艦これ外伝 ─ あの鷹のように ─ (白犬)
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第1話 「スパルヴィエロ」


はじめまして白犬と申します。

今回、艦これを題材にした2次創作を投稿することにしました。
とはいえ、私は艦これ自体はゲームも未プレイ、知識もかなり貧弱です。

色々問題もあるとは思いますが、少しでもこれを読んでくれる方がいるかぎり、がんばっていきたいと思います。

では!


 

 

 穏やかな風が通り過ぎ、さざ波のように揺れ動く草花。小高い丘に少女がひとり、

膝を抱えてうずくまっている。

 

 頭の後ろで纏められた黄金色の髪が、暖かい風を受けにさざ波のように揺られ、春の

訪れを告げていた。

 しばらくすると、少女はふと思い出したように顔を上げる。目の前に、煌めく蒼い光を

湛えたティレニア海が視界いっぱいに広がった。

 

 眼下にはティレニア海に面したナポリの町並みが見える。豆粒のような大きさだが、

町中を慌ただしく移動する人々の姿が見えた。

 少女はルビーのような青い瞳で、あてどもなくその動きを追っていた。

 

 どれぐらい時が過ぎたであろうか? 目の前を小さな黒い影がよぎり、少女は頭上を

振り仰ぐ。

 

 一羽の鳥が雲ひとつ無い空をよぎり、みるみる小さくなっていく。

 

 

「スパル……ヴィエロ」

 

 

 少女は無意識のうちに、自分の名前をつぶやいていた。

 

 『スパルヴィエロ』は、イタリア語で『ハイタカ』を意味するが言葉だが、それは、

まだ幼さの残る顔立ちの少女には似つかわしい名とは思えなかった。

 

 だが少女は厳密には『人』ではなかった。少女…スパルヴィエロは『艦娘』と呼ばれる

存在だった。

 艦娘とは、在りし日の古の戦船、軍艦の魂を受け継いだ娘たちの総称である。

 

 人ならざる力(能力)を持ち、人類を脅かす『敵』に唯一対抗し得る存在……ほんら

いなら、他の艦娘たちからは誇りや気概のようなものを感じるが、当のスパルヴィエロは

艦娘であるが故に人知れず悩んでいた。

 

【……お前はこんな所で何をしてるんだ?】

 

 スパルヴィエロはかすかに身体を震わせたが、ゆっくりと声のした方に顔を向ける。

 だがそこには誰もおらず、一匹の黒猫がふさふさとした大きな尾を振りながらスパルヴ

ィエロを見上げていた。

 

「あっ、ネロさん」

 

 猫が人語を解す、ほんらいならあり得ないことだが、スパロヴィエロは気にした素振り

もみせず、当たり前のように黒猫に話しかけた。

 

 ネロと呼ばれた黒猫は、呆れたように金色の目を細める。

 

 猫と会話をする少女、事情を知らない人が見れば、憐憫に満ちた眼差しを投げかけ通り

過ぎかねない光景だが、別にスパルヴィエロがおかしくなったというわけではなかった。

 

 ネロは、俗にいう“妖精”と呼ばれる存在であった。

 

 妖精とは、神話や伝説にのみ姿を現す架空の存在とされていたが、艦娘たちの出現と

同時に、人々の前に忽然とその姿を現すようになった。

 その姿形から艦娘と違い、当初はなんの役にたつのか疑問視されたが、戦闘における

サポート、そして艦娘や艤装の修理は基本的に彼女たちにしか行えず、その存在は

艦娘にとって必要不可欠と呼べる存在といえた。

 

 妖精は、一般的に手のひらにも乗るような、小柄で可憐な少女の姿を好んでとるが、

 アイルランドの寓話などに登場する、服を着て、二本足で歩き回る猫の姿の“ケット

シー”や、小人のような体つきの老人“レプラコーン”などの例もあるように、その

姿は多種多様であった。

 

 その正体は、純粋なエネルギーの集合体であり性別などというものを存在せず、その

ため必要に応じ、その姿を変えることすら可能であった。

 

 

 だが、ネロのような存在は希有といえるだろう。

 

 

 “人語を解する”という一点をのぞけば、ネロの外見は、丸々と太った長毛の黒猫

にしか見えなかったのだから。

 

「どうしたんですか、こんなところで?」

【そりゃあ、こっちのセリフだ】

 

 あごに指を当て首をかしげるスパルヴィエロに、ネロは不機嫌そうに二度、三度と地面

に尾を打ちつける。

 

【また、あの事で悩んでいたのか?】

「あははは、まぁ……」

 

 スパルヴィエロは乾いた笑いをあげると、また膝を抱えてうずくまってしまう。

 

 『空母』として覚醒したスパルヴィエロだが、もとは輸送船団を護衛するため客船を

急遽改造した護衛空母だった。

 そのため、当然のことながら、速力、搭載機数など、その性能は他国の空母型の艦娘と

比べると、著しく劣るものだった。

 

 半年前に、当時のイタリア海軍の主力泊地が、空母を基幹とした深海棲艦の奇襲を受け、

そこに集結していた艦娘や艦隊泊地は、一夜にして壊滅的な被害を受けた。

 軍艦関係者は、その攻撃で航空母艦とその艦載機による攻撃の優位性に衝撃を受け、

それまで信奉していた『空母不要論』という考えを改め、航空戦力の増強と、それを

搭載する空母を何より切望した。

 

 

 だが、現在イタリア海軍が保有する空母型艦娘は『アクイラ』ただ一隻であった。

 

 

 それだけに、圧倒的に空母が不足しているイタリア海軍としては、スパルヴィエロと

いう艦娘にかける期待は大きかった。

 

 だが、その結果は彼らが望んだものにはほど遠く、それゆえに、その落胆ぶりもまた、

並のものではなかった。

 

 

『大飯ぐらいのお荷物』、無駄な争いを好まない穏和な性格も災いし、軍関係者や他の

艦娘たちがスパルヴィエロにくだした評価は辛辣なものだった。

 

 当然、スパルヴィエロはこの心ない中傷に落ち込みもしたが、彼女の真の悩みは他にあ

った。

 

 

 

 度々夢に見る、不思議な光景。

 

 

 

 

 ─ 空には鈍色の雲が渦巻き、コールタールを思わせる黒い海がどこまでも続く海上

を、数隻のタグボートに曳航され、1隻の大型の船がノロノロと進んでいる。

 そして、突然その船は閃光と水柱に包まれ、ゆっくりとその巨体を、黒い水面に没

していく。

 

 だが、その光景は鮮明さに欠け、影絵のようにな画像は時折激しく歪み、いくら目を

凝らしても、細部まで確認することができなかった。 ─

 

 

 

 普通の少女として生活していた数ヶ月前までは、このようなことはなかった。

 

 そして、この不思議な夢を見る度に、スパルヴィエロは自分自身の存在の希薄さを

感じ、激しい不安に悩まされていた。

 

 

 このことは、パートナーともいえるネロも知らないことだった。

 

 

 ハイタカが去った大空を見上げながら、スパルヴィエロが力なくつぶやく。

 

「……わたしも、アクイラ姉さんみたいに戦えたらな」

 

 スパルヴィエロの脳裏に、残存イタリア海軍主力艦隊唯一の空母として、日夜最前線

で深海棲艦と戦い続ける、同じ空母型艦娘である姉の姿が浮かぶ。 

 

【あいつは正規空母、そしてお前はしがない軽空母……比べること事態そもそも間違い

だろう?】

「そ、それは分かってます。でも……」

 

 見る見る語尾が小さくなるスパルヴィエロ。それを見たネロは片目を閉じながら、小

さく息を吐く。

 

【それに、お前だって、そう捨てたもんじゃない】

「えっ、そ、そうですか?」

【ああ、乳のデカさなら、お前の方がアクイラより上だ】

「な、なんの話ですか!」

 

 ネロの視線から遮るように、スパルヴィエロは慌ててふくよかな胸を両腕で覆い隠す。

 

【よかったな】

「よくありません!」

 

 腕を激しく振りながら顔を真っ赤にして立ち上がるスパルヴィエロを見上げ、ネロは

童話に出てくるチシャ猫のようなニヤケた笑みを浮かべる。

 

【そうそう、そうやって無駄に元気振りまいている方がお前らしい】

「ネロさん……」

 

 ネロが自分を励ましていたくれたことにようやく気づいたスパルヴィエロは、感極まっ

たように声を詰まらせる。

 

【さて、と……これでようやく本題に入れるな】

「本題?」

【ああ、ところで、今何時だ?】

 

 いつになく真顔で尋ねるネロに、スパルヴィエロは眉を寄せながら、ポケットから銀

色の懐中時計を取り出し盤面をのぞき込む。

 

「えっと、午前10時を過ぎたところですけど、それが……あっ!!」

 

 何か思い出したのか、スパロヴィエロの身体が稲妻に撃たれたかのように硬直する。

 

「は、はわわ、そういえば、わたし、今日は輸送船団の護衛を……」

 

 スパルヴィエロはきびすを返すと、服についた草を払うことも忘れ、全力で丘を駆け降

りはじめる。

 

「い、急がないと任務が…って、わきゃあああぁぁぁぁぁッ!?」

 

 足がもつれ、スパルヴィエロは盛大に丘を転がり落ちていく。その姿が見えなくなるま

で、彼女の悲鳴がナポリの空に虚しく木霊した。

 

 

 

 

【ふぅ、やれやれ、だな】

 

 ネロは大きく首を振ると、姿の見えなくなったスパルヴィエロの後を追い、ゆっくりと

丘を駆け下りていった。

 

 



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第2話 「秘書艦」

 

 ここはナポリ港、倉庫が建ち並ぶ一角に6人少女のが集まっていた。

 少女たちの出で立ちも潮の匂いの立ちこめるこの場にはふさわしくないのだが、そのうちのひとりの放つ怒りを含んだオーラが、さらに少女たちを周りから浮き上がらせていた。

 

 オーラの主は、小柄な体つきに黒みがかった緑色の髪を短く切りそえ、眼鏡の下の切れ長の瞳が印象的な少女だった。

 黒いビジネススーツにも見える軍服を纏い、胸元に数冊のファイルを抱えている。

 美少女といっても通用しそうな顔立ちだが、いまは憤怒の形相がそれを台無しにしていた。

 

 彼女の名前はトレント。

 

 イタリア海軍所属の『トレント級重巡洋艦』の1番艦であり、ナポリ海軍基地、司令官

付きの『秘書艦』でもあった。

 

 眼鏡を指で押し上げながら、切れ長の目をさらに細めながらトレントは呆れたようにつぶやく。

 

「……どうしたのです、その姿は? 陸上で、深海棲艦にでも遭遇したのですか?」

 

 トレントの怒りの矛先となったスパルヴィエロは、体をビクッと震わせる。

 170センチを越える大柄な体格のスパルヴィエロだが、今ははるかに小柄なトレント

に恐れおののき、身を縮こまらせている。

 

 あちこちに草やら土をこびりつかせ、二の腕や頬、それに鼻の頭に絆創膏を貼ったスパルヴィエロ。

 

 お揃いの薄茶色のセーラー服に身を包んだ4人の少女たちが、その光景を遠巻きに

見ていた。

 体に装着された『艤装』や、腕に下げたバッグや背負った大型のリュックから、今回

の輸送作戦に従事する艦娘たちだろう。

 スパルヴィエロとトレントを交互に見て、何やら小声で話し合っている。

 

「任務を放り出して、いったい貴女はどこで油を売っていたのですか?」

「そ、それは……」

 

 口ごもるスパルヴィエロを見上げながら、トレントは腕に巻いた時計に目をやる。

 

「現在、時間は10時23分……私の記憶に間違いがなければ、本日ヒトマルマルマル時に、

軽空母に護衛された輸送船団がこのナポリ港からサルディーニャ島に向けて出航しているはずですが?」

 

 一語一語、確認するように、押し殺した口調で、トレントは話し出す。

 

「貴女は今、このイタリアが置かれた状況を、本当に理解しているのですか?」

 

 トレントは、指先で眼鏡を押し上げながら沖合に目をやった。

 

 ここ数年に及ぶ深海棲艦と人類の戦いは、艦娘の参入により優位に進んでいた。

 だが、後に“タラントの惨劇”と呼ばれる敗北により、戦局は一変した。

 

 制海権を奪われ、シーレーンを寸断されたイタリアは、深海棲艦たちにより、さらに

ジブラルタル海峡やスエズ運河といった外洋への出口を封鎖され、“地中海”という名の

小さな箱庭に押し込められる運命を強いられた。

 

 その後、占領されたタラント軍港で深海棲艦たちによる、何らかの動きがあるのが

確認されたが、毒性を帯びた障気に阻まれ詳細は分からずじまいだった。

 

 また、地中海に面した国々に対しても、その貧弱な海上戦力が自分たちにとって驚異

に値しないと判断したのか、徹底した残敵掃討を行なうこともなく、深海棲艦に対し

表だった行動を起こすか、外洋への逃避行でも行わない限り、人類側の好きにさせて

いた。

 

 

 

 当初、深海棲艦たちの不可解な行動に、これら当時国の政府関係者は困惑したが、

いつしか、この“檻の中の自由”を、当たり前のこととして、受け入れるようになっていた。

 

 

 

 

 ただ一国、深海棲艦たちに対して唯一対抗し得る戦力、“艦娘”を有するイタリア

共和国を除いては……。

 

 

 

「確かに、私たちの主立った戦場は、地中海近海のみと極めて限定されています。

ですが、それでも深海棲艦たちと戦うには、武器弾薬や燃料は必要不可欠なのは、

貴女も十分に分かっているはずなのでは?」

 

 人間たちの行動に、無関心な態度を見せる深海棲艦たちだが、艦娘たちが艦隊を組み

敵対行動を起こしたり、これらに必要な物資を輸送するとなれば、話は別だった。

 これらの動きを察知すると、深海棲艦たちも艦隊を派遣し、これを阻止しようと、

たちどころに両者の間で激しい戦闘の火蓋が切って落とされた。

 

 このため、直線距離でたかだか400キロしか離れていない、イタリア海軍が総司令部を

置くナポリから、主力艦隊の泊地があるサルディーニャ島までの間ですら、輸送任務に

従事する艦隊を護衛する艦娘は、無くてはならない存在だった。

 

 今のイタリア海軍が置かれた状況を考えれば、今回の一件はどう考えても、スパル

ヴィエロに落ち度があった。

 

 何を口にしようが、文字通り言い訳にしか取られないだろう。

 

 スパルヴィエロはうつむき黙り込んでしまうと、それを見ていたトレントの目がわずかに細まった。

 

「どうやら貴女には、艦娘としての適正が欠けているようですね」

 

 感情のこもらぬトレントの口調に、スパルヴィエロは驚き顔を上げる。

 

「今の貴女には輸送船団の護衛など、到底任せられません。提督に護衛の艦娘の変更を

具申してきます」

「まっ、待ってください!」

 

 スパルヴィエロの懇願にも耳を貸さず、トレントは黙ったままその場を離れ始めた。

 意を決したような顔になると、スパルヴィエロはトレントの後を追い、その腕をつかんだ。

 

「待ってください、トレントさん!」

 ようやくトレントは歩みを止めると振り返った。だが、その瞳には冷たい光を宿し、

口を開こうともしない。

 

「あ、あの、本当にすみませんでした。今後は二度と任務に支障を来すような真似はしません……だから、だから今回の船団護衛は、わたしにやらせてください、お願いします!」

 

 スパルヴィエロはそう言うと、深々と頭を下げた。腰まで伸びたポニーテールが、反動だらりと前に垂れ下がる。

 まるでそれは異様に長いちょんまげか、金色の像の鼻のようだった。

 

 トレントは、しばらく左右に揺れ動くスパルヴィエロのポニーテールを目で追っていたが、やがて軽く頭を振ると、ようやく口を開いた。

 

「痛いです」

「へ?」

「腕……」

 

 スパルヴィエロは、ようやくトレントの腕を力任せに握りしめたままなのに気がついた。

 

「はわわ、す、すみません秘書艦殿」

「まったく、凄い握力ですね。腕が潰れるかと思いましたよ」

 

 ようやく自由になった腕をさすりながら、トレントはスパルヴィエロを睨んだ。

 

 感情というものをあまり表に出さず、任務に私情を挟むことなく淡々とこなす姿から

『氷のトレント』とあだ名される艦娘の瞳に、つい先ほどまでの浮かんでいた冷たい光

が消えていた。

 

「いいでしょう、不本意ですが、その熱意に免じて今回は貴女に任せます。ですが、二度目はありませんよ?」

「あ、ありがとうございます、秘書官殿!」

 

 パッと顔を輝かせるスパルヴィエロを見上げ、トレントは小さく息を吐く。

 

「……では、定刻よりだいぶ遅れてしまいましたが、これよりスパルヴィエロ以下、輸送

船団はサルディーニャ島へ向け、定時輸送に出航してもらいます」

「はっ、スパルヴィエロ、これより輸送船団護衛の任につきます」

 

 スパルヴィエロはピンと背を伸ばし敬礼すると、埠頭めがけて走り始める。

 

「ちょっと待ちなさい」

 

 いきなり呼び止められ、スパルヴィエロの動きが止まる。

 

「は、はい、何でありましょうか、秘書艦殿?」

「貴女、何か大切な物を忘れてませんか?」

 

 スパルヴィエロは額に指を当て考え込む、トレントはそれを見てこめかみをピクピクと痙攣させ始める。

 

 

「……貴女、艤装は? サルディーニャまで、ざっと400kmはありますが、まさか泳いで

いくつもりですか?」

 

 

 スパルヴィエロは、ゆっくりと自分の体を見下ろす。

 

 ノースリーブの白いYシャツに赤を基調としたいネクタイ、そしてストライプの入った

緑色のミニスカートが潮風に揺れている。

 だが、目を皿のようにして見まわしても、艦娘にとってのアイデンティティとも言える艤装は、パーツひとつ見当たらなかった。

 

 やがてゆっくりと顔を上げると、そこには怒りと呆れを程良くミックスさせたトレントの緑色の瞳が、自分を睨みつけていた。

 

 ついに我慢できず、お腹を抱えて笑い出す輸送艦娘たちの声を背に、スパルヴィエロは顔を真っ赤にして駆け出す。

 

 

 

 

「す、すみません、すぐに用意してきますーッ!」

 

 

 

 

 悲鳴にも似たスパルヴィエロの声が、ナポリの港に響きわたった。

 



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第3話 「老提督」

 

       第3話 「老提督」

 

 (ほんとうに、彼女に任せてよかったのかしら……)

 

 

 輸送船団護衛、最近ではスパルヴィエロの専任ともなった感があるこの任務を、彼女に通達する度にトレントは毎回こんな不安に駆られていた。

 自分を納得させるように、トレントは両腕で抱き抱えていたファイルを開く。

 

「いまさら何をいっても手遅れ、か……それに彼女は結果を出してきた」

 

 何かを確認するようにファイルを読み進めていたトレントの指が、ピタリと止まる。

 

「でも、この指令書だけは納得がいかない」

 

 トレントは手にしたファイルを閉じ、顔を上げる。

 眼前に広がるティレニア海、さっきまでかろうじて確認できたスパルヴィエロたちの姿も、今は水平線の向こうに消えていた。

 

 トレントはわずかに首を動かし、左側を見た。

 

 船舶の入出港に使用する航路から少し外れた海上に、船とおぼしき船体の一部分が、

海面から見えていた。

 折り重なるように身を寄せた数隻の艦影は、その身を海水に洗われ潮風に晒され、

錆に覆われた赤銅の身体を、無惨に晒していた。

 

 だが、よく目を凝らせば、船体に穿った大穴や、天を指すように伸びた砲身から、

それが軍艦の残骸だと気づくだろう。

 それは過去に行われた深海棲艦との戦いで戦没した、イタリア海軍に所属していた

戦闘艦艇のなれの果てだった。

 

 

 

 そして、それはトレントたち艦娘の、かつての姿であった。

 

 

「提督は、何をお考えなのだろう」

 

 

 かすかに疼く胸に手をやり、感傷を振り払うように首を振ると、トレントは意を決し

埠頭を後にした。

 

                  ※

 

 トレントが向かったのは、埠頭からわずか数分という距離にある、三階立ての大きな宿だった。入り口に飾られた看板は薄汚れ、かろうじて『エスペランザ』という文字が読みとれた。

 

 ナポリをはじめとする、港町によく見られる典型的なタイプの船宿だが、今はやむなき理由からイタリア海軍に徴収され、臨時のナポリ基地兼、艦娘たちの宿舎として使われていた。

 

 真上から見下ろすと、建物はL字型をしており、一階は食堂と酒保を、二階は艦娘たち

の宿泊施設、そして三階は作戦室や無線室などの基地機能を担っていた。

 

 トレントは、眼前の古びた建物をしばらく無言で見上げていた。

 数十ある窓のうち、いくつかはヒビが入りテープで補修がしてあった。だが、まだそれはいい方で、数部屋は窓枠そのものが、きれいさっぱり消失している。

 いまさらだが、よく見ると、宿自体も微妙に傾いているように思えた。関係者以外に説明しても、ここがイタリア海軍の司令部のひとつとは、容易に信じてはくれないだろう。

 

 入り口近くには、警備のために銃を構えた兵が数人立っており、道行く人々が横目で

見ながら通り過ぎていく。

 

 トレントに気づき、直立不動の姿勢をとりながら敬礼する兵たちに返礼しながら、

彼女は宿の中へと入っていった。

 

 ギシギシと音を立てる階段。いまにも踏み抜きそうな場所を避け、なるべく端の方を選んでトレントは三階を目指した。

 ようやく目的の階というところで、靴のかかとが出っ張っていた釘に引っかかり、トレントはバランスを崩してしまう。

 思わず手を伸ばすが、残念なことに掴んだとたん、本来の使命を全うする間もなく、

手すりは鈍い音を立て折れてしまった。

 

「痛ぅ……もうっ!」

 

 ふだんはあまり、喜怒哀楽といった感情を表に出さないトレントだったが、しこたま壁に頭をぶつけてしまっては、そうもいかないだろう。

 忌々しげに、握っていた元手すりを廊下の端に投げ捨てた。

 

 気を取り直し、散らばったファイルを拾い集め、服についた埃を払うと、トレントは

細長い廊下を歩き始める。

 左右に続く部屋には目もくれず、廊下の突き当たりまでくると足を止めた。

 

 目の前に、なんの変哲もないドアがある。

 

『執務室』

 

 ドアには、そう書かれた小さなプレートが、少し斜めに釘で打ちつけられていた。

 

 トレントは衣服に乱れがないか素早く確認すると、軽くドアをノックする。

 

「おう、鍵なら開いてるぞ~」

 

 何とも気の抜けた声に、トレントはため息をつきながらノブを回す。

 

「失礼しま……」

 

 ドアを開けたとたん、室内から漂ってきた芳醇な香りがトレントの鼻孔をくすぐる。

 

 殺風景な部屋だった。

 

 部屋の左側には書類を管理する大きな本棚が、反対には簡素な作りのキャビネットが

置いてある。

 調度品の類といえば、ありふれた山河が描かれた風景画が、壁にかかっているぐらいだ。

 

 唯一、トレントが用意した(私物の)花瓶と、それに活けられた色とりどりの花が、

この殺伐とした部屋にわずかな彩りを与えていた。

 

 部屋の正面、一番奥まった場所に置かれた古びた事務机の前まで進むと、トレントは机に置かれた安物のワインボトルに気づいた。

封はすでに切られており、そこからさきほどの香りが漂ってきている。

 

「また、ですか?」

 

 机の後ろに置かれた椅子はこちらに背を向けていたが、トレントはかまわず話しかける。

 

 露骨に顔をしかめるトレントだったが、別段ワインにそのものに不満があるわけではなかった。

 むしろ、生粋のイタリア人であるトレントの日常にとっても、ワインは欠かせないも

のであり、ほんのわずかな人(艦娘込み)しか知らないことだが、彼女はかなりの酒豪

だった。

 

 トレントは振り返り、入り口の上に取り付けられた時計に目をやる。

 

「現在の時刻は、午前10時46分。しかも、提督は現在当ナポリ基地司令官として勤務中のはずですが?」

「そう、堅いこと言いなさんな」

 

 いきなり椅子が回転し、声の主がニヤリと笑う。

 

 齢は60後半から70といったところだろうか、年相応に小柄で痩せ気味の体格、頭髪と

きれいに切りそろえられた見事な口髭は、白一色だった。

 海の男らしく、赤銅色に焼けた肌を持ち、その顔はまるで彫り込まれたような深い皺に埋め尽くされている。

 

 その風貌や、笑みを絶やさぬ好々爺といった顔つきだけみれば、ひとつの基地を総括する司令官というより、漁に精を出す老船乗りの方がお似合いだろうが、海軍の高級士官用の軍服を一部の隙もなく着こなし、時折見せる鋭い眼光が、それを否定していた。

 

 トレントとて、艦娘としてこの数年、深海棲艦を相手に死闘を繰り広げてきた。

 幾つもの修羅場も体験し、その度にそれ乗り越え、並のことには動じないという自負

もあって。

 

 だが、目の前の老人が本気でトレントを見つめたとき、彼女は一切の反論の言葉を失ってしまう。

        

 

 

 マリオ・バルドヴィーノ小将。

 

 

 

 この老人こそ、ナポリ基地所属の艦娘たちの提督であり、イタリア海軍を統括する

総司令官であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第4話 「悔恨」

         第4話 「悔恨」

 

 

「お疲れさん、どうだい、お前さんも一杯?」

「いえ、勤務中ですので」

 

 差し出したグラスに見向きもせず、きっぱりと拒否されたバルドヴィーノは肩をすくめる。

 

「つれないのぉ、少しは老い先短い老人につきあってもいいじゃろうが」

 

 ブツブツと小言をつぶやくバルドヴィーノを尻目に、トレントは老提督の背後に回ると、大きな窓を開けはなった。

 窓の外には、青と緑のコントラストが美しいティレニア海が一望できた。

 潮風が新鮮な空気を部屋に運び込み、部屋にわだかまったアルコールの匂いを掻き消

してゆく。

 

「それより……少々、量が過ぎませんか?」

 

 トレントはそう言いながら下を見た。

 正面からは見えなかったが、バルドヴィーノの足下には空になったワインのボトルが

2本ほど転がっていた。

 

 昨日、執務室を出る際にチェックしたときには、確かにこんなものはなかった。

 

「なあに、お今のわしにできるのは、コレぐらいじゃからのぅ」

 

 カーテンを引こうとしていたトレントの動きが止まる。

 トレントの気配から何かを察したのだろうか? バルドヴィーノは持ち上げたグラスを机に置くと、うなだれてしまう。

 

「……すまん、お前さんたち艦娘は、命がけで戦ってくれておるというのに、今のは

言い過ぎじゃった」

「いえ、気になどしてはおりません」

 

 そう言いながら、トレントは珍しく微笑んでみせるが、老提督はグラスに満たされた赤い液体を見つめ、黙ったままだった。

 

 

 トレントは、バルドヴィーノの胸の内を知っているだけにやるせない気持ちになり、

そっと目を伏せた。

 

 

 今から数年前、何の前触れもなく世界各地の海上に、異形のモノたちが現れた。

 そしてソレは、警告ひとつ発することなく世界に対して戦いを挑んできた。

 

 当時国は慌てふためいたが、何とか混乱を収めるとすぐに反撃に移った。

 

 だが、結果は惨憺たるものだった。現有する陸海空、すべての兵器の威力を持っても、後に『深海棲艦』と呼ばれるこの異形の存在に、傷ひとつつけることはできなかったのだ。

 

 瞬く間に、『海』という世界最大の領土は深海棲艦たちの手に渡り、人間は陸地の奥へと追いやられた。

『滅び』か『餌となるか』、この過酷な選択を迫られ、人々の心が絶望に覆われようとしたとき、彼女(・・)は忽然と現れた。

 

 

 その少女は、深海棲艦に破壊され、わだつみへと消えていった軍艦の名を口にし、

身にまとった『艤装』と呼ばれる武器を使い、襲いかかってきた深海棲艦を苦もなくた

おしてしまったのだ。

 そして、その日を境に、自らを軍艦(いくさぶね)の生まれ変わりと名乗る少女たちが、ひとり、またひとりと現れのだ。

 

 

 後に、艦娘(かんむす)と呼称されるよになった少女たちは、その日を境に世界規模で現れ、一斉に深海凄艦たちに対し反撃を開始した。

 

 世界に一条の希望の光が射し込むが、同時にそれは小さな軋轢を生み出すことになった。

 

 深海棲艦に立ち向かうことができるのが、艦娘のみとなった現在では、各国の軍隊は

もはや張り子の虎であり、現状では艦娘たちのサポートをするための存在でしかなかった。

 

 トレントの目の前にいるバルドヴィーノも、かつてはイタリア海軍の全艦艇を率いて

深海棲艦と戦ったが、まるで歯が立たなかった。

 

 多くの部下を死なせ、バルドヴィーノは自身の無力さに絶望し、それ以来、酒に逃避

の場を求めた。

 

 そんな老提督の心情を痛いほど理解できるからこそ、駄目だとは分かっていても、トレントは彼から酒を取り上げることができなかった。

 

 

「わしのことなら、心配はいらんよ」

「へっ?」

 

 いきなり話しかけられたトレントは、間の抜けたような返答をしてしまい、慌てて口元を隠す。

 そんな彼女を、バルドヴィーノは優しげな眼差しで見ていた。

 

「すべては過去の話じゃ、今はお前さんたちの手助けを……わしに出来ることを精

一杯やるだけじゃ!」

「提督」

 

 そう言いながら、バルドヴィーノは部屋中に響くほどの大声で笑いだす。

 つられて、トレントの口元にも笑みが浮かぶ。

 

「そういえば、今日はずいぶんと、遅かったな?」

 

 またいきなり話題が変わったが、トレントは今度はさっきのような無様な姿は見せなかった。

 

「申し訳ありません。少々予定外の事態が起きまして……」

 

 トレントは頭を下げながら、ようやく話が自分の望む方に向かい、内心胸をなで下ろし

ていた。

 

「また、あの()ちゃんかい?」

「はい」

 

 バルドヴィーノは少し顔をしかめると、グラスの中身を一気に空ける。

 

「提督、実はその件でお話があります」

「何じゃ、あらたまって?」

 

 トレントは、真顔でファイルから一枚の紙を抜き取ると、机の上に置いた。

 老提督は、指先でそれをつまむと目の前に持ってくる。

 

「おお、これか。それで、これに何か問題でもあるのか?」

 

 目の前に押し返された指令書を見るや、トレントの顔色がわずかに変化した。

 

「問題って……今のスパルヴィエロにできるのは船団護衛が関の山です、この指令書に

記されたような任務が遂行できるとは、私には思えません」

 

 詰め寄るトレントに気にした素振りもみせず、バルドヴィーノは空になったグラスに、並々とワインをついでいく。

 

「そうかのぅ、だが、あの嬢ちゃんは、いままで与えられた任務はきっちりこなしておるぞ」

 

 トレントは黙り込んでしまう。

 

 たしかにスパルヴィエロの空母としての能力は低く、同じ艦娘たちからも『お荷物』

呼ばわりされている。

 だが、こと船団護衛の任務に関していえば、ここ2ヶ月の間に8回出撃し、うち2回は深

海棲艦と遭遇しているというのに、実質的な被害をゼロに押さえていたのだ。

 

「しかし」

  

 まだ納得がいかない様子のトレントに、バルドヴィーノは肩をすくめ、グラスを持ち

上げた。

 

「お前さんだって、ウチの台所事情(現有戦力)は理解しておるじゃろう?」

「それは……ですが、どうしても私には理解できません」

「何をじゃ?」

「提督が、必要以上にスパルヴィエロを擁護しているようにしかみえない事がです!」

 

 トレントは声を張り上げると、机に両手を叩きつけた。

その剣幕に、口元に持っていき

かけた、老提督の手が動きが止まる。

 

「も、申し訳ございません、私……」

 

 思わず激高してしまったトレントは、今度はあたふたしながら頭を下げる。

 

「はっはっはっ、『氷のトレント』と呼ばれるお前さんが、こうも感情を露わにする

とは、珍しいこともあるもんじゃな?」

「か、からかわないで下さい……」

 

 羞恥に頬を朱に染め、うつむいてしまったトレントを、老提督はまるで、孫でも見る

ようなまなざしで見ていた。

 

 

(……確かにわしは、あの嬢ちゃん、いや『スパルヴィエロ』に負い目を抱いて

おるかもしれんな)

 

 

 

 

 

 

 

 どこまでも続く鉛色の空を背に、深海棲艦たちが大挙して進軍してくる。

 その進路上には大型の船が一隻、船体の大部分を海面に没し、傾いていた。

 深海棲艦たちは、ソレが何の障害ももたらさないことを察知すると、左右に分かれ

船を迂回しはじめた。

 

 次の瞬間、船は巨大な光の玉と化した。

 

 目も眩むほどの閃光が辺りを包み込み、立っていられないほどの振動が、足下から

這い上がってくる。

 

 鼓膜を破らんばかりの轟音が轟き、巨大な火柱と黒煙が上がり、海と空とをひとつに

繋いだ。

 

 

 

 

 

「提督!?」

 

 目を開けると、すぐそばに、不安そうなトレントの顔があった。

 

「あ、ああ、心配ない、ちょいと昔の事を思い出しておってな」

 

 老提督は軽い口調でそう言うと、グラスの中身を一気に喉に流し込む。

 

 

 

 ワインは、その色と同じように血の味がした。

 

 

 

 老提督は思わず顔をしかめるが、まだ表情を堅くしているトレントに気づくとニコリと笑い、グラスをひょいと持ち上げた。

 

 

 

「まあ、『お荷物』だろうが何だろうが関係ない。あの嬢ちゃんも艦娘じゃ、やって

もらうしかないんじゃよ」

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

「くしゅん!」

 

 ちょうど同じ頃、ナポリから100キロほど離れた地点。

 

 洋上を疾走する一団から、スパルヴィエロの盛大なクシャミが響きわたった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第5話 「輸送船団を護衛せよ! ①」

  

 

「あの、だいじょうぶですか?」

「チーン! あ、はい問題ないです」

 

 心配そうに見上げる輸送艦娘に、スパルヴィエロは鼻をかみながら笑いかける。

 

「それよりみなさん、陣型をくずさないように、この旗について、一列に並んでくださいね?」

「「「「はーい」」」」

 

 手にした小さな旗を振りながら指示をあたえると、スパルヴィエロの後ろにぴったと

くっついて航行していた4人の輸送艦娘たちが、手を挙げながら同時に答える。

 少女たちは、ときおり飛び散る波しぶきを受け、無邪気に笑いあっていた。

 

(うう、かわいいなぁ~)

 

 170センチを越える長身に、均整のとれたプロポーション、年の割に大人びて見られる

反動か、スパルヴィエロは『小さいもの』『可愛いもの』といったものにめっぽう弱か

った。

 

 じっさい彼女の私室は、その手のグッズで溢れ返っていた。

 

 自分たちの任務も忘れてしまったのか、嬌声をあげはしゃぎ始めた少女たちだが、もはやスパルヴィエロには、そんなことはどうでもよくなってきていた。

 

(ビバ! 船団護衛!!)

 

─ おい、よだれ垂れてるぞ ─

 

 いつしか、トレントの苦言も脳裏から霧散し、ホンワカした空気に包まれ心の中でサムズアップ(親指を立てて)していたスパルヴィエロだが、頭の中に凍てつくような

声が響き渡り、我に返る。

 

「はう! ネ、ネロさん?」

 

─ いつまで向こうの世界にいってんだ、仕事しろ! ─

 

 現実世界に無事帰還したスパルヴィエロは、口元を拭いながら、恨めしげに腰に下げた矢筒を見る。

 

「わ、わかってますよ~」

 

 あきらかに非は自分のほうにあるのだが、そんなことはおかまいなく、スパルヴィエロは唇を尖らし、そっぽを向いてしまう。

 

「ん、どうかしましたか?」

 

 視線を矢筒から反らすと、いつの間にか隊列を離れ輸送艦娘がひとり、自分と併走しているのに気がついた。

 少女はスパルヴィエロと目が合うと、慌てて速度を落とし後ろに下がってしまった。

 

 首をひねると、今の輸送艦娘は他の3人とヒソヒソと何か話し合っているようだ。

 

(ああ、また(・・)はじまった)

 

 スパルヴィエロは、がっくりと肩を落とす。

 今回の輸送艦タイプの艦娘たちとは、はじめて行動をともにしていたのだが、過去に

別の艦娘たちに、同じようなリアクションを何度かとられたことがあったのだ。

 

 厳密にいうなら、少女たちが興味を持っているのはスパルヴィエロ自身ではなく、彼女が装着する『艤装』にあった。

 

 

 

 また、すぐそばに気配を感じ、目だけそちらに向けると、いつの間にかスパルヴィエ

ロは輸送艦娘たちに取り囲まれていた。

 

 少女たちの、異様にキラキラと輝く瞳を見ていると、口から出かかった「陣型を乱さないでください!」というセリフも、のどの奥にひっこんでしまう。

 ついに溢れ出す好奇心を抑えることができなくなったのか、ひとりの輸送艦娘が海面を滑るように近づいてきた。

 

「あ、あの、スパルヴィエロさん、ひとつ聞いてもいいですか?」

「……はい、何でしょう」

 

「スパルヴィエロさんて、空母なんですよね」

「……ええ、いちおう、そのつもりです」

 

 

「でも、そのわりには、ちょっと変わった形ですよね、ソレ」

 

 少女はそう言いながら、ビッと一点を指さした。

 

 わざわざ目で追わなくとも、少女が何を言いたいかは過去の体験から分かっていたので、スパルヴィエロは、あえてそちらを見ようとはしなかった。

 

 端から見れば、スパルヴィエロの艤装は、元が簡易改造空母だけあって、そう目立った

ものではなかった。

 

 推進器(スクリュー)と舵が一体化した、ブーツを思わせるような脚部。

 腰には矢筒が揺れ、そして左手には、それを放つ(ボゥ)が握りしめられている。

 背中には、鉛色の箱状のパーツを背負うかのように装着されており、そのパーツから無骨なサブアームが左右に伸び、右のアームの先端に半月型のスポンソンと、その上に数基の高角砲が設置され、左のアームには飛行甲板がとりつけられていた。

 

 

 だが、その飛行甲板に問題があった。

 

 

「これ、ひょっとして剣なんですか? これで深海棲艦をズバッと切っちゃうとか?」

「すっご~い」

「え~、ほんとうですか?」

「かっこいい!」

 

 

「いえ、これはただの甲板なので、そんなことをしたら、おそらく折れてしまうかと……」

 

 

 期待に目を輝かせ、にじり寄る少女たちの瞳から、みるみる光が消えていく。

 

 

「……そうなんですか」

「すみません、期待に添えなくて」

 

 波ひとつない洋上。場が静まり返り、気まずい空気がスパルヴィエロたちを包み込ん

だ。

 

 たったひとつの問題。そう、それは、空母型艦娘にとって象徴ともいえる、飛行甲板の形状にあった。

 

 一般的に飛行甲板の形は、長方形となっている。

 基本的にスパルヴィエロの飛行甲板も同じなのだが、なぜかその最先端から4分の1程

が桟橋のように細長くなっており、まるで飛行甲板の先端に、細身の剣でもつけたかのような奇妙な形をしているのだ。

 

 この急に狭まっていく部分は、実寸では長さは50メートルほどあるが、幅はわずか5メートルしかなかった。

 実際、こんなところから艦載機が発艦できるわけもなく、さりとて、このスペースに

カタパルトが装備されていたような形跡も見あたらない。

 

 航空母艦は数多くあれど、このようなキテレツな飛行甲板を持っているのは、スパルヴィエロただ一隻だけであろう。

 

「ええ、と」

 

 まるで、お通夜の席と勘違いしそうなこの空気を何とかしようと、スパルヴィエロは

脳をフル回転させはじめるが、頭の中に声が響き、それはすぐに中断されてしまった。

 

 

 

 ネロたち妖精のものともちがう声……いや、正確にいえば、それは『鳴き声』だった。

 

 

 

 スパルヴィエロは頭上を振り仰いだ。

 

 

 

 

 

 あれ(・・)が、飛んでいた。

 

 

 

 

 

 小柄な体に不釣り合いなほど大きな翼、ピンと伸ばした一組の足にそれを多い隠すほどの尾羽根。

 流れるようなラインの頭部には、鉤爪を思わせる嘴をそなえていた。

 

 

 

 それは、自らが放つまばゆい光に包まれた、巨大な『鷹』だった。

 

 

 

 

「スパルヴィエロさん?」

 

 惚けたように空を見上げ、身動きひとつしないスパルヴィエロに気づき、輸送艦娘たちも顔を上げるが、そこには雲ひとつない青空が広がっているだけだった。

 

 

 そう、あの『鷹』は、スパルヴィエロが艦娘として覚醒したあの日に、彼女の頭上に

とつぜん現れ、彼女以外の誰の目にも映らなかった。

 

 

 

 そして、あの『鷹』が姿を見せたとき、それが良きにせよ悪しきにせよ、スパルヴィエロの周りに、何かが起こった。

 

 スパルヴィエロは意を決したような顔になると、腰の矢筒から一本の矢を抜き取り

弓につがえると、力の限り引き絞った。

 

─ おい、どうしたっていうんだ? ─

 

 今は自ら『矢』の状態になっているため、身動きのとれないネロが、必死に思念で問

いかけるが、スパルヴィエロは何も答えない。

 

 輸送艦娘たちも、どうしていいか分からず、互いの顔を見ながらオロオロするだけだった。

 

─ 何があった、答えろ! ─

 

「……来ます、敵が……」

 

─ 何!? ─

 

 それだけ答えると、矢を引き絞ったまま、スパルヴィエロは真剣な顔で『鷹』が去っていった方角に目をやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的地であるサルディーニャ島は、まだ、はるか先だった。

 

 



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第6話 「輸送船団を護衛せよ! ②」

 

 

 

 スパルヴィエロは右腕に力を込め、目一杯弦を引き絞ると静かに目を閉じた。

 呼吸を整えると、弦にかけた指を静かに離す。

 

 大気を切り裂く鋭い音とともに、蒼窮の空に向けて1本の矢が放たれる。

 瞬時に矢は炎に包まれ、三つに分かれた。

 さらに炎はすぐに爆ぜ、中から機影が飛び出した。

 

 スマートな機体の上に掲げられるように取り付けられたエンジン、その横から楕円翼に近い主翼が延びていた。

 エンジンの設置位置の関係で、操縦席風防の直前でプロペラが回転を続けている。

 

 

 一風変わったこの機体の名は『カントZ501ガビアーノ』。

 

 

 しかも、それは艦上機ではなく、飛行艇(・・・)であった。

 

 最初に矢を放った方角を起点として、スパルヴィエロは少しずつ角度を変え、5本の矢を次々と打ち放つ。

 

 

「お願いします、妖精さん」

 

 

 合計18機のZ501ガビアーノは、しばらく輸送船団の頭上を旋回していたが、やがてスパルヴィエロを中心に、円を描くかのように広がると一斉に敵を探すべく、高度を上げ飛び立っていく。

 

 

─ あいかわらず、訳の分からんことをする奴だな ─

 

 

 

 矢筒から、ため息とともにネロのつぶやく声が聞こえてきた。

 

 ナポリからサルディーニャ島に向かう航路をとっている以上、地形的に深海棲艦の勢力下にある地中海南側、シチリア島方面に向かって扇状の二段索敵を行う方が、よほど効果的なはずだった。

 スパルヴィエロのように、陸地であるイタリア半島を含んだ360度、全周を索敵するなど、無駄な行為と非難されても仕方がないだろう。

 

 

 しかも……。

 

 

─ なんでサルディ二アに向かって索敵機を飛ばす必要があるんだ? おれたちの目的地

だろうが ─

 

「念のためです」

 

 懐疑的なネロの声に答えながら、スパルヴィエロはみるみる小さくなっていく索敵機

を見送った。

 

 

◆◆◆

 

 

 それから30分ほど、何事もなく時間が経過した。

 輸送船団は周りを警戒しながら、なおも目的地へと進んでいた。

 

『コチラ6番機、シチリア島南西150キロノ海域、パンテリア島付近二、敵、深海棲艦ヲ

発見! 編成ハ駆逐艦3隻デス』

 

 スパルヴィエロの頭に、索敵機からの思念による報告が響きわたる。

 妖精たちの声は、輸送艦娘たちにも伝わったのだろう。

 にわかに顔が強ばり、慌ただしさを増す。

 

「だいじょうぶですよ、心配しないでください」

 

 スパルヴィエロは洋上で器用に腰を屈めると、少女たちと目線を合わせ、一番近くに

いたおさげの少女の頭に手をやり、撫でさすりはじめた。

 

「みなさんは、必ずわたしが守りますから!」

 

 スパルヴィエロの自信に満ちた声に、不安そうに身を縮めていた輸送艦娘たちの顔に

笑顔がもどった。

 

─ パンテリア島か……なら、まだ間に合う。おい、最大戦速だ、いまのうちにオロゼイ

に逃げ込むぞ! ─

 

 オロゼイは、サルディ二ア島の東側、ティレニア海側に面した場所であり、その地形から泊地として最適であり、現在はイタリア海軍の主力艦隊が艦隊泊地として使用していた。

 そしてここが、スパルヴィエロたち輸送船団が目指す、目的地でもあった。

 

─ おい、どうした? ─

 

 ネロは、いっこうに返事をしないスパルヴィエロに、ムッとしたように問いかける。

 

─ もたもたしていると、あいつら(深海凄艦)に追いつかれちまうぞ ─

 

「……これって、変じゃないですか?」

 

  あごに指を当て、何か考え込んでいたスパルヴィエロが、顔を上げる。

 

─ 敵が現れ、おれたちを攻撃するために、一直線にこっち向かってくる。いったいこれ

の、どこがへんなんだ? ─

 

「数、少なすぎると思いませんか?」

 

─ 哨戒用の艦隊なんだろ。 じゃなきゃ、ここら辺は第1遊撃艦隊のナワバリだ。連中にボコられた深海棲艦の残存艦艇かもしれんぞ ─

 

 1年前に起きた“タラントの惨劇”以来、イタリア半島にもっとも近いシチリア島は、

深海棲艦から島の形が変わるほどの苛烈な攻撃を受け、いまでは完全な焦土と化していた。

 

 ただ、深海棲艦自体はこの島にさほど戦略的価値を感じないのか、同島の近海に幾つかの艦隊を展開させているだけであり、それ以上イタリア本土への進行を阻止するために、定期的に艦娘たちが派遣され、小競り合いを続けている海域であった。

 

「たしかに現状を考えれば、ネロさんの仮説には説得力があります、でも……」

 

 事態は一刻を争うというのに、どうにも煮えきらないスパルヴィエロに、ネロは苛立ちを隠そうともしない。

 

─ あのなあ! ─

『コチラ11番機、敵艦隊ヲ発見シマシタ』

 

 突然割り込んできた報告に、ネロが息をのむ。

 

─ チッ、増援か。いわんこっちゃない! だから…… ─

 

「ちょっと、待ってください」

 

 今度はスパルヴィエロが、ネロの思念を遮った。

 とっさに反論しようとするが、鋭さすら感じさせるスパルヴィエロの口調に、押し黙ってしまう。

 

「11番機の索敵範囲は、シチリアとは逆ですよ」

 

 表情を硬くしながら、スパルヴィエロは目的地であるサルディーニャの方向に顔を向ける。

 ネロは瞬時に、スパルヴィエロが言わんとしたことを理解した。

 

『報告ヲ続ケマス、深海棲艦ハ、現在ボニファシオ海峡ヲ越エ、南下中、編成ハ軽巡2 

駆逐艦4、輸送船団ヨリ、推定150キロノ距離マデ接近中!』

 

─ ボニファシオだと? 馬鹿な! ─

 

 妖精の報告に、ネロが絶句する。

 

 ボニファシオは、サルディ二ア島とその上に位置するコルス島の間を走る海峡の名前

である。

 深海棲艦の別道艦隊は、よりにもよってイタリア海軍の主力艦隊の座する拠点を回り込んで来たというのだ。

 

 

 

「挟撃、ですね」

 

 

 

 サルディーニャとシチリア。スパルヴィエロは、ふたつの島を順に見ながら、小声でつぶやいた。

 

 



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第7話 「輸送船団を護衛せよ! ③」

 

 

 洋上に停止し、スパルヴィエロは静かに目を閉じると、意識を集中する。

 

─ 全索敵機に通達します。索的行動を速やかに終了し、全機至急帰艦してください ─

 

─ 了解ッ! ─

 

 妖精とはいえ、18機(人)分の思念が同時に頭の中に響きわたったのだ。スパルヴィエロは一瞬バランスを崩す。

 

─ あいつら(索敵隊)は、一応全機爆装してるんだろ? だったらこのまま攻撃に

向かわせるべきじゃないのか? ─

 

 

 Z501ガビアーノは、艇体は木製、主翼と尾翼は木製骨組みに羽布張りという、旧式な

構造だった。

 だが、合計640キロもの爆弾を搭載でき、2000キロを上回る航続距離は長距離哨戒爆撃機としても使用できる、旧式ながら傑作機と称しても過言ではない水上挺であった。

 

「いえ、あの子(妖精さん)たちは、あまり練度が高くありません。いまはこれが精一杯だと思います、それに……」

 

 頭を軽く振りながら言葉を区切ると、スパルヴィエロは西の方角に目をやる。

 天候がにわかに乱れはじめ、サルディーニャ島の背後から、巨大な入道雲がもくもく

と湧きたちはじめていた。

 

 

─ なるほど、な。これじゃあ、自殺行為だ ─

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 鈍いエンジン音が聞こえ、スパルヴィエロたちは一斉に顔を上げる。

 

 空に複数の黒点が浮かんでいた。それはみるみるうちに大きくなり、独特な形状の飛行艇へと姿を変えた。

 

 カントZ501は少しづつ高度を下げると、一機、また一機と海面に着水しはじめた。

 ほっそりとした艇体と、主翼の下に取り付けられたフロートにまとわりついてた波が、だんだんと小さくなり、18機のカントZ501は、スパルヴィエロのすぐそばで動きを止めた。

 

 とつぜん、カントZ501は目も眩むような光を発した。

 だが光はすぐに消え、あとには、6本の矢がゆらゆらと波間を漂っていた。

 

 スパルヴィエロは身をかがめ矢を拾うと、軽く振って海水を払い、1本、また1本と矢筒に納めていく。

 

「ご苦労様でした」

 

 労るような口調で話しかけながら、スパルヴィエロは矢筒を撫でる。

 

─ どうだ、いけそうか? ─

「無理ですね、みんな疲れきっています。すぐに補給(休養)させてあげないと」

─ そうか……で、どうする気だ? ─

「ナポリに引き返しましょう。いまならまだ、駆逐艦は振り切れます」

 

 ネロも、それが最前の対応と考えていたのだろう。スパルヴィエロの言葉を、無言で

肯定する。

 

─ そうすると、あとはボニファシオから向かってくる艦隊の対応だな ─

 

 いつもと同じ低い渋みのある声だったが、ネロの声音から、スパルヴィエロは、この一番の相棒でもあるこの妖精が、いつになく昂ぶっていることに気づいていた。

 

「ええ、ネロさんの出番ですよ」

 

 スパルヴィエロはそう言いながら、矢筒からさっきとは別の、緑色に塗られた矢を引き抜いた。

 

「戦闘機隊、全機発艦!」

 

 4本の矢が放たれ、それは瞬く間に12の機影に分離した。

 一斉に散開したのは、濃緑色に塗装され、ずんぐりとカウルに、時代遅れの固定脚が

印象に残る複葉の戦闘機『フィアットCR42ファルコ』だった。

 

 現在、イタリア海軍空母型艦娘が正式採用している艦上機は『メリディオナリRo51』であった。

 

 だがスパルヴィエロは、とある事情から前述の正式艦上機を使うことができず、飛行艇である『カントZ501ガビアーノ』と、改修を繰り返し、なんとか艦上機としての体裁を整えた全時代の遺物といっても差し支えのない単座複葉の『フィアットCR42ファルコ』を艦載機として使用していた。

 

「よし、あとは……」

 

 頭上で編隊を組はじめたフィアットCR42を満足そうに眺めながら、スパルヴィエロは

矢筒に残った1本、ネロが変化した真紅の矢に指を伸ばす。

 

─ ひとつ、聞きたいことがある ─

 

 伸ばした指が、動きを止める。

 

「どうしたんですか、あらたまって」

 

─ お前、どうしてパンテレリアから向かってきた駆逐艦が囮だと気づいたんだ? ─

「わたしも、知りませんでしたよ」

─ 何だと!? ─

 

 人差し指と中指で矢を挟みながら、スパルヴィエロはいたずらっ子のような笑みを浮かべる。

 

「ただ、不思議に思っただけです。あの駆逐艦は、なぜわたしたち(輸送船団)に一直線に向かってきたのか? 距離的に考えても攻撃が間に合わないのを承知の上で……」

 

 

 矢筒から真紅の矢を抜き取ると、スパルヴィエロは呼吸を整える。

 

 

「そのとき、ふと思ったんです。駆逐艦は、わたしたちを自分たちの狩り場に追い立てるための猟犬であり、獲物に狙いをつける狩人は別にいるんじゃないかって……そうしたら妖精さんから、あの別動艦隊の報告があったというわけです」

 

 スパルヴィエロは話すのを止めると、矢をつがえ、大きく弦を引き絞る。

 ギリギリと音を立て、ゆっくりと弦が後退していく。

 

 

 

─ こいつ…… ─

 

 

 

 ネロは、目を閉じ精神を集中しはじめたスパルヴィエロの横顔を、感覚の目で見ていた。

 

 

 

─ たしかに、こいつの空母としての性能は、艦娘としては落第点かもしれん。だが、こいつの『自分の置かれた状況を正確に判断し、的確に対応する』能力は…… ─

 

 

 

「さあ、ネロさん、お願いします!」

 

 

 スパルヴィエロのはつらつとした声に、ネロは思考を破られる。

 

 

「指揮官機、発艦ですっ!」

 

 

 ひときわ大きな炎に包まれ瞬時に弾けた。その中から紅に染めあげられた、フィアットCR42ファルコが飛び出した。

 

 コクピットの中で、飛行服に身を包んだネロが飛行帽の顎紐をきつく閉めながら、眼下に目をやる。

 

 

 

 そこには、自分を見上げているスパルヴィエロの姿があった

 

 

 

 

【あいつ、本物かもしれんな】

 

 

 

 

 ネロはゴーグルを装着しながら、低い声でつぶやいた。

 

 

 



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第8話 「輸送船団を護衛せよ! ④」

 

 

「失礼します!」

 

 よほど慌てていたのだろうか? レシーバーをつけたまま、若い男が執務室に飛び込んできた。

 

 その手には、一枚の電文が握れられている。

 

「何ですか、ノックもせずに!」

 

 いつものファイルの代わりに、空のボトルを3本ほど抱えたトレントが、眼鏡越しに

射るような目で男を睨みつける。

 

「構わんよ、急用なんじゃろ?」

 

 また勤務中に酒を飲んでいたのがバレ、お説教をくらっていたバルドヴィーノ提督は、怒りの矛先がそれたのをこれ幸いと、男を手招きする。

 

「で、どうしたのじゃ?」

「はっ、ただいま、サルディーニャ島に向かって航行中の輸送船団より、敵深海棲艦発見の報が届きました」

 

 下士官は、いったん話すのを止めると、大きく息を吸う。

 

「なお、敵は二隊に分かれており、パンテレリア島方面から駆逐艦3、もう一方は、ボニファシオ海峡を越え、軽巡2、駆逐艦4が確認されております」

 

 

 

 老提督の表情が、瞬時に険しくなる。

 

 

 

「海図を持ってきてくれんか」

 

 トレントはすぐに、大判の海図を執務机の上に広げた。

 

「で、輸送船団は、どこら辺におるのかの?」

「さきほどの報告では、輸送船団はすでに待避行動をとっているようで、現在この辺りを航行中のはずです」

 

 のぞき込むように男が指し示した一点を見ていた老提督は、口ひげをいじりながら満足そうに微笑んだ。

 

「現在位置から考えますと、スパルヴィエロたちがこちらの制海権に到達する方が早いと考えますが」

 

 すばやく、両者の距離と速度から計算したトレントが、安堵の息をつきながら進言する。

 同時に、この切迫した状況のなかで、的確な行動をとったスパルヴィエロの判断力に、トレントは驚きを隠せなかった。

 

「だがそれも、予期せぬ事態が起きなければ、じゃがな」

 

 トレントが我に返ると、バルドヴィーノが海図を睨んだまま、何か思案しているよう

だった。

 

「提督?」

「……ルイジの艦隊は、今どこらへんにおるかの?」

「第1遊撃艦隊、ですか?」

「うむ」

 

 トレントは一冊のファイルを手に取ると、素早くページを手繰り始める。

 

「第1遊撃艦隊は、現在、シチリー島近海の、哨戒任務についているはずです」

 

 トレントが指し示した海図の一点を見ると、バルドヴィーノはニンマリと笑った。

 

「よし、ルイジたちには悪いが、念のためにもうひと働きしてもらうとするかな」

「しかし提督、わざわざ第1遊撃艦隊を差し向けなくとも……」

「念のため、と言うたじゃろ? それにな」

 

 バルドヴィーノは、まるでいたずらっ子ような笑みを浮かべた。

 

「なるべく、早く顔を合わせておいた方が、後々のためにも良い、とわしは思うんじゃよ」

「あっ」

 

 トレントは、ようやく老提督の意図に気がついたようだった。

 

「ルイジの艦隊に、至急、輸送船団の救援に赴くように打電してくれ……ああ、平文で

構わんぞ、とにかく急いでな?」

「は、はっ!」

 

 ひとりだけ事情を知らず、たたずんでいた男は敬礼をすると、慌てて無線室へ向かって走り出した。

 

 

◆◆◆

 

 

 進路を変更し、輸送船団は、一路ナポリに向かって航行していた。

 

【よし、これからおれたちは、接近中の敵艦隊への攻撃に向かう!】

「ちょ、ちょっと待ってください、ネロさん!」

 

 ネロはいぶかしげに眼下に目をやる。

 洋上で、スパルヴィエロがこっちに向かって、必死に両腕を振っていた。

 

 

【何ぃ、おれたちは、直援だと?】

「はい!」

【しかし、軽巡を主力とした艦隊が……】

「あれは、じゅうぶん振り切れます。それより、ネロさんたちには、もっと重要な任務があるはずです」

 

 

 スパルヴィエロの言わんとすることが理解できず、ゴーグルの奥で、ネロは眉を寄せた。

 

 

「もし、この海域に第3の敵……つまり潜水艦がいたらどうするんですか?」

 

 敵艦隊の動向と攻撃にばかり気をとられ、スパルヴィエロに指摘されるまで、敵潜水艦の存在を失念していたネロは、言葉を失ってしまった。

 

 ほんらいなら、潜水艦からの不意の攻撃を回避するためには『定期的にコースを変える』『つねにジグザグに動く』などが有効であるが、敵の追撃を受けている現状では、そんな余裕はなかった。

 

わたしたち(輸送船団)には、敵の潜水艦を事前に察知することはできません。まして、それを撃退できるのはネロさんたちだけなんです。だから、ここは我慢して……」

 

 スパルヴィエロは、まだ話しかけていたようだが、操縦席で苦虫を噛みつぶしたような顔で、ヒゲをいじっていたネロの耳には届いていなかった。

 

 

(まったく、あんな青臭い小娘に指摘されるまで潜水艦の存在に気づかんとは……おれ

もヤキが回ったもんだな)

 

 

「ネロさん、どうかしたんですか?」

 

 問いかけに応じず、沈黙したままのネロを案じて、スパルヴィエロが再度、通信を試

みてくる。

 

【聞こえてるよ!】

 

 ぶっきらぼうに一言だけ答えると、ネロは意識を集中する。

 

 

【よし、各機、高度を下げ、僚機を視認できる限界まで距離を開け。敵艦隊はもちろん

だが、とくに潜水艦の接近に注意せよ!】

 

 ネロの指示に、12機のフィアットCR42はいっせいに機種を下げはじめた。

 

【とりあえずはこれで良し、か。なあ、せめてこの状況を司令部に報告したほうがよく

ないか?】

 

 気持ちを切り替え、部下たちに続くべくネロはフットペダルを踏み込み、握った操縦桿を軽く押し込みながら、スパルヴィエロに問いかけた。

 

「それでしたら、もう打電し終わってます」

 

 間髪入れず、スパルヴィエロから返事が返ってくる。

 

【……左様ですか】

 

 ネロは、スパルヴィエロ手際の良さに内心舌を巻きながら、軽く肩をすくめてみせた。

 

 

◆◆◆

 

 

【まいったな】

 

 ネロは下を見ながら、顔をしかめた。

 

 眼下では、一路ナポリに向かっていたはずの輸送船団が完全に動きを止め、波間を漂っていた。

 バルドヴィーノ提督が懸念した『予期せぬ事態』がじっさいに起きてしまったのだ。

 

「やはり動きませんか?」

「はい」

 

 スパルヴィエロに問いかけられた輸送艦娘が、泣きそうな顔で答える。

 少女の艤装に不具合が生じたらしく、脚部に取り付けられたスクリューが、まったく

動かなくなってしまったのだ。

 酷使しつづけた反動か、おそらくスクリューと機関を繋ぐシャフトに何か異常が生じたのであろう。

 

 だが、このような洋上では、修理もままならなかった。

 

【各機、警戒を密にしろ! 目ん玉見開いて、敵の動きに注意するんだ!!】

【了解ッ!】

 

 今、敵から攻撃を受ければ万事休すである。

 ネロの指示に、護衛戦闘機隊の動きがにわかに活発になる。

 

 刻一刻と時が過ぎていくなか、考え込んでいたスパルヴィエロは、意を決したように顔を上げる。

 

「みなさん、荷をすべて捨ててください」

 

 スパルヴィエロのとつぜんの提案に、輸送艦娘たちが一様に驚いた顔になる。

 

「なっ!?」

「そんなこと、できません」

「みんな、この物資を待っているんです!」

「そうです、これは大切な……」

 

「みなさんの命だって、大切なんです」

 

 異口同音に異論を唱える輸送艦娘たちだったが、スパルヴィエロが諭すような口調で

話しかけると、みな口を閉ざしてしまった。

 

「たしかに、この物資は大切なものです。でも、みなさんにもしものことがあれば、

それさえも運べなくなってしまうんですよ?」

 

 輸送艦娘たちは、黙ったままスパルヴィエロを見つめていた。

 

「今は、生き残ることを第一に考えましょう。生きてさえいれば、また物資は運べます」

 

 微笑むスパルヴィエロを見ていた輸送艦娘たちは、あきらめたように、無言のまま背負っていたリュックや、両手に下げたバッグを海に投棄しはじめた。

 

─ 不味いぞ、スパルヴィエロ ─

 

 空母と妖精だけが通話に使える特殊な思念を用い、ネロがスパルヴィエロに話しかけてきた。

 

─ どうかしたんですか? ─

─ 両翼に展開した部下から連絡があった。パンテレリアから向かってくる駆逐艦は、

なぜか、(速度)が落ちたようなんだが、ボニファシオ経由の軽巡艦隊の方には、このままだと、

完全に追いつかれる! ─

 

 

 

「……そう、ですか」

 

 

 

 

 周りを素早く見回していたがスパルヴィエロは、何かを決意したような顔になる。

 

 

 

 

 

 



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第9話 「輸送船団を護衛せよ! ⑤」

「ここはわたしが、引き受けます。みなさんは、早くナポリに向かってください」

 

 スパルヴィエロが何を考えているのか、瞬時に察した輸送艦娘たちが周りに集まって

くる。

 

「そんな、無茶です!」

「そうです、危険すぎます」

 

「だいじょうぶです。わたし、こう見えてもけっこう頑丈なんですよ?」

 

 スパルヴィエロは、片腕を曲げて(極貧の)力こぶを作ってみせる。

 

「あっ、それから……これをお願いします」

 

 そう言いながら、スパルヴィエロは腰に手をやり、矢筒を差し出した。

 

「もうこの娘たち(カントZ501)は、疲れきっていて戦えません。だから……」

 

 

 

 

 空母が自ら(艦載機)を手放すということが、何を意味するのか? 

 

 

 

 

 輸送船とはいえ、同じ艦娘である少女たちにも、スパルヴィエロの考えていることは

十分すぎるほど理解できた。

 弓と矢筒を受け取った輸送艦娘の両目に、みるみる涙がたまっていく。

 

「さ、急いでください」

 

 スパルヴィエロはそっと指を延ばすと、つぶらな瞳の端に浮かんだ涙を、そっと指先

で拭いとった。

 

「ネロさん」

 

 スパルヴィエロは、頭上を振り仰いだ。

 

 ネロは、スパルヴィエロが行おうとしていることが自殺行為だと分かっていても、一言も口を差し挟まなかった。

 

 ほんらいなら、敵艦隊への誘引を行うのは自分の役目だと思っている。

 だが、そのために船団の直援を投げだせば、万が一スパルヴィエロが危惧する敵潜水艦からの攻撃に、輸送船団を晒す危険が生じてしまう。

 

 

 それが分かっていればこそ、ネロは黙って耐えていた。

 

 

「あとは、お願いします」

【……スパルヴィエロ】

 

 ひとり背を向け、走りだそうとしたスパルヴィエロの動きが止まった。

 

【このチビたちを送り届けたら、すぐに戻ってくる。それまで、無茶すんなよ】

 

 スパルヴィエロは、満面の笑みを浮かべると、今度こそきびすを返し、敵に向かって

白波を蹴立て進みはじめた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 さきほど発生した雨雲はみるみる大きくなり、今は頭上をすっぽりと覆ってしまっている。

 

 スパルヴィエロは視線を戻すと、こんどはゆっくりと周りを見渡した。

 日の光を遮られ、鈍色に見える海原が、どこまでも続いている。

 

「……海って、広いんだな」

 

 なんとも暢気なセリフが、スパルヴィエロの口をついて出た。だが、それとは裏腹に、スパルヴィエロの体は小刻みに震えていた。

 

 思い起こしてみれば、艦娘として覚醒してから数ヶ月が経つが、スパルヴィエロの

そばには、つねに随伴艦の姿があった。

 こうして広大な大海原を、単艦で航海するのは初めての経験だった。

 

 まるでこの世界に、ただひとりだけ取り残されかのような孤独感。

 

 

 

(あっ、これって……あの)

 

 

 ソレは、時折スパルヴィエロを襲う『自らの存在の希薄さ』と『あの夢』に似た

感覚だった。

 

 だが、スパルヴィエロはすぐに、眉を寄せ、顔をしかめる。

 

(でも、この感覚は何か違……つッ!?)

 

 その時、まがまがしいほどの異形の『気』が、スパルヴィエロの思考を強制的中断させた。

 

 ひたいに手を当てながら、顔を上げる。

 水平線に、複数の黒点がいくつも浮かび上がる。

 

 

 

 人にして、人に非ざるモノ。(ふね)にして(ふね)に非ざるモノ。

 

 

 

 スパルヴィエロは唇を噛みしめ、出現した深海棲艦たちを睨みつけた。

 

 

 

 視界内に敵艦隊を確認したとたん、スパルヴィエロは真横に進路を変えた。

 

 

 

 そのまま直進し、しばらくして横を見る。

 深海棲艦たちは、スパルヴィエロと併走していた。

 

「よかった、こっちに食いついてきてくれた」

 

 スパルヴィエロを無視して、輸送船団を追撃する。

 考えていた最悪のシナリオを回避できたことを知り、スパルヴィエロは安堵のため息

をつく。

 だが、同時にこのシナリオの先には、バッドエンドしかないことも、スパルヴィエロは理解していた。

 

 敵の艦隊は、軒並み30ノット以上の速力を出せたが、対するスパルヴィエロは、せいぜい18ノットしか出せない。

 

 ナポリに引き返そうがサルディーニャに進もうが、目的地に達する前に、敵の砲火に晒されるのは目に見えていた。

 

「でも、ここで諦めたら、生き残る可能性はほんとうに『ゼロ』だ!」

 

 スパルヴィエロは、ガクガクと震えはじめた膝を力いっぱい叩くと、もっとも距離の

短いナポリに向かって、再び進路を変えた。

 

           

 

◆◆◆

 

 

 

 頭上から鼓膜を破らんばかりの轟音が響いたとたん、スパルヴィエロのすぐそば、

数メートルの地点に巨大な水柱が3つ上がった。

 

「あうっ!?」

 

 とっさに“障壁”を展開するが、もとが客船改造の空母であるためスパルヴィエロ

の防御力は、他の艦娘と比べると明らかに劣っていた。

 直撃こそ回避できていたが、今まで受けた数発の至近弾だけでも、スパルヴィエロは

深刻なダメージを受けていた。

 

 反撃しようにも、彼女の武装は数基の広角砲しかない。

 対空戦闘ならいざしらず、対艦戦闘など望むべくもなかった。

 

 もはや、勝敗は決したと判断したのだろうか。深海棲艦たちは、じりじりと距離を詰めはじめた。

 2隻の敵軽巡は正面に陣取り、駆逐艦はスパルヴィエロの退路を断つように、左右に

回り込みはじめる。

 

 霞む視界の中で、軽巡が主砲を持ち上げるのが見えた。

 その砲口から閃光と黒煙が立ちのぼった瞬間、スパルヴィエロは最後の力を振り絞り、飛行甲板を体の前に展開する。

 

「くッ!」

 

 激しい衝撃に襲われた瞬間、スパルヴィエロは、猛烈な勢いで吹き飛ばされ、海面に

叩きつけられてしまう。

 一瞬意識を失ったが、大量の海水を飲み込んでしまいすぐに覚醒する。

 

「ゲホッ、ゲホッ!」

 

 喘ぐように空気を求めていると、すぐそばに、無惨にひしゃげた飛行甲板が浮いていた。

 必死に手を伸ばし、しがみつく。

 もはや艤装も機能しなくなったのか、海面に立つことすらできそうにない。

 

 深海棲艦たちは、哀れな獲物に止めをさすべく、包囲の輪を縮めはじめる。

 

「……ここまで、か」

 

 絶望感がスパルヴィエロの全身を包み込むが、不思議と恐怖は感じなかった。

 

 スパルヴィエロの脳裏に、笑顔で自分を見つめる、輸送艦娘たちの姿が浮かんだ。

 

 

(わたしに出来ることは、すべてやったよね)

 

 

 満足そうな笑みを浮かべると、スパルヴィエロは静かに目を閉じた。

 

 波を切り裂き、一隻の駆逐艦が、黄ばんだ歯が並んだ口を大きく開けながら、スパル

ヴィエロに近づいてきた。

 血のような色をした口腔の奥から、一門の砲がせり出しす。

 

 だが、それが火を噴く寸前、駆逐艦の船体()に、幾つもの銃痕が一直線に刻み込まれた。

 体を一瞬震わせ、動かなくなった駆逐艦の上を、真紅の複葉機が駆け抜けていった。

 

「ネロ…さん?」

 

 スパルヴィエロは、頭上を旋回しはじめた複葉機を、朦朧としながら目で追った。

 

 突然の攻撃に、深海棲艦たちは戸惑いを見せたが、すぐに反撃を試みようとした、だが時すでに遅かった。

 

 スパルヴィエロを器用に避けるように、十数発の魚雷が陣型を立て直そうと移動を

開始した敵艦隊に襲いかかる。

 

 回避する間もなく、幾つもの爆発と水柱が立て続けに起こり、敵の姿を覆い隠してし

まった。

 

「あれ…は」

 

 スパルヴィエロは意識を失う瞬間、最後の力を振り絞り背後を見た。

 頭上に直援機を従えた五つの人影が、ゆっくりと近づいてきた。

 

 

 

(かん)……(むす)

 

 

 

 口元に安堵の笑みを浮かべると、スパルヴィエロゆっくりとまぶたを閉じた。

 

 

 

 

 



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第10話 「邂逅」

 

 

 

 風を切る音とともに、瀕死の駆逐艦の目に深々と短剣(ダガー)が突き刺さった。

 

 鯨を思わせる巨躯を一度だけ震わせると、駆逐艦は腹を見せ、ゆっくりと水底

へ沈んでいった。

 

 辺りには、沈んでいった他に、背中に無数の銃痕を穿かれた駆逐艦が青黒く染まった

海原を漂い、その周辺に4つの黒煙が、この場に未練でもあるかのようにゆらゆらと

揺れている。

 

 

 少し前まで、この海域を我がもの顔で闊歩していた深海棲艦たちの『なれの果て』で

あった。

 

 

 身体のラインがくっきりと浮きだし、すらりとした二の足がむき出しになった濃紺の

ボディスーツに、カーキ色のイタリア海軍のジャケットを身につけた艦娘が、一切の

感情を押し殺したような顔で凄惨な戦場を見渡していた。

 

 

 腰まで伸びた黒髪が、潮風に揺れている。

 スパルヴィエロほどではないが、かなりの長身の持ち主であり、軽く日に焼けた肌と、引き締まった肢体、凛々しい顔立ちが印象的な女性だった。

 

 身につけた艤装から察するに、巡洋艦クラスの艦娘だろうか、残敵の有無を確認する

ため、茶色ががった黒い瞳で周りを見渡していたが、警戒を解くと、両腕をだらりと下げ視線を移した。

 

 そこには、体のあちこちに傷を負い、原型を留めぬほど破壊された飛行甲板にしがみつくようにして、スパルヴィエロが波間を漂っていた。

 

 

「よくもまあ、これだけの損傷を受けて持ちこたえたものだな」

「……頑丈さなら、ルイジといい勝負かもね」

 

 

 今少し前に、夢から覚めたかのような寝ぼけ声が聞こえ、ルイジと呼ばれた艦娘が

雷光のごとき疾さで振り返る。

 

 いつの間にかその手には、さきほど駆逐艦をしとめたものと同じ短剣が握られていた。

 

 突きつけられた切っ先など気にした様子もなく、その声音にふさわしく、とろんと

した半開きの目をした少女が、ルイジを見上げていた。

 

「ふぅ、気配を消したまま、背後に立つなといつも言っているだろう、アルマンド?」

「……別に消してない」

 

 その表情同様、どこか間の抜けた声を耳にしたルイジは、素早く構えを解き軽く肩を

すくませると、頭上を降り仰いだ。

 

 

 フィアットCR42の編隊が、スパルヴィエロの頭上で心配そうに旋回を続けている。

 

 

「聞こえるか? スパルヴィエロの艦載機」

【ああ、よく聞こえるぜ】

 

 ルイジの通信に、指揮官機だろうか、一機だけ赤く塗装されたフィアットCR42が返答

してきた。

 

【救援、感謝する】

「気にするな、我々は任務を遂行したまでだ……予定外ではあったが、な」

 

 

 多少、皮肉を込めてつぶやくと、ルイジは東の方角をちらりと見た。

 

 

「どうだ、ナポリまで燃料は持ちそうか?」

 

 ため息が聞こえ、すぐにネロから答えが返ってきた。

 

【今から引き返せば、ギリギリといったところだな】」

「そうか、ならばお前たちは至急帰還しろ、この『お荷物』はこちらで何とかする」

【……分かった。全機、帰投する】

 

 

 ネロは愛機の翼をバンクさせ、合図を送る。一斉に編隊はナポリ目指して進路を

変えた。

 

 

 

 

【そうそう、ひとつ言い忘れたことがあった】

「ん、何だ?」

 

 部下に、スパルヴィエロの救出を指示しようとしていたルイジは、ネロから突然通信

が入り、怪訝そうな顔になる。

 

 

 

【今度、おれの前であいつ(スパルヴィエロ)を|『お荷物』呼ばわりしやがったら……容赦しねぇぞ?】

 

 

 ネロの激しい怒りを含んだ思念の強さに、第1遊撃艦隊の他の艦娘たちが、いっせいに

体を震わせ作業する手を止めると、頭上の深紅の機影を振り仰ぐ。

 

「それは済まなかった、肝に銘じておこう」

 

 ルイジは、編隊が去っていった方角に目をやりながら素直に謝罪の言葉を口にしたが、ネロはからの返事はなかった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「さて、そういうわけだ。あの妖精どのの逆鱗に触れ、さっきの駆逐艦みたいな最後を迎えたくなければ、そちらのお嬢さんは丁重に扱わんとな」

 

 ルイジはそう言いながら振り返ると、手招きをはじめる。

 

 同型艦なのだろうか、同じ艤装を身につけた3隻の駆逐艦型艦娘は、自分たちにお呼びがかったことに気づくと、一様に困惑の表情を浮かべた。

 

 

「エスペロ、オストロ、あいつを助けてやれ」

「「え~、あたしたちが~?」」

 

 

 ルイジに名を呼ばれた小柄な少女たちが、そろって不満そうな顔をする。

 赤毛のショートカットを揺らしながら、同じ色の大きな瞳……いや、同じなのは

それだけではなかった。双子なのだろうか、ふたりの顔立ちはうり二つだった。

 

「命令だ!」

 

 まだ何か言いたげな様子だったが、ルイジが強い口調で一括すると、ふたりは渋々と

進み出てきた。

 

「まったく、さっさとナポリに戻ってシャワー浴びたかったのに、迷惑な話よね……い

くよ、オストロ」

「了~解ッ!」

 

 ブツブツと言いながら、それでもエスぺロとオストロは半身がかろうじて浮かんでいるスパルヴィエロを助けるために素早く近づく。

 左右から彼女を抱き抱えようとしたエスペロとオストロだが、外見からは想像もできないスパルヴィエロの重さに慌てふためく。

 

「な、何コイツ!?」

「お、重ッ!?」

 

 みるみる2人の脚が、波間に没し始める。

 

「ちょ、ちょっとトゥルビネ、ぼけ~っとしてないで手伝ってよ!」

 ついに膝下まで沈みはじめ、エスペロが悲鳴に近い声を上げる。

 

「は、はい!」

 

 3隻いた駆逐艦の最後の1隻、トゥルビネと呼ばれた少女が、ウェーブのかかった銀髪

を揺らし、鳶色の瞳をぱちくりさせながら慌ててスパルヴィエロの後ろに回り込む。

 

 

「いい? 合図したら機関全開よ!……せーのッ!!」

 

 

 エスペロのかけ声とともに、オストロとトゥルビネが全身に力を込める。

 3隻の駆逐艦が力を合わせ、ようやくスパルヴィエロを海面から引き上げることに成功した。

 

 

「ふ、ふぃ~、どうにか立て直した……」

「持ち上がったか。じゃあ、そろそろ行くぞ」

「ちょっと待ってよ、ルイジ。このままコイツをナポリまで引っ張って(曳航)いくの?」

「まあ、あの妖精から爆撃されてもいいというならば、このまま放置していっても私は

いっこうに構わないがな」

 

 

 涼しい顔で即答するルイジに、エスペロが不満げに唇を尖らす。

 

 

「ちっ、あだ名だけかと思ったらこの空母、物理的にも『お荷物』じゃない」

「オストロちゃん、それは言い過ぎだよ」

 

 必死にバランスを取りながら、トゥルビネは頭上を見上げ、オストロをなだめすかす。

 

 おそらく、ネロが戻ってきてないか心配になり、確認したのだろう。

 

 エスぺロとオストロは、忌々しそうにスパルヴィエロを睨みつけていたが、やがて観念したのか進路を変えた。

 

 前衛と後衛を軽巡が固め、スパルヴィエロ(空母)を中心に、駆逐艦三隻が異様に

接近するという変速的な輪型陣をとったまま、ルイジの艦隊は一路ナポリを目指し始める。

 

 ルイジは波頭を蹴散らし海上を疾走しながら、横目で意識を失ったままのスパルヴィエロを無遠慮に眺め回した。

 

 

スパルヴィエロ(お荷物)か、だが……」

「い、いま…何か……言った?」

 

 ジャンケンで負けてしまい、スパルヴィエロの両手を引くという比較的楽な役をオストロとトゥルビネに取られ、スパルヴィエロを背負うような形になったエスペロが息も絶え絶えに尋ねてきた。

 

 

 

「いや、何でもない。それよりもう少しでナポリに着くぞ、がんばれ」

 

 

 ルイジは白い歯を見せながら、エスペロに手を振った。

 

 

 

 

 

 だが、ようやくナポリに戻ったルイジの元に、一通の指令書が届けられ、それに目を通した彼女の顔から、みるみる血の気が引いていった。

 

 

 

 それはルイジの、いや、第1遊撃艦隊の運命を分かつほどの衝撃的な内容だったのだ。

 

 

 

 



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第11話 「移動する震源地」

 

 

 

 マリオ・バルドヴィーノ提督は、鼻歌交じりでグラスにワインをそそぎ込んでいた手を止めると、顔を上げる。

 

「ん、地震か?」

 

 頭上でかすかに揺れ動く、飾り気のない電灯を見ながら老提督が眉根を寄せた。

 

 本棚に無造作に押し込まれた書類を、丁寧に分類していたトレントが手を止める。

 

「……いえ、違うようです」

 

 耳を澄ませていたトレントが作業を再開し、床の一角を見ながらつぶやく。

 

「ふむ、そのようじゃな」

 

 トレントの意図に気づいたバルドヴィーノも、床を見る。

 はじめ感じた揺れは、彼の脚もとから部屋の右奥、階下から続く階段へと移動していた。

 さっきまでかすかに感じていた揺れは地響きを伴い、徐々に大きくなる。

 謎の移動する地震、その震源地は、現在三階へと続く階段の途中にいるようだった。

 

 

 

 

 

 

「うおっ!?」

 

 かすかな叫びと、何かを突き破るような鈍い音とともに、揺れが突然止んだ。

 

 

 バルドヴィーノとトレントが、顔を見合わせる。

 

 

「やったな……」

「はい」

「また、修理かい」

 

 口髭をいじりながら、バルドヴィーノは顔をしかめる。皺だらけの老提督の顔に、さらに幾本もの深い皺が刻まれる。

 

 しばらくすると、再び地響きがはじまった。

 

 だが、その揺れの激しさは先ほどの比ではなく。壁にかけられた風景画が斜めに傾き。天井からはバラバラと埃が舞い落ちてくる。

 

 

「フッ」

 

 

 手にしたファイルに薄く積もった埃に、トレントは息を吹きかける。

 バルドヴィーノが腰掛ける事務机が動きだし、上に置かれたワイングラスとボトルが、仲良く踊り始める。

 

 だが、情熱的なステップも長くは続かなかった。

 

「そろそろ、だな」

 

 机の上から弾き飛ばされ、どれがグラスでどれがボトルか判別のつかなくなったガラス片の山を、老提督は悲しげな顔で見ながら「どっこいしょ」とつぶやき立ち上がる。

 

 もはや、何かに掴まっていなければ立っていられないほど部屋全体が揺さぶられ、老提督は壁づたいに移動し、備え付けられた簡素な作りのキャビネットへ向かった。

 

 ついに建物自体が異音を立て、軋みはじめる。だが、三階の廊下を一直線に向かってきた激しい地響きが、執務室の前でピタリと止まった。

 

 

 

「ノックはいらんぞ。用があるならそのまま入ってこい」

 

 

 

 老提督の声に、ドアの外から明らかに逡巡する気配が伝わってきた。

 いまごろ、移動する震源地は、振り上げた腕のやり場にさぞや困っていることだろう。

 

 

「階段だけでもウンザリしておるのに、このうえドアまで壊されては溜まらんわい」

 

 キャビネットの中をゴソゴソとやりながら、バルドヴィーノは苦虫を噛みつぶしたような顔でひとりごつ。

 

「失礼しますッ!!」

 

 怒号にも似た声とともに、ドアが猛烈な勢いで開け放たれた。

 その衝撃にドアが悲鳴をあげ、蝶番(ちょうつがい)が吹き飛び、そのままドアは半回転すると壁にめり込んだ。

 

 

 

「まずは、一杯どうじゃ?」

 

 

 

 バルドヴィーノはため息をつきながら、手にした新しいワインのボトルを突き出し軽く振った。

 

 元ドアのあった場所に、第1遊撃艦隊の旗艦ルイジが、憮然とした顔で立っていた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「ほれ、まずはコレでも飲んで、少し落ち着け」

 

 バルドヴィーノは口角を持ち上げながら、並々とつがれたワイングラスを差し出した。

 ルイジは、無言のままバルドヴィーノとグラスを交互に見ていたが、やおらボトルに

手を伸ばすと、中身を一気にあおった。

 

 手で口元を拭いながら、ルイジは飲み干したボトルを机に置く。

 そして、手に残ったグラスを見つめていたバルドヴィーノに向かい、直立不動の姿勢をとる。

 

「……まっ、とにかく座れや」

 

 老提督は、部屋の隅から椅子を引っ張ってくると、上に積もった埃を取り除き、ルイジにそう命じた。

 話の腰を折られ、ルイジは不満そうな顔を一瞬浮かべたが、何も言わず椅子に腰掛けた。

 

「本日は、提督にどうしてもお話したいことがあり参りました」

「そのようなことは、本来秘書艦である私を通すのが筋ではありませんか?」

 

 髪や服についた埃を払いながら、トレントが話に割り込んでくる。

 だが、感情のこもらない秘書艦の声音は、ルイジの勘にさわったようだった。

 

「非常事態だ!」

 

 トレントは、ルイジの怒声などどこ吹く風といった表情で、今度はハンカチで眼鏡を拭きはじめる。

 

「貴女は仮にも一つの艦隊を預かる旗艦のはず、その旗艦がこうも軽はずみに行動をとっていたら、それこそ艦隊の規律が守れないのでは?」

 

「その艦隊の事で、私はここに来ているのだ!」

 

 ルイジは声を荒げ席を立つと、目の前の机に力任せに拳を叩きつける。

 鈍い打撃音とともに、机が壊れ木片が飛び散った。

 

 トレントの切れ長の目が、わずかに細まる。

 

「階段、ドア、そして今度は机……ルイジ、貴女はいったい、幾つこの基地の備品を壊せ

ば気がすむのですか?」

 

 何かを押し殺すようなトレントの口調に、ルイジはようやく冷静さを取り戻す。

 

「ああ、構わん、構わん」

 

 

 あっけらかんとした声にトレントとルイジの視線が一点に集まる。

 その先には、ついには机すら失い、椅子に腰掛けたまま所在なさげに脚をブラブラさせる老提督の姿があった。

 

 

「こんなモンで、ルイジの怒りが少しでも発散できるなら、安いもんじゃよ」

 

 カラカラと笑いながら、バルドヴィーノは手に持っていたため、破壊を免れたグラスの中身をのどに流し込む。

 

「提督は甘すぎます。先ほども言いましたが、これでは規律が……」

 

 さすがに血相を変えて詰め寄るトレントを、バルドヴィーノは片手を上げて遮った。

 

「構わんと言ったじゃろ? どうせ、誰かさん(・・・・)が壊したままの階段の手すりも直さにゃならんしのぉ」

 

 バルドヴィーノは、そう言いながら片方の眉だけ器用に上げてみせる。

 

 話についていけなかったルイジは、黙々と書類の整理を再開したトレントの背中を、不思議そうに眺めていた。

 

「さて、ようやくこれで本題に入れるというわけじゃ」

 

 バルドヴィーノの口調が変わり、ルイジは反射的に振り返った。

 

「今日、お前さんがここに来た理由は、あの指令書……つまり、あの嬢ちゃんに

ついてなんじゃろう?」

 

 

 

 ゆっくりと首を縦に振るルイジを見ながら、白髪の老提督はニンマリと微笑んだ。

 

 

 



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第12話 「タラントの惨劇」

       

 

「そう怖い顔をしなさんな、せっかくの美人が台無しだぞ」

 

 バルドヴィーノとしては、場の空気を和らげるために言ったのだろうが、今は逆効果だったようだ。ルイジの顔は、ますます険しさを増す。

 

「なぜ奴を、スパルヴィエロを私の艦隊に転属させるのですか?」

「不満か?」

「私は、理由が聞きたいだけです」

 

 しばらくふたりの間を沈黙が支配したが、老提督は「よっこいしょ」とつぶやき席を立つ。

 

「提督とてご存じのはずです。我が第1遊撃艦隊は、その高速を最大の武器として、今日

まで深海棲艦たちを相手に勝利を重ねてきました」

 

 バルドヴィーノは、ルイジの言葉を聞いているのかいないのか、またキャビネットを

物色しはじめた。

 

「そこに、奴のような鈍足な艦娘が加われば、我々の唯一の長所を殺ぐばかりか、自らの首を絞める結果にもなりかねません」

「しかしのう、お前さんの艦隊は前の戦いで欠員ができたままだ。いつまでも、そのままというわけには……」

「スパルヴィエロでは、トリエステの代わりは勤まりません!」

 

 ルイジはにわかに激昂すると、椅子を蹴り倒さんばかりの勢いで立ち上がるが、すぐにハッとしたような顔をすると、本棚に目をやる。

 棚に書類を収めようと腕を伸ばしたまま、トレントの動きが止まっていた。

 

 その背中が、小刻みに震えていた。

 

「……すまん、トレント」

「トリエステは、艦娘としての使命を全うしたのです。ルイジ、貴女が気に病む必要などありません」

 

 先の深海棲艦との戦闘で、甚大な被害を被り、それがもとで戦死した重巡洋艦トリエステは、トレントの姉妹艦でもあった。

 

 しかも、トレント級の同型艦は、トリエステただ1隻だけである。

 

 気丈に振る舞ってはいるが、妹同然に接していたトレントの心情は察して知るべきだろう。

 

「お前さんたちの気持ちは、この老いぼれにもよう分かる。じゃが、忘れたわけでは

あるまい、あの、“タラントの惨劇”を」

 

 

 老提督の軋むような声に、トレントとルイジが同時に顔を上げる。

 

 

 “タラントの惨劇”それは、イタリア海軍史上、もっとも凄惨な戦いとして歴史に記さ

れていた。

 

 今からおよそ5年前、人類に対し牙をむいた深海棲艦たちに、イタリアは持ちうる全て

のの戦力をつぎ込み反撃したが、その力の差に一方的な敗北を期した。

 

 だが、深海棲艦たちの出現と時を同じくして現れた艦娘たちの活躍により、戦局は一変した。

 陸海空すべての残存戦力と艦娘たちは力を合わせ、勝利を重ね少しずつ深海棲艦たちを追い立てはじめた。

 

 そして2年前、地中海に展開するすべての深海棲艦を殲滅すべく、当時のイタリア

海軍の拠点であり、最大の艦隊泊地でもあったタラント軍港に、作戦可能なすべての艦娘たちが集結していた。

 

 

 この戦いで、全てが終わる。

 

 

 だれもがそう信じていた。だがそれは、儚い夢と散ってしまった。

 

 作戦開始を予定してた前日深夜、闇にまぎれタラント湾に面したイオニア海に、空母を中心とした敵機動部隊が現れ、そこから出撃した多数の深海棲艦側艦載機による爆撃を受けてしまったのだ。

 

 それは完全な奇襲であった。それまで地中海近海に展開していた深海棲艦に空母の姿

は無く、空からの攻撃に対し警戒が手薄になっていため、イタリア側は、さらに甚大な

被害を被る羽目になってしまった。

 

 空母と艦載機による航空戦の優位性を知る空母先進国から見ればあまりにもお粗末な

対応と首をかしげたかもしれないが、これは当時イタリアを取り巻く情勢に問題があった。

 

 イタリアはその国土の半分以上が、イタリア半島として地中海中央に突き出すという

特徴的な地形をしていた。

 有事の際は、このイタリア半島各基地から戦闘機や爆撃機を発進させれば、自国は完全に守れると考えられていた。

 結果、軍関係者は航空母艦の必要性というものに対し、極めて冷淡な対応をし、真剣

に論じることもなくいつしか「空母不要論」まで打ち出されることになってしまってい

たのだ。

 

 この偏った思想は、日英米といった列国が多数の空母を保有し大戦に参戦したのに対し、イタリアが艦隊随伴可能な空母を、当時試験的に『アクイラ』しか建造なかったという事実が、如実に物語っていた。

 

 作戦当時、タラント軍港に集結していた艦娘たちは、必死の反撃を試みた。

 何発もの照明弾が打ち上げられ、白光を背に迫りくる敵艦載機に、艦娘たちは広角砲や機銃、なかには当たらぬのを承知の上で、主砲で狙撃を試みる戦艦型の艦娘までいた。

 

 だが、あまりにも比我の戦力差が開きすぎていた。落としても落としても敵艦載機は

雲霞の如く現れ、艦爆の投下する爆弾の黒煙が上がる度に、そして艦攻の放つ魚雷に

よる水柱が上がる度に、艦娘たちの姿は、ひとり、またひとりと海上から姿を消していった。

 

 このままタラントに留まることは、死を意味する。

 

 イタリア海軍の総司令官として、戦いの指揮をとっていたマリオ バルドヴィーノ大将は、タラントを放棄し、艦隊をナポリ港まで後退させることを決意した。

 

 だが、目の前に展開した敵機動部隊を突破することは、容易なことではなかった。

 

 損傷の激しい艦娘たちを庇うように、空母アクイラや戦艦ヴィットリオ・ヴェネトら

残存主力艦娘が獅子奮迅の活躍を見せ、深海棲艦の包囲網を突破し血路を切り開いたが、かろうじてナポリ港に辿りつけた艦娘たちは極わずかであり、生き残った大半も、みな満身創痍といった有様だった。

 

 この戦いで、タラント軍港は還付無きまでに破壊され、いまでは、地図にその名が記

されただけの存在となってしまった。

 そして、深海棲艦にタラント軍港を事実上占領されたため、イタリアは、半島南端の

地域や、決死の逃避行の際、その下に位置するシチリア島までを失うことになってしま

った。

 この海戦の後、地中海東側にあたるイオニア海をふくむ広大な海域は深海棲艦側の手

に落ちてしまったのだ。

 

 この日、イタリア海軍とそれに所属する艦娘たちは、歴史的な大敗を喫した。

 

 生き残った艦娘たちや、将兵たちはこの戦いを“タラントの惨劇”と呼び、屈辱ととも

にこの名前を胸に刻み込んだ。

 

 

 

「もちろん、あの大敗の責任は、全てわしにある」

「提督!」

「それは違います!」

 

 神妙な顔つきで、バルドヴィーノは言い切った。

 ルイジとトレントが間髪入れず否定するが、老提督は沈痛な面もちを崩さない。

 

“タラントの惨劇”は、確かにこの戦いに加わったものたちの油断と慢心さが招いた結果

といえた。

 だが、ここまで被害を拡大してしまった最大の理由は、

当時のイタリア海軍に蔓延していた“戦闘の要訣は高速戦艦と高速巡洋艦にあり、戦いは

迅速な機動性と、主砲による強力な一撃をもって決すべし”という凝り固まった思想に

こそ問題があった。

 

 そして、当時の総司令官であるバルドヴィーノでさえ、この考え方の信奉者であった。

 

「三度にもわたって行われた“地中海海戦”そして、あの“タラントの惨劇”、わしが

もう少し早く、空母を主力とした航空戦の有効性に気づいておれば……」

「それは、わたしたちも同じ思いです。おのれの力を過信し過ぎなければ、あのような

結果にはならなかったでしょう」

 

 ルイジは唇を噛みしめ、拳を握りしめる。

 

「ルイジの言うとおりです……それに、提督はもう十分に罪を償われました」

 

 トレントの言葉に、老提督は静かに首を振った。

 

「わしが大将から小将に格下げされたからといって、そんなものは、なんの罪滅ぼしに

もならんよ、それにな……階級が下がるぐらいで、死んでいった将兵や艦娘たちが生き返

るというのなら、わしはただの一兵卒になってもいいぐらいじゃ」

 

 過去数度にわたる、深海棲艦たちとの戦いにおける大敗により、イタリアの軍事力は危険なレベルまでに低下した。

 そしてそれ以上に懸念されたのが、国民に与えた心理的影響だった。

 数度に渡り、深海棲艦たちとの戦闘に敗北したという事実は、国民たちを打ちのめした。

 世論に与えた影響は計り知れず、このままでは、国民たちの怒りの矛先が深海棲艦よりも政府に向けられるのは、火を見るよりも明らかだった。

 

 これらを何とか回避するために、政府はスケープゴートとして、バルドヴィーノの

速やか処分を検討し始めた。

 

 だが、それを知った生き残りの将兵や艦娘たちが、いっせいにこの決議に異を唱えた

のだ。

 

 ほんらい、このような行為は国に対する背信行為以外のなにものでもなかったが、

政府や軍部も、バルドヴィーノの助命を願う声の多さに、これらを無視することができ

ない状況に陥ってしまった。

 

 この異例ともいえる嘆願を、内心快く思わなかったイタリア政府と軍上層部だったが、国民や将兵たちの戦意高揚のために“英雄”が必要だということも十分に理解していた。

 結局、降格という異例ともいえる軽い処分を受けた後、マリオ バルドヴィーノ少将は、イタリア海軍総司令官の地位に返り咲いた。

 

 

 

 ともすれば、折れ砕けそうな心にさらに鞭を打ち、悲しみに押しつぶされそうな心を酒で薄めながら……

 

 

 ルイジたちは、この傷心の老提督の胸の内を知ればこそ、他にかけるべき言葉を

思いつかなかった。

 空になったグラスを黙って見つめていたバルドヴィーノが、ふいに顔を上げた。

 

「だからこそ、な、タラントの奪回、そしてこの地中海から深海棲艦どもを一掃することが、わしにできる唯一の贖罪だと思っておる」

 

 バルドヴィーノはそう言うと、真っ向からルイジの顔を見る。ルイジも黙したまま、

老提督の瞳を見つめ続けた。

 

 数分の沈黙の後、ルイジはようやく口を開いた。

 

「そのために、スパルヴィエロの力が必要だと?」

「うむ、それにな、あの嬢ちゃんには自分の短所を補ってあまりある長所がある」

「それは、いったい……」

「それについては、お前さんが自分の目で見極めるしかないのう。それが、旗艦としての力量というのもじゃよ」

 

 どこか挑発的なバルドヴィーノに、ルイジは覚悟を決めたような顔をすると、席を立ち、凛とした声で叫びながら敬礼をする。

 

「分かりました。スパルヴィエロの第1遊撃艦隊への編入の件、了承いたしました」

 

 バルドヴィーノは満足げにうなずくと、トレントに目配せした。

 

「あれをルイジに渡してやってくれ」

 

 トレントはうなずくと、手にした薄いファイルを差し出した。ルイジは怪訝そうな表情を浮かべながら、それを手にした。

 

「これは?」

「あの嬢ちゃんの、過去8、いや今回のを入れて9回の輸送船団護衛に関する資料じゃよ」

 

 パラパラとページをめくっていたルイジの手が止まり、その顔が困惑に彩られる。

 

「なぜ、これをわたしに?」

 

 バルドヴィーノは質問には答えず、口ひげをいじっている。

 

「そういえば、あの嬢ちゃんが入渠してどれぐらいたったかのう……」

 

 老提督の言わんとすること理解し、トレントが口を開く。

 

「医長の話では、スパルヴィエロの損傷が完治するまでに、あと3日はかかるという

報告が入っています」

「ちょうど良い。当座の作戦行動はボルツァーノの第2遊撃艦隊に任せるとして……

そういえば、お前さんの艦隊で傷を負った者はおるのか?」

 

 ルイジは首を横に振る。

 

「いえ、幸いなことに、今回の戦闘で損傷を受けた艦はおりませんでした」

 

 老提督は、ルイジの返答に満足そうにうなずいた。

 

「そうか、では3日では十分とはいえんだろうが、ルイジの艦隊にはスパルヴィエロの

損傷が回復するまでの間、しばらく休養してもらうとするかの」

「しかし……」

「詳しい話は、スパルヴィエロが回復してからにするとしよう。ルイジは、その間に渡

した資料によく目を通しておいてくれ……お前さんが想像するより役に立つと思うぞ、

あの『お荷物』は」

 

 ルイジは、この老獪な提督の真意を計りかねず、疑問を口にだそうとしたが、バルド

ヴィーノは片手を上げてそれを制した。

 

「話はこれまでじゃ。なにせわしは、誰かさんが壊したドアやら机の修理で、これ

から目が回るほど忙しくなるからのぅ」

 

 

 

 どうにも煙に巻かれた感じがするが、こと部屋の現状に関してはルイジも負い目を感

じているだけに、これ以上我を通すわけにも行かず、納得はいかなかったが、とりあえず執務室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第13話 「ネバネバして クサいです!」

 

 

 その建物は、“エスペランザ”から、目と鼻の距離にあった。

 

 幅15メートル、長さは70メートルほどあるだろうか。カマボコを思わせる形状のソレは2棟並んで建っており、ぐるりと四方を金網で覆われ、ゲートとおぼしき場所には、銃

を構えた強面の兵士がふたり立ち、辺りに鋭い視線を見回している。

 

 一見すると、港町によくある何の変哲もない倉庫だが、現在は“エスペランザ”同様、

軍に接収され、専用の施設として使用されていた。

 

 ふたつ並んだ倉庫の片方からは、関係者から“工廠”と呼ばれていた。

 

 その呼び名にふさわしく、工作機械の作動音や鉄を加工でもしているのか、ひっきり

なしに、中から耳を塞ぎたくなるような音が聞こえてくる。

 その音に、そばを通る者はみな顔をしかめ、早足で通り過ぎていく。

 

 もう一つの建物は“ドック”と呼ばれていた。

 

 だが、この呼び方は少々変わっているように思われた。ほんらいドックとは、船舶を

修理するための施設の呼び名であるが、この大きさでは小型の漁船一隻入渠させただけでも、いっぱいになってしまうだろう。

 なにより、このドックの正面に取り付けられた鉄製の扉のサイズでは、前述の漁船を

建物内に入れるのも無理そうである。

 

 しかし、“工廠”とは対照的にこの建物からは物音一つしなかったが、ここはまぎれも

なく“ドック”であった。

 建物の中には船を修理する船台やクレーンなどは、どこにも見あたらなかったが、

代わりに長さ3メートル近い円柱形のカプセルが20基ほど、床一面にズラリと並べ

られていた。

 

 このカプセルこそ、深海棲艦との戦闘で損傷を受けた艦娘たちを“修理”するための

装置であり、艦娘たちにとってまさに“ドック”と呼ばれるものであった。

 ほとんどのカプセルは透明の扉が上に上がり、中は空だったが、一番端に置かれた

カプセルは、己に与えられた使命を全うすべく稼働していた。

 

 カプセルの中は、海水を思わせる蒼い液体で満たされており、少女がひとり、波間を漂うように浮いている。

 

 少女は、スパルヴィエロであった。

 

 内部に充填された液体が流動するたびに、黄金色の髪がさざめく波のように揺れ動く。

 

 ルイジたちに救出され、ナポリへと帰還したスパルヴィエロだが、思いの外受けた傷は深く、至急入渠すべくドックへと運び込まれたのだ。

 

 

 

「ここ、は……」

 

 顔の半分を覆うマスクあてがわれたスパルヴィエロは、意識を取り戻すと辺りを

うかがう。

 

「気がついた?」

 

 白衣を着た女性が、のぞき込むようにカプセル越しに話しかけてきた。

 カプセル内にスピーカーが内蔵されているのだろうか、液体を通しスパルヴィエロは全身で女性の“声”を聞いていた。

 

「ここは“ドック”よ」

 

 スパルヴィエロも、ドックが艦娘専用の“病院”のようなものだと聞いていた。

 

 そのためだろうか、目を凝らすと、自分が横たわるカプセルの上にナース服や白衣を

着た妖精がカルテを手に、忙しそうに走り回っていた。

 

「私はここの責任者で、医長を勤めるタニア・パオロよ」

 

 タニアと名乗った女性は、肩口で切りそろえた黒髪を揺らしながら微笑んだ。

 

「どうしてわたし、こんな所に?」

「あなたは、輸送船団の護衛中に深海棲艦との交戦になり、損傷を受けた後、ここに

運ばれたのよ」

 

 

 

「輸送船団……護衛?」

 

 まだ朦朧とする意識の中で、スパルヴィエロはタニアのの言葉を反芻する。

 

 脳裏に、無邪気な笑顔で微笑む、輸送艦娘たちの姿が浮かび上がる。

 

 

「!! あ、あの娘たち…ふぎゅ!?」

 

 

 一気に意識が覚醒し、スパルヴィエロは身を起こそうとしたが、カプセルに頭を打ちつけてしまう。

 

「あの子たちなら大丈夫、全員無事よ」

「よかった……」

 

 安堵に胸を撫でおろすスパルヴィエに、タニアは目を細める。

 

「それだけ元気なら、もう大丈夫そうね」

【ハイ、全パラメーター、正常値クリアデス!】

 

 カプセルに設置されたコンソールの上で、数値を読みとっていた妖精の報告に、タニアは満足そうに頷いた。

 

「分かりました、カプセル内のリペアリキッド排出作業開始」

【リペアリキッド、排出シマス】

 

 慌ただしくコンソールの上を駆け回る妖精たち。

 カプセル内に満たされていた蒼い液体が、みるみる減りはじめた。

 

「さあ、もういいわよ、マスクを外して」

 

 タニアが片手を振ると、カプセルの上半分が重々しい駆動音とともに、持ち上がりはじめた。

 

 

 

「うっ!?」

 

 起きあがろうと、カプセルの縁にかけたスパルヴィエロの指の動きが止まる。

 伸ばした指先から、いや彼女の体中から、ドロリとした液体が滴り落ちる。

 カプセル内を漂っていた金髪が、無数の蛇のようにスパルヴィエロの身体に絡みつく。

 

「ふぇ~、なんか、妙にベタつくんですけど」

 

 体中にまとわりついた毛髪を見て、スパルヴィエロは眉間にしわを寄せる。

 

「しかもコレ、ヘンな臭いがしますね」

 

 スパルヴィエロは自分の腕に顔を寄せ小鼻を動かすと、露骨に顔を背けた。

 

「そういえば、あなたが入渠するのは、今日が初めてだったわね」

 

 タニアは、顔をしかめるスパルヴィエロを、愉快そうに見下ろしている。

 

「多少は不快でしょうけど、我慢して。あなたたち艦娘の肉体的な損傷を治すには、この“リペアリキッド”が、必要不可欠なのよ」

 

 小首をかしげるスパルヴィエロに、タニアはかみ砕くように説明しはじめた。

 

 もともと艦娘自体に備わった治癒能力は、一般人を凌駕するほどのものだが、深海棲艦との戦闘は、艦娘たちの回復力を上回るほどのダメージを与えることが多々あった。

 これらを短期間で修理するために開発されたのが、リペアリキッドと呼ばれる修復剤であった。

 

 この修復剤の効力は目覚ましく、手足がちぎれたくらいの重傷でも、縫合した後にカプセル内に満たしたリペアリキッドに漬けておくだけで、完治してしまうのだ。

 死の一歩手前からでも蘇ることができる、まさに不死の妙薬とも呼べる存在であった。

 

 だが、このリペアリキッドにも、多少の欠点はあった。

 

 ひとつめは、リキッド(液体)と呼ばれているが、実際はゲル状に近く、これが素肌に付くとかなりの不快感を対象者に与え、“溶剤”と誇称される専用の薬液を使用しないと、落とすことができないのだ。

 

 ふたつめは、独特の薬品臭がし、前述の溶剤を使っても体に染み着いた臭いは消えず、完全にこの匂いが消えるのに、数日を要するということだった。

 

 

 これらのことから“入渠”という作業自体、艦娘たちからは大層不評であった。

 

 

 受ける恩恵の大きさから考えれば「ネバネバする!」「クサい!」程度のデメリット

は、黙って甘受すべきなのだろうが、艦娘といっても年頃の娘である、なかなか生理的に受け付けないのが現状らしい。

 

 

「……あのぅ」

 

 スパルヴィエロの今にも泣き出しそうな声に、タニアは口をつぐんだ。

 

「懇切丁寧に説明していただけるのは嬉しんですけど、その前にコレ(・・)をなんとかしてもらえないでしょうか?」

「ああ、ごめんなさい。そこにシャワールームがあるから、使ってちょうだい」

 

 シャワーといっても、コックを捻って出てくるのはお湯ではなく例の溶剤だが、スパルヴィエロは建物の隅にある、小さく区切られた個室に向かって、早足で歩き出す。

 

「着替え、ここに置いておくわね」

 

 タニアは、シャワールームの前に置かれた箱の中に、きれいに折り畳んだ衣服をそっと置いた。

 

「あっ、ありがとうございます」

 

 シャワーのおかげで、かなりすっきりしたのだろうか、中からスパルヴィエロの明るい声が聞こえてきた。

 

「そういえば、トレントがあなたに用があるって言っていたわね」

 

 着替えに向かって伸ばされた細い腕を見ながら、タニアはトレントから託された伝言

を思い出す。

 

「秘書艦殿が、わたしに?」

「ええ、「傷が癒えたら司令部に出頭するように」ですって」

 

 

(はわわ、きっと、輸送船団護衛に失敗したからだ!)

 

 

 スパルヴィエロの脳裏に、こめかみに青筋を浮かべまくったトレントの顔がちらつく。

 

 

「あ、あのタニアさん、折り入ってお願いがあるんですけど……」

「どうしたの? あらたまって」

 

 ドアから顔だけ出し、すがるような目つきのスパルヴィエロを見ながら、タニアが小首をかしげた。

 

 

 

 

 

「もうひと月ぐらい、ここに入渠してたいんですけど……ダメですか?」

 

 

 

 

 

 慈愛に満ちた笑みを浮かべ、胸元で腕を大きく交差させるタニアを見て、がっくりと首を落とすスパルヴィエロであった。



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第14話 「ルイジアナ」

 

 

「はぁ、やっぱり、怒られちゃうんだろうなぁ」

 

 がっくりと肩を落としながら、“ドック”を後にしたスパルヴィエロは、足取り重く

エスペランザへと歩を進めた。

 

【仕方ないだろう、あの場合。それにお前自身が決断したことだろうが?】

 

 ドックの前で合流した後、ひとりスタスタ歩いていたネロが振り返る。

 

 とつぜんスパルヴィエロに下った、司令部への出頭命令。

 おそらく、前回の輸送船団護衛任務の失敗と、無断で貴重な輸送物資を捨ててしまったことへの尋問が待っているのだろう。

 

 ふらふらと、階段に足をかけるスパルヴィエロ。その後ろ姿は、まるで一段一段13階段を登ってゆく死刑囚のようだ。

 

 あの輸送船団護衛の際、ネロが舌を巻くほど見事な指揮をとってみせたスパルヴィエロと、目の前をゼンマイの切れかかった人形のような動きで進む少女が同一人物とは、

ネロにはどうしても信じられなかった。

 

 

(まったく、これがあの時(・・・)と同じ艦娘とねぇ……)

 

 

 ネロはため息をひとつつくと、スパルヴィエロを追って、階段を駆け登りはじめた。

 

 

 

 スパルヴィエロは、階段を上がるとそのまま奥へと向かった。薄暗い廊下を少し歩くと執務室にたどり着く。

 

 なぜか、あちこちに継ぎ接ぎがしてあるドアを遠慮がちに叩くと、中からしわがれた男の声が聞こえてきた。

 

「おう、入れ!」

「失礼しま~す、うっ!?」

 

 そう言いながら、ドアノブに手をかけるがピクリとも動かない。左右どちらに回しても結果は同じだった。

 

「あ~、そのドアは立て付けがわるくてのぉ。思い切り押してみぃ」

 

 しばらくガチャガチャとやっていると、中からさっきの男の声が聞こえてきた。

 

 スパルヴィエロは軽く眉をひそめたが、大きく息を吸うと両手でノブを掴み、力のかぎり押してみた。

 

「フンッ!! って、きゃあああ!?」

 

 いきなりドアが枠からすっぽ抜け、スパルヴィエロはドアごと室内に転がり込んでしまう。

 

「痛たたた、はっ!」

 

 一瞬、痛みで意識が朦朧となったが、すぐに我に返った。

 顔を上げると、目の前に置かれた質素な机から、乗り出すように小柄な老人が自分を

見下ろしていた。

 

 

 

 

「ス、スパルヴィエロ、命令により、ただいま出頭いたしました」

 

 ドアの上に腹ばいになり、スパルヴィエロは顔だけ上げて敬礼するが、だれひとり、

それに答えるものはいなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

「わっはっは、噂通り、なかなか面白い嬢ちゃんじゃの」

 

 体に付いた埃を払いながら、羞恥で顔を朱に染めるスパルヴィエロを見ながら、

バルドヴィーノは腹を抱えて笑っている。

 その横では、トレントが頬をピクピクと痙攣させながら、額に指を当てていた。

 

 このふたりとは面識のあるスパルヴィエロだったが、部屋の隅に立ち、無言で自分を

見ている女性……ルイジとは面識がなかった。

 

 

 

 ルイジはスパルヴィエロの視線など気にしたそぶりも見せず、歩きながら口を開く。

 

 

 

「私は、軽巡洋艦『ルイジ・ディ・サヴォイア・デュカ・デグリ・アブルッチ』級1番艦、ルイジ・ディ・サヴォイア・デュカ・デグリ・アブルッチだ」

 

 

 

 

 

 

「……………………へっ?」

 

 

 

 

 

 ポカンと口を開けたまま、たっぷり1分ほど経過した挙げ句、スパルヴィエロの口を

ついてでたセリフは、上記のようになんとも間の抜けたものだった。

 

 

 ルイジ大きく息を吸うと、もう一度自己紹介を始めた。

 

 

「私の名は、ルイジ・ディ・サヴォイア・デュカ・デグリ・アブルッチだ!」

「どうした、せっかくルイジが自己紹介しとるというのに嬢ちゃんは挨拶なしか?」

 

 あきらかにバルドヴィーノの口調は現状を楽しんでおり、スパルヴィエロをからかっ

ているのは明白だったが、本人にはそれに気づく余裕はなかった。

 

「し、失礼しました。わたしは軽空母スパルヴィエロであります。あ、あの……ル、

ルイジアナ・デュカプリオ・アグ……」

 

「はじめから、豪快に間違っていますよ?」

 

 ため息まじりにトレントがツッコむと、スパルヴィエロはますます焦り出す。

 

「は、はわわ、失礼しました! ルぎゅッ!!!?」

 

 どうやら、今度は舌を噛んだらしい。

 

 口元に当てた手から鮮血を滴らせ、体を小刻みに震わせながら、スパルヴィエロはいきなりしゃがみ込む。

 

「わ~はっはっはっはっ! 気にすることはないわい。ルイジのフルネームをソラでいえるのは、トレントとヴィットリオぐらいじゃからのう」

「私も面倒なので、普段はルイジですませてますが……」

 

 シレッと言いながら、トレントはスパルヴィエロのそばにかがみ込むと、治療をはじ

める。

 

 

「はい、すみましたよ」

「あ、ありひゃとうごひゃいます」

 

 

「同時に、彼女は第1遊撃艦隊の旗艦を勤めています」

 

 瓶やらピンセットを薬箱しまいながら、トレントが付け加えた。

 

 

【ほぉ、じゃあ、お前があの艦隊を指揮していた艦娘か?】

 

 顔をしかめ、盛んに舌の出し入れを繰り返すスパルヴィエロを、呆れたと言わんばかりに見ていた黒猫が顔を上げると、とつぜん話し出す。

 ルイジはかすかに眉を動かしたが、すぐに何か思い立ったような顔になる。

 

「その声……スパルヴィエロの艦載機を指揮していた妖精だな」

【ああ、ネロだ。あのときは色々と世話になったな】

「私は、任務を遂行したまでだ」

 

 ぶっきらぼうに返すルイジに、ネロは軽く肩をすくめる。

 

「あの~、ネロひゃん、この方と、お知り合いなんれひゅか?」

 

 艦娘の持つ治癒能力の高さなのか、あるいはトレントの塗った薬の効き目かは分から

なかったが、辿々しさは残りながらも、スパルヴィエロがネロたちの会話に割り込んできた。

 

【知り合いも何も、こいつはお前の命の恩人だ】

「えっ?」

【お前が深海棲艦にボコられて、ぼろ雑巾みたいな有様で漂流し、挙げ句に波にさらわれ未知の船出に旅立とうとしたのを未然にくい止めてくださったのが、こちらにおられるいけすかんお嬢さんというわけだ】

 

 嫌み丸だしなネロの説明に、思わず苦笑するルイジの前にスパルヴィエロが進み出ると、深々と頭を下げた。

 

「あ、あの、その節はお世話になりした。おかげでわたし……」

「勘違いするな」

 

 ルイジは、語気鋭く言い放つ。

 

「さっきも、その妖精に言ったが……」

【おれの名前は、ネロだ!】

「……これは失礼、先ほども、そちらのネロさんに申し上げたが、私は自分に与えられた任務を遂行したまでだ。礼を言われるようなことをした覚えはない……これで、よろしいですかな、ネロさん?」

 

 

 口元に笑みを浮かべながら、互いに火花を散らし睨み合うルイジとネロ、どうやら

このふたり(?)、相性はかなり悪いようである。

 

 険悪なふたりを遮るように、慌ててスパルヴィエロが割って入ってきた。

 

「何だ?」

「やっぱり、お礼を言わせてください」

 

 ルイジの顔が、不機嫌さを増す。

 

「何度同じ事を言わせる? 私は……」

「それでもわたし、嬉しかったです!」

 

 満面の笑みを浮かべるスパルヴィエロに、ルイジは困惑したような顔になる。

 

「あなたが助けてくれなかったら、わたしどうなっていたか分かりません。本当にありがとう

ございました、ルイジ・ディ・サヴォ……サ、さ……」

 

 輝くような満面の笑みが、みるみる引きつっていく。

 

 だらだらと脂汗を浮かべたはじめたスパルヴィエロを見ていたルイジが、頭に手をやり

乱暴に髪を掻きながら苦笑する。

 

 

 

 

「……ルイジでいい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ただでさえ知名度の低いイタリアの軍艦を艦娘として使う際に、なるべく艦名は短い物を使うように心がけてきましたが、
ルイジは自分が知る限りもっとも長い艦名が気に入り、本作登場となった経緯があります(笑)。


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第15話 「転属」

 

 

 先ほどまで、全身から発せられていたピリピリとした空気は霧散し、ルイジの顔には

穏やかな笑みすら浮かんでいた。

 

(あの偏屈(ルイジ)を……よくもまあ、大したもんじゃ)

 

 バルドヴィーノが、にこにこしながらスパルヴィエロの背中に話しかける。

 

「のう、スパルヴィエロ、今日お前さんに来てもらったのは、他でもな……」

 

 スパルヴィエロが体がビクッと震えると、猛烈な勢いで180度ターンした。

 その疾さたるや、彼女の足下から摩擦熱で一筋の煙が立ちのぼるほど凄まじいものだった。

 

 老提督に二の句を継がせる間も与えず膝を折ると、スパルヴィエロは両手を床につけ、深々と頭を下げる。

 

 

 

 

 

「ごめんなさいっ!」

 

 

 

 

 

 執務室に響きわたる鈍い打撃音は、血を吐くような謝罪の言葉の後に聞こえてきた。

 

 

 

「……あ~、どうしたんじゃ、急に?」

 

 

 

 勢い余って床に頭を強打し、痛みに体を震わせるスパルヴィエロを呆然と見下ろして

いた老提督は、トレントたちに視線を移した。

 だが、トレントもルイジも状況が把握できず、ただ困惑した表情を浮かべるだけだった。

 

 

◆◆◆

 

 

 

「なるほど、例の一件で譴責されると思っとたのか?」

 

 両目を潤ませ、額にできた特大のコブをさするスパルヴィエロを見て、バルドヴィーノは、堪えきれずに笑い出す。

 

「確かに、無断で輸送任務を放棄し、貴重な物資を捨ててしまうなど、本来なら軍法会議もまぬがれんところじゃな」

 

 老提督の無邪気な笑みを見て、胸を撫で下ろしていたスパルヴィエロの体が、その

一言で凍り付く。

 

 

 

「だが、あの場合、嬢ちゃんが下した判断は間違ってはおらん」

「えっ?」

「むしろわしは、最良の選択だったと思っておる」

 

 床にペタンと腰を下ろしたまま、惚けた顔をしていたスパルヴィエロの体を、ネロが

尻尾で軽く叩いた。

 

【『最良の選択』だとよ、良かったな?】

 

 金色の瞳でウィンクしてきたネロを見て、スパルヴィエロ微笑み返す。

 だが、それは、次の疑問を生じさせるきっかけでもあった。

 

「でも、それじゃあ提督は、何のために、わたしをここに呼んだのですか?」

「それは、貴女にこれを渡すためです」

 

 トレントが差し出した一枚の書類を受け取ると、スパルヴィエロは書かれた文面を声

に出して読みはじめた。

 

 

「え~と、『空母“スパルヴィエロ”、○月×日をもって、輸送船団護衛の任を解き、

第1遊撃艦隊への転属を命じる』か、へ~、すごい」

 

 

 顔の高さまで持ち上げていた命令書が、今度はゆっくりと下がりはじめる。

 首を軋ませながら、スパルヴィエロは緩慢な動きで振り向くと、虚ろな瞳で老提督を

見つめた。

 

 

 

「アノ、コレッテマサカ、実戦部隊経ヘノ配属トイウコトデスカ?」

 

 

 

 バルドヴィーノは、こぼれるような笑みを浮かべながら、力強く首を縦に振った。

 

 

 

「む、むむむ無理ですよーッ!!」

「なんでじゃ?」

 

「だってわたし、実戦経験無いんですよ? 戦技関係の練度だって、軒並み『0』だし……」

「何を心配しとるのかと思うたら、そんな事かい? 大丈夫じゃよ。2、3回実戦を重ね

れば、練度など勝手に上がっていくわい」

 

 もはや、高笑いを続けるこの老提督を説き伏せるのは無駄と判断したのだろう。

 一縷の望みをかけ、スパルヴィエロは、若干瞳孔が開き気味の瞳で横を見た。

 

 だが、ルイジは頭に手をやりながら明後日の方角に目をやり、トレントは熱心に眼鏡を拭きはじめ、スパルヴィエロと目を合わせようともしない。

 

 

「……嬢ちゃんの気持ちも分かる。だがのう、わしらに残された時間は、もう無いんじゃ」

 

 

 何か思い詰めたような哀切を含んだ声に、スパルヴィエロは反射的に振り返る。

 そこには、先ほどまでの軽薄さは影を潜め、真剣なまなざしで自分を見つめる老提督

の姿があった。

 

「のう、スパルヴィエロ、お前さん今、このイタリアを守るために、幾つの艦隊が戦っているか知っとるか?」

 

 スパルヴィエロは、こくんと頷くと、指折り数えはじめた。

 

「えっと、まずこのナポリに、ルイジさんの第1遊撃艦隊と第2遊撃艦隊、それと哨戒用

の駆逐隊が二つ。そして、サルデーニャ島にアクイラ姉さんのいる第1主力艦隊と第2主力艦隊。それに第3遊撃艦隊……あっ、あと、潜水戦隊がいたはずだったような……」

 

 

 老提督は、スパルヴィエロの回答に満足そうに頷いた。

 

 

「正解じゃ、では、これらの艦隊を合計すると、艦娘の数は?」

「40、です」

「残念じゃが、今度は不正解じゃな。正確にいうなら、嬢ちゃんを加えて(・・・)『41』じゃ」

 

 かすかに顔を強ばらせるスパルヴィエロを見て、バルドヴィーノは目を伏せながら話を続ける。

 

「これに、給油や輸送など各種支援に従事する艦娘を加えても、その数は60にも満たないじゃろうな」

 

 ルイジとトレントは、黙したまま老提督の声に耳をかたむけている。

 

「だが、この寡兵を以て、わしらは深海棲艦どもと戦い勝たねばならん!」

 

 色が変わるほど拳を握りしめていたことに気づき、老提督の口元に苦笑いが浮かぶ。

 

「さて、“タラントの惨劇”で、何故わしらが大敗を喫したと思う?」

 

 

 スパルヴィエロは、ゆっくりと(かぶり)を振った。

 

 

「そうか、嬢ちゃんはあの頃まだ、艦娘として覚醒しとらんかったからのう……確かに

あの戦いまで、勝ち戦を重ね、わしらは慢心し警戒を怠った。そこにあの奇襲を受けた」

 

 老提督の視界の端に、うつむき血が出るほど唇を噛みしめているルイジたちの姿が

映った。

 

「だが、敵航空母艦の存在に気づかなかったのが、最大の敗因じゃった。これら空母

から出撃した多数の敵機の攻撃を受け、わしらは一方的に叩かれ敗北を喫した」

 

 老提督は大きく息を吸い、呼吸を整える。

 

「現在確認されているだけでも、この地中海近海に“正規”“軽”併せて8隻にも及ぶ

敵空母が遊よくしておる。これらに対抗しようにも、アクイラ一隻ではもはや歯が立たん。奴らを地中海から一掃するためには、嬢ちゃんの……空母としての力が、是が非にも

必要なんじゃ!」

 

 

 

「わたしの、力?」

 

 

 

 そうつぶやくと、スパルヴィエロは自分を抱きしめるように両腕を肩に回した。

 

「怖いのか?」

 

 スパルヴィエロの肩が小刻みに動いているのに気づき、老提督が労るような口調で

話しかけると、無言のままスパルヴィエロ頷いた。

 

「そうか……」

「でも、守りたい」

 

 語尾こそ震えていたが、スパルヴィエロの凛とした声で話しはじめる。

 

 

 

「たとえ『お荷物』と呼ばれても、わたしだって艦娘です。この国で暮らす人たちや同じ仲間(艦娘)を守りたい……だからわたし、戦います!」

 

 

 

 毅然と言い切るスパルヴィエロを、目を見開いて眺めていた老提督は、口ひげをいじりながら満足そうに頷いた。

 

 

 



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第16話 「艦娘とは?」

 

「でも、やっぱりわたしなんかじゃ、かえってみんなの足を引っ張ることに

なるのでは……」

「おいおい、さっきの威勢の良さはどこへいったんだ」

 

 ルイジは、急に消極的になったスパルヴィエロを睨みつける。

 

「でもわたし、(速力)は遅いし、載せてる艦載機も旧式だし、おまけに搭載機数も少ないし、それに……」

 

 自分で言っていて、だんだん惨めな気持ちになってきたのだろうか、語尾が叙序に

小さくなり、やがて肩を落とすと黙り込んでしまう。

 

「先ほど提督がおっしゃった事をもう忘れたのですか? 私たちは絶対的に戦力(艦娘)が不足しているのです」

 

 どうにも煮えきらないスパルヴィエロにトレントは憤慨するが、ルイジが両手を上げてなだめすかす。

 

「数、ですか? ん~、ん~、あっ、そうだ!」

 

 腕を組み、うんうん唸っていたスパルヴィエロが、ポンと両手を打ち鳴らす。

 

「わたしたち艦娘が軍艦の生まれ変わりなら、新しい船をどんどん造って自分で沈めちゃえばいいんじゃないですか? そうすればきっと、艦娘の数も増えるとハズですよ!」

 

「お前な……」

「何を言い出すかと思えば……」

 

 妙案とばかりに、得意げな顔をするスパルヴィエロだが、ルイジとトレントは

あきれ果て言葉が続かない。

 

 

 

「ああ、それならもう、とっくに試した」

 

 

 

「「「はっ?」」」

 

 三人の艦娘の視線が、老提督に注がれる。

 

「じつは、ここだけの話なんじゃがな」

 

 老提督は辺りを伺いながら声を潜めると、手招きしはじめる。

 ルイジたちは肩も触れ合んばかりに身を寄せ、老提督の周りに集まった。

 

「“タラントの惨劇”の後、損害が余りにも大きかった艦娘たちの数を補うために、

試験的に当時極秘に建造していた駆逐艦を、深夜にナポリ沖合まで曳航し自沈させた

そうなんじゃ」

「で、結果はどうなったのですか?」

 

 

 興味深げに尋ねるルイジに対し、バルドヴィーノは両手を肩のあたりまで持ち上げ、

パッと開いてみせた。

 

 

「な~んも起きんかった。待てど暮らせど、自沈した駆逐艦の名を冠した艦娘は現れな

んだ」

 

 老提督は、ちらりと壁にかかった時計に目をやる。

 

「今現在に至るまで、な」

 

「ですが提督、私はそのような話、聞いたこともありませんが」

 

 トレントも、秘書艦としてバルドヴィーノのもとで働くようになって1年が過ぎようと

していたが、こんな荒唐無稽な話は噂でも耳にしたことがなかった。

 

「まあ、国民の血税を海に投げ捨てたようなもんじゃからな。政府も軍当局もこの一件をもみ消すのに、必死だったのじゃろうな。わしがこの話を耳にしたのも、つい最近の

ことだしのう」

 

 老提督はグラスに注がれたワインを一口含むと、のどを湿らせる。

 

「だが、この一件、アイディアとしては、あながち間違っていたとはいえんかもしれん」

「それは、どういう意味ですか?」

 

 疑問を差し挟むトレントに、老提督は壁際に置かれた本棚を顎で指し示す。

 

「その中に“イタリア海軍年鑑”と書かれた本がある。どんな内容か知っておるか?」

 

 トレントは本棚に近づくと、立派に装丁された1冊の本の背表紙を指先でなぞった。

 

「はい、この本には、イタリア海軍が創設されて以来、建造された、古今東西の軍艦

の諸性能、さらに竣工から戦没、もしくは退役した日時などが記されています」

「その通り……以前わしは、暇つぶしにその本を呼んでいたんだが、その時に気づいた

ことがある」

 

 スパルヴィエロたちは、老提督の言わんとすることが理解できず一様に困惑したような顔になる。

 

「お前さんたち艦娘は、かつて実在した軍艦たちの“記憶”と“魂”を受け継いだ存在

……そうじゃったの?」

 

「はい」

 

 みなを代表して、ルイジが言葉少なに肯定した。

 

「ならば、その年鑑に納められた全ての軍艦が、艦娘としてわしらの前に現れんのは

変だとは思わんか?」

 

 

 スパルヴィエロたちは一様に顔を上げると、穴があくほど互いを見つめた。

 

 

「それを不思議に思ったわしは、さらにその年鑑と現在イタリア海軍に所属している

艦娘たちのデータを照らし併せてみた。そして、ある事に気づいたんじゃ」

 

 ルイジたちは何も言わなかったが、その瞳が話を進めるようにと催促していた。

 

 

「お前さんたち艦娘として覚醒した艦はみな、深海棲艦との戦いで戦没したものばかり

だったんじゃよ」

 

 

 トレントたちは、老提督が何を言わんとするか薄々気づいてはいたようであった。

 だが、突きつけられた真実によるショックは、想像以上だったようだ。

 

 

 

「……ま、例外もひとつだけ(・・・・・)あったが……」

 

 

 

 そのために、彼女たちの耳には、老提督の口から最後に漏れた言葉を聞き逃していた。

 

 

◆◆◆

 

 

「なんだか辛気くさくなってしまったのう。どうじゃ、気晴らしに一杯?」

 

 バルドヴィーノは陽気な声で話しはじめると、グラスを三つ取り出し中身を満たすと、スパルヴィエロたちの前に押しだした。

 

 グラスを黙って見ていた三人だが、ルイジはやおらグラスを手に取ると、一気に煽る。

 トレントもかなり動揺していたのだろう、勤務中だというのも忘れ、息つく間もなく

ワインを飲み干してしまう。

 

 スパルヴィエロだけが出されたワインに口を付けず、ただグラスの表面に揺れる

波紋を見つめていた。

 

 

 

「でも、それって……もう、わたしたちの仲間は現れないということなんですよね?」

 

 

 

 深海棲艦との度重なる戦いで、イタリア海軍に所属していた戦闘艦艇はことごとく沈められたことは、スパルヴィエロでも知っていた。

 

「そういうことになるの。かといって、今から戦艦や空母を建造しようにも金も時間も無いときておる。第一、今の話はこの老いぼれの夢想にすぎん。じっさい(フネ)を深海棲艦どもに沈めさせても、艦娘になるという保証もないしの!」

 

 老提督は、カラカラと笑いながらワインを喉に流し込む。

 

「だが、我が軍の艦娘たちの数が危険なまでに減少しているのは事実……ルイジ、頼むぞ?」

 

 バルドヴィーノの口調が変わり、ルイジは前を見た。

 幾多の修羅場をくぐり抜けた古強者が、真剣なまなざしで自分を見ていた。

 

「はっ! 行くぞ、スパルヴィエロ」

 

 執務室を後にしようと背を向けるルイジに、スパルヴィエロは慌てて後を追う。

 

「えっ、どこにですか?」

「下だ、お前の仲間が、さっきから首を長くして待っている」

 

 

 首だけひねり振り向くと、ルイジはニヤリと笑った。

 

 



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第17話 「新たな仲間たち」

 

 

 仲間たちに紹介すると言われ、執務室を後に階段を軋ませながら下りはじめたスパルヴィエロだが、2階に降りると廊下を歩き始めたルイジを見て訝しむ。

 

「あのぅルイジさん。食堂に行くんじゃないんですか?」

「いや、他の艦娘は、わたしの部屋で待っている」

 

 1階を指さし尋ねるスパルヴィエロに振り返りもせずにつぶやくと、ルイジはなおも

歩き続けた。

 

 スパルヴィエロとネロは互いに顔を見合わせるが、ルイジの後を追った。

 

 2階は艦娘の宿舎になっており、廊下を挟んで合計14ほど部屋が並んでいる。

 通常は、一部屋に2~3人の艦娘が寝泊まりしていたが、一番奥にふたつある大部屋は、旗艦を勤める艦娘専用の個室になっていた。

 

 片方の部屋に近づくと、ルイジはノブに手をやり扉を開いた。

 調度品の類はいっさい見あたらない、殺風景といってもいい部屋。

 

 ルイジは、室内にいた少女たちに話しかけた。

 

 

「待たせたな」

 

 

 部屋の窓からナポリの町並みを見ていた少女が、ウェーブのかかった銀糸のような髪を揺らしながら振り返る。

 ルイジの背に隠れるようにして、肩越しに部屋の中をのぞき込んでいたスパルヴィエロと目が合うと、はにかむような笑みを浮かべて会釈した。

 

 つられて頭をかきながら挨拶するスパルヴィエロだが、刺すような視線を感じ、首を

巡らした。

 壁を背に、ふたりの少女が不服そうな顔をしながら、あからさまにスパルヴィエロを

睨みつけている。

 

 双子だろうか、顔立ちや瞳の色、髪型までまるで見分けがつかなかった。

 

 なぜ、そんな目で見られなければならいのか? 皆目見当もつかなかったが、とりあえずスパルヴィエロは少女たちから目を反らすように部屋の反対側に視線を移した。

 

 そこにはベッドが置かれ、少女がひとり分厚い本を胸に抱き、スヤスヤと寝息をたて

就寝中であった。

 

 ルイジは首を振りながらベッドを指さす。

 

 唯一、スパルヴィエロに好意的な態度を見せた少女が、鳶色の瞳を大きく見開くと

慌ててベッドに走りよる。

 

「あの、起きてください、スパルヴィエロさんが来ましたよ?」

 

 しばらく肩を揺さぶられると少女はようやく目を開け、気だるそうに体を起こした。

 ライトブラウンの軍服のあちこちに、皺が寄っているが気にした素振りも見せない。

 

 寝癖だろうか、ベージュ色の髪のあちこちがピンと立ち、ひときわ大きな跳ねが

アホ毛のように登頂で揺れている。

 

「……だいじょうぶ、起きてた」

「嘘をつくな」

 

 寝起き特有の掠れ声で断言する少女を一喝すると、ルイジは部屋を見渡しながら、

背後を指さす。

 

「彼女が、今朝話した新メンバーの護衛空母、スパルヴィエロだ」

 

 ルイジはそう言うと、身体の前で腕を組み合わせて立つ少女に、軽く頷いてみせた。

 

「初めましてスパルヴィエロさん。私は“トゥルビネ”級駆逐艦の1番艦、トゥルビネと

いいます」

 

 トゥルビネは、腰まで届く銀髪を揺らせながら、深々と頭を下げた。

 スパルヴィエロも、慌ててお辞儀を返す。

 顔を上げると、時同じく顔を上げたトゥルビネの鳶色の瞳と目があった。

 

 しばらくすると、ふたりはお互い屈託のない笑みを浮かべ合う。

 

 着ている衣服は青を基調とし、襟、袖、そしてスカートに白いラインの入ったシンプ

ルなデザインのセーラー服だが、線が細く可憐な顔立ちのトゥルビネには非常に似合っ

ていた。

 

「あっ、それと壁際に立っているふたりは、私の姉妹艦で4番艦と7番艦の……」

 

「エスペロよ!」

「あたしはオストロ!」

 

 トゥルビネの声を遮るように、腕を組みながらエスペロとオストロは、乱暴に名乗り

を上げた。

 

 スパルヴィエロは、トゥルビネより一回り小柄な少女たちを、返す返す見つめた。

 

 髪も瞳の色も同じ燃えるような赤色で、背格好も似ているため区別がつかない。

 少し前に耳にしたふたりの声も、トーンや口調もまるで同じだった。

 

 唯一、ふたりの外見の差を強いて挙げれば、頭の側面で結んだ髪がエスペロは右に、

オストロは左に下がっているということぐらいであろうか。

 

 同クラスの駆逐艦であるため、着ている服は基本的にトゥルビネと同じセーラー服だが、細い二の腕は露わになり、下はスカートではなくショートパンツに変わっていた。

 短めに切りそろえられたの髪型に加え、勝ち気そうな顔立ちは、日に焼けた健康そうな見た目と相まってヤンチャな少年といった趣があった。

 

「さて、最後は……」

 

 ルイジは苦笑しながらエスペロたちから目を反らすと、ベッドの上に腰掛け本を読み

ふける少女に視線を移す。

 

「……アルマンド」

 

 アルマンドは本から目も離さずに、億劫そうに自分の名を告げる。

 

「えっと、この方は、軽巡洋艦“ルイージ・カルドナ”級、2番艦のアルマンド・ディアス

さんです」

 

 いくら待っても口を開こうとしないアルマンドに代わり、トゥルビネが慌てて補足

する。

 

「ふう、以上が第1遊撃艦隊に所属する艦娘だ。わたしの名前は……あらためて名乗る

必要はないな?」

 

 ルイジの瞳に、口元を押さえながら、カクカクと首を振るスパルヴィエロの姿が映った。

 

「はは~ん、分かった」

 

 スパルヴィエロの背中に、蔑むような声が投げかけられた。

 

「あんた、ルイジの名前を呼ぼうとして、舌でも噛んだんじゃない?」

「ダッサ! 初心者は、たいがいやるのよね、ソレ」

 

 多分に嫌みを含んだ声でクスクス笑い合うエスペロとオストロに、横合いから声が投げかけられた。

 

「……ふたりとも、はじめは盛大に噛んでた」

 

「うっ、うるさいわね!」

「そうよ、この、寝ぼけ艦娘!」

 

 エスペロとオストロは、顔を真っ赤にしてアルマンドに罵声を浴びせるが、当の本人

は涼しい顔をしている。

 

「さて、と」

 

 ルイジはスパルヴィエロの背中に手を回すと、思い切り押し出した。

 

 スパルヴィエロはバランスを崩しながら、部屋の中程まで進むが、何とか踏みとどまる。

 首だけで振り向くと“次はおまえの番だ”といわんばかりにルイジが顎をしゃくりあげる。

 

「はじめまして、みなさん。わたし本、日付けをもって、この第1遊撃艦隊に配属されま

したスパルヴィエロといいます。不束者ですが、どうかよろしくお願いします」

 

 そう言いながら、スパルヴィエロは深々と頭を下げるが、待てど暮らせど、なんの

リアクションも起きない。

 

 そっと顔だけ上げてみると、エスペロとオストロは頭の後ろで腕を組み、てんで違

った所を見ている。

 アルマンドは本を読むことに夢中なようで、スパルヴィエロの存在などきれいさっぱり忘れているようだった。

 トゥルビネは、おろおろしながらアルマンドやエスペロたちを見ていたが、スパルヴ

ィエロと目が合うと慌てて拍手をはじめる。

 

 

 室内に虚しく響きわたる拍手を聞きながら、スパルヴィエロはゆっくりと目線を下げた。

 

 背後でルイジが複雑そうな表情を浮かべ、腰に手を当てスパルヴィエロを見下ろして

いた。

 

 若干一名を除いて、第1遊撃艦隊の艦娘たちは、とてもスパルヴィエロを歓迎している

ようにはみえなかった。

 

 

「はぁ」

 

 

 この先のことを考えると気が滅入り、スパルヴィエロはお辞儀の姿勢を維持したまま、誰にも聞こえないように小さなため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第18話 「バルジじゃありません!」

 

「……はじめてじゃない」

 

 棘をふくんだ声に、スパルヴィエロは顔を上げた。

 視線の先には、あいかわらず頭の後ろで腕を組んだまま天井を見上げるエスペロと

オストロの姿があったが、ふたりとも口をへの字に結んだままのため、どちらの言葉かは分からなかった。

 

「アンタと合うのは、今日が初めてじゃないって、そういってんの!」

 

 エスペロとオストロの赤い瞳に、怒りの炎が揺れ動いている。

 だが、スパルヴィエロは話が見えず、困惑するばかりだが、それがかえってふたりの怒りの炎に油を注ぐ結果になった。

 

「船団護衛に失敗した挙げ句、死にかけてたアンタを助けてあげたのは、誰だと思って

いるの?」

 

 エスペロたちの言わんとすることを理解し、スパルヴィエロ肝心なことを言い忘れた

ことにようやく気づいた。

 

「あ、あの……ごめんなさい、わたしったら……」

「だいたいアンタ、体重いくらあるのよ!」

 

 

 

「へっ!?」

 

 

 

 下がりかけた頭が止まり、ゆっくりと元の位置に戻っていく。

 スパルヴィエロは、オストロの発した言葉の意味を探るべく沈思黙考する。

 

 だが、お世辞にも優れているとはいえないスパルヴィエロの知識を総動員しても、目

の前の駆逐艦娘の真意は計りかねなかった。

 

「あたしたち駆逐艦が3隻がかりじゃなきゃ持ちあがらない(サルベージできない)なんて尋常じゃないわよ。さあ、正直に言いなさい!」

 

 あきらかに話のベクトルがズレてきているが、ジリジリと詰め寄ってくるエスペロたちの顔を見ていると、もはや説得すら不可能ような気がしてきた。

 

 

こいつ(スパルヴィエロ)体重(排水量)は、3万418トンだ】

 

 

 ネロがぶっきらぼうにつぶやくと、エスペロとオストロの瞳が限界まで見開かれ

ふたりは同時に叫んでいた。

 

 

 

 

 

 

「「デヴッ!!」」

 

 

 

 

 

 穏和な性格のスパルヴィエロだが、そこは年頃の娘である。

 さすがにこの暴言にはカチンときたようだった。

 まるで、珍獣かUMAでも見るような眼差しで自分を見つめるエスペロたちに、顔を

真っ赤にしながら、珍しく声を荒げて反論を始める。

 

「ちょ、ちょっと待ってください。それは、わたしの客船時代の排水量の話であって、

空母に改装されたあとは2万3000ト……っていうか、じっさい、そんなに重いわけ

ないじゃないですか!」

 

 まあ、冷静に考えれば、体重が3万トンもあれば、いまごろスパルヴィエロは足下の

床を突き破り続け、エスペランザの地下にあるワインセラーにでも深々と突き刺さっ

ているころであろう。

 

 

「ふたりとも言い過ぎだよ。スパルヴィエロさんも、私たちと同じ艦娘なんだから、困った時に助け合うのは当然でしょう?」

「コイツが重いのと、その話は別よ! だいたいトゥルビネだって、あの時は凄い顔して運んでたじゃない、本音を言えば重かったんでしょう?」

 

 

 

 

「え? ええ、それは、まぁ……」

 

 

 

 

(ソコハ、嘘デモ否定シテ欲シカッタデス、トゥルビネサン……)

 

 

 

 唯一の理解者と思っていたトゥルビネにまで、完全に肯定されてしまい、落胆する

スパルヴィエロに向かって、エスペロとオストロがズンズン近づいてきた。

 

 困惑した顔で見下ろすスパルヴィエロの目の前まで足を止めると、ふたりはつま先立

ちになると両手を伸ばした。

 

 

 

 

「ひゃああああ!?」

 

 

 

 いきなり小さな手で豊満な乳房を鷲掴みにされ、スパルヴィエロが素っ頓狂な声を上

げてしまう。

 

 

「何よコレ、バルジ? バルジなの?」

「こんな余計なモノつけてるから、重いのよ!」

 

 

 

「こ、これは、バルジじゃありませんっ!!」

 

 

 花も恥じらう乙女相手にエラい言いぐさだが、当の本人であるスパルヴィエロは、

そのことに対してツッコむ心の余裕は、まるでなかった。

 慌てて身をよじりふたりを振り払おうとするが、その双眼に羨望、というか、あきらかに嫉妬の炎を宿したエスペロたちは、振りほどかれまいと、さらに握りしめた両手に

力を込める。

 

 暖かくも柔らかい感触が、両の手のひらを通してエスペロとオストロに伝わってくる。

 

 

 

 

「な、なによ…この、ムダな…大き、さ」

「そうよ、お、女は…胸じゃ、ないんだから…ね」

 

 

 

 

 強気な言葉とは裏腹に、スカスカのセーラー服を通して『敗北』の二文字がエスペロ

とオストロの心に重くのしかかっているのだろう。

 

 

 

 語尾が震え、涙声になっていく。

 

 

 

 

【お前ら、いい加減にしろ】

 

 

 

 

 怒りと悲しみを糧に、戦慄(わなな)く両手に力を込め、スパルヴィエロの乳房を

鷲掴みにしていた、ふたりの手の動きがピタリと止まった。

 エスペロとオストロは、互いに目の端に涙の浮かんだ顔を見つめ合ったあと、ゆっくりと足下に視線に移す。

 

 

 

 

 

 

「「猫がしゃべった!?」」

 

 

 

 

 

 

【……反応遅すぎだろ、お前ら】

 

 驚愕の表情を浮かべるながら、自分を見下ろす駆逐艦娘たちを、ネロは呆れた顔になる。

 

 このバカ騒ぎにも全く興味を示さず、読書を続けていたアルマンドが、ページをめくっていた指を止め、口を開く。

 

「……そういえば、スパルヴィエロは変わった妖精を連れて歩いてるって聞いたことが

ある」

 

 

「妖精?」

「このブサイクなのが?」

 

 

【だれが不細工だ? 殴られてぇのか、このガキ…おわっ!?】

 

 怒りに全身の毛を逆立て威嚇するが、ネロが行動に移る前に、ふたつの影がネロの体に覆い被さる。

 エスペロとオストロは、こみ上げてくる好奇心を抑えられないのか、瞳をキラキラと

輝かせながらしゃがみ込むとネロを力まかせに押さえ込む。

 

「うわぁ、なにコレ!」

「ヘンなの~!」

 

 さっきまでの泣き出しそうな顔はどこへやら、嫌がるネロの毛を乱暴に撫でたり尻尾を引っ張ったりと、やりたい放題である。

 もはや、スパルヴィエロの存在など忘却の彼方に去ったようで、エスペロたちはネロをイヂりはじめる。

 

 年相応な無邪気な笑みを浮かべながら、ネロをかまうのに夢中になっているエスペロとオストロを優しげな眼差しで見ながらトゥルビネが近づいてくる。

 

「ネロさんに、感謝しないといけないですね?」

「そ、そうですね」

 

 当面の危険が去ったことに安堵しながら、スパルヴィエロは額に浮かんだ汗を拭った。

 

 

 そのとき、特大の咳払いが、部屋中に響きわたった。

 

 

 スパルヴィエロとトゥルビネが、肩をピクンとすくませると、おそるおそる振り返った。

 

 仰向けにしたネロの手足を掴み、力の限り引っ張っていたエスペロとオストロの動き

が止まる。

 

 アルマンドだけは、我関せずといった様子で顔も上げようとしない。

 

 

 

「……できれば話を続けたいのだが、かまわないかな?」

 

 

 ルイジの口調は、いつもと変わらず落ち着き払っていたが、その言外に激しい怒りを

内包しているのは誰の目にもあきらかだった。

 

 アルマンド以外の艦娘たちは、ルイジの視線からそっと目を伏せると、大きく首を縦に振った。

 

 

 

 

 



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第19話 「旗艦の悩み」

 

「とにかくだ、お前たちの気持ちも分からんではないが、スパルヴィエロの第1遊撃艦隊

への転属は、マリオ・バルドヴィーノ提督が、わたしに直々に命令されたものだ」

 

 つまりそれは最高司令部の決定であり、もはや覆されるこはあり得ない。

 まだ幼さの残るエスペロとオストロだが、イタリア海軍に所属する艦娘である。

 

 ルイジの言葉の意味は、十分に理解しているのだろう。

 

 まだ何か言いたげであったが、頬を膨らませると黙り込んでしまう。

 

 一列に並んだ部下たちを、順に眺めていたルイジの目が止まった。

 

「何か意見でもあるのか?」

 

 おずおずと手を挙げていたトゥビネが、小さくうなずく。

 

「スパルヴィエロさんが、私たちの艦隊に加わることに異存はありません、でも……」

 

 トゥルビネはそこまで話すと、ためらうように口を閉ざしてしまう。

 ルイジは腰に手を当て黙ったままだったが、その目が話を進めろと促していた。

 

「でも、スパルヴィエロさんて、実戦の経験はどのくらいあるのでしょうか?」

 

 一同の視線を全身に浴びたスパルヴィエロが、ゆっくりと自身を指さす。

 室内の艦娘たちが、一斉にうなずいた。

 

「で、どうなのよ?」

「さっさと答えなさい」

 

 エスペロとオストロは、詰問するような口調で尋ねてきた。交互にふたりを見ていた

スパルヴィエロだが、やがて観念したように口を開いた。

 

「……ありません」

「「はあ?」」

 

 同時に一声発した後、カクンと顎を落としたまま硬直するエスペロたちに代わり、

トゥルビネが前に進み出る。

 

「それってつまり、実戦経験が無いということなんですか?」

 

 身を縮こませながら、スパルヴィエロは申し訳なさそうにうなずいた。

 

 スパルヴィエロは、過去の輸送船団の護衛任務で、計3回深海棲艦と会敵していた。

 だが、そのうち2回は敵と接触する前に転進し難を逃れていた。

 最後の1回は、先日のサルデーニャ島への輸送任務のさいの出来事だったが、あれは

一方的にスパルヴィエロがたこ殴りにされただけであり、とても戦闘と呼べるものでは

なかっただろう。

 

 重苦しい空気が立ちこめはじめた室内に、気だるげな声が響く。

 

「……経験が無いなら、これから積めばいいだけ」

 

「そうです、アルマンドさんの言うとおりです。まだ時間はあります。私たちも協力しますからがんばりましょう」

 

 ポンと手を打ち、トゥビネがスパルヴィエロに微笑みかける。

 

「は、はい! わたし、死ぬ気でがんばります!!」

「ま、ほどほにしてよね」

「そうね、また死にかけたアンタを運ぶのは、あたしたちなんだからさ」

 

 拳を堅く握りしめ、一念発起するスパルヴィエロに、その視線と同じぐらい冷たい声

で、エスペロとオストロがツッコミを入れる。

 

「まぁ、その意気込みは買うが、その前に大破したお前の艤装をなんとかしないとな?」

 

 ルイジの一言で、自分のぎ装が現在工廠で修理中なのを思いだし、スパルヴィエロの

顔が青ざめる。

 

「後数日で、第2遊撃艦隊と任務を交代する。それまでは各自体調を整えておくように

……スパルヴィエロ、お前はすぐに工廠に向かい艤装の修理状況を確認するように、以上

解散!」

 

 トゥルビネをはじめ、第1遊撃艦隊の艦娘たちは一斉に敬礼すると、部屋を後にした。

 

 

◆◆◆

 

 

 慌てて廊下を走り去っていくスパルヴィエロ。その背中を見ながらブツブツと不満を口にし、去っていくエスペロたちを見送ると、ルイジは扉に鍵をかけ、ため息をつく。

 

「ふぅ」

「……お疲れさま」

 

 まるで心のこもっていない労いの言葉に、ルイジは息を飲む。

 

「アルマンド……まだいたのか?」

「……勝手に鍵をかけたのは、ルイジの方」

 

 あいかわらずベッドに腰掛け、手にした本に視線を注いだままつぶやくアルマンドに、ルイジは苦笑する。

 

「だが、ちょうどよかった。お前に相談したいことがあった」

「……トレントが寄越した資料のこと?」

 

 それは、先日スパルヴィエロを1遊撃艦隊に編入する命令を受けた際、スパルヴィエロ

の性能や戦績などが記された資料を、トレントから渡されたものだった。

 ルイジはそれをアルマンドに見せ、後日意見を聞かせてくてと頼んでいたのだ。

 

「察しがいいな。で、お前はどう思う?」

 

 ルイジは、自室の机に向かって歩きながら尋ねるが、アルマンドはすぐに答えなかった。

 椅子に腰掛け答えを待つが、いつまでもたっても部屋は沈黙に包まれたままだった。

 どれぐらい時が過ぎただろうか、我慢しきれず、ルイジはアルマンドに話しかけようとしたが、口を閉ざすとわずかに眉を寄せた。

 

 

 

「おい」

 

 

 

 こっくりこっくりとかいを漕ぎはじめたアルマンドの体が、微かに震えた。

 

「……だいじょうぶ、起きてた」

 

 

 ルイジは机に肘を付くと、両手で顔を覆ってしまう。

 彼女の肩が、微かに震えている。

 

 

「……これからの戦いは砲戦ではなく、空母を主力とした航空戦が主流になる。わたし

たちは“タラントの惨劇”で貴重な犠牲を払って、それを学んだはず」

 

 ハッとしたように、ルイジは顔を上げる。

 アルマンドの半開きの瞳と、中空で視線が絡み合う。

 

「確かにその通りかもしれない。だが、スパルヴィエロの性能はアクイラと比べれば、

明らかに劣っている。そもそも奴を航空戦力として期待するのは、問題があるのでは

ないか?」

 

「……アクイラと比較すること事態、間違っている。もとが同型の客船でもアクイラは

徹底的に改造を受けている。艦載機の搭載数をのぞけば、その性能は他国の正規空母型

の艦娘と比べても遜色がない、でも……」

 

 アルマンドは、普段はほとんど会話をしようとしない。 そのためか、息があがって

しまったのだろう、そこまで話すと、とつぜん深呼吸を始めた。

 

「おい、おい、大丈夫か?」

「……ん、問題ない」

 

 椅子から立ち上がりかけたルイジを、アルマンドは軽く手を挙げて制した。

 

「……でも、スパルヴィエロは、もともと船団護衛という単一の任務を果たすために

建造されている。その力を受け継いだあの子が、速力、搭載機数、装甲、武装に劣って

いるのは当然の結果だと思う……それに、あの子はおもしろい」

「面白い?」

 

 眉をしかめるルイジに、アルマンドはコクンとうなずいた。

 

「……ルイジも見たでしょう? あの子の戦い方を。あの子は自分の短所を誰よりも

理解している。そして、あの子はそれを補う機転と柔軟さがある……それに、自分を省

みず仲間を救おうとする責任感の強さも。それは、トリエステの欠けた穴を、きっと

埋めてくれると、わたしは信じている」

 

 ついに、軽い酸欠にでもかかったのだろうか、肩で息をはじめたアルマンドを見ながら、ルイジの脳裏に、仲間を逃すために単艦(ひとりで)で深海凄艦に切り込み、地中海にその身を沈めた、かつて第1遊撃艦隊に所属していた艦娘、重巡洋艦トリエステが浮かべた最後の笑みを思い出していた。

 

「……でも、こんな事は、私が言わなくてもルイジならとっくに気づいていたはず」

 

 アルマンドはそう言うと、ルイジに向かって微笑んだ。

 

 しばらくふたりは、声もなく見つめ合っていたが、やがてルイジはそっと視線を外す。

 

 そう、アルマンドが指摘したとおり、ルイジもこれからの深海棲艦との戦いに、空母が……スパルヴィエロの存在が、必要不可欠であることは十分理解していた。

 だが、理性としてそれを受け入れられても、感情は別物だった。

 

 

 スパルヴィエロを自分の艦隊に加えることによって、かえって仲間を危機に晒して

しまうことになるのではないだろうか?

 

 

 

 そう考えると、ルイジの心は千路に乱れた。

 

 

 アルマンドはそれに気づいていたからこそ、ルイジを励ますために、ひとり部屋に

残っていたのだ。

 

「すまんな、頼りにならない旗艦で……」

 

 ルイジはアルマンドの気遣いに照れたように頭に手をやると、髪を乱暴に掻きはじめた。

 

「……気にすることはない。わたしたちは、仲間なん、だか、ら……」

 

 ルイジは手の動きを止めると、振り返った。

 

 アルマンドはベッドに倒れ込むように横たわると、スヤスヤと寝息を立てはじめる。

 ルイジは苦笑しながらベッドに近づくと、足下に落ちていた本を拾い上げ、枕元に

そっと置いた。

 

 

 

 

「やれやれ、できれば自分の部屋で寝てくれると助かるのだが、な」

 

 

 

 

 ルイジはアルマンドの体に毛布をかけると、あどけなさの残る横顔に、軽く唇を押し

当てた。

 

 



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第20話 「災厄」

 

 

 スパルヴィエロはルイジの部屋を出ると、何か思案するような表情を浮かべ、階段を下りはじめる。

 

【どうした、浮かない顔して?】

 

 ネロは、ぐちゃぐちゃになった自分の毛並みを舌で整えながら顔を上げる。

 

「ええ、ちょっと……」

 

 さっきルイジたちに言われた言葉が、スパルヴィエロ脳裏をよぎった。

 

「たしかに、今のままでは、わたしはルイジさんたちの重荷にしかならないですよね」

 

【そんなこと、分かりきったことだろうが?】

「ははは」

 

 しょんぼりと肩を落とすスパルヴィエロを見上げていたネロが金色の瞳を細めた。

 

【それより、今は先に解決しなきゃならんことあるだろうが、次の任務まであまり時間はないんだぞ】

 

 ルイジから通達された命令では、あと数日で第2遊撃艦隊と交代し、実働任務につかなければならない。

 それまでに、先日の深海棲艦との戦闘で大破した自分の艤装を修理し、少しでも練度

を上げなければならなかった。

 

 そのためには、艤装は是が非でも必要だった。

 

「そうですね。じゃあ、これから工廠に……」

 

 スパルヴィエロは気持ちを切り替え、手を振り上げるがひときわ大きな音が、彼女の

お腹のあたりから響きわたった。

 

 そういえば、入渠してからここ数日、何も口にしていない。スパルヴィエロはお腹に手を当て、頬を赤らめてしまう。

 

【……まずは腹ごしらいが先のようだな?】

「でも、艤装の確認が……」

【腹が減っては戦はできぬ! 体調を整えるのも任務の内、と、あのいけすかん旗艦どのも仰っていたぞ】

「あはは、そう、ですね」

 

 

 スパルヴィエロは力無く笑うと、〈エスペランザ〉の一階にある、酒保兼食堂に入っていく。

 

「いらっしゃい!」

 

 足を踏み入れたとたんに、威勢のいい声が耳朶をうつ。

 頭に白い頭巾をかぶった、少し小太りの女性が満面の笑みを浮かべている。

 

 彼女の名前はアンジェラ。〈エスペランザ〉の女主人である。

 アンジェラは民間人であるが、エスペランザが軍に接収されたあとも、1、2階

の施設(食堂や寝室)を維持するために、従業員たちともどもイタリア海軍に臨時に雇用されていたのだ。

 

「ここ、ここ空いてるよ」

 

 両手をエプロンで拭きながら、アンジェラは少しめり込み気味の顎で、窓際の空いたテーブルを示す。

 実は店内には、客はひとりもいなかったのだが、せっかくの女将自らのご指名である。スパルヴィエロは窓際に移動すると、椅子に腰掛けた。

 

「外は暑かったろ? ちょっと待ってね、いま水もってくるから」

 スパルヴィエロが口を開く前に、アンジェラはそそくさとカウンターへと向かってしまう。

 

【あいかわらず、落ち着きのないバアさんだな】

「ちょ、ネロさん、聞こえちゃいますよ!」

 

 慌ててネロを諫めるが、当の本人はどこ吹く風、テーブルの一角を陣取ると、そのままずくまってしまう。

 

「もう! でも、いい女性(ひと)なんですよ、アンジェラさん」

 

 そう言いながらスパルヴィエロは、カウンターの方に顔を向ける。

 たしかに、アンジェラは少々そそっかしいところもあったが、包容力があり、面倒見みもよく飾らないその性格から、この宿に常駐する艦娘たちからは母のように慕われている存在だった。

 

 

「いらっしゃい」

 

 

 テーブルに置かれたグラス、その音にかき消されそうなほどの小さな声に、スパルヴィエロは顔を上げる。

 

 艶やかな黒髪を結い上げ、頭の後ろで一つにまとめた女性が、お盆を両手で持ち立っていた。

 黒いブラウスに同色のロングスカート。身につけた純白のエプロンとまるで陶磁器を

思わせる白い肌が印象的な女性だった。

 

 生気に乏しいグレーの瞳が、スパルヴィエロを静かに見下ろしている。

 

「カ、カラミータさん。いつからそこに?」

 

 まるで気配を感知できなかったスパルヴィエロは、驚き高まる鼓動を押さえるべく、

胸に手を当てながら尋ねた。

 

「いつもので、いいの?」

「えっ? は、はい」

 

 スパルヴィエロの問いかけには答えず、カラミータは注文だけ聞くと、音もなく去っていく。

 

【……あいかわらず無愛想なヤツだな〕

 

 片目だけ開け、ネロは厨房に消えたカラミータの後ろ姿を見ながらつぶやく。

 

「ネロさん!」

【こっちは客だぜ?】

「だからって、言っていいこと悪いことはあります」

【へいへい】

 

 めずらしく語気を荒げるスパルヴィエロを見上げながら、ネロはプイと横を向くと

ふてくされたように尾でテーブルを叩きはじめる。

 

「それに、カラミータさんがあんな風になったのは、深海棲艦生艦のせいかしれないんですよ」

【あん?】

 

 スパルヴィエロの口調に哀愁がふくまれたことに気づいたネロが顔を上げる。

 

 以前、アンジェラから聞いたカラミータの過去の話が、スパルヴィエロの脳裏によみがえる。

 

 

 カラミータがこの町にはじめて姿を見せたのは【タラントの惨劇】が起きた直後だった。

 幸いナポリは、深海棲艦たちの攻撃に晒されることはなかったが。タラントやその近辺から避難する民間人たちや、撤退する軍関係者たちがなだれ込み大混乱に陥っていた。

 憔悴しきり、ボロボロになったカラミータに同情したアンジェラは彼女を匿い、その

ままエスペランザでウェイトレスとして雇い始めたということだった。

 

「だから、カラミータさんにもう少し優しくしてあげてください」

【とはいってもな……あいつの名前の意味は、お前も分かっているだろう?】

 

 当時のカラミータは記憶のほとんどを失っていたが、唯一自分の名前だけを口にした

そうだ。

 

 

カラミータ(災厄)」と。

 

 

 

「そ、それは……きっとカラミータさんの両親は、自分の子供にどんな境遇に落ちても

諦めないように、そんな願いを込めて名前をつけたんですよ」

 

 スパルヴィエロのどこまでもポジティブな思考に、ネロはあきれたように首を振ると、テーブルの上に体を丸めてしまう。

 

 

「おまちどうさま」

 

 

 囁くような声とともに、目の前に湯気を上げた巨大な皿が置かれる。

 皿の大きさは、ほぼテーブルと同じサイズであり、ネロが押し出されるようにテーブルの下に転がり落ちていく。

 

 

「ごゆっくり」

 

 

 カラミータはかすかに頭を下げると、立ち去っていく。

 

【あ、あいつの生い立ちは分かった、同情もしよう】

 

 呆然とカラミータの背中を目で追っていたスパルヴィエロの膝の上に、ネロが必死の

形相で這いあがってくる。

 

【だがな、あいつの神出鬼没ぶりの説明にゃならん!】

 

 隅のテーブルを拭きはじめたカラミータを見ながら、スパルヴィエロは大きく首を縦に振った。

 

 

「そういえば、この前の任務で、あなた敵に待ち伏せされたんですって?」

 

 いきなり声をかけられ、スパルヴィエロの皿に伸ばしかけた腕が止まる。

 顔を上げると、カラミータが手を止めこちらを見ていた。すぐに輸送船団襲撃の話と気づきスパルヴィエロは笑顔を見せた。

 

「大変だったわね」

「ええ、でも、運がよかったみたいで……」

 

「本当」

「へ!?」

 

 カラミータはぽつりとつぶやくと、またテーブルを拭きはじめた。

 

 スパルヴィエロとネロは、しばらくカラミータの姿を目で追っていたが、やがて顔を

合わせると小首をかしげた。

 

◆◆◆

 

「ほら、何、ボ~ッとしてるんだい? 早く食べないと冷めちゃうよ」

 

 カウンターの後ろでグラスを磨いていたアンジェラが、スパルヴィエロに声をかける。

 香ばしい香りが鼻孔をくすぐり、スパルヴィエロが我に返ると同時に、お腹のあたりから店内に響きわたるような大音量が発せられた。

 

 いままで頭の中を占めていた『疑問』が、一瞬の間に『食欲』に追いやられてしまう。

 

「いっただっきま~す♪」

 

 スパルヴィエロは、直径50cmはあろうかと思われる巨大なピザの中央に、手にしたフォークを突き立ておもむろに持ち上げると、ピザにかぶりつき口いっぱいに頬ばりはじめる。

 

 

「むぐ、むぐ……ん~、お~いひぃ!」

 

 

 

【……せめて、ナイフで切り分けてから食え!】

 

 

 

 見る見る小さくなっていく、元巨大ピザを見ながらネロがつぶやくが、もはやスパルヴィエロの耳には届いていないようだった。

 

 



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第21話 「じゅぜっぺ ①」

 

 エスペランザで久しぶりの食事をすませたスパルヴィエロは、ご満悦といった顔で

自分の艤装の修理状況を確認すべく、ネロと連れだって工廠へと向かった。

 

 工廠に近づくにつれて、中から耳を覆わんばかりの多種多様な作業音が折り混じり、

響きわたってきた。

 

【あいかわらず、喧しいところだな】

 

 四足歩行の悲しさか、耳をふさぎたくともそれもままならず、ネロは露骨に顔をしか

めた。

 

 ゲートで警備にあたっていた兵が、スパルヴィエロに気づくと敬礼し道を明ける。

 

 『工廠』と無駄に大書されたプレートを見上げながら、スパルヴィエロは扉をノック

した。

 だが、待てど暮らせど、なんの反応もなかった。

 

【どうせ、聞こえやしないだろ】

 

 スパルヴィエロはネロの声にうなずきながら、扉を押し開けると中をのぞき込んだ。

 むっとするほどの熱気が全身を包み込み、先ほどに倍する騒音が鼓膜を直撃する。

 スパルヴィエロは眉をしかめると、思わず両手で耳を覆った。

 

【ったく、ここまでくると、音波兵器だな】

「ネロさん、これを」

 

 苦痛に顔をゆがめ、頭を振りはじめたネロに近づくと、スパルヴィエロは心配そうな

顔をしながら、手にした布切れをネロの両耳に押し込んだ。

 

【……ありがとよ】

 

 機械油の染み込んだボロボロのウエスを横目で見ながら、とりあえずネロは感謝の意

を伝えた。

 

 多少騒音に対する耐性ができたため、スパルヴィエロとネロは好奇心にかられ、工廠の中を眺め回した。

 

 入り口から入ってすぐ右側には、高さ3メートルもあるスチール製の棚が、建物の奥

まで一列に並んでいた。

 ところどころ梯子の立てかけられた棚の前には、ドラム缶や段ボール、木箱といった

物が無造作に積み上げられており、蓋の開いた箱をのぞき込むと、ボルトやナットに

ベアリング、それに何に使うのか皆目検討もつかないパーツが詰め込まれている。

 

 棚の反対にある壁際には先ほどの熱気の正体、巨大な溶鉱炉が稼働しており、

ドロドロに溶かされた鉄が燃え盛る川のようにガイドを伝い、下に設置された型へと流し込まれていく。

 炉のそばに、いくつかの人影が見えたが、高熱のせいでその姿はおぼろ気に揺れ動き、まるで蜃気楼のように見えた。

 

「ふぅ」

 

 あまりの暑さに、スパルヴィエロは額に浮かんだ汗をハンカチで拭いながら、逃げる

ように溶鉱炉から離れた。

 

 建物の左奥には、高さ2メートル、幅1メートルほどの分厚い鉄製の板が20枚ほど、

規則正しく並べられていた。

 それは、艦娘たちの装着する艤装のメンテナンスや修理、そして平時にそれらを格納

する“ハンガー”であった。

 

 ハンガーの横には、旋盤や放電加工機といった様々な工作機器が置かれ、壁際には

溶接に使うガスボンベがラックに立てかけられ、ズラリと並んでいた。

 

 その奥は、作業用のスペースになっているようだった。

 オレンジ色のツナギを着た人影が床にしゃがみ込み、手にした大振りのハンマーを

苦もなく上下させている。

 

「あっ、いた」

 

 スパルヴィエロは顔を輝かせると、忙しそうに足下を走り回っているツナギ姿の妖精

たちに気をつけながら建物の奥に向かった。

 

「ジュゼッペさ~ん」

 

 スパルヴィエロは口元に片手を当て、お目当ての人物に声をかけるが、作業に没頭しているのかまるで反応がない。

 

「むぅ」

 

 今度は両手を口元に当て声の限りに叫ぶが、結果はやはり同じだった。

 

 

 スパルヴィエロは鼻孔を限界まで開くと、めいっぱい息を吸い込む。

 ただでさえデカい胸が、肺にため込まれた空気のせいで、さらに一回り大きくなる。

 

 

 

「ジュゼッ……ひゃあッ!?」

 

 

 艦娘としての能力か、それとも単に生存本能が第6感レベルまで高まった結果なのか、

うなりを上げて飛来する黒い塊を、スパルヴィエロは間一髪で回避した。

 

 背後で鉄同士がぶつかり合う、鈍く重苦しい音が響き渡る。

 風圧でちぎれ、はらはらと宙を漂う髪を視界の端に捕らえながら、スパルヴィエロは

ゆっくりと背後に目をやる。

 

 10メートルほど後ろに置かれていたドラム缶から、ハンマーの物とおぼしき木製の柄が垂直に生えていた。

 

 

「あ~、ごめんごめん」

 

 

 背後から、少女のものと思われる、快活な声が聞こえてきた。その声音には、まるで

悪びれた様子は感じられない。

 

 オレンジ色のツナギに身を包んだ少女は、「よっこいしょ」とつぶやきながら、両手を膝に当て立ち上がる。

 

「いや~、手がすべっちゃってさぁ」

 

 少女からドラム缶まで、目測で優に50メートルは離れていただろう。

 

 

 ずいぶんと、豪快に手がすべったものである。

 

 

「ホント、当たらなくてよかったよ」

(いま、当てる気、満々じゃなかったデスカ?)

 

 

 もし、とっさに避けていなかったら、間違いなくあのハンマーはスパルヴィエロの眉間に直撃していただろう。

 自分の頭が無惨に四散する光景を思い浮かべ、背筋に冷たい汗が流れ落ちた。

 

 少女は立ち上がると、頭上で手を組み伸びをはじめた。

 よほど長時間、同じ体勢で作業していたのだろう。体のあちこちから、小気味よい音が聞こえてきた。

 

「ん~」

 

 満足げに一声発すると、少女は首に巻いたタオルで汗を拭きながら振り向いた。

 

 ツナギと同じ明るいオレンジ色のおさげが、肩のあたりで揺れている。

 まん丸い黒縁の眼鏡の奥で、くりっとした緑色の瞳が知的な光を宿し、そばかすの

浮かんだ顔や少し太めの眉が印象的な少女だった。

 

 

 室内はかなり気温が高かったが、少女はツナギのファスナーを律儀に首もとまで引き

上げていた。

 

 

 首を左右に曲げ、コキコキと盛大な音を立てながら、少女はゆっくりとした足取りで、一歩、また一歩と近づいてくる。

 

 

 

 このときになって、ようやくスパルヴィエロは、前に少女と交わした“約束”を思い

だした。

 

 

 

 事情を説明しようとしたが、恐怖のためか口が強ばり思うように動かない。

 いつの間にか、工廠に鳴り渡っていた雑多な音が聞こえなくなり、少女の足音だけが

スパルヴィエロの頭の中に木霊する。

 

 気がつくと、少女は乾いた笑みを浮かべ、スパルヴィエロの目の前に立っていた。

 

「ひっ!……あれ?」

 

 スパルヴィエロは、とっさに目を閉じ体を竦ませるが、何も起こらない。

 そ~と、片目を開けると、目の前にいるはずの少女の姿が消えている。

 

「よっ、と」

 

 背後から声が聞こえ反射的に振り返ると、少女はドラム缶から生えた柄に手を伸ばし、苦もなくハンマーを引き抜いてしまう。

 

「さて」

 

 口を開きかけたスパルヴィエロの鼻先に、少女はハンマーを突きつけた。

 顔立ちや背格好から、少女はスパルヴィエロより年下に見えたが、眼鏡越しに睨み

つける眼光の鋭さにスパルヴィエロは押し黙ってしまう。

 

「あんたは馬鹿だから、忘れちゃったんだろうけどさ。あたしの名前は“ミラーリア”

だから」

 

 少女は手にしたハンマーをくるくると回していたが、先端を肩に当てると軽く叩き

はじめた。

 

「次にあたしのこと“ジュゼッペ”って呼んだら、このハンマーでミリ単位まで叩き延

ばすか、そこの溶鉱炉で溶かして、テキトーな鋳型に流し込むかのニ択だかんね?」

 

 少女は、大輪の花のような朗らかな微笑みを浮かべ、まるで笑っていない瞳でスパル

ヴィエロに話しかける。

 

 スパルヴィエロは、まるで溶鉱炉の真上に吊されたかのように、全身から汗を滴り落

としながら、壊れた人形にように何度も何度も首を縦に振っている。

 

 どうでもいいと言わんばかりに、ドラム缶の上で体を丸めたいたネロが、めんどくさ

そうに顔を上げる。

 

【お前の名前は“ジュゼッペ・ミラーリア”なんだから、どっちで呼ぼうが同じだろうが】

 

 

 

 

「だから、ジュゼッペ言うなーッ!」

 

 

 

 

 室内に轟く騒音をかき消し、工作艦ジュゼッペの血を吐かんばかりの魂のツッコミが、工廠の中を響きわたった。

 

 



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第22話 「じゅぜっぺ ②」

 

 

「あの~、そんなにその名前、気にいらないんですか?」

 

 以前から感じていた疑問を、おそるおそる口にすると、ジュゼッペはスパルヴィエロの胸ぐらを掴み、血走った目で睨みつける。

 

「あたりまえでしょう。こんな花も恥じらう可憐な乙女に“ジュゼッペ”とかダサい

名前つけた関係者に、土下座させたい気分よ!」

【お前こそ、全世界のジュゼッペに土下座して謝れ】

 

 地団太踏んで悔しがるジュゼッペに、ネロが冷静にツッコミを入れるが、まだうら

若い少女に、“ジュゼッペ”は確かに酷かもしれない。

 

 確かに艦娘は、かつて実在した軍艦の魂を受け継いだ存在であり、その固有名称の

選定も地名や山河、実在、非実在の動物、自然など多岐に渡り、じっさい変わった

名前も多かった。

 

 そんななかでも、イタリア海軍の一部の軽巡洋艦『アルベルト・ダ・ジュッサーノ級』『ライモンド・モンテクッコリ級』『ルイジ・デ・サヴォイア・デュカ・デグ

リ・アブルッチ級』らの艦名には、実在した有名な傭兵隊長の名前が、そして同じく

軽巡洋艦『カピターニ・ロマーニ級』には、古代ローマの隊長の名前が付けられていた。

 

 これらの軽巡洋艦は、これにちなんで『コンドッティエリ』(「傭兵隊長」の意)

と『カピターニ・ロマーニ』(「古代ローマ時代の隊長」の意)とも呼ばれていた。

 

 ひょっとしたら、『ジュゼッペ・ミラーリア』という艦名も、こういった経緯で

決められたのかもしれない。

 

 

 

 閑話休題

 

 

 

 自分の名前のルーツが、延々と語られていたことなど露ほども知らないジュゼッペ

は床に置かれた鋼材に腰を下ろすと頬杖をつく。

 

 

「で、今日はなんの用なの?」

 

 

「よお、みなさんお揃いで!」

 

 口を開きかけたスパルヴィエロは、突然投げかけられた野太い声に驚き、そのまま

振り返る。

 溶鉱炉の方から、ツナギをの上半分を腰の辺りに巻き付けた身の丈2メートルを超

える大男が笑いながら近寄ってきた。

 ツルツルに剃りあげた頭にタオルを巻き付け、頭のてっぺんからからは湯気が上

がっている。

 

「おひさしぶりです、工廠長さん」

 

 肌着の上からでも分かるほどの見事な筋肉がテラテラと輝き、むせかえるような

汗の匂いにスパルヴィエロは目をしばたかせながら、頭を下げる。

 

 この工廠では、作業のほどんどは基本的にジュゼッペや妖精たちの手により行われ

ていたが、工廠長のような人間の技術者も何人か働いていており、もっぱら妖精たち

のサポートに尽力しているのだ。

 

 工廠長は、スパルヴィエロの目の前まで歩みを止めると、視線を真下に向ける。

 

「それにしても、相変わらず見事な乳だな」

 

 真上から見下ろすと、見事に張り出した胸に隠れて、スパルヴィエロのつま先すら

見えなかった。

 

 確かにその景観は、見事の一言に尽きるだろう。

 

 

 

「さすがは〝地中海のビッグ7〟(7人の巨乳)と呼ばれる艦娘のひと……アウチッ!!」

 

 

 両腕で胸を隠し、口をパクパクと開閉していたスパルヴィエロの目の前で、顎に

手を当てひとり感心していた工廠長が、いきなり足を抱えて飛び跳ねはじめた。

 

「あっ、ごめん。手がすべっちゃった」

 

 抑揚のない声でつぶやくと、ジュゼッペは工廠長の足下に転がる愛用のハンマー

を拾い上げる。

 

「そいえば、あんた体の方は、もういいのかい?」

 

 ドックの責任者であるタニアとジュゼッペは、既知の間柄であり、彼女からスパル

ヴィエロが入渠していると聞かされていたこと思いだし、心配そうな表情になる。

 

「はい、おかげさまで、もうこの通り」

 

 両腕を曲げて、ガッツポーズをとるスパルヴィエロを見て、ジュゼッペは顔を綻ば

せた。

 

「それは良かった。じゃあ、そろそろ話を本題にもどそうか?」

 

 そもそも話の腰を折り始めたはジュゼッペなのだが、とりあえずその事は棚に上げ

ておき、腰に手を当てながら苦笑する。

 

【そりゃあ、こいつの艤装の事で来たに決まってるだろう?】

 

 暇を持て余し、後ろ足で首の辺りを掻いていたネロが、ついでに伸びをしながら

つぶやいた。

 

 「やっぱりね」といったように顔で、ジュゼッペは片眉を少し動かした。

 

「それなら、現在鋭意修理中!」

 

 ジュゼッペは、先ほどまで座り込んで作業していた場所を親指で肩越しに指さす。

 

「あの~、それで、わたしの艤装は、どんな感じでしょうか?」

「どーもこーも、推進機と機銃のスポンソンはともかく、飛行甲板は全損、完全に

作り直しだよ」

 

 手にしたハンマーで肩を叩きながら、ジュゼッペは特大のため息をつく。

 

「だが、狙って攻撃を飛行甲板で受けたのなら、それはそれでいい腕だとは思わない

かい?」

 

 足を引きずりながら話しに割り込んできた工廠長に、ジュゼッペは苦笑いを浮かべた。

 

「まあね、でも空母の飛行甲板なんて紙みたいなもんだ。攻撃の度に盾代わりに使わ

れたら、こっちがたまらないよ」

「……ほんとうに、すみません」

 

 身を縮ませ恐縮しまくるスパルヴィエロに気づくと、ジュゼッペは肩をすませた。

 

「まあ、いいさ、あんたが無事だったんなら、それでね」

「……ジュゼッペさん」

 

 感極まり、目を潤ませるスパルヴィエロの鼻先に、ハンマーが突きつけられる。

 

 

 

「ミ・ラー・リ・ア!」

 

 

 ジュゼッペは両目に怒りの炎を宿し、口元を両手で覆うスパルヴィエロ睨みつける。

 

 工廠の隅で、足を投げだし身を横たえていたネロが、背中を見せたまま話しかけ

てきた。

 

【そいつの記憶力は、名前どおり“鳥”並だ。いい加減観念した方が早くないかい?】

 

 力無く床に腰を下ろすと、“天然”を諭すことの愚かさを身を持って知ったジュゼ

ッペがどこか投げやりな口調でつぶやいた。

 

 

 

 

「……もういいよ、ジュゼッペで……」

 

 

 

 

「で、わざわざ 艤装の修理状況を確認しにきったてことは、また輸送船団の

護衛でもするのかい?」

 

 膝を抱え、うずくまるジュゼッペを見ながら工廠長が話しかける。

 

「いえ、じつはわたし、この度、第1遊撃艦隊に配属が決まりまして……」

 

 ジュゼッペと工廠長は顔を上げ、スパルヴィエロを穴が開くほど見つめた。

 

「はは、エイプリルフールなら、もう過ぎたぜ?」

「……それは、わたしも知っています」

 

 

「それ、爺さん(提督)が言ったの? ついにボケた?」

「……その兆候は、みられませんでした」

 

 

 怪訝な表情を浮かべ、顔を見合わせるジュゼッペと工廠長を見ながら、スパル

ヴィエロは小声でつぶやいた。

   

 

「でも、わたし、実戦経験がまるで無いから、このままだとルイジさんたちに迷惑

をかけてしまいます。だから……」

 

 ジュゼッペは、スパルヴィエロの胸の内に気づいたようだった。

 

「それまでに、少しでも練度を上げておきたい、というわけか……」

 

 スパルヴィエロは、こくんとうなずいた。

 

 

「ご迷惑をおかけします」

 

 

 ジュゼッペは、恐縮しきって身を縮ませるスパルヴィエロの背中を、元気づける

かのように、バンバン叩いた。

 

「まかしときな。それがあたしの仕事だしね。明日の朝までには、あんたの艤装は

バッチリ直しておくよ!」

 

 

 作業場に投げ出された、骨組みだけの飛行甲板を見ながら、ジュゼッペは鼻の下

をこすった。

 

 

「ほんとうですか? ぷっ……よろ、しく…お願い、しま…す」

「ん? 何?」

 

 

 

 急に笑いを堪え、顔を伏せるスパルヴィエロを見ながら、鼻の下に一本の髭を蓄

えたジュゼッペが、訳が分からず不思議そうに眉を寄せた。

 

 



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第23話 「脳パイ」

 

 

 翌朝、うっすらとかかる靄をかき分けるようにして、スパルヴィエロは工廠へと向かう。

 

「おはようございま~す」

 

 扉を開け、中をのぞき込む。

 建物の中は人気も無くシンと静まり返り、いつもの騒がしさが嘘のようだった。

 あまりの静寂さに、スパルヴィエロはここが工廠とはにわかに信じれなくなっていた。

 

【何だ、今日は葬式か?】

「縁起でもないこと、言わないでくださいよぉ」

 

 薄気味悪そうに、左右に向けながらネロがつぶやくと、スパルヴィエロは顔をしかめる。

 

 とりあえずネロを伴い、資材や工作機械が雑然と置かれるなか、まるで獣道のような

狭い通路を奥に進むと、艤装を格納したハンガーが並ぶスペースに、たどり着いた。

 まるで、巨大な鋼鉄製のドミノを連想させるハンガーを横目で見ながら歩いてたが、

 スパルヴィエロの足は、自分専用のハンガーの前で動きを止めた。

 

 そこには、昨日のスクラップのような姿は無く、まるで新品のようにピカピカに

なった艤装が、ハンガーから突き出たラックに納められていた。

 黒光りする鋼の表面は顔が映り込むほど磨き抜かれており、スパルヴィエロは

感動に身を震わせる。

 

「よっ、ずいぶんと早いんだね」

 

 あくびを噛みころすような声が背後から聞こえ、スパルヴィエロは振り向いた。

 

 そこには、憔悴の色も濃いジュゼッペが、目の下にクマの浮かばせ、立っていた。

 

 おそらくこの様子では、昨夜は一睡もしていないのだろう。申し訳ない気持ちで

一杯になり、スパルヴィエロはジュゼッペに対し、感謝の言葉を口にした。

 

「それは、あたしひとりの力じゃない。礼なら、みんなにも言ってやってよ」

 

スパルヴィエロの殊勝な態度に、ジュゼッペは照れくさそうに笑うと、床を指さす。

 

 そこには、工廠長と腹を掻きながら床に横たわっていた。豪快ないびきに合わせ

上下する腹の上で、ツナギを着た妖精たちが、思い思いの格好で寝息を立てている。

 

 スパルヴィエロはみんなを起こさないように、心の中で全員に礼を言う。

 

「とりあえず、修理は完璧に終わったよ。ついでに機関の出力増大と、艤装の装甲

の強化を……」

 

「してくれたんですか?」

 

 瞳を不自然にキラキラと輝かせ、にじり寄るスパルヴィエロを、ジュゼッペは

両手で押し返す。

 

「……したかったんだけど、あんたの今のレベル(錬度)じゃ、無理な話だね」

 

 期待の大きかった反動か、スパルヴィエロは肩を落とすとがっくりとうなだれてしまう。

 

「でも、代わりといっては何だけど、飛行甲板にちょいと手を加えて……あれ?」

 

 得意げに説明を始めようとしたジュゼッペだが、目の前にいるはずのスパルヴィエロの姿が忽然と消えていた。

 

 周りを見回すと、ハンガーの前でスパルヴィエロが何かしている。

 

「何も変わってないじゃないですか!」

 

 ハンガーに固定された飛行甲板を、ペタペタと触っていたスパルヴィエロが不満そうに頬をふくらませる。

 

「せっかちな子だね。手を加えたのは木甲板の下さ」

「???」

 

 ジュゼッペは、出来の悪い生徒を見るような眼差しで、腕を組み、眉間にしわを寄せ

ながら、何やら考え始めたスパルヴィエロに語りかけた。

 

 空母の飛行甲板、とりわけ艦載機の離発着に使用される箇所には木甲板と呼ばれる板が敷き詰められている。

 だが、この木甲板は装甲ではないため、敵の攻撃に対しては、まるで無防備である。

 一応、その下に薄い鋼坂を強いてはいるが、それは飛行甲板そのものの強度を上げる

ためのものであり、お世辞にも装甲と呼べる代物ではなかった。

 このため、通常は飛行甲板そのもの、もしくは基本船体の上甲板に装甲を施し、これを強度甲板と呼んでいた。

 

「つまり、ジュゼッペさんが手を加えたのって、その強度甲板のことなんですか?」

「ま、そういうこと。実は最近、新しい鋼板の開発に成功してね、さっそくあんたの

飛行甲板に使ってみたわけさ」

「じゃあ、防御力は格段にアップしちゃったりするわけデスカ?」

 

 嬉しさのあまり、テンションが上がったのか、何か口調がおかしくなる。

 

 瞳を星のように輝かせるスパルヴィエロから、期待に満ちたまなざしを全身に受け、

ジュゼッペは得意満面に胸を張る。

 

「そうだね、戦闘機の機銃くらいなら、何とか防げるかな」

「ショボッ!?」

「ショボいとか言うな!」

 

 スパルヴィエロの瞳から、再び輝きが失せてゆく。

 

「でも、どうせなら、戦艦の主砲を受け止められるぐらい強化して欲しかったです……」

「だから、飛行甲板は盾じゃない!!」

 

 指をくわえながら、まだブツブツを不平を口にする“自称”空母型艦娘を一喝しな

がら、ジュゼッペは振り返る。

 

 

「やっぱりこの子、空母としての適正ないんじゃない?」

 

 

 激しく同意を求めてくるジュゼッペを尻目に、床に転がったボルトを爪で弾くのに

夢中になっていたネロが、投げやりにつぶやいた。

 

 

【……何をいまさら】

 

 

◆◆◆

 

 

 陽も上がり、いつもの騒がしさを取り戻しつつある工廠に、元気いっぱいな声が響く。

 

 

 

ブオナ マッティーナ(おっはよ~)って、何やってんのジュゼッペ、そんなところで?」

 

 

 エスペロが、床にどっかと胡座を組んで座り込む、オレンジ色のツナギに向かって

話しかける。

 

「……だから、ジュゼッペ言うな」

 

 いつもなら、このセリフと同時に、ハンマーかスパナが唸りをあげて飛来してくるの

だが、今日はいくら待っても何も飛んでこない。

 

 いつでも避けられるように身構えていたエスペロとオストロは、顔を見合わせる。

 

 

 ギシギシと軋ませながら、首だけ180度旋回させたジュゼッペが、虚ろな目を向ける。

 

 その顔に、いつもの精細さはまるでなく、目の下にはクマがくっきりと浮かび上がり、憔悴しきっていた。

 まあ、ここまでは朝と同じ様相なのだが、今ではそれに加えて、ノミで削がれたように頬がげっそりと痩け、トレードマークの黒縁眼鏡が、鼻の下までずり落ちていた。

 

「どうしたんですか?」

 

 心配そうな顔で駆け寄るトゥルビネの背に、声がかけられた。

 

【原因は、アレだ】

 

 木箱の上でうずくまったネロが、メンドクサそうに器用に尻尾を使い、ビッと一点を

指し示す。

 

 その先には、スパルヴィエロが畏まって正座していた。

 

 

 ジュゼッペは、がっくりと首を落とす。

 

「今、この子に『航空母艦の在り方』について、レクチャーしてたのよ」

「でも、それとミラーリアさんが、こんなに疲れきっていることに、どういう関係があるんですか?」

 

 どうも話が繋がらないことに、トゥルビネが首をかしげていると、欠伸をしながら、

ネロがささやく。

 

【そりゃまあ、教える端から忘れられたら、こうなるわな】

「いや~、わたし、あんまり記憶力がいい方じゃないもので……」

 

 頭を掻きながら、照れ笑いを浮かべるスパルヴィエロを、エスペロとオストロが

冷めきった目で見下ろしている。

 

 

 

「……前から思ってたんだけど、あんた、頭の中までオッパイが詰まってるんじゃない?」

「ヒドッ!」

 

 

 オストロのコメントに、愕然とするスパルヴィエロ。その背後で、特大の咳払いが

響きわたる。

 振り返ると、腕組みしたルイジが憤怒のオーラを放出しながら仁王立ちしている。

 

「……いい加減に、演習を始めたいのだがな」

 

 スパルヴィエロたちは立ち上がると、一糸乱れず敬礼する。

 

 

 

スィッスィニョーレ(イエッサー)!」

 

 

 

 ルイジの視線から逃げるようにきびすを返すと、スパルヴィエロたちは、それぞれの

ハンガーめがけて、一斉に走り出した。

 

 

 

 



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第24話 「演習前の慌ただしさ」

 

 

 ルイジのよく通る声が、工廠内を走る抜ける。

 

「これより、定時演習を開始する。総員、艤装を装着せよ!」

 

 第1遊撃艦隊の艦娘たちは敬礼すると、身を翻し各々のハンガーへと駆けていく。

 その流れるような動きだけでも、トゥルビネたちの練度の高さが伺いしれた。

 

「お前は、艤装無しで演習をする気か?」

 

 完全に出遅れ、ひとり取り残されたスパルヴィエロは、ルイジの一声で、自分の

やるべき事を思い出し、慌てて仲間の後を追う。

 

「ふぅ、みんなスゴいんだな」

 

 専用ハンガーに、寄りかかるように背を押しつけながら、スパルヴィエロは、

横目でトゥルビネたちの様子を伺う。

 

 トゥルビネ級の3隻の駆逐艦娘たちは、すでに艤装を装着し終え、ハンガーを後

にしようとしている。

 

 その手には、主砲である120ミリ連装砲が握られ、533ミリ4連装魚雷発射管が

1基づつ、左右の太股に固定されていた。

 背中には大小ふたつの煙突が取り付けられ、その両側に設けられたスペースから

せり出すように、数基の40ミリ機関砲と13ミリ機銃が取り付けられている。

 

 トゥルビネたち3人は同型の駆逐艦であり、その艤装も基本的には同じ物であった

が、ひとつだけ違うところがあった。

 

 エスペロとオストロの艤装は、煙突の下に長方形の箱が取り付けてあったが、

トゥルビネのは、黒光りする円柱状のパーツに代わっていた。

 

(同じクラスでも、けっこう違いがあるんですね)

 

 そんなことを考えていると、アルマンドが読書に夢中になりながら、横を通り

過ぎていく。

 彼女の艤装は、主砲である152ミリ連装砲や、100ミリ広角砲、37ミリ連装機関砲

といった対空兵装、そして533ミリ連装魚雷発射管といった武装が、大小2種類の

煙突を中心に、すべて背部に集中して配置されていた。

 

 しかも煙突の後ろから、アルマンドのふくらはぎの辺りまで、いかにも後付けした

ような大型のラックが備え付けられていた。

 

 

【こりゃまた、不細工な艤装だな】

 

 

 スパルヴィエロの足下で、ネロの小馬鹿にするような声が聞こえてきた。

 

 巨大な艤装を背負い、本を読みながら歩く姿は、さながら極東の地に語り継がれる

薪を背負いながら勤勉に励む少年の姿を連想させた。

 

「あ、あれは前に本で見た、ニッポンに伝わる伝説の勤労少年『ニノミヤ・キンタロウ!』

「……それをいうなら『金次郎』」

 

 乱雑に積まれた木箱や、足下に転がる工具の類を器用に避けながら、アルマンドは

本から顔も上げず、スパルヴィエロの謝った知識を訂正する。

 

 出口へと向かうアルマンドの背中を見ていたスパルヴィエロは、視線を感じ

振り返った。

 

 そこには、艤装を身に纏ったルイジが腕を組み、スパルヴィエロを見つめている。

 

 ルイジとアルマンドは艦種は同じ軽巡洋艦であるが、クラスが違うせいか、各パーツ

の形状や配置はまるで違っていた。

 

 背部には2本の煙突を中心に左右に張り出しがあり、その上に100ミリ連装広角砲と

37ミリ連装機関砲が設置されていた。

 だが他の兵装、2基の533ミリ3連装魚雷発射管は太股に、そして主砲である

152ミリ3連装速射砲塔と、同口径連装砲各1基づつが、背部から左右に伸びたサブ

アームに取り付けられていた。

 

 ルイジの艤装は、アルマンドのものより重武装ではあったが、全体にコンパクトに

纏められており、機動性を重視した艦型をしていた。

 

 

 スパルヴィエロは、トゥルビネたち他の艦娘たちの艤装に目を奪われ、まだ自分が

艤装を装着していないことをルイジに無言で責められていると感じ、慌てて手元の

スイッチに手を重ねる。

 

 背後のハンガーが重苦しい音を立てスライドすると、中に収納されていた艤装が

迫り出し、スパルヴィエロの背中に押し当てられる。

 艤装と背中のコネクターが接続される微かな音が響くと、足下からふたつに分かれ

た脚部用のパーツが現れ、ブーツの上から包み込むように装着された。

 背部から左右に伸びたサブアーム。その先端に取り付けられた特徴的な飛行甲板と

高角砲や機銃が設置されたスポンソンを軽く動かしながら異常がないか確認すると、

スパルヴィエロは、ゆっくりとハンガーから進み出る。

 

 スパルヴィエロの艤装は、背部と脚部にのみ集中して配備されていた。

 他の艦娘たちの艤装と比べると、パーツ数はかなり少ないが、これは彼女の前世と

もいえる艦種が、簡易的な構造を持つ『護衛空母』であることに由来していた。

 

 これで、スパルヴィエロが空母型の艦娘の証ともいえる短弓(ボゥ)と矢を手に

すれば、いつでも出撃が可能だった。

 

 だがルイジは、ようやく艤装を装着したスパルヴィエロを、あいかわらず腕を組み

見つめたままだった。

 

「えっと……」

「艦載機の搭載はしないのか?」

「はっ?」

「実は、私はまだ、妖精が艦載機に乗り込むところを見たことがなくてな……お前が

よければ、後学のために見学させてほしいのだが」

 

 ようやくルイジの胸の内を知り、責められているのではないと知ったスパルヴィエロは、胸をなで下ろす。

 

「そうだったんですか。分かりました……妖精さん!」

 

 スパルヴィエロの声が響くと、ハンガーの右側から鉄製の台が伸び、ハンガーの裏側に設けられた待機所から、飛行服に身を包んだ妖精たちがわらわら駆けだしてきた。

 台の上に集合した妖精たちは、飛行帽の顎紐をきつく閉め直し、お互いの身なりに

おかしいところは無いかチェックに余念がない。

 その光景は、他者から見ればほのぼのとした雰囲気さえ感じさせたが、当の妖精たちの表情は真剣そのものだった。

 

【まったく、おれたちの搭乗するところが見たいなんて、お前も随分と物好きだな?】

 

 呆れたようにつぶやきながら、ころころと太った体くを物ともせず、ネロは機敏な

動きでハンガーを駆け上り、台の上に着地する。

 ルイジは、皮肉のこもったネロの声に、肩を軽く竦めてみせた。

 

 台の上にはスリットが設けられ、そこに1本づつ矢が納められていた。

 

【これより我々は、定期演習に赴く。総員、機乗用意】

 

 妖精たちは、一斉に矢に向かって走り出す。妖精たちは三人一組で1本の矢に、ネロは

紅く塗られた矢に近づくと、それぞれ目の前にある矢に手を当てた。

 

【総員、機乗ッ!】

 

 よく通る低い声を合図に、ネロと妖精たちの体がまばゆい光に包まれた。

 だがそれは、ほんのわずかな間だった。光が収まるとネロと妖精たちの姿は忽然と消え、そこには、一列に並んだ矢だけが残っていた。

 

 ポカンと口を開けたまま立ち尽くすルイジの横を通り過ぎながら、スパルヴィエロは

台に並んだ矢を、腰に下げた矢筒に1本づつ納めはじめた。

 

「これで搭乗員(妖精さん)たちの艦載機への搭乗は終わりました」

「てっきり、実体化した機体に乗り込むとばかり思っていたが……まさか、こんな方法

で乗り込んでいたとは……」

「わたしも最初は驚きました。でも、ジュゼッペさんが『場所を食うから、艦載機を

実体化させるのは、基本的に整備や修理の時だけだ』って、前に言ってました」

「なるほどな、いや、勉強になった」

 

 感心したように、頭に手をやりながらつぶやくルイジに、矢になったネロが話かける。

 

 

【ひとつ賢くなったようだな? え、世間知らずのお嬢さん】

「ネ、ネロさん!」

 

 みるみる目つきが鋭くなるルイジを横目に、スパルヴィエロは慌てて矢筒を押さえ

込む。

 

 

「おほん! そろそろ、エスペロたちが痺れを切らせている頃だろう……行くか?」

「は、はい」

 

 ルイジの手が肩に置かれ、スパルヴィエロは急いで残りの矢を矢筒へ納めると、

ボゥを手に取った。

 

 

 

 ふたりは工廠を背にすると、早足に仲間の待つ場所へと向かった。

 

             

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第25話 「ハジメテノ演習 ①」

 

 ようやく姿を見せたルイジたちに、工廠の前でたむろしていたエスペロたちが

気づくと、艤装をガチャガチャ鳴らしながら近づいてくる。

 

 

「もう、おっそいわね~」

「何やってたのよ? 待ちくたびれちゃったじゃない!」

「済まない。妖精たちが艦載機に搭乗するところを見ていたら、つい遅くなった」

「え~、何それ?」

「ルイジだけ? ずっる~い!」

 

 まるで駄々っ子のように、唇を尖らせ両手を振り回すエスペロとオストロに、

ルイジは両手を胸元にかざしながら苦笑する。

 

「……わたしも見たかった」

 

 視線は本に向けたまま、アルマンドも言葉少なに不満を口にする。

 

「本当に悪かった。今度時間がある時、スパルヴィエロに見せてもらえばいい

だろ、な?」

「ほら、エスペロちゃんもオストロちゃんも、いつもでもそんな顔しないの」

 

 困ったような笑みを浮かべながら、トゥルビネがルイジたちの間に割って入る。

 しばらく宥め好かしていると、ようやくエスペロたちも落ち着いたようだった。

 

 

 

 

「それにしても、ヘンな艤装ね!」

 

 何の脈略もなく、いきなりオストロがスパルヴィエロに指を突きつける。

 

「へは?」

 

 会話に加わる機会を逸し、騒ぎの外でボ~ッと突っ立っていたスパルヴィエロは

思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 

 エスペロとオストロは足早に近寄ってくると、スパルヴィエロの飛行甲板をジロ

ジロと見つめ始めた。

 

「このエレベーター、何でこんなヘンな形してんの?」

 

 エスペロが口にした言葉は、実はスパルヴィエロの飛行甲板を目の当たりにした

他の艦娘たちが内心抱いていた共通の疑問であった。

 

 飛行甲板上のエレベーターの形状は、長方形、もしくはそれに近い正方形をする

のが主流だった。

 だがスパルヴィエロのソレ(・・)は十字型、というか艦載機を上から平たく

押しつぶしたような、変わった形をしていた。

 このような形状は、イギリスの一部の空母にも見られるが、あまり一般的に普及

しているわけではなく、かなり珍しい部類に属する物であろう。

 

「それに、こんな変な飛行甲板から、よく艦載機が飛び立てるわね?」

 

 スパルヴィエロの艤装の中でも、最大の疑問点。

 

 飛行甲板の先端から延びる、細身の剣のような甲板を指でなぞりながら、オストロ

が呆れたような顔で話しかけてきた。

 

「そうなんですよね。わたしも未だにこんな所から飛行機が飛び立てるなんて信じ

られなくて」

 

 

 

─ お前の艤装だろうが! ─

 

 

 

 照れたように頭を掻きながら答えるスパルヴィエロに、ルイジたちは愕然としな

がら胸の内でツッコんでいた。

 

 

「あっ、分かった! きっとこれ剣じゃ……」

「ですから、こんなモノで切りかかったら折れちゃいます!」

 

 デジャブー感溢れるオストロのセリフを、スパルヴィエロはきっぱりと否定した。

 

 

 

 

「あら、みなさんお揃いで、ピクニックかしら?」

 

 いきなり背後から声をかけられ、第1遊撃艦隊の艦娘たちは一斉に振り返る。

 薄暗い路地の向こうに、カラミータが音もなく立っていた。

 

「この格好見て分かんない? 演習よ、演習!」

「アンタこそ、こんな所で何やってんのよ? サボり?」

 

 手にした主砲を振りかざしながら、ルビーのように赤い瞳に怒りの炎を揺らし、

エスペロとオストロがつっけんどんに尋ねるが、カラミータは少しも動じた様子を

みせなかった。

 

「アンジェラに用を頼まれて、ね」

 

 鼻先に突きつけられた主砲を指でつまみ、横に除けていたカラミータの眉が、

かすかに動いた。

 

「でも、あなたたちが演習でいなくなると、この町の守りもずいぶんと手薄になり

そうね」

「そうですね。でもわたしたちの他にも、ボルツァーノさんの第2遊撃艦隊も哨戒担

当の駆逐艦たちもいますから、心配はいりませんよ」

 

 少し声のトーンを上げながら、励ますように話しかけるトゥルビネを、カラミータ

は無表情に見つめている。

 

「そう、……まあ、がんばって」

 

 カラミータはそれだけ言うと、スパルヴィエロたちに背を向け、エスペランザへと

歩き出す。

 

「素っ気ないなぁ」

「しょうがないって。しがない民間人には、艦娘の苦労なんて分かりゃしないわよ」

 

 不満そうにカラミータの背中を見ていたオストロに、手をひらひらさせながらエス

ペロが苦笑する。

 

 

「さて、そろそろ演習を始めるか?」

 

 

 額に手をかざしながら、かなりの高さまで昇った太陽を見上げていたルイジが、

誰にともなくつぶやく。

 

 

 第1遊撃艦隊の面々は、そろって埠頭へと歩き始めた。

 

 

◆◆◆

 

 

 工廠を出て薄暗い路地を抜けると、埠頭へと出た。

 目の前にティレニア海が広がり、燦々と降り注ぐ陽の光を受けて、海面はまるで

宝石を散りばめたかのように光輝いている。

 

 見慣れた光景だったが、何度目にしても胸をうつ感動は変わらない。

 その美しさに目を奪われていたスパルヴィエロの脇を、小柄な人影がふたつ走り

抜けていく。

 

「よっ!」

「はっ!」

 

 エスペロとオストロは全力で駆けていくと、かけ声も勇ましく、そのまま突堤の

先から身を踊らせた。

 

 突堤の向こう側から、小さな水柱がふたつ立ち上った。

 

 スパルヴィエロとトゥルビネは一瞬顔を見合わせると、ふたりの姿が消えた突堤へ

と走り出す。

 突堤に先からのぞき込むように下を見ると、エスペロとオストロがこちらに向かって

手を振っていた。

 

「もう、ふたりとも! 私たち(艦娘)が出港する場所は、ちゃんと決められているんだよ?」

 

「いいじゃん、別に」

「そうそう、昔ならともかく今のあたしたちなら、ここからでも沖に出れるしね」

 

 大小様々な船が係留された港を横目で見ながら、オストロが頭の後ろで腕を組む。 

 

 

 

 かつては、その全長が100メートル前後の駆逐艦から、200メートルを越える戦艦

まで、鋼の巨躯を大海に浮かべていた軍艦たちも、今では人間の少女から成人女性

ぐらいまでそのサイズを変えていた。

 

 そのため、艦娘に関していえば、船の停泊地や出航などに必要な広大なスペース、

そして、これらを円滑に機能させるための港湾施設は、もはや不要といえた。

 

 出港や帰港のための大規模な泊地などはもはや必要なく、乱暴ないい方をすれば

出港したければエスペロたちがやったように、直接海に身を投げてもよいわけだし、

帰港したければ、浅瀬を通り砂浜から直接陸に移動してもいいわけである。

 

 もはや艦娘たちの被った損傷を治すのに、船台やクレーンといった大型の設備や

重機の類は必要なく、

 彼女たちの艤装を修理、開発し、管理するスペースも驚くほど小さくなっていた。

 結果として、ドックや工廠といった施設が、かつての大型艦一隻分ほどのスペース

にすべて集約されている。

 

 

 これらの恩恵や、前述した泊地や港湾施設が必要なくなったため“タラントの惨劇”

時に一時は壊滅状態になったイタリア海軍は、いち早く司令部を開設、艦娘たちの

修理に必要な施設を再建することで、深海棲艦への反撃に要する時間を必要最低限に

押さえることができたのだ。

 

 

 

 

「まあ、予定の時間をだいぶオーバーしてしまったし、今日のところは大目にみよう」

 

 肩に手を置き話しかけるルイジに、トゥルビネはまだ何か言いたそうな顔をするが、

渋々と頷いた。

 

 突堤の周りに、立て続けに4つの水柱が上がった。

 

「よし、これより単縦陣を組んだまま、演習海域に向かう!」

 

 第1遊撃艦隊の艦娘たちの足下が、にわかに泡立ち、トゥルビネを先頭に、ルイジ、

スパルヴィエロ、アルマンド、オストロ、エスペロが順に、ゆっくりと波を切り進み

始める。

 

 演習場所であるナポリ沖合へと向かって、巡航速度で移動する第1遊撃艦隊の艦娘たち。

 

「いい香り」

 

 鼻腔をくすぐる潮の香りを、胸一杯吸い込みながら、スパルヴィエロは潮風を受け

はためく金色の髪を手で押さえつける。

 

「ん?」

 

 そのとき、スパルヴィエロは、前を走るルイジの視線が、進行方向とは別の場所に

注がれていることに気がついた。

 

 視線の先には、深海棲艦たちとの過去の戦いで沈められ、無惨に朽ち果てた軍艦が

数隻、洋上にその一部を晒していた。

 

 ルイジはその残骸に、複雑ななまざしを送っている。

 

「ルイジさん?」

 

 スパルヴィエロの呼びかける声に、ルイジは驚いたように振り返る。

 

「何でもない」

 

 しばらくして、ようやく答えるが、スパルヴィエロはますます心配そうな顔を

するだけだった。

 

 ルイジは速度をわずかに落とすと、スパルヴィエロとの

距離を詰めた。

 

「何でもないといったろう? それに、どうせ心配するなら自分自身を心配した方

がいい」

「へ?」

「一日も早く実戦慣れしてもらうためにも、これからお前をたっぷりとシゴかねば

ならないのだからな」

 

 

 

 口元をひきつらせるスパルヴィエロの肩を軽くたたき、ルイジはニヤリと笑って

みせた。

 

 

 

 



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第26話 「ハジメテノ演習  ②」

 演習用に指定された海域に向けて、第1遊撃艦隊の艦娘たちは単縦陣を維持したまま

順調に航海を続けていた……ハズだった。

 

 

 

 ふと背後に目をやったスパルヴィエロの碧眼が、あり得ないほど見開かれる。

 

 

 

「……あのぅ、エスペロさん」

「なに?」

 

 さかんに手招きをするスパルヴィエロに、エスペロは眉を寄せながら近づいてくる。

 

「アルマンドさん、もしかして寝てませんか?」

 

 エスペロは、アルマンドの顔をのぞき込む。

 

「あ~あ、また(・・)か」

 

 頭の後ろで腕を組みながら、エスペロが呆れたように呟いた。

 

「また?」

「アルマンドは、基本的に本を読んでるか寝てるかのニ択だからねぇ」

 

 いつの間に近づいてきたのか、反対側からオストロが補足してきた。

 

 スパルヴィエロは少し速度を落とし、アルマンドに近づくと、まじまじとその姿を

観察しはじめた。

 まだ、あどけなさの残る顔はうつむき気味になっているが、両のまぶたはしっかり

と閉じられ、耳を澄ませば口元からかすかな寝息が聞こえてくる。

 

「でも、いいんですか、このままで?」

「良いわけないでしょ! でも、何をやっても起きないのよ」

「こないだなんて、目的地に着くまでついに起きなかったしね」

 

 カラカラと笑うエスペロたちを見ていたスパルヴィエロの顎が、カクンと落ちた。

 

「まあ、ほっときゃ、そのうちに目を覚ますって」

「そういう訳にもいくまい!」

 

 投げやりつぶやくエスペロに、ルイジがすかさず一喝を入れてくる。

 

「お前たち、早くアルマンドを起こせ」

 

 エスペロとオストロは肩をすくめると、直立不動の姿勢のまま海を行くアルマンド

に近づいた。

 

「ちょっと、アルマンド」

「早く起きてよ!」

 

 左右からアルマンドの体を揺するが、まるで起きる気配がない。

 業を煮やしたふたりは、両手にあらん限りの力を込めると、さらに激しく揺すり始

める。

 

 アルマンドの細い首が、折れるのではないかと思うほど前後に揺れ動く。

 

「……んあ?」

 

 しばらくすると間の抜けた声とともに、アルマンドが目を覚ます。

 半開きの目をしばたかせながら、順に仲間たちを見回していく。

 

「……だいじょうぶ、起きてた」

 

 

「「嘘つけーッ!!」」

 

 口元を手の甲で拭いながらなおもとぼけるアルマンドに、エスペロとオストロの

怒声が叩きつけられる。

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ようやく演習海域に到着したルイジは、辺りをぐるりと見回すと振り返った。

 

「さて、さっそく演習を始めたいのだが……」

 

 腕を組みながら、ルイジは首を横に向ける。

 

 

 そこには、両手を膝に当て、肩で呼吸()を続けるスパルヴィエロの姿が

あった。

 

「構わないか?」

「だ、だい、じょ…ぶ……デス!」

 

 息も絶え絶えに、サムズアップするスパルヴィエロを見ながら、ルイジは小さくため息

を付く。

 

 演習場に到着する間、軒並み30ノット以上の快速を誇る第1遊撃艦隊の艦娘たちに

追従すべく、最大戦速(18ノット)で走り続けたスパルヴィエロだが、目的地に着い

たときには、すでに缶(心臓)は破裂寸前、轟沈間際といった有様だった。

 

「では、最初に操舵訓練を執り行う、オストロ」

「了~解ッ」

 

 オストロは軽く額に手を当てると、海面に等間隔で並ぶ円柱状のブイめがけて急

加速する。

 

「よっ、はっ!」

 

 オストロは体を小刻みに傾かせ、軽快な動きでブイの間をすり抜けていく。

 

「ほえ~」

 

 スパルヴィエロは感心したような顔で、オストロの動きを追っていた。

 エスペロは呆れたように、スパルヴィエロの脇を軽く小突くと、波間に揺れるブイを

指さす。

 

「何アホ面してんのよ? 次はアンタの番よ」

「は、はい、スパルヴィエロ、行きます!」

 

 口を真一文字に引き締め、スパルヴィエロはゆっくりと前に進み出す。

 だが、叙々に速度が上がるにつれて、上半身が左右に動き始めた。

 危なっかしい動きで、何とか最初のブイの間をくぐり抜け、ふたつ目に挑もうとした

瞬間、スパルヴィエロの体が大きく右に傾き、トゥルビネたちが助けに入る間もなく、

スパルヴィエロの体が水しぶきとともに波間に没した。

 

 海面から2本の足を突き出し、バタバタともがくスパルヴィエロを見ながら、エスペロは激しい脱力感に襲われていた。

 

「何で、あんなにバランス悪いの?」

 

 

 

 

 

「……あの子はトップヘビー(巨乳)だから」

 

 

 ページをめくりながら、アルマンドが微妙なフォローを入れる。

 

 なんとか自力で立ち上がるがると、大きなくしゃみを放ちながらスパルヴィエロは

ずぶ濡れになった体を悲しげな顔で見下ろしている。

 

「その邪魔なバルジを今すぐ削ぎ落とせッ!」

 

 塗れたシャツがピッタリと張り付き、殊更その大きさを強調するふたつの乳房を忌々

しそうに指さし、エスペロたちが不機嫌そうにツッコむ。

 

「そんなこと、できる訳ないじゃないですか!!」

 

 両手で胸元を覆い隠しながら、スパルヴィエロも顔を真っ赤にして反論する。

 

 

「文句いってるヒマがあるなら、続けなさいよ!」

 

 

 スパルヴィエロは不満そうに頬を膨らませると、プイと横を向き再びブイに向かって

走り出す。

だが、たちどころにブイに蹴躓き、豪快に頭から海面に突っ込んでしまった。

 

 

 

 

「スパルヴィエロさん、洋上航海は今日が初めてではないですよね?」

 

 

 

 今行っている訓練は、艦隊機動では基礎ともいうべき物であった。だが、それすら

満足にこなせないスパルヴィエロを、トゥルビネは心配そうに見守っている。

 

「……船団護衛には、あんな操舵技術は必要ないから」

 

 トゥルビネが、ハッとしたように顔を上げる。

 確かに輸送船団に随伴する場合、基本的に巡航速度と言ってもその速度は10ノット

前後だった。

しかも敵潜水艦などからの攻撃を警戒し、ときおり航路を変更する程度であり、複雑

な動きはあまり必要とされない。

 それならば、覚醒してからまだ数ヶ月しか経っておらず、実戦経験もまるでない

スパルヴィエロの腕前がお粗末なのも十分うなづけた。

 

「……でも、これからは、そうはいかない。この先、あの子が深海棲艦との戦いに身を

投じれば、敵の攻撃を避けるためには、これらの技術は絶対に必要」

「そうですね。でも、今のままでは……」

 

「……問題ない」

 

 不安そうなトゥルビネを励ますように、アルマンドは視線は本に落としたまま、前を

指さす。

 

「……あの子たちに任せておけば、大丈夫」

 

 

 

 

 

 

 

 スパルヴィエロは、またよろめくと水しぶきを上げ、海面に頭から突っ込む。

 だが、よろよろと立ち上がると、顔にかかった海水を拭おうともせず、真剣な面もちですぐに海上を走り始める。

 

 腕を組み、しばらくふくれっ面でそれを見ていたエスペロとオストロが、軽く目配

せすると同時に動き出す。

 

 エスペロたちはスパルヴィエロの左右に回り込むと、併走しはじめた。

 

「アンタねぇ、自分の艤装を、もっとうまく使いなって!」

「艤装は、ただの飾りじゃないのよ?」

 

 ふたりの言っていることの意味が分からず、小首をかしげるスパルヴィエロ。

 エスペロは目を細めると、スパルヴィエロのいきなり右手を掴むと、力任せに

引っ張った。

 

 突然のことに、スパルヴィエロは大きくバランスを崩す。

 

「ひゃああっ!?」

「そこで飛行甲板を展開! 急いで!!」

 

 ほとんど片足立ちに近い状態で、走り続けるスパルヴィエロの左側から、オストロ

の声が聞こえた。

 反射的に左のサブアームが動きだし、背部に収納されていた特徴的な飛行甲板が回

り込むように真横に展開された。

 

「あれ?」

 

 大きく右に傾いていた体が、飛行甲板の重さに引っ張られ、意識せず元に位置に

戻った。

 

 きょとんとしているスパルヴィエロの左手に、今度はオストロが海面を蹴り、全力

でしがみつく。

 

「きゃああ!?」

「ほら、そこでボケッとしない、さっさと飛行甲板を元に戻して、今度はスポンソン

を動かすの!」

 

 エスペロの冷静な声を耳にしながら、必死の形相で言われたとおりにすると、

あれだけ崩れていたバランスが、瞬く間に回復した。

 

「分かった? 艤装は、こんな風にバラスト代わりにも使えるのよ?」

 

 スパルヴィエロの腕から体を離し、オストロがつっけんどんに言い放つ。

 

「アンタたち空母は、ただでさえトップヘビーでバランスが悪いんだから、頭使わ

なきゃダメでしょ!」

 

 目の前の、巨大な空母艦娘を見上げながら、なおも講釈をたれていたエスペロが、

スパルヴィエロの両目に涙が浮かんでいるのに気づき、口を噤んでしまった。

 

「エスペロさん、オストロさん、わたしのことを、そんなに心配してくれて……」

「か、勘違いしないでよ、あたしたちは何も……」

「そうよ、アンタがさっさと練度を上げないと、みんなにとって死活問題だから……」

 

 両手を胸元で組み、瞳をうるませるスパルヴィエロの視線から目をそらすと、

エスペロとオストロは、照れたように唇を少し尖らせ、同時にそっぽを向いた。

 

「エスペロさ~ん、オストロさ~ん!」

「「わっ!?」」

 

 

 キラキラと輝く、ヘンなオーラを全身から発散させ、スパルヴィエロが白波を蹴立て、最大戦速で突っ込んでくる。

 

 逃げるまもなく抱きしめられると、ふたりの顔に豊満な胸が押しつけられる。

 基準排水量3万総トン(推定)のスパルヴィエロに抱きつかれ、エスペロたちの体

が、みるみる波間に没しはじめた。

 

 

 

「わっ!? ちょっ、やめてよ、し、沈む!!」

「そのブヨブヨしたバルジを、押しつけるなーッ!」 

 

 

 

 

 

 

 2隻の駆逐艦娘の発した魂のSOSが、蒼い輝きを称えたティレニア海を走り過ぎて

いった。

 

 

            

 



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第27話 「ハジメテノ演習 ③」

 

「ふ~ん、少しは、やるようになったかな?」

「うん、合格点にはほど遠いけど、さっきよりはマシなんじゃない」

 

 辛辣な口調とは裏腹にエスペロとオストロの口元には、かすかな笑みが浮かんで

いる。

 スパルヴィエロは、背部から伸びた艤装を巧みに動かし、バランスをとりながら

遮蔽物代わりのブイを避け続ける。

 

「スパルヴィエロさん、すごい」

「ああ、ここまでやるとは、予想外だな」

 

 確かにエスペロたちの指摘どおり、その動きはお世辞にも軽快とはいえなかった

が、ほんの数十分前と比べれば、今のスパルヴィエロの動きは格段に上達していた。

 

「……でも、ちょっと様子が変」

 

 アルマンドの眠そうな声に、ルイジとトゥルビネは前を見る。

 

 疲れでも出たのだろうか、先ほどまでとは打って変わり、スパルヴィエロの動き

に切れが無くなっていた。

 

「どうした?」

 

 口元に手を当て声をかけるが、ふらふらしながら近づいてくるスパルヴィエロに、

ルイジは眉を寄せる。

 

 その顔は青ざめ……というか、それを通り越し血の気を失い、白くなっていた。

 

「どこか、体の具合でも悪いのか?」

「す、すみま、ぜん。ちょっど……ぎぼぢッ!?」

 

 

 いきなり両手で口元を覆うと、スパルヴィエロの両頬があり得ないほど膨れ

上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝食で別れを惜しみつつ胃の中へと旅だったピッツァと、洋上で奇跡の再会を

果たし得たスパルヴィエロを見ながら、エスぺロたちは眉をしかめた。

 

「艦娘が……」

「船酔い?」

 

 スパルヴィエロの背中をさすりながら、トゥルビネが苦笑する。

 

「でも、酔う人は酔うし……」

 

 小型の漁船を操る老練な漁師から、巨大な戦艦の指揮をとるベテラン艦長まで、

俗にいう『海の男』たちでも、船酔いにかかることは決して珍しいことではかった。

 

「それは人間の話でしょう? あたしたちは艦娘なんだし、そんなの関係ないじゃん!」

 

 眉を逆立てエスペロが反論する。

 確かに彼女たち艦娘は、かつて実在した軍艦たちの生まれ変わりである。

 だが、内包された『魂』はどうあれ、その『姿』は、まだうら若い、生身の少女

たちである。

 

 しかも艦娘たちは、かつての姿とは比べ物にならないほど、その姿が小さくなって

いるにも関わらず、海上を疾駆するその早さは以前と変わらない。

 

 

 当然その身を襲うピッチング(縦揺れ)ローリング(横揺れ)からくる揺れの激しさは想像を絶するものだろう。

 

 数こそ少ないが、船酔いに苦しむ艦娘も存在するのだ。

 

 スパルヴィエロも洋上航海の経験はそこそこあったが、その大半はあまり高速での

航行を必要としない船団護衛ばかりだった。

 

 しかも、地中海は一年を通して波が穏やか日が多い。

 

 それがいきなりコレである。

 

 スパルヴィエロが、激しい船酔いにかかってしまうのもやむを得ないといった

ところであろう。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「よし、操舵訓練はこれぐらいでいいだろう。次は……」

「射撃訓練?」

「……を、予定していたのだが、今日は止めておく」

 

 期待に目を輝かせ近づいてきたオストロが、ルイジの連れない返答に、盛大に

ずっこけた。

 

「なんで? どうして?」

「とくに名前は伏せておくが、ある艦娘のおかげで予想外に時間を割く羽目になっ

たのでな」

 

 かなり西に傾き始めた太陽を見ながら、ルイジが素っ気なく答える。

 

 ある艦娘を除いた、全員の視線が一点に集中する。

 

 

「すみません」

 

 

 一部、殺意すら含んだ視線に肌を粟立たせながら、スパルヴィエロは深々と頭を

下げた。

 

 

「まあ、今日が初めての演習だ、仕方がない。だが、お前の『空母』としての実力

だけは、見極めさせてもらいたい」

 

 驚いたように顔を上げるスパルヴィエロに、ルイジは頷きながら微笑んだ。

 

「これより、スパルヴィエロの艦載機による、射撃及び爆撃訓練を執り行う!」

 

 ルイジの凛とした声が、演習場に響き渡った。

 

 

◆◆◆

 

 

 スパルヴィエロは、風上に向かって進路を取り始めた。

 矢筒から矢を1本引き抜くと、手にしたボゥにつがえ一気に引き絞る。

 大きく息を吸い、意識を集中させる。

 

「これより、艦載機による演習を開始します……全機発艦!」

 

 1本の矢が、風を切り裂きながら、雲一つない蒼窮の空を駆け抜けていく。

 その後を追うように、3本の矢が立て続けに放たれ後を追う。

 

 4本の矢が、炎に包まれいきなり爆ぜた。

 飛び散った炎の塊は、やがてその姿を航空機へと変じた。

 

 全身を明灰色に塗装された機影を、エスペロとオストロは額に手を当てながら

追っていた。

 

「……うわぁ、何アレ?」

「あれって、戦闘機なの?」

 

 自分たちのイメージとよほどかけ離れていたのか、エスペロたちは、奇異な物

でも見るような視線を頭上に向けていた。

 

 アルマンドは、ちらりと視線を上に向けると、ぽつりとつぶやく。

 

 

「……あれは、『カントZ501ガビアーノ飛行艇』」

「飛行艇!?」」

 

 

 エスペロたちは、同時に叫ぶと目を凝らす。確かに主翼の下に大型のフロートが

取り付けられているのが目に留まった。

 

「え? アレ? ちょっと待ってよ。何で空母から飛行艇が発進するわけ?」

「そうよ、確か空母型艦娘が搭載できる艦上機ってのがあって……名前は、メ、メリ

オ…」

 

「……『メリディオナリRo51』と、『フィアットG50/bis』の2機種」

 

 あいかわらず視線は本に落としたまま、アルマンドはささやくように話を続ける。

 

「……残念だけど、どちらもスパルヴィエロの性能(レベル)が低すぎて使えない」

 

 肩と口をカクンと落としたエスペロとオストロには目もくれず、アルマンドは

さらに話を続ける。

 

「……そういうわけで、ジュゼッペや工廠長たちが、機体各部の補強や改良を重ね、

スパルヴィエロ専用の艦上機として用意したのが……」

「あの、変なカッコした飛行艇というわけ?」

「……それと、もう1機種」

 

 アルマンドはオストロの言葉を遮り、空を指さす。

 

 エスペロたちが顔を上げると、カントZ501とはまるで形状の違う、濃緑色に塗ら

れた機体が、いつの間にか編隊に加わっていた。

 

「あれ……」

「見たことある」

 

 以前、ルイジたち第1遊撃艦隊の艦娘たちが、深海棲艦に奇襲を受けた輸送船団

救出にかけつけた時、待避行動を行っていた輸送艦娘たちの直援をしていた機体

だった。

 

「……あっちが『フィアットCR42ファルコ』」

 

 アルマンドの説明を右から左に聞き流し、濃緑色に塗装された単座複葉の戦闘機

を目で追っていたエスぺろたちが、露骨に顔をしかめた。

 

「あんな時代遅れなカッコした機体で、本当に大丈夫なの?」

 

 噂で聞いた話では、日、米、英といった高性能の空母型艦娘を保有する国々では、

艦載機の開発にも並々ならぬ努力を注ぎ、現在では単葉全金属製の機体が主流を占

めているという。

 

 だが、自分たちの艦隊唯一の空母の艦載機が、単座複葉の戦闘機と妙な姿の飛行艇

ではエスペロたちが落胆するのも仕方がないことだろう。

 

 

「……確かに、空母先進国の艦上機と比べれば性能は見劣りしている。でも、複葉機

や飛行艇としては、両方とも優秀……それにイタリア空軍では、フィアットもカント

も未だに現役で活躍している」

 

 アルマンドの説明に、エスペロたちはどこか諦めたような顔で目配せした。

 

 

 

 

【よし、これより射撃訓練を執り行う。各機、編隊ごとに指定された目標を攻撃せよ!】

 

 エスペロたちの心中も知らず、ネロの指示が飛び、カントZ501とフィアットCR42

は三機一組になると、一斉に高度を下げる。

 海面にブイが浮かんでおり、その上に標的代わりの小さな気球が揺れていた。

 

 妖精たちはの操縦する艦載機は、順に標的に向かって機銃を撃ち込むが、お世辞

にも命中率は高いとはいえなかった。

 

【ふぅ、まだまだ時間がかかりそうだな、こりゃあ……】

 

 ネロは天を仰ぎながら飛行服の襟元を緩め苦笑した。

 だが、気をとりなすと、手袋越しに指の骨を鳴らし始める。

 

【さて、そろそろ、行くか!】

 

 ネロは操縦桿を握り直し、フットペダルを踏み込んだ。

 真紅のフィアットCR42は、海面すれすれを飛行しながら標的めがけてさらに加速

する。

 

【ひゃっほぉおおおおおおッ!】

 

 ネロの歓喜の叫びを合図に、機体に搭載された12.7ミリ機銃2丁が火を噴く。

 ブイの上で揺れる、4つの気球が立て続けに破裂し、その間をネロの機体が駆け抜

けていく。

 

「ほぉ」

「す、凄いです」

 

 ルイジとトゥルビネは、ネロの技量にため息混じりに賞賛の言葉を口にした。

 

 

「ネ、ネロさん! これは演習なんですよ? もう少し真剣に……」

 

 スパルヴィエロは周りを見回しながら、慌ててネロを諫めるが、本人はまるで気

にした素振りも見せない。

 

 

 

 

 

 頭の上で曲芸紛いの飛行を始めた紅い複葉機に、スパルヴィエロは肩を落とし

ながらため息をついた。

 

 

 

 



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第28話 「ハジメテノ演習 ④」

 

「へ~、やるじゃん、あのクロネコ」

 

 額に手を当てながら、エスペロは紅いフィアットを目で追いながら、賞賛の言葉を口

にする。

 オストロも相づちを打つが、何か考え込むように、口をへの字に結んでいる。

 

「ホント……でもさあ」

「ん?」

「あのネコ、どうやって、あんな小さな戦闘機に乗ってるんだろ?」

 

 普段は猫の姿をとっているが、ネロとて妖精である。

 ラジコンサイズの愛機に乗り込むときは、サイズを合わせるぐらいお手の物だが、

ふたりはそれに気が付かないようだった。

 

 しばし洋上で、腕を組み考え込む双子の艦娘。

 

「分かった! きっと操縦席にみっちり詰まってんのよ」

「焼きたてのロゼッタみたいに?」

 

 ロゼッタは生地を独特な形の型に入れ、焼き上げたものは薔薇の形をしており、

イタリアでは一般的なパンである。

 

 エスペロとオストロは、しばらく互いの顔を見つめていたが、豪快に吹き出すと笑い

はじめる。

 

「ひいっ!?」

「わっ!?」

 

 耳をつんざく銃声が轟き、ふたりの鼻先を12.7ミリ機銃弾が掠めていく。

 機銃受けた海面が白く泡立ち、思わずのけぞったふたりの間を紅く塗られた古びた

外観の複葉機が駆け抜けていく。

 

「このバカ猫……」

「ふざけんな!」

 

 エスペロたちは怒りに顔を紅く染め上げ、手にした主砲を振りかざす。

 

 なおも上昇を続ける真紅のフィアットCR42の周りにまるで小さな花のように黒煙が

いくつも発生するが、ネロは軽く操縦桿を動かすと、いとも簡単に回避してしまった。

 

 さらに愛機の周りを彩る黒煙など意に返さず、後方宙返りを披露しはじめた紅い

フィアットにルイジから通信が入った。

 

「どうだ、満足したか? そろそろ次の訓練に入りたいのだがな」

【ああ、機銃の試射は終了した。全機、これより爆撃訓練に入る!】

 

「何が試射よ!」

「後で覚えてなさいよ!」

 

 自分たちをからかうように、頭上で旋回を続ける紅いフィアットに、両手をブンブン

振り回しながらエスペロたちが声も限りに悪態をつく。

 

 ネロの号令一下、フィアットCR42は高度を上げ、逆にカントZ501は、海面スレスレに

降下しはじめる。

 

【打ち合わせ通り、3機一組で目標を攻撃せよ】

 

 この場合の目標とは、当然のごとく第1遊撃艦隊の艦娘たちのことを指している。

 

「上等っ!」

「どっからでも、かかってきなって!」

 

 襲いかかる不揃いな編隊を目で追いながら、エスペロとオストロがペロリと唇を舐める。

 

「ふたりとも、訓練だからって、油断しちゃ駄目よ」

 

 トゥルビネが、いつでも発進できるように腰を屈め、真剣な声で姉妹艦たちを叱咤する。

 

「全艦、両舷全速! 使用されているのは模擬弾だが……まかり間違っても直撃など

食らうなよ」

 

 ルイジのかけ声に、第1遊撃艦隊の艦娘たちが一斉に動き出す。

 

「うう、緊張するなぁ」

 

 今回の標的には、もちろんスパルヴィエロも含まれている。

 

 自分から発艦した艦載機たちを、おどおどした目で追いかけていると、海上を這う

ように接近してきたカント501が、トゥルビネの背後に回り込んでいるのに気がついた。

 

 カント501は、腹に抱えた魚雷を一斉に発射した。

 

「トゥルビネさん!」

 

 スパルヴィエロの瞳に、トゥルビネめがけて迫る3本の雷跡が映り込む。

 

 危険を告げようと咄嗟に口を開きかけるが、魚雷が命中する寸前にトゥルビネは脚部の舵を右に切る。

  

 3本の魚雷は、紙一重でトゥルビネの左側を空しく通過していく。

 

(トゥルビネさん、いまの攻撃をどうやって?)

 

 背後から迫る魚雷の存在を、とうに気づいていたといわんばかりに回避したトゥル

ビネの動き。

 だが、頭に浮かんだ疑問は、頭上から迫る、独特のエンジン音によってかき消されてしまった。

 

 

 攻撃を終えたカント501が、背中を向けたままのトゥルビネを、追い越すように通り過ぎていく。

 

「ごめんなさい」

 

 トゥルビネが、謝罪の言葉を口にしながら右手を空に向ける。

 

 握りしめた12センチ連装砲が火を噴く。

 無防備に背部をさらけ出していたカント501が1機、回避する間もなく四散した。

 

 何気なく、外れた魚雷の方に目を向けたトゥルビネが、悲鳴に近い声を上げた。

 

「アルマンドさん、危ない!」

 

 目標を見失い、あてどもなく直進を続ける魚雷の進行方向に、よりにもよって

アルマンドが背中を向け、ボ~っと突っ立っていたのだ。

 演習の最中だというのに、アルマンドは本を読むのに夢中で、はぐれ魚雷の接近に

気づいていないようである。

 

 何度目か、トゥルビネの必死に呼びかけに、ようやくアルマンドは顔を上げる。

 

 片手を口元に当て、必死に一点を指さすトゥルビネ。

 迫る魚雷に首だけ捻り億劫そうに目をやると、アルマンドの艤装が音を立てて

動き出す。

 

 背中に取り付けられた2つの箱状のパーツから、細長いレールのようなものが海に

向かって倒れ込む。

 レールが海面スレスレまで延びると、鉄の箱から黒い球体が、ガイドに沿って転がり出す。

 

ちゃぽん、ちゃぽんと、連続して小さな球体が飛沫を上げみるみる海中に没していく。

 トゥルビネは、すぐにソレが機雷であることに気がついた。

 

『アルマンド・ディアス』は、通常の機雷敷設艦には及ばないものの、実に96発もの

機雷を搭載することができた。

 

 

 3発の魚雷の内、2発はアルマンドの両脇をかすめて通りすぎたが、残りが未だに投射

され続ける機雷の群に突入したらしい。

 

 アルマンドの体をすっぽり覆うほどの水柱が収まると、海水と爆発の際生じた熱の

せいで発生した水蒸気の向こう側に、小柄な人影が浮かんだ。

 

 

「……問題ない」

 

 

 手にした本から目を離すことなく、海水でずぶ濡れになったアルマンドが、サムズアップしている。

 

 トゥルビネは胸をなで下ろしながら、困ったように微笑んだ。

 

 

 

 

 

「なにやってんのよ、アイツ?」

 

 全身濡れネズミ状態になりながら、得意げに親指を立てているアルマンドに、エスペロが

うろんげなまなざしを送る。

 

「エスペローッ、上、上!」

 

 前を向くと、落下してくる爆弾を右に左に軽快に避けながら、オストロが上を指さし

ながらこちらに向かってくる。

 

 頭上を降り仰ぐと、3機のフィアットが急降下してくる。

 

 エスペロは小悪魔チックな笑みを浮かべると、ぎ装に意識を集中する。

 限界まで缶の圧力が高まり、エスペロの体は30ノットを越える速度で前進しはじめる。

 オストロも、姉妹艦とまったく同じ笑みを浮かべると、急加速する。

 

 これを見て驚いたのは、今まさに爆撃コースに入ろうとしていた妖精たちであった。

 

 爆弾を避け、てっきり距離をとると思っていた2隻の駆逐艦が、お互い衝突せんばかり

に接近しはじめたのだ。

 

 エスペロたちの真意は測りかねたが、結果的に的は大きなったのである。

 妖精たちは、同時に投下索を引いた。機体に吊下されていた模擬爆弾が、一斉に

解き放たれる。

 

「オストロッ!」

「了~解ッ!」

 

 互いに通り過ぎる寸前に、エスペロの伸ばした手を、オストロががっちりと握りしめる。

 2隻の駆逐艦娘が、海面に円を描くように旋回しはじめた。

 腕がちぎれんばかりの衝撃に、エスペロたちは苦痛に顔を歪めるが、それはきっかり

180度旋回した瞬間に終わりを迎えた。

 

 操縦席からこの光景を見ていた妖精たちのつぶらな瞳が、限界まで見開かれた。

 

 互いに握りしめていた手を離した瞬間、眼下の駆逐艦が直角に近い角度で旋回したのだ。

 こんな動きは、海の上を行く船舶には絶対に不可能なことだった。

 

 目の前で起こった事が理解できず、一瞬妖精たちは呆然とするが、目標を失い空しく

海上で上がった水柱を目にし我に返った。

 

 眼前に迫った水柱を間一髪でかわし、機体を水平に保つ3機のフィアット。

 だが妖精たちは、左右から併走するエスペロとオストロに気づき、今度は自分たちが

標的になったことを悟った。

 

 フィアットは一斉に機首を上げ逃げようとしたが、時すでに遅かった。

 オストロたちの手にした12センチ連装砲と、ぎ装の背部からせり出した、40ミリ機関砲と13ミリ機銃が、一斉に火を噴いたのだ。

 

 機体に無数の銃痕が刻み込まれ、3機のフィアットは、次々に海中に墜落した。

 

「お互い、模擬弾でよかったね~」

「うんうん、当たっても死なないし」

 

 

 

 ペロリと舌を出しながら近づくと、エスペロとオストロは手にした主砲を、軽くぶつけ

合う。

 

 



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第29話 「ハジメテノ演習 ⑤」

「さて、これで攻撃は終わりかな?」

 

 額に手を当てエスぺロは周りを見回すが、肩を叩かれ振り返る。

 

「あっちは、今がヤマ場みたいよ」

 

 

 

 オストロの指さす方に目を凝らすと、1隻の艦娘が洋上で奇妙な踊りを舞っていた。

 

 

 

「ひぃいいいいっ! きゃああああっ!?」

 

 

 

 それは悲鳴を上げ、迫りくる魚雷や爆弾から右往左往しながら逃げ回るスパルヴィエロであった。

 

 

 ふだん妖精たち(艦載機)から恨みでも買っていたのか、はたまた単に的がデカいから当たりやすいと思われたのか、10機近いフィアットやカントから嵐のような猛攻を受けている真っ最中である。

 

 

「どうする、アレ?」

「ほっときゃいいのよ。回避訓練にはちょうどいいって」

 

 肩越しに後ろを指さすオストロに、燃えるような赤い髪をいじりながらエスペロが

投げやりに言い捨てる。

 

「だいたいアイツは、ん?」

「どしたの? あっ!」

 

 頭上から近づく重厚なエンジン音に、ふたりは同時に空を見上げた。

 真紅の複葉機が、風を切りながら一直線に降下してくる。

 

 

「んふふ、そういえば……」

「アンタが、まだいたっけ?」

 

 舌なめずりしながら、双子の艦娘は対空戦闘の用意を始める。

 

「あれ?」

 

 今まさに照準を合わせようと、天に向かって翳された主砲が、わずかに下がった。

 紅く塗られたフィアットCR42の機首が、どう見ても自分たちの方を向いていないの

である。

 

 エスペロたちは、互いの顔を見て小首を傾げた。

 

 

 

 

【悪いがタマ(爆弾)は一発しかないんでな。チョロチョロ動き回る子ネズミや、

鈍くさい牛娘に使うにゃ、もったいんでね】

 

 

 手にした主砲を振り回し、何やらわめき散らしているエスぺロたちや、ついに直撃

を受け黒煙を立ち上らせた頭を押さえ海上にしゃがみ込むスパルヴィエロにウィンク

すると、ネロは操縦桿を軽く捻りフットペダルを踏み込んだ。

 

 

【おれの獲物は……お前だッ!】

 

 

 

 

 ヨタヨタと迫る水上挺(カント501)を魚雷を発射するポイントに達する前に苦も

なく撃ち落としたルイジは、頭上から殺気にも似た気配を感じ顔を上げる。

 

 さらに加速を続ける紅いフィアットを目にするや、ルイジは不敵な笑みを浮かべた。

 

「ふん、目標は……私か」

【おれからのプレゼントだ。受け取りな、お嬢さん】

 

 海上に立ち止まり、こちらを見上げるルイジの姿が照準環に収まるや、ネロは手にした投下索を軽く引いた。

 吊下されていた模擬爆弾が機体からから離れ、ゆっくりと降下しはじめる。

 

 すぐに回避運動に入りながら、ルイジは目だけ上に向ける。ブラウンの瞳がわずかに

見開かれた。

 

 回避に成功すれば、投下された爆弾は、少しづつ本来の形状である楕円形に見える

はずだった。

 だが、頭上から迫る模擬爆弾は、あいかわらず真円を描いたままだ。

 

 それはいまだ、自分が爆弾の直撃コースに位置していることを意味していた。

 

「ほぉ、さすがにいい腕だな」

 

 徐々に大きくなる独特な落下音を耳にしながら、ルイジはネロの技量の高さに対し、

賞賛の言葉を口にすると、顔を上げる。

 爆弾との距離はわずかしかなく、もう回避は間に合いそうもなかった。

 

 ルイジの口角が持ち上がり、右手が音もなく動いた。

 

 次の瞬間、模擬爆弾はルイジに命中する前に、空中で小規模な爆発を起こす。

 

【ちっ、何だ今のは、対空砲……いや、違う!】

 

 ネロの耳には一発の砲声も聞こえず、機体の周りにも対空砲や機銃独特の黒煙は、

一切見あたらなかった。

 

【火砲の類じゃないというわけか……楽しませてくれるじゃないか、ええ、お嬢さんよ!】

 

 爆発した模擬弾の黒煙を突き破り、紅いフィットはなおも加速を続ける。

 

 互いの距離が数十メートルまで迫ったとき、だらりと下がっていたルイジの右手が、

再び雷の如き疾さで動いた。

 

【ぐっ!?】

 

 ルイジの右手が光ったとみるや、眼前に一条の銀線が迫る。

 

 ネロは反射的に、機体を右に傾かせる。

 次の瞬間、左の主翼に衝撃を感じ目をやった。

 連なるように上下2枚並べられた主翼のうち、下の翼が鋭利な刃物で切り裂かれた

ような損傷を受けていた。

 

 

【何だ、これは……ちっ!?】

 

 

 一瞬そちらに気をとられたネロであったが、自機がいまだ降下中であることを

思い出す。

 

 視界いっぱいに、青い海原が飛び込んでくる。

 

 ネロは折れんばかりに牙を噛みしめ、両腕に握った操縦桿に渾身の力をそそぎ込む。

 真紅のフィアットCR42は、海面スレスレで機体を立て直し、いったん距離を取り旋回

すると、ルイジめがけて一直線に突き進んだ。

 

 主翼から煙を棚引かせながら、なおも加速を続ける赤い複葉機。

 それを静かに見つめていたルイジの瞳がわずかに収縮し、口元に歓喜の笑みが浮かぶ。

 

 だがそれは、ネロとて同じだった。

 

 限界まで見開かれた金色の描眼は爛々と輝き、耳元までめくれ上がった口元から、鋭い牙がのぞいていた。

 

 

 ルイジの姿が照準環のクロスに重なるや否や、ネロはトリガーにかけた指に力を込める。

 ネロの機体がルイジの瞳に映る。だらりと下げた両手には、いつの間にか鈍い光を放つダガーが握られていた。

 

 

 

「ふたりとも、いい加減にしてくださいッ!!」

 

 

 

 怒気を含んだよく通る声が、一人と一匹の耳朶を打つ。

 視線の先に怒りのためか、はたまた爆撃による痛みのせいか、頭を押さえ涙目に

なったスパルヴィエロがこっちを睨みつけている。

 

「ネロさん!」

【チッ!】

 

 ネロはトリガーにかけた指から力を抜くと、操縦桿を軽く左に捻る。

 ルイジの右頬を掠めるように、紅いフィアットが風のように通過していく。

 

「……ルイジらしくない。これは演習」

 

 風圧で巻き上げれた黒髪をなびかせたまま、ルイジは声の方に振り返る。

 手にしたダガーは現れたとき同様、忽然と消えていた。

 

「すまん、アルマンド。少し熱くなりすぎたようだ」

 

 視線を本に落としたまま、珍しく唇を尖らし不満そうな顔をするアルマンドに

ルイジは頭を掻きながら苦笑する。

 

「まったく!」

「見てるこっちは、冷や汗モノだったじゃない!」

 

 あまりに鬼気迫るルイジとネロの迫力に、圧倒されていたエスペロとオストロが、

両手で肩を抱きながら近づいてくる。

 ふたりの袖なしのセーラー服からのぞく細い腕に、うっすらと鳥肌が浮かんでいる。

 

【聞こえるか? お嬢さん】

 

 ルイジの耳に、ネロからの通信が響いた。

 

「ああ、よく聞こえるぞ、黒猫のオジサマ」

 

 皮肉を込めて軽く切り返すと、喉を鳴らすようなくぐもった笑い声が聞こえてきた。

 

【大した腕だ、感服したぜ】

「それは、こちらの台詞だ」

【だが、次はこうはこうはいかねぇ】

 

 ルイジは、ゆっくりと顔を上げる。

 

 

【今回は邪魔が入ったが、ケリ(決着)はキッチリつける。次の機会にな】

「……望むところだ」

 

 ネロの高笑いが頭の中に木霊する。つられてルイジの口元にも微笑みが浮かぶ。

 

 

「はぁ!」

 

 

 まるで懲りていないルイジとネロに、第1遊撃艦隊の艦娘たちから同時にため息が

漏れた。

 困ったような顔でルイジたちを見ていたトォルビネが、ひとりだけ真剣な面もちを

しているアルマンドに気づくと話しかけた。

 

「どうかしたんですか?」

 

 だがアルマンドは、左手を耳元に当てたまま、何も答えない。

 口をへの時に結んだまま、その視線はページに綴られた活字ではなく目の前の大海原

へと注がれている。

 

 異常に気づいた他の艦娘たちが、アルマンドのそばに近づいてきた。

 

「何があった? 答えろ!」

 

 ルイジに肩を揺さぶられ、アルマンドはようやく顔を上げる。

 頭頂の巨大なくせっ毛を揺らしながら、周りの艦娘たちを順に見渡す。

 その瞳はいつもどおり半開きで眠たげであったが、口から紡がれた声はいつになく

真剣そのものだった。

 

 

 

「……いま、司令部から緊急の通信が入った。敵の艦隊(深海凄艦)が、こちらに向かっている」

 

 

 

 

 

 アルマンドは、ぽつりぽつりと話すと、舵を左に切り西南の方角に目をやった。



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