀の吹雪》こそアルシェムであると、つい先日知ったばかりである。

 アルシェムはロイド達の理解を鑑みず話を続ける。

「もっとも、結構改良されてるっぽいから効力は当時よりも上なんだけど……」

「いや、アル、その……何でそんなことを知ってるんだ? というより、《D∴G教団》って……?」

 ロイドが疑問を投げかけて来たのでアルシェムはそれに適当に返事をしようとして――眉を顰めた。そこに誰かいる。いてもいなくてもどうでも良いが、話を聞かれて勘違いされても困る。ここにいる『アルシェム・シエル』はもう既に彼女の『家族』ではないのだから。――そう。セルゲイの背後に黒装束をまとい、気配を完全に消した《銀》が潜んでいるのだ。

 故にアルシェムは彼女を排除することにした。

「説明するけどさ……その、何? 一応不法侵入になるし身柄を確保されたくないんなら出てってくんないかなそこのヒト。今からする話にあんたは全く以て関係ないし、聞いてたってあんたの知りたい事実はそこにはないんだから」

「アル? 何を言って――窓が!?」

 いぶかしげに眉を顰めたロイド達の前でひとりでに窓が開き、《銀》がそこから脱出していった。彼女が本気になればその場に居続けられるだろうが、残念ながら《銀》にはまだクロスベルの法を犯したという事実を証明されては困るのだ。まだクロスベルに居続ける予定があるのだから。まだ、『エル』についての情報を全て絞り出せてはいないのだから。

 《銀》の気配が完全に消えたことを確認したアルシェムは、溜息を吐いて説明を始めた。

「さて、まずは《D∴G教団》からか……といっても、詳しいことを完全に知ってるわけでもないんだけどね」

「あ、ああ……」

「そもそも《教団》事態は結構昔からあったらしいよ。何を目的にしてたかは知らないけど、悪魔崇拝の宗教団体っていうのはまあ分かってる」

 むしろただの悪魔崇拝であればどれほど救われたか。悪魔を召喚し、使役する術は確かにこの世界にも存在している。それを彼らは知っていて、別のアプローチから悪魔をどうこうしようとしていた――ように見せかけていただけだ。本質は別。子供達に施されていた処置は全て《グノーシス》によって《D》に至るための手段に過ぎないのだから、悪魔崇拝よりも救われない。

 そこにエリィが突っ込みを入れた。

「悪魔崇拝をするための宗教団体なんだったら、当然悪魔を崇拝することが目的なんじゃないの?」

 エリィにとっての悪魔崇拝とは、《空の女神》を否定し地獄を跋扈する悪魔を崇拝することによって《空の女神》に救われなかった自分を救う、というものである。そのこと自体が信じられないことであるが、存在自体は知っていた。もっとも、お伽噺レベルの認識で本当に存在するものであるのかどうかについては懐疑的であったが。

 故にアルシェムから別の返答があるとは思ってもみなかった。

「それだったら普通に邪法とか使って悪魔を召喚すれば良いだけの話だよ。何の罪もない子供達に薬を盛る必要はどこにもない」

「そ、その薬で悪魔と交感するとか――」

 エリィはその言葉を言い切ることが出来なかった。アルシェムが物凄い顔でエリィを見たからだ。確かにそういう意味では『悪魔』と交感していたと言えよう。アルシェムは、レンは、その薬によって各国の高官という『悪魔』から情報を抜き取って行ったのだから。普通の男性と少女とでは有り得ないより深いつながりを強制的に求められながら。

 そうだ。アルシェムは、レンは、《グノーシス》によって『悪魔』とでも呼称すべき権力者どもと交感していた。彼らの目論見を知り、弱みを握り、時には甘い顔をしながら必要な情報を抜き取っていたのだ。それを研究者がまとめ、バラバラになったピースを繋ぎ合わせてさらに弱みを握れる人物たちを増やしていく。ネズミ算式に権力者どもは子供達のとりことなっていった。

 その事実を鼻で笑いながらアルシェムは答えた。

「ハルトマン議長にヤられながら情報を抜き取ることを悪魔と交感すると表現するならそーなるんじゃない?」

 そのある意味衝撃的な言葉に重い沈黙が降りた。その言葉の意味を理解出来ないものはこの場にはいない。ロイドは苦い顔をして黙り込み、ランディも似た顔をしながらも納得していた。むさい男に近寄られたくないのはそういうことか、と。エリィはあまりの言葉の衝撃に動けず、ダドリーとセルゲイは額を押さえてあまりの事態の広がり方に頭を悩ませた。

 そこに溜息が一つ、響いて。レンが言葉を発した。

「……アル」

「……大丈夫。レンは――辛かったら」

「大丈夫よ。こんな状態のアルを放置していくほどレンは非道じゃないわ」

 そのレンに握られている手は冷たく、震えている。まだトラウマを克服したわけでもないと知っているから、この話を始めた時点でレンはアルシェムの手を握っていた。どんなにひどい状態になっても止められるように。アルシェムが後悔しないように、レンがストッパーとなるために。流石にしないとは思うが、本当に初期のアルシェムは酷かったのだ。主に夢見が悪すぎたせいで周囲の人間に危害を加えることがあったという意味で。

 そんなアルシェム達を見て少々平静を取り戻したのか、ランディが問う。

「……それで、目的がまあソレじゃなかったとしてだ。そいつらがこの碧い薬を開発してばらまいてるってことか?」

「まあ、そーなるけど……一回は壊滅させてるはずなんだよね、その《教団》」

「そうなのか!? ……いや、もしかして、それに兄貴が?」

 瞠目してアルシェムの言葉に反応したロイドは、しかし言葉を継ぎなおした。そうでなければティオと兄ガイとのつながりが理解出来ないのだ。ティオがガイに助けてもらって、恩を感じていて。なおかつリアルタイムでガイの死を知ることが出来なかった理由。ちょうどその時期にガイは外国に行ったことがある。それはつまり、ティオを実家に送り届けるためだったということだ。クロスベルにいなければ当然、リアルタイムでガイの死を知ることなど出来はしなかったのだから。

 ロイドの言葉にアルシェムは平然とこう返した。

「そう。当時児童連続誘拐事件――《教団》が子供達を集めるためにやらかしてたのを解決するために各国から集められて、証拠を隠滅させないためにしがらみにとらわれないような捜査方法が取られた。ティオが捕まってた《アルタイル・ロッジ》に乗り込んだのは当時クロスベル警察の刑事だったセルゲイ・ロゥとガイ・バニングス。そして――アリオス・マクレイン」

「あとお前な。今だから聞くが、何であの時《結社》にいたはずのお前があそこにいたんだ?」

 セルゲイのその言葉にロイドは瞠目した。つまりアルシェムは当時からガイと面識があったということになる。そんなことは一言も聞いていなかった上に、ガイのことについてロイドには触れて来なかったので全く知らなかった。しかしそこでアルシェムがティオと知り合ったにしては親密すぎる気もする。むしろ少々気まずくなるくらいがちょうどいいのではないのだろうか。聖ウルスラ医科大学のマーサ師長とティオの時のように。

 セルゲイの問いにアルシェムは目を閉じて答えた。

「最初に連れて行かれたのがあそこで、どうしても自分で潰したかったから、かな」

「まあ、アルがその時情報をリークしまくってたから警察や軍が行けたっていうのはあるわね」

 皮肉げに笑いながらレンはそう付け足す。アルシェムの情報がなければ潰せなかったロッジは確かにある。もっとも、救出できた子供の数が増えたわけではないが、七耀教会からの援護――物理的に子供達を送り込んで場所を特定していた――もあったために比較的多数のロッジを制圧できたのだ。そのことを無駄だと思ったことはないし、今同じ状況に置かれても同じことをした自信がある。

 そこで得心したようにエリィが声を漏らした。

「……だから《グノーシス》の副作用を知ってたのね……《教団》に捕まってたことがあるから」

「……そーゆーこと」

 肩をすくめてそう返したアルシェムは、大きく溜息を吐いた。これ以上緊張し詰めでいれば少々危険だったからだ。既に精神的に不安定な状態にあるというのに、これ以上無理に緊張することもない。無理をしすぎて暴走、など笑えないのである。

 リラックスのために溜息を吐いたアルシェムに今度はダドリーが問う。

「……それで、シエル。お前は一体どういう経歴でここまで来た? 執行者と準遊撃士、児童連続誘拐事件の被害者であることは流石に両立しないと思うが」

「それが全部成り立っちゃうんだよねー……ほんっと、誰が仕組んでくれやがったのやら」

 そういって肩をすくめて誤魔化そうとしたアルシェムだったが、ダドリーの視線に負けた。流石に説明しないという道はなさそうである――主に命の危険があるという意味で。ダドリーの手は既に懐に伸びているのだ。完全に身分詐称を疑われているあたりどうしようもないのかもしれないが、一応すべてが成り立っている上に本当はまだ身分が上乗せされるのである。信じて貰えそうもないが、説明するしかないだろう。

 握られているレンの手に力が加わり、アルシェムは自身の経歴について隠さなくて良いところを説明する。

「……成り立つってば。ちょっとした事情で共和国に住んでてね。そこで誘拐されて救出された先が《身喰らう蛇》だった。そんでそっからイロイロあって執行者の身分を手に入れて《アルタイル・ロッジ》に乗り込んで、《結社》から抜けるのに暗殺未遂起こしてカシウス・ブライトに引き取られたの。そんでエステル達と一緒に準遊撃士になったんだけど……この説明でも納得できない?」

 その説明を聞いて一同は頭を抱えた。色々な意味で波乱万丈な人生過ぎる。確かにこうまとめられれば誰に仕組まれたのかと考えたくもなるだろう。誰が誘拐されたうえで犯罪者の一員になって正義側の人間に成れるような神経をしているというのか。もっとも、彼らがそれを成立させうる真実を知るのはそう遠くない未来のことであるが。

 渋い顔をしたままダドリーは声を漏らした。

「いや、むしろ聞きたいことの方が増えるんだが……今は止めておく。それよりも《グノーシス》の話だ」

 そしてダドリーはアルシェムに問うた。

「お前は誰が首謀者なのか分かっているのか?」

「……誰が、っていうのが分かってるわけじゃないけど……絞り込みくらいなら出来るよ。ロイドでもわかるんじゃない?」

「えっ!?」

 そう話を振られたロイドは目を泳がせながら考えた。《グノーシス》を使って何かをしようとしている首謀者が誰なのかを絞り込める、というところがどういう意味か分からない――と、考えたところで気付いた。そもそも《教団》が一度壊滅している時点で《グノーシス》の在庫がどれだけあったかというのも問題だが、先ほどアルシェムは言ったではないか。結構改良されている、と。

 つまり、《グノーシス》という薬を改良できるだけの技術を持つ人物が首謀者ないしその近くにいる人物だということになる。ああいう摂取方法――そもそも薬を摂取した人間に接触して吸い取るということ自体が意味不明である――を以てしても改良されていると感じるのならば、《グノーシス》を研究できる立場にいる人物が関わっているということしかありえない。

 ロイドは少々引っ掛かりを覚えたまま答えを口に出した。

「……つまり、薬を改良できる人が近くにいるか、その本人かだってことか?」

「ちょっと待てロイド、その結論だと――俺達が薬を預けたあの先生も怪しいってことになるぞ?」

「え、でもヨアヒム先生は《グノーシス》の噂を知っていたくらいであの薬は初見っぽかったけど……」

 他に何か見落としていることがあるはずだ。ロイドにはそう思えてならなかった。何を見落としているのか。まずは、何のために、誰が。それを知りたいのだ。Why、Whoは後回し。何を、Whatは《グノーシス》。When……そもそも、いつから《グノーシス》が広がり始めたのか。存在自体はアルシェムの言うように結構昔からあるもので、改良が進められてきたものだ。今回所持していたガンツが帰っていないのは三日ほど。つまり三日前には既に広がっていた。Where、どこで、というのは当然クロスベルに、である。ならばHow――どうやって実現するのか。それもそもそも何を実現したいのかが分からない。

 

 よって――何かのために、誰かが結構前から《グノーシス》を使って何かを実現しようとしている、ということになる。

 

 そこまで思考が至って、ロイドは疑問を口にした。

「……《グノーシス》で何か誰かにとって必要なことが果たして達成できるのか?」

「……ちょっと待って。ねえ、ロイド……《グノーシス》の副作用で良いことなんてないって思ってたけど……たとえば《ルバーチェ》とかが怪物になった人を戦闘力として欲しがっている、なんてことは……ないわよね?」

 エリィが悶々と考えすぎてそんなことを口に出した。しかも有り得そうな想定である。しかし、そうなれば《ルバーチェ》の中に《教団》の手の者が混ざっていることになり、もっと昔から《グノーシス》を利用して戦力にしていないというのが解せない。そもそも不良同士の喧嘩にしても魔獣に襲撃された件にしても戦力を欲しがっていたのは確かだ。ならば、その後ということになるのだろうか。

 そこまで考えた時、ランディが否定の言葉を吐いた。

「……いや、もし怪物になっても統制が効かないんじゃあ意味がない。味方に損害を与えるような怪物なんて必要ない」

「とれるよ、統制」

「何だと!?」

 ランディは自分の言葉を否定されるとは思っていなかった。そんな薬が昔からあるのならば猟兵連中に広がっていないのはおかしいと思っているからだ。そんな、ミラになりそうな薬が猟兵に出回っていないというのが解せない。たかが宗教団体ごときに薬を独占できるような力があるはずがないのだ。否――もしくは、その力を以て独自の猟兵団を作っていたのかもしれない。

 だが、ランディの言葉を否定したアルシェムはその言葉に裏付けの証言をしてみせる。

「そうでなきゃ、リベールで盛られたときに『洗脳の薬』だっていうふれこみで使われてた意味が分からない」

「ちょっと待てシエル、お前リベールで一体何をやっていた!?」

 思わずアルシェムの言葉に突っ込んだダドリーは突っ込むところを間違えた。本来であれば何故リベールにその薬が流れていたのか、というところを問うべきもしくは《グノーシス》がやってきたのはリベールからなのかというところを問うべきなのだろう。だが、ダドリーは《グノーシス》が《教団》産でかつクロスベル産であることを疑っていなかった。

 ダドリーのツッコミにアルシェムは頭を押さえて答えた。

「《リベールの異変》の一環でそのー……クーデター側にちょっと捕まって公爵暗殺未遂させられるところだったというか何というか」

「アルってば……そこまで人生波乱万丈じゃなくて良いのよ?」

「好きで捕まったんじゃないやい。むしろ耐性があったから大事にしなくて済んだんだって」

 むくれながらそう返すアルシェム。実際アルシェムは捕まりたくて捕まったわけでもなく、薬を盛られたくて盛られたわけでもない。ただ――それが必要なことだっただけで。今ならば分かる。アレは必要なことだったのだ。今ここに立っているために。そして――この先、道しるべとして道の先を指し、彼らがそれをいとも簡単に乗り越えて踏みしだかれるために。

 そこで今得られる情報が出尽くしたと思ったセルゲイが声を発した。

「取り敢えず、情報収集だな。もっとも、上層部のヤバいところを抉り出す可能性は高いが……その覚悟があるなら、この件は今のうちに解決しておいた方が良いだろう」

「下手に長引かせるよりは今のうちにけりをつけた方が被害は少ない、ということですか……」

「そういうことだ。ま、せいぜい気を引き締めてかかるんだな」

 そう言って、セルゲイは煙草をふかした。今はどれほどの被害が出始めているのかを把握するところから始めなければ。ロイドはそう感じ、そして動き始めるのだった。



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閑話・とある男が野望を抱くまで

 この章が終わるので閑話。誰得。

 次の章からストックに余裕がなくなったので月三回更新にします。あしからず。


 とある男の話をしよう。夢にあふれ、果たせず、敗れ去った男の話を。そして悪夢に囚われ、悪夢の主となった男の話を。本来は純粋で、純朴だった彼が悪魔のような悪辣な人間に成った話をしよう。彼の名は――否、愛称は、ヨギといった。本名を明かすことは、ここではしないでおこう。何故なら彼は今から舞台上に上がるのであり、そんな背景があるのだとこれを観測している□□□には知られてはならないからだ。――もっとも、知られたところで□□□はヨギを見捨てるのだろうが。

 ヨギはかつてクロスベルで生まれ、エレボニア帝国で育った。といっても、一般家庭に生まれた普通の男の子だったというわけではない。エレボニア帝国の貴族エメリッヒと、クロスベルの娼婦ジョディとの間に生まれた少年だった。エメリッヒは妻アルベルティーナがいるにも拘らずジョディを溺愛していた。アルベルティーナが持たないものをジョディが持っていたからだ。

 その答えは、エメリッヒ本人がヨギに教えてくれた。

「お前が我が貴き戦軍の紋を継ぐ者だ、ヨギ。お前以外に継げる者はいない。精進するが良い」

「はい、とうさま」

 そう。アルベルティーナには子がいなかった。そもそも産めないというわけでもなかったのか、運が悪かったのかは分からない。だが、確かにエメリッヒとアルベルティーナとの間には子がいなかった。対するジョディにはヨギという息子がいた。貴族の跡取りに足る、聡明な少年だった。ヨギは見たものを一字一句間違うことなく記憶できるという特技を持っていたのだ。優秀すぎる程だった。

 そんな優秀な子を持つ娼婦が自分の傍にいて、あまつさえ一応は高貴な血を引いているはずの貴族令嬢を差し置いてまでエメリッヒの寵愛をほしいままにしている。それをアルベルティーナが赦せるわけがなかった。アルベルティーナはジョディを敵視し、陰湿ないじめが始まるのにそう時間はかからなかった。形式上ジョディの立場は妾ではなく屋敷のメイドだ。彼女を特別扱いしないようメイド長に言うだけでジョディにとっては嫌がらせとなり得る。

 ある日ヨギは傷の増えたジョディに問うた。

「どうしてかあさまはそんなに傷だらけなの?」

「それは仕方のないことなのよ、私の可愛いヨギ。あの人は、アルベルティーナ様はエメリッヒ様の妻で、私はただの妾なの。つまり邪魔者なのよ」

「そんなのおかしいよ! だって、かあさまはとうさまが好きで、とうさまはかあさまが好きなんでしょう?」

 世の中には好きあっていても片方が邪魔者になることなんて普通にあるのよ、とジョディはヨギに語った。ただの娼婦だったジョディがヨギを孕んだことで貴族の屋敷に引き取られることになるなど、本人すら思ってもいなかったのだ。子供が出来て、どうしても堕ろせなくてエメリッヒに告げた時でさえ、堕ろせと言われるに違いないと思っていた。

 だが、そうはならずジョディは今ここにいる。それがなぜなのか、ジョディが知ることはなかった。いずれヨギは知ることになるが、ジョディにはついに告げられなかったことだ。ヨギはそれを知った時、ジョディの生まれのことを、遂に本人に告げることは出来なかった――あまりにも気持ち悪すぎて。嫌悪感にさいなまれながら数日間引きこもったくらいだ。

 ジョディの身体に生傷が増えて、それを心配したエメリッヒがジョディを虐げるメイド長を追放し、アルベルティーナがその様子を見てジョディへの嫌がらせを強める。それをヨギが察せないはずがなく、彼もまたアルベルティーナに対する疑問を深めていった。ヨギは、アルベルティーナに直接問いただして後悔することになる。世の中はそんなに単純ではないのだと、彼が知ったのは五歳の時だ。

「どうしてお義母様がアルベルティーナ様で、母様はメイドなの?」

「黙りなさい下賤の子が! お前如きが貴族の真似事をしていられるのはエメリッヒの慈悲があるからよ、わたくしは認めていないわ! こんな汚らわしい子がこの古き一族の跡取りだなんて――! わたくしが妻よ! わたくしがエメリッヒの妻で、わたくしの子が継ぐのよ! 決してお前のような穢れた者が継ぐことなど認めないわ!」

「でも、僕にはお兄ちゃんも、お姉ちゃんも、弟も、妹もいないよ?」

 彼女には子供がいないのに。そう言っただけで、ヨギはアルベルティーナから頬をぶたれた。辺りのものを手当たり次第投げつけられ、地面にうずくまれば腹を蹴られ、殴られ、あまりの痛みに涙する。だが、周囲にいたメイドたちは誰も助けてはくれなかった。ジョディはその場にはおらず、エメリッヒも外遊に出ていて半年は帰ってこない。つまり、メイドたちが助けてくれない限り誰も助けてはくれないということだ。

「やだ、やめて! ごめんなさい! ごめんなさい! 誰か助けて!」

 声を限りに泣き叫んでも、誰も救ってはくれない。母も来ない。父も来ない。どれほど祈っても――空の女神だって助けてはくれない。結局その日はアルベルティーナの気が済むまでいたぶられ、次に気が付いた時には手当された状態でベッドに寝かされていた。周囲には誰もいない。母も父も横にいてくれることはなく、一人ぼっち。それは確実にヨギの心をむしばんだ。

 父が外遊から返ってくるまではそれが続き、帰ってくれば手厚く看病される。このせいでヨギは病弱であるとエメリッヒから思われていた。そんなことは有り得ないのに。体に傷があるのはアルベルティーナのせいなのに。だが、それをいくら父に訴えようと父は聞く耳を持たなかった。うわごとだと思われたのだ。故にエメリッヒはヨギの身体の傷については知らなかったのである。

 それが十回ほど繰り返された頃にはヨギももう認めていた。アルベルティーナは自分が嫌いで、邪魔なのだと。邪魔だからこうして傷つけるのだと。要するに――自分も同じことをアルベルティーナにしても良いのだと。誰も彼には教えてくれなかった。自分のされて嫌なことは他人にしてはならない、ということを。彼にだって出来る反抗はある。アルベルティーナのせいでろくに鍛錬も出来ないが、彼には頭脳という武器があるのだから。

 いつものように虐げられそうになる、その直前。ヨギはアルベルティーナに向けて言い放った。

「見苦しいですよ義母上」

「黙りなさい、あの泥棒猫の息子の分際で!」

「おや、おかしいですね。僕は父上直々に貴き戦軍の紋章を身に着けることを赦されているというのに……それすらない義母上に何を言う権利があると?」

 そうやって帝国でも古い一族だったはずの戦軍の一族の内部は爛れていく。ぎすぎすした空気。ヨギ自身、何度アルベルティーナから毒を盛られそうになったか知れない。そしてヨギも何度アルベルティーナに毒を盛ったかも覚えていられないほどだ。ヨギが十七歳を迎えるまで二人が生きていたのはほとんど奇跡に近い。それほどの数と量をお互いがお互いを殺すために仕込んだ。

 そんな時だ。毒に侵されたのがよかったのかどうなのかは分からないが、アルベルティーナが出産したのは。といっても本当にアルベルティーナが子を産んだわけではない。実家から贈られてきた赤子を自分の子供だと言い張ったまでのこと。丁度毒で倒れ、長期間部屋に籠っていたことを妊娠していたのだと偽れば、疑問は持たれるだろうが確証を得ることはもはやできない。そうやってもたらされた赤子は、あろうことかエメリッヒによって受け入れられたのだ。

 瞳孔が開き、異様な雰囲気を纏いながらエメリッヒはヨギに告げた。

「我が愛しの息子、ヨギよ――否、卑しい娼婦の息子よ。貴様はもう用済みだ。母親ともどもとっとと出ていくが良い」

「な、何故ですか父上!? 僕はここまで――」

「うるさい! さっさと出ていけ! それとも何か? 貴様は娼婦の息子の分際でこの私の家に居座り、貴き戦軍の紋を穢すつもりか? 流石は娼婦の子だ。薄汚い、穢れた子め!」

 エメリッヒの背後でアルベルティーナがほくそ笑んでいた。それでも、ヨギはアルベルティーナをこの瞬間直接的に殺すことはしなかった。何故なら、ジョディの命がかかっていたからだ。ヨギはそのままジョディと共に屋敷を叩きだされ、路頭に迷った。誰も貴族に見捨てられた娼婦とその息子など守る気はなかったからである。お家騒動にすら使えないし、使えるような駒でもなかった。

 程なくしてジョディが死んだ。エメリッヒの屋敷を出る前に散々痛めつけられた傷が癒えなかったのだ。娼婦を穢れたものだとみる七耀教会にも埋葬を拒否されたジョディの遺体は、ヨギが一人でこっそりエメリッヒの屋敷の近くの森に埋葬した。死体遺棄の罪に問われる可能性はあったが、どうしてもヨギには母を埋葬しないという選択肢が取れなかったのだ。

 母を埋葬し、失うものがなくなったヨギはもう容赦するつもりはなかった。母を虐げ、自分に毒を盛ったアルベルティーナも。それを知らず、最後には屋敷から叩き出したエメリッヒも。自分からその立場を奪い、のうのうと生きている弟も。メイドたちも、それに連なる全ても。ヨギに全てを赦すつもりはなかった。赦す必要性すら感じなかったのだ。

 彼ら全てに屈辱的な死を。それを胸に、ヨギは行動を開始した。最初に屈辱を味わわせるのは――エメリッヒからだ。幸い、使える醜聞には心当たりがある。ヨギは顔を変え、社交界を渡り歩きながらエメリッヒとその一族を徹底的に貶めた。心無い噂を流し、周囲から孤立するように仕向けて。たとえば、使っているメイドは全て娼婦だとか。幼い子供と正式な妻がいるのに屋敷ではメイドたちとの酒池肉林が繰り広げられているとか。人間性を疑われるような噂をしつこく流した。

 そうやって社会的な地位を貶めたことにより、十五年でエメリッヒは降格を余儀なくされた。あまりの屈辱に自室で避けに溺れているところを冷静に観察していたヨギは、口さがない噂を流されて追い詰められたメイドに最後の追い打ちをかけてエメリッヒを殺させた。彼女は噂のせいで婚約者に逃げられ、実家に帰れなくなったのだ。そのままその場で自害したのを冷静に見ていたヨギは、それを無理心中に見えるよう工作して隠し部屋へと潜む。

 隠し部屋の隙間から見ればエメリッヒに縋りついたアルベルティーナが豚のような悲鳴をあげて、ヨギは笑みを隠せず呟いた。

「いい気味だ」

 ざまあみろ、である。次はメイドたちだ。この混乱に紛れて賄いに毒を混ぜ、落ち着いたころに殺す。アルベルティーナに散々当たられたメイドたちは何の疑いもなく賄いを食べ、悶絶して死んでいく。あっけないものだ。人間はこんなにも脆い。そして、助けを求めたところで誰かが助けてくれるわけでもない。知っていた。分かっていた。そんなことは、ヨギが十分体験してきたことなのだから。

 毒で苦しみ、声を漏らすメイド。

「助け、て」

「残念でした。助けなんてあるわけないよ、メイドさん。……だって、誰も僕を助けてなんてくれなかったじゃないか」

 くつくつと嗤い、ヨギは次に殺すべき人物のところに向かった。次は弟だ。アルベルティーナは最後。全てを喪ってから死んでもらおう。そうでなければヨギ自身が救われない。十五年間も育ててきた殺意は、名も教えて貰えなかった弟をも簡単に殺せる。そう思っていた。彼にも絶望を味わわせてから死んでもらおう。父が死んでショックを受けているに違いないから、それ以上に絶望を教え込んで。

 意気揚々と鼻歌を歌いながら、弟の部屋――元の自分の部屋に向かう。そこにははたして弟がいて、窓の外に向けて膝をつき、祈っていた。

「空の女神よ……何故父上は殺されたのですか。領民を裏切ることもせず、実直に働いていた父が何故……」

 そのあまりにも真摯な言葉に、ヨギは笑いを堪えられなかった。

「あははははははははっ! 何故父が殺された? 娼婦をメイドとして雇ってたからさ! 領民を裏切ってない? そんな訳ないじゃないか。私腹を肥やしてなかったらこんな屋敷になんて住めてないぞ! 実直に働いてたぁ? そもそも実直なんて言葉が似合わない男もそういないだろうよ!」

「だ、誰ですか!」

 そう言って振り返った少年は、驚くほどヨギに似ていた。そのことにヨギは驚かない。彼は父似だったからだ。しかし彼は驚いた。当たり前だろう。いきなり父を侮辱されたと思えば、父に似た中年男性がそこで笑っているのだから。訳が分からなかった。彼が誰であるのか、彼には全く分からなかった。当然だろう。彼はヨギの存在など教えられなかったのだから。

 にやにやと笑いながらヨギは答えた

「お前の兄貴さ。残念だけどあのくそ親父が救われることなんてあるわけがない。だって僕も救われなかったんだからな」

「……兄、様……? 貴男が? 父上を侮辱する貴男が!?」

「おいおい、信じられないって顔すんなよ。ここは元々僕の部屋だ――何なら証拠でも見せてやろうか?」

 そう言ってヨギはこの部屋にある隠し通路を全て言い当て、机の裏に掘られた自分の名前を指し示して見せた。そのことに、彼は信じざるを得ない。誰も知らないはずのことを、父に似た人物が知っている。それは――確かに、父の息子である証拠のような気がしたからだ。

「貴男、は」

「おら、泣けよ」

 呆然と呟く彼を、ヨギは蹴り倒した。かつて昔彼がそうされたように。殴り、蹴り、痛めつけた。泣き叫んでも、どれだけ助けを求めても、赦さなかった。それはかつての再現であり――そして、訣別の儀式でもあった。ヨギが訣別すべきはかつて貴族としてそこに在った彼自身――『Joachim Gunter』だ。彼はあの時殺されたのだ。目の前にいる弟と同じように。頭から血を流し、無様な姿で死んだのだ。

 たった一人の弟は、ヨギの手によって殺された。

「……足りないなあ」

 だというのにヨギはそうつぶやいた。まだ殺したりないのだ。それは本命を最後に残していたからであり――その女こそがメインディッシュだ。弟の部屋で響く破壊音に気付いたアルベルティーナが駆け込んできて、一目散に彼に駆け寄った。

 そして――死んでいることに気付いて、名を呟いた。

「どうして……アルベルト」

 そこで、初めてヨギは弟がアルベルトという名だったことを知った。もっともそんなことはどうでもよく、みじめに泣き叫んでいるアルベルティーナだけが彼の興味を引いている。彼女が苦しみ、自分の手にかかって死ぬことだけを求めていた。この十五年間ずっと。かつての若く、美しい女だったアルベルティーナに女としての屈辱を味わわせてから苦しめ、殺したかった。

 だというのに。

「……何で」

 目の前にいる女は、どこまでもジュディに似ていた。正確には、死の間際のジュディに、だ。頬はこけ、顔色も悪く、髪も白く染まっている。あの時のような豊満な肉体は見る影もない。かつては全く似ていないと思っていたジュディとアルベルティーナは、同じような状態になって初めてかなり似ていることが分かってしまったのだ。

 

 同じ薄い金色の髪。瞳は血のように赤い。アルベルティーナの人目を引くような華やかな美しさは、やつれることによってジュディと同じように控えめな顔になっている。顔のつくりも、肩の形も、シルエットも、何もかもが同じだった。絶対に叶わないとはいえ、二人を並べてみれば双子ではないかと思うほどに。

 

 無論、アルベルティーナが整形をしたわけではない。元々彼女らは似ていたのだ――その、血のつながり故に。アルベルティーナは『Gunter』に連なる家の者で、エメリッヒとは従妹だった。そして、ジュディは彼女の父の時代に没落した『Gunter』の分家の一族で、アルベルティーナとは従姉だった。要するに誰と結ばれたにせよ近親婚だったということだ。

 それに気付いたのはアルベルティーナが先だった。だからこそジュディを毛嫌いし、苛め抜いたのだ。自分に似ておきながら全てを奪って行こうとする女だから。彼女が追い出されて、死んだことによってやっとアルベルティーナは安寧を手に出来たのだ。エメリッヒがそれを知っていたことを知ったのは、ついさっきのことだった。

 ヨギがそれを理解出来なくて声を漏らす。

「何で、どういう、これって……」

「……ああ、お前がアルベルトを殺したのね。可哀想に――どうせ、エメリッヒの手の上で踊っていたにすぎないのに」

 故に、ぐちゃぐちゃの思考のままアルベルティーナはそう返した。どうせ全員が踊らされていたのだ。ヨギを追い出すためにエメリッヒに使った薬は、もともとエメリッヒの書斎にあったもの。そして、それは昔からずっと受け継がれているもの。それさえ呑ませれば短時間だけ言うことを聞かせられる魔法の毒薬だったのだ。その瓶には素っ気なく《叡智》と書かれていた。

 アルベルティーナがエメリッヒに《叡智》を盛ったことを、彼は怒らなかった。むしろいいデータが取れた、と彼女をほめたくらいだ。あの時点から彼は変わってしまって、何らかの怪しい実験に没頭するようになってしまった。止めようとすれば怒られ、アルベルトを巻き込まないようにしようと思っていても出来なかった。アレは確かに禁断の薬だったのだ。

 しかし、そんなことを知るはずもないヨギはアルベルティーナの言葉を理解出来ない。

「……黙れ」

「黙らないわよ。お前もわたくしも同じ穴の貉なの。諦めて大人しくなさいな。……もう、どうやったって後戻りは出来ないんだから」

 アルベルティーナは知っている。ヨギに盛った毒のうち、彼の把握していない毒が一種類だけある。それこそが《叡智》。そして、アルベルティーナ自身もそれを摂取してしまったことがある。ヨギが盛った毒だ。つまりお互いがお互いに、《叡智》に侵されている。いずれエメリッヒのように豹変してしまうのだろう。それでも――アルベルティーナには貴族としての矜持がある。ただでは死なない。

 ポケットに手を入れ、アルベルティーナは隠し持っていた最後の《叡智》をヨギに叩きつけた。コレは経口摂取するだけでなくともいい。皮膚から吸収も出来る上に、ある程度の閾値を超えると周辺から《叡智》を吸い寄せることすらできる。

「このアマぁ!」

 毒を浴びせられたと思っているヨギがアルベルティーナに襲いかかる。殴られ、蹴られ、内臓を潰され、骨を折られながら――それでもアルベルティーナは笑っていた。誰かに乗っ取られずに死ねることに安堵していた。アルベルティーナは『アルベルティーナ』のままで死にたいのだ。断じて誰かに乗っ取らせたりはしない。誰にも利用されることなく、利用するだけして死にたいのだ。

 ヨギが我に返った頃、アルベルティーナは安らかな顔で死んでおり――そして、彼はそれを知ることはなかった。何故なら、気付いた時には既に屋敷にはいなかったからだ。

 

 彼がいたのは、古い遺跡の中。果たせなかった憎しみを無抵抗な子供達で晴らすため、ヨギは――その集団によって『ヨアヒム・ギュンター』と名付け直された彼は、《叡智》の研究者となったのだった。それは彼の一家の宿命。そして――《叡智》によって疑似的な不死者になったヨアヒム自身の宿命ともなったのであった。




 ちなみにこの先明かされることはないと思うので少々解説。
 彼の姓を明かさないために敢えて使った『戦軍』という言葉。アレは一応彼の姓『Gunter』からきています。元々の形は『Gunthar』あるいは『Gunther』で、古いドイツ語で「戦う」を意味する『gund』と「軍団」を意味する『heri』に由来するそうです。それをちょっと都合よく単語っぽくして『戦軍』。
 まあ、あんまり彼には似合わない気もする姓です。


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~クロスベルの一番長い日~
終焉の兆し


 旧198話~199話のリメイクです。

 今話より月三回、10日、20日、30日の投稿となります。


 次の日。アルシェムは自室で目を醒まして起き上がろうとし――失敗した。どうやらまだ先日の戦闘やら精神的負担やらの影響で心身ともに疲れ切っているのが抜けていないようだ。彼女は何度か体を起こそうと試み、どうしても億劫になって起き上がれないことを確認すると大きく溜息を吐いた。どうすることも出来ないわけではないが、それをするのもまた億劫なのである。今は何もしたくない。そう思って――唐突に跳ね起きた。

 それに気付いたレンがアルシェムをおしとどめた。

「ちょっと、何してるの、アル」

「……いや……何、してんだろう……おかしいな、起きられるような状態じゃないはずなのに……」

 そう言いながらもアルシェムは服に袖を通そうとするので、レンは彼女を無理矢理ベッドに押し込んだ。どう見てもフラフラで顔色は蒼白である。押し込むときに触れた掌も冷たい。最早死人のようだ、と考えてレンはその思考を振り払った。そんなことがあってはならない。これ以上自分から奪われるのはもう嫌だ。歯を食いしばり、なおもベッドから出ようとするアルシェムの身体をおしとどめる。だが、止まらない。

 自分の状態に困惑したような顔をしてアルシェムが呟く。

「レン」

「駄目よ。起こしてなんてあげないわ。……寝てなさい。お願いだから」

「……でも、多分こんな状態だってことは起きなくちゃいけないってことなんだと思うんだけど……」

 そう言いながら起き上がろうとして、手を震わせる。よく見なくとも、誰が見ても彼女は起き上がっていていい状態ではなかった。それこそ自身でさえ自覚しているのだから大人しく寝ているべきなのだ。――もっとも、それを赦さない人物がいるからこそアルシェムはこうして起き上がることを余儀なくされ、下僕の如く働かせられようとしているのだが。

 と、そこにノックの音が響いて扉が開かれた。

「アル? 大丈夫……じゃないな」

「ちょっとロイドお兄さん。レディの寝室に返事がある前に侵入して来るとかいろいろ疑われたいのかしらこの変態」

「そ、そんなわけないだろ!? ……その、ごめん」

 ロイドは罰の悪そうな顔になってアルシェムに今日は休むように告げた。レンにも言われ、果てには駆け付けて来た支援課のメンバーたちからも言われる。『休め』というその言葉は、その場に駆け付けていたある少女によってアルシェムの状態が動けるものではないと認められるまでかけられ続けた。彼女が駆け付けなければ、アルシェムは何としてでも動き出そうとしただろう。自分の意志に反して。

 だが、それはいとも簡単に覆される。動いてはいけない、誰もが彼女が動くことを望んでいないと知ったからこそ――アルシェムはベッドの上で倒れ込むことを赦されたのだ。ロイド達は情報収集に出かけ、動けないアルシェムは一人自室で眠りについていた。

 

 次にロイド達がアルシェムの部屋を訪れた時――そこに、アルシェムの姿はなかった。()()()()()()()()

 

 ❖

 

 彼は、協力者からの情報で操るに最も適した人物がいることを知り、彼女につけられている監視の目を外させてからその部屋に侵入した。本来であれば目を醒まし、即座に切りかかってくるだろう彼女はしかし意識を失ったままだ。全く以て都合がいい。彼はほくそ笑んで彼女の身体を掴み、人目につかないように注意しながらジオフロントまで彼女を運んだ。そこにはあるものがまだ残されているからだ。

 前に来てからまだ一ヶ月しか経っていなかったな、と思いつつ彼はそこに残されていた施設に碧い液体を注ぎ込み、拘束した女をそこに沈めた。しかし彼女は溺れることもなくそこに満たされた液体を吸収していく。これほどの量を摂取し、それでもなおまだ人間の形を保っていられるのはやはり彼女が普通の人間ではないからか。そう考えたが、そう言えば《アルタイル・ロッジ》にもかつて同じような検体がいたはずだ。確か同じような銀髪の――

 そこまで考えて男は目を見開き、思わず漏らした。

「そうか、この女が『シエル・マオ』、か」

 それは《アルタイル・ロッジ》最高峰の傑作の名だ。《叡智》を吸収し、第六感を人間の限界以上の高められた検体。だというのに『彼女』と感応することなく他人との感応力だけが無駄に発達した検体だ。結果的には各国の重鎮から情報を抜き出すための駒として《楽園》に送られ、そこから行方不明になったはずだがこんなところで発見できるとは。

 男は笑みを抑えきれず、彼女の意識にアクセスしようと準備を始めた。これだけ《叡智》を吸収していれば意識同士で直接会話することも可能だろう――もっとも、顔を合わせえて生身の肉体同士で語り合えば確実に殺されるからこそこういう迂遠な方法を取っているのだが。苦笑しながら準備を終えた男は、その手に持つ杖を媒介にして力を解放する。

 そして男は彼女の精神世界に潜り込んだ。

「……これは……」

 そこは、見渡す限り氷の世界だった。足元には分厚い氷の層。周囲にはキラキラと銀色に輝く雪が舞っている。空からは金色の光が降り注ぎ、男を照らしていた。その光景は確かに美しい。だが、そこには生きとし生けるものは存在しなかった――そう、この心象風景を作り出しているはずの彼女すらも。眉を顰め、女を探そうとして――唐突に彼の目の前に人間が現れる。

 その人物は、男にこう告げた。

「そなたもあの子を苦しめるのか」

「……誰だ、お前は」

 男はその人物――女性の異様な姿に眉を顰めた。まず彼女には色がない。髪も白い。虹彩も白い。肌も、唇ですら白い。血が通っているようにも見えない。よく言えば神秘的で、悪く言えば不気味。顔面は整っているが、首から下には傷跡しかなかった――むしろ全裸だった。といっても欲情を齎すような姿でもなく、見るだけでただ醜いとしか形容できない姿。

 女性はしゃがれた声で男の問いにこう答えた。

「覚える必要はあるまい。わらわは既に表舞台からは消えた身故」

「ここはあの女――アルシェム・シエルとかいう女の精神の中のはずだが?」

 男は女性にそう返すと、女性はコロコロと笑った。

「そなたは確かにあの子の精神におる。わらわも今はあの子の一部じゃからのう」

 今は、と言ったところで遠い目をした女性に男は眉を顰めた。つまり二重人格だとかそういう話ではないということに気付いたからだ。そもそも彼女が主人格でアルシェム・シエルが従人格であれば、あまりの変容ぶりに周囲が必ず気づいていたはずだからだ。もっとも、男はそこまでアルシェム・シエルについて知っているわけではなかったが。

 軽く息を吐き出した女性は、男に告げた。

「まあ、どうせこれっきり誰とも会えず消えるは必定。故に答えてやっても良い。わらわがかつて何と呼ばれておったのか――わらわが誰だったのか」

「僕にそれを聞くメリットがあるとでも?」

「ないじゃろうな。しかし――今しかない。あの子と、わらわが出会えるのはこれで最期じゃからの」

 そして女性は男の背後に回って背を押しながら告げた。

「わらわはあの子の前任者。《星杯騎士》の《第四位》にして《雪の女王》ユキネ・テンクウ。そして――」

 そのあまりの情報に男は振り向いて、どこか別の場所に移転させられかけている中で、見た。

 

「あ奴によってあの子のために生み出され、あ奴のせいであの子のために舞台に上がることすら赦されず、あ奴の干渉で誰にも名も知られぬままに消えゆく数多の命の集合体よ」

 

 凄惨な笑みを浮かべる、醜い女の本性を。

 

 そして、だからこそ男はその女性の笑みに恐慌状態になった。そう――男のせいで真碧に染まったその世界で、容赦なく彼女の精神を壊しにかかるくらいには。それでも彼女――アルシェム・シエルの精神は頑強で。彼女が男に屈服したのは、その次の日のことだった。

 

 ❖

 

 アルシェムが消えた。特務支援課の一同は彼女を探し回ったが、どこにも痕跡は残されていない。裏の世界にいたレンですらその痕跡を見つけられず、何故消えてしまったのか全く以てわからない。しかし、彼らの前には常に答えが落ちている。もっとも、それが答えであると彼らが認識できるかどうかは別であるが。それでも、彼らがそれに気付いたのは、《ルバーチェ》に乗っ取られた聖ウルスラ医科大学を解放した後だった。

 それに最初に気付いたのはロイドである。

「ちょっと待てよ……消えた人たちの皆が皆一回不自然な成功を収めているってことは、まさか……」

「まさか、じゃないわ。……まさかこんなところに影響するだなんて思わなかった。こんなことになるならどんな手を使ってでも止めたのに……」

 次にレンがロイドの言葉で確証を得、言葉を漏らした。そう――クロスベル市内から消えた人物たちは、恐らく皆が《グノーシス》を服用しその影響下にあったのだろう。自室から消えていたアルシェムも例外ではない。それにまだ解決できていない問題もある。――その人物がどうやって、それだけの研究を行えるミラを手にしていたのか、だ。

 そんな中、血の気の引いた顔をしたまま黙り込んでいるティオは思案していた。確かに最初に言っていたのだ。『《D∴G教団》の首魁と、それを隠れ蓑にしている人物たちを追っている』と。ならば失踪は偽装で犯人を追いかけているのかと思っていた。だが、ロイドの言葉が正しいのならばアルシェムは――すでに敵の手に堕ちていることになりやしないだろうか。

 最悪の場合、《ルバーチェ》構成員と同じようにアルシェムが操られて《星杯騎士》としての力を十全に振るいながら襲い掛かってくる、などという状況もあり得る。そんな状況になった場合は全滅も必至。むしろ死なない方がオカシイ。だが、アルシェムには操られるような兆候もなかったうえに簡単に操られるとも思えない。ならばやっぱり潜入か、と考えつつティオの脳内が煮詰まっていく。

 やはり、アルシェムがどんな立場に置かれることになってでも話すべきだ。そう判断したティオは口を開いた。

「あの――」

 その瞬間。

 

「全員伏せろッ!」

 

 滅多に聞かないセルゲイの焦った叫びが聞こえ、ティオは咄嗟にその場に伏せた。すると頭上を何かが通り過ぎていくのを感じる。それと、規則的に響く音も。この音は何の音だっただろうか。嫌な予感がして、ティオは顔を上げようとしてランディに抑え込まれる。

「伏せてろティオすけ、機関銃だ!」

「な――ッ!」

 一度止んだ、と思いきやもう一度一斉掃射するオマケつきで課長室は銃弾の嵐に蹂躙された。それが止むまで必死に蹲っていた一同は、ようやく止まった銃撃に体を起こしてこの場にはいない子供達――聖ウルスラ医科大学で保護したアリオス・マクレインの娘シズクも現在支援課ビルにいるのである――を救出しに向かい、何故か部屋には傷一つないことに首をかしげながら支援課ビルを飛び出した。

 外に出て、あまりの光景にエリィが声を上げる。

「な、こんな、こんな……何で警備隊がッ!?」

 その声に反応したのか、警備隊員がわらわらと集まって来たので慌てて一同は逃げ出した。クロスベル市内のどこを駆け回っても追いかけてくる警備隊員。それを振り払いつつ、徐々に戦闘不能状態に追い込みながら進む支援課とダドリー。キーアとシズクはツァイトの背に乗って駆け、とにかくクロスベル市内から脱出しようとタングラム門方面へと出ようとして――前方に回り込んでくる戦車が。

 その戦車はロイド達に砲門を向け、弾丸を撃とうとする。

「ちょっ……」

 それを阻止しようと、ランディが一人戦車に向けて吶喊しようとして――

 

「この、アホンダラどもがぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 目の前で戦車が真横に吹き飛ばされるのを見た。その代わりに戦車の前に立っているのはリオ・コルティア軍曹。スタンハルバードを振り抜いた状態で視界に入った彼女は、そのまま戦車に追撃をかました。砲口を物理的に叩き潰し、コックピットを歪ませて中にいる隊員を容易には出られないようにしたのだ。その手際にロイド達は盛大に引いた。

 そんなロイド達にリオは声をかける。

「ちょっと、ロイド君達! 呆けてないでとっとと進ん――うええっ!?」

 早く行け、と言おうとしたリオに、クロスベル市内から砲弾が撃ち込まれた。まさかの出オチにロイド達は顔を引きつらせる中、警備隊員が追いかけてきたのを見て取ったロイド達は急いでタングラム門へと向かおうとするがそれは出来なかった。道なき道を迂回したらしい警備隊員がタングラム門方面から現れたからだ。万事休す――と思いきや唐突に滑り込んでくる一台の導力車がいた。

 その導力車の窓が開き、中に乗っている人物が叫ぶ。

「乗りたまえ、支援課の諸君!」

 それはIBCのディーター・クロイスだった。ひとまずロイド達はその車の中で一息つき、ディーターの提案によって一時IBCに立てこもることになる。強力な合金で出来た門ならば容易に破られないと踏んだのだ。もっとも、それを楽観視していないレンとティオはネットワーク上でのセキュリティを万全にすべく地下へと向かい、ランディはIBCに避難してきていたとある人物から本来の武器を手に入れ、ロイドとエリィは一時の休息を得た。

 その休息の時が終わったのを知ったのは、窓の外に信じがたいものを見たからだ。正確には、門の外。こぞってIBCの正門を爆薬で破壊せんとしていた警備隊員たちを薙ぎ倒したにも拘らず、その門を破壊した人物がいるのだ。その人物は短い銀色の髪をしていて、その位置からまっすぐとロイドを見据えた。その瞬間ロイドは悟る。アレはアルシェムであってアルシェムではないと。

 すぐに全員に声をかけ、IBCの玄関でアルシェムを迎え撃つ。

「アル……!」

『……襲撃を止めたければ、今すぐにキーア様を渡したまえ』

「違う、ヨアヒム・ギュンター……!」

 アルシェムでは絶対に出来ない()()()()()()()凶悪な笑みを浮かべた彼女は、唯一彼女の部屋から持ち出せた導力銃を構えてロイド達に向け、発砲する。しかしそれは誰に当たるわけでもなくランディのブレードライフルによって止められた。

 そして弾丸を止めたランディは周囲の人間が心底震えあがりそうになるほど冷たく昏い声で告げる。

「……ふざけんな。とっととソイツから出て行け……さもないとどんな手を使ってでもテメェを滅ぼすぜ」

「同感です。アルは……私の恩人なんです。貴男なんかが乗っ取って良い人じゃない……!」

「うふふ、楽に死ねるとは思わないことね」

 敵意をあらわにするランディたちに一瞬『ヨアヒム』の手が緩む。そこに遅れてロイド達も声をあげた。

「仲間の身体……返してもらうぞ!」

「アルから出ていきなさい、この変態!」

 しかし、その答えは『ヨアヒム』を喜ばせるだけだ。襲撃を止めるよりも何よりも、今自分が操っている体を人質にすれば良いだけの話なのだから。先ほどよりもよほど交渉しやすい。狂気の笑みを浮かべ、導力銃をアルシェムのこめかみに突き付けて――

『さあ、選びたまえ。キーア様か、この女か――』

 

「選ぶ必要はない。太陽の神殿――古戦場の奥へ。そこに本体がいる」

 

 本来の身体の持ち主の声でとんでもない情報を吐いた。それに驚愕したのか戦力を増やすためなのか、『ヨアヒム』は撤退を余儀なくされたのだった。




 この先絶対出せない前任者さんにちょっとだけ出張って貰いました。リメイクする前は名前も決まっていなかった人で、ここで出る予定すらなかった可哀想な人。


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マリオネット

 旧200話~201話のリメイクです。


 ロイド達は、思ったよりも妨害が少ないことに疑問を抱いた。当然操られた《ルバーチェ》の構成員達が襲撃してくるはずだと思っていたし、それが足りないからと《異界化》――上位三属性が働く状態をこう名付けた――を利用して魔獣のようなものをけしかけて来るのもまだわかる。だが、どう考えても聖ウルスラ医科大学で襲撃してきたアーネスト・ライズやアルシェムをそのまま当ててくればいいだけの話だと思うのだ。道半ばまで進んだところでロイド達は首をかしげた。

 そこまでに襲撃してきたのは魔獣のようなもの、だけだったのだ。途中で追いついてきたエステルとヨシュアを何故か途中で消えているレンの代わりに加えて先に進んでいた一行は疑問を抱くしかない。実際に道中でエリィが声を漏らしたほどだ。

「……何でアーネストさんとかアルが出てこないのかしら」

 その疑問にエステルとヨシュアが遠い目をして立ち止まった。あの悪夢はある意味考えたくはない。かつて《輝く環》内部にて操られた――と言ってもすぐに戻ったが――時の威圧感はまだ覚えているし、先日《グノーシス》の影響を抜くために戦っているところに通りがかった際も強烈な一撃を喰らったところなのだ。今出て来られると困る、というよりもむしろ全滅必至なんじゃ……などと考えて溜息を吐いた。

 そしてエリィに返す。

「エリィさん……正直に言って、アルが本気で襲撃してきたらイロイロと終わりだと思うわよ」

「そ、それはまあ分かるけど……でも、むしろ私達に来てほしくないのだとしたら襲ってくるんじゃないかしら」

 ヨアヒムが彼女を使って特務支援課の一同やエステル達を襲撃してこない理由がある、ということか。エステルはそう解釈した。相変わらず事件の最後の方には単独行動の上で危険な目に遭うというコンボを喰らっているアルシェムではあるが、こういうパターンは初めてだ。基本的には余裕を持ったままで相手に捕まって自我を保ったままで切り抜けて来るのが常だったのだ。だが、今回は精神的に弱った状態だったと聞いている。ならどうなるのか、という予測が立てづらい。

 とそこにヨシュアが口を挟んだ。

「それもあるだろうけど……多分、ヨアヒム・ギュンターではアルの能力を十全に使って襲撃するのは無理なんじゃないかな」

「どういうこと?」

「……そうだね、たとえばアルは気配を消せるけど――あれは、僕の隠形とは違うんだ」

 ヨシュアの言葉に一同は首をかしげた。それと同時にヨシュアの姿が掻き消え、数十セルジュ先で佇んでいる姿が現れる。それに一同は驚愕し、慌ててヨシュアに追いついた。ランディだけはその種が分かっていたのでヨシュアに向けて微かに険しい目を向ける。アレは明らかに裏の人間の所業である。もしもヨシュアのいる位置に誰かがいたとして、その誰かは殺されたことにしか気づけないだろう。無論、下手人の姿を見ることすら不可能だ。何故ならヨシュアはそこにいないのだから。

 ランディはヨシュアに向けて声を漏らす。

「それが《結社》時代に身に着けた奴、か」

「そういうことです。僕の隠形は『周囲に同化する』。でも、アルのは違う。アルのは――『自分の気配すら殺す』んです」

 それをヨシュアが実行できたことはない。何故なら、いくら死体同然の精神状態だったからと言って彼に自分を殺すだけの度胸が残っていたわけではないのだから。何故死なせてくれなかったのか、と憤りはしてもそこから自分で死を選ぼうとはしない。もしそんな覚悟を得たとしても、自分の刃で自分を殺すことなど出来やしなかったのだ。

 しかしアルシェムはそれをやってのける。息をするように。そんなもの簡単だと言わんばかりにあっけなく。《ハーメル》の時には身につけておらず、《楽園》から脱した時には既に身に着けていた。ならばその間の《アルタイル・ロッジ》あるいは《楽園》でその術を身に着けたのかと問われると、やはりそれも違う。故に――彼女が前に言った『共和国の家族』こそがそれを教えたのだろう。

 よって、ヨアヒムに自分を徹底的に殺しつくす覚悟がない限りはアルシェムの隠形を扱えないことになる。そうヨシュアは告げた。その言葉に反駁したのはランディだった。

「だが、アイツに自分を殺すだけの覚悟があるのか?」

 その問いには誰も答えることが出来なかった。エステルとヨシュア、そしてティオはアルシェムの正体を知るが故に。エリィはアルシェムの底しれなさを知るが故に。ロイドはそんなことを考えなくてはならないほどの経験をしたのかと悶々と考え始めて。そしてランディは――ある疑問を胸の中に抱いて。道中を誰もが沈黙で進んだ。それでも連携が出来ていたのはいかなる奇蹟か。

とにかく、隠形のことがなくともアルシェムやアーネストが襲撃してこないのは何故なのか。その疑問が解消できたのは、暫く内部を進んだ後のこと。奈落へと続くような長い長い階段を下った先で立つ、とある人物を見てからのことだった。その人物は全身を黒い装束で包み、足元で倒れ伏しているアーネスト・ライズをこれでもかと蹴り倒していた。

 それを見てロイドは思わず声をかける。

「な、何をしてるんだ……《銀》?」

『……とっとと情報を吐くと良い、アーネスト・ライズ。残念ながら私は気が短い方でな……うっかり殺してしまうやもしれん』

 そう言いながら苦無をアーネストに投げつける《銀》。それに対してアーネストはうめき声を上げながら否定の声を漏らした。その状況を見て暴行・恐喝の疑いで《銀》を現行犯逮捕しようとしたロイド達だったが、《銀》はそれを一蹴した。正当防衛だ、と言った《銀》は過日アーネストが何をしでかしたのかを語ったのだ。《銀》に自慢げに語ってきたその事実を。

 覆面で感情を見せない《銀》は微かに震えている声を絞り出した。

『この男は――今ではアルシェム・シエルと呼ばれる女を薬漬けにしたのだ。それも、あの私を騙って市長を暗殺しようとした前日にな』

「なっ――!?」

 そのことを今の今まで知らされていなかった一同は驚愕を隠せなかった。確かにあの日、アルシェムは帰ってこなかった。事件の日になり、それが起きた時まで彼女が一体どこにいたのかロイド達に知るすべはなかったのだ。そしてアルシェムもそれを語ることはなかった。その必要もなく、語られたことによって何かが変わってしまうのを恐れた人物がいたからだ。

 どうせその事実があったのだとしても教えて貰えるわけがなかった《銀》は、調査の結果分かってしまったことをもとに彼女に起きたことを組み立て直して――そして、心底自分の言葉を後悔したのだ。『どんな形でも良いから』? そんなもの、地獄を味わった彼女に言って良い言葉ではなかったのだ。彼女は《銀》を庇って囚われ、被験者にされたのだから。

 それを知って、この先まで行きたい気持ちはある。恐らくこの先にはその首謀者が待ち受けているのだろうから。だが、今の《銀》の雇い主は仮にも《黒月》でありあの時契約を交わした仮面の神父だ。何故かこの件に関しては仮面の神父から何も言われていないので《黒月》からの指示に従っている。その指示によれば――《銀》がここにいられるのもあとわずかなのだ。だからこそ情報を搾り取ろうとしていたのである。

 苛立つ心を隠しきれず、《銀》はもう一度アーネストを蹴りつけた。

『……時間か。命拾いしたな、アーネスト・ライズ』

 強烈な蹴りを男性の象徴に受けたアーネストは悶絶するしかない。こんな時だというのにロイドとランディは思わず大事なところを隠してしまった。何となく《銀》の正体に感づいていて、何故かこの場に同行しているヨシュアも同様である。アレは痛い。そして中の人物がヨシュアの想定している容疑者ならばある意味ご褒美である。

 取り敢えず悶絶したまま転げまわっているアーネストを拘束し、ロイド達は先に進むのだった。――出口へと向かう《銀》とは対照的に。

 

 ❖

 

 天空を飛翔する紅の機械人形。それを見ながら、戦車とレースをした際に負傷してしまったセルゲイは苦笑を漏らした。確かに遊撃士協会から情報は回ってきていたし、彼女がそれを操ることも知っている。だがあの大きさはない。あれだけの隠密性を棄てて襲撃してくるバカバカしさに思わず吸っていた煙草を吹き出したほどだ。ああ、もったいねえ。そう思いながらもセルゲイはそれから目を離すことが出来ない。

 そんなセルゲイにレンは苦笑して言葉を漏らした。

「そんなバカみたいに口を広げて見なくても良いじゃない。《パテル=マテル》は――彼は、レンを護ってくれるだけよ」

「いや、その……お前、これメンテナンスとかどうするつもりなんだ?」

 口を突いて出たのはそんなどうでも良いことで。レンはそのバカバカしい問いに秘密、とだけ答えて《パテル=マテル》の手の上に座った。そして上空から穴を開けつつ下降していく。どうやら強引にショートカットして進んでいくらしい。

 ふーっ、と溜息を吐いてセルゲイは星しか見えなくなった空を見上げた。

「全く……ああいう強引さがないともう、歴史は動かせないのかねぇ」

 自分の吐いた言葉の意味を考えることなく、セルゲイは体力を温存するために軽く眠ることにした。目を閉じて彼が見る夢は――やはり、悪夢ばかりで。それでもそうはならないという根拠のない自信が彼を夢の中に留まらせ続けるのだった。

 

 ❖

 

 ロイド達が神殿の最深部付近に辿り着いたころ、唐突に轟音と共に目の前に大穴があいた。

「な、何だ!?」

 狼狽したロイドがそう声を上げると、目の前に紅の機械人形が浮かび上がってきた。その手に乗っているのは――レンだ。それを見たヨシュアは頭を押さえ、エステルは素っ頓狂な声を上げて説教をしにかかった。

「ちょっとレン! 危ないでしょうが!」

「仕方ないじゃない。普通に攻略するよりこっちの方が早いんだもの。それに、当ててないでしょ?」

「当たってないけど、いきなり来たら敵襲かと思うじゃないの!」

 むう、と口をとがらせたレンはむくれながら《パテル=マテル》に指示を出す。すると、彼はとある方向に向けて肩の主砲を二発撃ち出した。それはある意味でそこにいた魔獣どもを殲滅し、ついでに射線上にいたらしいとある男に直撃する。見晴らしの良くなったその場所でその男を視認したランディは思わず手を合わせかけた。まだ死んではいないだろうが、瀕死になったであろうことは想像に難くない。

 ランディはその男から目を離すことなくレンに問うた。

「狙ったのか?」

「だって狙って欲しそうにこっちを見てるんだもの。それなら撃ってあげないと可哀想だわ」

 うふふ、と笑ったレンは《パテル=マテル》にナビゲートを頼んで先に進み始める。ロイド達もそれを追って先へと進み始めた。どうせ先に進まなければならないのだ。この先に何が待っていて、何と戦うことになるのだとしても。それが実現したことのある未来である限り、些細なことが違おうがその道筋は変わらないし変えられない。そういう風に定めた人物がいるのだ。

 ロイド達は吹き飛ばされた男――ガルシア・ロッシを横目で見ながら最終地点へと突入した。最大限の警戒と注意を払って突入したその先にあったものは――球体。彼らにとって『揺籃』と認識できてしまっているその球体は、《ルバーチェ》が聖ウルスラ医科大学で暴れていた際に入手した教団のファイルの中にあったものだ。その『揺籃』の中にはキーアが――ロイド達から見れば――囚われていた。今はそこには誰もおらず、ただほの碧く光っているだけ。

 それを見たレンは低く声を漏らした。

「……気に入らないわね」

「ええ、気に入りませんね。入らないのか、入れる必要がないのかは私にはわからないですけど……見せても問題ないものって彼が認識していること自体が気に入りません」

 レンに同意するようにティオがそう返す。その場にいる人間にその言葉の意味は分からなかったが、レンにだけは分かった。アルシェムはあの球体に囚われていてもおかしくなく、むしろキーアがそこにいたこと自体がオカシイのだと。ただ、彼女らは知らないが『キーアはそこに入っていなければロイド達と出会うことすらなかった』のだ。故にアルシェムはそこには立ち入れないし無理やりにでも入れようとすれば即座にその行動を止めざるを得ない状況に陥らされるだろう。

 そんなこととは知らず、ティオの言葉尻の意味を理解したエリィが声をあげた。

「……見せても問題ないっていうことは私達を絶対にどうにかする自信があるってことよね。確かにその点に関しては気に入らな――え?」

 その時、エリィの視界の端で何かが光った。咄嗟にその方向を振り向こうとして、目の前を黒いモノで遮られていることに気付く。否――それはヨシュアだ。ヨシュアがエリィの隣に立っていて、周囲を警戒しているのだ。その理由が何故なのかを考えて、何故ここまで警戒し続けて来たのかを思い出したエリィはヨシュアの向こうを覗き込もうとして――次は誰かに引っ張られた。

「ちょっとエリィさん! 危ないってば!」

「え……あ」

 声をかけて来たのがエステルだと理解する前に、目の前を通過していった白色の光の正体を思い知ってエリィは総毛だった。アレは――剣、だった。むしろ剣しか見えなかったことに驚愕すべきなのか、それを操る主がいることを認識すべきなのか。それとも、その透明な剣を使って自らを止めようとしている銀色の髪の――アルシェムを、敵として見れば良いのか。

 覚悟はしてきたつもりだった。それでも、目の前の光景は到底受け入れられるものではなかった。まるで姉妹のようだったレンとアルシェムが、剣と鎌を向け合っている光景など。しかもいつもとは違って彼女が握っているのは双剣と呼ぶには少々長い透明な剣が二振り。それを扱える肉体もまあすごいのだろうが、あんなもので斬られればレンとて無事では済まないだろう。

 思わずエリィは声をあげた。

「アル!」

 しかしそれに対する応えは、エリィの動体視力ではとらえきれないほどの速度の剣閃だった。それはエリィに向けて振るわれたものではない。だからこそ客観的に見れて、しかしながらその剣が生み出すべき結果はエリィには見て取れなかった。その剣は目標を捉えることはなく、棒術具によって跳ね上げられていたからだ。剣を跳ね上げた主はそのまま一撃離脱で下がっていて、アルシェムを見据えている。その手が微かに震えているのは何のためなのかエリィには分からない。

 だが、分かる人には分かるのだ。剣を弾き飛ばすだけでは足りないと分かっていながら躊躇ってしまったエステルの内情は。

「馬鹿エステル! アルなら素手でも殺れるわよ!?」

「分かってる……分かってるけど、でも!」

「エステル、骨の二、三本は覚悟しておいた方が良い。――多分、それだけで止められたらラッキーだ」

 険しい顔をしているヨシュアの腕には既に赤い線が入っていた。つまりそれは斬られた後だということで――エリィは咄嗟にアーツを発動させてヨシュアの傷を癒していた。それと同時にティオからも補助アーツが掛けられたようであり、ヨシュアの動きに容赦がなくなったのか完全に見切れなくなった。今エリィに出来るのは補助アーツを掛けることだけだ。援護射撃など味方を誤射する可能性もある上に、援護射撃を誘導させるだけの余裕が誰にもないと分かっているからだ。

 個々人に回復アーツを掛けることすらもどかしいエリィは範囲内の味方を回復するアーツを連発した。

「ホーリーブレスっ!」

「受け取ってください、クロックアップ!」

 それと同時にティオも生き残ることを最優先にして速度を上げるアーツをかける。本来ならば地属性アーツのラ・クレストあたりが有効なのだろうが、今のアルシェムの攻撃はその防御すら抜いて来そうなのだ。故に身を守る術として攻撃を当てない方向に持って行くしかない。余裕があれば掛けるが、どれだけ時間がかかるか分からない以上はこうするよりほかないのだ。

 補助アーツを掛けるのみとなってしまうエリィとティオに攻撃が向くことはほとんどない。だが、それでも狙われる時はあるもので、防ぐだけならギリギリ何とかなるロイドがエリィ達を守っている。アルシェムはたった独りで遊撃士コンビとランディ、そしてレンを相手取っているのだ。彼らが決して連携をとれないわけでもないのにそれでも互角。何度か剣を打ち合わせた時点で彼女は自らに剣を向けることを止めていた。その理由が何なのかは、本人のみが知る。

 ランディが切りこめば、その大振りな動きの隙間に入り込む。その隙間を縫うようにヨシュアが援護に回ればあっさりと目標を変え、エステルに切りかかる。そのエステルの補助にレンが回れば、全員を吹き飛ばしてエリィ達を潰しにかかり、ロイドにギリギリのところで阻まれる。彼らがアルシェムを殺されないのは、一度その動きを見ているからだ。そうなるように□□□が仕向けた。これまでの足りない経験を積ませると同時に。

 多人数に斬りかかる関係で全員の立ち位置が目まぐるしく入れ替わり、アルシェムの背後に祭壇が――その時ようやく特務支援課一同はそこに祭壇があることに気付いた――来た時だ。微かにアルシェムの口が動いた、気がした。何故かティオにはそれが『だぶるばすたーきゃのん』と言っているのだと、一瞬で分かった。だからこそ――

 

「お願いします、《パテル=マテル》さん――撃って下さいッ!」

 

 そう、叫んだ。その叫びの最中で意図に気付いたレンが即座に《パテル=マテル》にお願いし、ダブルバスターキャノンを撃ってもらう。ただし、その祭壇の頭上から。放たれた砲弾はそのまま祭壇の裏にいた何者かを祭壇ごと吹き飛ばした。ちらりと見える白い髪。中世の錬金術師が使うような杖に、白衣をまとった男――それは。

 その答えは、砲撃を指示した当人が明かした。

 

「……正直に言って、あんたは道化として育ちすぎたんだとわたしは思う。だからさーあ? 取り敢えず一回身動き取れない実験体の気分を味わってもらおうかな、ヨアヒム・ギュンターッ!」

 



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碧き呪縛

 旧201話~204話のリメイクです。


 ――もう囚われの姫君は卒業だ。自分の意志で歩き始めよう。そうしなければならない。これは、あったかもしれない数分前の出来事。巻き戻されて否定された、彼女が本来辿るべきだった軌跡。彼女に同情も、心配も、憐憫も与えられる必要がないからこそその過去/未来は否定された。起こり得る出来事。決して、起こってはならないと□□□が判断した出来事。

 

 ❖

 

 ロイド・バニングスたち特務支援課一同とエステル・ブライト及びヨシュア・ブライトがその場に辿り着いた時、前方に倒れ伏す女がいた。服は薄汚れ、何度か攻撃を受けたようにも見受けられる。口の端からは血を流し、まさにぼろぼろと言って差し支えないほどに痛めつけられた女は、ロイド達の同僚にして得体のしれない女アルシェム・シエルだった。

「アルッ!」

 レンがアルシェムを見間違うことなど有り得ない。これは過去、現在、未来において確定された事実だ。レンはアルシェムに駆け寄り、それよりも早く駆けつけたロイドがアルシェムを抱き起こす。ロイドが息を詰めて彼女の顔を見れば、そこにはいつになく力なさげな色が浮かんでいる。かなり消耗している。そう判断したレンはアーツをアルシェムに掛けようとして、彼女の口が動くのを見た。

「……レ、ン……とめ」

 それは本当に囁き程度の音量で。故にレンは耳をアルシェムの口元に寄せていて――だからこそ、反応が一瞬だけ遅れた。いつの間にか握られていたナイフがレンの首筋めがけて振るわれようとして。そのままレンは姉のように想うアルシェムによって反応も出来ないままに殺される。そういう予定だった。少なくとも、当時のアルシェムを操っていた人物にとっては。

彼にとって誤算だったのは、アルシェムに有り得ないほどの《グノーシス》耐性があったからだ。故に彼女はレンに対して警告を口に出来た。振るわれる右手の動きを少しでも遅らせることが出来た。レンを切り裂く前に――左手で、レンを押しのけることが出来た。故にそのナイフは誰にも傷をつけることなく空を切る。レンはそれを見て未だ操られた状態が続いていることを見て取った。

それを認識した瞬間、レンは激昂する。

「ふざっけるんじゃないわよッ!」

 それと同時に打ちあわされるナイフと鎌。本来であれば拮抗するはずのないその二つが押し合い、材質的に無理のあるはずのアルシェムのナイフが鎌を押し込む。このまま押し込めばナイフが破壊されてレンの鎌がアルシェムを引き裂くだろう。それが分かっていて、レンは焦りと共にアルシェムの顔を見た。そこに浮かぶ表情は――ない。

 それでも、アルシェムの唇だけは動いた。

「……ぃ、ゃ……も、ぅ……」

 もう嫌だ。レンにはそう言いたいのだと感じられた。何度も何度も繰り返し『もう嫌だ』と。実際に彼女がどう思っているのかはレンには分からない。それでも、アルシェムを止めるのはレンの役目だ。何故なら――『このまま放置すればクロスベルに害をなす可能性がある』上に『ロイド・バニングス及び特務支援課一同に危害を加える可能性がある』から。

 故にレンの口から零れ落ちるのは『特務支援課の誰か』を傷つけさせないための言葉。

「……ロイドお兄さんたちはヨアヒム・ギュンターを探しなさい。レンは、アルを止めるから」

「……分かった」

 ロイド達がヨアヒムを探しに動き、レンともう一人その場に残った人物がアルシェムの気を引いて――そして、残ったその人物にすら見切れないスピードでアルシェムが襲ってきた。打ち合わされるナイフと鎌。援護のためにアーツを唱えることしか出来ないエステル。一直線に祭壇に向かおうとして、アーツの発動に邪魔されつつも進む特務支援課一行とヨシュア。

 ヨシュアによってヨアヒムが引きずり出されても、彼は抵抗をやめなかった。アルシェムを巻き込む範囲での幻属性高位アーツ。それで傷一つつかないアルシェムにいぶかしげな顔をし、次いで何かを悟ったような顔をしたレン。ヨアヒムを止めるのにはスピードではダメだと判断したヨシュアとエステルが入れ替わり、レンとヨシュアがアルシェムに挑む。

 執行者最速のヨシュアと、それに追随するレベルの速度を誇るレン。その二人に挟まれても、普通ならアルシェムは傷一つ追わず平然と躱して見せる。だが、今の彼女は違う。何故なら操っているのはヨアヒムであり、その反応速度について行けるほど脳の処理が追いついていないからだ。肉体的には全てがハイスペック。そうなるように造られた彼女に、ヨアヒムごときが敵うわけがないのだ。

 故にレンにだって付け入る隙は出来る。

「戻ってきなさい、アル!」

 返事なんてしなくともいい。それで、アルシェムを取り戻せるのならば。そう思ってアルシェムに掛けられる声はヨアヒムによって穢される。それはレンの想いを踏みにじる行為。更にレンを怒らせ、完全にレンから敵対視されるための行為だ。その返答がアルシェムからのものでないことだけは、レンにも分かっている。何故なら――

「……助、けて……レン」

 アルシェムは、こういう大変な時にレンにそう懇願することなどないからだ。大体一人で抱え込んで、ボロボロになってでも一人で解決する。それが嫌で、レンは強くなったといっても過言ではない。だがレンが強くなればなるほどアルシェムは更に強くなっていた。その理由をアルシェムが知ることも無ければレンが知ることもない。

 結果的には自力で《グノーシス》の呪縛を解いたアルシェムが、レンを殺す寸前で思いとどまって止められる。ただ、それだけのこと。だがこれでレンは心に深い傷を負った。二度とアルシェムを喪いたくないと思うほどに。故に――

 

 ❖

 

「そんなの、認めない。ただのお人形さんの分際で私の駒に執着されるなんて」

 そうして世界は否定される――

 

 ❖

 

 

「……正直に言って、あんたは道化として育ちすぎたんだとわたしは思う。だからさーあ? 取り敢えず一回身動き取れない実験体の気分を味わってもらおうかな、ヨアヒム・ギュンターッ!」

 

 若干《グノーシス》が抜けたことにより呪縛から抜け出したアルシェムの叫びに、一同はようやく人心地着いた気分になった。ようやく仲間が揃ったという実感ではなく、敵対するアルシェムの攻撃にさらされずに済むという意味で。正直に言ってこれ以上連戦するのはロイド達には辛いものがある。たとえ前衛をエステルとヨシュアが頑張っていてくれていたとしてもだ。それだけの経験をロイド達は積み損ねたのだ。アルシェムに手配魔獣を回したツケがここで来た。

 だからこそここでアルシェムが出張るのだ。名目はある。恨みもある。憎しみも、怒りも、全てをその男に。感情の全てがヨアヒム・ギュンターに死を求めていて。だがアルシェムは一応今のところは警察官で、立場のために警察を辞めるわけにもいかなくて。だからバラバラになりそうな感情をまとめて束ねてヨアヒムに叩きつけることしか出来ないのだ。

 その手に氷の剣を構えて、アルシェムは無言のままヨアヒムに迫る。その速度は、彼がアルシェムを操っていた時の速度とは比べ物にならない。否――本当はむしろ遅いのだ。ただ、誰にも認識できないよう徹底的に自分を『殺して』いるだけで。アルシェムにとって、『自分を殺す』などということはもはや何の苦にもならない。むしろ死ねばいいとさえ思っている。気配を殺し、自分を更に『殺す』ことでほとんどの人間から認識できなくなったアルシェムから逃れる術はない。

 ヨシュアはヨアヒムが殺される、と思った。

「アルッ!!!!」

 その叫びを聞いてもアルシェムは止まらなかった。ヨシュアには分かる。だが、ヨシュアは自身の予想が外れたことを知った。ヨアヒムが普通に立ったままでいたからだ。ヨアヒムは例外だったのだ。確かにアルシェムから逃れることは出来なくとも、来ると分かってさえいれば防げる。本人にその技量がなくとも、ヨアヒムにはその『声』が聞こえていたのだから。

 他の誰にも聞こえない、早口に指示を出す声。

『右手斬撃。頭部打撃。腹部刺突』

 その声は幼い少女の声で。彼のよく知る少女のもので。だからこそ、ヨアヒムは勘違いした。□□□はヨアヒムこそを求めているのだと。ある意味ほとんどの攻撃が一撃必殺の威力を持っているのにヨアヒムが切り刻まれずかすり傷で済んでいるのは□□□のお蔭なのだ。たとえ□□□がヨアヒムを死ぬほど憎んでいて、散々痛めつけられたうえで死んでほしいと願っているとしても。

 そう。今の□□□は自由にこの盤面を動かせる。今ここでヨアヒムを自害させることとて可能だ。アルシェムを自害させることも、両者を相打たせて葬ることさえ可能だ。むしろそれを望んでいると言っても良い。それでもその望み通りに進まない理由が□□□には理解出来ない。純粋に□□□の力を超える干渉などあってはならないのだ。誰にも自分の運命を決めさせないために□□□は力を手に入れたというのに。

 苛立つ□□□とは裏腹に、ヨアヒムはアルシェムを煽るように口を開いた。

「《グノーシス》を破ったというのにその程度かい? 期待外れにも程があるよシエル・――」

「黙れこのロリショタコン変態野郎が。大方○○○に血液集めすぎたせいで白髪になったんだろこの変態」

「そんな訳ないだろう? ほら、こんな傷なんて《グノーシス》さえあれば簡単に治るんだよ。諦めたまえ」

 アルシェムがおおよそ女子の発言ではない下劣な発言をかましたがヨアヒムは怯むことなく対応した。《グノーシス》をこれ見よがしに呑む余裕さえ見せて煽る。それでもアルシェムは攻撃をやめない。止められないという方が本当は正しいのだが、そもそも手を止める気など毛頭なかった。赦す気はない。特に、レンとティオが見ている前では。

 それに、アルシェムが今狙っているのはヨアヒムに重傷を負わせることよりも先ほどちらりと見えた瓶の中身だ。飲むつもりは毛頭ないが、ヨアヒムに呑まれると厄介だ。不自然に紅い色をしたその錠剤は間違いなく《グノーシス》。その進化版だと言っても過言ではないことを、アルシェムは□□□の囁きによって知っていた。干渉が強まっている。その自覚が、アルシェムに勝負を急がせる。

 だからこそ、アルシェムは失策を犯す。

「とっ――」

「何だ、これが欲しかったのか。……差し出すわけがないだろう? この《紅の叡智》を」

 アルシェムの剣によって跳ね上げられた瓶は、口が開いて偶然にも全てヨアヒムの口の中に入った。質量的に無理があるが、ヨアヒムも中世の錬金術師の末裔の一族だ。中身を霊子化して取り込むことなど造作もないのである。そしてそれを取り込んだヨアヒムは――異形化した。不完全な人間の殻を棄て、異形と化してまで欲する者のために。紅の巨体が地面にめり込んでいく。

 

 だが、ヨアヒムはそれをすべきではなかった。何故なら、それこそが彼が唯一『駒』から『操り手』になるための手段だったのだから。

 

 そこでヨアヒムは全てを知った。全てが□□□の掌の上だということも。本当は□□□がヨアヒムを拷問の末に殺したいほど憎んでいることまで。ロイド達特務支援課やエステル達遊撃士は『名前付きの駒』で、そこにいる女の形をした人形こそが一番重要な『捨て駒』なのだと。ヨアヒムなど踏みしだかれる小石程度の扱いでしかない。

 それを知ったヨアヒムは――自分の人生に何ら意味がなかったことに気付いた。故に彼は全てを台無しにし、終わらせるべく行動を始める。もう、キーアを手に入れるのは止めだ。そんなことにはもう意味などない。全てに意味がないのなら、腹いせに人生の終わりに全てを壊したキーパーソンどもをぶち殺してやる。そう思って彼らを絞め殺すべく根を伸ばす。

 しかし、それを止めるのが人形の役割。

「全員下がって!」

 そう言いながら一同に向けてクラフトを発動したアルシェムは、その挙動故に根に囚われた。このままアルシェムを絞め殺しても何の意味もない。彼女はどうせこんなことでは死にはしないし、どんな状態になっても生かされるだろうから。それよりもヨアヒムが殺したいのはロイド達だ。アルシェムの声と挙動で逃げられたのは関係のないレンと、どう考えても強さ的に絞め殺すのに無理があるランディ――ランドルフ・オルランド、それにヨシュアと彼に助け出されたエステル。

 それならば気兼ねなく絞め殺してやる。そう思った矢先――人形が叫んだ。

 

「離せ」

 

 その言葉はヨアヒムを操った。即座に根をほどかされ、復讐心を根こそぎ奪い去られた。そのことに恨みを持ったとしても、その恨みすら奪われる。その強引な簒奪はヨアヒムに畏敬を植え付け、ただ人形を貶めるためだけの傀儡と化す。この時点でヨアヒムは自我を喪っていた。最早死に至るのみだ。そうしたのは□□□で、このまま人形ともども葬り去るための苦肉の策。

 そのまま□□□はヨアヒムの口を借りて言葉を吐きだした。

「貴女様ノ仰セニ従イマショウ。我等ガ神ヨ……」

 誰もが息を呑んだ。その言葉の意味をとらえかねて。その意味が分かったのはアルシェム本人と、様々なヒントを与えられていたレンのみ。類推だけならばティオにも出来た。だが、この言葉だけは想定外だったのである。

 ヨアヒムはなおも語り続けた。

「キーア等贋物……貴女様コソガ、我等ガ神。コレマデノ事ハ全テ貴女様ノ為ニ成シタ事……ドウカ我等ヲ導イテ下サイ……」

 そして、ヨアヒムはその巨体を苦労しながら跪かせた。それは完全なる服従のポーズ。この件に関しての黒幕をアルシェムに押し付けるためだけの演技だ。そうなって特務支援課から離れて行ってくれればいい。そう思って――しかしそれは覆される。

 

 □□□は見誤っていたのだ。アルシェム・シエルという駒を。否――『アルシェム・シエル=□□□□□□』を。

 

 ヨアヒムを操って言わせた言葉は、完全にアルシェムの琴線に触れていた。

「ふざけんな。あんたらなんか知ったこっちゃない。あんたらがどれだけ見当違いなことをやろうが、それがわたしに関係あるもんか。あんたらが勝手に勘違いして、勝手に別のものを崇拝して、勝手にたくさんの罪なき子供達を穢したんだ――ティオも、レンも、それ以外の全ての被害者たちもッ!」

 ぎしり、と心臓が軋んだ。全身にも圧力がかかり、今にも押しつぶされそうになって――それでも、アルシェムはそれらをはねのけた。怒りと共に。全ての見捨てられた子供達のために。自らの、全てを賭けて。その怒りは、□□□の干渉を一瞬であったとしてもはねのけた。今にも自分を殺さんと干渉してくる全てを、無に帰して。

 

「高みの見物してるだけのあんたとは違って、わたし達はどれだけ穢れた道だろうが全力で足掻いて生きてるんだ! それを、全部否定すんな!」

 

 その叫びと共に、アルシェムは地面を砕いた。もうもうと立ち込める土煙に誰もが目を覆って――それを狙って、アルシェムは一気にヨアヒムに接近した。そして囁き声で全てを知ってしまったヨアヒムと、彼の身体を乗っ取っている□□□に対する反逆ののろしを上げる。

 

「我が深淵にて煌めく蒼銀の刻印よ。我が忌まわしき真実を彼らよりここへ。全てを凍てつかせ、滅せよ」

 

 それは半ば消極的で、それでも今の彼女に出来た精一杯。どうせその内知られてしまう真実であったとしても、今はまだ時期的に早過ぎるから。これからまだまだ動かなくてはならないというのにここで消されてしまってはたまらないから。だからこそ、アルシェムは自らの真実についてを凍結し、破壊した。誰にも知られないように。

 そして、そのままアルシェムは分け身だけを残してその場を去った。

 

 そうして――ヨアヒム・ギュンターはその長い人生に幕を下ろした。

 



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丘を駆け抜け

 旧206話半ばまでのリメイクです。


 警察本部において『《グノーシス》による連続失踪事件』と名付けられた事件は、ヨアヒム・ギュンターの死亡により被疑者死亡のまま送検された。本部は記者会見において首謀者ヨアヒムは薬物中毒による中毒死と発表し、更にその薬物《グノーシス》による被害者は数百人に及ぶと発表して一般市民に混乱をもたらした。しかし、一般市民が病院へ行こうにもその専門家の医師が事件を起こしたため、診察が受けられない事態が発生。諸外国の病院にクロスベル自治州民が流れ込むかに思われた。

 しかし、それを想定していたマクダエル市長の要請によりレミフェリア公国から医師団が派遣され、市民たちの混乱はその医師団の診察及び治療を受けることによって抑えられた。この薬物による損害賠償や医療費などは全て聖ウルスラ医科大学より出されたが、正確な被害金額は未だにわかっていない。むしろそれを警察がそれを調査する過程で局長の不正まで明るみに出るという失態をも犯すことになる。

 むしろこの件において重要なのはクロスベル自治州内に巣食っていたマフィア《ルバーチェ》の瓦解であろう。本件に関して深くかかわっていたとされる会長マルコーニ、ガルシア・ロッシを筆頭とする構成員、そして多大に癒着していたハルトマン議長とクロスベル警備隊の司令すら失脚し、捕縛されたのだ。このうち、マルコーニとハルトマン元議長に関しては終身刑が言い渡され、構成員達に関しては余罪を上げつつそれぞれに見合った刑を言い渡される模様である。

 ハルトマンが失脚したことを受けて議会は満場一致でマクダエル市長を議長とすることを決定。市長の後任についての選挙が行われた。候補者には共和国系議員のキャンベル氏や帝国系議員などそうそうたる顔ぶれが並んだが、ここで一際異彩を放つ男が立候補した。それは――クロスベル国際銀行総裁のディーター・クロイスである。彼はその知名度と政治に対する姿勢で自治州民から選ばれ、見事市長となった。

 クロイス市長はそのまま革新的な政策を次々と打ち出し、その金融的センスからクロスベルの経済の混乱を比較的短期間で最低限に収めてみせる。一躍時の人となったクロイス市長と、彼が市長となったことによってIBC総裁となったマリアベル・クロイスによってクロスベル経済はますますの発展を諸外国に見せつけていくこととなった。

 それらすべてに貢献した特務支援課はと言えば――皆、処分と称して様々な処置が取られた。公の場での発表としては、惜しまれながらの解散である。より正確に言えば、クロスベルの情勢が変わったことによるそれぞれの事情の変化であろうか。とにかく一度、解散して清算しなければならないことがあったのだ。六人が六人共に。また、特務支援課として集まれるように。

 

 そう――特務支援課は、市民たちに惜しまれながらも一度解散したのだ。

 

 ❖

 

 まずはロイド・バニングス。彼は《太陽の神殿》内でのマルコーニからの証言により、兄ガイの死の真相について探るべく調書を見直したいと願った。故に彼はアレックス・ダドリーの手を借りて捜査一課へと異動し、その調書と実況見分、そして当時捜査した警察官たちに話を聞くことにした。ついでにロイドの能力を買った捜査一課のメンバーたちにこき使われる羽目になる。

「……あの、ダドリーさん?」

「何だバニングス。残念ながらまた事件だ。《ルバーチェ》を瓦解させたせいで色々と小物や大物が跋扈し始めているからな。働け」

「アッハイ」

 なお、たまに警察犬としてツァイトが同行し、犯人の捕縛に一役買っていたそうだ。ごくまれにキーアという名の少女と買い物に出たり遊んでやったりと子煩悩(?)さを見せていたため、一部では『パパ』や『ロリコン』呼ばわりされていたことを彼だけが知らない。もっとも、彼の面前で言おうものならばボケ殺されるか物凄く複雑な顔をされるだけなのだろうが。

「ロイド、皆とはいつ会えるの~?」

「大丈夫だ。そのうち会えるよ」

 それは短い期間ではあっても離別には変わりない。その寂しさを埋めるようにロイドはキーアを頻繁に抱きしめるようになっていたのだった。今現在支援課ビルと呼ばれた建物に住んでいるのはロイドのみ。キーアが依存したくなるのもまあ理解出来ないことはない。エリィは自宅へ、ティオはレマン自治州へ、ランディはほとんど帰ってこないのだから。

 

 ❖

 

 次に、エリィ・マクダエル。彼女は市長選への出馬を強く懇願されていたが、それを蹴ってマクダエル議長の臨時秘書となる。祖父を助けたいという気持ちもあるが、何よりもアーネスト・ライズについて調べるためだ。彼の犯した犯罪は赦されざるものであり、未だに逃亡を続ける彼の手掛かりがないか実家を含めて捜査している。もっとも、マクダエル議長は孫娘が自分の傍にいることにいたく感激してしばらく秘書を探そうとしなかったのだがこれは余談である。

「……エリィや、そこの資料を取ってくれんかね」

「はい、お祖父さま。ついでにお茶も入れておくわね」

「うむ」

 そこだけを見れば実にほのぼのとした光景なのだが、残念なことに彼らの手の速度は尋常でないスピードで動いていた。最早見えないレベルである。部外秘の資料も無論あるのだが、エリィならば外には洩らさないと確信したうえでやっているので問題はない。いつになく生き生きした様子に、マクダエル議長はやはり政治家がエリィの天職なのではと確信していたようだ。

「エリィ。私の秘書は楽しいかね?」

「ええ。でも……お祖父さま。私はまだ、やり残したことがあるから……」

「……そうか」

 残念だ、とはマクダエル議長は洩らさなかった。出来れば孫娘の進む道の邪魔をしたくはない。未来ある孫娘のために、今の自分が教えられることを全て教える。政治的なセンスはそもそも良いエリィのことだ。マクダエル議長の教えることなどすぐに呑みこんで見せるだろう。とにかく彼女の政治的センスを磨きあげることだけが、マクダエル議長に出来ることだった。

 

 ❖

 

 ランディ・オルランドは《グノーシス》漬けにされた警備隊の立て直しのために警備隊へと戻り、毎日腑抜けた警備隊員達を鍛え直す毎日を過ごしているそうだ。もっとも、立て直しに協力している理由は『腕を鈍らせないため』だというから恐れ入る。時折何かを考え込むような表情を見せては頭を押さえ、苛立つ表情を見せる彼に警備隊員たちは戦々恐々としているそうだ。

「オラてめぇら! ちんたらしてないでさっさと登って来い!」

「ひいぃ~……」

「お、鬼だぁ……」

 なお、手加減してやって欲しい、と頼める人材はどこにもいなかったそうな。ミレイユは操られていたために何も言えず、ノエルは司令が更迭になってソーニャがベルガード門勤務になり、副司令が決定するまでは事務に悩殺され、リオはその業務を手伝っていたからだ。ランディ鬼軍曹の特訓は彼らが鍛え直され、かつ二割増し程度の実力が着くまで続けられる予定だという。

「……まだまだ不甲斐ねぇな」

「お、おっしゃる通りでふ……」

「肯定したな? なら崖登りもう十本!」

「お、お助け~……」

 狂気の笑みを浮かべるランディに一同は戦慄しつつ、それでも真剣に訓練に取り組んだ。彼らの使命はクロスベルを守ることであるにも関わらず、彼ら自身がそれを破ってしまったことに対する贖罪として。もう二度と、自分達の失態でクロスベルを危険にさらしたりしたくないのだ。彼らは家族を愛し、クロスベルを愛する集団なのだから。

 

 ❖

 

 ティオ・プラトーはエプスタイン財団本部の判断により、一度本部へと引き上げさせられた。クロスベルの情勢が安定するまでは本人の希望があっても戻さない意向だ。一応彼女の保護責任を負っているのは財団本部であるため、安全確認が出来ない場所へは行かせられないのだ。もっとも、その内彼女に説得されてもう一度送り届けることになるのだが、それを知る者は今はいない。

「お、おいティオ……」

「何ですか、ヨナも協力するでしょう? ……クロスベルのネットワーク環境はヨナにとっても最高だったんでしょうし」

「ぐ、ぐぐぐ……」

 ティオとヨナはエプスタイン財団に籠っている間なにがしかをし続け、財団本部の技術者たちが気付いた時には結構なブツが出来上がっていた。それは緻密なプログラムとネットワークによる機械人形であり、クロスベルでなければ運用すらできないシロモノ。彼らはそれを見て実に複雑な顔をし、リスクとリターンを考える会議を連日続けることになったという。

「……これはZCFとの技術連携も……」

「いやいや、あのマッド博士と協力されたらどんな化学変化が起こるか……」

「ああ胃が痛い……胃薬を誰か開発したまえ今すぐにッ!」

 なお、彼らがそれを考える必要がなくなるのはティオ達をクロスベルに送り込んだ後だったという。もうどうにでもなーれとばかりに送り込んだクロスベルで、ティオ達の開発した『それ』は大いに活躍し、また遠い将来におけるまでクロスベルを守り続ける礎となるのだが、それを彼らが知るのは優に十年ほど後になってからであった。

 

 ❖

 

 レン・シエルと名乗る少女はクロスベルから離れ、義姉アルシェム・シエルと共にリベールへと向かったらしい。リベールへ向かったということ以外は誰にも分からず、知られることはなかった――彼女らは隠密行動をしていたからにして。彼女らが何をして、どう動いたのかは誰にも理解されることはない。理解される必要はないからだ。

「……だから駄目だと」

「良いでしょう? いずれレンはそうするつもりなんだし」

「駄目。いくらなんでもそれは……」

 同じ問答を何度も繰り返す彼女らは、しかし気付いてはいない。いずれその問答すら意味のないものになり、消滅させられる可能性が上がるということに。何故なら『アルシェム・シエルはそもそも存在しなかった存在』であり、『レン・ヘイワースはクロスベルを守るために戻ってきた』のだから。役割を果たせない駒に存在意義などないのだ。

「……そんなの、私が赦すわけがない」

「知ってるけどそんなことあんたには関係ないわ。今レンはアルと話してるのよ」

「関係あるよ。だって私は……っ、ごめんレン、もうちょっと待ってね」

 はたから聞けば全く理解の出来ない会話だろう。だが、二人の間では通じ合っていたし、この会話自体があったことすら周囲の記憶からは消える。ならば□□□がどれだけ干渉しようが問題はなかった。□□□が異常に気付くまで、あと数か月。その数か月という時間が『アルシェム・シエル』に残された時間であり、ある意味では『余命』と呼ぶべき時間だった。

 

 ❖

 

 また、エステル・ブライト及びヨシュア・ブライトはアルシェム達がリベールへと向かう前に帰国したようである。クロスベルは混乱期だが、いつまでも行為遊撃士を本人たちの意志に反してとどめ置くことは出来ないからだ。彼女らはリベールに戻り、様々な活躍をしているそうである。半ばやけくそのように見えるのも恐らくは気のせいなのだろう。

「楽勝、楽勝~♪」

「いやあの、エステル……その、その攻撃方法はもう本当にやめてあげてほしいというか精神的によくないというか……」

「大丈夫よ、ヨシュア。ちゃんと消毒してるから」

 いやそこじゃない。ヨシュアはそう突っ込みつつもエステルを止めることは出来なかった。もっとも、エステルに近づく男たちなどどうなってもヨシュアの知ったことではなかったが。いやむしろ潰れててくれても良い。エステルに近づく男はヨシュアが物理的に潰してやりたくなるが、それでもご本人から潰されるのとはわけが違うだろう。ヨシュアは心の中で念仏を唱えつつエステルの攻撃した男達を捕縛していくことになるのだった。

「……どうしよう父さん。エステルが最近鬼畜なんだ……」

「……まあ、確かに合理的ではあるが……その、何だ。ヨシュアも気を付けろよ?」

「肝に銘じとく……」

 もっとも、ヨシュアが肝に銘じようが何をしようがエステルの攻撃に容赦が消えたことは間違いなく、特に下種な男の犯罪者に対しては容赦なくナニを潰していくのだった。そのうち不名誉な二つ名も貰うことになってしまいそうだが、それはそれである。幸い、再起不能になったものはなかったようだ。とにかく今日もリベールは平和であった。

 

 ❖

 

 そして。リーシャ・マオは自室で自問自答に明け暮れる。彼女は既に『シエル・マオ』の真実の一端を知った。それが今『アルシェム・シエル』と呼ばれている少女であることも。《アルカンシェル》の新人女優として活躍する傍らで、汚泥に漬かって戻ってきた彼女に何と声を掛ければ良いのかわからなくて――そして、一度旅だったと聞いて安心していた。

「……でも、どうすれば……」

 どうすれば、もう一度あの頃に戻れるのか。どうすれば、また一緒にいられるのか。その自問自答を繰り返しながら、仮面の神父に憎しみを募らせていくことしか出来なかった。あの仮面の神父さえいなければ、彼の言いなりにさえならなくて良いのなら、もう一度ただの『リーシャ』と『エル』として会えるだろうかと。彼がアルシェムを縛っているから、あるいは元には戻れないのか。

「……あの男……いつか、殺します」

 仮面の神父の中身すら知らず、リーシャはその人物に対して殺意を募らせていく。だが、幸いなことにこの先彼女が仮面の神父を殺すなどという事態は起こらない。それに、『エル』と再会できることももう二度となかった。彼女がただの『リーシャ』になれることも、ない。何故ならば□□□がそれを望まないから。伝説の暗殺者《銀》は、いずれクロスベルを守るために必要となる人材だから。

 

 ❖

 

 とにかく特務支援課も、遊撃士たちも、クロスベルも――大きな転換点を迎えたことに変わりはなかった。誰もが変化を余儀なくされ、それぞれが未来へ向けて歩き出す。その風は丘を駆け抜けて――そして、いずれは。

 

 空に。大地に。この混迷の魔都に、災いを振りまくのだ。

 




 零は後閑話を挟んで終わりです。


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閑話・《銀》の後継者

 オリジナル設定の炸裂。お察しの通りリーシャの話です。


 カルバード共和国、東方人街にて。一人の少女が産声を上げた。彼女の名は猫麗霞。またの名をリーシャ・マオといった。猫家は代々東方人街を守ることを生業とし、時には暗殺などの汚れ仕事を扱う一族だ。そこに生まれた彼女もまた、暗殺者として生きる運命である。その父麗龍/リーロンもまたその運命に翻弄された身であり、リーシャの母を喪う原因にもなったその生業を半ば憎んですらいた。

 とはいえ、リーロンの子はリーシャただ一人。マオ家の掟においては二人の子供が必要だった。それも、片方は死ぬ必要がある。とある事情によって生き延びた女性もいないわけではないが、リーロンはそんなことなど知る由もない。ただ、彼にとって必要なのは子供だった。死んでも誰も困らないような子供。ただしその辺の孤児ではいけない。闇に染まった子供が必要だった。

 誰かを殺してもなんとも思わないレベルの狂人を求めているわけではない。ただ、人殺しに忌避感の少ない子供さえ見つけられればいい。それがリーシャの殺人への忌避感を喪わせる一助となるからだ。リーシャ・マオは《銀》にならなければならない。リーロンがそうだったように、彼女もまた東方人街を守り、高額のミラで共和国に雇われなければならないのだ。それが東方人街のためになる限り。

 東方人街の魔人《銀》。それは移民としてカルバード共和国にやってきた集団の影。移民の長は別の一族が務め、マオ家の人間が裏から汚れ仕事を引き受けて彼らを守るのだ。そのために代々《銀》と名乗り、独特の装束をまとって戦う。それが慣習であり、長年変わらない事実の一つだ。たとえその長の一族が滅びていたのだとしても。

 そして《銀》に性別はない。初代が男であったから男だと言われているだけで、中には数代続けて女性が《銀》だったこともあった。その時に体格を誤魔化す気功を習得し、今代に至るまで伝えられている。たまたま今代の《銀》リーロン・マオは男で、その先代も男だっただけ。《銀》の宿命はいつだってマオ家の人間に纏わりつき、縛っていた。

 リーロン自身は《銀》であり続けたくないとは思っている。いずれ全てを終わらせ、解放されて空の女神の身元にいる妻の元へと逝ければそれで良い。そこに娘がいようがいまいが関係ない。リーシャは望んで生まれてきた子ではなく、東方人街の上層部が無理矢理に作らせた娘であるからだ。そんな娘に愛情など持てるわけがない。故にさっさと《銀》を引退して娘に押し付けようとしていた。

 そして――彼はある日一人の少女を拾った。服はボロボロで、そこらの孤児と何ら変わりはない。だが、彼は彼女を拾って帰った。それは、彼女がぼろぼろだったからでもその目が死んでいたからでもない。彼女の全身から血の匂いがしたからだ。恐らく何十人ではきかない数を斬った。もしくは目の前で斬られた。そうでなくてはここまで全身から血の匂いを発することなど出来まい。

 事実、少女――当時『シエル・アストレイ』と呼ばれていた少女は人を斬ってきた後だった。滅びた故郷《ハーメル》にて、村人たちを殺しまわった猟兵を殺戮した後。彼女は東方人街まで逃げてきたのだ。ヨシュアから。カリンから。そしてレオンハルトから。彼女が死を選ばなかったのは、単純にその手段が選べなかったからだ。死のうと思えばその手段が尽く奪われてしまう。それなら、生きるしかない。故に彼女は生きていた。

 そんな血まみれの少女にリーロンは問うた。

「……名は?」

 そして少女はそれに応えた。血のこびりついた喉で。かすれた声を、押し出して。不思議と言語が違うはずだったのに、言葉は理解出来て。その返答すらもリーロンに理解出来る言語だった。そのことに不思議と彼は疑問を抱くことはなかった。何故ならこの出会いは必然であり、少女は将来《銀》となるリーシャ・マオのために差し向けられたのだから。

 何にも興味を持たず、絶望に塗れた瞳で彼女は答えた。

「……エル……れ以外、名乗る……は、ない」

 かすれた部分を、リーロンは敢えて聞こうとは思わなかった。この少女ならば適格だろう。自らを殺す覚悟で東方人街のために戦う《銀》の生贄には。絶望を見て、絶望を作り出して。死に場所を求めているようにも見える彼女は確かに適格に見えた。だからこそリーロンは『エル』と彼女を呼び、彼女を連れ帰った。いずれリーシャに殺させるために。

 同じくらいの年ごろの少女の存在は、無口だったリーシャを変えた。

「次は負けない」

「……別に、競ってない」

 いつもやる気のあまり感じられなかった的当て――と言っても対象は動くネズミ等で、子供の遊びレベルの可愛いものではない――も、隠形も、何もかも。リーシャは『エル』と共に技を磨いて行った。リーロンは『エル』の才能に心底度肝を抜かれていたが、それでも最終的に殺す算段だけは変えなかった。それを超えてこそ、リーシャに《銀》たる資格があると。

 『エル』の上達速度は異常だった。技を覚え、隠形も難なくこなし、魔獣を屠ることにすら躊躇いがない。天性の暗殺者と言っても過言ではなかった。ただ一つ欠点があるとすれば、本来の型であろう双剣を握ることを精神的に拒否しているところか。彼女は剣を握った瞬間に吐くのだ。一振り目ならまだ何とかなる。だが、二振り目を触った瞬間に嘔吐が止まらなくなる。

 リーロンは敢えてそれを矯正することはなかった。それよりもリーシャと同じように大剣を握らせ、苦無を忍ばせ、鎖を以て相手の行動を阻害することの方が重要だったからだ。それが《銀》になるリーシャの甘えを棄てさせることにつながるのだから。数か月も経てば、少女の名が『エル』ではなく『シエル』であることも分かっていたが敢えてそれを修正する気もない。それは必要なことではないからだ。そして『エル』もそれを良しとしていた。

 いずれ殺す相手とも知らず、リーシャと『エル』は仲良くなっていく。幼い少女達が笑いあう、はたから見れば微笑ましい光景。それを苦々しく思いながら、リーロンは厳しい修行を課していく。それは全て東方人街のためであり、自分も逃げられなかった罪業から娘も逃がさないためであった。それをリーロンが認識していたかどうかは別であるが。

 暗かったリーシャは快活になった。『エル』のせいで。

「今日こそ負けないんだから……!」

「……負けない」

 死んだ魚のような眼をしていた『エル』も少し明るくなった。他ならぬリーシャのお蔭で。それでもリーロンの思いは変わらなかった。リーシャを半人前にするために『エル』を殺させ、一人前にするためにリーロン自身を殺させる。それは前々から決まっていたこと。リーロンもそうしてきた。実の姉を殺し、そして実の父を殺して《銀》となる。それは、後戻りさせないための方策だったのだと今になって思う。

 それでもリーシャへの教育を止められないのは、幸せになろうとするリーシャを見ていられないから。平穏で普通の生活を壊してきた自分が、今更平穏で普通の生活に慣れられるかと問われればそれは否だ。それに娘を巻き込んでいるのは親として咎められるべきことだろうが、リーシャに普通の人生を歩ませようとすればリーロンの精神が保たない。姉を殺してまで続けた伝統を、自分の代では終わらせられないのだ。

 虐待を受けて育った人間は、その子どもにも虐待を施す可能性が高いという。そして、リーロンも他人を殺生させられるという精神的虐待を受けて育ち、リーシャにもそれを強要している。いつかそれが精神的な苦痛に成ることを知っていて、でも止められない。リーシャという他人が同じ目に遭っているのを見なければ癒されない気がするのだ。だからこそ、リーロンはリーシャへの教育を止められない。

 リーロンは厳しかった。それでも、確かにリーシャは愛情のようなものを感じていた。出来れば必ず褒めてくれる。出来なければ死ぬ前に助けてくれる。虐待同然の育てられ方だというのに、それでも愛情を感じていたのは親を求めるが故だったのかもしれない。あるいは依存か。その感情の名がどうあれ、確かにリーロンとリーシャは親子だった。

 そして――ある日。数日後にリーシャを半人前にさせるべく『エル』を殺させようとリーロンが結論付けたその日のことだ。東方人街は混乱に包まれた。その日は朝から空気が違った。リーシャも『エル』もその空気を感じて不安を覚え、リーロン自身もそれを察知していて街中を警邏していて――なお、それを止めることは出来なかった。

 

 なぜなら、それは必要なことだったから。

 

 □□□が判断したのだ。リーシャに割ける時間はここまでだと。これ以上は別の少女達のために使われるべきだと。場所を移し、別の少女達に降りかかっているあの悪夢の如き事態を軽減させるために。ただ単に、優先順位をつければリーシャよりもその少女達の方が大事だっただけのこと。それにより□□□は効果的にリーシャの心を縛ることに成功する。

 それが起こったのは、丁度リーロンが異形の魔人と対峙した時だった。彼の助けがあってはならぬと□□□が差し向けた強力な魔人がリーロンと戦っている間、リーシャと『エル』の元へ彼女らを引き裂かんと魔人が差し向けられたのだ。もっとも、その方法は精神的に引き裂くのではなく死なない程度に物理的に『エル』を引き裂くという方法だったが。

 魔人がその手を閃かせて、『エル』の背を抉ろうとする。

「エルッッッッ!?」

「逃げ、て……リー、シャッ!」

 唐突に突き飛ばされたリーシャの目の前で背を引き裂かれる『エル』。呆然と、それを見ていることしか出来ないリーシャ。彼女が我に返って武器を手に取ったその時には、目の前に『エル』の姿はなかった。ただ地面に沁み込んでいく赤錆色の――血。それが誰のものだか認識した瞬間、リーシャは頭の中で血管が切れる音を聞いた。

 『エル』が死ぬ。それも、自分の目の前で。それを理解したくなくて、思考を放棄する。父が連れてきて、いずれ自分の立場を脅かすかもしれなかった少女。それでもいつしか『家族』だと思えるようになった少女が今、人外の化け物に殺されようとしている。それを受け入れたくないのだ。ようやく心を赦せる同年代の『友人』にして『家族』が出来たというのに、それを喪わなければならないという事実を。

「――ぁ」

 頭が真っ白になる中、リーシャの暗殺者としての本能は彼女に苦無を投擲させた。それは過たず魔人の脳天に突き刺さり――魔人はそれを不思議そうに引き抜いて、嗤った。それが地面に落ちる前にくくりつけられていた紙きれ――爆雷符が爆発する。それに魔人が吹き飛ばされるかと言われれば、否だ。微かに体を揺らし、リーシャを敵だと認識して魔人共はリーシャに襲い掛かろうとする。

 そのあまりに異様な光景に、リーシャは我に返って逃げ出しそうになって自分を叱咤した。

「逃げちゃ、駄目ッ! ――守るために、殺さなくちゃ」

 言葉で自分に暗示をかけ、一思いに目の前まで迫ってきていた魔人の頭部を斬り飛ばす。大量の血が吹き出し、視界を潰しにかかる。しかし今の彼女に視界などというモノは必要ない。あった方がいいのは確かだが、なくとも彼女には魔人を殺す術がある。幸い、魔人共は気配を消すことになれていないというよりも気配をだだ漏れにさせている。それならどこに何体いようがリーシャになら殺せる。

 まとわりついて来ようとする魔人を一刀のもとに吹き飛ばして、リーシャは構えた。

「殺さなくちゃ」

 無意識にそうつぶやいて、リーシャは殺戮を始める。一撃で屠るためには、頭部を飛ばせばいい。それは先ほど学んだ。普通の人間なら頸動脈を斬るなり何なりすれば死ぬ。だが魔人共は頑丈で、それくらいでは痛くもかゆくもないようだ。普通の人間ならばどこをどうすれば死ぬのかリーシャは熟知していた。そして、外見上も人間に近い形の魔人は、中身も近いのか。それを確認するために今度は敢えて骨だけ残して頭部を飛ばす。

 

 なあんだ。中身はニンゲンと変わらないじゃない。

 

 リーシャはその行為だけで魔人の構造がほぼニンゲンだと確信した。ならば脳からの信号が行かなくなれば魔人共は動かなくなる。治癒能力もどうやらあるようだから、一撃で首を飛ばさなくてはならない。神経は使うが、この程度リーシャにとっては朝飯前である。早くエルを助けなくちゃ、という思考は一瞬で消し飛んだ。今はそんなことを考えている場合ではない。

 なぜなら、目の前には敵がいるからだ。リーシャにとっての怨敵が。

「――殺す」

 そう。殺さなくては。目の前の汚らわしい魔人共を殺さなくてはならない。そう念じながら大剣が振るわれる。魔人の首が飛び、やがてリーシャの大剣に血と脂が付着し始めて。斬れなくなってきたその剣を近くの井戸の汲み桶を跳ね上げて洗い流す。これでもう少し斬れるようになったから、また殺す。何度も何度もそのサイクルを繰り返して魔人共を殺していく。

 

――何のために? ふと、そう思った。何のためだったっけ。理由が分からなくともいい。どんな理由があったっていい。今殺さなければいつ殺す。次の瞬間にはリーシャ自身が殺されているかも知れないというのに。大切なのは今自分が目の前の相手を殺したいと思っていること。だから殺す。殺さなくてはいけない、ではない。殺す。自発的に、徹底的に、殺しつくす。目の前の相手なんて、殺してしまえば良い。そうすればきっと――

 

 僅かに眉を顰めたリーシャは数体の魔人の頭部を飛ばし、血だまりの中に足をつける。この血は誰のだったっけ、と考えて、反射的に周囲に集まっていた魔人を殺す。今やリーシャはただの殺戮のための機械に過ぎなかった。全ての挙動が周囲の死につながる。魔人共は畏れて近づかなくなる、ということもなくリーシャに手を出そうと襲い掛かってきている。

 

 血だまりを踏んで思考する。これは誰の血だったっけ。誰の。誰の――そうだ。彼女の。彼女って誰だったっけ。ここ最近ずっと一緒にいた子のはずだ。それって女の子だっけ、男の子だっけ。どっちでもいいや。でも、なんて言う名前だったっけ。ずっと呼んでいたはずなのに、ずっと一緒にいたはずだったのに、魔人に蹂躙された彼女の名前が思い出せない。どうして。

 

 リーシャは何だか腹が立って、魔人を殺した。

「死ね」

 名前が思い出せないのはきっと魔人のせいだ。だから死ね。その想いをこめて首を飛ばす。いつしか恐怖は消えていた。誰かが殺されたはずなのにそれも意に介さなくなっていた。死ね。その単語だけが今のリーシャの脳内を占めている。殺せば気が晴れる。殺したい。誰でも良いから、殺せばすっきりするんじゃないか。そんな狂気の淵に、今リーシャは立っていた。

 無論、それを見逃す□□□ではない。故にリーロンは間に合った。娘が狂気の淵に転がり落ちていく、その前に。目の前の惨劇に息をのみ、そしてリーロンはリーシャが剣を振るうよりも早くその場にいた全ての魔人を始末した。そこにいたリーシャは血まみれで、もう一人の少女の姿はない。その理由をリーロンが掴み兼ねて――唐突にリーシャが掴みかかってくるのを感じた。

「何で?」

 その問いの意味を、リーロンは正確に把握した。確かにこのような状態になったことはある。誰でも彼でも殺せばすっきりするんじゃないかと。こうなった時に自分は姉を殺した。完全に息の根を止めるために。これ以上、苦しませないため――いや、違う。そうじゃない。自分を半人前にするために。ただただ父に褒められたかったから。

 だが、リーシャの場合は違うようだ。リーロンはそれを察知して答えた。

「これ以上お前が殺してどうなる。何も変わらないだろう」

「それは……それ、は……」

 ついでにリーロンは近くの井戸から汲んだ水をリーシャにぶっかけた。これ以上血にまみれた娘を放置するわけにはいかない。殺戮が止んでから時間が経ったこともあり、そろそろ他人に見られてもおかしくなくなっていた。だからこそ血を洗い流すために水をぶっかけ、リーシャは濡れた袖で顔を拭ってそれに応えた。多少なりとも残っていたリーシャの理性がそうさせたのだ。

 リーシャは放心状態のまま、リーロンに連れられて自宅へと戻った。父が何を考えているかもわからないリーシャは数日寝こみ、そして次に目を醒ました時には家の中から全ての『エル』の痕跡が消されていた。その理由をリーシャが知ることはない。そして、それを始末したリーロンもその理由を知ることはなかった。

 そして、数年後――リーロンは病に倒れ、リーシャはその父を殺めて《銀》となった。共和国の要人から依頼された仕事を数件受けて、そして理解する。彼女には殺戮は向いていても殺人は向いていないのだと。何もわからず周囲の人間を殺める方が、リーシャにとっては楽だったのだと。だからリーシャは旅に出た。クロスベルへ――誰も、《銀》であれと願わないこの地へ。

 クロスベルにおいても確かに依頼は来る。それでも、格段に楽になったのは事実だ。何故なら、クロスベルで受ける依頼は――何一つとして人を殺めるような依頼などなかったのだから。

 

 そして、リーシャは運命に出会い――変わった。

 

 それは決して他人に強要されたからではない。自分の意志で変わったのだ。そう在ることを、リーシャ自身が望んだから。

 



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φ章~遥かなる未来のために~
未来への布石・リベール


 旧206話のリメイクです。

 ※追記
  9/29現在、Wi-Fi環境のない場所にいます。本作は全てパソコン打ちですので、環境が整い次第の更新となります。大変申し訳ないです。


 七耀暦1204年5月――リベール王国にて。そこにいるはずのない人間が、そこにいるべき人間を連れてグランセル国際空港へと降り立った。前者の名はアルシェム・シエル。そして後者の名はレン・シエル――『レン・ヘイワース』にして『レン・ブライト』になるべきだった少女である。彼女らがここに来た目的は二つ。一つ目は星杯騎士『エル・ストレイ』としてリベール王国女王アリシアⅡ世およびカシウス・ブライトとの会談。二つ目は王室親衛隊特務分隊《比翼》の二人への指令を伝えることだった。

 それに何故レンが同行しているのか、アルシェム自身も理解はしていない。しかし、今動く以外に彼女に自由になる時間はない。故に無理矢理ついて来たレンを追い返すわけにもいかなかった。たとえ彼女がアルシェムの――『エル・ストレイ』の従騎士になりたいと望んでいても。それを叶えるしかなくなるのだとしても、アルシェムはレンを追い返せなかった。ただ自分の精神に安定が欲しいが為だけに。

 それでなくともアリシア女王はアルシェムの精神を削りに来ていたのだ。アリシア女王、というよりもクローディア王孫女が、というべきなのだろうが。彼女はこともあろうにアリシア女王にアルシェムの正体を露見させていたようなのだ。おかげで『エル・ストレイ』として会談を申し込んだはずが『どうぞいらしてくださいアルシェムさん』になっていたのはもう笑えない。

 それでも体裁だけは繕うべきだと神父服を着ていざ女王宮での会談に臨んでみれば、険しい顔のカシウスがいるではないか。頭を抱えて溜息を吐きたくなるのも致し方ない。しかも、流石にエステルやヨシュアは同席しなかったがクローディアもいればレンもちゃっかり隣に座っている。

「それで、何用ですか? アルシェムさん」

 そう問いかける女王にすら、警戒の色が見られるのだから最早投げ槍にもなりたくなるというモノである。だが、残念なことにアルシェムにはここで妥協するなどということは出来ない。否――正確に言うのならば『したくない』。何故なら、それはやがてアルシェムを蝕む毒となろうともアルシェム自身をその毒から救い出すための薬ともなり得るものだからだ。

 故にアルシェムは正直に答えた。

「わたしには後ろ盾が必要なんですよ。それもアルテリアの後ろ盾でもエレボニア、カルバード両国のでもない後ろ盾が」

「……どういうこと、ですか? それは、その……《銀の娘》という言葉に関係があるんですか?」

 やっぱり全員分の暗示解いてんじゃねえかあの《空気》野郎。アルシェムはその発言をしたクローディアに向けてそんな悪態をつきそうになったが抑える。今ここでアルシェムが得るべきなのは言葉通りリベール王国からの後ろ盾――もっと言ってしまえば信任だ。エレボニア帝国でも、カルバード共和国でもいけない。事情によりアルテリアなど論外である。

 アルシェムはその言葉に首肯して続けた。

「ええ。もっとも、その単語は比喩なんですが」

「その意味をお前は知った、ということか……」

「だからこそ、わたしはこうしてここにお願いに来てるんですよ。わたしには果たすべき使命とやらがあるらしいんで」

 それは一体何だ。そう、皆の目が問うていた。大人しく聞いているレンもそれは同じ。カシウスも、アリシア女王もそれが気になっているようだ。誰も用意された紅茶には手を付けることなくアルシェムを見ていて――だから、アルシェムは答えた。それ以外彼らを納得させる術がない。全ての虚飾を取り払って、そこに残るモノ。アルシェム・シエルという名の女の本質を告げることでしか。

 アルシェムは何の感慨も感じさせない声で告げた。

 

「わたしは《七の至宝》が一、かつてクロスベルに在った《虚ろなる神》の娘。本当の名は――アルシェム・シエル=デミウルゴス」

 

 その言葉に一同は息を呑んだ。その単語を聞いたことがないから、というわけではない。それが事実であることを否が応でも感じさせられたからだ。高貴な顔立ちをしているわけではない。ただ、その雰囲気が人間離れしていて――そもそもがニンゲンではないことに気付く。ニンゲンの形をとっていようが《至宝》は《至宝》。ニンゲンであるわけがないのだ。

 そしてその言葉には続きがあった。到底彼女の口から出たものとは思えぬ狂気に塗れた声が、二重に響く。

 

「だから私はクロスベルを治めなければならない。クロスベルの民を幸せにしなければならない。この身全てをクロスベルに捧げ、□□□のために誰もが笑っていられる世界を――ッ」

 

 そこまで言って、言葉が途切れた。熱に浮かされたような言葉を止めたのはほかならぬアルシェムの手に握られたフォークだ。それを右肩に突き刺して、へし折る。王宮の備品に何をしている、と言ってはいけないのである。ただ、今正気を失ってあることないことを全て暴露するわけにはいかないのだ。たとえそれがアルシェム自身に押し付けられた未来なのだとしても。

 痛いほどの沈黙。それをアルシェムは無理矢理に押し破る。

「……ほんっと、正直に言ってないわー……ここで邪魔すんな」

「あ、アルさん、血が……」

「気にしないで下さいクローディア殿下。この程度で正気が保てるのなら安いものですよ」

 皮肉げに笑ってそう返したアルシェムは、しかし顔色を隠しきることは出来なかった。それでも彼女は止まらない。止まることなど、自分に赦した覚えはないのだ。だからこそ言葉を紡ぎ、協力を取り付けたうえで□□□のくびきから逃げ出そうとしている。

「まあ、そういうわけです。リベールにとっても悪い話ではないはずですよ?」

 そのアルシェムの言葉に、女王は難しい顔をして答えた。

「アルシェムさん、貴女は――本当に、それで良いのですか? 半ば自分の意志でなく国を治めるのは苦痛しか生み出しません。その先はきっと茨の道です」

「クロスベルを治めるのはわたしの意志でもありますよ。何せ他に選択肢がありませんから。わたしの未来は、わたしが決める。クロスベルの生贄になる気はありません。生贄か、王か。その選択肢しか残されていないから、わたしは王になる道を選びます」

 アルシェムはそう宣言するが、どの世界のどの王にもその言葉は否定されるべきものだ。死にたくないから王になる。そんな消極的な選択で、民を想う王になれるわけがない。アルシェムが良き王になれないのはこの時点で確定している事項でもあるし、□□□にとっても彼女が良き王になるなどという選択は取らせてはならないものだ。□□□にとってアルシェムは死んでしまえば良い邪魔者になりかけているのだから。

 そこでカシウスが口を挟んだ。

「……アルシェム。本当に、お前には選択肢はないのか……? クロスベルから逃げるという選択肢も、お前を乗っ取って話していた人物を止めるという選択肢もあるはずじゃないのか?」

「ありません」

「そんなに思いつめるものじゃないぞ、アルシェム。選択肢なんてものはそこらじゅうにごろごろ――」

「ありませんよ」

 アルシェムはカシウスの言葉をバッサリと切って捨てた。そんなものなどありはしないし、存在すらアルシェムは赦す気はないのだ。それが自分の首を締めることに繋がろうとも、これ以上分岐する未来/過去などいらない。何のために生み出されたのかを察した今でさえその役目を全う出来ていないことを知っているのに、これ以上役目を全うするための存在など生み出されてたまるものかと。

 だからこそアルシェムは断言する。

「この先未来に分岐はありません。そんなこと、させやしない。これ以上やりなおされるなんて御免です。ソイツを止めることも出来ません。なら、わたしはソイツを凌駕するだけの力を得るしかない。そしてそのためには、ある程度向こうの思惑通りに進む必要がある。ソイツが幸せになれるように。ソイツが願う皆が笑っていられる世界のためにギリギリのところまで協力して――最後に裏切ってやる」

 その目に浮かぶのは憎悪。アルシェムから発されているその雰囲気には殺意が込められている。それでもなお発言には『殺害』という言葉を入れていない/入れられないあたり、まだくびきからは抜け出せてはいない。それでもアルシェムは宣言せずにはいられないのだ。ある意味一番信じてはいないことを、本当は一番に望んでいるのだと。

 

「皆が笑えない世界なんて必要ないっていうバカな考えを持っているソイツに教えてやる。あんたが何もしなくたって、いつか皆笑えるようになるんだって」

 

 その宣言に皆が唖然とした顔でアルシェムを見つめている。彼女がそんなことを言うだなんて誰も思っていなかったのだ。自分のことさえよければそれでいいと思っているに違いないと思っていた彼女のその意志に。そこに在るのは、確かに信頼だった。人間という種族への、絶対的な信頼。無論個々人を信頼しているわけではない。ただ彼女は人間の可能性を信じているだけだ。そんなことを思っているなどつゆほども思わなかった一同は絶句することしか出来ない。

そんな中アルシェムは言葉を続ける。

「クロスベルから逃げることなんてできっこない。□□□が鐘の交錯する地を『アルシェム・シエル』の終着点だと定めたから。□□□を止めることなんてできっこない。□□□はそんなことなんて望んでいないから。結局のところ目的は同じで、経緯が違うだけ」

 歌うように紡がれる言葉の一部は聞き取れない。それでも、確かにそれは『アルシェム・シエル=デミウルゴス』本人の言葉。今まで翻弄され、これからも翻弄されるであろう運命に対する呪詛。諦観の含まれたそれに、それでもアルシェムは逆らいたくて仕方がないのだ。ただ使い潰されるためだけの人生などごめんだから。誰かのためではなく、自分のために。

 

「なら――わたしが生きていて良い世界だって、在ったって良いはずじゃない」

 

 そこには本当はありはしないのに、という響きが含まれていた。アルシェムの言葉を半信半疑で聞く人物はもういない。彼女は数々の嘘をついてきたものの、そんな嘘をつける人物ではないからだ。だからこそ、アリシア女王もクローディアも、カシウスでさえ思案に耽る。どんな未来を引き寄せるのか、そのために必要なものを。アルシェムが皆を裏切ったようなものとはいえ、かつて共に在った者達として。

 クロスベルを一つの国にすることは確かに難しい。まずクロスベル自治州の宗主国を名乗る国が二つあることが問題だ。エレボニア帝国とカルバード共和国。その二国に挟まれ、議員たちの腐敗に侵され、クロスベルはいつ崩壊してもおかしくない。そこにどちらにも属さずに国家として成立できるだけの地盤は存在しないのだ。たとえ、かつてクロスベルを治めていたであろう《虚ろなる神》の娘であろうとも。

 それに、独立の気風が激しいかと問われるとそうでないことも挙げられる。どうせ帝国や共和国に嬲られてどちらかに吸収合併されるのだろうと皆が諦めているから、いざ独立しようと声を上げても賛成されるだけの土壌がない。そこにどれほど卑劣な罠を仕込もうとも、どうせ露見する話だ。猟兵団などを両国が雇ったとしてクロスベルを荒らさせようがどうしようもない。

 結局のところほとんどが手詰まりの状況に、カシウスはアルシェムに問うた。

「……それで、お前はどうやってクロスベルを独立国家にする気だ?」

「酷い独裁者に占領された国民は、もっとましな支配者を求めるようになる。……近いうちにクロスベル自治州内で独立運動が起きます。恐らくは西ゼムリア通商会議あたりでしょうか。全てがその通りに動くようにはしませんけど、確実にあの男は立つでしょう。その男から簒奪します」

「それは……それでは、クロスベルの民はどうなるんですか!?」

 愕然としたようにクローディアが叫んだ。聡明な彼女には分かったのだ。そこまで全てを放置して、悪政を廃すべくアルシェムが動くことを。それであればその男とやらと同じだ。治めるべき民を半ば見捨てている/馬鹿にしているようにしか思えない。いずれリベールの王位を継ぐ者として、その考え方は到底認められないものだったのだ。

 しかしアルシェムはこう返した。

「だからこそ、被害を最低限にすべく今動いているわけです。わたしが欲しいのは、完全なリベールの後ろ盾ではありません。ただの黙認。それだけで良い」

「……では、聞かせて下さいアルシェムさん。貴女がどうやってクロスベルの被害を最低限にするのか。そして――それが、どうリベールの益につながるのかを」

 アリシア女王の言葉に、アルシェムは彼女の瞳を見てこう返した。

「まず、特務支援課を再結成させます。これは早いうちに終わらせますし、市長もその意向だそうです」

 もっとも、そこにどんな意図が隠されているのかなどということはアルシェムには分からない。だが、特務支援課の再結成に関してはそれを望む人物がいて、その願いがかなえられるからこそ再結成されるのだとは分かっていた。だからこそ敢えてそれに逆らうことはしない。特務支援課の存在は、確かに裏社会に対して圧力をかけることが出来ていたからだ。

 しかしそれだけでは足りない。それが分かっているからこそアルシェムは言葉をつづけた。

「それと遊撃士及び特務支援課一同では足りない分の治安維持のために自警団を結成します。遊撃士協会に協力要請を行い、彼らと連携が取れるよう訓練させます。自警団のメンバーには心当たりがありますからそっちに当たります」

「心当たり、というと?」

「《レイヴン》のような存在がクロスベルにもあるんですよ。彼らをうまく使えば大幅な治安の向上につながります」

 カシウスが問うた言葉にアルシェムは端的に返した。心当たりというのは無論《テスタメンツ》と《サーベルバイパー》だ。特に《テスタメンツ》の方のリーダーには特務支援課に関わらせたくない。故に自警団を結成させ、かかわりは持たせつつも接触は最低限に済ませる予定だ。ワジ・ヘミスフィアをクロスベル中枢に関わらせるのは得策ではないのだから。

 更にアルシェムは言葉を続ける。

「また、西ゼムリア通商会議には出席予定でなかったアルテリア代表をぶち込みます。恐らく《星杯騎士団》総長から打診があるはずですので、カリン・アストレイ及びレオンハルト・アストレイをお借りします。その場でエレボニア、カルバード両国の心証及び影響力を削ぎます。《D∴G教団》の《拠点》のこともありますし、彼らに文句なんて言わせません」

「それは……《拠点》だけの話で収まりますか?」

「それは彼ら次第ですが、特にエレボニアの影響力を削ぐためになら《ハーメル》の話をぶち込むことにためらいはありません」

 その言葉に女王は思案を始めた。確かにエレボニア帝国とリベール王国内では《ハーメル》の一件について手打ちとなっている。お互いなかったことにしようということで手は打たれているが、被害者当人たちに対する補償に関しての取り決めは成されていない。そしてその被害者たちはカリン、レオンハルト、そしてヨシュアということになるだろう。

 確かに国際会議の場でその話を出せば心証は悪くなる。もっとも、それがリベールの益になるかどうかはまた別の話ではあるが。確かにエレボニアとの妙な緊張状態は解消される可能性がある。ただし、それだけだ。それだけでは首肯するに足りない。黙認すら怪しいレベルである。リベールは既に《異変》からの混乱から立ち直りつつあるため、そこまでエレボニアを刺激する必要はないとも思えるのだ。

 だが、アルシェムはまだ言葉をつづけた。

「その後恐らく調子に乗った男がクロスベルを襲撃させるために猟兵団を投入するでしょうから、それには遊撃士、特務支援課及び自警団で当たります。そして、クロスベルが独立すれば――エレボニアでは合併吸収された自治州の連中が一気に反旗を翻すでしょう。エレボニアの勢いをそぎ、どこの国へも目を向けさせない状態にすることは、リベールの益になるはずです」

「それは……」

 それだけか、とアリシア女王は思った。確かに今現在どこの国においても仮想敵国はエレボニアだろう。だからといってその国を弱体化させる程度で新しい国を黙認するという話には出来ない。アルシェムは王になるにはニンゲンとして浅すぎる、とも思った。だが、彼女にそれ以上の妙手をひねり出せないのも事実であり、アリシア女王が仮に妙手を思いついたとしてもそれを教えることは内政干渉になりかねない。本当に国が出来るのなら、だが。

 だからこそアリシア女王は条件を出した。

「それだけでは黙認も出来ません。リベールにとっての脅威は二つ――エレボニアと、《身喰らう蛇》。特に《身喰らう蛇》の方を壊滅させてください。そうすれば黙認しましょう」

 一見無理そうにも思える条件。だが、その条件を聞いたアルシェムはわずかに目を見開いただけで無理だとは言わなかった。何故なら――出来るから。盟主も、《使徒》も、《執行者》も。いずれにせよ殺すか寝返らせるつもりだったのだ。ならばこんなものは条件にもならない。それに、既に離反している人物たちも数多くいるのである。アルシェムにとって、それは難しいことでもなんでもない。

 だが、アルシェムはそれをおくびにも出さずに答えた。

「承りましょう」

 

 そして――遠くない未来に《女王宮会談》と呼ばれることになる会談はいくつかの条件と共に合意に至ったのだった。

 



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未来への布石・増援

 えー、大変長らくお待たせしました。2019年5月末までは確実に月三回投稿することをお約束します。

 旧209話~212話半ばまでのリメイクです。


 女王との会談を終え、《比翼》の二人に任務を言い渡したアルシェムは一度単独でアルテリアへと向かっていた。単独で向かうということはレンを回収するためにグランセルまで戻らなければならなくなることを意味するが、アルシェムにとって譲れない一線だったためにレンは置いて行かれたのだ。何故なら、ここまで着いて来られたのだとしてもレンを従騎士にするつもりなどさらさらなかったのだから。

 そしてアルテリアで対面すべき人物とはただ一人、アルテリア法国の主にして教皇エリザベト・ウリエルである。《星杯騎士団》総長アイン・セルナートとも会う必要はあるが、それ以上に教皇と会う必要があった。何故なら、アルシェムには確かめなければならないことがあったからだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 滅多に着ない《第四位》用の尼僧の法衣を纏ったアルシェムは、クロスベルであったこと全てをエリザベトに報告するために跪く。その体勢がとあるときと完全に同じ体勢であることを彼女は完全に意識しながら報告を行った。クロスベルに眠る《七の至宝》であり幻を司る《虚ろなる神》の回収についての報告を。そもそも《星杯騎士団》の主な目的は《七の至宝》をはじめとする《アーティファクト》の回収である。それについて報告することに何ら違和はない。

 アルシェムはエリザベトに対してクロスベルに眠る至宝についての情報を多少捻じ曲げて伝えた。《虚ろなる神》は既に滅び、その守り人にして付き人たる一家が《神》の復活を願って錬金術を駆使していたこと。そしてそれは成功していて、新たに《至宝》とも呼ぶべきものが現存していること。それを回収する/他者に奪われないようにするためにはクロスベルを国にする必要があることを。

 もっとも、情報を捻じ曲げたと言っても嘘を言ったわけではない。確かに《虚ろなる神》は滅び、錬金術を駆使して新たな《至宝》が生まれた。それを回収するためには国家を介在させなければならず、エレボニア帝国もカルバード共和国も共に所有権を主張するのは間違いない。故にクロスベルを国として立ち上げ、交渉をスムーズにした方が確実に回収できる。

 一応筋が通るからこそ――エリザベトに拒否の余地はないのである。

「では命じます。《第四位》《雪弾》エル・ストレイ。クロスベルを国と成し、その国主を貴女の息のかかったものになさい。手段も国主の人格も問いません」

「委細承知いたしました」

 そしてアルシェムにはその教皇の声だけで十分だった。彼女が――アルシェムの知る誰なのかを知るためには。声だけで分かる。気配もそれを肯定している。

 

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 それさえわかればもう《星杯騎士団》にも《七耀教会》にも用はない。どうせ《身喰らう蛇》と同位体であるならば滅ぼすだけの話だ。そうでなかったのだとしても、いつでも切り捨てられる。アルシェムにとって《星杯騎士団》の立場などもう必要ではない。今のアルシェムに――『アルシェム・シエル=デミウルゴス』に必要なのは、『クロスベルの幸せ』に必要なもののみだ。そこに自身の立場や意志など必要ない。

故にアルシェムは目的へ向けてまい進できる。全てはクロスベルのため。そして、自分自身が宿命から解放されるために。

 

 たとえアルシェムの目的がクロスベルに平和をもたらすことであり、アルテリアに利することでなかったのだとしても。もう彼らに邪魔することは出来ないのだ。それは教皇自身が保証してしまったのだから。

 

 教皇の命令は絶対。それを叶えるために、アルシェムにはどんな超法規的手段をとることも許される。西ゼムリア国際会議に誰をぶち込もうが、補助にケビン・グラハムを呼ばずにいようが問題はない。何故ならここですべての鍵を握っているのはアルシェムなのだから。ただ、□□□からの干渉でワジ・ヘミスフィアだけはクロスベルに滞在させる必要があるだけだ。

 故に報告に戻ってきているワジに話を通す必要がある。アルシェムは《星杯騎士団》本部内の《第九位》の部屋で多少の執務をしているワジを訪問した。

「失礼」

「どうしたんだい、ストレイ卿」

「ちょっと相談、というよりも協力してほしくて」

 その言葉にワジは片眉をあげて書類から顔をあげた。基本的に頻繁に連絡を取り合うわけでもない《第四位》からの協力要請など滅多に聞けない言葉だからだ。ワジからしてみれば忌憚なく話しやすい《第五位》や副長たる《第二位》、総長の《第一位》とは頻繁に連絡を取り合う。しかし何を考えているのかわからない《第四位》とはかかわったことこそあれ、ほとんど人員不足による補助が主たるものであった。そこに協力要請である。

彼女が来たこと自体が興味深くてワジはうっすらと笑みを浮かべて問うた。

「僕に何をしてほしいんだって?」

「目を逸らす役はリオにやらせるから、クロスベルの至宝を引きずり出す一環で治安維持を手伝って貰えればと」

「? よくわからないけど、説明して貰えるかな」

 基本的に相手を追い詰めて奥の手を出させるのが主流の《星杯騎士団》において、治安維持の手伝いなどという名目は聞いたことがない。故にワジはアルシェムにそう問うた。アルシェムはその問いに本音を包み隠して都合のいいところだけを彼に伝える。一度クロスベルを国にし、《至宝》回収をスムーズに行うための地盤を作るのだと。そのためには円満な国家形成が必要なのだと。

 だからこそ、とアルシェムはワジに告げる。

「だからこそ再結成予定だけど大規模には出来ない《特務支援課》や国家不干渉の《遊撃士協会》、一度失態を犯したクロスベル警備隊とも違う治安維持組織が必要なわけ」

「……そこそこ人数が必要ってわけだね。でも、何で僕にそれを頼むの?」

 そこにはそこはかとない拒絶の意志が込められていたが、アルシェムはそれを無視した。何故なら、本人の感情は抜きにしても□□□が望むからだ。ワジ・ヘミスフィアとヴァルド・ヴァレスを引き離してはならないのだと。敵対者を減らしたいというわけではなく、ただ人間としてのヴァルドを敵にしたくないというただそれだけのこと。

 それを明かさずにアルシェムはワジの疑問に答えた。

「その人員にするのが《テスタメンツ》と《サーベルバイパー》だってこと。案外相性もいいし、人数的にも丁度いいからね」

「それは……そうかもしれないけど」

「因みに拒否権はないからね。これはクロスベルを国にするために必要なことだから」

 そう言えばワジは逆らえない。どのような経緯をたどっていたのだとしても《空の女神》及び教皇に忠誠を誓った彼には。それが分かっていてアルシェムはそう口にした。ワジも断ることはしなかった。ただ、細かく話を詰めていくうちに気乗りしないという感情をありありとアルシェムに見せつけただけだ。もっとも、アルシェムはそんなことなど完全に無視していたが。

 

 気乗りしようがしまいが、□□□にとってワジ・ヘミスフィアはヴァルド・ヴァレスと共に在るべき人物なのだから。

 

 そうして、アルテリアでする必要のある全てのことを終わらせたアルシェムはリベールへと戻った。もうアルテリアにかかずらう必要はほぼない。介入もさせない。教皇からの命令を遂行するためだと言い張れば時間も稼げる。そのわずかな時間こそがアルシェムに赦された最後の時間。さあ、これからクロスベルに戻って本格的に根回しを始めよう。そう思った時だった。

 

「だから、絶対絶対ぜえったい行くんだからね、レンちゃん!」

 

 ここにあるはずのない声が響いたのは。その声はティオよりも幼く聞こえるが、本人はティオよりも年上。そしてレンよりもなお幼く聞こえるものの、やはりレンよりも年上の少女の声だ。雲一つない真夏の空のように青い瞳に絶対の意志を煌めかせ、母譲りの長い金髪を無造作に束ねて独特な赤い帽子の中に収納しているその少女の名は――

 

「ティータ、その……本当にご両親は反対しなかったのね?」

 

 心配そうにそう告げるレンによって明かされた。紛うことなくティータ・ラッセルだった。レンの言葉にマシンガンのように言葉を返す彼女の言葉を聞くに、どうやら彼女は今からクロスベルに赴くらしい。その護衛にと選ばれたであろう赤毛の青年が険しい顔でアルシェムを見ていた。どう見てもアガットである。この二人と共にクロスベルに帰るの? と遠い目をしてしまったのは致し方ないことだろう。

 だが、それ以上に驚かされたのは彼女の口から漏れ出る機密情報と思しき情報だった。

「わたしだって『ギア計画』に関わったんだもん! クロスベルの研究員さん達には負けたくないし……それにね、それにねっ!」

「エプスタイン財団からも招聘されているのは分かったから、ちょっと落ち着きなさいティータ」

 アルシェムの記憶が正しければ、『ギア計画』という名の計画は存在しない。だが、『ギア』とだけ聞けば何が作られるのかは想像がつく。『オーバルギア』とその後身たる『エイドロンギア』の『ギア』だろう。特にティータが関わっていたのだとすれば。遠い目になりかけて、もしかしてこれならとアルシェムは思いついてしまった。無論ティータの望まないだろう軍事利用ではあるが。

 それはさておき、遠い目をしているアガットをいつまでも放置するわけにもいかないだろうとアルシェムは声を掛けた。

「あー、アガット?」

「……お前か。概要は陛下から聞いた。そのうえで国として独立する前にアイツをリベールに帰してやれるようにしてくれ、と伝えてほしいと」

 その言葉を吐きだすときもまた、アガットは遠い目のままだった。どうやら相当疲労がたまっているらしい。肉体的ではなく、精神的な疲労だ。ティータの両親――ダン・ラッセルとエリカ・ラッセルを片鱗であっても知っているアルシェムは何となく事情を察した。全力で鍛えられたのだろう。忍耐力とか、何とか、そのあたりの精神的なものを。

 アガットの言葉は疲れ切っていたが、アルシェムにとって当然のことを言っていたので肯定を返す。

「勿論。流石にティータを巻き込むのは気が引けるっていうかなんというかその、何でこの時期にわざわざ……」

「言うな……何のために《剣帝》とオッサンと何回模擬戦やらされたと思ってる……」

 危険だから行くな、ではきかない性格のティータを守るため、アガットはラッセル家から鍛えさせられたようである。最初はダン・ラッセルが相手になり、彼が相手にならなくなってからはカシウスとレオンハルトの二人を相手取れるようになるまで自宅に戻して貰えなかったそうだ。おかげで強くはなれたのだろうが、精神的に疲れる出来事だったのはいうまでもない。

 アルシェムは目を逸らしながら小さくドンマイ、としか言えなかった。その技量をフルに利用しようとしているアルシェムが何かを言う権利はなかったのである。これからクロスベルは荒れる。それはアルシェムのせいでもあるし、□□□のせいもある。それに自分から飛び込んでくる戦力を利用しない手はないのだ。外道な考え方しか出来なくなってきている自分に吐き気を催しながらアルシェムは国際線の飛空艇へと乗り込んだ。

 飛空艇の中は比較的平穏だった。レンとティータが旧交を温め、アガットが温かい目でそれを見守っているだけだったという意味では。そんな中でアルシェムは一人思案する。ティータ・ラッセルは『クロスベル国民にはなりえない』が、『賓客として無事に返す必要がある』人材だ。アガット・クロスナーもほぼ同様である。彼の場合は遊撃士であるからにして多少負傷していたところで問題はない。

 ティータを無事にクロスベルから脱出させるために必要なもの。それは恐らくどんな状況でも逃げ出せるような地盤を作ることだ。地形の把握はカシウスの格言を律儀に守っているアガットがやってくれる。ならば、彼が入り込みようがない場所かつティータが深くかかわる場所の地形は教えておくべきだろう。特にエプスタイン財団が入っているビル――IBCの内部構造だ。

 確かこんな感じだった、と思い出しつつ引いた図面を、アガットに近づいてアルシェムは差し出した。

「……はいこれ、IBCの内部構造」

 その紙きれを見たアガットは、一瞬不思議そうな顔をしたが階層や内部構造を見て大体どこなのかを見て取ったようだ。真剣な顔で図面を読み取り、脱出口になりそうな場所を頭に叩きこんでいく。たとえ一リジュであっても妥協も間違いも赦されない。何故ならアガットはティータという一人の少女の命を預かっている身なのだから。

 全てを頭に叩き込んだアガットは、アルシェムに問うた。

「何で敢えて今渡す?」

「いつ関われなくなるか分からないし、いつでも逃げられるようにしておいた方が安心でしょ?」

 そのアルシェムの言葉に、アガットは険しい顔になって改めて図面を受け取った。つまりはいつ情勢が悪化するのかすらわからない状況であるということだ。遊撃士として、また一人の少女を託された男としてこの紙切れを受け取らないわけにはいかなかった。なによりも妹のようなティータを守り抜くために必要なものであると直感で分かっていたから。

 そのうえで、アガットはアルシェムに告げた。

「……あまり無茶はするなよ?」

「保証はしない」

「ティータが泣くからな」

 アガットが大真面目に言った言葉にアルシェムは思わず吹き出した。大真面目に言ってはいるがどこからどう見てもロリコンだった。この発言のせいでアガットはしばらくアルシェムにからかわれっぱなしだったことをここに明言しておく。

 クロスベル空港に着き、一度アガットとティータと別れたアルシェム達は一旦支援課ビルに戻った。特務支援課は解散しているとはいえ、一応籍を置いていることは間違いないからだ。他に住むところがないからでもあるが、それでも荷物を置きっぱなしにしているのはもう一度特務支援化が結成されることを知っているからに他ならない。

 リビングに降りて勝手に紅茶を淹れて呑んでいると、セルゲイが現れた。どうやら気配を察知したらしい。

「何だ、帰ってきてたのか」

「他に行くところもありませんしね」

「あら、何ならホテルでも良かったのよ?」

 レンはそういうが、アルシェムはまだ特務支援課から離れるつもりはなかった。いずれ強制的に引き離されることになるのだとしても。そして、ここ以外に行く場所がないことを知っているセルゲイもそれを良しとしていた。勝手に行方をくらませた上に再び《身喰らう蛇》入りしていたなどという事態はセルゲイにとっても避けたい事態だったのである。

 もっとも、セルゲイがアルシェムに接触してきたのはそれだけが理由ではなかったようだ。

「……警察本部に依頼が届いてな。特務支援課あてだったんだが、今は解散しているだろう?」

「一番フリーなわたしが受けろってことですか?」

「そういうことだ。内容的にはお前が適任だからな。……待機人員としてレンは置いて行け」

 えー、と頬を膨らませるレンを宥めたアルシェムは依頼主の名前を聞いて口角をわずかにあげ、支援課ビルから出た。行先は旧市街、《イグニス》――《サーベルバイパー》の本拠地にて、ワジ・ヘミスフィアが待っているそうだ。どうやらワジはアルテリアから直接クロスベル入りしたようで、アルシェムよりも数時間は早く帰着していたようだ。

 そして辿り着いた《イグニス》で待ち受けていたのは。

 

「――冗談キツイんだけどおいこらてめえら」

 

 思わずアルシェムが口調を壊してしまう程度の悪ふざけだった。一斉にスリングショットから投擲される石。ぎらぎらと目を光らせて釘バットが左右と正面から襲い来る。頭上からはひときわ大きな釘バット。そして足元には体勢を崩そうと伸ばされた足。そう。それらすべては、《サーベルバイパー》と《テスタメンツ》の総攻撃だった。

 無論、その程度で倒されるアルシェムではない。そのすべてを避け、一番手近にあった釘バットを奪いとって活路を開く。

「チッ」

「舌打ちしたいのはこっちだっつーの! いきなり何してくれんのてめえら」

「いやあ、君なら全部避けてくれると思ってね。どうだい、ヴァルド? これが特務支援課だよ」

 一括りにしてくれるな、とアルシェムは思ったが、早速ワジが動いてくれたので不敵に笑ってみせる。それでヴァルドは怯んだ。ワジに何を吹き込まれたのかは分からないが、どうやら大袈裟に実力を吹聴されてしまったらしい。

 納得がいかないのか、ヴァルドがもう一度攻撃を仕掛けて来て、その場は混戦に陥った。



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未来への布石・宣誓

 旧212話半ば~215話までのリメイクです。


その後、アルシェムと《サーベルバイパー》、《テスタメンツ》達とで何度か模擬戦――もっとも、模擬戦と言ってもアルシェムはほとんど一人で十数名を撃退していたわけだが――を繰り返していると、不意に扉が開かれた。アルシェムは何となく嫌な予感がしてそちらを見ると、導力砲が見える。あの特徴的な形の導力砲はティータのものだ。砲口が光り、今にも発射されると思った瞬間。

 

「あ、アルシェムさんから離れて下さいっ! じゃないと、こうなんだからあっ!」

 

 ティータの絶叫と共に導力砲が唸った。その狙いは嫌に正確で、今まさにアルシェムに攻撃をしようとしていたヴァルドの腕に向けられている。それは洒落にならないことが分かっていたアルシェムは、顔をひきつらせながら導力銃でその砲撃を無力化した。具体的に言えば、導力を纏って撃ち出されている小さな金属片を撃ち抜いたのだ。爆散して煙を上げるその光景にヴァルドは顔を引きつらせる。

 しかし、攻撃はそれでは終わらない。終わるわけがないのだ。ただの一射で終わらせれば反撃を喰らってしまうことをティータは知っていたのだから。隙を造らないようまだまだ、と言わんばかりに第二射を行ったティータは、そこでようやくアルシェムが砲撃を無力化していることに気付く。有り得ない技量ではあるが、それをできてしまうのがアルシェムしかいないと知っていた。

 だからこそティータは声を上げる。

「アルシェムさん!?」

 そんな抗議の声を上げたティータに向けて、アルシェムは苦笑しながら言葉を返した。

「模擬戦だから、ティータ。襲撃されてるわけじゃないからね?」

「……え?」

 沈黙三秒。そして。

「ごっ、ごめんなさい! 私、私……早とちりしちゃって……あうあう」

 真っ赤になりながら頭を下げているティータ。そそっかしいのは姉と慕うエステルに似て来てしまったのか、それとも治せなかった生来からの癖なのか。ぜひとも治して貰わなければ周囲が危険に陥りかねない。味方のはずのティータに砲撃されて全滅エンド、などという残念な結果をアルシェムとしても□□□としても認めるわけにはいかないのである。

そう心に誓ったアルシェムは溜息を吐きながらティータに苦言を呈する。

「次からは気を付けてね……本当に。ティータの相手できる奴ってそうそう転がってないし」

 ぺこぺこと頭を下げ続けるティータにアルシェムは疲れたような顔をした。まだ本題にも入れていないのだ。依頼を受けた旨をまず伝える必要があるが、またしてもそれどころではない人物が吶喊してきそうだ。それも、《剣聖》と《剣帝》を同時に相手取れるようになってしまった《重剣》が。正直に言ってアルシェムでも相手をしたくない。

 故にアルシェムは穏便にその人物を迎えた。

「単純に支援要請を受けただけだからさ、そんな警戒して隙狙わないでよアガット」

 扉の影から出てきたアガットは、まるで潜んでいたことを悟らせないかのように普通に歩いてきた。実はティータを一歩手前で逃してしまっていたのだが、それすらも悟らせない。安全が確保できればアガット的には全く問題がなかったからだ。ティータが口だけの小娘ではなくなってきていることを、誰よりも近くで見てきたアガットだからこそ知っている。

 それでもアルシェムの言葉の内容に疑問を持ったアガットは声を漏らした。

「……支援、要請……? ああ、元特務支援課とやらが受けてたっていう、か。ま、《レイヴン》共よりかは使い道がありそうな連中だぜ」

 そう笑って告げたアガットに興味を引かれたのか、ワジが問うてくる。

「ねえ、アルシェム。アレ誰?」

「B級遊撃士、アガット・クロスナー。二つ名は《重剣》だよ」

 アルシェムの端的な答えを聞いてへえ、と目を丸くしたワジ。それを見てヴァルドはアガットに突っかかった。会話の内容は自分達の相似性に対する文句である。トサカだのトサカでないだの真似するなだの生まれつきだの、聞いていて愉快なことこの上ない。ただし、その口論を繰り返す理由が何なのかはアルシェムにもワジにも分かっていなかった。要するに同族嫌悪である。

それをアルシェムは実に微妙な顔で見てからワジと会話を続ける。

「で、支援要請の内容は?」

「自警団結成のための手続き関連を手伝ってほしいのと、戦力の強化を手伝ってほしいかな」

「ふうん。分かった。ま、でも、一般常識からかな……」

 そう返したアルシェムの目線の先で、ティータが自己紹介をしていた。しかし『ラッセル』というある意味有名すぎる姓にすぐに気付かないようでは、これからが思いやられるのである。クロスベルはエレボニアやカルバードからの要人が隠れ暮らしているなどということもあるのだから。名前でその人物の状況を察せないとやっていられないことすらある。そういう特殊な案件は捜査一課や特務支援課で受け持つことの方が多いだろうが、万が一ということもある。

 もっとも、それをアルシェムが教える必要はどこにもない。何故なら――

「……はい、そうですっ! 導力革命がなかったら、私達の生活は全然違ったものだったんですよ?」

 ティータが解説を始めたからだ。ただ一人だけティータの素性を察することが出来た人物がいたからこそ始まったことだ。その人物とは聖ウルスラ医科大学に勤務する親を持つ《テスタメンツ》のキーンツだった。彼の言葉から少しずつメンバーたちにもその実感――有名人の孫の前にいること――が湧いてきたのである。もっとも、ティータはアルバート・ラッセルよりも有名になってしまいそうだが。

「ど、導力がない、生活、か……そ、想像、できない、な」

 生来の吃音交じりにそうひとりごちたキーンツの言葉に、ティータは感慨深げに反応した。

「今は普通にありますし、導力がなくなっちゃうなんて状況はそう起きるものじゃないですから、想像はしなくても大丈夫だと思います。でも、導力について考えることは止めちゃダメです」

 そのことを語る時だけ、ティータは年相応の少女には見えなかった。それだけ濃厚な時間を過ごしてきたともいえるだろう。《輝く環》の《福音》によってもたらされた導力停止現象は、それだけティータにショックを与えていたのだ。苦労し、翻弄され、今また自身から巻き込まれにいっているその末端。世間を揺るがす事件に身を投じるだけの覚悟を以て、ティータはそこにいた。

 胸の前で手を握りしめ、ティータは続ける。

「導力は確かに便利なものです。生活の助けにもなるし、魔獣を追い払うのにも使えちゃいます。……でも、それだけじゃないんです。使い方によっては簡単に他人を傷つけられちゃうものなんです」

 こんなふうに、と言いながらティータはアルシェムに向けて水属性攻撃アーツを放った。アルシェムは顔をひきつらせながら背後の気配を確認し、誰もいないことを確認してそれを避ける。冗談で放ったわけではないのは口調でもわかっていたし、最低位の水属性アーツだったからこそアルシェムは避けられたわけだが、一般人にとってはいたずら以上の衝撃があるはずだ。

 愕然としながらアルシェムはティータに抗議する。

「いやティータ!?」

「こうやって避けられる人なんて本当に珍しいんです。もし仮にそこにいれば良いですけど、もし避けられなかったら? 怪我位はさせちゃいますよね」

「例にわたしを使わないでよ……いや、うん。避けられるんだけどね?」

 アルシェムのつぶやきはティータには聞こえていない。代わりに《サーベルバイパー》《テスタメンツ》両名からドン引きした視線を送られているが、ティータはそれにもひるまなかった。何故なら、ティータはいま大事なことを語っているのだから。誰かに怯まれようが、引かれようが、大事なことは大事なことだ。どんな荒唐無稽な妄想であっても語ることに意味がある。

 だからこそティータは真剣な顔で言葉をつづけた。

「人以外に向けたって一緒です。何かを壊しちゃうかもしれない力を、どう使うのかっていうのはずっと考えてます。考えて決めたんです。それが結果的にどう使われるのか、そこまで責任を持つって」

 その少女の宣誓を、誰もが息を呑んで聞いた。言葉は挟めない。否、言葉を挟む権利は誰にもない。意味が分からなくとも、聞いている言葉が信じられなくとも、それを邪魔することは出来なかった。現実を見据えてはいても、現実の重さを理解しきれていないだろう尊い願い。いつか誰かに踏みにじられるだろう儚い望み。それでもティータはそれを貫くだろう。

 

「例え誰が止めたって、私は止まりません。誰に罵られたって、私に全ての責任がある訳じゃないって分かってたって、その発端は全部私なんだって受け入れるって、決めました」

 

 それは努力したいという宣誓ではない。既に決めたことに対する宣告だ。小さな少女に背負わせるには重すぎる決断だが、彼女はすでに覚悟を決めている。周囲がどう言おうが何をしようが、それは変わらないのである。この幼い少女にそれを課したのは大人たちの責任であり、運命であり、これまでの彼女の人生であり、また□□□の望みでもあった。

 ティータはだから、と続けた。

「私は今のクロスベルに対して、喧嘩を売るって決めました。だからこそ貴方達に。クロスベルを守りたいと願う貴方達のために、私に出来ることをしたいって思うんです」

 そう締めくくったティータが何をするつもりなのか、アルシェムには読めていた。ティータに出来ることなど限られている。彼女は技師だ。たとえ魔獣との戦闘経験が豊富であったのだとしても、本質は技師だ。無論出来ることはと言えばオーブメント仕掛けのモノを提供すること。そして、その覚悟が生半な覚悟ではないからこそ止められないことも。

 だからこそ、アルシェムはティータに声を掛けた。

「ティータ」

「何ですか、アルシェムさん」

「一から作るつもりっぽいから言っとくけど、そんな時間は多分ないから。これ、使えるでしょ?」

 そう言ってアルシェムが投げ渡したのは一つのオーブメント。ある特殊なアーツしか使えない、戦術オーブメントとも呼べないナニカだ。無論《星杯騎士団》で使っている《LAYLA》ではない。また別の、欠陥品ともいえるようなものだ。絶対に誰かを傷つけないとは保証できないもの。それでも、アルシェムの思考の中では出来得る限り他人を害する可能性を下げたものだ。

 ティータは、それが誰が作成したのか理解していたからアルシェムに向けてそのオーブメントを発動させた。

「だからわたしを実験台にするんじゃなーい!」

 そう叫んだアルシェムは、水で拘束されていた。水属性補助アーツ・アクアバインド。オーブメント自体は登録された人以外には使えないようにしてあるものの、効果的には少々凶悪である。そのほかにもいきなりティア系治癒アーツが発動したり、ただ水が一定量だけあふれ出たりするだけで他の属性のアーツが発動する様子はない。

 ティータはそれを見て興味深そうに呟いた。

「治癒のアーツと、特殊な水属性アーツばっかり……ううん、それ以外は使えないようにしてあるってことですか、これ?」

「実戦の経験を積むかつ人間を傷つけないようなコンセプトで作ってある。他に必要だと思うのがあれば教えて? ここにいる人数分ぐらい量産するのは訳ないから」

「……ちょっと、ここで考えます」

 えっ、と一同が思う間もなくティータはノートを取り出してがりがりと何かを書き始めた。アルシェムも含めて呆然としていたが、それを見てアガットだけは平然と動き始めた。断りを入れて大きさの違うドラム缶を借り、ティータに即席の机と椅子を提供したのだ。どうやらアルシェムがいない間に、それはいつものことになってしまっていたらしい。

 その作業を終えたアガットはワジを振り返って問うた。

「で、自警団を作るんだったな?」

「え、うん……そうだけど」

「無論アーツだけ使えるようになったところで何の意味もねぇのは分かってるだろうが……お前らはいい具合に前衛、後衛が揃ってるじゃねえか。ティータがこうなった以上は止められないからな……模擬戦、やるぞ」

 そう言ってアガットは大剣の柄に手を掛け、一番近くにいた《サーベルバイパー》のコウキに向けて突進した。顔をひきつらせてコウキは避けようとするが、残念なことにアガットと彼とではスペックが違い過ぎた。そのまま柄で殴られたコウキは紙屑のように吹き飛んでいく。次に餌食となるのはコウキの近くでへたり込んでしまった《テスタメンツ》のアゼルかと思いきや、そこに割り込む影がいる。

 アガットはその人物に向けて意外そうな顔を向けながら声を掛けた。

「へえ、案外素早いんだな、お前」

「手下を吹っ飛ばしてくれた礼だ。受け取りやがれ!」

 渾身の力で振り切られた釘バットは、しかしアガットの大剣に難なく止められた。しかも彼はその位置から一リジュたりとも動いていない。動きすらしなかったアガットに、釘バットの主は顔をひきつらせた。キャラが似ていると思ったのは間違いだったのだ。アガットの方が何枚も上。それをこの一振りで察してしまったヴァルドは最早自分から《鬼砕き》を名乗ることはないだろう。

 顔をひきつらせてわずかな間硬直したヴァルドにアガットの強烈な一撃が繰り出される――

「させないよ」

「……! テメェ、不良の技量じゃねえぞそれ」

 アガットがその攻撃を繰り出したワジにしか聞こえない声でそうつぶやくと、ワジは束の間硬直した。確かにワジはヴァルドをあの強烈な攻撃から守るためにアガットの意識の隙間を突いた攻撃を繰り出した。その技量は確かに一般的な不良――そもそも不良の基準とは何なのかワジには分かっていない――を超えていたのかもしれない。だが、それをたかが数撃だけで見破られるとは思ってもみなかったのだ。

 足を止めたアガットに向けてスリングショットで投石が繰り返される。しかしアガットはそれをことごとく叩き落とす。《剣聖》と《剣帝》両名の怒涛の攻撃を受けさせられた身としては、その程度の攻撃など寝ながらでも捌けてしまうのである。模擬戦はアガットの圧勝に終わるかに思われたが、アガットは彼らに経験を積ませるために敢えて模擬戦を長引かせることを選んでいた。

 そんな中でもティータはノートへの書き込みを止めなかった。それを見てアルシェムは呟く。

「いや、麻痺までは良いけど石化は駄目だよ」

「……そうですね。他に狙ってる人がいたら一発で致命傷ですし……これは消して、後遺症が残らないように……」

 ぶつぶつと呟くその様がふっとエリカ・ラッセルに似ていて、アルシェムは思わず目をこすった。勿論そこにいるのはティータで、エリカではない。ただ、この間見た時よりも大人びてきているのだということは感じられた。成長している。それも、良い方向かどうかは別にして、だが。いずれ彼女は名をはせる博士となるだろう。それが高名な、となるか悪名高き、となるかはこれからの発明品次第だ。

 そして、その日から。改良に次ぐ改良を重ね、遂に完成したオーブメントは《EST》と名付けられた。それを配備された自警団《VCST(Vigilante of Crossbell from Sabel-Viper and Testaments)》も、特務支援課再始動の直前に立ち上げられ、皆の賛同は得られなかったものの『特務支援課の二番煎じ』として動き始めることとなったのであった。

 

 ❖

 

「何、これ……こんなの、知らない」

 今までになかった事態に、□□□の目は奪われた。確かにこの二つの組織が対立しあっていたからこそロイド達の障害となってしまう人物が出現したわけだが、こうなるとこうなるで歴史が変わってしまう。□□□の知る道筋から外れてしまうのだ。ただ、それでも。それでも男――ヴァルド・ヴァレスが闇に呑まれないこの状況は□□□にとっても好都合だった。

 ならばもっと後押ししてやるべきなのかもしれない。ひいてはこの後起きるだろう混乱から周囲を守れる可能性が上がるのならばそれで良いのかもしれない。そう思い直して□□□は彼らの後押しを始めた。具体的には住民たちからの理解を改変し、良い方向へと変えたのである。

「これで、少しはロイド達も楽になるかな?」

 楽天的に見ているが、□□□は知らない。これがアルシェムによって打たれた一手であり、いずれ□□□の状況を悪化させることなど。それを知らせないために、アルシェムは消滅させられるかもしれない危険を冒してでも□□□の目をかいくぐったのだ。これが、アルシェムの打てる最善の一手。そして、□□□と対等に戦えるようになるための最悪の一手。

 知らず、□□□は一つ目の賭けに負けていた。彼女が全てを思い通りに動かそうとするのならば、未来に至る道筋を変えてはならなかったのだ。それは致命的なミス。彼女の敗北につながる一手だった。




 自警団の名前が変わりましたご了承くださごめんなさい。


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閑話・『歴史』の影で蠢くモノ

 別名、黒幕ムーブともいう。


 その日は、ヘンリー・マクダエルが珍しく職務に追われていない日だった。エリィも休みで、執事や使用人たちにも休みを取らせて自室でゆっくりと休める日だった。昼からまったりとニガトマトジュースでも呑もうかと思っていた彼は、不意に隣に誰かが立っていることに気付いた。今この屋敷には誰もいないはず。ならばこの人影は不審者である。

 マクダエル議長は誰何の声をあげた。

「誰かね? 確か、アポイントメントは受けていないはずだが」

「無論だ、ヘンリー・マクダエル議長。現状でのあなたへのアポイントメントは全てエリィ・マクダエルを通じて行われていることぐらいは知っている」

 その人物は、神父の纏う僧衣を着用していた。長い銀色の髪を束ね、顔には仮面が張り付いている。声を聴いただけでは性別は分からなかったが、服装から見ればその人物は男なのだろうことがうかがわれた。すわ不審者か、とマクダエル議長は思ったが、そういう雰囲気でもない。それよりは、《七耀教会》の人物が人目を忍んで会いに来たのだとも思える。

 取り敢えず、『彼』の目的を知るべくマクダエル議長は問いを発した。

「ならば何用かね?」

「協力を乞いに来た。いずれ来たる騒乱を、最小限で抑えるために。クロスベルの未来のために出来ることを」

 その言葉はマクダエル議長の思うどの言葉とも違っていた。脅しか、もしくは知らないうちに所持してしまっていたアーティファクトの回収にでも来たのかと思っていたからだ。協力を、と乞われるということは何か非常事態でも起きる可能性が出て来たということに他ならない。《七耀教会》は一応アルテリアの管轄下にあるため、内政干渉にならない程度の協力はして貰えるのだろう。

 そう判断してマクダエル議長は問いを重ねる。

「騒乱を抑えるために、私に何が出来るというのかね。決して立場も盤石でない私に」

「出来る。何故ならあなたはクロスベルのために生きているからだ。Mac-Do-well――クロスベルをより良くしたいと願う者よ」

 マクダエル議長は目を見開いた。『彼』の語った言葉は、マクダエル議長以外知らないことだったからだ。マクダエル一族のうち、家督を継いだ者のみに伝えられる言葉。自分のためでもなく、ただクロスベルの民たちのために生きることを願われた名前。Macは『~の子』、Doは『する』、そしてwellは『良い』を意味する。かつて誰もが姓を持たなかった時代に、そう在ってくれと願われてつけられたものだ。

その語源を知る者は、少数しかいない。現代では、存在しているとしても二つの家だけだ。忘却されているのかそれを知っているとは告げられたことのないクロイス家。そして、クロスベルの民の総意をまとめて名付けた一人の女性だけだ。かつてクロスベルを治め、後継者も持たぬまま何処かに消え去った女性の子孫。いるかどうかは不明だったが、確実にいるだろうと探しに出たのがクロイス家であり、その間クロスベルを任されたのがマクダエル家だ。

 故に、マクダエル議長は判断する。この人物は、信用できると。クロイス家の人間ではない。『彼』は、恐らく消え去ったあの一族の末裔なのだと。クロスベルの危機に舞い戻ってきてくれたのだ。皆を救うために。『彼』に出来ることは一つだけだ。かつてクロスベルを治めていた女性の後を継ぎ、クロスベルを独立国とせしむること。

 マクダエル議長は、囁くようにその名前を口にした。

「貴方は……『デミウルゴス』?」

「……まさかその名を覚えているものがいようとは。そうだ。ああ、そうだとも。わたしは――」

 その後に告げられた名前を、マクダエル議長は納得を以て受け入れた。それこそが『彼』の名前であり、クロスベルの守護者として名をはせるべき人物の名であるとはっきりわかったからだ。いずれ、『彼』を祭り上げてクロスベルを国とすることになる。そのことに、自分では対処しきれなかっただろうという罪悪感も何もない。『彼』は同志だ。何を遠慮することがあろうか。

 久方ぶりに闘志の湧きたったマクダエル議長は、『彼』に告げる。

「誰が断るのです、その提案は。勿論協力させていただきますよ。決して、決してこれ以上帝国や共和国にクロスベルの民を蹂躙させるような未来はあってはならない――!」

「ああ。そのために出来ることは、それは正当な手段である限り許容しよう。クロスベル独立は間違っても不法な手段で勝ち取ってはならないものだ。誰にも文句など言わせてなるものか」

 自然と『彼』に対する言葉が敬語になる。それだけのことを、『彼』の先祖はしたのだ。故にマクダエル議長は『彼』を重んじ、敬意を払うのだ。彼女の子孫であれば必ずクロスベルを平穏無事におさめてくれるのだと。語り継がれてきたクロスベルの歴史がそれを物語っている。彼女が治めた時代以外は不安定なクロスベルの状態を見て、どうして彼女が為政者に向かないなどと言えるだろうか。

久方ぶりにクロスベル全体のことに対して思考を巡らせることが出来たマクダエル議長は、不安要素を見つけた。

「それについてですが……懸念があります」

「聞こう」

 尊大な『彼』の言葉に、マクダエル議長は眉一つひそめることはなかった。『彼』こそは自分が支えるべき人物なのだと分かったからだ。見つけた不安要素は将来有望な若者だが、恐らくは何をし出すか分からない爆弾でもあることを彼だけが知っている。本来であれば共にクロスベルを支えるべき人物であろうその人物は、残念ながらより良いクロスベルには必要ないのだ。

「その人物には野心があり、民からの信頼もあります。ですが……あまりに、危険な人物です」

「ああ、『彼』か……恐らくは暴走するだろうな。しかもクロスベルのためなどではなく、自分のために。アレはそういう男だ」

「一度、問われたことがあります。現状でクロスベルの独立は可能か、と。……私は不可能だと答えるしかなかった。そうしたら、彼は……失望したかのように私に告げたのです。貴男がそう思うのならばそうなのでしょう、と。あの時は特に気に留めはしませんでしたが……」

 無論、今は違う。彼は野心と共にそれをやり遂げるだろうという妙な確信があった。たとえどんな手を使ったのだとしても。その方法がクロスベルの民を傷つけるやり方なのだとしても、彼は恐らくやり遂げてしまうだろう。一片の慈悲もなく、ただそうすればクロスベルが独立できるからと言って。それはやけにリアルに想像できてしまった。

 そんなことはさせてはならない、とマクダエル議長は心に誓う。

「彼に、なりふり構わなくなって貰っては困るのです。未来ある有望な若者が、クロスベルを穢してその頂点に立つなどあってはならない。正当な手段ならば許容出来ます。ですが……そうでないのならば」

「どうあっても、止めねばならんな?」

「ええ、勿論ですよ。どうやらまだクロスベルにはこの老骨が必要なようですからな……気張らねば」

 最後は呟くように言った言葉だったが、『彼』には聞こえたらしい。素っ気なく『彼』はマクダエル議長に告げた。

「あまり気負い過ぎないで貰いたい。大事な時に倒れては元も子もないからな」

「違いありませんな」

 そうして、ヘンリー・マクダエル議長は『彼』と契約した。いずれ来たるクロスベルの破滅を最小限に抑え、より良い未来を築くために。祭り上げられる人物の、真の姿も知ることはなく。

 

 いずれ彼は知るだろう。自らの時代が終わっても良いものなのだと。

 

 ❖

 

 ある日。ランディ・オルランドから訓練の成果を聞き終えたソーニャ・ベルツはコーヒーで一息ついていた。《グノーシス》に犯された隊員たちも現職に復帰できそうだと考えて、少々気の緩んでいた時分。コーヒーには甘い砂糖を二つ落とし、ミルクをたっぷり入れたリラックス仕様である。それを飲んでまったりしていると、報告書にふと影が落ちた気がした。ソーニャがいぶかしげに背後を振り返っると、そこには――

「なっ……」

「敢えてコーヒーをかける必要もあるまい。いや、確かに正しい判断ではあるとは思うがね?」

 ソーニャは警備隊時代に培った反射神経で、手に持ったカップごとコーヒーを背後の人物に叩きつけようとした。しかし、『彼』はあろうことかカップを掴みとり、目にもとまらぬ速さでコーヒーをカップの中に押し戻したのである。全く以て意味の分からない所業であるし、あまりに無駄のない無駄な行為だった。実力者であるのは確実だが、使いどころを間違っているような気がしてならない。

 警戒したままソーニャは問うた。

「どちら様かしら? 今日は来客の予定はなかったと思うのだけど」

「突然失礼して申し訳ない。だが、あなたに話があるのだ」

 誰も彼もこういう時に問う言葉は同じなのか、とその人物は思った。だが、今重要なのはソーニャとの会話であり、そこにそのようなどうでも良い言葉を付け加える必要はどこにもない。あまり時間がないのだ。下準備をするためにはもっともっと時間をかけてしかるべきだったが、それが出来ない状況に『彼』はおかれているのだから。

 故に大声を上げようとするソーニャに対して『彼』は言葉を浴びせた。

「済まないが、叫ばないでくれると助かる。ランドルフ・オルランドに勝つのはそれはそれで骨だからな」

「……そう。自分の対処法は教えておいて脅しは使わない、というのは斬新ね。聞きましょう。貴方の話って何かしら?」

 『彼』は告げた。これからクロスベルに降りかかるだろう災厄の話を。誰かが引き金を引き、いずれは国となるだろうことも。そして、その国を造った人物たちこそが引き金を引いた人物になるだろうと。正直に言ってソーニャ達警備隊員にはほとんど関係のない話に聞こえる。比喩表現過ぎて伝わらなかったからだ。その引き金の内容が。

 実際にソーニャは『彼』に問うてみた。

「それで、その夢物語が私達に何の関係があるのかしら?」

「あるだろう? まさか、新しい国が出来て今のクロスベル警備隊が軍隊に編入されないなどということは有り得まい」

「……そういうことね。もしかして、私達もその災厄とやらの一助になってしまうのかしら?」

 辛うじてそう返答しながらソーニャは思考を回転させる。もしそうなるのだとすればコレは警告であり、聞く価値のある話だ。だが、災厄とやらのために一芝居打たされるほどソーニャも新たに副司令となったダグラスも甘くはない。それならば一体何に対する警告となり得るのか。知ってしまえば後戻りは出来なくなる気がしてならないが、それでも聞かなければならない。ソーニャは警備隊員及びクロスベルの民の命を預かる司令なのだから。

 だからこそ、聞かされた言葉に対して唖然とするしかなかったのだ。

「いいや。警備隊は――恐らく無能さを晒されることになるだろう。猟兵共に蹂躙され、なすすべもなくクロスベルを害された道化としてね」

「そんなまさか! ……そんな手段をとる人物が、クロスベルの頂点に立つだなんて考えるだに恐ろしいわよ。冗談も程々に――」

「冗談ではないよ。既にわたしは掴んでいるんだ。そう遠くないうちに――《黒月》だけでなく《赤い星座》もクロスベル入りする、とね」

 今すぐ対策を練らなければ。ソーニャはそう感じたが、それらに対する策などあるはずがなかった。何故ならばあくまでも彼らは警備隊。軍隊ではないのだ。外囲を以てクロスベルに来たという証拠でもない限り、猟兵の侵入など止めることすら出来ない。警察でも同じだ。入ってくるものに対する警戒など出来ようはずもなかったのである。

 混乱する思考をどうにか現実に復帰させ、『彼』に問う。

「……貴方の話、本当なのね?」

「このような盤面で嘘を吐く意味もあるまい。既にクロスベルの民は俎上のケルプなのだから」

 ソーニャは絶句し、思考などまとめられない状態に陥った。今ここで出来ることはと自問自答し、そんなものはないと冷静な自分が答える。止められないものはどうしようもない。それならばどうすべきなのか。判断がつかない分からない。どうすればだれもが救われる未来なのかすらわからない。そもそも自分達が軍隊になってしまうことなど考えもしなかった。軍隊になったとしてどうやってやっていくのかもわからない。何もかもが、ソーニャの想像の範疇になかった。

 そんなソーニャに毒を吹き込むがごとく『彼』は告げる。

「間違った方法で立てられた国には、未来などあるはずがない。ならば最初から従ったふりをして程々のところで逃げ出せば良い。それがクロスベルの民のためにもなる」

「それは……でも、そんなのは――」

「卑怯か? それならば間違った方法で立てられた国はどうなる。そちらの方が卑怯だろう。思考を強制し、十分な力を持たないままに国になったクロスベルなど早晩滅びるぞ」

 そう『彼』が言った瞬間。その光景がありありとソーニャの脳裏に描き出された。次々と撃ち殺される可愛い隊員たち。背後からの巨大な機械人形に踏みつぶされ、嘆きながら犠牲になる市民。その機械人形すらもラインフォルト印の機械人形に蹂躙されていく未来。誰もが殺され、列車砲に晒される未来。幸せになれる民など、そこには誰もいなかった。

「あ……ああ……」

 声にもならない声を漏らすソーニャに、『彼』は更に追い打ちをかける。

「なあ、ソーニャ・ベルツ。今のままで本当に未来があると思うな。既に火蓋は切られたのだ。導火線に着いた火は確実に爆弾に通じ、爆発する。それが分かっていてなぜ動かない?」

 ソーニャはそれに答えず、歯を食いしばった。分かっていた。このままではいけないことぐらい。ならばどう動けばこの状況を脱せるのかということだけがずっとわからないままだった。だからこそ、この人物の話を聞く気にもなった。もっとも、危機的状況であることを突き付けられただけで終わりそうだが。だが、それでもソーニャは一縷の望みをかける方に動く。

「……貴方なら、その未来を変えられるとでも言うのかしら?」

「変えてみせよう。最悪の未来から、より良い未来へと。生憎わたしは表だって動けないが、そのための代理人も既に選定してある」

「なら――私も、貴方に協力しましょう。より良い未来のために。クロスベルの民のために」

「感謝する。最後に告げておこう。わたしは――」

 ソーニャは『彼』の名と代理人の名を聞き、そして協力することを確約した。異変に気付いたランディが司令室に駆け込んできた時には既にそこにはソーニャしかおらず、ソーニャも異変などなかったと言い張っていたという。

 

 そして彼女は知るだろう。自分の選択で、どれほど自分の負担が増えるのかを。

 

 ❖

 

「種は植え始めた。芽吹くのに時間がかかっても良い。何故なら、『わたし』が全てを代理人として行う手はずになっている。『わたし』が生きていられるのは長くても一年。そんなにかからずに死ぬだろうことだけは確実」

 ふう、と溜息を吐く人影。その周辺に人はいない。当然だ。何故ならそこは一般人や不審者たちが侵入できない場所だから。そこでなら、人影は言葉を吐くことが出来た。弱音も、今後も、過去のことですら。そしてそれは全てが事実。確定された未来であることは確実なのだ。それが、誰もが望む未来につながると本人すら理解しているのだから。

 それでもなお、彼女は生きることを望む。

「だから、わたしは。生きていて良いんだって実感するために、あなたに逆らうんだ。あなたはそこで見ているだけでいい。傍観者は当事者たちの戦いに口を挟んだりして来ないでよ」

 そこには灯りなどない。誰かに盗聴される危険も、襲撃される恐れも。誰からの干渉も防げる場所で、彼女は決意を新たにする。

 

「わたしは――決めたんだから。全部、クロスベルにあげるって。もう失ってしまったものは戻らないけど、それ以外は、全部――! だから、邪魔しないでッ!」

 

 誰にも聞かれることのない叫び。その誓いを、彼女は恐らく全うすることは出来ないだろう。その前に必ず死ぬ。『アルシェム・シエルは七耀暦1204年10月に必ず息を引き取る』ことは確定された未来なのだから。だから、彼女は決めたのだ。『最期』ぐらいは自分で選ぼうと。その結果、『アルシェム・シエル』がこの世界から消え去ったのだとしても――彼女に、選択の余地は残されていなくとも――それでもなお、足掻き続ける。それこそが人間たる証だと信じているから。

 そもそも彼女はすでに何度か死を迎えている。『シエル・アストレイ』は《ハーメル》で死んだ。『シエル・マオ』は共和国で死んだ。『アルシェム・ブライト』はあの日リベールで死んだ。その『死』を、彼女はすべて受け入れてきた。そうしなければならなかったから、そうした。今回も同じだ。『アルシェム・シエル』さえ死ねばそれで問題は解決するのである。

 

 だからこそ、彼女――『アルシェム・シエル』は、死を選ぶ。

 




 以前書き込まれ、何を思ったのかお相手から消された感想の答えはここにあります。これが全てで、これがこのSSにおける回答とも言えますね。世間一般の死生観とは違うそれは、恐らく自分の経験から掘り下げられたものなのだと思うのです。恥ずかしいことに。
 名前というのはとても大事なものだと思うのです。それを、わたしはまともに呼んでもらえたことがありません。正直に言って『読めそうに見えて読めない』名前を付けた親があまり好きでもありませんし、あだ名で呼ぶくらいなら最初からそう名付けてくれと思いました。名前で呼ばれることは自己を決定/肯定することにつながるのだと思うのです。だから、自分の名前を間違って呼ばれ続けることは良いことでもないですし、二年間担任を持った先生ですら覚えられない名前なんてほとんど価値がないとも思っています。呼ばれない名前になんて意味はない。呼ばれてこそ『自分』になれるんです。
 まあ、どうでも良い話は置いておいてですね。『アルシェム』というこの話の主人公は何度も精神的に死んでいます。周囲から、あるいは□□□からぶち殺されています。だからこそ『死んでいる』わけで。肉体的には死ななくても、人間は精神的にだって死ねるのです。だからこそ、『アルシェム』は死にます。『アルシェム・シエル』は死ぬしかなくなります。だって望まれていないから。
 というのが解説で、ある意味正式な回答となります。大半の人には全く関係ないのですが、感想の返信の際詳しく書けなかったことをここに記したことをご容赦いただければと思います。


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碧編・序章~特務支援課、再始動~
《アルタイル・ロッジ》・上


 旧216話の前半です。


 その日、アルシェムは休養を与えられていた。誰もアルシェムを訪ねてくることはなく、誰も彼女の行動には目を光らせていない。だからこそ、彼女は動けるのだ。神父服を纏った星杯騎士として。仮面をつけているのは最早デフォルトである。流石に化粧をして神父服を纏うのは色々と違う上に、『エル・ストレイ』としての面識を作っておきたかったからである。

 そもそも、最終的に死ぬことになる『アルシェム・シエル』という『ニンゲン』だけを周囲に見せておくわけにはいかない。『アルシェム・シエル』以外の認識を持たない限り、肉体的にも死ぬしかない。故に、そういう『役』として以前より作っていた『ニンゲン』『星杯騎士《第四位》《雪弾》エル・ストレイ』を選んだのだ。最終的にはその『役』も消え去るのだろうが、その時までに確固たる『ニンゲン』を確立し、保護できるだけの力を得ねばならないのだ。

 本来来るはずの《第五位》には、遅れて来るように通達した。無論接触時間を減らして不審に思われる時間を最低限にしたいという邪な思惑しかないのだが、ケビンはそれを呑んだ。どうやら通話した当時、リースに財布として使われてしまっていたようなのである。どうせ間に合わないのは目に見えていたので、これ幸いと快諾するしかなかった。その結果彼の分厚い財布が薄くなるのは当然のことだが。

 故にアルシェムは現在は一課所属のロイド・バニングスとそれを監督しに来たアレックス・ダドリー、クロスベル警備隊からノエル・シーカー、そしてお目付け役に遊撃士アリオス・マクレインと顔を合わせる羽目になっているのである。いくら面通しをしたいからとはいえ、このメンバーは酷い。正直に言ってアルシェムはアリオスとの面識は作りたくなかったのだが、ダドリーとは顔を合わせておいた方がいいと思った結果こういう暴挙に出るしかなかったのである。もっとも、仮面は被っているが。

 それでも《アルタイル・ロッジ》とアリオスとの組み合わせは嫌でもあの時を思い出させて気が重かった。

「……やはりまだ《異界化》しているか」

 以前来た時もまた《異界化》していたその場所は、現在もやはり同じように上位三属性を弱点に持つ魔獣が徘徊していた。何もかもが懐かしく、何もかもを破壊したい衝動に駆られるアルシェム。しかし、そうするわけにはいかないのだ。一応今のところ『エル・ストレイ』にはここを破壊して良い正当な理由などないのだから。ここにアーネスト・ライズとハルトマンが逃げ込んでいるという時点で最早破壊工作など出来ないのである。

 アルシェムの機嫌が悪いのを察したのか、ダドリーが顔色を窺って声をかけて来た。

「……ストレイ卿はここに来たことがあるのか?」

 その反応にアルシェムは少々思考を巡らせた。ある、と応えるのは簡単だ。ただしいつ、と聞かれると非常に困る。ここに来たのは二度だけなのだから。被検体として、そして《銀の吹雪》として。それ以外には公式記録では来たことがない。しかも、先述したように『エル・ストレイ』としてここに来たことは一度もないことになっているのだから。

 故にアルシェムはこう答えるしかなかった。

「報告書は読んだ上で来ている。状況を把握しているのは当然のことだとは思わないか、アレックス・ダドリー?」

「それは、そうだが……」

 釈然としない顔をするダドリー。当然だろう。彼は本能で『彼』が――ダドリーの認識では今現在アルシェムは神父、つまり男である――誰なのかを察知しているのだから。カン、と言えば良いのか。それとも第六感と言えば良いのか。とにかく、ダドリーは説明の出来ないところで『彼』が知っている人物であることをほぼ確信していたのである。

 と、そこでアリオスが口を開いた。

「ならば、我々と共にここに《身喰らう蛇》のメンバーが侵入したことは知っているわけだな?」

 言いよどむダドリーの後を引き継ぐかのように魔獣を蹴散らしながら問う。なお、ロイド達も誰も彼もが魔獣と戦いながらの会話である。勿論アルシェムは導力銃などというモノは使っていないうえに棒術具も使っていない。独特な技法が必要になると周知されている法剣を使っているのだ。扱いづらくて仕方がないが、慣れるのも早いのは分かっているので我慢して使い続けていた。

 その問いにアルシェムは答えた。

「ああ、シエル・アストレイ――今はアルシェム・シエルというのだったか。無論知っているが、それが何か?」

「彼女はもう、闇に堕ちる可能性はないのか?」

 闇に堕ちるって厨二病かよ、とアルシェムは思ったが、敢えて口には出さなかった。その代わりにアリオスとその背後にいるであろう人物たちに釘を刺すべく情報を開示することにする。そうすれば多少なりとも『彼ら』の動きは不自然になるはずなのだ。一応『元遊撃士のアルシェム・シエル』の有能さは彼らにも知れ渡ってしまっているのだから。

 アルシェムは自分のことではあるがさも他人事であるかのように返す。

「ないな。裏に戻ろうとした瞬間、彼女は『アルシェム・シエル』として生きた全ての記憶を失うだろうよ。……七耀教会の方で、というよりも我々の手でそういう暗示をかけてある」

 それに顕著に反応したのはロイドだった。一応は仲間にそんな悪辣な暗示をかけられていることに我慢がならなかったのだろう。敵意を向けて来るさまは、至極滑稽で笑えた。本当はそんな暗示など掛けられてもいないし、そもそも自分で自分にどころか他人に対してさえ暗示をかけられないデキソコナイの星杯騎士にそれを求められるのも愉快でしかない。

 ロイドは敵意を多少は抑えて問うてきた。

「……それを、アルは知っているんですか?」

 その問いを、アルシェムはむしろ驚きとともに受け止めた。まさかそんな問いが返ってくるとは思ってもみなかったのだ。『ロイド・バニングスにとってアルシェム・シエルは気遣うべき人間ではない』。それを理解しているからこそ、アルシェムは居心地の悪そうな顔になる。気遣われたくなどない。それも、選択肢を一歩間違えば『アルシェム・シエル』が窮地に陥らされるだろうと分かっていないような人間には。

 感情を殺し、アルシェムは淡々と答える。

「むしろ彼女の方からそう望んだ。……そもそもお前に彼女の選択に口出しする権利があると思っているのか、ロイド・バニングス?」

「一応、アルも特務支援課のメンバーですから。リーダーとしてはメンバーのことを気に掛けるのは当然のことじゃないですか?」

 その返答に、アルシェムは鼻で笑うことで返した。特務支援課のメンバーだからなんだというのか。リーダーだからと言ってメンバーの事情に土足で踏み入ることなど赦されていいはずがない。自分の発言の結果アルシェムがどういう状態に置かれるかすら理解していない、責任をとれるわけでもない輩に、とやかく言われるのは気に喰わないのだ。

 故に――そのいら立ちが何を生むのかと言われると、答えは一つしかない。

 

「あ」

 

 間の抜けた声と共に踏み抜かれた道は、そのまま崩れ始めたのである。その崩壊から逃れようとした一同は、先に進んでしまったダドリーとアリオス、後退することで避けたロイドとノエルの二組に分かれてしまった。半分以上はアルシェムのせいだが、そもそも老朽化していたので仕方ない面もあった、と自分を納得させたアルシェムは特殊オーブメント《LAYLA》を駆動させて分け身をアリオス達の方へと向かわせた。

 そしてしれっとこういうのである。

「どうやら分断されたようだな。一応迂回路があるようだから、そちらから逃げられんように回るか」

 その無駄にすっきりしたかのような顔――なお仮面で隠れている――を見せつけたアルシェムにロイド達は引き攣った顔を見せた。ノエルはその怪力具合に。ロイドはそのごまかし具合に慄いていたのである。アルシェムは一瞬やってしまった、と思ったのだが、やってしまったものは仕方がないと思い直す。時間は巻き戻らない。巻き戻すことなどあってはならないのだから。

 引き攣った顔でノエルが声を漏らす。

「え、ええ……」

「今、踏み抜い……いや、何でもありません」

 ロイドは何かを言いかけたが、アルシェムの視線を受けてやめた。こういう時は何を言っても無駄だと何となくわかっているからだ。ロイドも『彼』が本能的に誰なのかを察知しているのだから。言っても無駄だというのはこれまでの経験則である。しかし、ロイドはそれを口にすることはなかった。そのまま一同は特に会話もなく進む。アルシェムは懐かしさと共に嫌悪を覚えているが、それを表に出すことはついぞなかった。

 ただし、言葉だけは漏れ出てしまったようだ。

「……魔人は、流石に残っていないようだな」

「ここにもいたんですか?」

 ノエルがそう問うと、アルシェムはわずかに口角をひきつらせた。そもそもノエルが魔人について知っていたかどうか記憶にないのだ。ロイド達が遭遇していただろうことは想定できているが、ノエルに関しては一切わからない。もっとも、ノエルはノエルでソーニャから過日の顛末について聞かされており、ロイド達の報告書にも目を通していたので概要くらいは知っている。

 しかし、答えを返さないわけにはいかないのでアルシェムは言葉を返した。

「むしろいなかった方がおかしいだろう。ここには無数の子供達が集められ、毎日《グノーシス》を投与され続けていたのだから。その中で魔人に変化してしまった子供達もいた。研究者共も《グノーシス》を呑んで魔人と化し、子供達の逃亡を防いでいた。いわばここは魔人共の楽園だったわけだな」

 遠い目でアルシェムはそう言った。当時はそこらじゅうに魔人が闊歩し、誰も逃げられないように管理されていた。魔人化してしまった子供達は一か所に固められて耐久性などの実験を行われ、魂切るような絶叫と共に息絶えていったのをアルシェムの魂が覚えている。決して忘れられない悲痛な叫び。今夜は悪夢確定だな、と半ばあきらめたようにアルシェムは思った。

それにロイドがこう返してきた。

「まるで見てきたように言うんですね?」

 猜疑心たっぷりの言葉に、アルシェムは当たり障りのない答えを返すことを選ぶ。

「……アルテリアは決して綺麗なだけの国ではないということだ。わたし達のような暗部がいるくらいにはな」

 無論、この言葉には全く意味はない。確かにアルテリアからは《拠点》を割り出すために多数のシスター見習いたちが生贄として送り込まれていた。だが、アルシェムは当時囚われていた側であって救出のために場所を割り出す側ではなかったのだ。しかも救われたのは七耀教会ではなく《身喰らう蛇》にだ。全く以て関係のない事柄をさも自分のことのように語ることで、アルシェムは自身の正体が割られることを防ごうとしていた。

 案の定ロイドはそれに引っかかったようで、険しい顔をして声を漏らす。

「それは……」

 そこから妙な問いを思いつかれても困るので、アルシェムは開示して良い情報を脳内でまとめた。既に明かされている《銀の吹雪》系統の会話であればロイドの興味を引け、なおかつ問いを思いつかれても対応できるだろう。何せ自分のことである。誤魔化すにしろ何に城跡で整合性が取れない事態には陥りはしないだろう。記憶力が落ちていなければ、だが。

 それ故にアルシェムはロイドにこう告げる。

「ああ、因みに《アルタイル・ロッジ》の話ではないよ。ここは特殊でね。《銀の吹雪》と当時名乗っていた『シエル・アストレイ』――アルシェム・シエルからもたらされた情報で解放されたのだ」

「それは理解してますけど……」

 それでもまだ釈然としない顔をしているロイドに、アルシェムは渋い顔をする。このままこの会話を続けて何の意味があるというのだろうか。いや、ない。そうわかっているからこそ早目に話を切り上げたいにも拘らず、ロイドは器用にも戦闘しながら会話を続けにかかるのだ。まるで何かを確かめるかのように。何かを恐れ、それが実現してしまうことを恐れているかのように。

 その恐怖を、最深部近くまで来てようやくロイドは吐き出した。

「その……」

「何だ?」

「アルは……魔人には、ならないんですよね?」

 アルシェムは思わぬところの心配に思わず素ではぁ? と返しそうになってしまって堪えた。そんなことがあってたまるものか。そもそもアルシェムは『アルシェム・シエル=デミウルゴス』。()()()()()()()()()()、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そもそもアルシェムにとっての『眼』となるものが本人に害をなすわけがないのである。

 故に、アルシェムは答えに困り――そして、こう答えるしかなかった。

「無理だ。そもそも彼女に魔人になれる素養はないからな」

「ほかの子供達やアーネストさんにはあるのに、ですか?」

 ロイドの問いにアルシェムは悩む羽目になった。当然、アルシェム自身が魔人となるためにはある程度の手順を踏む必要がある。確かになれないとは言わないが、なるために支払う労力を考えればなる意味はない。魔人化すればそれこそ地面を素で割れるだろう。そんな怪力を通り越した剛力女子の需要は全く以てないわけであるが。そもそもなるつもりがないのでどう説明すべきなのか悩んだのだ。

 時間稼ぎのためにアルシェムは悩んだ声を上げる。

「そうだな……どう説明したものか」

 アルシェムは考え込み、足を止める。脳内ではどう誤魔化すかを考えるのに必死である。いくら魔人になる気がないからとはいえ、簡単に説明できる『完全な耐性があるからだ』、とは流石に答えられないのである。何故そうなってしまっているのかを説明できないから。故にアルシェムは多少苦しくても答えをひねり出すことしか出来ないのである。

 考えをまとめながらアルシェムはロイドに向けて告げる。

「そもそも彼女に異常なほどの《グノーシス》耐性があるのは知っているな?」

「ええ……他人の物まで吸収してギリギリだと言っていましたから、それぐらいは」

 そんなことは覚えていなくて良い、と思わず突っ込みかけたが、そこがロイドの特徴ともいえる。細かいことを覚えていて、そこから違和感を洗い出す。全ての違和感を繋ぎ合わせて納得のいく答えを出せば、ほとんどの場合それが正解なのだから。その導き方に文句をつけるつもりもなければ、洗練されてくれればなお良いと思っているので敢えてそうは言わなかった。

 代わりに解説を始める。

「まだ《グノーシス》についての研究が進んでいるわけではないからはっきりしたことは言えんが……いくつかの証言から魔人化する原因は特定している」

 因みに今から語ろうとしているのは事実だ。何の虚飾もなく、誇張もない。それは《グノーシス》に多少深入りをした人間ならば知っていてもおかしくない情報だった。たとえばティオでも経験則で知っているだろうし、《七耀教会》で興味を持って調べればそのくらいはすぐに閲覧できる情報でもある。その報告をしたのは《七耀教会》から《拠点》に送り込まれたメルだ。

 指を立て、アルシェムは原因を述べる。

「まず、《グノーシス》は第六感と呼ばれるものを拡張していく。妙に勘が鋭くなったり、他人の感情を読み取れるようになっていくのが特徴だ。しかし、そもそもそこに辿り着くまでに精神が保たなかった者――要するに、意志の弱かったものは魔人化していった。恐らく精神を拡張できなくなったから肉体を拡張し、結果見るも悍ましい怪物と化していくのだ」

「それが魔人化の正体、というわけですか……」

「ああ。アルシェム・シエルは意志が強固だったようでな。どこまで《グノーシス》漬けにしても激痛にさいなまれるだけで正気を保っていたらしい」

 正確に言えば『正気で在らされ続けていた』のだが、それをロイド達に告げても何の意味もないことだ。ロイド達にはアルシェムのことなど理解しようがないし、理解されたいとも願っていないのだから。だが、同情される要素は十分に詰まっていたらしい。そんな感情が色濃く見えた。

 アルシェムは更に言葉を続ける。

「因みに、恐らくないとは思うが何があってもティオ・プラトーには二度と《グノーシス》を呑ませるなよ?」

「呑ませませんよ!?」

「普通なら呑ませんだろう。だが、何があっても、だ。たとえ人外の力を使わなくてはならない状況において《グノーシス》が彼女の手にあったのだとしても、たとえそうしなければ死ぬかもしれない状況であったのだとしても、決して呑ませるな」

 その理由をアルシェムは巧妙に隠すことにする。彼女には素質がある。だが、それを敢えて引き出させるわけにはいかないのだ。『アルシェム・シエル』の――『アルシェム・シエル=デミウルゴス』の正体を最後まで伏せておくために。

 そして、アルシェムは偽りの理由をロイド達に告げた。

「恐らく、次に大量摂取すれば――《魔人化》から戻ることは出来なくなるだろう」

「――ッ! 分かり、ました……」

 あまりの事実に衝撃を受けたのか、防御が多少疎かになるロイド。そんな彼にアルシェムは気を引き締めさせるように告げた。

「この先に人間の気配がする。恐らくはアーネスト・ライズとハルトマンだろう。……気を引き締めろ」

「は、はいっ!」

 そして、三人は最奥部に突入した。



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《アルタイル・ロッジ》・下

 旧216話半ば~終わりまでのリメイクです。


 ロイド達が突入した先に、アーネスト・ライズとハルトマンはいた。何故かハルトマンは打ち棄てられているようにも見えたが、アルシェムにとって彼は至極どうでも良い人物だ。しいて言うならば死んでくれた方が精神衛生上良いというだけで、それ以外の興味を抱くことは一切できない。そんな興味を抱くほどの勝ちをハルトマンに見いだせないからだ。

 かつてハルトマンはアルシェムを犯し、レンを犯し、数多の少女達と自分の良心を食い物にして政治家として成功者の道を駆け上がったのだから。他のクロスベルで私腹を肥やした議員たちと同じように。否、それ以上に――思い通りに市民を操れるようになることを期待して、《D∴G教団》にミラを落とし続けていたのだから。弁護することすら不可能だ。

 ハルトマンを見、次いでアーネストを見たロイドは彼らに声をかけた。

「そこまでだ、アーネスト・ライズ!」

「……おや、もう追いついて来たのかね。全く……素早いというか執念深いというか」

 呆れたようにアーネストはそう返すが、残念ながらアーネストが他人のことを言えるはずがないのである。エリィに執着し続けたのはアーネストも同じことだ。エリィ・マクダエルという容姿も血筋も確かな血統書付きの美しい女性を、我がものにしたいがために動いた時期もあった彼には。だが、彼はそれを棚に上げているようである。

 アルシェムはそこで口を挟んだ。

「アーネスト・ライズ……懐に持っている《グノーシス》を置き、手を頭の上で組め。……ああ、そこのクズ野郎は別に構わん。死にたくなくばそこで黙って座っていろ」

 冷たく言い捨てるアルシェムにハルトマンは震えあがった。かつてその銀色の髪は見たことがある。その、後ろで束ねられた長い銀色の髪は。あの少女と同じ色だ。自分が酷く扱い、犯し、おもちゃのように使い捨てたあの少女と。他の少女と違ったのは、長く正気を保っていたからしばらく相手をさせ続けたことくらいか。あの髪に幾度となく欲望をぶちまけたハルトマンは、今でもそれと同じ色の銀髪の女性は苦手だ。いつかひどく詰られる気がして。

 そうとは知らず、ロイドがアルシェムに苦言を呈した。

「ストレイ卿、流石にクズ野郎は……」

「構わんだろう? 《楽園》で幼女を犯していたようなペドフィリアにはクズ野郎どころかクズでももったいない」

 その発言にロイド達の視線が厳しくなるのをハルトマンは見て取り、震えた。その程度で震えるくらいならばそんなことをしなければ良いだけの話なのだが、権力を持てば人が変わるのは当然のことだ。権力者の嗜みと言われてしまえば当時新参者だったハルトマンに断るすべはなく、快楽を覚えてしまえばそれに溺れてしまうのは必然ともいえた。

 舌の上でとろけるような甘い酒と、顔の整った少女達。それが自分の思い通りになることを知ってしまってからは、溺れることしか出来なかった。人間は快楽に逆らえないようにできている。たとえ逆らえたのだとしても、いつかどこかで歪みから崩壊してしまう。それを知っていたからこそ、ハルトマンは逆らわなかった。逆らうだけの精神的余裕もなかった。

 そこでアルシェムはハルトマンから目を離し、アーネストに向けて告げる。

「さて、アーネスト・ライズ。警告には従っていないようだが……貴様にはまだ選べる道がある。このまま投降するか、わたし達に斃されるかだ。戦う方を選ぶのは正直に言ってお勧めしないぞ?」

 一応は警告の体を取っているその言葉に、アーネストは嗤うことしか出来ない。何故なら、《グノーシス》を持つアーネストが負けるはずがないからだ。これさえあればアーネストに出来ないことは何もなかった。そう、これまでも、これからも――だからこそ、アルシェムの言葉に従うことなど有り得ないのである。負けるはずがないのだから。

 故に余裕をかましてこう答えられる。

「おや、選択肢が足りないようだね? 君達を排除し、ハルトマン議長の権力を盾に返り咲くという選択肢はないのかな?」

「ないな。最早クロスベル議会にそのクズの席はない。あったのだとしても、周囲が必ず認めないだろう」

 徐々に高まって行く戦意。それを感じ、ノエルはサブマシンガンを握る手に力を込める。ロイドもトンファーを握り直し、アーネストへと集中した。その中でアルシェムだけが法剣を構えていない。まだ告げておくべきことがあるからだ。それは、全ての法律よりも優先されるもの。この大陸において唯一絶対の司法権を持ち、宗教で皆を縛る一員としての言葉だ。

 その言葉を、アルシェムはアーネストに告げた。

「それに、だ。一応告げておくが、貴様がその懐に隠し持っている《グノーシス》を呑めばもはや戻れん。こちらとしても外法として処理するしかなくなるからな。――呑んでくれるなよ? さもなくば必ず貴様を仕留めて帰らねばならん」

 それを、アーネストは警告として受け取ることはなかった。何故なら、そう言わなければ勝てないと思っている、ととらえてしまったからだ。故にアーネストは躊躇わない。むしろ、戻れなくなることなど百も承知だった。戻れなくてもアーネストにとっては支障はないのだから。もっとも、人外の姿になることも理解しているのにその姿のまま権力の座に返り咲けると思っているあたりがもう救えない。

 口角を上げ、アーネストは嗤う。

「それは、負け惜しみと取って良いのかな?」

「……そう思いたいのならそう思えば良いが、死にたいのだな?」

「偉大なるあの方と繋がれるのに、何を躊躇うことがあるのか教えてほしい、ねッ!」

 アーネストは懐から《グノーシス》を取り出し、一気に呷った。アルシェムもそれを止めることはなかった。別に『一度裏切ったクロスベル市民』など守るに値しないからだ。政治的に守れと頼まれれば守ってやるくらいのことはするかもしれないが、肉体的に救うことも精神的に救うこともアルシェムが実行する気はなかった。既に『クロスベルに仇なしている』のだから。

 《グノーシス》を呷ったアーネストは異形と化していく。それを見てアルシェムは呟いた。

「だから言ったのに……」

 大きく溜息を吐き、脱力したように見えるアルシェムにロイドが慌てた。あの姿の魔人はかなり強力な部類に入ることを知っているからだ。そのことをアルシェムが知らないはずはないのだろうが、敢えて今ここで脱力する必要などないだろう。あるいは、敢えて隙を見せて誘っているのかとも思えないこともなかったが、それにしては力が抜けすぎているように見えるため危険だ。

ロイドはそう思って警告を口にした。

「す、ストレイ卿、来ます!」

「ああ、来るな。だから何だというのだロイド・バニングス」

 ひゅん、と風切り音がした。《星杯騎士》達のうち、法剣を専攻しているものならば必ず習得するクラフト『インフィニティ』を自力で再現したアルシェムの攻撃が盾となり、襲撃してきていたその腕に無残な傷が刻まれていく。ミンチとまではいかないが、粗挽き状態である。そのあまりにグロテスクな光景に、ロイド達は顔をしかめた。

 そしてノエルがたまらず声を上げる。

「ストレイ卿!」

「今更手加減しても彼は救えん。ならば一切の容赦も慈悲もなく殺してやるべきだろう」

 そう冷たく言い捨てるアルシェムに、見捨てられたアーネストが声をあげた。

『本当ニ殺セルト思ウノカネ? コノ無限ノ――力ガ、繋ガラナイ!?』

 途中まで余裕を保っていたアーネストの声が変化したのは、繋がらなかったからだ。何に、と問われると困るが、かつてヨアヒム・ギュンターがつながってしまったモノだ。それにアーネストが繋がれなかったのは、ひとえにアルシェムが邪魔をしたことが大きい。力の源は同じなのだから、邪魔できないなんてことは有り得ないのだ。

 混乱するアーネストは唯一この場で繋がってしまっているアルシェムに詰め寄る。

『何故! 何故ダ! 何故アノ方デハナク――』

「何故かと、貴様に問われてもな」

『貴様、貴様ガ――貴様ハ――貴女様ハ――何、デスカ』

 何、と問われてアルシェムは失笑するしかなかった。そんなことは自分だって知りたかったからだ。何のために生まれて、何のために殺されるのかはっきりと理解している人間など最早奴隷だ。それを人間とは呼ばない。だからこそアルシェムは人間に成るために足掻いているのだから。このクソッタレな現実を、自分の意志で塗り替えるために。

 もう一人の《星杯騎士》がここに来るまでアルシェムは時間を稼がねばならない。何故なら、『歴史はそうなっているから』。『アーネスト・ライズはケビン・グラハムとロイド・バニングスによって救われる』ことになっているからこそ、アルシェムはここで時間稼ぎをすることしか赦されてはいない。ただ、どう時間稼ぎをするのかは自由だ。

 故にアルシェムはアーネストの問いに勿体をつけて答えてやることにした。

「何、と問われてもな。貴様にそれを理解出来るとは到底思えんが……?」

『アリエナイ……デモ、貴女様ハ――!』

「わたしはな、アーネスト・ライズ。そんな、様だなんてつけられるような大層な『ニンゲン』ではないよ。たった一人の『ニンゲン』すら守れないような、そんな矮小な存在さ」

 自分自身すら守ることが出来ずして、何故誰かを守ることが出来ようか。自分を捨ててまで誰かを守ることしか出来ないアルシェムは既に人間として欠陥品だと言っても良い。たとえそれを強要されていたのだとしても、既にそう在れかしと自身を定めてしまったアルシェムはもう戻れない。戻るつもりもない。戻ったところで、そこに居場所などない。

 だからこそ、狂気の狭間にあったのだとしてもそこに居場所のあるアーネスト――今まさに居場所を奪おうとしているわけだが――のことは、アルシェムにとって羨望の対象でしかない。

「だからな、羨ましいよアーネスト・ライズ。貴様にはそこまでして得たいモノがあるのだろう? それが世間一般的に許容できないものだとしても、だ。それを望めるというだけで羨ましくて仕方がない」

 その本心から出ているように聞こえる言葉に、ロイドは困惑した。こんなことを考える/考えてしまう《星杯騎士》とは一体なんなのかと。ストレイとはいったい何者であるのかと。ここにいるのは本当に先ほどまで余裕をかましていたストレイ本人なのかと。どこかで見たことのあるようで、見たことのないような気持ち悪さを感じるこの男は一体誰だと。

 故にその困惑が口に出てしまう。

「ストレイ卿……?」

『貴女様ニ何ヲ望メナイコトガアルト仰ルノカ! 全テヲ! 何モカモヲ、手ニ出来ル貴女様ニ!』

 その困惑を放置して話は進む。誰にも理解されないまま、誰も理解しようとはしないままに。誰かに理解されたいとアルシェムは望まない。誰かに理解させようとは、□□□も思ってはいない。使い捨ての駒が何を考えようが□□□にとってはどうでも良いことなのだ。『アルシェム・シエル』がロイド達を守っていればそれで何の問題もないのだから。

 アルシェムはアーネストの問いに答えた。

 

「全てを。わたしに望めない全てを、望む。未来を。過去を。現在を。今ここに在ることを。明日どこかに在ることを。昨日までの彼方に在れたことを。わたしという全てを、望む」

 

 それは抽象的で、誰にも理解されない望み。人間という根幹から出来上がっていないからこその望みを、誰もが理解しえない。そんな当然のことをアルシェムが望んだところで、誰もそれを理解することなどないのだ。『そんな当たり前のことを望んだって何の意味もない』から。『それが成り立っていないのならば今は生きてなどいない』のだから。

 その意味不明な言葉を、アーネストもまた理解することはなかった。

『ソレホドノ力ヲ持チナガラ、望メナイコトナド――!』

「貴様には分からんよ。そも、誰かに理解して貰おうとも思わん」

 そう言って嗤ったアルシェムは、ようやく感じることの出来た気配を捉えられたために力を抜いた。これ以上時間を稼ぐ必要はなくなったからだ。それに、ケビンが来たのならば出来ることが増える。敢えて遅刻させたが、ここで辿り着いてくれたので僥倖だ。

「さて、アーネスト・ライズ。最後に問おう――救われたいか? その姿で知り得た全てから。貴様もまた操られていたにすぎないという事実から」

『ア……』

 アーネストの巨体が震えた。『こう』なってから知り得たことは、全て悪夢のようなことしかなかった。ヨアヒムも、自分も、目の前で男装している女も。全てが誰かの駒でしかないというその事実。この状況すらも誰かが望んだもので、自分の将来には破滅しか待ち受けていないという事実も。何もかもを受け入れられない。何もかもを、捨て去りたい。

 だが、それが赦されることかと問われると、今の問答で多少クリアになった思考では否と応えるしかなかった。その答えをアルシェムは思考で受け取った。赦されることではない。罰を受けねばならない。そう思えたからこそ。『クロスベルに仇なす存在ではなくなった』からこそ、アルシェムはアーネストに救いの手を差し伸べられる。

故に、そこに駆け付けて来た三人の影に向かって殺気を叩きつけ、怒鳴るのだ。

「遅い!」

「す、済まん、手間取ってな……」

「喧しい! ストレイ卿、後でアイツの喰った分半額払えやボケェ!」

 恐縮するダドリーの言葉を喰い気味に半ギレで告げたのはケビンだ。ようやく到着したようなのだが、最早やけくそで笑っているようにしか見えない。実際、ケビンはやけくそになるしかなかったのだが、アルシェムにとってはどうでも良いことだ。ただ、純然たる興味だけは湧いた。食欲大魔神と呼ばれることもあるリースがどれだけ食べたのか気になったのである。

 そしてそれを聞いたのが運の尽きだ。

「……ちなみに総額何ミラ食べたんだ?」

「店ごと買い占めようとしたんを止めるのにどんだけ苦労したと思っとるん? そこんとこオレに詳しく言うてみ?」

「何か……うん。正直済まん。後で送金しておく……」

 どうやら、予想額の倍額以上は食べたようである。経費では落とせない娯楽費であるため、ケビンの懐はほぼ素寒貧である。アインからもリースの食費だけは別会計だと言われているため、予算は多少取られているもののそれだけでは無論足りない。焼け石に水どころの話ではないのである。大量の水に塩を一粒入れた程度だ。高級志向でなくてどれだけ良かったと思っていることか。

 それはさておき、ここでやるべきことはと問われるとアーネストを救うことだ。

「さて、グラハム卿? 法術は頼んだ」

「相っ変わらずやな……本気で訓練してくれへん?」

「そんな時間が取れるくらいならとっくに訓練漬けになっている。悪いが代替手段があるだけマシだと思え」

 軽口をたたき合いながらも準備は整う。そして――ケビンの法術とアルシェムの《聖痕》が効果を表した。ケビンは暗示をかけ、強制的に《グノーシス》を排出させようとする。アルシェムはそれをもとに《グノーシス》だけを吸収して凍結していく。空中に煌めく碧い氷の結晶ができるころには、アーネストは元の人間の姿に戻っていた。

 それを見てノエルが思わず声を漏らす。

「綺麗……」

「ノエル・シーカー。アレが綺麗だというのなら、世の中のモノは須らく美しいよ。アレは醜悪な薬の塊――人間どころか魔獣までも狂わせるモノなのだから」

 全てが終わり、アルシェムはケビンにもろもろのことを引き継いだ。そもそも下心はあったとはいえ、この任務は本来ケビンが請け負ったものだ。報告も当然んケビンが行わなくてはならないのであり、アルシェムから報告するなどということは有り得ないのである。それについてケビンはぶつくさ言っていたのだが、後で報告書の中身を送り付けることを確約することで納得してもらった。

 そして、報告を引き継ぐことでロイドたちよりも早くクロスベルに帰着したアルシェムは、変装を解いてロイド達を出迎えるのだった。



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浸食せし終焉の足音

 旧217話のリメイクです。


 アルタイル市から一足早く戻ったアルシェムは、いつも通りの格好に戻って階下でくつろいでいた。先ほどまで出かけていました、などという痕跡は全て消してあるのである。当然、誰もアルシェムがアルタイル市から帰ってきたところだなどとは思いもしなかった。もっとも、レンはアルシェムが出かけていた先もその目的までも知っていたのだが。

 紅茶を淹れ、ゆっくりとくつろいでいるとしばらくしてロイド達が帰ってきた。どうやらケビンとの話はひと段落ついたらしい。非情に複雑な顔をしてアルシェムを見る様は、ある意味滑稽でもあった。哀れまれる必要もなければ彼らに感情を割かせるほどの価値のない『人形』に、敢えて無駄な感情を向けているのだ。これを笑わずしてどう対応すべきか。

 もっとも、アルシェムはそれをおくびにも出すことはなく問いを発した。

「で、どーだった? ハルトマンの糞野郎……おっと、糞野郎と元秘書、捕まえられた?」

「アルシェムさん……それ、全く以て言い直せてませんよ?」

「言い直す気ないもん。で?」

 呆れたように返すノエルにそう催促してみれば、実に報告書チックに成果を語ってくれた。アルシェムはその途中経過になど興味はない。最終的にケビンとどういう話をしたのかを聞ければそれで良かったのだ。何か余計なことを吹き込まれていなければそれで良いのだが、もしも何かしらの伝言なり何なりを伝えるよう言われているのならば面倒だ。

 そして、その考えは杞憂ではなかったようだった。

「それで、グラハム卿がアルシェムさんによろしく伝えるようにとおっしゃっていました」

「……えー……よろしくされたくないなー……」

「知り合いなのか?」

 明らかに面倒そうな顔をするアルシェムにロイドが問うた。どう見ても顔見知り以上の知り合いであることは確実だろう。問題は、それがどういう知り合いであるかだ。敵としてなのか、味方としてなのか。あるいは同類としてなのか――それを、ロイドはこの問いで確かめようとしていた。『ストレイ卿』から示唆されていたように、アルシェムが《星杯騎士》に関係がある可能性がある以上、多少は明かしてくれても良いのではないかと思っているだけに。

 そして、アルシェムはその答えを返した。

「まー、知り合いではあるね。《リベールの異変》を解決するときに一役買ったのがあのネギだし」

「いや、ネギって……ブフッ」

 そのあまりにもインパクトのある答えにロイドは思わず吹き出してしまった。確かに見えなくはない。頭部が緑色の髪。そして下に白い神父服を着ていれば最早そういう風にしか見られない。そして、そのインパクトに思わず聞こうとしていたはずのことが吹っ飛んでしまっていた。確かにネギである。紛うことなくネギである。お鍋にぶち込みたくなるほどにネギである。

 ロイド達が笑いをこらえていると、突然先日新しく支給されたばかりのアルシェムの《ENIGMAⅡ》が鳴った。

「はいアルシェム・シエル……は? 何でお前がこの番号知ってるわけ? ……いや、うん。もうそこについては聞かないことにする……で? 用件は?」

 通話を始めたアルシェムに、内容を聞き取ろうとは思わないロイド達は耳を澄ませはしなかった。しかし、アルシェムが用件を問うたところで何故か寒気を感じた。寒気というよりもコレは殺気だ。それに気付いた時にはもう遅い。アルシェムはその場から立ち上がり、近くにいたレンに目くばせしていたのだから。レンもそれを察し、立ち上がった。

 そのただならぬ様子にロイドは声を潜めてレンに問う。

「その、レン。あの通話は……」

「うふふ、女の子の秘密を聞きたいの? そういうのは後で聞いた方が良いわよ。多分死ぬことはないし傷つくこともないでしょうから」

「えっ……」

 レンの物騒な発言にアルシェム達を止めようとしたが既に遅い。

「ごめんロイド、ちょっと出かけて来る。確認しないといけないことがあって……ただ、ロイド達の速度じゃ間に合わないから着いて来ても無駄だからね」

「あ、おい、アル……!」

 その制止も聞かず、アルシェムはレンと連れ立って支援課ビルから飛び出した。人目をはばかり、目立たないところを急いでマインツ山道へと急ぐ。指定の場所は廃坑の前だ。そこに、緑色の髪の少年と思しき人影が待ち受けていた。無論のことながら、今現在クロスベルに潜入中の《第八位》《碧の聖典》ワジ・ヘミスフィアではない。もう一人の緑の髪の持ち主だ。

 その人物はアルシェム達に気安く声をかけた。

「やっほー、久し振りだね《銀の吹雪》に《殲滅天使》。来てくれたってことは協力してくれる気はあるってことなのかな?」

 ふざけてそういうカンパネルラにアルシェムとレンは冷たい言葉を返した。

「そんな訳ないじゃない。死ぬの? ねえ、死んでみたいの?」

「黙れUMA。死ね。むしろ死ね」

「いや、君達ねえ。特にシエル、それ『むしろ』って使ってる意味ないからね!? 同じ単語だからね!?」

 そう突っ込んだUMAこと《身喰らう蛇》所属《執行者》No.0《道化師》カンパネルラはその飄々とした雰囲気を一切損なわなかった。それが気に喰わなくてアルシェムは全力のグーパンチをお見舞いする。しかし不意打ち気味ではあったというのに手ごたえは一切なかった。どうやらここにいるのは幻影らしい。そもそも本体がどこにいるのかを知らない/察してはいるアルシェムは苛立って仕方がない。

 この気配は、どこかで感じたことのある気配だ。そう思って睨みつけてみてもカンパネルラの態度は変わらない。へらへらと軽薄に笑い、こちらを煙に巻こうとするのはいつものことだ。それでも、アルシェムは騙されなかった。ある種の確信を以て彼に相対しているアルシェムには、その気配が誰であるのかもう分かっている。もう知らなかったでは済ませられない立場だから。

 自身の秘密の一端を知られたとはつゆほども思っていないカンパネルラが笑みを浮かべたまま問う。

「いやー、相変わらずだね。で、答えは?」

 その問いに、まずはレンが答えた。

 

「協力なんてするわけがないでしょう? 人間の心の機微さえわからないなんて、流石は信用がナンバーと同じ馬鹿ね」

 

 その返答にカンパネルラは顔をしかめた。

「レン? 君の発言も色々と酷くない?」

「あら、自覚はあるでしょう?」

「ある訳ないと思わない?」

 そこで火花が散りかけたが、カンパネルラは自制した。今ここでアルシェムとレン――《銀の吹雪》と《殲滅天使》を敵に回すことほど馬鹿らしいことはない。ここにいる幻影は残念ながら戦闘能力などほぼないのだから。そもそも『本体』と呼ぶべきモノは、一切の戦闘能力を持たないのだからそもそも『戦闘能力のある』状態の方がオカシイのだが。

 故に目線でアルシェムに問うてみれば、こう返される。

「断固拒否。というか《身喰らう蛇》なんてそのうち壊滅させてやるから首を洗って待ってろ」

「……そう。好きにすれば良いけど、僕達はいつでも待ってるからね? 君達に本当の意味で帰る場所なんてもうないんだから」

 底意地の悪い笑みでそう告げたカンパネルラは、そのまま役目を終えて消えようとする。しかし、幻影を消すだけだというのにそれは叶わなかった。その理由は――

「まだこっちの用件は終わっちゃいないんだけど?」

 その言葉を吐いたアルシェムにあった。しかし、カンパネルラはその理由を知らない。分からない。知ることすらできない。本体ならば知っていてしかるべき情報を、その幻影には与えられていないのだから。カンパネルラ、即ち『鐘』を意味するその幻影は、ただ『計画』の開始を告げる『ベル』でしかない。それ以外の情報はいらないし必要もない。

 そして、ある意味では『計画』を始めるためにも、『歴史』を動かすためにも、その『ベル』を鳴らさなければならない。それが決まりだ。この『ゼムリア大陸』におけるすべての事柄を開始するために観測するための器官を、働かせなければならないのだ。そうしなければ、『歴史』は動かないから。それならばいっそ、宣言させるのではなく――

「ほら、これはさ? あんたらの思い通りにはさせないっていう宣戦布告。あんたには分からないだろうけど、『カンパネルラ』に伝われば何の問題もないから」

 宣言すればいいのだ。その幻影の肉体の死を以て。手ごたえがない? だからどうした。それを覆せるだけのものを、既にアルシェムは手にしている。否、『手にさせられている』のだ。『歴史』の蠢動を皆に告げる鐘たるカンパネルラの幻影は、徐々に自身が凍りつくように錯覚した。そして、極限まで寒くなって――何も感じられなくなるその直前。

 

「帰る場所ってのはね、カンパネルラ。在るものじゃない。作るモノなんだよ。特に、わたしみたいな破綻した『ニンゲン』にとってはね」

 

 アルシェムの――『アルシェム・シエル=デミウルゴス』のその声が聞こえたと同時にカンパネルラの幻影は消滅した。与えられた役割から逸脱し、『出現』する『条件』を満たせなくなってしまったから。もっとも、アルシェム達にとってカンパネルラがどうなろうが知ったことでもなければ興味もないため、消えたことに何ら疑問も抱かなかったのだが。

 その宣戦布告を終えたのち、アルシェムとレンは一度クロスベル市内へと戻った。他にやることもなかったため、特務支援課として動くべきだと思ったからだ。それに、『仕込み』の終わった彼らがそろそろ動き始めるころだ。それを見守り、もしくは手助けすることはアルシェムの目的の成就のためには有用である。そのために市内を巡回してみれば――

「あら、そこのお兄さん」

「な、何だ? 何か用かガキ」

「その財布、すったわね? ほら、出しなさい。今なら捕まえるだけにしてあげるから」

 市内で連続して犯行に及んでいたスリ犯を見つけてみたり。

「はいはい、ほら、そこのおっさん。カツアゲなんてしないの」

「テメェに関係あるかメスガキィ! テメェも財布出せや!」

「はい恐喝の現行犯ねー。警察官に暴言吐いちゃダメでしょ全く……」

 どう見ても堅気ではない中年男性がカツアゲをしていたり。

「このおもちゃのせいでうちの子が怪我をしたのよ!? 慰謝料を払って貰わないと気が済まないわ! ざっと百万ミラほどね!」

「その怪我、百万ミラかけて治すようなものじゃないっていうか……いや、怪我なんてしてないし、その子」

「あんた何様!?」

「警察官様だっつーの。脅迫の現行犯で逮捕ね、オバサン」

 明らかに富豪に見える女性が超絶肥満体の子供を連れて脅迫していたりと、実に様々な案件であふれていた。やはり、裏を押さえていた《ルバーチェ》が消えたことで治安が悪化しているようだ。一見何の関係もなさそうに見えるが、スリ犯は《ルバーチェ》がいたころにはおおっぴらには出来ず、カツアゲの現行犯は元《ルバーチェ》構成員だったことが判明し、脅迫していた女性は《ルバーチェ》を通して献金を受けていたらしい。その《ルバーチェ》がなくなったことにより、やむを得ず犯罪に走ったパターンが増えてきているのだ。

 その悪化してしまった治安の様子を見てレンが小さく洩らす。

「……裏を抑える人が必要なのね、やっぱり」

「だからと言って《ルバーチェ》が潰れなかった方がいいなんてことはないけど……」

 アルシェムはその言葉に普通に返答し、一瞬だけ思案した。このクロスベルの裏を抑えるべき人材を探す必要があるかと。結論は簡単だ。いるかいないかと問われればいる。それも、とっておきの人材が。しかし、その人物をその役に当てるためには《七耀教会》に正面切って喧嘩を売らなければならないのだ。その人物の名は、ワジ・ヘミスフィアというからにして。

 裏を取りまとめるべき人材は、適度に賢くなければならない。適度に弱点を持ち、適度に他人に非情になれなければならない。ならばいっそそうプログラムされた機械人形でも構わないわけだが、人間の人材がいるのならばそちらの方が望ましいに決まっている。機械に支配される人間など、《輝く環》とリベールの祖たちだけで十分である。

 アルシェム達は市内に増えた不審人物たちを取り締まりながら支援課ビルへと戻った。すると、正面玄関前でエリィに出迎えられる。

「おかえりなさい、アル、レン」

「どったの、エリィ。珍しーね? 出迎えなんて」

「……ちょっと、話があるのよ。貴女達にね」

 とぼけたようにアルシェムが問うと、エリィは歯切れの悪そうな様子を見せながらアルシェムとレンをエリィの部屋へと誘った。当然、他のメンツはそこには混ざっていない。エリィが個人的にアルシェムとレンに用事があったからだ。それをロイド達に聞かせるのもどうかと思ったため、こういう形になったのである。無論、既に話に大きくかかわる少女――キーアには絶対に入って来ないようにと厳命してある。

 そして、エリィは二人に紅茶を振る舞うと本題に入った。

「……キーアちゃんのことなんだけど」

「え、わたしにあのクソガキのことで何か言うことあるの?」

 アルシェムのあまりの回答にエリィは頭を押さえながらこう答えた。

「クソガキじゃなくてキーアちゃん、よ。ねえ、その態度はどうにかならないの? 二人とも、妙にキーアちゃんに冷たいでしょう」

 エリィの言葉にアルシェムは盛大に顔をしかめ、レンは目を細めてエリィを睨みつけた。そこに愛想などというモノはない。レンにとってキーアとは敵であり、大切な人を害する存在なのだから。アルシェムにとってのキーアは言わずもがなである。キーアのことを好きになれる要素など、アルシェムには見つけられなかった。たとえ彼女が『誰からも愛される』才能を持っていたのだとしても。

 故に答えはこうだ。

「無理」

「嫌よ。レン、アレに使う心の余裕なんて持ち合わせてないわ」

「レン……アレって呼ぶのは止めて」

「あんなの、アレで充分よ。あんな、自分のしてることの分かってないガキなんて……」

 レンが拳を握りしめる。その強さは優に手の皮を破る以上だ。それを察したアルシェムは、レンの手を握ってその拳をほどいてやった。こんなくだらないことのために手を怪我することほど無意味なことはないと、そう思うからだ。アルシェムはレンの言葉にも同意してしまうが。アルシェムもキーアのことなど嫌いだ。恐らくキーアがアルシェムのことなど嫌いなように。

 そこまでの激しい感情に戸惑ったエリィは問いを重ねた。

「何で、そこまで……」

「わたしの目の前には一本の古臭いレールが敷かれている。そのレールを敷き、破滅の道へと向かわせようとする奴がいる。ソイツのことを、好きになれるのなら、よほどのドMだと思うよ」

「……? それは、どういう意味かしら」

 アルシェムの比喩表現はエリィには一切伝わらなかったらしい。ただ、アルシェムもこれ以上のことを言えないのが実情だ。言えば消される。自分のことを愛さない人形なんて、必要ないからだ。その人形に意志があることにすら気づいていない□□□に、アルシェムは叛逆しようとしている。その前に消されてしまっては意味がないのである。

 故にアルシェムははぐらかした。

「どういう意味だと思う? エリィがその答えを知った時に、わたしはそれを聞くことにするよ」

「それ、答えじゃないじゃない」

「……もっとも、その頃にわたしがその答えを知ることができるかどうかは――」

 定かじゃないけど、と続いた言葉にエリィは気を取られ、アルシェムの内心には気付かなかった。感情の読めない瞳を窓の外に向け、どこかを見据えていた彼女が一体何を考えていたのかなど。エリィには一切わからなかったのだ。

 

 今、ここでエリィがそれを察していたならば。彼女にも可能性はあっただろう。

 

 いずれ辿りつくことになる、既知の未来で。その未来の可能性が破滅するところを見る前に。エリィ・マクダエルは同僚の死を目の当たりにすることになる。それは絶対で、この時点でそれは確定したことだった。



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閑話・『歴史』の影で蠢くモノ2

 タイトル通り。


 その日、クロスベル警備隊の新しい副司令――ソーニャが司令に昇格したためだ――のダグラスは、唐突に背後を振り向いた。誰もいないはずのその場所に気配を感じたからだ。警備隊としてこの場所まで侵入者を赦すというのはあってはならないことであり、つい先日も失態を犯したばかりの組織としては痛恨のミスどころの話ではないからだ。

 微妙な緊張感を保ったまま、ダグラス副司令はその気配の主を見据えた。

「……どちら様だ?」

「存外早い。流石は副司令に昇格しただけはあるな?」

「抜かせ。……神父が、何の用だ?」

 そこにいたのは長い銀髪の神父だった。顔の下半分しか見えていないその人物は、男とも女ともつかない容貌をしている。ダグラスはその服装からその人物が男であると認識した。この状況で好き好んで男装する女もいないだろうとも思えたからだ。もっとも、その中身は本当に男であるとは言わないのだが。服装もフェイクならば、長い銀髪もフェイクだった。

 『彼』はダグラスの問いに答える。

「何の用か、か……これからのクロスベルでお前達が使い物になるかどうかを見に来た」

「随分と上から言うんだな。何様のつもりだ不審者」

 吐き捨てるように言うダグラス。正直に言ってダグラスはそんなバカげた発言をする『彼』を信じる気にはなれなかった。一体『彼』に何の権限があってそんなことを言うのか。もし仮にその権限があったとして、何故今まで出てくることなく過ごして来たのか。胡散臭すぎる『彼』の全てを、今のところダグラスは信じることができなかった。

その数多湧き出てくる疑問に、『彼』は答えた。

「クロスベル――かつて鐘の交錯する地と呼ばれたこの地を治めた者の末裔だ。もっとも、それを知ったのはつい最近のことだがね」

「……その証拠は? 言っておくが、いきなり思い出したとかいう不思議ちゃんな答えは求めちゃいねえからな?」

 胡散臭そうなものを見る目でそう問うたダグラスは、思ったよりも頭を疑いたくなるような答えを返される。

 

「神狼――かつてクロスベルを見守りし聖獣と、この間ウン年ぶりに目撃された古代竜――リベールの聖獣にそのことを証明されてしまったからな」

 

 思わずダグラスはその言葉を反芻し、釈然としない様子の神父を見て一瞬だけだが『本当かも知れない』と思った。その様子から、『彼』が本当はそれを望んではいないことが分かる。それでも覚悟を決める必要があるほど追いつめられる情勢にあるのだと。確かにソーニャからは怪しい猟兵らしき人物たちの通行が報告されているが、今それが一気に現実味を帯びる。

 半信半疑のままにダグラスは問うた。

「で? あんた基準で俺達は使い物になるのか?」

「今のままでは蹂躙されて終わるだろうな。それも――内側から、な」

 その男の言葉に、ダグラスは目を細めた。意味が分からない、などということはない。何故なら彼も感じていたからだ。最近になって、隊員たちの質がある意味で変わったと。悪い方向に変わったとか、良い方向に変わったとかそういう単純なことではない。ただ、最近増えたのだ。『このままじゃ駄目だ』と口走る隊員たちが。その意味を、ダグラスは過日の《グノーシス》を盛られてしまったことに対する自戒だと思っていた。しかし、『彼』が思っているだろうことは恐らく違うのだろう。

 それはある種の危機感。ダグラスも多少は抱いていた、焦燥感。『このままじゃ駄目だ』というのはダグラスも思っていたことだ。しかし、それ以外にも隊員たちの口走る言葉で別の危機を漠然と覚えていたのも確かだ。『今のクロスベルのままじゃ駄目だ』、というのは本当に洒落にならないのである。それに同意してしまう隊員たちが多くなってきた今は。

 故に、その思想を植え付けたかもしれない人物としてダグラスは『彼』に問う。

「なら、あんたはどうなって欲しいんだ?」

「どう、か……それを表現するのは難しいが、そうだな。たとえ話をしよう」

 そう言って、『彼』は語り始めた。その内容を聞いたダグラスは――その条件を呑んだ。ダグラスとてクロスベルの民である。クロスベルを本当の意味で守るために役立てる力があるというのなら、彼らは喜んで立ち上がるだろう。

 

 そしてまた一つ、勢力図が塗り替わった。

 

 ❖

 

 いずれこの先の未来で起こるだろうことだ。今は《黒月》に加えて《赤い星座》が入り込んできていることは知っているな? ……チッ、『猟兵』ということしか掴んでいないだと? ソーニャ・ベルツには既に話を通してあるはずなのだがな。話の根拠は明かさないことにしたわけか……まあ良い、続けるぞ。その《赤い星座》が誰に雇われているのかが問題なのだ。

 候補としては《鉄血宰相》ドノ、このクロスベルを強引にでも国にしたいと願う馬鹿、あとはどこかの秘密結社だな。……三つも、ではない。むしろ三つに絞れていることを感謝した方が良い。因みにどのパターンでも面倒なことになるのは目に見えているからな。それに対処できるようになってもらうために練度を上げてほしいのだが?

 話を戻すぞ。一つ目は言わずもがなだ。《鉄血宰相》ドノがとうとうクロスベル併合に動き始める可能性があることだな。今の奴はかなり危険人物でな……知っての通り強引な手段で自治州を次々に併呑していっている。ジュライ市国など酷いものだぞ? それはそれとして、だ。奴が《赤い星座》を使ってやらかすとすれば自身の暗殺未遂か、その実行犯を捕まえるのに使うだろうな。丁度西ゼムリア通商会議もあることだ。可能性はあるだろう。

 二つ目は更に面倒だぞ。何せ、クロスベルのためにクロスベルの民を害してでも独立を成立させようとするだろうからな。こういう場合には大体的なデモンストレーションがあるだろう。たとえば、ヘンリー・マクダエル議長を《赤い星座》に襲撃させ、それをお前達に守らせる、とかな? もっとなりふり構わないのならばクロスベル自治州内のどこかを襲撃するなどということも考えられるな。

 三つ目ならばむしろ面倒ではなくなるな。潰すだけで事足りるのだから。……何? その秘密結社を知っているのか、だと? ああ、少々縁があってな……あまり表には出てきてはいないが、《身喰らう蛇》などという秘密結社があるのだよ。奴らは独自の部隊を持っているのだが、わたしはその中の幹部を寝返らせてみたり殺してみたりしていてな。物騒だとか言うな。寝返らせている可能性の方が今のところ高いぞ。その実力もしくは秘められた原石を見るために雇うという可能性があるわけだ。

 聞いていて恐ろしくなったろう? これに対処するためには警備隊以上の練度が必要だ。しかし、それが今は軍隊だと悟られてはならないのだよ。帝国と共和国の横やりなぞ望まないだろう? 故にしかるべき時まで雌伏し、時が来た時に活躍してほしいと思っているのだ。真にクロスベルを守るために、誰かの陰謀をくじかねばならんのだ。そのための、力となって欲しい。

 その力を安易に振るうことを、わたしはよしとはしたくない。誰かの陰謀をくじくために、クロスベルの民が傷つくことをよしとはしたくないのだ。だが、恐らくこの先お前たちの力を借りねばならん時が来る。その時に、わたしを信じて戦ってくれる人たちがいることほど心強いものはないのだ。それは政治の面であったり、武力の面であったり、様々な局面で援護となってくれるだろう。

 わたしの力はあまりに矮小だ。出来ることはと言えばこの身を張ることくらいしかない。だが、それも使いようだと思うのだ。ただの武力としてこの身を張るだけではあまりにももったいないだろう? わたしはわたしとして出来ることを精いっぱいやらなければならないのだ。それだけのことを、しなければならないと自身に誓ったのだ。

 

 だからこそわたしが、一番危ない役を引き受けよう。かつて歴史に残らないほど古い時代にクロスベルを治めた一族の末裔が。

 

 かつてこの地を治めた者は、少々特殊な能力を持っていた。その力を以て、皆の願いを叶えるという能力をな。もっとも、代替わりを経てわたしに至った時にはその能力は消え去ってしまっているがね。だが、だからと言って見て見ぬふりは出来ない。わたしの祖先がかつてクロスベルの民に夢を見せたのならば、わたしはそれを叶える義務がある。

 これを自分勝手だという者もいるだろう。だが、自分勝手でもなんでもいい。動かなければ何も変わらないのだ。クロスベルの民を守るために生まれてきたわたしが、それ以外のことをしていて良いはずがない。クロスベルの民は、わたしの民だ。かつて祖先がそうしたように。わたしもクロスベルの民を守ろう。そんな義務も権利もないのは分かっている。だが、他に相応しい者がいるのか? 旗頭になれそうで、最後に犠牲にしても惜しくないものなど。

 ……かくいうわたしも現状をよしとはしていない。だが。だが、だ。この先急激な変革を望むものがいると察知してしまったからこそ――奴らがクロスベルの民に犠牲を出しながらも成し遂げてしまうかもしれないからこそ――その変化を、拒もう。その犠牲を最小限となるようあらゆる手を尽くそう。必要なのだったらこの身を差し出しても構わない。

 

わたしはクロスベルのために生きると決めたのだ。それ以外に生きる道はないと、決めたのだ。

 

 だから、お願いだ。どうかわたしの力となって欲しい。祖先とは違ってさしたる能力のないこの矮小なわたしの手となり、足となり、脳となり、目となり、心臓となって欲しい。十全にクロスベルの民たちを守れるように。わたしが全てを守れるとはうぬぼれない。ただ、誰が欠けてしまったとしてもそれは理想のクロスベルではない。だからこそわたしは、クロスベルの民を、皆を守るために全てを捧げると誓おう。

 これは傲慢なのかもしれない。ただのお節介なのかもしれない。だが、わたし以外の誰が言った? クロスベルの民を、守ると。蔑ろになどせずにきちんと守ると。宗主国たる帝国が言ったか? 宗主国たる共和国が言ったか? いいや言わない。言うはずがないのだ。彼らにとってクロスベルとは『このままで在ってくれれば都合の良い場所』なのだから。

 だからこそ、わたしが守ろう。クロスベルのために、誰も犠牲にしなくても良いように。帝国や共和国の奴らに都合の良いように使われないように、わたしが守ろう。わたし以外の犠牲など認めない。誰かが傷つくことなど赦さない。クロスベルの民を、街を、全てを穢そうとする者がクロスベルの主になろうなどというのならば。わたしはそれに全力で抗おう。

 

それがわたしの――『□□□□□・□□□□=デミウルゴス』の、誓いだ。

 

 ❖

 

 その日、クロスベル警察の内部で。一息ついていた一課のエマ警部はコーヒーに人影が写っているのを見た。その人物は顔面に仮面を張り付けており、どことなく見覚えのあるような輪郭をしている。しかし、髪型がそれを否定した。知っているはずのその人物ならば、もっと髪は短いはずだからだ。故にエマはその人物ではないものだと判断した。

 コーヒー越しにその人物を睨みつけながらエマは問う。

「……誰かしら?」

「ほう、一課の刑事の割には遅いな」

「答えになっていないわ。私は誰、と問うたのよ。名を答えるのが常識というものでしょう」

 冷たくそう返答したエマに、『彼』はその名を端的に告げる。いずれ近い将来に『彼』の真の名前となる名前――『□□□□□・□□□□=デミウルゴス』と。だがそれは所詮ただの名前であって、どこかで何かをやらかしたわけではないためエマにはそれが誰なのか分からなかった。正体が分からないのでは誰何しても何の意味もない。

 故にエマは険しい顔で『彼』に向き直った。

「……何が目的でここに? 一応不法侵入に当たるのだけど」

「残念だが、わたしはここにいる資格を有しているよ。今日はあなたに話があって来た」

 聞く価値もない、と断ずる前に。『彼』は語り始め――そしてエマはそれに呑まれた。それを信ぴょう性のない話だとは言えなかった。たくさんの予兆と、これから起きうる事柄に対する推測。それらは全て、エマの危惧するところであったからだ。今のクロスベルが健全だとは言えない。そして、このまま突き進んだのだとしてもやはり健全だと言えないのは分かりきったことだ。

 だからこそ、エマはこう返答するのである。

「……何か、私に出来ることは?」

「簡単なことさ。何があっても、クロスベルにとって危険だと思う人物には従うな。それだけだよ」

 それ以外の何も期待していない、と言っているように聞こえてエマは苛立つ。しかし、それも当然のことだ。今までは全て上の指示通りに唯々諾々と従わなければ生きて来られなかった。不正を見逃し、冤罪を生み出してまでエマ達一課が突っ走ってきたのは、それがクロスベルのためになると信じていたからだ。二課とは違い、犯人の代役が立てられることなどざらにある一課では上層部に不信を抱く者が多い。ただ、それを表に出すことが出来ないだけだ。

 『彼』はそれをこそしろと言っているのだ。上に逆らい、確固たる意志でクロスベルのためになることを見定めろと。誰にも自分達クロスベル市民が進む先を決めさせてはならないと。自分達クロスベル市民の道を決めて良いのは、クロスベル市民だけなのだと。今までになかった選択肢だろうが関係ない。ないのならば掴み取れば良い。そう言っているのだ。

 それを呑まないなどということが、エマに出来るだろうか。身の安全の保証をされたうえで、理不尽を敷いてくる全てに逆らわないなどという選択肢はないのだ。今までに呑まされた苦汁を、叩き返さなくて何が警察官だ。今までに逃がしてしまった悪党どもを、きちんと捕えられるような機会を。間違ったことを、間違っていると言えるだけの未来を、掴み取らなくてなんとする。

 故にエマは答えた。

「勿論。そんな当然のことが出来なくて、何が警察官よ」

「……良い意気だ。くれぐれも間違えてくれるなよ?」

「誰が間違えるものですか。こんな機会、もう二度と巡って来ないかもしれないのに」

 不敵に笑ったエマの前から、『彼』が姿を消す。しかし、エマはそれを止めることはしなかった。

 

 そして、盤面は蒼銀に染まっていく。

 

 ❖

 

 □□□は気付かない。気付けない。最初は真碧に染まっていたはずの盤面が、いつの間にか蒼銀に包まれてきていることに。いつも揺蕩い、血の色に盤面を染めようとする者達から守ってきた蒼銀が、その役目を変えていることに彼女は気づけない。何故なら、いつまでたっても『アルシェム・シエル=デミウルゴス』は□□□の駒であると思い込んでいるからだ。そこに、『□□□□□・□□□□=デミウルゴス』が同居していることなど知る由もない。

 □□□はこのまま『アルシェム・シエル=デミウルゴス』を使い潰すつもりでいた。最早ロイド・バニングスたちに彼女は必要なく、後は排除するだけでいいはずだった。棄てる予定のモノに気遣うことなどない。どうせ棄てるものに感情を振り分けることも、処理能力を振り分けるのももったいないからだ。そんなことに処理を割くくらいならば、もっと別のことに使う。

 それで、ロイド達が幸せになれる可能性が高まるのなら。□□□は喜んでそちらに意識を振り分けよう。愛想を振りまき、癒し、安定剤として在り続けよう。彼女の心が少しずつ死んでいき、周囲に不安をまき散らすのと対照的に。使い終わった人形は盛大に処分すべきだろう。恨まれるかもしれないが、たかが人形にそんなことを考えるようなことは赦されているはずがないのだから。

 ロイド達を救おう。どの世界に存在するロイド達をも。彼女の存在を使うことで、皆を救おう。皆が幸せになってくれればそれでいいのだ。その結果、何を犠牲にしようとも構わない。皆には含まれない誰かが不幸になろうとも関係ない。むしろそれで皆が幸せになるのなら、喜んで皆には含まれない誰かに不幸を振りまこう。誰かが不幸になろうがどうでも良い。最終的にロイド達が幸せならばそれで良いのだ。

 

 それこそが、□□□の望み。

 



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~《蛇》の歩む音~
新生・特務支援課のとある支援要請


 旧218話のリメイクです。


 《教団》事件からしばらく経って。ようやくクロスベルも落ち着きを取り戻しつつある中、そこに不純物が混ざっていることすら知らずに皆は日常を送る。それは勿論新しくノエル・シーカーを加えたロイド・バニングス率いる新生《特務支援課》も同じであった。二人ほど例外はいるものの、そこにいる誰もが気付いてはいない。じわじわと忍び寄るより巨大な闇に。

 その闇はやがてクロスベルを覆い尽くし、クロスベルの民に災厄を振りまくだろう。それを知っているからこそ、アルシェムは足掻くのだ。たとえ自身の命がもうすぐ尽きるのだと知っていたのだとしても。燃え尽きる前のろうそくの火は、ひときわ明るく輝くこともあるのだという。そのろうそくのように、アルシェムは最後まで足掻く気でいる。

 そんなある日のこと。

「今日の支援要請は六件か……多いな」

 ロイドがそうぼやいた。勿論六件以上の支援要請をこなすこともある特務支援課であったが、ここ最近のクロスベルの落ち着きの中では珍しいことだ。《メゾン・イメルダ》に湧く魔獣に暴走車の取り締まり。マインツ山道と西クロスベル街道の手配魔獣。更に最近規格が変わった《ENIGMAⅡ》の基本講習。更には帝国情報部の人間に対する尋問など、多種多様である。

 それをロイドが割り振って、それぞれが動き始める。ロイドとエリィはマインツ山道の手配魔獣と暴走車の取り締まり。ノエルとレンは《ENIGMAⅡ》の基本講習と《メゾン・イメルダ》の魔獣退治。アルシェムは西クロスベル街道の手配魔獣と帝国情報部の人間に対する尋問、といった具合だ。アルシェムの比重が位置的に多いようにも思われるが、これまでの実績から考えて手配魔獣がすぐに終わってしまうのは明白であるためこういう形になったようだ。

 誰も待つ必要のないアルシェムは、早速西クロスベル街道へと向かった。そして――

「えっ……ちょ、流石に一応『一般人』名乗りたいならそれは……」

 そこにいる不審者を見つけた。困惑の色を浮かべるアルシェムだったが、その人物が二振りの斧を振りかぶって手配魔獣に襲い掛かろうとしているのを見て流石に介入せざるを得なかった。ここでその人物に弱みを見せて足元を見られるくらいならば、弱みなどみせないようにすべきだろう。何故なら彼は猟兵であり、《赤い星座》を今現在率いている男なのだから。

 その男の得物が手配魔獣に触れるよりも前に、アルシェムは全ての手配魔獣を狩りきっていた。振り下ろした斧があまりにも手ごたえを感じさせなかったことに眉を寄せた男は、今更のようにアルシェムに気付く。男がアルシェムの気配に気づかなかったのは、彼女が気配を殺していたからだ。それでも、多少遅れてであってもアルシェムを視認できた男は一般人では有り得ない。

 その男が機先を制する前に、アルシェムは言葉を吐きだした。

「あのさ、遊撃士でも警察でも自警団でもない『一般人』が手配魔獣を狩ろうだなんてしないで貰えないかな? 怪我したって自己責任だよ?」

 それに男は鼻を鳴らして返答する。

「フン、遊撃士はともかく警察や自警団に何が出来るってんだ。クロスベルの警察は無能だと有名だがな?」

 最後の方はにやにやと笑って言う始末だ。確かにクロスベル警察のことを知っていればその言葉が出るだろう。特に、《特務支援課》を調べて来ているこの男には。もっとも、アルシェムが《特務支援課》の一員だとあまり周知・認識されていないというのもあるが。どちらかと言えば遊撃士時代の異名だけが独り歩きしているため、たまに遊撃士だと間違われるのである。警察の紋章を身に着けていても、だ。

 故にアルシェムは敢えて彼の素性に突っ込んだ。

「そりゃー、あんたと比べれば誰でも力不足にはなるでしょーよ、《赤い星座》団長《赤の戦鬼》シグムント・オルランド」

「……ほう?」

「何しに来た、とわたしはここで問うべきなんだろうけど……あえてこう返してあげるよ。最終的には無駄足を踏ませてやるってね」

 剣呑な光を目に宿してそう言ったアルシェムに、シグムントは瞠目して笑い始めた。シグムントはアルシェムが誰なのかようやく思い至れたのだ。それならば全てに説明がつく。その気配の消し方も。ここに現れたことでさえ。何故なら、裏社会の人間の中では『アルシェム・シエルは《氷刹》アルシェム・ブライトであり《銀の吹雪》シエル』という方程式が成り立っているからだ。

 もっとも、その中に含まれない『アルシェム』も勿論存在する。ほとんどの人間が『アルシェム・シエル』は『エル・ストレイ』だとは知らない。たとえ知っていたのだとしても、それを口外することはないのだ。口にするリスクを負うだけの覚悟は誰にもないのだから。それを口外することはすなわち死につながる。それも、尊厳も何もない生首状態となるのだ。

 無論、シグムントはアルシェムが星杯騎士だなどとは知らない立場である。それでも現在警察官として働いている彼女が元遊撃士であり執行者であったというその事実を知るだけで愉快にもなるだろう。法の下に正義を執行する警察官と、理念の下に中立を守る遊撃士と、力の元に混沌を成す執行者。それがすべて同じ人物の経歴だというのだから。

 ようやく笑いの発作が治まったシグムントは、横目に通り過ぎるクロスベル鉄道の車両が過ぎるのを待ってアルシェムに問うた。

「……今の列車、何人乗っていた?」

「実に唐突だね。運転手が一人、車掌が一人、男が三十五人、女が十七人。少年が三人に、少女が一人。密航者の老婆が一人と密航者の青年が一人の計六十人」

 いや、何で密航者がいるんだ、と思いつつ遠い目になりそうになったアルシェムだったが、それを堪えてシグムントを睨みつける。なお、密航者の老婆は一度捕まったはずだがもう一度逃げ出して偽ブランド商をやっているようだ。実にパワフルなレディである。もう一人の密航者の青年は恐らくこれからスパイとして活動するのだろう。何しろ《クロスベル通信社》のレインズ――元リベール王国情報部のレインズなのだから。

 にやりと笑ったシグムントは、手ごたえのありそうな相手だと思いつつアルシェムにこう返答する。

「成程な。良い目をしている。流石は《氷刹》――いや、《銀の吹雪》と言ったところか」

 そう言って立ち去ろうとするシグムント。用事はその問いだけだったようだ。正直に言ってアルシェムにとっては何の実にもならない会話だったのだが、今現在何かしらの情報を無理やりむしりとるほど情報に飢えているわけではない。本来であれば見逃したくはないのだが、残念ながら法を犯しているわけではない彼を拘束することは出来ないのである。

 ただ、そのまま見逃すのは癪だったのでアルシェムは言葉をぶつけた。

「ああ、因みに――無駄足になるっていうのはランドルフのこともだからね。彼はそっちには帰らないし帰さない。だから諦めてよ」

「……フン、それは貴様が決めることじゃねえな」

 そして、シグムントはひらりと手を振ってその場から立ち去った。それをアルシェムは最大限警戒したまま見送り、そして姿と気配が消えてからクロスベル市内へと戻った。次の支援要請に向かわなければならないからだ。それも――面倒事を引き起こしそうな男の尋問に。その男に、アルシェムは会ったことがない。それでもその人物が一体どういった人物なのかぐらいは知っていた。

 レクター・アランドール。帝国大使館所属二等書記官にして、帝国情報部所属の大尉。《鉄血の子供達》の《かかし男》。そして――とある疑いのある男だ。かつて『その人物』としてならばアルシェムは対面したことがある。勿論その時は顔を合わせたというわけでもなく、お互いに仮面をかぶっていたという珍妙な出会い方だったのだが。本当に『その人物』がレクターであるという確証を、アルシェムは得なければならなかった。

 故に何故かカジノでスロットを回している彼に対してこう問いかけるのである。

「レクター・アランドールさん、ですね?」

「そうだが……お前さんは、『誰』だ?」

 スロットから目を離さないままにそう問うレクター。しかしその目にアルシェムが映っていないなどということはない。何故ならばスロットのドラムの前に張られた透明のガラスにアルシェムの姿が映り込んでおり、それに焦点を合わせているのだから。おちゃらけているように見せて相手を観察する。これは一時期ジェニス王立学園に通っていた時に身に着けた技だ。

 アルシェムは彼の問いに答えた。

「クロスベル警察特務支援課所属、アルシェム・シエルです。ご存知ですよね?」

「ああ、よーっく、知ってるよ。で、何の用かな?」

レクターはアルシェムに向き直らないままにそう問うた。真面目に問答するのは色々と面倒なことになりそうな人物が訪ねて来たな、くらいの印象でしかないため、レクターは真面目に彼女に向き合う気がないのである。いずれ《鉄血宰相》に敵対する可能性のある彼女を探らないなどという選択肢はなくなるのだろうが、今はそんなことをしている暇はないのだ。

何故なら、もう少しするとメッセンジャーが接触してくるのだ。この先一時期ではあるが契約を結ぶ《赤い星座》のメッセンジャーが。その人物と接触し、出来得る限りの手段を使って最低限のコストで最高のパフォーマンスを実現しなければならないのだ。そのためには交渉の内容を何通りも脳内でシミュレーションしなければならない。

そうやって思考実験を繰り返していたからこそ、レクターはその言葉に思わず素で反応してしまったのだ。この、アルシェムの言葉に。

 

「『過去、現在、未来。それら全てが誰かの予定調和のうちだとする。ならばその人物は?』――あんたはかつてそう問うた。わたしはその問いにこう答える。――《空の女神》と」

 

 それはかつてアルシェムに問われたもの。結社《身喰らう蛇》にいるときに、誰ともなく発された問いだ。それにそれぞれが様々な答えを返したが、ある一定の箇所だけは一致している。どうあがいても手の届かない高みにいるモノ。それが、皆の答えだった。それが実際誰であるのかと答えた人物はほぼおらず、そう答えた人物だけが《使徒》となっている。

 全てが予定調和のうちで生きているのならば、今この行動も全くの無意味なものなのだと絶望する人間もいるだろう。しかし、そうではないのだ。知ってしまうことすらも予定調和のうち。それで絶望するのも予定調和のうちなのだ。ならばいっそ知らない方が幸せであるし、知ってしまったのならば忘れる努力をすべきなのだ。全てが決まっていることなのだと知らない方が、人間は強く生きられるから。

 だがしかし、《結社》では違う。

 

「ならその《空の女神》のクソッタレな予定調和をぶち壊そうとは思わないか?」

 

 この解こそが《身喰らう蛇》において一番重要なこと。未来のために足掻く。それでどこまで破滅を逃れられるのか、というのが《身喰らう蛇》の実験であり、『計画』でもあるのだ。この問いは幾度となく繰り返されている。ぼんやりしていればうっかり出てしまいかねないほどに。故にレクターは素でそう応えてしまったのだ。それに対するアルシェムの答えはある意味哲学的な言葉であり、真実である。それは誰にとっても同じことだ。

 アルシェムの、その未来すらもみる気のない答えがこれだ。

 

「そもそもわたしの全てが予定調和で出来ている。ならばぶち壊すことすらも予定調和のうちなんじゃないの? ――《第四柱》」

 

 それは未来に絶望したままの答え。恐らく自身の行動は全て筒抜けで、最後には□□□の思い通りにしかなれないのではないかという心の弱さが出させた言葉。否、□□□だけではない。彼女以外にも、恐らくアルシェムを観察している人物がいるのだろう。そして、その期待に応えられなければ。恐らくアルシェムは存在ごと消されてしまう。

 アルシェムのまさかの答えにレクターは歯噛みして思わずこう答えてしまった。

「そりゃあそうかも知れないが……ッ!」

 レクターはそこでようやく気づいた。自らの言葉が、アルシェムの言葉を肯定してしまっていることに。要するに自身が《身喰らう蛇》の《第四柱》だと認めてしまっていることに、ようやく気付いたのだ。それに気付いた時にはもはやすべてが手遅れだった。滅多に変えない顔色を変えてアルシェムの方へと振り向けば、彼はそこに死神の鎌を幻視する。

 逃がさない。逃がすわけがない。約束した以上、《身喰らう蛇》から抜ける気のない人物たちは全て抹殺してくれよう。そんな怨念のような感情を叩きつけられ、恐慌に陥りそうになる。《白面》のいたずらで精神汚染には慣れていたはずのレクターですらこの感情をうまく処理しきることが出来ない。いずれ自身は殺されるのだろう、と怯えることしか出来ない。

 このまま狩られるかもしれない。そう思った瞬間――

 

「あ、こんなとこにいたんだ! 探したよレクター」

 

 快活な少女の声がレクターに掛けられた。その瞬間見ていたはずの死神の鎌は消え去り、そこに在るのは赤い髪の少女と、眠そうな表情をしている銀髪の女だけだ。先ほども死神の鎌は本当に幻覚だったのか、と思ってしまうほどに彼は冷や汗をかいてしまっている。常に冷静で在ろうとしてきたのに、今の自分の状態は全く以て笑えない。

 少女への返答ですらどもる始末なのだ。

「……あ、ああ……」

「? どしたの?」

「いや、何でもない……で、どうしたんだ? 結構遅かったが」

 そうやって平静を保とうとして、ふと見ればそこにいたはずの銀髪の女が消えていて思わず変な声が出そうになる。実際にアルシェムはそこにまだいるのだが、視認しているのが『者』ではなく『モノ』であると認識されている時点でそこにアルシェムは『いない』ように感じられるのである。隠形の極致ともいえる技であるが、今使う必要のない技ではある。レクターはそれを見破るだけの力は持ち合わせていないようで、微妙に殺気を送ってみても動揺するだけだ。

 だが、シャーリィはそれを看破した。

「あれ? ……何してんのお姉さん。やる気?」

「……成程、これでも察するなんて流石は《血染め》のシャーリィ。ま、残念だけど今はやり合うつもりはないし――こちらから仕掛ける気も、今はないよ」

 視線同士を絡み合わせ、互いの力量を計る。体格、見た目からわかる筋肉量。些細な動きや目線の動かし方まで。それらすべてを勘案し、アルシェムはシャーリィの力量を読み切った。対するシャーリィはアルシェムが棒術具を扱う人間であることまでは理解したが、それ以上に別の筋肉がついていることに気付いて困惑するしかない。どう見ても非効率的な筋肉のつき方はしかし、彼女にはふさわしく見える。

 すん、と鼻を鳴らしたシャーリィはそこに『あるニオイ』を嗅ぎ取った。

「……ランディ兄のニオイがする。さしずめお姉さんはランディ兄のお相手ってところかな?」

 シャーリィのそれは嗅覚というべきものを軽く凌駕する。普通に考えてアルシェムと数か月は離れているランディの体臭など分かるはずもないのだ。彼も一応は毎日シャワーを浴びていたからにして。アルシェムも以下同文である。猟兵のころからのボディソープを変えていないなどということもない。故に、シャーリィが嗅ぎ取ったのはそういう生活臭ではなかった。

 それは雰囲気ともいえるもので。たとえば共感覚者が色でその感情を認識するように、シャーリィはランディという存在に関わったという事実を臭いで認識していた。それがどんな情報を与えられていない状態であったのだとしてもシャーリィにはランディのことが分かる。それは昔からそうで、飛び散る血と硝煙の中で戦っている時であったのだとしてもシャーリィはランディを見つけてみせる自信がある。

 そして、そのシャーリィの感覚は間違ってはいなかった。

「は? 生憎、わたしは恋愛対象として見るべき生物はいないんでね」

 その返答はランディに関わっていないという返答ではなくランディと共に過ごしたことがあるという証左で。だからこそシャーリィは彼女を貶めるべく言葉を吐くのだ。一番親しくしてくれた従兄で、将来は恐らく彼と結ばれることになるのだろうという漠然とした思いがあったのだから。それを横取りされたような感覚に、シャーリィは戸惑うというよりも獲物を見つけたような表情になる。

 嘲るように、シャーリィはアルシェムに告げた。

「え、モノとしかヤれない痛い人? 流石にそれは斬新だよねぇ」

「あんたの考え方の方が流石に斬新だよ!? 全く……」

 アルシェムは盛大に溜息を吐き、確実に《赤い星座》がここに仮の本拠地を置いたと確信してその場を去った。彼らの後を追う気にもなれない。何故なら、恐らく彼らは裏社会の一等地に居を構え、事を起こすだろうからだ。その一等地がどこなのかは、昔からそこに鎮座していた《ルバーチェ》が教えてくれる。裏通りにあった《ルバーチェ》跡地。そこが恐らく本拠地となるだろう。

 そして、アルシェムは鳴動する《ENIGMAⅡ》を手に取り、次に向かうべき場所へと足を向けたのだった。



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新しい『脚』

 旧219話~220話のリメイクです。


 ロイドからの連絡で向かった先は、西クロスベル街道を抜け、更にノックス大森林を抜けた先にある警察学校だった。そこで何かしらの講習を受けることになるらしい。アルシェムは何となくその講習の中身を推測出来ていたが、それが確実なモノかどうかはまた別の話だ。故にアルシェムは警察学校へ辿り着いた時に感じた気配からその推測が当たっていることを知ってげんなりするしかなかった。

 講習の講師にはセルゲイが招かれており、何とも不思議な感じで講習を終えたロイド達の目の前に現れるのが――

「……えっ、これ、本当に特務支援課に支給されるんですか!?」

 ノエルの驚喜の声によってその存在が実在するものであると理解したモノだった。それには四輪のタイヤがついており、ZCF――ツァイス中央工房のマークがあしらわれている。そしてなぜか幼女が乗っている。その事実にロイド達は困惑することしか出来ない。これが特務支援課に支給されるとして、何故そこに幼女が乗っているのか。そればかりはロイド達には理解出来なかったのである。

 流石に幼女が支給されるわけではないだろう。まさかあの幼女が人形なわけがない。そう思うものの、生きて動いていると実感してもまだ警察学校内に幼女が立ち入れるわけがないという偏見の元に見てしまえば、見た目の年齢と中身の年齢が一致していないのかもしれないなどというあさっての方向の推測が成り立ってしまうのも無理はないのかもしれない。

 ただ、無論のことながら、アルシェムは彼女が誰であるのか知っているので声をかけられる。

「ねー、ティータ。これ、アルバート博士の手とかエリカ博士の手とか入ってないよね?」

「あ、アルシェムさん! お久し振りです! えっと、勿論入ってますよ?」

 まさかの満面の笑顔での宣言に、アルシェムは崩れ落ちた。どんな機能が内蔵されているのかを知るだけで怖くなってきたのだ。アルバート・ラッセル及びエリカ・ラッセルが競うように手を加えてトンデモ機能が付け加えられていることは最早明白なのだから。いきなり天井が開いてミサイルが発射されてもアルシェムは驚かない自信がある。

 天を仰ぎ、大袈裟にアルシェムはうめいた。

「じーざす。何のドッキリビックリ機能がついててもわたし、驚かないことにする……」

「え、えっと、アル……? その、彼女は?」

 ロイドが躊躇いがちに問うてくるのでアルシェムは答えた。

「ティータ・ラッセル。次世代の天才博士になるだろう子だよ」

 そのアルシェムの返答にロイドは瞠目した。たったそれだけの答えであるのに、ロイドには彼女が誰の関係者なのか分かったからだ。かの有名な導力革命の父アルバート・ラッセルの縁者。それも、こうしてここにいるということはそれなりに立場を認められている少女であるということだ。どう見てもティオと同じような年齢であるにもかかわらず、ティータは恐らく『博士』と呼ばれても差し支えないような腕を持っているのだろうから。

 瞠目したロイドに代わり、エリィがアルシェムに問う。

「え、ラッセルって……もしかして、あの?」

「そのラッセルで間違ってないよ。でも、それだけでティータを測らないで欲しいな。ティータにはティータにしか出来ないことがたくさんあるんだから。概要しか知らないけど、エプスタイン財団の計画の一部の中核にいたらしいよ?」

「あ、アルシェムさぁん……その、そこまで私は凄い人じゃないですよ? 『ギア計画』は途中で盗まれちゃったから途中で終わっちゃいましたし……もうちょっとでレンちゃんに勝てると思ったんだけどなぁ」

 最後のつぶやきをしっかり聞き取ってしまったアルシェムは遠い目をするしかなかった。まさか《パテル=マテル》との戦闘における勝率が電子上での概算で半分近くまで行くようなロボットを作り上げるとは思いもしなかったのである。ティータがそれを作ると決めたのならばアルシェムは止める気もないし、むしろ利用する気満々であるので別に構いはしないのだが。

 なお、アルシェムはこっそりと情報を盗み出していて『ギア計画』の概要を知っているので人間が乗り込んで戦う形式の機械式甲冑であることを知っているが、もし知らなければ《パテル=マテル》及びゴルディアス級の機械人形を本気で創り出したのかと戦慄しただろう。もっとも、機械式甲冑であったのだとしても《パテル=マテル》と互角以下であろうが渡り合える機体が出来上がっていたので、さまざまな意味で驚異の技術力を持っているのだろうが。

 すると、そこに憮然とした表情のレンが口を挟んだ。どうやら今までティータがいることに気付いて隠れていたらしい。

「あら、レンの《パテル=マテル》に勝てるかもしれない程の機械人形だなんて……ティータの癖に生意気よ?」

 レンを見たティータはぱっと花開いたように微笑んだ。つい最近会ったばかりとはいえ、こうして日の光の当たる場所でもう一度語り合えるという事実が嬉しかったのだ。リベールの空港でも話したわけだが、あそこは一応人払いがされていてティータが要人扱いだったために会話の内容も聞いて聞かぬふりをしてくれただけだ。今のように普通に話せたわけではなかった。

 故にテンションの上がったティータはレンに歓喜の声をかける。

「レンちゃん! で、でもでも連射速度は私の方が早いんだよ?」

「速度だけ高くても駄目よ、ティータ。威力がなくちゃ《パテル=マテル》が揺るぐなんてことは絶対にないんだから」

 そこから始まる熱い議論。どう考えてもその年齢の少女達がする内容の会話ではないのだが、二人は周囲の唖然とした表情に気付くことなく会話を続ける。その会話の内容だけで、ロイド達は彼女らがある意味手の届かない領域の知識を身に着けていることが分かった。さまざまな専門用語か飛び交うその会話に口を挟めそうなアルシェムの方を見てみるが、彼女は遠い目でそこにあった導力車を物色していた。

関わる気はないらしい、と見て取ったロイドは取り敢えずアルシェムに現実を認識させるべく声をかける。

「アル? 結局この状況はどういうことなのか分かるか?」

「分かりたくないけどね。多分これ、ZCFから寄贈されちゃったんだよ……特務支援課あてに」

 溜息を吐いてそう応えたアルシェムに、彼女の言葉に過剰反応したノエルが声を上げた。

「えっ、ラインフォルトでもヴェルヌでもなくまさかのZCFですかっ!? そ、そんなレアもの、本当に乗り回しちゃって良いのかな……」

 乗り回す気は満々らしい、とアルシェムは現実逃避を再開するが、残念ながらティータとレンの議論は既に終わってしまったようだ。どちらも満足げな表情をしているあたり、議論が終わったというよりは何か別のことが始まってしまったような気もするのだが、それはそれ。レンとの議論が終わったティータはようやくこの導力車について説明しなければならないことを思い出したようだ。

 ロイド達を呼び集め、ティータは説明を始めた。

「では、説明を始めますね。まず、この導力車のスペックです。最高速度は時速1800セルジュ。クロスベルでの法定速度は基本的に時速600セルジュなので速度を出すときは気を付けてください。どうしても急いでいるときはハンドルの横のボタンを押してくださればパトロールカーランプが天井に出てくるようになってます」

「……うん、ジークと同じ速さだよねそれ。ねえ、ティータ、何考えてんの? 最高速度が法定速度の三倍くらいない? それ、ねえ」

「ブレーキとアクセルはかなり効きやすくなってるので本当に気を付けてくださいね?」

 ティータは笑顔でアルシェムの言葉をスルーした。言いたいことは確かに分かるのだが、スペックを決めたのは残念ながらティータではないのだ。アルバート博士が主体となって開発し、エリカ博士が要所要所に魔改造を施したこの導力車の本来のスペックは、実は今説明したよりも高い。しかし、そのスペックを落とすために様々な改造を施してある。本来のスペックに戻すにはアルシェムかティータがその改造部分をどうにかすれば良いとティータには説明されていた。

 更に改造部分を説明するべくティータが口を開く。

「窓ガラスは当然防弾ですし、車体もゼムリアストーン製にしてありますからちょっとしたことでは壊れません」

「ねえ本気で待ってティータ、貴重なゼムリアストーンとかどこで手に入れたの!?」

 アルシェムのツッコミはまたしてもスルーされる。なお、このゼムリアストーンはティータがクロスベルに来るにあたり、アガットが護衛に選ばれたことで周囲の古代種系手配魔獣を梯子させられたから集められたものである。《氷刹》の記録を超えろ、と言われたアガットは顔をひきつらせながらもそれをこなしたらしい。それと共に他の訓練も受けさせられたため、昔よりも更に強くなっているのは言うまでもない。

 満面の笑みでティータは言葉をつづけた。

「タイヤも防弾仕様ですけど、もしパンクしちゃっても走れるような構造にはしてあります。あとは安全のために衝撃で飛び出すクッションとか装甲車モードとか戦車モードとかありますけど、それはまた必要になってから聞いてください」

「いやそんな機能をまずつけるなって言いたいんだけどねえティータ? 何、装甲車モードって。何、戦車モードって。軍隊持てないクロスベルに何持ち込んでんの?」

 遠い目で突っ込みを続けたアルシェムは、ようやく報われそうであった。満面の笑みで導力車の性能を語ってきたティータの目がアルシェムを捉えたからだ。ようやく説明を終わらせる気になったらしい。これまでの長々とした説明でロイド達は若干辟易としていたのだが、それ以上にアルシェムのツッコミに答えてほしくもあったのでティータの言葉を待った。

ただし、その言葉はアルシェムの待ち望んだものではない。

 

「アルシェムさん、『受け取らないとほーおーれっぱ? だ』って伝えてくれってカシウスさんが」

 

 ティータから発された鳳凰烈波という言葉を聞いた瞬間に、アルシェムは土下座に移行した。

「謹んで受け取らせていただきます……」

 そのあまりの変わりっぷりにロイドは驚愕した。それほどまでに『ホウオウレッパ』なる技は恐ろしいのかと疑ってしまうほどである。なお、ロイドはいずれ知ることになるのだろうが、カシウスの鳳凰烈波はアルシェムの知るころよりも更に威力が上がり、避けにくい仕様に進化している。アルシェムがもう一度鳳凰烈波を喰らう機会があれば二、三日は立ち直れないだろう。

 ロイドは興味本位でアルシェムに問うた。

「そ、そんなに怖い技なのか……?」

「ロイド、あんたもいつか分かるよ……鳳凰烈波はヤバい。二度と受けたくないよ……いや、二度は受け……二度あることは三度……はあ……」

 暗いオーラを漂わせ始めたアルシェムに、ロイドは顔をひきつらせた。その『カシウス』という人物がどれほど怖い人物なのかは知らないが、アルシェムが回避したいと思うほどの人物らしい。そう考えて思い出した。そういえば以前アルシェム本人が言っていたではないか。遊撃士の格言について、エステル達の父親が言っていた言葉だと。その人物の名が確か――

 ロイドは反射的にその名を口にしていた。

「カシウス・ブライト氏の?」

「喰らいたければリベール行ってきな。それでエステルを嫁に下さいって言ってくればいい。確実に喰らえるから」

「いや、それもどうかと思うんだけど……」

 苦笑したロイドはティータから導力車の鍵を受けとり、ノエルに渡した。取り敢えずは運転経験のあるノエルに運転を任せようと思ったからだ。導力車が好きなノエルはそれに舞い上がり、いそいそと運転席に乗り込んでいく。それに苦笑しながらアルシェムはその後を追い、ロイドがふとティータを見た。いきなりロリコンの気でも発揮したのかと思ったレンが警戒するが、そうではなかったようだ。

 ロイドはティータに問うた。

「なあ、ティータさんはどうやってここまで来たんだ……?」

 それは純然たる疑問だった。先ほど運転席に座っていたティータの腕は確かにハンドルには届いていたが、足がブレーキにもアクセルにも届いていなかったことを覚えていたからだ。実際にこの導力車はティータの来る数日前にエプスタイン財団の研究員の一人によって運ばれてきたのだが、そこにティータが乗せられてきたわけではないのである。

 ティータは笑みを絶やさずにこう答えた。

「勿論、歩いて来ましたよ?」

「……えっ」

 ロイドの困惑をよそに、リベールの魔境具合を知っているアルシェムとレンが反応した。

「ねえ、ティータ。まさかとは思うけどあのお兄さんは連れて来てるのよね?」

「あ、アガットさんですかー? アガットさんは今依頼を受けてるって言ってましたから、一人で来ましたよ?」

「……エリカ博士にチクったらアガット死ぬな……いや、でも、うん、ティータなら出来ちゃうって分かってる辺りがもうだめかも知んない……」

 盛大に溜息を吐くアルシェムに、ロイドはティータの言葉が真実であることを悟った。彼女はたった一人で魔獣の闊歩する街道を抜けて来たのだ。色んな意味で危険だとは思うのだが、それでも彼女は抜けて来たらしい。何らかの手段を使って、だ。アルシェムがティータがエプスタイン財団に関わっていた、と先ほど口にしたために、ならば導力杖のテスターでもやっていて武器の所持を認められているのかとロイドは思った。

 しかし、無論そうではなかったのである。

「相変わらずアレなわけ?」

「はい、勿論です! ただ、結構改造はしてますよ? 連射できるようにとか、スイッチ入れたら簡易アーツが発動するようにとか」

 むしろそれは改造ではなくまた別のモノになっているのでは、と突っ込みたくなる衝動はあったのだが、アルシェムは敢えて抑えた。さまざまな意味で聞き逃してはいけないような気がしたからだ。導力砲が連射できないのは砲身に熱が籠りすぎて危険だから。それを解消したということだろう。それに、スイッチを入れれば簡易アーツが、というのは導力杖の機能の中に含まれている。どうやらそのノウハウまで盗んだらしい。

 呆れたようにアルシェムは天を仰いだ。

「……導力砲とは一体何だったのか……というか一研究員がやって良いテスターじゃないような……」

「あ、一応遊撃士協会付きの協力員も兼ねてるので導力砲のテストが出来てるんですよ。やっぱり使ってみないと改善点って分かりませんよね?」

 いや、そうだけど、とアルシェムは声には出したが、それ以降の言葉を口にすることはなかった。言っても最早聞く耳を持たないと分かってしまったからだ。誰だこんな娘を育てたのは、とも言いたくなったが、ある意味では人格破綻者であるアルバート・ラッセルが育てた孫だということを知っているのでやはり自重した。流石にある意味恩師の悪口を言うのははばかられたのである。

 と、そこでエリィが口を挟んだ。

「……アル、その、導力砲ってあの導力砲よね……?」

「そーだよ。ティータ、見せてあげて」

「はいっ!」

 元気に返事をした幼女の鞄から生えてくる導力砲はなかなかにインパクトが強かったらしい。至極微妙な顔をしたエリィにティータは不思議そうな顔をすることしか出来なかった。当然だろう。ティータの常識の中ではこれが普通であり、自身が導力砲を持っていることは当然のことなのだから。ただ、エリィにとっての常識がそうでなかったというだけの話だ。

 ティータは目を見開いて固まってしまったエリィに問いかけた。

「あ、あのあの、エリィさん?」

「……はっ! げ、現実逃避してたわ……」

 と、そこでロイドが一瞬だけ眉を寄せた。ティータから出た『エリィ』という単語に引っかかっているのだろう。ティータの名をこちらは知らなかったはずなのに、こちらの名は可能性ではあるがティータが知っている可能性があるのだ。その理由にアルシェムが一枚かんでいるような気がして、ロイドがちらりと彼女を見ると珍しく苦笑が微笑になっていることに気付いた。

 そこで思わずロイドはアルシェムに言ってしまう。

「アル、君、普通に笑えたんだな」

「ロイド……流石に殴るよ?」

「殴ってから言うことじゃないからな?」

 殴る、というよりはロイドの頭をはたいたアルシェムは皆を促して導力車の中へと誘導した。無論ティータもだ。彼女は固辞したのだが、そこは全員が総出で説得して乗せた。そのまま導力車はクロスベル市へと入り、新たに作られていたガレージに止められる。このままこの後は休憩、ということになったのだが、アルシェムはそこから抜け出すことにした。ロイドが何かを企んでいるのを察したからだ。

 ロイドが何かを企むということは、キーア関連だと知っているアルシェムはその場にいたくなかったのだ。どうせまたクソガキ扱いしてしまうだろうから。よって足りない警察官の代わりにひったくりやスリなどを検挙する巡回に加わらせてもらうことにしたのだ。それも、条件付きで。その条件を聞いた二課のドノバンとレイモンドは渋い顔をする。

 それでも根気よくアルシェムはその条件を告げた。

「だから、新しく出来た自警団の連中と連携を取ってくれるんなら手伝うよって」

「で、でもあれってむしろ新しいマフィアなんじゃ……」

「それは当人たちに会ってから決めなよ。設立に関してはわたしが監修したから、やましいところがある訳じゃない」

 そのアルシェムの答えにも二人は戸惑っていたようだが、彼女はそれを押し通した。その結果、《VCST》は警察に正式に自警団として認識され、主に治安維持の面において彼らの手を借りるようになっていくのだった。




 クロスベル勢にとってティータはほぼアリオスレベル。流石魔王国リベール。


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不審な記者とぽむっと!

 旧221話のリメイクです。


 ロイド達が導力車を受領した次の日。キーアが妙にご機嫌でアルシェムはイライラしており、それを取り繕うこともしなかったために空気が悪くなってしまっていた。それを見かねていつもよりも早く端末を確認したロイドは、取り敢えず時間のかかる支援要請をアルシェムに投げて頭を冷やさせようとした。本日の支援要請の概要は不審住戸の確認と雨傘の捜索、そしてβテストへの協力要請である。そのうちのβテストをアルシェムに振り分けたのだ。

 暗に自身の頭を冷やせと言われていると分かったアルシェムはロイドにこう返答した。

「……終わったら巡回でもしてる。もし何かしら問題が起きて対処しきれなくなったら呼んでくれればいーし」

 身もふたもないアルシェムの答えにロイドは困惑したように声を漏らす。

「その……何とかならないのか?」

「は? 一生分かり合う気のないやつと仲良くする必要、ある?」

 そのアルシェムの表情があまりにも酷かったのだが、ロイドはこれだけは言っておかなければならないということがあった。どう見ても大人に近いアルシェムと幼女のキーアがやり合う様子ははた目から見てもアルシェムが完全に悪いように見えてしまうのである。実際のところ、アルシェムがキーアを嫌っているというのはある意味勘違いであるのでほぼアルシェムの方が悪いのだが。

 ロイドはアルシェムに困ったように伝えた。

「一応アルの方が大人なんだから……その、せめて当たりを弱くするとかさ、な?」

 なお、ロイドが思っている歳の差とははるかに違うわけだが、確かにアルシェムの方が年上である。ざっと五百年ほどだが。むしろここまで来ると誤差の範囲内ともいえる気もするが、それはそれ、これはこれである。幼女の外見のロリババァと女性の外見の若作りなら、若作りの方が譲ってしかるべきだろう。見た目的にも、対外的にもだ。

 だが、アルシェムはそれを譲る気すらない。

「……それが出来るんなら、わたしは多分東方のボサツにでもなれるんじゃないかな」

「そこまで言うか……」

「だから、極力関わりたくない。むしろ視界にも入れたくない。それが不可能だからイライラもするし、当たりたくもなるんだよ」

 確かにロイドはアルシェムの顔から不快を感じ取った。だが、彼女がキーアを嫌う理由が分からない以上はどうすることも出来ないのだ。当事者同士で話し合えばいいのだろうが、アルシェムの方がそれを避けている。キーアがまとわりついて、アルシェムがそれから逃げて、またキーアが追いかける。その繰り返しなのだ。躍起になってキーアがアルシェムを追い回そうとすることすらあるのである。

 故に、ロイドはようやくアルシェムにその理由を聞く気になった。

「で、何でそこまでして関わりたくないんだ?」

 しかし、アルシェムの方にその場で返答したくない理由があった。口角をひきつらせ、物凄い形相になりそうなのを必死で我慢している様子はいっそ滑稽ですらある。だが、それについてはロイドは触れなかった。触れてしまえばまた話がそらされてしまうと思ったからだ。いつもそうやってキーアの話から別の話へとそらすのがアルシェムのやり口である。

 そこでロイドが口を挟まなかったのでアルシェムは仕方なく返答する旨を条件付きで伝える。

「……場所、変えようか」

「あ、ああ……エリィ、レン、先に出ていてくれるか?」

 話が長くなる、と直感したロイドは雨傘の捜索に振り分けていたエリィとレンに声をかけた。

「構わないわよ」

「程々にね、ロイドお兄さん」

 二人は事情を察したように支援課ビルから出て行く。その場にはノエルとキーア、そしてロイドとアルシェムが残された。ノエルはロイドと共に支援要請に出ることになっているので出るに出られなかったのである。そういうわけだが、敢えてノエルはここで気を効かせることにしたようだ。ここは席を外した方が良いだろう、という空気を読んだのである。

ノエルはキーアと目線を合わせるためにしゃがみ、そして問いかけた。

「ねえ、キーアちゃん。今日の晩御飯の当番、キーアちゃんだったよね?」

「ほえ? そうだけど……」

「私が手伝ってあげるから、今買い物に行っちゃおっか」

 力こぶを作るように腕を持ち上げたノエルに、キーアは目を輝かせた。どうやら釣れたらしい。この場にいる誰もが幼女が食事当番であるという異常事態に対しツッコミを入れることはない。既にキーアの料理の腕は認められているのである。もっとも、キーアが当番の会の食事に関してはアルシェムとレンが外食してくるという露骨な避け方をするわけだが。

「行くー!」

 そう叫んでノエルの手を掴み、キーアは玄関から出ていこうとする。ノエルはキーアに引っ張られながら左手でサムズアップしてみせ、同時にウィンクまで投げてよこした。そして慌ててキーアについて行く。ロイドはそんな気遣いの出来るノエルに手を振って応えた。これでアルシェムと話が出来る。そう思ってアルシェムの顔を見れば、そこに先ほどまで浮かんでいた感情がごっそりと削げ落ちていてぎょっとした。

 思わず出た声は震えている。

「アル……?」

「……はぁ。で、あのクソガキにかかわりたくない理由だっけ?」

「あ、ああ……」

 ロイドは狼狽することしか出来なかった。そこに感情がないように見えるからではない。感情が削げ落ちているように見せているのに、その声に内包されている無限の負の感情を感じ取ってしまったからだ。無論のことながらロイドにはティオやレンのような感応力はない。しかし、それでも感じ取れてしまうほどの憎悪がそこには込められている気がしてならない。

 ロイドの内心をよそに、アルシェムはその問いに答えた。

「いつか、あいつがわたしを殺す日が来るからだよ」

「……え」

 そのあまりの答えにロイドの思考は停止した。まさかいきなりそんなぶっ飛んだ答えを返されるとは思ってもみなかったのである。せいぜい気に喰わないだとか、幸せに生きてきたように見えるキーアを妬んでいるだとか、その程度のことだと思っていた。それが、『いつかキーアがアルシェムを殺す』、とアルシェムは言う。それも逆ではなく、アルシェムは殺される側の人間だというのだ。

 ロイドは思わず声を漏らしていた。

「それは……どういう、ことなんだ?」

「さあね。ただ、あいつがこの先目的を果たすために一番邪魔なのはわたしで、わたしの目的を果たすために一番邪魔なのはあいつだから」

「キーアの目的……? それって、どういう……」

 アルシェムの言葉は、ともすればキーアの素性を知っているということで。あまりにもアルシェムに聞きたい情報量が多くなりすぎてロイドは混乱した。アルシェムは一体何を知っているのだと。キーアは一体『何』なのかと。キーアの目的は、アルシェムの目的は何なのか。お互いに殺しあわなければならなくなる可能性があるのかどうかと。

 混乱するロイドに、口角を吊り上げたアルシェムは言葉を吐いた。

「ああ、安心すると良いよ。あいつはわたしを赤子の手をひねるように殺せるけど、わたしは絶対にあいつを殺せないから」

 それを聞いたロイドは思わずアルシェムに掴みかかっていた。その激情が何を意味するのかは、その瞬間には分からない。胸ぐらをつかみ、半ば吊り上げるような形で自身に向き直らせた。そこで自身がキーアを罪人にしたがるアルシェムに対して怒りを覚えているのだと自覚した。止める気もなかった。キーアが、あの優しい子がそんなことをするはずがないではないか。

そしてロイドはアルシェムの顔の前で叫ぶ。

「――ッ、キーアがそんなことをするはずないだろう!」

「さて、どうだかね」

 アルシェムはロイドの手を振り払い、その場から立ち去ろうとする。しかし、ロイドがそうさせるわけがなかった。いつの間にか心の大事なところを占めているキーアが、アルシェムを殺すなどという戯言を聞き流せない。それが、アルシェムがキーアを嫌う為の嘘にしか聞こえないからだ。よもやそれが将来必ず起こることだとはつゆほども思っていないのである。

 この場で一番効果のある言葉は何か。単純に『キーアはアルシェムを殺すことなど絶対にしない』と言ってもアルシェムには何の意味もないだろう。どういうわけかアルシェムはキーアに殺されるとかたくなに信じ込んでいるのだから。キーアを全否定するような発言をするアルシェムのことは赦せない。だが、ロイドにはどうしてもアルシェムを全否定することも出来なかった。

だからこそロイドは一番効果的な言葉を、半ば無意識に放っていた。

「たとえキーアがアルを殺そうとしたとしても、俺達が止める。キーアが間違ったことをしようとしているなら、止めてやる。それで良いんじゃないのか?」

「……いや、多分その時が来てもロイド達は止められないよ」

 その声は氷のように冷たくて。

 

「だって、その時に間違っていることをしているのはわたし。そういう風になってるからね」

 

 その、ある意味では犯行予告にも取れなくはない言葉に。ロイドは目を見開いて隙を晒した。アルシェムがその隙を逃すわけがなく、その場から気配を殺して立ち去る。ロイドがそれを追うことは出来ないと分かっていての所業である。そのままアルシェムは本日の支援要請をこなすために自室に戻り、携帯型の端末を取り出した。そして、エプスタイン財団の分室があるIBCビルへと向かう。

 その途中でアルシェムは呼び止められる。

「あの、特務支援課のアルシェム・シエルさん、ですよね?」

 その人物は目を閉じていた。耳だけで通りがかったアルシェムが誰なのかを理解したらしい。それが出来る人物で、この特長に当てはまる人物はと言われれば一人しかいない。過去に《百日戦役》の記事を書いてフューリッツァ賞を取った伝説の記者、ニールセンである。もっとも、アルシェムとしては彼が本当に表社会だけで生きている人間なのかどうかを疑っているが。

 わずかに警戒を滲ませ、アルシェムは返答する。

「……足音だけで判断しているというのはなかなかに凄いと思いますよ、記者のニールセンさん」

「良くご存知ですね。お伺いしたいことがあるのですが……」

 ニールセンはそう言ってアルシェムに向けていくつか問いを発してきた。そこから読み取れるのは、過日のヨアヒムに関する情報を調べたうえで、最も真実に近いと思われるモノを見つけ出したいということだ。残念ながら記事にされると困るので、本人の興味を満たすだけならという条件を付けてアルシェムはそれに返答してやった。

 すると、ニールセンはその情報をいたく喜んで聞いていたので必要ない情報まで喋ってしまっていたらしい。詳しく知りたいのなら図書館へ行けと言ったのは間違いだっただろうか。いそいそと図書館へと向かっていくニールセンに、アルシェムはやはり彼は目が見えているのではないかと勘繰ってしまう。クロスベルに来て長いというのならば分かるのだが、その歩みには迷いがなさすぎた。

 そんな彼を見送り、IBCに辿り着いたアルシェムが受付嬢に用件を告げると、あからさまにホッとした顔をされた。どうやらいつものように換金に来たと思われていたらしい。実はIBCのブラックリストに載っていることを知っているアルシェムは、わざとミラを奪い取るために定期的にセピスを換金しに来ていたためだ。一度前総裁ディーターに月にセピス持込みは千ずつまでという縛りをつけられていなければ、アルシェムはIBCの総資産の半分ほどをぶんどれただろう。

 アルシェムはエレベーターを使い、エプスタイン財団に入り込んだ。

「あ、待ってましたよー、アルシェムさん」

「って、ティータが出迎え? お客様に何させてんの、エプスタイン財団」

「ええっと……すぐに主任を呼んできますね」

 辛辣なアルシェムの言葉に苦笑したティータはロバーツを呼びに行った。どうやら奥でまだ作業をしているらしい。最後の追い込みなのか別の作業なのかは、アルシェムのあずかり知らぬことだ。その間に携帯型の端末を立ち上げておく。エプスタイン財団からの支援要請でβテストと来れば端末が必要なのは間違いないからだ。それの起動が終わった頃、ティータはロバーツを引き連れて戻ってくる。

 その手になぜか端末を持ってきたティータは、ロバーツの後ろに控えてアルシェムに声をかけた。

「お待たせしました、アルシェムさん」

「そんなに待ってないから大丈夫だよ。で、何をテストすれば?」

 そうロバーツに問いかけると、彼はよくぞ聞いてくれました! とでも言わんばかりに笑みを浮かべる。そして懐に手を入れて取り出したのは小さな棒状の機械のようなものだった。要するにUSBメモリである。それを取り出し、アルシェムの端末に挿すように要求する。どうやらその中にβテストをする必要があるモノが入っているらしい。

 アルシェムはそれを受け取って何も怪しいデータが含まれていないことを確認すると、その中に入っていたテストに使うと思しきデータをインストールした。ついでに遠隔操作で特務支援課の端末にもだ。どうせ支援課ビルに戻ってやってくれなどということも言われるに違いないため、アルシェムは先んじてインストールさせておくことにしたのである。

 それを見てロバーツは顔をひきつらせた。

「え、あの、えっと。アルシェム君……?」

「あんまり今精神的に余裕はないので手短にどうぞ?」

 冷気を感じるほどの笑みにロバーツは怯んだが、技術者として口出ししないわけにはいかなかったので単語だけでアルシェムの行為を咎める。

「それってハッキング……」

「クラックしてないから良いでしょ別に。大体のことはまたわたしかで何とかなるし」

「そ、それはあんまり大丈夫じゃないと思いますアルシェムさん……」

 ティータまでもが苦笑するが、アルシェムがそれを取り繕おうとする気配はない。その様子を見てティータは人知れず『また何かが始まったんだな』と思った。また昔と同じような闇の世界に足を踏み入れるのだろうか。そう考えると気分も落ち込んできそうなものだが、今回は女王からアルシェムの目的だけは聞かされている。『クロスベルを国にするのだ』というアルシェムが、ある意味余裕がないのも無理はないのかもしれなかった。

 ただでさえ、ティータが見る限りでもクロスベルは危うい。ティータの感覚でも『強そう』だと感じる人間はうようよいる上に、それが普通に会社を名乗っているあたりが怪しい。こっそり情報だけ抜き取ってみてもそうだ。黒すぎる。それはIBCも例外ではなかった。いつまでここに身を寄せていられるか、というのをアガットと見極める必要があると相談したのもつい昨日のことである。

 神妙な顔で黙り込んだティータは、故に気付かなかった。

「……ティータ?」

「ふえ!?」

「聞いてなかったか……動作テスト、付き合ってくれるんでしょ?」

 動作テスト、と口の中で繰り返してティータは思い出した。そう言えばロバーツが開発したゲーム『ポムっと!』の動作テストへの協力を特務支援課に要請したんだったと。慌てて端末を立ち上げ、準備を終えてその意を告げると、アルシェムは微妙な表情をしていた。それでも何も聞かずに動作テストに協力してくれるあたり優しいのか無頓着なのか分からない。

 動作テストを終え、アルシェムにコテンパンにやられたロバーツは灰になりかけていたものの支援要請の完了を告げた。それを受けてアルシェムは支援課ビルへと戻り、ノエルたちとは鉢合わせしないように端末で報告を終え、もう一度外に出る。何も用が無かろうがここは魔都クロスベルである。外を歩けば大なり小なり事件にはぶつかれる。

 それをこなしているうちに、アルシェムの《ENIGMAⅡ》が鳴った。

「はいアルシェム・シエル……は? マインツ? ……了解。すぐに向かうから鉱山町で待ってて。先に入ったら……うん、死ぬかもね」

 物騒なことを最後に呟いて通信を終えると、アルシェムは即座にその場から駆け出した。相手はロイドで、内容は『マインツの旧鉱山の異変』。そんな場所で異変が起きるなどという兆候はついぞ見られなかった。要するに誰かが何かを起こしたということであり、『中が不気味な色をしている』という現象に心当たりがないわけでもなかったのだ。その現象を起こした野郎は既に鬼籍に入っているが。下手に入れてはマズい。

 マインツ山道を駆け上る道中、マッドサイエンティストと害虫駆除を行って氷漬けにし、リオを呼びつけてメルカバに放り込みに行かせるなどというハプニングもあったものの原因は確保できている。後はその異変の元を断ちに行くだけの話だ。マッドサイエンティストことF・ノバルティスを塩と化して凍結できた時点で本日の任務は終了したいところだがぐっとこらえてアルシェムは駆けた。

 そして――アルシェムはマインツ鉱山町へとたどり着いたのである。ただし街道ではない道を使って。



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《赤い星座》とマインツ旧鉱山

 旧222話のリメイクです。


 マインツに辿り着くと、丁度ロイド達が町の入口へと向かってくるところだった。どうやら町長から説明を受け終えたらしい。もっとも、『旧鉱山の異変』以上の情報は得られなかったようだが。むしろ得られていても怖い。もしも内部が異界化していたり極彩色になったりしているのならば入るだけで危険だからだ。中にどんな怪しい人物が潜んでいるかすらも分からない以上、入るのは特務支援課か遊撃士でしか有り得なかった。

 そして、その場に存在する戦力に遊撃士がいない以上、ここで入るべきなのは自分達特務支援課だろう。一般人に勝手に入られて怪我でもされれば自分達の失態となる。中がどうなっているかがわからない以上は、危険に踏み込むのは荒事に慣れてきてしまった自分達でしかありえない。もっと言えば、この場にランディがいればそれだけで安心だ。

 そうアルシェムは判断していたのだが。

「……ごめんロイド、ちょっとだけ下がって誰も入れないで?」

 微かに漂う火薬の匂いに眉を顰め、アルシェムはそう言ってロイド達を下がらせた。こういう時にパワーファイターではないロイドは不要。射撃手であるエリィも不要。ノエルがスタンハルバードを持ち歩いていればあるいは連れて行けたかもしれないが、今は持っていないために不要。必要なのはパワーファイターになれるアルシェムと万が一の時のためのもう一人だ。それに選ぶのは勿論レンである。何せ経験上一番生存の確率が高い。アルシェムはレンの手を握った。

それに悪戯っぽい笑みを浮かべてレンは名を呼ぶ。

「アル」

「レン、サポートよろしく」

 そして入口に近づき、内部に侵入し――気付いた。

 

「伏せろッ!」

 

 着いて来ようとしていた背後のロイド達に向けて叫んだアルシェムは、レンと共に旧鉱山内部へ向けて滑り込んだ。直後の轟音。爆発によって崩落した天井は、完全に入口を塞いでいた。いっそ清々しいほどに埋まった入口に視線を凝らそうが光などというものは目視できそうにない。こちら側が発光していることも相まって、外の光を見ることはどうやら不可能らしかった。

 轟音と共に閉じ込められたと思っているロイド達が外で騒いでいるが、彼らにもどうにかできそうな気配はない。このまま放置されれば最悪の場合は餓死するしかないだろう。空気の流れはあるが、微かだ。どこかに抜け道はある可能性はないわけではないが、あるとも断言できないレベルである。この流れすらも偽装されたものである可能性すらあるのだ。

 だが、その程度でアルシェムとレンが終わるわけがない。この程度の修羅場など慣れているし、何度も打ち破ってきた。この岩石程度ならば吹き飛ばせる。アルシェム達にとってこの程度の障害は障害にもならないのだ。アルシェムが本気でこういう工作をするならば、生き埋めになどしない。崩落する石によって押しつぶせるように念入りに爆破し、圧殺する。

 そんな益体もないことを考え、首を振ってその思考を否定する。そんなことをしなくてはならない状況にはもう陥ることはない。何せこの先に自分に待つのは『死』のみだ。その時殺される方法は分からないが、どうあがいても抵抗できない状況で、皆の前でしっかりと死んだと理解出来るように殺されるだろう。それだけは確約できる。

 そこまで思考が及んだところで、レンが鼻を鳴らして呟いた。

「甘すぎるわね。殺す気はないのかしら?」

「多分ね。罠って分かっててこっちもかかったわけだし。ま、この程度なら――って、えっ」

 そのまま入口を粉砕しようとしていたアルシェムだったが、外から聞こえた特務支援課のメンバーではない声に微妙な顔をして扉の前から避けた。レンもそれを見て慌ててその場から移動する。その声は、その場から退かないと命の保証はしねえぞゴルァ! と言っているようだ。アルシェム達がその場から跳びのいた、その瞬間――

 

「オラァ!」

 

 破壊音が響いた。外の光が漏れ出てくるよりも前にアルシェムがすることは、その人物が何故ここにいるのかという観察だ。ティータと共にクロスベルに来たのは知っている。だが、四六時中ずっとティータに張り付いている仕事ではなかったのだろうか。そう考えて見てみれば一応遊撃士の紋章を胸元に飾っている。遊撃士を辞めたわけでもなく、ティータの護衛から外されたわけでもない。ならば何をしているのか。

 その声に出さない疑問に、本人が答えた。

「って、テメェかよ。依頼帰りに爆発音がしたと思って寄ってみれば……何してんだ?」

「罠の程度を見てから今後の対応を考えようかと」

「だからってわざわざ罠にかかったってか……相変わらずやることが過激すぎるぜ」

 崩落した入口を吹き飛ばすような男には言われたくないセリフである。もっとも、アルシェムも同じことをしようとしていたのである意味同類ではあるのだろうが。ロイド達の微妙そうな顔でアガットとの関係を疑われている――主に交友関係的な意味で――ことを察したアルシェムは、取り敢えずレンと共に旧鉱山から出た。とにかく彼を紹介しておく必要を感じたのだ。

 アルシェムは微妙そうな表情でロイドに告げる。

「あー、こちらB級遊撃士《重剣》のアガットことアガット・クロスナー氏。《リベールの異変》の解決の立役者の一人でもあるよ」

 その言葉に真っ先に反応したのは苦笑したアガット本人だった。

「おいおい、珍しいな? 二週間前に昇級したぜ。どっかの親父共のせいでな……」

「マジで? ……お疲れ、アガット」

 最近の情報収集を怠っていたからか、アガットの昇給についての情報を聞かされてアルシェムは彼の苦労に手を合わせるしかなかった。どっかの親父共と言っている時点でカシウスの関与は必至だ。アガットがどれほどの訓練を受けさせられたのかは想像を絶する。というよりもアルシェムは想像すらしたくなかった。ある意味で壮絶すぎて。

 ロイドはアガットがアルシェムの知り合いであることに最早疑問を覚えることはなかった。

「えっと……それで、何でそんな凄い遊撃士がクロスベルに?」

「……依頼内容の漏えいは、って言いたいところだが、どうせもう接触はしてるだろうから言っておく。チビの護衛だ」

 その単語だけではロイド達には誰の護衛なのかは分からない。ただ、既に接触しているチビという単語だけで類推していくのならば、一人だけ該当する人物がいた。敬語をつけられていてもおかしくない少女が、つい最近クロスベルにやって来やしなかっただろうか。その少女から出なかったか、リベールという単語が。正確にはZOFという単語が出ていたはずだ。

 それを思い出してエリィがアガットに告げた。

「ティータ・ラッセルちゃん、ですか?」

「ああ。ったく、何でこのクソガキの近くにいたいからって俺が……」

「えっと……でも、離れていて大丈夫なんですか? 護衛っていうからには四六時中一緒にいるものじゃ……」

 頭を抱えてぶつぶつ言い出すアガットにロイドがそう問う。護衛というからにはティータを守るべくともにいなければならないものではないか。少なくともロイドはそう思っているが、アルシェムが知る限り今のクロスベルにおいてティータを害せる人間はと問われると猟兵の不意打ちかマフィアの直接襲撃くらいだ。たとえばネットワーク上からの混乱を起こしたうえで襲撃する形ならばまず負けない。相手がセキュリティすら抜けないからだ。

 その問いにアガットは遠い目で応えた。

「いや……今のクロスベルでアイツに危害を加えられる奴がいるか? 普通に無理だろ……」

「たとえばアリオス・マクレインでも?」

「無理だな。……本当に珍しいな。忙しいのか? アルシェム」

 そこを何故つかめていない、というアガットの言外の問いにアルシェムは今夜ティータのパソコンに侵入することを決意した。どうやら最近異様に硬くなったセキュリティの向こう側でティータはとんでもないことをしているようだ。なお、それを後に知ったアルシェムは盛大に顔を引きつらせることになるのだが、それは今の話ではない。

 アルシェムは適当に話を流してこの場の探索を優先することにする。

「ま、それなりにね。それよりこの中、見て回った方がいいと思うけど? わざわざ罠にかけてまで入り口をふさぎにかかるだけのナニカがここに在るみたいだし」

「……もちろん俺は見て帰るつもりだが、そっちはどうする?」

「え、あ、ああ……」

 ロイドは思案した結果、罠を掛けた人物が周囲にいないとも限らないのでアルシェムだけ置いて探索に出ることにした。マインツの町長は町に帰し、アルシェムはひたすらその場で警戒を続ける。中で爆発音がしないというのはそれなりに疑問点はあるものの、ロイド達の気配が消えるなどということは一切なかったので大丈夫なのだろう。

 あくびすらする余裕のあったアルシェムは、遠くからツァイトと駆けてくるランディを目視した。どんどんと近づき、入り口で立ち止まろうとする。それを見てアルシェムはランディに声をかけた。

「久し振り。最奥部にロイド達が護衛付きでいるけど、何が起きてるか分かんないからとっとと行って」

「了解!」

 そのやり取りだけでランディは中へと踏み込んでいった。入り口をくぐる時には微妙に顔をしかめて、だ。どうやら彼の敏感すぎる嗅覚はそこに仕掛けられていた火薬の臭いをも嗅ぎ取ってしまったらしい。あるいは、以前から使っていて親しみ深い臭いだったからかもしれない。その真実を知るのはランディのみであり、他のニンゲンには誰にも知られることはないだろう。

 あまりにも暇すぎて趣味のオーブメント細工まで作成する時間があったため、アルシェムはまたおかしな物体を製作しているが、それはそれ。ロイド達はそんなアルシェムとは裏腹に大変な事態に直面してしまっていたのである。いうなれば《影の国》化した旧鉱山内を、その影響によって発生したり狂暴化したりする魔獣の相手をこなすのはなかなかに辛かったらしい。

 アルシェムがギャグで空気椅子(ただの板を浮遊させるだけの物体)を作成している間に、ロイド達は一段と連携を深めることができるようになっていた。主に魔獣が強すぎるせいで。ロイドが魔獣の動きを止め、その間にエリィとノエルが銃弾を浴びせる非情なスタイルを確立させつつある三人組を横目に、アガットは悠々と一振りで七体ほど殲滅しているのだから笑えない。なおレンはロイド達が仕留め損なった魔獣を狩っている。

 無論のことながら、どちらの方が異常かと問われればアガットの方だ。普通の魔獣を一振りで殲滅できるほどの力を身に着けてしまったアガットは、最早B級遊撃士ではいられなくなって昇格したのである。どこぞのバカップル共がB級のままなのは若くて経験が足りないからだ。恐らく遊撃士協会に登録した年数が一定の基準を超えない限りは昇格できないだろう。

 それはさておき、アルシェムの方には一切襲撃がなかったことを死屍累々で――無論アガットとランディは息を切らしてすらいない――戻ってきたロイド達は不公平だ、と思ったとか思わなかったとか。とにもかくにもランディの様子から何が起きたのかを察知したアルシェムは、珍しく導力車に一緒に乗ってクロスベル市へと戻ることにした。アガットも一緒にだ。これから話す情報は、アガットにも共有しておくべきものなのだから当然だろう。

 だが、共有する必要はあるとはいえいきなりアルシェムから言うことは出来ない。流石にプライバシーというものがあるからだ。たとえどんな理由であれ、ランディが『ランドルフ・オルランド』であることを棄て、『ランディ』としてここにいるからには。それを尊重しなくなれば、アルシェムは□□□と同じになってしまう。そんな予感があった。

故にアルシェムは一応ランディを気遣って一度その場を離れ、小声で問うた。

「で、ランディ。あんたの従妹と叔父がクロスベル入りしてるんだけどどうしたらいいと思う?」

 その言葉に、ランディは一瞬の躊躇を見せてから答えた。

「……正気で言ってるのか、アルシェム。あいつらがクロスベルに?」

 そこにいたのは最早『ランディ』ではなかった。泣く子も黙る《闘神》の嫡子。かつて《闘神の息子》と呼ばれた『ランドルフ・オルランド』がそこにいる。その雰囲気の変わりように、アルシェムは内心で戦慄した。どこか底の知れない、強者の気配。どこかお調子者の皆の兄貴はそこにいなかった。そこにいるのは、まさしく『猟兵』だったのだ。その腐臭漂う本性をここまでみせなかったのはある意味凄いとしか言いようがない。

 戦慄したことを知られないよう、アルシェムは軽く返答する。

「いるよ。だってシグムントにもシャーリィにも目をつけられたし」

「……よく無事でいられたな?」

 ランディの声音にアルシェムを気遣うような色が見えて、アルシェムは歪に笑うことしか出来なかった。こうやって気遣ってくれているというのも恐らくはうわべだけになって行くのだろう。これからアルシェムは――『アルシェム・シエル=デミウルゴス』は、『死ぬ』のだから。□□□のやり口はもう分かっている。どこまでも悪辣で、どこまでもアルシェムにとっては優しくない現実。

 首をすくめ、アルシェムはランディに返した。

「あっちだって警察官と事を構えるほど馬鹿じゃなかったってこと。何をしに来たかは別にして、しばらく居座りそうな雰囲気は醸し出してた。どこに本拠地を置くと思う?」

「ルバーチェ跡地だな。それ以外考えられねえ」

「成程ね。《黒月》に程よい距離ってことか……それとも、《オルキスタワー》を眼中に入れてるか、か」

 その呟きに、ランディからギシリ、という音が聞こえた。どうやら歯を食いしばっているらしい。それでもやらなければならないことを決断できる辺りはまだ彼も『猟兵』から抜け出せていないらしい。勿論この場でやるべきことはロイド達にその存在を明かすことだ。そして、警戒を呼び掛けること。恐らく『ランドルフ・オルランド』が《特務支援課》に居続ける限りは厄介事が降りかかるだろうことは容易に想像できる。

 本来ならば、ここでランディは姿を消すという選択肢も視野に入れていた。姿を消し、闇討ちしながら《赤い星座》とやり合えば相打ちになったとしても滅ぼせただろう。だが、ランディにはその選択肢が取れない。何故なら、そんな思考は端から彼の中には存在しなかったからだ。『ランディ・オルランドは《特務支援課》の一員でなければならない』のだから。

 故に、彼は導力車に乗り込んだ後こう明かすのだ。

「……アルシェムから聞いたが、今クロスベルには猟兵が出入りしているらしいな?」

 その言葉に続くはずの言葉をくじいたのはロイド達の反応だ。

「ええっ!?」

「聞いてないぞ、アル!」

「責められても困るんだけど。この件に関してはわたしが勝手に話して良いことじゃないと思ったから黙ってたし、まだ実害は出てないから大丈夫だよ」

 それはどういうことだ、とロイドが問いを発する前に、ランディは説明を始めた。元々自身がどういう存在だったのか。どんな場所で生き、どうやって生きて来たのか。それを、簡潔に。『ランディ・オルランドは元猟兵で、《赤い星座》に所属していた』。たったそれだけのことだ。それを裏付けるようにダドリーからも『《クリムゾン商会》が《ルバーチェ》跡地を買った』と連絡が来る。

 ランディが告げた事実。たったそれだけのことで納得するというのも異常ではあるが、ロイド達はそれで納得した。仲間のことを信じていると言えば聞こえはいいが、相手のことを知らずとも信じられるというのはある意味おめでたいことだ。どんな腐臭を放つ人間であっても、最初から裏切るつもりでそこにいたのだとしても、事情さえ聞けば赦すと言っているのとほぼ同義だ。

 勿論、この場合のヘイトが向かう先は『猟兵が来ていること』を伝えなかったアルシェムに向く。この世界はそういう風に出来ている。全ての憎しみを背負わせて、必要なくなったらゴミ箱へ。そうやって必要なものだけを守り、必要のないものを削ぎ落として。そうやって世界は回っている。そうしなければとてもではないがこの破綻した世界は回らない。

 彼らに必要なすべての情報を伝え終えるころには導力車はクロスベル市に入っていて、その目で確認しなければという焦燥に駆られたランディはそこから飛び出していく。走っていた導力車を強引に止めての暴挙を、ロイド達は止めた。止めたのだが彼は止まらなかった。当然だろう。ただの警察官や政治家志望、警備隊員で元猟兵を止められるはずがない。

 勿論暗い過去を持つレンも、無理矢理止めても無駄だと分かっているアガットも彼を止めなかった。アルシェムも言わずもがなだ。止めたところで何の意味もない。折り合いをつけなくてはならないのはランディ自身であり、そこに自分達が首を突っ込むべきではないのだ。誰かにつけて貰った折り合いを背負って生きていくのは、気持ち悪いから。

 ただ、追わなかったわけではない。ロイド達に先導され――アルシェム、レン、アガットは行くつもりはなかったが連行された――、《ルバーチェ》跡地へと向かうと、そこには想像通りの光景が広がっていた。赤毛の大男。赤毛の少女。赤毛の青年が二人。うち一人に関しては毛色が若干違うが、やっていることは似たようなものだろう。赤毛の大男は《紅の戦鬼》シグムント・オルランド。赤毛の少女は《血染め》のシャーリィことシャーリィ・オルランド。赤毛の青年のうち一人はランディ。そして残った毛色の違う男は――《鉄血の子供達》の一人。《かかし男》レクター・アランドール、だ。シグムント、シャーリィ、レクターに対してにらみ合うのはランディだけだというある意味では劣勢な状況に、猟兵の何たるかも知らない警察官が飛び込むさまはなかなかに愉快だ。

 飛び込んだからといって、現実が変わることは一切ない。確認するだけしたランディは、舌打ちだけして支援課ビルへと戻って行った。



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閑話・歴史の影で蠢くモノ3

 協力せよ。集合せよ。皆が集まりさえすれば、怖いものなど何もない。必要なものはたくさんある。ミラを司る経済大臣。外交を司る外交官。善悪を裁く裁判官に、政治のトップを飾るべき人物。勿論軍隊も必要だ。その場に彼女が必要なわけではない。ならばどうする。自身は象徴になれば良い。絶対不変の象徴。どうせ一度『死』ねば、その後生きられるのならば生き続けて未来永劫そのままだ。

 人間ではない、とそしる者もいるだろう。それでもかまわない。ここが自身の故郷で、ここが骨を埋めるべき場所だ。埋められるようになれるかどうかはまた別の話であるが。それでもここは守るべき場所。そこさえ守れば理不尽なまま殺されるだけの人生だったということにはならない。『クロスベルを守るため』ならば、生きられる。

 そもそも『クロスベルを守るために必要なくなる』から『死ぬ』のだ。ならば、『クロスベルにとって必要不可欠なモノ』になれる要素があるのならば辛うじて『生きられる』可能性もあるのではないか。あまりにも分の悪い賭け。それでも、彼女はその賭けに自らの全てをつぎ込む必要があった。どれだけ自身が罪深かろうが、それでも望むことがないわけではない。

 全てのニンゲンが望む、本能的な願い。『生きたい』。その願いを叶えるために、今日も彼女は動く。既に治安関係は掌握した。警察関係者とも面識を持ち、警備隊とも連携が取れるようにしている。政治面でも、必要な人材を引き抜く準備は終わっている。今現在のクロスベルの政治を担う男とは面会が終わっている。ただ、政治関係はまだ弱い。何故なら、その男はもう高齢だからだ。

 故に――

 

 ❖

 

 たった一人でカフェに座るエリィ・マクダエルは、クロスベル市内の微妙な空気の変遷を感じ取っていた。このままだと何かが起きる。それに手出しできないというのは歯がゆいのだが、《特務支援課》として働きたいと望んだのは自分自身だ。それを覆してまで政治の世界に戻ったところで、経験すら積めていないエリィが役立てることなど何もなかった。

 それでも、空気だけは何となくわかるというだけエリィという女性は政治家に向いているのかもしれない。その空気すら読めない人間はスキャンダルの餌食になって破滅するしかなくなるだから。《教団》に関わってしまった帝国系議員たちがいい例だ。彼らのように即座に民衆の噂になり、何も出来ないままに泥沼から抜け出せなくなるだろう。

 それが、自身が潔白であったのだとしても同じことだ。後ろ暗いことをしていた、と言われるだけで致命的なのだから。民衆は好き勝手にそれらを虚飾し、誇張し、そこに立つ人間を引きずり落としていく。それが政治の世界だ。地位を持ったところで引きずりおろされるまでの時間が長くなるだけのこと。いずれは泥沼にはまることに変わりはないのである。

 とはいえ、政治を行う人間がいなければ国が成り立たないのは当然のことで。エリィはカップに入った苦いエスプレッソを飲み下し、遠くの雲を見つめた。それが嫌で母は帝国に、父は共和国に去って行った。エリィもまたそれを嫌う日が来るのかもしれない。そんな日は来ないのかもしれないし、そこまでクロスベルが存在しているかどうかすら保障されていない。

 そこまで思考したところで、エリィはうめくように声を漏らした。

「そんなこと、有り得るはずがないじゃない。……でも、このままじゃ危うい気がする……」

「それは、クロスベルが、ですか? お嬢さん」

 唐突に掛けられた声にエリィはびくりと体を震わせる。いつの間にか目の前には初老の男性が座っていて、紅茶を飲んでいたからだ。その男性を今まで生きてきた中で見たことのなかったエリィは、まさかナンパではないだろうと思いつつも警戒して距離を取る。どう見ても戦闘能力のなさそうな男性だが、クロスベルの外から来た人間を警戒しておくのはもはやエリィの癖にまで昇華されていた。

 それを知ってか知らずか、彼は苦笑してエリィに声をかけた。

「済みませんな、お嬢さん。席が空いていなかったもので……相席をお願いした時には頷いてくださったと思うのだが」

「す、済みません、ぼうっとしていて……」

「ほっほっほ、良いんですよ。こんな素敵なレディと相席させて貰おうだなんていうのが虫のよすぎる話でした」

 すぐに立ち上がろうとした男性だったが、エリィはそれをあえて引き留めた。聞きたいことがあったからだ。聞きたい、というよりも確認したいことだろうか。先ほどの言葉は、まるでエリィの思考を読んだかのような発言だった。それを確認しなければならない。つい最近なのだ。そういう第六感を引き上げる《グノーシス》が外見上撲滅されたのは。この男性が持っていないとは限らない。

 エリィは表面上は穏やかに男性に告げた。

「いえ、どうぞ座って下さい。ぼうっとしていた私が悪いんですから」

「そうですか? ……では、お言葉に甘えて」

 そうして座りなおした男性は、一見普通の男性に見えた。だが、エリィの警鐘はまだ鳴ったままだ。このまま放置するわけにもいかない。だからこそ、時間を稼ぐためにエリィは先ほどの会話を使うことにした。無論男性には見えない位置で《ENIGMAⅡ》を操作し、ロイドに1コール入れてからである。こうしておけば万が一があったとしても彼ならばエリィに何かあったのだと気付いてくれるだろう。

 

 もっとも、その発信が男性に悟られていないことなどなく、ロイド・バニングスはエリィ・マクダエルからの着信があったことなど知らないのだが。

 

 無論のことながらこの男性は彼ではなく『彼女』である。『彼女』は昔《怪盗紳士》から習った変装を駆使し、全く自身とはかけ離れた人物を演じているのだ。そうすることで万が一にも自身の正体をバラさないようにしている。ここでエリィに自身の正体がばれれば面倒なことになる。それ以上に、これからともに職務をこなすうえで気まずいことこの上ないだろう。

 《ENIGMAⅡ》からロイドへの発信を防いだのはただのクラッキングだ。回線に割り込み、無理矢理その着信先を変更しただけの話である。ここにティオがいればそれに気付いたかもしれないが、生憎まだ彼女はクロスベルに戻ってきていないのである。クラッキングを見破れる人物が今ここにいないというのは『彼女』にとって幸いでしかない。

 口火を切ったのは、エリィの方だった。

「それで、先ほどのことなのですが」

「おや、何でしょうか?」

「……どうして私がクロスベルを危ういと思っていると思われたんですか?」

 飄々としたそのつかみどころのない感じに、エリィは不信感を強めた。しかし今ここにいるその『男性』はエリィを騙そうとする気など一切ないのである。今この情勢で、ヘンリー・マクダエルの孫エリィ・マクダエルが『危うい』と漏らすのならば何のことなのか。それを考えるのは容易だった。その『男性』が昔《グノーシス》漬けになっていなくともわかる。

 それをあえてぼかすように男性は答えた。

「実際、今ここにいる方で危ういと洩らすのならばクロスベルしかないかと思いましてね」

「……それは」

「漠然としたもの、と言いたいんでしょう? でも、そのカンは大切にした方が良いですよ。年寄りからの忠告です」

 つかみどころがなくとも、エリィにはそれが本心から言われたものだと分かってしまった。この男性も同じことを感じているのだと、何となく察したのである。このままだとクロスベルが危ない。その言いようのない不安を、言い知れない危機感を共有できる人間は、今のエリィの周囲にはいない。無論ロイドも、ノエルも、ランディも、アルシェムも感じてはいるだろう。何か漠然とした不安は。ただ、エリィと彼らとではその不安の方向が共有できないだけだ。

 そして、この男性はその不安を共有できそうだった。故にエリィは零してしまう。

「……なら、聞きたいことがあるんです」

「何なりと、お嬢さん」

 そうおどけて言う男性に、エリィはゆっくりと不安を言語化した。

「今のクロスベルは……何か、上手くいきすぎていませんか? あっ、勿論うまくいくこと自体はいいことだと思うんですけど、でも、何というか……」

「あまりにもクロスベルに都合が良すぎる、と。そう言いたいんですよね?」

 分かります、とその男性が言ったことでエリィはすっかりその男性への不信感を拭い去ってしまった。それが見て取れたので微妙に表情を動かした『男性』だったが、それ以上を悟らせることはない。政治家を目指すにしてはまだ純粋無垢すぎるその少女に、現実を教えてやらなければならないだろう。それも、遠くから見る形ではなく実感する形で。

 政治の世界は生き馬の目を抜くような世界だ。それを知っているのに、エリィの警戒心の薄さは敢えてそうなるように仕向けたとはいえ看過できない。『男性』はいずれエリィ・マクダエルを政治のトップに仕立て上げるつもりなのだから。このままであってもらっては困る。だからこそ、その警戒心を引き上げるべく語ることにした。

 『男性』はにこやかにそれを語ったが、しかしその内容はエリィにとっては受け入れがたいものだった。

 

 ❖

 

 そうだね、お嬢さん。語ってあげよう。このままだとクロスベルがどうなるのかを、ね。ただの妄想だと言わないでほしいな。……そう、年寄りの今までの経験から語れることだよ。わたしはまだ五十くらいだけれども、ね。ああ、もっとも、それが本当に起きることなのかどうか、というのは流石に保障しかねるから。十分注意して聞いてくれたまえ。

 まず、つい最近行われることになった国際会議があるね? そう。西ゼムリア通商会議さ。あれに参加する国はクロスベルに関係のある国とそうでない国とがある。エレボニア、カルバード、リベール、レミフェリア、後は来ないって言われてるけど一応アルテリア。クロスベルの二つの宗主国が参加する時点で物騒だ。その上、ここ数年でいくつか変な商会がクロスベル入りしただろう? 絶対に何かが起きるに違いないよ。きな臭いことがね。

 こういう会議とかで多いのは暗殺騒ぎだ。クロスベルで暗殺騒ぎを起こして得をするのは誰だい? ……そうだ。クロスベルを併合したい国。エレボニアとカルバードだね。その二つの国で標的になりそうな人は? そうだ。ロックスミス大統領、《鉄血宰相》、《放蕩皇子》だ。その内、《放蕩皇子》は放置しても良いだろうね。かの皇子はエレボニアの中ではほとんど実権を持っていないんだ。今では悪あがきなのかトールズ士官学院で《Ⅶ組》などという取り組みをしているそうだがね。

 さて、お嬢さんは――おっと、そうかい。エリィ君がたとえばロックスミス大統領だとしよう。彼がこの機会を利用してクロスベルを併合しようとするとしたら、どうする? 手段は問わないよ。手持ちの札には《銀》、《黒月》、《飛燕紅児》だ。……何、《飛燕紅児》を知らないのかい? 彼女は――ああ、彼女なんだよ。《泰斗流》の師範代だ。そんじょそこらの男性では手に負えない女性でね。頭も切れる、武にも優れるの文武両道なんだよ。

 ……成程。君の答えは『《銀》を使ってロックスミス大統領を殺させようとし、それを《飛燕紅児》が護衛として守護する』か。興味深いね。因みにわたしの答えは『《黒月》と《銀》を護衛に配置したうえで別の犯罪組織を誘導し、最後には《飛燕紅児》の情報操作で全てをクロスベルとエレボニアのせいにする』だ。どちらも有り得そうなことじゃないか。

 ん? どうしてロックスミス大統領が《黒月》に渡りをつけられるって考えられるのかって? 表向きは商会なんだ。そこに使いとミラをやれば出来ないことなんて何もないだろう? 政治の世界と一緒さ。ミラは天下の周りものってね。そういう手段を使ってくる可能性だってないわけじゃないだろう。クロスベルに手を出すだけの余裕がない状態を作っているのがカルバードならばそうなるだろうね。お姉さん、紅茶のお代わりだ。ポットで、ダージリンで頼むよ。

 逆に《鉄血宰相》の立場になって考えてみよう。エリィ君、君が《鉄血宰相》なら――どうする? ……そう。さっきの置き換えで十分できるだろうね。『《赤い星座》を使って』――おや、違うのかい? それはまたどうして。成程、『もったいない』、ね。確かに猟兵の兵力を正規軍に取り込めるのだとすればもったいない話だろう。ただ、彼らを取り込もうとすれば莫大なミラが必要になるだろうね。他にメリットがあるなら別だけど。

 ふむ。『《赤い星座》を護衛に置いたうえで、たとえば今一番活発な《帝国解放戦線》を唆させ、最後には子飼いの《鉄血の子供達》に情報操作をさせる』、か。それもまた一理あるだろうね。……ただ、エリィ君。ここまで考えておいてなんだけど、わたしはちょっと恐ろしいことに気付いてしまったよ? 君はどうだい、何か感じなかったかい?

 そうだよ。目的が、同じなんだ。彼らの目的は『クロスベル併合』。それ以外にだって面倒な話はあるかも知れないけど、彼らが望むのはクロスベルの甘い汁を吸うことだ。それを手に入れるためにだったらそんなことまでできるかもしれない。それに……気付いているだろう、エリィ君。他でもない君達が携わったことだよ。てっとり早くクロスベルをこき下ろせるだけの失態は既にあるんだ。

 まさか忘れたとは言わせないよ、エリィ君。君達は数か月前、誰と戦った。クロスベルを守るべき警備隊の人間と戦ったんじゃなかったかな? それが薬の影響だったとはいえ、その誘惑に負けた人物がいたからこそそうなったわけだ。第二、第三のその人物が現れないとは限らないわけだよ。あの時彼らがそこに付け込んでクロスベルから防衛力を奪わなかったのは偶然だとしか言いようがない。

 ……ん? 何だいエリィ君。そんな真っ青になって。……成程。確かに一理あるよ。『二国が手を取り合ってクロスベルから勢いをそぐ』――そんなことになったら、クロスベルは終わりかもしれないね。徐々に力を奪われていって、最後には戦争になるだろう。クロスベルを取り合うための戦争だ。でも、考えてみよう。そんなことになるかも知れないのに君のおじいさまが何もせず座っていられるかな?

 何と、その前に立ち上がるかも知れない人がいると。ああ、クロイス市長、か。彼が立ち上がって何か突拍子もないことを言う可能性は無きにしも非ずだね。実際に彼はそうやってIBCを盛り立ててきたわけだからね。目新しいこと、革新的なことをやってここまでのし上がってきた実績がある。だからこそ周囲の信頼も厚いし、彼なら何かを変えてくれそうな気がする、という期待がある。

 そうだね、たとえば彼がその場で『クロスベルを独立させる』だなんて言ってしまえば――戦争が起きるね。クロスベルを取り合うための戦いじゃなくて、クロスベルを潰すための戦いだ。誰も助けてはくれない。エレボニアからは『列車砲』が向けられ、カルバードに逃げようにもそこからも兵士がわんさかやって来る。リベールとレミフェリア、それにアルテリアは静観だろうね。

 おいおい、エリィ君。それは楽観視しすぎているよ。『いくらディーターおじさまでもそこまではしない』だなんて。君の知っている『ディーター・クロイス』はIBC総裁だった時の彼だろう? 君は知っているはずじゃないか、政治と権力はいとも簡単に人を変えると。本当に変わっていないかどうかを確かめる方法なんて、一体どこにあるっていうんだい?

 ああ、済まない。怒らせてしまったようだね。でも、敢えて君のために言っておきたかったんだ。絶対に変わらない人間なんていないんだよ。いたらそいつは人間じゃない。変わっていくことができるからこそ人間なんだ。まあ、それがどういう方向に向くかは別の話なんだけどね。君だって変わっただろう? 《特務支援課》に入る前と、今とでは。そういうことを言いたいんだよ。

 いつまでも変わらないように見える人間だって確かにいるよ。でもね、エリィ君。君は本当にそいつが人間じゃないって思うかい? ……そいつが人間じゃないなんてことはないんだ。変わらないように心に誓っていたとしてもだ。少しずつ、少しずつ変わっているんだ。それがどういう方向であってもね。それを人は成長と呼ぶんだ。まあ、悪化と呼ぶこともあるがね。

 誰からどう見ても、自分から見ても変わっていない奴のことはね、エリィ君。人形と呼ぶんだ。そうならざるを得なかった奴だっているだろう。それを強制された奴だっているだろう。でも、そいつは人形だ。自分の足で歩くことを放棄しているんだ。自分で考えることを放棄しているんだ。そんな奴が社会に出られるかい? でられないだろう? だから、自分の全てを投げ出して、他人に全てを委ねるようになってはいけないんだ。

 っと、話が逸れたね。お姉さん、彼女にはイチゴパフェを。わたしにはコーヒーゼリーをくれたまえ。きちんとシロップもつけてくれたまえよ? さもないととてもおいしそうな写真だというのに、完食できないからね? そんなもったいないことはしたくないのだよ。だから微妙に気を使ってさっきから砂糖を出してくれていないのは分かるけど、くれたまえ。

 

 ❖

 

 エリィは放心していた。それでも、男性は話を続ける。

「まあ、ここまで頭を使ったからね。次に君に会う時までの宿題にしよう、エリィ君」

「何を、ですか?」

「君は、この事態に対してどうしたいのか。それを聞かせてくれたまえ」

 ウィンクした男性は、注文したコーヒーゼリーをテイクアウトに変えて貰うと、そのまま立ち上がった。エリィは彼をそのまま行かせるわけにはいかず、本能的に問いを発する。

「貴方は、誰……ですか」

「そうだね、誰、と言われると少し困ってしまうかな。だから、こう名乗っておこう」

 その名前をエリィが思い出すのは、ずいぶん後になってからになる。その時にはすべてが手遅れで、その名を聞いても半信半疑だった。それを信じられたのはかなり後のことだ。年単位で後のことになる。信じられるはずがなかったのだ。まさかこの男性が『彼女』であったことなど。自分がこの時、そそのかされていたことなど、信じたくなかったのである。

 ただ、特筆するならば――

「珍しいわね……アルがコーヒーだなんて。……いや、まさかね。そんなことなんてあるはずないじゃない」

 彼女が支援課ビルに帰った時、珍しくアルシェムが居間にいて珍しくコーヒーゼリーを食べていた、ということくらいだろうか。



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~西ゼムリア通商会議~
通商会議へ向けての事件への対応


 旧223話~224話冒頭のリメイクです。


 七耀暦1204年8月。歴史的にも重要とされるイベントがクロスベルで行われることになっている。それこそが西ゼムリア通商会議だ。参加国は開催地であるクロスベル自治州、エレボニア帝国、カルバード共和国、リベール王国、レミフェリア公国、そして土壇場で参加を表明したアルテリア法国である。アルテリアが参加を表明した意図は不明だが、かといって何かが変わるとも誰も思ってはいない。

 そんな、微妙に緊張した日々を過ごしている彼らの元に暇があるわけがない。今日も今日とて支援要請である。しかも本日は特に多い方だ。《星見の塔》の古文書の調査とアルモリカ古道の手配魔獣の討伐、それに加えて緊急要請として聖ウルスラ医科大学の新教授からの依頼と警備隊の演習の参加要請である。盛りだくさんと言っても過言ではない状況だった。

 それらをそれぞれに振り分け、いつものように全てをこなした一同が支援課ビルに戻って来た時にその異変は起きた。支援課ビルに戻ってきた際、気付いたのだ。いつもと何かが違うことに。それは長年の経験からくるものであり、前線で戦い続けた者特有のカンでしか見つけられないものだ。あるいはティオのように感応力に優れた者ならば関知できたかもしれない。

 故にアルシェムはそれを遠回しにロイドに告げた。

「悪いけど、わたしは裏口から入るよ、ロイド」

「どうかしたのか?」

「……死ぬような罠はしかけられてないけど、旧鉱山の時と相手は一緒だから」

 それを一拍置いて把握したロイドは瞠目した。確かに旧鉱山での出来事は意図的なモノだとランディが言っていた。ということは、今ここにそれを仕掛けただろう人間が侵入していることではないだろうか。ロイドはそう解釈した。そして実際それは正しいのである。セルゲイのいない支援課ビルの中に侵入し、ランディを待ち構えているという意味では。

 エリィとノエルを下がらせ、レンとアルシェムが裏口から侵入したのを確認したロイドはランディと共に支援課ビルへと突入した。

「あれっ、意外。まさかそのヒトと突っ込んでくるなんてね」

「何してやがる、シャーリィ」

「質問に答えてくれたら答えてあげるよ、ランディ兄」

 口の端を吊り上げ、猫のような雰囲気を醸し出しながらシャーリィはそう告げた。本当にロイドと共にランディが突っ込んでくるのは想定外だったのである。シャーリィの知るランディならばどんな罠が仕掛けられていたのだとしても一人で侵入し、そのままその罠ごと突破するのだ。それがランディの、否、『オルランド』のやり方のはずだったのだ。

 そのシャーリィの疑問に、ランディは答えた。

「死ぬような罠はしかけられてないって保証できるトラップのエキスパートがいたからな。……それで、何の用だシャーリィ」

「ふぅん。……パパが呼んでるって言いに来ただけなんだけど、そっちのお姉さんたちにも興味が出て来ちゃったなぁ」

 獲物を狙う豹のような表情でアルシェムとレンを見たシャーリィは、おもむろに彼女らとの距離を測り始めた。隙あらば飛びつこうとしているのである。だが、そんな隙をアルシェムとレンが見せるはずがない。確かにシャーリィは生まれついての狩人なのだろうが、アルシェムやレンはそれとは違う形に強制的に鍛え上げられた狩人だ。こういう時に隙を晒してはいけないことくらい百も承知だった。

 それを数秒続け、力を抜いたシャーリィは好戦的な笑みを浮かべてレンに問いかける。

「ねえ、君は何でここにいるの?」

「アルがいるからよ」

 素っ気なく答えながらも、レンに油断はない。ともすれば執行者にも比肩しうる才能をもつだろうシャーリィを前に、油断することなど出来ようはずもなかった。レンが執行者としてやっていけたのは、無理矢理に開花させられた才能があったからでもあるが、それ以上に《パテル=マテル》に感応できたからであるからだ。今ここに『彼』を呼べない以上無理をするわけにはいかない。

 レンに油断がないことを見て取ったのか、シャーリィが今度はアルシェムに問うた。

「ふぅん。じゃあお姉さんは?」

「あんたはそこにいるために理由がいるヒトなんだね。そんなの、他人にどうこう言われるようなことじゃないし、余計なお世話っていうんだよそーゆーのってさ」

「パパと対等に渡り合えそうなのに? お姉さんみたいな人がこーんなちんけな場末で燻ってるのには理由があるんだと思ってたんだけど、理由がないなら勧誘して良いよね? ウチ来ない?」

 無邪気に言うさまは、ちょっと彼女お茶しない? と軽く誘っているようでもあり。それでいて言っていることは実にはた迷惑なことだった。要するに、猟兵にならないかという誘いだ。アルシェムは既に立場を持つ身である。確かに猟兵になるのは不可能ではないが、なりたい職業でもないので当然断ることになる。執行者と猟兵ならば、時と場合によっては執行者の方がましである。主にやり口が、という意味でだが。

 シャーリィの誘いにアルシェムは呆れたように返答した。

「は? わたしには全くメリットがないのに何で勧誘するの?」

 アルシェムには猟兵になるだけのメリットが何もないのだ。ミラならばいくらでも調達できる。何かを蹂躙したいとも思わない。常に戦場にいたいとも思わない。彼女の最早叶わない願いは、普通の人間として平凡に生きることだった。そんな人間が猟兵にならないかと誘われて乗ると思うだろうか。乗る訳もなく、乗れるわけもなかった。

 しかし、シャーリィはアルシェムの望みの一端を口にした。

 

「メリットならあるよ。こんな窮屈なところじゃなくて、もっと好きに出来るんだから」

 

 それは確かにアルシェムの本質を突いた言葉だった。シャーリィは昔からそう言うことを動物的なカンで見抜くのが得意だ。だが、今のアルシェムにとってそれは禁句である。好きに出来る? そんなことがあり得るのであれば、アルシェムはこんなところになどいなかっただろう。どこか長閑な田舎にでも引っ込んで悠々自適な生活を送っていたに違いない。

 それで自制のタガが一瞬だけゆるんだアルシェムは、シャーリィに向けて殺気を放った。

 

「……成程、地雷を踏み抜くのは得意と。何? 小娘。一回死にたくなりそうな目にでも遭ってみる?」

 

 その殺気にシャーリィは身震いした。それは怯えを含むものではなく、多分に高揚感を含むものだ。正直に言うのならば、アルシェムはシャーリィにその殺気を向けるべきではなかったのである。これで完全にアルシェムは目をつけられた。シャーリィはこれからアルシェムと戦うために何かしらの策を練ろうとするだろう。もっとも、アルシェムとシャーリィが普通にぶつかり合えばシャーリィの方が勝てないのは目に見えているのだが。

 口の端を吊り上げ、シャーリィは恍惚としたように言葉をあふれさせた。

「イイ……イイよお姉さん! アルシェムだっけ、うん、覚えたよ! いつか絶対に殺しあおうね!」

「は? 何このクレイジーサイコガール。頭イってない?」

 アルシェムがさらに喧嘩を売ろうと言葉を吐くと、それを止めようとしてランディが動いた。

「……否定しきれねぇが、アルシェム。ちょっと引っ込んでてくれ」

 流石のランディも今の状況は頭が痛いのである。同僚と従妹が戦うなどどんな悪夢になるか想像したくもない。主に周囲への被害の方が、だが。砂漠や荒野でやらない限り、周囲はしばらく立ち入れないような危険地帯と化すだろう。ランディの知るシャーリィよりもさらに強くなっているのは明白であるし、アルシェムの力の底がつかみ切れていない以上、どれほどの激戦になるのか考えたくもないのである。

 それよりも、話しがずれすぎている。それを感じたランディはシャーリィに問うた。

「で、シャーリィ。叔父貴が俺を呼んでるってのは……」

「ああ、そうそう。そうだったそうだった。このまま《ノイエ・ブラン》に行くよ。シャーリィはお使い。ランディ兄が逃げないようにね」

「ここまで来て逃げられるかよ」

 ロイドはそれを聞いて一人で行かせられない、と感じた。行かせたら何か取り返しのつかないことになる気がして仕方がないのである。その警鐘に従わなければ、二度とランディが帰ってこないような、そんな気がしたのだ。だからこそロイドはそう吐き捨てたランディを引き留め、シャーリィに許可を取った。ランディは渋ったが、シャーリィはランディについてくるただの飾りだとみなして軽い気持ちで了承する。

 そして、ロイド達は《ノイエ・ブラン》へと向かった。シグムント・オルランドの待ち構える魔窟に。後に残されるのは重苦しい沈黙であり、ロイドの身を案じるノエルやエリィ達だ。そこにアルシェムは含まれない。夕食の予定としてキーアが鍋を作るらしいのだが、それを食べる気も無ければ物理的に食べられる状況ではなくなってしまったからだ。

それは、重苦しい沈黙を切り裂くように鳴り響いた。アルシェムの《ENIGMAⅡ》が鳴ったのだ。

「はい、アルシェム・シエル……耳元で叫ばないで。うん、分かったから。大丈夫、今ここにいても仕方ないから出る。覚悟は決めたから、もう一人連れていくよ。……分かってる。わたしに出来ることを、やるだけの話だから」

 アルシェムが複雑な顔でその通話を切ると、エリィ達が怪訝そうな顔をしてこちらを見ていた。どうやら誰と通話していたのかを知りたいらしい。ロイド達のいないこの状況でアルシェムに用事のある人物が一体誰なのか、それを知っておくべきだと思ったのかもしれない。ただ、アルシェムがそれを明かす必要があるかと問われればまた別の話だ。

 エリィ達に向け、アルシェムは外出の旨を伝えた。

「今から出て来るよ、レンとね」

「相手は誰なんですか?」

「元『家族』、かな。ちょっと複雑な話だから連れてはいけない。ただ、『家族』の話だからレンは連れていく。それだけのことだよ」

 重苦しそうな雰囲気を醸し出しながら言えば、疑問を呈したノエルも何も言うことは出来なかった。レンを連れ、アルシェムは支援課ビルから出る。向かう先は西クロスベル街道の先だ。それも、尾行をつけられては困るので気配を消してからの全速移動である。それを伝えただけでレンはどこに連れて行かれるのかを察したが、それが果たして良いことなのかどうか判断がつかなかった。

 だからこそ、レンはアルシェムに問う。

「良いの? アル。レンが一緒に行って……」

「正直に言って人手が足りない。エレボニアの方で一人取られてるし……何よりレンは、結局ついて来ちゃうんでしょ? なら、こっちから巻き込ませて貰う。今更嫌だなんて聞かないからね」

「嫌だなんて言うわけないわ。……嬉しいのよ。アルが、ようやくレンを巻き込んでくれる気になって」

 その返答に苦笑いしながら、アルシェム達はノックス大森林の中へと侵入していく。誰も足を踏み入れないその位置に、ステルス迷彩をかけて停まっているものこそアルシェム専用の《メルカバ肆号機》である。そこには既に先客がいて、アルシェム達を待ち受けていた。一人は黒髪に琥珀色の瞳をした女性。もう一人はアッシュブロンドの男性だった。言うまでもなくカリンとレオンハルトである。

 それを確認したアルシェムは、レンとその二人を連れて《メルカバ》の中へと入った。

「……えっ、連れて来たの? アルシェム」

「連れて来たよ。ここまで来たら巻き込ませて貰うしかない。正直に言って信頼できる部下がこれだけっていうのも辛い話だ」

「違いない」

 軽く笑いあい、そこにいたリオと通信先のメルを交えて通商会議当日の作戦会議の始まりである。メルに関してはガレリア要塞で実習を行っている最中らしい。まさかの位置にアルシェムはガッツポーズをとりそうになった。そこに在るのは《列車砲》。クロスベル全土を射程圏内に入れた、恐るべき破壊兵器である。それを発射するのを止めるための立ち位置としてはこれ以上ない位置だ。

 故に、メルに言い渡されるのはいざという時の《列車砲》の破壊である。他の誰に出来なかろうが、彼女になら出来る。周囲に誰かがいる状況ではまずいが、メルにだって隠密行動は出来るのだ。いざとなればともに実習に来ている《Ⅶ組》の連中を放置して姿を消し、《列車砲》を破壊する。その後の行動は臨機応変である。そのまま《Ⅶ組》に居続けられるのならばそれで良し。そうでないのならばまた別の方法を考えれば良いだろう。

 そして、クロスベル警備隊にいるリオが仕向けるべきなのは、クロスベル警備隊による《オルキスタワー》の警備である。そこにテロリストの捕縛は含まれない。ただそこを守り切れればそれでいいのだ。あちらにとって、クロスベル警備隊がでしゃばるよりは、宗教的にも中立であるべきアルテリアがでしゃばる方が厄介な事態を引き起こせるのだから。もっともリオ本人は別のところへと派遣するのだが。

 ならばテロリスト共はどうするのか。そういう意味では、テロリストの捕縛を任せるために動かさなければならない人物たちがいる。いかなレオンハルトとはいえ、テロリストを捕縛しようとしているマフィアどもから全てを守りきるのは不可能なのである。それが複数であればなおさらだ。故に動かすべきは《自警団》と《銀》である。《銀》についてはもう二度と《黒月》に利用されないようにする必要があるのだ。ここで使わない手はない。

 《銀》とヴァルド達元《サーベルバイパー》、そしてレオンハルトにはカルバードの連中を。リオ、アルシェム、そしてワジ達元《テスタメンツ》はエレボニアの連中を。それぞれ無力化することになる。それこそ、テロリストであろうがマフィアであろうが関係なく。クロスベルの治安を乱す者は誰であっても取り締まらなければならないのだから。

 ならばカリンは一体何のためにいるのかと問われると、アルテリア代表としてレオンハルトを連れてくるための口実になるためにいる。最悪の場合、そこでけが人が出た場合に真っ先に治療するためだともいう。彼女をそこに置き、代表の周りの人間を牽制することでクロスベル側の人間を動きやすくするためでもある。一番安全そうに見えて、最悪の場合は《列車砲》で吹き飛ばされるというある意味一番危険な位置だ。

 そして、レンは一体何をするのかというと。

「むしろ、それだけで良いのかしら?」

「良いんだよ。どうせテロリストを追うのなら遊撃士と協力することになる。ということは、あっちには導き手がいるってことだからね。こっちにもいないと話にならないし、ある意味テロリストから《特務支援課》を守るためでもある」

「……そう、何か腑に落ちないけど分かったわ」

 微妙に機嫌が悪そうな表情になったが、レンがやることは簡単だ。《特務支援課》がテロリスト共に追いつけるよう誘導する。たったそれだけのことなのである。テロリストを追い、最悪の場合にはレンが全員を守り切って撤退する羽目になるという意味ではこの役目も安全なものではない。それでも、ティオがいない現状ではここを任せられるのはレンしかいなかった。

 そのために必要な手続きを、今ここで終わらせて。総長――アイン・セルナートからは良い顔をされなかったが、レンを受け入れなくてはならない状況は先に作っておいた。だからこそ、レンは新たにアルシェムの――『エル・ストレイ』の従騎士となったのである。そのことに対してレンがアルシェムに飛びつくほどに喜んだのはまた別の話だ。

 

 ❖

 

 次の日。アルシェムは、仮面の神父に変装してリーシャ・マオの部屋を訪れていた。その目的は無論のことながら《銀》をこれ以上《黒月》と関わらせないことだ。そして、あわよくば《銀》を傘下に入れることでもある。そうすれば、彼女の望まない殺しを止めることができる。それこそが昔『家族』だったリーシャへの恩返しまたは嫌がらせでもあった。

 そのために差し出す条件は――

「本当に、エルの今いる場所を教えてくれるんですか」

「無論だとも。何なら彼女に危害を加えないことも誓ってやるが?」

 その言葉にリーシャは葛藤した。確かにこの怪しい神父が『エル』に手を出さないと誓い、彼女の居場所を教えてくれるのならば破格の条件である。今すぐに飛びつきたくなるような条件であることは確かだ。しかし、その代償は重い。二度と『東方人街の魔人』《銀》はカルバードの連中から信頼されなくなるだろう。それが良いことなのか、リーシャには判断がつかない。

 それでも、結局彼女が欲するのは『エル』の情報だった。

「……ッ、分かり、ました……」

「素直で結構。では明日、ジオフロントC区画で協力者と落ち合い、そこに来るテロリスト共を捕縛しろ。ただの一人でも殺せば――どうなるだろうな?」

 仮面の端から覗くそのつり上がった口角に、リーシャの理性は沸騰しそうになる。それでも盛大にそれを抑えて返答するしかなかった。『エル』の命はこの卑怯な神父に握られてしまっているのだから。

「ッ、卑怯な……ッ! 分かりましたよ、誰も殺さずに捕縛すれば良いんでしょう!?」

「その通り。では、当日頼むよ」

 ひらり、と手を振って去って行くその神父に、一瞬《爆雷符》を投げつけてやろうかと思った。それほどにリーシャはその神父に対して苛立っていた。それが全くの無意味であることを知る時は近い。



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通商会議に向けての準備

 旧224話冒頭~225話のリメイクです。


 西ゼムリア通商会議前日。各国首脳がクロスベル入りし、町がざわめいている頃。《銀》ことリーシャを脅しつけて戻ってきたアルシェムはロイドに割り振られた支援要請を見てげんなりしていた。というのも、依頼人が『マネージャーのミュラー』であり、その支援要請が『《演奏家》の捜索』なのだから推して知るべし。どう考えてもこれは彼らが《特務支援課》に関わりたいと思っているに違いない。だというのにアルシェムに割り振られてしまえば彼らも困るだろう。

 だからこそアルシェムは急いでミュラーの待つ空港に向かい、そこにオリヴァルトがいないことを確認して彼の捜索へと精を出すことになる。彼を放置して騒ぎになれば、また面倒なことになる。まさかオリヴァルトがクロスベルに害を成そうとしているとも思わないが、もしそうなった時が面倒だ。最悪の場合は排除しなければならない。

 もっとも、彼の行動を見て危険視すべき人物なのか疑ってしまうのも無理はないだろう。

「……いや、それはどうなの?」

 思わず漏らした呟きは、幸いにもオリヴァルトには届かなかったようだ。旧市街のカクテルバー《トリニティ》で何かしらを呑んでいたらしいオリヴァルトを発見した。彼をひっつかまえ、逃げられないように拘束しながらアルシェムは彼をミュラーの元へと連行する。途中で『やめたまえ』だの『何故アルシェム君がここに?』だのという発言があったのは気のせいに違いないだろう。

 ミュラーの前に引きずり出し、立たせる過程で彼に向けて呟く。

「気負わなくても良いんじゃない? 彼らだって馬鹿じゃないんだから、帝国人だからってだけで偏見を持つような真似はしないよ」

「……その、そこを見透かさないでくれるとボクとしては助かるんだけどなあ?」

「そういう風に育てやがった奴に言って」

 いや、それは誰なんだとオリヴァルトは叫びそうだったが、ミュラーに首を締められて連行されていった。そのままアルシェムは臨検の手伝いに回ることにする。確かに早く終わればそうしてほしいとロイドは言ったのだが、ここまで早く終わってしまえば一人でこの支援要請を終わらせておいても良いかと思えたからだ。ロイドが支援要請を終えるころ、アルシェムもまた時間のかかる臨検の手伝いを終えていた。

 もっとも、エリィはまだだったようでヘルプコールをしてきたのだが。住宅街で猫を探している、と聞いた瞬間に誰の猫であるのかを察したアルシェムはその猫の気配を追い、歓楽街へと向かう。そこで何故かシャーリィがついて来てリーシャに目を付けるなどというイベントも起きたがさして語る必要もないだろう。その前からリーシャは《銀》に目をつけていたのだから。

 そして支援課ビルへと戻ると、何やらエリィのヘルプコールを受け取らなかったロイドとレンが玄関の前で困惑している。一体何が、と思った瞬間アルシェムは悪寒を覚えてその場を飛び退いていた。その場を通り過ぎていく白い塊。その動きに嫌というほど覚えのあるアルシェムは顔をひきつらせた。二度、三度とその塊に襲撃され、やっとそいつが声を発したところで用件を理解する。

 そいつ――ジークは鳴いた。

「ピューイ!」

「喧しい! あんたが殺意満々なのは前から知ってたけど、仮にも客として招きたいならやめろっつーの! あんた自分の最大速度忘れてんの!?」

「ピューイー?」

「何のことだっけ、じゃなーい!」

 そのある意味微笑ましくも見える光景にロイド達は微妙な顔をするしかなかった。何せ、アルシェムがシロハヤブサと会話しているのである。前々からツァイトと会話できているのではないかという疑惑があったのだが、それが肯定されかけている形だ。しかもそのシロハヤブサはアルシェムの知り合いのようだ。伝言を託されているのは分かったが、何故執拗に突かれているのかわからない。

 だからこそ、エリィが漏らした言葉は見当違いのモノになる。

「懐かれてるのかしら……」

「殺されかけてるんだってーの! どこをどう見たらそんな微笑ましく見えるの!?」

 そのコントのような会話を続けているうちに、ジークは諦めたのか飛び去って行った。その方向はクロスベル空港である。誰の使いできているのかわかっているアルシェムは疑問にも思わなかったが、ロイド達はアルシェムから詳細を聞こうとやっきになる。それを取り敢えず止め、一度支援課ビルの中に入ってランディとノエルを待った。彼らがやっている支援要請が終わったという連絡はあったが、まだ帰り着いていなかったからだ。

 そして、彼らが帰ってくると同時にアルシェムはジークの伝言を実行すべくクロスベル空港のある場所へと《特務支援課》の一行を案内した。所謂VIPしか立ち入れない場所ではあっても、彼らは警察官だ。入れないなどということは有り得ないのである。末端の警察官であればあるほど、《特務支援課》には憧れているらしいのだから。

 そして何の障害もなく《アルセイユ》に辿り着いたかと思えば――

「何故貴様がここにいる」

「どこにいようがわたしの勝手でしょ。それに呼んだのはそっちだからね、ユリア・シュバルツ大尉?」

「……その胸のバッチ、そういうことか……《特務支援課》の方々とお見受けした。こちらの急な招きに応じて下さって感謝する」

 慇懃無礼に頭を下げたユリアは、ロイド達を《アルセイユ》のモニター付き会議室へと誘導した。そこに待ち受けていたのはクローディアである。むしろ彼女以外がそこにいても困るのだが。たとえばここにアリシアⅡ世がいればかなり面倒なことになっただろう。それでも事実としてここにいるのはクローディアだ。クロスベルが危険だと分かっていてなお王太女クローディアを来させたのは、一応デュナンが王位継承者としてそこそこマトモになって来たからでもある。

 勿論、どんな危険なことが起きても帰って来られるようにと護衛はつけてあるのだ。クローディアの護衛についているのはユリアだけではない。元《情報部》の人間もそこかしこに張り付いているのである。そして、この場には仮想敵国たるエレボニアの皇子もいる。そのため、二国を敵に回すような真似をしてまで攻撃される可能性はかなり下がるだろうと読んでいる。

 クローディアは自身を見たことで緊張してしまったロイド達に余裕を取り戻させるためにアルシェムを使った。

「お久し振りです、アルシェムさん。その……もしかしてその羽は……」

「ジークにやられました。ちゃんと躾けててくんないですかね?」

「後で言って聞かせておきますね……まだジークったらアルシェムさんを突いちゃうんですか……」

 遠い目をするクローディアに、一行は曖昧な笑みを浮かべることしか出来ない。ひとまず緊張をほぐすことには失敗した、とクローディアは感じた。どうすればいいのかと問われるとまた困るが、次の策を考える前に別の行動をとるモノがいる。そう。この場にいるのはクローディアだけではないのだ。緊張をほぐすためにはうってつけの人物がここにはいる。

 そして、その人物こそがこの空気を見事なまでに打破した。

「~♪」

「……えっと、これは……」

「これ、『琥珀の愛』よね? 凄く上手なのだけど……一体誰が?」

 エリィが問うと、薔薇の花を持ったオリヴァルトが颯爽と登場した。無論頭を抱えたミュラーもである。それに続いてもう一人入ってきたが、彼女は壁際にそっと立つだけで挨拶はしない。その三人を見たロイド達は一様に首をかしげるだけだが、どうやら不審者ではないらしいという認識は持てたようである。ならば彼は一体誰なのか。《アルセイユ》にいておかしくない人物で、こういうことをしそうな人物はと問われるとロイド達の答えは『デュナン公爵』になるのだが――

 その答えをレンが打破した。

「何やってるの、オリヴァルトお兄さん。流石のレンもドン引きよ?」

「おお、レン君。そんなことは言わないでくれたまへ。こういう場には慣れてないだろう特務支援課の皆へのちょっとしたジョークぢゃないか」

 茶目っ気たっぷりに言うオリヴァルトの名をロイドがうっすら思い出したところで、後ろで頭を抱えていたミュラーが彼に拳骨を落とした。当然だろう。今は協力体制を築いているとはいえ、《アルセイユ》はリベールの飛空艇なのだ。決してエレボニアの船ではない。友好国でもないリベールの船でふざけた真似をする皇子が国内でどのような目で見られているのかはお察しである。

 故に彼が言える言葉はこれだけだ。

「自 重 し ろ」

「ハイスミマセン……」

 そのコントのような状況に、やっと呪縛を解かれたようにロイドが声をあげた。

「あの、もしかして貴方は……」

 恐る恐る聞くロイドに、オリヴァルトはその遠慮をなくすためにふざけようとした。

「そう、ボクは噂の」

「真面目にやれ」

 もっとも、ミュラーがそれを赦すわけがなかったのだが。半眼で睨まれ、顔をひきつらせたオリヴァルトはやっと真面目にやる気になったようだ。表情を引き締め、先ほどまでの愛とノリで生きているような雰囲気を押さえつけた様はまさに高貴な皇子である。もっとも、彼は庶子であり中身を知る者からはそう言う人物であると認識されてしまっているのだが。

 外交用の笑みを浮かべたオリヴァルトは、自己紹介をする。

「……ゴホン。初めまして諸君。私はオリヴァルト・ライゼ・アルノール。まあ《放蕩皇子》の方が通りは良いかも知れないね」

「せめて最後まで真面目にやれ、全く……自分は護衛のミュラー・ヴァンダールだ。以後見知り置き願う」

 そして彼らが目線を向けたところにもう一人の女性がいた。彼女にどこか既視感を覚えたロイドはそれが誰であったのかを思い出そうとするのだが、脳がそれを拒否していた。ランディもである。ただ、エリィだけはその人物が誰に似ているのかを正確に思い出していた。それだけに反応に困る人物である。何せ、エリィの記憶している彼は遊撃士であるので。

 故にそこで口を挟めたのはエリィであった。

「あの、貴女は……もしかして遊撃士の」

「ああ、ヨシュアのことですか。彼は弟です。……と、申し遅れましたね。アルテリア代表として参りました、カリン・アストレイと申します。皆様どうぞお見知りおきください」

 と、そこで一行は不意に気付いた。あちらに名乗らせておいてこちらは一切名乗っていないことに。何故かアルシェムとレンは面識があるようだが、せめて名前だけでも紹介しておかねばならないだろう。ロイドはその義務感に突き動かされてそこにいる面々の紹介をした。ランディが複雑な顔をしているのも勿論見逃した。まさか本当にカリンがヨシュアの姉だとは思いもしなかったのである。

 その紹介が終わった後、ロイドはずっと抱えていた疑問を彼らにぶつけた。

「あの、恐れながら……どうして俺達をここに呼んだんですか?」

 ロイドの問いに答えたのはオリヴァルトだった。

「ああ、それは自治州政府には伝えたくなかったからだよ。君達になら伝えられる。コレはまあ、警告程度のことだと思えば良い」

 その不穏な言葉に、ロイド達は一気に表情を引き締めた。今ここに集まっているメンツは一見ばらばらだ。だが、それらを繋ぐ点としてアルシェムとレンがいる。ならば、この三人もまた同じような繋がりで繋がっているのではないか。そうロイドは思った。どういう繋がりであるのかは、今のロイドには分からなかったのだが。だが、分かる者には分かるものである。一体彼らがどういう繋がりだったのか。それを理解したエリィはそれを口に出すことはなかったが。

 オリヴァルトは言葉をつづけた。

「帝国内でテロリスト《帝国解放戦線》が活発になっている。そして彼らが近くクロスベル入りする可能性を示唆する情報が入った」

 だが、この情報には黙っていられなかったようだ。エリィには心当たりがあり過ぎた。あの男性との会話は、まさにこのことを指し示していたかのようで恐ろしい。だが、それがもしも事実となるのならば。それは絶対に阻止しなければならないだろう。エリィにとってクロスベルは故郷であり根だ。それを守れなければ彼女は腐ってしまうだろう。

 だからこそ、エリィは声をあげた。

「それは、《鉄血宰相》を暗殺するため……ですか? もしかしてそのために《赤い星座》がクロスベル入りしたと……?」

「……成程、マクダエル議長の孫娘は伊達ではないようだね。可能性はあるだろうと私は踏んでいるよ」

 それと、とオリヴァルトが続け、クローディアがその続きを告げた。それは先日の男性の言葉とほとんど同じで。起きうる最悪の事態をエリィに強く想起させた。それを阻止するために、一体何が出来るというのだろうか。ただの一介の警察官であるエリィ・マクダエルに。もし祖父と同じ道を進んでいればこれを止められただろうか。その妄想に取りつかれそうになって強く首を振る。

 そのエリィの肩に手を置いて、ロイドは一番の疑問を彼らにぶつけた。

「……それを伝えて下さったことには感謝します。ですが、何故俺達に、なんですか? それも、貴方方が揃ってまで。まさかアルの知り合いだからというだけではないでしょう」

 ロイドの強い問いに答えたのは、クローディアだった。

「確かにアルシェムさんだけでは信頼には足りないでしょう。何かと誤解されやすい人ですから」

「うるせーですよ殿下」

「……ただ、エステルさん達から貴方達のことは聞いていましたから。《リベールの異変》を多少なりともご存じなのでしょう? 実は私達、それを解決するのに協力し合ったんです」

 内緒話を打ち明けるかのようにクローディアはロイド達にそう言った。それは一国の姫というよりは年相応に見えて。それでロイド達も納得は出来た。信頼できる友人が紹介してくれた『信頼できる人達』というのは確かに信頼に値する。もっとも、一定程度の、だが。ロイド達を見てから出すべき情報をいくつか選んだのは事実だが、その情報をほとんど渡すことになったのはロイド達の人徳に他ならない。

 そして、後いくつかの情報を交換したロイド達は明日に備えて支援課ビルへと戻るのだった――アルシェムと、レンを置いて。旧交を深めたい、というアルシェム達を止められるような人物など、そこにはいなかったのである。故にロイド達は特に疑問も持たなかった。アルシェムが一体何を目的に《アルセイユ》に残ろうとしたのかということなど、想像もしていなかったのである。

 

 ❖

 

「それでだ。流石にこの場で足並みは揃えておきたいわけなのだが?」

 唐突に口調が変わったアルシェムに、一行は変なものを見るような顔になった。当然だろう。いきなりこいつは何のキャラ付けを始めたのかとでも言わんばかりの痛々しいものを見る目だ。実際、意識的にキャラ付けをしているというのは事実なのでそういう目で見られても仕方がない面はある。ただ、それがこれ以降スタンダードのなる可能性があるので、アルシェムとしては慣れてほしいとは思うのだが。

 それにオリヴァルトが問うた。

「何の足並みなのか、聞かせてくれたまえ」

「明日の――テロリスト共を捕縛した後の話だ。罠を張っている奴らがいるようでね。そいつらに逆に色々と突き付けてやるいい機会だ」

「そいつら、ということは複数人ということですか……?」

 眉を寄せてクローディアが問う。当然だろう。彼女らが掴んでいるのはテロリストが襲撃してくる可能性があるという情報のみ。その先にどういう魂胆があるのかまでは掴めていないのだから、当然と言えば当然なのだろう。だが、無論カリンはそれを把握していた。アルシェムから説明されていたからだ。それを忘れるほど彼女は耄碌していなかった。

 それに対し、アルシェムは返答を濁す。

「無論。ただ、殿下方にお願いしたいのは事実を事実と認めることだけだ。それ以外に何か特別にしてほしいなどという図々しいことを言うつもりはない」

 その言葉にクローディアは瞠目した。

「それだけで良いんですか?」

「だけと言って貰っては困るがね。まあ、リベールには損はないさ」

「それを聞くとボクとしてはひっじょーに気になるわけだけど……エレボニアには損があるみたいじゃないかね?」

 アルシェムはそれに半分是、と答えた。損をするのは首謀者二人だけだ。実質オリヴァルトにとっては損得で言えるのならば得だともいえるだろう。だからこそ断ることなどない。オリヴァルトもまた、アルシェムの言葉に対して前向きな回答をした。そしてアルシェムにとってはそれだけでよかったのである。彼女らは確かに関係ない。だが、その二人にはクリティカルヒットするその情報を、アルシェムは握っているのだから。

 

 そう――《ハーメル》と《アルタイル・ロッジ》。その二つが鍵となる。

 

 運命が逆巻き、捻じれながら元に戻って。そこに不純物と耳障りな雑音を混ぜ。そしてまた構成されていく。その不純物を取り除こうが、雑音を無視しようが、もう遅い。

 

 この歯車はもう、止まらない。

 



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西ゼムリア通商会議・上

 旧226話~228話半ばまでのリメイクです。


 その日は西ゼムリア通商会議が始まる日。ある意味では運命の日だ。《アルセイユ》から戻った後に《特務支援課》はティオが戻ってようやく揃い、準備は万端である。会議に備えるべく午前中に支援要請を終わらせた一行は、それぞれがそれぞれの持ち場に着くべく動き始めた。アルシェムは市内の巡回と称して《赤い星座》を尾け、ジオフロントD区画へ。それ以外の特務支援課の一行は会議場へ。そしてアルシェムからの指示を受けた一行もまた、指定された場所へと移動した。

 会議場に辿り着いたロイド達は、そこに遊撃士のアガットがいることに気付いた。どうやら高位遊撃士として支える篭手の紋章の下、この会議を公平な立場で見守るために派遣されてきたようだ。もう一人アリオス・マクレインもその場にいたが、ロイド達が先に気付いたのはアガットの方だった。それもまた必然だろう。アリオスが守っていたのは会議場で、アガットはその周囲を巡回していたのだから。

 アガットはロイド達を見つけると、手招きしてこう告げた。

「警備か、お疲れ様だぜ。……気をつけた方が良い、アルテリア代表の護衛が姿を消してやがる」

「それは……」

「ああ、奴が何か破壊工作をするってわけじゃない。こういう微妙な空気を読むのが至極得意な男でな。……とにかく、警戒は怠るなよ」

 その鋭い視線で言われてしまえば、ロイド達にそれを拒否することは出来なかった。何かが起きる。その予感をもとに、ロイド達は念入りに巡回をしていく。ただ、何も見つからないということだけが不気味に感じられた。ティオにも何も感じられないこの状況は、何かしら予想外なことが起きそうで警戒すべきだとロイドに警鐘を鳴らし続けている。

 ただ、それが起きている場所は会議場ではなかっただけの話だ。

 

 ❖

 

 ジオフロントC区画では、微妙な空気が流れていた。そこにいたのは《銀》、ヴァルド・ヴァレス率いる元《サーベルバイパー》、そしてレオンハルトだ。全く以て意味が分からないメンツである上に普通であれば会話があるような連中ではない。故に無音であるかと言われれば、そうではなかった。敵を待つ以上は無音であった方がいいのだが、どうしても聞かなければやっていられなかったからだ。

 彼女――《銀》が口を開く。

「……何故お前は、そうやって平気な顔で表の人間の前に立てる?」

 その問いを発された相手は無論のことながらレオンハルトである。さしもの《銀》も《剣帝》の人相くらいは知っていた。遠目で見たことすらある。その時はまだ彼女は《銀》を継いでいたわけではなかったが、視界に入れていたはずだ。何せ《銀》装束の父の後ろにいたのだから。もしばれてしまっているのならば、命を賭してでも消さなければならない相手である。

 会話を足がかりにして油断を誘おうとした《銀》だったが、レオンハルトの答えに油断を誘われたのは彼女の方だった。

「罪は罪だ。赦されるとはこれっぽっちも思ってはいないさ。……だが、俺は償いのためだけにここにいるのではないのでな」

「では、何のために?」

「復讐だ。俺が生きること、そのものが奴に対する復讐になる。そして、俺の生きる方法はこうやって戦うことしかない。だから――彼女のために戦うと言いながら自分の復讐まで達成させようとする俺はまだまだ外道なのだろうな」

 その考えは、《銀》には理解出来ないもので。それでも、覚悟だけは見て取れた。あの外道神父の言いなりになって彼はここにいるのではないことで多少は安堵したのかもしれない。その時が来るまで、《銀》は静かに待った。

 

 それが、《銀》の『死』につながることなど――この時の彼女は知る由もなかった。

 

 ❖

 

 その頃、ジオフロントD区画では。

「暇」

「いや、アルシェム? 確かに暇だけどさ……これから暇じゃなくなるじゃん。その微妙に何か作り始めるの止めなって」

 アルシェムは市内の巡回に出ると称してジオフロントに侵入した挙句、そこに待ち受けていた装甲車を制圧したことで暇を持て余していた。よってその余暇をそこの装甲車の分解及びそこから取れる材料を駆使してのオーブメント細工作りに精を出していたのである。効果が微妙なモノから、ある意味凶悪なものまで。それらをどうするのかと問われるとまた困ることになるというのに、手持無沙汰な彼女は止まることを知らない。

 結局彼女が止まったのは、そこにテロリストがやって来る直前だった。

 

 ❖

 

 会議場内を巡回し、異常がないかを確認していたロイド達は突然呼び出しを喰らった。一人はギリアス・オズボーン。そしてもう一人はロックスミス大統領だった。どちらにも人となりを掴まれ、いかに宗主国としてのクロスベルに関する権益を自国が得るべきかを語られたロイド達は精神的に疲れていたが、それでも巡回を怠るわけにはいかない。

 そして。だからこそ、とでもいうべきなのか。そうやって職務に忠実であることは、警察関係者からの情報が早く入手できることと同義でもあったのだ。ダドリーから入手した情報は、自治州の境――エレボニアと、カルバードの境にあるレーダーが突如故障した、というものと《黒月》と《赤い星座》の主要メンバーの失踪だった。それはつまり空から何者かが侵入してくる可能性が上がったことを意味する。それも、テロリストが。

 それは当然、深く考えるまでもなく異常事態だ。その異常事態が何を意味するのか。それは、その事実にその時点で昼食を終えた各国代表がもう一度会議室に集まっているという事実を加えれば、窓の外から飛空艇によって会議場が襲撃されるという答えをはじき出すのにそう時間はかからなかった。ロイド達は顔を見合わせ、会議場へと向かい――そして。

 

 窓の外に浮かぶ、飛空艇を。見つけた。

 

 長ったらしい口上を要約すれば『死ねオズボーンとロックスミス』。その口上が終わるや否やアリオスの警告によって床に伏せる一同。その直後に始まる銃撃。ガラスが割れ、その銃撃が一同に襲い掛からない。その場を守る者として、アガットがその銃弾を重剣で斬り落とすというわけのわからない技術を発揮していた。ロイド達はそれを視認するや否や駆け出し、会議場の出入り口へと急ぐ。そこから逃げられてしまえば敵は目的を果たせないからだ。当然そちらにも敵がいる可能性が高い。

 そして、そこに辿り着くとほぼ同時に隔壁が降り、人形兵器が襲来した。

「……あら、ここにレンがいるって分かってないのかしらね? お馬鹿さん、《十三工房》。こんなの――一撃で終わらせてあげるわ!」

 裂帛の気合と共に放たれた大鎌は、過たず人形兵器を切り裂き、隔壁に弾かれて戻ってきた。それを眉を顰めてレンは見ていた。レンの大鎌は昔と同じもの。《外の理》によって作られたもので、斬り裂けないものなど本来ありえない。ならばあの壁は一体何で出来ているのか、と思索にふけりそうになるがそれどころではないと思い直してティオを仰ぎ見た。

 すると、彼女は軽く頷いて端末を弄り始めた。隔壁をハッキングして開けるための操作をするためだ。しかし、一瞬で出来ると思われた作業は難航している。どうやら隔壁を閉めておきたい側にもクラッカーがいるようだ。かといって、今の状況でロイド達に全ての人形兵器を任せられるかと問われると首をかしげざるを得ない。今のレンは戦うことしか出来ないのだ。人形兵器は間断なく追加されているのだから。

 レンは普段の余裕をかました態度からは想像できないくらい鋭く人形兵器を睨みつけていた。

 

 ❖

 

 そして、この事態を何となく理解していた少女がいる。IBCビルの内部から、アガットに危険がないようにハッキングを仕掛けて会議の様子を盗み見ていたティータだ。この時点で犯罪行為に聞こえるだろうが、生憎クロスベルではまだその行為は犯罪ではない。だからこそ自身に付き合ってまで危険な場所に来てくれたアガットのために彼女もまた動くのである。

 取り敢えず、ティータがアガットを助けるために今やらねばならないことは、隔壁を開けていつでも逃げられるようにするためのハッキングだ。アガットはティータに約束してくれた。『絶対にティータのところに帰ってくる』と。だからこそ、そのために出来ることは惜しまない。そして、それを実行して貰うためにはティータだけでは足りない。

だからこそ、近くで『ポムっと!』をして遊んでいたヨナに声をかけた。

「ヨナ君、ヨナ君、ちょっと手伝ってくれませんか?」

「何をだよ……って、お前、何してんだよ!?」

「ハッキングです。で、今ちょっとあっちが困ったことになってるみたいで……ティオさんが危ないみたいなんです」

 ティータがそう言うと、ヨナは目の色を変えて端末を覗き込み、状況を把握した。確かに今のままではティオだけでなく各国首脳も危ない。義憤に駆られるわけではないが、自分が頑張れば助けられる命があるのに放置するのは寝覚めが悪かった。それなら、とヨナも『ポムっと!』をやめて《オルキスタワー》へのハッキングを開始する。

彼女らが関わり始めて二分。それだけで、《オルキスタワー》の状況は一変するのだった。

 

 

ティータ達の協力によって空いた隔壁。それに付随するように得られた情報から、テロリストは地下へと向かったとティオは告げた。それを聞いたカリンは万事計画通りに動いている、と感じた。このまま《特務支援課》を地下に行かせ、この場の安全確保に動くべきだろう。それも、エレボニアとカルバードがしゃしゃり出て来る前に。

だからこそ、私が、と言おうとしたキリカとレクターに向けてカリンは告げるのだ。

「エレボニアの特使殿、それにカルバードの護衛殿。貴方方が離れてどうするのです? 狙われていたのは先の口上を聞く限りでは貴方方の主ではありませんか。私が行きます。ああ、一介のシスターだから爆弾の解除など出来るものかなどと言わなくても結構ですわ。その程度ならばなんとかできますので」

 そしてその場にいた一同に一礼すると、カリンは屋上へと駆けて行った。地下へと駆けていく《特務支援課》とは正反対に。彼女が辿り着いた時点で爆弾はあと数分で爆発する、と表示されていた。しかし、残念ながらカリンがそれを邪魔する構成員達を一瞬で倒し、やすやすと解体したことで爆弾は役目を果たすことが出来なくなったのであった。

 

 ❖

 

 地下まで下りたロイド達と遊撃士達、そしてダドリーは二手に分かれてテロリストたちを追うことにした。C区画に向かったアリオス、アガット、ダドリーは高温のジオフロントを抜け、進んでいく。そしてD区画に向かった《特務支援課》の一行もテロリストを追って進む。その先に何が待ち受けているのか、知っているのはこの場ではレンだけだ。

 

 その先で見たものは、ある意味では惨劇のような光景だった。

 

 ❖

 

 ジオフロントC区画では、ようやくテロリスト《反移民政策主義》がクロスベル脱出のためのルートを抜け出そうとしていた。ここを抜ければ国に帰り、またもう一度移民政策を続けるロックスミスを暗殺する機会がやって来る。彼らは少なくともそう信じていた。そう――目の前に、良く分からない組み合わせの人物たちが現れるまでは。

 一人目は分かる。《反移民政策主義》のメンバーを幾人も暗殺してきた東方人街の暗殺者《銀》。彼ならば確かにここにいてもおかしくはないだろう。ただ、それ以外の人物たちのチョイスの意味が分からない。一人は見るだけでエレボニア人だと分かるアッシュブロンドの男。そして、後の有象無象はトサカのような赤毛の男に率いられているようだ。全く以て意味が分からない。

 だからこそ、リーダーは問いを投げかけようとした。

「おい、ここで何を――」

「総員、戦闘開始。一人も殺してくれるなよ? 後が面倒なことになるからな」

 ただ、その問いに対しての返答は蹂躙だった。《銀》とアッシュブロンドの男に制圧され、赤毛の男率いる集団に捕縛されるまでに十五分ほどかかっただろうか。それが終わり、異変に気付いた《黒月》のツァオ・リーがその場に現れたころには、彼らの目的は果たせなくなっていた。《黒月》側から見れば《銀》の明白な裏切りに映ったことだろう。

 かくして《銀》という戦力を喪った《黒月》は、圧倒的な戦力を前に撤退することしか出来なかった。

 

 ❖

 

 そして、ジオフロントD区画では。

「いや、うん、やっぱさ。ここはリオ一人でも良かったかもね」

「それはまずいからアルシェムが来たんでしょ」

「そうなんだけどさ……」

 既に制圧された後の《帝国解放戦線》の連中がひとまとめにされていた。後で連行する予定だ。このまま転がしておけば、恐らく《赤い星座》は彼らを惨殺するだろう。故にこうして先に捕縛し、惨殺する理由を奪ったわけなのだが、如何せん暇すぎた。ロイド達がそこに辿り着いた時には既に撤収の準備まで整っていたくらいだ。市内の巡回はどうした、と問われても《赤い星座》の行動が不審だったと言い訳できるアルシェムに隙はない。

 ただ、その理由づけのためには当の《赤い星座》がどこにいるのかを説明しなければならないわけで。そのために、アルシェムは爆発的に膨れ上がった殺気の前に身を晒すのだ。最早使い慣れてしまった棒術具を手に、破壊された壁の破片から背後の人間達を守って。

 驚愕に目を見開くロイドを後目に、アルシェムは彼らに文句を言わせないための文言を吐いた。

「帝国政府からの依頼を受けての警戒、お疲れ様です、《赤い星座》の皆さん。ただ、今なさったことは明らかに器物損壊ですのでそういった行為は控えて下さると助かるのですが?」

「テメェらがテロリストかと思っただけだ。それと、帝国政府からは下手人共の処遇について一任されている。引き渡して貰おうか」

「おや、それは異なことを。相変わらず《鉄血宰相》ドノは皇族の意も汲まずのさばっているようですね。少なくともオリヴァルト殿下からはそういう話は聞いていません。勿論ユーゲント陛下からもね」

 そこに火花が散った気がした。それは勿論比喩表現だ。ただ、ティオとレンの目にははっきりと映った。今ここで迂闊に動けばすべてが破滅する。それを二人は分かっていた。そして、ロイド達もだ。今迂闊に動けば、折角捕えたテロリストたちが殺される。それがはっきりとわかったのだ。そして、彼らにとって全ての事実を明かされることは避けなければならないことだった。

 だからこそ――

「では、会議場にて彼らから事実確認を取りましょう。帝国政府――要するに《鉄血宰相》とオリヴァルト殿下から許可が出れば引き渡します」

 というアルシェムの言葉を、撤回させるために。《赤い星座》の総員はシグムントの意を汲んでその場にいた皆を殲滅すべくブレードライフルを存分に振るい始めた。それはまさに戦場。だが、誰一人として死なせる気のないアルシェムはそれを阻止するしかないのだ。たとえ誰か機に喰わない人間がそこに混ざっているのだとしても。誰か一人でも死なせてしまえば、相手の思うつぼだから。

 幸い、《赤い星座》は深追いしてこなかった。その場にいる人間の中にて誰が混じっていると分かると撤退したのだ。恐らく後から証言を追加してこちらの意見を封殺するつもりなのだろうが、ここで抹殺しなかった時点で彼らの負けだ。この直後にアルシェムはこの事態を最大限に利用するのだから。それを以て、最低な行為を最低な行為で推進させる。その後にクロスベルを乗っ取るつもりだ。

 

 そのために出来ることは、何だってやることにしていた。

 



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西ゼムリア通商会議・下

 旧228話半ば~229話のリメイクです。


 テロリストをそれぞれ捕縛し、ジオフロントから《オルキスタワー》に戻ろうとした一行は丁度C区画とD区画に分かれる分岐の地点で出会った。お互いに複雑そうな顔をしている。

 その中でもとりわけ複雑な顔をしているアリオスが、ロイドに問うた。

「む、そちらも確保できたのか。……誰か待ち伏せでもしていたのか、そちらも」

「そちらも? ということはそちらにもいたってことですか……?」

 そのロイドの疑問に、アリオスは遠い目で応えた。

「ああ。《自警団》の片割れと何故か《銀》と死んだことになっていた男がいた。そちらは……警備隊の彼女が?」

「いえ、リオさんだけじゃなく、アルとワジ達がいましたけど……死んだはずのって、その方ですか?」

 ロイドがアリオスの背後で真顔で手を振る男を指させば、アリオスは硬直した。当然だろう。彼はその男――レオンハルトの気配など一切感じてはいなかったのだから。

 身体ごと思い切り振りかえったアリオスは、その姿を視認していつもの泰然とした態度からは想像もつかない声を発した。

「……ふおぅ!?」

「確かに気配は消していたが、そこまで驚くことでもあるまい」

 そのあまりにもあんまりな声にレオンハルトは呆れたようにそう言った。ロイド達とは一応初対面――ティオは《影の国》で彼と面識がある――であるため、居住まいを正して現在の所属と名を名乗った。

「……アルテリア代表の護衛、レオンハルト・アストレイだ。勝手に動いて悪いとは思うが、見過ごせなかったものでな」

「いや、カリン姉に言われたんでしょ。尻に敷かれてるくせに」

「ぐっ……言うなアルシェム。俺だって好きで尻に敷かれているわけではない」

 その一気に弛緩した空気にロイド達は疑問を抱いた。またアルシェムの知り合いなのだろうが、カリン『姉』と『尻に敷かれている』という言葉があまりにも結び付かなかったためだ。その事実を知るレンとティオは苦笑するしかなかったのだが、それはそれである。カリンとレオンハルトの戦闘力ならば確かにレオンハルトの方が強い。ただ、交渉事や会話術などで優れるのはカリンだということだ。

 その疑問を感じ取ったアルシェムは、ロイド達に答えを告げた。

「ああ、アルテリア代表の名前思い出せる? カリン・アストレイ。一応わたしの元『家族』でね、レオン兄――レオンハルト・アストレイの奥さんだから」

「……も、もう何も突っ込まないでおきます……」

 ノエルがそう答えたのが一同の内心の表れでもあった。もう何も突っ込むまい。こうやって事件の中心に行けばいくほどに身近に関係者が出てくる事態というのはそろそろ慣れるべきなのかもしれなかった。

 それはさておき、テロリスト共を警備隊の控室に放り込んでから会議場で待つ代表たちに報告をしなければならなかったのだが、その説明をする人物を誰にするのかで多少もめた。当然だろう。ここはリーダーたるロイドがやるべきだ。ノエルも、エリィもそれを支持した。だが、アルシェムは譲らなかった。譲れなかったと言っても良い。この場合、勝率が――オズボーンとロックスミスとの会話で主導権を握れる確率のことだ――高いのはアルシェムの方なのだから。

 そして、結局ロイドが折れてアルシェムが矢面に立つことになった。会議場に入り、不安げな顔をして待つ一同と、例外が二人いるのを見てロイド達は内心で顔をしかめる。まるでこうなることを知っていたかのような表情だ。

 ただ、口を開くのはディーターに任せたようだった。

「それで、テロリスト共はどうなったのかね?」

「テロリストは無事、帝国と共和国の関係者の協力もあって全員確保できました」

 アルシェムがそう応えると、一同は安堵した。どういう意味での安堵だったのかを知る者はいないが、それでもどんな意味であれ安堵したのは確かだ。その言葉の意味を知らないままで、ロックスミスとオズボーンが引っ掛かれば良い。アルシェムはそう思っている。彼女は嘘を言っているわけではない。ただ、言っていないことがたくさんあるだけの話だ。

 そして、それに引っかかったのはロックスミスの方だった。

「おお、彼らは役に立ったかね」

「ええ、協力者の方々には大変お世話になりました」

 アルシェムがそう続ければ、オズボーンも微かに抱いた疑問を払しょくできたようで笑みを深める。ただ、クローディアとオリヴァルトは複雑な顔をしていた。彼らには分かっているのだ。彼女がこういう物言いをしているときは、何か引き出したい情報がある時なのだと。だからこそ、それに引っかかってしまったオズボーンを哀れなものを見る目で見ていた。

 そうとは知らず、オズボーンはある意味で決定的な一言を吐いた。

「それは重畳。彼らは私の個人的な友人でね、念のためにと向かわせたのが功を奏したようだな」

「全くですな。我々の友人がいなければこの場は危うかったでしょうなあ、うわっはっは!」

 オズボーンはにやにやと、ロックスミスは豪快に笑う。ただ、残念なことにアルシェムはその言葉を待っていたのだ。当然のことながら、オズボーンの友人やロックスミスの友人などこの捕縛劇には関わっていないのだから。だからこそその言質を取りたかったのだ。マフィアを使い、この襲撃自体を予測していたことを周知させるために。

 アルシェムは無表情で彼らに決定的な言葉を吐かせるために告げた。

「認識の齟齬があってはいけませんのでお伺いしたいのですが閣下、協力者のお名前をお聞かせ願えませんでしょうか。彼らは名乗って下さいませんでしたので」

 それに――二人は、乗せられた。

「何を言っているんだね、君は。無論私の友人たる《黒月》の名を知らないわけではないだろうに。かの《教団》ごときにしてやられた軟弱な警備隊とは違って優秀な連中だ」

「同感ですな。クロスベルの警備隊は信用ならない。その代わりに彼らを派遣したというのに……まさか警察までもが《赤い星座》の名を知らぬとは。程度が知れるというものだ」

 それが最後だ。この言葉を確かにアルシェムは待っていた。録音までしていた。彼らの言葉で事態をようやく飲み込み始めたロイド達には気付けない。アルシェムが何を突きつけようとしているのかを。ただ、この仕組まれた襲撃を利用するためにスタンバイしていたアルシェム一味には分かっていた。これが、最後通牒なのだと。彼らが引き返すとすればここしかなかったのだと。

 そして、告げた。

「その言葉に偽りはありませんね?」

「無論だとも」

「何が言いたいんだね、君は。無礼だろう」

 そう憮然とした表情で、アルシェムを見下すような言葉を吐いた彼らに対して――アルシェムは口角を吊り上げた。ここに証人はたくさんいる。メディアもいる。ここまで肯定してしまった以上、揉み消すことなど出来るはずがない。もっとも、揉み消すことなどさせるはずもないのだが。それでもメディアはこぞってこの件を報道せざるを得ないだろう。こんなスキャンダラスな事件はそうない。

 その一面の見出しを飾るだろう言葉を、アルシェムは吐いた。

「残念ながら認識に齟齬があるようですね。わたし達に協力してくれたのは彼らではありませんよ」

「……何?」

 クローディアは、その時確かに風向きが変わるのを感じた。アルシェムが扉の外に声をかけて中に引きいれた人物たちを見て顔をひきつらせもした。こういうことを仕組んだのかと。何故状況を詳しく読めたのかはクローディアには分からない。ただ、今この状況で出来ることは事実を事実だと認めることだ。そういう取引をしたのだから、当然だろう。

 そして、アルシェムはオズボーンたちに協力者を見せた。

「わたし達に協力してくれたのは彼らです」

「テロリストの一員ではなく、かね」

 ロックスミスがそう問うと、レオンハルトが顔をしかめて返答した。

「カルバードの大統領殿は一度紹介された護衛すらも忘れるのか?」

「いちいち護衛など覚えているわけも無かろう」

「……ならばもう一度名乗ろう。アルテリア代表の護衛、帝国南部《ハーメル》出身のレオンハルト・アストレイだ」

 それに次いでワジとヴァルド、リオが自己紹介をすると苦し紛れなのかロックスミスがなおも言い募る。『共和国の協力者がいない』と。そんなことを問う前に、《特務支援課》の素性でも洗っておけばよかったのだ。アルシェムが『それはロイドだ』と言うと鼻で笑われたが、ロイドにカルバードにいる親戚がいるのは事実なのだから。

 詭弁とそしられようが、アルシェムのやることは変わらない。簡潔に今回の件に関しての説明を行う。

「先日、両国からテロリストがお二方を狙ってやってくるという情報を小耳にはさみました。幸い、狙いがはっきりしていましたので警備隊の彼女と自警団の連中に逃走経路の妨害をお願いし、クロスベル警察と警備隊本体には会議場の警護をお願いいたしました。アルテリア代表の護衛に関しましては途中から勝手に首を突っ込んできましたがね」

 それに対して少々余裕を取り戻したオズボーンが問うた。

「では、テロリストの介入自体を防ぐ気はなかったということですかな?」

「クロスベルに入るまでのテロリストの行動を阻止する権限が、果たして自治州にありましたか? あれば何が何でも阻止しましたが、そもそもテロリストに狙われているという情報をあなた方が掴んでいないこと自体が驚きです。もし貴方方がテロリストの動向を掴んでいたとし、仮にもクロスベルを属国扱いするのであれば事前に通告があってしかるべきかと」

 そこで目線をディーターにやれば、彼は事態を呑みこんだ様子で自信満々にこう告げた。

「そんな通告は聞いておりませんな。マクダエル議長はどうです?」

「私も聞かされておりません」

 この時点で旗色が悪いと見て取ったオリヴァルトは、エレボニアの完全な失墜を防ぐために声を上げなければならなかった。彼とて皇族である。このままエレボニアが卑劣な行為をしたと周囲に認識されるのは避けておきたい。彼がするはずのない行為ではあるが、得てして人間という者は人種や民族、国家で人をくくって差別したがるものなのだから。

 故にオリヴァルトはオズボーンを窘めた。

「宰相殿、それにロックスミス大統領。ここは我々の分が悪いよ。……それに宰相殿。私は《赤い星座》とやらの件について何ら報告は受けていないのだがね?」

「……いえ、わざわざ皇子殿下の手を煩わせるまでもないかと思いまして」

 ただ、オリヴァルトの願いもむなしく追撃を掛ける者がいた。それは――

「あら、先ほどからお伺いしている限りでは《赤い星座》は外法認定直前まで行った猟兵団のことのように聞こえますわ」

「なっ――」

 カリンだった。彼女はエレボニアを貶めるために出来ることは何でもする。当然だろう。エレボニアに殺されかけた彼女にとって、最早エレボニアは祖国ですらないのだから。そこに払うべき敬意も存在しなければ、愛国心も存在しない。あるのは敵意と殺意のみ。だからこそ、彼女はいくらでも追及する。ついでにカルバードも巻き込むあたり、はた迷惑であるともいえるだろう。

 カリンは事態を説明した。

「つい最近、《赤い星座》《黒月》《西風の旅団》がアーティファクトの引き渡しを拒否してくださいまして。何とか回収できましたので見逃しましたが、次にアーティファクトに関わることがあれば即座に外法認定すると担当の者が宣言していたはずですわ」

「それは知らなかった。どうやら彼らとの友人関係は考え直した方がいいらしい」

「同感ですな。我々は騙されていたようです」

 このゼムリア大陸でアルテリアに逆らうほどバカバカしいことはない。それを知っているオズボーンとロックスミスはあっさりと《赤い星座》と《黒月》を見捨てることにしたようだ。見捨てられたとも知らない両者は恐らく彼らとは接触しないように対処はしているだろうが、接触した時が最後だろう。彼らへの間接的な嫌がらせである。

 そのあたりへの追及はもう出来ないと判断したカリンは矛先を変えた。

「そう言えば先ほど、オズボーン閣下もロックスミス閣下も面白いことをおっしゃっていましたね? かの《教団》とやらにしてやられた警備隊など信用ならない、とか」

「それがどうかしたかね、アストレイ代表」

「ふふ、おかしいですわね? 確か《教団》最大の《拠点》、カルバードのアルタイル市にあった《アルタイル・ロッジ》を制圧したのはクロスベルの警察官でしたわね。それに児童連続誘拐事件の解決にも各国からの協力を得ていたかと思うのですが? 軍を信頼できないのは一体どちらなのかしら。それに、《楽園》にミラを落とし、罪なき子供達を救うための情報を阻害したのは帝国の貴族様方でしたわよね? かの《教団》とやらにしてやられているのは貴方方なのでは?」

 それにロックスミスもオズボーンも反論できなかった。それがれっきとした事実だからだ。ロックスミスにもオズボーンにもそれを否定することができる材料がない。オズボーンに関しては、それに関連した貴族共を全て処罰することもできだが、それをすれば政治が回らなくなっていた。だからこそ、全員を処罰することは出来ていなかったのである。

 更にカリンは燃料を投下する。

「それに、軍が信頼ならないのはエレボニアも同じですわ。《ハーメル》の一件に関わったのは帝国軍で、万が一の時のために領邦軍も待機させていましたものね? 不幸な思い違いとは何だったのでしょう?」

「その件については終わったことだ。今更掘り返すことでも――」

「あら、その件を終わらせたのはリベールとエレボニアとでしょう。エレボニアと被害者との間ではありませんわね」

 オズボーンはその言葉に目を見開いた。その言葉が何を意味するのかを理解した瞬間、彼はカリンがどういう人間であるのかを察してしまったのである。これはマズイ。どうにかして止めなければならない。彼女の証言を止めさせるべくレクターに目くばせするが、彼は肩をすくめてそれを受け流した。レクターにとってこの事態はある意味悪い光景ではない。父を唆したオズボーンが追いつめられる姿が見られるのだから。

 苛立ちながらオズボーンはカリンに問う。

「一体何を言いたいのかね、アストレイ代表」

「軍が信頼できない、という話ですわ。リベールとの戦争のきっかけをつくり、その村の人間を全滅させようとする後ろ暗い軍など誰が信頼するのです?」

 その昏い笑みに、オズボーンは感情の制御できない小娘をあしらうために告げた。それが逆効果だとは知りもせず。

「その愚にもつかない言葉はどこから出ているのか、育ちが知り――」

「私の出身は《ハーメル》です。その場で全てを見ていました。そして、領邦軍が私達を殺そうとしていたのを見ていました。それを、愚にもつかないとおっしゃるの?」

 そのにらみ合いを終わらせたのは、結局オリヴァルトだった。止められるのは彼しかいなかったからだ。これ以上イメージを失墜させられない。それが分かっていて、オリヴァルトは《鉄血宰相》に全ての責任を押し付けるべく言葉を吐くしかなかったのだ。

「もうやめてくれたまえ、カリン代表。この者の処遇は国に帰ってから陛下に処断していただく。カリン代表と護衛殿には申し訳ないが、恐らく国からの謝罪は出来ないだろう――だから。これで納めてはくれまいか」

 そうやって、オリヴァルトは頭を下げた。これしか手段を思いつかなかったのだ。皇位継承権がないとはいえ、皇族であるオリヴァルトからの謝罪。これ以上良い条件での謝罪はエレボニアには望めない。だからこそ、彼は自身が泥をかぶることで納めたのだ。カリンもレオンハルトも、オリヴァルトにそこまでさせたいわけではなかった。ただ、起きてしまったことは戻らない。

 その後、会議はエレボニアやカルバード主導では行われなかった。レミフェリアやアルテリア、そしてリベールの主導のもと行われ、内容的には平穏無事に進めることが出来た。最後までオズボーンとロックスミスには発言権がほぼなかったが、それはそれだ。かといって問題が起きなかったかと言われればそういうわけでもなかったのだから。

 最後にディーターが発したこの言葉が、問題だったのだ。

 

「カリン代表が仰られたように、共和国、帝国の両国に信が置けないのは明らかです。よって、私は……ここに、クロスベルの独立を宣言したいと思います!」

 

その発言は、様々な波紋を呼んだ。しかし、ロックスミスとオズボーンの意のままにはならなかった。本来ならば、彼らはここでタングラム・ベルガード両門にそれぞれの軍を置くという提案をしようとしていたのだ。そこから芋づる式にクロスベルの利権を奪い取る。そんな予定だった。所詮、予定は予定。上手くはいかないものである。

ロックスミス・オズボーン両名は発言を赦されぬ空気のまま西ゼムリア通商会議は終わった。



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閑話・歴史の影で蠢くモノ4

 西ゼムリア通商会議が終わり、未だ混乱している中を神父が駆けずり回る。誰彼かまわず声をかけているのではないが、それでも膨大な数の人間に声をかけなければならない。地方も、市内も、それぞれに良い有力者たちがいるのだから。政治に長ける者。金融に長ける者。交易に長ける者。交渉に長ける者。それぞれに一人ずつ声をかけていくことで、『彼』は地盤を固めていく。

 だから、その有力者の中に『彼女』が含まれるのは当然のことだった。

 

 ❖

 

 その日、アルシェムはティータに呼ばれてIBCビルで待ち合わせをしていた。今から見せたいものがあるというのだ。夕方になってはいたものの、その内容が至極気になるものであったのでアルシェムはその招待を受けたのだ。そして、IBCビルから裏口を使って勝手に作っていたらしい地下研究室へと進むと――そこには、とんでもないものが眠っていた。

 それを見たアルシェムは、思わず突っ込んだ。

「いや、待ってティータ。この地下どんだけ深いの? つーかどうやって掘ったのさこんなの、ねえ、何で――」

 混乱のあまりアルシェムも動揺するしかない状況を、そこにいた紅の巨人が呆れたように見ていた、気がした。そう――『彼』こそはレンの騎士。ゴルディアス級人形兵器《パテル=マテル》である。それが、謎の機械に囲まれていたのだ。どこから突っ込んでいいか最早わからなかったが、取り敢えずどうにかしたのだろうと勝手に納得せざるを得なかった。なお、港湾区の水位が数リジュ下がっていることに気付いた者は少ない。

 アルシェムの混乱に、ティータが答えた。

「あっ、それはですね、ヨルグのおじいちゃんが手伝ってくれたんですよー。『レンの友人を名乗るのならば小娘、『彼』の整備位してみせろ』だそうです」

「お、おじいちゃーん!?」

「因みに二ヶ月で免許皆伝貰いました!」

「ティータ!?」

 どこから突っ込んでいいか分からない状況に、アルシェムは混乱することしか出来なかった。確かに最近リベール方面の情報は得られなくなっていた。だからと言ってコレは酷い。明らかに魔改造されているらしきティータの様子に、ただただ混乱しか出来てはいない。それも徐々に抑えつつあるのだが、突っ込みどころが多すぎて何から手を付けて良いのかわからない。

 ただ、何かから聞かなければこの状況は掴みきれないと判断したからこそアルシェムはティータに問うた。

「その、周りの子達は……」

「この子達はですね、《トーター》って言います。自律行動が可能な《パテル=マテル》さんの支援機ですね」

 何かからとは思ったものの、まさかそんな答えが返ってくるとは思いもしなかった。更に質問事項が増えたことにアルシェムは頭を抱えたが、ティータは止まることなく新生《パテル=マテル》と《トーター》の解説を始めた。

 

 ❖

 

 まずはですね、砲門を増やしました! え、何でって……何かしきりに《パテル=マテル》さんがこれをつけろって主張してきたからです。こう、解説書のページをめくって何回も指を指されれば流石の私でも分かりますよー。何かどうしても増やしてほしかったみたいなので、口径は下げて二門から四門に増やしました。で、威力も上げて高速化して……え、魔改造しすぎですか? その、えっと……ここからが本番なんですけどぉ。

 あとですね、《パテル=マテル》さんがどうしてもっていうんで『ラ・クレスト』のアーツの効果があるオーブメントを付けました。レンちゃんをどうしても傷つけたくないからって回数制限までないものをお願いされたんですけど、流石にそれは無理だったので妥協して貰いました。それでも十回は優に掛けられるようにしてあります。

それとですね、周囲を薙ぎ払える剣をつけました。近づかれたときに砲撃と手を振り回すことしか出来ないと不便だって思ったのかもしれません。勿論普通の剣じゃないですよ? あの、レグナートさんを止めるために作ったオーブメントがあってですね……アレをちょっと改造して付けました。結構な威力になっちゃってびっくりしましたけど、でもちゃんと扱えるみたいなんで。

更にですね、リヴァイバルシステムも改造しました。レンちゃんにしか効かないようになってた設定は切って、『アセラス』と『ティアラル』をほぼ誤差ぐらいの時間差で発動できるようにしたんです。新しいアーツを開発してるって? 何言ってるんですか、アルシェムさん。皆さん普通にそんなの開発してますって。だっていたって普通の組み合わせじゃないですか。

……さ、流石にレンちゃんの許可は取ってますよ!? ここまでやって許可を取ってなかったらレンちゃんに怒られちゃうもん。というかレンちゃんからは『彼の好きにさせてあげて』って言われたから、その通りにしてただけです。……まだ、見せられてないけど……うん、レンちゃんなら『凄いわねティータ』って言ってくれるって信じてます。

 で、そこまで改造したらですね、何か《パテル=マテル》さんの反応が鈍くなっちゃって。何でだろうって思ったらちょっと負荷が上がり過ぎてました。当然ですよね、あそこまで魔改造したんですから。……自覚ぐらいありますよぉ。なので調整しました。《パテル=マテル》さんってば、自分にかかる負荷のことなんて考えないでレンちゃんのためにって改造をお願いし続けてましたから……だから、ヨルグのおじいちゃんにも手伝ってもらって負荷を下げたんです。

 それで反応が前よりもちょっとだけ早くなったところでまた《パテル=マテル》さんがお願いして来たんです。『自分の分身が欲しい』って。だからどうすればいいかって考えながら『エイドロンギア』の技術も流用させて貰って自律式の機械人形《トーター》が出来たんです。本当は《パテル=マテル》さんの小型機みたいな感じにしたかったんですけど、流石に小型化するのには役割分担しなくちゃいけなくって……

 だから盾持ち《トーター》と剣持ち《トーター》、それに遠距離支援型《トーター》が出来たんです。それは全部《パテル=マテル》さんを通じてレンちゃんが動かせるようになっててですね……えっ、負荷ですか? 確かにまた上がりましたけど、何とかなりそうなんですよ。ヨルグのおじいちゃん、確か《星辰のコード》とか言ってたかな……それを使えば負荷を下げられるって。

 アルシェムさん? 何で頭を抱えてるんですか? あっ……えっと、それと、その……私もちょっと、悪乗りしすぎたというか……負荷を大部分消す方法を思いついちゃって、ですね。多分怒られちゃうから他の誰にも内緒にしてて欲しいんですけど、その……《福音》の技術をちょっと借りて、負荷の分を《異界》に逃がしちゃったりして……えへっ。

 アルシェムさん? えっと、えっと、どうしたんですか……? 反応がなくなっちゃった……どうしたんだろう。ものすっごい顔してるけど……そんなに変なこと、言ったかなあ?

 

 ❖

 

 アルシェムは遠い目をしておもむろに《ENIGMAⅡ》を取り出した。そして通信を始める。無論のことながら、通信先はレンだ。レンは数コールもしないうちに通信に出た。

『どうしたの、アル』

「……何だろう、わたし、夢を見てるのかもしれない……」

『アル!? ちょっと、本当にどうしたのよ? 今どこにいるのかしら?』

 遠い目をしながらアルシェムはレンに居場所を伝えた。そもそもレンがこれを知っているかどうかによって混乱具合は変わるのだが、残念なことにレンも《パテル=マテル》の大魔改造については知らなかったようだ。アルシェムは緊急事態と勘違いしかけたレンを宥め、ティータにレンを迎えにやらせた。そして《パテル=マテル》と『二人』きりになったアルシェムは彼に触れる。

 そして、独り言のように呟いた。

「……ねえ、《パテル=マテル》。そこまでしてレンを守りたいのは何で?」

 無論のことながら返事があるわけがない。アルシェムはそう思っていた。しかし――

 

『レンだけ、違う。私が守るのはレンと、レンの好きな人達』

 

 そう、返答があったことに瞠目する。それは確かに感情を感じさせる声で。確かにさまざまな要求をティータにするだけのことはあるだけの知性を感じさせた。どうやら、彼女の知らない間に知性を獲得していたらしい。あるいはそれこそがゴルディアス級機械人形の製作の目的だったのか。それを知る者は今ここにはいない。ただ、《パテル=マテル》が確固たる意志を持ったのは事実だ。

 だからこそ、彼も疑問を抱くのだ。確固たる意志を持ったから。

『私も聞く。何故私から貴女のアカウントを消した?』

 それに対して、アルシェムは中途半端な答えを言うことは赦されなかった。レンのために、と言えば確かに聞こえは良かっただろう。訣別のため、というのも理由としてはあるだろう。だが、それだけではなかった。確かにアルシェムの中にその理由はあったのだ。それが何であったのか、言葉に出来るようになるには今までかかったが。

 その言葉を、アルシェムは《パテル=マテル》に返した。

「わたしと、あなたとでは寿命が違うからだよ。わたしが目的を果たせば……あなたの方が、絶対に、先に死ぬから」

 それは道理でもあった。形あるものはいつか滅びる。アルシェムが『アルシェム・シエル=デミウルゴス』でいられなくなるように、《パテル=マテル》も機械人形である以上はいつか朽ち果てる。たとえ形を変えて生き延びるのだとしても、いつか原形をとどめなくなって『死ぬ』のは分かり切ったことだ。だからこそ、切り離した。あの時は自覚していなくとも、『生きる時間が違う』から。

 だが、《パテル=マテル》は――

 

『嘘。私は何度でも直せば隣にいる。貴女はレンと一緒にいられなくなる。だからアカウントを消した。違う?』

 

 そんなアルシェムの欺瞞さえも打ち砕いた。その通りだ。《パテル=マテル》はレンの騎士。そしてアルシェムはレンとは一緒に生きられない。いつか死に別れる。レンが先に死ぬことによって。もっとも、それよりも先に『アルシェム・シエル=デミウルゴス』として死ぬのは代わりのないことなのだが。ただ、その後の全ての策が成功すれば、彼女は悠久を生きることになる。それに《パテル=マテル》ですら並び立てない。

 だが、アルシェムはそれを認めようとはしない。

「……あなたはレンじゃない。《パテル=マテル》、わたしは――あなたと共に生きたいとは、思わない」

『それは貴女が楽になりたいから。私と一緒にいるのは苦しいから。貴女は本当は――』

「黙って。それ以上は聞きたくない」

 それもまた嘘だった。聞きたくないのならば、聞かなければ良いだけの話なのだ。耳を閉ざし、感覚を閉ざしさえすればその言葉は聞こえないのだから。だが、アルシェムはそれをしない。それが真実だと理解しているからこそ、それが出来ないのだ。それを認めたくなくても、嫌というほどわかり切っていることだとしても、他人から言われるのは嫌だったのだ。

 なればこそ、アルシェムはその言葉を聞くしかなかった。

 

『――誰よりも、弱い人だから』

 

 その後、アルシェムはどうやって支援課ビルに戻ってきたのか覚えていない。それでもやるべきことはやったはずだ。ティータに協力を要請し、アガットにも変な邪魔をしないように要請した。それだけのはずだ。

その日から数日、彼女は荒れた。街道から魔獣が激減したのは言うまでもない。

 

 ❖

 

 リーシャ・マオは苛立ちながら《アルカンシェル》へと向かい、イリアにそれを見抜かれて練習を中止させられた。それほどまでに感情を制御できなかったのは、ひとえに『エル』の情報をあの神父から得られていないからに他ならない。彼女が必死に求めている情報を持ってくるどころか、出会いすらしないというのは協力した身としては不本意でしかなかった。

 だからこそ、唐突に部屋に現れた気配に向けて怒鳴ってしまうのも無理はない。

「遅いです! 今までどこをほっつき歩いてたんですかッ!」

 それに対し、神父は仮面の奥で瞠目していた。それに多少溜飲は下がったものの、リーシャの怒りが完全に収まることはない。長年にわたって協力関係にあった《黒月》と手を切らされてしまった以上、《銀》としての活動は存続の危機ですらあるのだ。東方人街の魔人が、クロスベルに協力することなど本来であればあってはならないのだから。

 そのあってはならないことを強要した神父から報酬を貰うのは当然のことだ。少なくともリーシャはそう思っていた。

「こちらにも都合というものがある。……それに、『彼女』にも許可を得なくてはならなかったからな」

「エルに……?」

 眉を顰め、リーシャは問う。『エル』に関して全ての権限を持っているであろうこの神父が、今更『エル』に許可を得ることなどありはしないはずなのにそう言うあたりがうさん臭くて仕方がない。

しかし、彼はそれでもリーシャの欲する情報を渡した。

「お前の言う『エル』はこのクロスベル市内にいる。もしかしたらどこかですれ違っているかも知れんな?」

「……それは、貴方が命令したからですか」

「いいや。そもそもクロスベルに来たがったのは彼女の方だ。彼女が生まれたのはここ、クロスベルらしいからな」

 その情報にリーシャは瞠目した。『エル』が生まれたのがクロスベルだというのが真実だとしよう。それならば、彼女の家族がここにいる可能性もまた高まる。これまでどうやっても知ることの出来なかった情報を得られるかもしれない。何故『エル』が血まみれで東方人街に現れ、父に拾われたのかを知るチャンスだ。リーシャはそう判断した。

その情報は確かにリーシャにとっては得難いものであり、同時に全く以て無意味な情報でもある。何故なら、確かに『アルシェム・シエル』はクロスベルで『発生』したが、自我を持ったのはエレボニアの《ハーメル》であるからだ。そう言う意味では人間としての人生を始められた場所は《ハーメル》であったともいえる。そして、クロスベルに『アルシェム・シエル』と血のつながったものは存在しない。

得難い情報に思わず涙腺が緩みそうになったリーシャを、神父はどこまでも冷たい目で見ていた。このままリーシャを見ていれば、うっかり漏らしてしまいそうだ。『エル』が本当はニンゲンですらないことも。滅びの運命からは逃げられないことも。そして――それが、目の前に立つ自分であるということも。勿論それを最後まで言うつもりはない。知ったところで何が出来るわけでもないと分かっているからだ。

だからこそ、それを告げる代わりに伝言の体を取って伝えた。

「ただ、こちらから面会をセッティングすることはないと言っておこう。……彼女がそれを望まないのでね」

「結構です。そんな、見張られているみたいな面会なんて……後は、自分で探します」

「……そうか。ならばせいぜい探すと良い」

「言われなくてもそうします」

 そう言ってうずうずし始めたリーシャを見て、神父はその場から立ち去った。このまま居座り続ければ嫌味の一つや二つ貰っただろうが、それ以上に耐えられそうになかったからだ。ああして一途に探し続けてくれているリーシャが、真実を知った時どんな反応をするのか。勿論、神父がアルシェムであるという事実を知った時、という意味ではない。

 

 『エル』がニンゲンではないと知った時。その正体を理解した時の、その反応だ。

 

 リーシャならば受け入れてくれる、と純粋に信じられるほど、アルシェムは無知な小娘ではなかった。むしろ責められるだろう。蔑まれるだろう。リーシャが《銀》であるという運命を変えないまま放置したのは、ある意味では『アルシェム』であり□□□なのだから。彼女がいずれ人殺しを厭うようになるのは分かっていた。だが、その苦しみから解放してあげたいとは思っていなかった。

 

 だからこそ、アルシェムは初めて好都合だと思った。彼女が何も知らないままで、『アルシェム・シエル=デミウルゴス』が死ぬことを。

 



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~インターミッション・ミシュラム~
変態ガムテープの捕縛


 旧230話~231話半ばまでのリメイクです。


 西ゼムリア通商会議から数日。市長令嬢にしてIBC総裁マリアベル・クロイスから、《特務支援課》一行は招待を受けた。数日間のミシュラムへの招待である。それを受けたのは、彼らだけではなかった。先日の騒ぎに関わった人間達や、《アルカンシェル》のメンバーなど実に様々な人間が招待を受けたのである。それを断る理由などなかったロイドは、了承の意を返していた。

 そして当日集まってみれば、何とも混沌とした人間達が集っている。《特務支援課》のロイド、ティオ、ランディ、エリィ、ノエル、レン、アルシェム、オペレーターのフランと居候のキーア。そして自警団のワジとヴァルド。ウルスラ病院からセシルに、《アルカンシェル》からイリア、リーシャ、シュリ。リオも招待を受けていたらしいが、有休が取れず見送ったそうだ。

 そんな混沌としたメンバーを、マリアベルはミシュラムのホテルの最上階スイートに割り振った。男性陣の集う部屋。女性陣の部屋。幼女たちの部屋。そして何のあまりものなのか、リーシャとアルシェムの二人部屋である。何かしらの作為を感じないでもない部屋割りだが、こっそりとリーシャがマリアベルに頼んでいたのを地獄耳で聞いていたアルシェムは諦めるしかなかった。

 一同は部屋で荷物を置き、ビーチへと繰り出す予定になっている。水着を持っていなければ貸して貰えるとのことで、リーシャは持ってきてはいなかった。そのため、荷解きだけをして多少できるであろう時間をアルシェムとの会話に使おうと思っていたのだ。たった一言問うだけの、その会話を始めたいと。『貴女は『エル』ではないんですか』という、その問いを。

 しかし、問われるべき人物――アルシェムは微妙な顔で考え込んでいた。

「ど、どうしたんですか、アルシェムさん?」

 リーシャが思わず問うと、アルシェムは荷物を置いたまま彼女に向き直った。そこには隠しきれないほど困っている様子が見受けられる。何に困っているのかと問われるとリーシャには分からない。だが、アルシェムにとってはある意味死活問題だった。以前、リベールのジェニス王立学園で制服を拒んだのと同じ理由で困っているのである。

 それを、アルシェムは遠回しにリーシャに伝えた。

「水着、あんまり好きじゃないんだよね」

「そうなんですか? アルシェムさん、何でも似合いそうなのに……」

「……えっと、リーシャさんや。自分のプロポーションとわたしのを比べてみてからそーゆーこと言ってくれる? 結構虚しいんだからね、こっちは」

 複雑な顔でアルシェムがそう言えば、リーシャは自分の胸を見下ろした。相変わらず邪魔な爆乳だ。そしてアルシェムを見た。うらやましいほどにスレンダーだ。どこがどう虚しいのか、リーシャには全く以てわからなかった。あまりにも大きすぎる胸は邪魔なだけなのだ。走ると痛い。もげそうになる。谷間に汗がたまる。肉の重みで肩がこる。実に大変なのである。ないものには分からない悩みではあるのだが。

 故に、リーシャは持たぬ者に対して言い放ってしまったのである。

「私はアルシェムさんのプロポーション、羨ましいですけど……」

「リーシャさんに言ったわたしがバカだった。さ、行こっか、待たせちゃ悪いし」

「あ、はい」

 アルシェムの有無も言わせぬ表情に、リーシャは従うしかなかった。何を間違えたのか全く分からなかったが、とにかく言ってはいけないことを言ったのだということは理解した。だが、それに対して謝罪をするのも何かが違う気がして、だから雰囲気がこの微妙な空気を吹き飛ばしてくれることを期待したのである。このまま会話のないままこの機会を終わらせるわけにはいかないのだから。

 そして、その空気を吹き飛ばしてくれたのはイリアとエリィだった。

「あら、アル。水着はどうしたの? 借りられたわよね?」

「絶対ヤダ」

 そう言って拒絶するアルシェムに対して絡んできたのはイリアだ。こういう空気を敢えて読まないようにするイリアは、ムードメーカーでありムードブレイカーでもある。今回は勿論後者だ。

 目を爛々と輝かせ、エリィに目くばせしてアルシェムの腕を取った。

「駄目よ、こういう時こそ乗らなくちゃ! さ、エリィさん、行くわよ!」

「はい、イリアさん!」

「えっ、ちょ、何、あーれー……」

 反対側から腕を取ったエリィにも引きずられ、アルシェムは貸水着の受付まで引きずられていくことになった。勿論アルシェムは大人げなかったので、水着を選ぶことはなく、選ばれた水着と共に更衣室に押し込められたことをこれ幸いと隠形で姿を消してその場から離れたのである。そうするしか回避する方法はなかった。勿論探し回られても困るので、ビーチにはいかないことをティオには伝えておいたが。

 そしてホテルの部屋に戻れば、妙な来客に会うのである。

「……いや、不法侵入だからね?」

「匿って頂戴。追われているのよ」

「今更誰に――って。いや、何で逃げるのルシオラ」

 部屋の中に潜んでいたのは青い髪の女性――ルシオラであった。誰かに追われていると聞いてすかさず気配を探ってみれば、懐かしい気配が近づいている。ということは、《身喰らう蛇》からの追手ではないということで。ならばアルシェムのとる手段は一つしかなかった。何故なら、『ルシオラ・ハーヴェイを完全に《身喰らう蛇》から抜けさせる』には、彼女に捕まってもらうのが一番いいのだから。

 部屋の鍵をピッキングで開け、突入してきたのはシェラザードだった。

「ルシオラ姐さん!」

 勿論、シェラザードの目に飛び込んでくるのはルシオラとアルシェムである。そもそもここはリベールでもなければピッキングは犯罪であるなどなど色々と言わなければならないことはあったのだが、かなりせっぱつまった様子のシェラザードにアルシェムはそれを言うのを止めた。今はルシオラを犯罪組織から抜けさせることの方が大事だからだ。

アルシェムはルシオラに逃げられないように腕をつかむと、シェラザードに向けて突き出した。

「ハーイ、シェラさん。ルシオラならここ。はいどーぞ」

 それにルシオラは全力で抵抗しようとするのだが、元々戦闘員であるアルシェムと後方支援担当のルシオラとでは力が違いすぎる。理由は勿論それだけではないのだが、近接戦闘術に優れるのは勿論アルシェムの方だ。ルシオラは離れることすらままならないままもがくが、残念ながらアルシェムの拘束から逃れることは出来なかった。

 業を煮やしたルシオラはアルシェムに怒鳴る。

「ちょっとシエル! 何で止めてちょっと待って気持ちの整理が!」

「いや、何でアルがここにいるのよ!?」

 ちょっとした混沌に巻き込まれそうになったアルシェムだったが、どうにか抜け出してホテルのフロントへと向かう。あのままあの部屋で騒ぎ続けられれば面倒なことが起きるに違いないからだ。フロントでもう一部屋借りたい旨を告げ、ミラを払って鍵を受け取る。そして与えられた部屋へと戻ると、ルシオラがまた逃げようとしていたので捕縛した。

 それを見てシェラザードが親指を立てた。

「グッジョブ、アル!」

「……一応ここさ、わたしだけが取ってる部屋じゃないんだよね。だから下の部屋取ってきた。そこで話し合ってよ、もう……」

「何から何まで悪いわね。後でミラは返すわ! 姐さんから取り立ててね」

 どうやらシェラザードはルシオラを逃がすつもりはないらしい。うっかり真下の部屋を取ったことが災いし、アルシェムはその会話の内容を把握してしまった。シェラザードが容赦なく怒鳴るからでもあるが、それでも聞こえてしまうものは聞こえてしまうのである。結局のところはルシオラはシェラザードと共に生きることになり、まずは遊撃士になるところから始めるらしい。どんな遊撃士だと突っ込んではならないのである。

 そしてその言質を取ったシェラザードがすることはと言えば――酒盛りだ。いきなり強い酒をかなりの数注文したのが聞こえてしまったアルシェムは、慌てて階下に向かう。そこには既に並べられたボトルがあり、ホテルの従業員が引き攣った顔でボトルを運び入れていた。赤ワイン、白ワイン、ロゼ、蒸留酒などなど、その部屋に運び込まれる酒は様々だ。

 それを見てアルシェムは思わず突っ込んだ。

「いや、ホテルの人がドン引きしてるから……」

「あ~、アルぅ~。お代わりぃ!」

「酔っぱらうの早過ぎでしょ……はぁ」

 ルシオラも黙ったまま酒を飲んでいたが、素面のように見えてどうやらあれは相当回っているようだ。いつもよりもかなりのハイペースで杯を干していくあたり、やけくそになっているような気がしないでもない。呑めば呑むほどシェラザードから酒を注がれているのだから、結構なペースで呑んでいるはずなのだがそれでも辛そうにはしていないあたり、ルシオラも結構なザルのようだ。

これを一体どうすべきかと考えていると、《ENIGMAⅡ》が鳴った。番号を見るとロイドである。あまり出たくはなかったが、出ないとうるさいのでアルシェムは通話ボタンを押した。

「はいアルシェム・シエル」

『アル、ミシュラム・ワンダーランドにも来ないつもりか?』

 その責めるような口調に、アルシェムは辟易した。放っておいてほしいものだ。折角ビーチにも行かないで済んだというのに、何故今更騒がしい場所に行かなければならないというのか。慰労会だというのならばゆっくり静かに休憩させてほしいものである。だが、ロイドはそうは思っていないのだろうとアルシェムは思った。アルシェムは団体でいたいとは思わないのだ。

 だからこそ遠回しに拒絶する。

「……流石に遊園地で騒ぐような年齢じゃないんだけど……」

『皆と一緒に息抜きっていうのは……やっぱり、アルには向いてないんだな』

「まあね。一人でいるときの方が楽なんだよ、ロイド。マリアベル嬢の心遣いは有り難いけどね。もしチケットがあるんなら皆に配っちゃって。こっちはこっちで知り合いに会っちゃったから合流できないって言っとけば万事解決するし」

 そのあまりにも軽い口調に、ロイドは考え込んでしまったようだ。通話口で聞こえるざわめきの中に、皆の声がある。何故来ない。協調性がない。疲れてるのかしら。そこまでして一緒にいたくないの? そんな言葉が聞こえてくる。ロイドには聞こえないかもしれない。だが、感応力が上がっている今のアルシェムにはそれがはっきりと聞こえた。

 それが聞こえていないロイドは、怒りをにじませた声でアルシェムに問う。

『それは、嘘か?』

「いんや事実。まさかこんなところで会うとは思ってなかった人たちなんだけど……その、深酒始めちゃってるし、目を離したらちょっと不味そう……あっ、ちょっとシェラさん!」

 アルシェムが声を上げると、シェラザードはアルシェムから《ENIGMAⅡ》を奪い取った。そしてそれをしげしげと眺めると、スピーカーに向けて話し出す。

「はぁ~い、アルのお友達? というかこれ何、通信機? いや~、凄いわね、ここまで技術って進んでるのね~!」

 あはははははは、と馬鹿みたいに笑うシェラザードに、アルシェムは奪い取られた《ENIGMAⅡ》を即座に奪い返すのを諦めた。通話先のロイドが困惑しているのが聞こえるが、これで嘘ではないと分かるだろう。ロイド達といるのが面倒だというのは確かにある。ただ、今はこの状態のシェラザードから目を離すのは危険すぎた。一応は『外国人』扱いになるのだから、問題を起こせば外交問題になりかねない。

 通話先がいきなり変わったロイドは困惑した様子で声をあげた。

『あの、どちら様で――』

「ぁにぃ~? アタシを知らないの~?」

 その様子に、ロイドも相手が尋常な様子ではないことが察せられたようだ。下手に刺激すると危ない類の人間であると把握し、即座に警察官として培った交渉のスキルをフル稼働させる。勿論才能の無駄遣いだが、今ここで下手にその人物を刺激して暴れられる方が面倒なことになる。最悪休みを返上しなくてはならなくなるかもしれないとあって、ロイドは慎重だった。

 ゆっくりとロイドはシェラザードに告げる。

『ええっと……アルに代わってくれますか?』

「アタシの話が聞けないってかぁ~? この優男がぁ、あはははははは!」

 その微妙にかみ合わない会話にアルシェムは頭を抱えた。これは駄目だ。放置してはいけない。むしろ部屋の中に監禁する勢いでないと色々と不味いことが起きそうである。主に未成年に酒を飲ませにかかる、など。クロスベルでそんなことをやらかした暁にはエレボニアやカルバードから何を言われるか分かったものではないのである。

 アルシェムはくねくねと体を動かすシェラザードから苦労して《ENIGMAⅡ》を取り返すと、ロイドに告げる。

「えっと、この人リベールの遊撃士なんだけど、酒癖があんまりよろしくないからちょっと見張ってるってこらシェラさん! ほんっと、あんたの報酬絶対全部酒に化けさせてどーすんの!?」

 視線の先では、騒がしくしていたからか様子を見に来たホテルの従業員に強引に酒を持って来させようとさせているシェラザードの姿がある。勿論従業員は拒否しようとするのだが、彼らも無理に刺激すれば危険であることを身にしみて分かっている。これまでの接客の経験がそう告げていた。そのため、最後には諦めて酒を取りに行った。賢明な判断である。

「え~、らってクロスベルのお酒って珍しいの多いしぃ~。ね~、クロスベルのおにーさんもそう思うでしょ? でしょでしょ?」

 既にろれつが回っていないが、そう言えばこれもシェラザードのいつもの光景だったなとアルシェムは思い出した。酒を飲んで、酔っ払っているように見せかけて実は酔っていないなどというのはよくある話だ。そうやって情報収集をしていることもあったし、そうやって相手を罠に嵌めにかかっているらしいというのも聞いたことがあった。

 その微妙に絡んでくるシェラザードに辟易としたのか、ロイドが引き攣った声で返答する。

『……悪かった、アル。その……応援してる……』

「皆にもゴメンって言っといてロイド。コレは目を離しちゃいけない奴だから……もー! シェラさん! 追加でそんな高い酒頼むな! そんでそんなところからミラ出すんじゃない!」

 その途中で通話は終わったが、その代償はあまりにも重かった。シェラザードの様子がいきなり急変したのだ。

「で、アル。ここまでアタシにやらせたんだから何か奢りなさいよ」

 どうやら先ほどまでの会話は全て酔っぱらったふりだったらしい。酒を飲んでいたのは事実で、実際酒臭いのだが彼女は一切酔っぱらってはいなかった。アルシェムが困っているのを察したようだ。それであんな会話をし、ロイド達から引き離しにかかった。そういうことだ。シェラザードは知っている。アルシェムが単独行動を好むことを。だからこそ、そういう場に行きたくないのだと察することが出来たのだ。

 アルシェムは急変したシェラザードにドン引きしながらこう返す。

「うっわ普通に素面……そうだね、助かった。うーんここで一番珍しいのはっと……あーこれだな。東方酒スパークリング《月下美人》」

「東方酒ですって!? うふふ、楽しみだわ~、じゅるり」

 心底楽しそうな声でそう言ったシェラザードは、結局ロイド達がアルシェムを迎えに来るまで呑み続けた。ルシオラは途中で酔いつぶれて寝ていたのでロイド達とは顔を合わせていないのだが、シェラザードとロイド達とは非常に残念な顔合わせになった。なお、ランディやワジですらシェラザードとの酒盛りをすることは拒否したことをここに追記しておく。そこかしこに転がっている尋常ではない数のボトルに彼らもドン引きしたのだ。

 その後、正装したうえで会食に参加させられたアルシェムは遠い目でそれを食べ、残った分をこっそりと処分しながらディーターの会話を聞く羽目になったのは言うまでもない。

 

 かちり、とどこかで音がした。それは、最期へと至るための歯車が回り始める音だった。

 



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銀色に輝く月の下で

 旧231話半ば~231話終わりまでのリメイクです。


 深夜。誰もが寝静まっているはずの、その時間に。起きているものがいた。一人は昼間から悶々としていたリーシャ・マオ。そして同じ部屋でそれを察していたアルシェムである。その他の部屋でもちらほらと起きている人物たちがいないではないが、ほとんどが疲れ切って眠りについていた。久々の休暇を満喫したらしいその姿は微笑ましくすらある。もっとも、休暇の楽しみ方は人それぞれであり、楽しめなかった者もいたのだが。

 誰もが寝ていると、分かっているからだろうか。リーシャがいつもとは違う行動を起こすことに躊躇いはなかった。窓の外には静かに輝く月。それは確かにリーシャの背を押してくれていた。誰も聞いていないから、聞けることがある。マリアベルから誘いを受けた時に頼み込んでまで同室にして貰ったのだ。それを聞くタイミングは今しかない。そう、思った。

 そう思ったのに――彼女は、いつの間にか消えていた。

「え……っ、今しか、ないのに……!」

 その焦燥が、『リーシャ・マオ』では出来ないことをさせる。軽く目を閉じて気配を探り、そこにいるはずのない人間の気配がすることを察知した。その場所はホテルの屋上だ。そこに、誰かがいる。部屋を出て行った時のように気配を消しているわけでもなく、どうやらぼんやりとしているようだ。それなら、もしかすると話してくれるかもしれない。

 その期待を胸に、リーシャは屋上へと上がった。歓楽街では見えない星に、息をのみそうになる。それでも目的は星空を見上げることではなく、月下の女に話しかけることだ。彼女もリーシャが来たことには気付いているのだろうが、それでも体は弛緩させたままだった。どうやら逃げる気はないらしい。リーシャはゆっくりと彼女――アルシェムに近づいた。

 すると、彼女は起き上がってリーシャを視認した。

「どったの、リーシャさん。こんなところで」

「……それはこっちのセリフです。起きたらアルシェムさんがいなくて吃驚したんですからね?」

 出来得る限りいつも通り、をリーシャは心がけたはずだった。しかし、アルシェムはそうは取らなかったようで、いつもの様子とは違う行動を起こす。いつもならばリーシャからは絶妙に視線を逸らしてくるのだ。ただ、今はリーシャを静かに見つめていた。その顔が、リーシャにはやはり『エル』とかぶって見えて仕方がない。彼女は半ば確信していることであるが、『アルシェム』はかつて『エル』だったのだから当然だ。

 その光景に、リーシャは思わず声を漏らす。

「……やっぱり、エル……」

 それをアルシェムは聞こえなかったことにした。今ここで認めたところで彼女が傷つくだけなのだから。『エル』は――『アルシェム・シエル=デミウルゴス』は死ぬ。だからこそ、ここでそれを明かしてしまうことは出来ない。たとえ彼女のことも『家族』だと思っていたのだとしても、否――思っているからこそ。いずれ死ぬ自身を『エル』だと認めるわけにはいかなかった。

 だからこそ、視線の代わりに話を逸らした。

「月が綺麗だね」

 それだけのはずだったのだが、リーシャは過剰に反応した。

「ブハッ、げっほ、ごほっ……な、ななな何を言ってるんですか!?」

「……うん、落ち着いて。何、どういう意味があんの東方では」

 アルシェムは知っていて問う。というよりも言ってから思い出したのだ。ここにいるのが別の男でなくて本当に良かったと思っている。流石に隠喩表現で『愛している』だなどと男に言う趣味はないのだ。女には言ってしまったが、うっかりしていなければ言うつもりもなかった。ただ、頭上の月が綺麗なのは事実だ。それを隠喩表現なしに伝える方法など、アルシェムには思いつかない。

 ただ、リーシャは真面目に返答してくれた。

「その……東方の国の一つで、愛の言葉を告げる外国語を直訳するのを良しとしない国がありまして……それで、『そこは月が綺麗だとでもしておきなさい』という逸話があるんです」

「別に花が綺麗だでも空が綺麗だでも何でも良いんだけど……うん、迂闊だった、ゴメン」

 そこで沈黙が流れる。それは居心地の悪いものでもなく、ただ二人は空を見上げた。燦然と輝く月。役柄として《月の姫》を演じたリーシャには、本当に月が似合った。そしてリーシャも、アルシェムを見て『月が似合う』と思った。表舞台に立ちたがらない、不思議な女。本来であれば《特務支援課》の中でも屈指の実力者であるというのに、華々しく活躍するロイド達の陰に隠れてほとんど誰からもそう認識されていない。

 だから、問うてみようと思った。

「アルシェムさんは……月は、お好きですか?」

「嫌いじゃないよ。太陽よりは好きかな。……何より、昔のあの子みたいだから」

 その予想外の答えは、リーシャに動悸を引き起こさせた。昔のリーシャも――今もだが――よく、言われていたのだ。『月のようになれ』と。狂気を孕み、誰かの望みを叶え、その結果で世の中を照らす、そんな月のようになれと。うぬぼれるわけではないが、今この状況でアルシェムの口からその言葉が出たことに、らしくもなく期待してしまっていた。

 だが、その期待は裏切られた。

「……レンのことだよ。昔はずーっと、ああやって誰かから望まれたことを写し取ってた。そんなことをしたって本当に認められるってわけじゃないのにね」

「……レンさん、ですか……」

「ああ、もちろん今は違うよ? あの子は自分の足で歩き始めた。だから、あの子は今は月じゃなくて星なんだよ。誰から見えなくても、自分のために輝いてるんだから。そう言う意味ではリーシャさんも星なんじゃないかな、なんつってね。いきなり何言ってんだか……こりゃ月の魔力にでも当てられたかな」

 そう言って唐突に顔を赤らめ、リーシャから視線をそらしてしまう。それでもリーシャはその言葉に込められた意味を把握した。リーシャも、自分の意志で歩いているのだと。そう言ってくれたのだと。だが、それは否定しなくてはならない。家業を継ぎ、ここまで血塗られた道を歩いてきた。誰かから命じられるままに暗殺を繰り返してきた。そんな自分が、どうして自分の足で歩いていると言えようか。

 だから、思わず零してしまった。

「私は……月、ですよ。だって、だって、私……私は……」

 その動揺に、アルシェムは言葉を重ねた。

「《アルカンシェル》で踊ってるのは誰かから言われたから?」

「それは……イリアさんに、誘われて……」

「誘いを受けたのも、そのまま続けるって決めたのはリーシャさんでしょ。なら、きっかけはどうあれ自分の足で歩いてる。だから……そんなに、卑下しなくても良いんだよ」

 息をのみ、リーシャはアルシェムを見た。そこに浮かんでいるのは良く見る自分の表情と同じだった。それは恐らく、自虐の表情で。表の世界で活躍している彼女がそんな顔をする理由が全く分からなくてリーシャは混乱した。彼女は人殺しの自分よりももっと明るい道を歩んでいるはずで、だからこそそこで自虐する必要などないはずなのだ。

 だから、告げた。

「そんな……そんな顔して、言われても……アルシェムさんだって、自分の足で歩いているでしょう?」

「はっは、残念。わたしは一度も自分の足で歩いてないよ。歩くどころか、動くことすらできてない」

 月から目を逸らし、ある一点を睨みつけるようにしてアルシェムは呟いた。その視線の先には、ほの碧く光る小さな人影がある。つられてそれを見てしまったリーシャは、すわ物の怪の類かと身構える。しかし、その光は身構えた瞬間に消えた。気配すらもない。その有り得ない事態にリーシャは戦慄したように人影があったはずの場所を睨みつける。

 それに対し、アルシェムは《ENIGMAⅡ》を取り出していた。

「……何? こんな真夜中に……」

『アル、キーアを見てないか!? というか今どこにいるんだ!?』

 通話の相手はロイドだ。どうやら余程焦っているらしく、通信先の息の切れている様子まで分かる。アルシェムとしてはどうでも良いことなのだが、ロイドにとってはどうでも良いことではない。ロイドにとってキーアは守るべき少女であり、大切に慈しむべき被害者なのだから。故に焦り、少しでもキーアの情報を得るべくキーアを嫌っているアルシェムにも連絡をしてきたのだ。

 それに対してアルシェムは普通に返答した。

「あーゴメン、今ホテルの屋上で月見てた。で、あのクソガキ?」

『キーアだ! この緊急事態に何でそんな……!』

「喧しい耳元で怒鳴るな。そいつかどうかは分かんないけど、今さっき怪奇現象は見た。ミシュラム・ワンダーランド方面だよ」

 しかし、アルシェムの返答がロイドにはお気に召さなかったようだ。もういい、と叫んで通話を終わらせてしまったのだから。アルシェムは嘆息して《ENIGMAⅡ》をしまうと、リーシャを見た。そこには先ほどまでの自虐の感情も、リーシャと会話していた時の感傷めいた色も残ってはいない。どうやら完全に切り替えたようだ、とリーシャは感じた。

 アルシェムはリーシャに告げる。

「どうやらあのクソガキが行方不明みたいだから、ちょっと探してくる。ロイドにはさっきの怪奇現象について教えてやって。どーせわたしからじゃ信じて貰えないから」

「それは、構いませんけど……あの、何でそんなにキーアちゃんのことが嫌いなんですか?」

「……月はね、太陽がないと見えないからだよ」

 その答えを聞いたリーシャは、どういうことかと問おうとする。しかし、その時には既にアルシェムはそこにはいなかった。今度は怪奇現象でもなんでもない。ただ屋上から飛び降りただけの話だ。リーシャはそれに対して何も突っ込むことはなく、とにかく急いでアルシェムから言われたことを実行しようとホテルの屋上から屋内へと入って行った。

 それを気配で感じ取ったアルシェムは、音もなく着地してミシュラム・ワンダーランドへと急ぐ。そこにいるはずだからだ。無論キーアが、でもあるが、それだけでもない。もう一つ辛うじてアルシェムの探索に引っかかった気配が、そこで待ち受けている。それが分かったからこそ急いでいた。ロイド達にはまだ《道化師》の相手は荷が重い。

 だというのに、だ。異様な風景を醸し出している《道化師》の目的は《特務支援課》だったようで、殺気満々のアルシェムの前には姿を現すことはなかった。

「ちょっと、シエル。その気配ちょっと緩めてくれない? 小心者の僕としては怖いんだけど?」

「ならさっさとしっぽ巻いて帰れば良いじゃん」

「それが出来れば苦労しないんだよねえ」

 はあ、と溜息を吐くカンパネルラ。なお、声だけを出しているのでアルシェムは気配のある場所に向けて石ころを投げることしか出来ない。流石にキーアが何処にいるか分からない状況で発砲するわけにはいかないのである。そのある意味では滑稽な光景に、ロイド達が滑り込んでくるのである。どこからどう見てもシュールであった。

 臨戦態勢のままロイドはアルシェムに怒鳴る。

「アル!」

「うっさい聞こえてる。……ッチ、《特務支援課》も目的ってかUMA」

 言葉の途中で姿を現したカンパネルラにアルシェムは舌打ちをした。滅多にないその様子に、ロイド達はカンパネルラに対する警戒を高めようとして――出来なかった。どう見てもカンパネルラがただの少年にしか見えなかったのだ。アルシェムが警戒するほどの実力があるようにも、ましてやこの怪しい雰囲気のミシュラム・ワンダーランドにいて良い人間であるようにも見えなかった。

 その侮るような視線に気付いたのか、カンパネルラは口角を吊り上げる。そして、名乗った。

「ああ、まだ自己紹介をしてなかったけ、《特務支援課》の諸君。僕は《身喰らう蛇》の《執行者》No.0《道化師》カンパネルラ。以後お見知りおき願うよ」

「《結社》の……」

 ロイドが警戒を高めるのに対し、その脅威にあまり触れて来なかったノエルが声をあげた。

「ねえ、君、そんなところにいたら危ないよ。それに、そんな犯罪組織に君みたいな子がいるのって、変だよ……もしかして脅されてるの?」

 そのあまりの衝撃に、カンパネルラは吹き出して笑い始めた。その理由が分からなくてノエルは困惑する。彼女には何故彼が笑い始めたのか理解出来ないのだ。そして、何故いきなり自分が後ろに引きずられたのかも。バランスを崩したそのすぐわきを、薔薇の花が通り過ぎていく。それを視認した瞬間、その軌道とは逆向きに何かがカンパネルラに向けて飛んでいくのが見えた。

 それが彼をすり抜けてノエルの隣で止まる。どうやらそれは鎌だったようだ。ノエルを無理やり後ろに回し、最大限に警戒しながらレンが漏らす。

「……レン、ノエルお姉さんが馬鹿だと思ったの初めてだわ。まさかカンパネルラを煽るだなんてね」

「な、え……」

「良かったわね、レンがいて。ノエルお姉さん、死ぬところだったわよ」

 その言葉の意味がつかめなくてノエルは更に困惑する。今死ぬところだったと言われると、まるで先ほどの薔薇の花がノエルを殺しにかかってきていたみたいではないか。もっとも、それは事実でありあの薔薇には毒が塗ってあったのだが、それはノエルのあずかり知らぬところだ。その薔薇が何度投擲されても、ノエルにはその脅威が理解出来なかった。

 ノエルにとってはただの少年。だからこそ――

「なっ……!」

 彼とその周囲がいきなり燃え始めても彼の心配をしてしまうのだ。その炎はカンパネルラを舐めつくすようにしつこく纏わりつき、生き物のようにカンパネルラを喰らい尽くす。もっとも、その炎を操っている人間はカンパネルラがその程度で死ぬことなどないと知っているからこそやっている。カンパネルラに痛手を与えることすらできていないことも理解していた。

 その人物は、ゆっくりとロイド達の後ろから現れる。

「……逃がしたわね」

「今のは……貴女が?」

「ああ、流石に警察官の前で殺しなんてやらないわよ。この場からあの変人を退去させるにはあれが一番手っ取り早かっただけの話だから」

 そのあまりの言葉にロイドはその人物――ルシオラを警戒するが、彼は気づくべきだった。彼女がいなければ、カンパネルラは一筋縄ではいかなかった相手なのだと。今の炎が現実にあったものではないことすらもロイドには分かっていない。当然だろう。彼らは上位三属性の働く《異界化》には直面していても幻術をかけてくる相手とは相対したことがないのだから。

 その警戒を解くかのように、ルシオラの後ろからシェラザードが顔を覗かせてロイドに声をかけた。

「ルシオラ姐さんはちょっと過激にやりすぎなの。で、ロイド君だっけ。とっととあの先に行きなさい。あの変人が足止めしてた以上、あの先に何かあるのは確実なんだから」

「貴女は……さっきの酔っぱらいの」

「遊撃士よ。シェラザード・ハーヴェイ。さっきのカンパネルラとも戦ったことがあるから保証するわ。あんなのでアイツは死なないし、傷一つ負わないでしょうね。それをわかっててルシオラ姐さんはああしたのよ。暴行にも傷害罪にも問えないわ。分かったんならとっとと行きなさい」

 シェラザードの言葉に、ロイドは納得しないままに先に進むことにしたようだ。ランディやティオもそれに続き、アルシェムとレンだけがその場に残る。流石にこんな真夜中にわざわざキーアを探しに行くだけのメリットを感じなかったのである。それよりも、アルシェム達はシェラザードたちと会話する方を選んだ。その方がよほど有意義だと感じたからだ。

 そして――ロイド達とアルシェムとの間に確かなしこりを残して、今回の慰安旅行は終わりを告げた。

 

 ❖

 

 ――数年後。混乱を収め、全てが解決したエレボニアにて。

「あ、あの、シェラ君?」

「あによぅ」

「流石にペースが速くないかい……?」

 冷や汗を流すその男性はタキシードを身にまとっている。それと遂になるような純白のドレスに身を包んだシェラザード・ハーヴェイ――否。シェラサード・レンハイム・ライゼ・アルノールはお世辞にも上品とは言えないハイペースでワインを呑んでいた。隣にはやけに露出の高いメイド服を着たルシオラがいる。

「だあってぇ、今は何にも気にしないで呑めるんだもん。呑まなきゃ損よ、オリビエ。……ううん、ダーリン」

「はは……これは参ったねぇ」

「諦めなさい、放蕩皇子。シェラザードは昔からこうなんだから」

 ――そんな、幸せな欠片。

 



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閑話・歴史の影で蠢くモノ・終

 ディーター・クロイスの独立宣言から一ヶ月の間。クロスベル各地で、ある人物が目的を持って動き回っていた。勿論アルシェム扮する神父であり、その目的は『クロスベルを守る』ために『各々で出来ることで助けてほしい』というものだ。それに対して応諾してくれる者も、拒否する者もいた。その動きにはもはや□□□は気づけない。彼女が知らないうちに、□□□よりもアルシェムの力の方がわずかに強くなっていたからだ。

 ただ、知らなくとも彼女が決めたことはある。『アルシェム・シエル=デミウルゴス』の排除だ。ここまでは生きていても良い。ただ、この先に彼女が生きていると邪魔でしかなくなるのである。死んでもらうタイミングはいくつか用意した。全てを潜り抜けようが、最後には□□□が直接手を下すことができる。だからあまり心配はしていなかった。

 ここまでさんざん利用してきていたが、これで最期だ。これ以上生きて――否、自身の意志を保ったままでいてもらっては困る。ただの人形のように唯々諾々と従うだけの存在になってもらわなければ困るのだ。そうでなければ、最後まで□□□は救われないのだから。彼女は救われるためにここまで苦心してきた。それを全て台無しにされたくはないのだ。

 今から街道に出現する『幻獣』に殺させるのも良いだろう。プレロマ草を採取するときに直接死のイメージを叩き込めば殺せるはずだ。もがき苦しみ、死ぬだろう。その時にロイド達が悲しむかと言われれば否だろう。あれほどまでにキーアに嫌悪感を表すアルシェムに対し、嫌悪が湧いてきているのは既に確認しているのだから。そこまで悲しまないに違いない。

 そこで殺せなかったにしても、いくらでも方法はあるのだ。『魔人』に殺させても、《紅の戦鬼》に殺させても、《血染め》に殺させても良い。何なら、列車に轢かせたって良いのだ。ただ、何かしらの因果がそこにない限り彼女を殺すどころか干渉できないというのはネックではあるのだが。最悪、アルシェムが今からずっと部屋に籠り続けたりすれば殺すことは不可能になる。

 ただ、それはしないだろうと□□□は判断していた。アルシェムはいい意味でも悪い意味でも出しゃばりなのだ。自分が闘いさえすれば解決するのならば、すぐにその手段に訴える。ある意味では稚拙で幼稚な思考。ただ、今まではそれが限りなく有効であり都合がよかったのも事実である。優秀な手駒だったが、棄てるのは惜しくない。

 そもそもこの駒を作り上げるのに、□□□は優に五百年をかけている。その間の苦労がようやく報われるのだから、思い切り残酷に殺してやりたくもなる。何せ手間がかかった。普通の子育てよりももしかすると手がかかったかもしれないアルシェムの育成は、彼女にとってはもう二度とやりたくないことでもある。思い通りに動かなさすぎて因果を操作するのが本当に大変だったのだ。

 

 □□□は、その薄いようで濃い育成を思い返した。

 

 ❖

 

 まず、□□□が必要としたのは、自身の代わりに《至宝》となるべき存在を生み出すことだった。そうしなければどうあがいても『クロスベルの滅亡』は避けられず、『ロイド達の不幸』も避けられないのだ。クロスベルは《至宝》なくしては成立しないのである。土地の位置もそうであるし、周囲を取り巻く環境を見れば分かる。何か超常現象でも起こさない限り、クロスベルが平穏を手に入れるのは不可能に近いのだ。

 そして、□□□こそはクロスベルの《至宝》であった。それは誰にも変えられない事実である。ただ、□□□が必ずしも《至宝》にならなくてはならないわけではない。□□□はそれを盲信していた。そうでなければ、自身はあまりにも救われないからだ。誰かに利用され尽くし、ぼろ雑巾のように棄てられる人生。そんなものは二度とゴメンだった。

 だからこそ、彼女が追い求めたのは『自身が《至宝》ではなくなる方法』だった。それ自体は本当に簡単なことだったのだ。そういう事実を『なかったこと』にすればいいのだから。ただ、それをしてしまえばどうなるのか――□□□はその歴史を作り上げてみた。その結果は陰惨たるものだった。誰も生き残らない。クロスベルには草一本も残らなかったのだ。それは何度試しても同じで。だからこそ、一番単純な手段は諦めた。

 そして考えて、考えて、知恵熱が出るほどに思い悩んだ結果――□□□は至った。

 

自身が《至宝》というくびきから抜け出すために彼らを犠牲にすることは出来ない。ならばどうするか。その答えこそが、自身の身代わりを作り出すことだった。

 

それをどうやって創り出すか。それがまず問題だった。『中世の錬金術師たちが総出で作りだし、唯一成功した人造人間』は須らく□□□となる。それを『なかったこと』にするのは簡単だが、そこにもう一人増やすことは不可能だった。どうあがいてもそこを動かすことは出来なかったのだ。その理由は全く以てわからなかったのだが、動かせないと分かるだけでも良かった。別のアプローチが出来るからだ。

 □□□以外に《幻の至宝》と成れる資格があるとすれば、《虚なる神》の縁者でしかありえない。ならば、それを生み出せばいい。そう考えた。だからこそ□□□は大規模な因果律の操作を行った。小規模ではどうしようもなかったのだ。何せ、『ニンゲンを《至宝》にする』という離れ業を達成しなければならなかったのだから。それを成すためには、《世界》の認識すら欺かねばならなかった。

 最初はそれすら不可能なように思えた。だが、この《世界》は□□□が思っているよりもずっと『認識に依』っていたのである。その『認識』さえ誤魔化してしまえば、後は本当に簡単だった。何でも好きなように弄繰り回せる。極端な話、ロイドを女体化させてロリ捜査官に仕立て上げることすら可能。それこそが《□□□□》の力なのか、と戦慄したくらいだ。ただ、存在するものを全て弄繰り回せるというわけではなさそうだったが。

 たとえば、《鉄血宰相》を弄るとする。『ギリアス・オズボーン』を『存在しなかった』ことにするのは不可能だが、『彼』を『彼女』に変えてみたり、『□の□□□□□□』を分離することは可能だ。その代わり、そのブレは別のところで補完されるようになっている。たとえば彼を女性にすれば『ドライケルス』は『女帝』となり、『リアンヌ・サンドロット』は『リアン・サンドロット』として男性化する。そんな具合に、どこか辻褄が合うような形になっているのである。

 それを踏まえて無理を押し通すのは、かなり難儀だった。ただ、不可能なことではないというその一点において、彼女は『正解』を引き当てたのだともいえるだろう。それらすべての条件を満たし、□□□の願いを叶えるためには途方もなく面倒な作業が付きまとうことになるのだが。それでも、不可能だと思うよりは希望が見えて良い。

 そもそも、《幻の至宝》《虚なる神》は人間の形をした《至宝》であり、女性体だった。ただ、それは子を孕めることを意味しない。まず□□□が取りかかったのは、《虚なる神》を改造して子を孕めるように造り変えることだった。元々は因果律を歪めてこの地に人間が住めるようにするためのAIだった《虚なる神》は、皮肉にも他者から因果律を歪められて一人の女性の脳髄に搭載され、生体同期型の《至宝》となった。

 そして、他者から利用されないようにある時点までは孕まないよう細工し、□□□の望んだときに《虚なる神》は出産した。『白髪』に『灰色の瞳』の赤子だった。その赤子には最初、□□□の望んだ力が受け継がれていなかったのでまた因果律を操作した。何度も何度も執拗に歪めて、ようやくその赤子は幻属性に染まった『銀髪』とどうしてもそれ以外の属性を受け付けなかったために水属性に染まった『紺碧の瞳』を持った。

その後、予定外にその赤子は《空の至宝》と接触した。どうあがいても□□□にはそれを変えることは出来ず、せいぜい行き先が変わっただけだった。補完の力が働いたのであろう。故に一番利用しやすいであろう《空の至宝》にその赤子を預けた。そしてその赤子は肉体に空属性を備えた。その赤子が育ってくれるのならば、□□□にはそんなことなど些事にも思えた。彼女は既に、やっと見えた希望に縋りつくことしか出来なくなっていた。

 ただ、その後の数百年間□□□が赤子を成長させられなかったのも事実だ。手駒にするべく育てるにも、ある程度育ってから幽閉する気だったのに目覚める気配すらなかったのだ。唯一その可能性があったのが《白面》と関わる未来だったため、□□□は容赦なく赤子と《白面》を接触させた。□□□とてエステル達から聞いて《白面》がどれほどの危険人物であったのかは知っていたが、その牙を削ぎ落すことなく微妙に弱体化させることによってその結果を強引に成立させたのだ。

 その結果生まれたのが『カナン』という名の少女であり、彼の根本を歪めるためだけに生み出されて殺された哀れな少女である。『希望の地』という名を授けられた彼女は、皮肉なことに『絶望のるつぼ』を生み出したわけだ。そうやってただの使い捨ての串のように棄てられる命にも、□□□は頓着することなどなかった。ロイド達が幸せでいてくれれば、どれだけ周囲が不幸に陥ろうがどうでも良いのだから。

 《盟主》の手によって《白面》に赤子が手渡された後、□□□はクロスベルにリベールの優秀な人材を引き寄せるため、赤子により強く執着させることを選んだ。その結果が『ヨシュアの両親の死亡』『カリン・アストレイの生存』だ。それは芋づる式に『レオンハルト・アストレイの生存』にもつながった。優秀な人材であることに変わりはないので、□□□は納得して赤子が《ハーメル》に預けられるのを見届けた。

 

 そして、その報酬が得られるからこそ、□□□は《ハーメルの悲劇》を止めなかった。

 

 必要だったのだ。どれほど不幸な目に遭っていたのだとしても、『元執行者《漆黒の牙》ヨシュア・アストレイ』であった『B級遊撃士ヨシュア・ブライト』が。『元執行者《剣帝》レオンハルト』だった『レオンハルト・アストレイ』が。『死ぬはずだったカリン・アストレイ』であった『《星杯騎士団》従騎士のカリン・アストレイ』が。

故に《ハーメルの悲劇》は回避されることなく起きる。《ハーメル》はそのすべてを喪うのだ。《白面》にそそのかされた猟兵崩れに襲撃され、それを鎮圧するために投入された帝国軍が口封じのために村人を含め全てを殲滅した。故に――『アッシュ・カーバイド』など存在しない。そう名乗るはずだった『ヨハン』少年は、その時点で死に絶えた。あるいは彼も共に《執行者》にする手もないではなかったが、ヨシュアほどの因果を絡められる人物ではなかった。

この時点で決定された因果で、『ヨシュア・ブライト』『レオンハルト・アストレイ』『カリン・アストレイ』の駒がクロスベルに来ることは確実となった。だからこそ赤子――『シエル・アストレイ』と名付けられた彼女をそこから追放させ、別の人間をクロスベルに招聘するために移動させた。エレボニアから引っ張って来られる人材はもういなかったからだ。

それに、引っ張って来られたのだとしても□□□はその人物を認められはしなかっただろう。クロスベルに幾度も《列車砲》を撃ち込んでくるようなエレボニアの人間など、最低限しか引き入れたくなかったのである。そんな人間ばかりではないということを、この時点で□□□は失念していた。さまざまな人間がいる中で、国に強い帰属意識を持つ者達ばかりではないのだと。

そして、次に『シエル・アストレイ』を向かわせる先は『ロイド達と敵対することもある《東方人街の魔人》こと《銀》リーシャ・マオ』のところだ。出来れば敵対する可能性を下げ、早期にロイド達と合流してほしいが為の因果付けだ。これは簡単だった。そもそも決定づけられていた『リーシャ・マオの母の死』を利用し、先代《銀》リーロン・マオに『リーシャを半人前にするために必要な命』だと認識させ、拾わせた。

ただ、思いのほかリーシャが『シエル・アストレイ』――『エル』に執着してしまったため、ある程度早期に引き離す必要が出てきてしまった。因果律を弄っても良かったのだが、ロイドの仲間になる彼女にはあまり干渉したくない。故に□□□は方向性を変えることにした。《特務支援課》の皆が持つ闇を少しでも軽減しようとしたのである。

ロイドは兄ガイを喪っている。ランディは友人を自身のせいで失っている。エリィはクロスベルの政治のせいで両親が離散する。ティオは《D∴G教団》のせいで人生を狂わされる。ノエルは周辺各国の思惑で父を喪い、ワジは《アーティファクト》のせいで中途半端な『ニンゲン』にしかなれなくなった。セルゲイも、可能性によっては元妻ソーニャを喪ってしまう。

思考の結果、一番生存確率の低い『ティオ・プラトー』のために『エル』を使うことにした。そのついでに『レン』を闇から救い出してクロスベルに括り付けるための布石とすることにする。そうしなければ彼女は基本的に『レン』から『レン・ブライト』になってクロスベルを守るために全面協力しなくなってしまう。もしくはその前に狂人になって死ぬ。故に、精神的な支柱として『エル』を使うことにした。

そうやって東方人街から『エル』を追い出して《D∴G教団》に送り込み、ティオと面識を作ってから《楽園》へと移送した。その過程で《叡智》を取り込ませ、因果律の支配力を強める、という目的もある。そうやって完全に思い通りになる駒が完成したのだ。いずれどこかで《叡智》と接触させる必要があったため、こういう機会は積極的に使うべきだろう。

そして、《楽園》に移送した後は『十五番』こと『レン』と接触させ、依存させてレオンハルトとヨシュアに救出させた。どうやらそこで遺恨が出来ていたようだが、□□□にとってそれはどうでも良かった。結果的に彼らは必ず『クロスベルに来る』からだ。ならば駒とどれだけ遺恨が出来ようが知ったことではなかった。いずれ死なせる駒だ。惜しいとも思わない。

『シエル』が《身喰らう蛇》に救出され、しがらみを作るために彼女を《執行者》にしようと□□□は企んだ。ただ、そのままではどうやっても『シエル』を《執行者》にするのは不可能だった。そのため、比較的『シエル』と波長の近い人物を犠牲にして『シエル』の能力を底上げすることを考えた。そのために必要だったのが、先で犠牲になった『□□□には必要のない人物たち』の力だ。それをこねくり回して作り上げたのが《聖痕》なのである。

その《聖痕》を『シエル』に植え付けるため、これまた『□□□には必要のない人物たち』をこねくり回して一人の生贄を生み出した。それこそが『エル・ストレイ』の前任者である《守護騎士》の《第四位》、《雪の女王》ユキネ・テンクウだ。存在するはずのなかった彼女を生み出し、殺し、『シエル』を《執行者》にするためだけの贄としたのだ。

 結果、『シエル』はめでたくも《執行者》となった。レンとの結びつきを強くするために《パテル=マテル》とも感応させたのはおまけである。こうしておけばレンは『シエル』からは絶対離れないだろうという確信があったからこそそうしたのだ。その結果、二人は姉妹のように仲良くなった。それを□□□は複雑な気分で見ていることしか出来ない。

 そして、ヨシュアが《執行者》から足抜けしてから、それを追うようにしてブライト家に放り込んだ。その時に、□□□は『シエル』に名前を与えている。その理由は、『シエル』がただの『銀色』だと名乗るたびに悦に入りたかったからだ。他人から慈しまれるべき存在ではないと。ただの駒であると。故に、髪色から取って『アルシェム』。『アルジェム』にしなかったのは流石にそんな名付けをする人間がいるとも思えなかったからだ。

 もっとも、□□□にとってそれはブーメランでもあるのだが、それを指摘する人物はいない。勿論汁物がいないからでもあるが、□□□は、そもそもどこか別の世界の言語で『否定』を表す言葉なのだ。□□□、ではなく□□ □。実に皮肉な名前であると言えよう。全てを『否定』し、自身の思い通りに積み上げていくのだから。まさに□□□を表すのにふさわしい名前だ。

 それを、彼女が自覚することはない。そういう道筋にはならない。何故ならば、それを□□□が望まないからだ。それを逸脱することは『アルシェム・シエル=デミウルゴス』にもできない。たとえ彼女が□□□と同じ高みにたどりついたのだとしても、それは絶対に不可能なことだった。もっとも、現状では彼女が□□□と同じ高みにたどりつくことなど不可能なのであるが。

 それはさておき、その後も何かと歴史を破綻させていく彼女を必死に元通りの道筋に戻すのは本当に面倒な作業だった。それも自身が解放されるためと我慢して来たものの、あまりにも酷い。何かを一歩間違う度にエステルが、ヨシュアが、他の『ロイド達の幸せに必要な人達』が死んでいく。そんな現状を□□□が赦せるはずもない。

 たとえばカシウスが旅に出た瞬間、エステルは即座に囚われ、彼への人質に使われて殺される。それを防ぐために□□□はヨシュアを配置し、『アルシェム』をそこから引き離さないために苦心することになった。ヨシュアの警戒心が激しく邪魔だったのだ。それに引っかからないようにエステル達を守るのは、至極大変な作業だった。つかず離れずの距離で、何かが起きてしまえばすぐに駆けつけて解決する。おかげでアルシェムはかなりの『メアリー・スー』になってしまった。

 その後も何かしらの危険が迫り、それを防ぐために『アルシェム』として出来るすべてのことを駆使して彼らを守り抜く。そのパターンが何度も続くようになった。時には彼女の身体を強制的に動かし、彼らを守らなければならなかったほどだ。□□□は気づいていないが、『アルシェム』を使うことで彼らの経験が減っているからこその悪循環である。

 もっとも、彼女はそのことに最後まで気付かなかった。故にロイドたちにも同じことをしてしまうのだが、それも仕方のないことなのだろう。下手に便利すぎる『アルシェム』という駒があるせいで、守るべきロイド達の力をそいでしまっていることに最後まで気付くことはなかったのだ。ロイド達が傷つかないように守るという信念に従って行動した結果がこれである。

 

 そうやって自身の首を真綿で締めながら、□□□は行動して――そして、だからこそ、気付かなかったのだ。最後の最後に至るまで。

 

 ❖

 

 全て、準備は整っていた。『クロスベル独立宣言』が出されたその時から、全ては別のうねりに押し流され始める。それは、ある意味では□□□の望んだものだった。その過程を認められるかと問われると、必ずしもそうではないのだろうが。それでも、□□□が望んだことだからこそ彼女には察知できない動きだったのである。それを狙ってやっているのだ。

クロスベル警備隊からは少しずつ主だった隊員が姿を消して行った。それは辞職したのではなく、形を変えて地下へと潜伏したのである。隊長はミレイユ三佐だ。彼女を筆頭に、いずれ来たるべき時に備えて別の組織を編成していったのである。もっとも、ミレイユが辞職すればランディに気付かれるので彼女だけは警備隊に残ったままだったのだが。

 議会からは、帰国命令を受けた帝国系議員や共和国系議員が姿を消して行った。この現象の理由はまた別だが、その後釜に収まる人物たちの方が重要だ。そのことに誰も気づいてはいないが。そこにいる人物たちこそ、クロスベルを故郷とし、クロスベルのためになることをしたいと願った人物たちだ。彼らが後釜に座り、少しずつ政治のイロハを学んでいた。

 警察署でも、一部の癒着職員たちが消えて行った。周囲の職員たちの圧力を受け、汚職事件として立件されて更迭されていくのである。その代わりに警察学校に通っていた少女が一人クロスベル警察に就職したのだが、それはまた別の話だ。《特務支援課》に憧れている、と本人は常日頃から語っているのだが、彼女が《特務支援課》に配属されるのは遠い未来の話だ。

 

 そうやって少しずつ全てが『クロスベルのため』を願う人々に侵食され。やがて――それは、逆風を跳ね返す大きな力となる。

 

 その代表者となるべく、アルシェムは――いずれ死ぬ彼女は、戦うのだ。

 



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~胎動・猛獣たちの謝肉祭~
蠢動


 旧232話のリメイクです。


 クロスベル独立宣言から約一か月後。住民投票による宣言の後押しまであと十日ほどとなったある日のことだ。珍しくその日はアルシェムが端末を触って支援要請を確認していた。偽ブランド商の追跡、不審人物の調査。手配魔獣と、グルメレポートの依頼。相も変わらず個性的な中にしれっと手配魔獣を混ぜて来るあたり、まだまだ遊撃士協会も忙しいのだろう。ついでに呼び出しも掛けてくるあたり、昼までにどうしても仕事を終わらせる必要がありそうだ。

 それらを勘案した結果、本日の支援要請はノエルとレンで偽ブランド商の追跡を、人数が必要そうな不審人物の調査にロイドとエリィ、そしてティオを、手配魔獣をアルシェムとランディに割り振ることになった。それらが終わり次第、昼食がてらグルメレポートを書く、という流れである。誰もその割振りに異論を唱えることなく、各々が支援要請へと向かった。

 このパターンで導力車を使うのはロイド達だ。運転はロイドがする。基本的に運転手はノエルなのだが、偽ブランド商の追跡に導力車は必要ないのである。ならばエリィかティオとノエルを入れ替えれば良い話なのだが、どちらと変えるにせよ問題しかなかった。エリィとレンは折り合いがあまりよろしくなく、ティオとレンの組み合わせで行くとどちらも幼く見えてしまい、捜査官扱いされない可能性があるのだ。よってやむなくロイドが導力車を運転することになったのである。

 そんな事情とは知らず、アルシェムはランディと共に手配魔獣の支援要請のあった旧鉱山へと向かっていた。

「……にしても、立ち入り禁止にしてんのに何で支援要請が生えて来るんだか」

「遊撃士協会から回って来たんなら、その時に狩っててくれりゃあ良い話だからな……」

 そんなぼやきを漏らしつつも、その行程は呑気な会話につり合わないほどにハードである。ザイルを使って行程を短縮し、道中の危険そうな魔獣だけを処分していく様は皮肉にも猟兵によく似ていた。一撃、あるいは二撃で処分されていく魔獣たちを後目に、二人は旧鉱山を探索していく。そして手配魔獣と同じ特徴を持った魔獣を発見するや否や瞬殺し、クロスベル市内行きのバスに間に合うように昼食を取った。

 息を吐くように自然に手配魔獣を処分した彼女らは、故にどんなグロテスクな光景を見ても食欲に変わりはない。元々小食なアルシェムは微妙に食べられる量ではなかったのでその時点ではパスし、ランディだけが《赤レンガ亭》でステーキを賞味。ギリギリの時間になりつつもレポートを書きあげたランディはアルシェムと共にバスに乗ってクロスベル市内へと帰還した。

 その時点で十二時半だったのだから、アルシェムの食事が犠牲になりそうになるのは致し方ないことだろう。ただしそれを見逃すランディでもなかったので《モルジュ》でしっとりカツサンドを食べさせられてしまったのだが。遊撃士協会に向かいがてらレポートを書くアルシェムの顔色はあまりよろしくなく、また実際に本人は胃もたれを感じていたらしい。

 そうやって辿り着いた時には十二時四十五分。ただ、他のメンツはまだ辿り着いていなかったのでそこでランディが暴走した。

「……ちょっくらラーメン喰ってくる」

「えっ、まだ食べんの!?」

「時間前には戻ってくるから問題ないぜ。じゃ!」

 颯爽と去って行き、宣言通り彼は五分前に戻ってきた。どれだけ強靭な胃袋なんだろう、とアルシェムが現実逃避気味に思ったのも無理はない。そこでロイド達も合流して遊撃士協会の中へと入った。顔を見せるだけで二階に上がるよう促されたので、重要な話らしい。アルシェムはそう判断した。もっとも――一体何が起きているのかを知らないわけではなかったのだが。

 その異変――出現した『幻獣』について聞いたアルシェムは、眉を顰めながら零した。

「この一般市民も通る街道を《異界化》させて『幻獣』? ハッ……やらかした奴は正気じゃないね」

「へえ、アルシェムはこれを誰かの仕業だと思っているのかい?」

 そのぼやきに遊撃士リンが反応した。アルシェムの言葉は、どう聞いても『誰かが仕組んでそうした』ようにしか聞こえなかったのである。リンの言葉に遊撃士達もロイド達もアルシェムの反応を注視する。それほどまでに重要な情報だったのである。もしもこれをクロスベル市内で出来る人間が存在するというのなら、それはかなり危険なテロリストだということになるのだから。

 それに対してアルシェムはこう返した。

「人為的じゃなかったらこんな唐突に『上位三属性アーツの方が効く魔獣』が湧くわけがない。人為的でなかったにしても、何かしらのアーティファクトの仕業にしては範囲が広すぎる」

「でも、テロを起こすとかだったら住宅地にやらないか?」

「発想が物騒だけどロイド、それで一体誰が得するわけ?」

 その問いに、ロイドは答えに窮した。確かに誰も得をすることはない。破壊活動だけを目的にする愉快犯的テロリストならば可能性はないわけではないが、今この状況のクロスベルでそれをやるのがどれほど危険なことなのか分かっていないはずがない。下手をすれば戦争が起き、自身を巻き込んだまま全てが破滅する可能性があるのだから。本物の狂人でもない限り、そんなリスキーなことはしないだろう。

 ただ、それを言えば街道に出現させる理由も分からない。故にロイドは問うた。

「じゃあ逆に聞くけど、街道に『幻獣』を出現させる意味はあるのか?」

「実験、という意味なら最適だろうね。何せ放っておけば遊撃士とかわたし達とかが狩ってくれる。どれほど手こずるかを見てから実戦に投入――なんて可能性もないわけじゃないと思うけど?」

 その言葉に眉を寄せた人物がいた。その仮定が正しいとして、《特務支援課》や遊撃士達が邪魔になる組織はいくらでもあるのだ。その力を削ぐためには何でもやる連中だって少なからずいるはずだ。そういう人物たちが怪しげな力に手を出していても、何らおかしなことではない。過日の《D∴G教団》のように、治安維持組織がうまく機能しないことを願う連中がいないわけではないのだから。

 ただ、そこまで一気に考えられていないロイドはアルシェムに問おうとする。

「その『実戦』って……」

「……ねえロイド。今の状況を忘れたわけじゃないでしょう。クロスベルが邪魔になる組織なんていくらでもあるもの。……そのうちの一つが過激すぎて、クロスベルの人たちを殲滅してそっくりそのまま乗っ取ろうだなんて考えている国があっても、私は驚かないわ」

 ロイドの言葉を遮り、そう返答したのはエリィだった。その言葉にその場にいた人物たちは凍りつく。確かに有り得ない話ではないのだが、それでもそれを最悪の場合だと考えてしまいたくないのである。普通に自然発生――もっとも、《異界化》事態が自然発生して良いものではない――したものであればどれほど良いだろうか。ただ、その可能性に気付いてしまった以上は動かなくてはならない。それも、可及的速やかに。

 シズクが目の手術を受けるため、この討伐には参加できないアリオスを敢えて『隠し玉』という形にして、遊撃士達と特務支援課、そして自警団は動き始めなければならなかった。五か所に出現している幻獣を一気に叩いた方が良いと思われる現状に対し、協議の結果人員のバランスを考えての混成チームが結成される。戦力の分散という意味では危険だが、放置するよりは即座に狩った方が良いとみてのことだ。

 Aチームにはロイドとエリィ、そしてスコットとヴェンツェル。Bチームにはランディとワジ達旧《テスタメンツ》。Cチームにはリンとアガット、エオリア、そして協力員としてティータ。Dチームにはヴァルド達旧《サーベルバイパー》とノエル。そしてEチームにはアルシェムとレン、そしてティオが当てられた。警備隊からも協力員が派遣されてきており、その人物はDチームに配属されることになる。

 そして、それぞれが指定された場所の幻獣を倒しに向かった。無論のことながらアルシェム達も現場に向かう。明らかに人数的な差があるようだが、それでもどのチームにも古代種の手配魔獣でも狩れる程度の戦力が当てられている。もっとも、Eチームに関してはそう言う意味では過剰戦力なのだろうが。ウルスラ間道に出現している幻獣を見て、アルシェムは現実逃避気味にそう思った。

 巨大な幻獣を目の前にして、ティオは周囲の解析を始める。案の定上位三属性が働いている状態――《異界化》していることを知り、即座に三人は動き始めた。

「本当に解析だけでいいんですか?」

 レンから指示されたティオはそう問い返す。ティオに与えられた役目はその場の観測だ。ただそれだけで、レンは観測に徹して貰うためにティオには戦闘に関しては巻き込まないことを決めていた。今この場で何が起きているのかを正確に把握する必要があるのだ。この異変が一体何を意味するのかを、レンは絶対に知らなければならないのだから。

 故にレンは余裕を持った表情でティオにこう返答した。

「構わないわよ、ティオ。だってこの程度なんでしょ? ……レーヴェとヨシュアを同時に相手取るよりは楽ね。だって大きいだけだもの。こんなの――レンの敵じゃないわ」

 そう言って大鎌を振るうレン。確かにその一撃は幻獣にダメージを与えている。これが一切ダメージが入らないというのならばまた考えなくてはならないが、攻撃が効くのならば、どれほどの犠牲を払おうが倒せる相手なのだ。その思考に突っ込みを入れる人物はここにはいないのでその危うさに気付く者もまたいないのだが。レンはたった一人で前衛を支え、アルシェムには後衛で援護を頼んでいた。

 その理由は、最初にティオが解析した結果にもあった。

「……確かに、数値化すれば幻属性のアーツが一番効きますね。こんなの普通にはありえないのに……」

「あら、《影の国》ではこれが普通だったでしょう?」

「それは、そうなんですけど……」

 困惑した様子のティオは、そもそもの《異界化》について疑問を覚え始めていた。一体『異界』とは何であるのかと。一体どこにその『異界』があるのかと。あの時、この現象に名を付けたのは警察本部だ。ただ、適切な言葉を探しているうちに七耀教会から届けられた言葉だったらしい、というのは聞かされている。それは文字通り『異なる世界』なのかそれとももっと別の『異界』であるのか、それをティオは考え始めてしまったのだ。

 確かに、《空の女神》がそう定めたから、と思考を逃避させるのは簡単なことだ。ただ、それだけでは説明がつかないような気もするのである。たとえばそれが『自身がいる世界とは異なる世界』であれば、ここにはもう一つ世界が重なっていることになる。何かを鍵として、ここに重なっている異なる世界が露出しているのだとすれば。

 その、異端の思考をティオは口に出してしまっていた。

「じゃあ、《異界化》っていうのはもしかして――《空の女神》の、世界?」

「それ以上考えない方が良いよティオ。それを確かめる術は確かにあるけど、それを求めた時点で元には戻れなくなる」

 恐ろしいほどに淡々としたアルシェムの言葉は、思っていたよりも近くで聞こえた。それはまるで何かからティオを守るかのような位置で、彼女はようやく今幻獣と戦っているところだったことを思い出した。ティオはそれを考えるあまり、今の状態を把握することをすべて放棄してしまっていたのである。気付けば目の前にいたはずの巨大な幻獣は消えており、そこに碧い草だけが残されていた。

 その見覚えのある色にティオは眉を顰める。

「この色は……」

「思いっきり怪しいでしょ、これ。原因がコレなのは確定として、むしりとる必要があるわけなんだけど……って素手で行っちゃう?」

 アルシェムの躊躇う様子に、ティオはその草を手づかみでむしり取った。引っこ抜ける直前に微妙に光が強まった気もするのだが、抜けた瞬間にそれも収まったので恐らく気のせいだったのだろう。ティオはそう判断してそれを懐にしまい込んだ。その頃には既に光は消え、ただの猫じゃらしのような物体に成り下がっていたのだが、それをティオが気にすることはなかった。

 そのままティオはロイド達に連絡を取った。この草をどうするのか、また別の場所でも存在したのかどうかを知るためだ。その結果として、全ての場所でこの草が確認されたそうだ。協議の結果、その草は警察本部と遊撃士協会に二つ、クロスベル大聖堂に一つ、そしてサンプル用に聖ウルスラ医大に二つ振り分けることになった。アルシェム達は、位置的にも近いので新鮮なうちに聖ウルスラ医大のセイランド教授にその草の解析を依頼しに向かうことになる。

 そして、辿り着いて帰ろうとした矢先にティオが思い出したように呟いた。

「そう言えばシズクちゃん、午前で手術終わったらしいですよ」

「……ああ、アリオス・マクレインの娘ね。気になるなら見舞って帰る? ティオ」

「ええ。キーアにも結果を教えてあげたいですし」

 そう言ってティオはシズクの病室へと足を運んだ。アルシェムは見舞いに行く必要もなかったので病室を覚えてはいなかったのだが、それを悟らせないようにティオについて行く。そして見たのは――『眼が見えるようになった』とは到底言い難いシズク・マクレインの姿だった。目は確かに開いている。しかし、その焦点はあらぬところに合わされており、はっきりと何かを視認できるような状態ではなかったのだ。

 その状態をきちんと把握しているアリオスとシズクは、どう見ても無理をしている。それを敏感に感じ取れてしまうアルシェム達は、故に彼らに対してフォローする必要性を感じた。このまま放置すれば思い詰めて何をしでかすか分からない、というのもあるが、単純に見ていられなかったのだ。だからこそ三人で目配せをし合うと、ティオを病室に残してアルシェムとレンはアリオスを街道に引きずり出した。

 すると、アリオスは憮然とした様子で問う。

「……もう少しシズクの傍にいてやりたかったのだが?」

「その憔悴した状態で? シズク嬢にはそれも察知されてたのに?」

「……それは……」

 アリオスは途方に暮れたような表情をした。もちろんそれはかなり珍しいことで。だからこそ、アルシェム達が付け入る隙もあるのだ。彼を『こちら側』に引き込むのは不可能だと知っていてもなお、アルシェム達はここでアリオスに恩を売っておくべきなのだ。それは勿論シズクを治療することではなく、思いつめたままのこの男の思考を多少正の方向に誘導することだ。

 そして、その方法は――

 

「だからさ、模擬戦しよう」

 

 アルシェムのその脳みそが筋肉でできているような思考に、アリオスは目を細めた。それを馬鹿げていると笑い飛ばせるほどの余裕が今の彼にはないのだ。本来であればこの程度追い詰められたところで切り抜けられるのだが、他ならぬただ一人の愛娘のことが気がかり過ぎて上手い返答が見つからなかった。戦ったからといってシズクが治るわけではないのだから。

 故にアリオスは淡々と返答する。

「生憎だが、今俺にそんな余裕は――」

「ないからこそ、だよ。余裕がないのをシズク嬢に察知されたまま、彼女を追い詰めてどうするの? 取り返しがつかなくなる前にあんた自身がガス抜きしとくべきだと思わない?」

 取り返しがつかなくなる、と言ったところでアリオスが微妙に表情を変えたのを、レンもアルシェムも見逃さなかった。その可能性に考えが至っていなかったというわけではない。ただ、それを考えることすらしたくなかったのだ。『シズク・マクレインの目が完全に見えるようになるためには『奇蹟』にすがるしかない』と聞かされている彼には。その前にシズクが思い詰めて自殺する、などということになるのは流石の彼とて怖い。

 アリオスとて迷ったのだ。『奇蹟』に縋らなくてもどうにかできるように、今回はミラに糸目をつけずに手術させた。最高の設備と最高の医師をそろえ、シズクを納得させて手術に挑んだのだ。これで見えるようになれば『奇蹟』になど縋るつもりはなかった。それがどうだ。手術の結果、シズクの目は完全に見えるようにはならなかった。そして、この先も見えるようになる保証は出来ないと言われた。

 

 ならば、『奇蹟』に頼るしかシズクの目が見えるようになる方法はないではないか。

 

 その『奇蹟』に付随する事柄からくる恐怖を振り払うために何が出来るか、とアリオスは改めて考えた。恐らくいつものように過ごすだけではその思考から逃げることは出来ないだろう。ならば、彼女らの言うように模擬戦をすればどうなるか。少なくとも、力量が同じ程度かそれ以上であればそんな恐怖を考えている暇もないだろう。一種の現実逃避ではあるが、確かに有効な手段ではあった。

 故にアリオスは軽く溜息を吐いてこう返答する。

「……それは、そうだな。悪いがお願いするとしよう。――本気で来なければ、叩きのめすかもしれんがな」

「いやー、それはこっちのセリフだと思うんだ。全てを出しきるつもりできてくんないと、やる意味ないし――それに、迷いを抱えたままの今のあんた如きでわたしを超えられるとでも?」

 お互いに喧嘩を売り合い、すっかりその気になったところで二人はおもむろに剣を抜いた。そして対峙し合う。それを見てレンは下手に介入する必要もないと判断した。あの程度ならば、レオンハルトと互角に戦えるアルシェムの敵ではないのだ。少なくとも今のアリオスは迷いと恐怖で剣先が鈍っている。そこに付け入れば、いくらでも殺す隙など見付かるだろう。

 

 もっとも、今死なれても面倒なことになるのは分かっているのでそんなことはしないが。

 

 そして――日が暮れて、最終のバスが出るころまで。アルシェムとアリオスは思う存分剣を振るったのだった。街道はなかなかに酷い様相を呈していたが、それも気にならないくらいにアリオスは充実して疲れ切り、眠りについたのだった。

 



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山猫カプアの特急便

 旧233話のリメイクです。


 次の日。アリオスとの模擬戦とその後片づけのせいで若干筋肉痛になってしまっているアルシェムは、微妙に寝坊した。階下に降りた時には既に皆は朝食を終え、支援要請の振り分けにかかろうとしているところだ。それに一言謝罪の言葉をかけ、アルシェムは本日の振り分けを聞いた。本日の支援要請もなかなかにバラエティに富んでいる。

先日に引き続いての不審商人の調査にロイドとエリィ。テーマパークのアルバイトには強く希望したティオとレン。手配魔獣にはノエルとランディが当たり、誤配荷物の再配達はうっかり知っている人物だと洩らしてしまったアルシェムが当てられた。そして、それらが終わり次第《身喰らう蛇》の情報を聞きにヨルグを訪ねることになった。

アルシェムは早速クロスベル空港へと向かい、見覚えがあるはずの人物たちを探した。すると――

「え゙っ……ちょっ、お嬢ーッ!」

 妙な声を上げながら空港に停泊しているモスグリーンの飛空艇に駆け込んでいく男性がいた。その飛空艇は紛うことなく《山猫号》であり、どうやらその男性はアルシェムに見覚えがあるらしい。元《カプア一家》の構成員であるのならば確かに有り得ない話ではない、とアルシェムは考えながら《山猫号》を見つめ続けた。依頼人が彼らなのは確実なのだ。

 そして、構成員が駆け込んでいったのならば当然、『お嬢』と呼ばれた少女が出てくるのは必然だった。

「あーっ! アンタ、何でこんなところにいんのさ!?」

「や、ジョゼット、元気そうで何より」

「しっしっ、アンタなんてお呼びじゃないんだよ。全く……《特務支援課》はまだ、な……まだって言って誰か」

 毛を逆立ててアルシェムを追い払おうとするジョゼットだったが、生憎呼び立てたのはジョゼットの方だ。警察手帳をジョゼットに突き付けてやれば、彼女は黙り込んでその事実を受け止めようと試行錯誤した。ジョゼットの知るアルシェムは『遊撃士』であり『ヨシュアと一緒で元執行者?』であり、『何かよくわからないけど七耀教会の凄い人』という認識だ。そこにさらに肩書が増えることなど想像もしていなかった。

 ようやくアルシェムを《特務支援課》だと認識できたジョゼットは、何事もなかったかのように支援要請の内容を説明した。どうやら荷物を大々的に配り間違ったらしい。アルシェムが聞くだけ聞いていてもなかなかにやらかしているな、と他人事のように現実逃避したくなるほどにクロスベル大マラソン開催のお知らせだった。マインツと聖ウルスラ医科大学と、住宅街。それを回り切るのは面倒に違いない。

 故に、不審商人の調査に使おうとしているロイド達に一声かけることにした。

「あ、もしもしロイド? こっちの依頼でも導力車使いたいんだけど……えっ、そっか、そっちも移動量は凄そうか……仕方ないな、ちょっとこの人にはグロッキーになってもらおうかな」

「え゙っ」

 ジョゼットの引いた声を聴きながら、アルシェムは誤配した荷物のうちマインツに届けなければならないものを彼女が握っていることを確認して抱え上げた。それに引き攣った顔をするジョゼット。一体何をするのかは想定できたが、それを本当に実行するとは到底思えない。ただ、やっていることはまさに想像していることで。そして――

 

「馬鹿じゃないのボク死ぬ! 死ぬってぇ! やめろ止めて何で誰も止めてくんないのさーっ!?」

 

 その絶叫は尾を引くようにしてクロスベル市内に響いたが、あまりの速さに彼女が何を言っているのか理解出来た人物はいなかった。市内を抜け、街道を突き進むことなく道なき道を駆け上がるアルシェム。ジョゼットは真っ白な顔色をしていたのだが、しっかりと荷物を握りしめているあたり目的をすべて忘れて絶叫しているわけではないようだ。

 なお、誰もきちんと視認できていなかったので、ジョゼット誘拐事件という風にもみられなかったのはアルシェムにとっては僥倖でもあった。そうなっていれば面倒なことになるのは明白なのだから。木々の間を抜け、近道とも呼べぬけもの道を駆け上がって――そして。ジョゼットからしてみれば信じがたいことに、あっという間にマインツ鉱山町へとたどり着いてしまったのである。

 抱きかかえられた状態から降ろされ、吐き気を堪えながらジョゼットがうめく。

「……アンタさ、ほんっと……メチャクチャだよね……」

「はい水」

「……しれっと……渡して……っ、赦されると、でも!?」

 今にも射殺さんとするほどの眼光で睨まれたが、導力車が使えない時点でこうなるのは明白だった。バスは丁度出たあとだったのである。それに追いついて乗ることも出来なくはなかったが、いかな警察官であるとはいえその権力を振り翳して公共交通機関に混乱を招くわけにもいかない。よって道なき道を進むことでバスを追い抜き、爆走する羽目になったのだ。

 そのある意味では当たり前の言葉をアルシェムは彼女に告げた。

「バスがここに着くまでに届けないと、帰りも同じコースね」

「ぜっっっっっったい、嫌!」

 ジョゼットは顔をひきつらせてそう叫ぶと、誤配した荷物を届けて誠心誠意謝罪し、間違えて届けられてしまった荷物を預かった。その姿は元空賊には見えないほどに真摯であり、これまで真面目に働いてきたことが見て取れる。女王の恩赦はかなり効いたようだ。そして、彼女の念願通りマインツからクロスベル市内へと戻るバスに乗ることが出来たのだった。

 そのバスの中で、ジョゼットはアルシェムにおごらせたジュースを飲みながら問う。

「……ね、アルシェム。まさか次も……なんてことは……」

「んー、大型魔獣でも出てない限りは大丈夫かな」

「それ、フラグって呼ぶんだけど……」

 疲れた顔でジョゼットがそう零した。実際、そういう事態でもない限りはクロスベルのバスは遅れないのだ。そしてその大型魔獣は定期的に遊撃士と特務支援課が狩っているのでほとんどそんな事態は起きないと言っても良いだろう。ただ、勿論のことながらそういうフラグを立ててしまったということは、大型魔獣が出現するのもむべなるかな。

 確かに次の目的地たる聖ウルスラ大学行きのバスには乗れた。乗れたのだが――

「……わー……運転手さーん、ちょっと止めて、しばらく先に大型魔獣いるみたいだから駆除してくる」

「是非早く駆除してきてくれ! ここで待機してるから!」

「ラジャっす」

 物分かりの良すぎる運転手にジョゼットは首をかしげていたが、アルシェムに戦力として駆り出されたので運転手の様子を見ることは叶わなかった。なお、この運転手は特務支援課として一番最初に大型魔獣を狩った時のバスの運転手である。アルシェムとは顔見知りであり、彼女が魔獣を狩るところを間近で見てしまった人物でもある。その光景を何度も見たくはないので、彼はその場にとどまって自身と客の精神を守ることにしたのだ。

 それを知らないジョゼットは、アルシェムに連れ出されつつ問うた。

「こういうの、多いの?」

「いや、バスに乗ってて見つけるパターンは初めてかな。でもあの人の前で大型魔獣は狩ったことあるよ。それも大量に」

 ジョゼットはその言葉に顔を歪めた。アルシェムが魔獣を狩る、というのはなかなかにグロテスクなことになっていることを知っているのだ。何せ、一応は女子である自身の目の前で手配魔獣をぶった切っていった人物であるので。マスタークリオンの三枚おろしはなかなかにグロかったなあ、とジョゼットは思い出してしまって軽く吐き気を催す。

 胃の内容物の代わりに、ジョゼットは呆れたような声をアルシェムにぶつけた。

「うわぁ……」

「わたしだってやりたくてやったわけじゃないっての。さ、ちょっとばかし頑張ってもらおっかな」

 そう言ってアルシェムは気配の元を見つけ――

 

「――って、まさかのソイツか。何回復活したいわけ?」

 

 思わず呆れた声を出してしまった。というのも、そこにいたのは先日狩ったばかりのはずの『幻獣』だったのだ。あまり手間ではない駆除の仕方も出来る上に、最終的には血すら流さずに消滅してくれるのである意味後始末に困らない存在ではあるのだが。いかんせんあの草とともに何度も復活してくれるのでとても面倒な魔獣でもあった。

 ジョゼットは苦々しい顔をするアルシェムを不思議そうに見たが、目の前の巨大な魔獣に対する警戒は怠っていない。

「ねえ、こいつって――」

「深くは知らなくて良い。ただ、何の容赦もしなくて良いってことだけは知っとけばいいかな」

「そ、そっか……うん、じゃ、通行の邪魔だし退治しよっか」

 そして十分ほど戦い続けたのち――アルシェムは幻属性アーツしか撃っていなかった――、消滅した『幻獣』を後目に運転手に報告しに戻り、ついでに帰りの足も確保して聖ウルスラ医科大学へとたどり着いた。ジョゼットは運転手を待たせていることを気にしつつ誤配してしまったことを詫び、中身に困惑していた医師から最後の荷物を預かる。因みに中身は人形らしい。

 クロスベル市内に戻り、住所的には廃墟であるはずのその建物に人形を配達して――受取主は不動産の持ち主だったイメルダである――、支援要請は終わった。そう、支援要請は終わったのだ。目の前から歩いてくるロイドが握っている紙を見ても、アルシェムは何の反応もしなかった。まだ不審商人の捜査が終わっていないのかと思ったくらいだ。

 ただ、ロイドは目の前にアルシェムがいた時点で協力を求めるのは当然のことだった。

「アル、そっちは終わったか?」

「今届け終ったとこ。で、そっちは?」

「ああ、出来れば見てほしいんだけど……」

 そう言ってロイドはアルシェムに紙束を差し出した。隣にいるジョゼットのことはあまり気にしていないようだ。機密情報であれば隠すのだろうが、この情報を見せても何ら問題がないからこそそうしたのである。そして、そのロイドの判断はある意味間違ってはいなかった。間違っていたのは――その情報をジョゼットに見せても問題がない、と判断したことだ。

 彼女はその紙を覗き込んだだけで目の色を変えた。

「ちょっ、これ……!」

「ジョゼット?」

 その文字列を食い入るように読み込み、脳内で咀嚼し、そして歯を食いしばった。その手口に心当たりがあり過ぎたのだ。今では帝国直轄領となっているジョゼットの故郷――元カプア男爵家の領地リーヴスを奪い取られた時の手口とほとんど一緒なのだ。ということは、この詐欺師はジョゼット達が空賊になるきっかけを作った元凶であるともいえる。

 故に、ジョゼットはいても立ってもいられなかったのである。

「ちょっと待ってろ! 今、兄ぃ達呼んでくるから! ゼッタイゼッタイ待ってろよ!?」

 そう叫んだ彼女は、唖然とするロイドを放置して《山猫号》へと駆けて行った。その事情を知らないロイドはそれを見ていることしか出来ないが、アルシェムからその事情について説明されて納得した。要するに、昔受けた詐欺の手口に似ているからこそこれほどの過剰反応をしているというだけのことだ。ただそれが大きな手掛かりになるとは、この時のロイドには思えなかった。

 程なくして戻ってきたジョゼットと、彼女に連れられた二人の男性を見てロイドは一瞬怯んだが、資料をあっという間に奪い取られて熟読されてしまえば話は別だ。

「おい、アル……」

「何でわたしを責めるの。こらむさいオッサン。捜査資料だから勝手に奪ってよむなっつーの」

「でもよ……どう見てもこの手口はあの時の……リドナーの奴と同じ手口だぜ?」

 ドルンがそう漏らし、キールもそれに同意する。それを聞いてロイドはこの三人から詳しい事情を聴くことにした――時間がないのでアルモリカ村へと向かいながら。導力車に乗り、三人から事情を聴く限りでは確かに手口は似ている。今でも忘れることのない『リドナー』を、彼らはずっと探し続けていたのだ。それは空賊時代も、今でも変わらない習慣だった。

 だからこそ、思いつめた顔をする三人にアルシェムは釘を刺すのだ。

「あー、分かってるとは思うけどわたし達は警察官だからね。やらかそうとしたら逮捕するから」

「……確かにやらかさない自信はない。でも、もう俺達の故郷は別の目的で使われてるんだ。今更取り戻してどうこうできるようにもなってないし、今のこの生活は気に入ってるんだ。やらかしたりはしないよ」

「キール……ま、そうだな。貴族気取りになんて今更戻れないわな」

 そこには確かに真実の色が感じ取れて。アルシェムは三人を信頼することにした。もっとも、ロイドは不審商人『ミンネス』が件の『リドナー』であることの証人として三人を使うつもりであり、それ以外に手を出させるつもりは全くないのだが。彼らの話を聞く限りでは、元帝国人だということだ。今ここで問題を起こされれば、今のこの微妙な情勢ではどう転ぶか分からないのだ。

 そして、アルモリカ村に辿り着いた一行はその『ミンネス』を探そうとして――その当人が宿屋から出てくるところに居合わせた。

「……野郎、本気でまだ詐欺なんてやってやがったのか」

「おや、どちら様ですか? いきなり目の前で詐欺などと……無礼ではありませんか」

 気分を害した様子のミンネスに、その商談相手であったアルモリカ村村長の息子は非難の目をドルンに向けようとして、出来なかった。そのあまりにも悲しげな雰囲気とその図体とが似合っていなくて、直視出来なかったのである。その代わりに隣のキールを見れば、そちらもミンネスに射殺しそうな目を向けている。ならばもう一人の見知らぬ女はと言えば、やはり彼を睨みつけていた。

 勿論、彼はまだ何も知らないのでこう言える。

「何だ、あんた達は。ミンネスさんに失礼じゃないか」

「『ミンネス』、か。今はそう名乗ってるんだな『リドナー』さんよぉ。リーヴス領主カプア男爵の名前を忘れたか? それとも、騙した奴のことなんかいちいち覚えてないってか? ん?」

 その言葉に村長の息子は反論しようとしたが、出来なかった。ミンネス本人から止められたからだ。いかにも心外ですと言わんばかりの表情でドルン達を煽りにかかり、罪を彼らに被せようとしたところで気付いた。確かにミンネス――リドナーは非戦闘員の《赤い星座》の集金部隊の人間だ。ただ、それでも覚えておかなくてはならない危険人物はシグムントから知らされていた。その人物が目の前にいることに気付いたのだ。

 いたら即座に逃げろ、と言われている危険人物――アルシェムがリドナーに告げる。

「はっは、残念だけど……ネタはもう上がってるんだよねー」

 その時点で彼は全ての化けの皮をかなぐり捨てた。一刻も早くここから逃げ延びなくてはならない。目の前の女が全てを握っていると言った以上、それは真実なのだろう。それを突き付けられてはリドナーも、ひいては《赤い星座》にも責が降りかかる。だからこそ、今ここで《赤い星座》に迷惑をかけないために彼は自身を破滅させることを選ぶしかなかったのだ。

 ロイドの目には、それがかつて《ルバーチェ》の構成員が使っていた笛に見えた。音の出ない笛を思い切り吹き鳴らしたリドナーは、そのままその場から逃げ出そうとして失敗する。目の前にいたはずの青い髪の少女が、いつの間にか自身の顎に導力銃を突き付けていたからだ。それがあの時騙した甘ったれの令嬢であることなど、つゆほども感じさせないその動き。

 彼女は低い声でリドナーに告げた。

「なあ……逃げられるってホントに思ってたなら、相当おめでたいよ?」

 それにリドナーは動けなくなる。そこに込められた冷たい殺意に。ただの一般人が出せるような殺気ではない。リドナーがリーヴスを奪い取った後、彼らがどうしていたのかは知らないが、どういう経験をすればこれほどまでの殺気を身に着けられるのか、彼には理解出来なかった。もちろんただの空賊として動いていただけの彼女らにはそんなものを身に着ける暇などなかった。それを身に着けたのは、その後のことだ。

 アリシア女王から恩赦を受ける直前に言われたのだ。全ての責任を背負ったドルンを赦すためには、それ相応のことをしなくてはならないと。そのためにキールとジョゼットは死にそうな目に遭いながらも特務兵の捕縛や魔獣の退治など遊撃士の下請けのようなことを延々とやらされていたのである。それと、ヨシュアの手助けをしたことを以て《カプア一家》は逃亡したことも含めてすべての恩赦を受けられたのだ。故に、普通の元犯罪者よりも死線をくぐっているのである。

 だからこそ、キールもこの場の気まずい雰囲気に呑まれずにジョゼットに言えるのだ。

「でかしたジョゼット! こっちの魔獣どもは俺達に任せろ!」

「任せろ、じゃない! ここクロスベル! 武器所持法違反だからあんたら!」

「安心しろ! 俺達は許可を取ってる!」

 そのキールの声と共に、リドナーはジョゼットに意識を刈り取られて捕縛されたのだった。

 



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脱線列車

 旧234話のリメイクです。


 不審商人の調査の支援要請を終え、ロイド達は昼食を挟んで集合した。上からの指示で《身喰らう蛇》構成員たるヨルグ・ローゼンベルグに話を聞きに行かなければならなくなっていたからだ。レンもアルシェムもあまり乗り気ではなかったのだが、それでもいかなくてはならないだろう。流石の彼女達でも、今の《身喰らう蛇》の動きを全て把握しているわけではないのだから。

 全員が集合し、《ローゼンベルグ工房》を訪れた先にはやはり本人が待ち受けて――いなかった。

「おいこらふざけんな《変態紳士》」

 アルシェムが顎に導力銃を突き付け、レンが眼前に大鎌を突き付けられたその様はまさに老人虐待とでも言わんばかりの絵面なのだが、残念ながら中身は違う。何を血迷ったのか《怪盗紳士》ブルブランがヨルグに変装して待ち受けていたのである。それを些細な動きだけで看破できるアルシェム達もアルシェム達だが、それほどまでにヨルグと彼との動きが違ったともいえる。

 ブルブランは慌てて飛び退いて変装を解いた。

「だから私は《怪盗紳士》だと何回言えば良いのかね!?」

 そのあまりの変わり身にロイド達は驚愕するが、見慣れてしまった者達にとっては何の面白味もない。アルシェム達にとってはただヨルグがどこにいるかさえ突き止められればそれで良いため、本人の扱いもぞんざいになる。もっとも、ヨルグがブルブランにただでやられるはずもないので、ヨルグはヨルグで《特務支援課》を見極めているのだろうが。

 故にそっけない返事となる。

「ブルブランなんて変態で充分よ」

「右に同じ。ま、そっちも示威行為だけで終わらせてくれるんならこっちもこれだけで終わらせてあげるけどね。それ以上を求めるんだったら――」

「って、アル、レン! それは流石に脅迫だぞ!?」

 ぐり、とアルシェムがブルブランの喉元に銃口を抉りこんだところでロイドのストップが入った。それが出来たのはひとえにアルシェム達が殺気を放っていなかったからなのだが、それを彼が知ることはなかった。ただ、やっていることは警察官にあるまじきことであることは自覚している。ただいつものように動いてしまっただけの話なのだ。かつて《執行者》だった時のように。相手をおちょくってスキンシップを図っていただけ。

 故に二人はしれっと答えた。

「ただのスキンシップだよ」

「そうよね、ブルブラン。挨拶代わりの殺し合いをしてないだけレン達は寛容よ?」

「それは認めるがね。君達、微妙に強くなってないか……? 前から気配には敏感だったが、身内に化けてここまで早く気づかれたのは初めてだよ」

 呆れたように彼はそう言うが、ブルブランは忘れていた。ヨルグとレン達は、一緒に暮らしていた時期があるのだ。当然のことながら細かい癖も覚えているため、なにもしていなくとも違和感がある、という状態になっているのだ。たとえば、今ブルブランがエステルに化けたとしてもヨシュアには一瞬で気付かれる。それはヨシュアがエステルのことをよく見ているからだ。その比較対象と同じくらい一緒にいたのだから、看破されても何らおかしくはなかったのだ。

 その答えを、レンはあっさりと明かした。

「あのね。アルはともかく、レンは《パテル=マテル》と一緒におじいさんと暮らしたことがあるのよ? 分からないわけないじゃない」

「……それもそうだったね。レン……戻ってくる気は」

「ないわ。ブルブランが盗みを止めないのと同じよ。レンは目的があってアルと一緒にいるの。アルが二度と《身喰らう蛇》に戻る気がない以上、レンも戻らない」

 ブルブランにそう返答すると、それに彼は珍しく破顔した。彼としてもレンが闇側にいるのは好ましくなかったのだろう。闇に愛され過ぎた少女には、まだ光に救いがあることを知っているのだから。それを受け入れる気になるかどうかは分からないが、最終的に闇に戻ってこないのならばブルブランとしてはそれで良かった。レンには理由がないからだ。『世界を見計らう』に足る、後ろ暗い理由が。

 無論のことながら、ブルブランにもその理由はない。彼が盗みを働くのは快楽のためであるし、盗んだものを正しく評価されるところに置きたくなるのもそれが一番最初の盗みの動機だったからだ。もちろん最初は彼も拙く、失敗してしまったが。それでも何度も繰り返して技を磨き、求めるものを盗み出して――そして、それに裏切られて。ただブルブランは報われたいがために今は窃盗をやっている。

 それはさておき、ブルブランはその選択をしたレンに対して情報を一つだけ洩らすことにした。

「それは良かった。クロスベルを去る前に良いことが聞けて良かった」

「ふーん……戦力が減っても問題ないくらいに計画は進んでいる、ということね。ということは、クロスベルには今《使徒》がいる……」

 そう言ってぶつぶつと呟きだすレンに、ブルブランは額を抑えた。

「いつから君はそんなぶっ飛んだ答えを出せるようになったのかね……まあ、否定はしないが」

 そんな和やかとも言い難い会話を続けるレン達に、ようやくロイドは反応できるようになった。ただのひょうきん者にしか見えないこの男こそが、レンに言わせれば《執行者》だという。ならば、ここに来た目的を少しでも果たさなくてはならない。たとえ彼がクロスベルで法を犯していないのだとしても――それが犯罪組織の一員であるのならば、情報を得なければならない。

 ロイドはブルブランに問いかけた。

「えっと、貴方は……」

「ああ、気にしないでくれたまえ。君達も魅力的ではあるが、別方向に戦力が足りなくてね。会うのは恐らくこれっきりになるだろう」

「別方向、というのは?」

 ロイドは探りを入れるべくそう問うたが、彼は肩をすくめるだけで何も答えることはなかった。当然だろう。ロイドに応える義理など、これっぽっちもないのだから。だからこそ、アルシェムはロイドが求める情報を吐かせるために動くのだ。ロイドの望みを、《特務支援課》の望みを、□□□の望みを叶えるためだけに。そうあれかしと定められたことに従って。

 直感の赴くままに、アルシェムはブルブランに告げた。

「エレボニア、でしょ?」

「君の情報網がどこまで伸びているのか興味があるのだがね、シエル。それを真面目に答えるわけがないだろう?」

「いや、消去法だし。あんたが今の共和国に行く意味ないもん」

 直感でそう告げたというのに、それを補足するように脳内で整理された言葉が吐き出される。共和国の状況はあまり芳しくはないが、《執行者》が暗躍するに足るだけのモノがないのだ。エレボニアにはそれがある。《鉄血宰相》とそれに付随するもろもろの事柄が。それらを無視してまで《執行者》が動く必要性など、今のどこの国の情勢にもない。

 よってブルブランが行くとしてもここでなければエレボニアでしかありえないのだ。そして、アルシェムはそれを信頼するに足るだけの情報を自らの従騎士から得ている。要するに、あの《鉄血宰相》とその周囲の人物たちが織りなす血の宴にホイホイ誘われているというわけだ。そこに彼の求めるモノがあるかどうかはまた別の話であるが。

 大きく溜息を吐いたブルブランは言葉を漏らす。

「まあ、それには同意するが……っと、そろそろいかなくてはならなくてね」

「何のためにいたのあんた」

 アルシェムが呆れたようにそう言えば、ブルブランはレンの頭に手を乗せた。

「最後に顔を見ておきたかっただけだとも。かつての同志のね」

 そう言ってブルブランはその場から消えた。本当にかつての同志――レンの顔を見たかっただけらしい。そのまま気配も消えたので、本当に去って行ったのだろうとアルシェムは判断した。残念なことに頭に手を乗せられたレンはそれを思い切りはたいてその残滓を消し去ろうとしていたが、ブルブランは幸いなことにそれを見ることはなかった。

 その後、ロイド達は無事にヨルグと面会して必要な情報を得ることは出来た。今現在クロスベルに存在する《執行者》と、この先誰が介入してくる可能性があるのかを。ただし、その人物の名を聞いた瞬間にアルシェムは遠い目をした。何ともいえない顔になり、最早風化するのではないかという勢いで放心する彼女を見てロイド達は焦る。

 アルシェムは物凄い顔で愚痴を漏らした。

「いやー、ちょっと、ええー……《鋼》がいんの……何でエレボニア行けよー……」

「どこぞのお節介が《博士》を消したようだからな。おかげで《鉄機隊》の一人が走り回らされていると嘆いておったぞ」

 その愚痴に律儀にヨルグは返した。その走り回らされていて過労死寸前の少女が三人のうちの誰であるのか想像がついているアルシェムは内心で拝んだ。その事態に陥らせたのは他でもないアルシェム自身だからだ。《博士》――ノバルティスを塩と化して消滅させた時にはまだ《鋼》の気配はしなかったので油断していたと言えばそうなのだろう。

 勿論のことながら、ロイド達は《博士》が誰であるかは知らない。

「あの、博士って……」

「別に知る必要はないだろう。もう死んでいる上に、奴が作ったブツは完成しなかった。まあ、儂にその仕事が回っては来るが……あんな完成品とも呼べん何かを最後まで手掛けるつもりはない」

 それはある意味では安心できる答えであった。自分から犯罪に関わる可能性があるものを敢えて完成させないと宣言しているのだから。だが、ロイド達にしてみればそれは危険物を作成していることを肯定しているようにしか思えない。実際、ヨルグの作成した機械人形には殺傷能力があるものもあるため、あながちその認識が間違っているわけではなかった。

 故にロイドは厳しい顔でヨルグに告げた。

「ですが、それは犯罪のほう助になる可能性があります」

「今更だな。ただ、お前の理屈であれば武器職人も同じく犯罪のほう助人となるが?」

「それは……」

 ロイドは答えに詰まった。確かにそれもそうなのだ。武器を使って殺人が行われたからと言って、その武器を使った人間はおろか作った人間までもが悪いと誰が言えようか。普通の武器であればそんなことは言えようはずもない。それはあくまで使う人間が悪いのだから。ただ、ロイドは無意識に感じ取っていたのだ。ヨルグの作る人形に、意志があるかも知れないことを。

 考えに煮詰まった様子のロイドを見て、ヨルグは一同を追い返すことに決めた。これ以上ここにいられても邪魔であるし、何より不審者がここに侵入しようと窺っていたからでもある。人形に連行されるようにして外に出た一同は、思いがけないニュースを聞くことになった。外に出た瞬間に鳴ったロイドの《ENIGMAⅡ》からもたらされたのは、事故の連絡だったのである。

 それを聞いたロイドは即座にノエルに指示を出し、皆を促して導力車へと乗り込んだ。ノエルはロイドの『なるはや』の指示を聞くと、アクセルを踏み込んで西クロスベル街道へと急行した。流石にクロスベル市街ではノエルもスピードを落としたのだが、その横を救急車両が何台も追い越して行った。余程の大事故らしいと見て取った一同は顔をこわばらせる。

そこでエリィに状況説明を求められたので、ロイドは一同に何があったのかを説明した。

「……状況はよくわからないらしいけど、とにかく列車が脱線したらしい」

「レールに石を置いた馬鹿がいるわけではなく?」

「ああ、落石の可能性が高いとは言われているんだが……どうも、歯切れが悪かった。もしかしたら何かあるのかもしれない」

 口には出さなかったが、ロイドはこれが『幻獣』の仕業ではないかと何となく考えていた。ただの落石事故であればそもそも《特務支援課》に声がかかることは有り得ないからだ。何かしらの違和を感じたからこそ、報告を受けたソーニャは《特務支援課》オペレーターのフランに連絡を入れたのだろう。フランもその意を汲んですぐにロイドに連絡したのだ。そうロイドは感じ取っていた。

 そして導力車が現場についてみれば――そこには。

「酷い……」

 散らばった列車の壁の破片。砕け散った岩。うめく人々。派手に血こそ飛び散っていないものの、それはまさに惨劇の現場であった。漏れ聞こえる声から察するに、死者はいない。それが幸いなことなのかどうかは、被害者たちしか知らない。加えて飛び込んでくるのは、この微妙な情勢において、帝国や共和国にはみせられないクロスベルの『弱味』になりかねないという事実。

 現場の指揮を執っているソーニャは、ロイド達を見つけて手招きした。

「悪いけど、今から現場検証をしている暇はないわ」

「え、でも……」

「今の情勢は分かっているでしょう、バニングス捜査官。出来るだけ早くここは片づけて、運行を再開しないといけないわ」

 ソーニャの険しい顔を見て譲る気はないことを理解したロイドはしかし、譲歩して貰わなければならないことを感じ取っていた。これはただの事故ではない。それが分かったからだ。故に列車撤去用の重機が来ていないことを盾に、その準備が整うまでの現場検証と事情聴取の権利をもぎ取ったのである。ソーニャもそれで何かが分かるのであれば、という一縷の望みを託してロイドにそれを任せた。

 事情聴取に掛けていくロイド達を後目に、彼女はアルシェムの服の袖を掴んで問うた。

「……これは、貴女の?」

「いや、あっちの仕業だろうね。『彼』にはこんな馬鹿げたことを起こすメリットがない」

「そう……とにかく、事後処理は任せなさい、と伝えて」

「了解」

 それはごく小さな声かつ素早く行われたため、気付いた者はいなかった。アルシェムもまた現場検証へ向かう様を見てソーニャは歯噛みする。既に彼女は『彼』から聞かされていた。一番危険で過酷な任務に就いているのは彼女だと。だからこそ、出来得る限り負担を減らしたいと思ったのだ。将来、恐らくアルシェムは『彼』の右腕になるのだろう。それを死なせるわけにはいかない――という見当違いの思いを抱いて。ソーニャは重機の到着を遅らせる工作を始めたのだった。

 粗方事情聴取を終え、現場検証もざっくりと終らせたところで重機が到着した。その作業をソーニャは複雑そうな顔をして見ていた。確かに遅延工作は行ったはずなのに、それ以上の速さで辿り着くあたり誰かが仕組んでいたのかとも勘ぐってしまいそうになる。ただ、その時点でロイドにはおぼろげながら『落石ではなく故意に誰かが何かを消しかけた痕』だと結論付けることが出来ていた。

 ただ、それらを全て見つめた結果、アルシェムにはもう少しだけ具体的に見えていた。

「何……いや、『誰』かな」

 それにノエルが反応する。

「それって、意図的に誰かが岩を押し転がしたとでも言うんですか?」

「落石じゃ無理だと思うよ。魔獣でもその規模の奴は古代種か『幻獣』しかいないだろうけど、生憎クロスベルにそのサイズの古代種がいたって話は聞いたことがない。『幻獣』にしては上位三属性の気配がしない。よって残る可能性は一つだけ――『誰』が《魔人化》したか、だよ」

 それにランディは渋い顔をした。彼としては《紅の戦鬼》の関連を疑っていたのだが、確かにシグムント単体ではあの規模の傷を車体に付けることは不可能だ。目撃証言とも合わない。そしてアルシェムの言葉から考えれば、あのシグムントが薬に頼ってまで強くなりたいと願うような事態に陥っているとも思えない。要するに関連はないのだろう。

 ならば誰が、と考えたところでティオが周囲をサーチした。

「……これは」

「何か分かったのか?」

「ええ。多分、ノックス大森林の方かと」

 それを聞いてロイド達はノックス大森林へと急行し――思いがけないものを見ることになった。確かにそこには《魔人》がいた。しかし、それは既に討伐されていたのである。彼らは知らなかったのだ。未だアルテリア代表とその護衛が帰路についていなかったことなど。故に、大剣を担いでそこにいた人物に対して驚愕を抱くことになる。

 

「レオンハルト、さん?」

 

 そのロイドの問いめいた言葉に、レオンハルトは若干ずれた答えを返す。

「……ロイド・バニングスか。クロスベルは魔境だな。まさかこんな魔獣が生息しているとは……」

「いや、あの、それは人間なんですけど……」

 至極複雑な顔でそう告げたロイドは、軽くレオンハルトに事情聴取を行い――彼はしれっと鍛錬していたとのたまった――、《魔人化》が解けたその人物を引き取ってその場を後にした。なお、その《魔人》は現在刑務所にいるはずの元《ルバーチェ》の構成員だったのだが、彼が何故外にいて《魔人化》してしまったのかという謎はついぞ解けることはなかった。

 



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師匠

 旧235話~236話のリメイクです。


 列車事故の処理を終えた次の日。ロイド達はいつものように過ごした。要するに普通に支援要請をこなしていた、ともいえる。暴走車の追跡に、手配魔獣の討伐。数が少ない日だったので戦闘経験の豊富なアルシェムは市内の巡回ついでに支援要請探しに精を出していた。《アルカンシェル》でシュリという名の少女に声を掛けられたが、何となくのアドバイスだけでとどめて巡回を再開する。

 すると、昼下がりに《ENIGMAⅡ》が鳴った。

「はいアルシェム・シエル。……? 何で番号知ってんのミシェルさん。はあ……分かりました探してみます。ロイドたちへの連絡はそちらからお願いしますね」

 通話の相手は遊撃士協会の受付ミシェル。そして内容は遊撃士リンとエオリアが行方不明になっているとのことだった。依頼の遂行中なのではとも思わなくもなかったが、どうやらそんな雰囲気でもなかった。ということは、今の情勢からして何かしらに巻き込まれているとみて良いだろう。そう判断してアルシェムは支援課ビルの屋上から気配を探り、クロスベル市内にはいないことを確認して自室へと戻った。

 そして――

「うん、こーゆーのがあると早いよね」

 《帝国解放戦線》の装甲車を制圧した時に暇を持て余して作っていた機械を取り出して空に放った。分かりやすく言うならば『ドローン』である。それが合計九つ。モニターを通じてリアルタイムで情報を得ながら、自身の気配感知圏外へと飛ばしていく。その結果分かったことは、人間が普通に立ちいることのできる場所にはいない、というものだった。つまりはかなり厄介なことに巻き込まれている可能性が高いということである。

 それに対してアルシェムは顔をしかめ、まずは南から捜索しようとしていると再び《ENIGMAⅡ》が鳴った。

「はい。……どったのロイド。え、見つかった? ……おっけ、んじゃ南の湿地帯ね」

 それはロイドからの通信であり、その内容は『ティオ達エプスタイン財団の面々の協力で二人の《ENIGMAⅡ》の発する電波を辿ったところ、南の湿地帯あたりにいるらしい』というものだ。丁度今から捜索しようとしていた場所であり、怪しさ満点の場所であるためアルシェムは特に何も疑問を持つこともなくそこへと向かった。今まで単独行動していたため、連れはいない。

 そして、そこに辿り着いた時に存在したのは一隻のボートと地面にうずくまる二人の遊撃士達だった。

「……誰がいるかな、じゃないな。何かいっぱいいるなここ……何つー混沌」

 ポツリとつぶやいた瞬間に揺らいだ気配を探れば、少なくとも近くに知っている気配が二つある。一つは巧妙に気配を消し、もう一つはその場所に同化するように気配を紛れ込ませている。ただ、その二者はお互いに気付いているわけではなさそうだった。気付いていたのならば恐らく激しく争っていただろうから。今そうなっていないのならば、気付いていないか気付いていても下手に刺激しないようにしているかだ。

 だが、アルシェムはその空気をあっさりと打破した。

「何やってんの、レオン兄、《銀》」

 その二人は複雑な顔を――無論《銀》は覆面の下でだが――しながら姿を現す。象牙色のコートに、銀色の髪。黒ずくめの不審者。どちらも裏社会において知らぬ者はいないほどの有名人。元《執行者》《剣帝》レオンハルトこと、《比翼》のレオンハルト・アストレイ。そして《東方人街の魔人》にして現在では信頼を失った《銀》がそこにいた。

 二人は挨拶もなく愚痴を漏らす。

「おいいきなりバラすな」

「……流石に、そのままでは居させてくれんか」

 お互いに警戒しながらアルシェムの方へと向いた二人は、彼女が全くと言っていいほど警戒を解いていないことに気付いた。レオンハルトに警戒しないのは呼び名からわかっている。そして、恐らく『外道神父』から《銀》について聞かされており、恐らくリーシャが《銀》だろうと知っているアルシェムが《銀》を警戒する必要はどこにもない。ならば一体何を警戒しているのか。

 それを問うたのは《銀》だった。

「何に警戒している?」

 それに対してアルシェムは何と答えるべきか迷った。下手に応えてリーシャが突っ込んで行けば死ぬのは明白だったからだ。ようやく手に入りそうな駒を、こんなくだらないことのために失いたくはないのである。この先にいるのは気配からして《道化師》と《鋼の聖女》、そしてそのお付きの《鉄機隊》達なのだから。いかな《東方人街の魔人》であろうが、一人では厳しいどころか死ぬしかない。

 故に躊躇いがちにアルシェムはこう答えた。

「……その、多分この独特の気配は師匠かなって」

「は?」

 《銀》は知らぬことであったが、レオンハルトは彼女の言う『師匠』が誰であるのかを知っていた。確かに彼女が今ここにいることも。既に彼は『彼女』に対して袂を分かつことを宣言してからここにいる。故に、彼はこの先に進む必要は全くなかった。だからこそ、レオンハルトは何も知らない哀れな《銀》に対して少しでも『エル』の情報を得させてやろうとお節介を焼くのである。

 それは、アルシェムの身を心配するていで放たれる言葉。

「悪いが《銀》。俺はまだ仕事が立て込んでいるのでな。彼女の護衛を頼む」

「……言われずとも、この先は確認せねばならんからな。同行者がいるのは心強い」

 しれっとそう応える《銀》は、アルシェムが『エル』であることを道中で問い詰めようと考えている。それどころではないと気付くのは、レオンハルトが遊撃士二人をボートに乗せて去ってからであった。いつになく緊張した様子のアルシェムに、《銀》は声をかけることすらできなかったのである。それほどまでに警戒する『師匠』とやらを一目見るために、《銀》は黙ってアルシェムの後に続いた。

 そして辿り着いた先にいたのは、緑色の髪の少年。そして、時代錯誤な鎧に身を包んだ女性たちがそこにいた。《銀》には少年の得物は分からなかったが、鎧の女性が持っているホーンとも呼ぶべき槍から、彼女に関しては槍使いなのだと察した。背後の三人に関しても獲物ははっきりしている。もっとも、鎧の女性からしてみれば《銀》の中身に関してまで見抜いていたが。一度相見えたことのある《銀》と、目の前の彼女とでは力量が違い過ぎたのである。

 お互いに黙り込み、そして先に言葉を発したのはアルシェムだった。

「……久し振り、リアン師匠」

 その声はかすれていて、嫌でも緊張を感じ取れた《銀》もまた緊張を強めた。一応はこれまでの功績を見る限り『強者』であるアルシェムがここまで緊張する相手がただの女騎士であるわけがない。その予感だけは正しく、またその警戒こそが今この場において最も必要なモノでもあった。何故ならば彼女は《使徒》――《身喰らう蛇》の幹部なのだから。

 リアン師匠、と呼ばれた女性――《使徒》の《第七柱》、《鋼の聖女》アリアンロードはそれに答えた。

「ええ、久しいですねシエル。……今はアルシェムというのでしたか」

「うん。それが一応本名みたいだよ」

 そのあまりにも適当な答えにアリアンロードは呆れ返った。仮にも自身の名前なのだ。彼女のようにたった一人のための道を歩むと決めて『アリアンロード』と名乗ったわけでもなく、ただそれが名前であると言い放てる根性が分からなかった。知っていたのだ。その名が示すのが、恐らく『欠けた銀色』であるということを。だからこそその真意を聞きたかったのだが、彼女は恐らくそれに対する回答をアリアンロードに示すことはないだろう。

 故に彼女は言葉を変えた。

「それはまた……それで、ここに来たのは旧交を温めるため、ではないでしょう?」

「はっは、勿論。……表に戻る気は、本当にないの? って聞きに来たんだよ、リアン師匠」

 それに対するアリアンロードの答えは無論のことながら――

 

「勿論ありません。私は私の目的のために行動しています。それを、いくら弟子であろうと貴方に言われただけで変えることなど有り得ません」

 

 否だった。故に、アルシェムはゆさぶりをかけるのだ。ある意味では無責任ともとれる彼女の言葉に。自身の都合と、それに巻き込まれてしまうであろう姉弟子たちのことを考えて。どう高潔であろうと彼女らは所詮《身喰らう蛇》の構成員なのだ。アリシアⅡ世との密約を果たすのに含まれる。それで彼女らを消すのは非常に面倒であるから、アルシェムは説得という手段をとるのである。

 まずぶつけるべきは、姉弟子たちのことだ。

「うん、まあ師匠ならそう言うだろうとは思うけどさ。《鉄機隊》の皆もそれに連れて行くんでしょ? どこかできちんと手を離してあげないと、師匠を『高潔な騎士』だと思い込んでる皆が可哀想だ」

「……私は、着いてくるように強要した覚えは一度もありません。ただ……貴女こそ、そちら側にいて辛くないですか?」

 アリアンロードは、アルシェムの追及を誤魔化すようにそう言った。身振りで激昂しそうになっていた《鉄機隊》の一人を制止しながら、だ。その素振りからして《銀》には誤魔化しているように聞こえたし、事実そういう面があったことも否めない。ただ、アルシェムがその言葉に対して回答する言葉は、彼女らの思ってもみない言葉だった。

 その言葉をアルシェムは告げる。

「辛くないと言えば嘘になる。裏側にいればどれだけ楽だったかって思わないこともなかったよ」

「なら」

 戻ってきなさい、とアリアンロードが言う前に。

 

「でもね……ないんだよ、師匠。ここ以外に、道が」

 

 泣き笑いのような表情でそう言ったアルシェムの言葉に、その口は縫いとめられた。その意味をアリアンロードが真の意味で理解する日は来ない。彼女が何よりも優先するのはたった一人だけ。その人物に危機が迫るような事態に、これからなるのだ。その時にはアリアンロードがアルシェムを気に掛けている余裕はなくなっているし、その時には彼女は既に『死んで』いるだろう。

 それに関して問い詰めようとアリアンロードは口を開きかけて――止めた。

「アル! それに《銀》も!?」

「ロイド……あー、さっさと問答なんかしてないで潰してりゃよかった」

 そのいら立ちが見て取れる表情に、ロイドは不快感を覚えた。こうやって何度も何度も見下されるというのは気分が悪いのだ。彼女は無意識にロイド達を下に見ている。それは前からわかっていて、何度も彼女に追いつこうと頑張っていたのにどうあがいても追いつけない。それがもどかしくて仕方がないのに、いくら努力したとしても彼女はそのはるか先を走っているのだ。最早追いつきたいとも思えなかった。

 そんなロイドの内心とは裏腹に、鎧の少女が憤然と言葉をぶつける。

「ちょっと、さっきから生意気ですわよアルシェム! 貴女がどんな道を行こうが自由ですけれど、アリアンロード様の邪魔をするのだけは赦しませんわよ!?」

「いや、一応警察官してるから邪魔するけど」

「でしょうね! でももう少しアリアンロード様に関係しないところで活躍なさい! 一体誰がやらかしたのかは知りませんけれど、こっちは《博士》を処分してくれやがった奴のせいでてんてこ舞いですのよ!? あまり手間をかけさせるんじゃありませんわ!」

 ぷんぷん、というオノマトペが似合うその少女は、《鉄機隊》が一人《神速》のデュバリィだ。彼女は《博士》――ノバルティスが始末され、また動かせる《執行者》達がめっきり減ったおかげでエレボニアとクロスベルを忙しなく駆け回る羽目になっているのである。それこそ自身の異名《神速》に至るほどの速度で動き回らなければその指令が果たせないほどに。こうやって会話をしていられる時間こそが彼女にとっての休憩時間でもあるのだ。

 そのあんまりな言動にレンが突っ込んだ。

「流石にそれはレン、どうかと思うわ」

「うるさいですわよ《殲滅天使》! 戻ってくる気がないのならわたくしの前に顔を出すんじゃありませんわ!」

「あら、ならデュバリィがレンの前から姿を消すべきね。レン達の相手なんかしてないでとっとと動くと良いわ。まあ、全部無駄になるでしょうけど」

 レンの言葉に激昂して突っ込んでこようとしたデュバリィだったが、それは両サイドにいた二人の騎士達に止められた。《魔弓》のエンネアと《剛毅》のアイネスだ。その二人に対して離せ止めろなどと高飛車に言い放つデュバリィであったが、一対一で力量的に拮抗しているにもかかわらず二対一で抑え込まれては抵抗することすらできない。

 それに対して、ロイドとノエル、エリィは毒気を抜かれたような顔でそのやり取りを見ていた。その光景があまりにも微笑ましかったからだ。もっとも、ランディはその持ち前の嗅覚でそのやり取りが一般人には出来ないものだと見抜いているし、ティオもその『鎧を着ているにもかかわらず普通の人間のように動いている』という異常な光景を前に警戒を強めていたが。

 それを微妙な目で見ていると、おもむろにアリアンロードがアルシェムに問うた。

「――この程度の輩のために、貴女は全てを賭けるのですか」

「……流石にそれは、ニンゲンを舐めすぎだよリアン師匠」

「ならば貴女の言、試させて貰いましょう――」

 そしてアリアンロードはその手に持つ槍を閃かせ――それに気付いたアルシェムと《銀》、そしてランディが女性陣を庇うように前に出た。そして始まる怒涛の突き。およそ人間の出せる速度を超えたその突きに対応できるのは弟子であったアルシェムだけしかいない。ランディも防ぐだけで精いっぱいだ。《銀》に関しても、重要な臓器に刺さらないかどうかだけを見極めて捌くことしか出来ない。

 

 故に、その悲劇は起こった。

 

 全てをさばき切り、大きく溜息を吐くアルシェム。そのおこぼれだけを辛うじて防いでいたランディ。それを補助してはいたが、大半はアルシェムに守られたレン。いきなりのことに呆然としているロイド達。そして、守る対象に含まれていなかったためにその覆面が破壊された《銀》――否、リーシャ・マオの素顔が。その場にいた面々に晒された。

 それに最初に気付いたのは、ロイドだった。

「え……」

 その声につられるようにして《銀》を見た一同は、そこに在る顔に言葉を漏らす。

 

「リーシャ、さん?」

 

 覆面が砕けたことには気付いていた。気付いていただけで、隠すことは出来なかった。それゆえにリーシャは無防備なままその顔面を《特務支援課》の一同の前に晒すことになってしまったのだ。遅れて駆けつけてきた一人の遊撃士――アリオス・マクレインにも、その顔はばっちりと目撃されてしまっていた。ある意味では絶体絶命でもある。

 ただ、彼女はそれを誤魔化すことにした。

「……やはり、この顔を使うのは失敗だったようだな」

 その顔が本来の顔ではないかのような発言をして、気配を消す。その場から消え去る時の周囲の人間の驚愕など、彼女は聞かないことにしていた。否、聞きたくもなかった。アルシェムに、『エル』にどんな反応をされたかなど、知りたくもなかったのだ。そこに在るのが失望であったら、彼女は二度と立ち直れないような気がしていた。

 そして、かなり忙しい部下たちのためにアリアンロードもその場を去り、ほぼ空気同然だったカンパネルラもここに放置されては捕獲されると思ったのか去って行って。その場にはロイド達だけが残されるのであった。もちろんその場に残っていたからと言って何かが出来るわけでも、何かが起きるわけでもない。故にロイド達は帰路につく。

 

 ――この先で、何が待ち受けているのかも知らずに。

 

 ❖

 

 ――その町は、無法者たちに蹂躙されるものだと思われていた。唐突に襲来した猟兵達。逆らうことすら赦されず、人質にとられる有力者。その人質には含まれず、されど猟兵達の矢面に立たされる人物こそ、その町の長だった。彼はそういう事態が起きることを聞かされていて、かつ無駄な抵抗をしないよう指示を受けていた。何故なら、抵抗すればするだけ被害が大きくなるからだ。

 それを知らない猟兵達はあまりにあっさりと終わってしまった占領行為に対して疑問を抱くこともなく、籠城の準備を始める。しばらくはここを拠点にし、活動資金を稼ぐのだ。そうやって更なる依頼に備える。この先に待つのは巨額の依頼。ならば、準備は万全にしておかなくてはならない。

 ――その日、その町から自由が失われた。

 



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宣戦布告

 旧237話のリメイクです。


 湿地帯から帰還した《特務支援課》を待ち受けていたのは、凶報だった。それはマインツ鉱山町の襲撃、占領というショッキングなニュース。それに加え、クロスベル市内から《赤い星座》が消えたと聞けばランディが冷静でいられなくなるのも道理ではあった。犯行グループが《赤い星座》であるのは明白だったからだ。ただ、ランディがそれを大袈裟に見せることはなかったのだが。

 彼はいつも通りに振る舞い、いつも通りに周囲を茶化してムードメーカーの役割を果たしていた。その内心では、荒れ狂う自身を抑えるのに必死だったが。怒りがある一点を通り過ぎると激情のまま動くのではなく、一周回って冷静になれるという。ある意味その状態に陥っていたランディに、誰も気づくことが出来なかった。気付けるわけがなかった。それは《特務支援課》にとって必要な通過儀礼なのだから。

 故にロイド達はランディが今にも駆けつけるなどということは考えていないと判断したのだろうが――アルシェムは違った。ランディは必ず《赤い星座》に突っ込んでいく。それだけは確定事項だった。そのことを、身に染みて知っていた。他でもない□□□からもたらされた情報によって。それを鵜呑みにするわけではない。だが、行動を制限されるということは間違いなくそれが起きるのだろうと理解していたのだ。

そして、それは一つのターニングポイントでもある。だからこそアルシェムは、ランディを行かせたくはなかった。どうせ行くのだろうと知ってはいても、どうせ行っても無事に帰ってくるのだと知っていても。多少ではあっても、『仲間』であったから。情が湧いたと言われればそうなのだろう。いつもならば切って捨てるような絆でも、感傷的になっている今は大切にしたかった。

 ランディの行動に、明日に備えて休むことにしていたロイド達は寝てしまっていて気づかない。故にアルシェムが止めるのだ。『□□□の知っている歴史』とは違い、ここに『ワジ・ヘミスフィア』はいないのだから。彼に声をかける人物が必要なのは明白であり、その役が割り振られるのはアルシェム以外にはありえなかった。故にそれを利用するのだ。

 二時間ほど仮眠を取り、部屋を抜け出したランディは正面玄関から出た時、不意に気付いた。

「……何で起きてんだよ」

 いつもの格好で空を見上げ、まだ湯気の立つコーヒーを持っているアルシェムがそこにいる。よく見れば足もとに保温機能付きの水筒が置いてあり、かなり長い間その場で待ち受けていたことが見て取れる。つまりは、ランディの行動はアルシェムに読まれていたということだ。そう察して気まずい顔になるのも無理はないだろう。もっとも、彼女が知っていたのは□□□に命じられたからだが。

 空の月から目を逸らし、ランディを見たアルシェムは静かに告げる。

「何でって……そうだね、確認したいことがあるから」

「行くのかっていう野暮な質問はなしだぜ。見りゃわかるだろ」

 吐き捨てるようにそういうランディの姿は、どう見ても既に『ランディ・オルランド』から逸脱せんとしていた。そこにいるのは少し腑抜けた《闘神の息子》ランドルフ・オルランド。それが必要なことであるとはいえ、許容できるわけではない□□□からの干渉はたやすくアルシェムに波及する。それは『ランドルフ』を『ランディ』に押し込めるための作業だ。

 □□□は認めない。『《闘神の息子》ランドルフ・オルランド』を。彼女にとってランディはあくまでも『《特務支援課》のランディ・オルランド』なのだから当然だ。『《特務支援課》のランディ・オルランド』から逸脱するような行動を赦せるわけがない。それから逸脱すれば、そのランディは最早□□□の望む『《特務支援課》のランディ・オルランド』ではないのだから。

 その不快な思考を切り離しながら、アルシェムは問うた。

「それは分かってる。死ににいくんじゃないよね?」

「……出来たら死にたくはねぇな。だがな、それ以外に手段がないなら仕方ない。アレは俺が止めないといけないんだよ。……分かるだろ? 奴らがああいう行動に出た原因の一つは、多分俺だ」

 それは悲壮な決意を固めた戦士の顔ですらなかった。ただ、死を覚悟した透明な意志。相打ちであったのだとしても、ランディは必ず《赤い星座》を止めるだろう。それに誰も口出しすることは赦されない雰囲気で――それでも、アルシェムは無粋にもそれに水を差すのだ。ただ、彼に死んでほしくないから。この先必要になる戦力として、だが。

 その自ら死を受け入れる者特有の透明な笑顔を浮かべたランディに、アルシェムは一つの真実を突き付けた。

 

「ランディが死んでも、わたしは消えちゃうよ」

 

 その表情は、確かにランディと同じものだった。自ら死を受け入れる者特有の透明な笑顔。いずれ近いうちに死ぬことを知っていて、その引き金を引くのが誰であるのかを知っていてそう言うのだ。その引き金に指をかけるのは、□□□でありロイド達《特務支援課》でもある。そして古代の錬金術師の末裔でもあり、クロスベルの民全てでもあった。

 アルシェムのその言葉と表情に、ランディは硬直した。その言葉の意味を理解したくなかったからだ。ある意味では勘違いを生みかねないその発言を、ランディは正しく受け取ることが出来なかった。勘違いしたのだ、そういう意味で。『アルシェムはランディに対して、彼が死ねば死にたくなるほどに好意を抱いている』という勘違いは、ランディの思考を絡め取るには十分すぎた。

 言葉を喪ったランディに、アルシェムは更に言葉を続ける。

「だから生きて。本当は行かせたくもない。でも、いくら止めたって行くのは分かってるから……だから、どんな形でも良いとは言わない。絶対に、五体満足で帰ってきて」

 その言葉はいかにもランディに恋をしている女の言葉で。アルシェムは言い終わってからそれに気付いた。もっとも、それを取り消すつもりはない。勘違いされたっていいのだ。それでランディが少しでも生きる気になるのならば。どれほど勘違いされようが、『最終的に《特務支援課》が全員生存して笑っていれば』それで何の問題もないのだ。

 だからこそ、呆然と言葉を零すランディにも笑いかけられる。

「アル……お前」

「……本当はね、分かってるんだ。どうあがいたってわたしは死ぬんだって。だけど、ちょっとくらいはわがまま言っても良いかなって。皆が幸せでいてくれるんなら、わたしは――」

 その意味を問い詰めようとして、ランディは思ったよりも時間を取られたことに気付いた。早く行かなくてはならない。《赤い星座》を一人で相手どるには、スタンハルバードだけでは不十分なのだから。本来の得物を手にし、猟兵の時の感覚を思い出すに十分な時間を取らなければランディは彼女の言うとおり死ぬだろう。それでも、彼は行かなくてはならない。この不始末に収拾をつけに行かなくてはならないのだ。

 故に、滅多に吐かない弱音を見せたアルシェムに背を向ける。

「……もう、時間だ」

「……そうだね。今から行かないと間に合わないね。……行ってらっしゃい。ちゃんと帰ってきてねって意味だから。だから――死なないで」

「善処はするさ」

 そう言って空虚に嗤ったランディは、その場を足早に後にした。残されたアルシェムは欠けた月を見上げ、呟く。

 

「……変わらない未来も。変えられない運命も。決められたレールの上なんて、大っ嫌いだよ。……ランディの、ばーか」

 

 それを聞くモノは、誰一人としていなかった。

 

 ❖

 

 ロイドは朝起きて、ランディがなかなか起きてこないことに気付いた。エリィが起きて来ても、ノエルが起きて来ても、アルシェムとレンが起きて来ても。キーアとセルゲイまでもが姿を見せても。ランディだけが見当たらないことに胸騒ぎを覚えた。その胸騒ぎが囁くままにランディの部屋を訪問し、返事がないことをいいことに扉を開ければそこには彼の《ENIGMAⅡ》が置かれている。置手紙はない。

 焦燥に駆られてロイドは呟いた。

「ランディはどこに……」

 それに対し、特に口止めもされていないアルシェムは普通に答えた。

「え、マインツだけど」

「えっ」

 しばしの沈黙。次いでアルシェムはレンを除いた全員から詰問されることになった。無論その内容は『何故知っている』『何故止めない』に二分される。当然だろう。ランディがいなくなって、行先を知っていながら何故夜中に出ていくことを赦したのか。アルシェムならば実力行使で止められることを知っているだけに、彼らは詰問どころか尋問に近い口調になるのだ。

 ロイドがアルシェムを責めるように言葉を吐き捨てる。

「何で止めなかったんだ……!」

「止めたところでどうせ行くでしょ。だったら待ってるから帰って来いっていうしかないんじゃない?」

 そうしれっと言い放つアルシェムの服の襟を、ロイドはつかみあげた。身長差でアルシェムの足が浮きそうなものだが、武装の関係で一般女性よりもはるかに重いアルシェムは浮き上がることなく頸動脈を閉められそうになるだけにとどまる。おかげで結構苦しいのだが、それをアルシェムは表情に出すことはなかった。彼女はこのままここにいなくてはならないからだ。

 ロイドは激情のままにアルシェムを揺さぶり、叫ぶ。

「だからって一人で行かせることはないだろう! そんな危険な場所に一人で行かせるなんて……!」

「じゃあ、ロイド達を起こせばよかったって? 馬鹿言わないでよ。そんな無駄死にさせるようなこと、誰がするわけ?」

「……どういう意味だ」

 より強くアルシェムを締め上げてそう低く問うロイドを止める者は誰もいない。レンはアルシェム自身に制止されている。それ以外の面々はアルシェムを責める方向にしか思考が行っていないので彼女の気道の確保や頸動脈を圧迫していることで血流が阻害されていることになど、気が回らないのである。よってアルシェムは微妙に意識がもうろうとしてきているのだが、それを悟らせることはなかった。

 その代わりにロイドの問いに答えを出す。

「猟兵の練度を考えれば、ランディ一人の方が生還率が高いんだよ」

「そういう問題じゃないだろ……何で、仲間をそのまま一人で行かせたんだ!」

 ロイドの激情の意味が分からないアルシェムには、その問いに先ほどの答えを返すことしか出来ないのだ。ロイド達を連れて行ったところで足手纏いなだけだ。そして、アルシェムは本日に限りクロスベル市内から出ることは出来ないのだ。今日起きることに対して、アルシェムはクロスベル市内で対処し続けなければならないのだから。ランディについて行くことは出来なかった。

 アルシェムがついて行こうが、何をしようが、ランディはほとんどの確率で生き延びる。ロイド達が結果的にランディを追うタイミングが重要なのだ。だからこそ夜には言わなかった。逆に言えば、今この段階であれば何の問題もないということでもある。何故ならランディが粗方猟兵を片付けた後に駆け付けられるからだ。そうでなければ、誰か一人は欠けるだろう。それを□□□は知っていた。

 その問いに対して答えがないことを見て取ったレンは、冷ややかにロイドを止めにかかる。

「ロイドお兄さん。そのままだとアルが死ぬわよ。死因はさしずめ窒息かしらね?」

「……ッ」

 憤然としたままロイドはアルシェムを突き放す。アルシェムはたたらを踏んで何とかバランスを保ち、無様にこけないようにしなければならなかった。その微妙に余裕のない様子で若干溜飲が下がったのか、ロイドはランディを追う方向に思考をシフトする。本当は、ロイドにも分かっていた。ランディが何も言わずに出て行ったのは自分達が不甲斐ないからだと。

だからこそ、いったんロイドは落ち着いて情報を得ることに専念する。ただしこのままアルシェムを連れて行けばまた爆発しそうだったので敢えて彼女とレンを情報収集のメンバーから外し、支援要請に対応しておいてもらうことにする。そうやって彼女らをクロスベル市に置いたまま、ランディの情報を得られたロイド達はマインツへと向かった。

そして――彼らは無事にランディのところまで辿り着き。一悶着ありつつも『ランディ』を取り戻して。一件落着だと、そう判断して。そうして見たものは――

 

「クロスベル市が……燃えてる!?」

 

 惨劇に見舞われているクロスベル市の姿だった。

 

 ❖

 

「……やっぱり、こうするしかないみたい」

 そうつぶやいたキーアは、強くそう思った。こうならなければ、ロイド達は最終的には笑いあえない。その未来を見てしまったからこそ、彼女はこの悲惨な光景を受け入れることに決めたのだ。例え誰が傷ついたのだとしても、最終的に皆が笑い合ってくれるのならばそれで良いのではないかと、そう妥協することしか出来なかったのだ。

 だからこそ、背後で動き始めた二人に首をかしげるのだ。

「……アル? レンも……どこに行くの?」

 その問いにアルシェム達が不快感を覚えて顔を歪めるのはもはやいつものことで。その理由が分からないキーアにはそれが酷くイラつくモノになっていた。何故かは分からない。ただ、『絶対に分かり合えない』ような、そんな気がしてならないのだ。彼女らがそもそもここにいるはずがない人間であることをキーアが知るのは、もう少し先のことだった。

 キーアの言葉に、アルシェムは迂遠に答えた。

 

「分かってるくせに」

 

 その見透かしたような言葉に、キーアは震えた。確かにキーアは何となく『知っていた』。彼女らが何をしに行くのかも、どうしてランディを追わずにクロスベル市に残ったのかも。だが、その根拠が見つからないのだ。『この先に進むための最善の行動』であれば、どういう理由でそれが回避できないのかが分かるのに。アルシェムの行動にキーアが納得できるだけの根拠が見つからない。

 そんなキーアの様子を鼻で笑うアルシェムは、《ENIGMAⅡ》を取り出して通話を始めた。

「ああ、ミシェルさん。東通りと旧市街は任せました。遊撃士連中を全力でこき使ってやってください。手が空いたら警備隊の連中が行くでしょうから、それまでは持ちこたえて」

 一回目は遊撃士協会の受付ミシェルだった。何故今彼に対してそういう情報を伝えられるのか、キーアには分からない。もしかすればどこかの誰かから情報を得ているのかもしれないが、それが真実かどうかすらも分からないまま彼らが動くわけがない。それでもアルシェムは一方的にそう告げて通話を終えてしまう。

 そして、また《ENIGMAⅡ》を操作した。

「ワジ、中央広場と裏通りを任せた。もし何かあったら分け身送るから持ちこたえてよね。もちろん警備隊も余裕が出来たらいくと思う」

 二回目は、自警団のワジ。

「……レオン兄。そう、行政区よろしく」

 三回目は何故かアルテリア代表の護衛レオンハルト・アストレイ。

「アガット? 悪い、ちょっとタイミング見誤った。港湾区でしょ? 自衛だけはしてくれると助かるな。……警備隊は真っ先に向かわせるからさ」

 四回目は遊撃士の《重剣》アガット・クロスナー。

「……司令、マインツにけりがついたらクロスベル市へ全速で向かって下さい。ええ、緊急事態ですから」

 そして、最後はソーニャだった。その取り合わせが何を意味するのかキーアにはやはり分からなかった。彼らとアルシェムを結び付けるモノは本当に微々たるもので。彼女との信頼関係などほぼないと言っても等しいはずなのに、アルシェムは言いたいことだけを言って通話を終えてしまうのだ。

 そんな彼女に対し、レンが訳知り顔で告げる。

「で、レンは住宅街に行けばいいのね?」

「そ、よろしく。歓楽街はわたしが引き受けるから、誰も死なせないで、傷つけさせないで」

「当然よ。これ以上失いたくないもの」

 そう言ったレンの表情は印象的で――キーアは、何故か胸が締め付けられそうになった。

 



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クロスベル市防衛線・上

 238話~241話半ばのリメイクです。


 クロスベル市東通り――遊撃士協会が存在し、東方人色の強い地域。そこに襲撃する予定となっていた猟兵達は、シグムントからあることを厳命されていた。『たとえ何があっても、負けない戦いをしろ』。それこそがこの地域において肝要だったのだ。何故ならば東通りを守ろうとするであろう遊撃士達の中にA級遊撃士が混ざることは明らかだったのだから。

 故に、彼らは負けないような戦い方をすることにした。そう――『勝たなくて良い』ということは、どれほど長期戦になっても良いということだ。回復一人、援護一人に前衛一人のスリーマンセルという基本を敢えて崩し、彼らは回復二人、援護二人、前衛一人という五人編成で挑んだのである。当然のことながら、前衛にはかなりの負担がかかるのだがそれはそれ。皆どの位置でも動けるように訓練しているので、無理が出たところから交代すれば良いだけの話だ。

 そして、遊撃士側もその編成をある意味ではありがたいと思っていた。何せ人手が足りないからだ。今現在クロスベル支部に所属し、なおかつクロスベル市内にいる遊撃士は五人。まだ本調子でないリンとエオリア、いつも通りのスコットとヴェンツェル、そしてアリオスの五人だけなのである。これで協力して戦うことになれば、あまりバランスが良くないのは明白だった。

 それでも善戦できたのは、ひとえにリンが《泰斗流》の技で回復要員に回れたからだ。本人からしてみればかなり不本意だったようだが、エオリアだけで回復を担うのは無理があり過ぎたのである。基本的に魔獣と戦うための装備しか出来ていない彼らが、人間を害するための装備を持った猟兵達に対して有利に立てると思うこと自体が間違っている。

 回復要因であるにもかかわらず突出しようとするリンに、スコットが声をあげた。

「……っ、リン、焦りすぎだ!」

「分かってる……でも! こんなの、メチャクチャじゃないか!」

 その嘆きは誰もが感じていることだ。敢えて口に出していないに過ぎない。それでも、この絶望的な状況を脱するためにはそうやって愚痴を吐き出さなければやっていられなかったのだ。スコットが。ヴェンツェルが。リンが。エオリアが。自身の無力さを呪いながら戦っている間――アリオスは、その光景を無感動に見つめながら戦い続けた。

 

 それこそが、この戦いの目的だと知っていたから。

 

 故に彼は戦い続け、旧市街を出来得る限り破壊できるように戦況を動かし続けた。これから出来る新たなクロスベルに旧市街など必要ないからだ。クロスベルには、暗部は確かに必要かもしれない。ただそれを担うのは自身であればよいだけの話だ。旧市街に全てを押し付ける必要はどこにもない。故に、潰す。新たなクロスベルには必要のない屑どもを処分するという意味でも。

 

 そうして皆が自身の無力さを飽きるほどに呪い終えたころ――全てが終わった。

 

 ❖

 

 クロスベル市の中心。中央広場付近に展開していた猟兵達は、あまりにも歯ごたえのあり過ぎる男達に辟易としていた。その男達を無視して市内を蹂躙する方が明らかに早いというのに、その中でも強い男二人に必ず止められてしまう。周囲の雑魚もただの雑魚ではなかった。猟兵はたった一人ででも何人も蹂躙できるはずであるのに、この男達を相手にすればただの一人も倒せずにカバーされてしまうのだ。

 それは、軍隊の戦い方というよりも遊撃士の戦い方に似ていた。それも当然だろう。何故なら男達――自警団の連中は、アガット・クロスナーから地獄の特訓を施されているのだから。彼らは『一人で戦うな、群れて戦え』というアガットの言葉を忠実に守り、誰かが傷つきそうになればそれをカバーできる人材がそこに割入り、隙が出来れば攻撃を叩き込める人材が叩き込むという戦法を取っていたのである。

 もっとも、猟兵達もただでやられるわけもなく――

「あわわわわわ……」

 微妙に動きの鈍かったアゼルを袋叩きにしようとした。こういう場合は一人ずつ確実に潰すか全体を一気に潰すかしかないのだ。そして今現在彼らにとれる方法は一人一人を確実に潰していく方法のみ。ここを襲撃した彼らに与えられた命令は『出来得る限り修復可能な程度に建物の損壊を抑え、かつ死人を一人も出さない』という微妙なものなのだから、広範囲を指定するアーツなど使えないのである。

 そうとは知らないワジがアゼルのフォローに守り、一番近くにいて同じことが出来そうだったスラッシュに声をかけた。

「ああもう、君、ちゃんとアゼルを守ってよ!」

「わーってるよォ!」

 そういうスラッシュも手一杯だ。それでも何とか一人ずつ確実につぶし、優勢に持って行く。ヴァルドが防御を打ち砕き、怯んだその隙を皆でフルボッコにする。回復されそうになればその回復要員に向かって袋叩きを敢行し、回復させないようにしていく。それを相手も繰り返すのだから、戦いは終わることを知らない。延々と続くいたちごっこ。

 それでも、猟兵達は目的を果たしてみせた。『出来るだけけが人を出さず、かつ建物だけを破壊する』というある意味無茶ぶりな命令を、果たして見せたのだ。ヴァルド達は確かにクロスベルを守った。しかし、彼らはクロスベルの『生活』を守りきることは出来なかったのだ。責めを負うべきは彼らだけではない。しかし、それを知らされることなく彼らはただ瓦礫を見つめて打ちひしがれることしか出来なかった。

 そのうちの一人が地面を叩き、血を吐くように叫んだ。

 

「畜生……こうならないために、俺達は鍛えて貰ってたんじゃないのかよ……!」

 

 その、叫びこそが。彼らの心情をよく表していた。

 

 ❖

 

 絶望的な状況でもなお、それをひっくり返さんとする者がいる。彼はこの襲撃でクロスベルの状況が致命的にならないように、アルシェムから命じられてこの地を守っていた。一番落とされてはならない行政区。そこに、一人の男がいる。かつて起きた悲劇から修羅の道に身を投じ、そこから抜け出し、理に至り、なお先へと歩もうとする一人の英雄だ。

 それを、市民を守るべきクロスベルの警察官が呆然と見つめる。

「す、すごい……」

「呆けている暇があるなら避難誘導をして貰いたい。流石に戦う以上のことにまでは手が回らんのでな」

「あ、はいっ!」

 そのアッシュブロンドの男――レオンハルト・アストレイの戦いは凄まじいの一言に尽きる。剣を一薙ぎするだけで猟兵が簡単に倒れていくのだ。先ほどまで警察官を蹂躙していた猟兵達を、だ。それほどまでの力量を持ちながら、在野に埋もれていたのか――そう、彼の正体を知らないフランは判断していた。しかし、その感違いを正す者がいる。

 その人物は、この状況にもかかわらずレオンハルトを糾弾した。

「何故まだここにいらっしゃるのですか、アルテリアの護衛殿!」

「問答をしている場合ではないのだがな……まあ良い、このまま後ろから撃たれてはかなわん――鬼炎斬!」

 呆れたようにそう告げたレオンハルトは、周囲の猟兵達を一気に薙ぎ払って糾弾した警部――エマの隣に立った。すかさず銃を向け、妙な行動をすればいつでも打てるようにスタンバイするエマ。しかし、レオンハルトはそれを一顧だにせず彼女の疑問に答えた。

「こいつらの長が《アーティファクト》を所持・悪用している疑いがあってな」

「それでまさか藪を突いて蛇を出すような真似をしたのではないでしょうね!?」

「心外な。奴らは俺のことを知っている。むしろ抑止力になってやっていたことを感謝されるべきだと思うがな」

 レオンハルトは心の底からそう感じて言っているが、本当は違う。レオンハルトを恐れて規模を縮小したのではなく、規模を拡大しにかかったという意味ではある意味状況の悪化に一役買ってしまっている。それでもその情勢の悪化を覆せるほどの規格外の力を持った彼にとっては誤差にもならない。雑兵はいくら集まろうが雑兵なのだ。

 そのあまりにもあっさり猟兵を倒していく様を見て、エマもうっかり『信頼しても良いのではないか』などと思い始め。最後には共闘してその場所の猟兵を駆逐せしめたことで、彼女らは油断することになる。行政区の安全確保を終えた一同は、ある種の信頼関係を築くことが出来ていた。故にクロスベル警察はレオンハルトに住宅街を、そして自分達は他の地域へと足を延ばそうとしたのである。

 そして――

 

「何で……どうしてこんな……! 私達だけでは、守れないというのですか!」

 

 絶え間なく襲い掛かってくる猟兵達に足止めされ、重傷とはいかないまでも戦線離脱を免れない傷を負わされ。何も出来ないままにクロスベル市の守護から離れざるを得なかったクロスベルの警察官たちは嘆く。嘆くことしか出来ない。クロスベル警察だけでは守れない。他の組織と協力し合って、ようやく守れるかどうか。それを自覚してしまえば、もう動けなかった。

 

 彼らは思い知ったのだ。自身に力がないから、ここまでクロスベルが蹂躙されることになったのだと。

 

「誰か……どうか……力を。そう……力をつけなくちゃ」

 

 狂気に浮かされるように、その言葉が蔓延していく。

 

 ❖

 

 住宅街。そこは既に詰んでいた。一つの家に住民を集め、それをたった一人の少女が守る。その有様を――彼女の両親が、見ていた。彼女の置かれた境遇を少しずつ聞かされていたから。恨まれていても仕方がないと思っていたから。そうではないと娘の口から聞いていても、それを素直に信じられるような境遇ではなかったと理解出来ていたから。

 だから、ハロルドには理解出来なかった。

「止めてくれ……レン」

 うめくように呟いて。荒く息を吐きながら、彼には背中しか見せてくれない娘を想う。彼女は既にボロボロで、立っているのもやっとに見えた。彼女がやっていることすら、ハロルドには理解出来ないことなのだ。誰が思うだろうか――現実の世界で、銃弾を大鎌でぶった切って止めるなどという曲芸をやってみせるなど。それを、まぐれではなく何度も繰り返してみせるなど。

 それを奇蹟と呼ばずして何と呼ぶのだろう。レンが立っていられるのは、ひとえにその場所を守り通すという意思が強固であったからに他ならない。そうでなければ、既に地に倒れ伏し血にまみれていただろうことは容易に想像できた。それでもそうなっていないのは、彼女の技量と根性と精神が猟兵達の想定を上回っていたからに過ぎない。少なくともハロルドにはそう見えていた。

 それでも――レンは。

「……あら、ダメじゃない。こういう時は――攻撃の手を緩めちゃダメなのよ!」

 相手を煽る。自分のペースに持って行く。何度も何度も銃弾を撃たせ、無駄弾をばらまかせる。レンがしてはいけないことは、攻撃を背後の家に通すこと。それ以外なら何をしても良かった。流石に切り札は切れない上に《パテル=マテル》にも頼れない。それでもなお彼女の心にはある種の余裕があった。まだ、思考する余裕が残されていた。

その理由は――

「レン……っ!」

 背後の両親の存在だ。彼らがいなければ、とうにレンは諦めていた。彼らがいなければ確かにレンはここまで追い込まれはしなかっただろう。しかし、こういう不利な条件で戦うことなどレンには珍しいことでもない。《身喰らう蛇》において、派手な戦闘行為など本当にまれなのだ。最近が少々派手気味だっただけで、本来は潜入や暗殺の方が多かったのである。

 勿論、そこに《パテル=マテル》を出現させるわけにはいかない。当然だろう。『暗殺』にあんな派手な機械人形を連れていく組織など、一つしか想定されていないのだから。故にレンは《パテル=マテル》がいなくとも十分強いはずだった。そう――他に、守る者さえないのであれば。彼女は初めて思い知ったのだ。絶対に守ると決めた者が背後にあるという重責を。

 それでもなお余裕があるのは、狙撃銃でヘイワース邸を狙う猟兵――ガレスの力量をレンが見極めていたからに他ならない。確かにその狙撃能力は驚嘆に値する。《魔弓》のエンネアにも迫る勢いの鋭い銃撃だ。しかし、逆に言えばエンネア以下だということ。常に超一流の暗殺者たちを相手に訓練してきているレンにとって、ガレスの攻撃を防ぐのは本当に難しいことではなかったのだ。

 ならば何故ハロルド達には余裕がないように見えているのか。その理由は簡単だ。

「早く見捨ててやれよ、小娘。そんなボロボロになってまで守るような価値のある奴らじゃねえだろ? 見捨てろ。じゃねぇと――殺すぜ?」

「……お生憎様。お兄さん如きにレンの価値観なんて理解出来るわけないわ」

 ガレスの油断を誘うため。その言葉を引き出すためだけに、レンは敢えてボロボロになったふりをしているのだ。ボロボロなのは服だけだ。その下にのぞく十字架を、誰にも見せないと決めていた――ほんの少し前までは。しかし、今は違う。その十字架はレンの罪の証だった。両親に裏切られたと思った罪。数多の人々を殺めた罪。それらを予見して自身で刻んだのがその傷で、それが消えるまではレンは償い続けなければならないと。そう思っている。

 だからこそ、見えても構わなかった。見えて、それが何だと聞かれても、レンは胸を張って言える。自身を保つための無様な傷ではなく、自身の罪を覚えているためにあえて刻んだ傷なのだと。その傷が消えるまで、レンはずっと誰かを助け続けていくのだと決めた。それを覆させる権利など誰にもない。そう――たとえそれがアルシェムであっても。

 背後から、悲鳴のように自身の名を呼ぶ声が聞こえる。

「……大丈夫だよ。パパ、ママ……レン、絶対に、パパとママを守るから」

 そう小さく呟き、何度目かすら忘れた銃弾を弾いて。彼女のシルエットがその場から掻き消える。それに驚愕してガレスが銃弾をばらまこうとするが、その時にはもう既に遅い。ばらまけるだけの銃弾は残っておらず、ただその大鎌に一刀両断される様を幻視した。――実際には、レンはガレスを気絶させてぐるぐる巻きにしてつるし上げただけだったのだが。

 

 レンのそのけなげな姿は――住宅街の住民たちに『自分達がもっと強ければ』という自責の念を植え付けた。

 

 ❖

 

 歓楽街。そこには死屍累々とした有様で猟兵達が転がされていた。その四肢はもれなく撃ちぬかれており、二度と普通に生きることは出来ないだろう。そういう風にアルシェムは撃った。彼らに恨まれようがどうでも良い。彼らはアルシェムの愛すべきクロスベルを蹂躙したのだ。ならば、彼ら自身を蹂躙し返すことでその報いを受けさせるべきだと思ったのだ。

 そうやって着実に量を減らし。ホテルに避難した住民たちが見ていないのをいいことにアルシェムは蹂躙を続けた。もっとも、一定以上の力を持つ猟兵達が増えて来たのでジリ貧にはなってきていたのだが。ある意味では禁忌の御業とも呼べる『分身』のクラフト――否、アルシェムに関しては『分身』のアーツで自身の分身をあらゆるところにばらまいているため、《ENIGMAⅡ》での回復は見込めないのである。

「ま、でもそれでもやってられるのはこの動体視力のお蔭だよねぇ。万歳馬鹿視力」

 乾いた笑いを浮かべながら最低限の弾丸で最高の結果を叩きだし続けるアルシェムは、それが一番力を持つ本体であればこそ見逃せなかった。《アルカンシェル》の公演を堂々とぶち壊そうとする少女を。

 

 そして――アルシェムはシャーリィを追って《アルカンシェル》へと突入した。

 



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クロスベル市防衛線・下

 241話半ば~242話のリメイクです。


 ちりちりとした焦燥感。それをずっと抱えながら、リーシャはその日の公演に臨んでいた。何か取り返しのつかないことが起きそうな予感がするのだ。しかし、それを告げたところでイリアが止まる訳もなく、また待っている観客たちのためにも公演は中止したくなかった。たとえイリアもそれを感じ取っていたのだとしても、『ならなおさら公演はやらなくちゃ』と言うだけだ。

 

 なぜなら――ここで、『リーシャ・マオの大切に思う人間が重傷を負わなければならない』のだから。

 

 それを知ることもなく、いつものように《月の姫》を演じて。いつもよりも愁いを帯びた表情は皮肉にも観客たちを魅了し、興奮の渦に巻き込んでいく。そのリーシャの動きに引きずりあげられるようにイリアの動きもまた洗練されていく。破滅の前のひときわ明るい輝き、とでも称するべきなのか。それは失われるからこそ美しいともいえるのだろうか。それを知る者はまだいない。

 リーシャの鋭敏な聴覚が外の不穏な音を拾う。それを伝えるべきか、リーシャは迷った。伝えれば中止して貰えるかも知れない。しかし、これだけの観客にどうやって納得して貰えば良いというのか。外で銃撃戦が始まっているから、公演を中止するなどという事情を。そんな非現実的なことを理解して貰えるとも思えない。それよりは安全なこの位置に留まってもらっていた方が安心できるのかもしれない。

 その微妙な葛藤を、イリアは見抜く。

「……リーシャ?」

「イリアさん……あの」

 迷いを顔に、言葉を口に。それだけの暇は、リーシャには与えられなかった。いつものように、舞台監督役がイリアに声をかけるからだ。

「《太陽の姫》出番です!」

「……後で聞かせなさい。その時まで、あんたはそれを表に出さないようにしとくのよ」

 イリアの声に、リーシャははっと顔をあげた。それほどまでに分かりやすく葛藤していただろうか。それをいくら感受性が高いとはいえ一般人のイリアに指摘されるほどに。そう思って周囲を見回してみれば、皆も不安そうにリーシャを見ていた。どうやらそのまま顔に出してしまっていたらしい。心を落ち着け、皆を落ち着かせるために微笑んで。自身の出番に備え――

 

 見てしまった。扉を開き、あの《赤い星座》の狂った少女が入ってくるのを。

 

 彼女が入ってくると同時にイリアは袖にはけ、今度は《星の姫》役でシュリが舞台上に上がり。シュリは緊張していて、自身の演技にどれだけ魂を込められるかを念頭に置いているために気付かない。他の役者たちも、そんなシュリに見とれていて気づかない。そんな中に闖入してきたシャーリィに気付いた人間は、故にリーシャとイリアだけだった。

「――ッ!」

 リーシャはシャーリィが入ってきたことに怯み。そのまままっすぐ走り込んできて、シュリが彼女に気付いて。そしてシャンデリアに飛び乗り、そのライフルブレードをその鎖に当てて。それが一体何を意味しているのかを理解した時、イリアは飛び出していた。あのままではシュリが危ない。シュリはシャーリィがやっていることの意味が分からなくて立ち尽くすことしか出来ていないからだ。

 ただシュリのことだけを想って起こした行動は、故に成功する。

「シュリッッ!」

「イリアさ――」

 イリアに突き飛ばされ、舞台袖まで飛ばされたシュリには全てが嫌に遅く見えた。自分を突き飛ばしたイリアが満足げに微笑む。その上に落ちてくる、様々なギミックのついた巨大なシャンデリア。そのまま走り抜けてくれればいいのに、イリアの身体はその場所でよりにもよって減速している。当然だ、シュリを突き飛ばすという形で加速度が減少しているのだから。

 このままだと潰される。そう思ってシュリは限界まで目を見開き、声を漏らす。

「やめ――」

 その目の前に、有り得ないほどの速度で突っ込んでくるナニカ。

「ちょっ、冗談キツイって!」

 その声の主は、舞台の奥へと向かってイリアを投げ飛ばした。直後、シャンデリアがその影を押しつぶす。

 

「あ――い、や、あああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 誰かの悲鳴。それがいつも温厚なリーシャのものであると気付いた時、シュリは言い知れない怒りを感じた。そのシャンデリアを落とした奴は。そのシャンデリアをぶった切ったのは。目の前の、年も変わらないような少女。シュリは初めて、猛烈にこの手でその少女を殺してやりたいと思った。姉のように慕うリーシャにあんな悲痛な叫びを上げさせたから。

 だから、というべきなのか。目の前でシャンデリアが動き始めた時、彼女の思考は停止した。

「……は?」

「痛いっちゅーの……あーもー、ふざけんのも大概にしてよホント……」

 よろめきながらもその二本の足で立ったのは、シュリも見覚えのある女だ。《特務支援課》のアルシェム・シエル。彼女が顔をしかめながらシャンデリアを持ち上げて立っていた。この時あまりの衝撃に気を取られていて彼女は気づかなかったが、そのシャンデリアは一人では持ち上げられないような代物であることだけはここに追記しておく。

 それを見て、シャーリィが獰猛に嗤った。

「あはっ、あははははは! ねえ、お姉さん、やっぱりサイッコーだよ!」

「生憎だけどこっちの気分はサイッテーだよ……いてて」

 肩を抑えながらアルシェムはシャーリィを睨み据えた。まだやらなければならないことがあるというのに、まさかの『自分の意志ではない行動』で負傷するという体たらく。死ななかったからよかったものの、ここで死ねばすべてが台無しになるところだったのだ。アルシェムの、□□□の、ここに至るまでの全ての人間の行動が。たった一人の死によって無に帰すところだった。

 その事態を想定して嘆息するアルシェムの隣に、リーシャが立った。この際誰に何と思われても良いと思ったのだ。今ここで彼女を守れなければ、リーシャが生きている意味はないと思うほどに。

「やめて……無茶、しないで。休んでて……私が戦うから……!」

 震えるその声にアルシェムが返答する前に、シャーリィは隠し持っていた大剣をリーシャに投げつける。

「そう来なくっちゃ! ほらこれ、必要でしょ?」

 それを受け取ったリーシャは、無言のままそれを受け取った。想定したくもなかったが、シャーリィの愉悦を浮かべた笑みはその想定を打ち消させてはくれない。そう――『リーシャと戦う為だけに、シャンデリアを落として誰かを傷つけたかった』などという想定を。事実、シャーリィはそこまで明確に考えていたわけではなかったがそれを期待していたのだ。

 それを問い詰めなくてはならないと、リーシャが問う。

「……『そう来なくっちゃ』? 貴女は……まさか、そのために、こんなことを?」

「だって、そうしないと本気のリーシャとは戦えないじゃん?」

 その言葉と共に笑みを浮かべたシャーリィを見て。リーシャは切れた。もう何がどうなっても良い。ただ、目の前の少女さえ屠れるのならば。他の何を喪ったって構わないと、思った。既に居場所はシャーリィによって半ば粉砕され、戻れない位置にまで来てしまっているような気がする。故にリーシャは戻れない道へと足を踏み出すのだ。

 顔を俯かせ、大剣を握り直し。そして――

 

「……シャーリィ……ッ、オルランドォォォォォォッ!」

 

 裂帛の気合を以て、シャーリィに襲い掛かる。そこにいたのは《月の姫》たる期待の新人リーシャ・マオではなかった。そして東方人街の魔人《銀》でもなかった。そこにいたのはただの修羅。『二度目』の家族を喪うかもしれないその事態に、恐怖して。それをもう一度起こさせないために全てをかなぐり捨てて敵を撃滅するための修羅となったのだ。

 そして、その修羅は――目の前の敵を撃滅することに集中しすぎて、アルシェムがそこから消えていたことに気付かなかった。

 

 ❖

 

 IBCでは、猟兵が動き出したのとほぼ同じ時間帯に既に避難が完了していた。マリアベルからの指示もあった上、そこに遊撃士が常駐していたからでもある。常駐していた遊撃士アガットは、状況がきな臭くなりすぎていると見るやティータを避難させにかかったのだ。そのついでとばかりにエプスタイン財団のロバーツ主任に声をかければ、速攻で避難を始めてくれたので助かったともいえるだろう。 もっとも――ロバーツが避難を決めたのは『とある神父』と密約があったからなのだが。

 それはさておき、地下にティータを避難させ終えたアガットはIBCの正門前に陣取った。門も玄関も全開にしておき、屋上から侵入してきたとしても即座に中に突入できるように対策をする。そうして、そこで敵が来るのを待つのだ。もちろんのことながら依頼を受けている遊撃士としては『ティータの安全』が第一である。だが、それ以上にクロスベルに混乱を振りまく輩に対して妨害したいと思っている。

 確かにアガットにとってアルシェムは気に喰わない後輩だった。それでも、本来であれば責任を負う必要などないことを押し付けられている年下に見える少女を放置することは出来なかった。たとえ彼女がニンゲンではないと知っていても。たとえ彼女がツクリモノであったのだとしても、彼女が築いてきた絆は決してツクリモノなどではないとティータが信じているから。

 故に、本来であれば推奨されない『依頼人から離れての戦闘行為』を行おうとしているのである。

「……本気みたいだな。ったく、こんな馬鹿げた策をやらかすって推測できるアイツもアイツだが、やる方もやる方だぜ」

 嘆息したアガットは重剣を片手に静かにその時を待つ。彼が守らならければならないのはティータだ。だが、遊撃士協会はそれを良しとしない。そして恐らくはアルシェムもそれを赦しはしないだろう。彼はその自覚はないが、既にアガット・クロスナーという遊撃士は遊撃士協会内でも最高峰の力を持つ遊撃士となっているのだから。

 その遊撃士協会最高峰の戦力に対し、《赤い星座》は意図せず最高戦力をぶつけることとなった。依頼人からのオーダーでIBCを破壊しなければならないシグムント・オルランドが飛空艇でそこに向かっている。そしてその正門に続く道の前で二人は相対した。どちらも見事な赤毛を持つ男で、どちらも重い攻撃を得意とするタイプの戦士。その二人が向き合えば、どちらかが隙を見せるまで動くことはない。

 そう――隙を、見せなければ。

 

「アガットさんから離れて下さいっ、じゃないと、こうなんだからあああああっ!」

 

 それはくしくも彼女が元々力を持たなかった時と同じ叫びで。しかしその時とは全く違う結果を生み出した。その結果こそが、彼女がリベールを巡る陰謀に巻き込まれ、友人をつくり、友人に追いつきたいと願った成長の証だ。それは過たず彼女――ティータの声に唖然としてしまったシグムントの鳩尾に突き刺さる。衝撃を叩きつけ、魔獣を再起不能にするレベルの砲撃は、シグムントに確かに届いたのである。

 そして、それに気を取られたのはアガットも同じだった。

「おい、ティータ何して――」

「アガットさんは黙っててくださいっ! いつもいつも、私に言わずに危険なところに突っ込んで行って……どれだけ私が心配してると思ってるんですか!」

 涙目でティータがアガットに言葉を叩きつける。なおラブコメに発展しそうな雰囲気ではあるが、ティータの方にその自覚はあってもアガットの方にその自覚は全くない。手のかかる妹レベルにしか思っていないのである。それを打破するためにティータがナニをするのかは、まだずっと先の未来の話だ。少なくとも今のアガットにそのつもりは一切ない。

 故に窘めるような言葉を出そうとする。

「ティータ、」

「こんなの、あの時に比べればぜんっぜん危なくないです! だって堕ちませんし! そこの危ないおじさんだってレオンハルトさんに比べたら全然怖くないもん!」

 アガットの言葉をぶった切り、最後はほとんど自分に言い聞かせるレベルで啖呵を切ったティータは改めてシグムントに導力砲を向けた。そうだ。全然怖くないのだ。今のティータにとって一番怖いことはアガットを喪うことで、自分が死ぬことではないのだから。おぼろげながらもティータは既に悟っている。恐らく、アガットはティータにとって家族とはまた違う種類の感情を向ける相手だと。

 だからこそ、ティータはアガットの敵に向けて叫べる。

「だから、私、あなたなんかけちょんけちょんにしてあげるんだからああああっ!」

「どこで覚えたそんな言葉……まあ良い、悪いがこっから先は絶対に通さねえぜ」

 そう言ってティータの前で重剣を構えなおすアガット。それを援護するように導力砲を構えるティータ。それに対し、苛立たしげな表情をするシグムント。確かに先ほどの一撃は脅威だが、要は当たらなければ良いだけの話だ。目の前の男も危険だろうが、すぐに仕留めなければならないほどの脅威だとも思えない。遊撃士協会内では高い評価を得ているようだが、それは遊撃士としてのくくりで見た時の話だろう。シグムントは少なくともそう見ていた。

 勿論それは希望的観測すぎるもので。

「……チッ、まだこんな猛者が遊撃士にいるとはな」

「いや、流石に買いかぶり過ぎだろ……他にもアリオスのオッサンとかよ……」

「ふざけんなこのリア充ニワトリがァ! テメェみたいな変態がごろごろしててたまるかァ!」

 くわっ、と怒気をあらわに怒鳴ったシグムントに、アガットは冷静さを奪ったと判断して畳み掛ける。勿論狙ったゆさぶりではなかったが、狙えるのならば狙うべき隙だ。どう見ても演技などではなかった。そして、この一瞬さえあれば恐らく事足りると判断したため、決着を急いだのである。背後から聞こえるキーボードの音がその恐怖を助長する。

 ティータがその作業を終えようとしているとき、彼女は不意に気付いた。このままでは威力が高すぎてアガットごと葬ってしまう可能性があることに。しかし今更威力の調整など出来るわけもない。彼女が行っているのは衛星のクラッキングだ。そして、そこから高出力の導力砲を放つのである。それをとどめの一撃として使うことに何のためらいもないはずだったのだが、クラッキングする相手を間違えたのである。後戻りは出来ない。

 ならば彼女が使う方法はというと――

 

「アガットさん! 伏せて下さい!」

 

 ギリギリまで引き付けさせておいての唐突な警告。同時にアーツでアガットに完全防護の膜を張り、彼が伏せたことを確認してその結果を見守った。もちろん自身にも完全防護の地属性アーツを掛けたうえで、だ。背後から迫りくる瓦礫はその膜が弾き飛ばしてくれる上に、目の前の脅威はあまりのことに愕然として慌てて伏せている始末だ。

 故に――

「……あの、どうやったらこんな惨状が出来上がるんですか……?」

「知るか。ティータに聞け」

 駆け付けたロイド達の目の前で重傷を負って力尽きかけているシグムントと、至極複雑な顔をしているアガットをみてそんな問いが出るのも必然だろう。アガットがそれに答えないのもまたいつものことだ。原理は確かに説明できないので知らないと主張することもまた間違ってはいないのだが、彼自身の忌まわしい記憶によって説明したくないというのもまた間違ってはいないのである。

 衛星からの砲撃は本気で怖い。アガットはそれを身を以て知っていた――ラッセル家の面々から実験台に使われていたが故に。故に遠い目になるのは致し方ないことであり、その隙に『IBCを完膚なきまでに破壊する』という目的を果たしたシグムントが逃げ延びていくのもまた致し方ないことであった。

 



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復興作業

 243話のリメイクです。


 クロスベル市が《赤い星座》に蹂躙された。そのニュースは瞬く間に西ゼムリア大陸中に広がった。この事態に対し、帝国と共和国はクロスベルに対して庇護下に入るよう要求し、クロイス市長とマクダエル議長に拒否されていた。リベールやレミフェリアなどは帝国と共和国の情勢も鑑みて静観する方向で行くようだ。もちろんアルテリアもその例外ではなかった。要するに見捨てられた形だ。

 帝国がクロスベルに対して要求したのは『帝国の軍隊を受け入れること』と『実効支配するために総督を受け入れること』だ。もちろん受け入れられるはずもなく、クロイス市長に一蹴されていた。共和国も似たような要求をしたが、こちらも一蹴されていた。逆にリベールやレミフェリア、アルテリアには救援要請を送ったものの情勢の悪化を盾に断られている。

 当然だろう。誰が沈むと分かっている泥の船に乗ろうというのか。ゆえに泥舟にのる民たちは見捨てられ、ただ死を待つだけのいけにえとなる。それを黙ってみていることしかしない周囲の国々は、鬼畜とそしられるべきなのか。もちろん否である。周囲の国々にだって守るべき民がいるのだ。その民を守りきって、そして初めて周囲に手を差し伸べなくてはならないのだ。

 それに関してクロイス市長が何某か考えている様子であったが、それを読み取れるわけもなく。この件に関しては事後処理に追われることしか出来ないマクダエル議長は今ある手札で最高の結果を叩きだすべく資金繰りに頭を悩ませることになった。帝国系議員や共和国系議員が足を引っ張ってくるのは目に見えていたが、今黙らせられなければ泥沼に沈むだけだと分かっているマクダエル議長は必死に結果をもぎ取っていく。

 それに対してもちろん良い顔をしない帝国系議員と共和国系議員。そして、クロイス市長の一派だ。マクダエル議長はほぼ孤立無援のままに戦うことになってしまっているのである。それでも必要だと思うことに対してはクロイス市長の一派が賛成してくれることだけが救いだった。そうしなければクロイス市長の企みが完成する前にすべてが水泡と帰すことを知っているからこその助けである。

 政治関係も悲惨ならば、町の被害も悲惨だった。目立った建物は破壊され、見るも無残な状態になっている。瓦礫に挟まれて死んだペットもいれば、それに埋まって取り出せなくなってしまった思い出もある。人的被害が比較的少ないのが奇跡のような状態だ。もっとも――クロスベルを襲撃させた人物たちはそれを狙っていたのだが。

 皆が町の惨状に声を喪い、呆然としている中で一番に声を上げたのは自警団の青年たちだった。彼らも大小のけがをしているにもかかわらず、真っ先に復興を始めたのである。取り敢えず家のない人たちのために瓦礫をかき集めて簡易宿泊所をつくり、飢える人たちのためには《トリニティ》で培った経験をもとにパスタなどを振る舞った。それ以外にも不器用ながらクロスベルのために動く姿に、最早不良としての面影は見当たらない。

 その働きぶりに、周囲の住民たちも認識を改めて積極的に協力するようになった。コミュニケーションも頻繁にとるようになり、この短時間の間に自警団は遊撃士協会とほぼ同等の信頼を得るようになっていた。もちろん《特務支援課》とも同等の信頼だ。いかに彼らがクロスベルの住民に対して真摯に救いの手を差し伸べたのかわかるだろう。

 次に動き出したのは警察官たちだ。治安を守るために巡回を始め、思ったよりも空き巣が多いことに頭を抱えつつも『巡回している』という事実を以て住民たちを安心させていった。警備隊たちも同じく動き始め、戦車などを使って大きな瓦礫の撤去も始めていく。それを見てようやく事態を呑みこめたのか、住民たちもまた動き始めた。

 ただ、真っ先に動き始めたのが警備隊ではなく自警団だった、ということで彼らの信頼はある程度までは回復したもののそれなりに低いままだ。そのことが、住民に『このままではいけない』という焦燥感を植え付けることになっている。誰もが感じていた。今のままのクロスベルであったら、いずれすべてがクロスベル市のようになってしまうと。

 そんな中、《特務支援課》も復興作業に気を取られていた。ロイドは警察官としてこの混乱に乗じた空き巣退治のために駆り出され。ランディはその膂力を生かしてがれき撤去に回り。ティオとレンは破壊されたネットワーク環境の復興のために一時的にエプスタイン財団に出向することになって。エリィはまさかのIBCの移転作業に巻き込まれて手伝う羽目になっていた。そして元々出向してきていたノエルはこれを機に警備隊へと戻ることとなっている。

 それぞれがそれぞれの能力を生かし、皆を少しでも楽にするべく動いている中。たった一人誰の目にもとまる形では動けていない人物がいる。もちろんそれはアルシェムであり、民たちはそのことにすら気づけないほど忙しい毎日を送っていた。自身から注意の逸れているアルシェムが暗躍しているかと問われるとそうではない。そんなことができる状況ではなかったからだ。

 そんなアルシェムはというと――

「……そろそろ治ってくんないかな……全身まだ痛いんだけど」

 人事不省でベッドの上だった。イリアを助けた際の『アルシェムの意志を無視した身体の挙動』について行けず、まだ節々が痛いのである。それに反射的に全力で逆らおうとしてしまったためだ。『イリア・プラティエを助けなくとも《太陽の姫》として演技できる』ことを知っているアルシェムとしては助けるつもりはあまりなかった。助けられるのならば確かに助けるつもりだったが、まさか後押しされまくるとは思ってもみなかった。それがこの様だ。

 それ以外にも分身のアーツを使って様々な個所のフォローに回っていたのだが、どこにいた分身もどうやらオーバーワークをさせられて消滅したようなのだ。クロスベルをできる限り守るつもりが、いいように使われていたことに気付いた時にはもうすでに遅かった。もっとも、アルシェムとしても目的にそぐわないなどということはないのでさして問題視はしていないのだが。

 それでも、アルシェムは重傷者というくくりには入らなかった。アルシェムが知っている限りで重傷を負うはずだった人間達は、皆揃って要入院ではあるものの後遺症も残らないようなレベルのけがにとどまった。フラン・シーカー、靭帯損傷。二課のドノバン、打撲による骨折。イリア・プラティエ、軽い捻挫。そして一番重症だったのが元《サーベルバイパー》のディーノである。彼は脇腹を撃たれたまま背後で震えるサンサンのために戦い、勝利して気絶したのだ。

 他の住人達にも重傷者は出たが、それはリンとエオリアが街中を駆け巡って簡易的な治療を施したことでこちらも後遺症は残らないレベルとなっている。それでもなお。皆の心の中に巣食ってしまった一つの感情は癒えることなくその傷口を広げていく。『このままじゃいけない』という、ある意味では強迫観念にも似たその感情はクロスベル住民の中で確かに燻っていたのだ。

 そういう意味では、襲撃は成功したと言えるだろう。元々の目的は『クロスベルが変わらなくてはならないという強迫観念をクロスベル自治州民に植え付けること』だったのだから。それはロイド達の心の中にも確かに根付いていた。各々がどう判断するかはまた個人の話となる。ただ、皆が強く在れるわけではないということだけは確かだ。

 そうやって復興作業は続き、アルシェムが人事不省から戻ってきたころ。いつものように支援要請に戻れる体制に戻り、いつものように支援要請を受けて――その日は、ノエルの送別会をすることにしていた。その日がノエルが《特務支援課》でいられる最終日だったのだ。故にいつも通りに依頼をこなし、いつも通りに戻ってきて。そして彼女の送別会をした。

 キーアの作った鍋を囲み,皆が笑いあう光景。その中に、当然のことながらアルシェムが入っているなどということはなかった。そろそろ人事不省から帰ってきてもいいころなのだが、まだまだ無理は禁物だとレンに止められたのである。もっとも、動けたところでキーアの作ったものを食べようなどという考えはアルシェムには起きないのだが。

 

 そうして――最後の穏やかな時は終わる。

 

 ❖

 

「もう……忌々しい。何で死なないの?」

 そう、□□□が呟いた。それはかつて彼女を天使のようだと称したロイド達には見せられないほどに醜悪な顔で。それも無理はないだろう。何度も何度も、彼女がこれでもかと言わんばかりに張り巡らせた罠はことごとく潜り抜けられてしまった。殺すはずで、すでに死んでいなければおかしいほどの因果をぶつけたにもかかわらず死なない駒に彼女はいら立っていたのだ。

 《幻獣》を何度ぶつけても。《身喰らう蛇》のメンバーをいくらけしかけても。周囲の魔獣をすべて彼女に殺意を抱くように改変しても。そのすべてを打ち破っていくのだ。さすがにニンゲンに彼女への殺意を託すことはためらわれたが、それ以外にも自然物であれ何であれ彼女を殺せるような手段はいくらでも用意していたはずなのだ。そのすべてをかいくぐられた。

 考えてみればわかる。何度も何度もうっとうしい蚊を叩き潰すために策を講じているにもかかわらず、気が付けば飛び回っている状況を。殺したと思っていたにもかかわらず平然と飛んでいる。それも、周囲に不快感を与えながら。それを許せるほど□□□は大人ではなかった。もっとも――彼女はすでにアルシェムの年齢を超えるほどの年月を生きているのだが。

 

 そう――彼女は、すでに千年をはるかに超えて生きていた。

 

 始まりはいつだっただろうか。最初にやった時はロイドたちがヨアヒム・ギュンターに殺された。二度目は列車砲に撃たれ、がれきに埋まった。三度目はロイドたちも《碧の大樹》までたどり着き、救ってくれた。それでも彼女の欲望を満たすにはまだ足りなかった。何度諭されても、納得できないものは納得できないのだ。皆が幸せでなければ何の意味もない。

 ロイドの運命を変えてみた。ガイが生き残るように仕向けてみた。ティオが誘拐されないように仕向けてみた。エリィの両親が離婚しないようにしてみた。ランディの友人が死なないようにしてみた。ノエルとフランの父親が死なないようにしてみた。ワジが《守護騎士》にならないようにしてみた。考え得る限りのことすべてを試してみた。

 その結果わかったのは。彼女が求めている結果がある程度の不幸の上にしか成り立っていないということだった。ならばとその不幸をできうる限り小さくしていこうと努めた。この時点ですでにその時を生きている人間を尊重しようなどという思考はどこかへ消え去っていた。そんなものなどくそくらえだ。自身の幸せに比べれば、そんなものなどどうでもよかった。

 

 □□□は理解していないのだ。幸せというものはどこまでも求めようと思えば求められるものだということを。

 

 ゆえにこそ彼女は貪欲に幸せを求め続けるしかないのだ。ロイドに幸せを。エリィに幸せを。ティオに幸せを。ランディに、ノエルに、ワジに、彼女にかかわるすべての人たちに幸せを。それが一度にはかなわないと知れば、最高の幸せをつかませるための駒を生み出す。その駒の幸せなどどうでもよく、ただロイドたちのために動いてもらえればそれでいいのだ。

 だからこそ許せない認められない。ただの駒であるアルシェムが自由に動き、処分をかいくぐって生き延びているのが。彼女は死ぬべきなのだ。もう必要のない駒なのだから。そんな不用品はゴミ箱にたたきつけて焼却処分して跡形もなくこの世界から消し去って誰からも顧みられないような存在にならなければならないのだ。□□□にとって必要ないとはそういうことなのだ。

 苛立ちを心中に燻らせて□□□はつぶやく。

「殺さなきゃ」

 そうだ。殺さなければならない。彼女はすでに目の上のたん瘤なのだから。必要のなくなった駒を盤上から降ろすことの、何をためらえというのだろうか。ためらう必要などどこにもないだろう。なぜならば□□□にとって盤上の駒は等しく無価値なのだから。彼女にとっての駒は、ロイドたちを確実に生存させるための道具でしかないのだから。

 確殺の意思を込め、もう一度つぶやく。

「殺さなきゃ」

 ロイドたちを守らなくてもいい局面まですでに進んでいるのだ。これ以降、ロイドたちは絶対に殺されない。そうなればすべてが巻き戻る。そうなるように仕向けてあるのだから、必要のない駒を置いておけばそのノイズでロイドたちに危機が及ぶかもしれない。だからこそ殺さなくてはならない。大切なロイドたちを守るために殺さなくてはならない。

 と、そこで□□□はいつどうやって殺すのが一番効率的かを導き出した。

「そうだ、あの時に殺してしまえばロイドたちもちょっとはおとなしくなるよね……?」

 そのタイミングを思いつけば、もうそれ以外の選択肢は考えられなかった。これ以降、そこで殺さなくては最大の効果が得られない。ゆえに彼女はその時までに因果を収束させることに尽力することとなる。その作業は今までとは比べ物にならないくらいにスムーズに進み、いら立っていた彼女を満足させるだけの結果をたたき出すことになるのだ。

 

 そう――七耀暦1204年10月に、『アルシェム・シエル=デミウルゴス』は死ぬ。彼女の望み通りに。

 

 ❖

 

「そうだよ、あんたの望み通りわたしは死ぬんだよ」

 いつかどこかで女が言った。否、すでにそのニンゲンには性別などなかった。そんな機能など必要なかったからだ。女ではない。男でもない。どちらの機能がついているわけでもない、ただニンゲンの形をした生き物。それがアルシェム・シエルという名のニンゲンだった。既にまくべき種はまき終わった。ならばあとはすべてを収束させるだけでよかった。

 政治面ではマクダエル議長とエリィ、それ以外のクロスベルを愛する有志たちが。経済面ではハロルドを筆頭とする株取引のエキスパートたちが。軍事面ではソーニャやダグラスをはじめとした強者たちが。たとえ誰に何があっても、計画は遂行される。そういう風にアルシェムは仕向けている。そうでなければならなかったのだ。自身が殺されることくらい容易に想像がついていたのだから。

 何度も何度も殺意を感じた。そのたびにすべて潜り抜けてきた。どうせあちらはいら立っているだろう。ならば、一番効果的だと思われるときに華々しく死んでやろうではないか。ただし、『死んで』いるように見せかけるだけで本当に肉体的に死ぬわけではない。いつものように必要のなくなった人格を殺すだけの話だ。いつものことで、慣れ切ったこと。

 そこでアルシェムはすでに『殺した』自分たちを思い返した。

「最初に死んだのは『エル』だったっけ」

 『エル』と呼ばれていたシエル・マオを殺したのは、そうしなければ正気を保てなかったからだ。結果的にヨシュアやレオンハルトに救われて『シエル・アストレイ』に戻れたのだから何の問題もないと思っていたが、どうやらリーシャは彼女を求めていたようだ。それについては悪いとは思っているが、気狂いのまま会うよりはまだましだろう。

 その次に殺したのは、と思い返して少しばかり驚いた。

「そっか、案外『シエル・アストレイ』って息が長かったんだなあって」

 次に殺したのは『アルシェム・ブライト』だった。ずっと意図的にだましていて、おそらくはこれ以上一緒にいればエステルたちの成長が見込めないからと引き離された。もちろんその場にい辛くなったから、というのもあるにはあるがあれはどちらかというと□□□の都合だった。彼女にとってエステルたちは強くなくてはならなかったのだ。

 そしてその次に殺したのが『シエル・アストレイ』だ。《執行者》としての彼女を殺し、立場を絞って生きていこうとした。このあたりから恐らくは邪魔になり始めたのだろう。いかに立場を周囲に漏らすかということに□□□は躍起になっていたようだ。もっとも、最終的な立場が破壊されなければいくらでもアルシェムにやり直しは効くのだが。

 本当は、『アルシェム・シエル』もすでに《碧の叡智》によって殺されているのだ。ただ端的に殺されている、と表現するよりは化けの皮を剥がれた、の方が正しいのかもしれない。あの薬を呑まされたせいで彼女は完全に覚醒し、『アルシェム・シエル=デミウルゴス』となったのだから。もはや元には戻れない。死の運命を背負った自身から逃れるすべはないのだ。

 残る自身は『エル・ストレイ』だけ。そして、それだけはいまだに□□□に『利用価値がある』と思われている。事実としてその立場にしか活路はないのだが、□□□は認識を間違っているのだ。『エル・ストレイ』と『アルシェム・シエル=デミウルゴス』の能力が一緒だと本気で信じ込んでいる。ゆえに一緒に葬り去れると信じているのだ。

 それでも、アルシェムは決めていた。

「別れなんて、切り出してやるもんか」

 別れのあいさつなど、誰にもしてやらない。必ず新たな名を使って生き延びる。そのためにはクロスベルを守るための立場を手に入れなければならず、それに利用できたのが自身の血筋だというから笑えて仕方がない。父など存在しない。母は存在していても、本当の意味で彼女は人間ですらない。それでも利用できるものはすべて利用して生き延びてやるのだ。

 

 そして、彼女は――死ぬ準備を終えたのだった。

 



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運命の鐘の交錯、心からの慟哭

 244話のリメイクです。


 クロスベル自治州にて行われた国民投票では、黒幕がまいた種が如実に表れていた。『クロスベルはこのままであってはいけない』という洗脳にも近い強迫観念を植え付けられた住民たちは、見事にそれに踊らされたのである。結果は圧倒的多数による『クロスベルの独立』の賛成で終わった。それを誰もが望んでいたからだ。誰もが望み、誰もが求めた。

 それに対して当然のことながら帝国と共和国が反発。即座に撤回しなければ軍事行動に出ることを通告した。それ以外の国はリベールを筆頭に静観の体制をとる。もちろんクロスベルに滞在している住民たちへの避難勧告は行われているのだが、それで逃げ出す住民は少ない。クロスベルに滞在している他国籍人たちは『どうせそんなことなどできやしないだろう』という楽観的な思考のもと過ごしているのだからなおさらだ。クロスベルの住民とそういった他国籍をもつ住民たちとの間の感情のギャップは到底埋められそうにもなかった。

 

 そうして、誰もが目をそらした結果――ディーター・クロイスに付け込まれるのである。

 

 モニターに映し出される彼の演説と、そのモニターを守る国防軍を名乗る軍団。それはクロスベルを案じ、愛する者たちのみで構成されていた。その中には当然ノエル・シーカーも含まれている。彼女もまたクロスベルを愛している一員だ。そして負け犬根性が染みついた敗者でもある。そういう人間には声をかけないようアルシェムはリオに命じていた。

 そんなこととは知らないロイドたちは、唐突に連絡をよこしたレクターの真意と尋ねてきたセシルの言葉から状況が一体どういうことなのかを探るために動き出そうとしていた。

「とにかく、何が起きてるのかぐらいは把握しないと……!」

 焦るロイドに、アルシェムはけだるげに返答した。

「わたしはパスで」

 それに対してロイドが詰め寄る。

「……はあっ!? 何を言ってるんだ、アル! こんなときこそ――」

「こんなときこそ冷静になってって。今この状況で、ここを全員で空けるわけにはいかないでしょ? 緊急時の連絡要員はいた方がいい。何が起きるかわかってない時こそ、ね」

 そんなときのために《ENIGMAⅡ》があるのだが、アルシェムはあえてそれを口にすることはなかった。ロイドたちにここにいられるわけにいかないのはわかっている。だが、それはアルシェムがここにいてはいけないというのとイコールではない。実際にこの言葉を口にできた時点で、アルシェムはここで待機しても問題ないということがわかっていた。

 その言葉にエリィが顔をしかめる。

「何か起きるって思っているの?」

「むしろ起きないと思ってる? この状況を狙ってるやつにとって、今何かアクションを起こさないでいつ起こすの?」

 確実に何かが起きる。それも、決定的に何かを変えてしまうような何かが。それを確信しているアルシェムはここにいなければならず、場合によってはそのまま死ぬ可能性もある。それでも残る。アルシェムには何が何でもかなえたい願いがあるのだから。ティオには何かを察知されたようで声をかけられることはなかったが、その代わりジト目でにらまれた。

 こうなってしまえば頑固なアルシェムのことだ。絶対に動かないと確信できてしまったロイドは彼女に念を押すように言う。

「何かあったら絶対に連絡しろよ?」

「当たり前でしょ――気を付けて回ってきて。不用意に何か起こそうとしてるバカがしたらきっちり取り締まってね。変に何か起こされたらまずいから」

「……分かった」

 ロイドはそう言って支援課ビルから出た。それが最後にかわす平穏な会話になるとは、彼はつゆほども思ってはいなかっただろう。何のためらいもなく去っていくロイドに小さく別れの言葉を告げたアルシェムは、レンに指示を与えるとそのまま一度部屋に引きこもった。すべてを片付ける必要があったからだ。もうここにはいられないし、帰ってくることもない。それがわかっていたからだ。

 階下に戻ったアルシェムは、セシルに話しかけられる。

「アルシェムさん……」

「何?」

「行ってもよかったのに残ったのは何故? 連絡役にだったら、私がいれば十分だったんじゃない?」

 その目は真実を探り出そうとしているかのように鋭い。かつてのガイを思わせるその視線に、アルシェムは苦笑した。確かにそれは間違いではなかったからだ。ここに残ったのには、アルシェムなりに理由があるのだから。一つは無駄に疲れないため。そしてもう一つは部屋を片付けるため。最後に、分け身と入れ替わる隙を作るためだ。

 それを悟らせないためにアルシェムはあえて扉が開くタイミングと声を発するタイミングとを合わせた。

「それはね――こういうバカがやってくる可能性が高いと思ってたからだよ。まじでなんで今来たのアリオス・マクレイン」

「むしろなぜお前がここにいるのだ……邪魔立てすれば、斬る」

 目には剣呑な光をたたえ、柄に手を添えたアリオスがアルシェムをにらみつける。

「ええ……目的もわかんないのに殺気振りまいてやってくる奴の邪魔しないとかどんなバカなのそれ」

「ならば明かそう。来い、キーア」

 あくまでも視線はアルシェムから外さず、アリオスはそう告げた。その言葉にセシルは首をかしげる。なぜ今キーアに話しかけたのか。彼女は今ロイドたちのために何かお菓子を作っていたはずで、この場にはいなかったはずだというのに。いい匂いの漂うキッチンから出てきて、アリオスの腕に自身をゆだねるのは何故なのか。何度考えてもわからない。

 すがるようにアルシェムを見れば、彼女の顔はらしくもなくこわばっている。

「……本気でソレが必要なの?」

「無論。お前にはわからないだろうがな」

「うんわかんない。何でそっちなの? 純正品は別にあるっていうのに」

 その言葉に、アリオスは無表情のまま刀を振るった。彼女が間に合う程度の速度で、セシルに向けて。案の定アルシェムは顔をしかめて移動し、背から剣を抜いて受け止めたように見えた。そのあまりにも非日常的な光景にセシルは震える。なぜいきなりこの二人が争い始めたのかがわからないのだ。二度、三度と振るわれる刀に、アルシェムは不自然な体勢でそれを受け止めざるを得ない。無理やり割り込んだ影響で変な形で受けることしかできなかったのだ。

 無論それに無理があるのは当然のことで。

「やはりな。お前は慣れていないのだ。守る戦いというものにな」

「自分でやっといてそれはないでしょ……」

 そしてもう一度振るわれる刀。それをなぜか彼女は止めなかった。その代わりにセシルが目にしたのは、赤い――

「アリオスさん、何を――!」

「早く治療してやるといい。もっとも、そんな時間をその女が求めているとは思わんがな」

 流れ出る血を踏まないように下がり、キーアを抱えたままアリオスは裏口から堂々と出ていった。それを確認することなくセシルは無理やり追おうとするアルシェムを押しとどめ、応急処置を済ませる。これ以上動かしてはどんな後遺症が出るかわからないからだ。しかし、応急処置が済んだアルシェムはアーツを使って多少の傷をふさぎ、《ENIGMAⅡ》を取り出す。

 そして止めるセシルを振り払って駆け出した。

「あー、もしもしロイド? どこ? ……そっか、まだその《かかし男》にかかずらってたってわけか。急いで港湾区に向かって。船は手配しとくからミシュラムへ――あーもうめんどくさい説明! クソガキがアリオスに連れてかれた! 止めようとしたけどとりあえず斬られた、説明終わり!」

 強引に説明を終わらせ、港湾区に向かう途中で分け身と入れ替わる。本体は《メルカバ》で休みながら分け身の操作に集中することにしているのだ。なんせ今回の分け身はいつものものとは性質が全く違う。意識を飛ばす必要があり、身体が氷のように冷たいということ以外はほぼ生身のアルシェムと変わりない性能を誇る《聖痕》製の分け身なのだ。

 《メルカバ》に戻ったアルシェムは、自らの従騎士たちに向けて通信をつなげた。

「……スタンバイオッケー。じゃ、最後の仕事を始めようか……メル、万が一にも撃たせるな。リオ、確実に息の根を止めさせろ。レン、逃げ切れよ。カリンとレオンハルトはそのまま潜伏。――行動開始」

 そうして、アルシェムは意識を分け身に飛ばした。その分け身はすでに《ミシュラム》へと到達しており、ロイドたちを待ち受けている。彼らと合流でき次第、突入する予定だ。やがてやってきたロイドたちにはけが人の分際で動き回ったことを派手に責められたが、目的を知るためにこうして動けたのはアルシェムしかいなかったので仕方がないことだ。

 《鏡の城》へと突入し、たどり着いたその先にいたのは果たしてキーアとアリオス、そして――

「どうして……どうして貴女がそこにいるの,ベルッ!!」

 エリィの悲痛な声が指摘した通り、マリアベル・クロイスがそこにいた。謎の装置の上に座るキーアは悲痛そうな表情を浮かべ、しかして救出に訪れたはずのロイドたちに向けて駆けださない。ロイドたちが声をかけてもそちらに行けないの一点張りだ。キーアのいるべき場所はそこにしかないと本気で信じ込んでいるのである。実際、彼女はどれほど否定しようが『お人形さん』であることに変わりはないのだ。

 マリアベルは、時間稼ぎのために語り始めた。真実を――そして、彼女らが追い求めるものを。失われた《幻の至宝》デミウルゴスのこと。それを守護する立場であったクロイス家のこと。そして、失われたものを取り戻すために作り上げられたのがキーアであったことを。この力さえあれば、クロスベルを独立国にすることすら可能であることも、語った。

 それに付け加えるようにマリアベルはこぼす。

「ああそうそう……確か、《幻の至宝》には跡継ぎの幼生体がいたようですけれど、それも行方知れずのままでしたわね。今更見つかるとも思いませんから、蛇足ですけれど」

 その言葉に、ティオが思い切りアルシェムを振り返った。どこかで似た話を聞いたことがある。それは確か《銀の娘》と呼ばれていて――だから、彼女は、まさか。そんな思いにとらわれて、彼女を見てしまったのだ。そこに浮かんでいた表情など何もなかった。

 淡々と、アルシェムはマリアベルに告げる。

「……それで人間造って《至宝》に仕立てるとかばっかじゃないの? 探せば見つかったのに」

「……なんですって?」

 マリアベルがいぶかしげな眼をアルシェムに向ける。しかしすでに彼女の目はキーアに向いていて、マリアベルを映すことはなかった。興味などすでに薄れていた。それよりも、アルシェムには伝えなくてはならないことがあるのだから当然だろう。

 アルシェムはキーアに向けて、おそらく初めて名を呼んだ。

「キーア。あんたも――かわいそうなやつだよ。せっかくいろいろ捻じ曲げてここまでわたしを呼んだのに、そこにいるのが何であんたなんだろうね」

「何、言ってるの? アルが、何を言いたいのかわかんないよ……?」

 震える声は言いたいことがわかっていることを示している。ただ認めたくないだけだ。ここにいるべきなのはキーアでなくても問題ないことを、そう仕向けたキーアだけが信じられない。自分が犠牲にならなければならないと思い込んでいたのに、本当は自分がいけにえを導いていたことなど彼女には到底認められないことだったのだ。

 らしくない行動であることは理解している。それでも、アルシェムは。

「さーてアリオスさんや。とっととそこを――退いてよね!」

「ぬっ……!?」

 キーアを救うために、動いた。背から双剣を抜き取り、彼と切り結ぶことで。もちろん先ほどの傷が癒えきっているような行動はとれない。ロイドたちにもすでにばれているのだから、不調を装うことくらいはできる。何度か切り結び、ロイドたちのある意味邪魔な援護もあってアルシェムは膝をつく。その光景に違和を覚える者はいない。

 そしてその一瞬で、ロイドたちも沈められた。ティオに関しては逃げられなくもなかったのだが、ここは大人しくしておくべきだと悟ったのだ。さすがに彼女も一人で皆を助けられると思うほど思い上がってはいない。レンが動かないことからも、何かあるのだろうとは察していた。だからこそ動けなかったのだ。マリアベルによって見せられた、迫りくる帝国と共和国の圧力。それをどうにかしなければならないと分かっていても、キーアがそれを止めてしまえることを知ったから。

 だからこそ信じた。だからこそ、信じられなかった。

 

 国防軍が、アルシェム・シエル=デミウルゴスを射殺したことなど。

 

「悪いけど、さすがにこの状況でおとなしくつれていかれるわけにはいかないんだよね!」

「おとなしくしろ、この化け物が!」

 抵抗するアルシェム。押さえつけようとする国防軍。彼らがアルシェムを化け物と呼ぶのは、ひとえにその動けるはずがない傷を負っているのに暴れまわれるだけの体力が残されているからだ。そんなことをすればいつ死んでもおかしくない。それがわかっていて、彼女は暴れているのだ。《特務支援課》のメンバーをできるだけ傷つけないよう言明されていると知っているから。

 しかし、その淡い勘違いはすぐに打ち砕かれる。キーアにとって、アルシェムは《特務支援課》の一員などではないのだから。ただいつも敵意を向けてくる変な人間。そんな認識しかできていない。当然のことながら、『キーア』にとっても彼女はただの邪魔な駒なのだから今ここで排除することに何のためらいもない。ためらう必要すらなかった。

一人の目がうつろになり、突如導力ライフルをアルシェムに向けた。

「おい、お前、何して――」

「まっず……ッ、あ」

 射撃、着弾、飛び散る血しぶき。当然その血はアルシェムの治療用にとってあった輸血パックで、今現在アルシェム本人が流したものではない。だがそれを知る者はここにはいない。その飛び散った血に触れた面々の目もまたうつろになっていく。その血に含まれている《叡智》がその力を保ったまま次々と彼らを傀儡人形へと変えていったのだ。その支配者はアルシェムではなく『キーア』にある。

 それを察し、アルシェムは顔を引きつらせて叫んだ。

「全員逃げろッ! わたしに構うな――!」

それにつられるように正気のままのほかの面々もライフルを向け、そして――撃った。何の容赦もなく。問答無用で。その直前にアルシェムが叫んだ言葉に反応できたのはたった一人、レンだけだったのだ。他の面々は直視してしまった。瞬く間に肉片に変えられたアルシェムを。そこには先ほどまで強がっていた女など存在しない。そこにあったのは、ただの肉と骨だ。

 エリィはそれを見て思わずえずいた。

「う……っ」

「見るなお嬢、ティオすけ!」

 ランディが叫ぶももう遅い。既に彼女らの脳裏には鮮明に焼き付いてしまった。当然彼の脳裏にも。震える体は恐怖を覚えているわけではない。凄まじい怒りにとらわれているからだ。それを発露しようと両腕をつかむ国防軍の兵士を投げ飛ばそうとしたところで、ランディはロイドに強く腕をつかまれた。今ここで抵抗しても、アルシェムのようになるだけだとその目は語っている。

 それでも、ランディは言葉を吐くのを忘れなかった。

「テメェら……覚えとけよ」

「ヒッ……」

「だ、黙れ!」

 がつっ、とライフルの銃床で殴られて、それでもランディの怒りは収まらない。生きて帰らなければ自分は死ぬかもしれないと言ったアルシェムは、これを予期していたのだろうか。それももう確かめることはかなわない。なぜなら彼女は死んでしまったからだ。完膚なきまでに。あれで生きていると言われれば即座に嘘だと断言できるだろう。

 

 そうして、彼は、彼女は。自らの無力さを呪った。

 



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断章・断罪の塩の柱

 245話のリメイクです。


 《鏡の城》から脱出したレンは、《星杯騎士》ストレイの指示に従ってエレボニア帝国を訪れていた。必要な作業があったからだ。その作業とは、以前から報告を受けていた『バンダナの君』をこちら側に寝返らせること。そして、《鉄血宰相》をぶち殺すことである。もっとも、そんな指示などなくともレンは一度エレボニア帝国に来る予定だった。それに作業が増えただけのことだ。

 レンは最初から《鉄血宰相》を生かしておくつもりなどなかったのだ。今はすでに『死んだ』ことになっているアルシェムを苦しめたのは彼だから。そして、その子飼いの《子供たち》も誰一人として逃がす気はなかったのである。たとえどのような境遇であれ、いたずらに他者を苦しめていたのは間違いないのだから。情状酌量の余地はあるかもしれないが、それでもレンは誰一人として許しはしない。

 帝都ヘイムダルにたどり着いたレンは、途中で手に入れていた導力ライフルを手で押さえた。この中には特殊な弾丸が入っており、当てさえすれば確実に相手を殺せるのだ。確実に殺しておきたい相手に使わない手はない。いい狙撃スポットがないか、彼女は探し回った。すぐに《鉄血宰相》の演説が始まるのだ。あまり時間はかけていられなかった。

 そしてその場所を見つけてみれば、先客がいた。

「……誰だ」

「あら、気付くのね。なかなかやるじゃない……でも、そのライフルはあの下種男に向けておきなさいな。邪魔はしないわ」

 そういってほほ笑んだレンは、そのバンダナの男の隣で導力ライフルを構えた。目的は同じである。ここで目障りな《鉄血宰相》を始末する。そして、この先の状況を一気にクリアにするのだ。そうすればストレイの目的もスムーズに果たされるだろう。今やストレイの目的はレンの目的だ。ならば、今まで血塗られた道を歩んできた彼女に取れる手段は一つだけだった。

 ライフルを構えるよどみないしぐさにバンダナの男――クロウ・アームブラストは苦虫を噛み潰したような顔をする。

「こんなちっこい子にまで銃を向けさせるのかよ……」

 それを聞いて、レンは苦笑した。

「お兄さん、実は甘ちゃんでしょう。この程度のことでそんな顔になるだなんて、裏の世界は向いてないわよ」

「いや、アンタが銃を握ることに対してこんな顔してるんじゃねえよ。銃を向けさせるだけのことをしたアイツが悪い」

 そういってライフルを向けなおす。観衆が《鉄血宰相》に引き付けられ、皆が彼に集中した。彼から一言目が発される、その瞬間。

 

「悪いわね。何も話させはしないわ」

 

 レンが射撃した。それに次いでクロウも発砲する。その二発の銃弾は過たず《鉄血宰相》に突き刺さり――そして、彼を塩に変えた。二度と復活することもままならない、女神からの恩寵。それを受けてしまえばいくら不死身の《鉄血宰相》といえども死は免れない。塩と化した端から真っ黒な瘴気が湧き出してきていたが、それもまた塩と化していた。

 クロウとレンはその場から脱出し、彼は飛空艇に回収されていった。レンがそれを黙ってみているわけもなく、彼の後を追う。《鉄血宰相》を消した後は、人探しを命じられているのだ。この盤面から見るにクロウについていった方がその人物たちを見つけるのは簡単だろうと判断したため、彼女はクロウの後を追ったのである。もちろんその判断が間違っていることなどあり得ない。

 

 レンが捜しに来たのは、《帝国解放戦線》のメンバーたちなのだから。

 

 クロウの乗り込んだ船が《トールズ士官学院》を襲撃し、ロボット大戦がはじまる。それを飛空艇の上に立ちながら、高高度で待機させた《パテル=マテル》で観測して彼女は待った。《帝国解放戦線》の三人がそろうのを。メンバーは《C》《S》《V》といったか。それぞれの個人情報までしっかりと収集していたメルにより、レンは先ほどのクロウが《C》であることをつかんでいたのである。

 それに、《C》が《蒼の機神》オルディーネの搭乗者であることを知ったレンはある推測を立てていた。こんな状況に《身喰らう蛇》が手を出していないわけがないのである。ならば、この場合手を出せたであろう人物は《灰の機神》ヴァリマールの搭乗者ではなくクロウの方だろう。メルからの報告を聞いている限りでは、リィン・シュバルツァーと名乗る男子生徒がそういう接触をしたという事実はないのだから。

 とそこに、強力にパワーアップした《パテル=マテル》から興味深い情報が送られてきた。レンの足元――つまりは飛空艇の中に見知った気配があるというのだ。レンの知る限りでは彼女は不可思議な術を使う《魔女》である。ならば、そういう能力持ちが《機神》へと導いていた可能性はあるだろう。そう考えて、レンはクロウの元へと移動した。

 いきなり部屋の中に現れたレンを見て、クロウは引きつった笑みを浮かべる。

「おう、どっから入ったんだよ……」

「うふふ、内緒。にしても……クロチルダってば、いつの間に年下の男の子が趣味になったのかしら。あ、最初からだったわね」

 笑顔で毒を吐くレンにクロウはため息をついた。

「お前、あいつのこと知ってるのかよ……道理で、殺し慣れてると思ったぜ」

 レンの身元が分かったことで、多少気が緩んだ。クロチルダと同業者なのであれば納得できたのだ。クラスメイトのフィー・クラウゼルと同じ年くらいに見えるこの少女が、フィー以上に殺しに対して耐性がある光景というのは見ていて気分のいいものではない。だが、そう仕込まれてきた人間なのであれば話は別だ。むしろ感情の発露など見せずに殺す方が『らしく』見えるというものである。

 それを聞いてレンはからかうように声をかける。

「そういうお兄さんは割り切れてないわね。やっぱり、もともと自分の力じゃなかったものを振るって他人を傷つけるのは怖いかしら」

「……怖いさ。クロチルダに導かれた時はビビりすらした。だが、必要なものは守れるように研鑽は積んできたつもりだぜ」

「ああ、そういうのはどうでもいいの。お兄さんがクロチルダのことをどう思ってるのかも知りたかったけど、貸し借りの関係だけなんだったらちょうどいいわね」

 レンの笑みを含んだその言葉にクロウは眉を寄せた。ますます彼女の言っていることの意味が分からなくなってきたからだ。しかもそのまま消えるというおまけ付き。なんとなく胸騒ぎがしたクロウは慌ててクロチルダの元へと向かった。何かが起こってしまいそうなこの状況を、そのままにしておきたくなかったのだ。今動かなければ後悔する。そんな思いがクロウを突き動かして――

 

「さよなら《第二柱》。二度とよみがえってこなくていいわよ」

 

 あっけなく塩になって崩れ去るクロチルダと、間違いなく下手人となったレンがそこにたたずんでいた。目を見開き、クロチルダに駆け寄ってその体に触ろうとする。しかし、近づいたところで彼女は原形をとどめないままに塩の塊となってしまった。

「お前、何で――!」

「取引をしに来たのよ、レン。でも、クロチルダなんて今からの盤面に必要ないもの。いるだけで盤面を読めなくしちゃうんだったら、消しちゃうのが一番早いわよね」

 無邪気にそういうレンに、クロウは激高した。あれでも仲間だったのだ。それをあっさりと殺されて黙っているほど人でなしではなかった。そこに物音を聞きつけて駆けつけてくる《帝国解放戦線》の面々。しかし、それだけの戦力に囲まれてもなおレンには余裕があった。この程度ならば間違いなく逃げられる。それでもまだこの場にとどまっているのは、するべきことがあるからだ。

 そのために必要な一言を、レンは発した。

 

「ミヒャエル・ギデオン」

 

 その一言は場を凍り付かせるのには十分であり。そして、レンの思うとおりに盤面を動かすためには十分な威力を持っていた。

 

 ❖

 

 無事に列車砲を止め終えたメルは葛藤していた。このままトールズ士官学院に潜伏し続けるのも悪くないと思い始めてしまっていたからだ。復讐など忘れ去ってしまいそうなほどの穏やかな日々。《匣使い》さえいなければ、彼女はとうの昔にほだされてすべてを語ってしまっていただろう。彼がいたからこそ、メルは目的を忘れることができなかったのだ。

 《鉄血宰相》の息子も見つけた。《鉄血宰相》をレンが殺してくれた。ならば、この先彼女がすべきことは一つしかない。そして、それは一人でなくともできることなのだ。だからこそメルは悩むのだ。人殺しのために潜伏していたはずなのに、その人殺しをためらうようになってしまってはここにいる意味さえない。殺さなくてはならないのは、《身喰らう蛇》の人間たちだけ。そして、それを見られた時点でメルはここにはいられなくなる。

 その葛藤を見抜いたのか、クラスメイトが声をかけてきた。

「どうしたんだ、メル? 何だかとても悩んでるみたいだけど……」

「……リィン。気にしないでください」

「いや、無理だ。仲間がそんな顔で悩んでるんだぞ? 放っておけるわけがないじゃないか」

 メルがリィンと呼んだ少年こそが《鉄血宰相》の息子である。むしろ彼女としては彼にこそ放っておいてほしかった。場合によっては、彼を盛大に使いつぶすプランすら存在したというのに、どの顔を下げて彼と顔を突き合わせていられるというのか。こうして話していること自体が後ろめたいというのに。もはや彼女には誰もかれもを血の海に沈めてやりたいという狂気的な復讐心は残されていないのだから。

 だから、その言葉は、彼女にとっては蛇足でしかなかった。

「ワタシの悩みの一端がアナタだと言っても?」

「え――」

「ワタシはアナタの敵になるかもしれなかったのに、アナタは敵を気遣うのですか」

 その言葉にリィンは黙り込んだ。彼女の言葉の意味が分からなかったというわけではない。その言葉に込められた悔恨を感じ取ったからこそ、彼は何も言えなかったのだ。悩ませている原因が自分だというのに、相談してもらおうなどというのは虫の良すぎる話ではないか。とはいえメルの言葉は引っかかることが多い。聞かなくてはならないこともある。

 ゆえにリィンは問うた。

「メルは敵じゃないだろう? なるかもしれない、と実際にそうだ、とは雲泥の差じゃないか」

「……それは、そうですが」

「それに、メルが敵になるなんて俺が何かやらかさない限りないだろうとは思うぞ。いつも合理的で、正しいじゃないか」

 にこりと女殺しスマイルを放ったリィンに、メルはときめく――ことはない。既に男性に対してそういうたぐいの期待をすることをやめて久しい彼女にとって、リィンの笑顔など何の役にも立たない。周囲の女子に言うことを聞かせるためにならば使えるかもしれないが、メル自身そういう使い方をしたいとはまったくもって思っていない。

 リィンの甘すぎる言葉に、メルは口を滑らせてしまった。

「そう見えるように動くのは当然ではないですか。自分の過失をよりにもよって一番知られてはまずい仇の息子に見せるわけがないでしょうに」

「……え? メル、その、仇の息子って……どういうことだ?」

 かろうじて絞り出された言葉に、メルは自身が失態を犯したことを知った。どう考えても今の時点で明かしていいことではない。とはいえ、明かしてしまったことに対して何かフォローは入れなくてはならない。その仇がすでにこの世にいないことも含めて、メルはリィンに説明をしなくてはならないだろう。彼の父が一体何をやらかし、何を傍観して見捨てたのかを。

「……場所を変えましょうか。誰かに聞かれて気持ちのいいことでもありませんし、ワタシもあまり他人には知られたくありませんから」

「あ、ああ……」

 狼狽しながらリィンはメルについていく。その足取りは、決して軽いものとは言えなかった。

 

 そして、彼は知った――自身の出生と、幼いころから付き合ってきた鬼の力の真実を。

 

 ❖

 

「全くもって度し難いわね、リオ。まさか貴女がそうだなんて……思ってもみなかったわ」

「はっは、全然そうは見えなかったでしょ? 司令」

 ベルガード門の司令室にて、二人の女性が語り合っていた。片方は椅子に座って頭を押さえ、もう片方はそこに似つかわしくない法衣を着てふてぶてしく笑っていた。もはや彼女が立場を隠す意味もない。既に彼女の主はくびきからほぼ抜け出しているのだから、彼女が口をつぐみ続ける意味などどこにもないのだ。とはいえここからは時間勝負の力押しになるのは明白で、だからこそ立場をはっきりさせたというのもあるが。

 ソーニャはリオに告げる。

「最初は怪しいと思ってたわ。でも……貴女はこれ以上ない働きを見せてくれた。だから、貴女を使わせてくれたあの人には感謝しなくてはね」

「それは働きで返せっていうと思うよ。アタシの主はそういう感謝とかを素直に受け取れない人だから」

「ふふ、そうでしょうね。……伝えて頂戴、リオ。外側は任された、内側はお願いすると」

 それに対してリオはもちろん、と返答してそこから去っていった。それを見送り、ソーニャはため息をつく。ここにいるべきもう一人の有能な部下が抜け殻状態なのだ。あれを復活させるために何が必要なのかはわからないが、それでも早く立ち直らせなければならない。アルシェム・シエルが死んだのは確かにショッキングだったが、その部下――ノエルはそれを肯定する立場に立ってしまっていたのだから。

 そこにソーニャがいれば、間違いなく同じ判断を下していた。戦闘能力としてはあまりに危険すぎる、生け捕りなど考えてはいけない相手だ。一撃で戦闘不能にして縄でもかけない限り、彼女があの状態で死に至るのは避けられない事態だっただろう。しぶとい上に無駄に強いので普通の拘束が意味をなさず、捕らえるにしてはリスクが高すぎる。

 それでもなお死なせてしまったことを気に病んでいるノエルをどうにかしてソーニャは復活させなければならないのだ。

「……どうしたものかしらね」

 そのつぶやきは、空に消えていった――

 

 ❖

 

 拘置所で。マインツで。ミシュラムで。聖ウルスラ医科大学で。古戦場で。ベルガード門で。《特務支援課》だった人間たちが焦燥に身を焦がす。

「アルを死なせる前に、どうにか出来たんじゃないのかしらって……思うの」

 ぽつりと漏らしたエリィは、その返答を期待してはいない。まるで抜け殻のようになってしまった孫娘を見て、マクダエル議長は歯噛みする。彼は知っていたのだ。どういう形になるかはわからないが、必ずアルシェム・シエルという名の女が死ぬことを。それがこの先必ず必要なことであることを、『デミウルゴス』から聞いていた。

 とはいえ、ここまで孫娘が悲しむと知っていたならば、どうにかする手段がなかったのかと考えたくもなる。

「……あまりに君は、残酷だよ」

 ぽつりとつぶやいた言葉は、誰かに届くことはない。それでも彼はただアルシェムを悼むことしかできないのだ。彼女を明確に救うための手段など、ただの政治家であるマクダエル議長には思いつかなかったのだから。それは誰であっても同じだ。誰が想像しようか。国防軍が、これまでクロスベルに貢献してきた《特務支援課》の一人を肉片に変わるまで射撃し続けるなど。

 止めることなどできない。変えることなどできない。それをわかっていて、命じた『デミウルゴス』の気持ちを考えると、そこで抵抗してしまったアルシェムのことがどうしてもわからなくなる。あるいは死にたかったのか、と邪推しても仕方のないことだろう。

 

 再び反撃ののろしが上がるのはあと少し先のことだった。

 



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~それでも、なお先へと~
小さな種火(S1204.12.01)


「頼みがある、ガルシア・ロッシ」

「何だ。改まる必要はないぜ。……任されてやる。こんなのはクロスベルじゃねえ。行け」

 真剣な顔で何事かを頼み込もうとするロイドに、同じ拘置所の房に入れられてたガルシアがそう答えた。始まる寸劇。看守が駆けつけ、押しのけて脱出し、いやに準備よく集められていた自身の装備をひっつかんで逃走する。それがロイドにできる最大限のこと。ガルシアに発破をかけられていなくとも、いずれはやっただろう。拘置所の中で一生を過ごそうと思うほどロイドは悟りを開いてはいない。

 とはいえ逃げ出しても頼れそうなのは市内ではなく郊外。手際よく追い込まれ、ノックス大森林から抜けられないだろうというのは容易に想像できた。ロイドが追っ手側でもそう考える。だからこそ強行突破でも抜けておきたかったのに、自身が追い込まれていくのは大森林を抜ける方向ではなく深奥に向かう方向だ。このままではいけない。その焦燥が一歩を踏み誤らせて――

 

「やれやれ、世話の焼ける」

 

 そう、低い声が聞こえて。そこから起きたことに対してロイドは驚愕に目を見開くことしかできなかった。森の奥から現れたのは『幻獣』と呼ばれていた魔獣とは一線を画すほど強そうな気配を発する狼だ。しかもその色彩には何となく見覚えがないわけではない。それが息を吸い込んで、何をするのか分かったロイドはとっさに耳をふさいでうずくまった。

 そのふさいだ耳からも聞こえるほどの音の波。地面が揺れるほどの振動を受けて、国防軍は崩れ落ちていく。それを一瞥すると、狼はロイドを咥えて背に投げ上げ、彼がしっかり毛に捕まったのを感じると走り始めた。そしてしばらく無言のまま走り続けると、周囲の目がなくなったあたりで急激に小型化する。その時点でロイドは確信を持った。

「ツァイト、どうして……」

「助けてほしくなかった、などと言ってくれるなよ。これでもここまで来るために我が主はかなり苦労していた」

「主って、誰のことだ? それに、何で普通にしゃべって……」

 困惑するロイドにツァイトは説明しようとしてやめた。もうすぐ主のところへとたどりつくからだ。彼の疑問は直接本人に聞いた方が早いだろう。その理由も、何故そうなってしまったのかも。もちろんすべてを説明しないだろうが、納得させたいから説明するわけではない。もはやツァイトの主はロイドたちの理解を求めてなどいないのだから。

 指定された位置までたどり着いたツァイトは立ち止まり、ロイドを下ろした。彼には何も見えていないだろうが、確かにそこにそれはある。

「ご苦労、ツァイト」

「当然のことをしたまでです」

 一言ねぎらいの言葉をもらってツァイトはその物体に乗り込んだ。これが新しい拠点だ。しかしロイドはまだ入れてもらえていない。その理由は、主に害を及ぼさないか見極めなくてはならないからだ。

「さて、ロイド・バニングス。久しいな、などと言っている場合ではないのは察しているだろう」

「ストレイ卿……? 何故貴方が。それに、ツァイトのことも……」

「拘置所暮らしで脳みそでも腐ったか? つい先日誕生した《キーア》とやらはアルテリアの監査対象になる。それに、あれのことを帝国も共和国も嗅ぎ付けてしまっているからな。お前が思っているよりも事態は緊迫しているよ」

 その言葉にロイドは瞠目した。確かにそうだ。なぜそれを今まで思いつかなかったのか。追い詰められすぎていたのか、それともアルシェムの死がその冷静さを奪ってしまっていたのか。□□□の思っている以上に、アルシェム・シエルという存在がロイドたちに及ぼしていた影響は大きかったのである。一応はニンゲンもどきであったのだとしても、そのかかわりまでは消せないのだ。

 一拍置いて、ロイドはようやく事態を把握しつつあった。

「じゃあ、貴方は――キーアを連れていくためにここに来たということですか?」

「結論から言えば必要ない。もっと必要だった奴はいたが、奴は『死んだ』からな。わたしがここにいるのは人造アーティファクトがやらかす事態の収拾に駆り出されるためだ」

 そのあまりの言い草にロイドは激高する。

「それはっ……キーアの意思じゃない! 優しいキーアがそんなことを望むわけがないんだ!」

 それを感情を見せない瞳で見つめ――今更だがストレイは仮面をかぶっている――ストレイはロイドに提案した。

「……まあ、今一番問題なのはこちらも人手不足だということだ。お前たちの手を借りたい。最終的にあちらから敵対してきさえしなければ、こちらからキーアに手を出すこともない。悪い条件ではないと思うが?」

 確かに悪い条件ではないのだろう。ロイドがたった一人で動くよりも、ツァイトとストレイという戦力と一緒に動く方が早くキーアに会えるのは間違いないだろう。あわよくばほかの仲間たちとも合流できるはずだ。だが、それで自分は得をするかもしれないが、ストレイはどうなのか。どう聞いてみても任務を果たす以外のメリットがないように聞こえて仕方がないのだ。

 ロイドは問うた。

「――メリットは何なんだ? 貴方が、この件で得るメリットだ。それを聞かない限り協力なんて……」

「わたしの故郷はここなんだ」

「――え」

 あまりに唐突に放たれた言葉に、ロイドは瞠目した。故郷。ということは、このあまり年齢の変わらなさそうな《星杯騎士》はクロスベル出身だということで。下手をすれば幼いころに出会っていたかもしれなくて。そんな人物には心当たりなどないが、クロスベルとてロイドがすべてを知れるほど小さくはなくて。だからこそ、腑に落ちた。

 ロイドは言葉をこぼす。

「だから、協力してほしいと……?」

「まあ、故郷がなくなってほしくないのはわかってもらえると嬉しいがね。信じてもらえるような行動をとってこなかったのは確かだが」

 自嘲するようにそういう『彼』は、うそを言っているようには見えなくて。だからこそロイドはストレイを信じることにしたのだ。利用し利用される関係でもいい。ただ、ストレイを信じてもいいような気がしたのだ。漠然とした直感。それを感じ取ったストレイは一瞬眉をしかめたが、それでもその直感を否定しにかかることはなかった。

 ストレイを信頼したロイドは《メルカバ》に案内され、そしてその内部にいた人物たちに驚愕した。

「リオ!? それに、アストレイ代表も……どうして」

「何でってそりゃあアタシたちはストレイ卿の部下だからね。ここにいるのが一番正しい形なんだよ」

 首をすくめてさらりとそう言い放ったリオはすでに警備隊の服装からシスターの法衣へと服装を変えている。カリンも、言及されていないレオンハルトもまた法衣だった。だからこそ余計にロイドが浮いていたわけだが、さすがにストレイもロイドにその服を着せようとは思わなかった。

 それはさておき、ストレイが唐突に端末をいじり始める。

「ストレイ卿?」

「いやなに、ロイド・バニングスだけでは心もとないのでな。他の《特務支援課》の面々にも協力を仰ぎたいわけだが――忌々しいことに《眼》を掻い潜るのには時間がかかる。だから手っ取り早く合流できる人物を――っと」

 その手が止まる。そして、モニターに唐突に映像が映り、荒い画像が映し出された。水色の髪に、黄金の瞳。幼い顔立ちの少女がそこに映し出され、そしてその目が驚愕に見開かれていく。その小さな口が何事かを口走ったようだが、あいにく画像が荒すぎて口元を読み取ることもできなかった。そしてまだ音声も通じていないのか、声も聞こえない。

 もちろんストレイは彼女が何を言いたかったのかを理解していたのでわざと画像を荒くし、音声だけを遅らせたわけだが。一応ストレイにもわかっている。『目の前で肉片に変えられて死んだはずの女がなぜかぴんぴんして生きている』ように見えるこの光景に、驚愕と怒りがこみ上げるのは当然のことなのだと。もっとも、涙がこみ上げることまではストレイにとっては想定外だったわけだが。

 彼女が落ち着くのを待ち、ストレイはその少女に声をかける。

「こちらは《星杯騎士》の《第四位》、《雪弾》ストレイ。そちらは《特務支援課》のティオ・プラトーで相違ないか」

『はいっ……! でも、あなたが何故……?』

「ようやく勘当を解いてもらえそうでね。ついでにロイド・バニングスを保護しているが、合流できそうか?」

 その言葉の意味をティオは考えようとしたが、やめた。今考えたところでどうすることもできなければ、今更知ったところで恐らくストレイには二度と手が届かないから。一生懸命気付いていないふりをしていても、本当はわかっているのだ。既に一度ストレイを見捨てたティオが、今更『彼』を止める権利などあろうはずもないのだと。

 その考えを振り払い、ストレイの問いに答える。

『します。何を差し置いてでも』

「心強い答えで何よりだ。真夜中まで待て。多少仕込みをしてから回収に向かう」

 そして通信が切れ、静寂が流れる。やがてぽつりとロイドがつぶやいた。

「……仕込みって?」

「何、簡単なマジックだよ。それもとびっきりのな」

 ロイドには仮面で隠れた表情はわからない。しかし、確実に笑っていることだけはわかっていた。口角が上がっていたからだ。ストレイは見る方が早い、と言いながらロイドを伴って《メルカバ》の甲板へと出た。そしてその背に六枚の氷の花弁をひらめかせる。

「これは――」

「《聖痕》だよ。一説によれば、《空の女神》が選んだ騎士に与えられる恩寵だそうだが……ね」

 自嘲するような響きにロイドが眉を寄せ、それが引き起こす現象を見て顔をひきつらせた。その幻想的な蒼銀の輝きは、どこかで見たことのあるような色をしていた。それが折り重なり、織り上げられて形成されたのは巨大なシルエット。肌で感じるプレッシャーは《幻獣》そのものだったが、そのフォルムは全く違った。ひどく見覚えのあるそのキャラクターは、《ミシュラム・ワンダーランド》のマスコットキャラクター『みっしぃ』だったのである。

 頬を引くつかせ、ロイドは声を漏らす。

「はは……何なんだ、あれ……」

「《聖痕》と『プレロマ草』を掛け合わせたらああいうこともできる。しょせんは真似事だが、時間稼ぎにはなるだろう」

 その言葉にロイドは過敏に反応した。そういうということは、これまでの『幻獣』はストレイのせいではないということか。てっきり今の所業を見るだけではクロスベルに何らかの目的をもって発生させたようにも見えるのだが、それでは『真似事』とは言わないだろう。

妙な違和感にロイドは思わず声を漏らした。

「真似事……? 今までの『幻獣』はストレイ卿の仕業じゃ」

「そんな真似を誰がするか。真似事だと言っているだろう。……もっとも、敵対心を持つ人間しか襲わないようにするのが精いっぱいだったがね」

「……国防軍の人たちを掲げて勝利のポーズをとってますけど?」

 それを視認してストレイは目をそらした。そして空を見上げた。この癖は知っている。ロイドにとってその光景は見飽きるほどに見たものであり、それが現実逃避のためになされることだと知っていた。

「ストレイ卿?」

「いや、空が青いなあと」

「話をそらさないでください」

 そしてこのやり取りをいつもしていた彼女とは、もう会えないことを思い出してしまった。目の前のストレイがアルシェムと被ってぶれる。ふと振り向くしぐさも本当に似通っていて――

 

「何と見間違えているのかは知らんがな、ロイド・バニングス。そいつはもうこの世にはいない」

 

 その言葉に叩き落された。そうだ。アルシェムは死んだのだ。自分たちの目の前で。無数の肉片に変えられて、死んだのだ。弔うことすら許されず、あまりにショッキングな屍をその場に晒したままにされてしまった彼女。弔いたかった。仲間だった彼女を、たとえ最後まで食い違っていたのだとしても弔ってあげたかったのだ。皆で集まって、葬ってやりたかった。

 知らず、ロイドの口から言葉が漏れる。

「何で……」

「……アレは、身代わりのために生み出されて、必要なくなったから消された。それだけのことだ。悼む必要がどこにある」

「……っ、貴方にアルの何がわかるっていうんだ!」

 激情のままに叫んだロイドは、周囲の温度が下がるのを感じた。それは体感だけの話ではない。実際に彼の周りでは霜が舞っていたのである。もちろんそれをやらかしているのはストレイであり、ロイドの言葉はそれだけストレイの逆鱗に触れたのだと分かった。しかしそれがわかったところで時すでに遅し。ロイドはストレイの冷たい瞳に射すくめられた。

 その瞳の色が氷のようなアイスブルーだ、と現実逃避のように考えたロイドにストレイの言葉が突き刺さる。

 

「貴様に彼女の何がわかる。生い立ちも、利用され続けた人生も、血塗られた過去も未来もほとんど知らないくせに、何がわかるというのか」

 

 ロイドは何も答えられず、口を閉じようとした。しかし、そうはならなかった。迸る感情がそれを否定したのだ。今ここで告げなければならない。この、邪知暴虐の神父に、教えてやらなければならない。ロイドたちは少なくとも知っている。彼女がただの女の子だということを。もちろん過去にも何かあったのかもしれない。それでも、《特務支援課》にいた時の彼女は――

「アルは、紅茶が好きだ」

「――は?」

「紅茶が好きで、案外甘いものも好きで、好き嫌いが激しい。それに、結構ぶっきらぼうなところはあるけど実際は皆を思いやってくれていたんだ」

 そうだ。ロイドは知っていた。アルシェムがどういう人間なのか。どこか影があっても。後ろ暗いことをしていた過去があったのだとしても。それでも今を歩んでいた彼女のことを、ロイドはよく知っていた。唯一キーアを嫌っている理由だけは知りたくても理解できなかったが、それでも《特務支援課》の『アルシェム・シエル』のことならばいやというほど知っていた。

 絶句しているストレイに向けてロイドは言い放つ。

「強くて、変なところだけ不器用で、隠し事も多いけどそれは大抵俺たちのためにしていることだった。優しいけど厳しい自慢の仲間なんだ。何も知らないだなんて言わせない!」

「ぶっ……くっくっ、あまり笑わせてくれるなロイド・バニングス。お前は何一つ彼女のことを信じていなかっただろう? 《特務支援課》が再結成されてからここ数か月の間、彼女が忠告したことをお前が心から信じたことがあったか?」

 狂気を感じるほどに裂かれた唇が、その事実を指摘した。確かにそうだ、ロイドはここ数か月、アルシェムのことをまるで信頼してはいなかった。わざわざキーアをクソガキと呼び、言葉が足りない説明だけですべてを伝えようとせず、一人で突っ走ってけがをする。その繰り返しでロイドはいつしか知ろうとも思わなくなったのだ。足りない言葉のその先を。

「それは……っ、アルがキーアのことでわざわざ神経を逆なでしてくるから……!」

 その言い訳を、ストレイは鼻で笑った。笑うことしかできなかった。なぜならばアルシェム・シエルは本当のことしか言っていないから。嘘はついていない。ただ、言えない事実があっただけのこと。そしてその言えない事実こそが彼女のすべてであったことなど、ロイドには理解できないだろう。ロイド・バニングスという男は普通の人間なのだから。

「悪いがロイド・バニングス。その件についてこれ以上貴様と会話をするつもりは毛頭ない。……どうせ今更だ。彼女が生き返ることなど、《空の女神》の奇蹟をもってしてもあり得ないのだから」

 その言葉を、ロイドが思い出すのは数日後のことだった。顔面をさらしたストレイと対峙して――その言葉の意味を、ロイドは問うことになる。



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夜間の回収(S1204/12/06)

 誰もが寝静まった深夜。当直だったセシルは、監視対象のティオから声をかけられた。

「……セシルさん」

 それはいつもの格好だった。今までここで監禁されていた時に着用させられていたパジャマではない。《特務支援課》として彼女が活動するときの戦闘服だったのである。それはつまり、彼女がここから出てどこかへ行ってしまうことを意味していた。セシルにとってはそんな人物は止めなくてはならない。あの時は彼女を止められなかったがために殺されてしまった。今回はそんなことを許すわけにはいかない。

 セシルはティオをにらみつけて制止する。

「ティオちゃん……その、大人しくしていて。私はアルシェムさんみたいに貴女を死なせたくないの」

「ロイドさんに会えるとしてもですか? ……私は、アルの遺志を継ぎます。継がなくてはいけないんです。だって、そうしないと何のためにアルが死んだのかわからないじゃないですか」

 セシルはついにティオが狂ったと思った。そんなことが彼女一人にできるはずがないからだ。彼女を落ち着かせようと笑顔を浮かべ、ティオの瞳を見て――悟った。どうしようもなく彼女は正気だったのだ。この瞳を彼女は知っている。ガイと同じ、止めても止まらない瞳だ。そして何かを必ずやり遂げる瞳でもある。止めても無駄だということくらい、彼女は嫌というほど知っている。

 だからこそ、セシルは彼女に約束させようとする。

「っ……約束して、ティオちゃん。絶対に……絶対に、生きて戻ってくるって」

「保証は出来ません。……その約束を破った人を知っていますから」

 その言葉にセシルは反射的に叫んだ。

「だったら!」

「それでも! ……それでも、ここで燻って用済みになって殺されるより、抗ったという証拠を残したいんです。私たちは意思なき人形ではないと、示さなくてはならないんです。他の誰のためでもない、私自身のために」

 止められない。わかってはいたが、一縷の望みをかけていた。それでも止められなかった。それはおそらくこのまま国防軍にティオのことを報告しても同じだろう。ティオのことを報告することが彼女の死につながることは明白であり、それをセシルが容認できるはずがなかった。たとえそれで患者すべてがさらに楽になるのだと知っていても。

 彼女は身内を監視するという裏切りをもって、この聖ウルスラ医科大学の患者すべてを守るための契約を結んでいる。クロスベル市内の通院患者たちへの薬を配達してもらい、止まってしまった流通を無理やりに動かしてもらって重篤患者を治療するための薬を得る。そのための裏切りだ。たった一人を守るためだけに動くことなどセシルにはできなかった。

 だから、これが落としどころとなる。

「……ティオちゃんは、狂ってしまったのね。今の病室を封鎖して面会謝絶にします。何人たりとも貴女には会わせたりしない……私以外は出入りも禁止にします」

「セシルさんッ!」

 自分の耳を疑ったティオが声を上げる。しかし、その声に応えたのはセシルではなかった。ましてやティオの知る限りこの場にいるはずのない人間の声でもある。それは女性にしては低く、男性にしてはわずかに高いアルトボイス。聞いたことがないわけではないが、あまり聞きなじみのない、それでいてティオには忘れられない声だ。

 その懐かしい声が、セシルの言葉を承諾した。

「――確かにその意思、受け取った」

「勘違いしないで。私は……誰にも死んでほしくない。もちろんアリオスさんも、大統領も……貴方にもね」

 その鋭い瞳は先ほどまで存在しなかったはずの神父服の人物を射抜いていた。それが誰であるのか知っていたティオはたまらず抱き着きそうになったが、視線で制されてそれを我慢する。そこにいたのは何よりも待ち望んだ救援であり、誰よりも生きていてほしいと願った人物であるはずのニンゲン。その人物が、セシルと相対していた。

 そのニンゲン――ストレイがセシルに告げる。

「約束通りだ。ゼムリア苔に各種薬草、ティアラの薬にセラスの薬。後は緊急で治療せねばならん人物がいるのならば治療するが?」

「いいえ。……ティオちゃんと、ロイドをお願い。これ以上誰かを死なせたら、私は貴方を許さない」

「わたしにとて限界はあるがね。とりあえず追加の報酬だけは先払いしておこうか」

 肩をすくめながら、ストレイが薬草の詰まった箱を運んできた男を引っ張り出す。その男は月明かりに照らされ――セシルの前に現れた。

 

「ロイドッ!」

 

 彼を視認した瞬間、セシルはロイドに抱き着いていた。どこかの留置所につかまっていたと聞いた。逃走したときに、傷を負わされたと聞いていた。それが五体満足でセシルの前にいる。彼を抱きしめないという選択肢は、セシルにはなかった。愛する男の面影を宿した青年は、セシルの知らない間にまた一回りたくましくなっていたようだ。

 そんな彼が、強い意思を込めて彼女の耳元で囁いた。

「セシル姉、俺――全部片を付けてくるから。それで、皆そろってちゃんと帰ってくるから。待っててくれ」

「ロイド……っ約束、破ったら承知しないから……!」

「ああ、もちろんだ。これ以上誰も死なせたりしない……!」

 そして力強く抱擁される。それだけでセシルはロイドを信じられた。この暖かさを胸に、セシルも戦わなければならない。彼女にしかできない戦いを。いざとなればここにいる国防軍全員を無力化しなければならない。そのための手段はもう授けられていた。要するに、鎮静剤を大量に使えばいいだけの話なのだ。それを手に入れるために、セシルはティオを狂ったことにするのだから。

 その決意を胸に、セシルはロイドを送り出した。後悔も恐怖もない。彼女は彼女にできる戦いをするだけだ。志半ばで散っていったガイ・バニングスのように。

 

 ――のちに彼女は、武力も持たない女性でありながらもウルスラ間道方面の『売国奴』たちを下した女傑として《榛の聖女》と呼ばれることになる。その傍らには、常に《神狼》が寄り添っていた――

 

 ❖

 

 聖ウルスラ医科大学から逃亡を果たしたティオは、ロイドが眠るのを待って甲板に出た。そこに彼女がいると確信していたからだ。話したいことがたくさんある。今までのこと、これからのこと、そして、『アルシェム・シエル』のこと。それらすべてをティオは彼女と共有すべきだと思い、それは彼女も同じ考えでいるだろうと思っていた。

 果たして甲板に彼女はいた。いつもとは違って変な仮面こそつけたままだったが、その気配をティオが間違えることはない。はっとするほど鋭いくせに、次の瞬間には溶けて消えてしまいそうなほどの薄く透き通った氷の刃のような気配。久々に見た髪の長さで、懐かしいとも思えるほどの安堵をもたらしたその姿に、ティオは駆け寄って抱き着いた。

「アル……っ!」

 それに対して彼女――ストレイは返答する。

「……悪いが、ティオ。既にいろいろと取り返しのつかないところまで来ている。アルシェム・シエルなどもういないのだ」

 どこまでも平坦な言葉はティオに突き刺さった。そんな話は教えてもらっていなかった。否、聞かないふりをしていた。キーアが嫌いな理由を聞いた時に、すでに聞いていたはずなのに。彼女かわいさに、ティオはそれを聞かなかったことにしていた。紛うことなき恩人と、たまたま拾ったかわいそうな境遇の幼女。どちらを信じるかと問われて後者を選ぶくらいには、ティオは洗脳されていた。

 それでもなおティオは問う。

「……うして、そんなこと……言うん、ですか……」

「必要のなくなった駒は処分する。そういう方針のようだからな。こちらから放棄してやったさ。……もう、戻れない。戻ってこない……」

 淡々とした言葉の最後は聞こえなかった。それでも、ティオは感じ取った。彼女はもう二度と戻れないものとして『アルシェム・シエル』を悼んでいるのだと。確かに自分のことであるはずなのに、他人であることにしなければならないという状況。普通の人間ではないことは知っていても、ここまでしなければ生き残ることすら許されないというのは異常だ。

 ぎり、と歯を食いしばって問う。

「誰の……方針、ですか……」

「『□□□』」

 端的に告げたその言葉が聞こえなくて。その口の動きが何を意味しているのかティオは嫌というほど知っていて。それでも信じることができなくて。その答えがどれほどまでに残酷なことなのかを分かっていてなお、その真実を彼女は信じられなかった。ずっと訴えていたはずなのだ。それでも聞き入れなかったのはティオたちの方だった。

 それを信じたくなくて、ティオは問い返す。

「――え。あの、よく……聞こえなくて。あの……今、なんて」

「……『□□□』、だ」

 その蒼い瞳に浮かぶ感情が何だったのか。ティオは理解を放棄した。そんな権利などないことを思い知ったからだ。もう一度問い返さない代わりに、ティオは最後まで信じることにした。その口の動きが示す人物が、ほんとうにそんなことをするはずがないのだと。誰よりも優しく無垢な彼女が、よりによって『アルシェム・シエル』を死に至らしめたなどという現実など認められないと。

 それを察してストレイは淡く微笑んだ。

「済まない。……せめて、忘れていろ。それをティオが望んでいないのだとしても――わたしは、それしかできないから」

 その背が淡く光り輝いて。ティオはその場に崩れ落ちた。本来であればストレイには不可能な所業だが、このところますます力の強くなった《聖痕》はそれを可能にした。それが《至宝》として完成していく証なのかどうかはストレイ本人にもわからない。ただ、今のこの土壇場においての強化はむしろ望ましい。この先に待つ決着に向けて、力はないよりもあった方がいいのだから。

 崩れ落ちたティオをベッドに寝かせて、ストレイはつぶやいた。

「こんな風じゃなければ、わたしも……アルシェム・シエルも……普通の人間でいられたのかもしれないのにね」

 それがあり得ないことだと知りつつも、彼女はそうつぶやくのだ。そうしなければやっていられなかったから。

 

 ❖

 

 夜が明け、ティオの協力を仰ぎつつも彼らは仲間探しを続けていた。ティオによれば、聖ウルスラ医科大学には彼女以外のめぼしい仲間はとどまっていないとのことだ。捜査二課のドノバンやフランはいたらしいが、彼らまで行方不明にするわけにもいかない。ゆえにその場に据え置くことになった。彼らにも彼らの戦いがあるのだ。それを邪魔することははばかられた。

 そして、次に捜索する方面はロイドの方針でアルモリカ村方面へと決まった。そちら方面であれば《古戦場》というある意味ダンジョンが広がっているため、万が一見つかっても脱出が容易だと考えたためだ。もしかすればそこに何かしらの勢力が潜んでいる可能性もある。それに接触できればさらに力になってもらえる可能性もありそうだった。

 そうやって先日故意に発生させたみっしぃ型幻獣をけしかけつつ国防軍を半減させ、またしても夜半に侵入してみれば――

 

「あら、ティオ。スカートの下のガードはきつくしておいた方がいいわよ? あの草、《眼》なんだもの。丸見えよ?」

 

 月明かりの蓮華畑にたたずむレンがいた。幻想的な光景ではあるが、言っている内容が内容過ぎて見とれる暇すらなかった。ストレイは神父服なのでパンツが見える可能性はなかったが、ティオはスカートである。しかもミニ。その映像が誰にどう共有されているかわからないこの状況で見せ続けるのはリスキーだった。とはいえさすがにそれをオーバルカメラに収めて売りさばくような変態はいないだろうが。

「……レンさん。その表現はちょっと……って眼、ですか?」

 困惑したようにティオがそう返せば、レンはくすくすと笑った。おそらくこのヒントだけでティオは真実に近づくと分かっている。だからこそレンはそれを口に出したのだ。ティオが思考を巡らせているのを見て取り、レンは満足そうに微笑む。ついでにロイドの顔を見てみれば、首をかしげていた。どうやら彼には情報が足りなさ過ぎたらしい。

 レンは一緒に降り立っていたロイドの懐に滑り込んでささやいた。

「ロイドお兄さんはやっぱり気づかなかったのね。流石鈍感弟貴族」

「はあ……?」

 疑問を顔に浮かべて見せてもレンはロイドにその言葉の意味を伝えることはしなかった。伝えたところで理解してもらえないと思ったのだ。信じる者は己の観た者だけ。そして、この件についてすべてを説明したところでロイドは理解しない。おそらく誰も理解できないだろう。レンも理解はしていないし、納得もしていない。ただ、彼女がそう望むからそれを尊重しているだけの話だ。

 誰が信じるだろうか。対外的には天真爛漫で無垢な少女がこれだけのことを引き起こしたなどと。誰が信じるだろうか。その運命を別の人物に押し付けようと画策したことなど。そして、その運命を押し付けようとした相手を必要なくなったからと処分したことなど、誰が信じてくれるというのだろうか。もちろん誰も信じはしない。ただの妄想だと一蹴されるのが関の山だ。当事者同士にしかわからないものがそこにはある。

 レンはそれを説明する代わりにストレイに向けて報告を始める。

「帝国の方は万事オッケーよ、ストレイ卿。《鉄血宰相》も消えたし、《帝国解放戦線》も焚きつけたわ。しばらくこっちに手出しする余裕なんてないでしょうね」

 微笑みながら報告しているが、内容は笑えない。できれば消してきてほしいとは頼んだが、彼女の口ぶりではおそらく《鉄血宰相》は死んでいる。そして、《帝国解放戦線》も大暴れし始めるだろう。報告の限りでは《鉄血宰相》の暴虐に耐えかねて結成された組織であるからにして、彼の影響を完全に払しょくするために勝手に《鉄血の子供たち》を殺して回ってくれるだろうから。

 彼女はいまだあずかり知らぬことながら、その予想は当たっている。《Ⅶ組》から完全に離脱したクロウ・アームブラストを中心にしてすでに動き始めているのだ。《氷の乙女》をはじめとして帝国国内の《鉄血宰相》の息のかかった場所はほとんど破滅させられていた。なお、情状酌量の余地があるとしてミリアム・オライオンは見逃されている。いまだ発見されていないのはおそらくクロスベルに潜伏している《かかし男》や誰かにかくまわれているとおぼしき《黒兎》くらいである。

 ストレイはレンの頭をなでながら返答した。

「よくやった、レン。とりあえずこのまま合流――」

「するけど、もう一人入れてほしいのよね。戦力的には最高峰だもの。ちょっとリスキーだけど……説得の段階で間違えなければ間違いなく力になってくれるわよ」

 そういってその人物がいる場所をストレイに伝えた。古戦場前の私有地。そこにある倉庫の中に潜伏している人物がいる、と。そしてストレイにはそれが一体誰であるのか想像がついていた。だからこそ思うのだ。今ではなく、一度レンを回収してねぎらってからにしたいと。間違いなくその人物はストレイに襲い掛かってくるだろうからだ。

 しかし、その心配の必要はないようだった。既に手遅れだったからだ。そこにもう一人いる。それを察知したストレイは微妙に顔を引きつらせ、レンの目を見る。すると、彼女も気づいたのか肩をすくめた。

 とはいえここで時間をつぶすのは得策ではない。ストレイはレンに声をかけた。

「……まあ、とりあえずは《メルカバ》に戻るぞ」

 レンはその意図に気付いていた。ここで派手にやらかすよりも、機密を守りやすい《メルカバ》の中でやりあう方が後々面倒ではないからだ。どうせいつかは襲撃されるというのならば、そのタイミングはこちらで選べる方が望ましい。そして、いずれ来る戦いのためにも彼女をこちら側に引き込むことに、もはやためらいはなかった。

 だからこそその意思に同意する。

「……そうね。一回休憩しておいた方がいいものね」

 二人の様子が一変したのを見てティオとロイドはいぶかしげな顔をしたものの、それでもそれに従うことにした。なんだかんだ言ってティオはともかくロイドはその言葉に従うことが最善だと本能が悟っているのである。何がその正しさを証明しているのかがわからないまま、ロイドは《メルカバ》のメインルームまで戻り――そして、ようやく一人多いことに気付いたのであった。



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もういない(S1204/12/10)

 唐突に《メルカバ》に現れたその人物は殺気にまみれており、その大剣の切っ先をストレイに向けていた。感情のままに剣を振るい、一般人であればその気配だけで死んでしまいそうなほどの怒りがその場に満ちている。ロイドはぎりぎり意識を保っていたが、それでもこの状況に対して何かできるほどの勇気はいまだ奮い起こせなかった。

 その殺気の主は、血反吐を吐きそうなほど苦しげな顔でストレイに向けて叫んだ。

「どうして……っ貴方が使いつぶさなければ、エルはまだ……!」

 それは、ロイドたちが見たことのないほど扇情的な衣装に身を包んだリーシャ・マオだった。近くまで来ていて会話を盗み聞きし、《メルカバ》まで侵入してきていたらしい。無論ストレイたちはあえて彼女を招き入れているのだが、リーシャがそれを悟るのはもう少し先のことだった。もし今それに気付けるようであれば、ストレイに殺気など向けることはあり得なかっただろう。

 その一歩動けば死んでしまいそうなほど強烈な殺気の中にあっても、ストレイは動じない。

「それはあり得んよ、リーシャ・マオ。彼女はどのみちあそこで死なねばならなかったのだ」

「戯言を……ッ!」

 大剣をストレイののど元に食い込ませ、リーシャは声を絞り出す。そうしなければ、リーシャはその激情のままにストレイを殺してしまいそうだったのだ。まだ、この外道神父が『エル』に何をしていたのかを知るまでは殺したくなかった。今まで、自分の憎しみのままに殺しをしたことのない彼女は、その感情を持て余していたのである。

 それを知っていてなおストレイはリーシャを焚きつける。

「正直に告白するがね、リーシャ・マオ。あれほどの戦力をみすみすこのわたしが見捨てると思うか?」

「それはっ……!」

 その一瞬、リーシャは確かにたじろいだ。ゆえにストレイは畳みかけるように言葉を紡ぐ。

「憎しみをぶつけるならばわたしにではなく奴に死を受け入れさせた奴にしてもらいたいものだ」

淡々とそう告げれば、それにロイドが反応した。

「それって一体――受け入れさせたって、どういうことだ?」

「聞かない方がお前は幸せだと思うがな。というよりも、おそらく信じることはないだろう。お前が最後まで彼女を信じなかったようにな」

 それは、先日も言われたことだった。おそらくストレイとロイドとの間には認識の齟齬がある。だが、ロイドはそれを問い詰めることができないでいた。してはならない気がしてならないのだ。もしもここでアルシェムの件について問い詰めれば、ストレイはおそらくすべてをぶちまけてくれるだろう。そして、自身に何か決定的な事実を突きつけるに違いない。そんな予感がロイドの行動を縛っていた。

 黙り込んだロイドに代わるようにリーシャが意味のない言葉を吐いた。

「私は……っエルが、生きていてくれたらそれでよかったのに……!」

「まだそんなことを言っているのか……座れリーシャ・マオ。少しだけではあるが彼女について語ってやる。今更何の意味もない話ではあるがな……」

「そんなのっ……!」

「座れ。聞こえなかったか? それとも、奴がなぜお前と接触したがらなかったのかすら知る気もないか?」

 その極寒の視線に一流の暗殺者たるリーシャがひるんだ。そんなことがあるわけがないとは思っても、それが事実だ。リーシャではストレイには勝てない。どうあがいても、彼女に勝ち目などなかったのである。ただ、興味深いのはアルシェムがリーシャに会いたがらなかったというその理由を聞かせてくれる気になったということだ。

 リーシャは詰めていた息を大きく吐き、準備されていた椅子に座った。硬直していたロイドたちもようやく椅子に座ることができ、その雰囲気にのまれていなかったレオンハルトが飲み物の準備をしていた。落ち着くための温かい飲み物だ。ロイドとティオにはコーヒーを。リオとカリン、自身のためには紅茶を。そして、リーシャとストレイの前にはとっておきのジャスミン茶を置いた。

 それを一口飲んで落ち着いたストレイは、少しずつ語り始めた。

「……お前と会う前、彼女がどこで何をしていたのか知っているか?」

「いえ……何も、語ってはくれませんでしたから」

「それはそうだ。語れるはずもあるまい。……その直前に猟兵団を一つ潰してきたなどとはな」

 リーシャは息をのんだ。それは、つまり彼女はリーシャに会う前から人を殺していたということだ。同時に合点もいった。あの父が拾ってくる子供だ。ただの子供ではないとは思っていた。暗殺の技を飲み込むのも、ある意味では普通でなかったマオ家の日常に慣れるのも異常に早すぎた。それがすでに人殺しの経験があったからだというのならば確かに納得のできる話だ。

 ストレイは言葉をつづけた。

「あの時点ですでにアルシェムは人殺しであり、戻れない位置にいた。その後共和国の《拠点》から《楽園》へ移され、《身喰らう蛇》に身を落とす……」

「……だから、何だっていうんですか……」

 そんなの自分だって同じだ。そうリーシャは言いたかった。他人から依頼されるがままに人を殺し、ミラを得ていた身としては何も言うことなどできるはずがない。この身は穢れているのだ。少なくともアルシェムよりも人を殺してきたとは思っていた。猟兵団一つ? 生ぬるい。リーシャはたった一人で数個の猟兵団をつぶしたことすらある。

 しかし、ストレイはそれを否定した。

「彼女はな、リーシャ・マオ。既にお前よりも人を殺している。《楽園》で男にも穢された。いずれ再会できようが、お前には合わせる顔など持ち合わせてはいなかったのだよ」

「そんなの、私だって人殺しなのに……どうして」

「お前のは依頼があっての暗殺だろう。彼女は違う。私欲のために殺し、目的のために味方を見捨て、自分からすべてを切り離そうとしてきた」

 ストレイが語る言葉はすべてが真実だった。ただ言葉にしていないこともありはするが、そのすべてが真実だったのだ。ここにいる誰もそれを否定することはできない。なぜなら、それが真実だと本能で、あるいは事実として悟ってしまっているからだ。それをいまさら否定しにかかったところで、すでに死人の彼女を美化して何の意味があるというのか。

 ジャスミン茶を口にし、ストレイは一息ついてから声を出す。

「……だから彼女は言ったのだ。『エル』などもう『死んだ』と、な。お前と顔を合わせられなくなった時点で、すでに『リーシャ・マオとともに家族でいられるエル』という存在は死んだのだと」

「……だから、顔を合わせてくれなかった……?」

「奴の価値観はある意味理解しがたくはあるだろうがな。そういう割り切り方をしなければ、とうの昔に壊れていただろう」

 むしろ割り切らなければ今ここにはいない。ストレイは自身を名前で定義づけることで自らにその在り方を押し付け、その定義が成り立たなくなった時点で名前ごとその意識を破棄してきたのだ。それでも過去の記憶は消せないため、そのうちすべてが崩壊する。その限界もまた近かったのだが、都合よく『アルシェム・シエル』を破棄するとともに表立って動いてはならない制約を受けた。

 実は、それはそれである意味都合がよかったのだ。何せ一度すべてを初期化して新たな人格で誰かと接することができるのだから。これまでと決定的に違うのは、もはや誰とも思い出を以前の人格として共有できないことだ。その制約さえクリアすれば、全く新しい人格として生きていくことができるのである。それも、これまでとは違って誰かに意思を強要されたりしない人生を。ストレイがこの機会を見逃すわけがなかった。

 リーシャは唇をかみしめてうめいた。

「……そんな」

「もちろんお前に会いたい気持ちもあっただろうが、それ以上に顔を合わせられないほどの恥辱にまみれていた。だからこそ、《楽園》を抜け出してもお前には会いに行けなかったし、クロスベルにお前がいると知らなければ本当に最期まで会うことはなかっただろう」

 もちろん本当のことだ。クロスベルにリーシャがいると知らなければ、会うつもりなどなかった。合わせる顔もなければ会って何かをすることすらもできないと思っていた。リーシャは自分の意思では殺しをしない。明確な殺意をもって戦うタイプの暗殺者ではないのだ。しかし、ストレイは違った。ストレイは明確に自分の意思で何人も殺している。今もなお、殺戮を指示したメルは殺し続けているだろう。

 ストレイの言葉を聞いたリーシャは葛藤を抱えたまま吐き出した。

「……でも、エルは……知っていたはずなんです。私がいずれ『銀』になるのだと……エルが受けた辱めがどんなものなのかはわからないけれど、それでも彼女よりも私は……ずっと、ずっと闇の深いところにいるって、知っていたはずなんです」

「彼女の基準では、殺しに手を出した人間よりもそれを指示した人間の方が業が深いと思っているようだった。つまり、彼女は殺害を指示していたことがあるということだ」

「貴方が強要したのではなく?」

「いや、奴から言い出したことだぞ。今なおその指示で帝国内をうろついている部下がいる」

 そうストレイが断言すると、ロイドが口をはさんだ。

「それは……アルが人殺しを指示したと、そう言いたいのかストレイ卿」

 憤然としたその顔には納得がいかないと書かれている。やはり、かつての仲間が殺人を指示したことなど許せなかったのだろう。もしくは一応警察官扱いになっている彼女が犯した罪を糾弾したいのかもしれない。しかし、ストレイにとっては今更なのだ。これまでも、これからも罪にまみれて生きていくしかない彼女にとって、殺人教唆などかわいい罪なのである。それを気にして生きていくほど彼女の立場は甘くなかった。

 ゆえにストレイはさらりと言い放つ。

「わたしは無力化されてくれればいいと思ったのだがね。彼女は明確に言ったぞ、『《鉄血宰相》とそれに連なる者どもを殺せ』とな」

「そんな、やめさせることはできないのか!?」

 愕然とした顔で立ち上がったロイドは叫んだ。もちろんストレイは手を緩める気にもならない。必要ないのだ、『クロスベルを守護する』ために《鉄血宰相》とその取り巻きの存在など。だからこそ消すように指示したし、メルも嬉々としてその命令を受け取っていた。今はどうなっているかは報告がないのでわからないが、それでも着実に彼女は殺人を繰り返しているだろう。その恨みを晴らすために。

 ロイドの態度を鼻で笑ったストレイは反駁した。

「やめさせてどうなるというんだ。既に《鉄血》は始末したと聞いているし、別ルートで奴は外法認定した後だ。上は認めている。《鉄血》がどこまで《子供たち》に影響を及ぼしたか分からん以上は壊滅させるまで止まらんだろう。それに、手を下している奴も奴だからな。止めても止まらんだろうさ」

「それを、貴方は許したっていうのか」

「許すも何も。貴様にそれに口を出す権利があるとは思えんがな、ロイド・バニングス」

 冷淡に言い放てば、ロイドはいまだに使いまわそうとしているその免罪符を振りかざした。

「ある。アルは……仲間だ」

「はっ、仲間が免罪符になるのは真っ当な世界に生きている人間だけだ。まず生きてきた世界が違うだろう? 彼女を御せなかった時点で、貴様に何かを言う権利はない」

 一応、本当に一応だが、ストレイがその指示を行わない可能性はあったのだ。ロイド・バニングスがストレイの勝手な期待にこたえ続けていたのならば、その非情な指示は出されなかったかもしれない。彼についていきさえすれば万事解決すると思わせてくれていれば、ストレイは《鉄血宰相》等放置した可能性もあったのである。もちろん現実はそんなことなどあり得ないのだが。

 コーヒーが零れるのも厭わず、ロイドは叫ぶ。

「貴方は……っ!」

「勿論わたしが一番罪深いだろうさ。だが、もう今更だ。終わったことをグダグダと言い続けてどうなる? 時間の無駄だ。後悔は先に立たんし、終わったことを嘆く時間が今の貴様に必要なのか?」

 威圧感を込めてそう言えば、ロイドはその威圧感に負けて椅子に腰を落とした。しかし、視線だけはまだストレイをとらえて離さない。目を離せば悪さをするとでも言わんばかりの警戒ぶりである。言われたことに対する脳内の整理もできないほど、ロイドはストレイに対して見当違いの怒りを覚えていた。リーシャではないが、ストレイさえいなければアルシェムはまだここにいたかもしれないという勘違いからくる怒りだ。

 吐き捨てるようにロイドは言った。

「……貴方は、最低の人間だ」

「知っている。とうの昔にな……それだけ元気ならば次のポイントにも行けるだろう。そろそろ降下地点は見つかったかリオ」

 話をそらすようにそう言えば、リオはすぐに返答した。

「もち。マインツ方面なら一か所降りられるよ」

「ならば仮眠をとってからの降下準備だ。そこにはミレイユがいるはずだからな、比較的スムーズに事は進むだろうさ」

「あいあい」

「作戦開始は深夜だ。……お前たちも休んでおけよ。わたしだけですべてを終わらせることはできないのだからな」

 そういってストレイは別室に消えた。そこには、気まずい雰囲気の一同が残される。誰も何も言えない。ロイドはその怒りのあまり何を吐き散らすかわからないから何も言えず、ティオは言いしれない違和感を覚えて何も言えない。リーシャはショックで動けず、従騎士たちは複雑な顔でそんな皆を見守っていた。特にレンは冷たい目でロイドを見ていた。あそこまで言わせて精神的に追い詰めてロイドは何がしたかったのかとでも言わんばかりだ。

 と、そこで事態を打破するためにカリンが声をかける。

「……まあ、グダグダ言っていても始まりませんからね。ストレイ卿を許してくださいとは言いませんが、あの人がとても不器用な人だということだけは忘れないでください」

「不器用って……」

「あれでも、気を遣っていた方なんですよ。あえて自分が憎まれるような言い方をすれば丸く収まるんだと思っているんです。本当にバカな子……」

 カリンは泣き笑いのような顔でそういうので、ロイドは何も言えなくなった。カリンだけはその言い口を全面的に信じてはいなかったのだ。なぜなら、その言い分でかつて彼女を見捨てさせられたのだから。自身を悪人に仕立て、すべての悪い面を飲み込んで丸く収めようとするのは彼女の悪い癖のようなものだ。そうすればすべてが丸く収まると知ってしまったから、彼女はそういう手段でしかこういう事態を収拾できないのだ。

 そのもやもやした気持ちを抱えながら、一同は仮眠をとった。

 

 ❖

 

 降下の準備のために仮眠しているはずのレンは、《メルカバ》のバルコニーに出ていた。そこにストレイがいると知っていたからだ。

「……ストレイ卿」

「レン。……眠っていなくていいのか? マインツはレジスタンスが押さえているとはいえ、万が一ということもあるぞ?」

「知ってるくせに。レンは三日三晩寝なくたってパフォーマンスが落ちたりしないわ」

 そしてレンはストレイに抱き着いた。あの時のように氷のように冷たいわけではない。確かな温もりがそこにあり、ストレイが生きていることをレンに教えてくれている。彼女にとって、今の『家族』はストレイだけだ。だからこそ生きていてほしいと願い、そのためにならば何でもすると誓った。もう一度闇に落ちることだって厭わない。

 その覚悟を知っていて、ストレイは彼女を利用しているのだ。

「それでも、だ」

「……今はね、ストレイ卿。貴女が生きているって実感していたいのよ」

 さらに強くレンはストレイを抱きしめた。確かな鼓動。いつもと変わりない安定したリズム。血液の流れる音。呼吸。匂い。温かさ。そのすべてを自身に刻み込むように受け止める。本当は怖かったのだ。あの時、身代わりだと分かっていても肉片になるまで撃たれた『アルシェム・シエル』が、『ストレイ』としてきちんと生きているかどうか不安だった。だからこそこうして確かめているのだ。

 密着していたからなのか、レンは思わず漏れたストレイのその声を聞きとれた。

「死なないよ、もう……死ねないよ、レン」

「……え?」

「大丈夫。安心しろ、レン。お前を置いて死んだりしないから」

 それは確かな安心感をレンに植え付けた。そして、わずかばかりの疑念も植え付けていた。死ねないよ、とはどういうことなのか。今は生きているからいいやでは済まされない。その意味をレンは知らなければならないのだ。おそらく、その意味を知らなければストレイを完全に理解することはできないのだろうから。



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抵抗する者たち(S1204/12/11)

 仮眠を終え、夜闇に紛れてロイド、リーシャ、ストレイはマインツ近くまで降下していた。レンとティオは待機し、その間に次に降下できそうなポイントを絞り込んでいるのである。ロイドにはどこから行きたいか聞いていたが、それから探すよりはこちらから情報の密度がまばらなところを探した方が手っ取り早いのである。とはいえそろそろロイドの脱走もティオの脱走も気づかれているだろう。このあたりで一度国防軍の気を引くような何かをしておく必要もある。

 もちろんあの『みっしぃ』はかなりの効果を上げていたのだが、ストレイはそれを知る由もない。今やウルスラ間道はみっしぃによる警戒警備によって魔獣の数を減らし、また微妙に国防軍の邪魔をしているので討伐対象にもなっているのだがそれはそれ。クロスベル市に施された結界を超えてまで討伐するほどの被害を上げているわけではないのでアリオスが出張ることもなく、ただ国防軍はそのみっしぃにかかわらないよう行動することしかできなくなっていた。

そんなこととは知らず再びその背に『聖痕』を閃かせたストレイに、ロイドは声をかけた。

「また、何か出すのか?」

 その声色には咎める響きがある。確かにやっていることは『幻獣』と同じであるので彼が抵抗を覚えるのも間違いではないのだろう。しかし、今その手段を選ばずしてどうやって彼はキーアの元へとたどり着くつもりなのだろうか。使えるものはすべて使わなければ、届くものにも届かないだろう。ストレイはそう思っていた。

 だからこそいらだたしげに返答するのだ。

「……言っておくがね、誰も傷つけずに革命モドキを起こすのは不可能なんだよロイド・バニングス。それにここらあたりで何か起こして国防軍どもの目を引き付けておかねば数を恃んでの大捜索網に引っ掛かりかねんし、ランディ・オルランドやエリィ・マクダエルがどういった境遇に置かれるかわからんだろう?」

「それは……そうかもしれないけど、でもあれは……」

 渋るロイドの前に出現したのは、『みーしぇ』だ。『みーしぇ』はすばしっこく走っていき、そして破壊音を響かせた。ロイドとリーシャは顔を見合わせる。何をしでかしたのだろう、あのミシュラムのマスコットは、とでも言わんばかりである。もちろんストレイはそれが何を起こしたのかくらいはわかっている。国防軍の戦車の足を破壊したのだろう。

 とはいえこの混乱に乗じて動く必要はあるわけで、ストレイは二人に声をかけた。

「行くぞ」

「あ、ああ……」

「あは、あははははは……」

 リーシャはその目で見てしまっていた。何が起きているのかを。だからこそ笑いしか漏れない。あの光景はどう見てもファンシーすぎる。起きていることもことだ。まさかあの猫っぽいブツが戦車を破壊できるだけの力を持っているなど誰も想像もしたくなかっただろう。それでも起きていることは現実であり、『みーしぇ』とレジスタンスに蹂躙された国防軍は這う這うの体で逃げていった。

 それを隠れてやり過ごした三人は、レジスタンスの一人に接触した。

「ミレイユ」

「あ……ストレイさん。お待ちしてました、マインツはお任せください」

 接触したのはミレイユだ。彼女に敬礼を返され、そういう返答をされているということはストレイは何かしらの仕込みをしていたに違いない、とロイドは思う。ソーニャに話が通っているというならばわからなくもないが、この反応はどうもストレイに面識がありそうだ。いったい何をしたというのか。いつから何を見越していたのかと考えてロイドは空恐ろしくなった。

 そんなロイドを差し置いて事態は進む。

「それは当然任せる気ではいる。あの『みーしぇ』は餞別だ、好きに使え」

「えっ、あんなの扱いきれる気しませんよ!?」

「安心しろ、お前の指示は聞くようにしてある」

 ミレイユの顔が引きつる。しかし、断ることはしなかった。彼女はこれから戦力が足りなくなることを予見していたのである。だからこそ断らず、どう戦略に取り入れようか考える必要があるわけだ。『みーしぇ』をもらい受ける代わりに、ミレイユは仲間を一人送り出すのだから。ミレイユは近くにいた構成員に声をかけて『彼』を呼んでくるように伝えた。その構成員が駆けていき、近くには誰もいなくなる。

それ幸いとロイドがミレイユに声をかけた。

「あの、ミレイユさん……」

「ロイドさん。貴男がどういう立場でここにいるのかはわかりませんけど、ストレイさんと一緒にいるということは、クロスベルを救うために動いているということだと思っています」

「それはもちろん――って、ランディ!」

 ストレイとどういう関係かを問おうとして、ロイドはその奥から駆けてくるランディに気付いた。ランディもロイドたちに気付き、手を振りながら合流する。

「よう、元気だったか?」

「ランディこそ……!」

「おいおい……俺を誰だと思ってるんだ」

 本気で涙ぐみながら答えたロイドに若干ランディは引いた。しかし、警戒だけは怠っていない。そこにいるストレイが誰であるのか、なんとなくではあっても察してしまっていたからだ。死んだはずの人間は生き返ってなど来ない。ならば、そこにいる懐かしい気配の女はいったい誰であるというのか。それとも、あの時に死んだのは――

 そこまで考えたところで、ランディはストレイから視線をそらされた。

「……わたしから言ったが、本当にいいのかミレイユ?」

 視線の先のミレイユは、しかし寂しさすらにじませてはいなかった。そこにあったのは強い意志だ。クロスベルを今度こそ守るのだという強固たる意志。それをある意味利用する形になることにストレイは若干の罪悪感を覚えるが、それ以上の感情を抱くことはない。なぜならストレイには根本的に彼女に共感することなどできはしないからだ。

「勿論です。というより、これ以上戦力がいても無駄なだけですし、《特務支援課》に合流したがっていたランディをここにとどめておいて気もそぞろ状態になられても困りますからね」

 そしてランディの背を押した。それは乱暴でもなんでもなく、温かく送り出そうとする意志そのものだ。ここにいればいつでも一緒にいられるかもしれない。しかし、ランディが望むのならば。それを拒否するだけの関係には、まだなれていない。ミレイユはランディが好きだ。しかし、それだけで止められるほどの男だとは思っていないのだ。

 眉を寄せてその評価に異を唱えるランディ。

「おいミレイユ、さすがにそれは――」

「黙らっしゃい。隙あらば皆を探しに行こうとしてたくせに」

「うぐっ……」

 その憎まれ口に恋心を隠して。ミレイユはランディを送り出した。絶対に帰ってくると信じた。自身の元へ、必ず、彼の思うすべてを連れて帰ってくると信じていた。そこにはすでに取りこぼされてしまったものがあると知っていながらも、これ以上は取りこぼすことなどないと信じたのだ。だからこそ送り出せた。もしその保証が一切ない状態であれば、ランディを送り出すことなどできなかっただろう。

 ランディはその後いくつかミレイユと言葉をやり取りして、ストレイたちとともに《メルカバ》へと向かった。

「……にしても、ここで《星杯騎士》とはなぁ」

 カリンに出されたコーヒーを飲み、ランディはそうつぶやいた。ストレイという存在について聞いたことはあっても、実際にこうして会うのは初めてだ。しかし、その手下が入り込んでいるのはわかっていた。どう見立ててもあの状態のキーアはアーティファクトだ。ならば、それについて何かしらを調べるための人間が入り込んでいるのは想像に難くない。そしてあまり知名度の高くなさそうな《星杯騎士》でクロスベルにかかわれそうな存在はストレイしかいなかった。

 一応、アーネスト・ライズを捕縛したときに二人の《星杯騎士》がいたということは聞いている。しかし片方はあの悪名高い《外法狩り》だというではないか。ならば、クロスベルにかかわってくるのはそのうちの高名でない方――ストレイ、と名乗った神父だろう。そちらに関しての情報は、《赤い星座》にいた時代のランディでも聞いたことのないものだ。

 その感慨深げな声にロイドは問いを投げかける。

「ランディ、知ってたのか?」

「ん? まあ、そりゃあ一時期は裏に身を置いてたからなあ。外法認定されれば終わり、くらいの認識はあるさ」

 もちろん気を付けるという選択肢があるわけではなく、目をつけられれば終わりだという認識があっただけだ。シグムントであればその逆境も跳ね返した可能性もあるが、ランディはそこまで狂ってはいない。必要ないリスクは負わない主義なのだ。だからこそアーティファクトなどにかかわるような仕事は避けていた。たとえ猟兵であることから逃げた後であってもだ。

 しかし、ロイドが言いたいのはそういうことではなかったらしい。歯切れが悪そうにロイドが言葉をつづけた。

「いや、そうじゃなく……ストレイが、《星杯騎士団》だってわかってたみたいだからさ」

「……あんまりこういうことは言いたかないがよ、ロイド……あの状態のキー坊を、《七耀教会》がどう見るかって考えればわかる」

「それでも! ……それでも、キーアは、キーアじゃないか」

 そこにはキーアへの愛情があふれ出ていた。それに気づいてランディは苦笑する。確かにキーアはかわいい少女であり、かわいそうな境遇で守ってやらなくてはならない少女だ。その認識に間違いはない。しかし、彼女が普通でないことくらいランディはとっくに気付いている。ヨアヒム・ギュンターが狙い、謎の球体に収められた写真を見て、さらにマリアベル・クロイスのそばで見せたあの力。あれを普通だと称するおめでたい頭は持ち合わせてはいない。

 それを納得していないであろうロイドに向け、ランディはあえて軽く聞こえるように返答した。

「俺たちにとってはそうだ。でもな、そう思わない奴は確かにいるってことだよ」

 ちらりと視線を振られたカリンはことさら冷たく応える。

「いえ、彼女をアーティファクトとしてみることはありませんよ。《至宝》ですらなく、ただ力を与えられただけの哀れな存在です」

「……いや、その評価もどうかと思うんだが……」

「ただし、私は決して彼女を許しはしません。殺したいほど憎いとは思いませんが、一生分かり合おうとも思わないということだけはわかっていていただきたいですね」

 淡々と告げるその瞳の奥には炎が宿っていた。彼女は彼女なりに知っているのだ。キーアが自身の主に何をしでかしたのかを。だからこそキーアのことは理解したくもなければ許す気もない。主は彼女のせいで生まれ、様々な暗い過去を押し付けられ、人身御供にされかけたのだ。そんなものを許すはずがないし、許せるはずもなかった。

 その怒りに、ロイドとランディは顔を見合わせる。

「その、アストレイ代表、それって……」

「説明する気はありませんよ。したところでこの件に関して理解が得られるとも思えませんので」

 その言い回しにロイドはぴんときた。つまり、アルシェムのことだと。こういう言い回しをされるのは彼女について何かかかわりがあるときだけだった。ロイドには理解できない。その言葉を使われるのは、たいていの場合においてアルシェムに関することだ。

しかしそれはそれでわからないこともある。

「意外ですね。貴女が許さないのはストレイ卿の方かと思っていましたけど」

 アルシェムはカリンのことを家族だと言っていた。だからこそ、彼女を使いつぶしたであろうストレイを許さないのならわかる。家族を奪われたようなものだからだ。だが、なぜそこでキーアを許せないのかがわからない。キーアがアルシェムを殺させたはずがないのだから。あの優しい少女が、アルシェムを殺させるなどという指示が出せるわけがないのだ。

 カリンはそれに謎めいた答えを返した。

「……私が許さないのは彼女で、私が許されたくないのがストレイ卿です」

「……え?」

 カリンの答えにロイドは眉をひそめた。今何かとても大事なヒントが出された気がする。それなのに、その糸口がどうしてもつかめない。目の前に見えているのに信じられない答えがそこにあるかもしれず、その希望にすがりたくなる。けれどもそれを否定するのが脳裏にこびりついた鮮血だ。あれは決して嘘でも夢でもなかった。まぎれもなく現実だ。

 その言葉の意味を考えこもうとしたロイドは、だからこそ気づかなかった。ランディがひどく考え込んでいたことに。

 

 ❖

 

 深夜――《メルカバ》のデッキで。

「……探したぜ、ストレイ卿」

 相も変わらず月を見上げているストレイにランディは声をかけた。すると、仮面の下で苦笑しながらストレイが返答する。

「何だ、寝ていなくて良いのか? ランディ・オルランド」

「いちいちフルネームで呼ぶなっての。……でも、そっちで呼んでくるのは意外だったぜ」

 そう、ランディにとってそれは本当に意外だった。ストレイが知っているとすれば《闘神の息子》ランドルフ・オルランドの方で、当然そう呼んでくるものだと思っていたからだ。それならばこの違和感も気のせいとして放置しておいたというのに、ストレイはランディと自身を呼んだ。だからこそ、かすかな希望にすがりたくなる。そもそもらしくないのだ。彼女が大人しく死を受け入れることなど。

 だから。

「俺がそっちで呼ばれた方がいいんだって知ってたみたいだな?」

 不敵に笑ってそう問うのだ。これで尻尾を出してくれるのならば楽なことはない。今ならばまだ、きっと取り返しはつくのだと信じたいのだ。ロイドとの関係も、皆との軋轢も。今、彼女と分かり合えたのならば、まだ取り返しはつくと。

 しかしストレイはランディから視線をそらしてこう返す。

「呼んでほしければそう呼ぶが、元々わたしは名前にはこだわる方でね。わたしが呼ばれたくない名前では呼んでほしくないからそう呼ぶまでだ」

 つまり、彼女にも呼ばれたくない名前があるということだ。それがどういう理由かはわからない。それでも、ランディは確信していた。ストレイはアルシェムだと。それを否定する材料はどこにもないのだと。だからこそ自分たちにまで隠す意味が分からない。仲間ではなかったのか、《特務支援課》は。この腐りはてた自分ですらロイドたちを仲間だと思っているのに。

 だからこそ疑問が口をつく。

「何で呼ばれたくないんだ?」

「……それが、お前に関係あるのかランディ・オルランド」

「ランディって呼べ。いちいちそんな仰々しくオルランドなんて呼ぶなよ」

「ランディ」

 言い直したその言葉の語気は強く、彼女の問いを無視させない。それでもランディはそこで会話が終わらなかったことに安堵していた。ここで会話を終わらせられてしまえばおそらく最後までうやむやにされてしまうだろう。そう思えたからだ。

「あるぜ。理由も知らずうっかり呼んじまった日には目も当てられない事態が起きるんじゃねえか?」

 小さくその後にアルシェム、と呼べばストレイは感情を殺した。どうやら当たりだったらしいと思った瞬間――碧い光がストレイを包んだ。それに対して彼女は歯を食いしばり、必死に胸を押さえてその背に《聖痕》を浮かび上がらせる。仮面をつけたままのその顔に、冷や汗が流れるのをランディは確かに見た気がした。

 驚愕に目を見開いてランディは声をかける。

「おい、アル――」

「違う。わたしは、アルシェム・シエルでは、ない……ッ、違う。アルシェム・シエル=デミウルゴスではないッ!」

 その自身に言い聞かせるような宣言が、その碧い光を跳ね飛ばすように消し去った。ひゅう、と口から呼気が漏れる音がして、かちかちと彼女の歯が鳴る音をランディは聞いた。

「……今のは、なんだ」

「さてな。自分で考えろ……ふう……っ、もう寝る。お前も早く寝ておくんだな。次に探すべきはエリィ・マクダエルなんだろう? 彼女がいる場所へ向かうのならば過酷な状況を覚悟しなくてはならないからな」

 そう言い訳のような言葉を口にして、ストレイはふらふらと《メルカバ》の中へと戻っていった。その小さな背にランディは何も声をかけることができない。今の現象が何を意味するのか、それを理解しなければならないからだ。

 やがてその結論が出たとき――空は白み始めていて。

「……さすがにそれはないだろ……」

 ランディはその妄想を斬って捨てた。そんなことを、キーアがするはずがないから。



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国防軍(S1204/12/13)

 エリィ・マクダエルとの合流の前に、しなければならないことがあるとロイドは言った。それはノエル・シーカーのことなのだと。それに乗じてやることがあったストレイはリオを付けて体よく彼らを《メルカバ》から追い出した。あれから何度か通信が来ていたのだ。メルが、モニターを通して連絡を取りたがっているのである。よほどのことが起きているのだと推測できた。

 そして通信をつないでみれば――

「さすがにこれは想定外だが?」

『済みません。でも、どうしてもこの形で報告がしたくて……』

 メルの背後には、十人を超える人間が立っていた。どうやら《Ⅶ組》の連中らしい。彼らはそれぞれ厳しい顔でストレイをにらみつけていた。どう見てもそれは芳しくない状況である。メルは何かしらやらかしたらしかった。

「では報告を」

『はい。《鉄血宰相》の件は聞きましたね? その《子供たち》についてなのですが……どうか、見逃してはもらえないでしょうか』

「……は?」

 メルのその言葉にストレイは瞠目した。メルに限ってそういうことはあり得ないと分かっていたからだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと言わんばかりに、オズボーンのことを憎んでいたはずの彼女に一体何があったというのか。確かに映像の中にはその息子もいる。だが、彼にほだされただけでそういうことはあり得ないだろう。それほどまでに深く暗い憎しみを抱いていたはずだ。

 とはいえ放たれた言葉は消えない。

「悪いが、特定の奴だけは処分する。それ以外は好きにしろ。……何があった?」

 それに答えたのはリィンだった。

『何もかにもない、もう、メルには人を殺させない』

「ふざけた答えだ、リィン・オズボーン。それだけの理由でそういわせたのであれば否としか答えようがない」

 映像のこちらとあちらで視線がかち合う。それに事情を補足したのはなぜか頭に帽子を載せた小柄な子供だ。

『分かり合ったんです。分かり合えたんです。だから、メルさんをこれ以上苦しめないでください』

「わたしが苦しめたわけではないが、部外者は口を挟まないでもらおうか?」

 その子供に向けてきつい視線を送ったにもかかわらず、彼女はひるまなかった。それだけで只者ではないと分かるが、それ以上に彼女の口から出てくる言葉は衝撃だった。

『私は《カレイジャス》艦長代理トワ・ハーシェルです。この艦にいる人たちについて、私はすべての権限をもらっています』

 ストレイが目を見開くのはそれの見た目が子供にしか見えないからではない。あの事件で新たに見つかった《アーティファクト》的な力を身に宿す一族の子孫だとは思わなかったからだ。メルの潜入した《拠点》は、確かにそれの関係者――妖精を関係者と呼ぶのなら――がもととなっていたのだから。それならば関係があるだろうが、まさかそれがそういう形で表に出てくるとも思っていなかった。

「……ああそうか、とあっさり引くとは思わないだろうに、なぜ連絡を取ろうと思った?」

『それがけじめだと思ったからでしょ』

「お前には一切何も聞いていない。黙っていろアリサ・ラインフォルト」

 視線でメルを促せば、そこにはすでに何かを決めた者特有の光が浮かんでいた。これは何をしても揺るがないだろう。何をしたか、あるいはされたのかは知らないが、彼女はもう本当に殺しはやらないだろう。使い道がなくなった、と思うことはない。ある意味では一番の同志だった彼女の憎しみが消えてなくなったのなら、それは喜ぶべきことなのかもしれなかった。

『ワタシは……やっと、整理がつけられました。だけど、アナタはいつ心の整理がつけられるのですか?』

「とっくに整理はついているさ。わたしは別に復讐をしたいからここにいるわけではない」

『なら、どうしてですか? 皆さんをだましてまで、アナタが成し遂げることの何が復讐ではないと?』

 その言葉にストレイは噴き出した。流石に復讐のためだけに周囲に対して仮面をかぶっているわけではないのだ。そこまで酔狂でも暇人でもない。必要だからやっているのであって、そこに復讐の意図は含まれてはいないのだ。そういえばメルには説明していなかった気もする。潜入という任務の性質上、どうしても連絡は密に取り合えない。

 だからこそ、その一端をメルに開帳した。

「こうして自分を偽っているのは、そうしなければ生きていられないからだ。精神的にではないぞ? お前が一番長く接した奴はな、この世に存在してはいけなかったらしい。おかげで呼ばれるだけでも否定するのに一苦労なわけだが」

『因果、ですか』

「そういうことだ。……まあとにかく、心の整理がついたというのならば好きにしろ。《子供たち》で問題なのはあと一人だけだ。奴さえ始末すればいい話で、そいつはクロスベルにいる。お前にわざわざ手を下させるのも面倒だ」

 だからもうお前は自由だ、と言えば、メルは複雑な顔をした。ストレイとて複雑である。いったい何をして何をされればそういうことになるのか全く見当もつかないが、彼女がそう決めたのならば止める理由もない。今まで散々使ってきて手を放すのもワイスマンじみていてあまり快くはないのだが、それも望んでいることがことだけにそういうしかないのだ。

「ああ、安心するといい。お前に追っ手を差し向けることもないし、なんなら所属はそのまま残しておいてやる」

『それは……』

「ちなみに言っておくが、お前の特性上《匣》は敵にもならん。何かされるようなら容赦はするな」

 アドバイスじみたことを言っていると、後ろから気まずげに出てくる男がいる。当然のことながら見覚えはないが、気配がそれが何であるのかを教えてくれた。ついでに読み解きたくもないのに因果を見せられ、ストレイは非常に気まずくなった。今はまだ普通の青年だが、近いうちに彼は同類になる。そして、メルの――

 とはいえ言わなくてはならないことはある。

「どうせならそっちのお前が引き取れ」

『……は?』

「いずれ必要になる。……ま、先行投資といったところかな」

 にやにやと笑ってやれば、二人は赤面していた。どうやら因果というものも少しは幸せを運ぶ気があったらしい。他に報告はないかと問えば、メルからは何の情報も出てこなかった。代わりに少々情報は与えたが、それだけでエレボニアがクロスベルをどうこうできるような情報でもない。いずれにせよ殺さなければならない人物はいるが、もう無理だと言われるのならばどうしようもなかった。だから、ストレイは彼女を送り出した。

 通信を終え、そろそろベルガード門方面も落ち着いたかとカリンたちに《メルカバ》を任せて降下する。ノエルのことをどうしたいのかは知らないが、あまり時間をかけていてもらっても困るのだ。時間は有限なのだから。

 とはいえ――

 

「君を、貰う」

「ふっ、ふえっ!?」

 

 などといういきなりなラブコメディ展開を求めていたわけでは断じてないが。ノエルとロイドが決闘をして、その結果で彼女の動向が決まるらしい。最終的には『貰われる』らしいが、それについてストレイがコメントをすることはなかった。もちろんこの決闘に関してもだ。その勝敗の結果ノエルがどうしようがあまりストレイは興味がない。

 それよりも興味があるのはソーニャだ。

「さて、準備はどうかね?」

「上々よ。使えそうな子たちは全部ダグラスに任せたわ。こっちにいるのは迷いのある子と、縁故で入った子たちばっかり。いざとなれば私がすべてを押さえられるわ。……ノエルがいなくても、ね」

「それは重畳。後はマクダエル議長と市内の警察関係者、それに自警団だけか……」

 まだやらなくてはならないことは山積しているが、それでも一つずつ確実に終わっていることだけは確かだ。今を壊し、未来を創る。やっていることは相手と似たようなことではある。しかし、彼らは過去を壊し、現在を創ろうとしているのだ。それは許されることではない。ストレイが許されることもまたないだろうが、それでも彼女はそれを許したくはなかった。

 ストレイのつぶやきにソーニャは苦笑する。

「だけとは言うけど、多いわよ。手伝えることは手伝うわ。だからあまり一人で背負いすぎないで頂戴」

「……悪いが性分でね。背負うのが趣味みたいなものだ。……おっと、勝負がついたよう……oh」

 流暢に謎の言語を発するストレイに、ソーニャは視線を同じ方向へと向けた。その視線の先にはノエルとロイドがいる。ただし――ロイドがノエルを壁に押し付けている状況で。ノエルの両手はロイドの両手でふさがれていて、指が絡み合っている。絡めたのはノエルだが、状況に顔がゆだるほど恥ずかしがっている彼女に計算しているだけの余裕はないに違いない。

 とはいえここでこれ以上のことが行われるのもまた問題である。

「ちょっと、婦女暴行未遂にしか見えないわよバニングス捜査官」

「……え? あ……いや、これは違うんです!」

 真剣にノエルを武装解除したつもりでいたロイドは、ソーニャの声に改めて自身の行為を見つめなおして赤面した。どこからどう見ても女に迫っている男そのものである。

 冷たい目でティオやランディ、リーシャに見られるのもまた当然のことだった。

「どこが違うんですか?」

「流石にそれは……」

「あは、あははははは……」

 違うんだ、と弁明するロイドだったが、しばらく冷たい視線からは逃れられなかった。ソーニャが人払いをして司令室に入り込むまでその視線は続いたが、いざ話が始まるとなれば流石にそれは収まった。真剣な話をしなくてはならないのだ。ふざけている場合ではなかった。

 軽く咳払いをしたソーニャはノエルに問う。

「それで、シーカー少佐。《ミシュラム》の報告はまだだったと思うけれど……」

「え……」

 その報告はすでに終えたはず、と思ったノエルだったが、今ここで報告すればロイドたちにもわかってもらえるだろうと思いなおしてもう一度報告した。

「はい、《赤い星座》の半数が《ミシュラム》に展開し、《自警団》からの攻撃を防いでいる模様です。どちらも被害は軽微のようですが、保護されているマクダエル議長、ご令孫のエリィさん、あとおまけの技術者の方はまだ奪還されそうにないとのことです。特にエリィさんの方は体調を崩されているとか……彼らが自力で脱出するのは困難、という判断はまだ覆りませんので、《赤い星座》の皆様方にはそのまま警備を続けていただいています」

 ミシュラム、とロイドはつぶやいた。そこにエリィがいるのだ。彼女を奪還して初めてクロスベル市内に侵入できるだけの戦力がそろう。アルシェムが死んだ以上、彼女の支援は欠かせないのである。いざというときにストレイが頼れるかどうかはまだ判断がつきかねているのだから。最終的には頼らなくてもいいような戦力を整えておくのは当然のことだった。

 と、そこでいたずらっぽく笑うソーニャと目が合った。

「報告ありがとう。……あら、困ったわね。こんなところに部外者がいるわ。警備の状況が漏れてしまったわね、シーカー少佐」

「いや、あの……」

「本来なら軍法会議ものだけれど、今は非常時よ。《特務支援課》に出向するという形で貴女に処分を下します、シーカー少佐。クロスベルの混乱が収まるまで帰ってこなくてよろしい」

 ノエルはその言葉に目を見開いた。それは大義名分を与えられたことと同義だったからだ。元気よく返事をしたノエルは、そのままロイドたちとともに《メルカバ》へと乗り込むのであった。なお、ここにはもう二人ほど要人がいたのだが、すでにソーニャが本国へと送還していた。

 

 ❖

 

 夜、《メルカバ》内の一室で。ランディとティオが向かい合っていた。

「……で、何ですか、ランディさん」

「ティオすけ……ストレイ卿のことだが」

 それだけで彼女は身を固くした。何か知っているのは明白だった。ランディが知りたいのはストレイの真実だ。そして、ティオはおそらくそれを知っているのだろう。だからこそこうして二人きりになった。ロイドとノエルが二人きりになって気まずくなっていようがどうでもいい。ただ、確かめなくてはならないことだけは確かだった。

 ランディは言葉をつづける。

「アイツは、『誰』だ?」

「……ランディさん、それは……」

「何で俺たちに事実を隠していやがるんだ? その理由を知りたい」

 その視線に射すくめられたティオは、しかしゆっくりと首を振って拒否する意を示した。言えるはずがないのだ。いくつもの名を持つ彼女が、どういう理由でその名を使い分けているのか。なぜ彼女が『アルシェム・シエル』など死んだのだというのか、ティオは覚えていないのだから。当然、理解もできない。しかしそれが事実であるということだけを知っている。

 いら立つようにランディはティオに迫った。

「ティオすけ」

「……分からないんです。ストレイ卿が、何を考えているのか……」

 しかし返ってきた答えはそれだった。答えにもなっていない。

「どういうことだ」

 ランディが問い返せば、彼女はこう答えた。

「確かにストレイ卿は言いました。クロスベルを国にするんだって。救うんだって。だけど、こうも言ったんです。キーアが、アルを殺すんだって……そんなことあり得ないのに」

「確かにそういうことができる子じゃあ、ねえわな」

 だが、とランディは続ける。

「だがよ、ティオすけ。キー坊が普通じゃないことくらいはさすがにわかるよな?」

「当然です。可愛くて、いい子。だけど、あの時見せたアレは間違いなく《叡智》と同系統の力でした」

 その認識自体に間違いはなかった。ランディもまた同じように認識している。だからこそティオには確認しておきたいのだ。キーアの力をそう認識できるティオだからこそ。

「それは、ストレイとも同じ力なんじゃないのか」

「……え?」

 ティオはそういわれて初めて考えた。共通点なんて考えようとも思ったことがなかったのだ。そんなものがあるはずが――

「あ……れ?」

 氷だ。確か、ストレイの《聖痕》は氷を操るものだったはずだ。そう考えて、どうしようもない違和感にとらわれた。ならばなぜ蒼『銀』なのだと。あの光が属性を表すのならば、蒼だけで構わないはずなのに。それに確か精神をも凍結させていなかっただろうか。それは確かに幻属性の特徴で。

 ひゅっ、とティオは息をのんだ。

「そんな、じゃあ、ちょっと……私……何で」

「ティオすけ?」

「だから、なんですか……因果と、認識と、そういうことで……確かにそれならわかります。同じ力を使うのなら。相手が邪魔で邪魔で仕方がなくなるのはわかる気がします……」

 その場に微妙な空気が流れた。どちらも、考え込んでしまって何も言えなかったのだ。ゆっくりと与えられた仮眠室へと向かう二人は、脳内で同じことをぐるぐると考え続けていた。

 ――キーアが、アルシェムを、邪魔だと思っていたからああなったのかもしれないのだと。



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それが彼女だった (S1204/12/19)

 数日間の特訓ののち、一同は《ミシュラム》へ強襲をかけることにした。エリィ奪還のため、そしてマクダエル議長を奪還するために。全員が全力で向かう必要がある。もちろん《メルカバ》にも護衛が必要だが、それ以上にリスクを冒してでも全員で当たる必要があるのだ。この先の未来をつかみ取るためにマクダエル議長は欠かせない人物なのだから。

 まず、ツァイトが巨大化して正面で暴れる。そのすきにロイドとランディ、そしてノエルが《ミシュラム》内部に潜入し、エリィたちが軟禁されている迎賓館へと向かう。ティオとレン、カリンはこっそりティータから借り受けていたらしい衛星から場所を選んでの飛空艇の撃墜にあたる。ストレイとリーシャ、リオはテーマパーク方面から挟撃をかけ、レオンハルトは《メルカバ》の警護に当たるという寸法だ。

 時間はもちろん夜中だ。警戒が強くなるのはわかりきっているからこそ、できる限りの戦力をここでそいでおきたいのである。予定通りに始まった作戦が順調に進む。この先のことを考えれば慎重に進みたいが、目的を悟られれば警戒が厳しくなる。そのぎりぎりのラインを見極めながら動くのは存外に神経を使うものだった。それでも一度来たことのある場所だ。問題はなかった。

「……リーシャ」

「分かっています」

 ストレイが声をかければリーシャが《赤い星座》の猟兵たちを無力化し、ストレイもまた猟兵たちの腕を永遠に無力化していく。本来であれば残酷なことは避けるべきなのだろうが、すでに《赤い星座》は《星杯騎士団》にとって敵となっているため、抹殺したところで問題はない。それでも殺さないのは一応は慈悲である。もっとも、これから先猟兵としては生きられないだろうが。

 そのどこかで見たことのある残酷さに、通りすがりにロイドがストレイに告げた。

「何もここまでしなくてもいいだろ」

「奴らがこの先奪う命に比べれば安いものだ。生かしているだけマシだろう」

 そっけなく返すストレイは、ロイドを狙っていた男の腕を飛ばした。飛び散る血しぶき。表情を硬くするロイド。その顔に徐々に怒りが浮かんできて――

「おい、止まってる暇はないんだぞロイド!」

「ランディ、でも――」

「こいつらがやらかしたことを忘れたのか? 償いなんてこいつらはまともにやらねえぞ!」

 その叱咤に言いたいことを飲み込んだ。確かに彼らは腕を飛ばされるほどのことはしたかもしれない。街を燃やし、皆を不安に陥れ、今なお仲間を監禁している奴らだ。しかし、それでも裁かれるべき人間である。とはいえその裁きは一個人にゆだねられていいものではなかった。ロイドは胃の腑がぐらぐらと煮え立つような思いだった。

 感情を押し殺そうとして失敗したような声でロイドはストレイに告げる。

「……後で話がある」

「終わってからにしろ」

「言われなくてもそうするさ!」

 憤懣やるかたなし、といった風情でそう吐き捨てたロイドは迎賓館へと向かう。そこに仲間が待っているからだ。エリィを救い出し、マクダエル議長を連れ出してはじめてこの作戦は成功と呼べるのだ。ストレイの所業を責めるのはその後でもできる。そうならなければならないのだ。ここまでしてしまった以上後戻りなどできようはずもないのだから。

 彼らを縛り上げている間にロイドたちは目的を果たし、衰弱しているエリィとマクダエル議長、なぜかそこにいたヨナ・セイクリッドを連れて撤退していく。《赤い星座》の連中はしかしそれを認識しているだけの余裕はなかった。なぜなら、地上では巨大ツァイトと姿の見えない暗殺者に狙われ、飛空艇に逃げ込めば衛星からの砲撃で撃ち落とされるのだ。精神に余裕があるはずがなかった。

 ストレイたちはその場にいた猟兵たちの腕を落とし、律儀にも止血だけはして腕本体は湖に放り込んで処分した。そのうち魔獣が食らい尽くすだろう。そして《メルカバ》へと帰還した。

 

 ❖

 

「ロイド……っ!」

 その騒ぎの中で、囚われのエリィが最初に見たのはロイドだった。思うように動かない体を押して彼に抱き着く。その熱が失われていないことに安堵し、しがみついた。もう二度と離さない。離してしまえば死んでしまうかもしれないからだ。あの時のアルシェムと同じように、ばらばらの肉塊になって血の海に沈んでしまうかもしれないから。

 それを思い出してしまって身体を震わせる。

「ロイド……無事で、よかった……!」

「エリィ……」

 エリィはその熱を確かめるようにぐいぐいと体を押し付けるが、押し付けられる側のロイドはたまったものではない。忘れてはいないだろうが、エリィの胸部はなかなかに立派なものなのである。おかげでランディからはうらやましがられ、ノエルからは苦笑されていたがそれはさておき。

 そこにいるとも思っていなかった人物から声がかかる。

「おい、とりあえず逃げられるんなら逃げようぜ! きっちり守ってくれよな!」

「ヨナ……相変わらずだな。マクダエル議長も、一緒に脱出しますよね?」

「ああ。君たちはストレイ卿と来たのだろう? ならば当然行くよ」

 そこには覚悟を決めた顔があって。だからこそこの時間のない時だというのにロイドは確かめてしまった。

「議長は……ストレイ卿と面識があるんですね」

「勿論だ。彼は本当にクロスベルのことを考えてくれている。ああいった立場でなかったのなら、ともに議会で弁論をしたかったと思うほどにね」

 かくしゃくとしたマクダエル議長の表情には、ストレイに対する全幅の信頼が見て取れた。だからこそ解せないのだ。ロイドにとってストレイは信頼に値する人間ではないというのに、会う人たちすべてが彼に対して一定の信頼を抱いている。それが理解できなくて、もやもやと胸のあたりでわだかまっているのだ。気に入らないのだ。どこかが。

 そんなロイドにマクダエル議長が声をかける。

「ロイド君。今は考え込んでいる場合ではないだろう?」

「それは……そうですが」

「何、ゆっくり話してみればわかるさ。彼は本当にクロスベルのために生きることを望んでいるのだからね」

 そういって笑ったマクダエル議長にランディが肩を貸した。ロイドから離れようとしないエリィはそのまま横抱きにし、ヨナはノエルが背負っている。そのまま戦闘はすべてストレイたちに任せて脱出した。この胸のうちのもやもやが晴れるときは、近いのかと自問しながら。

 

 ❖

 

 《メルカバ》に戻ったロイドたちは、体を休めるために仮眠室に向かわせた。ティオとヨナ、そしてレンは明日のためにのっとる放送の中継点の手前までクラッキングさせている。その場にはマクダエル議長だけを残し、クロスベル全土に向けて発する声明のために内容を詰めているのである。言わなければならないことと、しなければならないこと。それらを合わせて詰める二人。

 そこでぽつりとマクダエル議長が漏らした。

「……彼女のままでは、できなかったのかね」

「当然だ。アレは死んだのだから。……それに、全く人望もないからな」

 肩をすくめてそう返したストレイに、マクダエル議長は苦笑を浮かべながら返した。

「そう思っているのは君だけだよ。もっと周囲を信じてやりなさい。年寄りからの忠告だ」

「そんな環境にいたことはない。それに、悪いがわたしはお前よりもざっと千歳ほど年上だ」

「……笑えないジョークだ」

 ジョークじゃない、と大真面目にストレイが返答すれば、マクダエル議長は彼女の頭を撫でた。外見は本当にエリィほどの年頃に見える彼女に、少しでも安らぎを覚えてほしかったのだ。もちろんその返答は子ども扱いするな、という拒絶だったが。

 詰めるところまで詰めて、早めに休む。明日は正念場なのだ。間違っても倒れるなどということがあってはならなかった。ロイドたちは邪魔をしてこないように軟禁する必要があるな、とどこかで考え、やっていることはディーター・クロイスと似ていることに苦笑する。ただ、彼とは違ってつかみ取るべき未来は人間がつかみ取るべきなのだ。断じて《至宝》でもてあそぶべきものではない。

「……さて、覚悟は決めねばな」

 簡易ベッドの中で、ストレイはそうつぶやいて眠りに落ちた。

 

 ❖

 

 国防軍が声明を発表するために設置した大型モニターが、突如映像を映し出した。そこに映ったのは長らく姿を見せなかったヘンリー・マクダエル元議長である。長年クロスベルのために働き続けてきた彼の元気そうな姿に市民はまず安堵し、次にいぶかしんだ。なぜ今このタイミングで、どこからどうやって彼はその映像を流しているのか。

 それに対してなのか、彼は言葉をゆっくりと紡いだ。

「クロスベルの皆さん、長らく姿を見せられずご心配をおかけしました。ヘンリー・マクダエル、かつてはクロスベル自治州の議長を務めていた者です」

 その声に国防軍の兵士たちはざわめいたが、それもすぐに収まった。なぜなら議長が話し始めたからである。

「本日は皆さんにお伝えしたいことがあって、ある方にご協力を賜っております。その前に皆さんにご心配をおかけしたことに対してお詫びを申し上げるとともに、なぜそうなったのかという経緯を説明させていただきたく思います」

 そうだ。何故。どうして。その内なる疑問の声が誰にもこの放送を止めることができなかった。皆知っているのだ。彼がクロスベルのために何を犠牲にしてきたのか。心身を削り、暗殺の脅威にもさらされながらクロスベルのために身を粉にして働き続けていた彼が、どうしてあのクロスベル独立の宣言の時に姿を見せなかったのか。それを知りたかったから、放送は止められることなく続いた。

「クロイス大統領が独立を宣言した折、私は不当な手段によって軟禁されておりました。彼はクロスベルの合議制を無視し、一人であの独立宣言を行ったのです」

 飛び出す驚愕の真実に、誰もが言葉を失った。ディーター・クロイスの打ち出したあの宣言は確かに自分たちが求めていたものだった。しかし、それは十分な協議のうえで行われたものだと思っていたのだ。しかし、議長は違うという。確かに映像では登場しなかった上に声明すらもなかった。ならば本当に彼はディーターによる独立を認めてはいなかったのだろうか。

 どうして。その声に応えるように議長は続ける。

「当時、私には知り得ないことをクロイス大統領は知っておりました。かつてクロスベルは一つの国であったこと、そしてその国の王とも呼べる人物の血を受け継ぐ子孫が生き延びていたことを知っていたのです」

 一息置いて、議長は声を絞り出した。

「その人物がどのように生き延びていたのか、私は悔しいことに知ることはかないませんでした。しかしクロイス大統領もそれは同じです。なぜなら、その王の子孫の誘拐を知りながら見過ごしていたのですから。そして最近になってそれを知り、別の少女を助け出して『彼女がそうだ』と丸め込んで王にしようとしています。だからこそ、独断で独立を宣言できたのです」

 そんなことがあり得ることなのか、という問いはこの際関係なかった。時代考証も必要なかった。議長がおとぎ話を大真面目に語るような人物ではないことくらい、クロスベルの民たちは当然のように知っていることだからだ。だからこそそれは彼らの認識の中で事実として刷り込まれていく。そしてそれは多少の誇張表現が含まれてはいるが真実であった。

「幸い、私は不当な軟禁から解放されました。当の子孫がうわさを聞き付けたのか助けに来てくださったのです。その方はクロスベルの行き先を憂い、強引な独立によって起きる軋轢を憂いて私に相談してくださいました」

 議長の言葉で民たちは気付いた。今のこの危険な状況は、独立を宣言してしまったからこそ起きたものだと。その際に使われた手法はどうでもいい。だが、この先どうしてくれるのかという問いに対する答えは誰からも得られなかった。そう、クロイス大統領からも、彼を守る国防軍からも。街を襲ったくせにのうのうと居座り続ける《赤い星座》の連中からも。

「その結果を――私からではなく、その方から。皆さんに伝えていただこうと思います。そして、決めてください。大統領のやり方を選ぶのか、その方のやり方を選ぶのか。無理やりに選ばされるのではなく、自分たちの意思でもう一度、選んでいただければ幸いです」

 ふう、と一息ついたマクダエル議長は、横から差し出された椅子に座った。それを用意したのはよくわからない人物だった。正装とおぼしきスーツに身を包み、それでいてその顔には仮面が張り付いているのだ。素性のしれないという点では限りなく怪しいが、それでもその身分を保証したのはあの議長だった。だからこそ食い入るように画面を見つめ、耳を澄ます。

「――さて、今紹介のあった子孫だ。アルコーンという。この世界の片隅で細々と生きてきた。まあ、汚い世界は嫌というほど見てきている変な奴、程度の認識でいいだろう」

 その声は不思議とするりと意識の中に入ってきた。どこかで聞き覚えのあるような気のする声だが、その人物とは違って聞いているだけで違和感を覚えるなどということはない、普通の声だ。ただ男だというには高く、女だと断定するには低いアルトの声なので性別の判定ができなかった。色彩のない髪はやたらと長いから女だろうか。とはいえそんなことはどうでもいいことだ。彼、あるいは彼女が語ることが何であるのかが問題なのだから。

「わたしはあなた方に問う。これまでエレボニアやカルバードに搾取され続ける生活を送り続けてきた忍耐あるあなた方の心に問いたいのだ。本当にこれでいいのかと」

 どきりとした。内心を言い当てられたような気がしたのだ。漠然とした不安に突き動かされてここまで道を選んできた。しかし、本当にそれでよかったのかと。

「今隣にいる人に聞いてみてほしい。今の行動を制限されている生活と、昔の両国から搾取されていた生活のいったいどこが違うのかと」

 小さなざわめきが聞こえた。何が違う? 心持ちが違う。帝国と共和国に搾取され続ける生活はもうごめんだ。でも、生活って変わった? いいや、むしろ不便になった。そこかしこを国防軍が歩いていて息苦しい。持病が悪化しても申請しなければ聖ウルスラ医科大学に行くことすらできない。マインツの友達と連絡が取りあえない。アルモリカ村のはちみつが……ざわめきが大きくなる。

「どちらにせよ不自由だ。違うか? ……違わないだろう。それは、クロイス大統領にとって都合のいいようにしか『独立』できていないからだ。古代の力に頼り、アルテリアから睨まれてもなお護り切れるという傲慢な考えがそうさせているのだ。実際にはそれに頼らなければ瞬く間に消える風前の灯火なのだ」

 それに、民たちは不可思議な結界のことを想った。確かにアレのおかげで守られているのかもしれないが、同時に自分たちを監禁するための檻なのだ。今までよりも自由になるはずだった生活は、息苦しい不自由なものだった。本当にこれでいいのか。それはいつだって誰かの心の底に燻り続けていた。否、今でも。今もうすでに燃え盛り始めていた。

「彼らはそれがなくてもエレボニアやカルバードの財布を握っているから大丈夫だ、などと勘違いをしているのかもしれんが、どのみちこのままではクロスベルは長くない。列車砲を破壊しようが、彼らにはまだまだ兵器が残されている。人間が機械をまとって襲って来ればどうなる? 大量の戦車が襲って来れば? 本当に対処しきれるのか? あなたたちには指一本触れずに溶けて消えるのか?」

 そんなはずない! と誰かが叫んだ。そうだ。そんなはずはない。帝国や共和国は貪欲な獣なのだ。いずれクロスベルを食いちぎり、血肉とし、自分たちの屍の上に繁栄を築くだろう。その礎のことなど考えもしないはずだ。

「――そうだ。そんなことなどあり得ないのだ。だからこそ、わたしはこうして起つのだ。先祖なぞ知らん、関係ない。ただ、クロスベルという場所を愛しているから――」

 それは真実だろう。そう思えた。なぜならアルコーンはすでにその覚悟を決め、こうして姿をさらしている。酔狂でこんなことをやればすぐに殺されるに違いないこの情勢で、と考えたところで凍り付いた。なんだこの思考は。そんな非道なことをクロイス大統領がするのか、と。しかし実際にしたのだ。《特務支援課》のあの女は殺されたではないか。たかが抵抗しただけで!

 映像がかすかにぶれて、その瞳の色が晒される。それは高く澄んだ空の色。あの女と同じ色で――

「わたしは、あなた方の手となりエレボニアと手をつなごう。カルバードと手をつなごう。無用な戦を起こさないために、あなた方を守るために!」

 その宣言はきれいごとだった。だが、これ以上無残に人が死ぬのは見たくなかった。人々の心が一つの方向を向いていく。

「必要ならばこの手に剣を取り、盾を取り、あなた方のために戦おう! あなた方のためにこの命をささげよう! それがわたしの生まれた意味だ!」

 そんなことはしなくていい。ただ、生きて導いてほしい。その意思はうねりとなって周囲の人間をも巻き込んだ。マクダエル議長が保証したから、という理由ではなかった。もはや、彼らは信じる気になっていたのである。

 その手が翻り、仮面が剥がされる。そして――その姿が、さらされた。

 

「今一度名乗ろう。わたしはアルコーン・ストレイ=デミウルゴス。あなた方の意思の代弁者となる者。そして――あなた方をそこから解放する者だ!」

 




 なお手を取り合おうとする相手に関してはすでに手を加えている模様。マッチポンプ具合はこっちの方が外道。


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回りくどい真実(S1204./12/19)

 すべてを愕然とした面持ちで聞いていた。ロイドたちはそこで呆然とするしかなかったのだ。最後にはぎ取られた仮面がすべてを物語っていた。その下から現れた顔は、まぎれもなく『アルシェム・シエル』の顔だったからだ。死んだはずなのになぜ、という疑問は今更彼らの中では意味を持たない。生きていてほしいとは願ったが、こんな形では知りたくなかったのだ。

 ロイドたちが待機していた部屋の中でも、その宣言はモニターで見ることができた。ストレイによる気遣いだ。とはいえそれを見たかったわけではなかった。彼女が自分の口から生きていることを告げてくれればそれでよかったのに、なぜこんな形で生きていることを知らなくてはならなかったのだろうか。ずっと近くにいたのに、仲間だというのに明かしてくれなかったのは何故なのか。

 そのもやもやとした感情を、放送が終わった後の彼女にぶつけるのは致し方ないことであろう。

「アルッ!」

 扉を破る勢いでカメラの撤去されたコンソール室へと飛び込めば、そこには仮面のないストレイ卿がいた。否、『アルコーン・ストレイ=デミウルゴス』か。先ほどまでといでたちは全く同じなのに、ロイドたちにはそれがもはやアルシェムにしか見えなくなっていた。事実としてそれは当然のことだが、アルコーンにとって『アルシェム』は死んだ人間である。ここに認識の差があった。

 怒りを顔に浮かべたロイドに、アルコーンは答える。

「そいつはすでに死んでいると何度言えばわかる、ロイド・バニングス」

「ふざけるな、そんなたわごとが通じると思っているのか!」

 胸ぐらをつかみ、つるし上げる。しかしそうされたアルコーンはいたって平静だ。ロイドは憤っているが、アルコーンにとってそれは何ら意味のある言葉ですらないのだから。彼女にとっては間違いなく『アルシェム・シエル』は死んでいる。たわごとでも戯言でもない。死ななくて良いのであれば、アルコーンとしても面倒はなかったのに。

 アルコーンは冷静に答える。

「……通じるも何も、事実だ。『アルシェム・シエル』は死んでいる。ここにはいないし、二度とよみがえることもない」

「じゃああんたは誰だっていうんだ!」

 ロイドの顔には怒りが浮かんでいた。今まで嘘を吐かれていたと思えばこそ、その怒りは際限なく燃え上がる。仲間だったはずなのだ。それなのに、欺く必要があったのかと。それほどまでに自分たちは信頼できなかったのかと。

 つばまで飛んできそうな怒号に、アルコーンは平然と答えた。

「先ほども名乗ったと思うがな。アルコーン・ストレイ=デミウルゴス、だ」

「そういう意味じゃない!」

 そこで息を切らしたが、ロイドは最後まで言い切った。

「あんたは、俺たちの仲間のアルじゃないか! アルコーンなんて知らない!」

 その言葉とともに、じわり、と碧い光が沸いた。しかしアルコーンはそれを気合でねじ伏せ、悟らせないようにする。アルコーンとしてはこんなバカげたことで言い合いなどしたくはないのだ。既に死んだ人間に対して何を言ったところで意味などないのだから。たとえそれが世界に対する欺瞞であったのだとしても、一度死んだ人間は生き返らない。それは真理だ。

 とはいえ、死者の声は代弁できる。

「いつから彼女はお前の仲間になったんだ? お前に認められるどころか、信じられてすらいなかったのに?」

「最初から仲間じゃないか! 何言ってるんだ!」

「悪いが、彼女の定義として仲間というのは信頼しあえるものらしい。お前はその定義には当てはまらないし、この中でソレに当てはまったとするならばレンやカリンたちくらいだろう。違うのか?」

 違う。そうロイドは吠えた。ロイドはアルシェムを信じていたし、彼女からも信じてもらえていたと思っていた。だが、彼女にとっては違ったというのだろうか。それがたまらなく悔しい。信頼しあえている仲間だったはずなのだ。それなのに、一方的に裏切られた気分だった。それほどまでに信じていたものに裏切られるのはショックだったのだ。

「俺はアルを信じてた! 信じてなかったのはあんたのほうじゃないのか!?」

「酷い言い草だが、そもそも信頼に足るだけのことをしたのかという話にもなるな。こんな水掛け論など意味はないだろう」

 はあ、とため息をつくアルコーンに、今度はエリィがつぶやく。

「……意味ならあるわよ。どうして何も言ってくれなかったの? 信じてたのに」

 涙のにじむ声には感情がふんだんに込められていたが、あいにくアルコーンにその泣き落としは聞かない。《特務支援課》の誰もが『アルシェム・シエル』のとある主張を信じなかったのだから、彼女に仲間であると思われないのも仕方のないことだった。少なくともアルコーンはそう考えている。それに、もともと利用するために潜入していたようなものだ。信頼など必要もない。

 そしてそれをいまさら隠す必要もない。

「ならば聞くが、なぜ信じなかった? 彼女がキーアに殺されると主張していたことを」

 その答えは簡単だった。これ以上ないほどに明白であり、同時にこれ以上ないほどに薄っぺらい答えだった。その主張を信じないのは何のこともない。アルシェム・シエルよりもキーアという少女のことを信じているからに他ならないのだ。仲間よりも拾った少女のことの方を信頼する異常さをロイドたちは理解し得ていないのである。

その破たんした論理にも気づかずに、自信満々にロイドが答える。

「キーアがそんなことをするわけがないからだ」

「その時点で彼女を信じていないだろう。ならば信頼を返される道理もなければ、仲間だと認識される道理もないな」

 はん、と鼻を鳴らしてアルコーンはそう答えた。そのあたりの線引きが厳しすぎるが、仲間だからこそ受け入れてほしかったのだ。信じてほしかったし、いつかそうなるかもしれないという警告でもあったというのに彼らは一切信じることはなかった。信じがたいと信じられないは違うのだ。彼らにとってアルシェムは仲間だったかもしれないが、アルシェムにとってはちょっと目立つ有象無象でしかなかったのである。

 その極端な論調にロイドとエリィが反発した。

「むしろそんな妄想をどうすれば信じられるっていうんだ!」

「そうよ! それに、あなたが殺されたように見せかけたとき、手を下したのは国防軍の人たちだったわ!」

「その原理を一から説明すれば、納得するのか?」

 淡々というアルコーンにロイドとエリィの神経は逆なでされた。どうせそれは言いくるめるための言い訳なのだろう。そう思えてしまったのだ。彼女がどんな説明をしても彼らは納得しないだろう。既に裏切られたと思ってしまった彼らには、アルコーンの語る真実など届きはしないのだから。アルコーンとしては届かなくとも一向に良かったのだ。もう、ここまで来た時点で彼らがいなくとも何とかなるのだから。

 逆上したロイドは、アルコーンをこぶしで殴っていた。

「ストレイ卿!」

 それに対して飛び出そうとしたカリンは、アルコーンに制止された。

「いい。それにカリン、お前はこの件に関して口を挟めるのか?」

「……いえ」

 アルコーンの言葉でカリンはあっさりと引いた。これはあの時と同じだからだ。『シエル・アストレイ』を信じられなくて、ひどい言葉をぶつけたカリンが何かを言える立場にあるはずがなかった。それに、言える言葉も存在していなかった。レオンハルトも同じだ。飛び出そうとしてやめている。口を挟めるだけの権利を彼らは持ち合わせてはいなかった。

 その代わり、レンが冷たく言い放つ。

「ほら、話も聞かずに殴りかかるなんて信じてないって言ってるのと一緒よ?」

「レン、君は――」

 ロイドはその矛先をレンに向けようとして、その瞳に信頼があるのを見て取って硬直した。

「信じてるわ。最初から最後まで。言えないことがあるのは知ってたけど、それも含めてレンは信じてるわ」

 レンのそれは全幅の信頼だった。アルコーンが何になろうと、どう利用されていようと彼女はアルコーンを信じ続けるだろう。それはレンにとっては当然のことだった。ある意味では狂信者である。それでも、レンのすべてを信じて受け入れてくれたのはアルコーンだけだったのだ。だから、レンも同じものを返そうと思ったのである。その狂気の垣間見える言葉にロイドとエリィは絶句する。

 それを聞いていて、何も言えなかったのがリーシャだ。何も知らず、知ろうともしなかった彼女には何も言う権利がないと思ったのだ。彼女がどこからきてどこへ行くのか、それをリーシャは知りたいとは思った。しかし、すべてをかけて知ろうと思うほどではなかった。仕事だのなんだのと言い訳を付けて詳しく調べてはこなかったのだ。

 あるいはそれは恐怖だったのかもしれない。本当に死んでしまったのだと実感させられるのが怖かったから、調べたくなかっただけなのかもしれなかった。それでも生きていると漠然と信じ続けていても、それを証明することが怖かったのだ。その弱さは責められるべきものではないが、アルコーンにしてみれば見捨てられたと思っても仕方のないことだったのかもしれない。

 それでも、声を上げた。

「……よかった」

 単純な一言だ。しかし、アルコーンにその声を上げてくれる仲間はいなかったのだ。純粋に彼女の身だけを案じてその言葉を発してくれる人は、どこにもいなかった。ネタを知っているレンたちは例外だが、ロイドたちは一言そう発してもよかったのに。生きていてくれてよかったと。死んでいるはずなのに、生きていてくれてよかったと言ってもよかった。

 もちろんリーシャは肉片アルシェムを見ていないからそう言えるのだ、という見方もある。

「生きてて……よかった……」

「いや、だから『アルシェム・シエル』は死んだと――」

「ううん……違う……そんなのどうだっていい……貴女が生きていて、よかった」

 アルコーンは突っ込みを入れかけたが、続く言葉に息をのんだ。ある意味ではそれは一番の正解だったのだ。アルコーンから信頼を勝ち得るのに必要なのは、アルシェムでも、エルでも、何でもいい。ただ目の前の彼女が生きているのならよかった、と。そのすべてを受け入れてくれることだった。そういわれるのはアルコーンにとって想定外のことだったのだ。

 だから、それに続くランディの言葉にも面食らうことになるのだ。

「そうしなきゃいけないんだな、ストレイ」

 その、微妙に理解されたことに対してアルコーンはひるんだのだ。確かにヒントはいくつもあっただろう。ランディの前ではほぼ答えを見せたようなものだ。しかし、それを拾い集めてその結果が出せるということは一定の信頼を得ているということにはならないだろうか。ある一点においてはまだ信頼されてはいないのだろうが、それでもアルコーンの主張を半ば認めた形の言葉だ。

 それをアルコーンは肯定した。

「……そういうことだ」

 かろうじて絞り出した言葉はかすれていた。そういうことなのだ、と主張するのは本当に簡単なことなのに、それを信じてもらえることは本当に稀なことだと分かっているのだ。それをランディがわかってくれているということに、不覚にも驚いてしまったのである。

「分かった」

 ランディはあっさりとそこで引き下がった。何がわかったのかはアルコーンにはわからなかったが、それでも問い詰めてこないということは察したのだろうと思えた。だから、アルコーンからは掘り下げないでおいた。

 しかしそこでティオが爆弾を投下する。

「ロイドさんたちはちょっと頭が固すぎます。信頼するしないで仲間だなんだって……」

「なっ……」

「ティオちゃん!」

 レンの狂気から復活した二人がティオに食って掛かろうとするが、彼女もまた微妙な狂気を醸し出していた。

「いいじゃないですか。彼女がアルだろうが、ストレイ卿だろうが、アルコーンだろうが。この人が私を助けてくれたことに変わりはないんですから」

「その割り切り方もどうかと思うが」

「今は黙っててくださいややこしくなりますから」

 すでにややこしいと思うが、という言葉はティオの強い視線に抑え込まれ、口から出ることはなかった。

「ティオちゃん、でも、それは」

「エリィさんは、この人がいて嫌でしたか? そりゃあ、黙っていたのはこの人が悪いとは思いますけど……でも、エリィさんがこの人の立場なら、言えましたか?」

 言えるはずがない。エリィは素直にそう思った。ただでさえキーアの件で気まずかったのに、これ以上の面倒な厄介ごとについてアルシェムが相談できるような環境だったかと問われれば、エリィとしては否と答えざるを得ない。そして、たとえ相談されたとしても鼻で笑い飛ばすか聞かなかったことにするに違いなかった。キーアとうまくいかないから年甲斐もなくひがんでいるのだとしか思っていなかった自分が、何かを言えるわけもなかったのだ。

「……言えるわけ、ないわね。だってキーアちゃんのことでいつも揉めていたようなものだもの……その延長線上のことだって鼻で笑っちゃってたわ」

「でも、エリィさんにとって『アルシェム・シエル』は仲間だった。違いますか?」

 静かに問われ、エリィは目を閉じて答えた。

「そうね、アルは仲間だった。……アルには、そう思ってもらえていなかったみたいだけど」

「じゃあ、エリィさんにとってこの人はどういう人ですか?」

 その問いに対してエリィは考えた。どういう人か。それに対しては不思議な人だ、という感想しか出てこない。エリィとしては『アルコーン』に接しているのはほぼ数時間だったので、今の彼女に対する評価はやはりアルシェムと同じようなもののはずなのだ。それなのに、この既視感を覚えるような気配がそれを許さない。何も隠していない彼女は、やはりアルシェムだったころとは何かが違った。

 それはあの演説も関係しているだろう。あれは、アルシェムとしては絶対に出ない言葉だったから。

「その前に聞かせて欲しいの、アル……ううん、アルコーン。さっきの演説は、本心?」

「本心でない演説などしてどうする」

「それは皆を騙していないと保証できるの?」

 その目は何かを探り出そうとしているようだった。エリィが欲しているのは真実だ。それ以外には何も必要としていない。だが、これ以上彼女の言葉に惑わされるのは嫌だった。すべてを見通すために、アルコーンの言葉を見極めたいのだ。彼女の判断基準に大きくかかわっている祖父はすでにアルコーンのことを信じている。ならば、エリィも彼女を信じられるのならば信じたいのだ。

「言っていないことがある、というのが騙していることになるのならば騙している」

「……凄い答えね。でも、言葉がやっぱり足りないと思うわ。それは言う必要がないから言わなかっただけ。違うかしら?」

「まあ……それは確かにそうだが。言わなくても何ら支障がないというよりも、どちらかというと知られると面倒だから言っていないという方が正しいか。そういう意味では、やっていることはクロイス大統領と何ら変わらん」

 でも、とそれに対してエリィは強い言葉で問い返した。

「でも、やるんでしょう? そうでなくちゃ許さないわ」

「……別に、お前に許されたいとは思わないがね。ここはわたしの生まれた場所だ。そして、ここを守ることこそが生きる意味だ。それ以外の道は残されていないし、自分でこの道を進むと決めた。……この答えで満足か?」

 その言葉にアルコーンはエリィが激しく怒りをあらわにすると思っていた。しかし、彼女は静かに問うのだ。

「満足しないわ。貴女は全部知っているんでしょう? 貴女がどういう人間なのか。そして、それにキーアちゃんがどういうかかわり方をしているのか。全部教えて頂戴」

「言って納得するなら教えても構わんが、後戻りはできなくなるぞ」

「しなくてもいいのよ。どうせもう《特務支援課》は再結成できないわ。つながりは消えないけれど、『アル』はもういないんだもの。……私達もとどまっていないで、歩き始めるべきなんだと思う」

 そこでエリィは言葉を切って皆を見回した。いまだに猜疑心たっぷりのロイドは、《特務支援課》のリーダーにはもう戻れないだろう。何やら覚悟を決めたようなティオも、《特務支援課》には戻らないだろう。ランディはどうかはわからないが、レンももう戻ってくるつもりはないだろう。アルコーンも戻れるような状態ではないはずだ。

 だからこそ――彼女も。先に進むことを選ぶのだ。ぬるま湯の中でまどろむような生活は、もう終わりにするのだ。それこそが、彼女を信じず『死なせて』しまったエリィの贖罪になるのだろうと信じて。



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結界の破壊(S1204/12/23)

 じゃ、あと13話で終わりますんで毎日連投して終わりにします。


 演説ののち、数日間は誰もが使い物にならなくなっていた。精神的に安定を図るために行動する者もいれば、納得できずに何度も衝突を繰り返すものもいた。しかしそれらがうまくかみ合うことはなく、アルコーンとロイドに関してはほとんど交流がなくなってしまっていた。目的さえ合致するのならば協力するが、そうでないならかかわりたくもないといった風情である。

 一番この中で寛容になれなかったのはロイドだった。裏切られたという気持ちが大きすぎて気持ちの整理がつけられなかったからだ。それでも何とか数日かけて妥協点を見出した。キーアのためになることならば、というその一点においてのみ協力することに決めたのだ。それ以外でアルコーンを許容することはなかったし、できるはずもなかった。ある意味では精神的に頼りにしていた大きな柱がぶち壊された彼にとって、それが唯一の妥協点だったのだ。

 それに対して寛容になりすぎたのがティオとリーシャだ。ティオとリーシャはその力をもって全面的にアルコーンを支えることに決めたのである。流石にティオは従騎士になりたいとは願わなかったが、リーシャはしつこくアルコーンに迫った。今度こそ守りたいのだと。そこまでされてもアルコーンとしてはこれ以上『死ぬ』気はないので無駄なのだが、最終的には折れざるを得なかった。

 ランディはなにがしか考えこんでいたようだが、それを周囲に漏らすことはなかった。彼は彼なりに折り合いをつけたらしい。ただ、一度だけアルコーンにあることを問うて、それができないことを確認して安堵していた。正確にはできないではなくしたくないなのだが、もしもできるあるいはしてもいいと答えればランディは彼女を見限っていただろう。

 レンはレンでヨルグと連絡を取り、ティータに魔改造された《パテル=マテル》をさらに改造してもらっていたらしい。動くと決めた当日になっても調整が終わっていなかったらしいので今は《ローゼンベルグ工房》にいる。そこでこの先に向けた最終調整を行っているらしい。どんなゲテモノが出てくるのかと想像しただけで震えるが、レンはにっこり笑って秘密だとしか言わなかった。

 そして、クロスベルを包む結界を崩壊させると決めた日。一同は二手に分かれて行動することにしていた。片方はアルコーンとレオンハルト、そしてリーシャで。そしてもう片方はロイドを筆頭にした元《特務支援課》の一行とリオで。それぞれ《鐘》を止めるために動くことにしていた。人数配分も戦力配分もおかしいが、ロイドたちにあてた方に関しては《道化師》がいる。いざとなればリオだけでも対応できると判断したのであった。

 先に《月の僧院》でロイド達を降ろしたアルコーンたちは、あえて下から上へと昇ることにした。このメンツであれば壁を駆け上がるという芸当もできるのだが、《星見の塔》の中から撃ち落とされてはたまらないからだ。かなり攻撃偏重のメンツではあるが、裏を返せばどんな状況になってもある意味力技で突破できるということでもある。

 中を徘徊している人形兵器を見てアルコーンが言葉を漏らした。

「……面倒だな。あまり壊すとヨルグがうるさい」

「まあ、挟み撃ちされることもないだろう。避けて進むか」

 あまりにも当然のことのように言う二人にリーシャは苦笑したが、自分も同じことができるので口には出さないでおいた。この光景を見ている人間がいれば突っ込んだだろうが、今ここにいる観測者でこの三人の隠形を見破れるのは《鉄機隊》だけだ。そしてこの力技パーティに対して各々単独で待ち構えている彼女らには全く勝ち目はなかった。

 アイネス、エンネアを降し、さらにその先に進んでみれば――

 

「……すぅ、すぅ……むにゃ、うう……もう、もう無理ですわ……」

 

 立ちながら寝ていて、なおかつうなされているデュバリィがいた。どうやら酷使されすぎて待ち伏せしている間に寝こけてしまったらしい。あるいはまだ来ないと高をくくっていたのだろうか。三人合わせて簀巻きにした後もまだ寝ているデュバリィに、アイネスとエンネアは苦笑を漏らすことしかできなかった。

「デュバリィ……」

「それもこれも帝国を荒らしまくってくれた誰かさんのせいね」

「知らん。嫌なら辞めればいいだろう」

 二人からの視線にアルコーンは視線をそらしたが、とてもわざとらしかった。もちろんデュバリィが忙しいのはメルに帝国内の《執行者》を排除させたからであり、《蒼の深淵》《白面》《博士》を始末し《幻惑の鈴》や《殲滅天使》などを寝返らせたアルコーンのせいである。他に使える《執行者》はほとんど残されてはいなかったのである。

 《身喰らう蛇》が気軽に使える《執行者》は《道化師》と《劫炎》くらいのものだ。なお《怪盗紳士》は気まぐれが過ぎて使えると言えるほどの人間ではなくなっている。だからこそ《執行者》でもない《鉄機隊》のうち、機動力に優れるデュバリィが酷使される羽目になったのである。疲労で眠り込んでしまうのも無理のない話であった。

 そして屋上に上れば――そこには。

「……何で兜脱ぎ状態なんだ」

「勿論本気で行く気だからですが。……アルコーン、と呼んだほうが良いですね、我が弟子よ」

「そんな本気にならなくても……まあ、ここでわたしはあなたの弟子ではないというのも野暮なのだろうな」

 真剣な顔のアリアンロードが、その素顔をさらして立っていた。その顔には表情が浮かんでいない。怒っているのか、それとも嘆いているのか。何か大きな感情がその瞳の奥では渦巻いている。それでも平静を保っているように見えるあたりはさすがはアリアンロード、といったところだろうか。

 すっ、と槍をもち上げて、アリアンロードが宣言した。

「――決闘を、申し込みます。アルコーン・ストレイ=デミウルゴス」

「……レオンハルト、リーシャ。その三人を連れて塔から出ていろ。巻き込まれれば死ぬぞ。――受けよう、リアンヌ・サンドロット」

 レオンハルトとリーシャに警告を発してから、アルコーンはその決闘を受けた。どちらも構えるのは槍だ。しかしアリアンロードが持つものがいわゆるランスならば、アルコーンが持つそれはスピアに近い。似て非なるものである。それでも型はほぼ同じである。その形状の差異をこの二人が気にかけることはなかった。

 邪魔者が消えても、二人はまだ自然体のままだった。どちらかが動けば動く。二人ともそう思っていて、だからこそうかつには動けない。太陽の向き、風の流れ、それぞれの立ち位置と、足場。すべてを計算して、どう動けば有利になるのかを見抜く力が必要だった。実力的には当然アリアンロードの方が上。しかし、アルコーンには槍以外の攻撃手段がある。

 すべてを計算して、なおアルコーンは動けなかった。勝てないからだ。ここを乗り越えねばならないのに、アリアンロードに勝てる絵が浮かばない。彼女が全身全霊でかかってくるのならばひとたまりもないだろう。唯一勝機があるとすれば、彼女が今冷静でないことくらいだろうか。決闘を申し込んでくるなど彼女らしくないのである。

 その理由がわからぬうちに、下手に仕掛けるべきではない。そう思ってアルコーンは口を開こうとした。

「――ッ!」

 しかし、アリアンロードはそれを待っていた。言葉を発する瞬間のその隙を狙ったのである。クラフト、シュトゥルムランツァー。槍の連撃が無言でアルコーンに襲い掛かる。当然彼女もこのクラフトを習得しているため、同じ技で相殺する。柄を使って防ぎ続けるよりも、アリアンロードから叩き込まれた軌道の反対をなぞり続ける方が受け流しやすいのだ。

 けたたましく鳴る金属。それに隠れて仕込みを一つ。かろうじて出来たことは、手も足も使わずにできること――すなわち《聖痕》を使った仕込みだけだ。とはいえ目を合わせているわけでもないので暗示をかけることはできないのだが。せいぜいが床を凍らせる程度である。そして、それだけがアルコーンのとれる手段だった。相殺、相殺、また相殺。息もつかせぬ連撃に、アルコーンは冷静に対処する。

 互いの立ち位置は変わっていない。少なくともアリアンロードはそう感じていた。しかし、だ。その間合いはじりじりと開いている。アルコーンが足元を凍らせ、自分を後ろへとずらしているのだ。痛打をもらわないためともとれるが、アルコーンの目的は攻撃を受けないようにすることではない。アリアンロードに隙を作ってもらうためにそうしているのだ。

 そしてアリアンロードが眉を寄せた。気付いたのだ。自分とアルコーンとの間合いが微妙に変わっていることに。体勢も攻撃のモーションも変わっていないはずなのに、位置だけがずれている。いつの間にそんな芸当を習得したのか、と思いつつ半歩空いたその間を利用して槍を振り上げた。先ほどとは別のクラフト、アングリアハンマーを発動するためである。

 アルコーンはそれを待っていた。間が空けばそのクラフトを放ってくるのはアリアンロードのいつものパターンだったからだ。

「なっ……」

 そして、アルコーンがそこに突っ込むのがいつものパターンだった。しかし彼女は大きく飛び退ったのである。慌ててアリアンロードは軌道を修正し、アルコーンへ向けてその雷撃を放つ。塔の縁ぎりぎりまで飛び退っている彼女に当たれば、うまくいけば地上に叩き落せるだろう。あくまでも当たれば、ではあるが。それに対処するために、アルコーンはその場に槍を突き立てて横に転がった。

 雷撃は突き立てられた槍を灼き、アルコーンには当たらなかった。当然だがアリアンロードはその雷撃の結果など見てはいない。彼女の視界にあるのはアルコーンのみ。彼女が一体どういう手段をとるのかを知るために一挙手一投足に注目していたのである。だからこそアリアンロードは、転がって雷撃を避けたアルコーンが投げたナイフのようなものを弾き飛ばせたのである。

 仮に当たっていたとしても、鎧が防いだだろう。しかしその程度で牽制になると思われていたのならば甘く見られたものだ、とアリアンロードは思った。投げナイフごとき、アリアンロードには効くはずもないのである。それを分かっているはずなのだが、アルコーンはあえてその手段を使っていた。何度も何度も悟られないように、アリアンロードを罠にかけなくてはならない彼女はある意味必死だったのである。

 シュトゥルムランツァー、アングリアハンマー、投げナイフを防ぐためにアルティウムセイバー。その繰り返しだった。何度も何度もアルコーンは投げナイフを使い、アリアンロードはそれをはじき落とす。途中でそれが氷でできたものだと知ったアリアンロードはアルティウムセイバーで塔の外までその投げナイフを弾き飛ばしていた。

 それが何度も続いて、アリアンロードはついに問いを発した。

「――何を考えているのです、アルコーン」

「……わたしの問いに答えてくれれば答えよう。何故決闘などしようと思った、リアンヌ・サンドロット」

 弟子のその言葉に、アリアンロードは素直に答えた。

「貴女が指示したのでしょう? ギリアス・オズボーンを殺せと。私にとって貴女に槍を向ける理由などそれで充分です」

「なるほどな。因果を読み解けば確かに理由もわかるが……ね」

 苦笑しながらアルコーンはまたしても投げナイフを放った。アリアンロードはそれをはじき、うっそりと嗤ったアルコーンを見て身の危険を感じ、飛び退る。しかしそこはすでにアルコーンの手の中だ。刹那のうちに生えた氷のとげが、アリアンロードを刺し貫いた。無理に動けば死ぬ。しかし、おそらくはここから抜け出せなくてもまた死ぬ。

 とげを破壊してアルコーンに襲い掛かる、そう決めたアリアンロードが行動に移そうとして――

「そうそう、わたしが何を考えているか、だったか……簡単だよ、リアンヌ・サンドロット。その執着を凍り付かせる。永遠にな」

 文字通り凍り付いた。身体も動かなければ、思考も停止している。やることは簡単なことだ。リアンヌ・サンドロットとしての彼女の生きる理由を凍り付かせる。既に彼女の想い人はこの世を去っていて、二度と生まれ変わってくることはない。《塩の柱》の効果は絶大なのだ。あれは女神の恩寵などではない。消し去るべきものを徹底的に滅する殺菌剤のようなものである。ゆえに二度とギリアス・オズボーンは――ドライケルスは生まれ変わらない。

 その喪失を、アルコーンは利用することにした。どうせ彼女も《身喰らう蛇》からたたき出さねばならないのだ。そのためには、世界に問いを発するような人間でなくしてしまえばいい。この世界はあるべきか、などという問いは、只人の分際が発していいものではないのだ。アリアンロードが只人であるかどうかという問いはまた別にするが。

 アルコーンの口から詠唱が流れ、そしてアリアンロードが崩れ落ちる。部下たちの望む高潔な騎士の誕生である。これで永遠に、ドライケルスに恋した騎士は消え去った。世界を試そうなどという意思ももはや彼女には存在しなかった。この世界が存続すべきか否か、と問われても、アリアンロードはもう答えを永遠に出せないだろう。なぜならばその答えは『分からないなりに他人の行動で判断しよう』ではなく『そんなことを決めていい人間などいない』に変化したから。

 彼女はすでに『ドライケルスの騎士』ではなく、『力なき民衆のための騎士』に生まれ変わったのである。

 

 ❖

 

「良いのかい、リオ君。君の主はとんでもないことをしでかす気だと思うけど」

 そのからかうような問いを、その背に傷だらけの《特務支援課》をかばったリオは笑い飛ばした。

「はっは、《盟主》よりはまともだよ」

 リオは大剣型の法剣を振るった。当然、カンパネルラには当たらない。彼はいまここには『存在していない』のだから当然のことだ。にやにやと笑う『カンパネルラ』はただの影なのだから、攻撃が当たるはずがないのである。それでも彼女は法剣を振るうのだ。それが自身の意思を示しているから。

 カンパネルラはバカにしたように笑う。

「そういっていられるのも今のうちさ。君たちは何もわかっちゃいないんだ」

「そうやってマウント取って相手を見下すの、楽しいんだろうけどさ。箱庭のアリは箱庭でしか生きられないし、外に出たいと考える必要なんてどこにもないよ」

 それがリオの出した答えだった。なんとなく動物的なカンで答えてはいるが、それでもその言葉は本心から出たものだった。カンパネルラにはそれがわかった。ならば彼女には用はない。背後の《特務支援課》達ならばあるいは分かってくれるのかとも思うが、いまだに力不足の感が否めない彼らを《身喰らう蛇》に引き込むわけにもいかなかった。弱者には用はないのだから。

 だからこそ彼はこう吐き捨てた。

「ふぅん、じゃあ良いよ。邪魔なんてされちゃたまらないから――殺しちゃおう」

 そういって本気の幻術をリオに向けてはなった。一度でも信じ込んでしまえば灰となってしまうのではないかと思えるほどのマグマの奔流が、リオを頭上から押し流す。一応は《特務支援課》を巻き込まないよう配慮しているあたり、まだ多少の遠慮はしているようだ。しかしそれでもリオは殺せなかった。何度やっても幻術は幻術なのだから当然ではあるが、傷一つつけられないのはカンパネルラのプライドが許さない。

 だからこそ一番騙しやすそうだったノエルを騙して銃撃させてみたのだが、それもリオには通じない。

「全く……ほんっとうにそういうのだけはうまいよねえ」

「引っかからないくせによく言うよ」

「そりゃあそうでしょ。アタシが信じてるのはアタシだけなんだから」

 リオはカンパネルラに向けて本気の一撃を返した。これでカンパネルラが死ぬことはない。だが、ここから消滅させるだけの威力は確かに存在した。幻を媒介するための物体がそこに存在しなければ、カンパネルラはそこにいられないのだ。それを根こそぎぶち壊されては存在が維持できないのも当然のことだった。有から無を生み出すことはできるが、無から有を生み出すことは誰にもできないのだから。

「やる気なら本体を持ってきたら? ま、そしたら滅してあげるけど」

 そうつぶやいて、リオは力を発揮し続けている《鐘》を破壊する。こんなものはクロスベルにも、自分にも、自分の主にも全くもって必要ない。自分たちの身を守るために、超常の力に頼る必要などどこにもないのだ。それがあれば便利なのは便利なのだろうが、行き過ぎた力は争いを呼ぶのだから。あのキーアのように、身を過ぎた力は自らをも亡ぼすのだ。

 険しい顔でロイドが見ていることに気付いていながら、リオはそれに触れることはしなかった。どうせ話したところで意味はないのだ。ああいう嫌悪の目を向けてくる人間をいやというほど知っているリオは、それへの自分なりの対処法もうんざりするほど繰り返していた。要するに自分を貫き通すだけだ。そうすれば、いずれそういうものだと納得してもらえるから。

 

 ❖

 

「……どうして」

 呆然と、銀色に染まった世界で□□□はつぶやいた。改変がうまくいかない。何度やっても、届かないのだ。この先の運命を操ることができない。読めない。それが何よりも怖くて仕方がない。これではロイドたちを守ることなどできない。このままではロイドたちをまた死なせてしまうかもしれない。

「そんなの、ダメなんだから……」

 うわごとのように否定の言葉を吐き出しながら、操れる過去をいじくりまわす。一人の少女の運命が書き換えられ、力を得た。瞳に光を。その身に力を。誰かを守るための、否、誰かを殺せるだけの絶大な技を。憎しみを、怒りを、すべてを燃料にして復讐者を生む。そうすればきっと守ってくれるから。光を与えたキーアを守ってくれるから、そうした。

「お願い、シズク……皆を、ロイドを、守って……!」

 その願いはかなえられる。シズク――シズク・マクレインは力を得て立ち上がる。本来であれば目に光を取り戻すだけの少女。しかし彼女のバックボーンには《風の剣聖》がいて、悲劇的な要素をもち、強くなりたいという渇望を持てるだけの素地がある。だからこそ、□□□はそうあれかしと定めた。

 ただし□□□は忘れている。未来など、誰にでも変えられるものだということを。



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オルキスタワー攻略(S1204/12/25)

おや? シズクのようすが……


 アルコーンたちの行動により、クロスベル市から結界が消え去った。国防軍の兵士たちは民衆が恐怖に叩き込まれると思っていたが、そうはならなかった。喜びに沸いたのだ。慌てて民衆の身を守るための外出禁止令を敷かなければ、彼らは宴会でも開きかねなかっただろう。そんなことをして帝国や共和国から送り込まれてくるだろうスパイに殺されるようなことなどあってはならない。

 当然、不満は噴出した。外出禁止令さえなければ彼らは暴動でも起こしかねなかったほどだ。今まで露見してこなかった不満が、そこら中にあふれていた。これがあの不審者アルコーンのなしたことだと思えば、国防軍の兵士たちは不快でしかなかった。どんな手段でだってかまわないだろう、帝国や共和国の脅威から守られるのならば。そう思っていたのである。

 帝国も、共和国も、確かにその結界が消えたことに対してアクションを起こした。空からも、地上からも、クロスベルを攻め立てたのである。しかし、それに対抗するために出動した《神機》ともども破壊してのけた存在がいた。それは人間サイズの機械人形だったのである。彼らは誰も知りはしないが、それは《トーター》と呼ばれる存在であった。

 それを指揮していたのは――

「あら、さすがに強化しすぎたわね」

 平然とそうつぶやくレンだった。そう、あれはティータに魔改造され、さらにレンとティオで開発を進めた《パテル=マテル》の子機《トーター》だったのである。材料には贅沢にも結社謹製の《クルタレゴン》がふんだんに使われており、ゼムリアストーンも真っ青の強度を誇る。そしてある程度の自立した思考も持っているため、柔軟性も高い。

 それを見たアルコーンは複雑な顔で問う。

「レン……何だあれは」

「うふふ、ティータとレン、それにティオの最高傑作よ。良いでしょう? 《パテル=マテル》の娘たちよ」

「……何も突っ込むまいとは思っていたが、さすがにやりすぎたのではないか?」

 そうぼやきたくなるのも当然だった。あれさえいれば大抵のことは何とかなってしまう。戦力の補給など考える必要もない。このままロイドたちをどこかに下ろしてしまおうかと考えてしまう程、それらの機能は強すぎたのである。とはいえクロスベルは人間の手で解放させたい。もっと言えば、これからクロスベルの未来を担うであろうエリィとその仲間たちに解放させたいのである。それがまだロイドたちを《メルカバ》につなぎとめていた。

 一応、この事態に備えて《千の護手》ケビンがエステルたちをリベールから連れてきていたのだが、そのまま返すことになりそうだった。ティータたちをリベールに返したその足で連れてきてくれたらしいが、この戦力があれば何も必要なかったようだ。ケビンはそれだけの戦力について警戒を抱いていたようだったが、アルテリアとは決別する予定のアルコーンには何ら問題はない。

 最低限の人員だけ残した《メルカバ》を空に残し、アルコーンはロイドたちとともにクロスベルへと潜入した。といっても、タイミングが同じだけで接触する人間は違うので行動は別々になる。ロイドは離れて清々したような表情をしていたが、彼はここでついていくべきだった。少なくとも殺人を許容しないのであれば、であるが。アルコーンの目的の一つは、ここにいる《鉄血の子供たち》を殺すことだ。

 潜入してほどなくして見つけたその男に音もなく近づき、声を交わすことなく《塩の杭》製の弾丸で葬り去る。赤毛の《かかし男》は、気付いた時にはもうすでに死んでいた。結社の《第四柱》としての立場のあった彼も、早すぎる女神からの贈り物には勝てなかったようだ。レオンハルトが瓶詰にされた塩レクターを《メルカバ》に輸送し、戻ってくる。

 それを見届けてからアルコーンはジオフロントへと向かった。今のこの状況で警察関係者がいるのならばそこしかないと踏んだからだ。クロスベルの無駄遣いの省庁にして犯罪の温床であったそこは、公然と外を歩けない人間たちにとっては格好の隠れ場所にして移動手段なのだから。もちろんロイドたちもそこに集まってくるだろうが、彼らは導力車を確保しに行っているらしかった。

 そこに入ったアルコーンは、周囲から複雑な視線をもって受け入れられた。

「……お前は」

「何か言いたいことがあるなら聞くが?」

「……アルシェム、なのか?」

 またそれか。うんざりした顔でアルコーンは返す。

「放送をみていたろうに。わたしはアルコーン・ストレイ=デミウルゴス、だ。そしてアルシェム・シエルはすでに死んでいる」

「でも……」

「見てくれが同じなら別人でもそいつだと判断するのか? 警察が聞いてあきれるな。双子の犯罪者が出たらどうするつもりなんだ、え?」

 これもこれで詭弁なのだが、それで複雑ながらも納得する警察官たちは多かった。そもそも、嫌いな人間のことを深く知りたい人間などいるだろうか。そのニンゲンを陥れたいのであれば別だろうが、普通は嫌いならば嫌いなりに知ろうとはしないはずだ。情報をシャットダウンして知らないままでいる方が楽だから。どれだけ嫌いな奴が本当はどういう奴なのかを聞かされても、最初に張られたレッテルはそう簡単には剥がせない。故に警察官の中にアルシェムを深く知る人間はいないのだ。

 例外は当然いるが、その二人ですら彼女には深入りしようとは思っていなかった。ただその意思を確認するだけだ。

「……お前はそれでいいのか?」

「よくなければここに立っているはずがなかろう?」

「そうか……」

 ダドリーとセルゲイは何かしら考え込んでいるようだが、それについてアルコーンは語る言葉を持たない。語ったところで何の意味もないからだ。言葉は結果を生まなければただの音の羅列でしかない。その音の羅列を垂れ流し続けるほど無意味なことはないし、その無意味な音の羅列を聞かされ続けることほど苦痛なことは存在しないのだから。

 そこに、ようやくロイドたちが合流した。それ以外にももう一人髪の長い女を連れているようだ。

「おい、ロイド・バニングス。そいつだけは連れてくるなよ……」

「何でだよ。今は人手があった方がいいじゃないか」

「彼の言う通りではなくて? アルコーン、だったかしら。意地を張っている場合ではないでしょう」

 反駁するロイドに加勢するその女は――《泰斗流》師範代にして《ロックスミス機関》室長キリカ・ロウランだった。当然のことながら鑑賞を許すわけにはいかない存在でもある。何せ共和国の大統領と直接つながるその女に干渉を許せば、クロスベルは共和国の属州であることを証明してしまうことになりかねないからだ。当然、独立するためにそんなことを許すわけにもいかない。

 だからこそアルコーンははねつけた。

「意地を張っているわけではない。手は足りている。むしろ手が足りないのは共和国の中だろう? おうちに帰らなくてもいいのか、キリカ・ロウラン。お前がいけばあるいは内戦も収束に向かうやもしれんぞ?」

「……ッ、それはッ! 内政干渉よ、アルシェム!」

「お前がやろうとしたことと同じだろうに。あとわたしはアルシェムではない……エマ、彼女を丁重に保護しておいてくれ。これでも共和国の要人だ。勝手に出ていかれて怪我でもされてこちらのせいにされてはたまらん」

 それを聞いて捜査一課の女刑事は彼女を確保しようとしたが、キリカは抵抗したので気絶させられていた。傷のつく方法ではなかったので幸いだったが、余計な時間を取らされたことだけは事実だ。じろりとロイドを見れば、彼もまたアルコーンをにらみつけていた。せっかく見つけた協力者に何をしてくれると言わんばかりだが、残念ながら彼女に干渉させるわけにはいかないので仕方がない。

 《オルキスタワー》の攻略のためにはただ突っ込むだけではいけないので策を練る必要があったが、すでにそれはエマが作戦を立てていた。それに修正を加えればいいだけだったので早々に行動が決定する。

 まず、ロイドたち特務支援課とリオが導力車で《オルキスタワー》に突っ込む。そしてそこから彼らが内部に乗り込み、外部から押し寄せるであろう兵士たちをリーシャと自警団、そして警察関係者で押さえる。さらに残った《赤い星座》がタワーから降下してくる可能性があるので空中での迎撃にレンと《パテル=マテル》が当たる。アルコーンはどの作戦に乗り込んでもいいと言われたのでレンと同じく空中での迎撃にあたることにした。そこから侵入することもできるためだ。

 そうして作戦が始まった。

 

 ❖

 

 いつからだっただろうか。彼女が自覚したときにはすでにその目に光は取り戻されていて、世界には苦しみが満ちていた。それを自覚して最初に見たものは苦々しい顔をしている父で、おとうさん、と呼べばぎこちない笑みを浮かべて頭を撫でてくれた。しかしそれだけで、彼女が求める温もりをくれることは決してなかった。父はそのまま《オルキスタワー》から消えていた。

 否、本当は気付いていたのだ。見ないふりをしていただけだった。アリオス・マクレインにとってシズク・マクレインとはクロスベルの苦難の象徴であったのだ。それがこうもあっさりなかったことにされてしまえば困惑するのも当然のことで、顔を合わせづらい状態になっていたのも彼女にはわかりきっていたことであった。何せ自分は母サヤ・マクレインにとても似ているらしい。そんな自分が父の前に目を開いていればどうなるかなど分かり切っていた。

 アリオスは過去に溺れない。囚われはしても、その過去を変えようとは願ってはいない。次にそんな未来が起きないように行動できる人間だ。だからこそ、悔恨に身を焼くのだ。過去を変えてはならないと自身を戒めながらも、その甘い誘惑に耐えきれそうになかった。クロスベルの未来は守りたいが、そのための報酬としてもらえないと分かっているサヤの生存をも望んだのもそのためだ。先払いにシズクの目の治療を求めたのも、過去をなかったことにしたかったからではない。

 未来のためにアリオスは生きられる。それをシズクは知っているから。よく手になじむ見覚えのないはずの黒塗りの脇差をその小さな手に滑り込ませた。何度も何度もなぞり続けた父の軌跡。目が見えなくとも追い続けた、父の動きを。目が見えるようになって初めて彼女は明確に追い始めた。一振り。ふた振り。立ち居振る舞いと、呼吸と、間合いと、まなざしと。すべてを自身のものにするために。

 途中で声だけは知っていた少女が絡みついてきた。すごくおいしそうだ、と言いながら襲い掛かってきた彼女を返り討ちにしてしまってから、シャーリィ・オルランドとの鍛錬が始まった。それはたった数日の交流ではあったけれど、それでもなおシズクの糧となった。めきめきと実力をつける彼女の鍛錬にシグムントも参加してきて、それに彼女が異常を覚えるのはすぐだった。

 

そんなはずはないのだ。つい数日前まで日常の半分以上をベッドで過ごしていた自分が、猟兵たちと渡り合えるなど、有り得ていいはずがない。

 

その不安を、シズクは親友であるはずのキーアに言うことができなかった。なぜなら彼女だけが満面の笑みでシズクとのおしゃべりを楽しんでいたからだ。シズクの目が見えるようになって本当にうれしい、と。これからはもっといっぱい一緒に遊べるね、と。以前とはすっかり変わってしまった雰囲気を醸し出すキーアはそういったのだ。外見も中身も変わってしまったのに、それをさも変わっていないかのように偽装する彼女は本当に不気味だった。

あるいはシズクに不安を抱かせないようにするためだったのかもしれない。しかし、そのことが余計にシズクの心をかたくなにした。キーアにだけは言えなかった。おそらく、彼女こそが自分の目を治療してくれた人物なのだと直感してしまったから。こんな世界だというのならば見たくはなかった。それでも、こうして見えるようになってしまったのならば。

自分のうちから湧き出てくる声が、シズクを突き動かしている。『戦え』と言われている。ならば、戦わなくてはならない。それは、目に光を取り戻してくれた人のためでは断じてなかった。自分のためだ。こんな世界は見たくないから。だから、戦う。たとえそれがキーアと敵対することになったのだとしても、過去を凌辱する手伝いをしている父など見たくもないから。

だから、窓を破壊して謎の機械が侵入してきたとき、彼女はこれ幸いとそこから飛び出したのである。その階層から出ることは禁じられていて、シズクが脱出できる場所はそこにしかなかったから。父にはできる。ならば、それを模倣できるシズクにできない道理はない。そういう思い込みだけで彼女は高層ビルからの飛び降り着地を成功させた。

「なっ……」

「ああ、一体潰せてよかったです。これでだめって言われるなら考えなくちゃいけないところでした」

「いや、あの……シズクさん、よね?」

 困惑した様子の彼女が誰であるのか、シズクは知らない。しかしこの状況を打破するために戦っている人だというそれだけで、シズクには彼女を信じられる。今シズクが信頼できないのは、《赤い星座》と父とキーア。そして、マリアベル・クロイスだけだ。

背筋を伸ばし、脇差を侵入を防ぐ機械兵に向けて女性に告げた。

「お手伝いします。お父さんとあの人たちを、止めなくちゃいけませんから」

 そして――父の技を模倣した少女は戦場を駆けた。そこには、病院で弱弱しく寝ていた少女の姿はなかった。

 

 ❖

 

 誰もいない《オルキスタワー》の内部を抜け、頂上まで駆け上がったロイドたちが見たのは、大量の機械人形に囲まれたディーターと大量に散らばる何らかの機械の破片だった。どうやらすべて終わらせてしまっていたらしい。そこそこ疲弊していたので無駄な戦いにならないのはいいことだったのだが、それならばそれで最初からアルコーンがすべてを終わらせていればよかった話だ。ロイドはそう思っていた。

「……アルコーン」

「ああ、ようやく来たか。まさか《トーター》がここまでやれるとは思っていなくてな……」

 その疲れた笑みはやはり以前と同じで、本人ではないと何度も否定しているのに彼女がアルシェムであるとロイドに認識させる。それに眉を動かしたアルコーンはディーターを捕縛している《トーター》に指示を出して連行させた。

 そしてロイドたちとともに動いていたリオに声をかける。

「リオ、準備は」

「万全。後は脱出するだけだよ」

「ならば脱出――する前にあちらからアクションを起こす気のようだな」

 そういって視線をロイドたちから離したアルコーンは空中をにらみつけた。もちろんロイドには彼女が何をにらんでいるのか分からないので困惑する。何を準備させていたのか知らないが、脱出しなければならないようなことをリオにさせたのだろうか。もしそうだとするのなら、ロイドはますますアルコーンを軽蔑するのだが。もはやロイドの中ではアルシェムもアルコーンも仲間などではない。敵ではないが味方にはしたくない人間である。

 そんな彼女の視線の先で、映像が浮かび上がった。どこかに投影機があるわけでもないのに浮かんでいるその顔触れは、確かに敵だった。

『あらあら、お父様ってばそこまで無能だとは思いませんでしたわ』

「マリアベルさん、それに、イアン先生……?」

 しかし、ロイドは気付けてはいなかったのだ。一人意外な人間が混ざっていて、彼がそこにいることに違和感すら覚えていた。だからこそ無理やりに協力させられているのかとも勘違いしそうになったほどだ。しかし、彼の瞳に浮かんでいるのは紛れもない現状に対する怒りで。アリオスと同じ怒りを抱いていることが容易に見て取れた。

 その映像に気を取られている隙に《オルキスタワー》が変形する。まさかこの建物も巨大機械人形になって動き始めるのかと勘違いしかけたが、すぐにそうでないことに気付いた。ただ人であるロイドにも気づけるほどの力の奔流。クロスベル市内からかき集められたそれは、南の湿地帯の方へと導かれていく。この力の感じはどこかで――と考え、否定した。そんなことがあるはずがないのだと。

 マリアベルの顔面映像は嘲笑するように言った。

『それと、貴女も分からない人ですわね? そんなことをしたって偽物は偽物ですのに』

「お前も分からん女だ。そんな偽物を失せ物の代わりにしたって、本物には劣るというのに……ここから力をかき集めねばならん時点で劣化版にすら劣るとなぜ気づかない」

 嘲笑に嘲笑を返したアルコーンの顔は見えない。ロイドは彼女の後ろに立っているからだ。しかし、この行為が何をしているのかはなんとなくわかった。あの時と同じだ。キーアを無理やり『使う』ための儀式。それを止められないことに怒りを感じ、それを止められるはずなのに止めようとしないアルコーンに対しても怒りがわいた。

『ご先祖様の最高傑作を侮辱するのは許しませんわよ?』

「許す? ああ、心にもないことをいうものではないぞ。どうせお前はお前の欲望にしか興味を抱けないくせに」

 戦意が高まっている。しかし、どこにいるのかはわからないまでも距離が開いていることは確かで、だからこそここで闘いが始まることはない。今、話もできないほどの激しい戦いが起きないというのであれば、ロイドには知りたいことがある。

 その問いをロイドはマリアベルにぶつけようとした。

「マリアベルさん、どうして貴女はキーアを……」

『うふふ、ロイドさん。気に食わないけれど、エリィともども貴男もこちら側に来てはどうかしら? 貴男には動機もある。力もある。答えは――いずれまた』

 そういい捨てたマリアベルの顔が消える。その他の面々の顔もだ。そのころには南の湿地帯に異変が起きていて、そこに碧い大樹が生えていた。ロイドには、それが一瞬キーアに見えてその考えを必死に振り払うことしかできなかった。あれがキーアであるはずがない。優しく、可愛く、誰にでも好かれるはずのキーアがあんな不可思議な大樹であるはずがないのだ。そう自身に言い聞かせることしかできなかった。



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解放のクロスベル(S1204/12/27)

 結界と国防軍から解放されたクロスベル市は沸いていた。ようやく救世主が現れたからだ。それが誰に似ていようが何の問題もなかった。彼女は約束したのだ。クロスベルを解放すると。未来をもたらしてくれるのだと信じた。刻一刻と迫るだろう戦争の気配を、彼らもまた感じ取っていたのである。いつ帝国と共和国が襲い掛かってくるかもしれない恐怖は、いくら結界に囲まれていたとはいえ消えるものでもなかったのである。

 外出禁止令が出されていて家の中にこもっていた市民たちは、市内に残されていたモニターに映像が映るのを見た。

『真昼間の外出禁止令は解除だ、解除。お待たせして本当に申し訳ない。つい先ほど――不用意にクロスベルを危機に陥らせたディーター・クロイス大統領を拘束した。市内を巡回している国防軍を排除した機械人形も見えただろうが、もう安心していい。行動の自由を制限しているものはなくなった』

 そう映像の中のアルコーンは言った。それを信じ、市民たちは鬱屈した生活から抜け出したことを謳歌するように次々に家から飛び出した。しかしそこにいたのは機械人形だった。もちろんそれにひるむ人間もいたのだが、その機械人形がしゃべり始めれば別だった。

「困っていること、頼りにしたいこと、言いたいこと。全部全部アルコーンに伝える。何かあれば自警団か私達《トーター》にどうぞ」

 それに対し、今までの不満やら何やらをぶつける人間もいた。機械人形に関する恐怖を語る人間もいた。これからの不安を語る人間も、未来への希望を語る人間もいた。それらすべての意見はアルコーンに届けられ、直接的にでも、間接的にでもそれに関する答えが返された。すべてを聞き届けるのは本来であれば無理だが、そこはアルコーンが自身のスペックをフル活用してどうにかしていた。

 今までの生活に関する不満に関しては解放が遅れたことへのお詫びと精神的なケアができる人間を派遣してくれた。機械人形が怖いと言えばそのニンゲンのいる範囲には自警団が派遣され、視界に機械人形が極力映らないようにしてくれた。これからの不安を語る人間には将来的な展望を語り、不安の種を解消していった。未来への希望を語る人間には、その希望がかなえられるよう最大限の努力をすることを約束した。

 勿論今までの《特務支援課》の活動を望む人間もいて、それらの対応にロイドたちは駆り出されることになった。必要なものすべてを用意することはできない。それでも、その希望を彼らの希望に沿うような形でできうる限り叶える。帝国や共和国の侵略行為に関しては、国防軍も含めすべて誰の目にも触れないよう《トーター》が処理していた。それでいて東西南北の主要地点にも《トーター》を派遣できたあたり、どれだけ張り切ってヨルグが増産していたか分かろうというものだ。

 とはいえそれだけをしていられるわけでもない。解放してから二日はその対応に追われていたが、三日目にようやく人心地付けた。

「さて、こうしている場合ではないと言いたげな顔を市民に晒しまわってくれた粗忽者のロイド・バニングス」

「その言い草はどうかと思うんだが……」

「ならば市民に不安を振りまくような不景気な顔をするな。市民からの陳情の二十七パーセントがお前を心配する内容だったぞ」

 うぐ、とロイドはひるんだような顔になった。しかし、それでも譲れないものがあるのだ。代わり映えのしない碧の大樹にキーアがいる。早く助けに行かなくては、心細くて泣いているかもしれない。不安で泣いているかもしれない。それはキーアの保護者となりたいロイドとしては許せることではなかった。早く守ってやりたいのだ。

 そしてアルコーンもあまり長い間キーアたちを放置しておく気はなかった。なぜなら、毎日不定期に悪寒が襲うのだ。歴史を改変しようとしているのは明白であり、それを止めるのにアルコーンが腐心し続けられるのもそう長くはない。押し切られる改変が全くないと言えば嘘になるくらい、彼らは過去を変えようとしているのである。

 だからこそ、アルコーンは動くことに決めた。

「しばらくの対応はレオンハルトとカリンに任せれば何とかなるだろう。自警団も《トーター》もおいていくからな」

「……じゃあ!」

「全員の準備が終われば来い。《メルカバ》で奴らのところへ乗り込む」

 ロイドは分かった、と返答して市民への対応へ当たっている《特務支援課》を集めにかかった。アルコーンもアルコーンで、従騎士たちを集めるために動くことにした。まずは市民たちの気分を上げるために辻興業をやっている《アルカンシェル》の一同のところへと向かうつもりだ。そこにリーシャとレンがいるはずである。

 ちょうど住宅街に彼女らはいた。

「リーシャ、レン」

「アルコーン!」

 喜色満面で振り返ったリーシャに苦笑したイリアは複雑な顔でつぶやいた。

「……行くのね」

「無事に返すから心配するな、イリア・プラティエ。市民たちの気分転換を請け負ってくれたことに感謝する」

「別にあんたのためじゃないのよ。あたしがやりたいからやってるの。これがあたしの戦いよ」

 そういう彼女の顔には誇りが浮かんでいた。その周囲に集まる役者たちも彼女の意思に共鳴して集まっており、同じ誇りを胸に抱いていた。そんな彼らの活躍で、今では家に閉じこもってばかりの人間を誘い出せるほどの効果を出している。どこでやるか分からない辻興業を見るために外に出れば、自然と交流が生まれる。話が聞ける。不満も、希望も、何もかも。それをアルコーンはすべて聞けるよう努力していた。

 だから、イリアの願いもアルコーンはかなえる。

「だから、リーシャをお願い。ウチの看板役者なのよ。帰ってこないなんて皆が許さないわ」

「分かっている。……リーシャを失うより前にわたしが死んでいるからそこは安心しろ」

 そう返せば、イリアはぺしっとアルコーンの頭をはたいた。

「バカじゃないの、そんなんで安心できるわけないでしょ。あんたも無事に帰ってくるのよ」

「……まったく、敵わんな。叶えてみせようその願い。任せろ」

 苦笑してアルコーンはその願いを聞き届けた。そしてリーシャとともに作業に没頭しているレンに近づく。レンはそれに気付いてはいたが、目の前の子供たちに話しかけることで精一杯のようだ。彼女は《結社》で得た技術を駆使して、いつでもどこでも演出ができる手品を子供たちに伝授したのである。もちろん悪用はさせないようにしているが。

「……よし、これでいいわね。覚えたでしょ? これであなたたちも未来の《アルカンシェル》スタッフよ!」

「わーい!」

「ようし、頑張るぞー!」

 はい解散、といったレンは子供たちの群れから抜け出してアルコーンに付き従った。いつでも準備は万端だったらしい。二人の間に言葉は必要なかった。いつでも行ける。それを知ったアルコーンはリオを探しに行くことにした。通信機を使ってもいいのだが、今は街の雰囲気を知るために少しでも歩いておきたかったのである。歩くたびにかけられる声を聞き、不安を解消し、未来に山積する課題について語り合う。それは『アルシェム・シエル』ではできなかったことだった。

 と、そこにいつの間にかリオが混ざっていた。

「準備は万端。いつでも行けるよ」

「では行こう。そろそろ懸念事項はなくしておきたいしな」

 リオもまた、準備は終わっていたようだった。おいていく面々には軽く声をかけ、ロイドたちと合流して《メルカバ》へと向かう。そのころにはすでに夕方になっていたがそれでも彼らは止まりたいとは言わなかった。キーアが待っているのだ。早く迎えに行ってやりたかったのである。

 と、全員が《メルカバ》に乗り込んだのを確認したところでロイドは一人多いことに気付いた。

「……あれ?」

「どうかした? ロイド」

「いや、見間違いかな。シズクちゃんがいた気がしたんだけど……」

 気のせいだ、で済ませるにははっきりと見えていた。しかもロイドが見ている彼女は前と違ってきちんと焦点を合わせ、力強い意志をその瞳に宿して刀を腰にさしている。そしていつものカーディガンにスカートといったいでたちでもなく、どこから調達したのか自警団のまとっていた青いコートを羽織っていた。そこまで確認してそれが気のせいでも何でもないことに気付く。

 シズクは苦笑してそれに返答した。

「気のせいじゃないですよ。私も行きます。父を止めたいですから」

「いや、でも……その、この先戻ってこられるか分からないのに」

「一応父の技は模倣できます。それに時間があるときはレオンハルトさんに鍛えてもらっていたので」

 その言葉に、レオンハルトの強さを知る面々は顔をひきつらせた。そもそも弱すぎる人間であればレオンハルトの鍛錬についていくことすらできない。打ち合うことすらできないはずだ。しかし、彼女はいま鍛えてもらっていたといった。つまり彼と渡り合えるだけの力はあるということで、彼女の身に起きたことを否が応でも自覚させられた。

 ロイドもまたおぼろげながらレオンハルトの強さは知っており、この非常時に戦力は多い方がいいのでシズクを受け入れた。ただし危なくなれば返すという約束だけはしてある。その《メルカバ》の外はある意味では危険地帯だったのだが、それをロイドが知ることはなかった。

 碧の大樹にたどり着くまでに、《赤い星座》の飛空艇は《パテル=マテル》を筆頭とする《トーター》達機械人形に全滅させられていた。猟兵たちも同じように殲滅されていたが、それでも引かないあたりここで玉砕する覚悟を決めたか、あるいはシグムントに何らかの目的があったのだろう。捨て駒であることを理解してはいなさそうだったが、とにかく相手方の戦力をそぐことには成功していた。

 そしてたどり着いた先には一本の道と、それをふさぐように置いてある《門》があった。それが求めている人間しかくぐれないらしい。それが求めているのは――

『早く来ないかなあ。楽しみだよ……リーシャ。楽しみだよお姉さん。ねえ、楽しく遊ぼうよぉ!』

 シャーリィ・オルランドの求める強者のみ。一応《門》の外での警戒と《メルカバ》の警備のために人員を割くことにして、アルコーンは組み分けた。《メルカバ》の守護はレンとリオで。そして《門》の守護はロイドとエリィ、そしてノエルで。中に入るのはリーシャとランディ、シズク、アルコーン、ティオといった組み合わせだ。当然ではあるが、アルコーンはロイドを信用していない。ゆえに決して《メルカバ》の守護に《特務支援課》だけで当たらせることもないのである。

 そして五人はその《門》へと足を踏み入れた。

 

 ❖

 

 シャーリィ・オルランドは待ちわびていた。強い人間と戦いたいとずっと願い続けてきて、それが今ようやく叶うのだ。その機会を与えてくれたキーアには感謝している。しかもうまくいけばランディを取り戻せるのである。彼女にとって闘いとは生きることそのものである。それを得られるうまい機会を、彼女が逃すわけがなかった。

 彼女は生まれたときから闘争の中に身を置いていた。生まれ出づるそのときでさえ、彼女は戦場にいたのである。シグムントが選別した、強い母体から生まれた娘。いずれは伯父バルデルを超えて《闘神》となるべく育てられた鬼子。その異常な精神を培ったのも、情緒を与えたのも、彼女のすべてを形作るものは戦場の中にあったのだ。

 そもそもシャーリィの母親シャールは戦場でシグムントに出会っている。同じ猟兵として闘い、好敵手となり、そして好き合うようになった。強くなければ出会えなかったのだ。愛し合うこともなく殺し殺されていたはずだった。そしてその強さゆえに出産という弱いところを狙われ、殺された。シグムントに守れたのは生まれて間もないシャーリィだけだった。

 だから、シグムントは娘に強さこそ絶対だと教え込んだ。強くなければ興味を持てないように思考を誘導した。娘に死んでほしくなかったから。愛した女のように、殺されてほしくなかったからである。おかげで闘いこそすべてであり、強さこそが世界の絶対的な基準だと思い込んだ狂った娘が誕生した。それを異常だとシグムントは思わなかったし、むしろ好都合だと思っていた。

 そうして何よりも闘争を好む娘が出来上がり、無謀にも五人と戦うことになっている。

「うわあ、シズクも来たんだ。これは楽しみだよ!」

 喜色満面でそう告げたシャーリィに、シズクはいともあっさりとこう答えた。

「あ、別に私は今戦わないよ、シャーリィちゃん。弱い者いじめをしたいわけじゃないし」

「え?」

「そうだな。数の暴力はやめておいた方がいいもんなあ?」

 ランディがにやりと笑ってそう付け加えた。シャーリィは困惑することしかできない。もちろんこれも作戦のうちである。今から全力で戦っていては、今後に支障が出る可能性がある。ならば今は少しでも力を温存しつつ少ない労力で戦うべきなのだ。五人で入ってきたのは、サポートが必要になった時にすぐに手助けするためだ。今ここで戦うのは、シャーリィが執着しているリーシャだけである。

 にこりと笑ってリーシャはシャーリィに告げた。

「何でしたっけ。本気の私と戦いたいんでしたよね? どうぞお好きに。そうできるだけの強さが貴女にあるとも思いませんけどね」

 冷たい笑みだった。それで怖気づく――というわけでもなくシャーリィは怒りを覚えた。侮られている。それだけは、許してはおけないのだ。シャーリィは強くなくてはならない。そうでなければ、父はシャーリィを見てくれないのだから。

 思考が切り替わる。目の前の生意気な女を処分するために。

「ふーん。ナマイキ。じゃ、サクッと殺っちゃうね? 後悔しても知らないから」

 そしてシャーリィが襲い掛かったのは、その場で一番弱そうな人間だ。見た目にも貧弱なティオである。もちろんそれは間違いで、ティオは一瞬のうちに目の前に迫ったシャーリィに何もする必要を感じなかった。既に彼女は臨戦態勢だったからだ。虚空から機械の腕が生え、シャーリィを薙ぎ払う。彼女もまたそれを野性的なカンで避け、ティオの体があるはずの場所を薙いだ。

 しかし、その時にはすでにリーシャ以外の人間はシャーリィから離れた場所へと移動を終えていた。ティオもまた虚空からにじみ出た機械人形に搭乗し、飛翔してその場から離れていたのである。大きく薙ぎ払った影響で体勢が崩れたシャーリィにリーシャの鉤爪付きの鎖が巻き付き、リーシャの元へと引き寄せられる。

「うわあ、とってもずるい戦法! いいねえ! 楽しいよリーシャ!」

「戦いは楽しむものではありません。だからこそ――早めに終わらせてあげます」

 引っ張られる勢いに任せてシャーリィは体勢を立て直し、ブレードライフルを振りかぶる。しかしリーシャはそれを待ち構えることなく大きく避けた。鎖がたわみ、シャーリィは地面に足をつけてブレーキをかける。そこにリーシャは大剣を叩き込んだ。避けようのない一撃。もちろんシャーリィも油断することなくブレードライフルを自身に引き付けていて、その大剣を受ける。

 瞬間。

「爆雷符!」

 声とともに爆発が起き、地面を踏みしめてリーシャの大剣を防いでいたシャーリィはもろにその衝撃を食らった。軽く歯を食いしばってその衝撃に耐えるシャーリィ。しかし、その爆発とともに後ろに跳んでいたリーシャはまだぎりぎり巻き付いたままだった鎖を思い切り引っ張っていた。当然、体勢を崩したシャーリィにそれをどうにかするすべはない。

 鎖に振り回され、たまらずシャーリィは声を上げる。

「へあっ!?」

 そして目の前に迫るのは剣の柄だった。体勢を整える暇すらない。それが脳天に直撃して、シャーリィは後ろ向きに倒れた。頭蓋骨が割れるんじゃないかというほどの衝撃ではあったが、そこはプロである。衝撃だけを与えて脳みそをシェイクするだけにとどめたようだった。もちろんえげつない技であることは間違いない。生け捕りを目的とした技だった。

「安心してください、柄です」

 さらっというリーシャだったが、柄だからなんだというのか、とシャーリィは思った。この衝撃、この威力。一歩間違えば召されていたことは間違いない。むしろまだ死んでいないことにシャーリィは疑問を抱いていた。今の一撃なら、何もできないまま殺されていてもおかしくはない。今も動けないのだ。なぜリーシャは自分を殺さないのだろうか。

 朦朧とした意識の中でシャーリィは問う。

「何……で、殺さ……ないっ、の?」

「意味のない殺しはしないんです。ましてや、貴女のような可哀想な人間を殺すための手はもう持ち合わせていませんので」

 可哀想。その言葉が自分の中でリフレインして、シャーリィは唐突に怒りにとらわれた。そんなことを言われたのは初めてだった。憐れみを向けられたのは初めてで、その目は本気でシャーリィのことを案じていた。それが無性にいら立って仕方がない。憐れまれるようなことは一切ないと彼女は信じていた。ましてや、殺し屋風情にそんな目を向けられることなど想像もしていなかったのである。

 感情のままに、本能のままにシャーリィは立ち上がった。

「……せ」

「まだ立ちますか……」

「取り消せ……あたしは、可哀想なんかじゃない……生まれたときから殺しのことしか教えられてないあんたにだけは言われたくない……!」

 それはリーシャの琴線にも触れたようだった。しかし彼女は冷静なままだ。リーシャとシャーリィの境遇は、おそらくそうは変わらないはずで。だからこそ同族に憐れまれるのが一番いら立つのである。

 そして一撃。同じ衝撃を受けて、シャーリィの意識は闇に沈んだ。最後に聞こえた言葉には、何も反論できなかった。

「もし貴女もそうだとするなら、やはり可哀想ですよ。戦うよりも大事なものを、見つけられていないんですから」



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門番たち(S1204/12/29)

 駆け足気味。


 《門》から出されたアルコーンたちは、一度《メルカバ》に戻って休息を入れた。そして夜が明けてからもう一度《門》へと向かう。そこにあったのはまた別の人物が番をしている《門》で、そこで待ち受けているのはどうやらシグムントであるらしかった。ゆえにアルコーンはまた人員を振り分けた。今度は《メルカバ》の守護はティオとリーシャ、シズクで。そして《門》の守護はアルコーンとエリィで。中に入るのはランディ、リオ、ロイド、ノエル、レンといった組み合わせだ。

 シグムント相手に全力で向かう必要はあったのだが、アルコーンの体調が少し思わしくなかったので外れさせてもらった。それもこれも大樹を通して干渉してきている存在がいるからなのだが、それを説明するわけにもいかない。とはいえロイドたちからは何も言われなかったので説明する気もなかった。

 ロイドたちを見送り、《門》にもたれたアルコーンは目の前に出てくる殺意満々の魔獣をにらみつける。

「昨夜はこんなの出なかったのに……」

「あちらさんはわたしを殺したいのさ。分かりきったことだがね。とはいえ――無駄なことだが」

 嘆くエリィは、アルコーンが何をしたのか分からなかった。ただ目の前の魔獣がいきなり細切れになって死んだという事象しか認識できなかったのである。アルコーンの手には剣のような何かが握られていた。それが振るわれた結果そうなったらしいが、どう見ても届く間合いではないはずだ。目を眇めてその剣を観察してみれば、それが法剣であることが分かった。

「本当に芸達者よね……それ、使うの初めて見た気がするわよ? 確かだいぶ癖があって扱いにくいんじゃなかったかしら」

「わたしはそういうふうにできてるのさ。しかしよく知っていたな?」

「ああ、それはリー……いえ、何でもないわ」

 人名を出そうとしたエリィは、口止めされていることを思い出して口をつぐんだ。しかしそれはアルコーンには通じなかったようだ。

「……ふむ、シスター・リース・アルジェントと知り合いだったか。ならば知っているのも道理だな」

 それに思わずエリィは突っ込んだ。まさか少し気の合う友人がアルコーンとも知り合いだとは思いもしなかったのである。

「待って、ねえ、どれだけ交友関係広いのよ」

「それなりに、と言っておこう。おそらくこの事態にかかわらなくてはならない全員と面識は作らされていると思うぞ」

 鼻で笑ったアルコーンの言葉をエリィは冗談だと思いたかった。しかし、それを冗談だと笑い飛ばした結果が『アルコーン』だ。仲間だと思っていたアルシェムは死に、利用し利用される関係にしかなれないアルコーンと再会して理解した。たとえそこに何が絡もうと、彼女は目の前にある真実を述べている。特に信じられないようなことを言っているときは基本的に真実なのだ。

 とはいえエリィは一つ確認しておきたいことがあった。

「……まさかお母様とまで面識ないわよね……?」

「ディアナ・マクダエルか? さすがにないぞ」

「何で名前まで知ってるのよ……」

 頭を押さえ、母の情報まで知られていることに頭痛を覚えたエリィだったが目の端に魔獣が見えて気を取り直す。ロイドたちが戻ってくるまで、エリィは微妙に考えこみながらアルコーンの支援をするのであった。

 

 ❖

 

 そこはまさに地獄のようだった。戦うことでしか自身を証明できない狂った鬼が、猛威を振るっていた。ロイドを跳ね飛ばし、ノエルを地面にたたきつけ、ランディとリオを同時に相手取る。レンが支援をしていなければ、とうの昔に戦線は崩壊していただろう。ここまでに積んでくるべき経験が圧倒的に足りていないがゆえに、ロイドとノエルはそこに立つに値しないのだ。

 ゆえにその二人が足手まといとなり、周囲に気を遣わねばならないランディとリオの二人であっても攻め切れていないのである。

「オラ、どうした? オレを倒すんじゃなかったのかァ?」

「うるせえ。黙ってな……っとあぶねえ」

「きっついね……こりゃきっついわぁ」

 また攻撃がノエルの方に逸れる。それを防ぐために位置取りを変えさえられ、リオがそのフォローに回る。先ほどからずっとこの繰り返しである。回復のアーツが飛んでいなければとっくの昔に終わっていた。もちろん敗北で、だ。今も粘り続けていられるのは、最初からレンが支援に徹していることに尽きる。ロイドたちをかばいきれなくなった時が恐らく最後だ。

 とはいえオーブメントが動かなくなればそれも終わる。それがわかっているからこそシグムントもレンのオーブメントを狙っていた。

「オラぁ!」

「チッ……乙女に襲い掛かるとかさいってーね、この中年オヤジ!」

 レンがらしくもなく焦ったようにそう叫んだ。それもそのはず、シグムントがようやく本懐を果たしたからだ。レンの《ENIGMAⅡ》は破壊され、もう二度と使い物にはならないだろう。それはレンが周囲の援護ができなくなることを意味していた。だからこそレンは行動を変えねばならなくなり、さらに突っ込んできたシグムントから距離をとれない。

 間合いに入った。それを認識したシグムントがにやりと笑って告げる。

「その物言いはやめろ、刻むぞ」

「あら残念ね。もうレンは刻み終わってるの。この十字架が消えるまで、レンは戦い続けるって決めてた、わッ!」

 そのレンに向けて振るわれた斧は――空を切った。

「何?」

「あはっ、鬼さんこちら、手の鳴る方へ」

 パン、と柏手を打つ音が、十二か所から響いた。シグムントは周囲を薙ぎ払うついでに音の位置を確認してみれば、そのすべてに同じ姿、同じプレッシャーを感じるレンがいる。分け身にしては妙だ。あのクラフトは、自身の劣化コピーを地脈の力を利用して出現させるものであり、全くの同じ存在が複数出現するなどということはあり得ないのである。しかも十二体も出現するのはどう考えてもおかしい。多すぎるのだ。

 しかし考えても仕方のないことだ。どうせ何かのからくりはあるのだろうが、全員をつぶせば済む話なのだから。それを認識してシグムントは一点集中から周囲の殲滅へと切り替えた。薙ぎ払われる周囲のレンたち。しかし、そのどれもが超絶技巧を持つ元《執行者》である。そうやすやすとは狩られてはくれない。当然それが狙いなのだから当然だ。

 レンはくすりと笑ってシグムントに忠告する。

「あらあら、力押しね。でもあんまりお勧めしないわよ?」

「抜かせ。どうせそう長くはもたねえだろう?」

「どうかしらね」

 くすくすと笑ったレンはシグムントを翻弄し始める。もちろんこれはおとりでしかなく、崩壊しそうだった戦線を立て直すための大技である。その種は簡単だ。アルコーンの作成した《LAYLA》である。あのオーブメントにはそういう分身を作る力があるのだ。もっとも、本体と同質ではないが。最初からシグムントの視界に入っていたレンは全員分け身である。本体は最初から隠形で隠れ、機をうかがっていた。

 とはいえここまで早く戦線が崩壊するとも思っていなかったため、この大技でロイドとノエルを一か所に固めるのが精いっぱいだった。この大技を発動してからこっち、ランディとリオのフォローは全くできていなかったのである。もちろん攻撃しかしていなかったこの二人には《ENIGMAⅡ》の余裕があるので今のうちに回復もできる。

 とはいえそうやって時間を稼いでもらっているうちにリオがしたのはレンと同じく分け身を増殖させること。そしてランディがしていたのは少しばかり悪辣な仕込みをしたSクラフトの準備だった。一度は大技を叩き込んで疲弊させなければどうしようもない状況に陥りかねないのだ。ロイドたちがここまで足手まといになるとも思っていなかったので当然と言えば当然か。大技の後の隙は劣化リオ達が何とかする予定である。

 そして。

「悪いが叔父貴、強引にいかせてもらうぜ」

「ほう? 今ここでそれは悪手だろう。性根だけでなく技すらも腐ったか?」

「抜かせ」

 不完全ながらもシグムントに直撃するランディのSクラフト。その後の隙を埋めるように怒涛の劣化リオ達のクラフト、インフィニティ・ホークの乱舞。物量で攻められればさすがのシグムントも足を止めて防御に徹するしかない。ランディが体勢を立て直した時には、シグムントは浅く皮膚を切り裂かれた状態でなお立っていた。この程度ではまだ倒せないのは分かってはいたが、それでもまだやらねばならないことに辟易とする。

「おいおい、流石に膝位はついてほしいもんだぜ」

「《戦鬼》を舐めるな、ランドルフ」

 にやりと笑ったシグムントは――身の危険を感じてその場を飛びのこうとして、失敗した。身体が思うように動かないのだ。

「何? ……おいランドルフ、テメェ何しようとしてやがる」

「何って、麻痺毒喰らった時点で想像つきそうなもんだが?」

「いやそっちじゃねえ」

 しかしシグムントが何よりも注目したのはその手に持っている細長い何かだった。遅まきながら先ほどのランディの武器に麻痺毒が塗られていたのは不本意ながらまあ理解した。しかし、今ランディが持っているのはシグムントの想像したものとは違う。シグムントの記憶が正しければ、ランディの持つあれは金属製のケーブルだったはずだ。それをもってにじり寄ってくるランディ。色んな意味でシグムントは危機を感じた。

「おいちょっと待て、こら、おい――」

「ロイド直伝の捕縛術だ。ありがたく喰らっとけ、叔父貴」

 凄惨に笑いながら、ランディはシグムントを縛り上げる。こういうからめ手を使わなければ打倒できなかったことは遺憾だが、ここで負けるわけにもいかなかったので致し方ないことだろう。自分でしたことながら、あまりの光景にランディはそっと目をそらした――シグムントの緊縛から。

「目をそらすなァ!」

「解決。もう無理。いやー疲れたなぁ!」

 はっはっは、と笑いながらシグムントを引きずり、ランディは撤退することを選んだ。これ以上戦ってなどいられない。何よりも仲間が限界だった。だから、ランディはそうやって強引に事を終わらせることにしたのだ。できれば真正面から打ち破りたかったが、鈍っていたカンは戻らなかったらしい。ならば、できるすべての手を使ってでも事態を終わらせる責任があった。自身の死など考えない方法で。その結果がこれである。

 そんなランディの脳裏にある言葉は一つだけ。『ランディが死んでも、わたしは消えちゃうよ』と言った『アルシェム』の言葉。もう二度と失いたくはなかった。だから、自分が死なない方法でシグムントに打ち勝つ方法を考え、最低で最悪の方法であっても実行に移した。過程はどうあれシグムントは打倒できたのだ。今はそれでよしとしておくべきだった。

 

 ❖

 

「何故……お前が来る。たった一人で、こんなところにまで迷い込めるはずがない」

「何で来ないと思うの、お父さん。私はお父さんの娘だよ? うぬぼれかもしれないけど、お父さんがここにいるのは私のせいだから――だから、止めに来たの」

 鎖が大地を戒める。その、戒めだらけの空間の中央で、黒い髪の二人が相対した。手には刀。その身にはコートをまとい、時折吹く風に髪を揺らしながら、顔立ちがあまり似ていない二人は相対していた。その鋭く痛々しい気配だけはどちらも似通っていて。それだけで二人が同じような環境にいたことがわかる。一人は傷を負わされたものとして。もう一人はその傷を許容させられたものとして。そうであるのにその二人の主張は悲しいくらいに食い違う。

 『お父さん』――アリオス・マクレインは柄には手をかけているものの、刀を抜き放つことができない。当然だ。この計画を邪魔する人間は何者であれ斬ると決めていたとはいえ、目の前にいる娘はこの計画に協力する動機そのものだ。その彼女が刀を抜いてこちらをにらみつけている。彼女のために始めたことのはずなのに、その彼女はそれを否定するのだ。

「お前は……だが、それでいいのか? お前の目から光を奪い、母を奪った人間が憎くはないのかシズク」

「憎い。そう答えればお父さんは満足するんだよね。でもね、別にそう思ったことはないんだよ? 不幸な事故を憎んだところで、起きたことは変わらないんだから」

 当然だ。普通であれば過去は変えられない。そして、変えてはいけないものだ。どれほどに恥ずべき過去があったのだとしても、それが今の自分を形作っている。その事実を消すことはできない。受け入れて先に進まなければ、いつまでも止まったまま。過去の奴隷になり下がるだけなのだ。そんなことをシズクが受け入れられるわけがなかった。

 しかしアリオスは言い募る。

「変えられる。変えられてしまうんだ、シズク。だから――」

「だから一緒に来てほしいの? お父さん。バカにしないで。不幸な事故を、『私』を増やしたいだなんて思うわけないじゃない」

「だがシズク、お前は――」

「私はキーアちゃんを止める。お父さんを止めるのはついでだけど、止めてほしくないんだったら力ずくでも取り押さえればいいじゃない」

 そして一歩。シズクはアリオスも認知できないほどの速度で足を踏み出した。それに気づいたアリオスは反射的に刀を抜き放ってしまっていた。目の前にいるのはここにいる理由そのもののはずなのに、その彼女を排除しなければ計画は失敗してしまうかもしれない。矛盾だった。しかし、それならばそれで傷つけないように取り押さえればいい話で。

 その思考が甘かったことを、アリオスはたったの一合で思い知った。

「ぬっ……!?」

「私ごときを止められないんだったら、お父さんは何も変えられないよ」

 まるで少女とも思えぬ膂力にアリオスは瞠目する。そして切り替えた。娘の形をした敵だと、自身に言い聞かせようとした。取り押さえて協力させるまではいかなくとも、目が見えるようになったという現状を変えられてしまっては困るのだ。せっかく見えるようになったのだから、いろいろな世界を見て健やかに成長してほしかった。

 なのに、シズクはその生き方を選んでくれない。

「どうせ私の顔を見に来てたのも、その『過去を変える』っていう気持ちを固めるためで私のことなんかまるで見てなかったくせに!」

 激情とともに叩き付けられる一撃。それは確かにアリオスの心を打ち付けた。事実ではないと否定したかったが、心のどこかにその気持ちがあったことをアリオスは否定できないのだ。

 だから反駁も満足にできない。

「それは――それは違う、シズク! 私は――」

「違わないでしょう? 私の顔を見たいから来てたんじゃないもんね、お父さん。あまり来てくれなかったのは、顔を合わせたくなかったからでしょ?」

 そこでようやくアリオスは自分から反撃に出た。それを愛娘が受け止められないとは、なぜか思わなかった。本気で打ち込んでしまうのはおそらくそれを同等の敵だと認識してしまっているからで、それでも反応して見せるシズクは化け物じみている。実際過去をいじくりまわされた彼女はもはや人外レベルの強さを手に入れてしまっていて、この先どんな陣営に目をつけられてもおかしくはない。

 その反撃の合間にアリオスは自分に言い聞かせるように叫んだ。

「そんなはずがないだろう! 私は……私はお前を愛している! だから忙しくても――」

「その忙しいのだって自分で忙しくしてるだけのくせに! ミシェルさんが教えてくれたよ!? お父さんは何でもかんでも自分で引き受けすぎなんだって! もっと別の人に任せちゃえばよかった! そうすれば忙しすぎて会いに来れないなんてことなかった!」

「それは――っ」

 鈍く金属がぶつかり合う音がした。激情がそこにたたきつけられていて、その感情で刀が砕けてしまわないのが不思議なくらいだった。

「言い訳なんて聞きたくないんだよ! 知ってるもん、お父さんが私のお見舞いを負担に思ってるってことくらい!」

「私は――」

「どうせ変えられるから今の私のことなんてどうだってよかったってことだよ! どうせ変えられるから、《赤い星座》さんたちに酷いことをさせてもよかったんだ!」

 それに絶句したアリオスは、娘の言葉を止められなかった。

 

「どうせ変えられるから、お母さんみたいに理不尽に殺される人を自分から作ってもよかったってことだよ、お父さん!」

 

 否定しなければならなかった。それだけは決して認めてはならないことだった。それを認めてしまえば、アリオスは帝国や共和国の外道どもと同じになってしまう。しかし、人的被害は恐ろしく少なかったとはいえ、その可能性があったことは確かだった。それに気づいていながら見なかったふりをしていて、それを娘に突き付けられてしまった。

 アリオスは『シズク』と『サヤ』を救いたいと願いながら、新たな二人を生み出してしまっていたのだ。それを突きつけられてしまっては、もうアリオスは動けなかった。そのままアリオスは娘に捕縛された。一行がそれに気づいたのはシズクがアリオスを連行したときだったという。



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《碧き零の至宝》 (S1204/12/30)

 リメイクというよりはリテイクになりつつある。


 シズクが引きずって帰ってきたアリオスを《メルカバ》に収容し、一同はついに最奥へと至った。そこで待ち受けるは樹に埋まりし少女と欲望の黒き錬金術師。そして隠れるようにそこにいた一人の男性だった。男性――イアン・グリムウッドはそのすべてを理解できないまま、それでもなお過去を変えるためだけにそこにいた。朽ち果てた墓を消し去るために。隣に妻をよみがえらせるために。

 そのためになら、彼はなんだってできた。人を殺すことさえしてのけた。だから、ここで不可思議なことをマリアベル・クロイスがやったとしてもその結果妻がよみがえるのならばなんだってよかった。この手に愛する者が戻るのならば、悪魔にだって魂を売り払うことができる類の人物であったのだ。だからこそ彼は騙され、本人だけが知らぬままにいけにえの羊とされかけているのである。

 同志としてここに立っていてもおかしくない男が、目の前にいる。自分が殺した男の弟がそこにいる。だがイアンはうろたえない。あれは必要な犠牲だったのだから。仕方のないことだったのだから、うろたえてもどうしようもない。そして、最終的には生き返らせられるのだから、うろたえる必要すらない。その異常な思考に彼は気付くことができないでいた。

 その狂気極まる思考を持っているにもかかわらず、彼はこの中ではわき役に過ぎない。

「キーアっ!」

「ロイド……エリィ、ランディ、ティオ、ノエルも……」

 ロイドの心からキーアを案じる声は、確かにキーアの心を揺らしはするけれど。それでも止まりたいとは思わないのが今のキーアだった。こんなはずじゃなくて、自分がこんなふうでなければよかったと何度も思って、それでもその役目を果たせるのは自分しかいなかったから。だから、不本意ではあってもここにいるのだ。キーアでなければ救えない命だってあったのだから。

 だから、ここでキーアを止めようとするロイドたちは彼女にとって皮肉にも敵だった。助けに来てくれたはずの大切な人たちは、自分の願望を果たすためにはとてつもなく邪魔な存在だった。

 それを知ってか知らずか、マリアベルが一歩前に出る。

「あらあら、来てしまったのね、エリィ……できれば来てほしくはなかったのだけれど」

「来るに決まっているでしょう、ベル……貴女は私が止めるわ。私のために……貴女のために。そして、クロスベルのために」

 それに呼応するように一歩前に出るエリィ。そこにはすでに弱いままの彼女はいない。

「貴女のため、というのは理解するわ。でもねエリィ。私は欲望のままに生きるのが好きですわ。だから止められてもうれしくなどないの。それに、クロスベルのためになるかと言われると……賢い貴女になら分かるのではなくて? この絶対的な力さえあれば、クロスベルは安泰よ」

「――嘘ね。今は膠着状態だけど、明日は? 明後日は? 十年後は? 百年後は――? そんな保証、誰もしてくれるものじゃないわ。私が足掻くのは、よりよい明日への不安を打ち消すためよ。その結果がどうなっても後悔しないようにね」

 その決意はマリアベルにはひどくまぶしいものに見えて。だからこそ、彼女はそれを穢したくなるのだ。自分の知らないエリィなど必要ない。欲しいものは、自らの手の中で輝き続ける気高い女性なのだから。自分には到底体現できないその生きざまを穢したくなる。彼女はそれすらもはねのけて、輝き続けると知っているから。輝くと分かっている宝石を磨かない人間などいないのだ。

 だからといって素直な壁になりたいわけでもない。

「本当に……すてきね、エリィ。でも邪魔はさせませんわよ?」

 からめ手を使い、エリィをこの事態にかかわれなくする。それだけでどれほどの絶望を見せてくれるだろうか。あるいは、それにどう対処してくれるのか。それを考えるだけで楽しくて楽しくて仕方がない。もちろんそれを考えた時点で行動に移しているのは言うまでもなく、エリィの周りには黒いとげがまるで檻のように突き刺さる。それでいて彼女の肉体には一筋の傷もつけていないあたり、『らしい』というべきか。

 エリィはそれを避けることができなかった。

「ベルッ! これは……っ、冗談じゃないわよ……!」

 エリィのこぶしがそのとげを殴る。しかし、びくともしない。錬金術で作られたその黒いとげは、成人女性の膂力で打ち破れるほどもろくはないのだ。エリィは歯を食いしばり、そこから脱出するすべを探っている。

 その間にも事態は進む。

「イアン先生……」

「それほどおかしなことではないだろう、ロイド君。君にもわかるはずだ。理不尽に肉親を奪われたものの苦しみというものはね」

 どうしても理解できないといった表情でイアンに声をかけたロイドは、感情の読めない瞳と言葉を向けられていた。確かにその苦しみはわかる。ロイドとて理不尽に兄ガイを殺されている身だ。その真相はここに至るまで明らかにされておらず、シズクより手渡された遺品のトンファーでさえ真実を明らかにはしてくれてはいない。当然、『犯人がアリオス・マクレインではない』という答えにはたどり着いてはいるものの、『誰が背後からガイを撃ったのか』は謎のままだ。

 ゆえにその真実を突き止めたのはロイドではない。

「どの口がそれを言うんですか、イアン・グリムウッド。ガイさんを殺したのは貴方のくせに――!」

 強い憤りをたぎらせて叫んだのはティオだった。彼女もまたガイの死の真相を知るためにここに来ていて、ここに至ってようやくその真実を突き止めた。銃使いに的は絞っていたものの、それが誰であるのかを探るのは本当に困難だったのだ。使われた銃も残されてはおらず、それを扱える人物を探し出すのも困難を極めた。警察官すべてが容疑者でもあった。

 しかし、ここまで来てしまえばわかる。アリオスと戦っているときにガイが死なねばならない理由だ。そもそも戦っていた理由が仲間になるならないの話だった時点で、あの天然の人たらしがたかがアリオス・マクレインごときを口説き落とせないわけがないのである。交渉は決裂してしまって、戦って、そして撃たれた。今まで彼が妙に引かなかったのも、ガイを殺して/見捨ててしまったからだったのだ。それならば腑に落ちる。

そしてその下手人は、アリオスが心情的に庇いたくなる人物だ。それは――同じような境遇にある人間のはずで。イアンはその容疑者の中の一人だった。今ここにいるという事実一つをとってみてもわかる。彼こそがガイ・バニングス殺害の犯人だった。そうでなければここに彼がいる説明がつけられないのだ。ただの非戦闘員がここにいるのは、それほどまでに後戻りできない何かをしでかしてしまっているということだから。

 わずかにうつむいたせいで、さらに表情の読めないイアンがティオに問う。

「……何故そう思うのかね?」

「では何故貴方はここにいるんですか? 死者を取り戻したいっていう願望だけでそこにいるのはおかしいんです」

「これは驚いた。君は……私が思っていた以上に事態を把握しているのだね」

 それを淡々というものだから、ロイドは危うく聞き流しそうになった。『死者を取り戻したい』? そんなことが本当に可能なのだろうか。

「ちょっと待ってくれティオ。そんなこと……不可能だろう?」

「出来ると思いますよ、キーアなら。現にシズクちゃんの視力だって回復してみせたじゃないですか。まるでシズクちゃんが遭った交通事故が『なかったこと』になったかのように」

 それでようやくロイドも腑に落ちた。確かにガイが生きていてくれたら、と思ったことは何度もある。それを『仕方のないことだ』と割り切れていたのは自分だけで、もし割り切れない人物がいたら。それは、おそらく悪魔に魂を売り渡してでも死者を取り戻したいと願うのだろう。だからこその暴挙で――そこまで考えて気付いた。ならば、それは。

 ロイドは思いついてしまったことを口走る。

「なら、貴方達はまさかここまでで何人死んでいてもよかったのか? どうせ生き返らせられるから――?」

「それは少々穿ち過ぎだろう。キーアにできることは巻き戻すことだけだ。そこで失われたものをピンポイントで『失われなかった』ことにするのはさぞ面倒で、労力のいる作業だろうとは思うがね」

 肩をすくめてそう付け加えたアルコーンは、自身の言葉を疑ってはいない。キーアにはその力があると、そう確信している様子だった。ティオも同じだ。どうしても信じたくないロイドはちらりと横を見て、ノエルも疑わしいものを見るような目で見ていることに気付いてほっとした。とはいえその向こうでランディもティオと同じように確証を持っている様子なのだが、ロイドはそれを見えなかったことにしている。その目には同行しているはずのリーシャとレンが映っていないが、それも気づいていないことにしていた。

 アルコーンの言葉に苦々しげに返したのは当のキーアだった。

「大変だった。でも……助かる人がいるって、わかってるのにどうして邪魔をしたの? アル」

「アルではない。わたしはアルコーンだクソガキ。その代わりに失われたものが何なのか、それすらも知らないくせによく言う」

「そんなの――」

「何かを成すときには必ず犠牲が伴うものだ。シズク・マクレインを改変した代償がどこに出たのか、お前は知ろうとすらしていないだろう?」

 その言葉は不吉にキーアに響き、彼女の顔を不安でゆがませる。その様子を見たロイドはここにきてなおアルコーンを横目でにらんだ。不確かな事実でキーアを揺らがせる輩をロイドは許さない。それがロイドの知る事実ではないのなら、いくらでも無責任に糾弾できる。

「そんなこと、キーアにできるはずがないだろう! いい加減にしろよ、アル!」

「……はずがない。その言葉で誰が死んだのか覚えていないようだな。誰がどれだけ傷つき、クロスベルの民がどれだけ蹂躙されたか忘れきっているらしい」

「それはあんたが死んだって言い張ってるだけじゃないか!」

 敵の目前ですらその言い合いが始まりそうになってしまって、あきれたようにランディが口をはさんだ。

「不毛な言い合いはやめろってロイド。それどころじゃねえだろ。そんな話はこの件が終わってからいくらでもすればいい。今はそれよりもキー坊をあそこから出すのが先決だろ?」

 な? とランディが促すころにはすでに一人の捕縛が済んでいた。

「……え?」

「手間をかけさせないでください。全く……必要なくなった駒が処分されるのは分かり切ったことですが、気を抜きすぎですね。悪役なら悪役らしく気を抜かないでほしいんですが」

 ため息を吐くリーシャの傍らには鎖で拘束されたイアンがいる。どうやら殺されそうになっていたらしいが、ロイドは全く気づいてはいなかった。憤りのままにアルコーンをにらみつけていたからだ。周囲など見えてはいなかったのである。マリアベルもマリアベルで全員の注意が逸れたすきを狙ってイアンを始末しようとしていたのだが、闇に身を置き続けている人間がそれを見逃すはずがなかった。

「言うわね、リーシャお姉さん……ううん、リーシャ。このおじさんはまだまだ闇に片足しか突っ込んでないからよ。そんな発想なんてできるはずないじゃない。思考はもっと柔軟にしないとね?」

 そして次に向き直っているのはキーアに対してだった。それに愕然としてロイドが声を上げる。

「リーシャ、レン! 何で――」

「やめておけ。そっちはわたしの管轄だ。下手に手を出せば『消される』ぞ」

 ロイドの声を遮るように告げられた言葉に、ロイドは信じられないものを見るかのような目でアルコーンを見た。彼女の正気を疑っていたのだ。しかし、彼は気付いていない。最初からアルコーンなど信じてはいなかったことに。だからやることなすことすべてが気に食わず、反抗してしまうのだ。信じられないものを無条件に受け入れることなど、ロイドにはできないのだから。

「あんたは――そこまでキーアが嫌いなのか!? そこまでして陥れるほど、キーアが嫌いなのか!?」

「陥れてはいないが、嫌いだ。だがな、ロイド。わたししかいないらしい。彼女の願望をかなえてやれるのは――この、どうしようもなくキーアが嫌いなわたししか」

「な……え?」

 ロイドにはその理由がわからない。ただ、その理由に気付いたらしいマリアベルがキーアに向けて攻撃を放ったことで我に返り、彼女をかばった。そこから、本格的な戦闘が始まる。ロイドが、ランディが、ティオが、キーアを守るために戦って。エリィはまだ檻から脱出できず、リーシャに守られるままで。レンは気配を消して潜み、隙を狙っていて。

 だというのにキーアとアルコーンは見つめ合ったままだった。

「……どういうことなの? アル……キーアの願望って……」

「『普通の女の子になりたかった』のだろう? ほら、お前の代わりになれるニンゲンはここにいる。その役目は放棄してもいいものだ――」

 その言葉とともに、アルコーンはその身に秘めていた――もとい、制限していた力を解放した。背に咲く蒼銀の《聖痕》。それとは微妙に異なる色合いの、碧いオーラ。その姿はキーアに似ていて――しかし、その瞳だけが汚濁にまみれながらも蓮のように凜と輝いていた。その姿は否応なしにキーアに理解させてくれる。アルコーンはキーアと同じものだと。

 キーアの体が震えた。

「――ぁ」

「だから、お前はもうそこにいる必要はない。こんないびつなニンゲンに仕立て上げてくれたことについては一生許さんが、そのちっぽけな願望位は叶えてやってもいいさ」

「あ、ぁ」

 そこに罪があった。ちらりと視界に映り込んだシズクに、自分が犯した罪が見えた。キーアとアルコーン、二人の同じ力が共鳴し、今までに行われた膨大な数の因果律の操作が脳裏に映し出される。いったいどうして。誰が、どのようにして。アルコーンという存在を生んでしまったのはキーアで。しかしながら彼女にはその自覚はなく。それでも理解してしまった。彼女がいるのは自身が望んだせいだと。

 そして、彼女の最大の罪はアルコーンを生み出したこと――だとは思っていない。彼女自身が最も重い罪だと感じているのは、シズクに行ってしまった改変だった。彼女は数あるIFの世界線から最も強い彼女を重ね合わせてしまって生み出された『因果律の集合体』のようになってしまっている。この先も強く生き抜けるようにと、どこかで願ってしまっていたらしい。そしてそれを戻すことはできないのだ。キーアにはそんな機能は備わっていないのだから。

 時を超え、因果律を操作する。それが『キーア』に備えられた機能だ。クロイス家がその叡智を結集させ、失ってしまった《デミウルゴス》の代わりになれるような機能を持たせたホムンクルス。人造生命体であるが故に、普通の人間には備えられない機能をいくらでも付け加えられる。今度は失わないように、自身を守れるだけの機能を持たせることも可能だった。

しかし、いくら時を超えようが因果律を操作しようが、どれほどその力が万能に見えようが、やってしまったことはもう元には戻せないのだ。覆水盆に返らず。零れたミルクは元には戻らない。割れたグラスも元に戻ることは絶対にない。そのくらい当然のことだ。だからこそシズク・マクレインはいびつな『少女』ですらなくなりかけている。

 交通事故に遭って眼の光を失った少女。それがシズク・マクレインである。それは大方の世界線では共通事項だ。しかし、彼女にはそうならない可能性もまた存在した。交通事故に遭わず、普通の少女として生きる世界。刀を握り、父の跡を継ぐ遊撃士になる世界。盲目のままでさえ彼女は最強の剣士の名をほしいままにする世界すらある。それらすべてを束ね合わせた彼女は、もはや人間ではない。

 そのキメラを作り上げたのはキーアで、たちの悪いことにそれを直す手段はどこにもないのだ。

「シズ、ク……」

「……満足した? キーアちゃん。キーアちゃんの自己満足のために、私は人生の全部をかき回されちゃったよ」

「うぁ、あ……っ!」

 もう駄目だった。シズクのすべてがキーアを嫌悪していた。そこには目が見えるようになった喜びも、キーアへの感謝も、何もない。ただ憎悪だけが詰まった言葉だった。そんなものを望んでシズクを改変したわけではなかった。ただ、シズクが喜んでくれると思ったからこそそうしたのに。

「私の目のために頑張ってくれた人たちを、全部否定してくれたんだよ、キーアちゃんは。見えてうれしい、とは思う。そうしてくれたのは確かにうれしかったよ。だけどね、キーアちゃん。私……そんなこと、一度だって誰にだって願ったことはないんだよ」

「や……っ」

「私はお父さんと一緒に生きていければよかった。ぼんやり見える程度でだってよかったの。経済的な負担を考えればこれ以上治療はしてほしくないし、なんなら最初から治してもらわなくたってよかったの。私はお母さんとは違って生きてるから」

 シズクにしてみれば、自分が死んで母が生き返るのならばそうして欲しかった。腫物を触るように、アリオスは積極的に親子の時間を作ってくれたわけではなかったから。自分が母に似ているからだとは知っていたから、本当は目が見えるようにはなりたくなかった。目が見えないから娘のままでいられるのだと思ったからだ。目が見えるようになってしまえば、大人になるにつれてアリオスはサヤの面影に苦しんだだろう。

 だが、もう起こってしまったことは変わらない。目が見えるようになった代償に苦しむ人たちに思い当たるシズクは、この奇蹟を誰にも適用できないことに苦しみ続けるしかないのだ。これに純粋に感謝などしてしまっては、自分がとんでもなく卑怯な人間になってしまう。他の人たちは願っても叶わない奇蹟を一身に受けてしまったから。だから、シズクはその奇蹟を誰かのために使わなくてはならないと思っていた。

「でもね、キーアちゃんを憎めないの。嫌いになれない。私のためにそうしてくれたんだって分かってるから。いっそ憎めたら楽になるのに――私、おかしいのかな」

 その自罰的で自己犠牲的な少女を生み出したのはキーアだ。その少女から自身を憎む権利すら奪ってしまったのはキーアだ。そういう機能が備わっていることを知りながら距離を置こうとしなかったキーアの罪だ。

その事実を、キーアは――

 

「うぁああっ……うわあああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 どうしても、認めることは、できなかった。



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《蒼き幻の至宝》(S1204/12/30)

 もはやこの時点でリメイク前のかけらもなかったりしますが。


 ロイドは何よりも愛しい少女の絶叫を聞いた気がした。しかしそれは、その絶叫とともに目の前に広がる幻想的な光景に取って代わられてしまった。儚い煌めきを放つ透明なガラスの向こうに見えるのは紛れもなく自身だったのだ。幸せに笑う自分。それに呼応するように笑い合う仲間たち。しかし、それは自分が知らない『ロイド・バニングス』だったのである。

 《特務支援課》のリーダー、ロイド・バニングス。誰からも慕われ、人望がある熱い男。エリィに熱っぽい視線を送られ、ノエルがそれに対抗するように腕に抱き着き、後ろでティオとランディ、そしてリーシャが苦笑している――そして、なぜかそこに見たことのない装束をまとったワジ・ヘミスフィアが同じ格好のアッバスを従え、含み笑いをしながら混ざっている。

 暗い目をしたロイド・バニングス。喪に服すように黒い服をまとい、後ろには影のようにティオが付き従う。視線の先には煌びやかながらも毒々しい政治の世界で戦うエリィとその護衛のノエルがいる。ランディもどこかにいるのだろうが見当たらない。ロイドはなぜかエリィを襲おうとしていた怪しい人物たちを見るも無残に拷問し、何かを聞き出そうとしていた。

 あるいはイアンと意気投合し、誰も止める者がいないこの状況においてキーアのそばに侍り、その因果律の改変をいとおしそうに見守っているロイド・バニングス。既にエリィは亡く、ランディも折れ、ティオに至ってはキーアの力の増幅器として拘束されている。外では《銀》が無残にその死体をさらし、警備隊員たち――国防軍の兵士たちが誇らしげに外敵を排除しにかかっていた。

「これは……」

「ま、可能性だわな。お前が望むのなら、キーアを連れ戻してやれ」

 それはもう二度と聞くことがないと思っていた声で。それが真実であると知りたくなかったからロイドは振り向けなかった。頭にのせられる大きな手。その体温が、覚えている体温そのままで。思わずそれを振り払ってしまいそうになって、ロイドは腕をつかむだけに抑えた。つかんでいる腕もとても偽物とは思えなくて困惑する。これは。この腕は。

「……ま、これはあのお節介ちゃんの不器用な餞別ってところだろう。ほんっとうに変わらないな……」

「兄、貴……?」

「昔みたいに兄ちゃん、で良いんだぜ、ロイド。ちょっとしたボーナスステージだ。今見た光景を否定できるんだったら、キーアを迎えに行ってやれ。このまま逝かせるな」

 ま、その代わり二度と俺とは会えないがな、とガイ・バニングスの幻影は言った。それに対してロイドが出す結論はもう決まっていた。

「迷わないってのは流石俺の弟だ。……分かってたか? キーアがお前たちに好かれるのは、そう作られてたからだって」

「関係ないさ、兄ちゃん。……赤ちゃんだってさ、無条件に可愛いじゃないか。愛されるために生まれてきてるじゃないか。多分、自然に生まれさせてもらえなかったキーアにもそれが備わってるんなら――やっぱり、それは普通のことなんじゃないかな」

 背後で苦笑する気配がした。それを普通って言いきれるお前って……と言われている気もした。しかし、一人くらいはいてもいいと思うのだ。おそらくこの先誰からも普通じゃないと言われ続けるキーアに、無条件で愛を与える存在がいてもいい。それが自分であれるのなら、なおさらいいと思った。キーアに心を許し、許されていると分かっているから。

 ロイドは進んだ。その光をかき分けて。可能性をかき分け、未来へと。

 

 ❖

 

 檻から抜け出し、戦っていたはずのエリィはいつの間にか煌めく欠片に取り囲まれていることに動揺した。マリアベルを止めなくてはならないのに、目の前からはすでに彼女は消えてしまっていたからだ。その理由をエリィは知ることは恐らく一生ない。どこかに消えたままだと思うはずだ。実際にはその足元で塩に変わっていたのだとしても。

 《特務支援課》の補佐役、エリィ・マクダエル。誰もが認め、的確にサポートできる才女。政治的な視点からロイドを支え、時には肉体的にも支え合える関係になりたいと願っている。激務の中でノエルとその地位を争いはするものの、それでも本格的な仲たがいはしない。頼りになる仲間と支え合いながらも決して折れず、麗しくクロスベルを支えている。

 暗い目をしたエリィ・マクダエル。華麗な政治家になり、身体を売りつつもなお情報を集めて祖父に送り届ける。たった一人で夜の蝶となり、汚泥の中を華麗に飛び回る。その情報でクロスベルを守れるのならば、エリィは何だってした。政敵に抱かれても、誰に抱かれても、その矜持は揺るぐことはない。彼女はクロスベルの女だった。

 あるいはマリアベル・クロイスの甘い口車に乗り、クロスベルを守るためにその敵すべてを薙ぎ払い、その政治的手腕をもって諸外国を黙らせる。警察官も、警備隊員も、クロスベルに住まう民すべてが彼女の剣であり盾であり駒であった。それを駆使して最大多数の最大幸福を追い求めるのがエリィに求められた役割であり、マリアベルはそんな彼女を手伝いながら愛でていた。

「流石にこれは……ないって信じるわよ?」

「でも貴女は恐らくクロスベルのためならばどこまでも落ちられる娘だわ。私の可愛い孫娘」

 煌めくにはあまりに似つかわしいその光景に見入ってしまったエリィは、その声とともに背に温かさを感じた。少し冷たく優しい手。それでも弱弱しいわけではなく年齢を感じさせるような優しい手だ。

「あまり思いつめず、程々にね、エリィ。貴女はあの人にとても良く似ているから、無理をし過ぎてしまいそうだもの」

「迷うことなんてないわ。だって、これからよ? 私はまだ何もできていない。これから、クロスベルのために戦うの。だから見守っていて、おばあさま」

 その希望に満ちた背中から、そっと手を放す気配がした。それでもエリィは振り返らず前に進んだ。あの声は死者のものだ。囚われるわけにもいかない。彼女はエリィが看取り、そしてその背を押してくれた。ならば振り返るわけにはいかないのだ。無様な姿など、エリィが見せたくないのだから。光へ――歩んだ。

 

 ❖

 

 重い一撃をマリアベルに叩き込んだ直後だったから。ランディはその光景を見ようとは思っていなかった。警戒を解くべきではないと思っていながら、その手からはすでにスタンハルバードもブレードライフルも消えている。それに激しく動揺しながらも、身構えることだけは忘れない。

「良いんだ、ランディ。闘いは終わったから。だから……きちんと見てくれ」

 だからこそ、聞こえるはずのない声に対して硬直してしまったのも当然のことで。その声に抵抗することもまたできなかった。なぜならその声の持ち主はランディが殺した親友のものだったから。ランディの目の前に可能性のかけらが乱舞する。

 《特務支援課》パワー担当ランディ・オルランド。重労働や力ずくの鎮圧案件などに駆り出される皆の頼れる兄貴分。やりがいは感じているが、そこにはどこか嘘が混じっているような気がしてならない。それでも彼はそこで生き続けることを選んだ。何故なら、それが一番楽だから。いずれ継ぐことになると言われていて、拒否した称号から逃げて。向き合う必要のない生ぬるい環境。

 《紅き狂神》ランドルフ・オルランド。すべてを捨て、人であることすらやめた歩く災害。《猟兵王》すら降し、この世にはびこる猟兵どもを皆殺しにする修羅。いずれこの世界に疑問をもち、世に存在の是非を問いかけるようになる《執行者》。贖罪の旅に出、断罪の時を待つ哀れな狂い人。そこに癒しなどなく、ただ荒れ果てた心を世にたたきつけるのみ。

 あるいはシグムント・オルランドの説得に折れ、猟兵に戻る道を選んだ半端者。ただキーアのためだけに戦い、逆らうものをことごとく叩き潰す、キーアの意思の代行者。いずれ世間の荒波にのまれ、物量で押しつぶされる運命にある。それでもその忌まわしい力を十全に振るい、戦い抜くのだ。たとえ誰を血に沈め、その血で身を彩ろうとも。

「なんつー胸糞悪ぃモン見せてくれんだ……なあ?」

「そう言われても……でも、これよりもましだろう? 今は」

「あのな、マシだからどうだって話じゃねえんだよ。はったおすぞ」

 いや死んでるから、と返す彼は紛れもなくあの時の友で。見えたかけらに彼が一度も映らなかったから、ランディはあきらめた。彼を救えればと夢想したことは一度や二度ではない。だが、それをしてしまえば――彼と飲んだあの日々が嘘になってしまう気がして。

 だから、ランディは――

「あばよ、親友」

「うん……元気でな、親友」

 こつん、とその男とこぶしを合わせ、悠然と歩き始めた。

 

 ❖

 

 儚いかけらが舞ったとき、ティオはそれが可能性を見せるものだと直感した。だからこそそれに身をゆだねた。見てみたかったのだ。自分が今の道を歩まねばどうなったのか。

 《特務支援課》のサポート役ティオ・プラトー。誰かを支えるためにその身に開花させられた異能を使い、誰かを救う電子の魔女。愛だの恋だの、彼女は真っ当にできるとは思っていない。それでも彼女はよかった。クロスベルという雑多な土地に救われた彼女は、クロスベルに恩を返すために奔走する。次は自身が誰かを救えると信じて。

 《人形姫》プラトー。世の中すべてに絶望し、救われなかった子供たちのために世界の是非を問いかける《執行者》。自分だけが助かってしまったという罪悪感を胸に、《教団》に連なるすべてを亡ぼしてしまうまで戦い続ける。それはいずれ皆の元へと逝きたいという自殺願望にも似て。ただひたすらに危険に身を置き続ける危うき少女。

 あるいはキーアのために戦う信者となり、クロスベルのすべてを掌握して民を洗脳するクラッカー。洗脳、刷り込み、催眠術は当たり前。すべてにおいてキーアを優先し、キーアを世界に認めさせるためのプロデューサーとなる。それはいつしかマリアベルたちの方向性を誤らせ、うっかりキーアをアイドルデビューさせてしまう羽目になる。

「いや、最後おかしすぎでしょう!?」

「ティオならやりかねないと思うけどね……」

 突っ込んだ彼女は、確かに『死んだ』ことになっている彼女で。だからこそ気づいた。どの可能性にも彼女が存在しないことに。そもそも必要のない存在だったのかもしれない。存在すら許されていないのかもしれない。それでも、今のティオを形作っているはずの彼女が存在しないことに、ティオはひどく憤りを覚えた。『シエル』がいなくとも救われたのかもしれない。だが、それは可能性の話であって今の話ではないのだ。

「話にもなりませんね」

「ティオはもっと後ろを向いてもいいと思うよ。一筋の道しか歩いちゃいけないなんてことはないんだから」

「それでもです。私は……貴女の隣を歩きたいですから」

 そしてティオもまた先に進む。そうすれば、追いつけると信じて。

 

 ❖

 

 ノエルはいきなりの環境の変化についていけずにいた。だからこそ否応なしにその可能性を見せつけられる。それは、罪を背負った彼女にはまぶしすぎる可能性。人殺しで、仲間殺しで、誰からもそしられるべきなのに誰にも責めてもらえない彼女には拷問にも等しいものだった。それほどまでに、『アルシェム・シエルを殺した』という事実はノエルにとって大きかったのである。

 《特務支援課》臨時助っ人ノエル・シーカー。普段は警備隊に所属し、いざというときになれば出向という形で皆をサポートする。チャンスは少なくともアピールは忘れない。ロイドはノエルの王子様だから、その王子様に選ばれるお姫様になりたかった。だからいつもとは違うことをして、女らしさをちらりと見せて。ライバルと差をつけるにはどうすればいいか悩むごく平凡な女性だった。

 父を殺した人間を探し出し、殺すためだけに生きる名もなき復讐鬼。父を墓に押し込めた人間を残らず《煉獄》に叩き込むまで止まろうともしない恐ろしき鬼。そうなる前は普通の女の子であったのだから、道半ばで倒れるのは当然のことで。復讐すらまともに果たせないぼろぼろの子供。まさにクロスベルを象徴するような、哀れな少女。

 あるいはロイドに侍り、キーアを守って外敵を排除する国防軍の一兵卒になる。帝国軍も、共和国軍もみな等しく殺しつくし、ロイドに褒められるためだけにそこにいる。心はとっくに悲鳴を上げているのに、逆らうことなどできないと分かっているから引き裂かれそうで引き裂かれない地獄の中を歩む兵士。いずれはロイドの隣に立てると信じているが、その時にはキーアがロイドの隣に立っている。

「……何、これ」

「ろくでもない可能性だよ、ノエル」

「……え」

 呆然とかけらに見入っていたノエルは、その声で思考を停止した。それは生きているはずのない人間の声で、いやに懐かしい声だった。懐かしい,と思ってしまうことに対して嫌悪感を覚えるほどに、ノエルはその人物の死を割り切れてなどいなかったのだ。

「……きちんと、前を向いて歩きなさい、ノエル。どんな形でもいい。幸せになりなさい」

 そしてノエルは過去に手を伸ばしかけ――やめた。死人にいくら問いかけても無駄なことくらい、知っているから。だからゆっくりと歩き始める。

 

 ❖

 

 目の前から唐突にマリアベル・クロイスが消えてリーシャは困惑した。光が舞っているのも幻術のたぐいだと思った。だからこそ術にはまらないように直視しないようにして――しかしながらその魅力的な光景に魅入られてしまった。

 《アルカンシェル》のトップスターにして用心棒のリーシャ・マオ。輝ける舞台の上で華麗に舞うリーシャと、ともに舞ってくれる美しいイリア。それを追うようにシュリも追いかけてきて、看板役者の道をまい進できる。イリアもシュリも彼女の過去を知りながら受け入れてくれて、それだけでリーシャはすべてをささげてでも《アルカンシェル》を守ることに決めた。

 ――何もかもに絶望し、《黒月》に使われるままに人を殺し続けて。《赤い星座》を鏖殺し、敵対する人間すべてを血の海に沈め、修羅の道を行く。そして感覚がすべてマヒしたころに舞い込む依頼。揺れない心。誰を殺すかを理解したのは、その手の中で冷たくなっていく憧れの――イリア・プラティエを見てから。そしてそれを見て怒り狂うシュリをも血の海に沈め、発狂して自死に至る。

 あるいはイリアを人質に取られ、クロスベルのために戦う暗殺者となる。《アルカンシェル》とイリアのためならば何でもできて、帝国の要人を殺すことも、かつての依頼主たる共和国の要人を殺すことにもためらいはなかった。蔑みの目で見られていると分かっていても、そういう道しか選べないと分かっているからこそリーシャは――

「……ッ!」

 リーシャはその可能性を大剣でたたき切った。その先に見える小さな銀色の少女。

「……やっぱり、リーシャは暗殺者なんて向いてないよ」

「分かってるよ! だから……だから、もう、私は……決めてるの。だから、勇気を頂戴」

「こんなのでよければいくらでも」

 差し出された小さな手を、リーシャはつかんで。その体温を胸に飛び出した。

 

 ❖

 

 様々な光が乱舞して、可能性が収束する。それはキーアが因果律の操作の主導権を明け渡したことを意味しており、アルコーンはそれを必死に誰にも触らせないようにしながら守っていた。それでもなお手を出してくる人間は存在する。そう――□□□、だ。

『もう、分かった。今なら干渉できる。……死んで、アルコーン!』

 無数の可能性のかけらが刃となり、アルコーンに突き刺さる。しかし、彼女はそれをよけることすらしなかった。それが彼女を傷つけることなどないと知っていたからだ。アルコーンにしてみれば無害なそれは、□□□からしてみればアルコーンに対する絶死の刃であるはず。ゆえにアルコーンがそれを避けなかったことに驚愕した。そしてそれがアルコーンを一切傷つけなかったことにさらに愕然とした。

「断る」

 彼女は本当に何もしていない。ただ、そこにいただけだ。それなのに傷つかない理由がわからない理解できない気持ち悪い。□□□は幾度も『アルコーンなど存在しない世界』の可能性をアルコーンにぶつけ、存在ごと否定しようとしていた。それに意味などないことを彼女だけが知らない。そもそもアルコーンは『キーアが普通の女の子になれない可能性』からできているのだ。それに同じ条件をぶつけたところで何ら意味はないのである。

 だからこそ、□□□はアルコーンを自身のフィールドに引き込んだ。




 決着は必要かなと思いまして。


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空に災厄を振りまいた(S1204/12/30)

「やあ、□□□――いや、『キーア=デミウルゴス』」

 そこを言葉で表現するとするのならば、『宇宙』だった。周囲には何もなく、それを光り輝く『可能性』のかけらが照らし出している。それはあたかも宇宙空間に立っているようで。しかしそこにあるモノがすべて美しいものであるとは限らない。輝くかけらも、産業廃棄物のような汚泥のかけらも、世界に許された可能性のすべてがそこに散らばっていた。

 その真中に立つ二人の少女。年齢的にはどちらも優に半世紀は超えているのだが、それはさておく。あまりにも似通ったその顔立ちは姉妹のようにも見えて――しかし、その顔に浮かぶ表情がそれを素直には信じさせてくれない。先に言葉を発したアルコーンの顔には余裕の笑みが。そして対峙する少女はそれを悪鬼のような表情でにらみつけている。

 顔をゆがませ、唇を震わせてキーアと呼ばれた少女は問うた。

「忌々しい……どうしてそのまま死なないの?」

 それは悪意の発露。アルコーンとなった彼女に向けられる、あまたの可能性を束ねた願い。その根源が『ふつうのおんなのこ』になりたいという願いでできた、悲しき悪意だ。その願いをかなえるために犠牲にしたものは数知れず、またその願いのために得られたものは驚くほどに少ない。それでもなお、彼女は願わずにはいられなかったのだ。

 『ふつうのおんなのこ』になりたかった。そうすればこんな未来を見ることも、ロイドたちに気を遣われることも、誰からも狙われることはなかったに違いなかったから。なまじこんな力を持たされて生み出されてしまったからこそ付け狙われる羽目になったのだ。そのせいでロイドたちには両手の数では足りないほどの迷惑をかけた。だからこそキーアは願うのだ。『ふつうのおんなのこ』になりたいと。

 そのためにはアルコーンなど必要なかった。キーアの望むその世界には、アルコーンの居場所などないのだから。ロイドがいて、ランディがいて、エリィが、ティオが、ワジが、ノエルが、リーシャが、その他あまたのキーアの愛する人たちがいて。しかしその中にアルコーンの席だけが存在しない。自分の重荷を押し付けるために生み出した存在など、同じ空間にすら存在してほしくないのである。

 忌々しげに顔をゆがめる少女にアルコーンは苦笑するだけの余裕を見せた。

「いやなに、分かっていないだろうお前」

 キーアにはその余裕の笑みが癪に触って仕方がなかった。それは息をするように自然なことだった。キーアにとって、アルコーンは絶対に許容できないものなのだから当然だろう。あたかも子供のように、気に入らないものを無造作に排除したがる幼稚さがそこにある。長年生きてきたからと言って精神が嫌が応にも成長するわけではないという典型例でもあろう。

「何がわかってないっていうの!?」

 その絶叫とともに放たれる『アルコーンなど存在しない世界』の可能性のかけら。しかし彼女には当たらない。当たっても何の痛痒も与えられはしない。彼女も本当は分かっていてなお認めることはできないのだ。アルコーンが存在しない世界では、どうあがいても『キーア』は『ふつうのおんなのこ』にはなれないのだということを。必要なくなった駒を片付けるだけですべてが平穏に戻るはずだと、まだ彼女は信じていた。

 そして対するアルコーンはそれを悲しいほどに理解していた。だから余裕なのだ。彼女がアルコーンを否定することなど、絶対にできないと分かっているから。かつて自らも抱いた願い。『ふつう』はアルコーンにしてみれば手の届かぬほど遠く、また届いてはならないものだった。ここまで来てしまった以上、アルコーンには道など他にない。クロスベルの頂点に君臨し、周辺諸国の干渉からすべてを守り抜く。そう決めたのだから。

 だからこそ、懇切丁寧に説明してやるのだ。これまでの意趣返しも込めて。

「お前の願いは分かっている。『ふつうのおんなのこ』になりたいんだろう?」

 それはどちらにとっても共通認識で。そして同時に同じ願いを抱いていたことの証左でもあった。キーアはその願いを貫き通したいと願い。そしてアルコーンはその願いをかなえることをあきらめてしまった。どちらかがあきらめない限り、どちらかの願いはかなわない。既に決着はついているはずなのに、勝者がそれを認められないでいる。その勝利には敗者など必要ないと思っているのだから当然だ。

 だからこそ大きく両手を開いて主張する。

「そうだよ! それの何が悪いっていうの!? そのために作った駒を壊して何が悪いの!」

 キーアの主張はまるでかんしゃくを起こした子供のそれだ。何百年とこの可能性だらけの空間にいて、彼女は成長することを知らなかった。誰ともかかわらず、自身の欲望を満たすためだけに動いていた彼女に成長はあり得なかったのだ。だからこそ精神性は幼く未熟で普通の少女よりも時には幼くなる。特に今はそばにロイドたちがいないのだから、子供らしいかんしゃくを起こしても何らおかしくはないのだ。ロイドといるときは嫌われないように自身を抑制してふるまっていたのだから。

 対するアルコーンは、肉体の年齢相応とは言わないが成長してきた。かたくなに守り続けた意地もあるが、十七年という時を生きただけの成長があった。何もかもを巻き込まないようにと配慮もした。ただ語らないだけで、彼女は一応周囲を尊重することを覚えたのである。それが時折ずれていることもあるが、周囲の価値観と彼女の価値観が合わなかっただけの話だ。その乖離がどうしようもないことも多々あったが、彼女はそれらすべてを許容してこなかったわけではない。

 どうしても、どこまでも、キーアは『子供』だった。だからこそそれを教え諭すのは年長者たるアルコーンの役目だった。

「必要のない駒には退場願う、か。別にいいんだが……なあ」

 キーアの身勝手な言葉に肩をすくめ、キーアの目の前の使えない駒は嗤った。

「破棄した駒が担っていた役割は、いったい誰が担うんだ?」

 その言葉を聞いた瞬間、キーアは目を見開いた。そして激しく頭を振る。そんなことがあり得るはずがないと信じていた。自分が『ふつうのおんなのこ』になるために必要な土台を作れば、必要なくなった駒なんて処分しても何ら問題はないと思い込んでいた。その言葉の意味を、キーアは理解などしたくなかったのである。それを理解してしまえば、何かが壊れてしまう気がして。

「違う……そんなの、そんなの、そんなわけない……」

 にやにやと笑いながらアルコーンは続ける。

「なあ、答えてみろ、『キーア=デミウルゴス』。お前が『ふつうのおんなのこ』になるために押し付けた役割は、駒ごと破棄できるようなものだったか?」

 そんなはずはなかった。もしも意思のないいけにえを用意して代行させられるのならばとっくにそうしていた。しかしそれができなかったからこそ意志あるいけにえを用意し、できうる限りを救わせてきたのだ。だから、すべてが終わった後にならその役割を破棄できると――そう、思っていたのだ。《碧と零の至宝》としての力をすべて破棄できると思っていた。

 しかし、現実には違う。彼女が繰り返してきた歴史は、先史時代からこの七耀暦1205年まで。この先の未来などというものは、観測したことはあれど体験したことはなかったのである。あくまでも『キーア=デミウルゴス』としての起点は今現在、自分自身で異能を捨て去ったこの時点だった。だからこそ、この先にも多少その力が残ってしまうことも知らないし、その力によって救える命があったことすら知らないのだ。

 だから、その否定は願望を世界に押し付けていた。

「そんなの……できないとおかしいよ! だってこんな力、あっていいものじゃないもん!」

「そんなことを言えば《七の至宝》すべてがそうだと思うんだが……まあ、そこはいうだけ野暮なのだろうな」

 キーアの狼狽を鼻で笑い、アルコーンはなおも続ける。

「とはいえお前が『ふつう』になるためには誰かをいけにえにしなければならないというのは間違ったことではない。だからといってその力をこの世から消し去ることはできないというだけの話だ」

「そんな……そんなはずないよ! だって、そんな!」

「自分が因果律をいじって作り出せたから、その逆もできると思ったか?」

 ハッ、と笑って彼女はそんなわけないだろう、と続けた。無責任に生み出すのは簡単だ。しかし、それを完全に消し去ることはできないのである。世界は人間の営みでできている。たとえそれが人間モドキであったとしても、そこに多少なりとも関わったのならば――その痕跡を完全に消し去ることは不可能なのだ。記憶を消そうが存在の痕跡を抹消しようが、そこに『あった』という事実がある以上はどうしても違和感が出る。そこから整合性にほころびができ、崩壊するのだ。

 生み出すのは簡単だ。殺すのも簡単だ。しかし、その事実を消し去るのは非常に難しいのだ。だからこそ、『ニンゲン』として世界にかかわってきたアルコーンを消し去るのは困難を極める。もちろん他の誰を消し去ろうとしても同じことだ。その人物に絡みついた因果律全てを消し去ることは、事実上不可能と言っても過言ではなかった。

 とはいえ、アルコーンは普通の人間よりも消し去るのが難しい。キーアの望む仲間たちを救うために様々な場所に派遣され、なおかつ死人まで出してその力を手に入れたアルコーンを殺すためには、やはり彼女のいた世界ごと抹消するしかない。今やゼムリア大陸において彼女と一片のかかわりもない人間などごくわずかなのだから。直接彼女とかかわりがなくとも、間接的にかかわりがある人間も多いのだから。

 それがキーア自身のなした所業故というのがなお皮肉だった。ここでキーアが無理やりにでもアルコーンを消滅させれば、少なくとも西ゼムリアは消し飛ぶだろう。彼女の存在を知る人間を残らず消し飛ばすことによって。そして、その人間たちが消えても疑問に思わない人間しか残らなくなるまでそれは続くのだ。その余波は計り知れない。これがキーアがアルコーンを殺せない一端である。

 アルコーンは、否『アルシェム・シエル』はそう考えてはいなかったので『殺される』と認識していたが、『成って』しまったアルコーンにならばわかった。その人物を『殺す』まではできる。それは悼まれるべきものであり、確実にその場からはいなくなる。しかし、キーアの考えるように『殺す=消し去る』ことはできないのだ。いた人間をいなかったことにはできない。

 しかしキーアにはそれが理解できてはいなかった。

 

「死んでよ! 消えてよ! いらない駒なんて消えたって困らないんだからあああっ!」

 

 その絶叫とともに放たれる『アルコーンなど存在しない世界』の可能性。彼女を『アルコーン』という概念ごと消し飛ばすために、キーアが取れる方法だ。本来であれば指の一振りだけでそれができたはずなのに、アルコーンにだけはそれが効かない。世界はとっくに限界を迎えていて、その整合性を保つためにはアルコーンを消滅させられないのだ。

 海岸線で砂の城を創るように、何度も何度もキーアは世界をこね回した。世界はそれを途中から拒絶し、キーアの望む幻想だけを彼女に見せた。誰かを死なせ、誰かを生かし、気まぐれな神々の遊びのように世界をこねくり回すキーアに、世界の側が拒絶反応を起こしたのだ。処理しきれないほどのトライ&エラー。彼女が満足するまで続く、地獄のような惨劇の数々。

 それに対抗するために、世界はキーアの思考を誘導した。そして彼女に対抗しうるだけの駒を自分自身で作り上げさせた。そしてキーア自身にもこねくり回させ、より強化した状態で対峙させる。明確な敵対意思がなければキーアを止められないことを世界は分かっていたから、『アルシェム・シエル』に強迫観念を植え付けた。いずれ殺されることに恐怖するだけの少女ではなかったから、『アルシェム・シエル』はキーアの眼を欺いて別人に成った。

 だからこそキーアは今世界そのものと戦っているに等しい。

「何で……何で何で何で何で何でええっ! 何で死なないの消えないの滅されてよ!」

「わたしを生むために何人犠牲にしてきたか忘れたか? その犠牲の分までわたしは生きねばならないし、それらすべての痕跡を消すことも不可能だ。わたしは――モドキかもしれないが、確かに生きていたんだから」

 そんな発言が自身から出てきたことにアルコーンは驚いた。しかし、言ってからしっくり来た。今ここで死ぬわけにはいかない。自分が生まれるために死んだ人間は数知れないのだから、彼らのためにも生きなければならない。どうせ死ねない、などと考えてはならないのだ。精一杯、人間のようにふるまってでも『生き』なければならないのだ。

 それを綺麗事だと切って捨てられるほど、アルコーンは強いわけでもなかった。もうすでにクロスベルを背負ってしまっている。ならば、自分が存在するために死んでしまった彼ら彼女らのことをも背負えなくて何とする。どうせ時間は有り余っているのだ。だからこそ、これ以上の悲劇を自身が生み出さないために――全力を尽くすしか、ないではないか。

 だからこそ――

 

「死っねぇええええええええええええええええええええええええええっ!」

 

 絶叫するキーア。その彼女から放たれる汚泥に満ちた可能性の数々。しかし、それを見てもアルコーンは冷静だった。

「……そうだな、お前から見れば死んでほしいんだろうな、とは思うよ」

 いつもよりも何倍も大きく見えるその背に、蒼銀の華が咲いた。癒しの水と、鎮めの幻を静かに静かに練り上げて。言葉など必要としていなかった。ただ、アルコーンに必要だったのは平静を保つことだけだった。自らに望まず植え付けられた《聖痕》の力を引き上げる。この異空間においてその力に制限はかからない。ゆえにその光は無限に広がっていく。

 憎んだ。キーアを憎んだ。この世に自身を産み落としたすべてを憎んだ。しかし、こうして生きていなければ憎むことすらできなかった。だから、憎みきれなくなった。いずれ処分される駒だと自覚していても、憎みきれなかった。恨みつらみはあった。しかし、それでもその目論見を外すための一番簡単な手段を取らなかったのは、アルコーンも生きていたかったからだ。

 深い闇の中に、汚泥の中に叩き落してくれたことに対して確かに思うところはまだある。しかし、それを憎もうが恨もうが怒りをぶつけようが過去を変えることはできない。今ならばできるのかもしれないが、したくない。そんなことをすればここまで築き上げてきたものすべてが消えてしまうと分かっているからだ。ここまで生きてきた人間への冒涜を、アルコーンごときが行っていいはずがない。

 《ハーメル》に送り込まれなければ、『家族』などできなかった。ヨシュアにも出会えなかった。レオンハルトとカリンを生かすこともできなかった。その代わりに失われた命は確かにあるのだろう。しかし、それでも『家族』を救えてよかったと思ってしまう。ある意味では命に格差をつける行為。それを誰が責められようか。見知らぬ誰かと愛する家族の命。どちらかしか選べないのなら、家族を選ぶだろう。それだけの話だ。

 闇の中に落とされなければ出会えなかった人たちがいる。救えなかった人たちがいる。その代わりに死んだ人たちも、救われなかった人たちも確かにいる。それでも、アルコーンにすべてが救えたとは思わない。彼女はそうあれかしと望まれて生まれたが、決して『デウス・エクス・マキナ』などではないのだから。万能の神がこの世には存在しないように、すべてを救える正義の味方など存在しない。

「だけど……さ。悪いけど、わたしにだって待っててくれる人がいるから……だから」

 キィン、と澄んだ音が響いた。それは汚濁にまみれた彼女には似つかわしくない音で。同時に純粋に自身の幸福だけを追い求めたキーアにもふさわしい音ではなかったけれど。それがもたらした効果は――絶大だった。何もないはずの空間が崩壊していく。可能性だけはそこに残され、存在していたはずの人間の姿が消えていく。醜い絶叫は消え、そして――すべてが消えた。

 

「――ミツケテ」

 

 それはいったい誰が発した言葉だったか。いずれにせよその小さな願いは、いずれかなえられるだろう。もはやその願いを憎らしく思う人間など、存在しないのだから。

 

 ❖

 

 七耀暦1204年12月31日。西ゼムリア大陸の一部の地方から観測されていた不可思議な《碧の大樹》は消滅した。各国の諜報機関はそれが出現した時点で諜報員に情報を集めさせていたが、その情報を正確に報告出来た人間はいなかったという。誰もが狐につままれたような顔をしており、周辺各国も息を詰めてその状況を見守っていたが――しかし、その現象が一体何であるのかが明かされることはついぞなかった。

 そのまま事態を静観しているうちに、またクロスベルから電撃発表が各国に送り付けられた。そこにはディーター・クロイスを廃し、新たに王となる人物の名とその下で政治を行う人物の名のもとに『クロスベル中立国』の成立を宣言する旨が記されていた。もはやエレボニア帝国とカルバード共和国の統治下にはないことを明白に示して見せたのである。

 これに対し、帝国議会も共和国政府もそろって抗議――できなかった。なぜなら、帝国議会はとある放蕩皇子に牛耳られ、共和国は内戦に叩き込まれていてそれどころではなかったからである。レミフェリアとアルテリアは静観し、何と穏健派に見えたリベールがそれに対して承認の意思を見せた。裏では何らかの取引がなされたとみているが、誰もその内容を語ることはなかった。

 それを受けて各地で――特にエレボニア統治下におかれた自治州の独立の気炎が巻き起こる。それが単独で成功することはなかったが、ノーザンブリア自治州をはじめオリヴァルト・ライゼ・アルノール及びアルフィン・ライゼ・アルノール両名の名のもとに独立できた自治州も少なくはなかった。その二人を売国奴とののしる帝国民がいないわけでもなかったが、帝国も外には見せなかっただけで内乱で荒れていたのである。すべてを立て直すためには多少の領地の解放もやむなしであった。

 それらに積極的に介入することなく、クロスベル中立国は自国に干渉しようとした輩のみを退けていた。ゆえにその混乱が収まるころには、クロスベル中立国は帝国と共和国間の新たな緩衝材としての役目を担っていた。なくてはならない調停役に収まったクロスベル中立国には、彼らが付け入るスキなどもはや残されてはいなかったのである。

 もっとも――安定するまでは、そこに付け入ろうとする輩がいなかったわけでもないのだが。いずれにせよ『キーア=デミウルゴス』によって空にふりまかれた災厄は、しかして災厄ではなく束の間ではあれど西ゼムリア大陸に平穏をもたらしたのであった。



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~終章・クロスベル中立国~
クロスベル中立国の成立


 あれから十日ほど経って。クロスベルは宗主アルコーンの名のもとに国家の編成を進めていた。国王に該当する宗主はアルコーン。正式名はアルコーン・ストレイ=デミウルゴス。アルコーン自身が正式名称などいらないと主張したものの体裁の問題でこうなった。ただし彼女は政治には介入しない。必要なことは議会の承認を経て動くだけだ。ゼムリア大陸とは異なる極東の島国ジパングとやらでテンノーと呼ばれる存在に近いだろう。

 彼女はクロスベル中立国の象徴であり、一切の政治に関して口出ししない。ただし、外交上必要な場合のみアルコーンは自らの意志で動くことが出来る。権力はもたないものの、首相の意をくんだ外交を行える国家の顔を担っている。彼女の人生においての異常な伝手の広さを万全に利用しつくせるという意味ではこれ以上ないポジションだろう。

 そのアルコーンに代わる国家代表として存在するのが若き才媛、エリィ・マクダエル首相である。補佐として祖父ヘンリー・マクダエル宰相がつくものの、その政治手腕は祖父にも劣らない。国民からの認知度も高く、支持率も高いがこの地位は暫定である。クロスベルが落ち着けば選挙を行い、多数の立候補者の中から国民が選ぶことになるだろう。

 エリィ首相を支える官僚たちは、外務省と内務省、それに財務省に分けられて配属されている。代表的な人物としては、外務省には貿易担当でハロルド・ヘイワーズが、内務省には恩赦を与えられたアーネスト・ライズが、財務省にはかつて住宅街に住んでいたボンドという人物がいる。この場所に配属された者達は基本的に入れ替わることはないが、例外として異動や罷免されることがある。異動に関しては本人の希望に従うが、罷免に関しては暗部が捜査を一手に担う。

 暗部に配属されているのは、普段《アルカンシェル》で役者をし、接待等で情報を聞き出すリーシャ・マオ。それと、《パテル=マテル》率いる《トーター》の映像で全てを把握するティオ・プラトーとヨナ・セイクリッドである。リーシャは最初この立場に不満を申し立てていたが、宗主アルコーンの「リーシャは踊っている方が似合っている」という言葉で機嫌を直して職務に邁進(つまり、《アルカンシェル》で全力で踊っている)している。

 ティオは日がな一日映像とにらめっこしているのが嫌でヨナと協力して監視システムを組み上げていた。ついでに他国からの情報収集も務め、逐次軍部にそれを流している。おかげでまた《トーター》が魔改造されたのは言うまでもない。街の人たちからも愛されるちょっと機械的なマスコット的立ち位置に収まっているのはそれはそれで不気味ではある。

 軍部には大きく分けて陸軍、空軍、それに親衛隊がある。陸軍元帥にはランディ・オルランド(戸籍を書き換えたため、ランドルフではない)が、空軍元帥にはリオ・オフティシアが配属された。総司令はソーニャ・ベルツが、副司令はレオンハルト・アストレイがつとめる。本来ならばミレイユも空軍に配属されるはずだったのだが、ランディの強い要望により陸軍所属と相成った。ついでにダグラスも陸軍である。

 軍事演習こそまだできていないものの、精鋭たちが集う軍部となっている。なお、訓練から逃げ出した者はもれなくレオンハルトからお仕置きがあるとかないとか。親衛隊隊長はカリン・アストレイで、副隊長がレン・シエル。現状ではまだ二名だが、ここに《パテル=マテル》という最高戦力が配属されていることを考えると過剰防衛ともいえるのかもしれない。

 また、軍部とは分けて警察が残されている。警視総監にはセルゲイ・ロゥが就任させられ、ぶつくさ言いながらもきちんと職務をやるあたりは流石セルゲイ、とでもいうべきか。アレックス・ダドリーもぶつくさ言いながら一課長に出世していた。更に意外だったのが、レイモンド捜査官がに課長に昇進したことである。何でも、人当たりが良いから、とか。

 因みに、自警団は現状では機能していない。というのも、ワジ・ヘミスフィアが姿を眩ませたからである。それもアッバスを連れて。アルコーンには理由は分からずとも向かう先は分かっていた。無論、アルテリアである。彼が《守護騎士》である以上は当然のことだ。そしてヴァルド・ヴァレスは荒れに荒れ、手の付けられない不良に戻る――かと思いきやそうではなかった。

 ワジが消えた数日後、ヴァルドは宗主アルコーンに謁見を申し出た。そしてワジを追うから居場所を教えてほしいと願い出る。アルコーンは少しだけ待てと彼に告げ、必ずワジの下へ連れて行くと約束した。それまではクロスベルから退去した遊撃士の代わりをしてほしい、とも。ヴァルドはしぶしぶそれを受けた。しぶしぶの割にはかなりまじめに働いていたあたり、肌には合うらしい。

 そして遊撃士協会はクロスベルから撤退せざるを得なかった。クロスベルでの遊撃士協会は失態を犯してしまっているからでもあり、クロスベルという国の様子を見るという意味合いもあった。何せ、遊撃士協会から犯罪者を出してしまったからである。アリオス・マクレインは現在刑務所の中で猛省させられていることだろう。遊撃士協会の代わりに、自警団の連中が遊撃士協会の跡地に陣取り、少しずつ支援要請を受け始めていた。

 どうでも良いことだが、ここで刑務所の紹介をしよう。ノックス森林にある拘置所には数多くの犯罪者が今なお収監されている。その中には帝国や共和国にとって不利な情報を持つ者もいた。それを狙ってくる《鉄血の子供達》の残党や《ロックスミス機関》の子飼い達は、拘置所の中に一歩入ったが最後、拘束されることになっている。

 この場所には護衛としてシズク・マクレインが配属されていた。ついでに多数の《トーター》も。シズクは父を守るべく毎日侵入者を拘束することに邁進していた。機会があればアリオスを消したいと思っているものは多数おり、それを狙ってきている人間もいたためである。《トーター》だけで拘束できない人材を拘束するためにシズクは戦っていた。

 そんな中でも変わらないものもある。ウルスラ医科大学は変わらず動いていたし、他の町村も何か特別に変わってしまったということはなかった。完全に余談ではあるが、セシル・ノイエスは看護師長の座を辞退した。まだまだヒラのままで皆の役に立ちたいんです、とのことだ。周囲からは《榛の聖女》扱いされているのにヒラ看護師をつづける姿にファンクラブができたとかできなかったとか。

 ロイド・バニングスとノエル・シーカーはいない。というのも、ロイドはノエルを連れてクロスベルから出奔してしまったからである。最初は単独でクロスベルからいなくなる予定だったが、ノエルが勝手についてきたらしい。フラン・シーカーも一緒にだ。ティオが掴んだ情報によると、彼らはアルテリア方面に向かったらしい。何故そう行くのか、とアルコーンは頭を抱えたくなったとか。同時にキーアも連れて行っているあたり、何を考えているのかすらわからなくで不気味である。

 ともあれ、クロスベル中立国の現状は上記のとおりである。アルコーンは旧市庁舎改め宮殿で今日も報告を聞きつつ形式だけの署名をこなしていた。外は寒いため、内勤であることに少しばかり申し訳なさを感じながらアルコーンは一段落付けて首を回す。そこに、凶悪な進化を遂げた《トーター》が現れた。何とこの時点で彼女ら――名称的には《娘たち》であるので彼女と呼称する――は自立思考まで身に着けてしまっていた。

 そして口を開き――そこまでヨルグたちはこだわった――報告を始める。

「報告します。ガレリア要塞方面より飛行物体と戦車がこちらへ向けて進行してきている模様」

「事前通告を聞いた覚えはないが……致し方あるまい」

 その報告を聞き終えたアルコーンは執務室兼住処と化している自室から出て議会室へと足を運ぶ。速足で行けば一分と掛からずに辿り着ける場所にあるため、こういう点はオルキスタワーと違って便利で良いとアルコーンは思っていた。議会室の扉をあけ放つと、アルコーンはエリィ首相の隣まで急いだ。議会の中にはアルコーンが現れたことに対して眉を寄せた人物もいたが、今はそれどころではなかった。

 それを視認したエリィはアルコーンに問う。

「どうしたの?」

「《トーター》から報告を受けた。状況は?」

 アルコーンの言葉を聞いたエリィは眉をひそめた。アルコーンが何を言っているのかわからなかったからだ。因みに、この時点でエレボニアからは何の通達もない。そのために、エリィは反応することが出来なかった。アルコーンはそれを見て歯噛みし、エリィに状況を説明する。それを聞いたエリィの顔が曇っていく。それほどまでに唐突だったのだ。

 報告を聞き終えたエリィは周囲に指示を出し始めた。

「……そう、エレボニアが……ベルツ総司令に連絡を。国境を越えようとしたりクロスベルに害をなそうとした瞬間に鎮圧するように、と。ただしこちらから手を出してはいけません」

「エリィ首相、《トーター》に映像があるようだ。参考までに」

 アルコーンは《トーター》に命じて映像を投影させた。そこに映っていたのは、灰色の機神と機甲兵。エリィはそれを見た瞬間に連絡事項に追加項目を加えた。即ち、《パテル=マテル》の派遣を。そうでなければおそらくはこちら側に死人が出ると分かっていたからだ。機械の塊に生身の人間ができることはあまりにも少ない。そうして、事態は急激に動き始めた。

 がたりと椅子から立ち上がったエリィは険しい顔で宣言する。

「アルコーンは自室に。現場には私が赴きます」

 しかし、それを止める人物がいた。

「エリィ、兵士の命に責任を持つのは結構だが、それを負うべきなのはエリィではない。国主は座して待つべきだよ」

 穏やかな語り口。まだ青いエリィを支えるためにそこにいるヘンリー・マクダエル宰相である。それを聞いてエリィは今自分が言ったところで何かができるわけではないことに思い至った。機甲兵の群れなのだ。エリィが行ったところで何ができるわけでもなく、むしろ邪魔になるだけだ。非常事態に頭が沸騰しかけていたようだった。

 顔を赤らめたエリィは眉尻を落とし、謝罪する。

「……早まりました。忘れて下さい」

 エリィは悶々としながら自室で待つことになり、ヘンリーはそれに付き添った。因みに、勝った際の対策も負けた際の対策も考える必要はない。何故ならば、今のクロスベルには戦力過多どころの話ではないほどに戦力が固まっているのだ。ぶっちゃけ絡め手さえ使えば帝国と共和国が連合軍になって攻めて来ても勝てる。帝国には丁重にお帰り願う(ただし生死は問わない)ことだけが彼らの仕事である。

 そして、エリィの見る前で殲滅が始まってしまった。《トーター》の親機たる《パテル=マテル》が機甲兵を紙屑のように吹き飛ばすと、無茶を悟ったのか彼らは撤退を始めた。というよりも恐慌状態に陥った、の方が正しいのだろう。散り散りになりながら逃げだそうとする機甲兵。時折《パテル=マテル》に立ち向かおうとする猛者もいたが、すぐに撃退されていた。

 機甲兵たちが逃げていく中、そのしんがりを務めるべく進んできたのが灰色の機神である。ソレは《パテル=マテル》と数合も打ち合わないうちに吹き飛ばされる羽目になったが、それでもあきらめはしなかった。味方を逃がすために《パテル=マテル》と打ち合い、吹き飛ばされながらも時間を稼いだのである。映像を見ながらアルコーンはその中身の人間の評価をわずかながらに上方修正した。

 蹂躙の映像に、ほかの議員たちは言葉も出ないようだ。

「これを、私が命じたのね」

 エリィは次々と吹き飛ばされていく機甲兵を見てそうつぶやいた。覚悟はしていたはずだったが、それでも胸に石を詰めたように気分が沈んだ。目の前に映し出されている蹂躙の光景はあるかもしれなかったクロスベルの姿であり、エリィが命じたことによって失われているかもしれない人命の記録でもあった。この気持ちを忘れないようにしなければ。エリィはそう思った。

 しかし、そんなエリィを慰めるようにアルコーンが声をかける。

「エリィ首相が命じたんじゃない。わたしがそれを望んだんだ。全ての罪はわたしにある」

「……いいえ、アルコーン。それを理由にしてしまっては逃げ続けることになるだけだわ。だから、私はこの光景を忘れない。絶対に、絶対に受け止めてみせる」

 アルコーンがまだ部屋の中にいたことに特段おどろかなかったエリィは、彼女に向けてそう告げた。たとえ命じたのがアルコーンであったとしても、エリィはその結果を受け止めるつもりだった。逃げるのではなく、受け入れる。それが、首相を引き受けた時にエリィが決めたことだった。逃げてばかりいてはクロスベルはいずれ立ちいかなくなるだろうと分かっていたからだ。

 ヘンリーはそんな孫娘を見て抱え込みすぎなければ良いが、と考えていた。昔から何かと抱え込むことが多かった孫娘である。今回も抱え込み過ぎで爆発しなければ良い。そう思っていた。それにつられて、ヘンリーはとある男のことを思い出した。エリィが特務支援課に入ってから惹かれ、今では恋焦がれて行方を探させている男のことを。

 彼がいれば、恐らくエリィは大丈夫だろうと思える。しかしながらその男は今クロスベルにいないというのが現実である。ヘンリーが掴んでいるのは、彼が他の女たちとアルテリア方面に逃げたということだけ。彼が何が目的で逃げているのかは分かっていない。連れがいる以上はあまり無理はしないだろうとは思うのだが、それでも動機くらいは知りたいと思っていた。

 ヘンリーの思考とは裏腹に、エリィが思い詰めているのを察したアルコーンは一つ提案する。

「……そっか。一段落ついたらエリィ、一回首脳会議っていう建前で外遊することになるからその時にちょっと羽伸ばしておいでよ」

 しかし、その言葉に対してエリィはじっとりとした目をアルコーンに向ける。どうもこの同い年に見える元同僚は、自身が国の顔であることをたまに忘れているらしい。そういう外遊にはアルコーンだけで行くか、あるいはエリィと二人で行くかのどちらかの選択肢しかありえない。エリィだけで出向くことなどあり得ない話だ。リベールのクローディアのように能力があるのならまた別だが、エリィはまだまだ未熟なのだから。

「他人事みたいに言ってますけどね、貴女も行くのよ?」

「……そうだけど、その間の代理は誰か決めた?」

 アルコーンにそう指摘されてエリィは詰まった。今のクロスベルの状況で代理を任せられるような人物など思い当たらない。それこそ、アルコーン以外には。ヘンリーを置いて行くという手もあるが、まだまだエリィは未熟。彼をおいて首脳会議に行ってしまえば、自身が知らないうちにポカをやらかしてしまうかもしれない。その時には謝罪だけでは済まされない。国の行く末に関わるのだ。慎重にいきたかった。

 とはいえアルコーンだけを置いていくわけにもいかない。

「まだよ。でも、貴女に任せると独裁って言われそうになるからやめた方が良いと思うの」

「違いないね。じゃあ、カリンにする?」

「カリンさんだとアルテリアの介入がありそうじゃない? それに、他の人でも同じよ。……こんな時に、彼がいてくれたら任せられたかもしれないのに」

 エリィは最後の言葉を呟いたつもりだったのだろうが、アルコーンには聞こえていた。エリィが彼と呼ぶ存在は今丁度アルテリアにいるはずである。幸い、アルコーンには分け身があるためにちょっと行って帰ってきてもばれないだろう。連れ戻すついでに諸々やるのには都合が良い。『キーア』とも決着がつけられたのだ。ならば、あちらとも決着をつけねばならないだろう。

 アルコーンはエリィにこう告げた。

「エリィ、ちょっと出て来る」

「いきなり何よ、アルコーン。しかもどこへ行く気なの?」

「アルテリアまで。リーシャと親衛隊とヴァルドは借りてくよ?」

 エリィはアルコーンがしようとしていることが分からなくて困惑した。しかし、親衛隊を借りられるのは困る。帝国から侵攻された際、《パテル=マテル》が後ろに控えているのといないのとでは全く違うからだ。今回は機甲兵だけで済んだが、いずれ戦車を大量に投入される可能性もあれば飛空艇を大量に投入される可能性すらあるのだ。防衛という意味では《トーター》も《パテル=マテル》も温存しておきたかった。

 よって、エリィが返す言葉はこれだった。

「《パテル=マテル》は置いて行って頂戴。抑止力になるから」

「分かった。分け身を置いて行くから仕事に関しては心配しなくて良いよ」

「そんな心配はしてません! ……何をしに行くのかは知らないけど、無事に帰ってきてね」

 そしてエリィはこっそりと宮殿を抜け出すアルコーン達を見送った。そのエリィの背後では、《トーター》が映し出す戦場で《パテル=マテル》が丁度戦闘を終わらせたところだった。

 この日、エレボニアは持っている戦力の半分の機甲兵を喪う羽目になった。

 

 ❖

 

「……キーア」

「ロイドさん……元気、出してください。大丈夫ですよ、きっと……」

 ロイドは悲痛な表情で腕の中で眠るキーアを見つめていた。《碧の大樹》で可能性のかけらを見た後、一気に《メルカバ》の手前まで押し戻されたのである。その時にはすでにキーアはこの状態――心神喪失状態だった。何を話しかけても反応しようとはしない。時折言葉を発することはあっても会話にはならない。ただ、ごめんなさいと。何かに謝罪するだけのうつろな少女となり果てていたのである。

 抱きしめられる感触に反応してか、か細い少女の声が漏れる。

「……ごめんなさい……ごめん、なさい……」

「キーア……っ! キーアは悪くないんだ……だから、だから……!」

「……ごめんなさい」

 そんな彼女をどうにかしていつもの元気な彼女に戻すべくロイドはアルテリアに来ていた。ロイドが危なっかしく見えたのかノエルも一緒で、途中からは旅行の荷物を整えたフランが合流した。ただただロイドはキーアに笑ってほしい一心でアルテリアに来たのだ。だからこそ、彼がアルテリア大聖堂に侵入するのも当然のことで。しかしながらそれがとがめられないのが異常なことだとも気付けてはいなかった。

 彼が大聖堂に潜入した時点で事態は大きく動いており、七耀教会はその進退を問われるような事態にまで陥っていたのである。そこにキーアというアーティファクトモドキに対する対処を行えるような人材は、余ってなどいなかった。



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《盟主》と決着

 この日、アルコーン達はアルテリアに潜入していた。メンバーはアルコーン、リーシャ、レン、カリン、そして何故かヴァルドである。ほぼ顔の割れているメンツばかりではあるが、変装して情報収集を行う分には何ら問題はないのである。リーシャは気を操って体型を変え、カツラをかぶって男性風の格好になっている。ついでにヴァルドとつるむという暴挙に出ているが、ヴァルドはリーシャのことを全く意識していなかった。

レンは変装することは出来るが、したところで情報収集をする子供など不審過ぎるので潜伏組だ。同じく潜入が絶対にばれてはいけないアルコーンと顔が売れすぎたカリンも潜伏組である。潜伏組はアルテリアにある宿で暇を持て余していた。

と、そこに上手く気配を殺した人物が扉の前に立った。残念ながらヴァルドでもリーシャでもない。見覚えのある気配ではあるが、誰だか特定することは出来なかった。つまりは、潜伏がバレた可能性があるということである。アルコーン達は武器を手に取り、室内で待機する。

そして、扉が叩かれて声が掛けられる。

「ルームサービスをお持ちしたのですわ」

 その声にアルコーンは頭を押さえた。レンも同様である。その声に聴き覚えがあったのだ。それも、つい最近に。そんなルームサービスを恃んだ覚えもなければ彼女にルームサービスをしてほしいとも思ってはいないが、声の主は返事を待つことなく扉をピッキングして開け、数名を引き入れてから扉を閉めた。とんだ暴挙である。しかし以前は無法者の仲間だったので扉を斬って登場しないだけマシというものか。

そして、再び口を開く。

「全く……警戒するのは良いと思いますけれど、流石にこの戦力で取り囲まれるのはいい気はしませんわよ?」

「何故ここにいる? デュバリィ」

 そう、声の主はデュバリィだった。そして、招き入れられた数名とはエンネアとアイネス、それにアリアンロードだった。彼女らは何故かメイド服に身を包み(アリアンロードも含む)、ワゴンを引いて来ていた。偽装のようだが、こんな美貌の四人がメイド姿でいるなど目立つとは思わなかったのだろうか。ワゴンをわきにのけると、デュバリィはアリアンロードの後ろへと下がった。

そして、アリアンロードが口を開いた。

「久しぶりですね」

「ああ、久し振りだ」

 アルコーンは苦笑してそう答えた。わずかに胸のうちが痛みはするが、それだけだ。いつまでも過去にとらわれたままの彼女等見ていたくはなかったが、そのくびきを永遠に凍結させてしまったのは自分だという良心の呵責がその痛みを発させている。とはいえあの時点でアルコーンがアリアンロードに勝つにはそれしかなかった。歴史にIFは存在しえない。

わずかに顔を曇らせたアルコーンはアリアンロードに問いかけた。

「どうしてここに?」

「教皇を……いえ、盟主を討つためです。そのために協力を要請しに来ました」

 アリアンロードの眼には確かな焔が宿っていた。アルコーンには何故ここまで感情を表に出しているのかは分からなかった。しかし、アリアンロード本人がその答えを返してくれた。

「私の可愛いデュバリィを過労死寸前までこき使ってくれた返礼とでも言えば良いでしょうか? 無論、それだけではないですが」

「……アリアンロード、もしかしてそっちのケが……」

「ありません。私が愛するのはドライケルスだけですから」

 そうアリアンロードが言ってからはっと口を抑えた。その言葉にアルコーンも目を見開く。確かにその思考は凍結してやったはずなのに、それを口に出せるというのはどういうことか。微妙な沈黙が流れ、しかしてアリアンロードが苦笑する。

「……いえ、詮無きことです。私はもはやリアンヌ・サンドロットではなくただのアリアンロードとして生きると決めたのですから」

「それは……」

「気に病むことはありません、我が弟子よ。私の意思を捻じ曲げようとしたことだけは赦しませんが、執着しすぎていたことも確かですから」

 その言葉以上にアリアンロードは何も語ろうとはしなかった。しかし、教皇を――否、盟主を討とうとする意志だけは本物のようだった。世界は試していいものではないという認識自体は彼女にはあるようである。これならば敵対することもないだろう。そう思ってアルコーンは街中に情報収集に出ていたリーシャ達を呼び戻し、作戦会議を始める。その結果、教皇と相対するのはアルコーンで、その間に星杯騎士団の連中を相手するのはアリアンロード達とリーシャ達と相成った。

 そして、彼女らはアルテリア大聖堂に潜入した。目指すは教皇の居室である。大聖堂中枢に位置するその部屋に辿り着くのは、実は難しいことではなかった。星杯騎士にのみ教えられたルートとアリアンロードだけが知っているルートを重ね合わせれば最短距離で行ける方法が浮かび上がってきたのである。なお、アリアンロードが知っていたのはこの場所が《身喰らう蛇》の本拠地であるとアルコーンが告げたからである。

《身喰らう蛇》の本拠地は地下から侵入し、曲がりくねった迷路を通って辿り着く為に場所の把握が出来ないようになっているのだ。故にアリアンロードも薄々そうではないかと思っていたが確信は持てなかった。余談ではあるが、アリアンロード達は既に目立たない格好――この場では法衣がそうである――に着替えていた。とんだコスプレ集団である。

 途中で何度か一般の騎士に会うこともあったが、気配を消してさえいれば全員がすり抜けられた。無論ヴァルドもである。ヴァルドが気配を消せる理由は、特殊オーブメントのおかげである。気配が消せるというよりも姿が見えないだけなのだが、それで十分だったようだ。騎士の質の低下というよりは、オーブメントの性能のおかげだった。

 そして、一行はとうとう教皇の自室にまで潜入した。教皇はベッドに腰掛けて待ち受けていた。そして、彼女は口を開いた。

「……案外、早かったわね。もっと後かと思っちゃったわ、リアンヌもアルシェムも」

「予想していたのですか、盟主?」

「ええ、気付かれることなんて想定内。だけど、もっと後だとは思ってたわ」

 教皇エリザベト・ウリエルは、予想に反して幼い印象を受けた。ただし、姿かたちはきちんとした大人の女性である。まるで精神の年齢だけをどこかに忘れて来たかのような、そんな印象を受けた。女性の肉体に子供の精神。ちぐはぐな印象はキーアを想わせて、アルコーンはわずかに眉を寄せる。しかしそれにエリザベトが構うことはない。

エリザベトはベッドから立ち上がってこう告げる。

「ねえ、全部至宝は集まった?世界を平和にするためには全部の至宝が必要なの。どれが欠けてしまってもいけないわ、だってアレは世界を作ったものだから」

「今日ここに来たのは至宝を受け渡すためではありません、盟主」

 アリアンロードが感情を感じさせない声でそう告げた。すると、エリザベトは眼を見開き、次いで首を傾げた。そして、問うた。

「どうして? 世界が平和になったら、みんなみんな幸せでいられるんだよ? ねえ、どうして至宝を持ってきてくれないの?」

「至宝がすべてそろったとして、その後本当に幸せな世界を作り出せるとは私にはもう思えないからです」

 言いながら、アリアンロードは言い知れぬ不安を感じていた。あるいは違和感とでも言いかえるべきか。とにかく、目の前の女性からは盟主らしさが何処にもない。理念は同じかもしれないが、こんな子供のような発言をする人間ではなかったはずだ。アリアンロードの中では彼女には立派な志があり、もはやついていくことのできないほどの崇高な意思を掲げていた人物だったはずだ。

 アリアンロードの疑念を裏付けるかのようにエリザベトは振る舞っていた。それも、意図的にである。その目的は、時間稼ぎ。何のための、とは明示しないが、それでもエリザベトは時間を稼いでいた。自分の考える世界の安寧のために。自分の作り上げる砂の城が完璧な存在であると心の底から信じ切っている彼女はある意味純粋な子供だった。

 

そして、その時間稼ぎは――成った。

 

 廊下から足音がしてエリザベトの自室の前で止まる。その気配にアルコーンは覚えがあった。それは最も危険にしてこの場で相手にしてはいけない人物。彼女は扉を文字通り打ち抜いてエリザベトの自室へと侵入した。

「ご無事ですか、教皇聖下……何?」

「案外早かったな、アイン・セルナート」

 彼女の名はアイン・セルナート。星杯騎士団の総長にして守護騎士の第一位《紅耀石》。彼女と彼女の連れる星杯騎士たちがエリザベトの自室を取り囲んでいた。アインはアルコーンがその場にいることに違和感を覚えた。彼女の記憶が正しければ、アルコーンは今クロスベルに釘付けになっていなければならないはずの人物である。そして、ここにいても自分たちに外法認定されかねない人物だとも。

凍りついた空間の中、最初に口を開いたのは意外にもアリアンロードだった。

「アルコーン、盟主は任せます。……彼女らは、私達が押さえましょう」

「恩に着る、アリアンロード」

 アリアンロードはエリザベトに背を向けてアインに向きなおった。アインは一瞬眉をひそめたもののその正体が誰であるかすぐに看破した。そしてハンドサインで他の星杯騎士を下がらせる。一般の騎士たちでは秒と立ってはいられないだろう。それがわかっていたからこそ下がらせ、最大限の警戒をもってアリアンロードをにらみつける。

そんなアインを見ながら、エリザベトは口を開いた。

「構いません、アイン。今は話の途中です。最後まで弁明を聞いてからでも遅くはないでしょう」

 そう言ってアインを下がらせるエリザベト。その光景にアリアンロードは少しだけ安堵した。この雰囲気こそが、盟主が盟主たる所以。何物をも超越したかのような語りは、何故か従わざるを得ないような雰囲気を醸し出していた。

 超然とした威圧感を醸し出しながらエリザベトが問う。

「それで……何か、申し開きはありますか?この場で私を襲おうとしたことについての弁明は」

「……敢えて言うならば、今の貴様を引き出すためだ。先ほどまでのような童女の如き貴様ではなく、な」

 アルコーンは辛うじてその言葉を絞り出した。先ほどまでアリアンロードが感じていた不安を、アルコーンもまた感じていた。その違和感は今、決定的になった。ここにいるエリザベトは先ほどまでのエリザベトではない。まるで別人のよう。否、まさしく別人であった。先ほどまでアルコーンと問答をしていたエリザベトと現在アルコーンの目の前にいるエリザベトは、身体は同じでも中身が違ったのだ。先ほどまでのエリザベトを『エリザベト』と称するならば、今のエリザベトは――神だ。

 そこまで思考が至った時、ふっとエリザベトが笑みをこぼした。

「……よくぞ見抜きましたね、デミウルゴスの娘よ」

「どの口でそれを言う、空の女神」

 これは七耀教会の内部の、それも中枢のほんの一握りしか知らぬことであるが、教皇と成れる人物にはある特徴を備えていることが求められる。それは、即ち空の女神との交信を行うことが出来る一種の巫女的存在。ただし、これにも裏話がある。教皇と成れる存在が発見されるのは先代が亡くなった直後であり、その先代の亡骸は発見されることはない。ただ次期教皇が先代の死を告げるだけである。そうして、不老不死のエリザベトは怪しまれることなく昔からずっと教皇の座に収まっていたのだ。自らの内に生まれた人格に、『エイドス』と名をつけたその時から。

 アルコーンはその背に聖痕を浮かべた。以前とは違い、その形は変容してしまっている。六枚の花弁をもつ蒼銀の雪紋様だったそれは、いつしか六枚の蒼い花弁と六枚の銀の花弁をもつそれへと変化していた。アルコーンが展開したそれを見て、アインは顔を引きつらせる。何故ならばそこに内包された力の圧を感じ取ってしまったからである。それは、人間の扱える量を既に凌駕してしまっていた。

そんなアインの内心もいざ知らず、アルコーンは口を開いた。

「さて、今までさんざんコケにしてくれた返礼をしに来たのだが……大人しく受けるつもりはあるか? 教皇エリザベト・ウリエルにして盟主エリザたる空の女神よ」

 その言葉にアインは思わず口をはさんでしまった。雰囲気にのまれてはいても、その言葉だけは見逃せるものではなかったのである。自分たちとあの薄汚い《身喰らう蛇》の上層部が同じだ、などとそんなおぞましいことを考えたくもなかったのである。それではまるで自分で自分の身を喰らいあっているような緩慢な自殺ではないか。

 ゆえにこそ《身喰らう蛇》なのかもしれない、という不吉な考えを頭の隅に追いやってアインは問うた。

「待て、アルシェム……お前、何を言っている?」

「アルコーンだ。とぼけるのは止めた方が良い、アイン。薄々は気付いていただろう? 星杯騎士団も《身喰らう蛇》も所詮同じ穴の貉。同じ目的に向かって違った形で運用されているにすぎないのだと」

 アインは複雑な顔をして黙り込んだ。星杯騎士団は主にアーティファクトの回収を任務とし、外法を狩るのが任務であり責務である。そして、《身喰らう蛇》はアーティファクトの至高の一である七の至宝を集めていることが分かっている。アインの聞いた教皇の目的でもあり空の女神の望むところとしては、世界の恒久的平和が含まれている。そして、リオから報告された結社の目的も世界の平和だった。先ほど頭の隅に追いやった思考も、その思考に拍車をかける。

 そこでレンが口を開いた。その手には既に大鎌が携えられている。いつでもアルコーンを守れるように、レンはスタンバイしてもいたのだ。

「うふふ、結構うまくできたマッチポンプよね? 危険物がここにありますよって伝えて手放させるのが結社の役割なら、じゃあ回収しますって言って回収するのがお姉さんたちの仕事なんだもの。アーティファクトが危険物なのは今や周知の事実だものね?」

「それは、そうだが……いや、理に叶ってはいる訳か」

考えてみれば実に簡単なことでもあった。全てを俯瞰できる場所から見る必要はあるものの、逆にそれさえできれば分かることである。《身喰らう蛇》がアーティファクトを利用して危険な事件を起こし、星杯騎士団が危険なものだと分かったアーティファクトを集める。アーティファクトとは危険なものであると人間に理解出来れば余程欲にまみれていない限りは手放すことを選択するだろう。そうでないものは外法認定して強引に回収すればいいだけである。

星杯騎士団と《身喰らう蛇》はアーティファクトの回収という点においてはマッチポンプ的な関係にあると言っても過言ではない。まさに《身喰らう蛇》といったところか。そして、アーティファクトという危険物を回収してしまえば、そこに残るのは普通の人間の暮らしである。導力という少し便利な力はあるものの、いずれそれも統制されて空の女神の名のもとに振るわれるだけの力となり果てるだろう。

エリザベトは――否、エイドスは、目を閉じてその推理を聞いていた。そして、聞き終わると目を開いて手をぱちりぱちりと打ち鳴らした。

「よくできました、とでも言いましょうか。確かにアーティファクトはあってはならないものです。だからこそ回収させているのですが……」

「全部が全部貴様が作ったわけでもなかろう? ある意味《塩の杭》だけは完全に貴様が作ったものだろうが」

「はい。特に《七の至宝》に関しては古代人が作ったものです。……古代文明は《七の至宝》を以て栄華を極め、そして空より舞い降りた滅びの星により滅亡しました。……私を除いて、ね」

 次々と明かされる真実にアイン達は何が何だか分からなくなってきていた。教皇が盟主で、空の女神である。その事実だけで彼女らは動くことが出来なくなってしまっているのだ。置き去りにされているのはリーシャ達もであるが。そんなアイン達を放置して話は進む。今や、全てを理解出来ているのはアリアンロードとエイドス、それにアルコーンだけだった。辛うじてついていけているのがレンだけでもあるのだが、それはさておき。

 嘆息したアルコーンが言葉を吐き出した。

「古代文明とやらの発達は恐ろしいものだったようだな」

「ええ。人間の寿命を無くす薬に、汚染された水を浄化する装置。いつまででも燃え続けるように設計された永久機関に、人間が生きていける環境を作るための土壌。薬品にまみれた空気を浄化する装置に、時をさかのぼるための装置。挙句の果てには因果律を歪めるAIと豊かに生きていける箱舟まで創り出した古代ゼムリア人は狂気極まる発展を遂げていたと言っても過言ではないでしょう。……それも、隕石によって崩壊しましたが」

 よどみなくそう続けたエイドスの言葉は、否応なしにそれが《七の至宝》の全容であることを信じさせた。今の技術では到底できないことをやってのけるのが《七の至宝》である以上、そんな有り得ない効果を持つものが《七の至宝》でないはずがないと信じていた。否、それ以上のものが出てくることはないと心が信じたがっていたのだ。

 険しい顔でアルコーンが詰問する。

「その古代文明の欠片を寄せ集めてどうするつもりだ、空の女神」

 その問いに対し、エイドスは確固たる意志を示す。

 

「――世界を、あるべき姿へ戻すのです」

 

 エイドスはアルコーンを真っ直ぐに見てそう告げた。その瞳にはある種の狂気が宿っていた。アルコーンはエイドスを睨みつけた。しかし、エイドスはその程度の怒りに怯むことはなかった。何せ、千数百年もの間、彼女は人間と関わってきたのだから。教皇として、あるいは盟主として。人の欲と号に向き合い続けてきた彼女がそれに耐えられないことなどありうるはずがない。

 理解を得られないことを見通したエイドスは軽く瞑目して告げる。

「少し、昔話をしましょう」

 アルコーンはエイドスのその言葉に首肯はしなかったが、エイドスはそれに構わず話し始めた。自らの過去を。そして、自らの使命を。

 



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《空の女神》伝説

エイドスという少女ははるか昔、とある研究者夫婦の娘として生を受けた。その研究者夫婦はいくつもの論文を発表し、人類の発展の大いに貢献した人物でもあった。皆が彼らをほめたたえ、皆がエイドスに期待をかけた。幼少の頃より英才教育を施されたエイドスに自由はなかった。しかし自由はなくとも困らなかった。エイドスは学びこそ人生のすべてだと思っていたからだ。

幼少期のおもちゃは父のノートで、それを読み解けるだけの頭をすでに有していた。それを知った両親は計算機代わりにとエイドスを使い、エイドスもまたその能力を万全に使ってそれに答えた。それが異常なことだと指摘できる人間はそこにはおらず、また止められていたとしても未来は一切変えることなどできやしなかっただろう。

エイドスは様々な知識を吸収し、美しい女性へと成長していった。結婚相手も決められてはいたが、エイドスには男女の機微は分からなかった。何せ、ずっと勉強漬けだったからである。知識として知ってはいるものの、壊滅的に人付き合いをすることがなかったために起きた弊害だった。とはいえエイドスがそれで困ることはある人物に出会うまではなかったのだが。

しかし、ある時転機が訪れる。というのも、結婚相手である男――名は、ウリエルと言った――が、エイドスに猛アタックを仕掛けて来たからである。事あるごとに付きまとい、エイドスの邪魔をし、邪険に扱われてもウリエルが諦めることはなかった。最初は研究結果を盗み取ってやろうという打算があったようだが、最後には愛情しか残らなかった。エイドスも少なからずそれを受け入れて行ったのである。

ようやくエイドスがウリエルを認め、愛するようになったのはエイドスが成人をとうに過ぎたころだった。その時には最初の婚約相手とはすっかり疎遠になり、ウリエルとばかりいるようになっていた。その件でウリエルは苦労していたらしいが、それをエイドスに明かすことはなかった。もっとも、明かしていたところで何かが変わるわけでもないが。

エイドスはウリエルと結ばれ、子を成した。子にはエリザベトと名をつけた。幸せの絶頂期だった。今ならば何も怖くないと。ウリエルと、エリザベトと。三人で幸せに生きていけると思っていた。ちなみに婚前交渉の上に結婚式の前に子供ができていることについては両親からこっぴどく怒られたが、エイドスは愛だけで乗り切っていた。

そこで再び転機が訪れる。エイドスとウリエルが出来ちゃった結婚を両親に明かし、そしてそれが認められて結婚式を行うとなったまさにその日のことだった。空から、七色に燃える隕石が降り注いだのだ。これまでの技術では隕石を破壊することなど容易かったはずである。しかし、その隕石は所謂一般的に隕石と呼ばれるものではなかったのだ。

美しい七色の光が降り注ぐ。人々は最初、それを神の恩寵だと思った。しかしそれらは人類の生活をことごとく破壊していったのである。大気圏に突入する際に砕けてはいたものの、それでも容易に人間を殺せるだけの威力のある石が降り注ぎ――そして人類を殺した。徹底的に。二度と立ち直れないのではないかと思うほどに。しかして、生き残った人物は一人だけだった。

その隕石の正体こそが、七耀石と現在では名づけられている物体である。七耀石で出来た隕石はエイドスの幸せを全て打ち砕いた。幸せに満ちた家族を殺し、降ってきた隕石からエイドスをかばったウリエルを殺し、そして自身は庇われていたはずなのにウリエルを貫いた七耀石がエイドスの腹をも貫いてエリザベトをも殺した。そして、エイドスは独りとなった。

エイドスは、隕石が降ってきてからというものの呆然として何も手に着くことがなかった。この惑星にいたはずの人類はエイドス以外誰も生き残ってはいなかったのである。誰もいないからこそ、エイドスは誰にも癒されることはなかった。エイドスは壊れ、やがて自らのうちに眠っていたもう一人の人格を呼び覚ますことになる。エイドスは彼女をエリザベトと名付け、狂気を膨らませていった。

ある日にはエイドスはエリザベトに話しかけ、エリザベトはそれにこたえる。エリザベトが問いかけることもあれば、エイドスが答えることもある。育まれる狂気。自罰的な感情も相まって、エイドスは見る見るうちにやせ衰えた。しかしどうしても死ぬことはできず、ただ生きる苦しみを味わうことしかできなかった。一人残された苦しみは、エイドスを確実に狂気に陥れていた。

そんなとき、宇宙探索船団が帰還して故郷の惨状を見た。船団の長はエイドスに食って掛かり、罵声を浴びせ、罰を与え、そしてエイドスの尊厳を踏みにじった。そうして、宇宙探索船団のメンバーは別の星に移住すべく旅立ってしまったのである。罰として開発の末に出来上がっていた不老不死の薬を飲まされてしまったエイドスと、船団の長の間違いの種を残して。

生まれて来た子を見てエイドスは彼女らに縋りついた。エイドスが生んだのは男女の双子。男はウリエルに、女はエイドスに瓜二つだったのである。エイドスは男児にアダムと、女児にリリスと名付けた。昔あった聖書からとった名である。もっとも、エイドスはその名の意味を知らないのだが。アダムとリリスはすくすくと育ち、多数の子を成し、人類を生み増やしていった。

今現在ゼムリア大陸にすむ人間は、すべてこのアダム、リリス、エイドスの誰かの血を引いている。大本をたどれば皆エイドスの子孫だということにもなる。人類の母、すなわち彼女はなるべくして神と崇め奉られるようになるのだ。それを彼女が望んでいるかどうかは別にして、彼女こそがこの星を代表するにふさわしい人間だった。

アダムはエイドスとも交わり、子を増やすのに大いに貢献した。アダムとリリスが死んだあとは、ネズミ算式に勝手に子供達は増えていった。それでも、かつての繁栄には足りない。そう思ったエイドスは古代文明の叡智――後に《七の至宝》と呼ばれることになる高度な知識を持って創り出された機械――を復活させ、自身の血を継いだ人造人間を作り出していった。

そうして、世界は出来上がっていったのである。エイドスは死ぬことも出来ず、また子供達に神とあがめられるようになりながらも道を模索した。どうすれば罪を償えるのかと。どうすればもう一度ウリエルに会えるのかと。そんな時に、時をさかのぼる装置のことを思い出した。それさえあれば、ウリエルに会いに行けるはずだと。しかし、それだけが行方不明になっていたのである。

エイドスは考えた。知恵熱が出て寝込むまで考えた。考えて、考えて、考えて――ついに、結論を出した。自分だけで見つけられないのならば、子供達にも探して貰えば良い。アレは危険なものだから、回収させて貰う。回収して、利用できるものは利用して、それでウリエルの下へと帰ろう。ウリエルの下に帰ったならば、あの七耀石の隕石をどうにかして消滅させるのだ。そうすれば過ぎた力を使って傷つけあう人類を止めることが出来る。

そうして、再び古代文明の叡智に支配された世界へと戻すのだ。そうすれば誰も不幸になる人間なんて出なくて済むのだから。エイドスの研究にはそれだけの力がある。そう信じて。

 

 ❖

 

長い話を終えて、エイドスは満足そうに溜息を吐いた。そして、自信満々にアルコーンを見る。これで信頼してくれるだろうと。これで、協力してくれるに違いないと。少なくともエイドスにとってはそれだけの価値のある話であったし、実質その話にひかれなかった人間がいないわけでもなかった。特に時をさかのぼれるというところに魅力を感じた者は多かったはずだ。

しかし、アルコーンの答えは違った。当然だろう。その時を戻すという禁忌に似た行為に手を染めた人間がいたからこそ彼女は生まれ、苦しみ、ここまで歩んできたのだから。これ以上自身と同じ人間を生み出すことを許容できるはずがなかった。因果律のゆがみによって生み出される不幸な子供たちを出すことなど、決して許せることではないのだから。

だからこそ地の底から響くような声でエイドスを威圧する。

「……戯言は、それで終わりだな?」

「……え?」

 アルコーンの言葉に呆けたエイドスは、次の行動に反応することが出来なかった。話についていけなくなっていたリーシャ達は既に抜刀しており、アルコーンの出した合図でエイドスを切り裂いていたのだ。いかな不老不死であろうと、エイドスが人間であることに変わりはない。血を喪えば少しの間は動けなくなること請け合いだった。そして、次に鳴り響いたのは発砲音。そこに装てんされていたのは《塩の杭》製の銃弾だった。

エイドスは一度塩となり、そして人間に戻ろうとする。それこそがエイドス自身が開発した不老不死の薬の効果である。元々不老不死の薬とは、罪人に用いるものであったのだ。罪人はいかなる拷問を受けても止む無しとされていた古代文明では、罪人にその薬を飲ませて繰り返し拷問を行い、心を折る。そして、心が完全に折れた罪人はそのまま輸血や臓器移植のためのパーツとされて刑を執行される。つまりは、死刑である。

あまりの非道さに倫理観を以て訴える政治家はいたものの、一般的に出来る臓器移植よりもよほどコストがかからず罪人も処分できるとあればその薬を廃棄することなど出来ない。ゆえにこそ重宝されており、ゆえにこそエイドスは特別視されていたのだ。研究結果を盗み取って不老不死になりたい人物など腐るほどいたのだから。倫理的な問題をクリアできる人間はいなかったようだが。

そして、アルコーンは仕上げとばかりに人間に戻ろうとしたエイドスを氷漬けにした。こうなってしまえばエイドスは動くことは出来ず、言葉を発することは出来ない。それは皮肉にも、古代の死刑の方法とあまりにも似通っていた。そこに臓器と血液が残されているだけまだ慈悲があるともいえるだろう。古代の罪人はそのどちらも抜かれ、石化させられて破砕処理されていたのだから。

そんな状態のエイドスに、アルコーンは告げた。

「驕るな、エイドス。過去を変えてどうなる? また新たな『わたし』を生むか? ……冗談じゃない。そのまま眠っていろ、永遠にな」

 あまりの光景に、誰もが言葉を喪っていたところにアルコーンの言葉は響いた。最初に我に返ったのは流石というべきか、アインだった。アインはアルコーンの行為を認識して、理解すると同時にアルコーンに襲い掛かろうとする。仮にもアインにとっては敬うべき教皇だったのだ。だからこそそれを害する人間を放置することなどできようはずがない。

しかし、それはアリアンロードに止められた。

「いきなり襲いかかるのは感心しませんよ? 《紅耀石》」

「……ふざけるな、何の悪い夢だ……」

 アインはこの状況を理解はしていたが、納得は出来なかったのだ。ただ、分かっているのは昔自分を取り立ててくれた教皇が死んでしまったという事実だけ。アインの行動を見て、他の星杯騎士も我に返ったかのように動き始めた。そして、その中にいるはずのない人物がいることには誰も気づかなかった。とはいえそれ以上のインパクトのある人間が紛れ込んでいたからでもあるが。

 彼は母を殺されたことに呆然としていた。エイドスとアダムという近親相姦から生まれたもっとも不死に近い人物は、エイドスと同じく金色の髪を肩口でそろえた少年だった。母に愛され、母を愛し、世界を愛し、しかしながら世界には愛されていなかった少年だった。近すぎる血は異能を生み、彼にドッペルゲンガーを生み出させてしまったのである。

そんな彼は、ふと我に返って――アルコーンに向かって攻撃を仕掛けた。

「お前は……」

「一応さ、あんなんでもママだったんだよね。だから……死んでよ、アルコーン」

 アルコーンはその少年の姿を見たことがあった。教皇の息子ジョバンニ。そして、アルコーンはその少年が一体何であったのかを半ば反射的に掴んでいた。

「もう終わったんだ、大人しく死んでおけ――カンパネルラ」

 アルコーンはジョバンニを氷漬けにした。彼もまたエイドスと同じく不死性を持つ者。故に、アルコーンは無意識のうちに同じ処置を施していた。そうしなければ復活してしまっただろう。母を望み、母を無残な姿にしたアルコーンを一生追い続けただろう。そんな人生を送らせる必要はもうない。そう感じたからこそ、アルコーンはその処置を施したのである。

 そして――大方の騎士たちは何も出来ずにアルコーンの氷に拘束された。しかし、拘束できたのは全員ではなかった。それを逃れたのはアインを筆頭とする守護騎士達。この場にいた守護騎士はアインとケビン、それに後ろの方にいて顔が見えなかったワジである。それと、もう一人逃れたものがいた。彼は前方へと歩み寄ってきた。その手にトンファーを携えて。

 その顔に目いっぱいの嫌悪を浮かべ、ロイドは問う。

「アル、一体これは……」

 しかしアルコーンはそれどころではなかった。ロイドは法衣を着て潜入していたのだが、それが恐ろしいくらいに似合わないのだ。タキシードよりも似合わない。いつもの服を着て登場された方がまだマシだっただろう。ロイド・バニングスという人間には、型にはまった制服は恐ろしいほど似合わないのだ。その性格と同じで、型にはめられないのである。

 思わずアルコーンは突っ込んでしまった。

「ロイド、お前、法衣が恐ろしいくらいに似合わないな」

「はぐらかさないでくれ……! 一体、どうしてこんなことを!?」

 ロイドはアルコーンに詰め寄ろうとする。それを問う権利がロイドに存在するかどうかはまた別の話であり、今ここでロイドが口を挟めるような問題でもなかった。とはいえ彼の本質は警察官であり、目の前で人間が無残に打ち砕かれた光景を見て黙っていることなどできなかったのである。義憤を目に浮かべ、にらみつけるロイド。

しかし、それを止める者達がいた。言わずもがなリーシャ達である。そうして、この場は硬直状態に陥った。

アインは部外者で手を出さないはずではなかったのかという視線をロイドに送りつつも警戒を解かない。ここにロイドを連れてきたのはアインだが、ここでしゃしゃり出るとは思ってもみなかったのである。事態を把握していないその他大勢は誰コイツ、と思っている。もしくは何故ここに、誰がこの機密情報満載のところに連れ込んだ、などと考えていた。

そんな空気を打ち砕いたのは問われたアルコーンだった。

「どうして、と言われてもだな。これがクロスベル独立をリベールから認めてもらう条件だったのだから仕方がないだろう」

 その言葉にロイドは少しく瞠目する。

「どういう、ことだ」

 返答次第によっては、ロイドはここでアルコーンを止める気でいた。人を殺して得られる国など、ろくな国ではないからだ。他の誰が認めようともロイドは認めたくなかった。どの国も流血の上に成り立っていると理性ではわかっていても、いざ目の前にしてみれば認めたくないのである。それを成したのがかつての仲間であったのだから余計にだ。

 その内心を慮ることができないアルコーンは揶揄するように返答する。

 

「畏れ多くもリベールのアリシアⅡ世陛下はな、アイン。『《身喰らう蛇》を潰せば国として認めて』下さるそうだ」

 

 その言葉を聞いてアインは直近のリベール担当ケビン・グラハムを睨みつける。しかしケビンは真面目な顔で首を横に振った。ケビンはその情報を掴んではいなかったからである。無論、アルコーンもケビンには掴ませないようにはしていた。そんな面倒なことを知られれば確実に上に報告されてしまう。その点、《比翼》として二人をリベールに置けたことは大きかっただろう。なおロイドは絶句していて言葉を紡げない様子だ。

この中で知っていたとすれば、それは――

「え、君、そんな無茶な条件呑んでたの? 僕それ聞いてない」

 そうのんきに答えるワジだけだ。多少はアルコーンも彼には情報を明かしてはいたが、本当に些末な情報のみだ。最終的に彼の飼える場所はここにしかないのだから当然であり、密告されても面倒だったのである。そういう点ではアルコーンも仲間という仲間を軒並み信頼していなかったと言えるだろう。ある意味では彼女にも悪い点はあったということだ。

 しかしアルコーンはそれをしれっと棚に上げてワジを自陣へと引き込もうとする。

「聞かれていないからな、ワジ。愛しの彼が待ってるぞ、こちらへきたらどうだ?」

 それを聞いたワジは力なく笑った。

「あはは、無理だよ。……どうしたって、もう光の側には戻れないんだから」

 そしてそう、つぶやいた。ワジはわずかに視線をそらしてヴァルドを見るが、それだけだ。彼のことは心の底から好いていたし、今でも好きだがそれとこれとは別だ。自分の居場所を奪うような輩を放置しておくことはできない。強く目を閉じて何かを断ち切るように首を振り、拳を構えるあたりは流石守護騎士と言ったところか。とはいえまだこぶしはぶれていたので平常ではないらしい。

 そんなワジを見てヴァルドが一歩進み出た。その顔にはかつて荒れていた不良の名残はない。そこにいたのは、一人の漢だった。法衣というかなりふざけた格好はしているものの、その目に迷いはない。ヴァルドは高級釘バットを構えてワジと向かい合った。それにかすかに動揺するワジ。この時点で心持が違い過ぎるのだからこの先に起きることも当然のことと言えば当然のことか。

 平坦な声でヴァルドは問う。

「……テメェ、ワジ。何で何も言わずにいなくなりやがった」

 その視線は熱く、まっすぐにワジを捉えている。しかしワジの方はその視線をわずかに逸らし、その目を直視しないようにしていた。見てしまえば終わるとなんとなくわかっていたからだ。

 あえて冷たく突き放すようにワジは言った。

「ヴァルドには関係のないことだよ。というか、何でここにいるの君?」

「何で、だと?」

 ヴァルドは目を細めてワジを見た。ワジは一瞬怯みそうになったが、それでもじっとその目を見返した。数秒だけ見つめ合ったものの、ワジから目を逸らすことにはなったが。やはり後ろめたさはあるのだろう。ヴァルドは更に言葉をつづけた。

 

「テメェに会いに来たんだよ。俺の居場所はワジの隣だからな」

 



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愛の告白

「テメェに会いに来たんだよ。俺の居場所はワジの隣だからな」

 

 真顔でそう言い切ったヴァルドに、一同は複雑そうな顔をした。そして一様に耳の調子を確かめた。今、ヴァルドは愛の告白的なものをしなかっただろうか。いやきっと気のせいだと思ったが、耳の調子はすこぶる良い。どうやら本気で聞き間違いではないことに一同は気付いてしまった。一部の女性騎士たちは内心でキャーキャー騒いでいたりする。腐っている。

そんな一同を意に介することなくヴァルドは告げる。

「戻りたくねえなら好きにしろ。俺も傍にいるから。戻りたくて気まずいなら一緒に帰ってやる」

 それに対してワジも聞き間違いで押し通そうとした。そんなことなど受け入れることはできない。ワジの還れる場所はここしかない。受け入れてくれる場所も、故郷もすでに失った。自警団にも無断でここにいる以上、もはやクロスベルにだって戻ることは叶わない。そもそも《守護騎士》であるワジがそのままそこに居座れるわけもないのだ。

 だからこそ耳をトントンとたたいて乾いた声で問い返す。

「……やれやれ、僕も年かな? ヴァルドが何か愛の告白みたいなことを……」

「みたいなじゃねえ。そのものだ」

 ドヤ顔で言い切ったヴァルドは妙に格好良かった。思わずワジが見とれるくらいに。ワジは顔を真っ赤に、次いで真っ青にしながら百面相して動揺する。その言葉自体はワジにとってはうれしいものだ。しかし、同時に受け入れることはできないものだった。ヴァルドを愛している。しかし、その愛を受け入れることは、穢れた自分にはできそうにないのだから。

そんなワジにヴァルドは更に追撃を加えた。

「ヴァルド・ヴァレスはワジ・ヘミスフィアを愛している」

「なっ……ななな、何言ってんのヴァルド!? どうしたの、頭でも打った!? うわ、どうしよう病院!? そうだよ、びょびょびょ病院に連れて行かなくちゃ……!?」

 派手にテンパるワジを、ヴァルドは抱き締めた。ワジは若干抵抗したものの、完全に拒絶はしなかった。次第に抵抗は小さくなり、完全に収まる。誰も二人を止めようとはしなかった。後ろの方でシスターが鼻血を吹いていたくらいか。その場は何故か妙な空気になってしまっていた。おのれヴァルド。一瞬アルコーンはそう思ったとか思わなかったとか。

 抵抗を止めたワジは、小さな声でヴァルドに問うた。

「……僕、男じゃないよ」

「だからどうした?お前はワジだろう。女だろうが男だろうがカマだろうがナベだろうがどっちつかずだろうが関係ねえだろうが」

「……その、どれでもなくても?」

 ワジはヴァルドの宣言に不安そうな顔でそう返した。そもそも何故ヴァルドにそんな用語を知る機会があったのかとか、どこからどう突っ込む必要があるのか、いろいろ思い悩むことはあってもそれを口にすることはしなかった。期待してしまったのだ。誰よりも大切な人間だからこそ、避けられたくない。避けられたくないのに受け入れられる発言をされて、期待してしまった。

 そして、答えはもたらされた。

 

「ワジ。テメェは何であろうがテメェだろうが。性別だの立場だの関係ない」

 

 そして大多数の女性守護騎士たちが悶絶した。これで色々と捗るらしいが、その理由を渦中の人間が知ることはない。ただ二人の間には立ち入れない空気があって、その空気は二人がそろってそこにいることを許していた。ワジがそうあらなければならないと思ったのは、初めてだったのだ。他人とともにあっていいと思えたのは、本当に初めてだった。なおアッバスのカテゴリーは道具である。

 ややあって、ワジがかすれた声で漏らす。

「……僕、人殺しだよ」

「そうか、それで?」

 だから何だ、と言わんばかりにヴァルドはそう返した。本当にヴァルドにとっては人殺しなど些細なことだった。むしろその罪を一緒に背負えるのならばこれ以上ないことだとも思っていた。つかみどころがなさそうで、いつか誰にも知られずこの世からいなくなってしまいそうな彼をつなぎとめられるのならばヴァルドは手段を選ぶことなどない。

 それを思いとどまらせようとさらにワジが言葉を漏らす。

「僕……神殺しだよ」

「だから?」

 それでも一言で切って捨てるヴァルドにはもはや言葉など効果をもたらしそうになかった。ワジにとっては全くもって理解できないけれど、ヴァルドはワジと一緒にいるだけでいいらしい。とはいえ性別を喪失していても『ワジ』は男である。『ワジ・ヘミスフィア』には性別は存在しないが、そういう同性愛について拒絶反応を起こされないとは限らないのだ。

 だから、それをワジは確認した。

「……気持ち悪く、ないの?」

「関係あるか、馬鹿野郎。良いか、何度だって言ってやる。テメェを構成するすべてをひっくるめて、俺はワジを愛している」

「ヴァルド……ッ!」

 顔をゆがませ、ワジはヴァルドの腕の中に飛び込んだ。ヴァルドはそれを優しく抱き留め、受け入れる。こうして――ワジはヴァルドに堕ちてしまった。もはや抵抗の意思などみじんも感じられないワジはただ一人の人間だった。ヴァルドはワジを抱きかかえてアルコーンの背後まで下がる。因みに全員が胸やけというか何というか甘ったるい空気を吸って辟易としていたのだが、それはさておき。

 その衝撃からいち早く立ち直ったのはケビンだった。ボウガンを構え、アルコーンを狙う。しかし、矢は発射されなかった。弓弦にあたる部分が断ち切られてしまったからだ。断ち切ったのはレンである。立場は変われど闇の中を生きてきた少女がそれを察知できないはずもなく、アルコーンもまた察知できてはいたがレンが動くのも把握できていたので動かなかった。

 大鎌をケビンに向けたままレンは好戦的に笑う。

「うふふ、まだまだ甘いのね、ネギ神父さん」

「ネギちゃうわ! ええ加減にせえよ、レンちゃん……!」

「こんなことしたって意味ないのにやるからよ。教皇さんと盟主は同じ人物だったの。《身喰らう蛇》の消滅は星杯騎士団の悲願でもあったんじゃないの?」

 レンの言葉にケビンがたじろぐ。たしかに、それは事実であったからだ。ただし、たとえ教皇が盟主であったとしても今ここで失うことは出来ないことに変わりはないが。七耀教会を導けるのは教皇だけだったからである。故に、ケビンは教皇を解放して貰おうとしていた。それが一体どのような混沌を生み、何を犠牲にするのかも知らぬままに。

そこでアインが口を挟む。

「ケビン、待て。……敵う相手ではないことくらいわかるだろう、馬鹿かお前は」

「しかし、総長……!」

 食い下がるケビンは、まさかアインまでもが教皇の忠実な部下ではなくなっていたことにも気づいていなかった。

「どちらにせよ、教皇聖下を元に戻すのは止めた方が良い。……あんなガキみたいな危険思想の持ち主だとは思いたくなかったが」

 アインは内心で苦虫をかみつぶしていた。アインを星杯騎士団に取り立ててくれたのは教皇その人であったからだ。一介のシスターとして生きていくにはお転婆すぎた自分を教育し、最強の存在へと昇華させてくれた人物。それが、まさかあんな思想の持ち主だとは思ってもみなかった。間違いはその時に戻って正せば良い。そんなバカげた考えをしているとは思ってもみなかったのだ。

アインは知る由もないが、この思想はキーアとも似ていた。間違ってしまったからやり直す。それだけの力があるから出来るはず。でも今は力がないから準備を整えている最中で。だから周りを良いように動かして最適な未来を掴みとる。そこで出た犠牲は必要なことだったのだと自身には言い聞かせて。そこまでの苦労を、生きて来た人間を踏みにじる行為である。

アインは溜息を吐いて全員に武装解除を命じた。凍っていた面々もアルコーンは解放し、武装解除されていく。そうして、武器を持っている人間はロイドだけになった。

ロイドはアルコーンに問いかける。

「本当に、クロスベルを国にするためだけに空の女神を殺したっていうのか……?」

「死んではいないが、動けなくはしたな。……まあ、多少私情が混ざっていることを否定はしないが」

「私情……か」

 ロイドは複雑な顔をしてアルコーンを睨みつけた。ロイドにアルコーンの過去は分からない。理解しようとももはや思ってはいないが、悪魔崇拝などのように空の女神に対する恨みがあるとは思っていない。本当に私情なのだろう。キーアに対しての言葉からも分かる通り。とはいえこの世界に生きる人間の考えからしてみればあまりに異端な思考である。

 愕然とした顔でロイドは問いを放った。

「君が至宝だから、空の女神を恨んでいたのか?」

「違う。まあ、確かにどんなときにも助けてくれる存在ではないのは分かっていた。そういうので恨んだ時期もあるがな……教皇はな、キーアに似ているんだ」

「……え?」

 ロイドは思考を一瞬停止させる。どう見ても教皇はキーアと顔立ち等似ているところはない。アルコーンとキーアのように相似の存在でもなかったはずだ。であるのに、アルコーンはキーアと教皇とが似ているという。まさか思考が似ているとは思ってもいないのだ。ロイドはキーアが過去を変えたかったのではなく、無理に変えさせられたと思っているのだから。ゆえにこそその理由を知りたくてアルコーンの言葉を待った。

それに応えたのはカリンだった。

「ロイドさん。教皇はキーアさんと同じく今生きている人間を蔑ろにして過去を変えようとしたんです。それにアルコーンは怒っているわけではないですが……」

「確かに、過去を変えるというのは赦されないことだとは思いますけど……じゃあ、アルは何に怒っているんですか?」

「過去を変えるということは、生きているはずのない人間を救うことでもあります。その結果、大きく現在が歪む。その、歪みが――アルコーンですから」

 そう言って、カリンは目を伏せた。カリンも過去を変えられた人間。生きているはずのない人間で、救われた存在だ。夫であるレオンハルトと同様に。カリン自身、違和感を覚えることが多かった。これまでにはありえなかったことが突然起こる。それはたとえば、アイン・セルナートに拾われることであったり、あまり得意ではないはずの運動能力が急に向上したりというわけのわからない現象だ。

生き延びてほしい、という誰かの願いがカリンを歪めた。ゆがめられた人間は普通の生き方をすることが出来ないのだ。シズク然り、カリン然り、レオンハルト然り。そんな、本来の流れからはじき出された人間は少なからず歪みを正そうとする流れに押しつぶされそうになる。シズクにはこれからも危険が付きまとうだろうし、それはカリンもレオンハルトもである。

歪みの中で、最大のものは無論アルコーンである。幾度となく名を変えることを余儀なくされ、ひとところに留まることが出来ず、様々な立場で歪みを修正する役目を負ったアルコーン。修正不能になった歪みは、キーアとの邂逅で表に出て来た。アルコーンの運命はここで決められてしまったと言っても過言ではない。アルコーンはキーアの望みをかなえるべく動くだけの人形となり果て、僅かながらの反抗も呑みこまれようとして――それでも、歪みに打ち克った。

アルコーンは自らの運命を代償にして、クロスベルの民の幸せを願い、その分の不幸を今から振りまいていく。既に不幸になった人間もいるはずだ。時代が時代ならば、『魔女』と呼ばれてしかるべき存在である。無論、帝国に存在するエマ・ミルステインを代表とする魔女たちのことではない。とある世界における魔女狩りで狩られる魔女のことだ。

カリンの言葉を聞いて、ロイドは困惑したかのようにトンファーを降ろす。ようやく、納得がいったのだ。何故アルコーンがあれほどまでにキーアに突っかかって行ったのか。それを知っていそうなワジをつけてまでアルテリアに入国し、ノエルとフランを巻き込んでまで追い求めた真相はここでもたらされた。彼女は過去を変えたくなかったのだ。

それをロイドは自分なりに言語化して彼女に問いかける。

「アルは……生きていたく、なかったのか?」

「それも違うが……何だろうな。無責任だ、と罵りたかっただけなのかもしれない。どんな思いで生きて来たかも知らないくせに、何を甘っちょろいことを、と」

「つまり、文句を言いたかったのか? キーアのせいで人生散々だったって」

「うまいこと言うな、ロイド。多分、その通りなんだ。だからわたしはキーアに逆らってまで事を推し進めたんだよ」

 そう言うアルコーンの顔は何故か晴れ晴れとして見えた。恐らくは全てをやり切ったという達成感から来るのだろう。もう、キーアのために生きる必要はなくなったのだ。これからは自由に生きられる――もっとも、国の象徴として生きる道しか残されてはいないが。とはいえそれはアルコーンが初めて自分の意思で決められたことであり、いつか後悔する日が来てもIFを考えようとは思わないだろう。

 その吹っ切れた顔が、ロイドの癪に障った。

「なあ、アル……なら、今キーアが謝り続けてるのはあんたになのか」

「知らん。本人ではないからな。だが、もうやらかしたことに対して謝られても困る……というより、やっぱりお前が連れ出していたのか」

「あんな状態のキーアを放っておけるわけがないだろう! 俺はアルテリアでならどうにかできるんじゃないかって思ってここまで来たんだ!」

 それは義憤に燃える男の顔で。アルコーンとしても今のキーアの状態がどんなものになっているのか知りたくはあった。意趣返しとばかりにシズクの言いたい放題を放置していたが、流石に言わせ過ぎたかとも思っていたのだ。恨みつらみは多々あれど、別にアルコーンはキーアに死んでほしいとまでは思わないのだから。知らないところで生きていればそれでいいだろう、とまで思っていた。

 それを聞いて問いを投げかけたのはアインだった。

「なあ青年。そこのバカは何をやったんだ?」

「何をって……」

 そこでロイドは気付いた。部外者に対して何をどう説明すればアルコーンがキーアにしたことを理解してもらえるのかを。どこまで隠し、どこまで明かせばキーアを守れるのかを。キーアのために口を閉ざせば満足に説明もできず、アルコーンを糾弾するために説明をすればキーアの身に危険が及ぶのだ。あんな人知を超えた能力を行使できるキーアを、七耀教会は恐らく放置しないだろうから。

 しかし、ロイドがまごついている間にアルコーンが簡潔に言った。

「アイン。ロイドには説明できんよ。……アーティファクトモドキの権能を剥奪して願いをかなえてやっただけだ。ただしワイスマンがヨシュアにやったようにな」

「……どうせお前、面倒だからって説明を省きまくっただろう。そこの青年にも、報告にあったアーティファクトモドキにも」

「言っても理解してもらえないことを何度も何度も説明するのは苦痛でしかないんだが?」

「お前ね……」

 はあ、とため息を吐いたアインはロイドに向き直った。その威圧感に呑まれそうになり、しかしてロイドはそれに耐えきった。その威圧感ごときに負けていてはキーアに笑顔を取り戻せないと思ったからだ。そして、それは正しい反応だった。なぜならばアインはロイドを試していたからだ。彼がこの先どんな試練を与えられようとも、そのアーティファクトモドキに愛情を注げる人間かどうかを。

 そしてロイドはそれを勝ち取った。

「良いだろう。特別に私が看てやる、ロイド・バニングス君。何、法術で私の右に出る奴は教皇くらいのものだ」

「いや、奴にはもう無理だと思うが……」

「ええい言葉の綾だ! いちいち突っ込むな、変に律儀な奴め……」

 アインはその後、強引にロイドにキーアの元へと案内させた。当然のことながら、アルコーンは連れずに、である。今のところアルテリアのトップは教皇ではなくアインだった。教皇亡き今、アルテリアの舵を切れるのは彼女しかいなかった。それが知れ渡る前にやらなくてはならないことをカモフラージュするのに、狂った少女の治療という名目は非常に都合がよかったのである。

 そしてアインはキーアを一目見、これをアーティファクトだと認定して彼らを外法認定するよりは友好関係を結んでおいた方が得策だと判断した。力的にはすでにアインを凌駕してしまったアルコーンを敵に回すような愚策はできないのだ。今ここでアルコーンが暴れればアルテリアという国は沈むだろう。もはや船頭のいない船は、見習いであったとしても操舵できる人間がいなければ沈むのだから。

「……ごめんなさい」

「何に謝っているかは知らんが、そういうのは罪を償ってからやりたまえ、キーア君。何もせずに謝り続けるのはサルにでもできるぞ。お前はサルか?」

「……でも」

「言い訳は不要だ。自分にできる最善をやれ。周りに相談しながら、な。独りよがりに突っ走るんじゃなく、誰でもいいから頼れ。それが償いにもなるだろうさ……」

 その言葉を聞いたキーアは、考え込むしぐさを見せた。それだけでロイドは彼女が前進しようとしていることを感じた。そうして、アルコーン達はクロスベルへと戻った。ワジと、ロイド達も一緒にである。これは完全に余談ではあるが、ロイドはエリィの前に顔を出した瞬間頬をひっぱたかれ、数日ほど口を利いて貰えなかったそうな。そしてキーアも――わずかずつではあるが、笑顔を取り戻していったようである。



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《子供たち》の始末

 ロイド達がクロスベルに帰還してから二か月弱ほど過ぎた。その間、帝国はクロスベルの独立を承認しようとはせず宣戦布告し、《パテル=マテル》とレオンハルト達に叩き潰されるという残念な結果を残していた。数回侵攻はあったものの全て退けられ、ここ一か月ほどは全くと言って良いほど動きを見せなかった。共和国は内戦が収まらずに泥沼化しているようだ。リベールは不戦条約を盾に静観し、アルテリアは体制を整えるのに必死だった。

 そんなある日のことである。クロスベル鉄道に赤い列車が唐突に乗り入れ、クロスベル駅へと向けて爆走し始めたのは。ぼんやりと何の気なしに窓の外を見ていたアルコーンはそれを視認するや否や呑んでいた紅茶を吹き出し、すぐさまエリィに報告した。エリィはそれを受けて出迎えることを決定し、アルコーンの親衛隊を連れてクロスベル駅へと迎えに出た。

 クロスベル駅で待つこと数分、《鉄の伯爵》号がクロスベル駅に滑り込んできた。それを見る国民たちの顔には不安が浮かんでいる。今更帝国が何の用なのだろう。そんな感情が見え隠れした。《鉄の伯爵》号はゆっくりと止まり、勿体を付けるように殊更ゆっくりと扉が開いた。

 不安に揺れる国民を見ながらとある男が二人の護衛を伴ってクロスベルの駅に降り立ち、待ち受けるエリィを見て鼻を鳴らした。どうやらただの小娘だと侮っているらしい。ここまで迎えに来られて当然といった顔をしているが、残念ながら気付いたのは偶然である。それに気付ける人間はごく一握りであっただろう。そんなスーパーマンばかりがいるわけではないし、何よりも今は人材が微妙に不足していたのだ。

 そうとは知らず、男性は慇懃無礼に礼をした。

「初めまして、御嬢さん。エリィ・マクダエル首相とやらと宗主アルコーンとやらを探しているのだがご存じないかね?」

 彼の第一声はそれだった。それを聞いた国民の反応は冷ややかだった。そんなことも知らないのか、とでも言いたげな視線。無論、彼はわざとやっているのである。立場的には帝国が上であることをわからせるためにわざとこういう言い方をした。事前に写真を用意し、経歴を確認し、さらに性格のプロファイリングまでやってここにいるのである。そのうえで彼はエリィを存分に虚仮にしていい人間だと判断していた。

 侮られたエリィは優雅に礼をすると満面の笑みで毒を吐いた。

「初めまして、ルーファス・アルバレア閣下。私がクロスベル中立国の国家代表、エリィ・マクダエル首相です。以後お見知りおきくださいませ。そして、私の背後におりますのがクロスベル中立国の象徴、アルコーン・ストレイ=デミウルゴスですわ」

 ちなみに副音声は『こんなことも知らないで来ているわけではもちろんないですよね?』である。ついでに『礼儀も知らないのかしら、この貴族って』でもある。政治の道に入ったエリィはそういう点だけ腹黒くなったのである。なおエリィが彼の顔を知っていたのはアルコーンからの情報であり、彼が決して侮ってはならない超危険人物であることをも知っている。

 エリィに紹介されたアルコーンも優雅に礼をして笑みを張り付けながら挨拶をする。

「お初にお目にかかります、アルバレア閣下。エリィ首相より紹介のあったアルコーンと申します」

「それは失礼した。まさか、こんな若い女性たちだとは思わなかったのでね」

 ルーファスは冷笑を浮かべながらそう告げる。アルコーンについての調査は全くと言っていいほどに進まなかったが、それでも一見する限りでは侮っても問題ない人間だと判断した。それを見てエリィは思わず半眼になるのを抑えなければならなかった。馬鹿にされているのくらいは分かるのである。こういう感情の機微にエリィは聡いのだから。

 そこで、アルコーンは意趣返しをすべくルーファスに向けてこう告げた。

「ああ、そういえば。……ギリアス・オズボーン宰相閣下のご冥福をお祈りしております、《鉄血の子供達》筆頭、《翡翠の城将》殿」

 その言葉にルーファスは眉を跳ね上げただけで答えることはしなかった。何かを言えば激情に駆られて何か仕出かしそうだったからである。今ここでそれを持ち出すということは、彼らが父たる《鉄血宰相》を殺したのは彼女の手のものだということだ。しかし今は激情にとらわれている場合ではないのだ。ルーファスはオズボーンの遺志を継いで帝国を繁栄させる義務があるのだから。

 そして、エリィはルーファスに問うた。

「本日はどういったご用件でいらっしゃったのでしょうか、アルバレア閣下」

「ああ、本国の決定でね。クロスベル自治州には正式にエレボニア帝国の支配下に入って貰うことになった」

 ルーファスはさも明日の天気は晴れです、とでもいうように気軽にそう告げた。その瞬間からクロスベル国民はクロスベル駅から撤退を始めた。というのも、興味がなくなったからである。その言葉の羅列は全く意味のないものであり、同時に彼が道化であることを示しているということを国民すべてが知っていた。なぜなら、すでに帝国と中立国は同盟国なのだから。

 その答えは、エリィが告げた言葉に表されていた。

「残念ですが閣下、ここはクロスベル自治州ではありませんわ」

「何やら勝手に独立宣言をしたようだが、帝国はそれを認めていない。よってここはクロスベル自治州なのだよ、エリィ殿」

「帝国に認められようが認められまいが、関係ありません。元々クロスベルはアルコーンの一族の治める土地だからです」

 ルーファスとエリィの間に火花が散る。ルーファスはエリィを、エリィはルーファスを言い負かそうとしていた。しかし、この場合不利なのは圧倒的にエリィである、とルーファスは判断していた。何故ならば――彼にはエリィに取れないと思われている手段を持ち合わせているのだから。暴力による脅しである。たかが女二人をねじ伏せるのにはいささか過剰戦力だろうが、やり過ぎて殺してしまっても問題ないだろう。彼の頭の中にはすでにクロスベルをどう実効支配するかで満ちているのだから。

 薄笑いを浮かべたルーファスはエリィに問う。

「抵抗する場合は武力行使も辞さないのだが、引いては貰えないのかな?」

 ルーファスはそう言って背後に立つ黒髪の青年に合図を送った。すると彼は腰に差していた刀の柄に手を掛ける。黒い髪の少年だった。どことなく頼りなさげな顔立ちをしているが、それでもその構えは《八葉一刀流》のものである。つまりはあのカシウス・ブライトやアリオス・マクレインと同じ流派である。つまりそれは彼が『彼』であることを示していた。

 アルコーンはその人物を見て口を出すことに決めた。

「それがあなたの切り札か、閣下。《鉄血宰相》殿の遺児とは洒落たことをする……ルーファス殿。どうやらこの件、オリヴァルト皇子殿下の許可は取ってはいなかったようだな?」

「なっ……」

 黒髪の青年の顔が引き攣った。見事に自分の立場を言い当てられてしまったからである。彼の名は、リィン・シュバルツァー。帝国の北のユミルという土地を治めているシュバルツァー男爵家の養子であり、かの《鉄血宰相》ギリアス・オズボーンの実子である。そしてその身に《灰の機神》ヴァリマールを宿しており、先日もクロスベルに侵攻してきたばかりだ。

 そしてルーファスは眉をひそめた。何故そこまで知っている。アルコーンがどんな存在であれ、オリヴァルトに話を通していないことが分かるはずがないのだ。帝国内のすべての情報はルーファスに流れることになっており、あの《放蕩皇子》にはもはや権力など存在するはずもないのだから。それを知っているがゆえに困惑するルーファス。

 その時だった。キッチリとした燕尾服を着たロイドがエリィに駆け寄り、何事かを囁いた。エリィはわずかに顔を赤らめつつ頷き、ルーファスに告げる。

「ルーファス殿、少しばかりご足労願えますか? 護衛の方も是非ご一緒に」

「あ、ああ……」

 ルーファスはエリィに導かれるままにクロスベル駅を出て空港へと向かう。空港に停泊する飛空艇を見て――ルーファスは思わず盛大に顔をしかめた。何故なら、そこに見覚えのある巨大飛空艇があったからである。名は確か、カレイジャスと言ったはずだ。そのタラップから降りてきた金髪の男は、ルーファスを見るといたずらっぽく笑った。そして、背後に覆面を被った護衛を五名ほど携えながらエリィの前まで進んだ。

 それにエリィが声をかける。

「久方ぶりですね、オリヴァルト皇子殿下」

「ああ、久し振りだ。このたびはクロスベル中立国建国おめでとう。心よりお祝い申し上げるよ」

 金髪の男――オリヴァルト・ライゼ・アルノールは柔らかく笑いながらエリィにそう告げた。そんなオリヴァルトを見ながらルーファスは内心で苦虫をかみつぶす。これで自分は道化となってしまったからだ。皇族が認めたのに自分が認めないとあっては、反逆罪に問われかねない。いくらオリヴァルトの力が弱まっていたからとはいえ、時期を間違えた。もっと早くに事を起こせていればこんなことにはならなかっただろう。

 対して、ルーファスの背後にいたリィンは不思議な予感にさいなまれていた。有り得ないものを見る予感、というのが一番正しいのだろうか。何しろ、リィンはオリヴァルトの背後にいる五人の男女の背格好を見たことがある。それも、つい最近。しかも、そのうちの一人は死んだはずの人間だ。それも自らの手で殺してしまったはずの人物である。

 帝国の面々の内心もいざ知らず、エリィはオリヴァルトの言葉に答えた。

「ありがとうございます、殿下。殿下こそ、宰相就任、誠に祝着の極みですわ」

「なんっ……!?」

「ありがとう、エリィ首相。それで……これは一体どういう事態なのだね、アルバレア公?」

 エリィに向けてほほ笑んだオリヴァルトは一転してルーファスを睨みつけた。何故ここにお前がいるのだとでも言いたげな眼光に、ルーファスは動揺しそうになる。たかが《放蕩皇子》風情に動揺するなどあってはならないことだった。少なくとも彼にとっては。ルーファスは平静を取り繕って溜息を吐くふりをする。そうでもしなければやっていられなかったからである。

 そして、彼は告げた。

「それはこちらが説明していただきたいですな、オリヴァルト殿下。貴男はリベールに表敬訪問に行っていたはずだ。なのになぜいきなり宰相などという地位にいらっしゃるのですか?」

「皇帝陛下の仰せだからだよ、アルバレア公。それよりもだ、話をすり替えるのは止めて頂きたい。ことはクロスベルとの同盟に関わるのだから」

「同盟!? このような自治州風情と同盟ですか、皇子殿下?」

 ルーファスは大げさに驚いてみせた。その動作に合わせて手を背後に回し、リィン達に合図を送る。リィンは表情筋を総動員して動揺を隠さなければならなかった。その合図の意味を、リィンは繰り返し覚えこまされたのだから。そしてルーファスの指示を受けたその少女は、感情の浮かんでいないその瞳をルーファスの指示した場所に向けた。そして、とある準備を始める。その準備に気付いたものはこの場にはいなかった。

 そうとは知らず、オリヴァルトはルーファスに語りかける。

「自治州風情ではない。クロスベル中立国は歓迎すべき我らの友人だよ」

「たかが小娘程度に治められるような土地がですか?」

 ルーファスは鼻を鳴らして小ばかにしたようにエリィを見る。するとエリィは威圧感を与える笑みでルーファスを見た。それは意思の強い女性特有の笑みだ。その笑みを浮かべた女性に逆らってはならない。それを大多数の男性は知っていて、しかしてルーファスは知らない。リィンはすでにルーファスの指示を完璧にこなすのは無理だと判断していた。

 そんな彼らを見ながらエリィは鮮やかに笑った。

「たかが小娘、と侮られるのは結構ですけど、アルバレア公……クロスベル国民が私を認めないと言えば私は即座に引きましょう。もともとそういう約束でここに立っておりますし、その覚悟も出来ています。しかし、皆さんが私を認めて下さるのならば、私は全身全霊を以てクロスベルのために生きる所存ですわ」

「……青いな、小娘」

「何とでも仰ればよろしいわ。けれど……老獪すぎるのも考え物だと思いませんか?」

 エリィは言いながら不意にそれに気付いた。ルーファスの背後にいる少女が何かしらの不審な行為を取っていることに。その狙いは、少女の眼を見る限りオリヴァルトであると理解出来た。エリィは唇をかんで動き出そうとするが、それよりも少しばかり早く気付いていたアルコーンが目線でエリィを制する。どうやら手を出すなと言っているようだ。

「政治家を舐めていやしないか、エリィ嬢」

「政治屋と政治家は違いますわ、アルバレア公」

 ルーファスとエリィがにらみ合ったその時、甲高い音が鳴り響いた。ルーファスはさも驚きましたとでもいう動きで音源を見る。すると、そこには何かの機械の残骸とダブルセイバーを振りぬいた覆面の男がいた。

 その男を見て思わず声を漏らしたのは、リィンだった。

「な……や、やっぱり……!」

「よう、これで50ミラの借りは返したぜ?」

 覆面の下ではニヒルに笑っているであろうその男は、機械の残骸を蹴り飛ばしながらそう告げた。背後の覆面集団はやれやれ、と溜息を吐いているようだった。リィンは彼に向けてこう告げた。

「クロウ……!」

「はて、誰のことやらさっぱりわからないなー。あっはっは」

「あっはっは、じゃない! 君は死んだはずじゃ……!?」

 飄々と答える覆面の男――クロウ・アームブラストに、リィンは思わずそう叫んでいた。するとクロウはオリヴァルトの方を見てからリィンに向き直り、言葉を吐く。

「リィンの言うクロウとやらはとっくの昔に死んでんだろうがよ。ここにいるのはそうだな、さしずめ亡霊とでも言ったところか?」

「これ以上は話さないでくれたまえよ……面白みがないからね」

「今この状況で面白みは求めてねえでしょうがよ、皇子殿下!?」

 クロウは思わずそう突っ込んでいた。確かにこの場で面白味は求めていないので突っ込むのは間違いではないのだが、それはさておき。オリヴァルトは居住まいを正してルーファス――正確にはルーファスの背後にいる少女――を見た。しかし少女は怯まない。そもそも怯むなどという感情は持ち合わせていないのだから当然だ。少女はその無機質なガラス玉のような眼をオリヴァルトに向けた。そして、気付いた。オリヴァルトの眼に浮かぶ僅かな憐憫の色に。

 オリヴァルトは少女に向けて告げた。表向きはルーファスに向けて。

「それで、アルバレア公。ボクにも背後の護衛君達を紹介してくれないかな?」

「……こちらが殿下もご存じのリィン・シュバルツァー。そして、こっちがアルティナ・オライオンです」

「アルティナ君か……ところで、ルーファス君。ゴルディアス級の人形兵器をご存じかね?」

 アルティナはぴくりと身じろぎをした。その言葉は聞き覚えがある。そして、その人形兵器はつい最近目撃されているあの《紅い機神》と同じものなのだとアルティナは知っていた。その出自故に。しかし、ルーファスは知らなかった。聞いたことはあっても、実態は知らない。《鉄血宰相》の後継者たるルーファスは、その実態を知ることを拒んだのだ。そして、彼はそれによって滅ぼされる。

「名前だけは聞いたことはありますが? あの忌まわしい結社とやらの兵器でしょう?」

「ああ、確かそうだったねえ。それで、ルーファス君。名誉棄損という言葉はご存知かな?」

「……何が仰りたいのですか、殿下」

 オリヴァルトは微笑んで背後の四人とクロウを見た。それだけでよかった。クロウはその瞬間に飛び出した。リィンが刀を構えるが、もう遅い。クロウはあっという間にルーファスをとらえ、ほかの四人がアルティナとリィンを確保する。

そしてルーファスはオリヴァルトを見て吠えた。

「何のおつもりですか、殿下!」

「何って……仮にも帝国貴族たる君が一国の代表の前で堂々と名誉棄損の発言をかましたから捕えたまでだが?」

「名誉棄損……!? 馬鹿な、何を根拠に仰るのですか!?」

 ルーファスの言葉は、しかしオリヴァルトには届かなかった。オリヴァルトはルーファスに一瞥もくれぬままエリィ――正確には、その横に立っていたレン――に向けて謝罪の言葉を口にした。

「申し訳ない。我が国の腐敗貴族が失礼をした」

「いえ、確かにあのような技術は彼の結社とやら以外で再現するのは難しいでしょうから。ただ、情報が古いようですので補足させていただきましょうか、殿下」

 オリヴァルトはエリィに向けて軽く頭を下げて謝罪したが、エリィは別に結社の技術云々ということに関しては気にしていなかった。というのも、《パテル=マテル》は日々進化して改造を施されているがゆえに、結社の技術など既にないに等しいのだ。それよりもエリィは告げなければならないことがあった。アルコーンからもたらされたその事実を、オリヴァルトに伝えなければならなかった。だからこそ、エリィは口を開くのだ。

「ああ、何かな?」

「結社こと《身喰らう蛇》ですが、先日盟主と名乗る人物を無力化し、またその部下たる使徒や執行者につきましても半数以上を処分させております」

「……流石は、クロスベル。仕事が早いね」

 オリヴァルトはもたらされた情報に苦笑した。まさかここまで速いとは思っても見なかったのである。たかが自治州の統治者と和気あいあいと会話をする信じがたい光景を見せつけられながら、ルーファスは叫んだ。これは不当な扱いであると彼はまだ信じていた。

「殿下ァァァ!」

「少しうるさいよ、君。《C》君、ソレにそこにいられると話が進まないようだから……」

「へいへい。っつーわけだから、移動するぜ。恨むんなら《鉄血宰相》についたことを恨むんだな」

 なおも騒ぐルーファスをクロウは軽々と担ぎ上げ、次いで他のメンバーもリィンとアルティナを担いで動き出す。そして《カレイジャス》へと消えて行った。

 その後、オリヴァルトとエリィは同盟のための会議を行い、無事に同盟は締結される。

 

 こうして、クロスベル中立国は混沌と喧騒の中独立を勝ち取ったのだった。

 



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エピローグ

 あれから、どのくらいの時がたったのだろうか。新たに建造された壮麗な宮殿の中で、アルコーンはひっそりと暮らしていた。既にクロスベルの首相は代替わりを繰り返し、最早元々のアルコーンという存在について知っているものはいなくなっていた。ただ、いるだけの象徴。それが今のアルコーンの状態である。

 アルコーンが『アルシェム』であったときの知人は子孫を残して皆死んでいった。当然だろう。アルコーンは数えるのを止めていたものの、既に外では百年もの時が経っていたのだから。

 

 キーア。キーアは元々人造人間として造られていたこともあり、生命維持を《至宝》としての力に大きく依存していた。そのため、程なくして衰弱していった。一応は罪人であり、《至宝》であったという複雑な状況を鑑みて、キーアは拘置所に軟禁されていたというのも大きかったのかもしれない。キーアはロイド達に看取られて静かに逝った。とはいえ最後は笑みを浮かべていたらしい。

 

レオンハルト・アストレイ。彼はカリンを庇って死んだ。度重なる共和国と猟兵からの襲撃を潜り抜け、片腕を失ったことで退役。親衛隊に配属される。しかし、首相を狙うものも多く、その流れ弾から妻をかばって彼は死んだ。カリンのためだけに生き延び、カリンのために復讐者となり、カリンのために第二の人生を手に入れた男はそうして死んだ。

 

 カリン・アストレイ。カリンはレオンハルトが死ぬ直前に身ごもっており、夫に庇われて生き延びはしたが精神的には衰弱。周囲に心配をかけぬよう隠居していたが、それにも限界が来たようである日リベールを訪れる。そして高名な遊撃士となっていたヨシュア・ブライトに息子を託し、レオンハルトの墓の前でひっそりと息を引き取った。

 

ティオ・セイクリッド。ティオはヨナと結婚した。子は出来なかったものの、常にヨナを尻に敷く形でこき使い、クロスベルの治安維持に一役買った。そうすることでアルコーンの支えとなれると信じていたのだ。ゆえにこそ全力で働いた。しかし、その影響かエイオンシステムの使い過ぎで脳に負担がかかってある日突然に倒れ、そのまま亡くなった。

 

 リオ・オフティシア。リオは生涯を独身で通し、数多の求婚者を物理的に薙ぎ倒していくことで《破城鎚》の異名を広げていった。周辺国で《破城鎚》の名を出そうものなら全員が震え上がって逃げだすほど、リオは恐れられていた。しかし、そんなリオにも弱点はある。悪辣な猟兵団が子供に爆弾を持たせて首相を狙ったことがあった。リオはそれを察知し、爆発は免れ得ないと見るや子供を守るために爆弾を奪い取り、自らの腹の下に押し込んで覆いかぶさった。そうして、リオは爆死した。

 

 ランディ・オルランド。彼はクロスベル中立国の建国一周年に軍部のミレイユと結婚し、それを機に前線からは遠のいて完全に指揮に回った。やがて彼の娘が成人するとその娘も軍部に入り、クロスベルの国防に大いに貢献することになる。しかし、猟兵がランディの娘のことを知ると彼の人生は灰色に包まれる。ある日娘は戦場で連れ去られ、無残に殺されて発見された。それを見たランディは怒り狂ってその猟兵団に喧嘩を売り、制止を掛ける軍部を無視して単独で猟兵団を狩りつくし、相打って死んだ。

 

 レン・ヘイワーズ。レンはハロルド氏たちと仲直りし、週に一度はプライベートで会う仲にまでなっていた。レンも独身で通し、いつしか人型にまで魔改造された《パテル=マテル》と同棲、同じく人型になった《トーター》に囲まれて幸せに暮らしていた。しかし、幸せは長くは続かない。ある日、クロスベルで大規模なテロが行われた。それに巻き込まれて両親と弟は死んでしまう。レンはアルコーンに奏上し、アルコーンはレンの意志を認めた。そうして、レンは各国を飛び回って猟兵団を殺しつくす《殺戮天使》と呼ばれるようになった。決定的な致命傷を負ったレンは《パテル=マテル》に依頼してアルコーンのもとまで帰還、アルコーンに看取られて亡くなった。

 

 シズク・マクレイン。シズクはアリオスが生きている間だけ拘置所で過ごす、という契約をもとに拘置所に勤務していた。しかし、アリオスが獄中で病死したことで晴れて自由の身となる。そこからのシズクは各地を旅し、弱きを助け、強きをくじく遊撃士となった。二つ名は《黒雫》。大勢の人間を救った英雄として祭りあげられた。しかし、任務中に変死したとアルコーンは聞かされている。突然倒れ、眠るようにしてシズクは逝ったという。

 

 ワジ・ヘミスフィア。彼は飄々とクロスベルに居座るようになり、ヴァルドといちゃらぶな新婚生活を続けた。ワジとヴァルドは遊撃士代わりに自警団を続けていたが、レマン自治州の進言もあって遊撃士協会クロスベル支部が復活。遊撃士となってクロスベルの治安維持に一役買った。続けるのが体力的に厳しくなると、ワジ達はアルモリカ村に小さな一軒家を買って仲良く暮らすことになる。二人とも天寿を全うして死んだ。

 

 ヨナ・セイクリッド。ヨナはティオの死後呆けていたが、ティオの遺言により一念発起して狂ったようにとある機械を作り上げる。それは《パテル=マテル》や《トーター》等の人形兵器を自動で修繕するシステムだ。永久に残る物はない。しかし、永遠に近いものは作り出せる。そう信じていたティオの願いをかなえ、ヨナはそれを完成させると同時に過労死した。

 

 ミレイユ・オルランド。ミレイユはランディの死後あまりのことに職務が手につかなくなり、ソーニャの勧めで退役。周囲に大いに心配をかけながらついに立ち直ることができず、最期はウルスラ医科大学でセシルに看取られて衰弱死した。彼女の墓には、何者かの手によってランディのスタンハルバードが供えられていたという。

 

 メル・コルティア。メルは最後まで《身喰らう蛇》の残党と戦い続けた。一時はリィンとともに表に戻ってはいたが、自身の中からは憎しみは消しきれなかったのだ。彼女はアルコーンの知らない執行者まで残らず見つけだし、表へ戻るかどうかを確認、戻らないと分かるや否や彼女は執行者たちを狩っていった。そうして、最終的には《劫炎》のマクバーンと相打って死んだ。

 

 リーシャ・マオ。リーシャは《アルカンシェル》の踊り子として大成。一躍時の人となる。しかし、突然引退して世間を騒がせた。引退したのは自分の後進を育てるため、とマスコミには伝えていた。リーシャは二重の意味で後進を育てていたのである。暗殺者としてではなく、誰かを守るための力を教え終えたリーシャは後継者たる子供をアルコーンに引渡した。その後、リーシャは静かに余生を過ごすべくアルモリカ村に移住。ワジ達を辟易とした目で見ながら過ごし、時々昔の血が騒ぐのか古戦場の魔獣を狩りながら日々を暮していた。最期はウルスラ医大に運び込まれ、イリアとシュリに看取られて死んだ。

 

 エリィ・バニングス。エリィはロイドと結婚して二子を儲け、御年八十になるまで首相を務めあげた。それまで支持を集め続けたのはエリィの政治手腕と人柄があってこそ。八十を超えてからは体調を崩すことが多くなり、引退。静かに余生を過ごし、最期をロイドと二子に看取られながら静かに逝った。その死は大いに悼まれ、諸外国からも弔問の客が絶えなかったという。

 

 ロイド・バニングス。ロイドはエリィの死後、一気に老け込む。二人の子供達に労わられつつ立ち直り、子供達が政治家として大成し、首相になるのを見届けると満足そうに息を引き取った。彼に――《特務支援課》にあこがれていた女性はその地位を継ぎ、新生《特務支援課》として活動しており、ロイドはその活動にもかかわっていたそうな。

 

 また、かつてリベールで知り合ったものたちのことも記そう。

 

 クローディア・フォン・アウスレーゼ。クローディアは祖母アリシアの死後すぐに即位し、アリシア死亡の混乱を無事に乗りきったことで評価される。生涯独身で過ごすつもりだったのだが、親衛隊を退いたユリアの勧めもあって王立学園の先輩でありレミフェリアのルーシー・セイランドに振られたレオと結婚。ほどなくして子をなし、その子を生んだ影響で息を引き取った。産み残された娘はやがてクローディアの治世を引き継ぎ、リベールはゼムリア大陸の平和の象徴となった。

 

 カシウス・ブライト。彼は軍のトップに君臨し続け、リベールを侵そうとする対外諸国から守った。彼がいるというだけで相手国は甚大な被害を想定しなくてはならないからだ。カシウスは死ぬ直前まで軍をまとめ続け、最期はエステル、ヨシュアと孫に看取られて大往生した。

 

アガット・クロスナー。彼はティータと結婚した後に遊撃士を引退し、ティータ専属のボディーガードとなる。ティータが危ないときには必ずアガットが助け、ティータの頭脳を狙う組織を悩ませていた。ティータが研究者としての一線を引いてからも襲い来る組織に辟易としたアガットはウェムラーから山小屋をもらい受け、そこで静かに余生を送った。

 

 シェラザード・ハーヴェイ。彼女はルシオラを捕まえた後に遊撃士に引き込み、コンビを組んで各地を回った。しかし、ある日帝国で不覚をとって殺されかける。そこに颯爽と現れたオリヴァルトとその配下に救われ、不覚にもときめいてしまう。そして彼と結ばれ、后妃兼宮廷音楽家としてエレボニアに仕えることとなった。二子をもうけ、弟皇子をリベールに婿養子入りさせて平和を保った。

 

 エステル・ブライト。エステルは妊娠発覚とともに一線を引き、マーシア孤児院を引き継いでリベールの孤児たちを育てた。もう、レンのような不幸な子が生まれないようにと子供たちに武術を教える毎日を過ごし、天寿を全うしてヨシュアに看取られて最期を迎える。

 

 ヨシュア・ブライト。ヨシュアは遊撃士として有名になり、エステルが引退してからも一線で働き続けた。やがて息子が成人すると彼も遊撃士となり、ヨシュアと組んで年に似合わぬほど活躍する。数々の紛争を止め、民を守り続けたヨシュアは、気配も見せず紛争撲滅に貢献したことから《幻影》と呼ばれるようになった。最期は息子に看取られて天寿を全うした。

 

 ジン・ヴァセック。彼は憔悴しながら共和国に戻ってきたキリカに慰めなさいと襲われ、そのままゴールイン。そして死ぬまで《泰斗流》を近所の子供たちに教え続けた。

 

 ティータ・クロスナー。ティータは結婚できる年になるやいなや、アガットに求婚。戸惑うアガットに襲いかかる。その後、両親と喧嘩しつつもアガットの籍に入る方を選び、ティータ・クロスナーとなる。この際に効いたのがこの言葉。「ラッセル博士が3人もいたらややこしいと思うの!」その後、各国を回りつつ貧しい国に導力革命をもたらしていった。生涯子には恵まれず、アガットを看取った後、攻めてきたティータの研究を狙う組織とともにウェムラーの山小屋で爆死した。

 

 オリヴァルト・ライゼ・アルノール。彼はシェラザードをめとり、アルフィン、セドリックの推薦もあって皇帝に即位する。彼の治世ではオズボーンのような陰謀を巡らせる政治は成されず、その死後はドライケルスに次ぐ最上治と言われるようになる。

 

 ミュラー・ヴァンダールは元《帝国解放戦線》のメンバーとともにオリヴァルトをよく守り、オリヴァルトの死を見届けて静かに息を引き取った。

 

 皆、死んだ。時の流れに勝つことは出来ずに。アルコーンは彼らが死んだとき嘆いたが、因果律を操ることだけはしなかった。死者は甦らない。たとえ甦らせたとしても、それはその人の人生を蔑ろにすることである。やり直しなどきかないのだ。

 そうして、アルコーンは一人ぼっちとなった。それでも彼女は生き続けなければならなかった。アルコーンは《至宝》だから。寿命という概念もなく、ただあり続けるだけの人生。それでも、アルコーンは《虚なる神》のように死にたいとは思わなかった。アルコーンが生き続ける限り、アルコーンの知る友人たちは生き続けるのだ。アルコーンの、胸の内で。

 




 これにて終幕。続きはありません。後日談も投稿されません。
 もう軌跡シリーズでSS(そんなレベルの長さではありませんでしたが)を書くこともないでしょう。整合性も取れなければ、追うだけの価値をもう見いだせないので。閃が出た時点で追えないのは確定事項だったわけですが、出来うる限りの整合性は取ったはずです。一部の奴(レクターとか)は無理でしたが。
 リメイク前を合わせれば実に六年。ここまでかけて何かをしたのは初めてです。とはいえ終わったという感慨はあまりありません。それより原作が恋愛ゲーム化していくのがただただ虚しかったですね。初期のあの感じはどこにいったのかと。ロイドがギリギリセーフでリィンはアウトです。無理。
 原作設定に沿うのが原作への礼儀だとは思っていますが、閃の設定は正直に言って邪魔でしかなく、かといって無視するのも気持ち悪い。その結果がこのリメイクです。
 長い間お付き合い頂きありがとうございました。またどこかでお会いできれば幸いです。

 ……ちなみに更新日で期待しても本当に何も出ません。エイプリルフールでもないですよ。

 針島


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