落第騎士の英雄譚  兇刃の抱く野望 (てんびん座)
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プロローグ 思い……出した!

深く考えず、心をリラックスさせて質問にお答えください


 まず、全てを語る前に諸君に記憶を掘り起こしてもらいたい。

 

 思い出してほしいのは、諸君が今までに読んだ少年マンガやライトノベル、アニメの主人公たちだ。その中でも特に主人公が戦い、敵を打倒していく戦闘系が望ましい。戦場で、学園で、旅をしながらなど、戦う舞台はどこでも構わない。老若男女も貴賤も善悪も、主人公であれば何でも良い。

 何も特別な例を思い出すことはない。昨日見た、あるいは記憶に強く残っている彼や彼女。

 それを複数例も思い出していただけたのならばとても幸いだ。

 5秒から10秒ほど記憶の旅をしてもらえればそれでいい。

 

 ……思い出していただけただろうか。

 では、記憶に残る主人公たちをグルリと見渡し、そして質問に答えてもらいたい。

 

 

 

 

『その中に大鎌の使い手は何人いますか?』

 

 

 

 

 希望的観測を言わせてもらうのならば、1人が精々だろう。いや、むしろ現実は1人すらも思い浮かばないのが正常だと思う。

 言われてみて何人か思い出したという気遣いがあれば喜ばしいことで、中には「そんな主人公なんているのか?」と首を傾げている人もいると思う。脇役(サブキャラ)ならば何人かという人は、それでも充分嬉しいので感謝の言葉を述べたい。

 勘違いしてほしくないのだが、俺は何も答えられなかった人を責めているわけではない。この現状に嘆かわしいと感じてはいるが、決して諸君を想像力不足と詰っているわけではないのだ。本当に嘆かわしいが。

 

 ただ、現状認識をしてほしい。

 これこそ俺の愛する至高の武器――《大鎌》の現状なのだということを。

 

 多くの人々は主人公の武器や装備と見るや、刀剣や銃を持ち出してくる。この二つの武器は、いわばスポーツでいうところのサッカーや野球クラスの大御所だ。次点で槍か、武器を持たない無手だろうか。極稀に弓もいたりする。

 これには理由がある。剣と銃は派生の範囲が非常に広いためだ。

 銃はリボルバーに自動拳銃に機関銃に狙撃銃に果てにはビームライフルなど、新旧含めて種類が多い。それ故に“銃”という括りの武装を主人公が持つ可能性が高くなるのは必然だ。

 剣も同じく。ナイフから大剣、さらに刀の類(サムライソード)も剣の系列だ。加えてこちらは騎士や侍などが携帯していたこともあり、武装職とは即ち刀剣の使い手という意識が平民に刷り込まれているという歴史的背景も存在する。

 

 そしてこの武器界の大御所たちが占有しているのは、何もマンガやアニメといったフィクションだけの世界に留まらない。

 そう、伐刀者(ブレイザー)たちの持つ固有霊装(デバイス)にすらもそれは当てはまってしまう。

 

 《伐刀者》――それは己の魂を《固有霊装》と呼ばれる武装へと変化させ、体内の魔力を用い超常の現象を引き起こす超人たちの総称だ。

 新生児の約0.1%がこの伐刀者として生まれており、その戦闘力は個人差こそあれど常人とは比較にならない。強力な伐刀者を保有することは国家の軍事力にすらも影響し、科学の発展した現代でなお重要視される特異な存在なのだ。

 それがどれほど強力なのかというと、最高クラスともなれば単身で国を滅ぼせるといえば理解できるだろう。

 

 だが、伐刀者の基本的な情報など今はどうでもいい。問題は、彼らが顕現させる魂の象徴――霊装だ。

 この霊装は顕現したが最後、その後は記憶が飛ぶなどの滅多なことがなければ形状が変化しないという特徴を持つ。そして伐刀者が霊装を初めて魔力によって編み出すのは基本的に幼少期。

 そして顕現させる霊装の形状イメージは、基本的に身の回りの武器や装備が中心となる。

 これはつまり、世間を知らぬ子供たちにとって『魂の象徴となる武装イメージがほぼ固定されている』ということに他ならない。だからこそ剣や銃を持つ伐刀者ばかりとなり、そのほかのマイナーな霊装は駆逐されていくという宿命を背負っているのだ。

 

 

 そう、つまり大鎌は刀剣や銃のせいで滅びゆくことを強いられているんだッ!(半ギレ)

 

 

 許せることではなかった。

 大鎌という素晴らしくもカッコいい武器が、ただの農具としてその歴史に幕を下ろしてしまうことが俺には我慢ならなかった。

 そして決意した。世間が大鎌を忘れ去っていくというのならば、この手で思い出させてやろうと。

 大鎌とは草を刈ることだけしかできることはないのだと思い上がったメジャー武器の使い手どもに、大鎌(マイノリティ)の怒りを思い知らせてやろうと。

 そして何よりも、こんなにも美しい武器から「使いにくい」、「実戦的ではない」、「長物なら槍でいいじゃん槍で」などと安易な理由で他の武器に逃げる馬鹿者どもを粛正してやらねば気が済まない。

 大鎌の恐ろしさを世間に刻み込んでやる。

 

 ……という大鎌愛を抱きながら、“前世の記憶”に目覚めたのが3歳の時だった。

 そして記憶が蘇ると同時に気付く。

 

 

 ……ここ、『落第騎士の英雄譚』の世界じゃね?

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 《魔導騎士》――それは国際機関の認可を得た専門学校を卒業した伐刀者に与えられる称号である。

 北海道の『禄存学園』、東北地方の『巨門学園』、近畿中部地方の『武曲学園』、中国四国地方の『廉貞学園』、九州沖縄地方の『文曲学園』、北関東の『貪狼学園』、そして南関東の『破軍学園』――日本ではこの七つの騎士学校を卒業した者のみが魔導騎士の資格を得る。

 そして今年度もあと数日で4月を迎えようとする、今年度の末も末のある日。破軍学園の第三訓練場は熱狂と興奮に彩られていた。

 そこで今、学園の生徒たちは奇跡を目撃している。破軍学園の歴史に残る《無冠の剣王(アナザーワン)》の伝説の一端を、そして世界最高の潜在能力を持つ《紅蓮の皇女》の圧倒的な強さをその目に焼き付けていたのだ。

 

 ……が、大鎌至上主義の“彼女”には剣士たちの決闘など全く関係のない話だった。

 

 大鎌を振り上げ、そして振り下ろす。彼女は学園の敷地で独り、日課の素振りを行っていた。

 以前はマンガの影響を受けて本気で感謝の素振り一万回などを実行していた時期もあったが、流石に訓練の中で時間を食い過ぎたため今ではやっていない。しかし某会長のように拝む動作はしなくとも、感謝の念を一撃に織り込まなければならないという信念を彼女は心底尊敬していた。

 よって彼女の素振りは、その一つ一つに愛と感謝が込められているだけに常に流麗であり、荘厳であり、そして美しい。もしも読心能力の使い手がこの場にいたのなら、彼女の抱く感情に思わず涙を流していたかもしれない。

 感謝、愛、尊敬――そこにそれ以外の雑念など欠片も存在していない。練り上げられた信念は心臓の鼓動と神経の伝達を以って全身を巡り、腕を伝って大鎌の端々へと行き渡る。そして信念は技の冴えを加速させ、斬撃はやがて究極の一撃へと昇華してゆく。

 

 だが、まだだ。まだなのだ。

 

 彼女は大鎌の限界がこんなものではないと信頼している。これは妄信ではない。

 自身の霊装が、否、大鎌が叫んでいるのだ。もっと高みへ行ける、もっと自分は活躍できると。その叫びが彼女の身体を動かす。僅かに、牛歩よりも遅く、亀の歩みよりも遅く、水滴が岩を穿つかの如く、しかし着実に彼女を大鎌使いとして成長させていく。

 妄信ではなく、愛だった。そして信頼であり感謝だった。

 

 『憎んでいるものをどうして極められよう』――武術に対する姿勢において、彼女が手本とする言葉だ。

 

 この言葉は師に非才であると称されながら、それでもと叫び続けた一人の少年武術家のものだ。大鎌の修行に疲れ、道を見失いそうになった彼女はいつもこの言葉によって我に返っていた。彼は無手の武術家ではあるが、この言葉は天晴と言う他ない。

 そうだ。憎しみで武を極めることなどできない。信頼するからこそ、その武術に命を預けられる。それを自分が信じずして誰が大鎌の道を信じるというのだ。ここで挫折することなど、天地がひっくり返ろうともあってはならない。

 無論、彼女はまだまだ未熟だ。未だに大鎌の極みなど遥か彼方で、その頂上はあまりにも遠い。あるいは無限に続いていて、生きている内にその一端を垣間見ることすらも不可能なのかもしれない。

 

 ――だが、そのことが彼女には嬉しくて堪らない。

 

 なぜならそれは、大鎌の成長が遥か先まで約束されていることを意味しているのだから。

 果てが見えないのならば、その道程こそが大鎌の成長の余地であるということ。即ち、無限の可能性。これに歓喜することはあれど絶望する要素などまるでない。

 その幸福を噛みしめ、彼女は今日も大鎌を振り続ける。その心境はもはや悟りの領域に近く、武術家たちが精神的に目指す境地だ。武への曇りのない心に触れたのならば、武人であれば惜しみなく称賛したに違いなかった。

 

 もっとも、そんな彼女の一途とまで言える信念を知る者は少ない。

 

 多くの者は、彼女を修行狂いの戦闘狂と認識している。

 力を誇示し、そしてそれに溺れる不心得者。力なき者を守り、秩序の番人たる騎士として相応しくない外道の者だと人々は詰る。

 だが、彼女がそのような雑音に惑わされることはなかった。なぜなら彼女の大鎌への愛の前では、そのような言葉など大山を前にした微風も同然。揺るがせるどころか撫でることしかできはしない。

 ただ少女にとって幸いだったのは、その愛に対する理解を持つ者が最近になって現れたことだろう。

 

「今日も精が出るな、疼木(ひいらぎ)

 

 不意に少女へと声がかけられる。

 霊装の大鎌を構成する魔力が空気に解けていく。素振りを終え、タオルで汗を拭っている彼女に声がかけられた。その声の主に少女は顔を向ける。

 スーツ姿の麗人だった。名を新宮寺黒乃。現役のAランク騎士という最強クラスの称号を持つ伐刀者であり、同時に破軍学園の理事長である。

 そんな彼女が学園の片隅に現れたのは、何も暇潰しの散歩の最中に偶然足を運んだからではない。

 この《疼木》と呼ばれた少女に会うためだった。

 

「つい今さっき、新入生の《紅蓮の皇女(Aランク)》と黒鉄が模擬戦をしていたぞ? 実力者の試合はいい勉強になる。お前も見に来れば良かったものを」

「別に興味ないので」

 

 ニパッ、と少女は花の割れ咲くような笑顔を浮かべてバッサリと切り捨てた。

 その相変わらずな物言いに黒乃は溜息をつくしかない。彼女の大鎌に対する直向きさには感心させられるが、逆にこういった他の武器に対する頑固さには困らされる。

 出会ってまだ長くはないが、少女のこういった性格は嫌というほど理解させられているだけにこういった返事が来ることは予想できてはいたが。

 大方、Aランクの“剣士”という肩書を持つ新入生の皇女殿下に対して意地でも張ったのだろう。

 

「他人の戦いに学ぶことはもうないということか? それとも既にお前からすれば、あの程度は取るに足らない野良試合でしかないか?」

「流石にそこまでは思いませんけど、でも面倒臭いので」

 

 その口調と気配から黒乃に伝わってくるのは、その笑顔とは裏腹に濃色な無精さだった。

 黒乃が出会ってから、彼女は基本的に“こう”だった。力を追い求めることについては異常にアグレッシヴだが、それ以外のこととなると無関心といった反応しか見せない。

 

 大鎌の研鑽に人生を捧げた修羅――それが黒乃の知る疼木祝(ひいらぎはふり)という少女だった。

 世間が言うような刹那的な衝動に身を任せた危険人物ではなく、彼女は武芸に身を捧げた生粋の求道者だ。戦いはその過程でしかなく、そこにあるのは研鑽と普及という目的だけ。

 どちらにしても通常ならば狂人や世捨て人として社会から排斥されるのが普通ではあるが、しかしそれも成果を出したとなれば話は変わってくる。

 

 

 《七星剣武祭》の優勝という成果を。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 記憶が戻った当初、俺は凄まじく興奮していた。……などということはなくひたすらに困惑していた。

 何せ様々なネット小説の中でも一大ジャンルと言われる《転生》を直に体験してしまったのだから。

 ネット小説を読んだことがある人間ならば一度は妄想するであろう出来事が、リアルとなって己に舞い込んできた。これにテンションが全く上がらなかったかと言われると嘘になるが、それ以上に「マジかよ……」と呆然自失に陥ったのが本音だ。

 寝る前に読んだネット小説が偶然にも転生ものだったのが原因だったという夢オチを最初は期待していたが、数日が経ってようやく現実を受け入れた。

 そして気付いたのが、どうにも自分はこの身体の記憶もしっかりと持ち合わせている、いわばマジでオカルトなタイプの『私には前世の記憶があります』的な人間だということだ。実際、前世の記憶の中には若いながらも最期を迎えてしまった自分の姿がある。

 それに思い至ってしまった瞬間、主導権は逆転していた。

 即ち『俺は転生してしまったのか!?』という前世主導の意識から、『前世の記憶を思い出しちゃったんだぜ!』でテンションマックスな今の“私”の意識に。

 

 そう、私の今生の性別は“女”だったのだ。つまり分類的にはTS転生だ。

 気分的には「前世が男だった」という表現を使いたいところだが。

 

 そして意識してしまった途端、終わってしまった人生は仕方がないんだからその記憶を有効に使わせてもらおうかという発想に切り替わっていた。ついさっきまでは自分の過去として受け入れていた記憶がその後すぐに他人事にしか感じられなくなった私は、ある意味凄まじくドライな人間なのかもしれない。

 だが、前世と現世で共通しているものもあった。

 

 

 それは大鎌への愛だ。

 

 

 どうも前世の私が住んでいた世界には伐刀者は存在しなかったらしい。

 そして私の世界はライトノベルとして存在するフィクションの一つであり、大鎌が武器として使われる機会など本当にないに等しいらしい。

 しかし前世の私はその造形に惚れ込むと同時に、イラストや二次元の世界で活躍する大鎌に憧れていたのだとか。つまり前世の私は、今の私以上に大鎌が排斥されていた世界でそれでも大鎌愛を貫いた敬愛すべき“漢”だったのである。

 まさかの輪廻を超えた愛に私は驚愕し、そしてこれはもっと大鎌を広めろと神様が私に囁いているに違いないのだと確信して止まなかった。

 

 いや、本当のことを言うのなら、当時はもっと純粋な「この世界で大鎌がもっと皆に使われたらいいのにな~」という思いだった気がする。

 しかしこの世界にも存在した某インターネット掲示板で大鎌に対する誹謗中傷の嵐を覗き込んでしまってから色々と歪んでしまった。肉体に精神が引きずられた影響なのか、前世で培ったネットリテラシーと心の強度が当時は不足していたのだ。ネタであれ「大鎌が霊装でした伐刀者やめます」と書き込んだ奴は許さない、絶対にだ。

 それに加え、画面越しではない現実社会でも大鎌の地位が非常に低かったのも痛い。先達の伐刀者どもは霊装が大鎌と聞くや否や、「だったら魔術を重点的に鍛えればその程度のハンデは余裕でカバーできるよ!」などと悪意もなく言い放ってきやがる。

 あまりの屈辱に一週間はまともな睡眠を取ることができなかった。

 前世を含めて生まれて初めて奥歯を噛み潰してしまったほど、と言えばどれほどのものかわかってもらえるだろうか。

 

 何はともあれ、自分には幸いにも伐刀者として才能があった。つまり霊装という形で大鎌の雄姿を愚民どもの目に焼き付ける機会を既に得ていたのだ。

 故に自身が惚れ込んだ大鎌を武器に、大鎌愛と他の武器への反骨心を糧にして私はひたすらに鍛錬を積んだ。

 そもそも使う人間が激レアな大鎌を人間の中でもSSレア並みに珍しい伐刀者が使っている可能性はかなり低い。よって技術は独学で補うしかなく、足りない部分は槍術や棒術などの他の武器の流派へと泣く泣く頼み込んで補完させてもらった時期もある。正直、独学では限界があったのであの経験は非常に為になった。

 もちろん他の武器の使い手に頭を下げ、その者を師と呼び、その技術の一端でも糧にしなければならなかったことは大鎌至上主義である自分としては屈辱の極みだったことは言うまでもない。しかし修行に雑念が混じれば余計に教えを乞う時間が長引いてしまうため、一心不乱に私は技術を学んでいった。

 技術を授けてもらったという事実だけは素直に感謝するしかないが、ある程度大鎌を普及させたら絶対に大鎌の流派を起ち上げなければと心に誓った。

 

 そんな屈辱的な体験も後押しし、正直、幼少期は学校に行く以外は訓練、もとい修行していた記憶しかない。しかも学校に行っていたのも親の手前であり、内容など前世のおかげでスぺランカー以下の戦闘力しかないため授業中は隠れてずっとハンドグリップでギッチョギッチョやっていた。

 そして来る日も来る日も大鎌の霊装を振り続け、休憩しながらイメージトレーニングを行い、そして大鎌を振り続けるといった日常をひたすらに繰り返していた。

 また、魔術の修行も欠かすことができない重要な項目だった。もしも大鎌の腕を磨いたとして、しかし魔力制御がお粗末すぎて足を引っ張るなどという情けない結果で大鎌を汚すことなど私には到底できないことだったからだ。将来、「大鎌はいいけど使い手がね~」などと言われた日には情けない己への怒りとまだ見ぬ未来の大鎌ユーザーたちへの申し訳なさで全身の穴から血を流して憤死する自信がある。

 人並では許されない。大鎌使いの気高さと優秀さを周知するためにも、一切の妥協は許されない。血反吐を吐く程度ですら生温い。再生医療を用いてギリギリ修行に支障が出ない程度がベストなのだ。

 

 そんな生活を繰り返していた結果、中学に入る頃にはもうほとんど学校に行っていた記憶がない。

 

 当然ながら、孤独と苦痛によって心が折れてしまいそうになったこともある。大鎌などというロマン武器で強くなることなど不可能なのではないかと、挫けそうになったこともある。

 しかしそんな時は前世と現世で知ったマンガやアニメの鎌使いたちの雄姿を思い返し、そして例の掲示板の新たなスレッドで大鎌が受けている誹謗中傷を読むことで己の中の大鎌愛と反骨心を確認し続けた。

 よってこんな独学の大鎌ユーザーの心の師匠が誰なのかと問われれば、二次元世界の偉大なる戦士たちと掲示板に巣食う《お前ら》ということになるのだろう。《お前ら》の言葉がなければ自分はそこで妥協の道を選んでいたかもしれないのだから、そういう意味では《お前ら》には感謝していなくもない。

 

 そうして時間が許される限り、鍛えて鍛えて鍛え続けた。医療技術が発展したこの世界では、骨が折れようと腕が千切れようと完治させることができる。噂によれば新たに生やすこともできるのだとか。よって「死ななければ何とかなるから大丈夫大丈夫」と容赦なく己を追い込み続け、大鎌の技術を追求し続けた。

 そして大鎌の性能を知らしめるために時に伐刀者の公式試合などに出場し、同時にその技術を実戦で試すためにストリートファイトや乱戦や夜襲も辞さない勢いで道場破りや殴り込みを敢行し、戦って戦って戦い続けた。

 大鎌如きと見下す連中を圧倒する力を得るために鍛え、戦い、鍛え、戦い、また鍛え、さらに戦い、記憶が修行と実戦と血と汗しか残らないほどの月日が経った頃。

 

 

 気が付くと私は、日本に七つしかない《魔導騎士》の専門学校――破軍学園の生徒となり、一年生にして《七星剣王》の座を手にしていたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 《七星剣武祭》――それは騎士学校に通う魔導騎士の卵たちが出場し、己の強さを示し合う祭典。

 学生騎士たちはそこで一対一の試合をトーナメント形式で行い、勝ち残った学生騎士たちの中で誰が最強なのか決める年に一度の舞台だ。その覇者に与えられる称号こそが七星剣王なのであり、そして目の前の少女こそが昨年度の七星剣武祭を一年生にして制した、現在の日本で最も強い学生騎士なのである。

 

(見た目はだらしないながらも普通の女子なんだがなぁ)

 

 黒乃は内心で溜息をつく。

 こうして会話をすると感じるのが、七星剣王という名に見合わぬその圧倒的な名前負け感。

 160センチほどという女子としてはやや高めの身長はまだ良いとして、腰まで伸ばしっ放しの髪の毛に化粧っ気のない素顔。そして黒乃も先日知ったのだが、女子らしくない圧倒的な服のレパートリーの少なさ。私服の組み合わせを3種類持つ以外は制服しか着ないと聞いた時には流石に眩暈がした。

 生徒の私生活にまで踏み込むつもりはないが、これでは昨年度の七星剣舞祭で祝に敗れ去った者たちが浮かばれないだろう。実力だけは本物なのだから、後は私生活をもう少し改善してもらいたいところだ。

 唯一、愛想が良いことだけは評価できるが、営業スマイルでも隠し切れない無精さと他の武器への排斥思想がそれを台無しにしていた。

 内心で頭を抱える黒乃を、「試合ですけど」とあくまで笑顔で面倒そうに語り出した祝が現実に戻す。

 

「特に学ぶことはないかなぁ、と」

「ほう? 理由を聞かせてもらおうか」

「国際試合で戦うあの人を見たことはありますけど、スペックが馬鹿高いだけで剣士としては普通の一流です。それに“超一流”の黒鉄と試合をしても《一刀修羅》以外の手札を切らせることはできなかったのでは?」

「……まぁ、な」

「黒鉄は経験豊富で戦上手な感じでしたし、衆人環視で無駄に手札を晒す愚は犯さないでしょう。ならば行くだけ無駄無駄です。見る価値ほぼゼロです。素振りしていた方が建設的です」

 

 その言葉を最後に、「じゃ、失礼します」と少女は足早に去っていった。背中を見送る黒乃は苦笑を漏らす。

 それは極めて冷静な分析であり、同時に事実でもあった。

 黒乃が審判を務めた件の試合は祝の言う通りの運びとなって終結している。そこまでをシミュレートした上で、祝は見る価値がないと断言したのだ。

 あの場では試合の結果を番狂わせと称した者ばかりだったというのに、試合会場に足すら運ばなかった者にとっては当然の結果でしかなかったというのは皮肉なものである。

 

「全く……生き急ぎ過ぎだ」

 

 早々と去っていった彼女は、物見遊山という時間すら惜しんでいるのが黒乃にはわかった。

 文字通り強くなることに人生を捧げている彼女からすれば、他人の試合は『自分の糧になるか否か』でしかないのだ。

 もちろん、その高い意識が祝の強さを担う一端であることも黒乃は認めざるを得ない。しかしそれは彼女の長所であると同時に短所でもある。

 魔導騎士の専門学校という側面からすれば、彼女のような熱心な生徒は歓迎こそすれ忌むべき存在ではない。しかし一人の教師として見るのならば祝にはもう少し学生としての青春を謳歌してもらいたいと、むしろ謳歌させるべきなのだと考えていた。

 これは教師としての義務感であると同時に、先達の騎士として抱いた危惧だ。

 

 『力のために人があるのではない。人を活かすために力がある』

 

 この前提をはき違えてしまった時、人は修羅へと堕ちる。

 その道の先に待つのは、周囲を巻き込んだ破滅だけだ。

 

 しかし黒乃の先代の理事長はそれを全くわかっていなかった。

 

 あの修羅道へと突き進む少女の背中を押し、学園とその長である己の名誉と成果のために積極的に力を得るよう取り計らった。その先に得られる騎士学校としては最高の栄誉――七星剣武祭の頂を破軍学園のものとするために。

 その結果、授業免除などの特別待遇によって一層の力を得た彼女は、力の代償に青春と人間的に成長する場を一年間も失ってしまった。

 青春を失った――即ち彼女は“独り”である。友達を作ることもなく、授業も受けず、学園の行事に加わることもなく、ただただ七星剣武祭のためだけに学園に所属し、そして学園側も成果を出すことだけを彼女に期待していた。

 つまり彼女にとって破軍学園の一年生だったという記憶は、ただ資格を得るために訓練の場所を変えたという認識しか残らなかったのだ。

 

 何ということだ! 自分の愛したこの母校が、多感な時期の一人の少女に青春すらも与えなかったとは!

 

 赴任したばかりの黒乃は、業務の引継ぎの過程で愕然とさせられた。

 他にも黒鉄家との繋がりなどといった吐き気を催す事実はいくらでも出てきたが、例え本人が望んでいたのだとしてもあの少女を自分たちのために利用したということは許せることではない。

 赴任の過程で追い出した前理事長とその一党は、一つの学園を預かる人間として風上にも置けない連中だった。可能ならば眉間に風穴を開けてやりたいと本気で思ったほどだ。

 

「なに、まだ二年ある。私のシマでそう簡単に人の道を踏み外させはしないさ」

 

 段々と小さくなる背中を黒乃は見送る。

 自分が新たな長となった以上、もうあのような愚行をこの学園にさせはしない。彼女の道を正す――などという手前勝手なことを言う権利があるのかは黒乃にもわからないが、せめて違う道が存在しているということだけでも祝に示すことが理事長としての仕事の一つだと黒乃は痛感していた。 

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~

 

 

 素振りをしている時の私の状態を表すのに、これ以上の言葉はないと思う。

 このふわふわどきどきは癖になる。

 ただの素振りでここまでエンジョイできるのは、偏に大鎌への愛故に為せる技だろう。もしも弟子を持つ機会ができたら、素振りで心がぴょんぴょんできるようになるまで育ててあげたい。

 だが、そんな至福の時間もやがて終わりを迎える。残念ながら私は素振りマスターを目指しているわけではなく、大鎌の使い手として恥じない伐刀者にならねばならないのだ。なのでこの後は魔力制御の訓練に時間を回す予定である。

 

「精が出るな、疼木」

 

 そうして私が素振りを終えた時である。

 気配もなく背後から声をかけられる。思わず肩をビクリと揺らしそうになったが気合で堪えた。

 大鎌使いの癖に気配察知もできねぇのかよ、と笑われるわけにはいかない。これはいかにも「気付いていましたぜ」という空気を出さなくては。ただ言い訳させてもらえるのならば、これは相手が悪かったのだと言わせてもらいたい。

 声をかけてきたのは理事長にしてAランク騎士でもある新宮寺先生だった。

 今年から赴任してきた新理事長というやつで、修行しすぎて去年はボッチになってしまった私にも声をかけてくれる人格者だ。

 スーツをビシッと決めた彼女の姿は颯爽としていてカッコよく、デキるキャリアウーマン的な雰囲気が凄い。しかも見た目は若々しいというのに、これで経産婦だというのだから本当に詐欺だと思う。

 それとどうでもいいけど、精が出るってなんかエロく感じてしまうのは私だけ……?

 

「つい今さっき、新入生の《紅蓮の皇女》と黒鉄が模擬戦をしていたぞ? 実力者の試合はいい勉強になる。お前も見に来れば良かったものを」

 

 えっ、そうなんですか?

 普通に知らなかった。だってずっと修行していたから。

 そういえばさっきから訓練場の方で馬鹿みたいに魔力を撒き散らしている奴がいるなぁ、とか火柱ヤベェ、とか思ってはいたけど。でも、あれが試合だなんて誰も思いませんですやん。あんなの人間一人に使う魔術じゃないですやん。

 いや、ちょっと待て。このままでは新宮寺先生にいらん迷惑をかける。友達がいないので試合のことを知りませんでした、では余計に心配させてしまうだろう。

 

「いえ、別に興味ないので」

 

 困った時の営業スマイル。これで大抵の問題は対処できる。

 ちょっと声が震えていた気がするけど、たぶん気付かれていないはず。

 「勘違いしないでよね! 別に誰も教えてくれなかったわけじゃないんだからね!」というツンデレ風に答えてみるのも一瞬考えたが、きっと空気が死ぬだけだろうからやめておく。

 

「他人の戦いに学ぶことはもうないということか? それとも既にお前からすれば、あの程度は取るに足らない野良試合でしかないか?」

 

 いやいやいや、流石にそこまで思い上がっちゃおりませんよ?

 確かに剣士から技を教わるとか反吐が出ますけれども。でも大鎌の発展のためならば靴の裏でも舐める所存ですよ私は。

 まぁ、剣士の試合なんて見所がなければ知っていても行かなかっただろうけど。単純にメンドいし怠いし。

 

 そういえば模擬戦で思い出したが、私は去年の七星剣武祭で七星剣王の座に上り詰めている。

 

 最近はマスコミとかも全然来なくなっていたから忘れかけていたけど、当時の破軍学園の熱狂ぶりは凄まじかった。何せ優勝者を輩出したのは数年ぶりのことらしく、前理事長が狂喜乱舞していたのは記憶に新しい。

 そもそも私が騎士学校に入学したのは、その七星剣武祭で活躍することで大鎌の素晴らしさを全国中継させるためである。

 年に一度しかない大会であるため、その機会は私が破軍学園にいる間に三回しか巡ってこない。そのため私は死にもの狂いで学園に実力をアピールし、パフォーマンスとして上級生などを蹴散らしまくった。

 その結果として私は当時の理事長から特別待遇として授業免除などの特権を与えられ、来たる七星剣武祭のために特訓し続けた。

 そうして私は順当に大会を勝ち抜き、ついに七星剣王という地位を手にしたのである。

 これによって私は一躍有名人となった。雑誌やニュースで特集が組まれテレビにだって出た。そしてこれを好機と見た私は、練習した営業スマイルと前世で培ったコミュニケーション能力を総動員し、頑張って大鎌の良さをアピールしたのだ。

 その結果、私は――

 

 

 『欠陥武器というハンデを負いながら、それでも健気に戦い続けた悲劇のヒロイン』となった。

 

 

 おんのれマスゴミめェェェエエエエ!!!

 私は大鎌の良さを紹介したというのに、それが報道を通すとなぜか謙遜に謙遜を重ねた結果のように映っていた。「ハンデがあったけど頑張ればそれを覆すことができる!」とかいうお涙頂戴の茶番劇に成り下がっていた。

 いや、これもう立派な風評被害ですよね。印象操作もいい加減にしろよ告訴してやろうか。

 私は何とか事情を説明しようとしたのだが、世論の流れが影響してそれが世間に届くことはなく。そして季節はあっという間に過ぎ、気が付けば七星剣武祭の話題は下火となっていったのだった。

 まさか『ペンは剣よりも強し』とかいう表現をこの身で味わう日が来るとは夢にも思わなかった。今年こそは正しい情報を世間にぶちまけてやる予定だが、また三文芝居のような筋書きを報道されたら今度こそ告訴してやる所存である。

 ……いかんいかん、つい回想に走ってしまった。そういえば《主人公》と《ヒロイン》が試合した話だったな。

 

「試合ですけど、特に学ぶことはないかなぁ、と」

「ほう? 理由を聞かせてもらおうか」

 

 興味深そうに続きを促す新宮寺先生だが、すみません、半分くらい原作知識(カンニング)です。

 しかしもう半分にはキチンと理由がある。

 

「国際大会で戦うあの人を見たことはありますけど、スペックが馬鹿高いだけで剣士としては普通の一流です。それに“超一流”の黒鉄と試合をしても、魔力量の関係から《一刀修羅》以外の手札を切らせることはできなかったのでは?」

「……まぁ、な」

 

 やっぱり原作通りか。だが、原作知識を抜きにしても試合結果としては順当なところだろう。

 黒鉄とは去年、前理事長の計らいで試合を組まされたことがある。そのためその実力は知識以上に良く知っているのだ。

 その試合は何やら陰謀めいた裏事情があったとかなかったとかいう話を数少ない知り合いから聞いたが、その後すぐに私は授業免除を言い渡されて登校しなくなってしまったため彼とは殆ど会ったことはない。

 本当ならば原作の登場人物である彼にはちょっと興味があったりしたのだが、当時は《七星剣武祭》が近かったため準備にかかり切りとなってしまい接触できなかったのだ。そしてその後も、どうにも彼からは避けられているのか校内で遭遇したことがほぼない。あっても遠目に会釈する程度で、そそくさと去ってしまう。

 

 ……私、何かしたっけ?

 

 まぁ、何にせよ原作知識があるだけでなく、実際に試合をした私からすれば一度戦うだけでも彼の圧倒的な強さを知るには充分だ。

 彼の強さの理由を挙げるとすれば、真っ先にあれが挙がる。

 

 《一刀修羅》――身も蓋もないことをいうならば伐刀者版TRANS-AM(トランザム)だ。界王拳でもいい。残された魔力と体力を1分間で一気に消費し、時間内だけ自身の能力を爆発的に上昇させるという、凄まじく“試合向き”の能力である。

 

 これを始めとして、彼は数多くの武術の引き出しを持っている。総魔力量が絶望的に少ないというハンデを持つ彼は、それを武術を極めるという方向で覆そうとしたのだ。

 さらに敵の深層心理に至るまで読み取る分析力、そしてこれらを伐刀者との実戦レベルにまで引き上げた戦闘経験。

 例示した特徴からもわかる通り、彼は武術や戦闘能力そのものに特化しすぎている異端の伐刀者で、伸ばした方向が異色過ぎて『学校では評価されない項目ですからね』を地で行っている。

 しかし試験と実戦は全くの別物であるように、戦闘となれば彼は鬼のように強い。しかもこちらの攻撃は全て分析済みのため、攻撃がまともに当たりやしない。原作知識という反則(チート)があるにも関わらず、私も彼の卓越した武術には唖然とさせられた。

 そんな黒鉄であるが、昨年度は残念なことに原作通りに留年してしまったらしい。それでも腐らずに今年も一年生をやり直すと聞いている。

 せっかく強いのに勿体ないとは思うが、これも世の――メタなことを言うのなら作者さんの定め。諦めて受け入れてほしい。

 それにほら、結局のところ彼もどうせ剣士だし。私も原作云々とか知っているだけで鑑賞はしても干渉する気はないので、最終的には関係のない話だ。私に関係ないところで頑張ればいいんじゃないかな。私が卒業するまで七星剣王の座は絶対に譲らないが。

 何はともあれ、これで新宮寺先生への言い訳には充分だろう。

 これ以上話すとボロが出そうなので「失礼します」と小走りでその場を退散する。よし、完璧だ。新宮寺先生には今年からお世話になるし、これからも良好な関係を築かねば。

 

 さぁ! それじゃあ今年も七星剣王を目指して頑張りますか! 目指せ三連覇!

 今年こそ風評被害を取り除いて、大鎌の普及と宣伝に専念するぞ!

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 この物語は、メジャー武器である刀剣や銃の存在を逆恨みし、その使い手たちが気付かないところで勝手に下剋上の執念を燃やす一人の伐刀者の物語である。

 

 

 

 




大鎌というロマン武器が好きなので書いてしまいました
転生ものは久しぶりすぎるのでキーボードを打つ手が震える……


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ウチのヒロインがこんなに修羅なわけがない

 たくさんの感想ありがとうございます!
 本当は一つ一つにお返ししたいのですが、想定以上の感想を戴いたため返信が間に合わなくて本当に申し訳ありません。
 しかし戴いた感想には全て目を通していますので、これからも感想や誤字報告などを是非お願いします!


 この前書きを書き終わった後、お気に入りが1900件を超えていることに気付き絶句。
 これも人々の大鎌愛のなせる業なのか⋯⋯?
 本当にありがとうございました。



 賽の河原というものをご存じだろうか。

 

 これは三途の川にある河原のことであり、死んだ子供はここで両親を供養するために延々と石を積み上げ続けなければならない。最終的には石を積み上げて塔を作るのが目的なのだが、しかしその場にいる鬼が完成途中の塔を崩しては去っていくことを繰り返すため、子供はずっと石を積む作業を辞めることができないのだ。

 日本の文化を勉強する過程で偶然知ったこの知識を、なぜかステラ・ヴァーミリオンは朦朧とする頭で思い出していた。

 

「ぜはッ、はひゅ……、ぇほッ……」

 

 ただひたすらに呼吸が苦しい。

 肉体は限界を訴えており、もはや精神力だけで足を動かしているような状態だった。

 視界はもはや霞が立ち込めており、燦々と降り注ぐ日光は殺人光線に等しい。

 

(あ、あれ……? アタシ、今なに……をして……)

 

 そしてついに記憶にすら靄がかかったその瞬間、ステラは足を縺れさせてその場に倒れこんでいた。

 地面に身体が叩き付けられ、「はッ!?」と意識と意識が覚醒する。

 ステラは早朝ランニングの最中だった。

 

(そう、だ……確か一輝がランニングに行くっていうから、一緒について行って……)

 

 そこから先の記憶はあまりない。

 ただルームメイトの一輝に追いつこうと懸命に足を動かし、終わりの見えないランニングに絶望し、そして気が付くと地面に倒れ伏していた。

 恐らくオーバーペースが祟って倒れてしまったのだろう。

 あまりに無様な自分の姿にステラは乾いた笑い声をあげた。しかし笑うという動作一つで肺は悲鳴をあげ、笑い声は即座に咳へと姿を変える。

 今になって考えてみれば、何とも無謀な挑戦をしたものだとステラは思った。一輝は魔力の才能がないが故に、今までの努力を肉体の強化へと全振りした生粋の武芸者。対して自分は、一輝ほどの濃度もない訓練を魔術と肉体の両方へと回していた。これでいきなり一輝と同じことをしようなど、逆に彼に失礼だったかもしれない。

 一輝には途中で先に行くよう促したが、それで正解だった。自分に合わせてペースを落とさせては、彼に要らぬ迷惑をかけていただろう。

 と、その時だった。

 地面に横たわるステラの肌が、地面を伝わる小さな振動を感じ取った。一定のペースで感じるその揺れは、恐らく先程の自分と同じランニングを目的としたものだ。

 しかし疲労によって再び意識が朦朧とし始めていたステラは、起き上がろうと腕を立てることすらできなかった。必死に手足を動かすも、地面を転がるのが精一杯だ。

 そして足音はどんどんとこちらに近づいてきており、それに焦ったステラはさらに手足に力を籠めるが、今度は逆に力み過ぎて転んでしまった。あまりにも間抜けな自分にもはや涙すら出てくる。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

 声がかけられたのは、ステラが生まれたての小鹿のように脚を震わせて立ち上がったまさにその時だった。

 振り返れば、そこにはジャージ姿でこちらを心配そうに見つめる少女がいた。

 走りやすいように髪をポニーテールにした彼女は、まず蒼白いステラの顔色を、次に震える脚を、そして荒く吐かれる息を見やって全ての状況を悟ったらしい。

 苦笑しながら「肩を貸しましょうか?」と提案してきた。

 

「い、いえ……だいじょーぶだから、アタシはこのくらい慣れてるしッ、げほッ……」

「いやいやいや、呂律が回っていませんよ君。顔色も最終形態のフリーザ様みたいな色していますし。っていうか歩けます? さっきまでここに倒れていましたよね? 着ているジャージが砂利塗れなんですけど」

「うっ……」

 

 少女の正論にステラは呻いた。

 迷惑をかけないように遠慮したつもりが、逆に心配させてしまったらしい。不覚だ。

 その後、結局ステラは少女の言われるがままに肩を貸されて歩くこととなった。

 申し訳なく思い謝っても「いえいえ~」と流される。それを見たステラは、これが日本人の『和』の心かとちょっぴり感動する。

 少女は咳込むステラを気遣ってか、時折ステラの状態を確認したりこそするものの必要以上に話しかけてはこなかった。ステラも呼吸を整えるのに忙しかったため正直これはありがたい。

 また、彼女の歩みがステラに合わせられたゆったりとしたものだったことも助かった。日本は気遣いの国と噂には聞いていたが、見えないところにも心を配るこの精神こそが『OMOTENASHI』の心なのだろう。

 そして5分ほど歩いた頃だろうか。遠目に一輝と走り始めた学園の正門が見え始め、そこにステラを待ってキョロキョロと視線を巡らせる彼の姿を捉えた。

 

「や、やっと着いた……」

 

 思わず呟いたステラの万感が籠った言葉が届いたかのように一輝はこちらへと視線を移す。

 そしてステラの姿を見ると安堵したかのように表情を綻ばせ……

 

 そして彼女と共に歩いてくる祝の姿を見て表情を強張らせたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 日課のランニングをしていたら美少女を拾った件について。

 

 偶には違うコースを走ってみようと道を変え、脳内でアニソンのメドレーを流しながら軽やかに爆走していた時にその人物を発見してしまったのだ。

 遠目に見た時は驚いた。

 地面に軟体動物のように横たわった少女がビクンビクンしながら藻掻いていたのだから。前世で見たエクソシストという映画を彷彿とさせるその動きは、美少女補正を以ってなお気持ち悪かったと言わざるを得ない。これでブリッジでもされた日には間違いなくUターンしていただろう。

 しかし必死な様子で起き上がった少女を見た私は、すぐにそれが誰なのかわかった。

 燃えるような紅い髪に東洋人離れした顔立ち。そしてジャージの上からでもわかる超高校生級のボンキュッボンなグラマラスボディと来れば原作ヒロインのステラ・ヴァーミリオンしかいないだろう。

 前世の私だったら鼻の下を伸ばして彼女を凝視していたのかもしれないが、しかし生まれ変わって女性の視点を手にした私には「綺麗な人だなぁ~」以上の感想は出なかった。

 

 あと、これは全くの余談なのだが。

 心なしか私は性欲が薄いような気がしてならない。前世と現世で性別が違うことによる弊害なのか前世の記憶を持っていることのステータスなのかは知らないが、欲情というものを体験したことが私にはないのだ。

 以前、空いた時間で試しに老若男女のあらゆる人間の画像で好みを探してみたことがあるのだが、ピンとくる気配はまるでなかった。

 よって私は前世を知ってから初恋すらしたことがない。

 大鎌に熱中するためには全く構わないのだが、それはそれで少し人間として損をしていると感じなくもないのだった。

 

 話が逸れた。

 その後、私は原作の主要(メイン)キャラへのちょっとした興味もあって彼女を運んでいくことを提案していた。

 本心を言えば剣士なんてその辺の雑草でも食わせておけば体調なんて治るだろ、と思わなくもない。しかし今回だけは好奇心がそれを上回っていた。

 最初はステラも遠慮していた様子だったが、やはり見た目の通り身体は疲労困憊だったらしい。少し押すだけで素直に肩を預けてきた。

 そのまま彼女が連れ――たぶん黒鉄――と待ち合わせをしているという正門まで運んでいく。

 しかし運んでいる途中で気が付いた。

 

 何を話しゃいいんだ……?

 

 こちらは原作キャラのことを知っているが、実際に自分とステラ・ヴァーミリオンという少女は初対面なのだ。

 馴れ馴れしい態度を取って変な目で見られるのは嫌だし、かといってこちらが知るはずのないことを喋っても彼女に怪しまれるだけだ。

 下手に彼女と口論になって国際問題に発展した日には、もしかすると私の輝かしい大鎌ロードに傷をつけることになりかねない。

 そう思った私は彼女と碌に話すこともできずほぼ無言だった。時々様子を伺うように声をかけるのが精一杯で、それ以外は爆弾を扱うかのように丁寧に彼女を運ぶ。爆発して死ぬのが私だけならば構わないが、大鎌に被害が及ぶことだけは阻止しなければならない。

 そして気が遠くなるほど長く感じる時間を歩いた頃、ようやく目的地の正門が見えてきた。正門の前にはジャージ姿の黒鉄が佇んでおり、ステラを探すかのように辺りを見回している。

 やがて彼の視線がこちらに向き、ステラを見て安心したのか柔らかい笑みを浮かべた。

 

 しかし私と目を合わせるなり表情を引き攣らせたのはなぜだろう。

 

「……? なんだかイッキの様子がおかしいわ。ひょっとして貴女、アイツと知り合いなの? この時期に学園にいるってことは二年生か三年生よね? もしかしてクラスメイトだったとか?」

「同学年でしたし知り合いと言えば知り合いですけど、クラスは違いましたね。以前、彼とは前理事長の企画で模擬戦をしたことがあるのでその繋がりで少し」

「……前の理事長の? ふーん」

 

 納得したのかしていないのか微妙な声色でステラは頷いた。

 何ぞい、今の間は。もしかして、前理事長と黒鉄との確執についてもうステラはこの時点で聞いているとか? なるほど、それのせいで少しピリピリしているのかもしれない。

 しかし私は理事長から「授業免除のための試験をする」って言われたからノコノコ付いていっただけで、それで相手が黒鉄だったと言われただけというのが全てだ。裏の事情については何も聞かされていないのだから警戒されても困る。

 というか、その時の模擬戦は私にとっても()()()()()()印象深いものがある。

 文字とアニメでしか見たことのなかった黒鉄の分析力の極み《完全掌握(パーフェクトビジョン)》のヤバさを肌で感じ取ったという意味で。

 いや、黒鉄のあの眼力はマジで異常だって。見切りとか尋常じゃない。写輪眼でも持っているんじゃないの、アイツ。原作で桐原が黒鉄のことをイカサマ呼ばわりしていたが、本当にあれは反則だ。絶対に出てくる作品を間違えている。

 

「センパイ、もう歩けるから大丈夫よ」

「そうですか?」

 

 そんなことを考えていると、ステラが疲労の色を隠しきれない様子ではあったものの地力で歩き始める。

 つまり私たちは碌に話もしないまま、ついに正門に辿り着いてしまったのだ。内心では安堵が強いが、若干勿体なかったようにも思う。

 そしてステラは幾分か良くなった顔色で黒鉄に駆け寄っていった。

 しかしやがて踵を返すと、こちらへと戻ってくる。

 

「ここまでどうもありがとね、センパイ。そういえば自己紹介がまだだったから名乗っておくけど、今年からここに入学した一年生のステラ・ヴァーミリオンよ。センパイはアタシに気付いていたみたいだから、必要なかったかもしれないけれどね」

「これはご丁寧に。二年生の疼木祝です。よろしくお願いしますね」

 

 ツンデレお嬢なイメージばかりが先行していたが、意外と礼儀正しい。

 それもそうか。彼女の実家は小国の王家なのだから、挨拶などのマナーに対する教育は行き届いているのだろう。

 それに引き換え、さっきからこちらを何とも言えない表情で見ている黒鉄は何なのだね? ライトノベルの主人公が久しぶりに同級生の少女と会ったんだから、挨拶していたら転んでその子の胸にダイブくらいかませないのだろうか。リトさんを見習えリトさんを。王族に嫁ぐという意味でも彼は君の大先輩だぞ。

 もちろん私にそんなことをしたらダイブしてきた瞬間に息の根を止めるが。

 

「……イッキ? 大丈夫?」

「ッ……ああ、ごめんねステラ。少しぼうっとしていた」

 

 流石に見かねたらしいステラが黒鉄に声をかけるが、それでも彼は曖昧に笑ったままだ。

 それでも居心地が悪そうなままであるため、流石の私もここは空気を読んで退散することにした。

 まだランニングの途中だし、新学期が始まっていない今日は一日中好きなだけ修行することができる。この後はプールの中で素振りをする予定だ。腰まで浸かった状態で行う素振りの感覚はまた独特で、それ故に大鎌への愛を試すのに不足はない辛さを誇っていると言えよう。

 そうとなれば、こんなところで剣士なんぞと道草を食っている場合ではない。剣士どもがいくら草を食もうとどうでも良いが、私はそれほど暇ではないのだ。

 

「では、私はこの辺で失礼します。ヴァーミリオンさんはお大事に。黒鉄もまた新学期にお会いしましょう」

 

 その言葉を最後に、私はその場を走り去ったのだった。

 しかし、もうすぐ新学期ということは原作が本格的に始まるのか。そう考えると何だか感慨深い。

 それに前世の記憶を思い出してから既に10年以上経つが、それほど前に読んだ小説の内容を自分もよく覚えているものだ。

 まぁ、流石に隅から隅まで覚えているということはない。なんだかこんなイベントがあったような、こんな人物がいたようなということは薄っすらと覚えているが。

 ちなみに、プライベートの問題からあの二人がラブコメっている部分は積極的に思い出さないようにしている。いや、だってあくまで他人でしかない私が個人の趣味とか恋愛模様について首を突っ込むのはおかしいじゃん?

 これで私が男だったのなら「ヒロインを寝取ってやる!」とか考えたのかもしれないが、生憎私は女だ。そして大鎌に人生を捧げた大鎌至上主義者であり、NTRとかハーレムとかは本気でどうでも良かった。

 

 さて、そんなくだらないことよりも今は修行だ!

 まずはランニング30キロ! 血反吐が出るくらいのペースで行ってみよう!

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 走り去っていく祝の背中が見えなくなり、ようやく一輝は留めていた空気を肺から吐き出す。

 彼女がいなくなっただけで、一輝は周囲の空気が幾分か軽くなった様にすら感じていた。

 

「イッキ、本当に大丈夫? 途中でへばったアタシが言っても説得力ないけど、顔が真っ青よ。やっぱりあのセンパイと何かあったの?」

「……まぁ、去年ちょっとね」

「……さっきあの人から聞いたわ。去年、イッキがセンパイと試合をしたって。それも……その、前の理事長の計らいでって」

「あ~」

 

 心配そうにこちらを見上げるステラに、一輝は曖昧な返事をすることしかできなかった。

 だが、彼女と何かあったというステラの勘は正しい。事実、疼木祝という少女は一輝にとって忘れたくとも忘れられないと言えるほど大きな存在だ。

 

 

 何せ一輝は、彼女の手によって留年に追い込まれてしまったのだから。

 

 

 事の発端は一年前。

 一輝の実家である黒鉄家が、一輝の存在を疎ましく思い本格的に学園に圧力をかけ始めた頃の話だ。

 その時期になると学園側は一輝に対して裏から手を回して嫌がらせを度々行うようになり、時には彼らに嗾けられた生徒が一輝を決闘という名目で襲撃すらするようになっていた。一輝が反撃すれば「無許可で決闘を行った」と一輝を陥れるという魂胆があり、そのまま退学に追い込まれる恐れすらあったのだ。

 幸いにも一輝は一方的に攻撃を受けるばかりで一切挑発に乗らなかった。回避すらも戦闘行為と難癖をつけられる可能性があったため、全ての攻撃を受け続けた。この一輝の判断によって計画は失敗に終わったが、息のかかったその生徒は厳重注意だけで済まされてしまったのだから学園側の悪意は明らかである。

 こうして学園と一輝の水面下の戦いは熾烈を極めてゆき、ついに学園は『一輝が能力値に満たないため授業を受けさせない』というありもしない規則を用意してくることとなった。

 能力値のことを持ち出されては、生まれの才能であるため一輝にも抵抗することができない。まさか学園がここまで悪辣な手段を用いてくると思わなかった一輝は、ついに膝を屈することとなったのだが……

 

「だが、君にも一つチャンスをあげよう」

 

 そこに光明が差した。

 一輝を集中攻撃する当時の理事長一派の暴走を見かねたその他の教師たちが異論を唱え、それに閉口した理事長が一輝に最後の機会を与える運びとなったのだ。

 曰く、「騎士とは己の力で運命を切り拓くもの。ならばその力を示せば進級を認めよう」と。

 まさに千載一遇の好機だった。地獄に仏と言ってもよい。その光明に一輝は決起し、最後の最後で理事長たちは一輝の力を侮ったのだと抵抗した教師たちは歓喜した。

 だが、皮肉にも侮っていたのは教師たちだったということを後に思い知らされることとなる。

 理事長は嗤いながら一輝に告げた。

 

「力を示す――それは即ち強敵を打倒することだ。その相手として、我々は彼と同学年の疼木祝を指定する。二年生以上を指定しなかったのは、我々の厚意だと思いたまえ」

 

 今になって思えば、その厚意とやらに彼らの悪意がどれほど凝縮されたものだったのかがわかる。何せ彼女はこの後、七星剣王という地位を得ることとなる少女だったのだから。

 その少女について、まだ学園で一輝が村八分にされる前に噂は少し聞いていた。

 戦うことに狂い、暴力に溺れてしまった戦闘狂。強者であれば上級生であろうと噛み付き、学園の秩序を乱す札付きの不良。しかし、大鎌という霊装のハンデを持ち、それ故に荒れてしまったのではないかとも聞く。

 餓えた狼のような女――それが総じて彼女を知る者が口にした言葉だった。

 最近は学校に来ることもなかったため、一輝はてっきり退学になったのだとばかり思っていたが。

 そしてその条件が出された即日、一輝は彼女と闘うこととなった。

 一輝は事前に戦う相手を徹底的に分析する戦術家の側面も持つ。しかし理事長側は一輝に一切の情報を渡さないためなのか、理事長室でその条件を伝えられたその足で一輝は試合に臨む流れとなる。

 

 

 そして出会った少女は、餓狼すらも喰い殺す“修羅”だった。

 

 

 遠目に姿をみることはあっても臨戦態勢の祝の姿を直に目に映したのはそれが初めてだったが、普段の姿からではわからなかった彼女の纏う空気に一輝は慄かされることとなる。

 彼女の瞳は、餓狼の如くという荒々しい噂に反してまるで凪いだ海のような静けさを保っていた。しかしその奥には夜闇のように漆黒の深淵が広がっており、まるで一輝を引きずり込もうとするかのようにこちらを覗き込んでいる。

 あれが、あんなものが餓狼だというのか。

 否、断じて否。あれは畜生如きが放つ眼光ではない。

 では幽鬼か。

 それも否。彼女が放つ気配は、生者のみが持つ貪欲なまでの黒い活力。

 

 

 ならば……あれが“修羅”だというのか……!?

 

 

 それこそが“是”であった。

 力を、もっと力を――彼女の瞳は地の底から響くような低音で叫んでいる。

 戦を、もっと戦を――彼女はその力を得る戦場を求めている。

 血を、もっと血を――彼女は己の糧となる敵の血を欲している。

 それは極みの境地の一つ。強さに対する無限の餓えと果てのない闘争心。

 力を求めるその貪欲さは餓狼であろうと幽鬼であろうと噛み砕き、それが毒の海であろうと躊躇わず飲み干す。その果てに力があるのならば、喰らい尽くさぬ理由がない。

 

 修羅……これこそが修羅……!

 

 何が理由で力を求めるのかは知らないが、そのためならば常識など躊躇なく踏み潰す異端の中のさらなる異端。

 闘争の権化。

 不吉の象徴。

 健常な精神を持つ者ならば恐怖と嫌悪に震えてしまうその佇まい。そんな存在を前に、一輝は不思議と負の感情以外の不思議な何かを感じていた。よくわからない感情が一輝の胸を焦がし、目を離すことができなくなる。そして彼女に何かを、心が何かを叫びたがっているのだ。

 理解不能な感情だった。異様な空気に気圧されはしたが、これは恐怖ではない。この膨れ上がる不気味な感情に、一輝は同年代の伐刀者に対して初めて足が震えた。

 

 そしてその正体を理解したのは、激戦を終えた後だった。

 

 試合の詳細はあえて語らない。ただ、一輝は留年してしまったという結果だけが残った。

 しかし今後の学園生活がかかっていたということを差し引いても、彼女との闘いは非常に充実したものだったと一輝は今でも思っている。あの闘いは一輝にとって千金にも勝る貴重な体験だった。

 一輝の中での餓狼という前評判は、闘いを通して完全に覆されていた。彼女から伝わる全ての動きは、言葉にするまでもなく武と力への誠実な信念が伝わってきたからだ。

 信念を通すために武術を使う自分とは違い、彼女は彼女の武術を純粋に愛している。自分とは違う形で武術を極めようとする求道者なのだと一輝は言葉でなく心で理解した。

 そして同時に理解する。試合の前に祝に対して一輝が感じていたもの。

 それは『憧憬』だったのだと。

 

 

 戦っていた彼女は、常に美しかった。

 そして純真な歓喜の笑顔を浮かべ、闘いをこれ以上なく楽しんでいた。

 自らが傷つき、また敵を傷つけるという野蛮な行為を神々しいものへと変貌させるほどの、闘いへの感謝があった。

 

 

 ――こんな風に、自分も闘いだけを好きでいることができたら……。

 

 

 一輝は嘗て、曾祖父である黒鉄龍馬からとある信念を受け継いだ。

 『才能など人間の一部だ。だから才能がないからといって諦める必要はない』――この信念を他の人にも伝えられる人間になりたいと感じた。そしてその言葉を体現するためにこそ自分は諦めず、その言葉を非才な失敗者による負け惜しみに貶めないためにも自分は強くならなければならないと思ったのだ。

 故に、一輝にとって武術とは最終的に信念を押し通すための“手段”なのだ。

 しかし祝は違った。純粋に武術という力そのものを愛し、感謝し、そして楽しむ彼女は武術こそが“目的”に違いない。あるいは信念こそが武術であるのかもしれなかった。

 それこそが修羅であり求道者でもあるということ。

 諦める必要はないと龍馬は言った。それはつまり、諦めても良いのだという優しい言葉でもあるのだと一輝は考えている。

 

 しかし祝にとって信念とは諦めるものではなく、死んでも貫き通すものなのだ。愛しているから、感謝しているから、楽しいから――そんな武術のために死ねるのならば本望。むしろ死如きでそれを諦めるなどあり得ない。

 

 彼女の武術はそう語りかけるかのように鮮烈で苛烈だった。

 その在り方に、“武人”としての一輝は憧れた。

 彼にも細やかながら存在する磨き上げた己の武術への誇り。そしてそれを築き上げる過程で感じた喜びと達成感。己を育ててくれた武への感謝。強い敵と闘い、それを斃すことへの喜び。

 それらを彼女の在り方はどうしようもなく刺激した。

 もしも彼女のように武術以外のものを全て捨て去ってしまえたのならば、きっと一輝の抱えるコンプレックスや苦しみからは全て解放されるのだろう。その感覚は、まるで重い鎧を捨て去って全裸になるかのような解放感を与えてくれるに違いない。

 それは何と甘美な誘いなのか。

 

 ――でも、それは龍馬さんの信念を忘れ去るということになってしまう。

 

 目的を忘れ去り、手段に溺れることと同義だ。

 即ち、それこそ修羅の道。

 一輝の初志を考えるのならば、到底受け入れられない道だ。

 だが、それでも。一輝はその道に徹しきれるほどの鋼の精神を持っているわけではない。ほんの僅かな、それこそ魔が差すほどの小さな隙間。そこを祝の姿は通り抜けて一輝を刺激する。

 その感情を自覚して以来、一輝は祝とまともに顔を合わせることができなくなった。

 再び顔を合わせるだけでも、また彼女の在り方が己の“弱さ”を(つつ)いてくるようで恐ろしかったから。

 

(それ以来、偶に疼木さんを見かけても気まずくて避けるようになっちゃったんだよなぁ。実際、今日もかなり危なかった)

 

 実際、今日顔を合わせてみて一輝はそれを実感した。以前ほどの胸の騒めきはなかったが、それは彼女が本質を表に出していなかったからだろう。もう一度彼女の臨戦態勢を見れば自分がどのような感想を抱いてしまうのかは未知数だ。

 だが、彼女の近くにいるといつか憧れが信念を越えてしまいそうで怖い。

 だから一輝は彼女が苦手だ。この気持ちに一輝がケリをつけない限り、彼女と普通に会話することは難しいだろう。

 

(でも、今年こそは……!)

 

 一輝は知らず知らずの内に拳を握る。

 去年は高嶺の花でしかなかった《七星剣武祭》という舞台が、今年は決して自分の手の届かぬ場所ではなくなった。

 しかしその舞台の頂点に立つのであれば、自分はあの修羅を今度こそ精神的に乗り越えなければならない。

 静かなる決意を胸に秘めた一輝は、今日も己を鍛え続ける。今年こそは、この手に握る刀の霊装《陰鉄》があの修羅を斬り伏せることを信じて。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「そういうわけで、僕が一方的に彼女を苦手に思っているだけなんだ。今の理事長先生の話によれば、疼木さんはその企てについて何も聞かされていなかったようだし」

 

 一輝と祝の因縁。

 それを一輝は寮へと帰る道すがらでステラに語って聞かせていた。

 ただ、彼女に感じた修羅の気配についてだけは詳細を暈す。個人的な印象を話してしまえば、ステラが要らぬ偏見を持ってしまいかねないからだ。二人が出会う機会はこれからもあるだろうし、ステラに余計なことを吹き込みたくはない。

 あるいは絶対的な才能を持つ彼女ならば、彼女に対してもまた一輝と違った感想を持つかもしれないのだから。

 

「そうなの……何だか悪いことを聞いたわね」

「いや、構わないよ。それに、今となればあれも貴重な経験だったと割り切ることもできる。何せ疼木さんと戦ったことで、目標の高さを知ることもできた」

「目標?」

 

 可愛らしく首を傾げるステラ。

 それを見て一輝は、「ああ」と苦笑する。どうやら彼女は祝が何者なのかを全く知らなかったらしい。

 

「そうか、ステラは外国人だから知らないのかもね」

「外国人ってことは、センパイは日本だと意外と有名な人だったの? 何ていうか、見た感じは普通の女の子って感じだったけど」

「うん、凄い有名人だよ。何せ彼女は、去年の七星剣王だからね」

「…………は? ……えッ、あれが!?」

 

 七星剣王をあれ呼ばわりとは凄まじく失礼な物言いだったが、一輝も気持ちはわかる。

 戦いが絡まない場における彼女は、愛想が良いだけの普通の修行マニアだ。顔立ちこそ整っているものの、ステラと比べれば見劣りしてしまう程度でしかない。

 七星剣王と聞くと世紀末覇者のような雄々しい姿を想像してしまいがちだったステラからすれば、祝は色々と物足りなかった。

 

「でも、実力は確かだ。魔術の相性もあったけど、去年の決闘で僕は彼女に()()()()()()()()()()()しね」

「そんな……」

 

 驚愕の事実にステラは絶句した。

 Aランク騎士である自分すらもあしらった一輝であっても彼女に敗北したというのか。

 俄かに信じられることではない。

 しかしそれは紛れもない事実だった。試合の詳細は省くが、最終的に一輝の刃は彼女から勝利を捥ぎ取ることができなかった。

 

「彼女は強い。七星剣武祭の頂点に立ったのは偶然なんかじゃないよ。疼木さんは僕の知る限り、間違いなく最も強い学生騎士だ」

 

 ステラに語ると同時に、一輝は己にも言い聞かせる。

 彼女は、強い。

 だが、今度こそ勝つのは自分だと。

 七星剣武祭の出場者を決める代表選抜戦は近い。

 

 

 




一輝「勝つことができなかった(敗けたとは言っていない)」


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代表選抜戦編 私の大鎌は最強なんだっ!(集中線)

遅くなって申し訳ありません!


 七星剣武祭は成人した伐刀者たちで行われる大会である。

 

 伐刀者は国によって特別な制度を設けられており、15歳という年齢を区切りとして成人として扱われるようになると法律で定められている。

 よって騎士学校の学生騎士しか参加することのない七星剣武祭は自動的に成人しか参加できないこととなり、それによって14歳以下の伐刀者たちによって行われる大会とは一線を画するルールが存在していた。

 

 それが《実像形態》の使用を許可するというルールだ。

 

 《実像形態》とは《幻想形態》と呼ばれる状態と比較して使用される専門用語だ。

 この幻想形態の状態で魔術や霊装を使用した場合、それらから繰り出された攻撃は人体を傷つけることがない。それらのダメージは疲労という形で被攻撃者に蓄積され、結果的に無傷で敵を制圧することができるようになる。

 《実像形態》はその逆で、魔術も霊装も物理的な作用を以って人体に影響を与える形態だ。よって霊装で人体を切り刻めば血が噴き出し、炎を食らわせれば焼死体が完成する。

 以上が七星剣武祭で行われるルールの主だったものと謂えるだろう。それ以外は尋常な決闘と変わらない。定められたフィールド内で伐刀者が一対一で戦闘を行い、敵を戦闘不能にするか降参させれば試合終了だ。

 そしてそのルールは破軍学園で行われる七星剣武祭の代表選抜戦でも適用されている。

 

 霊装と霊装がぶつかり、戦意が激突したかのように火花を散らす。

 

 場所は破軍学園にいくつも存在する訓練場の一つ。

 アリーナの形状を取るそれらの一つの中央で、今まさに一つの決闘が行われていた。それを擂鉢状に囲むような形で配置された客席から歓声が上がり、場は熱気に包まれる。

 春を迎え、新学期と共に新たな一年生を迎えた破軍学園は今、七星剣武祭の代表選抜戦に燃えていた。

 新学期が始まったことにより開始された選抜戦。

 これまでの破軍学園になかった形として生徒たちに戸惑いを与えていたが、こうして始まってしまえばそれらの困惑は瞬時に払拭されていた。間近で見られるスリリングな光景、多彩な魔術と武器によって彩られる千変万化の景色、そして超常の異能者である伐刀者たちをして次元が違うとしか表現できぬ実力者たちの闘いに魅せられたからだ。

 行われるのは未だ一回戦。

 選抜戦に参加した有象無象を間引くための前哨戦だ。

 初日の試合は、嵐の前の静けさのように、しかしその強大な力を見せつけるものが見られた。

 期待の新入生(ルーキー)ステラ・ヴァーミリオンはその圧倒的な魔力と火力を見せつけ、相手はその実力差に慄き自ら膝をついた。

 そして無名のダークホースとして黒鉄珠雫という少女の名も挙げることができるだろう。名を聞けば察しが付くかもしれないが、この少女は一輝の実妹である。一年生でありながらBランクという地位を持ち入学してきた彼女は、水を操るという能力を用いて対戦相手を圧倒した。電気を発生させるという相性の悪い上級生を相手に、超純水を用いて全ての攻撃を防ぎきるという離れ業をやってのけたのだ。試合自体に派手さはなく、見応えはなかったかもしれない。しかし彼女が晒した実力の一端は確かに実力者たちの目に留まることとなった。

 そしてもう一人。有栖院凪という男子生徒がいる。

 彼もこの試合によって注目されるようになった一年生の一人だ。彼は『影を操る』という能力を持っている。その能力を用い、上級生を試合開始から10秒で封殺した。“影を縫い止める”という方法で敵を捕縛し、相手に何もさせないまま試合を完封したのだ。ランクこそDと平均的なものの、能力の応用力とその本来の意味での実力は計り知れない。

 

 では、二日目は。

 

 この日、最も注目される試合は誰の者かと尋ねられれば誰もが答えるだろう――桐原静矢の試合であると。

 彼は昨年の七星剣武祭の出場者だった。そしてCランクという高位伐刀者であり、同時に昨年の新入生首席の地位を持つ優秀な伐刀者だ。

 そして彼のもっとも特徴的とされる点が、“勝てない敵とは戦わない”というスタンスである。彼の五感によって自身の存在を察知させることができなくなる能力《狩人の森(エリアインビジブル)》とそれを用いた戦法は対人戦において無類の強さを誇る一方、狙いを絞らない広範囲攻撃(ワイドレンジアタック)などに対して極端に弱いという弱点を持つ。その弱点を桐原自身が最も知っているために相性の悪い相手が対戦相手となった際は戦わずに棄権してしまうのだ。

 その狡猾さと相性の良い相手を一方的に追い詰める狩猟的な戦いぶりから名づけられた二つ名が《狩人》。

 そんな間違いなく強者と呼ばれる部類の選手が注目を集めないはずもない。

 よって誰もがこの試合へと桐原の活躍を期待して見物に訪れていた。

 

 

 その()()だった。

 

 

 しかし今年に限ってはそうはいかなかった。

 対戦相手は黒鉄一輝――桐原以上の高位ランクであるAランクのステラを打倒したFランクという矛盾した存在。

 あらゆる能力値が平均よりも遥かに下回るという抜刀者としては決定的なハンデを持ちながら、それを努力によって覆そうと挑む異端の抜刀者。

 「天才とは持っているものが違うのだから仕方ない」、「努力はしたが、やはり天才には勝てない」という当たり前の道理を真っ向から否定する彼もまた、桐原とは違う意味で脚光を浴びている人物であった。

 

 その試合を多くの者が心待ちにしていた。

 

 ある者は強者たる桐原が、才能の差という運命を遵守して一輝を圧倒する見世物を望んだ。

 ある者は後に己が戦うかもしれぬ者――桐原と一輝の両者を平等にその目で見極めようとした。

 ある者は一輝の奇跡的な逆転を待ち望み、手に汗を握って彼の勝利を祈った。

 あるいは、ただ物見遊山で試合を見物しに来た者も多いだろう。

 様々な動機を持つ者が足を運び、試合が行われる第四訓練場は既に満席となって会場内に熱気を立ち込めさせていた。小さな騒めきがまた一つの騒めきを呼び、やがて全てを呑み込んだ巨大なうねりとなって会場を席巻していく。

 

 そしてその日、人々は魅せられた。

 

 Fランクの伐刀者が、魔術すらもまともに行使できない魔力量しか持たぬ弱者が、武術しか闘う術を持たぬ剣士が、対人戦最強と呼ばれる《狩人》を打倒するという奇跡を。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 やめて!

 黒鉄の《完全掌握(パーフェクトビジョン)》で桐原の人格を把握されたら、《狩人の森》で隠れている桐原の位置が見破られちゃう!

 お願い、死なないで桐原! アンタが今ここで倒れたら、勝ったらステラを彼女にできるっていう約束はどうなっちゃうの!?

 魔力はまだ残ってる! 《一刀修羅》の制限時間を耐えれば、黒鉄に勝てるんだから!

 

 次回、『桐原死す!』――デュエルスタンバイッ!

 

 

 昨日、原作一巻で最高の山場となる黒鉄と桐原の試合があったのだが、中身は概ねこんな試合だった。

 えっ? 大雑把すぎて試合の詳細が全くわからないって? 本当にこんな感じだったから大丈夫大丈夫。実際に桐原が死んでいないところまでこの予告の通りだ。

 見下されていた主人公が強敵を打倒することで周囲から見直され始めるというお約束の展開である。古今東西の物語にありがちなテンプレートと言っても差し支えないだろう。激闘を制した黒鉄には失礼な話だとは思うが、私がこの試合に抱いた感想は以上である。

 まるで見てきたかのように私があの試合を紹介しているのは、実際に観戦してきたからだ。

 私としては剣士と弓手の試合など欠片も興味がなかったため当初は観に行こうなどと全く思っていなかったのだが、ふと「原作通りに筋書きって進んでいるのかな?」と気になったので昨日はちょっと足を運んでみたのである。

 

 いや、別に原作通りだからどうこうっていうわけでははないんだけどね?

 

 しかしここに来て「原作知識というものはどれほど正確なのか」という素朴な疑問が私の中で鎌首を擡げてしまったのである。

 ついこの前の休日、原作によれば学園の近くにあるショッピングモールがテロリストによって占拠されるというアクシデントが起こるとあった。よって私は面倒ごとを避けるために学園から出なかったのだが、その日の夕方にはニュースで本当に事件のことが報道されていたのである。

 このことから私は原作の運命力とも言える力を改めて感じさせられた。そしてそれを利用すれば、いらぬトラブルやアクシデントをいくつか避けることが可能なのではないかと考えたのだ。しかしその事件を以ってしてもまだ私には原作の持つ運命力に確信が持てなかったため、その考えの材料を得るために黒鉄の試合を見物させてもらったのである。

 これで自分の記憶通りに試合が進んだのならば、確信しないまでも原作知識というものがかなりの精度を持っていると考えることができるだろうと。

 

 

 結論、原作知識ってスゲェ!!

 

 

 本当に私が記憶している通りに試合は進み、そして黒鉄は勝ってしまった。

 常識的に考えれば相性的に黒鉄が桐原に勝てるはずはない。コーラを飲めばゲップが出るくらい確実だ。だというのに黒鉄はその常識を覆し、そして原作の通りに勝利を収めていた。

 何も知らない観客たちからすれば予想外の奇跡と思えるのかもしれないが、私としては原作知識が正確過ぎて少々恐ろしくなったくらいである。時折、ネット小説で原作知識に従って筋道を極力崩さないよう細心の注意を払うという転生者の主人公を見たことがあったが、この光景を見せられればそれにも頷けるというもの。

 転生者(じぶん)という異物さえ存在しなければ、この知識はまさに完璧だ。

 そして物語のここぞという場面で介入しようという人物が存在したのならば、嫌でも慎重にならざるを得ないだろう。何せ詰めさえ誤らなければ自分は最高の栄誉と利益を得ることができてしまうのだから。

 

 まぁ、私にはあまり関係ないが。

 

 どうせこの『落第騎士の英雄譚』というライトノベルは業界の中でも特に短い期間についてしか描写のない作品だ。精々が今年の春から夏くらいまでで、そこから先はそもそも前世の私が生きている間は発売されていなかった。

 つまり未来の知識など半年先程度までしか存在せず、しかもその殆どが試合というスポ魂。そして前世で特に熱中したキャラクターもいないということから誰それと仲良くなりたいという欲求もない。よって私が原作知識に求めるものは、前述した不要なトラブル回避くらいだ。

 話が逸れたが、もちろん私も危機回避以外で原作知識を便利に思ったことくらいはある。例えば、原作に登場した伐刀者の能力を事前に知ることができたことが代表的だろう。伐刀者にとって恐ろしいのは“未知の敵”に尽きる。それを事前に知っていることは伐刀者として大きすぎるアドバンテージとなるだろう。

 

 ……私は登場人物の殆どとまだ出会うどころか名前すら聞いたことがないんですけどね。

 

 だってずっと修行していたし。わざわざ登場人物を探しに出るほど暇ではなかったし。よって原作知識のありがたみというものを今まで実感したことがなかった。なかったのだが……

 いや、しかしこれは確かに凄いね。何が凄いって全能感が。

 自分の知識通りに群衆が動くということがこれほど面白いとは思わなかった。確かに原作知識で転生者が調子に乗ってしまうのも理解できる。こちらの世界のネット小説で転生者が主人公の作品を見かけたら、これからは温かい視線で今後を期待してあげよう。

 

 

『二年・疼木祝さん。試合の時間になりましたので入場してください』

 

 

 スピーカーから音声が響き、意識が現実へと戻ってくる。

 暇だったために昨日までのことを思い返していた間に待ち時間が終わったらしい。

 安っぽい長椅子から「ヨイショ」と立ち上がった私は軽く伸びをしてから控室の扉を開いた。その先に続くのは薄暗い通路。そして眩い光を放つゲートだ。

 ゲートからは数えきれないほど多くの声が雪崩込み、私の鼓膜を盛大に震わせている。

 

「それじゃあ、今日も布教のために頑張りますか」

 

 代表選抜戦・三日目。

 私はこれから、第一回戦の試合を控えていた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 破軍学園の代表選抜戦で最も注目度の高い選手は誰なのか。

 それを思い知らせるかのように試合会場の熱狂は凄まじかった。観客たちの声は鼓膜を襲うだけに留まらず、今や一輝の肌すらもピリピリと震わせる。

 これから眼下で試合を行う選手からすれば集中力を欠く要因となりかねないほどの声援だった。

 しかし一輝には彼らを責めることができない。なぜなら、許されることならば自分もその熱狂に加わってしまいたいという衝動を紙一重で抑え込んでいる人間だからだ。これから始まる試合は伐刀者として非常に興味深いと同時に、己に憧憬の感情を抱かせた者の試合。これで何も感じるなという方が無理な話だろう。

 

『さあ、続きまして赤ゲートから姿を現したのは我が校最強の使い手にして日本の学生騎士の頂に君臨する覇王! 昨年の七星剣武祭にて一年生ながら無敗を誇り、その勇名を天下に轟かせた女帝! 大鎌という一見使いにくい武器は、しかし敵対した者の命を刈り落とす死神の刃と化す!

 君は知るだろう! 覇王の道を妨げることがどれほどの恐怖を伴うのかということを! しかし七星の頂に挑む者はこの戦いを避けては通れない! 全ての学生騎士に立ち塞がる見果てぬ壁! その壁の高さを我々は今日、再び仰ぐことになる!

 二年《七星剣王》疼木祝選手ですッ!』

 

 実況席の月夜見という女子生徒に促され、祝が暗がりからゆっくりと歩み出てきた。

 破軍学園の制服に身を包んだ彼女は、降り注ぐ歓声に「あっ、ど~も~」と小さく手を振りながら進み出てくる。天井に取り付けられた巨大モニターには祝のバストアップの映像がリアルタイムで流れており、彼女の素顔を観客たちに見せつけていた。

 一言でいえば『普通の少女』でしかない。化粧っ気のない顔に薄く笑みを浮かべ、背中まで伸ばされた長髪は癖と手入れの悪さのせいで所々が跳ねている。

 実況の語るような仰々しい気配など微塵もなく、町の中を歩いていればその可愛らしい顔立ちに目が行くことはあれど彼女が日本最強の学生騎士などとは微塵も思えないであろう。それは実況席に座る解説役の折木有里先生も同じらしく、『相変わらずほんわかしてるね~』と評していた。

 

(でも、だからこそ彼女は恐ろしい)

 

 その自然な佇まいに一輝は固唾を飲む。

 強者とは自然とそれ相応の空気を纏ってしまうものだ。ある者は荒々しく、ある者は重く、ある者は洗練され、ある者は刃のように鋭い。意図して隠そうとも闘争の気配が視線や足運びから滲み出ているものだ。

 だが祝にはそれがない。強者はおろか闘う者特有の気配がない。異常なほど自然体に過ぎるあまり、彼女が強いのか、あるいは弱いのかという彼我の戦力差が非常に測りにくいのだ。

 そう――それは一度刃を交わした一輝でさえも。

 

「何というか、リングでもあの人は変わらないわね。ほにゃっとしていて」

 

 一輝の隣で腰かける紅い髪の少女、ステラは困惑した様子だった。

 無理もない。彼女の在り様は自然体過ぎる祝とは正反対に位置するといえる。絶対強者としての風格を纏い、障害物は全て叩き潰すかのような圧倒的な気配を振り撒くのがステラのスタイルだ。そんなステラからすれば、祝の気配は穏やか過ぎる。

 

「確かに一見すると威厳も何もない人です。でも、その実力をテレビ中継で見ていた私としては普通すぎて逆に怖いですよ」

 

 ステラに対し、一輝の内心を代弁したかのように述べたのは一輝を挟んでステラの反対側に座る短髪の少女だった。

 彼女の名は黒鉄珠雫――一輝の妹に当たる人物だ。

 後の選抜戦で必ず勝ち残ってくる祝という存在の情報を少しでも集めようと、一輝とステラに付いて彼女もこの試合に足を運んでいた。

 

「なるほどね。ステラちゃんを“動”、珠雫を“静”とあたしは考えていたけど⋯⋯疼木さんはそれが見えない」

 

 珠雫の隣で長身の少年――有栖院凪が女性的な口調で呟く。

 有栖院の細められた目は、祝の姿形だけでなく身に纏うその気配を映していた。

 エネルギーに満ち溢れた動的なものでなく、しかし鋼の精神力で己を支配する静的なものでもない。本当に自然体過ぎて逆に見ている有栖院が不安になってしまうような、そんな危ういほどの穏やかさが祝にはあった。

 有栖院の勘と経験を以ってしても、これから命すらも危険に晒す試合に臨む人間には思えない。そしてその感想はある程度の観察眼を持つこの場の全ての人間が感じていた。これが祝の化けの皮なのだとすれば大した役者だと称賛する他ないだろう。

 

「アタシは去年の七星剣武祭の試合を観たことがないから知らないんだけど、あのハフリさんってどんな闘い方をするの?」

「疼木さんは生粋の武術家だ。ステラや珠雫みたいな遠距離攻撃をほぼ持たないから、とにかく相手に近づいてからの接近戦っていうシンプルな戦法だよ」

「七星剣武祭ともなると様々な種類の能力や魔術が見られますけど、去年のあの人はシンプルすぎて異質な感じでしたね。まあ、日本に武者修行に来ているのにその頂も知らない勉強不足の誰かさんは、実際に見た方が覚えやすいと思いますけど」

「喧嘩売ってんの!?」

「まあまあ、二人とも」

 

 有栖院がステラと珠雫を宥めていると、やがて実況の語り口が勢いを増した。

 リングの中央に選手が揃ったのだ。それを期に自然と四人は口を噤み、試合が始まるのを待ち構える。

 ここでステラは改めてリングへと視線を向けた。先程から祝ばかりを視線で追いかけていたが、リングの中央に目を向ければ主審(レフェリー)として立っているのは新宮寺理事長だ。先程までの試合は別の人物が主審を務めていたが、この試合になって()()()交代している。

 

(どういうこと?)

 

 自分と一輝の決闘の際にも彼女が審判を務めていたことはあったが、それは選抜戦のような事前に予定された試合ではなく、加えて黒乃本人が焚き付けた決闘でもあったからだ。もしかすると他の審判の係の人と入れ替わりで出てきたとも考えられるが、しかしこの試合は今日の四つ目の試合。交代には早すぎると思わなくもない。

 

『それでは両選手、霊装を展開してください!』

 

 微かな違和感を残しながらも、スピーカーから流れる大音量の実況にステラの思考が途切れる。

 同時に祝の対戦相手である大柄な男子生徒が雄叫びを上げた。

 

「うぅぅぅぅぉぉぉぉぉおおおおおおおッ!!」

 

 男子生徒の身体が鋼鉄の鎧によって覆われていく。

 足元から昇っていったその鎧はやがて頭頂部までを覆い隠し、その身に鉄壁の防御力を与えた。

 

『で、出たー! 三年・桃谷選手の甲冑型霊装《ゴリアテ》! 《重戦車(ヘヴィタンク)》の二つ名を持つ彼の突進力は人体を軽々とひき潰す攻防一体の技ッ! シンプルであるが故に攻略が難しい桃谷選手の破壊力ならば七星剣王にも一矢報いることができるのかァ!』

 

 実況に応じたかのように桃谷が再び吼える。

 パフォーマンスとしての効果は置いておくにしても、確かにあの巨体から繰り出される突進は大したものだろう。もちろん人類最高峰の魔力を持つステラには遠く及ばない膂力だが、しかし平均的なランクにしてはという前提が付けば確かに驚異的である。少なくともパワー型ではない珠雫や一輝であれば当たれば一撃で沈められるだけの力があることは間違いない。

 そんな力を前にした祝はというと、特に驚くこともなく「お~」とその勇ましさに拍手していた。今の雄叫びに全く呑まれている様子はなく、それどころか未だに宙に浮きそうなほど呑気な様子のままだ。

 

「うわ~、これは私もパフォーマンス的な何かをしないといけない流れなんですか? 新宮寺先生、私はどうすればいいのでしょう」

「いらんからさっさと霊装を展開しろ。試合が進まん」

「あ、そうですか」

 

 祝が「ふんっ」と気合を込めて右手を前方に伸ばす。そして次の瞬間には既に黒い柄が握られていた。

 その姿に観客の多くが息を呑む。これがあの、祝の代名詞とも言える大鎌なのか、と。

 

 漆黒の大鎌だった。

 

 祝の小さな手が握る長柄は照明によってできた影のように黒く、そして石突から刃を固定する細かな部品までも全てが同じく黒い。

 長柄の側面から伸びる幅広の曲刃は浅い弧を描き、その鋼色の鈍い輝きからは命を吸い込むかのように不気味な気配を発している。その曲刃の反対側からは細身の短刃が突き出ており、同じく鋼色の瘴気を纏わせていた。

 

「よし。今日も絶好調だね、《三日月》は」

 

 小さく祝が呟き、それに応えるかのように細腕の中で一旋された歪なT字がウワンと唸る。

 まるで照明の光を大鎌が吸い込んで視界が暗くなったかのようだ。その中で刃だけはギラギラと禍々しい光を放っており、その名の通りまるで夜闇に輝く三日月のようだった。霊装が放つ気配はまさに死神の鎌というに相応しく、淀んだ瘴気が会場を浸蝕してゆく。まるで景色が歪むかのような圧迫感に一同が声を潜める中、静寂を破ったのは祝の気に呑まれなかった解説の折木だった。

 

『は~い、それじゃあ二人とも準備が整ったみたいだし、そろそろ試合を始めちゃおうか~』

『ッ、両選手の準備が整いましたので、これより選抜戦三日目・第5試合を開始します!』

 

 我に返った実況の言葉に、会場の熱狂が息を吹き返す。

 その熱狂に影響されたのか、あるいは己を鼓舞するためなのか。試合はまだ始まっていないというのに油断なく祝を睨んだ桃谷は、徐に獰猛な笑みをヘルメットの下に浮かべる。

 

「七星剣王さんよ。俺の知る限り、お前はこの鎧を突破するための炎だの雷だのって魔術を持っていないんだろ? つまりその鎌だけで俺の鎧を突破する必要があるってぇわけだ」

 

 桃谷は確信していた。目の前の七星剣王は、自分のような甲冑型霊装を持つ相手に対して非常に不利な立ち位置にいると。

 通常、霊装はよほど強力なダメージを受けなければ折れも曲がりもしない性質を持つ。魔力によって編まれた武装の強靭さに魔力量は関係ない。そして桃谷の《ゴリアテ》はこの性質によって全身を守られた、対人戦における物理的な衝撃に対して最強の防御力を持つ霊装なのだと桃谷は自負していた。

 

「去年のお前の試合は全て知っている。確かにお前は武術の達人だが、恐らく去年の七星剣武祭のどこかで《鋼鉄の荒熊(パンツァーグリズリー)》とぶつかっていれば優勝はあり得なかった! 物理攻撃に縛られている以上、お前の欠陥武器の刃が俺の《ゴリアテ》を突破することはできねぇ!」

「…………」

 

 桃谷の全身に力が滾る。試合開始の合図を待ちながら、全身の血流がこれまでにないほど躍動する。

 勝てる――七星剣王を相手にそう信じ込むほど桃谷は愚かではない。しかし勝ちの目があるとは感じる。ならばその結果に向けて突き進むのみ。

 元々、桃谷は祝のことが好きではなかった。彼女の去年の凶行によって彼の友人も何人か被害に遭っており、これはその仇討ちという意味合いもあるのだ。例え勝てずとも、必ず一矢報いて見せるという気概が桃谷の精神をさらに昂らせていた。

 そんな桃谷に対し、祝は薄く柔らかい笑みを浮かべたままゆったりとした動作で大鎌を肩に担ぎ、試合の開始を待つ。

 ――そして、ついにその瞬間が訪れた。

 

『それでは……試合開始ッ!』

「ッ、グゥラァァァァアアアアアアッッッ!」

 

 そして桃谷は全身の筋肉に溜め込まれた力を爆発させる。

 その瞬間、彼は標的を穿つ一個の砲弾となった。魔力放出による追い風は進撃する砲弾をさらに加速させ、鎧という質量をもって敵を蹂躙せんと駆ける。地を踏み締め、風を裂き、目の前の死神を粉砕せんと迫る。

 10メートルほど取られていた距離は瞬く間に縮まり、まだ一歩として動いていない祝の前髪を空気の乱流が撫でる。

 開幕速攻に不意を突かれたのか。笑止、と桃谷は内心でほくそ笑んだ。まさか七星剣王である自分を相手に先手を取り、剰え一撃で沈めようなどという暴挙を犯すはずがないと油断していたのだろう。ならばその傲慢をここで自分が叩き潰す。激痛に悶えながら己の所業を後悔するがいい。

 

「……欠陥武器、ですか」

 

 表情に反したその冷めた言葉が耳に届いたのは、対峙する桃谷だけだった。

 爆走する鎧が突如その動きを止める。遅れて響く轟音。全く進まなくなった自分の身体に桃谷の笑みが完全に消える。

 その光景は異様の一言に尽きた。客席の生徒たちが「そんな、まさか」息を呑む。

 

 まさか《重戦車》の突進を片手で受け止めるとは、と。

 

 右手で《三日月》を肩に担いだ状態のまま、なんと祝は左手一本で桃谷の突進を阻んで見せたのだ。足は僅かたりとも後退しておらず、それどころかほぼ前後に開くこともしない棒立ちに近い状態。そんな姿勢で外部からの衝撃を受け止めることなど物理的に不可能なはず。

 だがそれを祝は実践して見せた。その事実に桃谷は悟ってしまったのだ。自分がどれほど身の程を弁えない所業を犯していたのかを。

 

『ど、どういうことだァ! 桃谷選手の渾身のタックルがまるで通用していない! まるで覇王の余裕を示すかのように棒立ちの疼木選手に止められてしまったぞ! 彼我の戦力差を示すかのような王者の振る舞いに客席の皆様も開いた口が塞がらない様子!』

『相手の攻撃をあえて受け止めて見せるなんてプロレスの試合みたいだね~。でも、やっていること自体はとてもシンプルな魔力放出による防御だから驚くことじゃないよ。……むしろ、驚くべき部分は他にある』

 

 そう、それこそが折木を含めた少数の強者たちが驚愕する点。

 それを折木が解説しようと口を開くが、しかしそれを遮るかのように祝が大鎌を振り上げたことで口を閉じさせられる。

 

「こ、このッ! 放せェ!」

 

 振り上げられた《三日月》に、桃谷は咄嗟に大鎌の間合いから逃れようとした。しかしそれは叶わない。突き出された祝の左手が《ゴリアテ》を掴んで放さない。

 そして祝が右手を振り下ろすために右足を退いたことで桃谷は、ここで生まれて初めて濃密な“死”の気配を知った。

 

「鉄板で身体を覆ったくらいで大鎌を攻略とは、面白いことを仰いますね」

「ま、待て! まい――」

「なら試してみましょうか」

 

 祝の左手がトンッと桃谷を押し出す。

 唐突な力の変化に思わず桃谷は踏鞴を踏み――《三日月》が霞む。

 

「……あ?」

 

 気が付けば桃谷は訓練場の天蓋を眺めていた。

 なぜ自分が頭上を見上げているのか。一体何だ? 何が起こった?

 その疑問が解消される前に、今度は天蓋がどんどんと遠ざかっていく。そして遠ざかる天蓋を呆然と眺めながら、桃谷は地面に落ちる前に意識を失った。

 

 

「……身の程知らずが」

 

 

 誰にも聞こえないほど小さく、祝は目の前に転がる桃谷の()()()()​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​吐き捨てた。

 遅れて鎧ごと両断された桃谷の上半身がリングに落下する。

 空中で上半身から噴水のように噴き出した鮮血はシャワーのように周囲へ撒き散らされ、リングを赤く彩る雨となる。それを頭から被った祝もまたその身を赤く染め、しかし微塵も笑みを絶やさない。それどころかむしろ深くなった笑みに含まれていたのが嘲りと痛快さであることを悟ったのは、それを間近で見た主審の黒乃だけだった。

 

「……おい、あれ……」

「し、死んでる……」

「マジで殺しやがった!」

「いくら《実像形態》だからって選抜戦であそこまで……」

「完全にオーバーキルじゃねぇか! 最初から殺す気だったぞ、あいつ!」

 

 圧倒的な力に客席が黙らされていたのはそう長い時間ではなかった。

 誰かが呆然と漏らした言葉が波紋し、俄かに会場が騒めく。

 誰もが知識として理解していた。選抜戦や七星剣武祭は《実像形態》で行われる実戦。当然ながら血は流れるし怪我もする。下手をすれば人だって死ぬ。最悪の場合、観客を巻き込んだ事故に発展する可能性もある危険な試合だということを彼らは理解していたはずだった。しかし《幻想形態》という刃引きの世界に慣れ親しんだ中学生までの世界を卒業したばかりの多くの人々にとって、人間の“死”が知識以上のリアリティを持つという現実を突き付けていた。

 

「《時間凍結(クロックロック)》」

 

 騒然とする会場に響く乾いた銃声。

 白銀の拳銃から撃ち放たれた弾丸は桃谷へと吸い込まれ、そして桃谷の時が停まる(・・・・・)

 銃弾の主は黒乃だった。

 

「事前に想定していた通りだ。担架急げッ、私の魔術が効いている間にカプセルへ運ぶんだ」

 

 《時間操作》――それが理事長である新宮寺黒乃の能力。

 彼女の能力はこのような試合の場における治療行為で重宝されており、今年度の七星剣武祭でもスタッフとして参加するよう要請を受けている。そんな彼女の能力と現代の医療技術にかかれば、脳が消し飛んでいようとも負傷から選手を救うことができる。

 黒乃の言う通り事前に想定していたのか、リングに担架を背負った医療スタッフが飛び込んできてから桃谷が退場するまでに1分とかからなかった。

 

『し、試合終了ォ! 何という怒涛の展開ィ! これはどういうことか、桃谷選手の鎧が全く機能することなく一撃で試合が終わってしまった! ハッキリ言って私ごときの目では何が起こったのかまるでわかりません! 折木先生、一体何が起こったのでしょうか? 桃谷選手が両断されたという結果しか私にはわかりませんでしたが、鎧の霊装ごと中の人間を叩き切ることなど可能なことなのでしょうか?』

『不可能とは言えないけど、私もこの目で見たのは初めてだよ。霊装は伐刀者の魂を魔力によって具現化したもの。魂っていうのは案外頑丈で、滅多なことでは傷一つ付かない。それを真正面からいとも簡単に叩き壊すなんて普通じゃないね。そして何よりも怖いのが、これがただの魔力放出による身体加速の延長でしかないってことだよ』

『ま、魔力放出ですか……!?』

 

 折木の解説に会場が騒めく。

 《魔力放出》とは、読んで字の如く体内から魔力を放出するという伐刀者にとっては基礎中の基礎にさらに基礎を付けても良いほど基本的なスキルだ。これを利用することで伐刀者は常人を超えた身体能力を発揮し、さらにこれを応用して衝撃の威力を減衰させる魔力防御という能力を持つ。これができない伐刀者は恐らくこの世に存在せず、魔力量が平均値よりも絶望的に低い一輝ですらできる能力なのだ。

 だが、だからこそ驚く。

 自分と同じ技術を使っているはずだというのに、同じことができる伐刀者がこの会場に何人存在するのか。圧倒的な魔力量を誇るステラのような人間ならば、あるいはその怪力によって可能かもしれない。しかしこうまで軽々と霊装を破壊されては、それを武装として扱う伐刀者にとって脅威でしかない。

 

(でも、本当に驚くべきところはそこじゃない)

 

 月夜見が白熱した実況を流す中、折木は目を細める。

 彼女が最も祝に対して驚異を抱いているのが、試合を通して“魔力を感じなかったこと”だ。

 試合の内容から鑑みて、祝が魔力を使用しなかったとは思えない。だというのに折木は最後まで祝の魔力を感知することができなかった。

 

(去年もそうだったけど、ますます『迷彩』に磨きがかかっている。流石というべきか、異常というべきか。相変わらず人間辞めてるなぁ)

 

 『迷彩』という技術を説明するためには、まず『魔力制御』という技術について説明しなければならない。もっとも難しく考える必要はなく、読んで字の如く伐刀者がどれだけ魔力を巧く扱えるかを示すステイタスだ。これに秀でている伐刀者は平均的な伐刀者と比べ、魔術を行使する際に使用する魔力量を少なく抑えることができるようになるのだ。

 そして『迷彩』とはこれの応用技術に当たる。使用する魔力を極限まで抑えられた魔術は、その発動を魔力の流動から感知することができなくなる。よって敵に魔力の行使が見破られなくなることから『迷彩』と呼ばれているのである。

 だが、霊装を叩き斬るほどの魔力放出を行いながらも魔力を隠蔽し切るレベルの『迷彩』など聞いたことがない。それほど少量の魔力でこれほどの効果を出すなど、燃費が良いどころの話ではないだろう。秀でた伐刀者は1の魔力で10や20の威力を持つ魔術を行使するというが、祝のしたことは0.1の魔力で100の威力を弾き出したようなものだ。

 

 まさに“非常識”。

 

 その理不尽さに人々は改めて思い知らされる。

 眼下で全身を赤く染めるあの少女こそ、七星剣武祭の頂に立つ七星剣王なのであると。全国の学生騎士たちを蹂躙し、踏み潰してきた覇王なのであると。

 戦慄する伐刀者たちを余所に、祝は観客と桃谷が去っていったゲートへと軽く一礼する。そしてそのまま踵を返すと同時に霊装を解くと、血の足跡を残して悠々と会場を去っていったのだった。

 

 

 

 




原作ではステラと試合をした桃谷くんに割を食って戴きました。桃谷ファンの方がいらっしゃったら申し訳ありません。


なお、原作を知らない人のための解説。
《鋼鉄の荒熊》とは原作の七星剣武祭でも登場した加我恋司という選手の二つ名です。本気で闘う時は霊装の『廻し』一丁となって戦う生粋の相撲レスラーで、身体を鋼鉄に変えて文字通り鋼の防御力を得る学生騎士。
なお、本人は大柄で厳ついものの気のいいおっちゃん風の青年です。


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撃たれる覚悟がある奴は別に撃っても良い(意訳)

書く感覚を忘れない内に次話を更新しておきます


「やってくれたな、貴様」

 

 先程、私の一回戦の試合が終わった。

 個人的には上手く大鎌をプッシュできた良い試合だったと思う。去年の七星剣武祭から貫いている『トドメは絶対に大鎌でカッコよく』という自分ルールも無事に達成できたし、相手の桃……桃太郎先輩? の大鎌への偏見も解くことができたはずだ。心無い言葉に少しカチンときたのは事実だが、ああして身体に大鎌の威力を教え込んであげれば流石の彼も大鎌を欠陥武器などという無知で愚かな呼び方をしなくなるだろう。あわよくば、大鎌の素晴らしさに感涙して転向を考えてくれるかもしれない。

 しかし次に同じことを囀ったのならば、仕方ないので今度は本気でぶち殺すしかあるまい。大鎌を欠陥武器と信じている奴は悉く絶滅させるべきだ。

 何はともあれ、今回の試合を個人的に評価するとすれば100点満点中で80点以上は堅いものだった。

 だというのに、だ。シャワって血を落としていざ帰宅、というタイミングで待ち構えていた新宮寺先生に盛大なため息をつかれてしまった。咥えている煙草から漏れる紫煙が目に染みる。

 

「……? 私、何かやりました?」

「ほう。貴様は自分が何をやらかしたのか自覚がないというのか? そうかそうか。どうやら余程死にたいらしいな」

「なんでっ!?」

 

 おおっと、先生なぜかお怒りモードですわ。

 ここで「おこなの?」と冗談めかして聞いたら迷わず額に風穴を開けられる程度には怒っていらっしゃる。

 

「お前が試合をするというだけで駆り出される私の身にもなれ。去年の七星剣武祭といい、どうしてお前は相手を即死させて勝たねば気が済まんのだ。おかげで私はお前の試合では必須の要員として今日も引っ張り出されたんだぞ」

「え? い、いやぁ、それは本当に申し訳ありません……」

 

 思い返せば、新宮寺先生との付き合いは一年近くになるのか。

 去年の七星剣武祭では、先生が育児休暇から上がって騎士として復帰し始めていた頃だった。その復帰業務の一環として七星剣武祭のスタッフの一人を務めていたのがこの人だった。

 一回戦から相手選手の脳天をカチ割ることで勝利を収めた私だったが、その際に『時間操作』という魔術で先生が相手選手を救助したのが最初の出会いである。その後の試合も全て私は相手を絶命させる形で勝利してゆき、その度に先生は活躍した。ある時は時間を停め、ある時は時間を巻き戻し、またある時は時間を加速させて救護室へとすっ飛んでいった。

 流石にお世話になりすぎたせいで先生には悪い意味で顔を覚えられてしまい、七星剣武祭が終わった後で個人的に小言を言われたほどだ。

 

「全く、お前が試合をするというだけで他の仕事を倍速で熟さねばならん。今日も念の為と審判を引き受けてみれば案の定だ」

「おかげで安心して試合ができました。ありがとうございますね、先生」

「戯け、私がいなくともお前は相手を殺していただろうが」

「ですから『安心して』と申しました。先生がいらっしゃらなければ安心せずに試合を終えていたでしょうから。今後も宜しくお願いしますね?」

「死ね。……さて、ここまでは個人としての言葉だ。しかしここからは教師としての説教だから心して聞くように」

 

 先生は咥えていた煙草を携帯灰皿に押し付けた。

 

「さっきの試合は明らかにやりすぎ(オーバーキル)だった。桃谷との実力差がわからないお前ではあるまい。なぜ殺す形で勝利を収めた? 去年は一スタッフとして口出ししなかったが、今の私は教師だ。だからこそ踏み込んだことを聞いている。七星剣武祭も含め、お前ならばもっと違う形で勝てたはずだろう?」

「そりゃ、可能か不可能かを論じるのならば可能ですけど……」

 

 オーバーキルだろうとトドメはトドメだ。《実像形態》の使用を許可された試合で相手を殺さないように労わる理由がわからない。試合に臨む際に「死ぬかもしれんぞ?」という警告と、それに同意するサインをしたはず。死ぬ可能性がある試合で相手を殺すことの何が悪いのか? 少なくともこうして咎められるかのようにため息をつかれる必要はないはずだ。

 「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけ」と昔のアニメと小説で見たが、個人的にこれは真理だと思う。つまり意味合い的に、お互いに撃たれる覚悟がある状況ならばこちらは積極的に眉間をぶち抜いて良いのだ。わざわざ手加減をして手足を撃つ必要性はない。だって私も撃たれて死ぬことは覚悟しているのだから。

 といった感じのことを先生にしたところ、またもやため息。

 

「倫理的な問題だ。さっきの試合はどう見ても両者の実力の差がハッキリとしていた。歴然とした実力差の前でお前が取った行動は、世間から見れば弱者を一方的に虐げているのと変わらん」

「それは横暴な意見ですよ~。決闘の場で老若男女も貴賤も強弱も関係ありません。そこにあるのは勝つか敗けるかという結果だけです。生死は所詮、勝敗に伴う付属品でしかありませんから」

「お前の意見もわからんではないが、そういう極限の領域で生きている奴は伐刀者の中でも少数派だということをわかれ。参加する学生騎士たちにとっては死力を尽くす命懸けの舞台であっても、それを見物する者たちにとってはスポーツ観戦みたいなものなんだ。むしろ世間的にはその意見が主流だろう。そういう連中にとって、お前のしたことは残酷に感じるということだ」

 

 「残酷じゃない闘いって何ですか。お遊戯ですか」と思わず笑ってしまった私は悪くないだろう。

 こちらは剣闘士のように奴隷の業務として見世物の試合をしているわけではないのだ。あくまで『闘いたいから闘っている』のであって、それを一般人や野次馬伐刀者が脇でやんややんやと騒いでいるに過ぎない。こちらはアリーナなどの閉じた環境でお見苦しいものを見せないよう配慮しているというのに、それをわざわざ見に来たその他大勢のギャラリーから勝ち方まで非難される覚えはない。嫌なら見なければ宜しい。テレビ中継ならチャンネル変えろ。

 これは大鎌の普及とは違った、今生で至った私個人の闘いへの姿勢だ。闘いとはあらゆる面で平等である。怪我をしているから、実力差があるから、性別が女だから、貴方は私に恩があるのだから手加減してくださいなどは勝負の舞台に上がった時点で通用しない。仮にもお互いが命を懸けて闘う場に立っておきながら、そのような巫山戯た言い訳が通用すると思うのだろうか。

 ⋯⋯ちなみにだが、前に路上で()り合った時は近所の皆様に多大なご迷惑をおかけしました。騒音、及びお目汚しをしてしまったことは本当に申し訳ありません。

 

「……ったく、このイカレが。そんな考えでは広まるものも広まらんぞ? 大鎌の普及がお前の最終目標なんだろう?」

「方針を曲げてまで世間様に広めるつもりはありません。大鎌ユーザーが増えることは喜ばしいです。しかし大鎌は持っていれば嬉しいコレクションではなく、武器です。私は武器としての大鎌を広めるためにこの破軍学園に来ました。それを曲げるつもりはありません」

 

 大鎌は便利な道具だ。草刈りとして利用するのなら、農家や酪農家の皆さんはどんどん利用するといいだろう。コツさえ掴めばジャンジャン草を刈れる。

 しかし私が目指すのは、武器として大鎌が世間に認知されることなのだ。

 鎌なら何でも良いというのならば戦鎌(ウォーサイス)や鎖鎌を使うという選択肢もある。しかし私が生まれ変わってまで憧れたのは、アニメや漫画に登場するあの(・・)大鎌だ。私が人々に広めたいのは、嘗て前世で私が大鎌に感じた憧憬と可能性だ。だというのに使いにくいから、実戦的ではないから、世間からの受けが悪いからと理由を付けて本来の形から遠ざかることは一人の大鎌ファンとして到底できることではなかった。

 

「……頑固な奴だ」

 

 全てを聞き終えた先生は呆れたように目元を押さえ、そして新たな煙草を取り出した。

 どうでも良いことだが、彼女が喫煙を再開するようになったのは騎士として職場復帰を果たすようになってかららしい。今でも家では禁煙しているとのことだが、それまでは出産と育児に悪影響しか与えないからと禁煙生活を強いていたのだとか。

 もしもこの喫煙が私へのストレスが原因で再開されてしまったのだとしたら。そう考えると少し申し訳なくなってくる。そんなことを考えていると、「だが、お前の言い分もわかった」と先生が煙を吐き出す。

 

「そこまで考えた末の行為ならば私はもう止めん。お前がウチの生徒である限り、私も応援してやる。まぁ、やるだけやってみろ」

「はい、やるだけやってみます。とりあえずの目標は七星剣武祭の三連覇ですね。そうすれば必ず大鎌の武器としての性能に気が付く人が出てくるはずですから」

「その前にお前は素行を改めろ。正当な評価というものは、得てして普段の行いすらもその評価の内に入れられてしまうものだ。特に去年のような余所への襲撃などは絶対に控えろよ?」

「七星剣武祭への出場方法が選抜戦になったので、去年のような強硬手段はもう取りませんよ」

「どうだかな。去年を含め、お前は私の忠告を聞いたことなど一度もないだろう。そもそもお前が他人の言うことをホイホイと聞くようには思えん。そんなことだから友人の一人もいないんだ」

 

 うっ、友達がいないのは知っていたんですね……。

 お恥ずかしい限りです。

 

「……別に友達がいなくても今のところは不便はありませんから。いたならばいたで便利でしょうし他人の目も和らぐのでしょうけど、私としては積極的に欲しいわけではないかな〜、と。ほら、友達なんて煙草やお酒のようなものですよ。あれば嬉しい、しかしなくとも困らない。所詮は嗜好品です」

「本当に寂しい奴だなお前は」

 

 失敬な。むしろ私は前世の記憶を思い出したことで悟ったのだ。

 前世でも私は友達が数人程度(しかも滅多に連絡を取らない)しかいなかったし、ましてや親友などという部類の人間は一人もいなかったが、生活していく上で不便さを感じたことはなかった。偶に趣味の話や思い出話で和むことはあったが、生活の中で必須と言える存在だったかと言われると果てしなく微妙だ。むしろ首を傾げる程度の存在感しかなかった。

 結論。他人はどうか知らないが、私は本質的に他人との触れ合いの燃費が非常に効率的な人間である。孤独は確かに辛いが、知り合いレベルの人間さえいればそれで良い。

 

 ……まぁ、友達の人生における必要性について今は置いておくとしてもだ。

 

 ぶっちゃけ、去年の行いのせいで私の校内での評判は頗る悪い。

 去年は同級生も上級生も区別なく強そうな奴に喧嘩を吹っかけまくっていたため、私は札付きの不良として校内では認識されているのだ。

 それは七星剣武祭に出場するための前理事長へのアピールが目的だったので、そのこと自体に私は後悔など全く感じていない。しかしそれが周囲からしてみれば迷惑千万であったことは百も承知なので、それを棚に上げて馴れ馴れしく話しかけられるほど私は空気が読めないつもりもなかった。

 よって私は友達がいない。少ないのではなく本当にいない。

 「え、何だって?」と難聴を気取って友達を作らないのではなく、ガチで誰も近寄ってこないタイプだ。

 一応顔見知りがいないこともないが、あくまで知り合い以上友人未満という範疇に収まってしまうだろう。だって用がなければ会っても会釈くらいしかしないもの。

 だが、一つだけ。これだけは言わせてほしい。

 

 

 私のことは嫌いになってもッ、大鎌のことは嫌いにならないでください!

 

 

「……はぁ。あのな、お前が七星剣王になった後、普通に不良として評判最悪だったお前のために前理事長がどれだけ裏工作をして回ったと思っている? 友達ゼロで乱闘多数な社会不適合者が七星剣王となってしまったなど、常識的に考えれば学園の恥だ。しかし奴は恥部が全国公開されるリスクを代償に七星剣王という巨大なリターンを取った」

「私はもはや恥部扱いですかい」

「しかし前理事長も甘んじて恥部を公開したわけではない。マスコミ関連に手を回し、お前の学園での実態を隠蔽していたんだ。不要な情報が世間に流出しないように……これは他言無用だが、騎士連盟の日本支部もそれに手を貸していたらしい」

「マジですか」

 

 汚いなさすが理事長汚い。

 黒鉄の留年のことといい、学校の理事長ってそんなに真っ黒な職業なわけ? それとも前理事長が狸だっただけ?

 もし前者だとしたらショックだわ。そんな汚いことを知っちゃったあたしは世界一不幸な美少女だわ。「大きくなったら先生になりたい!」とか言う純真無垢な夢を持つ子供に思わず「その先は地獄だぞ」と囁いてあげたくなってしまう。

 

「知らぬは本人のみとはな。おかげで去年の破軍学園は要らぬ借りを騎士連盟に作ってしまった。まぁ、その件は黒鉄への差別待遇によって相殺となったがな」

「黒鉄? へぇ~、黒鉄が陰謀で留年していたのは有名な噂でしたけど、そんな裏があったんですね」

 

 真面目に知らなかった。

 当時の理事長と騎士連盟が裏で繋がっていたのは原作でも言われていたことだが、まさか黒鉄の留年が私の情報規制と繋がっていたとは。

 学園側の事情なので私には関係のないことだけど。

 

「そしてお前の悪評を取り消そうと理事会と騎士連盟が知恵を絞って考え出した作戦が『悲劇のヒロイン作戦』だ」

「何てッ?」

 

 聞き捨てならないことを聞いてしまった気がする。

 何だ? 今、背筋がぞわっとしたぞ。

 

「マスコミに圧力をかけ、奴らは徹底的な情報操作を行った。設定のコンセプトは『大鎌という欠陥武器で健気に上を目指すシンデレラストーリー』らしい」

「はぁぁぁあああああッ!?」

 

 なんじゃそりゃああああああッッッ!?

 初めて聞くどころか想定の斜め上の爆弾発言なんですけど。あの頭の悪い世論は全て政府の陰謀だった!?

 

「おかしいと思ったんですよ! 世間で大鎌を認める流れが全く起こらないなんて絶対にあり得ないはずだって!」

「いや、それはそんなにおかしいことか?」

「これほどの屈辱は久しぶりですよ……ッ! ちょっと当時の関係者の住所と職場調べて一族郎党皆殺しにしてきます!」

「やめろやめろ」

「先生どいて! あいつら殺せない!」

 

 ぶっ殺してやる! 絶対にぶっ殺してやるぞ! 末代まで祟ってやる! 死んでもお前たちを赦さないからな! 絶対にぶっ殺してやるからなァ!!

 

 

 

 

 

 なお、風の噂によると私の試合で話題になったのは、大鎌のすばらしさではなく私が霊装をぶっ壊したということと『迷彩』がヤバいということ、それと私が悪逆非道の冷血人間だということだけだった。そんなこと心底どうでも良いので大鎌のビジュアルや性能を語ってほしいところだが、まだまだ人々が大鎌に目覚めるには早かったようだ。

 私は悲しい……。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 三日目の試合が終わると、会場に留まっていた生徒たちは三々五々に散っていった。その生徒たちの中には一輝を含む四人グループも含まれており、寮が別々の珠雫と有栖院らと別れた一輝はルームメイトのステラを伴い部屋へと戻っている。

 そして部屋に戻るなり一輝が行ったことは、本日最も“荒れた”と言うべき祝の試合の映像を確認し直すことだった。

 一輝が電子生徒手帳を起動させると、そこにはクラスメイトである新聞部の女子生徒・日下部加々美から送られてきた動画データがメールに添付されて送られてきている。試合の前、一輝が彼女に頼んでいたものだ。「後でお礼をしないとな」と考えながら、一輝は待ちきれないとばかりに動画を再生させた。

 

「イッキ、何を観ているの? ……って、これってさっきのハフリさんの試合よね?」

「うん、記憶が新しい内にもう一度見直しておこうと思って。鉄は熱い内に打てってね」

 

 とはいうものの、試合の記憶はさっきの今で変わるものではない。しかも祝の試合は開始から1分と経たずに終わってしまったのだ。しかも特別な能力や技術を見せることすらしなかった彼女の試合を、こうまで熱心に見直す意味がステラにはよくわからなかった。

 そんなことを考えている間に動画は終わってしまい、一輝の後ろから画面を覗き込んでいたステラは形の良い眉を顰める。

 

「……これ、わざわざ見直すほどの試合かしら? あの人の『迷彩』が凄かったのは試合を観戦していたからこそわかった情報だけど、この動画からだとそれもわからないじゃない」

 

 ステラの疑問はもっともだった。どう贔屓目に見ても見応えのある試合とは言えない。

 動画もステラたちが座っていた席とは違う視点であるというだけで、それ以外は特に違いの見えない内容だった。唯一の違いと言えば、この動画は祝の姿を拡大して撮影されているということだろう。望遠のための機材を使っているのか、ハンディカメラにしては画像が綺麗だ。

 しかし一輝の目にはステラとは違うものが映っているのか、「そんなことないよ」と再び動画を最初から再生させている。

 

「こうやってアップで撮ってもらったのは僕が頼んだからなんだ。疼木さんの試合が長引かないことはわかっていたから、せめて表情や仕草なんかの癖が見つかればと思ってね」

 

 「例えば……ここっ」と一輝が動画を停止させる。

 そのシーンは、ちょうど祝が対戦相手の桃谷選手の胴を両断したところだった。桃谷の巨体の陰に隠れていた祝が、桃谷の上半身がなくなったことによる返り血に顔を濡らして顔を出す。

 そこを一輝は僅かに巻き戻し、スロー再生させてみせる。

 

「口元を見てみて。ほら、何か口走っている」

「……本当だわ。何て言っているのかしら?」

「う~ん、ちょっと待って………………たぶんだけど、身の程知らずが、って言っているように見える」

 

 目を細めて画面を凝視した一輝は、三度ほど同じ場面を再生し直すことで祝の唇を読み取った。

 その内容を聞き、ステラは驚きを見せた。

 

「あのハフリさんが? 私と会った時はそんなことを言う人には見えなかったけど」

 

 まだ一度会っただけの関係しかない祝とステラだが、倒れていた自分を心配してくれたあの少女がそのようなことを口走るとは。

 つまり彼女は、無謀にも七星剣王に挑みかかってきた相手選手を陰で侮辱していたということだろうか。他人の試合とはいえ、それはステラとしても気分の良いことではない。確かに桃谷は祝に対して挑発染みた言葉を投げかけていたが、試合自体は正々堂々としたものだった。そんな相手を侮辱するなど、騎士としては些か非礼と言わざるを得ないだろう。

 しかし憤慨するステラと違い、一輝は別の分析をしていた。

 

「たぶん、これは別の理由から来た言葉だ」

 

 一輝はこれまでの祝の試合のデータを記憶から引っ張り出す。

 去年の自分の試合はもちろん、七星剣武祭を始めとした公式試合。そして今日の試合まで全てのデータを分析し、とある一つの共通点を見出していた。

 それは……

 

「疼木さんの試合を並べてみて気付かされるのが、彼女は対戦相手にトドメを刺す際には必ず霊装《三日月》を使っているということなんだ」

「……そうなの? でも、そんなの武装型の霊装を持っている伐刀者なら当然なんじゃない? 良く知らないけど、ハフリさんは直接相手を害せる能力を持たない伐刀者だって聞くし」

「確かにそれもあるかもしれない。でも去年の公式試合の中では、明らかに試合運びとして不自然な状況でも大鎌を決め手として用いていたように僕は感じたんだ」

 

 世間の認識では、彼女は『大鎌という欠陥武器(ハンデ)を乗り越えた努力家』となっている。

 しかし去年の祝との試合で一輝は彼女に対して全く逆の感想を抱いていた。よってその試合の後で七星剣武祭が行われた時など、そのことを報道していたニュースに何度も首を傾げていたものだ。自分が感じた彼女の武への信念と愛は錯覚などではなかった。だというのに世間のこの評価は何なのかと。

 だが、このようにデータとして並べてみると改めて自分の直感が現実味を帯びてくる。

 

「彼女は大鎌を忌諱なんてしていない。彼女は大鎌という武器にハンデなんて感じていないんだ。それどころか、彼女には大鎌を周囲に見せつけているような節すらある」

 

 全ての試合を無理にでも大鎌でトドメを刺すのは、その意思表示だ。

 我を見よ、我が武を見よ、我が大鎌を見よ——そう言っているように一輝には思えてならない。

 そしてその分析に拍車をかけたのが今日の試合だ。同じく大鎌で試合を決した祝は、しかし「身の程知らずが」と対戦相手を罵った。この罵倒が、もしも身の程を弁えず七星剣王に挑みかかってきたことに対するものではなかったとしたらどうだろうか。

 

 

『去年のお前の試合は全て知っている。確かにお前は武術の達人だが、恐らく去年の七星剣武祭のどこかで《鋼鉄の荒熊(パンツァーグリズリー)》とぶつかっていれば優勝はあり得なかった! 物理攻撃に縛られている以上、お前の欠陥武器(・・・・)の刃が俺の《ゴリアテ》を突破することはできねぇ!』

 

 

 もしも、『大鎌を欠陥武器と挑発したことへの罵倒』だとしたら。桃谷だけでなく、大鎌を軽く見た者たちに対する憤りだとしたら。

 もちろんこれらの分析は未だ一輝の想像の域を出ない。しかしこう考えれば一輝の今までの全ての疑問が一つの答えへと繋がる。

 

「疼木さんは大鎌という霊装に対し、僕たちが想像している以上の信頼と誇りを持っているのかもしれない。もしそうだとすれば、彼女の弱点が大鎌という武装にあると考えるのは大きな間違いだ」

 

 大鎌なのに(・・・)強いのではない。

 大鎌()強い。

 多くの人が使いにくいと言う武器を「使いやすい」と感じる異端の才覚。変則的な大鎌という武器に特化した伐刀者。それが疼木祝の正体なのかもしれない。

 だとすれば王道の武装こそ最強という固定観念は捨ててかかるべきだ。そう考えて試合に臨まなければ祝の動きに対応できず、一方的に刈り取られることになるだろう。

 去年の自分はまさにそうだった、と一輝は回顧する。予想外の祝の動きに一輝は面食らい、試合の前半はそれに付いていくことで精一杯だった。自身の知る槍術や棒術とは常識の違う大鎌の武術に翻弄され、それを捌くことに死力を尽くしていたと言っても過言ではない。

 

「なるほど。弱点どころか、むしろ彼女が得意としているのは大鎌の間合い。七星剣王を相手に使いにくい武器だからって侮るつもりはないけど、警戒のレベルを引き上げてかかる必要があるかもしれないわね」

 

 ステラは感心していた。

 彼女は元々、試合の対戦相手を分析するタイプではない。試合とは実戦のための訓練の一部であり、実戦で事前に敵の情報がある方が珍しいのが現実だと考えているためだ。

 しかし仮に彼女が分析をするタイプだったとしても、一輝ほど相手から事前に情報を読み取れるかどうか。彼が祝に対して一際熱心に情報を収集していることはステラも理解させられたが、それでも同じ情報量でここまで思考を巡らせることはできなかっただろう。

 一輝へと尊敬の念を向けるステラに対し、しかし一方の一輝は難しい表情を保ったままだった。

 確かに一輝は彼女を構成する一部を暴き出せたのかもしれない。しかし問題はここからだ。この分析は所詮糸口に過ぎない。ここからどうやって彼女を攻略していくかを考えるのが一輝にとっての分析だった。 

 

『不細工な伐刀絶技(ノウブルアーツ)ですね、それ』

 

 脳裏に蘇るのは、初めて彼女に《一刀修羅》という切り札を切った一輝への祝の言葉。

 魔力放出や霊装の顕現と違い、己の固有能力を用いた魔術を『伐刀絶技』と呼ぶ。つまり《身体能力倍加》という能力を応用した《一刀修羅》こそ、一輝の唯一にして最強の伐刀絶技ということになる。それを祝は開口一番で『不細工』と評価したのだ。

 一輝は最初、安い挑発か《一刀修羅》を小細工と見下す浅慮から来る侮辱かと思った。

 

『身体中から余分な魔力が溢れ出しているじゃないですか。魔力にロスがありすぎて美しくありません。そんなことだからその程度(・・・・)の出力しかないんですよ、その伐刀絶技は』

 

 しかしそれは違った。

 祝は一輝の魔力制御の技術を見て不細工と称していた。一輝が《一刀修羅》を使用すると、死力を振り絞って引き出した魔力が視認できるほどの強さで体外において迸る。ステラすらも初見では慄いたその現象を、祝は一目見るなり本質を見抜いていたのだ。

 その上で臆するでもなく油断するでもなく、淡々と彼女は《一刀修羅》を計っていた。

 

『確かに黒鉄は武術の達人ですね。己の身体を相当にコントロールできなければその伐刀絶技は使えなかったでしょう。しかし魔術の技量はそんなものなんですか?』

 

 思えば、一輝は己の非才さに甘えていたのかもしれなかった。

 自分には魔力が少ないのだから、武術を極めて騎士の頂を目指すしかないのだと。

 しかし祝に言われて初めて気づいた。《一刀修羅》にはまだまだ改善できるところがある。自分がもっと強くなるための余地は、こんなところに眠っていたのだ。確かに自分は武術に特化した伐刀者だが、《一刀修羅》も所詮は魔術。だが自分は、知らず知らずの内にそれを疎かにしていたのではないだろうか。

 

『うん。想像以上には強かったですよ、黒鉄』

 

 まだ、足りない。彼女の想像を超える程度ではまるで足りない。超えたいのは彼女の想像でも期待でもない。実力だ。

 そして彼女という存在を乗り越えない限り、この身の内に巣食う修羅道への憧憬からも抜け出せないのだ。

 今日もそうだった。今日の試合も実際に観に行くまで葛藤が渦巻いていた。ステラたちがいる手前のため何でもないように振る舞っていたが、内心では今日こそ彼女の生き様に引きずり込まれてしまうのではないかと恐怖していた。

 幸いにも試合は一輝が何かを感じ取る前に終わってしまい、一輝の心配は杞憂で済んだ。

 しかし今後も試合が進み、激戦になってゆくにつれて祝はその本性を剥き出しにしてゆくだろう。闘争への歓喜と楽しみを隠すこともなくなるだろう。今日のような本気を出す(たのしむ)までもない相手ならば、普段の穏やかな様子のままで試合を行えるほどの相手ならば問題はない。

 しかしもしも祝がステラのような強者と闘ったとしたなら、自分は正気でいられるのだろうか。

 

「……はぁ、まだまだ修行不足だな」

 

 考えれば考えるほど思い知らされるのが、己がどれほど修行不足であるかだった。

 人間である以上、雑念を消し去ることはできない。しかしそれに怯え、己の剣を鈍らせるのは修行不足以外の何物でもないだろう。

 実際に試合をしている時は流石にその手の雑念を忘れているが、日常生活などではふとした拍子に心の中の祝の影を感じ取ってしまう。龍馬に託された信念に纏わりつくように、彼女の血塗れの“美しい姿”が横切る。

まるでその祝は、“あちら側”へと手招きをしているようで……

 

(やめよう。今日はもう何も考えない方がいい)

 

 かの偉人ニーチェはこう言った。

 『君が深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ』と。

 疼木祝という少女を知れば知るほど一輝が彼女への憧憬に引きずり込まれる危険も増してゆく。今はまだ闘いを知ろうとしているだけだが、一輝の《完全掌握》は祝という人間すらも知らなければ完成しない。しかし彼女の人格を知りすぎるあまり、自身の憧憬が完全に共感へ変わってしまった時こそが一輝が龍馬の信念を捨て去ってしまう時なのだろう。

 実に厄介な少女を相手にしてしまったものだと、一輝は改めて理解した。しかし、だからこそ越え甲斐もあるというもの。

 

(君を超えて、僕は必ず七星の頂に立って見せるッ)

 

 七星の頂は、未だ高い。

 

 

 

 



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雷(いかづち)よ! かみなりじゃないわ!

感想を返しきれなくてスミマセン⋯⋯!
寄せられた感想には全て目を通しておりますので、これからも感想や誤字脱字のご報告をお待ちしております。


 破軍学園の七星剣武祭代表選抜戦が始まってもう一ヶ月が過ぎた。

 代表選抜戦も後半へと突入しており、今現在で無敗を誇る生徒の内の六人が七星剣武祭へと参加する資格を得ることとなるのがほぼ確定しているのが現状だ。選抜戦は最終的な戦績が高い生徒を順に採用してゆく方式を取っているのだが、このペースならば最後まで無敗を維持する生徒が出てくるだろうということは想像に難くないためだ。

 その中の候補の一人には、光栄なことに私の名前もある。しかし私の予想ではこの辺りの時期で「おい、大鎌って実はスゲェ武器なんじゃねぇか……?」と噂されているはずだったのだが、現実は私が考えていたほど芳しいものとは言い難かった。

 突然だが、選抜戦はスケジュールと選手への配慮の面から三日に一度ほどのペースを保っている。今の時期ならば勝ち進んだ選手は十回以上の試合を終えているのが通常の進行なのだ。

 

 だというのに、私はまだ二回しか試合をしていないのはどうしてなのだろう……。

 

 理由としては単純だ。

 第一試合で相手選手を鎧の霊装ごと両断したという事実に、殆どの対戦相手が恐れをなしてしまったのである。これにより次回以降の私の試合は棄権者が続出し、次のまともな試合は第五試合となってしまった。よって私は張り切って試合に臨み、大鎌を目立たせるために三年生のCランク選手を開幕数秒で、防御に回された腕ごと股から頭へ一撃で叩き斬るという派手な勝利を観客に見せつけた。

 

 以降、今日に至るまで私が試合をすることはなくなった。

 

 想像以上に破軍学園の生徒には骨のない生徒ばかりだったらしい。七星剣武祭に挑もうというのに七星剣王に恐れをなすとは、君たちは一体何を思ってこの大会に参加したんだ? むしろ早々に障害物を排除できてラッキーと思えるくらいでないと駄目だと私は思う。試合には新宮寺先生が顔を出しているのだから、死ぬほど痛いだけで死ぬことはないわけだし。

 そして本日。またしても私は第十二試合を迎える前に相手選手の棄権を知らせるメールを受け取ったことで、午後は完全に暇な時間となってしまったのだった。

 

「……試合がしたい」

 

 本日の授業が終了し、昼食を終えると私は修行以外にすることがなくなっていた。

 今日は魔力制御の訓練を行っているため、ジャージではなく制服のままだ。この修行は特殊な粘土に能力を付与していない素の魔力を流し込むことで手を使わずに形状を変えるという、魔力制御の訓練としては非常にメジャーなものである。

 これがやってみると意外と面白い。脳内でイメージした形状にするには一定以上の制御能力を必要とするが、慣れてしまえばより細部をイメージ通りにする方向へと凝っていく。

 しかしそれもある程度慣れてくると、私は新たな刺激に飢えていった。そして今の私が訓練をより面白く難しくという方向に拘り、最終的に辿り着いたのが……

 

「フォビドゥンガンダム!」

 

 私が座るベンチの上に1/144スケールのモビルスーツが鎮座していた。

 しかも私は粘土に一切手を触れておらず、傍から見ればベンチの上に転がっていた粘土が唐突に形状を変えたようにしか見えないはずである。

 

 これぞ私が修行の末に生み出した奥義『遠隔フィギュア製作』である!!

 

 理論は簡単。粘土に向けて魔力の糸を伸ばし、それに魔力を伝導させることで遠隔的に粘土を変形させたのだ。

 魔力の糸は、魔力を同じ量で同じ形状に維持し続けなければ作り出せない。そしてそれを構築しながら粘土の訓練も同時に行うと、実はかなりの集中力が必要な訓練に化けるのだ。

 そして訓練と並行しながら好きなフィギュアまで作れてしまうとは、まさに一石二鳥の訓練と言わざるを得ないだろう。努力なんて楽しんで何ぼである。

 

「う~ん、85点かな」

 

 強度は粘土だから脆いが、我ながら結構な再現度だと思う。バックパックもニーズヘグも見た感じ違和感はない。これで着色までできれば最高なのだが、訓練にそこまでの手間はかけられないのが残念である。

 ちなみにこの工程と動作を顔出しせずに動画サイトに上げてみたところ、再生数が万を超える結果となったのは予想外だった。

 今度はデスサイズヘルカスタムでも作ってみようかな? いや、奇を衒ってモビルアーマーとかでも……

 

「…………私、何をしているんだろう」

 

 何だか唐突に虚しくなった。

 いや、普段通りであることに違いはない。修行は楽しいし、こういう地道な努力が将来的に実力へと結びつくことは疑いようのない事実だ。そのことに喜びを感じてもいる。

 しかし周囲の生徒がワイワイと興奮しながら試合を観に行く光景を見ると複雑な心境だ。自分も選抜戦の選手だというのに、ここ数週間はまともに試合に参加していないってどういうことよ。修行時間が増えることが嬉しい反面、大鎌の活躍の場が奪われているという事実に私は悲しくなった。

 

「それに引き換え」

 

 思わず嘆息する。

 私が活躍の場を奪われている一方で、原作の主人公である黒鉄は学外で貪狼学園の《剣士殺し(ソードイーター)》こと三年生の倉敷蔵人と一戦交えていたというではないか。通常、学生騎士が学外で霊装を用いて乱闘など起こそうものならば最低でも停学、最悪の場合は逮捕の後に退学となってもおかしくはない。よって正式な道場の中で道場主の合意の下に、という条件で正式な決闘を行ったのだとか。この場合は内部で乱闘となっても“試合”で済まされるため、例外的にこの決闘は認められていた。

 

 私? 私は基本的に校内で()るか、事後承諾(・・・・)であっても試合という形式で相手と闘っているので問題ない。

 

 何はともあれ、倉敷さんと黒鉄の闘いは校内新聞で既に全校生徒の知るところとなった。よってますます彼の知名度を引き上げることとなっており、他校の生徒に襲撃をかけないよう先生から釘を刺されている私としては羨ましい限りである。

 元はといえば倉敷さんが黒鉄に喧嘩を吹っかけたのが事の発端らしいが、そんなことなら自分にいくらでも喧嘩を売れば良いものを。わざわざ道場という正式な場まで用意して大鎌を使えるのなら、言い値の百倍で買わせてもらうのにね。

 

「やあやあ、疼木ちゃん。相変わらず修行しているみたいだね~」

 

 私が呼び止められたのは、まさに魔力制御の訓練を再開しようというタイミングだった。

 その珍しい呼び方、そして独特な気配の現し方(・・・・・・・・・)をしてくる者に心当たりがあった私は、振り返るまでもなく声をかけてきた人物が誰なのかを悟る。

 

「御祓さんですか? お久しぶりです」

「うん、久しぶり。ここのところ顔を合わせる機会がなかったけれど、元気にしていたかい? まあ、試合の経過を聞いている限りは元気が有り余っているみたいだけど」

 

 先程まで誰もいなかったはずの場所に、忽然と小柄な少年が姿を現していた。

 私のことを見上げるようにしてヘラリと笑った彼は、名を御祓泡沫(みそぎうたかた)という。私よりもチビだがこれでも上級生で、しかも生徒会の副会長まで務めている学園の有名人である。それと同時に、彼はその能力の稀少性からも生徒の間では知られている。

 伐刀者の能力は大まかに分けて数種類ある。身体能力を強化する『身体強化系』、炎や水や風といった自然現象を操る『自然干渉系』、自然現象を超越した独自の概念を世界に引き起こす『概念干渉系』などだ。

 

 その中でも特に稀少であり、同時に最強と定義されているのが『因果干渉系』に分類される能力である。

 

 この能力は分類名からもわかる通り“因果”に対して効果を発揮するため、理論的に同じ因果干渉系の能力でなければ防ぐことも躱すこともできないという反則的な能力なのだ。

 この先輩もその系統の能力を持つ数少ない伐刀者の一人で、《絶対的不確定(ブラックボックス)》と呼ばれる伐刀絶技を持っている。この能力がまた便利で、『成功と失敗という両方の可能性がある現象を後からどちらにでも書き換えられる』というものだ。わかりやすく説明するのなら、デュエル中に引きたいカードがデッキにあれば、例え違うカードを引いてしまっても欲しかったカードに書き換えられる能力だと思えばいい。ソリティアし放題な能力である。

 

「こんなところで奇遇……なんですかね? あなたの能力はその辺が曖昧になるので判別しにくいです。ひょっとして私に会いに来ていたり?」

「あはは☆ 流石は現役の七星剣王、察しが良いね! その通りだよ、ボクは君を探してここに来たんだ。『君を探しに行く』という過程から『君に出会う』という結果が成功するようにボクの能力で因果を書き換えた(・・・・・)。おかげで一発でボクは君に辿り着いたってわけさ」

「はぁ、そうなんですか」

 

 相変わらず言い回しが七面倒臭い能力である。某アイドルの熊本弁に匹敵するわかりにくさだ。

 しかし因果干渉系の能力は大抵がこんな感じで説明することになってしまうため、彼も悪気があってやっているわけではないのだろう。むしろ一部の厨二病を患っている人々には大受けするのではないだろうか?

 

「それで、何か御用ですか? これでも訓練中なので世間話は……」

「いやいや、別にボクは君と楽しく談笑するために足を運んだわけじゃない。ただ、刀華が君のことを呼んでいるんだ。だからボクはそのお迎えってわけ」

 

 「人探しは得意だからね」と笑う御祓さん。

 だと思ったよ。

 この人とは顔見知り程度の関係ではあるが、仲が良いかと聞かれると首を傾げる程度の関係しかない。そんな彼が私を訪ねてくる理由を考えた場合、彼が口にした女性の名前が出てくることは必然だった。

 

「東堂さんが私に? 今年は小言を貰うようなことはしていないと思いますけど」

 

 東堂刀華。

 それが御祓さんを私に遣わした女性の名前だ。そして生徒会の副会長を顎で使える立場、即ちこの学園の生徒会長でもある。

 彼女が私にとってどのような存在かと問われれば、ルパンにとっての銭形警部のようなものと言えばその関係がわかるだろうか。あるいは怪人二十面相にとっての明智小五郎か。

 去年の私が学園の内外でカチコミを行っていたのは有名な話だが、実は去年の時点で生徒会の役員を務めていた東堂さんはその裏で私を抑え込もうと様々な策を巡らせていたのだ。その大半は実力行使という形になってしまい、結果的に私はあらゆる場所で彼女を始めとした当時の生徒会役員たちに追い掛け回されることとなった。霊装の使用が許可されていた校内では特にそれが顕著で、彼女の必殺技である電磁抜刀術《雷切》が爆音を奏でない日の方が珍しかったくらいである。

 

 しかし、思い返すとあの日常がもう一年前のことなのか。光陰矢の如しとはよく言ったものだよ。

 前世で嫌というほど実感していたはずだというのに時間が過ぎるのは本当にあっという間で、一年前のことすら微かな懐かしさを感じてしまう。

 

 当時から頭角を現してきていた彼女は、生徒会の中でも特に率先して私のカチコミを妨害していた。他の生徒と喧嘩をしていたところに、よく電撃の弾幕をぶちかまして横槍を入れてきたものだ。そこから喧嘩の相手そっちのけで割とガチな戦闘になることも少なくはなく、教師の制止すらも振り切って彼女と数えきれないほど激突した。

 まぁ、東堂さんは幻想形態しか使わなかったため、私も基本的に実像形態で闘うことはなかったのだが。だって相手がこっちに気を遣っているのに、私だけ殺意全開にするのはフェアじゃないし? 一方的に重症負わせるなり殺すなりしても大鎌の心象悪くなりそうだし?

 東堂さんも私の大鎌愛を知っているので、あえて実像形態にしてことを荒立てることはしなかった。あるいはこれも彼女の小賢しい策略だったのかもしれないが、私のポリシーである以上はその策略に乗らざるを得ない。

 しかし幻想形態であっても斬ったり斬られたり抉ったり焼かれたりしてばかりだったあの日常はとても楽しかった。今年になって私が大人しくなったため学園には平和が戻ったが、私は去年の破軍学園の方が好きだったくらいだ。

 

 そんな感じの関係であるため、時が経ち生徒会長となった彼女からは廊下ですれ違ったりする度に小言を言われている。

 よって今日もそういう関係の話だと考えていたのだが……

 

「いや、今日は別件だね。どうも君の腕を見込んで頼みがあるらしい。新宮寺理事長からの推薦でもある」

 

 うへぇ、あの人も一枚噛んでいるのか。

 あの人には試合でお世話になっている身だ。これは迂闊に断れなくなったぞ。

 

「……新宮寺先生の後押しがあるとはいえ、あの人が私にものを頼むなんて珍しいですね。一体どういう風の吹き回しですか?」

「あはは☆ 確かに刀華は君のことを問題児だって頭を抱えてはいるけど、その実力に関しては誰よりも認めているんだよ。去年は何度も刃を交えた仲だし、さらに言うなら“招集”で背中を任せた経験もある。そんな疼木ちゃんだからこそ、刀華は頼ってきたんだと思うな」

 

 “招集”とは、学生騎士に出される特別招集のことを指す。

 これは学生騎士を事件の現場に投入するための制度で、学園が誇る高位の伐刀者に実戦の経験を積ませることに利用されている。学生騎士は騎士学校を卒業後、予備兵やその能力を活かした職場に就くことが多い。そのため、見込みがある生徒には積極的に経験を積ませることが国から推奨されているのだ。

 例えば原作の一巻――今年の四月に黒鉄たちが巻き込まれたテロリストの立て籠もり事件も招集案件だ。その際は現場に居合わせた彼らが解決してしまったため私や東堂さんは招集されなかったが、電子生徒手帳には『待機』の命令が通達されていた。もう少し黒鉄たちが動くのが遅れていれば、私や東堂さんが現場に突入することになっていただろう。

 そういうわけで私たちはこの招集で共に現場へ赴くことが多かったため、自然とお互いの実力を計る機会に恵まれているのである。

 

「ちなみにですけど、それはどういった内容で?」

「詳しい話は刀華が話すけど……実は今、学園が保有する合宿所で不審な影が目撃されていてね。その調査の助っ人を君にお願いしたいって話なのさ」

 

 ……おや?

 何だか聞き覚えのある単語がいくつか出てきたぞ?

 これはまさか……

 

「……合宿所ですか。それって破軍(ウチ)が持っている、あの奥多摩の?」

「そうそう。君も去年、七星剣武祭の代表に選ばれた時にそこで合宿しただろう? あそこだよ。君ならば地の利もあるし、何より不審者なんて七星剣王ほどの実力者なら楽勝だろ? だから君がいれば百人力ってわけだよ」

「……へ、へぇ……そうなんですか……」

「オマケに刀華が他にも助っ人を連れてきてくれてね。君も知っているだろう? あの《落第騎士(ワーストワン)》と《紅蓮の皇女》だ。一年生の二枚看板に加えて、七星剣王の君が来てくれればボクとしても安心――」

「………………」

 

 ……これはアレだな。

 とうとう数多の転生者が夢見る例のアレをする時が来てしまったということだな。

 奥多摩の合宿所、原作主人公とそのヒロイン――それらの情報を聞いた瞬間、私は原作小説で言うところの三巻の半ばで舞台となる場面だということを悟った。

 これが示すのは、即ち……

 

 

 げ、原作介入だぁぁぁぁあああああああッ!?

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 どこまでも伸びてゆく黒い路面と、その中を閃光のように貫く白線。

 僅かに開けられた窓からは春と夏の香りが混じった風が吹き込み、車内を巡り吹き抜けてゆく。外に広がるのは段々と数が少なくなってゆく建造物と、その隙間を埋めるように生い茂る(みどり)

 その光景を眺めながら、私は今日も日課のギッチョギッチョを欠かさない。愛用している100キロのハンドグリップが私の握力へ健気に抵抗し、押し潰されまいと踏み止まる。しかし暇さえあればこうして握力を鍛えてきた私からしてみると、そろそろ物足りなさを感じてきた今日この頃である。

 そして――ミシッ。

 

「あっ」

 

 ちょっと試しに本気で握り込んでみたところ、ハンドグリップは根元の部分から変形して折れ曲がってしまった。

 やっぱり100キロでは駄目か。帰ったらもっと頑丈で強いものを買ってこよう。

 そう思いながらハンドグリップだったものを鞄に仕舞い込むと、ふと視線を感じた。何事かと視線を辿ってみると、私の隣に座っているステラさんからだった。彼女はなぜか私を見ながら表情を引き攣らせている。

 

「どうかしました?」

「いや、どうかしたっていうか……どうかしているのはアンタでしょッ!?」

 

 炎が燃え上がるかのように彼女は赤毛を逆立てた。

 えっ、何事っ!?

 

「なんでハンドグリップを握り潰せるのよ!? それそういうものじゃないでしょ! どんだけ握力強いのよ握撃かッ!」

「え、えぇ……? 他ならぬ貴女が言いますかそれ? ステラさんだってこれくらいできるでしょう? 剣で訓練場のリングをカチ割れるんですから」

「ゔっ……それは……できるかもしれないけど……」

 

 かもしれないじゃなくて絶対にできるだろ。

 私知ってんだぞ。今はどうか知らないけど、原作の後の方になってパワーアップすると丸めた紙を投げただけでコンクリの壁を粉砕できるようになるって。物理法則仕事しろと思った読者は私だけではなかったはずだ。

 きっと今の彼女でも、デコピンで人間を殺すくらいはわけないだろう。

 

「何だか凄く失礼な想像をされている気がするわ……」

「気のせいでは? 私はただ、きっと怪力自慢のステラさんならデコピンでも人を殺せるんだろうな、と思っていただけですから」

「超失礼じゃないの! もうそこまで行ったら人間じゃないでしょ! 流石にそれはアタシでも出来ないわよ! …………たぶん」

「はぁ? 人間を馬鹿にしないで戴けます? 私は普通に人間ですけど、魔力の放出量を弄れば余裕で出来ますよ?」

「そっちこそ普通の人間を馬鹿にすんじゃないわよ! っていうかどっちが怪力よ!」

 

 ゼェゼェと息を荒くするステラさん。

 テンションの高い人だ。この世界の炎使いは皆してこんなに荒々しい感じなのだろうか? いや、私が今まで会った火属性の人の中にも大人しい人はいた。つまり彼女が荒っぽいだけだろう。

 

「あ、あはは……二人ともすぐに仲良くなったね……」

 

 おっかなびっくりといった様子の少年が、「がるるッ」と唸るステラさんを抑えながら苦笑する。

 ステラさんを挟んで私と反対側に座る彼――黒鉄の苦笑に釣られるように、車の助手席から「くすくす」と鈴を転がすような笑い声が漏れた。そして栗色の髪を靡かせ、二列目に座る私たちを声の主が覗き込んでくる。

 

「ステラさん。祝さんは基本的にそんな感じですから、いちいち怒っていたら身が持ちませんよ? 彼女の常識は私たちの非常識。彼女の会話は売り言葉と異世界の常識で成り立っているんです。祝さんと会話する時は宇宙人と会話しているくらいのつもりで臨んでください」

「み、見かけによらずトーカさんも意外と毒を吐くわね……」

 

 ステラさんは意外そうな目で東堂さんを見つめているが、私としては聞き慣れたものである。というか彼女は私と出会った頃からこんな感じだった。原作の東堂さんがどんなキャラだったかはあまり覚えていないが、私としてはこれが普通だ。

 しかし分厚い丸眼鏡をかけた彼女は見た目だけは真面目な委員長キャラなので、初対面の人は驚くのだろう。中身は立派な戦闘狂なのにね。闘っているとすぐに化けの皮が剥がれるので私はよく知っている。

 

 そんな感じで和気藹々としている私たちは現在、例の奥多摩の合宿所に向けて移動中だ。

 私は電車とバスを乗り継いでいくのだとばかり思っていたが、東堂さんが学園から大人数を乗せることができるバンを借りてきてくれた。

 乗車しているのは生徒会のメンバーと私、そして黒鉄とステラさんの計八人。ステラさんと顔を合わせるのはこれで二度目だが、彼女は再会するとすぐに「ヴァーミリオンさんだと呼びにくいでしょ?」と名前で呼ぶように言ってきた。しかも私が王族という身分に遠慮していることも察していたらしく、気軽に話すことも許してくれたのだ。何ともフレンドリーなお姫様である。彼女の実家は小国の王族だと聞くが、本当にそんな畏れ多いことをしても良いのだろうか?

 しかし生徒会の人や黒鉄が下の名前で呼んで親しげにしている中、私だけ苗字で呼ぶのも心象が悪かろう。よってありがたく下の名前で呼ばせてもらうことにした。

 

「あはは☆ 後輩クンたちの仲が良くなってボクとしては嬉しい限りだよ。でも狭い車内で叫ばれると流石に頭に響くから、少しボリュームを落としてほしいかな?」

「だそうですよ、ステラさん」

「誰のせいよ!」

 

 ほら、御祓さんが言ってる傍からまた怒鳴る~。

 この人はなんでそんなにおこなの? カルシウム足りてないの?

 「ステラ、声が大きい……」と諫める黒鉄を見習うべきだと思う。彼も彼でさっきから私をチラチラと見てきて鬱陶しいが、喧しいよりかは遥かにマシだ。

 その証拠に、さっきまで後部座席で舟を漕いでいた会計の貴徳原(とうとくばら)カナタさんが完全に目を覚ましている。ベルラインドレスを貴婦人のように着こなす姿が知られる彼女は、高校生離れした雰囲気で微笑ましそうにステラさんを眺めていた。騒音に起こされたというのに嫌な顔一つしないとは、彼女こそ一人前のレディと呼ばなければなるまい。私だったら即ステラさんを落としている。もちろんいきなり車からではなく、最初は絞め技でという意味なので誤解しないでほしい。

 

「ステラちゃんは元気だねー! アタシなんてヒイラギと会話しているだけですぐにヘバっちゃうのに。ツッコミが追い付かないっていうの? この子の天然度合いは相当なものだからね」

 

 後部座席から身を乗り出してきた少女が、背凭れに寄りかかりながらケラケラと笑う。

 彼女もまた有名人だ。《速度中毒(ランナーズハイ)》の二つ名を持つ彼女――兎丸恋々(とまるれんれん)は、生徒会の庶務であると同時に校内序列四位の肩書を持つ強者なのだ。残念ながら彼女は既に黒鉄に敗れたことで選抜戦から離脱しており、代表入りするための道は閉ざされているのだが。

 しかし彼女は二年生であるため、もしかすると来年は代表になっているかもしれない。

 ちなみに三位は先程紹介した貴徳原さんで、二位は助手席に座る東堂さんだ。一位? もちろん私ですけれど何か?(ドヤァ)

 

「兎丸、会長も。本人の前で誹り事をするものではない。無論、陰口を認めているわけではないが、それにしても礼儀に欠ける」

 

 兎丸さんを諫める声が運転席から投げかけられた。

 視線をこちらに向けずに前方へと視線を向けているため、私から見えるのは彼の坊主頭だけだ。

 無骨な声色や言葉遣いからも伝わる真面目さに、兎丸さんは「へいへーい」と席へ戻っていった。彼こそが貴徳原さんと並ぶ生徒会の良心。書記にして二年生の砕城雷(さいじょういかづち)だ。(いかづち)であって(かみなり)ではないので注意してほしい。

 彼も校内序列五位という成績を持っており、《城砕き(デストロイヤー)》という異名を持つパワー系の伐刀者である。身長も巨漢と表現できるほどある強面の彼だが、先程の言葉からわかるようにその中身は非常に礼儀正しい。実直という言葉が似合う、今時では珍しいほど真面目な青年なのだ。ちなみに彼も選抜戦でステラさんに敗れており、既に代表入りすることはない。

 今日は運転手の役目を買って出てくれており、彼がいなければ私たちは電車とバスを利用して合宿所に行くことになっていただろう。ちなみに免許の制度は前世と違っているため、16か17歳の彼でも運転免許を取得できているのであしからず。

 

 そんな話をしている間に、バンは奥多摩の合宿所に到着していた。

 合宿所は山と森に囲まれた人里離れた場所に位置しており、ここならばいくら暴れても爆発しても怒られない。しかし逆に言うと、それだけ合宿所に現れたという不審者を探すのが難しいということでもある。東堂さんは電磁ソナーなどという便利な伐刀絶技を持っているため例外だが、私を含めて他の人たちは探索に便利な能力など持ち合わせてはいない。

 だが、今回はこちらにとってもだいぶ難易度が下がった捜索となるだろう。なぜなら、その不審者というのが――

 

「体長4メートルの巨人……ねぇ」

 

 例の巨人が進撃してくるマンガを前世で読んで感覚が麻痺していたために、意外と小さいと思ってしまった私を許してほしい。4メートルでも意外と大きいからね? 50メートル級となるともはやマンションだし。

 話が逸れたが、その巨人とやらがこの合宿所付近で目撃された不審者である。人間じゃないけど。

 この魔術が世の中を跋扈する時代にUMAとかオカルトとか、そんなもの自体が(笑)を最後に付けられるようになって久しい。きっと東堂さんたちは伐刀者の悪戯などを念頭に調査するつもりだろう。

 そしてそれは間違っていない。

 原作を知っている私は、当然ながらその正体を知っている。これはとある伐刀者が自身の魔術の調整のために実験しているだけなのだということも、結局その正体を知るのがしばらく後になるのだということも、この調査の顛末も。

 

 しかし知っているはずがない(・・・・・・・・・・)私がそれを喋ってあげる理由はない。前世の記憶があるなど、それこそ最大級のオカルトなのだから。

 

 よって私は、適当に今回の調査を流すつもりだ。

 言われた通りに調査をするつもりではあるが、別に原作の流れを捻じ曲げることはしない。完全放置だ。

 本当ならば参加すること自体が億劫だったのだが、これからも新宮寺先生には試合の後始末などをお願いしなければならないのだ。少なくともここで断るという選択肢を取るのは難しかった。

 無駄に終わるということがわかっているためモチベーションが低いことは否定できないが、逆に結果がわかりきっているのならば必死に頭を捻る必要がないということでもある。ならば落胆するほどのことでもないだろう。

 

 そう考えると気が楽になってきた。

 学園での修行ばかりの日々が無駄だとは全く考えていないが、偶には他の刺激に触れて心の換気をするべき時もある。今回はそういう機会に恵まれたと思えば良い。

 

 

 そう――初心に返り、山奥で修行するというのも悪くないだろう。

 

 

 そんな感じで私が考え事をしていると、東堂さんが集まるように呼びかけてきた。

 時間が時間なだけに、どうも調査を始める前に昼食にするらしい。合宿所にはキャンプ場が備え付けられているため、そこの設備を使って東堂さんがカレーを作るのだとか。その間に貴徳原さんと砕城は巨人を見たという管理人に挨拶と聴取をしに行ってしまい、ステラさんと兎丸は調理器具を運び終わった途端にバドミントンのラケットを持って遊びに行ってしまった。

 一方の私はというと、調理器具を運び込んでしまえば完全にやることがない。なぜなら料理スキルがないから。前世では人並に料理ができていた記憶があるのだが、最近は料理を全くしなくなったためもう思い出せない。

 よって私は完全に手持ち無沙汰となってしまい、近くの柵に座ってカレーができるのを待っていることしかできなかった。

 

 Q.こういう時、どうすればいいのかわからないの。

 A.修行したらいいと思うよ。

 

 というわけで、暇な私は空いた時間を使って素振りでもすることにした。

 邪魔にならないように少し離れた場所でするべきだろう。新鮮な空気を吸い込みながらする素振りが格別だということは、小学生時代に山奥へ潜った時に経験している。澄んだ空気が脳を活性化させ、人里で素振りする時以上の深い集中状態に入ることができるのだ。

 静かだし空気も美味しいと来れば、武術家が世間の喧騒を嫌って山や森に隠れ潜むのも納得できる。

 

「……うん?」

 

 しかし場所を移そうとした私の視界に、何やら呆然と佇む黒鉄の姿が映った。

 手には切り終わったと思われる野菜が半球状の器に収められており、どうやらそれを東堂さんのところに持っていく最中らしい。しかし彼はその東堂さんへと視線を向けたまま一歩も動かず、まるで芸術品を眺めるかのように魅入っていた。

 その黒鉄の姿が何に似ているのか。その私はすぐにその正体へ思い至る。目に映る光景を僅かたりとも逃すまいと集中する今の彼はまさに――

 

「東堂さんを視姦しているんですか?」

「違うよっ!?」

 

 違うのか。

 前に見かけた変質者にそっくりだと思ったんだけどな。

 

 

 



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どうせみんな修羅になる

感想や誤字報告、お待ちしております。
余談ですが、誤字報告は機能が一新されて以来、本当に助かっています。流石は運営。


 目を奪われる――その言葉の意味を、一輝は身を以って思い知らされていた。

 

 昼食にカレーを作る刀華の手伝いを買って出た一輝は、持ち前の家事スキルを発揮して彼女の料理を手伝っていた。その途中、野菜を切り終えた一輝は不意に刀華の後ろ姿から視線を外すことができなくなってしまう。

 自分でもなぜなのかわからない。しかし直感的な何かがこの光景を見過ごしてはならないと警告してきたのだ。

 

(なぜだろう……まるで吸い込まれるような……)

 

 気が付けば一輝は、料理のことを完全に忘れて刀華の後ろ姿を観察していた。一輝の鍛え上げられた眼力が働き、彼女から何かを読み取ろうとしている。

 では、一体何を? それは当の本人である一輝にもわからず、ただ困惑することしかできない。

 そしてその観察眼の精度は戦闘時のレベルまで徐々に引き上げられてゆく。視覚から得られる情報だけでなく、五感を駆使してあらゆる情報を読み取ってゆく。そして一輝の集中状態が極限まで深まり――

 

「東堂さんを視姦しているんですか?」

「違うよっ!?」

 

 一瞬で霧散させられた。祝の涼し気な囁き声が耳元にかけられる。

 全く気付かなかったその気配と唐突に声をかけられたこと、そして何よりまるで自分を痴漢呼ばわりするかのような言葉に、一輝は思わずその場を飛び退いていた。

 しかし一輝の言葉にも祝は疑わしそうにこちらを見やるばかりで、全く信用している様子はない。

 

「違うも何も、さっきから東堂さんのお尻をずっと眺めていたではないですか。男の本能というものは私も理解できますけど、流石に白昼堂々というのはちょっと……」

「いやいやいや! 本当にそういうのじゃないから!」

「でも車の中でも私のことをチラチラと眺めていましたし。実は黒鉄って見境のないタイプなんですか?」

「ちょ、本当にちょっと待って! それは誤解だから!」

「きゃーらんぼーされちゃうー……ってステラさんに聞かれたらどうなるんでしょうね」

「それは本当に死ぬからやめてッ!!」

「――黒鉄くーん。どうかしましたかー?」

 

 必死の反論をしたせいで声が大きくなったためか、刀華が心配してこちらの様子を伺ってきた。

 そこで一輝は今度こそ我に返る。そうだ、自分は料理の最中ではないか。

 再起動した一輝は小走りで野菜を刀華に届けた。すると「後は一人でできますから」と刀華が料理番をしてくれるとのことだったため、これ以上自分がすることもないと判断して休憩させてもらうこととした。

 すると飯盒で米を焚いている御祓がこちらに手招きしていることに一輝は気が付いた。その傍には祝の姿もある。一輝は嫌な予感がしながらも禊祓の下へと向かった。

 

「やあやあ、後輩クン。疼木ちゃんから聞いたよ? どうやら刀華の大きなお尻をガン見していたようで」

「エロスも大概にしてくださいね、黒鉄」

「……疼木さん、だからあれは違うって言ったよね? 確かに何も言わずに東堂さんを見ていた僕も悪いけど、本当に疚しい気持ちがあったわけではないんだ」

 

 祝への苦手意識を感じながら、しかし学生騎士から変態にジョブチェンジさせられては堪らないと再び弁解する。

 

「何と言うか……不思議と東堂さんに目を奪われてしまったんだ。上手く言葉にできないけど、その、ああして料理をしている東堂さんの姿から目を逸らしてはいけないような気がしてしまって」

「そうですかね?」

「……へぇ? それはそれは」

 

 一輝の言葉に、祝は怪訝そうな顔で刀華へと視線を向けた。

 その一方、御祓は何か感じるところがあったのか一輝の言葉を聞くと感心したように頷いてみせた。

 

「流石、と言うべきかな後輩クン。刀華の姿を見てそれを感じ取るとは。君は本当に凄い」

「えっ?」

「……?」

 

 キョトンとする一輝と祝。

 そんな二人を面白そうに見やると、飯盒に目を戻しながら御祓は語り出した。

 

「あの立ち姿に何かしらを感じたんだろう? それは正しいってことさ。刀華のあの姿こそが、その強さの源泉みたいなものだからね」

「料理が強さの源泉、ですか」

「料理というより、誰かのためにっていうその姿勢かな。昔から刀華はそうだった」

 

 “昔から”という言葉の通り、御祓と刀華と貴徳原はかなり古い付き合いであるらしい。

 というのも、御祓と刀華は貴徳原の実家が経営する児童養護施設『若葉の家』に引き取られていた孤児だったのだ。御祓によれば、三人の繋がりはここから続いているのだとか。

 

「へぇ~、三人とも幼馴染というやつなんですね」

「はは、まあね」

「……あの、不躾な話だということは承知しています。でも御祓さんが良ければなんですが、さっき言っていた東堂さんの強さの源泉というのが何なのかを教えてもらえませんか?」

 

 僅かばかり逡巡した一輝だったが、やがて意を決したように御祓へ踏み込む。

 孤児院時代のことを尋ねるのは、人によっては充分に踏み込まれたくない過去だろう。その頃のことを尋ねるのは一輝としても心苦しかったが、どうしても気になってしまった。自分が無意識に感じ取ってしまった、東堂刀華という少女が持つ強さの源泉というものが。

 

「そう、だね。いいよ、教えてあげる。じゃあ、後輩クンたちは児童養護施設って聞くとどんなイメージだい?」

「……身寄りのない子供たちを引き取って育てる施設でしょうか?」

「右に同じです」

 

 言葉をなるべく選んだ一輝。

 それを悟ったのか、御祓は少し表情を緩めた。

 

「そりゃそうなんだけどね。でも、言葉の上での定義と現実はだいぶ違う。身寄りがないっていっても、親が死んだり捨てられたり……中には虐待を受けて殺されかけた奴だっていた。そいつは役所の力で親元から引き離されて『若葉の家』に来たんだったかな」

 

 御祓は回顧する。

 当時の『若葉の家』は、そういった複雑な過去を背負う子供が多かった。当然ながら子供たちは張り詰めた空気を互いに纏い、施設はお世辞にも穏やかな雰囲気とはいえない状態だった。いつしか刃物のように意識を尖らせた子供たちが、些細なことでもその刃で傷つけ合うようになっていたほどに。

 その中で異彩を放っていたのが刀華だった。

 複雑に絡み合った子供たちの悪意を一つ一つ解き、緩め、施設の中から争いを少しずつ取り除いていったのだ。

 

「親に殺されそうになった奴も刀華に救われた口さ。どこまでも壊れていて、追い詰められるあまり他の子供に乱暴ばかりしていたそいつも等しく助けられた。刀華が見捨てずにずっと手を差し伸べてくれていたから、そいつは人間らしさってものを取り戻すことができた。きっと刀華がいなければ、そいつはそこから碌な人生を送ることもできなかっただろうね。だからそいつは今でも刀華に感謝しているし、世界の誰よりも大好きなのさ」

「…………」

 

 その壮絶な過去に一輝は口を開くことができなかった。

 刀華の過去についてだけではない。ここまで語られれば流石の一輝にも理解できる。その親に殺されかけた子供が誰なのかということに。

 あの祝でさえも御祓の放つ空気を読み、その口を噤んでいる。

 

「そいつがある時、刀華に聞いたんだよ。どうして刀華はそんなに強く在ることができるのかってね。刀華は両親を事故で亡くして施設に来た。辛くなかったはずがないのに、どうして皆に優しくすることができるんだって」

 

 今でも御祓はその時の刀華の力強い笑顔を思い出すことができる。

 その時の彼女の笑顔は、禊祓が今までに見た何よりも美しく、気高く、そして優しかった。

 

「自分は今まで、たくさん両親に愛してもらった。たくさんの愛情と笑顔を貰った。そしてそれは今でも自分を支えてくれている。だから今度はその支えに自分がなりたい。自分の両親が自分にしてくれたように、皆の支えになれるような思い出を作ってあげたい――刀華はそう言っていたよ」

 

 そしてそんな彼女の思いは、年月が経った今でも全く色褪せていない。

 刀華は今でも『若葉の家』に希望と勇気を届け続けている。自分たちのような身寄りのない子供であっても、努力すれば国内でも有数の伐刀者になることができるのだと、立派な人間になることができるのだということを証明し続けている。

 だからこそ彼女は強い。その身に子供たちの夢と希望を背負って前に進む限り、彼女が挫けることはない。そしてその他者を圧倒するほどの意志は、何人(なんぴと)であろうとも砕くことができないのだ。

 

「後輩クン、君は確かに強い。ボクなんかじゃ逆立ちしても勝てないし、カナタでも厳しいだろう。でも刀華は負けないよ。君が何のために剣を振るい、どんな過去を辿ってきたのかをボクは知らない。でも彼女が背負っている子供たちの期待と希望よりも、君が背負っているものの方が重いとは思えないんだ」

「…………」

 

 ぐうの音も出ない。

 刀華の背負うものに一輝は完全に圧倒されていた。他者のために闘うことができる優しい魂を持つ彼女は、誰かのために闘う時にこそ最大の力を発揮する。

 子供たちや御祓の思いを背負っている彼女の刃――そんな重い剣に比べ、自分の剣の何と軽いことか。期待に応えようと輝く彼女の魂が眩しい。自分の意志と信念を通すと聞けば聞こえはいいが、実際は己のエゴのためだけに他者を蹴り落としているだけの卑しい魂が高潔な彼女に勝るなど一輝には到底思えなかった。

 黙り込む一輝から視線を外した御祓は、続いて祝へとそれを移す。

 

「疼木ちゃん、勝てないってのは君もだぜ?」

「はい?」

 

 挑発的な御祓の言葉に、祝はキョトンと首を傾げる。

 漆黒の瞳が御祓を呑み込むように映し出し、暗闇に魂を吸い込まれるかのような錯覚が御祓を襲う。それを内心で恐ろしく思いながらも、御祓は不敵な態度を崩さない。

 

「去年の七星剣武祭で準決勝で《浪速の星》に敗れ去り、刀華は君の待つ決勝に辿り着くことができなかった。でも今度こそ刀華は七星の頂に立つ。この一年、子供たちの期待に応えるために刀華は徹底的に自分を鍛え直してきたんだ。君も成長しているんだろうけど、今の刀華の剣はそれ以上に重く、鋭く成長している。正直なところ――全く負ける気がしないよ」

 

 七星剣王に対し、それはあまりにも大言壮語。

 去年、刀華は祝と闘うことすらできなかった。だというのに、その選手の身内の言葉であろうともこれほどの大口を叩いてみせるとは。下手をすれば身の程知らずと言われてもおかしくはない。

 だが、ここに御祓の狙いがあった。この挑発には祝はどのような反応を見せるのか、それを知ることで祝の器を見定めてやろうという、ちょっとした悪戯のようなものだ。果たして七星剣王である彼女はどう答えるのか。例え七星剣武祭に出場する意思がない御祓個人としても、同じ学生騎士の一人としては興味が尽きない。

 馬鹿にされたと不機嫌を露わにするのか、小物の戯言と嘲笑するのか。あるいは豪快に笑い飛ばし、その余裕さを見せつけてくるのかもしれない。

 それを瞬時に悟った一輝も注意深く祝を観察する。自分に修羅がどのようなものであるのかを教えてみせた彼女が、自分が窮したこの難題にどう解答(こた)えるのか。自らが感じてしまった憧憬の道の果ては、一体この難題に何を感じるのか。それを知りたいがために、心持ち身を乗り出すようにして祝の言葉を待ち構える。

 そして……

 

 

「う~ん……この話、やめましょうか」

 

 

 ニパッと、花が咲いたように祝が笑う。

 祝のその言葉は、雰囲気が悪くなった場の空気を入れ替えようと意図したり、答えに窮したためにお茶を濁した――というわけではないことを御祓と一輝は一瞬で理解させられた。

 なぜならその笑顔とは裏腹に祝が放つ気配は思わずゾッとするほどに寒々しいものだったからだ。細められた目から覗く黒い双眸からは、一輝と御祓を圧殺せんとするほどの負の感情が発せられている。

 その言葉は決して提案などではなく、この少女による決定であり命令でしかなかったのだ。その絶対的な言葉に、御祓の精神は抵抗もできず屈服する。

 

「そんなことよりも、御祓さん。お米の焦げる匂いがしますし、そろそろ蒸した方がいいのではないでしょうか? ……ほら、御祓さん」

「え、うん……ああ……」

 

 どこか呆然としながら、御祓は火元から飯盒を離す。

 この後は飯盒をひっくり返して蒸らしの作業に入るのだが、禊祓は全く作業に集中できていない。まるで祝の言葉に操られたかのようにフラフラと手を動かし、ともすれば意識すらも曖昧になっているのかもしれない。

 その姿を一瞥すると、祝は何も言わずに踵を返した。その背中を見てようやく硬直から回復した一輝は、咄嗟に祝のその背中を追いかけていた。理由はわからない。しかし刀華の後ろ姿を眺めていた時と同じく、これもまた何となく彼女を追いかけなければならない気がしたのだ。

 

「疼木さん、あの……!」

「何ですか?」

 

 振り返った祝は、薄い笑みを浮かべながら首を傾げた。そこには先程の寒々しさはない。

 一輝は言葉に詰まってしまう。声をかけてみたのはいいが、一体自分が何を彼女に話そうとしていたのか、それが自分にもよくわからないためだ。逡巡する一輝を不思議そうに見やり、祝はますます首を傾げる。

 

「黒鉄?」

「ああ、うん……何ていうか。さっきの疼木さんが、何だか怒っているみたいに感じたから。僕が機嫌を損ねてしまったのなら謝ろうかと思って」

「あぁ、なるほど」

 

 得心がいったように頷いた彼女は、「別に貴方に怒ってはいませんよ」と笑った。

 

「ただ、ああいう話は凄く嫌いなので。つい無理に打ち切ってしまいました」

「ああいう話って?」

「御祓さんが話していた剣の重さがどうとか、そういう話です。心底“どうでもいい”と思っています」

「……えっ?」

 

 一輝は思わず耳を疑った。

 どうでもいい――目の前の少女はそう言ったのだ。御祓の語ってくれた刀華の強さの源泉についての話を、刀華が剣を取るに至った崇高な動機を、彼女は一輝の目の前で吐き捨てるかのように。

 そこで一輝は先程の祝の寒々しい視線に含まれた感情を、全身から発していた気配の正体を悟った。

 

 

 ――周囲を押し潰すかのような“倦怠感”。

 

 

 拒絶と無関心――それが祝の答えだった。先程の禊祓の話に対して、いっそ無慈悲なまでに祝は興味を持っていない。そして退屈な空気に不機嫌となった祝が一輝と御祓を圧迫していたのだ。

 これには流石に温厚な一輝であっても眉を顰めてしまう。御祓も同情してほしいがためにあの話をしたわけではないだろうが、その発言と態度はあまりに失礼だ。

 

「疼木さん、そのどうでもいいという言葉は、いくら何でも御祓さんや東堂さんに失礼だ。本当にそう思って御祓さんの話を終わらせたというのなら、彼に謝ってきた方がいい」

「なぜです?」

「えっ? な、なぜって……」

 

 夜空のように暗く、しかしどこまでも純粋な黒を魅せる祝の瞳が一輝を射抜く。

 まっすぐに返された祝の言葉に一輝は思わずたじろいだ。理由を問われるまでもなく、それが人としての礼儀だからだ。自分の過去をどうでもいいと切り捨てられれば、人は当然ながら不快感を示すだろう。それは誰だって同じはずだ。

 ましてや刀華と御祓は騎士だ。騎士が剣を取る理由を他者がぞんざいに扱うのは、その騎士に対して最大の侮辱と言える。

 それを彼女は“なぜ”と返してきた。逆に一輝としては、その言葉にこそ「なぜ」と返したいほどだ。

 

「確かに、お二人に複雑な過去があるということは理解しました。人がどのような理由で剣を取ろうと“自由”ですから、彼女がそういった期待を背負っていることも良いと思います。ですが――」

 

 祝の笑顔が消える。

 その瞳の奥から覗き込む深淵に、一輝は思わず後退りした。しかしその距離を一瞬で詰めた祝は、深淵に僅かでも触れた一輝を逃さない。

 

「その高尚な動機を持っていることがさも強さに繋がっているかのように誇るのは、烏滸がましいにも程があると私は思うんです。誰かのために闘っているから強い――本気でそんなことを考えているのならばそれは“闘争”という概念そのものへの侮辱です。重要なのは闘いたいか否かという意思、そして強いのか弱いのかという純粋な実力、それだけでしょう? ならば個々人の闘う動機を比較し、あまつさえ優劣をつけるなど……無粋にも程がある」

 

 それは御祓の語った刀華の強さの源泉というものを全否定する言葉だった。

 思い返してみれば、彼女の過去について語る御祓を見る祝の目は酷く無機質なものだったような気がする。彼女の言葉が本心からのものなのだとすれば、ずっと彼女はこの恐ろしく濃密な倦怠感を胸の内に隠していたのだろう。

 それが御祓からの問いによって僅かなりとも噴き出した結果があの圧迫感だったのだ。

 

「そういえば黒鉄は、先程の御祓さんの話に窮していましたね。もしかしてですけど、あの“背負うもの”とやらで迷いを抱いたのではないですか? 彼女の重い剣に対して自分の剣は何と軽いのか、という感じで」

「そ、それは……」

 

 心の内を言い当てられた一輝は、呼吸することすら忘れて祝の瞳に視界を吸い込まれる。

 身長差から見下ろしているはずだというのに、一輝の心は逆に遥か高みから見下ろされているかのように感じていた。まるで自分以外誰もいない高原で、星すら見えない黒い夜空を見上げているような……

 

「そんなことを気にする必要はありませんよ。闘いとはもっと純粋で単純なものです。敵を斬るだけの“強さ”があれば剣が軽いか重いかなど関係なく、どれだけ高潔な魂の持ち主であろうと弱ければ死ぬ。当然のことです」

 

 それとこれは忠告ですけど、と祝は纏う気配とは裏腹に可愛らしく表情を怒らせる。

 

「自身の剣の重さを決めるのは自分自身なのだと私は思っています。貴方が自分の剣を軽いと感じているのなら、それは他ならぬ貴方が自分の剣を軽んじているんです。そういうのって、努力を続けてきた自分に失礼だと思うんですよ」

 

 一輝は息を呑んだ。

 思い当たる節があったからだ。先程、自分は刀華の気高い魂を知り、己の魂を卑下してはいなかったか。彼女のように背負うものが何もない自分の刃は軽いに違いないだろうと、どこかで諦めてしまっていたのではないか。

 そんな一輝に、私を見てください、と祝は笑ってみせた。

 

「私には背負うものなど何もありませんよ? 修行のために私は家族や日常や人との関わりを捨ててしまいました。だから期待してくれる人などいません。私は自分の夢のために闘っていますが、それを心から賛同してくれている人を知りません。ですから私が勝っても私しか喜びません。この世界のどこかに私と喜びを共有している人がいるのかもしれませんが、私がその存在を知らない以上は誰も存在しないも同然です。……ほら、私の大鎌なんて誰の意志も期待も乗っていない軽いものでしょう? しかし私は独りでも七星剣王になることができました。なぜでしょう?」

 

 

 ――それは私が誰よりも強かったからです。

 

 

「強いから、誰にも敗けなかったから私は七星剣王になれた。剣が軽かろうと、強ければ自分の意志を徹すことができる。そして武の存在価値は眼前の敵を屠るための“強さ”であることなど明白なこと。だから例え天地が裂けようと、例え神が定めようと他人に私の大鎌は貶めさせません。私の夢と希望しか乗っていないこの欲塗れの大鎌は、しかし東堂さんの剣より遥かに“強い”と私は確信しています。そんな私の大鎌を欲望と野心によって穢れた兇刃だと揶揄するのであれば、私はそれで一向に構わない」

 

 ――まずい。

 全身の産毛が逆立つ感覚に、一輝は猛烈な危機感を覚えた。

 

「背負うものがあるから強いのではありません。剣を取る動機が高尚だから強いのでもありません。信念があるから強いのでもありません。敵に勝てるから強いんです。私も、東堂さんも、黒鉄だって今日この場所に立つまでに多くの敵に勝利してきたはず。だから私たちは“強い”んです。そして禊祓さんが何と言おうと、強い限り貴方にも勝算はある。背負うものの有無や軽重ごときで、私たちの強さは揺るがない」

 

 このままではまずい。知らず知らずの内に聞き入っている自分がいる。祝の言葉に頷いている自分がいる。そして何よりも確信をもって告げられたその言葉を一輝は否定することができない。

 

 

 なぜなら祝の言葉は、一輝の剣と生き様を完全に肯定している言葉だったのだから。

 

 

 一輝は実家では“いない者”として扱われ続けた。伐刀者としての才能が欠けていたから、兄や妹のような伐刀者の教育を受けることが許されなかったのだ。非才の己を父は早々に見限り、それを見た他の者たちも一輝の傍から去っていった。残されたのは、悪意と嘲笑に塗れた地獄のような生活だけ。

 そう、一輝の剣には何も乗っていない。

 誰かの期待に応えたいという思いで剣を振ってなどいない。なぜなら自分に期待してくれる人など、今まで誰一人として存在しなかったから。一輝は今まで、『自分のような非才の人間でも諦める必要はないのだ』という信念に基づいて闘ってきた。曾祖父が齎してくれた希望を信じ、またその希望が偽りではないことを証明しようと足掻いてきた。その信念が正しいと証明できれば、自ずと自分の存在価値を証明することができるから。しかしそれは今日この日まで誰にも認められることはなく、そして自分は一人になった。

 そんな剣が、誰かの期待を背負った剣に勝てるはずがないのだ。

 誰かの期待を得たいがために、認められたいがために、信じていると言われたいがために歩み続けてきた一輝はそう思い込んでいた。

 

 だが、目の前の少女は違った。

 

 認められずとも。期待されずとも。信じられなくとも。

 ただ自分の信念に従って進むだけでも人はこんなに強く在ることができるのだと、この少女は身を以って証明してみせた。例え独りでも、心が折れない限り信念が挫けることはないのだと証明してみせた。

 

「私は強い。私に及ばずながら貴方も強い。そして私も貴方もその力を使いたい。闘いに必要なのは、純粋にそれだけでしょう? それ以外は全て付属品(オマケ)に過ぎないのですから。貴方の迷いは杞憂です。むしろそんなもので剣を鈍らせることこそが、貴方の強さと闘いに対する侮辱ですよ」

 

 一輝の胸の内に何かが込み上げてくる。肉体の芯から湧き上がるこの熱い感情――それは歓喜。

 自分の信念を遂げるまで、誰に理解されることも認められる必要もないと自分の中で必死に言い聞かせてきた。しかし心のどこかではその生き方に疑念を感じ、もっと要領の良い生き方もあるのではないかと逡巡していたことも事実だ。

 だが祝はその生き様に間違いなどないと断言してみせた。それも言葉だけでなく、一輝以上に凄烈なその生き様を以って。

 それが人として外道の生き様であるということは一輝もわかっている。自身の良心と理性は未だに彼女を拒絶している上に、その生き方に果たして未来が存在しているのかは一輝にもわからない。だが、それでも一輝は祝という存在に頼もしさを覚えていた。

 

 ――孤高。

 

 祝の生き様を示す言葉として、ふとその言葉が浮かぶ。

 一輝のような孤独ではなく、彼女は“孤高”なのだ。周囲から除け者にされた一輝と、周囲を除け者にした祝。独りであることを恐れない少女。誰もが望む光の世界を夢のためならば不要と断じ、暗い闇の世界を嬉々として求める修羅。

 

 

 もし……もしも自分もあんな修羅になれば、こんな苦しみを感じずにいられるのだろうか……?

 

 

 一輝にとって、今の祝は夜闇を彷徨い、進むべき道すらもわからない中で輝く月のようだった。

 月の輝きは見る者を狂わせる――そんな話を聞いたことがある。聞いた当初は面白い俗説だと思いながらも一輝は全く信じていなかったが、今ならばその意味が少しだけわかる。一切の光のない静寂の世界で輝く月を見てしまったならば、例え禍々しくともその光に魂を囚われてしまう者がいても不思議ではない。

 眩しすぎる太陽を人は直視することができない。淡く輝く月にこそ人は(いざな)われるのだ。

 

「僕は……僕、()……」

 

 憧憬が膨れ上がり、その色を変えようとしていた。

 声帯を震わせようと、肺から送り出された喉元まで空気が迫る。

 一輝は考えるまでもなく理解させられた。自分は今、祝の言葉へ肯定の返事をしようとしている。彼女の信念に一輝の魂が完全に共感しようとしている。

 それは一輝という人間の在り方を大きく変える意味を持っていた。ここで祝に共感したが最後、一輝は自分の信念のためならば余人を軽んじることが“できる”外道の人間になってしまうだろう。だがそうなれば一輝はこの孤独から解放され、孤高への道へと舵を切ることができる。

 そうすることができたのならば……

 

 

 ――もう、父さんに認められたいと悩むことも……

 

 

 

「イッキー! そろそろお昼ご飯できるってー!」

 

 

 

「――ッ!?」

 

 次の瞬間、鼓膜を震わせるステラの声によって一輝の意識が深淵から引き上げられた。

 勢いよく振り返れば、刀華の隣でステラがこちらへ手を振っている。カレーの鍋からは湯気が揺蕩っており、それを恋々が目を輝かせて覗き込んでいた。

 禊祓と別れてからそれほどの時間が経っていたということに一輝は驚愕する。そして自分が今、一体何を考えてしまっていたのかを自覚して愕然とした。もしもステラの呼び声がなければ、本当に一輝はあのまま深淵に沈み込んでいたかもしれない。

 

「不覚です。食前の運動をするつもりが、お喋りに時間を浪費してしまうとは」

 

 祝の声に一輝は肩を震わせた。

 この可愛らしい声が、円らな黒い瞳が、そしてあの愛らしい笑顔が外道へと一輝の手を引いていたのだ。まるで自分の死角にあるだけで、足元に底の見えない崖が口を開けているかのような恐ろしさ。もしも振り返れば、またあの仄暗い奈落の底から手を伸ばしている祝の姿があるのではないかと一輝は恐怖していた。

 

「行きましょう、黒鉄。食べたらお仕事です」

 

 顔を背けたままの一輝の横を、仄かな柑橘系の香りを残して祝が通り過ぎる。

 長い髪を靡かせて歩き去る祝の後ろ姿を見送りながら、一輝は言い知れぬ恐怖にしばらく立ち尽くすこととなった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 結論から言おう。東堂さんのカレーは大変美味しゅう御座いました。

 このカレーのルーは東堂さんの自家製らしく、今日に備えて作ってきた自慢の一品らしい。流石はオカン属性を持つ生徒会長。これに眼鏡属性、委員長属性、博多弁属性、戦闘狂属性を加え、実はドジっ子属性までも持ち合わせているというのだから、破軍の生徒会長は化け物かと言わざるを得ない。

 

「では、散策の班分けはこれでいいでしょう」

 

 食事の後、東堂さんを中心に山狩りの編成が纏められた。

 これから私たちは破軍学園の持つ山の敷地内を探索し、例の不審な巨人に関する情報を足で集めることとなる。しかし山の中を歩き回るのは伐刀者といえども危険であるため、こうして班を編成して散策しようというというのが東堂さんの提案だった。

 これに異論を持つ人は特にいなかったため、事前に考えていたらしい班編成を東堂さんが発表する。

 まず、東堂・御祓ペア。それから砕城・兎丸ペア、黒鉄・ステラペア、そして私である。貴徳原さんは連絡役兼非常時の予備戦力として合宿所に残るらしい。……うん、何かおかしいよね?

 

「はいっ、東堂さんに質問です!」

「そうですか。それでは皆さん、散開してください」

「えっ、無視?」

 

 人数的に偶数人なのだから、私も班のどこかに組み込まれると思っていればこれである。まさか東堂さんが平然と私を一人で山に送り込むとは。どう考えても悪意を感じる。

 そして何よりも納得できないのが、東堂さんの号令を聞くと誰もが当然のように周囲へ散っていったことだ。ちょっと待って。せめて黒鉄くらいは何か言ってくれると思っていたのに、何なのこの扱いは。私、これでも学生騎士の憧れこと七星剣王なのよ? それをこんな適当に扱っちゃっていいの?

 

「……? 何を突っ立っているんですか? 疼木さんも早く散策へ向かってください」

「ちょ、これって不当人事ですよね! なぜ私だけ一人なんですか? 私の班は?」

「疼木さんは個人で行動した方がいいと判断したが故の班編成です。貴女の気性が集団行動に全く向いていないことは自明の理なので、このまま一人で山に投入してしまおうと考えました」

「で、でも事故とか起こったら……」

「事故? 貴女の“能力”で事故が起こるわけないでしょう? この世全ての伐刀者と比較しても、貴女ほどに事故という言葉と縁遠い伐刀者がいるとは思えません」

 

 え、えぇ……。

 絶賛されているように聞こえるけど、これって皮肉られているよね。東堂さんが言うほど万能な能力でもないのが実態なのですが。実際、逃げ切れない規模の山崩れとか地割れとかが起こったら……うん、その気になればそれでも何とかなると思うけど。

 それと東堂さんが知らないのも無理はないが、私と同じくらい事故と縁遠い伐刀者だっていないわけではない。例えば原作で登場した紫乃宮天音とか。彼レベルになれば、もはや事故に遭う光景の方が想像できない。

 

「……わかりました。疼木祝、これより一人で山狩りに行ってきます」

「はい、どうぞお気を付けて。何かあったら必ずッ、電子生徒手帳で連絡を。報連相を絶対にッ、怠らないようにお願いします。死んでもッ、勝手な行動は慎んでくださいね? 貴女のせいで山が崩れたりしても怒られるのは私なんですから」

「わ~い、信用されていな~い」

 

 もはや清々しいわ。

 というか私でも流石に人様の山を崩すようなことはしない。というよりも、その心配は可愛い後輩を相手にする心配ではないよね?

 するとゲンナリする私を面白そうに眺めていた御祓さんが、私たちの間に入って「まあまあ」と東堂さんを止めた。

 

「刀華、そろそろ行こう。後輩が働いているのに、生徒会長がこんなところで油を売っているわけにはいかないだろ?」

「うたくん、私の話はまだ終わっていないんだけど」

 

 余談だが、東堂さんは御祓さんのことを下の名前から『うたくん』と呼ぶ。

 これが幼馴染の持つ破壊力かと当初は戦慄したものだ。前世の“俺”だったのなら、禊祓さんのポジションを血涙を流して羨ましがっただろう。

 

「はいはい、刀華が疼木ちゃんのことが大好きなのはわかったから。刀華は手のかかる疼木ちゃんを可愛がりたくて仕方ないんだよね。ボクはわかっているから」

「はぁッ!?」

 

 御祓さんの言葉に目を剥く東堂さん。口をガクンと開けて呆然とする彼女を余所に、御祓さんは「わかってるわかってる」と頷きながら優しく微笑んだ。

 

「出来が悪い子ほど可愛い、って言うしね。刀華はオカン属性を持っているから、疼木ちゃんみたいなちょっと駄目な感じの子に母性本能を擽られるんだろ?」

「誰がこいつば好いとっち言ったッ! うたくんばってんそん侮辱は許さなか!!」

「え~、なぁんだ~。東堂さんはツンデレさんだったんですね。普段のお小言も、実は私に素直になれないことの裏返し――」

「ぶち殺しますよ?」

 

 東堂さんの手元に日本刀型の霊装《鳴神》が顕現する。

 紫電と轟音を纏いながら抜き放たれていく刃。冷え切った声と視線。そして本気で闘う時に外される眼鏡を東堂さんが投げ捨てたのを見て身の危険を感じた私は、全速力でその場を退散するのだった。

 

 

 




生徒会長の博多弁(熊本弁?)難しい……
私の地元は方言が殆どない地域なので、訛りのある人に少し憧れます。


なお、原作を知らない人のための解説その弐。
紫乃宮天音とは、原作四巻から八巻で一輝たちに立ち塞がる学生騎士です。
最凶の能力《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)》は登場人物たちだけでなく読者すらも混沌の渦に叩き込んだチート能力で、その凶悪さから《凶運(バッドラック)》の二つ名を持ちます。
あらゆる読者に「勝てる気がしない」と言わしめた天音の登場はもう少し予定の後です。


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貴様の伐刀絶技が一番なまっちょろいぞッ!

久方ぶりの投稿です。
ちょっと本当に久々すぎて、洒落でなく本気で文章の書き方を忘れていたり……


 人間、誰しも気まずい思いというものを経験したことがあるはずだ。

 例を挙げるとすれば、例えば乗り換えのために急いで電車に乗ったらそこは女性専用車両だった、例えば家でエロゲーをしていたらイヤホンのコードがPCから抜けていた、例えば家族で映画を観ていたら唐突に濡れ場に突入する、というような出来事だ。

 これは人間社会の中で生きていく上で当たり前に遭遇する事態であり、大抵はその者に非などない。あえていうのならば、人間が逆らうことのできない運命の悪戯が原因である。

 よって今回の事態も誰が悪いということはない。誰もが最善を尽くし、誰もが幸福を願っていた。その果ての結果が“これ”ならば、それは仕方のないことだったのだろう。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 その場の全ての人間が言葉を発しない。祝が死んだ魚のような目で沈黙する。引き締まった上半身を晒した一輝が、所在なさげに虚空へと視線を彷徨わせる。下着姿で毛布に包まりながら、ステラが二つの意味で滝のような汗を流しながら狸寝入りを決め込む。

 状況は混沌としていた。しかしその場の全員の心は奇跡的に一致していた。

 

(((誰か助けてください……)))

 

 煌々と光を放つ囲炉裏の炎。

 揺らめくその姿を眺めながら、祝は現実逃避のためにここに至るまでの経過を振り返っていた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 事の発端は山狩りが始まってから二時間ほどの頃に遡る。

 

 原作知識があった私は、真面目に巨人を捜索することなど当然していなかった。もちろん「遭遇したらぶち殺しておこう」くらいの気概は持っていたが、放っておいても東堂さんが巨人を仕留めることは原作知識でわかっていたので、時間を有効活用するため久々に山の中を走り込んでいたのだ。

 この合宿所があるこの山は私にとってはもはや庭のようなものだ。去年も七星剣武祭の前に合宿しに来ているのだが、その時も私は昼夜を問わず日に三回はこの山を駆け回っていた。破軍学園に来る前も山の中で修行をしたことはあったのだが、大抵は私有地に無断で入り込んでいたので堂々と山の中を行き来することは難しかったのだ。

 しかしこの山は違う。ここならばいくら走っても、中で素振りしても怒られない。山、最高!

 そんなことを考えながら私は山頂までのRTA、そして合宿所から山を挟んだ反対側の麓まで頂上から再びRTAなどをしていたのだが、ここで私は修行を一時中断することとなった。

 

 なぜなら、私の“伐刀絶技(ノウブルアーツ)”が雨の存在を感知したためだ。

 およそ30分で天気が急変し、この山は豪雨に襲われることとなる、と。

 

 別に雨の中でトレイルランニングをするのも嫌いではないのだが、今の私の服装は制服だ。泥塗れにするには些か抵抗のある服であり、何より洗濯が面倒臭い。よって私は大人しく合宿所へと道を引き返し、雨が降り始めるピッタリ5分前に合宿所へと到着したのだった。

 

「あらあら。お帰りなさい、疼木さん。どうかなさいました?」

 

 ティーカップを片手に優雅に私を出迎えた貴徳原さん。中にある紅茶は間違いなく午後ティーではなくお高い茶葉によるものなのだということを確信させられるほどには優雅な佇まいだ。

 ⋯⋯というか前から思っていたけど、この人絶対にJKって感じの年齢じゃないよね。服越しにもわかるくらい乳デカいし。何を食ったらこんな体型になるんだ? やはり遺伝なのだろうか? あるいは彼女の家はお金持ちだと聞くから、良い食事をしているのが理由なのか?

 人体の神秘である。

 

「……あの、疼木さん?」

「ああ、すみません。ちょっと考え事をしていました。帰ってきたのはあれです、雨が降った(・・・)のを感じたので」

「まあ、そうでしたか。他の皆さんにこのことは?」

「あ~、そういえば。ウッカリしていましたね。今からでも伝え……ても意味はなさそうですね、もう」

 

 窓の外を見れば、青々とした山の景色が薄い灰色に塗り潰されていくところだった。

 そしてそれを合図にしたかのようにゴロゴロと雷鳴が私の(ハラワタ)を震わせると、大粒の雨が草木に大挙して伸し掛かりその(こうべ)を垂れさせていく。

 俗にいうゲリラ豪雨というやつだろうか。時期的には些か早い気もするが、こういう土砂降り(スコール)を見ていると「夏が来たなぁ」と思わざるを得ない。

 日本の夏は高温多湿という性質なので、砂漠生まれのインド人にすら「日本の夏は暑い」と言われる地獄のような環境だ。前世の“俺”はこの季節が大嫌いだったが、私からすれば暑い中で自分を追い込むための絶好の修行期間でしかない。冬? 寒中水泳とかできるからもちろん大好きだよ?

 

「これは東堂さんに怒られそうですね。雨が降るなら先に言えって」

「ふふ、そうかもしれませんね。とりあえず戻ってくる人がいるかもしれませんから、タオルと温かいお茶を用意しておきましょう」

 

 流石は貴徳原さん! 私にはできない気遣いを平然とやってのける! ……まぁ、そこに痺れも憧れもしないけど。しかし先輩の貴徳原さんに全部やらせるのは私としても宜しいことだと思わないので、彼女にはお茶を用意してもらいタオルは私が取りに行くことにした。

 それから少しして服を雨で濡らした兎丸・砕城ペアも戻ってきたため、しばしの休憩ということで皆でお茶をしながらまったりとしていた。東堂さんたちからも連絡があり、二人は雨宿りできそうな場所を見つけたためそこで待機しているらしい。長引くようなら強硬に下山するとの話だが、しばらくは動かないそうだ。

 しかしここで問題発生。いくら待てども黒鉄とステラさんからの連絡が来ない。そのため貴徳原さんが二人の生徒手帳に電話をしてみたのだが、通じはするものの向こうが出ない。何かあったのだろうかと一同が不安を表情に滲ませる中、私は原作知識をトレースして黒鉄たちの行動を思い出す。

 

 確か黒鉄は、ステラさんを伴って山小屋で雨宿りをしていたような記憶がある。

 そこで雨宿りをしているところで、暁学園の『鋼線使い』平賀玲泉の操る巨人と遭遇、戦闘になった……はず。

 

 うん、大まかにしか思い出せない。

 黒鉄が連絡してこない理由がよくわからない。山小屋に行くまでに時間がかかったんだっけ? そんな細かい内容まで憶えてないよ。

 雨宿り、戦闘、東堂さんが助太刀して解決、という流れしか憶えていない。他にもきっと色々な描写や会話があったのだろうけれども、私が前世の記憶を思い出して約14年。印象に残っている場面ならばともかく、それ以外の内容なんて細かく思い出せないって。幼稚園やら保育園に通っていた時に観ていたアニメの内容を深く思い出せないのと同じだ。

 

 そうして私が一人でウンウン唸っていると、ようやく貴徳原さんの生徒手帳に黒鉄から連絡が来た。

 そのことにホッとする貴徳原さんたちであったが、これに悪い報せが追加される。

 

「ステラさんが倒れられたのですか!?」

 

 どうやら山狩りの最中にステラさんが体調を崩し、山小屋から動くことができなくなってしまったらしい。

 あ~、そんなこともあったなぁ~。

 言われてみればそんなストーリーだった気がする。なるほど、その状態で巨人に襲われたからピンチになって、東堂さんが助太刀に入ることになったのね。別に巨人くらいステラさんが「焼き払え!」をすれば山ごと灰塵にできるのではないかと内心で首を傾げていたけど、それなら納得だ。

 しかし胸の閊えも取れたことで晴れ晴れとした気分でティータイムを続行しようとした私だったが、ここで想定外の事態が発生する。

 

『――というわけで。疼木さん、今からちょっと山小屋までひとっ走りしてきてください』

「はい?」

 

 事態を報告した東堂さんから告げられた言葉に、私は思わず首を傾げることとなった。

 東堂さん曰く、ステラさんの体調が心配なので誰かが二人に薬などの救援物資を届ける必要がある。しかし外は土砂降りで、いくら身体能力に優れる伐刀者といえども移動は困難だ。

 なので、こんな時にこそ普通の伐刀者以上の力を持つ七星剣王に頑張ってもらおう。

 ……ということらしい。

 

「えっ、普通に嫌です」

 

 なんで私が宮沢賢治の『雨ニモマケズ』みたいなことをしないといけないのだ。そんな献身の塊みたいな、そういう者に私はなりたくないのだ。

 というか窓の外は昼だというのに夕暮れみたいな暗さだし、雨脚はかなり激しい。こんな状態で外に出るなど、何のために雨の前に合宿所に戻ってきたのかわからなくなる。普通に断固拒否だ。逆に私が風邪ひくわ。

 と、こんな感じで普通に拒否した私だったが、なぜか東堂さんから返ってきたのは『ハッ』という嘲笑だった。

 な、何が可笑(おか)しいッ!!

 

『疼木さん、まさか怖いんですか? ここでステラさんが風邪を拗らせれば七星剣武祭の強力なライバルが消えると安心していませんか?』

 

 えっ、何その発想……ッ!?

 予想外の東堂さんの切り返しに、私はまさに鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたと思う。別にステラさんをライバルと思ったこともなければ、当然ながら恐ろしく思ったこともない。敵となれば斬るだけだ。なので東堂さんの言葉に私は思わず面食らってしまう。

 しかし生徒会の面々は今の東堂さんの言葉でその意を悟ったらしい。兎丸はニヤニヤ、砕城は苦笑、貴徳原さんは「ふふっ」と笑いながら、電話口からは『おやおや~?』と東堂さんと一緒にいるらしい御祓さんが声を覗かせる。

 な、何だよぉ……。

 

「そっかー。去年の合宿で散々アタシに大鎌最強説を語っていたのに、ヒイラギは結局剣士のステラちゃんが怖いんだー? 残念だなー?」

「へっ?」

「うむ。しかし恥じることはない。戦とは何も戦場だけが全てではないのだ。むしろそこに至るための場外こそ戦の本領。恐れる敵が勝手に倒れるのならば、特に強い剣士が自滅するのであればそれを見過ごすのも兵法だ。……まぁ、敵に塩を送る余裕もないというのは些か拍子抜けだが」

「えっ」

『いやいや、刀華も皆も無茶言っちゃ駄目だよ。いくら疼木ちゃんが自称最強武器(笑)の大鎌使いだったとしても、この雨の中での登山は流石に無理だって』

「なっ、誰が(笑)ですか誰が!」

「その通りです。副会長の言う通り、いくら疼木さんが七星剣王でもそのようなことを言ってはいけませんよ。……しかしこれでステラさんが選抜戦を棄権することになったら、私、悲しくて一部始終をSNSに投稿してしまうかも――」

「ああーっ、貴徳原さんそれ狡い! ネットに流すのは流石に卑怯じゃないですか!?」

 

 汚いな流石お金持ち汚い!

 しかもあの人、去年の七星剣武祭に出場してからフォロワーが恐ろしく増えたって前に言っていたぞ! そんな場所に私の悪評を垂れ流すとか本気でやめてほしいんですけど! 大鎌の評判が落ちたらどうするんですか!

 というか生徒会の役員どもは揃いも揃ってこの野郎! 寄って集って一人を追い詰めるとか、破軍学園の生徒の代表として恥ずかしくないんですか!

 

 ……しかし私の抗議も空しく、貴徳原さんがSNSを開いて何かを打ち込み始めたことで私は降伏することとなったのだった。

 

『貴女の《既危感(テスタメント)》ならば最速かつ安全に山小屋まで辿り着けるでしょう? 元々、貴女に捜索能力は期待していません。呼んだのは戦闘に陥った際の切り札と、こういう不測の事態に備えるためですからね。準備を済ませ次第、迅速に山小屋へ向かってください』

『疼木ちゃん、雨の中だけどファイト~』

「頑張ってくださいね、疼木さん」

「ヒイラギ、行ってらっしゃ~い」

「……すまん」

 

 こうして兎丸はともかく、生徒会の良心である貴徳原さんと砕城にすら見捨てられた私は、合宿所からこの豪雨の中に放り出されたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 黒鉄一輝はこれまでの生涯で最も危機的な状況に陥っていた。

 

 ひと気のない山小屋、目の前には風邪で弱った己の恋人、そして自分は雨で濡れた彼女の服を脱がさなければならない。ともすればマンガかゲームの中でなければ遭遇しないようなシチュエーション。

 ここで何も感じない男がいるだろうか、いやいない。少なくとも一輝は頭の中で情欲の炎が燃え盛るのをハッキリと自覚していた。これは医療目的だ――そう自分の心を律しようとするものの、込み上げてくる性欲(エロス)を抑え込めるほど一輝の心は枯れていなかったのだ。

 

(確か疼木さんが薬とかを届けるためにこっちに向かっているっていう話だけど……)

 

 合宿所からこの山小屋まで、雨の中を走るのならばおよそ30分ほどで到着するだろう。服を脱がす役割を彼女に託すには時間がかかりすぎる。やはり自分がステラの服を脱がすしかない。

 しかし数えで若干17歳の一輝にこの状況は辛すぎる。

 許されるのならばこのままステラの衣服を引き千切り、本能のままに目の前の女を蹂躙してしまいたい。しかし一輝の鋼の理性がそれを必死に食い止め、脳へと「ここは俺が防ぐから早く!」と死に際のような台詞を言い放っていた。もはやステラの体調的にも、理性の死亡フラグ的にも時間はあまり残されていない。

 

(ええいっ、ままよ!)

 

 明鏡止水――それを一輝は努めて意識する。

 月を写す水面の如く、その心に漣の一つも立てず冷静さを保つ。武術家としてその境地を目指していた自分が、まさか女性の衣服を脱がすためにその境地を渇望することになろうとは。人生とは何が起こるかわからないものである。

 自嘲の笑みを漏らしながら、しかし手を止めることはやめない。体調の悪いステラを気遣い丁寧に脱がすことを心がけつつも、本能の波が決壊する前に事を終えようとなるべく迅速に。

 

(まずはストッキングを……ッ、ガーターだって!? これが本物の……いや駄目だ、意識するな、作業に集中しろ! …………よし、ストッキングの処置を完了。次はシャツだ。……っていうかステラの肌って本当に白くて綺麗で柔らかそうな…………やめろォッ!?)

 

 一輝の脳内で本能と理性が鬩ぎ合う。

 本能は今にも“夜の一刀修羅”の解放間近だ。このままでは理性に勝ち目はない。急がなければ、理性は完全に正気を失ってしまう。

 

(……やってやるさ!)

 

 一輝は(あくまで脳内の)勢いに任せ、一気にステラのシャツを脱がしにかかる。その手際はまさに神速。己の身体を極限までコントロール下に置いた彼の速度は高速に迫り、僅か数秒でステラからシャツを脱がしてみせた。

 やった、と一輝と一輝の理性は歓声を上げる。ここまで耐えきればもはや戦に勝ったも同然。あとは彼女に小屋にあったタオルケットを掛けてしまえば、もはや視覚という本能最大の武器を制したも同然となる。「この戦い、我々の勝利だ!」と一輝は脳内で勝鬨が木霊した。

 ⋯⋯が、その勝鬨は、味方であるはずのステラの一言によって粉砕されることとなる。

 

 

「あの、イッキ…………ブラも、お願い……」

 

 

「なん……だと……?」

 

 死に体だったはずの本能が決死の特攻作戦を開始した。その思わぬ反撃に理性は再び窮地に立たされる。

 

 外せというのか……童貞の自分に、その巨乳を抑え込んでいる乳バンドを、外せというのか……!?

 

 一輝は戦慄した。これは本当に現実なのかと疑いすらした。そんなことが許されるのか、とすら考えた。しかし現実は無情。五感を通してこれが夢ではないということを鮮明に伝えてくる。もはや退路はない。やるしかないのだ、ヤるしか⋯⋯いや、そっちのヤるではなくて。

 

(ま、不味い! このままでは……!)

 

 一輝は自然と息が荒くなっていく自分を感じた。

 そして徐々に変貌していく一輝の様子にステラが気付かないはずもない。今の一輝は客観的に見て相当危ない状態だった。息の荒さはもちろんのこと、目は血走り、身体は興奮したように震え、――非常に言いにくいが下半身の《陰鉄》が恐ろしく元気になっている。

 そんな一輝を見やりながら、ステラは一輝が煩悩に打ち勝つことを望みながらも、心のどこかで“その”覚悟を完了させていた。

 一輝という最愛の恋人が自分の身体に興奮してくれるということに、女として喜びを感じないはずもない。そして一輝が望むのであれば、このままここで行為に及んでしまうこともステラとしては決して許容できないことではなかった。もちろんステラにも初めての理想はある。しかし最愛の人とお互いに愛し合って肉体が結ばれるのならば、それ以上に嬉しいことはない。

 だから……

 

「イッキ……」

「ステラ……」

 

 ステラが目を瞑る。

 その姿を見て、一輝の中の理性は完全に敗北してしまった。もはや脳と肉体は本能に従い戦闘準備を整え、下半身の《陰鉄》が力強く脈動する。その日本人離れした美貌へと一輝が本能のままに手を伸ばす。もはや二人の行為を阻むものなど何一つ存在しない。そして二人は男女として新たな段階(ステージ)へと歩を進める⋯⋯

 

 

 ……そのはずだった。

 

 

「はぁ~い、お届け物で~すっ! 救援物資を持ってきてあげましたよ~! ……ぉ?」

 

 蹴破るように扉を開け、唐突に山小屋へ現れた第三者()

 その存在に一輝とステラの思考は完全に停止した。そして半裸で絡み合おうとする男女の姿を目にした彼女の思考もまた、想像すらしていなかった光景にしばし動きを止める。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 祝の眼球が前触れもなく動く。

 囲炉裏の前に広げられた二人の衣服、はち切れんばかりに中身が屹立していることを伺わせる一輝のズボン、そして下着以外は何も身に付けていないステラ。

 これらを眺めただけで祝は、原作知識の追い風もあっておおよその事態を察した。

 故に、

 

「帰ります」

 

 ゲロ以下の存在を見やるように二人を一瞥した祝は踵を返し、振り返ることもなく山小屋の戸を閉めて立ち去ったのだった。

 数秒後、我に返った一輝は山小屋を飛び出し、雨の中で祝に土下座することとなる。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 信じられない。本当に信じられない。

 

 山小屋の中の唯一の光源である囲炉裏の炎を眺める私は、本気で疲れきっていた。

 二人のために山の中を雨合羽着込んでえっちらおっちら走ってきたっていうのに、当の救助者の二人はR18展開の一歩手前ってどういうことよ。性の喜びを知りやがって!

 

 っていうか私も油断していた。

 そうだよ、原作でも山小屋の中でそういうことやりそうな気配ではあったじゃん! その時は黒鉄が自制して発禁な展開にはならなかったけど、もしもアイツが理性に負けていたらエロ同人みたいな流れになっていてもおかしくはなかったのだ。

 クソッ、原作のイチャラブ展開をあえて忘れるように努めていたのが災いした。憶えていれば砕城か兎丸を吊し上げてでも代わりに行かせたのに。

 

 しかしそんな後悔ももはや後の祭り。

 現実として私はそういう場に突入してしまった、空気の読めない女になってしまったのだ。クソッ、少年マンガのお約束な展開じゃねぇんだぞ。現実でそんな場面に割り込んでしまったら居心地が悪くて死にそうになるわ!

 

 囲炉裏の前で暖を取りながらチラリと周囲に目を向ければ、そこには各々気まずそうに黙り込む少年と少女。

 黒鉄は先程までの自身の行いを深く恥じているらしく、自責の念に駆られているようだった。「僕は最低だ……」と時折呟き、見たこともないほど消沈した表情で囲炉裏を眺めている。この人、放っておいたら勝手に腹を切るか首を吊りそうなんだけど。頼むから衝動的にそういうことをするのは本気でやめてほしい。流石に目の前で自殺されると色々と困る。

 一方、ステラさんは私がリュックサックに詰めてきた毛布に包まって横になっている。風邪薬を飲んでから一言も口を利くことなく横になってしまった彼女は一見すると眠っているかのようだが、呼吸が先程から微妙に不規則なのできっと狸寝入りだろう。あわよくばそのまま眠りに落ちてしまおうという魂胆なのだろうが、既に狸寝入りを始めて30分。未だに眠れた様子はない。

 

 なお、二人が随分と前から恋人だったということは、あの後で雨の中で土下座した黒鉄の口から明かされることとなった。

 別に原作知識がある私には既知の事実であったから驚くに値しないのだが、二人はこれでも隠していたらしい。国賓のステラさんのスキャンダルは色々と面倒なことになりかねないので、当分の間は秘密にしてほしいと頼み込まれた。

 まぁ、二人の関係は謀略によってもう少しで白日の下に晒されることになるということを私は原作知識のおかげで知っているけど。

 

「というかですね」

 

 私の声が呼び水になったのか、黒鉄がノロノロと顔を上げる。

 その表情は絶望と後悔に彩られており、とても会話ができるような状態ではない。知ったことではないが。

 チッ、このクソ真面目め。ここで「男が女の裸に勃起して何が悪い!」と開き直るくらいの奴だったら容赦なくぶちのめして手打ちにしてやるっていうのに。こうも意気消沈されては手を出しにくい。むしろ自責の念から「もっと殴ってくれ!」とマゾいことを言いだしかねないから面倒臭い。

 

「貴徳原さんから連絡ありましたよね? 私が救援に行くと。それを承知でエロスな行為に及んだんですか?」

「……すみません。ステラの服を脱がすのに夢中で完全に忘れていました」

 

 おい、なぜ敬語。無駄に畏まるなよ気持ち悪い。

 そしてそこの痴女。嬉し恥ずかしな感じでビクッと身体を震わせるな。皇女だろうとマジでぶち殺すぞ。

 

「……あと、まさか疼木さんがこんなに早く到着するとは思わなくて」

 

 あ~、なるほど。それもあったか。

 そういえば私が追い出される前、貴徳原さんは30分ほどで私が到着すると言っていた気がする。しかし私は雨の中をダラダラと走る気はなかったので、魔力放出と伐刀絶技を使って最短距離を最速で移動した。よってここまで来るのに私がかかった時間は大体10分強だ。

 まさか険峻で鍛えた足腰が仇になるとは。⋯⋯いや、逆にあれ以上遅れていたらズッコンバッコンオーイェスな感じでヤっている最中に突入することになったということだから、むしろ私の足腰って凄くナイスなんじゃないか?

 よし、褒美に後でプロテイン飲んでやろう。

 

「……ハフリさんの伐刀絶技?」

 

 ポツリポツリと黒鉄と会話していると、狸寝入りを決め込んでいたステラさんが上半身を起き上がらせた。

 どうやらここいらで会話の流れを説教から世間話に変えようというらしい。こちらに目線で申し訳なさそうな表情でそれを頼み込んできたステラさんに、「仕方がないから乗ってやる」と微かに眉を顰めることで承諾する。

 

「ああ、ステラは疼木さんの能力を知らないんだっけ」

「ええ。私や珠雫みたいな直接的な攻撃力がある能力ではない、っていうことくらい」

「えぇ? それはいくら何でも勉強不足なのでは?」

 

 ステラさんは武者修行するために日本の騎士学校に留学しているはずだ。なのにその国で最強の学生騎士の能力も知らないとか、流石にそれはどうなのよ。原作でも、私がいなかった場合に七星剣王になった諸星くんの能力や霊装を知らない様子だったし。

 確か彼女は実戦を想定し、あえて対戦相手についての情報を収集しないというルールを自分に定めていた。その心がけは学生騎士として立派なことだと思うが、代表的な選手の情報すら知らないのは等閑(なおざり)に過ぎると私は思う。

 

 っていうか、もしかしてこの女は私が大鎌使いだからって侮っているのか?

 大鎌如きの情報を集める必要などないと驕っているのか?

 だとしたら死刑どころでは済まされない。少なくとも打ち首獄門一族郎党皆殺しコースは確定だ。ステラさんの一族は王族? 知るか。纏めて《三日月》の錆にしてやる。

 

 そんな被害妄想が私の脳内を(よぎ)るが……いやいやいや、ないないない。ステラさんに限って流石にそれはない。原作でもサッパリとした性格だったと記憶しているし、実際に会ってみてもその印象は変わらないし。

 あるいは普段の大鎌の迫害が強すぎて、私も最近ナイーブになっているのかもしれないな。

 そんな私を余所に、黒鉄は少し悩む素振りを見せた。

 

「うーん、でもなぁ。まだ試合は残っているし、疼木さんの伐刀絶技を勝手に教えてしまうのも……」

「私は別に構いませんよ? 伊達に七星剣王ではありませんからちょっとググれば出てくる情報ですし、破軍の生徒で知らない人の方が珍しいという程度には有名な話ですから」

 

 それに、知られたからといってそんなに困る伐刀絶技でもないしね。

 その理由として、便利ではあるけれども強弱で判断するのなら確実に弱い方の伐刀絶技であるためだ。例えるなら、ジョジョの《隠者の紫(ハーミット・パープル)》に近いポジションなのである。なので知られたことが原因で私の大鎌の勝利が揺らぐということもないだろう。

 よってステラさんに話しても別に問題はないのだ。

 そう黒鉄に言ってやったのだが、しかし彼は未だに渋い表情のままだ。どこか納得がいかない様子で「弱い能力、か……」と小さく呟いた。そして「僕自身はそうは思えないけれど」と前置きし、黒鉄は再び口を開く。

 

 

 

「疼木さんは世界でも珍しい因果干渉系の能力の使い手だ。その伐刀絶技《既危感(テスタメント)》は、自分に対する未来の“害”を限りなく100%に近い精度で察知し続ける、常時発動系の予知能力なんだよ」

 

 

 

 ね?

 微妙な伐刀絶技でしょ?

 

 




本当は巨人戦まで書く予定だったのですが、想像以上に長くなりそうだったので……
それと、いい加減に主人公のステイタスを載せたいので次回辺りのあとがきに載せる予定です。


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駆逐してやるッ、一体残らず……!

感想や誤字報告、ありがとうございます。
返信できていない感想もありますが、それらにも全て目を通しているのでこれからもどうかお願いします!


 《既危感(テスタメント)》と疼木祝――それは能力と伐刀者の組み合わせにおいて黒鉄一輝の知る限り最凶の例の一つである。

 

 通常、予知能力はその察知の方法から大まかに数種類に分類できる。主に視覚、聴覚、そして第六感などのタイプだ。この中で群を抜いて多いのが視覚のみ、あるいは視覚や聴覚などの複合、そして第六感から未来の情報を得るタイプである。

 視覚タイプは文字通り魔眼や鏡などから未来の映像のみを読み取る。複合タイプは鏡や水面に映る映像と音声などから未来を知り、第六感タイプは直感や予知夢、時には超自然的な現象から未来を察知するという。疼木祝という少女の《既危感》は、分類的にこの第六感タイプに当てはまるだろう。

 

 

 では、彼女は何から未来の情報を得るのか。――それは経験(・・)だ。

 

 

 彼女の伐刀絶技の恐ろしいところはここにある。

 そしてその恐ろしさを、あるいは祝本人よりも一輝はよく知っている。

 

(あの日――)

 

 一輝が思い返すのは、初めて祝と繰り広げた決闘。

 あの時、大鎌の動きを見切ったと確信した一輝は《一刀修羅》による決着を図った。全身から溢れ出す魔力に任せ、持てる剣術の全てを尽くして彼女を斬り伏せんと刃を振るった。

 だが……

 

(あの日、僕は彼女に一太刀たりとも入れることができなかった。掠らせることすらもできなかった)

 

 あのような奇妙な感覚は一輝にとっても初めてだった。

 己の誇る秘剣を振るえば、まるで既知であるかのように完璧に対処してみせる。必殺の戦術は、まるで見慣れた光景であるかのように裏をかかれる。ならばと鍛え上げた剣術による手数で圧倒しようと考えれば、まるで長年共に修行した同門の友であるかのように手慣れた様子で刀を捌かれた。

 

 その時、一輝は間違いなく己の剣の全てを知られていた。

 

 守勢に回った彼女には《一刀修羅》などまるで意味をなさない。

 虚を突こうにも祝は心が読めるかのように回り込み、退こうと足を下げれば踏み込まれる。まるで詰将棋のようにこちらの手が潰されていく。《一刀修羅》によって強化された身体能力さえ、祝の魔力放出による瞬間的な膂力と瞬発力によって相殺された。

 あらゆる戦術や可能性を追求して敵に勝つ――それが一輝の戦術だ。しかし“こちらを知り尽くしている”という予想外にして初めて体験する戦術に、一輝にはもはや成す術など残されていなかった。

 結局、最後は一輝の魔力切れで決闘は終了。

 指の一本も動かせずに倒れ伏した一輝は、血の一滴、痣の一つすらも作らずに己を完封した祝をただ見上げることしかできなかった。

 そして後に知る。彼女のその恐ろしい予知能力の正体を。

 

 《既危感》は祝の肉体に降りかかる未来の災厄を因果の流れから自動的に察知し、それを“経験”という感覚を通して祝に伝える伐刀絶技だ。それが人による“害”であろうと、自然による人の意志が介在しない“害”であろうと関係ない。

 

 例えば剣。

 《既危感》は彼女に剣が振り下ろされる因果を察知したのならば、「剣によって斬り殺された、傷つけられた」という未来の経験を祝へと齎す。この“経験”は非常にリアルなものとして祝の脳には刻まれるらしく、彼女の感覚では『その姿勢から繰り出される技を何万回も受けたことがある』かのように感じるほどの強烈な既視感(デジャヴ)を覚えるという。それも視覚に限らず、五感全てを通した限りなくリアルな既視感を。

 よって祝は、敵の剣が振り下ろされる前には既に失敗の経験と知識を得ている状態が完成してしまう。『失敗は成功の母』とはよく言ったもので、祝は身を以って学習した未来の(しっぱい)を回避することで生存(せいこう)の未来を掴み取ることができる。

 

 殺され、傷つけられ、害された未来の自分から贈られてくる遺言(テスタメント)

 

 それが祝の伐刀絶技の正体だった。

 しかし、だ。

 

(本当に脅威なのは、疼木さんがそれを使いこなせるだけの強さを持ってしまっているということだ)

 

 当然ながら無敵の能力など存在しない。

 そこには必ず何らかの弱点があり、そして攻略法が存在する。

 その一つとして、予知能力そのものの致命的な弱点が挙げられる。それは未来を知ることができてもそれに対処できなければ意味はないという弱点だ。回避も対策もできない絶望の未来など、もはや予知をするだけ無駄というもの。

 しかし七星剣王として相応しい技量を持った――否、歴代の七星剣王と比較しても尋常ではない戦闘能力を保持する彼女は、あらゆる絶望的な未来であろうと真っ向から乗り越えてみせる。それだけの純粋な強さが祝にはある。

 未来の死を、絶望を、災厄を跳ね除ける圧倒的な強さ。それこそが疼木祝が持つ《七星剣王》の称号を支える最も堅い土台なのだ。

 そしてこの強さこそが、祝が一輝から完璧な勝利を捥ぎ取ることができた理由だった。一輝が今まで習得してきたあらゆる秘剣、秘術、奥義――それらは全て、祝の前では凡百の一撃に成り下がる。彼女元来の強さと戦闘経験の前では、初見という意表を突く状況でなければほぼ通用しない。しかし彼女の伐刀絶技はその絶好の機会を完全に無効化する。

 繰り出される前に、それを祝は既に身を以って学んでいるのだ。身に降りかかる未来の“害”を過去の経験として飲み干してしまう彼女にとって、その未来が訪れた時には既に秘剣は秘剣ではない。

 

(つまり、相対的に中途半端な武術しかない僕には彼女に勝つ手段がない)

 

 未来予知という能力がある以上、隠し玉や不意打ちという手段すら彼女には通じない。災害や障害物といった偶然の“害”すら、彼女の進む因果に収まっている限り予知されてしまう。そこに『疼木祝という存在を害する』という因果が存在している限り、彼女を狙おうと狙うまいと、殺意があろうとなかろうと関係ない。

 しかも自身への“害”という因果に対象を絞っているためなのか、はたまた単純に能力が強力無比であるためなのか、祝は「予知を外したことはない」と公言している。これが本当ならば予知を誤ることも期待できないだろう。

 

 

 “害”という概念において、彼女に不測の事態はほぼ起こりえない。

 

 

 他の学生騎士を凌駕する力量を持つ祝と、不確定要素(きせき)を狩り尽くす《既危感》の組み合わせはもはや反則だ。彼女にマグレで勝つことはできないということなのだから。

 つまり、本物の強者でなければ彼女に勝つことは不可能ということになる。

 

(彼女がそうあろうと鍛えてきたのか、あるいは伐刀絶技をそういう方向に調整してきたのかはわからないけれど……能力と伐刀者の組み合わせに隙がなさすぎる)

 

 己の身を守るという一点に関して言うのならば、彼女の《既危感》ほどに優れた予知能力はそうは存在しない。

 そして、一輝が祝と闘う前にその《完全掌握(パーフェクトビジョン)》を完成させなければならない理由もここにあった。敵が己を知り尽くしてしまう性質を持つ以上、こちらはそれ以上に敵を知り尽くすしかない。それこそ、人格やその在り方まで全てだ。最大の武器である武術で彼女を圧倒できない以上、最低でも一輝は『読み』という土台で祝に並び立たなければもはや勝負にすらならないのだから。

 

 祝がこちらの戦術を読み尽くすというのならこちらもまた祝を読み尽くす。

 そして同等のレベルに築いた土台を踏み台に、祝の力量を超えた刃を以って正面から勝利を掴む。

 これが一輝の出した結論だ。いや、これ以外に祝に勝つ術は一輝にはない。

 

 しかし一輝は既に悟らされていた。その《完全掌握》までの道程の険しさを。彼女の人格や在り方は、一輝にとってあまりに甘美に過ぎた。思わず憧憬を抱いてしまうほどには。

 最低でも《完全掌握》を遂げなければ勝機はない。しかし《完全掌握》をしてしまえば、自分は彼女の修羅道に引き摺り込まれて道を踏み外すことになるかもしれない。勝負に勝つために信念を曲げるのでは、それこそ勝利する意味がなくなってしまう。

 まさに疼木祝という少女は、一輝にとって最悪の相性をこれでもかと揃えた伐刀者だった。

 

(……クソッ)

 

 らしくもなく一輝は内心で毒づいた。

 それも無理はない。もはや状況は八方塞がりに近いのだ。

 不屈の闘志は未だに一輝の中で燃え続けている。しかしその熱を解き放つことが一輝にはできない。それがどうにも歯痒くて仕方がなかった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「未来の“害”を常にって……それじゃあ基本的に全ての戦闘が予知に引っかかるってことじゃない……!」

 

 ステラさんが信じられないように呟いた。

 流石はヒロイン、理解が早い。確かにステラさんの言う通り、私の《既危感》は戦闘において凄まじい効果を発揮する。なぜならば害とは戦闘において必要不可欠の概念であるためだ。むしろ相手を害する行動こそが戦闘の本質であり、つまり“害”という概念を排してしまえば戦闘そのものが成立しない。

 しかも私の《既危感》は予知の精度が他に類を見ないほど非常に高く、ノストラダムスの大予言やマヤの予言など鼻で笑うレベルでバンバン的中する。

 確かに話だけを聞くのなら反則級の予知能力だろう。

 

「もしかして、ハフリさんにはもう次の試合の様子が視えている……とか言わないわよね?」

「いやいや、流石にそこまでは予知できませんよ。私の予知圏内は基本的に直近の未来。訪れる害の規模によって幅はありますけど、流石にそこまで先の未来は捉えられません」

 

 ここが《既危感》の微妙な点の一つだ。

 予知できる未来が凄まじく近い。具体的にはほぼ数秒だ。この理論を詳しく説明すると気が遠くなるほど話が長くなってしまうのでかなりザックリと行くが、その原因は『細かな因果にとって人間の意思は不確定要素が過ぎる』という要素が大きい。

 

 例えば、A地点からB地点へとある人物が移動するという“巨大で強い因果”があるとする。この因果の流れを動かすことには凄まじいエネルギーと因果への影響力が必要なので変動することはまずないのだが、そこへ至るための細かな道筋や速度はその移動する人物の意思に委ねられている。よって『その人物がAからBへ行く』という漠然とした予知ができても『その人物がどのルートで向かい、何歩で到達し、道の右側と左側のどちらを歩き……』というような細かすぎる因果の流れまで予知するのは、“人間の意思”という不確定な存在のせいで死ぬほど難しくなってしまうのだ。

 人は平気で「気分ではない」という理由のせいで道を変える。歩調を乱す。人間の意思が一律の法則性や規則性を持たない以上、もはや細かい未来は無限大だ。

 

 そしてそんな事象の連続なのが戦闘というもので。

 細かな動作の一つで生死が決定してしまう戦場においては、その“細かな因果”が私への害に直結する。

 よって“細かな因果”がほぼ確定的なレベルに達したところ――即ち「これからこういう攻撃をこういう手順で繰り出すぞ」と敵が意思の内で決定した瞬間に《既危感》は害となる未来を察知する。

 つまり最悪の場合、相手が反射的に動いたせいで「自分は0.1秒後に殴られる」なんていうクソの役にも立たない未来が予知されることもあるのだ。

 

 まぁ、流石にそこまで切羽詰まった予知はあまりないけどね。

 意思の他にも人体の構造上の可能性、装備の可動限界、間合い、地形、持っている武術の癖などの数多で複雑な因果が絡まり合い、大体は数秒前には敵が繰り出す害の因果は9割がた決まってしまう。これによって数秒前の予知が成立するというのが戦闘中の《既危感》のメカニズムだ。

 

「――という感じで割と簡略化して説明してみましたけど……ステラさん、理解できています?」

「大まかな感じではね。私は因果干渉系の能力を持っていないから実感は湧かないけど」

「凄くザックリとした説明ですからね。御祓さん辺りならば感覚を掴めたかもしれませんけど、ステラさんには流石に難しすぎました」

 

 先天的に目が見えない人は色という概念を理解することができない。

 同じように因果に対する感覚というのは因果干渉系の伐刀者にしかわからないだろう。これを言葉で説明しようとすると、どうしても常人には理解しがたい理論や話し方を展開することになってしまうのだ。

 むしろ「なるほど、さっぱりわからん」という人の方が普通だろう。あれだ、「イザナミだ」を読んだときの読者の感覚に近いと思う。

 

「でも、割かし遠い未来でも予知できることはありますよ? 例えば人間の意思がほぼ介在しない自然現象などがそうです。大きい地震や津波レベルともなれば3日前くらいに予知できたりしますし。あくまで私に直接的な害があるものに限りますが」

 

 まぁ、わかるといっても「絶対にないけど、昔ここで大きい地震に遭遇したような」といった曖昧な感覚だけど。震災のせいで家屋倒壊に巻き込まれる、というような細かな未来は後から徐々に予知していく形になる。

 しかし本当、予知能力者的には人間と比べて自然はヤバいくらい素直で素晴らしいよ。

 大規模な自然現象は基本的に先程言った“巨大で強い因果”に分類されるので、基本的にかなり前の段階から《既危感》に引っかかる。オマケに自然は意思など持たないため、その全ての動きは凄まじく機械的だ。よって細かなブレもなく本当に予知がしやすい。

 最近はますます精度が上がっている(・・・・・・・・・・・・・)せいか天気の崩れまで予知できるほどだ。今日の雨だって「このまま山で燥いでいたら雨に降られて濡れた」という可能性の経験を《既危感》が察知したおかげで30分前には対処を始めることができた。

 同じような理由で障害物の存在も予知しやすい。物は意思を持たず、常に外部からの物理的なアプローチのみで成り立っている。だから私は雨の森の中でも足を滑らせることはないし、枝に引っかかることもない。

 

「……あの、ハフリさん」

「何です?」

「説明してもらってからこんなことを聞くのもおかしいけど……本当に私に伐刀絶技のことを話して良かったの? それもこんなに詳細な情報を」

 

 疑いと申し訳なさを混ぜ合わせた表情をしたステラさん。

 私がこんなに馬鹿正直に自分の秘密を喋ったことが納得できないのだろうか。まぁ、これから闘う相手に偽情報を流しているのかもしれない、と疑ってかかるのは伐刀者として大変良いことだと思うが。

 

「別に構いませんよ。さっきも言ったように少し調べればわかる情報ですし。それに大鎌(わたし)の強さは《既危感》の存在を知られた程度では揺るぎませんから」

「……ッ」

 

 実際、マジな話ここのところはこの予知は殆ど役に立っていないしね。

 何が起こるかわからない戦場に立ってこそこの伐刀絶技は威力を発揮するのに、学生騎士との試合では予知を使うまでもなく私の地の戦闘経験で普通に対処可能だ。

 そして私の《既危感》は常時発動型とはいえ、もはや目を瞑ってでも対処できるレベルの害には流石に反応しない。もはや(しっぱい)の可能性が極小となれば、それは“ほぼあり得ない可能性”と見做されて予知から弾かれてしまう。

 最後に《既危感》が戦闘中に発動したのは……春休みに《解放軍》鎮圧の特別招集をされた時になるのか? あの破軍からは私と東堂さんと貴徳原さんのスリーカードが出されたやつ。

 あとはもう天気予報くらいにしか使えていない。

 ……まぁ、つまりだ。

 

 

 大鎌が強すぎて予知が死にスキルになっているということだねっ!

 

 

 いやぁ、辛いわぁ~。的中率100%の予知能力だっていうのに活かす機会がなくて辛いわぁ~。

 それもこれも、もはや予知を必要としないほどに研ぎ澄まされた刃! 万能と言っても過言ではない対応能力! そして何より発揮された武器としての性能! つまり大鎌がこんなに強すぎるのが悪いんだよ!

 ああっ、大鎌のせいで私の《既危感》がどんどん産廃になっていく! 大鎌が最強すぎて本当にごめんね!

 

 なんて考えていると、何やらステラさんが今までと違う色の視線でこちらを見てきた。

 何か恐ろしいものでも見るかのような目なんだけど、どうしたの?

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「別に構いませんよ。さっきも言ったように少し調べればわかる情報ですし。それに私の強さは《既危感》を知られた程度では揺るぎませんから」

「……ッ」

 

 その威風堂々とした振る舞いに、ステラは思わず圧倒されていた。

 表面上はいつも通りの穏やかな振る舞いでありながら、その言葉の裏には己の強さに対する絶対的な信頼があった。ともすれば傲慢や慢心とも取られるその自信。しかしそれを身の程を弁えない愚者の言葉と捉えることはステラにはできなかった。

 七星剣武祭を制したという実績があるから、実力の一端を垣間見たという経験があるから、己を打倒した一輝が強いと評したから――ではない。

 

 ステラの奥底で燻る本能が、祝の存在をこの瞬間にどうしようもないほど恐れたからだ。

 

 今の言葉が祝にとってどういう意味を持っていたのかはステラにはわからない。あるいは言葉通りの意味なのかもしれない。

 しかし何気ない今のやり取りを終えた瞬間、ステラの中の本能は目の前の少女を“少女の形をした本物の怪物”であると認識していた。もはやステラの本能は、目の前でほわほわと笑う彼女がいつでもこちらを殺すことができる存在なのだと主張して止まない。

 

(なるほどね。確かにこれはヤバいくらいに本物だわ……)

 

 毛布で温められたはずの背中に冷たい汗が一筋流れる。

 先日の《狩人》のように、才能に溺れた偽物の強者ではない。祝は当たり前のように“覇者”なのだ。ごく自然で、当然のように強者として君臨している。

 試合の時に普段の様子とまるで変化がなかったことにもこれならば納得がいく。彼女にとってのあの穏やかな自然体とは、それこそが戦闘態勢なのだ。闘おうと思わずとも闘え、殺そうと意識する必要もなく殺せる領域にまで魂を昇華させてしまっている。だから彼女は殺気を放つこともなく、殺意を抱くこともない。

 『殺意』とは即ち、人間が発する“敵を殺そうとする意思”だ。その意思が目つきや語気、体捌き、あるいは魔力の猛りやそれに触れた大気などに影響を及ぼし、それを感じ取れる者だけが初めて『殺気』と呼ばれる超感覚を知ることができる。逆に言うのならば、己を律し、精神と肉体を御する者ならば自在に殺気を放ち、同時に消し去ることもできるだろう。

 しかし祝は違う。

 きっと彼女は何らかの原因で敵に怒りを抱いていようと殺意は抱かない。なぜなら敵を殺さないという選択肢は、わざわざ自分で選ばなければならない選択肢だから。“敵を殺そうとする意思”が本能や魂のレベルで定着してしまった彼女からは、もはや殺気という名の違和感は発せられない。

 

(人は極まりすぎると、こんな領域に至ってしまうというの……!?)

 

 俄かには信じられないことだった。

 敵を殺すのが当然で、闘うことが自然という状態で人間の精神が安定するなど。一体どんな思考回路をしていればそんな思考を保ち続けることができるというのか。

 

「ハフリさん……貴女は……」

 

 ――貴女は、どんな人生を歩んできたというの……?

 その言葉をステラは口にすることができなかった。

 不意に祝が立ち上がり、扉へと視線を滑らせたためだ。その直後に一輝もその視線を鋭くし、ステラも違和感に気付く。

 

「これは……地震?」

「本当だ、確かに揺れている。でも……」

 

 揺れている。それは間違いない。しかし一輝が言い淀んだ理由をステラもすぐに理解した。

 山小屋の床が、グラッ、グラッと断続的に傾くような感覚。しかしそれにしては少しおかしいのだ。地震ならば普通は地面が波打っているかのように揺れるはずだ。だというのにこの揺れはいつまで経っても断続的なのである。一定の間隔で小休止を挟むそれは、地鳴りというよりはまるで巨大な足音のようで……

 

「……まさか、本当に巨人なのか!?」

「じゃないでしょうかねぇ。まぁ、何にせよ二人は中にいてください。パパッと手早く片付けてきますから」

「……えっ!? ちょ、ちょっと!」

 

 まるで散歩に行くかのような気軽さで祝は動き出した。

 壁にかけてあった雨合羽を羽織り、そのままフードをかぶったところでステラが我に返る。

 

「私も行く!」

「ちょ、ステラ落ち着いて! もしも巨人が狂暴だったら戦闘になるかもしれない。病人のステラに無理させるわけにはいかないよ。大丈夫、僕も行ってくるから」

「えっ……でも、私も巨人見たいし……」

「あっ、僕と疼木さんの身を案じてくれたとかじゃないんだね……」

 

 一輝とステラがそんなやり取りをしている間に、足音と思われる振動は小屋のすぐ傍まで近づいてきているようだった。ステラを説得している一輝に痺れを切らした祝は、「もう行きますよ」とそのまま二人を置いて扉を開け放つ。

 そして、そこにあった光景に祝は「お~」と感心したように口を開いた。そしてその視線を上へ、上へ、上へ――

 

「こうして直に見ると意外にデカいですね」

 

 その視線の先には、首が痛くなるほど見上げなければならないほどの巨人がいた。

 事前情報の5メートルという情報よりもかなり大きい。全長は10メートルに達するほどで、それが小屋の前に佇む姿は異様でしかなかった。その身体は人間のような肉によって構成されたものではなく、恐らくは土塊と岩の集合体だろう。その姿を祝の後ろから眺めたステラは「エヴァの中身とか進撃してくる感じのを想像していたのに!」と声に出すほどショックを受けている。

 確かにこの姿では巨人(タイタン)というよりは巨人(ゴーレム)だ。

 

「って、そんなことを言っている場合じゃ……!?」

 

 一輝が慌てて《陰鉄》を展開したのと、巨人がそのサイズに見合う巨大な足を持ち上げたのは同時だった。

 持ち上げられた足は、巨人が前傾姿勢になると同時に凶悪な踏み潰し(ストンピング)となった。まるで蟻を踏み潰すかのような単純な動作。しかし巨体を見れば歴然のその大質量が繰り出せば、それは人間を殺すには充分すぎる殺人的な攻撃だ。

 

「逃げてッ、ハフリさん!」

 

 ステラの悲鳴があがる。

 三人の中で最も先頭に立つ祝へ、その小さな身体を粉砕せんと巨大な足が迫っていた。

 しかしそれに対し、祝は一歩も足を動かそうとしない。それどころか、まるで受け止めようとするかのように左手を持ち上げ……

 

「えいっ」

 

 衝撃で大気が爆発し、爆音が山肌を駆け巡る。

 祝の左手と足が接触した瞬間、巨人は宙を舞っていた。振り下ろされた足は付け根までが粉砕され、その原型を留めていない。残された軸足は完全に宙に浮き、巨体は背中から背後の地面へと倒れ込んだ。その瞬間、その質量に見合う凄まじい轟音が先程の爆音を追いかけて山中に響き渡り、大量の泥と千切れた木々が巨人の転倒に巻き込まれて粉塵のように舞い上がる。

 魔力放出だ。

 その質量差を覆すほどの威力を持った魔力放出によって巨人の足は砕かれ、それだけでなくその巨体を押し返されてしまったのだ。

 その非常識極まりない反撃を繰り出してみせた祝は、しかしそれを誇ることもなく一輝たちに向き直ると、「見てください」と巨人を指差して何やら講釈を始めてしまう。

 

「やっぱり巨人の正体は魔術でしたね。学生騎士の二人には珍しいでしょうけど、ああいった戦法を取るのは『鋼線使い』と呼ばれる伐刀者です。ほら、巨人を構成する岩から微かに魔力を感じるでしょう? 彼らは魔力の糸によって遠隔操作で傀儡を操り、遠距離から一方的な攻撃を――今話し中」

 

 起き上がろうと上半身を上げた巨人。しかしにべもなく言い放った祝は、一瞬で展開した《三日月》を振り向き様に巨人へ投げ放った。爆風のような唸りをあげた《三日月》は巨人の眉間に直撃し、そのままその頭部を跡形もなく吹き飛ばす。

 その反動で再び巨人の上半身は地面へと叩き付けられ、先程の地響き以上の揺れが小屋の戸口に佇むステラたちを襲った。

 

「……ねぇ、イッキ。日本の学生騎士はレベルが高いって聞いているけど、10メートルもある巨人を正面からあんな一方的にぶっ飛ばせるのって全国レベルでは割と普通のことなの? だとしたら私、井の中の蛙みたいで凄く恥ずかしいんだけど」

「安心して、ステラ。彼女が普通じゃないだけだから」

 

 状況はまさに一方的だった。

 祝はその絶対的な質量差などものともせず、それどころか先程からその場を動いていない。しかも会話する余裕すら見せており、巨人は全く相手になっていなかった。むしろ敵対的な立場にある巨人が気の毒に思えるほどだ。

 しかし巨人を背後から操る鋼線使いもこのままの状況に甘んじる気はないらしい。

 俄かにその巨体が崩れて岩塊に戻ったかと思うと、なんと細かな岩塊が新たに組み合わさることで複数の人影がゆらりと立ち上がったのだ。今度の傀儡は2メートルにも満たない人型とはいえ、その数は思わず一輝が息を呑み後退りするほどに多い。ざっと見ただけでも百体近くはいる。

 

「鋼線使いっていうのはこんなこともできるのか……!」

「なるほど。質で勝てないのなら数でってわけね。イッキ、ハフリさん。こればかりは私も加勢するわよ。この数、流石に二人だけじゃ多勢に無勢――」

 

 白い雨合羽が翻る。

 ステラと一輝が止める間もなく、祝は目にも止まらぬ勢いで岩の傀儡の群れへと突入した。そして新たに《三日月》を展開し直すと、鈍色の刃が次の瞬間に閃光と化す。

 

「数が多ければ勝てると思ったんですかね」

 

 一閃――魔力放出によって当たり前のように音速の壁を引き裂いた斬撃が、数体の傀儡を纏めて粉砕した。

 斬撃の勢いに身を任せて飛び上がった祝の蹴りが手近な傀儡に炸裂し、十数体を巻き込んで森の奥へと吹き飛ぶ。

 背後からその隙を狙おうと傀儡が飛びかかれば、振り向き様の裏拳によって木っ端微塵となるだけに留まらず、その破片が散弾のように飛び散って他の傀儡を穿っていく。

 それでも祝の足は止まらない。数の暴力で攻め立てる傀儡たちを、個の暴力が蹂躙する。豪雨による足場の悪さなどものともせず、大鎌を手に踊って踊って踊り狂う。

 

「温いですね。私を仕留めたければこの三倍は持ってきてください」

 

 そこは完全に祝の独壇場だった。

 刃は岩に徹らない。拳で岩は砕けない。――そんな常識を嘲笑うかのように彼女はそれを成す。

 傀儡の1体が拳を振り上げている間に間違いなく六、七体は消し飛んでいる。彼女が踏み込むだけでその場所は一秒で空白地帯と化す。百倍に近い数の差など何の有利性も持ち合わせてはいない。

 ステラのような炎を操る力もなく、一輝が闘った《狩人》のような特殊な能力もない。誰にでもできる基礎的な能力と技で、祝は敵を瞬く間に殲滅していく。

 

「これが最強の学生騎士の実力ってわけ……!?」

 

 単純で純粋で、そして馬鹿馬鹿しくなるほど普通に強い。それが祝の動きを見てステラが感じたことだった。

 魔力放出によって強化されたその敏捷力と瞬発力は、ステラの目から見ても学生騎士の領分を越えている。速度のロスを極限まで削るその体捌きと魔力放出による瞬間的な加速は、《一刀修羅》を用いた一輝に重なるところがある。両者を単純に比較することはできないが、ステラには優劣を付けられるほどの差があるとは感じられなかった。

 また、同じく魔力放出によって強化された刹那の膂力も凄まじい。流石に圧倒的な怪力を誇るステラには一歩も二歩も劣るだろうが、逆に言うのならば全力の一輝とほぼ同等の速度でステラに少し劣る程度の膂力を振るってくるということだ。それも一輝のような一分間という時間制限などなく。

 

「小細工なんてなく、誰にでもできることを最高レベルでやっているだけ。それがハフリさんの強さなのね」

 

 一体、どれほどの修練の果てに辿り着いた領域なのか。

 祝の強さをそのレベルに高めているのは、間違いなく彼女の魔力制御能力だ。現に先程から一切の魔力を感じさせない彼女は、ステラでは想像もできないほどの高効率で低燃費な魔力運用をしているのだろう。そしてそれすらも伐刀者ならば誰にでもできる能力の応用でしかない。

 

「こんな風に単純に強いだけ(・・・・・・・)の人がいるだなんてね。武術でランク差を覆すイッキといい、本当に世界は広いわ……」

「僕と彼女では比較にならないと思うけどね」

 

 木の葉のように空中へ蹴散らされる傀儡たちを眺めながら一輝は苦笑する。

 その単純な強さを身を以って知っている一輝の瞳に驚愕はない。しかし己の敵を油断なく再確認する戦略家としてその目は祝に向けられていた。

 しかし一輝たちが改めて祝の強さを確認させられている一方、祝は状況に少々の停滞を感じ始めていた。

 適当に傀儡を蹴散らしていた祝だったが、先程から蹴散らした傀儡と動いている傀儡の量にズレを感じ始めてきたのである。それで砕けた岩に戻った傀儡を注視してみれば、なんと岩の欠片が集合して新たな傀儡を作り出しているではないか。ふと周囲を見渡せば、森の奥まで吹き飛ばした破片まで引き摺られるようにこの場に戻ってきている。

 

「傀儡の再生とは、また器用なことをしますね」

 

 こんな展開、原作にあったかなぁ……?

 記憶の中に意識を馳せながら、祝は内心で首を傾げる。原作だけでなくアニメ版ではどうだったか……、と考えつつ、とりあえず近場の傀儡を大鎌で纏めて薙ぎ払った。

 

「ハフリさーん。傀儡の数が戻ってきているようだけど、やっぱり手を貸したほうがいいかしらーっ?」

 

 小屋の戸口から、毛布をかぶった状態で声を張り上げるステラ。

 確かに彼女の手にかかれば傀儡を跡形もなく焼き尽くすこともできるだろう。しかし祝は「大丈夫で~すっ」と手を振ってみせた。

 事実、それは強がりではない。祝もこれまでに鋼線使いと呼ばれる伐刀者と闘った経験はある。そしてそこから『対鋼線使い』と言える戦術を編み出しているのだ。

 

(もう“警告”も充分でしょうし)

 

 軽業のような俊敏さを見せていた祝が唐突にその足を止める。

 そして手近な傀儡に近づくと、徐にその胴体に左の貫手を叩き込んだ。その身体は岩でできているというのに、貫手は豆腐を貫くようにその胴体へとめり込む。

 すると、だ。

 

 全ての傀儡が一斉に動きを止めた。

 

 味方が何体潰されようと動きを乱すことなく行軍していた傀儡たちが、文字通り糸の切れた人形のように微動だにしなくなる。

 その中で一体が最後まで抵抗するように悶えていたが、やがてそれも他の傀儡たちと同じようにその動きを止めた。

 

「よ~し、中継点(ハブ)は無事に掌握っと。このまま術者まで糸を一気に伝って――」

 

 鼻歌混じりで祝は魔力を行使する。

 刀華に余計なことをするなと散々言われていたため、祝もここまでは警告代わりに穏便な(・・・)方法を取っていた。しかしそれを無視してここまで執拗な真似をするというのならば、こちらも手段を選ばないというだけの単純な話だ。

 そして祝の中では、警告を無視するということは何をされても文句は言えないということで……

 

「まっ、相手が相手ですし《月頸樹(げっけいじゅ)》でも死ぬことはないでしょう」

 

 どうでもいいですけど。

 そう呟いた瞬間、祝の左手から大量の魔力が糸へと流し込まれた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……酷い様だな」

 

 開口一番、男は眉を顰めて言い放った。

 その言葉と視線に晒された長身の人物――平賀玲泉は、まるで気にした様子もなく「いや、全くです」とお道化てみせる。

 

「新しいハブの試験を兼ねたちょっとした悪戯だったんですけどねぇ。藪を突いてみれば蛇どころか鬼に遭遇してしまいましたよ。高々10メートル程度の《機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)》では相手にもなりませんか。流石は音に聞こえた七星剣王」

 

 ほら、と平賀が左腕を掲げてみせる。いや、正確には掲げようとした。

 しかしその動きに耐えかねた左腕はぶちぶちと千切れる音を立て、肘から先が床に落ちてしまう。その細い左腕だったもの(・・・・・)は異様な姿となっていた。袖の下からはびっしりと鈍い光沢がその身を覗かせており、千切れた断面すらもそれは例外ではない。もはや肌と呼べる部位はほぼ残されておらず、その一面は鋼色で覆われてしまっている。

 

「まるでウニかハリネズミになった気分ですよ。あぁ、酷い酷い。よく見れば胸元まで侵されている」

 

 平賀が身体を(まさぐ)れば、千切れた左腕の残りはもちろんその延長にある胴体まで同じ現象が起こっていた。

 男はしげしげとその様を眺めると、その光沢の正体を知るなり「ほう」と興味深そうに口の端を吊り上げる。

 

「相変わらず面白いことを考える女だ。この刃、全てが霊装(・・)なのか」

「みたいですね。いきなりボクの糸を伝って魔力を流し込んできた時は何事かと思いましたけど、その魔力で不完全な霊装擬き(・・・・)を作り出すとは。おかげで滅多刺しにされてしまった」

「奥多摩からここまでの距離がありながら、糸で繋がってさえいれば遠隔でも霊装を作り出せるのか。……ますます面白い」

 

 転がった左腕の残骸から男が刃を一本引き抜いてみれば、確かに覚えのある刃だった。

 この現象の下手人である少女の霊装にあった短剣の部位だろう。刃の根元を見れば、空気に溶けるようにその先の部分が崩れている。一本でも多く刃を相手に突き刺すため、残りの部位はあえて展開せずにいるのか。

 目の前の鋼線使いは魔力が全身に行き渡る前に無理やり糸を断ったようだが、それでもこの殺傷能力。昔から自分にはない発想を闘いに持ち込む奴だと男は思っていたが、どうやら何年経とうとそれは変わらないらしい。

 

「フフフ、七星剣王といっても所詮は学生騎士だと少し侮っていましたよ。彼女、最後の攻撃は間違いなくボクを殺しにかかってきていましたよ? 幻想形態を使うこともしないとは、殺意に満ちていますねぇ」

 

 事実、この攻撃の殺傷能力は尋常ではない。

 “肉体を内側から刃で刺し貫く魔術”など、どれほど殺意に溢れた発想力があれば思い付くというのか。

 食らったのが平賀でなければ、間違いなくこの魔術によって筋肉や内臓、果てには脳を刻まれて死んでいただろう。

 しかし男はその言葉を嘲笑するように鼻を鳴らした。

 

「戯け、あの女が殺意など持つものか。どうでも(・・・・)()()()()()()()。アイツにとって敵の生死など考慮に値することのない些事だ。あれはどこまでも己の力を試し、高めることしか眼中にない求道の怪物。恐らく今回のこれも、邪魔だから排除するという以上の意図はないだろう」

「その排除とやらで相手が死ぬことになっても彼女には些事であると? 学生騎士でありながら、随分と頭の螺子が外れたお方だ」

「貴様が言うな」

「ああっ、確かに!」

 

 男の言葉に、平賀は狂ったように隻腕となった腕で腹を抱えて笑った。

 それを不快そうに一瞥した男は改めて手の中の刃へ視線を落とす。

 その鋼色を見ていると、不意に胸元が疼いた。この感覚も久しぶりだ。ここに残された“傷痕”は、時折己の意思で蠢いているかのような痒いともこそばゆいとも言えない不思議な感覚を男に齎す。その度に男は、自分の肉体がこの傷をつけた女を自ら斬りたがっているのだと感じていた。そしてそれはこの男も望むところでもある。

 

「……ふん、早ければ《前夜祭》で相見えることになる。《紅蓮の皇女》共々、精々首を洗って待っていろ」

 

 不敵に笑う男の手の中で、水に晒された砂の城のように刃が崩れて消えた。

 

 

 

 

 

 

 




やっと巨人戦(野球ではない)を迎えられました! 展開が遅くて本当にすみません。
あと、伐刀絶技の説明がわかりにくくてすみません。自分で書いていても「イザナミかよ」と思えるほど書きにくい場面でした。
それと前回のあとがきで書いた通り、主人公のステイタスを載せておきます。

【伐刀者ランク】B
【伐刀絶技】《既危感》etc.
【二つ名】七星剣王
【人物概要】大鎌というハンデを努力で覆したシンデレラ(笑)

【攻撃力】C
【防御力】D
【魔力量】A
【魔力制御】A
【身体能力】A
【運】F

恵まれた魔力量を持ちながら、それを活かすための直接的な攻撃力のある能力を持ち得なかったことからこの評価になった感じです。魔力放出による爆発力は【攻撃力】ではなく、ここでは【魔力制御】の項目にプラスされていると想定しました。
そうでないと氷塊とかを一瞬で作り出せる珠雫の【攻撃力】がDだったり、《犀撃》で岩も砕ける一輝の【攻撃力】がFなのが納得できなかったので。
……こんな感じのステイタスでお願いします(震え声)


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だが私は謝らない!

感想、及び誤字報告ありがとうございます。



 傀儡たちが動きを止め、祝が霊装を解いたことで戦闘は完全に終了となった。

 小屋の目と鼻の先が岩だらけとなったこと以外に祝たちの被害はない。祝の持つ知識では巨人が山小屋を粉砕していたため、相対的に被害は皆無と言って過言ではないだろう。

 その後、祝たちは改めて山小屋の中で雨宿りをすることとなり、それから雨が上がったのは日が暮れ始める時間帯となってからだった。

 その間に祝は巨人撃退の報告を刀華にしたのだが、その戦闘の余波で山の木々がかなり押し潰されてしまったことについて小言を言われそうになったことは些細なことである。もちろん祝はその瞬間に生徒手帳の通話を切り、そのまま電源までオフにしたのはさらにどうでも良いことだった。

 

「そういえばハフリさん。すっかり忘れていたけど、さっきの傀儡を操っていた伐刀者は放置していていいの? こうして下山している最中にまた襲ってきたら厄介よ?」

 

 小屋の中で乾かした制服を着込んだステラは、祝が持ってきた薬のおかげでかなり症状が治まっている。

 しかし薬が抑えているのはあくまで症状であり、風邪が完治しているわけではない。そのため祝たちはステラに負担をかけないよう、ゆったりと散歩するようなペースで山を降りていた。

 そんな最中のステラの質問に、先頭を歩いている祝は「あ〜」と苦笑する。

 

「傀儡の裏にいた犯人を捕らえるのは、この面子ではちょっと無理だと思いますね。捕まえようにもちょっと距離が……」

「ああ、遠隔操作って言っていたものね。一体どこから操作していたのかしら」

「さぁ? 細かい距離を測る前に糸を切断されたので正確なものはわかりませんが、向こう側に到達するまでにかかった時間から逆算するに少なくとも100キロメートル以上は――」

「「100キロッ!?」」

 

 ステラと、その後ろを歩いている一輝の声が重なった。

 二人は祝の言葉に驚愕を隠せない。それも当然のことで、そこまで遠距離から魔術を行使できる伐刀者など二人は聞いたこともなかった。それが事実ならばその鋼線使いは祝とは違うベクトルで非常識な存在であることは間違いない。

 

「こ、鋼線使いってそんな距離から攻撃できるものなの……?」

「まさか。流石にここまでべらぼうな鋼線使いは私も見たことがありません。1キロ2キロくらいなら聞いたこともありますけど、100キロなんて桁違いもいいところですよ」

 

 もはや次元が違うと言うべきだろう。

 祝の持つ原作知識ではこの鋼線使い――平賀玲泉の正体は結局明かされず仕舞いだったので詳しいことはわからないが、あるいは彼こそが話に聞く《魔人(デスペラート)》という存在なのかもしれない。

 己の可能性を極め尽くし、それでもなお力を欲する伐刀者だけが至れるという領域。彼らはその限界突破の末、生涯変動することがないとされる魔力総量すらも上昇させてみせるという。原作でもそれっぽいことが示唆されており、実際に一輝がその段階に至ったのは祝としても間違いないと思っている。

 祝としては伐刀者に限界などないという事実が知れたため、非常に憧れる存在ではある。大鎌の可能性に自分が付いていけず、その未来を潰してしまう可能性がこれで消えたからだ。そんな領域など祝にはまだまだ見えてはいないが、これで安心して修行もできるというもの。

 

「というか、疼木さんはその鋼線使いの糸を辿ったって今言ったよね? どうやってそんなことを……」

「別に特別なことはしていませんよ。傀儡に張り巡らされた魔力の糸に絡み付かせるようにして魔力を流し込んで、それを薄く引き伸ばす感じで糸を辿ったんです。その時に糸を私の魔力でホールドして傀儡の動きを掌握、そのまま()り手にその魔力が到達するまで延々と魔力を伸ばしていきました」

「……傀儡を抑え込みながら、そのまま100キロメートルも?」

「はい」

 

 平然と答える祝だが、一輝とステラからすれば理解できる領域にない。糸を魔力でホールドって何だ。どうすればそれほど遠距離まで魔力を途切れさせずに伸ばせるというのだ。

 

「じゃあ、もしかするとその鋼線使いはまた攻撃を仕掛けてくるかもしれないのね」

「流石にもう襲ってこないとは思いますよ? ここまで伸びている糸を切断したということは、ここに攻撃するための手段を失ったということでもありますから」

 

 そして祝は余計なこととわかっているため口にこそしないが、糸を通じて適当に反撃もしている。それにそこそこ手応えがあった以上、例え攻撃手段が残っていたとしてもこの辺りが引き際と相手もわかっているだろう。手傷を負った状態で再び襲撃するのはどう考えても得策ではない。

 そんな話をしながら山を下っていた三人は、どうにか周囲が暗くなりきる前に合宿所に到着することができた。

 合宿所の前では刀華たち生徒会の面々が待ち構えており、特に刀華はステラが体調を崩したことを心配していたらしく飛ぶようにステラへと走り寄ってきた。その勢いのまま容体を確認すると、大事ないということを理解したのか安堵の溜息を吐く。

 

「良かった……まだ少し熱はありますけど、とりあえず大丈夫そうですね。でも大切な選抜戦が控えていますし、念のために病院でお医者さんに診てもらいましょう」

「と、トーカさん。大袈裟よ、これくらい。もう体調も戻ったし」

「駄目です! 病気を甘く見ると酷い目に遭うんですよ!? 例え風邪だろうと油断してはいけません!」

 

 真剣な目でステラに語り掛ける刀華に聞こえないよう、一輝と祝に近寄ってきた御祓が「刀華の両親は病気で亡くなったんだ」と囁く。彼女が風邪一つにも過敏な反応を示すのはそれが原因らしい。

 それを苦笑しながら眺めていた一輝に、他の生徒会役員たちの後ろで黙っていた砕城が「黒鉄」と声をかけた。

 

「砕城くん、どうかした?」

「うむ、実は貴殿に客人が来ている」

「僕に?」

「あっ、そうそう! ヒイラギから巨人をぶっ飛ばしたって連絡があってからすぐに来たんだった。今はカナタ先輩が対応しているよ?」

 

 そういえば、と一輝が周囲を見回せばその中に貴徳原の姿がない。どうやら兎丸の言う通り、彼女が客人の対応をしているようだ。

 しかしその客人とやらだが、一輝には欠片も心当たりがない。電話ではなく直接出向いてきたという辺りから学園の知り合いというわけではなさそうだが。

 

「えっと、その人はどこの誰なんですか?」

「ああ、確か……そう、“赤座”と名乗る中年の男性だったな」

「――ッ」

 

 砕城が告げたその予想外すぎる名前に、一輝は思わず絶句した。

 一輝が知る限り、中年の赤座と名乗る男性で思い当たる人物は一人しかいない。しかしその男が自分を訪ねてくる理由が一輝には全くわからなかった。

 そして一輝のその動揺が収まらない内に、その男はのっそりと姿を現した。

 

「おやおやぁ~? 随分と遅いお戻りですねぇ、一輝クン?」

 

 耳にこびり付くかのように粘着質な声色。

 それを撒き散らしながら現れたのは、砕城の言葉の通り中年の男性だった。でっぷりとしているその小柄の体つきはまるで樽のようだ。赤いスーツに高級そうな帽子が特徴的なその男は、「んっふっふ」と何かを含むかのような笑みを浮かべている。

 

「イッキ、誰なのこの人……?」

「……この人は赤座守さん。黒鉄の分家の当主を務めている人だよ」

 

 一輝のただならぬ様子から良い予感はしていなかったステラだったが、一輝の実家の関係者だということを知った途端にその理由を理解した。一輝は実家では迫害も同然の扱いを受け続けてきたのだ。その連中の一人が突然来たとなれば、決して歓迎できる理由ではないということは明白だ。

 その瞬間、警戒心を露わにしたステラと不気味な笑みを浮かべる赤座によって剣呑な空気が作り出された。これには赤座を案内してきたカナタを含め、生徒会の面々も戸惑いの様子を浮かべる。

 唯一、祝だけがどうでも良さそうに「お腹空いたな」と余計なことを考えていた。

 

「そんなにツッケンドンな態度をしないでくださいよぉ。私としても君なんかのために奥多摩くんだりまで足を運ぶのは手間だったのですからねぇ。同じ黒鉄の血を引いていなければ、私だって君のような能無しのためにここまで来なくて済んだのですよぉ?」

「な、何なんですか貴方はっ! 事情は知りませんけど、ちょっと言葉が過ぎるんじゃありませんか!?」

 

 あまりに敵意に満ちた赤座の言葉。これに噛みついたのは刀華だった。

 しかし赤座は気にした様子など微塵もない。

 

「おやおや、これは《雷切》の東堂さんではないですかぁ。どうやらウチの出来損ないがご迷惑をかけたようで本当に申し訳ありませんねぇ。私としても、彼のことは情けなさのあまり涙が滲みそうなのですよぉ。生徒会の皆様方も、本当に申し訳ありませんでしたぁ」

 

 謝罪に見せかけた一輝への中傷に全ての生徒会役員は理解する。この人物が一輝の敵であり、決してその来訪を歓迎するべき人物ではないということを。

 一方的に頭を下げた赤座は、ニタニタとした笑みを浮かべたまま一同を見回した。

 

 

 そして――その笑みが一瞬だけ、本当に刹那の間だけピシリと強張った。

 

 

 その視線の先に佇むのは、赤座になど毛ほども興味がないと言わんばかりに黒い瞳を余所に向ける祝である。あまりに自然に気配を消していたため赤座は今の今までその存在に気付かなかったが、彼女が視界に入った瞬間、彼は自分の口の端が僅かに震えたのを感じていた。

 

「…………おやぁ、《七星剣王》の疼木祝さんもいらっしゃったんですねぇ。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」

「ええ、どうも」

 

 祝が赤座に視線を寄越したのもまた一瞬だった。軽く会釈を返すと、再び空気になったかのように存在感がなくなる。まるで本当に消えたかのように錯覚させられるその気配からは、そこに刀華たちが露わにするような敵意は欠片も見当たらない。

 それを理解すると赤座の表情には再び元の笑顔が戻り、そして安心したように目の前の出来損ないへの攻撃を再開した。

 

「んっふっふ、それでですねぇ。私がここまで足を運んだのは私のお仕事の関係でして。まぁ、それを説明する前にこれを読んで戴いた方が話が早いでしょう」

 

 そうして赤座が取り出したのは、今日の日付が記された複数の夕刊である。これが何なのかと一輝たちは訝しむが、しかしその一面に記載された記事は一輝たちにとって予想外に過ぎる内容だった。

 

『不良少年が姫の純潔を奪う!?

『ヴァーミリオン国王激怒か!?

『箱入り娘を手籠めにするその卑劣さ』

『日本とヴァーミリオン皇国の国際問題に発展!?

『若者の性の乱れ』

 

 そのショッキングな見出しに、ステラは「何よこれ……」と声を震わせることしかできなかった。

 その新聞にも一輝とステラのキスシーンが大きく張り出されており、その論調は完全に二人の交際を不純なものとしている前提の下に構成されている。

 

「んっふっふぅ~? もう世間では本当に大騒ぎなんですよぉ? ここに来るまでの車内でニュースを観たんですけどねぇ、もうこの話題で持ち切りでしたぁ。()()としても若者の恋愛にまで口出しするのは心苦しいのですがぁ、これだけ世間で騒がれると庇い立てできないのが現状でしてぇ」

「ッ、こんなのおかしいわよ! この記事、一輝の悪口ばかり書かれているじゃない!」

 

 実際、その内容は当の本人である一輝にも到底容認できないようなものばかり書かれていた。

 過去の経歴として恐喝や窃盗をしていたというものまであり、ご丁寧にその被害者のコメントまで載せられている。他にも淫らな女性関係や素行の悪さなど、よくもこれほどの嘘八百を並べ立てられるものだと逆に感心してしまうほどだ。

 ステラや一輝と付き合いのある生徒会役員はこれを信じるつもりなど毛頭ないが、しかし彼を知らない世間一般の人々はこれを見て何を思うだろうか。決して良い印象を抱かないだろうということは想像に難くない。

 

「さて、この報道を受けましてですねぇ。我々『国際魔導騎士連盟・日本支部』としては早期に対応を取りたいという結論が纏まりましてぇ、本件に対する査問会が開かれることになったんですよぉ。そこで私が所属する『倫理委員会』が中心となってこれを執り行うということになりましたぁ」

 

 笑みを深める赤座に、ステラは背筋が震えあがった。

 国際魔導騎士連盟――それは騎士たちを取りまとめる巨大な国際組織だ。日本支部とはその名の通り日本の騎士たちを管理する組織であり、そして彼の父である黒鉄厳(くろがねいつき)はその日本支部を取り纏める“支部長”である。

 これを一輝から聞かされていたステラは確信した。これはただの誤報やスキャンダルの炎上ではなく、黒鉄家からの一輝に対する攻撃であるということを。

 そして事態の重さを大まかに理解した刀華は、緊張と警戒を表情に浮かべながら赤座に問いかける。

 

「も、もしもですよ? もしもこの記事が本当だと連盟に判断されたとしたら、黒鉄くんとステラさんはどうなってしまうんですか?」

「私はそんなことはないと信じていますがねぇ。もしもこの記事が本当のことだと証明されてしまった場合……んっふっふ。ステラ殿下は被害者なのでお咎めなしなのは当然として、一輝クンは最悪の場合、騎士連盟を“除名”という形になりますぅ」

「じょ、除名ですってッ!?」

 

 ヒステリックにステラは叫んでいた。

 騎士連盟から除名されるということは、魔導騎士としての資格を剥奪されるということだ。当然ながら連盟の下に運営される破軍学園は退学になる。そうなってしまえばもはや七星剣武祭どころの話ではない。

 そういった野良伐刀者になってしまったが最後、一輝は連盟に所属する国家や組織の中で伐刀者として生きていくのは不可能となってしまうだろう。あるいは伐刀者としての道を捨てて一般人として生きていくことはできるかもしれないが、そうなれば一輝の志す信念は挫けたも同然だ。

 それをわかっているのか、一輝の表情は非常に厳しいものだった。

 

「これは倫理委員会からの正式な招集でしてねぇ。一輝クンにはこれからすぐにでも査問会に出席してほしいんですよぉ。既に準備は整っていますぅ」

「イッキ、そんな馬鹿げた招集に従う必要なんてないわ! コイツら、査問会なんて名目でイッキを甚振るだけに決まってる! 元凶の日本支部が開く査問会がイッキの話なんて聞くはずがない!」

「んっふっふ、ステラ殿下は酷いことを仰る。私たちはあくまで一輝クンから事情を聞き、そこから事態を解決しようとしているんですよぉ? もちろん私たちは一輝クンがこんな記事の通りの男ではないと信じていますからぁ、つまり私たちは一輝クンを助けるために査問会を開いているわけでぇ」

「こンのッ、白々しいことをよくもペラペラとッ!」

 

 怒りのあまり、遂にステラの全身から淡い燐光が漏れ始める。漏れ出た淡い魔力が能力によって発火現象を起こしているのだ。

 もはや赤座はステラの逆鱗に触れる寸前だった。あと一押しでステラは爆発し、目の前の男を灼熱の炎で焼き尽くすだろう。しかしそうなる直前、ステラの肩を叩いてそれを諫める者がいた。

 

「ステラ、落ち着いて。僕は大丈夫だから」

 

 怒り狂うステラとは対照的に一輝は極めて冷静だった。

 未だに表情に険しさは残っている。しかし気分を荒立てることもなく、それどころか微笑すら浮かべてステラを安心させようとしていた。

 そうも気を遣われてしまえば、流石のステラといえども矛を収めざるを得ない。納得できているとは口が裂けても言えないが、ひとまず荒々しい気配を鎮める。

 

「んっふっふ。一応言っておきますとぉ、ステラ殿下の言うように査問会の出席を断ることもできますよぉ?」

 

 もちろん、そんなことをすれば一輝の立場はより悪いものとなるだろうが。

 疚しいことがないのならば逃げたりはしないはずだ――世論はそう囃し立てるだろう。そんな墓穴を掘れば、一輝は世間からより白い目で見られるようになるだけだ。

 だからこそ、一輝は逃げも隠れもするつもりはなかった。

 それに何より、一輝は赦せなかったのだ。自分とステラの交際がまるで悪事であるかのように他人から罵倒されるなど。自分の気持ちが不埒で不純なものと決めつけられるなど。そしてなにより、ステラが好きだと言ってくれた事実を嘘にしてしまうことなど。そんなこと、誰からの言葉であろうとも一輝は認めることはできない。

 だからこそ、一輝は例え勝ち目のないこの戦いを前にしても絶対に逃げることはしなかった。例え殺されようともこの首を縦に振るつもりは毛頭ない。

 

「そんなことはしませんよ。僕は招集に応じて査問会に出席します。案内してください」

「素直で非常に宜しいですねぇ。では、早速行くとしましょうかぁ?」

 

 赤座は踵を返すと、見た目通りの鈍重な動きでその場を去っていく。

 その背中を追いかけながら、一輝はステラに「大丈夫だよ」という意思を含んだ視線を送る。それを最後に赤座へと付いていった一輝を、ステラと生徒会の面々は不安そうに見送ることしかできなかった。

 今日この日。一輝と黒鉄家の血の流れない、されど壮絶な戦いが幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 ――なお、祝だけは赤座が置いていった新聞を読みながら「明日の天気は晴れか」と全く別のことを考えていた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 黒鉄が赤座というオジサンに連行されてから数日。

 世間では未だに黒鉄とステラさんのスキャンダルを騒ぎ立てている。ニュースやらワイドショーでもこの話題で持ち切りで、今や学園の教室ですら天気の挨拶のようにこの話題が持ち上がる始末だ。

 ハッキリ言って、凄まじくどうでもいい。これも有名税というものなのかもしれないが、どうして世間は有名人のスキャンダルが大好きなのだろうか。別に誰と誰の痴情が縺れようと当人たちの勝手ではないか。大団円に収まろうと破滅しようと勝手にやってほしい。別に私は咎めもしなければ心配もしないから。

 

 そしてそんな話題で持ち切りとなれば学園でステラさんに注目が集まるのは当然というもので。

 しかし時々校内で見かけるステラさんはいつも不機嫌そうに目つきを鋭くしており、その威圧感から彼女に事情を訊ねようとする野次馬は皆無のようだった。

 そして今日もその様子は変わることもなく。普段は弁当派なのだが今日は気まぐれに食堂に赴いてみれば、ステラさんの周りだけATフィールドが全開になっていた。少なくともステラさんの隣三つまでは空席ができている。

 席を探していた私としてはちょうど良かったので、「ここいいですか?」と話しかけながら隣の席に陣取る。これは便利だ。これから騒動が治まるまではステラさんの近くに座って席を確保してみよう。

 

 

「おい……あれって《告死の兇刃(デスサイズ)》の疼木じゃねぇか……!?」

「《百人斬り》の疼木が《紅蓮の皇女(Aランク)》に近寄るって……また戦争を始めるつもりなのかよ、アイツは……!」

「全員退避ーッ! 《狂犬》の喧嘩に巻き込まれたくない奴は今すぐ逃げるんだ!」

「う、嘘よ……せっかく平和に戻った破軍が《死神》のせいでまた世紀末に……ゔぅぅ……」

「ちょ、去年のトラウマで体調不良の子が出ているんだけど!?」

「誰か生徒会長か理事長呼んでこい!」

「何やってんだ、一年! もたもたしていないでお前らも逃げるんだ! 死にたいのか!」

 

 

 そして私が定食を乗せたトレーをテーブルに置いて視線を上げると、食堂は(もぬけ)の殻になっていた。

 ……別に逃げられるのは構わない。自分がそれだけのことを去年やらかしたということの自覚はある。でもさ、なんで誰も私のことを《七星剣王》って呼んでくれないの? 私って一応、世間では学生騎士の頂点にして憧れの的の立ち位置なんだよ? それなのにこんな……

 私が愕然としていると、心なしか優し気な表情になったステラさんが「ご飯、食べましょ」と言ってきた。

 憐れむなよぉ……

 

「……何だか異常なほど食堂がガランとしているんだけど。これってどういう状況なの?」

 

 そうして二人で大人しく食事をしていると、長身のイケメンが声をかけてきた。その隣には眼鏡をかけた少女がイケメンくんと同じように戸惑った表情で佇んでいる。

 二人とも食堂のトレーを持っていることから食事に来たのだろうが、どうやらこの静かすぎる食堂に困惑しているらしい。

 彼らはステラさんを挟んで私の反対側に座ると、たった今起こった出来事を聞くなり「何やってんだこの人」という視線をこちらに向けてきた。

 

「色々とお話は聞いていたけど、悲鳴をあげられるほどだったとは知らなかったわ。何はともあれ初めまして、疼木さん。あたしは有栖院凪よ。呼ばれ慣れているからアリスって呼んでね」

「はぁ~い。初めまして、アリスさん。……ふふっ、イケメンなのにアリス。そういうギャップってカッコいいですよね。私は凄く好きですよ、そういうの」

 

 イケメンくんのことは知っている。

 原作でも結構目立っていたし、何より『影を操る』という能力が印象的なのでよく覚えているのだ。

 あとオカマ。

 すると彼は私のリアクションに驚いたのか、少しばかり目を丸くした。

 

「意外ね。あたしと初対面の人って、大抵驚くか戸惑うかなんだけど。名前をカッコいいって言われたのは初めてよ」

「あはは、祝さんのセンスは独特だから。あっ、私の方はお久しぶりですね。ちゃんと覚えていてくれてますか~?」

「ちゃんと覚えていますから安心してください。またいつでも取材に来ていいのですよ?」

「そ、それは……考えておきますね、あはは……」

 

 なぜ表情を引き攣らせる?

 本人の言葉通り、この日下部加々美さんと私は知り合いだ。以前、新聞部として取材をしたいと私の下を訪ねてきたので顔を覚えている。去年までは新聞部など破軍にはなかったのだが、どうやら彼女が今年から創部したらしいので驚かされた。

 その際、色々と私のことを知りたがっていたので大鎌について語ってあげたら泣いて喜んでくれたのは記憶に新しい。放課後から一晩かけて翌日の朝まで取材に応じてあげたのだが、最後は彼女も「大鎌万歳」しか言わなくなるくらいには大鎌について理解を示してくれた。取材が終わった後は「キャッホーイ!」と叫びながら私の部屋を去っていったので、余程私の取材ができて嬉しかったのだろう。

 

「それにしても、最近のステラちゃんはまるでモーセね。貴女が歩く度に人垣が割れる光景も見慣れてきたくらいよ。随分と殺気立っているわね」

「……当たり前でしょ。あんな記事を毎日のように書かれて平然としてろっての?」

 

 ステラさんが再び殺気立つ。

 そんな彼女に苦笑しつつ、日下部さんもその意見には同意した。

 彼女が知り合いの報道関係者から探ってきた情報によれば、どうやら今回の異常な騒動には裏があるらしい。どうやらあの汚いドラえもんみたいなオジサンがいる倫理委員会が、報道に対してかなりの圧力をかけてきたらしい。

 そのやり口には私も心当たりがある。何を隠そう、去年の私の『シンデレラ(笑)』報道の件だ。本当に連盟っていう連中は情報統制が大好きな連中だよ。

 ちなみに寛大な私は去年のことを水に流すことを決めたが、今年も私に同じようなことしたら主犯格は殺すと誓った。

 

「……信じられないッ! 親子の確執にここまでするなんて、黒鉄長官は異常よ! 彼は一体何を考えているの!?」

「――そういう父親なんです」

 

 憤慨するステラさんの向かいに一人の少女が静かに着席する。

 短い銀髪の下から鋭い視線を覗かせる彼女は、黒鉄の妹の黒鉄珠雫だ。

 

「私にも昔からあの人は理解できません。しかし、昔からあの人はお兄様を毛嫌いしていました。まさかここまで大それたことをするほど目の敵にしていたとは思いませんでしたけど」

 

 トレーを置いた彼女は、こちらに「どうも」とだけ軽く頭を下げた。

 そして視線をステラさんたちに戻すと、再び剣呑な口調で話を再開する。

 

「少し聞いた感じでは、日下部さんは黒鉄(ウチ)について知っているみたいですね。ならば単刀直入にお聞きしますが、今回のようなケースで一人の学生騎士を除名してしまうなど可能なことなのですか?」

「無理じゃないかなぁ」

 

 日下部さんは即答した。

 彼女によれば、今回の騒動はどう捉えてもマスコミの空騒ぎでしかないらしい。なので法的には黒鉄の過失など欠片もなく、このまま進めば盛大な言いがかりとして事態は収束することになるだろうということだ。

 

「もしも先輩が査問会で言質を取られればちょっと危ういけど、先輩だってそこは充分に気を付けているはず。それにこの程度の騒動で騎士を除名するなんて、連盟の方針としてあり得ないことだと思う。特に心身ともに成長過程である学生騎士を追放しようだなんて普通じゃない。本当にそれは最終手段になるからね」

「最終手段? それはどういうことですか?」

 

 首を傾げる珠雫さんに、日下部さんは懇切丁寧に説明する。

 これまでに連盟が取った統計によれば、除名によって連盟から追放された伐刀者は高確率で犯罪者に身を落としてしまうらしい。つまり伐刀者たちの秩序として成り立っている連盟が、自分から犯罪者を輩出してしまうという本末転倒な事態に陥ってしまうのだ。

 よって連盟は騎士の除名を極力避ける傾向がある。しかもその命令を下せるのは連盟の本部のみで、支部はあくまでそれを本部に提言することしかできない。

 これらの条件から、高々この程度のスキャンダルで騎士を除名するなどほぼあり得ないと考えられている。

 

 ……っていうか、日下部さんの話を聞いていて思ったけど、私って完全にお邪魔虫だよね。

 だって完全に私に関係のないことだもの。

 なのでさっさとこの場を去ろうとトレーに手を伸ばした私は、しかし日下部さんの「例えば祝さんだけど」と言い出したことで動きを封じられた。私が何ぞ?

 

「これって裏が取れていないんで確認がてらなんですけど、祝さんも一回だけ除名されそうになったことがありますよね?」

「「「ッ!?」」」

 

 その瞬間、日下部さん以外の三人の視線が一斉に集められた。

 ま、ますます引き上げにくくなった……!?

 

「ほ、本当なのハフリさんっ!?」

「……えぇ、まぁ。去年、七星剣武祭が終わった後に連盟の日本支部に呼び出しを受けました。その時はちょうど海外にいたので無視することになってしまったんですけど、それのせいで心象が悪くなったらしくそのまま流れで」

 

 あれは七星剣武祭が終わって3ヶ月くらい経った頃のことだ。

 私は趣味でよく海外へ修行をしに出かけるのだが、その時に少しばかり派手なことを仕出かしてしまった。それが日本のメディアで報道されるようなことはなかったようだが、どこかのルートから連盟には伝わってしまったらしい。

 そろそろ帰国しようかな、と考えていた私はあら不思議。事態が事態だけに大っぴらにはできなかったのか、連盟の日本支部から極秘で招集を受けてしまったのだ。この時は流石に焦った。

 当時その国は連盟の息がかかっていなかったため大丈夫だったが、もしも連盟の加盟国だったのなら私は拘束されていたかもしれない。

 その時の仕事の先生が「連盟を出たら俺の女兼小間使いにしてやるぜ?」とノリノリだったのが記憶に残っている。仮にも教え子の将来を案じようとは思わないのだろうか、あのオッサンは。グラサン割れるか死ねばいいのに。「性格はクソだが身体は好み」って喧しいわ。

 

「七星剣王が除名って、どうして連盟はそんなことをしたのよ」

「あくまで噂だからハッキリとした理由はわからないんだ。でも漠然と七星剣王のスキャンダルみたいな噂は流れてきて、ブン屋の界隈は騒めいていたって話だよ。……そっか、本当だったんだ」

「……それで? 除名の理由なんてどうでもいいですから、疼木さんはその時どうやってその状況を回避したのですか?」

 

 身を乗り出すようにして黒鉄妹……面倒だから珠雫さんが迫ってきた。

 先程までの興味のなさそうな態度が嘘のようだ。本当にこの人は黒鉄のことが好きなんだなぁ。原作では妹として、ではなく女として黒鉄のことだと描かれていたが。

 ハッキリ言わせてもらう。ああいうのはコッソリとやるのがロマンなのであって、彼女のように公言して憚らないのは本当に邪道の極みだと思う。ヨスガるのは家の中だけにしろ。

 

「う~ん……私の場合はあまり参考にならないと思いますよ?」

「というと?」

「私は除名の可能性が強くなった時点で、色々な組織から勧誘を受けるようになったんですよ。例えば連盟と仲が悪い《大国同盟(ユニオン)》とか、意外なところだと《解放軍(リベリオン)》とかからも来ましたね」

「ッ、《解放軍》って……犯罪組織じゃないですか!」

 

 この世界は、三つの巨大な組織が拮抗することで平和が保たれている。

 《国際騎士連盟》、《大国同盟》、そして《解放軍》だ。

 この三つの組織は数多くの戦力と強力な伐刀者を保持しており、それらが三竦みとなって牽制し合うことで秩序が完成されている。他にも大小様々な組織がこの世界には存在しているが、彼らもこの三大組織が築く秩序を崩すほどの力はない。

 しかしどこの組織も強力な伐刀者は有事に備えて常に確保しており、新たな戦力のスカウトにも余念がない。私も彼らのアンテナに引っかかったらしく、帰国する直前に様々な組織のエージェントが接触を図ってくるようになった。《大国同盟》や《解放軍》はもちろん、小さな組織やPMC、果てにはカルト教団などからも勧誘されており、私は連盟の庇護下を抜けても次の就職に全く困らない状況になっていた。

 なので私は「連盟で大鎌を有名にできないのなら別の場所でもいいや」という結論に至り、転職活動に嬉々として臨むようになったのだが……

 

「それを知った連盟は血相を変えて除名を取り消しました。そして『除名する動きなどそもそもなかった』ということで私の件は闇に葬られて、めでたしめでたし。私は何事もなかったかのように帰国し、素知らぬ顔で学園生活に戻りましたとさ。はい、お終い」

「本当に参考になりませんね」

 

 心底失望したように珠雫さんは嘆息した。

 その一方、日下部さんは「ネタゲットォ!!」と凄まじい勢いで手元のメモに何やら書き込んでいる。一応言っておくけど、そんなことを公開したら連盟の裏組織とか子飼いの暗殺者(スイーパー)に消される可能性があるからやめておいた方がいいと思うよ?

 

 あと、さらに言うのなら実はこの話には続きがある。

 一旦は私を繋ぎ止めることに成功した連盟だったが、しかし除名処分に至るまで私を放置していた当時の理事長先生が槍玉に挙げられて責任を追及されてしまったらしい。これによって空席となった理事長の座に収まったのが新宮寺先生だ。

 彼女個人の思惑はどうあれ、連盟としては私が再び他の組織に移るようなことにならないように監視する必要があった。加えて私という面倒な爆弾を非常時に処理できる戦力として新宮寺先生は期待されているのである。彼女は育児のためにブランクがあるとはいえ、KOKで3位という実績を持つ最強クラスの騎士。その能力の性質からもいざとなれば私を抑えつけるのに最適の人材だったというわけだ。

 

 これを聞いた時、「歴史の修正力って怖ぇ」と思わされた。

 原作では『何年も七星剣王を輩出できなかった』という理由から前理事長は職を辞することとなったが、今回は私という実績を叩き出したのにこの結果である。

 どちらにしても私のせいだと言えなくはないが。

 

「話を戻すけど、祝さんがやらかすレベルのことをしないと除名なんて処分は下されない。でも日本支部はどうも本気でこれを実行しようとしている。ということは……」

「お兄様の言質に全てがかかっているということですね。酷い目に遭わされていないか心配です」

「流石に彼を直接的に痛めつけるようなことはしないと思うけどね。この時代にそんなことをしたと知れたら、それこそ日本支部のお偉いさんの首が飛ぶことになるわ」

 

 アリスさんが神妙に呟く。

 まぁ、どうだろうね。そんなものいくらでも誤魔化しがきく。最悪、幻想形態の霊装でチクチクやれば傷痕なんて残らない。荒事に慣れた組織では幻想形態を用いた拷問部隊が存在するという噂もあるし、あまり楽観視はできないと思うな。

 それにアリスさんもわかっているようだが、人間を痛めつける方法などいくらでもある。毒なり疲労なり精神攻撃なり、査問会が行われている連盟の施設ならばいくらでも取れる手はあるのだ。

 

「……全部、アタシのせいだ」

 

 ステラさんが目に涙を滲ませる。

 確かに今回の件に限るのなら、ステラさんは黒鉄の足枷として機能してしまっている。黒鉄はこれまで誰からの助けも得られないという状況にあった一方、逆に自身を縛る枷のない自由な立場を維持することができた。

 つまり今回の騒動は、彼がステラさんと交際を始めたことが原因と考えられないこともないのだ。ましてや彼女は他国の王族。黒鉄家から見れば恰好の餌に見えただろう。

 

「アタシが普通の女の子だったら、イッキの重荷になることなんてなかったのに。……アタシ、やっぱりイッキと別れた方が――」

 

 その瞬間、ゾワリと殺気が膨れ上がった。

 閃光のように霊装《宵時雨》を抜き放った珠雫さんは刹那の間に氷塊を形成。先端を鋭く尖らせた氷の槍をステラさん目がけて撃ち放つ。

 様子を豹変させた珠雫さんにステラさんは全く反応できない。咄嗟に炎を纏うことで氷撃を防御するも座った体勢では踏ん張りがきかなかったらしく、食堂の壁を粉砕しながら外に吹き飛ばされていった。

 それはどうでもいいんだけど、その音を聞いた外の連中が「やっぱり疼木が始めやがった!」と騒ぐ声を聞いてしまい地味に傷ついた。

 

「……本気で言っているんですか?」

 

 殺気をその身に纏い、その魔術とは裏腹に灼熱の如き怒りを言葉に乗せる珠雫さん。

 どうもマジギレしているらしく、漏れた魔力のせいで周囲の気温が一気に下がり始めた。私が自販機で買ってきた麦茶がピシピシと凍り付いていく。あの、このままではせっかく買ってきたのに飲めないんですが……

 

 珠雫さんがマジギレしているのは、どうやら今更になって二人が別れてしまえば黒鉄の決意が無駄になってしまうためらしい。

 黒鉄は交際に疚しいところなどなく、加えて自分たちの名誉を守るために単騎で敵陣へ飛び込んでいったわけなのだから、ここでステラさんが怖気づくなど珠雫さんとしては論外なのだとか。というかここで別れたら地の果てまで追って殺すとか言っているよ、この人。本当にヨスガっているんだなぁ、彼女は。

 

 そんなことを考えながら麦茶を飲むために人肌で何とか解凍しようと四苦八苦していると、事態を聞きつけたらしい新宮寺先生が食堂にやってきた。

 そして状況を見回すと真っ先に私の下にやってきて――

 

「疼木、今日は何をしたんだ? 怒らないから言ってみろ」

「超理不尽なんですけどッ!?」

 

 絶望した! いきなりの犯人扱いに絶望した!

 と思ったらこれは新宮寺先生なりの冗談だったらしい。しかし彼女が足を運んだのは先程の逃げ去った生徒たちから連絡を受けたためらしく、最初は本気で私が壁を砕いたと思っていたと真顔で言われてしまった。

 やっぱり理不尽じゃん!

 

 それから先生は《時間操作》によって壁を修復すると、ステラさんに何やら話があるらしく彼女を伴って去っていった。

 珠雫さんも食事の気分ではなくなったらしく、肩を怒らせながら食堂を出ていく。

 残されたのは私とアリスさん、そして日下部さんの三人だけ。それ以外は人っ子一人食堂には残っていない。

 

「……二人とも辛そうだったわね。珠雫はああ言っていたけど、ステラちゃんの気持ちもわかるし。私たちではどうすることもできないのがとても歯痒いわ」

「そうだね。私、また知り合いに頼んで先輩の情報を融通してもらえるように頼んでみるよ。何かわかったらすぐに皆に伝えるから」

「ありがとう、かがみん。お願いね」

 

 真剣な様子で語り合う二人には悪いが、空気的にどうやらこれで私も引き上げられそうだ。

 さっきまで怒涛の展開だったため引き時を見失ってしまったが、今がその時だろう。

 私のそんな心情を悟ったのか、日下部さんは「あっ、最後に一つだけいいですか!」と私を引き留める。

 

「祝さんって、どうして除名処分されそうになったんですか? さっきも言いましたけど、学生騎士を――それも七星剣王を除名にしようとするなんて余程のことがないとあり得ませんし」

 

 「もちろん祝さんが良ければですけど」と断る日下部さんだが、私は別にそんなことは気にしないので安心してほしい。

 といっても、私自身は成り行きの結果そうなってしまっただけなので、除名されるほどのことをしたという実感はあまりないのだが。

 

「別に大したことではないのですけどね。あくまで私は雇われで、それに実行したグループの露払いだったというだけなので言いがかりもいいところなのですが……

 

 

 

 

 ……ちょっと新興国の国家転覆(クーデター)の片棒を」

 

 

 

 

 先生に誘われなければ絶対に旧政権の重役暗殺なんて関わらなかったのに。

 おかげで連盟のブラックリスト入りしちゃったみたいだし。本当、この世界はこんなはずじゃなかったことばかりだ。

 

 




早く七星剣武祭を書きたい……

どうでもいいことですが、赤座は本当にヘイト集めとして優秀なオジさんですよね。喋り方から立ち位置から退場まで、原作の中でも最高に完成されたキャラだと思っています。


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激しい喜びはいらない、その代わり深い絶望もない

申し訳ありませんが、この投稿は『前回の投稿し直し』です!
途中までは前回の投稿と同じ内容ですが、最後に5000字ほど追加されています。
活動報告では読者さんに伝えきることができないと考えたため、あえて投稿し直すことでお知らせしました。ややこしくて申し訳ないです。
念の為、追加分があることは次回の前書きでもお知らせする予定です。


 黒鉄一輝にとって父である黒鉄厳がどのような人間なのかと問われれば、その名の通り厳格な人間だと答えるだろう。

 

 《鉄血》――それが厳が持つ騎士としての二つ名だ。

 騎士連盟の日本支部において最も高い地位を持つ彼は、その地位に代々黒鉄の人間が就いているという歴史に従ってその地位を任されている。そもそも古くから侍――日本の騎士制度の維持に貢献してきた黒鉄家は、日本の国政にも同じように古くから関わってきた。

 よって黒鉄の人間は常に厳格であり、国のために滅私奉公する人間でなければならないというのが家の性質だ。

 そして厳はまさにその性質の体現者であると言える。

 

 だが、それ以上のことは一輝には何一つわからない人間でもあった。

 

 一輝は生まれながらにして伐刀者としての才能に欠けている。ほぼ一般人と変わらない、つまり存在しないも同然の魔力量しか持たない伐刀者だ。

 よって黒鉄の『侍として国に仕える』という方針の前では役立たず同然。いや、もはや役目を果たせない時点で恥でしかない。故に一輝は伐刀者としての訓練に加わることを許されず、同時に黒鉄家の一員として家の行事に参加することも許されなかった。

 そんな一輝は、本家にコンプレックスを持つ分家の人間や黒鉄家に仕える他の人間にとっては格好の餌だった。彼にどのような仕打ちをしようと基本的に厳はそれを看過する。なぜなら一輝は黒鉄の人間などではないも同然なのだから。

 

『何も出来ないお前は、何もするな』

 

 5歳の時に厳から告げられたこの言葉は、今でも一輝の心を縛り続けている。

 お前は一族の恥だ、期待外れだ、だから家のために何もするな――実の父親から告げられたその言葉に一輝がどれほど絶望したことか。他の人間からの嘲笑や罵倒ならば耐えられた。しかし父親の宣告にだけは耐えられない。

 なぜだ。

 そう思わない日はなかった。あれが父親が息子にかける言葉だというのか。息子に望んだ才能がなければ、それだけで失敗作の烙印を押してしまうのが父親なのか。臭い物に蓋をするように、恥部でしかない自分など視界に入れることすら汚らわしいというのか。

 一輝が絶望を教えられたその日から、彼には父親のことが理解できなくなった。

 

 そうして一輝が絶望の少年時代を歩む中、その道に光を照らしたのが曾祖父の龍馬だった。

 彼によって無才にとっての分相応な人生を歩むよりも、それに抗ってやろうという道を一輝は教えられた。そしてその道を走り続け、ついには《無冠の剣王(アナザーワン)》と呼ばれるまでに一輝は強くなった。

 もう学園の誰も自分のことをFランクの無能だと侮りはしない。手品や八百長だと騒ぐ者は、一輝のその戦績によって黙らされた。

 一輝が才能の壁を越え、強敵を打ち倒すだけの努力を重ねてきた立派な伐刀者だということはもはや誰もが認めることだ。

 

 

 そんな伐刀者に成長した一輝は、何の因果かその父親と面と向かって話す機会を得ていたのだった。

 

 

「…………」

「…………」

 

 表情に困惑を浮かべ、何を語るべきかを探る一輝。

 その一方、厳に表情はない。瞑目したまま黙り込み、室内の空気を圧迫し続けている。

 

 このような状況に陥ったのは数分前のことだ。

 早朝の6時から夜中の11時まで査問会は続く。一輝はその間に一切の着席を許されず、それどころか休憩すらも許されない。一方の倫理委員会は日に4回のローテーションで交代をしているため実質的に体力は無限。

 査問会の内容も酷いもので、同じ内容を繰り返し尋ねてくるだけだ。その度に一輝の態度が悪い、受け答えが遅いなどと文句を付けるばかりで、一輝の意見は一切聞いてもらえなかった。

 この問答の中で彼らは一輝が失言を漏らすのを虎視眈々と狙っていることは一輝にもわかっているため、言葉を選びながら慎重に受け答えをしている。

 しかしそれを今日まで1週間も続けていれば心身ともに疲労してしまうのが人間というもの。まだまだ一輝は抵抗の気力を持ち合わせていたが、流石に疲れを感じ始めていた。

 しかし一輝も何の考えもなしに耐え忍んでいるわけではない。これはあくまで時間稼ぎ(・・・・)であって、逆転の一手は他にある。

 

(きっともうすぐ、この事件を聞きつけてヴァーミリオン国王が動くはず)

 

 早ければ今週から来週、遅くとも1ヶ月以内に彼は何らかのアクションを起こす。

 その時、間違いなく一輝は国王と面会する機会があるはずだ。そこで自分の身の潔白を彼が認めれば、そこでこの騒動は終了だ。親が公認した男女の交際という極めてプライベートな関係に、連盟などが口出しなどできるはずもない。

 そうなれば一輝の勝ちだ。

 

(それまでの辛抱だ。この程度の苦難、今までだって乗り越えてきた……!)

 

 そうして己の意思と目標を明確にして戦意を滾らせていた一輝だったが、そうしていると本当に何の前触れもなく厳が一輝を拘束する独房に訪ねてきたのだ。

 まさに寝耳に水なその事態。一輝は動揺を隠すことができなかった。

 

(一体この人は何をしに来たんだ……?)

 

 まさか激励をしに来たということはあるまい。しかし記憶にあるこの父親が独房までしぶとい我が子を直々に痛めつけに馳せ参じたのか、と考えるがそれこそ一輝の知る厳の行動ではなかった。

 では、彼は何の用があって自分に会いに来たのだろう。

 

「……一輝」

「ッ、……はい」

 

 厳がゆっくりと目を開く。

 自分と同じ漆黒の眼光。

 その視線に晒された一輝は思わず息を呑んだ。自分を名前で呼んだのも数年ぶりだろうというこの父親は、一体何を言うのだろう。全く想像できない。

 固唾を飲んで続きを待つ一輝。

 しかし厳が続けた言葉は、ある意味一輝のどんな予想も裏切るものだった。

 

「選抜戦だが、勝ち進んでいるらしいな」

「えっ? ……あ、うん」

「関西の武曲学園が取っていた選抜方式だったが、今年から破軍にも導入されたらしいな。今のところ全勝だったか?」

「う、うん」

「戦績を聞いたが、《狩人》といい弱い相手ばかりではなかったらしいな。……大したものだ」

「…………えっ」

 

 完全に予想外だった。まさか父親が普通の親子のような会話をしてくるとは。

 いや、そんなことよりもだ。何だ、最後の厳の言葉は。今の話の流れでは、まるで自分が褒められたようではないか。

 それを理解した瞬間、一輝の胸が疼く。ザワザワと胸の内が騒めき平静でいられない。それをどこか客観的に認識した一輝は湧き上がるその感情を知った。

 

 ――嬉しい。

 

 ただそれだけだった。

 互いの関係を考えれば一輝は厳を罵倒し、憎み、殴りかかってもよい立場のはず。だというのに一輝の胸の内には喜びしかない。

 父親に褒めてもらって嬉しい――子供として当たり前のそんな感情。

 いや、それだけではない。褒められたから嬉しいというだけでなく、一輝はこの父親と会い、そして話をしているというだけでも喜びを感じてしまっている。憎むべきこの男を、一輝の心と本能は愛すべき父親として認識してしまっているのだ。

 厳の言葉と自分の心。予想外に過ぎるその二つに挟まれ、一輝は困惑を深めると同時になぜか涙が溢れそうになっていた。

 

(そうだ。例えどんな酷い過去があっても、僕たちは家族なんだ……)

 

 一輝は確信した。自分とこの父親の間には、まだ確かに絆という繋がりがある。

 ならば、だ。今ならば過去の過ちを清算できるかもしれない。

 少なくとも自分は変わった。父が愛想を尽かした無能な息子はもういない。自分は日本最強の学生騎士を決める七星剣武祭を目前にできるほど成長した。今ならば父親に家族として認めてもらうことができるかもしれない。

 査問会による疲労など一輝はまるで感じなくなっていた。

 闇に差した一筋の希望の光。それに魅せられた一輝にとってもはや赤座の悪意など恐れるに足らない。ただ目の前の父親が自分を認めてくれるかもしれないという希望だけで、一輝は身体から生きる気力が湧いてくるのを感じているのだから。

 

「あの、父さん……!」

「何だ?」

 

 そのやり取りだけで一輝の心は幸福が満ちる。

 だがこれで終わりではない。

 言えッ、言うんだ一輝ッ――己を奮い立たせ、一輝は言葉を紡ぎ続ける。

 

「僕は、頑張っていますっ……。もう少しで、選抜戦も、終わります……」

「そうだな」

「っ、だ、だから……だからもしも僕が七星剣武祭の本戦に進めたらっ、……ううん、もしも優勝することができたら…………僕を、家族として認めてもらえませんか……」

「…………?」

 

 厳の眉根に力が入る。

 僅かに鋭くなった眼光に、しかし一輝は怯むことなく溢れ出さんばかりの思いを喘ぐように吐き出した。

 

「僕はまだFランクで、一回は落第にもなってしまったけど、……でも昔とは違うんだ……! ちゃんと強くなったし、これからだって人の何倍も何十倍も修行しますっ……。黒鉄の恥だって誰にも言われないくらい、これからも強くなり続けますっ! だから僕のことを、家族として認めてくださいッ……」

 

 言葉にすることで一輝は改めて自分を理解した。

 自分が求めていたものはこれなのだ。

 『才能がなくとも夢を諦める必要はない』と龍馬は言った。では、一輝の夢とは何か。

 

 それは家族だ。

 

 才能がなくとも強くなれると証明し、曾祖父の言葉に嘘はなかったと証明する。そしてその証明を以って自分と同じ境遇の人の助けになりたいという一輝の願い。

 曾祖父の言葉によってとっくに自分は救われた立場の人間だと思っていた。しかしこの心の疼きは何だ。湧き上がる喜びは何だ。その根底にあるのは、それを証明したことで得られる周囲の人々からの賞賛と承認だったのではないだろうか。

 

 そしてその“人々”の筆頭が、きっと一輝にとってこの父親だったのだ。

 

 強さを手にし、厳に息子として認められることで一輝の求道は完成する。

 一輝にとって武術(つよさ)とは誰かに認められるための手段。

 だからこそ一輝は祝という“修羅”に最後の一歩で共感することができなかった。強さに溺れて父を忘れ去ることなど一輝にはできなかった。修羅の道に他者の賞賛と承認は本質的に必要ない。しかし一輝が求めるものは父親からの承認と賞賛であったが故に一輝は修羅に堕ちることはなかった。

 

「……なるほど」

 

 一輝の魂の奔流。

 それを聞いた厳は蟀谷を数度叩くと、沈めていた視線を再び一輝に向ける。

 

「お前が黒鉄の家を出たと聞き、私は不可解でならなかった。しかし今、ようやくその理由がわかった。……一輝、お前は『自分が弱いから息子として認められていない』と思っていたのだな。魔力が弱々しいが故にお前に失望していたと、そういうことなのだな?」

「……うん」

「そうか。――ならばそれはお前の勘違いだ。私はお前のことを家族ではないと思ったことなど一度もない」

「………………は?」

 

 厳から告げられた理解不能の言葉に、一輝の思考は完全に停止した。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 私にとって黒鉄厳という人がどのような人間かと言われれば、たぶん“面白い人”と答えるだろう。

 

 

 空を見上げれば本日は生憎の曇り空。予報によれば今晩は雨になるという。

 そんな真夜中に私が何をしているのかというと、言われるまでもなく日課の素振りだった。

 既に寮の門限は過ぎているため門は鍵が閉められているが、窓から出入りすることなど伐刀者にとっては造作もない。なので私はよく夜中に部屋を抜け出し、そのまま深夜のランニングやトレーニングをすることが多かった。終わった後は深夜アニメを観つつ夢の世界へフェードアウトだ。

 幸いにも私は新宮寺先生からビップ待遇を受けておりルームメイトはいない。なので深夜アニメを観るために誰かに気を遣う必要もないのだ。ふふふ、世の寮住まいの学生騎士どもよ、羨ましかろう?

 

 そういえば黒鉄が笑ゥせぇるすまんみたいなオジサンに連れ去られて今日で1週間か。

 相変わらずステラさんはモーセだし、珠雫さんは目つき悪いし、そしてアリスさんはイケメンだ。

 選抜戦も二試合ほどが既に消化されており、その盛り上がりは陰りが見えない。……まぁ、私はずっと不戦勝ですけどね。誰か死にたい奴はいないのかよッ!

 

 その黒鉄で思い出したが、原作ではそろそろ彼と父親の黒鉄厳が数年ぶりの再会をする頃だったか。

 その黒鉄厳であるが、意外かもしれないが実は私も会ったことがある。

 あれは私の除名騒動が収束してすぐのことだった。日本の秩序を預かる長官として私に釘を刺すためなのか、一度だけ呼び出しがあったのだ。私は出会い頭にコーヒーをぶっかけられた前世の就職活動における内定辞退のトラウマを思い出し、内心では戦々恐々としながら彼と顔を合わせることとなる。

 当初、私は原作における彼の人物像をほぼ忘れ去っていたために当然ながら黒鉄長官の人物像がどのようなものだったか全く思い出せなかった。しかしあのお人好しで知られる黒鉄と原作で絶縁状態になるくらいの人なのだから、相当あくどい性格をしているのではないかと当たりを付けていたのだ。

 しかし会ってみると意外や意外、結構面白い人だった。もちろん冗談やギャグなどの意味で面白いという意味ではなく、人種として興味深いという意味で。

 

 彼の人物像を一言で表すのなら……そう、『逆の意味で公私混同』だろう。

 

 彼と言う人間を構成する根幹の部分。それは“公”に当たる『秩序(ルール)』なのだ。

 黒鉄家は昔から日本の伐刀者を統括する地位にあり、そこに私情を挟むことは許されないと聞く。これが過度に行き過ぎた結果、彼は私情よりも秩序を優先する人格に仕上がってしまったのだろう。いや、むしろその厳格な人格は秩序を重んじるあまり、私生活(プライベート)すらも黒鉄家の秩序で構成されている人間と言うべきだろう。

 故に『逆の意味で公私混同』。彼にとっては“私”すらも“公”の一部でしかない。

 

 それが息子である黒鉄に言い放ったあの言葉――『何も出来ないお前は、何もするな』に繋がる。

 

 要は長官は黒鉄に息子としての情を抱く以前に、彼の持つ総魔力量から黒鉄家の秩序下におけるその役割を前提に存在を計っていたのだ。

 騎士のランク制とは即ち騎士たちの階級だ。生まれ持った資質(さいのう)で定められたその階級に従って騎士たちは役目が変わり、高ランクの騎士はより危険な任務を回される。これを正しく守る組織を運営し、それを騎士たちに周知し、徹底することで騎士たちの犠牲を削り、成果を最大限に引き出すのが日本の騎士の長である黒鉄家の役割だ。

 それに従うのなら黒鉄は間違いなく騎士の役目を果たすための存在として相応しくない。乏しい資質の黒鉄に高ランク(てんさい)の役目を押し付けるのは、それこそ黒鉄家の秩序に逆らう無駄な犠牲となってしまうからだ。

 

 だから長官はその秩序に従い、騎士としての黒鉄に期待することをやめた(・・・)のである。

 

 失望したのではない。あくまで総魔力量という基準に従って正しく黒鉄の才能を評価し、騎士としての生き方は不可能な人間だと判断したに過ぎない。そこに息子がどうという要素が入り込む余地はないのだ。騎士として生きるのが不可能なのだから、そこに期待も何もあるはずがない。

 故に『何も出来ないお前は、何もするな』と――騎士として生きることができないのならば、騎士として生きようとするなと言った。彼が黒鉄に騎士としての教育を一切許さなかったのはそのためだ。騎士の家系である黒鉄家の行事に参加することを許さなかったのはそのためだ。

 長官が思い浮かべた黒鉄の理想の将来は、きっと伐刀者としての才能の無さを悟って一般人として生きていくことだったのだろう。己の才能を知り、分相応な人生を生きる一つの例という役割を黒鉄は求められていた。現実はどこまでも非情で、例え伝統のある良家に生まれようとも才能がなければ相応に挫折してしまうという“当たり前”こそが秩序が示す黒鉄の進むべき道だったのだ。

 

 だが、黒鉄はそれに納得しなかった。

 純粋に不屈の精神を持っていたのか、彼の曾祖父の言葉に影響されたのかはわからない。あるいは黒鉄家という名家に生まれたというプライドもあったのかもしれない。

 何にせよ黒鉄は長官が絶対視する秩序を犯してしまい、それが原因で今回のような妨害に晒されている。

 

 よって黒鉄家が守り続けてきた秩序を《鉄血》の名の下に長官が守り続ける限り、どれだけ強くなろうと黒鉄が長官に騎士として認められることはない。

 彼にとって黒鉄は家族である前に“低ランクの伐刀者”なのだから。例え血を分けた息子であろうとも、その秩序に反する者――ランクの差を覆し、他の低ランクの伐刀者を増長させる可能性を持つ異端分子の存在を彼は許さない。

 

 しかし親の心子知らずとはよく言ったもので、その辺の意思伝達が失敗していたからこそ彼は黒鉄(次男)珠雫さん(長女)の反発を招いてしまった。そこが黒鉄長官の最大にして致命的な失敗だろう。この前の珠雫さんなんて長官のことを「理解不能理解不能!」とバッサリ言い切っていたし。

 長男? ああ、あの人はそもそも長官とは別のルールで動く“同類”だから、そもそも歯車が噛み合うはずもない。視点も視界も違うのにその方向しか見ない彼らは、お互いに相手の意思を知ってはいても理解などできないままだろう。

 

 しかし個人的な話をさせてもらうと、実は『自分の中に譲れない基準がある』というのは嫌いではなかったりする。

 自分の中に絶対のルールがあり、それを守るためならば手段は選ばないし家族だって切り捨てるというその徹底的な姿勢は共感するところがある。それが一族による刷り込みや洗脳であったとしてもだ。あまりに機械的すぎて全然楽しそうでないところが少し難点だが。

 

 まぁ、黒鉄にはとっては災難だったね。

 そもそも長官は黒鉄に期待なんて微塵もしていなかったわけだし、そして長官がこれから彼に騎士として期待することなんて未来永劫ないのだから。

 私的に言うのなら、『転生したら日常系アニメの世界だった』という並みのどんでん返しだろう。だって大鎌を活躍させる機会なんてないんだもの。そうなったら漫画家にでもなって主人公を大鎌使いにするくらいしか方法がなくなってしまう……いや、割と悪くない? ジャンプで大御所級になれるくらいのヒット作を作ればあるいは行ける? よし、今度転生する機会があったら漫画家になってみよう。

 

 新たな目標を見つけて上機嫌になった私は、空気を裂いて《三日月》を唸らせながら鼻歌混じりに今日も修行する。

 そんなことをしている内に黒鉄と長官について考えていたことなどすっかり忘れ、記憶の片隅へと追いやってしまうのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 ――相変わらずよくわからん奴だ。

 

 それが一輝との会話を終えた厳の感想だった。

 不肖の息子が何やら誤解をしているようだったのでそれを訂正してやれば、なぜか彼は呆然としたまま泣き出してしまった。その後は声をかけても返事すらしない。

 故にこれ以上は時間の無駄だと厳は悟り、こうして地下深くの独房から退散してきた次第だ。執務室(オフィス)のある日本支部の最上階と独房のある地下はエレベーターに一度乗るだけで来られる距離。だからこそ様子見と説得のために足を運んでみたのだが……

 

「時間の無駄だったか」

 

 厳には一輝の思考回路が理解できなかった。

 もちろん、人間の思想は多種多様だ。一輝と自分の間に多少の考えの相違があることにまで口出しするつもりはない。

 しかし秩序を絶対とするこの考え方は黒鉄に生きる者が共有すべき最低限の常識であり、厳としてはそれを理解していなかった一輝の方が異常だとしか思えない。

 

 秩序は絶対――それが黒鉄の掟。

 

 それは血の繋がりだとか、恩義や仁義などに左右されるものではない。

 だからこそ厳は一輝を『伐刀者として無能』と判断し、その判断の通りにこれまで扱ってきた。それによって分家の連中から嫌がらせや迫害を受けてきたことは知っているが、それは“低ランク伐刀者”としては()()()()()()()だろう。

 騎士の家の人間としては決して褒められることではないが、弱者が強者に侮られるのは自然なことだ。その上下の関係を乱すことは秩序の示す序列に反する。騎士の精神性とそれは別の話だ。それくらいのことは一輝もわかっていると思っていたが、どうやらあれはそんなことも理解できていなかったらしい。

 長男といい次男といい、どうやら自分は育児というものに失敗したようだ。前時代的と指摘されることもあるが、思えば自分は基本的に家の方針を決めるだけであって細かいことは妻などに任せきりの男だったと厳は回顧する。唯一、珠雫だけは高ランク騎士として相応しい振る舞いと成果を見せているものの、彼女も年齢のせいか最近は自分に反抗的だ。

 

「儘ならんものだな」

「んっふっふ、ご子息とお会いになって何か御座いましたかぁ? ご当主様」

 

 執務室の扉を開けようとすると、背後から聞き慣れた声がする。

 振り返れば相変わらずの肥満体質。背は自分よりも低いというのに横幅ばかりが大きい中年の男性。即ち此度の一件を取り仕切る心理委員長の赤座がそこにいた。

 

「いいや、些細なことだ。しかし、どうも私は子育てというものに失敗したようでな。あれにも黒鉄の理念というものを徹底的に教え込んでおくべきだったと痛感している」

「んっふっふ、心中お察ししますぅ。しかし今回の件ももうじき決着がつきますのでぇ、そう心配なさることもないかとぉ」

「何か手を打っているのか?」

「えぇ。きっと一輝クンはヴァーミリオン国王が日本に乗り込んでくることで事態の決着がつくと耐え忍んでいるのでしょうがぁ、そんな浅知恵はこちらとしてもお見通しですぅ。なのでこちらも早急かつ決定的な一手を準備していますぅ」

 

 笑みを深める赤座。この手のことにおいて、日本支部で赤座は最も手慣れている存在だ。

 彼の所属する倫理委員会という部署は、憲兵時代の秘密警察としての役割を色濃く継いでいる。時代が移り変わろうとも脈々と受け継がれる汚れ役としての性質は変わらず、今回のような尋問や監禁などの手際は他の部署の追随を許さない。

 秘密裏にされた報告によれば、既に一輝の食事に毒を盛ることで査問会を有利に進めるための手筈すらも整えているという。

 全くもって大した連中だ。

 

「この件はお前に一任している故に私が口出しすることはない。好きにやるといい。――だがやるなら徹底的にやれ。失敗することは許さん」

「んっふっふ、仰せの通りに」

 

 一礼すると、赤座は長い廊下の先へと消えていった。

 それを見送ることもなく厳は執務室に入り、ふと壁にかけられている歴代長官の写真を眺めやった。

 ここに飾られた彼らの半数以上は厳と同じく黒鉄の名を持つ者たちであり、彼と同じく日本の秩序を守るために身命を賭してきた影の英雄たちだ。自分もその一人であるという事実を厳は誇らしく思い、同時に自らも彼らに恥じぬ“黒鉄”でなければならないと考えている。

 だからこそ厳は一輝の意思を許さない。

 人は分相応に生きることことが最良の幸福であり、それを乱すことは博打のようなものだ。なるほど、確かに分不相応に夢に邁進することで道が開けることもあるだろう。しかしそれに失敗してしまった人間はどうすればいい。勝手に夢を与えた成功者は、夢に破れて絶望した失敗者に何をしてくれるというのだ。

 一輝は今やランク差や才能の無さという逆境を乗り越えつつあり、それを知った多くの才無き伐刀者たちは彼に希望を抱くだろう。自分にも何かできるのではないか、自分でももっと高みに登れるのではないかと。しかし現実は非情で、残るのはいつもごく少数の成功者と圧倒的多数の失敗者だ。そしてその生き残った成功者が魅せる光に誘われ、再び蛾のように非才が(たか)ってくる。

 こんな無駄なサイクルを人間は何度繰り返した。同じ不幸を人類は何度繰り返した。なぜ自分なら大丈夫という楽観的で根拠のない愚かな選択をする。身の丈(ランク)に見合った道を進めば、少なくとも絶望の未来が訪れる可能性を極力排除できるというのに。

 

(全ての人間が身の丈に合った正しい役割をこなすことでこそ世界は穏やかに回る。その平穏こそが大多数の人々が願う幸福。それを乱そうというのならば誰であろうと容赦はしない)

 

 外道だと罵ればいい。

 秩序の奴隷と嗤えばいい。

 息子の夢を挫く人でなしと見下すがいい。

 その結果として黒鉄家が守り続けてきた秩序を自分も守れるのならば望むところだ。自分はそれ以上のことなど望まぬし、しかしだからこそ自分も歴代長官のように身命を賭してその秩序を守るだろう。

 それこそが《鉄血》の二つ名を与えられ、黒鉄家の規範としての在り様を体現してきた自分の誇りであり覚悟なのだから。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 一輝が倫理委員会に囚われて一週間と数日が経った。

 世間では未だにステラと一輝の交際が取り沙汰されており、連日の報道はもはや(くど)いと言えるほどに加熱している。学園の敷地内まで報道関係者が入ってくることは理事長の黒乃が阻止しているためないが、しかし学園の表門と裏門は彼らによって休むことなく見張られていた。そのためステラはここ数日、学園の外に出ることすら出来ていない。

 よってステラの機嫌は日に日に悪化していくばかりで、ついに空白地帯は食堂の席三つ分から五つ分にまで広がっていた。

 

「……はぁ」

 

 疲労を滲ませるステラは力なく昼食を胃に収めていく。一輝が連れ去られる前には彼と共にここで美味しく食事を楽しんでいたというのに、今ではまともに味もわからない。少し前までは一輝が心配なあまり食事も喉を通らなかったということを考えると回復傾向にあることは間違いないが、それでも心の傷はそう簡単に癒えるものではなかった。

 一輝は大丈夫だろうか。故郷の父は一輝のことを認めてくれるだろうか。そもそもこの騒動はいつまで続くのだろう。もしや一生このまま晒し者にされてしまうのだろうか。

 そんな益体もないことばかりが思い付き、ますますステラの気分は重くなる。許されるのならこの場で頭を抱えて大声で唸りたい気分だ。珠雫の激励や有栖院たちの甲斐甲斐しい慰めがあるからこそこうして学生生活を維持できているが、もしも彼女たちがいなければステラは本当に押し潰されていたかもしれない。

 しかしそんな弱々しいステラの状態を無視し、いつもの態度を貫く少女が一人。

 

「ふっふっふ……ステラさん。今日が何の日かご存知ですか?」

 

 ステラの背後に気配もなく姿を現すなり怪しげに笑ってみせたのは、いつもニコニコ貴方の隣に這いよる混沌こと祝だった。ご機嫌だということを隠すこともなく、むしろ見せつけるかのように弾んだ声色で祝は沈み込むステラに纏わりつく。

 その地雷原でタップダンスを踊るかのような行為に周囲の生徒たちは戦慄し、ほぼ一斉に席から腰を浮かせた。

 しかし当のステラは気だるげにそれを一瞥するばかりで爆発の気配は見せない。それに安心した生徒たちは再び席に着くが、油断すれば自分たちに灼熱の飛び火が来ることは彼らも理解しているため常に目と耳は凝らされている。一部の生徒は食事のペースを早め、それを終えると足早に食堂を去っていった。

 この異様な光景こそが学園から一輝が姿を消した後に見られるようになった日常風景だ。あの一件から食堂に寄り付くようになった祝には生徒一同が迷惑していたが、しかし下手にそれを指摘すれば大鎌の錆か挽肉にされかねないので誰も彼女を注意しない。

 むしろ祝への対応を積極的にステラへ押し付けている節すらあり、それを敏感に感じ取ったステラはますます憂鬱な気持ちになった。

 

「……何の日って、そんなの知らないわよ。ハフリさんの誕生日なの?」

「残念ながらまだまだ当分先です。全くステラさんったら鈍いですね~。ほらぁ、あれですよあれ!」

「この国の建国記念日とか?」

「違いますってば!」

「じゃあ学園の創立記念日?」

「……はぁ。ステラさん、貴女のおめでたい頭にはガッカリです」

 

 お前は馬鹿か、と言わんばかりに祝は大袈裟に肩を竦める。

 これには流石のステラの額にも青筋が浮かび、持っていた箸がミシミシと軋み上がった。しかしステラは常識人。ここで怒声をぶち撒けるのは簡単だが、そんなことは王室育ちの淑女(レディ)として許されることではないということをキチンと弁えている。

 よって彼女は喉元まで昇ってきた怒りを懸命に抑え込み、それによって襲い来る頭痛に耐えながらやや上擦った声で問いかけた。

 

「へっ、へェェエ……? 知らなくってごめんなさいねェ? なら是非とも至らぬ(わたくし)に聞かせてもらおうかしらァ、今日が一体何の日なのかをねェ?」

「ふふ~んっ、そこまでお願いされては仕方ないですねぇ~。――な、な、な、なんとッ、今日は私が選抜戦で約一ヵ月ぶりに試合ができる日なのですッッ!」

 

 まるで謳い上げるかのように高らかに。

 祝は得意満面だった。これほど嬉しそうに、それでいて自慢気に言葉を紡げる機会が人の一生にどれほどあるだろうか。きっと大国で大統領選挙に勝った時ですらこれほどご機嫌な声音は出せまい。

 しかし祝の言葉に感動するはずのステラはポカンとしたまま黙り込んだままだった。それを見た祝は言葉が足りなかったと判断したのか、舞台上の役者のように再び朗々と語り続ける。

 

「これまで私は試合でその実力を殆ど見せることなく、こうして不戦勝の連続で勝ち残ってしまいました。しかしそれも昨日までの話! 今日こそは試合の中で私の大鎌(ちから)を披露できると、つまりはっ、そういうっ、ことなんですっ!」

「…………は?」

 

 両手を広げ、胸を張り、その姿勢で眩い笑みを振り撒く祝。

 それと同時にステラの表情が抜け落ち、箸が音を立てて燃え尽きた。まるで煙草のように端から灰となっていったそれに目をくれることもなく、ステラは口元を引き攣らせる。

 

「……そんな……こと? あれだけ散々人を小馬鹿にしておいて、言いたかったことはそんなことなの……?」

「あっ、そんなことって何ですか! 私にとっては重要なことなんですよ? このまま殆ど試合をしないで本戦に出場しても面白みの欠片もないですからね、この辺りでいい加減におおが――」

 

 

 

「どぉぉぉでもッッ、いいわぁぁぁあああああ!!!」

 

 

 

 淑女の仮面が剥がれ落ち、その下から火炎を撒き散らす龍が姿を現した。

 紅蓮の火の粉が舞い上がり、ステラの白い手の中に《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》が顕現。

 伐刀絶技《妃竜の息吹(ドラゴンブレス)》によって摂氏3000度の炎熱を纏った斬撃が空気ごと祝を焼き尽くす。

 しかし相手は腐っても七星剣王。怒りに任せて繰り出された単調な剣など食らうはずもない。座っていた席を吹き飛ばして振るわれた霊装を「危なッ!?」と屈んで躱すと、間合いを離すこともなくその場で再び立ち上がった。

 

「い、いきなりどうしたんですか!? こんなところで暴れ出すなんて、非常識だと思わないんですか!」

「こっちからしたらハフリさんの方がよっぽど非常識よ! こっちは毎日毎日、新聞とかテレビとかで吊し上げられて憂鬱なのにアンタは一人でどうでもいいことで嬉しそうにしてッ! ちょっとは気遣いってものを見せなさいよ! それでも慎み深い日本人なわけ!?」

「現実の日本人なんて実際はこんなものですよ。現代にまでSAMURAIとかNINJAが残っている、というのと同じように空想の産物です。前から思っていましたけど、外国人ってアニメ大国の日本人以上にファンタジーに生きていますよねぇ」

「慎み深さまでファンタジー扱いするんじゃないわよ!」

 

 再び斬撃。

 しかし上段からの斬撃を祝は半身になって躱し、そこから弧を描いて剣が振り上げられれば一歩下がるだけで剣の間合いから外れてみせた。しかしそれも一息の間のことで、剣の軌跡を追う火の粉を弱々しい魔力放出で散らすと同時に再び間合いに入り込んでくる。

 遊ばれている――常人が相手ならば三度とも斬り伏せられる自信があったというのに、まるで祝の前では他愛のない戯れ合いであるかのようだ。幻想形態を用いているため流石に死ぬことはないが、剣が当たればもちろん痛みは走るし炎で炙れば熱を感じる。だというのに目の前の少女の目には恐怖の色が全く含まれていない。

 

「こんのォ!」

 

 一撃だ。その舐めた態度ごと次の一撃で頭蓋を両断してやる。

 咆哮と共にステラが踏み込む。その脚力は食堂という建物そのものを揺るがし、まるで地震のように学園に響き渡った。余波だけで文字通り大地を揺るがしたその一撃は、天高く剣が振り上げられたことでその圧力をより一層強くする。

 踏み込み、間合い、力の配分。全てにおいて文句のない斬撃だ。その恐ろしく速い一連の動作から繰り出される斬撃は、並大抵の伐刀者では躱すことも防ぐことも叶わない必殺の概念を有することとなるだろう。

 だが、七星剣王の中でも特に異才を放つ目の前の修羅の前では、些か以上に迂闊だったと言わざるを得ない。

 

 それは祝にとって充分な隙だった。

 

 剣を振り上げ、そして斬撃を叩き込むという一連の動作。

 それは確かにAランク騎士の名に恥じない卓越した技量だ。しかしこの間合いで祝に勝負を挑むということは、即ち人間が素手で水中の巨大鮫に挑むも同然。祝の目からすれば未来を知るまでもなく「どうぞ攻撃してください」と無防備になるようなもの。

 事実、ステラが剣を上げる動作を見せたその瞬間には祝は動き出していた。滑るようにステラの懐に潜り込み、剣の切っ先が天に向けられた時点で素手の間合いに戦場を移す。そこは敵に近すぎるあまり剣を当てることができない超接近戦(インファイト)の領域。

 しまった、とステラが後悔しようとも既に遅い。接近と同時に祝の右腕は既に霞むような速さで加速し――その紅い双眸に人差し指と中指を突き込んでいた。

 

目潰し(バルス)っ!」

「ぎゃああああああッ!? 目が、目があああああッ!?」

 

 人体の急所の一つである眼球を攻撃され、流石の《紅蓮の皇女》も剣を取り落とす。右腕の加速はステラの纏う魔力防御を貫通しながらも決して眼球を潰す程の威力ではないという絶妙な加減がされていた。

 しかし眼球に指を突き込まれることによる痛みは耐え難く、ステラはポロポロと真珠のような涙を落とす。そんな彼女を見下ろした祝は、ニンマリと口元に笑みを浮かべて勝ち誇った。

 

「何だかよくわかりませんけど、勝ったぞガハハ!」

「ぐあああムカつくううう! なんでこんなのが七星剣王なのよぉぉぉおおお!」

 

 祝の完勝だった。それを認めざるを得ないため、誇張なしで地面を割れんばかりに叩いて悔しがるステラ。その慟哭と祝の高笑いは、既に生徒たちが逃げ去ってガランとする食堂に大きく響き渡っていた。

 しかしその騒ぎも数分のこと。少し経てばステラの気分も落ち着きを見せ、再び二人で寂しい食堂の中で昼食を再開させる。注文してきたペペロンチーノを掃除機のような速度で吸い込んでいく祝を脇目に、ステラは本日何度目になるかわからない溜息をついた。

 

「……で? ハフリさんの試合が何なのよ?」

 

 一息を入れたことでかなりの冷静さを取り戻したステラは、より深い疲労を滲ませながら祝に問いかける。

 話題が戻ったことで祝の目は輝きを復活させ、良くぞ聞いてくれたとばかりに再び胸を張った。

 

「ふっふっふ。先程も言いましたが、今日は私の試合なんですよ。なのでこの後、ステラさんたちには是非とも試合を観にきてもらいたいと、そういうわけなんです。本当はアリスさんたちにも声をかけようかと思って来たのですが……今日はまだ来ていないみたいですね」

「試合ィ~? 自分でも言っていたけどハフリさんって今まで十五試合くらいあって殆ど不戦勝でしょ? 今日も試合前になってドタキャンされるんじゃないの?」

 

 胡乱に思っていることを隠しもしないステラだが、祝は「チッチッチ」とわざとらしく指を振ってみせた。いちいち腹が立つが、自信が一入(ひとしお)だということだけはわかる。

 それとどうでもいいことだが、言うまでもなく祝はステラよりも一歳だけとはいえ年上だ。そして背格好も自分とそう大差ない。だというのに、こうして話していると年下のクソガキにしか見えないのはなぜだろう。人生を気が狂うくらい全力で生きていると精神が幼くなるのだろうか。

 そんなステラの疑問を余所に、祝はまるでありがたい印籠を見せびらかすお供のように高らかに電子生徒手帳を翳してみせた。

 

「ふふん、今日の相手は今までの有象無象と一味違いますよ? この対戦通知をご覧あれっ!」

 

 渋々とステラは生徒手帳へ視線を向ける。

 正直、ステラはそれほど対戦相手の名前に期待などしていなかった。元々ステラは闘う選手の情報を集めないタイプであるが故、学園内の強い生徒についての情報にも非常に疎い。よってその名前を見せられたところで「誰?」と首を傾げることになるだろうと思っていたのだ。

 しかし祝がそれほどの確信を抱く生徒とは一体何者なのか、と少しばかりの好奇心から目を通してみると……

 

「……へぇ」

 

 そこに表示された祝ともう一人の生徒の名前を見て、ステラは納得したように目を細めた。

 なるほど、これは確かに祝が確信を持つのもわかる。確かにステラの知る“彼女”ならば祝から尻尾を巻いて逃げるような真似はしないだろう。それだけの実力がある騎士だということは、既にステラもその片鱗から理解していた。

 

(これは荒れる試合になるわね)

 

 内心でそう思いながら、ステラは祝の誘いに了承した。

 本当ならばここにいない一輝と観たかった試合ではあるが、しかしそれを理由にみすみす見逃して良い試合でもない。ここは寂しさをグッと堪え、直接会場に足を運ぶべきだろう。

 それをステラに決断させるほどに、この試合は興味深いものだった。

 

 

 

 この、疼木祝と貴徳原カナタの試合というものは。

 

 

 




厳「覚悟はいいか? 俺は出来てる(一方的)」
一輝「あァァァんまりだァァアァ!?」

書けば書くほど面倒臭い黒鉄パパ。
原作で一番わかりにくい精神構造をしている御仁です。小熊じゃないですけど、マジで「言ってくれなきゃ、何も分からないじゃないか!」な人。


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試合に逆転ホームランはねぇ!

前回の前書きでも記載しましたが、最後の部分に5000字の追加がありますのでご注意ください。


 この世界において必要不可欠とされる人間がどれほどいるのだろう。

 総理大臣や大統領や国王クラスの人間にさえ、いざという時のために予備の人材が控えている。極論を言ってしまえば、この世界にその人しかできない役割を持つ人間などほぼ存在しないのだろう。

 人間一人など社会から見れば芥子粒の如き小さな存在だ。誰か一人の人間が前触れもなく周囲から消え去ったとしても世界は変わらず回り続ける。それと同じように、たとえ一輝が学園から姿を消そうとも選抜戦は至って順調に進行し続けていた。

 

『さぁ、本日の第五試合! 皆さんが待ちに待った試合の到来です! 会場内は既に満席ッ、通路には立ち見の観客が溢れかえっています!』

 

 実況のナレーションが会場に谺する。

 その言葉の通り、会場は見渡す限りの群衆によって隙間を塗り潰されていた。その大半は制服に身を包んだ生徒であるものの、その中には時折学園の教員と思われる者が混ざり込んでいる。どうやら次の試合の対戦カードを気にしているのは生徒ばかりでなく、彼らもこの試合に興味津々なようだ。

 しかしそれも無理はない。なぜなら今日の対戦カードが公表された時、生徒に限らず教員たちでさえ「遂にこの時が来たか」と息を呑むこととなったのだから。

 

『この試合から会場にいらっしゃった方々のために改めて紹介を! 実況は放送部の磯貝、解説は西京寧音先生が担当しております! 西京先生、いよいよこの日が来てしまいました。現在KOKで三位という実績を持ち、東洋太平洋圏最強の騎士として名高い先生はこの試合の行く末をどう睨んでいらっしゃるのでしょうか?』

 

 実況の言葉に応えるのは、少女と見紛うばかりに小柄な女性だった。

 派手な和装を緩く着込んだ西京と呼ばれるこの女性。普段から教員の一人として試合の解説を任されることはあるが、その仕事ぶりは決して真面目とは言い難いものだった。気紛れに解説に遅刻し、途中で抜け出し、時には実況に任せて姿を現さない。良く言えば豪放磊落、悪く言えば適当な性格をしている人物だ。

 しかし今日は違う。

 彼女自身もこの試合に思うところがあるのか、その瞳は真っ直ぐに実況席の眼下に広がるフィールドに向けられていた。目を細めて怪しげに微笑んだ西京は「そうさねぇ」と口を開いた。

 

『ぶっちゃけ、疼木のクソガキはシンプルな闘い方に見えて細かい手札が多すぎるからよくわかんねー。ウチも去年の七星剣武祭を観てはいたけど、まだ普通に隠し球くらい残しているだろうしねぇ』

『く、クソガキ……? ああいえっ、失礼しました! それよりもです、西京先生! それは疼木選手が去年の七星剣武祭に手を抜いていたということですか!? それが本当ならばとんでもないことですが……!』

 

 七星剣武祭の決勝戦。

 そこで祝と優勝を争った《浪速の星》は誰の目から見ても一流の槍使いだった。そんな彼と繰り広げられた決勝戦もやはり学生騎士の頂点を決めるに相応しい熾烈なもので、万雷の拍手を送られるに相応しい試合だったことは誰もが認めることだ。

 だというのに、それすらも祝にとっては余力を残す闘いでしかなかったというのだろうか。

 

『落ち着きなよ。アイツはあくまで妙に引き出しが多いって話さね。……ただ、何にしてもこの試合は間違いなく荒れる(・・・)だろうよ。何せこれから()り合う二人は破軍きっての実戦経験を持つ連中。試合や決闘じゃねぇガチの殺し殺されの感覚を肌で知っている“本物(モノホン)”ってわけだ。下手すれば一瞬でどっちかが死ぬことになるわけだし、審判(レフェリー)のくーちゃんは気が抜けないんじゃねーの?』

『なるほど……新宮寺理事長、毎度ながらお疲れさまです! ――おおっとォ? どうやら両選手の準備も整い、会場の清掃も無事に終了したようです! それではこれより、第五試合を開始したいと思います!』

 

 実況の言葉に会場から歓声が沸く。

 誰もが待ちきれないと言わんばかりに席を立ち、ゲートから姿を現した二人の選手を喝采と共に迎え入れた。

 

『青コーナーから現れますは、この選抜戦においてその勝利の殆どを不戦勝で収めてきた覇王! その威光の前にあらゆる学生騎士たちは頭を垂れ道を譲る! まさに万夫不当にして一騎当千! 終わりなき覇道(ロード)を突き進む彼女は、今日もその大鎌で立ち塞がる障害を血の海に沈めてしまうのか! 二年《七星剣王》疼木祝選手です!』

 

 姿を見せるのは幼き覇王。一見すれば闘争という言葉とは無縁にしか思えないその少女。

 しかし観客たちから寄せられるのは熱狂と称賛、そして絶大な畏怖だった。

 化粧っ気こそないが可愛らしい顔立ち。あちこちに跳ねた長い黒髪。そして緩い表情。その全てがまやかしであり、その本質を外見から測る愚者はもう存在しない。これまでに姿を見せた二試合で全ての選手を殺害する形で勝利している祝は、もはや選抜戦における血と闘争の象徴のような扱いとなっていた。

 だがそれに対する少女も破軍に知らぬ者はいないほどの猛者である。全身から放たれる殺気と血の残り香は、それこそ通常の学生騎士とは桁違いの場数を踏んできたことを示していた。

 

『続きまして赤コーナーをご覧ください! 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花! しかし綺麗な花には棘がある! その鋭い棘で一体どれほどの相手を血祭りにあげてきたのか! あらゆる敵は彼女に触れることもできず、血霧となって彼女を抱擁することしか許されない! まるで貴婦人の如き高貴な気配と共に現れたのは、昨年の七星剣武祭出場者にして現職の生徒会役員! 三年《紅の淑女(シャルラッハフラウ)》貴徳原カナタ選手だァ!』

 

 鍔の広い帽子の下から優しくも鋭い視線を覗かせるのは、昨年の七星剣武祭出場者にして祝と同じくBランクの少女。

 純白のベルラインドレスと背の高さも相まり祝と対峙してしまうと成人女性と中学生ほどに差があるように錯覚してしまう。祝の持つ雰囲気が年齢の割に幼すぎるという理由もあるが、貴徳原の纏う雰囲気は些か以上に老成していた。

 

『両選手は《雷切》の東堂選手と共に何度も特別招集によって最前線に臨んでいる破軍のスリーカードッ。この三人が今年も七星剣武祭に出場するのが学園としての理想でしたが、現実は無情! そのスリーカードの内の一枚が今日、この試合で欠けてしまうこととなります!』

 

 実況の言う通り、祝、刀華、カナタの三人は昨年の破軍学園が保持していた三人のBランク騎士。

 彼女たち三人の実力はまさに学園内において誇張なしに圧倒的で、恐らくこの三人がいなくなるだけで学園内の学生騎士は戦力が三分の一まで減少するだろうと称されていたほどだ。

 その三人はランク負けした才能に溺れる騎士ではなく、文字通り本物の高ランク保持者。対戦相手がランダムで決められる以上はこのような展開もあり得ると学園関係者は覚悟していたが、それが遂に現実のものとなったのだ。それを惜しむ者、激励する者、選抜戦の参加者として胸を撫で下ろす者と反応は様々だった。

 

「今日は日傘は差していないのですね。いつもは試合中も会場に持ち込んでいるのに」

 

 フィールドの中央――互いに二十メートルの距離を開けた位置で対峙し、真っ先に口を開いたのは祝だった。

 全身を上から下へと見やれば、授業中以外は試合中であろうと常に差している日傘がない。彼女のトレードマークの一つとも言えるアイテムがその手にないということに祝は純粋な疑問を感じていた。

 可愛らしく首を傾げる祝に、カナタは口元を抑えて優雅に笑ってみせる。

 

「ええ。普段は日光と返り血(・・・)を防ぐための必須アイテムなのですが……恥ずかしながら今日はそれを気にする余裕もなさそうなので。傘で視界と手が塞がれるのも愚かしいですから」

「ならその帽子はどうなんですか? それもだいぶ上の視界を潰していますけど」

「あら、それは確かに。全力で挑む相手にこの装いは少々迂闊でしたね」

 

 そうして帽子を頭から下ろすと、その下からは眩いブロンドの長髪が露わになる。ますます高貴な雰囲気を強めたカナタは、その帽子を手首のスナップによって客席へと投げ込んだ。

 回転によって距離を伸ばした帽子はそのまま客席の最前列に到達し、そこに座っていた刀華の膝元に着地する。「お見事~」と拍手する祝がそちらへ視線を向ければ、刀華だけでなく生徒会の面々、そしてステラたち三人組が並んでこちらを見下ろしていた。

 祝がそれに手を振れば有栖院が爽やかに、兎丸と御祓は勢いよく手を振り返してくる。他はスルーだった。

 

「カナちゃん、会長命令です! そこの阿呆をぶち殺してやりなさい! そのお花畑な腐れ脳味噌に生徒会の恐ろしさを刻みつけるんです! 二度と私たちに逆らえないよう、少なくともリングの染みになるまで手足を引き摺り砕いて――」

「ちょっ!? 刀華ホントに落ち着いてっ!」

 

 客席とリングの仕切りに足をかけ、刀華が鬼の形相でカナタを激励している。そのあまりに過激な内容に御祓を始めとした生徒会役員たちは顔を青褪めさせ、後ろから羽交い締めにして席へと引っ込んでいった。

 

『さて、両選手がフィールドに出揃いました! それではこれより試合を開始したいと思います! 皆さんご唱和くださいッ。

 ――Let's Go Aheadッッ!!』

 

 試合開始のブザーが鳴り響く。

 そして二人は同時にその手に自身の霊装を展開した。

 

「参りますよ、《フランチェスカ》」

「《三日月》、行くよ」

 

 祝の小さく細い手に漆黒の大鎌《三日月》が収まる。大鎌の全身から噴き出す漆黒の瘴気が空気を染め上げ、その暗闇の中で鈍く光る二つの刃がチェシャ猫の口元のように弧を描いた。

 一方、カナタがその手に顕現させたのは細身のレイピアだった。刺突性能に優れた特徴を見せるその細い刃は、しかしその得意な突きで折れてしまいそうなほど薄い。それどころか刃が透けることによってその反対側の風景が晒されてしまっており、まるで硝子細工のような脆さを見る者に感じさせる。

 

「あれがカナタさんの霊装なの? 何だか随分と頼りない感じだけど」

 

 言葉こそ油断があるが、警戒心と好奇心をその瞳に浮かべたステラがカナタの霊装をそう評する。

 確かに一見すれば明らかに脆そうな霊装だ。あれで敵の武器と打ち合うことができるとは到底思えない。だがカナタの霊装が真の姿を見せるのはここからだった。

 霊装を胸元まで上げたカナタは、その切っ先を持ち手とは反対側の手へと向け――やおらその手へと刃を突き立てたのだ。しかし刃は掌に刺さることはなく、その脆さの通り砕けて虚空へと散っていく。そうして切っ先から刀身の全体へと罅が広がっていき、やがて柄を残して刃が全て砕け散った。

 

『出たーッ、貴徳原選手の伐刀絶技《星屑の剣(ダイヤモンドダスト)》だァ! 刃を粒子レベルまで砕き、数億にまで分かたれたその小さな刃を操作することで敵を削り取る凶悪な能力! これを相手にまともに闘うのは煙を斬ろうとするようなもの! これまでの試合を一斬で決めてきた疼木選手には最悪の相性と言えるでしょう!』

 

 けたたましい実況にステラは息を呑む。その恐ろしさを理解できたが故に。

 それを見た兎丸が得意げに鼻を鳴らした。

 

「あれがカナタ先輩の《星屑の剣》だよ! 無数の刃は広範囲のカバーができて、オマケに細かい粒子になれば外から相手を攻撃するだけじゃない! 肺に潜り込んで内側から相手を切り刻むことだってできるんだから!」

「そうそう。呼吸をするだけでもカナタを前にしては命取り。それに純粋な攻撃力だけでもカナタは凄い。こと対人戦に限るのなら、あるいは刀華以上に優れた実力者なのさ」

 

 御祓の言葉にステラたちは戦慄する。

 術者が遠距離から、しかも見えないほど小さな億の刃を操るということの恐ろしさを改めて認識させられたからだ。ましてや純粋な接近戦タイプの祝にはより相性の悪い相手であるはず。

 このような相手とどう闘うのか。それをステラたちに限らず、会場全ての観客たちが固唾を飲んで見守っていた。

 しかし……

 

『さて、試合が始まったわけなのですが……どうしたことだ! 二人ともその場を動かなァい! 互いに様子を伺うように攻撃を仕掛けません! 好戦的な疼木選手が開幕速攻を仕掛けないということが個人的にはとても意外です!』

 

 実況の言葉の通り、祝とカナタは開始線の上から動こうとはしなかった。試合の滑り出しとしてはこの上なく緩慢だ。

 しかし、依然として二人が放つ尋常ではない気配に変化はない。祝の瘴気とカナタの殺気が混ざり合うことで会場は異界を形成しており、観客たちの中には立ち眩みを起こしたように席に崩れ落ちる者もいた。

 緊張感に包まれる中、西京だけがのんびりと解説を続けている。

 

『まぁ、お互いに人間を一撃で殺せる力量を持つ騎士だし、オマケに一つのミスが命取りになりかねない相手だ。特に貴徳原のお嬢はクソガキが苦手とする全方位攻撃を可能とする上に中距離型の騎士。位置取りをミスればクソガキは一瞬で霞にされるんだから慎重にもなるさね』

 

 西京の言葉に観客たちが納得の表情を見せる一方、それだけではないと理解する者もいた。

 そして刀華もその一人である。

 

「確かに疼木さんとカナちゃんの相性は悪い。でもそれは一方的というわけじゃなくて、お互いにやりにくい相手でもあるんです」

「会長さん、それはどういうこと?」

 

 人体に流れる伝達信号(インパルス)を感知する伐刀絶技《閃理眼(リバースサイト)》――それを持つ刀華は、人間の動きや感情の機微を誰よりも早く察知する。その能力から得られる情報をより正確にするため、あえて眼鏡を外すことで視力を弱めるのが彼女の見せる本気の証だ。

 そして今、刀華は眼鏡を外すことで常人以上の情報を試合から読み取っている。その能力と多くの実戦経験を持つ刀華にはステラたちとは違う光景が見えていた。

 常識的に考えるのなら、この試合は祝が圧倒的に不利。しかしそうではないと言い切る刀華に、有栖院がどういうことなのか訊ねる。

 

「カナちゃんの《星屑の剣》はまさに煙のようなものです。しかし霊装は細く薄い形状故に体積が少なく、作り出せる刃も比例して少なくなるため刃をより細かく砕かざるを得ない。そして数億の刃と聞けば恐ろしさが先行しますが、レイピアの僅かな体積でそこまで細かく分裂した粒子一つ一つの威力などタカが知れています。カナちゃんの伐刀絶技はそれらを一気に攻撃に使用することで人体を容易に削り取ることを可能にしますが……」

「なるほど。つまり貴徳原さんの霊装はあまり広範囲に霊装を散布することができないのね。正確には、そうすると威力が極端に落ちる」

「はい。カナちゃんの霊装は基本的に一つの纏まりとして遠隔操作されていて、その形状を煙のように伸ばしたり集めたりすることで変幻自在の攻撃を繰り出しているんです。しかしあまりに広範囲へ霊装を展開してしまうと、対応範囲が広くなる代わりに一度の攻撃で使用できる刃が減ってしまいます」

「つまり貴徳原さんはいざ疼木さんを攻撃しようとした瞬間、砕けた刃のほぼ全てを攻撃に回すことになって本体が無防備になる、と」

 

 珠雫の言葉に刀華が頷く。

 もちろん、刃を複数の群体に分けるなどして複数の敵、あるいは速度のある敵に対応することもできる。しかし群体の数が多いほど操作性、速度、威力が落ちるのは自明の理で、速力に優れる祝には却って隙を見せることになりかねない。

 

「恐らく複数の群体に分かつことはカナちゃんもあまりしないはず。致命傷にもならない下手な攻撃を仕掛ければ強硬に突破されます。そして疼木さんは未来予知の能力者――自分が一撃で死ぬかどうかは攻撃する前に察知されてしまう。肺を害そうにも、脳か心臓を一撃で破壊するくらいしなければ彼女は構わずカナちゃんを斬り伏せるでしょうし」

 

 霊装による攻撃を祝が回避するなり突破するなりして《星屑の剣》とカナタの間に入り込んでしまえば、もはやカナタを守る障壁は存在しなくなる。

 ステラによれば一輝の最高速度にすら迫るという祝だ。抜かれたが最後、もはや《星屑の剣》では追いつくことなどできないだろう。そのまま祝はカナタに急接近し、大鎌の一撃で終わりだ。

 少しのミスが命取りとなるのは祝だけではない。カナタも選択の一つを誤るだけで決着がつきかねない危うい立場にいるのだ。

 

(とはいえ、必ずどちらかが行動を起こさなければならない。そろそろ動かないと)

 

 当然ながら刀華の語る危険性を理解していないカナタではない。刀身の消えたレイピアの柄を握りながら、カナタは悠然とした佇まいに反して強い警戒心を胸に祝を注視していた。

 理想は《星屑の剣》などの魔術による中距離攻撃で接近を許さず、祝を外へと追い散らすことで決着をつけることだが……

 

「……このままだと埒が明きませんし、ぼちぼち始めましょうか」

 

 膠着状態に飽きたのか、祝が先んじて動きを見せた。

 ガリガリと、大鎌の曲刃でリングを引っ掻きながら祝が前進を始める。まるで散歩をするかのような気軽さで一歩、また一歩と祝が歩を進めてきたのだ。そして祝の爪先が丁度リングの中央部、つまりカナタから十メートルの間合いに入り込み――カナタの瞳孔がきゅっと細まった。

 それは思考を介さない反射の領域。

 極限の集中状態に至ったカナタの脳は意識に先んじて《フランチェスカ》に攻撃を命令していた。

 

「――《星屑の斬風(ダイヤモンドストーム)》」

 

 カナタの周囲に展開されていた群体が一斉に祝へと襲い掛かる。

 会場のライトを反射して煌めくそれらはまさに白銀の砂嵐。その血肉を塵芥となるまで削り落とそうという殺意が牙を剥き、祝の小さな身体に刃の嵐が覆いかぶさった。

 多くの者が祝の死を確信した。肉は削げ、骨は摩り下ろされ、砂嵐が赤く染まることを誰もが予感した。

 しかしこの程度の攻撃は高位の騎士たちにとっては挨拶のようなもの。無数の刃が蠢く直前、殺気が突然に重く鋭くなった瞬間に祝は身を翻していた。

 

『貴徳原選手の伐刀絶技が炸裂! しかし疼木選手は余裕の表情でこれを回避! さぁ、本格的に試合が動き始めました!』

 

 前方から迫る砂嵐を側面へと回避した祝。

 しかし白銀の砂嵐は休むこともなく祝を追い立て、彼女が足を付けた地面は一秒と待たずに切り刻まれる。

 ここで時計回りにカナタの側面へ側面へと回り込むことで祝はこれを振り切ろうとしているのだが、砂嵐は最短距離を直線的に移動して祝の前へと逆に回り込もうとしていた。

 

(悪くない出だし……このまま近づかせない!)

 

 空中で《星屑の剣》が蛇のようにうねる。

 しかし祝は所々で《既危感》が発動しているのか、まるで半透明のそれらが見えているかのように的確に身を躱していた。

 

「逃がしませんよ……!」

 

 《星屑の斬風》の軌道を変更。刃を二つの群体に分割。

 速度を無理に上げ、祝を両側から挟み込むようにして回り込む。そしてその中央に祝を捉えた途端、二つの《星屑の斬風》が祝を削り潰そうとその暴風を撒き散らした。

 しかし祝もそう簡単には捕まらない。その二つの砂嵐が逆巻き始めた瞬間、徐に大鎌を振り上げるとその曲刃を思い切り背後に突き立てたのだ。地面を削り飛ばしながら突き立てられた刃によって祝は急減速をかけ、そして祝が進むはずだった軌道が白銀の砂嵐によって蹂躙される。

 これを好機と見た祝は突き立てた大鎌の柄を手に大きく跳躍することで背転し、その勢いで深々と地面に刺さった曲刃を引き抜いた。

 そして貴徳原へと接近する――そう思われたが、どういうわけか祝は「あちゃ~」と表情を歪めると接近を断念。襲い来る《星屑の斬風》を躱し、再びリングを駆け回った。

 

『貴徳原選手、疼木選手を容赦なく追いかける! 疼木選手が走った軌跡をなぞる様にリングを削り飛ばされていきます! 疼木選手変則的な軌道でこれを撒こうとするものの、変幻自在に形を変え、縦横無尽に暴れまわる《星屑の斬風》は執拗に追い続ける! やはり間合いの差は七星剣王と言えども覆せないのかァ!』

『それだけじゃねぇよ。お嬢をよく見てみな』

『貴徳原選手ですか? 彼女はいつものように後方で霊装の操作に集中して……いや違います! よく見ると視線は疼木選手に向けたままですがゆっくりと移動している!? 西京先生、これは一体……?』

『簡単な話さね。あの霊装の攻撃だけならクソガキは大して苦労はしねぇよ、単純な速度でどうにでも撒ける。アイツが逃げ回っているのはお嬢の位置取りが巧いからさ』

 

 そう、魔術の性質に加えてカナタのポジショニングも絶妙だった。

 カナタは霊装の攻撃に専念するばかりでなく、常に祝と《星屑の剣》の直線状に立つように意識している節がある。主に動きがあるのは霊装の方なのだが、カナタもその場に留まることはなくゆっくりとだが確実に足を動かし続けていた。

 これによって祝が側面から回り込むことを防いでいる。

 しかしそれだけではない。カナタは常に《フランチェスカ》が自分から離れ過ぎないように操作しており、祝とカナタの間に回り込む際にも殆ど時間がかからないようにしていた。現に祝は何度かカナタから距離を離して《フランチェスカ》を誘い込もうとしているが、そのどれにもカナタは乗らずに距離を維持している。

 こうして祝は上手く外へ外へと追い散らされていた。

 

『何ということでしょう! 戦術と魔術を駆使し、貴徳原選手が一方的に七星剣王を追い詰めている! このまま疼木選手は大鎌を一度も振るうことなく敗北してしまうのかァ!』

(――そんなことあるわけない)

 

 興奮する実況に対してカナタは至って冷静だった。

 そもそもカナタ如きの戦術で一方的に斃されるような人間に《七星剣王》という称号が与えられるはずもない。祝は必ず、それこそ本当に追い詰められているのならば腕や脚を犠牲にしてでも大鎌の間合いに自分を収めてくる。その様子がないということは、彼女にはまだそれだけの余裕があるということだ。

 ならばこそカナタはあらゆる事態を想定し、臨機応変に最大限の力を発揮できるように構えていなければならない。

 これはある意味では祝への信頼から為せる心構えだった。

 カナタは特別招集という機会を通して祝の背中を見守ってきた、ある意味では彼女と最も共に戦ってきた戦友だ。だからこそ敵という立場に祝が立っていても、その実力に微塵の油断も抱くことはなかった。

 

(それに、見た目ほど余裕があるわけではないですしね……!)

 

 前髪に隠れているが、カナタの額には珠のような汗が浮かんでいた。

 その理由は偏にオーバーワーク故だ。

 目に見えないほどの破片にまで砕いた《フランチェスカ》を操る伐刀絶技《星屑の剣(ダイヤモンドダスト)》。そしてそれを数億の斬撃に昇華させる《星屑の斬風(ダイヤモンドストーム)》。一見すると自由度の高さから非常に利便性が高い伐刀絶技に思われるが、使用者のカナタからすればそれは見当違いもいいところだ。

 自分の手元から離れた数億の刃を三次元的に動かす――それがどれほど難しいことか。特に速さと複雑な動きを見せる祝のような相手ならば尚更だ。既に脳内で処理できる限界値は超えており、その補助のために先程から左手を虚空に翳して刃の位置を調整している。

 さらに祝との位置取りまで意識して絶えず足を動かさなければならない。

 一方的など冗談ではなかった。自分の得意な間合いに相手を引きずり込み、そして必死に力を振り絞ってようやく互角なのだ。むしろここまでやっても互角にしかならないという事実にカナタはもはや嗤うしかなかった。

 

 

 そしてそんな状況を正しく理解していたからこそ、《星屑の斬風》が祝を呑み込んだ光景を見た瞬間にカナタの思考は停止することになる。

 

 

 何の前触れもない終わりだった。必死にカナタの攻撃から逃げ回っていた祝の速度が急に落ち、そしてその隙を逃さず《星屑の斬風》が彼女へと襲い掛かったのだ。

 足を滑らせたのか、スタミナ切れか。何にしてもあまりに呆気ない幕切れ。白銀に呑まれていく祝の姿に一同は信じられないと言わんばかりに目を瞠り、そしてこれから起こるであろうグロテスクな光景に観客席のどこかから悲鳴があがった。

 カナタはそのあり得ない展開に完全に虚を突かれ、何が起こったのかを認識できず呆気に取られる。

 あの疼木祝が……学園中から恐れられた兇刃が……こんなにあっさり……? まさか勝ってしまったというのか。こんな突然の、それも前触れのない終わりで自分は“最強”を打ち倒してしまったというのか。

 あり得ない。あり得るはずがない。……しかし、まさか。

 

 

 その一瞬の思考停止がカナタの命運を分けた。

 

 

 観客の悲鳴は直後に観客一同の驚愕に変貌する。

 なぜなら、速度が落ちたと思われた祝の後方を(・・・)砂嵐が呑み込んでいたためだ。無人の空間を《星屑の斬風》は削り回り、祝には傷の一つもない。

 そしてカナタは自分が致命的な隙を晒したと遅まきながら悟った。

 

「第四秘剣《蜃気狼》――結構上手でしょう?」

 

 足捌きによる急激な緩急で敵の視覚を欺き、前後や左右にありもしない残像を作り出す()()()()()オリジナル奥義。

 その足捌きに誘導され、カナタは祝の速度が急速に落ちたと錯覚させられてしまったのである。

 そして完全に目測を外した《星屑の斬風》を置き去りに、祝はカナタへ向けて一気に方向転換した。カナタが《フランチェスカ》を慌てて引き戻すもののもう遅い。既に祝の進路上に障害物は存在しないのだから。

 津波のように祝を背後から追いかける砂嵐は、しかし直進の速度において彼女に遥かに劣る。

 

『うぉぉぉおおお《蜃気狼》だとォ!? 黒鉄選手が綾辻選手との試合で披露した秘剣の一つです! 疼木選手の予想外すぎる技に驚愕が隠せませんッ! 彼女は黒鉄選手と対戦した過去があると聞いていますが、その一回で《蜃気狼》を盗んだというのでしょうか!』

『別に驚くことじゃない。クソガキの予知は“未来の経験”を何万回以上も味わったかに感じさせるほどの既知感として認識するんだ。だったら一度見せた技くらい、種も仕掛けも飽きるほど知られているだろうよ。しかも体術や武術はアイツの得意分野。下手に見せたが最後、その全てを盗み出されちまうのさ』

 

 西京の解説に会場は驚愕の渦に巻き込まれる。

 ということは、だ。その能力を踏まえた上で祝が一輝と対戦した経験があるということを考えると、既に一輝の秘剣の悉くを祝が使用できてもおかしくはないということになる。

 化け物か――そう呟いた客席の誰かは、一同の代弁者だった。

 

「クッ!」

 

 一方、カナタは西京の解説に耳を貸す余裕などない。

 しかし起こった事態だけを冷静に見極め、現状が凄まじく危機的だと判断していた。逆転は一瞬。狩る側だったはずの自分が一瞬にして獲物になった。

 祝は既に大鎌を振り上げ、カナタの胴を両断せんとこちらに迫っている。二十メートルほどあった距離は僅か二歩で半分以上を踏破され、もはやカナタの敗北は一秒強で訪れてしまうだろう。敗北は目前にまで迫っている。

 後退するか――否。それは最悪手。祝の速度を相手に後退すればリングの際までハンティングの哀れな兎のように追い詰められるだけだ。

 では魔力防御で一撃だけでも凌いでみせるか――否。確かに一撃を耐えれば《フランチェスカ》を呼び戻す時間ができるだろう。しかし祝の一撃は霊装すらも断ち切る。成功確率は絶望的だ。

 

(ならば残された手段は一つ!)

 

 そして次の瞬間、観客たちは仰天した。

 普通、武器を振りかぶった敵が眼前に迫れば防ぐか躱そうとする。自分の手元に武器がなく、反撃の手段もないのならば尚更躱すしかない。しかし、カナタは――逆に祝の間合いへと飛び込んだ。

 

「――お手柔らかにお願いします」

「へぇ……?」

 

 祝の表情に感心したと言わんばかりの笑みが浮かぶ。彼女はその一瞬でカナタの思惑を読み取ったのである。

 《三日月》の刃に引き裂かれれば一撃で戦闘不能に追い込まれるのは必定。だからこそカナタはあえて大鎌の刃の内側に飛び込むことで刃を回避し、少しでも生存確率の高い長柄による打撃に身を晒そうというのだ。

 もちろん、霊装すら両断する祝の一撃が軽いものであるはずもない。たとえ柄まで潜り込んだとしても耐えられる可能性は低いだろう。

 絶望的な状況の中、それでも勝利のために足掻き続けるというその精神。常人にできることではなく、祝だけでなく試合を実況席から見守っていた超一流の騎士である西京を以ってしても見事としか言い様がない。

 その不屈にして勇気ある行動を讃える意味を込めて、祝は敬意と共にカナタに言い放つ。

 

「一応言っておきます。死ぬほど痛いですよ」

 

 直後、祝は下半身の筋肉を捻り《三日月》の軌道を大鎌特有の引き斬るモーションから棒術の叩きつけるモーションへ修正。柄を半回転させ、曲刃を後方へ。僅か一瞬の後、大鎌の斬撃は殺傷力を少しでも上げようと槍の薙ぎ払いに変貌する。

 

 頑張って耐えてくださいね――カナタの耳には祝の聞こえざる声がハッキリと響いていた。

 

 そして一閃は音速超過を阻む大気の壁を当然のように引き裂く。

 既にカナタは打点から外れていたが、《三日月》の柄は撓りを見せながらカナタの胴へ炸裂。咄嗟に出たカナタの左腕を粉砕し、その下の肋骨をまとめて圧し折り、内臓を破裂させ、そしてその場に踏み止まることも許さずリング上から叩き出した。

 地面と平行に吹き飛ぶカナタはそのまま客席の下、リングと観客席の間に設けられた段差の壁に轟音を起こしながら激突する。強化コンクリートに罅が入るほどの勢いで叩き付けられた細い身体は壁から跳ね返り、そして受け身を取ることも出来ず地面へと転がった。

 

『一撃ーッ! たったの一撃で貴徳原選手がまるでボールのようにリングから吹き飛びました! というか吹き飛ぶ時に貴徳原選手が側面にくの字に曲がっていたように見えましたが、彼女は無事なのでしょうか!』

 

 実況の懸念通り、倒れ伏すカナタの姿は凄惨なものだった。

 防御に回した左腕は肘でもない部分が九十度以上に拉げ、脇腹の付近は傍目から見てもわかるほど陥没している。口元からは吐血交じりの咳が漏れ続け、全身が痙攣していた。

 打点をずらし、魔力防御で可能な限り威力を減衰させてこの威力。もしもカナタが刃を防御するのみに留まっていた場合、間違いなく上半身が千切れ飛んでいただろう。

 もはや瀕死と判断されてもおかしくないカナタに審判の黒乃が逸早く駆け付け、その容体を確認する。そして実況席の方へ顔を上げると首を横に振った。

 

『し、試合終了ーッ! 審判がこれ以上の試合続行を不可能と判断しました! 勝者は《七星剣王》疼木祝選手です!』

「あれま、残念。ここまでですか」

 

 実況の宣言に祝は僅かに残念そうにカナタを一瞥した。

 しかしやがて視線を外し、「いえ~い」と大鎌を頭上に掲げてみせる。

 祝が選抜戦で見せた試合らしい試合に、騒めくばかりだった観客席の中からも次第に拍手が漏れ始める。最初は少なかったその拍手も、やがてそれらが波紋となって会場は喝采に包まれていった。

 

『ああっ、観客の方々から拍手が!? 今まで対戦相手を一方的かつ一撃で斬り伏せるあまり、試合に勝とうともドン引きされるばかりだった疼木選手にもとうとう拍手が送られています!』

『まぁ、今回はそこそこ見れる試合だったからね~。お嬢は全力でクソガキに闘いを挑み、クソガキはそれを凌ぎ切った。今までのワンサイドゲームじゃなく、アイツにしては久々にまともな試合だったよ』

 

 称賛の声を聞きながら、祝は「ありがと~」と手を振ってゲートへと戻っていく。

 その一方、カナタは黒乃の指示の下、担架で反対側のゲートへと運び出されていった。しかしそれは惨めな敗北などではない。強敵に全力で立ち向かった末の敗北であり、その姿を哀れに思う者など会場にはいなかった。意識のないまま運ばれていくカナタにも、惜しみない称賛の拍手が送られる。

 その拍手の送り主の一人である刀華は、ステラたちに「カナちゃんの様子を見てきますね」と言い残し席を立った。彼女に続き、御祓たち生徒会役員も去っていく。

 あれほどの重傷を負ったとなればiPS再生槽による治療を必要とするため、面会はしばらく後のこととなるはずだ。しかし彼女たちは友であり仲間の義務として、きっとカナタの目が覚めるまでずっと彼女が眠るベッドの隣で待ち続けるのだろう。

 

「行っちゃったわね、会長さんたち」

 

 刀華たちの後ろ姿を見送った有栖院が呟く。

 自分たちの仲間が目の前で敗北したのだ。刀華たちにとっても悔しくないはずがない。

 ここはそっとしておくべきだろう、というのがステラたちが言葉にせずに出した結論だった。

 

「それにしても、まさかハフリさんがイッキの技まで使えるなんて……」

「西京先生の解説が本当ならお兄様との相性が悪すぎます。武術を鍛え続けたお兄様はいわば技と技術の宝庫。闘えば闘うほど手の内を彼女に写し取られる。いえ、既に写し取られている。それだけでお兄様が敗れるとは思いませんが、苦戦は必至です」

 

 珠雫の分析した通りだ。

 現に一輝は手の内を読まれ過ぎたあまり、祝との決闘に敗北している。

 ただでさえ《雷切》という強力な騎士が残っている中、残りの試合の中で祝と一輝がぶつかれば勝利は覚束なくなるだろう。

 査問会のことだけではない。“勝ち残れるか”という面からも一輝の道は険しさを増すばかりだった。

 

 

 




祝「デュー◯ホームランッ!」

久々の戦闘シーンでしたが、作中でカナタ先輩の活躍があまり出なかった理由が少しわかった気がしました。書いてみたはいいのですが、かなりわかりにくい戦闘シーンになってしまい自己嫌悪です。
《フランチェスカ》の戦闘シーン本当に書くの難しい


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デュエッ!!

感想ありがとうございます。
誤字報告などは毎度のように戴けてとても感謝しております。


 国際魔導騎士連盟の日本支部。既に時間は深夜とも言える時間に突入しようとしているが、その地下深くでは査問会という名の魔女裁判が続行されていた。

 容疑者が罪を認めるまで終わることのない問答。日が差し込むことはなく、時計すらもないためまるで機能しない時間感覚。体力の限界すらも無視され、尋問は定刻までほぼ休憩もなく続けられる。周囲の人間は全て敵。食事すらも満足に与えられない。

 そんな状況に二週間も晒されれば、いくら頑強な肉体と精神を持つ一輝であろうとも極限状態に追い込まれるのは必然であった。

 

「は、ぁ……っ」

 

 息が痛い。息を吸うほど気道が激痛を発し、呼吸の度に掠れるような音が喉から漏れる。咳をすればその激痛は最高潮に達し、肺を吐き出したく感じるほどの熱と刺激が一輝を苛んでいた。

 視界は霞み、平衡感覚も危うい。

 熱があるため、ここ数日は頭もまともに回らなくなっている。

 

(苦しい……)

 

 頭を占めるのはそればかりだ。

 倫理委員会のメンバーが何事かを一輝に問いかけてくるが、もはや一輝には何を言っているのか理解することも難しかった。まるで自分が水底にいるかのように声の内容が聞き取れない。

 何を言っているのか、それを懸命に聞き取ろうと声に集中する。しかしそれほどの力すらも一輝には残されておらず、逆に手足から力が抜け、気が付けば一輝はその場に崩れ落ちていた。

 

「何を寝ている貴様はァッ!」

 

 次の瞬間、一輝は頭を勢いよく踏みつけられたことで意識が覚醒する。地面に押し付けられた額と踏まれた頭に痛みが走り、一輝は堪らず悲鳴をあげた。

 しかし踏みつけた倫理委員会の者は「最近のガキは根性が足らん!」と憤ってみせるばかりで、自身の行為は当然のことだと言わんばかりだ。もちろん一輝にこうした暴力を振るうことなど、どう考えても許されることではない。しかし他の倫理委員会の者たちも一輝に呆れの溜息をつくばかりで、同情や憐みを見せる者は一人もいなかった。

 

「全く、答えにくいと思ったら仮病かね? 君の行為はこちらの心象を悪くするばかりだぞ?」

「私が若い頃はもう少し体力があった気がするがなぁ。最近の若者はゲームばかりやって体力が落ちているという話は本当のようですね」

「真面目にやりたまえよ。こちらだっていつまでも君に付き合っていられるほど暇ではないんだ」

 

 嘲笑と侮蔑と敵意。それがここにある全てだった。

 一輝がいくら真面目に答えようともまともに取り合わず、それどころか態度が悪い、真面目にやれと繰り返すばかりで会話が成立しない。

 それに少しでも反発してみせようものなら、口答えするなと怒鳴り散らされ、あるいはそんなことは聞いていないと吐き捨てられる。

 そして確認と称して何度も繰り返される同じ問答。

 熱によって思考能力を奪われ、体力までも削られている一輝にこの尋問は地獄の苦痛を齎す。心身ともに一輝は疲弊しきり、こうして意識が途切れることも徐々に珍しくない光景となり始めていた。

 

(この体調不良は絶対におかしい。きっと支給された食料の中に一服盛られている)

 

 僅かに残された一輝の理性が冷静にそれを判断するが、しかしその推測は現状を打破するための何の役にも立たない。食事をしなければ体力がもたないのだから、結局のところ一輝は毒入りの食事をするしかないのだ。

 むしろここまで徹底的にFランクの自分を潰しにくる父に乾いた笑いすら出てくる。

 あの自分を騎士として無価値としか考えていなかった父親は、その息子のたった一つの願いすらもここまで本気で潰しにきているのだ。その事実が、厳の言葉が方便ではなく本心からのものだということを克明に一輝に感じさせていた。

 

(父さん……)

 

 思い返すだけで一輝の胸に痛みが走る。

 一輝は意識することはなくとも、父との絆を信じ続けていた。自分が不出来な息子ではないと証明してみせれば、いつか父も自分を笑顔で迎え入れてくれるものだと心の底では願い続けていた。

 だが現実はこれだ。

 厳は一輝の存在に最初から期待や希望など抱いておらず、今や己が守る秩序の邪魔にしかならないと排除しにきている。

 押し隠したい身内の恥ではない。ただ自分の目指すものの障害としてしか息子を見ていない。

 そんな男との間にあると信じていた絆など幻想でしかなかった。過去の自分の滑稽さと空回りし続ける努力は、思い出すだけで涙が浮かぶほどだった。

 

「し……失礼、しました……」

 

 掠れた声で謝罪しながら、一輝は滝のような汗を流し立ち上がる。

 精神的な主柱が折れた一輝に、病は容赦なく牙を剥いた。休息も許されない一輝の体調は悪くなる一方で、体力が尽きて意識が戻らなくなるのももはや時間の問題だということは誰の目にも明らかなほどだ。

 ――そしてそれこそが倫理委員会の、延いては赤座の狙いだったのだと一輝は思い知らされることとなる。

 

「んっふっふ。お辛そうですねぇ、一輝クン。しかしわかって戴きたい。私たちは君の無罪を証明するためにこうして集っているわけであって、決して君を貶めたいとか罪をでっちあげたいだとかぁ、そういう意図は一切ないのですよぉ?」

 

 白々しい赤座の言葉だが、もはや一輝には怒りを抱く気力すらない。

 ただただこれからも続くであろう徒労に精神を擦り減らすばかりだった。

 しかしここで一輝の思惑は覆されることとなった。それも最悪に近い方向に。

 

「しかしですねぇ。こうして二週間の査問をしたことで、我々にも一つの結論が飛び交うようになり始めましてぇ」

「けつ……ろん……?」

「えぇ、えぇ。その結論はですねぇ、こうして査問会を続けていても真実は一向にわからないままだろうという残念なものでした」

 

 当然のことだった。

 一輝の行いは何ら非難されることではない。ステラとの交際も、既に騎士として成人男性と見做される一輝に許されている権利だ。不純異性交遊などと世間は非難するが、大人として法的に認められる二人がそのようなことを非難される謂れなどないのである。

 さらに言うのなら、査問の中では一輝の『七星剣武祭に優勝すれば学園の卒業資格を与える』という新宮寺との契約についても取り上げられていた。これを前理事長の正式決定を蔑ろにする不当な契約だと査問会では叫ばれたが、それも前理事長の背後に日本支部がいたことを踏まえればあちらにとっての疑問など皆無に等しいはず。

 もはや何もかもが出鱈目だ。

 

「ところで一輝クンは、この査問会がそもそもどういう意図で招集されているかちゃんと覚えていますかぁ?」

「……それは、ボクとステラの交際を……」

「はぁい、そうです。君とステラ殿下の不純異性交遊を見かねた世間が抱いた、君が騎士としての資格を持つに足る適格な人間であるのか、という疑問を確認するためですねぇ」

 

 つまり、と赤座は笑みを深くする。

 その表情に一輝は何か途轍もない寒気を感じた。

 

「君が立派な騎士であるということを証明できればこの問題は解決なんです。しかし立派な騎士の基準が何なのかは人によって考えが違うのは当たり前ですよねぇ? しかし騎士には古くからある不文律の風習があります。今回はそれに則ることで、貴方の騎士としての適性を見極めようという結論になりましたぁ」

「風習……ですか……?」

 

 何だ。この男は何を企んでいる。

 熱に浮かされた一輝の脳が必死に回転する。しかし結論が出ないまま、赤座は厭らしく口を開いた。

 

「騎士とは、古来より己の剣でその運命を切り開くものとされています。ならば剣でこの問題に決着をつけるのはどうか、と言えば賢い一輝クンならば理解できますよねぇ?」

「……“決闘”、ですか」

 

 あまりに古臭いその風習に一輝は眩暈がした。しかしその確実性と厭らしさにはもはや絶句するしかない。

 つまり赤座はその古い風習に従い、決闘の勝利によって一輝の騎士としての資格を見せてみろというのだ。もちろんこの狸親父が一輝の体調が回復するまで時間を空けるとは思えない。この満身創痍の状態で一輝に闘えと言っているのである。

 どう考えても公平ではない。日本支部の悪意がこれでもかと詰め込まれたこの決闘。しかし一輝には受けないという選択肢は残されていなかった。これを断るということは、赤座の言う騎士としての資格が自分にはないと宣言したも同然になってしまうのだから。

 

「丁度良いことに、一輝クンは明日が選抜戦の最終戦です。よって一輝クンの対戦相手を我々の代理と見做し、この決闘を執り行いましょうかぁ」

 

 決闘の風習は騎士同士が交わす非常に強制力の強い契約で、お互いがそれに納得して一度契約してしまえばそれは絶対遵守として扱われる。その中で代理人を立てることは、過去の例からも少なくはあったが確かに存在していたと聞く。

 赤座の策略は理解した。しかし一輝には疑問が残る。これまでも日本支部の建物で細々と選抜戦は続けられており、当然ながら一輝はそれらを全て制してきた。よって当然ながら一輝にも明日の対戦相手の名前が通知されている。

 明日の対戦相手は無名のEランク騎士だったはず。相手に失礼なことは承知しているが、自分にその程度の相手を嗾けたところで意味があるとは一輝には思えなかった。

 そしてそのようなことは赤座も承知している。

 

「しかしですねぇ、一輝クンの明日の対戦相手は正直なところ君の力の証明にはなりませんねぇ。EランクととFランクの試合など所詮はドングリの背比べ。そんな低レベルの闘いを征したところでねぇ、それで世間が納得するかと言われてもそうは行かないのが現実です。なので君の対戦相手は我々が指名しましょうかぁ」

「げほッ、……誰なんですか、その相手は」

 

 聞きたくなどない。しかし聞かざるを得ない。

 激しい頭痛を起こしながらも一輝の頭に最悪の候補が浮かぶ。

 体調不良によって青褪めていた一輝の顔が、その予想によって土気色に変化した。そしてその一輝の表情を楽しむかのように、赤座の笑みがより一層深まる。

 

「我々が指名する学生騎士、それはぁ――」

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 黒鉄がビール腹なオジサンに連れ去られてそろそろ二週間が経つ。原作主人公そっちのけで学園の選抜戦は進行していき、既に試合は第二十試合の辺りまで行われていた。

 もうここまでくると選抜戦の終わりも目の前で、七星剣武祭に進むと思われる顔ぶれもだいぶわかってきている。加々美さんに聞いた話では、生徒の間では誰が生き残るのかの賭け事までされているらしい。

 その中で最有力候補とされているのが、当然ながら大鎌使いとして武威を誇るこの私だ。次に去年の大会で準決勝まで進んだ東堂さん。そして学園唯一のAランクであるステラさん。そして私たちに一歩譲って黒鉄。

 この四人はクジ運が良ければほぼ確実に勝ち進むとされている。

 残った人たちはどっこいどっこいというところだろう。

 

 まぁ、ここまで来たら後は野となれ山となれ。

 原作の通りに選手が残ろうと残るまいと私がやることは変わらない。精一杯カッコいい大鎌の姿を世間に見せつけるだけだ。

 例え原作崩壊しようとも構うものか。そもそも私が優勝してしまう時点で崩壊してしまうのは確定しているのだから、今更こんなことを気にはしない。卒業の条件に優勝を指定されている黒鉄には気の毒だと思わなくもないが、大鎌の前では剣士の人生など所詮些事。剣士など一人挫折しようと一兆人挫折しようと知ったことか。

 どうしても優勝したいのなら、私が卒業するまで待ち続けるといいよ? すまんね黒鉄、この《七星剣王》の称号は一人用なんだ。

 

 そんな今日この頃なのだが……

 何をしたわけでもないというのに、私が理事長室に呼び出されているのはなぜだろう。

 

 相変わらずヤニ臭い理事長室だった。机には煙草の吸殻が山盛りになった灰皿が鎮座しており、その量が物語るように新宮寺先生には疲労の色が浮かんでいる。恐らくはマスコミへの対応、それと黒鉄について色々と手を打っているのだろう。本当にお疲れ様である。

 

「……さて、よく来た。早速本題に入るが、今日お前たち(・・)を呼び出したのは速やかに話しておかなければならないことができたためだ」

 

 先生の言葉からもわかるように、今日呼び出されたのは私一人ではない。隣を向けば意外や意外、なんと東堂さんも私と一緒に理事長室に呼び出されている。生徒手帳に呼び出しのメールが来たときは「何かやらかしたっけ?」と首を傾げたものだが、理事長室で東堂さんと合流したことでますますわけがわからなくなった。

 

 ……もしかして私が思い当たらないだけで本当に何かした?

 でも最近は勝手に海外にも行っていないし、学園の設備も壊していない。もちろん誰かと喧嘩した覚えもないし、他校の生徒を再起不能にまで追い込んだりもしていない。

 本当に何の用なのだろうか。

 そんな私の内心を察したのか、新宮寺先生は「今回はお前のことではない」と呆れたように溜息をついた。何だ、ビックリした。

 

「先生、それならばなぜ私たちは呼ばれたのですか? 私はまた疼木さんが何かを仕出かしたのだと思って臨戦態勢で参ったのですが」

「それは違うぞ東堂。だから殺気を収めて眼鏡をかけろ。さっきからお前がいつ疼木を斬るか気になって話が進まん」

「失礼しました」

 

 さっきから東堂さんが私に叩き付けていた殺気が鎮まる。

 ああ、だからさっきから荒ぶっていたのねこの人。入室するなり裸眼で「殺すぞワレェ!」って感じの視線を向けてきたから何事かと思っていたけど。

 

「本題に入るぞ。突然だが、明日に控えた選抜戦の最終戦……お前たちのどちらかに対戦相手を変更してほしい」

「……変更、ですか?」

「それはまたどうして?」

 

 いきなり妙な話をし始めたぞ。

 対戦相手を変更するくらい私は構わないのだが、それを東堂さんと私のどちらかと言う意味がわからない。

 

「…………先程、騎士連盟日本支部の倫理委員会から通達があった」

「倫理委員会ということは黒鉄くん絡みの件ですか?」

 

 ……んん?

 倫理委員会と東堂さん、そして選抜戦最終戦。何だか記憶の琴線に引っかかるワードが出てきたぞ? 何だっけ?

 確か原作の最終戦は東堂さんと黒鉄が闘って黒鉄が勝ったんだよな、《一刀羅刹》とかいうヤバい伐刀絶技を使って。

 しかしそこで倫理委員会が関わってくる理由が思い出せない。あの人たちがこの試合を仕組んだんだっけ? でも試合の形式はランダムでしょ? 倫理委員会が介入するにしても、なんで東堂さんを指名したんだ?

 

「……倫理委員会はこのまま査問を続けても埒が明かないということを理由に、“決闘”を用いてことの白黒を決める腹積もりらしい」

「け、決闘ッ!? どういうことですか!」

「今回の騒動は黒鉄に騎士としての資格があるかどうか、という問題が根本にある。よって黒鉄が騎士として力を示すことができれば倫理委員会はこの件から手を引こうと言ってきたんだ。その方法として連中が提示してきたのが決闘――即ち、騎士において絶対と言える習わしだ」

「そんな、理不尽すぎます!」

 

 東堂さんが怒りで眦を吊り上げる。

 しかもこの決闘に際し、倫理委員会は黒鉄の体力を徹底的に奪うために様々な工作を仕掛けているのだとか。先生は日本支部の知り合いを経由して情報を得ているらしいが、その情報提供者が知り得ない悪辣な手段も取っているだろうと先生は考えているらしい。

 

 前世の記憶がある私には前時代的を通り越して原始的過ぎて理解できない風習なのだが、この世界では未だに決闘の風習が大きな意味を持っている。

 立会人を用意し、騎士の名の下に行われる正当な決闘。その勝敗によって誓う契約は騎士の間では絶対とされており、例えば裁判などでも証拠として扱われるほど重要なものとなる。

 これは騎士としては常識で、私も幼い頃から聞かされてきた。

 正直、騎士を国家資格としてしか見做していない私からすれば理解できないこの風習。しかし倫理委員会はこれを利用した。

 即ち決闘の勝敗によって黒鉄の有罪無罪を決めてしまおうというのである。このままダラダラと査問会を続けていればヴァーミリオン国王の電撃訪日で黒鉄が無罪放免になる可能性があるが、彼らが決闘で勝利してしまえば一発で黒鉄を有罪に追い込める。

 本当、こういうところばっかり古いんだよねぇこの世界。

 

 しかし……ははぁ、読めてきたぞ。というか記憶が蘇り始めたぞ。

 確か倫理委員会は黒鉄との決闘に際し、選抜戦最終戦でぶつかる学生騎士を自分たちの代理人として扱っていたんだった。それで原作ではその役目は学園最強の学生騎士である東堂さんが指名されたのだろう。

 しかしここで疑問が生じる。『どうして私たちが()()()呼び出されたのか』ということだ。

 東堂さんが一人で呼び出されたのならば、原作と同じ流れで彼女が代理人に選ばれたからだとわかる。あるいは私一人が呼び出されたのならば、破軍学園が保有する七星剣王を代理人に指名したのだと考えることもできた。

 だけど二人ってどういうことよ? 

 

「あの、確認しますけど。つまり先生が私たちを呼び出したのは、私か東堂さんに倫理委員会の代理人として黒鉄と決闘しろと言うためですよね? 流れ的に」

「……ああ、その通りだ」

「なッ!?」

 

 苦虫を噛み潰したかのような表情で先生が首肯し、その事実に思い至った東堂さんが絶句する。

 まぁ、東堂さんが驚くのも無理はない。要は先生は、私か東堂さんのどちらかに倫理委員会が黒鉄をハメるための刺客になれと言っているも同然なのだから。

 

「その辺はわかりますけど、どうして私()()が呼び出されたのですか? 向こうは黒鉄を潰すための学生騎士を指名してきたのですよね?」

「そうだ。しかし指名してきたのは一人ではない。《七星剣王》疼木祝か《雷切》東堂刀華のどちらかを選出しろと言ってきたのだ」

 

 はぁ? どちらか?

 それは何とも曖昧なことを言ってきたものだ。

 ここで向こうが破軍学園に選択肢を与える意味がわからない。何を考えているんだ?

 

「それは私も気になって問い合わせたが、連中ははぐらかすばかりで要領を得ない。そこで知り合いに内情を探ってもらった結果、どうも疼木を指名するか東堂を指名するかで倫理委員会の中で意見が割れたらしくてな」

「それでこちらに任せてしまおうと?」

 

 新宮寺先生によれば、喪黒福造似の委員長は私を指名したがっていたらしい。騎士連盟の中では色々と悪名高いらしい私だが、現段階で学生騎士最強の称号を持つ七星剣王であることには間違いない。ならばその駒を用い、黒鉄を徹底的に潰したいというのが委員長の考えだ。

 

 それとこれは噂だが、どうやらこの一件には彼の昇進もかかっているらしく、それ故に本気で仕事に臨んでいるという側面もあるという。

 

 しかし倫理委員会の約半数はそれに反対した。どうも彼らの背後には黒鉄長官の関係者の影がチラついているらしく、私にこういう重要なことを任せると何をやらかすかわからないから東堂さんに任せるべきだと主張しているらしい。どうせ満身創痍でまともな試合にならない以上、余計なことをする恐れのない東堂さんの方が組織としては安全牌だと考えているためだ。

 流石の委員長も黒鉄長官の無言の圧力には表立って反対を唱えられず、かといって七星剣王を使わないのも勿体ないと考えた。しかし結果的にはどちらを選んでも問題ないため、却ってどちらを選ぶべきかが倫理委員会の中で纏まらない。

 

「《七星剣王》と《雷切》を揃えてどちらでもいいとは、贅沢な悩みだな」

 

 先生は皮肉満載で吐き捨てた。

 説明している内に苛々してきたのか、煙草を取り出して一服を始めてしまう。

 私はどちらかというと嫌煙派なので目の前で吸ってほしくはないんですけどね。

 

「それで、なぜ倫理委員会はどちらでも(・・・・・)などという優柔不断な結論を?」

「最終的に決定打となったのは私への嫌がらせだな。今回の一件で私は連中が黒鉄に対して行おうとしてきた計画をいくらか阻止してきた。それによって水面下では敵対関係にあったのだが、最終的に私に黒鉄の引導を渡させる役目を押し付けようというのだろう。

 …………全く。ここまで不快な思いをしたのは本当に久方ぶりだ」

 

 椅子に座る先生から抑えきれない殺気が漏れる。

 薄く笑みを浮かべてすらいる彼女は、間違いなく倫理委員会に対して怒り狂っているのだろう。いや、もう怒りを通り越している感じだ。だってこの人、ロアナプラの二丁拳銃(トゥーハンド)みたいな目をしているもの。目からハイライトが消えているもの。

 しかし私たちの前だからなのか、彼女は溜息一つで殺気を消し去った。そして煙草を深く吸い込むと、特大の煙を吐いて話を仕切り直す。

 

「お前たちを呼んだのは、私が独断で黒鉄の対戦相手を決めるのを躊躇ったためだ。対戦相手の突然の変更、ましてや相手が渦中の黒鉄となればそこにお前たちは作為を感じるだろう。それを黙して語らないのは簡単だが、それは私の主義から最も遠い行いだ。だからお前たちには全ての事情を話した」

 

 え、えぇ……。

 そんなことを仰られましても……。

 失礼を承知で言わせてもらうのならば、ハッキリ言ってその主義って私たちには何も関係ないのですが。むしろ事前にそんな話をして東堂さんが試合に邪念を持ち込んでしまうことを考えなかったのだろうか。エゴだよそれは。

 あっ、私は全然気にしないので大丈夫です。きっと一時間後には記憶の片隅に追いやっていると思うから。

 

「もちろんこれは極めて自分本位な行為だと自覚している。お前たちは知らなくてもいい事実を聞かされ、この指名を受けるにしろ断るにしろ後味の悪いものを残すことになるだろう。そのことは私も本当に申し訳なく思っている。すまない」

 

 椅子から立ち上がると、先生は私たちに深々と頭を下げた。

 まぁ、あれだね。

 何も知らない方が幸せと言うけど、というやつか。確かに東堂さんは「私は満足し足りねぇ!」と荒ぶりそうだし。

 

 それに先生も散々悩んだ末にこうして私たちを呼び出したのだろう。この人は真面目だからねぇ。私だったら適当にコイントス辺りで勝手に決めてしまうところを、こうしてわざわざ馬鹿正直に真実を語ってしまうのだから。

 

「…………それで、だ。お前たちはこの試合を……その、どうする?」

 

 非常に言いにくそうに先生は切り出した。

 まぁ、そうだよねぇ。先生からすれば憎き倫理委員会に従って生徒同士を闘い合わせないといけないわけだからね。しかも自分が言い出した選抜戦方式を悪用されて。もう腸が煮えくり返っているのだろう。

 

 しかしどうしたものか。

 別に私は受けても構わない。黒鉄とは知り合いだが、相手にどのような事情があろうと私には関係ない。立ち塞がるのならば排除する、それだけだ。それで相手が破滅しようとも私は笑って「大鎌のために破滅してください」と言い放つことができる。それで恨まれるのは迷惑だが。

 

 ……うん、良し。面倒だしさっさと受けてしまおう。大鎌を散々馬鹿にしてくれた日本支部の助けになってしまうのは非常に気に入らないが、原作を知る私が原作主人公を終わらせてしまうのも何かの運命だ。きっとSSの神様か何かが大鎌にもっと輝けと囁いているに違いない。

 だったら決まりだ。

 

「先生、私が――」

「私が試合を受けます、先生」

 

 しかし私の言葉を遮り、東堂さんが前に進み出た。

 意外過ぎて思わず呆気に取られる。私以外の生徒には基本的に優しい東堂さんが、こうして他人の名誉を貶めるようなことに進んで買って出ることが少々信じられなかった。

 原作と違って半強制というわけでもないのに、一体どうしちゃったの?

 

「東堂さん、もしかして私に気を遣っているんですか?」

「そんなわけないでしょう。貴女に遣うなんて気が勿体なさすぎます」

 

 なぜか蔑むような目で言われたんだけど。

 ここってそういう場面じゃなくね? シリアスな場面じゃね?

 

「ただ、私が黒鉄くんの剣を背負いたいと……そう思っただけです。少し交流しただけの関係ですが、きっと彼は満身創痍の身体を引き摺ってでも試合に出てくるでしょう。彼はそういう騎士です。その誇り高い騎士の思いを背負い、私は七星剣武祭に臨みたい」

「だから私に潰されるくらいならば貴女が引導を渡そうと? これは本心から聞く純粋な疑問なんですけど、貴女の言う誇りとやらは彼に恨まれてまで背負いたいものなんですか?」

「……覚悟の上です。私は私の騎士道を貫くため、私の目指す生き様から逸れないために剣を取っています。それによって彼から恨まれることになろうと、彼が満身創痍であろうと、全力で私と闘ってくれる黒鉄一輝という誇り高い騎士を真っ向から打ち破って私は前に進みたい――それが私の騎士道です。騎士として生きるための私の道です。だから疼木さん、彼との試合を私に譲ってください」

「……はぁ、そんなもんですか」

 

 本当にこういう時、騎士という人種はよくわからないことを言う。

 私からすれば東堂さんの理論はヤンデレが「好きすぎて貴方の肉を食べたい」と言うのと何ら変わりない。結局自分のために他人の道を踏み躙っているだけなのに、出てくるのは誇りがどうだとか。

 学生騎士のくせに騎士道をイマイチ理解できない私が悪いということはわかっているのだが、それでもわからないものは仕方ないだろう。あれだよ、上条さん風に言うのなら私は力があるから仕方なく他人を守っている人種だからかもね。

 

 しかし覇気に溢れ、そしてどこまでも真摯な瞳、しかも先輩という立場の人にそこまで頭を下げられたら流石に断れない。

 まぁ、ぶっちゃけ別に私としては黒鉄との試合などどうでもいいことだ。そうまでして東堂さんが黒鉄と闘いたいというのなら譲るのに否はない。お好きにどうぞ。

 

「わかりました。黒鉄のことは東堂さんにお任せします。先生もそれで宜しいですか?」

「……わかった。倫理委員会には東堂を対戦相手として通知しておく」

 

 そういうわけで、選抜戦最終戦で黒鉄の相手をするのは東堂さんに決まった。何やかんやで原作通りに進むものなんだねぇ。ちょっぴり感心してしまう。これが歴史の修正力と呼ばれる代物なのだろうか。

 それにしても東堂さんも学生ながら肝が据わっているというか何というか。自分から黒鉄に引導を渡す役目を引き受けるとは思わなかった。話を聞いた時は絶対に私がやることになると思っていたし。

 だが……

 

「恨まれることになろうと、ねぇ……」

 

 理事長室から自室に戻る道すがら、差し込む西日に目を細めながら私は先程の東堂さんの騎士道とやらをぼんやりと考えていた。

 彼女が語った騎士道――それが東堂さんの生き様というものなのかもしれないが、だとするのなら余計なものを背負っているなぁ、とは思う。

 敗者からの恨みすら背負って勝ち続けるなど、煩わしいとは思わないのだろうか。

 

 これは今まで他人に話しても殆ど共感を得られなかったため、最近は誰にも言っていない個人的な意見なのだが――私は闘いによって敗者から向けられる恨みは迷惑千万でしかないと心から思っている。

 

 敗北とはどのような背景や事情があろうと自分が悪いのだから、勝者にそのような感情を向けるのは完全に筋違いだ。むしろ恨み、怒り、憎むべきは敗北した己自身であるはず。それを他人に向けるなど逆恨みでしかない。

 少なくとも私はそうだった。今以上に未熟で弱々しかった頃、闘いで誰かに敗れる度に自分の不甲斐なさに泣いた。大鎌への謝罪の気持ちに泣いた。そして大鎌の力を引き出せなかった自分への恨みで夜も眠れなくなり、怒りで自分を殺したくなり、憎しみで声も出なくなったものだ。

 勝者への激励や尊敬などをする暇すらなく、私は自分の愚かさと弱さを憎み続けた。いや、むしろ他人への称賛を自分が敗北した言い訳と考えてすらいた。敗けたのは相手が凄かったからだ、と認めることが他人を持ち上げて自分の敗北を正当化しているとしか思えなかったためだ。

 

 いや、機会が減ったというだけでそれは今も変わらない。闘いの中に自分の落ち度を見つけてしまえば自分に底なしの殺意を抱き、敗北すれば自分の弱さを噛み締めて泣く。その感情を押し殺し、勝者に対してズボンで汗拭き握手するなど死んでもご免だ。それは自分の弱さから目を逸らす行為でしかない。

 そしてその殺意――それとついでに大鎌を蔑む馬鹿どもへの憎しみ――は日々の修行に臨むための糧となり、今日(こんにち)の私を強くしているのである。

 

 そんな風に考える私にとって、東堂さんの『他人に恨まれてでも』という理念は本気でよくわからない。

 勝って恨まれる筋合いなんてないでしょ? 敗ける奴が悪いんだから。

 むしろ勝者を恨むような奴だからそいつは敗けるんだよ。敗け続けるんだよ。一生敗者として勝負の底辺を這い回り続けることになるんだよ。

 そういう人種は本当に……何だろうね。「なんで生きているの?」とすら思う。そんなどうしようもない連中のことまで気にかけて闘い続けるとか、私には鬱陶しいとしか思えない。

 

「大変ですねぇ、東堂さんの騎士道とやらは」

 

 いやぁ、私は今の生き方で良かったよ。

 そんな些末なことで大鎌を極める道を邪魔されては敵わない。魚の気持ちになっては刺身が食べられないのと同じように、蹴散らした敵がこちらに恨み辛みを持つかもしれないと考えるなど面倒なだけだ。しかも考えるだけでも徒労なのに背負うとは。

 その余計なことを考えるエネルギーすらも私は大鎌に使いたいよ。夢ってそうやって叶えるものでしょ?

 

 まぁ、何にせよだ。

 黒鉄の問題はこれで解決。私は完全に無関係になったわけだから、これで安心して訓練に戻れるな。今日みたいな呼び出しの時間だけでどれほどの時間を有効活用できたのかと考えると、時間が勿体なさすぎて仕方ない。

 ああ、早く修行したい。訓練したい。稽古したい。

 時間を無駄にしていることが大鎌に申し訳ない。早く修行に戻り少しでも技術を向上させなければ。

 

 黒鉄のことなんかで時間を無駄に浪費してごめんなさいッ!

 すぐに大鎌ライフに戻りますよ~!

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

「……新宮寺理事長は《雷切》を選びましたか」

 

 自分の執務室で赤座は溜息をついた。

 先程、決闘となった選抜戦最終戦の対戦相手である刀華を一輝に対して通知した。そしてそれを以って査問会は終了。全ては明日の決闘の勝敗に委ねられることとなる。

 赤座の理想としては、ここで《七星剣王》を投入して確実に一輝の息の根を止めたかった。だがあの臆病者のご当主様は祝の存在を恐れ、不用意に利用するなと遠回しに指示してきたのである。

 

「全く。ただ闘わせるだけだというのに、それすらも渋るとは。黒鉄の本家は揃いも揃って無能ばかりですねぇ」

 

 確かに祝は組織として脅威的な存在だ。

 昨年は問題行動ばかり起こし、七星剣王となった際にはそれを揉み消すために日本支部はマスコミに手を回すハメになった。倫理委員会の長であった赤座もその件であちこちへと駆け回らされ、マスコミ各社と秘密裏に交渉させられたのは記憶に新しい。

 挙句の果てに、日本の学生騎士がクーデターに参加していたと日本支部の上層部に伝わった際にも支部内は大騒ぎとなった。最終的に例の新政権は連盟に参加することを表明したため事態は収まったものの、もしも《大国同盟》の一員にでもなってしまえば本部から大目玉を食らっていただろう。

 

 だが、どれだけ強力な伐刀者であろうと所詮は戦術級――戦闘一つを征するレベルの戦力でしかない。

 

 これが《夜叉姫》のように戦争一つを左右する戦略級の伐刀者ならば話は別だが、祝程度の伐刀者ならばそこまで恐れる必要があると赤座には思えないのだ。

 確かに面と向かって出会ったのならば恐ろしい。しかし陰謀に巻き込み利用する立場であるのならば恐れるに足らない。それが赤座が祝に対して抱いている印象だった。

 

「まぁ、いいでしょう。どの道一輝クンの体調は最悪。あのコンディションで《雷切》を打倒できるとは思えません。結果的にこちらが勝てばいいのですからねぇ」

 

 この一件が上手く片付けば、赤座は倫理委員長から広報部長へと異動することが厳から確約されている。

 倫理委員会など、所詮は今回のような後ろ暗い仕事ばかりの地下で蠢く秘密警察のような役職だ。そのような場所でゴキブリのように這い回るよりも、誰だって広報部のような表立って活躍できる部署で働きたいと思うだろう。

 赤座は自分の華々しい未来のために、一輝を徹底的に潰す必要があった。一分の隙もなく、完璧に、圧倒的に仕事を完遂させようという意思に満ちていた。

 そのための最後の一手が祝の投入だったのだが、決まってしまったものは仕方ない。

 

「んっふっふ。明日が楽しみですよぉ、一輝クン」

 

 自分のために、精々派手に散ってくれ。

 それで命を落とすことになろうと赤座には知ったことではない。それで一人の少年の命と将来が潰えることになろうと、自分の華々しい未来に比べれば安いものだ。

 満面の笑みを浮かべながら、赤座は帰宅するために執務室を立ち去った。

 しかし翌日、彼は思い知ることとなる。

 

 

 

 ――この小さな隙が、赤座にとって人生最大にして最後の失敗の始まりになるということを。

 

 

 




そろそろ三巻を終わらせたいところですね。
そしてARC-Vの話を知り合いとしていて聞いたのですが、最近の遊戯王は先行のドローがなくなったという事実に驚愕です。


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毎度ながら感想、誤字報告ありがとうございます。
今回は後書きに嬉しいご報告があります。


 選抜戦の最終戦が行われる当日。

 学園はいつにない高揚感が漂っていた。誰もが浮き足立ち、午前の授業は全く身が入っていない生徒もチラホラいた。授業中は私も大人しく机の下でギッチョギッチョやっているだけなのだが、周りの生徒たちは頻りにメモらしき紙片でやり取りをしている。

 手渡しする過程を盗み見たところ、どうやら午後の最終戦で誰の試合を観に行くのかを話し合っているらしい。

 そんな浮ついた空気が立ち込める中、授業が終了すると一部の生徒たちが雪崩のように教室の外へと流れだしていった。恐らく、昼食をそっちのけにして試合会場となる訓練場の席を確保するためだろう。先に席を確保し、友人に昼食を買ってきてもらう計画でも立てているのかもしれない。

 

 そんな彼らについて一つだけ私が確信できることがある。

 それは、彼らの中に私の試合を観に来るであろう者が誰一人としていないということだ。

 仮にも七星剣王の試合を誰も観に来ないと確信している、その根拠は何なのかと首を傾げるかもしれない。しかしそれは仕方のないことだ。なぜなら私は本日、試合の予定など入っていないためである。

 

 

 ……はい、対戦相手にドタキャン食らいました。

 

 

 クッソ、ふざけやがってぇぇぇえええ!

 昨日、東堂さんに黒鉄の試合を譲ったそのすぐ後に棄権のお報せがメールで届いたよ! その時までは変更になる可能性もあるからと新宮寺先生が待ったをかけていたらしいが、改めて決定を連絡した途端に即行で棄権のメールが返信されてきたらしい。

 よって今日の私は完全にフリー。周りの優勝候補者たちが試合会場でその雄姿を見せつけている間、私は独り寂しくフリーダム。

 本当にもう、何なの!? ここまで勝ち残っておいて七星剣王に挑まないとか馬鹿なの!? 何のために勝ち残ってきたんだよッ、潔く私のために死んでくれよ!

 

 しかし、いくら叫ぼうが今更ッとクルーゼ隊長が仰る通り、私が何かを言っても棄権が覆されるわけではない。

 残念ながら大鎌のカッコいい姿を本格的に世に披露することになるのは七星剣武祭の本戦になりそうだ。

 

 そういうわけで、これから試合が控えていてテンションマックスであろうステラさんたちと顔を合わせるのに気が滅入った私は、学食で適当にパンと牛乳を買ってその辺のベンチで食事を済ませることにした。

 場所はなるべく人が来ない校舎裏。

 この場所をチョイスした理由は、「君は最終戦なのに出番がないフレンズなんだね!」と他の生徒に揶揄されるのを嫌ったためである。

 最終戦まで進んだ他の生徒十人がこの後の試合に備えて全力でコンディションを整えている中、その代表格でなければならないはずの私が暇そうにベンチで時間を潰している姿など恥ずかしくて見せられない。

 

「まるで家族にリストラを隠しているお父さんが偽の出勤をして、公園のベンチとかで時間を潰しているみたい……」

 

 自分で言っていて悲しくなってきた。

 もうさっさと昼を食べて修行に洒落込もうかな。こんなところでパン食って牛乳啜っていても気分が晴れるわけもなし。

 あるいは原作でも最高潮の盛り上がりを見せた《雷切》vs《無冠の剣王(アナザーワン)》の試合を冷やかしに行くか。しかし原作知識のせいで結果がわかり切っている剣士の試合など見る価値が果たして存在するのだろうか。

 ……うん、そうだね。無駄だね!

 

「今日はずっと修行していましょうか。学園代表の顔見せと表彰は後日と聞いていますし」

 

 私の脳内で今日のスケージュールが一瞬で組み上がる。

 もう今日は修行だ。修行するしかない。

 生徒たちは東堂さんが試合をする第一訓練場の辺りに集まっているだろうから、ならば今日はそことは反対側の立地で心行くまで修行すればいい。

 私は決めたぞッ!

 

 

 そう思っていた時期が私にもありました。

 

 

 だというのに、なぜ私は第一訓練場に向けて歩いているのだろう……。

 理由は簡単、それは私の隣で微笑むご老人に付き合っているためである。

 

「ひょっひょ、祝。しばらく見ない間にまた一段と美人になったのぉ」

「あ~、ありがとうございます南郷先生」

 

 そう、私の隣を紋付き袴姿という古風な格好で歩いている老人こそ《闘神》南郷寅次郎。

 日本の伐刀者としては黒鉄の曾祖父である黒鉄龍馬と並んで知らぬ者の方が少ないだろうとされる騎士だ。年齢は九十を超えており、日本最高齢の騎士としても有名である。ついでに言うのなら東堂さんの師匠でもある。あっ、それと今年から学園の先生になった西京先生もこの人の弟子だ。

 

 さて、ではなぜ私が彼と共に試合会場に行くことになったのか。それは第一訓練場から逆方向に向かおうとした矢先、そちらにある入り口から学園に来てしまった南郷先生と鉢合わせしてしまったためである。そして東堂さんの試合会場に行くついでに新宮寺先生に挨拶したいというので、仕方なく私が案内人を務めることになったのだ。

 

「んっふっふ、意外ですねぇ。《七星剣王》と《闘神》がお知り合いだったとは。大会か何かの関係でお会いになったのですかぁ?」

 

 語らう私たちに疑問を投げかけてきたのは、どうやら黒鉄の散り様を見物しにきたらしい倫理委員長だった。彼が先生をここまで案内してきたらしく、私が先生と遭遇した時には既に一緒にいたのだ。

 名前を憶えていなかったので最初は何と呼ぶか困ったのが、先生が“赤座くん”と呼んでいたのでたぶんそれが名前なのだろうと察したのは内緒である。

 あと、赤座と聞くと『うすしお』と『お団子バズーカ』を思い浮かべてしまう私はきっと悪くない。

 

 話は戻るが、先程の会話と赤座の言葉からもわかる通り私と南郷先生は知り合いである。直に会ったのはたぶん一年ぶりくらい、連絡を取ったのは今年の年賀状が最後になるくらいに薄い縁だが。

 では、伐刀者の界隈でも武術家の界隈でも音に聞こえる彼と私がどのように知り合ったのか。

 

「ああ、祝は嘗てワシの弟子じゃったからの」

「……は?」

 

 脂肪に埋まっていた赤座の目が見開かれる。

 しかし南郷先生が言っていることは事実で、私は昔この人の弟子の一人として剣術を教わっていた。

 確か先生の道場に弟子入りしに行ったのは八歳の頃だったか。高名で忙しい人のため絶対に断られるだろうと最初は思い、内心ではカノッサの屈辱ばりにしつこく頼み込む覚悟だった。

 しかし意外にも先生は月謝七千円の条件で普通に入門を許し、私はそのまま彼の弟子の一人として二年ほど剣術を始めとする武術を教わることとなる。

 

「懐かしいのぅ。小学生そこそこの少女がいきなり一人で道場に来たかと思えば、自分を弟子にしろと土下座参りしてきた時は流石に驚かされた」

「それほど先生に教わりたかったということです」

「し、しかし疼木選手は大鎌使いですよね? なぜ剣術家の南郷先生に弟子入りを?」

「ひょっひょ、簡単なことじゃよ。――剣術家を殺すには剣術を習うのが最も手っ取り早いと、つまりはそういうことじゃ」

 

 「そうじゃろ?」と流し目を送ってくる南郷先生。

 はい、その通りです。というかその質問は入門する時にも聞かれたしね。

 当時、私は己の大鎌を高めるために武術を学んでいた。しかし大鎌の武術など早々見つかるはずもなく、私は他の武術を参考に今の我流を組み立てていったのである。

 その過程でどうしても剣術の術理や思考を知りたくなり、外から眺めるだけでは埒が明かないと思ったため高名な南郷先生のところに弟子入りしに行ったのだ。

 

 もちろん、私の答えは南郷先生としては好ましいものではなかっただろう。

 基本的に武術家が弟子を取るのは、己の技術を廃れさせず後世に残すためだ。しかし私は剣術家ではないどころか、対剣術家の戦術を組み立てることを主な目的として弟子入りするというのだ。

 彼としては私に技術を教えても利益などないのは言うまでもないだろう。

 そう思った私は最初こそ「南郷先生に憧れて!」的な嘘八百を並べ立てていたのだが、そういうのいいからという南郷先生に押し切られて本音を喋ってしまったのである。もう内心では次に向かう剣術家のことを私が考えていたのは言うまでもない。

 しかし本心を話したら予想外なことになぜか許可を貰えたため、そのまま私は先生の下で剣術を学ぶことになったのだった。これが私と南郷先生の馴れ初めである。

 

「二年くらい弟子をやっていたと思ったら突然ワシの下を飛び出していきおってのぅ。リトルで黒鉄王馬と闘ったのを最後に行方がわからなくなっておったが……去年の七星剣武祭で久方ぶりに名前を見かけた時は腰を抜かしたぞい?」

「長い間連絡を取らなくてすみません。修行が忙しくてそこに思い至る暇がなくて」

「だと思ったわい。お前は昔から、修行となると誰よりも妥協を許さん奴じゃったからの。ワシの下にいた時も放っておいたら食事も忘れて稽古ばかりしておった」

「やぁだぁ~、南郷先生ったら大袈裟ですよ~。最低限の休息くらいはちゃんと取っていましたって~」

「……本当に最低限だったから心配しておるんじゃがな」

 

 南郷先生が肩を落として何かを呟く。

 溜息交じりだったため聞き取れなかったが、聞かせる気がないということは気にする必要もないということだろう。

 余計なことは無視するに限る。

 

「そういえば、先生が今日いらっしゃったのは東堂さんの試合をご覧になるために?」

「そりゃもちろん。しかも今日は刀華の晴れ舞台というだけでなく、聞けば『黒鉄』の者と闘うというではないか。師として参らんわけにはいかぬ」

「あぁ~」

 

 もう九十越えだというのにフットワークの軽いお爺様だ。

 なぜ先生が『黒鉄』という名前にここまで興味を示すのかと言うと、この人は黒鉄の曾祖父である黒鉄龍馬と共に戦場を駆け回った戦友であり、同時に生涯のライバルでもあったことが起因している。

 その関係から黒鉄家の伐刀者と自分の弟子の闘いに並々ならぬ興味を見せ、公式試合などにはよく顔を見せるのは有名な話だ。私はすっかり忘れていたためこうして遭遇してしまったが。恐らくは今日の試合も黒鉄と東堂さんの試合があると聞いてわざわざ出向いてきたのだろう。

 

 そんな話をしている内に、私たち三人は東堂さんの試合が行われる第一訓練場に到着する。

 既に会場は人でごった返しており、私たちの他にも会場へと入っていく人で行列ができていた。

 

「んっふっふ、流石は最終戦ですねぇ。生徒さんたちもこの試合の行く末に興味津々のご様子です」

「東堂さんも黒鉄も学園の中では知名度抜群ですからね。黒鉄のスキャンダルの件もありますし、たぶん他の試合よりも人が集まっているのでは?」

「なるほど」

 

 赤座は満足そうに頷くと、南郷先生と共に意気揚々と会場へ入っていった。

 私としてはこのまま帰りたいところなのだが、私はこう見えてもお世話になった人には可能な限り義理を見せるタイプの人間なのだ。剣士とはいえ南郷先生には武術のイロハとも呼べるものを授けてもらった。大鎌の修行は本当に大事だが、その大鎌の成長に尽力してくださった先生には感謝している。こうして少しばかり付き合うのも吝かではない。

 そうして二人に続いて会場に入っていくと、意外とすぐに新宮寺先生は見つかった。しかも弟子である西京先生まで一緒にいたので、南郷先生も非常に嬉しそうだ。

 

「来ちゃったよぉん」

「げっ、じじい!」

 

 南郷先生に対して西京先生はじじい呼ばわりである。

 見た目が年齢不相応に若い西京先生と南郷先生が並ぶと、本気で孫と曾祖父くらいの年齢差があるように見える。確か西京先生はアラサーくらいだったと思うけど。

 

「ひょっひょっひょ、我が愛弟子は相変わらず口が悪いのぅ。そういうところも変わらず愛いのじゃが」

「き、気持ち悪いこと言うなぁ……!」

「うむうむ、照れる姿も可愛いぞ」

「…………っ!!」

 

 赤面して照れる西京先生。

 本当にその姿は私より年上には見えない。

 実は吸血鬼か何かなんじゃないの? この人って。

 

 私がそんなことを考えていると、南郷先生は新宮寺先生に話題を移した。どうやらあの二人も顔見知りらしく、何やら世間話をしている。

 すると二人の目を盗み、西京先生が私の前までやってきた。メッチャ睨みながら。

 

「……おい、クソガキ」

「なぜ私だけクソガキですか。貴女から見れば生徒なんか皆クソガキでしょう?」

「お前は特にクソなガキだからクソガキなんだよ」

 

 西京先生の目つきが急に鋭くなる。

 口元は僅かに歪められ、南郷先生たちに聞こえないくらいの声量で話を続けた。

 

「テメェ……よくもじじいの前に平然と顔を出せたモンだな。恩のある師匠の下を断りもなく去っておいてよぉ」

 

 あっ、出た。西京先生のイビリ。

 私もこの人も南郷先生の弟子であるため、彼女はつまり私の姉弟子に相当する。私が道場に来た時には彼女は既に一人前として独立していたが。ちなみに東堂さんは妹弟子になる。彼女は中学生時代に弟子入りしたので、いた時期は同じく重ならないけど。

 それで西京先生なのだが……どうやら彼女は私が南郷先生から技術を教わるだけ教わってとっとと次の武術に移ったことを根に持っているらしく、会う度にこちらを睨んでくるようになった。クソガキ呼ばわりもそれからだ。昔は『はふりん』って呼んで可愛がってくれていたのにね。

 しかしそれもしつこい! 師匠は平然としているのにいつまで怒ってんのこの人は!

 

「毎度毎度言いますけど先生は元々私の目的をご存知でしたし、いずれ道場を去ることも察していらっしゃいました。その上で私を弟子にしてくださったのですから、別に寧音さん(・・・・)にとやかく言われる筋合いはないんですけど」

「……恩知らずも大概にしろよ、テメェ」

 

 寧音さんが薄っすらと殺気を纏い始める。

 それで事態に気付いたのか、新宮寺先生が「またか」と眉を顰める。南郷先生は若干楽しそうにこちらを眺めてきた。赤座は何が起こっているのか理解できず曖昧な笑みを浮かべて立ち竦んでいる。

 

「当事者同士で解決していることです。寧音さんには関係ありません」

「こっちも師匠をコケにされて黙っているほどお人好しじゃねぇんだよ。そして同門の後輩が馬鹿やったってなりゃ、教育してやんのが先輩の役目ってもんだ」

「“元”同門です。それに、コケですか? 私は先生のことをちゃんと尊敬していますよ。っていうか、師匠のことをじじい呼ばわりしている人に言われたくないんですけど」

 

 も~、何なのこの人超ウザい!

 会うといつもこんな感じだからあまり会いたくないんだよぉ。

 しかもこの人、東堂さんにも「とーかとーかー」とにじり寄っていって天使の笑顔で悪魔の如く私の悪評垂れ流すし! おかげで出会い頭から東堂さんの好感度がマイナス値だったんだけど! きっと東堂さんが私のことを嫌っている原因は、全てこの人によるものに違いない。

 

「お前たち、その辺にしておけ。南郷先生の前だぞ」

「チッ」

 

 舌打ち交じりに西京先生(・・・・)が離れていく。

 こうやって新宮寺先生が間に入ってくれるパターンも今年度に入ってから恒例化してきた。

 本っ当にリアルなツンデレは面倒臭いなぁ。

 普段はじじい呼ばわりしてツンツンしているのに、私に対しては師匠へのデレ全開でドスを効かせてくるんだもの。二重人格かお前は。

 

『――ご来場の皆様にお知らせいたします』

 

 その時、会場のスピーカーから女性の声が流れる。

 それを聞いた瞬間、黙って佇んでいた赤座の笑みが深まった。

 

『試合のお時間となりましたが、黒鉄一輝選手が会場に到着しておりません。選抜戦規定により、これより十分以内に黒鉄選手が到着しなかった場合、不戦敗とさせて戴きますのでご了承ください』

「……赤座委員長。これはどういうことですか?」

 

 ざわっ、と新宮寺先生の雰囲気が荒立つ。

 しかし視線に晒された赤座はそれを受け流しているのか気付いていないのか、「どうとは?」と愉快そうに笑った。

 

「私の聞いたところでは、黒鉄は連盟が会場まで送り届けるとのお話しでしたが?」

「ああ、そのことでしたか。ええ、そうなのですがねぇ。連絡の行き違いかもしれません。私が車で迎えに行った時には、彼は一人で会場に向かってしまっていたのですよ。しかし時間的にも交通手段的にもこちらには充分に間に合うはずですし、大丈夫だと思っていたのですが。……まぁ、体調が悪そうだったような気もしますし、途中で倒れたりしていなければいいのですがねぇ」

「……赤狸が」

 

 わざとらしい赤座の言い訳に、西京先生が小さく毒づく。

 また、一連のやり取りで不穏な何かを感じ取ったらしい南郷先生だったが、今は何も言わず試合の開始を待つばかりだ。自分が口出しすべきことではないと割り切っているのかもしれない。

 そして新宮寺先生と西京先生は余程腹に据えかねたのか、肩を怒らせたまま南郷先生を連れて客席へと去っていってしまった。

 いやいや、私を置いていかないでくださいよ~。

 

「そういえばですねぇ、疼木さん」

 

 三人に付いていこうとした私を赤座が呼び止める。

 明らかに不快な雰囲気を示す先生方は赤座との会話を拒絶していたからなのか、今度は私に話を振ってきんだけどこの人。

 

「今の時点で疼木さんは本戦への出場が決定しているんだそうで。おめでとうございますぅ」

「……ええ、ありがとうございます~」

「んっふっふ。私はこの学園が能力値選抜から選抜戦方式に変わったと聞き、真っ先に貴女が勝ち残るだろうと期待していたのですよぉ?」

 

 あっそう、としか言えないのですが。

 何なんだろう、この人。何が言いたいの? 媚でも売っているんだろうか。

 ……と思ったら本気でこの人は私に媚を売っているらしく、ここから怒涛の褒めちぎりが開始された。

 

「いやぁ、貴徳原選手との試合は見事だったと聞きましたよぉ。あの見えない刃の大群を一度も食らわずに躱しきったとか。実に素晴らしい」

「やはり去年の七星剣武祭の覇者は伊達ではない! 聞いた限りでは皆、貴女のことを絶賛していましたぁ」

「未来予知という実戦での運用が難しい能力を最大まで活かしきる身体能力。それも南郷先生の教えの賜物だったと聞けば納得できます。きっと今年の七星剣武祭でも疼木選手は大活躍なさるでしょう」

 

 ……本当に何なの、この人?

 日本支部は私のことを嫌っているとばかり思っていたため、この人の意思がわからない。

 適当に相槌を打ってはいるのだが、だから何なんだという感想しか浮かばない。どうもこちらの自慢話的なのを引き出そうとする話題運びなのはわかるのだが、なんでこの人を相手に会話を弾ませなけりゃならん。

 なので逆に相手を喋らせる感じで聞き手に回っていたのだが……

 

 あ~、何だか読めてきたぞ。

 

 言葉の端々から察するに、どうやらこの人は私と個人的な繋がり(コネクション)を求めているらしい。

 さっきから「黒鉄長官は君を警戒しているようですが」という感じの言葉を織り交ぜてくることから、私に対して『触らぬ神に祟りなし』と言わんばかりに無関心を決め込む黒鉄長官に一歩先んじたいという意思が透けて見えた。

 ここで私とコネを確保しておけば、もしも私が将来的に問題を起こしても自分が説得することでそれを阻止した、という成果を作り出せるとでも思っているのではないだろうか。

 何というか、強かというか。お役人も大変なのだな、とも思わされる。

 私には関係ないけど。

 

「そういえば私、疼木選手とは奇妙な点でご縁があるんですよぉ?」

「縁ですか? それは一体どのようなものなのでしょう?」

 

 しっかし、マジで面倒臭いなぁ。

 南郷先生がいなければ即行で話を切り上げて帰っているのに。

 というか、私も客席に行っていいですかねぇ? この人と話していても面白くないし、何よりこの人に嬉しくもないヨイショをされるために時間を空けたわけでもない。

 というかさっきから大鎌について褒めることが一度もないっていうのは、一体どういう

 

 

 

「実は去年、前理事長に協力して貴女の悪評がマスコミに流れないように動いたのは、我々倫理委員会なのですよ」

 

 

 

 …………。

 ……………………。

 …………………………………………。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 ――普通の少女。

 

 赤座守から見て、《七星剣王》疼木祝と一通り会話をして得た感想はそれだった。

 南郷との会話を聞く限り多少型破りな性格であることは読み取れたが、それを加味しても話に聞く国家転覆に加担した危険人物という印象は抱けない。

 身嗜みも多少粗末ではあるが、化粧やお洒落に目覚める前の少女とはこんなものではないだろうか。これから恋愛などを経験していくにつれて少女は成長してゆき、やがて美しい女性へと変貌していくものだ。

 

(この少女が去年、日本中で《告死の兇刃(デスサイズ)》などと物騒な二つ名で騒がれた学生騎士だとは……俄かに信じられませんねぇ)

 

 そして教師の目が離れたところを狙って祝と話をしてみれば、ニコニコと愛想良く応対するではないか。

 褒めちぎることで彼女が増長するか試してみれば、しかし彼女は謙遜で応えてみせた。それどころか赤座の話を「うんうん」と実に楽しそうに聞き、逆にこちらの話を促す聞き上手な面も見せている。

 そのせいで思わず黒鉄厳と意見が割れたことを一言二言漏らしてしまったのは赤座の失態だ。

 しかし赤座にそうさせてしまうほど祝という少女は聞き上手だった。

 

(……なんだ、噂は所詮噂だったということですか)

 

 赤座が祝に対してそう判断するのにそう時間はかからなかった。

 どこをどう見ても会話をしても彼女が危険な人物だとは思えないのだから。

 彼女が去年も問題行動を起こして回っていたということは確かに気がかりだったが、しかし必要以上に噂が大きくなっていたということだろう。

 確かに去年は喧嘩っ早さが目立っていたのかもしれないが、それは若く力の強い伐刀者にはありがちな傾向だ。彼女は悪目立ちし、なまじ力があっただけにそのような悪評が一人歩きしてしまったのだろう。

 クーデターの件も事実か怪しいものだ。そもそもいくら七星剣王とはいえ、一介の学生騎士が紛争に自ら突入していくだろうか。巻き込まれたと考えるのがむしろ自然だろう。それを現地にいたから、あるいは現地で関係者と知り合っていたからという形で誤って日本支部に伝わってしまっただけかもしれない。

 

(いや、きっとそうなのでしょう)

 

 赤座は無意識にそう思い込んでいた(・・・・・・・)

 それは自分の完璧な仕事に口出ししてきた厳への反発から来る心理であり、あるいは出自を理由に自分を遥か高みから見下ろす黒鉄本家への嫉妬から抱いた願望だったのかもしれない。

 とにかく確かなのは、この時点で赤座は『黒鉄厳に一歩先んじた』という優越感を抱いていたということだった。

 

 ――どうだ、自分はお前が恐れる虚像の正体を見極めてやったぞ。

 

 その優越感が内心で膨れ上がり、赤座はますます上機嫌になる。

 『幽霊の正体見たり枯れ尾花』と同じように、厳が警戒し恐れた疼木祝という怪物が実はただのヤンチャな少女だったという事実を赤座は掴んだのだ。

 そして赤座の欲望はますます膨れ上がる優越感によって刺激され、この虚像を操り厳に一泡吹かせてやりたいという皮算用へと変貌していった。

 もしも今後、彼女が何らかの行動を起こして厳が警戒度を引き上げたとしよう。

 しかしその正体を知る自分が、電話一本でその行動を諫めてみたとしたらどうだろうか。それこそ厳の面目は丸潰れとなり、分家である自分を称賛せざるを得まい。

 あるいは自分は今回の昇進で得られる広報部長という立場を超え、さらに上の役職を得る機会に恵まれてしまうかもしれない。

 

(いや、あり得ない未来ではないッ)

 

 妄想と根拠のない確信。

 しかし赤座にはそれが現実味を帯びた未来だとしか思えなかった。

 そしてその計画のため、赤座は自分が祝にとって味方であるのだということを深く印象付けようと切り札とも言える秘密を彼女に切り出した。

 

「そういえば私、疼木選手とは奇妙な点でご縁があるんですよぉ?」

「縁ですか? それは一体どのようなものなのでしょう?」

 

 興味津々な様子を隠しもせず、祝は身を乗り出してこちらの話を聞き取ろうとしてくる。

 それに程良い手応えを感じた赤座は、胸を張って祝にその事実を言い放った。

 

「実は去年、前理事長に協力して貴女の悪評がマスコミに流れないように動いたのは、我々倫理委員会なのですよ」

 

 赤座が祝に語った内容は、彼女に凄まじい衝撃を与えたことが赤座にはわかった。

 なんと彼女は、赤座がそれを語った瞬間に大きく目を見開いて今までにないほど大きな反応を見せたのだ。そして二、三秒ほど固まると、やがて表情を凍り付かせたままゆっくりと口を開く。

 

「……それは本当なんですか?」

「ええ、本当ですとも。もちろん私は貴女がそのようなことをする人間だとは思っていませんよぉ? しかし噂には尾鰭が付いてしまうものです。我々はそれを未然に防ぎ、大鎌という足枷(・・・・・・・)をものともせずに活躍した貴女の能力が正当に評価されるよう動いていたのですよぉ。七星剣王は日本の誇りですからぁ、私としても良い仕事をさせて戴いたと喜ばしく思っておりますぅ」

「…………そうですか」

 

 赤座の言葉を聞くと、祝は感動に打ち震えたかのように瞑目した。

 そしてその情動を逃すかのように大きく息を吐くと、やがて()()()()()を浮かべ、痛いくらいの力を込めて赤座の両手を取った。

 

 

「すごーい! 貴方のおかげで(・・・・)私の力が正当に(・・・)評価されたんですねっ! 嬉しいなー! ()()()()()()()()()()、赤座さんっ!」

 

 

 目尻に涙すら浮かべ、祝は赤座に感謝の意を示した。

 興奮のあまり彼女の目は僅かに血走ってすらおり、震える手を何度も振って赤座と握手を交わす。

 まるで天使のように美しい笑顔を浮かべた祝に、赤座は利用してやろうという内心をしばし忘れて祝の美貌に魅入っていた。その化粧っ気のない、だからこそ純粋で飾りのない“美”に目を奪われたためだ。

 

「……あ、おほん、そこまで喜んで戴けたのなら私も嬉しい限りですねぇ」

 

 咳払いで誤魔化したが、赤座の頬は僅かに赤く染まっていた。

 祝とは親と子ほどの年齢が離れていることを赤座はこの瞬間だけ僅かに残念に思う。

 

「さ、さて……南郷先生たちをお待たせしてもいけませんし、我々も観客席に参りましょうか」

「そうですね。後で(・・)()()()()()()()をしましょう」

 

 赤座は祝に緩んだ表情を見られないよう、やや小走りで南郷たちを追っていく。

 そして、だからこそ余計に気付くことができなかった。

 

 

 

 

 上機嫌な声色で返されたその言葉に反し、能面のような無表情で祝が自分の後ろ姿を見つめていたことに。

 

 

 

 

 

 




先日、ヒロインこと祝のイラストを戴いてしまいました。
楔石焼き様、本当にありがとうございます。
ハーメルンで書いているとイラストを戴けるという伝説は本当だったのですねぇ……


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僕の脳内選択肢が、修羅道を全力で邪魔している

前回はたくさんの感想をありがとうございます。
返信ができなかった方は本当に申し訳ありません。しかし全てに目を通しているので、これからも感想、及び誤字脱字報告をお願いします。

ちなみに、今回も挿絵を戴いたので後書きに掲載しております。


 破軍学園の最寄り駅から学園までの距離は約一キロ。舗装された道はなだらかな上り坂となっており、常人ならば歩いて二十分とかけず辿り着くことができるだろう。

 しかしその常人に遥かに劣るほどまで体力を削ぎ落とされた一輝にとって、この道程は地獄でしかなかった。

 

「はぁっ、はぁっ……!」

 

 肺が伸縮するたびに激痛が走り、呼吸をするだけで気道が悲鳴をあげる。

 燦々と照り付ける初夏の陽光は弱り切った身体を殺人光線となって刻み、時折すれ違う自動車が撒き散らすエンジン音は爆音となって脳を揺さぶる。

 熱で意識は朦朧とし、空気すらまともに吸い込めない。手足の関節が軋み、鈍器で殴られ続けているかのように頭が痛む。

 病人以外の何者でもない一輝にとって、普段はジョギングで駆け抜けてすらいるこの距離は尋常ではないほど辛いものだった。

 

「ッげほ、カハァッ……!」

 

 死に体――その言葉は今の一輝のような状態を表すのだろう。

 この状態で《雷切》東堂刀華に挑もうなど、査問会の薬物と厳との会話によって精神の均衡を崩された一輝にも無謀だとわかっている。それどころか会場まで辿り着けるかどうかすら怪しい。

 

(もう……駄目かもしれない……)

 

 必死に足を動かしながら、しかし一輝の心は既に折れかけていた。

 体調だけではない。一輝は刀華に勝つ自分の姿を思い浮かべることすら出来なくなっていたのだ。

 思い出すのは御祓の言葉、そして刀華が背負う多くの人々の期待。高潔な魂を胸に、施設の子供たちの模範とならんと切磋琢磨する彼女の剣に、果たして自分の欲とエゴに塗れた剣が打ち勝つことなどできるのだろうか。

 いや、そもそもだ。

 

 

 ――自分が彼女に勝ってしまうなどということが許されるのか?

 

 

 仮に、万が一、いや一兆分の一の確率で奇跡でも起きて自分が彼女に勝ったとしよう。

 しかしその後に残るのは何だ?

 

 自分に残るのは一時の充足感だ。そして一人だけを満たす小さな自尊心だろう。

 では、刀華たちには何が残る。彼女の敗北に涙する施設の子供たちと、彼女に期待する多くの人々の落胆だ。

 一輝の勝利によって齎される幸福と、刀華の勝利によって齎される幸福。どう比較しても刀華の勝利の方が多くの人々を幸せにしている。だというのに自分は浅ましく勝利を求めるというのか。三年生であり、即ちもう後がない刀華の七星剣武祭の出場権を奪い取り、誰にも期待されていない自分が勝ち進んでしまうというのか。

 

(僕の勝利に価値なんてあるのか……?)

 

 誰が自分の勝利に喜ぶ。自分の愉悦のためだけに刀華を打ち破ったとして、それに何の意味がある。

 問うまでもない、そんなものに意味などない。

 

「ぁ…………」

 

 俄かに全身が震えだす。

 熱から来る悪寒――しかしそれだけではない。前進する意味を失い、剣を取ることの意味すら消失した剣士の末路だった。

 己の勝利を疑うことは良い。しかし己の勝利の意味すら失ってしまった剣士は救いようがない。ましてや過去のあらゆる繋がりを断ち、修羅の如くと走り続けてきた一輝ならば尚更だ。それは自分が歩んできた道の全てに価値を見出せなくなってしまったということなのだから。

 

(僕は……何のために頑張ってきたんだっけ……)

 

 そう思った途端、ここに一輝が見据えていた道は途切れてしまった。

 進むべき道はもう見えず、助けを求めようにも自分の周囲には誰もいない。黒鉄家の呪縛によって疫病神のように不幸を撒き散らす自分に人が寄り付くはずもない。

 

『ごめん、黒鉄。俺はもう、お前と仲良くできない……』

 

 聞こえないはずの声が聞こえる。

 これは誰の声だったか。そう、確か去年のルームメイトの声だ。

 学園からの嫌がらせが本格的になり、一輝と親しくした者は成績を落とされるという噂が広まった頃。生徒からの虐めや無視はもはや日常的な風景となったその頃、ルームメイトの彼は絞り出すような声で一輝にそう告げた。そしてそれ以降、二人の間で友人と呼べるような会話がされることは二度となかった。

 そんな彼に、迷惑をかけてしまったことをただ申し訳なく思っていたことを一輝は憶えている。

 

(寒い……)

 

 気が付けば一輝は吹雪が荒れ狂う雪原の中を彷徨っていた。その光景に一輝は息を呑み、そして視線の先に佇む二人の人影を目にした瞬間に総毛立った。

 そこにいたのは亡き曾祖父の黒鉄龍馬と、その目の前で泣きじゃくる幼き日の自分。

 ああ、憶えている。ここで自分は龍馬に生きる希望を与えられ、夢を与えられ、諦めないことの偉大さを教えられた。

 だが……

 

(こんな……こんな出会いさえなければ……)

 

 ジワリと心に浮かび上がる黒い染み。

 ここで龍馬にさえ出会わなければ、自分は分相応な人生を送ることができたのではないか。

 ここであの老人に誑かされたせいで、自分はこんな理不尽な運命に晒されているのではないか。

 あそこで諦めてさえいれば、父は騎士でない自分を認めてくれていたのではないか。

 結局、龍馬の教えは自分に孤独と苦痛ばかり齎した。

 翻って自分が得たものは何だ。

 自分は何を得た。

 

(この空っぽで軽い剣だけじゃないか……!)

 

 誰に望まれることもないこんな軽薄な剣など、勝利を得る価値すらない。

 自尊心を満たすために家族を敵に回し、社会から疎まれ、友をなくし、居場所すらも奪われた。そうして全てを捨てるほどの価値がこの剣にあったのか。

 誰に勝利を望まれることもなく、他者を貶めて浅ましい勝利を得ることしかできない剣に価値などあったのか。

 

(そんなもの、あるわけがない……)

 

 進み続けていた一輝の足が遂に挫けた。

 地面へと強かに打ち付けられた身体は鉛のように重く、自分の肉体だということが信じられないほど言うことを聞かない。

 広がり続ける黒い染みは一輝の信念すら侵し、気力だけで動かしていた一輝の身体から力を奪い去る。

 

 最早これまで。

 

 霞がかった思考に諦観が過る。

 これ以上、身を削ってまで前進することの意味を一輝は見出すことができなかった。

 進む先には地獄と絶望しかない。しかしここで立ち止まれば、それに呑まれるのは自分一人で済む。ならばそれで良いではないか。最後に『誰かのために犠牲を最小限にした』という事実を胸に抱いて倒れることができるのなら、それはきっと素晴らしいことだろう。

 それが諦めるための理由によって作られた偽善であることは百も承知。

 しかし一輝は、ここで諦めるための理由を何よりも欲していた。仕方ないのだと、そう自分を納得させるための動機が必要だった。

 

(そうだ……誰にも望まれていないんだから仕方ないじゃないか。僕がどれだけ望んでいても、それで誰も幸せにならない夢なら諦めた方がいいんだ……きっと、そうだ……)

 

 ただ「頑張れ」と誰かに言ってほしかった。しかし現実は非情で、夢は誰にも肯定されることなどなかった。

 ならばきっと間違っていたのは自分だ。自分が悪いんだ。

 だからこうして地面に倒れ伏すことで刀華に勝利を贈ることこそが一輝にできる最善の行動なのだろう。

 

(……いや、もしかしたら……今度こそ父さんも僕を認めてくれるかもしれないな……出来損ないの無能として正しい判断をしたって……)

 

 自嘲の笑みが漏れる。

 こうして這い蹲って全てを諦めることこそ、一輝にとって分相応の行動だったのだ。今までの秩序に抗う生き方こそが間違っていたのだ。

 一輝は思う。身の程を知った今の自分ならば、今度こそ誰かに認めてもらうことができるだろうか、と。

 薄れゆく意識の中、一輝はその希望を胸に目を閉じる。

 次に目が覚めた時は、今よりも少しでもマシな世界になっていることを願って――

 

 

 

『そんなことで諦めるんですか?』

 

 

 

 吹き荒ぶ吹雪の中で、その声は何よりも明瞭に一輝の心に届いていた。

 もはや顔を上げることすら辛い。それでも一輝は何かに縋る様に必死に視線を上げた。

 

 ――そこには混じり気のない“黒”がいた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 選抜戦の最終戦を控えた第一訓練場は、先程までの期待感はどこへやら。困惑と不安が渦巻く混沌とした状況に呑み込まれていた。

 それもこれも、この試合の主役である一輝が会場に来ていないためである。

 あちらこちらで聞こえる騒めきを聞き、黒乃は不快そうに眉を顰める。

 

(赤狸め。この試合が終わったら憶えておけよ……)

 

 自分の座る客席から数列を空けた後ろの席に陣取る赤座に、黒乃は胸の内で密かに毒づいた。

 ここまで自分の縄張りで好き勝手をしてくれたのだ。もはやただで済ませるつもりはない。黒乃の取れるあらゆる手段を用い、必ずや合法的に、完膚なきまでに生き地獄へと叩き落としてくれよう。

 しかし当の赤座はそんなことを知る由もなく、何やら楽し気に隣に座る祝へと話しかけている。祝もそれに笑って対応しているが……

 

「クソガキの奴、相変わらず愛想笑いだけは一丁前だな」

「ひょっひょ、初めて会った頃からそこだけは変わらんの。本気で猫を被った祝にはワシも騙されかけたからのぉ。……まぁ、少しでも為人を知っている者からすれば退屈しているのは一目瞭然じゃが」

「去年の七星剣武祭の時の優勝インタビューには度肝を抜かれましたよ。あれは猫というよりも化けの皮です」

「あいつ、絶対に頭の中ではさっさと帰りたいとか思ってんぞ。ザマァ」

 

 祝の様子をこっそりと伺う三人は、その異様な光景に呆れるしかない。

 彼女がなぜ赤座にあそこまで丁寧に応対しているのかはわからなかったが、彼女がそうしている以上は大鎌にとって何らかの意味がある行為なのだろう。そうでなければ赤座が目を離した瞬間、祝は音もなくこの訓練場から姿を消しているはずだ。

 

「……本当に変わらんのぉ、祝は。ワシが初めて会った頃からまるで変わっとらん。身体つきはだいぶワシ好みになったが」

「殺すぞセクハラジジイっ! 弟子をそういう目で見てんじゃねぇ!」

「ひょっひょっひょ、だってもう祝は弟子じゃないからのぉ~? 別にどういう目で見ようとワシの勝手じゃし~?」

「ジジィー!」

 

 髪を逆立てる寧音を南郷は「冗談じゃよぅ」と笑って宥める。

 その光景に黒乃は思わず笑みを零した。しかし同時に寧音の何気ない一言に気付いてしまい、僅かにその笑顔が曇る。

 

(弟子をそういう目で見るな、か)

 

 恐らく寧音は意図してそれを口にしたわけではないのだろう。

 だがその言葉だけで黒乃には充分彼女の意思が伝わっていた。

 

(寧音はまだあいつのことを妹弟子だと思っているんだな……)

 

 黒乃の知る寧音と祝の確執は根深い。

 いや、正確には寧音が祝に抱く負の感情は筆舌に尽くしがたいと言うべきだろう。

 祝が南郷の弟子であったことは寧音から聞き及んでいる。そして南郷から武術の基礎やその技術を学ぶだけ学ぶと、祝は南郷に一方的に「辞めます」と言い放ち唐突に姿を消してしまったという。

 そのあまりにも礼儀知らずにして恩知らずな行為に寧音は激怒し、それ以来祝のことを目の仇にし続けている。

 寧音はそのことをあまり話したがらないが、しかし当時の寧音を知っている黒乃は知っている。

 

 

 寧音は誰よりも、それこそ師匠の南郷に匹敵するほど祝という少女に期待していたのだ。

 

 

 事実、初めて祝のことを知ったのは寧音の口からだった。なかなか筋のいい妹弟子ができた――寧音が口の端を僅かに吊り上げながら語ってくれたことを黒乃は憶えている。

 当時の寧音と祝はお互いに非常に良好な仲を築いていたらしく、時には物臭として知られる寧音が自ら祝に稽古をつけていたことすらあったという。

 だからこそ師匠を裏切り、他の師の下へと早々に去っていった祝に寧音は強いショックを受けたのだろう。今の寧音の悪感情は、嘗て抱いていた期待がそのまま裏返った末の感情なのだ。

 

 ――ならば、南郷はどうなのだろうか。

 

「……一つ、お聞きしても宜しいですか?」

「ひょ? 突然改まってどうしたんじゃ、黒乃くん」

「疼木のことです。先生はなぜ彼女を弟子にしようとお考えに?」

 

 それはふと思い浮かんだ黒乃の小さな疑問だった。

 寧音によれば、彼自身はそうなることを見越して祝を弟子にしていたという。しかしその一利すらない徒労のような未来を知りながら、なぜ南郷は祝を弟子などにしたのだろうか。

 

「……おい、くーちゃん。人のトコの師弟関係に口出しすんのは野暮じゃね?」

「軽率な質問なのはわかっている。しかし今の私は疼木の教師だ。これからもあいつを教え導く立場である以上、その先達である南郷先生の意見を聞いておきたい」

「ふぅむ」

「もちろん無理にとは申しません。寧音の言うことは間違っていない。それでもお許しを戴けるのであれば、お話をお聞かせしてほしいのです」

 

 髭を撫でて何事かを考え込む南郷は、やがて頭上に開かれた空を見上げながらポツリと呟いた。

 

「面白そう――そう思ったからじゃ」

 

 南郷の言葉に黒乃が首を傾げる。

 寧音だけは忌々しそうに舌打ちしたが、過去に思いを巡らせているのか南郷はそんな彼女たちに目をくれることもなく語り続けた。

 

「初めて祝と顔を合わせた時、その目に危険な光があることに一目で気付いた。この子はきっと目的のためならば迷うことなく人を斬り、その返り血を拭うこともなく修羅道を歩み続けることができる。そんな伐刀者に成長するじゃろうとは思っていた」

 

 「実際そうなったじゃろ?」と視線を黒乃に滑らせる。恐らくは例のクーデターのことを言っているのだろう。

 南郷がそのことを知っていること自体は驚くに値しない。

 

「しかしの、あれはその危険性を無視できるほどの魅力があった。恐らくは祝に教えを授けたワシ以外の師も同じものを感じたはずじゃ」

「魅力、ですか?」

「そうじゃのぉ……例えるのなら、あれは“妖刀”じゃ」

 

 南郷は今でも思い出せる。

 祝に宿る美しくも妖しい輝き。

 もちろん刀としてはまだまだ未完成に過ぎない。しかしこれを鍛錬し、研ぎ上げたならば、その先にとんでもない妖刀が生まれると確信できるほどの禍々しさを祝は放っていた。

 

 ――惜しい。ここで彼女を追い返すのが惜しくて堪らない。

 

 あらゆる武術や技術を吸収し、それを血肉として成長し、将来的に完成されるだろうこの妖刀。

 その血肉の中に自分の“技”が加わったのならば……

 

「ワシの技はどうなってしまうのじゃろう。どれほどの怪物がこの世に生まれてしまうのじゃろう。……その時はそう思ってしまった」

 

 自分が抱く感情が尋常なものではないということはわかっている。それでも南郷の中にいる“武術家”はどうしようもなくそれに惹かれた。

 自分の技術がどう昇華され、どう進化することができるのか。それが気にならない武術家は真の武術家ではない。少なくとも剣に人生を捧げてきた南郷にとって、それを見逃すことは自分の剣の発展を捨てるも同然。

 祝が怪物として完成された頃には自分も生きていないかもしれないが、()()()()()()()()()()()()。問題は自分の技がより高みへ昇れるかどうかだ。

 

「将来に祝が多くの人間の血を流すことになろうということはわかっておった。きっと最善は、今からでも祝の手足を斬り落としてしまうことなのじゃろう……いや、あるいはここで命を絶ってしまうのが世のためなのかもしれんな」

「……ッ!? 先生、それは……」

「極論なのはわかっておるよ、黒乃くん。しかしの、ワシはあの子に教えを授けることは出来ても導くことは最後までできんかった。ワシも祝の危険な光に惹かれた一人であったが故に。だからワシが取れる選択肢は、斬るか眺めるかしかないのじゃ」

 

 そして何よりも南郷が自嘲してしまうのは、自分が祝の師であったことに何一つ悔いがないということだった。

 むしろ祝をさらなる妖刀として仕上げるため、心の奥底ではもっと自分の技術を授けたいと思ってすらいる。どこまで行こうとも、自分も人の道を外れた人斬りの一人でしかないということだ。

 

「黒乃くん、君は祝に惹かれてはならんぞ。人の道を逸脱した者に、真に人を説くことは出来ぬものじゃ。君が祝のことを教え導きたいと願っているのなら、君は最後まで人の側からあの子を引っ張り続けねばならん」

「……はい」

 

 神妙に頷く黒乃に、南郷は満足げに笑った。

 もっとも、南郷は元々それほど黒乃のことを心配してはいない。彼女は元々KOKで寧音の前に三位の地位であった騎士。そして伐刀者としてのさらに高みにある《魔人(デスペラート)》の領域にあえて踏み込まなかった女性だ。己の強さへの追求を、生まれてくる我が子や愛する旦那のために断念できる強さを持つ“人”だ。

 祝を人の道に戻そうとするのならば、彼女以上の適任者はいないだろう。

 

(……まぁ、祝が今更人の道に戻る姿もワシには想像できんがの)

 

 誰よりも大鎌を愛し、そのためならば文字通り何でもしてみせる祝。

 自分の弟子として剣を振るう彼女の瞳には、いつも剣士に教えを乞うことへの屈辱感が溢れていた。長い歴史と多くの先人によって洗練された技術への敗北感に塗れていた。

 しかしそれを凌駕するほどに大鎌への愛があった。大鎌のために屈辱を飲み干し、敗北感を噛み締め、そこで得た経験の全てを大鎌に捧げようという怪物的な覚悟と信念があった。

 誰よりも剣の声を聞き、師である自分の教えを貪欲に吸収するその姿は理想の剣士として多くの人々に受け止められていたほどだ。その本心が大鎌への愛から来る献身であったということは、愛弟子である寧音にすら最後まで見抜けなかったと言えば相当なものだろう。

 

(しかしその姿勢に惹かれ、修羅の道へと引き摺り込まれてしまった者もきっとおるのじゃろう。あの子の光はちと強烈に過ぎる)

 

 人は何かを強く求めすぎた時、修羅道への(いざな)いを受けることとなる。

 しかしその先には自分以外の何もない、暗闇の世界を死ぬまで歩き続ける未来が待っているのだ。

 祝はそこに人を引き摺り込む天性の魅力を持っている。その鮮烈な生き方が何よりも愉悦と享楽に溢れていると思い込ませる美しさを放っている。人の道よりも、修羅道の方が求道者として正しい道なのだと信じさせてしまう力に満ちている。

 もしも自分の意思によるものではなく彼女の光に惹かれたがために修羅道を歩んでしまった者がいるのならば――その者は地獄を見ることになるだろう。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 吹き荒ぶ吹雪の中、まるで夜の闇を凝縮したかのように真っ黒な少女が目の前に佇んでいた。

 ぼやける視界の中、その少女だけをハッキリと一輝の焦点が捉えている。闇より暗い深淵のような瞳に、しかし一輝の胸の内に不思議と恐怖が湧き上がることはなかった。いや、もはやその気力すらも残されていなかったのかもしれない。

 まるで天使のように穏やかな笑顔を見せる祝は、世間話でもするかのような軽い声音で語り続ける。

 

『認められることってそんなに大事なことですかね?』

「な、何を……」

『さっきから黒鉄は他人の望みとか期待とかばっかり。自尊心と満足感が得られるならばそれでもいいじゃないですか。貴方の夢は“才能を超えて自分の価値を信じ抜くこと”でしょう? 勝利を通じて理不尽を覆すことさえできれば全て解決じゃないんですか? 夢に近づいて、しかも自尊心が満たされて満足感まで得られる。これの何が悪いんですか?』

「それは……」

 

 空気を吐き出す肺が与える痛みも忘れ、一輝は祝へ思わず掠れた声を漏らしていた。

 一輝の中の何かが「耳を貸すな」と叫んでいる。しかしその警鐘に反し、一輝の目と耳は祝に釘付けにされていた。

 

『黒鉄は、実はもう自分がそこそこ強いことを自覚しているでしょう? その“強さ”と、夢を叶えようという“意思”さえあれば闘いは成立するんです。……ほら、この闘いに他人の不幸や期待が入り込む余地がどこにあるんですか? 闘いを諦めるのはまだ早すぎですよ』

「…………」

 

 確かに、その通りだった。

 他ならぬ一輝自身が厳に言ったことではないか。自分は強くなった、もう昔の自分ではないと。

 自分でその自覚がある以上、もはや一輝の目的である『才能がなくとも自分の価値を諦める必要はない』という夢への道は堅実に築かれているではないか。後はその夢をより確かにするため、七星剣王を始めとした実績を積み重ねていくというだけの話だ。

 

(…………あれ?)

 

 ふと一輝の脳裏に疑問が浮かぶ。

 どうして自分はここまで心を騒めかせていたのだろう。なぜ父親に期待されていなかったことでショックを受けていたのだろう。なぜ背負うものの有無などに心を乱していたのだろう。

 一輝の夢の前では厳を始めとした他人からの承認など、実はどうでもよい(・・・・・・)ことだったのではないか?

 

『余計なことに気を取られていませんか? 貴方がこれまでに積み重ねてきた“武”と“信念”――それさえあれば黒鉄は夢を遂げられるはず。そこにお父様や誰かの期待は必要ですか?』

「…………ぁ」

 

 そうだ。そうではないか。

 一輝の根源は嘗ての龍馬の言葉。そして自分と同じように才能の壁によって道を阻まれてしまった人々の背中を押すこと。

 その道の中に厳は本当に必要だろうか。刀華の敗北によって気を落とすであろう施設の子供たちを気遣う必要性が存在するだろうか。

 

 

 いいや、必要なのは自分の信念と覚悟、そしてそれを成す強さだけのはずだ。

 

 

 一輝が他人に求めるのは、自分が示した『才能という理不尽の打倒』という結果に首肯することだけだ。そして首肯しないというのならば、全身全霊をかけて首肯させてみせよう。破軍学園で一輝が勝ち残り、ペテンや八百長を疑う輩を黙らせたのと同じように。

 

『夢を叶える――それは“捨てる”ことです。余計な夢を削ぎ落とし、邪念を追い払い、見出した究極の一を極限まで追い求める。それこそが夢を目指すということですよ』

 

 ――即ち“求道”である。

 夢を見るだけに終わらず、叶えようともがく行為である。

 つまり祝はこう言っているのだ。夢だけを追求するために、父親や周囲から期待や称賛を受けたいと願うことを辞めろと。他者の言葉に一喜一憂する全ての感情を邪念として切り捨て、求道に徹する真の修羅になれと。

 

「…………あぁ、それは……」

 

 きっと途轍もなく気持ちの良いことなのだろう。全身の重りを脱ぎ去ったような解放感に身を浸すことができるのだろう。求めるものをなくしてしまえば裏切られることも絶望することもないのだから。

 自分の欲望や願望のためだけに全てを費やし、他の一切を全て無価値の存在に変える。それを痩せ我慢でも強がりでもなく、心底からそれを行えてしまう者――それこそが本物の修羅だったのだ。

 

『貴方は必要のないものに惑わされ、真の目的を見失おうとしています。二兎を追う者は一兎をも得ず――求める一兎のためならば他の兎を不要と断じることができる迷いなき心。それが黒鉄が持つべき心構えだったんですよ』

 

 一輝が求める一兎。

 それは龍馬に与えられた夢。

 ならばその夢を手にするため、認めてほしいと求める願望は捨て去るべき邪念でしかない。他者の幸福を慮る心など雑念だ。

 もちろん邪念や雑念に耳を貸すことは絶対的な悪ではない。しかし本望と比較するべき場に立ったのならば、迷うことなく切り捨てなければならない。夢のためならば喜んで何でもしなければならない。

 それが修羅。それが求道。

 一輝は自覚する。

 自分は今、人と修羅の分岐点にいるのだと。

 

「……闘えっていうのか……君は僕にまだ闘えと、そう言うのか……?」

『いえいえ~、もちろんここで倒れ伏すのも構いませんよ? しかしその理由は明確にしてください』

「理由……?」

『黒鉄がここで足を止める理由です。それは今後も夢に生きるための戦略的な休息ですか? それとも夢に敗れて絶望した末の挫折ですか? ……ああ、勝機があるのならもちろんさっさと起きて東堂さんを斃しに行くのがベストですけど』

 

 突き付けられた選択肢に、一輝は「何だそれ」と薄く苦笑する。やはり行き着く先が地獄なのは変わらないではないか。

 修羅道を進めば終わりも後もない断崖絶壁を登るだけの道が待ち受け、夢を諦めれば虚ろな下り坂が待ってる。現状維持は許さないと言わんばかりの究極の二択。

 しかし先延ばしにはできない問だった。

 どういう結末を迎えるかではない。どの結末を目指すのかを今は問われている。修羅へと昇るか、凡夫へと堕ちるか。それこそが祝の問い。

 

「ここで全てを捨ててしまえば……」

 

 きっと一輝はもう戻れなくなる。

 努力で才能という壁を乗り越えるため、あらゆる迷いを断ち切ることができるようになれるかもしれない。

 あれほど焦がれた父との絆に苦しめられることもきっとなくなるだろう。

 それどころか、きっと今まで辿り着くことができなかった“強さ”の境地への最短ルートを歩き出すことができるかもしれない。

 

(ああ、そうしたら……あの約束(・・・・)にも意味を見出せなくなってしまうのかな……)

 

 それは唐突に浮かび上がった疑問だった。

 一輝自身にも意味はわからない。

 何のことなのかを思い出そうにも、記憶に靄がかかったように捉えることができない。

 しかし……

 

(…………約束?)

 

 何の変哲もない、たった一つの『約束』という単語。

 その言葉を思い出した途端、一輝の心に赤い炎が灯る。

 

 

 

「ぅっ、ぁぁぁああああああああああああッッ!!」

 

 

 

 その時、掠れた雄叫びをあげながら一輝の意識が覚醒する。

 四肢の筋肉と骨を総動員し、残された体力と気力を振り絞って起き上がる。

 

(何か……僕は何かの約束をしていたはずなんだ……)

 

 一歩を踏み出す。

 その動作だけで全身が軋み、脳が嘗てないほどの痛みを受信する。吐き気が止まらない。真っ直ぐ歩くこともできない。呼吸すらも満足に行えない。

 それでも一輝の魂は身体に命じ続ける――進めと。

 

『おっ、勝機ありと睨んでの前進ですか? それとも敗けるための自滅特攻ですか?』

 

 一輝の視界が目まぐるしく転じ続ける。

 駅から学園までの道を歩いていたかと思えば、気が付けば先程の吹雪の森に戻っている。かと思えば記憶にある黒鉄家の本邸の庭を歩いており、幼い姿の自分と珠雫が笑顔で燥いでいた。しかし次の瞬間には嘗て道場破りに赴いた道場への道を歩いており、瞬きをすれば既に見慣れた破軍学園の廊下を進んでいる。

 変わらないのは隣を暢気に歩き続ける祝だけだ。

 

(どこまで付いてくるんだろう、彼女は)

『黒鉄の答えを聞くまでですよ。まだ貴方は答えを出していませんからね。ただ我武者羅に進んでいるだけです』

 

 口を開いてすらいない一輝に祝が答える。

 しかし全ての力を振り絞って歩き続ける一輝には、そのことに違和感を覚える余裕すらない。

 

『さっきから景色がクルクル変わって忙しいですね。これが巷で聞く「走馬燈」というヤツですか。こんなものを見るほど死に瀕していながら進み続けるとは……それはそこまで重要な“約束”なんですか?』

 

 それは一輝にもわからなかった。

 しかしそれでも魂が叫ぶのだ。諦めるな、歩き続けろと。

 心に灯った赤い炎が魂を奮い立たせる。奮い立った魂が肉体を動かし、限界を超えて足を前へ前へと運び続けている。

 ならばその約束は何にも代えがたく、何よりも大切なものだったのだろう。

 

『だ――、こう。――。騎――高――』

 

 ……ああ、何かが遠くに見える。

 遥か彼方に、確かにそれはある。この胸に灯った赤い炎と同じ、鮮やかな真紅に染まる長い髪。

 しかしそれを遮るように一輝の前に祝が回り込む。

 

『も~、また邪念に囚われる~。約束だか何だか知りませんけど、それに気を取られることで限りのある人生が無駄になりますよ。また勝手に期待して、それで裏切られるんじゃないですか?』

 

(……邪念なんかじゃ……ない)

 

『いいえ、邪念です。黒鉄は約束とやらを理由に決断から逃げているだけですよ。どちらも選べば後に引けないから、あえて選択を保留しているだけです』

 

(捨てることなんてできない……!)

 

『貴方の夢は、あれもこれもと手を伸ばして叶えられるほど易い夢なんですか? 才能の壁を覆すなんて、それこそ生涯を懸けて行う偉業だとわかっているはずです。貴方には余所見をしながらでもそれができると?』

 

(それでも……)

 

 祝の言葉は全て正論だ。何一つ間違っていない。

 しかし一輝には修羅の道を選ぶことがどうしてもできなかった。霞の奥に隠れたその約束の残滓、それから目を逸らすことだけはできなかった。

 

『自分の手に負えない偉業を成すためなら、人は修羅になるしかない。だから貴方は伐刀絶技に《一刀修羅》と名付けた。だというのに、ここに来て何とかなるとでも思い上がりましたか?』

 

 そうだ、祝の言う通りだ。

 身に余る偉業を成そうと足掻き、その末に修羅になるしかないと理解していたはずだった。そのための《一刀修羅》――勝利のために全てを費やす自分の最強魔術だ。

 確かに自分にはそれしかないと、そう思っていた。

 

「それでもッ……!」

 

 それでも捨てられないものが一輝にはできてしまった。

 守らなければ……いや、守りたいと思える約束ができてしまった。

 

『だから行こう。二人で。騎士の高みへ』

 

 そうだ。自分はそう約束したはずだ。あの赤い後ろ姿の彼女(・・)と、そう約束したはずだ。

 呆れる祝を押し退け、一輝は足を引き摺ってでも歩き続ける。

 きっと祝はそれを愚かと断じるだろう。修羅になりきれない半端者だと嘲笑するだろう。

 

「それ、でもッ……!」

 

 抗い続けろ――魂がそう叫んでいる。

 一輝の中の譲れない根幹が、その感情を捨てることだけは許さないと頑なに拒んでいる。

 なぜその約束にここまで魂が惹かれてしまうのか。それは一輝自身にもわからない。しかしあるいは、それこそが一輝にとっての新たな“剣を取る理由”であるからなのかもしれなかった。

 生涯をかけるほどの長大な夢ではない。その約束の相手に裏切られるかもしれない。それでも一輝にとって間違いないことは、その約束には命を懸けられると思えるほどの強い“願い”が込められているということだ。

 

「あ、ああああッ!」

 

 掠れた雄叫びを吐き出し一輝は進み続ける。

 歩いて、歩いて、限界を超えて歩き続ける。

 やがて目は見えなくなり、耳は聞こえなくなり、もはや意識すらも飛び、それでも歩き続け……

 

「お兄様!」

 

 そして柔らかい何かに受け止められたことで一輝の意識が戻る。

 自分を抱き止めるのは見慣れた銀髪の少女――珠雫だった。

 泣き腫らした瞳で自分を見上げる珠雫。そして彼女から視線を外し、前方を見据えたことでようやく一輝は自分が今どこにいるのかを知った。

 

(帰ってきたんだ……)

 

 破軍学園。駅から坂を上ったその先にある校門の前。

 気が付けば一輝はそこで佇んでいた。長い道程を踏破し、一輝は遂に破軍学園へ辿り着いたのだ。

 

「お帰りなさい、お兄様」

 

 一輝の胸元に顔を埋める珠雫は、震えを押し殺すように強く一輝を抱き止める。

 

「……私、ずっと考えていたんです。お兄様は充分に頑張った。だからこれ以上傷ついてほしくないと。これからはずっと私がお兄様を守るから、だからもう休んでほしいと」

「珠雫……」

 

 疲れ果てた一輝の耳に、珠雫の澄んだ声が染み渡る。

 本心から語っているのであろう珠雫の言葉に、しかし一輝は頷くことができない。なぜなら一輝の魂はまだ立ち止まることを許してくれないから。

 

「でも、私にはできませんでした。本当ならお兄様の意思を無視してでも引き留めるべきだってわかっているのに……でもこの学園にいる時のお兄様は、黒鉄の家にいた時と違って心の底から笑っていたから」

 

 一輝の家族として、そして彼を愛する一人の女として、ここで一輝の道を阻むべきだということはわかっている。

 しかし一輝の身を案じる一方、ここまで足掻いてでもこの場所を守りたいという一輝の意志を潰えさせることも、また珠雫にはできないことだった。

 だから珠雫は決めた。もしも一輝が諦めることなく学園に辿り着き、まだ闘う意思を示しているというのなら……

 

「その時は、精一杯のエールで見送ろうって。頑張れって言いながら背中を押そうって」

「……!」

 

 頑張れ――珠雫が口にした言葉に、一輝は電撃に打たれたかのような衝撃を受けた。

 それは激励。一輝が求めて止まなかったもの。

 そしてその激励と共に、一輝の耳は信じられないものを次々と受け取っていく。

 

「先輩、頑張ってー!」

「もう一踏ん張りだッ、諦めるなー!」

「黒鉄くん、会場まであと少しだよー!」

「もう時間がないぞ! 急いでくれー!」

 

 霞む目を凝らせば、まるで自分を迎えるかのように何人もの生徒たちが校門で声を張り上げていた。

 いや、ように(・・・)ではない。彼らは全員、一輝が戻ってくることを信じてここで待っていたのだ。疲れ果てているだろう一輝にエールを贈ろうと、ここでずっと一輝が現れるのを待ち続けていたのだ。

 彼らの顔には見覚えがあった。

 ある人は選抜戦の過程で一輝と闘った生徒だ。ある人はクラスメイトで、ある人は一輝に剣の教えを乞うてきた生徒。よくみれば去年、一輝の留年に反対してくれた教師たちもいる。

 全員が一輝と何らかの繋がりを持つ人々。

 

「これ、は……」

 

 彼らの激励に一輝は愕然とする。

 誰にも期待されず、見向きもされず、ずっと独りで闘い続けてきた――そう思っていた。

 

「は、はは……」

 

 笑みが止まらない。

 霞んでいた視界は焦点を結び、意識がこれまで以上に覚醒する。四肢の末端にまで血が巡るのを感じ、全身から力が漲ってくる。

 

「……僕は大馬鹿者だ」

 

 自分はもう独りなどではなかった。

 この学園に来て、辛いことも沢山あった。周囲が敵だらけに見えることもあった。

 しかし自分の努力と信念は確かに人々へ届き、その背中を押してくれる人たちがいたのだということにようやく気付かされた。

 いや、本当は既に気付いていたのかもしれない。

 だがこの極限の状況に追い込まれることで、一輝は改めてどれほどの人が自分に思いを託してくれていたのかという事実をより噛み締めることとなった。

 そして――

 

「イッキッッ!」

 

 人垣の奥から響くその声に一団が割れる。

 そこには荒い息を吐きながら代表選抜戦を征した証であるメダルを掲げたステラがいた。

 

「アタシは“約束”通り、七星剣武祭の代表になったわッ!」

 

 常識的に考えれば彼女はまだ試合中のはずだ。一輝が試合に遅刻していることを加味しても、まだステラの試合の開始時刻から数分しか経っていない。

 だが、ここにいるということは彼女はやり遂げたのだろう。そして彼女もまた一輝を激励するために急いで駆けつけてきてくれたのだ。

 

「だからイッキも勝って! そして二人で行きましょう! 騎士の高みへ!」

 

 胸に灯った赤い炎が燃える。

 身体は相変わらずボロボロだ。熱は酷く、関節や筋肉が軋みを上げる。吐き気は収まらず、息すらもまともに吸うことができない。きっと眠ったが最後、数日は目を覚ますこともできないほどに疲弊している。

 

 

 しかし今の一輝は、嘗てないほどに自分が最強であることを確信していた。

 

 

 もう二度と、自分の剣を軽いなどと言うことはできない。

 なぜならば自分の剣は、ここにいる全ての人々の思いを乗せた剣なのだから。

 だからもう迷わない。諦めない。自分の歩んできた道が無意味で無価値だったなどと誰にも言わせない。例えそれが父親であったとしても。

 

「じゃあ、珠雫。それに皆――」

 

 行ってくるよ、そう言おうとして一輝は思い留まった。周囲が訝しむ中、一輝は来た道へと振り返る。

 そこには舗装された道路ではなく、一輝の記憶に眠る吹雪の森があった。その中で祝が独り佇み、ジッとこちらを見つめている。

 珠雫たちが自分を迎えてくれたのとは対照的に、彼女の周りには誰もいない。何も聞こえない。ただ寒く、暗い森だけが奥へと続いていた。

 

(……そうか、それが修羅道か)

 

 確かに修羅道(そちら)へ行けば、もう父の影に怯えることもなくなるのだろう。剣を取る意味に苦悩することもなくなるはずだ。夢を追うことに没頭し、余計なことを考える必要もなくなる。

 

 だが、それしかないのだ。

 

 人と人が触れ合うことの温もりを思い知らされた一輝はようやくわかった。自分があの道を選べなかったのは、皆の声が引き留めてくれていたからだと。

 きっとあの道を踏み出せば、この温もりすらも理解できなくなってしまうのだろう。ステラと誓った約束にすら価値を感じることができなくなってしまうに違いない。きっと今になって理解できた自分の剣の重さすらもなくなってしまう。

 それはできない。確かに夢は捨てられないが、彼らの思いを捨て去ることもできない。そして半端に終わらせるつもりもない。全てを背負ったまま進み続けてみせる。

 

(だから、修羅道(そっち)へは行けない。僕は人としてこの“騎士道”を貫く)

『そうですか、残念』

 

 これが疲労感と弱った心が見せた幻覚だということはもうわかっている。一輝の心の弱さが見せた修羅道への憧憬が、祝の形を取って語りかけていただけだということもわかっている。

 それでも一輝は振り返り、己の弱さの象徴である祝へと答えを告げた。

 そして一輝が瞬きをした瞬間、吹雪の森は消え去っていた。

 もう空気を裂くような寒さは感じない。それを見届けると、一輝は再び学園へと向き直った。

 

「行ってくる」

 

 

 




戴いたイラストです。
前回の投稿から今日までの間に三つも戴いてしまいました。御三方、本当にありがとうございます。

前回に引き続き、楔石焼きさんより

【挿絵表示】



b-kenさんより

【挿絵表示】



renDKさんより

【挿絵表示】



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阿修羅すら凌駕する存在だッ!

毎度ながら感想や誤字脱字報告ありがとうございます!
2018年4月、原作の設定から一輝の魔力制御の内容を少し改訂させて戴きました。


 アナウンスが流れ、黒乃たちは一輝が無事に会場へ到着したことを知った。

 その事実に黒乃と寧音は得意げに口元を歪め、後方に座る赤座を肩口に見やる。一方、赤座は今にも舌打ちせんばかりに眦を吊り上げ、黒乃たちに向けて鼻を鳴らした。

 

(死に損ないがッ、往生際の悪い……!)

 

 心底、赤座には一輝のことが理解できない。

 一輝を散々虐め抜いてきた赤座にはわかっている。既に一輝は虫の息のはずだ。

 だというのに近接戦(クロスレンジ)において最強クラスの実力者である《雷切》に挑もうなど、どう考えても自殺行為でしかない。

 それでも一輝は諦めなかったというのか。

 だとすれば彼は赤座が知る人間の中でも最高の大馬鹿だ。身の程どころか、常識すらも知らないのだろうか。

 

(……まぁ、ノコノコ出てきたところでトドメは《雷切》がキッチリと刺してくれるでしょうからねぇ。焦る必要はありません)

 

 大きく息を吐き、赤座は再び余裕の笑みを浮かべる。

 元々これは嫌がらせの一環でしかない。本命は《雷切》なのだ。この苛立ちは彼女によって晴らしてもらうとしよう。

 

『えーご来場の皆様方、長らくお待たせ致しました! これより七星剣武祭代表選抜戦を開始します!』

 

 実況の少女の声が響き渡る。

 それに呼応し、会場全体が一斉に歓声に包まれた。あらゆる席から刀華の名前と二つ名を応援する声が轟き、それに混じり一輝への歓声も叫ばれている。

 まずリングに姿を現したのは刀華だった。

 全身から静かに闘気を滲ませる彼女は、まるで刃のように鋭い視線を前方のゲートへと向けている。当然ながら眼鏡はかけておらず、その佇まいには油断も隙もありはしない。

 一輝が査問会で心身共に痛めつけられていたことは彼女も知っているはずだというのに、彼女は微塵も戦闘態勢を崩してはいなかった。それどころかこれまで以上に殺気を練り上げ、見る者に息を呑ませるほどの凄みを感じさせている。

 

「はぁ〜、流石はとーかさね。黒坊がどんな状況なのかは聞いているだろうに、毛ほどの油断すらもしちゃいない」

「当然だ。例え相手が死に体だろうと東堂は気を緩める騎士ではない。むしろ背水の陣を警戒し、普段以上にコンディションを整えてきているはずだ」

「ひょっひょっひょ、凄いじゃろ? あれ、ワシの弟子なんじゃよ」

「知っとるわ!」

 

 南郷たちが燥ぐ一方、実況のアナウンスは進み続ける。

 刀華の紹介を一通り終えると、やがて焦らすかのように悠然と一輝の名前を呼んだ。一斉にゲートへと会場中の視線が集まり、そしてゆっくりと一輝がその姿を現す。

 その姿は非常に痛ましいものだった。

 顔は蒼白に染まり、歩き方からは疲労感が滲み出ている。額からは闘う前だというのに汗が零れ落ち、どう言い表しても半死半生の状態だ。

 

 

 しかし誰一人として、一輝が弱々しいという印象を抱くことはなかった。

 

 

 その姿がゲートから現れた瞬間、刀華が充満させる殺気を押し戻すほどの闘気が出現したのだ。

 空気すらも押し退けていると錯覚するほどのその闘気。それは首元を物理的に抑え付けられたかと客席の人々が感じるほどだった。

 一輝の入場と同時に、刹那の間とはいえ一斉に会場は沈黙の底に沈められる。その一歩を進める度に、まるで巨人が地面を踏み鳴らしているのかと錯覚するほどの威圧感が会場に響いている。

 

「……ほう、あれが黒鉄の。なんと澄んだ闘気じゃ。あの若さでこれほどの領域に至るか」

「おいおいおい、何だか少し見ない間に随分と逞しい面ァするようになったじゃないか」

 

 感心したように一輝を見下ろす南郷。

 その成長ぶりに、獲物を見つけた獣のような苛烈な笑みを浮かべる寧音。

 そしてその変容に、祝すらも穏やかな笑顔を浮かべつつ目を細めて一輝へと視線を注いでいた。

 

「黒鉄、お前は本当に……」

 

 黒乃は誇らしさから来る笑みを抑えることができない。

 これが半死半生の病人の姿だというのか。いや、体調が悪いことは異様な汗と滲み出る疲労感から間違いない。だというのに一輝のこの凄まじい闘気は何だ。

 考えるまでもない。

 これは一輝の覚悟だ。万全とは口が裂けても言えない状況に陥りながらも決して逃げず、誇り高く騎士として闘おうという信念の顕れだ。

 

「……南郷先生、凄いでしょう? あれが私の生徒ですよ」

 

 つい、そんな軽口を囀ってみる。

 しかし例え冗句であろうと、その事実が黒乃には誇らしくて堪らなかった。

 背後で愕然とする赤座などもはや目にも入らない。

 

「な……何だあれ」

「上手く言えないけど……何というか圧倒される感じ……」

「怖いとかじゃなくて単純に凄いっていうか……」

 

 会場が騒めく。

 今までにない一輝のその雰囲気に一同は困惑する。しかしその困惑は徐々に熱気へと転じ、先程の刀華への声援に負けないほどの一輝への応援が会場に轟いていった。

 ほぼ刀華一色と言っても過言ではなかった会場の声援が、遂に互角まで並んだ。

 一輝のその洗練された闘気に触発され、日夜騒がれるスキャンダルの悪評がこの僅かな時間の間に洗い流されたのだ。それはたった一時(ひととき)の幻想なのかもしれない。しかしこの場の観客たちは、一輝の背後にある黒い噂をこの一時の間だけ確かに忘れさせられていた。

 

「大した小僧じゃ。大抵の騎士は強敵との闘いに臨む際、敵と己が死ぬことの覚悟を抱いているものじゃが……あの小僧はそれだけではない。討ち死にすることの覚悟と同時に“生き残る覚悟”も持ち合わせておる」

 

 闘って死ぬ、その覚悟を決めることは実は案外難しいことではない。死の淵に追い詰められた時、意外にも多くの者がそこで死ぬことをストンと納得してしまうものなのだ。

 しかし一輝は違う。どれだけ絶望的な状況でありながらも、そこから生還することを全く諦めていない。

 

 ここで命を捨ててでも勝つ。そのためならば死んでも惜しくはない。――それでも生きることを諦めない。

 

 この二つの覚悟を同時に持ち続けることが、実は闘いで最も難しいことなのだ。

 命を惜しまず、されど死なず。

 命を懸けるが華と嘯く輩では到底たどり着けない、真の戦人だけが至る境地。生と死を矛盾することなく望むその覚悟。

 こうなった者は強い。南郷の経験上、これが敵に回れば理屈を超えて手強い。こちらが予想もできない狂気の沙汰を平気で仕出かし、常識を嘲笑うかのように勝利を掻っ攫っていく。

 

「だ、だから何だと言うのですかッ! 《雷切》が有利であることに変わりはないんだ!」

 

 不安を振り払うかのように赤座が喚く。

 確かにその言葉は正しい。いくら一輝の気力が充実していようと体調面から来るハンディキャップは覆らないのだ。思いだけで勝利を得ることはできない。結局最後にものを言うのは強さ。ならばここで《雷切》が敗ける道理はない。

 

「黒乃くんはこの試合をどう見る?」

「客観的に見るのなら、確かに赤座委員長の言うように黒鉄が明らかに不利です。しかし黒鉄も《雷切》の対処の仕方は理解しているはず。そこを狙って持久戦に持ち込めば、あるいは……」

 

 超電磁抜刀術《雷切》――刀華の二つ名とまでなったその伐刀絶技は、鞘を砲身(バレル)として刀という弾丸を撃ち出すレールガンだ。

 しかしどれほどの加速力と運動エネルギーを持ち合わせていようと所詮は抜刀術。刀が鞘に収まっていなければこの伐刀絶技は使用できない。そこに勝機がある。

 

「とーかに《雷切》を空撃ちさせて、その隙に斬り伏せようって寸法か」

「黒鉄には遠距離(ロングレンジ)の攻撃手段がない。そしてお互いに得物が刀である以上、間合いの差で勝負することもできん。これが最善の策だろう」

「なるほど、黒乃くんはそう見るか。……ならば祝、お主はどうじゃ?」

 

 南郷の視線が、赤座の隣で静かに微笑む祝へと向けられる。

 そして祝は一瞬の間を置くこともなく即答した。

 

「死中に活あり――開幕速攻の一撃必殺です」

「元とはいえ流石は我が弟子。ワシも同じ見立てじゃよ」

 

 ニヤリと南郷が笑った。

 もちろん祝のこの答えは原作知識を知るが故のカンニングだ。原作において一輝は、ここで《一刀羅刹》という超短期決戦用魔術を用いて刀華を打倒している。《一刀修羅》で引き出せる力を一撃で使い切るというその乾坤一擲の魔術を用いこの勝負を制したのだ。

 しかし原作知識だけでなく、疲労困憊の一輝に持久戦など愚策でしかないという冷静な分析も祝にはあった。

 またここでその愚策を取れば、刀華は遠慮なく遠距離から電撃を雨霰と叩き込んで勝利することだろうということも容易に予測できた。

 故に一輝が取れる手段は開幕速攻。

 例え不利であろうと一撃必殺という土俵に刀華を引き摺り込み、その一撃の交叉で決着をつける以外に勝機はない。

 

「正気か!? 《雷切》は文字通り雷すら斬れるという神速の抜刀術だぞ! どう考えても黒鉄が先に斬り伏せられて終わりだ」

「相打ち覚悟で挑めば割と何とかなるのでは? 持久戦にしても開幕速攻にしても、どちらも勝機が薄いのならばハイリスクハイリターンを手に取る方が上策だと思います。――少なくとも私ならばそうする」

 

 シレッと言い放つ祝だが、歴戦の騎士である黒乃はそれに黙らざるを得ない。

 祝の言葉に間違いはないためだ。

 一輝が取れる手段はあまりにも少ない。ならば祝が言うように、ここは命を賭け金にしてでも勝利を得ようとするべき場面だ。

 理解はできるが納得はできない。そんな苦渋の決断に揺れる黒乃に、祝は安心させるかのように緊張感をまるで感じさせない声音で語った。

 

「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ、先生。敗けても所詮は死ぬだけです」

 

 当然だが、黒乃には何が大丈夫なのかサッパリわからなかった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「試合の前に、まず私は貴方に謝らなければいけません」

 

 リングの中央で向かい合うなり、刀華は一輝へと言い放つ。

 何のことなのかと一輝は首を傾げた。

 

「この試合、満身創痍の黒鉄くんと闘うことになると私は知っていました。だからこんな公平(フェア)じゃない試合なんてする価値があるのかと悩んですらいました。……でも、貴方は来た。ボロボロになろうと、勝利するためにこの舞台に上がってきた。私の悩みは貴方のその決断を愚弄する行為です。申し訳ありません」

 

 謝罪の言葉と同時に、刀華は深く頭を下げた。

 その意外な行動に客席はどよめくが、一輝としては「そんなことか」と拍子抜けさせられた。

 

「気にする必要はありませんよ。こんな明らかに仕組まれた試合ならば誰だって――」

「いえ、それだけじゃないんです」

 

 一輝の言葉を遮り、刀華が頭を上げる。

 その表情は先程の申し訳なさに溢れたものとは一変していた。そこにあったのは、普段の彼女が見せぬ戦闘狂としての凄烈な笑み。

 全身から紫電を放ち、その手の中に霊装《鳴神》を顕現させた彼女は高らかに謳いあげる。

 

「公平じゃない試合だということがわかっているというのに……私は貴方と闘えることが嬉しくて仕方がないッ! 貴方を斬り伏せ、さらなる高みへと昇れることに心が躍ってしまうんです!」

 

 平時の彼女が見せることのないその表情。

 しかし一輝は恐れ戦く様子など微塵も見せず、まるで凪のように静かな面持ちで《陰鉄》を抜き放った。

 

「それは僕も同じですよ。音に聞く《雷切》と全力で闘えるのなら身に余る光栄です。そしてこの剣に思いを託してくれた人たちのためにも、僕は誰に恥じることもない全力でそれに応えます」

 

 思いを託してくれた人たち――その言葉が口から放たれた瞬間、一輝の脳裏に先程の校門の光景が浮かび上がる。

 一輝を待ち続けてくれた人たちの顔が鮮明に思い出せる。中には名前を知らない生徒もいた。しかしその名がわからなかろうと、彼らの一人一人の声援が一輝に力をくれる。《陰鉄》を研ぎ澄まし、嘗てないほどの活力が湧いてくる。

 その全てを言葉に載せて、一輝は《陰鉄》の切っ先を刀華へと向けた。

 

 

「僕の最弱(さいきょう)を以て、貴女の不敗(さいきょう)を打ち破る」

 

 

 ただ勝利を。

 その一念が込められた宣言に、刀華も同じく勝利への渇望を込めて言い放った。

 

「望むところッ!」

 

 まさに選抜戦最後の闘いが始まろうとしていた。

 実況のアナウンスも、歓声も、もはや二人の耳には入らない。見据えるのは目の前の敵だけ。ただ闘志だけを見の内に充満させる。

 そして……

 

『さあ、それでは選抜戦最終戦を開始いたします! 皆さん、どうかご唱和ください!

 ――LET's GO AHEAD!!』

 

 試合開始。

 その情報を知覚した瞬間、一輝は全ての力を解放していた。魔力、体力、気力――その全てを解き放ち、全能力を一刀に込める。

 一輝の唯一にして最強の魔術。

 その名は――

 

 

「《一刀修羅》ァッッ!!!!」

 

 

 裂帛の雄叫び。

 逆巻く魔力の燐光。

 爆発する剣気。

 その全てを纏い、一輝は閃光となった。

 あまりにも一輝らしくない、分析を放棄した力押しの戦法。奇しくも南郷と祝の予想通り、一輝は開幕速攻に全てを賭けてきた。

 しかしその選択を多くの人間は無謀と取る。

 体力や戦術の問題から勝負を仕掛けるしかなかった一輝に対し、刀華はその勝負を受ける必要などない。退いて攻撃を躱すなり、遠距離戦を仕掛けるなりといくらでも手札はある。

 だからこそ無謀。そこに勝機などない――かに思われた。

 

「――ッ」

 

 しかし大半の予想に反し、刀華は一歩も退く様子を見せない。

 それどころか抜刀の構えを取り、一輝を迎撃しようとするではないか。

 戦術的に考えればあり得ない行動。しかし刀華は迷うことなくその行動を取った――まさに一輝の予想通りに。

 

 一輝はこの勝負、刀華が間違いなく受けるということを確信していた。

 

 《雷切》は刀華が誇る最強にして無敵の伐刀絶技。

 ならばその技が支配する接近戦の領域へと敵が挑んできたというのに逃げるのは、彼女の誇りが許さない。自分の剣に絶対の自信があるからこそ彼女は退くわけにはいかない。

 ここで勝負に乗らないということは、即ち彼女の誇りを自ら傷つけることになるのだから。

 最強不敗を誇るからこその不退転。逃げ道を選ぶことは彼女の信念と誇りが許さない。いや、むしろ刀華の戦意は一輝の思惑を超え、そこで逃げ出して勝利したところでその勝利に価値などないと考えてすらいた。

 

 ――この間合いの“最強”は私だ! 私の領域なんだッ!

 

 交錯する刀華の瞳はそう語っていた。

 迎撃以外の戦術など微塵も選択する気がないことは一目瞭然。

 あるいはこれは、一輝が己の挑戦者としての立場すらも利用した小賢しい駆け引きに刀華が引っかかった末の愚かなミスと考えることもできるだろう。

 だが刀華からすればこの勝負を受けることに何ら支障はない。その小癪な策ごと、この《雷切》で斬り伏せてやろうという圧倒的な覚悟と自信が刀華にはあった。

 不敗(さいきょう)である刀華が相手だからこそ通じる策――それはここに成った。

 

(ならば後は死と生の狭間に“活”を見出すのみッ)

 

 一輝は最初からこの策を用いることを決めていた。

 それは勝機を見出すためだけではない。自分の剣が《雷切》に勝るということを証明したいという、まるで子供の我が儘のような理由だった。

 彼女の最強の武器を打倒してこそ本物の勝利なのだ。

 

(《雷切》を正面から打倒し、尚且つ勝利するための方法はこれしかない。……いや、これ以外の勝利を僕は望まないッ!)

 

 死中に活を見出し、それでも勝利と生存を諦めない一輝の策。

 だが、この策ではまだ足りない。

 この一刀で全てを決める。

 ならば残る全ての力を引き出す。

 しかし全てを費やし、ようやく一輝は《雷切》と互角でしかない。

 

(互角じゃ駄目だッ! 僕は“勝つ”んだ! 生きて、勝って、皆の思いを背負って、……そしてステラとの約束を果たす!)

 

 思い出せ。

 力が足りないのなら、速さが足りないのなら全てからそれを導き出せ。

 過去の経験と記憶から最適にして最強の自分を編み上げろ。この一刀に、自分がこれまで積み上げてきた全ての力を込めろ。

 刀華との接触まで残り0.5秒。

 ならば刹那の間に遡れ。自分が進んできた道は間違いなどではなかった。ならばその道の中に必ず勝利のためのヒントは隠されているはず。

 まるで流星のように一輝の視界を過去の記憶が掠め飛んでいく。あらゆる闘い、あらゆる日常、あらゆる過去の感情が一輝の後方へと流れていく。その全てを費やし、一輝の剣はさらに加速する。

 

 だが、まだだ。

 

 まだ《雷切》を超えられない。

 

 神速の抜刀術を上回るには程遠い。

 

 何か、何かあるはずだ。

 

 思い出せ。

 

 思い出せ。

 

 

(思い出せッ――!)

 

 

 

 

 

『不細工な伐刀絶技(ノウブルアーツ)ですね、それ』

 

 

 

 

 

 一輝の中で描かれる勝利。

 その最後の欠片(ピース)がカチリとハマる音がした。

 

(…………はは。何だ、そうじゃないか)

 

 その過去は、一輝にとって決して良い思い出ではなかった。

 素晴らしい闘いをした。凄まじい経験を積めた。その言葉で彩り、そればかりに目を向けていつしか忘れていた無念。拭い難い敗北の記憶。

 自分を修羅道へと誘い、道を踏み外す手前まで引き摺られた目が眩むほどの闇。

 決別したと思っていた。もうあそこへと迷い込むことはないと、そう勝手に思い込んでいた。

 

 

 だが、それもまた自分だ。

 

 

 祝の姿を借りて偽ることなど許されない。

 あれも一輝の心の一部なのだ。

 それを否定することなどできはしない。

 

(そうだ、僕自身が誓ったことじゃないか。『全てを背負ったまま進み続ける』って)

 

 ならばその弱さすらも背負ってみせろ。

 弱さ故に強さへと逃げるのではない。己の弱さすらも強さへ変えろ。恐怖も、不安も、絶望も、それすらも道を進む糧に変えろ。

 

 

 

 それらも余すことなく“黒鉄一輝”なのだから。

 

 

 

 変化は一瞬、されど明瞭。

 《雷切》の間合いに踏み込む瞬間、一輝の激変を強者たちは逃すことなく知覚していた。

 刀華の殺気を押し戻すほどに力強かった闘気が収縮する。立ち込める魔力光は弱まり、放たれる威圧感は一瞬で刀華の殺気に呑まれて消える。

 その変化に、多くの者は一輝が力尽きて失速したのかと錯覚した。

 

 否だ。

 

 弱まったのではない。

 無駄に放出していた全ての力を一刀に圧縮したことで、一輝の存在がまるで萎んだかのように思わされたのだ。

 一輝は教えられていた。意図すらせずに己を惑わした祝から、新たな強さへのヒントを既に与えられていた。

 

『身体中から余分な魔力が溢れ出しているじゃないですか。魔力にロスがありすぎて美しくありません。そんなことだからその程度(・・・・)の出力しかないんですよ、その伐刀絶技は』

 

 そうだ。

 体内から溢れ出る魔力の燐光。

 それは扱いきれず体外へと漏れ出てしまった余分な魔力。

 武術を鍛えることで魔術に対抗してきた万夫不当の武術家である一輝の、伐刀者としての致命的な欠陥の一つ。

 

 即ち、『魔力制御』の技術。

 

 一輝には伐刀者としての才能がない。

 それは伐刀者を構成する最大の要素である総魔力量が少なく、さらに『身体能力倍加』という貧弱な能力しか持たないため。

 だから一輝は他の伐刀者たちと違い魔術による自身の強化を早々に諦め、武術の鍛錬に多くの時間と意識を費やしてきた。もちろん魔力制御の能力は伐刀者にとって必須の能力であり、同時に《一刀修羅》を制御する重要なピースであることから鍛錬を怠ったことはない。

 しかし燃料となる魔力の量が絶対的に不足している以上、彼には《一刀修羅》に特化した“究極の一分間”のための制御技術を身に付ける以外に選択肢はなかったのだ。

 

 

 祝と出会うまでは。

 

 

 溢れ出る魔力をより鋭く、より精密に制御することで《一刀修羅》の出力を引き上げる。

 祝から自身の短所を指摘された一輝は武術の修行の傍ら、この発想を諦めなかった。基礎から魔力の運用を見直し、一人で一年間、黙々とこの修行を練り直し続けた。

 しかし結果は身を結ばず。

 伐刀者としての才能の限界か、経験不足のためか、あるいは訓練の方法が悪いためか。結局一輝が成功した《一刀修羅》の出力の強化は微々たるものでしかなかった。溢れ出る全力の魔力を抑え続けるなど一輝には数秒が限界だ。

 

 

 ――だが、ここに至ってそれは最早問題ではない。

 

 

 今の一輝には数秒すら必要なかった。

 必要なのは一秒、一瞬、一刀。

 《雷切》を超えるのに二ノ太刀は要らず。

 繰り出されるは一輝の最速の一刀――第七秘剣《雷光》。

 その一刀を繰り出す刹那の時間さえあればいい。その間だけ制御ができていれば充分なのだから。

 

 そして一輝は最強の刹那へと、極限の一瞬へと手を伸ばした。

 

 漏れ出る魔力を意思の下に操る。

 その全てを体内に押し留め、能力によって身体能力が爆発的に跳ね上がる。

 もはや《一刀修羅》の比ではない。その強化倍率は天と地の差だ。

 余すことなく一刀に全てを凝縮することで、一輝は真実“閃光”となった。

 だが、その代償は大きい。

 

 

 無理矢理に体内へと押し込められた魔力が内側から皮膚を裂く。

 

 

 血管が千切れ、全身から血が噴き出す。

 

 

 人間の限界を超えた速さと膂力によって筋肉が断たれ、骨は歪み、内臓が変形する。

 

 

 身体強化だけで人知を超える激痛が一輝を襲う。

 一挙手一投足が地獄の苦しみを齎す。

 自分が生きているのか、それとも死んでいるのかさえ一輝には最早わからない。

 それでも――

 

 

(生きて……勝って……約束を……!!)

 

 

 薄れゆく意識の中、魂の咆哮が肉体の崩壊を阻む。

 那由他の彼方に存在する勝利へと、死と生の狭間を駆け抜ける。

 

「――ぉ」

 

 一輝の背中を押す声援が聞こえる。

 自分を待つ人たちの笑顔が見える。

 そしてその中に、自分が愛する少女がいる。

 

「――ぉお」

 

 死ねない。そして敗けられない。

 命を捨てる覚悟なら既に済ませた。敗北の苦痛にも慣れている。

 だが、この命と剣はもう自分だけのものではないのだ。全てを背負うと、そう決めたのだから。

 そして何より、ステラと約束した。――共に騎士の高みへ行こうと。

 

 

 

「ぉぉぉおおおおおおあああああああッッッ!!!!」

 

 

 

 一輝の踏み込みがリングを砕く。

 一瞬で音速を超えた《陰鉄》が衝撃波の暴風を撒き散らす。

 そして両者の間に広がる空間は刹那と間を置かずゼロになり――

 

 爆音を轟かせ、一輝と刀華が交錯する。

 

 閃光となって刀華の脇を駆け抜けた一輝は、次の瞬間に足を縺れさせて地面を転がった。

 しかしそれだけではその速度を殺しきることができず、その身体は何度も地面を跳ね続ける。そしてリングの縁を越えて客席との間に設けられた段差の壁へ強かに身体を打ち付けたことで、一輝はようやく全ての運動エネルギーを大地に逃がし終えた。

 そして残った光景に、観客たちは勝利の女神がどちらに微笑んだのかを悟る。

 

 立っていたのは――刀華。

 

 《鳴神》を振り切った姿勢のまま、彼女はリングの上に立っている。一輝は伏したまま動かず、手足を投げ出したまま動く様子はない。

 勝負あった。この闘いを制したのは《雷切》だ。

 その事実に赤座が嗤う。珠雫が目に涙を浮かべながら、それでも一輝から目を逸らすまいと拳を握り締める。ステラが悔しさに歯を食い縛り、それでも一輝の雄姿を讃えようと立ち上がる。

 そして――刀華の胴から鮮血が噴き出した。

 

「――見事」

 

 そこに刻まれているのは真横に走る一筋の赤い痕。まるで斬られたことをようやく身体が理解したと言わんばかりに、刀華は膝から血溜まりの中へと崩れ落ちていった。

 そして刀華がリングに横たわると同時に、《陰鉄》を杖のようにしながら一輝が立ち上がる。足を引き摺り、血の足跡を残しながらリングへと戻ってくる。

 骨は砕け、肉は裂け、血管は至るところが破裂していた。ここまで人間は壊れることができるのかと驚かされるほどに全身はズタズタで満身創痍。

 

 

 ――しかし、それでも最後にリング上で立っていたのは一輝だった。

 

 

 勝利。

 その事実が静かに会場へ響き渡る。

 誰一人として言葉を発しない。誰もがその勝利に言葉を失っていた。

 そんな中、一輝は無言でその血塗れの拳を天壌へと掲げる。その拳だけが、勝利は自分のものだということを雄弁に語っていた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……ば、馬鹿なァ! そんな馬鹿な話があるかァ!」

 

 鳴り止まぬ喝采。惜しみなく贈られる称賛。

 それを耳にしてようやく現実を理解した赤座は怒声を張り上げて立ち上がった。これが夢ではないのかとすら疑った。

 しかしいくら待てども夢は覚めず、一輝の勝利に会場の熱気が燃え上がっていく一方だ。

 どう考えてもおかしい。一輝は死に体だったではないか。どこにあれほどの力を残していたというのだ。

 思考が堂々巡りする中、しかし赤座は頭を振ってその思考を断ち切った。今重要なのはそんなことではない。自分が考えるべきことは、如何にしてこの決闘の結果を覆すかだ。

 

「認めんッ! こんな結末など認めんぞォ!」

 

 醜く喚き立てた赤座は、脂肪に塗れたその身体を懸命に揺らしながら客席を走り抜けていく。

 その滑稽な様を嗤いながら、黒乃は赤座の背中を見送った。

 

「放っといていいのかい、くーちゃん。さっきまであいつへの殺意を抑え込んでいたじゃないか。もう存分に仕返しができるんじゃねぇの?」

「あの赤狸がいくら騒ごうと、もう結果は変わらんさ。それに黒鉄の闘いぶりを観ていたらどうでも良くなったよ。この気分をあのクソ野郎の悲鳴で台無しにしたくはない。それよりも……見たか、寧音」

「そりゃもちろん。全く……自分の生徒ながら末恐ろしい男だよ、黒坊は」

 

 好戦的な笑みを浮かべる寧音は、しかし眼下で起こった信じがたい現象に知らず知らずの内に冷や汗を浮かべている。

 いや、寧音だけではない。

 黒乃や南郷ですらも黒鉄が成し遂げた奇跡に何かを感じずにはいられないだろう。

 

不敗(さいきょう)の《雷切》を置き去りにするとか、誰が予想できるかってーの。本当に人間なのかよ、あいつ」

 

 一輝と刀華の交錯。

 刹那の交わりにおいて、一輝はさらに加速した。《雷切》の間合いに入ろうかという瞬間、その速度は寧音たちの認識できる限界を超え、まさに気が付いた時には決着がついていたのだ。

 そして勝利した一輝には、《雷切》によって刻まれたはずの刀傷がない。

 ということはである。一輝の《雷光》は刀華の《雷切》の速度を完全に上回り、その抜刀を終える前には既に刀華の身に刃を叩き込んでいたということに他ならない。

 神速の抜刀術を、一輝は文字通り真正面から打ち破ってみせたのだ。

 

「一分間で使い尽くす《一刀修羅》の力を一撃で使い尽くすなんてねぇ。随分と無茶をするもんだ」

「それだけじゃない。最後の瞬間、黒鉄が放つ魔力を感じ取ることができなくなった。恐らくはあの一瞬のみ、黒鉄は《一刀修羅》の使用中に漏れていた魔力すらも身体強化へと回したのだろう」

「実際には普通の伐刀者が魔術を使った時くらいのロスになっただけなんだろうけどねぇ。普段の漏れが大きいだけにその落差も大きい。結果的にウチらが魔力を感じられなくなったと錯覚するほどに」

 

 無駄に使っていた魔力を、余すことなく、一瞬で使い尽くす。

 言葉にすれば簡単だが、実際に目で見てみればこれほど恐ろしい魔術があるだろうか。しかもコンディションが最悪の状態でこれほどの速度と力だ。一輝の体調が万全だったならばさらに一刀は鋭くなるだろう。

 総合的な能力は間違いなく刀華が上だ。

 しかし一瞬、一刀ならばどうだ。それは眼下のリングに立つ少年が物語っている。

 

「もう修羅道がどうだとか、そんな次元の話じゃない。人間の領分を超えちまってるよ。あれはもう羅刹(オニ)の領域――」

「いいや。それは違うぞ、寧音」

 

 寧音の言葉を遮る南郷。

 彼には寧音たちとは違う、さらにその先の光景が見えていたのだ。

 

「あの小僧が羅刹じゃと? 冗談ではない。あれがそんなものであるはずがない」

 

 ――あれはどこまでも“人”だった。

 最後の瞬間まで一輝は決して生存を諦めなかった。刀華の《雷切》に恐怖し、その力の差に絶望し、それでも勝利と生存を諦めることはなかった。

 その覚悟と信念があの一瞬で彼を成長させ、その一刀を刀華へと届かせたのだ。

 己の欲に任せた剣ではない。目を見ればわかる。他者の思いを背負い、そのために全ての力を使い切ることができる剣を振るう騎士をどうして羅刹などと呼ぶことができようか。

 

「あの男め。息子も孫も詰まらぬ奴ばかり遺して逝ってしまったと思っておったが……ようやく見所のある者が出てきおったわい」

 

 正しく“人”の極地。

 個人の力の極地である修羅では到底辿り着くことができない――祝がどれだけ強かろうと手にすることができない、他者の思いを糧として己の成長を成す誇りの一刀。

 あるいは今年の七星剣武祭で、一輝は祝の最大の敵となるかもしれないと南郷は予測していた。

 あの少年が手にした誇りある剣ならば、祝の兇刃に対抗し得るかもしれないと密かな希望を抱いていた。

 

(恐らく、祝はそんなことなど思いもしておらんのじゃろうがのお)

 

 一輝の突然の成長。

 それを祝は理解することすらできていないだろう。ただ冷静に現象と戦力を記憶に蓄積するだけだ。

 全ては一輝と対峙した時、大鎌に恥じぬ闘いをするためだけに。

 無論、それも強さであることに違いはない。いや、人の温もりをものともせずに突き進む魂の在り方こそが祝の強さなのだ。故に祝にはわからない。一輝が刃に込めた思いも、それに多くの人々が込めた思いも。

 

(それではあの小僧に足元を掬われるやもしれんぞ、祝)

 

 理解しろと無理は言わない。

 しかしそういう強さも存在するのだと、それだけを南郷は伝えたかった。修羅道だけが強さではないのだと祝に教えたかった。

 だが――

 

「……祝?」

 

 赤座がいた席の隣に座っていたはずの祝。

 しかし南郷が振り返った時、既に祝は空に舞う煙のようにその姿を消していたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 世界が遠い。

 妙な言い回しだが、それが一輝の感じる全てだった。

 五感はまともに機能しておらず、もはや痛みすらも弱々しい。本来ならば激痛が走って然るべきだというのに、もはやそれを感じる力すら一輝には残されていなかった。

 気を抜けばどこからか力が抜け出てしまいそうなほど身体は疲弊しており、《陰鉄》は今にも魔力の残滓へと(ほど)けてしまいそうだ。

 

(紙一重の勝利だった……)

 

 彼方から響く喝采と歓声を耳にしながら、一輝はたった今手にした勝利を回顧する。

 何かの歯車がズレていれば、血溜まりに沈んでいたのは自分の方だった。

 その紙一重の差。それを一輝にくれたのが一輝の背中を押してくれた人々と――そして“約束”という新しい力をくれたステラだ。

 時折、スポーツ選手などが「この勝利は皆で手に入れたものだ」とコメントしている姿をテレビ番組で観ることがある。そんなものは社交辞令であり、例え本人が心からそう言っていたとしても、それは瞞しだとどこかで思っていた。

 だが、一輝はここに来てその意味を真に理解した。

 この勝利は自分一人の力では絶対に手にすることができなかった。皆の声が、一輝が全力を尽くすための意志を目覚めさせてくれた。

 

(ありがとう……心から皆にそう伝えたい……)

 

 ずっと辛いことばかりの人生だった。

 プラスよりもマイナスが遥かに上回ってばかりの人生だった。

 だが、そのマイナスも自分をここまで導いてくれた大切な過程だったのだと今ならば思える。自分を惑わしてばかりだった修羅道(ハフリ)にすらも今は感謝の念しか浮かばない。

 そう思うことができるようになったのも、自分を信じてくれた皆のおかげだ。

 

(弱さを捨てるんじゃない。()()()()()だと、そう認めることが必要だったんだ)

 

 修羅道への誘いが、父から告げられた絶望が自分にとって大切なものが何なのかを教えてくれた。

 自分が何者で、己の目指す騎士道とは何なのかを見定めることができた。

 この感情を忘れずにいたい。だからその願いをこの伐刀絶技に込めようと一輝は決めた。この伐刀絶技を使う度にこの思いを再確認できるように。

 ならば与えるべき名前は――

 

「《一刀天魔》……なんてどうかな……」

 

 仏道修行者の信心を妨げ続ける天魔。

 しかしとある徳の高い僧によれば、天魔すらも強い信心の前ではさらに深い信心へ至るための契機になってしまうという。

 マイナスを否定するのではなく、そのマイナスすらも力に変える。そんな自分でありたいという願いを忘れてしまわないように、この名前をこの伐刀絶技に贈ろう。

 

「――イッキ!」

 

 自分の新たな境地に名前を贈ったその時、どこからかステラの声が聞こえた。

 その声が発せられたのが後ろからなのか、あるいは前からなのかも今の一輝にはわからない。しかし彼女の声を聞いた途端、全てを終えたことへの満足感に陰が差した。

 

 最後に……本当に最後に伝えさせてほしい。

 ステラへ感謝の言葉と、彼女に抱く愛が本物であるということを。

 

 そのために一輝は、今にも絶えそうな己の意識に踏ん張りをかける。

 そしてそれが実を結び、バランスを崩しそうになった一輝を駆け寄ってきたステラが抱き止めた。

 涙を流すステラは、不謹慎だと理解していながらも本当に美しかった。しかし見惚れている時間はない。既に一輝の限界はすぐそこまで迫っているのだから。

 その胸の内にある全ての思いを込め、一輝は口を開く。

 そしてその思いをステラに伝えると――今度こそ一輝は力を使い果たし、深い眠りの底へと沈んでいくのだった。

 




さ~て、来週のハフリさんは!

祝です。
どうでもいいことですが、原作主人公が知らない間に原作以上の超進化をしていました。これも一種の原作ブレイクなのでしょうが、全く嬉しくない私は転生者失格なのでしょうかね? どうでもいいですけど。
さて次回は、
『バレなきゃ犯罪じゃないんですよ』
『赦すと言ったな、あれは嘘だ』
『悔いを残して死ね』
の三本です。

来週もまた見てくださいねっ!
ジャン、ケン、ポン! うふふふふっ。


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話せばわかる(物理)

色々と思うところがあって書き直しを投稿です。
次話は30分後に投稿予定。(4月17日現在)


「ふざけるなッ……ふざけるなァ……!」

 

 慣れない訓練場を走りながら、赤座は必死にリングを目指している。その途中で愛用している帽子を落としてしまったが、それに気付く余裕すら今の赤座にはなかった。

 先程から一輝を讃える歓声と喝采が鳴り止まない。もう《雷切》に勝利したという事実はどうやっても揉み消すことはできないだろう。

 しかも今日は裏から手を回し、学園外の報道関係者もこの試合に引き込んでしまっている。噂の黒鉄一輝の命運が決まる、という文句であの試合はテレビ中継されてしまっているのだ。

 

「クソッ、チクショウ!」

 

 今頃、厳はこの中継を観て失望の溜息をついているはずだ。

 いつ携帯電話が鳴り響き、自分の失脚を宣告してくるかわからない。

 ならばその前に何としてでも手を打つ。破れかぶれでも一向に構わない。屁理屈を吐いてでも一輝を追撃する必要がある。

 

「ひ、ひひっ……そうだ。本当の決闘の相手は私だったんだ……!」

 

 どう考えても理屈が通らないその理論。

 しかし崖っぷちに追い込まれた赤座にはそれが天才的な発想に思えていた。

 この条件と虫の息の一輝が相手であれば、間違いなくここから逆転することができると確信していた。

 唯一見出すことができた希望。それを掴み取るため、リングへと続くゲートに到着した赤座は霊装の手斧を顕現させて走り出す。

 

「そうだ! 《雷切》に勝ったことなど関係ないッ、私との闘いが本当の決闘だ! このままあいつをグチャグチャにしげぇッッ――!?」

 

 その瞬間、赤座は何が起こったのか全くわからなかった。

 まず声が封じられた。脂肪で丸々と太った首が万力で締め付けられ、息が声帯を震わせることを許さない。

 続いて手足をどこからか掴まれたように感じたかと思うと、走った勢いによって地面に引き倒される。

 息ができない。手足も動かせない。

 赤座は必死に周囲を見回し下手人を見つけ出そうとするも、しかし薄暗い通路には自分以外の誰もいなかった。当然だろう、何せ今は試合が終わったばかり。そんなタイミングで入場口(ゲート)に人がいるはずもない。

 

(な、何が……ッ!?)

 

 赤座がようやくそう思ったのと、その身体がどこかへと猛烈な速度で引き摺られ始めたのは同時だった。

 ゲートが遠ざかっていく。その光を必死に目で追いかける赤座だったが、最初の角を勢いよく曲がった瞬間に視界に火花が散った。壁に後頭部から叩き付けられたのだ。

 しかし悶絶すらも封じられた赤座は、そのまま高級スーツが埃塗れになるまで音もなく引き摺られ続ける。

 そして何度壁に叩き付けられただろうか。

 凄まじい速度で二、三秒ほど廊下を引き回された赤座は、訓練場内のとある小部屋――恐らくは選手控室に引き摺り込まれ、その勢いのままに入口の正面にある壁へと激突した。そして赤座が通過した入口は独りでに閉まり、外から響く歓声が小さくなる。

 

「げはァ!? ぐぇへぇ……!」

 

 ここに来てようやく身体を解放された赤座は、失った酸素を取り戻そうと必死に息を吸い込んだ。

 しかし息が整う前に、赤座は意外な人物を目にすることとなる。

 

「ハァ、ハァ……疼木、さん……? 貴女がどうして……?」

「…………」

 

 そこにいたのは、先程まで自分と談笑していたはずの祝だった。

 彼女は部屋の中に設置されたベンチにちょこんと腰かけ、感情の読めない瞳でこちらを見下ろしている。

 

「ま、まさか、貴女が私をここに連れ込んで……」

「そうですよ」

 

 祝が指をクイッと引くと、赤座の右腕を引く感触が伝わる。

 糸だ。彼女は魔力の糸で赤座を縛り、ここまで引っ張ってきたに違いない。恐らくは先程の観戦中にコッソリと巻き付けていたのだろう。

 それを理解した赤座は、困惑から徐々に怒りへとその表情を変貌させていく。

 

「な、何の真似ですかこれはァ! おおお、お前に付き合っている暇なんてないんだッ! 早くしないとあのガキがッ……ええい、クソがァ!」

 

 怒声を張り上げながら立ち上がった赤座だが、祝は表情をピクリとも動かさずその様子を見つめている。

 普段の赤座ならばこれに不気味さの一つも感じるのだろうが、この時の赤座は非常に焦燥に駆られていた。故に祝へと唾を飛ばしながら悪態をつき、感情のままに「よくも邪魔を」と呪詛を吐く。

 

 

「うるさいなぁ」

 

 

 それは何の前触れもなかった。

 事実、赤座には祝の右肩から先が消え去ったようにしか見えなかった。

 何が起こったのか。その疑問に眉根を寄せ、そして足元から昇ってくる激痛に表情筋の全てが引き攣った。

 

「うッ、ギィやァァァアアアアアアッッ!?」

 

 赤座の左足の甲に鈍色の曲刃が突き立っていた。

 刃渡りの半分まで深々と突き刺さったその刃は、間違いなく赤座の足を貫通して床へと届いている。

 幸いにも《幻想形態》であったが故に刃が赤座の肉を抉るには至っていないが、与えられる痛みは《実像形態》のそれに遜色ない。

 事実、思わず尻餅をついた赤座は、その動きが足をより抉ることとなってしまいさらなる悲鳴をあげることとなった。

 当然ながら耳を劈くそれを祝が許すはずもなく……

 

「……だから」

 

 祝の右手に力が籠る。

 そして彼女は躊躇なく刃を引き……

 

「私は、うるさいって、言っているんですけど」

「――あっ、あああああああああああああああああああッ!?」

 

 赤座の足から赤い《血光》――《幻想形態》を食らった肉体から噴き出す魔力光が宙に散る。

 今、赤座は足が縦に裂けたのと同等の痛みに悶えているのだ。いかに《幻想形態》が齎した偽りの傷だとわかってはいても、左足を反射的に手で押さえ、喉が枯れるほど絶叫して蹲った赤座の行動は自然なものといえる。

 しかし祝はそのようなことを考慮する殊勝な人格など持ち合わせていなかった。

 鳴り止まぬ赤座の声に辟易したのか、祝は空いた左手を軽く引く。それだけで再び赤座の首が締まり、「ふげぇ」という声を最後に悲鳴は肺の奥へと収められた。

 

「こうやって首を絞めたらお話ができなくなるじゃないですか。だから悲鳴はやめましょう?」

「ッ! ッッ!」

 

 祝の言葉に必死に赤座は頷いた。彼女が本気だということを今更になって悟ったのだ。

 このままここで祝と対面していれば、自分は彼女の気分一つで再び痛めつけられることになる。そう判断した赤座は、左足を襲う激痛に懸命に耐えた。

 だが、赤座もこのまま黙っているつもりはない。

 

「そうですか。理解が早くて助かります」

(――かかったな馬鹿め!)

 

 赤座の首肯を見て、祝は首の糸を緩めた。

 しかしそれこそが赤座の狙い。首が解放されるなり、彼は霊装の手斧を再び手元に顕現。痛みのない右足を踏み出し、その手斧を渾身の力で振り上げた。

 赤座とて伐刀者の端くれ。こうして反撃することももちろんできる。

 しかし祝は無防備にも赤座を糸から解放した。既に手傷を負わせたからと油断したのだ。

 それが彼女の命取りとなる。

 

(このまま頭を割ってあげましょう! 《幻想形態》ではないので死ぬことになるでしょうが、これは正当防衛だ!)

 

 脳内で理論武装を組み上げる。

 そしてこの憎らしい女が死の間際でどのような表情を浮かべるのか、それを見ながら殺してやろうと赤座は喜悦に表情を歪ませた。

 しかし、忘れていたのは赤座の方だった。

 目の前の少女が何者であり、そもそも赤座の反撃が完璧だったとしても前提として“奇襲が通用しない伐刀者”であるということを。

 

「死ねぇ!」

 

 赤座が殺意の一撃を振り上げたその時には、既に祝の右腕は動いていた。

 頭上へと真っ直ぐに伸びる赤座の腕。その腕に伸びる黒い一閃。

 しかし赤座自身はそれに気付くこともなく狂喜と共に右腕を振り下ろし――

 

「……はれ?」

 

 いつまで経っても手斧が降りてこない。

 自分は確かに腕を振り下ろしたというのに、その手に握られているはずの武器が祝の頭に届いていないのだ。

 

(えっ? えっ? なんで……?)

 

 わけがわからない。

 一体何が起こっている。

 首を傾げる赤座。しかしその解答は、血の雫と共にべしゃりと地面から響く音によって齎された。

 本能的な恐怖によって恐る恐るそちらへと視線を向ければ――そこに転がっていたのは、霊装を握り締めたまま赤く染まる自分の右腕で……

 

「……ッ」

「喧しいですよ」

 

 三度赤座の首が締まる。

 今度は喉が引き攣った瞬間に糸が張力を取り戻していた。故に室内に悲鳴はなく、聞こえるのは未だに続く歓声と赤座の小さな唸り声だけだ。

 淡々と赤座の口を封じる祝は、彼の腕が夥しい量の赤い水を滴らせようと表情一つ動かさない。しかしまだ彼を殺す気はないのか、気怠そうに立ち上がると赤座の腕に糸を強く巻き付けて無理やり止血する。

 

「話が進まないので大人しくしてください。殺しますよ」

 

 仏の顔も三度まで。

 余りの痛みに意識を半分ほど遠退かせながら、なぜか赤座はその言葉を思い出していた。既に自分があげる悲鳴で彼女を苛立たせること三回。そして彼女が今言い放ったことは間違いなく本心で……即ち、次はない。

 そのことに恐怖し、赤座は歯を食い縛って意識を繋ぎ止める。

 痛みよりも恐怖が上回るなど、今までの人生で体験したことすらない事態だった。

 しかしこれが現実だ。次に悲鳴をあげた時、自分は死ぬ。それを本能で理解し、赤座は必死に口を噤んだ。

 そして喉元を解放されて最初に行ったのは、謝罪と命乞いである。

 

「も、もう赦してください……二度と一輝クンには近づきません……! 二度と貶めようともしませんッ……だがらどうが……こ、ここ、殺ざないでぇ……」

 

 祝が自分をここまで痛めつける理由。

 それは自分が卑劣な手段を用いて一輝を追い込んだからに違いない。黒乃たちが自分に敵意を向けてきたように、彼女も自分に対して怒りを抱いているのだ。

 彼女は力ばかりが際立つが、その本質は普通の女の子。であるならば正義の心に駆られ、同じ学校の仲間のために怒ることがあってもおかしくはない。

 そう判断した赤座は、溢れる涙と激痛を無視してその場に蹲った。いや、これは土下座だ。頭を地面に擦り付け、一心に祝へと謝罪している。

 

「……はい?」

 

 そんな赤座を見下ろしながら、祝はコテンと可愛らしく首を傾げた。

 返り血に制服と顔の半分を真っ赤に染めながら、しかしその動作はもはや赤座が不気味さしか感じないほどに自然体だ。

 もはや一抹すらも余裕が残されていない赤座は、その芳しくない祝の反応に全身の筋肉を縮込ませた。

 

「も、もちろん一輝クンにも謝ります! ステラ殿下にも謝りに行きます! なっ、何なら黒鉄家の陰謀だったことをマスコミに暴露しても……!」

「…………?」

 

 赤座が口を開けば開くほど祝の眉は顰められていくばかり。

 それに焦った赤座がさらに命乞いを続け、そして祝の機嫌が急降下していくという完全な悪循環。

 そして遂に、祝の深い溜息によって赤座の口は無理やり閉じさせられた。

 

「……はぁ。薄々気付いてはいましたが、やっぱりそうですか」

「ッ!? す、すみません赦してください! 何でもしますから命だけは……!」

「赤座さんは私が黒鉄の件について怒っていると、そう思っていたんですね」

 

 呆れたように赤座を見下ろした祝は、蹲る赤座の耳元へと顔を寄せて優しく囁いた。

 

「私はね、赤座さん。別に黒鉄のことなんてどうでもいいんです。私が怒っているのは全く違うことについてなんですよ」

「ち、違う……?」

 

 では何だというのだ。

 赤座には祝を害した記憶などない。何せ数週間前に会ったばかりの関係だ。だというのに、自分が一体何について怒りを向けられなければならないというのだ。

 

「赤座さんが先程仰った“大鎌が足枷”という旨の言葉……あれを撤回してください」

「………………は?」

 

 理解できない言葉に赤座の思考が停止する。

 祝の要求はあまりに予想外に過ぎた。故に赤座はその意味を咀嚼するのに時間を要し、思わず“失言”を漏らしてしまう。

 

 

「そ、()()()()()()()()……?」

 

 

 次の瞬間、祝の左手に掴まれ、赤座の頭蓋は地面を陥没させていた。

 あまりの速度に胴が置いてけぼりを食らい、首の肉が伸び上がってしまったほどだ。魔力防御がなければ確実に頭の方が窪んでいただろう。

 だが祝は行動をそれだけで収めることはせず、俯せで苦悶する赤座の背中に《三日月》の刃を突き立てた。

 

「ひぐッ!?」

 

 《幻想形態》の刃が骨と肉ごと貫いた奥にあったのは、血流を作り出す重要内臓器官――即ち心臓。

 生きたまま心臓を刺し貫かれる。その苦痛と恐怖は想像を絶する。祝が糸で喉を絞めていなければ確実に喚き散らしていただろう。

 しかもあろうことか、祝は前後に鎌を押し引きすることで傷を抉り続けている。

 

「そんなこと? それ以上に重要なことが貴方の人生に存在すると思っているんですか? 撤回してください今すぐに。大鎌(この子)に、誠意を込めて、心から謝罪してください」

 

 刃は心臓をなぞり、残る左腕へと肩を伝って上っていく。

 その激痛に白目を剥きながら、赤座は痛みへと条件反射したかのように何度も頷いていた。しかしあまりの苦痛に意識は断たれ、口元からは唾液と泡が垂れている。

 だが、その程度で祝が手を緩めることはない。

 

「何を寝ているんですか」

 

 左の人差し指が石突によって叩き潰された。

 その痛みで赤座が跳ね起き、そして「うーうー」と声にならない叫び声。未だに首は緩められていない。

 しかし求められていることは理解しているのか、赤座は涙を流しながら必死に割れた額を地面に擦り付ける。それによって糸が僅かに緩められ、赤座はようやく血の臭いに塗れた空気を存分に吸い込むことを許された。

 

「私はね、赤座さん……大鎌が大大大大大ッ大ッ大ッ大ッ大好きなんです。ちょっと自分でも病気なんじゃないかな、と思うくらい愛しているんです。大鎌を使って闘ったり修行しているだけで幸せですし、それだけが今の人生に彩りを与えてくれている。大鎌で闘えない世界なんてもう耐えられないくらいなんです。もはやそれは地獄でしかない」

 

 まるで舞台上の俳優のように、祝は両手を広げて謳い上げる。

 その瞳は明らかに狂気を帯びており、言葉の端々から空気へと伝染する喜悦が赤座を竦ませる。

 

「大鎌使いとして研鑽することに命を使い果たすのが私の夢なんです。この子の使い手として楽しく闘い続けたいんです。それにね、私の大好きな大鎌は他の武器にだって全然劣らないんだぞって知ってもらいたくもあります。そうすればもっと大鎌使いの伐刀者が増えるでしょう? きっとフィクションにもノンフィクションにも大鎌が溢れる素晴らしい世界になる。そんな世界になれば私は嬉しい。死ぬほど嬉しい」

 

 まるで子供の用に無邪気に笑い狂う祝。しかしその姿はもはや赤座の目にはこの世の者とは思えなかった。

 あれは間違いなく魔物の類だ。人の形をしているだけで人間ではない。自分は今、恐ろしい怪物の前にいるのだ。

 

「……ですからね、赤座さん」

 

 芝居がかった演説が終わり、祝は微笑みながら再び椅子に腰かけた。

 しかし赤座にとってその笑顔は、もう心胆を冷やす以外の役割を持たぬ恐怖の面貌(かお)でしかない。

 

「そんな大鎌大好き人間な私からすると、先程の赤座さんの言葉は看過できることではないんです。もっと言うのなら、去年の日本支部が行った情報操作は赦されざることです。死刑確定です」

 

 今度こそ赤座の顔から血の気が引いた。

 歯がガチガチとぶつかり、これまでとは比べ物にならない恐怖が全身を震わせる。

 赤座は確信した。これは復讐であり報復なのだ。

 このまま祝と同じ空間にいれば、その実行役であった自分はただ殺されるのよりも恐ろしい目に遭わされる。何かはわからない。しかし本能が全力で警鐘を鳴らしている。

 もう駄目だ。お終いだ。

 もはや悲鳴を出すことすら出来ない。恐怖に喉は引き攣り、滂沱の涙が双眸から溢れ出る。

 

 なぜだ。自分はどこで間違えた。本当ならば輝かしい未来が自分を待っていたはずだというのに。どうしてこんなことに。自分の何が悪かったというのだ。

 

 嗚咽を漏らし、赤座は泣いた。

 絶望によって精神を追い詰められ、頭に浮かぶのは後悔と未練ばかり。

 大の大人が情けない――そう言い放つことができるのならば、それは目の前の少女の恐ろしさを知らぬというだけのこと。もはや生き残る術も可能性もない今、赤座にできるのはこうして子供のように泣くことだけだった。

 

 

 だが、そんな赤座に最後の可能性(チャンス)が齎される。

 

 

「しかし、私も鬼ではありません」

 

 涙に濡れた赤座が顔を上げると、そこには先程と一変して天使のように慈愛に満ち溢れた微笑を見せる祝がいた。

 優しい声音だ。

 聞くだけで心が安らぎ、その柔らかさはまるで遠き過去に聞いた母の子守歌のよう。

 

「赤座さんは何も知らなかったんですよね? 上から命じられた仕事をただ果たしただけ。そうですよね?」

 

 その言葉に赤座は最後の希望を見た。

 悪魔の狂気から天使の慈愛へと笑みの性質を変じさせた祝に、赤座は生きる希望がまだ残されていたのだということを知った。

 そうだ、その通りだ。全ての元凶は破軍学園の前理事長であり、その取引の相手も日本支部の上層部だ。自分はそこから言われた通りに仕事をしただけなのだ。

 自分に非はない。

 そもそも自分は祝がこれほど大鎌へ愛を向けているなど知らなかったのだから。

 

「でも、赤座さんが私の大鎌を愚弄する世論を作り出した人の一人であることに違いはありません。それをタダで赦しては私の大鎌愛が廃ります。ですから……ね?」

 

 這い蹲る赤座の目と鼻の先に《三日月》の曲刃が突き立てられる。

 その大鎌は全身から凍てつくほどの冷気を放っていた。

 いや、違う。これは瘴気だ。恐らくこの冷たさは、《三日月》の放つ瘴気と死の気配を死と隣り合う自分の本能が感じ取っているのだろう。

 

「わ、私にどうしろと……」

「謝ってください。大鎌(この子)に、心から、誠意を込めて、『大鎌の地位を貶めて申し訳ありませんでした』と謝ってください。そうすれば私は貴方を赦します」

 

 祝が真剣そのものだということは眼前の大鎌の瘴気が証明している。

 彼女は本気だ。

 本気でこの霊装に赦しを請えと言っているのだ。もしも欠片でも赤座の言葉に邪念を感じ取ったのならば、祝はその刹那の後に赤座を惨殺するに違いない。

 もはや赤座に躊躇はなかった。

 

「も……申し訳ありませんでしたァ……!」

 

 人生で最も深く頭を下げた。

 心の底から目の前の無機物へと謝罪した。

 何なら屈服の証に、その使い手である祝の靴を嘗めたって良かった。

 もう赤座の心は完全に折られていた。与えられた苦痛、祝の計り知れぬ狂気、そして齎された最後の希望によって。

 希望がなければ赤座は全てを諦めて死の覚悟をすることができたかもしれない。しかし最後の最後に見せられた『生き残れるかもしれない』という希望は、赤座に未来への願望と未練を思い出させるのに充分な光となっていたのだ。

 

「……見事な土下座です。どうやら赤座さんは心から大鎌に謝罪してくれたみたいですね」

「はっ、はい! 反省しています!」

「宜しいっ。ならばこれで赤座さんの罪は赦されました。もう安心してください」

 

 眼前に突き立てられた《三日月》が空気に溶けて消える。

 それによって本当に命が助かったのだということを、赤座は心から実感した。

 助かった――その事実に赤座は歓喜の涙を流し、“生きている”ということがどれほど尊いのかを思い知らされた。限りなく死に瀕したことで、赤座は生命の歓びを教えられたのだ。

 

「あぁ……あぁ……ありがとう……!」

 

 口から出るのは感謝の言葉ばかり。

 それが誰に向けられたものなのかは赤座にもわからない。しかしただ、今は誰かに感謝を捧げたい気分だった。

 

 

 

 

「――まぁ、嘘なんですけどね」

 

 

 

 

 その感謝は十秒と待たず霧散する。

 消えたはずの鈍色の刃が、赤座に残されたもう一本の腕を斬り落としていた。

 

「……へ?」

 

 理解が追い付かない。何が起こったのか、赤座には何もわからない。

 目を丸くする赤座の首が魔力の糸によって締め上げられ、気道と声帯を完全に抑え込まれる。

 それでも赤座にはわけがわからないままだった。いや、正確にはわかりたくなかった。自分は希望を見つけ、それを掴むことに成功したという理想に縋りたかった。

 しかし現実はすぐにその理想を追い抜き、苦痛と死の恐怖を纏って赤座の命を握り込む。

 

「……ぁ……ぁ……ぁ……」

「私が貴方を赦すと、一瞬でも本気で信じていたんですか? 笑えない冗談です」

 

 首の糸を外そうともがく赤座を余所に、今度は右足を縦に(・・)引き裂く。あくまで淡々と、坦々と。

 赤座の身体が痛みに痙攣する。

 しかし祝は手を止めない。今度は左足だ。肉の内に通る骨を、《実像形態》の石突で丁寧に叩き潰していく。肉が裂けて血が飛び散ろうと決して手を止めない。

 

「死を以って償ってください。苦しんで、もがいて、絶望して――その中で大鎌に詫びてください」

 

 赤座は完全に理解した。

 晒された暴虐も、最後に見出したと思った希望も、全てはこの瞬間のための餌だったのだ。絶望の淵から希望の糸を垂らし、それに縋って安堵したところを再び絶望に突き落とすための罠だったのだ。

 現に、ほら……自分はこんなにも恐怖し、苦しみ、絶望しているのだから。

 

(い……いやだ……!)

 

 本当に、自分はどこで間違えたのだろう。

 いや、最初からだ。厳がずっと示唆していたように、最初から自分はこの悪魔と関わるべきではなかったのだ。

 この悪魔と出会ってさえいなければ、少なくとも自分は死ぬことはなかったはずなのだから。この悪魔に遭遇してしまったせいで、自分はここで肉片と骨片になって死ぬのだ。

 

(……いたい……くるしい……しにたくない……!)

 

 恐怖と苦痛で心が壊れていく。

 希望が絶望に塗り替えられ、抱いていたはずの未来への願いが崩れていく。

 自分の肉体と精神が端から破壊されていく感覚。五感が意味を失い、肉体が死体へと変じていく感覚。魂が身体から引き剥がされ、まるで地の底へと吸い込まれていくような感覚。

 その全てが未知の感覚で、言い様のないその感触が堪らなく気持ち悪かった。

 

(だれか……た、すけ…………て………………)

 

 深い絶望と恐怖。

 そして苦痛を余すことなく感じながら、赤座守は絶命した。

 だが、それは赤座にとって苦しみからの解放でもあった。命という代償を支払い、彼は祝の責め苦から脱出したと考えることもできるだろう。

 そういう意味では、赤座はようやく死ぬことができて幸せだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伐刀絶技《既死回生(カルぺ・ディエム)》――発動。

 

 

「――でも私、思ったんです。それだけじゃ駄目だって」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう、絶命した……はずだった。

 

「…………え?」

 

 呆けた表情で、赤座が(・・・)間の抜けた声を漏らす。

 気が付けば赤座は控室に佇んでいた。

 目の前では祝が微笑んでおり、その手には大鎌が携えられている。血溜まりは綺麗になくなっており、噎せ返るほどの血の臭いもない。

 たった今まで襲っていた痛みや苦しみは既になく、体調は至って良好。思わず視線を落とせば、見るに堪えない責め苦を受けたはずの四肢は全く異常のない状態で赤座の胴に繋がっているではないか。

 

「……は? ……え? どうしてっ!?」

「このまま貴方を殺すだけでは、大鎌を愛する者として失格です。逆にどうしたら赤座さんに心から大鎌の素晴らしさを知ってもらえるのかを考えなければいけない。さっき赤座さんに大鎌を馬鹿にされてから、ずっとずっとその方法を考えていたんです」

 

 天井の照明を反射し、《三日月》の刃がギラリと光る。

 大鎌を大きく振りかぶった祝は、混乱の極地にあった赤座に“死神”の二文字を想起させた。

 そして祝が《三日月》を一閃。

 腹部に凄まじい熱。

 それを意識した瞬間に昇ってくる激痛。

 そして締め上げられる首。

 夥しい量の出血。

 溢れ出る内臓。

 遠退く意識。

 死。

 

「…………ッ!?」

 

 そして気が付けば赤座は控室で佇んでいた。

 慌てて自分の身体を(まさぐ)れば、裂かれたはずの腹には傷一つない。

 確かに血が流れ、内臓が腹部から零れ落ちる感覚を味わったというのに、今では痛みなどどこにもない。

 では、先程の体験は夢だったのだろうか。質の悪い白昼夢だったとでもいうのか。

 

「な、なんで――」

「そして思い至ったんです。――きっと赤座さんは大鎌のことを勘違いしているんですよね。農具としての大鎌しか知らないから、大鎌の素晴らしさを知る機会に恵まれなかったからあんなことを言ったに違いありません」

 

 頭の頂点に凄まじい衝撃。

 脳天から首を貫き、内臓までを貫く鈍色の刃。

 視界が真っ暗になる瞬間、赤座は「ふんぐっ!?」という鼻から抜けたような声を漏らして死亡した。

 

「なッ、何なんだこれはァ!?」

 

 そして気が付けば赤座は控室で佇んでいた。

 本当に()()()()()()()かのように。

 流石にこれはおかしい。どう考えても異常だ。しかし何が起こっているのか、赤座には全く意味がわからない。

 

「お、お前の仕業か!? 何の魔術だッ、私に何をしたんだぁ!?」

 

 赤座の必死の叫びに、しかし祝は答えない。

 まず、両の膝を一斬にて切断した。

 そのまま冷静に赤座の首を糸で絞めて悲鳴を封じると、倒れ伏す赤座にマウントを取り、祝は石突を顔面に叩き込み続ける。

 

「だったら私が教えてあげればいいんです。大鎌がどれだけ優れていて、他の武器に劣らぬ素晴らしい可能性を秘めているのかを()()()()()()()()()()()

 

 歯が折れ、鼻が潰れ、顔面の骨が残らず破片になるまで止むことなく打擲される。眼球が潰れ、舌が潰れ、唇が千切れようと止まることはない。

 そして度重なる痛みによって意識の消失と覚醒を繰り返した赤座は、四十八回目の衝撃を迎える前に失血で息絶えた。

 

「ぅッ、ぎゃぁぁぁぁああああああああッッ!?」

 

 そして気が付けば赤座は控室で佇んでいた。

 盛大に尻餅をつき、そのまま部屋の隅まで転がるように逃げ惑う。

 しかしそこに逃げ場などあるはずもなく、赤座は自ら雪隠詰めの状況を招くこととなった。

 

「や、やめ……助け……!」

「だから私はこれから、時間が許す限り、持てる全ての技を以って貴方を殺し続けます。きっと辛く苦しい試練となるでしょうが……それを乗り越えた時、貴方の中に大鎌を愛する心が生まれると私は信じています」

 

 赤座の言葉など聞こえていないとばかりに、祝は赤座の首元へと閃光を走らせた。

 そして気が付けば赤座は控室で佇んでいた。

 意識が戻った瞬間に舌を噛み切って自殺を図る。

 

「…………どうして……どうして()()()()んだァッ!?」

 

 そして気が付けば赤座は控室で佇んでいた。

 汗、鼻水、唾液――あらゆる液体を顔から流しながら、赤座は必死に叫ぶ。

 全く噛み合わないこの会話が無意味だとしても、それでも赤座は叫び続けた。

 

「どういうことだッ、お前の能力は予知能力じゃないのかぁ!?」

 

 しかしもう祝は答えない。全ての結論を自分一人で完結させてしまった彼女にとって、もはや赤座の意見などどうでも良かったのだ。だから自身の納得と満足のため、祝は再び赤座を大鎌で屠る。

 そして気が付けば赤座は控室で佇んでいた。

 彼の意識が戻った瞬間、その刃を見せつけるように祝が大きく《三日月》を振り翳す。

 心を込めて、丹念に、丁寧に命を奪う。そこに込められた思いは偏に大鎌への尊敬と感謝だった。

 その感情を、刃を通して赤座の魂へと刻み込むかのように祝は赤座の命を刈り取った。

 そして気が付けば赤座は控室で佇んでいた。

 その瞳に浮かぶのは隠し切れない恐怖。

 それは祝が赤座に求める感情ではない。

 だから祝は赤座を再び殺した。

 

 そして次も、その次も赤座を殺し続け――何度死んでも終わらないその現実に、赤座はようやく何もかもを諦めることができたのだった。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

「……先生たち、遅いなぁ」

 

 現在、私は訓練場の出入り口で南郷先生たちを待っていた。

 本当は用事の後で席まで戻ろうと思っていたのだが、訓練場を出ようとする生徒たちの波に押しやられてしまったのだ。

 前世の通勤ラッシュを彷彿とさせるその人混みに私は即行で抵抗を諦め、こうして御三方を待てる場所に移動した次第である。

 一応、新宮寺先生にメールはしてあるから、気付いていれば私を探してくれるか連絡を入れてくれるだろう。

 

 そう考えて私はボケっと突っ立っているわけなのだが……道行く生徒たちは先程の黒鉄の試合について、やれ新技だ、やれ一撃必殺だと燥いでいた。

 まぁ、確かにショッキングな試合ではあったからね。興奮が冷めないのも無理はないだろう。

 私としても、確かにさっきの黒鉄の試合はヤバかったと言わざるを得ない。――もちろん原作崩壊的な意味で。

 

 もうね、見るからにさっきのって《一刀羅刹》じゃないんだもの。《雷切》を速度で完全に凌駕するとか、普通に原作の展開を超えているよ。あんなのどうやって対処すればいいんだよ。というか避けたり防いだりって本当にできんの?

 「速さが足りないッ」をガチで克服したらとんだ化け物が生まれてしまったよ兄貴。

 

 ……もしかしてこれって私のせい?

 原作崩壊の原因は、基本的に“余分な要素”が原作に関わったためだと考えられる。そして原作にない存在といえば私しかいないわけで。

 知らない間に何かしていたのかなぁ、私。黒鉄とは喋ったことすら殆どないのにね。

 謎だわ。

 因果干渉系能力を持っていても、世界の流れは本当に摩訶不思議である。これが所謂バタフライ効果というものなのかもしれない。

 

 ……いや、あるいはあれが“主人公補正”というものだったのではッ!?

 

 勝てるはずのない敵になぜか勝てる。敵の予想を超えた成長で新たな力に覚醒する。――これ、マンガとかアニメで習ったヤツだ!

 何ということだ。あれが伝説の主人公補正だったのか。

 もちろんその陰には黒鉄の弛まぬ努力があったのだということはわかっているのだが、それを土壇場で実らせてしまうのが主人公補正。というか戦闘中に明らかに強くなる展開など現実で起こることは……ないとは言わない。『あり得ないことはあり得ない』って某強欲が言っていたように。でも私の経験上は殆どない。

 闘いとは、基本的にヨーイドンしたところの強さと時々の運で勝敗が決まる。だから闘いの中で成長する、というのが特別に語られるのだ。

 

 

 ――とか楽しく考察してみたが……まぁ、馬鹿らしいよね。

 

 

 主人公補正とか、マンガじゃあるまいし。

 前世の記憶持ちとはいえ、私はこの世界で生まれ育った住人。本気でこの世界が夢幻(ゆめまぼろし)だとは思っていない。

 ここは前世とは違った法則で成り立つ異世界であり、自分はそこの知識で少し未来をカンニングしているだけなのだ。

 だから主人公補正とかお約束とかの言葉で黒鉄の成長を否定してしまうのは、個人的には“逃げ”だと思っている。

 得てして、そういう逃げの思考は心の隙を生む。

 仮に原作キャラと闘って敗けそうになった時、そういうことを考える奴に限って「原作キャラ相手だから仕方ないよな」とか「主人公を相手に自分は頑張ったよな」なんて言い出すのだ。そんな便所のネズミの糞にも匹敵する、くだらないものの考え方こそが命取りになるとも知らずに。

 

 普通に黒鉄は強かった。だから東堂さんに勝った。以上、終わり。

 

 それ以上の感情はさっきの試合には必要ない。

 実際、それ以外に思ったこともないしね。強化版《一刀羅刹》の絡繰りも原理は単純だったし、あれも黒鉄が持つ可能性の一つだったということだろう。

 あえて感想を言うのなら、私の知る原作知識も完全に信用できるものではないんだな、くらいか。七星剣武祭では真面目に警戒する必要があるだろう。

 

「お~い、祝~」

 

 するとどこからか私を呼ぶ声がする。

 辺りを見回せば、学生たちに混じって明らかに禿げて老け老けなお爺様が。流石は南郷先生、探しやすい。

 一緒にいる西京先生にも見習ってほしいものだね。この人、天狗下駄とか履いているにも関わらずチビすぎて見失うくらいだし。

 

「……クソガキ。なに人にガンつけてんだ、あぁ?」

「チンピラですか貴女は。ただ、西京先生は身長が低くて不便そうだなぁと思っていただけです。別に睨んでなんかいません」

「喧嘩売ってんだろテメェ!?」

「いちいち騒ぎを起こさなければ気が済まないのか、お前たちは。……というか疼木、急にどこへ行っていた?」

「すみません、試合が終わってすぐにお手洗いへ。グズグズしていると人でいっぱいになってしまいますから」

 

 実際、今頃は訓練場のトイレは女子の行列ができているだろう。

 この身体で最も苦痛に感じることの一つが、トイレの行列が長いということだ。当然ながら女性の方が男性よりも用を足すのに時間がかかるため、必然的に列ができやすくなってしまう。

 この不便さだけは本当に辛い。

 もしもTS転生とかに憧れている男性がいるのなら、その地獄を覚悟しておくといいだろう。マジで待っている途中で手が震えるから。

 

「南郷先生はもうお帰りに?」

「いや、最後に刀華の顔を見て帰ろうと思っておる。しばらくは目を覚まさんじゃろうが、言伝くらいは置いていくとするわい」

「そうですか。では、私はこのまま修行に行くので失礼させて戴きます」

「うむ。……あー、そういえばお主に聞きたいことがあるんじゃが」

「はい?」

 

 立ち去ろうとする私を、南郷先生は何とも言えなさそうな表情で呟いた。

 何か言いにくいことでも切り出そうとしているのだろうか。

 

「何でしょう?」

「…………お主は……」

「はい」

 

 ……どうしちゃったの。

 南郷先生がこんなに言い淀むのは本当に珍しいな。

 もしかして私の制服にタグが付いたままだったりするのだろうか。あるいはスカートが捲れあがっていたり!? ……良かった、後ろ手に確認したけど大丈夫そうだ。

 じゃあ何なのだろうか。

 

「……いや、何でもないわい。お主はそのまま進めばいい。お主の道に口出しする資格など、既に魅せられてしまったワシにはないのじゃからな」

「……?」

「こっちの話じゃ。それでは祝、達者でな」

 

 シワシワの手で私の頭を撫でると、先生は西京先生を連れて去っていった。このまま師弟揃って、東堂さんの見舞いに行くのだろう。

 それを見送った私と新宮寺先生は、そのまま流れで解散する空気が生まれたのだが……しかし先生は何かを思い出したように私を引き留めた。

 

「そういえば疼木。お前、あの赤狸の奴を見なかったか? 客席を飛び出して行ってから姿が見えんのだが」

「――さぁ? お帰りになられたのでは? あんな人、もうどうでもいいですけど」

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 選抜戦の最終日。

 その日の夕方、第一訓練場を見回っていた警備員によって赤座守は発見された。

 選手控室の隅で膝を抱えて丸まっていた彼は、虚空を見上げて呆けるばかりで全く会話をすることができなくなっていたという。しかし精神状態に反して()()()()()()()()()()()。室内には争った形跡もなく、訓練場内でもその手の痕跡は発見されなかった。

 明らかに尋常ではないその様子に赤座は救急車で病院に搬送されることとなったが、しかし医師は「どこにも悪い場所はない」と首を傾げていたという。

 精神科医は、強いショックによって精神に異常を来してしまったのではないか、と判断を下した。

 

 しかし原因がわからない。

 

 というのも、赤座が正常だったと確認される時間帯から彼が発見されるまでの間、訓練場に設置されていた監視カメラは()()()()()()によって機能を停止していたためだ。

 よって赤座が客席を立ったその後、何が起こったのかは誰にもわからない。試合直後の出来事であったためか、目撃者もいない。

 その後、気が狂った――そう判断せざるを得ないほど意思疎通ができなくなってしまった赤座は、家族の申請によって連盟を退職。

 それからは相変わらず考えることを忘れてしまったかのように実家の部屋の隅で穏やかに過ごしている。

 だが、彼はある意味で幸福と言えるだろう。

 

 “考える”という人間が手にしてしまった業を失ったことで、その身を襲った恐怖と苦痛を二度と思い出すことはないのだから。

 

 



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第一章、完ッ!!

これにて(本当に)第一章こと《選抜戦編》は終了です。
次回から《前夜祭編》に入ります。
投稿は朝にでも。


 黒鉄が東堂さんを斃してから()()()が経った。

 その間に黒鉄を巡る騒動は大方の決着がついたと言えるだろう。

 

 査問会で宣言してしまった通り、黒鉄が決闘を制したことで今回のゴタゴタは完全に不問。日本支部はこの件について一切の言及を取り下げることを約束した。

 ステラさんの父君であるヴァーミリオン国王も事態の推移を知るなり、この件の収束に納得を見せた。ただし黒鉄とステラさんの仲がなくなったわけではないため、黒鉄は七星剣武祭が終わったら「お嬢さんをください!」をしにヴァーミリオン皇国まで行かなければならないらしい。リア充爆発しろ。

 これによりマスゴミもスキャンダルの追求が難しくなり、報道から二人の名前が聴かれることはなくなった。

 

 よって黒鉄家の思惑が絡んだ此度の一件はこれにて落着である。

 

 そして選抜戦の最終日が終了してから二週間後の今日。

 本日は破軍学園にて七星剣武祭の代表として選出された六人の任命式が体育館で行われていた。

 マイク越しに大音量で流された「これより任命式を行う」という新宮寺先生の宣言と共に、私を含めた六人の名前が読み上げられていく。

 

『一年Aランク、ステラ・ヴァーミリオン』

『二年Bランク、疼木祝』

『三年Dランク、葉暮桔梗』

『三年Cランク、葉暮牡丹』

『一年Dランク、有栖院凪……彼は所用により式を欠席すると連絡を受けている』

『そして最後に一年Fランク、黒鉄一輝』

 

 新宮寺先生の発表に、黒鉄は「はい!」と緊張した面持ちで応えた。

 本来、この任命式は選抜戦が終了してから一週間後に執り行われる予定だった。つまり任命式は本来、一週間前の今日に執り行われる予定だったのだ。

 しかし黒鉄の容体が思わしくなく、その関係から新宮寺先生の計らいで予定を一週間先送りにしたのである。

 

 最終戦の怪我――校内新聞によると《一刀天魔》なるあの伐刀絶技は、黒鉄の肉体に凄まじいダメージを残す特攻技だった。

 原作でも《一刀羅刹》によって黒鉄は流血を伴うダメージを負うこととなっていたが、その強化版はそのハイリスクハイリターンな性質も漏れなく強化されてしまったらしい。しかも査問会の疲労などの諸々が影響し、退院するまでに二週間は必要と診断された。

 それに先生が配慮し、尚且つ他の参加者たちから反対の声も出なかったたために任命式の予定はズレることとなったのだ。

 

 ……はい、そこの「なぁ~んだ、二週間なら大したことないじゃん」と思った貴方! それは大間違いですぞ!

 

 騎士という戦闘職が蔓延るこの世界では、iPS再生槽を始めとした現代医療が非常に発達している。具体的には複雑骨折だって一日で完治させられる。そんな技術を以ってしても全治に二週間かかるということは、この世界的には凄まじい大怪我だということを意味するのだ。

 一応怪我だけではなく、査問会では毒を盛られたり休憩がなかったりとしたため黒鉄は疲労もかなり溜まっていたというが、それを加味しても二週間は長い。死力を振り絞り、それを一撃に凝縮するというのはそれほどにリスクの高い技なのである。

 

 まぁ、そんな感じで任命式は今日と相成った。

 新宮寺先生としては、黒鉄を日本支部の魔の手から守り切れなかった責任を感じているからこその配慮なのかもしれないが。どちらにしろ黒鉄の出席は破軍の生徒の大半が望んでいたことだろうしね。

 去年と違い、彼は最早スクールカースト最上位の存在なわけだし。

 

『以上、ここに並ぶ五人と有栖院を加えた六人を我が校の代表に任命する。……では次に代表選手団の団長を発表する。名前を呼ばれた生徒は前に出るように』

 

 団長かぁ……。

 確か原作では黒鉄が団長に任命されていたような気がする。桐原や兎丸、さらに学園最強の東堂さんを斃し、その能力値の差を努力で覆したという功績から黒鉄が団長に選ばれたんだっけ?

 確かに黒鉄の功績は衝撃的で、何よりドラマティックであることは認めざるを得ない。彼を団長に選んだのならば選手団の士気の向上を狙うこともできるだろう。

 

「団長は二年Bランク、昨年の七星剣王――疼木祝だ」

「はぁい」

 

 だが残念、団長は私だ。

 御祓さんが言うには校内の下馬評では私、ステラさん、黒鉄の三人の誰かが団長になるとされていたらしい。ということは原作のように黒鉄が相応しいと思う人も多いのかもしれないが……しかし私がいる以上そうは問屋が卸さない。

 もっとも、不戦勝しまくりの私よりも劇的な勝利を収めてきた黒鉄を団長に任命したかった人は少なからずいたようで……

 

 

「えー、疼木が団長かよぉ」

「確かに強ェけど、何かウチの学校のイメージが……」

「華がないわけじゃないけど、武曲の諸星くんとかと比べると何かダークというか薄気味悪いというか」

「そうか? 去年の《七星剣王》だし妥当なところじゃね?」

「実力的にも破軍の象徴なわけだし、学年的にも一年坊に任せるのはなぁ」

「いや、黒鉄は留年してっから実質二年生みたいなもんだろ」

 

 

 眼下から漏れる(どよめ)きには思わず苦笑してしまう。

 やっぱり不戦勝ばかりしていたのが悪かったのかもしれない。そのせいで大鎌のシンプルな強さが生徒たちに伝わり切らず、こうして賛否両論な風潮を生み出してしまっている。

 去年はマスゴミの風評被害によって大鎌のイメージアップに失敗してしまっているので、今年こそはカッコいい大鎌の姿を全国のお茶の間に届けなければならないだろう。

 

『静かにしろ、任命式の途中だぞッ。……これより団長に校旗の預託を行う。東堂、前へ』

「はい」

 

 名前を呼ばれた東堂さんが壇上へと上ってきた。

 何を隠そう、校旗をその手に持ちながら表情を引き締めている彼女も黒鉄派の一人である。現に生徒会室で私が団長になると通達してきた彼女の表情は「マジでこいつを団長に?」という感じの複雑な感情が入り混じったものだったし。

 おのれ黒鉄、これが主人公の風格というものか。

 

「……まさか次の剣武祭で私が貴女にこの旗を託すことになろうとは、去年の今頃は思いもしませんでした」

「正直、私もです。東堂さんは次の任命式でも一緒にこの壇上にいるものだと思っていましたから」

 

 皮肉にも聞こえるかもしれないが、これは割とマジだ。

 黒鉄の存在を加味しても、普通に彼女が私の隣に並んでいる可能性は充分にあった。いや、最終戦で私が黒鉄と闘っていればそうなっていた可能性が高い。

 だというのに、東堂さんがこうして原作と同じように校旗を渡す立場に回ってしまうとは……。

 事実は小説より奇なり――いや、むしろ現実的な問題をひっくり返してしまう小説(げんさく)の運命力的な何かの方が奇なんだろうけど。

 

「前団長としてハッキリ言わせて戴くと、貴女にこの校旗を託すのは非常に心配です。生徒の皆さんが心配している通り、破軍の校風が世間に誤って伝わってしまうのではないかと思うと既にお腹が痛いくらいですよ」

「心配性ですねぇ。去年と同じように相手を完膚なきまでにぶち殺し、圧倒的な強さを破軍のイメージとして世間に振り撒いてきますから安心してください」

「それが安心できないって言っているんですっ!」

 

 ガックリと肩を落とした東堂さんは、渋々といった様子で私に校旗を差し出した。

 

「貴女が何を仕出かすのか、それを考えただけで私は怖い。叶うことなら、せめて選手団の顔である団長の座だけは他の人にお願いしたかったのが本音です」

「それは残念でしたね」

「ええ、全く。しかし今年の代表生徒の中で……いえ、七星剣武祭に出場する全ての選手の中で最も次の《七星剣王》に近いのが貴女であるということには私も異存はありません。その信頼から、私はこの旗を貴女に託します。――どうか、我らが破軍学園に勝利を」

「承りました。元より私にとっては準優勝以下など惨敗も同然――優勝くらい、二連覇のついでに持って帰ってきてあげますよ」

 

 そうして私は、東堂さんから校旗を受け取った。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 疼木祝という少女を“暗殺者”という職業の人間から評価するのなら、『最高に面倒な標的(ターゲット)である』と言わざるを得ないだろう。

 その理由はいくつかある。

 

 まず第一に《既危感》という予知能力だ。

 自身に降りかかる火の粉を悉く、それも正確に察知する予知ということは、つまり彼女には全ての奇襲が見抜かれてしまうということに他ならない。

 奇襲に最も重要な要素は“意外性”だ。手段にせよタイミングにせよ、標的に「まさか」とすら思わせる暇も与えないことこそが暗殺の鉄則。

 しかし奇襲に対して絶対のアドバンテージを持つ祝にはこの鉄則を通用させることはできない。

 その例を一つ挙げよう。

 ()は前に偶然を装い、しかも自分(・・)が関わっていると悟らせることもせずに少量の毒物を彼女の食事に混入してみたことがあった。しかし結果として、祝は毒が混じった食事に手を付けることもなくこれを廃棄してしまったのだ。恐らくは“毒を口にしてしまう”という未来そのものを害として予知したのだろう。

 やはり彼女に奇襲や騙し討ちの類は通用しないと考えるのが妥当だ。

 

 そして第二に、彼女は無駄に能力の高い社会不適合者であるという点だ。

 何も寝込みを襲い、その首に刃物を押し当てることだけが暗殺ではない。周囲と諍いを発生させて内部から自滅させる“謀殺”も暗殺術の一種だと()は考えている。

 しかし祝にはこれも通用しない。

 例え諍いが発生しようと、彼女は個人の力で強制的に黒を白へと塗り替えてしまうだけの力がある。そしてそれを躊躇なく行えてしまうだけの反社会性、及び非社会性も持ち合わせている。

 さらに最悪、彼女は今の居場所を破棄してどこへなりとも消えることができてしまう。身一つでいくらでも己を満たすことができてしまう彼女は、故に躊躇なく己の障害を破壊し、長い目で見た将来的な自分への損害を細かく勘定することを殆どしない。

 このような相手に謀殺を試みるのは困難だろう。

 

(直接殺すのは難しく、間接的に殺すのも難しい。本当に暗殺者泣かせの人ね)

 

 己を悩ませる元凶に頭を痛めながら、彼――有栖院凪は浅い溜息をついた。

 周囲にひと気はなく、しかし仮に何者かがアリスに近づこうとも彼の存在に気付くこともできないだろう。彼の『影』の概念を操る能力により、現在の彼は極限まで()()()()なっているのだから。

 本来ならば破軍学園で一輝たちとともに任命式に参加していなければならないはずの彼は、こうして学園の関係者が間違っても訪れない学外に佇んでいる。

 

『――なるほど。ということは、これで正式に破軍の代表は決定したということですね?』

 

 その時、破軍学園のものとは違う電子生徒手帳から響く声によってアリスは我に返った。

 どうやら思考に没頭するあまり、一瞬とはいえ電話から意識を離してしまっていたらしい。しかし電話の相手はそれに気付くこともなく愉快そうに喋り続けている。

 

『いやいやまさか、《速度中毒(ランナーズハイ)》に加えて《雷切》までもが出てこなかったのは想定外でしたね。加えて貴方の一押しだった《深海の魔女(ローレライ)》も出場しないとは。どうにも破軍は選抜試合を取り入れた一年目にしていきなり不作を引いたようだ』

「その三人はくじ運が悪すぎたとしか言い様がないわね。選抜戦という形式を取る以上は仕方ないこととはいえ、確かにあたしの目から見ても今年の破軍はベストメンバーではないけど。……でも《告死の兇刃(デスサイズ)》は健在よ。彼女が残っているだけでも破軍の脅威度は然程変わらない」

 

 淡々と話すアリスの纏う空気は、普段のそれとは全く違っていた。

 どこまでも冷たく、それでいて抜き身の刃のような鋭さ。

 学園における彼の姿を知る者ならば、その雰囲気の差に唖然とさせられることだろう。

 

『確かにそうなんですよねぇ。貴方の方から見てどうです? 例の彼女は』

「間違いなく計画に支障が出るわ。奇襲に対して彼女の《既危感》はあまりにも相性が良すぎる。彼女を騙し討ちできるのなんて、それこそ激レアの因果干渉系の能力者でもない限り不可能よ」

 

 仮に(・・)アリスが祝を奇襲(あんさつ)する必要ができたとする。狙うのならば、恐らくは彼女が一人で訓練をしているタイミングだ。

 アリスが調べた限り、彼女は基本的に一人で訓練している。周囲には誰もいないことの方が多いため、暗殺にとっては絶好の機会だ。殺した後で死体を始末するのにも、アリスの能力ならば数秒で全てを済ませることができるだろう。

 普段の(・・・)手順ならばこうだ。

 「お疲れ様」と声をかけながら自然に彼女へ近づき、そのまま『影』ごと対象の動きを縫い止める伐刀絶技《影縫い(シャドウバインド)》により一瞬で拘束。声を上げる前にその細い喉元をダガーナイフの霊装《黒き隠者(ダークネスハーミット)》で一刺しして殺害完了だ。

 死体は影の中に収納できるため、証拠は何一つ残らない。

 

(……まぁ、無理でしょうけどね)

 

 アリスの()()()()()()の勘が告げている。

 もしも今の手順を実行しようとすれば、恐らくは霊装を展開しようとした瞬間にこちらの首が落とされているだろう。彼女の有する《既危感》の前では、このような古典的な暗殺方法は正面から刃物をチラつかせているのと何も変わらないのだから。

 友人が攻撃してくるはずがない、という意識的な死角を突くことも難しい。アリスの知る彼女は「何かあるのかな」と相手に思いながらも平気で反撃してくるタイプの人間だ。あるいは《既危感》に慣れ過ぎたが故の精神的な弊害なのかもしれないが、今は関係のないことなので置いておく。

 

 

 これらの分析結果から導き出されたのが“暗殺不可能”――即ち《解放軍(リベリオン)》の若き暗殺者である《黒の凶手》有栖院凪では彼女を殺すことができないという結論だ。

 

 

 念の為に断っておくと、これは彼が臆病風に吹かれたなどという愚かな理由では断じてない。目標の冷静な分析と観察は暗殺者にとって絶対的に必要な技術である。その末にアリスは自分の手に負える仕事ではないという極めて正確な判断を下したのだ。

 

『……ふむぅ、やはりそうですか。となると《前夜祭》前に彼女はどうにかしたいところですねぇ』

 

 電話の相手――平賀玲泉が唸る。

 彼としてもアリスの暗殺者としての技量は評価している。アリスをここまで育て上げたのは《解放軍》の中でも指折りの伐刀者。その人物が幼少期からその才能を見出し、育て、経験を積ませ、そして遂に完成したのが《黒の凶手(アリス)》という暗殺者なのだ。

 その彼が不可能と言うのならば、恐らく《解放軍》の中に祝を暗殺してのける者は存在しないのだろう。

 

『《前夜祭》は我が『暁学園』がその産声を上げる重要なイベントです。その鍵である貴方と相性の悪い彼女は、可能ならば排除しておきたい。……今の内にサクッと拉致できたりしません? 流石に殺すのは弱腰と取られて計画的にアウトでしょうが、最終的に七星剣武祭の時に解放できれば恐らく問題ないですし』

「馬鹿馬鹿しい。そもそもあたしと相性が悪いから排除しようというのに、あたし自身がその刺客になるのは無茶というものよ。というかそちらは何か動いてくれたのかしら?」

『一応、《前夜祭》の直前に刺客を雇い入れて彼女を拉致監禁する計画もあったんですけどねぇ。彼女、今年はずっと学園に引きこもっていてどうにも難しそうなんですよ。学園へ突っ込ませるのも手ですが、そんなことをすれば《世界時計(ワールドクロック)》や《夜叉姫》がこちらの尻尾を掴みかねませんから』

 

 元々祝の存在は、彼らが《前夜祭》を計画した時点で挙げられるほど主だった障害だった。

 故に彼女が在校する破軍学園で《前夜祭》を行うべきではないという意見も『暁学園』の内部には存在したのだが……

 

『しかし去年の優勝校を()()()確実に『暁学園』への注目度と期待は増すことになるでしょう。《雷切》と《告死の兇刃》が台頭したおかげで破軍の地位も以前よりだいぶ上がった。しかも今年は《紅蓮の皇女》までそこに加わっている。逃がすには実に惜しい獲物だ』

 

 彼らが《前夜祭》で手にすることを最も欲しているのは《七星剣王》を斃したという称号ではない。『暁学園』が《七星剣王》を輩出した破軍学園(そしき)(まさ)ったという結果なのだ。

 故にその障害である祝を一時的に排することに何の躊躇もない。彼女を斃すべき場はあくまでも本番である七星剣武祭。わざわざ危ない橋を渡ってまで《前夜祭》の時に彼女を屠る必要性は低い。

 しかし……

 

『しかし一つ問題がありまして』

「問題?」

『実は彼女を事前に排除してしまう作戦に身内から反対が出ているのですよ。彼女のことを小細工抜きで叩き潰したいという、王馬くんからの凄まじく強い進言がありましてねぇ』

 

 「視線だけで殺されるかと思いました」と語る平賀に、アリスは呆れから溜息をついた。

 アリスの知らぬところで作戦開始の前に内部分裂されては堪らない。一応とはいえ纏め役として『暁学園』のメンバーを率いる平賀がこの調子で大丈夫なのだろうかと、アリスに一抹の不安が過る。

 

「じゃあ貴方はそれを大人しく受け入れたというの? ゲストとはいえ彼も暁の一員。勝手なことをされては困るわ」

『いえいえいえ、まさか。何とか保留(検討します)という形で抑え込んでおきましたよ。ですが事前排除をしたが最後、このままでは彼に背後から斬られてしまいそうですね。全く困ったものですよ、ハハハ』

「巫山戯ないでくれる? 《風の剣帝》より先にあたしが貴方を殺してもいいのよ?」

 

 アリスの言葉は半ば本気だった。自分のミスならばともかく、味方の怠慢で背中を狙われてはアリスとしては堪らない。

 しかし平賀は《解放軍》きっての暗殺者の脅しなどどこ吹く風とばかりに笑い声を漏らすばかりだった。

 

『これは手厳しい、努々肝に銘じておきますよ。……しかしですねぇ同志・有栖院、ボクも今まで手を拱いていたわけではありません。貴方が我々に齎した彼女の情報のおかげで光明が見えました。()()()()()()()()。疼木祝の《既危感》を掻い潜り、《前夜祭》を完遂し、さらには王馬くんの要望にも応えられる策をね』

「……!」

 

 平賀の言葉にはアリスも驚かされた。

 アリスが考え得る限り、祝の持つ予知能力はその性質的に奇襲に対して無類の強さを誇ることは間違いない。

 それを理解できない平賀ではないだろうに、彼は自信に満ち溢れた声音で《既危感》の攻略法を暴いたと言い放ったのだ。それがどのような方法なのか、アリスも興味がないと言えば嘘になる。

 

「そんな一石三鳥の方法が本当に存在するというの? ならば是非ともお聞かせ願いたいわね」

『えぇ、我ながらなかなかの上策だと自負しております。とはいえ、この方法は今回のような場合でしか使えない裏技です。真っ当な攻略法ではないので貴方のご期待に沿えるかはわかりませんが』

 

 そして語られる平賀の策。

 それを聞き終えたアリスは、彼が語る《既危感》の“抜け穴”に思わず息を呑んだ。いや、《既危感》だけではない。これは彼女の持つ人格的な性質からも恐らくは()()

 祝という少女を間近で観察してきたアリスから見てもそう思わせるだけの巧妙さがこの策にはあった。

 

『どうです? ボクとしては結構いい線を行っていると思うんですが』

「……確かに、悪くない作戦だと思うわ」

 

 悪くないどころではない。詰めさえ誤らなければ完璧な作戦だ。

 事前に作戦が外部に露呈するなどのトラブルがない限り、この作戦ならば恐らく破軍の代表を祝ごと封殺することができるだろう。

 思わずアリスが息を呑んでしまうほど、この作戦は的確に《既危感》の欠点を突いている。

 

「……わかったわ、あたしはその作戦を前提に《前夜祭》では動けばいいのね? 彼女さえ攻略できればこちらの成功は約束されたも同然よ。既に代表生徒たちの大半とは友好な関係を構築できているわ」

『流石は《黒の凶手》です。それでは《前夜祭》でお会いしましょう。ああ、もちろん何かトラブルが起きた時は早急にご連絡を。二十四時間いつでも対応致しますので』

 

 「くれぐれも気取られないように」という言葉を残し、平賀は電話を切った。アリスは懐に生徒手帳を仕舞いながら先程平賀が立案した作戦を頭の中で反芻する。

 それを基に作戦の進行を再びシミュレートしてみるが、アリスの頭脳と経験はやはりこの作戦の成功率が限りなく高いという計算を導き出した。

 これはアリスの立場から考えれば非常に喜ばしいことだ。いや、縦しんば喜びの感情が浮かばなかったにしても懸念材料の一つが減ったことに安堵すべきことだろう。

 だというのにその表情は計画の成功率の高さに対して――どこか“憂い”を帯びているかのようだった。

 

「あたしは、こんな大人にだけはなりたくなかったはずなのにね……」

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 七月。

 それは学生ならば胸を躍らせる月だ。

 夏の蒸し暑さが本格的に顔を覗かせ始め、それによって地球が日本人という人種を淘汰しようと奮起し始めたとしか思えないこの時期。しかし社会人にとっては忌々しさしか感じさせないこの天候も、学生たちにとっては“夏休み”というビッグイベントを前にした可愛らしい試練にしかならない。

 しかし七星剣武祭の代表となった学生騎士にとって、七月とは特別な意味を持っている。

 

 それは即ち、大会直前における最後の調整期間だ。

 

 七星剣武祭が行われるのは八月。

 学生たちにとって夏休みに当たる時期に行われるこの大会の参加者にとって、七月という月は自身のコンディションを整える最後の時間なのだ。

 医療技術が発展している現代において故障を引き摺る可能性は低い。しかし逆説的に言うと、強い選手が事前に脱落する可能性もまた低いということに他ならない。

 虎視眈々と天を仰ぐ選手にとって、この時期にどれだけ実力を伸ばせるかが鍵となっているのである。

 

「というわけで、今月下旬に毎年恒例の直前合宿を行います」

 

 教壇に立つ刀華が、高らかに一同へと宣言した。

 彼女を見つめるのは、破軍学園の代表生徒である計六名だ。刀華の呼び出しによって空き教室に集められた彼らは、刀華から配布されたプリントへ各々目を通していく。

 

「本来ならば奥多摩で行われるこの合宿ですが、今年は例の『巨人事件』があったので使用を控えます。そこで巨門学園に連絡したところ、山形県にあるあちらの合宿場を使用させてくださるとのことなので合同合宿を行うことが決定しました」

 

 「ここまでで質問は?」と問いを投げた刀華に代表選手の一人である葉暮姉妹の片割れ、葉暮桔梗が挙手する。

 

「ちょっと聞きたいんだけど、合宿って具体的な訓練メニューとかってあんのか? オレらはこの合宿に参加するのは初めてだから、もっと細かい内容が知りたいんだけど」

「わかりました。では説明しますと――」

 

 刀華が合宿の訓練メニューを説明し始める。

 熱心にその説明を聞く彼ら代表選手だったが、その中に一名だけ聞き手として集中できていない者がいた。

 

「はぁ……」

 

 祝は小さく溜息をつきながら、配布されたプリントを流し読む。

 内容はほぼ見覚えがあるものであるため、恐らくは祝が去年参加した合宿と大きな違いはないだろう。しかし祝の視界の中央を占めているのは、プリントの頭の方に記されている合宿の日程の部分だ。

 

(そういえば合宿の最終日って暁学園が《前夜祭》するんだっけ)

 

 平賀やアリス、延いては『暁学園』に関わる人間が全力で外部に秘匿する極秘計画《前夜祭》。

 それを前世というこの世の外側から齎された知識により、祝はその全容をほぼ知り尽くしているのだった。

 概要から参加メンバー、さらには背後で糸を引く人間の頭まで承知しているという、計画の関係者からすれば怒り狂っても仕方がないほどの反則である。

 彼らにとっては最早神を恨む以外にないというほどの理不尽だろう。

 そのような恐るべき知識を持つ祝だったが、しかし彼女自身はその使い処を非常に難儀しているのが現実だった。

 

(……どうしようかなぁ、これ)

 

 祝は内心で頭を抱えていた。

 『暁学園』――それは連盟によって日本国内に設立された七つの騎士学校を()()()()()()に設立された“国立”の騎士学校である。

 

 第二次世界大戦に敗戦した後、日本は連盟によって国内の伐刀者を一括して管理される立場に追いやられた。

 いや、正確に表現するのならば、日本は《サムライ・リョーマ》を筆頭とした伐刀者たちによって戦勝国に迎えられているために“敗戦国”ではない。しかし厭戦ムードによってなあなあの状態で終戦を迎え、その後に時の首相が強行に協調路線を取ったことによって国の軍事力と言える伐刀者の管理を連盟に明け渡すこととなったことを考えれば、戦後の政争によって日本は敗戦国に落ちぶれたと後世の人々が判断したと考えても不思議はないだろう。

 

 当然ながら戦前より国内の伐刀者を統括していた『侍局』はこれに猛反発し、さらに国家の重要な戦力である伐刀者(サムライ)を他国の人間に支配される立場には多くの国民や政治家が反対した。

 しかし時の政権は諸外国との関係悪化を恐れてこれを強行。日本は連盟傘下の国となり、侍たちはその立場を騎士へと変えた。

 

 この問題は戦後から半世紀以上が経過した現代でも根深い。

 現与党が出来上がった根幹にはこの問題を解消し、伐刀者たちを名実ともに自国の戦力として取り戻すという理念があるとされている。そして国民の間にもこの意見を支持する者は多く、将来的に何かしらの問題が起こることは連盟内部でも認識されていたことだった。

 

 そしてその問題の尖兵として名乗りをあげようとしているのが、件の『国立・暁学園』なのである。

 

 国立の名からもわかる通り、この学園は日本という国家が主体となって起ち上げた学園だ。

 未だ国家の最重要機密であるため世間には公表されていないが、次の七星剣武祭に参加することでその産声をあげることが予定されている。

 その際、暁の実力を示すことで連盟の学園の力が自分たちに劣ることを連盟自身に突き付けるためのデモンストレーション――通称《前夜祭》が行われる。それはつまるところ連盟の騎士学校一つを暁の生徒だけで撃滅する電撃作戦に他ならない。

 もちろんこれは連盟に力を示すことを主な目的としているため、大切な国民である学園の生徒や教師を殺すことはしない。しかし伐刀者には《幻想形態》という便利な代物がある。これを用い、学園内で抵抗の意志を示すものは纏めて片付けることが決定されていた。

 

(その標的になったのが破軍(ウチ)なんだよなぁ。せめて別の学校なら色々と考えずに済んだのに)

 

 祝が原作のまま破軍が標的にされていると確信しているのは、偏に《黒の凶手(アリス)》の存在があるためだった。

 アリスは《前夜祭》の工作員として破軍学園に入学した暁学園のスパイなのだ。同時に伏兵としての役割を持ち、《前夜祭》の際には破軍の主力たちを背後から仕留める任務も与えられている。

 

 つまり潜入先=襲撃先という式が確立される。

 

 よって破軍学園が原作の通りに《前夜祭》の舞台となるのは間違いない。

 そしてその《前夜祭》が決行されるのがこのプリントに記された期間の最終日――合宿から代表の生徒たちが学園に戻ってきたタイミングなのである。

 

(そこで暁の生徒たちが破軍学園を襲撃し、代表ごと学園の戦力を纏めて叩き潰す)

 

 これによって暁学園の戦力を連盟に示すことで「我らこそが真の騎士学校なり」と名乗りを上げる。

 そうすれば連盟は高い確率で暁学園を無視できなくなり、七星剣武祭で雌雄を決するという展開になるのが日本の目論見だ。

 

(連盟が『舐めんな』ってキレたりすればお終いの気もするけど)

 

 恐らくは連盟内部にも日本は手を回しているのだろう。

 その後は七星剣武祭を舞台に連盟と日本が“決闘”し、暁の誰かが七星剣王になってしまえば日本の勝利。暁学園は名実ともに日本を代表する最強の騎士学校となる。少なくとも日本という国家はそういう扱いをするようになる。

 

 これを基端とし、やがて連盟の傘下にあることに反対する風潮を国内に作り出すのが暁学園の目的だ。

 

 この作戦は政府が力を入れているというだけではなく、日本が連盟傘下であることに反対する元侍局――現代では名を変えその一部となった騎士連盟日本支部も支援している。よってその規模は決して生半可なものではなく、まさに日本による連盟への反発が表立った一大プロジェクトだ。

 当然ながら失敗は許されず、日本は成功のためならば連盟が敵視する伐刀者集団《解放軍》すらも雇い入れる所存だった。アリスもその一員であり、《解放軍》から暁に派遣された伐刀者なのである。

 

「……どうしよう」

 

 消え入るような声で祝は呟いた。

 刀華の丁寧な説明を余所に祝は思考を巡らせ続ける。今まで先延ばしにしていた問題だが、最早それも限界と言えるところまで来ているのだ。

 どうすれば全てが上手く行くのか、それを真剣に考えなければならない時が遂に来てしまっている。

 模索すべきは破軍を暁から守り抜く最善の方法――ではない。

 

 

 

 

(どうやったら《前夜祭》で大鎌が大活躍できるんだろう)

 

 

 

 

 祝が考えるのはそのことだけだった。

 破軍学園の級友たちを守ることでも、愛する母校の破壊を食い止めるでもなく、ただ只管にそれを考え続けていたのだ。

 いや、むしろそれ以外の発想など最初からなかったというべきだろう。彼女の中ではそれらのことなど、それこそ大鎌の活躍と比較すれば些末なものでしかないのだから。

 

(もしも襲撃してきた暁学園の生徒を私が片っ端から返り討ちにできたら、きっと大鎌の知名度アップになるはずッ!)

 

 相手は日本が《解放軍》という違法組織に頭を下げてまで用意してきた最高レベルの学生騎士たち。

 破軍学園が原作において彼らに成す術もなく敗北したことからも、その実力の高さは疑うべくもない。ではそれほどの戦力を自分が撃退できたとしたら、七星剣武祭を前にして大鎌の活躍を世に知らしめることができるのではないだろうか。

 

(《解放軍》にも日本政府にも、さらには連盟にまで大鎌の強さを示すことができる画期的なこの機会! 絶対に逃すわけには行かない!)

 

 ギャラリーが少ないことだけが残念だが、その分試合の時のような“魅せ技”を重視することなく確実に鏖殺できるというもの。《前夜祭》で重視すべきは『大鎌使いが活躍した』という結果だけだ。

 それに加え、祝は大鎌を有名にできて嬉しい、連盟は《解放軍》の若い兵を始末できて嬉しい、世間も犯罪者が減って嬉しい――つまり皆が幸せになる素晴らしい対応策でもある。日本政府は将来的に困るかもしれないが、敵の事情など祝の知ったことではなかった。

 しかしここでたった一つだけ問題が浮上する。

 

(各個撃破ならそんなに難しくはないと思うけど、集団が相手だとちょっとなぁ)

 

 要は戦力差が大きいという非常に根本的な問題だった。

 相手は腐っても精鋭部隊。原作知識を持つ祝は暁学園の生徒たちの強さを誰よりもわかっている。故に純粋な白兵戦ならばともかく、能力込みで袋叩きにされてしまえば流石に()()()()()()だろう。

 

 ――そう、祝の頭には最初から暁学園に敗れるという発想は微塵もなかった。

 

 精々が逃げに徹されてしまえば一人か二人程度ならば仕損じてもおかしくはない、といった程度。

 最早傲岸不遜を超えて自信過剰とも取れる彼女のその考えは、しかし祝にとっては決して実現不可能な未来予想ではなかった。

 事実、その程度の危機ならばこれまでも腐るほど経験してきている。実力者たちに包囲されることなど、祝が修行に赴く際は至って当たり前の状況なのだから。むしろ原作知識によって敵の詳細が判明している今回は比較的易しい難問と言えるだろう。

 

(これは仕留めやすそうな人からさっさと始末していくしかないかな。そうなると狙い目は……)

「――そこっ、疼木さん! 去年の合宿で内容を知っているにしても、今年の貴女は選手団の団長なんです! もっと真面目に聞きなさい!」

 

 祝が思考を余所に飛ばしていることを刀華は目敏く見つけ出す。

 《雷切》の名に恥じぬ眼力で睨みつけられた祝は「はぁい」という気の抜けた返事をする。

 しかしその後も刀華の話を聞いているのは表面上だけで、頭の中では当然のように対暁学園の作戦を練り続けていた。

 常識的に考えれば、強敵の襲撃を受ける立場の者は戦々恐々としながら未来を警戒することとなるのだろう。

 しかし《前夜祭》をシミュレートし続ける祝は、鼻歌でも歌いそうなほどに楽し気な表情を浮かべているのだった。

 

 



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前夜祭編 《幻想形態》なんか捨ててかかってこい!

前話を新しく、前々話は修正して上げ直しておりますのでご注意を。
今話は所々を修正しておりますが、最後以外は内容に大幅な変更はありません。(4/18)


 ステラ・ヴァーミリオンという少女が、なぜ遠い異国の地である日本に留学してきたのか。

 それは偏に“自分を過酷な状況に追い込むため”に他ならない。魔力量という観点から世界最高クラスの才能を持つと言われる彼女にとって、北欧の小国である母国・ヴァーミリオン皇国はあまりにも小さすぎたのだ。

 故に彼女は学生騎士の質が高いとされる日本に学ぶ場を移し、そこで己をさらに研鑽せんと考えていた。

 そんな彼女にとって、この試合は願ったり叶ったりのものだったことは言うまでもない。

 

「喰らい尽くせ、《妃竜の大顎(ドラゴンファング)》ッ!」

 

 剣型霊装《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》の切っ先から、紅蓮の炎が迸る。

 一見無秩序に放たれたように見えたその炎は、しかし噴射されると同時に圧縮、洗練され、やがて蛇のように長大な龍となって目の前の獲物に襲い掛かった。

 通常の敵ならばそのまま炎に呑まれて終わりだ。しかし目の前の敵は、いかなる面から見ても全く尋常な敵ではない。

 それを証明するように、“彼女”は《妃竜の大顎》へ一歩を踏み出し――

 

「行きますよ~」

 

 一瞬で龍の脇を駆け抜けた。

 ステラの目を以ってしても一瞬。一歩目の足先に力が乗った瞬間までしか捉えることができない、その人知を超えた速度。

 しかし相手が相手だけに、その程度は想定内だ。

 ならばお互いの土俵である接近戦で片を付ける――そう考えたステラは、これまでの中距離(ミドルレンジ)から近距離(クロスレンジ)へと戦場を渡った。

 

「勝負よ、ハフリさん!」

 

 ステラが咆哮し、それに呼応するかのように刀身に紅蓮の炎が灯る。

 摂氏三千度を誇るその炎は、掠るだけでも人間の肉を焼き焦がす灼熱の息吹。間違っても一人の少女が呼吸をするように繰り出せる魔術ではない。

 しかし対する少女――祝はそれを意にも介さず緩やかに微笑んだ。

 

「私で良ければ、喜んで」

 

 そして息つく間もなく、一輝の《一刀修羅》にも劣らぬ機動力を以って祝がステラへと突っ込んだ。

 《三日月》は祝の急接近に伴い、既に上段へと振りかぶられている。恐らくはステラをその間合いに収めた瞬間、その刃は刹那の間も置かずステラの頭蓋を斬り砕くだろう。

 しかしそれがわからないステラではない。

 何と彼女は自身が祝の間合いに入る瞬間に前進。ステラは死神の懐へとあえて飛び込み、その刃の予測軌道を抜け出そうと画策したのだ。選抜戦でカナタが使った最後の戦術に似たそれだが、しかしその立場に立ったステラにはわかる。この作戦が心理的にどれだけ難しいものであるかということを。

 

 長柄武器の弱点は懐――そうわかっていても、祝を前にすればその常識の何と心細いことか。

 

 目の前の少女が放つプレッシャーは尋常ではない。

 まるで自分とは違う生物なのではないかと錯覚させられるほどの“死”の気配。

 これを感じながら平然とこの行動を選択できる人間がいるのならば、それはもはや常人を超越した精神の持ち主だろう。

 もちろんステラとて恐怖は感じている。しかし彼女にとってそれは望むところ。強敵であるからこそ、こうして海を越えて日本に来た価値がある。

 

(技術では劣るけど、力ならこっちが上よッ)

 

 頭上から迫る大鎌。

 その長柄に当たる部分を剣で受け止め、そのまま祝へと強引に接近するのがステラの作戦だ。

 ある程度近づくことは剣の間合いすらも逸してしまうために危険だが、しかしステラの膂力ならば素手でも充分に強い。そのまま抑え込んでマウントを取れば、いかに祝であろうと力技でほぼ一方的に斃せるだろうという確信があった。

 技量で敵わないのならば自分が優れている面で勝つ。実にシンプルであり、しかし同時に効果的な戦略だ。

 

 だがステラの目論見は、大鎌の軌道が流れるように変化したことで崩れ去った。

 

 ステラが接近戦を挑んでくると察するや否や、《三日月》はピタリと静止。そしてグンっと石突に近い下の手を押し出し、振り下ろしを下段からの打撃へ変更した。

 力のロスをほぼ感じられないその巧みな攻撃に驚愕するも、ステラは咄嗟に剣を前方へ突き出してこれを防ぐ。しかし急激な変化であるにも関わらず、祝の打撃は魔力放出による瞬間的な加速によって凄まじい金属音と共にステラの腕を彼女の頭上へと弾き上げた。

 

「しまっ」

「隙あり」

 

 下段からの攻撃はまだ続く。

 そのまま大鎌は風車のように回り、今度は短剣の部分が回転に乗ってステラへと襲い掛かった。

 剣で防御する余裕はない。

 それを悟ったステラは武術から魔術へと防御を変更。《妃竜の羽衣(エンプレスドレス)》によって炎の鎧を一点に集中、下顎をぶち抜こうとするその短剣を受け止めた。

 

「がッ!?」

 

 炎の鎧が短剣の刃を阻む。

 しかし魔力放出による加速力が乗ったその一撃は《妃竜の羽衣》を以ってしても完全に防ぎきれるものではなかった。

 辛うじて刃は皮膚に達していない。しかし衝撃は防御を越えてステラの脳を深く揺さぶり、一時的に平衡感覚を奪い去る。

 そして一瞬とはいえ確かにステラの身体は自由を失ってしまい――それは祝にとっては充分すぎる隙。

 

「せぇ……」

 

 祝の左脚が大地を踏み締め、そこから伝わるエネルギーが股関節を伝わって右脚へ伝導。無駄なく右脚へと押し込められた運動力は魔力放出の追い風を受けて莫大な破壊力を秘めた一撃となる。

 

「のッッ!!」

 

 祝の右脚が大質量を持つ砲撃となった。

 がら空きの腹へ祝の蹴りが入り、ステラの身体がくの字に折れ曲がる。ステラの内臓から吐瀉物が這い上がり、それを吐き出す間もなく彼女は大鎌の間合いから追放された。

 ズガンッ、という大凡人体から響いたと思えないほどの衝撃音が耳を劈く。

 その音がハッタリではないことを証明するかのように、ステラはリングを越え、そのまま壁を突き破り、建物の外へと退場していった。

 破砕音と共に姿が見えなくなったステラを見送り、祝は目をぱちくりと瞬かせる。

 

「……あっ、もしかしてやりすぎました?」

「もしかしなくてもやりすぎに決まってるでしょうッ!?」

 

 シンと静まり返ったリングで呟く祝。

 そんな彼女に、模擬戦(・・・)を見守っていた刀華の雷が落ちたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「ぐあああッ、悔しいいいいいッ!」

 

 合宿所に程近い繁華街で、ステラは地団太を踏んでいた。

 選抜戦から月日は経ち、既に七月下旬。季節は春から夏に移り変わり、湿気と雨が目立つようになる時期。

 七星剣武祭の足音を各校の代表生徒たちが徐々に感じ始めるこの時期。破軍学園の代表たちは夏休みを利用し、山形にある巨門学園の合宿場で大会の直前合宿を行っていた。刀華たち生徒会のメンバーも調整の手伝いとして付いてきてくれている。

 本来ならば破軍学園が所有する奥多摩の合宿場を利用するのが例年の行事なのだが、今年は巨人騒動があったために安全面を考慮され、こうして巨門学園と合同合宿を行っている。

 その機会を利用し、ステラは最大の敵となるであろう祝に模擬戦を申し込んだのだが……

 

「もう何なのよあれ! 接近戦であれを斃せる人とか学生騎士にいるの!? 一太刀も入らないんだけど!」

 

 その結果は本日だけで三戦三敗。

 言い訳もできないほどの完敗となった。

 唸り声をあげて悔しがるステラに、隣を歩く一輝は思わず苦笑する。

 

「疼木さんの近接戦はもう結界だからね。彼女の間合いで闘い続けるのは僕でも容易じゃないし」

「結界っていうか、もう暴風域よ。こう……視界の端からグワングワン刃と石突が飛んでくるし、隙あらばぶん殴られたり蹴り飛ばされるし。近接戦でここまで歯が立たなかったのは一輝以来ね」

 

 祝を覆い隠すように大鎌が円の動きを見せ、かと思えばこちらの攻防の隙間を突くように手足が凄まじい速度で伸びてくる。

 それがステラが感じた祝の戦闘スタイルだった。大鎌はほぼ防戦に用い、攻撃でも牽制に使用されることが多かった印象だ。長柄から九十度に刃が伸びるあの形状も頗る厄介で、正面からぶつかれば必ず四方の内の二方向はカバーされてしまう。

 その性質を利用され、ステラは中距離と遠距離(ロングレンジ)でしかまともに闘うことができなかった。

 

「って言っても、祝さんには近接戦以外の攻撃手段がない。だから一方的に勝てて当然なのに……」

「あはは、全然魔術が当たらなかったねぇ……」

 

 理想的な魔力放出を駆使する祝の瞬発的な機動力は《一刀修羅》を用いた一輝に匹敵する。故にステラの魔術は彼女の制服に焦げ跡を付けることすら叶わなかったほどだ。

 そもそもの話、祝は遠距離と言えるほどの間合いを決してステラとの間に作らなかった。

 たとえ離れても必ず中距離程度を維持し、ステラが大技を使おうと一呼吸入れれば刹那の間に接近戦に移行できる距離を保ち続けていたのだ。よって隙あらば祝の接近を許してしまい、そのまま押し込まれる形でステラは三戦とも敗北している。

 

「でも収穫はあった。一つ彼女の能力についてわかったことがある」

「ホントにっ!?」

 

 目を輝かせるステラに、一輝は自信を持って頷く。

 これはステラという強者と闘ったが故に判明した祝の新たな真実だ。

 

「疼木さんの《既危感》が発動する瞬間、彼女の眼球は微細な揺れが走る。たぶん未来からのフィードバックに対する身体への副作用なんだと思う。つまり、彼女がこちらの攻撃を読んだ瞬間がこちらにもわかるんだ」

「なるほど……それで?」

「えっ?」

「いや、それだけじゃ意味ないでしょう? 未来が読まれようと彼女自身の経験則から対処されようと、闘う相手からしたら同じことじゃないの?」

「……あっ、確かに」

 

 ステラの言う通りだった。

 祝の《既危感》は確かに驚異的な能力だが、それ以上に警戒すべきは祝自身の対処能力だ。結局、彼女の戦闘能力そのものを突破できなければ変わりはない。

 

「彼女の癖とかもだいぶ見ることができたけど、こちらの見切りを彼女は見切ってくるからなぁ。やっぱり彼女は強敵だ」

「意味ないしっ!」

 

 祝への対策は、彼女への恐怖を克服した一輝を以ってしても前途多難だった。

 

「七星剣武祭では必ず彼女とどこかで当たることになるんでしょうね。縦しんば当たらなかったとしても、それは彼女以上に強い選手が出てきたってことになるし」

「疼木さんは優勝を目指す以上、避けては通れない壁だ。この合宿で僕たちは少しでも成長する必要がある。最悪、僕には《一刀天魔》っていう切り札もあるけど……」

 

 一輝が言い淀んだ。その理由はステラにもわかる。

 《一刀天魔》――それは一輝が編み出した《一刀修羅》の応用。最終戦で刀華を一刀の下に斬り伏せたその伐刀絶技は、しかし一輝に凄まじい代償を支払わせた。

 その証拠に、一輝は試合の後に二週間以上も病院へ入院することとなったのだ。

 

「全身を極度に酷使するせいで、一度使ってしまえば病院行き確定。iPS再生槽がある現代医療であっても、使えばしばらくは絶対安静にする必要がある。この技を使ったが最後、次の試合には絶対に出られない」

 

 七星剣武祭における試合は一日一戦。

 それを連日行うことで試合が進むため、《一刀修羅》でギリギリ次の試合に影響を残さずにいられる。

 となればそれ以上の負担を強いる《一刀天魔》は完全に諸刃の剣だ。七星剣武祭に優勝できなければ試合に勝って勝負に負けたも同然。おいそれと切れる手札ではない。

 

「だから、僕ももっと強くならないと。《一刀天魔》がなくても、少なくとも決勝まで上がれるようにしなければ優勝なんて絶対に無理だ」

 

 警戒すべき相手は祝だけではない。

 例えば真っ先に思い付くのが、昨年惜しくも準優勝に留まった武曲学園の三年《浪速の星》諸星雄大だ。彼の巧みな槍捌きは一流の剣士である刀華すらも圧倒し、彼女に《雷切》という切り札を使わせることもなく完封した巧者だ。

 一輝が捨て身で勝利した刀華を圧倒したその実力に、彼はさらなる磨きをかけてきていることだろう。

 そして彼以外にも――いや、彼以上に警戒すべき人物も存在する。

 

「黒鉄王馬――僕の兄さんだよ」

「……名前を聞いて薄々そうじゃないかと思っていたけど、本当にイッキやシズクのお兄さんなのね」

 

 黒鉄王馬。

 件の人物のことはステラも僅かながら聞き及んでいた。

 友人の加々美によれば、彼は武曲学園に所属しているにも関わらず、平時は世界中を放浪して回っているらしい。滅多に連絡を取ることもできず、基本的には行方不明も同然なのだとか。

 一昨年と去年の七星剣武祭にも出場しておらず、その実力についてもリトルリーグ以降の情報は一切ない。わかっているのは伐刀者として最強クラスである証――即ちAランクであるということのみ。

 そんな王馬が今年の七星剣武祭に出場するという情報が出回り始めたのは、破軍と同じく選抜戦を行っている武曲の代表が決まった後だった。噂によれば彼は代表の一人に決闘を申し込み、それを一方的に斃すことで出場枠を奪い去ったと聞く。

 

「公式戦から五年間も離れていた彼が、今更になってどうして表舞台に戻ってきたのか。たぶんだけど、その理由はステラにあると思う」

「アタシ? どういうこと?」

「兄さんはとにかくストイックな人で、もう『生きること=強くなること』っていう感じの人なんだ。だから同じAランクであるステラと闘うため、こうしてわざわざ表舞台に戻ってきたのかもしれない」

 

 そう、兄は昔からそんな性格をしていた。

 最後のリトルリーグで優勝した彼は、そのまま世界大会を制覇。そうして名実ともに同年代における最強の称号を手にした王馬は、まるでさらなる敵を探すように表舞台から去っていった。聞くところによれば、彼はそれから紛争地帯などに赴いてその腕を磨き続けているらしい。

 それ聞いた当時の一輝は、『実に兄らしい』と驚く前に納得してしまったほどだ。

 

「強くなることって……それってイッキもじゃないの? ストイックさならイッキも相当だと思うけど」

「いや、兄さんは僕以上だよ。強くなることに全力を注ぎ過ぎて、家族や学校みたいな(しがらみ)を放り投げてしまうような人だからね。僕というよりかは……うん、どちらかというと疼木さんに似ているかも」

「ハフリさん? えっ、オウマ・クロガネってあんなほわほわした感じなの? なんかイメージと違う……」

「いやいやいやっ、そういうことじゃなくて!」

 

 しかし自分で言っておきながら、一輝はその言葉がストンと胸に落ちた。

 そうだ。よく考えてみると王馬と祝には似通ったところがある。

 表面上の性格ではなく、その根底。自分が求める究極の一のために、その他の全てを些事として切り捨てられてしまうその精神構造。その一点において一輝が知る両者は非常によく似ていた。

 

「強くなるために人生を捧げてきた修羅……それが王馬兄さんだ。実力もAランクの名に恥じない本物で、国内大会では敵なしって言われていたほどだよ。リトルリーグで優勝した時点で当時の七星剣王クラスの実力があったと言われているほどだ」

「ふーん。ならイッキから見て、ハフリさんとお兄さんはどっちの方が強いと思うの?」

「それは……難しい質問をするね。でも“当時”の強さを基準に考えるのなら……恐らく兄さんだと僕は思っている」

「それほどの実力者なのね、お兄さんは。……ん? というか当時ってどういうこと?」

 

 その言葉の意味がわからず、ステラは首を傾げた。

 

「兄さんの最後のリトルリーグの決勝戦の対戦相手。それは当時小学五年生だった疼木さんなんだよ」

「ッ!?」

 

 一輝の語った事実に、ステラに衝撃が走る。

 確かに王馬と祝は一歳の違いしかない。ならば過去の公式戦で闘っていた可能性も充分にあった。

 

「それじゃあ、ハフリさんはその試合でお兄さんに敗けて……?」

「……うん、まぁ……そういうことになるんだけど。その試合はちょっと複雑な事情があってね」

「複雑って?」

「…………その年のリトルリーグの決勝戦に残ったのは、例年の大会で悉く優勝を重ねてきた天才少年『黒鉄王馬』。そしてもう一人は、徐々に頭角を現し始めていた無名の秀才『疼木祝』。その頃にはそこそこ名前が知れていたけど、当初の疼木さんは全くと言っていいほど無名の騎士だったんだ」

 

 祝の名は、騎士の世界に関わる手段に乏しかった少年時代の一輝にとって全く知らない名前だった。

 そして当時の評判を聞く限りでも祝はパッとする選手ではなかったようだ。

 その大鎌という特異な武器と秀でた魔力量こそ目を引いたが、それ以外は平々凡々。体術による接近戦しか闘う術がなかった彼女にとってリトルリーグの壁は厚かったことが察せられる。

 

「リトルリーグはまだ身体が出来上がっていない上に戦闘経験に乏しい子供たちの大会だからね。当然ながらアドバンテージがあるのは魔術に秀でた子だ。そんな中、未来予知という玄人向けの能力しかない疼木さんは凄く苦労したはずだと思う」

「確かに。体術より魔術っていう風潮はそういう頃に出来上がる考えだものね」

 

 しかし大会経験を重ねたためか、徐々に祝は大会の上位陣の中でも名前が聞こえる存在になっていった。

 そして王馬にとって最後のリトルリーグ、その決勝戦で二人はぶつかることとなったのだ。

 

「今までの大会で兄さんと疼木さんが闘ったことは何度もあった。でも、兄さんは多少追い詰められたことはあれど敗けたことは一度もなかったんだよ。だからその時も兄さんに軍配が上がると誰もが思っていた」

 

 しかし試合が始まり、前評判による予想は一瞬で覆されることとなる。

 祝が取った予想外にして“異常”すぎる戦法に、王馬は逆に手も足も出なくなってしまったためだ。

 

 

「疼木さんには《幻想形態》が効かなかったらしい。王馬兄さんの刃も魔術も、彼女は笑って受け切ったって聞いている」

 

 

「は?」

 

 《幻想形態》とは、極論を言ってしまえば“思い込み”だ。

 刃を受けた、魔術を食らったという強い暗示を脳に与え、それによって相手を昏倒させるのが《幻想形態》という魔術。

 しかし極稀に、その暗示を怪物染みた気力によって跳ね除けてしまう人間がいる。火事場の馬鹿力などによって一時的に己を奮い立たせてしまう事例が存在するのだ。

 

「疼木さんはその性質を悪用(・・)して、兄さんの剣も魔術も踏み潰した」

 

 精神が肉体を超越する――その異次元の戦法を誰が予測できただろう。偶発的なものではなく、それを前提に試合へ臨んだというのなら最早気が狂っているとしか思えない。

 これによって魔術の相性というアドバンテージを祝は叩き潰し、王馬へと武術家として真っ向勝負を挑んだのだ。

 

 その試合を観戦していた誰もが思った――正気ではない。

 

 確かにその戦法を用いれば王馬との間にある相性の悪さを克服することは可能だ。しかしそれはあくまで机上の空論であって、現実的に可能かと問われれば普通は首を横に振る。

 ルールを逆手に取り、己の身を顧みず、そして常識を逸脱した狂気の沙汰。

 そして祝の近接戦闘の技術が成長期を迎えていたこともあり、王馬はその試合で当初の予測に反して一方的に追い詰められる結果となった。

 もちろん《風の剣帝》もただやられていたわけではない。彼は風の魔術を用い祝を壁や地面に叩き付けるなり、男としての体格を利用して肉弾戦を仕掛けるなりと反撃はしていた。

 しかし祝は骨が折れようと肉が断たれようと立ち止まることはなく、まるで痛みすら忘れた(リミッターが外れた)かのように王馬を圧倒してみせたという。

 そこからはもう泥沼である。お互いに死力を振り絞り、リトルリーグにあるまじき血で血を洗う死闘に発展した。

 

 

 そして遂にその事件は起こってしまった。

 

 

 その事件はリトルリーグ史上最も血塗られた試合として知られている。

 大会関係者の間では未だにその事件を危険な事例として取り上げ、その対策マニュアルを徹底させるようになったほどだ。

 

「事件って……?」

「……記録では、疼木さんが試合の途中で《幻想形態》の使用を自発的にやめたっていうことになっている。それに応戦する形で王馬兄さんも《幻想形態》の使用をやめた。そしてお互いに本気で目の前の“敵”を殺すため、ルールで使用を禁止されていた《実像形態》の闘いを始めたんだ」

「えッ!?」

 

 ステラの驚愕ももっともだ。

 通常、連盟傘下の国々では十五歳未満の元服していない騎士同士で試合をする場合、《幻想形態》を使用することが厳命されている。そのルールを破ったということは、それは本当の殺し合いに他ならないではないか。

 リトルリーグの決勝戦ともなれば、大勢の人間が集まる会場で行われたはず。

 つまり二人は衆人環視の中で禁忌に手を染めたということなのか。

 

「そ、それってつまりハフリさんが先んじてお兄さんを殺そうとしたってことなの……?」

「正確なところはわからない。実際に観ていた人が言うには、いつの間にか《実像形態》になっていたって話だから。でも僕はこうも思っているんだ。――二人は望んで殺し合いに手を出したんじゃないかって」

 

 あくまで一輝の勘だ。

 しかしもしも当時から二人が一輝の知る精神構造をしていたとしたら……

 

「二人とも闘うことに何の躊躇も見せない、修羅道を平然と歩み続ける生粋の求道者だ。だったら二人が行き着くところは自然と殺し合い(そこ)になるんじゃないかって……僕の考え過ぎだといいんだけどね」

 

 だが、ないとも言い切れないのがあの二人だ。

 《幻想形態》の闘いに埒が明かないと見切りをつけ、《実像形態》に手を出してしまった可能性も否めない。

 それを平然とやってしまうのではないかと、そう思える程度には二人とも頭の螺子が外れている。いや、考えれば考えるほどその可能性の方が高いのではないかと思えてきたほどだ。

 

「その試合は結局どうなったの? 審判は止めなかったの?」

「もちろん止めたさ。でも二人にとって審判の試合終了に意味なんかなかった。二人とも大人の騎士たちの制止を振り切って死闘を演じ続けたらしいよ」

 

 魔術が完全解禁された王馬と、手足を犠牲にするほどの捨て身で喰らいつき続けた祝。

 二人の死闘は激化の一途を辿り、当初予想されていた実力差など何の当てにもならなくなるほど二人は闘った。

 

「最後は二十人がかりくらいで無理やりやめさせたと聞くけど、それでも二人とも怪我が原因で瀕死の重体に陥ったらしい」

 

 公式記録ではこの事件は祝が先んじて《実像形態》を用いたことになっているため、それによって彼女は三年間の大会出場を禁止された。

 しかし事は黒鉄家の、それも将来を有望視されるAランクの長男に関わることだ。あるいは黒鉄家が裏から手を回して真実を隠蔽しようとした可能性もある。当の本人たちである祝と王馬がずっと行方を晦ましていたため、今更になって真実を聞き出そうという者などいないのが現状だが。

 

「最終的に疼木さんの反則敗けによる失格ということで試合は処理されて、兄さんはリトルリーグを制することになった。でも、僕の知る兄さんならばきっと凄く不本意に思っていたと思う。実際に勝ってもいないのに優勝できたって、それはあの人の求める強さじゃない。絶対に納得しなかったはずだ」

 

 その後、祝が公式試合に戻ってくることは去年の七星剣武祭までなかった。失格となったことで準優勝すら得られず、そのまま祝は表舞台から姿を消したのだ。その間、彼女が何をしていたのかは未だに明らかになっていない。

 時を同じくして王馬も姿を消した。

 それから二人が揃って表舞台に現れることはなくなり、その事件の記憶も風化の一途を辿っている。

 

「だから当時の強さのままの関係だったのなら、強いのは恐らく兄さんだ。七星剣武祭は《実像形態》が使用される大会。同じ戦法が通用しない以上、地力の相性はどうしても兄さんの方が優勢になる」

「でも、ハフリさんはハフリさんでやっぱり強い。実際に《風の剣帝》を見ていないアタシには何とも言えないけど、正直予測ができないわね」

 

 《風の剣帝》黒鉄王馬。

 《七星剣王》疼木祝。

 その二大巨頭が君臨する今年の七星剣武祭は、間違いなく例年以上の苛烈さを孕む大会になる。

 その確かな予感に、一輝とステラはより気を引き締めて合宿に臨むことを改めて決意したのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 合宿場の管理人さんに壁を壊してしまったことを謝った私は、そのまま自主練を再開していた。

 また誰かと模擬戦をしても良かったのだが、それを言い出したら破軍の人も巨門の人も蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまったのだ。せっかく七星剣王の実力を直に見られる機会なのに、それをふいにして良いのだろうか。

 というわけでせっかくの合宿だというのに早速暇になった私は、邪魔にならないよう合宿場の隅で今日も一人で素振りです。

 

 そういえば、さっき南郷先生が臨時の指導教官として合宿場にやってきたらしい。

 何でも黒鉄が巨門の用意した剣術師範を全員斃してしまい練習にならなかったため、急遽先生に無理を言って合宿に参加してもらったのだとか。

 日本が誇る《闘神》南郷寅次郎を呼び出すとは、豪華な合宿ですこと。

 何はともあれ、後で挨拶に行かないと。

 

「――あ? ……げぇっ!?」

 

 そうして日課の素振りをしていると、後ろから聞き覚えがあるようなないような声がした。

 誰ぞと思って振り返れば、巨門の制服に身を包んだアッシュブロンドの女子生徒が苦虫を噛み潰したような表情でたじろいでいる。

 

「あれ、鶴屋さんじゃないですか。お久しぶりです」

「出たわね、変態鎌魔人ッ。ボッチの貴女のことだから絶対に合宿になんて出てこないと思っていたのに油断したわ」

 

 彼女の名前は鶴屋美琴。

 昨年に続き巨門の代表選手に選ばれた三年生で、《氷の冷笑》というイカす二つ名を持った少女なのだ。

 ちなみに去年の七星剣武祭で、私と準々決勝でぶつかった相手でもある。

 

「私だって合宿くらいは出ますよ。しかも今回は合同合宿ですし、もしかしたら巨門学園の中からも合宿中に私の大鎌に興味を持ってくれる人が出てくるかもしれないじゃないですか。こういう機会は逃しません」

「本気でやめて。私の学校にまで貴女の病気を持ち込まないで」

 

 迷惑そうにする鶴屋さん。解せぬ。

 彼女の所属する巨門学園は破軍や武曲と違い能力選抜方式を採用している騎士学校だ。故に彼女の学園で重視されるのは魔力量、そして能力の強力さである。よって彼女の学園は基本的に現代の風潮に合った魔術重視の校風と言えるだろう。

 よって彼女も代表入りする程度には魔術に秀でており、彼女の伐刀絶技《死神の魔眼(サーティン・アイズ)》は氷雪系最強……かどうかはわからないが、結構便利な氷系能力だったと記憶している。

 

「はぁ、貴女は相変わらず気楽でいいわね。私にとって今年の七星剣武祭は悪夢よ。無名の一年生(ルーキー)がわんさか出てくるし、よりにもよって《紅蓮の皇女》に《無冠の剣王》に《風の剣帝》って! もう巫山戯ているとしか思えないわっ!」

 

 頭を抱える鶴屋さんも相変わらずらしい。

 彼女は他の騎士たちのような『もっと強い奴と闘いてぇ!』なハングリー精神旺盛な性格ではなく、どちらかというと手段を選ばずに勝ちを獲る性格の人なのだ。

 だから去年も私と試合をする前に、あらゆる手段を用いてプレッシャーをかけてきた。結果的には普通に私が勝ったが、彼女はそういう策略家としての面が強い騎士なのである。

 きっと内心では、私が並みいる強豪たちを全部片付けてくれたら楽に上へ進めるのにな、とか考えているに違いない。

 

「っていうか、なんで貴女はそんなに平然としているわけ? 黒鉄王馬は貴女にとっても因縁深い相手でしょう。緊張とかしないの?」

「因縁があるのは否定しませんけど、別に緊張するほどでは」

 

 鶴屋さんに言われて思い出したが、王馬くんとは最後に闘ってからもう六年くらいになるのか。

 知っている人は知っているだろうが、私と彼の関係はリトルリーグから始まっている。

 

 南郷先生を始めとした武術家の方々から武術のイロハを学んだ私は、その力を早速活かすべく小学三年生の辺りから公式試合に参加するようになった。

 当初は今のような魔力制御の技術もなく、しかも《既危感》を有用に使えるほどの戦闘技術もなかった。故に最初の方の成績はボロボロで、四年になってからも辛うじて全国大会に進めるかどうかという程度の実力しかなかった。

 己の無力さに泣きながら修行を続けたその時代は、私の中では完全に黒歴史である。

 

 王馬くんとはその頃に試合で闘ったのが最初の出会いだ。

 あっ、ちなみに初戦は惨敗しました。お前は風の契約者(コントラクター)かってくらい魔術を連発してくる王馬くんマジでチート。男女平等ソードとカマイタチで幼気な女の子を容赦なくズタズタにするところは本家に決して負けていない。

 それから何度か色々な大会に出場し、その度に王馬くんは私の行く手を遮った。

 それ以来私は『打倒黒鉄王馬』を胸に誓い、より修行に励むようになったという……そんな青春をしていた時代が私にもあったというそれだけの話である。

 最後の試合では私が大会を失格になってしまったため、最終的に決着をつけることはできなかったが。

 

「……リトルの決勝は殺し合いに発展したって聞いているわよ。貴女が先に《幻想形態》を解いたってね。全く、騎士の風上にも置けない行為だってことを自覚しているのかしら」

「そんなこともありましたねぇ」

 

 そうそう、確かにそうだった。

 試合中、王馬くんが()()()()()()()()()()だったので、私が先んじて《実像形態》に切り替えてあげたのだった。

 

 闘っている途中で何となくわかったんだけど、あの人ずっと「こいつと本気で闘いたい」、「《幻想形態》では物足りない」みたいなことを思っていたみたいなのだ。

 彼が私に向ける殺気は正真正銘の本物だった。

 そして刃を取るのに並々ならぬ覚悟を抱いていることも原作知識を持つ私は知っていた。

 しかしその時の王馬くんは、その覚悟のために全てを捨て去るほどの気概をまだ持ち合わせていなかったのである。

 

 

 ここで《実像形態》を使えば、自分はこれまで築いた全ての栄光を失ってしまうのではないか。

 もしもそれで相手を殺してしまったとして、それは自分が望む勝利なのか。

 そもそも全てを捨ててまで勝利に拘る必要があるのか。

 

 

 そんなくだらないゲロ以下の迷いが彼の瞳にはあった。

 だから私は()()()()こちらから《幻想形態》を解いてあげたのだ。そうすれば王馬くんも全力を出す口実ができるだろうと思ったし……何より私は全力の彼と闘いたいと思ったのである。

 

「彼は闘いの最中、その瞳に大鎌への微塵の油断も見せませんでした。大鎌なのに凄い、などという勘違いもしなかった。私の大鎌に正しく強敵足り得る能力があると認識し、その上でもっと闘いたいという欲望を見せてくれたんです」

 

 彼は人生で初めて、大鎌(わたし)を強敵と認めてくれた人だったのだ。

 そんな敬意を持つべき敵に対して、最後の踏ん切りを付けさせてあげる必要があると私は感じた。大鎌使いの一人として、お互いに全力で闘うこともできずにこのまま勝ってしまうのは無粋の極みだとしか私には思えなかった。

 

 そうして私たちは試合から“殺し合い”へと戦場を移した。

 

 最終的に私は右の手脚を肉片になるまで消し飛ばされ、逆に私は彼の胸元をガッツリ抉ったところで大会スタッフに取り押さえられたのだ。

 納得できる決着がつかなかったのは残念だったが、その時の選択を私は一切後悔していない。例えあそこで私の実力が至らず死んでいたとしても、大鎌使いとしてあそこでトドメを刺すという選択をするのはあり得なかった。

 

「そういうわけなので、因縁がないとは言いません。しかしそこに恨みや怒りといった余計な感情は一切ないんですよ。『次に闘う時は絶対にぶっ殺す』――それ以外にはお互い思うことはありません」

「想像以上に根深かった!?」

 

 愕然とする鶴屋さん。

 まぁ、確かにロジカリストの彼女には縁遠い話だろう。

 

 しかしだ。

 その因縁のことを抜きにしても、私が王馬くんと尋常な再戦を望んでいるのは間違いない。

 国内の学生騎士で唯一のAランクである《風の剣帝》――本気の彼を斃せば、きっと去年の七星剣武祭以上に大鎌は知名度を上げられるだろう。

 いや、七星剣武祭の前には《前夜祭》も控えているのだ。《前夜祭》で王馬くんごと暁学園の連中を叩き潰し、七星剣武祭にまだ出てくるというのならば再び捻り潰すことができる。そうすれば大鎌が持つ潜在能力(ポテンシャル)に注目する人間が増えることは疑うまでもない。

 

(上手に事が運べば二度も美味しい思いをさせてくれるなんて……暁学園は本当に素晴らしい人たちだよね)

 

 一人たりとも逃がしはしない。例え背中を見せて敗走しようと、土下座して命乞いをしようと許さない。

 絶対に連中の死体を残らず積み上げ、それを踏み台に大鎌の威光を示してみせる。

 

「本当に楽しみですよねぇ、七星剣武祭」

「私は今から胃が痛いわ……」

 

 どこか哀愁を背負いながら、鶴屋さんはガックリと肩を落とすのだった。

 

 

 

 ――しかし。

 この時、私は思いもしなかったし、想像すらしていなかった。

 後に振り返れば、これが“捕らぬ狸の皮算用”でしかなかったのだと断言することができる。まさにこの時の私は己の力を過信し、大鎌の威光を汚す愚か者だった。

 

 つい先日、目の前で原作崩壊が起こっていたことを私は失念していた。

 自分の想像以上に黒鉄が成長し、その力を大幅に増した事例を数少ない“例外”だと慢心していた。

 だから私はこの数日後、その心の隙を突かれることとなったのだ。

 

 ……いや、あるいは私の怠慢を責める前に“彼”を称讃するべきなのかもしれない。

 

 

 

 

 “疼木祝”という本来は存在しなかった異分子に影響されてしまったが故、原作という本来の未来を遥かに超越してしまった黒鉄王馬という一人の少年のことを。

 

 

 

 

 

 




次話は半分ほど書き終わっていますが、もう少し書き足してから投稿します。
活動報告にも書きましたが、社会人にジョブチェンジしてしまったので更新が遅れそうです。GW頃には投稿する予定ですので、しばしお待ちを。


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(主人公以外を)守護らねば……!

遅ればせながら戻って参りました。
気が付けば半年ぶりの投稿という事実に驚愕を禁じ得ません。久しぶりすぎて文章の感覚を忘れ気味で辛い。文体が変だったらごめんなさい。
感想、誤字報告は毎度のことながらありがとうございます。


 合宿は無事に終わり、私たちは帰途についていた。

 帰りの交通手段は行きと同じくバスで、運転は奥多摩に行った時と同じく砕城が行っている。山形の合宿場から都内にある破軍学園まで運転してくれる砕城には本当に感謝である。

 

 ちなみに代表入りしていない砕城がどうして代表生徒たちの一団の中に交じっているのかというと、今回の合宿に生徒会の皆々様がボランティアという形で付いてきてくださったためだ。

 恐らくは黒鉄と当たりさえしなければ確実に代表入りしていたであろう東堂さんも当然ながら付いてきており、ステラさんの調整に付き合っていた。

 

 ……まぁ、私はずっと一人で修行していたので関係ないけどね。

 

 最初の内は大鎌でステラさんとドンパチできて多少は楽しかったのだが、合宿が中盤以降になると彼女は東堂さんとばかり訓練をするようになってしまっていた。詰まらぬ。

 なので暇そうな黒鉄ならと思い足を向けてみれば、こちらはこちらで指南役として出向いてくださった南郷先生と楽しそうに剣術のお稽古をしていらっしゃる。またしても詰まらぬ。

 接近戦(クロスレンジ)主体の私と訓練をするには、ある程度の武術的な経験か知識が必要だ。しかし能力選抜方式である巨門はもちろん、破軍にもその手のことに詳しい生徒は正直なところ多くない。

 巨門が用意してくれた武術の指南役もいてくれたので多少は暇を潰せたが、《既危感》を自動で発動させてしまう私にとっては半日もあれば彼らの術理と技術を学ぶことができてしまう。

 

 よって私は合宿の殆どを学園の日常と同じ感じで終わらせてしまうという、何とも味気ない数日を過ごすこととなったのだった。

 

 楽しかったのは南郷先生に練習に付き合ってもらえた時間だけだよ。

 でもあの人と打ち合いをすると基本的に睨み合いで終わるのが残念なんだよなぁ。何だろう、漫画で言う『技撃軌道戦』っていうやつ? 私の《既危感》と南郷先生の見切りがぶつかってお互いに隙がなくなるあの状態。

 個人的には詰将棋みたいで嫌いではないんだけど、あれってギャラリーに大鎌のカッコよさを広めることができないという致命的な弱点を抱えているんだよなぁ。

 しかし無理して動いてみせると打ち合いの質が落ちるというジレンマ。

 最終的に睨めっこで打ち合いは終わったのだが、いつかあれが起きないくらい南郷先生を圧倒するのが私の目標だ。

 

「はぁ~」

 

 そんな感じで私が合宿を振り返りながら外を眺めていると、私の席の一つ前から盛大な溜息が漏れる。

 辛気臭い空気を垂れ流しにしているのは、意外にも普段から快活さを振り撒くステラさんだった。

 何事よ、生理か何か?

 他の人もそう思っていたらしく、私たちと同じく代表入りしている葉暮の双子姉妹が心配そうにステラに声をかけていた。しかし彼女の隣に座る黒鉄によれば、別に体調が悪いとかそういうことではないらしい。

 

「どうも合宿中に東堂さんに勝ち越せなかったことが悔しいみたいです」

「「あぁ~」」

 

 葉暮姉妹が揃って納得したように頷く。

 どうやらステラさんは模擬戦で東堂さんに三勝三敗だったらしく、その成績が残念でならないらしい。だったらもう一戦くらいすれば良かったんじゃないですかね。そうすれば負け越しか勝ち越しかの結論が出ただろうに。

 

「……それだけじゃないわよ。アタシ的には、ハフリさんに()()()()()()()()()のが一番悔しいわ」

 

 背凭れ越しにこちらをじっとりとした目で見つめるステラさん。

 彼女の言う通り、あの壁破りの後も数こそ少ないが私たちは模擬戦をした。結果はステラさんが言ったように全勝であり、彼女は最後まで私の接近戦(クロスレンジ)の牙城を崩すことができなかった。

 途中からチマチマと全方位攻撃や広範囲攻撃で攻めようとしていたが、そんなことをさせるほど私は優しくない。即行で接近戦に持ち込んでフルボッコだ。

 

「イッキにトーカさんにハフリさん……ウチって接近戦の達人が多すぎない? 去年まで能力値で選抜していたのが信じられないんだけど」

 

 (むく)れるステラさんだが、貴女もその一人なんですよと言いたい。

 魔術と魔力量ばかりに目が行ってしまうが、ステラさんは剣術家としても一流だ。遠近攻防武術に魔術とそれらの全てを高次元で熟せるのがステラさんの強みであり、基本的に弱点がないのが特徴でもある。

 そんな彼女が他人を強すぎると言ってしまえば、常人から見ると皮肉としか思えないだろう。

 そんなことをボンヤリと考えていると、ステラさんたちの話は知らない間に太る太らないといった姦しいガールズトークへと変貌していた。

 どうでもいいが、ステラさんの談によると食べたものは胸の脂肪として蓄えられるため太らないのだとか。あまりにも迂闊なその言葉に、葉暮姉妹がガチギレしている。

 

「そ、そういえばっ! ハフリさんも途中のサービスエリアで結構食べていたわよね!?」

 

 そして予期せぬ飛び火。

 獣のように怒り狂っていた双子の眼光が私に回ってきた。

 

「言われてみればそうなの! 疼木もラーメンを何杯もお代わりしていたの!」

「それどころかたい焼き何個も買ってんの見たぞ! 牡丹ちゃん、こいつも異端者だッ。とにかく異端審問(ごうもん)にかけろ!」

「うわ、ウザ……」

 

 あっ、思わず先輩にウザいって言っちゃった。

 しかし女性のこういう体型に対する意識は、同じ女に生まれ変わった今でもよく理解できない。傍から見れば痩せているのに過度にダイエットしたがったり。

 元男性の立場から言わせてもらうと、ちょっと肉が付いているくらいのほうが魅力的だと思うんだけどね。

 まぁ、女性がダイエットしたがるのは男が無駄に筋トレしたがるのと似た感覚だと聞いたこともあるし、面倒だが『そういうものだ』と認識しておこう。

 

「私は純粋にカロリー不足ですよ。日常的に訓練をしているとエネルギーが足りなくて困るんです」

「嘘つけ! オレらだって代表に選ばれる程度には身体動かしてんだ!」

「そうなの! それでもラーメンを何杯も食べられるほどにはならないの!」

 

 尚も噛み付く醜き双子姉妹。

 その間にステラさんは息を潜めにかかっていやがる。この女、憶えていろよ。

 

「そんなことを言われても……なら葉暮さんたちも私と一緒に訓練しますか? 修行のことしか考えられなくなって食事も休憩も忘れるくらいになれば体重なんて一週間で軽く十キロは――」

「「あっ、何でもないです。すみませんでした」」

 

 二人は揃って首を横に振ると、大人しく席へと戻っていった。

 そんなに手っ取り早く痩せたいのなら山籠もりでもすればいいのに。枯渇していく食料、見つからないタンパク質(エモノ)、木の根っこを齧って空腹を紛らわせる日々――これを潜り抜ければ一気にスリムボディへと早変わりだ。

 おまけに「ヒャッハー!」なアイドル張りにキノコと友達になることができ、さらに「動物の気持ちになるですよ」を真剣にトライするようになること間違いなし。

 某国のとある山岳地帯で遭難し、一ヶ月近く彷徨った私が保証する。斜面を下っているはずなのに木々が一向に開けないあの感覚には背筋が凍ったものだが、今となっては良い思い出だ。

 

 と、その時だった。

 バスが急ブレーキをかけながら停車し、「うわぁ!?」と悲鳴をあげながら周りの人たちが慣性で踏鞴を踏む。

 何事かを慌てる周囲を余所に、車窓から外を眺めてみれば――もうすぐ到着するであろう破軍学園の方向から黒煙が立ち昇っていた。

 

 どうやら《前夜祭》が始まったらしい。

 ということは……

 

「――《影縫い(シャドウバインド)》」

 

 私が背後を意識するのと全く同時に“彼”は予想通り(・・・・)のタイミングで動き始めていた。

 ……私の予想を逸脱した方法で、という注釈を付けて。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 一同が黒煙に目を奪われるのと、アリスが《黒の隠者(ダークネスハーミット)》を展開したのはほぼ同時だった。

 複数本のナイフを扇のように手元で開いたアリス。

 もちろん霊装が複数本の顕現が可能だということすら破軍の一同は知らない。

 決して己の情報を漏らさず、力を隠したまま七星剣武祭の代表にまで登り詰めた彼の技量は驚愕に値する他ないだろう。そしてその隠形に加え、彼は“仲間”という最強のフィルターによって自身が纏う血の芳香をこの瞬間まで完全に隠しきっていたのだ。

 そしてアリスは、背中を晒した車内の一同の影へと一斉に霊装を投げ放つ。

 

「――《影縫い》」

 

 そして霊装は一本残らず標的たちの《影》へと突き立ち、その身動きを封じることに成功していた。

 殺気もなく、気配もなく、音すらたてぬ絶技ともいえる暗殺術。

 その技術はアリスの予想を裏切ることなく、その静かなる猛威を振るっていた。

 

 

 ――()()()()()()()

 

 

「…………解せませんね」

 

 魔術によって一同を拘束したアリスの耳に、困惑に満ちた祝の声が届く。

 次の瞬間、アリスの首元には大鎌の刃が押し当てられていた。祝が僅かにでも力を込めるか、魔力放出を用いて腕を動かせば一瞬でアリスの首を断てるその状態。

 そう、アリスは祝の《影》にのみ刃を突き立てなかったのだ。

 故に祝は、一同が奇襲された次の瞬間にはアリスへと反撃の刃を繰り出すことができていた。

 

「……順を追って話すわ。だから少しだけあたしの首を落とすのを待ってほしいの」

 

 交錯するアリスと祝の視線。

 背後で交わされる二人の言葉に、一同はようやく身動きが取れなくなっており、それを仕向けた犯人がアリスであるということを正しく理解したのだった。

 

「――えっ、アリス!?」

「あり、す……?」

「ど、どういうことなんだこれは!?」

 

 一輝たちは振り返ることもできず、ただ困惑を顕わにしながらアリスの名を呼ぶ。

 しかしそれらに反応することもなく、アリスと祝は見つめ合い続けていた。

 

「祝さん、あたしが信用できないのならこのままでも構わない。疑わしいと思ったら首を刎ねても結構よ。でも今は信じて、まずはあたしの話を聞いてちょうだい」

 

 あくまで冷静に、しかし目に必死さを湛えながら。

 アリスは懇願するかのように祝へと言葉を紡いでいった。それが友を裏切り続けてきた自分にできる最大限の誠意だと思ったから。

 しかし……

 

「貴方の話なんてどうでもいいので質問に答えてください。なぜ、貴方は私の《影》を縫い止めなかったのですか? 背後から襲いかかっておいて、まさかこうして反撃されるなんて思わなかったというわけではないでしょう?」

 

 祝が知りたいのはそれだけだった。

 元々祝は原作知識によりアリスの裏切りを知っていた。だからこそ彼がここで《影縫い》を使ってくることに驚くことはなかったのだ。

 しかし全てが祝の想像に沿ったものではなかった。

 なぜかアリスはこの中でも主力の一人である祝を無視し、他の乗員たちの拘束を優先したのである。これでは拘束に成功したが最後、アリスが次の一手を繰り出す前に祝の反撃に遭うことはわかっていたはずだ。

 

「だというのに、なぜ?」

「これが祝さんの《既危感》を掻い潜る方法だということを知らせたかったからよ」

 

 両手を挙げて降参の姿勢を見せたアリスは、祝に言い聞かせるかのように語り続ける。

 

「祝さんの《既危感》は確かに奇襲に対して無類の強さを誇る。あたし程度の伐刀者ではどうやっても貴女の予知から逃れることはできないでしょう。――でも、貴女以外なら?」

 

 《既危感》は祝の身を守ることに関しては一部の隙も無い。

 しかし予知が知らせる害はあくまで()()()()()()なのだ。例えば祝の目の前に座っているステラたちへの攻撃を祝はまるで察知することができなかった。

 自己防衛に特化するあまり、味方を守ることを全く想定していない――それが《既危感》が持つ最大の欠点なのである。いや、あるいは心の底では他者への関心を真に抱くことのない、祝という人間そのものの欠点なのかもしれない。

 

「だからあたしは、祝さんという今回の奇襲における最大の障害をあえて無視した。貴方の予知を掻い潜り、詰め(チェックメイト)の下準備をすることならばあたしにもできるということを証明するために。事実、もしもここであたしの他に一人以上の裏切り者がいたら……」

「なるほど。確かに主戦力の一人か二人は殺せていたでしょうね。最悪、私以外は今の一瞬で全滅していたかも」

「そういうことよ。後は残された貴女を強力な伐刀者たちで袋叩きにすればいい。あたしがこれから話す“敵”は既にその弱点に気付いている。それを事前に知らせるためにも、あたしはここで実際にその隙を突いてみせたの」

 

 アリスの語る《既危感》の弱点。それは能力の持ち主である祝本人ですらも……いや、祝だからこそ思いつかなかった欠点だった。

 確かに祝の予知は降りかかる火の粉を察知するための能力。しかし火元を用意することに徹したアリスは直接的に害を齎す者ではない。だからこそ《既危感》はアリスの姿を捉えることができなかったのだ。

 

「私の伐刀絶技をとても研究しているようですね」

「これを思い付いたのはあたしじゃないんだけれどね。破軍学園(あそこ)で派手に暴れている内の――暁学園の一人が発見した唯一の抜け穴よ」

 

 そしてアリスは語り始めた。

 自分が《解放軍》の暗殺者であり、暁という新設校の一員として破軍に潜り込んでいたスパイだったということ。

 暁が七星剣武祭に介入しようとしていること。

 そして先程アリスが行った奇襲を用い、背後からここにいる破軍の主戦力を潰そうとしていたこと。

 それらの情報を可能な限り彼は一同へ明かしていった。

 当然ながら、アリスの荒唐無稽な話を素直に信じるような者はいない。一輝やステラですら不信感から渋面を浮かべ、アリスと付き合いの短い葉暮姉妹などはあからさまに彼の言葉を出鱈目だと断じている。

 

「……わからないわね」

 

 そんな中、アリスのルームメイトであり、それ故に最も付き合いの深い珠雫だけは静かに彼の言葉へと耳を傾けていた。

 だからこそ彼が語った言葉を冷静に呑み込むことができたのだと言えるだろう。

 

「貴方は自分がしていることの意味を理解しているの? 冥途の土産にしては事情を話すのが早すぎる。こうして私たちが無傷でいる時点で、貴方は暁学園とやらを裏切っているも同然なのよ?」

「同然じゃないわ。あたしは端から暁を裏切るつもりだったんだから」

 

 その意外過ぎるアリスの言葉に、流石の珠雫も瞠目する。全く動じていないのは、最早アリスから興味を失い車窓の外をぼんやりと眺めている祝くらいのものだ。

 

「破軍に来た時こそ、あたしは《解放軍》の一員として任務を完遂するつもりだった。そのために破軍の代表になり得る珠雫という存在に意図して近づいたわ。……でも、そうしている内にあたしは珠雫のことを思った以上に気に入ってしまったのよ」

 

 それこそ《解放軍》を裏切ってでも守りたいと思えるほどに。

 アリスはストリートチルドレンとして幼少期を過ごし、汚い大人たちの思惑によって仲間を殺された過去を持つ。そして復讐者として外道へと身を窶した彼は、生き残った年下の子供たちと共に在る資格はないと故郷を捨てた。世の不条理に屈し、アリスは仲間たちを愛することを放棄したのだ。

 しかし珠雫は、己の愛が成就しないであろうことを覚悟した上で一輝への愛を貫き続けた。その眩く尊い精神に感化され、アリスは《解放軍》を裏切ることを決意したのである。

 

「だから、どうかあたしを信じて。珠雫が愛した一輝たちの七星剣武祭を守るために力を貸してほしいの」

 

 暁による今回の襲撃の目的は、破軍へ完膚なきまでに勝利することで自校の強さを証明すること。つまりここで破軍が暁を撃退することに成功すれば、そもそも敵の計画は最初の一歩で頓挫することになる。

 それこそが裏切りを決意したアリスの狙いだった。

 

「あたしが暁を裏切っていることはまだ知られていない。だから今あたしが貴方たちにしたことをそのまま暁にやり返す」

 

 味方からの裏切りが有効なのは破軍だけではなく、暁にもそれは当てはまる。

 アリスが破軍の背後を突くと油断した瞬間、逆に暁を一網打尽にしてしまうことができる。

 暁は《解放軍》の出身者が多数存在する以上、その人材が精鋭であることは疑いようのないことだ。正面から闘えば勝機は薄い。だからこそ初撃で決着をつけることで、彼らが力を発揮する前に一撃で片を付ける必要がある。

 

「だから……信じて……!」

 

 静まり返った車内に響くアリスの必死な声。

 もちろん彼らには、アリスの言葉を無視してここから逃げるという選択肢もある。しかしアリスによれば追手をかけられるだけであって根本的な解決にはならないという。

 だからこそ一同の意見は割れた。

 葉暮姉妹は明らかにアリスを信用できないと『逃げる』ことを支持し、一方で刀華や一輝たちはアリスを信じて『闘う』という選択を支持したのだ。どちらの意見にも根拠と理論があり、だからこそ話が纏まることはない。

 しかし事態は一刻を争うことだけは全員が理解しており――だからこそ刀華はこの議論の結論を一人の人物に預けることとした。

 

「……疼木さん、どうしますか? 私たちは選手団の団長である貴女の指示に従います」

 

 一同の視線が祝へと集中する。

 それを受け、祝はお手本のような微笑を浮かべた。

 彼女は自分の聞きたいことの回答を得た途端、先程までの存在感が嘘のように気配を潜めて席に戻っている。団長という立場でありながら「面倒ごとは知らぬ」と言わんばかりのその態度には刀華たちも思うところはあるが、しかしこの場で判断を下すべき責任者は彼女なのだ。

 刀華たちの意見はあくまで諫言。最終的な結論を決めるのが団長である祝であることは疑いようもない。

 

 

「では、とりあえず突撃で」

 

 

 そして一秒の間を置くこともなく、祝は即答していた。

 静まり返った車内で祝の宣言は、夏場だというのに底冷えするほどの寒気を以って浸透していく。積極的に闘うことを推していた一輝たちですら背筋が粟立ったほどだ。

 それもそのはず。

 一輝たちから見ても、祝の瞳には葛藤や迷いのようなものが一切存在していなかったためである。虚勢ではなく、この少女の思考には一分一厘すらも『闘わないという選択肢』が存在していないことを一同は悟っていた。

 

「な、なに言ってんだ疼木! 学園がやられたってことは、相手は学園にいた先生たちでも敵わなかったってことなんだぞ!? オレたちだけでどうにかなんのかよ!」

 

 祝の異常な返答に葉暮姉妹の片割れである桔梗が噛みついた。

 もしもこれが一輝や刀華が熟慮の末に導き出した結論であれば、彼女も覚悟を決めることができたのかもしれない。しかし相手は戦闘狂として知られる祝が、それも即決で出した結論だ。このような反発が起こるのも無理はないだろう。

 そもそもの話、一匹狼の気質を強く持つ祝はこのような場において必要とされるカリスマ性と呼ばれるものを持ち合わせていないことも大きな問題だった。人は不測の事態にこそ「この人に付いていけば何とかなる」と思える光を本能的に求めるものだ。しかし祝は優秀な伐刀者でこそあるものの、人々を纏め上げるだけの求心力には乏しい。土壇場で選択を預けるには、祝という存在は異端に過ぎる。

 そして祝という少女は、カリスマ性がないばかりか集団を纏めようという意思にも欠ける人物であるわけで……

 

「そうですか、では葉暮桔梗さんは不参加ということで。お疲れ様でした」

 

 こうなる。

 来る者拒まず、去る者追わず。他者に興味を持たない祝は誰が相手でも平等であり、だからこそ戦意すら持たない人間を戦場に引き止めることなど思考の片隅にも過ぎらない。

 故に戦意を持たない人間は不要。

 逃げたければ逃げればいいのだ。

 その選択で彼女たちが後悔しようと幸福になろうと祝の知ったことではない。

 加えて合宿で大まかに把握した彼女の実力から、戦力的に考えても彼女一人がいなくなったところで微々たる差しか生まれないのだから、いようがいまいが大した意味はないという考えもある。もちろん大鎌の活躍の場が減るか否かという視点で。

 さらに言わせてもらうのならば、別にここで自分以外の全員が遁走してしまっても構わない。手間は増えるが大鎌が活躍する場も増えるのだから、祝としては差し引きゼロだ。

 

「ちなみにですけど、このまま突撃することに反対の人は思い思いに動いてくださって構いませんので。逃げるも付いてくるもお好きにどうぞ? 参加する人だけ来てください、表で待っていますから」

 

 私からは以上です。(バス)は置いていきますので逃げるなら使ってください。

 それだけ言い放つと、祝は喜色を浮かべながらバスを出て行ってしまった。この非常事態が楽しくて仕方がないという内心を隠すこともなく。

 そのあまりにも無責任で異常な祝の様子に、車内の一同は絶句する他ない。祝と最も付き合いの長い刀華ですらも呆然としている。

 そんな中、いち早く口を開いたのはアリスだった。

 

「――そういうことよ。あたしとしてはこの機を逃したくない。この選手団の総戦力で、それも初撃で全てを終わらせたいと思っているわ。でも皆があたしの言葉が信じられない、闘いたくないというのなら……」

 

 そうなれば最早ここに留まる意味はない。

 一秒でも早くバスをUターンさせ、可能な限り遠くへと逃げるしかないだろう。暁学園の精鋭たちから逃げ切れるかどうかは甚だ疑問だが。

 

「……つまるところ、言葉は色々と足りてこそいませんが、疼木さんの言うこともあながち間違いではないということになります。選択肢は二つ――闘うか、逃げるかです」

 

 改めて一同の進むべき道を刀華が示す。

 そう、究極的に言えば祝の言うことは何も間違ってはいない。現状彼らには、アリスの策に乗って暁学園に闘いを挑むか、戦闘を放棄して離脱するかの二択しか選択の余地がないのだ。

 もちろん無事に逃げることができれば選手団は無傷のまま生還できることとなるが、その代償に恐らく学園にまだ残っているであろう生徒や教師たちを見捨てるということになる。その選択は、騎士道の観点からすれば到底許されることではない。

 だが、アリスを信用して暁学園に勝負を挑むことは尚危険と言わざるを得ない。選手団は破軍学園の主戦力でこそあれ、それは試合上の話。実戦となれば全く話は変わってしまうのだ。策が外れたが最後、誰かが戦死してしまう可能性は大いにある。

 

 

 この中の誰かが、あるいは全員が死ぬかもしれない。

 

 

 その恐ろしい未来に年端も行かない少年少女たちが動揺するのは当然のことだった。

 

(まずいですね、この空気は)

 

 動揺と苦悩が支配する車内において、刀華は内心で呻く。

 完全に議論が硬直していた。逃げるとも闘うとも言い出せない空気が既に形成されつつあることは、誰の目にも明らかだった。事は一刻を争うというのに、これでは貴重な時間が減っていくばかりだ。

 だが、それも仕方のないことだろう。

 仲間を見捨てて逃げるか、あるいは仲間を死地へと送り出すか――次に誰かが強く意見を主張すれば、恐らくそれが一同の総意となる。そうなったが最後、その発言者こそがその選択の責を負うことになりかねない。

 事実、この場において最も発言権が強いはずの生徒会役員たちですらも渋面のまま言葉を切り出せずにいる。

 

「…………ッ」

 

 誰一人として言葉を発しない。

 そんな静寂に対し、刀華は人知れず奥歯を噛み締めた。

 もはや猶予はないだろう。いつ学園にいる暁学園がこちらを捕捉するかもわからない現状において、迅速な判断と行動こそが優先される。例えそれが拙速であろうと、愚鈍であるよりかはマシだ。

 そこまで考え、刀華は覚悟を決めた。

 

 選択は――突撃。

 

 アリスを信用して策に乗った場合、それが通ればこちらは大した苦労もなく一切の死傷者を出さずに事態を打開することができる。そういう意味では二択の中で最も安全な選択だと考えることもできるだろう。

 だが、それは作戦が失敗したが最後、経験の浅いこちらが暁学園の精鋭たちから逆襲を受けてしまうことに他ならない。

 つまりこの覚悟とは、己の号令により後輩や仲間たちを死地へと臨ませることの決意だ。目の前で仲間が死に、そして自分自身が死ぬことへの諒解だ。

 この状況を打開するために己の心身を投げ打たず、どうして破軍学園の生徒会長を名乗ることができようか。

 

(もちろん、誰一人として彼らを傷つけさせるつもりはありません)

 

 万が一アリスの策が成らなければ、己の命を懸けて仲間を守る。少しでも形勢が不利に転じたと判断した瞬間、自身を盾にしてでも彼らを逃がしてみせる。例え、それが原因で相手と差し違えることになったとしてもだ。

 そして刀華は全ての覚悟を完了した。

 小さく息を吐き、そして沈黙を破る一声を発さんと息を大きく吸い――そして賽は投げられる。

 

 

「――僕は、アリスを信じるべきだと思う」

 

 

 刀華よりも一呼吸だけ早く覚悟を決めた、黒鉄一輝によって。

 

「ッ、黒鉄くん!?」

 

 驚愕に目を見開く刀華を、しかし一輝は目で制す。その動作一つで、刀華は一輝がその照魔鏡の如き観察眼で自身の内心を読み解いていたのだということを悟った。

 一輝は刀華に代わり、仲間を危険に晒す契約書にサインをしてしまったのである。

 刀華は知っている。一輝は祝のような人格破綻者でもなければ無責任でもない。恐らくは刀華と同等の、いや、生徒会長としての責任すらもない彼はそれ以上の覚悟を以って沈黙を破ったのだろう。

 

(でも、貴方がそんな重圧を受け止める必要なんて……!)

 

 一輝は所詮、代表選手の一人でしかない。だというのに、彼はその正義感と明晰な頭脳から、自分自身の身を切ることで状況を打開する一石を投じたのだ。

 並みの精神力でできることではない。

 しかし刀華の驚愕を置き去りに、一輝の言葉で状況は変わってしまった。まず一輝の積極的な意見にステラと珠雫が同調した。それに釣られるように葉暮姉妹も渋々とそれを承諾し、次に兎丸が、さらに御祓たちがそれに同意していく。

 御祓やカナタなどは刀華の内心を察して一輝に同調した節があるが、それ以外の面々は一輝の強い意思に引っ張られた形だ。

 

 それは祝が持ち得ず一輝が持つカリスマ性(びてん)によって引き起こされた刀華の誤算だった。

 

 孤高の異端者である祝に反し、一輝の直向きさと誠実さは人を惹き付ける。事実、選手団の意思は一輝が場を主導することで淀みなく統一されつつあった。最早刀華が主導権を握ることは叶わないだろう。

 確かに一輝の存在は、刀華にとってもこの非常事態における光明として大変頼もしくはある。だが本当ならば、自分こそがその光として選手団を導くべきだったのだ。

 

「東堂さん、最後は貴女です」

 

 一輝の一言に、刀華はハッと我に返る。

 気が付けば自分以外の全員が一輝に付いていくことを選択していた。残すは刀華の意思を確認するだけというところまで事態は進んでいる。

 後輩が将器の才を宿していることをここまで無念に思ったことはない。

 もちろん失敗した場合、というネガティヴな思考に自分が捉われていることはわかっていたが、それでも期待の後輩に全てを預けてしまう自分の情けなさが刀華は悔しくてならなかった。

 だが、刀華ではもう状況を覆すことはできない。そして皆の方針に否と思うところがない以上、その答えは決まり切っている。

 

「……わかりました。私も、皆さんと意思は同じです」

 

 だからこそ、刀華は改めて覚悟を決めた。

 率いることではなく、全力で一輝を助ける覚悟だ。この先、一輝はより苦しい選択を迫られることがあるかもしれない。敵の魔手から仲間を守るため、その矢面に立たなければならない状況が訪れるかもしれない。ならばその時は……

 

(この身に代えても、私が貴方を守るッ……)

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「…………」

 

 選手団がその意志を統一した同時刻。

 和装を身に纏う一人の男が静かに目を見開いた。()()()()()()()校舎に残された僅かな残骸に寄りかかり瞑目していたその男――黒鉄王馬は徐にその視線を虚空へと滑らせる。

 

「……ふん」

 

 それは嘲笑だった。まるで毒も針も持たぬ蟲けらが象へと勝負を挑むことを嗤うような、同時にその無謀を儚むかのような、そんな絶対的上位者にのみ許される行為だ。

 何の前触れもなく虚空を嗤うその姿は奇妙の一言に尽きるが、しかし王馬と共にこの破軍学園を襲撃した暁学園の生徒たちは思い思いに動いているためそれを目にする者はいない。

 しかし事実だけを述べるのならば、王馬は真実蟲けらたちのその蛮勇を嗤ったのだった。

 

 

 王馬には全てが視えていた。

 

 

 アリスが裏切る様も、選手団が困惑する姿も、そして意思を統一した彼らがたった今バスでこちらへ移動を始めたことも、全てが。

 王馬が司る能力は“風”。

 それは即ち空気の流動。

 ならばその能力を応用することで空気に自身の感覚を共有させ、千里眼の如く遥か彼方を覗き見ることなど造作もないこと。

 最早王馬はただ座しているだけで十数キロの範囲へと目と耳を届かせることが可能だった。そこに空気さえ存在していれば、王馬の知覚からは誰も逃れることができない。

 なればこそ、たかだか数キロの距離では王馬の掌の上にあるも同然だ。当然ながら知覚の圏内に選手団が侵入した瞬間から王馬はその存在を察知し、万が一にも逃亡することがないよう彼らを監視していたのである。

 

「……待ちわびたぞ、この時を」

 

 王馬の肉体がその意思と連動し歓喜に震える。

 図らずも愚弟によって状況は好転した。最悪、祝だけでもこの場に吶喊してくるだろうことは王馬も予想していたが、《紅蓮の皇女》も漏れなく付いてきたのは素直に喜ばしい。

 暁学園の一生徒としては選手団が一致団結して抵抗してくることに安堵するのが正しいのだろうが、元々己の目的のためだけに暁に所属する王馬からすれば些事でしかないことだ。

 

 来い。早く、速く、迅く。

 

 岩のように固まり、暁学園の一同ですらその表情が動くところを見たことがない王馬の面差し。

 それが今、誰に知られることもなく愉快そうに歪む。

 凶悪に弧を描いた口元に、狂気すら宿し充血する双眸は、極限の餓えを経た末に獲物を見出した獣のそれに相違ない。

 

「早く来い、《告死の兇刃(デスサイズ)》。俺は六年待ったぞ、この時を」

 

 今度こそ殺してやる。

 殺意と喜悦に満ちたその言葉が、風に紛れて消えた。

 

 

 

 

 




次回か次々回辺りには王馬とぶつけられるといいなぁ……


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今のは《クサナギ》ではない

毎度ながら、感想や誤字脱字報告ありがとうございます!
皆さんの感想に返信できずに申し訳ありません。


 ――さて。唐突ではあるが、『敗北フラグ』という存在を諸君はご存知だろうか。

 

 例えばバトル系の創作物などを鑑賞していた際、まだ闘っている最中なのに「このキャラ敗けそう」と感じたことはないだろうか? スポーツ系で「絶対にこの新技はすぐに攻略されるな」と思ったことは? 戦記系で「この作戦失敗しそう」と考えてしまったことは?

 そう感じた直前、それらのキャラクターはこんなことをしていなかっただろうか。

 

 例えば必殺技や能力や秘策を相手より先に出して、更には勝ち誇って説明までする。

 急に辛い過去の回想や将来の夢が描写される。

 闘いの最中に「やったか!?」と言って油断したり、決着のついていない争い事に「勝った!」と言い放ったり確信したり。

 

 それこそが創作物の界隈で言われる所謂お約束――敗北フラグなのだ。

 たった今挙げた三つの敗北フラグはその中でも突出した、いわば「これをやったらほぼ敗北確定」と断言できる代表的なものとすることができるだろう。

 

 では、この敗北フラグをなぞると物語はどうなってしまうのか。

 

 

 その結果は、()()()()()()()()()()()()()雄弁に語っていた。

 

 

 結論から述べると、アリスの企てはものの見事に失敗した。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 外の景色が、まるで川の流れのように後方へと過ぎ去っていく。

 時速100キロ近くを出して走行するバスは、私たちを乗せたまま破軍学園へ向けて荒々しい運転で突入していった。

 

 あの後、選手団は空中分解することもなく原作通りに総員で突撃する選択をしたと東堂さんに聞かされている。どうやら黒鉄が皆を纏めてこの作戦に同意させたらしい。

 流石は主人公。カリスマ性が私とは違う。

 私でもその気になれば某北の大国風に「撤退したら殺す」と脅し立てて集団を纏めることはできるが、黒鉄のようにリーダーシップを執るのは無理だろうね。

 

 そんなことを考えている間にバスは破軍学園の正門をぶち破り、正面広場へとその大きな車体をドリフトさせながら停車した。そして慣性を殺し切ることを待たず、黒鉄たちは窓やドアから外へと飛び出していった。

 私? 普通に歩いてドアから出たよ。《既危感》があるからそもそも攻撃があればわかるし、それ以前に襲い掛かってくる気配もなかったし。

 

 そしてバスから出た私たちを出迎えたのは、変わり果てた破軍学園の姿だった。

 建物は残さず吹き飛ばされており、地面には所々に陥没した跡が残っている。さらに目を引くのは学園に残っていたであろう生徒や教師たちが倒れている姿で、見渡す限り意識を保っている人は一人としていない。

 

「徹底的ですね~」

 

 一応、血の臭いはしないので死人はいなさそうだ。いや、もちろん血を一滴も零さずに死体を作る方法なんていくらでもあるけど。でもその辺に転がっている人全員にそんな殺し方をしたと考えるより、《幻想形態》で気絶させたと考えるのが自然だ。

 

 というか、私としてはそんなことよりも建物の方が興味深い。

 

 ぱっと見だから断言はできないけど、校舎や訓練場の破壊痕が特徴的なんだよね。一階部分が少し残っている以外はその全てが消し飛ばされて瓦礫くらいしか残っていないという。

 しかもほぼ全ての建物は残っている部分が同じ高さしかなく、破壊のされ方も大威力の攻撃で外側から吹っ飛ばされているように見えた。

 立ち昇る黒煙はどうやらその後で起こったもののようで、火災で建物が崩壊したようにはどうにも見えない。

 

 それはまるで、大威力の一撃で全てを纏めて薙ぎ払われたみたいな……

 

 しかし私が考察できたのもそこまでだった。

 殺伐としていた空気の気配が俄かに変わる。それに気付いたのか、東堂さんや黒鉄、それからステラさんが一斉に同じ方向へと首を巡らせていた。

 そこにいたのは、仮面で素顔を隠した道化師(ピエロ)だった。

 

「おや? おやおやおや? これは破軍学園代表選手団の皆様ではあァ~りませんかァ!」

 

 とうっ、と間抜けな掛け声とともに道化師が私たちの方へと飛び込んできた。そして軽やかに着地してみせると優雅に腰を折って一礼してみせる。

 戦場にはあまりに似つかわしくないその風貌に、ステラさんたちは度肝を抜かれたように瞠目していた。

 

 彼のことは原作知識がちょっと薄れている私も良く憶えている。

 彼の名前は平賀玲泉。暁学園の一員にして、数少ない()()()()()()()()()()()人間の一人だ。

 というのも、どうも彼は人間ではないらしい。どこか超遠距離から埒外の傀儡師が操っている人形……らしい。らしいというのは、私の知る原作知識ではその裏にいる人物が出る前までしかないからなんだけど。

 10巻に行くか行かないかくらいで原作知識は打ち止めだから、その後でちゃんと元の傀儡師が描写されたのかわからないんだよねぇ。

 まぁ、とりあえずカンクロウとカラスの関係のようなものと納得しておく。カンクロウもカラスを人間に化けさせていたりしたもんね。こういう時に二次元の知識は便利。

 

 話が逸れたが、その後はまさに怒涛の展開だった。

 平賀さんが姿を現したのを皮切りに、他の暁学園の生徒たちも続々と集まってくる。その姿はまさに私の原作知識にある通りで、とりあえず私のせいで向こうの戦力が減っていないようで安心した。原作崩壊して増える分には大歓迎だけど、もしも減っていたらその分だけ闘えなくなっちゃう。

 

 おっ、ちゃんと王馬くんもいる!

 彼も成長しているようで、さっきから視線に乗せてわかりやすいくらい私に向かって殺気を放っているのに周りの人はそれに気付いた様子もない。どうやら殺気に指向性を持たせるという器用な真似をしているらしい。

 ……あれ? でもこれって“アリスさん対策”で作られた人形だったような……ってことはこの殺気は偽物なんだろうか? でも再現度は本物と遜色ないみたいなことを原作で言っていたような、言っていなかったような……。

 

「……ああ、なるほど」

 

 いや、違う。1/1スケール王馬くん人形の再現度が高すぎて騙された。

 これ、視線こそ人形から来ているけど殺気は別方向から来ている。そっちは全く視線を感じない上に、殺気の方も上手に出所を散らしているせいで最初は全然わからなかった。

 はぁ~、本当に器用なことするねぇ。

 

 私が一人で感心していると、黒鉄も王馬くんが暁学園の中にいることに気付いたらしく驚いている。

 まぁ、黒鉄似のイケメンで高身長で和装でロン毛という派手な出で立ちの学生騎士なんてたぶん王馬くん以外いないもんね。そりゃ気付くよね。

 

「貴方は……!」

「…………」

 

 王馬くん人形は安定のスルー。うん、マジで再現度高いわこの人形。

 というか冷静に考えたら黒鉄からしたら衝撃の事実だよ。すんごく久々に会った兄貴が自分の母校を破壊して回るテロリスト集団に加わっていたっていうんだから。別に兄弟仲もそんなに悪くなかったらしいし、まさに驚天動地ってところだと思うよ。

 

「どういうことなんですか、兄さん。貴方もこの暁学園とかいう集団の――」

「囀るな、愚物が。俺はとうに黒鉄と縁を切った身。貴様らに語る言葉などない」

 

 あっ、声もそっくり。でも前よりちょっと低いかな?

 ようやく口を開いた王馬くん人形だけど、口調とか言葉選びまで本当に王馬くんそっくりだ。

 そんな彼は不意に私から視線を外すと、今度はステラさんへとその鋭い眼光を向けた。でも殺気は私に向いたままなので、たぶん王馬くん側も私が気付いたことに気付いたっぽい?

 それでもこっちに手を出してこないってことは、お互いに考えることは一緒ってことね。以心伝心なようで手間が省ける。お礼として君は最初に殺してやろう。

 

 そんなことを考えている内に、平賀さんが朗々と暁学園とは何なのか、なぜ自分たちが破軍学園を襲撃したのかを語っていく。

 内容は概ねアリスさんがバスで説明した通りだった。そして平賀が語り終わるのを合図に、黒鉄たちが霊装を展開する。

 それと同時に、アリスさんがさも黒鉄たちを騙し討ちしますとばかりに気配を潜める。

 そして次の瞬間、両陣営が発した闘争の気によって空気が爆ぜた。

 

 

 で、戦端が開かれるまでもなくアリスさんはリタイアしたのでした。

 

 

 結果だけ言うのなら、アリスさんの裏切りは見事に暁学園側に読まれていたのだ。彼らの中に予知能力者(笑)(紫乃宮天音)という存在がいたことによって、全ては最初から無駄な足掻きでしかなかった。

 つまり味方(スパイ)に裏切らせるはずが、まさかのその味方こそが裏切り者だったという戦法を用いようとしたアリスさんは、実は裏切ることを予見されていたという更なるまさかのどんでん返しによって裏切りを封殺されてしまった。

 これによって破軍学園の奇襲は失敗。暁学園の精鋭たちvs破軍学園のアマチュア集団という敗北必須な全面戦争が始まってしまう。

 

 ……うん、知ってた。

 

 というか、正確に言うと前世で原作を途中まで読んでいた頃から知ってた。

 メタな話になってしまうが、実は原作においてアリスさんは裏切り者というキーパーソンであるにも関わらず、長々と回想や心情を描写されてしまうという読者にとって「あっ……」と言わざるを得ない失敗フラグを立ててしまっていたのだ。

 これを見た多くの読者が物語(ストーリー)の行く末を察してしまったのは想像に難くない。

 

 もちろん、私はその気になればこの事態を防ぐことができた。

 選手団の皆さんに警告するなり、裏切り者を裏切って奇襲してきた暁学園をその瞬間に一人か二人くらい仕留めることもたぶんできたのではないかと思う。

 

 しかしそれをしては大鎌の活躍の機会が減ってしまう。

 私としてはガチンコの闘いを大鎌が征するのが理想の展開なのだ。なので今回、私はアリスさんがこうして敵側の霊装によって背後からハリネズミにされる展開を泣く泣く許容したのである。

 倒れ伏すアリスさんは、紫乃宮さんの複数展開が可能な剣型霊装《アズール》が何本も背中に突き刺さっているという大変痛ましい姿だ。でもごめんね、大鎌の活躍のためにどうしても必要な犠牲だったんだよ。

 貴方のその犠牲、無駄にしないくらい全力で私頑張るから!(幻想形態なので死んでない)

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 最悪と言って差し支えない状況だとステラは歯噛みしていた。

 

 アリスの作戦通りに暁学園の面々を斬り伏せた彼女たちは、しかし成功の裏に潜む油断という隙をこれ以上ない形で突かれる形となる。

 なんとステラたちが倒したと思った暁学園は敵の能力によって作り出された偽物(デコイ)で、本物は息を潜めてこちらの作戦が空転するのを待っていたというのだ。その逆襲をこちらは見事に食らってしまい、瞬く間にアリスが負傷、そのまま敵の一人である平賀玲泉によって連れ去られてしまったのである。

 もちろん破軍学園の一同もそれを指を咥えて見ていたわけではない。既に追跡に珠雫が、そしてそれを援護するために一輝がこの場を離脱しているが……

 

(こいつら、誰一人として二人を追おうとしない!)

 

 それはあまりにも不気味な反応だった。

 

 《風の剣帝》黒鉄王馬。

 《凶運(バッドラック)》紫乃宮天音。

 《不転》多々良幽衣。

 《魔獣使い(ビーストテイマー)》風祭凛奈。

 《血塗れのダ・ヴィンチ》サラ・ブラッドリリー。

 

 彼らは誰一人として離脱していった《道化師》平賀玲泉の援護に回ろうとしなかった。まるでその必要はないと言わんばかりの落ち着きぶり。そこから推測できるのは、平賀があの二人を退けられるだけの実力を持っているか、あるいは……

 

(その行先にさらなる実力者がいて、迎撃が容易であるかってことね)

 

 何はともあれ、最早ステラに平賀を追うことはできない。姿を見失ったことに加え、目の前の敵がそれを許すはずもないということはステラも理解している。特にその一人、王馬の視線は先程から完全にこちらに狙いを定めていた。

 その全身から放たれる圧迫感からステラは悟る。自分がこの男を振り切り、一輝たちを追いかけるのは不可能だということを。

 敵は日本唯一のAランク伐刀者。そしてその威圧感は暁学園の面々の中でも明らかに突出していた。しかし即ちそれは、彼が暁学園の誇る最強戦力であることを意味している。であるならばそれはステラにとっても好都合だった。

 

「蒼天を穿て、煉獄の焰ッ!」

 

 紅蓮の炎熱を纏い、ステラの霊装《妃竜の罪剣》が天高く掲げられ、一呼吸の間に灼熱の大剣へと変貌していた。逆巻く炎は周囲の大気を食らい、その名の通り天壌を焼き尽くさんばかりに破壊の渦を天高く立ち昇らせる。

 

(アリスの作戦が外れてからこっちの士気はガタガタ。強引にでも主導権を捥ぎ取る必要がある!)

 

 それ故の《天壌焼き焦がす竜王の焰(カルサリティオ・サラマンドラ)》。ステラの持つ最強にして最大の伐刀絶技。

 およそ対人としては過剰すぎる威力であることはステラ自身がよく理解していたが、しかし敵は愛すべき母校を破壊し尽くした仇敵だ。容赦の必要は微塵もなく、同時に油断も欠片すらない。

 一撃だ。

 全力の初手によって王馬を斃し、最悪一撃で斃せなかったとしても応手の隙すら与えず焼き尽くす。これによって敵の最高戦力を潰し、闘いの形勢を一気にこちらに呼び込むのがステラの狙いだった。

 

「――ずっとアンタの視線を感じていたわ、オウマ・クロガネ。アタシと闘いたいんでしょう?」

 

 ならば望み通りに受けて立つ。

 雄弁に語るステラに、相対する王馬は目を細めることで応えた。黙して語らず、しかしその鋭い双眸は()()()()()()()かのように灼熱の大剣を見上げている。

 この場の全てが予感した。これから二人のAランクが激突し、それが開戦を告げる狼煙となると。

 王馬はその二つ名の通り風使い。そしてステラと同じくAランク。ステラが初手で大技を放つのならば、考えられる応手は一つしかない。

 《月輪割り断つ天龍の大爪(クサナギ)》――それは《風の剣帝》が誇る最強にして必殺の伐刀絶技。

 もちろん王馬ほどの伐刀者ならばステラの攻撃を躱すことなど容易だろうことは想像に難くない。しかし目の前で仁王立ちするこの男が、そのような軟弱な選択をすると考える者はこの場には一人としていなかった。

 必ずこの男は迎え撃つ。それも一歩も退くことなく、この灼熱の炎剣を相手取るはずだと。

 

 

 だが、後に人々は理解する。

 それは黒鉄王馬という男をあまりにも侮ったが故の発想だということを。

 

 

 その場の誰もが瞠目し、祝ですらも意外そうに眼を瞬かせた。

 味方であるはずの暁学園の面々ですら訝し気に王馬を一瞥する。

 そしてステラは唖然とするあまり、瞬間的に思考停止に陥っていた。

 なんと《天壌焼き焦がす竜王の焰》を前にして、王馬は抜き放った野太刀の霊装《龍爪》をだらりと下げたまま()()()()()()()()()。それどころか、まるで「つまらないものを見た」と言わんばかりに不快そうに鼻を鳴らし、そして一輝たちが去っていった方向を忌々し気に睨む。

 

「あのペテン師が。これほどの原石がまだこの領域とは、全く失望させてくれる。やはり奴は《紅蓮の皇女》に並び立つべき器ではない」

「あ、アンタ何を――」

「《紅蓮の皇女》、念のために、万が一を警戒し、己の未熟さを疑い一度だけ確認してやる」

 

 ステラの困惑を余所に、王馬は見るからに白けた様子で再び視線をステラへと向けた。

 そしてステラは理解する。既に王馬の視界に、自分の姿がないことに。もう先程まで自分に向けられていた闘志はなく、残っているのはまるで地を這う蟲ケラを見下ろすかのような……

 

 

 

「――これがお前の全力か?」

 

 

 

 交わる視線。

 放たれた言葉。

 そして叩き付けられる“殺気”。

 

「ひッ……」

 

 その瞬間、ステラは生まれて初めて心の底から人間を相手に竦んだ。理解できないほど強大で、意味がわからないほどに隔絶した実力に背筋が凍り付く。

 そして理解した。自分を()()()()この男の前で生存を許されていることが、ただの気紛れという名の奇跡によるものでしかないという事実を。王馬がその気になれば、その瞬間に自分は死ぬ。逃げることも抗うことも許されず、指の一本を動かす暇すらなく命を蹂躙される。

 そこに同じAランクであるという評価など何の意味も持たなかった。存在しているのは、経験したことがないほどの恐怖だけだ。

 

「あ……あっ……」

 

 あまりのプレッシャーに息すらできない。眼力だけで全身の筋肉が縮み上がり、恐怖は血流すらも凍り付かせる。

 世界最高の魔力を持つステラは、間違いなく最高の潜在能力を持つ逸材だ。才能という観点から見れば、彼女に勝る伐刀者などこの世に存在しないだろう。しかしステラはこの日、世界には自身を矮小な弱者でしかないと見做すことができる人間が存在するという真実を身を以って教えられることとなった。

 この、目の前に佇む絶対強者によって。

 

「――やはりその程度か、竦み上がることしかできんとは。《告死の兇刃(デスサイズ)》はこの程度、平然と受け流したぞ」

 

 失望と呆れ。

 それが王馬の目が語る全てだった。

 しかし彼もこのまま終わらせるつもりはないのか、その人外染みた殺気を滾らせたままにゆらりと《龍爪》を頭上へと持ち上げる。それだけでステラは、その優れた才覚と本能から自分の命運が尽きかけていることを悟った。

 

「手加減はしてやる。本物の『強さ』の意味をその魂に刻んで眠れ」

「う――ぁぁぁぁあああああああッッッ!!!」

 

 剣を振り下ろすことができたのは、死を恐れる本能からだった。

 恐怖と絶望と僅かに残された理性が、目の前の死の脅威を排除せんとステラの魔力と筋力を稼働させる。大地へと叩き付けられた劫火は、破壊の嵐となって斬線の延長上に存在する全てを蹂躙した。まさにAランクの名に相応しい、あまりにも人間離れした威力。

 

 もっとも、その破壊を向けられた王馬からすればあまりにもか弱い“火”でしかなかったが。

 

「――嗚呼」

 

 王馬の口から、溜息とも欠伸とも思える気の抜けた音が漏れる。

 そして眼前に迫る劫火を前に、思い出したかのように王馬は《龍爪》を振り下ろし……

 

 

 ひゅるり――

 

 

 それは暴風と呼ぶにはあまりに洗練され、しかし旋風と呼ぶにはあまりにも鋭すぎた。

 王馬の斬撃に合わせて放たれたその一陣の風。

 それはステラが最強と謳う《天壌焦がす竜王の焰》と交わった瞬間――紅蓮が、火の粉を残し真っ二つに裂けた。炎も、熱も、光すらも断ち切られ、僅かな拮抗すら許されず、あまりにも呆気なく勝敗は決していた。

 否、それだけで終わるはずもない。

 

「――えっ?」

 

 それが意識を闇に呑まれる寸前にステラが発することができた言葉だった。

 王馬の風は紅蓮の炎剣を断ち、僅かな威力の減衰を見せることもなくそのまま直進。その使い手たるステラの脳天から股先までを一刀の下斬り捨てた。

 やがて一拍遅れ、炎と共に引き裂かれたことにようやく気が付いた大気が爆ぜる。それは最早、颶風だった。王馬に刻まれた斬撃の跡をなぞり、颶風が気を失ったステラへと襲い掛かる。意識のないステラがそれを耐えられるはずもなく、彼女は受け身すら取ることも出来ず、校舎の残骸をいくつも砕き、貫き、そして幾度も地面を弾んだ末に――学園の敷地の外にまで吹き飛ばされてようやくその身を横たえることが許されたのだった。

 

「そんな……馬鹿な……」

 

 そう漏らしたのは一体誰だったのだろうか。

 しかし誰の言葉であれ、それが敵味方を含めたこの場の全ての人間の心情を代弁したことは間違いないだろう。

 あの《紅蓮の皇女》が、世界最高峰の魔力を身に宿した天才が、同じAランクの、それも学生騎士にこうも一方的に敗れ去った。その事実を誰もが受け入れられない。王馬が先程の言葉を違えず《幻想形態》で魔術を繰り出したために、ステラの柔肌には傷の一つすらもないが……もしも王馬がその気すら起こさなければ、彼女は今頃血の霞となってこの世を彷徨うこととなっていただろう。

 あまりにも異質なその強さ。

 それは学園の代表選手といえども学生騎士(アマチュア)でしかない彼らの戦意を砕くには充分すぎるものだった。

 

「この、怪物(バケモノ)め……!」

「嘘だろ……どうすりゃ倒せんだよ、あんな奴……」

 

 勝てる気がしない。

 まず、葉暮姉妹の姉である桔梗が霊装の槍を取り落とした。続いて妹の牡丹が膝を屈する。生徒会の面々は戦闘態勢こそ崩していないものの、既に戦意は削がれたも同然だった。

 そして大きく戦意を削がれたのは刀華も例外ではない。もしも彼女の背後に守るべき仲間たちがいなければ、今頃は彼女も膝を地に付けていただろう。しかし刀華を支える最後の柱が――その覚悟と信念がある限り彼女の意志はこの絶望的な状況でも挫けはしない。

 

 だが、刀華はショックのあまり忘れていた。

 

「す――」

 

 敵味方の誰もが王馬に畏怖する中。

 常識的に考えれば絶望の底に突き落とされても仕方のないこの状況。

 そんな場において、むしろ狂喜乱舞してしまう狂人がその傍らにいたことを。

 

 

 

「すっっっっっごぉぉぉぉぉいッッッ!!!」

 

 

 

 その言葉に畏怖はなかった。

 そこにあるのはただ“感動した”という、ありきたりでこそあるが人間の最も原始的な感情だった。

 誰もが恐れ戦くその惨状を目にし、ただ一人――疼木祝という少女だけが目を輝かせていた。拳を握り締め、興奮のあまり小さくその身を跳ねさせる。まるで幼子のように感情の抑えが効かないのか、「凄い凄いッ」と止むことなく口走り続けていた。

 

「東堂さん東堂さん東堂さんッッ! 今の見ました今の!? ステラさんのバ火力を相手に一撃ですよ一撃ッ! 一撃!! しかも瞬殺って……もう本当に王馬くん凄いッ! 凄い凄い凄いッ!」

 

 言葉だけで感情を抑えきれなくなった祝は、遂に唖然とする刀華へと抱き着いてしまうほどだった。その異常な反応には敵である暁学園の生徒たちですら閉口し、むしろ王馬とは別種の薄ら寒いものを感じざるを得ない。

 だが、当の王馬はまるで動じていない。それどころか祝の奇行に呆れたように眉を顰めていた。

 

「貴様は六年経とうと全く変わらんな。その拙い語彙で“獲物”を褒めちぎる癖はまだ残っているのか」

「だって凄いものは凄いじゃないですか! あの時の少年がまさかここまで成長するなんて思っても見ませんでした! 凄すぎて“凄い”しか言えないくらい凄いです! 今になって思うと本当に――本当に六年前に殺し損ねていて良かったぁ」

 

 たった一言。

 その言葉が発せられた瞬間、抱き着かれていた刀華は自身の死を幻視した。内臓が裏返り、脳が内側から爆ぜたとすら感じた。あるいは抱擁のために回されたこの細い腕が自分を絞め殺したのかとすら思った。

 

 そう錯覚してしまうほどに溢れ返る濃密な“死”の気配。

 

 殺気ではない。闘気でもない。

 ただ概念としての“死”が刀華を覆い包む。その尋常ならざる感覚に、刀華は確かに自分の魂が黒く重い何かに押し潰されていく感覚を刻み込まれた。

 

「うッ、おえ゛え゛え゛……!」

 

 気が付けば刀華は祝を突き飛ばし、その場に吐瀉物をぶち撒けていた。

 いや、刀華だけではない。選手団の面々は一様に顔を青褪めさせてその身を震わせ、暁学園の精鋭たちですらもその地の底から滲み出るかのような不気味すぎる気配に思わず後退る。

 平然としているのは王馬だけだ。いや、それどころか彼はピクリとも動かさなかったその表情を歪め、獰猛な笑みを浮かべながら一歩を踏み出していた。

 

「殺し損ねたのはこちらとて同じこと。あの日以来、餓えと渇きで俺の魂が休まる日は一日としてなかったぞッ……」

 

 一歩、また一歩。

 王馬が歩く度に天が震えているとすら錯覚するような、尋常ではない殺気。

 

「私も心残りでしたよ? でもこんなに強くなって戻ってきてくれたのならあの日の残念な敗北にも意味がありました。凄く強い貴方を殺せば、それって大鎌がもっと凄いって証明できるってことなんですから」

 

 蹲る刀華には目もくれず。

 祝はその手に大鎌《三日月》を顕現させると、まるで手足の延長であるかのように滑らかな動作で一旋させた。

 

 その瞬間、二人の戦闘準備が整ってしまったことを周辺の全ての生物が悟った。

 

 全てを押し潰さんと天が動く。

 全てを呑み込まんと地が啼く。

 殺意と狂気が鳴動し、耐えられないとばかりに日輪が分厚い雲の衣にその身を隠す。大気すらも息を潜めたかのように沈黙し、周辺の野鳥や獣たちが一斉に身を翻してその場を後にした。

 

「――くは」

「――あは」

 

 自然と二人の顔には笑みが毀れていた。

 美男と美女が見つめ合い、その笑みを交わし合う。言葉にすれば仲睦まじい関係としか思えないその動作だが、しかし野太刀と大鎌を手にしながら向かい合うこの二人を見てそれを懸想する者はこの世に存在しないだろう。

 しかし太陽だけはその光景に油断したのかもしれない。

 笑い合う二人に向けて雲間が途切れ、一瞬の光明が――

 

 

死ねェッッッ!!

 

 

 刹那、闘いの火蓋が切られた。

 

 

 




キリが良いので今回はこの辺で。
結構強引に話を進めてしまったので反省しています。


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つかあのお兄さん刃が刺さんねーんだけどマジで

毎度ながら、感想や誤字脱字報告ありがとうございます!
感想は全てに返信できず申し訳ありません。


 風を操ることで空気抵抗をなくし、逆に空気を暴風の推進力へと変換する王馬。

 埒外の魔力制御と理想的な身体運用により、並みの伐刀者の十倍以上の『行動強化』――魔力放出による身体強化を可能とする祝。

 この二人が激突したことでまず始まったのは、凡庸な伐刀者では目で追うことすらも叶わない高速戦闘であった。

 

 戦闘開始と同時、破軍と暁の両陣営の多くの者は二人の姿が掻き消えたようにしか見えなかった。

 

 二人の姿を捉えられたのは、動体視力に特に優れる多々良と《閃理眼》の伐刀絶技を保有する刀華のみ。そんな二人が驚愕に表情を硬直させるよりも速く、王馬と祝は互いの霊装の間合いに足を踏み入れていた。

 振り下ろされる《龍爪》。

 薙ぎ払われる《三日月》。

 単純ながらも常人ならば掠るだけでも必殺の威力を誇るその二撃は、しかしこの二人にとっては小手調べにもならない挨拶程度の意味合いしか持たない。

 二人の距離は瞬く間にゼロとなり――更なる加速によって初撃を見舞ったのは祝だった。

 王馬の上段からの斬撃を前方への加速のみによって回避した祝は、すれ違いざまにその無防備な脇腹へと鈍色の刃を叩き込んだのだ。まさかの初撃による決着に多々良と刀華は瞠目し、しかし当の祝は眉を顰めるという勝者に相応しくない表情を浮かべていた。

 しかしそれは当然だろう。

 なぜなら、そもそも勝敗はまだ決していないからだ。

 

()ァッッッ!」

 

 大鎌を振り抜くことで背を向けることとなった祝に向け、脇腹を斬り裂かれたはずの王馬が間髪入れず反撃を繰り出した。

 しかし祝は()()()()()()()()()、背中越しに斬撃を長柄で受け流す。そしてそれに収まらず更なる反撃として、今度はその石突を受け流しの運動エネルギーを乗せたまま王馬の頭蓋へと叩きつけた。

 祝の魔力放出すらも上乗せされたその打撃は王馬の右側頭部を直撃。堪らず王馬は大きく体勢を崩し、――それを見逃す祝ではない。

 

「やッはァ!」

 

 まるで舞のようにその身を躍らせた祝が漆黒の大鎌を振るう。

 それはまさに発破と表現するに相応しい大音量だった。大鎌の曲刃の先端が王馬に触れるやいなや、炸裂音とともに王馬の身体が大きく吹き飛ぶ。

 

 だが、王馬は倒れない。

 

 なんと彼は僅かに宙に浮いた己の両脚を地面に突き立てるや、粉塵を巻き上げながらその勢いを力尽くで押さえ込んだのだ。

 あれほどの斬撃をその身に受けておきながら、王馬の動きは全く衰えた様子はなかった。それどころか彼の身体からは血の一滴すらも流れ落ちておらず、諸に石突を食らったはずの側頭部にも傷は見られない。強いてダメージの痕跡が見受けられるのは、王馬がその身に纏う和装だけだ。

 

(な、何がどうなって……!?)

 

 一連の攻防を傍らから見ていた刀華には全く意味がわからなかった。

 攻撃をその身に受けながらもダメージを殺し切る方法は確かにある。その代表的な例が、魔力総量に絶大な差があるために攻撃側が防御側の魔力防御を貫けないというものだ。

 一見すればその現象によって王馬が祝の攻撃を防ぎ切ったようにしか見えない。

 しかし刀華の知る限り祝の魔力総量は数値上では自分よりも多く、ステラを除けば学生騎士の内でも最高峰に相当するもののはず。加えてあの威力で繰り出される斬撃を無傷で受け止めるなど、どう考えても尋常ではない。

 だが、その不可思議を前にしても祝は興味深そうに王馬を見つめるだけだった。

 

「……へぇ。硬いですね」

「貴様の刃が軟すぎるだけだ。今度はこちらから行くぞ」

 

 ゆらりと《龍爪》が持ち上がる。

 そしてたちまちその刃がブレ――

 

()ィッ!!」

 

 放たれる斬撃。

 間合いを開けながらも繰り出された斬撃は風を纏い、その風は鎌鼬となって祝へと迫る。

 しかも一撃ではない。瞬間にして繰り出された風の刃――《真空刃》は十三。まるで嵐のように殺到する刃の群れに、しかし祝は微笑みを崩さない。それどころか避ける仕草すら見せなかった。

 

「ふぅん?」

 

 「あっ」と破軍の誰かが叫ぶより速く、いや、それどころか王馬が刃を振り下ろすよりも早く、祝は《三日月》を大きく背後へと振りかぶっていた。

 そして刃が殺到するや否や、全身の筋肉を捻るかのように大きく大鎌を薙ぎ――

 

 

 その一撃は爆砕音を奏で、横殴りの爆風となって大気を蹂躙した。

 

 

 物体が音速を超えることによって引き起こされる衝撃波(ソニックブーム)

 それは風の刃を食らい尽くし、更には大地すらも抉り取る。そのあまりにも荒々しく暴力的な防御行動に、先程の王馬など比でないほどの粉塵が舞い上げられた。

 

「何でもありかよクソがァ!」

 

 暁か、それとも破軍か。

 余波だけで身体が吹き飛ばされそうになるのを懸命に堪えながら誰かが叫ぶ。誰のとも判断の付かないその言葉だが、実際に刀華たちの内心を実に簡潔に表していた。

 《真空刃》から身を守るための防御行動でしかないこの一撃。だが、もしも人間がこれを直撃してしまえばどうなるかなど自明の理だ。これほどの衝撃波を食らったが最後、全身が千切れてバラバラになるに違いない。

 その身に三度もの致命打を食らって平然としている王馬は疑いようのない怪物だが、素振り一つで殺人攻撃を当然のように放つことができる祝もやはり普通ではなかった。

 

 そんな刀華たちの驚愕を余所に祝が粉塵へと突入する。

 

 視界が利かない中へとあえて踏み込むのは明らかに愚行。

 しかし《既危感》によって敵の反撃を予知できる祝にその常識は当てはまらない。

 

(来るか)

 

 そんな祝の接近を、王馬は己の支配下に置くことで感覚を共有している周辺の大気から悟った。視界が利かずとも問題がないのは祝ばかりではない。空気さえ存在していれば王馬の眼は全てを見通す。

 

(あっ、何か知らないけどバレた――そっちもだけど)

 

 祝もまた、《既危感》により王馬の存在を悟る。

 粉塵を引き裂き迫る白刃を未来から予知したのだ。刃渡りと軌道から即座に逆算、祝もまた王馬の正確な位置を割り出す。

 予知と感覚共有という、互いに常人を逸脱した超感覚を用いた探り合いは互角。ならばやはり、雌雄を決する要因は“己の強さ”しかないだろう。

 その意志を乗せた二つの刃が交錯し――そのあまりの衝撃に粉塵は瞬く間に消し飛んだのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 王馬くん凄すぎワロタ。

 

 息をつく間もない高速戦闘。

 いつの間にか戦場は移り変わり、東堂さんたちのいた正門付近は遥か彼方だった。

 それを意識している間にも私と王馬くんは一切足を止めておらず、破壊の痕跡を周囲に刻みながら転々と戦場を変え続けていた。

 加速し続ける戦闘模様。それに引き摺られるように思考も加速していく中、私は改めて王馬くんの戦力を分析する。

 

 王馬くんの何が凄いって、色々凄いけどその最たるものは肉に刃が通らないことだろう。

 マジで純粋に硬すぎて普通の斬撃では皮膚すら貫けない。打撃すらもあのガチガチの筋肉と骨に阻まれて全く通用していない。これは原作にもあった王馬くんの特性なので知っていたには知っていたのだが、実際に闘ってみてわかった。比喩表現とか抜きで鋼より硬いよ、あの筋肉。

 筋肉に刃が刺さらないって、お前はジャック・ラカンかよ。

 

 ではなぜ彼の身体がこれほどの硬度を持っているのかというと、原作知識によれば彼は数年もの間、自身の風の能力で身体に圧をかけ続けるという修行をし、それに適合する形で肉体が変化したためらしい。常に肉体を空気圧で潰し続けるだけであそこまで人間が超進化できるものなのかは甚だ疑問だけど……ほら、そこはファンタジーですから。

 おまけに筋肉が進化したせいで硬度だけでなく膂力も上昇し、もはや素の力だけでステラさんと渡り合えるほどなんだとか。原作では東堂さんの《雷切》すら受け切っていたし、マジで筋肉で攻防能力を底上げしているのだ。

 

 筋肉最強説(力こそパワー)

 

 これを王馬くんは体現していると言えるだろう。というか魔術で闘うラノベで筋肉でほぼ全ての敵を薙ぎ払える王馬くんは絶対に生まれる世界を間違えている。

 っていうかこの人、力がありすぎて通常攻撃すら防御ができないんですけど。斬撃を受け止めたらそのまま叩き潰されるんじゃないの、私。さっきは様子見として受け流しをしてみたりもしたのだが、魔力放出で無理に相殺したのに手と腕が痛いし。本音を言うのならばあんまりやりたくはないが、躱し続けるのは却ってシンドいので却下。

 

 更に言うのなら他にも速さとか反応速度とか無駄のない体捌きとかたぶんまだまだ残されているであろう風の魔術のレパートリーとか、王馬くんの凄い点を上げればキリがない。

 速いし硬いし力は強いし魔術も魔力量も優秀とか、これどこの“僕が考えた最強の伐刀者”なんですかねぇってくらいステータス的に隙がない。高次元にバランス良く能力が揃えられた理想的なオールラウンダーだ。

 それから……もしも違ったら私の勘違いみたいで恥ずかしいんだけど……

 

 

 この人、原作よりも強くね?

 

 

 最初から違和感はあった。

 原作では確かステラさんの《天壌焼き焦がす竜王の焰》に対し、王馬くんは彼の必殺技である《月輪割り断つ天龍の大爪》で迎撃していたはずなのだ。そして二人の必殺技が激突した結果、ステラさんは生まれて初めて力押しによって敗れ去る……って感じの展開だった気がする。

 しかし実際は違った。

 王馬くんは必殺技の「ひ」の字すら晒さず、《真空刃》でステラさんを片付けてしまった。もちろん連撃で放つようなものとは込められた魔力も空気の密度も桁違いではあったんだろうけどね。

 

 でも、最初は興奮のあまり意識していなかったけど、これって普通にヤバいよね?

 ステラさんは猛特訓の末に王馬くんを打倒することになるけど、これ本当に勝てんの? 正直、この王馬くんに勝てる彼女のイメージがサッパリ湧かないんですけど。

 

 ……まぁ、何はともあれだ。

 王馬くんのその一見無謀としか思えない修行でこれほどの成果を出したという事実は素直に賞賛するしかない。私からすれば『感謝の正拳突き一万回』を繰り返し、その果てで百式観音を習得したのと同種の凄い偉業だ。

 誰に命令されるでもなく、成功する保証も実を結ぶ確証もないというのに、自分にできることを極め続けたことで極限の領域までそれを昇華させたのだから。

 

 彼がこのような修行を始めたのはなぜだったか……

 そうだ。確か彼は小学生(リトル)リーグに優勝して中学生に上がった後、国外へと武者修行の旅に出たのだ。しかしその過程で《解放軍》の首領にして最強戦力である《暴君》と闘い、その人物にぶっ殺される寸前まで痛めつけられてしまったのである。

 そして世界の本当の広さを知った王馬くんは無茶な修行に手を出すようになり、そして現在に至る、と。

 

 いや~、大鎌至上主義の私は剣士なんて須らく死ぬべきだと常に思っているけれども、彼の強さに対する執念は私の大鎌に対する情熱と比較できる程度には本物だと私も認めざるをえない。

 彼は心の底から強くなることを渇望し、いつか《暴君》すらも下せるような伐刀者になることを目指しているのだろう。

 

 世界の勢力図を三分割するほどの伐刀者《暴君》。

 噂によれば高齢のため寿命がもう長くないとかは聞いたことがある。しかし間違いなく世界最強クラスの伐刀者であることに間違いはないので、恐らくは彼も《魔人(デスペラード)》と呼ばれる存在なのだろう。

 そんなこの世界における大魔王的なポジションのレベルを目指す王馬くんには感心させられるが……

 

 

 

 残念ながら王馬くんの冒険はこれで終わりだ。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 戦闘が始まってから数分。

 王馬と祝の戦闘は膠着状態に陥りつつあった。

 というのも数撃を交えたことによって王馬も祝も敵の大まかな力量を計り終えてからは、下手に牽制や派手な動きをすることを嫌い、ジリジリと互いの隙や意識の解れを探り合う読み合いの段階に移行したのである。

 その一瞬すらも気の抜けない戦闘の最中(さなか)、王馬は静かに思考する。

 

(数年前とは桁違いに武術が洗練されている。まさかこの俺の攻撃をこうも受け流し続けるとは)

 

 表情にこそ出さないが、王馬は内心で舌を巻く思いだった。

 王馬の肉体はこの数年で圧倒的な進化を遂げている。『行動強化』の訓練も怠らず、加えて黒鉄家で暮らしていた頃から慣れ親しむ『旭日一心流』も実戦の中で研鑽を絶やさなかった。そんな王馬の必殺の剣技を祝は躱し、そして受け流すことで掠り傷の一つすらも負わずにいる。

 認めるしかない。祝の武術と魔力・身体運用は自身のそれを凌駕していると。

 身体能力そのものは王馬が圧倒的に勝っていることは疑いようがないが、その差を覆し、更には互角に持っていけるほどに祝は巧い(・・)

 しかも《既危感》による経験値の蓄積により、戦闘開始の当初よりも明らかに王馬に対応する動きが洗練され始めている。このままダラダラと時間をかければ、自分の武術は何一つ彼女に通用しなくなってしまうだろう。

 

(ふん)ッッ!!」

 

 大地を断つかと思われるほどの威力で振るわれる《龍爪》。

 それを無駄なく紙一重で躱した祝は、その刃が振り終わるよりも早く王馬へとカウンターの刃を振るう。その刃が狙う先は――眼球。

 筋肉と違い、人体において最も柔らかい部位の一つ。

 なるほど、道理には適っている。王馬の硬質化した筋肉や骨に攻撃が通用しないのならば、剥き出しの弱点である眼球から攻めようと考えるのは当然だ。

 

 しかしそれは王馬も腐るほど経験した対応だった。

 

 その殺人的な目潰しを、王馬は軽く首を動かすだけで防ぐ。まっすぐに眼球へ向かっていた刃は目標には辿り着けず、王馬の頬を浅く()()()に留まった。単純に頬の皮膚を刃が傷つけられなかったのだ。

 「ちぇ」と残念そうに呟く祝。

 だがその攻撃の失敗も彼女にとっては想定内なのか、更なる追撃を行うこともなく後方へと退いていく。王馬もそれを追うことはせず、ちょうど良いタイミングではあったためゆっくりと空気を吸い込み身体の調子を安定させた。

 しかし隙は作らず、その思考もまた回転を続けていた。

 

 ――決定打に欠ける。

 

 弄ぶかのように大鎌を一旋、二旋させる祝を眺めながら、王馬はその事実を再確認する。

 祝の刃が自分に届かないことと裏腹に、接近戦では予想通りにこちらの攻撃が通用しなくなり始めつつある。

 かといって中・遠距離戦をしようにも速射できる《真空刃》は通じず、溜めを必要とする大技の類は祝の予知によって出だしを強制的に潰される。ダメージこそほぼないが、体勢を崩されるような一撃を見舞われて大技を放てないのだ。

 傍目から見れば恐らく延々と接近戦を続けていたように映るかもしれないが、王馬とて馬鹿ではない。戦闘の過程で魔術を試みなかったはずがなかった。

 

(己の魔力(ステータス)を極限まで研ぎ澄まし、《既危感》でそれを最大に発揮する。なるほど、奴の戦闘の“型”は既に完成形だ。しかも未だに発展の余地を残している)

 

 こと接近戦に限るのならば、王馬がこれまでに出会った伐刀者の中でも五指に入る実力者。

 膂力も通常の伐刀者が相手ならば充分に反則的で、敏捷力や機動力も超一流の領域だ。王馬もこの進化を遂げずに彼女と相対していたのならば、恐らくは一方的に惨殺されていたに違いない。

 

 そう、()()()()()()()()()()()

 

 闘争にifはない。

 現実として祝の攻撃が王馬に通用していないことは覆しようがないのだ。確かに王馬の攻撃は祝に当たらないが、彼が持つ特性は祝の持つ強みを殺し切って余りある。

 決定打がないのは祝とて同じこと。むしろこちらは武術も魔術も当たれば必殺という有利に変わりはないのだ。

 

 つまり膠着状態でこそあれど、戦局が傾いているのは――王馬。

 

 そもそも大鎌による接近戦しかほぼ手札がない祝は、敵と実力が拮抗した時点で“敗け”なのだ。それは即ち、唯一にして最強の手札が相手に通用していないことを意味しているのだから。

 先程の衝撃波のような技があろうと、自身の得意な土俵で勝ち目を見出だせなければ祝は最早打つ手がないも同然。

 だからこそ王馬の鋼の肉体は、これ以上ないほどに祝の戦闘スタイルに()()()

 

(どうする? ここから貴様はどう逆転する?)

 

 だが、王馬に油断や慢心は欠片も存在していなかった。

 むしろ逆だ。こうまで自分に有利な状況で祝が逆転する術が思い付かないという、()()()()()()()()()()()

 それはつまり、仮に祝がまだ勝機を確信していた場合に次の手が全く予想できていないという王馬の未熟さすらも表しているのだから。

 

 超人的な見切りと魔力制御によって制御された、武術という名の暴力を絶えず見舞う祝。

 そしてそれを全て受け切りながらも、尚斃れることなく即死級の斬撃を繰り出し続ける王馬。

 

 それはAランクという外野の評価などまるで意味を成さない、至高の超人たちだけが踏み入ることのできる領域の闘争だった。

 一挙手一投足が命運を決してしまうその闘い。だが、王馬の直感が告げている。この疼木祝という敵は、博打を打ってでも早々に勝利を掴むべき狂気を孕んでいると。

 ならば――

 

「やらせませんよ」

 

 刹那、王馬の脳が指令を肉体に伝達するよりも更に速く。

 これまでとは比較にならないほどの速度で祝が間合いを詰めていた。あまりの速度に物理現象すらも追いつかず、祝の蹴り足によって砕けた地面が思い出したかのように爆ぜる。

 

 ――速いッ、まだ手を抜いていたというのかッ!?

 

 王馬が驚愕に目を見開く暇すら与えず、その加速力を用いて祝は石突を用いた神速の刺突を見舞う。

 その渾身の一撃に王馬は思わずといったように呻き、堪らず数歩後退った。しかしそれだけだ。これでもまだ皮膚に痣を刻む程度。未だに祝の攻撃は王馬の肉体に致命傷を与えることはできていない。

 そして……

 

「それは予想済みだッ!」

 

 体勢を崩したことなどものともせず、王馬はその全身に旋風を纏った。

 《風神結界》――自身の周囲に高速で回転する竜巻を形成し、接近する全てを微塵に斬り裂く王馬の防御魔法。しかしそれを敵が目の前にいる状態で繰り出せばどうなるか。

 即ち、攻防一体の範囲攻撃と化す。

 

「やっぱり駄目ですか~」

 

 そしてそれを予知できない祝ではない。

 刺突が王馬の体勢を崩すに留まった時点で祝は後退し、たった一歩で《風神結界》の殺傷範囲から離脱した。

 対する王馬もただ闇雲に風を纏ったわけではない。それどころか、これこそが王馬が必殺の一撃を繰り出すための布石。

 

「……ッッ」

 

 竜巻に巻き上げられた木の葉が微塵に斬り刻まれる外界とは打って変わり、《風神結界》の内部は静寂に包まれていた。その中心に佇む王馬は、一呼吸の間に体内で莫大な魔力を練り上げる。

 祝に屈辱的な勝利を収めてより、王馬は絶えず己を鍛え続けていた。

 それは肉体に限らず、その魔力制御の技術もだ。

 王馬は何一つ妥協しなかった。肉体を鍛えるために魔術を疎かにするなど、王馬の目指す“強者”に相応しくない邪道。むしろ祝という得難い強敵と幼い内に遭遇したことで、本来の彼よりも更に修行に容赦がなくなっていた。

 ならば、だ。

 

 《暴君》に敗れ去って以降も研鑽と進化を続けていた王馬が、本来の彼を超える進化を遂げているのは当然の帰結である。

 

 王馬にとっての溜め――それは一呼吸の間さえあれば充分だ。

 直後、王馬は大規模魔術を放つための全ての行程を終えていた。あとは祝の動きによって応手を決めるという、その段階まで一秒とかからない。

 応手とは、即ち『遠か近か』という問題だ。

 王馬が迎撃準備を整えたことは祝も既に予知しているはず。ならばその後の彼女の動きで王馬は有効な攻撃を選択すればいい。

 祝が《風神結界》を突き破って接近してくるのならば、近距離に絞って威力を発揮する面制圧を。距離を取って様子を伺うようならば更に魔力を練り上げ、躱しようのない大規模攻撃でこの学園の敷地ごと叩き潰す。

 もはや攻撃の規模(スケール)が学生騎士のそれではないが、王馬にとって祝という存在はそこまでして斃すべき価値のある強敵だった。

 

 そして待ち構える王馬に対し、祝が取った行動は――突撃。

 

 直後、風神結界が大鎌の一斬によって消し飛ばされた。

 衝撃波だ。先程《真空刃》を吹き飛ばした衝撃波により、今度は《風神結界》すらも祝は打ち破ったのである。そして引き裂かれた結界の狭間から、祝が神速で間合いを詰めにかかる。

 しかしそれは無駄な足掻きだ。

 祝の予知能力の特性から鑑みて、遠距離から狙い撃ちにされるよりも乾坤一擲の接近戦に臨む方が危険度は低いと判断した末の選択だということはわかる。何せ距離を取ったが最後、祝には投擲くらいしか攻撃手段がないはずだからだ。

 つまり祝は最悪手と悪手を秤にかけたに過ぎない。よってどちらを選んだにしても、もう状況が祝に傾くことはない。

 

(しかし奴のことだ。決死の一撃を割り込ませることによって俺の攻撃を阻もうと企むはず。だが、そうとわかっていればどうということはない)

 

 これにて王馬が放つべき魔術は決定した。《風神結界》を応用、拡大化することにより、莫大な大気の斬撃を半径二百メートルほどに向けて解き放つ。まさに極小のハリケーンとなったその魔術の斬撃が四方八方へと殺到するため、逃れようのない広範囲攻撃(ワイドレンジアタック)となって今度こそ祝を殺害足らしめるだろう。

 

 だが、それを予知によって理解していて尚、祝は王馬へと最後の一撃を繰り出そうとしている。

 

 王馬がここまで攻撃の意を示しているというのに、祝の能力がそれを見逃すはずがない。

 そして彼女が無駄な自殺行為を喜々として行うはずがないため、恐らくこの一撃は王馬の魔術に先んじて王馬へと届くのだろう。魔術を発動するための一瞬の隙にその刃を奔らせ、王馬の魔術を失敗に終わらせるのだろう。それほどの斬撃ともなればどれほどの威力が込められるのかは王馬をしても想像に苦しむが……

 

 ――どれほどの一撃であっても耐えてみせる。

 

 その覚悟とこれまでの己の鍛錬に対する自負が、王馬の鋼の肉体を更に硬質化させた。筋繊維同士が結合を強め、ゆったりとした和装の上からでもわかるほどに筋肉が隆起する。魔力と風の鎧すらもその身に纏った王馬の身体は、さながら人間大の要塞と言っても過言ではない。

 これでも止まる様子を見せない祝には、既に魔術に失敗する王馬の姿が予知できているのかもしれない。

 だが、それでも王馬は構わなかった。

 

 ――ならばその予知を覆し、勝利をこの手に収めるまでのこと。

 

 王馬の眼前に迫る祝の構えからして、恐らく繰り出されるは上段からの斬撃。

 横薙ぎと合わせて最もポピュラーな大鎌の攻撃の一つ。その単純さ故に、最も大鎌が威力を発揮するであろう構え。

 それを見切ると同時、王馬は来るべき大威力の斬撃に一瞬たりとも魔術の発動を遅れさせまいと神経を集中させる。

 祝の速さは計り知れない。最悪の事態を想定し、少なくともあと二段階は速度が上がると仮定しておくべきだ。そうなればすれ違いざまに一撃を叩き込まれ、そのまま魔術が発動する前に逃げ去られてしまう可能性もゼロではない。

 タイミングを計り損ねることは許されない。この千載一遇の勝機を逃せば、次に彼女を仕留められる機会がいつ回ってくるのかわかりはしないのだ。そして無駄に時間をかけることは祝が更に王馬の戦術に最適化してしまうこととなる。そうなればこの二つの眼が抉り取られるのもそう遠くないこととなるだろう。

 だからこそ王馬は耐える。耐え忍ぶ。この大博打に勝利するためと奥歯を食いしばり……

 

 

「――あは」

 

 

 悪戯が成功した幼い少女のように目を輝かせた祝を見るなり、王馬は直感的に己の失敗を悟ったのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「くッ……」

 

 額から頬へと伝う汗を拭うこともせず、刀華は表情を歪めながら苦しげに呻く。

 そんな刀華に対し、暁学園の一人である紫乃宮天音はこの場に不釣り合いな無邪気な笑みを見せた。

 

「うーん、頑張るなー。もうそろそろ諦めちゃった方が楽だと思うよ?」

 

 巨門学園の制服を纏い、幼さすらも感じさせる彼の両手には無数の剣が扇のように広げられている。

 いや、彼だけではない。刀華を逃すまいと、他の暁の生徒たちまでもが刀華を包囲していた。

 絵筆とパレットの霊装を手に気怠げな様子でこちらを眺めるサラ・ブラッドリリー。

 チェーンソー型の霊装を引き摺り、追い詰められた刀華を愉快そうに眺めやる多々良幽衣。

 そしてメイド服の少女を引き連れ、黒い獅子に跨りながら好戦的な笑みを浮かべる風祭凛奈。

 状況は()()()

 つまり他の選手団の生徒たちは既に全滅しており、刀華はこの精鋭たちを相手に孤軍奮闘を強いられているのだった。

 

 事の発端は数分前。

 

 王馬と祝が刃を交えながら戦場を移した途端、二人の戦闘の余波を警戒して動かなかった残りの暁学園の生徒たちが動き出したのである。

 もちろん、王馬と祝の戦闘に目を奪われながらも敵への警戒を緩める刀華ではない。それは刀華と同じく実戦経験を積むカナタも同様であったが――しかしながら、それ以外の生徒たちにそれを要求するのは些か厳しすぎた。

 一斉に動き出す暁の面々に対し、咄嗟に対応することができたのは刀華とカナタのみ。そして彼らもそれを事前に承知していたのか、暁は正確に刀華とカナタへと刺客を放つ。

 カナタへは夏場だというのに防寒着を着込む少女――多々良幽衣が。そして刀華には眼帯を付けたドレス姿の少女――風祭凛奈が。どちらも暁学園が今回の七星剣武祭のために裏社会から選抜した精鋭であるだけに、二人は応戦せざるを得ない。

 

 そしてそれだけの隙があれば充分だった。

 

 紫乃宮天音とサラ・ブラッドリリーが残りの生徒たちへと襲いかかる。戦意が折れ、呆然と王馬と祝の戦闘を見守るしかできなかったただの学生騎士にそれを捌き切れなどというのは土台無理な話。

 カナタと刀華が応戦している僅かな間に彼らは全滅してしまった。

 そしてカナタも多々良の何らかの能力に敗れ去り、既に地面へとその身を横たえてしまっている。あちらにどのような事情があるのかは刀華も知らないが、全員が《幻想形態》によって気絶させられているだけで死傷者がいないことが唯一の吉報だろう。

 

「おいリンナァ。テメェ、アタイが《紅の淑女》をブチのめしてる間ナニやってやがったァ? この(アマ)、ピンピンしてやがんじゃねェか」

 

 嗄れた声で多々良が毒づく。

 迅速にカナタを沈めた彼女からしてみれば、同じく()()()()()()()だけの刀華を相手に凛奈がまだ勝利できていなかったことに納得がいかないようだった。

 これに対し、凛奈は「クックック」と含み笑いを漏らす。

 

「その喧しい口を閉じろ、《不転》の。たまさか貴様に星の巡りが味方しただけのことよ」

「お嬢様は『うるさい! 偶々そっちは相手との相性が良かっただけでしょ!』と仰っております」

 

 凛奈の仰々しい言葉遣いを、すかさず背後に控えるメイド――シャルロット・コルデーが翻訳する。

 凛奈のわかりにくい言葉に怪訝そうに耳を傾けていた多々良はその翻訳でようやくその意味を理解し、「あァン?」と不快げに表情を歪めた。

 

「上等だぞボケが。《雷切》の前にまず使えねぇテメェからぶっ殺してやろうかァ?」

「ほう、吠えたな狂犬が。吐いた唾は飲み込めんぞ?」

 

 味方であるはずの二人が一気に険悪な雰囲気になる。

 その様子に思わず溜め息を漏らしながら、天音は「二人とも、今はお仕事中だからねー」と仲裁に入る。多々良と凛奈も本気で争うつもりはなかったのだろう。お互いに鼻を鳴らしながら視線を刀華へと戻した。

 まるで子供の戯れ合いだ。しかしその間も包囲がまるで緩まないのは、流石は精鋭というべきだろうか。

 だが、刀華にもこの場から離れられない理由があった。それは選手団の仲間を含め、周辺に倒れ伏している破軍の生徒や教師たちだ。

 刀華一人ならばあるいはこの場から逃げ果せる可能性もゼロではない。しかし万が一にも彼らが生徒たちを人質に取ってしまったならば……

 

(その時は完全に打つ手がなくなる!)

 

 だからこそ刀華にできたことは、暁の視線が周囲に向かないように哀れな狩りの獲物として踊り続けることだけだった。

 もちろん刀華もただやられてばかりではない。隙を見ては反撃をし、あわよくば暁を撃退しようと試みた。しかし敵は精鋭というだけあり、刀華はジリジリと追い詰められつつある。また焦り故か、あるいは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、今日は妙に足場を滑らせたり、状況判断を誤り攻撃に失敗したりすることが多い。

 

(どうすれば……どうすれば……!)

 

 劣勢は更なる焦りを呼び、そして焦りは更なる劣勢を生み出す。

 刀華は今、完全に負の循環に呑み込まれつつあった。そんな刀華の内心を見透かしたかのように、天音は心底から楽しそうに笑う。

 

「アハハ。大変だねー、生徒会長っていうのも。でも大丈夫、君は会長として立派に闘ったと思うよ。だからもういい加減にやられちゃってくれると僕も嬉しいかな?」

「ッ、まだまだ!」

 

 その言葉は己への鼓舞だった。

 そう、勝機はまだ残っているはずだ。ならば最後まで諦観に膝を屈するわけにはいかない。

 一輝がバスで選手団の先導を買って出た時、己の騎士道にそう誓ったのだ。

 弱い自分は仲間を守りきることはできなかったけれど――それでも絶対に暁のこれ以上の暴挙を許すわけにはいかない。

 そんな意志を眼に秘めた刀華に、天音は笑顔を浮かべながらもどこか冷めたような声音で「へー」と気の抜けた声を漏らした。

 

「あっそう。僕としては親切で言ってあげたつもりだったんだけどなぁ……まぁ、無駄だと思うけど頑張って?」

 

 そして天音は、両の手に広げられた十本もの《アズール》を無造作に投げ放った。

 牽制を兼ねているつもりなのか、それらの多くは刀華に掠りもしない軌道を描いている。それを見切った刀華は、余裕を持って自分に直撃するであろう剣のみを弾き落とした。

 

(来るッ)

 

 それを合図にしたかのように、多々良に凛奈、そして沈黙のままに刀華を見据えていたサラが一斉に動き出した。

 その胸に宿るは不退転。孤軍奮闘という圧倒的に不利な状況に陥っていようと、彼女は己の騎士道を曲げはしない。刺し違えてでも彼らを止めてみせる。

 その意志を刃に乗せ、刀華は彼らを迎え撃たんと霊装《鳴神》の柄を強く握り締め――

 

 

 ――そして背後から飛来した無数の《アズール》にその身を貫かれたのであった。

 

 

「……えっ?」

 

 膝から腰へ、腰から腕へと力が抜けていく。

 意識が遠退き、五感がその機能を停止させていく。視界は徐々に暗くなりつつあり、その時点でようやく刀華は己の不覚を悟った。

 

(みん……な、ごめ……ん……)

 

 崩れ落ちる中、刀華は悔しさと自分の不甲斐なさに涙を流していた。

 そして地面に全身を打ち付けながら、刀華は意識を失うその直前に声を聞く。

 

「――ほら、やっぱり無駄だった」

 

 それが誰の言葉なのか刀華には最早わからなかったが、それは嘲笑と失望に染まりながらもどこか悲しげだった。

 

 

 

 

 

 




まだ王馬vs祝は序章でしかないのでご注意を。
というか王馬に本気を出させると破軍学園ごと生徒や教師が死体の山になってしまうので凄く扱いにくい……!


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風さえあれば何でもできる

毎度ながら、感想や誤字脱字報告ありがとうございます!
感想は全てに返信できず申し訳ありません。


 王馬と祝。

 二人の怪物が雌雄を決する最後の激突は、しかしその結末を物語るにはあまりにも味気ない光景を見せていた。

 王馬が怖気(おぞけ)すら感じた祝の最後の一撃は、天地が裂けんばかりの大斬撃でもなく、武力の粋を結集した達人の鋭い一斬でもなく。

 

 

 胸部から伝わる衝撃は王馬が予想していたよりも遥かに弱々しく、鈍く、そして鋭さにも欠けるただの斬撃だった。

 

 

 祝の魔力放出と武術のキレは本物だ。王馬のような特別な肉体などなくとも、彼女ならば斬撃の一つ、刺突の一つで人体を粉微塵に粉砕することも血霞に変貌させることも可能だろう。

 だというのにこの一撃は何だというのか。

 確かにただの伐刀者を殺すにはこの威力で充分かもしれないが、王馬を殺すにはあまりにも惰弱に過ぎる。衝撃が背中へと突き抜ける程度の勢いはあったが、骨や肉どころか皮すら断てていない。

 食らったダメージが予想を下回りすぎるあまり、警戒を最大にしていたからこそ王馬は刹那の驚愕に意識を奪われた。いや、拍子抜けしたと表現するのが正しいだろう。

 

 これは何の真似なのか。攻撃が不発に終わったのか。

 それとも魔力と風の防御が堅牢すぎたあまり、祝の攻撃が肉に届くまでにここまで威力を減衰させられてしまったのか。

 いや、そもそも最後に感じた怖気がただの勘違いだったのか。

 

 いずれの理由にしても、王馬が詰みの一手として《風神結界》を放つには何ら支障がない状態であるということに違いはなかった。残り0.1秒と待たず風の刃が周辺を蹂躙し、祝の纏う魔力の防御すらも斬り裂いてその身体を肉片に変えるだろう。

 だが、王馬はあまりにも呆気なく闘争の果てが訪れてしまったことを、驚天動地の心境以外で迎えることができない。

 終わる。

 六年前、自分に捨て身の狂気を見せつけ、この闘争でも王馬の予想を超えた強さを見せつけた《告死の兇刃》の命が。

 六年に及ぶ積年の餓えを満たすための闘争が。

 雌雄を決するための最後の交錯が。

 

 ――本当にこれで終わってしまうのか。

 

 様々な感情が王馬の内で渦巻き、最後の最後で失態を犯した祝への怒りと唐突な幕引きへの虚しさで王馬の思考が灼熱に焼き付く。

 しかし王馬はそれで冷静さを欠くようなことはしなかった。

 即座に感情を鎮静し、思考を冷却し、氷のような冷静さで己の過ちを正す。

 

 

 ――俺は何を勘違いしている?

 

 

 この幸運、好機、千載一遇の勝機。

 これこそが王馬の望む“強さ”ではないか。闘争を決する要因は肉体のステータスに限らない。

 

 そもそも伐刀者とは、その身に宿す魔力によって己の運命を押し通すことで何かを成す生物である。

 

 魔力とは、伐刀者がこの世界の運命に干渉するためのエネルギーであるというのが定説だ。即ち、この世界に自身の意志を反映させることこそが伐刀者の力の本質であり、個々人の能力の性質はその付属的なものでしかない。

 よって魔力総量とは伐刀者個人が変革できる運命の総量に他ならず、これが生涯変動しないのは生まれ落ちた瞬間にその人物が持つ“可能性(ポテンシャル)”が決定されているためだ。

 そしてこの魔力総量は、伐刀者の『天運』すらも左右する。

 要はステラのような世界最高峰の魔力の持ち主は、才気に溢れ、その生涯に恵まれ、人を動かし、そして運すらも味方につける。天から愛され、あらゆる可能性をその身に秘めた成功者の卵となるのだ。

 だからこそ王馬はこの《前夜祭》でステラに目をつけた。

 ステラという強大で圧倒的な運命の持ち主を打倒するという試練を乗り越えることで、己を更なる高みへと昇華させるために。

 

 ――そしていつか辿り着く。

 

 可能性の果ての、その先に住まう怪物の存在を自分は知った。

 《解放軍》の《暴君》――彼を始めとした、克己の果てに限界を突破した伐刀者たち。

 次はお前たちだ、と王馬はその手を伸ばす。この身は未熟なれど、必ずお前たちの領域へと至って見せると。己を蹂躙し、今尚自分を縛る恐怖を植え付けた怪物に今度こそ打ち勝ってみせるのだと。

 それこそが王馬の目指す強さ。

 そのために王馬は自分の可能性を極め続けた。多くの伐刀者が自身の可能性を持て余したまま寿命を迎えるこの世界で、王馬は自分の全てを出し尽くすためにひたすらに強さを求め続けた。

 

 だからこそ王馬は闘争における“運”の要素を否定しない。

 

 己の意志を押し通すために天運すらも呼び寄せてしまうのが、伐刀者の持つ強さの一面なのだから。

 ここで祝が闘争の趨勢を左右するミスを犯してしまったのなら、それが偶然であれ必然であれ祝はそれまでの器だったというだけのこと。王馬は勝利するべくして勝利するのだ。そこに何の疑問の余地があるというのか。

 

 ――さらば。

 

 王馬は、ここまで自分を引き上げてくれた祝という存在へ感謝とともに別れを告げた。

 彼女との闘いという貴重な経験がなければ、自分は《暴君》と出会うまでの一年間を怠惰に訓練を重ねるだけで浪費していただろう。《暴君》に絶対的な力の差という恐怖を身に刻まれたという未来に変わりはなかっただろうが、それでもその一年の意識の差は確実に自分の成長の糧として芽吹いている。

 その事実に感謝しよう。だが、お前が俺の糧となるのは今日この時までだ。

 祝を殺し、恐らくは成長して《七星剣武祭》に舞い戻るであろうステラを斃し、自分は更なる高みへ昇る。そしていつの日か《魔人》へと至ることで、彼女たちの死に報いよう。

 そして王馬は体内の魔力を全身から放出し、この闘争に終止符を打った。

 

 ――さらばだ、疼木祝という強敵よ。

 

 

 

 

 刹那、黒鉄王馬は己の驕りを突きつけられることとなる。

 

 

 

 

「…………ッが……ぁ……ッ!?」

 

 予期せぬ苦痛に、王馬は練り上げた魔力を霧散させていた。

 ぐらりとその巨躯が傾ぎ、その手から《龍爪》が滑り落ちる。経験したことのない苦しみが王馬を襲った。

 身体が動かず、視界が暗さを増していく。呼吸が一気に浅くなり、更にどれだけ喘ぐように息を吸っても息苦しさが消えない。

 思考を経由することなく、王馬は反射的に胸元を抑えていた。それは苦しみに悶える人間が脊髄反射で取ってしまうただの生理現象に過ぎなかったが、しかし生物とは優れた設計がされているもので。

 その行動により、王馬は自分の身に何が起こっているのかを理解することができた。

 

 心臓から鼓動を感じない――つまり心停止だ。

 

 地面に膝をついたまま王馬は瞠目する。

 何がどうなっているのかはまるで見当が付かないが、勝機から一転して自分は死の危機に瀕していた。心停止から脳死に至るまでにどれほどの時間がかかるのかは知らないが、このままでは恐らく数分で命を落とすこととなるだろう。

 

(な、なぜ……)

「踏み込みと、間合いと――」

 

 風を切る音。

 それを耳にした王馬はハッと我に返ったものの、身体がまるで言うことを聞かない。結果、王馬は神速で繰り出された大鎌の斬撃を首筋へ(もろ)に受けることとなった。

 

「――き・あ・いだァァァッッ!」

 

 万全の体勢から放たれた全力の斬撃。

 あまりの速度に長柄が僅かな撓りすら見せた。破壊力に満ちた曲刃が王馬の首を殴りつけ、これまでの爆音を超えた、それでも最早爆音以外に表現できない大音量で王馬の身体を宙へと吹っ飛ばす。

 その斬撃は神速であり、流麗であり、苛烈であり、そしてあまりにも殺人的だった。人知を超えた威力にとうとうこれまで鉄壁を誇っていた王馬の肉が裂け、数センチとはいえ内側にある血管を貫き、骨に刃が到達する。

 

 だが、奇跡的に即死に至るほどではない。

 

 その傷がほんの紙一重によって即死に至らない程度に収まったのは、戦闘経験によって反射的に展開した一点集中の濃密な魔力防御と、本来の彼を超えるほどに鍛え抜かれた肉体の強度故。

 首元に魔力を集中させたのはただの勘だった。殺すならば首を断つだろうという脊髄反射の判断だ。

 しかしそれが深手の傷であることに変わりはなく、頸動脈から逸れこそしたものの左の斜角筋は断裂しており、頚椎にまで刃が達している。骨が砕けなかったのは魔力防御と筋肉が威力を受け止め切り、骨が損傷しないレベルにまでダメージを抑え込んだためだ。

 

「……ぐ、ぬ……ぉ」

 

 地面へと叩きつけられた王馬は咄嗟に起き上がろうと四肢に力を込めたが、しかしやはり身体は動かない。首からは血が水溜りのように流れ出しており、間もなく失血死するだろうことが伺える。

 しかしそんな王馬をわざわざ放置しているはずもなく、横たえた身体を起こすことすら叶わぬ王馬の傍らに祝がひらりと降り立った。

 

「……今のは割りと本気で殺したと思ったんですけど、これで首が落ちないんですか」

 

 驚愕の面持ちで「軽くホラーですね」と呟きながらも祝は《三日月》を頭上へと振り被り、今にもそれを振り下ろさんとしている。朦朧とする意識の中で、王馬はその大鎌から苛烈なまでの死の気配を感じていた。

 放っておいても徐々に死へと近づく王馬に対し、祝はトドメとして更なる追撃を仕掛けようというのだ。迅速かつ確実に敵を殺そうとする彼女の姿勢は呆れるほどに正しく、また王馬は先程までの慢心に満ちた己に殺意すら抱く。

 

「く、ぉ……」

 

 動け、動け、動け。

 王馬の脳は必死にその伝令を出しているが、まるで神経が途切れたかのようにそれが届かない。たった今まで完璧な制御の下に操作していたはずの身体が全く言うことを聞かなかった。

 そして反撃が叶わないことを祝は《既危感》から読み取っているのだろう。その動作には微塵の躊躇もなく、この一撃で王馬を確実に絶命させようという『意』が読み取れる。

 恐らく先程の傷を寸分違わず抉ることでこの首を切断しようとしているのだ。まるで農夫が雑草を刈り取るかのように、この生命を摘もうというのだ。

 その姿は二つ名の如く、まさに死神。

 

「よいしょっとっ」

 

 そして祝は王馬へ最期の別れを告げることもなく、《三日月》を振り下ろした。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「――チッ、ついてねぇなぁ」

「全くだ」

 

 豪奢な和装をはためかせる歳不相応に幼気な女性。

 そして黒いスーツを着込んだ長身の麗人。

 言わずとも知れた破軍学園の教師である西京寧音と新宮寺黒乃は、現在時速350キロを超える速度で東北新幹線の線路上を疾走していた。

 なぜ彼女たちが新幹線にも乗らずこのような場を走り続けているのか。それはつい先程、破軍学園に残る教師たちから緊急事態を知らせる連絡を受けたためだ。各々の用事で偶然にも大阪へと出張していた二人は、その連絡を受けるなり東京へ引き返そうとしていたのだが……

 

「まさか飛行機が止まっているたぁね。運が悪いにもほどがあんぜ」

「……本当に運が悪いだけならばいいんだがな。これだけの大事でありながらニュースで放送される気配もない。あるいは何者かの思惑が絡んでいるのか……」

「やめろって。そういう面倒臭いのは御免なんよ」

 

 寧音の言葉通り、関西から関東へ戻るための飛行機は何らかのトラブルで全てが欠航となっていた。ならば新幹線による陸路を利用しようと考えるのが常識的な発想だが――

 

 ――しかしこの二人に限るのならば、空路が使えない時点で自分たちの足で走るのが最速の移動手段なのだ。

 

 重力の向きを操作することによって自由落下のように加速し続けることができる“重力使い”の寧音と、時間を加速させることによって常人を遥かに超える速度を維持し続けることができる“時間操作”の能力者である黒乃。

 この二人からすれば、大阪から東京まで息を切らすこともなく新幹線以上の速さで移動することなど造作もない。

 そもそもの話、今回の襲撃は黒乃か寧音が学園にいれば全て解決していたのだ。現役のKOKリーグで世界三位の寧音はもちろん、黒乃は寧音の前にその座に君臨していた強者。襲撃者など容易に撃退できただろう。

 だが、だからこそ敵は二人が学園を離れているタイミングを見計らったのだろうが。

 

「何にせよ、私たちが戻りさえすれば全てが明らかになるはずだ。私の縄張り(シマ)を荒らしたこと……死ぬほど後悔させてやる」

「熱くなんなよ、くーちゃん。つーか今日は選手団の連中が学園に戻ってくる日だろ? もしかするととーかや黒坊が何とかしてるかもしんねぇぜ?」

「それか疼木が襲撃者たちを皆殺しにしているかだな。私としてはそちらの方が困る。現役の七星剣王が防衛目的とはいえ惨殺行為など、笑い話にもならんぞ」

「……やべぇ、すんげぇありそう」

 

 二人の脳内では、襲撃者を惨殺したことを誇らしげに自慢する祝の姿がハッキリとイメージできていた。もちろんその姿は血塗れで、《三日月》には肉片と血がベットリとこびり付いている。

 刀華や一輝がいる以上は皆殺しにまではならないと思いたいが、一人か二人は殺していてもおかしくない。

 これはますます急ぐ必要があると直感的に判断した二人は、更に速度を上げようと――

 

 

 その瞬間、喉元に白刃を突きつけられたかのような剣気が二人の足を止めさせた。

 

 

『――――ッッッ!?』

 

 その気配は一瞬。

 しかしあまりにも濃密で鋭いそれは、世界でも最高峰に位置する二人であっても無視できない。その巨大な気配に二人は狼狽を隠すことができず、そして同時に襲撃者の中に“彼女”がいるということを悟った。

 

「ば、馬鹿なッ! なぜ奴がこんなところに!」

「おいおいおい、マジかよ……」

 

 その人物は世界最強にして、同時に世界最悪の犯罪者。

 強すぎるという理由だけで、世界のあらゆる機関が彼女の捕縛や殺害を断念した無双の剣士。

 あるいはこの世界で最も有名な伐刀者の一人。

 

 その名も――《比翼》のエーデルワイス。

 

「不味い、あれは黒鉄たちでは手に負えん! 急ぐぞ寧音!」

「お、おう!」

 

 そして二人は、持ち得る全力の速度で破軍学園へと走り出した。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「――今のは……?」

 

 同時刻。

 広範囲に放たれた剣気を祝は敏感に感じ取っていた。明らかに自分へと向けられた威圧感ではないが、その人外としか思えぬ剣気に祝は目の前から王馬から意識を逸らさざるを得ない。

 そしてそれによって祝の刃が止まったことは、王馬にとって不幸中の幸いとしか言い様のない幸運だった。

 

「――ぉぉぉおおおおああああああッッッ!!!」

 

 裂帛の咆哮。そして迫りくる死を前に王馬は決死の足掻きを見せた。

 身体が動かないと判断した王馬は、咄嗟に通常の回避を放棄。薄れ行く意識の中で周囲の大気を操り、突風によってその身を吹き飛ばしたのだ。

 結果的にその判断は正しかった。

 「あッ!?」と我に返った祝がその刃を振り下ろすまさに直前、王馬の全身を打ち付けた風は祝の殺傷圏内から彼を弾き出す。刹那の後、王馬の頸があった空間を超音速の一斬が駆け抜け、轟音と破壊を撒き散らした。

 

「……あっちゃ~」

 

 己のミスに祝は「やってしまった」と眉を顰める。

 しかし王馬はそれを意識する余裕などなく、地面を転がりながら懸命に事態の打開を図る。

 

(落ち着けッ、全ては“心停止”という症状がこの状況の元凶だ! これを優先しろ! 首はどうとでもなるッ!)

 

 イメージする。

 最大の問題は心停止。

 身体が動かない以上、自分が打てる手は魔術によるものに限られる。首の怪我は空気で固定するとして、まずはこの心臓を蘇生させなければ。

 

(思い出せッ、所詮は子供でも知っている蘇生法を“風”で行うに過ぎん! 胸部の圧迫を繰り返すだけだ!)

 

 《天龍具足》――直後、王馬の身体を風の鎧が包み込んだ。

 しかし先程の防御に専念した風とは違い、驚くべきことに外部からの衝撃から身を守るはずの《天龍具足》を王馬は()()()()()。これによって外へと向かう風が内へと逆流し、王馬の身体を押し潰す。

 一見すれば自殺行為にしか見えないが、《天龍具足》は的確に王馬の胸元を圧迫し、気圧の圧縮と開放を繰り返すことで心臓マッサージを敢行。何度も地面に弾みながらも突風による運動エネルギーを消化し終えた頃には、完全に心機能を回復させていた。

 

「ッ、かっはぁ……ッ」

 

 自発的な心拍を取り戻した王馬は、首元から上ってきた血を吐き散らしながらも跳ね起きる。

 そして休む間もなく頚椎付近へ風を集中させると、空気を圧縮、固定することで傷口を無理やり止血。そのまま出血を押さえ込むことで、蘇生から三秒とかからず応急処置を終了させたのだった。

 

「――《龍爪》」

 

 立ち上がるなり、王馬は油断なく取り落とした霊装を再展開。改めてそれを構え直し、その切っ先を向ける。

 まさに一瞬の復活劇。

 常識的に考えれば“死”以外に選択肢のなかったその状況を、王馬は一つの好機から見事に脱出してみせたのだ。これには祝としても驚かざるを得なかったのか、瞠目したまま硬直している。

 

「……またしても《比翼》に命を救われたか」

 

 首から上ってくる激痛に僅かに眉を顰めながらも、王馬は自嘲せずにはいられない。

 彼には祝が動きを止めた剣気に覚えがあった。忘れるはずがない、彼女に命を救われたのはこれで二度目なのだから。一度目は《暴君》にあわや殺されるというところを救ってもらい、今度も闘いの中で命を救われた。

 自身の成長のなさに、王馬は奥歯を噛み潰さんばかりの怒りを覚える。しかしその怒りはあくまで胸の内で凝縮し、頭は氷のような冷徹さを保ち続けることができてこそ一流の戦士。煮えたぎる感情は行動の原動力でこそあれ、それに支配されてはならない。

 

「……私としたことが、不覚ですわ~。外野に意識を取られて目の前の敵を仕留め損なうなんて、凹みますわ~」

 

 抉れた大地を踏み砕きながら、祝が《三日月》を右手で霞むほどの速度で一旋させる。口調こそ普段通りだが、空気を裂きながら唸る大鎌が祝の怒りを物語っているかのようだった。

 何はともあれ、状況はほぼ五分(ごぶ)に戻った。いや、手負いとなった分だけ王馬が僅かに不利ではあるが、心停止に陥り瀕死となった状況と比べれば天地の差だ。

 

 そんなことよりも――あの技。

 

 王馬の思考が目まぐるしく回転する。

 あの時は状況を打開するために考える余裕もなかったが、今は違う。また心臓を止められても再び動かすための手段は確保したが、無策で放置するにはあまりにも危険な絶技だ。最低でもその正体は見極めておきたい。

 そして幸運なことに、騎士で