オーバーロード P+N シャルティアになったモモンガさん (まりぃ・F)
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第1話 地の底深くにて

 DMMO -RPG YGGDRASIL

 

 それは数多発表された同様のタイトルの中でも一際輝きをはなった、まさに傑作と呼ぶにふさわしいゲームである。しかし熱狂的な支持を受けたユグドラシルとて時の流れには抗えず、静かにサービス終了の瞬間を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 ギルド「アインズ・ウール・ゴウン」は、ユグドラシルの中でもトップクラスの存在として知られていた。単にギルドランクが高いというだけでなく、モンスターである異形種をアバターとし悪のロールプレイで他のプレイヤー達を狩るなど、悪名の高さも加わってのことではあったが。

 しかし実のところ彼らはあくまでゲームの中で悪役を演じて楽しんでいただけで、全員が社会人ということもあってかまともな人間が多かった。まあ、多少変人が多かったのも確かではある。

 しかし、栄光もすでに過去のものだ。多くのメンバーは引退し、サービス終了の今日ギルドマスターの呼び掛けに応じて集まったのもほんの数人だった。

 

 

 ログインしてくれた最後のメンバーを見送ったギルドマスターであるモモンガのもとに、侵入者ありとの報告が入った。

 

(え、今ごろ?)

 

 戸惑ったようにその骸骨の顔――モモンガのアバターはメイジ系スケルトンの頂点たるオーバーロードだった――をあげる。時計を見ても、終了までに残された時間はほとんどない。このナザリックを攻略するのは、どう考えても不可能だ。

 

(もうちょっと早く来てくれたらなぁ……誰かと一緒に戦えたのに)

 

 それとも友人たちとの会話を邪魔されなかったことを感謝すべきなのだろうか。いずれにせよ、考えている時間はなさそうだった。

 モモンガはコンソールを素早く操作し、侵入者の情報を確かめる。数はそれなりにいるようだが、傭兵NPCがほとんどだ。プレイヤーは少ない。

 

(どこで迎え撃つかなぁ)

 

 普通なら上層部が、深くても六階層の闘技場が妥当なところだ。しかし、これは間違いなくナザリック最後の戦いとなる。それにふさわしい舞台が必要とされるはずだ。

 

(やはり、玉座の間しかない……か)

 

 決意とともに立ち上がったモモンガの視界の端に映るものがあった。そちらに顔を向け、ゆっくりと歩み寄ると、モモンガはそれの前で立ち止まる。

 モモンガの目の前の壁には、一本の杖がかけられていた。一目で並みの代物ではないと判るまがまがしくも美しいその杖こそ、ギルド武器たる「スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン」である。ギルドが総力を挙げてつくりあげた、最強と呼ぶにふさわしい武器でありながら、破壊されるとギルドが崩壊するためにここから動かされることはなかった。

 一瞬ためらったものの、モモンガは杖に手を伸ばす。どのみちゲームが終了すれば、ギルドも消滅するのだ。

 

 

 

 

 

 

 扉を開け玉座の間に入ったモモンガは、部屋の一番奥、少し高くなった場所に鎮座する、文字通りここの名前の由来となった玉座を目指した。

 この玉座は、ただの椅子ではない。ワールドアイテムに分類される、最高峰のマジックアイテムだ。

 ユグドラシルにおいて、アイテムは最下級から上は神器級までデータ容量の大きさによって区分化されている。これら通常のアイテムとはまったく別に、運営が特別に用意した強力で特殊なごく少数のものが世界級と呼ばれ、ゲーム内でもその名を馳せていた。

 ギルド「アインズ・ウール・ゴウン」が最初に手に入れたワールドアイテムが、この玉座である。それはギルドとして最初の活動での出来事にして、「アインズ・ウール・ゴウン」の栄光の始まりでもあった。 

 玉座に腰を下ろしたモモンガは、コンソールのリストを開いて召集するメンバーを選んでいた。強すぎず弱すぎずなるべくいい勝負になるように、頭を悩ませながら名前をタップしてゆく。それにあわせて続々とキャラクターたちが集まってきた。

 異形の、モンスターといった外見のものがほとんどの中、人間の少女にしか見えない姿が目にとまる。モモンガはその少女を自らの前に呼び寄せた。

 年の頃はせいぜい13、4ぐらいだろう。まだ幼さの色を多分に残しながらも、恐ろしいほど整った顔だちをしていた。蕾がほんの少し綻んだばかりといった風情の、絶妙なラインで描き出された美貌は、傾城、傾国あるいは絶世といった表現がしっくりくる。その見事としか言いようのない出来映えに、デザインや外装製作担当の才能や努力、そして苦労といったところまでうかがうことができた。

 長い銀色の髪を大きなリボンでまとめ、漆黒のボールガウンを纏ったその小さな姿は、白蝋じみた肌の白さもあって病弱で儚げな深窓の姫君のように見える。体つきは華奢で、スカートがボリュームたっぷりに膨らんでいるせいもあって腰など今にも折れそうなほど細く見えた。

 ただし、胸だけは他と不釣り合いなほど大きく、不相応に盛り上がっている。そんなバランスとアンバランスとが生み出した、奇跡ともいうべき美がそこにあった。

 この美少女こそ、全十層からなるナザリック地下大墳墓の第一、第二、第三階層を預かる階層守護者という設定のヴァンパイアの真祖、シャルティア・ブラッドフォールンである。

 モモンガと同じ100レベルのキャラクターとしてつくられ、思い切りガチでデータを組まれたせいもあって、儚げな見た目とはうらはらにナザリックの全NPC中ほぼ最強と言ってもいいほどの戦闘力を持っていた。

 

(本当によく出来てるよなあ)

 

 しかし玉座に君臨する自分の前で部下が棒立ちというのは、いささか収まりが悪く感じられる。モモンガはしばし記憶を探り、NPCに命令を下すためのコマンドワードを見つけ出した。

 

「ひれ伏せ」

 

 シャルティアが跪き、臣下の礼をとる。その動きは自然で、滑らかで、完璧で、細部まで神経の行き届いた気品すら漂うものだった。AI担当メンバーの技術に、モモンガはあらためて感心する。

 

(やっぱりアインズ・ウール・ゴウンこそが、最高のギルドだよな)

 

 そんなギルドが生み出した最高傑作のひとつをもっとよく見ようと、玉座から身を乗り出した。しかし俯いているために肝心の顔が見えない。

 

「えーと……面を上げよ」

 

 シャルティアの血に濡れたような紅い瞳が正面に向けられ、覗き込んでいたモモンガと見つめあう形になった。正直なところあまり女性慣れしていないモモンガは、いくぶん狼狽え気味に視線を下げる。

 しかしその目に、前屈みになったことでより強調されることとなったシャルティアの胸の膨らみが映った。男心をくすぐる魅惑のラインに、思わず見入ってしまう。

 

「はっ!」

 

 我に返ったモモンガは、あわてて玉座に戻ると、あさっての方に顔を向けた。

 

(い、いや、別にエロいこととか考えてないし!これは偽物だから!上げ底だから!)

 

 シャルティアの設定をつくったのは、ギルド内でもモモンガと特に仲の良かったペロロンチーノである。それゆえによくシャルティアの話を聞かされていたため、自然とその設定には詳しくなっていた。自作のNPCを除けば一番というくらいには。

 そんなシャルティアを巡る話の中に、この胸にまつわる事件があった。本来ならば微乳という設定だったはずが、イラスト担当が自分のこだわりから巨乳に描いてしまったのである。ペロロンチーノは悩んだものの、せっかく描いてもらったのだからと絵に合わせて設定を変え、パッド入りということで折り合いをつけることとなった。そのあたりのドタバタは、モモンガもよく覚えている。

 やがて少し落ち着いたモモンガは、あらためてシャルティアの方を見やった。その顔だちは確かに美しいが、ゲームの仕様上表情の変化はさせられないために、人形のように見える。実際人形と言って間違いはなく、それはそれで神秘的な美しさを湛えているが、もしも笑顔を浮かべることができたらどれ程魅力的に映っただろうかとも考えずにはいられなかった。

 

(おっと、準備しないと)

 

 モモンガはシャルティアを立たせると、戦いに備えてその装備を変更した。深紅の全身鎧を纏い巨大で奇妙な形状のランスを携えた姿は、まさしく鮮血の戦乙女の名にふさわしい出で立ちである。モモンガは満足気に頷いた。

 

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓、その最下層たる第10階層の広々とした廊下を侵入者たちは急いでいた。

 

「まったく、間に合わないかと思ったやんか」

「わりぃわりぃ、いろいろ準備がな」

「言い出しっぺのくせに遅れてんじゃねー」

 

 やがて一団は大きな両開きの扉の前にたどり着いた。ここに至るまでの光景もそれは見事なものであったが、扉に施された装飾の作り込みにもまた圧倒される。

 

「ここまで来たのって、俺たちがはじめてだよな」

「そのはず」

 

 てっきり途中のどこかで迎撃されるかと思っていたものの、一切そういうことはなかった。それどころか、NPC のメイドが案内するかのように配置されていた。この扉の前にも、二人が控えている。

 

「一番奥でお待ちかねってことか」

「だろうな、さあいくぜ」

 

 ゆっくりと開いてゆく扉を見ながら、侵入者たちは武器をしっかりと握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 玉座の間へと足を踏み入れた彼らの目に映ったのは、広大な空間だった。これまでにも増して荘厳な雰囲気をたたえたこの場所は、神々の住まう天上の宮殿と呼ぶにふさわしい。

 しかし侵入者たちの視界には、美しいこの場にそぐわないものたちの姿が映っていた。天界の神兵というより、どう見ても魔王の軍団としか呼びようのないものたちが。それはもちろん、モモンガが迎撃のために集めたナザリックのNPC やシモベたちだった。

 その後方、一番奥の、部屋を一望できる高台に、玉座に背を預け侵入者を見下ろすモモンガがいる。異形の配下を従え高みに君臨するその姿は、まさに魔王以外のなにものにも見えなかった。

 

「いよいよだな」

「うお、モモンガさんカッケー」

 

 侵入者たちは陣形を組み換えながら前に進む。それを見たモモンガはスキル《絶望のオーラ》を全開にして禍々しく揺らめかせ、芝居がかった動作でマントを大きくなびかせながら立ち上がった。

 

「アインズ・ウール・ゴウンが本拠地、ナザリック地下大墳墓の最奥にして至高たる玉座の間へようこそ、侵入者の諸君。ここまでたどり着いたのは、そなたらがはじめてである」

 

 そこに立っているのは、まさに魔王。脚本~ウルベルト、振り付け~たっち・みー、演技指導~ぶくぶく茶釜、演出~ペロロンチーノ、考証~タブラなどなど、ギルド総出でつくりあげたプレイヤー魔王である。

 

「ゆえにこの地にて果てる栄誉を与えよう。さあ、始めるとしようか」

 

 もっとも内心では噛んだり間違ったりしないようにいっぱいいっぱいだったりするが。

 そして、最後の戦いが始まった。

 

 

 

 

 そして、最後の戦いが終わった。侵入者の全ては地に伏し、生き残っているのはひとりのみ。そのひとりもダメージやらバッドステータスやら食らいまくり、満足に動くことも出来なかった。

 しかしナザリック側の被害も甚大である。

 まず部屋の中は破壊しつくされ、ほとんど原形を留めていなかった。もっともこれは、ほぼ味方のせいである。

 

「タブラさん……やってくれちゃったなあ……」

 

 ギルドメンバーのタブラ・スマラグディナが、いつの間にか自分が作ったNPCにギルド所有のワールドアイテムのひとつを持たせていたのだ。それも対物破壊特化型の、ギンヌンガガプを。

 気付いた時にはもう遅かった。ものの見事に炸裂し、無事といえるのは同じワールドアイテムである玉座くらいのものである。サービス終了日でなければ、笑い話では済まなかったところだ。 

 キャラクターにしてもモモンガを除けば立っているのはシャルティア・ブラッドフォールンただひとりしかいない。モモンガは、自分を守って前に立つその小さな姿を、感慨深げに見つめた。

 

(ペロロンチーノさん……)

 

 まるで友人が共にこの場に居てくれるような、それが錯覚とわかっていてもそう思いたくなる。あの煌めくような日々の想いは、今なおここにあるのだと。

 

(最後まで、一緒に行きましょう)

 

 モモンガはシャルティアの武装を解除させると、侵入者に止めを刺すべく後ろに従えて歩み寄った。倒れてほとんど身動きの取れない相手を見下ろし、高らかに宣言する。

 

「最後に言い残すことはあるかね?」

 

 侵入者の腕がわずかに動き、その指にはまっている指輪のひとつがキラリと光った。

 

(こ、これは!)

 

 それは、いかなる状態におかれていても即座に一回だけ行動できるというマジックアイテムだ。ただし使い捨てであり、使用後は行動不能となる。

 警戒するモモンガの目が、いつの間にか侵入者の手に握られた槍の姿を捉えた。簡素なつくりの、これといって特徴のない平凡な槍に見える。だがモモンガにはそれに見覚えがあった。直接目にするのは初めてだったが。

 

「ロンギヌス!?」

 

 ワールドアイテムのひとつ、ロンギヌス。対象者をアカウントごと抹消するかわりに、代償として自分も同様に消滅する。運営の正気を疑う声が続出した――まあそれはよくあることではあったのだが――壊れアイテムだ。

 だが、ロンギヌスの効果は同じワールドアイテムを所持しているものには無効となる。そしてモモンガは、ワールドアイテムの所有者だった。自らの名を冠し、他のギルドメンバーから個人的に所持することを認められたワールドアイテムの。

 しかし――

 モモンガがイヤな予感を感じる間もなく、その衝撃は襲いかかってきた。ロンギヌスの触れた場所から、今まで感じたことのない身体がバラバラに引き裂かれるような衝撃が。

 後ろに控えていたシャルティアを巻き込み、モモンガはなすすべなく弾き飛ばされた。その意識は白い光に飲み込まれるように、あっという間に薄れていく。

 

(これで終わりかー!?)

 

 これがユグドラシルにおけるモモンガの最期だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふうっ」

 

 ログアウトした男は、ヘルメットを脱いで小さく息をついた。用意しておいた飲み物に手を伸ばしながら、コンソールの記録を確かめる。ユグドラシルのサービスが終了したためにモモンガがどうなったのかはわからないが、こちらのアカウントが消滅したことは確認できた。これならあちらも同じだろう。どうやら間に合ったようだった。

 実のところ、男はアインズ・ウール・ゴウンのファンである。だからこそ最後を飾るイベントとして、あの襲撃を実行したのだ。

 ロンギヌスを使ったのも盛り上げるためであり、またモモンガには平凡な終わりを迎えて欲しくないと考えたせいでもある。そのためにモモンガに効果が及ぶよう、他のワールドアイテムを使ってまで強化した。

 

「さーて、報告、報告」

 

 男は事の顛末をブログに上げようと準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識を取り戻したモモンガの目に飛び込んできたのは、鬱蒼と生い茂った森の姿だった。それについて思考を巡らせる前に、自らの身に違和感をいだく。

 呆然と辺りを見渡すその姿は、シャルティア・ブラッドフォールンのものに変化していた。

 

 

 

 

 

 

 



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第2話 ここは辺境の森(前)

 目を覚ましたモモンガの頭の中は、様々な疑問であふれかえっていた。見覚えのない景色が、さらに不安を煽りたてる。ここは、何が、どうして、なぜ。疑問が膨れ上がってどうしようもなくなり、パニックを起こして叫びそうになった時、一瞬で意識がクリアになった。

 

「え……」

 

 突然のことに、モモンガはきょとんとした顔で周囲を見渡す。その目に映るのは、やわらかな陽射しを浴びて風に揺らめく大自然の眺めだった。

 そこには、先ほどまで感じていた恐怖にも似たものはまったく見出だせない。どこか心の落ち着く、穏やかな風景だ。

 

(こんな時こそ、冷静にならないと。そうですよね、ぷにっと萌えさん)

 

 ギルドで軍師役をつとめていたメンバーの言葉を思い出し、表情を引き締める。

 

(さっきのことも気になるけど……まずはこの状況からだな)

 

 自分の精神に生じた現象のことはとりあえず後回しにして、優先順位を決めた。ここははたしてゲームの中なのかどうか、それとも現実か、それとも……。モモンガは知識と経験を総動員し、検証を始めた。

 結局のところ、それで得られた答えはどちらでもないだろうということである。ゲームの中ではなくモモンガが現実に暮らしていた世界でもない。それ以上の考察はとりあえず棚上げし、次に移った。

 モモンガは自分の身体を見下ろす。そこには、漆黒のボールガウンを纏った小さな姿があった。これは、シャルティアのもので間違いないだろう。袖口から覗く小さな手を広げてみても、骨ではない普通の――というには爪の形まで完璧に整えられた美し過ぎる――手だ。顔をぺたぺたと触ってみたが、これも骸骨ではない。銀色の髪を手に掬って間近で眺めてみたが、光をうけてキラキラと輝くさまは貴金属を凌ぐほどの美しさに思えた。さらさらとした手触りも例えようがないほど心地よく、思わず頬擦りしてしまう。

 

(鏡とかないかな……)

 

 ふとそんなことを考えたモモンガは、無意識のうちにアイテムボックスを探っていた。そしてその存在に気づく。あわててそこに意識を向けてみると、自然とその使い方まで頭に浮かんできた。

 

(鏡、鏡……と、あった、って多っ)

 

 そこには大小十枚以上の鏡が収納されている。モモンガはその中でももっとも大きい、二メートルを超える高さの姿見を取り出した。幅もそれなりにあるためかかなり重そうで、地面に下ろされた際に大きな音をたてる。そんな代物を小さな少女が軽々と扱う姿は、端から見るとかなり違和感があった。

 しかし本人はそんなことに気がつくことなく、幾分緊張した面持ちで鏡の前に立つ。曇りひとつない鏡面に写し出されたのは、間違いなくシャルティア・ブラッドフォールンの、先ほど見たままの美しい姿だった。ただひとつ違っているのは、表情が動くということだろう。

 しばらくの間、自分がここにいることを確かめるように視線を鏡面と自身とを何度も往き来させたり、鏡に向かって手を振ってみたり、いろいろなポーズをとってみたり、奇行じみた行動を繰り返していた。やがて満足したのか、鏡を仕舞いこむ。

 

(次は、スキルだな)

 

 アイテムボックスを使った時のように、シャルティアのスキルに意識を向けてみた。それに伴い、脳裏に情報が浮かび上がる。間違いなく使えるとの確信とあわせて。実際にいくつか発動させてみたが、問題なく使用することができた。

 魔法も同様である。今までモモンガが使ったことがない信仰系の魔法だったが、その効果や範囲などもすべて把握できた。呪文を唱えてみたが、思ったとおりの効果が得られる。ゲームの中ではない、リアルな場所で発現する魔法という力に、凄まじい高揚感が沸き上がってきた。

 そしてもうひとつの疑問が浮かぶ。元々の自分の、モモンガとしての力はどうなったのか。答えはすぐに出た。スキルも魔法も、最上位たる超位魔法すらもすべて使えるだろうという答えが。

 今の自分は、シャルティアにモモンガの力すべてを――ステータスすら――上乗せした存在となった。それを理解した時、モモンガの高揚感は抑えようがなくなる。

 それが最高潮に達した時、再び沈静化された。冷静になったモモンガは、今度こそその現象に見当をつける。

 

(アンデッドの、精神異常無効化か……?)

 

 疑問が無いわけでもないが、そのあたりが影響している可能性が高かった。しかしサンプルが自分しかいないために、これ以上の検証は難しいだろう。

 そしてモモンガは、最後にもうひとつ重要な検証の必要性を感じていた。

 

(そう、これは必要なこと、必要なことなんだ)

 

 自分に言い聞かせながら視線を下げ、身体を見る。しかし次の瞬間顔を上げ、あたりを伺うように見回した。有り体に言って、いささか挙動不審である。

 

(誰も覗いてないよな、ってああぁっ)

 

 モモンガは慌てた様子で呪文を唱えだした。次から次へと、探知阻害や欺瞞・隠蔽などなど情報系の魔法をありったけかけていく。

 

(こんなことを忘れてたなんて)

 

 ユグドラシルにおいて、情報系の魔法で身を守るのは基本中の基本だ。この場所が何なのかはよくわからないが、かけておいて損はないだろう。

 魔法をすべてかけ終わると、シャルティアの可憐な唇からふうっと安堵の吐息が漏れた。今のところは、監視されているようなことは無さそうである。

 

(さて、と、次)

 

 実のところモモンガは、この身体にある違和感を感じていた。それを確かめるためにも、意を決して行動を開始する。

 シャルティアの白い小さな手が、自身の大きな胸を服の上から掴んだ。その大き過ぎる膨らみは、その小さ過ぎる手のひらでは到底掴み切れなかったが。

 それでも細い指が服の上から食い込み、そしてゆっくり押し戻される。感触を確かめるように何度か。

 緊張と困惑がない交ぜになったような表情で自分の胸に触れているシャルティアの姿は、淫靡というより性に疎い少女が発育に戸惑っているような、どこか微笑ましく感じさせるものだった。まあ、モモンガの内心はともかくとして。

 その手のひらには服の手触りとそのすぐ下にある少し硬めの薄い感触、さらには包み込もうとする柔らかな弾力が感じられた。

 そしてその胸には、沈みこんで来る指の感触がはっきりと。

 違和感が予想に、予想は確信へと変わった。シャルティアの赤い瞳が一度そっと閉じられた後、再び胸元に向けられる。そして服の胸元を寛げると、大きく広げた。

 漆黒の隙間から、精緻な――ギルドメンバーのホワイトブリムがメイド服のためにデザインしたような――刺繍の施された純白の下着に包まれた、白蝋じみた肌の大きな胸の膨らみが現れる。二つの膨らみは、見事な谷間を形作っていた。

 

(やっぱり本物かぁ)

 

 これが違和感の正体だ。モモンガは指先で、下着から零れているあたりを突っついてみる。直に返って来るその感触は、柔らかさと弾力を兼ね備えた、モモンガが今まで知らなかった素敵なものだ。

 

(生体パッドとかじゃ無いよな?)

 

 そんなものがあるのかどうかは解らなかったが、いずれにしてもこの胸は本物だろう。だとすれば、これは一体どういうことなのか。

 

(テキストが無効化されてる?)

 

 性格など精神面も、継承しているとは思えない。それがもっとも妥当な判断かと思われた。モモンガがシャルティアの中に入ったせいで設定が押し出されたのか、矛盾するために消されたのか。どうやら友人の作った設定を失わせてしまったらしいことに、モモンガはいささか罪悪感を抱いた。

 その脳裏に、かつてペロロンチーノが嬉々として語ったシャルティアの設定の数々が思い浮かぶ。死体愛好家、両刀、サド、等々。もしかしたら、消滅した方が世界平和のためにも良かったのかもしれない。

 

(うん、俺は忘れないよ、ペロロンチーノさん)

 

 モモンガは静かに設定の冥福を祈った。ついでに絶対残っていませんようにと。わりと本気で。

 そしてまだこの検証は終わってはいないのだ。胸元をはだけさせたまま、シャルティアの顔が辺りを見渡すように動かされる。

 

(少し、開け過ぎてるかな……)

 

 この場所は、他と比べても木々がなく大分明るく開けていた。それを避けるように、そそくさとシャルティアの姿は密集した木立の間へと消えていった。

 

 

 

 

 どれ程の時間が過ぎただろうか、シャルティアが木立の間から姿を現した。服装は隙なく整えられているが、その白い頬が幾分上気しているようにも見える。

 

(実戦使用しないで、無くなっちゃったなぁ……得たものもあるみたいだけど……) 

 

 モモンガはいろいろ複雑な思いを込めて、ひとつ大きなため息をついた。

 それはともかく、これで大分確証は得られた。やはり絶対にゲームとは思えないし、元の現実世界でもない。いや、実のところ答えは出ているのだ。思えば、途中からモモンガはそれを前提にして思考を巡らせていた。

 ここは、ゲームが、ユグドラシルが現実となった世界なのだと。どう考えても非現実的なことだ。ありえないはずなのに、どうしてもそこに行き着いてしまう。

 とりあえずモモンガは、他の事実が判明するまではそれを基本に考えることにした。

 

(あとはアイテムか)

 

 シャルティアのアイテムボックスは確認したが、自分のものはまだだったことに気づく。チェックしてみたところ、中身が見当たらなかった。スキル自体はあるものの、初期状態のように完全に空っぽになっている。

 

(ああ……神器級も……)

 

 アイテムボックスの中から今まで集めに集めたアイテムの数々が全部消えており、さらに当然というべきかゲーム終了時に全身に纏っていた神器級装備も無くなっていた。

 しかしなぜか、ワールドアイテムは残っている。腹部に手を当てて意識を向けると、装備状態でそこにあることがわかった。それほど大きなものではなかったが、この細い身体ではポッコリ膨らんでしまっても不思議はない。今後の活動を考えれば、そうならなかったことは有難かった。

 もっともそれを喜ぶダメ人間がいることもモモンガは知っている。

 

(やっぱりツルペタロリ妊婦は最高だぜ!)

 

 ペロロンチーノの妄言が、脳裏によみがえる。ついでに速攻姉にしばき倒される弟の勇姿が。

 そしてもうひとつギルド武器、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。このふたつだけが、身体に同化するようにして存在している。

 どうしてこうなったのかは、無論さっぱりわからない。共通点といえば、せいぜいデータ量が極端に大きいというくらいだ。それでもこのことは、大量のアイテムを失って落ち込んだ心の慰めとなった。

 

(何というか、バグったみたいな感じだな)

 

 それが今回の件でモモンガが感じた印象だった。あとはいろいろ確かめるためにも、この世界の人間に会わなくてはならないだろう。モモンガは、それがコミュニケーション可能な存在であることを願った。

 歩き出そうとしたシャルティアの足が、ピタリと止まる。そしてガックリと崩れるように膝をついた。すべてのアイテムを失ったということは、あれも無くなったのだということである。超位魔法《星に願いを》を代償なしに三回使用できる指輪。

 

「お、俺の、シューティングスターぁぁぁ……」

 

 ボーナスをつぎ込んで課金ガチャでなんとか当てることが出来た超々レアアイテムは、一度も使われることなく消滅したのだ。

 モモンガは両手を地面について、慟哭した。 

 

 



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第3話 ここは辺境の森(後)

 しかし、このような見ず知らずの場所にいるというのに、モモンガは油断し過ぎていたとも言える。ふと気配を感じて顔を上げると、目の前に巨大な四足歩行の獣の姿があった。

 狼に似た姿を持つ、木の幹を利用した立体的機動を得意とする魔物だ。それが一直線に喉元に飛びかかってくる。

 その姿を捉えることが出来なかったわけではない。むしろモモンガには、まるでスローモーションのように見えていた。なのに身体が動かない。今までの日常ではありえなかった光景が、モモンガの思考を鈍らせていた。ゲームではよくあったシチュエーションのはずなのに。

 一瞬で喉元に迫った牙の前に、モモンガはようやくよろよろと腕を上げた。もっとも、これはモモンガの主観である。もしこの場に誰か居合わせていれば、まさに牙が突き立てられようとする瞬間、神速の、目にも止まらぬ動きで喉を庇うシャルティアの姿を見ただろう。

 年端もいかぬ少女の細い――ゆったりした袖に隠れて見えないが――腕に魔物の大きな口が食らいついた。どう見ても一撃で噛み砕かれて終わるようにしか思えない。

 

「いた……っくな……い?」

 

 激痛を予感して反射的に身を固くしたモモンガだったが、痛みはまったくやって来なかった。見れば、魔物の牙は肌に突き立つどころか、服すら貫くことが出来ずにいる。

 必死に力を込めているが、モモンガにすればまるで子犬にでも甘噛みされているようにしか感じられなかった。自らの腕に食らいつく魔物を、ちょっと困ったように見る。

 しかし敵はまだいた。五匹の同じ魔物が木々を蹴り、四方から襲いかかってくる。もっともモモンガも、今度は反応することが出来た。空いている腕を無造作に大きく振るう。

 生体武器であるシャルティアの爪は敵を切り裂き、腕に食らいついているものも含め、全ての魔物がバラバラになって飛び散った。

 

(こんな小さな爪で、なんであんなに切れるんだろ)

 

 そんな疑問が頭をよぎるのも余裕が出来たせいなのかもしれないが、まだ油断しているとも言える。あるいはゲームとの違いにまだ意識が追いついていないとも。もしかすると、吸血鬼の本能がソレを求めたのかもしれない。

 魔物の血が辺り一面に振り撒かれ、シャルティアの全身にもふりそそいだのだ。その匂いが、いや存在そのものがその身を、モモンガの精神までも昂らせる。さらなる血を、そして破壊を求め、急激に欲望を増大させていった。

 

(しまった、血の狂乱……っ)

 

 血の狂乱は、シャルティアの持つスキルである。血に酔い暴走することによってステータスは大きく上昇するものの、自らを制御不能になるというデメリットを持つ、どちらかといえばペナルティ寄りの力だ。焦燥感がモモンガを襲う。

 しかしその身を包む高揚感は、唐突に消えた。

 

(あ……また……)

 

 先程と同じ沈静化に、モモンガは安堵のため息を漏らす。ゲーム内なら意識を失うことはなく状況は見続けられるし、仲間のフォローも期待できた。今はおそらくまずいことになるだろう。

 正気を失って暴れた場合、モンスターとして討伐される可能性すらあった。今のモモンガはかつてない力を備えているが、ここにはそれ以上の存在が大勢いるかもしれない。抑える実証が出来たのは幸運だった。

 

(だけど、ちょっと妙な……)

 

 先程モモンガは沈静化の原因を精神異常無効化の影響かと考えたが、それだとおかしな点がある。吸血鬼もアンデッドであり、精神異常無効化は持っているのだ。これだとそもそも血の狂乱は発動できないことになってしまう。

 ふたりぶんの無効化能力が合わさって強化されているとも感じられなかった。もしかすると、そこに今の自分のありようについての鍵があるのかもしれない。

 しかしやはり判断材料が少な過ぎ、結論は棚上げするしかなかった。それでもやるべきことはある。モモンガは魔物の死体から血を集め始めた。

 

 

 

 何度か試してみたが、やはり血の狂乱は制御できるようだった。正確には発動出来ないということだが。モモンガは最後にすべての血を吸収して、実験を終えた。

 吸収した血は、モモンガになんとも言えない高揚感をもたらしてくれる。食事としての血は必要ないかもしれないが、嗜好品としてはありなのだろう。これはモンスターの血だが、もし人間のものだったらどのような味がするのだろうか。

 

(って、思考が完全にヴァンパイアじゃん!)

 

 それをさほど異常に感じないあたり、やはり自分はモンスターになったのだとモモンガは感じた。ただもし人間が存在しているなら、仲良くやっていきたいとも思う。なんとなくモンスターより美味しそうだし。

 

「はっ!」

 

 モモンガは頭を振って、危険な考えを隅っこに追いやった。もっとも捨てることは出来ないのだが。

 

 

 

 

 ようやく移動を開始しようとしたモモンガは、ふと自分の服を見下ろした。ボリュームたっぷりの漆黒のボールガウンは、そこらの街中などでは浮いているかもしれない。それ以前に、森の中を移動するのには向いていないのは明らかだ。一応マジックアイテムではあるので、引っ掛けて破けたりなどはしないはずだが。

 

(確かさっき服のフォルダあったよな)

 

 アイテムボックスを操作しながら、モモンガは考えた。やはりスカートにはちょっと抵抗があるので、できれば動き易そうなズボンあたりが欲しいと。

 しかし――

 

(真っ白なワンピースとかムリだって!ピンク?フリル満載とか何それ。お、青いの綺麗だな……って、これも可愛過ぎる!赤とかありえないし!)

 

 たしかに服は大量に入っていた。いかにもシャルティアに似合いそうな、乙女っぽさ満点のドレスがこれでもかというぐらいに。もっとも、胸元がざっくりとあいたドレスなど、もとのシャルティアにどうやって着せるつもりだったのだろうか。

 

(次、次!)

 

 モモンガは、いくつもある服のフォルダを次々と開けていった。

 しかし――

 

(何これ、ミニスカメイド服?ホワイトブリムさんとケンカになったやつじゃん!ミニスカ巫女?ミニスカチャイナ?何このミニスカシリーズ!ナマ足とかムリムリ!こ、こっちは……)

 

 期待を込めて開けたフォルダには、色とりどりさまざまな形の下着がびっしりと詰まっていた。脱力したモモンガは、ガックリと膝をつく。そして開かれた最後のフォルダには。

 

(ブルマって何!赤、紺、緑とかどーしてこんなにカラフルなの!セーラー服?ブレザー?スケスケなネグリジェとかどうやって着るの!……なんでスク水?どんだけ……これは白スク水かー!)

 

「ペロロンチーノ!」

 

 モモンガは絶叫した。

 

 

 

 結局モモンガは、そのままボールガウンでいくことにした。どちらかといえば地味な色合いでもあるし、肌の露出も極めて少ない。目立つデザインだが、堂々としていればそんなにおかしいとは思われない可能性もあるだろう。そういった主義主張ととってもらえるかもしれない。

 

(えーと、なんだっけ、歌舞伎町?あれ?)

 

 まあ、いささかヤケになった部分もあるのかもしれないが。実のところモモンガはかつて、ペロロンチーノからシャルティアの服をいくつか見せられたことがあった。しかしまさかそういう服しか無いとは思わなかったし、ましてや自分が着るとなれば話は全然違う。

 もっともナザリック地下大墳墓にあったシャルティアの玄室のクローゼットには、普通の服も収容されていた。しかし同時に、白スク水で街中を練り歩いた方がマシ、というシロモノも並んでいたのを知らずに済んだモモンガは、幸せだったといえるのかもしれない。

 ついでとばかりにモモンガは、アイテムボックスの中をあらためた。やはり消耗品の類いは少ない。スクロールは無くワンドも数えるほどだ。なぜか蘇生アイテムが混じっている。

 ポーションはそれなりにあるが、ほとんどのビンの形はナザリックで一般的に生産されていたものと違っている。これは、本来の目的とは別に集められたためだった。モモンガはペロロンチーノに聞かされたことを思い出す。

 これらは、香水のビンに見立てて集められたのだ。ユグドラシルには嗅覚は無かったため香水などは存在せず、ポーションのビンで代用したのである。そのため集められたビンは、形といい装飾といい芸術品で通るものが揃えられていた。

 いくつか試してみたところ、実際にいい匂いがする。どうやら、ポーションの効果によって違いがあるようだ。化粧道具の類いもいろいろ取り揃えてある。

 あとアクセサリー類は大量に収納してあった。モモンガには鑑定眼などないためハッキリとは言えないが、原材料である貴金属や宝石も本物のようである。またすべてがマジックアイテムでもあった。

 さらにモモンガは、これまた数の多い武装の確認に移る。シャルティアの主武器たる神器級武装スポイトランスをはじめとするランス、ダガーから両手持ちまでのさまざまな剣、スピア、メイス、またウィップのような特殊武器まで揃っていた。

 防具の方も主装備の伝説級全身鎧のほか、いくつも用意してあるが。

 

(ビキニアーマーはないんじゃないの?)

 

 ペロロンチーノの趣味は平常運転だった。

 

 

 

 鬱蒼と生い茂る木々の間から、足場の悪さにもかかわらず軽快に歩くシャルティアの姿が覗いた。その傍らには、まったく同じ姿のシャルティアがいる。これは幻系の魔法で作った幻影だ。

 術者の姿をそのまま映し出すだけの、初歩的な幻術である。シャルティアの姿をもっとよく見たいと考えたモモンガが使用したものだ。

 いろいろ動きを試したりしながら観察していたが、無意識のうちに自分の仕草が上品で女性的なものになっていることに気づく。おそらくAI の動作プログラムが影響しているのだろう。それも限定的にしか動けなかったもとのものとは違い、完全版というべきかすべての動きに自然と対応しているようだった。

 あと気になっていたことが、シャルティアの声である。NPC にはボイスの実装はされていなかった。だとすればこの声はどういったものなのか。モモンガは、音や声を録音・再生する魔法を使い聴いてみた。

 

(これ、茶釜さんの声じゃん!)

 

 ぶくぶく茶釜。ギルドメンバーにして、ペロロンチーノの姉でもある人気声優である。そんな彼女が、やや幼げな少女を演じる際の声だった。いろいろ声の調子を変えたりしながら試してみたが、基本的なトーンは変わらない。茶釜が聞かせてくれた多彩な声色や、時おり――主に弟に対して――出していたドスのきいた迫力のある声なども、モモンガには使うことはできなかった。

 

(やっぱり、プロって凄いんだなぁ)

 

 モモンガはその技術に感心するとともに、自分本来の声でなかったことに心底安堵する。もしそうだったら、一生口を開けなかったかもしれない。

 あとは口調だ。シャルティアの設定は、間違った郭言葉というものだった。かつての友人の演説が脳裏によみがえる。

 

(だからなんですよ、モモンガさん!小さな子が大人に憧れて背伸びして!真似をしてみてもちっちゃいから間違えちゃうんです!そこにこそ萌えがー!)

 

「わ、わらわは……で、あ、ありんす………ありん、した……うん、ムリ」

 

 モモンガはペロロンチーノの遺言(死んでない)を早々に放棄した。知識がおぼろげ過ぎて、間違ったどころか創作の郭言葉になってしまうだろう。

 結局モモンガは無難に丁寧語でいくことにした。

 

 

 

 

 ひとまず検証を終え足を早めたモモンガの行く手に、いくつかの影が見えた。身長二メートルを越える、熊のようなモンスターである。

 モモンガはアイテムボックスから、刃渡り1.5メートルはあろうかという巨大な剣を取り出した。相手の力量を推し量れば、爪のひとふりで終わることは解っている。しかしモモンガはゲーム時代ずっと後衛だったこともあり、前衛で武器、特に剣を振るう戦士に強い憧れを抱いていた。それはある人物の影響も大きかったが。

 シャルティアの身体がテレポートしたかのように一瞬で敵の前に移動し、一刀のもとに切り伏せた。さらに、その細腕ではわずかに持ち上げることすら無理と思える大剣を小枝のように振るい、次々と切り捨てる。

 

(おおっ、これ凄い!)

 

 モモンガはその身体能力の高さに感嘆した。剣を振るう動きにも淀みはなく、戦闘技術が身体に染み込んでいるのが伝わってくる。剣を木の枝の上に振り下ろし、寸前でピタリと止めた。枝に乗っていた木の葉が一枚両断されて落ちていったが、下の枝にはキズひとつない。コントロールは完璧だ。

 命を奪うことへの罪悪感はなかった。あるのは戦いから生じる高揚感であり、血を見ることへの興奮だ。それは仕方がないかもしれないが、流され過ぎないよう注意する必要もあるだろう。

 剣を仕舞い、モモンガは再び歩き始めた。

 

 

 

 

 今度は少しずつ歩くスピードを上げていった。歩行から次第に走行へと変わっていく。そして留まるところを知らずにどこまでも、上がっていった。

 すでに車両で出すような領域に達している。左右の景色がすさまじい勢いで後ろに流れていくことに、モモンガは興奮していた。生身では出しようがない速度で、まるでバイクでハイウェイをおもいっきり飛ばしているような感覚をもって、木々の間をすり抜ける。周囲との間合いの把握もまた完璧だ。

 そのまましばらく疾走していたが、ふいにシャルティアの身体が飛び上がった。そして高所の枝を蹴り、さらに前方へ飛ぶ。さらにまた前へ。次々に枝から枝へと飛び移るその姿は。

 

(これぞニンジャ!楽しい―!楽しいですよ、弐式炎雷さん!)

 

 モモンガはアインズ・ウール・ゴウンのザ・ニンジャと呼ばれたギルドメンバーに呼びかけた。彼もユグドラシルで似たような感覚を楽しんでいたかもしれないが、臨場感はこちらのほうが圧倒的に上だろう。

 今のモモンガに疲労というものはない。また周囲が薄暗くとも暗視の前では意味がない。そのせいだったのだろうか。

 

「あれ?」

 

 気がつくと日はとっくに暮れ、あたりは夜の闇に包まれていた。

 

 

 

 

 

 少しやらかした気分でうなだれていたモモンガは、ふと微かな光に気づいて顔を上げた。見上げてみると、頭上を覆う木々の隙間から星の光が射し込んでくる。それに興味を引かれたモモンガは、飛行の魔法で舞い上がった。

 

「うわああ……!」

 

 森を越えた頭上には、見渡す限りの満天の星空が広がっていた。はじめて見る大自然の雄大な光景に、モモンガは感嘆することしかできない。漆黒のヴェールに撒かれて瞬く星たちの小さくも強い輝きは、夜空を飾る宝石のようだった。

 天を眺めながら、モモンガはゆっくりと夜の空に身を横たえる。それは、星の天蓋を備えた夜空のベッドだ。シャルティアの美しさに相応しい、神域の寝台である。

 月と星の光はシャワーのように降り注ぎ、受け止めるかのように両手を広げたシャルティアを淡く彩った。光のシャワーを浴びていると、心に巣くっていた負の感情が洗い流されていくように思えてくる。そうして落ち着いてくると、今まであまり考えないようにしていたことが浮かび上がってきた。

 

(どうなったんだろうな、ナザリックは)

 

 おそらく、自分と一緒に来ていない以上、あのままサービス終了とともに消滅しただろう。正直なところ、切り離されて転移したとは考えにくい。栄光のアインズ・ウール・ゴウンは失われたのだ。

 何かを掴もうとするかのように、何かにすがろうとするかのように、シャルティアの手が天に伸ばされる。しかしきゅっと握りしめてみても、広大な夜天の星たちはその小さな手のひらから零れ落ちるだけだ。

 広く果てしない夜空、それに比べて自分はなんとちっぽけなことか。そんな自分がどうなろうと、誰が気にするわけでもない。そう考えると、気が楽になる。

 だから、もっと自由に生きてもいいはずだ。もっとわがままに、誰のためでもない、自分自身のために。

 

(いや、まだ終わっていない。アインズ・ウール・ゴウンはここにある)

 

 モモンガはそっと胸に手を当てる。そこでは、動かない心臓の代わりとでもいうようにスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの力が脈打っていた。栄光の象徴は、けっして失われてなどいない。

 

(そうだよな、俺が……いや)

 

「私がアインズ・ウール・ゴウンですよ、皆さん。これからは、私だけのものですからね」

 

 悪戯っぽい表情を浮かべながら、あえて口に出して宣言した。自分の決意を広く知らしめようとするかのように。

 

「文句なら、いつでも受け付けていますから」

 

 星空の片隅を、流れ星が横切っていった。

 

 

 

 

 モモンガの名誉のためにも言っておくと、現実世界では大気汚染が進み過ぎ、最早星空を眺めることはできない。だからこそモモンガはその光景に心を奪われていた。また自然や夜空をこよなく愛したギルドメンバー、ブループラネットを思い出し過去の記憶に浸ってもいた。

 また夜空では自分の位置が把握しにくい。背中を地面に向けていれば尚更だ。

 

「あ」

 

 飛行の魔法が切れたシャルティアの身体は、そのまま地面に激突した。

 

 

 

 

 

 

 




えー、一応言っておきます。知っているかもしれませんが、モモンガさんはこの程度じゃダメージ受けませんから

よーやく、次から話が動き始めます(予定)


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第4話 惨劇の村

 モモンガは地面に横たわったまま、動けないでいた。もっともケガをしたとかそういうことではない。さまざまなスキルなどで守られたシャルティアの身体には、この程度ではダメージなど一切入らないのだ。

 ダメージを受けたのは、モモンガの精神のほうである。

 

(ああ……やった……やらかした……)

 

 モモンガは、新たに加わってしまった黒歴史の一ページに悶絶していた。

 

 

 

 

 それから数日に渡って、モモンガは森の中をさまよった。初めて見る大自然をじっくり眺めながらの旅も楽しいものではあったが、この世界の概要についても調べないわけにはいかない。

 

「おっ、あれは……」

 

 モモンガは、飛行の魔法で少し高めに上がって周囲を見渡していた。その驚異的な視力が、遥か彼方にある森の切れ目を捉える。

 モモンガは高度を落として、森の上部ギリギリに隠れるように飛行した。速度を上げつつ、なるべく目立たないよう木々の間を抜けていく。やがて森の外周近辺へとたどり着くと、ゆっくりと着地しようとした。

 その時、たちのぼる煙が視界の隅に入り込んでくる。見たところ、それほど距離はないようだった。

 

(人がいるのか?)

 

 じっと目を凝らしてみると、小屋のようなものが見える。集落でもあるのかもしれない。動いていないはずの心臓が、ひとつ鼓動を高めたような気がした。

 モモンガは着地すると、慎重に歩きはじめる。現地人とのファーストコンタクトは、なるべく失敗させたくはなかった。姿を消して様子を見ることも考えたが、万が一見つかった場合敵対行動と取られかねない。いざという時の逃走手段を脳裏にリストアップしながら、集落らしき場所を目指した。

 少し歩いたところで、前方に森の終わりが見えてくる。そしてその向こうに、いくつもの建物があった。あまり立派とは言えない、正直みすぼらしいものだったが、確かに何者かが作ったものだ。ここからだと全体像は掴めなかったが、あまり大きくない村落のように見える。

 あたりを見渡していたモモンガの目が、集落の外れ近くに倒れている人影を捉えた。この世界に来てからはじめて見る人間らしき姿である。モモンガは興奮しつつも足を止めて木の陰に身を隠した。

 

(だけど、これは……血の匂い)

 

 モモンガは不穏な気配を感じ、しばらく人影と周囲を観察する。しかし他には注意を引くものは何も見あたらず、人影もピクリとも動かなかった。とりあえず大丈夫と判断し、ゆっくりと近づいていく。そのまま何事もなく、人影のもとにたどり着いた。

 倒れていたのは、素朴な身なりの少女たちだった。ふたりが折り重なるように横たわっている。その姿は、どう見ても普通の人間だった。これならこの世界のものとも意志の疎通も可能かと、安堵する。庇うように上になっているのがシャルティアより少し年上らしき少女で、下になっているのが年下の幼女だ。

 しかし、確認はしなくともわかる。あきらかにふたりは、息絶えていた。傷はいくつかあったがおそらく、とどめに剣のようなものでもろとも串刺しにされたのだろう。

 

(うん、動揺はないな)

 

 血塗れの死体を目の当たりにしても、モモンガの心は平静を保っていた。自身の精神が変異していることが、確かに感じられる。やはり自分はモンスターになってしまったのだろう。

 しかし同時に、それだけではなかった。ふたりの少女の固く握りあった小さな手を見ていると、同情、憐れみといった感情が湧いてくるのが感じ取れる。

 

(まだ、人の心は残ってるんだな)

 

 そのことに少しだけ安心した。

 

 

 

 

 少女たちの傍らで静かに黙祷していると、金属がこすれたりぶつかるような音が近づいてきた。建物の陰からそっと様子を伺うと、金属鎧をまとったふたりの男が剣を片手に歩いてくる。

 

(騎士……?)

 

 そんな表現が当てはまる、完全武装の男たちだった。あたりを警戒しているようでもなく、だらけた態度で会話している。

 

(さてと……どうするか)

 

 あの騎士たちがこの凶行の犯人、もしくはその仲間である可能性は高い。となるとこのまま出会えば、まず間違いなくトラブルへと発展するだろう。ならば正しいのはこの場からすぐに立ち去ることだ。交渉するならば、もっと平和的な相手のほうがいい。

 だがそれでいいのかと、心のどこかが訴えていた。こと切れた少女たちの顔を見ていると、別にトラブルになってもかまわない、というよりなれとすら思える。それに――

 

(もしここで逃げちゃうと、次もなんか理屈つけて逃げちゃいそうなんだよな)

 

 情報は確かに足りない。別の機会を待つほうが賢明なのは明確だ。それでも。

 

(わがままになるって、決めたんだし)

 

 かつての自分であれば、決して採らなかったであろう選択。あるいは、力を得て気が大きくなっているだけなのかもしれなかったが。

 

(いや、そうでもないな。あの時だって)

 

 アインズ・ウール・ゴウンが発足した時の大胆な決定、ギルドのその後を決定づけたともいえるあのような行動が今こそ必要なのかもしれない。かかっているのは自分の命であるし、頼もしい仲間たちはひとりもいないけれど。

 

(みんなが遺してくれた力は、ここにあるんだから)

 

 胸に手をあて、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンに意識を集中する。敗北などあり得ない。自分こそがアインズ・ウール・ゴウンなのだ。

 ただ鎧を装備できないことが不安材料ではある。森で試した結果、シャルティアの鎧を着るとモモンガの魔法はほとんど使えなくなった。モモンガは純粋な魔法詠唱者として作られているため、当然ではあったが。

 結局、鎧の防御力と魔法の状況対応力とを天秤にかけたモモンガは、後者を選んだ。これも当然だったが。

 モモンガは不安を振り切って前をまっすぐ見据え、背筋を伸ばして堂々と歩き出した。

 

 

 

 

 

 村の中央にある広場に、この村を襲撃した騎士たちがたむろしていた。集められた村人たちは、すでにほとんど殺されている。生きているのは、逃がす予定の数人だけだ。

 そんな村人たちを横目で見ながら、騎士のひとりロンデス・ディ・クランプは小さく舌打ちした。原因はこの部隊の指揮官であるベリュースである。

 箔づけのためだけに今回の作戦に参加したこの男は、とかくトラブルの種だった。襲撃が順調に終わったこともあってか、調子にのって部隊の足をあれこれ引っ張っている。今も部下に怒鳴り散らしていた。

 

(まったく、腹立ち紛れにボヤ騒ぎとか、勘弁してくれ)

 

 最終的には焼き払うとはいえ、物事には順番や手順といったものがある。それ以外にも色々あって、作戦はだいぶ遅延していた。

 

(エリオンたち、遅いな)

 

 見廻りに出たまま帰ってこない騎士がいる。さらなる遅れにロンデスは顔をしかめ、わめくベリュースを見てため息をついた。 

 

 

 

 

 

 

 見廻りをしていた騎士たちは、村のほぼ外れにある家の陰から現れた少女を見て絶句した。

 絶世としか表現のしようがない美貌、漆黒の見事なボールガウン。そして貴族、というよりも王族の、いや最早女王とでも言ったほうが適切な威厳をまとい歩く姿。この世ならざるものといった神秘的な雰囲気。辺境の開拓村にはあまりにそぐわない、場違いが過ぎる存在だ。

 騎士たちは誰何することも忘れ、その美し過ぎる姿に心を奪われている。ついでに大き過ぎる胸にも。

 

「お尋ねしたいことがあります」

 

 美しい少女の口が動いた。柔らかな声が男たちの耳に届く。

 

「あれはあなた方が行ったことでしょうか?」

 

 赤い瞳が傍らに倒れている少女たちに向けられた。男たちも釣られるようにそちらを見る。

 

「あ、ああ……そうさ」

 

 少し我に返った騎士が頷いた。そして気づく。自分たちでは絶対に手が届かないはずの、間近で見ることすら難しい女神のごとき美少女が、まさに手の届く範囲に立っていることに。

 

「ああはなりたくないだろう、おとなしくしてろよ」

「殺しゃしないからさ」

 

 騎士たちは下卑た笑みを浮かべ、剣をちらつかせながら迫ってくる。広場に連れていっても、隊長に取り上げられるだけだろう。ならここで楽しんだほうがいい。

 

(わかりやすいゲスでいいな)

 

 これなら遠慮はいらないだろうと、モモンガはむしろ喜んだ。シャルティアの腕が前に突き出され、細い指が何かを握りしめるかのように閉じられる。

 

「〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉」

 

 騎士のひとりが突然その場に崩れ落ちた。もうひとりがあわててしゃがみ込んで、様子を確かめる。しかしすでに男は絶命していた。何が起こったのかまったく理解出来ず、男は怯えた様子で後ずさる。

 

(うん、人を殺したのになんにも感じない)

 

 モモンガが使用したのは、全部で十ある内の第九位階という高位に属する即死魔法だ。自分が持っている常識など遥かに超えた領域の力に、男は震え上がる。

 

「うわあああ!」

 

 恐慌状態に陥った男は、きびすを返して逃げ出そうとした。むろんモモンガはそれを許さない。背中から雷撃の魔法に撃ち抜かれて、男は地に伏した。

 

「え?」

 

 使用したのは、第三位階の魔法である。第九位階では威力があり過ぎるとみて、弱い魔法に切り替え何発耐えられるのか試すつもりだった。それが一撃で終了。

 

(弱すぎるだろう……これ)

 

 モモンガは呆れつつ肩を落とした。念のためトコトコと歩み寄り、しゃがみ込んで指先で突っついてみる。むろんピクリとも動かなかった。

 

(さっきの俺の決意っていったい……)

 

 空回りしてしまったような恥ずかしさに、モモンガはうなだれた。しかしすぐに顔を上げる。

 

(いやいいんだ!始めないと始まらないし!それに、案ずるより生むが安しっていうしな!あれ、何で安いんだっけ?)

 

 その想いを現すように、シャルティアの小さなこぶしはキュッと握り込まれ、天を仰いだ可憐な顔はキリリと引き締められていた。

 

 

 

 

 この後さらに遭遇した騎士を、今度は殺さずに捕らえた。情報収集のためである。下っぱゆえに詳しいことまではわからなかったが、部隊の概要は掴めた。

 

(でも、バハルス帝国を装ったスレイン法国の人間って……それにここ、リ・エスティーゼ王国?)

 

 まったく聞いたことがない名前ばかりだ。やはりここはユグドラシルではないのだろう。

 

(もっと情報を集めないと)

 

 そのためには、部隊長クラスを尋問する必要がある。逃がさないよう準備しておくべきだ。幸い敵の力は大したことがないと大体わかっている。

 すでに事切れている騎士を残して、モモンガは歩き出した。

 

 

 

 

 

 

「まだ帰ってこないのか」

 

 ロンデスは苛立った声を上げた。見廻りに出た騎士たちが、ことごとく帰ってこない。さして広くもない村でこれは、あきらかに異常だ。

 

「何をやってる!役立たずめが!」

 

 ベリュースが怒鳴り散らしているが、周りの目は冷たい。おまえが一番役立たずだろうと、その視線は雄弁に語っていた。しかし、このままにしておくわけにもいかない。捜索の指示をロンデスが出そうとした時、広場に近づいてくる人影があった。

 それに気づいたものたちの身体が、石化でもしたかのように次々と硬直していく。シャルティア・ブラッドフォールンの美の前に。

 美しき令嬢はまるで宮廷の舞踏会にでも入場してくるかのように、優雅に広場へと足を踏み入れる。辺境のさびれたような村には、あまりに不釣り合いな姿だ。しかし場違いとは決して笑われない、場のほうをねじ伏せてしまうほどの美がそこには存在している。

 漆黒のボールガウンをまとった美姫は、広場の中央あたりで足を止め、小さくそして優雅に会釈した。

 

「こんにちは、皆さん」

 

 その姿にふさわしい美しく柔らかな声が、静まり切った広場の隅々まで届く。催眠術にでもかかったように見とれていたものたちの中で、真っ先に我に返ったのは意外な人物であった。

 

「そ、その女を捕らえろおお!」

 

 ベリュースの声が響く。もちろん、突然隊長としての使命感に目覚めたなどというはずもない。わかり易い欲望が爆発しただけだ。

 その声に押されるように、シャルティアに近いところにいた騎士がふたりほど前に出る。

 

「いいか!傷つけるんじゃないぞ!」

 

 腕を振り回しながら、ベリュースはわめいた。その顔は興奮しきっている。それもそうだろう、国でもそれなりの地位にある自分が見たことすらないほどの美姫が手に入るのだから。

 一方ロンデスは迷っていた。どうすべきかを。これがただの村娘などということはあり得ず、どこかの貴族令嬢なのは間違いないだろう。

 しかし何処の誰か見当もつかなかった。この王国で美姫といえば"黄金の姫"と渾名される王女が有名だが、あれはその名の通り金髪だ。他に比肩するような姫君の話は聞いたことがない。

 

(あるいは他国の……? まさかうちの国とは関係ないよな)

 

 だがいずれにせよ、供も連れずに行動することはないはずだ。いったいどうなっているのか。正直ベリュースの行為は止めたかったが、代案がない。こちらが身分を偽っている以上、まともな交渉は無理だ。

 

(捕らえて放置、ぐらいか?危害を加えるのはまずいな)

 

 ロンデスは取り敢えず進言しようと踏み出すが、それはすでに遅かった。もともと手遅れではあったのだが。

 

「〈魔法二重化(ツインマジック)魔法の矢(マジックアロー)〉」

 

 少女の周囲にいくつもの光点が浮かび、前方へ撃ち出される。光の軌跡を糸のように引きながら飛ぶ魔法の矢は、近づいてきた騎士たちを次々に撃ち抜いた。

 わずかな断末魔の悲鳴を残し、ふたり揃って大地に転がる。金属鎧のたてる音が、やけ大きく広場に響いた。

 

「あ……」

「ひっ!」

「魔法詠唱者?!」

 

 何名かの騎士があわてて剣を抜いて構える。それを見て他のものたちも後に続いた。

 しかしこれは、正しい行動とは言えない。相手が魔法詠唱者ならば、一気に距離を詰めるべきだったろう。だが真っ先に動けば、当然真っ先に的になる。それを恐れて誰も動くことが出来なかった。

 

「な、何をしてる!早く捕らえんか!」

 

 こそこそと部下を盾にして、ベリュースがまだわめきたてている。その声に興味を引かれたように、シャルティアの真紅の瞳が向けられた。

 

「ひ、ひいっ」

 

 ベリュースはますます身体を縮め、部下を前に押し出す。そんなことをしても意味はないのに。

 

「と、捕らえたやつには、金貨100、いや200だ!」

 

 その声を受け、欲望に負けた者たちが互いに目配せしながら動き出した。しかし、一歩動いたところでひとりが雷撃の魔法に貫かれる。あえなく倒れる仲間を見て、全員が恐怖で足を凍りつかせた。

 

「さあ、次はどなたですか?」

 

 漆黒の死神が優しく問いかける。前に出れば死、逃げようとしても背中から撃たれるだろう。もはやベリュースすら口をつぐんでただ震えていた。

 この状況をどうにかするには、全員で一斉に襲いかかるか逃げ出すかのどちらかを選ぶしかない。しかしどちらにせよ、動きを揃えるのは不可能だろう。

 騎士たちはどうすることも出来ずに、震えながら立ち尽くしていた。

 そんな騎士たちを見ても、村の様子を見てまわったモモンガは欠片も同情する気はない。

 

(少しは、殺された人たちの気持ちを味わってから死んでいけ)

 

 自分はここまで過激な人間だったかなあ、という疑問もないこともなかったが。

 

 

 

 

 

 さらに数名の騎士が屍を晒したころ、モモンガは近づいてくる音に気づいた。大勢が勢い良く駆けてくるような轟音だ。

 

(援軍かな?)

 

 そうも考えたが、違うような気もする。取り敢えず待つことしばし、馬に騎乗した戦士の一団が姿を現した。広場にいる騎士たちに比べるとやや軽装だが、訓練は行き届いているようで統制のとれた動きを見せている。

 彼らは足を緩めずに勢いもそのまま、広場に突っ込んできた。

 

「突撃!」

 

 隊長らしき屈強な男が簡潔に号令する。剣を抜いた戦士たちは、一直線に騎士たちへと襲いかかった。モモンガから目を離せなかった騎士たちに対応出来るはずもなく、次々と討ち取られていく。

 

(これは王国の軍かな)

 

 見たところ、王国側のほうが数も練度も、そして何より士気が段違いに高かった。

 

「くっ、見張りは何をしていた!」

 

 実のところ、騎士側の見張りはすべてモモンガに排除されていた。態勢を立て直すべくロンデスは必死に声を張り上げるが、まともな反撃など出来ない。

 それでも矢継ぎ早に指示を出して抵抗するロンデスに、迫る影があった。

 

(ガゼフ・ストロノーフ!)

 

 王国最強の、いや周辺国家最強の戦士にして王国戦士長。自分たちが囮となって誘き出したはずが、こうして食いつかれることになるとは。

 ロンデスはすべての力を込めて剣を振り下ろす。しかしその一撃は軽々と弾かれ、次の瞬間頭部に強い衝撃を受けたロンデスは意識を失った。

 

(あれが指揮官?なかなか強いかな)

 

 モモンガの見たところ、というよりは誰が見てもあの人物がこの場で段違いにもっとも強い。シャルティアの力を得たモモンガには遠く及ばないが。

 

「終わりだ!投降せよ!」

 

 ガゼフが一喝する。生き残りの騎士たちは一瞬顔を見合わせた後、一斉に剣を捨て投降の意を表した。

 

「よし、全員捕縛せよ!」

 

 ガゼフの命に従って王国兵が一斉に動き、いささか乱暴に、生き残った騎士たちに縄をかけてゆく。怪我をしているものにも容赦はない。

 いくつか指示を出してから副長にあとを任せ、ガゼフは歩き出した。むろん向かう先は、広場の中央に立つ少女のもとである。

 広場に突入した時の様子から、少女と騎士たちが敵対していたことはガゼフにもわかった。騎士が倒れていたのはあの少女の仕業だろうし、おそらく魔法によるものだろう。

 

(騎士に囲まれていても、まったく動じていなかった。かなりの実力者のようだな)

 

 それがわかるからこそ副長たちは、今なお警戒を完全には解けずにいた。もっとも、だからこそガゼフはひとりで来ている。万が一にも衝突など起こらないように。

 村を襲ったものたちと戦い、おそらくそのおかげで彼らを捕捉出来たことに、ガゼフは深く感謝していた。故になるべく友好的に話をしたいと考えている。

 

(それにしても、これは美しい……)

 

 ガゼフは王国戦士長の地位に就いているため、"黄金の姫"ラナー王女とも面識があった。それ故によくわかる。この世に並ぶものなどいない、との評が間違っていたことが。

 しかも、武装した男が近づいて来ているというのに、少女にはまったく警戒する様子がない。自然体で待ち受けている。

 

(本当に、大したものだ)

 

 一方モモンガも、歩いて来るガゼフの姿を見つめていた。脳裏に先程の勇姿がよみがえる。あの勇猛果敢な指揮および戦いぶりは、称賛に値した。棚ぼたに得てしまった自分の力と違い、自ら積み上げたであろう力である。

 

(カッコいいなあ、渋すぎるよ)

 

 威風堂々、とでも表現したくなる姿を見ていると、かつて憧れた人物を思い出した。あんな風になってみたいと思わせた人を。

 

「お初にお目にかかる。自分はリ・エスティーゼ王国にて王国戦士長の任を拝命したるガゼフ・ストロノーフと申すもの。よろしければ御名をお聞かせ願いたい」

 

 堂々たる態度ながら決して相手を侮らず、礼節をもって相対する姿勢。おそらく要職にありながらも、きちんと先に名のる行動。これらを合わせて、モモンガのガゼフに対する好感度はうなぎ登りだ。

 そして今度は自分の番である。美しきシャルティア・ブラッドフォールンの姿にかけて、誇り高きアインズ・ウール・ゴウンの名にかけて、無様な真似は許されない。

 自分が名のるべき名前については、ずっと考え続けていた。今こそそれを決める時。

 自身の誇りと相手への敬意を精一杯込めて、モモンガはまさに一世一代の礼を敢行した。

 

「これは丁重なるご挨拶、恐縮でございます。わたくし、しがない旅のものにて、名をシャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウンと申します」

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第5話 ガゼフ・ストロノーフ

 モモンガが名のると同時に、周囲にどよめきが走った。ガゼフの顔にも驚きの表情が浮かんでいる。その思いがけない反応に、モモンガは動揺した。

 

(え、どういう……ま、まさかっ!)

 

 動揺は一瞬で限界を振り切り、すぐさま沈静化される。しかしまたすぐに押し寄せてくる感情に背中を突き飛ばされるかのように、モモンガはガゼフに詰め寄った。

 

「も、もしやアインズ・ウール・ゴウンの名をご存じなのですか!?」

 

 それはあきらめていた可能性。最後の状況から有り得ないと思っていたこと。

 ナザリック地下大墳墓も転移しているかもしれない。ギルドメンバーも誰か来ているかもしれない。そのせいで名前が伝わっているのかもしれない。

 そんな、淡くそして深い想いがモモンガの精神を大きく揺さぶった。

 

「お、落ち着いてくれ、すまんがその名には心当たりは無い」

 

 どこか切なげな表情で必死に訴えてくる姿に、先程までの超然とした面影はまるで無い。その落差に心を大きく動かされながらも、ガゼフはシャルティアの目の前で大きく手を振った。

 それを見ていたシャルティアの顔から、一気に表情が抜け落ちる。そして軽く後ろに飛び退くと、ちょこんと頭を下げた。銀の髪がさらりと揺れる。

 

「申し訳ございません。みっともないところをお見せいたしました」

 

 元の落ち着きを取り戻した少女は、貴婦人の礼節を見せた。しかしその端正な顔には、隠し切れない翳りがあるようにガゼフには思える。

 

「そういたしますと、なぜ皆さまは驚かれたのでしょうか?」

 

 わずかに首を傾げて問いかけるその姿は、やや子どもっぽく見えた。年相応ともいえる愛らしい仕草に、それを見た全員が大いに保護欲を刺激される。取り敢えずそれを脇に置いて、ガゼフは口を開いた。

 

「ん、まあ、その、長い名前だと」

 

 実のところ理由は別にあったのだが、ガゼフは取り敢えず言葉を濁した。それを聞いたモモンガは、小さく肩を落とす。

 

(うわー、やっぱりただくっつけただけじゃダメってことか!いけると思ったんだけどなー)

 

 かつてギルドメンバーにもダメ出しされたことを思い出し、自分のネーミングセンスに自信を失いかけた。しかし何とか気を取り直して、うつむきかけた顔を上げる。

 

「か、かもしれませんが、我が名はシャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン。これは真実の名」

 

 それは絶対に譲れないことだ。しかし、長すぎると確かに覚えにくいし呼びづらいかもしれない。ならば少し妥協するのも仕方ない。

 

「ですが、それならばシャルティア・ブラッドフォールンとのみお呼びください」

 

「ええ、疑っているわけではありません。ただ、いらぬトラブルを招くおそれがあるゆえ、普段はそうされたほうがよろしかろう」

 

 お互いの認識の違いに気づかないまま、ふたりは頷きあった。

 

(それにしても、今の、そして先程の身のこなし、大したものだが)

 

 なにしろガゼフが目で追いきれなかったのである。戦士としても訓練を受けているのか、あるいは魔法によるものかもしれなかったが。

 

「どうやら、いろいろ話すことがありそうですな。こちらにもお尋ねしたいことがございますが、そちらにも聞きたいことがございましょう」

 

 ガゼフの言葉にモモンガは同意した。それにこの相手なら信用できるだろう。

 

「はい、色々とございます。ですが立ち話もなんですし、どちらかに席をもうけ、そちらでいたしましょう」

 

 その返答にうなづいたガゼフは、ざっと辺りを見渡した。そして一軒の家にあたりをつけると、生き残っていた村人に確認する。

 そして使用の承諾をもらうと、部下へ指示を出した。数名がその家に入り、隅々まで調査を行う。異常なしとの報告を受けて、ガゼフはシャルティアに向き直った。

 

「あの家にしましょう。申し訳ないが自分はまだやるべきことがありますので、あちらでしばしお待ちいただきたい」

 

「はい、では失礼いたします」

 

 シャルティアは丁寧に頭を下げると、家に向かって歩き出した。その周りを、護衛として選ばれた兵が囲むように付き従う。

 それを見送ったガゼフは、村人たちのほうへ足を運んだ。今後の話を詰めるためである。

 残りの兵たちは、村の片付けを行うべく散っていった。そうして歩きながらも、話題に上るのはやはりあの美し過ぎる少女のこと以外にはない。

 

「可愛いかったなあ」「あんなキレイな子間近で見たの初めてだよ」「13ぐらいかな」「たぶん」「胸でっけー」「なに食ったらあんなんなるんだ」「ウエストは細すぎるだろう」「銀髪ってキレーだなー」「肌白ぇ」「身体弱いのかな」「同じ人間とは思えん」

 

 その容貌やスタイルはむろん、服装、装備、仕草など話の種には事欠かなかった。そしていずれにせよ、ある話題へとたどり着く。

 

「シャルティア様……と言ってたっけ」

「シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン様だな」

「よく覚えたなお前」

「なあ、名前が五つって、確か……」

「ああ、王族だ」

 

 王国や帝国においては、平民は二つの名しか持たず、身分が上がるごとに増えていく。王族なら称号込みで五つである。つまり、これは自分が王族だと宣言したに等しかった。もちろんモモンガにそんな知識があるはずもない。

 兵たちにしてみればまったく聞いたことのない名前だったが、おそらく遠方の国の出なのだろうと考えていた。

 

「シャルティア姫か……」

「うん、キレイな名前じゃん」

「お似合いだよなー」

 

 

 

 

 

 そしてそれは、護衛として従ったものたちも同じように考えていた。というよりむしろ、より強くはっきりと感じているだろう。気品と威厳をごく自然に身にまとい、悠然と歩くシャルティアの姿を目の当たりにしていれば。

 

「こちらへどうぞ、姫」

「は?はい、ありがとうございます」

 

 モモンガにしてみれば、姫という呼称にあまり特別な意識は持っていなかった。せいぜい女性をちょっと持ち上げる時や、黒一色の中の紅一点を指すぐらいだろうか。

 

(いいですかモモンガさん!だからこそのオタサーの姫なんです!非モテの男たちの中に紛れこんだ女がひとり!もうそれだけでそこにはエロスが!)

(黙れ弟)

 

 ちょっと戸惑いを感じながらも、ギルド名物姉弟どつき漫才を思い出していた。

 

(まあ、見たところ男しかいないみたいだしなー。実際そんなとこかね)

 

 あれこれ世話をしてくれる兵たちに、大げさにならない程度に礼を言って微笑む。それを見た兵たちは、感激を抑えられない面持ちで恐縮していた。

 

(これくらいのサービスはかまわないか。愛想よくしておけば、何か役にたつかもしれないし)

 

 モモンガは改めて視線を巡らせてみたが、部屋の中には見るべきものはない。内装にせよ調度品にせよ見たことがないほどみすぼらしい代物だった。

 あらかたことが済み、場を沈黙が包む。モモンガは、相手方が声をかけたくても躊躇っている雰囲気を察した。ここは、客人として遇されている自分から話かけたほうがいいだろう。

 

「あの、お尋ねしたいことがあるのですが」

「はい!」

 

 全員の声が元気よく綺麗に揃った。内心ちょっとびっくりしながらも、努めて平静を装う。

 

「戦士長さまとは、どういったお方なのでしょうか」

 

 その言葉に兵たちは、戸惑ったように顔を見合せた。最強の戦士として名高いガゼフ・ストロノーフについて、このように聞かれたことはない。しかしそれにも納得する。それほど遠くから来たのだろうと。

 皆でうなづきあうと、兵たちは怒濤のごとく喋りはじめた。生まれは平民であること、御前試合のトーナメントにて圧倒的な実力を示して登用されたこと、その強さや武勇伝、などなど。

 

(人気あるんだなぁ)

 

 その熱のこもった言葉を聞いていれば、ガゼフという男がどれほど部下に慕われているのかわかった。単に強いからというだけではなく、その人柄ゆえにということも。

 

「戦士長さまは、素晴らしいお方なのですね」

 

 その言葉とともに輝きを増した美姫の笑顔からは、お世辞や追従といったものは一切うかがえない。そんな様子を見た兵士たちは、我がことのように喜んだ。

 ガゼフ・ストロノーフは、貴族からの受けが悪い。平民の出であることが大きいが、決して貴族に媚びずに実直を貫く態度も一因だろう。そしてそれは部下である騎士ではない戦士たちへの評価でもあった。

 国王と対立している派閥のものたちはむろん、ガゼフと同じ国王派の貴族からも同様の扱いである。きちんと評価しているのは、国王とラナー王女をはじめとする極一部だけだ。

 そこへこの称賛の言葉である。欲にまみれ傲慢で正しく人を評価できない貴族たちにくらべ、この美しく礼儀正しい姫君は偏見なく見ている。見目麗しいだけでなく人柄にも優れた姿に、兵たちの評価は急上昇していた。

 そこに扉を叩く音が響く。護衛兵がさっと頭を寄せ、確認を取ってうなづいた。

 

「姫、戦士長がお見えです」

「はい、すぐにお入りいただいて下さい」

 

 返答とともに、シャルティアはすっと綺麗な姿勢で立ち上がる。その気品ある所作の中にガゼフへの敬意を感じ取り、兵たちは改めて感激した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、そのようなことが……」

 

 重々しくガゼフはうなづいた。その表情は真摯なもので、相手の言葉を真面目に受け止めているのがわかる。

 もちろんモモンガはすべてを語ることはしなかった。特にユグドラシルについてなど、説明のしようがない。結局のところ、遠いところから魔法的手段で転移してきた、出身はユグドラシルにあるナザリックという都市、といったあたりをぼかして伝えるほかなかった。

 そしてさらにいくつかのやり取りの結果、ガゼフたちの頭の中にはおおよそ「ユグドラシル地方の都市国家ナザリックの魔法に長けた王女で、転移魔法の暴走により遠くここまで飛ばされ、しばらく森をさまよっていた」といった事の経緯が出来上がっていた。

 モモンガとしては、王女という身分については否定している。もっともガゼフたちは「ええ、わかってますから」とうなづきながら流していたが。

 

(いや、わかってないでしょ!)

 

 心の中で絶叫してもなにも変わらず、結局そのあたりはうやむやになってしまった。

 ガゼフからは、より広い範囲で周辺の様子を聞くことができた。さすがに戦士長ということはあり、先程の騎士たちより話題が広い。本人は謙遜していたものの、やはり地位による知識の差は大きいようだった。

 さらにこの世界におけるゴブリンやオークなどの亜人について、モンスターについても様々な情報が得られた。あとはそれらを退治するという冒険者と呼ばれるものたちについても。

 

「それで、これからどうなさるおつもりかな?我らはエ・ランテルに向かいまして……」

 

 ガゼフたちは取り敢えずここで一晩過ごしたあと、村人や捕虜を連れて近郊で最大の都市エ・ランテルに向かうという。そこで村人を置いて、さらに王都を目指すようだった。

 モモンガにしてみれば、このまま辺境をさまようのも悪くはないが、この世界の都市を見てみたくもある。人の多い場所ならば情報も手に入れやすいだろう。

 

(それに……興味あるしな、冒険者。どんなだろう)

 

 モモンガの知っている冒険者は、ゲームや小説に出てくるようなものだ。それもほとんどギルドメンバーから聞かされた話でしかない。

 そしてガゼフの話によると、特に出自などは問われないようだ。ならば身寄りもなにもない自分が身を立てるには、これしかないのではないかと思える。

 

「はい。もしよろしければ、エ・ランテルまでご一緒させてください」

「ええ、もちろんです。それに我々といれば、検問所も楽に通れますよ」

 

 その言葉にモモンガははっとなり、もとの世界にあったアーコロジーの入り口を思い出した。やはりどこの世界でも、大切な都市は厳重に守られているということなのだろう。

 正直、今の自分の姿はとても普通とは思えない。何らかのトラブルが発生する可能性は高かった。これは思わぬ幸運だろう。

 

「では、よろしくお願いいたします」

 

 

 

 

 

 もうすぐ日も暮れようとしている草原に、四十五人にもなろうかという集団が集まっていた。その統制の取れた動きは、部隊の練度の高さを示している。

 スレイン法国神官長直轄特殊工作部隊群である六色聖典のひとつ、陽光聖典。それはガゼフ抹殺のために送り込まれた部隊だ。心身共に鍛え上げられているというだけでなく、全員が最低でも第三位階の魔法を習得した高位の魔法詠唱者でもある。

 村を襲った騎士隊とは桁違いの精鋭部隊だった。

 

「報告します」

 

 隊長であるニグン・グリッド・ルーインは報告を受けて顔をしかめた。囮部隊が強襲され壊滅、挙げ句に捕虜になっているとは。何度も追い続けようやくガゼフを捕捉したというのに、このざまだ。おかげで情報収集にも時間がかかり、こんな時刻になっている。

 さらに報告には続きがあった。

 

「村の中にアンデッドの反応だと?」

 

 おそらく、殺された騎士か村人のいずれかがゾンビにでもなったのだろう。滅ぼされていないのは、隔離された場所にいるのか動けないのか、いずれかと思われた。

 別に脅威にはならないが、念のために様子を見て少し作戦開始を遅らせることにする。 

 

「森の中に逃げ込まれぬよう注意せよ。総員、準備を整え配置につけ」

 

 静かに告げたニグンの言葉に従い、隊員たちは素早く動き始めた。その簡潔な指示に、誰も何ひとつ聞き返さない。これは自分たちがやるべきことを全員が理解しているからに他ならなかった。

 襲撃は間違いなく日が落ちてからになるが、ニグンの顔に焦りの色はない。魔法を使えば闇夜など何の障害にもならないからだ。

 

「これで終わりだ、ガゼフ・ストロノーフ」

 

 その光景を見て作戦の成功を確信し、ニグンは少しだけ口元を緩めた。

 

 

 

 

 

 兵たちと一緒に食事をしたあと、モモンガは割り当てられた家に戻った。

 

「わざわざありがとうございました。それでは失礼いたします」

 

 家まで送ってくれたガゼフに礼を言うと、護衛兵がそっと扉を閉じた。ひとりになったモモンガは、リボンをほどいて帽子を脱ぐ。銀色の髪がさらさらとこぼれ落ちた。

 そしてそのまま、ベッドに腰かける。ぎしり、と小さく音をたてたその場所は固い。かつてあちらの世界で使っていた安物の寝具とくらべても。

 しかしそんな事はまったく気にせず、モモンガはベッドの上に横になった。別に疲れているわけでも眠いわけでもない。どちらもアンデッドであるシャルティアの身体には関係がなかった。

 他人との食事という慣れない行為に、少しだけ気疲れしたのである。

 ガゼフから兵たちと一緒の食事へと誘われた時、正直モモンガは迷った。もとの世界ではそういったことはたいてい断っていたからである。しかし今の自分は以前とは違うのだから、こういったことも変えてみるべきではないかとモモンガは感じた。

 だからこそ思い切って参加してみたが、正解だったようである。兵たちから色々な話を聞けたからだ。それはガゼフとの真面目な話とは違い、もっとくだけたおとぎ話や神話、伝承といったもの。話してくれたものたちも、半ば以上荒唐無稽と考えているような物語だった。

 しかしモモンガはそうは思わない。明らかにこれは――

 

(ユグドラシルのプレイヤーの仕業か)

 

 そうとしか思えない話も多かったのだ。どうやら自分以外にも来ていた人間がいる。その可能性は非常に高い、というよりほぼ間違いなかった。先程の話は過去のものだったので、まだそのプレイヤーがいるのかはわからない。しかし、自分と同じ今の時代に来たものも存在するかもしれなかった。

 

(まあ、竜王とかは違うだろうけど)

 

 ユグドラシルではドラゴンを種族として選択できない。そのため現地由来のものだと思われた。

 

(だけど、NPCはどうなってるんだ?モンスターなんかも来てるのか?)

 

 気になることは色々とある。しかし一番は拠点の転移があるのかどうかだろう。兵たちの話の中にもそれらしいものは見受けられた。

 だがナザリックはどうなのだろう。ここには自分しか居なかった。拠点だけが別に転移するということはあるのだろうか。正直あの最後の状況からは、とてもそうは思えなかった。他のギルドメンバーにしても、期待は薄い。

 ナザリックを探してみようかとも考えたが、今は誰も居ない廃墟のようなものだ。情報は集めてみるべきだろうが、他のプレイヤーについての方が重要だろう。

 

(それにしても、ああいう食事も悪くないかもなあ)

 

 モモンガの脳裏に、先程の食事風景がよみがえった。あのように主賓に祭り上げられて場の中心に座ったのは、ギルドマスターとしての際を除けば記憶にない。照れ臭くもあったが、意外と楽しくもあった。思い切って飛び込んだ甲斐はあったというものだろう。

 

(これからはもう少し積極的になってもいいかな)

 

 そんなことを考えて顔を上げると、窓の隙間から射し込む光にモモンガは気づいた。また星や月が出ているのだろうか。ふと星空が見たくなったモモンガは、ベッドから飛び降りると扉に向かった。

 外に出ると、扉の両脇に護衛が立っている。ふたりはシャルティアの姿を見ると、慌てて寄って来た。

 

「どうかなさいましたか?」

「何かご用でしたら承ります」

「いえ、ただ夜空を見たくなっただけです」

 

 仕事熱心な護衛に思わず微笑みかけ、モモンガは天を振り仰いだ。少し雲があるため月が隠れてしまっているが、それもまた風情があっていい。しかし視界に入る建物が邪魔に感じられた。

 

「ひ、姫っ!?」

 

 ふわり、と屋根の上に跳び乗った少女に、護衛は驚きの声をあげる。確かにそれほど大きな家ではないが、一度の跳躍で上がれそうなのは部隊でもガゼフくらいのものだ。

 

「危ないですよっ!」

「お、下りてください、姫!」

 

 これほどの跳躍をみせた相手の心配をするのも、いささか間抜けな気もする。それでも、ついそうしてしまうのも無理はなかった。見た目は小さな女の子でしかないのだから。

 

「大丈夫ですよ」

 

 モモンガはそんな反応をちょっと面白そうに眺めてから、視線を空に戻した。

 

 

 

 

「姫、そのようなところで何をなさっているのですか」

 

 数名の部下を連れて通りかかったガゼフが、屋根の上の人影を見つけて声をかけた。それが聞こえたようで、美しき姫君はゆっくりと振り向く。

 その瞬間、雲が割れて月明かりが下界を照らした。冷たく穏やかに降りそそぐ光が、シャルティアの姿を淡く浮かび上がらせる。銀色の髪にこぼれた月の光は、きらきらと瞬きながら流れ落ちていった。

 その姿は、月の女神が地上に降臨したようにしか見えない。ガゼフたちは、あまりにも幻想的な光景に息を飲んで硬直した。目を逸らすことも出来ずに、意識を完全に持っていかれている。

 

(まるでこのまま月光に溶けてしまいそうな……)

 

 そんな不安にも似た思いを抱いたガゼフが思わず一歩踏み出した時、向こうから駆けて来た兵が大声をあげた。

 

「戦士長!!」

 

 緊張をはらんだ声を聞いて、その場の全員がそちらを振り向く。兵がガゼフの前にたどり着いて敬礼した時には、皆がまわりに集まっていた。

 とん、とかすかな物音が集まったものたちの耳に届く。そちらを向くと、地上に飛び降りたシャルティアがすぐそばに立っていた。着地の際にもほとんど音をたてない見事な跳躍である。もっとも極一部だけ重いものが揺れるような、ぶるんとかぶるるんとかいう音がしたような気もしたが、たぶん幻聴だろう。

 

「あの、なにか?」

 

 その極一部に釘付けになった男たちの視線に気づいたモモンガは、にこやかに尋ねた。その気持ちがよくわかってしまうために、別に咎めるつもりはない。

 しかし男たちはそうは思わなかったようで、慌てて視線を逸らした。

 

「報告は!」

「は、はい!村がなにものかに包囲されております!」

 

 その言葉に一気に緊張が高まり、場の雰囲気は一変する。ガゼフの表情も厳しいものになっていた。

 

 

 

 

 

 

「さあ、終わりにしようか、ガゼフ・ストロノーフ」

 

 余裕の表情でニグンは呟いた。すべての準備は整っている。あとは始めるだけでおしまいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第6話 月の女神

 ガゼフはモモンガとの会談に使用した家を本部とし、情報の収集と指揮に努めていた。今も矢継ぎ早に命令を出している。広場にはかがり火が焚かれ、その周囲の建物を障害物にした防衛線が敷かれていた。

 取りうる作戦はいくつかあったが、ガゼフは村で迎え撃つことを選んだ。あまり得策とは言えなかったが、この闇では騎馬で突撃して包囲を突破するのもむずかしいだろう。

 

「姫……今からでも、脱出されませんか」

 

 副長が何度目かになる提案を口にした。魔法をかけ終わったモモンガがそちらに向き直る。

 モモンガが行っていたのは、バフによる兵たちの強化だ。剣への魔力付与や防御の魔法、身体強化に耐性向上など様々な支援を受け、その戦闘力は格段に上昇している。

 さすがに一度で全員にかけるのは無理なので、いくつかの隊に分けて行われていた。それがようやく終わったところである。

 

「そのようなわけにはまいりません。それにどのみち、もう遅いでしょう」

(まあこっちにも思惑あるけどね)

 

 敵の正体は、スレイン法国の特殊工作部隊らしいということだった。目的はおそらくガゼフ・ストロノーフの抹殺。どうしてこんなに面倒なやり方をしているのかモモンガにはわからなかったが、現地の事情というものなのかもしれない。

 村を襲った騎士たちの目的もガゼフの誘い出しだが、出撃にあたりずいぶんと王国貴族からの横やりが入ったようだった。兵の数を削られたり魔法の装備の持ち出しに制限を受けたりと、皆が散々愚痴っていたのである。

 本来なら他国の人間に話すようなことではないのだろうが、よほど腹に据えかねていたのだろう。あるいは、それほど心を許しているということなのかもしれないが。

 

(どこにでもそういう連中っているよなぁ)

 

 おそらく自分たちの国が無くなるかもしれないとは、まったく考えていないのだろう。それとも、王国がどうなっても自分の領地は大丈夫だと思っているのか。

 いずれにせよモモンガの王国に対する評価はだいぶ下がっていた。ガゼフの話を聞くかぎり王はそう悪い人物ではなさそうだが、いまいち国をまとめきれていない。

 

(ぷにっと萌えさんがいたら、嬉々として悪巧みしそうだよなー)

 

 もっとも、今のモモンガのような放浪者にとっては、そういった乱雑な状態は必ずしも悪いことではなかった。かえって法国のようなまとまり過ぎた、戸籍が完備し冒険者もいないところは暮らしにくいだろう。

 

(それにしても、どの程度かな)

 

 周辺の人類最強国家が所有する特殊部隊、その強さにはおおいに興味があった。信仰系魔法詠唱者の精鋭の実力とは、どんな魔法を使ってくるのか、それはこの世界の強者の力をはかる指標になるだろう。

 実のところ賢明な策をとるなら、ここは逃げて安全な場所から観察すべきだった。命をかけてまでガゼフたちに協力する義理は確かにない。

 

(けど、ちょっとくらいなら手助けしてもいいよね。まあ……)

「いざとなれば、逃亡させていただきますから」

 

 それはモモンガの本心だったが、まわりはそうは取らなかった。一緒に戦うための、自分たちに気を使った建前と考えたのである。そんな敬意まじりの視線を面映ゆく感じながらも、モモンガは椅子から立ち上がった。

 

「それでは、準備も終わったことですし、そろそろ始めましょうか」

「はい。では姫、合図をお願いします」

 

 ガゼフの言葉にうなづいた姫君は、部屋にいたすべての兵を引き連れて表に出た。かがり火があるとはいえ、外は暗い。しかし暗闇は、モモンガの、そしてシャルティアの目には何の障害にもならなかった。

 シャルティアの紅い瞳に、自分たちを取り囲む敵の姿が映る。魔法詠唱者らしき比較的軽装の人間たちと、召喚されたとおぼしき天使たちが。

 

(あれって炎の上位天使……だよな、ユグドラシルと同じに見えるけど)

 

 モモンガの脳裏に、ゲームで見たモンスターの姿が浮かんだ。

 敵はほぼ等間隔で円陣を組んで迫って来ている。完全に囲まれてはいるが包囲に厚みは無く、騎馬で突撃すれば突破は容易に見えた。しかし簡単にそんな事を許すほど愚かな敵とは思えない。そうなっても対処できるのか、罠を張って待ち構えていると考えるのが自然だ。

 それを逆手に取って自分を囮にして皆を逃がす策をガゼフが提案したが、部下全員から反対された。

 

「シャルティア姫を危険にさらす気か」

 

 こうガゼフに叱咤され答に詰まったものの、当の姫君がともに戦う事を宣言して今に至っている。高潔で勇敢な姫のおかげで戦士長とともに戦えることとなり、その人気は崇拝の域にまで達しようかというほどだった。

 モモンガはひとり歩いて広場の中央で立ち止まる。直衞をつけるというガゼフの申し出は、前線にひとりでも多くの兵が必要だろうと断った。

 

(結局、敵の先制はなかったな)

 

 よほど戦力に自信があるのだろう。しかしその計算にはモモンガの支援は入っていないはずだ。さて、いったいどのような結果になるのか。モモンガは開戦の合図となる魔法を唱えた。

 

「〈光の庭〉」

 

 村全体が真昼のような明るさに包まれた。

 

 

 

 

 この光系魔法は、フィールドにかけるタイプである。〈持続光〉などと違い光は移動させることは出来なかったが、一定のエリアを昼のように明るくすることが出来た。

 しかし、ゲームでこの魔法が使われることはめったになかった。ユグドラシルにおいて、視覚もしくはそれに類する感覚の確保は最重要といえる。故にほとんどのプレイヤーは自力で特殊能力やアイテムなどで対策していたのだ。

 しかしガゼフ隊にはそのような備えはない。だからこそ有効な支援となった。

 一方、陽光聖典は魔法で暗視の効果を得ている。そして逆にそのために、周囲が真昼のように明るくなるという変化に気がつかなかったのだ。

 その魔法の発動を合図にして、守備側が全軍一斉に攻撃を開始する。結果、ガゼフ隊が先手を取ることになった。

 

「なにっ!」

「なんだと!」

 

 目眩ましのような効果があったわけではないので、奇襲というほどではない。それでも数で劣るガゼフ隊にとっては、機先を制したことは大きかった。敵が前衛に出していた天使たちに、次々と斬りかかっていく。いくつもの刃が天使に食い込み、中には致命傷を負って消滅するものさえいた。

 

「馬鹿なっ!」

「なぜだ!?」

 

 今度はさすがの陽光聖典も混乱している。天使には、魔力などのこもっていない武器への耐性があるのだ。魔法の武具が配備されていないガゼフ隊では、武技の使えるガゼフ以外は対抗出来ない。そのはずだった。

 しかし現実に天使は傷ついている。ニグンは自分の計算が大きく狂っていることを悟らざるを得なかった。

 

「た、隊長!周囲が明るくなっています!」

「なんだと!」

 

 部下の報告にニグンは慌てて暗視の魔法を解除する。するとその目の前には、報告通りまるで昼のような光景が広がっていた。ただし村の中だけが。

 村の外は夜の闇が支配しているというのに、中だけ切り取ったように明るい。それは異様な光景であった。普通の人間であれば驚き恐れるだけだったかもしれないが、ニグンはむろん違う。陽光聖典の隊長として、こういった不可思議な事態でも様々な経験を積んでいた。

 

(魔法かマジックアイテムだな……やはり魔法詠唱者か。先程のあれは、エンチャントだろう)

 

 冷静に事の次第を見極める。その考えを裏づけるように、魔法の矢がいくつか視界を横切った。

 

「敵に魔法詠唱者あり。皆に伝えよ」

(しかしいったいなにものか?)

 

 傍らの部下に命令しながら、さらにニグンは思考を巡らせる。ガゼフ隊に魔法詠唱者がいないのは確かだ。一番あり得るのは冒険者だろうか。

 しかし冒険者は人間同士の、増してや国が関わるような争いに参加することを好まない。これは冒険者の組合の方針でもある。

 それでも首を突っ込んでくるものたちはいた。ニグンは頬をはしる傷痕に触れながら、かつて自分たちを敗走させた王国最高位冒険者のことを思い出す。

 

(いや、それはないな)

 

 あの連中の動向には注意を払っていた。こんなところにいるはずがない。となると、たまたま居合わせたものが巻き込まれたのか。いずれにせよ、まだ隠された戦力がある可能性も高い。

 もともと双方の人数はほぼ互角だった。しかし天使を召喚できる上に魔法が使える陽光聖典が、戦力的にははるかに上である。

 しかもニグンにはまだ切り札があった。懐に納めたそれを頼もしげに押さえて、心を落ち着ける。

 戦況をより見極めるために移動しつつ、ニグンは敵の作戦について考えていた。

 

(目標は……私だろう)

 

 敵は現状、包囲陣のいくつかの場所に集中的に攻撃を仕掛けている。バラバラの、それぞれ離れた場所だ。包囲を崩せないゆえに、攻撃地点に隣接する隊員は援護しか出来ない。そのため各地点の攻防は、ガゼフ隊がやや押しぎみに進めていた。

 

(部下を足止めしておいてからの、ストロノーフみずからによる突撃……か? しかしそれでは足りんぞ。いや、まだ何かあるのか)

 

 

 

 

 

 

 天使の降り下ろした剣を受け止め、弾き返す。そこに同僚の一撃が脇から叩き込まれ、切り裂かれた天使は光の粒子となって消滅した。

 しかし息をつく暇もなく、後方にいた陽光聖典隊員から〈衝撃波〉の魔法が飛んでくる。かわせずに食らってしまうが、何とか倒れることなくこらえた。

 その光景を見た術者が眉をひそめる。先程から感じていたことだが、敵の戦士たちに防御系の魔法がかけられているのがはっきりと判ったためだ。舌打ちをこらえ、倒された天使の替わりを召喚する。自分に向かって来る戦士たちの姿が見えたが、隣から援護に寄越された天使たちがいれば問題ないだろう。

 そんなことを考えた矢先に、〈魔法の矢〉が飛来して前に出した天使を貫いた。

 

「なにっ!」

 

 一瞬で消滅した天使の向こうから、敵兵が飛び込んでくる。あっという間に肉薄した戦士が突き出した剣が、真っ直ぐに急所を狙ってきた。辛うじて身をひねってかわしたが、掠めた刃に切り裂かれる。

 軽装とはいっても、防護の魔法でそこいらの金属鎧より防御力は高いはずだ。やはり敵の武器は魔化されている。それに防御の魔法といい、敵の魔法詠唱者はかなり優秀だと思われた。もしかすると、まだ何かあるのかもしれない。

 脇にちらりと目をやると、援護の天使が他の戦士にブロックされていた。前に視線を戻しつつ、短剣を引き抜く。男は自分が不利な状況に追い込まれたことを悟らざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 また他方ではガゼフ隊の戦士が危機に陥っていた。魔法で動きを止められたところを狙われ、剣を取り落としてしまったのである。とっさに予備武器のショートソードを構え、突っ込んでくる天使に向けた。天使の剣は鎧の表面を削るに留まり、男の剣は見事に突き立つ。

 しかし食い込んだはずの刃は押し戻され、そのまま弾き返された。後にはほとんど傷痕も残っていない。

 

「くうっ!」

 

 続けざまに振るわれた天使の剣を、男は転がって何とか避けた。膝をついて立ち上がろうとした男の目に、落ちている自分の剣が映る。慌てて飛びついたところへ天使が剣を降り下ろした。

 脇腹に傷を負いながらも反撃を見舞い、辛うじて剣を取り戻して立ち上がる。傷は浅いが、もし防護の魔法が無ければこうはいかなかった。見れば天使にも今つけた斬撃の跡が大きく残っている。

 

(姫にはどれだけ感謝してもしきれないな)

 

 魔法による強化がなされていなければ、おそらく為すすべなく壊滅していた。それほどこの敵は強い。男は気力を振り絞って、ふたたび天使に斬りかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニグンはようやく敵の魔法詠唱者が視認できるところまで移動した。魔法の的にならぬよう、距離は取っている。自らが召喚した高位の天使を盾に、そっと広場の方を覗き込んだ。

 

(む、ひとり……か? あの格好は……それに、子供?)

 

 魔法による支援の多さから術者は複数と踏んでいたが、どうやら違うらしい。距離があるため詳細はわからないが、その姿はドレスをまとった少女のように見えた。

 しかしニグンは気を引き締める。見た目が小さくとも侮れないこともあるからだ。陽光聖典を敗走させたあの冒険者パーティーの魔法詠唱者のように。

 

(まさかあれほどのバケモノではあるまいが)

 

 その脅威を推測しつつ、ニグンは戦況を眺めた。相変わらずガゼフ隊が優勢のようではある。しかしそう長続きはしないことをニグンはわかっていた。怪我、そして何より疲労が限界に近づいてきている。

 

「さて、どうするガゼフ・ストロノーフ。このままでは手遅れになるぞ」

 

 ニグンは小さく呟いた。まるでそれが合図になったかのように、二条の〈電撃〉が放たれる。ニグンの前方、その左右にいたふたりが、召喚していた天使ごと焼かれて倒れた。同時に広場を囲む家の陰から、騎馬の一団が飛び出す。

 

「いくぞ! 続けぇぇぇっ!!」

 

 ガゼフの号令に従って一斉に突撃してくる部隊を、ニグンは冷静な目で見ていた。群がってきた天使たちを一蹴しつつ進むガゼフたちだが、ニグンの顔に焦りの色はない。

 

「では、いくぞ」

 

 ニグンの周囲に、陽光聖典の隊員たちが次々と転移してきた。もはや包囲は必要ない。手の空いている隊員が集まって、召喚した天使で足止めしつつ魔法による攻撃を行った。主に馬に向かって。

 〈混乱〉〈恐怖〉といった精神異常系の魔法を受けた馬たちは、それでも臆することなく走り続けた。さすがにニグンも驚きの声をあげる。

 

「馬にまで魔法を?」

 

 その用意周到さに、ニグンは警戒感を高めた。もしかすると、こちらも形振り構っていられないかもしれない。

 

「天使たちを体当たりさせよ!」

 

 攻撃魔法に切り替えての集中砲火に、天使たちの突撃。ガゼフの部下がひとり、またひとりと脱落していく。しかしガゼフは止まらない。その姿にも動揺を見せず、ニグンは自ら召喚した天使を向かわせた。

 監視の権天使。視界内の味方の能力を若干向上させることができるが、自ら行動するとその効果は失われる。ゆえに本来なら動かさない方がいいが、ここが使いどころとニグンは判断した。

 他の天使とは明らかに格が違う存在を前に、ガゼフは眉をひそめる。全身鎧に身を包み、メイスとラウンドシールドを構えた姿は、威圧感に満ちていた。

 

(このままぶつかれば、馬がもたんな)

 

 そう考えたガゼフのもとに、またもや天使が殺到してくる。権天使までは、まだ少し距離はあった。しかしガゼフは決断する。

 一瞬で馬上に飛び上がると、鞍を蹴って天使たちに躍りかかった。

 

「武技〈六光連斬〉!!」

 

 あたりを切り裂くような気合いとともに放たれた一撃は、いくつもの斬撃に分かれてすべての天使を葬った。ガゼフはそのまま地に降り立つ。

 

「武技〈即応反射〉」

 

 着地したと思った瞬間、ガゼフはすでに一歩踏み出していた。着地の動作もなく、まるで大地に弾かれたようにしか見えない。

 

「武技〈身体強化〉」

 

 ガゼフはすぐさま疾走に移った。馬にも負けないのではないかというほどの速さで、権天使に迫る。

 

 

 

 

 

 

 

 その様子を、モモンガは驚いた顔で見ていた。スキルでも魔法でもない、おそらくまったく別の何か。見たこともない技術に、モモンガは興奮を抑えきれなかった。

 

(武技、とかって言ってたよな? この世界特有のものか?)

 

 六つに分かたれた斬撃、崩れたはずの体勢を一瞬でキャンセルした動き、魔法のものにさらに上乗せさせた身体能力。似たようなものはユグドラシルにもあるが、それとは別ものだろう。

 

(うんうん、参加した甲斐があったなあ)

 

 モモンガにしてみれば、これを見れただけでもこの戦いの価値はあった。ただ、出来ればもっと色々見せてもらいたい。

 

(包囲も崩れたようだし、後はあそこが焦点だな)

 

 ついでにもっと近くで見せてもらおう。そう考えたモモンガは、ガゼフとニグンのいる方へ近づいていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあっ!!」

 

 ガゼフと権天使が激突した。袈裟懸けに斬り下ろされる剣を盾が受け止め、横凪ぎに振るわれるメイスはバックステップでかわされる。ガゼフはもう一歩下がって、剣を握り直した。

 

(これは、強いな。闇雲に戦うだけでは……)

 

 周囲にはまたもや天使が集まりはじめている。後方の隊員たちも、魔法による援護の構えだ。あまりよい状況とはいえない。しかしガゼフは僅かに笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 その様子を見ていたモモンガは、最後の策を実行に移すべく指令を送った。

 

(行け、敵のリーダーを討ち取れ)

 

 民家の扉が蹴破られ、黒い人影が飛び出す。それは一直線にニグンを目指して走り出した。

 

「来たか!」

 

 物音から、ニグンは敵の策が動き出したことを察する。すぐさま命令を下し、まだこの場にいない部下を呼び集めた。今度は、戦っているものも含めてである。

 突然目の前の敵が消えたのを見たガゼフ隊の兵は、何が起こったのか気がついた。満身創痍にも関わらず、慌てて駆け出す。敬愛する上司のために、たとえ少しでも力になろうと。

 

 

 

 

 

 

 

 それが全貌をあらわにした時、陽光聖典のものたちが感じたのは恐怖だった。歴戦の猛者たちでさえ、足がすくんでしまうほどの。

 二メートルを越える身体に黒く禍々しい全身鎧をまとい、巨大な波うつフランベルジュとこれまた巨大で分厚い盾を構え。オープンフェイスの兜からのぞく顔は、人間のものではない。ほぼ腐り落ちた、骸骨も同然のものだ。眼窩の奥で、赤い光が妖しく輝いている。

 デス・ナイト。レベル三十五の、アンデッドモンスターである。

 そんなバケモノが、騎兵よりも速く、疾風のごとき速さでニグンへ迫った。群がる天使を蹴散らし、魔法の集中砲火をものともせず、標的を目指す。それを見たニグンの顔が、恐怖でひきつった。

 

 

 

 

 

 

 

 作戦実行に先立ちモモンガが作成したデス・ナイトを見たガゼフ隊の面々も、同じような表情を浮かべていた。例外はガゼフくらいだろう。実際のところ兵たちが逃げ出さなかったのは、目の前に「姫」が居たからこそ、そしてその「姫」がそれを呼び出した張本人だったからというのが理由だ。男というのは、美しい女性の前ではつい見栄を張ってしまうのである。

 それでも、デス・ナイトと行動をともにすることに不安を抱く意見が相次いだ。それを聞いたモモンガは、デス・ナイト、さらにアンデッドの有用性について熱弁を振るった。

 小さなこぶしを握り締め、時に振り上げ振り回し、身振り手振りを交え熱く語る姫君。ちょっとむきになって子供っぽく見える可愛らしい姿を、その意外な一面を皆温かく見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヤツの足を止めろ! 最高位天使を召喚する!」

 

 ニグンはついに最後の切り札の投入を決意する。その言葉に生気を取り戻した隊員たちは、天使に命令を下した。デス・ナイトに向かっていく天使を見ながら、ニグンは淡く輝く水晶を取り出す。そのアイテムに、モモンガは見覚えがあった。

 

(あれは魔封じの水晶? ユグドラシルのアイテムもあるのか)

 

 それは、中に魔法を封じ込めて誰にでも使えるようにしたアイテムである。神官長から与えられた法国の至宝を、ニグンは誇らしげに掲げた。

 使用を妨害することも出来たが、モモンガはあえて見送る。言うまでもなく、どうなるかを見極めるためだ。たとえ最高位の熾天使が召喚されたとしても、さほど問題はないだろう。

 そしてその瞬間は訪れ、ニグンの手の中でクリスタルが砕け散った。敬虔なる神のしもべが、神の御使いの降臨を告げる。

 

「出でよ、威光の主天使!!」

 

 天に大いなる輝きが生まれた。その姿は、光輝く翼の集合体。あとは、翼の間から生えた二本の腕が王笏をかまえているだけである。

 それは、異形であった。そして同時に聖なるものでもあった。陽光聖典のみならず、ガゼフ隊も畏敬の表情で天を仰ぐ。ガゼフすら例外ではなかった。

 立ち込める聖なる気が、辺りを払う。デス・ナイトがぐらりと傾いだ。落ち着きを取り戻したニグンが、最高位天使を動かす。

 

「〈善なる極撃〉を放て」

 

 それは奇跡の御技。人類の限界と言われる第六位階を越える、第七位階に属する究極の魔法。かつて世界を席巻した魔神すら葬った、絶対の一撃。

 デス・ナイトが光の柱に包まれた。滅びの光の中で、咆哮をあげる。薄れていく光から姿を現した死の騎士は、満身創痍となって膝をついた。それを見た陽光聖典の間から歓声が沸き起こる。

 しかしニグンは、一撃で消滅しなかったことに驚いていた。これがデス・ナイトの能力。どれ程大きなダメージを受けても、HP1を残して立っていられる。逆に言えばそれしか残っていないということだ。

 天使の剣を浴びて、あっけなくデス・ナイトは崩れて消滅する。陽光聖典は最高位天使を讃え、ガゼフ側の士気は地に落ちようとしていた。ひとりを除いて。

 シャルティア・ブラッドフォールンは、恐れる様子もなく、まるで庭園を散歩でもしているような気楽さで歩いて来た。さした傘をくるくると回しながら、のんきな雰囲気で。

 その顔を見た瞬間、陽光聖典一同は絶句した。あまりの美しさ、そして可憐さゆえに。この場の空気にそぐわなすぎるために。

 

「姫! 危険です! お下がりください!」

 

 思わず見とれていたニグンたちを正気に戻したのは、皮肉にもガゼフの叫び声だった。遅ればせながらニグンは、この少女の服装が広場にいた魔法詠唱者と同じではないかと気づく。僅かに警戒心が生まれ、眉を寄せた。

 

「そこで止まれ。何者か」

「はじめまして、スレイン法国の皆様。こちらはしがない旅の魔法詠唱者にて、シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウンと申します」

 

 鋭く誰何するニグンを前にまったく緊張する様子も見せずに、少女は優雅に一礼する。このような状況に置かれても恐れも何もない、自然体の振る舞いにニグンは警戒を強めた。

 

(なんだ? 王族か? ストロノーフは姫と言っていたようだが、王国にこんな姫はいない……他国か?)

 

 このような少女が近隣諸国にいれば、間違いなく噂になっているだろう。となると余程遠くから来たのか。

 

「御用件は? 命乞いでもなさるつもりかな」

 

 この場の主導権が自分にあると確信するニグンは、余裕の表情で問いかけた。むろんそのようなこと、聞き届けるわけにはいかない。しかしこの少女だけは殺すにはあまりに惜しい、とニグンですら思わずにはいられなかった。

 今、この少女の生殺与奪の権利は自分にある。ならば好きなようにしても構わないのではなかろうか。これまでの人生の中ではじめての欲求が、ニグンに生まれつつあった。

 

「いいえ、違います」

 

 柔らかな微笑みを浮かべたまま、シャルティア・ブラッドフォールンは穏やかに告げる。勘違いをしている子供を優しくただすように。

 

「なぜ、切り札を持っているのが自分だけだと考えているのですか」

 

 シャルティアが右手で持っている傘をひと振りすると、それは手の中で蒼銀の優美な剣に変わった。ニグンは訝しげな表情をつくる。

 

「まさか、それで戦うつもりかね」

 

 笑みを深めたシャルティアが左手を掲げた。その手にはいつの間にか、一本の瓶が握られている。クリスタル製らしき透明な、芸術の極みというべき意匠を凝らした逸品だ。中には薄いブルーの液体が詰まっている。

 

「こうするのですよ」

 

 瓶が放り投げられた。姫の頭上に舞い上がった瓶が、放物線を描き落ちてくる。それはシャルティアの目の前で砕けた、というより消滅した。

 今この時、この場にいるすべての人間の視線は美しき姫君に集められている。その目に、姫の前に生じた白い光が映った。光はあっという間に人の形へと収束していく。

 

「あれは!」

「ひ、姫なのか?」

 

 そこに立っていたのは、白き姫君。輝く純白のドレスを身にまとい、淡く煌めく白い肌と髪をした、そして身につけたものすべても白い存在。色以外はまったく同じ形をした、純白のシャルティア・ブラッドフォールンだった。

 

 

 

 

 

 

 ニグンが主天使を召喚した直後、モモンガはすでに動き出していた。

 

「〈時間停止〉」

 

 その瞬間、世界が凍りつく。風すら止まった風景の中、モモンガは辺りを見渡して他に動くものがいないことを確かめた。主天使も固まっている。やはりと言うべきか、対策、耐性のあるものはいないようだ。

 

(無防備すぎるよな、この世界)

 

 モモンガにしてみればありがたいので、文句を言うつもりはないが。

 こうして時間を得たモモンガは、主天使への対策を考え始めた。正直、モモンガにすれば相手に不足がありすぎるが、他に何とか出来そうなのはデス・ナイトを含めていないため、自分がやるしかない。

 とはいえあまり目立つのも何なので、ここはアイテムの力ということにするつもりだ。モモンガは香水用の瓶を一本選ぶと、魔法〈上級道具破壊〉に時間遅延を施してから掛ける。

 

(あとは何を使うか……〈暗黒孔〉〈現断〉〈無闇〉あたりで一撃に……あるいは〈第十位階怪物召喚〉でもっと強いヤツを……)

 

 出来れば上位のアンデッドをぶつけて、その有用性を示したい。しかし何故かいまひとつアンデッドは評判がよろしくなかった。

 

(便利なのになぁ。となると、もっと見栄えのいい……)

 

 まあ確かに天使対アンデッドでは、こちらが悪者に見えなくもない。子山羊あたりならウケを狙えるかもしれないが、ここは美しさ優先でいくべきだろう。

 

(そうだな、一番美しいのを……)

 

 モモンガは、自分の知るかぎりもっとも美しい姿を思い浮かべた。満足気にうなずくと、最後にもう少し準備を済ませて時が動き出すのを待った。

 

 

 

 

 

 

 

 エインへリアル。それはモモンガではなくシャルティアのスキルである。効果は、自分のコピーを造り出すというものだ。アイテムは持たず、魔法や一部のスキルは使えない。しかしそれ以外は作成者と同じスペックを誇る。

 今のモモンガのコピーであれば、その戦闘力はワールドチャンピオンすらしのぐだろう。

 もちろんその強さは、知らぬものにはわからなかった。

 それでも、まるで姫君を守るために女神が降臨したような光景は、王国側の士気を高める。

 

「な、なんだ、あれ」

「天使……いや、女神?」

「月の女神様だ……」

 

 絶望に沈みそうになっていたガゼフ隊の戦士たちは、希望に力を得て踏みとどまった。あちこちから歓声が上がる。しかし純白のシャルティアがもつ荘厳な雰囲気のためか、あまり騒ぎ立てようとはしなかった。

 逆に、女神に向けて静かに祈る。自分たちを守るように立つ、気高く勇敢な姫君の無事を。

 

(女神様、どうか姫をお守り下さい)

 

 その祈りに応えた訳ではないが、エインへリアルが動き出した。それを見たニグンは声を張り上げる。

 

「愚かな! 最高位天使にかなうものなどいるはずがない!」

 

 強い言葉は不安の裏返しだ。ありえないと思いつつ、何故か打ち消すことが出来ない。

 

(あれは何だ! なんなのだ!)

 

 白い少女を見ていると、不安ばかりがつのった。それを必死に振り払う。結局ニグンは先程デス・ナイトを葬った神の奇跡にすがった。

 

「もう一度だ! 〈善なる極撃〉を放て!」

 

 主天使の笏が砕け、破片が円を描いて自身を取り囲む。それは、一度だけ使える魔法の威力を強化するためのスキルのエフェクト。ニグンの望みを受けて、最強の一撃が放たれる。

 エインへリアルは、天を衝く光の柱に包まれた。しかしその中で、少女の姿をしたものは小揺るぎもしない。光が消えたあとから現れた姿は、何も変わって見えなかった。

 

(馬鹿な! 効かぬはずが、はずがない!)

 

 先程のアンデッドと同じように、立っているのもやっとに違いない。部下も同じことを思ったらしく、天使たちが殺到した。

 何本もの剣がエインへリアルに突き立てられる。しかしまったくダメージを受けた様子がなかった。群がる天使たちを剣のひと振りで全滅させると、輝く少女は空を駆け主天使と対峙する。

 白く輝く美しき月の女神と聖なる威光あたりを払う主天使。その光景を見つめるものたちは、自分がまるで神話の世界に紛れ込んでしまったように感じていた。

 主天使が再び魔法を放つべく動く。しかし白い少女は一瞬にして距離を詰めていた。その場にいた誰もが全くとらえることの出来ない、転移のごとき移動である。

 天を指すかのようにかざされた白い刀身が、月の光を受けて淡く煌めいた。振り下ろされた剣は、切るというよりすり抜けるかのように通り過ぎる。綺麗に両断された主天使は、光の粒子となって消滅した。

 あまりにあっけなく訪れた終焉に、陽光聖典のみならずガゼフたちも呆然としている。ニグンは力なく呟いた。

 

「ありえない……こんなことが……あるはずが……」

(まさか、本当に女神だとでもいうのか……)

 

 ゆっくりと頭を振る。この結果を受け入れられずに、何度も。主天使を倒せる存在など、ましてやただの一撃で倒せる存在などいるはずがない。しかし、現実は覆せない。超越者、という言葉がニグンの頭に浮かんだ。

 

「それでは、これからどうなさいますか?」

 

 白い分身を従えた漆黒の姫君が、穏やかに問いかける。あれほどの偉業を成したというのに、表情はまったく変わっていなかった。まるで大したことでもないとでも言いたげに。

 それを見たニグンは、ついに心が折れた。叫び声を上げると、反射的にポーチから取り出したものを地面に叩きつける。

 微かな音をたてて砕けた玉から、濃い煙が勢いよく沸き上がった。それを見た陽光聖典隊員たちは、次々とニグンにならって煙玉を投げる。生じた煙は不自然なほどの勢いで拡がっていった。

 

「副長! 姫を守れ! 他は固まれ!」

 

 ガゼフの指示が一帯に響く。副長は手勢を率いてシャルティアのもとに駆けつけ、他のものは何ヵ所かに集まった。おそらく逃走を選んだと思われるが、ガゼフは油断なく構える。

 時間がたつと、煙はまたもや不自然なほどあっさりと消滅した。陽光聖典の姿はまったく見えない。

 

(何とか生き延びられたか。これもすべて姫のおかげだな)

 

 ガゼフの目には、喜びあう部下の姿が映っていた。それなりに犠牲者は出たものの、大いなる危地を脱してみな表情は明るい。ガゼフは礼を言うべく、シャルティアのもとへ歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 割り当てられた家に戻ったモモンガは、しっかりと閂をかけた。ガゼフたちは、まだ後始末に追われている。モモンガも手伝おうと申し出たが、最大の功労者に雑事はさせられないと、休憩をすすめられた。

 モモンガにしてみれば、疲労があるわけでもないし、睡眠を必要とはしない。しかしせっかくの好意を無下にするのも悪いと思い、ここは受け入れた。それに実のところ、都合がいい。モモンガはこれからする行動の計画を考えはじめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「追撃はないか……」

 

 ニグンは安堵の表情を浮かべて呟いた。思わず口に出てしまったのは、不安はないと自分に言い聞かせたかったからだろう。

 そんなニグンのもとに、部下たちがひとりまたひとりと集まって来た。確認してみたところ、あの場を脱出できたものはすべて揃っているらしい。錬金術製の煙幕の中でばらばらに逃げたにもかかわらずこの結果は、さすがに精鋭と言うべきであった。

 しかしニグンには、それももはやどうでもいい。部隊の再編の苦労について考えてみても、何も感じることはなかった。気力を根こそぎ奪われ、何もする気が起こらない。

 部下も同様だ。このあとの指示を問う声すら上がらないほどに。

 

「ずいぶんお疲れのようですね」

 

 その声が聞こえた時ものろのろと振り返るだけだった。しかし漆黒のボールガウンをまとった美しい少女の姿を認めた瞬間、一斉に後ずさる。

 

「どうやって……何の用だ……」

 

 我ながら愚問だとニグンは自嘲した。この少女ならば自分たちを簡単に見つけても不思議ではないし、用などひとつしかない。

 

「ちょっとマーカーを、ね。用はもちろん、後始末ですよ」

 

 漆黒の禍々しいオーラを揺らめかせながら、シャルティア・ブラッドフォールンが近づいてきた。それだけで、陽光聖典の隊員たちが次々に倒れていく。その光景を見たニグンたちには、なぜか確信できた。あれは死んだのだと。

 なおも悠然と歩いてくる姫君を前に、陽光聖典は恐慌状態に陥った。破れかぶれに殴りかかってくるもの、闇雲に魔法を放つもの、果ては逃げ出すものまでいる。

 そんな狂騒の中を、少女はまったく変わらぬ速度で歩いていた。近づくものは倒れ、逃げ出すものは魔法で撃たれ、降り注ぐ魔法の雨も意に介さない。

 

(あれは、魔法無効化能力……?)

 

 それを見ていたニグンは、あるモンスターの特殊能力を思い出していた。あれと同じように、耐えているのではなく無効化している。

 やがて少女はニグンの目前までたどり着いた。すでにニグン以外立っているものはいない。死を司る女神の前に、なすすべなく膝をついた。

 

「理解しましたか? 私に抗うことの愚かさを」

 

 あくまで優しげに、諭すように少女は語りかける。ニグンは自分の愚かさを骨身に染みて理解していた。絶対に逆らってはいけなかったのだ。この超越者には。

 その代償に自分はここで死ぬ。死を運ぶものの姿が、ニグンの視界いっぱいに映った。

 

(美しい……まさに、月の……)

 

 最後にニグンの心を占めたのは、その美しさだった。手が届くほど近くにいても、絶対に触れることはできない。まるで水面に映った月のように。

 その細い指が、ニグンの首にかかる。祈るように目を閉じたニグン・グリッド・ルーインの意識は沈みこんでいった。首筋への僅かな痛みとともに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 星の瞬く夜空を、シャルティア・ブラッドフォールンは眺めていた。月明かりに照らし出される横顔からは、その内心を伺うことはできない。

 その背後で、ゆっくりと起き上がる影があった。姫君は振り向かない。近づいてきた影が、膝をつき臣下の礼をとった。そこではじめてシャルティアは振り向く。

 

「面を上げ、名のりなさい」

「は!ニグン・グリッド・ルーイン……いえ、洗礼名は捨てました。ニグン・ルーインと申します!」

 

 僅かに綻んだ口元から鋭い犬歯を覗かせ、ニグンは答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第7話 城塞都市エ・ランテル

ごーめーんーなーさーいー


 目の前で恭しく臣下の礼をとるニグンを、モモンガは注意深く見つめた。どうやら、その忠誠心に問題はないらしい。眷属との精神的な繋がりも、きちんとあるようだ。

 

(あんな演技までしなくてもよかったかなぁ)

 

 もしも忠誠が低めでも逆らわないよう、敢えて高圧的に振る舞ってみたのである。村を襲っていた騎士を使って実験しておけばよかったと思っていたが、大丈夫なようだ。そしてこんな事をした目的は言うまでもない。

 

「それではニグン、聞きたいことがあります」

「はっ! 何なりとお尋ね下さい」

 

 

 

 

 

 

 

「それはつまり、法国は王国を見限って滅ぼすことにしたということ? 」

「はい。躍進著しい帝国に併合させることによって、人類圏の強化を図るとのことです」

 

 ニグンの言葉にモモンガは考え込んだ。どうやら思った以上に面倒な事情に首を突っ込んでしまったらしい。

 

(人類の体制を強固にするための、犠牲か……)

 

 その理屈はモモンガにも分からないでもなかった。大を生かすために小を殺す、とはよく見聞きする言葉である。しかし、現実の世界では切り捨てられる側にいたモモンガにとって、あまり愉快なこととは言えなかった。しかもこういったことは、切り捨てる側に都合よく使われることもまた知っている。

 むろん簡単に判断を下せるものでは無いが、法国のトップにあまりいい感情を持つことは出来なかった。

 

(まあいいか、考えてもしょうがない。それよりも……)

 

「なぜ自分たちで占領しない? 」

「はい、直接聞いたわけではありませんので、私見もまじりますが……」

 

 ニグンの説明によると、占領後の隣接国が問題になるらしい。人間至上主義を掲げる法国にとって、異形が君臨する国というのは看過できないもののようだった。

 離れていればともかく、隣り合ってしまえば何らかの対応を取らざるをえない。しかしおそらくは法国をも凌ぐ強国と事をかまえるとなれば、ヘタをすると滅亡に繋がりかねなかった。

 

(だけどこのままじゃ、いずれそうなるんじゃないの)

 

 自身を至上のものとして妥協を知らなければ、他のすべてを滅ぼすか自らが滅びるかの二者択一になる。そしてなまじ力をつけるほど、その危険は高まっていくはずだ。

 

(まあ、一国の上層部がそんなことわかってないはずがないか。いや、それとも何か切り札でも持ってる? )

 

「それと、統治にかかる手間でしょうか。どう考えても人手も足りませんし」

 

 ガゼフたちが語っていたように、法国の統治システムはこの世界ではかなり高度なもののようだった。たとえ質を落としてみたところで、とても手が回らないのだろう。

 もっとも、モモンガにはあまり内政への関心はなかった。一番興味のある、そして大事なところに話を移す。

 

「あとは法国の戦力について、それとその他の強い存在についても」

 

 はたして自分にとって脅威となるものはあるのか。さらにこの世界の強者とはどの程度のものなのか。それ次第でモモンガの生き方に大きな影響が出ることは必至だ。ガゼフよりも詳しい話も聞けるだろう。

 

「やはり特筆すべきは、漆黒聖典でございます」

 

 それは、法国特殊部隊でも最強の、つまりは法国における最強の集団だ。数こそわずか十数名ほどだが、ひとりひとりがガゼフと同等、もしくは凌駕する力を持っている。隊長に至っては、その隊員たちが束になっても敵わないほどだ。

 

(隊長って、まさかプレイヤーじゃないだろうな)

 

 気になったモモンガは隊長の素性をニグンにいろいろ問い質してみたが、どうやら現地の人間らしい。しかし、神の血を覚醒させた神人と呼ばれる存在とのことだった。

 

(やっぱり神ってプレイヤー……だよな)

 

 ガゼフが表向きとはいえ周辺国家最強と呼ばれ、漆黒聖典がそれより少し強いぐらいとなると、この世界の人間の限界がそのあたりなのかもしれない。それならば、100レベルのプレイヤーが神と呼ばれるのも不思議ではないと思えた。

 

(そしてプレイヤーの血が混じると強くなる、とか)

 

 しかし、この世界の人間の弱さの原因が単にスペックが低いからか、いわゆるレベルキャップの問題か、あるいはレベリング効率のせいかはまだ判断がつかない。

 

(効率のいいモンスターの無限湧きとか、ないだろうしなあ)

 

 興味はあるが、そう早急に結論をもとめるものでもないだろうと、モモンガは考えを脇に追いやった。

 ちなみにニグンにはプレイヤーについての知識はないらしい。上層部もそうなのかはわからなかった。

 さらに続くニグンの話の中でモモンガが気をひかれたのは、やはりというべきか情報収集を行うものたちのことである。専門の部隊をいくつも揃えている法国の姿勢は、おおいに共感できた。

 かつてのユグドラシルにおいても、情報収集に抜かりがあると痛い目を見たものである。

 そして、各神殿の巫女たち。叡者の額冠と呼ばれる魔法のアイテムを身につけて魔力を増幅させることによって、高位魔法を使用する道具となったもの。

 元が低いため、増幅といってもせいぜい第六、七位階程度で、巫女の負担も大きいために連続使用も難しいそうだが、無視できない力だ。

 

「それと、これはあくまでそれとなく感じたことなのですが、何か切り札を隠しているのではないかと」

 

 ニグンは上層部との会話中の態度から推測したようだが、人かアイテムかもわからないという。モモンガは、これこそプレイヤーかと考えた。

 

(目立たないよう表に出ずに、国を隠れみのにして、とかありそうだよな~)

 

「周辺の国々についてですが……」

 

 ニグンが地図を取り出して広げる。モモンガは知らなかったが、この世界にしてはかなり精巧な出来映えのものだ。その都度地図を指し示しながらの人類外国家の話をざっと聞いて、ひとまず会話を終えた。

 こうしていろいろな組織の話を聞くと、やはりただひとり、この身ひとつで世界に放り出されたことは心細く思えてくる。どこかの国に仕えて保護を得ようかという考えも浮かんだが、後ろだてもない状態ではいいように利用される可能性も捨てきれなかった。

 

(ナザリックが一緒に来てればなぁ)

 

 一瞬そんな考えが頭をよぎるが、すぐに振り払う。仲間が居るならともかく、自分ひとりだけでは拠点を空けにくくなってしまい、籠りっぱなしになってしまうおそれがあった。モモンガとしてはこの世界を見てまわることを楽しみにしていたので、かえって足枷になりかねない。

 

(俺ひとりだけなら、逃げるも隠れるも自在だろうし)

 

 そう結論を出して思考を打ち切り、モモンガは改めて目の前で畏まっている男を見た。主が考え込んでいるのを見てか、何も言わずにじっとしている。

 

(話が終わったら処分しようかと思ってたけど、このまま使ってもいいかな)

 

 性格は真面目そうで、能力的にも知識を含めてなかなか優秀なようだ。これなら使い道も多いだろう。

 

(そういや名前何てったっけ? ニグン……なんとか、あ、ひとつ捨てたとかって。減っちゃって可哀想だな)

 

 代わりに何かつけてやるべきかとモモンガは考えた。せっかくなので、自分の名前からとってみることにする。

 

(アインズ・ウール・ゴウンはさすがにダメだな。となると、ブラッドフォールン……ブラッド……あ!)

 

 モモンガは、かつてオカルトに詳しいギルドメンバーが教えてくれたある名前を思い出した。吸血鬼の始祖とでも言うべき名前を。

 

「では、もう一度名乗りなさい」

「は! ニグン・ルーインにございます! 」

 

 シャルティア・ブラッドフォールンの表情が厳かなものへと変わり、漆黒のドレスを纏った小さな身体からはニグンが今まで感じたことのないほどのプレッシャーが押し寄せて来た。その重さに耐えかねるように、ニグンは思わず平伏する。

 

「わが名はシャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン。そなたに新たな名を授ける。命名、ヴラド。これよりニグン・ヴラド・ルーインを名乗れ」

 

 美しく澄みわたりながらも威厳に満ちた声は、天啓となってニグンの身体を打ちすえた。ますますその身を沈めつつも、全身から堪えきれない歓喜の念があふれる。

 

「ははっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニグンはふと作業の手を止め、忌々しげに空を見上げた。だいぶ高くまで昇った太陽が、遠慮なく陽光を降り注がせている。

 かつてその名を冠した部隊を率いていた男は、吸血鬼となったことでいささかそれに嫌悪感を持つようになっていた。ダメージこそないものの、不快感までは払拭しきれない。

 今ニグンは主が振り撒いた死の後始末に勤しんでいた。物言わぬ骸となったかつての部下たちを、黙々と処分している。

 もっともニグンが行っているのは、使えそうな装備などの剥ぎ取りだ。消耗品など足のつきにくいものを、主からあずかった魔法の収納袋へと放り込む仕事である。

 ふと視線を地上に戻すと、ふたつの大きな影が目に入った。遺体の埋葬は、主の召喚したデス・ナイトの役目である。巨大な盾を使って瞬く間に穴を掘り、また埋め戻して踏みかためていた。

 この二体は、ニグンの作業の補助にと彼の主が召喚し指揮を譲り渡したものである。これほどのモンスターを事も無げに呼び出し、大したものでもないかのように下げ渡した主の力に、ニグンは改めて身震いした。

 

(いや、実際お嬢様にとっては、大したものではないのだろう)

 

 いろいろあって、ニグンからの呼称は「お嬢様」ということになった。その過程でなぜガゼフたちが自分を頑なに姫と呼ぶのか理解したモモンガが、ひそかに頭を抱えていたことをニグンは知らなかったが。

 この仕事ももうすぐ終わる。その次は、アンデッドの跋扈するカッツェ平野に赴く予定だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガゼフたち一行は、夜も明けきらぬ内から村を出発した。村人の生き残りは、村に一台だけあった馬車に乗せている。捕虜の騎士たちは当然のごとく徒歩だ。縛り上げられて数珠繋ぎにされている。

 歩けないほどの傷を負っていたものは、すべて斬られた。ガゼフ隊の戦士は、ヒールポーションのおかげで支障はない。

 ここで問題になったのは、姫君の処遇だ。歩かせるなどむろん論外、かといって狭い馬車に村人と一緒に押し込めるのも憚れるし、馬にも乗れない。誰かの後ろに乗せるしかないかとなって睨みあっていたところ、解決案は当の姫君から出された。

 

 

 

 

 

 辺境からエ・ランテルへと向かう街道の上を、騎馬の一団が移動していた。引き連れているのは一台の幌馬車と、歩かされている騎士の捕虜たち。そして一際異彩を放つ一台の車両。

 傷ひとつない漆黒の車体には金銀で見事な装飾が施され、車輪は軋む音もまったくたてず滑らかに回り、悪路にも関わらず揺れる様子もなく滑るように進んでいる。

 そして何より異様なのは、引く馬もなく馭者もいないのに動いていることだ。

 これこそは、モモンガがクリエイト系の魔法で造り出した自走馬車である。

 漆黒の姫君にふさわしい荘厳な佇まいの車両とそれを生み出した魔法には感嘆の声が上がったが、ひとつだけ皆が抱いた同じ感想があった。

 

(なんで馬がないのに馬車ってついてるんだ? )

 

 しかし、ちょっと自慢げに胸を張る姫君を前に、あえて突っ込みを入れようというものはいなかった。

 ただ、ここでひとつだけ騒動が持ち上がる。捕虜となっていたベリュースが、自分も乗せろと言い出したのだ。さすがにこの身のほど知らず過ぎる発言には、すべての人間があきれ果てていた。

 どうやらベリュースは、自分が重要な情報を持った大切な捕虜できちんとした待遇をされるべきだと思っているらしい。しかしそれは間違いだ。

 

(情報提供と引き換えに何か譲歩を引き出せるとでも思っているのか? 愚かな)

 

 ガゼフは心の中で吐き捨てる。おそらく自分に都合のいい未来だけを想像しているのだろうが、すでに彼らの行く末は決まっている、というより終わっているのだ。

 ベリュースにあからさまな欲望のこめられた視線を向けられ、シャルティアがうんざりしたように顔を背ける。ガゼフを見つけた赤い瞳が、助けを求めるように動いた。

 ガゼフはひとつ息をはくと、その大きな拳を固く握り締め足を踏み出す。言うまでもなく、力ずくで黙らせるためだ。

 

 

 

 

 

(やはり姫には話しておくべきだろうな)

 

 村を出発してからしばらく経って、漆黒の自走馬車と並走していたガゼフが、馬を馬車の側に寄せた。そして手を伸ばし、教えられた通りに内部に連絡をとるためのシステムを操作する。

 この馬車は、たとえ水中でも活動に問題ない完全密封型だ。窓は完全な透明化や内部からのみ見えるようになど様々に変えられる。今は壁と化して内外を遮断していた。

 外部から完璧に切り離された個室。その中でモモンガは一息ついていた。

 

(やっぱひとりは落ち着くなぁ)

 

 身体中の力を抜いて、背もたれに身を預ける。ついでに思いっきり気も抜いているが、決してだらしない姿勢にはならなかった。というより、この身体はどうやっても美しい、絵になるようなポーズをとってしまう。プログラムの影響は完璧なまでに細部まで及んでいた。

 

(なんというか……マンガかアニメのキャラにでもなった気分だよ。まあ、ありがたいけどね)

 

 うっかり変な、みっともない振る舞いをしてしまうようなことは、まずないだろう。よほど意識して、気合いを入れないかぎり、この影響から逃れることは出来なかった。

 

(ん?)

 

 コンソールからインターホンのチャイムが小さく鳴り響く。シャルティアの華奢な手がひとふりされると、モニターにガゼフの姿が映った。

 

「何か御用でしょうか」

「少々お話がございます。よろしいですかな」

「はい、構いませんが……止まりますか? 」

「いえ、このままで」

 

 シャルティアの手が壁にかざされると、すべての面に窓が生まれる。中からのみ見えるタイプのものだ。それでいちおう周囲の確認をしてから、軽く指を動かす。窓のひとつが下がって、外の空気が流れ込んで来た。

 漆黒の外壁の一部が下にスライドして開かれたのを見たガゼフは、その側に馬を寄せる。

 

「それで、お話とは?」

「はい、此度の件がどう処理されるかについてです」

 

 シャルティアの顔が、不思議そうに傾けられた。確かに今わざわざするような話ではないのかもしれない。しかしガゼフは続けた。

 

「あくまで帝国の仕業として扱われ、彼らは帝国の騎士として処分されるでしょう」

 

 いくぶん驚いたかのように、シャルティアの瞳がわずかに見開かれる。が、それ以上の反応は見せずに口を開いた。

 

「つまり、法国の関与は公表されない。いいえ、無かったことにされる、と。なぜなのでしょう? 」

「簡単に言ってしまえば、そうしたところで何の得にもならないからです」

 

 いちおう今までは、法国は直接的な敵対行動はとってこなかった。ここで非難してもあちらの態度を硬化させ、はっきりと敵対を表明させるだけだろう。むろんその魂胆は明白になったものの、表立って敵対されないだけでもまだましだ。

 

「少し弱気過ぎるのではありませんか?」

「いえ、他にもいろいろと」

 

 もし法国を敵とすることで国内がまとまるならば、それも手である。しかし、反国王派はここぞとばかりに国王の失策と非難するだろうし、当の国王派でも強硬派が騒ぎ対応を巡って分裂しかねなかった。

 

「何か、釈然としませんね」

「はい、ですが致し方ありません」

 

 ガゼフも悔しそうではあったが、この期に及んで王国には勝利も得もあり得ない。あとはいかにマイナスを減らせるかということでしかなかった。

 民の犠牲も足の引っ張り合いの道具にしかならない。ガゼフは、この国の行く末に暗然たる想いを抱かざるをえず、思わず目を伏せた。

 

(なんか落ち込んでるなぁ……うーん、ガラじゃないんだけど)

 

 わざわざこの話をしてくれたのも、後で処理を聞いた時に混乱しないようにとの配慮だろう。その気遣いへの感謝も込めて、モモンガはガゼフを元気付けようと口を開いた。

 

「ですが、私と出会えたことは幸運だとはお思いになれませんか」

 

 気休めかもしれませんが、と可憐に微笑む姫君の顔を眩しげに見つめ、ガゼフは力強く頷く。

 

「姫がいらっしゃらなければ、我ら全員屍を晒していたでしょう。本当に感謝しております」

 

 この出会いは、はたしてガゼフにとってどういうものだったのか。結局のところ、良かったとも悪かったともいえるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 進行方向の遥か彼方に、巨大な街が見えはじめていた。地平線の向こうから、少しずつその全貌をあらわにしていく。他の人間にはともかく、並外れた視力を備えているシャルティア・ブラッドフォールンの瞳にだけはその光景がはっきりと映っていた。

 

 

 

 

 

(あれがこの世界の大都市かぁ)

 

 一行は、すでに誰の目にも街の全貌が見えるところまで来ていた。モモンガも窓から身を乗り出すかのように顔を覗かせ、前方の光景を眺めている。

 馬車の中から見ているといささかゲームのような感覚にとらわれたが、頬に風を受けながらだとこれが現実のものであると実感できた。

 風を受けた銀色の髪が軽々と舞い、波うつ銀糸の上で陽光がきらきらと跳ねる。近くにいたものたちは、輝きの美しさに思わずみとれていた。そんな視線を気にもとめず、姫君の瞳は前にだけ向けられている。

 

 城塞都市エ・ランテル。王国が帝国及び法国と接する、つまり三つの国の中心に位置すると言ってもいい街だ。そしてそれ故に帝国の侵略に晒され続けている。王家の直轄地であり、領主ではなく国王が派遣した代官が統治を行っていた。

 

(うーん、何というか、風情があるって感じ?)

 

 確かにこの世界では大きな街なのだろうが、モモンガの暮らしていた場所に比べれば大したものではない。ましてアーコロジーのような巨大建造物を見慣れていれば、すべてが矮小に見えた。

 それでも何となく目を離すことが出来ない。ユグドラシル時代にこういった街を見たことはよくあったが、自然を感じながらだと趣が違うように思えた。何故かはわからなかったが。

 

(あれ、なんかいる?)

 

 モモンガは視界の隅に映ったものに意識を振り向けた。街道から少し離れた木々の影に、馬車と人影が見える。待ち伏せといった物騒なものでは無さそうだが。

 

「ああ、あれはエ・ランテルからの迎えです」

 

 それは、ガゼフが事前に使いを出して要請していたものだった。確かに捕虜をそのまま歩かせていると、要らぬ揉め事が起こりかねない。ガゼフたちは素早く捕虜を詰め込むと、速やかに出立した。

 

 

 

 ほどなく、一行はエ・ランテル外壁の正門まで辿り着いた。巨大な門は開け放たれており、脇に建てられた詰所の前に入場検査待ちの人々が列をなしている。ガゼフたちはそれを追い越して、ぞろぞろと門をくぐっていった。

 むろん止めるものなどなく、衛兵たちも敬礼して見送っていく。しかし、その視界にガゼフの後に続く漆黒の自動馬車が映ると、驚きに目を大きく見開いた。

 重厚にして優雅な車体は、エ・ランテル正門に詰めて久しい彼らですら見たことがないほど、見事なものである。さらに引く馬もなく動いているさまは奇妙ではあったものの、これならば仕方がないと納得させてしまうものでもあった。

 

「あ、あの、戦士長様、こちらはいったい……」

「うむ、途中同行することになった御方でな。身元の保証は自分がしよう」

「は、あの、いちおうお顔を拝見しても?」

 

 ガゼフは、わざわざ姫君に足労願うことにためらいを覚える。衛兵にしても別に王国戦士長の言葉を疑っているわけではなく、あくまで形だけにすぎなかった。ガゼフの様子からこれは何かあると察した兵は、そのまま引き下がろうとする。

 

「私は構いませんよ」

 

 突然の柔らかな声に、衛兵は驚いてそちらを向いた。見れば、馬車の扉がいつの間にか開いている。何の物音もしなかったことに戸惑う衛兵をよそに、中から漆黒のドレスをまとった少女が姿を現した。

 この日見た光景を、この衛兵は一生忘れることはないだろう。

 想像を絶するほどの美貌と立っているだけでも醸し出される気品、そして華奢な身体に不釣り合いな胸の膨らみは、その場にいた全てのものを魅了した。誰も抗うことなど出来はしない。もっとも見慣れているはずのガゼフですら、一瞬魂を奪われていた。

 我に返ったガゼフが、慌てて馬車に駆け寄ると手を差し出す。それを見た姫君はわずかにためらいを見せたが、おずおずとその小さな手を伸ばした。

 はにかんだ表情でガゼフに手を預けながら、馬車のステップをとんとんっと軽やかに降りる。まるで自身の重さなど存在しないかのように、静かでしなやかな足どりだ。しかしそんなことはないと主張するかのように、ふたつの膨らみが重たげに揺れる。

 

(しまったー! どんな羞恥プレイだよコレ。おとなしくしてりゃ良かったかー)

 

 地に降り立った女神が考えていたのは、こんな事だったのだが。

 

「こんにちは、シャルティア・ブラッドフォールンと申します。故あってストロノーフ戦士長様と同行させて頂いております」

 

 姫君は微かな笑みを浮かべ、優雅に一礼した。その丁寧な物腰に、衛兵は慌てて背筋を目一杯伸ばして敬礼を返す。

 

「は、はい!き、恐縮であります!」

 

 焦ってどもる衛兵の姿のどこがそれほどおかしかったのか、シャルティアは小さな手で口許を覆い、クスクスと笑い声を漏らしていた。そんな可憐な仕草と楚々とした姿に、衛兵の緊張は極限まで高まる。

 

「中の方もどうぞ」

「は、はいっ! 」

 

 姫君が馬車の方を見やった。その見目麗しい姿から視線を外すのは惜しいと思ったものの、役目もあるし馬車の内装にも正直興味はある。あの姫君を乗せてきた馬車とは、いったいどの程度のものなのかと。

 

「そ、それでは、失礼します」

 

 馬車に歩み寄った衛兵は、中を覗き込んだ。畏れ多くて、車内に足を踏み入れることなどとても出来ない。それどころか、車体に手を触れることすらためらわれた。頭だけを突っ込んだ状態で車内を見回す。

 

(す、すげぇ)

 

 衛兵は感嘆するほかなかった。そこには、男が今まで見たことも想像したこともないような光景がある。外装と違い白を基調とした優しく清潔な佇まいは、まるで異世界にでも迷い込んだように感じられた。

 調度類とて、想像もつかないほど値のはるものなのだろう、としか考えることが出来ない。サイドテーブルを覆うクロスの一枚を見ても、見事なまでの白さといい刺繍といいレースといい、自分の給金の何年分いや何十年かと思わずにはいられなかった。

 この純白の部屋でくつろぐあの姫君の姿、それは確かに絵になるだろう。

 

「どうかなさいましたか? 」

「い、いえ! ご協力ありがとうございました! 」

 

 自分では一瞬のことと思っていたが、どうやら随分見入っていたらしい。姫君に声をかけられ、衛兵は慌てて飛び退いた。

 ふたたびガゼフに手を預け、漆黒の姫君はまたしても軽やかにステップを踏む。衛兵はその後ろ姿を見送るのみだった。

 

(うわ、腰細ぇ! おっぱい後ろからも見えるじゃん、すげぇ!)

 

 顔が見えないせいもあってか、いくらか冷静にそのボディラインを観察出来たが。

 

 

 

 遠ざかっていく馬車を、衛兵は敬礼したまま見送っていた。姫君は窓から顔を覗かせ、隣を進むガゼフと何か話している。その美しい横顔を、飽きることなく見つめ続けていた。そんな視線を感じたのか、姫君が衛兵の方を振り向く。

 

(やべっ!)

 

 不躾な視線を送っていたと自覚している男は、緊張で身を固くした。貴族の不興を買って処罰を受けた平民の話はこの国では珍しいことではない。

 しかしシャルティア・ブラッドフォールンはその美貌に笑みを浮かべると、小さな手をヒラヒラと振ってくれた。思わず振り返しそうになる手を抑え、衛兵は敬礼している姿勢にいっそう力を入れる。

 

(うお、姫様いい方だー!)

 

 衛兵は感激しながら、馬車が見えなくなっても見つめ続けていた。そんな男のまわりに同僚たちが集まってくる。

 

「てめえ上手いことやりやがって」

「オレもお姫様とお話ししたかったぜ」

「キレーだったなぁ」

 

 冗談めかしてバシバシひっぱたいてくるが、やっかみまじりのせいでかなり強かった。しかしそんな痛みもまったく気にならない。浮かれ気分でへらへら笑うだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、失礼します」

「はい、お気をつけて、姫。またお会いいたしましょう」

 

 予定通りに、モモンガは途中で別れて冒険者ギルドへ向かうことにした。

 謝礼はとりあえずガゼフの権限で可能な限り渡し、後は都市長に会ったあと届けることになっている。王都についたら王家から追加を、という話は断っておいた。

 すでに報酬は十分受け取っている。実のところあの戦いの結果モモンガが得たものは、ガゼフたちが想像もつかないほど多彩であった。それに王家がらみとなると、いろいろ面倒くさそうである。

 

(そういうのに関わるには、まだ早いかなー)

 

 護衛兼案内として、ガゼフ隊からふたり同行することになった。この席を巡って熾烈な戦いが繰り広げられたことは、言うまでもない。勝者となったものは意気揚々と漆黒の自動馬車に従い、残りのものはいくぶん恨めしげに見送った。

 

 

 

 

 モモンガは、馬車の中から街の様子を物珍しげに眺めていた。大勢の人々が、街中を行き交っている。

 むろんモモンガが知っている混雑に比べれば、さほど人が多いというわけでもなかった。しかしこのあまりきれいとは言えない猥雑な光景は、人々が生きている証とも感じられる。

 たまに目につく使い方もわからない道具や、どうしてそうなったのか変な造りの建物。これらも、人々が生活してきた結果なのだろう。

 ゲームの中とは違う、確かに人々が生きている世界がそこにはあった。そしてこれからは自分もここで生きていくことになる。

 ちなみに当然馬車は街中の注目の的であった。ずっとあとを追いかけてくるものも少なくない。冒険者ギルドの前に到着した時には、思いっきり人だかりが出来ていた。

 ガゼフ隊のふたりが扉の脇につくが、これだけ人が多いと何かあるかもしれない。

 

(ギルドに入る前にトラブルとか、ゴメンだしな)

 

 モモンガは周囲の様子を探るために、魔法を使用した。周りの音を拾う、情報収集系の魔法である。

 

「〈兎の耳〉」

 

 シャルティアの頭の上から、ぴょこんっと可愛らしい兎の耳が飛び出した。それはぴこぴこと角度や向きを変えながら、収集を始める。

 ぴこぴこ。ぴこぴこ。

 

(どうやら、大丈夫そうだな)

 

 とりあえず、近づいて来ようとするものはいないようだし、冒険者ギルドの扉の内側近辺にも人は居なかった。モモンガは魔法を解除し、馬車の扉を開く。

 この場に集まった人々のほとんどは漆黒の馬車に興味を引かれたものたちだが、中には門でのことを知っている事情通もいた。そこから話は広がり、いやが応にも期待は高まる。

 どうやら降りたようだったが、馬車の影で見えない、と思った瞬間に漆黒の車体は消え失せた。その場に残された少女が、周囲を見渡しながらゆっくりと振り向く。

 人々のざわめきが、すうっと消えていった。あたり一帯を、痛いほどの静寂が支配する。

 噂などまったくあてにならない、そんなものを遥かに越えた女神のごとき姿に、すべての人々が息をするのも忘れるほどに見入っていた。

 表向き平然としてはいるものの、むろんモモンガは緊張している。動いていないはずの心臓が、激しく動悸しているんじゃないかと思えるほどだ。

 

(なかなか慣れない……けど、慣れてかなくちゃな)

 

 これからも注目を集めることは避けられないだろう。ならば慣れるしかない。

 漆黒のドレスをまとった少女は、冒険者ギルドの方へ向き直って足を踏み出した。その足どりはさながら女王のごとく、威厳と気品を備えている。

 

(さあ、いよいよだ。始めよう!)

 

 モモンガは、期待に胸をふくらませながら扉に手をかけた。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




エ・ランテル冒険者篇、始まります


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第8話 冒険者組合騒動記

 すでに太陽が地平線より顔を覗かせてからも随分と時は過ぎ、冒険者組合の中はだいぶ閑散としていた。あらかたの冒険者は依頼を受けてすでに出立し、残っているものもほとんどは段取りの相談中である。わずかにいる遅れてきたものたちは、ろくな依頼の残っていない状況に肩を落としていた。

 

(まったく、アホかっての。こんな時間に来ていいの残っているわけないじゃん)

 

 組合の受付嬢イシュペン・ロンブルは、受けた依頼の条件に愚痴をもらした冒険者の背中に向かって内心舌を出す。いい条件の依頼を受けたければ、もっと早く来て争奪戦に参加する必要があるのだ。

 もっとも例外もある。例えば特殊な技能を必要とする依頼だ。誰でも出来るような早い者勝ちのものより、そのものたちしか達成出来ないものの方が、当たり前だが報酬はいい。

 今イシュペンの隣のカウンターで受理されているのがまさにそれで、その冒険者チームはレンジャーを中心として野外活動、特に森林での行動を得意としていた。

 依頼は、希少な薬草の採取である。平野よりも危険な森の中に入っての活動は、戦闘だけではないさまざまな能力を要求される難易度の高いものだ。

 もうひとつは、指名依頼である。実行者を名指ししての依頼は、当然のごとく条件がよかった。

 その依頼が、さらに隣で行われている。受けているのはミスリル級冒険者チーム〈天狼〉だ。

 

(ミスリルかぁ、勝ち組だよね~)

 

 冒険者は、その実力や実績に応じてランクが分けられている。上から順にアダマンタイト、オリハルコン、ミスリル、プラチナ、ゴールド、シルバー、アイアン、カッパーという具合だ。これによって受けられる依頼にも制限がかかる。

 エ・ランテルにはオリハルコン以上の冒険者はいないため、ミスリルがトップランカーだ。つまり今カウンターで受付嬢と話している〈天狼〉のリーダーであるベロテは、エ・ランテルにてもっとも有名な冒険者のひとりと言っていい。

 

(とりあえず、こんなとこかな~)

 

 イシュペンの座るカウンターの前は空いたが、あとは誰も来る様子はなかった。依頼書の貼られた掲示板を眺めている連中はいたが、あの感じでは受けることはないだろう。イシュペンが視線を落として傍らの書類に手を伸ばした時、入口の扉が開く音がした。

 特に考えもなく、イシュペンは反射的に顔を上げる。その視線の先には、漆黒のボールガウンをまとった美しさと気品を兼ね備えた少女の姿があった。

 

(え……)

 

 シャルティア・ブラッドフォールンを真っ向から見たイシュペンが絶句する。この荒々しく暴力的な雰囲気に満ちた場所には不釣り合い過ぎる神々しいまでの美しさに、一瞬で目を奪われた。

 イシュペン同様に見てしまったものは、皆凍りついたように動きを止めている。そんなあたりの様子に気付いたものたちも、その視線を追っては次々に絶句した。

 

(うわ~めっちゃ見られてるな~)

 

 注目されることにもだいぶ慣れてはきているものの、まだとうてい無心とはいかない。ともすれば緊張に震えそうになるのをこらえ、モモンガは足を踏み出した。

 他に動くものもない、静寂と緊張が支配する部屋の中を、美しき姫君だけがゆっくりと歩いていく。それ以外のものは、目でシャルティアの姿を追うのみだ。

 足音すらたてずに歩いて来る様子は、まるで幻影のようにも見える。イシュペンは、これが白昼夢というものかとぼんやりした頭で考えていた。

 

(って、こっち来る~? )

 

 その少女はあたりを興味深げに見渡しながらも、優雅な足どりでイシュペンを目指して歩いて来る。空いているカウンターがそこしかなかったからだが、受付嬢の顔はこわばり、全身から緊張感をみなぎらせていた。

 

(わっ、わっ、どーしよ! )

 

 イシュペンは慌てるばかりで何も考えられず、視線を逸らすことも出来ない。周囲が息をのんで見守る中、美しき姫君はカウンターにたどり着いた。

 

(む、高い……)

 

 目前に立ちはだかるカウンターの高さに、モモンガは内心眉をひそめる。シャルティアの身長より高いということはないが、辛うじて顔がのぞくかどうかといったところだ。

 冒険者組合に所属しているような人間には、荒くれものも少なくない。これはそういった連中とのトラブル防止が目的だ。むろん乗り越えることは難しくないが、簡単には出来ないようにすることでトラブルを減らす効果はある。

 しかしそれが今、シャルティアとなったモモンガの視点からは壁のごとくそびえ立っていた。

 

(さてどうするか……)

 

 モモンガは一瞬頭を悩ませる。カウンターの上に飛び乗って座るのは簡単だし話しやすいが、いささか行儀が悪いし社会人としてどうかと思う。魔法かスキルで浮かぶのは、たぶん問題だ。

 

(確かギルド内とかで魔法とか使ったりするのはダメだって、誰か言ってたっけ)

 

 ユグドラシル時代のファンタジー好きなギルメンとの会話を思い出して、行動を却下する。となると、方法はひとつしかなかった。

 そんな風に悩む少女の後ろ姿を見て、冒険者のひとりが隣の仲間にささやく。

 

(なあなあ、あれ後ろから抱っこしてあげればいいんじゃね?)

(おい、それ絶対やるんじゃないぞ)

 

 銀級冒険者チーム〈漆黒の剣〉のリーダーであるペテル・モークは、メンバーのルクルット・ボルブに釘を刺した。ルクルットの女好きは先刻承知ではあるが、さすがにこれは不味い。どこからどう見ても貴族の令嬢としか思えない相手に迂闊に触れるなど、どんな災難が降りかかって来るのかわかったものではなかった。最悪、無礼討ちなども有りうる。

 

(わかってるけどさぁ……)

 

 結局モモンガは無難な選択をすることにした。両手をカウンターの縁にかけ、つま先立ちで精一杯の背伸びをしてなんとか顔だけを上に出す。縁から細い指をちょこんとのぞかせ少し上目遣いで見つめて来る姿は、イシュペンのハートを直撃した。

 

(うわあっ、なにこれ可愛いっ! )

 

 周りのものたちも、似たような感想である。小さな少女が頑張って背伸びする姿は、可愛いらしくも微笑ましく、そしてハラハラするものだった。

 その小さな身体でつま先立ちをしていると、まるで足がぶるぶる震えているように見えてしまう。シャルティアの身体能力からすれば、この程度なんの負担にもならないのだが。

 

(やっぱ、見てらんねえ!)

(お、おい!)

 

 伸ばしたペテルの手をすり抜け、ルクルットがカウンターに突撃した。レンジャーらしい軽い身のこなしで素早く障害物などを飛び越え、さっと駆け寄る。

 

「お嬢さん、お困りのようですね」

 

 キザったらしく笑みを浮かべる優男の姿を見て、少女は小さく飛び退いた。ルクルット本人は女性に対して有効と信じている笑顔だったが、当然ながらモモンガに通じるわけがない。

 

(うわっ、なにコイツ。胡散臭ぇ)

 

 そんな内心を表情に出さないようにしながら、モモンガはおずおずと口を開いた。

 

「あ、あの、何か……」

「大丈夫です、自分にお任せを」

 

 ルクルットは、これまた自分では格好いいと考えている仕草で気取った一礼をする。そしてその場で躊躇なく四つん這いになった。

 

「さあ、背中にどうぞ!」

 

 先ほどまでとは違う意味で、組合内が静寂に包まれる。そんなことには気づきもせず、ルクルットはこれでどうだと言わんばかりにドヤ顔でペテルを見た。それを目にしたペテル以下〈漆黒の剣〉のメンバーは、思わず頭をかかえてしまう。

 

(そうじゃない……そうじゃないだろう)

 

 一方、モモンガは内心ドン引きしていた。一歩後ずさり、困惑の表情も隠せない。

 

(コイツ、変態か? 変態なのか?)

 

 小さな姫君は、助けを求めるかのように視線を巡らせた。赤い瞳が、カウンター越しに受付嬢のイシュペンの姿をとらえる。

 潤んだ(とある受付嬢の独断と偏見)瞳を向けられたイシュペンは、その儚げで保護欲をそそる仕草に心震わせつつ、対応策を考えた。

 

 言って聞くとは思えないし、さすがに自分がカウンターを乗り越えていくわけにもいかない。周囲を見渡したイシュペンの目が、ベロテの姿をとらえた。

 

(アレだ!)

 

 最上位の冒険者こそ、この場を収めるのにふさわしいだろう。イシュペンは唖然としてルクルットを見ているベロテに、手で何度も合図を送った。

 何度めかでそれに気がついたベロテが、イシュペンと目を合わせる。目配せで対応を促す受付嬢にベロテは頷き、ずかずかとルクルットに歩み寄った。

 

「ぐえっ!」

 

 ベロテに背中を踏まれたルクルットが奇声を上げる。そのまま抵抗を許さず、ベロテはルクルットを踏み潰した。

 

「なあルクルット、そんなに踏まれるのが好きか? なら俺が存分に踏んでやろう」

「い、いえ、男に踏まれるのは、じゃなくて、重っ! 重いっ!」

 

 ルクルットはベロテの足の下から逃れようともがくものの、軽装のレンジャーと屈強な戦士とでは勝負にならない。踏みつける圧力が増すにつれ、次第に抵抗は弱くなっていった。

 

「遠慮はいらんぞルクルット、んん?」

「ベロテさん! ギブギブ! し、死ぬ~!」 

 

 やがて力尽きたのか、ルクルットはガックリと動かなくなる。ベロテはわずかに痙攣しているルクルットを持ち上げると、駆け寄ってきたペテルに向かって放り投げた。

 

「おいペテル、バカの手綱はしっかり握っとけ」

「はい、すいませんベロテさん」

 

 ペテルは何度も頭を下げながら、ルクルットを引きずっていく。それを一瞥してから、ベロテは黒衣の少女へと向き直った。

 

「あ~、申し訳ありません。代わってお詫びします」

 

 相手の身分もはっきりとは判らないこともあって、ベロテは出来る限りの丁寧な対応をとる。その姿を見た少女は、居ずまいを正した。

 

「いいえ、迅速な対応に感謝いたします」

 

 スカートをちょこんと摘まみ、丁寧に頭を下げる。そんな自然で優雅な所作からは、明らかに生まれと育ちの良さがうかがえた。その完璧なまでに美しい存在に目を奪われつつも、ベロテは改めて頭を下げる。

 

「ありがとうございます。あれであいつも悪い奴ではないのですが……」

「そうですね。まあ、少々困った人のようですけど」

 

 そう言うとふたりは、どちらからともなく笑いあった。それを見ていた周囲のものたちは、大きなトラブルにならなかったことを安堵する。と同時に、シャルティアの優雅で可憐な笑顔に心を奪われた。

 

(これはなんとも……)

 

 誰より間近で女神のごとき微笑みを見てしまったベロテは、息をするのも忘れそうなほど見入ってしまう。言葉もなくじっと見つめられ続けた少女は、わずかに頬を紅潮させ戸惑うように首をかしげた。

 

「あ、あの……?」

「はっ、し、失礼!」

 

 ベロテは我に帰ると慌てて視線をそらす。それでもその目には、シャルティアの笑顔がはっきりと焼き付けられていた。これまでの人生において見たことのないほどの美貌を前に、ベロテの心は浮き足立つ。それを悟られぬようにと、間を持たせるべく口を開いた。

 

「じ、自分はミスリル級冒険者チーム〈天狼〉の、ベロテです。お名前をうかがってもよろしいでしょうか」

「はい、シャルティア・ブラッドフォールン……と申します」

 

 貴族としか思えない姿にも関わらず、名のったのは平民の名前である。しかしベロテをはじめとした一部の目端のきくものは、シャルティアの言葉にためらいを感じ取った。それはいかにも訳ありと思わせる。

 

(やば、思わず全部名のるとこだったよ)

 

 ガゼフの忠告を思い出して、モモンガは内心冷や汗を拭った。もっとも、それにはさほど意味はない。これほど目立ち過ぎる姿をしていては、何を言っても意味深にしかとらえられないだろう。

 そんなシャルティアの言葉に対し、ベロテは賢明にも事情を問いかけることはしなかった。しかし聞くべきことはある。

 

「それで、こちらにはどのような御用で?」

 

 それは本来なら組合の職員が訊ねることなのだろうが、何となく流れに乗ってベロテは尋ねた。おそらく依頼に来たのだろうが、貴人がひとりで行動というのは変である。普通は使用人を伴って、というよりこんな場所には使用人だけを寄越すものだ。

 

(名前のことといい、何か訳あり……だよな)

 

 ベロテがそう考えたのも当然だろう。それと同時に、貴族に直接コネが出来るかもしれないと期待するのもまた無理ないことだ。

 また、これほどの気品に満ちた令嬢の依頼を、鉄だの銀だのといった連中に任せるわけにはいかない。ミスリルたる自分たちこそがふさわしいという自負もある。ついでに個人的にこのお嬢様とお近づきになれれば、という下心も少しはあった。

 

「はい、冒険者の登録に参りました」

「……は?」

 

 シャルティアの言葉に、ベロテの顔が呆ける。ふたりの会話に耳を傾けていたイシュペンも、同様だ。大きな衝撃を受けながらも、ベロテは辛うじて口を開く。

 

「あ、あの、今なんと……?」

「冒険者になりに来ました。登録をお願いいたします」

「え、え?」

 

 最後に水を向けられたイシュペンは狼狽した。むろん本来ならば登録の手続きに入らなければならない。

 しかし、どこからどう見ても身分の高そうな相手だ。はたして自分の判断だけで進めてもいいのだろうか。もし何か問題でも起きた時には、自分の責任になったりはしないか。

 

(どーしよ! どーしよ!)

 

 強張った笑みを張りつけたまま無言で見つめてくる受付嬢を、モモンガはいくぶん困惑して見つめ返した。もう一度返答をうながしても、反応は返ってこない。

 

(さて、どうしたものか)

「こんにちは、お嬢さん」

 

 モモンガがどうしようかと考えていると、カウンターの奥の方から落ち着いた男の声が響いた。そちらに目をやれば、壮年の男が立っているのが見える。その視線が真っ直ぐ自分に向けられていることにモモンガは気づいた。

 

(ん? 俺? ああそうか、俺か)

 

 最初てっきり受付嬢に話しかけたのだろうと思っていたが、どうやら自分にらしい。勘違いしてしまうのもまだこの身体に慣れていないせいなのだろうが、慣れてしまうのもなんだかなーとも思えた。

 

「組合長!」

 

 すべての責任を丸投げ出来る上役の登場に、イシュペンが歓喜の声をあげた。その傍らに、同僚の受付嬢の姿がある。現場の混乱を見てとって、素早く呼びに向かってくれたようだった。

 

(おお~! 友よ~!)

 

 イシュペンの熱烈な視線を受け流して、同僚は自席に戻る。組合長と呼ばれた男は、落ち着いた笑みを浮かべて近づいてきた。

 

「はじめまして、私はエ・ランテル冒険者組合長を務めます、プルトン・アインザックと申します」

「シャルティア・ブラッドフォールンです。ただの旅人ですが……」

 

 アインザックは穏やかで友好的な対応を見せているが、その目は油断なく相手を観察している。身にまとう雰囲気はいかにも古強者といった感じで、現場叩き上げのベテランのようだった。

 

「ご要望の件ですが、このようなところで立ち話も何です、奥の部屋へどうぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインザックに案内され、モモンガは奥にある応接間のような部屋に通された。さらに奥には、執務室らしき扉がある。

 

「どうぞお掛けください」

「はい、ありがとうございます」

 

 シャルティア・ブラッドフォールンは軽く一礼すると、促されるままソファーに腰を下ろした。その仕草を、アインザックは細部にいたるまで観察する。いや、ここに到着するまでの間もずっと観察し続けていた。

 

(なるほど、これはやはり我々とは違う流儀の……)

 

 このお嬢様の作法は、アインザックから見てどこかズレがある。しかしそれは礼儀を知らないのではなく、別の作法を身につけているからだと結論づけた。実際少女の立ち居振舞いは、流れるように淀みなく美しい。

 

(これは本当に貴族なのかもしれんな)

 

 ということになれば、対応には慎重にならざるをえなかった。一歩間違えば、面倒なトラブルに巻き込まれることもありうる。アインザックは言葉を選んで口を開こうとしたのだが。

 

「なんでお前がここにいる、イシュペン」

 

 組合の受付嬢は、お茶だのお菓子だのをシャルティアの前に並べたり甲斐甲斐しく世話をしたあと、ちゃっかりその隣に座っていた。

 

「私は彼女の担当ですから」

 

 しれっとした顔で告げる。責任をアインザックに丸投げしたせいか、先程までとはうって変わった余裕のある表情だ。本来ならアインザックの側に座るべき立場なのだが、そんなこともお構い無しである。

 組合の総責任者は小さくため息をつくと、改めてシャルティアに向き直った。

 

「なぜ、冒険者になろうと思われたのですか? 正直言って、あなたのような貴婦人がなされるような仕事ではありません」

「しかし、私には他に手がないのです」

 

 黒衣の令嬢は、真っ直ぐにアインザックの目を見つめる。ピンと背筋を伸ばした堂々たる姿勢からは、威厳すら漂ってきた。

 

「この国には、何のあてもないのです。頼るべき人もなく、依るべき所もなく、為すべきこともありません」

 

 そう語る少女の紅い瞳に、哀しみの色が浮かぶ。憂いをおびたまだ幼さの色濃い美貌を見れば、誰であれ力になりたいと思うだろう。

 アインザックにせよイシュペンにせよその例に漏れないが、冒険者になるということは危険にさらされるということだ。軽々しく首を縦に振るわけにもいかない。

 

「冒険者となることで足場を得て、自分の居場所をつくりたいのです」

 

 そう語る姫君に、アインザックは仕事の危険性や冒険者の暮らしぶり、世間からの評価などを説明して翻意をうながした。一方イシュペンは「お茶のおかわりはいかがですか?」「こちらの焼き菓子はエ・ランテル老舗の逸品ですよ」などとお世話一辺倒である。

 

「大丈夫です、これでもいささか腕に覚えはあります」

 

 シャルティア・ブラッドフォールンはそう言って胸を張るが、この愛らしいなりでそんなことを言われても安心できるはずもなかった。

 

「しかしですね……」

「魔法だって、第三位階まで使えるんですよ」

 

 これはニグンと話したうえで決めた設定である。人間の使える最高位の魔法は第六位階とのことだが、一般の限界は第三位階らしかった。第四位階からは、ほぼ使い手はいなくなる。

 モモンガ本来の実力からすればあまりにも過少申告ではあるが、なるべく目立たぬようにかつナメられない程度の力ということで選ばれた。しかし現地目線で、なおかつ年端もゆかぬ少女の姿となれば、にわかには信じ難い。

 

(嘘をついているとも思えん。しかし……)

 

 アインザックは考え込んだ。やはり、とりあえず確認はしておくべきだろう。そしてそれには最適の人物が今ここには来ていた。

 

「少々お待ちください」

 

 一礼して立ち上がると、アインザックは部屋の奥にある扉の中に消える。ふたたび現れた時には、アインザックと同年代に見える男を伴っていた。黒衣の姫君は立ち上がって出迎える。

 

「はじめまして。エ・ランテル魔術師組合長、テオ・ラケシルです」

「シャルティア・ブラッドフォールンです。よろしくお願いいたします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、あとの手続きはこちらのイシュペンが担当いたします」

 

 アインザックがラケシルとともに立ち上がった。シャルティアも追随して、深々と頭を下げる。

 

「はい、よろしくお願いいたします。ラケシルさんも、ありがとうございました」

「いえいえ、こちらこそ素晴らしい魔法の数々が見られて幸運でした。ぜひ魔術師組合のほうにも足をお運びください」

「はい、いずれ必ずお伺いいたします」

 

 アインザックたちは改めて一礼すると、奥にある扉ではなく入口の方から出ていった。帰るラケシルを見送るのだろう。

 ふたりが退室するのを見届けたあと、イシュペンはテーブルに書類を広げた。

 

「それでは始めましょう。そう言えばお嬢様、こちらの文字の読み書きは?」

「いえ、それが……自国の文字なら問題ありませんが、こちらのものとなると、まだ……」

 

 これは、ニグンから説明を受けた時に判明したことであった。地図に書かれた文字が読めなかったのである。それまでなまじ会話は通じていたために、完全に予想外だった。

 読解の魔法は存在していたが、モモンガは修得していない。アイテムはかつて所持していたが、アイテムボックスとともに消滅した。どちらも当然シャルティアには縁があるはずもなく、結果対応手段はない。

 もっとも、この世界において識字率はそれほど高くはないようではあるし、学のない傾向にある冒険者ともなれば、なおさらであった。

 いずれはなんとかしなければならないだろうが、今現在の優先順位が高いものは他に色々ある。それでも忸怩たる思いは消せないのだが。

 

(別に読み書きできないわけじゃないし! 日本語なら何も問題ないし!)

 

 無学な人間と思われることは、決して愉快なことではなかった。そのため、つい羞恥で僅かに頬を膨らませ、少し口を尖らせてしまう。

 

「はい! 大丈夫です! お任せください!」

 

 イシュペンはテーブルの上に身を乗り出し、勢い込んで口を開いた。重大なお世話ポイントを見つけて、意気軒昂である。

 

「あ、他の冒険者とかに聞いたら駄目ですよ! 騙されたりしたら大変ですから! 組合職員である私イシュペンに全てお任せを!」

「は、はい」

 

 その勢いに圧されるように、小さな姫君は頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても、見事な魔法だったな」

 

 ラケシルは感に堪えかねるように口を開いた。隣を歩いていたアインザックも大きく頷く。

 

「ああ、お前さんから見てもやっぱりそうか」

「そりゃそうさ。あそこまで魔法を使いこなす人間は、見たことない。特に〈飛行〉は凄かったな」

 

 狭い室内での精緻なコントロールは、アインザックにもはっきりとわかる高等技術だった。そのうえ、まだ余裕がありそうにも見える。

 

「もしかすると、もっと奥の手とかあるのかもな」

 

 冒険者が組合にも知らせず切り札を隠し持つことは、時々あった。おそらくあれ以外にも強力な魔法を使えるのだろう。

 

「それにしても、思ったよりあっさりと登録を認めたもんだな」

 

 隣室で話を窺っていたラケシルは、アインザックがもう少し渋ると考えていたのだ。いかに第三位階魔法が使えるとわかったとしても。

 

「まあ、仕方ない。下手に断って、ワーカーあたりに接触されてもな」

 

 ワーカーというのは、冒険者と似たような存在ではあるが、組織に属していない連中のことだ。表の存在として冒険者が合法的な仕事を行うのに対し、ワーカーは仕事を選ばない。結果、非合法な仕事も請け負う犯罪者じみたものが少なからずいた。

 組織のしがらみを嫌っただけの、気のいい連中もいないこともない。しかし、どう考えてもトラブルの予感しかしなかった。

 

「結局、組合で面倒見るのがいちばんトラブルが少ないだろう」

「そうだな、多少贔屓しても文句は出まい」

 

 そう言って苦笑するふたりの前に、組合の男性職員がひとり歩いてきた。どうやらアインザックに用があるらしい。

 

「組合長、ロフーレ氏がお見えです」

「わかった、すぐ行く」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインザックたちが組合の奥に消えてから随分たつが、待合室にはまだかなりの人間が残っていた。あの黒衣の姫君の去就が気になるからである。仕事の着手を遅らせて待っているものまでいた。

 そしてようやくその忍耐が報われる。イシュペンに先導されて、奥からシャルティアが姿を見せたのだ。

 

(おい、あれ……)

(ああ、銅のプレートだな)

 

 首から下げたプレートを見れば、冒険者登録が認められたことがわかる。それは少なからず驚きをもって迎えられた。

 姫君の顔は、どこか誇らしげに見える。まるで新しく買ってもらった玩具を見せびらかす子供のような姿に、皆微笑ましいものを感じていた。あるいは、自分がはじめて冒険者となった時を思い出したものもいるのかもしれない。一様に暖かい視線を送っていた。

 歩いて来る姫君に話し掛けようとする冒険者もいたが、イシュペンに威嚇されて近づけない。やがてふたりは出入り口の扉までたどり着いた。

 

「それでは、また明日お伺いいたします」

「はい、お待ちしております」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第9話 はじめての依頼

ごーめーんーなーさーいーぱーとつー


 冒険者組合をあとにしたモモンガは、エ・ランテルの大通りを歩いていた。この街ではもっとも広い道とのことだったが、モモンガの感覚からするとそれほどには感じられない。

 

(それに、むき出しの土とはなぁ)

 

 道にはアスファルトによる舗装などははむろん、石畳すら敷かれてはいなかった。そのためか、やや埃っぽいのが気になる。

 また、馬車の車輪が刻みこんだ幾条もの轍が、レールのごとく走っていた。身体能力が高いため、慣れないヒールの靴にもかかわらず歩きにくいということもなかったが、あまり気持ちのいいものでもない。

 

(それでも、あの世界よりははるかにマシか)

 

 ガスマスクや人工肺といったしろものに頼らなければ外を歩けない元の世界。あれに比べれば、どうということもない事だ。

 もっとも、今のこの身体ならばあの環境でも問題なく過ごせてしまうというのは、そして胸いっぱいに吸い込んだこの清浄な空気も必要としてはいないのは、何とも皮肉に感じられる。

 さらに、どこまでも青く澄んだ空とふりそそぐ太陽の光。せっかくの素晴らしい自然環境にもかかわらず、陽光を不快に思ってしまうこともまた。

 

(さて、まずは宿の確保だな。ガゼフはいいとこをすすめてくれたけど)

 

 ガゼフ・ストロノーフが推薦してくれたのは、「黄金の輝き亭」というエ・ランテルでも最高級と言われる宿だ。一見の客は相手にもされないということで、わざわざ紹介状まで持たせてくれている。

 その気配りには感謝しているものの、モモンガには一般の冒険者が利用する宿への興味もあった。そのあたりの情報はイシュペンから仕入れてある。

 

(とりあえず、いちばんランクが低いとこから行ってみるか)

 

 ちなみに群衆は、組合に入っている間にだいぶ減ってはいた。しかし歩くにつれ、話を聞きつけたのかまた次第に増えてくる。もっとも相変わらず近づいて来ようとする者はいなかった。

 

(もう無視、無視だ。気にしてたってしょうがない)

 

 うかつに自分から関わって騒ぎにでもなったら、薮蛇である。なるべく視線も合わせないようにして、目的地を目指した。

 

 

 

 

 

(うん、ボロいな)

 

 ようやく見つけたその宿の外観は、いかにもといった感じで薄汚れていた。正直、今の自分の力で殴れば倒壊するんじゃないかと思えるほどである。モモンガは一瞬ためらったものの、扉を押し開き足を踏み入れた。

 中はやや薄暗かったが、モモンガには何の支障もない。室内の様子は隅々まで見て取れた。

 一階部分は食堂になっているようで、テーブルとイスが乱雑に並べられ、真っ昼間から酒を飲む冒険者らしき男たちの姿がある。酔っぱらって管を巻くその姿は、ただのチンピラにしか見えなかった。

 

(うーん、これが底辺の冒険者ってやつか? )

 

 組合にいた冒険者たちと比べても明らかに雰囲気が弛んでいるが、こちらに向けられる呆けた顔はあちらと違いはない。

 奥にはバーカウンターがあり、宿の主人らしき男が酒瓶を並べる手を止めてこちらを見ていた。他にそれらしい場所もないので、宿の受付も兼ねているのだろう。禿頭でゴツい顔と体格、そして大小の傷跡をそなえた男は、山賊の親分にしか見えなかったが。

 全ての視線を一身に集めながら、シャルティア・ブラッドフォールンは悠然と歩いてゆく。

 

(床はしっかりしてるな)

 

 踏みしめる感触からみて、床が抜けるようなことは無さそうだった。扉をあけた時の感じでも、立て付けは悪くはなさそうである。見れば、テーブルやイスなども頑丈そうな作りで、かなりゴツかった。

 実のところ、この宿は見た目のボロさとは裏腹にかなり頑丈に出来ている。何せ重装備の、力が有り余った粗雑な連中が出入りしているのだ。柔な作りではあっという間にボロボロになってしまう。もっとも、掃除はまったく行き届いていなかったが。

 

(だけど汚っ! 何なのアレとかアレとか)

 

 床にこびりついたナニかの成れの果てをさりげなく避けながら、姫君はゆっくりと進む。そして呆気にとられたまま自分を見ている宿の主人の前に立った。

 

「あの、宿をとりたいのですが」

 

 その言葉に、周囲がざわめく。すでに組合での騒動はここにいる連中の耳にも入っていた。胸に下げているプレートを見れば、冒険者となったこともわかる。しかしこんなボロ宿に泊まりにくるとは、さすがに予想外のことだった。それは宿の主人にとっても同じことである。一瞬意識を飛ばしながらも、反射的に口を開いた。

 

「帰んな」

 

 即答された姫君が、いくぶん困惑したように首を傾げる。周りのものたちも、驚いたように顔を向けた。

 

「あの……」

「ここは、お嬢ちゃんみたいなのが来るところじゃねえんだよ」

 

 実のところ、かつてこの宿にも身分のある人間が泊まったことがある。いろいろ訳ありだったのだが、その時にはトラブルが絶えなかったものだ。ましてやこの美し過ぎるご令嬢ともなれば、いったいどうなることか。

 

「はっきり言って、うちは冒険者相手でも一番ランクが低い。お嬢ちゃんならもっと上の、と言うか最上級のところにしとけ。余計なトラブル起こさんためにもな」

 

 主人にしても、金払いの良さそうな客を断るのは惜しかった。しかし経営者としての勘が、これはまずいとささやいている。店を潰しかねない行為であると。

 いくらかの問答の末、結局モモンガは宿泊を諦めた。代わりに、宿の中をひとまわり案内してもらうことにする。

 

(まあ雰囲気ぐらいは感じられるかなぁ)

 

 

 

 

 

 主人に連れられて姫君が二階に消えると、その場にいた全てのものたちが大きく息を吐いた。そして呪縛から解き放たれたかのように、姿勢を崩す。

 

「ふぅ、なんなんだありゃ」

「スゲーな、いろいろと」

「ったく、ウワサなんて全然あてになんねーじゃん」

 

 聞いた話から想像していた姿など遥かに上回る美しさに、惚けた表情で男たちは口を開いた。みな在らぬ方を見ながら、今しがたの光景を反芻している。そのまましばらく浸っていたが、ふとあることに気がついた男がいた。

 

「なあ、いつものアレ、洗礼どーすんだ」

 

 その言葉にはっとなった男たちの視線が、とある一点に集まる。その先にいる今回の当番である男が、慌てて立ち上がった。

 

「いやいや、無理無理無理だって!」

 

 いつもの、というのは新人に対して行われるちょっかいのことである。元々は冒険者の柄が悪いゆえに起こるトラブルだったのが、いつの間にか度胸試しのような恒例行事として定着していた。

 しかし、あのような美しく身分の高そうな少女に仕掛けるのは、さすがにためらわれる。もし威圧的に出て泣かせでもしたら。足を引っかけ転ばせ、怪我でもさせてしまったら。

 

「俺は絶対にやらんからな!」

 

 どう考えてもロクなことにはならない。それだけははっきりと言えた。

 そこに、扉の開く音が響く。男たちが目を向けると、赤い髪の女性冒険者が入って来るところだった。

 

「なんだブリタか。どうした、なんかいいことでもあったんか」

「アンタらにゃ関係ないね」

 

 少し浮かれたような表情をしていたブリタが素っ気なく応えるが、すぐに口もとが少し綻んでしまう。

 

(もう少しでたまる~)

 

 ブリタは治癒のポーションを買うために金を貯めていた。それが今回の依頼をこなせば、目標額に達しそうなのである。しかしそんなブリタにも、この場に妙な雰囲気が漂っていたのは感じることができた。

 

「ところで、なにかあったの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿の主人が差し込んだ鍵をひねると、ガチャリと大きく耳障りな音が響いた。開かれる扉の蝶番が軋む音も、どこか勘に障る。かつてモモンガが住んでいたボロアパートでさえ、ここと比べたらだいぶマシだ。

 促されて室内に足を踏み入れたモモンガは、あたりを見回す。わずかに開いた窓から差し込む陽光だけが頼りの薄暗い部屋だが、むろん支障なく見て取れた。

 

「うわっ、汚っ」

「くっ」

 

 狭い個室の中の様子は、一階のものとさして変わりはない。思わず漏れた姫君の正直な感想に、宿の主人は言い返せず詰まった。

 

(それに臭いもすごいな~。こんなトコに泊まるのなんて無理だろ)

 

 傘の先で寝台の上のボロ布を突っついたり持ち上げたりしながら、モモンガは内心首を振った。もとのものより遥かにスペックの高いシャルティアの身体は、感覚も比較にならないほど鋭敏になっている。とても耐えられる気がしなかった。

 それでも大部屋に比べればまだマシなのだと、この後すぐに悟らされることになるのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええ~、少しおおげさなんじゃない」

 

 組合に現れた美姫の話を聞いていなかったブリタは、男たちの話を一笑に付した。近くのイスを引っ張り寄せるとどっかと腰を下ろし、やれやれというように手を振る。

 その態度に男たちが何か言い返そうとした時、誰かが階段を降りて来る気配がした。それに気がついた男たちが、一斉に振り向く。異様とも言える光景にギョッとしながらも、ブリタは男たちの視線の先を追った。

 

(うわっ)

 

 まるで舞踏会に招かれた来賓の登場のように、ひとりの少女が階段を降りて来る。女神のごとく美し過ぎる姿を見ていると、見慣れたボロ宿が貴族の屋敷のように感じられた。

 すべての視線を集めながら床に降り立った少女は、従者のように引き連れていた宿の主人のほうを、舞うような優雅なステップで振り返る。

 

「いろいろお騒がせいたしました」

「あ、ああ、まあいいさ」

 

 スカートを摘まんでちょこんとお辞儀をするシャルティアに、宿の主人は頬をかきながらどこか戸惑ったように答えた。本来ならこのような高貴な人間に対しては、丁寧な応対が求められる。しかしこの姫君は気品ある姿勢を保ちながらも、相手のいささか品のない態度も咎め立てるようなことはなかった。

 そのためつい地が出てしまうのだが、相手は全く気にする様子がない。

 

(こいつは大物だよなぁ……いや、本物って言うべきか)

 

 かつて宿に泊まった貴族が気位ばかり高く人を苛立たせるだけだったのに比べると、この姫君の落ち着いた物腰は好感をいだかせるものだった。それは、理想の貴族とでも言うべきかもしれない。

 くるりと背を向けて歩き出したシャルティアが、ふと足を止めて首を巡らせた。その視線の先にいるのは、女性冒険者のブリタである。

 

(ひ、ひいっ!な、なに?)

 

 近付いて来る人外の美貌に見入っていたブリタは、宝石のように美しい真紅の瞳に見据えられ、何事かと竦み上がった。もっとも、モモンガはたいしたことを考えていたわけではない。

 

(お、女性冒険者か。組合にもいたみたいだけど、近くで見るとまた感じ違うな~)

 

 化粧っ気のまったくない、さらには清潔感にもいささか欠ける姿ではあった。だが顔立ちは悪くない、というかなかなかに思える。美人というよりは愛嬌があるといった感じではあったが。

 

「こんにちは」

「は、はい!こんにちはです!」

 

 シャルティアの挨拶に慌てて立ち上がったブリタが、直立不動で返した。いささか滑稽とも見えるが、それを笑うものはここにはいない。むしろ声をかけられてうらやましい、と思うだけだ。

 唯一の例外であるシャルティアだけが、口許を綻ばせる。端正な顔立ちに浮かんだ微笑みは、さらなる彩りとなってその美貌を輝かせた。

 

(うわああああ)

 

 それを間近で見てしまったブリタは、完全に固まっている。その胸元に下げられた鉄のプレートに、シャルティアの視線が向けられた。

 

「銅級冒険者、シャルティア・ブラッドフォールンと申します。入ったばかりで不慣れなので、ご指導よろしくお願いいたします」

 

 モモンガにしてみれば、自分が新人であるがゆえに定型文で先輩を立てただけである。しかし、周りから見ればそれはありえない程の光景であった。

 そんな周囲の驚愕をよそに、シャルティアはブリタに軽く一礼して歩き出す。そして扉の前までたどり着くと、室内を振り返った。

 

「それでは、失礼いたします」

 

 

 

 

 

 扉の向こうに姫君の姿が消えると、まるで太陽が沈んだあとのように暗く感じられた。いつもと変わらぬ見慣れた光景のはずが、いつもより暗く薄汚れて見える。

 宿の主人は、姫君が漏らしたこの宿の寸評を思い出していた。

 

「……少し気合い入れて掃除すっかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いくつかの宿を回ったものの、結局モモンガは「黄金の輝き亭」にたどり着いていた。目の前にそびえ立つ、これまでのとは段違いの豪華な建物を見上げる。

 

(うわぁ、高そうだなぁ……)

 

 根が庶民であるモモンガにとって、それはなかなか気後れするものだった。しかし、ためらっていてもどうしようもない。モモンガは覚悟を決めて、装飾過多にも思える扉の前に立った。

 その瞬間、扉が内側に音もなく滑らかに開いて行く。思わずビクッと震えそうになるのをこらえて、モモンガはそのまま開ききるまで待機した。

 

「いらっしゃいませ」

 

 中に足を踏み入れた姫君に、両脇の従業員が丁寧に頭を下げる。小市民な身としてはつい反射的に自分も頭を下げたくなるが、なんとか我慢した。

 中は風除室になっており、正面にもうひとつ扉がある。従業員は姫君の美貌に目を奪われながらも辛うじて職務を思い出し、素早く移動してうやうやしく扉を開いた。

 

(落ち着け、落ち着け)

 

 モモンガはともすれば緊張で震えそうになるのをこらえながら、努めてゆっくりと歩を進める。こんな状況でも意識せずとも姿勢を綺麗に保ったまま歩けることが、たいへんにありがたかった。

 

(おお、広いな)

 

 一階ロビーは、今までの宿とは比べ物にならないほど広く明るい。内装の豪華さも言わずもがなだ。飾られている絵画など美術品も、審美眼に自信のないモモンガから見てもいいものに思える。

 左手には受付カウンターがあり、数名の受付嬢が並んでいた。正面には舞台のように広い踊り場のある階段が、右手はラウンジになっており、先程まで談笑していた客が驚いたようにシャルティアを見ている。

 全体的に広くゆったりとしたつくりで、かつて古い映画マニアなギルメンに見せられた作品の舞台に似た雰囲気があった。

 

(まあ、ナザリックのほうがすごかったけどな。だけど……)

 

 確かにナザリック地下大墳墓の最奥は、これと比較にならないほどの豪華な美を誇っていた。しかし、あれはあくまでデータに過ぎない。作るための難易度を考えれば、実際に存在しているこれと比較するのは間違っているだろう。

 足を止め辺りをゆっくりと見回していたシャルティアが、受付カウンターに向かって歩み始めた。進む先にいる従業員はすべて凍りついたように固まって、近付いて来る姫君の姿を見ることしか出来ないでいる。

 

「こんにちは」

「は、はい、いらっしゃいませ!」

 

 受付嬢は、はじめてここに立った時よりも緊張しながら頭を下げた。様々なVIP を出迎えてきた彼女から見ても、その美しさといい纏う雰囲気といい、すべてが桁違いの存在なのである。

 そんな少女に圧倒されている受付嬢の隣に、奥から出てきた身なりの良い壮年の男性が立った。

 

「いらっしゃいませ、お客様。こちらのご利用ははじめてでございますか?」

「はい」

「紹介状はお持ちでいらっしゃいますか?」

 

 シャルティア・ブラッドフォールンは小さくうなづくとどこからともなく書状を取り出し、カウンターに置かれたトレーの上にそっと乗せる。ここは冒険者組合ほど高くはないので、問題なく届いた。

 

「ありがとうございます。それでは、拝見いたします」

 

 男性は綺麗な姿勢で一礼すると、うやうやしく取り上げて中をあらためる。一通り目を通してから、書状を丁寧に畳んだ。

 

「いらっしゃいませ、シャルティア・ブラッドフォールン様。『黄金の輝き亭』はお客様の御逗留を歓迎いたします」

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、失礼いたします」

 

 部屋まで案内してくれた女性従業員が、深々と頭を下げて退室した。ひとりになったモモンガは、あらためて室内を見渡す。紹介状を受け取った男性、この宿の支配人によると最上級のスイートルームとのことだったが、その言葉に偽りはないようだ。

 

(いや、これ広すぎるよね)

 

 今いるこの部屋だけでも広いというのに、他にも寝室などいくつかと、使用人のための部屋まである。さらには立派なバスルームまで完備していた。

 この部屋の雰囲気は、どことなくナザリック第9階層の自室に似ている。というより、あれがこういったホテルの客室を参考にデザインされたのだろう。

 

(さて、まずは建物の構造からだな)

 

 はじめて泊まる場所なのだ。いざという時のために把握しておかなければならない。襲撃があった場合の防衛ポイントや、逃走経路の設定も必要だ。むろん宿のほうでも考えているのだろうが、任せっきりというわけにもいかないだろう。

 とりあえず部屋を守るための魔法を色々かけてから、モモンガは案内の従業員を呼ぼうとテーブル上のハンドベルに手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、そろそろディナータイムでございます。お食事はいかがなさいますか?」

 

 宿の中をひとまわりして帰ってきた部屋の前で、案内してくれた従業員が尋ねてきた。その言葉にモモンガは少し考えこむ。

 

(食事をする必要なんてないけど……しないわけにもいかないか)

 

 しないで誤魔化すことも不可能ではないだろうが、出来ることを無理に避ける必要もないはずだ。それに無理を通す機会は、そのうち訪れるかもしれない。そういう手は、そんな時のためにとっておくべきだ。

 ただ、ひとつ不安がある。

 

(俺、こんなトコで飯食ったことないよ……)

 

 もともとが場違いな上に、ここは異世界なのだ。きちんと振る舞える自信など皆無である。そんなモモンガの頭に、あるアイディアが浮かんだ。

 

「部屋に運んでもらうことは出来ますか? 」

 

 

 

 

 

 

 

 結局モモンガは、少し遅めの時間に部屋で食事をとることにした。従業員が帰ったあと、さっそく行動を開始する。

 使用するのは〈遠隔視〉の魔法だ。これで食堂の様子を観察し、食事の作法などを予習しておく。その上で慣れない異国のことだからと言い訳して、間違ったところを直してもらう。

 一から聞くのは恥ずかしいが、これならなんとか大丈夫なはずだ。あとはこの身体のスペックの高さに期待するしかない。モモンガは対抗や妨害への対抗呪文を唱えはじめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(なんとかなったな~)

 

 撤収していく従業員たちを見送ったモモンガは、ほっと胸を撫で下ろした。結果はおおむね満足できるものだったろう。

 

(見栄をはるのもありだけど、はり過ぎないようにしないとな……適度に人を頼ったほうが良さそうだ)

 

 そう結論づけると、柔らかなソファーに深く身を沈めた。そのまま、今しがたの食事に想いをはせる。

 自然の食材で作られた料理は、かつて暮らしていた世界ではとうてい手の届かない高級品であった。それが、ここではすべての皿がそうだったのである。モモンガの常識からすればあり得ないことだ。

 今回のメインディッシュであったステーキなど、本物を口にしたことがない。モモンガが知っている肉の味は、液状食料ステーキ味などといったシロモノだ。

 

(うん、悪くない。悪くないな)

 

 今までモモンガは、食事など腹さえ膨らめばそれで良いと思ってきた。しかしその認識も変わりつつある。これほどの料理が、簡単に食べられるのだ。

 この件についても、自分を変えていくべきなのかもしれない。モモンガは、少し食に興味を持ってもいいかと考えはじめていた。

 

 

 

 

 

 

 目を閉じてソファーの心地良い感触を堪能していると、寝室にあったベッドのことが思い出された。その感触が気になったモモンガは、ふわっとソファーから飛び下りる。そのまま弾むような足どりで寝室に向かった。

 

(やっぱりデカイな~)

 

 目の前に横たわるベッドは、かつてモモンガが使っていたものよりはるかに大きい。いくらなんでも無駄に大き過ぎないかとも思ったが、贅沢とはこういうものかと思い直した。

 モモンガはそっと手を伸ばし、掛け布団をポンポンと叩いてみる。さらにぐっと押し込んだ。

 

(おおっ、柔らかい)

 

 すべてが自然素材でできた高級品の感触は、はるかに進んだ文明からやって来たモモンガから見ても素晴らしい。あちらの最高級品などとんと縁がなかったが、これならばひけをとらないのではないだろうか。

 シャルティア・ブラッドフォールンの白いかんばせが不意に上げられ、室内の様子をうかがう。誰もいないことはわかっているものの、つい反射的に動いてしまったのだ。

 

(うう、止めようかな。でも……)

 

 一瞬ためらいながらも、モモンガはベッドにダイブする。巨大なベッドはシャルティアの小さな身体を優しく受けとめて、弾ませた。

 

(おおっ、すごい)

 

 そのままベッドの弾力を堪能しながら、ゴロゴロと転がる。大きなベッドの端から端まで使いながら、何往復も。そうやってしばし楽しんだあと、頭から布団の中に潜り込んだ。もぞもぞと這いずり回り、顔だけをひょっこりと覗かせる。

 

(柔らかくて、あったかいな~)

 

 全身を包み込む極上の感触に、しばし目を閉じて浸った。それは身心ともに安らぎを与えてくれる、素晴らしいものである。しかし───

 

(これはちょっと……)

 

 どれほど心地良かろうとも、当然のごとく睡魔が訪れるようなことはなかった。身体も休息など必要とはしておらず、安らぎも意味がない。

 このような状態で一晩を過ごすなど、ある意味拷問にも等しかった。

 

(いずれ、夜の過ごし方とか考えないとな)

 

 

 

 

 

 

 

 そんなところに、数名の女性従業員がやって来た。これは、風呂の用意をするためである。

 出迎えたモモンガに頭を下げてから浴室に消えていくが、ひとりだけ銀の盆を持った従業員が近づいてきた。

 

「お客様、冒険者組合から書状が届いております」

 

 見れば、盆の上には一通の封書が載っている。封に押された印は、組合で見た紋章と同じものだ。そして文字が読めない以上、とるべき手段はただひとつ。

 

「読み上げて下さい」

 

 内容は、指名依頼が入ったので明日組合まで来てほしいというものだった。今日登録したばかりなのに、なんとも素早いことである。これも、第三位階魔法の威光なのだろうか。

 

(まあ、さすがに最初っから重要な仕事は来ないだろうな。まずは実力の確認と顔繋ぎってとこか)

 

 それでも上手くこなせば次に繋がるだろうし、いずれはいいコネになるかもしれない。ここは失敗するわけにはいかなかった。モモンガは闘志を燃やして、こぶしを握り締める。

 そんな姫君を見ている女性従業員は、なんとも微笑ましいものを見たような表情を浮かべていた。

 

 

 

 

「準備が整いました。こちらへどうぞ」

 

 かつて暮らしていた世界でモモンガは、風呂などほとんどスチームバスで済ませていた。前にまともに湯槽に浸かったのは、いったいいつだったか。

 妙に心が沸き立つことに、モモンガは首を傾げた。それは豪華な浴室のせいか、それとも磨きがいのありそうな身体になったせいか。

 そう、けっして邪な考えのせいではないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いってらっしゃいませ! 」

 

 従業員に見送られ、モモンガは玄関前に停まっている馬車に乗り込んだ。これは魔法で作ったものではなく、宿に頼んで呼んでもらった普通の馬車である。

 とりあえずなるべく目立たないように、この方法を選んだ。いずれもう少しこの街に馴染めば、普通に外を歩けるようになるだろう。

 

(焦ることもないか)

 

 服装は、今までと同じ漆黒のボールガウンだった。勿論シャルティアのアイテムボックスには、他の服がいくらでも収納されている。しかし、慣れてしまったこの服以外に袖を通すのはいささかためらわれた。

 いずれは動きやすい男ものっぽい服を仕立てる必要があるのかもしれない。そう考え込んだモモンガを乗せて、馬車はゆっくり動き始めた。

 

 

 

 

 

 

 指定された時間より早めに馬車は組合に到着した。昨日来た時にくらべてだいぶ早い時刻に、建物の中に足を踏み入れる。

 

(おっ、けっこう多いな)

 

 組合の中は冒険者たちでごった返していた。閑散としていた昨日とは大違いである。ピークは過ぎたとは言うものの、この時間はまだラッシュアワーに含まれているのだ。

 そんな喧騒を一瞬で静寂に追い込み、漆黒の姫君は道を開ける冒険者たちの間を優雅に進む。その先には組合長のアインザックが立っており、シャルティアを手招きしていた。

 

「おはようございます」

「おはよう。ではこちらに」

 

 

 

 

 アインザックに連れられたモモンガは、小部屋に案内された。交渉や相談など多目的に使われる部屋のひとつで、ここは特に隠密性が高い。部屋の中には、恰幅の良い老人がひとり待っていた。この人物が依頼主なのだろう。

 

「申し訳ございません。お待たせしてしまいました」

「いえいえ、私が早く来すぎてしまっただけですよ」

 

 立ち上がって出迎えた相手に姫君が頭を下げると、その老人はにこやかに応えた。簡単に挨拶と自己紹介を済ませ、席につく。まずはアインザックが口を開いた。

 

「こちらのロフーレ氏は、エ・ランテルでも有数の商会を率いていらしてるのですよ」

「はは、息子に譲って今は気楽な隠居の身ですがね」

 

 このロフーレ氏のような先代のご隠居たちが集まる会合、その護衛が依頼の内容だった。それにしても、今日の午後からというのは、なかなか急な話ではある。

 

「まあ会合といっても、老人どもが定期的に集まってお茶を楽しむだけのものですよ」

(これは、出番は無さそうだな)

 

 街の有力者たちの定期的な集まりならば、護衛体制もしっかりしていることは想像できた。となると、ほんとうに顔繋ぎだけという可能性が高い。

 組合長のアインザックが立ち会っている以上なにか裏があることは考えにくいし、提示された報酬も妥当なもののようだ。街の有力者たちと顔見知りになっておくのも、悪くない。

 

「はい、依頼をお受けします。……ところで、服装はこのままではまずい、ですよね……」

「いえいえ、かまいませんよ。魔法詠唱者ならば武装もいらないでしょうし、そのまま私どもの中に紛れて下さい」

 

 これが罠であったと、この時のモモンガは気づくことは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(そうか、これが目的か。騙された。おのれ、組合長もグルだな~)

 

 モモンガは内心罵りつつ、表情は変えずに自分を取り囲む老人たちを見渡した。

 

 

 広い室内には綺麗に飾られたテーブルが並べられ、大皿小皿やカップなどが置かれている。モモンガからすれば、映画などでしか見たことがないような外国風のお茶会といった絵面だ。

 会合が始まってすぐ、給仕のメイドたちに引っ張られて上座とおぼしき席に着かされ、あっという間に囲まれてしまったのである。周りの様子を見るに、護衛も含めて他の全員が承知していたようだ。

 ロフーレ氏をはじめご隠居たちは皆笑みを浮かべ、敵意などはまったく感じられない。しかし何というか、弄る気が満々といった雰囲気だ。

 

(これは……退屈してるご隠居たちの暇潰しに呼ばれたな……)

 

 とは言うものの、この待遇を考えるとそう悪いことにはならないだろう。わざわざ街の有力者を敵に回す必要もあるまいしと、モモンガは抵抗を諦めた。

 姫君の警戒するような、少し張り詰めた雰囲気が緩んだと見てとるや、老婦人がそっと杯を差し出す。そのタイミングの良さに、モモンガは思わず受け取ってしまった。

 一瞬しまったと思ったものの、飲まないのも失礼にあたるだろう。どのみち致死性の猛毒であろうが効かない身体だ。

 湯気とともに立ち上る甘く豊潤な香りが、鼻腔をくすぐる。そっと一口含むと、優しい甘さが口いっぱいに広がった。

 

(美味しい。チョコ……いやココア? 心が安らぐな~)

 

 シャルティアの瞳が満足気に細められる。周囲のものたちは、どうやら大丈夫だと胸を撫で下ろした。

 ここに並べられた品々は、たとえ王族であっても満足させられるようなものばかりである。それでも大丈夫なのか不安にさせるほどの神掛かった雰囲気を、この少女はそなえていたからだ。

 

「いかが? これうちの店でも特に人気の品なのよ」

「はい、とても美味しいです」

 

 姫君は柔らかな微笑みを浮かべると、ふたたび両手で包んだ杯をゆっくりと傾ける。周囲すべてが見守る中、悠然とした態度を崩さずに味わっていた。

 空になった杯を、そっとテーブルに置く。それを見て老婦人は姫君に近寄った。

 

「あらあら、口元が」

 

 白いハンカチを取り出すと、シャルティアの口元を優しく拭う。それを気恥ずかしく思ったものの、何となく拒絶する気にはならなかった。

 モモンガは祖父母というものを知らない。もし居たらこんな感じだったのだろうか。

 

(こういうのも、悪くない……かな)

 

 周りを取り囲むのは、もとの年齢を考えてもはるか歳上ばかりだ。そのせいもあって、普段より自分を子供っぽく感じているのかもしれない。

 

「さあ、次はワシじゃ。お抱えシェフに作らせた逸品じゃぞ」

「なに言うとる。うちの果樹園で採れたばかりのこれらにはかなうまい」

 

 新しい皿が、次々と押し寄せてくる。こうなったらとことん付き合ってやると覚悟を決め、モモンガは次の皿を受け取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ああ、大丈夫かなぁ、シャルティアちゃん)

 

 組合の受付に座りながら暇をもて余していたイシュペンは、初仕事におもむいたシャルティアのことだけを考えていた。誰も来ないのをいいことに、さぼりまくりである。

 

「こら、仕事に集中しろ」

 

 それを見咎めたアインザックが声をかけた。イシュペンの様子をチラチラうかがっていた他の職員たちが、そっと目をそらす。

 

「だ、だって心配なんですよ~。組合長は心配じゃないんですか~」

「大丈夫だろう。あのお嬢さんは、人に好かれるタイプだしな」

 

 依頼は相手の人となりを見極めたうえで関係の是非を決めるためのものだが、アインザックはおそらく是となるとみていた。

 

「そうですか? だけど、素性もはっきりしてないんですよ。もしも、もしも~」

「そんな素性も知れない人間のことを、こうも心配してくれる奴がいるくらいだ。上手くいくさ」

 

 少し落ち着きを取り戻したイシュペンが、上げかけた腰を下ろす。そして大きく息を吐き出した。

 

「それにしても、ずいぶん急な依頼でしたよね」

「ああ、会合が今日なのは前から決まっていたし、次の機会を待ってたら、先を越されるかもしれんしな」

 

 実際、他にもそういう動きはあったのである。結果的にタイトなスケジュールで強引に進めたことが功を奏したかたちだ。

 

「隠居の身ってことで、フットワークも軽いからな。だからこそ最悪、問題があれば自分たちを切り捨てる、って考えてるんだろう」

「縁起でもないこと言わないで下さい!」

 

 いちおう賭けになっているところもある。もっともアインザックは、失敗の可能性はほぼないとみていた。

 

「大丈夫だって」

「ホントですかぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……というわけなんじゃよ」

 

 お茶会の話題は、老人たちの昔話に移っていた。いちおう苦労した話ではあるが、結局のところ成功したという自慢話である。周りの連中も聞きあきているらしく、容赦ないヤジが飛び交っていた。

 

「そりゃ盛り過ぎじゃろ」

「そうね、確か実際は……」

 

 とは言え、この世界に根ざし暮らしている人たちの話は興味深い。モモンガも内心ツッコミを入れたりしながらも、話にはきちんと耳を傾けていた。

 なにせ、もはや身内に話そうとしても、そそくさと逃げられてしまうような話題である。それを綺麗な姿勢で拝聴してくれる少女に、皆の好感度は急上昇していた。

 

「ところでな、ウチの孫は男前と評判でのう。どうじゃ、嫁にこんか」

「なに言うとる。あんな唐変木、釣り合いがとれんわい。ワシのとこのほうが……」

「あんなデブいかんじゃろ。それに比べ……」

「なんじゃなんじゃ、それならうちの……」

 

 そして、いつの間にか話はシャルティアの婿選びになっていた。それは牽制し合うような舌戦から、次第に単なる口喧嘩へと移行してしまう。飛び交う怒号のまっただ中、姫君はいささか落ち着かなげに視線をさまよわせた。

 

(えー、冗談、冗談だよね)

 

 とても本気とは思えない話だが、白熱した雰囲気からは何とも言えない。微妙な顔を隠し切れずにいると、パンパンと手を叩く音が響いた。

 

「はいそれまで! いい加減にしときなさい。お嬢さんが怯えているでしょう」

 

 さすがに行き過ぎた自覚はあるのか、声がピタッと止まる。小さく頭を下げるシャルティアに、その老婦人は微笑みかけた。

 

「それにしても、素敵なドレス。布地はなにかしら。うちの店もデザインは負けてないわよ、今度いらっしゃいな」

「お肌もキレイね~。オマケにこの髪ときたら、まるで銀糸のよう。ねえ、触れてもいいかしら」

「は、はい、どうぞ」

「ホントにサラサラ。一度ウチのお店に、と言いたいところだけど、これは必要ないわね。もし髪型をいじりたくなったら来てちょうだい」

 

 結局、場の主役という立場からは逃れられないのではあったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が沈むよりだいぶ前に、シャルティア・ブラッドフォールンは冒険者組合に戻っていた。あくまでも午後のお茶会なので、仕事の時間そのものは短い。それでも精神的な疲労は大きく、やや陰りのある表情で組合の扉をくぐった。

 まだ時間的には早いのか、あまり人は多くない。受付もいくつか空いているが、そのひとつからイシュペンがいい笑顔で手を振っていた。それを無視できるほどモモンガの神経は太くない。

 いくぶん重い足取りでカウンターに近寄った姫君の側に、大きな影がぬうっとそびえ立った。

 

(はて、敵意らしきものは感じないけど)

 

 そっと向けた視線の先には、大きな冒険者の男が立っている。身長だけでなく、横幅もある大男だ。にもかかわらずあまり威圧感がないのは、穏やかな表情のせいもあるのだろう。

 

「こんにちは、私は銀級冒険者『漆黒の剣』のダイン・ウッドワンダーなのである」

「ど、どうも、リーダーのペテル・モークです。昨日は仲間が失礼しました」

(あ、昨日変態を引き取った人だ)

 

 大男の隣に立つ青年には、確かに見覚えがあった。しかし昨日のことはもう済んだ話のはずなのだが。

 

「改めておわびと……」

「どうぞこちらをお使い願いたいのである」

 

 ダインが差し出してきたのは、木製の台であった。ご丁寧にステップまで付いている。それが受付カウンターの前に、ドスンと置かれた。

 

「ダインはこういう工作が得意なんですよ」

 

 お立ち台を前に、モモンガはためらう。まるで見世物になれとでも言われたような気がしたためだ。

 

(いや、今さらだな)

 

 ただ立っているだけでも、何より誰より目立ってしまう身になってしまったのである。モモンガは二人に礼を言って、ステップに足をかけた。

 とんとんっ、と可憐に軽やかに艶やかに、姫君は台に登る。それだけのことが、どんな芸術よりも人々の目を惹き付るのだ。

 

(おっ、ちょうどいい高さだ)

「では、これからはシャルティアちゃん専用お立ち台として、組合の備品にしますね」

 

 去っていくペテルたちを手を振って見送ったあと、シャルティアはイシュペンに向き直った。

 

「お仕事は無事にお済みですか?」

「はい、これを」

 

 カウンターの上に、依頼完了のサインが書かれた紙が置かれる。それを確認したイシュペンが事務処理を済ませ、報酬が支払われた。

 

(うわ、少なっ)

 

 いくら指名依頼といっても、しょせんは銅級である。もしかすると、あのお茶会で出された料理の皿一枚ぶんよりも少ないかも知れなかった。

 

(まあ最初だしな、これからこれから)

「やあ、依頼は終了かな」

 

 アインザックがあらわれ、イシュペンのかたわらに立つ。シャルティアは無言でアインザックを見上げた。

 

「ええと、いい依頼だったでしょう。あの人たちは街の有力者ですし、今後きっと……」

 

 饒舌なアインザックとは裏腹に、姫君は言葉を発しない。少し頬を膨らませ、いかにも不機嫌そうな目付きで見上げるだけだ。 

 

「……え……あの……その……ごめんなさい」

「次からは、こういうの無しにして下さいね」

 

 最終的に折れたアインザックに、シャルティアはため息まじりで口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、こんな依頼があるんだが。いいとこの独身連中が集まるパーティのゲストなんだけど」

「だめです! そんなケダモノたちのまっただ中にシャルティアちゃんを放り込むなんて! 危険過ぎます! 」

「……何かあったのか? 」

「あーゆー連中がシャルティアちゃんを無事に帰すはずがありません! そんなのポイしましょう、ポイ! 」

「……ポイ」

「ああっ! 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ぱーとすりーはあるのか()


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