ブラック・ブレットif ー深淵に堕ちた希望ー (縁側の蓮狐)
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1話『闇の彼方へ』

――一言で言うなら、それは御伽噺のお姫様が王子様と出会った瞬間と酷似していた。

 

 二○二一年某日、一時の感情に任せて家出をしたはいいものの、極限の状態にあった僕は、眼前に迫るそれを見て、ただ呟くことしかできなかった。

「ガス……トレア」

 まるで白亜紀にいた鳥獣のようなそれの深い赤色の瞳は、まるで研磨されたルビーのようだった。ルビーなんて、その頃は見たことなかったけど、多分こんな感じなんだろうなって思ったんだ。

 ガストレアは自衛隊の支援戦闘機が発射したスパローミサイルで片翼が捥げてしまい、僕の目の前に墜落してきたんだ。

 もう、こいつは限界だろうと思いながらも必死に体を起こして逃げようとする僕を、ガストレアは力を振り絞って上体を起こして追ってこようとする。千切れた片翼の付け根部分からは動く度に大量の血が流れているというのに。

 僕は、そんなガストレアの姿に感動したんだ。死がすぐそこまで来ているのに、生きようと、闘おうとする怪物の姿に。

「僕が、殺してやる」

 ガストレアの墜落に巻き込まれなぎ倒された仮説テントの一部であろう折れたパイプを手にした僕は、そいつを槍を扱うように持って無謀にもガストレアに突貫したんだ。彼の生き様に応えるために。不思議と恐怖は無かった。

 ガストレアはクチバシを開く。僕を食べるつもりだ。相打ちに、なるのかな? そんなことを思っていた僕の耳に、乾いた銃声が何度も届く。

 ガストレアは絶命していた。僕が殺す前に。

 誰が、僕の邪魔をしたんだ。辺りを見回した僕は、奇怪な人物を見つける。

 ワインレッドの燕尾服にシルクハット、さらには舞踏会用の仮面を被った高身長の人。サーカス団から抜け出してきたピエロさんかなと僕はまぬけな発想をした。

「少年、なぜ君は今、ガストレアに立ち向かった?」

「アレを殺すのが、僕の役目だと思ったから」

 至極当然のように僕は答えた。ピエロにとって満足のいく答えだったのか、彼は「ほぉう」と嬉しそうな声を上げ、僕に手を差し伸べた。

「少年、君に二つの選択肢を突きつけよう。私と共に闘争の世界を生み出すか、私に殺されるかだ」

「いいよ、僕、おじさんについて行く」

 迷うことなく、僕は破壊の道を選び、ピエロの手をとる。

「少年、君の名は?」

「僕は――」

――これが僕、里見蓮太郎と蛭子影胤の出会い。

 

 そして、これより綴られるは、激しい黒に包まれた僕の哀情も心傷も、全て取り込んだ彼と、そんな彼と共に生きていくことを択一した僕の狂気に満ちた人生の一ページ。

 

 影胤と僕が出会ってから十年後、僕は六階建てのマンション。『グランド・タナカ』の二○二号室に来ていた。二○二号室の扉の外には警官隊がいたので、仕方なく非常識的な方法でここまでやってきた。その方法は単純なもので、一○一号室のベランダから二○二号室へと飛び移っただけだ。なに、十年も体を鍛えればこのぐらいできるものさ。

 僕は感染源ガストレアを追ってこの二○二号室へとやってきた。だが、残念なことに僕がやってきた時にはもぬけのからだった。やってしまった。

 失態を影胤に報告するためにも僕はポケットからスマートフォンを取り出そうとする。同時に、誰かが窓から侵入する音が聞こえ、僕は動きを止めた。

 影胤か?

「突入成功、行くぞ!」

「はい!」

 成人男性の声に僕はたまらず舌打ちをしてしまう。邪魔だな。

 ここで被害者ぶって救助されるというルートがあるにはあるが、そうすれば警察に保護されて面倒臭いことになりかねない。いざ心の中で選択しようという時に限って、道は一つしか残されていないことってよくあるんじゃないかと僕は思う。

 黙りこくったまま畳の目を心の中で数えていると、二人の警官隊が僕のいるリビングまでやってきた。どうやら彼らは僕の姿を見て少し困惑している様子だった。

「君は……この部屋の住人かい?」

 そんなわかりきったこと、答える気は毛頭なかった。適当に思いついた言葉を並べながら僕は警官隊にジリジリと近づき始める。銃を使うのが一番手っ取り早いが、発砲音が外にいるかもしれない増援部隊に聞こえたら、無駄に戦闘することになってしまう。それは避けたかった。

「六畳間の部屋にさ、男性三人ってのはちょっと窮屈だと思わないか? 思うよな。でもさ、人間サイズの置物二つと男性一人だったら、窮屈な感じも薄まる気がするんだ、僕。だからさ、――死のうか」

 僕が不敵な笑みを浮かべると、警官隊の二人は銃を構える。遅すぎる、既にアンタたちは僕の攻撃可能範囲内にいる。

 天童式戦闘術二の型十六番――

「『隠禅・黒天風』」

 僕の放った回し蹴りは殲滅対象の一人の顔にクリーンヒット。くるりと男の首は回転し、辞世の句を残す間もなく絶命する。回転する様がフクロウみたいだと思った。そういえば、フクロウの因子を持つ子はどれくらい首が回るのだろう。とても気になる案件だ。もし出会った時のことも考え、この疑問はよく覚えておこうと誓った。

「ひぃっ!」

 残りの一人が銃を手放して逃走を謀った。それは、ダメだろ。

「は?」

 一気に僕の怒りは有頂天にまで上り詰めた。なぜ逃げる。なぜ闘わない。

「ガストレア以下だな、アンタ」

 天童式戦闘術一の型八番――

「『焔火扇』」

 少しばかりドスの効いた僕の声に、対象物は顔を引き攣らせる。

 塵芥と形容することでさえおこがましい存在との間合いをゼロにまで縮めた僕は、畳を踏み締めて渾身のストレートを放つ。

 だが、技を喰らったヤツは吹き飛ばされなければ、外傷を負うこともなかった。

 代わりに、内側は言葉では表わしたくない凄惨なものになっているだろう。ヤツは力なく倒れ、顔中の穴という穴から血を吐き出した。

「アンタの体内にある心臓以外の臓器、全て今の一撃で破裂させた。逃げた罰だ、精々悶えて死ね」

 撒き散らした自分自身の血で汚れた畳の上で苦しんでいるものの姿を見て、改めてこの技が人間離れしているものだと思い知る。

 天童式戦闘術は、影胤と出会う一週間前に僕を引き取った天童家が代々引き継いでいる技だ。僕は引き取られた初日からそれについて教え込まれた。わずか一週間という短い期間のため、全部ではないが半数近くの技はどのようにして繰り出されるかというノウハウは覚えていた。僕は影胤と生活を共にする中で、毎日何百回も技の練習をした。結果、見事に技は習得した。歪んだ形で。

 習得した技を試しに影胤に見せたところ、彼は「素晴らしい成果だね蓮太郎。我流を混ぜて外道の技にするとは」酷評しているのか絶賛しているのかわからないコメントを述べた。要するに、邪悪の権化とも呼べる男と生活を共にする内に、僕は技も心も混沌に染まったらしい。

 人を殺してなんとも思わない時点で僕も悪だよな。どう見たって。

 物思いにふけっていると、玄関の方から銃声とドアを蹴破る音。しまった、さっさと立ち去るべきだったな。

 追加の客は警官隊が三人、金髪の男と少女の民警ペアと思わしき者が一組。人数から察して、まだ部屋の外で待機している戦闘要員はいないだろう。なら、別に音を出しても問題ないか。

 腰のホルスターから二丁の拳銃をクイックドロウ。三人の警官隊を倒すのはそれで十分だった。問題は、金髪の民警ペアだった。

「クソファッキンとしか言いようがねぇな。感染源ガストレアぶっとばすだけの予定だったのによ、化物みてーなガキを相手するはめになるなんてな」

「兄貴、こいつ、なんか雰囲気やばいよ」

「わーってる」

 互いに様子見、といったところで僕の視線は『I am an America』とプリントされたジャケットと、飴色のサングラスを着用する男の方にしか向かなかった。この時、僕は人生で初めて『辟易』という言葉を顔で表現した。

 僕から彼に送る言葉は一つだけだった。

「だっせ」

「だ、ダサッ!?……ヘイ、ボーイ。あんま調子乗ってるとなぁ、痛い目見るはめになんぞッ!」

 激昂し突撃する男の武器は腕に巻かれたナックルダスターだけであった。銃で対応しようにもそれが出来るほどの距離はない。こちらも拳で応戦するかと構えた刹那、男の武器が本当にナックルダスターだけなのかと不安が募り、慌てて背後に下がる。ギリギリのタイミングで男の拳打を避ける。そして確かに見た。彼の手の甲にある、コンパクト化した動力ユニットを。

「電動式の武器を仕込んでいたか」

「勘が良いな、ボーイ」

 男の表情にはまだ余裕が見えた。これ以上彼に隠し玉はなさそうだと思い、イニシエーターが何か仕掛けてくるのだと気づく。

 金髪の少女は小さな一室を飛び跳ね回っていた。素晴らしい速度だ。あれぐらい速く僕も動けたらと羨ましく思いながら、少女が何の因子を持っているか考察する。飛び跳ね回るという点で言えばバッタが有力候補だが、そうすると彼女が狙っているのは僕の死角へと飛んでから、僕に蹴りを浴びせるということだ。あまり決定打になるとは思えない、これは除外だ。

 ならば何がある。そう悩んでいると、目の前では僕が撃ったために呻いている警官隊の男が震えながら手を上げていた。まるで、何かの罠に引っ掛かったように。

 罠に引っ掛かった? 僕はここで彼女の因子が何なのか閃く。蜘蛛だ。彼女はただ闇雲に飛び跳ね回っているのではなく、僕をネットの中に閉じ込めようとしていたのだ。警官隊の男が震えながらも手を上げていたのはネットに引っ掛かり、引っ張られているためだ。

「拙いな」

 僕はバラニウム製の短刀を取り出すと、片手で金髪の男に向けて牽制のため発砲。余った手は短刀を握り、前方をがむしゃらに斬る動作を何度も行いながらベランダへと向かう。

「嘘ッ、気づかれた!?」

「どんな直感してやがるッ!」

 民警ペアの二人以外に不安要素はない。彼らを素通りできた時点で、僕の逃走は誰にも邪魔ができなくなっていた。

「それじゃあ、また機会があったらな」

 ベランダへと辿り着いた僕は、静止を求める彼らの声を無視して飛び降りる。

「あぁ、嫌だなぁ」

 ぼやきながらも僕は着地の体勢をとって衝撃に備える。

 足が地に着くと同時に体の全身に衝撃が痛みとして伝わる。二階から飛び降りたんだ。サイボーグでもないただの人間は痛いに決まっている。本当、何回やっても慣れないな。

 再びスマートフォンを取り出し、影胤と連絡をとろうとした瞬間、向こうから着信がかかってくる。

「もしもし」

「感染者はこちらで処理しておいたよ、そちらは何か収穫があったかい?」

「収穫、か。あるにはあったけど、トリカブトを摘んじまったよ」

「と、言うと?」

「感染源ガストレアはいなかったうえに、警察と民警相手に一線交えちまった」

「トリカブトは言いすぎじゃないかい蓮太郎。そんなものは些細な問題だろう。ヒヒッ」

 何が面白いのか。トリカブトを使った例えが下手だったのがそこまで笑えるか? 十年経った今でも彼の笑いのツボが僕にはわからない。

「近々東京エリアの民警たちには挨拶するつもりだったから、まったく悩む必要はないさ。ひとまず、合流するとしようか」

「いつもの隠れ家にか?」

「そうだよ。……ところで蓮太郎、お坊ちゃんのような話し方は変えたほうがいいと言ったのは私だが、その話し方をするなら一人称も変えたほうがいいんじゃないのかい?」

「一人称なんて、一朝一夕で変えられると思うなよ。口調が壊滅的に乱暴なやつにでも影響受けない限り多分僕は一生「僕」って言うぞ」

「……それもそうか」

「話は以上だろ? もう切るぞ」

 影胤の返事も待たずに僕は通話を切断する。

 隠れ家までの距離は少しあった。それだけで痛む僕の体に倦怠感が足され、路上にもかかわらず寝転がりたい衝動に駆られる。でも、影胤を待たせるわけにもいかないために僕は足に付いた見えない錘を外し、気持ちを楽にして走り出す。

 




オリジナルキャラだけの作品ではなく、原作キャラのみの作品にも挑戦してみました。ロリロリした作風は少なめで、この調子でいくと影胤と蓮太郎による世紀末的なものに仕上がりそうです……早急に小比奈を登場させるべきかなと思っています。

影胤の口調がなんだか変に感じますが、作者は何度読み直しても影胤の口調がどのようなものか完全に理解できていないせいです。原作だと家族(小比奈)に対しては優しい話し方だったので、他人と家族の中間地点をいく蓮太郎には「優しくもどこか余所余所しさを感じる」話し方を目指して喋らせています。



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2話『talking』

 僕は息を切らしながら高層ホテルを見上げる。

 つい十分前のことだ。隠れ家というには荒れ過ぎている廃ビル、つまり影胤から指定された集合場所に到着したが、彼の姿はどこにもなかった。変に思っていながら廃ビル内を散策していると、影胤からメールが届いた僕のスマートフォンが八寒地獄の第一を味わうようにブルブルと震えた。

 液晶画面上に浮かび上がる文章を見た僕は額に青筋を立てる。

『たった今クライアントからホテルを提供してもらったよ。私たちはそこにいるから君も早く来るといい。場所は――』

 住所を確認し、怒りのまま僕は走り出す。

「少しぐらい僕のことを待っていてくれてもいいだろうが!」

 

 改めて回想してみると、やはりこの仕打ちは理不尽だ。僕たち用にチェックインされた部屋の前まで辿り着いた僕は影胤になんという不満の言葉をぶつけてやろうかと考えるが、どうせうまく話をすり替えられるに違いないと気づき、溜息混じりにドアを開ける。

 僕たちが泊まる部屋は上流階級が来るようなロイヤルスイートルームだった。ホテルの一室とは思えない広々とした空間に窓から見下ろせる東京エリアの風景。新築の家と見間違うまで掃除の行き届いた室内には一片のほこりも見当たらない。

 初めての光景に心奪われながらも僕は室内を散策する。

 リビングスペースでマシュマロのようなソファーを見かけ僕は思わず座ってしまう。座り心地もマシュマロみたいにふかふかでいつまでも座っていたくなった。けれど、そういう訳にもいかないので僕は口惜しげに散策を再開する。

 純白のベッドルームに辿り着いた僕は、ベッドに寝そべる黒いワンピースを着た少女と、同じベッドに座る影胤を発見する。

「思ったより遅かったね」

「蓮太郎おそーい、亀みたい」

「これでも全力で走って来たんだよ! 言っとくけど一般人と比べたら全然早いほうだからな!」

 こちらに一瞥することなく影胤は見覚えのない書類を流し読みしている。今回の依頼に関係するものなのだろうか。

「その書類は?」

「計画のちょっとした変更と現状についてまとめたものだよ。部屋に置かれていた。蓮太郎、君も読むといい」

 影胤から書類の一部を受け取る。おそらく彼が既に読み終えているものだ。僕は書類に目を通してみることにした。

――『七星の遺産』の入ったケース確保のために未踏査領域へと向かった私の部下が東京エリア内でガストレアと化した。これによりプランAは失敗。ケースはガストレアと化した部下が所有しているであろう。至急ケースを持つガストレアを発見し、ケースを取り戻さなければならない状況にある。情報が入り次第そちらに連絡をする――

 なぜ僕が感染源ガストレアを追わされたのか、その理由だけを確認すると僕は書類から目を離す。『七星の遺産』とはいったいなんなのか、何か大事でも引き起こすトリガー的な存在であることだけは僕でもわかるのだが。

「なあ影胤、ここに書いてある『七星の遺産』ってのはなんだよ」

「ステージⅴを召還する触媒だ」

「なッ……」

 影胤の言葉を疑う。ステージⅴを召還? なにを非現実的なことを言うのか。でも、真実なのだろう。この男が、蛭子影胤がガセに躍らされることなど決してありえない。

「今回の目的は、『ガストレア新法』を潰すだけだよな?」

 『ガストレア新法』。周囲の反対を押し切ってまで東京エリア統治者である聖天子がねじ込もうとする法案だ。イニシエーターや『呪われた子どもたち』の社会的地位を向上させ、共生していくための法律。僕らはこれを潰すために今こうして東京エリアにいる。

 なのになぜステージⅴが出てくる? さすがの僕でもステージⅴを召還させることには躊躇が生まれる。言えばステージⅴとはガストレアの究極態だ。僕たちが追う感染源ガストレアとは比べ物にならないほどに、厄い。もし召還されれば東京エリアは壊滅し、大勢の人は死に、歴史に名を残す大災害となる。僕たちは大量虐殺の主犯となるわけだ。一人ずつ殺すならまだしも、一度に何千もの人を殺すなんてこと、僕の精神が耐え切れるかはわからない。

「その通り、ステージⅴ召還は最後の手段だ。目的としては『呪われた子どもたち』である小比奈が東京エリアを壊滅させるテロに関与しているということが露見するだけでいいからね。後はそれをクライアントがマスコミにリークする。これで世論は『ガストレア新法』に猛反対してくれるから、私たちはステージⅴを召還する一歩手前のところまでことをばいい」

 僕はホッと胸を撫で下ろす。そんな最悪の場合にならなければと心配しながら。続けて僕はこの部屋に入ってから沸々と湧き上がる疑問をぶつける。

「マスコミにリークって、今回のクライアントそんな顔が広いのか? ってか、まず誰なんだよ、こんな高そうな部屋まで用意できるし、相当な金持ちっぽいけどよ」

「ヒヒッ、驚くと思うよ蓮太郎。君も知っているはずの人物、天童菊之丞だ」

「あの人が? 確か聖天子側の人間だろ? なんでまた」

 まさかここでその名を聞くとは思わなかった。天童菊之丞、影胤に拾われる以前に僕を引き取ってくれた天童家の当主だ。彼は聖天子付補佐官であり政治家としての最高権力者のポストについている。そんな彼が、なぜ聖天子が推す法案である『ガストレア新法』を。

「そんなことは彼に直接訊いてくれたまえ。さて、次はこちらが質問する番だ。蓮太郎、君は先ほどの通話で民警ペアと交戦したと言ったね? もし再戦するとしたら、勝てそうかい?」

 数十分前の戦闘を思い出し、客観的に考えてみる。僕は影胤に鍛えられていることもあり非凡なる強さを持っているが、武器はこの体と二丁の拳銃しかない。

「無理だな、特異的な力を持っているイニシエーターがいる時点で僕の負けは濃厚だ。もう少し手数が欲しい」

「だとしたら、早くそれを習得しなければいけないね。それをお飾りにしたまま死ぬのは君も嫌だろう?」

 影胤は僕の腰に下げている刀を指差す。これは彼が僕の為に用意したものである。僕が技を習得しない限りこいつはアクセサリーとして僕の腰を陣取り続けるしか仕事がないが。

 なぜ刀を持っているのか、それは天童式には戦闘術だけではなく抜刀術も存在するからだ。こちらも戦闘術同様にノウハウだけは知っているので訓練は積んでいるのだが、一向に技をものにできずにいる。理由はわからない。何が足りないのだろうか。

「努力は惜しんでいないつもりなんだけどな。ま、こいつが使えるようになるまではこっちに頼るさ」

 僕は人差し指で自分の頭を二度軽めに突く。影胤に付いていってすぐの頃、僕は弱かった。温室育ちのお坊ちゃまが戦場に駆り出されたもんだ。それでも僕は何かできるようになりたくて、行き着いた先は知識だった。

 影胤に頼み込んで昆虫図鑑や植物図鑑を仕入れてもらい、ガストレアのモデルをすぐに判別できるまで読み込み、僕の目に見えない力にした。これはイニシエーターとの戦闘でも役立つ。なぜなら元の生物がわかるということは、対象の持つ特徴、長所、弱点ほぼ全てがわかるということなのだから。言ってしまえばこの世界で生物に関する知識が役立たないことは無い。

 突如僕の目の前にバラニウム製の刃が現れる。

「パパも蓮太郎も話長い」

 不機嫌そうに少女が黒い小太刀を突き出す。彼女、蛭子影胤の娘である蛭子小比奈をよそに僕と影胤は話をしすぎた。

「わ、わりーな。後で勉強教えてやっから許してくれよ」

「じゃあ許す。蓮太郎の話は面白いから」

 よく言うよ。僕はこれまでの小比奈の授業態度を思い出す。何か動物を教えればどう斬ればいいのかと訊いてくるし、プラナリア、正確に言えばナミウズムシについて教えれば再生するから何度でも斬れると一人興奮状態に陥ったり、僕の話が面白いのではなく、小比奈の発想がおかしいのだ。

 小比奈から一瞬視線を外すと、僕が小比奈を宥めているうちに外出の支度をしていたのか、影胤がスイートルームから出ようとしていた。

「どっか行くのか?」

「この後に防衛省でご挨拶をしにいくから、その時に国家元首殿へ渡すプレゼントを用意しに、ね。防衛省には君も小比奈も連れて行くから、シャワーを浴びておくといい。人前に出るんだ、なるべく紳士的に身なりは整えて行かないとね、ヒヒッ」

「わーった、わーったから行くなら早く行けよ」

 影胤はドアノブを握ると、時が止められたように固まった。

「……? どうしたんだよ」

 僕の声を引き金に影胤の時は動き出し、彼の首が奇怪にこちらを向く。彼の妖艶なる瞳に睨まれ、僕は一瞬パニックを引き起こしかける。僕なんかとはかけ離れた、本物の狂気を宿す彼の恐ろしさを味わいながらも、何か僕に仕掛けてくるのかと身構える。

「天童といえば、君が私に付いてきてから幾ばくか後に末の娘さんが亡くなったそうだよ」

「は?」

 何の前触れもなく腕を吹っ飛ばされる。そんな気分だった。

 天童家の末の娘、心当たりなんて一人しかない。天童木更だ。天童家にいた一週間、短い間ではあったが彼女には世話になっていた。たくさんの義兄から絶え間なく虐められていた時、僕を助けてくれたのが彼女だった。彼女は僕が義兄と関わらないように、暇な時間があれば花畑に連れて行ってくれて一緒に花の冠を作り、被せ合ったりした。

 恋心も些細ながらに芽生えつつあった。何があっても彼女だけは殺さないでいようと心に決めていた。

 でも、なんだ? あ? 天童木更が、死んだ?

 このことは影胤が僕に発破をかけているだけなのだと気づいていた。それでも、冷静に対処できない。理性が欠け始めている。

「なんでも、天童家に侵入した野良ガストレアが両親ごと彼女を食い殺したそうだ」

「ありえない! 天童の屋敷は東京エリアの中心部にあったんだぞ!」

「ああ、ありえない。ありえないことだ。人為的に起こらなければねえ」

 影胤の声には明らかに愉悦の色が濃く混ざっていた。彼は答えを知っている。知っていて、僕を焦らしている。癇癪を激情の声に変え、僕は捲し立てる。

「誰だ、誰がやったんだッ! 答えろ、影胤ッ!」

「天童和光、天童日向、天童玄啄、天童凞敏、そして――天童菊之丞」

 それだけ言って影胤は退出する。

 僕は思ったよりも落ち着いていた。自分でも驚くぐらいに平常を保てていた。平常なのは小比奈も同じであった。が、それは僕の怒りには無関心ということからだ。

「蓮太郎、早く勉強しよ」

「ああ、そうだな」

 僕たちの生活に必要なものが入っているバッグから教材代わりとなる図鑑を取り出し、今か今かと心待ちにしている小比奈へと兎について教えながら、あることを決心する。

 ステージⅴを召還してもいい、彼女が存在しない東京エリアに未練などない。修羅に落ちても、鬼となっても、影胤のように狂気を我が物にしても、どんな手段を持ち出しても天童菊之丞と対峙し、殺す。奴にどんな理由があろうが関係ない、絶対に殺す。

 

 この時、僕は腰に下げる刀に名を授けたんだ。『殺人刀(せつにんとう)伐折羅(ばさら)』。小さな僕の思い人の名前を少しばかり取り入れた名を。




タイトル通りのお話会です。
影胤さんたちは原作一巻の時はどこを住処としていたのでしょうか……漫画版四巻ではホテル(もしくは高層マンション?)にいる絵があったのですが、やはり彼は謎に包まれすぎています。

ともかく全国の木更さんファンに謝罪を


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3話『剣の舞』

「マジかよ……」

 シャワーから出た僕は傍に置いてあった着替えを見て顔を青ざめる。カットソーの上に薄いジャケット、下はチノパンと動きやすさとラフさに長けたのが今までの僕の服装だったはずだ。

 それが、なぜ学生服になっているんだ。スーツそっくりの真っ黒い学生服に。まず第一にこれをどこから仕入れてきたんだ。

 仕方なく用意された学生服に着替え、シャワールームを出るとすぐさま小比奈に問いかける。張本人の娘なのだから何かしら彼から聞いているだろう。

「なあ小比奈、なんだよこの服は」

「それ、防衛省に行く時の正装だって」

 影胤の言葉を思い出す。『紳士的に身なりは整えて行かないとね』。身なりとは服装も含めてのことだったのか。僕はぶつけようの無い苛立ちを悪態として心の中で愚痴る。

「……じゃあいつも僕が着てる服は?」

「パパが斬っていいって言ったから斬ったよ」

「嘘だろ……あれ気に入ってたのによ」

 さも当たり前といった様子で言いのける小比奈に対して怒る気が一切起きない。大体こういった理不尽な展開は受け入れて流されるのが一番メンタルに優しいからだ。

 無理矢理にでも心機一転させると、僕は腰を落としてある構えをとる。天童式戦闘術の基本とされる『百載無窮(ひゃくさいむきゅう)の構え』だ。深呼吸を済ませ、僕は見えない敵へと技を一つずつ繰り出しながら一考の時間に入る。

 防衛省へ向かうまで時間は多少あるだろう。それまでの間に技を磨こうという訳だ。今回の依頼が完了するまでに天童菊之丞の殺害を目論む僕にとってタイムリミットは僅か、一時も無駄にする気は無い。

 しかし、今僕が考える殺害計画には無数の穴が開いている。運任せといってもいい。

 まず、菊之丞を殺害するためには聖天子に頑張ってもらわないといけない。なぜなら菊之丞がリークする情報を聖天子が封じ込め、最終手段としてステージⅴを召還せざるを得ない状況に持ち込まなければならないからだ。ステージⅴが召還されれば聖天子は補佐官である菊之丞と共に個人用のヘリなりなんなりに乗って東京エリアを去ることになるだろう。そこが狙い目。間違っても国家元首である聖天子を一般人と同じ避難ルートにやることはないはずだ。

 簡潔に言えば、ステージⅴが現れたことで少数人数になって避難しようとするところに僕が現れるだけ。あとは殺せばいい。

 聖天子が情報を封じればステージⅴを召還しなければならないということは先ほど目を通した書類に書かれていた。これは確実だ。

 聖天子と菊之丞がどこでヘリに乗るかは影胤に訊けばいいだろう。それも知らずに僕を挑発してくる無計画な男ではない。

 一番の問題は、――僕が天童菊之丞に勝てるかだ。

 老兵と言えど彼も天童の人間。無駄に年月を過ごしているそこらの翁とはまったく違う。恐ろしいことに、菊之丞は天童式格闘術も抜刀術も会得している。僕がそれを知っている理由は、見たからだ。彼が道場で一人鍛錬する姿を。幼少期の僕でもわかった、彼の動きに隙はないと。菊之丞の鍛錬姿に小さな僕は恐怖したのだ。

 実力の差はあるだろう。それでも殺せるチャンスは近々、一度きりだ。今乗り込めば万全の警備体制による数の暴力と菊之丞の合わせ技が待っている。刺し違える覚悟を持ってしても何の成果も出せないだろう。

「蓮太郎、いつまでそれやるの?」

 穴だらけかつ勝ち目も薄い作戦に辟易していた僕の思考を小比奈の冷めた声が中断させる。

 見れば小比奈は退屈そうに枕を抱き締めながらベッドの上で三角座りをしていた。小比奈には悪いが、まだ鍛錬を止めるわけにはいかなかった。少しでも菊之丞との間にできた差を縮めなければならない。

「防衛省に行くまで、だな」

「防衛省に……? 明日までやるんだ。頑張るんだね」

「あ、明日だって?」

 驚嘆する小比奈を前に僕は動きを止める。聞き間違いではない。防衛省に行くのは明日。影胤はそんなこと一言も言っていないが、わざとだ。明日まで鍛錬を続け体調を崩した状態で防衛省へ向かう自分の姿を思い浮かべ、僕の全身は脱力感に包まれる。やってられるか。

 僕は乱暴にソファーへと座りかかる。柔らかな座り心地が荒れたり悩んだりと忙しない心を落ち着かせる。

 明日までここを僕の根城にしてやろうか。

「さすがに明日までやってらんねーよ。くそっ、やる気が萎えちまった」

「もうやめるの? じゃあ暇だよね、やり合おうよ」

 何が『じゃあ』だ。何が『やり合おう』だ。長年付き添っても小比奈の会話のペースにはたじろぐはめになる。彼女は起から結へと過程をすっとばして話してくる上に相手がそれに合意していると思ってやまない傾向が見える。承と転の存在を忘れてやらないでほしい。

 丁重にお断りして本でも読みたい気分ではあったが、この短時間の間で僕は小比奈を二度も退屈させている。仏の顔も三度までというが、彼女にはそんな寛大な精神は宿っていない。後が怖いので僕は了承する。

「……わかった、じゃあ特別ルールありでやろうぜ。場所はこの室内、そして室内に一つも傷をつけてはいけない。どうだ?」

 この付近で僕たちが自由に暴れることができる場所はない。どこでやっても誰かに見られてしまうだろう。このスイートルーム以外では。

 クライアント、――菊之丞が特別に手配したためにほぼ僕たちの家と化したここでなら自由に戦える。傷跡をつけてしまうと後処理が面倒極まりないために僕は特別なルールを課した。

 小比奈は僕の提案にいまいち満足できていない。今にも文句を言ってきそうだった。だがこの程度は想定の範囲内だ。僕は畳み掛けて小比奈から応諾の言葉を引き出していく。

「このルールが飲めないなら、僕は戦わない」

「むー……いいよ、それでやろう」

 僕は腰を落として『殺人刀(せつにんとう)伐折羅(ばさら)』の柄を握り、若干ぎこちなくも天童式抜刀術『涅槃妙心(ねはんみょうしん)の構え』を、小比奈は一対の小太刀を抜刀して距離を取る。

「蓮太郎、刀でやるの?」

「ああ、ちょっと試してみたいことがあるんだ」

 僕が試したいこと。それは菊之丞を倒すために急ごしらえながらに発案した僕だけの戦い方。天童式戦闘術と抜刀術を混ぜ合わせた戦術だ。

「ふぅん、試せたらいいね」

 ニタリ、と小比奈が薄気味悪い笑みを張り付かせたまま僕に向かって駆け出す。戦闘時の蛭子小比奈は小さな恐怖の塊だ。開戦の合図もなしに我先にと突っ込んでくるのは心臓に悪いったらありゃしない。事前に構えておいて本当に良かったと自画自賛しつつ眼前の斬撃に対して冷静な対処を始める。

 始める、だが読めない。剣を扱う者の大半以上はいづれかの流派を教わり、身に染み付いた型に従った剣の軌道を描く。当然、型に嵌った剣術ならパターンが存在する。僕はそのパターンを読むことに長けていた。長けていくように自分を鍛えた。しかし蛭子小比奈の剣に型など存在しない。全てが我流、全てが出鱈目、イニシエーターの恩恵を最大限に活かした無茶苦茶な彼女の動きは様々な型を変幻自在、それでいて気まぐれに使い分けているようなものだ。

 これを捌くにはパターンから剣の軌道を読むのではなく、目で追うしかなかった。己の動体視力を信じて身を捩り、後ろへ飛びのき、頭を下げ、スウェーを使って頬を掠めながらも斬撃の応酬を避ける。その間、僕は決して柄を握る手を離さない。

 刀を抜くことなく処理されたことに痺れを切らした小比奈が大振りの一撃を振り下ろす。好機が訪れた。

 必要最低限の動きで下がった僕の鼻を触れるか否かという絶妙な位置を黒々とした切っ先が駆け抜ける。攻勢に転じるには今しかない。

「天童式抜刀術一の型六番――」

 雷が走り抜ける速度にひけを取らない居合いを僕は放つ。これでも幼き日に見た本家のものと比べると遅いことに嘆きながら。

「――『彌陀永垂剣(みだえいすいけん)』」

『殺人刀・伐折羅』が鞘走る瞬間の鉄が擦れる音を確かに耳にした小比奈は大きく飛びのいてこれを避ける。分かっている。僕の未熟な剣技が常人より遥かに優れた反射神経と身体能力を持つ彼女たちに通用するはずがない。ここからだ。

 振り切った刀を僕はそのまま後方へと投げ、床を蹴り小比奈へと肉薄する。

「――『焔火扇(ほむらかせん)』」

 これには小比奈も目を見開いて驚愕する。だが彼女は予想外の出来事に気をとられ戦闘から意識を逸らす愚か者ではない。着地と同時に横っ飛びして僕の追撃を紙一重でかわす。知っている。僕は小比奈を追いながら左腕を床と平行になるように伸ばし、背後から迫る物体を掴む。

追撃の際に投げた『殺人刀・伐折羅』だ。ブーメランじみた軌道で半楕円を描きながら僕の手元に戻ってくるように投げられたそれは予定通り僕の左手に握られる。曲芸じみた技術ではあるが、僕にとっては立派な戦法だ。

 刀身を鞘に戻し、僕は二度目の『彌陀永垂剣』を繰り出す。小比奈とは距離があったが、刀のリーチがそれを帳消しにする。白刃は小比奈の首元にぴったりと接していた。

「僕の、勝ちだな」

 溜め込んでいた息を吐きながら僕は納刀する。

 僕が刃を引いた途端、小比奈は力なくその場にへたり込む。まだ何が起こったのか完全に理解できていないようだった。

 急な思いつきではあったが、この戦法は僕に合う。確かな感触をじっくりと味わおうとするが、輝かしい何かが僕に突きつけられ余韻に浸れない。小比奈の眼差しだ。

「ねえねえ蓮太郎、今のどうやったの!? 教えて!」

 小比奈の無邪気な好奇心が僕から拒否という二文字を奪っていく。

 僕は子どもに甘いな。

 面倒ながらも僕は小比奈に技の仕組みを教える。どうせ体術に疎い彼女では実践で使わないだろうという慢心のせいか熱も入り、教えは何時間にもわたった。

 僕はこの時、考えもしなかった。この数週間後、蛭子小比奈が僕の編み出した技をアレンジして四刀流の剣技を物にすることを。




話がまったく進んでいない気がする…
次回、ついに進む気がします。

小比奈の剣って適当に振っているだけなんですかね……もう一回原作を読まなければ。


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4話『Rabbit in Your Headlight』

「なあ影胤、先日のアレ、やっぱり僕は納得できない。せめてやるならやるって言っておいてくれ」

「またその話かい、蓮太郎。君は随分と粘着質だね」

 三十二区の森を歩きながら僕が影胤に訴えていることは、先日の防衛省の件であった。

 

 小比奈が卓の上に立って挨拶をした時点で嫌な予感はしていたが、彼女が丁寧にお辞儀をすると、影胤は社長格の後ろに控えるプロモーターたちの方へ視線を向けた。僕が予め姿を隠していた場所だ。

「蓮太郎、君もだ」

 内気な性格をしている僕にとって、こんな大勢の前で挨拶をしなければいけないだなんて苦痛でしかなかった。だが、僕は素直にプロモーターの間から姿を現し、卓へと向かった。途中で何人かに高圧的な殺意のようなものを向けられたが、影胤の傍で生活してきた僕にとってそれはとても涼やかなものでしかなく、無視して卓の上へとジャンプした。

 僕が影胤の指示に従ったのはなにも彼が怖かったからではない、奴の反応を見たかっただけだ。

「里見蓮太郎、十六歳だ。見ての通り僕はなんの変哲もないただのガキだから、そこまで慎重に身構えなくてもいいぜ」

 どよめきの声は上がらず、ただ僕が何かしてこないかと注視してくるやつが大半だった。だからこそ、驚愕に顔を歪めた一人の男が僕の目に留まった。

 防衛省の会議室、そこに設置された特大パネルに聖天子と共に映っている男、天童菊之丞の姿が。

 僕が生きているなんて考えてもいなかったのだろう、彼は幽霊でも見たような表情をしていた。

 

 と、ここまではまだ納得できる範囲だった。この次に影胤が自分を新人類創造計画の一人だと名乗ることも。その次だ。

 影胤は会議室にプレゼントと称した箱を残すと、窓を割り、小比奈と共にそこから飛び降りた。影胤は体が改造されているし、何よりイマジナリー・ギミックを使えば着地の衝撃を抑えることができるだろう。小比奈はイニシエーターであると言えばもう説明不要だ。じゃあ僕はどうすればいい。ただの人間だ。かといって素直に降りて脱出だなんてできっこない。敵の数が多すぎるからだ。仕方なく二人に続いて飛び降りたものの、僕はすぐに後悔することになった。

 下から全身にアッパーを何度も繰り出すような風を浴び、ミスをすれば死ぬだろうなと思っている間に迫り来る地面。僕は黒い制服の裏側に隠してあったワイヤーガンを取り出し、身近な建物に向けて発射した。ワイヤーの先端が目標に突き刺さり、ターザンジャンプのように半弧を描きながらも、不時着を免れることができた。もしものために色んな道具を携帯していて良かったとこの時僕は強く思った。

 この時は安堵で一杯だったせいで特に何も思わなかったが、よくよく考えると、ワイヤーガンを持っていなかったら僕は死んでいたのではないか。その考えに辿り着いた途端、僕は影胤に謝罪の言葉をもらわなければ気が済まなくなっていた。

 一歩間違えれば死に繋がる案件についての言及を粘着質とは、影胤の思考も困ったものとしか言いようがない。

「すまなかったぐらい言ってくれたっていいだろ」

「パパ、あそこに敵」

 影胤は何の躊躇いもなく、小比奈の指差した方角へ二発発砲。銃弾はプロモーターの喉を貫き、イニシエーターの脳天を打ち抜いたのだろう「がっ」という男の声の後に、二度何かが倒れる音がした。これで十組目だ。

 その十組は、姿は確認していないが多分、会議室にいた民警たちだ。彼らはあの会議にて、聖天子から感染源ガストレアの持つケースの確保を命じられている。そのケースの中身こそ、僕らの計画に必要な『七星の遺産』なのだ。誰にも渡すわけにはいかないゆえ、こうして歩を進める途中で見つけた奴らは全て殺している。

 僕への対応が億劫に感じてきたのか、影胤はもう僕の訴えを聞いちゃいなかった。

 これ以上突っかかって彼の機嫌を損なうのは避けたいし、正直言ったところ影胤が謝ってくれるなんて思ってもいなかったので、僕の心の中でこの件は不問ということにした。

「おっと、どうやら一番乗りは私達ではなかったようだね」

「そうみたいだな」

 視線の先にいるのは一組の民警。感染源ガストレアの体液が滴っているジュラルミンケースを片手に持つプロモーターは特にこれといった特徴を持たない男で、モブキャラというあだ名が似合いそうな影の薄さをしている。イニシエーターの方は、憐れとしか言えなかった。

 癖のある髪の毛は伸び放題になっており、服はボロボロ、こちらに背を向けているため、後ろ姿でしか見えないが、彼女は孤独死しかけている兎のようだと感じてしまった。

 二人の浴びている返り血の量の差からして、戦闘はほぼイニシエーターだけで、いや、ほとんどの戦闘はあのイニシエーターが一人に任されているのだろう。服の傷は戦闘の際にできた切り傷のようなものだ。見ただけでも、すりむいたりしてできることはないとわかる。

「あのプロモーター、酷い奴だな」

「酷い奴ね、ヒヒッ、私達が言えたことではないだろう。それに蓮太郎、君は一歩間違えればあの酷い奴と同じような人間になっていたのに、よく言葉にできたね」

「その点に関しては、返す言葉もないよ」

 事実、僕は蛭子小比奈の存在が無ければ『呪われた子どもたち』のことは排他すべき下劣な生き物だと思い生きてきただろう。

 影胤に拾われてすぐの僕は、ガストレアは殺してあげるべき対象だと認識しており、その血を持つ『呪われた子どもたち』だってガストレアと同等に殺してあげるべきだと思っていた。だが彼女たちは生に絶望しながらも生に縋る。死を恐れていないようなフリをしておきながら、いざ目前に死が迫ると藁をも掴む思いで死から逃げる。そんな彼女たちを僕は嫌悪していた。 

 だが、蛭子小比奈が僕らの生活に参入してから、その考えは変わっていった。彼女たちはどうしようもなく人間だ。そこらを歩く有象無象と同じように笑うし照れるし泣くし拗ねるし面倒くさがるし、ただ異物の血も持つだけの人間だった。

 影胤にハンドサインで僕が行くことを伝え、なるべく音を立てずにプロモーターへ少しずつ迫っていく。過去の僕を見ているようで、どうも殺したい。この手で、脳髄を叩き割って。

 影胤は僕を止めることはなかった。銃を使えとの指示もしなかった。僕の非合理的な行為を見て楽しみたいのだろう。小比奈は獲物を盗られたことに少々ご立腹のようで、頬を膨らませている。後でどう宥めようか。

 僕の拳が届く範囲まで接近は成功した。どうやらプロモーターは社長にケースの回収の連絡でも入れているのか、携帯を耳に当ててその場から動かない。

 周りも確認しないだなんて、基礎もなっていない。それだけイニシエーターに頼り切りなのだろう。それなのに、あの仕打ちとは、怒りは黒々とした炎として徐々に僕の体を燃やしていく。

 これまた音もなく地を踏みしめ、丹田に力を込め、ストレートを放つ。

 『焔火扇』はプロモーターの後頭部に直撃するはずだった。だが、僕の目の前に突如として姿を見せた細い脚により回し蹴りが、僕とプロモーターの距離を離した。

 何が起こった?

 一瞬の間、理解に苦しんだ僕だったが、蹴りの衝撃で仰向けに倒れようとする僕の視界に映りこむ、空を背にこちらへと落下してくる憐れな少女を見て、思考は高速で回転。即座に仮定を立てる。

 イニシエーターの少女は近づく僕の存在に気づいていたという仮定が。

 そうであれば、あのタイミングで僕に蹴りを放った理由がつく。僕はあの時以外では一切隙を見せることはなかった。それすらも感じ取った少女はわざと僕に気づかないことにして、プロモーターへ攻撃する、唯一生まれた隙に割り込んできた。ああ、多分これだ。この仮定で間違いない。

 双眼鏡をズームしていくように近づいてくる少女の瞳にはどこか見覚えがあり、じっと観察していたかったが、そうなれば僕の頭は少女の履く、バラニウムの輝きをしたブーツで卵の殻のように脆く砕かれるだろう。

 僕は急いで身を起こし、落雷のごとき落下を避ける。

 プロモーターのほうは逃げ足だけは鍛えているのか、自分の身を守るためにケースを置き捨ててすでに脱走済みであった。

 少女もプロモーターに続き、銃でけん制しながらバックステップを繰り返し戦闘範囲から抜け出そうとしていた。

 そこへ、我慢の限界がきた小比奈が飛び込む。不規則な動きで繰り出される小太刀は、それに合わせて突き出された少女の靴裏と激突する。

「斬れなかった?」

 小比奈は驚愕の声をあげる。確かに、並大抵のやつならば今の一太刀の動きを読めないか速さに目が追い付かず、防御に失敗し死亡といったところだ。小比奈もその予想だっただろう。だが、それを少女は受け止めた。つまり小比奈の動きを読み取ったということだ。僕も思わず息をのむ。

二度、三度、小比奈は小太刀を振り下ろすが、少女は小比奈の全てに追いついて受けきろうとする。だが、ガストレアとの闘いで消耗していたのか、少女の動きはすぐに速度を落とし、やがて小比奈の連撃に耐えきれなくなっていった。

がむしゃらに繰り出した蹴りと小太刀の衝突により、少女はバランスを崩して地に伏す。

「結構強いね、でもちょっと物足りなかったかな。バイバイ」

地に伏した少女に、とどめを刺そうとする小比奈の凶刃の先が、落とされようとした時、僕は無意識に口を開いた。

「小比奈、殺すな!」

 僕の張り上げた声に驚き、小比奈は体をびくつかせた。その間に少女は僕たちに背を向けて敗走を始めた。少女は走ることを得意とする動物の因子を持っているのか、到底僕らでは追いつけない速度であっという間に姿を消した。

「蓮太郎、なんで止めたの」

 完全に怒っている声だった。間違いなく小比奈は不機嫌だ。彼女のご機嫌を取り戻すために、僕は彼女が喜ぶであろう言葉でその場を濁す。

「あいつは、まだ強くなる。小比奈ももっと強くなったあいつと戦いたいだろ?」

「うん」

「だから止めた」

「蓮太郎」

「なんだ?」

「その考え、とっても賢い」

「だろ」

 そんなやりとりをしている間に、影胤はケースを回収しており、帰路へ着こうと僕の横を通り過ぎた。その時に、彼は僕の耳元で囁いた。

「蓮太郎、君は本当に面白いことをする。君のことは見ていて飽きないよ」

 道化師の恰好をした男に道化扱いされるのはいかがなものかとは思いつつも、僕は彼の後を追った。

 スイートルームへと戻ってきた僕は、部屋に備え付けられた鏡を見て気づいた。

 少女の瞳は、僕の瞳を複製したようにそっくりだった。希望なんてないと思いながらも、希望を追い求める。破滅を正義としながらも安らぎを欲する。闇の中をひたすら歩き続ける者の瞳だ。

 僕の中で、あの兎のような少女こそが安らぎであり、彼女にとって僕こそが安らぎになるであろうという絶対的な自信と、彼女を自分の物にしたいという独占欲が生まれた。

 今回の依頼で、僕のするべき二つ目の目標だ。なんとしても彼女を、この手に。

 




大変お待たせいたしました。久々の更新です。残り二話の予定です。


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5話『アルクアラウンド』

 結果として、事態は僕の望むままに進んでいった。

 聖天子は情報のリークを抑え込み、作戦は最終手段、つまりはステージⅤを呼び出さなければならない状況となった。

 スイートルームをチェックアウトし、ホテルを出た僕たちは変装をしている。

 小比奈は白いワンピースを着て、顔を隠すように麦わら帽子を深く被っている。

 非常に不愉快で理解しがたいことに、僕は女装をさせられた。髪はウィッグによってロングにさせられたうえ、女物の服を着せられた。ネットで調べると、どうやら森ガールと言われるファッションスタイルのようだ。スカート特有の下半身がスースーとする風の感触に慣れずむず痒い。下着も女物にされなかっただけまだ救いがあるかもしれないが。

 着替えた後に、僕はフロントにある姿見で自分がどう見えるか確認してみた。勿論、オカマに見える場合、影胤に別の服を要求するためだ。

 悔しく、そして恥辱的にも僕の女装は完成度が高く、口さえ開かなければ可憐な女子に見えてしまう。今も生きていたとしたら、木更さんはこんなものが霞むぐらいに美しい女性になっていただろう。

 そう思うと、より菊之丞の殺意が高まってしまう。肩にかけたバイリンケースの中に隠れた伐折羅を握りしめたくなる。それから意識を逸らすために僕は隣を見やった。

 そこにはお前は誰だと問いたくなるまでに別人じみた変装をした影胤がいた。目立つのを避けるために、彼は当然のことながら仮面を外し、整った顔を外の世界にさらけ出していた。これが彼の本当の顔かどうかはわからないが。悪目立ちする燕尾服も着ていない。代わりに白いスーツの上に赤いロングコートを羽織っている。いつもの服装と比べても些細な変化だ。だが露わにした顔や髪の色と相まって、海外の俳優かなにかに見えてくる。まあ、正体はただの戦争狂でしかないのだが。

 雑踏を歩く人々に女装を趣味とする子とは思われたくない僕は、囁くように影胤に耳打ちする。

「悪い、少しばかり時間をくれないか。寄りたいところがあるんだ」

 ある物が必要だ、影胤がチェックアウトの手続きをする際に僕はふと思っていた。菊之丞殺害には必要のないものだが、どうしても僕には、というより彼女には必要なものだった。。

「どれくらいかかるんだい?」

 周囲に目を配る。目当ての場所はすぐそこ、二十メートル程先にあった。

「十分もあれば戻ってこられる」

「十分か……それなら問題ない。行ってくるといい。面白い見世物もしてくれたことだ。大目に見よう」

 彼の言う面白い見世物とは、十中八九で僕の女装姿についてだろう。また彼に弄ばされた。やはり彼には様々な点で勝てない。

「あ、り、が、と、な!」

 せめてもの反抗心として、感謝の言葉には怒気を混ぜておいて、僕は目当ての場所へ向かった。

 そこは高級感をまったく感じられない、いわゆる庶民的な安心感を持つアクセサリーショップだ。小走りで中に入ると、女性店員が明るい声でお決まりの挨拶を店内に響かせる。

 店員は奇怪な目を僕に向けてくることはない。どうやら僕を女装した男とは思っていないらしい。髭でも生やしてやろうかと自暴自棄になりかけてしまう。

 店内に置かれた商品は予想通りどれもリーズナブルなものばかりで、お小遣いといったものをあまり貰っていない僕でも何品か買えそうだった。

 右に左にと首を振り、購入予定のものを探す。それは、店の右奥に置かれた箱の中で群れていた。髪留めだ。僕は髪留めを探していたんだ。当然のことだが、僕の女装の完成度を高めるためではない。高めてたまるか。

 三十二区にて出会った兎のような少女の伸びきった髪は、留めてあげるべきだとつい先ほど思い立ったためだ。

 箱の中に入っている特価扱いされた大量の髪留めたちは、図鑑で見た蟻の大群を思い出させ、物色する気を減退させた。かといって、箱の外で丁寧に配置されている少しお高めな髪留めを買おうとは思わなかった。別に買えないこともないが、高いものなど贈ってしまえば向こうは気後れしてしまうのではないかと思ったからだ。

 嫌々ながらも箱の中に手を突っ込んで掻き混ぜる。じゃらじゃらと音を立てながら髪留めが底の方に追いやられ姿を消したり、逆に這い上がって姿を現したりを繰り返す。何度も掻き混ぜた末に、僕の目に一つの髪留めが留まった。デフォルメされた兎の顔が装飾された髪留めだった。

 これにしようと即決し、掴み取る。兎の無機質な瞳に見つめられ、人生で初めてプレゼントを贈るのが名前も知らない幼い少女だということを意識してしまう。気恥ずかしくなってきて仕方がなかった。

 早足でレジへと向かい会計を済ませると、店の名前が印字された袋に兎の髪留めを入れながら店員は僕に微笑みかけた。

「妹さんにプレゼントですか?」

 僕がつけるには幼稚なものだと思ったのだろうか。無言を貫くわけにもいかず、仕方なく裏声で僕は答える。

「え、ええ、妹が好きなんです、兎」

「優しいお姉さんなんですね」

 人殺しの男に優しいとは、見当違いも甚だしいところだ。

 手渡された袋を受け取って僕は、箱の外にあった立派な髪留めを思い出した。兎柄のものだった。もっと、彼女との親交を深めたら、それを買ってあげよう。

「また来ます。次は、妹と一緒に」

 店を出たところで、僕は気づいた。そういえば、ここは、東京エリアは後一日も待たずに壊れる運命じゃないか。

「六分二十三秒、割と早く済んだね、お姉ちゃん」

 二人の下へ戻ると、小比奈は影胤が目の前に差し出したスマートフォンの画面を見つめながら、正確に僕のタイムを告げる。ストップウォッチ機能でも使用しているのだろう。

 そんなタイムよりも、僕は小比奈の「お姉ちゃん」という言葉が引っかかり、顔を引きつらせていた。

「お姉ちゃんってなんだ、お姉ちゃんって」

「パパがそう言えって」

「あんたなぁ……!」

「そう怒らないでくれ蓮太郎、君の持つ天童菊之丞への殺意は強まりすぎている。肌で感じ取れるほどにね。これはリラックスさせるためのちょっとしたジョークだよ」

「この女装もか?」

「そうなるね」

 影胤の弁明に僕は納得できなかった。ジョークだとしても、もっと違うものがあるはずだからだ。もしこれが、この女装が影胤の精一杯のジョークだとしたら、ある意味でも彼はいかれている。

「で、僕たちはこれからどこに行くんだ?」

 影胤は悪戯そうに笑みを浮かべる。相変わらずこういうところだけは子どもじみている。だがその笑みに、戦争狂たる彼が喜ぶ何かがあると気づいた僕の全身に悪寒が走る。

「未踏査領域さ」

 宛のない遺書を、チェックアウトしたスイートルームに書き残したくなった。夏の日差しを浴びすぎたような、眩暈に似た錯覚を感じ、思わず手で顔を覆う。

 確かにステージⅤの召喚に未踏査領域は絶好の場所だ。ステージⅣと遭遇してもおかしくないあの場所は、その危険さゆえに計画を邪魔される可能性を大幅に下げる。だが、それだけ僕の死ぬ確率も上がるということだ。僕は、ピクニックに行くような気分で死地へと向かえる眼前の親子のように化物じみた力は持っていない。どこまでいっても、僕はただの人間でしかない。

「今日を僕の命日にするつもりか」

「安心するといい、君ならばあの程度、何の苦にもならないよ」

「僕はそんなに強くない」

 僕の発言は影胤の琴線に触れたのだろう。彼は鼻と鼻がぶつかる寸前の距離まで僕に顔を近づけた。居合いのような速度だった。彼の顔からは表情というものが消えている。だが、僕にはこれこそが彼の怒りなのだと瞬時に理解する。それほどまでに、僕は彼と同じように深淵に染まっていた。染まってしまったからこそ、理解したのだ。

「謙遜も過ぎると死に繋がることを知っておいたほうがいい。君はもう人を超越する力を持っている。今も張り付けている人の川を剥ぎ取り、鬼となりたまえ蓮太郎。人のままでは、刺し違える覚悟でも天童菊之丞には勝てないよ」

 心臓が訴えかけるように、一際強く、どくんと鳴る。僕の体も、鬼になることを望んでいるのかもしれない。

 

 未踏査領域の中の小さな街に辿り着いた僕達は、寂れ、思うがままに伸びていった蔓が壁のあちこちに張り付いている教会の中に、七星の遺産が保管されているジュラルミンケースを設置した。ジュラルミンケースの前には羽の生えた聖母を模した像が手を組んで祈りを捧げている。まるでステージⅤが訪れることを望んでいるようだ。

「さて、これで後はステージⅤを待つだけになったが、行くのかい? 蓮太郎」

 一仕事を終え、深く息を吐いた影胤は顔だけを僕に向けている。影胤の見た目はいつも通りのものに戻っている。小比奈も。そして僕もウィッグを外し学生服を着ている。変装はモノリス内だけで十分だったため、未踏査領域の中に入る時点で着替えていたのだ。

「焚きつけておいてよく言うよ。行くに決まってんだろ。奴の今どこにいる?」

「聖天子たちと共に第一区の作戦本部にいるだろうね。急ぐといい。ステージⅤが現れれば、彼は避難を建前にして君の手に届かないところまで逃げてしまうだろう」

「わかった。すぐ行くよ」

「蓮太郎」

 酷く生気のない声だった。影胤らしくない。

「んだよ」

「私にとって君は、大切な共犯者だ。死ぬことは決して許さない。必ず戻ってきたまえ。この場所で待っている」

 影胤は一枚の紙を僕に手渡す。そこには簡易ではあるが、わかりやすく描かれた地図が載っていた。東京エリアの一部についての地図だった。地図の中には、集合場所を示す赤い点がある。彼だけが知る安全地帯なのだろう。落とさないようにズボンのポケットの奥深くにしまい込む。

 それにしても、死ぬなとはなんと横暴な。僕に格上の相手と闘うよう画策したくせに。

 それは確約しかねるよ。そう僕が言おうと口を開いた途端、長椅子に座って足をぶらぶらと揺らしている小比奈が話に割り込んでくる。

「蓮太郎、お土産に前殺し損ねたあのちっちゃいの、よろしくね」

 参ったな、死ねなくなった。素直に僕は思った。

 当たり前のように「帰ってくるんでしょ?」といった風に言われてしまうと、ああ帰ってきてやるよと挑発に乗らなければいけない気持ちに駆り立てられるからだ。多分、影胤に難題を何度もふっかけられてきたのが原因だ。

 何かが引っかかる。そうだ、どうも先ほどの影胤の言葉には挑発といった感じがない。もしかして、僕を心配しているのだろうか。いや、それはない。彼のことだし。

「会ったら連れてくるつもりだけどよ、殺すのだけは絶対ダメだからな!」

 意味のないことを考えるのはやめ、小比奈に釘を打っておいてから僕は全速力で第一区へと駆け出す。一瞬で遠くなった小比奈の声は、どこか不満そうだった。

 

 まずは未踏査領域から出ようと疾駆する僕は、急ぐあまり敵との遭遇をまったくもって考えていなかった。広葉樹の林を抜け、開けた視界の先には見覚えのあるプロモーターがいた。防衛省にて、無謀にも影胤に攻撃を仕掛けた男、そう、確か彼のとこの社長は将監と言っていた。はぐれてしまったのか死んだのか、どうやらイニシエーターはいないようだ。

 こいつ一人なら足を止める必要もないな。

「テメェ、確かあの野郎の……!」

 慌てて将監は自慢のバスタードソードを振り上げるが時すでに遅し。その間に僕は彼に肉薄。彼の右足を踏みつけ、肩から体当たりを繰り出す。

――天童式戦闘術三の型九番『雨奇籠鳥(うきろうちょう)

 足を踏みつけられているために、後方へと衝撃を逃がせない将監は、振り下ろすはずであった大剣を空へ向けて手放してしまう。

 それを目視し、僕は跳躍。空中で将監の背後を取った状態で、僕は一緒に落下している彼の大剣へとオーバーヘッドキックを放つ。蹴った先はがら空きである将監の背中だ。

 ――天童式戦闘術二の型十一番『隠禅(いんぜん)哭汀(こくてい)

 外道の色に染まりきった僕の技が、将監の大剣を折る。柄の方は明後日の方向へ向かい地面に、刃先の方は将監の背中に突き刺さる。予想よりも深く刺さったようで、将監は吐血し、思わず倒れる。後はもう時間の問題だろう。

 着地した後の僕は、死に体となった将監に一瞥をやることなく、疾駆を再開する。また少しすると、明かりの灯った石造りの建物が見えた。防御陣地(トーチカ)だ。通り過ぎた際に背後から銃で奇襲されるのはごめんこうむりたいため、時間が惜しくはあるが、XD拳銃を構えて防御陣地の中へ僕は飛び込む。

 敵と思わしき者の細い足先が見えた瞬間に、そこへ向け発砲。ワンテンポ遅れて僕の眼前にはショットガンの銃口が現れる。相手の脚をバラニウム弾が貫き、痛みに怯んだのかショットガンの銃口は僅かながら上に傾く。僕は身を屈め、低姿勢の状態で姿も確認しきれていない敵に向けて突進し、その勢いで組み伏せる。

 敵の正体は先ほど、正確に言えば今頃死んでいるであろう将監のプロモーターである少女だった。名は知らない。少女は孤立しているところをガストレアにでも襲われたのか、腕から止めどなく血が流れていた。僕が脚を撃たずとも組み伏せられたかもしれなかった。

 本来の僕ならば、たとえイニシエーターであろうと敵ならば殺すところだが、少女の虚ろな瞳が兎の少女を想起させ、僕を躊躇わせた。

 少女が今も手に持つショットガンを無理やり奪い取ってそこらに放り投げ、XD拳銃の銃口を頭につきつけて反撃させない形にする。後は撃鉄を引くだけだった。そうすれば射出されたバラニウムの弾丸が少女の頭部を貫いてお終い。簡単なことだった。でも、それは兎の少女を殺すことに等しく感じ、引けなかった。

 僕は少女に銃を向けることは止めなかったが、組み伏せた体を離し、距離を広げていった。少女は訳がわからないといった様子で起き上がろうともしなかった。

「お前のプロモーターは殺した。プロモーターの道具として戦うイニシエーターのお前に、もう戦う意味なんてないだろう? さっさと帰りな。ってか、東京エリアから出て行け。ここはもうダメになる」

「どうして、私を生かすんですか? あなたの瞳は、躊躇なく他人を殺せる人の瞳をしているのに」

 心底疑問に満ちているといった声だった。それもそうだ。国家元首に向かってテロ行為を宣言した奴の仲間が見逃してくれるなんて、どういう風の吹き回しかと疑うのが普通だろう。

「兎と被って見えたから。多分、それだけの理由だ」

 曖昧な回答を残して、僕は防御陣地から去った。明確なものは、僕ですら持ち合わせてはいなかった。

 

 未踏査領域を抜け出した僕は、疾駆しながらも腕時計を見る。影胤が予想するステージⅤの現れる時間まで、後三十分もなかった。影胤の言葉がリフレインする。

『君の手に届かないところまで逃げてしまうだろう』

 それだけは、絶対に許してはいけない。天童菊之丞に、天誅を下さなければならない。殺意が、僕の最高速度を上げた。嵐の時に吹き荒れる、体を叩くような風と一体化した気分だった。

 




結構性癖が漏れ出してしまった回です。ですが蓮太郎にBL的趣向はないです。ロリコンですロリコン。次回、最終回予定です。


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6話『BANKA』

 もう誰も影胤を、ステージⅤを止められないと政府側は判断し、避難警報が出されたのだろう。半分パニックの状態で有象無象が僕とは真逆の方向へと走っていく。一区まで後僅かといった地点まで僕は来ていた。長年体を鍛えているためにスタミナには自信があったが、流石にこの距離まで走り続けると辛いものがある。横っ腹に感じる痛みに歯を食いしばりながらもペースを落とすことなく全力疾走を続ける。

 避難誘導をしている警官が僕を呼びかける声が聞こえた。どうやらその警官は人情味溢れる人のようだ。僕を心配しているのか怒鳴るように「そっちじゃない、死にたいのか」と叫んでいる。この大衆の中だ。僕が蛭子影胤の仲間であるなどと判別している余裕などないのだろう。

 だが余裕がないのは僕も同じだ。天童菊之丞を逃がすわけにはいかない。警官の優しい忠告を無視して僕は進み続ける。

 

 作戦本部に辿り着いた僕の体温は失意の底に落ちかけているために氷のように冷えていた。あまりにも静かすぎる。まるで、誰もいないようだ。違う、誰もいないんだ。

 恐る恐る僕は作戦本部の扉を開ける。中は、目が痛くなるほどに純白で、まるで建てられたばかりとも思えるのに、主がいなくなり幾百もの時が過ぎた廃墟のように空虚であった。

「天童菊之丞ォ! どこだァッ! 殺してやる、殺してやる、出てこいッ!」

 遅かった。逃げられた。一度のチャンスを逃した。そんな事実を受け止めきれない僕は、狂ったように叫びながらいくつもの部屋を見て回る。暴力的な感情に身を任せて開けた扉は、無残な姿と化している。これでは極貧生活に追われる空き巣と変わらない。

 ただこみ上げてきた激情を叫びすぎたせいで、喉は潰れそうになっていた。途中で僕の声とは気づけず、誰が僕の代わりにこの怒りを叫んでくれているのだろう不思議に思っていた。

 最後に残った一室、会議室を調べようと、扉を手にあてた瞬間、ぞわりと全身に鳥肌が立ち一歩退く。

「はっ、んだよ、そういうことか」

逃げていない。天童菊之丞は、この中にいる。僕を殺すという確かな覚悟を胸にして、この会議室で僕を待っている。思わず笑いがこぼれてしまう。

 焦る必要などどこにもなかったのだ。杞憂でしかなかったのだ。奴は初めから付き合うつもりだった。僕の復讐劇(オイディプス)に。

 改めて会議室の扉に手をあて、押す。ぎぃっと音を鳴らしながら開演されるはなんとも陳腐で杜撰な、殺人鬼による復讐をテーマとしたグランギニョル。

 会議室の中では、ライオス王よろしく僕に討たれるべき仇敵、天童菊之丞が森厳な面持ちで上座に座り、登壇する僕を見つめていた。

「久しいな、蓮太郎。信じられんかもしれんが、会いたかったぞ」

「気が合うな、僕も、アンタに会いたかったよ。木更さんを殺したアンタに」

「許しを請うつもりはない。だが蓮太郎、それには理由が――」

「黙れよ、理由なんてどうだっていい。結果が全てだ。アンタは木更さんを殺した。だから僕はアンタを殺す。これは何があっても変わらない」

 僕の啖呵を前に、菊之丞は悲しげに顔を歪ませた。その表情はどこか父親ぶっているようで、僕にとっては腹立たしくて仕方がなかった。どうしてアンタが悲しむ。

「忠告しよう蓮太郎。貴様では私には勝てない。それでもやるのか?」

「僕のことを何も知らないくせに、ほざいてんじゃねぇよ。前言撤回はない」

「そうか、ならば仕方ない」

 重々しく腰を上げた菊之丞はなんとも自然な動作で『百載無窮(ひゃくさいむきゅう)の構え』をとる。天地は永久無限の存在であることを意味する攻防一体の型だ。

「聖天子付補佐官兼天童家当主、天童菊之丞。お相手つかまつろう」

 間違いなく、菊之丞は戦闘態勢に入った。これより先、隙は一時も見せてはいけない。

 構えから見て、菊之丞が防御に徹していないと結論づけた僕は攻撃特化の型である『水天一碧(すいてんいっぺき)の構え』をとり、身体に溜め込んでいた息を吐き出す。限界量まで吐き出した直後に前のめりの姿勢になり地を蹴る。

 一瞬の間に菊之丞との距離を詰め、腹部めがけて『焔火扇(ほむらかせん)』を繰り出す。直撃するとは微塵も思っていない。だが、少しでも体勢を崩せればそこから僕の攻勢を続け、奴に反撃する暇も与えなくできる。菊之丞のペースに飲まれないことが僕の唯一の活路だ。

「鍛錬が足りていないな、遅すぎるぞ蓮太郎」

 次の行動の準備に入ろうと思ったところで、僕は右腕の感覚を失った。

「え?」

 天童菊之丞は、構えていた左手を振り下ろすだけの動作で僕の攻撃を阻止した。彼の手刀が僕の右腕を強烈な速度で叩き落としたのだ。

 感覚が戻るのと同時に僕の右腕に激痛が走る。痛みのあまり瞬間的に麻痺していたと気づいた時には何もかも遅かった。

 手刀に続き、胸部に向けて放たれた掌底により僕の体はふわりと小さく浮かぶ。無防備になった僕は、寸分も狂いなき『隠禅(いんぜん)黒天風(こくてんふう)』により矢のように蹴り飛ばされる。

 三つの長机を壊して僕の体は冷たい壁に叩きつけられる。少しの間、僕の背は蛸の吸盤と同じように壁に張り付き、その後はずるずると緩やかに滑り落ちていった。

 混濁した意識の状態で、なんとか顔を上げた僕は、護身用と思わしきデリンジャーを懐から取り出した菊之丞の姿に恐怖する。

 体に鞭を打ち、言葉通り死に物狂いで何度も横に転がる。盾となる長机の下まで辿り着いたのと菊之丞が発砲したタイミングはほぼ同じだった。弾丸は頭上を通り、壁に着弾。意識が薄れていく心地よさに全てをゆだねていれば、今頃僕は永遠の眠りについていたと考えると気が気ではなかった。

 正攻法では勝てない。かといって手榴弾など小道具を使おうとも、あのスピードだ。作動する前に僕はまた吹き飛ばされるだろう。用意するだけ無駄だったのだ。必要のないものを全ておざなりに捨て、身体を軽くする。

 残った方法は一つ、ノータイムで作動する小細工を仕掛けることだ。

 取り出したサバイバルナイフで左の掌を深めに切りつける。歯を食いしばっても声が漏れてしまうほどに痛いが、何もせず死ぬよりは良い。

 鮮血が溢れ出そうとしているところで、僕は意を決し長机から飛び出そうとするが、足が動かない。

 足をやられた? まさか、そんなはずはない。ならばどうして、菊之丞は何を――

 全身が氷になったように冷たくなった。ああ、そうか。怖いんだ、あそこまで殺したくて仕方がなかった天童菊之丞が、怖いんだ。死が、そのまま形として僕の目の前に現れたみたいで、怖くて怖くてしょうがないんだ。誰か助けて、誰か。潰れかけた喉から幼い子どものような声が出そうだった。誰が助けてくれる? 僕を助けてくれる人がいる? 木更さん? 木更さんは死んだ。僕も死ぬ? 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない死にたく――

『鬼となりたまえ、蓮太郎』

 影胤の言葉が心の中で反響し、全ての不安材料が霧が晴れるように消え去った。

 後に残ったのは、目の前の敵を殺すという、確かな殺意のみだった。

 ただ一つの雑念もなく、菊之丞へと突貫を仕掛ける。ついさっきまでの恐怖が嘘のようだった。

「学習しないな」

「しているさ!」

 菊之丞は再び構えを取り、僕の攻撃を限界まで引き付けている。互いの攻撃範囲に入る直前、僕は握りしめていた左手を開き、投球するように振り下ろす。

 左手から放たれた多量の血が菊之丞の視界を潰そうと、彼の目へ向かって進んでいく。菊之丞は咄嗟に構えを解いて、血を振り払う。

 その間に僕は『殺人刀(せつにんとう)伐折羅(ばさら)』の柄に手をかけ、すぐさま鞘から抜き出す。

「――『彌陀永垂剣(みだえいすいけん)』ッ!」

白銀の輝きを現した凶器の切っ先が菊之丞の首元へと近づいていくが、辿り着く直前にそれは別の刀に弾かれる。勘か、それとも長年の経験によるものか、菊之丞は『彌陀永垂剣(みだえいすいけん)』を繰り出したのと同じタイミングで自らの刀を直上に向けて抜刀していた。

弾かれた衝撃で退く僕に反して、菊之丞は微動だにしていない。まるで長い間根付いている大木のようだ。この短時間の間で何度目かの圧倒的な力の差をまたもや実感する。

 だが、それがどうした。それを理由にここで諦めて死ねというのか。できるわけがない。ではどうするか。じっとしていれば反撃をくらう。今から退いても距離を詰められてやられる。僕には攻め続けるしか道がなかった。アレを殺すにはそうするしかない。

 弾かれた伐折羅はそのまま上空に放り投げ、全身の力を一瞬抜いて退く体をそのまま倒れさす。地と接する間際にネックスプリングで跳ね起きる。跳ね、宙に浮いている間に半回転し、頭を下にした体勢に。咄嗟の判断ではあったが、瞬時に終えたこの一連の動作に迷いはなかった。

「『隠禅(いんぜん)哭汀(こくてい)』ッ!」

「『隠禅(いんぜん)玄明窩(げんめいか)』ッ」

 技と技がぶつかり合い、衝撃波が僕らを中心にして広がる。防がれた途端、僕は重なっている菊之丞の足を小突くように蹴り跳躍。

 それを見た菊之丞は再びデリンジャーを取り出し発砲。上昇していく僕とは反対に落下していた伐折羅を奪い取るように掴み、神経を研ぎ澄まし、迫り来る銃弾を斬り落とす。

 上昇が終わり、自由落下が始まったところで、僕は伐折羅を鞘に納め、体を何度も回転させて勢いをつける。

 幾度の回転を終えたところで、伐折羅の柄に手をかける。

――天童式抜刀術の一の型一番。

「『滴水成水(てきすいせいすい)』ッ!」

 雷のごとく速度で抜き放たれた伐折羅を、菊之丞は背後に飛んで回避する。しかし、『滴水成水(てきすいせいすい)』を放った理由は菊之丞に直接当てるためではない。僕の目論見に気づいたであろう菊之丞は防御するように両腕を上げている。

 直後、先ほどまで菊之丞が立っていた床が炸裂。剣の間合いを逸脱した、『滴水成水(てきすいせいすい)』の飛ぶ斬撃は床を破壊していた。

 菊之丞が飛び散る大理石のつぶてを耐えている間に着地。すぐさま帯刀しつつ疾駆、菊之丞の横を取る。がら空きの横腹目掛けて、射出寸前の弓のごとく引いた拳を打ち出す。

「『焔火扇(ほむらかせん)』ッ!」

 全てのつぶてを受け切った菊之丞は体をこちらへと向けて即座に技を放つ。

「『焔火扇(ほむらかせん)』ッ」

 洗練された技のモーションは驚異的な速度で、僕よりもワンテンポ遅れる形にまでズレを抑え込んだ。そしてその僅かな遅れによって、互いの拳は触れ合うことなくすれ違い、僕の拳は菊之丞の腹部を、菊之丞の拳は僕の胸部を襲う。

 互いが互いを吹き飛ばし合い、自然と距離が生まれる。僕も菊之丞も、こみ上げてくる血を吐き出しながら敵を睨みつける。その眼差しは、たった一週間ではあったが、血の繋がりはなかったが、確かに家族であったものに向けるものではなかった。

「馬鹿者が、天童式戦闘術を外道の技にしたな」

 息も絶え絶えに菊之丞は僕を叱りつける。どうやら、老いには勝てなかったようで、技や判断は一流でも、肝心の体は最初から崩壊寸前だったようだ。勝機が見えた、と僕は口角を釣り上げた

「アンタに説教される筋合いはねェよ、クソジジイ」

 このまま続けても良くて相打ち。一撃で決める必要があると考え、僕は『殺人刀(せつにんとう)伐折羅(ばさら)』を抜刀する。菊之丞も同じ考えなのだろう。彼も抜刀し構える。その構えは見たことがなかった。というよりも、構えとは言い難きものであった。刀を持つ手は、だらりと脱力し、下げている。戦闘の意思がないようにも見える。

 それに対抗するという訳ではないが、僕は菊之丞が見たことないだろう構えを取る。半身になって刀ごと腕を振り上げた、抜刀と同時に斬り下ろすような攻撃法につなげる型だ。

「蓮太郎、なんだその構えは……」

 呆気に取られていると思ったが、声色は真剣味を帯びていた。未知の存在に対しての脅威を探る、そんな言葉だと認識した。

「こいつは天童式……いや、天童のものじゃねぇから、無式ってのが正しいな。無式抜刀術『龍虎双撃(りゅうこそうげき)の構え』って名前でさ、机上の空論かもしれねぇけど、もし僕の推測通りの効果を発揮するなら、アンタを、影胤さえも殺せる、僕の編み出した型だ」

「……そうか、ならば全力を以て参るとしよう」

 心臓を握りしめる一陣の風が流れてきた気がした。だが、それは風などではない。菊之丞から感じる圧の塊だ。トップギアまで上げていたくせに、菊之丞は上限値を超えてさらに一つ上のギアへ上げてきた。

 緊張はない、恐怖はない、憎悪も今はない、汗は一滴も流れていない、かといって清々しい気分でもない、ただ、『アレ』を殺すという、僕自身が定めた使命を全うすることしか僕の中にはない。だって、今の僕は人ではなく、ただ人を殺すだけの鬼だから。だけど、おかしいな。違和感が突如として生まれる。何かが、欠如しているような、そんな違和感が。

「いざ」

「尋常に」

 踏みしめる足先の力が、僕も菊之丞も強まっていく。

「「勝負ッ!」」

 床を蹴り、爆速で駆け出す菊之丞。しかとその姿を見逃さず、目線は追い続ける。人が一人分ほどの距離まで縮まったところで僕も床を蹴り、駆ける。

 その時、僕の中の体感時間が壊れる。十秒経てども、一分が過ぎようとも、目の前の菊之丞がぴくりとも動かない。僕も同様に動かない。刹那が永遠にまで引き延ばされている。

 どういうことだ? と訳が分からず困惑していた僕の脳裏で、昔の記憶が映像として流れ始めた。走馬燈というやつだろう。とすれば、僕はこの後負けて死ぬのか。

 どうせ死ぬのなら、じっくりと鑑賞してやろうか。脳裏にて上映される映像をゆったりと眺めるために、脳裏の中の僕はソファーのような客席に座り足を組み、頬杖をつきながらスクリーンを眺めた。

 本当に、本当に懐かしい記憶だった。天童の家に引き取られ、びくびくと怯え、縮こまっていた僕に手を伸ばして、木更さんが自分のお気に入りであった花畑に連れてきてくれた時の記憶。

 木更さんの提案で、お互い相手のために花の冠を作ってあげることになった。スクリーンに映る幼い僕はどうやって作ればいいのかわからず、困って泣きそうになっていた。

 恥ずかしいくらい情けないな。

 幼い僕の惨状に気づいた木更さんが、自分の作業を中断して僕に一から作り方を教え始めた。口調は少し高飛車な感じだが、説明はとても丁寧だった。まるで姉のようだ。

「あ、で、出来た! 出来たよ、木更ちゃん!」

 形は歪だが、確かに花の冠は完成していた。幼い僕の作った冠を見ると、木更さんは目を閉じ「ん!」と言って、じっと何かを待っていた。

 幼い僕は鈍感で、それが何かを待っているということすら理解していなかった。

「き、木更ちゃん。何してるの?」

 木更さんは信じられないといった様子で開眼。ありえないといった感じで僕を睨む。

「冠は被せなきゃ意味ないでしょ! もう、鈍感な召使いなんだから!」

「ぼ、僕、いつ木更ちゃんの召使いになったの?」

「今、この瞬間よ!」

 ああ、木更さんはこういう人だったな。突拍子のないことをたまに口走るところが玉に(きず)な女の子だったな。

「しょーがないわね、私が手本を見せてあげる」

 そう言って木更さんは、いつの間にか完成させていた冠を幼い僕の頭に被せた。

「うん、似合わっているわ、可愛い!」

「か、可愛いって……うぅ」

 確か、この時の僕は「かっこいいの方が良いのに」なんて言おうとしていた気がする。だけど、仕方がなく飲み込んだ。だって、僕のことを可愛いという木更さんの見せる笑顔の方がもっと可愛かったから。

 可愛いと言われた気恥ずかしさと木更さんを直視できない気まずさを紛らわすために、幼い僕はふと思った疑問を木更さんに聞く。

「ねぇ木更ちゃん、この冠に使ってる花、なんて名前なの?」

「あ、それ? それはね、シロツメクサっていうの」

「シロツメクサ?」

「そう、それでね、シロツメクサの花言葉ってロマンチックなの。『幸福』『約束』『私を思って』『私のものになって』って。」

 シロツメクサの花言葉はそれだけじゃないよ、木更さん。『私のものになって』って約束を破ったら、シロツメクサにはもう一つの花言葉に変わるんだよ。

『復讐』に、変わるんだよ。

『復讐』の二文字が、感情となり、急激に増幅し、欠如した部分を埋め尽くす。

そうか、何もかも捨てるのは間違いだったんだ。僕は、ただの鬼にはなれない。狂気が足りないからだ。それを補うのが、僕の場合は『復讐』だったんだ。これは走馬燈なんかではなかった。僕を覚醒させるための、欠片探しの回想。

全てが現実に引き戻される。止まった時間も少しずつ動き出す。実際ならば音速に近い速度が出ているだろう菊之丞の剣さばきが、スローモーションの世界では、全て見える。

「――無式抜刀術零の型三番『阿魏悪双頭剣(あぎおそうとうけん)』」

 僕が放つ抜刀の一撃は下からすくい上げるように菊之丞の刀を弾く。そのまま間髪入れる間も無く二撃目に移る。二撃目には菊之丞もついてこられなかったのだろう。彼は防御も回避もできない。伐折羅の刃が菊之丞の右腕を呆気なく斬り落とす。

 交差が終わり、僕と菊之丞がすれ違ったところで、彼の右腕がぼとりと落ちる。

 痛みに呻くことなく菊之丞は残った左手で、右腕と共に落ちた刀を掴み、構えようとする。だが、それだけの隙が与えられている間に、僕は菊之丞へと振り返り、鞘走らせ、一瞬の内に鞘に戻す。技はもう完了している。

「――無式抜刀術零の型一番『螺旋卍斬花(らせんまんざんか)』」

 僕が技名を呟くと、菊之丞は諦めたように刀を鞘に戻した。

「私の、負けか」

「最後に、何か言うことはあるか」

「地獄で見届けさせてもらうぞ、貴様の見つけた答えを。貴様の『生きる』人生を」

「そうかい」

 復讐するは我にあり。

 パチン、と僕が指を弾くと、菊之丞の体が目の前ではじけ飛ぶ。できそこないの花の冠がバラバラになっていくのと似ていた。そういえば、花言葉を教えてくれた後、木更さんの作った花の冠は作りが甘くて、ほどけてバラバラになったんだっけ。あの時、木更さんは笑っていた。「私も里見くんのこと言えないわね」って言って。今、この光景を見たら、木更さんは笑ってくれるだろうか。

 頬に飛び散った菊之丞だったものの一部を叩き落とし、靴先ですり潰して作戦本部を後にした。

 

「お前……どうしてここにいるんだ?」

 作戦本部の前では、兎の少女が退屈そうに待ち構えていた。

「お前の仲間の、変な仮面を被っているやつに、ここへ行けと言われたからな」

 変な仮面被っている仲間……影胤のことだろう。彼が、僕のために生かしておいたうえに道案内までしてくれるなんて明日は世界が終わるのではないだろうか。いや、現段階で東京エリアは終わりか、笑えない。

「なんで逃げなかったんだ? 見たところ、監視されているわけでもないし、わざわざあいつの言葉に従わなくても良かっただろ」

「逃げるさ、普通の奴が相手ならな。だけど、アレは駄目だ。逃げたら地の果てまで追われて殺される」

 言葉にはしないが、十二分にその気持ちはわかった。同時に彼女の観察眼が異常なまでに性能が良いものだとわかった。

「そういえば、お前のプロモーターはどうした?」

「仮面のやつに殺された……それよりお前、私に話があるんじゃないのか? 仮面のやつからはそう聞いているぞ」

 そこまで言っていたのか。それ以前に、影胤は僕の考えがほとんどわかっていたのか。わかっているならわかっているって言ってほしいものだ。

 小さく溜息を吐き、決心をする。まるで告白の直前のようで、無駄に心臓の鼓動が速くなる。言葉そのものは告白に近いから間違ってはいないのだが。

「単刀直入に言う。僕は、君が欲しい」

「気持ち悪いな」

 玉砕であった。激戦の後のせいか、柄にもなく心が折れそうになる。

「嫌らしい意味で言ったんじゃない、僕のパートナー、イニシエーターになってほしいんだ。代価として、お前の願いは叶えられるだけ叶える」

「なるほど、それは悪くないな。なろう」

 即決であった。変に話が長引くのも嫌だが、一言で終わるというのもなんだか切ない。

「それで? プロモーター様の最初の命令はなんだ? この未来のない場所から連れ出してくれ、か?」

「いや、違う」

 僕はズボンのポケットから兎の髪留めを取り出す。

「この髪留めをつけてほしいんだ」

「私は着せ替え人形じゃないぞ、気持ち悪いな」

 今、心にヒビが入った。確実に。

「だからそういう意味で言った訳じゃなくてな、その、お前の髪、長いからさ、纏めたらどうかなって思ったんだよ」

「なるほど、だが悪いな、私は髪を留めたことがないから、どういった感じでやればいいのかまるでわからん」

「……僕もわからねぇ」

 しばしの間、僕と少女の周りが静寂に包まれる。それを破ったのは少女の笑い声だった。なんだか馬鹿らしくなって、僕も彼女に釣られて笑う。笑う度に負傷した部分がひどく痛んだが、構わず笑い続けた。ひとしきり笑い終えると、少女は土で汚れた人差し指で、笑い泣きの結果流れた涙をすくう。

「ふぅ、笑ったのは久しぶりだ」

「僕もだ」

 笑いすぎて筋肉疲労を起こした腹部を抑えて、青ざめた顔をしながらも同調の意を示す。

「ところで、プロモーター、お互い名前を言ってなかったな。私は藍原延珠だ。お前は?」

「僕は、里見蓮太郎だ。これからよろしく頼む、延珠」

「こちらこそ、よろしく頼むぞ、蓮太郎。で、これからどうする?」

「とりあえず、影胤から指定された場所まで行って、合流する。ああ、影胤ってのは、仮面のやつの名前だ」

「そうか、じゃあ早速行くとするか」

 そう言うと、延珠は僕の方へ手を差し伸べた。その姿が、酷く、彼女を、木更さんを思い出す。花畑へと連れて行ってくれたあの日、僕に手を差し伸べた木更さんの姿を。

『ほら、里見くん、行くわよ!』

「木更、さん」

 小さな、とても小さな、風の音にかき消されそうな呟きだった。けれど、延珠はそれを聞き逃さなかった。

「木更? 誰だそれは? 他の仲間か?」

「いや、好きだった人だよ」

「ふーん、そいつは可愛かったのか?」

 心なしか、延珠の機嫌が悪くなったような気がした。声も、少しばかり低くなったような気もしなくない。

「ああ、可愛かった」

「私よりも好きか?」

 自信過剰かお前はとツッコミを入れたかったが、そう言ってしまえば、僕よりも先に合流地点に辿り着いて一人で拗ねそうだと思い、言葉を飲みこんだ。

「僅差で、延珠より好きだ。初恋と思い出の補正が入っているからな」

「そうか……」

 延珠は顎に手を当て、目を閉じると「んむむむ」といかにも何か考えていますといった雰囲気を出し始めた。

「お、おい、どうした延珠?」

 僕が延珠の肩に手を乗せようとしたところで、彼女は答えに辿り着いたようで、開眼する。

「決めたぞ、蓮太郎」

「な、なんだよ」

「二年だ。二年以内に木更とやらより私を好きにしてみせる!」

 唐突な告白であった。延珠の告白によって呆気に取られた僕を、彼女はいともたやすく背負う。延珠は勝手に僕のズボンのポケットを探り、合流地点を記したメモを取り出す。

「この場所に向かえば、いいんだな。任せろ、すぐだ」

「あ、ああ。それより延珠、さっきの発言はどういう意味――」

 言葉を言いきる前に延珠は急発進する。ニトロエンジンで加速した車に乗っているのではないかと錯覚する速度だ。前方から押し寄せてくる重力に逆らい、延珠の顔を見る。先日見かけたものとは別人と思うほどに晴れやかな表情をしていた。僕も、彼女のような顔をしているのだろうか。

 

 

 この日、東京エリアは壊滅し、僕たちが引き起こした事件は歴史に名を残した。同時に、僕の人生が少しばかり変わった。

 藍原延珠との出会いにより、この先、僕の人生がどのように展開されていくかは、また別の機会に。

 




 これにて完結です。あっさりとしすぎだし二巻の内容はやらないのかとか自分でも思うのですが、正直東京エリア壊滅した場合、どうやって二巻の内容やればいいのだろうと迷い迷って思いつかなかったのが原因です。
 花畑のネタはコミカライズ版のブラック・ブレット三巻扉絵からです。あの世界に花畑とかまだ存在しているのだろうか。


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