幽香さん、優しくしてみる (茶蕎麦)
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第一話 白黒魔法使いに優しくしてみた

 ふと、風見幽香は考えた。そういえば、自分は他人に優しくしたことなんて殆どないな、と。

 なら、やってみようかと、そんな風に思い立ったのは、霧雨魔法店上空での霧雨魔理沙との弾幕ごっこの最中であった。

 

「まあ、思ったからとはいえ、流石に、優しく負けてあげるようなことはないわね」

 

 魔理沙が形作る昼空を彩る様々にグラデーションがかり煌めく星々――その全てが魔弾――を避けるために、幽香のセミロングな緑髪や赤いチェックのスカートは彼女の踊るような動きに合わせてそよいで波立つ。

 ひらりひらりと、似非銀河、美しさばかりが相似している昼間のミルキーウェイを通る幽香の様は、余りに優雅だ。

 輝く五芒は瞬きながら、幽香のゆっくりとした美麗な回避動作の全てをライトアップする。光に囲まれ元気に踊るは、美しき花。その花弁の中に、恐ろしい棘が秘められていることを、その様子を見るばかりの誰が知るだろう。

 だがしかし、幽香の持つ棘は、確かにこの世界――幻想郷――にて一際鋭いものとして認知されていた。

 

「反撃、と行きましょうか」

 

 ぽつりと呟き、舞うただ一輪は、次々とその力を持って宙に花束を作り上げていく。幽香が開いた白い日傘を一振りする度に、その先端から放たれるのは同色の花の様態をした妖弾。

 広げるように、幽香が辺りに撃ち出した儚げなその弾幕は、実は強力なものであり、星の魔弾を容易く打ち消しながら広がっていく。

 

「弾幕はパワー、を花で表現されちまうとはなあ。それでいて、私手製の弾幕を消せても私本体を殺せない程度の威力に収められるなんて、器用なもんだ」

「力持ちは加減が下手なんて、とんだ偏見よ?」

「違いないっ!」

 

 幽香の対戦相手、金髪で白黒魔女姿を採っている少女、魔理沙は弾幕ごっこ――スペルカードルール上のもの――という非殺のお遊びの中でも、最強の妖怪と謳われる大妖怪の力を確かに感じ取って、口元を歪ませる。

 ゆっくりと、星を抹殺しながら展開する花々の威力。そして、回避を促し相手を追い詰めるごっこ遊びの中でも自分を失わず、動きを最小限に収めて幽雅に舞うその回避力。

 抜群の妖力身体能力を用いずとも、それだけで余裕のある強者らしさを魅せつける幽香は、直線本気を旨とする魔理沙にとってですら眩しく映る。

 しかし、恐れて目を閉じずに箒にまたがったまま光に向かい続けるのが、魔理沙だった。

 

「ルールで縛って手加減を強いても、お前さんは強いな! でも、だからこそ、勝つことに価値が出るってもんだ!」

 

 巨大な黄色いものすら現れ、星は消え花が支配するようになった宙空の隙間を、魔理沙は直線で縫い飛び、幽香の手前まで来てから、星をばら撒く。

 パリンという音とともに現れるは、群れなす流星。魔理沙手ずから割った小壺から大量に展開する七色の星々は、あまりに至近ということもあって、避ける隙間は殆ど無い。

 しかし、ないなら出来るまで待てばいいと、広がるそれらから少しばかり下がることで、幽香は悠々と時とともにバラけた星の隙間を通った。

 

「よし、下がったなっ!」

 

 だが、それこそが魔理沙の狙い。幽香が攻撃を中断しながら下がったがために、程よい具合に空いた何もない二人の距離。

 力で埋めるに丁度いいその間隙を、魔理沙は喜ぶ。そして、ミニ八卦炉という魔理沙の武器――彼女の力を極大までブースト出来る代物――を向けてから、彼女は、一枚のカードを逆手で持ち上げ、宣言をする。

 そう、これこそが様々な戒めのあるスペルカードルールの弾幕ごっこ中でも一番の目玉であるスペルカード――先に提示し合いその枚数の分だけ両者が行える各々の必殺技――の展開。

 溢れる光を発端とし、弧を描いた口元から溢れる名前と一緒に、その必殺技は発される。

 

「いくぜ! 恋符「マスタースパーク」!」

 

 それは以前恋した力の輝きを模した光線。あまりに太いレーザーは、あっという間に相手を飲み込む強い熱量と化す。

 弾幕に派手さ、火力を求めた魔理沙は、物真似に行き着いた。そう、彼女は眼前の強者幽香が過去に戯れに放った光線の方法を盗んで改良を重ね、自分の切り札と変えていたのだ。

 さあ、幽香は自分のものであった時よりも魅力を増した、この光の束を、果たして無視して避けることなど出来るだろうか。

 また、この直線的な攻撃から逃げられた時のために、魔理沙は二段構えとして周囲に広がる度に交差を重ねる巨大な七色の星を自身の周囲から全体へと向けている。

 だから、先程までのように、急がず慌てず、力を一部も発揮せずに避けるようなことは如何に幽香であろうとも不可能だった。

 本気のぶつかり合い。それを望む魔理沙は勝ち気に笑みながら、光眩しい中で未だ動かない幽香を見つめる。

 

「力は大したものではないけれど、美しさでは魔理沙のものの方が上ね。いいわ。恐れずに私の愚作に一筆入れることを怠らなかった、貴女の努力を認めてあげる」

 

 そして、その身に迫ったマスタースパークに対して幽香が取った行動は、魔理沙と殆ど同じだった。

 幽香は迫る魔光に右掌を向け、そして反対にカードを持って宣言をする。

 

「花符「幻想郷の開花」」

「なっ!」

 

 そう、魔理沙が驚愕の声を止められないのも当然の事。幽香が力を開放した途端、全ての光は花弁に紛れて消え去っていったのだから。魔力の直線は、二人の間に生み出されて大量に割りこんで来た黄色の妖弾の曲線によって体をなくした。

 最初に生み出されたのは、幽香を守る繭のようにして生み出された黄色い蕾の如くに折り重なった魔力の塊。光線を浴びて、一瞬歪んだそれは、直ぐに細かく解けて行き、幽香を光熱から守りつつ花びら散らすように辺りへと広がっていく。

 光によって輝くその花は、強すぎる熱によって大いに外周を焦がして失くしつつも、しかし負けずに大きく美しく開いて、周囲の星屑をすら外へ外へと追いやる。

 魔理沙が弾幕に想起したのは、巨大な黄薔薇か向日葵か。そう、これは現にある光景に近いもの。光を浴びて花が開くは当たり前。

 げに恐ろしきは、弾幕に表された成長の力だ。開花の美しさは、魔理沙の足を、一瞬でも止めてしまった。

 

「……くっ、うおっ」

 

 逃げ遅れた魔理沙は、一枚の花弁に触れてしまい、その身に強い衝撃を負う。そうして宙での身体操作を失敗すれば、あとは墜落あるのみ。

 燃え尽きることさえなければ、流れ星は、地へと墜ちる。

 しかし、そんな当たり前がつまらなかったのか、魔女帽を先に落として失くした魔理沙を助ける力があった。

 そう、魔理沙の小さな身を受け止め助けたのは、花の蔓。青い円錐形の花を、魔理沙に巻き付くか細い蔓にて多量に咲かす、そんな様子からその植物は朝顔であると分かる。

 そういえば幾らか庭に種を植えておいたような覚えがあると、そう思い出しながら、魔理沙の金の瞳は優雅に着地するフラワーマスターの、笑み絶やさぬ姿を望む。

 

「……幽香がやったのか?」

 

 ぐるぐると身体を巻き上げられながら、ゆっくりと地に降ろされた魔理沙はそう零す。

 まさか、普段水をやっていたお礼にと、朝顔が急成長して伸びてきて自分を助けた、なんていうのはいくら幻想郷であろうとも起きやしないことだと分かっていた。

 自分以外にこの場に居るのは風見幽香一人のみ。ならば、花を操る能力を持つという彼女がその力を持って優しく自分を助けたのでは、と考えないでもない。

 だが、そんな訳がないだろうと魔理沙の冷静な部分は思う。

 

 ゆっくりと、巻かれたまま身動きの取れない魔理沙の元へと歩み寄る幽香のその性格は、悪点見つからないその美しい見た目と異なり非常に悪いものであると言われる。

 普段は気分屋でマイペースな部分が表立って目に付くが、これが他と関わる時になると大きく変わる。直接的な悪口こそないが、笑顔で相手を揶揄したり平気で弱点を突いてきたり等など、まともに他人と付きあおうなんてしない。

 兎に角、常に自分が上位に立って相手の気分を悪いようにコントロールするのを好むのが、風見幽香という妖怪の特徴なのだ。

 

 そんな幽香が、唐突に宗旨変えして、魔理沙が痛むのを嫌い能力によって花を咲かし、伸ばして助けた、とはとてもとても考えられないこと。

 ならば、これは何か自分に対する嫌がらせの布石なのかと、蔓から逃れられないまま魔理沙は近づいてくる幽香に対して思わず身を固くした。

 

「いい子たちね、戻っていいわよ。……あら。どうしたの、魔理沙? 固まっちゃって」

「お、おう。あれだ。ちょっと間近の朝顔に見惚れちまってさ」

「そう。でも残念ながら、あの子たちはもう退いてしまったから、そんなところに這いつくばっていないで、起きたらどう?」

「……分かった」

 

 足元から、恐らくは幽香の能力によって緑の蔓が引いていくのを認めてから、魔理沙はそろりと立ち上がる。自分の身に変化がないのを確かめるためにパタパタと服を叩くことで、片側ばかりおさげに纏めたふわふわ金髪が揺れて跳ねた。

 そうして理解するに、どうも本当にただ助けるために、自分に対してわざわざ幽香が能力を使ってくれたようだ。これには、疑っていた分だけ少し捻くれた少女である魔理沙も感謝を覚えずにはいられない。

 

「私が頭から墜ちる前に花を使って拾ってくれた、っていうことで良いんだよな。幽香、助かったぜ」

「別に構わないわ。私がしたくなったからやっただけ。まあそんなことより、賞品の話をしましょう」

「げっ」

 

 幽香も偶には仏心を出すのだな、と頬をニヤけさせていた魔理沙は転じて継げられたその話題に顔色を変えた。

 賞品。そう、弾幕ごっこは女子供向けの遊戯であるが、別に、その勝ち負けに何か賭けることを禁じられてはいない。

 だから、弾幕ごっこをしようと遊びに来た幽香に喧嘩を吹っかけた魔理沙が、イマイチ反応が悪かった彼女の気を惹くために、手近な自分をベットしたことは、そうおかしなことではない。

 負けてしまった今、賞品たる自分がサディスティックな性格の幽香にどう使われるのか、想像もつかないことが魔理沙には空恐ろしかった。

 

「確か、勝った方が、負けた方の言うことを一つ聞く、だったかしら」

「そうだったな……畜生。勝つことしか考えてなかったぜ。全く、何をやらされるんだ?」

 

 とんでもない要求だったら逃げて、いや逃げきれるものではないから面倒でもやるしかないのか、等と考えその内容に合わせてコロコロ表情を変える魔理沙を、変わらぬ微笑みを湛えながら幽香はしばし黙って見つめる。

 手に持つ日傘を自分の都合のいい場所へ定めるまでの間焦らしてから、幽香は疑問に答えた。

 

「ふふふ……私の勝ちに間違いはない。だから魔理沙、貴女は確かに私の言うことを最後まで聞きなさい」

「分かったが……なんか変だな。最後まで? どういうことだ」

「言葉通りに、逃げずに私の発言を最後まで残さず聞きなさいっていうことよ。私が貴女に望むことなんてそれくらいしかないから」

「おいおい、幽香。お前は私に何を喋るつもりなんだよ……」

 

 言葉だけだろうが、果たして、幽香の嗜虐心を満足させるような内容とはどれだけ酷いものとなるのか。目の前の幽香が何時もと変わらぬ存在だと勘違いしている魔理沙は、怖気を感じてブルリと背筋を震わす。

 

「魔理沙、貴女も強くなったものね」

「はっ?」

 

 しかし、発された言葉は、想像の中の冷たいものとは程遠く、むしろ暖かくむず痒くなる代物だった。

 

「魅魔にくっついて手の中で星を遊ばせていた頃から見て、魔理沙、貴女は随分と達者になった。弾幕ごっことはいえ、貴女が霊夢と伍せるほどに成長するとは、私も思っていなかったわ」

「……そ、そうかい」

「でも、普通に魔法使いを出来る程度の才能しかなかった貴女がここまで至るには、大変な努力が必要だったでしょう。貴女は否定するでしょうけれど、魅魔ですら苦労して通った魔道を、これ程の階位まで人の身のまま若くして登った事実は、否応なしに背後の尽力を浮かび上がらせる」

「いや、それは」

「ここまでよく、頑張ったわね。そういえば、マスタースパークと言ったかしら。あのアレンジなんて、特に美しかったわ。人のものを盗みたくなるほど確りと受け止められる貴女には、きっと物事を発展させる才能があるのね」

「っ! な、何が言いたいんだよ、幽香!」

 

 ペラペラと、幽香が淀みなく発するは、魔理沙に対する褒め言葉。あまりに優しげな口調で語られるそれらは、素っ気ない普段とのギャップも相まって、魔理沙の全身に鳥肌という拒否反応を示させた。

 それに耐えられなかった魔理沙は、思わず結論を急がせて、話を終わらせたがる。

 

「大丈夫」

「うぉ」

 

 しかし、そんな魔理沙を安心させるかのように、幽香は真白い指先を何処かへ落とした黒い魔女帽の代わりにぽふりと置いて、そして撫で始めた。

 決して傷めつけず絡ませぬよう、ゆっくりと。その手つきの優しさが、魔理沙の緊張を僅かに解す。

 

「慣れていなくて、むず痒いでしょうけれど、裏のない言葉から逃げることはないわ。受け取って、安心したらどうかしら。魔理沙、貴女はここに居ていいの。むしろ、今となっては誰もが貴女を望んでいるわ。それも、貴方の努力の成果」

「……私って、分かり易いか?」

「貴方の不器用で臆病な面に気づいている者も少なくはないと思うわ。でも、そんな可愛いところも霧雨魔理沙の個性として、皆愛している。勿論、私もその一人」

「……ったく。幽香、お前、今本当に素面か?」

 

 細められ、しかし真っ直ぐ向けられた赤い瞳を避けるように、魔理沙は頭を少し下げる。おかげで撫で易くなったと、幽香はごきげんになった。

 撫ぜる手つきに熱がこもったのを感じ、そういえば、自分はどうしてこんな触れ合いを受け止めているのかとようやく思い、魔理沙は恥ずかしくなって頬を染める。

 しかし、それでも、振りほどき距離を取るようなことはしなかった。懐かしい暖かさを、逃したくはなかったから。

 

「言わずとも伝わっているだろうことを、わざわざ口にする無粋だって相手を想ってのこと。魔理沙がいくら強くなっても、人の子なのだから、休み寄りかかることの出来る拠り所は必要。馴染みの私がそれになっても、きっと悪くないでしょう」

「本当に、いいのか?」

「寄り添うのが、花一輪でもいいのなら、幾らでも」

 

 ここに至って、ようやく魔理沙は幽香が自身に愛を持って接していることに確信を持つことが出来た。それは忘れていた母のものを思い起こさせて。安堵した魔理沙は、幽香が毛髪をくすぐる優しい指先に目を細めて身を預ける。

 魔理沙は自由奔放で、なるだけ常識に囚われないように生きていた。しかし、そんな魔理沙も少女である。親元離れて一人で寂しくないわけがなく。弱みを隠しながら、婉曲的に他人に甘えることを繰り返して生きてきて。

 でも、期せずしてこの場でそれを指摘し分かってくれて甘えさせてくれる者が現れた。こんな好機、味わわなければ損である。唐突に安心をもたらしてくれたのが幽香であるのには魔理沙も驚いているが。

 

 

「……っ」

「あら」

 

 それは撫で付けられたまま二・三分程か或いは半刻も経ったくらいか。心地よい時間に身を委ねていた魔理沙に過ぎた時の程度は分からなかったが、急に彼女ははたと我に返った。

 自分の家の前で、幽香に顔を伏せながら撫でられている自分。それはなんて不自然な姿だろう。もし口と行動の軽い烏天狗辺りが通りかかったとしたら、大いに写真機を働かせて興奮するような光景を魔理沙は作っている。

 そも、雰囲気に呑まれて安心してしまったが、よく考えれば頭上の人物は幻想郷でも指折りの危険人物。自分はいたずらにからかいの種を与えてしまったのではと思った魔理沙は、バッと離れる。

 今更になって身を預けた自業を恥ずかしく思いながら、残念そうに手を引っ込める幽香に問いを向けた。

 

「な、なあ。どうして幽香は……急に私に優しくし始めたんだ?」

「私は年長者。別に、子供を可愛がることは不思議でも何でもないわ。それに、何より……」

 

 一時、幽香は言葉を止める。その先が気になった魔理沙は、ごくり、と固唾を呑んだ。

 黙し、空を巡る風を追うようにそっぽを向いた幽香は、そのまま体ごと一回転してから、再び魔理沙を見つめる。

 そして、幽香は今までで一番上等に微笑んでから口を開き、顔を真っ赤にして照れている魔理沙に止めを刺した。

 

「私達、友達でしょう?」

 

 幽香が迎えるように真横に手を伸ばして、放った爆弾発言はあたりに響く。

 当たり前のように口にした、その言葉は魔理沙の導火線に火を点けた。そして、僅かに経って、魔理沙は爆発する。

 そう、真っ赤に湯だった魔理沙の顔はこれ以上ないほど熱を持ち、それでも溢れる熱量を持て余す。彼女は顔を両手で覆い地団駄を踏んでから、耐え切れずに背を向け駆け出し、一気にその場から逃げ出したのだった。

 

「う、ううー……ゆ、幽香がおかしいぜー!」

 

 星屑を零しながら、箒に乗って魔理沙は幽香の優しい掌の届かぬ空へと去る。

 自分の家から果たして何処へと逃げるのだろう。迷走中。しかし、去り際のその一言は、的確に事態を表していた。

 

 

「コレも、楽しいわね」

 

 そして、白黒な後ろ姿が見えなくなるまで望んでから、幽香はアルカイックな微笑みをサディスティックに崩す。

 幽香はためしに優しくすることで、別段何かを期待したわけではない。しかし、ただ何時もと違う当たり方をしただけで、普段は見られない相手の無様を見ることが出来た。

 それは、幽香にとって思わぬ収穫である。

 

「私って、優しくする才能があるのかしら?」

 

 冗談のようにして、幽香は自惚れてみるが、しかしそれはあながち間違ってはいないことだった。優しくするのと虐めることは、共に言葉や行動が心にどう作用するか熟知していなければ失敗に終わる。

 そう、優しくする方法は、虐めるやり方とどこか似通る部分があった。相手の労って欲しい部分をくすぐることと、相手の突いて欲しくない点を突付くことの違い。

 一方に長じていた幽香が、もう片方が下手な訳がなく。そして、虐めるのが好きであれば、優しくすることに興味をもつことも、他の反応を楽しむ幽香であるからこそ、あり得ることだった。

 

「何時かは同じ相手に両方試してみるのもいいかもしれないわね。まあ、今は優しくしてみることが優先だけれど」

 

 こうして幽香は飴と鞭を手に入れた。現在は飴を与えることを気に入っているが、一体何時まで続くことか。

 しかし、それが大妖怪の気まぐれであるからには、十年百年続くことすら考えられた。

 

 

 果たして、幻想郷の住人は優しい幽香を受け入れることが出来るのだろうか。

 全員が変化を認められればそれでいいが、しかし、魔理沙のように受け入れられない者が多数となるかもしれない。

 もしそうなるとしたら、幽香の心変わりが異変扱いされる日も、近いだろう。

 

 

 



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第二話 氷の妖精に優しくしてみた

 

 春の陽光、雲なき晴天の下。霧の湖と呼ばれるその水場は青空に合わせたかのように、珍しくも清々しく晴れ渡っていた。

 いや、或いは邪魔な霧は、彼女の勘気に触れることを恐れて逃げ去っていったのだろうか。来ることを知った者がそう思ってしまいかねない程の大妖怪が、今日ここ霧の湖に訪れていた。

 

「……あの子、居るかしらね」

 

 件の妖怪は、強い日差しを日傘で遮りながら、赤い瞳を辺りに巡らす。

 よく照った湖面を望みながらも瞬きせずに、視界に入ったビリジアンの毛髪を退かしながら、その気になればきっと千里も見渡せるだろう視力を持って、彼女はちょっと際立った妖精を探していた。

 自然溢れる湖面上。当然妖精は沢山居て、基本の五色の中でも殊更青みがかった色彩がうるさい。しかし、紛らわしい最中でも、一際尖ったものは自ずと円を作らすものであり、探すのに難いことはなかった。

 

「見つけた」

 

 彼女は薄く、微笑んだ。薄桃色の唇、その端の綻びは、弧月を思わせる。形作った優雅な曲線はアンテロープ・キャニオンの侵食美すら想起させた。

 しかし、多く花鳥風月の美を纏いながらも、彼女は正しく花だ。生気溢れた少女の美の盛り、それを体現しながらも、枯れない一輪。

 そう、霧の湖にやって来た妖怪とは、風見幽香であった。

 

 

 その場に居た妖精たちが感じたのは悪寒。余りに恐ろしいものがこの場に来るという予感が、彼女らを襲う。身体は震えて、脳の中のレッドアラートは逃避を促す。

 勿論、それをもたらした者――幽香――が威圧的に妖気を溢れさせているという訳ではない。ただ、異変時ということで興奮して我を忘れてでもいなければ、力の差というものを感じるのに、脆弱な妖精達は敏なのだ。

 最強の妖怪と、最弱の種族。その差は余りに大きいものである。敵わなければ、逃げるしか出来ることはない。

 水色の妖精を中心としていた輪は、直ぐに崩れて、そして二匹のみを残して妖精の群れは次第に消えて行った。

 

「皆どこ行くのー?」

「な、何か変だよ……」

 

 鈍感。それは、力あるものにのみ許される。そして、霧の湖の中心に残った二匹の妖精――チルノと大妖精――は同種の中では破格の存在ではあった。

 だから、彼女達が感じた怯えも少なかったが、しかし妖精の中でも最強の部類でありここら辺の妖精たちのリーダーであるチルノを放ってまでして、一目散に取り巻きの妖精たちが逃げ出すことは珍しい。

 ひょっとすると、こんな真っ昼間から、力のある妖怪でも現れたのか。いや、それにしては未だ妖気が少しも感じ取れない。なら何なのだろうと、垂らしたサイドテールを泳がし辺りを見回していた大妖精は、原因を見つけて飛び上がった。

 

「わわっ。チ、チルノちゃん!」

「どうしたの、大ちゃん?」

「わ、私先に行くね!」

 

 そして、一番の遊び友達である大妖精までもが、チルノを置いて、逃げ去っていく。危機感の薄いチルノは、それをボケっと見送るばかり。

 そんなことであるから、チルノは容易く幽香に捕まるのだった。

 

「こんにちは」

「あれ? んーと。確か、あんたって幽香って言ったっけ?」

「そうね。当たりよ」

 

 そして、くるりと振り返ったその先には、この上ないくらいの大妖怪が一人。しかし、チルノは慌てず騒がずただゆっくりとその名前を思い出した。

 普通ならそれは無謀。しかし、チルノはどんな相手がやって来ようとも逃げる必要を感じない。なにせ、彼女にとって自分は最強なのだから。

 普段共に戯れている妖精達の中で図抜けているのであるから、ある程度自信を持つのは当然であるが、チルノは必要以上に自分を過信しているところがある。

 人間の子供程度の知能を持つ妖精の中でもチルノは単純で、悪く言えば少しバカな方であるから、思い込みが激しくなってしまっても、仕方ないのであるかもしれないが。

 しかし、存外井の中の蛙は可愛らしいもの。幽香はこのちっぽけな妖精を殊の外気に入っていた。

 

「ねえ、幽香。何でか知らないけど皆、急にいなくなっちゃったのよ。湖が昼間こんなに晴れているのは久しぶりだから、色々遊べるね、って何をするか話しするために集まってたのに。どうしてなんだろ?」

「どうしてかしらね。私はここに来たばかりだから、確かには分からないわ」

「そうかー。まあいいか。じゃあ、幽香でいいや。一緒に遊ぼうよ」

「ええ。いいわよ」

 

 幽香は少しも悩むこともなく、驚くほど簡単に子供の冒険と大差ない次元の妖精の遊戯に参加することを了承する。

 勿論、幽香が水切りに虫取り、良くて弾幕ごっこくらいの小さきものの遊び自体を楽しみにしているわけではない。

 ただ、チルノに優しく一緒してあげたその先に、どんな楽しみがあるのか、それが気になり共にあろうとしたのである。

 

 魔理沙に優しくした後に、幽香はちょっと考えた。確かに、優しくして恥ずかしがらせるのも悪くはない。しかし、もしきちんと相手に優しさを受け取ってもらった時に、どう自分は感じるのだろうか。

 それが気になり、明らかに謙遜や照れとは無縁そうな純粋な存在を脳裏に幾つかピックアップし、その中でも自身を恐れず更には出会うに易い存在へと向った、ということである。

 選抜されたチルノはそれと知らず、暢気に顎に小さな指を当て、少ないレパートリーから遊びを選んでいるようだった。

 

「何がいいだろー。隠れんぼ……は、あいつらと一緒にやったからいいや。鬼ごっこしよう! 幽香が鬼ねー」

「私としては、もっと大人しいものでもいいのだけれど、まあいいわ。それじゃあ、鬼の真似をしてあげる」

「わー。なんだか幽香からすっごい気配がするぞー!」

 

 鬼ごっこ、それこそ古い知り合いの物真似ということで、平均的な鬼に似せた妖気を発しながら、幽香はチルノを追いかける。

 遊び、であるからには幽香も本気を出さずに、優しいスピードで遮蔽物のない湖上を滑るように後を続いた。チルノは、迫ってくる冗談のようなレベルの妖気をきゃいきゃいと楽しんでいるが、傍から見ればそれはあまりに異様である。

 木の影から覗く妖精たちからは、幽香があまりに恐ろしく、またそれから余裕を持って逃げるチルノが頼もしくも見えて。余談ではあるが、これからしばらく、チルノの取り巻きが増えて、纏め役の大妖精が困惑するという事態が起きたりする。

 

 

「あー、楽しかった!」

「それは何よりね」

 

 結局、鬼ごっこは逃げるチルノに完全に速度で負けていた筈の幽香が、先読みを駆使したのかどうやってか上手に捕まえて終わった。

 元気が有り余っているためか、次から次へと体を使う遊びを提案するチルノに、幽香はそれもいいけれどと、上手く宥めて色々なことをやらせてみる。

 綺麗な石探しに、幽香主導の異常に豪奢な土の城作り。それから、近くに居た淡水に棲む人魚に歌声を採点してもらいもした。

 更には水が欲しいと幽香に喋りかける近場の花に、二人で水をあげることを遊びとしてみたりして。

 物足りなくはあるが、チルノと共にあった時間は幽香にもそれなりに楽しめたものだった。

 

「私はここに住んでるんだけど、そういえば幽香って何処に何時も居るの?」

「夢幻館という館の主を務めていたこともあったけれど、今は四季折々の花を一番楽しめるような場所に作った別荘を点々としているわ。近頃は、太陽の畑の別荘に落ち着いているわね。夏に沢山向日葵が咲いているところなのだけれど、知っているかしら?」

「知ってる! そっか、幽香の家はあそこにあるんだ……ねえ、今度行ってもいい?」

「勿論」

「わーい!」

 

 幽香の家にどんな楽しみを想像しているのか、チルノは眼前の優しい妖怪と何時でも遊べるということを喜ぶ。そんな気持ちがあまりに高まりすぎたのか、チルノはそのまま幽香に抱きついた。

 春先の未だ肌寒いこの頃、冷え冷えとした氷精チルノに纏わり付かれるのは、普通なら眉をひそめるところ。しかし、幽香は平然としたまま受け止める。

 それどころか、常人なら凍えてしまう程の低体温を気にせず、手近の柔らかいアイスブルーの髪の毛を撫で回しすらした。

 

 種族も容姿すら全然違う二者は反発することなく、他を寄せ付けない程に身を寄せ合いながら湖畔で目立つ。

 それが面白くなかったのか、二人に近づく姿があった。翅によって飛び、幽香のものと似て非なる緑髪を風に流しながら、再びチルノの元へとやって来たのは大妖精である。

 地に降り立ち、恐る恐る近寄った大妖精は、ためらいがちに口を開く。

 

「し、失礼します。遠くから見てましたけれど、チルノちゃんと幽香さんって、仲良しだったんですね」

「友達だもん」

「そうね」

 

 闖入者に気付き、恥ずかしがることも躊躇うこともなく離れたチルノと幽香は短く応じた。

 二人の気が合っている様子にも二つの口から出た内容にも、大妖精の心はかき乱される。

 

「い、何時から……ですか?」

「確か、今日からかしら」

「そうだったっけ?」

 

 幽香は淡々と事実を語る。だが、もう随分と幽香と仲を深めた気がしているチルノは、よほど相手が合わしてくれでもなければそれが一日で起き得ることではないことを本能的に気づいており、そのため日にちの感覚を幾分か失くしていた。

 二人の合わない会話を聞いて、大妖精は黙して考える。確かに、今日までチルノと幽香に接点はなかったのだろう。

 それは、四六時中ではないが、チルノがここ霧の湖に居る際には共に有り、会話を交している大妖精であるからこそ分かること。外であったことを素直に喋るチルノが、大妖精に幽香のことだけをわざわざ隠していたのでなければ、それは間違いない。

 勿論、友達であるからには大妖精はチルノのことを信じているが、しかし、彼女の人を見る目までは信じきれないでいた。

 

「納得できません……どうして、急にチルノちゃんと」

 

 そう、相手は極めつけに危険な大妖怪。一般妖精でもある自分が知っている程の要注意人物、風見幽香が少し範疇をはみ出しているとはいえ、妖怪以下のチルノと友誼を結んでいることなど容易く信じられるものではない。

 また、孤高の人と聞く幽香とチルノの友情が、大妖精が逃げて隠れて覗いていた、特に大事もないようであった二・三時間の間に育まれたなんて、あり得るのだろうか。

 ただ遊んだだけで幽香と仲良くなれるのなら、彼女が危険度極悪と呼ばれたりしない。ひょっとしたら、何か、性急に近寄る理由があるのか。チルノを利用するような、何かが。

 

「んー?」

 

 幽香の隣で、大妖精の表情の変化に疑問を持ち始めた様子の青い姿。その手は、幽香と結ばれている。

 二人の、仲良しな様子から、大妖精も邪推ではないかと思わなくもない。しかし、自分程度でもこのくらいの想像は出来るのであるから、それより高度な存在である幽香は追いつけない程複雑なことを考えられる筈なのだ。

 だから、何を考えているのか分からなくて、怖い。出来るなら、近寄って欲しくない、とまで思う。恐れ、それこそが大妖精の中の幽香の微笑みの奥を錯覚させていた。

 

 そんな、大妖精の懊悩を、幽香は笑う。

 

「ふふふ。私が何か企んでいるかいないか、不安だと?」

「……はい。でも、気を悪くしないで下さい。チルノちゃんは相手をすぐ信じちゃうから、間違っていても私が代わりに疑わないと、って」

 

 そう、大妖精は無理をしている。本当は他の妖精たちのように、何も考えずに遊びたくて仕方ないのだ。

 しかし、幼くて危なっかしくて目を離すと何時一回休みになるかも分からないチルノの面倒を見るからには、平素から大人ぶらなければならなかった。

 そんな子供の背伸びを見て、幽香は何を思うだろう。取り敢えず、彼女が大妖精の言葉に苛立つようなことはなかった。

 

「確かに私は企むことだってあるけれども、今回は潔白よ。そもそも、自力で大概のことは成せるというのに、わざわざこの子を利用するようなことはないでしょう?」

「そう、ですか……」

 

 人の上に立っていた過去の頃には策謀を巡らしたこともあった。しかし、大妖精には知る由もないが、自力で物事を成すことが、このところ幽香のマイブームであったりする。

 だから、優しくしたことで、起きた結果もその身一つで受け止める覚悟があった。この場合は縁者の疑問。それを解決してあげるのも悪くはないと、幽香は思う。

 

「言葉だけで納得させるのは難しそうね。なら、証明してあげましょうか」

「っう!」

 

 さて、妖精程度にも解りやすく十分な力を魅せるに容易いのは、弾幕ごっこ辺りだろうか。

 幽香は抑えに抑えていた妖気を発しながら、その力に顔を青くしている大妖精を下に見て、ふわりと飛び立とうとする。

 そんな幽香の袖口を、ちょいと引っ張る者があった。

 

「幽香。大ちゃんを虐めないで」

「大丈夫。貴女との友情を壊さない程度には優しくしてあげるから」

 

 安心させるようにチルノのくせっ毛を撫でてから、幽香は青く澄み渡る空に浮かび、湖上というステージを選んだ。

 そして、幽香は追いかけて飛んで来る大妖精に宣言をする。

 

「そうね……どうせ力を魅せるには圧倒しなければいけないのだから、私の攻撃の機会は一度でいいわ。それだけで私は貴女を墜とす。勿論、貴女は普通の弾幕ごっこのつもりでかかってきなさい」

「……分かりました」

 

 大妖精は、幽香の言を安堵すら感じて飲み込む。対してからずっと、ヒシヒシと力の差は感じられている。弾幕ごっことはいえこれではハンデがなければ戦う気すら起きやしないだろう。

 ただ一度の攻撃、それがどれだけ苛烈なものになるか分からないが、しかし一度きりならば避けられなくもないのでは、と大妖精は思う。

 

「でも、やっぱり怖い……幽香さんが攻撃する前に、墜とさせてもらいます!」

 

 そして、再び恐怖から大妖精は発奮する。

 全力で精製するは、赤き炎弾の群れ。力の無さ故か、工夫を持って広げることは出来なかったが、その物量自体は大変なもの。赤き花火は昼空の青に映え、湖面でその美体は揺れた。

 勿論、それだけで幽香を仕留めきれるものではないと、大妖精も分かっている。力を出し惜しみする理由などはなく、彼女は持ち前の特異な力を持って、幽香の前から移動した。

 

「えいっ」

「へぇ……」

 

 そして、取ったのは幽香の後ろ。首を動かし、幽香は大妖精のワープ、瞬間移動を認めた。

 勿論、移動するなり発してきた弾幕をもハッキリと目に映し、挟み撃ちされながらもしかしゆっくりと幽香は回避する。

 大妖精が新たに発し出しているのはチルノのものにはハッキリと劣るが、低温の氷の塊。幽香以外ならばただ避けるのも難儀するほど、密に向けられたそれらは都合逆しまから来たる炎弾とぶつかって飛沫と化した。

 それは宙で飛散する。なるほど至近で飛散するお湯に冷水を避けるというのは大変だ。勿論水程度で墜ちる訳ではないが、びしょ濡れになるのは面白くなく、だがそちらに気を取られてしまえば他の弾幕を避けるのは難しい。

 工夫されたそれに、幽香は面白みを覚える。そして、幽香が顔を向ける度にその場から消える、移動方法に対しても中々に。

 

 大妖精は、短距離であるがワープを得意としている。それは、他の妖精には中々出来ない芸当だ。

 しかし、妖精――何処にでも存在し得る自然な存在――であるからこそ遍在の概念を利用でき、大妖精ほどの力を持ってすれば、転移は可能となる。

 生温いが、様々な場所から来る火や氷は、複雑怪奇な模様を創り、ぶつかり合って様態を変えてすら幽香の目を楽しませた。赤青二色の変化は、妖精に表現できる美の極みに近いものだ。

 しかし、それを持ってしても幽香を苦しませる程には届かず、そして余裕を持った幽香は大妖精の力にすら手をかける。

 

「面白い芸だけれど、夢月や幻月のもの程高度ではないわね――それこそ、私にも可能なくらい」

「え? あっ……」

 

 それは一瞬。弾幕の最中で揺れていた筈の幽香の声が、気づけば自分の後ろから聞こえ。そして、振り向いた途端にお腹に強い衝撃が。

 花状弾幕一つ受けただけで、意識がブラックアウトした大妖精は、そのままぽちゃんと湖の中へと墜ちた。

 

「大ちゃん!」

「大丈夫よ、加減はしておいた。気絶は一瞬でしょう……と、まあ、言葉で止まるような子ではないわよね」

「へ? あ、あれ、チルノちゃん……わぶっ!」

 

 二人の弾幕ごっこを不安げに眺めていたチルノは、大妖精が墜ちた途端に、その場へ突入した。そして、直ぐに気を取り戻した大妖精へと突貫して、二匹共々水中へと没する。

 

「……ぷはー。良かった、大ちゃん生きてた!」

「生きてた、じゃないよ。酷いよチルノちゃん!」

「わー、大ちゃん、ほっぺ引っ張らないでよ!」

 

 やがて、水から顔を出した二匹は、喧嘩を始めた。水を掛け合い、頬をつねったり、引っ掻きあったり等をして。

 

「チルノちゃんの体当たりの方が幽香さんの弾幕よりずっと痛かったんだからっ、馬鹿馬鹿! バカチルノちゃん!」

「何だとー、バカってそう言う方が……あれ、大ちゃんはバカじゃないぞ?」

「っ、もう、チルノちゃんったら……ふ、ふふ」

「あー、大ちゃん笑ったなー」

 

 しかし、途中でチルノが疑問を覚えてしまったがために、罵り合いが成立せず、むしろ笑みが二匹の間に浮かんで諍いは終わった。

 暫しの間、笑顔で二匹はじゃれあっていたが、先にチルノが幽香のことを思い出して、岸辺を見る。すると、そこには極上の笑顔を湛えた幽香の姿があった。

 

「そうだ、幽香のこと忘れてた」

「終わったかしら?」

「あ。ご、ごめんなさい!」

 

 二匹、特に大妖精は焦りチルノを連れて飛び上がって、幽香の近くへと降り立つ。

 湖から上がったチルノと大妖精はワンピースの端を絞って水を出す。妖精の服であるからだろうか、水の滴りが次第に止んで直ぐに乾いていくのは不思議な光景だ。

 

「それで、感想は?」

「幽香さん、私の弾幕全部を余裕で綺麗に避けていて、もう、とっても格好良かったです! それに、私の得意なワープで倒されちゃうなんて、思ってもみませんでした……」

「まあ、分かったでしょう? 貴女くらいに出来ることなら私にも大体は可能なのよ。まあ、今回は同じ妖かしのものであるから、という理由はあるけれど」

 

 表情をころころと変えながら感想を語る大妖精に、幽香は軽くからくりを口にする。妖精、妖怪、共に思われて存在する、実存から離れた存在だ。

 特に妖怪は、不安に存在するもの。何処に居るのかわからない、ならば何処にでも居るのかもしれないという恐れ。そも、目の前に居た筈の異形に、後ろから声を掛けられるなんて、怪談では当たり前のことだろう。

 だから、妖怪の中の妖怪、幽香にとって自身の居場所を不明へとずらすことなど楽なものであったのだ。

 

 そして、幽香は、続けた。

 

「それどころか、私は究極とされる魔法の数々を会得している。自然から少しはみ出した程度の妖精一匹の力を、宛にすることなんてない」

 

 見せつけるように、幽香はゆっくりと手を前へと持ち上げた。すると、掌に洗練された六芒の魔法陣が浮かび上がる。そして、彼女が右手を湖面に向けた瞬く間に、その先の空気に水に、全てが凍てついた。

 大妖精が息を呑む、その間にも氷結は広がる。幽香が行使してから手を振り魔法陣の光を消す、その間は一秒もなかったというのに、湖上の全面はアイスコートに変貌していた。

 

「す、凄い……」

「そして、これは魔力で創り上げたものであるから、状態変化も自由自在よ」

 

 幽香が指を鳴らすと、途端に氷の世界は、それが嘘であったかのように静かな湖へと戻った。

 大妖精は魅せつけられたあまりに大きな力に驚き何も言うことは出来ない。だが、黙って全てを横から見ていたチルノは目を白黒してから、大声を上げた。

 

「幽香ったら、私と同じね!」

「まあ、コレも私の力の一端だから、そうとも言えるかしらね」

 

 凄まじい力を恐れずに、氷の精はそれが同種のものであることを大喜びする。

 他の妖精も冷気を多少は使えるとはいえ氷を操れるほどの者はなかった。しかし、種族も方法も違うとはいえ、氷という得意な分野で自分を同等かむしろ超えかねない存在が居るなんて。

 それはなんて嬉しいのだろうと、チルノは思った。

 

「あはは、私ったら最強だけれど、幽香も一緒。一人ぼっちじゃないんだ!」

 

 知らず、興奮から涙を零し、チルノは笑いながら言った。涙の雫は冷気によって落ちるまでに固まり、霰の如くにパラパラと地面を叩く。

 涙が滴と濡れないその個性は、果たして哀れなものなのだろうか。一度、冬の妖怪に否定され、憐れまれた経験は、チルノの心に罅として残っている。

 

「ええ」

 

 しかし、幽香は落涙の音を煩わしく思って、肯定しながらチルノの頭に再び触れた。今度は、可愛がりもせず右手を乗せながら、熱を伝えるばかり。凍える痛みをまるで無視して。

 そして、幽香の温かみは、チルノの心のひび割れを溶かして紛らわすことに、成功する。

 

「嬉しいな、うれ、う……うああぁっ!」

 

 気持ちと共に力が暴れ、チルノの涙は幽香の衣服を流れた後に、濡らして凍らす。

 しかし、チルノが流す滂沱の涙を受け止め、決して幽香は拭わない。彼女にとっては苦手な、子供の涙。だがそれが子を成長させることもあると知っているから。

 

「チルノちゃん…………幽香さん」

 

 黙して語らず、しかし触れることで雄弁に隣にあることを示す、幽香のそんな姿を見た大妖精は、自分が抱いていた猜疑心を恥ずかしく思った。

 

 

「それで、あの。幽香さんは結局どうしてここまで来て……チルノちゃんと遊んだのですか?」

 

 泣き疲れたのか、少し経ってからチルノは眠った。大妖精が運ぶことを提案したが、それを断り幽香はその場で膝にチルノの頭を乗せ、上から覗いている。

 穏やかな寝顔を、何が面白いのか、じっくりと。

 

「……そうね。偶には違う光景が見たかったの。そのために、変わってみた。それだけね」

 

 僅か、風によって水色の前髪がまぶたに掛かってチルノがむず痒そうにしたために、幽香はそっと髪を整えてあげた。

 その自然な優しさは、とても作ったものとは思えない。最低でも、間近で様子を見ていた大妖精は噂の印象を捨てて、芯から優しい人であるのだと決めつけていた。

 

「違う光景、見られました?」

「ええ。面白かったわ」

 

 だから、彼女は幽香がチルノを観ながら違う意味でも笑んでいたことに気づけない。

 

 

 

 



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第三話 現人神に優しくしてみた

 

 風見幽香はそれなりに、人里へと顔を出すことがある。

 勿論、妖怪であるということで、大勢に歓迎されることもないが、しかし普段大人しい客である彼女は行きつけの店において、その来訪は喜ばれた。

 幽香が人里にて顔を出す店というのは、大方決まっている。主に花屋に服屋を周り、最期は甘味処にて落ち着く。そんな年頃の少女のようなパターンを今日も幽香は繰り返していた。

 

「やっぱり、ここの餡蜜は絶品ね」

 

 匙で頂く餡の上品な甘みは、とろける蜜と絡み合いながら、次から次へと食の底なし沼へと誘う。幽香は少女で妖怪。別腹どころか人智を超える程まで食べることすら不可能ではない。

 もっとも、奪ったものではなく培ったものを換金して得た貯金から計算して買い物をしているがために、幽香の財布の紐は、そう緩いものではなかった。

 さくらんぼを最後に美しく頂いて、名残惜しい気持ちを納めつつ何時もどおり一杯で終わらす。そして、勘定を済まして店から出た時であった。

 

「あのー、すみません。貴女、妖怪ですよね?」

 

 幽香が少し緊張感の欠ける緩い表情をした、東風谷早苗――現人神で風祝――に声を掛けられたのは。

 

 

 緑系の髪色をした少女が二人、通りを歩く。歩んでいるのは幽香が人混みを好まないために、目抜き通りは避けて進んでいるのはさほど人通りの多くない道。

 しかし、数少ない視線は二人に、特に青白巫女姿をした少女に向けて注がれていた。

 目が合った人に対してお辞儀を欠かさない早苗は、ここ幻想郷に彼女が来てから一年と半年近く経っても、未だ馴染まずよく目立つ。

 

「へぇ。幽香さんはお花の妖怪さんなんですか。メルヘンチックですねー」

「四季のフラワーマスターなんて呼ばれてもいるわね」

「わぁ。何だか格好いい!」

 

 それでも信者――守矢神社の――を増やすために働くことで親しまれつつある早苗が無遠慮に、あの風見幽香に近寄っている様子は、里人の心配までも呼び余計に注目させた。それでも誰も触れられないのは、幽香の逆鱗を恐れてのことか。

 二年ほど前だろうか、ちょうどこの通りで、幽香は絡んで来た相手を軽く虐めたことがあった。一般人にとってはとても凄惨に思えたその懲らしめを見たこの通りに縁あるものは、皆幽香の恐ろしさを知っている。

 だが、何も知らない暢気な早苗は、多くの心配を他所に馴れ馴れしく更に近づいて、幽香が愛用している日傘に直接触れまでした。

 

「こっちでは、日傘なんてお洒落なものを差している人、初めて見ました。あれ? ……よく見たら、この傘普通じゃない?」

「これは幻想郷で唯一枯れない花。曲線は幽かな花の香を集めるのよ」

「へぇ……幽香さんて、傘一つとっても幻想的なんですねぇ」

「ふふ。半分は嘘よ」

「えー! どっちが嘘なんですか?」

 

 しかし、幽香は気にせず笑い、何時か口にした冗談を再び語るくらいであるから、上機嫌ですらあるようだ。

 普段のように他人を粗雑に扱わず、むしろ丁寧に当たっているあたり、ひょっとすると幽香は今回も優しくしようと試みているのかもしれない。

 珍しく幽香が加虐趣味を抑えているという、そんなタイミングで出会った幸運が分からない早苗は、笑顔絶やさぬ優しげな幽香の戯れ言を意地悪と取って、頬を膨らます。

 

「もうっ、幽香さんって意外と捻くれた方なんですね。でも、約束は破らないで下さいよ」

「ええ。私と弾幕ごっこをしたいのでしょう? けど、人里近くの妖怪の力を見るためというのなら、本当に私でいいのかしら?」

「お花の妖怪さんに戦闘力までは期待していませんけれど、弾幕ごっこでそこら辺の妖怪には負けないという言葉が嘘でないなら、人里周辺の妖怪の力量のいい目安にもなります。それに、花咲かす幽香さんの弾幕はさぞ美しいでしょうから、楽しみで!」

「そう。私としては、後悔だけはして欲しくないのだけれど」

「勿論です!」

 

 聞くものが聞けば頭を抱えたくなるような、そんな勘違いが秘められた会話は、幽香がそれを正す気持ちがないために、滞ることはなかった。

 まあ、里人を恐れさせないために零れる妖気に魔力にその他を抑えているのを、それくらいが幽香の実力だと誤認したのは、幻想郷での経験が少ない早苗であるからこそ仕方のないことでもあるのだろう。

 

 元々、早苗は幻想郷の外の世界からやって来た現代人だ。神として崇め家族として慕う二柱――八坂神奈子に洩矢諏訪子――に付いてきて、その際に色々とゴタゴタがあったが、今彼女は妖怪の山に湖ごと移転した守矢神社に落ち着いている。

 妖怪の山に住み、神社を通じて多くの妖怪と友好的に知り合っていた早苗は、元々現人神に風祝――風の祝子、巫女のようなもの――の力を持ち、特別な人間ということを自認していて、そのため妖怪に対する恐れというものが少なかった。

 だから、幻想郷では挨拶代わりのように行われる弾幕ごっこの、練習台として人里にて妖怪を探し、挙げ句見知らぬ幽香を見つけて誘うような暴挙を行っても、不思議ではなかったのだ。

 

「霊夢さんに勝った試しはないですけど、私はきっと強い……と思います。神奈子様に諏訪子様に鍛えていただいていますし、山の天狗に河童とかとよく弾幕ごっこをしていますし。……けれど、知り合いとトレーニングするばかりでは自分の実力がどれだけのものか分からなくて」

「なるほど。だから、実戦をしてみたいけれど不安で。それだから、まず、危険が少なそうな人里周辺の妖怪と戦って自分の程度を把握するために、偶々見つけた私に声を掛けてみた、と」

「はい。幽香さんに勝てたら、次はもう少し危険な場所、例えば魔法の森や迷いの竹林の妖怪とかに挑戦しようかと思っています」

「そうね。私に勝てたら、そうすればいいわ」

「はい!」

 

 元気な返事を受けて、幽香は微笑みを深める。

 そして、自身の勝利を疑わない、そんな早苗のキラキラした瞳を見つめて、そこにチルノの姿を重ねるのだった。

 早苗が幽香を花の妖怪、というだけで舐めて掛かっているのは、本来ならばおかしいことだ。何しろ、幽香はもう言ってある。弾幕ごっこでもそこら辺の妖怪に負けることなんてないわね、と。

 勿論、幽香にとってのそこら辺というのは幻想郷中全てのことだった。しかし早苗はそれを人里周辺と採ってしまったのである。だからこうして認識に差が出てすれ違い、勘違いは生まれたのだった。

 

 そう、現人神、東風谷早苗なら、妖怪、風見幽香に敵うという勘違いが。

 

 

 やがて、二人並んで門を通って人里から離れて少し経ってから、まず早苗が飛び上がり、それに幽香が続いた。

 春風そよぐ、空の上。地の湿った臭いから離れて、空舞う花の香りを感じて二人、特に早苗は多くの喜びを感じる。

 早苗は十数年も、空飛ぶ人間なんてあり得ないと排斥されてきた世界に生きていた。

 そして、幻想郷にてただの空飛ぶ人間の一人になって、常識から解き放たれてからまだ一年と少し。まだまだ、早苗にとって、それは十分な期間ではなく。

 だから、誰彼を気にせずに空に生きることを飽くことなく、むしろ風を繰り自力で飛んでいる今を楽しめているのだった。

 

「楽しそうね」

「ええ。空を飛ぶのって、楽しいですよね。こう、特別って感じがして!」

「特別、ね」

 

 そんな初心を持った早苗は、幽香からすると中々に面白いと思える。ここ幻想郷では、人外や妖怪じみた人間が空を飛ぶのは当たり前のこと。普通の人間も見上げてそれを認めており、別段特別なことではない。

 しかし、力を行使して空を往くことを、どうにも早苗は自信の立脚点としているような節があった。超常の力は特別。だから、自分も特別。そんな風に。そこには、未だ外の世界での常識を引きずっている様子が見て取れる。

 

 噂を耳にした事があるだけで早苗の口から確かに聞いたわけではないが、幽香は少し前に妖怪の山に神社と巫女が現れ幻想郷に参入したことを知っており、その巫女が早苗だと解していた。

 気長な幽香にとってはつい先日と紛うくらいに、早苗が幻想郷に来てから経った一年半前という時は短い。この様子だと、未だ自分は特別な存在と思っているのであろうと、そう幽香は察する。

 

 それこそ、自分が決して死なない物語の主人公であるように。なるほど、早苗が妖怪を恐れない筈である。

 

 そんな夢見がちな少女に対して、現実は決して優しくない。失敗しぶつかった弾幕ごっこの弾に、少し力が篭っていただけで、人は死ぬのだ。それどころか、仰ぐ二柱の守護から離れただけで、危険という事実。

 ならば、先達としてそんな現実を教授してあげるのが優しいかと、幽香は思う。

 

「早苗。二つ程、貴女に教えなければならないことが見つかったわ」

「はい? 何でしょうか?」

「一つ目は、向こうの世界の超常の大部分は、こちらではあって当然のものであるということ」

「はぁ。それは、分かっているつもりですけど……」

「そうかしら。大事にしているその力も、地虫が這うのに居る力と規模が違うだけで同種であると、貴女が知っているとは思えない」

「む、過程もそうですが、奇跡の力の結果と、虫の蠕動の結果は大違いですよ。飛ぶのと攀じるのが、同じではないでしょう?」

「うふふ。それが一緒なのよ。共に自然にあるものであるなら、より大きな力によって踏み躙られてしまうという点において、ね」

「え? ……あ」

 

 語り、幽香が日傘を一振りした途端に、早苗は消えた。

いや、自分が消えてしまったと勘違いするような、地の底まで墜とさんと言わんばかりの重圧がその身を襲ったのだ。

 それは、神域を侵す力。妖力でもなく、魔力でもない、別の何か。早苗には分からない、高みから溢れる圧倒的な実力は、蛇に蛙の後押しすら轢き潰す。一所懸命に育んだ自信など、真っ先に粉微塵と化している。

 眼前の花の化身から溢れ出る、彼女の最強を支えている何かに触れることで、早苗は震えることすら許されない。

絶対であった二柱の神力に匹敵する、真黒い力。いや、もしかしたら、超えているのでは。そうまで感じ取ってしまうくらいに、幽香の力は重く苦しい。

 

「二つ目は……そうね。妖怪の恐ろしさ、かしら。さあ、かかって来なさい」

「……う、ううぅっ!」

 

 早苗に二つ目の教えは耳に入らずに、ただ叫び声が上げられたことこそ、奇跡。

 抵抗するに、発するのは、遊びにしては過分な力。それもその筈、最早早苗に弾幕ごっこのルールなど、頭にはない。それは、恐怖を殺すための、攻撃。

 普段その威を借りている二柱の力を引き出す余裕もなく、ただ自分の霊力を整形してぶつけるという、それだけ。

 しかし、風祝を務めるその身の適性によって、霊力は発されてから後風を帯びて幅広の刃と化す。右に左、てんでバラバラ動く大幣に合わせて、風の刃は単なる霊弾も引き連れて周囲一帯に展開していく。

 勿論、そんな漫ろな心で創られたなまくらにやられる幽香ではない。だが、彼女はパターン見当たらぬその弾幕を無視せずわざわざ相対する。

 

 宙に溶けて見難い鎌鼬のような風は、早苗の周囲全体を巡るように切り裂き尽くし、そこに変化しきれなかった幽香を狙う黄緑の霊弾が交わる。総じて、それらは多量に過ぎていた。正しくそれは、風神の癇癪の跡。

これは、本来避けるものではなく受けるか相殺させるべき、遊びのない弾幕。もっとも、そんな早苗の全力であっても、その身に溢れる力を防御に回すという、それだけで幽香が傷つくことはない。

 弾幕のどれもこれもが致命打になりうる筈もない中で、しかしそれを丁寧に避けている少女の心境はどういうものか。弾幕が美しければ楽しいだろうが、果たして早苗の必死は決して形の良いものではない。

ただ幽香は、曖昧に笑いながら手を広げて、全てを受け容れる態勢になりながらも、早苗の猛攻を軽く避けることで尽く否定していた。

 

 これが幻想郷での戦いではないだろうと、暗に語りながら。

 

「私の教え、少しは理解したといえども、それを嫌がり暴れるばかりではつまらない。自分の誇る力でもどうにもならない恐ろしい妖怪に対した時の方法の一つ、先に貴女もしたいと言っていたわね?」

「そ、そんな、弾幕ごっこはもっと楽しいものじゃっ」

「スペルカードルールに基づいた弾幕ごっこは、弱者が強者に対抗できる数少ない手段の一つでもある。ただの競技、遊戯ではないわ」

「わ、私は強い、はず……」

「現実を見なさい。私の気持ち一つで捻り潰される、そんな有象無象と今貴女は同じ。いつだって貴女は強者であるわけではない。最低でも、この場で貴女は弱者。気をつけなければ、墜ちることが死につながるわよ?」

「死?」

 

 身内の長寿健康に恵まれ生まれてこの方、早苗には想像の一つでしかなかった、死。それが、圧倒的な力の持ち主に冷たく告げられたことで、具体性を増す。

早苗はずっと、日本の原風景のような幻想郷を、楽園のように見ていた。しかし、春夏秋冬自然溢れる中に危険は紛れ込んでいた。眼前には触れれば死に至るほどの、恐ろしい風見幽香という棘。

ふと、圧迫感が弱まる。ここでやっと、早苗に震えることが許された。ぶるぶると、自身の制御離れる体を押さえつけながら、そして漸く早苗は察する。

 

「弱者……死…………怖い。ああ、そう! 私は儚き人間だった!」

 

 早苗は、現人神で有る前に、一人の信仰者でもあった。信仰は何のためか。それは、人間が生きるため。

 恵みを欲して天仰ぐ、その様は正しく弱者。しかし、弱者繋がることで、人は霊長に至った。宗教とは人々が手を取り合うための共通言語、また哲学でもある。利己を求め、人は神を創造した。

 そして、現人神と想像され、恵みを与える側になった早苗も、本質的には人だ。仰ぐのは当たり前で、仰がれることで自分の位置を見失い、傲ることだってある。

 

 早苗は、震えることで久方ぶりに、自分の弱さを理解した。そして、自分は特別なのだと弱さ忘れたまま暢気に生きていたら、恐らくはそれが命取りとなっていただろうことも、また。

 僅かに力を失い、落ち込んだ視線はまた持ち上がり、真っ直ぐに幽香を見上げる。その瞳には再び力が篭もり、以前よりも確かに光を映してキラキラと輝いていた。

 

「私、随分と思い違いをしていたみたいですね」

「そうかもしれないわね」

「私は弱い。普通なら幽香さんに、決して敵うことはない。でも、弾幕ごっこなら!」

「約束は守る。受けて立ちましょう」

 

 笑顔で応じる幽香に向けて早苗は大幣を突き出し、そして逆手にカードを持ち上げ提示する。

それは一枚ばかり。まあ、それも当然のことだろう。早苗は恐れに慌てて力の殆どを使い果たしている。だから、最大に魅せられるのは一度きり。

 しかし、それが盛大なものになろうことは、増した意気に呼応したのか自ずと早苗にまとわり付き始めた颶風によってよく分かる。

 

「行きます……奇跡「弘安の神風」!」

 

 高く飛び上がり、早苗が大幣を持ち上げた、その先全ての天辺から、豪雨が生み出された。

 いや、当然ながらそれは偽物。だがそれは雨粒よりも美しくも恐ろしい、蒼き力ある霊弾の群れであった。雨と違って多少の規則性を持ったその小さな弾幕は、上から多量に降り注ぐ。

 本来なら恵みと喜ぶ筈の花は、円を描いて偽の雨を避けていく。幽香は神力によって起こされた風すら意に介さずに飛び回る。そして、防御に傷一つ付けないままに避けながら、その手に花とした妖弾を創り、発していく。

 だが、花束は早苗まで届くことはなかった。妖弾を穿つ雨粒だけでなく、何もない筈の幽香の周辺から囲うように現れる丸い霊弾が花の配送の邪魔をしているからだ。

 それどころか、上等に創っている花弾の精製のスピードよりも早く霊弾が襲い来て、幽香の逃げ道を奪い去っていく。

 上から周りから来る蒼い弾に襲われ、風に煽られ、次第に安定した回避にも綻びが出始める。グレイズ――用意した防御に弾幕が掠ること――した際の力のせめぎ合いの音が幽香の耳に響く。

幾ら咲かしても、花は散り散り風に消え、残るはただ幽香一輪ばかり。

 

勿論幽香のその圧倒的な力に任せれば、数ばかりの暴力など、突破は楽だ。しかし、そんなことはあまりに美しくなく、またつまらない。

とはいえ、正攻法を続けるだけでは、高難易度なこの弾幕を突破出来る筈もなく。ならどうすればいいのか。それは、幽香が一番よく知っている。

 

「より美しく、咲き誇りましょう」

「え?」

 

 まずは、日傘を閉じ。そして、幽香は目を瞑る。そのまま、全てを避けつつ、彼女は天を遡った。

 対する早苗の目には、その不可解な行動に、より避けるようになったその結果は、どう映るか。実際のところ、内心の驚きと弾幕展開に手一杯なために感想はなく、その瞳には幽香がただ一点の美にしか映らなかった。

 雫は一滴たりともかからずに、青く幽香を照らすだけ。最中を揺らぐ幽香の赤は映え、その姿はまるで水のベールを纏った赤薔薇のよう。

 

元より花に目などない。それでも、しなやかに、花は風を受け流す。幽香はそれを体現したばかりである。

 

 そのまま、幽香は足掻く早苗の眼前まで、回避をし尽くした。そして、光溢れる至近にて手を向け、弾幕を展開し始める。

 早苗が必死に避けようとする中で、幽香は再び目を開け、彼女よりずっと無様な舞を見せる相手に向かって話しかけた。未だ輝き失われぬ、力強い視線を受け止めながら。

 

「早苗。貴女の弾幕は、まずまず美しかった」

「幽香さんったら、半分は目を閉じて見ていなかったじゃないですか」

「本当に見る価値もなかったのなら、こうして最後に目に焼き付けようとすることもないわ。それじゃあ、お疲れ様」

「はい……くうっ」

 

 遠くから眺めるのもいいが、やはり花は近くで見つめる方がその美しさをより楽しめる。芳しきその香りこそ感じ取れなくとも、薄く力を重ねて創りあげられた真白い造花は、手間の美すらも想起させた。

 三又に分かれ、真っ直ぐ飛来してくる花弾を、しかし力を使い果たした早苗は避けきれない。身体に受けた強い衝撃を苦く飲み込んで、早苗は負けを受け入れた。

そして、少女は優しく地に墜ちる。

 

 

 弾幕ごっこの後、今度は近くの花の様子を見て回っている恐ろしき妖怪の隣に、早苗は並んでいた。

 しばらく黙って、名も知らぬ小さな花を愛でる幽香を見つめることで、なるほど本当に彼女は花の妖怪であるのだと、早苗は理解する。何より、花とあることが、風見幽香という少女には似合っているから。

 美しく、可憐で、何より強い。早苗は幽香に嫉妬を覚えているのも解しながら、しかしずっと多くの尊敬の念を抱き始めていることに気づいていた。

 思わず高鳴る胸を押さえた、そんな早苗を横目で見てから、幽香は話しかける。

 

「確か、早苗は霊夢に勝ったことがないって言っていたわよね」

「はい……一度も」

「まあ、アレに当てるのはコツが要るから仕方がないわね」

 

 葉に付いていた虫を摘んで捨てながら、幽香はもう一人の巫女のあの掴みどころの無さを思い出す。

 博麗の巫女としての能力、そしてそれ以上に本人の資質。その二つが弾幕ごっこという遊戯においてあまりに噛み合いすぎていた。

 宙に空を見つけて飛ぶ、そんな霊夢が本気になった時に、墜とせる存在はあまりに少ない。特に早苗は、仰ぐ神の敗北によって、それをよく知っている。

 しかし、雲をつかむ事など造作も無い程の存在であれば、或いは空の少女に触れることも可能であるのかもしれなかった。早苗が幽香を見つめる視線に、熱が篭る。

 

「やはり、幽香さんは霊夢さんより上手なのですね」

「勿論。だって、霊夢に敗北を教えてあげたのは、私よ?」

 

 微笑み、幽香は淡々と驚くべき事実を答えた。幽香は早苗が見上げて止まないあの巫女をすら、地に這わして実力の程度を教えている。

 果たして、この力の怪物は、殆どそれの及ばぬ弾幕ごっこにおいてすら、どれほどの実力を発揮出来るのだろう。

僅かに蘇る恐怖に、手が震える。だが、それはそれだと早苗は呑み込んだ。幽香に向けて言葉を吐き出すのに、躊躇いはなかった。

 

「……幽香さん。ならば私に、勝利を教えてくれませんか?」

 

 早苗は、仰がず、頭を下げて乞う。彼女は幽香に、霊夢に負けている。自信の程は、もう殆ど無い。

 しかし、だからこそ、欲するものがある。今この位の身の程と知ったならば、後は自分を見失わず高みを目指したくなるのが、少女の常。目標は、遥か空高く霊夢の上。

 今日一日で、早苗は幽香から色んなことを教わっている。師匠や先生、そう呼びたくなるくらいに、知らず彼女は幽香を近づくだけで自身を引き上げてくれる高次の存在と認識していた。

 だから、きっとこの願いも受けてくれる。幽香の言動に優しさを見つけている早苗は、そう思う。

 

「嫌よ」

 

 しかし、幽香は笑みを深めて、拒否をする。

 一拍おいて、ええっ、という驚きの声が辺りに響いた。

 

 一陣の風が吹いたところで、全ての花が頭を垂れることはない。花菖蒲は風にそっぽを向いていた。

 

 

 

 

「やはり、こっちの方が、面白い」

 

 騒がしく周囲で再考を嘆願する早苗を無視して、幽香はぽつりと呟き口の端の弦を持ち上げる。

 すべてを受け入れる空に、星が追いつくことが出来たとしても、幾ら風が暴れようが敵うものではないと、幽香は知っていた。

頷いたところで現実は変わらない。無理と言わなかったのは、果たして彼女の優しさだったのだろうか。

 

 

 

 



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第四話 さとり妖怪と一角の鬼に優しくしてみた

 

 

 地底――主に幻想郷では旧地獄、忌み嫌われる妖怪に怨霊溢れる地下の広大な空間を言う――の先へと続く、縦穴を通う妖怪が一人。

 本来ならば進入禁止。地底の妖怪が怨霊を封じるのと引き換えに地上の妖怪の不可侵が約束されている――もっとも現在はとある騒動の後で条約は有名無実化している――のだが、その妖怪が気に留めることはない。

 人工的な明かりの無い仄暗い、道中。しかしヒカリゴケの一種が幻想的に繁茂しているのか、或いは弾幕に代表される発光する力の一種が払っているのか、包まれてしまうほどに闇は深くない。

 一応地底までの行路太陽の下では活躍してくれたが、この暗がりではもう必要ないだろうと、妖怪は持ち歩いていた風に煽られつつある日傘を閉じる。そうしてから、ヒュンと蕾のようになった傘を一振り。

 それだけで、魅力的な彼女に寄って来ていた怨霊達は、掻き消えて跡形もなくなった。

 

「久しぶりに来てみれば、切り捨てられて大分たったからとはいえ地獄も生ぬるくなったものね。霊の生者に対する怨みがあまりに弱い。それはきっと、管理者が優しすぎるから、なのでしょうね」

 

 見下げ、周囲を睥睨しただけで、怨霊すら逃げ出していく。ゆっくりと、地を降りる妖怪のその行動を邪魔する者等、最早存在しない。

 粘つくような念に、羨望嫉妬の視線。それらを受け止めつつ、全く影響を受けないまま、彼女は周囲の何より美しく笑んでいる。

 太陽も届かぬ場所であろうが、今日も今日とて、風見幽香は輝いていた。

 

 

「ここらの雑魚は堅いわね」

 

 旧都。過去は地獄の繁華街であり、今は地上から移り住んだ鬼たちによって都市化された鬼達の楽園。そこの旧地獄街道と呼ばれる目抜き通りの上空を飛び、平素から乱れ気味だった秩序を更に滅茶苦茶にしているのは、幽香であった。

 両端に瓦屋根連なる幅広の道は、今や喧騒で溢れている。最初は誰が、風見幽香、と彼女の名を叫んだのだろう。今や遠巻きにしているものや果敢に立ち向かうもの、その全てがその名を口に出しているため最早分からない。

 

 旧都にて、幽香が地底に来たという噂は、彼女のゆっくりとした移動スピードの何倍もの速度で広まり、様々な妖怪の口の端に上った。

 そして、特にこの昼間から酔っ払った鬼を代表とした多数が、幽香の持つ最強という称号に目が眩み、結果尽くが雑魚として処理されているのである。

 そう、最強の種族である筈の鬼ですら、幽香が地の底に咲かした白き花弾によって容易く墜とされていた。

 

「しかし、馬鹿正直に向かってくるものばかりというのは、少し退屈ね」

 

 勿論、幽香は一応相手の耐久力のレベルに合わせて弾幕の威力を高めている。それは、弾幕ごっこに緊張感を持たせるため。当たっても蚊ほども効かない力では、避ける気すら起きないだろうから。

人間に当たれば爆破四散する程度では済まない破壊的な威力の弾幕は、しかし風雅を解しているか不明な鬼――酔漢――すらも目を奪われるほど可憐な花の形をしていた。

 幽香の花弾は群れながらもわざわざ避けられるように距離を開けながら往く宙を埋めている。隊列は前後左右見事に揃い上下すら整って、傍観者達にも流石は幽香と頷かせる美しさを魅せていた。

しかし、地底の荒くれ者共には迂回すら面倒に映るのか、はたまた酔っ払い過ぎて上手く避けられないのか、自己の防御力を過信し突貫してきて墜ちてしまうケースがあまりに多い。

弾幕ごっこを楽しむ心に欠ける鬼の男衆に至っては、この鬼殺しの弾幕を幾つ耐えられるか賭け、そして二つと触れられる前に墜ちてしまうのが常である。

 

 最強と知れ渡りすぎて普段から弾幕ごっこですら歯向かってくる者が少ないために、幽香も最初はこの鬼達との戯れを彼女なりに楽しんでいた。

しかし、幽香が展開する弾幕に応答するは、威力が高いばかりの下手に直線的な攻撃に、挙句は無謀な玉砕。幽香自身猛攻の中で舞うことすらなく、宙にて揺れるだけで全てを回避出来るとあれば、無聊を感じざるを得ない。

 

「そろそろ煩すぎるし……どうしようかしら?」

「つまらないなら、こいつを受けてみるというのはどうだい? 力業「大江山颪」!」

「あら」

 

 そう、飽き始めた幽香が、もう少し優雅に途中を楽しむためにも光線で辺り一帯焼き払ってしまおうかしら、等と物騒なことを考えていたところだった。

 青く巨大で過激な弾幕が、吹き荒れる山颪のように襲いかかって来たのは。

 

スペルカード宣言の後に、右に左に業風によって運ばれて来た大玉弾は幽香の花に匹敵する威力を持っている上に、あまりに多量であった。

 ごう、と風音轟いたと思えば、周囲の野次馬魑魅魍魎達は、吹き飛び力にひれ伏していく。それもそのはず、遠くから見たら宙を転がる沢山の葡萄の実にも見える弾幕を回避するというのは実は非常に難易度が高い。

隙間を探して通うのが、回避の常道。しかし、避ける間隙すら押しつぶさんという迫力に力の業がそれを大いに邪魔をする。

 しかし、大きな交差点を広げ続ける青の最中にて、一人幽香は冷静的確に細道へと滑り込んでいく。それはまるで全身に瞳が付いているかのよう。無論前後左右を見つめる目など、幽香にはない。

代わりに、極大の力を内に秘めている白き肌は、鋭敏に周囲の変化を感じ取っていた。そう、幽香は臆病とも取れる程正確に、全てを漏らさず受け止めている。

そして、力業に対しながらも、幽香はその力の殆どを使うことなく打ち克つことに成功した。

 相手がその業を続けることに限界を覚えるまでに避け続けた幽香は、疲れきっているのだろう敵の顔を見つめる。しかし、思ったよりも徒労を受け入れて笑んでいたその端正な顔は、長命な幽香にとっても懐かしいものだった。

 

「あら、こんなところに居たのね、勇儀」

「やあ、久しぶりに会ったね。しかし、変わらない。流石は幻想郷最強と謳われる大妖怪、風見幽香だ。鬼も一撃で墜ちるような弾幕をあれほど軽々と張るとは、恐れ入ったよ」

 

 金の長髪を流し、額から生えた一角を誇り高く見せつけているのは、鬼の少女。片手に持つ大きな盃の中身枯らして大分呑んでいるようであるが、その様子に酔いも隙も欠片も見つけることは出来ない。

 彼女は旧都一帯を実力で取り仕切っている、鬼の四天王が一人、鬼熊勇儀という女傑だった。

 勇儀は幽香と自分で行った弾幕ごっこによって起きた旧地獄街道一面に妖怪倒れ伏す惨状を一目見て、後に起きるだろう片付けの苦労を想像し一笑に付してから、大人しく鬼気をしまう。

 

「何、貴女は彼らのように喧嘩を売ってこないの?」

「強者に挑むのは好きだが、別に負け戦を好むわけじゃないし何より……」

 

 改めて言うまでもないが、勇儀は鬼の四天王である。強者の中の強者。だが、その程度。最強の呼び名を一度も得たことのない彼女は、その重みをよくよく知っている。

 弾幕ごっこならば或いはと、半ば嫌いな不意打ち気味に挑んでみたが、それなりに本気だった弾幕は、スペルカードを引き出すまでもなく美しく打ち破られてしまい。恐らく自慢の剛力も届くまいと、気づいてしまった。

勇儀は一瞬悔しさを表に出したが、それを呑み込み、彼女は豪快に笑んだ。

 

「ははっ、虐められるのは好きじゃなくてね」

「あら、今なら優しくしてあげるというのに」

「面白い冗談だね」

 

 嘘が嫌いな鬼といえども、冗談を苦手にしている訳でもない。その手によって撃ち墜とした者共、呻く妖怪の山となった現場を振り返りもしない、幽香の姿勢から優しさなど見いだせる筈もなく。

 だから、勇儀は温まった旧交を更に和ませるためのユーモアかと思って笑んだ。しかし、幽香は勇儀のその笑みをみて、不思議そうに首を傾げる。

 

「本当よ?」

「嘘は嫌いだが……ふうん。二度まで言うなら、信じてみるか。まあ、用事を終える前に顔を腫らすこともない。帰り際にちょいとコレで遊ばないかい?」

 

 誇りを汚されることさえなければ、高い壁に挑戦するというのは勇儀の望むところ。挑発交えて、出来ればこちらがいいと先程までカードを握っていた手を閉じる。

 そして、勇儀は幽香に向けて、傷だらけの拳を伸ばす。幽香はそこに、コツンと優しく大きさに形の違う拳を当てた。

 

「偶には、そういうのも悪くないわね」

「楽しみだ。それで、風見幽香は、ここ旧都に何の用があって来たんだい?」

「幻想郷一の嫌われ者に優しくしに来たのよ」

 

 上等に微笑んで、ここ旧都の中でも一際大きな洋館を指さし、幽香はそんなことを言う。

 温かみの感じられない信じられない音色を聞いて、やっぱり、優しく戦ってくれるというのは嘘なのではないかと、勇儀は思った。

 

 

 勇儀と別れた後に、普通の存在ならば気後れするくらいに大きな建物、地霊殿と呼ばれるそれに向かって迷わず幽香は歩んだ。

 地霊殿は周囲の和風建築に喧嘩を売っているかのように景観に馴染まず、また豪奢であった。

しかし、先日幽香が遠くから眺めた、似たような建築――紅魔館――と比べたら、窓ガラスにステンドグラスの天窓等によって採光が確りとされていて、閉じこもっているような印象はどこか薄い。

 それもその筈、地霊殿は灼熱地獄跡を塞ぐように建てられ、その熱と溢れる怨霊の管理をする者のために造られた拠点的な役割も持っている。見通し悪すぎれば内の働きに疑念を持つものもが出るのはどこであっても自然なこと。

 だからそこに、偉そうにしている奴ら、そして怨霊も恐れ怯む少女が居る、と地底中に知れ渡っている位には開けているのだ。

 

 だが、神をも恐れぬ風見幽香はそんな情報にも怯えることなく、むしろ件の少女に訪れを知らせるためにと、銅製の呼び鈴を鳴らす。

カランいうその音色は幽香の予想以上に大きく響いた。すると、偶然近くに居たのだろう、通りがかりの館の主が直々に出迎えてくれた。

 

「久しぶりにベルの音色を聞いたわね……礼儀正しくも正気とは思えないことをお考えなお客様は誰かしら?」

 

 観音開きの入り口が開くことで顕になった、地霊殿のシックな内装に溶けこむようにして幽香の眼前に現れたのは、気怠げな表情をした少女。

 紫髪に内履きのスリッパ、それ以上に目立つのは、可愛らしいその容姿を装飾しているハート型を突端としてコードのような器官を辿って行くと見つかる、第三の目。

 彼女の心臓の位置に収まったギョロリとしたその大きな瞳は、真っ直ぐ幽香を見つめている。いや、それは覗いているといった方が正しいか。なにせ、それはさとり妖怪が持つ相手の心を読む部位なのであるから。

 そう、彼女こそ地霊殿の主であり、孤影悄然の妖怪でもある、古明地さとりであった。

ドアマンの代わりを勤めてくれた一対の豹相手に頷き退かせてから、やっとさとりは幽香の姿を改めて二つの目で見上げる。

 

「……あら。失礼、こんにちは。奇特な考えをしているのが、風見幽香、貴女だとはまさか思いませんでした」

「こんにちは、古明地さとり。私が何の用で来たか、貴女には分かるでしょう?」

「やはり……私に優しくしに来た、と。信じがたいことですが、確かなようですね。とりあえず、上がって下さい」

「失礼するわね」

 

 さとりは促し、幽香を連れて直ぐに客間に入った。そして、床と同じ真紅に紅赤色の市松模様のソファーに幽香を座らせてから、主であるさとり手ずから菓子に珈琲の用意をする。

 その間、飼われているのだろう多くの動物が幽香を楽しませるために現れた。半ば妖獣とはいえ、犬や鳥が普段行わない行動を取るのは面白い。彼らが清潔で臭わないというのも美点であり、待たされた幽香の心はむしろ和んだ。

 ただ、幽香が気になった、動物達の中で一際目立っていたハシビロコウは、睨みつけるような目で彼女をみつめるだけで動かない。そしてしばし経ちそんな怪鳥が退いたと思えば、後ろにはカップ二つを珈琲で満たしてお盆に載せて歩くさとりの姿があった。

 テーブルに菓子とともにカチャリとカップを置いてから、さとりは口を開く。

 

「あの子は人見知りが激しくて、ちょっと緊張していたみたいですね。……ああ、それはどうでもいいですか。一番やりたいことは変わらず、私に優しくしたい、と」

「話が早くて助かるわ。それで、なにかリクエストとかはあるかしら?」

「私個人としては、希望はありませんね。寂しさはペットによって慰められていますし、貴女の力を借りてまでして異変を起こすような野心もない」

 

 勿論お気持ちはありがたいのですが、と付け加え、さとりは一旦黙して珈琲を一口飲んだ。

さとりの言葉は本音である。彼女はどちらかというと無欲であり、強い我はない。大人しく人当たりのいい無害な性格。しかし覚妖怪というだけでそれらの美点全ては水泡と帰してしまう。

相手の心の裏も表も見逃さず、全てを受け入れ、何を思うかさとりはその口で相手の気持ちを語る。ざわりと、直接的に心に触れる遠慮なき妖怪。そんなものを不快に思わない輩は殆ど存在しないといってよかった。

 

しかしそうして幻想郷中の人並みに心持つもの殆どに嫌われておきながらもこれまで滅ぼされていないのは、持ち前の性格による多少のプラスと、さとりなりに加減を把握しているというところにもある。

あまり幽香の気を害し過ぎないようにと、さとりは少しでも要求を満たそうと考え、ふと一つ思いついたことがあった。

 

「強いていうならば……見かけた時だけでいいので、代わりに私の妹に優しくしてあげてくれませんか? こいしが貴女の庇護下にあると思うと、私も安心出来ます」

「構わないわ。約束しましょう」

 

 そう、古明地さとりには、古明地こいしという妹がいる。同じ覚妖怪、しかし二人には決定的な違いがあった。

 それは、第三の目が開いているか、そうでないか。負担となった心を読む程度の能力を捨て、心も閉ざしたこいしは、無意識を操る程度の能力を手に入れ無意識をさまよう存在となっている。

もっとも、さとりにとってそんなことはどうでも良いこと。心が読めない相手、それが妹であることが大事だった。相手の心も受け止めて万全になるさとりの世界において、読めないこいしは不明で不安な存在である。

分からないから何時も心配で、それでも大好きなたった一人の妹であるから見捨てることなんて考えられず。幽香に一番に妹の保安を願うのもさとりにとっては当然のこととすら言えた。

 

鷹揚に頷きながら約束した幽香が、並大抵のことでは違えないぐらいには順守の決心をしていることを感じて、さとりは内心で喜ぶ。

 しかし、その後に続けられた思考に、さとりは硬直する。

 

「でもそれだけでは、つまらない」

「近寄って……抱きしめる……いや、流石にそれは止めて私を撫でるつもりですか? 実は寂しさを隠しているのではないかと、そう思っていますね……的外れと思うのですが」

 

 互いに言葉は要らないとはいえ、優しくするに撫でるとは何とも安直な、とさとりも思わないでもないが、しかし幽香は真剣にそれを行うことを考えていた。

 妖怪であるさとりは少女の見た目であるが、決して子供ではない。実力者相手に抵抗は無意味であるといえども、それでも気安く触られることは望まなかった。

 嫌われ者とはいえ大事な家族にペットも居る。だからさとりは決して孤独ではなく、慰められるべき寂しさなど自分にはない、と考えていた。

 

「流石に会話いらずね。しかしさとり。いくら貴女でも、自分の心の奥底は確かには分からないでしょう?」

 

 しかし、幽香の考えは変わらず、テーブル越しに身を乗り出して、広げた手のひらをさとりの頭の直上で留める。

 心を読んでみれば、なるほど有無を言わさないくらいにその行動に迷いはない。しかし、それならば直前で止めたのは、どうしてだろうか。

 それが、さとりが震えたことを感じたから、ということを読み取った時に、自然と彼女の口から言葉が転がり出た。

 

「……私は、気持ち悪い、らしいですよ?」

「ふぅん。それが貴女のトラウマなのね。でも実際、貴女が本当に気持ち悪い生き物であるかは、直に触れてでもみないと分からないわ。じっと、していなさい」

 

 温かい人肌に身体が勝手に驚いたのか、ビクンと背筋が伸びる。それを抑えるように、幽香の手からポフポフと、軽い力がかけられ、落ち着きを促された。そのまま、幽香の白魚のような指は、柔らかなさとりのくせっ毛を探る。

抵抗虚しく、結局さとりは幽香に撫でられていた。

 

「やはり悪くない。どう? 貴女は嫌かしら?」

「嫌では……ないですね」

 

 問われ、さとりは自分の心を探る。しかし、それは能力によって簡単に読める他人のものと比べて、非常に分かり難いものであった。

 ただ、少し受けるに緊張していたその身は解けたように自由になっていて。ほとんど優しくした経験のないだろう幽香は、しかし迷わず撫で擦り触れ合いを続ける。

 幽香の思考の中は、偽りの優しさで満ちていた。サードアイで見つめた心は、本物と比べてどこか冷たい。手のひらの温度も少し低い気がした。

 だがそんな幽香の右手が、記憶に薄き母のものを想起すらさせるのは、どうしたことか。幽香の内心は形ばかりでも優しくするために動いているようであるが、それは新鮮な相手の反応を楽しむため。決して、愛のように純粋ではない。

しかし、同じように懸命ではあるのかもしれなかった。優しくするという未体験に、幽香は虐めてばかりでしかなかったその身で挑んでいるのだ。全霊でなければ、きっと本物と錯覚するほどの慈愛を生み出すことなど出来まい。

そして、他人と違って幽香はさとりを、心を読む妖怪ではなく、怖がり屋の少女として観てくれていた。躊躇わず触れてくれている事実を鑑みても、さとりには嫌悪をなんて感じ取ることは出来ない。

 

「ああ。確かに、奥底から沸き立つこの感情を、私はすっかり忘れていました」

 

 これは偽物。しかし、それでも嬉しいと感じていることを、さとりは自覚する。

嫌われていて、悲しい。そんなことは当たり前。そんな中で自分を嫌っていない相手が、嘘でも優しくしてくれた。それが嬉しくなくて、なんだろう。

殊更鬼どもに嫌われるわけである。さとりは、我が心を知らずに寂しくないと自分に嘘を付いていたのだから。そう、相手の心を語りすぎて、さとりは自分の心を見失っていたのだ。

 だから、顔を朱くして、少女さとりは幽香のその手に身を任せた。

 

 

「あっ……」

 

 わざわざ語る必要もないからと穏やかな沈黙の時間が過ぎ。やがて、満足を覚えた幽香が、さとりの頭から手を離す。玩具を取り上げられた子供のように、彼女はその手を見上げた。

 しかし笑んで、幽香は躊躇うことなくさとりから温い手のひらを没収する。

 

「本当は、抱きしめ一緒に眠ってあげてもいいのだけれど、そこまでするほど優しくないと、私は自覚しているわ」

「十分過ぎるほど優しくして下さったと、思いますが……」

「嘘ね。まだまだ物足りないという顔をしているわよ?」

「ふふっ、まさか、さとり妖怪である私が心を読まれるとは思いませんでした」

 

 図星を付かれ、さとりも、思わず笑みを作る。それは普段の世を斜に観ているような表情と違った少女らしいものであり。それこそが、自身が優しくした結果であると解し、幽香も笑みを深めた。

 

 今回さとりの元へ訪れるに当たって幽香が考えてみたのは、幻想郷で一番に優しくするべき相手は誰か、ということ。無論、慰安目的ではなく、最も優しさを有難がってくれるような存在を探した。

特に、嫌われていたり胡散臭がられていたりする者の方がいいと幽香は考える。相手が普段との落差に感じ入った方が様態の変化が分かりやすく起こるだろうから。

 少し悩んだ結果、八雲紫か古明地さとりか、というところまで絞り込んで、まあ紫は後回しでも構うまいという判断から、まずは引きこもりの心のケアへと赴いたのだった。

 

 意外にも、というか当然というべきか、幽香はさとりに対して忌避の心は端からない。彼女にとっては能力なんて、偏り世界に対して個人を表せる程度に形となったばかりの力として、評価は低いもの。

心という弱点に作用しようとも、触れるばかりの僅かな力に気を取られる風見幽香ではない。何より、読まれて困るような策謀思想我欲など、幽香にはないのだった。

 圧倒的な実力に支えられた自信。それは、読み取る側にも小さくない影響を及ぼす。心から笑んでいたさとりも、感じ入り思うところがあったのか、少し表情を固くしてから口を開く。

 

「しかし、私は読むことが出来るから分かりますが、貴女は心まで強いですね。それこそ……あり方を変えたところでその最も強い本質は変わらないくらいに」

「優しくしても、かしら?」

「そうですけれど……そこまで急変すると、悲しいことですが、過去の貴女を知らなかった者か、私のように能力によって本心と確信の持てるような存在ではない限り、変わってしまったのはどうして、と貴女の周囲は大きな猜疑心に襲われるでしょうね。貴女にその都度疑問に対する覚悟があることも、私には分かりますが」

「そうね」

 

 何時の間に飲みきったのか、空になったカップを手慰みに弄っている幽香を見ながら、さとりはその少女然とした姿の奥に、強固な信念を発見する。

 だがさとりが見るに、それは果たして幻想郷というこぢんまりとした枠の中にあっては強すぎるきらいがあった。

 

「しかし、下手をしたら受け入れきれなかった者たちが異変として、貴女の変心を排斥しようとする可能性すらありますよ。そうなったら、風見幽香。貴女はどうしますか?」

「そうしたら、抵抗するわ。本気でね」

「その言葉に偽りはない、と。……このままでは、博麗の巫女辺りと真っ向衝突するような未来しか見えませんね。怨霊に取り憑かれたという訳でもないのにこうまで方針が変化するというのは、心を読める程度の力しか持っていない私には不可解にしか映りませんよ」

「ふふ。それも道理。私にだって理由が分からないのだから、ね」

「そうですか。そこが詳らかになれば、無駄な騒動は……む、今それも楽しそうだと思いましたね」

「このチョコレートクッキー美味しいわね。形は猫かしら?」

「はぁ。露骨に話を逸らそうと考えていますね……因みにそのモデルは火車です」

 

 ため息を一つ吐きながら幽香の読めない心変わりの原因について頭を悩ませるさとりを、嗜虐的な特徴は変わらぬままの花妖怪は笑って見つめる。

 そして、既に幽香を身内の如き距離にまで受け入れていたさとりは、何時もの他人にするみたく睨めつけるように見上げることなく、真っ直ぐに三つの目で持って幽香を見つめ返す。

 真紅の瞳は柔らかに交錯し。そうして、お菓子を摘みながら対話を続ける二人は、最早仲の良い友達にしか見えなかった。

 

 

「それじゃあ、そろそろ私はお暇させてもらうわね。この後、ちょっとした約束があるのよ」

「残念ですが、分かりました。見送りますね。それでは別れる前に一つだけ。……今日の恩は決して忘れません。もし何があっても、私は味方になりましょう」

「ありがとう。そうね、私も当分の間は貴女の味方でいましょう」

「楽しめたお礼ですか……それでも、嬉しいですね」

 

 その後二人は珈琲をお代わりしたり、ペットに優しくしたりして、そうして穏やかな時間を過ごしていたが、楽しみはそう長く続くものではない。

 日の及ばぬ地下にあっても、幽香の中の時計は狂うことなく正確であり、彼女は秤にもかけず残酷なまでにあっさりと、さとりと一緒の時より迫る帰宅時間を優先する。

 それが少し寂しいと、さとりは思う。味方をしてくれる理由が、心からの友情ではないことも、悲しくないといえば嘘になる。離れるための、歩みは自然と鈍くなっていた。

しかし、さとりが先導したまま杢調も立派な玄関の扉を前に着いた時、幽香は彼女に向かって一つ心の奥底にて大事にしていた感動を披露する。

 

「あ、そう」

「何ですか?」

「この感想は能力で読み取れなかったみたいだったから、口頭で伝えておきましょうか。さとり、貴女の笑顔は想像していたよりずっと、素敵だったわよ」

「なっ……!」

 

 それは効果覿面。少女に起こった変化を、幽香は口の端を上げて受け止めた。

 一気に顔を赤らめたさとりを置いて、幽香は悠々と帰路へと向かう。後ろから聞こえた、ああ、恥ずかしいです、という大きな声も無視して石畳を歩んだ。

そして強く扉が閉められた音を聞きながら十間ほど進んだ先には、どれほど前からだろうか、鬼が一人待ち構えていた。

 酒盃はもうその手になく、両手は空で拳は強く握られている。しばしその後ろを見つめていたが、幽香に焦点を合わしてから笑顔を作ったのは、先の約束を心待ちにしていた勇儀であった。

 

「ふぅん。さとりがああも取り乱しているのは初めて見たよ。幽香、きっとあんたは本当に、優しくしたんだねえ」

「鬼の前でわざわざ嘘をつくこともないでしょう?」

「前までは嫌われるようなことを平気にやっていたような気がするが……まあいいや。それじゃあ私にも優しくしておくれよ?」

「勿論」

 

 そう言って、戦うために両手を持ち上げ構えを取る勇儀に対して、幽香は右手ばかりを持ち上げる。ゆっくりと曲げた親指を包み込んで、軽く握った拳には、気づけば途方も無い力が宿っていた。

それは、鬼の勇儀ですら見通しきれないほどの最強の一部。妖とも神ともつかない圧倒に向かったことで、思わず本能的に退こうとする勇儀を、幽香は声をかけて引き止めた。

 

「さあ、私は逃げも隠れもしない。鬼の剛力の全て、ぶつけて来なさい。私が優しく合わせて受け止めてあげるから」

「……ははっ、言ったね! 本気で行くよ! こうまで近けりゃ三歩も要らない。コレが私の一撃必殺だ!」

 

 真っ当にぶつかっても、弾かれるのが落ちだろう。そう考える勇儀は、足りない力を必死でかき集めた。

 勇儀の筋は支える骨を痛めるほど力んで隆起し、溢れる妖気の全ては大きな拳に集っていく。力みは一瞬で溜まりに溜まって、彼女の身体を一回り大きく見せた。

そして、その全身が捻られて遠心力を加えながら、風を引き裂く音とともに、破城槌のように突端を幽香にぶつけようと動く。

 踏み込んだ足の地面は消し飛んだ。巻き込まれた周囲の空気も大いに騒いで暴れる。きっと、間近の建物は余波で跡形も残るまい。

 真に全身全霊の、一撃。それは、幽香の最強の一端に吸い込まれるように向かっていき、そうして轟音を立てた。

 

 

「まさか、打ち合うことすら、させてもらえないとはねぇ……」

「優しくするって、言ったでしょう?」

 

 だが、果たして対した拳同士はぶつかり合わず、優しく勇儀の拳は幽香の開かれた手のひらに包まれ、収まっていた。

 破壊をもたらすはずであった激しい力は、もっと大きな力に全体受け止められて、欠片も見つからない。

 勇儀の全力が振るわれた名残は、廃墟となった、辺りの建物ばかり。暴力の先端を向けられた、幽香は受け止めきって、優雅に笑っている。

 

「はは。敵わない。負けだよ負け。いやあ、こうまで完全に負けると、気持ちがいいね」

「それは、良かったわ」

 

 喜々として、余力を残したまま敗北を受け入れる勇儀を幽香は面白いものとして受け止める。何しろ、全力を駆使して届かないことに絶望し、這いつくばって項垂れる、そんな相手の姿ばかりを見てきた彼女であるから。

 勇儀の満足の笑みを認め、記憶する。これも優しくしたことで見つけられた。これは当分止められないなと、幽香は思う。

 そして、僅かに残った、勇儀の疑念の視線をも受け止めて、幽香は微笑む。その笑顔を見た勇儀は、酷く胡散臭いものだと思った。

 

「しかし、昔からすると、信じられないくらい優しいね。最強の力は一緒であれども、本当にあんたは風見幽香なのかい?」

「私は、私よ」

 

 誰が変化に介入した訳でもない。変わらず幽香を動かすのは幽香自身である。

そんな事実を淡々と告げ、そして勇儀の反応を見ないままにその場を去り、幽香は地底を後にした。

 

 

 

 



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第五話 蛍の妖怪に優しくしてみた

 

 

 リグル・ナイトバグは蟲の妖怪であり、更に言えば、蛍の妖怪である。

 幽香と同じ緑髪で、幻想郷の少女には珍しいパンツルックであるという特徴も目を引くところであるが、その存在の大本が虫というところが、実は一等珍しい部分だった。

 虫の妖怪、というのは昔にあってはありふれたものであったのだが、今や人間にとって恐怖の対象ではなくなった虫が、妖怪に至ることなど殆ど無いこと。

 採取されて暴かれ理解されただけでなく、殺虫剤の登場によって駆逐されるばかりになったために、最早人は五分の魂を意識することすらない。

 

 リグルの場合、昔々にあっては大した力を持っていたが、ある時より失われて。そうして、ただの蛍の妖怪になってからは更に力弱まっていき。

 最早幻想郷では雑魚扱い。更にオツムのほども良くないとあれば、近頃誰かに認められるようなこともなかった。

リグルが持っているのは、蟲を操る能力に、総じてどこぞのちょっと秀でた妖精と同程度の力量だけ。元より虫の妖怪は数少ないため、友達は居らず。だから、せっかくの弾幕ごっこに優れた才能も腐らせていて。

 今日も今日とて、リグルは従えた蟲と共に空を往くのだ。

 

「ふんふーん。今日は天気がいいわねー。いいことが起きそうだわ」

 

 リグルは、ぶんぶんと、周囲を巡る羽虫達の音に合わせた鼻歌交じりに春うらら、風光り地の果てまでを覆う青さが美しい天にて、独りごちる。

 夜にて光目立たせる蛍の身であるが、少女としての意識も強い。空が美しく気持ちよければ、心が軽くなりもする。

 リグルは、行き先も決めずに飛び回って、心に従い自由に飛んだ。高く、低く、羽音と共に。

 

「ふふーん……あ、ヤバい」

 

 しかし、そんな放浪中であっても、危険区域に入ったことは、肌で分かるもの。リグルは、燕尾を大きくしたようなマントを翻し、止まった。

 眼下に広がるは、それはだだっ広い草原。しかし、ここに何もないのは春秋冬のみ。夏の盛りに辺りの全ては向日葵の花で埋め尽くされる。その端にログハウスらしき建物が鎮座するこの地は、太陽の畑といった。

 

「ここ、アイツのテリトリーだ。……逃げないと」

 

 そう、リグルは迂闊にもかの有名な妖怪、風見幽香の住処に近寄ってしまっている。虫の脳を基本としているために物事を忘れがちな彼女にしては珍しく、幽香の悪名は記憶の底に残っていた。

 リグルは害虫でも草食でもないが、花を食い物にする虫を操ることの出来る存在。害虫に青虫は友達だ。だから、花の妖怪が自分だけ虐めない、もしくは殺虫するのを容赦するということは、ありえなく思えた。

 ならばと、疾く逃げるために、踵を返した、その時。

 

「あれ、貴女は幽香さんのお友達ですか?」

「へ?」

 

 リグルは、振り返ったその方に居た、東風谷早苗と顔を合わせることとなった。

 

 

 所時変わって、ここは件のログハウス、幽香の別荘。来客用の椅子に座るリグルは、形容しがたい違和感、を覚えていた。

 身を固くし、会話を流し聞きながら、これは違うと強く思う。リグル・ナイトバグは風見幽香のことなんて、知らない筈であるのに。

 

「だから、文さんったら酷いんですよー。幽香さんを史上最悪の妖怪、とか言うんですもの。思わず、そんな低い取材力で私達の神社を記事にしないでくださいね、って言っちゃいました!」

「口さがない烏天狗も居るものね」

「そうですよ。確かにちょっと怖いところがありますけど、幽香さんほど紳士……いや淑女的な妖怪って中々いないと思います。リグルちゃんもそう思うよね?」

「あ、はい。そうですね……」

 

 人間にちゃん付けされて居る事実に苦笑いしながらも、リグルは曖昧に頷く。彼女は、隣と前に座している東風谷早苗と風見幽香に、自分なんて比べ物にならない程の力を感じ取っている。

 だから、勘違いした早苗に言われるがまま連れて行かれ、対面した幽香の前で固くなるのも当然の成り行きで。

そして、その子とはお友達ではないわね、という幽香の言を、それならこれからお友達になってもいいですよね、ほら私達髪色似てますし、と受け止めた早苗の言葉を否定できず未だ逃げ出せずにいるのも、はたまた自然のことだったろうか。

 

「でも、知り合いの妖怪だけでなく、神奈子様も諏訪子様も、幽香さんに会うのは止めなさい、って言うんですよ。危ないって」

「親代わりの言うことは聞いた方がいいと思うけれど?」

「ですけど……出会いに本当の意味での危険なんて何もなくて、むしろ私は優しさすら覚えました。なら、実感と情報、どっちが正しいのか今回は確かめに来たんです」

「あら、妖怪の恐ろしさ、もう忘れてしまったの?」

「……それは重々承知です。幽香さんどころかリグルちゃんだって、人を殺めるに足る能力を持っている。それが怖くないかといえば、嘘になります。でも、それに任せて退治するされないという関係を作るよりも、共に切磋琢磨しあう関係の方が、きっと楽しいと思いまして」

「へぇ……」

 

 リグルは、何となく聞いていた早苗の言葉に深く感じ入った。それは、一部以外、人に気味悪がれた挙句殺されるばかりの蟲の側であるからこそ。

 争ってばかりではなく、共生することの方こそ望ましい。そこには覚えていない過去にも理由があるが、それにリグルは人を襲う妖怪でありながら蔑ろにされてばかりいた経験から、むしろ同じ妖怪とよりも人間と共に生きる可能性を見出していたのだ。

 人家に潜むのも蟲の特徴といえばその通り。こんな人間もいるのだ、仲良くなっておきたいな、とまでリグルは思う。

 

「なるほど。それで、約束もしていなかった今日に貴女が来たのは、どういう理由?」

「はい。ですから、私としては共に磨き合う関係。つまり幽香さんには、私を鍛えて欲しいと思って来たのです。あいにく私には幽香さんを更に強くする方法が思いつかないので、外の世界の話とか、こちらに持ち込んできた物くらいしか提示できる対価はありませんが……」

「嫌よ」

「やっぱり、駄目ですか……」

「むっ」

 

 そんな、気になる早苗の提案が、幽香に素気無く却下されたことに、リグルは僅かに苛立ちを感じる。そして、近くで認めた意地悪気な表情が、どうにもこうにも憎たらしい。

 だから、ついついリグルは二人の会話に口を挟んでしまった。普段ならそんな無謀、ありえないというのに。

 

「あの、幽香、さん。もうちょっと考えてあげてもいいんじゃないですか?」

「……ふぅん。貴女が私に反発するのは分からないでもないけれど。でも、私も意地悪で断った訳ではないわ。まだまだ自力で修められる、その間の上達の楽しみを取り上げてしまうのは優しくないと思ってね」

「優しく? 風見幽香が?」

「リグルちゃん?」

 

 リグルは、自分の耳がおかしくなってしまったのではないかと、真剣に思った。それくらいに、幽香から出てきた優しく、という言葉の響きが理解できなくて。

 そんなものは、無かった筈だ。何しろ、優しくする必要というものが、幽香にはないのだから。

 風見幽香は、圧倒的な強者である。それこそ誰にどう思われていようとも、個人で生きていけるくらいには。

 きっと、世界から切り離されても、そこで異世界を創りだして暮らすのだろう。そんな夢想を信じられるくらいに、幽香の最強は、果てしなく恐ろしい。

 

 そんな恐怖を、忘れたいから記憶に蓋をしていただけで、リグルは知っていた。

 そして、思い出してしまえば、次から次へと連鎖的にその日の全てが心に蘇ってくるもの。自然、リグルの視線は強くなり、幽香を睨んだ。

 

「ああ、そうだ、そうだったんだ」

「……本当に、どうしたの?」

「ふふ。やっと思い出したかしら?」

 

 幽香は、そこに込められた強い意志を笑って歓迎する。怯えてばかりだった弱者が、自分の位置すら忘れて眼光鋭くさせるという、そんな理由を彼女はよく知っていた。

 青い瞳の奥に光る深い瞋恚を覚えて、幽香は口の端が緩むのを抑えきれないままに、語りかける。

 

「早苗が友達じゃないか、って言ってきたからびっくりしたわ。余程のことがない限り、貴女が、それと認める筈なんてないのにね」

「そう、お前が友達だなんて、あり得るはずがないんだ。私の半身を殺し尽くした風見幽香と友誼を結ぶなんて、あってはならないんだから!」

「わっ!」

「そうね。リグル・ナイトバグ……いいえ、今の貴女は差し詰め火垂るる疑星の姫、といったところかしら?」

 

 そして、思い出したからこそ、永い時をかけて自身に溜め込まれていた力の在り処を探りだすことも出来たのだろう。

 力の元は光であり熱量。蛍にはさしてない筈のそれらは、しかし今ここで溢れに溢れて止まらない。

 そう、夜天の下にだって云百年も発揮されずにいた妖しい力に、リグルは躊躇わず怒りに任せて手を付けたのだった。

 

「私なんて、何でもいいわ。でも、私達の恨みは、忘れてはならない大事なもの。眼前に仇が居るというのに、呆けていたのは情けないわっ」

「仇? リグルちゃん、幽香さんと何か……」

「昔、私が沢山であった彼女を一人にした。歯向かう蟲として、その力の殆ど全てを手折ったのよ」

「沢山? 一人?」

「早苗。こいつはね、私の大切な仲間を皆殺しにしたのよ。出会わせてくれた貴女にとっては残念なことだろうけれど、そんな相手と友達になんてなれないわ!」

 

 今でこそ、ただの虫の妖怪。しかし、かつてリグルはもっと夥しく沢山あってよく分からないもの――それこそ蟲の字のごとく――だった。

 個よりも群の方が強いのは当たり前。そして、リグルは数多で無数であり群を抜いていた。毒虫に、甲虫、果ては寄生虫まで。それらが共生して一妖怪となっていたのは、奇跡に近かったのだろう。

 そう、妖怪の中でも蟲が権勢を振るっていた時代において、リグルは最強の一角とされるくらいに強力な存在だった。

 

 山覆う百足ですらリグルの一。昔々には大いに語られた存在であったが、だからこそ他の最強はその自負を強くしていた彼女の気に障った。

 特に、物語られる事もなく孤独で、更には餌に成るばかりの花の妖怪が鬼にも勝ると言われているのに、鼻白む。あまりに、自身と違う、しかし比肩すると言われる存在。

 そんなものを認められるわけもなく、自然どちらが上かと争うことになったのだ。

 

「皆殺し……幽香さんが?」

「正確には九割九部殺し、かな。今ここに居る私以外の全ての私は殺されたのよ」

 

 果たして、最強の群れは、最強の個には敵わなかった。プチリプチリと潰され、残ったのは一匹の蛍。その光が美しかったからこそ見逃されたのだった。

 しかし、そんな全てを忘却の彼方にするまでに単純化した残滓は、思い出すことで怒り、以前ほどとまではいかなくても妖怪としての格を一時的に引き上げるまでになっている。

 急に降って湧いた大妖怪の気配に早苗は口を開けて呆けるが、幽香は変わらず笑んで過ごす。

 

「羽虫は払い、徹底的に殺虫するのが当たり前。そんな時代だったわね。今なら、対処を変えていたのだろうけれど」

「丸くなった? いいや違う……変えているだけか」

「そうね。優しくしてみているだけよ」

「優しく? ははっ……ああ、そうよ。どうして、どうして昔から優しくなかったの! それならあいつらは居なくならずに済んだのに。私は、お前が変わってしまったからこそ、許しがたい!」

 

 鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす、とはいうが、果たしてリグルの怒りは凄まじいものであった。

 忘れていたトラウマ。それが心を引っかきささくれさせて、際限なく激情を刺激する。思わずかざした手。それは、幽香の元へと向く。

 その先に集まるのは、光。蛍どころか太陽のそれに迫らんといった眩い力は、弾幕ごっこに使われる程度など軽々と超えて大いに輝く。

 そして、それが放たれんとしたその時。大発光は巻き起こった風によって掻き消された。

 

「わ、っぷ」

 

 前ばかり見ていては、横入りを防ぐ事など難しい。思わずよろけたリグルは、首に刀剣がピタリと付けられたような感触を覚える。

 そして見てみれば、力の篭った大幣が、喉元に突き出されていた。暴走を防ぐ為にと武器を差し出した早苗は、これ以上ないくらいに苦い顔をリグルに向けている。

 

「危ない、じゃないですか。過去はどうあれ、今は直接的な殺し合いはご法度です。それに……そのくらいじゃあ幽香さんには傷一つつけられませんよ。少しは風で頭、冷えましたか?」

「……そうね。早苗がここに居たことを忘れていたわ。ごめんなさい」

「まあ、確かにちょっと今のが放たれていたら人間の私はちょっと危なかったです。でも、妖怪の格すら変えてしまうほどの怒りを発散しないで置くほうがもっと危ないことなのかもしれません」

「でも、持て余すこの激情、どう解き放てばいいのか、私には分からないの……」

「弾幕ごっこですよ。それで白黒つけましょう」

 

 ね、幽香さん、と早苗は人差し指を立てながら、そう言った。

 

 

 澄んだ青空の元、曇り曇った心を持って、一時的に大妖怪の上澄みに至るまで力を上げたリグルは幽香と相対す。

 妖怪は精神の存在であるためそこが弱点であり、逆に言えば精神が強化されれば多少は力も上がる。しかし、内に溜め込んでいた力を怒りに任せて引き出したとはいえこれ程まで感情で力量の変化をもたらす妖怪もまた、珍しい。

 それは、今や一部とはいえ元々リグルが鬼すら下に置くほどの妖怪であって、その身の器の限界が広かったから、ということもある。そして勿論、怒りの強さの程が大したものであったというのも間違いない。

 忘れていたのは、ぶつけられる相手が居なければ、その身が耐え切れないから。基となる脳が小さく忘却しやすい虫の妖怪の身であったのが幸いといえばそうだろう。

 

「でも、思い出したからには、もう止められない。私……いや、私達の怒り、受け止めてもらうよ!」

「ええ。優しく受け止めてあげるわ」

「優しさなんて、そんなもの、もう要らない!」

「貴女の心なんて知ったことではない。何と思われようとも、私は優しくしてみるわ」

「ふざけないでっ!」

 

 ここに至って、リグルは仲間を危険に晒すばかりの虫を操る能力なんて使わない。その身に溢れる妖力ばかりで彼女は周囲に弾幕を展開する。

 だが、奇しくもリグルの弾幕ごっこの表現は、光弾だった。まるで、巨大な蛍が彼女の周囲に従っているかのように、群れを成して踊る。その形が丸いものばかりでなく、菱型まであるというのは僅かに残った彼女の遊び心か。

 黄色に淡青。可憐な色彩はまるで暴力的ではない。しかし、怒りに任せて放った弾幕は、隙間を残しながらも左右から群れて交錯しながら激しく襲い来る。

 それは、リグルが常日頃から妖精相手に放っていたものとは大違い。放った本人が驚くほどの密度と威力、そしてそこからくる美しさを持ってして、光の列は幽香を覆う。

 

「光を浮かばせるのは、蛍の常道。やはり、貴女は弾幕ごっこが得意だったのね」

「くっ、当たらな……痛っ!」

「そして、照らされ美しくその身を誇るのも、花の嗜み。蛍光如きで枯れる花などない」

 

 しかし、本気の弾幕であってさえ、幽香に届くものは一つたりとて存在しない。反対に、弾幕を放つことは得意でも避ける経験の薄いリグルには面白いように幽香の花弾が命中する。

 明らかに不利。これでは、二枚提示したスペルカードの一枚も使うことなく墜ちてしまうことだろう。それは、嫌である。せめて、少しでも幽香の心に某かの爪痕を残しておかないと、気が済まない。

 だが、無情にも隙の見いだせないまま時は過ぎる。しかし、ある時二人の間を横切り、光弾を放って、花を食む影が現れた。その複雑怪奇な姿を認めて、リグルは初めて笑顔になる。

 

「皆!」

「相変わらず、貴女は独りぼっちではないのね」

 

 そう、それらは操られるまでもなくリグルの助けになるためにと現れた蟲達。主に暗い色をしたそれらは、力を増した主の影響を受けて、強力な使い魔と成す。

 幽香は邪魔なそれに目をつけ墜とそうと試みるが、それはさせまいとリグルの弾幕は力を増させる。幽香の周囲を回る、二者は光を横断させながら太陽光よりも詳らかに全てを眩しく照らす。

 リグルと使い魔とのコンビネーションは抜群であり、二方向から間断なく来る弾幕に、さしもの幽香であっても、僅かに隙を見せざるを得なかった。

 それを喜び、リグルはスペルカードを提示する。

 

「いくわよ、蠢符「ナイトバグトルネード」!」

 

 宣言とともにリグルが広げた二色の光弾の粒は、彼女を守るように広がったかと思えば、中途から菱型に成長し、その無数の量を活かして宙に広がる。

 勿論、使い魔達もそれに追随し、珠の如き光弾を追わせる。幽香の周りは見た目にも騒々しく、実際にそろそろグレイズの音が煩く聞こえてきていた。

 劣勢に、思わず幽香の眦が、細まる。夜の虫は、見事にも昼空にて目映さの竜巻を作り上げていた。

 

「流石に、光の美麗を隅々まで理解している。私の足もついつい鈍ってしまうわ。でも、止められないのが貴女の限界ね」

 

 だが、竜巻程度で地に根を下ろした花は飛ばされ朽ちない。僅かに危なっかしさを見せつつも、幽香は避けきる。

 未だ辛うじて余裕を見せる幽香。しかし、そこに綻びを見つけ、高密度の弾幕を展開し続けられなくなっても、また再びと自分に活を入れて、リグルは最後の一枚を見せつけた。

 

「これで、止めっ、「季節外れのバタフライストーム」!」

 

 そして、再び光の卵がリグルの周囲で渦巻いた、と思えばそれは青黄緑の蝶に変化し爆発する。そして、続けざまにリグルが広げるは、赤と青の同型の光弾。

 それらの量が、最早多いを超えて夥しい。美しいはずの四色の蝶は、恐ろしいまでの数で目を奪ってしまう。遠くで観ていた早苗にすらも、その弾幕の回避路は不明だった。

 おまけに、交差し、周囲に羽を広げる蝶々は、羽ばたき違えるだけで宙に見通し不明な揺らぎをもたらす。

 空の何処にも安全地帯が無い中。そこで幽香の余裕は失われた。どうしようもなく、疾く動き続けなければ墜ちるだけ。きっと、普通に避けるのが成功する可能性など、万に一もない。

 

「ああ、だから弾幕ごっこは楽しい」

 

 しかし、その可能性に賭け、掴んでみせよう。敗色濃厚な中、決して慌てること等ない。己の周囲で蝶を遊ばせる。それを続けるだけで、いいのだから。

 幽香は、自分の分が悪くなることすら嫌がらなく、むしろそれを望んでいる節がある。だから、平気に人に嫌われるようなことを続けていた。

 変えた今も、そこに変化はない。墜ちるか墜ちないか、その限界にて、幽香は踊った。花の周りには蝶が舞う。そんな当たり前の光景。しかしそれは誰の目にも眩しく、不変のものに思えた。

 

「駄目……もう、続けられない」

「やっぱり、蠢くもの、貴女と戦うのは楽しいわ」

 

 その笑顔は、果たして優しく形作られていただろうか。それは、リグルにしか分からない。

 蒼穹の元、微かな光は途絶え。そして、一輪の花が虫を呑み込んだ。

 

 

「良かった。起きたのね」

「げっ」

 

 一時気を失わせていたリグルは、起きた丁度その時仰向けに倒れていた自身を覗き込み様子を診る幽香の顔をみて、喉からこの上なく嫌な声を出した。

 気遣わしげな、その様子が憎らしく。また、それが本当の気持ちに拠るものでないだろうことがまた、恐ろしくもあり。

 やはり、こいつは大嫌いだとリグルは思う。だが、それだけ。散々に暴れて、気持ちは大分晴れていた。

 

「私は、貴女の仲間を殺したことは、絶対に謝らない」

「そんなこと、私も望んでいないわよ」

「そう」

 

 起き上がってみると一つ風が吹くのを感じ、その源へとリグルが向いてみると、そこには慌ててやって来る早苗の姿が見て取れる。

 私達の弾幕、きっと人間が当たったらそれこそ大事故になるわよ、と幽香が脅かしたためか、過分なまでに早苗は遠く離れたところにあって、もう少しくらいはこちらに来るまで時間があるだろう。

 それを知ってか知らでか、幽香は再び口を開き、小さく言葉を継ぐ。その内容に、リグルは驚かされることとなる。

 

「本音を語りましょう……私は当時まだまだ途上だった。あの時はそれこそ、貴女達を殺さなければいけないくらいに、恐怖し、追い詰められていたとも言える」

 

 嘘か誠か、幽香はそう口にした。最強の、妖怪の彼女が。

 

「貴女達は、強かった。私はそれを忘れない」

 

 死者への手向けなど何もない。リグル自体、今まで忘れていたくらいの薄情だったともいえる。墓の一つも彼女は用意していなかった。

 だが、幽香の言葉は、意味は予想していたどんな言い訳なんかよりも、リグルの心に響く。ああ、これを聞いたらきっと、あいつらは大喜びするだろうなと、そう思った。

 

「任せたわよ、早苗」

「えっ?」

「う、うっ……」

 

 幽香は、文字通り飛んできた早苗にリグルを任せて、自宅へと踵を返す。その際に、スカートの端が破けていることに気づいて、ふと笑った。

 残された二人は、混乱と、溢れんばかりの感情の渦に囚われる。そう、早苗は困り、リグルは瞳を潤わせていた。

リグルの喉元からは、先とは違う気持ちが溢れて止まらない。幾度か無理をし、そして、少女は決壊する。

 

「うう、うわぁああん!」

「うわ、幽香さん泣かせちゃった。ああ、どうしましょう……とりあえず、よしよし。やっぱり幽香さんってちょっと意地悪な人ですねー」

 

 怒り発散し、ここでようやくリグルは喪失を受け止められた。泣くのが、悲しむのが、何より虚しい。

 大切だったあいつらは、もう居ない。それが嘆くほどに確かになっていき。そして感情がこの上なく高まった時に、自身に被さる温かい熱を感じる。

 わけも分からないまま、しかし早苗はリグルを抱きしめ、背中を撫でていた。離さないように、隣にいることを示すかのように、彼女の手つきは優しい。

 

「うう、早苗、あり、がとう……」

「うふふ、どういたしまして」

 

 今度は、それが嬉しくて、泣いた。早苗はリグルが泣き虫な子なのだと勘違いし、抱きしめる力を強くする。

思い違えようとも、共にあるのに間違いなどなく。ただ、身を寄せ合う二人の身体は容易く冷えない温度を持つ。

 

 

「あの子は、群れるのが似合っていて、羨ましいわね」

 

 そして、友情を深める二つの緑髪が風で流れる姿を、幽香は優しく見つめていた。

 

 

 

 



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第六話 七色の人形遣いと九尾の式に優しくしてみた

 

「幽香。魔理沙が貴女に虐められたって、騒いでいたわよ。一時は自然のこととして聞き流そうとしたけれど、出来なかったわ。貴女、どうにも随分と趣向を変えて嫌がらせしたみたいね」

「嫌がらせ、とは少し違うのだけれど」

 

 あいにくの花曇り。しかし、日当たり悪い魔法の森の中であってはそれもあまり関係なく。常のジメジメとした空気の中で、しかしその館の周囲に限っては清浄だった。

 ここは、アリス・マーガトロイドの西洋住宅。一流の魔法使いで幽香と同じく究極の魔法を修めている彼女にとって、生活空間の向上をさせるばかりの魔法なんて簡単なもの。

 お客と主人の世話にと飛び回る、妖精の如きアリスの人形達を動かし続ける魔法であっても、それは同じ。それと察されないくらいにさりげなく洗練された魔法に依って、都会であった故郷と大差ない生活を彼女は続けられていた。

 だから、幽香も不快にならずに寛げる。実はもう在庫が心もとない量になっている貴重な魔界産の紅茶を頂きながら、彼女は笑んで、言葉を繋げた。

 

「単に、私も変わったのよ」

「変わった、ねぇ……」

 

 アリスは、疑問の視線を素知らぬ顔で受け流す幽香を気にする。今回の会合の間に、その疑いを解決したいという気持ちは明らかだった。

 しかし、陶磁器の人形のように精緻な美を持つアリスが、生気溢れる満開の花のように可憐な幽香を今日この場に呼んだのに、実は大した理由はない。

 二人はそれこそアリスが小さい頃からの知己であり、明確にしてはいないが友達のようなもの。友誼を結んだ人物が数少ない彼女たちは、昔から結構な頻度で互いを呼び合いお茶会を開いていた。

 アリスは何時も意地悪な事ばかり口にする幽香と付き合っている己は酔狂者であると自覚しているが、それでも長い間共にあったが故に、変わったのならばまずは付き合いの長い自分相手に優しくしてみるのが普通ではないかと思う。

 それこそ、唐突な心変わりでもない限りは。

 

「ちょっと心配ね」

「茶葉の残量を気にしているのなら、大丈夫。それほど長居をする気はないわ」

「違うわよ。私は幻想郷の心配をしているの」

 

 スコーンを齧り、アリスは考える。外側から幽香を眺めてみる限り、何時も通りで違いは何処にも見られない。

 幽香が魔理沙に優しくしたというのは、やはり、言うとおりに内面に変化があったためなのだろう。悪魔なんかよりもよっぽど質の悪い性格に、突如として情が湧いた。

 それが、おかしいと思うのは、きっとアリスばかりではないだろう。

 

 まず、前提として妖怪には物語られる定型というものが存在していなければならない。幽かで妖しいばかりのものは、魑魅魍魎として何時か消え去ってしまう。

 人に恐れられる、そのための個性。それは大概の妖怪は変えることは出来ないもの。一つ目小僧が二つ目を開けば、それは最早別の妖怪だ。

 そして、それどころかその者の持つ特徴ともいえる精神性が変わってしまったら。人の恐れを手に入れられなくなった妖怪と同じ。きっと、個を保つことが出来なくなって弱体化または最悪消滅の危機すら訪れてしまうことだろう。

 しかし、最強のままに幽香はゆったりと眼前に座している。なら、彼女は本質が変わらないまま変わったということになるだろう。

 嗜虐的な幽香のまま、人に優しく。そんな意味の分からない変化。それが本当に起きているのだとすれば、動機は、故は。

 

「本当に、幽香が優しくなったというのなら、貴女を変えた何かがあるはず。その不明な何かが、幻想郷を犯しはしないか不安なのよ」

 

 最強の精神を捻じ曲げる何か。それを予想するアリスは、完全に幽香が単に優しくすることを思いついただけ、という可能性など彼方にかなぐり捨てていた。

 何しろ、ふと考え自省することこそ、幽香に遠いもの程ないのだから。だから、アリスは勘違いする。

 

「考え過ぎだと思うけれど」

「鼻で笑うこともないなんて……やはり、普段の返しと違う。私にも優しくしているのかしら。幽香、貴女が今一番にやりたいことは何?」

「そうね。多分これは私にも貴女にとっても嬉しいことだと思うけれど……」

「何?」

 

 優しくなったと、伝聞と印象で感じ取ったが、やはり少し早まっただろうか。幽香の勿体振った言い方に、思わずアリスは身構える。

 両得。二人の趣味で合っているものなど、弾幕ごっこかそれとも。幽香は空っぽのカップを持ち上げ、続けるために再び口を開く。

 

「アリス。貴女には、お茶っ葉の補給をしに行ってもらおうと思うの」

 

 そして、カップの真白い底を見せながら幽香が口にしたその突飛な内容に、アリスの目は大きく開いた。

 

 

「それで、どうやって魔界に向かうのかしら? 紫に何かされたのか分からないけれど、私には行き方すら定かではないわ。まあ、幻想郷に定住するための契約の際に軽々と行き来出来ないようにされたのだろうけれど」

「私は覚えているわ。こっちの方からツアーを組んで幻想郷にやって来た魔界人達を、持て成してあげたことだって、よくよく」

「こっちって、博麗神社の裏……何かしら、よく観てみるとちょっと不明ね」

「流石はアリス、といったところかしら」

 

 幻想郷の端の方。博麗神社の上空にて、幽香とアリスは会話する。二人は、博麗神社の鳥居の先、住民曰く裏、つまりは幻想郷の外側を向いていた。

 それは、外の世界を求めての行動では勿論ない。それ以外の異界、魔界に向かうための行動だった。

実は、魔法のメッカ、魔界生まれのアリスであるが、幻想郷に住むようになってこの方、帰ったことは一度もない。当たり前であるが、自身の故郷であるからには、思わない筈もなく。帰郷しようと考えたことも一度や二度ではなかった。

 しかし、手続き――紫への難なアポイントメントの取り付けにその際の審査――の面倒さを思うと、中々重い腰を上げられず。それが今日まで続いたのであった。しかし、幽香が簡単な行き方を教えてくれるのであれば、帰ってみたくもある。

 ちなみに、この場に居れば何事か気になり注意するか最低でも会話に参入してくるだろう巫女は買い物か何か用達があったようで、不在だった。

 

「この先には山があるのよ。そこに魔界やその他異界への入り口があるわ」

「博麗神社の裏山……それって、博麗大結界の範囲外、つまり幻想郷の外じゃないの?」

「正確にはその境界ね。そこに厄介な場所への出入り口を集めて掌握しているのが、あのスキマ妖怪の嫌らしさ」

「なるほど、だから、何かされている私には不明瞭に映る、と」

「そうね。しかし、こうすればどうかしら?」

「なっ」

 

全てを明るくするのは、やはり光。そして、最短にあちらとこちらを繋げるは、直線。それは分かろうとも、やり方が尋常でなければ、驚きはある。

 幽香が軽く、その力を日傘の先に集め、向けたはアリスの見えないその先。煌々と光量を増すその純粋な力は、原点らしく荒削りでありながらも、派生するだけの魅力を持っていた。

 そう、幽香が放つはマスタースパークの大元である、真似られた最強の光線。幅広のそれは、違うことなく何もないはずであった場所を、それこそ間違いなく何もなくさせて。

 光は真っ直ぐに大いに昼間を眩しくさせてから、複雑であっただろう入り口までの道をこの上なく単純化させて露わにさせた。

 そう、今まで不明だった宙は穿たれ、円く歪んだ複雑な式の欠片舞う空間の先、山肌にある洞窟までの直線が明らかになっている。

 

「ほら、少しは明るくなったでしょう」

「……この先を通れ、と?」

「後は自分の足で大丈夫でしょう。私も、これ以上優しくするつもりはないわ」

「はぁ。丁寧に見えて、この力に任せた強引さ。変わってもやはり幽香は幽香ね。後のことを考えると頭が痛いけれど……当座の邪魔くらいは退けてくれるわよね?」

「そのくらいは、ケアしてあげるわ」

「ならいいわ。ありがとう、幽香。久しぶりにお母さんに会えると思うと、何だかんだ嬉しいわ。それに、色々と思い出してきたわ……門番のサラは元気にしているかしら?」

 

 何らかのつっかえがとれたのだろう、思い出すごとに、アリスの陶磁の頬が赤らみ歪んで微笑んでいった。

 普段のお人形らしさはどこへやら。口の端綻ばすアリスは年頃の少女らしくある。思わず急ぎ飛んで行くその背中に、お辞儀して去る人形にも、幽香は手を振った。

 持って来てくれるだろうお土産に、観測できたその変化。中々いい風に行いが転んだものだと、思わずにいられない。

 

「さて、こっちの結果も受け入れないといけないわね」

「無理に他の異世界に侵入しようとする輩を撃退する任、承っていたが……まさか、初めてそれを行った相手が風見幽香とはね」

 

 そして、どこか満足気な表情をした幽香が振り返ったその先には、スキマが一筋。開いたその先から現れたのは、天に届かんばかりの力を持った妖獣。

 知性溢れる金色の瞳を持ち、白い中華風の衣服に青い前掛けが目立つ、九つの尾を携えたその少女は、八雲藍といった。藍は、幻想郷の管理者である妖怪の賢者の一人、八雲紫の式神である九尾の狐、最強の妖獣である。

 藍は頭巾に覆われた耳を動かし、この場に他の者が居ないことを確認しながら、もし戦った時に被害が間近の大結界へと及ばないように、それとなく小さな結界を周囲に広げた。

 

「あら、藍じゃない。ご主人様相手なら優しくしてあげようかと思っていたのだけれど。貴女相手にはどうしようかしらね」

「はは、出来れば私に対しても優しくしてくれるとありがたいが……なるほど、昨日の夕時に紫様が厄介な異変の種が成長していると、語っていたのはこの事か」

「皆、私が優しくしてみていることを知ると、身構えるのよね。まあ、それがまた面白いのだけれど」

「五行の変化……憑依はあり得ないか。まあ、何にせよ優しい風見幽香なんていうものは、誰もが認め難いものだ。多くのものが変化の原因を恐れ、困惑するだろう。しかし、それを解決する方法は単純だが、きっと何より難しいのだろうな……」

 

 物事には何事にも因が存在する。動機を大事にする者も数多い。何故、どうして、といった不明が一番怖いものでもある。

 やくざ者が優しくするなんて、裏に何か隠しているのではないか、そう思うのは当たり前のこと。不信は、幽香のネームバリューから高まり、全体浮足立って、下手をすれば幻想郷を揺るがしかねない程の影響を及ぼす可能性すらあった。

 勿論、他にも形態の異なる異変が生じる率はある。しかし、大きな異変が発生する確率の方を先に計算得意な藍は弾き出して、溜息を吐く。

 ただ、異界に目が眩んだ馬鹿者にお仕置きをするだけの任務がこの上なく困難である上に、目の前に異変の可能性を見てしまった。これでは手を抜くことなんて、とても出来やしないと藍は思う。

 

「さて、変わった私に対して、藍、貴女はどうするというの?」

「振りしてばかりの歪んだままの性根を、誰かが真っ直ぐに叩き直してやれば一番いいのだろう。変わったのはあの時負けたからだと、原因がはっきりするからな。それが私に出来るか分からないが、ついでだ。本気で風見幽香に挑んでみよう!」

 

 だから、藍は妖気を溢れさせながら十二枚のスペルカードを見せつつ、大いに弾幕を展開させる。

 藍が宙に放り出したるは、数多の苦無弾。桃と紫のそれが描く円に模様は美しく、また僅かに振れるために与えられた隙など殆どない。だが、これはスペルカードによる必殺技でも何でもなく。

 案の定軽々と避ける幽香を見つめながら、大分互いの距離を稼いだ藍は、悠々と一枚のスペルカードを展開させた。

 

「まずは小手調べだ。これを避けられない最強などあるまい。式神「仙狐思念」!」

 

 そして、未だ多くの苦無に囲まれた幽香に向けて、藍は大玉弾を空にて転がす。速度の高いそれを辛うじて避ける幽香であったが、その先にて大玉は爆発し、鱗弾を広げた。

 緑を基調とした二色は、青空に幾何学的文様を創り上げる。至近にて、そのオリエンタルラグの柄に似た色合いに巻き込まれた幽香は大変だ。至近のものにばかり注意し、避けるために大いに舞って。

 

「あら、確かにこれは簡単ね」

 

 しかし、その際に周囲を眺めた幽香は笑む。そして、次に迫った大玉弾を視認しながら、幽香は見た目ばかり大げさなその弾幕に慌てることは、もうなかった。

 一目では複雑で避け難そうな弾幕。しかしその殆どは隙間を補填し埋め合うことない、ただの弾の広がり。一つを横に避けてしまえば、後に続くものなどない。

 花を創り、それを流して見事に命中させ、そして先ず一枚目を幽香は攻略する。

 

「いとも容易くふるいを抜けるものだ。まあ、いいさ。まだまだ沢山次はある。式神「十二神将の宴」!」

「今度は随分と沢山の使い魔を操るのね。器用なものだわ」

 

 再び牽制として放たれた大量の苦無を避けたその後に、藍が周囲に広げるは十二を数える魔法陣。ついでとばかりに広げられた赤い鱗弾を幽香が避けた後に、十二の使い魔達は周囲に、桃、薄緑、青の三色の鱗弾を空で交わらせた。

 一帯に広がるは、無数の鱗弾の共演。制限型弾幕とすら思えてしまうほどに、幽香の動き回れるスペースは狭い。そこに、手隙になった藍が彼女の名と同色の蝶々を広げていく。

 それは、それは、先ほど避けていた弾幕とは比べ物にならない程の高難易度。幽香の四方を見る目は激しく動く。

 だが、難しさを気にするばかりでなく、一面全てが色鮮やかで美しいというのは、自身を誇るに丁度いいものであるとも言える。

 気合を入れて動いてみれば、存外隙間は見つかるものであり、蝶の羽根にこそ惑わされたが、笑み崩れることもなく幽香は弾幕を避けきった。

 

「大分余裕を失わせられたと思うのだが、掠りもしない結果に終わってしまった、というのは残念だ。……ところで幽香、お前はスペルカードを使う気がないのか?」

「まだまだね。本当に、追い詰められることさえなければ私は基本的に通常弾幕を張るだけで終わらせるわ」

「なるほど、もっと難易度高める必要があったか。しかし、これからは辛いぞ。あと十もあるスペルカードの中、その集中続くかな? 式輝「狐狸妖怪レーザー」!」

 

 大玉を先頭とした大小様々な青色の粒が幽香を襲う。そして、道中広がるレーザーの中にて幽香は不気味に青く照らされながら、笑みを崩さずこう零した。

 

「さて、私が時間稼ぎをしている中でアリスはどれだけ楽しめたのか。それが私にも分かる程度かどうかが楽しみね」

 

 

 所変わって、魔界。それも魔界の神、神綺の神殿の中にアリスは居た。壮麗で硬質な空間の中にて彼女は、とある女性に抱きついて色々と喋っている。

 赤いローブを羽織っていて、長い銀色のサイドテールが特徴的なその女性こそ、神殿の真の主神綺。ここ魔界を創り出した存在であり、崇め奉られるべき彼女であるが、しかし実は我が子と言える魔界の住人に対して非常にフレンドリーであり。

 それだけでなく、隣に控えるメイド、夢子が二人の触れ合いを微笑んで認めるくらいには、アリスは神綺に近い位置にあった。

 

「それでね、お母さん! 魔理沙ったら、貸した魔道書を返してくれないのよ。まるで泥棒よね。だから、読みたいって言っていた私のグリモワール、あいつに触れられないように細工しちゃったの!」

「そうなの。だから、私が創った時と変わって、許可無く触れた手が燃えちゃうような物騒な術式が付けられているのね」

「そう、だから手出しできないって悔しがっていたけれど、でも諦めていないのよ。先日は、レミリア……吸血鬼なんだけれど、彼女をそそのかして私から奪おうとしていたわ」

「うふふ。魔理沙ちゃんったらお転婆で、あの時から変わっていないわねー」

 

 感情が融け合うくらいに近い二人は、笑って会話を続ける。

 アリスが幻想郷に行ってからの時間は、それなりに長いもの。距離を埋めるための会話は、沢山湧いて止まらない。

 主に、アリスから神綺へと一方に向けられている多弁ではあるが、神綺には少しもそれを苦にする様子がなかった。母らしく、彼女はアリスを真に優しく受け止めている。

 

「霊夢も変わらないわ。魅魔は、何処か行っちゃったけれど、そう変わっていないでしょうね。後、幽香は……」

「幽香ちゃんか。あの子は一番強かったから、きっと一番変わらないのでしょうね」

「お母さん。それが違うの」

 

 しかし、間近の幽香の話題になって、真に対話する気になったのか、アリスはそっと離れて神綺の蒼い瞳を覗きながらぽつりぽつりと話し始める。

 幽香の最近の異変振りに、今日この場に来られたのも、彼女の尽力あってこそである、ということ。その急激な変化が、何かあったのか分からなくて怖い、ともアリスは語った。

 ふうん、と一つ神綺は考えてから、そうして迷い垣間見えるアリスを見つめて、笑いかけた。

 

「うふふ。確かに、幽香ちゃんみたいな大妖怪が変わっちゃったら、色々と勘ぐるわよね。でもね。アリスちゃん。貴女はお友達の彼女にどうしたいの? 変化を喜ぶのか、それとも……」

「ああ……そうね。今日の恩があれども、良い方向であろうとも、私は幽香に変わらないでいて欲しい。友達が変わって欲しくないって思うの、勝手なことだけれど、自然よね」

「それなら、アリスちゃんはどうするの?」

「変化の原因を究明する……っていうのは迂遠ね。直接、幽香に尋ねてみるわ。その上で、見定める」

 

 そうと決めたら、何時までも甘えていては駄目ね、とアリスは神綺から本格的に離れて控えさせていた一体の人形を引き寄せ、胸元にて抱きしめ可愛がる。

 懐から温もりを逃した神綺は、寂しさを覚えつつも、我が子の成長を喜び安心させるための微笑みを、心から深めた。そして、独りごちる。

 

「でも、これで幽香ちゃんが変わってみたくなったから変わっただけで、結果に満足しているから続けているだけだとしたら……少し拍子抜けね」

 

 魔界神は、事態の真相を想像し、それが真に迫っていることを知ってか知らでか、彼女はただうふふと笑った。

 

 

「自慢の尻尾の毛艶、大分落ちてきた気がするわね」

「はぁ、はぁ……もうクタクタだよ。しかし、一度もスペルカードを使わせることが出来ないというのは不味い。紫様に怒られてしまう。……それではこれが最後だ。いくぞ、超人「飛翔役小角」!」

 

 対峙を続ける幽香と藍。互いに、洋服の端々を破かせた満身創痍の様体であるが、力の漲り振りは、むしろ最初よりも充実しているように見えた。

 だからこそ、スペルカード最後の一枚においても、むしろそれこそが今日一番のものとなるのは想像に難くなく。そして、実際問題幽香の予想すら超えるくらいにその難易度は高いものだった。

 

「速い……その上多量。本当に疲れているのかしら」

 

 速さに密度、それは先程の全てと比べても段違いである。

 何しろ、それは最強の妖獣本人が弾幕を零しながら突貫し、そして戻ることを繰り返し一体に青緑黄色の蝶を並べていくものなのだから。

 必殺技として高められたそのスピードに、高密度。幽香の動体視力でなければ捉えられないほどのものである。花よ散れ、といった意を感じざるを得ない刈り取るための弾幕を避けるのは、それこそ人間業では不可能だ。

 しかし、相対している幽香は、勿論人間なんかではなく、遥かにそれを超えている存在だ。それでも、決して高速で動くことのない彼女は、速い相手に対して常に劣勢にならざるをえない。

 逃げる、ではなく避ける、を続ける。それのなんと大変なことか。至近を通る力の塊光る弾は、美しく幽香を楽しませるが、九尾の爪はただ恐ろしく鋭いばかり。だがその脅威を受けるのも弾幕ごっこの面白さの一つではあった。

 次第に、幽香は苦手な弾幕に追い詰められていく。色とりどりの蝶々に囲まれる花は、幸せそうに思えるが、実際は食まれる苦しみだってあるだろう。

 

「こうなったら……いや、まだ方法はあるわね」

 

 幽香の手はスペルカードに伸びる。そして掴む前に、何を思ったか彼女は掌に黄色い花を一輪創りあげた。それを向けるは、直線的に迫って来る素早い狐。

 互いに一撃掠めた、その一瞬に藍の動きが鈍ったことを幽香は見逃さずに、弾幕で追撃する。そして、幾度も黄花の直撃を受けた藍は、墜落していった。

 それを認めてから地に降り、敗者の顔を見に向かったついでに幽香は藍に手を貸した。

 

「ありがとう。しかし、今の花はひょっとして……」

「狐の牡丹。毒花ね。貴女に隙を作るには丁度いい花だったでしょう?」

「なるほどよく見た花だと思った。毒は大して効かなかったが、思わず手を止めて見惚れてしまったよ」

 

 持ち上げられながら、藍は本当に幽香が変わったものだと感じ取る。今までの彼女であるならば、地べたに這いつくばる姿をこそ喜んだことだろう。

 互いに衣服にダメージが見て取れるが、しかし幽香は勿論藍にだって傷は一つもなく。よほど調節し優しくしてくれたのだと、藍は思う。

 そして、尻尾に付いたゴミを振るったり手櫛で取っていたりしていると、神社の裏側の方から声が聞こえる。少し待った後に、大量の荷物を手に空を飛んで現れたのは、アリス・マーガトロイドだった。

 

「ああ、どうして通り方を知っている風見幽香が、ああも強引に異界への道を作ったのだろうかと思っていたが、友人アリスのためだったか。納得だ」

「幽香……大丈夫だった?」

「この通り、肌に傷一つなく、平気だったわ」

 

 ドサドサと手荷物を降ろしながら寄ってくるアリスに、幽香は回って全身を見せることで応える。元々は心配少なかったが、衣服にダメージが見えたことで、気になってしまったのだろう。

歪んでしまったアリスの眉は、しかし無事を確認すると共に直ぐに元に戻った。

 それをおかしく思って藍は笑い、そうして指先を宙に一筋、紫のものと比べると酷く不格好なスキマを創ってからアリスに話しかける。

 

「挨拶は、まあいいか。それじゃあ、私は戻ろう。完敗してしまったと紫様に報告しなければならなくてね」

「藍……ごめんなさい」

「アリスが気にすることではないよ。下手人は、そこの花妖怪だ。久しぶりの帰郷は楽しめたかい?」

「ええ」

「なら、いいさ」

 

 そして、忠実な使い魔は、主の元へと帰っていった。彼女が宙にて消え、何もなくなった後をしばらく二人は眺める。

その時春風が吹き、それに流されるように、アリスは幽香へと首を向けた。

 

「……ありがとう。貴女のおかげでとても楽しい一時を味わえたわ。お土産も沢山貰えたし、茶葉もほら、こんなに」

「良かったわ」

 

 続いて貴女の淹れる紅茶は好きだから、と素直に述べる幽香に、アリスは再び眉根を寄せる。

 これは、何時もの幽香ではない。自分が、今まで付き合ってきた、何だかんだ嫌いではなかったあの彼女が取り上げられたような気がして、アリスは口をへの字に形作りまでした。

 

「……幽香。貴女を変えたのは何? そして、変わってからも今までそれを続けている理由は何なの?」

「信じてもらえないかもしれないけれど、私の変化に理由などない。そして、二つ目の疑問の答えは単純。変わってからこの方ずっと、楽しいからよ」

「そう。なら、仕方がないわね」

 

 しかし、そんな不機嫌は長く続かない。友人が性格を変え続けているのが、そちらでいる方が楽しいのだから、であると聞けば少し寂しかろうと歓迎すべきこと。変わった理由なんて、それと比べれば些細なことだ。

笑んで、そして友達としてアリスは幽香に言葉を送った。

 

「でも、無理になったら元に戻すことね。私は元の貴女だって、嫌いじゃないから」

 

 乱暴者ではなく、余計に立ち入ることもなく、皮肉や嫌がることを平気で口にするが、しかしお茶会の際には黙って共に居てくれる。

 そんな幽香を、それなりにアリスは好いていた。彼女の思いを知らなかった幽香は、一時目を丸くして。しかし、直ぐに目を細めて笑顔を作った。

 

「ふふ。ありがとう」

 

 その恐ろしい程に綺麗な笑みを見て。

 

 

 覗いていた彼女は思わず息を呑んだ。

 

 

 

 



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第七話 ダウザーな鼠に優しくしてみた

 

 

「ご主人……私は少し拙いことを知ってしまったのかもしれない」

「これは唐突に……何ですか?」

 

 満点の星空の下にて、クビキリギスの鳴き声響くそんな夜更け。無縁塚近くにある小さな掘っ立て小屋。畳張りのその中にて、寛ぐ妖怪が二人あった。

 一人、家主であり話の途中で癖っ毛を抑えて大きく丸い耳を垂らし始めたのは、妖怪鼠、ナズーリンである。そして、彼女の妙な様子を気にしながらもお茶を口にすることで隠し、金色の瞳を真っ直ぐ向けているのは、毘沙門天の弟子、寅丸星であった。

 単に主従、とするにはナズーリンと星の関係は複雑であるが、それを抜きにすると長く関係を続けてきた二人は友人でもあり、鼠と元虎の妖怪という違いを気にしないくらいには仲がいい。

 だからこそ、胸に秘めておくべきかと思ったものを、ナズーリンは吐露したのだろう。

 

「先程まで宝塔と飛倉の破片探索の状況報告をしていたけれど、語っていない部分があったんだ。実は、その際に思ってもみない場面を見てしまってね」

「はぁ。確か、宝塔は全然駄目だったけれども博麗神社近くで破片は幾つか見つけた、と先ほどは言っていましたが」

「私が探索中に、空で轟音が響いたと思ったので観てみたんだよ。そうしたら、光線迸らせている、風見幽香が居てね……」

「風見幽香! 大丈夫だったのですか、ナズーリン!」

「まあ、私も目を付けられてはたまらないと思って隠れていたからね……しかし、おかしいと思ったのはそれからさ」

 

 行灯では不足しがちな明かりの中、ナズーリンは中身が半分ほど減った茶碗をちゃぶ台に置いて、上を見た。板張りの天井、節が独特の趣を演出する薄暗いそこに、彼女は鮮烈な光を思い出して目を閉じる。

そうして少し経ってから、ナズーリンは語りを続けた。

 

「彼女は、隣に居た星が接触する予定の魔界神の子、アリスを光によって術式破壊しつくされた先、恐らくは魔界に送ったのだろうね。見送ったと思ったら、その無茶苦茶な所業に怒ったのだろう八雲の式が現れて、交戦を始めたんだよ」

「弾幕ごっこで、ですよね?」

「勿論。噂で聞いていた通りに両者とも大したものだったよ。弾幕美は素晴らしいわ、避ける姿も華麗だわ。思わず私もつられてふらふらと、気づけば間近に寄って行ってしまったんだ。今考えると、気づかれていなかったのが不思議な距離までね」

「見つかって、下手に風見幽香の勘気を誘うようなことになっていたら大変でしたね。ナズーリンはよっぽど運、或いは普段の行いが良かったのでしょう」

「いや……あれは、分かって無視していたのかもしれないな。何だかその後もおかしかったし」

「おかしい、とは?」

 

 話に引き込まれたのか、星はその金と黒の独特な毛髪目立つ顔を知らず知らずのうちにナズーリンへと寄せている。

 端正なだけでなくどこか愛嬌のあるそんな顔が近づき過ぎているのを嫌ったのか、ナズーリンはそっぽを向いてから、話を続けた。

 

「いや、弾幕ごっこは風見幽香の勝利に終わり、丁度その時にアリスが現れた。私もこの耳だ。見て取れるほどであれば聞き取ることだって簡単なものさ。去っていく式と、その後のアリスと風見幽香の会話も残さず受け取れた」

「はぁ。何だか盗み聞きを自慢しているようですが、偶然、なのですから仕方ありませんか。ナズーリン。貴女はその会話の中で何か、おかしなことを知ってしまったと」

「その通りさ」

 

 演技のように、手を上げて天を仰いで、ナズーリンは大げさに息を吸ってから、吐く。そして、いかにも面倒といった様体で、続きを喋り始める。

 

「ふぅ。彼女らの話を統合するに、どうやら風見幽香は自らを変えていて、そしてそれを楽しんでいるらしい。アリスは、会話でそれを認めた、といった様だった」

「ええと……それがどうかしたのですか? 妖怪といえども多少変わるくらい、普通のことだと思うのですが」

「いや、あれは……何と言えばいいか分からないんだが、違うんだ。本当に彼女は風見幽香だったのだろうか。そう、思ってしまうくらいに、確かに彼女は伝聞と変わっている。まるで、普通の少女のようだった」

 

 あんな笑顔を見せる悪妖なんて、本当にあり得るのだろうか、とナズーリンは零した。

考えるために身を引きながら、星はどうにか最強最悪の妖怪とまで聞く風見幽香と、普通の少女を結び付けられる故を探す。やがて、一つ思いつき、自信なさげにその内容を伝えた。

 

「……ナズーリンが、風見幽香が友達との間にだけ見せる顔を垣間見た、という訳ではないのですか?」

「話の流れからしても違うだろうね。まるであれでは棘が抜かれた薔薇だよ。ただ美しいばかりの無害。それに最強は似合わない。頂点に険しさがなくなったら、挑むものも増えるだろう。下手をすれば幻想郷は荒れるね」

「考え過ぎとも思わなくはないですが……幻想郷最強、という彼女が腑抜けていれば抑えが効かなくなるのはあり得そうです。しかし……よく考えると異界、魔界にも出入りできる風見幽香が、現在は与し易い存在になっているということでもありますね」

 

 例外中の例外。風見幽香という妖怪は、現在出入り禁止となって入れなくなっている筈の異界へ自由に向かうことが出来た。

それは、結界なんて一枚の薄い防壁なんかで幽香の行動を止めようとしたら、容易く抜けられるどころか嫌がらせにその他周囲の結界、下手をすれば大結界に辛うじて修復可能な穴を開けたりなどしかねないから、なのだろう。

 だから、その性格から考えても、聖輦船と名付けた船によって、異界である魔界へ自分の恩人を助けに行こうとしている星達の計画の邪魔になりかねない存在として、幽香の名前が挙がったこともあった。

 しかし、もしも、ナズーリンの言の通りに、幽香が変わっていて、触れるに容易い存在となっていたとしたら。

 

「おやおや、ご主人。ひょっとして、良からぬことを考えてはいないだろうね?」

「失礼な。一石二鳥の良策ですよ。聖輦船の航路での安全の確保要員に、無理に飛倉の欠片を探さずとも聖の封印を解くことの出来そうな人物の勧誘。それを、ナズーリンに任せようと思います」

「それってつまり、風見幽香をこっち側に誘導しろ、ってことだよね……私じゃ無理だ。危険だよ。ご主人が近づけばいいんじゃないかい?」

「宝塔を失くした私には万が一の際の戦闘能力もありません。それに、私には無駄に格がありますから。下手に刺激してしまいかねないというのも問題です」

「それはそうかもしれないが…………はぁ。まあ、仕方ないか。ご主人じゃあとんでもない失敗をしそうだしね。まあ、あの様子なら大丈夫じゃないかな。明日、向かってみるよ」

「頼みましたよ、ナズーリン」

 

 気は乗らなくても、仮にも主人の頼み。別段、毘沙門天という強力な笠を着るようなタイミングでもない。仕方がないと、ナズーリンは認めた。まあ、殺されるようなことはあるまいと、楽観して。

 計画の成就が近づき、余程嬉しいのだろう満面の笑みの星に、ナズーリンは苦笑いで返し、そうして二人は同じタイミングで茶を味わった。

 

 それからは、ご主人の本当の望みを叶えるための話し合いに、移る。魔界にて封印されている聖白蓮という僧侶を復活させるという大事な計画に、穴がないか確認するためにも尽きぬ会話は酒も入らず夜を徹して行われたのだった。

 

 

「ふぁ……ちょっと、眠いか。妖怪とはいえ夜更かしし過ぎたかな。……おっと、着く前にお前たちにご飯をあげないと。ほら、分かっているだろうけれど、今日は奮発して干し肉だよ」

 

 空を飛んで風見邸へと向かうナズーリン。あくびをしながらのその道中にて、彼女が尻尾で持っていた籠の中からチューチューという声が聞こえた。

 それは、ナズーリンが使役している一般鼠の鳴き声である。それが、お腹を空かせた時のものであると解した彼女は、ポシェットから肉を与えて彼らを喜ばせた。

 ナズーリン本人はチーズが好みであるが、肉を食べ慣れた鼠たちはその赤みを選ぶ。偶にあげるのはいいけれど、調達が面倒なのが難だと、そう思いながら太陽の畑へと向かっているその時。

 

「お肉だ。美味しそう」

「ちょっと視線がおかしいな……君にはコレと鼠、どっちの肉がお好みなのかな?」

「私は新鮮な方が好きだわー」

 

 唐突に下方から夜がやって来たかと思いきや、それが晴れて現れたのは、暗い衣服に金髪、そしてリボンのようにつけられた赤い御札が特徴的な宵闇の妖怪、ルーミア。

 食に興味の多くを置いているルーミアは、小動物のものとはいえ美味しそうな食事風景を見て、触発されてしまったようだ。睨めつけるように見つめてくる赤い瞳を恐れて、鼠達はチュウと籠の奥へと引っ込んでいく。

 

「やれやれ、これから大事な用があるというのに、困ったものだ。時間をかけないためにもスペルカード、一枚でいいかな?」

「そうね。何事も早く終わる方がいいわ。鮮度がよくて血の滴るレアが最高だもの。怯えて惑う子鼠の肉なんて、きっと特別美味しいに違いないわ」

「弱肉強食の習いは知っているが、私はそこから解脱したところを目指していてね。この子たちは、そうそう餌にさせてあげないよ!」

 

 啖呵を切ってから、二人が始めるは青空で映える弾幕ごっこ。宙に広がる互いの表現を確かに認めているのか否か、ナズーリンとルーミアは大きく動いて円かな軌跡を描く。最中、景品の小さな鼠達は、怯えて揺れる籠の縁にてしがみつくのに必死だ。

 ルーミアが展開する弾幕は、相手に向けて細い光線と列成す薄緑の小玉弾を幾条も走らせて大きく避けさせた後、逃げた周囲に向かって今度はランダムに同形の小玉弾を打ち出すという、相手の動きを想定して形作られたオーソドックな代物。

 宙で踊るのが苦手な者は、光線に注意しすぎて弾幕との距離感すら掴めないまま、墜ちてしまうのが通常のことだろう。量が足りないが、逃げた先へ先へと光線を繰り返すその弾幕は、中々に避け辛い。

 

 そして、ナズーリンが創り出す弾幕は、そんなルーミアのものと比べると一味違うものだった。それは、横一列に、紫色の鱗弾を隙間もランダムに並べてから、相手に向かって殺到させるというただそれだけの代物。

 速さは確かに目を見張るものがある。前に後ろに広がっていくそれらは、まるで開闢というものを表現しているかのようで、中々に独特な美しさがあった。しかし、それだけであって、工夫もなく避けるのに難い部分は少ない。

 それなりに弾幕ごっこに慣れているルーミアは鼻歌混じりに避けつつ、光線を放つ。弾幕量の多さに比べて、相手に向かうものが少ない張りぼてのような弾幕を創り続けるナズーリンは、押され続け、やがて先に音を上げた。

 

「なるほど。この程度の弾幕は避けられるだけの腕はあるみたいだね。マスカットのような弾幕の広げ方も中々だ。名前も聞いていなかったけれど、君はそこらの妖怪よりは腕があるようだね」

「ふーん。私はルーミア。褒めてくれて嬉しいけれど、このままじゃ、あと半刻も保たずに貴女の子供は私のお腹の中よ?」

「私はナズーリンというよ。この子達に私と血の繋がりはないが、まあ大事な部下達さ。こういう時に守るのが上司の役目。言われずともルーミア、君を墜としてあげるよ……視符「高感度ナズーリンペンデュラム」!」

「私もいくわー、ナズーリン。夜符「ミッドナイトバード」!」

 

 そして、互いにカードを示し、そして二人の本当の実力はここでぶつかり合う。

 まず、二人の周囲に現れるものがあった。それは、ナズーリンの場合は胸元から取り出した青い菱型のペンデュラム四つ。それが大きくなって彼女の周囲を巡る。

 そしてルーミアの辺りに巻き起こったのは、太陽を食らうような真黒い闇。それは闇を操る彼女の能力によるもので、弾幕の発射の瞬間を見難くする効果があった。

 先にナズーリンはペンデュラムから青い針状弾を隙間なく生み出し並べて宙を区切る。その間にルーミアは、薄緑の小玉弾をこれでもかと言わんばかりに爆発的に広げた。

 あわや激突か。そう思われた瞬間に、二人の間にペンデュラムが割り込んで邪魔をした。黄緑色の大玉弾を続けながら、思わずルーミアは呟く。

 

「なによそれ。とっても硬いじゃない」

「探索のためではなく、弾幕ごっこ用の特別製さ。いくら激しくても、それから守ってしまえば凪と同じ。さあ、反撃だ!」

「きゃあ!」

 

 ルーミアの弾幕は、闇からぼんやりと出て行くその様もあって、急速な展開と空に広がる物量、共にその身の妖力から思えば非常に優れたものだった。真昼に浮かぶ、夜光の美しさは、違和感を超えて感慨深い。

 しかし、確かに避けるには難いそれらの光も、直線的で回りこむような動きさえなければ、受け止めるというだけで無力化出来てしまうもの。

 ナズーリンの弾幕は、珍しく防御に偏った性質をしている。相手を針弾で囲んで動きにくくさせ、そしてペンデュラムを盾にしながら、赤い大玉弾で仕留めるといったもの。

 勿論、ペンデュラムはただ周囲を巡っているだけのために、隙は幾らかあるのだが、ルーミアのものが一気呵成にそこを狙うような弾幕でないために、ナズーリンは定期的に集中すればそれでよかった。

 先に弾幕を張る手を緩めて、相手の弾幕の癖を把握していた甲斐があったというもの。いとも容易そうに避け続けるナズーリンの姿に、ルーミアは焦り出す。

 

「わっ……うーん、やられたー」

 

 そして、赤弾を避けて、逃げ惑うことに集中し始めたルーミアは、間近を通ったペンデュラムに態勢を崩し、針弾にその身を貫かれる結果となった。

 闇を散らし、金髪を振り乱しながら、ルーミアは天に見放されたかのように、地に引かれていく。

 しかし、墜ちていくルーミアを拾う手はない。が明確に自身の仲間を狙う敵であった――流石に鼠を食べるというのは振りであったのかもしれないが――ということもあるが、それ以上にナズーリンは疲れていた。

 

「ふぅ。まずまずの敵だったね」

 

 溜息を吐いてから、ナズーリンは先程の戦いを振り返る。性格上敵を作ること少なく、使命から弾幕ごっこで遊ぶことも少なかった少し前であっては、とても敵わないくらいに、濃い弾幕を相手は張っていた。

最近、主人の望みのために付き合わされている計画のメンバー達と弾幕ごっこの練習を繰り返していたために、急激に上がったごっこ遊びの腕のおかげで下せたが、初といってもいいくらいの実戦で、ナズーリンは消耗していることに気づく。

 もっと面倒な用事の前にせめて気を休めようと、普段から清潔にさせている鼠達を撫でながら、もう一息ついていたその時。

 

「……っ、誰だい?」

 

 どこからか、ぱちぱちという拍手の音が聞こえた。思わず周囲を見回すと、自分が向かおうとしていたその方角から、ふわりと飛びながら、手を叩いて笑んでいる少女の姿が認められる。

 ふわふわの緑髪に、赤チェックの衣服がよく似合う彼女は、それこそナズーリンの目的の人物だった。

 突然であったことと、面倒事が向こうからやってきたということもあって、ナズーリンは引きつったような表情のまま、少女を歓迎する。

 

「風見、幽香……」

「中々面白かったわ。ああいう弾幕も、確かにあり得ていいものね。あのくらいの防御だと私なら貫いてしまいかねないけれど、加減して隙間ばかりを狙うというのも楽しそう」

「褒めて頂けて実にありがたいね。特に最強と謳われる貴女にそう言われると、自信もつくというものさ」

 

 実際に、仲間内にしか褒められた試しのないナズーリンは、警戒しながらも少しばかり気を良くしていた。

 弾幕ごっこは自身の表現。それを良く受け止められたことが、嬉しいと思わない者は中々いないのだ。しかし、幽香にはナズーリンの顔にまで出ていた喜色が慢心を呼びかねないことが分かるのか、少しきつ目に釘を打つ。

 その釘に、もう一つ見抜いているというメッセージを載せて。

 

「ただ、あまり調子に乗るのは良くないかもしれないわね。あのくらいなら、霊夢や魔理沙なら軽く破ってしまえる。早苗でも楽でしょうね。せめて、もう一段難しくしなければ、異変を起こしても彼女たちの邪魔をすることすら出来ずに終わるでしょう」

「……貴女はどうして、私が異変を起こしたら、と仮定したのかな?」

「だって、私を利用するつもりなのでしょう? 私の力まで求めるようでは、それは大きなことをしたいと考えているだろうと思うのが自然よ。ねえ――毘沙門天の使いさん」

「っ!」

 

 幽香の口の端が一段と美しく持ち上がろうとする、その瞬間にナズーリンは脱兎の如く逃げ出そうとした。自分の目論見どころか、正体すら看破されている今、これ以上相手の攻撃範囲に居るのは悪手だ。

 何を思って察した部分を笑顔で吐露したのかは分からないが、自分が使用されようとしているのであれば、まず怒るのが普通。その微笑みの仮面の下で沸き起こっているだろう怒りに触れてしまわないためにも、ナズーリンは一目散に飛んだ。

 

「ちょっと、待ってくれないかしら」

「ぐっ」

 

 しかし、それが叶うことはない。突如として沸き起こった、後方からの圧倒的な重圧にその身を竦ませ、ナズーリンは宙を飛ぶことすら困難になってしまったのだから。

 それは妖気ですらない恐ろしい力の気配。神々しさすら感じ取れる過分な力を感じて、ナズーリンは息を詰まらせる。

 逆鱗に触れてしまったのかとナズーリンが恐る恐る振り返ると、そちらには笑みを湛えたままの幽香の姿が見て取れた。それが不思議で、ついつい彼女は思いを口に出してしまう。

 

「なんだい。君は、怒っていないのか?」

「別に、私は怒るどころか不快に思いすらしていないわ。子が頭に乗ろうと一々感じる牛はない。わざわざ小物を振り落として楽しむような気も、今はないわね」

「……それが、変わったというところなのかな?」

「畏れは私から人を遠ざけ、力は私に人を呼んだ。それがつまらなかったこともあるし、後は単純に趣味で、皆を不快にさせて楽しんでいたけれど。でも、その反対をしてみるのも意外と面白いと最近気づいたわ」

 

 優しくしてみるのも、今のところ悪くはなかった、と幽香は語る。そんな言葉を聞いて、ナズーリンは中々言葉を継ぐことが出来なかった。

 しかし、それを幽香は許さない。笑いながらもその奥にある強い意志を垣間見えさせながら、彼女はナズーリンに通告する。

 

「さあ、早く貴女達の企みを教えなさい。私が優しくしている間に、ね」

「分かった……」

 

 そして、折れたナズーリンの尻尾は落ちて、危うく籠の鼠たちまで落としてしまうところであった。

 

 

 場所は移って、そこは太陽の畑の側に立つログハウス。幽香の別荘にて会話は続けられていた。

 いや、会話といってもそれは主に一方からのもの。紅茶で口を湿らせながら、語っているのはナズーリン。それは、仔細を教えなければ自分達の必死が伝わらないだろうという考えから、熱の篭ったものであった。

 しかし、それを続ければ疲れるもの。昨日あまり眠れていなかったこともあり、一瞬うつらうつらとしたことを笑われながら、何とか最後まで温度を保ちながら、話を終える。

 

「……そういう訳で、私達は聖白蓮という封じられた僧を助けることに決めたんだ。その助けとして、風見幽香、貴女の力が欲しいと思ったんだよ」

 

 やがて、ナズーリンは余すことなく自分達の目論見全てを喋った。彼女が真剣な表情で語った全ては、笑顔で受け止める幽香にどれだけ通じたことだろう。きっと、変わらぬその表情が答えなのだ。

 沈黙がしばしの間、降りる。そのまま、幽香は掌の上に魔法で種を呼び出し、能力で操り急速に花にまで仕上げた。やがて、土もない中育ったのは可憐な一輪。

 黄昏時の夕暮れに、ピンク色の花が咲いた。手の中で創りあげたそれを遊ばせながら、幽香は黙して答えを待つナズーリンに向かって口を開く。

 

「分かったわ。その僧の救出、手伝いましょう」

「あ、ありがとう! これは百人力だ!」

 

 そして、幽香が投じたラバテラを、ナズーリンは確りと受け止めた。小さな花と鼠達を抱きしめ喜ぶ姿を見て、幽香は笑う。

 聞いてみた限り、個人としては聖に対して思い入れが薄そうである。これはつまり、ご主人という存在の助けになることがよっぽど嬉しいのだろうと、幽香は察した。

 そっちにも優しくしたら、どう反応するか、それを思って幽香の楽しみは増す。

 そして、喜びの最中、思えば悩む間も殆ど無く早かった回答に対して今更ナズーリンは疑問を覚え、それを素直に口に出した。

 

「ああ、そうだ。助けてくれる理由は何かな? 納得できる内容なら、他の仲間に説明がしやすくなるから、言ってくれるとありがたい」

「そうね。聞いている間に、私もその聖という僧に会ってみたくなったのよ」

「……妙なことはしないでおくれよ。無抵抗を貫いた結果とはいえ所詮は数の力に負けた魔女。力比べするまでもなく、君の方が強いというのは間違いないのだから」

 

 もし、助け出した後に、幽香と戦い結果殺されてしまったとしたら最悪だ。自分の物では弱かろうとも、打てる釘は打っておかなければならないとナズーリンは口を回す。

 勿論、幽香にそんな気はまるでない。何しろ、幽香は弾幕ごっこで、とはいえ件の聖が封印されている異界の主で魔界神、神綺ですら軽く捻った過去を持つ。

 神綺が許容出来る程度の封印をも破れない存在の力など、興味を惹く対象にはならなかった。だから、気になるのは別のこと。

 

「違うのよ。少し気になってね」

「何が、かな?」

「私が彼女に優しくしたら、どうなるか、ね」

 

 本当に、嵌っているのだね、と笑うナズーリン。それに対して、幽香は意味深に笑む。

 目を細めて、初めて見せるはどこかサディスティックな笑顔の形。それを見て、思わず、ナズーリンの表情は固くなる。本当に、優しくしているだけのコレを近くに置いていいものだろうか。今更そんな疑念が湧いて。

 外側は菩薩のようでも、中身は変わらぬ、加虐趣味。そんな相手を身内に入れてしまうのはどうだろう。目先のことに目が眩んで、大事なものを守るのに手薄でありはしないか。

 

「ふふ。妖怪の味方。それは私の味方にもなることが出来るのかしらね?」

 

 続けた幽香の言葉の内容が、そんな迷いを助長していた。

しかし、ふと緩んだ幽香の表情は、相変わらず優しげな代物で。邪なものが見当たらないくらいに無垢な少女に見えて。

 だから、悩ましげに耳を上下させながら一度の笑顔で創られた疑問が勘違いであればいいと、ナズーリンは思う。

 

 

 

 



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第八話 虎柄な毘沙門天に優しくしてみた

 

 

「なるほど、つまり幽香、貴女は封印を解けない、ではなく解かない。しかし、道中の安全確保はしてくれる、と」

「私の開封は何時だって力技。加減を損ねて下手をしたら中身ごと潰しかねないというのは拙いでしょう。だから、私に出来る残ったことはそれまでこの、聖輦船といったかしら? 兎に角この船の警護をしてあげるくらいね」

「十分ありがたいことですね。風見幽香直々の警護なんて、この世で最も頼もしいものではないでしょうか。これからはもう、賊も八雲紫の邪魔にも気にしないで済むようになります」

「元より紫が手を出すことはないと思うけれど。不思議な木片の捜索をこんな船で大々的に行っているから異変かと思うものも出るでしょうけれど、仔細把握しているのであれば別に慌てるようなことではないから」

 

 それにしても法力とは鬼の力に匹敵するほどに便利なものね、と口にしてから幽香は特殊な力の篭った木によって型取られた空間を流し見る。

 そう、幽香がこの船、と言ったように彼女が椅子に座しつつ乗っているものは聖輦船という特殊な船舶であった。

 海がない幻想郷。川湖があるために全く不要という訳ではないが、それでもやる気になれば弾幕ごっこを出来る程の大きさで、ましてや空を飛べるような船となると唯一に近いものだろう。

 今は空高く雲の影に隠してはいるが、最近は地底から間欠泉と共に飛び出した際に散った飛倉――聖輦船の元となった倉、聖輦船と同義――の破片という物を探すためによくよく動かしていたために、人里や山で聖輦船が目撃されることも多々あった。

 何故、そこまで目立つ真似をしたかというと。それは幾ばくかの飛倉の破片と、今は何処かへ失くしているらしいが、幽香の眼前にてにこやかにしている元虎の妖怪のものであるという毘沙門天の宝塔が揃えば、聖白蓮という僧の封印が円満に解けるから。

 だから、白蓮に恩ある妖怪たちは、焦って船を走らせたのだった。それを幻想郷の管理者、八雲紫に何時妨害されるか不安がりながら。

 

「ひょっとしたら、八雲紫は、聖復活が今の迷妄した幻想郷に必要なことである、ということを分かってくれているのでしょうか」

「さあ? でも、ここに在るなら出来るだけ、認めるでしょうね。紫は混沌を望んでいるから。ああそう。直接は関係ないけれど知っているかしら――カオスって言葉、元々は隙間という意味であったこと」

「……いえ、知りませんでした。しかし……それだけ重要そうな混沌という言葉に則るとすると……八雲紫は受け入れ現状を変え続けて……或いは何かを生み出そうとしている?」

「どうかしらね。まあ、紫はいくら策謀張り巡らしても、その答えが間違っていれば私が力尽くで正すことを知っているから。だからこそ余計慎重に容れてもいるのでしょう」

「何だかお二人の関係が分かってきたような気がしますね……」

 

 訳知り顔で、つらつらと核心に近いであろう言葉を述べる幽香を見ながら、寅丸星はその不明な八雲紫にすら明るい強力の持ち主をどこか頼もしく思った。

 力を恐れることなど、既に十分にしている。ならば、次は印象を変えてみる番だというように、今度は強く信頼してみたようだ。

 星は白木のテーブルに両手を載せながら、どこか親しげに笑んで、笑まずに何か考えている幽香のその冷え冷えと尖った表情を見つめていた。

 

「それにしても、幾らか手に入れているという飛倉の欠片、とやらはまだしも、毘沙門天の宝塔を失くしてしまっているのは痛いわね。失くした場所に心当たりはないのかしら?」

「ナズーリンの家から帰る途中で気づいた時にはもう無かったので、無縁塚の何処かに落としたのでしょうが……虱潰しに探しても見つからないということは、誰かに拾われたという可能性が高いですね」

「ふぅん……無縁塚にて拾い物をするような変わり者、ね」

「ひょっとして、心当たりがあるのですか?」

「十中八九、宝塔は香霖堂にあるのでしょう。そこには色々と面倒な店主が居るから私が出て行ってもいいけれど……」

「そこまで面倒をかけさせるつもりはありません。後でナズーリンを向かわせます……しかし、こんなに簡単に見当がつくとは。分からなければ人に聞く、という言葉の有り難みを痛感しますね」

 

 そして、失せ物の心当たりまで教えてもらえたとなれば、その心を疑うようなこともなく。優しくしてみているだけ、というナズーリンの報告を忘れ、知らず幽香をそのまま信じるようになっていた。

 どこかで誰かに聞いた言葉を脳裏でリフレインさせながら、鋭い犬歯秘められた口の端をにこやかに曲げる。

 そんな様子だから、他も聞いてみようと思ったのだろう。星は小さな客間から移動して、大切なアイテムである飛倉の破片が集まる倉庫代わりの一室へとまず案内し、そこで現状について色々と話し合おうと考えていた。

 先のことから、出来るなら収集の効率化のためにも幽香のその知恵を借りたいという部分もあるが、それは副次的なもの。どちらかと言うと、仲良くなった者と秘密を共有したいという気持ちの方が、強かったりもした。

 

「出来ることなら、飛倉の破片に関しても今のうちに幽香の意見を聞いておきたいですね。まずは、どんなものか知らないと判断に困るでしょうから、案内しましょう」

「実物を見せてくれるのかしら?」

「ええ。見てくれはただの木片ですが、投げ出すとしばらく宙に浮き、妖精等が掴んだら挙動をおかしくさせてしまう程の法力が篭っているものです」

「それが、聖輦船が地底から間欠泉に乗って地上に出た時に欠けて飛び、挙句妖精たちに持ち去られて散り散りになってしまったと? それは少しおかしいわね」

「何がですか?」

「ただの浮かぶ木片。それが、妖精の気を確実に惹くようなものかと言うと、疑問ではない?」

「それは、確かに……」

「しかし、現に殆ど全てが持ち去られた。ひょっとすると、飛倉の破片の精査をする必要があるかもしれないわね」

 

 そして、道中の考察にて幽香が鋭いものを見せたことで、星は自分の判断を正しいものと確信する。彼女の注意力は非常に優れていて、それがこれからも有益に働くであろうことは間違いない。

 だから、ナズーリンが迷い、他の皆が反対していた、幽香を仲間に引き入れるということを強行したことを星は誇る気にすらなり始めている。

 故に、元の種族柄小さな足音も更に軽くなった。きっと尻尾があれば、気分よく立ち上がって揺れたことだろう。

 

「ふぅ……仲が良さそうでいいこと」

 

 天風が外で轟く中、しかし倉庫へと降りる中で丈夫な船体に守られて二人の会話は邪魔されることなくよく響いていた。それはもう、向かう方に居る者にまで楽々届くくらいには。

 そして、幽香と星の会話を耳に入れた、破片を守る入道使い雲居一輪は、眉をひそめて溜息を吐く。しかし、噂に聞く悪妖を歓迎出来ない心を表に出さないまま、降りてきた二人の姿を認めて、声をかけた。

 

「星、新人さんをこんな場所まで案内して本当に大丈夫? そして、初めまして、かな。私は雲居一輪。聖輦船に来る前に周囲を守っている姿を見たでしょうけれど、私はあの入道、雲山を操る妖怪よ。よろしく」

「あの、頑固そうに見えて付き合いは良さそうな入道の主が貴女なのね。知っているでしょうけれど、私は風見幽香。花を操ることが得意な妖怪よ」

「やれやれ、本当にただの花妖怪なら下っ端として扱えて良かったのだけれど……まあ、大恩に報いるためには、良し悪しなんて言っていられないのは確か。もっとも、猫の手も借りたい状況、最強の手を借りられたというのは心強くはあるかな」

 

 相対し、それはそれは、美しい笑みを形作る幽香を見ても、しかし一輪の心は動かない。彼女には、妖怪を迫害する人間以上に、妖怪人間構わず対せば虐める幽香が異常であるという考えがあった。

 平等すぎて気味が悪い。少し優しくしてみていると聞いても、その程度で一輪の認識を雪ぐようなことはなかった。むしろ、気軽に態度を変えられる幽香に不信が強まる結果となっている。

 だが、わざわざ横で仲間が友好を深めるような様子を眺めて喜んでいる星と、よく分からない風見幽香という妖怪の機嫌を損ねることもないだろうと、一輪は退いて二人に倉庫への道を示した。

 

「それで、飛倉の破片を検証するって言っていたわね。残さず倉庫に保管してあるわ。貴女達がそちらへ向かうのならば、私は外へ向かいましょうか。雲山も長く一人にしていると可哀想だし」

「哨戒お願いしますね。……それでは幽香、行きましょうか」

「分かったわ。ああ……そういえば一輪。一つ言い忘れていたわ」

「何?」

 

 去っていく前の言葉と気を抜いた、その途端に一輪は自分を底まで見据えた赤い瞳を認める。耐え切れず、彼女は身体をぶるりと震わせた。

 それが止まらないことに驚き、幽香を見る目は思わず少しずつ逸れていく。

 

「ふふ。そんなに気を張って、恐れなくても大丈夫。不明に怯えるのは、人間だけでいいと思わない?」

「……そうね」

 

 微笑む幽香と、その言葉を外敵に対するものと誤認した星を見送りながら、強く自分の腕を抓って震えを抑え一輪は思う。

 風見幽香という妖怪を自分が恐れていたのは間違いない。しかし、言われるまで分からなかったそれが表に出ていたとも思えなかった。

 自分でも手が届かなかった心の深みを見抜いたあの瞳。それは悟り妖怪のあの大きな目よりも尚印象深く。アレを忘れるまでしばらく一人になることは出来ないな、と一輪は雲山の元へと硬直していた足を動かし向かい始めた。

 

 

「まだ少ないですが、この小山になっている木々が飛倉の破片ですね。これから法力を取り出すのですが、封印を確実に解くには、倍は欲しいところです」

 

 船の底の方、船尾の辺りにある倉庫の中にて、寅丸星は木屑の山を示してそう語る。

 力に敏感な幽香は、周囲の法力と元は同じであるが少し異なる力をその木片から感じ取って、なるほどと納得した。聖輦船の木材に篭められた法力は強すぎて加工に難い。

しかし、劣化し自然と離れたものならば、星のような妖怪であってもその力を抜き取ることが可能であるのだろう。だから、彼女たちはわざわざ破片を集めている。

 

「質が落ちるほうが、自由にし易い、というのは面白いわね。一つ、手にとっていいかしら?」

「ええ。勿論どうぞ」

「……なるほど、ね」

 

 そして、幽香は破片が妖精たちの気を惹いたからくりをひと目で看破した。見知った正体に疑問符をつけようとする何か。それを見つけて彼女は睨む。

 そんな真紅の強い眼光を恐れたのか、破片から現れ途端に逃げ出そうとする蛇を、幽香は慌てず掴んで捕まえた。

 

「な、何ですか、その蛇は! うわっ、他の破片からも次々と湧いてきました!」

「私にも分からないわ。ふふっ、でも外に散った破片にもコレが付いているのだとしたら……」

「あ、くっ、速い。しかも形態が変わる? ううっ、四・五匹しか捕まえられませんでしたー!」

 

 元、とはいえ虎の妖怪らしく、俊敏に動きまわり突如として現れ逃げる獲物を追いかけた星であったが、無闇に殺生する訳にもいかなかった彼女に捕まえられたのは数える程。

 そして、考え事をして動かなかった幽香が掴んでいるのは一匹。これだけでは、未知を既知にするだけのサンプルとしては少なすぎると星は思う。

 しかし幽香は、今度は持つその手に疑問符をつけ始めた謎の物体を、そういうものと認めて利用することを思いつく。手放してから、彼女は星に告げる。

 

「星。もうそれは離していいわよ。全部逃がしてしまって構わない」

「そうですか? 分かりました。……確かにこうして握りしめていたずらに苦しめるのも心苦しいですしね」

「それは生き物ではないとは思うのだけれど。でも、まあそんな心構えも嫌いではないわ。そう、ただ掴んでいるだけでは意味がない。利用するには動かないと」

「何のことですか?」

「ふふ」

 

 幽香は疑問に答えず、笑う。そして、ウェーブかかった緑を軽く流して、細めた目を、その奥の赤が見えなくなるまで更に狭めた。

 訳がわからないままに、首を傾げる星は、しかし悪感情を持つことはない。もう既に、全面的に幽香を信じてしまっているから。

 

「ナズーリンには悪いけれど、彼女にはやってもらうことが増えたわね。まず、先に言付けを伝えて貰うわ」

「はぁ……」

 

 そして、幽香は星を惑わせたままに、事態を先へと進める。すぐそこにあったのは、スタートボタン。躊躇いなく、彼女はそれを押す。

 悪計等、知らなくていい。分からないまま成就させて喜ばすのが、幽香なりの優しさだ。

 そう、幽香以外の誰知らず、ここから、異変は始まるのだった。

 

 

 地に落ちた桜の花びらを境内から片付けるために、ゆっくりと箒持つ手を動かす少女が一人。桜色を作るためにパレットへ乗せた絵の具のような、鮮烈な赤と白の衣服を纏う彼女は博麗霊夢。

 霊夢は名前の通りにここ博麗神社の巫女をしている少女である。主に異変解決妖怪退治を生業としている霊夢であったが、平時の今は暇を潰すための掃除をしながら、友人と会話をするのに明け暮れていた。

 しかし、その内容は年頃の少女がするようなものとはいえない。

 

「宝船、ねぇ……」

「なんだ、お前は見たことないのか? 最近そこら中で話題になってるぜ。でっかい船が空を飛んでいるって」

「何、空飛ぶ船っていうだけじゃあ宝船かどうかなんて分からないじゃない。大きく帆に宝、って書いてあるならそうだと分かるけれど」

 

 そして、最早腐れ縁とでも言うくらいに馴染んだその友は、霧雨魔理沙。一番に幽香に優しくされた、被害者の彼女である。

 しかし、日にち経ち、気を取り戻して長い今。魔理沙は話題の宝船に夢中だった。普段から箒持ちながらも霊夢の手伝いをする素振りなど欠片も見せず、まるでタクトのように箒を振り回しながら、彼女は力説を続ける。

 

「なんだ。物欲は人並みにある癖して、お前には浪漫ってものがないな。一攫千金にメアリー・セレスト号の謎の答えに匹敵するような値打ちが手を伸ばした先にあるかもしれないんだぞ。飛びつくのが普通じゃないか?」

「情報に信ぴょう性があるのならね。見たこともない幽霊船を追うほど、私は馬鹿じゃないわ」

「いや……どうも、確かにそれはあるみたいだぞ?」

「何、雲を指差して……って、もしかしてアレが?」

 

 そして、その時偶々、出来た雲の切れ間から、船の胴体部分が見て取れた。指し示した魔理沙は知らないが、それは聖輦船であり、勿論宝など何一つ載せてはいない。

 しかし、金銭欲に濡れた瞳で見ればどうだろう。空船の奥に宝物が覗けてしまうもの。ましてや、先程までそこに宝の有無を話していたばかり。

 最早霊夢には聖輦船が、宝船にしか思えなかった。

 

「驚いた、確かに何処となく宝船にも見えるような……追いましょう、魔理沙!」

「ちょっと待った」

 

 だから、霊夢は箒を投げ捨て直ぐに追いかけようとしたが、魔理沙が袖を引いてその動きを止める。

 霊夢が驚き、振り返った先で、魔理沙は反対の手で魔女帽のつばを下ろして顔を隠していた。それを不思議に思って霊夢は尋ねる。

 

「どうしたの? まさか、私に宝を先取りされるのを恐れたんじゃないでしょうね」

「いや、聞き回った中に、七福神のどれかっぽい奴と……幽香が乗り込んだのを見たっていう目撃情報があったんだよ」

「七福神って……本物らしさが増してきたじゃない。でも、幽香、ですって?」

 

 嬉々として飛ぼうとしていた霊夢を留めた言葉。それは幽香の二文字。それを聞いた途端に、彼女は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 どうも、霊夢は幽香が余程嫌いか苦手であるようだ。それもそのはず、自身を幾度も墜とした相手に苦手意識を持たない筈がなかった。

 

「ああ。行ったところであの風見幽香が待ち構えているかもしれないぞ。幾ら霊夢でも、そんな軽装でアイツに勝てるか?」

「そうね。最低でも陰陽玉をあと二つと、御札をもっと持って行かないといけないわね……」

 

 霊夢にとって初めての敗北。それも随分昔のこと。様々な面で上達した今、勝者幽香とやりあえばどうなるかは分からない。或いは勝てるかも、と思わないでもなかった。

 しかし、それでも少量の御札と針に、奥の手である陰陽玉を手薄にしたままで打倒する自信はないのだろう。霊夢は装備を整えに、神社の奥へと向かおうとした。

 

「あ、霊夢さんに魔理沙さん! お二人共々丁度一緒に居て、助かりました!」

「おっ、早苗か」

「何、急にどうしたのよ。あんたもあの船を追いかけているクチ?」

 

 その時。大きな風音と共に現れたのは、霊夢の商売敵たる妖怪の山の巫女、東風谷早苗だった。何やら、彼女は随分と急いだ様である。

 風に乱れた長髪を手櫛で整えながら、早苗は何事かと近寄る霊夢達へ、言葉を継ぐ。その内容は、彼女達が驚く代物だった。

 

「いいえ。違います。幽香さんから二人へ言付けです! 急がば回れ、鍵は妖精が持っている、と」

「は? なんだそりゃ。鍵って……ひょっとして、宝物庫に何か仕掛けでもしてあるってことか? そういえば、最近妙な動きをする妖精を見かけたな……」

「そんなことより、何で早苗が幽香のメッセンジャーなんてやっているのよ! 何、ひょっとして守矢神社はあいつに屈したとでもいうの?」

「いえ、個人的に友誼を結ばせて貰っているのですが……」

「幽香の、友人? あんた何言っているの?」

「いや、嘘か誠か、私もそうだと言われたんだが……」

「はぁ?」

 

 場は、大混乱。変わった幽香の姿を見ていない霊夢は、他人を容れる幽香なんて信じられないし、認めることなんて出来やしない。

 しかし、二人が嘘を言っていないという無駄に鋭い勘がこの度も働いてしまい、霊夢は戸惑うのだった。

 

「ちょっと待った。何かおかしいわ。回りくどい質じゃないと思っていたけれど、アイツ何か悪巧みしていたの? あんたたちを利用して……うーん、何だか違う気もするけれど」

「そうですよ。幽香さんは意地悪ですけれど、悪いことを考えるような人じゃありませんよ!」

「いや……流石にアイツは悪いことを考えるような奴だと思うが……」

「魔理沙さんまで!」

 

 早苗は、友のために義憤に燃える。本気のそれが、魔理沙にとってはおかしく、霊夢に至っては不気味にすら見えた。

 明らかに、早苗の中の幽香は霊夢の知っている悪妖ではない。かといって、幽香がそうまで変わったことなど、想像できる筈もなく。ならば、騙されていると考えるのが自然なことで。

 霊夢はこんな面倒を起こした相手を悪しざまにすら思う。

 

「この混乱の元凶。早苗が誑かされているのは間違いないみたいね」

「霊夢さん……分かりました」

 

 別に、霊夢は早苗に対して思うところはない。強いていうならば、あんなのに操られていて可哀想と思うくらいだ。

 しかし、正すためにも仕方なく、霊夢は早苗に向けてお祓い棒を突きつけるのだった。

 

 

 桜色を足元に敷いて、赤と青、霊夢と早苗は向かい合う。二人の様子は奇しくも対照的である。方や物思いに沈み、方や強い感情を表に出し。

 霊夢は柳に風と早苗の怒りを受け流しているが、しかし何か引っかかるものがあるようで観察するように相手を見つめていた。

 

「それで、本当にお前らスペルカード使わないんだな?」

「ええ。これは準備運動みたいなものだし」

「むっ。知りませんよ、後悔したって……行きます!」

 

 そうして早苗の言葉から始まったのは、四角く茶色い蛇の背中の模様の様な弾が真っ直ぐ進む、その周囲を蛇のようにうねる白い弾幕が埋め尽くす、そんな光景。

 空は一気に色を帯び、一帯は音にまみれて、静けさは消えた。騒々しい周りの中で、霊夢は眉根を寄せて、弾幕に相対していく。

 怒涛のように襲いかかる蛇は、くねくねと動いて避ける場所をランダムに失わせる。そして、高いスピードで直進してくる蛇の鱗もまた、邪魔だ。蛇の真っ直ぐな丸呑み口と、その身の湾曲さ。その両方を併せて髣髴とさせるこの弾幕は非常に嫌らしい。

 速さの違う二種類は、真っ当な回避を否定する。隙間の少ない中で、自分を目掛けてくる大量。横に避けて回らなければ、避けるスペースを作ることは難しい。

 

「まあ、こんなものよね」

「くっ、やっぱり当たらない!」

 

 しかし、霊夢はそんなまどろっこしい真似などしなかった。真っ向から、相手を破る。それは正々堂々を好むから、等ではない。ただ、無駄に動くのが面倒であるから。

 だが、それを続けて霊夢は回避を上達したのだ。そして、今や少女は回避を殆ど極めていた。ふわりふわりと全てをすり抜けて行く彼女は、幽香のそれとも違って無理を削り切った華美のない自然なものである。

 

 そして、斜めに動いて蛇を袖に当てないように気を付けながら、思い出したかのように、霊夢も弾幕を放つ。

 まず、周囲に浮かべた陰陽玉から霊弾が弧を描きながら飛んでいき、霊夢が投じる御札はそれと違って直線を描いて飛んで行く。そしてそれらは寸部違わず相手の元へと届き、付近で爆発する。

 青と紅色の交差美しいが、ただそれだけの単純な弾幕。だが、そうであるが故に、避けるのは至難だ。その命中精度から、直撃しなくともダメージはかかり、次第に早苗の耳に散華の音も遠くに響くようになる。

 前よりも随分と頑張っているな、と霊夢は思ったが、しかし早苗が墜ちるのは、早かった。

 

「くっ……神奈子様、諏訪子様。幽香、さん」

「よっ、と。ぷあっ」

 

 そうして、早苗が重力に負けて地に頭を打ち付ける前に、流星がその身を攫う。観ていてタイミングを測っていた魔理沙だったが、少し高度にミスがあったのか、助け上げるところに桜の花があり、視界が一時桜色で覆われることとなった。

 何とか地に降りて、早苗を降ろしたが、黒い帽子にも三つ編みにも花びらが絡まってしまい、魔理沙はしばらく身体を叩くはめになる。

 そんな少し滑稽な姿を白い目で認めながら、ゆるりと霊夢も無傷なまま降りた。そして、少し考える様子を見せたために、魔理沙は彼女に話しかける。

 

「それで、どうする霊夢?」

「……あいつの言うことを聞くのは癪だけれど、いざお宝というところで鍵がない、となったら困るから、あんたが言っていたちょっとそこら辺のおかしな妖精とやらを探ってみるわ」

「ま、それが懸命だな。幽香が待ち構えているとなると、私ら以外に突破出来るのなんて居ないだろうし、それこそ急がば回れだな」

 

 二人で早苗を神社の奥へと寝かしに向かいながら、霊夢と魔理沙は、そう結論付けた。

 おかしな妖精から手に入るものが、何者かに植えられた正体不明の種により未確認飛行物体に見えてしまう、飛倉の破片であることを知らずに、二人はそれを宝物庫の鍵と信じて集め。

 そして、それが聖白蓮を封印から解くための鍵であることを後に知り、酷くがっかりすることとなるのだが、そんなことは霊夢も魔理沙も知る由もなく。

 ただ、この後二人は別々に青空へと往くのだった。

 

 

 

 



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第九話 魔法使いの尼さんに優しくしてみた

 

 

 高く、そして常の青から色変わった空の上。濃い赤色にその身を踊らせ、その身の二色の内白色をよく浮かび上がらせているのは、博麗霊夢。

 移動中の聖輦船に乗り込んだことで知らず知らずの内に魔界まで連れて来られてしまった霊夢は、やっとこの事態がただの宝探しではなく異変に相当するのではと気づき、その瞳に真剣さを湛えた。

 そして、様々に魔的な要素を含んだ異界の空気を嫌いながらも、全くそれに染まることなく霊夢は宙にて幽香と相対する。色濃い琥珀のように澄んだ色の目は、幽香の紅に広がらんとするその膨大な魔力を綺麗に映していた。

 相変わらず力では逆立ちしても敵わないわね、と思いながらも現在行なっている弾幕ごっこでは自ずと発揮される力は限られているがために、どこか霊夢には余裕すらある。

 そう、幽香の弾幕を花弁の一枚一枚すらも瞳の茶色に容れながら、しかし霊夢は惹かれることなく空を往く。宙に白点で模様を付ける、そんな美麗の隙間を通えるのは、幽香が全てを光で埋めないがため。

 もっとも、幾ら出来るとしても、全てを力で埋めてしまうような無聊な弾幕なぞ、幽香が好くはずもない。光線も、避けられるよう一方向へと発するのが、彼女から始めた慣わしとなっている。

 

「あいつらも、よくやるもんだな」

 

 真っ先に幽香と戦って、健闘はしたがこの場の誰より早くに墜ちた魔理沙は、甲板にその身を預けながら、そうぼやく。

 そう、共にスペルカードを見せ付けることもなく、ただ弾幕を美しく広げる事を競い合い。そして、展開された自由な心象が描く気ままな色を受け取りながらも、掠りもせずに、両者はただ空にある。

 どちらが、より飛べるか。それを比べあっているかのように、力の充満する空間にて、花も紅白も墜ちはしない。

 少女が空にあるという不自然。それが、こうまで変わらなければむしろ今まで空に少女がなかったことこそ不自然であったかのような気すらしてしまう。

 

「もっと激しい動きがあってもいいと思うが……あいつらがやると、綺麗ではあるが、そういった面白みには欠けることになるんだよなあ」

 

 玄人好みっていうのかねえ、と続けて魔理沙は晴れ渡る赤空を物珍しげに見回す。前回来たときは、忙しすぎてこうしてゆっくりと所変われば色変わる、そんな奇妙な天を見上げることすらなかったと、そう思い出して。

 そしてその時にも、異変解決へと向かった霊夢に先んじて、責任者たる魔界神、神綺を幽香が倒してしまい、一悶着起きていたこともついでに想起する。

 その際勃発した弾幕ごっこでの忘れられない結果もまた記憶から掘り起こし、今の空にそれを映して、魔理沙は笑った。

 

「はっ、こうやって比べあうのもあの時と同じ、か。どうなるか分からないが、今回は私の憂さを晴らしてもらうためにも霊夢には頑張ってもらいたいもんだ」

 

 そう言って、今回魔理沙は親友の力を信じる。最強でなくても、ただ空を飛ぶためのものでしかなくても。それが比類ないものであると、彼女は知っているから。

 だから、最強と無敵の力比べを、きっとこの場で誰よりも楽しみに、魔理沙は口の端歪めて笑窪を深くした。

 

 

「面倒ね。早く当たって墜ちなさいよ。勘だけど、どうせあんたで最後じゃないんでしょ?」

「私の仲間は先に倒された星で終わりね。この船が向かう先には一人、私達が封印を解くのを待っているのが居るけれども」

「封印ねえ。あんたが弾幕ごっこ勝者の報酬にコレを求め始めた辺りからおかしいと思っていたのよ。私が集めたこの鍵……UFOの形なのはよく分かんないけれど、これってひょっとしなくてもそっちの開放に使うものなの?」

「ご名答。ちなみに、この船の宝物庫の錠前には骨董品の南都錠が使われていたわよ?」

「なんで宝船の鍵を妖精が持っているのか、向こうからその入手方法を教えて来たのはどうしてか、なんて考えてはいたけれど……全く、とんだ骨折り損のくたびれ儲けねっ!」

「ふふ」

 

 互いが遠慮なく発することで、空を行き交う弾は、不可避の終幕と成す。本来ならば遊びの時間切れと、弾に紛れてどちらかが墜ちる姿が望めるはずであるが、しかし宙の二人は決してそれを認めることはない。

 量が増しに増して、狂気すら思わせるほど執拗く空に描き込まれた赤青白で出来た模様は、リズムよく爆散の音色を響かせながらも、途絶えることなく一帯を賑わし続ける。

 霊夢が怒り意気込んでみても既にその気持ちすら呑み込まれる程に場は白熱していて、途方も無い力の総量を受け止めきれない赤天はその色をマーブル模様に歪めて全体を更に魅せていた。

 

 霊夢は、博麗の巫女としての力だけでなく、空を飛ぶ能力を持っている。一見単純に思えるその力はしかし、誰もが持てるようなものではない。

 空を飛ぶということの本質は、全てから距離を取ることが出来るということ。それが得意な霊夢はどんなに激しい弾幕の最中であっても、空間さえあればそこにて飛ぶことが可能だった。

 勿論、余程の集中が成されていなければ、力に振り回されるのがオチではあるが、今の霊夢は口を動かそうともその実専心している。だから、彼女が先に墜ちることなど、考えられないことだった。

 翻って幽香が回避に特別なものを持っているかと言えば、それはない。確かに力に関しては誰よりも優れている。回避力も、その延長として幻想郷でも最高のものを持っているだろう。

 だがそれが能力と口に出せるほど昇華されているかといえば、疑問だった。あくまで、幽香は常識の範囲内で弾幕を掻い潜っている。今も幽雅に舞って見せながらも、身体に霊弾を掠らせ服に傷を作り続けていた。

 しかし、笑ってそんな不利を受け入れ続ける幽香が容易に墜ちることはない。最低でも、霊夢にはそんな無様が想像できなかった。だから、つい焦れた彼女はスペルカードを先に切ってしまう。

 

「しぶといわね……次のために取っておきたかったんだけれど、仕方がないか。行くわよ。夢符「退魔符乱舞」!」

 

 霊夢が弾幕を止ませないままに作り出したのは、相手にとっての悪夢だろうか。それは宙に舞う、御札の乱れ打ち。幻想的に高められた霊力は、弾たる御札に纏わりつきその全体を大きく見せて。

 そして、空中を直線で縫い込むかのように並べられたその列は青く、正しく怒涛のごとくに花を蹴散らし僅かな間断を作りながら襲い来る。その速さ、銃弾の如く。瞬く間に視界は青い力に染まった。

 

「術が無ければ抜けられない速度と密度の弾幕ね。しかし、私には対応する方法があるからそれも許される。隙間がないなら、創って見せましょう。幻想「花鳥風月、嘯風弄月」」

 

 直線に応じるは、花の曲線。赤黄の二色を交じらせながら周囲に広く放って、幽香はまず退魔符の前弾を相殺した。

 そして出来た横の隙間に入り、動いて射線を誘導しながら幽香は空に花を咲かせる。それは、弾幕で出来たものであるが、広げた結果が花の形状となる、それこそ花火に似通う黄色い針状弾。

 広がる花弁の切っ先は、霊夢に届くことすらなくその魔力を御札によって絶たれた。そして、返す刀で向かってくる青の津波を大きく周ることで回避しながら、次に幽香は中玉弾を大量に発する。

 それは、花の広がり、生命の展開を美しく表したものか。幽香は円を六方向に広げて周る。その大量に、霊夢は多少驚くが、冷静にそれ以上の退魔符を向かわせることで対処に成功した。

 

 花という明確なテーマは、乱雑さまでも受け入れた霊夢の、スペルカードで提示された弾幕によって踏み散らかされる。

 ぶつけ合わせて消失させることでしか回避の方法がない、速さと量が備わった弾幕に対して、幽香の必殺技は驚くほどに無力だ。自然の表現は、盾の役割にしかならない。

 舞い散り、逃げ続ける幽香に向けて御札を投じながら、霊夢は笑みを溢した。

 

「耐久型のスペルカードを切ってきた意味がよく分からないけど、今回は、勝てそうね。三つ目の星は、私が頂くわ」

「ふふ……真っ黒焦げのものがいいなら、たっぷりとどうぞ」

「ふん。その余裕な態度、何時まで続くものかしらね!」

 

 初めての白星を欲する霊夢は、黒星を送ってあげるという幽香の余裕ある態度に怒りを見せる。

 苦戦はしたが、もはやあの時の経験薄い自分ではない。ならば、この強敵ぶった相手であっても今や敵ではないのだ。霊夢はそう自分に言い聞かせながら、しかし攻め手は決して緩めずにそのまま前進して、詰めたその距離を多量の弾幕で埋める。

 花は散り散りに乱されて。辺りには花弁が舞うばかり。その力の残り香すらも容れて動く霊夢には、なるほど全く隙というものがなかった。

 

「……全てから距離を取れるということは、翻してみるとそれは全てに通じているということ。意識なくして無視することはあり得ない。既知の脅威全てを認めて避けた結果、無敵と浮いているだけ。貴女が持っているのはその程度の能力よ」

 

 しかし、幽香は語る。こと弾幕ごっこにおいては無敵であるはずのその能力を、その程度でしかないものと断じて。そして、彼女は霊夢の脇で札に霊力を送る玉の陰陽の形を意識する。

 白黒合わせた陰陽玉、それは森羅万象変転を認めた図式。それを平然と受け入れ使う博麗霊夢もまた、自然と同じ。

 美醜全てを受け入れるからこそ敵はない。自然の美の体現で敵を作ってばかりだった頃の幽香と比べてみるとその異形さがよく分かるだろう。常ならば、美しさに顔を逸し、醜さに目を瞑るものだ。

 俗人では届かない境地に少女は浮かんでいた。それは、博麗の巫女として妖怪退治に人妖監視等の方針こそあろうとも、その実内心では全てを認めている彼女の性根に根ざしている。

 死闘を繰り広げた敵対者ですら異変が終わればどうでもいいと認めてしまうような、そんな心などそうあるものではない。

 誰にも寄らず離れず。そんな有り体は弾幕ごっこという心象を打ち上げ魅せつける遊びにおいても発揮され、どんなものにも霊夢は惹かれず当たることはない。

 

 だがしかし。そんな霊夢も人の子である。であるからには、弱点がない筈もなかった。たとえば、面制圧でもされてしまえば、流石の回避も無駄になるだろう。迷路のように創られた弾幕も、苦手に違いない。

 そして、それだけでなく。こんな虚もまた、霊夢は不得意としていた。

 

「つまり、識っていなければ距離を離せない。計算外――そこが能力の穴」

「なっ!」

 

 薔薇には棘がある。だから、花弁ごと散らかしてしまえば、その中に鋭いものが紛れてしまうのだ。そんな未知に触れることなど、想像の外だ。

 そう、散華した筈の花の破片の力に身を掠めて変化し、更には御札のあるかないかの隙間を弾かれながら進み、突如として目前へと向かって来た恐るべき白い花弾。そんな予想も出来ないものまで、霊夢が避けることは出来なかった。

 勿論、そんな跳弾は偶然ではあり得ない。しかし、大妖怪の計算なんて、人の身に判るものではなかった。だから、紅白の身は直撃に傾いで、墜ちる。

 

「試しにナズーリンと少し遊んでいたのが功を奏した形になったわね。隙間を縫う方法、予習しておいて良かったわ」

「くっ、幽香……」

 

 しかし、霊夢のその身体はそのままよく分からない様子の魔界の大地に接することはない。何しろ、命中を確認してから速度を上げて飛翔した幽香が受け止め助け上げたのだから。

 悔しげに歪んだ霊夢の眉根をにこやかに認めてから、幽香はそっとその小さな身体を聖輦船のデッキへと降ろす。

 ぎし、と板床を踏みしめ足元が確かになったことを感じてから、霊夢は思い出したようにおかしなことに気付いた。

 

「墜ちる相手なんて何時もみたいに放っておけば良かったじゃない。あんた、どうして私を拾ったの?」

「貴女はどうだか知らないけれど、あれだけ弾幕を交じらせたら、相手に尊敬の念が湧くもの。貴女が地べたに頭を擦らす姿なんて、見たくないと思ったのよ」

「嘘ね」

 

 さらりと伝えた幽香の優しめな言葉を、霊夢はあっさりと否定する。そうして、極めて不快だと、彼女は表情を険しくした。

 

「私の位置からなら、ひと目で分かる。あんた、本気じゃないわね?」

「……なるほど。何も欲していない冷静な視点から見ると、分かってしまうものなのね。確かに、私は貴女に優しくしてみようとしていた。興味のためにね」

 

 擬態という訳でもないが、優しくし始めてから度々被っている笑顔の仮面を看破されたのは初めてのことで、幽香はとても面白げに表情を歪める。

 それが、先までの気持ち悪いくらいに整ったものと違い、悪どく似合ったものであるものであったことを受け、霊夢はようやく少しばかり眉根を降ろした。

 

「早苗にもこうして接したのね……あんたがやっているのは、たちの悪い誑かしじゃない。無闇にそれをやられたら面倒だわ」

「これは最近の楽しみだから、止めるというのは難しいわね」

「はぁ……」

 

 霊夢は幽香の貫き通す意志の強さを認めてから、溜息を吐く。言うように、これは敗者の言で止まるようなものではないだろう。

 元より人の話を聞かない相手。それが少し変わろうと、大きく違えるようなこともなく。柳に風と受け流す相手を、苦々しく思う他にない。

 

「ことが大きくなったら。異変として、次は本気であんたを倒すわよ?」

「ふふ。楽しみにしているわ」

 

 だから次はと、負け惜しみなどではなく、確かな勝利の方策を持って霊夢はそう口にした。ふよふよと周囲に浮いている陰陽玉が、応じるように彼女の真横に整列する。

 そんな考えを理解した上で、幽香は楽しみに笑う。その様子に、自身の負けなど全く予知していないことが透けて見えて、霊夢は口を尖らす。

 

「で、これが欲しいのなら仕方ない、あげるわ。でも、封印から出てきた奴が邪悪な存在だったら私が問答無用に退治するからね」

「ふふ。ありがとう。聞くからに、彼女は優しい人物らしいから、その用心の必要はないと思うわよ?」

 

 微笑み、幽香は霊夢が背負い結わえていた紅い風呂敷包みから取り出された、知らなければ色とりどりのUFOとも見える木片を頂戴し、そして彼女から背を向ける。

 弾幕の嵐の中、それだけは何掠ることもなく傷一つなかった日傘を動かし折りたたみながら歩む、幽香の姿が隠れるまで、霊夢は半目でじいっと睨んでいた。

 

「はぁ、とんだ骨折り損のくたびれ儲けだったわね……」

 

 しかし、二人の対峙はこれにてお終い。愚痴を口にしてから直ぐにまあ良いかと切り替えて、霊夢は暇つぶしのために魔理沙の姿を探し始める。見通しの悪い暗中にて。

 そう、何時の間にか不思議な魔界の空は暗くなり、夜明けを待つばかりとなっていた。

 

 

 少女が一人、テーブルに着いて緑茶を頂いている。歓声が遠くから響くが、そこに気を惹かれるようなこともなく、彼女は渋みを味わい嚥下していた。

 そう、船外が聖白蓮の復活に湧く中で邪魔をしないように、幽香は船内にて待っている。博麗の巫女を撃退したという聖輦船メンバーの中でも今回一番の功労者である彼女であったが、星の引き連れんとするその手を優しく離して辞していた。

 物見遊山な気持ちで妖怪達の後を付いていった霊夢と魔理沙と違い、感動の現場に無関係な者が居ても場を覚まさせる結果となるだけであると、幽香は弁えているのだ。

 

 つい先程登り始めた日が差し込み、幽香の目を細ませる。いや、口の端も一緒に歪んだことから、それは歓喜によって起こったものか。

 それを証明するように、小さめな足音が響いて、幽香の待ちに待った相手が姿を見せる。

 それは、全体の金を食むように頭頂から紫が伸びた色の長髪が特徴的で、白黒ゴシックロリータ風のドレスを身に纏い、何故だかマントを羽織ってやって来た少女。

 幽香が想像していたお坊さんらしき姿と服の色以外違ってどちらかと言うと魔法使いらしい様相をした彼女は、千年以上も封印されていたという割にはどこか新しかった。

 

「貴女が風見幽香さんで間違いないですか? 既に分かっていらっしゃるかと思いますが、私は聖白蓮。寅丸星らに求められ、つい先程復活を果たした僧侶です」

「ええ。私が風見幽香。皆が言っていた優しい僧侶とやらは貴女のことなのね。白蓮、と呼んでもいいかしら?」

「構いません。この席、よろしいでしょうか?」

「どうぞ」

 

 しずしずと、白蓮は幽香の対面に座す。真向かいに見えるその表情は朗らかで、また視線は真っ直ぐ向いていて、どうにもただ自由になれた喜びが溢れているだけではないようだ。

 幽香は、その理由を明らかにするために、口を開く。

 

「その陽気の理由、聞いてもいいかしら?」

「はい。無償で私の開放を果たしてくれた彼女たちの手伝いをしてくれたという幽香さんに、お目にかかれたことが嬉しくて」

「そう。でも、私は別に無償奉仕をしたつもりはないのだけれど」

「そうですか……なら、貴女は何を欲して?」

 

 ふと、その時間もなく、ナズーリンから幽香の狙いを聞くこともなかった白蓮が、止める一輪らの言を振り切りただ一人向かう際に霊夢からかけられた、気をつけたほうがいいという言葉を彼女は思い出す。

 そして、更にその前に知識のない白蓮が少しどんな人物か聞いたところ、星の口以外から揃って幽香は恐ろしい大妖であると発言されたこともまた。

 しかし、出会いに見て取れた幽香の笑みは、とても優しい代物であったがために質問に不安はなく。そもそも白蓮は星が警戒を解く程に幽香は信用できる存在であると認めてもいた。

 

「千年以上もその優しさが記憶される、聖白蓮という人物がどういう者なのか、気になって」

「ええと……私は、そんなに大層な者ではないのですが……」

「いいえ。発端はどうあろうと、妖怪にも優しくしようとした貴女は明らかに、珍しい存在よ」

「確かに特殊、ではあるかもしれませんね……」

 

 白蓮は溜息を呑み込む。自業に全く後悔などしていないが、それによって人間に悪魔と目され魔界へ封印された過去の傷は、未だに痛む。

 それだけでなく、封印を気にした魔界神が度々様子を見に来てくれたことが慰めであったが、そうでもなければ永い封印の期間に気が触れていてもおかしくなかったくらいの辛さがあった。

 まだ、痛痒を過去にするには早かったのだろう。思わず笑みを曇らせる白蓮に、変わらぬ笑みで幽香は対する。

 

「辛い過去を思い出させてしまったかしら。ごめんなさいね」

「構いません。自業自得。迷わず過去を是とするためにも、まずは痛みごと受け入れなければなりません。そして、付いて来てくれるあの子達のためにも、より良い未来を目指さないと……」

「なるほど。やはり貴女は星らの手を取って、共に生きようとしているのね」

「勿論です」

 

 迷いなく、白蓮は言い切った。その深みある紫色の瞳は大きく開かれ、真面目に前を向いている。つまり、彼女は未来を見つめていた。

 純粋な存在である妖怪。人の恐れの形でしかない彼女達が、個として救われる遥か先までを望み、白蓮は今を生きている。それは即ち、先々の思いつく限りの苦労までを覚悟しているという事だ。

 その眼差しを一目見て、白蓮が確かに優しく真っ直ぐな存在であると幽香は知った。果たしてそれが揺れることはあるのかと思い、幽香は口を開く。

 

「貴女は過去、妖怪も救われるべきだとして手を伸ばしていた。今もその方針変わらず、先に霊夢達と悶着を起こしていないことから、迫害した人を恨むことすらしていないのね。本当に、優しいこと」

「そうでしょうか……」

「妖怪たちが、救われた恩を忘れず、封印された貴女を助けて。このままだと何れは皆で寺でも開くでしょうね。そして、貴女から法を教わった彼女達は上手くいけば、何れ妖怪から仏か神の類へと変ずることすらあるかもしれない。実に、いいお話ね」

 

 そう、それはとてもいいことであるだろう。忌まわしいものが、崇められるものに変わるなど、あまりに理想的だ。

 それは更に、個として新たな未来が見えるようになる、というだけではなく、行き詰まり消えていくばかりの妖怪という存在に可能性を示す結果となるかもしれない。

 総じて、全体をみれば歓迎すべきことである。幽香自身には、その邪魔をする理由はほぼない。

 

 だがしかし、一つだけ妖怪として思い知らしておくべき事があった。

 

「ただ、貴女が、妖怪の恐ろしさを忘れてしまっていることを除けば、ね」

 

 そう、妖怪の存在意義。それが否定され忘れ去られているのではないかという思い。そればかりは認められないと、幽香は視線を鋭くした。

 もっとも、怖さに慣れていなければ、人は外に出ることすら出来ない。だから、多少の麻痺は仕方ないだろう。しかし、これは幽香が見逃しておくような程度を超えていた。

 

 妖怪は、親愛なるモンスターでは決してない。よき隣人には成れない事を思い出させなければ、と幽香は思った。

 

「……決して、忘れている訳ではありません。おどろおどろしい部分も彼女達には確かにありますし、私にも認められないものだって沢山あるでしょう。けれども、共に在るためには信じる他にないのです」

「信のみで、身の凍る恐怖を隣に置くことなんて本当に、出来るのかしら。ねえ、白蓮――貴女はこれを受け止められる?」

「っ……」

 

 そして、幽香は隠していた棘を露にする。彼女が発したのは、ただの妖気。しかし純粋極まった夥しい量の妖かしでもあった。

 思わず脳裏に蘇るのは後ろの恐怖に隙間の不安等など。それは、在るだけで人を不安にさせ、心胆寒からしめるもの。溢れて瞳から内まで犯してくるのは、精神的負荷。目を逸らして然るべきものを直視してしまった白蓮の気持ちは如何なるものか。

 当たり前のことながら、平安とはいられない。しかし、眼窩を穿ってしまいたくなるくらいの恐怖に心臓を傷めながらも、それでも白蓮は幽香を直視していた。

 逃避も、攻撃もしない。ただ向かうだけ。だがその姿勢こそが、幽香を満足させた。ふと、表情と共に、彼女は妖気を弱める。

 

「ふふ。あれを耐えるなんて、お見事。ここまで来ると、最早狂信の域ね。面白いものを見せてもらったわ」

「狂、信。ああ、そう……もう、死なんて怖くはない。私は私を求める彼女達を裏切ってしまうことが、何より怖いのです」

「なるほど、それが貴女の歪な優しさの源なのね」

 

 僅かな時で過負荷によって汗を額に大量に浮かべながらも、白蓮は息をつくことすらない。幽香の笑顔を受け取りながら、彼女は薄く笑う。

 そう、白蓮とて、自らの優しさがおかしいことには気づいていた。自身が人も妖怪も神も仏も全て同じ、という考えを元に動いているのは、器に限界がある人間の一員として正しくはないと、分かってはいたのだ。

 最初は己の死を恐れたがために彼女は魔術に手を出し、その魔力の維持のために妖怪を助けた。しかし、迫害を受ける妖怪達を見る内に、芯から妖怪を助けたいと思うようになり。そのため妖怪と共存しようと動いた事から人から悪魔とされて、魔界に封印された。

 それで、普通は自分の考えが間違っていたと反省するか、陥れた人を恨んだりするだろう。だが、白蓮はその優しき性根と仏法を基に、自業自得を認めて一切を平等に見るようになった。

 他から見れば、いい人だろう。それに、過ぎているようなところもあるのだが。真っ直ぐに歪んだ白蓮を見て、幽香は微笑んだ。

 そんな幽香を眼前に置いた白蓮は、その笑顔の美しさに、とうとう溜息を吐く。

 

「はぁ。しかし……幽香さんは、優しいですね」

「どうして、そう思うの?」

「貴女ほどの大妖怪ならば、人間なんて歯牙にもかけることもないでしょう。蟻に目をかける人など僅か。その色の違いなんて、普通は気づきもしないものなのに」

「そう。確かに、私は観察を愉しみにしている。変わっていると、笑うといいわ」

「いいえ、何もおかしなことはありません。他に興味を持つというのは、歩み寄りの第一歩です。個として完結していないならば、他人の手を取ることが出来ますから。その素晴らしさを、きっと幽香さんは知っているはずです」

「そうね……優しく手を取ってあげた時の表情とかが、私は好きだわ」

「やっぱり、そうですか」

 

 そして、白蓮は幽香の言葉を勘違いする。そのまま、珍しくも優しい大妖であると、受け取った。

 しかし、実際は優しさから手を取るのではなく、楽しむために手を掴んでいる。相手の笑みを喜ぶのと、困惑を楽しむことは大いに違う。だが、足らない言葉の上では差異が分からず、白蓮は幽香の本音を良く取りすぎた。

 

「ふふ」

 

 窓から日が差して、明瞭に認められる幽香の笑顔。それが向日葵のように見えてしまった白蓮は、既にこの時より大きく間違っていたのだろう。

 その錯誤に気づくものはこの場になく、故に誤謬は続いていく。

 

 

 聖輦船内で白蓮と幽香の会話が行われていた時、所変わって幻想郷。太陽の畑、それも幽香の住処であるログハウスの中に、二匹の妖精と一柱の現人神が居た。

 彼女たちは勿論命知らずの泥棒ではなく、家主の許可を得て留守中にてハウスキーピングをしながら帰りを待っていたのである。陽光を浴びて煌めく室内にて、留守を任された内の一匹の妖精、チルノの内心は光景のように穏やかではなく、むしろ憤慨していた。

 

「幽香ったら、最強の私を置いていくなんて、薄情ね!」

 

 最強二人一緒が一番最強なのに、とチルノは続ける。その幼い言葉に、残りの一匹と一柱、大妖精と早苗は苦笑いし、しかし彼女が怒りを発散するそのままにしていた。

 それは、大妖精も早苗も一部同じ思いを持っているから。気持ちが判る。要は、友達の力になれないことを彼女達も悔しがっているのだった。

 

「それにしても、幽香さんがきっと戦うことになる相手は霊夢さんと魔理沙さんなんですよね……二人共弾幕ごっこがとっても上手ですけれど、大丈夫なんでしょうか?」

「うーん。私には幽香さんが負ける姿が思い浮かばないです。きっと、大妖精さんの心配なんて、笑い飛ばすように平気で帰ってくると思いますよ」

 

 あの人は意地悪ですからね、と早苗は言う。笑って、そうですねと大妖精も頷く。最強の力に対する絶対的な信頼が、そこにはあった。

 

「全く、昔みたいに泣いてたって、慰めてあげないんだからねっ」

「うふふ。もう、何言っているのかも分からなくなって来た」

「もう、チルノちゃんったら落ち着いてよ……」

 

 しかし、自称最強の怒りは中々収まらない。もはや筋道立った内容を発しているのかも分からないほどいきり立つ、小さな暴君は、しかし優しく見つめられている。

 何とか治めようと、早苗はおかんむりな様子のチルノを優しく撫で、大妖精はその手を握りしめた。

 

「ふぁ……」

 

 そうする内に、次第に落ち着いてきたチルノは、次に椅子に座りながらこくりこくりと船を漕ぎだす。今度は、眠り姫の世話をするために、早苗らは忙しくなる。

 

 

 だから、チルノが無意識に発した大切な一言を、誰一人記憶に残したものはなかった。

 

 

 

 



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第十話 虹色の門番に優しくしてみた

 

「ぐぅ……」

 

 春麗らか。そよぐ風薫り、朗らかに降り注ぐ日差しは身体を程よく温める。そんな、春の美点を集めたような空の下。霧の湖の畔の紅魔館、その門前にて横になって寛いでいる妖怪が一人。

 緑色のチャイナ服をベースに洋服へと改造したかのような衣服を着込み、赤い長髪を乱して大の字になって寝息を立てている彼女は、紅美鈴。ここ、紅魔館の門番をしている妖怪である。

 しかし、寝こけている姿を見るように、どうにも現在はサボタージュしているような様子。それなりに平和な幻想郷。異変時でもない今、気が抜けてしまうのは仕方ないことであるのかもしれない。だが、昼寝はどうにも行き過ぎだ。

 普段の働きから、雇い主は時折シエスタすら敢行してしまう美鈴の暢気さを大目に見ている。だが、何も知らない周囲から見てみれば、寝入る門番など平和的だが仕事放棄も甚だしく、その忠信を低く見積もってしまうようなものが出るのも仕方のないこと。

 しばしば、美鈴が暇を潰しにちょっかいをかけてくる妖精と遊んでいる姿が認められることもあって、どこか人間臭い彼女は里人等に親近感を沸かせ、悪魔の館とされていた紅魔館のイメージを明るくさせるのに一役買っていたりもした。

 

「……うん? ああ、幽香さんか」

 

 しかしそんなこんなはつゆ知らず、イビキをかいて深く寝入っていた筈の美鈴は、急に目覚めて起き上がり、遠い空を眺めだす。

 点と見えていた姿が大きくなってそちらから来るのは、美鈴の言葉の通りに風見幽香。目視できない程遠く離れた場所から、妖気を抑えた幽香を察知するのは普通に考えれば至難の業であるだろうが、美鈴にとってそんな難易度など問題ではなかった。

 紅美鈴は、気を使う能力を持っている。私の力はその程度ですと、謙遜して笑う美鈴であるが、しかし彼女は使うばかりではなく、気というそのものに対して非常に造形の深いところがあった。特に、気の察知等については彼女の右に出るものはない。

 だから、侵入者の撃退だけではなく、こうしてたっぷりの余裕を持って友人を迎えることも出来るのだと、この時美鈴は自分の力を少し自慢げに思った。

 そして、身だしなみを整えてから、ゆっくりと青空から降りてきた極めつけの大妖怪に対して、美鈴は何のてらいない笑顔で迎えるのである。

 

「こんにちは、幽香さん。今日は何か紅魔館に対してご用事でも?」

「こんにちは、美鈴。今日も変わらず、私はこの洋館に用事はないわ。ただ少し、貴女のお花畑の様子が気になって、ね」

「そうですか。お世話は欠かさずやっていますし、この天気ですもの、花は元気に咲いていますよ。ご覧になりますか?」

「ええ。ちょっと見せてもらうわ」

 

 美鈴は、幽香が柔らかな笑みを返してくることを、何ら疑問に思うこともない。何故なら、それは何度も二人の間で交わされたことなのであるから。大人しい幽香は、美鈴にとってありふれたものなのだ。今日はちょっと優しげだなと思うだけ。

 日傘を手の中で転がして、幽香は美鈴と仲良く談笑すらしながら花畑へと向かう。そして、二人がたどり着いた先には、様々な色が生気と共に溢れる緑を下敷きにした自然のカーペットが置かれていた。

 げに美しいそれを構成するのは、多種の春の花。紫のムスカリに赤いチューリップ、そして多色のポピーにデイジー、パンジーその他様々。虹を彷彿とさせる天上の美である七色は、今地にこそ輝いていた。

 全ての色合いは纏められて点在し、決して、雑多にはなっていない。よく手が入っているのだろう。それらは、見る人を和ませるという目的を持って植えられて、大事に育てられているようである。

 花を操る能力によって花々の元気さを確かめた幽香は、満点の笑みを持って美鈴へ顔を向けた。

 

「見事なものね」

「ありがとうございます」

「ふふ。ついつい虐めてしまいたくなってしまうくらいに下手だった最初と比べたら、大違い」

「ははは……あの頃はやる気しかなくて酷いものでしたけれど。でも、今は色々と勉強をして、頑張りましたから」

「それは良く伝わってくるわ。全てが全て、望まれた配置になっている。……花の気も思いやれるなんて、器用なことね」

「あはは……」

 

 気を使う能力、を持っているとはいえ別に美鈴は相手の気持ちを思いやるのが殊更得意というわけでもない。職業柄不得手というわけでもないが、それまでも自分の能力の内であると口に出せる程ではなかった。

 そんなことは、幽香も知っている。だから、器用と口にしたのも、半ば冗談のようなもの。そう茶化しながらも、むしろ彼女はその努力の程を認めていた。それを感じ、美鈴も少し気恥ずかしくなる。

 頬を掻いて照れる美鈴に、微笑みながら幽香はさらりと続けた。

 

「ここまで見事に仕上げるなんて、何かご褒美でもあげたくなってしまうわね。美鈴、貴女は何か欲しいものはある?」

「そんなそんな。半分はお仕事でやっていることですし、褒賞なんて私にはもったいないですよ。それに実は、ここのところ、物欲なんてすっかり湧かなくなっていまして……」

「そう? なら、物以外ならどうかしら。何か、私にやって欲しいと思うようなことはない?」

「ええと、やって欲しいこと、ですか」

 

 そうして、しばらく美鈴は思い悩む。

 長命気長な妖怪。その中でも美鈴は自他共に認めるほどに暢気な性質だ。更に彼女は、刹那の快楽に惹かれることなく、こつこつと武を積み上げるのを好むような妖怪の中の変わり者。

 何時か壊れる物に対する執着は薄い。門番の仕事も、給金欲しさに就いた訳でもなく、守る住人の姿と十分な食事と寝床を借りられるということを確認出来たという、それだけで即決した程だ。

 ならば、幽香のような他人に求めるものがあるかというと、それも中々思いつきはしない。幽香に大した力があるのは知っている。その威を借りれば、大概の無茶は成せるに違いはないだろう。

 しかし、美鈴には主人のように異変を起こすような気はないし、そもそも偉ぶる事が性に合わなかった。人を使うことには慣れず、頭を下げることを厭わない彼女は、大望を持たない。

 それでも、悩めば見つかる程度に、小さな望みはあった。それにより内の暗闇が晴れることを期待し、美鈴は知らず頬を緩ませる。

 

「あっ……そうだ。一つありました。でも、下らない望みなのですが……構いませんか?」

「ええ。余程酷いことではない限り、大丈夫よ」

「分かりました。それで願いとは……そうですね、幽香さんと軽く手合わせをしたいのです。それに出来たらちょっとした演技を交えて楽しみたいな、と思うのですよ」

「ふぅん。面白そうね。承ったわ」

 

 躊躇いなく、幽香は了承した。何せ演技は最近ずっとよくしていることであり、今更請われたところで難しい事ではないのだから。

 互いに近づきそして、二人の打ち合わせが始まる。

 

「私は最近漫画というものに嵌っているのですが……幽香さんは漫画ってご存知ですか?」

「北斎漫画とは違うのでしょうね。あれかしら。外の世界で流行っているのか、ちょっと前から貸し本屋にスペースが目立つようになった絵ばかりの読み物のことかしら?」

「それですそれです。私はその中でも、勧善懲悪ものが好きで、同好の士であるお嬢様からそのような内容のものを借りてよく読んでいるのですよ」

「なるほど話が読めてきたわ。物語で遊ぶにしても、一人では妄想するしか出来ない。だから、美鈴、貴女は私に役を振り当て……この場合私は悪役で貴女が善玉でいいのかしらね。そうしてごっこ遊びをやりたいと」

「おしいです! ちょっとだけ違います」

「あら、何が違うのかしら」

「幽香さんではなく、私です。私が悪役をやりたいんです」

 

 あっけらかんと、そう、美鈴は言った。

 

 

 紅魔館の門前に二人の妖怪が相対する。衣装もそのままに変わらぬ赤髪を揺らし、ただ悪どく口の端を歪めているのは、紅美鈴。ちなみにそれだけで悪役らしく決まっていると彼女は思っている。

 これまた赤チェックの服から変わらず絶やさぬ笑みのまま手を開いて通せんぼのような形を取っている美女は、風見幽香。何のポーズもしていないが、どちらかといえば、こちらの方が腹に一物抱えていそうに思えるのが不思議だ。

 そんな二人はどちらからともなく、軽く行なった打ち合わせの通りに動き始める。じりじりと間をつめて、そして美鈴の方から口を開いた。

 

「ふふふ。お前が幻想郷最強と謳われる風見幽香か。なるほどいい相をしている。これなら私が本気を出しても良さそうだ」

「凄まじい力を感じる……まさか美鈴、貴女の中に邪龍が潜んでいたとは。それにこれほどの力の持ち主が今まで伏して隠れていたのに気づかなかったなんて……私も耄碌したものね」

「この身体は私のもの。そして、背後の館はもう力を取り戻した私の支配下にある。次は幻想郷、その次は外の世界にまで手を伸ばそう。ふふふ。その前に風見幽香。貴様を血祭りに上げてからな!」

「ふふ。やれるものなら、やってみなさい」

 

 役に入った二人は、睨み合う。そして、美鈴は気を、幽香は妖気をそれぞれ発して己の力を見せ付けあった。

 けれども拮抗は一瞬の事。あっという間にそれなり程度の気は呑み込まれて、辺りには幽香の多分な妖気が充満してしまう。

 そのことによって起きたあまりの圧力に、役柄としては立ち向かわれる格上である筈の美鈴は、顔を青くした。

 

「あら、いけない。ここまで真っ直ぐ挑発されるのは久しぶりだから、ついつい力を見せ過ぎてしまったわ」

「妖気出しすぎですよ、怖い……じゃなかった。改めて……ふふふ。これなら敵として不足はない。それでは、風見幽香。見事私から、幻想郷の平和を守ってみせよ!」

「勿論。……それで、確認するけれど後はただ弾幕ごっこをすればいいのよね?」

「はい。格闘メインにしてもらいますが、そっちは演技なしで構いません」

 

 ついついぐだぐだになってしまった劇を、二人は特に気にせず先に進める。どうやらこれから戦闘シーンが始まるようだ。

 全力の勝負では相手にならないからだろう、美鈴と幽香は弾幕ごっこを始める。力を持つものの多くが空を往くここ幻想郷で格闘をメインにする、というのは中々珍しいことだが。

 そして、真剣に表情を変える二人。美鈴はゆったりと構え、幽香は構えすら取らずに向き合う。そして、そのまま場は硬直した。

 

「……それで、私が先に攻撃した方がいいのかしら? 私としてはやる気満々に口上を述べた悪役の一撃から端を発するものと思っていたのだけれど」

「先にそれを決めておけば良かったですね……苦手ですけれど、私から攻撃を始めますね」

 

 威勢よく啖呵を切った相手が襲ってくるものと思っていた幽香に、後の先の型を得意としているために待ちに入っていた美鈴は知らず互いに先手を譲り合っていたようだ。

 何とも言えない空気が流れて直ぐ後、美鈴はその両手に気を纏い、幽香に向けた。

 

「それでは、いきます……よっと」

「あら、あまりに軽い……これは、ひょっとしたら払われることこそ狙いだったのかしら?」

「その通り、です!」

 

 牽制の一撃。しかしただの人間の頭蓋くらいなら容易くかち割ってしまう程に力の篭ったそれを幽香は軽くいなす。

 初速は中々、それでもそこには必殺の意がなく、意外な手応えのなさに幽香が拍子抜けをする。だがその隙をついて、崩れた態勢のまま接近した美鈴のアクロバティックな足刀蹴りが幽香に迫っていた。

 首を刈ろうとする死神の鎌を、幽香は口から疑問を呈しながらも素早く屈んで回避するが、美鈴の返答とともに来たのは身体を浮かしたまま空【気】を踏み台にして勢いを付けた逆さまの体勢のまま放たれる数多の掌打である。

 足元を狙った攻撃に思わず飛び上がった幽香は、次には眼前すれすれにまで迫った虹色に力秘められた断頭の一撃を無理に下がって避けていた。

 美鈴は幽香を退かせたかかと落としの勢いのままそれにより宙にて上下に姿勢を正すことに成功する。再び視線を合わせた美鈴は宙にて空気を踏みそこから更に距離を詰めて四肢に七色の気を纏わせ棚引かせ、剛撃の嵐を続けた。

 

「放たずとも拳で弾幕は創れるのね。流石に私も全部は避けられず……でも、至近で散ずる七色もまた美しいものね」

「受けずに大半を避けいなしておきながら、観る余裕すらありますか。なら、もう少し複雑に技を組み立ててみせましょう!」

 

 喋ることは出来ても、大体防戦一方の幽香。彼女の周りには美鈴の攻撃の軌跡が広がり、幾つもの虹が出来上がっている。反して花は時折見当違いの方向に広がるばかり。そう、術中に嵌った幽香はもう反撃すらままならないのだ。

 幽香も決して宙での移動速度ほど身体を動かすのが遅いというはなく、また別段彼女の体術が劣っているということもなかった。しかし、そんな幽香が何故負けているのか。

 それは、相手が速く、そして巧すぎるからである。矢継ぎ早という言葉すら遅い、間断を極限まで無にした連撃。おまけにそれが、ただ放たれているだけではなく。

 

「これ以上複雑になると流石に難しい、か」

 

 接触部を絡め取って間接投げ等数多の技と繋げようとする器用な掌から逃れながら、幽香は呟く。向ける手足のどれもが布石となっている攻撃の組み合わせを計算しつくすのは、幽香にですら難しかった。

 だから、甘んじて一部を受けざるを得ない。接近戦とはいえ圧倒的な回避力を持つ幽香に攻撃を当てるというのは驚異的なこと。更に、美鈴の手足で作られた技の檻から移動速度を制限している幽香は逃げることすら叶わない。

 用意した魔法陣による堅い防御ですら容易く貫かれて、最強たる幽香は始終圧されることになる。

 紅美鈴は、拳法の殆どを極め、それに飽き足らず道を見つけては上達するために鍛錬を日ごろから続けてそれを深めている稀有な妖怪。こと近接戦闘技術において、最強すら上回るものを持っていた。

 

 しかし、そんなことは幽香も前から知っている。それでも格闘ありの弾幕ごっこを受け入れたのは、勿論負けるためではない。そも、正義が負けるなどあり得てはいけないもの。

 少し残念そうな表情をしてから、幽香は纏う妖気の水準を上げて、全体に力を入れる。それだけで、虹は絶たれて、勝敗の趨勢は大いに逆転した。

 

「美麗な連撃を打ち砕くのは、やっぱり無粋な強撃かしら。力づく、というのは苦手ではないけれど、少しつまらないわね」

「くっ、やはりそう来て……くっ、対策していた筈なのに、捌くのに精一杯とは!」

 

 小よく大を制すとは言うが、それでも程度というものがある。人は果たして自力で天体の動きを制することが可能であろうか。幾ら技を極めようとも範囲を超えた不可能事は、達成できない。

 元々、美鈴と幽香には圧倒的な自力の差があった。それを調整し、合わせていたから幽香が追い詰められる真似事を楽しむことが出来たのだろう。

 幽香にとっては少し、しかし先程篭められていたものと比べれば倍する以上の力が美鈴の技の檻を破り去っていく。重すぎる蹴撃に打撃の威力は、最早比較するのに戦艦の主砲等を持ってこなければいけない域。

 掠めるだけで弾き飛ばされかねない、向かい来る四肢に対するには全力で気を使わなければならない。だが、最早回避することすら目の前の素晴らしいお手本を真似た幽香の即席の技術によって難しくなっていた。

 追加されていくフェイントに型。急激に増えた相手の手札を読むのに、美鈴の頭は高速回転、そして痛みを訴える。しかし、いくら熱を入れようとも幽香を受け止めるには至らずに。七色の気、美鈴の技術の散華によって、大いに空には花弁舞う。

 

 これでは、あっというまに花びらの全てを失い不細工にも墜ちるはめになるのは想像に難くないものだ。だから、美鈴は得意を捨ててでも、接近戦を諦めざるを得なかった。

 

「くっ、星気「星脈地転弾」!」

「良い威力。けれども欺瞞が足りていないわね」

 

 一拍の間断もなしに至近で美鈴が迸らせた気は丸く膨らみ、大いに辺りを食む。多色を表してから、その全てを呑み込んで白く光るそれはまるで、小太陽。

 あまりに眩しいその弾幕を認めながらも、しかし発するまでの幽香は有るかないかの隙を見つけることで威力範囲外まで逃れていた。流石に大技を出す間をフェイクで完全に埋めることは美鈴であろうとも無理であったようだ。

 仕留め手を外したことで苦く眉を歪めながら、しかし諦観を顕にすることなく、美鈴は続けざまに二枚目のスペルカードを取り出した。

 

「逃しませんよ! いきます、華符「彩光蓮華掌」!」

 

 そして、幽香の体勢が整う前に、美鈴は遠距離戦を開始する。七色の花弁が大量に発されて幽香の周囲を覆ってから、花の似姿をとって広がった。だが粒の羅列によって眩いそれらは、逃げ道を塞ぐ網たり得ていない。

 相手との距離を離せば離す程に、美鈴の戦闘においての実力は落ちていく。理由として、手の届く範囲の気しか上手く使えないからと彼女は言う。だが、それでも十二分に気を使ったその遠距離戦での弾幕美には定評があった。

 思わず、攻めの手も弱まるその優美さ。宙に咲き誇る虹色で出来上がる花々は、地上の満開の花々を映したようで目の覚めるように綺麗でもあって。

 その隙間だらけ、しかし模擬に優れたその弾幕は、花の形象でもある幽香にはあまりに似合っていた。そうであるからこそ美鈴がこのスペルカードを選んだことは明白であり。

 

「花に花……ちょっと華美に過ぎるところがある気がするわ」

「あはは、そうですか……それでは最後くらいは悪役らしく。うわー、やられたー!」

 

 そして、幽香が花を大事にして乱さず共に在ることも当然の帰結であって。

 花の弾幕に応じるかのように精緻な花を幾輪も投じた幽香のせいで逃げ場を失った美鈴は、自分の力が届かなかったことを、笑いながら受け止めた。

 

 

 幽香は強い斜光を日傘で塞ぎ地面に影を作る。その下には全体的に煤けているが、快活に笑んでいる美鈴が横たわっていた。その表情は実に満足そうであって、どうも彼女は自身が負けたという結果を喜んで受け止めているようだ。

 それを不思議に思った幽香は、ついつい言葉を紡ぐ。

 

「正義は勝って、悪は地に墜ちた。貴女はそれを歓迎しているみたいだけれど……どうしてこのような自分が負けていいという、そんなシチュエーションの中での全力を楽しもうとしたのかしら?」

「あはは……実は幽香さん結構分かっていますよね、っと」

 

 さっと、全身の筋肉を器用に用いて跳ね上がるように起きた美鈴は、そのまま立って手を伸ばし、それを眩しい全ての光の元へと向けた。

 太陽を浴びながら談笑する妖怪二人。それはおかしなことであるが、門番の妖怪と花の妖怪であるからには、光の下にあるのが普通であって。だからこそ、その心の中にでも僅かな陰りがあるのが許せなかったのかもしれない。

 

「あのですね、私はこれでも常々思っていたのですよ。最近はどうも守ることが出来ていないなぁって。それが許されるからスペルカードルールが出来てからは身を挺していませんでしたが、しかしそれだけでなくあまりに弛んでしまう自分を感じてしまって」

「そうね。確かに、門前が血で濡れていた頃と比べて、弾幕ごっこが流行ってからの貴女は、苦手からかどうにも腑抜けた印象があったわね」

 

 紅魔館の赤は血の色。それはただの噂であったが、以前はまことしやかに語られていたことである。その証左として、赤髪の門番が幻想郷に来てから襲い来る人妖達に流させた血は門を赤く汚して地に塗布して尚余りあるものであったのだから。

 それくらいに、吸血鬼異変から紅霧異変が起こるまでのずっと美鈴は紅魔館に押し入ろうとする無粋な輩を強烈に拒んで来ていた。彼女が外敵を阻みきれなかったのは一度きり。

 その一度、軽く門番を打倒してから土足で門の中へ踏み入った幽香が口にした一言が、美鈴に花を育てさせた契機でもある。

 

「あはは。でも腑抜け始めは、門の内側の寂しさを指摘されてから、かもしれませんね。まあ、外を強烈に意識していたのが、内へと向いたのですから、散漫になるのも仕方ありませんか」

「それでも、あの頃と比べて腕も、美意識も上がっているみたいで良かったわ」

「そうですか……ですが、私は分からなくなってしまったのですよ。巫女に魔女を逃して、そうしたらその方が門の内側が賑やかになって幸せになっていったという事実に、私の存在意義が不明に感じられてしまって」

「なるほどね」

 

 そう、紅魔館は明るくなった。それは、紅美鈴が気を抜いているというそのためだけではない。霊夢に魔理沙、侵入者を容れて、そして変わったのだ。

 人が入り、妖怪が出歩いていき、風通りの良くなった紅魔館は、ただの閉じた箱ではなくなった。だから、光入って時々は笑い声すら外に漏れ出してくる。

 そんな変化を、門前にて聞いている美鈴の気持ちは如何なるものか。きっと、悔しくなるのではないか。まるで必死になって侵入者を拒んできた自分の今までの努力を否定されているかのようで、美鈴が複雑な思いに駆られるのも仕方がないことだろう。

 

「夢の中では正義の味方になったりしますけれど、それが数多の人妖を屠ってきた悪魔の門番である私に相応しいものではないことぐらいは分かります。まあ、最近は紅魔館の受付嬢みたいになっていますが……それもまたしっくり来なくて」

「それで、自分がどれだけ腑抜けてしまったか確認するために、昔みたいに再び悪役になってみた、と?」

「そうですね。ごっこでもそれで本気で戦って幽香さんに負けて、悔しさが残らなかったら門番を辞めようか、なんて考えていました」

 

 ひた隠しにしていた、辞そうとする意思。それは、守るべき対象ではないごく親しい相手だからこそ吐露出来たことなのだろう。

 話を盗み聞いていた誰かが思わず息を呑んだことは、微笑む幽香しか知らない。

 

「でも、今は違うのよね」

「当然ですよ。悪役結構私は阻みます。あの愛らしい吸血鬼姉妹を守るためにも、知恵深い魔女に月の欠片のようなあの子、可愛い同僚達の居場所を汚させないためにも、そして何より以前の私の覚悟を無にしないためにも、私はここに立つことを決めました」

 

 負けたことはとっても悔しかったですよ、と美鈴は続ける。その様子から、どうにも敗北した際の笑顔は、自分の内に慙愧の念を発見できたことに拠っているようだった。

 格闘戦という本分において勝てなくて口惜しいという気持ちは、弾幕ごっこが苦手という言い訳を残して最近負けてばかりの美鈴を目覚めさせたようだ。

 負けに慣れて意気を失くすことは仕方がない。でも、未だこの内には勝ちたいという気持ちがあるのだ。ならば、これからも本気になって守ることが出来る。

 それに、たとえこれから弾幕ごっこで負けても、これまでのように充分に相手の広げる心象を認めてから容れる人物の善悪選別をすればいいと、彼女はそう結論付けたようだ。

 笑い、再び門の真ん前に立ち、美鈴は腰に手を当て、根を張る様に足を地につける。準備万端、意気揚々と門番は何時もの位置に立つ。その様にはしかし、頼らしさよりも、どこか可愛らしさが目についてしまう。

 思わず花のように、幽香は笑った。

 

「ふふ。美鈴は変わったわね。以前の威圧はどこにいったのかしら」

「ああ、っと。そうでしたね。もうちょっとビシっとした方が舐められないのでしょうが……」

「でも、私は柔らかな貴女もいいと思うわ。変わった館の中。門飾りも変化したっていいでしょう。……でも、貴女がこれ程に面白くなったのなら、そろそろ中の猫がどうなったのか、私も気になってきたわね」

 

 今まで成長の邪魔をしてはつまらないと侵入しなかったのだけれど、と幽香は口にした。確かに以前と違う気持ちになったのだろう。彼女は下の庭先ばかりを見ずに、その先を望むようになった。

 壁面の赤は、誰のための停止の意味か。賑やかになった箱の中の猫は今、何を思って独りでいるのだろう。

 興味を孕んだ赤い瞳は一度太陽の光を映し。そのまま紅魔館の中へと向く。

 

「あら。うふふ」

 

 そして、彼女は笑って何かを認める。

 

 

 

 途端、風見幽香はぐしゃりと壊れた。

 その身体は糸を失ったマリオネットのように崩れ落ち、全身に走った赤は更に内から溢れて、境界を広げる。

 花の薫り豊かだった門前には、あまりにも急速に、血の、死の香りが充満していく。

 

「幽香さん!」

 

 慌てて駆け寄る美鈴の叫びに対して、返事はなかった。

 

 

 



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第十一話 箱の猫に優しくしてみた

 非常に遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。


 

 風見幽香は能力というものに対しての興味がからっきしない。一部に注目するより全体を見る。それが相手を計るのに間違いのない方法だと考えているからだ。

 だから、紅魔館の奥に潜む子猫が破壊の吸血鬼と呼ばれていることは知っていても、それがどれだけ理不尽なものかを知らなかった。

 そう、その身で体験するまでは。

 

 

 

 暖かく優しい陽の光の遠い屋敷の中。地をくり抜き更に光を拒んだその奥底にて、自分を抱きしめ丸くなっている少女の姿があった。

 小さく、誰から逃げているかのように纏まってしまった少女。しかし、その矮躯は特徴的で人目を惹くものだろう。

 彼女が東方の広大な結界の中で、西洋風の見た目を取っているという、それだけが目立つ要因ではない。その背からは、黒い翼膜なき蝙蝠の翼のようなものが伸びていて、更にそこからは七色の宝石のような結晶がぶら下がっている。

 自在にそれを広げて揺らす、そんな綺麗過ぎる様態はここ幻想郷でも酷く、珍しいものだ。おどろおどろしさの欠片もないその羽根は妖怪の顕現ではなく、芸術的なイミテーションにすら思える。

 そして、そんな外見的特徴以上に、おかしなところが一つ。それは、吐き出すために開いた口から覗く、彼女の八重歯の鋭さでも噛み切れない言葉がそれとなく教えてくれる。

 

「あはは。また、壊しちゃった……」

 

 ふと、彼女の宙空を望んだ瞳は涙をたたえて、しかし口角は歪んで仕方がない。喜色に悲しみに、混じった心で歪に笑う、彼女は揺れていた。

 人でなしで、そして妖怪としても正しくない、そんな違えた彼女は、フランドール・スカーレット。霧の湖の畔に佇む洋館、紅魔館の主、レミリア・スカーレットの妹で、同じ吸血鬼である。

 フランドールは生まれてから五百年近く、地下で過ごして来た。しかし、彼女は生誕四百九十五年目に霧雨魔理沙との邂逅を果たし、それから何か変わったのか、独り、館の中を気ままに歩むようになっている。

 屋敷の中のみにて自由なその姿はまるで猫。そう、風見幽香が猫と称したのは、このフランドールであった。しかし、今少女は何かに縛され動く様子はまるでない。

 

「壊したくないのに、壊したかったのは私で、台無しにしたのが楽しくて、でも見捨てられるのが怖いのも私!」

 

 フランドールの口から語られるのは、矛盾した自覚。理性と感情の折り合いがつかないまま、発作的に行動の功罪をすら抱いて、彼女は衝動を胸元で必死に抑えている。

 善悪の粒が、フランドールの中では大きくざわめいていた。整理のつかない心は彼女の中で暴れて、狂気のごとくに波立つ。

 地下の自室に篭ってこうなってしまったフランドールに触れるものは、屋敷の中にも居ない。今の彼女は破裂していない不安定な爆弾。いくらそれを愛していようとも、自分も大事であれば誰もそんな代物を抱きしめようとは思わないだろう。

 

「ああ、あの太陽のような人、残念だったなぁ……あはは、偉そうにしてたのに、ああなったらもうおしまい! 私に振った手も、もう届かない」

 

 フランドールは思う。バルコニーから覗いていた、愛おしい門番の隣で太陽の光を浴びて、輝くような笑顔を見せていた、そんな少女を。

 恐れを知らない陰り一つない少女の表情。それこそフランドールが内心欲していたもので。だからこそ、彼女は壊してしまった。

 果たして、吸血鬼が太陽の少女に掌を向けるのは、健全なことと言えるのだろうか。遠いそれが手の中に収まらないことを嫌い、引きちぎるようにかざした手を閉ざしてしまったことは、間違いだったのかとフランドールは自問して。

 そして、そのために、掴んでしまったもの、そして太陽の少女が壊れてしまったのは、本当に望んでいたことなのかと、自業を疑う。

 

「……あれ?」

 

 口程にあれは本意ではなかったと、狂笑していたはずのフランドールの瞳から零れた涙が教えてくれる。流れ流れて、濡れて慌てて。彼女は一つにならない自身に苛立ちすら覚えた。

 そんな、何時もが今はどうしてだか、辛い。

 

 

 フランドール・スカーレットは気がふれている、と言われている。

 実際に、感情が一向に統合されないフランドールの自己は、誰彼から見ても狂っているものと映ることだろう。

 妖怪吸血鬼、そして幼さを隠れ蓑にしてもその異常が目立ってしまった彼女は、大切に思う家族の手によって生まれて直ぐに自ずと矯正されるまでと安全な地下へと封ぜられた。

 だが、そのまま篭って四百九十五年。年月と守り愛おしむだけでは、フランドールの心を治める方向には中々行かず。しかし、生誕五百年まであと五年、といった頃に事態は少し変わったのだった。

 現在は、外に楽しいものがあるということを教えてくれた魔女のために、光溢れる世界へ目を向けることも増えるようになっている。丸い目を見張って、賑やかさを端から見つめて行ったり来たり。

 しかし、子猫は恐れて出ずに、箱の中のまま。変化を恐れて、フランドールは刺激を遠くから受け取るばかり。

 

 今回フランドールが望んだ美鈴と幽香が行っていた弾幕ごっこに対しても、彼女は同じ体だった。

 思わず感動のあまりカーテンを千切るくらいに強く握ってしまった、白熱した試合。野蛮なばかりだった筈の殴打の散らばりは、しかしあの二人が交わすのであれば精緻な体操美のみが引き立った。

 惹かれ、身を乗り出し、近く近くで望もうと考えてしまうのも無理のないこと。だが、知らずに体は日向へと寄りすぎてしまい。そして、フランドールは吸血鬼であるが故の痛苦を味わうこととなった。

 

「ぐぅっ」

 

 それは種族にかけられた呪い。吸血鬼は、日の下では灰になるが定め。つい体から遠く離れて日光にまで届いた指先は、約束事に則り燃え尽きるために沸騰した。慌てて引き戻した一瞬で突端に火傷を創った体を恨ましげにフランドールは見つめる。

 吸血鬼として狂っているフランドールは、元は夜よりも日中こそが好きだった。何せ明瞭で、怖くない。月下よりも全てがキラキラ眩く、蠱惑的に見えて。幼少の彼女は大いにそこを求めた。痛みこそ、そんな彼女に対する戒め。

 誰知らず、光の中で真っ黒焦げになっているところを発見されたフランドールは、治ってからもその羽根に欠損を、胸元にトラウマを抱えることになった。

 フランドールは、外に出るのは痛みを覚えることと知る。それからずっと篭ってばかりであった彼女に、痛みに慣れることなど無理なことで。故に、好きなのに恐れて離れて独りのまま、情緒の発達も遅れてしまい。

 望んでいながら、フランドールは、傷つくことを恐れて引き篭もってばかりで、ずっとずっと。プライベートスペースが紅魔館の内側全部に広がったところで、彼女の世界は閉じたまま。

 自分は変わらない。それを、痛みが嘘であったかのように吸血鬼らしい速度で治っていく紅い爪のグロテスクな巻き戻りによって思い知る。

 

「あ……終わっちゃってる」

 

 小さな手の平を見つめながら、どれだけ自失していたことだろう。眼下に映る光景は変化していて、倒れ伏す門番に日傘を拾いながらゆるりと向かう、笑顔の少女の姿が見て取れた。

 フランドールは、その当然な事の推移を口惜しく思う。紅美鈴は妖怪としての力は弱いが、絶え間なく磨かれた武によって、位階を軽々と覆すことが可能である。しかし、幾ら優れた理を持ってしても、蟻が大山を動かすなど無理であることは明白。

 種族柄とても良く利く紅玉のようなフランドールの瞳でもってしても、人が大海の底を見つけようとしても分からないように、眩しい笑顔絶やさぬ大妖怪の少女の力は茫洋で果てしないものと映った。

 自分を守ってくれるという約束を未だに続けてくれている門番が負けてしまうのは認め難いが、相手が悪いとも思う。

 

 いや、むしろ良かったのかもしれない、とフランドールは思わないでもない。あんなに優しげな表情をしている少女が、まさか負けた相手に非道を行うことなどないだろう。

 風見幽香という妖怪が、気が向いたというそれだけで地上に地獄を作ることすら躊躇わずに遂行する、そんな少女であることを知らずに、フランドールは彼女に太陽のような優しさを想起していた。

 

「わ、こっち見てる……手、振ってくれてるの?」

 

 そして、少し煤けた美鈴と会話している幽香を見つめていると、向けられた視線と共に、変化が起きる。

 手の平を向けて、それを左右に揺らす。それは花壇の向日葵が風で頭を動かしている様を思い起こさせた。また、見せられた笑顔はとても心地よいもので。まるで、自分が日向にいるような、そんな気がしてしまい。

 

「あは」

 

 思わず心の痛みに耐えられず、フランドールは再び縋るように手を伸ばしてから、届かぬままにその手に幽香の目を移して握り潰した。

 フランドールはそのまま逃げるように踵を返し、結果を見ることもない。自分の能力が行使された後の結末なんて、直視したくないくらいに分かりきっていること。そして、彼女の全てが望んでいたことでもなかったのだから。

 

「あは、ごめんなさい……」

 

 フランドールは、作った笑顔を歪ませ続ける。

 

 

 

 ありとあらゆるものを破壊する能力を、フランドールは持っていた。彼女は相手の目と呼ばれる物をその手にすることが出来、それを握り潰すことで要を無くしてしまった相手を自壊させることが可能なのである。

 しかし、他とは違うフランドールとて、自身に害のない相手をむやみに破壊することはない。つまり、壊したくなるくらいに彼女にとって幽香は害だったということになる。

 芽吹いた緑色の花は小さく脆い心を苛む。そう、フランドールを動かしたのは、美しいものに対する嫉妬心。自分はそこに居られないのに、どうしてそこに綺麗に咲いていられるのか。なんて、羨ましいのだろう。

 果たして、相対されるのが嫌だと、枯らすために無知にも花の蜜を吸い尽くさんとする蝙蝠も居るのだろうか。不明であるが、確かにフランドールはその手を持って、花を圧し折った。

 部屋の隅、ベッドの上にて座しているフランドールは涙を拭いながら、言う。

 

「あの人、美鈴のお友達、だったのかな……悪いことしちゃった。怒られちゃうかな?」

 

 赤い目は充血し、紅魔の館を映して更に紅く。あまりの赤に、一体全てが一つで滞っているかのように、フランドールは錯覚してしまう。しかし、時は当然のように流れ、自業は返ってくるに違いない。

 家族達の叱り、それを受けることを当たり前とは思えども、認めたくない心もフランドールの中にはあった。否定は嫌だ。そして、最後に見捨てられてしまうことまで想像して、彼女は爪を齧りながら狂乱しだす。

 

「嫌、嫌。そんなの嫌! 悪いからって、怒られたくない、見捨てられたくない!」

 

 よくよく気が【振れて】いるフランドールは、恐怖以外の何を持ってきても自制出来ない。ましてや恐怖が彼女を揺り動かしている今にあって、その心の波紋は一向に消えてくれなかった。

 震える背中をその都度撫でてくれた、あの温かみが消え去ってどれくらい経つだろう。もう、吸血鬼の回復力すら破壊してしまいかねないフランドールの発作を治すことの出来る存在は居ない。

 

 そう。その、筈だった。

 

「わがままね」

 

 しかし、入り口から届いた静かな一言。それだけでフランドールは全身を緊縛されてしまったかのように停止する。

 全く聞いたことのない、その声色。しかし、その音はまるで草原の風音のように耳心地の優しいものに聞こえ、あの時見て取った少女の姿を否応にも思い出させた。

 そして、見張った目の先には、緑髪の彼女の姿が。赤チェックの服は背景に溶けるようにも映っているが、フランドールが見紛うことはあり得なかった。

 確かに触れて、そして潰して壊した綺麗なモノ。散華まで見なくても、間違いなくその目で目を見て解した筈のそんな相手。それが、変わらず優しく笑んでいるなんて。

 

「嘘。あり得ない……あそこで潰れて……こんな所に居る訳ないのに!」

「そうかしら。あり得ないがそこにいる。そんなこと、妖怪の普通よ」

 

 くるりとその場で一周して、幽香は己の健在を見せつける。その、瑕疵一つない美しい全てを認めて、フランドールは目を瞠った。

 死んで化けて出たら顕れると話に聞く、幽霊の尻尾も見当たらず、完全なままに目の前の少女は泰然と笑む。それが、フランドールにはとても恐ろしく映った。

 

「私、壊したのに。ど、どうして?」

「ふふ。壊れたくらいで滅びることが出来る程度なら、最強なんて呼ばれないわ」

 

 そう、幽香の言はどこまでも正しい。

 壊されバラバラにされてしまったくらいで終わるような存在、果たしてそんなものが魑魅魍魎溢れ不老不死すら見受けられる幻想郷にて最強の冠を頂くことがあるだろうか。

 風見幽香は失くならない。どんな方法で殺害しても少しばかり置いたら、ほら元通り。そして二度殺されるほど弱くなく、確実に害したものは誅される。そんな悪夢みたいな存在が幽香であった。

 花は枯れてもその美は消えず。ある幻想的な理由で、ここ幻想郷において幽香が失くなることはないのである。

 

「う、嘘。いやだ、怖い……」

「ふふ」

 

 怯え始めたフランドールを、微笑みながら幽香は認めてあげた。この子猫はなるほど中々の爪を隠していたものだと感心までして。

 しかし、今回はその鋭いもので辱められた訳でもなく、ただ通り魔的に殺傷されたばかり。そのくらいでは、幽香の心にさざなみを立てることなど出来はしないのだった。

 

「死ぬ程度なんて、些事。一々目くじらを立てることでもないのだけれど……でも、私に手を出すことがどういうことか、ということくらいは教えておかなければならないわね」

 

 そう、風見幽香に攻撃を加えるということは、ただ戦いの意思を見せるという、それだけにはならない。彼女が最強として座して維持している幻想郷の秩序、それに挑戦することでもあった。

 そんなこと、篭ってしかいなかったフランドールに分かることではない。未知の恐怖に震える彼女は、自分が信じていた力すら疑い、最早立ち向かう気力すら持てなかった。

 しかし、その気のない程度で、自業自得を回避することなんて不可能。破壊が無かったことになろうとも、その爪を立てたことまで無かったことにはならないのだ。

 

「そう、貴女のためにも一番に怖ろしいものを、教授してあげないと」

 

 優しくね、と幽香は続けた。

 

 

 

 言が終わるやいなや顕になって、幻想との交差点など幽かである物理法則の一部、空気すら揺らがせていく幽香の妖気に、フランドールはその場でうずくまっていることなど出来ず、慌てて飛び上がる。

 離れるための飛翔は素早く、そして再び彼女は爪を持ち出す。そう、不安に思いながらも、風見幽香の目をその手に得てから、潰すために、思い切りそれを握りしめた。

 

「……えっ」

「一度見せた能力が二度通用するとは思わないこと」

 

 しかし、当然のように幽香は健在。目は自身の延長線上。ならば、有り余る力の一部を込めることだって可能だろうと、花の妖怪は武骨にもそう考えていた。

 幽香は、フランドールの手の内で現出した結び目にぎゅっと、力を篭めて強張らせていた。余りに単純で、普通ならば不可能と思えてしまうこと。しかし、ただそれだけで最早フランドールの握力ですら潰すことは叶わない固さに変容していた。

 

「やはり、能力なんて、こんなものね」

 

 自らに少し力を入れただけで、通じなくなった破壊力に、幽香がつい無聊をかこってしまうのは、最強という安置に走った久方ぶりの揺らぎに対して期待してしまったせいでもある。

 小手先の個性、才能。その程度で最強の厚みを突破出来るかと言えば、そう簡単にはいかないものである。そんなこと幽香も分かってはいたが、不意打ちとはいえ一度は殺されかけた少女の破壊力への期待は止められなかった。

 思わず幽香は、失望をその表に出してしまう。僅かなそれをフランドールは敏感に察し、彼女はただでさえ乱れていた気持ちを無茶苦茶に昂ぶらせる。

 

「嫌、嫌、いやっ! 私を見捨てないでっ!」

 

 それは、少女のトラウマだった。

 フランドールは何時だって、歪な心の隅で考えている。こんな何からも怯えて隠れてばかりの自分なんて、そのうち家族からも見捨てられてしまうのではないかと。それは、好んで独りでいる訳ではない彼女にとって、あまりに恐ろしいこと。

 だから、心狂わせて、見捨てるにしては危ない力を誇示しながらフランドールは何時だって逃げていた。独りじゃなければ怖いのに、独りぼっちは嫌だと駄々を捏ねて。彼女は、周囲を怖がらせて怯えた注目をいただくことを良しとしていた。

 

「私を、怖がってよっ!」

「あら」

 

 そして、フランドールは幽香に自分を深く刻まんと、危害を加えようとする。彼女の周囲で爆発するは、力ある弾幕。

 針のむしろ、球と見紛う程度に至るまで多量にフランドールの周囲に創り上げられ、そして全てに自分を届かせようと、初めは丸かったその紅の妖力の形は端を鋭角に変化する。

 ごっこ遊びではない、弾幕。存在までもが破壊に近いフランドールの力であるから、数多の一撃一撃全てが損なわせることに長けていた。受けるという選択肢は、余りに選び辛い。

 

「ふふ。わがままもまた、幼子の愛らしさ。私は決して貴女を恐れない」

 

 しかし、幽香は躊躇わず、力の怒涛に逆らい歩む。端から持って来ていない傘は勿論のこと、攻撃を一身に受けた体も全くの無事であり、唯一傷がついて行くのは衣服のみ。

 ボロボロになっていくお気に入りのスカートを目に入れながらも、幽香は決して苛立ちはしなかった。そもそも、幼子の甘えなど、年長者である彼女には可愛いものにしか映らない。

 そして幽香は、抱いた赤子の小水で服が汚れたとしても、別に気にしない性格だった。服が台無しになろうとも、好きなものを愛せたことで満足する。今までその対象は花のみであったが、それは大きく広がっていて。

 

「ほら、暴れない」

「こ、こないで…………えっ」

 

 思わぬ暖かみに、フランドールは攻撃を止め、間抜けな声を出す。手が優しく身体に絡み相手の脈動を受け取る、こんな触れ合いなどどれだけ久しいことであったのだろう。

 そう、幽香は、破壊の吸血鬼の狂乱を、抱き留めていた。あまりにも間近で、紅の目を互いに向け合う。そして、震える背中を撫で擦って落ち着かせようとまでした。

 それは、今まで誰一人として出来なかったこと。親ですら、姉ですら、破壊されてしまうことを恐れて、歯を食いしばりながら、フランドールが心治めるのを時間に任せて離れていた。

 しかし、暴れるフランドールの真ん前という前人未到の位置に収まる偉業を成して尚、幽香は平然したまま、泣いた子供をあやし続ける。

 

「よしよし……私は貴女が怖ろしいものには見えない。でも、見捨てることだってしないわ」

「ど、どうして? 私、特別でないと、おかしくないと、誰も見てくれない筈、なのに!」

「それは違うわ、フランドール。貴女が無理をしなくなったところで、誰もいなくなりはしない。貴女は、貴女でいいの。まず、自分を認めなさい」

 

 幽香は胸元にフランドールの頭を寄せて、命の音色を聞かせながら、彼女に向けてとつとつと話した。そこには何の嘘もなく、自信に溢れたその言葉に、歪な少女はまた揺れる。

 

「ぐすっ、私が、私を?」

「ええ。貴女はただ、貴女であるからこそ望まれる。フランドール・スカーレットは、愛によって閉ざされた世界に安堵されていた。決して、疎まれて地の底に閉じ込められていたわけではない。それを、貴女は知っているはずよ?」

「愛?」

「ええ。貴女が気付かずにいた、それ。貴女が歪を発揮していた中で、それでも生きてこられた原因。それこそ、家族の愛であったことを、自覚しなさい」

「分からない、分からない……判らなかった! だって、誰も、普通の私を見てくれなかったのに!」

「はぁ。……仕方ないわね」

「っ! い、痛い!」

 

 ぱん、と弾けるような音がして、フランドールの頬に痛みと熱が篭った。じんじんと、大した回復力でも中々治まらないその痛苦に、彼女は思わず下手人であろう目の前の少女を睨む。

 抱擁を止めてフランドールの頬を張った幽香は、しかしそんな怯えが捻くれ怒りに転化したたばかりの目線の強さなんかで、怖じることなどなく。ただ、痛みの理由を語った。

 

「フランドール。私が貴女を叩いたのは、教えてあげるためよ。少しは痛みで冷静になったかしら?」

「ううん。とってもムカついているわっ」

「でしょうね。けれども貴女をそこまで愛していない私は、気にせず告げましょう。フランドール……心配と愛を履き違えてはいけない。特別な反応がなければ、そこに何もないと思ってしまうのは、浅はかだわ」

「浅はか……だって、だって、皆私を恐怖しないと。そうじゃないとこっちを見てもくれなかったのに!」

「誰にだって、自愛くらいあるわ。貴女のためにも自分のためにも、安定している状態の貴女を刺激する訳にはいかないでしょう。放置こそ、彼らの愛だった。それが間違いでもあると気づいていたみたいだけれど」

 

 それ以上幽香は語らず、思う。つい先程、自分の前で頭を下げて、フランをお願いと頼み込んできた素敵なお姉さんの心を。

 幽香が優しくしてみたいと考えた、猫は一匹だけではなかった。多くの手を借りて、箱を作り上げたもう一匹。レミリア・スカーレット。彼女こそ紅魔館の主であり、フランドールの姉でもある強大な吸血鬼。

 フランドールを守るために食を削ってまで働き過ぎて、満足に成長することすら出来なかった小さなレミリアの、確かな姉としての誇り。それを曲げて、自分に全てを任せたということ。

 そこに、幽香は愛を感じざるを得なく、気づけば事情を尋ねていた。そして、レミリアの思惑通り、運命の導きに従い、こうしてフランドールを諭しているのである。

 

「愛して、たの? でも、やっぱり実感出来ないよ。どうしても……理解できない」

「素振りだけが愛ではないわ。……でも、幾ら口で語ろうとも、それが貴女の救いになる訳でもないわね。いいわ。ここで貴女にも分かり易く教えてあげる。レミリアの愛と――――前言通りに一番に怖ろしいものも、ね」

「あ」

 

 そして、フランドールの眼前に、怖ろしいものが現れた。優しさの仮面を脱ぎ捨て、曝け出されたその力の海。原初のように幾種もの力が乱れ悍ましく蠢くそれが、溢れ出す。

 これは果たして何なのか。目の前のヒトガタは最早妖怪とすら思えない。吸血鬼の吸気すら抑え付けられてしまう、そんな圧を放つモノなど有りえていいものなのか。

 こんな存在、対すことの出来るものではない。死も怯えすら許されない、正しく恐怖の具現。風見幽香は、その力の全てを矮小な吸血鬼相手に披露していた。

 

 

「そんなっ!」

 

 本来ならば、対話で種を撒いて終わるはずであった、今回。しかし、幽香の我は、予定調和、運命をすら軽々に捻じ曲げていた。

 だから、運命を操る能力を持つ彼女は慌てた。そして、あまりの圧力のために館中の誰もが動くことすら許されない中。迷わず秘めていた全力すら開放し、大妖怪、レミリア・スカーレットを発揮する。

 

「――風見幽香! 私は、そこまで認めていない!」

 

 そして、レミリアが妖力魔力の大分を持って創り上げるは、紅の弾。膨大が小さく纏まったそれを、彼女は握って圧縮。状態を更に変化させる。

 振りかぶって握った手を向けるは、足元。地下の幽香に対して正確に、レミリアはそれを投げつけた。

 

「フランから、離れなさい!」

 

 投じられた紅は、音速を軽々と越え、尚迸る。自然槍のような見た目に整形されていくそれは、神話のグングニルをまで想起させるに十分な威力があった。

 二階から、建物を砕き、地面を消し飛ばし、幽香の頭上にてそれは大きく突端を向ける。幻想郷のパワーバランスの一角であるレミリアの力量を存分に用いたその投擲は。

 

「あら」

 

 幽香の周囲にまで広がった真っ黒い力の海に弾かれて、彼女の気を逸らす以上の効果を齎すことは出来なかった。

 

「フランっ!」

 

 しかし、そんなことは判っていたこと。ただ、レミリアは愛する妹へ向かう最短のルートを作ったばかり。それ以外の何に気取られることもなく、ただ真っ直ぐ、最速に比肩するその飛翔力を持ってして、最愛へと向かう。

 そして、そして。愛のために自死も恐れなくなったレミリアは、勢いよくフランドールを抱きしめた。数百年ぶりにこの上ない接近を果たした二者は、そのままゴロゴロと転がってから、幽香と距離を取る。

 丸まり小さな背を伸ばさぬまま、二人して幽香を見上げてから。次には揃ってぽかんと口を開くことになった。

 

「風見幽香、約束と違……え?」

「わわわ、お姉ちゃん……あれ?」

「これでよし……ふふ。怖がらせてしまったようね」

 

 何しろ、幽香は二人の前で周囲に披露していた最強の力を集めて、手ずから捏ねてから、整形して花を創り上げていたのだから。

 紅く、多くの筒状の花を咲かす二輪。呆気にとられたフランドールにレミリアの手の中にそれを置いてから、代わりに魔法で取り出したのか何時もの日傘を持って、幽香は浮かぶ。

 

「その花、貴女達に送るわ。真っ直ぐ地上への近道が出来て何よりね。それではさようなら」

「ま、待って!」

「何かしら?」

「えっと……」

 

 次いでと服まで魔法で元通りにしてから、ゆるりと飛んで行こうとする幽香を、思わずフランドールは止めた。しかし、彼女は何も向ける言葉を持たない。

 よく分からない、自分が壊した筈の、怖ろしい存在。色々と教えてくれたけれども、そして愛を実感までさせてくれたけれども、流石に息も詰まるあの恐怖を思い出せば、継げる文句を選んでしまい。

 自然、沈黙が生まれた。最愛を強く抱きしめながらレミリアが伺うその中で、幽香はふと最後に忠告を残す。

 

「あ、そうだ、忘れていたわ。いい子にしていなさいね。悪い子は――――食べちゃうから」

 

 自身に向けられた優しい笑みに、底知れない怖ろしさを感じ取ったフランドールは、幽かに頷くことすら出来なかった。

 

 

 

「あれで、良かったのかしらね?」

 

 魔法や人足によるレミリアが開けた穴の補修工事のために大忙しになり始めた紅魔館を辞して後、しばらく紅い空を浮かび続けた幽香はそんな言葉を零す。

 風見幽香に家族は居ない。集まりそれらしきものが出来た時も確かにある。しかし、決して幽香は彼女らに愛を向けた覚えはなかった。恐怖と共に多少なりとも向けられていた自覚はあったが。

 それらを参考にして、紡いだ言の葉。それの全てが正しかったと、幽香は思っていない。告げた結果の全てがどう転ぶかは、彼女にとっても不明なところ。

 

「まあ、アレでもう、独りで泣くようなことはなくなるでしょうから。それは良しとしましょう」

 

 愛を確信し、怖さを覚えたのだ。ならば、涙を家族に見せることを疎うこともない。落涙を認められることは、きっと少女を大きく成長させるだろう。

 そして、何時かは泣くのを止めて、前を見る。それが、幽香には楽しみだった。

 

 実のところ、風見幽香は少女の涙が苦手である。それは、今のように独りでなかった大昔に、周囲で沢山流れたために嫌になっていたからだ。

 それが、成長一つさせない空のものであるのならば尚更のこと。自分を壊した相手が、ただ辛さに泣いていると知った時。幽香は思わずそれを止めんと動いたのだった。

 

「しかし、懐かしいわね。お姉ちゃん、か」

 

 私もそう言ってくれる相手が居たわね、と独り続けた時。黄昏の中、二つの影が現れた。

目を細めてそちらを見つめる幽香。彼女の元へと向かってくる、その相手は、チルノと大妖精だった。

 

「幽香! あっちの方からすっごい音しなかった?」

「大丈夫でしたか、幽香さん? 紅魔館の方から来たみたいですけれど、何だか大きな破壊音がそちらの方から聞こえて……」

「ふふ、あれはね……」

 

 幼稚な彼女らの対応をする幽香。彼女の表情は優しさに満ちていた。それが偽りのものであるか、それはここには居ない地霊殿の主しか判別出来ない。

 しかし、余程機嫌が良いというのは、二匹には判ったようで。チルノと大妖精は、幽香の説明を余所に一度見つめ合ってから、ころころ笑いだした。

 

「それで……あら、どうしたのかしら?」

「あは。だって、幽香何時もと違うんだもの。何か可愛くて」

「ふふ。すみません。私、楽しそうな幽香さんを見るのが初めてで、ちょっと嬉しくなっちゃて」

 

 笑顔が三つ。揃って浮かぶ。自分の笑みの深さを撫でて確かめてから、また幽香は綻ばせる。

 

「そうね。確かに楽しかったのでしょう。今日は良い日だったのかもしれないわ」

 

 色々とあった今日を、幽香はそう総括した。善として勝って、壊され、怖がらせて、そんな一日が刺激的でないとは、とても言えない。

 幽香は低刺激な日々を嫌っていて、だから、過去にはつい何か虐めてまでそんな時を変えてしまいたくなってしまうことも多々あった。ならば、多忙であった今日を認めるに迷いはない。

 

 

 箱の猫二匹が、揃って幸せになるために働いたこと。それがもう戻らない過去の自身のための代替行為であると、そんな自覚まで幽香は持たなかった。

 

 

 

 




 今回入れられなかった弾幕ごっこ、次回は多く入れようかと思っています。


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第十二話 仙人に優しくしてみた

 実のところ、風見幽香は臆病者なのではないかと、博麗霊夢は思っていた。

 変化を求めぬ自然の具現。幻想郷の秩序に重く座す、そんな姿は並大抵の人妖には威厳溢れるように映るのかもしれない。

 だがしかし、それと反するかのように嗜虐的に全てと触れ合わんとするその様子。それはまるで小心なハリネズミが恐る恐る生き物と触れあっているかのようにも中立の位置からは見えていた。

 他者の痛みにて愉悦を覚える。そこには独りで生きられない弱さ、他を踏みしめなければ安堵出来ない脆い精神が隠れているような気がして。霊夢は幽香に幼稚を感じ、その心をどこか見下げているような様子すらあった。

 

「……まさか、こんな棘が隠れていたとは、思いも寄らなかったわね」

 

 それは、優しさという心の深層にまで突き刺さる鋭い棘。まさか、そんな以前の幽香からは想像もつかない新たな武器が顕わになるとは。

 花弁一枚で花は語れない。重なりこそ多面な美を魅せる華の所以。霊夢が幽香の底を見誤っていたのだとしても、別段おかしいことではないだろう。

 

「でも、解せないわ。どうして今まで幽香はあんなにも偏っていられたのかしら」

 

 だが、霊夢には、いや関わりがある殆どの人妖にとっては、他人に触れる棘を入れ替えた幽香の姿は奇異に映る。

 もっとも、そういう妖怪なのだと思えてしまうほど幽香の加虐が強烈に見えても、実際は徹し続けていた訳でもない。ふらふらと、どこか上方から他人をからかうような大妖怪らしき姿も頻繁に覗けていた。

 そんな彼女に引き出しが無いと考えるのは愚かであったのかもしれない。

 だがしかし、日々サディズムに浸るのは明白な幽香のカラーだった。己の色を軽々と変えられる妖怪なんて、中々考えられることではない。

 

「そんなにアイツは特別なのかしらね。あんたなら、何か分かるの?」

 

 独り言のような思案の言葉は唐突に視線と共に後方へと向けられる。先まで誰もなかった筈の社殿の階段の上には、座す一人の姿が。

 水を向けられたのは、ふわりとした桃色に乗っかる二つのシニョンキャップが愛らしい、仙人を自称する少女だった。

 

「さあ。ただの行者である私に、妖怪のことなんて分からないわよ」

 

 茨木華扇は、そう言って曖昧に微笑む。確かに、仙人ともあれば俗世に疎くて当然で、人の闇たる妖怪に無知でも不思議ではない。

 しかし彼女はとある理由によって妖怪に非常に詳しく、故にこの言もとぼけたものでしかないのである。そんな事実を知ってか知らでか、霊夢は疑わしげに表情を変えてから、ピンク色の仙人に背を向けた。

 

「そうよね。あんた妙に妖怪のことを判っている風だから、人間だってことをすっかり忘れてたわ」

「あははー……今日の霊夢は何時になく機嫌が悪いわね。何かあの花の妖怪に恨みでもあるの?」

「……そうよ。そこからしておかしいじゃない」

「何が?」

「どうして風見幽香は、花の妖怪としか呼ばれないの?」

 

 頭を振って、霊夢は空を見上げた。天は奇しくも花曇り。薄く広がる曖昧模糊は、茫洋たる青みの中で明確な形を作らず蠢き続け。見る者に人心地つかせるつもりもないようだ。

 

「初めて関わった、その瞬間から私の上でのさばっている邪魔者。暇だったからと異変を起こし、寝間着姿で平然と、私と魔理沙を墜とした特例。少し前まで何だかよく分からない世界との境で、どこか神社みたいだった館の主を務めていたというのに、その立場を簡単に捨てる破天荒。私にとって、幽香は花なんかじゃなくて、馬鹿みたいに強いよく分からないものよ。それが、今度は猫を被って何になろうというのかしらね」

 

 不安だわ、と続けて霊夢は溜息を吐いた。

 幽香という幻想郷という華の花冠そのもののような少女は、博麗霊夢にとって最強の妖怪ということ以外不明な存在だ。とても恐ろしい、ヒトガタということ以外分からない。

 だからそれが、更に変化を重ねて一体何処に向うのか、霊夢には予測不能で行末がある種怖しくすらあった。

 

「なるほどね……何はともあれ、霊夢が幽香を意識しているというのはよく分かったわ」

「不本意ながら、ね。……正直な所、あいつの前だと飛び辛くって仕方ないわ」

「その恐れ、少しは減らしておかないと、拙いかもしれないわね……いいでしょう。私に分かることを語ってあげる」

「お願い」

 

 頭も下げず、目線も合わせぬ誠意の一部もない請願。しかし、霊夢の固い表情から、それなりに切羽詰まっている内心を感じ取って、華扇は気にせず語り出す。

 

「まずは……そうね。幽香が好む向日葵は太陽が好きみたいだけれど、宴会等で花天月地がよく詠われていることを霊夢だって知っているでしょう。そう、花は光の下にあることこそ当然で、暗闇に隠れてしまった花などまず意識なんてしない。毒花ですらない一般的な花なんて、ほぼ妖怪として成立しないものなのよ」

「でも、幽香は存在するわ。それもとびきり力強く、幻想郷にある」

「花は命のたとえともなる。つまり風見幽香は比類無き生命の具現と取れる……陰の存在である妖怪としては非常に特別であるのに違いないわ」

「なるほどね。あいつが花の妖怪であること自体が別格の証明であるから、誰も他の特異を語らない、と」

 

 もしくは、一部はそれを貶める意味で使っているのかもしれないけれどね、と華扇は言葉を差し込む。陽に属する妖怪なんてまるで――みたいだと、そう口にした者で未だ生を謳歌している者はこの世のどこにも居ないが。

 

「そして、何になるつもりなのか。これは、境なんて気にも留めない風見幽香に限っていうのなら……気持ち次第で何にでもなってしまうのかもしれないわ。それこそ、人間側に寄ってしまうことすらあるかも」

「……それは困るわ。はぁ。これはもっと、あいつのこと、確り見張らなければいけないかもしれないわね」

 

 妖精人妖構わず、虐めて来た幽香。詰まるところ、それは他者の立場位置に拘泥しない、妖怪としても珍しいくらいに個の様体しか見ない生き方をしていたということだった。

 それがそのまま、今度は殆ど全てに変わらず優しくなって。無作為に味方を増やし続けている幽香の姿は、まるで境界を無視して生きているようで。数多のタブーを踏み抜きながら平然として歩いている彼女は、華扇から見れば羨ましくも映る。

 

 勿論、幻想郷のバランサーでもある博麗霊夢は、そんな強者の自由を認める訳にはいかない。傍若無人なところ、そんな色だけ変わらずに活発に行動されては堪らないと、彼女は監視を強めることを決める。

 

「幽香が優しくし始めてから、もう二年目か……結構な数の人妖が馴染み始めているのが問題よね」

「特に幼気な子たちは、順応が早いみたいね。私なら、とてもじゃないけれど、優しく寄って来る幽香なんて、信用出来ないけれど」

「そうかしら? あんた、随分とちょろそうだけれど」

 

 博麗霊夢は、言葉を濁すということをあまりしない。素直に、目の前の仙人のことをそう評した。

 最初は目的があって近づいて来た様子だったのに、最近はどうも情によって貧乏巫女自体を気にして来訪するようになっている。霊夢から見ると、華扇には、どうにも甘いところがあるような気がしてならなかった。

 

「むっ。大丈夫よ、私は騙す方の考えだって熟知しているから」

「そう思っているあんただからこそ、騙されそうなのよね……」

 

 文句を主に、わいわい言い出した華扇を余所に、霊夢は考える。さて、風見幽香の目的は何かと。相手を見定めて優しくしてはいるようだが、その際限は殆どなく。彼女が輪を広げ続けて至ろうとしている場所。到達点は、目標は。

 

「これだけ続けているということは、何か大きな企みでもありそう……」

 

 彼女にとっては二年程度。彼女にとっては二年をも。大妖怪の気の長さを理解できない霊夢は勘違いして、そう呟く。

 ただ、自分の間違いを理解はせずとも、自らの言葉が的を外していると薄々勘付いてはいた。だから言い切れなかった霊夢は、自分は紫みたいに頭脳労働するのは向いていないのよね、等と嘯こうとして。

 

「……そういえば、最近紫と遭ってないわね」

 

 曇天に、目的を持って風見幽香を放置しているだろう相手を想起しながら彼女はぽつりと、呟いた。

 

 

 

 天を蓋する曇り空を隠す紅い屋根の中。シャンデリアの美しい光とそれよりも尚豪奢な弾幕の輝きに包まれながら相対するは、四季のフラワーマスターと悪魔の妹。

 美しき花の形。再び幻想郷の地に満ち始めた花卉の生気の迸りを受けているかのように、宙空で舞う風見幽香は回避の全ての所作に溢れんばかりの美を容れて魅せていた。

 相対する、異形の翼。フランドール・スカーレットは背中の宝石に光の瞬きを映しながら大いに笑って、そんな魅力的な一輪に向かって全力を出している。

 

「凄い……」

「頑張れ、幽香ー!」

 

 そんな二人の弾幕ごっこを、大妖精とチルノは馬鹿げた広さに空けられた客間の椅子に就きながら観戦していた。

 下から望めば、広がる弾の巡りはあまりに大輪で。点は線と見紛う域を超えて、面すら伺う。自力では到底展開できない計算されたその美に大妖精は見惚れ、チルノは光の最中に揺蕩う幽香の勝利を願った。

 

「ふふ。応援されるというのも、楽しいものね」

 

 グレイズの音色騒がしい中にて応援の声は届くのか。普通ならばそんなことはあり得るはずもない。だがしかし、確かに、当の風見幽香は感じていた。

 小さな妖精の精一杯の声色を、耳朶にて受け止めることで自ずと深まった微笑みを、幽香は喜んで受け入れる。

 間近の幽香のそんな発言を聞いたフランドールは声援を送るチルノを確認してから、むくれてユーモラスに激した。

 

「む、幽香ばっかりずるいわ! チルノに大ちゃんは私のメイドさんなのにっ!」

「非常勤の子の休暇。主がそんな時の応援相手まで縛ってしまうのは、あまり歓迎できないわね」

「うっ……ふん。普段いい子にしてるんだから、こんな我儘くらいはいいでしょ?」

「そうね。その程度、目溢しをしましょうか。フランドール。貴女は間違いなく、随分と強くなった」

 

 恐怖の対象でしかなかった自分と真っ直ぐ相対することが出来るほど。それくらいに、フランドールの自制、その強さが格段に増していることに幽香は満悦を覚える。

 妖怪が心に負った恐怖感を多少の年月で忘れる筈がない。押し殺していても僅かな震えが握った手に残っている。だが、それでも自分の成長を信じて背筋を伸ばしてフランドール・スカーレットは今日この場で風見幽香に挑む。それは、非常に望ましいこと。

 周囲に向けられた針状弾幕の切っ先が大分鈍いものになっているように見えるのは、果たして幽香の気のせいなのだろうか。

 

 幽香という明確な対象ばかりに怯えるようになって破壊衝動を忘れたフランドールに、レミリアは支えとなり、咲夜は補助をし、パチュリーは教授して、美鈴は笑いかけた。

 そして、野次馬からの縁で顔見知りになったチルノと大妖精も、二匹がフランドールお付きのメイドとして採用されたことを切っ掛けとして友と繋がり。

 何れ誰もいなくなってしまうのではと恐れていた孤独な子猫の周囲は、随分と賑わっていた。今日の幽香との弾幕ごっこは、彼女の外出認定試験のようなもの。

 チルノと大妖精の言によるとその状態が完全に安定した、とはいえないらしい。満月の夜には自己を統一しきれないこともある。しかし、たった二年ぽっちでフランドールがあの深い狂気に克つことが出来るようになるとは、流石の幽香も思っていなかった。

 自分を恐れなくなった家族の絆に、新しく出来た友との絆。それを壊したくないという想いが、こうも急速に、少女の心を成長させたのだろうか。

 確かに、幽香も認められるくらいに、フランドールは強くなっていた。

 

「でも、私には未だ、届かない」

「言ったね! 私だって何時までも幽香に怯える子供じゃないんだ。いくよっ、禁忌「禁じられた遊び」!」

 

 緊張に眠れなかったフランドールは、そんな自分に合わせて早くに来て貰った幽香に怖じ過ぎることなく、むしろ発奮する。

 応援が相手に向かおうとも、今までの助けを思えば皆のために頑張る姿を見せつけたくもなった。いや、むしろ大いに魅せつけよう。

 こそりと、固唾を呑んで見守ってくれている姉に笑いかけ、フランドールは力によって十字を創り始めた。

 

 吸血鬼は十字架を恐れる。それは、人々が恐怖に弱点を求めたがために創り出されたもの。しかし、当のフランドールはむしろ図柄としてそれを好んでいた。

 折角弱点とされているのだから、それを逆手に取るためにも普段から嫌っているフリをしないと、と言われていても、平気の体で画用紙にクレヨンで二線を重ねることを繰り返し。レミリアによって禁じられるまで、フランドールはそれを続けた。

 弾幕ごっこのためとはいえ、ここでそれを解禁するとは。ひょっとすると彼女は成長だけでなく、変わらぬ部分をも遊び心と共に披露したかったのかもしれない。

 

 フランドールの紅い力によって創り上げられた長大な十字は、操作を安定させるためだろうか、中心に大玉弾を配置しながら宙にてペケに十字に角度を変えて、回りながら広がっていく。

 空を区切るは紅い閃光。一つでも飛行の邪魔になる程の大きさのそれを、彼女は一度に四つも放った。十字の回転はぶつかり合い、隙間を切り取り、奪っていく。

 

「ふぅん。コレが増える、と。少し厄介ね」

「ふふ。私を見くびっているね! 一つずつじゃないよ。倍々に、増やしてあげるから!」

 

 空を削る十字は、一度に四つ一斉に増えていく。それが壁にあたっても消滅せずに反転して向かってくるのだからたまらない。

 辺りに光線剣を振るうかのような回転に、反転と互いが干渉し合うが故の複雑さ。一定時間で空宙の全てを埋める前に消えていく、そんな制限すら助けとしては不足である。

 箱状の紅の空に、赤く。視認し辛いその十字は、これから墜ち行く相手のためなのだろうか。

 大きな弾幕のみを行使するばかりであっても、回避に緻密さを要求することが出来る。その証左になるだろう、ダイナミックな弾幕美が幽香の周囲を蹂躙していく。

 

「なるほど。交差を増やして避け辛くしていくのは、正しい選択だわ」

 

 巡る数多の切っ先に掠る音色を確認しながら、幽香はフランドールの考え方を、悪くはないものと感じ取った。

 人、それに準じた妖怪の瞳は前を見るのに適する。故に、限られた視界外から向うものは避けるのに辛くなる。

 そしてそれだけでなく、真っ直ぐ来るものは横に避ければいいが、斜め違う角度から交差が次々に向かって来られると先々の予知が必要とされていく。更にその交差点が回転によって来るとなると、高難易度になるのは自然なことである。

 難しい、一段二段も越えた狂気的な弾幕。避ける方に掛る負担は計り知れない。

 

「並大抵の相手に向けるのなら、ね」

「そんな……どうして、避けられるの!」

 

 だが、それでも足りることはなかった。大した回避運動に複雑な予測を強いられながらも、柳に風。

 催花雨に急き立てられようとも、花は自由。そして、幽香が放ち始めた白い花は、紅に染まりながらも、どういう計算の元なのだろうか、傷一つ付くことなくフランドールに送られる。

 驚くべき威力を発揮する儚き花々に、幼き吸血鬼は一つ、悲鳴を上げた。

 

「難しさも美しさも、確か。でも、落とし穴が一つ」

「な、何が悪いの!」

「一言にするなら、単調なのよ。発生こそタイミングを外そうとしているみたいだけれど回転は一定。リズムさえ掴んでしまえば、後は簡単」

 

 舞いは、調子を合わせることこそ肝要。そして、お空で踊ることが得意な幽香にとって、流れが変わらないものなど、合わせるに難しくはなかった。

 此度もスペルカードを切ることすらなく、幽香は淡々と花にてフランドールが散華する音を響かせる。

 

「うー……やられたー」

「フラン!」

 

 そして、墜ちる少女は優しいお姉さんに拾われて。

 

「……これなら合格ね」

 

 風見幽香に認められた。

 

 

 

「フランも幽香も、お疲れー!」

「お二人とも、凄かったです! フランドールさんも幽香さんも、やっぱり大妖怪さんなんですねっ」

「ありがとう、二人共……本当に、疲れたー」

「ふふ。要改善だったけれど、中々面白い弾幕だったわ」

 

 見事に調整された幽香の弾幕に寄って気絶することもなく、レミリアに受け止められたフランドールは自分の足で立ち上がり、駆け寄ってくるチルノと大妖精に健全を示そうとする。だが戦闘後直ぐのこと。流石に、疲れに肩を落とした。

 騒がしいそんな中にふわりと降りてきた幽香は、寸前の弾幕ごっこがまるでなかったかのように泰然としたまま、そう評する。

 服を僅かに焦がせた程度。渾身のスペルカードであっても殆ど損耗させられなかったその底知れなさに、フランドールは思わずぶるりと震える。やはり怖ろしい相手だと、彼女は再確認した。

 そんな彼女の様子を間近で見て、これ以上落ち込ませずに元気づけたくなったのだろう、レミリアが大きな声をあげる。

 

「フラン、お姉ちゃんもよく頑張ったと思うわよ!」

「ありがとう。お……お姉様」

「むぅ。フランはあの時みたいにお姉ちゃん、って呼んでくれないの?」

「ううー。だって、恥ずかしいもん……」

 

 赤くなったフランドールに、レミリアは満面の笑みを向けた。可愛らしい子に成長して、と思いながら。

 言の通り、レミリアは幽香が来た時に一度お姉ちゃんと呼んだ、その響きを実は酷く気に入っていた。そのため、時所を弁えずそれをねだることもままあったのだ。

 問答する二人は、微笑ましくその様子を見守る視線を知らず。

 

「仲いいなー」

「姉妹っていいですねー。羨ましいです」

「……そういうものだから」

 

 そして、戯れる吸血鬼達を眺めていたチルノと大妖精は、幽香の視線に篭められた複雑な感情に気付くことが出来なかった。

 

 

 その後改めて、客間のテーブルに就いた面々は紅茶で喉を潤し、少し会話をしてから沈黙している幽香を見やる。

 チルノがレミリアの呼び声に応じて現れスムーズに給仕をこなした咲夜を見て、やっぱメイド長はすごいなー、と感想を言ったりする段もあったが、それも終わり。

 今は裁定者として呼ばれた幽香の決定を待つばかりとなっていた。一つ、唾を飲み込んだレミリアが、質問をする。

 

「それで……フランはどう? 幽香、貴女の目から見て、今のあの子は外出しても問題ないかしら?」

「大丈夫ね。問題ないでしょう」

 

 答えは、是だった。

 あっという間に二人以外の皆の顔が、喜色に染まる。

 

「やった!」

「良かったです!」

「早苗にアリスにミスティアにリグルにルーミア……もっといるけど、フランもこれで皆と遊べるね!」

 

 フランドールはもとより、チルノと大妖精もこれには大喜び。

 チルノは友達の名前を沢山挙げて、フランドールが彼女等と輪になることを想像して、喜ぶ。

 無論のこと、挙げた者等がこの場に居ないのは、危険を避けてのこと、である。

 

 以前、幽香やチルノの口から紅魔館に引き篭もりの少女が居るということを聞いた何人かが、野次馬根性を発揮して見に来ようとしたこともあった。

 しかし、狂気を発揮した彼女相手だと、私でも一回殺されてしまったわね、と幽香がその危険性を語ったところ全員が青い顔になり、来訪を見送るようになったのだ。

 今回も、幽香という刺激による発狂の危険性を思うに、レミリア以外は皆能力の意味がない面々に絞って観戦が許されていたのだった。

 

 まるで子供の大騒ぎ。身体で喜びを表現し合うフランドール達を見ながら、しかしレミリアの表情が優れることはなかった。

 その理由を察して、幽香は言葉を掛ける。

 

「レミリア。貴女が心配しているのは、外で起きたことでフランドールの心にまた罅が入ってしまわないか、かしら?」

「……貴女は何でもお見通しね。その通り。過保護と笑うといいわ」

「ふふ。レミリア、そんな過保護な貴女を安心させる言葉を私は知っているわ」

「何かしら?」

 

「――私に任せなさい。あの子が壊れてしまっても、その度私が叩いてでも直してあげるから」

 

 その言葉はレミリアの身体に染み入るかのように響いた。

 なるほど確かに安心できる。最強の妖怪というそれだけでない、幽香という存在そのものの安定感が、どこか母性や父性を思い起こさせて。

 

「ふふ。本当に叩いたら、怒るからね」

 

 思わず彼女は不安を忘れ、笑っていた。

 

 

 

 彼女は、全てを見ていたわけではない。しかし、事が始まってから幾つかの事態を目撃していた。

 現人神に蛍に吸血鬼。他には闇や兎まで。追いかけ、様々な相手に幽香が優しくしているのを、彼女は眺めていた。その中で、思ったことは一つ。

 

 ただの強者にしてはどうも、風見幽香は痛みを知りすぎている。

 

 最強が、弱き者に目をかけるということ、それくらいはあるだろう。しかし、彼らの痛痒を慰めるためには、その痛みを熟知していなければならない。こればかりは、想像のみで届くものではないのだ。

 だから、幽香にも弱者だった時期があったのだろうと想像して、然るべき筈なのだった。誰もの痛みを経験する程の、か弱い時が、彼女にもある。そういう夢想を。

 しかし、現在のあまりの強さのために、幽香は一部も、もしかしたらという想像の余地を残してはくれない。まさか、まさかと。

 彼女は俯瞰していたから、その可能性に気付いただけに過ぎなかった。

 

 

 そして、彼女――霍青娥は思う。この妖怪は、面白い、と。

 

 

 紅魔館の帰り、見飽きた紅に暮れた空から降りて、風見幽香は自分の家に着いていた。最近来るものが増え、時折優しくしてもらったお礼として何やら入り口に置かれていることすらままあるが、今は何もなく。

 魔法の錠がかかっていたことを確認してから、幽香は自宅へと一歩踏み出す。

 

「ただいま」

「おかえりなさい」

 

 そして、誰も居ない筈の中から当然のように返事が来たことに、幽香は少しも狼狽えず。ただ堂々とした侵入者を認めて、そして水色の姿に向かって口を開く。

 

「あら。やっと姿を現したのね。このまま隠れたままかとも思っていたのだけれど」

「私程度の隠形では通用しない、か。流石は風見幽香ね。……お初にお目にかかります。私は霍青娥。仙人の端くれですわ」

「そう。それで、私に何か用?」

 

 幽香に固さはない。しかし、当然のことであるが、フランドール等を相手にしている時のような柔らかさも態度には出ておらず。

 その対応に少しぞくぞくとした気持ちを感じながら青娥は簪を手に取り、幽香の質問に答えず、問いで返す。

 

「ねえ、貴女。私に利用されない?」

「いいわよ」

 

 青娥は思わず破顔した。ああ、やはりこの妖怪で間違いなかった、と。

 

「ねえ。どうして、即答したのかしら?」

 

 再びの問いに、日傘を置いて、少し勿体ぶってから幽香は応える。

 

「偶には、悪い人間に優しくしてみてもいいと思って、ね」

 

 弄ばれるのも面白そう、と続けた幽香の言葉に青娥はこの上なく頬を釣り上げ、声を上げて笑った。

 

 

 

 



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第十三話 古の怨霊に優しくしてみた

 

 霍青娥は、千数百年以上前から邪仙、つまり仙人として生きている女性である。修行こそ人を仙人足らしめているものであり、それほど永く研鑽を積み続けた彼女の力は幻想郷の数多の存在と比べても高みに位置するものとなっていた。

 既に神仙の域に到達している仙術、それ以外にも時にあかせて修めた妖術魔術等、青娥が強者から学び続けたそれらは、彼女をただの邪仙とするにはあまりに多岐に渡っていて。

 外の世界において青娥は並ぶものない術士、として影にて知られたものだった。

 

「やっぱり、幻想郷は面白いわ」

 

 しかし、そんな平らな世界での最強など、青娥の欲するものではない。自分では及ばぬ強者の存在こそ、望ましく。そこから大いに学び取る楽しみが、彼女の永い生を支えていた。

 真の強者、化け物共の上澄み。風見幽香のことは、幻想郷に出入りするようになってから早々に知っていた。だが如何せん、不変の最強に対して青娥の食指が動くようなことはないのである。

 それは、付け入ることの出来ない高み。今更無理をしていたずらに挫けることを許容出来る程、青娥が培ってきた自信は軽いものではない。だから彼女は幽香を酸っぱい葡萄と思う他に、何も出来なかった。

 その認識は、しかし物欲しげに見つめていたある日、唐突に変わる。

 

「まるで相手の気持ちすらも分かっているかのように、無力の楽園で弱者の振りをする。そんな最強なんて、あまりに愉快で魅力的過ぎてしまうじゃない」

 

 たとえそれが、本人がわざと見せている隙だとしても、宝を求めて虎口に入るのは欲深き仙人の当然だった。幾ら思慮深く悩んでも、愚かな外道の人間に堪えきれるものではなかったのである。

 そして、噛んだ葡萄の酸いを楽しんで、青娥は思わず口の端を緩く歪めた。自然上から下に、利用されてあげると笑っていた風見幽香のことを、彼女は決して嫌わない。

 むしろ、青娥のすべてを呑み込んで、認めるその視線。ぞくぞくするほど底知れない赤に、美を覚えて愛してしまう始末。

 孤高は失せ、滑稽さまで帯びた天蓋の外。権能、それすら弱力に思えてしまうほどの単純力量。それでいて妖怪でしかない、彼女。果たして、そんな突然変異に学ぶことなどあるだろうか。

 

「弱者に視点を合わせることが出来る、その自縛。力の制御においてはきっと彼女の右を出るものはいないでしょう。小バエを潰さず払う、象の力の自在。そこに力に遊ばれがちな術者が何も学び取れない、なんていうことはあり得ない」

 

 そう独りごちながら、青娥は掌の内にて花を編む。力を歪め整え、生物の似姿を求めていく、その所業。生きとし生けるものを創り出したものに対する冒涜のような行為は、しかし途中で集中足りずに霧散して終わる。

 そう、風見幽香が創り上げる弾幕美に、仙人の天井にぶつかっている青娥の物真似は及ぶことはなかった。

 

「それに……そのあり方も、面白い」

 

 微笑みながら、青娥は障子の桟をなぞる。すると、その区切りを嫌った彼女の力に耐えられなくなったほねは、無残に折れて、散らばった。

 後に残ったのは、広い紙張りの空間ばかり。そう、域を広げて形容しがたくなった、だがしかし無残にもそこにあるもの。

 それが、青娥には幽香の姿に見えて仕方がなかった。

 

「風見幽香、彼女には魅せてもらいましょうか」

 

 青娥は、妖怪を邪悪と断じる。だがしかし、風見幽香には別の感想を見出していた。不死に近い人間らしく万古不易を好むところだったが、彼女は有為転変も嫌いではない。

 だから、ねえ、芳香、と青娥は今も暗闇に向かって口にする。

 

 

 

 聖輦船は、地に降り立ち形を変えて、更に命蓮寺と名を変えた。人里近くの妖怪寺。最初は人間に関わる誰もが警戒を行った。

 しかし、今のところ命蓮寺の妖怪が人を害したことはなく、むしろ彼女等は積極的に人助けを行ってすら居る。

 建ってから経たのは未だ二年。不安に思っている者は数多い。しかし、認めて居る者だってそれなりに存在した。

 むしろ、妖怪寺と知られる前は、宝船から変じた寺なんて縁起がいいと人でごった返した程だ。下手をしたら命蓮寺の人里での知名度は、良くも悪くも博麗神社に守矢神社をも上回っているかもしれない。

 

「ねえ幽香。あれが、お寺?」

「そうね。前から人里にそれらしいものもあったけれど……今はアレが一番確りとした寺ね」

「ね、早く行こう!」

 

 そんな、人々の注目集める木造建築物に向かって、ゆるりと歩む、少女が二人。内の一人、フランドール・スカーレットは日傘を優しく持ったその逆手を、自らの喜びを伝えるためにギュッと握りしめた。

 背中に七色を実らせる小さな吸血鬼に手を引かれているのは、風見幽香。人が大型犬のリードに引っ張られるように、フランドールの好奇心故の奔放は枷をずって自由になろうとしていた。今も、走って行きたいと、遠慮なく繋がる手に力を込める。

 だが、優雅を好む幽香は、そんな吸血鬼の暴走なんて意識せずともたやすく手懐けてしまう。ただゆるりとその場を歩み、伝わってくる些細な力など無視して笑う。

 

「フランドール。お寺は逃げないわよ」

「でも、興奮は冷めちゃうわ!」

「貴女の場合、冷えたくらいが丁度いい温度だと思うわ」

「むぅ。そんなものかなー」

 

 フランドールは、ゆっくりとした歩調に自らの音色を合わせて、溢れる気持ちを落ち着かせる。自身の狂気の綱をもう握っていられていると思っている彼女は、平素からの危うい機嫌の上下を知らない。

 感受性の高さ故に、喜怒哀楽その全てが強すぎるフランドールを宥めるのは、大変であるが問題を起こさないためには大事なこと。

 案内人兼遊び相手だけでなく、その役目も任されていることも理解している幽香はゆっくりと、彼女を慣れさせるために整地された地面を歩む。

 

「ぎゃーてーぎゃーてー♪」

「わっ、あの子つるつるじゃないね……でもアレ、門前の小僧、ってやつ?」

「そうね。以前、覚えてしまったと言って、私の前でお経を諳んじてくれたわ」

 

 幽香は、ちなみに命蓮寺に剃髪している子は居ないわ、という言葉に驚いた様子のフランドールを見、そうしてから歌うように読経している山彦、幽谷響子を認める。

 よくよく眺めてみれば、響子の犬のような耳は口元のリズムに合わせるように上下していた。箒を持つ手も一緒に上機嫌。彼女は随分と掃除を楽しんでやっているようである。

 そんな響子は人の気配に顔を上げ、そして幽香達を目にして、喜色を更に高めた。

 

「あ、幽香さんと……誰かな。まあいいや。おはよーございます!」

「わ、大きな声。吸血鬼的には夜更かしなんだけれど……おはよう」

「おはよう、響子」

「ちゃんと挨拶を返してくれて、嬉しいです! でもあれ、吸血鬼……もしかして、貴女は幽香さんが前に言っていたフランちゃん?」

「そう、だけれど……」

 

 箒と仕事を放り出し、二人の元へと駆け寄ってから、フランドールの前で響子は首を傾げる。

 その疑問を解決するためのフランドールの返答は、小さい。どう噂されていたか判らないために、フランドールは少し不安だったのだ。もしかしたら、自分が悪く思われてはいないだろうか、と。

 それは、杞憂に他ならなかったが。

 

「私、幽谷響子。ちょっと病気がちで不安定だったって聞いていたけれど、もう平気なんだ! 良かったー」

「え。う、うん」

「フランちゃんはすっごい良い子だって聞いてるよ。今日は何用で来たのか知らないけれど、暇があったら何時か遊んだりしようね」

「えっと、ええと……」

「ふふ。つまり響子はフランドール、貴女とお友達になりたいそうよ?」

「あ、言葉足らずでした? うん。幽香さんの言った通りだよ!」

「お友達? 大ちゃんとチルノ以外の?」

「そうね」

 

 笑顔の二人に、フランドールは目を丸くして信じられないと口をぽかんと開けた。

 フランドールが外を出歩くのは、何も今日が初めてのことではない。だが、外出にて知らない妖怪と関わるのは、今回が初めてのことである。

 生まれてから五百年以上の年月、知識はそれなり以上に溜め込んでいた。だが、その中には他への不信を煽るような内容も多々あって。自身の封じられた境遇から見ても、外に対する不安は非常に多いものがあった。

 だから、フランドールは自身が煙たがられることはあっても、認められることなど考えていなかったのだ。妖精二匹は例外だと、そう思い込んで。

 幽香が、驚く顔が見たいからと培った自身への信頼を使って響子に信じ込ませたことなんて、フランドールが分かるはずもない。だから、少しだけの沈黙の後に、おずおずと彼女は言うのだった。

 

「……ちょっと、考えさせて」

 

 他人は、怖い。そんな勘違いは臆病者の自己防衛。差し出された手を前にして、畏れられるべき破壊の少女は足踏みをする。

 

「あははー。びっくりさせちゃったかな? 可愛い。フランちゃんって本当に、箱入り娘なんだねー。優しくしてあげないと」

「ふふふ。貴女みたいに、未熟を摘もうとしない変わり者の妖怪たちばかりが集まるここは、この子にとっていい保育所になるでしょう」

「保育所代わりですか……構いませんよ。命蓮寺はゆりかごから墓場までの誰彼、それこそ悪意を持つもの以外に門戸閉ざすことはありませんから」

「貴女は……」

「白蓮」

 

 困惑するフランドールを優しさが囲んだ直ぐ後に、それよりもずっと柔和な存在が門からすっと現れた。包容、それを感じたフランドールの未知への恐れは発生してからあっという間に溶けていく。

 装いは魔理沙と同じ白と黒。しかし服に余計が付き過ぎであるし、髪も長くてらしくはない。だがしかし、訊かずとも目の前の人間が僧侶――良くなろうとしている人――であることを、フランドールは心の底から信じられた。

 己に向けられる慈愛、それは姉のもののようでも、どこか現と異なるような視点のようでもあり。フランドールは挟み込まれた声色とその金の瞳に、ぞっとする程の徳を覚えた。

 

「命蓮寺にようこそいらっしゃいました、幽香さんにフランドールさん。ご用向きは何でしょう?」

 

 幽香と違い思わずとも優しくしてみている住職、聖白蓮は笑顔のままにそう訪ねる。

 

 

 

「な、なにこれー!」

「え、さっき言ったよね。これは私のスペルカード、雨傘「超撥水かさかさお化け」だよ!」

「小傘ちゃんがこんな弾幕を使うなんて、聞いていな……うわっ!」

「フランちゃんが一杯驚いているのが分かるよー。良かった私、間違えてなかったんだ! 吸血鬼程の妖怪がびっくりするくらいだもの、難度を上げたこの弾幕で再チャレンジしたらきっと霊夢さんを驚天動地させられるねっ」

「うー、これは私だから驚いたのだと思うけれど……」

 

 紫色をした傘を振り振り、唐傘お化けの少女――多々良小傘――は晴天の昼空に水気を振りまいた。フランドールは彼女が作り出す出来の悪い雨粒の中を大げさに避けて回る。

 周囲には仏法を学ぶ妖怪たちや参拝に来た人間等が密でない青い弾の散らばりを気楽に眺めていたが、渦中にて慌てるフランドールは真剣だった。

 それもその筈、小傘が弾幕によって象った雨、それこそ流水を嫌う吸血鬼の天敵であったからだ。勿論、真似ているのは形象ばかり、とはいえフランドールの中に巡っている呪いには通じる。

 フランドールが逃げるのに集中するのも当然のことだろう。弱まった今、一粒でも当たったらきっと、とても痛いだろうから。

 

「優しい皆に格好良いところ、見せたかったのに。これなら幽香の言うこと、ちゃんと聞いていれば良かった……」

 

 雨に驚き逃げ回っていく合間に、最初にあったフランドールの勢いも湿っていく。そして、今日も彼女は学ぶ。調子に乗ると、しっぺ返しが来ることもあるのだと。

 

 用は何かという白蓮の問いに、私が貴女に秘密のお話があるのだと、幽香は答えた。そして、フランドールはその間遊ばせるつもりで連れてきたのだ、とも。

 白蓮に急ぎの用事はなく、ましてや快く思っている恩人との対話を彼女が嫌うはずもなく。子守の件も含め、彼女は快諾した。

 そのままフランドールに付いていこうとする響子に、まだ終わっていない掃除の他にも作務の行がまだあるでしょうと軽く叱って、白蓮は来訪者二人を墓地へと連れて行く。

 そして、墓石の影からばあ、と現れた小傘に一切心揺らがせないままに白蓮は、貴女は人里でべびーしったー、というのをやっているのですよねと尋ねる。

 そうだよー、と言う小傘にそれではフランドールさんと少しの時間遊んで頂くのは可能ですかと再度訊き、彼女が頷いたことに白蓮は満足の笑みを見せた。

 二、三幽香と会話を交わしたフランドールは、その後すぐに人間に必要とされたということで急にやる気を出した小傘に手を引っ張られ、手を振る二人に手を振る間もなく来た道を引き返すこととなる。

 

 幽香との縁故を辿って諏訪子直々に整地して貰った命蓮寺には立派な庭があった。二年の月日で、植えられた庭木も充実しており、寺に連れてこられた子供達が隠れんぼを行う格好の遊び場となっている。

 そこにて、二人は大いに楽しんだ。それどころか、修行をサボタージュした妖怪等も参加し、大勢となって缶蹴り等の遊戯も皆で行うこととなり。

 友達の輪を一気に広げたフランドールは大変気を良くして、次は自分の得意、つまり彼女が弾幕ごっこをして遊ぼうとしたのは、自然の成り行きだったのだろう。

 去る前に幽香が口にした、小傘と弾幕ごっこをするのはやめておきなさい、貴女じゃあきっと敵わないから、という忠告をフランドールは冗談と取っていた。だから、気軽に戦って。

 

「わ、わっ!」

「ぷぷっ、フランちゃん避けるの下手だねー!」

「むぅー!」

 

 それがこのざまである。

 

 因みに、吸血鬼の力弱まる流水の中とはいえ、フランドールが無様を見せる原因は、弾幕の意外な難易度のためでもあった。

 超撥水の反射角百五十度。鈍角の広がりは重なり合うことで死角を失くし、三百六十度を巡っていく。水弾は、完全に支配されていないために散らばりは雑多で予知し辛いもの。

 背中の虹色どころか本物の虹が垣間見える感動もあって、フランドールは大変に困惑していた。

 

「ふふ。やっぱり、フランドールは忠告を無視したのね」

「幽香……」

 

 そんな中、会談が終わったのか幽香が飛沫を手にした傘で防ぎながら、庭に足を踏み入れる。バツの悪い思いに、フランドールは表情を曇らせた。

 しかし、そんな弱気な彼女に向かって、風見幽香は助言する。

 

「顔色が悪いわね……力を出せない状況に、歯がゆい思いはあるでしょう。でも、これは遊び。それも楽しんでしまえばいい」

「楽、しむ……」

 

 フランドールは幽香の言葉を繰り返し、飲み下す。呪いによって魔力も妖力も、この偽雨の中では消え入ってしまったかのよう。弾幕だって小さいものしか投じられない。

 だが、それがどうした。力を億分の一も出せずとも、風見幽香は悠々と勝利を掴み続けている。

 そして、負けることだって遊びの一つであることにも、幽香の言葉で気付くことが出来た。恐怖なんて、心地いいスリルにしてしまえばいい。

 

「きゃはは!」

「わっ」

 

 そして、小傘は吸血鬼の窮鼠の牙に驚かされる。フランドールは翼開いたかと思えば、一挙に攻勢に出た。

 

「どうせこんな弱いの当たらないから撃たない、なんて私らしくない考えだったわ! 幾ら劣勢だろうとそんなのを気にしないのが私だった!」

「こんなに沢山の魔弾、相殺しきれない……きゃぁっ!」

「そう、これが、私!」

 

 それは、滴を破る怒涛。無為にも見える程の弱さを、フランドールは量で補う。

 一発一発は非常に弱まって小傘の弾幕を破る程の力はない。だが、狂気を感じるほどの夥しさを持ってして、フランドールは赤で青を貫いた。

 最早形勢は逆転し、抵抗は焼け石に水。それに気付いた小傘は早々に、墜っこちた。

 そして、フランドールは、宙に己を表せたことを誇る。本気を出すために日傘を落としたことすら忘れ、その身から紅い湯気を立てながらも胸を張って。

 

「少し禍々しい様子ですが、どうやらフランドールさんも楽しんでくれたようですね。それに、幽香さんの言葉で、何か一つ吹っ切った様子で」

「そうみたいね」

「……私は、未だに少し、迷っています」

「それでも、貴女はきっと変化を受け入れる」

 

 こわばった表情で宙を見つめる白蓮の横にて、言に応答しながら幽香は笑顔を作り上げて、拍手をした。

 空への集中は、移動する。その場の誰もが寄ってくることを歓迎するために白蓮も笑顔を作って。

 

「そう、なのでしょうね……」

 

 ぽつりと、そう呟いた。

 

 

 

「それで、秘密にして欲しい要件とは、何でしょう?」

 

 客間にて、ちゃぶ台を挟んで幽香と白蓮は相対す。ニコニコと出ていった本尊代理、寅丸星の足音が遠ざかる音をたっぷり二人は聞いた。

 

「封印に関して、ね」

 

 問われた内容に、茶で喉を潤したばかりの幽香の口は軽く動く。白蓮の眉根が寄るのも、早いものだった。

 

「先の私の封印について、という口ぶりではありませんね……幽香さんなら、やはり判ってしまうのでしょうか」

「千年の封印の間溜め込んだ貴女の魔力の全てで鎖してから、寺で蓋をする。ここまで万全の封印、開いてしまうどころか気付く者も中々いないでしょう。封印時に貴女が損耗していたとしたら、半端になってしまったかもしれないけれど」

「それでも貴女には、察されました」

「私であっても、零を解すのは無理なこと。貴女が封印したものの関係者から訊かなければ、流石に判らなかったわね」

 

 それは、指示されその近くで地ならしを行った諏訪子ですら、その下に空間があることは判ぜてもそこに封印があるとは思えなかったほどの完全。

 封印された中で瞑想を続け、力を高め続けていた白蓮の全力なのであるから、欠片の力も漏れるはずもなかった。だがもし、弾幕ごっこなどでその一部でも使われていたら、或いは自然に自壊する程度の封印しか出来なかったかもしれないが。

 何せ、千年以上もその目の前に封印を見続けて理解していても、あくまで聖白蓮の得意魔法は身体強化であるのだから。

 幽香が口にした関係者の言葉に白蓮は身体を固くし、思わず全身に魔力を通していた。

 

「封印から何者かを開放するおつもりですか? 確かに貴女の敵ではないのかもしれませんが……しかしもしもの可能性を私は想像してしまいます。それに全ては私が始めたこと。無責任に人任せというわけには……」

「むしろ、怖いからと封じて、時に解決を託す方が無責任ではないかしら。それに、そもそも同じように幾年も閉じ込められていた貴女は封印に対して一家言くらいはあると私は見ているのだけれど」

「……確かに、私は問答無用に封じることを、経験抜きにしても正しいとは思えません。ですが、私と同じ僧らによって封印されていた者、それに邪心を感じてしまえば、どうしても……」

「――――それは、魔道に堕ちた僧侶よりも邪悪な存在?」

「……分かりません」

 

 不明、それを恐れる心は果たして正しいのか。恐れによって生まれた妖怪を愛しながらも、しかしその在り方を変えようと動いている白蓮は自業を恥じて項垂れる。

 自らと離れた心を、邪心と捉える。それも相手を見ずに。そんなことは良くないことだと、子供だって分かるだろう。

 だがしかし、自分の愛するものまで傷つけかねないその力の強さ、そして感じた理解できない精神への恐れから、無かったものにしようとしてしまった。

 それを、直さずともいい人である白蓮は、気付く。気付いてしまったのだ。

 

「ここ、幻想郷はすべてを受け入れるそうよ――――仲良く、しましょ?」

 

 誰かの言葉を引き継いで、幽香は頭を垂れたままの新参者の僧侶に向かって、微笑んだ。

 

 

 

「貴女の願いは叶えたわ」

「ありがとう、ございます」

 

 それは丑三つ時に、寝入った様子を見せていた幽香が唐突に紡いだ一言。だが、それを枕元にて受け取るものが居た。

 薄く、発光している幽体は二本の尾を両足のようにし、少し古臭い少女の形を取りながら蕩けるような笑みを見せる。

 無防備にも目を瞑りながら、幽香はそれを知った。

 

「太子様……千年以上も待ちましたが、これで貴女とまた……」

 

 感情に合わせ、バチリバチリと電気を弾けさせながら、彼女は熱い頬をこねる。彼女が蘇我屠自古という神の末裔の亡霊であることを知るものは、幻想郷に数少ない。

 それこそ幽香ですら、その願い以外の全てを知らなかった。もっともそれはどうでも良かった、そういうことであったのかもしれない。

 そのただ優しくされた対象、屠自古は今も目で見ずとも観られていることに気付いたのか、改めて紅い顔から手を話して頭を下げた。

 

「このお礼は、必ず……」

「期待しないで待っているわ」

 

 実際に、優しくしてあげた結果に、波乱が起こること、それこそが幽香にとっては報酬である。亡霊の礼までも、期待してはいない。

 だが、それを自分が過剰に低く見られているためではと考えた屠自古はプライドのためにも、やってやんよ、と気合を入れて消えていった。

 残ったのは、多少の静電気と、僅かな寒さ。そして、最後の課題である。

 

「後は、あの仙人の望みだけね」

 

 瞼の奥の赤を動かすこともなく、幽香はそう零した。

 

 

 

 



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第十四話 孤独な太陽に優しくしてみた

 投稿遅くなってしまい、申し訳ありませんでした!

 今回、複数のキャラクターが変化しています。
 ご注意を。


 

 

 東風谷早苗は、考える。異変。数多の神霊のようなものに溢れた空を見て、しかし彼女は眼鏡をくいと上げ、焦ることなく少し足止まった。

 

 

「これは、神霊……?」

 

 早苗が人里にて布教の一部という名目で行い始めた寺子屋での歴史講義の最中、厩戸皇子のお話を子どもたちに考えさせていた最中に、人の尽きぬ欲望は霊と化す。

 あらゆるものから顕れて淡い光と成った力は集い宙に溢れて綺麗と変わり、そして他を害することなく外へと出ていった。

 騒ぎ、慌てる皆。異変だと騒ぎ立てるのは、子供どころか通りの大人達であっても同じことだった。看破した早苗は一先ずその正体と安全を説いてまわり、同じく寺子屋で教員をしていた上白沢慧音――人寄りの半獣――に場の平定の続きを頼む。

 そして、弾幕ごっこでもなしに、霊(たま)溢れる空となった天を望み、早苗はそれを異変と理解して空を飛ぶために風を繰ろうとして、ためらった。

 

「……私は覚悟、出来ているの?」

 

 一時、袖がセパレートなために春風に少し冷える肩を抱きながら、早苗は省みる。

 異変、すなわち幻想郷全体に関わるほどの大事を行える何かしらの人妖によって既に今は平時ではない。

 それに関わりたい、という好奇心はある。風は自由で、早苗の心はそれに準ずる柔軟さを持ち合わせていた。しかし、それでも彼女は飛ばないのだ。

 

 今や早苗は常識を忘れた少女ではない。地に足を付け、天を仰ぐ風祝の女性であった。

 幻想郷の二人目の巫女は、冷静に神霊溢れる異変を推し量る。

 

「異常なのは、その量。神霊の赤ちゃん……人の欲の卵をここまで促進させてしまうなんて。それは、これだけの願いを容れる大きな器が顕れたから、とも考えられる、かな」

 

 鋭く絞られた、現人神の視線は奇跡的にも正鵠を射た。それもその筈、これまで早苗は確かな成長を重ねている。

 再び学びに立ち返った天才は、多くを識り直した。今や、早苗は毎週の如くに幻想郷唯一の図書館に通う姿は広く知られている。そう、思わず未熟な幼子の手を引いてあげたくなるくらいに、彼女の知は実っていたのだ。

 著しい視力の低下と引き換えに、概念をすり合わせて物事の輪郭を捉えられるようになった早苗の知力は、いつの間にか博麗の巫女の直感に近いものとなっていた。

 そんな少女の智慧が、警報を鳴らしている。

 

「願望器、聖人の器。つまり、それは私に近いもの…………私は、私に勝てるの?」

 

 望まれて、叶える力を持ったその体。それは悪魔か神か、どちらかになるだろう。そして、早苗は現人神である。

 だから、早苗は知っているのだ。自分がどれだけ度を越した奇跡的な存在か。人をして、崇められるものですらある彼女を超越出来る者は、そうはいない。

 故に、それに対せるほどのモノがどれだけ恐ろしげになるのか、巫女と花の妖怪の形以外に知らない早苗には想像がつかなかった。

 

「聖か邪か……両方、という可能性もあるのかなあ……」

 

 空を煌々とする程の神霊を見て、不安は募る。

 二柱に支えられた一柱たる早苗は、数多の欲を叶えて来た。だがしかし、これだけ縋られたことはない。そもそも、これだけの人の欲求を少女は認めて来なかった。

 故に、最早八方美人ですらあるこの度量の持ち主は、きっと偏っているのだろう。全てを聞き入れては、呑み込んでしまう、聖か邪。

 そんなものに、遊び心で戦いを挑むなんて、今や早苗にはとても出来はしなかった。

 

 ふと、早苗は笑う。

 

「ふふ。諏訪子様には、天真爛漫を内省することなんてない、って言われたっけ」

 

 それは、少女のような神様の、身内のための優しい言葉。

 空の巫女に折られて、最強の華に萎縮させられ、そして宵闇の大妖の影響にて専心するようになった早苗の心。それを慮った、親心。

 祀られる存在であった早苗の子供心を受け止められる程の広さを持つ幻想世界で、縮こまっていく様子を残念がる。そんな思いを受け取って、しかし彼女は微笑むのだった。

 

「でも、何時までも、子供のままでは居られません! ふふ、それじゃあ、行きましょうか」

 

 だから、敢えて、東風谷早苗は浮かぶ。

 大人になろうとする少女は、誰かのために。早苗は周囲に集った子らの縋るような瞳を解して、不敵に笑って手を広げる。そう、親愛なる隣人達のために、恐るべき相手に挑むのだ。

 皮相浅薄にも、いたずらに飛び回るのではなく、勇気を持って、一歩踏み出す。それが、正しいと信じて。

 

「誰に聞くまでもなく、神霊の向かう先はあっち。命蓮寺の方角かあ。昨日、用事があるって幽香さんが言っていたけれど……ああ、きっとそう」

 

 そして、独りごちてから、早苗は察する。きっとこの異変は、優しく終わってしまうことを。

 優しくしてみている最強の前では、どんな聖なる器であろうとも、悪しきを叶えられない。それが分かれば、安心である。

 囚われるもの少なく、早苗は飛ぶ。

 

「でも……ううん。きっと、大丈夫」

 

 眼下の立派なお寺に手向けのように大いに咲く弾幕の花。それを望み、高みから降りながら、珍しく働く直感を無視して、早苗は疑いを呑み込む。

 友達。それを信じることは、きっと間違ってはいないだろうと思い。

 

『所詮……いいや、どうしようもなく、相手は妖怪だというのにね』

 

 仰ぐ神のそんな言葉を胸にしこりとして残して。

 

 

 

「それでは次にいきましょう。大魔法「魔神復誦」!」

「くっ、また厄介な弾幕を……先を急いでいるのに!」

 

 封印解け、数多の光る神霊が洞穴の先、地下へと吸い込まれていく中、その姿を背にしながら白蓮は、猛る。一度流れる流星の如き魔女を逃してしまってからこの方、責任感の強い彼女は本気になって、強きものの復活に対する防波堤となっていた。

 鏃にすら思える揺らぐ鱗弾の青さに目を見張りながら、対せざるを得ない霊夢はその邪魔な強さに苛立ちを覚える。そんな意気に反して冷静な心の隣を、赤く巨大な弾が通り過ぎていった。

 

「幽香さんが対面を済ませるまで、もう何人たりとてここを通すことはありません!」

「全く、あの花妖怪のシンパは、話が通じなくて困るわねっ」

 

 蓮の図柄を背負って、空を弾の絵にて区切る。揺らぎと落下と直線まで容れたその弾幕は、かの魔の極みのものすら彷彿とさせた。

 青と赤は、入り交じることで目を飽きさせず、そして様態の変容は回避の変化を次々に要求する。巻き込まれれば藻屑と化す、計算されきった流れに霊夢は逆巻くように動いていく。

 その普段からの穏やかさから矛を交えることのなかった僧侶の、ここ一番の苛烈さに、霊夢は内心舌を巻いていた。

 

「……尽きぬ対話の意思はあります。けれども、私はこれほどの相手とは思わなかった! 故に、最大限の警戒をさせて頂きます。幻想の要たる博麗の巫女、貴女を守護るためにも、私が迷うことはないと知りなさい!」

「守るって、余計なお世話を……それに、これほどの相手って、それは異変の元凶のこと?」

「そうです……一切は平等。これほどの孤高、私は認めがたい……」

 

 尋ねた霊夢が意外に思うくらいに、白蓮の言は、悲痛である。それでも、対話や感情に弾幕美を歪ませない辺り、流石の達者ではあった。

 空色の弾は、涙の粒のようにも、流れていく。

 

 白蓮は、知っている。万欲受け容れる、そのあまりの実態のなさ。それは、機構そのもののような空虚。聖なるものに、己は要らない。故に、その我欲は演じられたものでしかなかったのだと。

 昔々、当たり前の悪辣さ。誰もが望む不老不死を彼女は探求したのだそうだ。それを望んだ遙か先に、何があるというのか。かの人に解らない筈がないのに、それはただ望ましき自分を延長させるために、場当たり的に欲して動いた。

 それはまるで、愚かを行うことで、高きものが自らを貶して必死に人の振りをしているよう。しかし、彼女はそれでも人であるのだから、そんなのは、あまりに悲しい。

 そんな全てを枕元に現れた亡霊から知って、涙した白蓮は、この異変の元凶となる人物と、対することを望まれる。対になることで、己を省みることもあるだろう、と。

 

 しかし、白蓮はそれを拒んだのだった。

 

「でも、私は同情してしまった!」

 

 そう、貴き相手の裏を知ってしまった、いい人である白蓮はきっともうぶつかり合うことなど出来ない。

 良き友と、なれたらいいだろう。ただ、敵とは最早思えない。白蓮は、そう考えてしまう。

 それは、白蓮のその平等過ぎる視線を知らなかった、愛しき人のために動き回る蘇我屠自古の誤算であった。

 

 時間切れのために、提示したスペルカードを仕舞い、弾幕を変じさせながら白蓮は続ける。

 

「……悔しいですが彼の人と対面するのは、幽香さんに任せます。それでは次に行きましょう……超人「聖白蓮」!」

 

 そう、自分の代わりに優しく対してもらう。それを、白蓮は幽香に望んで、承って貰ったのだった。

 得意の身体強化によって、所作が弾幕化する程に力をたぎらせて向かう白蓮の姿を、霊夢は強く睨んだ。

 

「私にはよく分からない。でも……それでも、私はあんたを倒していく。全く、皆アイツのこと、信頼しすぎよっ!」

 

 何となく、自分が賢しい人らが考えた流れに逆らう真似をしていることを霊夢は理解する。

 しかし、やはり霊夢は引かないのだった。それは、役目だから、ではない。

 ただ単に、ここで引いたら後悔すると、直感しているからだった。

 

 博麗霊夢は、ただ優しくしているだけの妖怪なんて、信じない。

 

 

 

 彼の貴人、此度の異変の元凶こと豊聡耳神子は、目覚めに大凡周囲の事態全てを知る。

 縋るように集まってきた神霊、全ての欲と共に雑音のように周囲の様子が聞こえてくるのだ。幻想郷、スペルカード、命蓮寺、風見幽香。様々な事柄を受け容れ、整理することすらなく神子はまるごと理解した。

 星空の下のような、地下空間にて沿わせるように瞬時に装いを変えて、まるでヘッドフォンのような耳あてに手を当て確認してから、神子は頷く。

 

「なるほど。妖怪寺の妖怪が、私を測りにやってくるか。それにしても……妖怪とはいえ最強の存在。ふ、どれだけ私に通じるものを持っているのだろうね」

 

 神子は、不老不死を求めて尸解仙となった存在である。行った尸解仙の法によって、聖人らしく今は死後の復活を遂げた形になる。

 そして、生前から持っていた十人の言葉を理解する能力。永きに渡る彼女に対する信仰の力にて、それは長じた。

 聞き、他者の欲求のために振る舞う。それが、生き返って高まっただけと、神子は理解している。だが、それはあまりに過小な評価である。

 欲するところ全てを知れば、その者の今の思いどころか、過去も僅かな未来すら見通すことが出来てしまう。それが可能な度量。欲の塊たる神霊がこぞって身を寄せようとする訳である。

 

 勿論、そんな凄まじい能力すら大したものと思えないのは、その持つ本来の力量にあった。生まれながらの超人は、隣り合う者など持たない、持てない。

 その持つ何もかもが他を下にする。溢れる黄金に、価値を見出だせないように、神子にとって抜きん出ることなど当たり前のことだった。だから、少し、最強というのには興味を持つ。

 

「果たして、風見幽香とは、私に何を求めるのか。……やれ、いけないね。人の側に立つと決めているのに、どうにもこの身は欲を叶えたがる」

 

 ただ、期待しているのは最強の欲とは何か、である。ただ真っ直ぐに、神子は風見幽香を下に見た。

 上から下に全てを眺める者にとって、自分以外の全ては低い。それは普遍的なこと。故に、生きるには神子から合わせなければいけない。あくまで人であるからには、窮屈に身を縮めて。

 そして、理想的な上に立つ者の振りをする。その哀れさを、神子は知らない。

 

「それにしても……不老不死の探求には猶予ができたな。次には何を成そうか……」

 

 ふとした呟きに、続きなどはない。人間らしく、命永らえることを望みはした。しかし、その続きの望みを神子は持たない。

 故に、これからも彼女は上に立つものとして人の望みを叶えることを続けるのだろう。それが、人間のふりをした超人の限界ではあった。

 

 そんなことを察して、更に上から、彼女は笑う。

 

「ふふ、こんにちは」

「こんにちは。ふうん、君が……くっ!」

 

 今、神子が居るのは命蓮寺地下の廟。神霊廟と呼ばれるこの場へと向かうには、自然上から降りてくることになる。

 真上から、見下げる視線。紅いそれ受け止め、十欲を耳にし、神子は幽香を受け容れ損ねた。

 対して、変わらぬ笑顔の幽香。花咲くように、場違いな日傘が、ばっと開かれた。

 

「なんて、欲望なんだ……」

「欲、ね」

 

 理解不能が眼前にまで降りてくる。それを嫌って、視線がさまよう。だが、それでも能力はどうしようもない存在を受容していく。

 結果、ああこれはまるで棘そのものだと、神子は介した。

 

 それはまるで、孤独を強いる、針千本。全ての欲が、総じて他への危へと繋がっている。加虐を越えた、災厄的。そんな性を乗りこなしてしまえるなんて、どんな心というのか。

 明らかな異常。しかし、そのための痛痒を涼しげに呑み込み、とても優しげに幽香は笑っている。

 

「深く、何より悍ましく。妖怪の欲なんて、たとえ神ですら受け止められるものではないわ。私達の本質は、誰にも理解されないこと。ふふ――ぞっと、したでしょう?」

 

 それは、通じるどころか、突き抜けて越えている。孤高を超越した絶対。心根すら、理解しようもない。

 そんな人に対する有害が、何故か笑って優しくしようとしている。それを、目を見開いて、神子は悪と理解した。

 不明。そして聖人は、妖怪の恐ろしさを生まれて初めて識る。

 震え、そしてあっという間に克己してから神子は幽香に笏を向けた。

 

「ここまで擬人化されておきながら、君はあくまで妖怪なのだな。……いや、私にはやはり妖怪というものが理解できない。故に、悪しと取ろう」

「正解ね」

「だが決めつける前に一つ、訪ねようか。君は……かもしたら永遠の孤独を良しとするのか?」

「明暗はっきり分かつこと。それこそ優しいことだと思わない?」

 

 どうしようもない、全てに対する敵対。それが、風見幽香の本性。それを納めて、優しくしているのはただの趣味。

 根本的に、同調するものなどない。それでも、何より強く生きている。

 哀れと、眼前の鏡を見た神子は思った。それが、風見幽香の狙いと、知りながら。

 

「ならば、心優しき悪しき妖怪よ。私はこの世の和のために、貴女を倒してみせる。さあ、私の天道の下に、掻き消えるがいい!」

 

 そして、太陽の如き、全てを照らす力を神子は滾らす。

 始まるのは弾幕ごっこ。しかし、相手を否定し心折るために、それは熾烈なものになるのは当然至極のことだろう。二つの孤独は、同じく空に浮かぶ。

 やがて、歴史に誤りとされる程の聖人は最初、力の粒で出来た数多の鏃を周囲に向け始めた。それは、まるで幽香の心の再現。

 

「さて、魅せてあげましょうか」

 

 しかし、そんな超人の本気を前にして、しかし最強たる風見幽香は微笑んで、覗き魔の視線すら受け容れる。

 弾幕の海に入るために僅かに進み、そして、幽香は神子と、対になった。

 

 

 




 眼鏡早苗さんに、孤高神子さん。
 新たな可能性を、と思って描いたのですが自分は元来の性格も当然大好きです。


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第十五話 孤独な少女に優しくしてみた

 

 物部布都は、無私の為政者に欲を囁き人にならせようとした、悪女である。太陽を貶してその手に入れようとした、雲のような女性だった。

 そう。その子は一途な、大好きな彼女に生きていて欲しいと思った少女でもあったのだ。

 

 神の子孫に連なる、物部の人。故に崇めるべき存在をよく知る布都は、より理想のカミサマに近い存在である豊聡耳神子に心酔した。

 全ての言を蔑ろにしない、それでいて中立である歳近い女の子。神に似た美しい自分よりもずっと麗しい。そんな子と初めて出会った際の衝撃は如何ほどか。立場なんてどうでも良い。ただ、近づきその愛を得たかった。

 その後を、神子様神子様と、カルガモの雛のように何も考えずに付き纏っていた、そんな日々が過去にはあったのだ。布都はその時期こそ己が一番に幸せであったと回顧する。

 

 ある日、彼女が権力の襞に触れるところまでに付き従い、多くの悩みを受け止めきって一息を吐いた神子との会話にて、布都はようやく違和感に気づいた。

 美しい顔を持ち上げ、後に男性とされてしまうことが信じられない程の婀娜を薄く浮かべて空を見上げる神子は、広い屋敷を辞した後牛引く車にて、呟く。

 

「ふむ。政には何とも悩みが多いものだな……」

「そうですね。しかし、神子様もお悩みの一つや二つ、お有りになるでしょう?」

 

 頷き、布都はそう聞く。

 それは、望んでいるが、望まれたいがために尋ねた、そんな話題の転換。偶には頼られるようなこともあって欲しいと布都は願い、自分と同じく人であるからには神子も悩みを持つ存在と信じていた。

 しかし、神子は頭を振って、端的に答える。

 

「いいや。私には悩みなどないよ」

「どうして、ですか?」

 

 悩む人に筋道を作ってあげるために、応えてくれる人。いくら優れようとも、人の為に尽くしている神子が能天気ということなんてありえない。

 導くものが思慮深くあるのは当たり前。故に、自分のことだって深く思うのが当然であると、布都は考えていた。けれども、豊聡耳神子一人に限って、それは違っている。

 人間で輝く恵みを当たり前のように保持しながらも、それを一顧だにせず、神子は金の目に布都一人をただ映して言った。

 

「それを望まれてはいないからな」

「そんな……」

 

 容れ続ける器は頑丈な方が良いが、その物体個の面倒までは望まれない。ただ、都合の良いものであれ。いい子、そればかり期待されて欲を望むものなど居ない。

 そう、人々の願いを聞いてそれに対し続ける神子には、自分を見つめる時間など欠片もなかったのだ。

 聖なる人は、我など要らず。ただそこで叶える機構であればそれで良い。

 そんな事実を受け容れてしまった少女の涼し気な面を熱く見上げて、青い目は決意に瞬いた。

 

「神子様」

「なんだ?」

「我が、貴女をお救い致します」

 

 それは昔々のこと。千四百年以上も前の、神子ですら覚えていない黄昏前の牛車に揺られながらの僅かな会話。

 記されなかった、全ての契機。此度の異変の元凶とも言える、小事。決意は誰にも知られることなく古びている。

 

「そうか、頼んだぞ」

「……はいっ!」

 

 けれども布都は、その約束を決して忘れない。

 

 

 

 広く深き縦穴の暗がりに、光が尾を引き行き交う。多くが飛翔し混じり行くことで球のごとくに広がる弾幕美。数多の神霊もどきをその球に容れて、全ては天球の輝きに匹敵する程に煌めいた。

 そんな夜空の似姿の中心にて輝星と焔矢を飛ばし合っているのは、霧雨魔理沙と物部布都の二人。

 そう、彼女らが行っているのは弾幕ごっこ。避けるその美しさすら競い合う、綺麗の遊び。しかし、どうにも上手な魔理沙の手において、未だ寝ぼけ眼の布都を攻め続けてもその趨勢が変わることがない。

 それは、当たらないから、だった。何やら星のパワーすら遮る程に堅い船に乗っかりながら弾幕を投じ続ける布都に、魔梨沙は苛立ちを覚える。

 

「ちっ! 船に乗っているヤツに当てるなんてのは相当に面倒なもんだ。おい、そんなものから降りてかかってこいよー!」

「何を言っておるのだ。お主とて、その鄙びた箒に乗って天を駆けておるだろう。あの花のような妖怪からもこの遊戯にて物に乗って飛ぶのが違反とは聞いていない」

「幽香……あいつ、やっぱり先にいるのか。まあ、いいさ。標的がこれだけデカければ外すこともないよな」

 

 言い、掌中にて魔理沙が転がすのは、ミニ八卦炉。数多の魔力を増幅する装備の中でも破格であり、彼女にとって特別でもあるその炉に星の光が篭っていく。

 魔理沙はその溢れんばかりの火力を持ってして生命取ることなく、ただ楽しく壊す。そうして勝負を楽しむ自信はたっぷりあった。何しろ、そのために行った実験の数は、ちょっとしたもの。

 目に映る星の数の三千よりも回数多く、霧雨魔理沙は相手を優しく仕留める練習を繰り返した。博麗霊夢が一度も行わず理解できる力加減を、それだけ執拗くしてようやく得た少女は自分を普通の魔法使いと自称する。

 その柔らかき星の輝きが、何より特別なことに、気づくことなく。

 

「いくぜ……恋符「マスタースパーク」!」

 

 そんな砂糖菓子のような彼女の光は、高まるスペクトルを混雑させて多色に輝き、何もかもに通じる力の筋となる。針の先のような一筋、それが一瞬で高まり一体呑み込む光線に。

 単なる直線、それは星の弾にてラッピングされ、きらきらと瞬きを見せる。どこか花束を彷彿とさせる錐の攻撃を船に乗り込みながら避けることなど、そう叶わない。

 あっという間に、布都の磐船は美しいレーザー光に包まれた。そうして、そのまま素直にも粒と化す。

 

「……消えた?」

 

 そこで、ようやく気づいて、魔理沙は極光放つことを止めた。残留粒子が煌めいて、辺りに可憐を表す。数を増した神霊達が、あまりの綺麗に更に欲を出し、踊った。

 そう、魔理沙の目に映るのは、そればかり。長さ一尋はゆうにありそうだった船は跡形もなく、当然その中に隠れていた布都の姿も見当たらなかった。

 先に発揮した閃光に、全てを灰燼に帰す程の力など宿っていない。その溢れた輝きの内実は、煤ける程度にダメージを与えるのが精々の、虚仮威し。

 生物を消し飛ばすどころか、怪我をさせることすら出来ない、そんな中での対象の消失。まさかと、振り返ろうとしたその時。

 

「うむ――当ててしまってもいいか?」

 

 吐息がかかりそうな程の至近から、そんな声が聞こえた。全身総毛立つのを覚えながら、魔理沙は自分の見通しの甘さを呪う。

 

「くっ……!」

 

 魔理沙は振り向きざまに星々をばらまき、そうして何時の間にかプライベートスペースにまで入り込んでいた布都の攻撃範囲から逃れようとする。

 しかし、それら全ては瞬く間に炎に呑まれた。赤く燃え盛るそれは明確に熱を持ち、そうして甘い星を灼き尽くす。

 そのまま距離を取る魔理沙を放り、焼き菓子の焦げた香りに顔をしかめて、布都はぽつりと零した。

 

「加減仕切れなかったか……さしずめこの技は「六壬神火」といったところだな。大仰にこのすぺるかあどとやらに記すには弱々し過ぎるものだが」

 

 神の火にて焼失を成す。そんな奇跡を顕しておきながら、布都はどこか鼻白む。

 足りない。この程度の力で目指す悪は成せないのだ。自分なんかでは、とてもとても。だから、彼女は初対面の嫌う妖怪にだって可能性を見たら、託してみようともする。さて、どうなったのだろうと自分が守る先を思った。

 だがそんな内情を知らず、彼女の行き過ぎた謙遜を聞いて、ただ魔理沙は眉をひそめた。明らかにルール違反だろこれ、と内心零しながら。

 

「これで弱々し過ぎる? 私には、鬼だって尻尾巻いて逃げ出しちまいそうな火加減だったように見えたがなあ」

「何。地獄の炎だって、神が起こしたものと決まっておろう。その端くれの我ならば、階程度とはいえこの世に地獄を見せることくらいは出来る」

 

 そう、それは神に近い古の人だから起こす頃の出来る火。人間に進化をもたらした火炎を自在に操ることの出来るのは、布都にとっては当然のこと。

 しかし、神ならぬ人であれば扱いきれずに困るのもまた自然。つい力を入れすぎて地獄を垣間見せてしまうほどの熱量を込めてしまったことに、内心少女は恥じた。

 その照れを覗いて、魔理沙は攻め手の算段つけること叶わないまま、苦笑しつつ指摘する。

 

「やれやれ。過度の力みは、遊びの邪魔になるってもんだぜ?」

「寝ぼけ眼に矛を交えた妖怪変化もどきに仔細は聞いておったが……手加減を強いられる力比べというのは、どうにも歯がゆいものだな」

「寝こけている間にちょいと時代に遅れ過ぎじゃないか? それじゃあ、新しい時代のトレンドたる私には敵わないぜ?」

 

 そう戯けながら魔理沙は、古式ゆかしい魔女服を知らず強く握りしめていた。

 勝てる、とは思う。第一人者博麗霊夢と弾幕ごっこを続け、至近の勝率を五分にまで伸ばしてきている魔理沙に、不安は僅かにしかない。

 実力者が本気を出せない遊戯の中で、努力を重ね続けた魔理沙は全力を出せる。霊夢が弾幕ごっこで勝つために生まれたような存在であるとしたら、魔理沙は弾幕ごっこに勝つために生まれ変わった人間。

 故に、もし自分が負けるようなことがあるとするなら、それは。

 

「旧きが弱いと、誰が決めた? 綺麗とは、昔から変わらぬ図案だというのに」

「ぐっ」

 

 軽く、弓引く所作。それによって、鋭い鏃を持った矢が布都の周囲に生まれる。その発射前の青い矢印の幾何学模様の複雑さといったら、ない。

 天を沢山の直線で区切れば、自ずと多くの隙間が生まれる。布都が行おうとしているそれは、迷いを創ることに似ていた。射抜かれ続ける天球の合間を通るというのは容易なことではない。

 にやりと笑う、聖童女。明らかに、悪女布都は謀っている。そうして、分かっていた。美しさで勝れば、自ずと弾幕ごっこにも勝つことが出来るのだということを。

 そして、優位に立った布都は、魔理沙に一つ質問を投じた。

 

「お主が神子様の霊廟を暴こうとした理由を、聞いても良いか?」

「そりゃあ、まあちょっとした好奇心から、だが……」

 

 魔理沙は、笑みを作りそこねる。それは、布都の目に見えるほどの怒りによってだった。

 神威を持つ布都の眼光には、竦ませるほどの重みが伴う。こと先祖返りとすら言われた彼女には、鋭いものが秘められている。

 剣の神と似通った魂を持った布都は、魔理沙の甘さを断ち切るように、言うのだった。

 

「動機が温い。思いが浅い」

 

 それは、聖なるものを救うために悪にまで手を伸ばした布都にとっては、許しがたいこと。

 覚悟なくして自分の大切なものに無遠慮に触れられることなど、我慢し難い。

 そうして、自分の復活を祝福しに来たのだろうと勘違いした自分の目を覚ましてくれた、あの華のような妖怪の信念を、思った。

 

「それでは我には勿論のこと……生意気にも神子様に本気を持って優しくしようとしておった先の妖怪には尚更、及ばんぞ?」

 

 起き抜けにとんでもない冷水を浴びせかけられた布都に、甘さはない。全盛のあくどさを持ってして、可愛い顔を彼女は歪ませた。

 実際に、神の如き力と物部の秘術、そして未だ半端だと出していない道教の力を持ち合わせている布都は確かな実力者である。それが、油断もなくむしろ多く謀っているのであれば、強敵に間違いなかった。

 今更になって目の前の存在が全力でぶつかるべき存在だということを実感し、恐怖を跳ね除けながら、魔理沙は熱り立つ。

 

「なら、これから本気になるさ!」

 

 そして魔理沙は昔々に封じた、とっておきの擬似翼を広げた。悪魔に似たものを背負う人間を見て、神に似た魂を秘めた布都は、弦を引き絞る。

 

「いいぞ……生きた、目をしている」

 

 そうして、彼女は目を細めた。そこに、眩い理想を見つけながら。

 

 

 物部布都は豊聡耳神子とした約束を決して、諦めていない。ひたすら聖だった彼女を救う。それは人間らしく、自分のために生きるようになって貰うということ。

 そのために画策し、まず尸解仙に至るまで手を尽くして神子の人生――タイムリミット――を引き伸ばした。そして、布都は先程見送った劇薬一つにことの成就を頼む。

 そう。何より忌み嫌う妖怪を、彼女にも同じく忌み嫌ってもらうことで、自分を抱く結果になって欲しくて。

 

 生きるために、真に死を恐れて。布都は、彼女にそう願う。

 

 

 

「止められ……ませんか」

 

 覚悟を示す背中の蓮の花に、魔人経巻の展開。極まった法力と高められた魔力によって展開された数多の弾幕、そしてとっておきのスペルカード飛鉢「伝説の飛空円盤」まで披露しても、その殆ど全てを避けられた。

 ダメージに飛翔すら覚束なくなって、目を瞑り墜ちて行く聖白蓮は自らの不足を嘆く。

 白蓮が仏の信仰を形に美を目指して考え抜いた弾幕。しかし、それも博麗霊夢には届かなかった。教えを符にして弾と流した紫に黄の交差は最後まで巫女に触れること叶わない。

 むしろ、どうしてこういう奴らは最後に交差弾を好んで放つのかしらね、と慣れの余裕を保ちながらも、霊夢は嘆息する。

 

「はぁ。随分と頑張られてしまったわね……」

 

 実に大した僧侶だと、霊夢は思う。残念ながらそれには初心者にしては、という枕詞が付いてしまうが。

 暇に遊べないような生真面目な性なのかもしれない。考えられた弾幕がいかにも綺麗であっても弾と遊ぶ経験が足りない白蓮は回避がどうしても無様になってしまい、霊夢の良い的となっていた。

 それでも、邪魔をする、という点ではよく我慢して働いたといえるだろう。よくグレイズしたことで端がボロボロになってしまった巫女服を確かめながら、霊夢は白蓮のために使った時間を考えて、焦る。

 

「今からでも幽香に追いつくかしら……また、妙な仲間を増やされたらたまらないわ」

 

 言い、霊夢は柳眉をひそめた。

 気持ちの悪い嘘を吐き続ける妖怪の元に変な勢力が一つ出来上がってしまうというのは、なんとも気に障る。それだけでなく、幽香が創る人妖入りまじる風景が霊夢の方針の邪魔でもあった。

 もっとも風見幽香は誰でも判る華であり、そこに人が集まるのは仕方がないのかもしれない。棘の代わりに優しさを周囲に向けるようになった今であれば、尚更に。

 偽物の優しさってそんなに心地良いものなのかしらね、と思いながら巫女はこちらを害意持って見つめる二つの大きな力を勘にて覚えた。

 ゆるりと謹製の御札を用意しながら、霊夢は化けて謎めいて隠れ潜む大妖怪二人を睨めつける。

 

「その前に、あんたらも私の邪魔する気か。出てきなさい!」

「ほぅ。儂の変化を見破るとは、先に弾幕ごっこをする姿は見させてもらったが流石はこの幻想の地の巫女。中々じゃのう」

「でしょ。聖のためとはいえ一人じゃとても止められそうにないのよ。連絡に応じて私に会いに来てくれたその日に面倒事に巻き込んじゃったのは申し訳ないけどマミゾウ、巫女退治を手伝ってくれない?」

「いいじゃろう。他ならぬ、ぬえの頼みじゃ。宗教はただの方便と思っとるから共に仏門に入ることさえないが、せっかくじゃから、商売敵の打倒くらいはしてやろう!」

「よく分からない妖怪……いや、なんだか先の異変で感じたことがあるような……まあそれと、化け狸か……こっちも何だか偉そうだし……厄介ね」

 

 そして、姿を現したのは謎が謎を呼ぶ妖怪封獣ぬえと、佐渡化け狸の頭領二ツ岩マミゾウ。

 正体に疑問符を付ける不明と、正体を隠して騙す妖獣達は固い友誼で結ばれていた。彼女らは仲良く、妖怪らしく人間に危害を加えんとする。

 相対するだけで大妖独特の圧を感じた霊夢は柳とそれを柳に風と流しながらも、げんなりとした。

 さしもの博霊霊夢であっても、この二人相手に押し通ることは叶わない。無駄に足の早い魔理沙なら別なのかしらと、半ば現実逃避しながら二人に霊力を多分に篭めた御札で彼女が空を朱く染めようとしたその時。よく通る声が、凛と響いた。

 

「一対二、というのは少し卑怯ではありませんか?」

 

 そして、風ともに霊夢の隣に舞い降りたのは、奇跡的な伝道師、東風谷早苗。くいとメガネの位置を変えてから、直ぐ近くの赤巫女に目を向けることもなく、彼女は言い放つ。

 

「手分けをしましょう。私はあの眼鏡の方。そして霊夢さんはあのよく分からない方で」

 

 早苗は冷静に、互いの適当を判断する。出会い頭の自分はまだ判って計れる方で、不明な方は勘の鋭い先着の霊夢に。適材適所な内容に、文句はなかった。

 しかし霊夢はその以前と離れた静けさに、不安を覚える。ついでにいつの間にか、かけるようになっていた眼鏡にも内心疑問を持った。

 

「……早苗。本当に、あんたに任せて大丈夫? ていうかその眼、どうしたのよ」

「大丈夫です。目は……ふふ。それも大丈夫ですよ……ええ、もう大丈夫ですから」

「そう?」

 

 もう気にしなくなった自分が気にされていることに気づいて、早苗は微笑み霊夢に視線を返す。その際に心が凪いで騒がなかったことに彼女が笑みを深めたことに、彼女は気づかなかった。

 

「幻想郷には巫女が二人もおるのか……」

 

 新しく現れた、青巫女。数的有利が失われたことは特に気にならないが、それでも神の気配を大いに漂わせる二人がこんなに狭い地に並んでいるということに、内心マミゾウは舌を巻いた。

 これほどに選ばれし退魔のものが世代を同じくして幻想郷にて過ごしているとは、何とも妖怪にとって不憫なことであると、思う。主に、この地に住む化け狸どもが。

 ぬえのことも心配だし、ここに居を移すことも考慮に入れねば、とまでマミゾウは考えた。

 

「そう。でも、ここに倒すべき異教徒共が勢揃いしてくれたと思えば、やる気が出てくるってものじゃない?」

「ほっほっほ。確かに、そういう考えもありじゃのう。さて、ではたっぐまっちと洒落込もうかの」

 

 訳知り顔で不明な少女は思慮に気を取られていた年寄り臭い少女を諭す。そして、ぬえは辺りを乱すためにある羽根を四方に広げ、マミゾウは威厳を大いに示す大きな尻尾を立たせた。

 手を取り合う二大妖を前にして、神に愛された二人も歩調を合わせる。種類の違う大幣を構え、ほとんど同時に宙に浮いた。

 

「行きましょう、霊夢さん」

「足、引っ張らないでよ?」

「勿論です!」

 

 二人目的は違う。方や異変を解決、方や友の助け。このまま進めばぶつかり合う可能性は、高い。

 だがしかし、今や殆ど同じ高みにある二人は助け合う。それは脅威を前にしての結束というだけではない。

 視線はろくに交じり合わずとも、隣にあると信じられる。何だかんだ、霊夢と早苗はお互いを意識していて、そして認めていたのだった。

 

「行くぞ! 正体不明の飛行物体(だんまく)に、怯えて逃げ惑え!」

「それではこちらも……弾幕変化十番勝負の、はじまりはじまり。じゃ!」

 

 そんな二人に決して劣らぬ、二妖。二組が対峙すれば、空はあっという間に光で埋まる。

 符は風に散り、模型は謎に体を振らせていく。そして、輝きは増して、その交差に容れるもの少なくとも彼女らは健在であり続けて。

 少女らの軌跡は、しばらく尽きぬ花火となった。

 

 

 

 豊聡耳神子は、己というものがよく分からない。それは彼女が聡くも周囲を把握する能力に優れ過ぎて居たが故の、弊害だった。

 聖なる人であってほしいというお仕着せを素直に着込んでしまった少女は、見上げられるばかりの世界にて窮屈にもそう振る舞うしかない。

 それは、物部布都や蘇我屠自古、更には霍青娥らによって邪道を強く望まれるまで全く横道を考えたことがなかったくらいであるから、相当なものだったのだろう。

 

 人は往々にして、対等なものの瞳の中に己を見つけて自らを把握する。画一的な下位の反応よりも、複雑な上位の対応よりも、同等との交わりによって自分のあり方を定めるのが、自然なことだった。

 望まれたり、決めつけられたりするよりも、人間の中で自分を見つけるのが健全なこと。しかし、神子はずっと見上げ望まれていた。

 

 だから命を永らえるための道教を学んだ契機だって、自分があくまで人であって、このまま無限に望ましいものであり続けられないということに対する焦りから。

 決して、死にたくないという感情から来る素直な動機ではなかった。しかしそこに糸口を見出した布都らは彼女を更に堕として、人並みの幸せも味わわせてあげようと奮起する。

 しかし、神子は欲望に染まりきらず、その上錬丹術に用いる薬、水銀などの作用によって逆に命縮めることとなり、そうして死後に生き返る尸解仙の法を用いて復活するまでの眠りにつき、その後に霊廟ごと封印されたのだった。

 

 そんな自分を見つけるための波乱万丈な変遷の最中で、一つ神子には不可解に思ったことがある。

 それは、布都と屠自古を尸解仙の法の実験台にしたこと。確かに、真っ先に投げ出してしまえるくらいに自分の身は軽いものではないと、神子も理解している。だから、友で実験することが間違いだったと未だに思ってはいなかった。

 けれども、実験が決まったその後に、人知れず震える手を抑えるのに必死になったこと。その理由は復活して名実ともに聖人と成った神子にだって、分からなかった。

 

 死ぬのが怖い。そんな思いが自分にもあるなんて、考えたこともなかったから。

 死を恐れる聖なる人なんて、あり得ない。神子は皆のそんな希望を、ずっと叶え続けていたのだ。

 

 

「――貴女には、勝つ気が足りていないわね」

 

 数多の神霊を身に容れ、どんどんと大きくなっても届かない。それは太陽程遠くにある巨大。それが、まるでひまわりのように近くで微笑んでいるのはどういう冗談か。

 風見幽香は末端の瑕疵に構わず弾の迷路を抜けつつ、花咲かせる。撃ち合いそれに向き合う天道の化身は、苦渋を呑み込みながら弱く反論した。

 

「私は是が非でも君に勝たなければと、思っているけれど」

 

 今まで見上げられ続け、数多の人を下においてきたのだ。故に、悪しき妖怪に負けてしまうのは、許されない。そう、神子は勘違いする。

 己の中に巣食う矜持には、未だ気づけない。

 

「だから、貴女は足りていない」

 

 そして、そんな内心を真っ直ぐ覗き込んで、幽香は断言するのだ。クライマックスのスペルカード、神光「逆らう事なきを宗とせよ」の弾幕に彩られながらも、その美に負けず。

 世界を狭める神子から溢れる十七条の揺らぎを受け容れる陽光に、夥しいすら超える圧倒的な物量の白黄赤青紫五色の意味ある言葉書かれた符弾。

 時間と共に回避の方法と可能性を著しく下げ続けていく、ごっこ遊びであるというのが冗談染みた弾の群れに、しかし焦らずに幽香は揺蕩う。

 華は消えそうなくらいに寂しい一輪であろうとも、美しいからこそ、美しくありたいからこそ、そこに然とあり続ける。自らと対象的な孤独の持ち主を確りと目に入れながら。

 

「そんなことはない、と思うのだけれどねっ!」

 

 明らかに傷だらけであろうとも、それでも幽香の心に届くものなど何一つないことを認めながらも、神子は諦めない。

 悪は挫かねばならないから、最強をまざまざと感じつつ、足掻くのだ。どうしようもない強敵を前にして、震える己に困惑を覚えつつ。

 

 光線は太さ増す。文字は強く輝きを魅せた。そして、全てがぶれる。

 十七条は暁を想起させる程に成り、点滅すら覚えた符は算を乱したかのように広がりゆく。

 そして高難易度は、限度を超えた。決して、これにも道がないとはいえない。しかし飛散する煌々の最中にどうやってそれを見つけるというのだろう。

 不可能ではなくても現実的に一度ばかりでは無理なこと。それを理解して、眩さに消えた相手に幽香は微笑みを向ける。

 そして、彼女は一枚のスペルカードを宣言した。

 

「幻想「花鳥風月、嘯風弄月」」

「なっ……!」

 

 そして、瞬く間に全ては花の形象に呑み込まれて行く。美しき、ひまわり。しかし果たしてそれはこんなにも綺麗であっただろうか。

 乱を押し出し整然と。全ては優しく自然に形を変えていって、そうして昏空は彼女のための花瓶となった。

 これを力で潰すことより無聊なことはない。そう感じてしまうくらいに、全ては大輪。

 幻想郷のとっておきの一輪は、はにかんで、そうして孤独に怯える心を呑み込んだ。

 

「あ」

 

 綺麗と、それを大事にしたいというエゴを初めて覚え、そうして潰せなかった、力に溢れた花華に呑み込まれることで、神子は墜ちた。

 

 

 

 神子はその孤独故に、望ましきもの以外に自分の道を知ることを考えられなかった。

 皆が望んでいる道に進むこと、それが安全で賢いことだと解っていたから。そして、無闇矢鱈は愚であると、彼女は下を見て知っていた。

 でも、地獄に楽しみがないと誰が決めたのだろう。蛹のまま亡くなることに意義がないと、彼らは果たして言ったのか。

 

 結局の所、豊聡耳神子は光当たる場所にしかいられない、太陽ぶった臆病者の少女だったのだろう。

 我欲を持たないことが安全だと勘違いしてしまった、孤独な子。それを、哀れと、誰かが思ったのだ。

 

 風見幽香は、全く思わなかったが。

 

 

「目が覚めた?」

「ここは……私は、負けたのか」

「……はい」

「屠自古……」

「あ」

 

 瞼を開けた神子は眩さに、目を細める。

 どうやらここは外で、今は幽霊のふわふわ膝の上。見て取れた愛すべき屠自古の懐かしき顔を見て、神子は強張った顔を崩した。そして、そっと赤い頬を撫でる。

 少しの間そうしてから、名残惜しそうな彼女を気にせず起き上がり、ここは周囲が墓石だらけのらしい場所であることを確認してから神子は幽香に向き合う。

 目の前で大きな桃色の花が、揺れた。

 

「敗残者の私は、どうなる? どう、すればいいのだ?」

 

 そして、優しき笑顔の持ち主に、聞く。それが、嘘であることを知りながら。

 欲が、緊張で耳に入らない。故に彼女が行いたい事が分からずに、先は不明である。震えがまた、始まった。

 

「そうね……ちょっと、そこで動かないでいてくれないかしら?」

「あ、ああ……」

 

 そして、簡単なオーダーを迷わずに遂行してから、近寄ってくる幽香の姿に震えを増させる。

 相手は、危害を欲する塊。果たして自分は近寄られてどうなってしまうというのだろう。未だ死にたくはないのに。怖い。ああ、そうか。これが怖いということなのか。そう、ぐちゃぐちゃに神子は考えた。

 

「はい」

「え?」

 

 しかし、何者よりも周囲を虐めたいと思っているだろう存在は、またも優しくする。

 仕置につんと、額を一突き。ゆらりとした神子を見てしてから幽香は離れる。

 

 二人の間に残滓の花びらがひとひら。そうして、幽香は傘を片手に言った。

 

「この世に危険がないものなどないわ。足元は思ったよりも汚いのかもしれない」

 

 赤い目は金の瞳と繋がる。そして対になって、孤高な二人は対話で相互理解を図るのだった。

 幽香の目に篭められたその真剣に、欲に真偽を聞く必要なんて神子には感じられない。これから口にするのは優しくするための本音なのだと、理解する。

 神子は、そっと耳あてを外して、耳を澄ました。

 

「けれども……存分に、その手を汚しても構わないのよ?」

 

 瞬き二回。そうして、神子は幽香の言葉を遅く呑み込んだ。

 その意味は、明らか。篭った気持ちも、わかり易い。幽香の言ったことはつまり、やりたいことをやって良いのだという許可。

 それを、高みから降り真っ直ぐ対になってまで、幽香は言ってくれた。対等から望むことを望まれる。そんなことは初めてで、ようやく皆も同じく言っていた忠言が耳から心に届いた。

 

「ああ。そう、だったのだな。……ありがとう」

 

 そうして溢れて、ほろりとこぼれ落ちるものもある。

 世界で一番危ない存在が優しくする努力を、どうにも神子は嫌えなかった。

 神子の笑顔に涙は一筋跡を残す。眼前の微笑みに、少女は万感を持って言う。

 

「貴女はきっと、悪い。それでも、優しくしてみることだって出来る。なら、きっと。私だって、望まれないものになっても良いのだな」

 

 見上げた蒼穹には太陽一つ。何よりも望まれるそれに、しかし、もう神子は自分をそれと重ねることは出来なかった。

 天道にあることばかりが、正しい訳ではない。そして、人であるからには、もとより天にあることこそ間違いで。

 

「ああ。肩の荷が、降りたよ」

 

 その表情に、最早厳しさは何処にもない。

 高みに無垢のままあった神子は、婀娜をどこかに忘れて幼気に、笑んだ。

 

「それは、良かったわ」

 

 優しく花が寄り添って、ここに少女が一人救われた。

 

 

 そこに本心がなくても。それは確かに温かいものだったのだから。

 

 

 



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第十六話 友達に優しくしてみた

 

 

 入道雲を青く呑み込む空高く。何にも寄らぬ宙にて少女たちは舞い踊る。魅せるためには弾を交わすことでは足りないと、直に矛を交えて戦う姿は多くに仰がれた。

 夏の頃合い、高き日の暑い中。涼みの最中に少女たちの弾幕ごっこは丁度いい祭りごと。やんややんやと手の届かない偶像――宗教家たち――の勝ちに価値をつけて、里人達は楽しんでいた。

 そして、それは驚くべき変わりよう。近くの和気あいあいを楽しんで、風見幽香は微笑んだ。

 

「人里に広がり始めていた厭世の感はどこへやら。嘘も方便というけれど、宗教も使いようね。方針のぶつけ合いが、熱気を呼ぶのはまあ当然なのでしょうけれど」

「それだけじゃありませんよ! 彼女たちのあの弾幕格闘を行う姿の格好いいこと。皆が思わず戦いの結果に一喜一憂して、勝者を推してしまいたくなることも分かります!」

「そうね……ふふ。特に小鈴は霊夢がお気に入りのようね」

「はい! 霊夢さんは素人目に見ても避けるのがお綺麗ですので! あれですよね……なんというか、軌跡がどこか優れた書道家の一筆にも似ているような……」

「あら。小鈴は慧眼ね」

 

 ほう、と感心する艶やかな浴衣姿の幽香の隣で、あどけない容姿の少女が朗らかに笑む。

 そう、揺れる二本の髪の房を揺らしながら、本居小鈴は恐るべき妖怪の隣で会話を楽しんでいた。まさか、こんな美人が怖い存在だなんてありえないと、いつぞやの早苗のように高をくくって。

 それもそのはず、小さい頃から本の虫であった小鈴は妖怪を未だ()絡みでしか見つけていない。彼女は生きた妖怪の筆頭である幽香のことをすら寡聞として知らなかった。

 故に、隣が空いていますね、お邪魔しますと混雑の中からどうしてか隙間があった優しげな幽香の隣に割り込み、話し込んでからの今がある。

 そんなビブリオフィリアの無知ににっこりしながら、幽香は続けた。

 

「力感がないのよ、あの子の戦闘には。あるべき場所に身体を置いているだけ」

「うわあ……なんか、達人の業ですね、それって」

「それが業ではなく、天才によるものであるのが困ったところね」

「天才……やっぱり、霊夢さんって凄いんですねー!」

 

 霊力に輝く符が相手をかすめ、歓声が大いに沸く。光描の最中を舞う少女の美しさに、誰もが目を惹かれた。

 赤は瞬き、弾けて交じり敵を逃しはしない。近寄ることすら殆どいらない、それは誰も賛同できるような巧緻の美であった。

 

 きらりきらりと小鈴の輝く瞳は優れた空の筆致を認める。そして霊夢の飛行の意味――無敵――をすらどこか覗いているようですらあった。

 上手。そのために、ファンになってしまうのも致し方のないことか。その若さを見て取り、しかし幽香は語るのだった。

 

「でもまあ、天才でしかないのが霊夢の弱いところでもあるわ」

「それは……」

「最善の方法ばかりしか思い描けない人間が、愚作の檻を見通すのは、逆に難しいということ。――――ほら、結果が出るわ」

「あ」

 

 瞬間、大空に流れ星が尾を引く。ジグザグ。妥当な檻を引き裂き、自分の飛ばした星を足蹴にでたらめな軌道を持ってして、彼女のスペルカードは天才的な弾の包囲を食い破る。

 

「いやっほう! この瞬間をまっていたぜ、霊夢!」

「くっ!」

 

 そして、始まるは至近での意地の鍔迫り合い。弾ける青と赤。力を大いに纏った箒に大幣がばちばちと輝いて、その伯仲を知らせる。

 

「応援の甲斐、あったようね」

 

 予想外の展開にあ然とする小鈴の隣で平然と、幽香は零す。

 この異変が起こった端からずっと幽香はある人間の勝利を確信していた。そう、彼女は小鈴と違い、霧雨魔理沙ばかりを優しく認めていたのである。

 

 

 分かりやすい宗教に己の希望を託し人が刹那の快楽を求める異変。幽香はええじゃないかの言葉を代表とするその異常に気づいている。

 賢しくあるのは弱者の取り柄。しかし、幽香はどうしてだか誰よりも強いと言うのに間違いなく知恵者であった。故に、彼女は焦ることなく淡々と見解を述べる。

 

「先が見えない、つまるところ希望がないから今を求める。なるほど、一面の感情が人々から失われているようね」

「ほぅ。お前さんもそう思うか」

 

 深夜の人里。丑三つ時に出歩くものなど数少ない。しかし、夜分遅くに妖怪は活気づくもの。そしてついでに外れた人も喜ぶものだが、どうも酒に浸る彼らに表情はない。

 興味の赴くままに夜更けに人のゆりかごまでやってきた幽香であるが、抜け殻の夜警に門番に止められることすらなく中心まで歩めたのは少々拍子抜けであった。

 反応不足、つまらないばかりになってしまった人たち。壊れたおもちゃで遊ぶほど数寄者ではない。だから、独り言に返ってくるものがあったことを、幽香は歓迎するのだった。

 

「予想の材料は充分。そして、見て明らかならば疑問の余地はないわ」

「ふぉっふぉっふぉ。一見で理解したか。賢者でなくとも大いなるものは想像の上を思っているという。……なるほど儂なんかでは届かぬところにその天辺はあるようじゃな。流石は噂の大妖、風見幽香といったところか」

 

 当たり前のように、幽香の前にどろんと現れたのは、葉っぱを頭に大きな尻尾を持つ大妖獣。それが縞持つ幻想狸特有のものであることから分かるように、彼女は化け狸。

 そしてその中でも群を抜いて極みの一つに座しているのが、この二ツ岩マミゾウだった。マミゾウはほとんど初対面の相手を見定めるかのように眼鏡をずらしてその目を細める。

 

「のう。お主はひょっとして、この異変を起こした犯人に見当がついておるのじゃないか?」

「それは流石に買いかぶり過ぎね」

 

 マミゾウの疑問に、幽香は頭を振る。全知全能にまで至らせていない妖怪でしかない彼女は、全てを解している訳ではなかった。

 しかし一陣の風に癖っ毛遊ばせつつ、その不明とも遊んだ。ふと昼間の青を伺わせないくらい洞の空を見上げながらぞっとするほど美しく微笑んで、幽香は言うのだった。

 

「ただ、間違いなく言えることは、あと数日でこの異変はおしまい、ということね」

「ほぅ……果たしてその根拠はいかに?」

 

 マミゾウは知らない。本来ならば、こうして問答が平和に続いていることが奇跡。それくらいに、意地悪でない幽香はここ数年ばかりの稀だった。

 しかし優しい笑顔は深く、幽香はそっと塀の端――死角――を見る。そして口を開いた。

 

「信頼という名の経験則よ。ねえ――――そこの貴女もそう思うでしょう?」

「っ! 流石……分かっていたか」

「下手に能力を使わないで隠れたのは良いのだけれど、咄嗟に身を隠したがために花――その子――を踏んづけている者を見逃すことは流石にないわね」

「これは……重ね重ね失礼した」

 

 塀の向こうから返ってきたのはどこか固い声。この場に居た三人目の人物は、幽香の言に焦っていた。

 件の人物は足を疾く小さな紫の花――夏枯草――から離して、姿を現す。恐縮した様子でしかしすらりと二色の髪を流して歩くその姿に驚いたのは、マミゾウだった。

 

「お前さんは……確か、寺子屋の」

「ええ。上白沢慧音です。二ッ岩殿。そして、幽香。隠れて聞いていたことと、花を踏みにじっていたこと、共に申し訳ない」

 

 二人の前に現れるなり、丁寧に、立ち聞きと潰れた一輪について謝る慧音。どこか怯え混じりのその様子を優しく、幽香は認めた。

 

「ふふ。真面目ね。裂かれて映える花もあるわ。それに踏まれて伸びようとしない花のことまで、私は知らない」

「ふぅ……そうか。正直なところ幽香、貴女が優しくしていて助かったよ。以前の幽香だったら私は何をされていたことやら……」

 

 慧音は夜に咲く笑顔の花の前で恐縮しきり。そこには、少し相手を疑っていたバツの悪さもあった。

 夜の人里の異変に気づき、乗じる妖怪等がないか見回りをしていたところで見つけたのは、極めつけのあやかし、風見幽香。

 慧音がよもやこれは異変に彼女が関係しているのでは、と簡単に疑い、更に隠れたところでヘマをやらかしたのに至っては、恥じ入るばかりだった。

 

「ふむ。幽香どのの以前とやらが興味深くはあるが……しかしあえて話を戻そうかのう。信頼、とはどういうことじゃ?」

「まあ、なんとなく分かる気もするが……私も貴女の口から聞きたいな」

「決まっているわ」

 

 疑問に首を傾げるマミゾウ。そしてどこか苦くも笑む慧音。二人の妖獣の視線を受け、どこかもったいぶりながら幽香は口を開く。

 月光隠すものなく、当然のように星光だって燦々と。夜更けにあって辺りは不明ばかりでも、仰げば明瞭にそれらはあった。

 当たり前に間違いなくある。だから、人々は安堵できるのかもしれない。そしてそういうものを、ひょっとしたら希望と呼ぶのかもしれなかった。

 故に、彼女の言葉はどこまでも自然なものにしかならない。妖しく、美の極致は言った。

 

「私の友達が、こんな異変なんかで屈する訳がないじゃない」

 

 幽香は、これから活躍続けて希望そのものになるのだろう、魔理沙の勝利を疑わない。

 

 

「面霊気、か……面白い付喪神もあったものね」

「だろ? 中々変わった奴でさあ。秦こころって言うらしいんだが……いやあ、元が器物と思えんくらいには達者なやつだったぜ」

「だから、貴女が擦り傷打ち身だらけ満身創痍の今があるのね。ひどい有様」

「新聞一面、大活躍の魔理沙様の前で、それは言ってくれるなよ……」

 

 人の心も落ち着いて、ええじゃないかはどこへと消え。当たり前に、明日を見据えて日々を暮らしはじめたそんな異変の暮れ。

 幽香と魔理沙はふわりふわりと空の上。以前より二人距離近く、彼女は彼女の痛みに触れるその手から逃げることもなかった。

 そして、魔理沙は頬に触れた幽香のその手のひらが緑色に輝き、患部に熱を持たせていることを感じる。少女は、問った。

 

「癒しの魔法はざっとしか見て取っていないのだけれど、どうかしら?」

「ん……なんかむずかゆい感じだが……これで治るってんならそれは嬉しいな。ありがたい」

「ふふ。どういたしまして」

「いやー、正直筋肉痛覚悟の連戦だったからなあ。さしもの私も、くたくただぜ……」

 

 箒の上で、星の少女は本音を晒す。それに、花の少女は微笑んだ。

 無防備を突きたくなる己を殺し、努めて手の光に熱を込めすぎないようにして。

 

「にしても、これで霊夢に一勝か……」

 

 雲に紛れた空を見上げ、感慨深げに魔理沙は呟いた。その吐露を受け取り、幽香は眦を更に緩める。

 

 今回、幽香は異変に手を出さないことに決めていた。それは何故か。誰よりも、真相に近いところに居たというのに。

 けれども、自らの強力をすら、花は無粋なものとした。

 

 風見幽香は知っていたのだ。目の前の少女が頑張りたがっていたことを。

 それが、誰よりも博麗霊夢の大変を知っていて、それを共に分かちあいたいからこその頑張りであることも。

 いじらしいまでの思いやり。以前確かにそんな眩しいものを認めたからこそ、自分の気持ちが変わったのだということをすら、幽香は知っていた。

 だから、少しばかり思いを込めて、彼女は彼女を困らすのだ。

 

「お疲れ様」

「お、おう」

 

 人は人に美しさを見出す。そして、人の影は人をどう思うのか。それは花となって現れていた。

 間近に咲いた笑顔に作意は何もない。だからこそ、戸惑う。

 

「はは……ありがとな」

 

 けれども、差し出された月桂樹の花を受け取らないのも下らない。

 そして、自分の気持ちに二度も嘘をつくのも馬鹿らしいことである。

 だからこそ、魔理沙は今度こそ逃げることなく友情を受け取り、自然に笑えたのだった。

 

 

 

 笑みの花、二つ。

 

「風見、幽香……」

 

 そんな二人を下から逆しまに強く見下げて。

 

「はぁ」

 

 鬼人正邪はため息を吐いた。

 

 

 



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第十七話 天邪鬼に優しくしてみた

 三年ぶりでもう誰も覚えていないかもしれませんが、お久しぶりですー。
 色々と設定が出ちゃったりして東方全体を追いきれなく成っちゃったのですが、更新停止のままではダメだろうと一念発起し、自分の頭の中の止まった設定のまま書いてみました!

 とりあえず、この作品はこんな感じなんだなと読んでいただけますと幸いですー。


 鬼人正邪は天邪鬼である。

 そのように、彼女は鬼と種族名についてはいるがしかし実際は鬼とは程遠い、捻くれているだけの妖怪だ。

 生まれついて、何かが幸せであるとムカつくし褒められているとぞっとする。嫌がることは進んでするし、命令無視なんて当たり前だ。

 

 そのような、ある種哀れとすら思えるほどの常道嫌い。彼女は人から嫌われ妖怪としてもはみ出しもの。相手の前に差し出す舌の赤さにこそはっとされるが、次には相応のしっぺ返しが待っていた。

 そんな正邪は当然、安定平和を嫌う。空いた両手があるならその手で隣人を傷つければいいのに。相手のためを思うとか反吐が出る。その様にして、毎日平穏な幻想郷の半端なところで苛々とし続けるのがこの頃彼女の常だった。

 

「ちっ」

 

 今日は朝から程よく空に雲が湧いていて、日差しも柔くて珍しいくらいにいい天気である。鳥達が優しく鳴き合うのも快く、四季の合間の平らな空気に流れる妖精たちの幸せそうな様といったら思わず微笑んでしまいそうだ。

 勿論、素敵なそれら全てを嫌っている鬼人正邪は全てを評することすらなく舌打ち一つで背を向ける。どうでもいい、それを嫌がる自分には無意味なものだとして。

 だが、実際それらが無意味なものでないというのは、何より正邪こそ知っていた。何せ、全てが素晴らしく愛おしいと感じてしまうからこそ、彼女にとって気持ち悪いのだから。

 

 そう、天邪鬼である彼女は心の底からこの世が素晴らしいことを知っていて、だからこそ大嫌いなのだった。それこそ、愛が嫌いに変わる天邪鬼らしく。

 愛おしいからこそ傷つけたい。そんなどうしようもない自分が嫌いで好きでどこにもどうでもいいものがなく、結果的にとても彼女は生きるのが辛かった。

 

「せめて、こんな世界、変えたかったんだけれどねえ……」

 

 全てに平穏無事が約束されずとも、可能性として残されている。ここ幻想郷はそんな楽園であった。

 それでも、これまで正邪が笑ってしまうくらいの不幸はそこらに存在していて、まだ過ごしやすい部分もあったというのに。

 それもこれも、弾幕ごっこという命をかけない闘争が流行ってしまってからは、大分少なくなってしまった。今や、弱者の弱音を聴いてざまあみろと言っている時くらいが、心休まる時間である。

 

 だから、色々画策し、天上天下を逆さにして、過ごしやすくしようと目論んでいたが、無駄に終わりそうであった。

 それこそ、正邪が唯一尊敬している捻くれの極地である、風見幽香という天地がひっくり返ろうが手のつけようのない最強が皆のためにと動いているために。

 

「風見幽香が相手だと伝説の打ち出の小槌ですら、足りないだろう。アイツを相手して下剋上なんて夢のまた夢だ」

 

 鬼人正邪は捻くれているが、それでも物事の図りまで間違えることはない。誰より冷静に、悪行をするに他力が足りないことに歯噛みするのだった。

 そしてぎりと鳴る歯の理由には何よりあの自分と同等以上だと感じるくらいに捻くれていた幽香の変貌に対する苛立ちもある。

 本来ならば、あの嫉妬すら許さない抜群の妖怪は、下剋上が周囲に広がり地獄がこの世になろうが笑って構わず過ごすだろう、そんなへし曲がった心を持ち合わせていたはず。

 しかし、今やその複雑怪奇に曲がった心を真っ直ぐにして、優しく周囲に合わせている。そんなの、鬼人正邪には何度観ても信じられないものだった。

 

「アイツがああだと、ムカつく……」

 

 そして、彼女の幸せそうな姿を見ると時に正邪にも迷いが生まれてしまうのだ。もしかしたら、自分もああなれて、皆と幸せになれるのでは。そんなあり得ないが脳裏によぎる。

 

 自分が一人ぼっちじゃなくて幸せなんてそんな素晴らしい世界、反吐が出る。それが紛うことない正邪の本音。

 でも、そうとしか思えない自分の窮屈さだって、天邪鬼な彼女は嫌いだった。何もかもに背を向ける毎日はつまらなく、だから幸せになっても良いのではと血迷い、その度に朱いベロが出てしまう。

 

 だから、戻って欲しいと思う。幽香は加虐的で、不可逆的で、それで良かったのに。

 

「とはいえ、どうしたって風見幽香を変えるなんて無理だ……いや、本当にどうしてアイツ変わったんだ?」

 

 木々の間から垣間見える曇り空に向けて、正邪は疑問を呈す。当たり前のように、珍しくも真っ直ぐな彼女の疑問は何に届くこともなく、空に消えた。

 しかし、正邪の自力でいくら考えても、答えにはたどり着かない。まさか、幽香本人が、優しくしてみたいからそうしているなんて、そんなこと。

 だって、アイツはどうしようもなく個で生きていて、目も当てられないくらいに完結してくれていた。故に、その持つ加虐性を含めて正邪にとって好ましいものであったのに。

 

「ちっ、他の奴らに期待するもんじゃないな」

 

 そう、本気で思う。そして、幽香に入れ込みすぎていた自分を感じて、ますます機嫌を悪くするのだった。

 だが或いは正邪はひょっとすると、幻想郷いち幽香の持つ力に憧れていた存在だったのかもしれない。

 

 何せ、ちょっと物理的にひっくり返すのが得意な程度の能力しか持っていない木っ端妖怪の己相手にですら、あの最強は出逢えばきつい嫌がらせをしている。

 最強故に平等にどうでもいいからこそ、何もかもに嫌われるようなことが平気でできるのだ。花は無垢故に、残酷である。

 そんなの、嫌われたいから嫌われていて、結果一人ぼっちで愛おしい棘たちに苛々してばかりいる自分とは大違い。正しく格が違うと感じていた。

 

 それほどの幽香が、あんなに無様にも周囲の反応に一喜一憂して戯れている。ぞっとするというのは、このことか。幽香の変わりぶりの目的が正邪いじめであるのであれば、それは大成功である。

 

「はぁ……」

 

 いつも通り楽しくはない中、未来への楽しみすら立ち消えてよりつまらなく。吐く息にすら重しがついているかのように、どこか鬱々しい。

 そんな幻想郷の中で安堵できない正邪の彷徨い道中。逃避の道行きに、曇りが深くなる。

 ふと見上げれば、そこには世にも珍しい空征く城が。更にそれは逆さになって浮いている。普通ならば自分の正気を疑るレベルのとんでもない代物を見上げた鬼人正邪は。

 

「姫……私は抜けると言いましたよ」

 

 そう、冷静に呟く。それは、驚くのを天邪鬼らしく嫌がった結果という訳でもなく、こんなものには出入り放題慣れきっていたからだった。

 この大げさに異常な建物の名前は輝針城。魔力の尽きた打ち出の小槌によって生じた結果、直ぐに願いの逆さに成って天地逆転した上小人達を連れて鬼の世界まで飛んでいったとんでもない城である。

 それが、今や正邪曰く姫の乗り物同然。再び溜まっている打ち出の小槌の魔力を上手く使えているようで何よりと、出そうになる舌を我慢しながら正邪は表情でただ呆れを示すのだった。

 

「そんな大げさなもので追いかけてこなくても、姫なら天邪鬼一匹程度の代わりは幾らでも生み出せるじゃありませんか。放っといてくれませんか?」

「むぅー。正邪ったらいつも通り捻くれている上、いつになく弱気ね! 何がそんなに貴女を弱くさせたの?」

「それはもう、元々私なんて弱い存在ですから、最初から」

「あんたがそれをひっくり返すって言ったんでしょー! 私をそそのかしておいて、最初に降りるなんてズルい!」

 

 最下部にある天守から現れ飛んできたのは、大きなお椀を被った少女。天邪鬼に姫とされているのは少名針妙丸という名の子だった。

 針妙丸は元々物知らずの少女である。しかし、小人族であった彼女は打ち出の小槌という鬼の秘宝を十全に使うことが出来た。

 故に、目をつけられ長く正邪に世話され幻想郷での弱者の悲しみを吹き込まれて、さて準備もできたから下剋上を行おうという段に至って、発起人たる鬼人正邪の突然の一抜けである。

 

 これには、薄々利用されているのだろうなと理解はしていたが事態を楽しんでもいた針妙丸は、遊びに飽きられたかのようで怒りを隠せなかった。

 そのために、輝針城ごと雲の中に隠れながらいろんなアイテムで逃げる正邪を探して、見事森の中で見つけられた今がある。

 頬をぷんと膨らませながら、針妙丸は尚言い募る。

 

「なに? 下剋上が無理だと思って止めたの? あんたなら、無理そうでもギリギリまで粘ってから私を盾にしてそのまま逃げ隠れそうだけど」

「流石姫。よく私を分かってらっしゃる。なら、端からどうしたって無理なことだったら私はどうすると思います?」

「んー。始めるまでもなく、逃げちゃう?」

「その通りですよ」

「なに、それって情けない! 天邪鬼の名が泣くよっ!」

「顔で泣いて腹で笑うのが天邪鬼でしてね。名に背くならむしろ立派に私は私をしているということです」

「ああ言えばこう言う!」

 

 針妙丸は、今までになくつれない正邪に、地団駄を踏む。ぺたりぺたり、裸足の愛らしい音が鳴る。

 だがひらひら裾で大体のことなら魔力の続く限り叶う打ち出の小槌の力で少女といえるサイズになっている小人族の彼女が暴れると、なんとなく目にうるさかった。

 はぁ、とため息隠すことなく、正邪は子供の駄々に反応して両手を逆さに上げて言う。

 

「姫のわがままには参りましたね。しかし、私が抜けるのは仕方のないこと。何せ、私達と小槌の力だけでは、下剋上するには足りないのです。圧倒的に、力が」

「力? それがあればいいの?」

「ん? ええ、まあどうせなら幻想郷を支配できるくらいのものがあれば最高ですが……」

「やだ。正邪ったらやっぱり支配が目的? ……まあ、いいわ。力なら、実はさっき拾ったのよ!」

「……拾った?」

「ええ! その力っていうのはね……正邪も前に言っていた……っと」

 

 どこか上気した面の針妙丸は、言いながらぱたんという頭上からの音に顔を上げる。

 そして釣られて疑問とともに正邪が見上げた先にはとんでもないものが。

 

 それは、明らかにこの世にあって天上極まりない棘でありながら、その先端に煌めく華。美しく、何より悪どいそんな代物は今しかし他に対する棘をわざと曲げていて。

 

「ふふ。出来るなら、私に自己紹介、させてもらえないかしら?」

「え……」

 

 彼女はふわりと正邪の前まで降りてきて、携えた傘を光を嫌うようにばさりと開く。

 するとなんとも心地よすぎる香りが辺りを支配し、正邪の心を不快にさせる。だが、それに囚われることすら出来ず、相手の意外にどうしようもない間抜け面になった天邪鬼は。

 

「私は風見幽香。足りないと言うなら、私の最強の力を貸してあげてもいいわよ?」

 

 ふわりと、風のように軽やかにそう述べた幽香に対して、返事すら出来ないのだった。

 

 

 

 ところ変わって、場所は輝針城。雲を引き連れ幻想郷の空を征く逆さ城にて、上等な天板を踏みつけながら歩む妖怪が二人。

 彼女らは、出ていった親代わりの帰還に満足して先に戻った城主の後を追い、ゆっくりと城内を進んでいた。

 いや。実のところ片割れである正邪はゆっくりなどしたくもなく、疾く針妙丸に事の次第を問いただしたかった。

 だが、小心者の妖怪でもある天邪鬼は、幽香という最強に対してまともに応ぜずに険を持たれることを恐れ、歩調を合わせる。

 物珍しそうに、周囲を見定めている幽香。そもそも、針妙丸との出会いに勧誘も、逆さ城を雲の影から視認した彼女がふらりと物見に寄ったことが発端である。

 そんなことすら知らない正邪の横で、端正な顔をそのままに、幽香は呟き出す。

 

「下剋上とは穏やかじゃないとは思ったけれど、中々発想は面白いわね」

「はぁ、そう……ですか」

 

 姫め口の軽い、と内心で軽く罵倒しながら、幽香の言葉に正邪はただ頷く。

 穏やかではないのは当然である。それはもう、全ては針妙丸を乗り気にさせるための方便であるから。あの子供は、少し勇ましい物言いのほうがやる気がでるタイプなのだ。

 しかし、それが優しくすることを目的とする最近の幽香とは合致しないだろう、とは思う。そして不安になり様子をうかがう天邪鬼に、花の妖怪は滴より柔らかく続けるのだった。

 

「弱者が重しに痛むのは世の常。以前の私なら何も感じなかったでしょうが、今ならそれを面白くも、何とかしてみたいとも考えたりもするわ」

「それは……」

「無論、下剋上が天邪鬼である貴女の目的ではないとは分かっている。どうせ、どさくさに紛れて利を得ようと考えているだろうことは透けて見える」

「……分かってるなら、どうして」

「ふふ」

 

 小物の前で、大物はただ笑う。それは、全てを知って尚、面白いことがあるからに違いない。

 何しろ自然の権化である幽香にとって、不自然こそ愉快なものであるから。彼女の観点で言えば、無理に無理を重ねて天邪鬼であり続けようとしている少女がどうしようもなく楽しい。

 思わず、優しくしてみたくなってしまうくらいに、純で大したことの出来ない少女が、捻くれた妖怪の皮の中に見えて、だからこそ。

 

「でも、天上天下をひっくり返せば、私が何より下に来る。それを貴女が目的にしていると勘違いしてみるなら、面白い」

「はぁ?」

 

 酔狂を装って、風見幽香はそれらしく正邪の目論見に乗っかった。

 突然の頓珍漢な言葉に純粋に驚く少女。大きく空いた口の赤を見て、やはりこの子に悪役は無理があるなと思えども。

 

「さあ、鬼人正邪。これより一緒に、幻想郷をひっくり返しましょうか」

 

 レジスタンスの集う居所の中、新入りのフラワーブーケの妖怪はしかしこの場の誰より悪どく、そう宣言をしたのだった。

 



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第十八話 少女の夢に優しくしてみた

 皆様お疲れ様ですー。
 今回は大分早くできました! 一読していただけますと嬉しいですね!


 それは嘘だと嘯いた、天邪鬼の夢。


 

 投げて、拾ってを続けるその合間に入り込んだのだろうか。使い慣れていた道具の中に、段違いの威力のものが紛れ込んでいる。

 そんなことがもし起きていたとするなら、そのおかしな道具を精査するのは当然のことだろう。

 そして、メイド十六夜咲夜は己の持つ無数の銀のナイフ達に紛れ込んでいたその一刀を、館の知恵者の手で正体を暴いてもらってからしばらくして、直にその銀色を眺めることにした。

 

「ふぅん」

 

 美しい銀は少し歪ませて、一部メイドを解いたことでただの美でしかなくなった咲夜を映す。

 仄暗い紅い館の彼女のための一室。電気よりも純粋な灯火に照らされた刃は禍々しく煌めいている。

 映り込む紅ばかりでは些かも満足出来ないと告げるそれを見て、少女は多少の日頃の疲れと共に、自分に対して疑問を吐き出すのだった。

 

「ふぅ……さて……この妖器、どうしましょうか?」

 

 これは、明らかに持つものの心に至る程の魔力を持っている。それだけでなく、無量を一本で成立させるほどの威力まで備えていた。また、それでは物足りないのか、道具の分を越えて多少の意思を得ているようだ。

 パチュリー・ノーレッジ曰く、鬼の魔力で付喪神と化しているらしい小刀は、恐らく幻想郷で最もナイフの扱いを得手としている咲夜のもとに自らやってきた。

 きっと、妖怪らしくこの一振りのナイフのような乙女と共にあれば、存分に生き血を吸えるとでも思ってのことだろう。

 ためしに、主レミリアのために冷凍保存してある血液を垂らしてみたところ、あっという間に啜ってしまったことからも、きっとそれは間違いないのだった。

 

「新たなペットが増えたと思うと、可愛いものだけれど……」

 

 咲夜とてそのいじらしさに、可愛らしさを覚えないこともない。

 貴女が良い貴女が良いと、先から怨念のような思念で伝わってくる。ここまで一途に求められて、それを嫌がるほど彼女は乙女を止めていない。

 

「でも、この子はちょっと、自我が強すぎるのが玉に瑕ね」

 

 とはいえ、この器物の最終目的が、持ち主の意識を乗っ取ってありとあらゆるものの血を奪うことであるとまで判じているのであるならば、話は別だ。

 そんな、自分の主より面倒なことを考えている駄々っ子までも養う気持ちまでは、流石に幻想郷随一のメイド長といえども更々ない。

 

 ならば、どうするか。妖刀への対処は封印というのが通常の方法であり、また奇遇にも何年か前に売りつけられた博麗霊夢謹製の御札がこの部屋に安堵されてもいる。

 どうせなら、その御札で包んでからナイフラックにでも置いて飾りにしてみても良いだろう。魔的に美しい刀剣は、御札が一巻きされていたところで損なわれないくらいには、インテリアとしての価値を発揮してくれることだろうし。

 

 と、咲夜が笑顔でそんな風に思考を遊ばせていると、ぶるりとテーブルに置いた刀身が震えたのが分かる。なるほど、これは自分が本来の用途ですら使用されなくなるのを敏に察して恐れたか。

 当の刀が嫌がっているなら、それは止めよう。でも、それ以外の刀の使い道といえば。

 

「仕方ないわ。なら、貴方には今回の異変を解決するための戦力になってもらおうかしら」

 

 そう、銀刀なんてものは本来魔ではなく魔を切るためのものでしかなく、そしてそれに倣ってもらおうではないか。

 主が安らいでいて欲しい夜に分を弁えずに騒ぐようになった魑魅魍魎達を切り裂くための一本として存分に血で汚れなさいと、少女はそれを指名する。

 

「ふふ。頼んだわよ?」

 

 優雅にも曇りない鏡面仕上げの銀に微笑み、ホワイトブリムを頭に乗せ、そしてためらいなく柄を握り込んで妖器を携えた十六夜咲夜は、自室から立ち消えるように去ったのだった。

 

 

 

 博麗霊夢は、最近仕事がやけに多いと何となく感じている。明らかに妖怪が博麗の巫女にまで楯突くことが増えていた。

 これは面倒だと、通り魔的にそこらの妖怪を弾幕で斃して回って霊夢は元気な奴とそうでもない奴との違いを見定めていく。

 そんなはた迷惑な調査をはじめて分かったことは、弱いばかりの妖怪たちが、それらしく隠れておらずに、妙な力を付けて気を大きくして暴れ出しているその様子だった。

 先も、なんでかろくろ首だか飛頭蛮だかよくわからない、あまり戦った覚えすらない相手を下してから霊夢は思う。妙にやりにくかった、と。

 

「うーん……」

「馬鹿にしてたけど、弱い奴らも意外にやるものね」

 

 何となく、感心しながらも無傷で斃したばかりの相手へとふわふわ霊夢は寄る。普通なら、降って湧いた力になんて遊ばれるのがオチだと思っちゃうけど、と考えながら。

 まあ、それもその筈、弱者で綺麗を見上げてばかりの彼女らが力を得て行う花火には気合が入ったものになりがちなのだ。更に妖怪退治専門家ですらあまり詳しくない彼女らのその妖怪性に拘った渾身の逸品は、意外であり思ったより避けにくい。

 特に、今回増やした頭をびゅんびゅん飛ばすなんて奇手には、流石の霊夢も驚いたくらいだ。まあ、それでも初見で落とされることはない辺り、達者な巫女ではある。

 霊夢は、まあまあ頑張った相手として蹴飛ばすことさえなくぺちぺちと転がっている頭に手を当て頬叩き、ろくろ首の妖怪赤蛮奇を尋問のために起こすのだった。

 

「う……貴女は……博麗の……あれ、私……」

「おはよう。単刀直入に聞くわ。あんたに力を与えたのは、何者?」

「えっ? それは……ごめんなさい。分からないわ」

「あんたも、かぁ……」

「いて」

「はぁ。さっきから草臥もうけね」

 

 聞いて無駄だったと分かったら、もうどうでも良いと抜け首妖怪の頭なんてぽてりと手放して、霊夢は一考する。

 先からずっとこうだ。そこそこ上等そうな妖怪であれば力に酔った様子ではないが、弱そうな奴らこそ好戦的になって襲ってくる。

 だが、いくら訊いても彼らの心を大きくさせた力の源泉は不明。霊夢は力の種類が魔力のようであるというのを、先に封印してきた知らない間に付喪神化していたお祓い棒の様子から知っているが未だそれしか分からない。

 

「このまま、事態が収まるまで妖怪退治、ってのも芸がないわよね……」

 

 よって、下手人不明のまま弱者が敵対者となり湧いてくる現在の状況には霊夢も困り果てていた。魑魅魍魎はほぼ無数。キリがないとはこのことか。

 またこのまま事態が悪化し下手をして図式が変わりこれが力を得た弱小妖怪対その他妖怪とでもなってしまえばそれこそ妖怪大戦争になるかもしれない。そうなってしまえば事態収集にどれほど時間がかかるか分からなくなる。

 実にこれは地味に厄介な異変でなるべく早く何とかしないと、と考えるがしかし霊夢はこうも思って悩むのだった。

 

「どうにも妙よね……普段柳の下に隠れているような輩に力を分けるなんて暇な奴なんて、そうは居ないはずだけれど」

 

 現状力を得ている者たちに共通しているのは、普段力のない存在だということ。はっきりと、そんなものを強くしたところで価値はない。強いものを更に強くするのが常道というものだ。

 こんなの、混乱が起きるばかりである。そもそも、弱きにほぼ無償で力を与えるなんて、そんな下らないことなぞきっと悪魔ですら考えないだろう愚か。

 弱肉強食の世の中で、それを崩そうと考えるなんて者は余程暇を拗らせた存在しかあり得ないだろうと、霊夢は断じる。また、下手人はどうにも溢れんばかりに力を持て余しているようで。

 

「なら、やっぱりこんなのをやりかねないのは、幽香くらいかしら……」

 

 全く見ず知らずの何者かがおかしな事態を引き起こしていると考えるより、それを、意味不明で大嫌いなあの力持ちが行ったのだと考えるのは楽である。しかしそれはあまりに短絡的ではないか。

 だが、巫女のシックスセンス、つまり霊夢の直感は言葉に自信を持たせてくれる。最低でも多分、今回もあいつは何か絡んでいるのだろうな、と半ば諦観しながら霊夢はその目論見を思った。

 

「ひょっとして、優しくするっていうのを拗らせて、あいつ弱者に力を与えて周ってる?」

 

 そんな愚かなことをまさか、とは思うがもしかしてと悩んでしまうのが、困ったところ。それくらいに、優しくして見せている幽香というのは霊夢にとって意味不明で、何してもおかしくないと思える怖さがあったのだ。

 饅頭こわいと一度呟けば塩辛を口内に笑顔で詰め込んでくるような意地悪が、はいあげると素直に饅頭を手渡してくるようになったのだから、霊夢の勘ぐりも間違ってはいない。

 だが、ああだこうだと考えるのは博麗霊夢の得意ではなく、よく考えたら分からないなら一々考えずにそのまま嫌いなままであっても悪くはないじゃないか、と考え直して結論をつける。

 

「ったく。まあいいわ。どちらにせよあいつと戦うのは決まってるようなもの。……今度こそぶちのめして、それで終わらせればいいわ」

 

 一先ずは見敵必殺の意思だけを強く持ち、霊夢はふわりと人里から飛び離れていく。当然のように、全ては等しく遠くに消える。

 

「ああ、私らしくないわね」

 

 好きも嫌いもどうでもいい性分の筈なのに、霊夢は幽香が苦手だ。それは、よく分からないから。だからあんなのは実は悪くて当然だとハクレイのミコは眉根を寄せ続けるのである。

 

 そう、何時ものようにぶちのめしてから相手を知って仲良くなる、そんな博麗霊夢の手管が一切通じない、遠く離れた最強なんて彼女にとっては酸っぱい葡萄だった。

 

 

 

 打ち出の小槌。それは一寸法師のお話に出てくる魔法の道具。

 一寸法師が手にするまで鬼が持っていたらしいそれは、一振りで金銀財宝をざくざくと生み出すことすら可能な、ある種の願いを叶える機構である。

 勿論、きっと神様のものだってそうだろうが、ましてや鬼の持ち物であるからには無尽蔵ではなく、叶えた後の代償だってあった。

 賢い一寸法師は多くを願わなかったが、それ以外の小人族は願いをあれこれ叶えすぎて、挙げ句民の支配までを願った結果、鬼の世界に幽閉されて逆に恐れに支配されるという代償を払うことになったそうだ。

 そんなこんなを面白おかしく脚色しながら語る少女に、笑顔の弧で応じながら、風見幽香はこう返した。

 

「ふぅん。正邪は物知りね。そんなことまで知っているなんて」

「はっ、褒めないでくれよ、反吐が出る。こんなの、輝針城に忍び込んだ際の一番に見つけた巻物に書かれてただけさ。これは使えると思って読み込んだが……その結果がこのザマさ」

「こうして私に事情を根掘り葉掘り聞かれる今があると。ふふ。教訓話としては先のものも中々に面白いとは思うけれど……」

「止めてくれよ。馬鹿の結末が自業自得なんてこと、見習うまでもなくどこにだって転がってる。あんただって、それくらい分かってるだろ?」

「そうね。願望器というのは幻想でしかないからこそ為になる。無尽の優しさなんてものはきっと、毒」

 

 逆さ城の、格子天板の上にテーブルと椅子を乗っけながら、二人の妖怪は昔話で談話する。方や笑顔で、方やブスッ面で珈琲の黒を時にいただきながら。

 正邪のように踏まれて歪んだ視点では、意外とこの世は広く見えるものである。そして、それと同等のものを持つ幽香の賢しい目には、実のところ自らの業すら詳らかに映ってもいたのだ。

 なんだコイツ、優しさが毒にもなるって分かって配り歩いてたのかよと辟易した視線をしながら、天邪鬼は酷くつまらなさそうに呟いた。

 

「……それを分かっていてあれこれに優しくするのを止めないあんたは、何だかんだ歪んだままなんだねぇ……」

「ええ。私はただ、優しくしてみているだけだから」

「はぁ。やっぱりコイツは風見幽香だったか。厄介だ……」

「ふふ」

 

 圧倒的な力によって叶えてあげるということ。それは、そこに至るための努力を取り上げてしまうことにも繋がる。

 その優しさは聖なるものではない。邪ですらあった。

 そして、それを理解していても別にそれで構わないという心を持っているのが、今の風見幽香の妖怪なのだろう。

 

 そこらの願望器なんかよりも厄介な、最強の優しさ。それに弱者がメロメロになってしまうのも自然といえばその通り。正邪はため息交じりに、優しくしてみているだけの風見幽香に尋ねる。

 

「それで、どうする? あんたはこれで私の目論見全てを知った。勿論風見幽香を陥れようなんざ考えたことすらなかった」

「それは、確かに残念かもしれないわね」

「更にこのまま計画を進めりゃ、打ち出の小槌で力を得た弱者は代償で暴れまわるから秩序が壊れる。そうすりゃ、あんたが優しくする相手だって減るだろ?」

「そうね」

「だったら、どうしてあんたは私なんかに感けている? 直ぐにでも針妙丸にでも事の次第を話して、私を悪者にしちまえばいいのに……」

「ふふ。なんか、って自分のことを言うものじゃないわよ? そう。私は今誰に優しくしてみたいと思っているか分からない?」

「それは……」

 

 改めて、何時も下から幽香を見上げていた正邪はある種彼女のフォロワーである。歪んだファンのようですらあり、だからこそ彼女の視線が自分に向かっていることに惑うし、困る。

 誰かに嫌われることばかり望んで、故にこの極めつけのイジメっ子から優しくされることなんて天邪鬼は夢想することすらなかった。

 

 ああ、愛なんてクソ食らえで優しさなんて犬に食わせちまえば良く、恋しさなんて忘れたくてたまらないものでしかなく。

 そして、だからこそ。

 

「安心して。私は貴女の夢を諦めないから」

「っ!」

 

 悔しいくらいに美しい、向けられた笑顔の嘘っこの優しさにあかんべえすることが出来ず、彼女はただ顔を紅くするのだった。

 

 

 

 普通の魔法使いというのは、優れていなくとも、下手ではない魔法使いということでもあるだろう。

 そして、そんな半端者であるならば、恐れだって識っているし、勝利だって望める。星々にまで手を伸ばせるのは、実のところこの類が多い。

 そもそも天上の者には、その気になれば手に取れるものでしかなく、また地べたのものにそれは眩しすぎるものだから。

 

「ここか、力の出どころは……ふっ。私が今日はいの一番に来れたみたいで、ラッキーだな!」

 

 だから流星となって幻想郷を駆け回った彼女が、己のミニ八卦炉に宿った魔力を参照しながらダウジングなどを駆使して探し回った結果が、光より速いメイドや神がかった巫女らより早く出ることだって、実はおかしいことでもないのだった。

 霧雨魔理沙は、力が溢れて嵐を纏うようにすらなった小人達の城を前に自分の一着を知り、微笑む。

 

 最近は、こと調子がいいなと彼女は思う。前は霊夢にも勝ったし、そして今回もひょっとしたら自力だけで異変解決が出来そうな予感がある。

 弾幕ごっこが得意になってきたと思えてきたのも、少し前から。敵前で思うことではないが、これは気持ちが大きく鼻が伸びてしまうのも仕方がないだろうと魔理沙は考えてしまう。

 そして、更には頼りの綱の魔の力によって強化されたというか最早妖器と化しているミニ八卦炉が心を逸らせてまでいる。

 

「よしっ、これで霊夢に二連勝だ……!」

 

 意気揚々と彼女はこれまでにないくらいの昂りを持ちながら魔女帽を押さえつつ嵐へと突貫。

 速度に優れた魔理沙は風に揉まれることもなく、異変の元凶が待つ輝針城の全容伺えるまでに近づいて、そして。

 

 見慣れた嘘のように綺麗な花を見た。見つけて、しまったのだった。

 

「あら、魔理沙。思っていたより早かったわね」

「あー……幽香。ちょっとタンマだ」

「ふふ」

 

 最近友誼を深めたばかりの最強が此度の壁と成って立ちはだかっている現実に、思わず魔理沙は待ったをかける。

 小物を倒していざ突入したら、そこで微笑んでいたのは幻想郷最強。どうすりゃいいんだと零す一番の友達を前に、彼女は笑顔のまま語る。

 

 

「さあ、時間は私達の味方。私は、何時までも貴女を待ち構えてあげましょう」

 

 

 凪の中、特に意味もなく日傘をさして廻しながら風見幽香は優雅にも、夢見る少女のために何もかもの前に立ちふさがった。

 

 



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第十九話 ライバルに優しくしてみた

 また久しぶりになってしまいましたが……輝針城編、第三話目出来ました!
 今回はそれこそ旧作に西方要素も出てきますが……ああ、幽香さんこんな引き出しもあったのね、と理解していただけますと嬉しいですー。


 

 断崖絶壁が邪魔になっていても、ぶち破って進めば良い。そんな発想は常人には持つことが出来るものではなかった。

 普通ならば力が足らずに届かず及ばず、涙を呑むのが当然。挑むまでもなく自信崩折れさせるのが本来であるだろう。

 そんなこと、何度も手抜きの彼女と戦って、その度に墜とされてきた霧雨魔理沙には理解出来ている。

 

 最強とは、欺瞞ではなく真実そのもの。看板立てるまでもなく当人が口走ったそれこそこの世の道理そのものであるなど、彼女以外にあり得ないことだろう。

 故に、幽香の遊びですら最難関の問題と化すのは、もはやどうしようもない。だが、隠れた優等生の魔理沙には、そろそろ出題者の癖だって分かってきている。

 風見幽香とて弾幕ごっこなら無敵ではないのだから、百点満点を出さずとも合格さえ得れば良いのだ。

 そう、無様でも墜ちる前に墜とす。そのためのパワーならば既に得ていると、魔理沙の右手に握り込んだ自信は囁いていた。

 

「よしっ、いくぜ!」

 

 柔らかな頬を武器持つ逆手でぴしゃんと叩いて痛みに気合を高める。

 最強に心ですら負けていては、勝負にもならない。そんなこと、分かりきった事実である。

 視線を強く、刺し貫くようにして魔理沙は友を見つめた。

 

 だが、まるで楼閣を守るように立っていた彼女は、逆さという台無しになった城をすら一輪のための自然と化させる。

 無理に無意味だって愉快に足らずにむしろ哀れなほどの可愛らしさ。そう考えられてしまえるくらいに際の強さを持つ幽香はまるで全てを抱いているかのようにアルカイックな笑みを見せる。

 そのまま彼女は自分に凶器――妖器となったミニ八卦炉――を油断なく向ける友に、問った。

 

「さて、作戦は十分に立てられたかしら? 勝利の星は今の貴女に見えている?」

「勿論だ! 燦々と輝く一等星が、私には丸見えってもんだぜ。だから幽香……お前さんにだって今の私は負けないからな?」

 

 魔理沙はむしろ暗黒を帯びたミニ八卦炉を掲げ、勝利を暗に宣言する。

 そう、これまでに足りなかったのは、禍々しいまでの力。弾幕はパワーと言い張り続けて、そうしてようやく得たのは全てを無に帰しかねない程の代物。

 棚からぼたもち、どころか降って湧いて這入ってきた力を歓迎し信頼するのはいささか軽すぎる気もするが、それがどうした。

 

 手段を選ばずに、それでも勝ちたい並びたい。そんな心こそが友情だというのは、霧雨魔理沙という少女にとっては当たり前のものなのだった。

 

「そう、良かったわ」

「……良かった?」

 

 だが、そんなお前しか目に入らないとでも言わんばかりの熱中を前に、風見幽香は冷静に丸をつけるばかり。

 そこに花をつけずにおかざるを得ない残念を心中深くに隠し置いて、向けられた友情に彼女はただ応じる。

 

 閉ざすは、白く桃や草の色を呑み込んで揺らめく傘の蕾。そっと周囲に妖力魔力で練り上げた花々で空を飾りながら、臨戦態勢の相手を前に彼女は微笑む。

 

「ええ。魔理沙、貴女が今回の異変の勝ち筋を勘違いしてくれて良かった」

「どういうことだ?」

「簡単なことよ。それは……」

 

 本来勝利条件は、本来一つ。天邪鬼、鬼人正邪の目論見を挫くというそれだけ。

 だが、そんなことを知らない魔理沙は、故にただ空にあった最強に意味を感じて発奮してしまった。

 

 ああ、首謀者にお前の力だけは借りない、勝手にしろと言われて追い出されても優しく彼女の近くに佇んでいただけの幽香に、どうして挑む価値があるのだろう。

 

 微笑んで、向けられた敵意に応じて弾幕を展開し始めた最強は、こう嘯く。

 

「ただの門柱の装花に本気になるほど、無駄なことはないというだけ」

 

 そう。本来ならば、戦うことこそ誤り。

 最強なんてもの無視して通り過ぎて行ってしまえばいいだろうに、友だからこそ気にして相手にしてしまう。情こそ冷静を失わせる哀れであって、無意味に近い高鳴りなのかもしれないが。

 

「はっ、私が幽香に挑むことが、無駄なもんかってのっ!」

 

 旧き魔女の形に恋をして、認めた光り輝く力をモットーとしている乙女には、心より大切なものなどないのだった。

 

 

 火力は過ぎて、形をすら取り切れずにただの炎と化す。

 一撃一撃が焼き尽くす形を取って、花の守りを次々と食い破っていく。

 赤の輝きは、色とりどりを一緒くたにして散華の美すら許さずに焼失させた。幾ら多種多様を並べようともそれは同じで、むしろそれをすら許さないと怒涛と成って炎は迫る。

 無様でなくては逃げることすら難儀する、そんなパワーに依った一色弾幕の檻は容易く幽香という花冠を閉じ込めることに成功した。

 人では灼けそうな光熱に支配された空の中、どうにか笑めた魔理沙は、言う。

 

「どうだ? これなら弾幕はパワーって言えるだろ?」

「なるほど。貴女が自信に鼻先を伸ばすだけはあるわね。増幅器と願望器がうまく重なり合うと、これほど増長するなんて」

「はっ、天狗程じゃないが私にだって格好つけたい気持ちはあるぜ? 特に、霊夢やお前さんの前ではなっ」

「それは光栄なことね」

 

 会話の合間にも、通う炎が赤熱を花々に伝導させて消し飛ばしていく。

 幽香の余りある力も、弾幕ごっこにて用いている弾幕の花を操る程度であっては、魔理沙のかざすミニ八卦炉の前には蟷螂の斧。

 最強にとっては涼しい炎であっても、とはいえルールの上では無視は出来ずに、ゆらゆら動いて服の末端を焦がしていく。

 

 幽香の言の通り八卦炉のような火炉は、要は魔力に対する増幅器である。森近霖之助というとびきりの腕を持った者が創り上げたそれは、伝説的な素材を含めてかなりの高度。

 それが、打ち出の小槌の与える魔力を食い散らかしてその願いを叶えるという方向性をすら得てしまえば、最早それが持つ火力は神の持つ権能、能力に近いものになる。

 人が持つにしては過分なほどの、究極じみた高効率。本来ならば、こんなものを持った人間など、力に溺れてしまうのが普通であるだろう。

 

「そして、何より勝ちたいと思っちまうな! 知ってるか、幽香! 幸運の女神には前髪しかないんだってよ!」

「ええ。とても残念なヘアスタイルよね」

「だなっ!」

 

 だが、普通の魔法使いを自称する霧雨魔理沙は違う。

 冷静に、大量の火炎の中に自力のレーザー網を織り交ぜる等して、更に踊る花を追い詰めていくのだ。

 赤青が紫電にラッピングされた、とても美しい直線。それで区切って余裕を失わせることこそ、大事。ここぞとばかりに弾幕畳み掛けて、仕留めにかかる。

 彼女も、何度も幽香に負けて地の味を噛み締めたことで理解していた。この幻想の化身に対するには圧すだけでは意味がないと。

 強弱含めたリズムを持って、ペースを狂わす。それこそが、唯一の勝利への道。そして、その殆どを既に魔理沙は踏破していた。

 

「そろそろ、だな!」

「ええ、もう少しね」

 

 つまり、チェックメイトに足りていないものは後少しの時間であり、決め手。

 タイミングを合わせたかのようにそれぞれが同時に取り出したスペルカードは、向かい合って。

 

「さて」

「いくぞ……妖器「ダークスパーク」!」

 

 僅か、追いかける流星の少女の宣言の方が早かった。

 

 互いの距離を一重に埋めるように駆け抜けるは昏き光線。恋をすら塗りつぶさんばかりの暗黒は、全てを無に帰す威力を発揮する。

 そんな最強にほど近い少女の全力全開を受けた風見幽香は。

 

「ふふ」

 

 笑った。

 

 

 

 最強の花の妖怪、風見幽香という存在とは何だろうか。

 最強、そして妖怪であるというのは、自称するだけあって間違いない。だが、実際に生の象徴である花々を基にして妖怪が生まれることなどほぼあり得ないことでもあった。

 そこは区分けが違う、別担当の存在のもの。それこそ()()でもないというのに花を操るなんて、そんな、そんな。

 

「あっ……」

「ふふ」

 

 しかし、幽香は色とりどりの花弁の中、生命の妖怪として何より強くこの世を祝福する。

 素晴らしい世界、幻想郷。その頂上にあるのが花であることこそ、何よりファンタジック。ルールを超えた、有り得ざる計算外。

 

「惜しい」

 

 そう、たとえ遊びの中で力の殆どを削がれたとしても、彼女は花。

 力の合間をそよいで、途絶えることない多色の愛の美だ。そんなものが、墨線一つで消せるものでないことは、明白。

 案の定、黒の光線が消え去った後に、残ったのは花の繭。それは優しく開いて少女の背中を飾る羽根と化し。

 

「私にとどめを刺すならば、恋にすべきだったわね」

「な」

 

 一瞬の強力を発揮するがための相手の溜めの時間にて宣言できた真新しい一枚のスペルカードを見せつけて。

 

 改めて、それを語った。

 

 

「「幻想郷」」

 

 

 そして、無聊な全ては花と散る。

 

 

「私は優しくしてみているけれど……決して、易しくはないのよ?」

 

 力づくで攻略出来ると思うなら、それは論外。

 落ち行く魔理沙に片目を瞑り、そして幽香は彼女を受け止めるための花々のブーケをその手で創り上げるのだった。

 

 

 

 

 さて、門前にて火事どころでない熱量が暴れている。そんな時にどうするべきかは、簡単だ。

 避けて、通れば良い。

 幸い、最強の存在は釘付け。こっそり城へ忍び込むのを咎める様子もなかった。そうして、メイドは逆さの城を征く。

 

「うーん……降参よー!」

「わっほい、この人強かったー!」

 

 最中に、九十九弁々、八橋の琵琶と琴の付喪神が姉妹をしているという中々の変わり者達との弾幕勝負にて無事勝利を収めて彼女、十六夜咲夜は笑顔を作る。

 流石に二人が揃って二重に奏でる弾幕の渦に巻き込まれた際には、幾らなんでも咲夜も頬をひくつかせたものであったが、それでも相手が不慣れであれば勝負にはなった。

 そもそも、あの風見幽香の相手をすることと比べれば、この程度は楽勝。つい笑顔になった彼女は、付喪神達の弾幕などを散々に引き裂いても余裕がある今回の相棒を褒め称えた。

 

「ふふ。幾ら斬っても斬れ味鈍らない、この妖刀は素敵ね」

「ううー……今は力ないものが力をもらえるからって道具の天下だけれど……騒がしい私達より物静かな刃の方がより力をもらえたのね」

「その刃、怖いわ……」

「ふぅん……なるほど、いい話を聞けたわ」

 

 そして、最中に負け楽器達の言葉から情報を拾い、更に咲夜は気を良くする。

 力ないものが力をもらえる。それは、ここまでの道中のザコ敵の厄介さからそうなのだろうと察していたが、だが、なるほど今この手にある刃はその中でも特級。

 これなら、異変が終わっても手入れ要らず最高の包丁として使い続けられるのではと、内心メイド長はほくそ笑みながらふわふわと先を急ぐ。

 

「……ん?」

 

 だがそんな持ち手の考えを察してか、小刀がカタリと動いて主張をした。ちらりとその僅か鈍くなったような銀色を認めてから、言い訳のように咲夜は力を得た業物に対して語り合かける。

 

「大丈夫よ。あなたが思っているほど私も道具を粗末に使うつもりはないわ。ただ、適材適所ってだけで……」

「あー、それっ!」

「あら?」

 

 そんな咲夜を見咎めたのは、一人の少女。彼女はまるで一般の人間のようなサイズまで打ち出の小槌の魔力にて己を拡大した城主、少名針妙丸その人である。

 針妙丸は、怖いもの知らずといった体でそのまま怪しい見知らぬメイドに近寄り、しげしげと小刀――元の彼女にとっては剣――を眺めて頭を下げた。

 

「貴女、私が実験的に付喪神にした剣、ここまで持ってきてくれたの? ありがとー!」

「……付喪神に? 貴女は……」

「あ……こほん。私は少名針妙丸。道具に導かれて我々レジスタンスの元まで至った貴女を歓迎する者よ」

 

 きゃっきゃと子供らしく喜んでいた針妙丸も、しかし現在の立場は弱者のために働く反逆者達の長というもの。改めて、その身を正すのだった。

 この立ち位置押し付けたまま、正邪またどっか行っちゃったんだよなあ、と思う彼女の内心を知らず咲夜は目を細く針妙丸を見つめる。

 そして、断言するように彼女は問った。

 

「レジスタンス……つまり貴女が今回の異変の首謀者ね」

「そう! 私が力ない者たちに力を与えたんだ。幻想郷の弱者達が、見捨てられないようにって」

 

 あっけらかんと、用意されていた台詞を読み上げるようにそう返した針妙丸に、咲夜は整った眉根を寄せる。

 そもそも、幻想郷という中に潜む存在な時点で、弱者。その中の尽くが見捨てられていないからこそ楽園に守られているというのに。

 これは、少し変なことをこの子は言っているのでは、と思ってつい咲夜は正しに言葉をかける。

 

「それは……現実とは違うと思うわ」

「うん。知ってる!」

「へぇ……」

 

 だが、それに対して針妙丸は変わらずに笑顔。その満面ぶりに、何かを感じた咲夜は改めてナイフを構えるのだった。

 そして、まるでずっと夢の中にいるかのような喜色をそのままに、その昔一人ぼっちだった彼女は叫ぶ。

 

「私はね。はじめて出来たひねくれ者の友達の願いを叶えるために、頑張ってるだけ! それだけで……貴女がもしあの子が望む世界の邪魔になるのなら」

 

 そして、針妙丸が晒すは、黄金の槌。それがどこまでも価値のあるものであるというのは、欲の薄い方である咲夜であっても理解できる。

 また、秘めた力は神々や幽香に及ばずとも考えられる最高クラスの願望機であるのは間違いなく。

 

 だから、その前にて少女は何時ものように笑顔で夢を語るのだった。

 

「夢幻の力を与えるこの秘宝にて、レジスタンスの元に降るといい!」

 

 それが叶わないかもしれないことを知りながら、それでも友の役に立って――使われて――いる今を少名針妙丸は歓迎する。

 

 

 

 そして。

 

「風見幽香」

「あら、正邪……どうかしたの?」

 

「これで私の異変――夢――を終わりにする……風見幽香、私と勝負しろ」

「ふふ」

 

 そんな小人の思いなど知らずに、幕は次第に降りていくのだった。

 



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第二十話 天邪鬼に優しくされてみた

 大分間が空いてしまいましたが、閲覧どうもありがとうございます。
 今回は悩んだのですが……ここから話を終わらせるルートにはしませんでした。
 ただ、もしかしたらなイフを考えながら読んでくださると嬉しいです!


 

 その系譜の大本であるとされる天稚彦や天探女まで辿るまでもなく、天邪鬼という存在は反逆する者であることが要であり本来捻くれている必要なんてなかった。

 だが、実際のところ鬼人正邪は誰よりもへそ曲がり。白と言えば黒を語るし、正義を説けばその隣の悪を指差す。

 まるで本心からの反逆ではない、ただの反抗を繰り返すばかりの妖怪。益体もない、神秘の零落の末の冗談のような昏い凝りこそ彼女だ。

 

 勿論そんな者は生に学びなんて要らないとあかんべえ。強かになることすら他所任せで畜生以上に楽を求めてばかりで、そしてそんな己の下らなさこそを彼女は大事にしていた。

 永遠は勿論のこと享楽すらも要らず。いっそつまらないことばかりを自覚的に繰り返す正邪は、底辺極まりない下等。

 目に入れただけでしかめっ面を向けられる、そんなことにばかり楽しさを覚える痛々しい少女だった。

 

「こんな私だがね……この城ばかりは気に入ってるんだ」

「へえ」

 

 だが、そんな曲がりくねった心を持つ少数派の弱者は、孤独の最強たる日廻の前に真っ直ぐ逆さに立つ。

 彼女が見上げるのは風見幽香という最強が今守っている、ひっくり返ってそのまま浮いている、真に正邪に似通った有り体のお城。その名も輝針城。

 何やら面白そうだと探った挙げ句に書の中にて行き当たったその付けられた名前にも、珍しくも天邪鬼は嘲笑って済ますことすら出来なかったのだ。

 

「この輝針城は、小人らの愚かな傲慢に対する罰の形。だがそいつが一度鏡に見えてしまえば、見逃せはしないだろう?」

「天守を下に、石垣を天辺へ。そんな小人物たちの理想への裏切りの形が、貴女には貴女に見えてしまうのね」

「ああ。間違っていて滑稽で哀れで……私は、私だけは笑えない」

「そう」

 

 ふと、風見幽香は中空に雲を帯びながら佇む、冗談のような逆さ城を見下げた。

 力強さすら覚えるその造作に手抜かりもなければ、最下で暗く煌めく瓦の一つ一つが立派であるのが分かる。

 そんな全てが上下逆さになって台無しに浮かんでいるのであれば、なるほど無意味で滑稽、愉快であるとも捉えられるのかもしれない。

 

「ふふ」

「ちっ」

 

 勿論、幽香と正邪はそんなこと更々思わなかったのだが。

 ただ花の妖怪は風の心地に微笑んで、天邪鬼は思い通りにならない全てに対する不服に舌を鳴らす。

 

 レジスタンスのシンボルは、異変の首謀者の心象の形でもあったというつまらない在り来り。だがそんなことすら少女には見逃せず。

 何時ものように、まるで睨んでいるかのように眩さから目を細めながら、鬼人正邪はこう語った。

 

「私は思うんだよ……この世は輝く針だらけ。輝かしいあんたらに触れようとするたびに痛くて、だから私はひっくり返って笑ってる」

「そう。貴女は全てを肯定しているのね」

「あー……そう思いたくはないが、そうかもしれないね。嫌いなんて好きの変形。愛だってとても敵わないくらいに、私はこの世が大嫌いで……だから何もかもを真に受けて苛立っている」

 

 好きも嫌いも紙一重で裏返しであるならば、同じだと飲み込みのたうつ天邪鬼一匹。

 そんな、どうしようもない存在こそ天に中指立てるエゴイズムを秘めて、何もかもをどうにかしてあげたいと思いやってしまっていた。

 なるほどこれは見誤っていたと素直に認めた幽香は眉を上げて、正邪を認めながら呟く。

 

「鬼人正邪。それこそが貴女の妖怪ではなく、貴女という反逆者の特徴なのね」

「ああ。私は全部嫌いだ好きだっ、何もかもがどうでも良くないんだ! だから、優しくなんて……出来やしない」

 

 正邪にあるのは天邪鬼だから、という言い訳すら己に認めない歪んだ性根。

 全てに隔靴掻痒。もしこの美しい全てをかき乱してしまったとしても、何とかしてみたいという反逆心がこの吹けば飛ぶような妖怪の奥底にはあった。

 

 ああ、これこそ世界に向けた救いの千手。

 歪んでいて尖っていて、誰一人たりとて取らないだろうその手のひらを、しかし心の奥底に全てに危を示す千本針を秘めた風見幽香は確かに頷きと共に認める。

 

 だが弱者を救うどころか、この世のすべてを救いたいとすら思っていながら、そんなこと出来やしないと捻くれて己の利のためにとしか動かない。それこそがこの少女の天邪鬼なところ。

 それでも黙っていれば格好は付いただろうに、こうして目の前にて主張を辞められなかった、その理由は。

 

「なるほど貴女は、私の正対ね」

「ああ、だいたい全てがどうでも良いからこそ、万物全てに優しくなんてして楽しめる、お前と私は相容れないっ」

 

 何よりギラギラと光る逆さの瞳から幽香は察することが出来た。

 届く届かぬなんて知ったことかという、真っ直ぐな敵意。そんなものを向けられるのは久しぶりだなと思った花は笑みに歪み、こう口火をきる。

 

「正邪。私は結構貴女のことは、好きよ?」

「そうか。私はお前なんか――――大っ嫌いさ!」

 

 言うが早いか、真っ赤なベロを出した正邪。彼女は赤をまず世界に向けて広げて黒く白く煌めかせる。まるでそれは少女の心のマーブル。

 

「負けるもんかっ!」

 

 そして敵わなかろうと叶わなかろうと花よ散れと、鬼人正邪は風見幽香に向けて弾幕を広げるのだった。

 

 

 

 盛大な弾幕の音色が轟き出した城外を他所にして、静かに決着が付いたのは異変のま真ん中。

 その古めな姫様衣装をナイフにて四方八方から縫い留められ、とうとう白旗を上げたのは正邪が主と仮に仰ぐ、少名針妙丸。

 危険だと弾幕ごっこの途中に手から離され転がった、豪奢な小槌をうらめしげに望みながら瀟洒なメイドの前にて彼女は泣き真似をはじめるのだった。

 

「しくしく……わが友の悲願がこんな西洋かぶれの侍女に破られるなんてー」

「はぁ……流石は音に聞く打ち出の小槌。凄い力だったわね……この妖刀の力がなければどうなっていたことやら」

「むぅ……その剣だって本当は私のものだったのに……ずるい!」

「残念。首輪を外して離してしまえば、新たな主を探す子だって居るわ。この刀はしばらく私が使わせてもらうから」

「しくしく……」

 

 頼みの綱というか、生命線である打ち出の小槌もない針妙丸は妖しい力を纏った小刀を喉元に突きつけられ、諦めに改めて本当に涙する。

 相手は自分が全力を出そうとしたところを見逃さずに手から武器を弾くことでチェックメイトとした戦闘巧者。

 実はそこそこ素手の戦闘にも覚えのある針妙丸であったが、流石に勝者たる十六夜咲夜にそれで敵う気もしなかった。

 だから、あーあこれでとうとう楽しい楽しい我らが異変はお終いかと悲しみに暮れる。

 

「打ち出の小槌……恐ろしいアイテムね」

 

 そんな戦闘不能な様を見てようやく全てにケリがついたことを察した咲夜ははたと、弱小妖怪や器物が力を持ち出した事態の根本原因たる輝く小槌を見下ろし呟く。

 極東きっての願望器。聞けば鬼の手によるものらしいが、かの伊吹萃香の途方もない実力を思えばさもありなん。

 どこにも神様じみたものを作り上げることの出来る存在は居るのだと感心するのだった。

 

「あ……ダメだよ。小槌だけはあげないからね!」

「流石にこればかりは貴女から取り上げておかないと、際限なく異変が起きそうだし……」

「そんなー……私の身長、小槌の力でおっきくなってるから常に持ってないと戻っちゃうか心配なのに……あ」

「身の丈に嘘をつくのは止めておきなさい。悪用するつもりはないから、これは私が預かっておくわ」

「ううー……」

 

 咲夜は陶磁の指先にてその小ぶりのハンマーを拾う。思ったより軽いこれは根本的な部分では木製と呼べるだろうか。

 その上にどれほど塗り重ねられたかも分からない呪術的価値を無視して漆の表面を指でなぞり、いっときだけ咲夜も魅入られる。

 

「ま、私も私で身の丈を望んで生きないとね」

「うーん……貴女がそうするなら、私もそうならないとダメかー」

 

 だが、すうとそれを妨げるかのように咲夜の瞳に紅が浮かんで、たち消えた。

 後に残ったのは迷いないメイドの心に、嫌に騒音増した城の天板に足をつけて立ち出した少女達の姿。

 そしてふよりふよりと来たる紅白めでたい彼女が遠く見て取れた。額に汗を掻きながらやってきた既知の巫女を望んで、咲夜はふと呟く。

 

「あら……」

「咲夜! ちょっとそれ貸しなさい!」

「ええと、これは今回の異変の一番の戦利品なんだけれど……」

「問答無用! そんな幻想郷に悪影響しか及ぼさないものなんて封印させてもらうわ!」

「はぁ……」

 

 さて、誰にこの危険物の封印を頼もうかと一考する間もなく、向こうから慌てて来たのはその道の専門家。

 まさかこんな、どんな損と引き換えに願いを叶えるのかすらも不明な一品に自分が心を預けるものと思われているとは、と咲夜は霊夢に対して不満な顔をする。

 そして、それを敵対の意と取り違えた直感置いてきぼりの慌て巫女さんは咄嗟に御札を取り出して。

 

「なに、やるなら相手に……」

「ちょうどいいわ。その御札これに貼ってくれない?」

「はぁ? ……と」

 

 気づけば目の前に居た光速のメイドに導かれるようにして、その一枚を打ち出の小槌にぺたり。

 それだけで、今にも暴れて逆巻きかねなかった魔力は一気に大人しくなる。

 しばらく上から様子を覗いておおよそ大丈夫と理解した霊夢は、ため息と共に本音を吐き出すのだった。

 

「はぁー……私が封印術得意で良かったわ。この槌からもう暴走するんじゃないかって気配を感じて急いで来たけど、もう大丈夫ね」

「えー……暴走とかそんなの聞いて……あ、正邪のヤツ知ってて黙ってたなあ! 全くもう!」

「んと……あんた誰?」

 

 慌ててろくに目に入れていなかったが、少しボロボロ姫調な衣装を来ている少女をここで霊夢はようやく気にしだす。

 目と意識を向けると、ぷんぷんから一変。針妙丸はお椀の蓋の帽子を指し示しながら、上機嫌にこう自己紹介をはじめるのだった。

 

「よく聞いてくれました! 私はかの一寸法師の末裔、今回の異変のボスでもある少名針妙丸よ!」

「一寸法師? へぇ……思ったより小人って私達と大きさ変わらないのね」

「どうもその子、小槌の力で身体を拡大しているみたいよ」

「なるほどねー」

 

 咲夜の横からの補足に、合点をいかせて頷く霊夢。

 彼女にとって小人とはもうちょっと可愛らしいサイズであり、また幼少期飼ってみたいと思った経験もあったりするのだった。

 だから、針妙丸の言で気にしたのはそこだけ。しかし、本来驚くべきところはそっちじゃないと思った小人は、霊夢の袖をちょいと引っ張って問う。

 

「……私がボスだってこと、驚かないの?」

「ええ。そんなの信じてないから大丈夫」

「うー、信じなさいよー! どうしてー!」

 

 私そんなに貫禄ないかなー、と続ける針妙丸には確かに実力ほどの大人気な感じはない。

 だが暴れる幼気にて、どうやら最低でもこの少女は本当に自分が悪役であることを信じていることを霊夢も理解させられる。

 どうも黒幕らしくないその様に気を引かせながらも、彼女は言い訳のようにこう零すのだった。

 

「いや……それは外であんたよりも悪そうな奴らが仲間割れしてたから、ついね」

「へ?」

 

 そう、針妙丸は特に気にしていなかったが、外の花火の模様は現在が最高潮で。

 

 つまりもう直ぐに散って終わってしまうのだということだった。

 

 

 

「はぁ……はぁ……どうやっても、掠りもしないって……大人気ない。遊びだろうに、これ」

「遊戯に本気になるのは大人も子供も関係ないわ。そして、そこに籠められた貴女の心象を感じればこそ、手を抜くことだけはあり得ない」

「そう、かいっ!」

「ふふ……」

 

 牽制の青赤は交差を見抜かれそよぎのような所作一つでなかったように遠く消えていく。

 ときに【何でもひっくり返す程度の能力】によって感覚すら狂わされてやりにくくて仕方ないだろうに、風見幽香は平気の平左であった。

 

 弾幕自体を月の悪夢のような難易度に極めてあっても、それを最強は悠々射抜いて進む。

 上下からの開闢じみた挟み撃ち。天下転覆を名にした能力を全開にした渾身ですら届かなければ徒労はなお募るもの。

 むしろ、煌々とした輝きたちの中で尚この華は輝きを増しているようにすら思えてはどうしようもない。

 

「次、逆弓「天壌夢弓の詔勅」!」

「あら」

 

 だが捻くれた天邪鬼の心は敗北が濃くなればなるほど発奮して止まぬもの。

 我が祖は天壌無窮の神勅がなんだと背を向き弓引いた。それが色ボケの結果だろうが知ったことか。きっと彼らは反逆に胸を張っていたことだろう。

 ならば私もとは正邪が思うことではないが、しかし。その弾幕には過分なまでの力が籠もった。

 

「届、けっ!」

「弾幕で干渉しても消えない? ……なるほど、これは弾幕ごっこの限界に近い表現ね」

 

 後ろから来たったのは吹けば飛ばない、そんな矢じりたち。

 赤青緑に輝くどれもこれもが、邪魔されるものかと力強く動きながら交差を生む。

 速い、無数。それが必ず幽香の後方から来たるのであるから流石の彼女もたまらない。

 先程までの余裕はどこへやら。ポケットの中にもしもの際の回避に用意しているスペルカードに触れる指先にも、自然力が入る。

 

「ダメね……」

「なっ」

 

 だが、そんな強張りをあえてここで幽香は捨てた。

 本気の本気に対して、もしもなんて要らない。遊戯でもこれに当たれば私は負けだと彼女は決める。

 三色の弓矢はどれもこれもが鋭く、その煌めきだって脅威に足るものだった。光の揺らぎは、交わされる動きはどれもこれもが目測の邪魔であり、そもそも向きが嫌らしくある。

 

「くっ、そおっ!」

 

 だが、そんな程度で風見幽香という存在を負かすには些か足りなさすぎた。

 しかし、それでも彼女は今注意に後ろを向いている。

 それを機だとは思えずともここで全てを当てるしかないと、捻くれながらも認めた正邪は。

 

「逆転「チェンジエアブレイブ」!」

「な」

 

 複雑な弾幕ごと【何でもひっくり返す程度の能力】を全開にした。

 

 

 

 赤い粒状弾の渦は視界を酩酊させ、青の大玉弾は逃げ道をどこまでも塞いでいく。

 そう、全てはまやかし。上下左右の方向を損なわせるように干渉する能力の一部ですら、正邪の全てではない。

 

 届け届け、敵わずとも、叶わずとも。

 私は間違っていて、それでいい。だからあんたも。

 

「優しくなくっていいだろうにっ!」

 

 そうして少女はまっすぐ曲がっていた彼女の心根を、真反対にひっくり返したのだった。

 

「っ」

 

 先に墜ちたのは、正邪である。だが、その前に覆水は盆に返った。

 

「さて……」

 

 墜ちゆく天邪鬼を認めるは、風見幽香の赤き瞳。

 それは正しく、真っ直ぐに見上げざるを得ない、恐るべき単色。そこに載っていたのは果たして、懐かしき嗜虐の色だった。

 

「はは……」

 

 ああ、自分が一人ぼっちじゃなくて幸せなんてそんな素晴らしい世界、反吐が出る。そんなの皆にあげちまえばいいのだ。

 そして風見幽香は加虐的で、不可逆的で、それで良かった。なにせ。

 

「――――私を起こしてしまったわね」

「やっぱ、あんたはその貌が一番似合ってるよ」

 

 その方が、我慢している今までよりもずっと、幸せそうだったのだから。

 

 目を細めた幽香。弱き妖怪のために最強が振り向けた傘の先に集まるのは、天邪鬼なんて何度滅ぼしてあまりある程の熱量。

 そんなものを意に沿わぬ時間に起こした相手を虐めるためだけに向けるのだから、少女は身勝手極まりなく、何より。

 

「はは」

 

 純粋で、美しかった。

 

 幽香が抱えた光球は臨界点を迎えて太陽を忘れさせるほどの大輪と光を放つ。

 そして、それは。

 

「ふふ……虐めて、あげないわよ?」

「え?」

 

 笑顔の幽香によって、正邪に与えられることもなく取り上げられる。

 そう。彼女はぼきりと、力づくで逆さになった心をまた反対に捻じ曲げたのだった。

 

「ぷ」

 

 やがて間抜けな顔をして逆さに墜落しきろうとする少女は、花のブーケに包まれて、安堵される。

 

「うう……」

 

 すると肌に触れる何もかもは柔らかばかり。流石の意地っ張りも疲労を覚えていたこともあってか直ぐに意識を虚ろにしていく。

 

「正邪」

「っ!」

 

 だが、そうたやすく敗者は眠れはしない。

 案の定何もかもを用いてそれでも敗北。心を変えることすら出来なかった自分は、果たして大嫌いで大好きなこの妖怪に優しくでもされてしまうのかと嫌がり目を大きく開けた正邪に幽香は。

 

「はい」

「痛っ」

「仕置よ」

 

 デコピン一つ。それきりで一つの異変の終わりを告げるのだった。

 

「っ……それで、あんたはいいのか?」

 

 驚き顔を上げる正邪。桃色の花弁一枚頬につけたままの彼女は、こんな半端な終わり方を許せない。

 天邪鬼はもっと嫌われて、それこそ殺されかねないくらいの仕置が欲しかった。何せ、どんな手を使っても生き残ったものが勝ちという考えを持つ正邪には、それくらい敗北は重いものだったから。

 

 だが、ありとあらゆるものの生殺与奪の権利すら持つ最強は、故に全てに向けた悪意を手折ってこう伝えるのだった。

 

「貴女が思いやってくれた以上に、私は自然よ」

 

 そう。鬼人正邪は風見幽香にとってだいたい全てがどうでも良いのだと見切りをつけていたが、それは違う。

 もとより本当にどうでも良かったのであれば、彼女も花すら愛でずに夢に籠もっていただろう。それをしないで、ただの妖怪として強く幻想の地を踏むその理由は。

 

「ふふ。花を綺麗と思えずとも語れない。そんな全てをいじらしさとも取れはする。けれども、花に百日の紅なしともよく言ったもの。今に愛を語らずにおくのは、あまりに勿体ない」

 

 正邪は全ての感想を纏めて嫌いと主張する。だが、その嫌いの中にはあまりに好意が多すぎた。それこそ、彼女自身が生きることすら辛くなって、負けて死にたいとすら考えてしまうくらいには。

そんなのはひょっとしたら哀れなのかもしれなかった。しかしもっともそんな全ては風見幽香に関係なく、少女は己の中の悪意の海に僅か混じった感想をあえて拾い。

 

「そうね……私はこれでも、幻想郷は好きよ?」

 

 抜けるような蒼穹の下、そんな嘘のような本当のことを告げたのだった。

 



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