落第騎士の英雄譚  兇刃の抱く野望 (てんびん座)
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プロローグ
思い……出した!


深く考えず、心をリラックスさせて質問にお答えください


 まず、全てを語る前に諸君に記憶を掘り起こしてもらいたい。

 

 思い出してほしいのは、諸君が今までに読んだ少年マンガやライトノベル、アニメの主人公たちだ。その中でも特に主人公が戦い、敵を打倒していく戦闘系が望ましい。戦場で、学園で、旅をしながらなど、戦う舞台はどこでも構わない。老若男女も貴賤も善悪も、主人公であれば何でも良い。

 何も特別な例を思い出すことはない。昨日見た、あるいは記憶に強く残っている彼や彼女。

 それを複数例も思い出していただけたのならばとても幸いだ。

 5秒から10秒ほど記憶の旅をしてもらえればそれでいい。

 

 ……思い出していただけただろうか。

 では、記憶に残る主人公たちをグルリと見渡し、そして質問に答えてもらいたい。

 

 

 

 

『その中に大鎌の使い手は何人いますか?』

 

 

 

 

 希望的観測を言わせてもらうのならば、1人が精々だろう。いや、むしろ現実は1人すらも思い浮かばないのが正常だと思う。

 言われてみて何人か思い出したという気遣いがあれば喜ばしいことで、中には「そんな主人公なんているのか?」と首を傾げている人もいると思う。脇役(サブキャラ)ならば何人かという人は、それでも充分嬉しいので感謝の言葉を述べたい。

 勘違いしてほしくないのだが、俺は何も答えられなかった人を責めているわけではない。この現状に嘆かわしいと感じてはいるが、決して諸君を想像力不足と詰っているわけではないのだ。本当に嘆かわしいが。

 

 ただ、現状認識をしてほしい。

 これこそ俺の愛する至高の武器――《大鎌》の現状なのだということを。

 

 多くの人々は主人公の武器や装備と見るや、刀剣や銃を持ち出してくる。この二つの武器は、いわばスポーツでいうところのサッカーや野球クラスの大御所だ。次点で槍か、武器を持たない無手だろうか。極稀に弓もいたりする。

 これには理由がある。剣と銃は派生の範囲が非常に広いためだ。

 銃はリボルバーに自動拳銃に機関銃に狙撃銃に果てにはビームライフルなど、新旧含めて種類が多い。それ故に“銃”という括りの武装を主人公が持つ可能性が高くなるのは必然だ。

 剣も同じく。ナイフから大剣、さらに刀の類(サムライソード)も剣の系列だ。加えてこちらは騎士や侍などが携帯していたこともあり、武装職とは即ち刀剣の使い手という意識が平民に刷り込まれているという歴史的背景も存在する。

 

 そしてこの武器界の大御所たちが占有しているのは、何もマンガやアニメといったフィクションだけの世界に留まらない。

 そう、伐刀者(ブレイザー)たちの持つ固有霊装(デバイス)にすらもそれは当てはまってしまう。

 

 《伐刀者》――それは己の魂を《固有霊装》と呼ばれる武装へと変化させ、体内の魔力を用い超常の現象を引き起こす超人たちの総称だ。

 新生児の約0.1%がこの伐刀者として生まれており、その戦闘力は個人差こそあれど常人とは比較にならない。強力な伐刀者を保有することは国家の軍事力にすらも影響し、科学の発展した現代でなお重要視される特異な存在なのだ。

 それがどれほど強力なのかというと、最高クラスともなれば単身で国を滅ぼせるといえば理解できるだろう。

 

 だが、伐刀者の基本的な情報など今はどうでもいい。問題は、彼らが顕現させる魂の象徴――霊装だ。

 この霊装は顕現したが最後、その後は記憶が飛ぶなどの滅多なことがなければ形状が変化しないという特徴を持つ。そして伐刀者が霊装を初めて魔力によって編み出すのは基本的に幼少期。

 そして顕現させる霊装の形状イメージは、基本的に身の回りの武器や装備が中心となる。

 これはつまり、世間を知らぬ子供たちにとって『魂の象徴となる武装イメージがほぼ固定されている』ということに他ならない。だからこそ剣や銃を持つ伐刀者ばかりとなり、そのほかのマイナーな霊装は駆逐されていくという宿命を背負っているのだ。

 

 

 そう、つまり大鎌は刀剣や銃のせいで滅びゆくことを強いられているんだッ!(半ギレ)

 

 

 許せることではなかった。

 大鎌という素晴らしくもカッコいい武器が、ただの農具としてその歴史に幕を下ろしてしまうことが俺には我慢ならなかった。

 そして決意した。世間が大鎌を忘れ去っていくというのならば、この手で思い出させてやろうと。

 大鎌とは草を刈ることだけしかできることはないのだと思い上がったメジャー武器の使い手どもに、大鎌(マイノリティ)の怒りを思い知らせてやろうと。

 そして何よりも、こんなにも美しい武器から「使いにくい」、「実戦的ではない」、「長物なら槍でいいじゃん槍で」などと安易な理由で他の武器に逃げる馬鹿者どもを粛正してやらねば気が済まない。

 大鎌の恐ろしさを世間に刻み込んでやる。

 

 ……という大鎌愛を抱きながら、“前世の記憶”に目覚めたのが3歳の時だった。

 そして記憶が蘇ると同時に気付く。

 

 

 ……ここ、『落第騎士の英雄譚』の世界じゃね?

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 《魔導騎士》――それは国際機関の認可を得た専門学校を卒業した伐刀者に与えられる称号である。

 北海道の『禄存学園』、東北地方の『巨門学園』、近畿中部地方の『武曲学園』、中国四国地方の『廉貞学園』、九州沖縄地方の『文曲学園』、北関東の『貪狼学園』、そして南関東の『破軍学園』――日本ではこの七つの騎士学校を卒業した者のみが魔導騎士の資格を得る。

 そして今年度もあと数日で4月を迎えようとする、今年度の末も末のある日。破軍学園の第三訓練場は熱狂と興奮に彩られていた。

 そこで今、学園の生徒たちは奇跡を目撃している。破軍学園の歴史に残る《無冠の剣王(アナザーワン)》の伝説の一端を、そして世界最高の潜在能力を持つ《紅蓮の皇女》の圧倒的な強さをその目に焼き付けていたのだ。

 

 ……が、大鎌至上主義の“彼女”には剣士たちの決闘など全く関係のない話だった。

 

 大鎌を振り上げ、そして振り下ろす。彼女は学園の敷地で独り、日課の素振りを行っていた。

 以前はマンガの影響を受けて本気で感謝の素振り一万回などを実行していた時期もあったが、流石に訓練の中で時間を食い過ぎたため今ではやっていない。しかし某会長のように拝む動作はしなくとも、感謝の念を一撃に織り込まなければならないという信念を彼女は心底尊敬していた。

 よって彼女の素振りは、その一つ一つに愛と感謝が込められているだけに常に流麗であり、荘厳であり、そして美しい。もしも読心能力の使い手がこの場にいたのなら、彼女の抱く感情に思わず涙を流していたかもしれない。

 感謝、愛、尊敬――そこにそれ以外の雑念など欠片も存在していない。練り上げられた信念は心臓の鼓動と神経の伝達を以って全身を巡り、腕を伝って大鎌の端々へと行き渡る。そして信念は技の冴えを加速させ、斬撃はやがて究極の一撃へと昇華してゆく。

 

 だが、まだだ。まだなのだ。

 

 彼女は大鎌の限界がこんなものではないと信頼している。これは妄信ではない。

 自身の霊装が、否、大鎌が叫んでいるのだ。もっと高みへ行ける、もっと自分は活躍できると。その叫びが彼女の身体を動かす。僅かに、牛歩よりも遅く、亀の歩みよりも遅く、水滴が岩を穿つかの如く、しかし着実に彼女を大鎌使いとして成長させていく。

 妄信ではなく、愛だった。そして信頼であり感謝だった。

 

 『憎んでいるものをどうして極められよう』――武術に対する姿勢において、彼女が手本とする言葉だ。

 

 この言葉は師に非才であると称されながら、それでもと叫び続けた一人の少年武術家のものだ。大鎌の修行に疲れ、道を見失いそうになった彼女はいつもこの言葉によって我に返っていた。彼は無手の武術家ではあるが、この言葉は天晴と言う他ない。

 そうだ。憎しみで武を極めることなどできない。信頼するからこそ、その武術に命を預けられる。それを自分が信じずして誰が大鎌の道を信じるというのだ。ここで挫折することなど、天地がひっくり返ろうともあってはならない。

 無論、彼女はまだまだ未熟だ。未だに大鎌の極みなど遥か彼方で、その頂上はあまりにも遠い。あるいは無限に続いていて、生きている内にその一端を垣間見ることすらも不可能なのかもしれない。

 

 ――だが、そのことが彼女には嬉しくて堪らない。

 

 なぜならそれは、大鎌の成長が遥か先まで約束されていることを意味しているのだから。

 果てが見えないのならば、その道程こそが大鎌の成長の余地であるということ。即ち、無限の可能性。これに歓喜することはあれど絶望する要素などまるでない。

 その幸福を噛みしめ、彼女は今日も大鎌を振り続ける。その心境はもはや悟りの領域に近く、武術家たちが精神的に目指す境地だ。武への曇りのない心に触れたのならば、武人であれば惜しみなく称賛したに違いなかった。

 

 もっとも、そんな彼女の一途とまで言える信念を知る者は少ない。

 

 多くの者は、彼女を修行狂いの戦闘狂と認識している。

 力を誇示し、そしてそれに溺れる不心得者。力なき者を守り、秩序の番人たる騎士として相応しくない外道の者だと人々は詰る。

 だが、彼女がそのような雑音に惑わされることはなかった。なぜなら彼女の大鎌への愛の前では、そのような言葉など大山を前にした微風も同然。揺るがせるどころか撫でることしかできはしない。

 ただ少女にとって幸いだったのは、その愛に対する理解を持つ者が最近になって現れたことだろう。

 

「今日も精が出るな、疼木(ひいらぎ)

 

 不意に少女へと声がかけられる。

 霊装の大鎌を構成する魔力が空気に解けていく。素振りを終え、タオルで汗を拭っている彼女に声がかけられた。その声の主に少女は顔を向ける。

 スーツ姿の麗人だった。名を新宮寺黒乃。現役のAランク騎士という最強クラスの称号を持つ伐刀者であり、同時に破軍学園の理事長である。

 そんな彼女が学園の片隅に現れたのは、何も暇潰しの散歩の最中に偶然足を運んだからではない。

 この《疼木》と呼ばれた少女に会うためだった。

 

「つい今さっき、新入生の《紅蓮の皇女(Aランク)》と黒鉄が模擬戦をしていたぞ? 実力者の試合はいい勉強になる。お前も見に来れば良かったものを」

「別に興味ないので」

 

 ニパッ、と少女は花の割れ咲くような笑顔を浮かべてバッサリと切り捨てた。

 その相変わらずな物言いに黒乃は溜息をつくしかない。彼女の大鎌に対する直向きさには感心させられるが、逆にこういった他の武器に対する頑固さには困らされる。

 出会ってまだ長くはないが、少女のこういった性格は嫌というほど理解させられているだけにこういった返事が来ることは予想できてはいたが。

 大方、Aランクの“剣士”という肩書を持つ新入生の皇女殿下に対して意地でも張ったのだろう。

 

「他人の戦いに学ぶことはもうないということか? それとも既にお前からすれば、あの程度は取るに足らない野良試合でしかないか?」

「流石にそこまでは思いませんけど、でも面倒臭いので」

 

 その口調と気配から黒乃に伝わってくるのは、その笑顔とは裏腹に濃色な無精さだった。

 黒乃が出会ってから、彼女は基本的に“こう”だった。力を追い求めることについては異常にアグレッシヴだが、それ以外のこととなると無関心といった反応しか見せない。

 

 大鎌の研鑽に人生を捧げた修羅――それが黒乃の知る疼木祝(ひいらぎはふり)という少女だった。

 世間が言うような刹那的な衝動に身を任せた危険人物ではなく、彼女は武芸に身を捧げた生粋の求道者だ。戦いはその過程でしかなく、そこにあるのは研鑽と普及という目的だけ。

 どちらにしても通常ならば狂人や世捨て人として社会から排斥されるのが普通ではあるが、しかしそれも成果を出したとなれば話は変わってくる。

 

 

 《七星剣武祭》の優勝という成果を。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 記憶が戻った当初、俺は凄まじく興奮していた。……などということはなくひたすらに困惑していた。

 何せ様々なネット小説の中でも一大ジャンルと言われる《転生》を直に体験してしまったのだから。

 ネット小説を読んだことがある人間ならば一度は妄想するであろう出来事が、リアルとなって己に舞い込んできた。これにテンションが全く上がらなかったかと言われると嘘になるが、それ以上に「マジかよ……」と呆然自失に陥ったのが本音だ。

 寝る前に読んだネット小説が偶然にも転生ものだったのが原因だったという夢オチを最初は期待していたが、数日が経ってようやく現実を受け入れた。

 そして気付いたのが、どうにも自分はこの身体の記憶もしっかりと持ち合わせている、いわばマジでオカルトなタイプの『私には前世の記憶があります』的な人間だということだ。実際、前世の記憶の中には若いながらも最期を迎えてしまった自分の姿がある。

 それに思い至ってしまった瞬間、主導権は逆転していた。

 即ち『俺は転生してしまったのか!?』という前世主導の意識から、『前世の記憶を思い出しちゃったんだぜ!』でテンションマックスな今の“私”の意識に。

 

 そう、私の今生の性別は“女”だったのだ。つまり分類的にはTS転生だ。

 気分的には「前世が男だった」という表現を使いたいところだが。

 

 そして意識してしまった途端、終わってしまった人生は仕方がないんだからその記憶を有効に使わせてもらおうかという発想に切り替わっていた。ついさっきまでは自分の過去として受け入れていた記憶がその後すぐに他人事にしか感じられなくなった私は、ある意味凄まじくドライな人間なのかもしれない。

 だが、前世と現世で共通しているものもあった。

 

 

 それは大鎌への愛だ。

 

 

 どうも前世の私が住んでいた世界には伐刀者は存在しなかったらしい。

 そして私の世界はライトノベルとして存在するフィクションの一つであり、大鎌が武器として使われる機会など本当にないに等しいらしい。

 しかし前世の私はその造形に惚れ込むと同時に、イラストや二次元の世界で活躍する大鎌に憧れていたのだとか。つまり前世の私は、今の私以上に大鎌が排斥されていた世界でそれでも大鎌愛を貫いた敬愛すべき“漢”だったのである。

 まさかの輪廻を超えた愛に私は驚愕し、そしてこれはもっと大鎌を広めろと神様が私に囁いているに違いないのだと確信して止まなかった。

 

 いや、本当のことを言うのなら、当時はもっと純粋な「この世界で大鎌がもっと皆に使われたらいいのにな~」という思いだった気がする。

 しかしこの世界にも存在した某インターネット掲示板で大鎌に対する誹謗中傷の嵐を覗き込んでしまってから色々と歪んでしまった。肉体に精神が引きずられた影響なのか、前世で培ったネットリテラシーと心の強度が当時は不足していたのだ。ネタであれ「大鎌が霊装でした伐刀者やめます」と書き込んだ奴は許さない、絶対にだ。

 それに加え、画面越しではない現実社会でも大鎌の地位が非常に低かったのも痛い。先達の伐刀者どもは霊装が大鎌と聞くや否や、「だったら魔術を重点的に鍛えればその程度のハンデは余裕でカバーできるよ!」などと悪意もなく言い放ってきやがる。

 あまりの屈辱に一週間はまともな睡眠を取ることができなかった。

 前世を含めて生まれて初めて奥歯を噛み潰してしまったほど、と言えばどれほどのものかわかってもらえるだろうか。

 

 何はともあれ、自分には幸いにも伐刀者として才能があった。つまり霊装という形で大鎌の雄姿を愚民どもの目に焼き付ける機会を既に得ていたのだ。

 故に自身が惚れ込んだ大鎌を武器に、大鎌愛と他の武器への反骨心を糧にして私はひたすらに鍛錬を積んだ。

 そもそも使う人間が激レアな大鎌を人間の中でもSSレア並みに珍しい伐刀者が使っている可能性はかなり低い。よって技術は独学で補うしかなく、足りない部分は槍術や棒術などの他の武器の流派へと泣く泣く頼み込んで補完させてもらった時期もある。正直、独学では限界があったのであの経験は非常に為になった。

 もちろん他の武器の使い手に頭を下げ、その者を師と呼び、その技術の一端でも糧にしなければならなかったことは大鎌至上主義である自分としては屈辱の極みだったことは言うまでもない。しかし修行に雑念が混じれば余計に教えを乞う時間が長引いてしまうため、一心不乱に私は技術を学んでいった。

 技術を授けてもらったという事実だけは素直に感謝するしかないが、ある程度大鎌を普及させたら絶対に大鎌の流派を起ち上げなければと心に誓った。

 

 そんな屈辱的な体験も後押しし、正直、幼少期は学校に行く以外は訓練、もとい修行していた記憶しかない。しかも学校に行っていたのも親の手前であり、内容など前世のおかげでスぺランカー以下の戦闘力しかないため授業中は隠れてずっとハンドグリップでギッチョギッチョやっていた。

 そして来る日も来る日も大鎌の霊装を振り続け、休憩しながらイメージトレーニングを行い、そして大鎌を振り続けるといった日常をひたすらに繰り返していた。

 また、魔術の修行も欠かすことができない重要な項目だった。もしも大鎌の腕を磨いたとして、しかし魔力制御がお粗末すぎて足を引っ張るなどという情けない結果で大鎌を汚すことなど私には到底できないことだったからだ。将来、「大鎌はいいけど使い手がね~」などと言われた日には情けない己への怒りとまだ見ぬ未来の大鎌ユーザーたちへの申し訳なさで全身の穴から血を流して憤死する自信がある。

 人並では許されない。大鎌使いの気高さと優秀さを周知するためにも、一切の妥協は許されない。血反吐を吐く程度ですら生温い。再生医療を用いてギリギリ修行に支障が出ない程度がベストなのだ。

 

 そんな生活を繰り返していた結果、中学に入る頃にはもうほとんど学校に行っていた記憶がない。

 

 当然ながら、孤独と苦痛によって心が折れてしまいそうになったこともある。大鎌などというロマン武器で強くなることなど不可能なのではないかと、挫けそうになったこともある。

 しかしそんな時は前世と現世で知ったマンガやアニメの鎌使いたちの雄姿を思い返し、そして例の掲示板の新たなスレッドで大鎌が受けている誹謗中傷を読むことで己の中の大鎌愛と反骨心を確認し続けた。

 よってこんな独学の大鎌ユーザーの心の師匠が誰なのかと問われれば、二次元世界の偉大なる戦士たちと掲示板に巣食う《お前ら》ということになるのだろう。《お前ら》の言葉がなければ自分はそこで妥協の道を選んでいたかもしれないのだから、そういう意味では《お前ら》には感謝していなくもない。

 

 そうして時間が許される限り、鍛えて鍛えて鍛え続けた。医療技術が発展したこの世界では、骨が折れようと腕が千切れようと完治させることができる。噂によれば新たに生やすこともできるのだとか。よって「死ななければ何とかなるから大丈夫大丈夫」と容赦なく己を追い込み続け、大鎌の技術を追求し続けた。

 そして大鎌の性能を知らしめるために時に伐刀者の公式試合などに出場し、同時にその技術を実戦で試すためにストリートファイトや乱戦や夜襲も辞さない勢いで道場破りや殴り込みを敢行し、戦って戦って戦い続けた。

 大鎌如きと見下す連中を圧倒する力を得るために鍛え、戦い、鍛え、戦い、また鍛え、さらに戦い、記憶が修行と実戦と血と汗しか残らないほどの月日が経った頃。

 

 

 気が付くと私は、日本に七つしかない《魔導騎士》の専門学校――破軍学園の生徒となり、一年生にして《七星剣王》の座を手にしていたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 《七星剣武祭》――それは騎士学校に通う魔導騎士の卵たちが出場し、己の強さを示し合う祭典。

 学生騎士たちはそこで一対一の試合をトーナメント形式で行い、勝ち残った学生騎士たちの中で誰が最強なのか決める年に一度の舞台だ。その覇者に与えられる称号こそが七星剣王なのであり、そして目の前の少女こそが昨年度の七星剣武祭を一年生にして制した、現在の日本で最も強い学生騎士なのである。

 

(見た目はだらしないながらも普通の女子なんだがなぁ)

 

 黒乃は内心で溜息をつく。

 こうして会話をすると感じるのが、七星剣王という名に見合わぬその圧倒的な名前負け感。

 160センチほどという女子としてはやや高めの身長はまだ良いとして、腰まで伸ばしっ放しの髪の毛に化粧っ気のない素顔。そして黒乃も先日知ったのだが、女子らしくない圧倒的な服のレパートリーの少なさ。私服の組み合わせを3種類持つ以外は制服しか着ないと聞いた時には流石に眩暈がした。

 生徒の私生活にまで踏み込むつもりはないが、これでは昨年度の七星剣舞祭で祝に敗れ去った者たちが浮かばれないだろう。実力だけは本物なのだから、後は私生活をもう少し改善してもらいたいところだ。

 唯一、愛想が良いことだけは評価できるが、営業スマイルでも隠し切れない無精さと他の武器への排斥思想がそれを台無しにしていた。

 内心で頭を抱える黒乃を、「試合ですけど」とあくまで笑顔で面倒そうに語り出した祝が現実に戻す。

 

「特に学ぶことはないかなぁ、と」

「ほう? 理由を聞かせてもらおうか」

「国際試合で戦うあの人を見たことはありますけど、スペックが馬鹿高いだけで剣士としては普通の一流です。それに“超一流”の黒鉄と試合をしても《一刀修羅》以外の手札を切らせることはできなかったのでは?」

「……まぁ、な」

「黒鉄は経験豊富で戦上手な感じでしたし、衆人環視で無駄に手札を晒す愚は犯さないでしょう。ならば行くだけ無駄無駄です。見る価値ほぼゼロです。素振りしていた方が建設的です」

 

 その言葉を最後に、「じゃ、失礼します」と少女は足早に去っていった。背中を見送る黒乃は苦笑を漏らす。

 それは極めて冷静な分析であり、同時に事実でもあった。

 黒乃が審判を務めた件の試合は祝の言う通りの運びとなって終結している。そこまでをシミュレートした上で、祝は見る価値がないと断言したのだ。

 あの場では試合の結果を番狂わせと称した者ばかりだったというのに、試合会場に足すら運ばなかった者にとっては当然の結果でしかなかったというのは皮肉なものである。

 

「全く……生き急ぎ過ぎだ」

 

 早々と去っていった彼女は、物見遊山という時間すら惜しんでいるのが黒乃にはわかった。

 文字通り強くなることに人生を捧げている彼女からすれば、他人の試合は『自分の糧になるか否か』でしかないのだ。

 もちろん、その高い意識が祝の強さを担う一端であることも黒乃は認めざるを得ない。しかしそれは彼女の長所であると同時に短所でもある。

 魔導騎士の専門学校という側面からすれば、彼女のような熱心な生徒は歓迎こそすれ忌むべき存在ではない。しかし一人の教師として見るのならば祝にはもう少し学生としての青春を謳歌してもらいたいと、むしろ謳歌させるべきなのだと考えていた。

 これは教師としての義務感であると同時に、先達の騎士として抱いた危惧だ。

 

 『力のために人があるのではない。人を活かすために力がある』

 

 この前提をはき違えてしまった時、人は修羅へと堕ちる。

 その道の先に待つのは、周囲を巻き込んだ破滅だけだ。

 

 しかし黒乃の先代の理事長はそれを全くわかっていなかった。

 

 あの修羅道へと突き進む少女の背中を押し、学園とその長である己の名誉と成果のために積極的に力を得るよう取り計らった。その先に得られる騎士学校としては最高の栄誉――七星剣武祭の頂を破軍学園のものとするために。

 その結果、授業免除などの特別待遇によって一層の力を得た彼女は、力の代償に青春と人間的に成長する場を一年間も失ってしまった。

 青春を失った――即ち彼女は“独り”である。友達を作ることもなく、授業も受けず、学園の行事に加わることもなく、ただただ七星剣武祭のためだけに学園に所属し、そして学園側も成果を出すことだけを彼女に期待していた。

 つまり彼女にとって破軍学園の一年生だったという記憶は、ただ資格を得るために訓練の場所を変えたという認識しか残らなかったのだ。

 

 何ということだ! 自分の愛したこの母校が、多感な時期の一人の少女に青春すらも与えなかったとは!

 

 赴任したばかりの黒乃は、業務の引継ぎの過程で愕然とさせられた。

 他にも黒鉄家との繋がりなどといった吐き気を催す事実はいくらでも出てきたが、例え本人が望んでいたのだとしてもあの少女を自分たちのために利用したということは許せることではない。

 赴任の過程で追い出した前理事長とその一党は、一つの学園を預かる人間として風上にも置けない連中だった。可能ならば眉間に風穴を開けてやりたいと本気で思ったほどだ。

 

「なに、まだ二年ある。私のシマでそう簡単に人の道を踏み外させはしないさ」

 

 段々と小さくなる背中を黒乃は見送る。

 自分が新たな長となった以上、もうあのような愚行をこの学園にさせはしない。彼女の道を正す――などという手前勝手なことを言う権利があるのかは黒乃にもわからないが、せめて違う道が存在しているということだけでも祝に示すことが理事長としての仕事の一つだと黒乃は痛感していた。 

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~

 

 

 素振りをしている時の私の状態を表すのに、これ以上の言葉はないと思う。

 このふわふわどきどきは癖になる。

 ただの素振りでここまでエンジョイできるのは、偏に大鎌への愛故に為せる技だろう。もしも弟子を持つ機会ができたら、素振りで心がぴょんぴょんできるようになるまで育ててあげたい。

 だが、そんな至福の時間もやがて終わりを迎える。残念ながら私は素振りマスターを目指しているわけではなく、大鎌の使い手として恥じない伐刀者にならねばならないのだ。なのでこの後は魔力制御の訓練に時間を回す予定である。

 

「精が出るな、疼木」

 

 そうして私が素振りを終えた時である。

 気配もなく背後から声をかけられる。思わず肩をビクリと揺らしそうになったが気合で堪えた。

 大鎌使いの癖に気配察知もできねぇのかよ、と笑われるわけにはいかない。これはいかにも「気付いていましたぜ」という空気を出さなくては。ただ言い訳させてもらえるのならば、これは相手が悪かったのだと言わせてもらいたい。

 声をかけてきたのは理事長にしてAランク騎士でもある新宮寺先生だった。

 今年から赴任してきた新理事長というやつで、修行しすぎて去年はボッチになってしまった私にも声をかけてくれる人格者だ。

 スーツをビシッと決めた彼女の姿は颯爽としていてカッコよく、デキるキャリアウーマン的な雰囲気が凄い。しかも見た目は若々しいというのに、これで経産婦だというのだから本当に詐欺だと思う。

 それとどうでもいいけど、精が出るってなんかエロく感じてしまうのは私だけ……?

 

「つい今さっき、新入生の《紅蓮の皇女》と黒鉄が模擬戦をしていたぞ? 実力者の試合はいい勉強になる。お前も見に来れば良かったものを」

 

 えっ、そうなんですか?

 普通に知らなかった。だってずっと修行していたから。

 そういえばさっきから訓練場の方で馬鹿みたいに魔力を撒き散らしている奴がいるなぁ、とか火柱ヤベェ、とか思ってはいたけど。でも、あれが試合だなんて誰も思いませんですやん。あんなの人間一人に使う魔術じゃないですやん。

 いや、ちょっと待て。このままでは新宮寺先生にいらん迷惑をかける。友達がいないので試合のことを知りませんでした、では余計に心配させてしまうだろう。

 

「いえ、別に興味ないので」

 

 困った時の営業スマイル。これで大抵の問題は対処できる。

 ちょっと声が震えていた気がするけど、たぶん気付かれていないはず。

 「勘違いしないでよね! 別に誰も教えてくれなかったわけじゃないんだからね!」というツンデレ風に答えてみるのも一瞬考えたが、きっと空気が死ぬだけだろうからやめておく。

 

「他人の戦いに学ぶことはもうないということか? それとも既にお前からすれば、あの程度は取るに足らない野良試合でしかないか?」

 

 いやいやいや、流石にそこまで思い上がっちゃおりませんよ?

 確かに剣士から技を教わるとか反吐が出ますけれども。でも大鎌の発展のためならば靴の裏でも舐める所存ですよ私は。

 まぁ、剣士の試合なんて見所がなければ知っていても行かなかっただろうけど。単純にメンドいし怠いし。

 

 そういえば模擬戦で思い出したが、私は去年の七星剣武祭で七星剣王の座に上り詰めている。

 

 最近はマスコミとかも全然来なくなっていたから忘れかけていたけど、当時の破軍学園の熱狂ぶりは凄まじかった。何せ優勝者を輩出したのは数年ぶりのことらしく、前理事長が狂喜乱舞していたのは記憶に新しい。

 そもそも私が騎士学校に入学したのは、その七星剣武祭で活躍することで大鎌の素晴らしさを全国中継させるためである。

 年に一度しかない大会であるため、その機会は私が破軍学園にいる間に三回しか巡ってこない。そのため私は死にもの狂いで学園に実力をアピールし、パフォーマンスとして上級生などを蹴散らしまくった。

 その結果として私は当時の理事長から特別待遇として授業免除などの特権を与えられ、来たる七星剣武祭のために特訓し続けた。

 そうして私は順当に大会を勝ち抜き、ついに七星剣王という地位を手にしたのである。

 これによって私は一躍有名人となった。雑誌やニュースで特集が組まれテレビにだって出た。そしてこれを好機と見た私は、練習した営業スマイルと前世で培ったコミュニケーション能力を総動員し、頑張って大鎌の良さをアピールしたのだ。

 その結果、私は――

 

 

 『欠陥武器というハンデを負いながら、それでも健気に戦い続けた悲劇のヒロイン』となった。

 

 

 おんのれマスゴミめェェェエエエエ!!!

 私は大鎌の良さを紹介したというのに、それが報道を通すとなぜか謙遜に謙遜を重ねた結果のように映っていた。「ハンデがあったけど頑張ればそれを覆すことができる!」とかいうお涙頂戴の茶番劇に成り下がっていた。

 いや、これもう立派な風評被害ですよね。印象操作もいい加減にしろよ告訴してやろうか。

 私は何とか事情を説明しようとしたのだが、世論の流れが影響してそれが世間に届くことはなく。そして季節はあっという間に過ぎ、気が付けば七星剣武祭の話題は下火となっていったのだった。

 まさか『ペンは剣よりも強し』とかいう表現をこの身で味わう日が来るとは夢にも思わなかった。今年こそは正しい情報を世間にぶちまけてやる予定だが、また三文芝居のような筋書きを報道されたら今度こそ告訴してやる所存である。

 ……いかんいかん、つい回想に走ってしまった。そういえば《主人公》と《ヒロイン》が試合した話だったな。

 

「試合ですけど、特に学ぶことはないかなぁ、と」

「ほう? 理由を聞かせてもらおうか」

 

 興味深そうに続きを促す新宮寺先生だが、すみません、半分くらい原作知識(カンニング)です。

 しかしもう半分にはキチンと理由がある。

 

「国際大会で戦うあの人を見たことはありますけど、スペックが馬鹿高いだけで剣士としては普通の一流です。それに“超一流”の黒鉄と試合をしても、魔力量の関係から《一刀修羅》以外の手札を切らせることはできなかったのでは?」

「……まぁ、な」

 

 やっぱり原作通りか。だが、原作知識を抜きにしても試合結果としては順当なところだろう。

 黒鉄とは去年、前理事長の計らいで試合を組まされたことがある。そのためその実力は知識以上に良く知っているのだ。

 その試合は何やら陰謀めいた裏事情があったとかなかったとかいう話を数少ない知り合いから聞いたが、その後すぐに私は授業免除を言い渡されて登校しなくなってしまったため彼とは殆ど会ったことはない。

 本当ならば原作の登場人物である彼にはちょっと興味があったりしたのだが、当時は《七星剣武祭》が近かったため準備にかかり切りとなってしまい接触できなかったのだ。そしてその後も、どうにも彼からは避けられているのか校内で遭遇したことがほぼない。あっても遠目に会釈する程度で、そそくさと去ってしまう。

 

 ……私、何かしたっけ?

 

 まぁ、何にせよ原作知識があるだけでなく、実際に試合をした私からすれば一度戦うだけでも彼の圧倒的な強さを知るには充分だ。

 彼の強さの理由を挙げるとすれば、真っ先にあれが挙がる。

 

 《一刀修羅》――身も蓋もないことをいうならば伐刀者版TRANS-AM(トランザム)だ。界王拳でもいい。残された魔力と体力を1分間で一気に消費し、時間内だけ自身の能力を爆発的に上昇させるという、凄まじく“試合向き”の能力である。

 

 これを始めとして、彼は数多くの武術の引き出しを持っている。総魔力量が絶望的に少ないというハンデを持つ彼は、それを武術を極めるという方向で覆そうとしたのだ。

 さらに敵の深層心理に至るまで読み取る分析力、そしてこれらを伐刀者との実戦レベルにまで引き上げた戦闘経験。

 例示した特徴からもわかる通り、彼は武術や戦闘能力そのものに特化しすぎている異端の伐刀者で、伸ばした方向が異色過ぎて『学校では評価されない項目ですからね』を地で行っている。

 しかし試験と実戦は全くの別物であるように、戦闘となれば彼は鬼のように強い。しかもこちらの攻撃は全て分析済みのため、攻撃がまともに当たりやしない。原作知識という反則(チート)があるにも関わらず、私も彼の卓越した武術には唖然とさせられた。

 そんな黒鉄であるが、昨年度は残念なことに原作通りに留年してしまったらしい。それでも腐らずに今年も一年生をやり直すと聞いている。

 せっかく強いのに勿体ないとは思うが、これも世の――メタなことを言うのなら作者さんの定め。諦めて受け入れてほしい。

 それにほら、結局のところ彼もどうせ剣士だし。私も原作云々とか知っているだけで鑑賞はしても干渉する気はないので、最終的には関係のない話だ。私に関係ないところで頑張ればいいんじゃないかな。私が卒業するまで七星剣王の座は絶対に譲らないが。

 何はともあれ、これで新宮寺先生への言い訳には充分だろう。

 これ以上話すとボロが出そうなので「失礼します」と小走りでその場を退散する。よし、完璧だ。新宮寺先生には今年からお世話になるし、これからも良好な関係を築かねば。

 

 さぁ! それじゃあ今年も七星剣王を目指して頑張りますか! 目指せ三連覇!

 今年こそ風評被害を取り除いて、大鎌の普及と宣伝に専念するぞ!

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 この物語は、メジャー武器である刀剣や銃の存在を逆恨みし、その使い手たちが気付かないところで勝手に下剋上の執念を燃やす一人の伐刀者の物語である。

 

 

 

 




大鎌というロマン武器が好きなので書いてしまいました
転生ものは久しぶりすぎるのでキーボードを打つ手が震える……


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ウチのヒロインがこんなに修羅なわけがない

 たくさんの感想ありがとうございます!
 本当は一つ一つにお返ししたいのですが、想定以上の感想を戴いたため返信が間に合わなくて本当に申し訳ありません。
 しかし戴いた感想には全て目を通していますので、これからも感想や誤字報告などを是非お願いします!


 この前書きを書き終わった後、お気に入りが1900件を超えていることに気付き絶句。
 これも人々の大鎌愛のなせる業なのか⋯⋯?
 本当にありがとうございました。



 賽の河原というものをご存じだろうか。

 

 これは三途の川にある河原のことであり、死んだ子供はここで両親を供養するために延々と石を積み上げ続けなければならない。最終的には石を積み上げて塔を作るのが目的なのだが、しかしその場にいる鬼が完成途中の塔を崩しては去っていくことを繰り返すため、子供はずっと石を積む作業を辞めることができないのだ。

 日本の文化を勉強する過程で偶然知ったこの知識を、なぜかステラ・ヴァーミリオンは朦朧とする頭で思い出していた。

 

「ぜはッ、はひゅ……、ぇほッ……」

 

 ただひたすらに呼吸が苦しい。

 肉体は限界を訴えており、もはや精神力だけで足を動かしているような状態だった。

 視界はもはや霞が立ち込めており、燦々と降り注ぐ日光は殺人光線に等しい。

 

(あ、あれ……? アタシ、今なに……をして……)

 

 そしてついに記憶にすら靄がかかったその瞬間、ステラは足を縺れさせてその場に倒れこんでいた。

 地面に身体が叩き付けられ、「はッ!?」と意識が覚醒する。

 ステラは早朝ランニングの最中だった。

 

(そう、だ……確か一輝がランニングに行くっていうから、一緒について行って……)

 

 そこから先の記憶はあまりない。

 ただルームメイトの一輝に追いつこうと懸命に足を動かし、終わりの見えないランニングに絶望し、そして気が付くと地面に倒れ伏していた。

 恐らくオーバーペースが祟って倒れてしまったのだろう。

 あまりに無様な自分の姿にステラは乾いた笑い声をあげた。しかし笑うという動作一つで肺は悲鳴をあげ、笑い声は即座に咳へと姿を変える。

 今になって考えてみれば、何とも無謀な挑戦をしたものだとステラは思った。一輝は魔力の才能がないが故に、今までの努力を肉体の強化へと全振りした生粋の武芸者。対して自分は、一輝ほどの濃度もない訓練を魔術と肉体の両方へと回していた。これでいきなり一輝と同じことをしようなど、逆に彼に失礼だったかもしれない。

 一輝には途中で先に行くよう促したが、それで正解だった。自分に合わせてペースを落とさせては、彼に要らぬ迷惑をかけていただろう。

 と、その時だった。

 地面に横たわるステラの肌が、地面を伝わる小さな振動を感じ取った。一定のペースで感じるその揺れは、恐らく先程の自分と同じランニングを目的としたものだ。

 しかし疲労によって再び意識が朦朧とし始めていたステラは、起き上がろうと腕を立てることすらできなかった。必死に手足を動かすも、地面を転がるのが精一杯だ。

 そして足音はどんどんとこちらに近づいてきており、それに焦ったステラはさらに手足に力を籠めるが、今度は逆に力み過ぎて転んでしまった。あまりにも間抜けな自分にもはや涙すら出てくる。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

 声がかけられたのは、ステラが生まれたての小鹿のように脚を震わせて立ち上がったまさにその時だった。

 振り返れば、そこにはジャージ姿でこちらを心配そうに見つめる少女がいた。

 走りやすいように髪をポニーテールにした彼女は、まず蒼白いステラの顔色を、次に震える脚を、そして荒く吐かれる息を見やって全ての状況を悟ったらしい。

 苦笑しながら「肩を貸しましょうか?」と提案してきた。

 

「い、いえ……だいじょーぶだから、アタシはこのくらい慣れてるしッ、げほッ……」

「いやいやいや、呂律が回っていませんよ君。顔色も最終形態のフリーザ様みたいな色していますし。っていうか歩けます? さっきまでここに倒れていましたよね? 着ているジャージが砂利塗れなんですけど」

「うっ……」

 

 少女の正論にステラは呻いた。

 迷惑をかけないように遠慮したつもりが、逆に心配させてしまったらしい。不覚だ。

 その後、結局ステラは少女の言われるがままに肩を貸されて歩くこととなった。

 申し訳なく思い謝っても「いえいえ~」と流される。それを見たステラは、これが日本人の『和』の心かとちょっぴり感動する。

 少女は咳込むステラを気遣ってか、時折ステラの状態を確認したりこそするものの必要以上に話しかけてはこなかった。ステラも呼吸を整えるのに忙しかったため正直これはありがたい。

 また、彼女の歩みがステラに合わせられたゆったりとしたものだったことも助かった。日本は気遣いの国と噂には聞いていたが、見えないところにも心を配るこの精神こそが『OMOTENASHI』の心なのだろう。

 そして5分ほど歩いた頃だろうか。遠目に一輝と走り始めた学園の正門が見え始め、そこにステラを待ってキョロキョロと視線を巡らせる彼の姿を捉えた。

 

「や、やっと着いた……」

 

 思わず呟いたステラの万感が籠った言葉が届いたかのように一輝はこちらへと視線を移す。

 そしてステラの姿を見ると安堵したかのように表情を綻ばせ……

 

 そして彼女と共に歩いてくる祝の姿を見て表情を強張らせたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 日課のランニングをしていたら美少女を拾った件について。

 

 偶には違うコースを走ってみようと道を変え、脳内でアニソンのメドレーを流しながら軽やかに爆走していた時にその人物を発見してしまったのだ。

 遠目に見た時は驚いた。

 地面に軟体動物のように横たわった少女がビクンビクンしながら藻掻いていたのだから。前世で見たエクソシストという映画を彷彿とさせるその動きは、美少女補正を以ってなお気持ち悪かったと言わざるを得ない。これでブリッジでもされた日には間違いなくUターンしていただろう。

 しかし必死な様子で起き上がった少女を見た私は、すぐにそれが誰なのかわかった。

 燃えるような紅い髪に東洋人離れした顔立ち。そしてジャージの上からでもわかる超高校生級のボンキュッボンなグラマラスボディと来れば原作ヒロインのステラ・ヴァーミリオンしかいないだろう。

 前世の私だったら鼻の下を伸ばして彼女を凝視していたのかもしれないが、しかし生まれ変わって女性の視点を手にした私には「綺麗な人だなぁ~」以上の感想は出なかった。

 

 あと、これは全くの余談なのだが。

 心なしか私は性欲が薄いような気がしてならない。前世と現世で性別が違うことによる弊害なのか前世の記憶を持っていることのステータスなのかは知らないが、欲情というものを体験したことが私にはないのだ。

 以前、空いた時間で試しに老若男女のあらゆる人間の画像で好みを探してみたことがあるのだが、ピンとくる気配はまるでなかった。

 よって私は前世を知ってから初恋すらしたことがない。

 大鎌に熱中するためには全く構わないのだが、それはそれで少し人間として損をしていると感じなくもないのだった。

 

 話が逸れた。

 その後、私は原作の主要(メイン)キャラへのちょっとした興味もあって彼女を運んでいくことを提案していた。

 本心を言えば剣士なんてその辺の雑草でも食わせておけば体調なんて治るだろ、と思わなくもない。しかし今回だけは好奇心がそれを上回っていた。

 最初はステラも遠慮していた様子だったが、やはり見た目の通り身体は疲労困憊だったらしい。少し押すだけで素直に肩を預けてきた。

 そのまま彼女が連れ――たぶん黒鉄――と待ち合わせをしているという正門まで運んでいく。

 しかし運んでいる途中で気が付いた。

 

 何を話しゃいいんだ……?

 

 こちらは原作キャラのことを知っているが、実際に自分とステラ・ヴァーミリオンという少女は初対面なのだ。

 馴れ馴れしい態度を取って変な目で見られるのは嫌だし、かといってこちらが知るはずのないことを喋っても彼女に怪しまれるだけだ。

 下手に彼女と口論になって国際問題に発展した日には、もしかすると私の輝かしい大鎌ロードに傷をつけることになりかねない。

 そう思った私は彼女と碌に話すこともできずほぼ無言だった。時々様子を伺うように声をかけるのが精一杯で、それ以外は爆弾を扱うかのように丁寧に彼女を運ぶ。爆発して死ぬのが私だけならば構わないが、大鎌に被害が及ぶことだけは阻止しなければならない。

 そして気が遠くなるほど長く感じる時間を歩いた頃、ようやく目的地の正門が見えてきた。正門の前にはジャージ姿の黒鉄が佇んでおり、ステラを探すかのように辺りを見回している。

 やがて彼の視線がこちらに向き、ステラを見て安心したのか柔らかい笑みを浮かべた。

 

 しかし私と目を合わせるなり表情を引き攣らせたのはなぜだろう。

 

「……? なんだかイッキの様子がおかしいわ。ひょっとして貴女、アイツと知り合いなの? この時期に学園にいるってことは二年生か三年生よね? もしかしてクラスメイトだったとか?」

「同学年でしたし知り合いと言えば知り合いですけど、クラスは違いましたね。以前、彼とは前理事長の企画で模擬戦をしたことがあるのでその繋がりで少し」

「……前の理事長の? ふーん」

 

 納得したのかしていないのか微妙な声色でステラは頷いた。

 何ぞい、今の間は。もしかして、前理事長と黒鉄との確執についてもうステラはこの時点で聞いているとか? なるほど、それのせいで少しピリピリしているのかもしれない。

 しかし私は理事長から「授業免除のための試験をする」って言われたからノコノコ付いていっただけで、それで相手が黒鉄だったと言われただけというのが全てだ。裏の事情については何も聞かされていないのだから警戒されても困る。

 というか、その時の模擬戦は私にとっても()()()()()()印象深いものがある。

 文字とアニメでしか見たことのなかった黒鉄の分析力の極み《完全掌握(パーフェクトビジョン)》のヤバさを肌で感じ取ったという意味で。

 いや、黒鉄のあの眼力はマジで異常だって。見切りとか尋常じゃない。写輪眼でも持っているんじゃないの、アイツ。原作で桐原が黒鉄のことをイカサマ呼ばわりしていたが、本当にあれは反則だ。絶対に出てくる作品を間違えている。

 

「センパイ、もう歩けるから大丈夫よ」

「そうですか?」

 

 そんなことを考えていると、ステラが疲労の色を隠しきれない様子ではあったものの地力で歩き始める。

 つまり私たちは碌に話もしないまま、ついに正門に辿り着いてしまったのだ。内心では安堵が強いが、若干勿体なかったようにも思う。

 そしてステラは幾分か良くなった顔色で黒鉄に駆け寄っていった。

 しかしやがて踵を返すと、こちらへと戻ってくる。

 

「ここまでどうもありがとね、センパイ。そういえば自己紹介がまだだったから名乗っておくけど、今年からここに入学した一年生のステラ・ヴァーミリオンよ。センパイはアタシに気付いていたみたいだから、必要なかったかもしれないけれどね」

「これはご丁寧に。二年生の疼木祝です。よろしくお願いしますね」

 

 ツンデレお嬢なイメージばかりが先行していたが、意外と礼儀正しい。

 それもそうか。彼女の実家は小国の王家なのだから、挨拶などのマナーに対する教育は行き届いているのだろう。

 それに引き換え、さっきからこちらを何とも言えない表情で見ている黒鉄は何なのだね? ライトノベルの主人公が久しぶりに同級生の少女と会ったんだから、挨拶していたら転んでその子の胸にダイブくらいかませないのだろうか。リトさんを見習えリトさんを。王族に嫁ぐという意味でも彼は君の大先輩だぞ。

 もちろん私にそんなことをしたらダイブしてきた瞬間に息の根を止めるが。

 

「……イッキ? 大丈夫?」

「ッ……ああ、ごめんねステラ。少しぼうっとしていた」

 

 流石に見かねたらしいステラが黒鉄に声をかけるが、それでも彼は曖昧に笑ったままだ。

 それでも居心地が悪そうなままであるため、流石の私もここは空気を読んで退散することにした。

 まだランニングの途中だし、新学期が始まっていない今日は一日中好きなだけ修行することができる。この後はプールの中で素振りをする予定だ。腰まで浸かった状態で行う素振りの感覚はまた独特で、それ故に大鎌への愛を試すのに不足はない辛さを誇っていると言えよう。

 そうとなれば、こんなところで剣士なんぞと道草を食っている場合ではない。剣士どもがいくら草を食もうとどうでも良いが、私はそれほど暇ではないのだ。

 

「では、私はこの辺で失礼します。ヴァーミリオンさんはお大事に。黒鉄もまた新学期にお会いしましょう」

 

 その言葉を最後に、私はその場を走り去ったのだった。

 しかし、もうすぐ新学期ということは原作が本格的に始まるのか。そう考えると何だか感慨深い。

 それに前世の記憶を思い出してから既に10年以上経つが、それほど前に読んだ小説の内容を自分もよく覚えているものだ。

 まぁ、流石に隅から隅まで覚えているということはない。なんだかこんなイベントがあったような、こんな人物がいたようなということは薄っすらと覚えているが。

 ちなみに、プライベートの問題からあの二人がラブコメっている部分は積極的に思い出さないようにしている。いや、だってあくまで他人でしかない私が個人の趣味とか恋愛模様について首を突っ込むのはおかしいじゃん?

 これで私が男だったのなら「ヒロインを寝取ってやる!」とか考えたのかもしれないが、生憎私は女だ。そして大鎌に人生を捧げた大鎌至上主義者であり、NTRとかハーレムとかは本気でどうでも良かった。

 

 さて、そんなくだらないことよりも今は修行だ!

 まずはランニング30キロ! 血反吐が出るくらいのペースで行ってみよう!

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 走り去っていく祝の背中が見えなくなり、ようやく一輝は留めていた空気を肺から吐き出す。

 彼女がいなくなっただけで、一輝は周囲の空気が幾分か軽くなった様にすら感じていた。

 

「イッキ、本当に大丈夫? 途中でへばったアタシが言っても説得力ないけど、顔が真っ青よ。やっぱりあのセンパイと何かあったの?」

「……まぁ、去年ちょっとね」

「……さっきあの人から聞いたわ。去年、イッキがセンパイと試合をしたって。それも……その、前の理事長の計らいでって」

「あ~」

 

 心配そうにこちらを見上げるステラに、一輝は曖昧な返事をすることしかできなかった。

 だが、彼女と何かあったというステラの勘は正しい。事実、疼木祝という少女は一輝にとって忘れたくとも忘れられないと言えるほど大きな存在だ。

 

 

 何せ一輝は、彼女の手によって留年に追い込まれてしまったのだから。

 

 

 事の発端は一年前。

 一輝の実家である黒鉄家が、一輝の存在を疎ましく思い本格的に学園に圧力をかけ始めた頃の話だ。

 その時期になると学園側は一輝に対して裏から手を回して嫌がらせを度々行うようになり、時には彼らに嗾けられた生徒が一輝を決闘という名目で襲撃すらするようになっていた。一輝が反撃すれば「無許可で決闘を行った」と一輝を陥れるという魂胆があり、そのまま退学に追い込まれる恐れすらあったのだ。

 幸いにも一輝は一方的に攻撃を受けるばかりで一切挑発に乗らなかった。回避すらも戦闘行為と難癖をつけられる可能性があったため、全ての攻撃を受け続けた。この一輝の判断によって計画は失敗に終わったが、息のかかったその生徒は厳重注意だけで済まされてしまったのだから学園側の悪意は明らかである。

 こうして学園と一輝の水面下の戦いは熾烈を極めてゆき、ついに学園は『一輝が能力値に満たないため授業を受けさせない』というありもしない規則を用意してくることとなった。

 能力値のことを持ち出されては、生まれの才能であるため一輝にも抵抗することができない。まさか学園がここまで悪辣な手段を用いてくると思わなかった一輝は、ついに膝を屈することとなったのだが……

 

「だが、君にも一つチャンスをあげよう」

 

 そこに光明が差した。

 一輝を集中攻撃する当時の理事長一派の暴走を見かねたその他の教師たちが異論を唱え、それに閉口した理事長が一輝に最後の機会を与える運びとなったのだ。

 曰く、「騎士とは己の力で運命を切り拓くもの。ならばその力を示せば進級を認めよう」と。

 まさに千載一遇の好機だった。地獄に仏と言ってもよい。その光明に一輝は決起し、最後の最後で理事長たちは一輝の力を侮ったのだと抵抗した教師たちは歓喜した。

 だが、皮肉にも侮っていたのは教師たちだったということを後に思い知らされることとなる。

 理事長は嗤いながら一輝に告げた。

 

「力を示す――それは即ち強敵を打倒することだ。その相手として、我々は彼と同学年の疼木祝を指定する。二年生以上を指定しなかったのは、我々の厚意だと思いたまえ」

 

 今になって思えば、その厚意とやらに彼らの悪意がどれほど凝縮されたものだったのかがわかる。何せ彼女はこの後、七星剣王という地位を得ることとなる少女だったのだから。

 その少女について、まだ学園で一輝が村八分にされる前に噂は少し聞いていた。

 戦うことに狂い、暴力に溺れてしまった戦闘狂。強者であれば上級生であろうと噛み付き、学園の秩序を乱す札付きの不良。しかし、大鎌という霊装のハンデを持ち、それ故に荒れてしまったのではないかとも聞く。

 餓えた狼のような女――それが総じて彼女を知る者が口にした言葉だった。

 最近は学校に来ることもなかったため、一輝はてっきり退学になったのだとばかり思っていたが。

 そしてその条件が出された即日、一輝は彼女と闘うこととなった。

 一輝は事前に戦う相手を徹底的に分析する戦術家の側面も持つ。しかし理事長側は一輝に一切の情報を渡さないためなのか、理事長室でその条件を伝えられたその足で一輝は試合に臨む流れとなる。

 

 

 そして出会った少女は、餓狼すらも喰い殺す“修羅”だった。

 

 

 遠目に姿をみることはあっても臨戦態勢の祝の姿を直に目に映したのはそれが初めてだったが、普段の姿からではわからなかった彼女の纏う空気に一輝は慄かされることとなる。

 彼女の瞳は、餓狼の如くという荒々しい噂に反してまるで凪いだ海のような静けさを保っていた。しかしその奥には夜闇のように漆黒の深淵が広がっており、まるで一輝を引きずり込もうとするかのようにこちらを覗き込んでいる。

 あれが、あんなものが餓狼だというのか。

 否、断じて否。あれは畜生如きが放つ眼光ではない。

 では幽鬼か。

 それも否。彼女が放つ気配は、生者のみが持つ貪欲なまでの黒い活力。

 

 

 ならば……あれが“修羅”だというのか……!?

 

 

 それこそが“是”であった。

 力を、もっと力を――彼女の瞳は地の底から響くような低音で叫んでいる。

 戦を、もっと戦を――彼女はその力を得る戦場を求めている。

 血を、もっと血を――彼女は己の糧となる敵の血を欲している。

 それは極みの境地の一つ。強さに対する無限の餓えと果てのない闘争心。

 力を求めるその貪欲さは餓狼であろうと幽鬼であろうと噛み砕き、それが毒の海であろうと躊躇わず飲み干す。その果てに力があるのならば、喰らい尽くさぬ理由がない。

 

 修羅……これこそが修羅……!

 

 何が理由で力を求めるのかは知らないが、そのためならば常識など躊躇なく踏み潰す異端の中のさらなる異端。

 闘争の権化。

 不吉の象徴。

 健常な精神を持つ者ならば恐怖と嫌悪に震えてしまうその佇まい。そんな存在を前に、一輝は不思議と負の感情以外の不思議な何かを感じていた。よくわからない感情が一輝の胸を焦がし、目を離すことができなくなる。そして彼女に何かを、心が何かを叫びたがっているのだ。

 理解不能な感情だった。異様な空気に気圧されはしたが、これは恐怖ではない。この膨れ上がる不気味な感情に、一輝は同年代の伐刀者に対して初めて足が震えた。

 

 そしてその正体を理解したのは、激戦を終えた後だった。

 

 試合の詳細はあえて語らない。ただ、一輝は留年してしまったという結果だけが残った。

 しかし今後の学園生活がかかっていたということを差し引いても、彼女との闘いは非常に充実したものだったと一輝は今でも思っている。あの闘いは一輝にとって千金にも勝る貴重な体験だった。

 一輝の中での餓狼という前評判は、闘いを通して完全に覆されていた。彼女から伝わる全ての動きは、言葉にするまでもなく武と力への誠実な信念が伝わってきたからだ。

 信念を通すために武術を使う自分とは違い、彼女は彼女の武術を純粋に愛している。自分とは違う形で武術を極めようとする求道者なのだと一輝は言葉でなく心で理解した。

 そして同時に理解する。試合の前に祝に対して一輝が感じていたもの。

 それは『憧憬』だったのだと。

 

 

 戦っていた彼女は、常に美しかった。

 そして純真な歓喜の笑顔を浮かべ、闘いをこれ以上なく楽しんでいた。

 自らが傷つき、また敵を傷つけるという野蛮な行為を神々しいものへと変貌させるほどの、闘いへの感謝があった。

 

 

 ――こんな風に、自分も闘いだけを好きでいることができたら……。

 

 

 一輝は嘗て、曾祖父である黒鉄龍馬からとある信念を受け継いだ。

 『才能など人間の一部だ。だから才能がないからといって諦める必要はない』――この信念を他の人にも伝えられる人間になりたいと感じた。そしてその言葉を体現するためにこそ自分は諦めず、その言葉を非才な失敗者による負け惜しみに貶めないためにも自分は強くならなければならないと思ったのだ。

 故に、一輝にとって武術とは最終的に信念を押し通すための“手段”なのだ。

 しかし祝は違った。純粋に武術という力そのものを愛し、感謝し、そして楽しむ彼女は武術こそが“目的”に違いない。あるいは信念こそが武術であるのかもしれなかった。

 それこそが修羅であり求道者でもあるということ。

 諦める必要はないと龍馬は言った。それはつまり、諦めても良いのだという優しい言葉でもあるのだと一輝は考えている。

 

 しかし祝にとって信念とは諦めるものではなく、死んでも貫き通すものなのだ。愛しているから、感謝しているから、楽しいから――そんな武術のために死ねるのならば本望。むしろ死如きでそれを諦めるなどあり得ない。

 

 彼女の武術はそう語りかけるかのように鮮烈で苛烈だった。

 その在り方に、“武人”としての一輝は憧れた。

 彼にも細やかながら存在する磨き上げた己の武術への誇り。そしてそれを築き上げる過程で感じた喜びと達成感。己を育ててくれた武への感謝。強い敵と闘い、それを斃すことへの喜び。

 それらを彼女の在り方はどうしようもなく刺激した。

 もしも彼女のように武術以外のものを全て捨て去ってしまえたのならば、きっと一輝の抱えるコンプレックスや苦しみからは全て解放されるのだろう。その感覚は、まるで重い鎧を捨て去って全裸になるかのような解放感を与えてくれるに違いない。

 それは何と甘美な誘いなのか。

 

 ――でも、それは龍馬さんの信念を忘れ去るということになってしまう。

 

 目的を忘れ去り、手段に溺れることと同義だ。

 即ち、それこそ修羅の道。

 一輝の初志を考えるのならば、到底受け入れられない道だ。

 だが、それでも。一輝はその道に徹しきれるほどの鋼の精神を持っているわけではない。ほんの僅かな、それこそ魔が差すほどの小さな隙間。そこを祝の姿は通り抜けて一輝を刺激する。

 その感情を自覚して以来、一輝は祝とまともに顔を合わせることができなくなった。

 再び顔を合わせるだけでも、また彼女の在り方が己の“弱さ”を(つつ)いてくるようで恐ろしかったから。

 

(それ以来、偶に疼木さんを見かけても気まずくて避けるようになっちゃったんだよなぁ。実際、今日もかなり危なかった)

 

 実際、今日顔を合わせてみて一輝はそれを実感した。以前ほどの胸の騒めきはなかったが、それは彼女が本質を表に出していなかったからだろう。もう一度彼女の臨戦態勢を見れば自分がどのような感想を抱いてしまうのかは未知数だ。

 だが、彼女の近くにいるといつか憧れが信念を越えてしまいそうで怖い。

 だから一輝は彼女が苦手だ。この気持ちに一輝がケリをつけない限り、彼女と普通に会話することは難しいだろう。

 

(でも、今年こそは……!)

 

 一輝は知らず知らずの内に拳を握る。

 去年は高嶺の花でしかなかった《七星剣武祭》という舞台が、今年は決して自分の手の届かぬ場所ではなくなった。

 しかしその舞台の頂点に立つのであれば、自分はあの修羅を今度こそ精神的に乗り越えなければならない。

 静かなる決意を胸に秘めた一輝は、今日も己を鍛え続ける。今年こそは、この手に握る刀の霊装《陰鉄》があの修羅を斬り伏せることを信じて。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「そういうわけで、僕が一方的に彼女を苦手に思っているだけなんだ。今の理事長先生の話によれば、疼木さんはその企てについて何も聞かされていなかったようだし」

 

 一輝と祝の因縁。

 それを一輝は寮へと帰る道すがらでステラに語って聞かせていた。

 ただ、彼女に感じた修羅の気配についてだけは詳細を暈す。個人的な印象を話してしまえば、ステラが要らぬ偏見を持ってしまいかねないからだ。二人が出会う機会はこれからもあるだろうし、ステラに余計なことを吹き込みたくはない。

 あるいは絶対的な才能を持つ彼女ならば、彼女に対してもまた一輝と違った感想を持つかもしれないのだから。

 

「そうなの……何だか悪いことを聞いたわね」

「いや、構わないよ。それに、今となればあれも貴重な経験だったと割り切ることもできる。何せ疼木さんと戦ったことで、目標の高さを知ることもできた」

「目標?」

 

 可愛らしく首を傾げるステラ。

 それを見て一輝は、「ああ」と苦笑する。どうやら彼女は祝が何者なのかを全く知らなかったらしい。

 

「そうか、ステラは外国人だから知らないのかもね」

「外国人ってことは、センパイは日本だと意外と有名な人だったの? 何ていうか、見た感じは普通の女の子って感じだったけど」

「うん、凄い有名人だよ。何せ彼女は、去年の七星剣王だからね」

「…………は? ……えッ、あれが!?」

 

 七星剣王をあれ呼ばわりとは凄まじく失礼な物言いだったが、一輝も気持ちはわかる。

 戦いが絡まない場における彼女は、愛想が良いだけの普通の修行マニアだ。顔立ちこそ整っているものの、ステラと比べれば見劣りしてしまう程度でしかない。

 七星剣王と聞くと世紀末覇者のような雄々しい姿を想像してしまいがちだったステラからすれば、祝は色々と物足りなかった。

 

「でも、実力は確かだ。魔術の相性もあったけど、去年の決闘で僕は彼女に()()()()()()()()()()()しね」

「そんな……」

 

 驚愕の事実にステラは絶句した。

 Aランク騎士である自分すらもあしらった一輝であっても彼女に敗北したというのか。

 俄かに信じられることではない。

 しかしそれは紛れもない事実だった。試合の詳細は省くが、最終的に一輝の刃は彼女から勝利を捥ぎ取ることができなかった。

 

「彼女は強い。七星剣武祭の頂点に立ったのは偶然なんかじゃないよ。疼木さんは僕の知る限り、間違いなく最も強い学生騎士だ」

 

 ステラに語ると同時に、一輝は己にも言い聞かせる。

 彼女は、強い。

 だが、今度こそ勝つのは自分だと。

 七星剣武祭の出場者を決める代表選抜戦は近い。

 

 

 




一輝「勝つことができなかった(敗けたとは言っていない)」


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代表選抜戦編
私の大鎌は最強なんだっ!(集中線)


遅くなって申し訳ありません!


 七星剣武祭は成人した伐刀者たちで行われる大会である。

 

 伐刀者は国によって特別な制度を設けられており、15歳という年齢を区切りとして成人として扱われるようになると法律で定められている。

 よって騎士学校の学生騎士しか参加することのない七星剣武祭は自動的に成人しか参加できないこととなり、それによって14歳以下の伐刀者たちによって行われる大会とは一線を画するルールが存在していた。

 

 それが《実像形態》の使用を許可するというルールだ。

 

 《実像形態》とは《幻想形態》と呼ばれる状態と比較して使用される専門用語だ。

 この幻想形態の状態で魔術や霊装を使用した場合、それらから繰り出された攻撃は人体を傷つけることがない。それらのダメージは疲労という形で被攻撃者に蓄積され、結果的に無傷で敵を制圧することができるようになる。

 《実像形態》はその逆で、魔術も霊装も物理的な作用を以って人体に影響を与える形態だ。よって霊装で人体を切り刻めば血が噴き出し、炎を食らわせれば焼死体が完成する。

 以上が七星剣武祭で行われるルールの主だったものと謂えるだろう。それ以外は尋常な決闘と変わらない。定められたフィールド内で伐刀者が一対一で戦闘を行い、敵を戦闘不能にするか降参させれば試合終了だ。

 そしてそのルールは破軍学園で行われる七星剣武祭の代表選抜戦でも適用されている。

 

 霊装と霊装がぶつかり、戦意が激突したかのように火花を散らす。

 

 場所は破軍学園にいくつも存在する訓練場の一つ。

 アリーナの形状を取るそれらの一つの中央で、今まさに一つの決闘が行われていた。それを擂鉢状に囲むような形で配置された客席から歓声が上がり、場は熱気に包まれる。

 春を迎え、新学期と共に新たな一年生を迎えた破軍学園は今、七星剣武祭の代表選抜戦に燃えていた。

 新学期が始まったことにより開始された選抜戦。

 これまでの破軍学園になかった形として生徒たちに戸惑いを与えていたが、こうして始まってしまえばそれらの困惑は瞬時に払拭されていた。間近で見られるスリリングな光景、多彩な魔術と武器によって彩られる千変万化の景色、そして超常の異能者である伐刀者たちをして次元が違うとしか表現できぬ実力者たちの闘いに魅せられたからだ。

 行われるのは未だ一回戦。

 選抜戦に参加した有象無象を間引くための前哨戦だ。

 初日の試合は、嵐の前の静けさのように、しかしその強大な力を見せつけるものが見られた。

 期待の新入生(ルーキー)ステラ・ヴァーミリオンはその圧倒的な魔力と火力を見せつけ、相手はその実力差に慄き自ら膝をついた。

 そして無名のダークホースとして黒鉄珠雫という少女の名も挙げることができるだろう。名を聞けば察しが付くかもしれないが、この少女は一輝の実妹である。一年生でありながらBランクという地位を持ち入学してきた彼女は、水を操るという能力を用いて対戦相手を圧倒した。電気を発生させるという相性の悪い上級生を相手に、超純水を用いて全ての攻撃を防ぎきるという離れ業をやってのけたのだ。試合自体に派手さはなく、見応えはなかったかもしれない。しかし彼女が晒した実力の一端は確かに実力者たちの目に留まることとなった。

 そしてもう一人。有栖院凪という男子生徒がいる。

 彼もこの試合によって注目されるようになった一年生の一人だ。彼は『影を操る』という能力を持っている。その能力を用い、上級生を試合開始から10秒で封殺した。“影を縫い止める”という方法で敵を捕縛し、相手に何もさせないまま試合を完封したのだ。ランクこそDと平均的なものの、能力の応用力とその本来の意味での実力は計り知れない。

 

 では、二日目は。

 

 この日、最も注目される試合は誰の者かと尋ねられれば誰もが答えるだろう――桐原静矢の試合であると。

 彼は昨年の七星剣武祭の出場者だった。そしてCランクという高位伐刀者であり、同時に昨年の新入生首席の地位を持つ優秀な伐刀者だ。

 そして彼のもっとも特徴的とされる点が、“勝てない敵とは戦わない”というスタンスである。彼の五感によって自身の存在を察知させることができなくなる能力《狩人の森(エリアインビジブル)》とそれを用いた戦法は対人戦において無類の強さを誇る一方、狙いを絞らない広範囲攻撃(ワイドレンジアタック)などに対して極端に弱いという弱点を持つ。その弱点を桐原自身が最も知っているために相性の悪い相手が対戦相手となった際は戦わずに棄権してしまうのだ。

 その狡猾さと相性の良い相手を一方的に追い詰める狩猟的な戦いぶりから名づけられた二つ名が《狩人》。

 そんな間違いなく強者と呼ばれる部類の選手が注目を集めないはずもない。

 よって誰もがこの試合へと桐原の活躍を期待して見物に訪れていた。

 

 

 その()()だった。

 

 

 しかし今年に限ってはそうはいかなかった。

 対戦相手は黒鉄一輝――桐原以上の高位ランクであるAランクのステラを打倒したFランクという矛盾した存在。

 あらゆる能力値が平均よりも遥かに下回るという抜刀者としては決定的なハンデを持ちながら、それを努力によって覆そうと挑む異端の抜刀者。

 「天才とは持っているものが違うのだから仕方ない」、「努力はしたが、やはり天才には勝てない」という当たり前の道理を真っ向から否定する彼もまた、桐原とは違う意味で脚光を浴びている人物であった。

 

 その試合を多くの者が心待ちにしていた。

 

 ある者は強者たる桐原が、才能の差という運命を遵守して一輝を圧倒する見世物を望んだ。

 ある者は後に己が戦うかもしれぬ者――桐原と一輝の両者を平等にその目で見極めようとした。

 ある者は一輝の奇跡的な逆転を待ち望み、手に汗を握って彼の勝利を祈った。

 あるいは、ただ物見遊山で試合を見物しに来た者も多いだろう。

 様々な動機を持つ者が足を運び、試合が行われる第四訓練場は既に満席となって会場内に熱気を立ち込めさせていた。小さな騒めきがまた一つの騒めきを呼び、やがて全てを呑み込んだ巨大なうねりとなって会場を席巻していく。

 

 そしてその日、人々は魅せられた。

 

 Fランクの伐刀者が、魔術すらもまともに行使できない魔力量しか持たぬ弱者が、武術しか闘う術を持たぬ剣士が、対人戦最強と呼ばれる《狩人》を打倒するという奇跡を。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 やめて!

 黒鉄の《完全掌握(パーフェクトビジョン)》で桐原の人格を把握されたら、《狩人の森》で隠れている桐原の位置が見破られちゃう!

 お願い、死なないで桐原! アンタが今ここで倒れたら、勝ったらステラを彼女にできるっていう約束はどうなっちゃうの!?

 魔力はまだ残ってる! 《一刀修羅》の制限時間を耐えれば、黒鉄に勝てるんだから!

 

 次回、『桐原死す!』――デュエルスタンバイッ!

 

 

 昨日、原作一巻で最高の山場となる黒鉄と桐原の試合があったのだが、中身は概ねこんな試合だった。

 えっ? 大雑把すぎて試合の詳細が全くわからないって? 本当にこんな感じだったから大丈夫大丈夫。実際に桐原が死んでいないところまでこの予告の通りだ。

 見下されていた主人公が強敵を打倒することで周囲から見直され始めるというお約束の展開である。古今東西の物語にありがちなテンプレートと言っても差し支えないだろう。激闘を制した黒鉄には失礼な話だとは思うが、私がこの試合に抱いた感想は以上である。

 まるで見てきたかのように私があの試合を紹介しているのは、実際に観戦してきたからだ。

 私としては剣士と弓手の試合など欠片も興味がなかったため当初は観に行こうなどと全く思っていなかったのだが、ふと「原作通りに筋書きって進んでいるのかな?」と気になったので昨日はちょっと足を運んでみたのである。

 

 いや、別に原作通りだからどうこうっていうわけでははないんだけどね?

 

 しかしここに来て「原作知識というものはどれほど正確なのか」という素朴な疑問が私の中で鎌首を擡げてしまったのである。

 ついこの前の休日、原作によれば学園の近くにあるショッピングモールがテロリストによって占拠されるというアクシデントが起こるとあった。よって私は面倒ごとを避けるために学園から出なかったのだが、その日の夕方にはニュースで本当に事件のことが報道されていたのである。

 このことから私は原作の運命力とも言える力を改めて感じさせられた。そしてそれを利用すれば、いらぬトラブルやアクシデントをいくつか避けることが可能なのではないかと考えたのだ。しかしその事件を以ってしてもまだ私には原作の持つ運命力に確信が持てなかったため、その考えの材料を得るために黒鉄の試合を見物させてもらったのである。

 これで自分の記憶通りに試合が進んだのならば、確信しないまでも原作知識というものがかなりの精度を持っていると考えることができるだろうと。

 

 

 結論、原作知識ってスゲェ!!

 

 

 本当に私が記憶している通りに試合は進み、そして黒鉄は勝ってしまった。

 常識的に考えれば相性的に黒鉄が桐原に勝てるはずはない。コーラを飲めばゲップが出るくらい確実だ。だというのに黒鉄はその常識を覆し、そして原作の通りに勝利を収めていた。

 何も知らない観客たちからすれば予想外の奇跡と思えるのかもしれないが、私としては原作知識が正確過ぎて少々恐ろしくなったくらいである。時折、ネット小説で原作知識に従って筋道を極力崩さないよう細心の注意を払うという転生者の主人公を見たことがあったが、この光景を見せられればそれにも頷けるというもの。

 転生者(じぶん)という異物さえ存在しなければ、この知識はまさに完璧だ。

 そして物語のここぞという場面で介入しようという人物が存在したのならば、嫌でも慎重にならざるを得ないだろう。何せ詰めさえ誤らなければ自分は最高の栄誉と利益を得ることができてしまうのだから。

 

 まぁ、私にはあまり関係ないが。

 

 どうせこの『落第騎士の英雄譚』というライトノベルは業界の中でも特に短い期間についてしか描写のない作品だ。精々が今年の春から夏くらいまでで、そこから先はそもそも前世の私が生きている間は発売されていなかった。

 つまり未来の知識など半年先程度までしか存在せず、しかもその殆どが試合というスポ魂。そして前世で特に熱中したキャラクターもいないということから誰それと仲良くなりたいという欲求もない。よって私が原作知識に求めるものは、前述した不要なトラブル回避くらいだ。

 話が逸れたが、もちろん私も危機回避以外で原作知識を便利に思ったことくらいはある。例えば、原作に登場した伐刀者の能力を事前に知ることができたことが代表的だろう。伐刀者にとって恐ろしいのは“未知の敵”に尽きる。それを事前に知っていることは伐刀者として大きすぎるアドバンテージとなるだろう。

 

 ……私は登場人物の殆どとまだ出会うどころか名前すら聞いたことがないんですけどね。

 

 だってずっと修行していたし。わざわざ登場人物を探しに出るほど暇ではなかったし。よって原作知識のありがたみというものを今まで実感したことがなかった。なかったのだが……

 いや、しかしこれは確かに凄いね。何が凄いって全能感が。

 自分の知識通りに群衆が動くということがこれほど面白いとは思わなかった。確かに原作知識で転生者が調子に乗ってしまうのも理解できる。こちらの世界のネット小説で転生者が主人公の作品を見かけたら、これからは温かい視線で今後を期待してあげよう。

 

 

『二年・疼木祝さん。試合の時間になりましたので入場してください』

 

 

 スピーカーから音声が響き、意識が現実へと戻ってくる。

 暇だったために昨日までのことを思い返していた間に待ち時間が終わったらしい。

 安っぽい長椅子から「ヨイショ」と立ち上がった私は軽く伸びをしてから控室の扉を開いた。その先に続くのは薄暗い通路。そして眩い光を放つゲートだ。

 ゲートからは数えきれないほど多くの声が雪崩込み、私の鼓膜を盛大に震わせている。

 

「それじゃあ、今日も布教のために頑張りますか」

 

 代表選抜戦・三日目。

 私はこれから、第一回戦の試合を控えていた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 破軍学園の代表選抜戦で最も注目度の高い選手は誰なのか。

 それを思い知らせるかのように試合会場の熱狂は凄まじかった。観客たちの声は鼓膜を襲うだけに留まらず、今や一輝の肌すらもピリピリと震わせる。

 これから眼下で試合を行う選手からすれば集中力を欠く要因となりかねないほどの声援だった。

 しかし一輝には彼らを責めることができない。なぜなら、許されることならば自分もその熱狂に加わってしまいたいという衝動を紙一重で抑え込んでいる人間だからだ。これから始まる試合は伐刀者として非常に興味深いと同時に、己に憧憬の感情を抱かせた者の試合。これで何も感じるなという方が無理な話だろう。

 

『さあ、続きまして赤ゲートから姿を現したのは我が校最強の使い手にして日本の学生騎士の頂に君臨する覇王! 昨年の七星剣武祭にて一年生ながら無敗を誇り、その勇名を天下に轟かせた女帝! 大鎌という一見使いにくい武器は、しかし敵対した者の命を刈り落とす死神の刃と化す!

 君は知るだろう! 覇王の道を妨げることがどれほどの恐怖を伴うのかということを! しかし七星の頂に挑む者はこの戦いを避けては通れない! 全ての学生騎士に立ち塞がる見果てぬ壁! その壁の高さを我々は今日、再び仰ぐことになる!

 二年《七星剣王》疼木祝選手ですッ!』

 

 実況席の月夜見という女子生徒に促され、祝が暗がりからゆっくりと歩み出てきた。

 破軍学園の制服に身を包んだ彼女は、降り注ぐ歓声に「あっ、ど~も~」と小さく手を振りながら進み出てくる。天井に取り付けられた巨大モニターには祝のバストアップの映像がリアルタイムで流れており、彼女の素顔を観客たちに見せつけていた。

 一言でいえば『普通の少女』でしかない。化粧っ気のない顔に薄く笑みを浮かべ、背中まで伸ばされた長髪は癖と手入れの悪さのせいで所々が跳ねている。

 実況の語るような仰々しい気配など微塵もなく、町の中を歩いていればその可愛らしい顔立ちに目が行くことはあれど彼女が日本最強の学生騎士などとは微塵も思えないであろう。それは実況席に座る解説役の折木有里先生も同じらしく、『相変わらずほんわかしてるね~』と評していた。

 

(でも、だからこそ彼女は恐ろしい)

 

 その自然な佇まいに一輝は固唾を飲む。

 強者とは自然とそれ相応の空気を纏ってしまうものだ。ある者は荒々しく、ある者は重く、ある者は洗練され、ある者は刃のように鋭い。意図して隠そうとも闘争の気配が視線や足運びから滲み出ているものだ。

 だが祝にはそれがない。強者はおろか闘う者特有の気配がない。異常なほど自然体に過ぎるあまり、彼女が強いのか、あるいは弱いのかという彼我の戦力差が非常に測りにくいのだ。

 そう――それは一度刃を交わした一輝でさえも。

 

「何というか、リングでもあの人は変わらないわね。ほにゃっとしていて」

 

 一輝の隣で腰かける紅い髪の少女、ステラは困惑した様子だった。

 無理もない。彼女の在り様は自然体過ぎる祝とは正反対に位置するといえる。絶対強者としての風格を纏い、障害物は全て叩き潰すかのような圧倒的な気配を振り撒くのがステラのスタイルだ。そんなステラからすれば、祝の気配は穏やか過ぎる。

 

「確かに一見すると威厳も何もない人です。でも、その実力をテレビ中継で見ていた私としては普通すぎて逆に怖いですよ」

 

 ステラに対し、一輝の内心を代弁したかのように述べたのは一輝を挟んでステラの反対側に座る短髪の少女だった。

 彼女の名は黒鉄珠雫――一輝の妹に当たる人物だ。

 後の選抜戦で必ず勝ち残ってくる祝という存在の情報を少しでも集めようと、一輝とステラに付いて彼女もこの試合に足を運んでいた。

 

「なるほどね。ステラちゃんを“動”、珠雫を“静”とあたしは考えていたけど⋯⋯疼木さんはそれが見えない」

 

 珠雫の隣で長身の少年――有栖院凪が女性的な口調で呟く。

 有栖院の細められた目は、祝の姿形だけでなく身に纏うその気配を映していた。

 エネルギーに満ち溢れた動的なものでなく、しかし鋼の精神力で己を支配する静的なものでもない。本当に自然体過ぎて逆に見ている有栖院が不安になってしまうような、そんな危ういほどの穏やかさが祝にはあった。

 有栖院の勘と経験を以ってしても、これから命すらも危険に晒す試合に臨む人間には思えない。そしてその感想はある程度の観察眼を持つこの場の全ての人間が感じていた。これが祝の化けの皮なのだとすれば大した役者だと称賛する他ないだろう。

 

「アタシは去年の七星剣武祭の試合を観たことがないから知らないんだけど、あのハフリさんってどんな闘い方をするの?」

「疼木さんは生粋の武術家だ。ステラや珠雫みたいな遠距離攻撃をほぼ持たないから、とにかく相手に近づいてからの接近戦っていうシンプルな戦法だよ」

「七星剣武祭ともなると様々な種類の能力や魔術が見られますけど、去年のあの人はシンプルすぎて異質な感じでしたね。まあ、日本に武者修行に来ているのにその頂も知らない勉強不足の誰かさんは、実際に見た方が覚えやすいと思いますけど」

「喧嘩売ってんの!?」

「まあまあ、二人とも」

 

 有栖院がステラと珠雫を宥めていると、やがて実況の語り口が勢いを増した。

 リングの中央に選手が揃ったのだ。それを期に自然と四人は口を噤み、試合が始まるのを待ち構える。

 ここでステラは改めてリングへと視線を向けた。先程から祝ばかりを視線で追いかけていたが、リングの中央に目を向ければ主審(レフェリー)として立っているのは新宮寺理事長だ。先程までの試合は別の人物が主審を務めていたが、この試合になって()()()交代している。

 

(どういうこと?)

 

 自分と一輝の決闘の際にも彼女が審判を務めていたことはあったが、それは選抜戦のような事前に予定された試合ではなく、加えて黒乃本人が焚き付けた決闘でもあったからだ。もしかすると他の審判の係の人と入れ替わりで出てきたとも考えられるが、しかしこの試合は今日の四つ目の試合。交代には早すぎると思わなくもない。

 

『それでは両選手、霊装を展開してください!』

 

 微かな違和感を残しながらも、スピーカーから流れる大音量の実況にステラの思考が途切れる。

 同時に祝の対戦相手である大柄な男子生徒が雄叫びを上げた。

 

「うぅぅぅぅぉぉぉぉぉおおおおおおおッ!!」

 

 男子生徒の身体が鋼鉄の鎧によって覆われていく。

 足元から昇っていったその鎧はやがて頭頂部までを覆い隠し、その身に鉄壁の防御力を与えた。

 

『で、出たー! 三年・桃谷選手の甲冑型霊装《ゴリアテ》! 《重戦車(ヘヴィタンク)》の二つ名を持つ彼の突進力は人体を軽々とひき潰す攻防一体の技ッ! シンプルであるが故に攻略が難しい桃谷選手の破壊力ならば七星剣王にも一矢報いることができるのかァ!』

 

 実況に応じたかのように桃谷が再び吼える。

 パフォーマンスとしての効果は置いておくにしても、確かにあの巨体から繰り出される突進は大したものだろう。もちろん人類最高峰の魔力を持つステラには遠く及ばない膂力だが、しかし平均的なランクにしてはという前提が付けば確かに驚異的である。少なくともパワー型ではない珠雫や一輝であれば当たれば一撃で沈められるだけの力があることは間違いない。

 そんな力を前にした祝はというと、特に驚くこともなく「お~」とその勇ましさに拍手していた。今の雄叫びに全く呑まれている様子はなく、それどころか未だに宙に浮きそうなほど呑気な様子のままだ。

 

「うわ~、これは私もパフォーマンス的な何かをしないといけない流れなんですか? 新宮寺先生、私はどうすればいいのでしょう」

「いらんからさっさと霊装を展開しろ。試合が進まん」

「あ、そうですか」

 

 祝が「ふんっ」と気合を込めて右手を前方に伸ばす。そして次の瞬間には既に黒い柄が握られていた。

 その姿に観客の多くが息を呑む。これがあの、祝の代名詞とも言える大鎌なのか、と。

 

 漆黒の大鎌だった。

 

 祝の小さな手が握る長柄は照明によってできた影のように黒く、そして石突から刃を固定する細かな部品までも全てが同じく黒い。

 長柄の側面から伸びる幅広の曲刃は浅い弧を描き、その鋼色の鈍い輝きからは命を吸い込むかのように不気味な気配を発している。その曲刃の反対側からは細身の短刃が突き出ており、同じく鋼色の瘴気を纏わせていた。

 

「よし。今日も絶好調だね、《三日月》は」

 

 小さく祝が呟き、それに応えるかのように細腕の中で一旋された歪なT字がウワンと唸る。

 まるで照明の光を大鎌が吸い込んで視界が暗くなったかのようだ。その中で刃だけはギラギラと禍々しい光を放っており、その名の通りまるで夜闇に輝く三日月のようだった。霊装が放つ気配はまさに死神の鎌というに相応しく、淀んだ瘴気が会場を浸蝕してゆく。まるで景色が歪むかのような圧迫感に一同が声を潜める中、静寂を破ったのは祝の気に呑まれなかった解説の折木だった。

 

『は~い、それじゃあ二人とも準備が整ったみたいだし、そろそろ試合を始めちゃおうか~』

『ッ、両選手の準備が整いましたので、これより選抜戦三日目・第5試合を開始します!』

 

 我に返った実況の言葉に、会場の熱狂が息を吹き返す。

 その熱狂に影響されたのか、あるいは己を鼓舞するためなのか。試合はまだ始まっていないというのに油断なく祝を睨んだ桃谷は、徐に獰猛な笑みをヘルメットの下に浮かべる。

 

「七星剣王さんよ。俺の知る限り、お前はこの鎧を突破するための炎だの雷だのって魔術を持っていないんだろ? つまりその鎌だけで俺の鎧を突破する必要があるってぇわけだ」

 

 桃谷は確信していた。目の前の七星剣王は、自分のような甲冑型霊装を持つ相手に対して非常に不利な立ち位置にいると。

 通常、霊装はよほど強力なダメージを受けなければ折れも曲がりもしない性質を持つ。魔力によって編まれた武装の強靭さに魔力量は関係ない。そして桃谷の《ゴリアテ》はこの性質によって全身を守られた、対人戦における物理的な衝撃に対して最強の防御力を持つ霊装なのだと桃谷は自負していた。

 

「去年のお前の試合は全て知っている。確かにお前は武術の達人だが、恐らく去年の七星剣武祭のどこかで《鋼鉄の荒熊(パンツァーグリズリー)》とぶつかっていれば優勝はあり得なかった! 物理攻撃に縛られている以上、お前の欠陥武器の刃が俺の《ゴリアテ》を突破することはできねぇ!」

「…………」

 

 桃谷の全身に力が滾る。試合開始の合図を待ちながら、全身の血流がこれまでにないほど躍動する。

 勝てる――七星剣王を相手にそう信じ込むほど桃谷は愚かではない。しかし勝ちの目があるとは感じる。ならばその結果に向けて突き進むのみ。

 元々、桃谷は祝のことが好きではなかった。彼女の去年の凶行によって彼の友人も何人か被害に遭っており、これはその仇討ちという意味合いもあるのだ。例え勝てずとも、必ず一矢報いて見せるという気概が桃谷の精神をさらに昂らせていた。

 そんな桃谷に対し、祝は薄く柔らかい笑みを浮かべたままゆったりとした動作で大鎌を肩に担ぎ、試合の開始を待つ。

 ――そして、ついにその瞬間が訪れた。

 

『それでは……試合開始ッ!』

「ッ、グゥラァァァァアアアアアアッッッ!」

 

 そして桃谷は全身の筋肉に溜め込まれた力を爆発させる。

 その瞬間、彼は標的を穿つ一個の砲弾となった。魔力放出による追い風は進撃する砲弾をさらに加速させ、鎧という質量をもって敵を蹂躙せんと駆ける。地を踏み締め、風を裂き、目の前の死神を粉砕せんと迫る。

 10メートルほど取られていた距離は瞬く間に縮まり、まだ一歩として動いていない祝の前髪を空気の乱流が撫でる。

 開幕速攻に不意を突かれたのか。笑止、と桃谷は内心でほくそ笑んだ。まさか七星剣王である自分を相手に先手を取り、剰え一撃で沈めようなどという暴挙を犯すはずがないと油断していたのだろう。ならばその傲慢をここで自分が叩き潰す。激痛に悶えながら己の所業を後悔するがいい。

 

「……欠陥武器、ですか」

 

 表情に反したその冷めた言葉が耳に届いたのは、対峙する桃谷だけだった。

 爆走する鎧が突如その動きを止める。遅れて響く轟音。全く進まなくなった自分の身体に桃谷の笑みが完全に消える。

 その光景は異様の一言に尽きた。客席の生徒たちが「そんな、まさか」息を呑む。

 

 まさか《重戦車》の突進を片手で受け止めるとは、と。

 

 右手で《三日月》を肩に担いだ状態のまま、なんと祝は左手一本で桃谷の突進を阻んで見せたのだ。足は僅かたりとも後退しておらず、それどころかほぼ前後に開くこともしない棒立ちに近い状態。そんな姿勢で外部からの衝撃を受け止めることなど物理的に不可能なはず。

 だがそれを祝は実践して見せた。その事実に桃谷は悟ってしまったのだ。自分がどれほど身の程を弁えない所業を犯していたのかを。

 

『ど、どういうことだァ! 桃谷選手の渾身のタックルがまるで通用していない! まるで覇王の余裕を示すかのように棒立ちの疼木選手に止められてしまったぞ! 彼我の戦力差を示すかのような王者の振る舞いに客席の皆様も開いた口が塞がらない様子!』

『相手の攻撃をあえて受け止めて見せるなんてプロレスの試合みたいだね~。でも、やっていること自体はとてもシンプルな魔力放出による防御だから驚くことじゃないよ。……むしろ、驚くべき部分は他にある』

 

 そう、それこそが折木を含めた少数の強者たちが驚愕する点。

 それを折木が解説しようと口を開くが、しかしそれを遮るかのように祝が大鎌を振り上げたことで口を閉じさせられる。

 

「こ、このッ! 放せェ!」

 

 振り上げられた《三日月》に、桃谷は咄嗟に大鎌の間合いから逃れようとした。しかしそれは叶わない。突き出された祝の左手が《ゴリアテ》を掴んで放さない。

 そして祝が右手を振り下ろすために右足を退いたことで桃谷は、ここで生まれて初めて濃密な“死”の気配を知った。

 

「鉄板で身体を覆ったくらいで大鎌を攻略とは、面白いことを仰いますね」

「ま、待て! まい――」

「なら試してみましょうか」

 

 祝の左手がトンッと桃谷を押し出す。

 唐突な力の変化に思わず桃谷は踏鞴を踏み――《三日月》が霞む。

 

「……あ?」

 

 気が付けば桃谷は訓練場の天蓋を眺めていた。

 なぜ自分が頭上を見上げているのか。一体何だ? 何が起こった?

 その疑問が解消される前に、今度は天蓋がどんどんと遠ざかっていく。そして遠ざかる天蓋を呆然と眺めながら、桃谷は地面に落ちる前に意識を失った。

 

 

「……身の程知らずが」

 

 

 誰にも聞こえないほど小さく、祝は目の前に転がる桃谷の()()()()​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​吐き捨てた。

 遅れて鎧ごと両断された桃谷の上半身がリングに落下する。

 空中で上半身から噴水のように噴き出した鮮血はシャワーのように周囲へ撒き散らされ、リングを赤く彩る雨となる。それを頭から被った祝もまたその身を赤く染め、しかし微塵も笑みを絶やさない。それどころかむしろ深くなった笑みに含まれていたのが嘲りと痛快さであることを悟ったのは、それを間近で見た主審の黒乃だけだった。

 

「……おい、あれ……」

「し、死んでる……」

「マジで殺しやがった!」

「いくら《実像形態》だからって選抜戦であそこまで……」

「完全にオーバーキルじゃねぇか! 最初から殺す気だったぞ、あいつ!」

 

 圧倒的な力に客席が黙らされていたのはそう長い時間ではなかった。

 誰かが呆然と漏らした言葉が波紋し、俄かに会場が騒めく。

 誰もが知識として理解していた。選抜戦や七星剣武祭は《実像形態》で行われる実戦。当然ながら血は流れるし怪我もする。下手をすれば人だって死ぬ。最悪の場合、観客を巻き込んだ事故に発展する可能性もある危険な試合だということを彼らは理解していたはずだった。しかし《幻想形態》という刃引きの世界に慣れ親しんだ中学生までの世界を卒業したばかりの多くの人々にとって、人間の“死”が知識以上のリアリティを持つという現実を突き付けていた。

 

「《時間凍結(クロックロック)》」

 

 騒然とする会場に響く乾いた銃声。

 白銀の拳銃から撃ち放たれた弾丸は桃谷へと吸い込まれ、そして桃谷の時が停まる(・・・・・)

 銃弾の主は黒乃だった。

 

「事前に想定していた通りだ。担架急げッ、私の魔術が効いている間にカプセルへ運ぶんだ」

 

 《時間操作》――それが理事長である新宮寺黒乃の能力。

 彼女の能力はこのような試合の場における治療行為で重宝されており、今年度の七星剣武祭でもスタッフとして参加するよう要請を受けている。そんな彼女の能力と現代の医療技術にかかれば、脳が消し飛んでいようとも負傷から選手を救うことができる。

 黒乃の言う通り事前に想定していたのか、リングに担架を背負った医療スタッフが飛び込んできてから桃谷が退場するまでに1分とかからなかった。

 

『し、試合終了ォ! 何という怒涛の展開ィ! これはどういうことか、桃谷選手の鎧が全く機能することなく一撃で試合が終わってしまった! ハッキリ言って私ごときの目では何が起こったのかまるでわかりません! 折木先生、一体何が起こったのでしょうか? 桃谷選手が両断されたという結果しか私にはわかりませんでしたが、鎧の霊装ごと中の人間を叩き切ることなど可能なことなのでしょうか?』

『不可能とは言えないけど、私もこの目で見たのは初めてだよ。霊装は伐刀者の魂を魔力によって具現化したもの。魂っていうのは案外頑丈で、滅多なことでは傷一つ付かない。それを真正面からいとも簡単に叩き壊すなんて普通じゃないね。そして何よりも怖いのが、これがただの魔力放出による身体加速の延長でしかないってことだよ』

『ま、魔力放出ですか……!?』

 

 折木の解説に会場が騒めく。

 《魔力放出》とは、読んで字の如く体内から魔力を放出するという伐刀者にとっては基礎中の基礎にさらに基礎を付けても良いほど基本的なスキルだ。これを利用することで伐刀者は常人を超えた身体能力を発揮し、さらにこれを応用して衝撃の威力を減衰させる魔力防御という能力を持つ。これができない伐刀者は恐らくこの世に存在せず、魔力量が平均値よりも絶望的に低い一輝ですらできる能力なのだ。

 だが、だからこそ驚く。

 自分と同じ技術を使っているはずだというのに、同じことができる伐刀者がこの会場に何人存在するのか。圧倒的な魔力量を誇るステラのような人間ならば、あるいはその怪力によって可能かもしれない。しかしこうまで軽々と霊装を破壊されては、それを武装として扱う伐刀者にとって脅威でしかない。

 

(でも、本当に驚くべきところはそこじゃない)

 

 月夜見が白熱した実況を流す中、折木は目を細める。

 彼女が最も祝に対して驚異を抱いているのが、試合を通して“魔力を感じなかったこと”だ。

 試合の内容から鑑みて、祝が魔力を使用しなかったとは思えない。だというのに折木は最後まで祝の魔力を感知することができなかった。

 

(去年もそうだったけど、ますます『迷彩』に磨きがかかっている。流石というべきか、異常というべきか。相変わらず人間辞めてるなぁ)

 

 『迷彩』という技術を説明するためには、まず『魔力制御』という技術について説明しなければならない。もっとも難しく考える必要はなく、読んで字の如く伐刀者がどれだけ魔力を巧く扱えるかを示すステイタスだ。これに秀でている伐刀者は平均的な伐刀者と比べ、魔術を行使する際に使用する魔力量を少なく抑えることができるようになるのだ。

 そして『迷彩』とはこれの応用技術に当たる。使用する魔力を極限まで抑えられた魔術は、その発動を魔力の流動から感知することができなくなる。よって敵に魔力の行使が見破られなくなることから『迷彩』と呼ばれているのである。

 だが、霊装を叩き斬るほどの魔力放出を行いながらも魔力を隠蔽し切るレベルの『迷彩』など聞いたことがない。それほど少量の魔力でこれほどの効果を出すなど、燃費が良いどころの話ではないだろう。秀でた伐刀者は1の魔力で10や20の威力を持つ魔術を行使するというが、祝のしたことは0.1の魔力で100の威力を弾き出したようなものだ。

 

 まさに“非常識”。

 

 その理不尽さに人々は改めて思い知らされる。

 眼下で全身を赤く染めるあの少女こそ、七星剣武祭の頂に立つ七星剣王なのであると。全国の学生騎士たちを蹂躙し、踏み潰してきた覇王なのであると。

 戦慄する伐刀者たちを余所に、祝は観客と桃谷が去っていったゲートへと軽く一礼する。そしてそのまま踵を返すと同時に霊装を解くと、血の足跡を残して悠々と会場を去っていったのだった。

 

 

 

 




原作ではステラと試合をした桃谷くんに割を食って戴きました。桃谷ファンの方がいらっしゃったら申し訳ありません。


なお、原作を知らない人のための解説。
《鋼鉄の荒熊》とは原作の七星剣武祭でも登場した加我恋司という選手の二つ名です。本気で闘う時は霊装の『廻し』一丁となって戦う生粋の相撲レスラーで、身体を鋼鉄に変えて文字通り鋼の防御力を得る学生騎士。
なお、本人は大柄で厳ついものの気のいいおっちゃん風の青年です。


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撃たれる覚悟がある奴は別に撃っても良い(意訳)

書く感覚を忘れない内に次話を更新しておきます


「やってくれたな、貴様」

 

 先程、私の一回戦の試合が終わった。

 個人的には上手く大鎌をプッシュできた良い試合だったと思う。去年の七星剣武祭から貫いている『トドメは絶対に大鎌でカッコよく』という自分ルールも無事に達成できたし、相手の桃……桃太郎先輩? の大鎌への偏見も解くことができたはずだ。心無い言葉に少しカチンときたのは事実だが、ああして身体に大鎌の威力を教え込んであげれば流石の彼も大鎌を欠陥武器などという無知で愚かな呼び方をしなくなるだろう。あわよくば、大鎌の素晴らしさに感涙して転向を考えてくれるかもしれない。

 しかし次に同じことを囀ったのならば、仕方ないので今度は本気でぶち殺すしかあるまい。大鎌を欠陥武器と信じている奴は悉く絶滅させるべきだ。

 何はともあれ、今回の試合を個人的に評価するとすれば100点満点中で80点以上は堅いものだった。

 だというのに、だ。シャワって血を落としていざ帰宅、というタイミングで待ち構えていた新宮寺先生に盛大なため息をつかれてしまった。咥えている煙草から漏れる紫煙が目に染みる。

 

「……? 私、何かやりました?」

「ほう。貴様は自分が何をやらかしたのか自覚がないというのか? そうかそうか。どうやら余程死にたいらしいな」

「なんでっ!?」

 

 おおっと、先生なぜかお怒りモードですわ。

 ここで「おこなの?」と冗談めかして聞いたら迷わず額に風穴を開けられる程度には怒っていらっしゃる。

 

「お前が試合をするというだけで駆り出される私の身にもなれ。去年の七星剣武祭といい、どうしてお前は相手を即死させて勝たねば気が済まんのだ。おかげで私はお前の試合では必須の要員として今日も引っ張り出されたんだぞ」

「え? い、いやぁ、それは本当に申し訳ありません……」

 

 思い返せば、新宮寺先生との付き合いは一年近くになるのか。

 去年の七星剣武祭では、先生が育児休暇から上がって騎士として復帰し始めていた頃だった。その復帰業務の一環として七星剣武祭のスタッフの一人を務めていたのがこの人だった。

 一回戦から相手選手の脳天をカチ割ることで勝利を収めた私だったが、その際に『時間操作』という魔術で先生が相手選手を救助したのが最初の出会いである。その後の試合も全て私は相手を絶命させる形で勝利してゆき、その度に先生は活躍した。ある時は時間を停め、ある時は時間を巻き戻し、またある時は時間を加速させて救護室へとすっ飛んでいった。

 流石にお世話になりすぎたせいで先生には悪い意味で顔を覚えられてしまい、七星剣武祭が終わった後で個人的に小言を言われたほどだ。

 

「全く、お前が試合をするというだけで他の仕事を倍速で熟さねばならん。今日も念の為と審判を引き受けてみれば案の定だ」

「おかげで安心して試合ができました。ありがとうございますね、先生」

「戯け、私がいなくともお前は相手を殺していただろうが」

「ですから『安心して』と申しました。先生がいらっしゃらなければ安心せずに試合を終えていたでしょうから。今後も宜しくお願いしますね?」

「死ね。……さて、ここまでは個人としての言葉だ。しかしここからは教師としての説教だから心して聞くように」

 

 先生は咥えていた煙草を携帯灰皿に押し付けた。

 

「さっきの試合は明らかにやりすぎ(オーバーキル)だった。桃谷との実力差がわからないお前ではあるまい。なぜ殺す形で勝利を収めた? 去年は一スタッフとして口出ししなかったが、今の私は教師だ。だからこそ踏み込んだことを聞いている。七星剣武祭も含め、お前ならばもっと違う形で勝てたはずだろう?」

「そりゃ、可能か不可能かを論じるのならば可能ですけど……」

 

 オーバーキルだろうとトドメはトドメだ。《実像形態》の使用を許可された試合で相手を殺さないように労わる理由がわからない。試合に臨む際に「死ぬかもしれんぞ?」という警告と、それに同意するサインをしたはず。死ぬ可能性がある試合で相手を殺すことの何が悪いのか? 少なくともこうして咎められるかのようにため息をつかれる必要はないはずだ。

 「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけ」と昔のアニメと小説で見たが、個人的にこれは真理だと思う。つまり意味合い的に、お互いに撃たれる覚悟がある状況ならばこちらは積極的に眉間をぶち抜いて良いのだ。わざわざ手加減をして手足を撃つ必要性はない。だって私も撃たれて死ぬことは覚悟しているのだから。

 といった感じのことを先生にしたところ、またもやため息。

 

「倫理的な問題だ。さっきの試合はどう見ても両者の実力の差がハッキリとしていた。歴然とした実力差の前でお前が取った行動は、世間から見れば弱者を一方的に虐げているのと変わらん」

「それは横暴な意見ですよ~。決闘の場で老若男女も貴賤も強弱も関係ありません。そこにあるのは勝つか敗けるかという結果だけです。生死は所詮、勝敗に伴う付属品でしかありませんから」

「お前の意見もわからんではないが、そういう極限の領域で生きている奴は伐刀者の中でも少数派だということをわかれ。参加する学生騎士たちにとっては死力を尽くす命懸けの舞台であっても、それを見物する者たちにとってはスポーツ観戦みたいなものなんだ。むしろ世間的にはその意見が主流だろう。そういう連中にとって、お前のしたことは残酷に感じるということだ」

 

 「残酷じゃない闘いって何ですか。お遊戯ですか」と思わず笑ってしまった私は悪くないだろう。

 こちらは剣闘士のように奴隷の業務として見世物の試合をしているわけではないのだ。あくまで『闘いたいから闘っている』のであって、それを一般人や野次馬伐刀者が脇でやんややんやと騒いでいるに過ぎない。こちらはアリーナなどの閉じた環境でお見苦しいものを見せないよう配慮しているというのに、それをわざわざ見に来たその他大勢のギャラリーから勝ち方まで非難される覚えはない。嫌なら見なければ宜しい。テレビ中継ならチャンネル変えろ。

 これは大鎌の普及とは違った、今生で至った私個人の闘いへの姿勢だ。闘いとはあらゆる面で平等である。怪我をしているから、実力差があるから、性別が女だから、貴方は私に恩があるのだから手加減してくださいなどは勝負の舞台に上がった時点で通用しない。仮にもお互いが命を懸けて闘う場に立っておきながら、そのような巫山戯た言い訳が通用すると思うのだろうか。

 ⋯⋯ちなみにだが、前に路上で()り合った時は近所の皆様に多大なご迷惑をおかけしました。騒音、及びお目汚しをしてしまったことは本当に申し訳ありません。

 

「……ったく、このイカレが。そんな考えでは広まるものも広まらんぞ? 大鎌の普及がお前の最終目標なんだろう?」

「方針を曲げてまで世間様に広めるつもりはありません。大鎌ユーザーが増えることは喜ばしいです。しかし大鎌は持っていれば嬉しいコレクションではなく、武器です。私は武器としての大鎌を広めるためにこの破軍学園に来ました。それを曲げるつもりはありません」

 

 大鎌は便利な道具だ。草刈りとして利用するのなら、農家や酪農家の皆さんはどんどん利用するといいだろう。コツさえ掴めばジャンジャン草を刈れる。

 しかし私が目指すのは、武器として大鎌が世間に認知されることなのだ。

 鎌なら何でも良いというのならば戦鎌(ウォーサイス)や鎖鎌を使うという選択肢もある。しかし私が生まれ変わってまで憧れたのは、アニメや漫画に登場するあの(・・)大鎌だ。私が人々に広めたいのは、嘗て前世で私が大鎌に感じた憧憬と可能性だ。だというのに使いにくいから、実戦的ではないから、世間からの受けが悪いからと理由を付けて本来の形から遠ざかることは一人の大鎌ファンとして到底できることではなかった。

 

「……頑固な奴だ」

 

 全てを聞き終えた先生は呆れたように目元を押さえ、そして新たな煙草を取り出した。

 どうでも良いことだが、彼女が喫煙を再開するようになったのは騎士として職場復帰を果たすようになってかららしい。今でも家では禁煙しているとのことだが、それまでは出産と育児に悪影響しか与えないからと禁煙生活を強いていたのだとか。

 もしもこの喫煙が私へのストレスが原因で再開されてしまったのだとしたら。そう考えると少し申し訳なくなってくる。そんなことを考えていると、「だが、お前の言い分もわかった」と先生が煙を吐き出す。

 

「そこまで考えた末の行為ならば私はもう止めん。お前がウチの生徒である限り、私も応援してやる。まぁ、やるだけやってみろ」

「はい、やるだけやってみます。とりあえずの目標は七星剣武祭の三連覇ですね。そうすれば必ず大鎌の武器としての性能に気が付く人が出てくるはずですから」

「その前にお前は素行を改めろ。正当な評価というものは、得てして普段の行いすらもその評価の内に入れられてしまうものだ。特に去年のような余所への襲撃などは絶対に控えろよ?」

「七星剣武祭への出場方法が選抜戦になったので、去年のような強硬手段はもう取りませんよ」

「どうだかな。去年を含め、お前は私の忠告を聞いたことなど一度もないだろう。そもそもお前が他人の言うことをホイホイと聞くようには思えん。そんなことだから友人の一人もいないんだ」

 

 うっ、友達がいないのは知っていたんですね……。

 お恥ずかしい限りです。

 

「……別に友達がいなくても今のところは不便はありませんから。いたならばいたで便利でしょうし他人の目も和らぐのでしょうけど、私としては積極的に欲しいわけではないかな〜、と。ほら、友達なんて煙草やお酒のようなものですよ。あれば嬉しい、しかしなくとも困らない。所詮は嗜好品です」

「本当に寂しい奴だなお前は」

 

 失敬な。むしろ私は前世の記憶を思い出したことで悟ったのだ。

 前世でも私は友達が数人程度(しかも滅多に連絡を取らない)しかいなかったし、ましてや親友などという部類の人間は一人もいなかったが、生活していく上で不便さを感じたことはなかった。偶に趣味の話や思い出話で和むことはあったが、生活の中で必須と言える存在だったかと言われると果てしなく微妙だ。むしろ首を傾げる程度の存在感しかなかった。

 結論。他人はどうか知らないが、私は本質的に他人との触れ合いの燃費が非常に効率的な人間である。孤独は確かに辛いが、知り合いレベルの人間さえいればそれで良い。

 

 ……まぁ、友達の人生における必要性について今は置いておくとしてもだ。

 

 ぶっちゃけ、去年の行いのせいで私の校内での評判は頗る悪い。

 去年は同級生も上級生も区別なく強そうな奴に喧嘩を吹っかけまくっていたため、私は札付きの不良として校内では認識されているのだ。

 それは七星剣武祭に出場するための前理事長へのアピールが目的だったので、そのこと自体に私は後悔など全く感じていない。しかしそれが周囲からしてみれば迷惑千万であったことは百も承知なので、それを棚に上げて馴れ馴れしく話しかけられるほど私は空気が読めないつもりもなかった。

 よって私は友達がいない。少ないのではなく本当にいない。

 「え、何だって?」と難聴を気取って友達を作らないのではなく、ガチで誰も近寄ってこないタイプだ。

 一応顔見知りがいないこともないが、あくまで知り合い以上友人未満という範疇に収まってしまうだろう。だって用がなければ会っても会釈くらいしかしないもの。

 だが、一つだけ。これだけは言わせてほしい。

 

 

 私のことは嫌いになってもッ、大鎌のことは嫌いにならないでください!

 

 

「……はぁ。あのな、お前が七星剣王になった後、普通に不良として評判最悪だったお前のために前理事長がどれだけ裏工作をして回ったと思っている? 友達ゼロで乱闘多数な社会不適合者が七星剣王となってしまったなど、常識的に考えれば学園の恥だ。しかし奴は恥部が全国公開されるリスクを代償に七星剣王という巨大なリターンを取った」

「私はもはや恥部扱いですかい」

「しかし前理事長も甘んじて恥部を公開したわけではない。マスコミ関連に手を回し、お前の学園での実態を隠蔽していたんだ。不要な情報が世間に流出しないように……これは他言無用だが、騎士連盟の日本支部もそれに手を貸していたらしい」

「マジですか」

 

 汚いなさすが理事長汚い。

 黒鉄の留年のことといい、学校の理事長ってそんなに真っ黒な職業なわけ? それとも前理事長が狸だっただけ?

 もし前者だとしたらショックだわ。そんな汚いことを知っちゃったあたしは世界一不幸な美少女だわ。「大きくなったら先生になりたい!」とか言う純真無垢な夢を持つ子供に思わず「その先は地獄だぞ」と囁いてあげたくなってしまう。

 

「知らぬは本人のみとはな。おかげで去年の破軍学園は要らぬ借りを騎士連盟に作ってしまった。まぁ、その件は黒鉄への差別待遇によって相殺となったがな」

「黒鉄? へぇ~、黒鉄が陰謀で留年していたのは有名な噂でしたけど、そんな裏があったんですね」

 

 真面目に知らなかった。

 当時の理事長と騎士連盟が裏で繋がっていたのは原作でも言われていたことだが、まさか黒鉄の留年が私の情報規制と繋がっていたとは。

 学園側の事情なので私には関係のないことだけど。

 

「そしてお前の悪評を取り消そうと理事会と騎士連盟が知恵を絞って考え出した作戦が『悲劇のヒロイン作戦』だ」

「何てッ?」

 

 聞き捨てならないことを聞いてしまった気がする。

 何だ? 今、背筋がぞわっとしたぞ。

 

「マスコミに圧力をかけ、奴らは徹底的な情報操作を行った。設定のコンセプトは『大鎌という欠陥武器で健気に上を目指すシンデレラストーリー』らしい」

「はぁぁぁあああああッ!?」

 

 なんじゃそりゃああああああッッッ!?

 初めて聞くどころか想定の斜め上の爆弾発言なんですけど。あの頭の悪い世論は全て政府の陰謀だった!?

 

「おかしいと思ったんですよ! 世間で大鎌を認める流れが全く起こらないなんて絶対にあり得ないはずだって!」

「いや、それはそんなにおかしいことか?」

「これほどの屈辱は久しぶりですよ……ッ! ちょっと当時の関係者の住所と職場調べて一族郎党皆殺しにしてきます!」

「やめろやめろ」

「先生どいて! あいつら殺せない!」

 

 ぶっ殺してやる! 絶対にぶっ殺してやるぞ! 末代まで祟ってやる! 死んでもお前たちを赦さないからな! 絶対にぶっ殺してやるからなァ!!

 

 

 

 

 

 なお、風の噂によると私の試合で話題になったのは、大鎌のすばらしさではなく私が霊装をぶっ壊したということと『迷彩』がヤバいということ、それと私が悪逆非道の冷血人間だということだけだった。そんなこと心底どうでも良いので大鎌のビジュアルや性能を語ってほしいところだが、まだまだ人々が大鎌に目覚めるには早かったようだ。

 私は悲しい……。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 三日目の試合が終わると、会場に留まっていた生徒たちは三々五々に散っていった。その生徒たちの中には一輝を含む四人グループも含まれており、寮が別々の珠雫と有栖院らと別れた一輝はルームメイトのステラを伴い部屋へと戻っている。

 そして部屋に戻るなり一輝が行ったことは、本日最も“荒れた”と言うべき祝の試合の映像を確認し直すことだった。

 一輝が電子生徒手帳を起動させると、そこにはクラスメイトである新聞部の女子生徒・日下部加々美から送られてきた動画データがメールに添付されて送られてきている。試合の前、一輝が彼女に頼んでいたものだ。「後でお礼をしないとな」と考えながら、一輝は待ちきれないとばかりに動画を再生させた。

 

「イッキ、何を観ているの? ……って、これってさっきのハフリさんの試合よね?」

「うん、記憶が新しい内にもう一度見直しておこうと思って。鉄は熱い内に打てってね」

 

 とはいうものの、試合の記憶はさっきの今で変わるものではない。しかも祝の試合は開始から1分と経たずに終わってしまったのだ。しかも特別な能力や技術を見せることすらしなかった彼女の試合を、こうまで熱心に見直す意味がステラにはよくわからなかった。

 そんなことを考えている間に動画は終わってしまい、一輝の後ろから画面を覗き込んでいたステラは形の良い眉を顰める。

 

「……これ、わざわざ見直すほどの試合かしら? あの人の『迷彩』が凄かったのは試合を観戦していたからこそわかった情報だけど、この動画からだとそれもわからないじゃない」

 

 ステラの疑問はもっともだった。どう贔屓目に見ても見応えのある試合とは言えない。

 動画もステラたちが座っていた席とは違う視点であるというだけで、それ以外は特に違いの見えない内容だった。唯一の違いと言えば、この動画は祝の姿を拡大して撮影されているということだろう。望遠のための機材を使っているのか、ハンディカメラにしては画像が綺麗だ。

 しかし一輝の目にはステラとは違うものが映っているのか、「そんなことないよ」と再び動画を最初から再生させている。

 

「こうやってアップで撮ってもらったのは僕が頼んだからなんだ。疼木さんの試合が長引かないことはわかっていたから、せめて表情や仕草なんかの癖が見つかればと思ってね」

 

 「例えば……ここっ」と一輝が動画を停止させる。

 そのシーンは、ちょうど祝が対戦相手の桃谷選手の胴を両断したところだった。桃谷の巨体の陰に隠れていた祝が、桃谷の上半身がなくなったことによる返り血に顔を濡らして顔を出す。

 そこを一輝は僅かに巻き戻し、スロー再生させてみせる。

 

「口元を見てみて。ほら、何か口走っている」

「……本当だわ。何て言っているのかしら?」

「う~ん、ちょっと待って………………たぶんだけど、身の程知らずが、って言っているように見える」

 

 目を細めて画面を凝視した一輝は、三度ほど同じ場面を再生し直すことで祝の唇を読み取った。

 その内容を聞き、ステラは驚きを見せた。

 

「あのハフリさんが? 私と会った時はそんなことを言う人には見えなかったけど」

 

 まだ一度会っただけの関係しかない祝とステラだが、倒れていた自分を心配してくれたあの少女がそのようなことを口走るとは。

 つまり彼女は、無謀にも七星剣王に挑みかかってきた相手選手を陰で侮辱していたということだろうか。他人の試合とはいえ、それはステラとしても気分の良いことではない。確かに桃谷は祝に対して挑発染みた言葉を投げかけていたが、試合自体は正々堂々としたものだった。そんな相手を侮辱するなど、騎士としては些か非礼と言わざるを得ないだろう。

 しかし憤慨するステラと違い、一輝は別の分析をしていた。

 

「たぶん、これは別の理由から来た言葉だ」

 

 一輝はこれまでの祝の試合のデータを記憶から引っ張り出す。

 去年の自分の試合はもちろん、七星剣武祭を始めとした公式試合。そして今日の試合まで全てのデータを分析し、とある一つの共通点を見出していた。

 それは……

 

「疼木さんの試合を並べてみて気付かされるのが、彼女は対戦相手にトドメを刺す際には必ず霊装《三日月》を使っているということなんだ」

「……そうなの? でも、そんなの武装型の霊装を持っている伐刀者なら当然なんじゃない? 良く知らないけど、ハフリさんは直接相手を害せる能力を持たない伐刀者だって聞くし」

「確かにそれもあるかもしれない。でも去年の公式試合の中では、明らかに試合運びとして不自然な状況でも大鎌を決め手として用いていたように僕は感じたんだ」

 

 世間の認識では、彼女は『大鎌という欠陥武器(ハンデ)を乗り越えた努力家』となっている。

 しかし去年の祝との試合で一輝は彼女に対して全く逆の感想を抱いていた。よってその試合の後で七星剣武祭が行われた時など、そのことを報道していたニュースに何度も首を傾げていたものだ。自分が感じた彼女の武への信念と愛は錯覚などではなかった。だというのに世間のこの評価は何なのかと。

 だが、このようにデータとして並べてみると改めて自分の直感が現実味を帯びてくる。

 

「彼女は大鎌を忌諱なんてしていない。彼女は大鎌という武器にハンデなんて感じていないんだ。それどころか、彼女には大鎌を周囲に見せつけているような節すらある」

 

 全ての試合を無理にでも大鎌でトドメを刺すのは、その意思表示だ。

 我を見よ、我が武を見よ、我が大鎌を見よ——そう言っているように一輝には思えてならない。

 そしてその分析に拍車をかけたのが今日の試合だ。同じく大鎌で試合を決した祝は、しかし「身の程知らずが」と対戦相手を罵った。この罵倒が、もしも身の程を弁えず七星剣王に挑みかかってきたことに対するものではなかったとしたらどうだろうか。

 

 

『去年のお前の試合は全て知っている。確かにお前は武術の達人だが、恐らく去年の七星剣武祭のどこかで《鋼鉄の荒熊(パンツァーグリズリー)》とぶつかっていれば優勝はあり得なかった! 物理攻撃に縛られている以上、お前の欠陥武器(・・・・)の刃が俺の《ゴリアテ》を突破することはできねぇ!』

 

 

 もしも、『大鎌を欠陥武器と挑発したことへの罵倒』だとしたら。桃谷だけでなく、大鎌を軽く見た者たちに対する憤りだとしたら。

 もちろんこれらの分析は未だ一輝の想像の域を出ない。しかしこう考えれば一輝の今までの全ての疑問が一つの答えへと繋がる。

 

「疼木さんは大鎌という霊装に対し、僕たちが想像している以上の信頼と誇りを持っているのかもしれない。もしそうだとすれば、彼女の弱点が大鎌という武装にあると考えるのは大きな間違いだ」

 

 大鎌なのに(・・・)強いのではない。

 大鎌()強い。

 多くの人が使いにくいと言う武器を「使いやすい」と感じる異端の才覚。変則的な大鎌という武器に特化した伐刀者。それが疼木祝の正体なのかもしれない。

 だとすれば王道の武装こそ最強という固定観念は捨ててかかるべきだ。そう考えて試合に臨まなければ祝の動きに対応できず、一方的に刈り取られることになるだろう。

 去年の自分はまさにそうだった、と一輝は回顧する。予想外の祝の動きに一輝は面食らい、試合の前半はそれに付いていくことで精一杯だった。自身の知る槍術や棒術とは常識の違う大鎌の武術に翻弄され、それを捌くことに死力を尽くしていたと言っても過言ではない。

 

「なるほど。弱点どころか、むしろ彼女が得意としているのは大鎌の間合い。七星剣王を相手に使いにくい武器だからって侮るつもりはないけど、警戒のレベルを引き上げてかかる必要があるかもしれないわね」

 

 ステラは感心していた。

 彼女は元々、試合の対戦相手を分析するタイプではない。試合とは実戦のための訓練の一部であり、実戦で事前に敵の情報がある方が珍しいのが現実だと考えているためだ。

 しかし仮に彼女が分析をするタイプだったとしても、一輝ほど相手から事前に情報を読み取れるかどうか。彼が祝に対して一際熱心に情報を収集していることはステラも理解させられたが、それでも同じ情報量でここまで思考を巡らせることはできなかっただろう。

 一輝へと尊敬の念を向けるステラに対し、しかし一方の一輝は難しい表情を保ったままだった。

 確かに一輝は彼女を構成する一部を暴き出せたのかもしれない。しかし問題はここからだ。この分析は所詮糸口に過ぎない。ここからどうやって彼女を攻略していくかを考えるのが一輝にとっての分析だった。 

 

『不細工な伐刀絶技(ノウブルアーツ)ですね、それ』

 

 脳裏に蘇るのは、初めて彼女に《一刀修羅》という切り札を切った一輝への祝の言葉。

 魔力放出や霊装の顕現と違い、己の固有能力を用いた魔術を『伐刀絶技』と呼ぶ。つまり《身体能力倍加》という能力を応用した《一刀修羅》こそ、一輝の唯一にして最強の伐刀絶技ということになる。それを祝は開口一番で『不細工』と評価したのだ。

 一輝は最初、安い挑発か《一刀修羅》を小細工と見下す浅慮から来る侮辱かと思った。

 

『身体中から余分な魔力が溢れ出しているじゃないですか。魔力にロスがありすぎて美しくありません。そんなことだからその程度(・・・・)の出力しかないんですよ、その伐刀絶技は』

 

 しかしそれは違った。

 祝は一輝の魔力制御の技術を見て不細工と称していた。一輝が《一刀修羅》を使用すると、死力を振り絞って引き出した魔力が視認できるほどの強さで体外において迸る。ステラすらも初見では慄いたその現象を、祝は一目見るなり本質を見抜いていたのだ。

 その上で臆するでもなく油断するでもなく、淡々と彼女は《一刀修羅》を計っていた。

 

『確かに黒鉄は武術の達人ですね。己の身体を相当にコントロールできなければその伐刀絶技は使えなかったでしょう。しかし魔術の技量はそんなものなんですか?』

 

 思えば、一輝は己の非才さに甘えていたのかもしれなかった。

 自分には魔力が少ないのだから、武術を極めて騎士の頂を目指すしかないのだと。

 しかし祝に言われて初めて気づいた。《一刀修羅》にはまだまだ改善できるところがある。自分がもっと強くなるための余地は、こんなところに眠っていたのだ。確かに自分は武術に特化した伐刀者だが、《一刀修羅》も所詮は魔術。だが自分は、知らず知らずの内にそれを疎かにしていたのではないだろうか。

 

『うん。想像以上には強かったですよ、黒鉄』

 

 まだ、足りない。彼女の想像を超える程度ではまるで足りない。超えたいのは彼女の想像でも期待でもない。実力だ。

 そして彼女という存在を乗り越えない限り、この身の内に巣食う修羅道への憧憬からも抜け出せないのだ。

 今日もそうだった。今日の試合も実際に観に行くまで葛藤が渦巻いていた。ステラたちがいる手前のため何でもないように振る舞っていたが、内心では今日こそ彼女の生き様に引きずり込まれてしまうのではないかと恐怖していた。

 幸いにも試合は一輝が何かを感じ取る前に終わってしまい、一輝の心配は杞憂で済んだ。

 しかし今後も試合が進み、激戦になってゆくにつれて祝はその本性を剥き出しにしてゆくだろう。闘争への歓喜と楽しみを隠すこともなくなるだろう。今日のような本気を出す(たのしむ)までもない相手ならば、普段の穏やかな様子のままで試合を行えるほどの相手ならば問題はない。

 しかしもしも祝がステラのような強者と闘ったとしたなら、自分は正気でいられるのだろうか。

 

「……はぁ、まだまだ修行不足だな」

 

 考えれば考えるほど思い知らされるのが、己がどれほど修行不足であるかだった。

 人間である以上、雑念を消し去ることはできない。しかしそれに怯え、己の剣を鈍らせるのは修行不足以外の何物でもないだろう。

 実際に試合をしている時は流石にその手の雑念を忘れているが、日常生活などではふとした拍子に心の中の祝の影を感じ取ってしまう。龍馬に託された信念に纏わりつくように、彼女の血塗れの“美しい姿”が横切る。

まるでその祝は、“あちら側”へと手招きをしているようで……

 

(やめよう。今日はもう何も考えない方がいい)

 

 かの偉人ニーチェはこう言った。

 『君が深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ』と。

 疼木祝という少女を知れば知るほど一輝が彼女への憧憬に引きずり込まれる危険も増してゆく。今はまだ闘いを知ろうとしているだけだが、一輝の《完全掌握》は祝という人間すらも知らなければ完成しない。しかし彼女の人格を知りすぎるあまり、自身の憧憬が完全に共感へ変わってしまった時こそが一輝が龍馬の信念を捨て去ってしまう時なのだろう。

 実に厄介な少女を相手にしてしまったものだと、一輝は改めて理解した。しかし、だからこそ越え甲斐もあるというもの。

 

(君を超えて、僕は必ず七星の頂に立って見せるッ)

 

 七星の頂は、未だ高い。

 

 

 

 



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雷(いかづち)よ! かみなりじゃないわ!

感想を返しきれなくてスミマセン⋯⋯!
寄せられた感想には全て目を通しておりますので、これからも感想や誤字脱字のご報告をお待ちしております。


 破軍学園の七星剣武祭代表選抜戦が始まってもう一ヶ月が過ぎた。

 代表選抜戦も後半へと突入しており、今現在で無敗を誇る生徒の内の六人が七星剣武祭へと参加する資格を得ることとなるのがほぼ確定しているのが現状だ。選抜戦は最終的な戦績が高い生徒を順に採用してゆく方式を取っているのだが、このペースならば最後まで無敗を維持する生徒が出てくるだろうということは想像に難くないためだ。

 その中の候補の一人には、光栄なことに私の名前もある。しかし私の予想ではこの辺りの時期で「おい、大鎌って実はスゲェ武器なんじゃねぇか……?」と噂されているはずだったのだが、現実は私が考えていたほど芳しいものとは言い難かった。

 突然だが、選抜戦はスケジュールと選手への配慮の面から三日に一度ほどのペースを保っている。今の時期ならば勝ち進んだ選手は十回以上の試合を終えているのが通常の進行なのだ。

 

 だというのに、私はまだ二回しか試合をしていないのはどうしてなのだろう……。

 

 理由としては単純だ。

 第一試合で相手選手を鎧の霊装ごと両断したという事実に、殆どの対戦相手が恐れをなしてしまったのである。これにより次回以降の私の試合は棄権者が続出し、次のまともな試合は第五試合となってしまった。よって私は張り切って試合に臨み、大鎌を目立たせるために三年生のCランク選手を開幕数秒で、防御に回された腕ごと股から頭へ一撃で叩き斬るという派手な勝利を観客に見せつけた。

 

 以降、今日に至るまで私が試合をすることはなくなった。

 

 想像以上に破軍学園の生徒には骨のない生徒ばかりだったらしい。七星剣武祭に挑もうというのに七星剣王に恐れをなすとは、君たちは一体何を思ってこの大会に参加したんだ? むしろ早々に障害物を排除できてラッキーと思えるくらいでないと駄目だと私は思う。試合には新宮寺先生が顔を出しているのだから、死ぬほど痛いだけで死ぬことはないわけだし。

 そして本日。またしても私は第十二試合を迎える前に相手選手の棄権を知らせるメールを受け取ったことで、午後は完全に暇な時間となってしまったのだった。

 

「……試合がしたい」

 

 本日の授業が終了し、昼食を終えると私は修行以外にすることがなくなっていた。

 今日は魔力制御の訓練を行っているため、ジャージではなく制服のままだ。この修行は特殊な粘土に能力を付与していない素の魔力を流し込むことで手を使わずに形状を変えるという、魔力制御の訓練としては非常にメジャーなものである。

 これがやってみると意外と面白い。脳内でイメージした形状にするには一定以上の制御能力を必要とするが、慣れてしまえばより細部をイメージ通りにする方向へと凝っていく。

 しかしそれもある程度慣れてくると、私は新たな刺激に飢えていった。そして今の私が訓練をより面白く難しくという方向に拘り、最終的に辿り着いたのが……

 

「フォビドゥンガンダム!」

 

 私が座るベンチの上に1/144スケールのモビルスーツが鎮座していた。

 しかも私は粘土に一切手を触れておらず、傍から見ればベンチの上に転がっていた粘土が唐突に形状を変えたようにしか見えないはずである。

 

 これぞ私が修行の末に生み出した奥義『遠隔フィギュア製作』である!!

 

 理論は簡単。粘土に向けて魔力の糸を伸ばし、それに魔力を伝導させることで遠隔的に粘土を変形させたのだ。

 魔力の糸は、魔力を同じ量で同じ形状に維持し続けなければ作り出せない。そしてそれを構築しながら粘土の訓練も同時に行うと、実はかなりの集中力が必要な訓練に化けるのだ。

 そして訓練と並行しながら好きなフィギュアまで作れてしまうとは、まさに一石二鳥の訓練と言わざるを得ないだろう。努力なんて楽しんで何ぼである。

 

「う~ん、85点かな」

 

 強度は粘土だから脆いが、我ながら結構な再現度だと思う。バックパックもニーズヘグも見た感じ違和感はない。これで着色までできれば最高なのだが、訓練にそこまでの手間はかけられないのが残念である。

 ちなみにこの工程と動作を顔出しせずに動画サイトに上げてみたところ、再生数が万を超える結果となったのは予想外だった。

 今度はデスサイズヘルカスタムでも作ってみようかな? いや、奇を衒ってモビルアーマーとかでも……

 

「…………私、何をしているんだろう」

 

 何だか唐突に虚しくなった。

 いや、普段通りであることに違いはない。修行は楽しいし、こういう地道な努力が将来的に実力へと結びつくことは疑いようのない事実だ。そのことに喜びを感じてもいる。

 しかし周囲の生徒がワイワイと興奮しながら試合を観に行く光景を見ると複雑な心境だ。自分も選抜戦の選手だというのに、ここ数週間はまともに試合に参加していないってどういうことよ。修行時間が増えることが嬉しい反面、大鎌の活躍の場が奪われているという事実に私は悲しくなった。

 

「それに引き換え」

 

 思わず嘆息する。

 私が活躍の場を奪われている一方で、原作の主人公である黒鉄は学外で貪狼学園の《剣士殺し(ソードイーター)》こと三年生の倉敷蔵人と一戦交えていたというではないか。通常、学生騎士が学外で霊装を用いて乱闘など起こそうものならば最低でも停学、最悪の場合は逮捕の後に退学となってもおかしくはない。よって正式な道場の中で道場主の合意の下に、という条件で正式な決闘を行ったのだとか。この場合は内部で乱闘となっても“試合”で済まされるため、例外的にこの決闘は認められていた。

 

 私? 私は基本的に校内で()るか、事後承諾(・・・・)であっても試合という形式で相手と闘っているので問題ない。

 

 何はともあれ、倉敷さんと黒鉄の闘いは校内新聞で既に全校生徒の知るところとなった。よってますます彼の知名度を引き上げることとなっており、他校の生徒に襲撃をかけないよう先生から釘を刺されている私としては羨ましい限りである。

 元はといえば倉敷さんが黒鉄に喧嘩を吹っかけたのが事の発端らしいが、そんなことなら自分にいくらでも喧嘩を売れば良いものを。わざわざ道場という正式な場まで用意して大鎌を使えるのなら、言い値の百倍で買わせてもらうのにね。

 

「やあやあ、疼木ちゃん。相変わらず修行しているみたいだね~」

 

 私が呼び止められたのは、まさに魔力制御の訓練を再開しようというタイミングだった。

 その珍しい呼び方、そして独特な気配の現し方(・・・・・・・・・)をしてくる者に心当たりがあった私は、振り返るまでもなく声をかけてきた人物が誰なのかを悟る。

 

「御祓さんですか? お久しぶりです」

「うん、久しぶり。ここのところ顔を合わせる機会がなかったけれど、元気にしていたかい? まあ、試合の経過を聞いている限りは元気が有り余っているみたいだけど」

 

 先程まで誰もいなかったはずの場所に、忽然と小柄な少年が姿を現していた。

 私のことを見上げるようにしてヘラリと笑った彼は、名を御祓泡沫(みそぎうたかた)という。私よりもチビだがこれでも上級生で、しかも生徒会の副会長まで務めている学園の有名人である。それと同時に、彼はその能力の稀少性からも生徒の間では知られている。

 伐刀者の能力は大まかに分けて数種類ある。身体能力を強化する『身体強化系』、炎や水や風といった自然現象を操る『自然干渉系』、自然現象を超越した独自の概念を世界に引き起こす『概念干渉系』などだ。

 

 その中でも特に稀少であり、同時に最強と定義されているのが『因果干渉系』に分類される能力である。

 

 この能力は分類名からもわかる通り“因果”に対して効果を発揮するため、理論的に同じ因果干渉系の能力でなければ防ぐことも躱すこともできないという反則的な能力なのだ。

 この先輩もその系統の能力を持つ数少ない伐刀者の一人で、《絶対的不確定(ブラックボックス)》と呼ばれる伐刀絶技を持っている。この能力がまた便利で、『成功と失敗という両方の可能性がある現象を後からどちらにでも書き換えられる』というものだ。わかりやすく説明するのなら、デュエル中に引きたいカードがデッキにあれば、例え違うカードを引いてしまっても欲しかったカードに書き換えられる能力だと思えばいい。ソリティアし放題な能力である。

 

「こんなところで奇遇……なんですかね? あなたの能力はその辺が曖昧になるので判別しにくいです。ひょっとして私に会いに来ていたり?」

「あはは☆ 流石は現役の七星剣王、察しが良いね! その通りだよ、ボクは君を探してここに来たんだ。『君を探しに行く』という過程から『君に出会う』という結果が成功するようにボクの能力で因果を書き換えた(・・・・・)。おかげで一発でボクは君に辿り着いたってわけさ」

「はぁ、そうなんですか」

 

 相変わらず言い回しが七面倒臭い能力である。某アイドルの熊本弁に匹敵するわかりにくさだ。

 しかし因果干渉系の能力は大抵がこんな感じで説明することになってしまうため、彼も悪気があってやっているわけではないのだろう。むしろ一部の厨二病を患っている人々には大受けするのではないだろうか?

 

「それで、何か御用ですか? これでも訓練中なので世間話は……」

「いやいや、別にボクは君と楽しく談笑するために足を運んだわけじゃない。ただ、刀華が君のことを呼んでいるんだ。だからボクはそのお迎えってわけ」

 

 「人探しは得意だからね」と笑う御祓さん。

 だと思ったよ。

 この人とは顔見知り程度の関係ではあるが、仲が良いかと聞かれると首を傾げる程度の関係しかない。そんな彼が私を訪ねてくる理由を考えた場合、彼が口にした女性の名前が出てくることは必然だった。

 

「東堂さんが私に? 今年は小言を貰うようなことはしていないと思いますけど」

 

 東堂刀華。

 それが御祓さんを私に遣わした女性の名前だ。そして生徒会の副会長を顎で使える立場、即ちこの学園の生徒会長でもある。

 彼女が私にとってどのような存在かと問われれば、ルパンにとっての銭形警部のようなものと言えばその関係がわかるだろうか。あるいは怪人二十面相にとっての明智小五郎か。

 去年の私が学園の内外でカチコミを行っていたのは有名な話だが、実は去年の時点で生徒会の役員を務めていた東堂さんはその裏で私を抑え込もうと様々な策を巡らせていたのだ。その大半は実力行使という形になってしまい、結果的に私はあらゆる場所で彼女を始めとした当時の生徒会役員たちに追い掛け回されることとなった。霊装の使用が許可されていた校内では特にそれが顕著で、彼女の必殺技である電磁抜刀術《雷切》が爆音を奏でない日の方が珍しかったくらいである。

 

 しかし、思い返すとあの日常がもう一年前のことなのか。光陰矢の如しとはよく言ったものだよ。

 前世で嫌というほど実感していたはずだというのに時間が過ぎるのは本当にあっという間で、一年前のことすら微かな懐かしさを感じてしまう。

 

 当時から頭角を現してきていた彼女は、生徒会の中でも特に率先して私のカチコミを妨害していた。他の生徒と喧嘩をしていたところに、よく電撃の弾幕をぶちかまして横槍を入れてきたものだ。そこから喧嘩の相手そっちのけで割とガチな戦闘になることも少なくはなく、教師の制止すらも振り切って彼女と数えきれないほど激突した。

 まぁ、東堂さんは幻想形態しか使わなかったため、私も基本的に実像形態で闘うことはなかったのだが。だって相手がこっちに気を遣っているのに、私だけ殺意全開にするのはフェアじゃないし? 一方的に重症負わせるなり殺すなりしても大鎌の心象悪くなりそうだし?

 東堂さんも私の大鎌愛を知っているので、あえて実像形態にしてことを荒立てることはしなかった。あるいはこれも彼女の小賢しい策略だったのかもしれないが、私のポリシーである以上はその策略に乗らざるを得ない。

 しかし幻想形態であっても斬ったり斬られたり抉ったり焼かれたりしてばかりだったあの日常はとても楽しかった。今年になって私が大人しくなったため学園には平和が戻ったが、私は去年の破軍学園の方が好きだったくらいだ。

 

 そんな感じの関係であるため、時が経ち生徒会長となった彼女からは廊下ですれ違ったりする度に小言を言われている。

 よって今日もそういう関係の話だと考えていたのだが……

 

「いや、今日は別件だね。どうも君の腕を見込んで頼みがあるらしい。新宮寺理事長からの推薦でもある」

 

 うへぇ、あの人も一枚噛んでいるのか。

 あの人には試合でお世話になっている身だ。これは迂闊に断れなくなったぞ。

 

「……新宮寺先生の後押しがあるとはいえ、あの人が私にものを頼むなんて珍しいですね。一体どういう風の吹き回しですか?」

「あはは☆ 確かに刀華は君のことを問題児だって頭を抱えてはいるけど、その実力に関しては誰よりも認めているんだよ。去年は何度も刃を交えた仲だし、さらに言うなら“招集”で背中を任せた経験もある。そんな疼木ちゃんだからこそ、刀華は頼ってきたんだと思うな」

 

 “招集”とは、学生騎士に出される特別招集のことを指す。

 これは学生騎士を事件の現場に投入するための制度で、学園が誇る高位の伐刀者に実戦の経験を積ませることに利用されている。学生騎士は騎士学校を卒業後、予備兵やその能力を活かした職場に就くことが多い。そのため、見込みがある生徒には積極的に経験を積ませることが国から推奨されているのだ。

 例えば原作の一巻――今年の四月に黒鉄たちが巻き込まれたテロリストの立て籠もり事件も招集案件だ。その際は現場に居合わせた彼らが解決してしまったため私や東堂さんは招集されなかったが、電子生徒手帳には『待機』の命令が通達されていた。もう少し黒鉄たちが動くのが遅れていれば、私や東堂さんが現場に突入することになっていただろう。

 そういうわけで私たちはこの招集で共に現場へ赴くことが多かったため、自然とお互いの実力を計る機会に恵まれているのである。

 

「ちなみにですけど、それはどういった内容で?」

「詳しい話は刀華が話すけど……実は今、学園が保有する合宿所で不審な影が目撃されていてね。その調査の助っ人を君にお願いしたいって話なのさ」

 

 ……おや?

 何だか聞き覚えのある単語がいくつか出てきたぞ?

 これはまさか……

 

「……合宿所ですか。それって破軍(ウチ)が持っている、あの奥多摩の?」

「そうそう。君も去年、七星剣武祭の代表に選ばれた時にそこで合宿しただろう? あそこだよ。君ならば地の利もあるし、何より不審者なんて七星剣王ほどの実力者なら楽勝だろ? だから君がいれば百人力ってわけだよ」

「……へ、へぇ……そうなんですか……」

「オマケに刀華が他にも助っ人を連れてきてくれてね。君も知っているだろう? あの《落第騎士(ワーストワン)》と《紅蓮の皇女》だ。一年生の二枚看板に加えて、七星剣王の君が来てくれればボクとしても安心――」

「………………」

 

 ……これはアレだな。

 とうとう数多の転生者が夢見る例のアレをする時が来てしまったということだな。

 奥多摩の合宿所、原作主人公とそのヒロイン――それらの情報を聞いた瞬間、私は原作小説で言うところの三巻の半ばで舞台となる場面だということを悟った。

 これが示すのは、即ち……

 

 

 げ、原作介入だぁぁぁぁあああああああッ!?

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 どこまでも伸びてゆく黒い路面と、その中を閃光のように貫く白線。

 僅かに開けられた窓からは春と夏の香りが混じった風が吹き込み、車内を巡り吹き抜けてゆく。外に広がるのは段々と数が少なくなってゆく建造物と、その隙間を埋めるように生い茂る(みどり)

 その光景を眺めながら、私は今日も日課のギッチョギッチョを欠かさない。愛用している100キロのハンドグリップが私の握力へ健気に抵抗し、押し潰されまいと踏み止まる。しかし暇さえあればこうして握力を鍛えてきた私からしてみると、そろそろ物足りなさを感じてきた今日この頃である。

 そして――ミシッ。

 

「あっ」

 

 ちょっと試しに本気で握り込んでみたところ、ハンドグリップは根元の部分から変形して折れ曲がってしまった。

 やっぱり100キロでは駄目か。帰ったらもっと頑丈で強いものを買ってこよう。

 そう思いながらハンドグリップだったものを鞄に仕舞い込むと、ふと視線を感じた。何事かと視線を辿ってみると、私の隣に座っているステラさんからだった。彼女はなぜか私を見ながら表情を引き攣らせている。

 

「どうかしました?」

「いや、どうかしたっていうか……どうかしているのはアンタでしょッ!?」

 

 炎が燃え上がるかのように彼女は赤毛を逆立てた。

 えっ、何事っ!?

 

「なんでハンドグリップを握り潰せるのよ!? それそういうものじゃないでしょ! どんだけ握力強いのよ握撃かッ!」

「え、えぇ……? 他ならぬ貴女が言いますかそれ? ステラさんだってこれくらいできるでしょう? 剣で訓練場のリングをカチ割れるんですから」

「ゔっ……それは……できるかもしれないけど……」

 

 かもしれないじゃなくて絶対にできるだろ。

 私知ってんだぞ。今はどうか知らないけど、原作の後の方になってパワーアップすると丸めた紙を投げただけでコンクリの壁を粉砕できるようになるって。物理法則仕事しろと思った読者は私だけではなかったはずだ。

 きっと今の彼女でも、デコピンで人間を殺すくらいはわけないだろう。

 

「何だか凄く失礼な想像をされている気がするわ……」

「気のせいでは? 私はただ、きっと怪力自慢のステラさんならデコピンでも人を殺せるんだろうな、と思っていただけですから」

「超失礼じゃないの! もうそこまで行ったら人間じゃないでしょ! 流石にそれはアタシでも出来ないわよ! …………たぶん」

「はぁ? 人間を馬鹿にしないで戴けます? 私は普通に人間ですけど、魔力の放出量を弄れば余裕で出来ますよ?」

「そっちこそ普通の人間を馬鹿にすんじゃないわよ! っていうかどっちが怪力よ!」

 

 ゼェゼェと息を荒くするステラさん。

 テンションの高い人だ。この世界の炎使いは皆してこんなに荒々しい感じなのだろうか? いや、私が今まで会った火属性の人の中にも大人しい人はいた。つまり彼女が荒っぽいだけだろう。

 

「あ、あはは……二人ともすぐに仲良くなったね……」

 

 おっかなびっくりといった様子の少年が、「がるるッ」と唸るステラさんを抑えながら苦笑する。

 ステラさんを挟んで私と反対側に座る彼――黒鉄の苦笑に釣られるように、車の助手席から「くすくす」と鈴を転がすような笑い声が漏れた。そして栗色の髪を靡かせ、二列目に座る私たちを声の主が覗き込んでくる。

 

「ステラさん。祝さんは基本的にそんな感じですから、いちいち怒っていたら身が持ちませんよ? 彼女の常識は私たちの非常識。彼女の会話は売り言葉と異世界の常識で成り立っているんです。祝さんと会話する時は宇宙人と会話しているくらいのつもりで臨んでください」

「み、見かけによらずトーカさんも意外と毒を吐くわね……」

 

 ステラさんは意外そうな目で東堂さんを見つめているが、私としては聞き慣れたものである。というか彼女は私と出会った頃からこんな感じだった。原作の東堂さんがどんなキャラだったかはあまり覚えていないが、私としてはこれが普通だ。

 しかし分厚い丸眼鏡をかけた彼女は見た目だけは真面目な委員長キャラなので、初対面の人は驚くのだろう。中身は立派な戦闘狂なのにね。闘っているとすぐに化けの皮が剥がれるので私はよく知っている。

 

 そんな感じで和気藹々としている私たちは現在、例の奥多摩の合宿所に向けて移動中だ。

 私は電車とバスを乗り継いでいくのだとばかり思っていたが、東堂さんが学園から大人数を乗せることができるバンを借りてきてくれた。

 乗車しているのは生徒会のメンバーと私、そして黒鉄とステラさんの計八人。ステラさんと顔を合わせるのはこれで二度目だが、彼女は再会するとすぐに「ヴァーミリオンさんだと呼びにくいでしょ?」と名前で呼ぶように言ってきた。しかも私が王族という身分に遠慮していることも察していたらしく、気軽に話すことも許してくれたのだ。何ともフレンドリーなお姫様である。彼女の実家は小国の王族だと聞くが、本当にそんな畏れ多いことをしても良いのだろうか?

 しかし生徒会の人や黒鉄が下の名前で呼んで親しげにしている中、私だけ苗字で呼ぶのも心象が悪かろう。よってありがたく下の名前で呼ばせてもらうことにした。

 

「あはは☆ 後輩クンたちの仲が良くなってボクとしては嬉しい限りだよ。でも狭い車内で叫ばれると流石に頭に響くから、少しボリュームを落としてほしいかな?」

「だそうですよ、ステラさん」

「誰のせいよ!」

 

 ほら、御祓さんが言ってる傍からまた怒鳴る~。

 この人はなんでそんなにおこなの? カルシウム足りてないの?

 「ステラ、声が大きい……」と諫める黒鉄を見習うべきだと思う。彼も彼でさっきから私をチラチラと見てきて鬱陶しいが、喧しいよりかは遥かにマシだ。

 その証拠に、さっきまで後部座席で舟を漕いでいた会計の貴徳原(とうとくばら)カナタさんが完全に目を覚ましている。ベルラインドレスを貴婦人のように着こなす姿が知られる彼女は、高校生離れした雰囲気で微笑ましそうにステラさんを眺めていた。騒音に起こされたというのに嫌な顔一つしないとは、彼女こそ一人前のレディと呼ばなければなるまい。私だったら即ステラさんを落としている。もちろんいきなり車からではなく、最初は絞め技でという意味なので誤解しないでほしい。

 

「ステラちゃんは元気だねー! アタシなんてヒイラギと会話しているだけですぐにヘバっちゃうのに。ツッコミが追い付かないっていうの? この子の天然度合いは相当なものだからね」

 

 後部座席から身を乗り出してきた少女が、背凭れに寄りかかりながらケラケラと笑う。

 彼女もまた有名人だ。《速度中毒(ランナーズハイ)》の二つ名を持つ彼女――兎丸恋々(とまるれんれん)は、生徒会の庶務であると同時に校内序列四位の肩書を持つ強者なのだ。残念ながら彼女は既に黒鉄に敗れたことで選抜戦から離脱しており、代表入りするための道は閉ざされているのだが。

 しかし彼女は二年生であるため、もしかすると来年は代表になっているかもしれない。

 ちなみに三位は先程紹介した貴徳原さんで、二位は助手席に座る東堂さんだ。一位? もちろん私ですけれど何か?(ドヤァ)

 

「兎丸、会長も。本人の前で誹り事をするものではない。無論、陰口を認めているわけではないが、それにしても礼儀に欠ける」

 

 兎丸さんを諫める声が運転席から投げかけられた。

 視線をこちらに向けずに前方へと視線を向けているため、私から見えるのは彼の坊主頭だけだ。

 無骨な声色や言葉遣いからも伝わる真面目さに、兎丸さんは「へいへーい」と席へ戻っていった。彼こそが貴徳原さんと並ぶ生徒会の良心。書記にして二年生の砕城雷(さいじょういかづち)だ。(いかづち)であって(かみなり)ではないので注意してほしい。

 彼も校内序列五位という成績を持っており、《城砕き(デストロイヤー)》という異名を持つパワー系の伐刀者である。身長も巨漢と表現できるほどある強面の彼だが、先程の言葉からわかるようにその中身は非常に礼儀正しい。実直という言葉が似合う、今時では珍しいほど真面目な青年なのだ。ちなみに彼も選抜戦でステラさんに敗れており、既に代表入りすることはない。

 今日は運転手の役目を買って出てくれており、彼がいなければ私たちは電車とバスを利用して合宿所に行くことになっていただろう。ちなみに免許の制度は前世と違っているため、16か17歳の彼でも運転免許を取得できているのであしからず。

 

 そんな話をしている間に、バンは奥多摩の合宿所に到着していた。

 合宿所は山と森に囲まれた人里離れた場所に位置しており、ここならばいくら暴れても爆発しても怒られない。しかし逆に言うと、それだけ合宿所に現れたという不審者を探すのが難しいということでもある。東堂さんは電磁ソナーなどという便利な伐刀絶技を持っているため例外だが、私を含めて他の人たちは探索に便利な能力など持ち合わせてはいない。

 だが、今回はこちらにとってもだいぶ難易度が下がった捜索となるだろう。なぜなら、その不審者というのが――

 

「体長4メートルの巨人……ねぇ」

 

 例の巨人が進撃してくるマンガを前世で読んで感覚が麻痺していたために、意外と小さいと思ってしまった私を許してほしい。4メートルでも意外と大きいからね? 50メートル級となるともはやマンションだし。

 話が逸れたが、その巨人とやらがこの合宿所付近で目撃された不審者である。人間じゃないけど。

 この魔術が世の中を跋扈する時代にUMAとかオカルトとか、そんなもの自体が(笑)を最後に付けられるようになって久しい。きっと東堂さんたちは伐刀者の悪戯などを念頭に調査するつもりだろう。

 そしてそれは間違っていない。

 原作を知っている私は、当然ながらその正体を知っている。これはとある伐刀者が自身の魔術の調整のために実験しているだけなのだということも、結局その正体を知るのがしばらく後になるのだということも、この調査の顛末も。

 

 しかし知っているはずがない(・・・・・・・・・・)私がそれを喋ってあげる理由はない。前世の記憶があるなど、それこそ最大級のオカルトなのだから。

 

 よって私は、適当に今回の調査を流すつもりだ。

 言われた通りに調査をするつもりではあるが、別に原作の流れを捻じ曲げることはしない。完全放置だ。

 本当ならば参加すること自体が億劫だったのだが、これからも新宮寺先生には試合の後始末などをお願いしなければならないのだ。少なくともここで断るという選択肢を取るのは難しかった。

 無駄に終わるということがわかっているためモチベーションが低いことは否定できないが、逆に結果がわかりきっているのならば必死に頭を捻る必要がないということでもある。ならば落胆するほどのことでもないだろう。

 

 そう考えると気が楽になってきた。

 学園での修行ばかりの日々が無駄だとは全く考えていないが、偶には他の刺激に触れて心の換気をするべき時もある。今回はそういう機会に恵まれたと思えば良い。

 

 

 そう――初心に返り、山奥で修行するというのも悪くないだろう。

 

 

 そんな感じで私が考え事をしていると、東堂さんが集まるように呼びかけてきた。

 時間が時間なだけに、どうも調査を始める前に昼食にするらしい。合宿所にはキャンプ場が備え付けられているため、そこの設備を使って東堂さんがカレーを作るのだとか。その間に貴徳原さんと砕城は巨人を見たという管理人に挨拶と聴取をしに行ってしまい、ステラさんと兎丸は調理器具を運び終わった途端にバドミントンのラケットを持って遊びに行ってしまった。

 一方の私はというと、調理器具を運び込んでしまえば完全にやることがない。なぜなら料理スキルがないから。前世では人並に料理ができていた記憶があるのだが、最近は料理を全くしなくなったためもう思い出せない。

 よって私は完全に手持ち無沙汰となってしまい、近くの柵に座ってカレーができるのを待っていることしかできなかった。

 

 Q.こういう時、どうすればいいのかわからないの。

 A.修行したらいいと思うよ。

 

 というわけで、暇な私は空いた時間を使って素振りでもすることにした。

 邪魔にならないように少し離れた場所でするべきだろう。新鮮な空気を吸い込みながらする素振りが格別だということは、小学生時代に山奥へ潜った時に経験している。澄んだ空気が脳を活性化させ、人里で素振りする時以上の深い集中状態に入ることができるのだ。

 静かだし空気も美味しいと来れば、武術家が世間の喧騒を嫌って山や森に隠れ潜むのも納得できる。

 

「……うん?」

 

 しかし場所を移そうとした私の視界に、何やら呆然と佇む黒鉄の姿が映った。

 手には切り終わったと思われる野菜が半球状の器に収められており、どうやらそれを東堂さんのところに持っていく最中らしい。しかし彼はその東堂さんへと視線を向けたまま一歩も動かず、まるで芸術品を眺めるかのように魅入っていた。

 その黒鉄の姿が何に似ているのか。その私はすぐにその正体へ思い至る。目に映る光景を僅かたりとも逃すまいと集中する今の彼はまさに――

 

「東堂さんを視姦しているんですか?」

「違うよっ!?」

 

 違うのか。

 前に見かけた変質者にそっくりだと思ったんだけどな。

 

 

 



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どうせみんな修羅になる

感想や誤字報告、お待ちしております。
余談ですが、誤字報告は機能が一新されて以来、本当に助かっています。流石は運営。


 目を奪われる――その言葉の意味を、一輝は身を以って思い知らされていた。

 

 昼食にカレーを作る刀華の手伝いを買って出た一輝は、持ち前の家事スキルを発揮して彼女の料理を手伝っていた。その途中、野菜を切り終えた一輝は不意に刀華の後ろ姿から視線を外すことができなくなってしまう。

 自分でもなぜなのかわからない。しかし直感的な何かがこの光景を見過ごしてはならないと警告してきたのだ。

 

(なぜだろう……まるで吸い込まれるような……)

 

 気が付けば一輝は、料理のことを完全に忘れて刀華の後ろ姿を観察していた。一輝の鍛え上げられた眼力が働き、彼女から何かを読み取ろうとしている。

 では、一体何を? それは当の本人である一輝にもわからず、ただ困惑することしかできない。

 そしてその観察眼の精度は戦闘時のレベルまで徐々に引き上げられてゆく。視覚から得られる情報だけでなく、五感を駆使してあらゆる情報を読み取ってゆく。そして一輝の集中状態が極限まで深まり――

 

「東堂さんを視姦しているんですか?」

「違うよっ!?」

 

 一瞬で霧散させられた。祝の涼し気な囁き声が耳元にかけられる。

 全く気付かなかったその気配と唐突に声をかけられたこと、そして何よりまるで自分を痴漢呼ばわりするかのような言葉に、一輝は思わずその場を飛び退いていた。

 しかし一輝の言葉にも祝は疑わしそうにこちらを見やるばかりで、全く信用している様子はない。

 

「違うも何も、さっきから東堂さんのお尻をずっと眺めていたではないですか。男の本能というものは私も理解できますけど、流石に白昼堂々というのはちょっと……」

「いやいやいや! 本当にそういうのじゃないから!」

「でも車の中でも私のことをチラチラと眺めていましたし。実は黒鉄って見境のないタイプなんですか?」

「ちょ、本当にちょっと待って! それは誤解だから!」

「きゃーらんぼーされちゃうー……ってステラさんに聞かれたらどうなるんでしょうね」

「それは本当に死ぬからやめてッ!!」

「――黒鉄くーん。どうかしましたかー?」

 

 必死の反論をしたせいで声が大きくなったためか、刀華が心配してこちらの様子を伺ってきた。

 そこで一輝は今度こそ我に返る。そうだ、自分は料理の最中ではないか。

 再起動した一輝は小走りで野菜を刀華に届けた。すると「後は一人でできますから」と刀華が料理番をしてくれるとのことだったため、これ以上自分がすることもないと判断して休憩させてもらうこととした。

 すると飯盒で米を焚いている御祓がこちらに手招きしていることに一輝は気が付いた。その傍には祝の姿もある。一輝は嫌な予感がしながらも禊祓の下へと向かった。

 

「やあやあ、後輩クン。疼木ちゃんから聞いたよ? どうやら刀華の大きなお尻をガン見していたようで」

「エロスも大概にしてくださいね、黒鉄」

「……疼木さん、だからあれは違うって言ったよね? 確かに何も言わずに東堂さんを見ていた僕も悪いけど、本当に疚しい気持ちがあったわけではないんだ」

 

 祝への苦手意識を感じながら、しかし学生騎士から変態にジョブチェンジさせられては堪らないと再び弁解する。

 

「何と言うか……不思議と東堂さんに目を奪われてしまったんだ。上手く言葉にできないけど、その、ああして料理をしている東堂さんの姿から目を逸らしてはいけないような気がしてしまって」

「そうですかね?」

「……へぇ? それはそれは」

 

 一輝の言葉に、祝は怪訝そうな顔で刀華へと視線を向けた。

 その一方、御祓は何か感じるところがあったのか一輝の言葉を聞くと感心したように頷いてみせた。

 

「流石、と言うべきかな後輩クン。刀華の姿を見てそれを感じ取るとは。君は本当に凄い」

「えっ?」

「……?」

 

 キョトンとする一輝と祝。

 そんな二人を面白そうに見やると、飯盒に目を戻しながら御祓は語り出した。

 

「あの立ち姿に何かしらを感じたんだろう? それは正しいってことさ。刀華のあの姿こそが、その強さの源泉みたいなものだからね」

「料理が強さの源泉、ですか」

「料理というより、誰かのためにっていうその姿勢かな。昔から刀華はそうだった」

 

 “昔から”という言葉の通り、御祓と刀華と貴徳原はかなり古い付き合いであるらしい。

 というのも、御祓と刀華は貴徳原の実家が経営する児童養護施設『若葉の家』に引き取られていた孤児だったのだ。御祓によれば、三人の繋がりはここから続いているのだとか。

 

「へぇ~、三人とも幼馴染というやつなんですね」

「はは、まあね」

「……あの、不躾な話だということは承知しています。でも御祓さんが良ければなんですが、さっき言っていた東堂さんの強さの源泉というのが何なのかを教えてもらえませんか?」

 

 僅かばかり逡巡した一輝だったが、やがて意を決したように御祓へ踏み込む。

 孤児院時代のことを尋ねるのは、人によっては充分に踏み込まれたくない過去だろう。その頃のことを尋ねるのは一輝としても心苦しかったが、どうしても気になってしまった。自分が無意識に感じ取ってしまった、東堂刀華という少女が持つ強さの源泉というものが。

 

「そう、だね。いいよ、教えてあげる。じゃあ、後輩クンたちは児童養護施設って聞くとどんなイメージだい?」

「……身寄りのない子供たちを引き取って育てる施設でしょうか?」

「右に同じです」

 

 言葉をなるべく選んだ一輝。

 それを悟ったのか、御祓は少し表情を緩めた。

 

「そりゃそうなんだけどね。でも、言葉の上での定義と現実はだいぶ違う。身寄りがないっていっても、親が死んだり捨てられたり……中には虐待を受けて殺されかけた奴だっていた。そいつは役所の力で親元から引き離されて『若葉の家』に来たんだったかな」

 

 御祓は回顧する。

 当時の『若葉の家』は、そういった複雑な過去を背負う子供が多かった。当然ながら子供たちは張り詰めた空気を互いに纏い、施設はお世辞にも穏やかな雰囲気とはいえない状態だった。いつしか刃物のように意識を尖らせた子供たちが、些細なことでもその刃で傷つけ合うようになっていたほどに。

 その中で異彩を放っていたのが刀華だった。

 複雑に絡み合った子供たちの悪意を一つ一つ解き、緩め、施設の中から争いを少しずつ取り除いていったのだ。

 

「親に殺されそうになった奴も刀華に救われた口さ。どこまでも壊れていて、追い詰められるあまり他の子供に乱暴ばかりしていたそいつも等しく助けられた。刀華が見捨てずにずっと手を差し伸べてくれていたから、そいつは人間らしさってものを取り戻すことができた。きっと刀華がいなければ、そいつはそこから碌な人生を送ることもできなかっただろうね。だからそいつは今でも刀華に感謝しているし、世界の誰よりも大好きなのさ」

「…………」

 

 その壮絶な過去に一輝は口を開くことができなかった。

 刀華の過去についてだけではない。ここまで語られれば流石の一輝にも理解できる。その親に殺されかけた子供が誰なのかということに。

 あの祝でさえも御祓の放つ空気を読み、その口を噤んでいる。

 

「そいつがある時、刀華に聞いたんだよ。どうして刀華はそんなに強く在ることができるのかってね。刀華は両親を事故で亡くして施設に来た。辛くなかったはずがないのに、どうして皆に優しくすることができるんだって」

 

 今でも御祓はその時の刀華の力強い笑顔を思い出すことができる。

 その時の彼女の笑顔は、禊祓が今までに見た何よりも美しく、気高く、そして優しかった。

 

「自分は今まで、たくさん両親に愛してもらった。たくさんの愛情と笑顔を貰った。そしてそれは今でも自分を支えてくれている。だから今度はその支えに自分がなりたい。自分の両親が自分にしてくれたように、皆の支えになれるような思い出を作ってあげたい――刀華はそう言っていたよ」

 

 そしてそんな彼女の思いは、年月が経った今でも全く色褪せていない。

 刀華は今でも『若葉の家』に希望と勇気を届け続けている。自分たちのような身寄りのない子供であっても、努力すれば国内でも有数の伐刀者になることができるのだと、立派な人間になることができるのだということを証明し続けている。

 だからこそ彼女は強い。その身に子供たちの夢と希望を背負って前に進む限り、彼女が挫けることはない。そしてその他者を圧倒するほどの意志は、何人(なんぴと)であろうとも砕くことができないのだ。

 

「後輩クン、君は確かに強い。ボクなんかじゃ逆立ちしても勝てないし、カナタでも厳しいだろう。でも刀華は負けないよ。君が何のために剣を振るい、どんな過去を辿ってきたのかをボクは知らない。でも彼女が背負っている子供たちの期待と希望よりも、君が背負っているものの方が重いとは思えないんだ」

「…………」

 

 ぐうの音も出ない。

 刀華の背負うものに一輝は完全に圧倒されていた。他者のために闘うことができる優しい魂を持つ彼女は、誰かのために闘う時にこそ最大の力を発揮する。

 子供たちや御祓の思いを背負っている彼女の刃――そんな重い剣に比べ、自分の剣の何と軽いことか。期待に応えようと輝く彼女の魂が眩しい。自分の意志と信念を通すと聞けば聞こえはいいが、実際は己のエゴのためだけに他者を蹴り落としているだけの卑しい魂が高潔な彼女に勝るなど一輝には到底思えなかった。

 黙り込む一輝から視線を外した御祓は、続いて祝へとそれを移す。

 

「疼木ちゃん、勝てないってのは君もだぜ?」

「はい?」

 

 挑発的な御祓の言葉に、祝はキョトンと首を傾げる。

 漆黒の瞳が御祓を呑み込むように映し出し、暗闇に魂を吸い込まれるかのような錯覚が御祓を襲う。それを内心で恐ろしく思いながらも、御祓は不敵な態度を崩さない。

 

「去年の七星剣武祭で準決勝で《浪速の星》に敗れ去り、刀華は君の待つ決勝に辿り着くことができなかった。でも今度こそ刀華は七星の頂に立つ。この一年、子供たちの期待に応えるために刀華は徹底的に自分を鍛え直してきたんだ。君も成長しているんだろうけど、今の刀華の剣はそれ以上に重く、鋭く成長している。正直なところ――全く負ける気がしないよ」

 

 七星剣王に対し、それはあまりにも大言壮語。

 去年、刀華は祝と闘うことすらできなかった。だというのに、その選手の身内の言葉であろうともこれほどの大口を叩いてみせるとは。下手をすれば身の程知らずと言われてもおかしくはない。

 だが、ここに御祓の狙いがあった。この挑発には祝はどのような反応を見せるのか、それを知ることで祝の器を見定めてやろうという、ちょっとした悪戯のようなものだ。果たして七星剣王である彼女はどう答えるのか。例え七星剣武祭に出場する意思がない御祓個人としても、同じ学生騎士の一人としては興味が尽きない。

 馬鹿にされたと不機嫌を露わにするのか、小物の戯言と嘲笑するのか。あるいは豪快に笑い飛ばし、その余裕さを見せつけてくるのかもしれない。

 それを瞬時に悟った一輝も注意深く祝を観察する。自分に修羅がどのようなものであるのかを教えてみせた彼女が、自分が窮したこの難題にどう解答(こた)えるのか。自らが感じてしまった憧憬の道の果ては、一体この難題に何を感じるのか。それを知りたいがために、心持ち身を乗り出すようにして祝の言葉を待ち構える。

 そして……

 

 

「う~ん……この話、やめましょうか」

 

 

 ニパッと、花が咲いたように祝が笑う。

 祝のその言葉は、雰囲気が悪くなった場の空気を入れ替えようと意図したり、答えに窮したためにお茶を濁した――というわけではないことを御祓と一輝は一瞬で理解させられた。

 なぜならその笑顔とは裏腹に祝が放つ気配は思わずゾッとするほどに寒々しいものだったからだ。細められた目から覗く黒い双眸からは、一輝と御祓を圧殺せんとするほどの負の感情が発せられている。

 その言葉は決して提案などではなく、この少女による決定であり命令でしかなかったのだ。その絶対的な言葉に、御祓の精神は抵抗もできず屈服する。

 

「そんなことよりも、御祓さん。お米の焦げる匂いがしますし、そろそろ蒸した方がいいのではないでしょうか? ……ほら、御祓さん」

「え、うん……ああ……」

 

 どこか呆然としながら、御祓は火元から飯盒を離す。

 この後は飯盒をひっくり返して蒸らしの作業に入るのだが、禊祓は全く作業に集中できていない。まるで祝の言葉に操られたかのようにフラフラと手を動かし、ともすれば意識すらも曖昧になっているのかもしれない。

 その姿を一瞥すると、祝は何も言わずに踵を返した。その背中を見てようやく硬直から回復した一輝は、咄嗟に祝のその背中を追いかけていた。理由はわからない。しかし刀華の後ろ姿を眺めていた時と同じく、これもまた何となく彼女を追いかけなければならない気がしたのだ。

 

「疼木さん、あの……!」

「何ですか?」

 

 振り返った祝は、薄い笑みを浮かべながら首を傾げた。そこには先程の寒々しさはない。

 一輝は言葉に詰まってしまう。声をかけてみたのはいいが、一体自分が何を彼女に話そうとしていたのか、それが自分にもよくわからないためだ。逡巡する一輝を不思議そうに見やり、祝はますます首を傾げる。

 

「黒鉄?」

「ああ、うん……何ていうか。さっきの疼木さんが、何だか怒っているみたいに感じたから。僕が機嫌を損ねてしまったのなら謝ろうかと思って」

「あぁ、なるほど」

 

 得心がいったように頷いた彼女は、「別に貴方に怒ってはいませんよ」と笑った。

 

「ただ、ああいう話は凄く嫌いなので。つい無理に打ち切ってしまいました」

「ああいう話って?」

「御祓さんが話していた剣の重さがどうとか、そういう話です。心底“どうでもいい”と思っています」

「……えっ?」

 

 一輝は思わず耳を疑った。

 どうでもいい――目の前の少女はそう言ったのだ。御祓の語ってくれた刀華の強さの源泉についての話を、刀華が剣を取るに至った崇高な動機を、彼女は一輝の目の前で吐き捨てるかのように。

 そこで一輝は先程の祝の寒々しい視線に含まれた感情を、全身から発していた気配の正体を悟った。

 

 

 ――周囲を押し潰すかのような“倦怠感”。

 

 

 拒絶と無関心――それが祝の答えだった。先程の禊祓の話に対して、いっそ無慈悲なまでに祝は興味を持っていない。そして退屈な空気に不機嫌となった祝が一輝と御祓を圧迫していたのだ。

 これには流石に温厚な一輝であっても眉を顰めてしまう。御祓も同情してほしいがためにあの話をしたわけではないだろうが、その発言と態度はあまりに失礼だ。

 

「疼木さん、そのどうでもいいという言葉は、いくら何でも御祓さんや東堂さんに失礼だ。本当にそう思って御祓さんの話を終わらせたというのなら、彼に謝ってきた方がいい」

「なぜです?」

「えっ? な、なぜって……」

 

 夜空のように暗く、しかしどこまでも純粋な黒を魅せる祝の瞳が一輝を射抜く。

 まっすぐに返された祝の言葉に一輝は思わずたじろいだ。理由を問われるまでもなく、それが人としての礼儀だからだ。自分の過去をどうでもいいと切り捨てられれば、人は当然ながら不快感を示すだろう。それは誰だって同じはずだ。

 ましてや刀華と御祓は騎士だ。騎士が剣を取る理由を他者がぞんざいに扱うのは、その騎士に対して最大の侮辱と言える。

 それを彼女は“なぜ”と返してきた。逆に一輝としては、その言葉にこそ「なぜ」と返したいほどだ。

 

「確かに、お二人に複雑な過去があるということは理解しました。人がどのような理由で剣を取ろうと“自由”ですから、彼女がそういった期待を背負っていることも良いと思います。ですが――」

 

 祝の笑顔が消える。

 その瞳の奥から覗き込む深淵に、一輝は思わず後退りした。しかしその距離を一瞬で詰めた祝は、深淵に僅かでも触れた一輝を逃さない。

 

「その高尚な動機を持っていることがさも強さに繋がっているかのように誇るのは、烏滸がましいにも程があると私は思うんです。誰かのために闘っているから強い――本気でそんなことを考えているのならばそれは“闘争”という概念そのものへの侮辱です。重要なのは闘いたいか否かという意思、そして強いのか弱いのかという純粋な実力、それだけでしょう? ならば個々人の闘う動機を比較し、あまつさえ優劣をつけるなど……無粋にも程がある」

 

 それは御祓の語った刀華の強さの源泉というものを全否定する言葉だった。

 思い返してみれば、彼女の過去について語る御祓を見る祝の目は酷く無機質なものだったような気がする。彼女の言葉が本心からのものなのだとすれば、ずっと彼女はこの恐ろしく濃密な倦怠感を胸の内に隠していたのだろう。

 それが御祓からの問いによって僅かなりとも噴き出した結果があの圧迫感だったのだ。

 

「そういえば黒鉄は、先程の御祓さんの話に窮していましたね。もしかしてですけど、あの“背負うもの”とやらで迷いを抱いたのではないですか? 彼女の重い剣に対して自分の剣は何と軽いのか、という感じで」

「そ、それは……」

 

 心の内を言い当てられた一輝は、呼吸することすら忘れて祝の瞳に視界を吸い込まれる。

 身長差から見下ろしているはずだというのに、一輝の心は逆に遥か高みから見下ろされているかのように感じていた。まるで自分以外誰もいない高原で、星すら見えない黒い夜空を見上げているような……

 

「そんなことを気にする必要はありませんよ。闘いとはもっと純粋で単純なものです。敵を斬るだけの“強さ”があれば剣が軽いか重いかなど関係なく、どれだけ高潔な魂の持ち主であろうと弱ければ死ぬ。当然のことです」

 

 それとこれは忠告ですけど、と祝は纏う気配とは裏腹に可愛らしく表情を怒らせる。

 

「自身の剣の重さを決めるのは自分自身なのだと私は思っています。貴方が自分の剣を軽いと感じているのなら、それは他ならぬ貴方が自分の剣を軽んじているんです。そういうのって、努力を続けてきた自分に失礼だと思うんですよ」

 

 一輝は息を呑んだ。

 思い当たる節があったからだ。先程、自分は刀華の気高い魂を知り、己の魂を卑下してはいなかったか。彼女のように背負うものが何もない自分の刃は軽いに違いないだろうと、どこかで諦めてしまっていたのではないか。

 そんな一輝に、私を見てください、と祝は笑ってみせた。

 

「私には背負うものなど何もありませんよ? 修行のために私は家族や日常や人との関わりを捨ててしまいました。だから期待してくれる人などいません。私は自分の夢のために闘っていますが、それを心から賛同してくれている人を知りません。ですから私が勝っても私しか喜びません。この世界のどこかに私と喜びを共有している人がいるのかもしれませんが、私がその存在を知らない以上は誰も存在しないも同然です。……ほら、私の大鎌なんて誰の意志も期待も乗っていない軽いものでしょう? しかし私は独りでも七星剣王になることができました。なぜでしょう?」

 

 

 ――それは私が誰よりも強かったからです。

 

 

「強いから、誰にも敗けなかったから私は七星剣王になれた。剣が軽かろうと、強ければ自分の意志を徹すことができる。そして武の存在価値は眼前の敵を屠るための“強さ”であることなど明白なこと。だから例え天地が裂けようと、例え神が定めようと他人に私の大鎌は貶めさせません。私の夢と希望しか乗っていないこの欲塗れの大鎌は、しかし東堂さんの剣より遥かに“強い”と私は確信しています。そんな私の大鎌を欲望と野心によって穢れた兇刃だと揶揄するのであれば、私はそれで一向に構わない」

 

 ――まずい。

 全身の産毛が逆立つ感覚に、一輝は猛烈な危機感を覚えた。

 

「背負うものがあるから強いのではありません。剣を取る動機が高尚だから強いのでもありません。信念があるから強いのでもありません。敵に勝てるから強いんです。私も、東堂さんも、黒鉄だって今日この場所に立つまでに多くの敵に勝利してきたはず。だから私たちは“強い”んです。そして禊祓さんが何と言おうと、強い限り貴方にも勝算はある。背負うものの有無や軽重ごときで、私たちの強さは揺るがない」

 

 このままではまずい。知らず知らずの内に聞き入っている自分がいる。祝の言葉に頷いている自分がいる。そして何よりも確信をもって告げられたその言葉を一輝は否定することができない。

 

 

 なぜなら祝の言葉は、一輝の剣と生き様を完全に肯定している言葉だったのだから。

 

 

 一輝は実家では“いない者”として扱われ続けた。伐刀者としての才能が欠けていたから、兄や妹のような伐刀者の教育を受けることが許されなかったのだ。非才の己を父は早々に見限り、それを見た他の者たちも一輝の傍から去っていった。残されたのは、悪意と嘲笑に塗れた地獄のような生活だけ。

 そう、一輝の剣には何も乗っていない。

 誰かの期待に応えたいという思いで剣を振ってなどいない。なぜなら自分に期待してくれる人など、今まで誰一人として存在しなかったから。一輝は今まで、『自分のような非才の人間でも諦める必要はないのだ』という信念に基づいて闘ってきた。曾祖父が齎してくれた希望を信じ、またその希望が偽りではないことを証明しようと足掻いてきた。その信念が正しいと証明できれば、自ずと自分の存在価値を証明することができるから。しかしそれは今日この日まで誰にも認められることはなく、そして自分は一人になった。

 そんな剣が、誰かの期待を背負った剣に勝てるはずがないのだ。

 誰かの期待を得たいがために、認められたいがために、信じていると言われたいがために歩み続けてきた一輝はそう思い込んでいた。

 

 だが、目の前の少女は違った。

 

 認められずとも。期待されずとも。信じられなくとも。

 ただ自分の信念に従って進むだけでも人はこんなに強く在ることができるのだと、この少女は身を以って証明してみせた。例え独りでも、心が折れない限り信念が挫けることはないのだと証明してみせた。

 

「私は強い。私に及ばずながら貴方も強い。そして私も貴方もその力を使いたい。闘いに必要なのは、純粋にそれだけでしょう? それ以外は全て付属品(オマケ)に過ぎないのですから。貴方の迷いは杞憂です。むしろそんなもので剣を鈍らせることこそが、貴方の強さと闘いに対する侮辱ですよ」

 

 一輝の胸の内に何かが込み上げてくる。肉体の芯から湧き上がるこの熱い感情――それは歓喜。

 自分の信念を遂げるまで、誰に理解されることも認められる必要もないと自分の中で必死に言い聞かせてきた。しかし心のどこかではその生き方に疑念を感じ、もっと要領の良い生き方もあるのではないかと逡巡していたことも事実だ。

 だが祝はその生き様に間違いなどないと断言してみせた。それも言葉だけでなく、一輝以上に凄烈なその生き様を以って。

 それが人として外道の生き様であるということは一輝もわかっている。自身の良心と理性は未だに彼女を拒絶している上に、その生き方に果たして未来が存在しているのかは一輝にもわからない。だが、それでも一輝は祝という存在に頼もしさを覚えていた。

 

 ――孤高。

 

 祝の生き様を示す言葉として、ふとその言葉が浮かぶ。

 一輝のような孤独ではなく、彼女は“孤高”なのだ。周囲から除け者にされた一輝と、周囲を除け者にした祝。独りであることを恐れない少女。誰もが望む光の世界を夢のためならば不要と断じ、暗い闇の世界を嬉々として求める修羅。

 

 

 もし……もしも自分もあんな修羅になれば、こんな苦しみを感じずにいられるのだろうか……?

 

 

 一輝にとって、今の祝は夜闇を彷徨い、進むべき道すらもわからない中で輝く月のようだった。

 月の輝きは見る者を狂わせる――そんな話を聞いたことがある。聞いた当初は面白い俗説だと思いながらも一輝は全く信じていなかったが、今ならばその意味が少しだけわかる。一切の光のない静寂の世界で輝く月を見てしまったならば、例え禍々しくともその光に魂を囚われてしまう者がいても不思議ではない。

 眩しすぎる太陽を人は直視することができない。淡く輝く月にこそ人は(いざな)われるのだ。

 

「僕は……僕、()……」

 

 憧憬が膨れ上がり、その色を変えようとしていた。

 声帯を震わせようと、肺から送り出された喉元まで空気が迫る。

 一輝は考えるまでもなく理解させられた。自分は今、祝の言葉へ肯定の返事をしようとしている。彼女の信念に一輝の魂が完全に共感しようとしている。

 それは一輝という人間の在り方を大きく変える意味を持っていた。ここで祝に共感したが最後、一輝は自分の信念のためならば余人を軽んじることが“できる”外道の人間になってしまうだろう。だがそうなれば一輝はこの孤独から解放され、孤高への道へと舵を切ることができる。

 そうすることができたのならば……

 

 

 ――もう、父さんに認められたいと悩むことも……

 

 

 

「イッキー! そろそろお昼ご飯できるってー!」

 

 

 

「――ッ!?」

 

 次の瞬間、鼓膜を震わせるステラの声によって一輝の意識が深淵から引き上げられた。

 勢いよく振り返れば、刀華の隣でステラがこちらへ手を振っている。カレーの鍋からは湯気が揺蕩っており、それを恋々が目を輝かせて覗き込んでいた。

 禊祓と別れてからそれほどの時間が経っていたということに一輝は驚愕する。そして自分が今、一体何を考えてしまっていたのかを自覚して愕然とした。もしもステラの呼び声がなければ、本当に一輝はあのまま深淵に沈み込んでいたかもしれない。

 

「不覚です。食前の運動をするつもりが、お喋りに時間を浪費してしまうとは」

 

 祝の声に一輝は肩を震わせた。

 この可愛らしい声が、円らな黒い瞳が、そしてあの愛らしい笑顔が外道へと一輝の手を引いていたのだ。まるで自分の死角にあるだけで、足元に底の見えない崖が口を開けているかのような恐ろしさ。もしも振り返れば、またあの仄暗い奈落の底から手を伸ばしている祝の姿があるのではないかと一輝は恐怖していた。

 

「行きましょう、黒鉄。食べたらお仕事です」

 

 顔を背けたままの一輝の横を、仄かな柑橘系の香りを残して祝が通り過ぎる。

 長い髪を靡かせて歩き去る祝の後ろ姿を見送りながら、一輝は言い知れぬ恐怖にしばらく立ち尽くすこととなった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 結論から言おう。東堂さんのカレーは大変美味しゅう御座いました。

 このカレーのルーは東堂さんの自家製らしく、今日に備えて作ってきた自慢の一品らしい。流石はオカン属性を持つ生徒会長。これに眼鏡属性、委員長属性、博多弁属性、戦闘狂属性を加え、実はドジっ子属性までも持ち合わせているというのだから、破軍の生徒会長は化け物かと言わざるを得ない。

 

「では、散策の班分けはこれでいいでしょう」

 

 食事の後、東堂さんを中心に山狩りの編成が纏められた。

 これから私たちは破軍学園の持つ山の敷地内を探索し、例の不審な巨人に関する情報を足で集めることとなる。しかし山の中を歩き回るのは伐刀者といえども危険であるため、こうして班を編成して散策しようというというのが東堂さんの提案だった。

 これに異論を持つ人は特にいなかったため、事前に考えていたらしい班編成を東堂さんが発表する。

 まず、東堂・御祓ペア。それから砕城・兎丸ペア、黒鉄・ステラペア、そして私である。貴徳原さんは連絡役兼非常時の予備戦力として合宿所に残るらしい。……うん、何かおかしいよね?

 

「はいっ、東堂さんに質問です!」

「そうですか。それでは皆さん、散開してください」

「えっ、無視?」

 

 人数的に偶数人なのだから、私も班のどこかに組み込まれると思っていればこれである。まさか東堂さんが平然と私を一人で山に送り込むとは。どう考えても悪意を感じる。

 そして何よりも納得できないのが、東堂さんの号令を聞くと誰もが当然のように周囲へ散っていったことだ。ちょっと待って。せめて黒鉄くらいは何か言ってくれると思っていたのに、何なのこの扱いは。私、これでも学生騎士の憧れこと七星剣王なのよ? それをこんな適当に扱っちゃっていいの?

 

「……? 何を突っ立っているんですか? 疼木さんも早く散策へ向かってください」

「ちょ、これって不当人事ですよね! なぜ私だけ一人なんですか? 私の班は?」

「疼木さんは個人で行動した方がいいと判断したが故の班編成です。貴女の気性が集団行動に全く向いていないことは自明の理なので、このまま一人で山に投入してしまおうと考えました」

「で、でも事故とか起こったら……」

「事故? 貴女の“能力”で事故が起こるわけないでしょう? この世全ての伐刀者と比較しても、貴女ほどに事故という言葉と縁遠い伐刀者がいるとは思えません」

 

 え、えぇ……。

 絶賛されているように聞こえるけど、これって皮肉られているよね。東堂さんが言うほど万能な能力でもないのが実態なのですが。実際、逃げ切れない規模の山崩れとか地割れとかが起こったら……うん、その気になればそれでも何とかなると思うけど。

 それと東堂さんが知らないのも無理はないが、私と同じくらい事故と縁遠い伐刀者だっていないわけではない。例えば原作で登場した紫乃宮天音とか。彼レベルになれば、もはや事故に遭う光景の方が想像できない。

 

「……わかりました。疼木祝、これより一人で山狩りに行ってきます」

「はい、どうぞお気を付けて。何かあったら必ずッ、電子生徒手帳で連絡を。報連相を絶対にッ、怠らないようにお願いします。死んでもッ、勝手な行動は慎んでくださいね? 貴女のせいで山が崩れたりしても怒られるのは私なんですから」

「わ~い、信用されていな~い」

 

 もはや清々しいわ。

 というか私でも流石に人様の山を崩すようなことはしない。というよりも、その心配は可愛い後輩を相手にする心配ではないよね?

 するとゲンナリする私を面白そうに眺めていた御祓さんが、私たちの間に入って「まあまあ」と東堂さんを止めた。

 

「刀華、そろそろ行こう。後輩が働いているのに、生徒会長がこんなところで油を売っているわけにはいかないだろ?」

「うたくん、私の話はまだ終わっていないんだけど」

 

 余談だが、東堂さんは御祓さんのことを下の名前から『うたくん』と呼ぶ。

 これが幼馴染の持つ破壊力かと当初は戦慄したものだ。前世の“俺”だったのなら、禊祓さんのポジションを血涙を流して羨ましがっただろう。

 

「はいはい、刀華が疼木ちゃんのことが大好きなのはわかったから。刀華は手のかかる疼木ちゃんを可愛がりたくて仕方ないんだよね。ボクはわかっているから」

「はぁッ!?」

 

 御祓さんの言葉に目を剥く東堂さん。口をガクンと開けて呆然とする彼女を余所に、御祓さんは「わかってるわかってる」と頷きながら優しく微笑んだ。

 

「出来が悪い子ほど可愛い、って言うしね。刀華はオカン属性を持っているから、疼木ちゃんみたいなちょっと駄目な感じの子に母性本能を擽られるんだろ?」

「誰がこいつば好いとっち言ったッ! うたくんばってんそん侮辱は許さなか!!」

「え~、なぁんだ~。東堂さんはツンデレさんだったんですね。普段のお小言も、実は私に素直になれないことの裏返し――」

「ぶち殺しますよ?」

 

 東堂さんの手元に日本刀型の霊装《鳴神》が顕現する。

 紫電と轟音を纏いながら抜き放たれていく刃。冷え切った声と視線。そして本気で闘う時に外される眼鏡を東堂さんが投げ捨てたのを見て身の危険を感じた私は、全速力でその場を退散するのだった。

 

 

 




生徒会長の博多弁(熊本弁?)難しい……
私の地元は方言が殆どない地域なので、訛りのある人に少し憧れます。


なお、原作を知らない人のための解説その弐。
紫乃宮天音とは、原作四巻から八巻で一輝たちに立ち塞がる学生騎士です。
最凶の能力《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)》は登場人物たちだけでなく読者すらも混沌の渦に叩き込んだチート能力で、その凶悪さから《凶運(バッドラック)》の二つ名を持ちます。
あらゆる読者に「勝てる気がしない」と言わしめた天音の登場はもう少し予定の後です。


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貴様の伐刀絶技が一番なまっちょろいぞッ!

久方ぶりの投稿です。
ちょっと本当に久々すぎて、洒落でなく本気で文章の書き方を忘れていたり……


 人間、誰しも気まずい思いというものを経験したことがあるはずだ。

 例を挙げるとすれば、例えば乗り換えのために急いで電車に乗ったらそこは女性専用車両だった、例えば家でエロゲーをしていたらイヤホンのコードがPCから抜けていた、例えば家族で映画を観ていたら唐突に濡れ場に突入する、というような出来事だ。

 これは人間社会の中で生きていく上で当たり前に遭遇する事態であり、大抵はその者に非などない。あえていうのならば、人間が逆らうことのできない運命の悪戯が原因である。

 よって今回の事態も誰が悪いということはない。誰もが最善を尽くし、誰もが幸福を願っていた。その果ての結果が“これ”ならば、それは仕方のないことだったのだろう。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 その場の全ての人間が言葉を発しない。祝が死んだ魚のような目で沈黙する。引き締まった上半身を晒した一輝が、所在なさげに虚空へと視線を彷徨わせる。下着姿で毛布に包まりながら、ステラが二つの意味で滝のような汗を流しながら狸寝入りを決め込む。

 状況は混沌としていた。しかしその場の全員の心は奇跡的に一致していた。

 

(((誰か助けてください……)))

 

 煌々と光を放つ囲炉裏の炎。

 揺らめくその姿を眺めながら、祝は現実逃避のためにここに至るまでの経過を振り返っていた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 事の発端は山狩りが始まってから二時間ほどの頃に遡る。

 

 原作知識があった私は、真面目に巨人を捜索することなど当然していなかった。もちろん「遭遇したらぶち殺しておこう」くらいの気概は持っていたが、放っておいても東堂さんが巨人を仕留めることは原作知識でわかっていたので、時間を有効活用するため久々に山の中を走り込んでいたのだ。

 この合宿所があるこの山は私にとってはもはや庭のようなものだ。去年も七星剣武祭の前に合宿しに来ているのだが、その時も私は昼夜を問わず日に三回はこの山を駆け回っていた。破軍学園に来る前も山の中で修行をしたことはあったのだが、大抵は私有地に無断で入り込んでいたので堂々と山の中を行き来することは難しかったのだ。

 しかしこの山は違う。ここならばいくら走っても、中で素振りしても怒られない。山、最高!

 そんなことを考えながら私は山頂までのRTA、そして合宿所から山を挟んだ反対側の麓まで頂上から再びRTAなどをしていたのだが、ここで私は修行を一時中断することとなった。

 

 なぜなら、私の“伐刀絶技(ノウブルアーツ)”が雨の存在を感知したためだ。

 およそ30分で天気が急変し、この山は豪雨に襲われることとなる、と。

 

 別に雨の中でトレイルランニングをするのも嫌いではないのだが、今の私の服装は制服だ。泥塗れにするには些か抵抗のある服であり、何より洗濯が面倒臭い。よって私は大人しく合宿所へと道を引き返し、雨が降り始めるピッタリ5分前に合宿所へと到着したのだった。

 

「あらあら。お帰りなさい、疼木さん。どうかなさいました?」

 

 ティーカップを片手に優雅に私を出迎えた貴徳原さん。中にある紅茶は間違いなく午後ティーではなくお高い茶葉によるものなのだということを確信させられるほどには優雅な佇まいだ。

 ⋯⋯というか前から思っていたけど、この人絶対にJKって感じの年齢じゃないよね。服越しにもわかるくらい乳デカいし。何を食ったらこんな体型になるんだ? やはり遺伝なのだろうか? あるいは彼女の家はお金持ちだと聞くから、良い食事をしているのが理由なのか?

 人体の神秘である。

 

「……あの、疼木さん?」

「ああ、すみません。ちょっと考え事をしていました。帰ってきたのはあれです、雨が降った(・・・)のを感じたので」

「まあ、そうでしたか。他の皆さんにこのことは?」

「あ~、そういえば。ウッカリしていましたね。今からでも伝え……ても意味はなさそうですね、もう」

 

 窓の外を見れば、青々とした山の景色が薄い灰色に塗り潰されていくところだった。

 そしてそれを合図にしたかのようにゴロゴロと雷鳴が私の(ハラワタ)を震わせると、大粒の雨が草木に大挙して伸し掛かりその(こうべ)を垂れさせていく。

 俗にいうゲリラ豪雨というやつだろうか。時期的には些か早い気もするが、こういう土砂降り(スコール)を見ていると「夏が来たなぁ」と思わざるを得ない。

 日本の夏は高温多湿という性質なので、砂漠生まれのインド人にすら「日本の夏は暑い」と言われる地獄のような環境だ。前世の“俺”はこの季節が大嫌いだったが、私からすれば暑い中で自分を追い込むための絶好の修行期間でしかない。冬? 寒中水泳とかできるからもちろん大好きだよ?

 

「これは東堂さんに怒られそうですね。雨が降るなら先に言えって」

「ふふ、そうかもしれませんね。とりあえず戻ってくる人がいるかもしれませんから、タオルと温かいお茶を用意しておきましょう」

 

 流石は貴徳原さん! 私にはできない気遣いを平然とやってのける! ……まぁ、そこに痺れも憧れもしないけど。しかし先輩の貴徳原さんに全部やらせるのは私としても宜しいことだと思わないので、彼女にはお茶を用意してもらいタオルは私が取りに行くことにした。

 それから少しして服を雨で濡らした兎丸・砕城ペアも戻ってきたため、しばしの休憩ということで皆でお茶をしながらまったりとしていた。東堂さんたちからも連絡があり、二人は雨宿りできそうな場所を見つけたためそこで待機しているらしい。長引くようなら強硬に下山するとの話だが、しばらくは動かないそうだ。

 しかしここで問題発生。いくら待てども黒鉄とステラさんからの連絡が来ない。そのため貴徳原さんが二人の生徒手帳に電話をしてみたのだが、通じはするものの向こうが出ない。何かあったのだろうかと一同が不安を表情に滲ませる中、私は原作知識をトレースして黒鉄たちの行動を思い出す。

 

 確か黒鉄は、ステラさんを伴って山小屋で雨宿りをしていたような記憶がある。

 そこで雨宿りをしているところで、暁学園の『鋼線使い』平賀玲泉の操る巨人と遭遇、戦闘になった……はず。

 

 うん、大まかにしか思い出せない。

 黒鉄が連絡してこない理由がよくわからない。山小屋に行くまでに時間がかかったんだっけ? そんな細かい内容まで憶えてないよ。

 雨宿り、戦闘、東堂さんが助太刀して解決、という流れしか憶えていない。他にもきっと色々な描写や会話があったのだろうけれども、私が前世の記憶を思い出して約14年。印象に残っている場面ならばともかく、それ以外の内容なんて細かく思い出せないって。幼稚園やら保育園に通っていた時に観ていたアニメの内容を深く思い出せないのと同じだ。

 

 そうして私が一人でウンウン唸っていると、ようやく貴徳原さんの生徒手帳に黒鉄から連絡が来た。

 そのことにホッとする貴徳原さんたちであったが、これに悪い報せが追加される。

 

「ステラさんが倒れられたのですか!?」

 

 どうやら山狩りの最中にステラさんが体調を崩し、山小屋から動くことができなくなってしまったらしい。

 あ~、そんなこともあったなぁ~。

 言われてみればそんなストーリーだった気がする。なるほど、その状態で巨人に襲われたからピンチになって、東堂さんが助太刀に入ることになったのね。別に巨人くらいステラさんが「焼き払え!」をすれば山ごと灰塵にできるのではないかと内心で首を傾げていたけど、それなら納得だ。

 しかし胸の閊えも取れたことで晴れ晴れとした気分でティータイムを続行しようとした私だったが、ここで想定外の事態が発生する。

 

『――というわけで。疼木さん、今からちょっと山小屋までひとっ走りしてきてください』

「はい?」

 

 事態を報告した東堂さんから告げられた言葉に、私は思わず首を傾げることとなった。

 東堂さん曰く、ステラさんの体調が心配なので誰かが二人に薬などの救援物資を届ける必要がある。しかし外は土砂降りで、いくら身体能力に優れる伐刀者といえども移動は困難だ。

 なので、こんな時にこそ普通の伐刀者以上の力を持つ七星剣王に頑張ってもらおう。

 ……ということらしい。

 

「えっ、普通に嫌です」

 

 なんで私が宮沢賢治の『雨ニモマケズ』みたいなことをしないといけないのだ。そんな献身の塊みたいな、そういう者に私はなりたくないのだ。

 というか窓の外は昼だというのに夕暮れみたいな暗さだし、雨脚はかなり激しい。こんな状態で外に出るなど、何のために雨の前に合宿所に戻ってきたのかわからなくなる。普通に断固拒否だ。逆に私が風邪ひくわ。

 と、こんな感じで普通に拒否した私だったが、なぜか東堂さんから返ってきたのは『ハッ』という嘲笑だった。

 な、何が可笑(おか)しいッ!!

 

『疼木さん、まさか怖いんですか? ここでステラさんが風邪を拗らせれば七星剣武祭の強力なライバルが消えると安心していませんか?』

 

 えっ、何その発想……ッ!?

 予想外の東堂さんの切り返しに、私はまさに鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたと思う。別にステラさんをライバルと思ったこともなければ、当然ながら恐ろしく思ったこともない。敵となれば斬るだけだ。なので東堂さんの言葉に私は思わず面食らってしまう。

 しかし生徒会の面々は今の東堂さんの言葉でその意を悟ったらしい。兎丸はニヤニヤ、砕城は苦笑、貴徳原さんは「ふふっ」と笑いながら、電話口からは『おやおや~?』と東堂さんと一緒にいるらしい御祓さんが声を覗かせる。

 な、何だよぉ……。

 

「そっかー。去年の合宿で散々アタシに大鎌最強説を語っていたのに、ヒイラギは結局剣士のステラちゃんが怖いんだー? 残念だなー?」

「へっ?」

「うむ。しかし恥じることはない。戦とは何も戦場だけが全てではないのだ。むしろそこに至るための場外こそ戦の本領。恐れる敵が勝手に倒れるのならば、特に強い剣士が自滅するのであればそれを見過ごすのも兵法だ。……まぁ、敵に塩を送る余裕もないというのは些か拍子抜けだが」

「えっ」

『いやいや、刀華も皆も無茶言っちゃ駄目だよ。いくら疼木ちゃんが自称最強武器(笑)の大鎌使いだったとしても、この雨の中での登山は流石に無理だって』

「なっ、誰が(笑)ですか誰が!」

「その通りです。副会長の言う通り、いくら疼木さんが七星剣王でもそのようなことを言ってはいけませんよ。……しかしこれでステラさんが選抜戦を棄権することになったら、私、悲しくて一部始終をSNSに投稿してしまうかも――」

「ああーっ、貴徳原さんそれ狡い! ネットに流すのは流石に卑怯じゃないですか!?」

 

 汚いな流石お金持ち汚い!

 しかもあの人、去年の七星剣武祭に出場してからフォロワーが恐ろしく増えたって前に言っていたぞ! そんな場所に私の悪評を垂れ流すとか本気でやめてほしいんですけど! 大鎌の評判が落ちたらどうするんですか!

 というか生徒会の役員どもは揃いも揃ってこの野郎! 寄って集って一人を追い詰めるとか、破軍学園の生徒の代表として恥ずかしくないんですか!

 

 ……しかし私の抗議も空しく、貴徳原さんがSNSを開いて何かを打ち込み始めたことで私は降伏することとなったのだった。

 

『貴女の《既危感(テスタメント)》ならば最速かつ安全に山小屋まで辿り着けるでしょう? 元々、貴女に捜索能力は期待していません。呼んだのは戦闘に陥った際の切り札と、こういう不測の事態に備えるためですからね。準備を済ませ次第、迅速に山小屋へ向かってください』

『疼木ちゃん、雨の中だけどファイト~』

「頑張ってくださいね、疼木さん」

「ヒイラギ、行ってらっしゃ~い」

「……すまん」

 

 こうして兎丸はともかく、生徒会の良心である貴徳原さんと砕城にすら見捨てられた私は、合宿所からこの豪雨の中に放り出されたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 黒鉄一輝はこれまでの生涯で最も危機的な状況に陥っていた。

 

 ひと気のない山小屋、目の前には風邪で弱った己の恋人、そして自分は雨で濡れた彼女の服を脱がさなければならない。ともすればマンガかゲームの中でなければ遭遇しないようなシチュエーション。

 ここで何も感じない男がいるだろうか、いやいない。少なくとも一輝は頭の中で情欲の炎が燃え盛るのをハッキリと自覚していた。これは医療目的だ――そう自分の心を律しようとするものの、込み上げてくる性欲(エロス)を抑え込めるほど一輝の心は枯れていなかったのだ。

 

(確か疼木さんが薬とかを届けるためにこっちに向かっているっていう話だけど……)

 

 合宿所からこの山小屋まで、雨の中を走るのならばおよそ30分ほどで到着するだろう。服を脱がす役割を彼女に託すには時間がかかりすぎる。やはり自分がステラの服を脱がすしかない。

 しかし数えで若干17歳の一輝にこの状況は辛すぎる。

 許されるのならばこのままステラの衣服を引き千切り、本能のままに目の前の女を蹂躙してしまいたい。しかし一輝の鋼の理性がそれを必死に食い止め、脳へと「ここは俺が防ぐから早く!」と死に際のような台詞を言い放っていた。もはやステラの体調的にも、理性の死亡フラグ的にも時間はあまり残されていない。

 

(ええいっ、ままよ!)

 

 明鏡止水――それを一輝は努めて意識する。

 月を写す水面の如く、その心に漣の一つも立てず冷静さを保つ。武術家としてその境地を目指していた自分が、まさか女性の衣服を脱がすためにその境地を渇望することになろうとは。人生とは何が起こるかわからないものである。

 自嘲の笑みを漏らしながら、しかし手を動かすことはやめない。体調の悪いステラを気遣い丁寧に脱がすことを心がけつつも、本能の波が決壊する前に事を終えようとなるべく迅速に。

 

(まずはストッキングを……ッ、ガーターだって!? これが本物の……いや駄目だ、意識するな、作業に集中しろ! …………よし、ストッキングの処置を完了。次はシャツだ。……っていうかステラの肌って本当に白くて綺麗で柔らかそうな…………やめろォッ!?)

 

 一輝の脳内で本能と理性が鬩ぎ合う。

 本能は今にも“夜の一刀修羅”の解放間近だ。このままでは理性に勝ち目はない。急がなければ、理性は完全に正気を失ってしまう。

 

(……やってやるさ!)

 

 一輝は(あくまで脳内の)勢いに任せ、一気にステラのシャツを脱がしにかかる。その手際はまさに神速。己の身体を極限までコントロール下に置いた彼の速度は高速に迫り、僅か数秒でステラからシャツを脱がしてみせた。

 やった、と一輝と一輝の理性は歓声を上げる。ここまで耐えきればもはや戦に勝ったも同然。あとは彼女に小屋にあったタオルケットを掛けてしまえば、もはや視覚という本能最大の武器を制したも同然となる。「この戦い、我々の勝利だ!」と一輝は脳内で勝鬨が木霊した。

 ⋯⋯が、その勝鬨は、味方であるはずのステラの一言によって粉砕されることとなる。

 

 

「あの、イッキ…………ブラも、お願い……」

 

 

「なん……だと……?」

 

 死に体だったはずの本能が決死の特攻作戦を開始した。その思わぬ反撃に理性は再び窮地に立たされる。

 

 外せというのか……童貞の自分に、その巨乳を抑え込んでいる乳バンドを、外せというのか……!?

 

 一輝は戦慄した。これは本当に現実なのかと疑いすらした。そんなことが許されるのか、とすら考えた。しかし現実は無情。五感を通してこれが夢ではないということを鮮明に伝えてくる。もはや退路はない。やるしかないのだ、ヤるしか⋯⋯いや、そっちのヤるではなくて。

 

(ま、不味い! このままでは……!)

 

 一輝は自然と息が荒くなっていく自分を感じた。

 そして徐々に変貌していく一輝の様子にステラが気付かないはずもない。今の一輝は客観的に見て相当危ない状態だった。息の荒さはもちろんのこと、目は血走り、身体は興奮したように震え、――非常に言いにくいが下半身の《陰鉄》が恐ろしく元気になっている。

 そんな一輝を見やりながら、ステラは一輝が煩悩に打ち勝つことを望みながらも、心のどこかで“その”覚悟を完了させていた。

 一輝という最愛の恋人が自分の身体に興奮してくれるということに、女として喜びを感じないはずもない。そして一輝が望むのであれば、このままここで行為に及んでしまうこともステラとしては決して許容できないことではなかった。もちろんステラにも初めての理想はある。しかし最愛の人とお互いに愛し合って肉体が結ばれるのならば、それ以上に嬉しいことはない。

 だから……

 

「イッキ……」

「ステラ……」

 

 ステラが目を瞑る。

 その姿を見て、一輝の中の理性は完全に敗北してしまった。もはや脳と肉体は本能に従い戦闘準備を整え、下半身の《陰鉄》が力強く脈動する。その日本人離れした美貌へと一輝が本能のままに手を伸ばす。もはや二人の行為を阻むものなど何一つ存在しない。そして二人は男女として新たな段階(ステージ)へと歩を進める⋯⋯

 

 

 ……そのはずだった。

 

 

「はぁ~い、お届け物で~すっ! 救援物資を持ってきてあげましたよ~! ……ぉ?」

 

 蹴破るように扉を開け、唐突に山小屋へ現れた第三者()

 その存在に一輝とステラの思考は完全に停止した。そして半裸で絡み合おうとする男女の姿を目にした彼女の思考もまた、想像すらしていなかった光景にしばし動きを止める。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 祝の眼球が前触れもなく動く。

 囲炉裏の前に広げられた二人の衣服、はち切れんばかりに中身が屹立していることを伺わせる一輝のズボン、そして下着以外は何も身に付けていないステラ。

 これらを眺めただけで祝は、原作知識の追い風もあっておおよその事態を察した。

 故に、

 

「帰ります」

 

 ゲロ以下の存在を見やるように二人を一瞥した祝は踵を返し、振り返ることもなく山小屋の戸を閉めて立ち去ったのだった。

 数秒後、我に返った一輝は山小屋を飛び出し、雨の中で祝に土下座することとなる。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 信じられない。本当に信じられない。

 

 山小屋の中の唯一の光源である囲炉裏の炎を眺める私は、本気で疲れきっていた。

 二人のために山の中を雨合羽着込んでえっちらおっちら走ってきたっていうのに、当の救助者の二人はR18展開の一歩手前ってどういうことよ。性の喜びを知りやがって!

 

 っていうか私も油断していた。

 そうだよ、原作でも山小屋の中でそういうことやりそうな気配ではあったじゃん! その時は黒鉄が自制して発禁な展開にはならなかったけど、もしもアイツが理性に負けていたらエロ同人みたいな流れになっていてもおかしくはなかったのだ。

 クソッ、原作のイチャラブ展開をあえて忘れるように努めていたのが災いした。憶えていれば砕城か兎丸を吊し上げてでも代わりに行かせたのに。

 

 しかしそんな後悔ももはや後の祭り。

 現実として私はそういう場に突入してしまった、空気の読めない女になってしまったのだ。クソッ、少年マンガのお約束な展開じゃねぇんだぞ。現実でそんな場面に割り込んでしまったら居心地が悪くて死にそうになるわ!

 

 囲炉裏の前で暖を取りながらチラリと周囲に目を向ければ、そこには各々気まずそうに黙り込む少年と少女。

 黒鉄は先程までの自身の行いを深く恥じているらしく、自責の念に駆られているようだった。「僕は最低だ……」と時折呟き、見たこともないほど消沈した表情で囲炉裏を眺めている。この人、放っておいたら勝手に腹を切るか首を吊りそうなんだけど。頼むから衝動的にそういうことをするのは本気でやめてほしい。流石に目の前で自殺されると色々と困る。

 一方、ステラさんは私がリュックサックに詰めてきた毛布に包まって横になっている。風邪薬を飲んでから一言も口を利くことなく横になってしまった彼女は一見すると眠っているかのようだが、呼吸が先程から微妙に不規則なのできっと狸寝入りだろう。あわよくばそのまま眠りに落ちてしまおうという魂胆なのだろうが、既に狸寝入りを始めて30分。未だに眠れた様子はない。

 

 なお、二人が随分と前から恋人だったということは、あの後で雨の中で土下座した黒鉄の口から明かされることとなった。

 別に原作知識がある私には既知の事実であったから驚くに値しないのだが、二人はこれでも隠していたらしい。国賓のステラさんのスキャンダルは色々と面倒なことになりかねないので、当分の間は秘密にしてほしいと頼み込まれた。

 まぁ、二人の関係は謀略によってもう少しで白日の下に晒されることになるということを私は原作知識のおかげで知っているけど。

 

「というかですね」

 

 私の声が呼び水になったのか、黒鉄がノロノロと顔を上げる。

 その表情は絶望と後悔に彩られており、とても会話ができるような状態ではない。知ったことではないが。

 チッ、このクソ真面目め。ここで「男が女の裸に勃起して何が悪い!」と開き直るくらいの奴だったら容赦なくぶちのめして手打ちにしてやるっていうのに。こうも意気消沈されては手を出しにくい。むしろ自責の念から「もっと殴ってくれ!」とマゾいことを言いだしかねないから面倒臭い。

 

「貴徳原さんから連絡ありましたよね? 私が救援に行くと。それを承知でエロスな行為に及んだんですか?」

「……すみません。ステラの服を脱がすのに夢中で完全に忘れていました」

 

 おい、なぜ敬語。無駄に畏まるなよ気持ち悪い。

 そしてそこの痴女。嬉し恥ずかしな感じでビクッと身体を震わせるな。皇女だろうとマジでぶち殺すぞ。

 

「……あと、まさか疼木さんがこんなに早く到着するとは思わなくて」

 

 あ~、なるほど。それもあったか。

 そういえば私が追い出される前、貴徳原さんは30分ほどで私が到着すると言っていた気がする。しかし私は雨の中をダラダラと走る気はなかったので、魔力放出と伐刀絶技を使って最短距離を最速で移動した。よってここまで来るのに私がかかった時間は大体10分強だ。

 まさか険峻で鍛えた足腰が仇になるとは。⋯⋯いや、逆にあれ以上遅れていたらズッコンバッコンオーイェスな感じでヤっている最中に突入することになったということだから、むしろ私の足腰って凄くナイスなんじゃないか?

 よし、褒美に後でプロテイン飲んでやろう。

 

「……ハフリさんの伐刀絶技?」

 

 ポツリポツリと黒鉄と会話していると、狸寝入りを決め込んでいたステラさんが上半身を起き上がらせた。

 どうやらここいらで会話の流れを説教から世間話に変えようというらしい。こちらに目線で申し訳なさそうな表情でそれを頼み込んできたステラさんに、「仕方がないから乗ってやる」と微かに眉を顰めることで承諾する。

 

「ああ、ステラは疼木さんの能力を知らないんだっけ」

「ええ。私や珠雫みたいな直接的な攻撃力がある能力ではない、っていうことくらい」

「えぇ? それはいくら何でも勉強不足なのでは?」

 

 ステラさんは武者修行するために日本の騎士学校に留学しているはずだ。なのにその国で最強の学生騎士の能力も知らないとか、流石にそれはどうなのよ。原作でも、私がいなかった場合に七星剣王になった諸星くんの能力や霊装を知らない様子だったし。

 確か彼女は実戦を想定し、あえて対戦相手についての情報を収集しないというルールを自分に定めていた。その心がけは学生騎士として立派なことだと思うが、代表的な選手の情報すら知らないのは等閑(なおざり)に過ぎると私は思う。

 

 っていうか、もしかしてこの女は私が大鎌使いだからって侮っているのか?

 大鎌如きの情報を集める必要などないと驕っているのか?

 だとしたら死刑どころでは済まされない。少なくとも打ち首獄門一族郎党皆殺しコースは確定だ。ステラさんの一族は王族? 知るか。纏めて《三日月》の錆にしてやる。

 

 そんな被害妄想が私の脳内を(よぎ)るが……いやいやいや、ないないない。ステラさんに限って流石にそれはない。原作でもサッパリとした性格だったと記憶しているし、実際に会ってみてもその印象は変わらないし。

 あるいは普段の大鎌の迫害が強すぎて、私も最近ナイーブになっているのかもしれないな。

 そんな私を余所に、黒鉄は少し悩む素振りを見せた。

 

「うーん、でもなぁ。まだ試合は残っているし、疼木さんの伐刀絶技を勝手に教えてしまうのも……」

「私は別に構いませんよ? 伊達に七星剣王ではありませんからちょっとググれば出てくる情報ですし、破軍の生徒で知らない人の方が珍しいという程度には有名な話ですから」

 

 それに、知られたからといってそんなに困る伐刀絶技でもないしね。

 その理由として、便利ではあるけれども強弱で判断するのなら確実に弱い方の伐刀絶技であるためだ。例えるなら、ジョジョの《隠者の紫(ハーミット・パープル)》に近いポジションなのである。なので知られたことが原因で私の大鎌の勝利が揺らぐということもないだろう。

 よってステラさんに話しても別に問題はないのだ。

 そう黒鉄に言ってやったのだが、しかし彼は未だに渋い表情のままだ。どこか納得がいかない様子で「弱い能力、か……」と小さく呟いた。そして「僕自身はそうは思えないけれど」と前置きし、黒鉄は再び口を開く。

 

 

 

「疼木さんは世界でも珍しい因果干渉系の能力の使い手だ。その伐刀絶技《既危感(テスタメント)》は、自分に対する未来の“害”を限りなく100%に近い精度で察知し続ける、常時発動系の予知能力なんだよ」

 

 

 

 ね?

 微妙な伐刀絶技でしょ?

 

 




本当は巨人戦まで書く予定だったのですが、想像以上に長くなりそうだったので……
それと、いい加減に主人公のステイタスを載せたいので次回辺りのあとがきに載せる予定です。


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駆逐してやるッ、一体残らず……!

感想や誤字報告、ありがとうございます。
返信できていない感想もありますが、それらにも全て目を通しているのでこれからもどうかお願いします!


 《既危感(テスタメント)》と疼木祝――それは能力と伐刀者の組み合わせにおいて黒鉄一輝の知る限り最凶の例の一つである。

 

 通常、予知能力はその察知の方法から大まかに数種類に分類できる。主に視覚、聴覚、そして第六感などのタイプだ。この中で群を抜いて多いのが視覚のみ、あるいは視覚や聴覚などの複合、そして第六感から未来の情報を得るタイプである。

 視覚タイプは文字通り魔眼や鏡などから未来の映像のみを読み取る。複合タイプは鏡や水面に映る映像と音声などから未来を知り、第六感タイプは直感や予知夢、時には超自然的な現象から未来を察知するという。疼木祝という少女の《既危感》は、分類的にこの第六感タイプに当てはまるだろう。

 

 

 では、彼女は何から未来の情報を得るのか。――それは経験(・・)だ。

 

 

 彼女の伐刀絶技の恐ろしいところはここにある。

 そしてその恐ろしさを、あるいは祝本人よりも一輝はよく知っている。

 

(あの日――)

 

 一輝が思い返すのは、初めて祝と繰り広げた決闘。

 あの時、大鎌の動きを見切ったと確信した一輝は《一刀修羅》による決着を図った。全身から溢れ出す魔力に任せ、持てる剣術の全てを尽くして彼女を斬り伏せんと刃を振るった。

 だが……

 

(あの日、僕は彼女に一太刀たりとも入れることができなかった。掠らせることすらもできなかった)

 

 あのような奇妙な感覚は一輝にとっても初めてだった。

 己の誇る秘剣を振るえば、まるで既知であるかのように完璧に対処してみせる。必殺の戦術は、まるで見慣れた光景であるかのように裏をかかれる。ならばと鍛え上げた剣術による手数で圧倒しようと考えれば、まるで長年共に修行した同門の友であるかのように手慣れた様子で刀を捌かれた。

 

 その時、一輝は間違いなく己の剣の全てを知られていた。

 

 守勢に回った彼女には《一刀修羅》などまるで意味をなさない。

 虚を突こうにも祝は心が読めるかのように回り込み、退こうと足を下げれば踏み込まれる。まるで詰将棋のようにこちらの手が潰されていく。《一刀修羅》によって強化された身体能力さえ、祝の魔力放出による瞬間的な膂力と瞬発力によって相殺された。

 あらゆる戦術や可能性を追求して敵に勝つ――それが一輝の戦術だ。しかし“こちらを知り尽くしている”という予想外にして初めて体験する戦術に、一輝にはもはや成す術など残されていなかった。

 結局、最後は一輝の魔力切れで決闘は終了。

 指の一本も動かせずに倒れ伏した一輝は、血の一滴、痣の一つすらも作らずに己を完封した祝をただ見上げることしかできなかった。

 そして後に知る。彼女のその恐ろしい予知能力の正体を。

 

 《既危感》は祝の肉体に降りかかる未来の災厄を因果の流れから自動的に察知し、それを“経験”という感覚を通して祝に伝える伐刀絶技だ。それが人による“害”であろうと、自然による人の意志が介在しない“害”であろうと関係ない。

 

 例えば剣。

 《既危感》は彼女に剣が振り下ろされる因果を察知したのならば、「剣によって斬り殺された、傷つけられた」という未来の経験を祝へと齎す。この“経験”は非常にリアルなものとして祝の脳には刻まれるらしく、彼女の感覚では『その姿勢から繰り出される技を何万回も受けたことがある』かのように感じるほどの強烈な既視感(デジャヴ)を覚えるという。それも視覚に限らず、五感全てを通した限りなくリアルな既視感を。

 よって祝は、敵の剣が振り下ろされる前には既に失敗の経験と知識を得ている状態が完成してしまう。『失敗は成功の母』とはよく言ったもので、祝は身を以って学習した未来の(しっぱい)を回避することで生存(せいこう)の未来を掴み取ることができる。

 

 殺され、傷つけられ、害された未来の自分から贈られてくる遺言(テスタメント)

 

 それが祝の伐刀絶技の正体だった。

 しかし、だ。

 

(本当に脅威なのは、疼木さんがそれを使いこなせるだけの強さを持ってしまっているということだ)

 

 当然ながら無敵の能力など存在しない。

 そこには必ず何らかの弱点があり、そして攻略法が存在する。

 その一つとして、予知能力そのものの致命的な弱点が挙げられる。それは未来を知ることができてもそれに対処できなければ意味はないという弱点だ。回避も対策もできない絶望の未来など、もはや予知をするだけ無駄というもの。

 しかし七星剣王として相応しい技量を持った――否、歴代の七星剣王と比較しても尋常ではない戦闘能力を保持する彼女は、あらゆる絶望的な未来であろうと真っ向から乗り越えてみせる。それだけの純粋な強さが祝にはある。

 未来の死を、絶望を、災厄を跳ね除ける圧倒的な強さ。それこそが疼木祝が持つ《七星剣王》の称号を支える最も堅い土台なのだ。

 そしてこの強さこそが、祝が一輝から完璧な勝利を捥ぎ取ることができた理由だった。一輝が今まで習得してきたあらゆる秘剣、秘術、奥義――それらは全て、祝の前では凡百の一撃に成り下がる。彼女元来の強さと戦闘経験の前では、初見という意表を突く状況でなければほぼ通用しない。しかし彼女の伐刀絶技はその絶好の機会を完全に無効化する。

 繰り出される前に、それを祝は既に身を以って学んでいるのだ。身に降りかかる未来の“害”を過去の経験として飲み干してしまう彼女にとって、その未来が訪れた時には既に秘剣は秘剣ではない。

 

(つまり、相対的に中途半端な武術しかない僕には彼女に勝つ手段がない)

 

 未来予知という能力がある以上、隠し玉や不意打ちという手段すら彼女には通じない。災害や障害物といった偶然の“害”すら、彼女の進む因果に収まっている限り予知されてしまう。そこに『疼木祝という存在を害する』という因果が存在している限り、彼女を狙おうと狙うまいと、殺意があろうとなかろうと関係ない。

 しかも自身への“害”という因果に対象を絞っているためなのか、はたまた単純に能力が強力無比であるためなのか、祝は「予知を外したことはない」と公言している。これが本当ならば予知を誤ることも期待できないだろう。

 

 

 “害”という概念において、彼女に不測の事態はほぼ起こりえない。

 

 

 他の学生騎士を凌駕する力量を持つ祝と、不確定要素(きせき)を狩り尽くす《既危感》の組み合わせはもはや反則だ。彼女にマグレで勝つことはできないということなのだから。

 つまり、本物の強者でなければ彼女に勝つことは不可能ということになる。

 

(彼女がそうあろうと鍛えてきたのか、あるいは伐刀絶技をそういう方向に調整してきたのかはわからないけれど……能力と伐刀者の組み合わせに隙がなさすぎる)

 

 己の身を守るという一点に関して言うのならば、彼女の《既危感》ほどに優れた予知能力はそうは存在しない。

 そして、一輝が祝と闘う前にその《完全掌握(パーフェクトビジョン)》を完成させなければならない理由もここにあった。敵が己を知り尽くしてしまう性質を持つ以上、こちらはそれ以上に敵を知り尽くすしかない。それこそ、人格やその在り方まで全てだ。最大の武器である武術で彼女を圧倒できない以上、最低でも一輝は『読み』という土台で祝に並び立たなければもはや勝負にすらならないのだから。

 

 祝がこちらの戦術を読み尽くすというのならこちらもまた祝を読み尽くす。

 そして同等のレベルに築いた土台を踏み台に、祝の力量を超えた刃を以って正面から勝利を掴む。

 これが一輝の出した結論だ。いや、これ以外に祝に勝つ術は一輝にはない。

 

 しかし一輝は既に悟らされていた。その《完全掌握》までの道程の険しさを。彼女の人格や在り方は、一輝にとってあまりに甘美に過ぎた。思わず憧憬を抱いてしまうほどには。

 最低でも《完全掌握》を遂げなければ勝機はない。しかし《完全掌握》をしてしまえば、自分は彼女の修羅道に引き摺り込まれて道を踏み外すことになるかもしれない。勝負に勝つために信念を曲げるのでは、それこそ勝利する意味がなくなってしまう。

 まさに疼木祝という少女は、一輝にとって最悪の相性をこれでもかと揃えた伐刀者だった。

 

(……クソッ)

 

 らしくもなく一輝は内心で毒づいた。

 それも無理はない。もはや状況は八方塞がりに近いのだ。

 不屈の闘志は未だに一輝の中で燃え続けている。しかしその熱を解き放つことが一輝にはできない。それがどうにも歯痒くて仕方がなかった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「未来の“害”を常にって……それじゃあ基本的に全ての戦闘が予知に引っかかるってことじゃない……!」

 

 ステラさんが信じられないように呟いた。

 流石はヒロイン、理解が早い。確かにステラさんの言う通り、私の《既危感》は戦闘において凄まじい効果を発揮する。なぜならば害とは戦闘において必要不可欠の概念であるためだ。むしろ相手を害する行動こそが戦闘の本質であり、つまり“害”という概念を排してしまえば戦闘そのものが成立しない。

 しかも私の《既危感》は予知の精度が他に類を見ないほど非常に高く、ノストラダムスの大予言やマヤの予言など鼻で笑うレベルでバンバン的中する。

 確かに話だけを聞くのなら反則級の予知能力だろう。

 

「もしかして、ハフリさんにはもう次の試合の様子が視えている……とか言わないわよね?」

「いやいや、流石にそこまでは予知できませんよ。私の予知圏内は基本的に直近の未来。訪れる害の規模によって幅はありますけど、流石にそこまで先の未来は捉えられません」

 

 ここが《既危感》の微妙な点の一つだ。

 予知できる未来が凄まじく近い。具体的にはほぼ数秒だ。この理論を詳しく説明すると気が遠くなるほど話が長くなってしまうのでかなりザックリと行くが、その原因は『細かな因果にとって人間の意思は不確定要素が過ぎる』という要素が大きい。

 

 例えば、A地点からB地点へとある人物が移動するという“巨大で強い因果”があるとする。この因果の流れを動かすことには凄まじいエネルギーと因果への影響力が必要なので変動することはまずないのだが、そこへ至るための細かな道筋や速度はその移動する人物の意思に委ねられている。よって『その人物がAからBへ行く』という漠然とした予知ができても『その人物がどのルートで向かい、何歩で到達し、道の右側と左側のどちらを歩き……』というような細かすぎる因果の流れまで予知するのは、“人間の意思”という不確定な存在のせいで死ぬほど難しくなってしまうのだ。

 人は平気で「気分ではない」という理由のせいで道を変える。歩調を乱す。人間の意思が一律の法則性や規則性を持たない以上、もはや細かい未来は無限大だ。

 

 そしてそんな事象の連続なのが戦闘というもので。

 細かな動作の一つで生死が決定してしまう戦場においては、その“細かな因果”が私への害に直結する。

 よって“細かな因果”がほぼ確定的なレベルに達したところ――即ち「これからこういう攻撃をこういう手順で繰り出すぞ」と敵が意思の内で決定した瞬間に《既危感》は害となる未来を察知する。

 つまり最悪の場合、相手が反射的に動いたせいで「自分は0.1秒後に殴られる」なんていうクソの役にも立たない未来が予知されることもあるのだ。

 

 まぁ、流石にそこまで切羽詰まった予知はあまりないけどね。

 意思の他にも人体の構造上の可能性、装備の可動限界、間合い、地形、持っている武術の癖などの数多で複雑な因果が絡まり合い、大体は数秒前には敵が繰り出す害の因果は9割がた決まってしまう。これによって数秒前の予知が成立するというのが戦闘中の《既危感》のメカニズムだ。

 

「――という感じで割と簡略化して説明してみましたけど……ステラさん、理解できています?」

「大まかな感じではね。私は因果干渉系の能力を持っていないから実感は湧かないけど」

「凄くザックリとした説明ですからね。御祓さん辺りならば感覚を掴めたかもしれませんけど、ステラさんには流石に難しすぎました」

 

 先天的に目が見えない人は色という概念を理解することができない。

 同じように因果に対する感覚というのは因果干渉系の伐刀者にしかわからないだろう。これを言葉で説明しようとすると、どうしても常人には理解しがたい理論や話し方を展開することになってしまうのだ。

 むしろ「なるほど、さっぱりわからん」という人の方が普通だろう。あれだ、「イザナミだ」を読んだときの読者の感覚に近いと思う。

 

「でも、割かし遠い未来でも予知できることはありますよ? 例えば人間の意思がほぼ介在しない自然現象などがそうです。大きい地震や津波レベルともなれば3日前くらいに予知できたりしますし。あくまで私に直接的な害があるものに限りますが」

 

 まぁ、わかるといっても「絶対にないけど、昔ここで大きい地震に遭遇したような」といった曖昧な感覚だけど。震災のせいで家屋倒壊に巻き込まれる、というような細かな未来は後から徐々に予知していく形になる。

 しかし本当、予知能力者的には人間と比べて自然はヤバいくらい素直で素晴らしいよ。

 大規模な自然現象は基本的に先程言った“巨大で強い因果”に分類されるので、基本的にかなり前の段階から《既危感》に引っかかる。オマケに自然は意思など持たないため、その全ての動きは凄まじく機械的だ。よって細かなブレもなく本当に予知がしやすい。

 最近はますます精度が上がっている(・・・・・・・・・・・・・)せいか天気の崩れまで予知できるほどだ。今日の雨だって「このまま山で燥いでいたら雨に降られて濡れた」という可能性の経験を《既危感》が察知したおかげで30分前には対処を始めることができた。

 同じような理由で障害物の存在も予知しやすい。物は意思を持たず、常に外部からの物理的なアプローチのみで成り立っている。だから私は雨の森の中でも足を滑らせることはないし、枝に引っかかることもない。

 

「……あの、ハフリさん」

「何です?」

「説明してもらってからこんなことを聞くのもおかしいけど……本当に私に伐刀絶技のことを話して良かったの? それもこんなに詳細な情報を」

 

 疑いと申し訳なさを混ぜ合わせた表情をしたステラさん。

 私がこんなに馬鹿正直に自分の秘密を喋ったことが納得できないのだろうか。まぁ、これから闘う相手に偽情報を流しているのかもしれない、と疑ってかかるのは伐刀者として大変良いことだと思うが。

 

「別に構いませんよ。さっきも言ったように少し調べればわかる情報ですし。それに大鎌(わたし)の強さは《既危感》の存在を知られた程度では揺るぎませんから」

「……ッ」

 

 実際、マジな話ここのところはこの予知は殆ど役に立っていないしね。

 何が起こるかわからない戦場に立ってこそこの伐刀絶技は威力を発揮するのに、学生騎士との試合では予知を使うまでもなく私の地の戦闘経験で普通に対処可能だ。

 そして私の《既危感》は常時発動型とはいえ、もはや目を瞑ってでも対処できるレベルの害には流石に反応しない。もはや(しっぱい)の可能性が極小となれば、それは“ほぼあり得ない可能性”と見做されて予知から弾かれてしまう。

 最後に《既危感》が戦闘中に発動したのは……春休みに《解放軍》鎮圧の特別招集をされた時になるのか? あの破軍からは私と東堂さんと貴徳原さんのスリーカードが出されたやつ。

 あとはもう天気予報くらいにしか使えていない。

 ……まぁ、つまりだ。

 

 

 大鎌が強すぎて予知が死にスキルになっているということだねっ!

 

 

 いやぁ、辛いわぁ~。的中率100%の予知能力だっていうのに活かす機会がなくて辛いわぁ~。

 それもこれも、もはや予知を必要としないほどに研ぎ澄まされた刃! 万能と言っても過言ではない対応能力! そして何より発揮された武器としての性能! つまり大鎌がこんなに強すぎるのが悪いんだよ!

 ああっ、大鎌のせいで私の《既危感》がどんどん産廃になっていく! 大鎌が最強すぎて本当にごめんね!

 

 なんて考えていると、何やらステラさんが今までと違う色の視線でこちらを見てきた。

 何か恐ろしいものでも見るかのような目なんだけど、どうしたの?

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「別に構いませんよ。さっきも言ったように少し調べればわかる情報ですし。それに私の強さは《既危感》を知られた程度では揺るぎませんから」

「……ッ」

 

 その威風堂々とした振る舞いに、ステラは思わず圧倒されていた。

 表面上はいつも通りの穏やかな振る舞いでありながら、その言葉の裏には己の強さに対する絶対的な信頼があった。ともすれば傲慢や慢心とも取られるその自信。しかしそれを身の程を弁えない愚者の言葉と捉えることはステラにはできなかった。

 七星剣武祭を制したという実績があるから、実力の一端を垣間見たという経験があるから、己を打倒した一輝が強いと評したから――ではない。

 

 ステラの奥底で燻る本能が、祝の存在をこの瞬間にどうしようもないほど恐れたからだ。

 

 今の言葉が祝にとってどういう意味を持っていたのかはステラにはわからない。あるいは言葉通りの意味なのかもしれない。

 しかし何気ない今のやり取りを終えた瞬間、ステラの中の本能は目の前の少女を“少女の形をした本物の怪物”であると認識していた。もはやステラの本能は、目の前でほわほわと笑う彼女がいつでもこちらを殺すことができる存在なのだと主張して止まない。

 

(なるほどね。確かにこれはヤバいくらいに本物だわ……)

 

 毛布で温められたはずの背中に冷たい汗が一筋流れる。

 先日の《狩人》のように、才能に溺れた偽物の強者ではない。祝は当たり前のように“覇者”なのだ。ごく自然で、当然のように強者として君臨している。

 試合の時に普段の様子とまるで変化がなかったことにもこれならば納得がいく。彼女にとってのあの穏やかな自然体とは、それこそが戦闘態勢なのだ。闘おうと思わずとも闘え、殺そうと意識する必要もなく殺せる領域にまで魂を昇華させてしまっている。だから彼女は殺気を放つこともなく、殺意を抱くこともない。

 『殺意』とは即ち、人間が発する“敵を殺そうとする意思”だ。その意思が目つきや語気、体捌き、あるいは魔力の猛りやそれに触れた大気などに影響を及ぼし、それを感じ取れる者だけが初めて『殺気』と呼ばれる超感覚を知ることができる。逆に言うのならば、己を律し、精神と肉体を御する者ならば自在に殺気を放ち、同時に消し去ることもできるだろう。

 しかし祝は違う。

 きっと彼女は何らかの原因で敵に怒りを抱いていようと殺意は抱かない。なぜなら敵を殺さないという選択肢は、わざわざ自分で選ばなければならない選択肢だから。“敵を殺そうとする意思”が本能や魂のレベルで定着してしまった彼女からは、もはや殺気という名の違和感は発せられない。

 

(人は極まりすぎると、こんな領域に至ってしまうというの……!?)

 

 俄かには信じられないことだった。

 敵を殺すのが当然で、闘うことが自然という状態で人間の精神が安定するなど。一体どんな思考回路をしていればそんな思考を保ち続けることができるというのか。

 

「ハフリさん……貴女は……」

 

 ――貴女は、どんな人生を歩んできたというの……?

 その言葉をステラは口にすることができなかった。

 不意に祝が立ち上がり、扉へと視線を滑らせたためだ。その直後に一輝もその視線を鋭くし、ステラも違和感に気付く。

 

「これは……地震?」

「本当だ、確かに揺れている。でも……」

 

 揺れている。それは間違いない。しかし一輝が言い淀んだ理由をステラもすぐに理解した。

 山小屋の床が、グラッ、グラッと断続的に傾くような感覚。しかしそれにしては少しおかしいのだ。地震ならば普通は地面が波打っているかのように揺れるはずだ。だというのにこの揺れはいつまで経っても断続的なのである。一定の間隔で小休止を挟むそれは、地鳴りというよりはまるで巨大な足音のようで……

 

「……まさか、本当に巨人なのか!?」

「じゃないでしょうかねぇ。まぁ、何にせよ二人は中にいてください。パパッと手早く片付けてきますから」

「……えっ!? ちょ、ちょっと!」

 

 まるで散歩に行くかのような気軽さで祝は動き出した。

 壁にかけてあった雨合羽を羽織り、そのままフードをかぶったところでステラが我に返る。

 

「私も行く!」

「ちょ、ステラ落ち着いて! もしも巨人が狂暴だったら戦闘になるかもしれない。病人のステラに無理させるわけにはいかないよ。大丈夫、僕も行ってくるから」

「えっ……でも、私も巨人見たいし……」

「あっ、僕と疼木さんの身を案じてくれたとかじゃないんだね……」

 

 一輝とステラがそんなやり取りをしている間に、足音と思われる振動は小屋のすぐ傍まで近づいてきているようだった。ステラを説得している一輝に痺れを切らした祝は、「もう行きますよ」とそのまま二人を置いて扉を開け放つ。

 そして、そこにあった光景に祝は「お~」と感心したように口を開いた。そしてその視線を上へ、上へ、上へ――

 

「こうして直に見ると意外にデカいですね」

 

 その視線の先には、首が痛くなるほど見上げなければならないほどの巨人がいた。

 事前情報の5メートルという情報よりもかなり大きい。全長は10メートルに達するほどで、それが小屋の前に佇む姿は異様でしかなかった。その身体は人間のような肉によって構成されたものではなく、恐らくは土塊と岩の集合体だろう。その姿を祝の後ろから眺めたステラは「エヴァの中身とか進撃してくる感じのを想像していたのに!」と声に出すほどショックを受けている。

 確かにこの姿では巨人(タイタン)というよりは巨人(ゴーレム)だ。

 

「って、そんなことを言っている場合じゃ……!?」

 

 一輝が慌てて《陰鉄》を展開したのと、巨人がそのサイズに見合う巨大な足を持ち上げたのは同時だった。

 持ち上げられた足は、巨人が前傾姿勢になると同時に凶悪な踏み潰し(ストンピング)となった。まるで蟻を踏み潰すかのような単純な動作。しかし巨体を見れば歴然のその大質量が繰り出せば、それは人間を殺すには充分すぎる殺人的な攻撃だ。

 

「逃げてッ、ハフリさん!」

 

 ステラの悲鳴があがる。

 三人の中で最も先頭に立つ祝へ、その小さな身体を粉砕せんと巨大な足が迫っていた。

 しかしそれに対し、祝は一歩も足を動かそうとしない。それどころか、まるで受け止めようとするかのように左手を持ち上げ……

 

「えいっ」

 

 衝撃で大気が爆発し、爆音が山肌を駆け巡る。

 祝の左手と足が接触した瞬間、巨人は宙を舞っていた。振り下ろされた足は付け根までが粉砕され、その原型を留めていない。残された軸足は完全に宙に浮き、巨体は背中から背後の地面へと倒れ込んだ。その瞬間、その質量に見合う凄まじい轟音が先程の爆音を追いかけて山中に響き渡り、大量の泥と千切れた木々が巨人の転倒に巻き込まれて粉塵のように舞い上がる。

 魔力放出だ。

 その質量差を覆すほどの威力を持った魔力放出によって巨人の足は砕かれ、それだけでなくその巨体を押し返されてしまったのだ。

 その非常識極まりない反撃を繰り出してみせた祝は、しかしそれを誇ることもなく一輝たちに向き直ると、「見てください」と巨人を指差して何やら講釈を始めてしまう。

 

「やっぱり巨人の正体は魔術でしたね。学生騎士の二人には珍しいでしょうけど、ああいった戦法を取るのは『鋼線使い』と呼ばれる伐刀者です。ほら、巨人を構成する岩から微かに魔力を感じるでしょう? 彼らは魔力の糸によって遠隔操作で傀儡を操り、遠距離から一方的な攻撃を――今話し中」

 

 起き上がろうと上半身を上げた巨人。しかしにべもなく言い放った祝は、一瞬で展開した《三日月》を振り向き様に巨人へ投げ放った。爆風のような唸りをあげた《三日月》は巨人の眉間に直撃し、そのままその頭部を跡形もなく吹き飛ばす。

 その反動で再び巨人の上半身は地面へと叩き付けられ、先程の地響き以上の揺れが小屋の戸口に佇むステラたちを襲った。

 

「……ねぇ、イッキ。日本の学生騎士はレベルが高いって聞いているけど、10メートルもある巨人を正面からあんな一方的にぶっ飛ばせるのって全国レベルでは割と普通のことなの? だとしたら私、井の中の蛙みたいで凄く恥ずかしいんだけど」

「安心して、ステラ。彼女が普通じゃないだけだから」

 

 状況はまさに一方的だった。

 祝はその絶対的な質量差などものともせず、それどころか先程からその場を動いていない。しかも会話する余裕すら見せており、巨人は全く相手になっていなかった。むしろ敵対的な立場にある巨人が気の毒に思えるほどだ。

 しかし巨人を背後から操る鋼線使いもこのままの状況に甘んじる気はないらしい。

 俄かにその巨体が崩れて岩塊に戻ったかと思うと、なんと細かな岩塊が新たに組み合わさることで複数の人影がゆらりと立ち上がったのだ。今度の傀儡は2メートルにも満たない人型とはいえ、その数は思わず一輝が息を呑み後退りするほどに多い。ざっと見ただけでも百体近くはいる。

 

「鋼線使いっていうのはこんなこともできるのか……!」

「なるほど。質で勝てないのなら数でってわけね。イッキ、ハフリさん。こればかりは私も加勢するわよ。この数、流石に二人だけじゃ多勢に無勢――」

 

 白い雨合羽が翻る。

 ステラと一輝が止める間もなく、祝は目にも止まらぬ勢いで岩の傀儡の群れへと突入した。そして新たに《三日月》を展開し直すと、鈍色の刃が次の瞬間に閃光と化す。

 

「数が多ければ勝てると思ったんですかね」

 

 一閃――魔力放出によって当たり前のように音速の壁を引き裂いた斬撃が、数体の傀儡を纏めて粉砕した。

 斬撃の勢いに身を任せて飛び上がった祝の蹴りが手近な傀儡に炸裂し、十数体を巻き込んで森の奥へと吹き飛ぶ。

 背後からその隙を狙おうと傀儡が飛びかかれば、振り向き様の裏拳によって木っ端微塵となるだけに留まらず、その破片が散弾のように飛び散って他の傀儡を穿っていく。

 それでも祝の足は止まらない。数の暴力で攻め立てる傀儡たちを、個の暴力が蹂躙する。豪雨による足場の悪さなどものともせず、大鎌を手に踊って踊って踊り狂う。

 

「温いですね。私を仕留めたければこの三倍は持ってきてください」

 

 そこは完全に祝の独壇場だった。

 刃は岩に徹らない。拳で岩は砕けない。――そんな常識を嘲笑うかのように彼女はそれを成す。

 傀儡の1体が拳を振り上げている間に間違いなく六、七体は消し飛んでいる。彼女が踏み込むだけでその場所は一秒で空白地帯と化す。百倍に近い数の差など何の有利性も持ち合わせてはいない。

 ステラのような炎を操る力もなく、一輝が闘った《狩人》のような特殊な能力もない。誰にでもできる基礎的な能力と技で、祝は敵を瞬く間に殲滅していく。

 

「これが最強の学生騎士の実力ってわけ……!?」

 

 単純で純粋で、そして馬鹿馬鹿しくなるほど普通に強い。それが祝の動きを見てステラが感じたことだった。

 魔力放出によって強化されたその敏捷力と瞬発力は、ステラの目から見ても学生騎士の領分を越えている。速度のロスを極限まで削るその体捌きと魔力放出による瞬間的な加速は、《一刀修羅》を用いた一輝に重なるところがある。両者を単純に比較することはできないが、ステラには優劣を付けられるほどの差があるとは感じられなかった。

 また、同じく魔力放出によって強化された刹那の膂力も凄まじい。流石に圧倒的な怪力を誇るステラには一歩も二歩も劣るだろうが、逆に言うのならば全力の一輝とほぼ同等の速度でステラに少し劣る程度の膂力を振るってくるということだ。それも一輝のような一分間という時間制限などなく。

 

「小細工なんてなく、誰にでもできることを最高レベルでやっているだけ。それがハフリさんの強さなのね」

 

 一体、どれほどの修練の果てに辿り着いた領域なのか。

 祝の強さをそのレベルに高めているのは、間違いなく彼女の魔力制御能力だ。現に先程から一切の魔力を感じさせない彼女は、ステラでは想像もできないほどの高効率で低燃費な魔力運用をしているのだろう。そしてそれすらも伐刀者ならば誰にでもできる能力の応用でしかない。

 

「こんな風に単純に強いだけ(・・・・・・・)の人がいるだなんてね。武術でランク差を覆すイッキといい、本当に世界は広いわ……」

「僕と彼女では比較にならないと思うけどね」

 

 木の葉のように空中へ蹴散らされる傀儡たちを眺めながら一輝は苦笑する。

 その単純な強さを身を以って知っている一輝の瞳に驚愕はない。しかし己の敵を油断なく再確認する戦略家としてその目は祝に向けられていた。

 しかし一輝たちが改めて祝の強さを確認させられている一方、祝は状況に少々の停滞を感じ始めていた。

 適当に傀儡を蹴散らしていた祝だったが、先程から蹴散らした傀儡と動いている傀儡の量にズレを感じ始めてきたのである。それで砕けた岩に戻った傀儡を注視してみれば、なんと岩の欠片が集合して新たな傀儡を作り出しているではないか。ふと周囲を見渡せば、森の奥まで吹き飛ばした破片まで引き摺られるようにこの場に戻ってきている。

 

「傀儡の再生とは、また器用なことをしますね」

 

 こんな展開、原作にあったかなぁ……?

 記憶の中に意識を馳せながら、祝は内心で首を傾げる。原作だけでなくアニメ版ではどうだったか……、と考えつつ、とりあえず近場の傀儡を大鎌で纏めて薙ぎ払った。

 

「ハフリさーん。傀儡の数が戻ってきているようだけど、やっぱり手を貸したほうがいいかしらーっ?」

 

 小屋の戸口から、毛布をかぶった状態で声を張り上げるステラ。

 確かに彼女の手にかかれば傀儡を跡形もなく焼き尽くすこともできるだろう。しかし祝は「大丈夫で~すっ」と手を振ってみせた。

 事実、それは強がりではない。祝もこれまでに鋼線使いと呼ばれる伐刀者と闘った経験はある。そしてそこから『対鋼線使い』と言える戦術を編み出しているのだ。

 

(もう“警告”も充分でしょうし)

 

 軽業のような俊敏さを見せていた祝が唐突にその足を止める。

 そして手近な傀儡に近づくと、徐にその胴体に左の貫手を叩き込んだ。その身体は岩でできているというのに、貫手は豆腐を貫くようにその胴体へとめり込む。

 すると、だ。

 

 全ての傀儡が一斉に動きを止めた。

 

 味方が何体潰されようと動きを乱すことなく行軍していた傀儡たちが、文字通り糸の切れた人形のように微動だにしなくなる。

 その中で一体が最後まで抵抗するように悶えていたが、やがてそれも他の傀儡たちと同じようにその動きを止めた。

 

「よ~し、中継点(ハブ)は無事に掌握っと。このまま術者まで糸を一気に伝って――」

 

 鼻歌混じりで祝は魔力を行使する。

 刀華に余計なことをするなと散々言われていたため、祝もここまでは警告代わりに穏便な(・・・)方法を取っていた。しかしそれを無視してここまで執拗な真似をするというのならば、こちらも手段を選ばないというだけの単純な話だ。

 そして祝の中では、警告を無視するということは何をされても文句は言えないということで……

 

「まっ、相手が相手ですし《月頸樹(げっけいじゅ)》でも死ぬことはないでしょう」

 

 どうでもいいですけど。

 そう呟いた瞬間、祝の左手から大量の魔力が糸へと流し込まれた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……酷い様だな」

 

 開口一番、男は眉を顰めて言い放った。

 その言葉と視線に晒された長身の人物――平賀玲泉は、まるで気にした様子もなく「いや、全くです」とお道化てみせる。

 

「新しいハブの試験を兼ねたちょっとした悪戯だったんですけどねぇ。藪を突いてみれば蛇どころか鬼に遭遇してしまいましたよ。高々10メートル程度の《機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)》では相手にもなりませんか。流石は音に聞こえた七星剣王」

 

 ほら、と平賀が左腕を掲げてみせる。いや、正確には掲げようとした。

 しかしその動きに耐えかねた左腕はぶちぶちと千切れる音を立て、肘から先が床に落ちてしまう。その細い左腕だったもの(・・・・・)は異様な姿となっていた。袖の下からはびっしりと鈍い光沢がその身を覗かせており、千切れた断面すらもそれは例外ではない。もはや肌と呼べる部位はほぼ残されておらず、その一面は鋼色で覆われてしまっている。

 

「まるでウニかハリネズミになった気分ですよ。あぁ、酷い酷い。よく見れば胸元まで侵されている」

 

 平賀が身体を(まさぐ)れば、千切れた左腕の残りはもちろんその延長にある胴体まで同じ現象が起こっていた。

 男はしげしげとその様を眺めると、その光沢の正体を知るなり「ほう」と興味深そうに口の端を吊り上げる。

 

「相変わらず面白いことを考える女だ。この刃、全てが霊装(・・)なのか」

「みたいですね。いきなりボクの糸を伝って魔力を流し込んできた時は何事かと思いましたけど、その魔力で不完全な霊装擬き(・・・・)を作り出すとは。おかげで滅多刺しにされてしまった」

「奥多摩からここまでの距離がありながら、糸で繋がってさえいれば遠隔でも霊装を作り出せるのか。……ますます面白い」

 

 転がった左腕の残骸から男が刃を一本引き抜いてみれば、確かに覚えのある刃だった。

 この現象の下手人である少女の霊装にあった短剣の部位だろう。刃の根元を見れば、空気に溶けるようにその先の部分が崩れている。一本でも多く刃を相手に突き刺すため、残りの部位はあえて展開せずにいるのか。

 目の前の鋼線使いは魔力が全身に行き渡る前に無理やり糸を断ったようだが、それでもこの殺傷能力。昔から自分にはない発想を闘いに持ち込む奴だと男は思っていたが、どうやら何年経とうとそれは変わらないらしい。

 

「フフフ、七星剣王といっても所詮は学生騎士だと少し侮っていましたよ。彼女、最後の攻撃は間違いなくボクを殺しにかかってきていましたよ? 幻想形態を使うこともしないとは、殺意に満ちていますねぇ」

 

 事実、この攻撃の殺傷能力は尋常ではない。

 “肉体を内側から刃で刺し貫く魔術”など、どれほど殺意に溢れた発想力があれば思い付くというのか。

 食らったのが平賀でなければ、間違いなくこの魔術によって筋肉や内臓、果てには脳を刻まれて死んでいただろう。

 しかし男はその言葉を嘲笑するように鼻を鳴らした。

 

「戯け、あの女が殺意など持つものか。どうでも(・・・・)()()()()()()()。アイツにとって敵の生死など考慮に値することのない些事だ。あれはどこまでも己の力を試し、高めることしか眼中にない求道の怪物。恐らく今回のこれも、邪魔だから排除するという以上の意図はないだろう」

「その排除とやらで相手が死ぬことになっても彼女には些事であると? 学生騎士でありながら、随分と頭の螺子が外れたお方だ」

「貴様が言うな」

「ああっ、確かに!」

 

 男の言葉に、平賀は狂ったように隻腕となった腕で腹を抱えて笑った。

 それを不快そうに一瞥した男は改めて手の中の刃へ視線を落とす。

 その鋼色を見ていると、不意に胸元が疼いた。この感覚も久しぶりだ。ここに残された“傷痕”は、時折己の意思で蠢いているかのような痒いともこそばゆいとも言えない不思議な感覚を男に齎す。その度に男は、自分の肉体がこの傷をつけた女を自ら斬りたがっているのだと感じていた。そしてそれはこの男も望むところでもある。

 

「……ふん、早ければ《前夜祭》で相見えることになる。《紅蓮の皇女》共々、精々首を洗って待っていろ」

 

 不敵に笑う男の手の中で、水に晒された砂の城のように刃が崩れて消えた。

 

 

 

 

 

 

 




やっと巨人戦(野球ではない)を迎えられました! 展開が遅くて本当にすみません。
あと、伐刀絶技の説明がわかりにくくてすみません。自分で書いていても「イザナミかよ」と思えるほど書きにくい場面でした。
それと前回のあとがきで書いた通り、主人公のステイタスを載せておきます。

【伐刀者ランク】B
【伐刀絶技】《既危感》etc.
【二つ名】七星剣王
【人物概要】大鎌というハンデを努力で覆したシンデレラ(笑)

【攻撃力】C
【防御力】D
【魔力量】A
【魔力制御】A
【身体能力】A
【運】F

恵まれた魔力量を持ちながら、それを活かすための直接的な攻撃力のある能力を持ち得なかったことからこの評価になった感じです。魔力放出による爆発力は【攻撃力】ではなく、ここでは【魔力制御】の項目にプラスされていると想定しました。
そうでないと氷塊とかを一瞬で作り出せる珠雫の【攻撃力】がDだったり、《犀撃》で岩も砕ける一輝の【攻撃力】がFなのが納得できなかったので。
……こんな感じのステイタスでお願いします(震え声)


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だが私は謝らない!

感想、及び誤字報告ありがとうございます。



 傀儡たちが動きを止め、祝が霊装を解いたことで戦闘は完全に終了となった。

 小屋の目と鼻の先が岩だらけとなったこと以外に祝たちの被害はない。祝の持つ知識では巨人が山小屋を粉砕していたため、相対的に被害は皆無と言って過言ではないだろう。

 その後、祝たちは改めて山小屋の中で雨宿りをすることとなり、それから雨が上がったのは日が暮れ始める時間帯となってからだった。

 その間に祝は巨人撃退の報告を刀華にしたのだが、その戦闘の余波で山の木々がかなり押し潰されてしまったことについて小言を言われそうになったことは些細なことである。もちろん祝はその瞬間に生徒手帳の通話を切り、そのまま電源までオフにしたのはさらにどうでも良いことだった。

 

「そういえばハフリさん。すっかり忘れていたけど、さっきの傀儡を操っていた伐刀者は放置していていいの? こうして下山している最中にまた襲ってきたら厄介よ?」

 

 小屋の中で乾かした制服を着込んだステラは、祝が持ってきた薬のおかげでかなり症状が治まっている。

 しかし薬が抑えているのはあくまで症状であり、風邪が完治しているわけではない。そのため祝たちはステラに負担をかけないよう、ゆったりと散歩するようなペースで山を降りていた。

 そんな最中のステラの質問に、先頭を歩いている祝は「あ〜」と苦笑する。

 

「傀儡の裏にいた犯人を捕らえるのは、この面子ではちょっと無理だと思いますね。捕まえようにもちょっと距離が……」

「ああ、遠隔操作って言っていたものね。一体どこから操作していたのかしら」

「さぁ? 細かい距離を測る前に糸を切断されたので正確なものはわかりませんが、向こう側に到達するまでにかかった時間から逆算するに少なくとも100キロメートル以上は――」

「「100キロッ!?」」

 

 ステラと、その後ろを歩いている一輝の声が重なった。

 二人は祝の言葉に驚愕を隠せない。それも当然のことで、そこまで遠距離から魔術を行使できる伐刀者など二人は聞いたこともなかった。それが事実ならばその鋼線使いは祝とは違うベクトルで非常識な存在であることは間違いない。

 

「こ、鋼線使いってそんな距離から攻撃できるものなの……?」

「まさか。流石にここまでべらぼうな鋼線使いは私も見たことがありません。1キロ2キロくらいなら聞いたこともありますけど、100キロなんて桁違いもいいところですよ」

 

 もはや次元が違うと言うべきだろう。

 祝の持つ原作知識ではこの鋼線使い――平賀玲泉の正体は結局明かされず仕舞いだったので詳しいことはわからないが、あるいは彼こそが話に聞く《魔人(デスペラート)》という存在なのかもしれない。

 己の可能性を極め尽くし、それでもなお力を欲する伐刀者だけが至れるという領域。彼らはその限界突破の末、生涯変動することがないとされる魔力総量すらも上昇させてみせるという。原作でもそれっぽいことが示唆されており、実際に一輝がその段階に至ったのは祝としても間違いないと思っている。

 祝としては伐刀者に限界などないという事実が知れたため、非常に憧れる存在ではある。大鎌の可能性に自分が付いていけず、その未来を潰してしまう可能性がこれで消えたからだ。そんな領域など祝にはまだまだ見えてはいないが、これで安心して修行もできるというもの。

 

「というか、疼木さんはその鋼線使いの糸を辿ったって今言ったよね? どうやってそんなことを……」

「別に特別なことはしていませんよ。傀儡に張り巡らされた魔力の糸に絡み付かせるようにして魔力を流し込んで、それを薄く引き伸ばす感じで糸を辿ったんです。その時に糸を私の魔力でホールドして傀儡の動きを掌握、そのまま()り手にその魔力が到達するまで延々と魔力を伸ばしていきました」

「……傀儡を抑え込みながら、そのまま100キロメートルも?」

「はい」

 

 平然と答える祝だが、一輝とステラからすれば理解できる領域にない。糸を魔力でホールドって何だ。どうすればそれほど遠距離まで魔力を途切れさせずに伸ばせるというのだ。

 

「じゃあ、もしかするとその鋼線使いはまた攻撃を仕掛けてくるかもしれないのね」

「流石にもう襲ってこないとは思いますよ? ここまで伸びている糸を切断したということは、ここに攻撃するための手段を失ったということでもありますから」

 

 そして祝は余計なこととわかっているため口にこそしないが、糸を通じて適当に反撃もしている。それにそこそこ手応えがあった以上、例え攻撃手段が残っていたとしてもこの辺りが引き際と相手もわかっているだろう。手傷を負った状態で再び襲撃するのはどう考えても得策ではない。

 そんな話をしながら山を下っていた三人は、どうにか周囲が暗くなりきる前に合宿所に到着することができた。

 合宿所の前では刀華たち生徒会の面々が待ち構えており、特に刀華はステラが体調を崩したことを心配していたらしく飛ぶようにステラへと走り寄ってきた。その勢いのまま容体を確認すると、大事ないということを理解したのか安堵の溜息を吐く。

 

「良かった……まだ少し熱はありますけど、とりあえず大丈夫そうですね。でも大切な選抜戦が控えていますし、念のために病院でお医者さんに診てもらいましょう」

「と、トーカさん。大袈裟よ、これくらい。もう体調も戻ったし」

「駄目です! 病気を甘く見ると酷い目に遭うんですよ!? 例え風邪だろうと油断してはいけません!」

 

 真剣な目でステラに語り掛ける刀華に聞こえないよう、一輝と祝に近寄ってきた御祓が「刀華の両親は病気で亡くなったんだ」と囁く。彼女が風邪一つにも過敏な反応を示すのはそれが原因らしい。

 それを苦笑しながら眺めていた一輝に、他の生徒会役員たちの後ろで黙っていた砕城が「黒鉄」と声をかけた。

 

「砕城くん、どうかした?」

「うむ、実は貴殿に客人が来ている」

「僕に?」

「あっ、そうそう! ヒイラギから巨人をぶっ飛ばしたって連絡があってからすぐに来たんだった。今はカナタ先輩が対応しているよ?」

 

 そういえば、と一輝が周囲を見回せばその中に貴徳原の姿がない。どうやら兎丸の言う通り、彼女が客人の対応をしているようだ。

 しかしその客人とやらだが、一輝には欠片も心当たりがない。電話ではなく直接出向いてきたという辺りから学園の知り合いというわけではなさそうだが。

 

「えっと、その人はどこの誰なんですか?」

「ああ、確か……そう、“赤座”と名乗る中年の男性だったな」

「――ッ」

 

 砕城が告げたその予想外すぎる名前に、一輝は思わず絶句した。

 一輝が知る限り、中年の赤座と名乗る男性で思い当たる人物は一人しかいない。しかしその男が自分を訪ねてくる理由が一輝には全くわからなかった。

 そして一輝のその動揺が収まらない内に、その男はのっそりと姿を現した。

 

「おやおやぁ~? 随分と遅いお戻りですねぇ、一輝クン?」

 

 耳にこびり付くかのように粘着質な声色。

 それを撒き散らしながら現れたのは、砕城の言葉の通り中年の男性だった。でっぷりとしているその小柄の体つきはまるで樽のようだ。赤いスーツに高級そうな帽子が特徴的なその男は、「んっふっふ」と何かを含むかのような笑みを浮かべている。

 

「イッキ、誰なのこの人……?」

「……この人は赤座守さん。黒鉄の分家の当主を務めている人だよ」

 

 一輝のただならぬ様子から良い予感はしていなかったステラだったが、一輝の実家の関係者だということを知った途端にその理由を理解した。一輝は実家では迫害も同然の扱いを受け続けてきたのだ。その連中の一人が突然来たとなれば、決して歓迎できる理由ではないということは明白だ。

 その瞬間、警戒心を露わにしたステラと不気味な笑みを浮かべる赤座によって剣呑な空気が作り出された。これには赤座を案内してきたカナタを含め、生徒会の面々も戸惑いの様子を浮かべる。

 唯一、祝だけがどうでも良さそうに「お腹空いたな」と余計なことを考えていた。

 

「そんなにツッケンドンな態度をしないでくださいよぉ。私としても君なんかのために奥多摩くんだりまで足を運ぶのは手間だったのですからねぇ。同じ黒鉄の血を引いていなければ、私だって君のような能無しのためにここまで来なくて済んだのですよぉ?」

「な、何なんですか貴方はっ! 事情は知りませんけど、ちょっと言葉が過ぎるんじゃありませんか!?」

 

 あまりに敵意に満ちた赤座の言葉。これに噛みついたのは刀華だった。

 しかし赤座は気にした様子など微塵もない。

 

「おやおや、これは《雷切》の東堂さんではないですかぁ。どうやらウチの出来損ないがご迷惑をかけたようで本当に申し訳ありませんねぇ。私としても、彼のことは情けなさのあまり涙が滲みそうなのですよぉ。生徒会の皆様方も、本当に申し訳ありませんでしたぁ」

 

 謝罪に見せかけた一輝への中傷に全ての生徒会役員は理解する。この人物が一輝の敵であり、決してその来訪を歓迎するべき人物ではないということを。

 一方的に頭を下げた赤座は、ニタニタとした笑みを浮かべたまま一同を見回した。

 

 

 そして――その笑みが一瞬だけ、本当に刹那の間だけピシリと強張った。

 

 

 その視線の先に佇むのは、赤座になど毛ほども興味がないと言わんばかりに黒い瞳を余所に向ける祝である。あまりに自然に気配を消していたため赤座は今の今までその存在に気付かなかったが、彼女が視界に入った瞬間、彼は自分の口の端が僅かに震えたのを感じていた。

 

「…………おやぁ、《七星剣王》の疼木祝さんもいらっしゃったんですねぇ。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」

「ええ、どうも」

 

 祝が赤座に視線を寄越したのもまた一瞬だった。軽く会釈を返すと、再び空気になったかのように存在感がなくなる。まるで本当に消えたかのように錯覚させられるその気配からは、そこに刀華たちが露わにするような敵意は欠片も見当たらない。

 それを理解すると赤座の表情には再び元の笑顔が戻り、そして安心したように目の前の出来損ないへの攻撃を再開した。

 

「んっふっふ、それでですねぇ。私がここまで足を運んだのは私のお仕事の関係でして。まぁ、それを説明する前にこれを読んで戴いた方が話が早いでしょう」

 

 そうして赤座が取り出したのは、今日の日付が記された複数の夕刊である。これが何なのかと一輝たちは訝しむが、しかしその一面に記載された記事は一輝たちにとって予想外に過ぎる内容だった。

 

『不良少年が姫の純潔を奪う!?

『ヴァーミリオン国王激怒か!?

『箱入り娘を手籠めにするその卑劣さ』

『日本とヴァーミリオン皇国の国際問題に発展!?

『若者の性の乱れ』

 

 そのショッキングな見出しに、ステラは「何よこれ……」と声を震わせることしかできなかった。

 その新聞にも一輝とステラのキスシーンが大きく張り出されており、その論調は完全に二人の交際を不純なものとしている前提の下に構成されている。

 

「んっふっふぅ~? もう世間では本当に大騒ぎなんですよぉ? ここに来るまでの車内でニュースを観たんですけどねぇ、もうこの話題で持ち切りでしたぁ。()()としても若者の恋愛にまで口出しするのは心苦しいのですがぁ、これだけ世間で騒がれると庇い立てできないのが現状でしてぇ」

「ッ、こんなのおかしいわよ! この記事、一輝の悪口ばかり書かれているじゃない!」

 

 実際、その内容は当の本人である一輝にも到底容認できないようなものばかり書かれていた。

 過去の経歴として恐喝や窃盗をしていたというものまであり、ご丁寧にその被害者のコメントまで載せられている。他にも淫らな女性関係や素行の悪さなど、よくもこれほどの嘘八百を並べ立てられるものだと逆に感心してしまうほどだ。

 ステラや一輝と付き合いのある生徒会役員はこれを信じるつもりなど毛頭ないが、しかし彼を知らない世間一般の人々はこれを見て何を思うだろうか。決して良い印象を抱かないだろうということは想像に難くない。

 

「さて、この報道を受けましてですねぇ。我々『国際魔導騎士連盟・日本支部』としては早期に対応を取りたいという結論が纏まりましてぇ、本件に対する査問会が開かれることになったんですよぉ。そこで私が所属する『倫理委員会』が中心となってこれを執り行うということになりましたぁ」

 

 笑みを深める赤座に、ステラは背筋が震えあがった。

 国際魔導騎士連盟――それは騎士たちを取りまとめる巨大な国際組織だ。日本支部とはその名の通り日本の騎士たちを管理する組織であり、そして彼の父である黒鉄厳(くろがねいつき)はその日本支部を取り纏める“支部長”である。

 これを一輝から聞かされていたステラは確信した。これはただの誤報やスキャンダルの炎上ではなく、黒鉄家からの一輝に対する攻撃であるということを。

 そして事態の重さを大まかに理解した刀華は、緊張と警戒を表情に浮かべながら赤座に問いかける。

 

「も、もしもですよ? もしもこの記事が本当だと連盟に判断されたとしたら、黒鉄くんとステラさんはどうなってしまうんですか?」

「私はそんなことはないと信じていますがねぇ。もしもこの記事が本当のことだと証明されてしまった場合……んっふっふ。ステラ殿下は被害者なのでお咎めなしなのは当然として、一輝クンは最悪の場合、騎士連盟を“除名”という形になりますぅ」

「じょ、除名ですってッ!?」

 

 ヒステリックにステラは叫んでいた。

 騎士連盟から除名されるということは、魔導騎士としての資格を剥奪されるということだ。当然ながら連盟の下に運営される破軍学園は退学になる。そうなってしまえばもはや七星剣武祭どころの話ではない。

 そういった野良伐刀者になってしまったが最後、一輝は連盟に所属する国家や組織の中で伐刀者として生きていくのは不可能となってしまうだろう。あるいは伐刀者としての道を捨てて一般人として生きていくことはできるかもしれないが、そうなれば一輝の志す信念は挫けたも同然だ。

 それをわかっているのか、一輝の表情は非常に厳しいものだった。

 

「これは倫理委員会からの正式な招集でしてねぇ。一輝クンにはこれからすぐにでも査問会に出席してほしいんですよぉ。既に準備は整っていますぅ」

「イッキ、そんな馬鹿げた招集に従う必要なんてないわ! コイツら、査問会なんて名目でイッキを甚振るだけに決まってる! 元凶の日本支部が開く査問会がイッキの話なんて聞くはずがない!」

「んっふっふ、ステラ殿下は酷いことを仰る。私たちはあくまで一輝クンから事情を聞き、そこから事態を解決しようとしているんですよぉ? もちろん私たちは一輝クンがこんな記事の通りの男ではないと信じていますからぁ、つまり私たちは一輝クンを助けるために査問会を開いているわけでぇ」

「こンのッ、白々しいことをよくもペラペラとッ!」

 

 怒りのあまり、遂にステラの全身から淡い燐光が漏れ始める。漏れ出た淡い魔力が能力によって発火現象を起こしているのだ。

 もはや赤座はステラの逆鱗に触れる寸前だった。あと一押しでステラは爆発し、目の前の男を灼熱の炎で焼き尽くすだろう。しかしそうなる直前、ステラの肩を叩いてそれを諫める者がいた。

 

「ステラ、落ち着いて。僕は大丈夫だから」

 

 怒り狂うステラとは対照的に一輝は極めて冷静だった。

 未だに表情に険しさは残っている。しかし気分を荒立てることもなく、それどころか微笑すら浮かべてステラを安心させようとしていた。

 そうも気を遣われてしまえば、流石のステラといえども矛を収めざるを得ない。納得できているとは口が裂けても言えないが、ひとまず荒々しい気配を鎮める。

 

「んっふっふ。一応言っておきますとぉ、ステラ殿下の言うように査問会の出席を断ることもできますよぉ?」

 

 もちろん、そんなことをすれば一輝の立場はより悪いものとなるだろうが。

 疚しいことがないのならば逃げたりはしないはずだ――世論はそう囃し立てるだろう。そんな墓穴を掘れば、一輝は世間からより白い目で見られるようになるだけだ。

 だからこそ、一輝は逃げも隠れもするつもりはなかった。

 それに何より、一輝は赦せなかったのだ。自分とステラの交際がまるで悪事であるかのように他人から罵倒されるなど。自分の気持ちが不埒で不純なものと決めつけられるなど。そしてなにより、ステラが好きだと言ってくれた事実を嘘にしてしまうことなど。そんなこと、誰からの言葉であろうとも一輝は認めることはできない。

 だからこそ、一輝は例え勝ち目のないこの戦いを前にしても絶対に逃げることはしなかった。例え殺されようともこの首を縦に振るつもりは毛頭ない。

 

「そんなことはしませんよ。僕は招集に応じて査問会に出席します。案内してください」

「素直で非常に宜しいですねぇ。では、早速行くとしましょうかぁ?」

 

 赤座は踵を返すと、見た目通りの鈍重な動きでその場を去っていく。

 その背中を追いかけながら、一輝はステラに「大丈夫だよ」という意思を含んだ視線を送る。それを最後に赤座へと付いていった一輝を、ステラと生徒会の面々は不安そうに見送ることしかできなかった。

 今日この日。一輝と黒鉄家の血の流れない、されど壮絶な戦いが幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 ――なお、祝だけは赤座が置いていった新聞を読みながら「明日の天気は晴れか」と全く別のことを考えていた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 黒鉄が赤座というオジサンに連行されてから数日。

 世間では未だに黒鉄とステラさんのスキャンダルを騒ぎ立てている。ニュースやらワイドショーでもこの話題で持ち切りで、今や学園の教室ですら天気の挨拶のようにこの話題が持ち上がる始末だ。

 ハッキリ言って、凄まじくどうでもいい。これも有名税というものなのかもしれないが、どうして世間は有名人のスキャンダルが大好きなのだろうか。別に誰と誰の痴情が縺れようと当人たちの勝手ではないか。大団円に収まろうと破滅しようと勝手にやってほしい。別に私は咎めもしなければ心配もしないから。

 

 そしてそんな話題で持ち切りとなれば学園でステラさんに注目が集まるのは当然というもので。

 しかし時々校内で見かけるステラさんはいつも不機嫌そうに目つきを鋭くしており、その威圧感から彼女に事情を訊ねようとする野次馬は皆無のようだった。

 そして今日もその様子は変わることもなく。普段は弁当派なのだが今日は気まぐれに食堂に赴いてみれば、ステラさんの周りだけATフィールドが全開になっていた。少なくともステラさんの隣三つまでは空席ができている。

 席を探していた私としてはちょうど良かったので、「ここいいですか?」と話しかけながら隣の席に陣取る。これは便利だ。これから騒動が治まるまではステラさんの近くに座って席を確保してみよう。

 

 

「おい……あれって《告死の兇刃(デスサイズ)》の疼木じゃねぇか……!?」

「《百人斬り》の疼木が《紅蓮の皇女(Aランク)》に近寄るって……また戦争を始めるつもりなのかよ、アイツは……!」

「全員退避ーッ! 《狂犬》の喧嘩に巻き込まれたくない奴は今すぐ逃げるんだ!」

「う、嘘よ……せっかく平和に戻った破軍が《死神》のせいでまた世紀末に……ゔぅぅ……」

「ちょ、去年のトラウマで体調不良の子が出ているんだけど!?」

「誰か生徒会長か理事長呼んでこい!」

「何やってんだ、一年! もたもたしていないでお前らも逃げるんだ! 死にたいのか!」

 

 

 そして私が定食を乗せたトレーをテーブルに置いて視線を上げると、食堂は(もぬけ)の殻になっていた。

 ……別に逃げられるのは構わない。自分がそれだけのことを去年やらかしたということの自覚はある。でもさ、なんで誰も私のことを《七星剣王》って呼んでくれないの? 私って一応、世間では学生騎士の頂点にして憧れの的の立ち位置なんだよ? それなのにこんな……

 私が愕然としていると、心なしか優し気な表情になったステラさんが「ご飯、食べましょ」と言ってきた。

 憐れむなよぉ……

 

「……何だか異常なほど食堂がガランとしているんだけど。これってどういう状況なの?」

 

 そうして二人で大人しく食事をしていると、長身のイケメンが声をかけてきた。その隣には眼鏡をかけた少女がイケメンくんと同じように戸惑った表情で佇んでいる。

 二人とも食堂のトレーを持っていることから食事に来たのだろうが、どうやらこの静かすぎる食堂に困惑しているらしい。

 彼らはステラさんを挟んで私の反対側に座ると、たった今起こった出来事を聞くなり「何やってんだこの人」という視線をこちらに向けてきた。

 

「色々とお話は聞いていたけど、悲鳴をあげられるほどだったとは知らなかったわ。何はともあれ初めまして、疼木さん。あたしは有栖院凪よ。呼ばれ慣れているからアリスって呼んでね」

「はぁ~い。初めまして、アリスさん。……ふふっ、イケメンなのにアリス。そういうギャップってカッコいいですよね。私は凄く好きですよ、そういうの」

 

 イケメンくんのことは知っている。

 原作でも結構目立っていたし、何より『影を操る』という能力が印象的なのでよく覚えているのだ。

 あとオカマ。

 すると彼は私のリアクションに驚いたのか、少しばかり目を丸くした。

 

「意外ね。あたしと初対面の人って、大抵驚くか戸惑うかなんだけど。名前をカッコいいって言われたのは初めてよ」

「あはは、祝さんのセンスは独特だから。あっ、私の方はお久しぶりですね。ちゃんと覚えていてくれてますか~?」

「ちゃんと覚えていますから安心してください。またいつでも取材に来ていいのですよ?」

「そ、それは……考えておきますね、あはは……」

 

 なぜ表情を引き攣らせる?

 本人の言葉通り、この日下部加々美さんと私は知り合いだ。以前、新聞部として取材をしたいと私の下を訪ねてきたので顔を覚えている。去年までは新聞部など破軍にはなかったのだが、どうやら彼女が今年から創部したらしいので驚かされた。

 その際、色々と私のことを知りたがっていたので大鎌について語ってあげたら泣いて喜んでくれたのは記憶に新しい。放課後から一晩かけて翌日の朝まで取材に応じてあげたのだが、最後は彼女も「大鎌万歳」しか言わなくなるくらいには大鎌について理解を示してくれた。取材が終わった後は「キャッホーイ!」と叫びながら私の部屋を去っていったので、余程私の取材ができて嬉しかったのだろう。

 

「それにしても、最近のステラちゃんはまるでモーセね。貴女が歩く度に人垣が割れる光景も見慣れてきたくらいよ。随分と殺気立っているわね」

「……当たり前でしょ。あんな記事を毎日のように書かれて平然としてろっての?」

 

 ステラさんが再び殺気立つ。

 そんな彼女に苦笑しつつ、日下部さんもその意見には同意した。

 彼女が知り合いの報道関係者から探ってきた情報によれば、どうやら今回の異常な騒動には裏があるらしい。どうやらあの汚いドラえもんみたいなオジサンがいる倫理委員会が、報道に対してかなりの圧力をかけてきたらしい。

 そのやり口には私も心当たりがある。何を隠そう、去年の私の『シンデレラ(笑)』報道の件だ。本当に連盟っていう連中は情報統制が大好きな連中だよ。

 ちなみに寛大な私は去年のことを水に流すことを決めたが、今年も私に同じようなことしたら主犯格は殺すと誓った。

 

「……信じられないッ! 親子の確執にここまでするなんて、黒鉄長官は異常よ! 彼は一体何を考えているの!?」

「――そういう父親なんです」

 

 憤慨するステラさんの向かいに一人の少女が静かに着席する。

 短い銀髪の下から鋭い視線を覗かせる彼女は、黒鉄の妹の黒鉄珠雫だ。

 

「私にも昔からあの人は理解できません。しかし、昔からあの人はお兄様を毛嫌いしていました。まさかここまで大それたことをするほど目の敵にしていたとは思いませんでしたけど」

 

 トレーを置いた彼女は、こちらに「どうも」とだけ軽く頭を下げた。

 そして視線をステラさんたちに戻すと、再び剣呑な口調で話を再開する。

 

「少し聞いた感じでは、日下部さんは黒鉄(ウチ)について知っているみたいですね。ならば単刀直入にお聞きしますが、今回のようなケースで一人の学生騎士を除名してしまうなど可能なことなのですか?」

「無理じゃないかなぁ」

 

 日下部さんは即答した。

 彼女によれば、今回の騒動はどう捉えてもマスコミの空騒ぎでしかないらしい。なので法的には黒鉄の過失など欠片もなく、このまま進めば盛大な言いがかりとして事態は収束することになるだろうということだ。

 

「もしも先輩が査問会で言質を取られればちょっと危ういけど、先輩だってそこは充分に気を付けているはず。それにこの程度の騒動で騎士を除名するなんて、連盟の方針としてあり得ないことだと思う。特に心身ともに成長過程である学生騎士を追放しようだなんて普通じゃない。本当にそれは最終手段になるからね」

「最終手段? それはどういうことですか?」

 

 首を傾げる珠雫さんに、日下部さんは懇切丁寧に説明する。

 これまでに連盟が取った統計によれば、除名によって連盟から追放された伐刀者は高確率で犯罪者に身を落としてしまうらしい。つまり伐刀者たちの秩序として成り立っている連盟が、自分から犯罪者を輩出してしまうという本末転倒な事態に陥ってしまうのだ。

 よって連盟は騎士の除名を極力避ける傾向がある。しかもその命令を下せるのは連盟の本部のみで、支部はあくまでそれを本部に提言することしかできない。

 これらの条件から、高々この程度のスキャンダルで騎士を除名するなどほぼあり得ないと考えられている。

 

 ……っていうか、日下部さんの話を聞いていて思ったけど、私って完全にお邪魔虫だよね。

 だって完全に私に関係のないことだもの。

 なのでさっさとこの場を去ろうとトレーに手を伸ばした私は、しかし日下部さんの「例えば祝さんだけど」と言い出したことで動きを封じられた。私が何ぞ?

 

「これって裏が取れていないんで確認がてらなんですけど、祝さんも一回だけ除名されそうになったことがありますよね?」

「「「ッ!?」」」

 

 その瞬間、日下部さん以外の三人の視線が一斉に集められた。

 ま、ますます引き上げにくくなった……!?

 

「ほ、本当なのハフリさんっ!?」

「……えぇ、まぁ。去年、七星剣武祭が終わった後に連盟の日本支部に呼び出しを受けました。その時はちょうど海外にいたので無視することになってしまったんですけど、それのせいで心象が悪くなったらしくそのまま流れで」

 

 あれは七星剣武祭が終わって3ヶ月くらい経った頃のことだ。

 私は趣味でよく海外へ修行をしに出かけるのだが、その時に少しばかり派手なことを仕出かしてしまった。それが日本のメディアで報道されるようなことはなかったようだが、どこかのルートから連盟には伝わってしまったらしい。

 そろそろ帰国しようかな、と考えていた私はあら不思議。事態が事態だけに大っぴらにはできなかったのか、連盟の日本支部から極秘で招集を受けてしまったのだ。この時は流石に焦った。

 当時その国は連盟の息がかかっていなかったため大丈夫だったが、もしも連盟の加盟国だったのなら私は拘束されていたかもしれない。

 その時の仕事の先生が「連盟を出たら俺の女兼小間使いにしてやるぜ?」とノリノリだったのが記憶に残っている。仮にも教え子の将来を案じようとは思わないのだろうか、あのオッサンは。グラサン割れるか死ねばいいのに。「性格はクソだが身体は好み」って喧しいわ。

 

「七星剣王が除名って、どうして連盟はそんなことをしたのよ」

「あくまで噂だからハッキリとした理由はわからないんだ。でも漠然と七星剣王のスキャンダルみたいな噂は流れてきて、ブン屋の界隈は騒めいていたって話だよ。……そっか、本当だったんだ」

「……それで? 除名の理由なんてどうでもいいですから、疼木さんはその時どうやってその状況を回避したのですか?」

 

 身を乗り出すようにして黒鉄妹……面倒だから珠雫さんが迫ってきた。

 先程までの興味のなさそうな態度が嘘のようだ。本当にこの人は黒鉄のことが好きなんだなぁ。原作では妹として、ではなく女として黒鉄のことだと描かれていたが。

 ハッキリ言わせてもらう。ああいうのはコッソリとやるのがロマンなのであって、彼女のように公言して憚らないのは本当に邪道の極みだと思う。ヨスガるのは家の中だけにしろ。

 

「う~ん……私の場合はあまり参考にならないと思いますよ?」

「というと?」

「私は除名の可能性が強くなった時点で、色々な組織から勧誘を受けるようになったんですよ。例えば連盟と仲が悪い《大国同盟(ユニオン)》とか、意外なところだと《解放軍(リベリオン)》とかからも来ましたね」

「ッ、《解放軍》って……犯罪組織じゃないですか!」

 

 この世界は、三つの巨大な組織が拮抗することで平和が保たれている。

 《国際騎士連盟》、《大国同盟》、そして《解放軍》だ。

 この三つの組織は数多くの戦力と強力な伐刀者を保持しており、それらが三竦みとなって牽制し合うことで秩序が完成されている。他にも大小様々な組織がこの世界には存在しているが、彼らもこの三大組織が築く秩序を崩すほどの力はない。

 しかしどこの組織も強力な伐刀者は有事に備えて常に確保しており、新たな戦力のスカウトにも余念がない。私も彼らのアンテナに引っかかったらしく、帰国する直前に様々な組織のエージェントが接触を図ってくるようになった。《大国同盟》や《解放軍》はもちろん、小さな組織やPMC、果てにはカルト教団などからも勧誘されており、私は連盟の庇護下を抜けても次の就職に全く困らない状況になっていた。

 なので私は「連盟で大鎌を有名にできないのなら別の場所でもいいや」という結論に至り、転職活動に嬉々として臨むようになったのだが……

 

「それを知った連盟は血相を変えて除名を取り消しました。そして『除名する動きなどそもそもなかった』ということで私の件は闇に葬られて、めでたしめでたし。私は何事もなかったかのように帰国し、素知らぬ顔で学園生活に戻りましたとさ。はい、お終い」

「本当に参考になりませんね」

 

 心底失望したように珠雫さんは嘆息した。

 その一方、日下部さんは「ネタゲットォ!!」と凄まじい勢いで手元のメモに何やら書き込んでいる。一応言っておくけど、そんなことを公開したら連盟の裏組織とか子飼いの暗殺者(スイーパー)に消される可能性があるからやめておいた方がいいと思うよ?

 

 あと、さらに言うのなら実はこの話には続きがある。

 一旦は私を繋ぎ止めることに成功した連盟だったが、しかし除名処分に至るまで私を放置していた当時の理事長先生が槍玉に挙げられて責任を追及されてしまったらしい。これによって空席となった理事長の座に収まったのが新宮寺先生だ。

 彼女個人の思惑はどうあれ、連盟としては私が再び他の組織に移るようなことにならないように監視する必要があった。加えて私という面倒な爆弾を非常時に処理できる戦力として新宮寺先生は期待されているのである。彼女は育児のためにブランクがあるとはいえ、KOKで3位という実績を持つ最強クラスの騎士。その能力の性質からもいざとなれば私を抑えつけるのに最適の人材だったというわけだ。

 

 これを聞いた時、「歴史の修正力って怖ぇ」と思わされた。

 原作では『何年も七星剣王を輩出できなかった』という理由から前理事長は職を辞することとなったが、今回は私という実績を叩き出したのにこの結果である。

 どちらにしても私のせいだと言えなくはないが。

 

「話を戻すけど、祝さんがやらかすレベルのことをしないと除名なんて処分は下されない。でも日本支部はどうも本気でこれを実行しようとしている。ということは……」

「お兄様の言質に全てがかかっているということですね。酷い目に遭わされていないか心配です」

「流石に彼を直接的に痛めつけるようなことはしないと思うけどね。この時代にそんなことをしたと知れたら、それこそ日本支部のお偉いさんの首が飛ぶことになるわ」

 

 アリスさんが神妙に呟く。

 まぁ、どうだろうね。そんなものいくらでも誤魔化しがきく。最悪、幻想形態の霊装でチクチクやれば傷痕なんて残らない。荒事に慣れた組織では幻想形態を用いた拷問部隊が存在するという噂もあるし、あまり楽観視はできないと思うな。

 それにアリスさんもわかっているようだが、人間を痛めつける方法などいくらでもある。毒なり疲労なり精神攻撃なり、査問会が行われている連盟の施設ならばいくらでも取れる手はあるのだ。

 

「……全部、アタシのせいだ」

 

 ステラさんが目に涙を滲ませる。

 確かに今回の件に限るのなら、ステラさんは黒鉄の足枷として機能してしまっている。黒鉄はこれまで誰からの助けも得られないという状況にあった一方、逆に自身を縛る枷のない自由な立場を維持することができた。

 つまり今回の騒動は、彼がステラさんと交際を始めたことが原因と考えられないこともないのだ。ましてや彼女は他国の王族。黒鉄家から見れば恰好の餌に見えただろう。

 

「アタシが普通の女の子だったら、イッキの重荷になることなんてなかったのに。……アタシ、やっぱりイッキと別れた方が――」

 

 その瞬間、ゾワリと殺気が膨れ上がった。

 閃光のように霊装《宵時雨》を抜き放った珠雫さんは刹那の間に氷塊を形成。先端を鋭く尖らせた氷の槍をステラさん目がけて撃ち放つ。

 様子を豹変させた珠雫さんにステラさんは全く反応できない。咄嗟に炎を纏うことで氷撃を防御するも座った体勢では踏ん張りがきかなかったらしく、食堂の壁を粉砕しながら外に吹き飛ばされていった。

 それはどうでもいいんだけど、その音を聞いた外の連中が「やっぱり疼木が始めやがった!」と騒ぐ声を聞いてしまい地味に傷ついた。

 

「……本気で言っているんですか?」

 

 殺気をその身に纏い、その魔術とは裏腹に灼熱の如き怒りを言葉に乗せる珠雫さん。

 どうもマジギレしているらしく、漏れた魔力のせいで周囲の気温が一気に下がり始めた。私が自販機で買ってきた麦茶がピシピシと凍り付いていく。あの、このままではせっかく買ってきたのに飲めないんですが……

 

 珠雫さんがマジギレしているのは、どうやら今更になって二人が別れてしまえば黒鉄の決意が無駄になってしまうためらしい。

 黒鉄は交際に疚しいところなどなく、加えて自分たちの名誉を守るために単騎で敵陣へ飛び込んでいったわけなのだから、ここでステラさんが怖気づくなど珠雫さんとしては論外なのだとか。というかここで別れたら地の果てまで追って殺すとか言っているよ、この人。本当にヨスガっているんだなぁ、彼女は。

 

 そんなことを考えながら麦茶を飲むために人肌で何とか解凍しようと四苦八苦していると、事態を聞きつけたらしい新宮寺先生が食堂にやってきた。

 そして状況を見回すと真っ先に私の下にやってきて――

 

「疼木、今日は何をしたんだ? 怒らないから言ってみろ」

「超理不尽なんですけどッ!?」

 

 絶望した! いきなりの犯人扱いに絶望した!

 と思ったらこれは新宮寺先生なりの冗談だったらしい。しかし彼女が足を運んだのは先程の逃げ去った生徒たちから連絡を受けたためらしく、最初は本気で私が壁を砕いたと思っていたと真顔で言われてしまった。

 やっぱり理不尽じゃん!

 

 それから先生は《時間操作》によって壁を修復すると、ステラさんに何やら話があるらしく彼女を伴って去っていった。

 珠雫さんも食事の気分ではなくなったらしく、肩を怒らせながら食堂を出ていく。

 残されたのは私とアリスさん、そして日下部さんの三人だけ。それ以外は人っ子一人食堂には残っていない。

 

「……二人とも辛そうだったわね。珠雫はああ言っていたけど、ステラちゃんの気持ちもわかるし。私たちではどうすることもできないのがとても歯痒いわ」

「そうだね。私、また知り合いに頼んで先輩の情報を融通してもらえるように頼んでみるよ。何かわかったらすぐに皆に伝えるから」

「ありがとう、かがみん。お願いね」

 

 真剣な様子で語り合う二人には悪いが、空気的にどうやらこれで私も引き上げられそうだ。

 さっきまで怒涛の展開だったため引き時を見失ってしまったが、今がその時だろう。

 私のそんな心情を悟ったのか、日下部さんは「あっ、最後に一つだけいいですか!」と私を引き留める。

 

「祝さんって、どうして除名処分されそうになったんですか? さっきも言いましたけど、学生騎士を――それも七星剣王を除名にしようとするなんて余程のことがないとあり得ませんし」

 

 「もちろん祝さんが良ければですけど」と断る日下部さんだが、私は別にそんなことは気にしないので安心してほしい。

 といっても、私自身は成り行きの結果そうなってしまっただけなので、除名されるほどのことをしたという実感はあまりないのだが。

 

「別に大したことではないのですけどね。あくまで私は雇われで、それに実行したグループの露払いだったというだけなので言いがかりもいいところなのですが……

 

 

 

 

 ……ちょっと新興国の国家転覆(クーデター)の片棒を」

 

 

 

 

 先生に誘われなければ絶対に旧政権の重役暗殺なんて関わらなかったのに。

 おかげで連盟のブラックリスト入りしちゃったみたいだし。本当、この世界はこんなはずじゃなかったことばかりだ。

 

 




早く七星剣武祭を書きたい……

どうでもいいことですが、赤座は本当にヘイト集めとして優秀なオジさんですよね。喋り方から立ち位置から退場まで、原作の中でも最高に完成されたキャラだと思っています。


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激しい喜びはいらない、その代わり深い絶望もない

申し訳ありませんが、この投稿は『前回の投稿し直し』です!
途中までは前回の投稿と同じ内容ですが、最後に5000字ほど追加されています。
活動報告では読者さんに伝えきることができないと考えたため、あえて投稿し直すことでお知らせしました。ややこしくて申し訳ないです。
念の為、追加分があることは次回の前書きでもお知らせする予定です。


 黒鉄一輝にとって父である黒鉄厳がどのような人間なのかと問われれば、その名の通り厳格な人間だと答えるだろう。

 

 《鉄血》――それが厳が持つ騎士としての二つ名だ。

 騎士連盟の日本支部において最も高い地位を持つ彼は、その地位に代々黒鉄の人間が就いているという歴史に従ってその地位を任されている。そもそも古くから侍――日本の騎士制度の維持に貢献してきた黒鉄家は、日本の国政にも同じように古くから関わってきた。

 よって黒鉄の人間は常に厳格であり、国のために滅私奉公する人間でなければならないというのが家の性質だ。

 そして厳はまさにその性質の体現者であると言える。

 

 だが、それ以上のことは一輝には何一つわからない人間でもあった。

 

 一輝は生まれながらにして伐刀者としての才能に欠けている。ほぼ一般人と変わらない、つまり存在しないも同然の魔力量しか持たない伐刀者だ。

 よって黒鉄の『侍として国に仕える』という方針の前では役立たず同然。いや、もはや役目を果たせない時点で恥でしかない。故に一輝は伐刀者としての訓練に加わることを許されず、同時に黒鉄家の一員として家の行事に参加することも許されなかった。

 そんな一輝は、本家にコンプレックスを持つ分家の人間や黒鉄家に仕える他の人間にとっては格好の餌だった。彼にどのような仕打ちをしようと基本的に厳はそれを看過する。なぜなら一輝は黒鉄の人間などではないも同然なのだから。

 

『何も出来ないお前は、何もするな』

 

 5歳の時に厳から告げられたこの言葉は、今でも一輝の心を縛り続けている。

 お前は一族の恥だ、期待外れだ、だから家のために何もするな――実の父親から告げられたその言葉に一輝がどれほど絶望したことか。他の人間からの嘲笑や罵倒ならば耐えられた。しかし父親の宣告にだけは耐えられない。

 なぜだ。

 そう思わない日はなかった。あれが父親が息子にかける言葉だというのか。息子に望んだ才能がなければ、それだけで失敗作の烙印を押してしまうのが父親なのか。臭い物に蓋をするように、恥部でしかない自分など視界に入れることすら汚らわしいというのか。

 一輝が絶望を教えられたその日から、彼には父親のことが理解できなくなった。

 

 そうして一輝が絶望の少年時代を歩む中、その道に光を照らしたのが曾祖父の龍馬だった。

 彼によって無才にとっての分相応な人生を歩むよりも、それに抗ってやろうという道を一輝は教えられた。そしてその道を走り続け、ついには《無冠の剣王(アナザーワン)》と呼ばれるまでに一輝は強くなった。

 もう学園の誰も自分のことをFランクの無能だと侮りはしない。手品や八百長だと騒ぐ者は、一輝のその戦績によって黙らされた。

 一輝が才能の壁を越え、強敵を打ち倒すだけの努力を重ねてきた立派な伐刀者だということはもはや誰もが認めることだ。

 

 

 そんな伐刀者に成長した一輝は、何の因果かその父親と面と向かって話す機会を得ていたのだった。

 

 

「…………」

「…………」

 

 表情に困惑を浮かべ、何を語るべきかを探る一輝。

 その一方、厳に表情はない。瞑目したまま黙り込み、室内の空気を圧迫し続けている。

 

 このような状況に陥ったのは数分前のことだ。

 早朝の6時から夜中の11時まで査問会は続く。一輝はその間に一切の着席を許されず、それどころか休憩すらも許されない。一方の倫理委員会は日に4回のローテーションで交代をしているため実質的に体力は無限。

 査問会の内容も酷いもので、同じ内容を繰り返し尋ねてくるだけだ。その度に一輝の態度が悪い、受け答えが遅いなどと文句を付けるばかりで、一輝の意見は一切聞いてもらえなかった。

 この問答の中で彼らは一輝が失言を漏らすのを虎視眈々と狙っていることは一輝にもわかっているため、言葉を選びながら慎重に受け答えをしている。

 しかしそれを今日まで1週間も続けていれば心身ともに疲労してしまうのが人間というもの。まだまだ一輝は抵抗の気力を持ち合わせていたが、流石に疲れを感じ始めていた。

 しかし一輝も何の考えもなしに耐え忍んでいるわけではない。これはあくまで時間稼ぎ(・・・・)であって、逆転の一手は他にある。

 

(きっともうすぐ、この事件を聞きつけてヴァーミリオン国王が動くはず)

 

 早ければ今週から来週、遅くとも1ヶ月以内に彼は何らかのアクションを起こす。

 その時、間違いなく一輝は国王と面会する機会があるはずだ。そこで自分の身の潔白を彼が認めれば、そこでこの騒動は終了だ。親が公認した男女の交際という極めてプライベートな関係に、連盟などが口出しなどできるはずもない。

 そうなれば一輝の勝ちだ。

 

(それまでの辛抱だ。この程度の苦難、今までだって乗り越えてきた……!)

 

 そうして己の意思と目標を明確にして戦意を滾らせていた一輝だったが、そうしていると本当に何の前触れもなく厳が一輝を拘束する独房に訪ねてきたのだ。

 まさに寝耳に水なその事態。一輝は動揺を隠すことができなかった。

 

(一体この人は何をしに来たんだ……?)

 

 まさか激励をしに来たということはあるまい。しかし記憶にあるこの父親が独房までしぶとい我が子を直々に痛めつけに馳せ参じたのか、と考えるがそれこそ一輝の知る厳の行動ではなかった。

 では、彼は何の用があって自分に会いに来たのだろう。

 

「……一輝」

「ッ、……はい」

 

 厳がゆっくりと目を開く。

 自分と同じ漆黒の眼光。

 その視線に晒された一輝は思わず息を呑んだ。自分を名前で呼んだのも数年ぶりだろうというこの父親は、一体何を言うのだろう。全く想像できない。

 固唾を飲んで続きを待つ一輝。

 しかし厳が続けた言葉は、ある意味一輝のどんな予想も裏切るものだった。

 

「選抜戦だが、勝ち進んでいるらしいな」

「えっ? ……あ、うん」

「関西の武曲学園が取っていた選抜方式だったが、今年から破軍にも導入されたらしいな。今のところ全勝だったか?」

「う、うん」

「戦績を聞いたが、《狩人》といい弱い相手ばかりではなかったらしいな。……大したものだ」

「…………えっ」

 

 完全に予想外だった。まさか父親が普通の親子のような会話をしてくるとは。

 いや、そんなことよりもだ。何だ、最後の厳の言葉は。今の話の流れでは、まるで自分が褒められたようではないか。

 それを理解した瞬間、一輝の胸が疼く。ザワザワと胸の内が騒めき平静でいられない。それをどこか客観的に認識した一輝は湧き上がるその感情を知った。

 

 ――嬉しい。

 

 ただそれだけだった。

 互いの関係を考えれば一輝は厳を罵倒し、憎み、殴りかかってもよい立場のはず。だというのに一輝の胸の内には喜びしかない。

 父親に褒めてもらって嬉しい――子供として当たり前のそんな感情。

 いや、それだけではない。褒められたから嬉しいというだけでなく、一輝はこの父親と会い、そして話をしているというだけでも喜びを感じてしまっている。憎むべきこの男を、一輝の心と本能は愛すべき父親として認識してしまっているのだ。

 厳の言葉と自分の心。予想外に過ぎるその二つに挟まれ、一輝は困惑を深めると同時になぜか涙が溢れそうになっていた。

 

(そうだ。例えどんな酷い過去があっても、僕たちは家族なんだ……)

 

 一輝は確信した。自分とこの父親の間には、まだ確かに絆という繋がりがある。

 ならば、だ。今ならば過去の過ちを清算できるかもしれない。

 少なくとも自分は変わった。父が愛想を尽かした無能な息子はもういない。自分は日本最強の学生騎士を決める七星剣武祭を目前にできるほど成長した。今ならば父親に家族として認めてもらうことができるかもしれない。

 査問会による疲労など一輝はまるで感じなくなっていた。

 闇に差した一筋の希望の光。それに魅せられた一輝にとってもはや赤座の悪意など恐れるに足らない。ただ目の前の父親が自分を認めてくれるかもしれないという希望だけで、一輝は身体から生きる気力が湧いてくるのを感じているのだから。

 

「あの、父さん……!」

「何だ?」

 

 そのやり取りだけで一輝の心は幸福が満ちる。

 だがこれで終わりではない。

 言えッ、言うんだ一輝ッ――己を奮い立たせ、一輝は言葉を紡ぎ続ける。

 

「僕は、頑張っていますっ……。もう少しで、選抜戦も、終わります……」

「そうだな」

「っ、だ、だから……だからもしも僕が七星剣武祭の本戦に進めたらっ、……ううん、もしも優勝することができたら…………僕を、家族として認めてもらえませんか……」

「…………?」

 

 厳の眉根に力が入る。

 僅かに鋭くなった眼光に、しかし一輝は怯むことなく溢れ出さんばかりの思いを喘ぐように吐き出した。

 

「僕はまだFランクで、一回は落第にもなってしまったけど、……でも昔とは違うんだ……! ちゃんと強くなったし、これからだって人の何倍も何十倍も修行しますっ……。黒鉄の恥だって誰にも言われないくらい、これからも強くなり続けますっ! だから僕のことを、家族として認めてくださいッ……」

 

 言葉にすることで一輝は改めて自分を理解した。

 自分が求めていたものはこれなのだ。

 『才能がなくとも夢を諦める必要はない』と龍馬は言った。では、一輝の夢とは何か。

 

 それは家族だ。

 

 才能がなくとも強くなれると証明し、曾祖父の言葉に嘘はなかったと証明する。そしてその証明を以って自分と同じ境遇の人の助けになりたいという一輝の願い。

 曾祖父の言葉によってとっくに自分は救われた立場の人間だと思っていた。しかしこの心の疼きは何だ。湧き上がる喜びは何だ。その根底にあるのは、それを証明したことで得られる周囲の人々からの賞賛と承認だったのではないだろうか。

 

 そしてその“人々”の筆頭が、きっと一輝にとってこの父親だったのだ。

 

 強さを手にし、厳に息子として認められることで一輝の求道は完成する。

 一輝にとって武術(つよさ)とは誰かに認められるための手段。

 だからこそ一輝は祝という“修羅”に最後の一歩で共感することができなかった。強さに溺れて父を忘れ去ることなど一輝にはできなかった。修羅の道に他者の賞賛と承認は本質的に必要ない。しかし一輝が求めるものは父親からの承認と賞賛であったが故に一輝は修羅に堕ちることはなかった。

 

「……なるほど」

 

 一輝の魂の奔流。

 それを聞いた厳は蟀谷を数度叩くと、沈めていた視線を再び一輝に向ける。

 

「お前が黒鉄の家を出たと聞き、私は不可解でならなかった。しかし今、ようやくその理由がわかった。……一輝、お前は『自分が弱いから息子として認められていない』と思っていたのだな。魔力が弱々しいが故にお前に失望していたと、そういうことなのだな?」

「……うん」

「そうか。――ならばそれはお前の勘違いだ。私はお前のことを家族ではないと思ったことなど一度もない」

「………………は?」

 

 厳から告げられた理解不能の言葉に、一輝の思考は完全に停止した。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 私にとって黒鉄厳という人がどのような人間かと言われれば、たぶん“面白い人”と答えるだろう。

 

 

 空を見上げれば本日は生憎の曇り空。予報によれば今晩は雨になるという。

 そんな真夜中に私が何をしているのかというと、言われるまでもなく日課の素振りだった。

 既に寮の門限は過ぎているため門は鍵が閉められているが、窓から出入りすることなど伐刀者にとっては造作もない。なので私はよく夜中に部屋を抜け出し、そのまま深夜のランニングやトレーニングをすることが多かった。終わった後は深夜アニメを観つつ夢の世界へフェードアウトだ。

 幸いにも私は新宮寺先生からビップ待遇を受けておりルームメイトはいない。なので深夜アニメを観るために誰かに気を遣う必要もないのだ。ふふふ、世の寮住まいの学生騎士どもよ、羨ましかろう?

 

 そういえば黒鉄が笑ゥせぇるすまんみたいなオジサンに連れ去られて今日で1週間か。

 相変わらずステラさんはモーセだし、珠雫さんは目つき悪いし、そしてアリスさんはイケメンだ。

 選抜戦も二試合ほどが既に消化されており、その盛り上がりは陰りが見えない。……まぁ、私はずっと不戦勝ですけどね。誰か死にたい奴はいないのかよッ!

 

 その黒鉄で思い出したが、原作ではそろそろ彼と父親の黒鉄厳が数年ぶりの再会をする頃だったか。

 その黒鉄厳であるが、意外かもしれないが実は私も会ったことがある。

 あれは私の除名騒動が収束してすぐのことだった。日本の秩序を預かる長官として私に釘を刺すためなのか、一度だけ呼び出しがあったのだ。私は出会い頭にコーヒーをぶっかけられた前世の就職活動における内定辞退のトラウマを思い出し、内心では戦々恐々としながら彼と顔を合わせることとなる。

 当初、私は原作における彼の人物像をほぼ忘れ去っていたために当然ながら黒鉄長官の人物像がどのようなものだったか全く思い出せなかった。しかしあのお人好しで知られる黒鉄と原作で絶縁状態になるくらいの人なのだから、相当あくどい性格をしているのではないかと当たりを付けていたのだ。

 しかし会ってみると意外や意外、結構面白い人だった。もちろん冗談やギャグなどの意味で面白いという意味ではなく、人種として興味深いという意味で。

 

 彼の人物像を一言で表すのなら……そう、『逆の意味で公私混同』だろう。

 

 彼と言う人間を構成する根幹の部分。それは“公”に当たる『秩序(ルール)』なのだ。

 黒鉄家は昔から日本の伐刀者を統括する地位にあり、そこに私情を挟むことは許されないと聞く。これが過度に行き過ぎた結果、彼は私情よりも秩序を優先する人格に仕上がってしまったのだろう。いや、むしろその厳格な人格は秩序を重んじるあまり、私生活(プライベート)すらも黒鉄家の秩序で構成されている人間と言うべきだろう。

 故に『逆の意味で公私混同』。彼にとっては“私”すらも“公”の一部でしかない。

 

 それが息子である黒鉄に言い放ったあの言葉――『何も出来ないお前は、何もするな』に繋がる。

 

 要は長官は黒鉄に息子としての情を抱く以前に、彼の持つ総魔力量から黒鉄家の秩序下におけるその役割を前提に存在を計っていたのだ。

 騎士のランク制とは即ち騎士たちの階級だ。生まれ持った資質(さいのう)で定められたその階級に従って騎士たちは役目が変わり、高ランクの騎士はより危険な任務を回される。これを正しく守る組織を運営し、それを騎士たちに周知し、徹底することで騎士たちの犠牲を削り、成果を最大限に引き出すのが日本の騎士の長である黒鉄家の役割だ。

 それに従うのなら黒鉄は間違いなく騎士の役目を果たすための存在として相応しくない。乏しい資質の黒鉄に高ランク(てんさい)の役目を押し付けるのは、それこそ黒鉄家の秩序に逆らう無駄な犠牲となってしまうからだ。

 

 だから長官はその秩序に従い、騎士としての黒鉄に期待することをやめた(・・・)のである。

 

 失望したのではない。あくまで総魔力量という基準に従って正しく黒鉄の才能を評価し、騎士としての生き方は不可能な人間だと判断したに過ぎない。そこに息子がどうという要素が入り込む余地はないのだ。騎士として生きるのが不可能なのだから、そこに期待も何もあるはずがない。

 故に『何も出来ないお前は、何もするな』と――騎士として生きることができないのならば、騎士として生きようとするなと言った。彼が黒鉄に騎士としての教育を一切許さなかったのはそのためだ。騎士の家系である黒鉄家の行事に参加することを許さなかったのはそのためだ。

 長官が思い浮かべた黒鉄の理想の将来は、きっと伐刀者としての才能の無さを悟って一般人として生きていくことだったのだろう。己の才能を知り、分相応な人生を生きる一つの例という役割を黒鉄は求められていた。現実はどこまでも非情で、例え伝統のある良家に生まれようとも才能がなければ相応に挫折してしまうという“当たり前”こそが秩序が示す黒鉄の進むべき道だったのだ。

 

 だが、黒鉄はそれに納得しなかった。

 純粋に不屈の精神を持っていたのか、彼の曾祖父の言葉に影響されたのかはわからない。あるいは黒鉄家という名家に生まれたというプライドもあったのかもしれない。

 何にせよ黒鉄は長官が絶対視する秩序を犯してしまい、それが原因で今回のような妨害に晒されている。

 

 よって黒鉄家が守り続けてきた秩序を《鉄血》の名の下に長官が守り続ける限り、どれだけ強くなろうと黒鉄が長官に騎士として認められることはない。

 彼にとって黒鉄は家族である前に“低ランクの伐刀者”なのだから。例え血を分けた息子であろうとも、その秩序に反する者――ランクの差を覆し、他の低ランクの伐刀者を増長させる可能性を持つ異端分子の存在を彼は許さない。

 

 しかし親の心子知らずとはよく言ったもので、その辺の意思伝達が失敗していたからこそ彼は黒鉄(次男)珠雫さん(長女)の反発を招いてしまった。そこが黒鉄長官の最大にして致命的な失敗だろう。この前の珠雫さんなんて長官のことを「理解不能理解不能!」とバッサリ言い切っていたし。

 長男? ああ、あの人はそもそも長官とは別のルールで動く“同類”だから、そもそも歯車が噛み合うはずもない。視点も視界も違うのにその方向しか見ない彼らは、お互いに相手の意思を知ってはいても理解などできないままだろう。

 

 しかし個人的な話をさせてもらうと、実は『自分の中に譲れない基準がある』というのは嫌いではなかったりする。

 自分の中に絶対のルールがあり、それを守るためならば手段は選ばないし家族だって切り捨てるというその徹底的な姿勢は共感するところがある。それが一族による刷り込みや洗脳であったとしてもだ。あまりに機械的すぎて全然楽しそうでないところが少し難点だが。

 

 まぁ、黒鉄にはとっては災難だったね。

 そもそも長官は黒鉄に期待なんて微塵もしていなかったわけだし、そして長官がこれから彼に騎士として期待することなんて未来永劫ないのだから。

 私的に言うのなら、『転生したら日常系アニメの世界だった』という並みのどんでん返しだろう。だって大鎌を活躍させる機会なんてないんだもの。そうなったら漫画家にでもなって主人公を大鎌使いにするくらいしか方法がなくなってしまう……いや、割と悪くない? ジャンプで大御所級になれるくらいのヒット作を作ればあるいは行ける? よし、今度転生する機会があったら漫画家になってみよう。

 

 新たな目標を見つけて上機嫌になった私は、空気を裂いて《三日月》を唸らせながら鼻歌混じりに今日も修行する。

 そんなことをしている内に黒鉄と長官について考えていたことなどすっかり忘れ、記憶の片隅へと追いやってしまうのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 ――相変わらずよくわからん奴だ。

 

 それが一輝との会話を終えた厳の感想だった。

 不肖の息子が何やら誤解をしているようだったのでそれを訂正してやれば、なぜか彼は呆然としたまま泣き出してしまった。その後は声をかけても返事すらしない。

 故にこれ以上は時間の無駄だと厳は悟り、こうして地下深くの独房から退散してきた次第だ。執務室(オフィス)のある日本支部の最上階と独房のある地下はエレベーターに一度乗るだけで来られる距離。だからこそ様子見と説得のために足を運んでみたのだが……

 

「時間の無駄だったか」

 

 厳には一輝の思考回路が理解できなかった。

 もちろん、人間の思想は多種多様だ。一輝と自分の間に多少の考えの相違があることにまで口出しするつもりはない。

 しかし秩序を絶対とするこの考え方は黒鉄に生きる者が共有すべき最低限の常識であり、厳としてはそれを理解していなかった一輝の方が異常だとしか思えない。

 

 秩序は絶対――それが黒鉄の掟。

 

 それは血の繋がりだとか、恩義や仁義などに左右されるものではない。

 だからこそ厳は一輝を『伐刀者として無能』と判断し、その判断の通りにこれまで扱ってきた。それによって分家の連中から嫌がらせや迫害を受けてきたことは知っているが、それは“低ランク伐刀者”としては()()()()()()()だろう。

 騎士の家の人間としては決して褒められることではないが、弱者が強者に侮られるのは自然なことだ。その上下の関係を乱すことは秩序の示す序列に反する。騎士の精神性とそれは別の話だ。それくらいのことは一輝もわかっていると思っていたが、どうやらあれはそんなことも理解できていなかったらしい。

 長男といい次男といい、どうやら自分は育児というものに失敗したようだ。前時代的と指摘されることもあるが、思えば自分は基本的に家の方針を決めるだけであって細かいことは妻などに任せきりの男だったと厳は回顧する。唯一、珠雫だけは高ランク騎士として相応しい振る舞いと成果を見せているものの、彼女も年齢のせいか最近は自分に反抗的だ。

 

「儘ならんものだな」

「んっふっふ、ご子息とお会いになって何か御座いましたかぁ? ご当主様」

 

 執務室の扉を開けようとすると、背後から聞き慣れた声がする。

 振り返れば相変わらずの肥満体質。背は自分よりも低いというのに横幅ばかりが大きい中年の男性。即ち此度の一件を取り仕切る心理委員長の赤座がそこにいた。

 

「いいや、些細なことだ。しかし、どうも私は子育てというものに失敗したようでな。あれにも黒鉄の理念というものを徹底的に教え込んでおくべきだったと痛感している」

「んっふっふ、心中お察ししますぅ。しかし今回の件ももうじき決着がつきますのでぇ、そう心配なさることもないかとぉ」

「何か手を打っているのか?」

「えぇ。きっと一輝クンはヴァーミリオン国王が日本に乗り込んでくることで事態の決着がつくと耐え忍んでいるのでしょうがぁ、そんな浅知恵はこちらとしてもお見通しですぅ。なのでこちらも早急かつ決定的な一手を準備していますぅ」

 

 笑みを深める赤座。この手のことにおいて、日本支部で赤座は最も手慣れている存在だ。

 彼の所属する倫理委員会という部署は、憲兵時代の秘密警察としての役割を色濃く継いでいる。時代が移り変わろうとも脈々と受け継がれる汚れ役としての性質は変わらず、今回のような尋問や監禁などの手際は他の部署の追随を許さない。

 秘密裏にされた報告によれば、既に一輝の食事に毒を盛ることで査問会を有利に進めるための手筈すらも整えているという。

 全くもって大した連中だ。

 

「この件はお前に一任している故に私が口出しすることはない。好きにやるといい。――だがやるなら徹底的にやれ。失敗することは許さん」

「んっふっふ、仰せの通りに」

 

 一礼すると、赤座は長い廊下の先へと消えていった。

 それを見送ることもなく厳は執務室に入り、ふと壁にかけられている歴代長官の写真を眺めやった。

 ここに飾られた彼らの半数以上は厳と同じく黒鉄の名を持つ者たちであり、彼と同じく日本の秩序を守るために身命を賭してきた影の英雄たちだ。自分もその一人であるという事実を厳は誇らしく思い、同時に自らも彼らに恥じぬ“黒鉄”でなければならないと考えている。

 だからこそ厳は一輝の意思を許さない。

 人は分相応に生きることことが最良の幸福であり、それを乱すことは博打のようなものだ。なるほど、確かに分不相応に夢に邁進することで道が開けることもあるだろう。しかしそれに失敗してしまった人間はどうすればいい。勝手に夢を与えた成功者は、夢に破れて絶望した失敗者に何をしてくれるというのだ。

 一輝は今やランク差や才能の無さという逆境を乗り越えつつあり、それを知った多くの才無き伐刀者たちは彼に希望を抱くだろう。自分にも何かできるのではないか、自分でももっと高みに登れるのではないかと。しかし現実は非情で、残るのはいつもごく少数の成功者と圧倒的多数の失敗者だ。そしてその生き残った成功者が魅せる光に誘われ、再び蛾のように非才が(たか)ってくる。

 こんな無駄なサイクルを人間は何度繰り返した。同じ不幸を人類は何度繰り返した。なぜ自分なら大丈夫という楽観的で根拠のない愚かな選択をする。身の丈(ランク)に見合った道を進めば、少なくとも絶望の未来が訪れる可能性を極力排除できるというのに。

 

(全ての人間が身の丈に合った正しい役割をこなすことでこそ世界は穏やかに回る。その平穏こそが大多数の人々が願う幸福。それを乱そうというのならば誰であろうと容赦はしない)

 

 外道だと罵ればいい。

 秩序の奴隷と嗤えばいい。

 息子の夢を挫く人でなしと見下すがいい。

 その結果として黒鉄家が守り続けてきた秩序を自分も守れるのならば望むところだ。自分はそれ以上のことなど望まぬし、しかしだからこそ自分も歴代長官のように身命を賭してその秩序を守るだろう。

 それこそが《鉄血》の二つ名を与えられ、黒鉄家の規範としての在り様を体現してきた自分の誇りであり覚悟なのだから。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 一輝が倫理委員会に囚われて一週間と数日が経った。

 世間では未だにステラと一輝の交際が取り沙汰されており、連日の報道はもはや(くど)いと言えるほどに加熱している。学園の敷地内まで報道関係者が入ってくることは理事長の黒乃が阻止しているためないが、しかし学園の表門と裏門は彼らによって休むことなく見張られていた。そのためステラはここ数日、学園の外に出ることすら出来ていない。

 よってステラの機嫌は日に日に悪化していくばかりで、ついに空白地帯は食堂の席三つ分から五つ分にまで広がっていた。

 

「……はぁ」

 

 疲労を滲ませるステラは力なく昼食を胃に収めていく。一輝が連れ去られる前には彼と共にここで美味しく食事を楽しんでいたというのに、今ではまともに味もわからない。少し前までは一輝が心配なあまり食事も喉を通らなかったということを考えると回復傾向にあることは間違いないが、それでも心の傷はそう簡単に癒えるものではなかった。

 一輝は大丈夫だろうか。故郷の父は一輝のことを認めてくれるだろうか。そもそもこの騒動はいつまで続くのだろう。もしや一生このまま晒し者にされてしまうのだろうか。

 そんな益体もないことばかりが思い付き、ますますステラの気分は重くなる。許されるのならこの場で頭を抱えて大声で唸りたい気分だ。珠雫の激励や有栖院たちの甲斐甲斐しい慰めがあるからこそこうして学生生活を維持できているが、もしも彼女たちがいなければステラは本当に押し潰されていたかもしれない。

 しかしそんな弱々しいステラの状態を無視し、いつもの態度を貫く少女が一人。

 

「ふっふっふ……ステラさん。今日が何の日かご存知ですか?」

 

 ステラの背後に気配もなく姿を現すなり怪しげに笑ってみせたのは、いつもニコニコ貴方の隣に這いよる混沌こと祝だった。ご機嫌だということを隠すこともなく、むしろ見せつけるかのように弾んだ声色で祝は沈み込むステラに纏わりつく。

 その地雷原でタップダンスを踊るかのような行為に周囲の生徒たちは戦慄し、ほぼ一斉に席から腰を浮かせた。

 しかし当のステラは気だるげにそれを一瞥するばかりで爆発の気配は見せない。それに安心した生徒たちは再び席に着くが、油断すれば自分たちに灼熱の飛び火が来ることは彼らも理解しているため常に目と耳は凝らされている。一部の生徒は食事のペースを早め、それを終えると足早に食堂を去っていった。

 この異様な光景こそが学園から一輝が姿を消した後に見られるようになった日常風景だ。あの一件から食堂に寄り付くようになった祝には生徒一同が迷惑していたが、しかし下手にそれを指摘すれば大鎌の錆か挽肉にされかねないので誰も彼女を注意しない。

 むしろ祝への対応を積極的にステラへ押し付けている節すらあり、それを敏感に感じ取ったステラはますます憂鬱な気持ちになった。

 

「……何の日って、そんなの知らないわよ。ハフリさんの誕生日なの?」

「残念ながらまだまだ当分先です。全くステラさんったら鈍いですね~。ほらぁ、あれですよあれ!」

「この国の建国記念日とか?」

「違いますってば!」

「じゃあ学園の創立記念日?」

「……はぁ。ステラさん、貴女のおめでたい頭にはガッカリです」

 

 お前は馬鹿か、と言わんばかりに祝は大袈裟に肩を竦める。

 これには流石のステラの額にも青筋が浮かび、持っていた箸がミシミシと軋み上がった。しかしステラは常識人。ここで怒声をぶち撒けるのは簡単だが、そんなことは王室育ちの淑女(レディ)として許されることではないということをキチンと弁えている。

 よって彼女は喉元まで昇ってきた怒りを懸命に抑え込み、それによって襲い来る頭痛に耐えながらやや上擦った声で問いかけた。

 

「へっ、へェェエ……? 知らなくってごめんなさいねェ? なら是非とも至らぬ(わたくし)に聞かせてもらおうかしらァ、今日が一体何の日なのかをねェ?」

「ふふ~んっ、そこまでお願いされては仕方ないですねぇ~。――な、な、な、なんとッ、今日は私が選抜戦で約一ヵ月ぶりに試合ができる日なのですッッ!」

 

 まるで謳い上げるかのように高らかに。

 祝は得意満面だった。これほど嬉しそうに、それでいて自慢気に言葉を紡げる機会が人の一生にどれほどあるだろうか。きっと大国で大統領選挙に勝った時ですらこれほどご機嫌な声音は出せまい。

 しかし祝の言葉に感動するはずのステラはポカンとしたまま黙り込んだままだった。それを見た祝は言葉が足りなかったと判断したのか、舞台上の役者のように再び朗々と語り続ける。

 

「これまで私は試合でその実力を殆ど見せることなく、こうして不戦勝の連続で勝ち残ってしまいました。しかしそれも昨日までの話! 今日こそは試合の中で私の大鎌(ちから)を披露できると、つまりはっ、そういうっ、ことなんですっ!」

「…………は?」

 

 両手を広げ、胸を張り、その姿勢で眩い笑みを振り撒く祝。

 それと同時にステラの表情が抜け落ち、箸が音を立てて燃え尽きた。まるで煙草のように端から灰となっていったそれに目をくれることもなく、ステラは口元を引き攣らせる。

 

「……そんな……こと? あれだけ散々人を小馬鹿にしておいて、言いたかったことはそんなことなの……?」

「あっ、そんなことって何ですか! 私にとっては重要なことなんですよ? このまま殆ど試合をしないで本戦に出場しても面白みの欠片もないですからね、この辺りでいい加減におおが――」

 

 

 

「どぉぉぉでもッッ、いいわぁぁぁあああああ!!!」

 

 

 

 淑女の仮面が剥がれ落ち、その下から火炎を撒き散らす龍が姿を現した。

 紅蓮の火の粉が舞い上がり、ステラの白い手の中に《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》が顕現。

 伐刀絶技《妃竜の息吹(ドラゴンブレス)》によって摂氏3000度の炎熱を纏った斬撃が空気ごと祝を焼き尽くす。

 しかし相手は腐っても七星剣王。怒りに任せて繰り出された単調な剣など食らうはずもない。座っていた席を吹き飛ばして振るわれた霊装を「危なッ!?」と屈んで躱すと、間合いを離すこともなくその場で再び立ち上がった。

 

「い、いきなりどうしたんですか!? こんなところで暴れ出すなんて、非常識だと思わないんですか!」

「こっちからしたらハフリさんの方がよっぽど非常識よ! こっちは毎日毎日、新聞とかテレビとかで吊し上げられて憂鬱なのにアンタは一人でどうでもいいことで嬉しそうにしてッ! ちょっとは気遣いってものを見せなさいよ! それでも慎み深い日本人なわけ!?」

「現実の日本人なんて実際はこんなものですよ。現代にまでSAMURAIとかNINJAが残っている、というのと同じように空想の産物です。前から思っていましたけど、外国人ってアニメ大国の日本人以上にファンタジーに生きていますよねぇ」

「慎み深さまでファンタジー扱いするんじゃないわよ!」

 

 再び斬撃。

 しかし上段からの斬撃を祝は半身になって躱し、そこから弧を描いて剣が振り上げられれば一歩下がるだけで剣の間合いから外れてみせた。しかしそれも一息の間のことで、剣の軌跡を追う火の粉を弱々しい魔力放出で散らすと同時に再び間合いに入り込んでくる。

 遊ばれている――常人が相手ならば三度とも斬り伏せられる自信があったというのに、まるで祝の前では他愛のない戯れ合いであるかのようだ。幻想形態を用いているため流石に死ぬことはないが、剣が当たればもちろん痛みは走るし炎で炙れば熱を感じる。だというのに目の前の少女の目には恐怖の色が全く含まれていない。

 

「こんのォ!」

 

 一撃だ。その舐めた態度ごと次の一撃で頭蓋を両断してやる。

 咆哮と共にステラが踏み込む。その脚力は食堂という建物そのものを揺るがし、まるで地震のように学園に響き渡った。余波だけで文字通り大地を揺るがしたその一撃は、天高く剣が振り上げられたことでその圧力をより一層強くする。

 踏み込み、間合い、力の配分。全てにおいて文句のない斬撃だ。その恐ろしく速い一連の動作から繰り出される斬撃は、並大抵の伐刀者では躱すことも防ぐことも叶わない必殺の概念を有することとなるだろう。

 だが、七星剣王の中でも特に異才を放つ目の前の修羅の前では、些か以上に迂闊だったと言わざるを得ない。

 

 それは祝にとって充分な隙だった。

 

 剣を振り上げ、そして斬撃を叩き込むという一連の動作。

 それは確かにAランク騎士の名に恥じない卓越した技量だ。しかしこの間合いで祝に勝負を挑むということは、即ち人間が素手で水中の巨大鮫に挑むも同然。祝の目からすれば未来を知るまでもなく「どうぞ攻撃してください」と無防備になるようなもの。

 事実、ステラが剣を上げる動作を見せたその瞬間には祝は動き出していた。滑るようにステラの懐に潜り込み、剣の切っ先が天に向けられた時点で素手の間合いに戦場を移す。そこは敵に近すぎるあまり剣を当てることができない超接近戦(インファイト)の領域。

 しまった、とステラが後悔しようとも既に遅い。接近と同時に祝の右腕は既に霞むような速さで加速し――その紅い双眸に人差し指と中指を突き込んでいた。

 

目潰し(バルス)っ!」

「ぎゃああああああッ!? 目が、目があああああッ!?」

 

 人体の急所の一つである眼球を攻撃され、流石の《紅蓮の皇女》も剣を取り落とす。右腕の加速はステラの纏う魔力防御を貫通しながらも決して眼球を潰す程の威力ではないという絶妙な加減がされていた。

 しかし眼球に指を突き込まれることによる痛みは耐え難く、ステラはポロポロと真珠のような涙を落とす。そんな彼女を見下ろした祝は、ニンマリと口元に笑みを浮かべて勝ち誇った。

 

「何だかよくわかりませんけど、勝ったぞガハハ!」

「ぐあああムカつくううう! なんでこんなのが七星剣王なのよぉぉぉおおお!」

 

 祝の完勝だった。それを認めざるを得ないため、誇張なしで地面を割れんばかりに叩いて悔しがるステラ。その慟哭と祝の高笑いは、既に生徒たちが逃げ去ってガランとする食堂に大きく響き渡っていた。

 しかしその騒ぎも数分のこと。少し経てばステラの気分も落ち着きを見せ、再び二人で寂しい食堂の中で昼食を再開させる。注文してきたペペロンチーノを掃除機のような速度で吸い込んでいく祝を脇目に、ステラは本日何度目になるかわからない溜息をついた。

 

「……で? ハフリさんの試合が何なのよ?」

 

 一息を入れたことでかなりの冷静さを取り戻したステラは、より深い疲労を滲ませながら祝に問いかける。

 話題が戻ったことで祝の目は輝きを復活させ、良くぞ聞いてくれたとばかりに再び胸を張った。

 

「ふっふっふ。先程も言いましたが、今日は私の試合なんですよ。なのでこの後、ステラさんたちには是非とも試合を観にきてもらいたいと、そういうわけなんです。本当はアリスさんたちにも声をかけようかと思って来たのですが……今日はまだ来ていないみたいですね」

「試合ィ~? 自分でも言っていたけどハフリさんって今まで十五試合くらいあって殆ど不戦勝でしょ? 今日も試合前になってドタキャンされるんじゃないの?」

 

 胡乱に思っていることを隠しもしないステラだが、祝は「チッチッチ」とわざとらしく指を振ってみせた。いちいち腹が立つが、自信が一入(ひとしお)だということだけはわかる。

 それとどうでもいいことだが、言うまでもなく祝はステラよりも一歳だけとはいえ年上だ。そして背格好も自分とそう大差ない。だというのに、こうして話していると年下のクソガキにしか見えないのはなぜだろう。人生を気が狂うくらい全力で生きていると精神が幼くなるのだろうか。

 そんなステラの疑問を余所に、祝はまるでありがたい印籠を見せびらかすお供のように高らかに電子生徒手帳を翳してみせた。

 

「ふふん、今日の相手は今までの有象無象と一味違いますよ? この対戦通知をご覧あれっ!」

 

 渋々とステラは生徒手帳へ視線を向ける。

 正直、ステラはそれほど対戦相手の名前に期待などしていなかった。元々ステラは闘う選手の情報を集めないタイプであるが故、学園内の強い生徒についての情報にも非常に疎い。よってその名前を見せられたところで「誰?」と首を傾げることになるだろうと思っていたのだ。

 しかし祝がそれほどの確信を抱く生徒とは一体何者なのか、と少しばかりの好奇心から目を通してみると……

 

「……へぇ」

 

 そこに表示された祝ともう一人の生徒の名前を見て、ステラは納得したように目を細めた。

 なるほど、これは確かに祝が確信を持つのもわかる。確かにステラの知る“彼女”ならば祝から尻尾を巻いて逃げるような真似はしないだろう。それだけの実力がある騎士だということは、既にステラもその片鱗から理解していた。

 

(これは荒れる試合になるわね)

 

 内心でそう思いながら、ステラは祝の誘いに了承した。

 本当ならばここにいない一輝と観たかった試合ではあるが、しかしそれを理由にみすみす見逃して良い試合でもない。ここは寂しさをグッと堪え、直接会場に足を運ぶべきだろう。

 それをステラに決断させるほどに、この試合は興味深いものだった。

 

 

 

 この、疼木祝と貴徳原カナタの試合というものは。

 

 

 




厳「覚悟はいいか? 俺は出来てる(一方的)」
一輝「あァァァんまりだァァアァ!?」

書けば書くほど面倒臭い黒鉄パパ。
原作で一番わかりにくい精神構造をしている御仁です。小熊じゃないですけど、マジで「言ってくれなきゃ、何も分からないじゃないか!」な人。


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試合に逆転ホームランはねぇ!

前回の前書きでも記載しましたが、最後の部分に5000字の追加がありますのでご注意ください。


 この世界において必要不可欠とされる人間がどれほどいるのだろう。

 総理大臣や大統領や国王クラスの人間にさえ、いざという時のために予備の人材が控えている。極論を言ってしまえば、この世界にその人しかできない役割を持つ人間などほぼ存在しないのだろう。

 人間一人など社会から見れば芥子粒の如き小さな存在だ。誰か一人の人間が前触れもなく周囲から消え去ったとしても世界は変わらず回り続ける。それと同じように、たとえ一輝が学園から姿を消そうとも選抜戦は至って順調に進行し続けていた。

 

『さぁ、本日の第五試合! 皆さんが待ちに待った試合の到来です! 会場内は既に満席ッ、通路には立ち見の観客が溢れかえっています!』

 

 実況のナレーションが会場に谺する。

 その言葉の通り、会場は見渡す限りの群衆によって隙間を塗り潰されていた。その大半は制服に身を包んだ生徒であるものの、その中には時折学園の教員と思われる者が混ざり込んでいる。どうやら次の試合の対戦カードを気にしているのは生徒ばかりでなく、彼らもこの試合に興味津々なようだ。

 しかしそれも無理はない。なぜなら今日の対戦カードが公表された時、生徒に限らず教員たちでさえ「遂にこの時が来たか」と息を呑むこととなったのだから。

 

『この試合から会場にいらっしゃった方々のために改めて紹介を! 実況は放送部の磯貝、解説は西京寧音先生が担当しております! 西京先生、いよいよこの日が来てしまいました。現在KOKで三位という実績を持ち、東洋太平洋圏最強の騎士として名高い先生はこの試合の行く末をどう睨んでいらっしゃるのでしょうか?』

 

 実況の言葉に応えるのは、少女と見紛うばかりに小柄な女性だった。

 派手な和装を緩く着込んだ西京と呼ばれるこの女性。普段から教員の一人として試合の解説を任されることはあるが、その仕事ぶりは決して真面目とは言い難いものだった。気紛れに解説に遅刻し、途中で抜け出し、時には実況に任せて姿を現さない。良く言えば豪放磊落、悪く言えば適当な性格をしている人物だ。

 しかし今日は違う。

 彼女自身もこの試合に思うところがあるのか、その瞳は真っ直ぐに実況席の眼下に広がるフィールドに向けられていた。目を細めて怪しげに微笑んだ西京は「そうさねぇ」と口を開いた。

 

『ぶっちゃけ、疼木のクソガキはシンプルな闘い方に見えて細かい手札が多すぎるからよくわかんねー。ウチも去年の七星剣武祭を観てはいたけど、まだ普通に隠し球くらい残しているだろうしねぇ』

『く、クソガキ……? ああいえっ、失礼しました! それよりもです、西京先生! それは疼木選手が去年の七星剣武祭に手を抜いていたということですか!? それが本当ならばとんでもないことですが……!』

 

 七星剣武祭の決勝戦。

 そこで祝と優勝を争った《浪速の星》は誰の目から見ても一流の槍使いだった。そんな彼と繰り広げられた決勝戦もやはり学生騎士の頂点を決めるに相応しい熾烈なもので、万雷の拍手を送られるに相応しい試合だったことは誰もが認めることだ。

 だというのに、それすらも祝にとっては余力を残す闘いでしかなかったというのだろうか。

 

『落ち着きなよ。アイツはあくまで妙に引き出しが多いって話さね。……ただ、何にしてもこの試合は間違いなく荒れる(・・・)だろうよ。何せこれから()り合う二人は破軍きっての実戦経験を持つ連中。試合や決闘じゃねぇガチの殺し殺されの感覚を肌で知っている“本物(モノホン)”ってわけだ。下手すれば一瞬でどっちかが死ぬことになるわけだし、審判(レフェリー)のくーちゃんは気が抜けないんじゃねーの?』

『なるほど……新宮寺理事長、毎度ながらお疲れさまです! ――おおっとォ? どうやら両選手の準備も整い、会場の清掃も無事に終了したようです! それではこれより、第五試合を開始したいと思います!』

 

 実況の言葉に会場から歓声が沸く。

 誰もが待ちきれないと言わんばかりに席を立ち、ゲートから姿を現した二人の選手を喝采と共に迎え入れた。

 

『青コーナーから現れますは、この選抜戦においてその勝利の殆どを不戦勝で収めてきた覇王! その威光の前にあらゆる学生騎士たちは頭を垂れ道を譲る! まさに万夫不当にして一騎当千! 終わりなき覇道(ロード)を突き進む彼女は、今日もその大鎌で立ち塞がる障害を血の海に沈めてしまうのか! 二年《七星剣王》疼木祝選手です!』

 

 姿を見せるのは幼き覇王。一見すれば闘争という言葉とは無縁にしか思えないその少女。

 しかし観客たちから寄せられるのは熱狂と称賛、そして絶大な畏怖だった。

 化粧っ気こそないが可愛らしい顔立ち。あちこちに跳ねた長い黒髪。そして緩い表情。その全てがまやかしであり、その本質を外見から測る愚者はもう存在しない。これまでに姿を見せた二試合で全ての選手を殺害する形で勝利している祝は、もはや選抜戦における血と闘争の象徴のような扱いとなっていた。

 だがそれに対する少女も破軍に知らぬ者はいないほどの猛者である。全身から放たれる殺気と血の残り香は、それこそ通常の学生騎士とは桁違いの場数を踏んできたことを示していた。

 

『続きまして赤コーナーをご覧ください! 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花! しかし綺麗な花には棘がある! その鋭い棘で一体どれほどの相手を血祭りにあげてきたのか! あらゆる敵は彼女に触れることもできず、血霧となって彼女を抱擁することしか許されない! まるで貴婦人の如き高貴な気配と共に現れたのは、昨年の七星剣武祭出場者にして現職の生徒会役員! 三年《紅の淑女(シャルラッハフラウ)》貴徳原カナタ選手だァ!』

 

 鍔の広い帽子の下から優しくも鋭い視線を覗かせるのは、昨年の七星剣武祭出場者にして祝と同じくBランクの少女。

 純白のベルラインドレスと背の高さも相まり祝と対峙してしまうと成人女性と中学生ほどに差があるように錯覚してしまう。祝の持つ雰囲気が年齢の割に幼すぎるという理由もあるが、貴徳原の纏う雰囲気は些か以上に老成していた。

 

『両選手は《雷切》の東堂選手と共に何度も特別招集によって最前線に臨んでいる破軍のスリーカードッ。この三人が今年も七星剣武祭に出場するのが学園としての理想でしたが、現実は無情! そのスリーカードの内の一枚が今日、この試合で欠けてしまうこととなります!』

 

 実況の言う通り、祝、刀華、カナタの三人は昨年の破軍学園が保持していた三人のBランク騎士。

 彼女たち三人の実力はまさに学園内において誇張なしに圧倒的で、恐らくこの三人がいなくなるだけで学園内の学生騎士は戦力が三分の一まで減少するだろうと称されていたほどだ。

 その三人はランク負けした才能に溺れる騎士ではなく、文字通り本物の高ランク保持者。対戦相手がランダムで決められる以上はこのような展開もあり得ると学園関係者は覚悟していたが、それが遂に現実のものとなったのだ。それを惜しむ者、激励する者、選抜戦の参加者として胸を撫で下ろす者と反応は様々だった。

 

「今日は日傘は差していないのですね。いつもは試合中も会場に持ち込んでいるのに」

 

 フィールドの中央――互いに二十メートルの距離を開けた位置で対峙し、真っ先に口を開いたのは祝だった。

 全身を上から下へと見やれば、授業中以外は試合中であろうと常に差している日傘がない。彼女のトレードマークの一つとも言えるアイテムがその手にないということに祝は純粋な疑問を感じていた。

 可愛らしく首を傾げる祝に、カナタは口元を抑えて優雅に笑ってみせる。

 

「ええ。普段は日光と返り血(・・・)を防ぐための必須アイテムなのですが……恥ずかしながら今日はそれを気にする余裕もなさそうなので。傘で視界と手が塞がれるのも愚かしいですから」

「ならその帽子はどうなんですか? それもだいぶ上の視界を潰していますけど」

「あら、それは確かに。全力で挑む相手にこの装いは少々迂闊でしたね」

 

 そうして帽子を頭から下ろすと、その下からは眩いブロンドの長髪が露わになる。ますます高貴な雰囲気を強めたカナタは、その帽子を手首のスナップによって客席へと投げ込んだ。

 回転によって距離を伸ばした帽子はそのまま客席の最前列に到達し、そこに座っていた刀華の膝元に着地する。「お見事~」と拍手する祝がそちらへ視線を向ければ、刀華だけでなく生徒会の面々、そしてステラたち三人組が並んでこちらを見下ろしていた。

 祝がそれに手を振れば有栖院が爽やかに、兎丸と御祓は勢いよく手を振り返してくる。他はスルーだった。

 

「カナちゃん、会長命令です! そこの阿呆をぶち殺してやりなさい! そのお花畑な腐れ脳味噌に生徒会の恐ろしさを刻みつけるんです! 二度と私たちに逆らえないよう、少なくともリングの染みになるまで手足を引き摺り砕いて――」

「ちょっ!? 刀華ホントに落ち着いてっ!」

 

 客席とリングの仕切りに足をかけ、刀華が鬼の形相でカナタを激励している。そのあまりに過激な内容に御祓を始めとした生徒会役員たちは顔を青褪めさせ、後ろから羽交い締めにして席へと引っ込んでいった。

 

『さて、両選手がフィールドに出揃いました! それではこれより試合を開始したいと思います! 皆さんご唱和くださいッ。

 ――Let's Go Aheadッッ!!』

 

 試合開始のブザーが鳴り響く。

 そして二人は同時にその手に自身の霊装を展開した。

 

「参りますよ、《フランチェスカ》」

「《三日月》、行くよ」

 

 祝の小さく細い手に漆黒の大鎌《三日月》が収まる。大鎌の全身から噴き出す漆黒の瘴気が空気を染め上げ、その暗闇の中で鈍く光る二つの刃がチェシャ猫の口元のように弧を描いた。

 一方、カナタがその手に顕現させたのは細身のレイピアだった。刺突性能に優れた特徴を見せるその細い刃は、しかしその得意な突きで折れてしまいそうなほど薄い。それどころか刃が透けることによってその反対側の風景が晒されてしまっており、まるで硝子細工のような脆さを見る者に感じさせる。

 

「あれがカナタさんの霊装なの? 何だか随分と頼りない感じだけど」

 

 言葉こそ油断があるが、警戒心と好奇心をその瞳に浮かべたステラがカナタの霊装をそう評する。

 確かに一見すれば明らかに脆そうな霊装だ。あれで敵の武器と打ち合うことができるとは到底思えない。だがカナタの霊装が真の姿を見せるのはここからだった。

 霊装を胸元まで上げたカナタは、その切っ先を持ち手とは反対側の手へと向け――やおらその手へと刃を突き立てたのだ。しかし刃は掌に刺さることはなく、その脆さの通り砕けて虚空へと散っていく。そうして切っ先から刀身の全体へと罅が広がっていき、やがて柄を残して刃が全て砕け散った。

 

『出たーッ、貴徳原選手の伐刀絶技《星屑の剣(ダイヤモンドダスト)》だァ! 刃を粒子レベルまで砕き、数億にまで分かたれたその小さな刃を操作することで敵を削り取る凶悪な能力! これを相手にまともに闘うのは煙を斬ろうとするようなもの! これまでの試合を一斬で決めてきた疼木選手には最悪の相性と言えるでしょう!』

 

 けたたましい実況にステラは息を呑む。その恐ろしさを理解できたが故に。

 それを見た兎丸が得意げに鼻を鳴らした。

 

「あれがカナタ先輩の《星屑の剣》だよ! 無数の刃は広範囲のカバーができて、オマケに細かい粒子になれば外から相手を攻撃するだけじゃない! 肺に潜り込んで内側から相手を切り刻むことだってできるんだから!」

「そうそう。呼吸をするだけでもカナタを前にしては命取り。それに純粋な攻撃力だけでもカナタは凄い。こと対人戦に限るのなら、あるいは刀華以上に優れた実力者なのさ」

 

 御祓の言葉にステラたちは戦慄する。

 術者が遠距離から、しかも見えないほど小さな億の刃を操るということの恐ろしさを改めて認識させられたからだ。ましてや純粋な接近戦タイプの祝にはより相性の悪い相手であるはず。

 このような相手とどう闘うのか。それをステラたちに限らず、会場全ての観客たちが固唾を飲んで見守っていた。

 しかし……

 

『さて、試合が始まったわけなのですが……どうしたことだ! 二人ともその場を動かなァい! 互いに様子を伺うように攻撃を仕掛けません! 好戦的な疼木選手が開幕速攻を仕掛けないということが個人的にはとても意外です!』

 

 実況の言葉の通り、祝とカナタは開始線の上から動こうとはしなかった。試合の滑り出しとしてはこの上なく緩慢だ。

 しかし、依然として二人が放つ尋常ではない気配に変化はない。祝の瘴気とカナタの殺気が混ざり合うことで会場は異界を形成しており、観客たちの中には立ち眩みを起こしたように席に崩れ落ちる者もいた。

 緊張感に包まれる中、西京だけがのんびりと解説を続けている。

 

『まぁ、お互いに人間を一撃で殺せる力量を持つ騎士だし、オマケに一つのミスが命取りになりかねない相手だ。特に貴徳原のお嬢はクソガキが苦手とする全方位攻撃を可能とする上に中距離型の騎士。位置取りをミスればクソガキは一瞬で霞にされるんだから慎重にもなるさね』

 

 西京の言葉に観客たちが納得の表情を見せる一方、それだけではないと理解する者もいた。

 そして刀華もその一人である。

 

「確かに疼木さんとカナちゃんの相性は悪い。でもそれは一方的というわけじゃなくて、お互いにやりにくい相手でもあるんです」

「会長さん、それはどういうこと?」

 

 人体に流れる伝達信号(インパルス)を感知する伐刀絶技《閃理眼(リバースサイト)》――それを持つ刀華は、人間の動きや感情の機微を誰よりも早く察知する。その能力から得られる情報をより正確にするため、あえて眼鏡を外すことで視力を弱めるのが彼女の見せる本気の証だ。

 そして今、刀華は眼鏡を外すことで常人以上の情報を試合から読み取っている。その能力と多くの実戦経験を持つ刀華にはステラたちとは違う光景が見えていた。

 常識的に考えるのなら、この試合は祝が圧倒的に不利。しかしそうではないと言い切る刀華に、有栖院がどういうことなのか訊ねる。

 

「カナちゃんの《星屑の剣》はまさに煙のようなものです。しかし霊装は細く薄い形状故に体積が少なく、作り出せる刃も比例して少なくなるため刃をより細かく砕かざるを得ない。そして数億の刃と聞けば恐ろしさが先行しますが、レイピアの僅かな体積でそこまで細かく分裂した粒子一つ一つの威力などタカが知れています。カナちゃんの伐刀絶技はそれらを一気に攻撃に使用することで人体を容易に削り取ることを可能にしますが……」

「なるほど。つまり貴徳原さんの霊装はあまり広範囲に霊装を散布することができないのね。正確には、そうすると威力が極端に落ちる」

「はい。カナちゃんの霊装は基本的に一つの纏まりとして遠隔操作されていて、その形状を煙のように伸ばしたり集めたりすることで変幻自在の攻撃を繰り出しているんです。しかしあまりに広範囲へ霊装を展開してしまうと、対応範囲が広くなる代わりに一度の攻撃で使用できる刃が減ってしまいます」

「つまり貴徳原さんはいざ疼木さんを攻撃しようとした瞬間、砕けた刃のほぼ全てを攻撃に回すことになって本体が無防備になる、と」

 

 珠雫の言葉に刀華が頷く。

 もちろん、刃を複数の群体に分けるなどして複数の敵、あるいは速度のある敵に対応することもできる。しかし群体の数が多いほど操作性、速度、威力が落ちるのは自明の理で、速力に優れる祝には却って隙を見せることになりかねない。

 

「恐らく複数の群体に分かつことはカナちゃんもあまりしないはず。致命傷にもならない下手な攻撃を仕掛ければ強硬に突破されます。そして疼木さんは未来予知の能力者――自分が一撃で死ぬかどうかは攻撃する前に察知されてしまう。肺を害そうにも、脳か心臓を一撃で破壊するくらいしなければ彼女は構わずカナちゃんを斬り伏せるでしょうし」

 

 霊装による攻撃を祝が回避するなり突破するなりして《星屑の剣》とカナタの間に入り込んでしまえば、もはやカナタを守る障壁は存在しなくなる。

 ステラによれば一輝の最高速度にすら迫るという祝だ。抜かれたが最後、もはや《星屑の剣》では追いつくことなどできないだろう。そのまま祝はカナタに急接近し、大鎌の一撃で終わりだ。

 少しのミスが命取りとなるのは祝だけではない。カナタも選択の一つを誤るだけで決着がつきかねない危うい立場にいるのだ。

 

(とはいえ、必ずどちらかが行動を起こさなければならない。そろそろ動かないと)

 

 当然ながら刀華の語る危険性を理解していないカナタではない。刀身の消えたレイピアの柄を握りながら、カナタは悠然とした佇まいに反して強い警戒心を胸に祝を注視していた。

 理想は《星屑の剣》などの魔術による中距離攻撃で接近を許さず、祝を外へと追い散らすことで決着をつけることだが……

 

「……このままだと埒が明きませんし、ぼちぼち始めましょうか」

 

 膠着状態に飽きたのか、祝が先んじて動きを見せた。

 ガリガリと、大鎌の曲刃でリングを引っ掻きながら祝が前進を始める。まるで散歩をするかのような気軽さで一歩、また一歩と祝が歩を進めてきたのだ。そして祝の爪先が丁度リングの中央部、つまりカナタから十メートルの間合いに入り込み――カナタの瞳孔がきゅっと細まった。

 それは思考を介さない反射の領域。

 極限の集中状態に至ったカナタの脳は意識に先んじて《フランチェスカ》に攻撃を命令していた。

 

「――《星屑の斬風(ダイヤモンドストーム)》」

 

 カナタの周囲に展開されていた群体が一斉に祝へと襲い掛かる。

 会場のライトを反射して煌めくそれらはまさに白銀の砂嵐。その血肉を塵芥となるまで削り落とそうという殺意が牙を剥き、祝の小さな身体に刃の嵐が覆いかぶさった。

 多くの者が祝の死を確信した。肉は削げ、骨は摩り下ろされ、砂嵐が赤く染まることを誰もが予感した。

 しかしこの程度の攻撃は高位の騎士たちにとっては挨拶のようなもの。無数の刃が蠢く直前、殺気が突然に重く鋭くなった瞬間に祝は身を翻していた。

 

『貴徳原選手の伐刀絶技が炸裂! しかし疼木選手は余裕の表情でこれを回避! さぁ、本格的に試合が動き始めました!』

 

 前方から迫る砂嵐を側面へと回避した祝。

 しかし白銀の砂嵐は休むこともなく祝を追い立て、彼女が足を付けた地面は一秒と待たずに切り刻まれる。

 ここで時計回りにカナタの側面へ側面へと回り込むことで祝はこれを振り切ろうとしているのだが、砂嵐は最短距離を直線的に移動して祝の前へと逆に回り込もうとしていた。

 

(悪くない出だし……このまま近づかせない!)

 

 空中で《星屑の剣》が蛇のようにうねる。

 しかし祝は所々で《既危感》が発動しているのか、まるで半透明のそれらが見えているかのように的確に身を躱していた。

 

「逃がしませんよ……!」

 

 《星屑の斬風》の軌道を変更。刃を二つの群体に分割。

 速度を無理に上げ、祝を両側から挟み込むようにして回り込む。そしてその中央に祝を捉えた途端、二つの《星屑の斬風》が祝を削り潰そうとその暴風を撒き散らした。

 しかし祝もそう簡単には捕まらない。その二つの砂嵐が逆巻き始めた瞬間、徐に大鎌を振り上げるとその曲刃を思い切り背後に突き立てたのだ。地面を削り飛ばしながら突き立てられた刃によって祝は急減速をかけ、そして祝が進むはずだった軌道が白銀の砂嵐によって蹂躙される。

 これを好機と見た祝は突き立てた大鎌の柄を手に大きく跳躍することで背転し、その勢いで深々と地面に刺さった曲刃を引き抜いた。

 そして貴徳原へと接近する――そう思われたが、どういうわけか祝は「あちゃ~」と表情を歪めると接近を断念。襲い来る《星屑の斬風》を躱し、再びリングを駆け回った。

 

『貴徳原選手、疼木選手を容赦なく追いかける! 疼木選手が走った軌跡をなぞる様にリングを削り飛ばされていきます! 疼木選手変則的な軌道でこれを撒こうとするものの、変幻自在に形を変え、縦横無尽に暴れまわる《星屑の斬風》は執拗に追い続ける! やはり間合いの差は七星剣王と言えども覆せないのかァ!』

『それだけじゃねぇよ。お嬢をよく見てみな』

『貴徳原選手ですか? 彼女はいつものように後方で霊装の操作に集中して……いや違います! よく見ると視線は疼木選手に向けたままですがゆっくりと移動している!? 西京先生、これは一体……?』

『簡単な話さね。あの霊装の攻撃だけならクソガキは大して苦労はしねぇよ、単純な速度でどうにでも撒ける。アイツが逃げ回っているのはお嬢の位置取りが巧いからさ』

 

 そう、魔術の性質に加えてカナタのポジショニングも絶妙だった。

 カナタは霊装の攻撃に専念するばかりでなく、常に祝と《星屑の剣》の直線状に立つように意識している節がある。主に動きがあるのは霊装の方なのだが、カナタもその場に留まることはなくゆっくりとだが確実に足を動かし続けていた。

 これによって祝が側面から回り込むことを防いでいる。

 しかしそれだけではない。カナタは常に《フランチェスカ》が自分から離れ過ぎないように操作しており、祝とカナタの間に回り込む際にも殆ど時間がかからないようにしていた。現に祝は何度かカナタから距離を離して《フランチェスカ》を誘い込もうとしているが、そのどれにもカナタは乗らずに距離を維持している。

 こうして祝は上手く外へ外へと追い散らされていた。

 

『何ということでしょう! 戦術と魔術を駆使し、貴徳原選手が一方的に七星剣王を追い詰めている! このまま疼木選手は大鎌を一度も振るうことなく敗北してしまうのかァ!』

(――そんなことあるわけない)

 

 興奮する実況に対してカナタは至って冷静だった。

 そもそもカナタ如きの戦術で一方的に斃されるような人間に《七星剣王》という称号が与えられるはずもない。祝は必ず、それこそ本当に追い詰められているのならば腕や脚を犠牲にしてでも大鎌の間合いに自分を収めてくる。その様子がないということは、彼女にはまだそれだけの余裕があるということだ。

 ならばこそカナタはあらゆる事態を想定し、臨機応変に最大限の力を発揮できるように構えていなければならない。

 これはある意味では祝への信頼から為せる心構えだった。

 カナタは特別招集という機会を通して祝の背中を見守ってきた、ある意味では彼女と最も共に戦ってきた戦友だ。だからこそ敵という立場に祝が立っていても、その実力に微塵の油断も抱くことはなかった。

 

(それに、見た目ほど余裕があるわけではないですしね……!)

 

 前髪に隠れているが、カナタの額には珠のような汗が浮かんでいた。

 その理由は偏にオーバーワーク故だ。

 目に見えないほどの破片にまで砕いた《フランチェスカ》を操る伐刀絶技《星屑の剣(ダイヤモンドダスト)》。そしてそれを数億の斬撃に昇華させる《星屑の斬風(ダイヤモンドストーム)》。一見すると自由度の高さから非常に利便性が高い伐刀絶技に思われるが、使用者のカナタからすればそれは見当違いもいいところだ。

 自分の手元から離れた数億の刃を三次元的に動かす――それがどれほど難しいことか。特に速さと複雑な動きを見せる祝のような相手ならば尚更だ。既に脳内で処理できる限界値は超えており、その補助のために先程から左手を虚空に翳して刃の位置を調整している。

 さらに祝との位置取りまで意識して絶えず足を動かさなければならない。

 一方的など冗談ではなかった。自分の得意な間合いに相手を引きずり込み、そして必死に力を振り絞ってようやく互角なのだ。むしろここまでやっても互角にしかならないという事実にカナタはもはや嗤うしかなかった。

 

 

 そしてそんな状況を正しく理解していたからこそ、《星屑の斬風》が祝を呑み込んだ光景を見た瞬間にカナタの思考は停止することになる。

 

 

 何の前触れもない終わりだった。必死にカナタの攻撃から逃げ回っていた祝の速度が急に落ち、そしてその隙を逃さず《星屑の斬風》が彼女へと襲い掛かったのだ。

 足を滑らせたのか、スタミナ切れか。何にしてもあまりに呆気ない幕切れ。白銀に呑まれていく祝の姿に一同は信じられないと言わんばかりに目を瞠り、そしてこれから起こるであろうグロテスクな光景に観客席のどこかから悲鳴があがった。

 カナタはそのあり得ない展開に完全に虚を突かれ、何が起こったのかを認識できず呆気に取られる。

 あの疼木祝が……学園中から恐れられた兇刃が……こんなにあっさり……? まさか勝ってしまったというのか。こんな突然の、それも前触れのない終わりで自分は“最強”を打ち倒してしまったというのか。

 あり得ない。あり得るはずがない。……しかし、まさか。

 

 

 その一瞬の思考停止がカナタの命運を分けた。

 

 

 観客の悲鳴は直後に観客一同の驚愕に変貌する。

 なぜなら、速度が落ちたと思われた祝の後方を(・・・)砂嵐が呑み込んでいたためだ。無人の空間を《星屑の斬風》は削り回り、祝には傷の一つもない。

 そしてカナタは自分が致命的な隙を晒したと遅まきながら悟った。

 

「第四秘剣《蜃気狼》――結構上手でしょう?」

 

 足捌きによる急激な緩急で敵の視覚を欺き、前後や左右にありもしない残像を作り出す()()()()()オリジナル奥義。

 その足捌きに誘導され、カナタは祝の速度が急速に落ちたと錯覚させられてしまったのである。

 そして完全に目測を外した《星屑の斬風》を置き去りに、祝はカナタへ向けて一気に方向転換した。カナタが《フランチェスカ》を慌てて引き戻すもののもう遅い。既に祝の進路上に障害物は存在しないのだから。

 津波のように祝を背後から追いかける砂嵐は、しかし直進の速度において彼女に遥かに劣る。

 

『うぉぉぉおおお《蜃気狼》だとォ!? 黒鉄選手が綾辻選手との試合で披露した秘剣の一つです! 疼木選手の予想外すぎる技に驚愕が隠せませんッ! 彼女は黒鉄選手と対戦した過去があると聞いていますが、その一回で《蜃気狼》を盗んだというのでしょうか!』

『別に驚くことじゃない。クソガキの予知は“未来の経験”を何万回以上も味わったかに感じさせるほどの既知感として認識するんだ。だったら一度見せた技くらい、種も仕掛けも飽きるほど知られているだろうよ。しかも体術や武術はアイツの得意分野。下手に見せたが最後、その全てを盗み出されちまうのさ』

 

 西京の解説に会場は驚愕の渦に巻き込まれる。

 ということは、だ。その能力を踏まえた上で祝が一輝と対戦した経験があるということを考えると、既に一輝の秘剣の悉くを祝が使用できてもおかしくはないということになる。

 化け物か――そう呟いた客席の誰かは、一同の代弁者だった。

 

「クッ!」

 

 一方、カナタは西京の解説に耳を貸す余裕などない。

 しかし起こった事態だけを冷静に見極め、現状が凄まじく危機的だと判断していた。逆転は一瞬。狩る側だったはずの自分が一瞬にして獲物になった。

 祝は既に大鎌を振り上げ、カナタの胴を両断せんとこちらに迫っている。二十メートルほどあった距離は僅か二歩で半分以上を踏破され、もはやカナタの敗北は一秒強で訪れてしまうだろう。敗北は目前にまで迫っている。

 後退するか――否。それは最悪手。祝の速度を相手に後退すればリングの際までハンティングの哀れな兎のように追い詰められるだけだ。

 では魔力防御で一撃だけでも凌いでみせるか――否。確かに一撃を耐えれば《フランチェスカ》を呼び戻す時間ができるだろう。しかし祝の一撃は霊装すらも断ち切る。成功確率は絶望的だ。

 

(ならば残された手段は一つ!)

 

 そして次の瞬間、観客たちは仰天した。

 普通、武器を振りかぶった敵が眼前に迫れば防ぐか躱そうとする。自分の手元に武器がなく、反撃の手段もないのならば尚更躱すしかない。しかし、カナタは――逆に祝の間合いへと飛び込んだ。

 

「――お手柔らかにお願いします」

「へぇ……?」

 

 祝の表情に感心したと言わんばかりの笑みが浮かぶ。彼女はその一瞬でカナタの思惑を読み取ったのである。

 《三日月》の刃に引き裂かれれば一撃で戦闘不能に追い込まれるのは必定。だからこそカナタはあえて大鎌の刃の内側に飛び込むことで刃を回避し、少しでも生存確率の高い長柄による打撃に身を晒そうというのだ。

 もちろん、霊装すら両断する祝の一撃が軽いものであるはずもない。たとえ柄まで潜り込んだとしても耐えられる可能性は低いだろう。

 絶望的な状況の中、それでも勝利のために足掻き続けるというその精神。常人にできることではなく、祝だけでなく試合を実況席から見守っていた超一流の騎士である西京を以ってしても見事としか言い様がない。

 その不屈にして勇気ある行動を讃える意味を込めて、祝は敬意と共にカナタに言い放つ。

 

「一応言っておきます。死ぬほど痛いですよ」

 

 直後、祝は下半身の筋肉を捻り《三日月》の軌道を大鎌特有の引き斬るモーションから棒術の叩きつけるモーションへ修正。柄を半回転させ、曲刃を後方へ。僅か一瞬の後、大鎌の斬撃は殺傷力を少しでも上げようと槍の薙ぎ払いに変貌する。

 

 頑張って耐えてくださいね――カナタの耳には祝の聞こえざる声がハッキリと響いていた。

 

 そして一閃は音速超過を阻む大気の壁を当然のように引き裂く。

 既にカナタは打点から外れていたが、《三日月》の柄は撓りを見せながらカナタの胴へ炸裂。咄嗟に出たカナタの左腕を粉砕し、その下の肋骨をまとめて圧し折り、内臓を破裂させ、そしてその場に踏み止まることも許さずリング上から叩き出した。

 地面と平行に吹き飛ぶカナタはそのまま客席の下、リングと観客席の間に設けられた段差の壁に轟音を起こしながら激突する。強化コンクリートに罅が入るほどの勢いで叩き付けられた細い身体は壁から跳ね返り、そして受け身を取ることも出来ず地面へと転がった。

 

『一撃ーッ! たったの一撃で貴徳原選手がまるでボールのようにリングから吹き飛びました! というか吹き飛ぶ時に貴徳原選手が側面にくの字に曲がっていたように見えましたが、彼女は無事なのでしょうか!』

 

 実況の懸念通り、倒れ伏すカナタの姿は凄惨なものだった。

 防御に回した左腕は肘でもない部分が九十度以上に拉げ、脇腹の付近は傍目から見てもわかるほど陥没している。口元からは吐血交じりの咳が漏れ続け、全身が痙攣していた。

 打点をずらし、魔力防御で可能な限り威力を減衰させてこの威力。もしもカナタが刃を防御するのみに留まっていた場合、間違いなく上半身が千切れ飛んでいただろう。

 もはや瀕死と判断されてもおかしくないカナタに審判の黒乃が逸早く駆け付け、その容体を確認する。そして実況席の方へ顔を上げると首を横に振った。

 

『し、試合終了ーッ! 審判がこれ以上の試合続行を不可能と判断しました! 勝者は《七星剣王》疼木祝選手です!』

「あれま、残念。ここまでですか」

 

 実況の宣言に祝は僅かに残念そうにカナタを一瞥した。

 しかしやがて視線を外し、「いえ~い」と大鎌を頭上に掲げてみせる。

 祝が選抜戦で見せた試合らしい試合に、騒めくばかりだった観客席の中からも次第に拍手が漏れ始める。最初は少なかったその拍手も、やがてそれらが波紋となって会場は喝采に包まれていった。

 

『ああっ、観客の方々から拍手が!? 今まで対戦相手を一方的かつ一撃で斬り伏せるあまり、試合に勝とうともドン引きされるばかりだった疼木選手にもとうとう拍手が送られています!』

『まぁ、今回はそこそこ見れる試合だったからね~。お嬢は全力でクソガキに闘いを挑み、クソガキはそれを凌ぎ切った。今までのワンサイドゲームじゃなく、アイツにしては久々にまともな試合だったよ』

 

 称賛の声を聞きながら、祝は「ありがと~」と手を振ってゲートへと戻っていく。

 その一方、カナタは黒乃の指示の下、担架で反対側のゲートへと運び出されていった。しかしそれは惨めな敗北などではない。強敵に全力で立ち向かった末の敗北であり、その姿を哀れに思う者など会場にはいなかった。意識のないまま運ばれていくカナタにも、惜しみない称賛の拍手が送られる。

 その拍手の送り主の一人である刀華は、ステラたちに「カナちゃんの様子を見てきますね」と言い残し席を立った。彼女に続き、御祓たち生徒会役員も去っていく。

 あれほどの重傷を負ったとなればiPS再生槽による治療を必要とするため、面会はしばらく後のこととなるはずだ。しかし彼女たちは友であり仲間の義務として、きっとカナタの目が覚めるまでずっと彼女が眠るベッドの隣で待ち続けるのだろう。

 

「行っちゃったわね、会長さんたち」

 

 刀華たちの後ろ姿を見送った有栖院が呟く。

 自分たちの仲間が目の前で敗北したのだ。刀華たちにとっても悔しくないはずがない。

 ここはそっとしておくべきだろう、というのがステラたちが言葉にせずに出した結論だった。

 

「それにしても、まさかハフリさんがイッキの技まで使えるなんて……」

「西京先生の解説が本当ならお兄様との相性が悪すぎます。武術を鍛え続けたお兄様はいわば技と技術の宝庫。闘えば闘うほど手の内を彼女に写し取られる。いえ、既に写し取られている。それだけでお兄様が敗れるとは思いませんが、苦戦は必至です」

 

 珠雫の分析した通りだ。

 現に一輝は手の内を読まれ過ぎたあまり、祝との決闘に敗北している。

 ただでさえ《雷切》という強力な騎士が残っている中、残りの試合の中で祝と一輝がぶつかれば勝利は覚束なくなるだろう。

 査問会のことだけではない。“勝ち残れるか”という面からも一輝の道は険しさを増すばかりだった。

 

 

 




祝「デュー◯ホームランッ!」

久々の戦闘シーンでしたが、作中でカナタ先輩の活躍があまり出なかった理由が少しわかった気がしました。書いてみたはいいのですが、かなりわかりにくい戦闘シーンになってしまい自己嫌悪です。
《フランチェスカ》の戦闘シーン本当に書くの難しい


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デュエッ!!

感想ありがとうございます。
誤字報告などは毎度のように戴けてとても感謝しております。


 国際魔導騎士連盟の日本支部。既に時間は深夜とも言える時間に突入しようとしているが、その地下深くでは査問会という名の魔女裁判が続行されていた。

 容疑者が罪を認めるまで終わることのない問答。日が差し込むことはなく、時計すらもないためまるで機能しない時間感覚。体力の限界すらも無視され、尋問は定刻までほぼ休憩もなく続けられる。周囲の人間は全て敵。食事すらも満足に与えられない。

 そんな状況に二週間も晒されれば、いくら頑強な肉体と精神を持つ一輝であろうとも極限状態に追い込まれるのは必然であった。

 

「は、ぁ……っ」

 

 息が痛い。息を吸うほど気道が激痛を発し、呼吸の度に掠れるような音が喉から漏れる。咳をすればその激痛は最高潮に達し、肺を吐き出したく感じるほどの熱と刺激が一輝を苛んでいた。

 視界は霞み、平衡感覚も危うい。

 熱があるため、ここ数日は頭もまともに回らなくなっている。

 

(苦しい……)

 

 頭を占めるのはそればかりだ。

 倫理委員会のメンバーが何事かを一輝に問いかけてくるが、もはや一輝には何を言っているのか理解することも難しかった。まるで自分が水底にいるかのように声の内容が聞き取れない。

 何を言っているのか、それを懸命に聞き取ろうと声に集中する。しかしそれほどの力すらも一輝には残されておらず、逆に手足から力が抜け、気が付けば一輝はその場に崩れ落ちていた。

 

「何を寝ている貴様はァッ!」

 

 次の瞬間、一輝は頭を勢いよく踏みつけられたことで意識が覚醒する。地面に押し付けられた額と踏まれた頭に痛みが走り、一輝は堪らず悲鳴をあげた。

 しかし踏みつけた倫理委員会の者は「最近のガキは根性が足らん!」と憤ってみせるばかりで、自身の行為は当然のことだと言わんばかりだ。もちろん一輝にこうした暴力を振るうことなど、どう考えても許されることではない。しかし他の倫理委員会の者たちも一輝に呆れの溜息をつくばかりで、同情や憐みを見せる者は一人もいなかった。

 

「全く、答えにくいと思ったら仮病かね? 君の行為はこちらの心象を悪くするばかりだぞ?」

「私が若い頃はもう少し体力があった気がするがなぁ。最近の若者はゲームばかりやって体力が落ちているという話は本当のようですね」

「真面目にやりたまえよ。こちらだっていつまでも君に付き合っていられるほど暇ではないんだ」

 

 嘲笑と侮蔑と敵意。それがここにある全てだった。

 一輝がいくら真面目に答えようともまともに取り合わず、それどころか態度が悪い、真面目にやれと繰り返すばかりで会話が成立しない。

 それに少しでも反発してみせようものなら、口答えするなと怒鳴り散らされ、あるいはそんなことは聞いていないと吐き捨てられる。

 そして確認と称して何度も繰り返される同じ問答。

 熱によって思考能力を奪われ、体力までも削られている一輝にこの尋問は地獄の苦痛を齎す。心身ともに一輝は疲弊しきり、こうして意識が途切れることも徐々に珍しくない光景となり始めていた。

 

(この体調不良は絶対におかしい。きっと支給された食料の中に一服盛られている)

 

 僅かに残された一輝の理性が冷静にそれを判断するが、しかしその推測は現状を打破するための何の役にも立たない。食事をしなければ体力がもたないのだから、結局のところ一輝は毒入りの食事をするしかないのだ。

 むしろここまで徹底的にFランクの自分を潰しにくる父に乾いた笑いすら出てくる。

 あの自分を騎士として無価値としか考えていなかった父親は、その息子のたった一つの願いすらもここまで本気で潰しにきているのだ。その事実が、厳の言葉が方便ではなく本心からのものだということを克明に一輝に感じさせていた。

 

(父さん……)

 

 思い返すだけで一輝の胸に痛みが走る。

 一輝は意識することはなくとも、父との絆を信じ続けていた。自分が不出来な息子ではないと証明してみせれば、いつか父も自分を笑顔で迎え入れてくれるものだと心の底では願い続けていた。

 だが現実はこれだ。

 厳は一輝の存在に最初から期待や希望など抱いておらず、今や己が守る秩序の邪魔にしかならないと排除しにきている。

 押し隠したい身内の恥ではない。ただ自分の目指すものの障害としてしか息子を見ていない。

 そんな男との間にあると信じていた絆など幻想でしかなかった。過去の自分の滑稽さと空回りし続ける努力は、思い出すだけで涙が浮かぶほどだった。

 

「し……失礼、しました……」

 

 掠れた声で謝罪しながら、一輝は滝のような汗を流し立ち上がる。

 精神的な主柱が折れた一輝に、病は容赦なく牙を剥いた。休息も許されない一輝の体調は悪くなる一方で、体力が尽きて意識が戻らなくなるのももはや時間の問題だということは誰の目にも明らかなほどだ。

 ――そしてそれこそが倫理委員会の、延いては赤座の狙いだったのだと一輝は思い知らされることとなる。

 

「んっふっふ。お辛そうですねぇ、一輝クン。しかしわかって戴きたい。私たちは君の無罪を証明するためにこうして集っているわけであって、決して君を貶めたいとか罪をでっちあげたいだとかぁ、そういう意図は一切ないのですよぉ?」

 

 白々しい赤座の言葉だが、もはや一輝には怒りを抱く気力すらない。

 ただただこれからも続くであろう徒労に精神を擦り減らすばかりだった。

 しかしここで一輝の思惑は覆されることとなった。それも最悪に近い方向に。

 

「しかしですねぇ。こうして二週間の査問をしたことで、我々にも一つの結論が飛び交うようになり始めましてぇ」

「けつ……ろん……?」

「えぇ、えぇ。その結論はですねぇ、こうして査問会を続けていても真実は一向にわからないままだろうという残念なものでした」

 

 当然のことだった。

 一輝の行いは何ら非難されることではない。ステラとの交際も、既に騎士として成人男性と見做される一輝に許されている権利だ。不純異性交遊などと世間は非難するが、大人として法的に認められる二人がそのようなことを非難される謂れなどないのである。

 さらに言うのなら、査問の中では一輝の『七星剣武祭に優勝すれば学園の卒業資格を与える』という新宮寺との契約についても取り上げられていた。これを前理事長の正式決定を蔑ろにする不当な契約だと査問会では叫ばれたが、それも前理事長の背後に日本支部がいたことを踏まえればあちらにとっての疑問など皆無に等しいはず。

 もはや何もかもが出鱈目だ。

 

「ところで一輝クンは、この査問会がそもそもどういう意図で招集されているかちゃんと覚えていますかぁ?」

「……それは、ボクとステラの交際を……」

「はぁい、そうです。君とステラ殿下の不純異性交遊を見かねた世間が抱いた、君が騎士としての資格を持つに足る適格な人間であるのか、という疑問を確認するためですねぇ」

 

 つまり、と赤座は笑みを深くする。

 その表情に一輝は何か途轍もない寒気を感じた。

 

「君が立派な騎士であるということを証明できればこの問題は解決なんです。しかし立派な騎士の基準が何なのかは人によって考えが違うのは当たり前ですよねぇ? しかし騎士には古くからある不文律の風習があります。今回はそれに則ることで、貴方の騎士としての適性を見極めようという結論になりましたぁ」

「風習……ですか……?」

 

 何だ。この男は何を企んでいる。

 熱に浮かされた一輝の脳が必死に回転する。しかし結論が出ないまま、赤座は厭らしく口を開いた。

 

「騎士とは、古来より己の剣でその運命を切り開くものとされています。ならば剣でこの問題に決着をつけるのはどうか、と言えば賢い一輝クンならば理解できますよねぇ?」

「……“決闘”、ですか」

 

 あまりに古臭いその風習に一輝は眩暈がした。しかしその確実性と厭らしさにはもはや絶句するしかない。

 つまり赤座はその古い風習に従い、決闘の勝利によって一輝の騎士としての資格を見せてみろというのだ。もちろんこの狸親父が一輝の体調が回復するまで時間を空けるとは思えない。この満身創痍の状態で一輝に闘えと言っているのである。

 どう考えても公平ではない。日本支部の悪意がこれでもかと詰め込まれたこの決闘。しかし一輝には受けないという選択肢は残されていなかった。これを断るということは、赤座の言う騎士としての資格が自分にはないと宣言したも同然になってしまうのだから。

 

「丁度良いことに、一輝クンは明日が選抜戦の最終戦です。よって一輝クンの対戦相手を我々の代理と見做し、この決闘を執り行いましょうかぁ」

 

 決闘の風習は騎士同士が交わす非常に強制力の強い契約で、お互いがそれに納得して一度契約してしまえばそれは絶対遵守として扱われる。その中で代理人を立てることは、過去の例からも少なくはあったが確かに存在していたと聞く。

 赤座の策略は理解した。しかし一輝には疑問が残る。これまでも日本支部の建物で細々と選抜戦は続けられており、当然ながら一輝はそれらを全て制してきた。よって当然ながら一輝にも明日の対戦相手の名前が通知されている。

 明日の対戦相手は無名のEランク騎士だったはず。相手に失礼なことは承知しているが、自分にその程度の相手を嗾けたところで意味があるとは一輝には思えなかった。

 そしてそのようなことは赤座も承知している。

 

「しかしですねぇ、一輝クンの明日の対戦相手は正直なところ君の力の証明にはなりませんねぇ。EランクととFランクの試合など所詮はドングリの背比べ。そんな低レベルの闘いを征したところでねぇ、それで世間が納得するかと言われてもそうは行かないのが現実です。なので君の対戦相手は我々が指名しましょうかぁ」

「げほッ、……誰なんですか、その相手は」

 

 聞きたくなどない。しかし聞かざるを得ない。

 激しい頭痛を起こしながらも一輝の頭に最悪の候補が浮かぶ。

 体調不良によって青褪めていた一輝の顔が、その予想によって土気色に変化した。そしてその一輝の表情を楽しむかのように、赤座の笑みがより一層深まる。

 

「我々が指名する学生騎士、それはぁ――」

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 黒鉄がビール腹なオジサンに連れ去られてそろそろ二週間が経つ。原作主人公そっちのけで学園の選抜戦は進行していき、既に試合は第二十試合の辺りまで行われていた。

 もうここまでくると選抜戦の終わりも目の前で、七星剣武祭に進むと思われる顔ぶれもだいぶわかってきている。加々美さんに聞いた話では、生徒の間では誰が生き残るのかの賭け事までされているらしい。

 その中で最有力候補とされているのが、当然ながら大鎌使いとして武威を誇るこの私だ。次に去年の大会で準決勝まで進んだ東堂さん。そして学園唯一のAランクであるステラさん。そして私たちに一歩譲って黒鉄。

 この四人はクジ運が良ければほぼ確実に勝ち進むとされている。

 残った人たちはどっこいどっこいというところだろう。

 

 まぁ、ここまで来たら後は野となれ山となれ。

 原作の通りに選手が残ろうと残るまいと私がやることは変わらない。精一杯カッコいい大鎌の姿を世間に見せつけるだけだ。

 例え原作崩壊しようとも構うものか。そもそも私が優勝してしまう時点で崩壊してしまうのは確定しているのだから、今更こんなことを気にはしない。卒業の条件に優勝を指定されている黒鉄には気の毒だと思わなくもないが、大鎌の前では剣士の人生など所詮些事。剣士など一人挫折しようと一兆人挫折しようと知ったことか。

 どうしても優勝したいのなら、私が卒業するまで待ち続けるといいよ? すまんね黒鉄、この《七星剣王》の称号は一人用なんだ。

 

 そんな今日この頃なのだが……

 何をしたわけでもないというのに、私が理事長室に呼び出されているのはなぜだろう。

 

 相変わらずヤニ臭い理事長室だった。机には煙草の吸殻が山盛りになった灰皿が鎮座しており、その量が物語るように新宮寺先生には疲労の色が浮かんでいる。恐らくはマスコミへの対応、それと黒鉄について色々と手を打っているのだろう。本当にお疲れ様である。

 

「……さて、よく来た。早速本題に入るが、今日お前たち(・・)を呼び出したのは速やかに話しておかなければならないことができたためだ」

 

 先生の言葉からもわかるように、今日呼び出されたのは私一人ではない。隣を向けば意外や意外、なんと東堂さんも私と一緒に理事長室に呼び出されている。生徒手帳に呼び出しのメールが来たときは「何かやらかしたっけ?」と首を傾げたものだが、理事長室で東堂さんと合流したことでますますわけがわからなくなった。

 

 ……もしかして私が思い当たらないだけで本当に何かした?

 でも最近は勝手に海外にも行っていないし、学園の設備も壊していない。もちろん誰かと喧嘩した覚えもないし、他校の生徒を再起不能にまで追い込んだりもしていない。

 本当に何の用なのだろうか。

 そんな私の内心を察したのか、新宮寺先生は「今回はお前のことではない」と呆れたように溜息をついた。何だ、ビックリした。

 

「先生、それならばなぜ私たちは呼ばれたのですか? 私はまた疼木さんが何かを仕出かしたのだと思って臨戦態勢で参ったのですが」

「それは違うぞ東堂。だから殺気を収めて眼鏡をかけろ。さっきからお前がいつ疼木を斬るか気になって話が進まん」

「失礼しました」

 

 さっきから東堂さんが私に叩き付けていた殺気が鎮まる。

 ああ、だからさっきから荒ぶっていたのねこの人。入室するなり裸眼で「殺すぞワレェ!」って感じの視線を向けてきたから何事かと思っていたけど。

 

「本題に入るぞ。突然だが、明日に控えた選抜戦の最終戦……お前たちのどちらかに対戦相手を変更してほしい」

「……変更、ですか?」

「それはまたどうして?」

 

 いきなり妙な話をし始めたぞ。

 対戦相手を変更するくらい私は構わないのだが、それを東堂さんと私のどちらかと言う意味がわからない。

 

「…………先程、騎士連盟日本支部の倫理委員会から通達があった」

「倫理委員会ということは黒鉄くん絡みの件ですか?」

 

 ……んん?

 倫理委員会と東堂さん、そして選抜戦最終戦。何だか記憶の琴線に引っかかるワードが出てきたぞ? 何だっけ?

 確か原作の最終戦は東堂さんと黒鉄が闘って黒鉄が勝ったんだよな、《一刀羅刹》とかいうヤバい伐刀絶技を使って。

 しかしそこで倫理委員会が関わってくる理由が思い出せない。あの人たちがこの試合を仕組んだんだっけ? でも試合の形式はランダムでしょ? 倫理委員会が介入するにしても、なんで東堂さんを指名したんだ?

 

「……倫理委員会はこのまま査問を続けても埒が明かないということを理由に、“決闘”を用いてことの白黒を決める腹積もりらしい」

「け、決闘ッ!? どういうことですか!」

「今回の騒動は黒鉄に騎士としての資格があるかどうか、という問題が根本にある。よって黒鉄が騎士として力を示すことができれば倫理委員会はこの件から手を引こうと言ってきたんだ。その方法として連中が提示してきたのが決闘――即ち、騎士において絶対と言える習わしだ」

「そんな、理不尽すぎます!」

 

 東堂さんが怒りで眦を吊り上げる。

 しかもこの決闘に際し、倫理委員会は黒鉄の体力を徹底的に奪うために様々な工作を仕掛けているのだとか。先生は日本支部の知り合いを経由して情報を得ているらしいが、その情報提供者が知り得ない悪辣な手段も取っているだろうと先生は考えているらしい。

 

 前世の記憶がある私には前時代的を通り越して原始的過ぎて理解できない風習なのだが、この世界では未だに決闘の風習が大きな意味を持っている。

 立会人を用意し、騎士の名の下に行われる正当な決闘。その勝敗によって誓う契約は騎士の間では絶対とされており、例えば裁判などでも証拠として扱われるほど重要なものとなる。

 これは騎士としては常識で、私も幼い頃から聞かされてきた。

 正直、騎士を国家資格としてしか見做していない私からすれば理解できないこの風習。しかし倫理委員会はこれを利用した。

 即ち決闘の勝敗によって黒鉄の有罪無罪を決めてしまおうというのである。このままダラダラと査問会を続けていればヴァーミリオン国王の電撃訪日で黒鉄が無罪放免になる可能性があるが、彼らが決闘で勝利してしまえば一発で黒鉄を有罪に追い込める。

 本当、こういうところばっかり古いんだよねぇこの世界。

 

 しかし……ははぁ、読めてきたぞ。というか記憶が蘇り始めたぞ。

 確か倫理委員会は黒鉄との決闘に際し、選抜戦最終戦でぶつかる学生騎士を自分たちの代理人として扱っていたんだった。それで原作ではその役目は学園最強の学生騎士である東堂さんが指名されたのだろう。

 しかしここで疑問が生じる。『どうして私たちが()()()呼び出されたのか』ということだ。

 東堂さんが一人で呼び出されたのならば、原作と同じ流れで彼女が代理人に選ばれたからだとわかる。あるいは私一人が呼び出されたのならば、破軍学園が保有する七星剣王を代理人に指名したのだと考えることもできた。

 だけど二人ってどういうことよ? 

 

「あの、確認しますけど。つまり先生が私たちを呼び出したのは、私か東堂さんに倫理委員会の代理人として黒鉄と決闘しろと言うためですよね? 流れ的に」

「……ああ、その通りだ」

「なッ!?」

 

 苦虫を噛み潰したかのような表情で先生が首肯し、その事実に思い至った東堂さんが絶句する。

 まぁ、東堂さんが驚くのも無理はない。要は先生は、私か東堂さんのどちらかに倫理委員会が黒鉄をハメるための刺客になれと言っているも同然なのだから。

 

「その辺はわかりますけど、どうして私()()が呼び出されたのですか? 向こうは黒鉄を潰すための学生騎士を指名してきたのですよね?」

「そうだ。しかし指名してきたのは一人ではない。《七星剣王》疼木祝か《雷切》東堂刀華のどちらかを選出しろと言ってきたのだ」

 

 はぁ? どちらか?

 それは何とも曖昧なことを言ってきたものだ。

 ここで向こうが破軍学園に選択肢を与える意味がわからない。何を考えているんだ?

 

「それは私も気になって問い合わせたが、連中ははぐらかすばかりで要領を得ない。そこで知り合いに内情を探ってもらった結果、どうも疼木を指名するか東堂を指名するかで倫理委員会の中で意見が割れたらしくてな」

「それでこちらに任せてしまおうと?」

 

 新宮寺先生によれば、喪黒福造似の委員長は私を指名したがっていたらしい。騎士連盟の中では色々と悪名高いらしい私だが、現段階で学生騎士最強の称号を持つ七星剣王であることには間違いない。ならばその駒を用い、黒鉄を徹底的に潰したいというのが委員長の考えだ。

 

 それとこれは噂だが、どうやらこの一件には彼の昇進もかかっているらしく、それ故に本気で仕事に臨んでいるという側面もあるという。

 

 しかし倫理委員会の約半数はそれに反対した。どうも彼らの背後には黒鉄長官の関係者の影がチラついているらしく、私にこういう重要なことを任せると何をやらかすかわからないから東堂さんに任せるべきだと主張しているらしい。どうせ満身創痍でまともな試合にならない以上、余計なことをする恐れのない東堂さんの方が組織としては安全牌だと考えているためだ。

 流石の委員長も黒鉄長官の無言の圧力には表立って反対を唱えられず、かといって七星剣王を使わないのも勿体ないと考えた。しかし結果的にはどちらを選んでも問題ないため、却ってどちらを選ぶべきかが倫理委員会の中で纏まらない。

 

「《七星剣王》と《雷切》を揃えてどちらでもいいとは、贅沢な悩みだな」

 

 先生は皮肉満載で吐き捨てた。

 説明している内に苛々してきたのか、煙草を取り出して一服を始めてしまう。

 私はどちらかというと嫌煙派なので目の前で吸ってほしくはないんですけどね。

 

「それで、なぜ倫理委員会はどちらでも(・・・・・)などという優柔不断な結論を?」

「最終的に決定打となったのは私への嫌がらせだな。今回の一件で私は連中が黒鉄に対して行おうとしてきた計画をいくらか阻止してきた。それによって水面下では敵対関係にあったのだが、最終的に私に黒鉄の引導を渡させる役目を押し付けようというのだろう。

 …………全く。ここまで不快な思いをしたのは本当に久方ぶりだ」

 

 椅子に座る先生から抑えきれない殺気が漏れる。

 薄く笑みを浮かべてすらいる彼女は、間違いなく倫理委員会に対して怒り狂っているのだろう。いや、もう怒りを通り越している感じだ。だってこの人、ロアナプラの二丁拳銃(トゥーハンド)みたいな目をしているもの。目からハイライトが消えているもの。

 しかし私たちの前だからなのか、彼女は溜息一つで殺気を消し去った。そして煙草を深く吸い込むと、特大の煙を吐いて話を仕切り直す。

 

「お前たちを呼んだのは、私が独断で黒鉄の対戦相手を決めるのを躊躇ったためだ。対戦相手の突然の変更、ましてや相手が渦中の黒鉄となればそこにお前たちは作為を感じるだろう。それを黙して語らないのは簡単だが、それは私の主義から最も遠い行いだ。だからお前たちには全ての事情を話した」

 

 え、えぇ……。

 そんなことを仰られましても……。

 失礼を承知で言わせてもらうのならば、ハッキリ言ってその主義って私たちには何も関係ないのですが。むしろ事前にそんな話をして東堂さんが試合に邪念を持ち込んでしまうことを考えなかったのだろうか。エゴだよそれは。

 あっ、私は全然気にしないので大丈夫です。きっと一時間後には記憶の片隅に追いやっていると思うから。

 

「もちろんこれは極めて自分本位な行為だと自覚している。お前たちは知らなくてもいい事実を聞かされ、この指名を受けるにしろ断るにしろ後味の悪いものを残すことになるだろう。そのことは私も本当に申し訳なく思っている。すまない」

 

 椅子から立ち上がると、先生は私たちに深々と頭を下げた。

 まぁ、あれだね。

 何も知らない方が幸せと言うけど、というやつか。確かに東堂さんは「私は満足し足りねぇ!」と荒ぶりそうだし。

 

 それに先生も散々悩んだ末にこうして私たちを呼び出したのだろう。この人は真面目だからねぇ。私だったら適当にコイントス辺りで勝手に決めてしまうところを、こうしてわざわざ馬鹿正直に真実を語ってしまうのだから。

 

「…………それで、だ。お前たちはこの試合を……その、どうする?」

 

 非常に言いにくそうに先生は切り出した。

 まぁ、そうだよねぇ。先生からすれば憎き倫理委員会に従って生徒同士を闘い合わせないといけないわけだからね。しかも自分が言い出した選抜戦方式を悪用されて。もう腸が煮えくり返っているのだろう。

 

 しかしどうしたものか。

 別に私は受けても構わない。黒鉄とは知り合いだが、相手にどのような事情があろうと私には関係ない。立ち塞がるのならば排除する、それだけだ。それで相手が破滅しようとも私は笑って「大鎌のために破滅してください」と言い放つことができる。それで恨まれるのは迷惑だが。

 

 ……うん、良し。面倒だしさっさと受けてしまおう。大鎌を散々馬鹿にしてくれた日本支部の助けになってしまうのは非常に気に入らないが、原作を知る私が原作主人公を終わらせてしまうのも何かの運命だ。きっとSSの神様か何かが大鎌にもっと輝けと囁いているに違いない。

 だったら決まりだ。

 

「先生、私が――」

「私が試合を受けます、先生」

 

 しかし私の言葉を遮り、東堂さんが前に進み出た。

 意外過ぎて思わず呆気に取られる。私以外の生徒には基本的に優しい東堂さんが、こうして他人の名誉を貶めるようなことに進んで買って出ることが少々信じられなかった。

 原作と違って半強制というわけでもないのに、一体どうしちゃったの?

 

「東堂さん、もしかして私に気を遣っているんですか?」

「そんなわけないでしょう。貴女に遣うなんて気が勿体なさすぎます」

 

 なぜか蔑むような目で言われたんだけど。

 ここってそういう場面じゃなくね? シリアスな場面じゃね?

 

「ただ、私が黒鉄くんの剣を背負いたいと……そう思っただけです。少し交流しただけの関係ですが、きっと彼は満身創痍の身体を引き摺ってでも試合に出てくるでしょう。彼はそういう騎士です。その誇り高い騎士の思いを背負い、私は七星剣武祭に臨みたい」

「だから私に潰されるくらいならば貴女が引導を渡そうと? これは本心から聞く純粋な疑問なんですけど、貴女の言う誇りとやらは彼に恨まれてまで背負いたいものなんですか?」

「……覚悟の上です。私は私の騎士道を貫くため、私の目指す生き様から逸れないために剣を取っています。それによって彼から恨まれることになろうと、彼が満身創痍であろうと、全力で私と闘ってくれる黒鉄一輝という誇り高い騎士を真っ向から打ち破って私は前に進みたい――それが私の騎士道です。騎士として生きるための私の道です。だから疼木さん、彼との試合を私に譲ってください」

「……はぁ、そんなもんですか」

 

 本当にこういう時、騎士という人種はよくわからないことを言う。

 私からすれば東堂さんの理論はヤンデレが「好きすぎて貴方の肉を食べたい」と言うのと何ら変わりない。結局自分のために他人の道を踏み躙っているだけなのに、出てくるのは誇りがどうだとか。

 学生騎士のくせに騎士道をイマイチ理解できない私が悪いということはわかっているのだが、それでもわからないものは仕方ないだろう。あれだよ、上条さん風に言うのなら私は力があるから仕方なく他人を守っている人種だからかもね。

 

 しかし覇気に溢れ、そしてどこまでも真摯な瞳、しかも先輩という立場の人にそこまで頭を下げられたら流石に断れない。

 まぁ、ぶっちゃけ別に私としては黒鉄との試合などどうでもいいことだ。そうまでして東堂さんが黒鉄と闘いたいというのなら譲るのに否はない。お好きにどうぞ。

 

「わかりました。黒鉄のことは東堂さんにお任せします。先生もそれで宜しいですか?」

「……わかった。倫理委員会には東堂を対戦相手として通知しておく」

 

 そういうわけで、選抜戦最終戦で黒鉄の相手をするのは東堂さんに決まった。何やかんやで原作通りに進むものなんだねぇ。ちょっぴり感心してしまう。これが歴史の修正力と呼ばれる代物なのだろうか。

 それにしても東堂さんも学生ながら肝が据わっているというか何というか。自分から黒鉄に引導を渡す役目を引き受けるとは思わなかった。話を聞いた時は絶対に私がやることになると思っていたし。

 だが……

 

「恨まれることになろうと、ねぇ……」

 

 理事長室から自室に戻る道すがら、差し込む西日に目を細めながら私は先程の東堂さんの騎士道とやらをぼんやりと考えていた。

 彼女が語った騎士道――それが東堂さんの生き様というものなのかもしれないが、だとするのなら余計なものを背負っているなぁ、とは思う。

 敗者からの恨みすら背負って勝ち続けるなど、煩わしいとは思わないのだろうか。

 

 これは今まで他人に話しても殆ど共感を得られなかったため、最近は誰にも言っていない個人的な意見なのだが――私は闘いによって敗者から向けられる恨みは迷惑千万でしかないと心から思っている。

 

 敗北とはどのような背景や事情があろうと自分が悪いのだから、勝者にそのような感情を向けるのは完全に筋違いだ。むしろ恨み、怒り、憎むべきは敗北した己自身であるはず。それを他人に向けるなど逆恨みでしかない。

 少なくとも私はそうだった。今以上に未熟で弱々しかった頃、闘いで誰かに敗れる度に自分の不甲斐なさに泣いた。大鎌への謝罪の気持ちに泣いた。そして大鎌の力を引き出せなかった自分への恨みで夜も眠れなくなり、怒りで自分を殺したくなり、憎しみで声も出なくなったものだ。

 勝者への激励や尊敬などをする暇すらなく、私は自分の愚かさと弱さを憎み続けた。いや、むしろ他人への称賛を自分が敗北した言い訳と考えてすらいた。敗けたのは相手が凄かったからだ、と認めることが他人を持ち上げて自分の敗北を正当化しているとしか思えなかったためだ。

 

 いや、機会が減ったというだけでそれは今も変わらない。闘いの中に自分の落ち度を見つけてしまえば自分に底なしの殺意を抱き、敗北すれば自分の弱さを噛み締めて泣く。その感情を押し殺し、勝者に対してズボンで汗拭き握手するなど死んでもご免だ。それは自分の弱さから目を逸らす行為でしかない。

 そしてその殺意――それとついでに大鎌を蔑む馬鹿どもへの憎しみ――は日々の修行に臨むための糧となり、今日(こんにち)の私を強くしているのである。

 

 そんな風に考える私にとって、東堂さんの『他人に恨まれてでも』という理念は本気でよくわからない。

 勝って恨まれる筋合いなんてないでしょ? 敗ける奴が悪いんだから。

 むしろ勝者を恨むような奴だからそいつは敗けるんだよ。敗け続けるんだよ。一生敗者として勝負の底辺を這い回り続けることになるんだよ。

 そういう人種は本当に……何だろうね。「なんで生きているの?」とすら思う。そんなどうしようもない連中のことまで気にかけて闘い続けるとか、私には鬱陶しいとしか思えない。

 

「大変ですねぇ、東堂さんの騎士道とやらは」

 

 いやぁ、私は今の生き方で良かったよ。

 そんな些末なことで大鎌を極める道を邪魔されては敵わない。魚の気持ちになっては刺身が食べられないのと同じように、蹴散らした敵がこちらに恨み辛みを持つかもしれないと考えるなど面倒なだけだ。しかも考えるだけでも徒労なのに背負うとは。

 その余計なことを考えるエネルギーすらも私は大鎌に使いたいよ。夢ってそうやって叶えるものでしょ?

 

 まぁ、何にせよだ。

 黒鉄の問題はこれで解決。私は完全に無関係になったわけだから、これで安心して訓練に戻れるな。今日みたいな呼び出しの時間だけでどれほどの時間を有効活用できたのかと考えると、時間が勿体なさすぎて仕方ない。

 ああ、早く修行したい。訓練したい。稽古したい。

 時間を無駄にしていることが大鎌に申し訳ない。早く修行に戻り少しでも技術を向上させなければ。

 

 黒鉄のことなんかで時間を無駄に浪費してごめんなさいッ!

 すぐに大鎌ライフに戻りますよ~!

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

「……新宮寺理事長は《雷切》を選びましたか」

 

 自分の執務室で赤座は溜息をついた。

 先程、決闘となった選抜戦最終戦の対戦相手である刀華を一輝に対して通知した。そしてそれを以って査問会は終了。全ては明日の決闘の勝敗に委ねられることとなる。

 赤座の理想としては、ここで《七星剣王》を投入して確実に一輝の息の根を止めたかった。だがあの臆病者のご当主様は祝の存在を恐れ、不用意に利用するなと遠回しに指示してきたのである。

 

「全く。ただ闘わせるだけだというのに、それすらも渋るとは。黒鉄の本家は揃いも揃って無能ばかりですねぇ」

 

 確かに祝は組織として脅威的な存在だ。

 昨年は問題行動ばかり起こし、七星剣王となった際にはそれを揉み消すために日本支部はマスコミに手を回すハメになった。倫理委員会の長であった赤座もその件であちこちへと駆け回らされ、マスコミ各社と秘密裏に交渉させられたのは記憶に新しい。

 挙句の果てに、日本の学生騎士がクーデターに参加していたと日本支部の上層部に伝わった際にも支部内は大騒ぎとなった。最終的に例の新政権は連盟に参加することを表明したため事態は収まったものの、もしも《大国同盟》の一員にでもなってしまえば本部から大目玉を食らっていただろう。

 

 だが、どれだけ強力な伐刀者であろうと所詮は戦術級――戦闘一つを征するレベルの戦力でしかない。

 

 これが《夜叉姫》のように戦争一つを左右する戦略級の伐刀者ならば話は別だが、祝程度の伐刀者ならばそこまで恐れる必要があると赤座には思えないのだ。

 確かに面と向かって出会ったのならば恐ろしい。しかし陰謀に巻き込み利用する立場であるのならば恐れるに足らない。それが赤座が祝に対して抱いている印象だった。

 

「まぁ、いいでしょう。どの道一輝クンの体調は最悪。あのコンディションで《雷切》を打倒できるとは思えません。結果的にこちらが勝てばいいのですからねぇ」

 

 この一件が上手く片付けば、赤座は倫理委員長から広報部長へと異動することが厳から確約されている。

 倫理委員会など、所詮は今回のような後ろ暗い仕事ばかりの地下で蠢く秘密警察のような役職だ。そのような場所でゴキブリのように這い回るよりも、誰だって広報部のような表立って活躍できる部署で働きたいと思うだろう。

 赤座は自分の華々しい未来のために、一輝を徹底的に潰す必要があった。一分の隙もなく、完璧に、圧倒的に仕事を完遂させようという意思に満ちていた。

 そのための最後の一手が祝の投入だったのだが、決まってしまったものは仕方ない。

 

「んっふっふ。明日が楽しみですよぉ、一輝クン」

 

 自分のために、精々派手に散ってくれ。

 それで命を落とすことになろうと赤座には知ったことではない。それで一人の少年の命と将来が潰えることになろうと、自分の華々しい未来に比べれば安いものだ。

 満面の笑みを浮かべながら、赤座は帰宅するために執務室を立ち去った。

 しかし翌日、彼は思い知ることとなる。

 

 

 

 ――この小さな隙が、赤座にとって人生最大にして最後の失敗の始まりになるということを。

 

 

 




そろそろ三巻を終わらせたいところですね。
そしてARC-Vの話を知り合いとしていて聞いたのですが、最近の遊戯王は先行のドローがなくなったという事実に驚愕です。


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毎度ながら感想、誤字報告ありがとうございます。
今回は後書きに嬉しいご報告があります。


 選抜戦の最終戦が行われる当日。

 学園はいつにない高揚感が漂っていた。誰もが浮き足立ち、午前の授業は全く身が入っていない生徒もチラホラいた。授業中は私も大人しく机の下でギッチョギッチョやっているだけなのだが、周りの生徒たちは頻りにメモらしき紙片でやり取りをしている。

 手渡しする過程を盗み見たところ、どうやら午後の最終戦で誰の試合を観に行くのかを話し合っているらしい。

 そんな浮ついた空気が立ち込める中、授業が終了すると一部の生徒たちが雪崩のように教室の外へと流れだしていった。恐らく、昼食をそっちのけにして試合会場となる訓練場の席を確保するためだろう。先に席を確保し、友人に昼食を買ってきてもらう計画でも立てているのかもしれない。

 

 そんな彼らについて一つだけ私が確信できることがある。

 それは、彼らの中に私の試合を観に来るであろう者が誰一人としていないということだ。

 仮にも七星剣王の試合を誰も観に来ないと確信している、その根拠は何なのかと首を傾げるかもしれない。しかしそれは仕方のないことだ。なぜなら私は本日、試合の予定など入っていないためである。

 

 

 ……はい、対戦相手にドタキャン食らいました。

 

 

 クッソ、ふざけやがってぇぇぇえええ!

 昨日、東堂さんに黒鉄の試合を譲ったそのすぐ後に棄権のお報せがメールで届いたよ! その時までは変更になる可能性もあるからと新宮寺先生が待ったをかけていたらしいが、改めて決定を連絡した途端に即行で棄権のメールが返信されてきたらしい。

 よって今日の私は完全にフリー。周りの優勝候補者たちが試合会場でその雄姿を見せつけている間、私は独り寂しくフリーダム。

 本当にもう、何なの!? ここまで勝ち残っておいて七星剣王に挑まないとか馬鹿なの!? 何のために勝ち残ってきたんだよッ、潔く私のために死んでくれよ!

 

 しかし、いくら叫ぼうが今更ッとクルーゼ隊長が仰る通り、私が何かを言っても棄権が覆されるわけではない。

 残念ながら大鎌のカッコいい姿を本格的に世に披露することになるのは七星剣武祭の本戦になりそうだ。

 

 そういうわけで、これから試合が控えていてテンションマックスであろうステラさんたちと顔を合わせるのに気が滅入った私は、学食で適当にパンと牛乳を買ってその辺のベンチで食事を済ませることにした。

 場所はなるべく人が来ない校舎裏。

 この場所をチョイスした理由は、「君は最終戦なのに出番がないフレンズなんだね!」と他の生徒に揶揄されるのを嫌ったためである。

 最終戦まで進んだ他の生徒十人がこの後の試合に備えて全力でコンディションを整えている中、その代表格でなければならないはずの私が暇そうにベンチで時間を潰している姿など恥ずかしくて見せられない。

 

「まるで家族にリストラを隠しているお父さんが偽の出勤をして、公園のベンチとかで時間を潰しているみたい……」

 

 自分で言っていて悲しくなってきた。

 もうさっさと昼を食べて修行に洒落込もうかな。こんなところでパン食って牛乳啜っていても気分が晴れるわけもなし。

 あるいは原作でも最高潮の盛り上がりを見せた《雷切》vs《無冠の剣王(アナザーワン)》の試合を冷やかしに行くか。しかし原作知識のせいで結果がわかり切っている剣士の試合など見る価値が果たして存在するのだろうか。

 ……うん、そうだね。無駄だね!

 

「今日はずっと修行していましょうか。学園代表の顔見せと表彰は後日と聞いていますし」

 

 私の脳内で今日のスケージュールが一瞬で組み上がる。

 もう今日は修行だ。修行するしかない。

 生徒たちは東堂さんが試合をする第一訓練場の辺りに集まっているだろうから、ならば今日はそことは反対側の立地で心行くまで修行すればいい。

 私は決めたぞッ!

 

 

 そう思っていた時期が私にもありました。

 

 

 だというのに、なぜ私は第一訓練場に向けて歩いているのだろう……。

 理由は簡単、それは私の隣で微笑むご老人に付き合っているためである。

 

「ひょっひょ、祝。しばらく見ない間にまた一段と美人になったのぉ」

「あ~、ありがとうございます南郷先生」

 

 そう、私の隣を紋付き袴姿という古風な格好で歩いている老人こそ《闘神》南郷寅次郎。

 日本の伐刀者としては黒鉄の曾祖父である黒鉄龍馬と並んで知らぬ者の方が少ないだろうとされる騎士だ。年齢は九十を超えており、日本最高齢の騎士としても有名である。ついでに言うのなら東堂さんの師匠でもある。あっ、それと今年から学園の先生になった西京先生もこの人の弟子だ。

 

 さて、ではなぜ私が彼と共に試合会場に行くことになったのか。それは第一訓練場から逆方向に向かおうとした矢先、そちらにある入り口から学園に来てしまった南郷先生と鉢合わせしてしまったためである。そして東堂さんの試合会場に行くついでに新宮寺先生に挨拶したいというので、仕方なく私が案内人を務めることになったのだ。

 

「んっふっふ、意外ですねぇ。《七星剣王》と《闘神》がお知り合いだったとは。大会か何かの関係でお会いになったのですかぁ?」

 

 語らう私たちに疑問を投げかけてきたのは、どうやら黒鉄の散り様を見物しにきたらしい倫理委員長だった。彼が先生をここまで案内してきたらしく、私が先生と遭遇した時には既に一緒にいたのだ。

 名前を憶えていなかったので最初は何と呼ぶか困ったのが、先生が“赤座くん”と呼んでいたのでたぶんそれが名前なのだろうと察したのは内緒である。

 あと、赤座と聞くと『うすしお』と『お団子バズーカ』を思い浮かべてしまう私はきっと悪くない。

 

 話は戻るが、先程の会話と赤座の言葉からもわかる通り私と南郷先生は知り合いである。直に会ったのはたぶん一年ぶりくらい、連絡を取ったのは今年の年賀状が最後になるくらいに薄い縁だが。

 では、伐刀者の界隈でも武術家の界隈でも音に聞こえる彼と私がどのように知り合ったのか。

 

「ああ、祝は嘗てワシの弟子じゃったからの」

「……は?」

 

 脂肪に埋まっていた赤座の目が見開かれる。

 しかし南郷先生が言っていることは事実で、私は昔この人の弟子の一人として剣術を教わっていた。

 確か先生の道場に弟子入りしに行ったのは八歳の頃だったか。高名で忙しい人のため絶対に断られるだろうと最初は思い、内心ではカノッサの屈辱ばりにしつこく頼み込む覚悟だった。

 しかし意外にも先生は月謝七千円の条件で普通に入門を許し、私はそのまま彼の弟子の一人として二年ほど剣術を始めとする武術を教わることとなる。

 

「懐かしいのぅ。小学生そこそこの少女がいきなり一人で道場に来たかと思えば、自分を弟子にしろと土下座参りしてきた時は流石に驚かされた」

「それほど先生に教わりたかったということです」

「し、しかし疼木選手は大鎌使いですよね? なぜ剣術家の南郷先生に弟子入りを?」

「ひょっひょ、簡単なことじゃよ。――剣術家を殺すには剣術を習うのが最も手っ取り早いと、つまりはそういうことじゃ」

 

 「そうじゃろ?」と流し目を送ってくる南郷先生。

 はい、その通りです。というかその質問は入門する時にも聞かれたしね。

 当時、私は己の大鎌を高めるために武術を学んでいた。しかし大鎌の武術など早々見つかるはずもなく、私は他の武術を参考に今の我流を組み立てていったのである。

 その過程でどうしても剣術の術理や思考を知りたくなり、外から眺めるだけでは埒が明かないと思ったため高名な南郷先生のところに弟子入りしに行ったのだ。

 

 もちろん、私の答えは南郷先生としては好ましいものではなかっただろう。

 基本的に武術家が弟子を取るのは、己の技術を廃れさせず後世に残すためだ。しかし私は剣術家ではないどころか、対剣術家の戦術を組み立てることを主な目的として弟子入りするというのだ。

 彼としては私に技術を教えても利益などないのは言うまでもないだろう。

 そう思った私は最初こそ「南郷先生に憧れて!」的な嘘八百を並べ立てていたのだが、そういうのいいからという南郷先生に押し切られて本音を喋ってしまったのである。もう内心では次に向かう剣術家のことを私が考えていたのは言うまでもない。

 しかし本心を話したら予想外なことになぜか許可を貰えたため、そのまま私は先生の下で剣術を学ぶことになったのだった。これが私と南郷先生の馴れ初めである。

 

「二年くらい弟子をやっていたと思ったら突然ワシの下を飛び出していきおってのぅ。リトルで黒鉄王馬と闘ったのを最後に行方がわからなくなっておったが……去年の七星剣武祭で久方ぶりに名前を見かけた時は腰を抜かしたぞい?」

「長い間連絡を取らなくてすみません。修行が忙しくてそこに思い至る暇がなくて」

「だと思ったわい。お前は昔から、修行となると誰よりも妥協を許さん奴じゃったからの。ワシの下にいた時も放っておいたら食事も忘れて稽古ばかりしておった」

「やぁだぁ~、南郷先生ったら大袈裟ですよ~。最低限の休息くらいはちゃんと取っていましたって~」

「……本当に最低限だったから心配しておるんじゃがな」

 

 南郷先生が肩を落として何かを呟く。

 溜息交じりだったため聞き取れなかったが、聞かせる気がないということは気にする必要もないということだろう。

 余計なことは無視するに限る。

 

「そういえば、先生が今日いらっしゃったのは東堂さんの試合をご覧になるために?」

「そりゃもちろん。しかも今日は刀華の晴れ舞台というだけでなく、聞けば『黒鉄』の者と闘うというではないか。師として参らんわけにはいかぬ」

「あぁ~」

 

 もう九十越えだというのにフットワークの軽いお爺様だ。

 なぜ先生が『黒鉄』という名前にここまで興味を示すのかと言うと、この人は黒鉄の曾祖父である黒鉄龍馬と共に戦場を駆け回った戦友であり、同時に生涯のライバルでもあったことが起因している。

 その関係から黒鉄家の伐刀者と自分の弟子の闘いに並々ならぬ興味を見せ、公式試合などにはよく顔を見せるのは有名な話だ。私はすっかり忘れていたためこうして遭遇してしまったが。恐らくは今日の試合も黒鉄と東堂さんの試合があると聞いてわざわざ出向いてきたのだろう。

 

 そんな話をしている内に、私たち三人は東堂さんの試合が行われる第一訓練場に到着する。

 既に会場は人でごった返しており、私たちの他にも会場へと入っていく人で行列ができていた。

 

「んっふっふ、流石は最終戦ですねぇ。生徒さんたちもこの試合の行く末に興味津々のご様子です」

「東堂さんも黒鉄も学園の中では知名度抜群ですからね。黒鉄のスキャンダルの件もありますし、たぶん他の試合よりも人が集まっているのでは?」

「なるほど」

 

 赤座は満足そうに頷くと、南郷先生と共に意気揚々と会場へ入っていった。

 私としてはこのまま帰りたいところなのだが、私はこう見えてもお世話になった人には可能な限り義理を見せるタイプの人間なのだ。剣士とはいえ南郷先生には武術のイロハとも呼べるものを授けてもらった。大鎌の修行は本当に大事だが、その大鎌の成長に尽力してくださった先生には感謝している。こうして少しばかり付き合うのも吝かではない。

 そうして二人に続いて会場に入っていくと、意外とすぐに新宮寺先生は見つかった。しかも弟子である西京先生まで一緒にいたので、南郷先生も非常に嬉しそうだ。

 

「来ちゃったよぉん」

「げっ、じじい!」

 

 南郷先生に対して西京先生はじじい呼ばわりである。

 見た目が年齢不相応に若い西京先生と南郷先生が並ぶと、本気で孫と曾祖父くらいの年齢差があるように見える。確か西京先生はアラサーくらいだったと思うけど。

 

「ひょっひょっひょ、我が愛弟子は相変わらず口が悪いのぅ。そういうところも変わらず愛いのじゃが」

「き、気持ち悪いこと言うなぁ……!」

「うむうむ、照れる姿も可愛いぞ」

「…………っ!!」

 

 赤面して照れる西京先生。

 本当にその姿は私より年上には見えない。

 実は吸血鬼か何かなんじゃないの? この人って。

 

 私がそんなことを考えていると、南郷先生は新宮寺先生に話題を移した。どうやらあの二人も顔見知りらしく、何やら世間話をしている。

 すると二人の目を盗み、西京先生が私の前までやってきた。メッチャ睨みながら。

 

「……おい、クソガキ」

「なぜ私だけクソガキですか。貴女から見れば生徒なんか皆クソガキでしょう?」

「お前は特にクソなガキだからクソガキなんだよ」

 

 西京先生の目つきが急に鋭くなる。

 口元は僅かに歪められ、南郷先生たちに聞こえないくらいの声量で話を続けた。

 

「テメェ……よくもじじいの前に平然と顔を出せたモンだな。恩のある師匠の下を断りもなく去っておいてよぉ」

 

 あっ、出た。西京先生のイビリ。

 私もこの人も南郷先生の弟子であるため、彼女はつまり私の姉弟子に相当する。私が道場に来た時には彼女は既に一人前として独立していたが。ちなみに東堂さんは妹弟子になる。彼女は中学生時代に弟子入りしたので、いた時期は同じく重ならないけど。

 それで西京先生なのだが……どうやら彼女は私が南郷先生から技術を教わるだけ教わってとっとと次の武術に移ったことを根に持っているらしく、会う度にこちらを睨んでくるようになった。クソガキ呼ばわりもそれからだ。昔は『はふりん』って呼んで可愛がってくれていたのにね。

 しかしそれもしつこい! 師匠は平然としているのにいつまで怒ってんのこの人は!

 

「毎度毎度言いますけど先生は元々私の目的をご存知でしたし、いずれ道場を去ることも察していらっしゃいました。その上で私を弟子にしてくださったのですから、別に寧音さん(・・・・)にとやかく言われる筋合いはないんですけど」

「……恩知らずも大概にしろよ、テメェ」

 

 寧音さんが薄っすらと殺気を纏い始める。

 それで事態に気付いたのか、新宮寺先生が「またか」と眉を顰める。南郷先生は若干楽しそうにこちらを眺めてきた。赤座は何が起こっているのか理解できず曖昧な笑みを浮かべて立ち竦んでいる。

 

「当事者同士で解決していることです。寧音さんには関係ありません」

「こっちも師匠をコケにされて黙っているほどお人好しじゃねぇんだよ。そして同門の後輩が馬鹿やったってなりゃ、教育してやんのが先輩の役目ってもんだ」

「“元”同門です。それに、コケですか? 私は先生のことをちゃんと尊敬していますよ。っていうか、師匠のことをじじい呼ばわりしている人に言われたくないんですけど」

 

 も~、何なのこの人超ウザい!

 会うといつもこんな感じだからあまり会いたくないんだよぉ。

 しかもこの人、東堂さんにも「とーかとーかー」とにじり寄っていって天使の笑顔で悪魔の如く私の悪評垂れ流すし! おかげで出会い頭から東堂さんの好感度がマイナス値だったんだけど! きっと東堂さんが私のことを嫌っている原因は、全てこの人によるものに違いない。

 

「お前たち、その辺にしておけ。南郷先生の前だぞ」

「チッ」

 

 舌打ち交じりに西京先生(・・・・)が離れていく。

 こうやって新宮寺先生が間に入ってくれるパターンも今年度に入ってから恒例化してきた。

 本っ当にリアルなツンデレは面倒臭いなぁ。

 普段はじじい呼ばわりしてツンツンしているのに、私に対しては師匠へのデレ全開でドスを効かせてくるんだもの。二重人格かお前は。

 

『――ご来場の皆様にお知らせいたします』

 

 その時、会場のスピーカーから女性の声が流れる。

 それを聞いた瞬間、黙って佇んでいた赤座の笑みが深まった。

 

『試合のお時間となりましたが、黒鉄一輝選手が会場に到着しておりません。選抜戦規定により、これより十分以内に黒鉄選手が到着しなかった場合、不戦敗とさせて戴きますのでご了承ください』

「……赤座委員長。これはどういうことですか?」

 

 ざわっ、と新宮寺先生の雰囲気が荒立つ。

 しかし視線に晒された赤座はそれを受け流しているのか気付いていないのか、「どうとは?」と愉快そうに笑った。

 

「私の聞いたところでは、黒鉄は連盟が会場まで送り届けるとのお話しでしたが?」

「ああ、そのことでしたか。ええ、そうなのですがねぇ。連絡の行き違いかもしれません。私が車で迎えに行った時には、彼は一人で会場に向かってしまっていたのですよ。しかし時間的にも交通手段的にもこちらには充分に間に合うはずですし、大丈夫だと思っていたのですが。……まぁ、体調が悪そうだったような気もしますし、途中で倒れたりしていなければいいのですがねぇ」

「……赤狸が」

 

 わざとらしい赤座の言い訳に、西京先生が小さく毒づく。

 また、一連のやり取りで不穏な何かを感じ取ったらしい南郷先生だったが、今は何も言わず試合の開始を待つばかりだ。自分が口出しすべきことではないと割り切っているのかもしれない。

 そして新宮寺先生と西京先生は余程腹に据えかねたのか、肩を怒らせたまま南郷先生を連れて客席へと去っていってしまった。

 いやいや、私を置いていかないでくださいよ~。

 

「そういえばですねぇ、疼木さん」

 

 三人に付いていこうとした私を赤座が呼び止める。

 明らかに不快な雰囲気を示す先生方は赤座との会話を拒絶していたからなのか、今度は私に話を振ってきたんだけどこの人。

 

「今の時点で疼木さんは本戦への出場が決定しているんだそうで。おめでとうございますぅ」

「……ええ、ありがとうございます~」

「んっふっふ。私はこの学園が能力値選抜から選抜戦方式に変わったと聞き、真っ先に貴女が勝ち残るだろうと期待していたのですよぉ?」

 

 あっそう、としか言えないのですが。

 何なんだろう、この人。何が言いたいの? 媚でも売っているんだろうか。

 ……と思ったら本気でこの人は私に媚を売っているらしく、ここから怒涛の褒めちぎりが開始された。

 

「いやぁ、貴徳原選手との試合は見事だったと聞きましたよぉ。あの見えない刃の大群を一度も食らわずに躱しきったとか。実に素晴らしい」

「やはり去年の七星剣武祭の覇者は伊達ではない! 聞いた限りでは皆、貴女のことを絶賛していましたぁ」

「未来予知という実戦での運用が難しい能力を最大まで活かしきる身体能力。それも南郷先生の教えの賜物だったと聞けば納得できます。きっと今年の七星剣武祭でも疼木選手は大活躍なさるでしょう」

 

 ……本当に何なの、この人?

 日本支部は私のことを嫌っているとばかり思っていたため、この人の意思がわからない。

 適当に相槌を打ってはいるのだが、だから何なんだという感想しか浮かばない。どうもこちらの自慢話的なのを引き出そうとする話題運びなのはわかるのだが、なんでこの人を相手に会話を弾ませなけりゃならん。

 なので逆に相手を喋らせる感じで聞き手に回っていたのだが……

 

 あ~、何だか読めてきたぞ。

 

 言葉の端々から察するに、どうやらこの人は私と個人的な繋がり(コネクション)を求めているらしい。

 さっきから「黒鉄長官は君を警戒しているようですが」という感じの言葉を織り交ぜてくることから、私に対して『触らぬ神に祟りなし』と言わんばかりに無関心を決め込む黒鉄長官に一歩先んじたいという意思が透けて見えた。

 ここで私とコネを確保しておけば、もしも私が将来的に問題を起こしても自分が説得することでそれを阻止した、という成果を作り出せるとでも思っているのではないだろうか。

 何というか、強かというか。お役人も大変なのだな、とも思わされる。

 私には関係ないけど。

 

「そういえば私、疼木選手とは奇妙な点でご縁があるんですよぉ?」

「縁ですか? それは一体どのようなものなのでしょう?」

 

 しっかし、マジで面倒臭いなぁ。

 南郷先生がいなければ即行で話を切り上げて帰っているのに。

 というか、私も客席に行っていいですかねぇ? この人と話していても面白くないし、何よりこの人に嬉しくもないヨイショをされるために時間を空けたわけでもない。

 というかさっきから大鎌について褒めることが一度もないっていうのは、一体どういう

 

 

 

「実は去年、前理事長に協力して貴女の悪評がマスコミに流れないように動いたのは、我々倫理委員会なのですよ」

 

 

 

 …………。

 ……………………。

 …………………………………………。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 ――普通の少女。

 

 赤座守から見て、《七星剣王》疼木祝と一通り会話をして得た感想はそれだった。

 南郷との会話を聞く限り多少型破りな性格であることは読み取れたが、それを加味しても話に聞く国家転覆に加担した危険人物という印象は抱けない。

 身嗜みも多少粗末ではあるが、化粧やお洒落に目覚める前の少女とはこんなものではないだろうか。これから恋愛などを経験していくにつれて少女は成長してゆき、やがて美しい女性へと変貌していくものだ。

 

(この少女が去年、日本中で《告死の兇刃(デスサイズ)》などと物騒な二つ名で騒がれた学生騎士だとは……俄かに信じられませんねぇ)

 

 そして教師の目が離れたところを狙って祝と話をしてみれば、ニコニコと愛想良く応対するではないか。

 褒めちぎることで彼女が増長するか試してみれば、しかし彼女は謙遜で応えてみせた。それどころか赤座の話を「うんうん」と実に楽しそうに聞き、逆にこちらの話を促す聞き上手な面も見せている。

 そのせいで思わず黒鉄厳と意見が割れたことを一言二言漏らしてしまったのは赤座の失態だ。

 しかし赤座にそうさせてしまうほど祝という少女は聞き上手だった。

 

(……なんだ、噂は所詮噂だったということですか)

 

 赤座が祝に対してそう判断するのにそう時間はかからなかった。

 どこをどう見ても会話をしても彼女が危険な人物だとは思えないのだから。

 彼女が去年も問題行動を起こして回っていたということは確かに気がかりだったが、しかし必要以上に噂が大きくなっていたということだろう。

 確かに去年は喧嘩っ早さが目立っていたのかもしれないが、それは若く力の強い伐刀者にはありがちな傾向だ。彼女は悪目立ちし、なまじ力があっただけにそのような悪評が一人歩きしてしまったのだろう。

 クーデターの件も事実か怪しいものだ。そもそもいくら七星剣王とはいえ、一介の学生騎士が紛争に自ら突入していくだろうか。巻き込まれたと考えるのがむしろ自然だろう。それを現地にいたから、あるいは現地で関係者と知り合っていたからという形で誤って日本支部に伝わってしまっただけかもしれない。

 

(いや、きっとそうなのでしょう)

 

 赤座は無意識にそう思い込んでいた(・・・・・・・)

 それは自分の完璧な仕事に口出ししてきた厳への反発から来る心理であり、あるいは出自を理由に自分を遥か高みから見下ろす黒鉄本家への嫉妬から抱いた願望だったのかもしれない。

 とにかく確かなのは、この時点で赤座は『黒鉄厳に一歩先んじた』という優越感を抱いていたということだった。

 

 ――どうだ、自分はお前が恐れる虚像の正体を見極めてやったぞ。

 

 その優越感が内心で膨れ上がり、赤座はますます上機嫌になる。

 『幽霊の正体見たり枯れ尾花』と同じように、厳が警戒し恐れた疼木祝という怪物が実はただのヤンチャな少女だったという事実を赤座は掴んだのだ。

 そして赤座の欲望はますます膨れ上がる優越感によって刺激され、この虚像を操り厳に一泡吹かせてやりたいという皮算用へと変貌していった。

 もしも今後、彼女が何らかの行動を起こして厳が警戒度を引き上げたとしよう。

 しかしその正体を知る自分が、電話一本でその行動を諫めてみたとしたらどうだろうか。それこそ厳の面目は丸潰れとなり、分家である自分を称賛せざるを得まい。

 あるいは自分は今回の昇進で得られる広報部長という立場を超え、さらに上の役職を得る機会に恵まれてしまうかもしれない。

 

(いや、あり得ない未来ではないッ)

 

 妄想と根拠のない確信。

 しかし赤座にはそれが現実味を帯びた未来だとしか思えなかった。

 そしてその計画のため、赤座は自分が祝にとって味方であるのだということを深く印象付けようと切り札とも言える秘密を彼女に切り出した。

 

「そういえば私、疼木選手とは奇妙な点でご縁があるんですよぉ?」

「縁ですか? それは一体どのようなものなのでしょう?」

 

 興味津々な様子を隠しもせず、祝は身を乗り出してこちらの話を聞き取ろうとしてくる。

 それに程良い手応えを感じた赤座は、胸を張って祝にその事実を言い放った。

 

「実は去年、前理事長に協力して貴女の悪評がマスコミに流れないように動いたのは、我々倫理委員会なのですよ」

 

 赤座が祝に語った内容は、彼女に凄まじい衝撃を与えたことが赤座にはわかった。

 なんと彼女は、赤座がそれを語った瞬間に大きく目を見開いて今までにないほど大きな反応を見せたのだ。そして二、三秒ほど固まると、やがて表情を凍り付かせたままゆっくりと口を開く。

 

「……それは本当なんですか?」

「ええ、本当ですとも。もちろん私は貴女がそのようなことをする人間だとは思っていませんよぉ? しかし噂には尾鰭が付いてしまうものです。我々はそれを未然に防ぎ、大鎌という足枷(・・・・・・・)をものともせずに活躍した貴女の能力が正当に評価されるよう動いていたのですよぉ。七星剣王は日本の誇りですからぁ、私としても良い仕事をさせて戴いたと喜ばしく思っておりますぅ」

「…………そうですか」

 

 赤座の言葉を聞くと、祝は感動に打ち震えたかのように瞑目した。

 そしてその情動を逃すかのように大きく息を吐くと、やがて()()()()()を浮かべ、痛いくらいの力を込めて赤座の両手を取った。

 

 

「すごーい! 貴方のおかげで(・・・・)私の力が正当に(・・・)評価されたんですねっ! 嬉しいなー! ()()()()()()()()()()、赤座さんっ!」

 

 

 目尻に涙すら浮かべ、祝は赤座に感謝の意を示した。

 興奮のあまり彼女の目は僅かに血走ってすらおり、震える手を何度も振って赤座と握手を交わす。

 まるで天使のように美しい笑顔を浮かべた祝に、赤座は利用してやろうという内心をしばし忘れて祝の美貌に魅入っていた。その化粧っ気のない、だからこそ純粋で飾りのない“美”に目を奪われたためだ。

 

「……あ、おほん、そこまで喜んで戴けたのなら私も嬉しい限りですねぇ」

 

 咳払いで誤魔化したが、赤座の頬は僅かに赤く染まっていた。

 祝とは親と子ほどの年齢が離れていることを赤座はこの瞬間だけ僅かに残念に思う。

 

「さ、さて……南郷先生たちをお待たせしてもいけませんし、我々も観客席に参りましょうか」

「そうですね。後で(・・)()()()()()()()をしましょう」

 

 赤座は祝に緩んだ表情を見られないよう、やや小走りで南郷たちを追っていく。

 そして、だからこそ余計に気付くことができなかった。

 

 

 

 

 上機嫌な声色で返されたその言葉に反し、能面のような無表情で祝が自分の後ろ姿を見つめていたことに。

 

 

 

 

 

 




先日、ヒロインこと祝のイラストを戴いてしまいました。
楔石焼き様、本当にありがとうございます。
ハーメルンで書いているとイラストを戴けるという伝説は本当だったのですねぇ……


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僕の脳内選択肢が、修羅道を全力で邪魔している

前回はたくさんの感想をありがとうございます。
返信ができなかった方は本当に申し訳ありません。しかし全てに目を通しているので、これからも感想、及び誤字脱字報告をお願いします。

ちなみに、今回も挿絵を戴いたので後書きに掲載しております。


 破軍学園の最寄り駅から学園までの距離は約一キロ。舗装された道はなだらかな上り坂となっており、常人ならば歩いて二十分とかけず辿り着くことができるだろう。

 しかしその常人に遥かに劣るほどまで体力を削ぎ落とされた一輝にとって、この道程は地獄でしかなかった。

 

「はぁっ、はぁっ……!」

 

 肺が伸縮するたびに激痛が走り、呼吸をするだけで気道が悲鳴をあげる。

 燦々と照り付ける初夏の陽光は弱り切った身体を殺人光線となって刻み、時折すれ違う自動車が撒き散らすエンジン音は爆音となって脳を揺さぶる。

 熱で意識は朦朧とし、空気すらまともに吸い込めない。手足の関節が軋み、鈍器で殴られ続けているかのように頭が痛む。

 病人以外の何者でもない一輝にとって、普段はジョギングで駆け抜けてすらいるこの距離は尋常ではないほど辛いものだった。

 

「ッげほ、カハァッ……!」

 

 死に体――その言葉は今の一輝のような状態を表すのだろう。

 この状態で《雷切》東堂刀華に挑もうなど、査問会の薬物と厳との会話によって精神の均衡を崩された一輝にも無謀だとわかっている。それどころか会場まで辿り着けるかどうかすら怪しい。

 

(もう……駄目かもしれない……)

 

 必死に足を動かしながら、しかし一輝の心は既に折れかけていた。

 体調だけではない。一輝は刀華に勝つ自分の姿を思い浮かべることすら出来なくなっていたのだ。

 思い出すのは御祓の言葉、そして刀華が背負う多くの人々の期待。高潔な魂を胸に、施設の子供たちの模範とならんと切磋琢磨する彼女の剣に、果たして自分の欲とエゴに塗れた剣が打ち勝つことなどできるのだろうか。

 いや、そもそもだ。

 

 

 ――自分が彼女に勝ってしまうなどということが許されるのか?

 

 

 仮に、万が一、いや一兆分の一の確率で奇跡でも起きて自分が彼女に勝ったとしよう。

 しかしその後に残るのは何だ?

 

 自分に残るのは一時の充足感だ。そして一人だけを満たす小さな自尊心だろう。

 では、刀華たちには何が残る。彼女の敗北に涙する施設の子供たちと、彼女に期待する多くの人々の落胆だ。

 一輝の勝利によって齎される幸福と、刀華の勝利によって齎される幸福。どう比較しても刀華の勝利の方が多くの人々を幸せにしている。だというのに自分は浅ましく勝利を求めるというのか。三年生であり、即ちもう後がない刀華の七星剣武祭の出場権を奪い取り、誰にも期待されていない自分が勝ち進んでしまうというのか。

 

(僕の勝利に価値なんてあるのか……?)

 

 誰が自分の勝利に喜ぶ。自分の愉悦のためだけに刀華を打ち破ったとして、それに何の意味がある。

 問うまでもない、そんなものに意味などない。

 

「ぁ…………」

 

 俄かに全身が震えだす。

 熱から来る悪寒――しかしそれだけではない。前進する意味を失い、剣を取ることの意味すら消失した剣士の末路だった。

 己の勝利を疑うことは良い。しかし己の勝利の意味すら失ってしまった剣士は救いようがない。ましてや過去のあらゆる繋がりを断ち、修羅の如くと走り続けてきた一輝ならば尚更だ。それは自分が歩んできた道の全てに価値を見出せなくなってしまったということなのだから。

 

(僕は……何のために頑張ってきたんだっけ……)

 

 そう思った途端、ここに一輝が見据えていた道は途切れてしまった。

 進むべき道はもう見えず、助けを求めようにも自分の周囲には誰もいない。黒鉄家の呪縛によって疫病神のように不幸を撒き散らす自分に人が寄り付くはずもない。

 

『ごめん、黒鉄。俺はもう、お前と仲良くできない……』

 

 聞こえないはずの声が聞こえる。

 これは誰の声だったか。そう、確か去年のルームメイトの声だ。

 学園からの嫌がらせが本格的になり、一輝と親しくした者は成績を落とされるという噂が広まった頃。生徒からの虐めや無視はもはや日常的な風景となったその頃、ルームメイトの彼は絞り出すような声で一輝にそう告げた。そしてそれ以降、二人の間で友人と呼べるような会話がされることは二度となかった。

 そんな彼に、迷惑をかけてしまったことをただ申し訳なく思っていたことを一輝は憶えている。

 

(寒い……)

 

 気が付けば一輝は吹雪が荒れ狂う雪原の中を彷徨っていた。その光景に一輝は息を呑み、そして視線の先に佇む二人の人影を目にした瞬間に総毛立った。

 そこにいたのは亡き曾祖父の黒鉄龍馬と、その目の前で泣きじゃくる幼き日の自分。

 ああ、憶えている。ここで自分は龍馬に生きる希望を与えられ、夢を与えられ、諦めないことの偉大さを教えられた。

 だが……

 

(こんな……こんな出会いさえなければ……)

 

 ジワリと心に浮かび上がる黒い染み。

 ここで龍馬にさえ出会わなければ、自分は分相応な人生を送ることができたのではないか。

 ここであの老人に誑かされたせいで、自分はこんな理不尽な運命に晒されているのではないか。

 あそこで諦めてさえいれば、父は騎士でない自分を認めてくれていたのではないか。

 結局、龍馬の教えは自分に孤独と苦痛ばかり齎した。

 翻って自分が得たものは何だ。

 自分は何を得た。

 

(この空っぽで軽い剣だけじゃないか……!)

 

 誰に望まれることもないこんな軽薄な剣など、勝利を得る価値すらない。

 自尊心を満たすために家族を敵に回し、社会から疎まれ、友をなくし、居場所すらも奪われた。そうして全てを捨てるほどの価値がこの剣にあったのか。

 誰に勝利を望まれることもなく、他者を貶めて浅ましい勝利を得ることしかできない剣に価値などあったのか。

 

(そんなもの、あるわけがない……)

 

 進み続けていた一輝の足が遂に挫けた。

 地面へと強かに打ち付けられた身体は鉛のように重く、自分の肉体だということが信じられないほど言うことを聞かない。

 広がり続ける黒い染みは一輝の信念すら侵し、気力だけで動かしていた一輝の身体から力を奪い去る。

 

 最早これまで。

 

 霞がかった思考に諦観が過る。

 これ以上、身を削ってまで前進することの意味を一輝は見出すことができなかった。

 進む先には地獄と絶望しかない。しかしここで立ち止まれば、それに呑まれるのは自分一人で済む。ならばそれで良いではないか。最後に『誰かのために犠牲を最小限にした』という事実を胸に抱いて倒れることができるのなら、それはきっと素晴らしいことだろう。

 それが諦めるための理由によって作られた偽善であることは百も承知。

 しかし一輝は、ここで諦めるための理由を何よりも欲していた。仕方ないのだと、そう自分を納得させるための動機が必要だった。

 

(そうだ……誰にも望まれていないんだから仕方ないじゃないか。僕がどれだけ望んでいても、それで誰も幸せにならない夢なら諦めた方がいいんだ……きっと、そうだ……)

 

 ただ「頑張れ」と誰かに言ってほしかった。しかし現実は非情で、夢は誰にも肯定されることなどなかった。

 ならばきっと間違っていたのは自分だ。自分が悪いんだ。

 だからこうして地面に倒れ伏すことで刀華に勝利を贈ることこそが一輝にできる最善の行動なのだろう。

 

(……いや、もしかしたら……今度こそ父さんも僕を認めてくれるかもしれないな……出来損ないの無能として正しい判断をしたって……)

 

 自嘲の笑みが漏れる。

 こうして這い蹲って全てを諦めることこそ、一輝にとって分相応の行動だったのだ。今までの秩序に抗う生き方こそが間違っていたのだ。

 一輝は思う。身の程を知った今の自分ならば、今度こそ誰かに認めてもらうことができるだろうか、と。

 薄れゆく意識の中、一輝はその希望を胸に目を閉じる。

 次に目が覚めた時は、今よりも少しでもマシな世界になっていることを願って――

 

 

 

『そんなことで諦めるんですか?』

 

 

 

 吹き荒ぶ吹雪の中で、その声は何よりも明瞭に一輝の心に届いていた。

 もはや顔を上げることすら辛い。それでも一輝は何かに縋る様に必死に視線を上げた。

 

 ――そこには混じり気のない“黒”がいた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 選抜戦の最終戦を控えた第一訓練場は、先程までの期待感はどこへやら。困惑と不安が渦巻く混沌とした状況に呑み込まれていた。

 それもこれも、この試合の主役である一輝が会場に来ていないためである。

 あちらこちらで聞こえる騒めきを聞き、黒乃は不快そうに眉を顰める。

 

(赤狸め。この試合が終わったら憶えておけよ……)

 

 自分の座る客席から数列を空けた後ろの席に陣取る赤座に、黒乃は胸の内で密かに毒づいた。

 ここまで自分の縄張りで好き勝手をしてくれたのだ。もはやただで済ませるつもりはない。黒乃の取れるあらゆる手段を用い、必ずや合法的に、完膚なきまでに生き地獄へと叩き落としてくれよう。

 しかし当の赤座はそんなことを知る由もなく、何やら楽し気に隣に座る祝へと話しかけている。祝もそれに笑って対応しているが……

 

「クソガキの奴、相変わらず愛想笑いだけは一丁前だな」

「ひょっひょ、初めて会った頃からそこだけは変わらんの。本気で猫を被った祝にはワシも騙されかけたからのぉ。……まぁ、少しでも為人を知っている者からすれば退屈しているのは一目瞭然じゃが」

「去年の七星剣武祭の時の優勝インタビューには度肝を抜かれましたよ。あれは猫というよりも化けの皮です」

「あいつ、絶対に頭の中ではさっさと帰りたいとか思ってんぞ。ザマァ」

 

 祝の様子をこっそりと伺う三人は、その異様な光景に呆れるしかない。

 彼女がなぜ赤座にあそこまで丁寧に応対しているのかはわからなかったが、彼女がそうしている以上は大鎌にとって何らかの意味がある行為なのだろう。そうでなければ赤座が目を離した瞬間、祝は音もなくこの訓練場から姿を消しているはずだ。

 

「……本当に変わらんのぉ、祝は。ワシが初めて会った頃からまるで変わっとらん。身体つきはだいぶワシ好みになったが」

「殺すぞセクハラジジイっ! 弟子をそういう目で見てんじゃねぇ!」

「ひょっひょっひょ、だってもう祝は弟子じゃないからのぉ~? 別にどういう目で見ようとワシの勝手じゃし~?」

「ジジィー!」

 

 髪を逆立てる寧音を南郷は「冗談じゃよぅ」と笑って宥める。

 その光景に黒乃は思わず笑みを零した。しかし同時に寧音の何気ない一言に気付いてしまい、僅かにその笑顔が曇る。

 

(弟子をそういう目で見るな、か)

 

 恐らく寧音は意図してそれを口にしたわけではないのだろう。

 だがその言葉だけで黒乃には充分彼女の意思が伝わっていた。

 

(寧音はまだあいつのことを妹弟子だと思っているんだな……)

 

 黒乃の知る寧音と祝の確執は根深い。

 いや、正確には寧音が祝に抱く負の感情は筆舌に尽くしがたいと言うべきだろう。

 祝が南郷の弟子であったことは寧音から聞き及んでいる。そして南郷から武術の基礎やその技術を学ぶだけ学ぶと、祝は南郷に一方的に「辞めます」と言い放ち唐突に姿を消してしまったという。

 そのあまりにも礼儀知らずにして恩知らずな行為に寧音は激怒し、それ以来祝のことを目の仇にし続けている。

 寧音はそのことをあまり話したがらないが、しかし当時の寧音を知っている黒乃は知っている。

 

 

 寧音は誰よりも、それこそ師匠の南郷に匹敵するほど祝という少女に期待していたのだ。

 

 

 事実、初めて祝のことを知ったのは寧音の口からだった。なかなか筋のいい妹弟子ができた――寧音が口の端を僅かに吊り上げながら語ってくれたことを黒乃は憶えている。

 当時の寧音と祝はお互いに非常に良好な仲を築いていたらしく、時には物臭として知られる寧音が自ら祝に稽古をつけていたことすらあったという。

 だからこそ師匠を裏切り、他の師の下へと早々に去っていった祝に寧音は強いショックを受けたのだろう。今の寧音の悪感情は、嘗て抱いていた期待がそのまま裏返った末の感情なのだ。

 

 ――ならば、南郷はどうなのだろうか。

 

「……一つ、お聞きしても宜しいですか?」

「ひょ? 突然改まってどうしたんじゃ、黒乃くん」

「疼木のことです。先生はなぜ彼女を弟子にしようとお考えに?」

 

 それはふと思い浮かんだ黒乃の小さな疑問だった。

 寧音によれば、彼自身はそうなることを見越して祝を弟子にしていたという。しかしその一利すらない徒労のような未来を知りながら、なぜ南郷は祝を弟子などにしたのだろうか。

 

「……おい、くーちゃん。人のトコの師弟関係に口出しすんのは野暮じゃね?」

「軽率な質問なのはわかっている。しかし今の私は疼木の教師だ。これからもあいつを教え導く立場である以上、その先達である南郷先生の意見を聞いておきたい」

「ふぅむ」

「もちろん無理にとは申しません。寧音の言うことは間違っていない。それでもお許しを戴けるのであれば、お話をお聞かせしてほしいのです」

 

 髭を撫でて何事かを考え込む南郷は、やがて頭上に開かれた空を見上げながらポツリと呟いた。

 

「面白そう――そう思ったからじゃ」

 

 南郷の言葉に黒乃が首を傾げる。

 寧音だけは忌々しそうに舌打ちしたが、過去に思いを巡らせているのか南郷はそんな彼女たちに目をくれることもなく語り続けた。

 

「初めて祝と顔を合わせた時、その目に危険な光があることに一目で気付いた。この子はきっと目的のためならば迷うことなく人を斬り、その返り血を拭うこともなく修羅道を歩み続けることができる。そんな伐刀者に成長するじゃろうとは思っていた」

 

 「実際そうなったじゃろ?」と視線を黒乃に滑らせる。恐らくは例のクーデターのことを言っているのだろう。

 南郷がそのことを知っていること自体は驚くに値しない。

 

「しかしの、あれはその危険性を無視できるほどの魅力があった。恐らくは祝に教えを授けたワシ以外の師も同じものを感じたはずじゃ」

「魅力、ですか?」

「そうじゃのぉ……例えるのなら、あれは“妖刀”じゃ」

 

 南郷は今でも思い出せる。

 祝に宿る美しくも妖しい輝き。

 もちろん刀としてはまだまだ未完成に過ぎない。しかしこれを鍛錬し、研ぎ上げたならば、その先にとんでもない妖刀が生まれると確信できるほどの禍々しさを祝は放っていた。

 

 ――惜しい。ここで彼女を追い返すのが惜しくて堪らない。

 

 あらゆる武術や技術を吸収し、それを血肉として成長し、将来的に完成されるだろうこの妖刀。

 その血肉の中に自分の“技”が加わったのならば……

 

「ワシの技はどうなってしまうのじゃろう。どれほどの怪物がこの世に生まれてしまうのじゃろう。……その時はそう思ってしまった」

 

 自分が抱く感情が尋常なものではないということはわかっている。それでも南郷の中にいる“武術家”はどうしようもなくそれに惹かれた。

 自分の技術がどう昇華され、どう進化することができるのか。それが気にならない武術家は真の武術家ではない。少なくとも剣に人生を捧げてきた南郷にとって、それを見逃すことは自分の剣の発展を捨てるも同然。

 祝が怪物として完成された頃には自分も生きていないかもしれないが、()()()()()()()()()()()()。問題は自分の技がより高みへ昇れるかどうかだ。

 

「将来に祝が多くの人間の血を流すことになろうということはわかっておった。きっと最善は、今からでも祝の手足を斬り落としてしまうことなのじゃろう……いや、あるいはここで命を絶ってしまうのが世のためなのかもしれんな」

「……ッ!? 先生、それは……」

「極論なのはわかっておるよ、黒乃くん。しかしの、ワシはあの子に教えを授けることは出来ても導くことは最後までできんかった。ワシも祝の危険な光に惹かれた一人であったが故に。だからワシが取れる選択肢は、斬るか眺めるかしかないのじゃ」

 

 そして何よりも南郷が自嘲してしまうのは、自分が祝の師であったことに何一つ悔いがないということだった。

 むしろ祝をさらなる妖刀として仕上げるため、心の奥底ではもっと自分の技術を授けたいと思ってすらいる。どこまで行こうとも、自分も人の道を外れた人斬りの一人でしかないということだ。

 

「黒乃くん、君は祝に惹かれてはならんぞ。人の道を逸脱した者に、真に人を説くことは出来ぬものじゃ。君が祝のことを教え導きたいと願っているのなら、君は最後まで人の側からあの子を引っ張り続けねばならん」

「……はい」

 

 神妙に頷く黒乃に、南郷は満足げに笑った。

 もっとも、南郷は元々それほど黒乃のことを心配してはいない。彼女は元々KOKで寧音の前に三位の地位であった騎士。そして伐刀者としてのさらに高みにある《魔人(デスペラート)》の領域にあえて踏み込まなかった女性だ。己の強さへの追求を、生まれてくる我が子や愛する旦那のために断念できる強さを持つ“人”だ。

 祝を人の道に戻そうとするのならば、彼女以上の適任者はいないだろう。

 

(……まぁ、祝が今更人の道に戻る姿もワシには想像できんがの)

 

 誰よりも大鎌を愛し、そのためならば文字通り何でもしてみせる祝。

 自分の弟子として剣を振るう彼女の瞳には、いつも剣士に教えを乞うことへの屈辱感が溢れていた。長い歴史と多くの先人によって洗練された技術への敗北感に塗れていた。

 しかしそれを凌駕するほどに大鎌への愛があった。大鎌のために屈辱を飲み干し、敗北感を噛み締め、そこで得た経験の全てを大鎌に捧げようという怪物的な覚悟と信念があった。

 誰よりも剣の声を聞き、師である自分の教えを貪欲に吸収するその姿は理想の剣士として多くの人々に受け止められていたほどだ。その本心が大鎌への愛から来る献身であったということは、愛弟子である寧音にすら最後まで見抜けなかったと言えば相当なものだろう。

 

(しかしその姿勢に惹かれ、修羅の道へと引き摺り込まれてしまった者もきっとおるのじゃろう。あの子の光はちと強烈に過ぎる)

 

 人は何かを強く求めすぎた時、修羅道への(いざな)いを受けることとなる。

 しかしその先には自分以外の何もない、暗闇の世界を死ぬまで歩き続ける未来が待っているのだ。

 祝はそこに人を引き摺り込む天性の魅力を持っている。その鮮烈な生き方が何よりも愉悦と享楽に溢れていると思い込ませる美しさを放っている。人の道よりも、修羅道の方が求道者として正しい道なのだと信じさせてしまう力に満ちている。

 もしも自分の意思によるものではなく彼女の光に惹かれたがために修羅道を歩んでしまった者がいるのならば――その者は地獄を見ることになるだろう。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 吹き荒ぶ吹雪の中、まるで夜の闇を凝縮したかのように真っ黒な少女が目の前に佇んでいた。

 ぼやける視界の中、その少女だけをハッキリと一輝の焦点が捉えている。闇より暗い深淵のような瞳に、しかし一輝の胸の内に不思議と恐怖が湧き上がることはなかった。いや、もはやその気力すらも残されていなかったのかもしれない。

 まるで天使のように穏やかな笑顔を見せる祝は、世間話でもするかのような軽い声音で語り続ける。

 

『認められることってそんなに大事なことですかね?』

「な、何を……」

『さっきから黒鉄は他人の望みとか期待とかばっかり。自尊心と満足感が得られるならばそれでもいいじゃないですか。貴方の夢は“才能を超えて自分の価値を信じ抜くこと”でしょう? 勝利を通じて理不尽を覆すことさえできれば全て解決じゃないんですか? 夢に近づいて、しかも自尊心が満たされて満足感まで得られる。これの何が悪いんですか?』

「それは……」

 

 空気を吐き出す肺が与える痛みも忘れ、一輝は祝へ思わず掠れた声を漏らしていた。

 一輝の中の何かが「耳を貸すな」と叫んでいる。しかしその警鐘に反し、一輝の目と耳は祝に釘付けにされていた。

 

『黒鉄は、実はもう自分がそこそこ強いことを自覚しているでしょう? その“強さ”と、夢を叶えようという“意思”さえあれば闘いは成立するんです。……ほら、この闘いに他人の不幸や期待が入り込む余地がどこにあるんですか? 闘いを諦めるのはまだ早すぎですよ』

「…………」

 

 確かに、その通りだった。

 他ならぬ一輝自身が厳に言ったことではないか。自分は強くなった、もう昔の自分ではないと。

 自分でその自覚がある以上、もはや一輝の目的である『才能がなくとも自分の価値を諦める必要はない』という夢への道は堅実に築かれているではないか。後はその夢をより確かにするため、七星剣王を始めとした実績を積み重ねていくというだけの話だ。

 

(…………あれ?)

 

 ふと一輝の脳裏に疑問が浮かぶ。

 どうして自分はここまで心を騒めかせていたのだろう。なぜ父親に期待されていなかったことでショックを受けていたのだろう。なぜ背負うものの有無などに心を乱していたのだろう。

 一輝の夢の前では厳を始めとした他人からの承認など、実はどうでもよい(・・・・・・)ことだったのではないか?

 

『余計なことに気を取られていませんか? 貴方がこれまでに積み重ねてきた“武”と“信念”――それさえあれば黒鉄は夢を遂げられるはず。そこにお父様や誰かの期待は必要ですか?』

「…………ぁ」

 

 そうだ。そうではないか。

 一輝の根源は嘗ての龍馬の言葉。そして自分と同じように才能の壁によって道を阻まれてしまった人々の背中を押すこと。

 その道の中に厳は本当に必要だろうか。刀華の敗北によって気を落とすであろう施設の子供たちを気遣う必要性が存在するだろうか。

 

 

 いいや、必要なのは自分の信念と覚悟、そしてそれを成す強さだけのはずだ。

 

 

 一輝が他人に求めるのは、自分が示した『才能という理不尽の打倒』という結果に首肯することだけだ。そして首肯しないというのならば、全身全霊をかけて首肯させてみせよう。破軍学園で一輝が勝ち残り、ペテンや八百長を疑う輩を黙らせたのと同じように。

 

『夢を叶える――それは“捨てる”ことです。余計な夢を削ぎ落とし、邪念を追い払い、見出した究極の一を極限まで追い求める。それこそが夢を目指すということですよ』

 

 ――即ち“求道”である。

 夢を見るだけに終わらず、叶えようともがく行為である。

 つまり祝はこう言っているのだ。夢だけを追求するために、父親や周囲から期待や称賛を受けたいと願うことを辞めろと。他者の言葉に一喜一憂する全ての感情を邪念として切り捨て、求道に徹する真の修羅になれと。

 

「…………あぁ、それは……」

 

 きっと途轍もなく気持ちの良いことなのだろう。全身の重りを脱ぎ去ったような解放感に身を浸すことができるのだろう。求めるものをなくしてしまえば裏切られることも絶望することもないのだから。

 自分の欲望や願望のためだけに全てを費やし、他の一切を全て無価値の存在に変える。それを痩せ我慢でも強がりでもなく、心底からそれを行えてしまう者――それこそが本物の修羅だったのだ。

 

『貴方は必要のないものに惑わされ、真の目的を見失おうとしています。二兎を追う者は一兎をも得ず――求める一兎のためならば他の兎を不要と断じることができる迷いなき心。それが黒鉄が持つべき心構えだったんですよ』

 

 一輝が求める一兎。

 それは龍馬に与えられた夢。

 ならばその夢を手にするため、認めてほしいと求める願望は捨て去るべき邪念でしかない。他者の幸福を慮る心など雑念だ。

 もちろん邪念や雑念に耳を貸すことは絶対的な悪ではない。しかし本望と比較するべき場に立ったのならば、迷うことなく切り捨てなければならない。夢のためならば喜んで何でもしなければならない。

 それが修羅。それが求道。

 一輝は自覚する。

 自分は今、人と修羅の分岐点にいるのだと。

 

「……闘えっていうのか……君は僕にまだ闘えと、そう言うのか……?」

『いえいえ~、もちろんここで倒れ伏すのも構いませんよ? しかしその理由は明確にしてください』

「理由……?」

『黒鉄がここで足を止める理由です。それは今後も夢に生きるための戦略的な休息ですか? それとも夢に敗れて絶望した末の挫折ですか? ……ああ、勝機があるのならもちろんさっさと起きて東堂さんを斃しに行くのがベストですけど』

 

 突き付けられた選択肢に、一輝は「何だそれ」と薄く苦笑する。やはり行き着く先が地獄なのは変わらないではないか。

 修羅道を進めば終わりも後もない断崖絶壁を登るだけの道が待ち受け、夢を諦めれば虚ろな下り坂が待ってる。現状維持は許さないと言わんばかりの究極の二択。

 しかし先延ばしにはできない問だった。

 どういう結末を迎えるかではない。どの結末を目指すのかを今は問われている。修羅へと昇るか、凡夫へと堕ちるか。それこそが祝の問い。

 

「ここで全てを捨ててしまえば……」

 

 きっと一輝はもう戻れなくなる。

 努力で才能という壁を乗り越えるため、あらゆる迷いを断ち切ることができるようになれるかもしれない。

 あれほど焦がれた父との絆に苦しめられることもきっとなくなるだろう。

 それどころか、きっと今まで辿り着くことができなかった“強さ”の境地への最短ルートを歩き出すことができるかもしれない。

 

(ああ、そうしたら……あの約束(・・・・)にも意味を見出せなくなってしまうのかな……)

 

 それは唐突に浮かび上がった疑問だった。

 一輝自身にも意味はわからない。

 何のことなのかを思い出そうにも、記憶に靄がかかったように捉えることができない。

 しかし……

 

(…………約束?)

 

 何の変哲もない、たった一つの『約束』という単語。

 その言葉を思い出した途端、一輝の心に赤い炎が灯る。

 

 

 

「ぅっ、ぁぁぁああああああああああああッッ!!」

 

 

 

 その時、掠れた雄叫びをあげながら一輝の意識が覚醒する。

 四肢の筋肉と骨を総動員し、残された体力と気力を振り絞って起き上がる。

 

(何か……僕は何かの約束をしていたはずなんだ……)

 

 一歩を踏み出す。

 その動作だけで全身が軋み、脳が嘗てないほどの痛みを受信する。吐き気が止まらない。真っ直ぐ歩くこともできない。呼吸すらも満足に行えない。

 それでも一輝の魂は身体に命じ続ける――進めと。

 

『おっ、勝機ありと睨んでの前進ですか? それとも敗けるための自滅特攻ですか?』

 

 一輝の視界が目まぐるしく転じ続ける。

 駅から学園までの道を歩いていたかと思えば、気が付けば先程の吹雪の森に戻っている。かと思えば記憶にある黒鉄家の本邸の庭を歩いており、幼い姿の自分と珠雫が笑顔で燥いでいた。しかし次の瞬間には嘗て道場破りに赴いた道場への道を歩いており、瞬きをすれば既に見慣れた破軍学園の廊下を進んでいる。

 変わらないのは隣を暢気に歩き続ける祝だけだ。

 

(どこまで付いてくるんだろう、彼女は)

『黒鉄の答えを聞くまでですよ。まだ貴方は答えを出していませんからね。ただ我武者羅に進んでいるだけです』

 

 口を開いてすらいない一輝に祝が答える。

 しかし全ての力を振り絞って歩き続ける一輝には、そのことに違和感を覚える余裕すらない。

 

『さっきから景色がクルクル変わって忙しいですね。これが巷で聞く「走馬燈」というヤツですか。こんなものを見るほど死に瀕していながら進み続けるとは……それはそこまで重要な“約束”なんですか?』

 

 それは一輝にもわからなかった。

 しかしそれでも魂が叫ぶのだ。諦めるな、歩き続けろと。

 心に灯った赤い炎が魂を奮い立たせる。奮い立った魂が肉体を動かし、限界を超えて足を前へ前へと運び続けている。

 ならばその約束は何にも代えがたく、何よりも大切なものだったのだろう。

 

『だ――、こう。――。騎――高――』

 

 ……ああ、何かが遠くに見える。

 遥か彼方に、確かにそれはある。この胸に灯った赤い炎と同じ、鮮やかな真紅に染まる長い髪。

 しかしそれを遮るように一輝の前に祝が回り込む。

 

『も~、また邪念に囚われる~。約束だか何だか知りませんけど、それに気を取られることで限りのある人生が無駄になりますよ。また勝手に期待して、それで裏切られるんじゃないですか?』

 

(……邪念なんかじゃ……ない)

 

『いいえ、邪念です。黒鉄は約束とやらを理由に決断から逃げているだけですよ。どちらも選べば後に引けないから、あえて選択を保留しているだけです』

 

(捨てることなんてできない……!)

 

『貴方の夢は、あれもこれもと手を伸ばして叶えられるほど易い夢なんですか? 才能の壁を覆すなんて、それこそ生涯を懸けて行う偉業だとわかっているはずです。貴方には余所見をしながらでもそれができると?』

 

(それでも……)

 

 祝の言葉は全て正論だ。何一つ間違っていない。

 しかし一輝には修羅の道を選ぶことがどうしてもできなかった。霞の奥に隠れたその約束の残滓、それから目を逸らすことだけはできなかった。

 

『自分の手に負えない偉業を成すためなら、人は修羅になるしかない。だから貴方は伐刀絶技に《一刀修羅》と名付けた。だというのに、ここに来て何とかなるとでも思い上がりましたか?』

 

 そうだ、祝の言う通りだ。

 身に余る偉業を成そうと足掻き、その末に修羅になるしかないと理解していたはずだった。そのための《一刀修羅》――勝利のために全てを費やす自分の最強魔術だ。

 確かに自分にはそれしかないと、そう思っていた。

 

「それでもッ……!」

 

 それでも捨てられないものが一輝にはできてしまった。

 守らなければ……いや、守りたいと思える約束ができてしまった。

 

『だから行こう。二人で。騎士の高みへ』

 

 そうだ。自分はそう約束したはずだ。あの赤い後ろ姿の彼女(・・)と、そう約束したはずだ。

 呆れる祝を押し退け、一輝は足を引き摺ってでも歩き続ける。

 きっと祝はそれを愚かと断じるだろう。修羅になりきれない半端者だと嘲笑するだろう。

 

「それ、でもッ……!」

 

 抗い続けろ――魂がそう叫んでいる。

 一輝の中の譲れない根幹が、その感情を捨てることだけは許さないと頑なに拒んでいる。

 なぜその約束にここまで魂が惹かれてしまうのか。それは一輝自身にもわからない。しかしあるいは、それこそが一輝にとっての新たな“剣を取る理由”であるからなのかもしれなかった。

 生涯をかけるほどの長大な夢ではない。その約束の相手に裏切られるかもしれない。それでも一輝にとって間違いないことは、その約束には命を懸けられると思えるほどの強い“願い”が込められているということだ。

 

「あ、ああああッ!」

 

 掠れた雄叫びを吐き出し一輝は進み続ける。

 歩いて、歩いて、限界を超えて歩き続ける。

 やがて目は見えなくなり、耳は聞こえなくなり、もはや意識すらも飛び、それでも歩き続け……

 

「お兄様!」

 

 そして柔らかい何かに受け止められたことで一輝の意識が戻る。

 自分を抱き止めるのは見慣れた銀髪の少女――珠雫だった。

 泣き腫らした瞳で自分を見上げる珠雫。そして彼女から視線を外し、前方を見据えたことでようやく一輝は自分が今どこにいるのかを知った。

 

(帰ってきたんだ……)

 

 破軍学園。駅から坂を上ったその先にある校門の前。

 気が付けば一輝はそこで佇んでいた。長い道程を踏破し、一輝は遂に破軍学園へ辿り着いたのだ。

 

「お帰りなさい、お兄様」

 

 一輝の胸元に顔を埋める珠雫は、震えを押し殺すように強く一輝を抱き止める。

 

「……私、ずっと考えていたんです。お兄様は充分に頑張った。だからこれ以上傷ついてほしくないと。これからはずっと私がお兄様を守るから、だからもう休んでほしいと」

「珠雫……」

 

 疲れ果てた一輝の耳に、珠雫の澄んだ声が染み渡る。

 本心から語っているのであろう珠雫の言葉に、しかし一輝は頷くことができない。なぜなら一輝の魂はまだ立ち止まることを許してくれないから。

 

「でも、私にはできませんでした。本当ならお兄様の意思を無視してでも引き留めるべきだってわかっているのに……でもこの学園にいる時のお兄様は、黒鉄の家にいた時と違って心の底から笑っていたから」

 

 一輝の家族として、そして彼を愛する一人の女として、ここで一輝の道を阻むべきだということはわかっている。

 しかし一輝の身を案じる一方、ここまで足掻いてでもこの場所を守りたいという一輝の意志を潰えさせることも、また珠雫にはできないことだった。

 だから珠雫は決めた。もしも一輝が諦めることなく学園に辿り着き、まだ闘う意思を示しているというのなら……

 

「その時は、精一杯のエールで見送ろうって。頑張れって言いながら背中を押そうって」

「……!」

 

 頑張れ――珠雫が口にした言葉に、一輝は電撃に打たれたかのような衝撃を受けた。

 それは激励。一輝が求めて止まなかったもの。

 そしてその激励と共に、一輝の耳は信じられないものを次々と受け取っていく。

 

「先輩、頑張ってー!」

「もう一踏ん張りだッ、諦めるなー!」

「黒鉄くん、会場まであと少しだよー!」

「もう時間がないぞ! 急いでくれー!」

 

 霞む目を凝らせば、まるで自分を迎えるかのように何人もの生徒たちが校門で声を張り上げていた。

 いや、ように(・・・)ではない。彼らは全員、一輝が戻ってくることを信じてここで待っていたのだ。疲れ果てているだろう一輝にエールを贈ろうと、ここでずっと一輝が現れるのを待ち続けていたのだ。

 彼らの顔には見覚えがあった。

 ある人は選抜戦の過程で一輝と闘った生徒だ。ある人はクラスメイトで、ある人は一輝に剣の教えを乞うてきた生徒。よくみれば去年、一輝の留年に反対してくれた教師たちもいる。

 全員が一輝と何らかの繋がりを持つ人々。

 

「これ、は……」

 

 彼らの激励に一輝は愕然とする。

 誰にも期待されず、見向きもされず、ずっと独りで闘い続けてきた――そう思っていた。

 

「は、はは……」

 

 笑みが止まらない。

 霞んでいた視界は焦点を結び、意識がこれまで以上に覚醒する。四肢の末端にまで血が巡るのを感じ、全身から力が漲ってくる。

 

「……僕は大馬鹿者だ」

 

 自分はもう独りなどではなかった。

 この学園に来て、辛いことも沢山あった。周囲が敵だらけに見えることもあった。

 しかし自分の努力と信念は確かに人々へ届き、その背中を押してくれる人たちがいたのだということにようやく気付かされた。

 いや、本当は既に気付いていたのかもしれない。

 だがこの極限の状況に追い込まれることで、一輝は改めてどれほどの人が自分に思いを託してくれていたのかという事実をより噛み締めることとなった。

 そして――

 

「イッキッッ!」

 

 人垣の奥から響くその声に一団が割れる。

 そこには荒い息を吐きながら代表選抜戦を征した証であるメダルを掲げたステラがいた。

 

「アタシは“約束”通り、七星剣武祭の代表になったわッ!」

 

 常識的に考えれば彼女はまだ試合中のはずだ。一輝が試合に遅刻していることを加味しても、まだステラの試合の開始時刻から数分しか経っていない。

 だが、ここにいるということは彼女はやり遂げたのだろう。そして彼女もまた一輝を激励するために急いで駆けつけてきてくれたのだ。

 

「だからイッキも勝って! そして二人で行きましょう! 騎士の高みへ!」

 

 胸に灯った赤い炎が燃える。

 身体は相変わらずボロボロだ。熱は酷く、関節や筋肉が軋みを上げる。吐き気は収まらず、息すらもまともに吸うことができない。きっと眠ったが最後、数日は目を覚ますこともできないほどに疲弊している。

 

 

 しかし今の一輝は、嘗てないほどに自分が最強であることを確信していた。

 

 

 もう二度と、自分の剣を軽いなどと言うことはできない。

 なぜならば自分の剣は、ここにいる全ての人々の思いを乗せた剣なのだから。

 だからもう迷わない。諦めない。自分の歩んできた道が無意味で無価値だったなどと誰にも言わせない。例えそれが父親であったとしても。

 

「じゃあ、珠雫。それに皆――」

 

 行ってくるよ、そう言おうとして一輝は思い留まった。周囲が訝しむ中、一輝は来た道へと振り返る。

 そこには舗装された道路ではなく、一輝の記憶に眠る吹雪の森があった。その中で祝が独り佇み、ジッとこちらを見つめている。

 珠雫たちが自分を迎えてくれたのとは対照的に、彼女の周りには誰もいない。何も聞こえない。ただ寒く、暗い森だけが奥へと続いていた。

 

(……そうか、それが修羅道か)

 

 確かに修羅道(そちら)へ行けば、もう父の影に怯えることもなくなるのだろう。剣を取る意味に苦悩することもなくなるはずだ。夢を追うことに没頭し、余計なことを考える必要もなくなる。

 

 だが、それしかないのだ。

 

 人と人が触れ合うことの温もりを思い知らされた一輝はようやくわかった。自分があの道を選べなかったのは、皆の声が引き留めてくれていたからだと。

 きっとあの道を踏み出せば、この温もりすらも理解できなくなってしまうのだろう。ステラと誓った約束にすら価値を感じることができなくなってしまうに違いない。きっと今になって理解できた自分の剣の重さすらもなくなってしまう。

 それはできない。確かに夢は捨てられないが、彼らの思いを捨て去ることもできない。そして半端に終わらせるつもりもない。全てを背負ったまま進み続けてみせる。

 

(だから、修羅道(そっち)へは行けない。僕は人としてこの“騎士道”を貫く)

『そうですか、残念』

 

 これが疲労感と弱った心が見せた幻覚だということはもうわかっている。一輝の心の弱さが見せた修羅道への憧憬が、祝の形を取って語りかけていただけだということもわかっている。

 それでも一輝は振り返り、己の弱さの象徴である祝へと答えを告げた。

 そして一輝が瞬きをした瞬間、吹雪の森は消え去っていた。

 もう空気を裂くような寒さは感じない。それを見届けると、一輝は再び学園へと向き直った。

 

「行ってくる」

 

 

 




戴いたイラストです。
前回の投稿から今日までの間に三つも戴いてしまいました。御三方、本当にありがとうございます。

前回に引き続き、楔石焼きさんより

【挿絵表示】



b-kenさんより

【挿絵表示】



renDKさんより

【挿絵表示】



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阿修羅すら凌駕する存在だッ!

毎度ながら感想や誤字脱字報告ありがとうございます!
2018年4月、原作の設定から一輝の魔力制御の内容を少し改訂させて戴きました。


 アナウンスが流れ、黒乃たちは一輝が無事に会場へ到着したことを知った。

 その事実に黒乃と寧音は得意げに口元を歪め、後方に座る赤座を肩口に見やる。一方、赤座は今にも舌打ちせんばかりに眦を吊り上げ、黒乃たちに向けて鼻を鳴らした。

 

(死に損ないがッ、往生際の悪い……!)

 

 心底、赤座には一輝のことが理解できない。

 一輝を散々虐め抜いてきた赤座にはわかっている。既に一輝は虫の息のはずだ。

 だというのに近接戦(クロスレンジ)において最強クラスの実力者である《雷切》に挑もうなど、どう考えても自殺行為でしかない。

 それでも一輝は諦めなかったというのか。

 だとすれば彼は赤座が知る人間の中でも最高の大馬鹿だ。身の程どころか、常識すらも知らないのだろうか。

 

(……まぁ、ノコノコ出てきたところでトドメは《雷切》がキッチリと刺してくれるでしょうからねぇ。焦る必要はありません)

 

 大きく息を吐き、赤座は再び余裕の笑みを浮かべる。

 元々これは嫌がらせの一環でしかない。本命は《雷切》なのだ。この苛立ちは彼女によって晴らしてもらうとしよう。

 

『えーご来場の皆様方、長らくお待たせ致しました! これより七星剣武祭代表選抜戦を開始します!』

 

 実況の少女の声が響き渡る。

 それに呼応し、会場全体が一斉に歓声に包まれた。あらゆる席から刀華の名前と二つ名を応援する声が轟き、それに混じり一輝への歓声も叫ばれている。

 まずリングに姿を現したのは刀華だった。

 全身から静かに闘気を滲ませる彼女は、まるで刃のように鋭い視線を前方のゲートへと向けている。当然ながら眼鏡はかけておらず、その佇まいには油断も隙もありはしない。

 一輝が査問会で心身共に痛めつけられていたことは彼女も知っているはずだというのに、彼女は微塵も戦闘態勢を崩してはいなかった。それどころかこれまで以上に殺気を練り上げ、見る者に息を呑ませるほどの凄みを感じさせている。

 

「はぁ〜、流石はとーかさね。黒坊がどんな状況なのかは聞いているだろうに、毛ほどの油断すらもしちゃいない」

「当然だ。例え相手が死に体だろうと東堂は気を緩める騎士ではない。むしろ背水の陣を警戒し、普段以上にコンディションを整えてきているはずだ」

「ひょっひょっひょ、凄いじゃろ? あれ、ワシの弟子なんじゃよ」

「知っとるわ!」

 

 南郷たちが燥ぐ一方、実況のアナウンスは進み続ける。

 刀華の紹介を一通り終えると、やがて焦らすかのように悠然と一輝の名前を呼んだ。一斉にゲートへと会場中の視線が集まり、そしてゆっくりと一輝がその姿を現す。

 その姿は非常に痛ましいものだった。

 顔は蒼白に染まり、歩き方からは疲労感が滲み出ている。額からは闘う前だというのに汗が零れ落ち、どう言い表しても半死半生の状態だ。

 

 

 しかし誰一人として、一輝が弱々しいという印象を抱くことはなかった。

 

 

 その姿がゲートから現れた瞬間、刀華が充満させる殺気を押し戻すほどの闘気が出現したのだ。

 空気すらも押し退けていると錯覚するほどのその闘気。それは首元を物理的に抑え付けられたかと客席の人々が感じるほどだった。

 一輝の入場と同時に、刹那の間とはいえ一斉に会場は沈黙の底に沈められる。その一歩を進める度に、まるで巨人が地面を踏み鳴らしているのかと錯覚するほどの威圧感が会場に響いている。

 

「……ほう、あれが黒鉄の。なんと澄んだ闘気じゃ。あの若さでこれほどの領域に至るか」

「おいおいおい、何だか少し見ない間に随分と逞しい面ァするようになったじゃないか」

 

 感心したように一輝を見下ろす南郷。

 その成長ぶりに、獲物を見つけた獣のような苛烈な笑みを浮かべる寧音。

 そしてその変容に、祝すらも穏やかな笑顔を浮かべつつ目を細めて一輝へと視線を注いでいた。

 

「黒鉄、お前は本当に……」

 

 黒乃は誇らしさから来る笑みを抑えることができない。

 これが半死半生の病人の姿だというのか。いや、体調が悪いことは異様な汗と滲み出る疲労感から間違いない。だというのに一輝のこの凄まじい闘気は何だ。

 考えるまでもない。

 これは一輝の覚悟だ。万全とは口が裂けても言えない状況に陥りながらも決して逃げず、誇り高く騎士として闘おうという信念の顕れだ。

 

「……南郷先生、凄いでしょう? あれが私の生徒ですよ」

 

 つい、そんな軽口を囀ってみる。

 しかし例え冗句であろうと、その事実が黒乃には誇らしくて堪らなかった。

 背後で愕然とする赤座などもはや目にも入らない。

 

「な……何だあれ」

「上手く言えないけど……何というか圧倒される感じ……」

「怖いとかじゃなくて単純に凄いっていうか……」

 

 会場が騒めく。

 今までにない一輝のその雰囲気に一同は困惑する。しかしその困惑は徐々に熱気へと転じ、先程の刀華への声援に負けないほどの一輝への応援が会場に轟いていった。

 ほぼ刀華一色と言っても過言ではなかった会場の声援が、遂に互角まで並んだ。

 一輝のその洗練された闘気に触発され、日夜騒がれるスキャンダルの悪評がこの僅かな時間の間に洗い流されたのだ。それはたった一時(ひととき)の幻想なのかもしれない。しかしこの場の観客たちは、一輝の背後にある黒い噂をこの一時の間だけ確かに忘れさせられていた。

 

「大した小僧じゃ。大抵の騎士は強敵との闘いに臨む際、敵と己が死ぬことの覚悟を抱いているものじゃが……あの小僧はそれだけではない。討ち死にすることの覚悟と同時に“生き残る覚悟”も持ち合わせておる」

 

 闘って死ぬ、その覚悟を決めることは実は案外難しいことではない。死の淵に追い詰められた時、意外にも多くの者がそこで死ぬことをストンと納得してしまうものなのだ。

 しかし一輝は違う。どれだけ絶望的な状況でありながらも、そこから生還することを全く諦めていない。

 

 ここで命を捨ててでも勝つ。そのためならば死んでも惜しくはない。――それでも生きることを諦めない。

 

 この二つの覚悟を同時に持ち続けることが、実は闘いで最も難しいことなのだ。

 命を惜しまず、されど死なず。

 命を懸けるが華と嘯く輩では到底たどり着けない、真の戦人だけが至る境地。生と死を矛盾することなく望むその覚悟。

 こうなった者は強い。南郷の経験上、これが敵に回れば理屈を超えて手強い。こちらが予想もできない狂気の沙汰を平気で仕出かし、常識を嘲笑うかのように勝利を掻っ攫っていく。

 

「だ、だから何だと言うのですかッ! 《雷切》が有利であることに変わりはないんだ!」

 

 不安を振り払うかのように赤座が喚く。

 確かにその言葉は正しい。いくら一輝の気力が充実していようと体調面から来るハンディキャップは覆らないのだ。思いだけで勝利を得ることはできない。結局最後にものを言うのは強さ。ならばここで《雷切》が敗ける道理はない。

 

「黒乃くんはこの試合をどう見る?」

「客観的に見るのなら、確かに赤座委員長の言うように黒鉄が明らかに不利です。しかし黒鉄も《雷切》の対処の仕方は理解しているはず。そこを狙って持久戦に持ち込めば、あるいは……」

 

 超電磁抜刀術《雷切》――刀華の二つ名とまでなったその伐刀絶技は、鞘を砲身(バレル)として刀という弾丸を撃ち出すレールガンだ。

 しかしどれほどの加速力と運動エネルギーを持ち合わせていようと所詮は抜刀術。刀が鞘に収まっていなければこの伐刀絶技は使用できない。そこに勝機がある。

 

「とーかに《雷切》を空撃ちさせて、その隙に斬り伏せようって寸法か」

「黒鉄には遠距離(ロングレンジ)の攻撃手段がない。そしてお互いに得物が刀である以上、間合いの差で勝負することもできん。これが最善の策だろう」

「なるほど、黒乃くんはそう見るか。……ならば祝、お主はどうじゃ?」

 

 南郷の視線が、赤座の隣で静かに微笑む祝へと向けられる。

 そして祝は一瞬の間を置くこともなく即答した。

 

「死中に活あり――開幕速攻の一撃必殺です」

「元とはいえ流石は我が弟子。ワシも同じ見立てじゃよ」

 

 ニヤリと南郷が笑った。

 もちろん祝のこの答えは原作知識を知るが故のカンニングだ。原作において一輝は、ここで《一刀羅刹》という超短期決戦用魔術を用いて刀華を打倒している。《一刀修羅》で引き出せる力を一撃で使い切るというその乾坤一擲の魔術を用いこの勝負を制したのだ。

 しかし原作知識だけでなく、疲労困憊の一輝に持久戦など愚策でしかないという冷静な分析も祝にはあった。

 またここでその愚策を取れば、刀華は遠慮なく遠距離から電撃を雨霰と叩き込んで勝利することだろうということも容易に予測できた。

 故に一輝が取れる手段は開幕速攻。

 例え不利であろうと一撃必殺という土俵に刀華を引き摺り込み、その一撃の交叉で決着をつける以外に勝機はない。

 

「正気か!? 《雷切》は文字通り雷すら斬れるという神速の抜刀術だぞ! どう考えても黒鉄が先に斬り伏せられて終わりだ」

「相打ち覚悟で挑めば割と何とかなるのでは? 持久戦にしても開幕速攻にしても、どちらも勝機が薄いのならばハイリスクハイリターンを手に取る方が上策だと思います。――少なくとも私ならばそうする」

 

 シレッと言い放つ祝だが、歴戦の騎士である黒乃はそれに黙らざるを得ない。

 祝の言葉に間違いはないためだ。

 一輝が取れる手段はあまりにも少ない。ならば祝が言うように、ここは命を賭け金にしてでも勝利を得ようとするべき場面だ。

 理解はできるが納得はできない。そんな苦渋の決断に揺れる黒乃に、祝は安心させるかのように緊張感をまるで感じさせない声音で語った。

 

「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ、先生。敗けても所詮は死ぬだけです」

「……簡単に言ってくれる」

 

 渋い顔をしているが、黒乃も一流の騎士だ。

 決闘の最中で命を落とす覚悟を持つことはもちろん理解できる。当然ながら死中に活を見出すその理論や精神がわからないはずもない。

 しかし大切な生徒が命懸けの決断を下したとして、それを何の躊躇もなく受け入れられるのかと言われれば当然ながら否だ。

 

「死ぬなよ、黒鉄」

 

 この試合は間違いなく、一輝にとって人生をかけた大一番。

 未来を左右する運命の戦場だ。命を懸ける場としては充分すぎる一世一代の鉄火場だ。

 しかし、それでも。

 黒乃は心から願ってしまう。

 彼の若い命が、たとえ泥に塗れて倒れ伏すことになったとしても――こんな汚い大人たちの都合で潰えてしまうことがないようにと。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「試合の前に、まず私は貴方に謝らなければいけません」

 

 リングの中央で向かい合うなり、刀華は一輝へと言い放つ。

 何のことなのかと一輝は首を傾げた。

 

「この試合、満身創痍の黒鉄くんと闘うことになると私は知っていました。だからこんな公平(フェア)じゃない試合なんてする価値があるのかと悩んですらいました。……でも、貴方は来た。ボロボロになろうと、勝利するためにこの舞台に上がってきた。私の悩みは貴方のその決断を愚弄する行為です。申し訳ありません」

 

 謝罪の言葉と同時に、刀華は深く頭を下げた。

 その意外な行動に客席はどよめくが、一輝としては「そんなことか」と拍子抜けさせられた。

 

「気にする必要はありませんよ。こんな明らかに仕組まれた試合ならば誰だって――」

「いえ、それだけじゃないんです」

 

 一輝の言葉を遮り、刀華が頭を上げる。

 その表情は先程の申し訳なさに溢れたものとは一変していた。そこにあったのは、普段の彼女が見せぬ戦闘狂としての凄烈な笑み。

 全身から紫電を放ち、その手の中に霊装《鳴神》を顕現させた彼女は高らかに謳いあげる。

 

「公平じゃない試合だということがわかっているというのに……私は貴方と闘えることが嬉しくて仕方がないッ! 貴方を斬り伏せ、さらなる高みへと昇れることに心が躍ってしまうんです!」

 

 平時の彼女が見せることのないその表情。

 しかし一輝は恐れ戦く様子など微塵も見せず、まるで凪のように静かな面持ちで《陰鉄》を抜き放った。

 

「それは僕も同じですよ。音に聞く《雷切》と全力で闘えるのなら身に余る光栄です。そしてこの剣に思いを託してくれた人たちのためにも、僕は誰に恥じることもない全力でそれに応えます」

 

 思いを託してくれた人たち――その言葉が口から放たれた瞬間、一輝の脳裏に先程の校門の光景が浮かび上がる。

 一輝を待ち続けてくれた人たちの顔が鮮明に思い出せる。中には名前を知らない生徒もいた。しかしその名がわからなかろうと、彼らの一人一人の声援が一輝に力をくれる。《陰鉄》を研ぎ澄まし、嘗てないほどの活力が湧いてくる。

 その全てを言葉に載せて、一輝は《陰鉄》の切っ先を刀華へと向けた。

 

 

「僕の最弱(さいきょう)を以て、貴女の不敗(さいきょう)を打ち破る」

 

 

 ただ勝利を。

 その一念が込められた宣言に、刀華も同じく勝利への渇望を込めて言い放った。

 

「望むところッ!」

 

 まさに選抜戦最後の闘いが始まろうとしていた。

 実況のアナウンスも、歓声も、もはや二人の耳には入らない。見据えるのは目の前の敵だけ。ただ闘志だけを見の内に充満させる。

 そして……

 

『さあ、それでは選抜戦最終戦を開始いたします! 皆さん、どうかご唱和ください!

 ――LET's GO AHEAD!!』

 

 試合開始。

 その情報を知覚した瞬間、一輝は全ての力を解放していた。魔力、体力、気力――その全てを解き放ち、全能力を一刀に込める。

 一輝の唯一にして最強の魔術。

 その名は――

 

 

「《一刀修羅》ァッッ!!!!」

 

 

 裂帛の雄叫び。

 逆巻く魔力の燐光。

 爆発する剣気。

 その全てを纏い、一輝は閃光となった。

 あまりにも一輝らしくない、分析を放棄した力押しの戦法。奇しくも南郷と祝の予想通り、一輝は開幕速攻に全てを賭けてきた。

 しかしその選択を多くの人間は無謀と取る。

 体力や戦術の問題から勝負を仕掛けるしかなかった一輝に対し、刀華はその勝負を受ける必要などない。退いて攻撃を躱すなり、遠距離戦を仕掛けるなりといくらでも手札はある。

 だからこそ無謀。そこに勝機などない――かに思われた。

 

「――ッ」

 

 しかし大半の予想に反し、刀華は一歩も退く様子を見せない。

 それどころか抜刀の構えを取り、一輝を迎撃しようとするではないか。

 戦術的に考えればあり得ない行動。しかし刀華は迷うことなくその行動を取った――まさに一輝の予想通りに。

 

 一輝はこの勝負、刀華が間違いなく受けるということを確信していた。

 

 《雷切》は刀華が誇る最強にして無敵の伐刀絶技。

 ならばその技が支配する接近戦の領域へと敵が挑んできたというのに逃げるのは、彼女の誇りが許さない。自分の剣に絶対の自信があるからこそ彼女は退くわけにはいかない。

 ここで勝負に乗らないということは、即ち彼女の誇りを自ら傷つけることになるのだから。

 最強不敗を誇るからこその不退転。逃げ道を選ぶことは彼女の信念と誇りが許さない。いや、むしろ刀華の戦意は一輝の思惑を超え、そこで逃げ出して勝利したところでその勝利に価値などないと考えてすらいた。

 

 ――この間合いの“最強”は私だ! 私の領域なんだッ!

 

 交錯する刀華の瞳はそう語っていた。

 迎撃以外の戦術など微塵も選択する気がないことは一目瞭然。

 あるいはこれは、一輝が己の挑戦者としての立場すらも利用した小賢しい駆け引きに刀華が引っかかった末の愚かなミスと考えることもできるだろう。

 だが刀華からすればこの勝負を受けることに何ら支障はない。その小癪な策ごと、この《雷切》で斬り伏せてやろうという圧倒的な覚悟と自信が刀華にはあった。

 不敗(さいきょう)である刀華が相手だからこそ通じる策――それはここに成った。

 

(ならば後は死と生の狭間に“活”を見出すのみッ)

 

 一輝は最初からこの策を用いることを決めていた。

 それは勝機を見出すためだけではない。自分の剣が《雷切》に勝るということを証明したいという、まるで子供の我が儘のような理由だった。

 彼女の最強の武器を打倒してこそ本物の勝利なのだ。

 

(《雷切》を正面から打倒し、尚且つ勝利するための方法はこれしかない。……いや、これ以外の勝利を僕は望まないッ!)

 

 死中に活を見出し、それでも勝利と生存を諦めない一輝の策。

 だが、この策ではまだ足りない。

 この一刀で全てを決める。

 ならば残る全ての力を引き出す。

 しかし全てを費やし、ようやく一輝は《雷切》と互角でしかない。

 

(互角じゃ駄目だッ! 僕は“勝つ”んだ! 生きて、勝って、皆の思いを背負って、……そしてステラとの約束を果たす!)

 

 思い出せ。

 力が足りないのなら、速さが足りないのなら全てからそれを導き出せ。

 過去の経験と記憶から最適にして最強の自分を編み上げろ。この一刀に、自分がこれまで積み上げてきた全ての力を込めろ。

 刀華との接触まで残り0.5秒。

 ならば刹那の間に遡れ。自分が進んできた道は間違いなどではなかった。ならばその道の中に必ず勝利のためのヒントは隠されているはず。

 まるで流星のように一輝の視界を過去の記憶が掠め飛んでいく。あらゆる闘い、あらゆる日常、あらゆる過去の感情が一輝の後方へと流れていく。その全てを費やし、一輝の剣はさらに加速する。

 

 だが、まだだ。

 

 まだ《雷切》を超えられない。

 

 神速の抜刀術を上回るには程遠い。

 

 何か、何かあるはずだ。

 

 思い出せ。

 

 思い出せ。

 

 

(思い出せッ――!)

 

 

 

 

 

『不細工な伐刀絶技(ノウブルアーツ)ですね、それ』

 

 

 

 

 

 一輝の中で描かれる勝利。

 その最後の欠片(ピース)がカチリとハマる音がした。

 

(…………はは。何だ、そうじゃないか)

 

 その過去は、一輝にとって決して良い思い出ではなかった。

 素晴らしい闘いをした。凄まじい経験を積めた。その言葉で彩り、そればかりに目を向けていつしか忘れていた無念。拭い難い敗北の記憶。

 自分を修羅道へと誘い、道を踏み外す手前まで引き摺られた目が眩むほどの闇。

 決別したと思っていた。もうあそこへと迷い込むことはないと、そう勝手に思い込んでいた。

 

 

 だが、それもまた自分だ。

 

 

 祝の姿を借りて偽ることなど許されない。

 あれも一輝の心の一部なのだ。

 それを否定することなどできはしない。

 

(そうだ、僕自身が誓ったことじゃないか。『全てを背負ったまま進み続ける』って)

 

 ならばその弱さすらも背負ってみせろ。

 弱さ故に強さへと逃げるのではない。己の弱さすらも強さへ変えろ。恐怖も、不安も、絶望も、それすらも道を進む糧に変えろ。

 

 

 

 それらも余すことなく“黒鉄一輝”なのだから。

 

 

 

 変化は一瞬、されど明瞭。

 《雷切》の間合いに踏み込む瞬間、一輝の激変を強者たちは逃すことなく知覚していた。

 刀華の殺気を押し戻すほどに力強かった闘気が収縮する。立ち込める魔力光は弱まり、放たれる威圧感は一瞬で刀華の殺気に呑まれて消える。

 その変化に、多くの者は一輝が力尽きて失速したのかと錯覚した。

 

 否だ。

 

 弱まったのではない。

 無駄に放出していた全ての力を一刀に圧縮したことで、一輝の存在がまるで萎んだかのように思わされたのだ。

 一輝は教えられていた。意図すらせずに己を惑わした祝から、新たな強さへのヒントを既に与えられていた。

 

『身体中から余分な魔力が溢れ出しているじゃないですか。魔力にロスがありすぎて美しくありません。そんなことだからその程度(・・・・)の出力しかないんですよ、その伐刀絶技は』

 

 そうだ。

 体内から溢れ出る魔力の燐光。

 それは扱いきれず体外へと漏れ出てしまった余分な魔力。

 武術を鍛えることで魔術に対抗してきた万夫不当の武術家である一輝の、伐刀者としての致命的な欠陥の一つ。

 

 即ち、『魔力制御』の技術。

 

 一輝には伐刀者としての才能がない。

 それは伐刀者を構成する最大の要素である総魔力量が少なく、さらに『身体能力倍加』という貧弱な能力しか持たないため。

 だから一輝は他の伐刀者たちと違い魔術による自身の強化を早々に諦め、武術の鍛錬に多くの時間と意識を費やしてきた。もちろん魔力制御の能力は伐刀者にとって必須の能力であり、同時に《一刀修羅》を制御する重要なピースであることから鍛錬を怠ったことはない。

 しかし燃料となる魔力の量が絶対的に不足している以上、彼には《一刀修羅》に特化した“究極の一分間”のための制御技術を身に付ける以外に選択肢はなかったのだ。

 

 

 祝と出会うまでは。

 

 

 溢れ出る魔力をより鋭く、より精密に制御することで《一刀修羅》の出力を引き上げる。

 祝から自身の短所を指摘された一輝は武術の修行の傍ら、この発想を諦めなかった。基礎から魔力の運用を見直し、一人で一年間、黙々とこの修行を練り直し続けた。

 しかし結果は身を結ばず。

 伐刀者としての才能の限界か、経験不足のためか、あるいは訓練の方法が悪いためか。結局一輝が成功した《一刀修羅》の出力の強化は微々たるものでしかなかった。溢れ出る全力の魔力を抑え続けるなど一輝には数秒が限界だ。

 

 

 ――だが、ここに至ってそれは最早問題ではない。

 

 

 今の一輝には数秒すら必要なかった。

 必要なのは一秒、一瞬、一刀。

 《雷切》を超えるのに二ノ太刀は要らず。

 繰り出されるは一輝の最速の一刀――第七秘剣《雷光》。

 その一刀を繰り出す刹那の時間さえあればいい。その間だけ制御ができていれば充分なのだから。

 

 そして一輝は最強の刹那へと、極限の一瞬へと手を伸ばした。

 

 漏れ出る魔力を意思の下に操る。

 その全てを体内に押し留め、能力によって身体能力が爆発的に跳ね上がる。

 もはや《一刀修羅》の比ではない。その強化倍率は天と地の差だ。

 余すことなく一刀に全てを凝縮することで、一輝は真実“閃光”となった。

 だが、その代償は大きい。

 

 

 無理矢理に体内へと押し込められた魔力が内側から皮膚を裂く。

 

 

 血管が千切れ、全身から血が噴き出す。

 

 

 人間の限界を超えた速さと膂力によって筋肉が断たれ、骨は歪み、内臓が変形する。

 

 

 身体強化だけで人知を超える激痛が一輝を襲う。

 一挙手一投足が地獄の苦しみを齎す。

 自分が生きているのか、それとも死んでいるのかさえ一輝には最早わからない。

 それでも――

 

 

(生きて……勝って……約束を……!!)

 

 

 薄れゆく意識の中、魂の咆哮が肉体の崩壊を阻む。

 那由他の彼方に存在する勝利へと、死と生の狭間を駆け抜ける。

 

「――ぉ」

 

 一輝の背中を押す声援が聞こえる。

 自分を待つ人たちの笑顔が見える。

 そしてその中に、自分が愛する少女がいる。

 

「――ぉお」

 

 死ねない。そして敗けられない。

 命を捨てる覚悟なら既に済ませた。敗北の苦痛にも慣れている。

 だが、この命と剣はもう自分だけのものではないのだ。全てを背負うと、そう決めたのだから。

 そして何より、ステラと約束した。――共に騎士の高みへ行こうと。

 

 

 

「ぉぉぉおおおおおおあああああああッッッ!!!!」

 

 

 

 一輝の踏み込みがリングを砕く。

 一瞬で音速を超えた《陰鉄》が衝撃波の暴風を撒き散らす。

 そして両者の間に広がる空間は刹那と間を置かずゼロになり――

 

 爆音を轟かせ、一輝と刀華が交錯する。

 

 閃光となって刀華の脇を駆け抜けた一輝は、次の瞬間に足を縺れさせて地面を転がった。

 しかしそれだけではその速度を殺しきることができず、その身体は何度も地面を跳ね続ける。そしてリングの縁を越えて客席との間に設けられた段差の壁へ強かに身体を打ち付けたことで、一輝はようやく全ての運動エネルギーを大地に逃がし終えた。

 そして残った光景に、観客たちは勝利の女神がどちらに微笑んだのかを悟る。

 

 立っていたのは――刀華。

 

 《鳴神》を振り切った姿勢のまま、彼女はリングの上に立っている。一輝は伏したまま動かず、手足を投げ出したまま動く様子はない。

 勝負あった。この闘いを制したのは《雷切》だ。

 その事実に赤座が嗤う。珠雫が目に涙を浮かべながら、それでも一輝から目を逸らすまいと拳を握り締める。ステラが悔しさに歯を食い縛り、それでも一輝の雄姿を讃えようと立ち上がる。

 そして――刀華の胴から鮮血が噴き出した。

 

「――見事」

 

 そこに刻まれているのは真横に走る一筋の赤い痕。まるで斬られたことをようやく身体が理解したと言わんばかりに、刀華は膝から血溜まりの中へと崩れ落ちていった。

 そして刀華がリングに横たわると同時に、《陰鉄》を杖のように支えにしながら一輝が立ち上がる。足を引き摺り、血の足跡を残しながらリングへと戻ってくる。

 骨は砕け、肉は裂け、血管は至るところが破裂していた。ここまで人間は壊れることができるのかと驚かされるほどに全身はズタズタで満身創痍。

 

 

 ――しかし、それでも最後にリング上で立っていたのは一輝だった。

 

 

 勝利。

 その事実が静かに会場へ響き渡る。

 誰一人として言葉を発しない。誰もがその勝利に言葉を失っていた。

 そんな中、一輝は無言でその血塗れの拳を天壌へと掲げる。その拳だけが、勝利は自分のものだということを雄弁に語っていた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……ば、馬鹿なァ! そんな馬鹿な話があるかァ!」

 

 鳴り止まぬ喝采。惜しみなく贈られる称賛。

 それを耳にしてようやく現実を理解した赤座は怒声を張り上げて立ち上がった。これが夢ではないのかとすら疑った。

 しかしいくら待てども夢は覚めず、一輝の勝利に会場の熱気が燃え上がっていく一方だ。

 どう考えてもおかしい。一輝は死に体だったではないか。どこにあれほどの力を残していたというのだ。

 思考が堂々巡りする中、しかし赤座は頭を振ってその思考を断ち切った。今重要なのはそんなことではない。自分が考えるべきことは、如何にしてこの決闘の結果を覆すかだ。

 

「認めんッ! こんな結末など認めんぞォ!」

 

 醜く喚き立てた赤座は、脂肪に塗れたその身体を懸命に揺らしながら客席を走り抜けていく。

 その滑稽な様を嗤いながら、黒乃は赤座の背中を見送った。

 

「放っといていいのかい、くーちゃん。さっきまであいつへの殺意を抑え込んでいたじゃないか。もう存分に仕返しができるんじゃねぇの?」

「あの赤狸がいくら騒ごうと、もう結果は変わらんさ。それに黒鉄の闘いぶりを観ていたらどうでも良くなったよ。この気分をあのクソ野郎の悲鳴で台無しにしたくはない。それよりも……見たか、寧音」

「そりゃもちろん。全く……自分の生徒ながら末恐ろしい男だよ、黒坊は」

 

 好戦的な笑みを浮かべる寧音は、しかし眼下で起こった信じがたい現象に知らず知らずの内に冷や汗を浮かべている。

 いや、寧音だけではない。

 黒乃や南郷ですらも黒鉄が成し遂げた奇跡に何かを感じずにはいられないだろう。

 

不敗(さいきょう)の《雷切》を置き去りにするとか、誰が予想できるかってーの。本当に人間なのかよ、あいつ」

 

 一輝と刀華の交錯。

 刹那の交わりにおいて、一輝はさらに加速した。《雷切》の間合いに入ろうかという瞬間、その速度は寧音たちの認識できる限界を超え、まさに気が付いた時には決着がついていたのだ。

 そして勝利した一輝には、《雷切》によって刻まれたはずの刀傷がない。

 ということはである。一輝の《雷光》は刀華の《雷切》の速度を完全に上回り、その抜刀を終える前には既に刀華の身に刃を叩き込んでいたということに他ならない。

 神速の抜刀術を、一輝は文字通り真正面から打ち破ってみせたのだ。

 

「一分間で使い尽くす《一刀修羅》の力を一撃で使い尽くすなんてねぇ。随分と無茶をするもんだ」

「それだけじゃない。最後の瞬間、黒鉄が放つ魔力を感じ取ることができなくなった。恐らくはあの一瞬のみ、黒鉄は《一刀修羅》の使用中に漏れていた魔力すらも身体強化へと回したのだろう」

「実際には普通の伐刀者が魔術を使った時くらいのロスになっただけなんだろうけどねぇ。普段の漏れが大きいだけにその落差も大きい。結果的にウチらが魔力を感じられなくなったと錯覚するほどに」

 

 無駄に使っていた魔力を、余すことなく、一瞬で使い尽くす。

 言葉にすれば簡単だが、実際に目で見てみればこれほど恐ろしい魔術があるだろうか。しかもコンディションが最悪の状態でこれほどの速度と力だ。一輝の体調が万全だったならばさらに一刀は鋭くなるだろう。

 総合的な能力は間違いなく刀華が上だ。

 しかし一瞬、一刀ならばどうだ。それは眼下のリングに立つ少年が物語っている。

 

「もう修羅道がどうだとか、そんな次元の話じゃない。人間の領分を超えちまってるよ。あれはもう羅刹(オニ)の領域――」

「いいや。それは違うぞ、寧音」

 

 寧音の言葉を遮る南郷。

 彼には寧音たちとは違う、さらにその先の光景が見えていたのだ。

 

「あの小僧が羅刹じゃと? 冗談ではない。あれがそんなものであるはずがない」

 

 ――あれはどこまでも“人”だった。

 最後の瞬間まで一輝は決して生存を諦めなかった。刀華の《雷切》に恐怖し、その力の差に絶望し、それでも勝利と生存を諦めることはなかった。

 その覚悟と信念があの一瞬で彼を成長させ、その一刀を刀華へと届かせたのだ。

 己の欲に任せた剣ではない。目を見ればわかる。他者の思いを背負い、そのために全ての力を使い切ることができる剣を振るう騎士をどうして羅刹などと呼ぶことができようか。

 

「あの男め。息子も孫も詰まらぬ奴ばかり遺して逝ってしまったと思っておったが……ようやく見所のある者が出てきおったわい」

 

 正しく“人”の極地。

 個人の力の極地である修羅では到底辿り着くことができない――祝がどれだけ強かろうと手にすることができない、他者の思いを糧として己の成長を成す誇りの一刀。

 あるいは今年の七星剣武祭で、一輝は祝の最大の敵となるかもしれないと南郷は予測していた。

 あの少年が手にした誇りある剣ならば、祝の兇刃に対抗し得るかもしれないと密かな希望を抱いていた。

 

(恐らく、祝はそんなことなど思いもしておらんのじゃろうがのお)

 

 一輝の突然の成長。

 それを祝は理解することすらできていないだろう。ただ冷静に現象と戦力を記憶に蓄積するだけだ。

 全ては一輝と対峙した時、大鎌に恥じぬ闘いをするためだけに。

 無論、それも強さであることに違いはない。いや、人の温もりをものともせずに突き進む魂の在り方こそが祝の強さなのだ。故に祝にはわからない。一輝が刃に込めた思いも、それに多くの人々が込めた思いも。

 

(それではあの小僧に足元を掬われるやもしれんぞ、祝)

 

 理解しろと無理は言わない。

 しかしそういう強さも存在するのだと、それだけを南郷は伝えたかった。修羅道だけが強さではないのだと祝に教えたかった。

 だが――

 

「……祝?」

 

 赤座がいた席の隣に座っていたはずの祝。

 しかし南郷が振り返った時、既に祝は空に舞う煙のようにその姿を消していたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 世界が遠い。

 妙な言い回しだが、それが一輝の感じる全てだった。

 五感はまともに機能しておらず、もはや痛みすらも弱々しい。本来ならば激痛が走って然るべきだというのに、もはやそれを感じる力すら一輝には残されていなかった。

 気を抜けばどこからか力が抜け出てしまいそうなほど身体は疲弊しており、《陰鉄》は今にも魔力の残滓へと(ほど)けてしまいそうだ。

 

(紙一重の勝利だった……)

 

 彼方から響く喝采と歓声を耳にしながら、一輝はたった今手にした勝利を回顧する。

 何かの歯車がズレていれば、血溜まりに沈んでいたのは自分の方だった。

 その紙一重の差。それを一輝にくれたのが一輝の背中を押してくれた人々と――そして“約束”という新しい力をくれたステラだ。

 時折、スポーツ選手などが「この勝利は皆で手に入れたものだ」とコメントしている姿をテレビ番組で観ることがある。そんなものは社交辞令であり、例え本人が心からそう言っていたとしても、それは瞞しだとどこかで思っていた。

 だが、一輝はここに来てその意味を真に理解した。

 この勝利は自分一人の力では絶対に手にすることができなかった。皆の声が、一輝が全力を尽くすための意志を目覚めさせてくれた。

 

(ありがとう……心から皆にそう伝えたい……)

 

 ずっと辛いことばかりの人生だった。

 プラスよりもマイナスが遥かに上回ってばかりの人生だった。

 だが、マイナスとは即ち後退することを意味していない。

 この身に降りかかり続けてきたマイナスも、自分をここまで導いてくれた大切な過程だったのだと今ならば思える。自分を惑わしてばかりだった修羅道(ハフリ)にすら今は感謝の念しか浮かばない。

 そう思うことができるようになったのも、自分を信じてくれた皆のおかげだ。

 

(弱さを捨てるんじゃない。()()()()()だと、そう認めることが必要だったんだ)

 

 修羅道への誘いが、父から告げられた絶望が自分にとって大切なものが何なのかを教えてくれた。

 自分が何者で、己の目指す騎士道とは何なのかを見定めることができた。

 この感情を忘れずにいたい。だからその願いをこの伐刀絶技に込めようと一輝は決めた。この伐刀絶技を使う度にこの思いを再確認できるように。

 ならば与えるべき名前は――

 

「《一刀天魔》……なんてどうかな……」

 

 仏道修行者の信心を妨げ続ける天魔。

 しかしとある徳の高い僧によれば、天魔すらも強い信心の前ではさらに深い信心へ至るための契機になってしまうという。

 マイナスを否定するのではなく、そのマイナスすらも力に変える。そんな自分でありたいという願いを忘れてしまわないように、この名前をこの伐刀絶技に贈ろう。

 

「――イッキ!」

 

 自分の新たな境地に名前を贈ったその時、どこからかステラの声が聞こえた。

 その声が発せられたのが後ろからなのか、あるいは前からなのかも今の一輝にはわからない。しかし彼女の声を聞いた途端、全てを終えたことへの満足感に陰が差した。

 

 最後に……本当に最後に伝えさせてほしい。

 ステラへ感謝の言葉と、彼女に抱く愛が本物であるということを。

 

 そのために一輝は、今にも絶えそうな己の意識に踏ん張りをかける。

 そしてそれが実を結び、バランスを崩しそうになった一輝を駆け寄ってきたステラが抱き止めた。

 涙を流すステラは、不謹慎だと理解していながらも本当に美しかった。しかし見惚れている時間はない。既に一輝の限界はすぐそこまで迫っているのだから。

 その胸の内にある全ての思いを込め、一輝は口を開く。

 そしてその思いをステラに伝えると――今度こそ一輝は力を使い果たし、深い眠りの底へと沈んでいくのだった。

 




さ~て、来週のハフリさんは!

祝です。
どうでもいいことですが、原作主人公が知らない間に原作以上の超進化をしていました。これも一種の原作ブレイクなのでしょうが、全く嬉しくない私は転生者失格なのでしょうかね? どうでもいいですけど。
さて次回は、
『バレなきゃ犯罪じゃないんですよ』
『赦すと言ったな、あれは嘘だ』
『悔いを残して死ね』
の三本です。

来週もまた見てくださいねっ!
ジャン、ケン、ポン! うふふふふっ。


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話せばわかる(物理)

色々と思うところがあって書き直しを投稿です。
次話は30分後に投稿予定。(4月17日現在)


「ふざけるなッ……ふざけるなァ……!」

 

 慣れない訓練場を走りながら、赤座は必死にリングを目指している。その途中で愛用している帽子を落としてしまったが、それに気付く余裕すら今の赤座にはなかった。

 先程から一輝を讃える歓声と喝采が鳴り止まない。もう《雷切》に勝利したという事実はどうやっても揉み消すことはできないだろう。

 しかも今日は裏から手を回し、学園外の報道関係者もこの試合に引き込んでしまっている。噂の黒鉄一輝の命運が決まる、という文句であの試合はテレビ中継されてしまっているのだ。

 

「クソッ、チクショウ!」

 

 今頃、厳はこの中継を観て失望の溜息をついているはずだ。

 いつ携帯電話が鳴り響き、自分の失脚を宣告してくるかわからない。

 ならばその前に何としてでも手を打つ。破れかぶれでも一向に構わない。屁理屈を吐いてでも一輝を追撃する必要がある。

 

「ひ、ひひっ……そうだ。本当の決闘の相手は私だったんだ……!」

 

 どう考えても理屈が通らないその理論。

 しかし崖っぷちに追い込まれた赤座にはそれが天才的な発想に思えていた。

 この条件と虫の息の一輝が相手であれば、間違いなくここから逆転することができると確信していた。

 唯一見出すことができた希望。それを掴み取るため、リングへと続くゲートに到着した赤座は霊装の手斧を顕現させて走り出す。

 

「そうだ! 《雷切》に勝ったことなど関係ないッ、私との闘いが本当の決闘だ! このままあいつをグチャグチャにしげぇッッ――!?」

 

 その瞬間、赤座は何が起こったのか全くわからなかった。

 まず声が封じられた。脂肪で丸々と太った首が万力で締め付けられ、息が声帯を震わせることを許さない。

 続いて手足をどこからか掴まれたように感じたかと思うと、走った勢いによって地面に引き倒される。

 息ができない。手足も動かせない。

 赤座は必死に周囲を見回し下手人を見つけ出そうとするも、しかし薄暗い通路には自分以外の誰もいなかった。当然だろう、何せ今は試合が終わったばかり。そんなタイミングで入場口(ゲート)に人がいるはずもない。

 

(な、何が……ッ!?)

 

 赤座がようやくそう思ったのと、その身体がどこかへと猛烈な速度で引き摺られ始めたのは同時だった。

 ゲートが遠ざかっていく。その光を必死に目で追いかける赤座だったが、最初の角を勢いよく曲がった瞬間に視界に火花が散った。壁に後頭部から叩き付けられたのだ。

 しかし悶絶すらも封じられた赤座は、そのまま高級スーツが埃塗れになるまで音もなく引き摺られ続ける。

 そして何度壁に叩き付けられただろうか。

 凄まじい速度で二、三秒ほど廊下を引き回された赤座は、訓練場内のとある小部屋――恐らくは選手控室に引き摺り込まれ、その勢いのままに入口の正面にある壁へと激突した。そして赤座が通過した入口は独りでに閉まり、外から響く歓声が小さくなる。

 

「げはァ!? ぐぇへぇ……!」

 

 ここに来てようやく身体を解放された赤座は、失った酸素を取り戻そうと必死に息を吸い込んだ。

 しかし息が整う前に、赤座は意外な人物を目にすることとなる。

 

「ハァ、ハァ……疼木、さん……? 貴女がどうして……?」

「…………」

 

 そこにいたのは、先程まで自分と談笑していたはずの祝だった。

 彼女は部屋の中に設置されたベンチにちょこんと腰かけ、感情の読めない瞳でこちらを見下ろしている。

 

「ま、まさか、貴女が私をここに連れ込んで……」

「そうですよ」

 

 祝が指をクイッと引くと、赤座の右腕を引く感触が伝わる。

 糸だ。彼女は魔力の糸で赤座を縛り、ここまで引っ張ってきたに違いない。恐らくは先程の観戦中にコッソリと巻き付けていたのだろう。

 それを理解した赤座は、困惑から徐々に怒りへとその表情を変貌させていく。

 

「な、何の真似ですかこれはァ! おおお、お前に付き合っている暇なんてないんだッ! 早くしないとあのガキがッ……ええい、クソがァ!」

 

 怒声を張り上げながら立ち上がった赤座だが、祝は表情をピクリとも動かさずその様子を見つめている。

 普段の赤座ならばこれに不気味さの一つも感じるのだろうが、この時の赤座は非常に焦燥に駆られていた。故に祝へと唾を飛ばしながら悪態をつき、感情のままに「よくも邪魔を」と呪詛を吐く。

 

 

「うるさいなぁ」

 

 

 それは何の前触れもなかった。

 事実、赤座には祝の右肩から先が消え去ったようにしか見えなかった。

 何が起こったのか。その疑問に眉根を寄せ、そして足元から昇ってくる激痛に表情筋の全てが引き攣った。

 

「うッ、ギィやァァァアアアアアアッッ!?」

 

 赤座の左足の甲に鈍色の曲刃が突き立っていた。

 刃渡りの半分まで深々と突き刺さったその刃は、間違いなく赤座の足を貫通して床へと届いている。

 幸いにも《幻想形態》であったが故に刃が赤座の肉を抉るには至っていないが、与えられる痛みは《実像形態》のそれに遜色ない。

 事実、思わず尻餅をついた赤座は、その動きが足をより抉ることとなってしまいさらなる悲鳴をあげることとなった。

 当然ながら耳を劈くそれを祝が許すはずもなく……

 

「……だから」

 

 祝の右手に力が籠る。

 そして彼女は躊躇なく刃を引き……

 

「私は、うるさいって、言っているんですけど」

「――あっ、あああああああああああああああああああッ!?」

 

 赤座の足から赤い《血光》――《幻想形態》を食らった肉体から噴き出す魔力光が宙に散る。

 今、赤座は足が縦に裂けたのと同等の痛みに悶えているのだ。いかに《幻想形態》が齎した偽りの傷だとわかってはいても、左足を反射的に手で押さえ、喉が枯れるほど絶叫して蹲った赤座の行動は自然なものといえる。

 しかし祝はそのようなことを考慮する殊勝な人格など持ち合わせていなかった。

 鳴り止まぬ赤座の声に辟易したのか、祝は空いた左手を軽く引く。それだけで再び赤座の首が締まり、「ふげぇ」という声を最後に悲鳴は肺の奥へと収められた。

 

「こうやって首を絞めたらお話ができなくなるじゃないですか。だから悲鳴はやめましょう?」

「ッ! ッッ!」

 

 祝の言葉に必死に赤座は頷いた。彼女が本気だということを今更になって悟ったのだ。

 このままここで祝と対面していれば、自分は彼女の気分一つで再び痛めつけられることになる。そう判断した赤座は、左足を襲う激痛に懸命に耐えた。

 だが、赤座もこのまま黙っているつもりはない。

 

「そうですか。理解が早くて助かります」

(――かかったな馬鹿め!)

 

 赤座の首肯を見て、祝は首の糸を緩めた。

 しかしそれこそが赤座の狙い。首が解放されるなり、彼は霊装の手斧を再び手元に顕現。痛みのない右足を踏み出し、その手斧を渾身の力で振り上げた。

 赤座とて伐刀者の端くれ。こうして反撃することももちろんできる。

 しかし祝は無防備にも赤座を糸から解放した。既に手傷を負わせたからと油断したのだ。

 それが彼女の命取りとなる。

 

(このまま頭を割ってあげましょう! 《幻想形態》ではないので死ぬことになるでしょうが、これは正当防衛だ!)

 

 脳内で理論武装を組み上げる。

 そしてこの憎らしい女が死の間際でどのような表情を浮かべるのか、それを見ながら殺してやろうと赤座は喜悦に表情を歪ませた。

 しかし、忘れていたのは赤座の方だった。

 目の前の少女が何者であり、そもそも赤座の反撃が完璧だったとしても前提として“奇襲が通用しない伐刀者”であるということを。

 

「死ねぇ!」

 

 赤座が殺意の一撃を振り上げたその時には、既に祝の右腕は動いていた。

 頭上へと真っ直ぐに伸びる赤座の腕。その腕に伸びる黒い一閃。

 しかし赤座自身はそれに気付くこともなく狂喜と共に右腕を振り下ろし――

 

「……はれ?」

 

 いつまで経っても手斧が降りてこない。

 自分は確かに腕を振り下ろしたというのに、その手に握られているはずの武器が祝の頭に届いていないのだ。

 

(えっ? えっ? なんで……?)

 

 わけがわからない。

 一体何が起こっている。

 首を傾げる赤座。しかしその解答は、血の雫と共にべしゃりと地面から響く音によって齎された。

 本能的な恐怖によって恐る恐るそちらへと視線を向ければ――そこに転がっていたのは、霊装を握り締めたまま赤く染まる自分の右腕で……

 

「……ッ」

「喧しいですよ」

 

 三度赤座の首が締まる。

 今度は喉が引き攣った瞬間に糸が張力を取り戻していた。故に室内に悲鳴はなく、聞こえるのは未だに続く歓声と赤座の小さな唸り声だけだ。

 淡々と赤座の口を封じる祝は、彼の腕が夥しい量の赤い水を滴らせようと表情一つ動かさない。しかしまだ彼を殺す気はないのか、気怠そうに立ち上がると赤座の腕に糸を強く巻き付けて無理やり止血する。

 

「話が進まないので大人しくしてください。殺しますよ」

 

 仏の顔も三度まで。

 余りの痛みに意識を半分ほど遠退かせながら、なぜか赤座はその言葉を思い出していた。既に自分があげる悲鳴で彼女を苛立たせること三回。そして彼女が今言い放ったことは間違いなく本心で……即ち、次はない。

 そのことに恐怖し、赤座は歯を食い縛って意識を繋ぎ止める。

 痛みよりも恐怖が上回るなど、今までの人生で体験したことすらない事態だった。

 しかしこれが現実だ。次に悲鳴をあげた時、自分は死ぬ。それを本能で理解し、赤座は必死に口を噤んだ。

 そして喉元を解放されて最初に行ったのは、謝罪と命乞いである。

 

「も、もう赦してください……二度と一輝クンには近づきません……! 二度と貶めようともしませんッ……だがらどうが……こ、ここ、殺ざないでぇ……」

 

 祝が自分をここまで痛めつける理由。

 それは自分が卑劣な手段を用いて一輝を追い込んだからに違いない。黒乃たちが自分に敵意を向けてきたように、彼女も自分に対して怒りを抱いているのだ。

 彼女は力ばかりが際立つが、その本質は普通の女の子。であるならば正義の心に駆られ、同じ学校の仲間のために怒ることがあってもおかしくはない。

 そう判断した赤座は、溢れる涙と激痛を無視してその場に蹲った。いや、これは土下座だ。頭を地面に擦り付け、一心に祝へと謝罪している。

 

「……はい?」

 

 そんな赤座を見下ろしながら、祝はコテンと可愛らしく首を傾げた。

 返り血に制服と顔の半分を真っ赤に染めながら、しかしその動作はもはや赤座が不気味さしか感じないほどに自然体だ。

 もはや一抹すらも余裕が残されていない赤座は、その芳しくない祝の反応に全身の筋肉を縮込ませた。

 

「も、もちろん一輝クンにも謝ります! ステラ殿下にも謝りに行きます! なっ、何なら黒鉄家の陰謀だったことをマスコミに暴露しても……!」

「…………?」

 

 赤座が口を開けば開くほど祝の眉は顰められていくばかり。

 それに焦った赤座がさらに命乞いを続け、そして祝の機嫌が急降下していくという完全な悪循環。

 そして遂に、祝の深い溜息によって赤座の口は無理やり閉じさせられた。

 

「……はぁ。薄々気付いてはいましたが、やっぱりそうですか」

「ッ!? す、すみません赦してください! 何でもしますから命だけは……!」

「赤座さんは私が黒鉄の件について怒っていると、そう思っていたんですね」

 

 呆れたように赤座を見下ろした祝は、蹲る赤座の耳元へと顔を寄せて優しく囁いた。

 

「私はね、赤座さん。別に黒鉄のことなんてどうでもいいんです。私が怒っているのは全く違うことについてなんですよ」

「ち、違う……?」

 

 では何だというのだ。

 赤座には祝を害した記憶などない。何せ数週間前に会ったばかりの関係だ。だというのに、自分が一体何について怒りを向けられなければならないというのだ。

 

「赤座さんが先程仰った“大鎌が足枷”という旨の言葉……あれを撤回してください」

「………………は?」

 

 理解できない言葉に赤座の思考が停止する。

 祝の要求はあまりに予想外に過ぎた。故に赤座はその意味を咀嚼するのに時間を要し、思わず“失言”を漏らしてしまう。

 

 

「そ、()()()()()()()()……?」

 

 

 次の瞬間、祝の左手に掴まれ、赤座の頭蓋は地面を陥没させていた。

 あまりの速度に胴が置いてけぼりを食らい、首の肉が伸び上がってしまったほどだ。魔力防御がなければ確実に頭の方が窪んでいただろう。

 だが祝は行動をそれだけで収めることはせず、俯せで苦悶する赤座の背中に《三日月》の刃を突き立てた。

 

「ひぐッ!?」

 

 《幻想形態》の刃が骨と肉ごと貫いた奥にあったのは、血流を作り出す重要内臓器官――即ち心臓。

 生きたまま心臓を刺し貫かれる。その苦痛と恐怖は想像を絶する。祝が糸で喉を絞めていなければ確実に喚き散らしていただろう。

 しかもあろうことか、祝は前後に鎌を押し引きすることで傷を抉り続けている。

 

「そんなこと? それ以上に重要なことが貴方の人生に存在すると思っているんですか? 撤回してください今すぐに。大鎌(この子)に、誠意を込めて、心から謝罪してください」

 

 刃は心臓をなぞり、残る左腕へと肩を伝って上っていく。

 その激痛に白目を剥きながら、赤座は痛みへと条件反射したかのように何度も頷いていた。しかしあまりの苦痛に意識は断たれ、口元からは唾液と泡が垂れている。

 だが、その程度で祝が手を緩めることはない。

 

「何を寝ているんですか」

 

 左の人差し指が石突によって叩き潰された。

 その痛みで赤座が跳ね起き、そして「うーうー」と声にならない叫び声。未だに首は緩められていない。

 しかし求められていることは理解しているのか、赤座は涙を流しながら必死に割れた額を地面に擦り付ける。それによって糸が僅かに緩められ、赤座はようやく血の臭いに塗れた空気を存分に吸い込むことを許された。

 

「私はね、赤座さん……大鎌が大大大大大ッ大ッ大ッ大ッ大好きなんです。ちょっと自分でも病気なんじゃないかな、と思うくらい愛しているんです。大鎌を使って闘ったり修行しているだけで幸せですし、それだけが今の人生に彩りを与えてくれている。大鎌で闘えない世界なんてもう耐えられないくらいなんです。もはやそれは地獄でしかない」

 

 まるで舞台上の俳優のように、祝は両手を広げて謳い上げる。

 その瞳は明らかに狂気を帯びており、言葉の端々から空気へと伝染する喜悦が赤座を竦ませる。

 

「大鎌使いとして研鑽することに命を使い果たすのが私の夢なんです。この子の使い手として楽しく闘い続けたいんです。それにね、私の大好きな大鎌は他の武器にだって全然劣らないんだぞって知ってもらいたくもあります。そうすればもっと大鎌使いの伐刀者が増えるでしょう? きっとフィクションにもノンフィクションにも大鎌が溢れる素晴らしい世界になる。そんな世界になれば私は嬉しい。死ぬほど嬉しい」

 

 まるで子供の用に無邪気に笑い狂う祝。しかしその姿はもはや赤座の目にはこの世の者とは思えなかった。

 あれは間違いなく魔物の類だ。人の形をしているだけで人間ではない。自分は今、恐ろしい怪物の前にいるのだ。

 

「……ですからね、赤座さん」

 

 芝居がかった演説が終わり、祝は微笑みながら再び椅子に腰かけた。

 しかし赤座にとってその笑顔は、もう心胆を冷やす以外の役割を持たぬ恐怖の面貌(かお)でしかない。

 

「そんな大鎌大好き人間な私からすると、先程の赤座さんの言葉は看過できることではないんです。もっと言うのなら、去年の日本支部が行った情報操作は赦されざることです。死刑確定です」

 

 今度こそ赤座の顔から血の気が引いた。

 歯がガチガチとぶつかり、これまでとは比べ物にならない恐怖が全身を震わせる。

 赤座は確信した。これは復讐であり報復なのだ。

 このまま祝と同じ空間にいれば、その実行役であった自分はただ殺されるのよりも恐ろしい目に遭わされる。何かはわからない。しかし本能が全力で警鐘を鳴らしている。

 もう駄目だ。お終いだ。

 もはや悲鳴を出すことすら出来ない。恐怖に喉は引き攣り、滂沱の涙が双眸から溢れ出る。

 

 なぜだ。自分はどこで間違えた。本当ならば輝かしい未来が自分を待っていたはずだというのに。どうしてこんなことに。自分の何が悪かったというのだ。

 

 嗚咽を漏らし、赤座は泣いた。

 絶望によって精神を追い詰められ、頭に浮かぶのは後悔と未練ばかり。

 大の大人が情けない――そう言い放つことができるのならば、それは目の前の少女の恐ろしさを知らぬというだけのこと。もはや生き残る術も可能性もない今、赤座にできるのはこうして子供のように泣くことだけだった。

 

 

 だが、そんな赤座に最後の可能性(チャンス)が齎される。

 

 

「しかし、私も鬼ではありません」

 

 涙に濡れた赤座が顔を上げると、そこには先程と一変して天使のように慈愛に満ち溢れた微笑を見せる祝がいた。

 優しい声音だ。

 聞くだけで心が安らぎ、その柔らかさはまるで遠き過去に聞いた母の子守歌のよう。

 

「赤座さんは何も知らなかったんですよね? 上から命じられた仕事をただ果たしただけ。そうですよね?」

 

 その言葉に赤座は最後の希望を見た。

 悪魔の狂気から天使の慈愛へと笑みの性質を変じさせた祝に、赤座は生きる希望がまだ残されていたのだということを知った。

 そうだ、その通りだ。全ての元凶は破軍学園の前理事長であり、その取引の相手も日本支部の上層部だ。自分はそこから言われた通りに仕事をしただけなのだ。

 自分に非はない。

 そもそも自分は祝がこれほど大鎌へ愛を向けているなど知らなかったのだから。

 

「でも、赤座さんが私の大鎌を愚弄する世論を作り出した人の一人であることに違いはありません。それをタダで赦しては私の大鎌愛が廃ります。ですから……ね?」

 

 這い蹲る赤座の目と鼻の先に《三日月》の曲刃が突き立てられる。

 その大鎌は全身から凍てつくほどの冷気を放っていた。

 いや、違う。これは瘴気だ。恐らくこの冷たさは、《三日月》の放つ瘴気と死の気配を死と隣り合う自分の本能が感じ取っているのだろう。

 

「わ、私にどうしろと……」

「謝ってください。大鎌(この子)に、心から、誠意を込めて、『大鎌の地位を貶めて申し訳ありませんでした』と謝ってください。そうすれば私は貴方を赦します」

 

 祝が真剣そのものだということは眼前の大鎌の瘴気が証明している。

 彼女は本気だ。

 本気でこの霊装に赦しを請えと言っているのだ。もしも欠片でも赤座の言葉に邪念を感じ取ったのならば、祝はその刹那の後に赤座を惨殺するに違いない。

 もはや赤座に躊躇はなかった。

 

「も……申し訳ありませんでしたァ……!」

 

 人生で最も深く頭を下げた。

 心の底から目の前の無機物へと謝罪した。

 何なら屈服の証に、その使い手である祝の靴を嘗めたって良かった。

 もう赤座の心は完全に折られていた。与えられた苦痛、祝の計り知れぬ狂気、そして齎された最後の希望によって。

 希望がなければ赤座は全てを諦めて死の覚悟をすることができたかもしれない。しかし最後の最後に見せられた『生き残れるかもしれない』という希望は、赤座に未来への願望と未練を思い出させるのに充分な光となっていたのだ。

 

「……見事な土下座です。どうやら赤座さんは心から大鎌に謝罪してくれたみたいですね」

「はっ、はい! 反省しています!」

「宜しいっ。ならばこれで赤座さんの罪は赦されました。もう安心してください」

 

 眼前に突き立てられた《三日月》が空気に溶けて消える。

 それによって本当に命が助かったのだということを、赤座は心から実感した。

 助かった――その事実に赤座は歓喜の涙を流し、“生きている”ということがどれほど尊いのかを思い知らされた。限りなく死に瀕したことで、赤座は生命の歓びを教えられたのだ。

 

「あぁ……あぁ……ありがとう……!」

 

 口から出るのは感謝の言葉ばかり。

 それが誰に向けられたものなのかは赤座にもわからない。しかしただ、今は誰かに感謝を捧げたい気分だった。

 

 

 

 

「――まぁ、嘘なんですけどね」

 

 

 

 

 その感謝は十秒と待たず霧散する。

 消えたはずの鈍色の刃が、赤座に残されたもう一本の腕を斬り落としていた。

 

「……へ?」

 

 理解が追い付かない。何が起こったのか、赤座には何もわからない。

 目を丸くする赤座の首が魔力の糸によって締め上げられ、気道と声帯を完全に抑え込まれる。

 それでも赤座にはわけがわからないままだった。いや、正確にはわかりたくなかった。自分は希望を見つけ、それを掴むことに成功したという理想に縋りたかった。

 しかし現実はすぐにその理想を追い抜き、苦痛と死の恐怖を纏って赤座の命を握り込む。

 

「……ぁ……ぁ……ぁ……」

「私が貴方を赦すと、一瞬でも本気で信じていたんですか? 笑えない冗談です」

 

 首の糸を外そうともがく赤座を余所に、今度は右足を縦に(・・)引き裂く。あくまで淡々と、坦々と。

 赤座の身体が痛みに痙攣する。

 しかし祝は手を止めない。今度は左足だ。肉の内に通る骨を、《実像形態》の石突で丁寧に叩き潰していく。肉が裂けて血が飛び散ろうと決して手を止めない。

 

「死を以って償ってください。苦しんで、もがいて、絶望して――その中で大鎌に詫びてください」

 

 赤座は完全に理解した。

 晒された暴虐も、最後に見出したと思った希望も、全てはこの瞬間のための餌だったのだ。絶望の淵から希望の糸を垂らし、それに縋って安堵したところを再び絶望に突き落とすための罠だったのだ。

 現に、ほら……自分はこんなにも恐怖し、苦しみ、絶望しているのだから。

 

(い……いやだ……!)

 

 本当に、自分はどこで間違えたのだろう。

 いや、最初からだ。厳がずっと示唆していたように、最初から自分はこの悪魔と関わるべきではなかったのだ。

 この悪魔と出会ってさえいなければ、少なくとも自分は死ぬことはなかったはずなのだから。この悪魔に遭遇してしまったせいで、自分はここで肉片と骨片になって死ぬのだ。

 

(……いたい……くるしい……しにたくない……!)

 

 恐怖と苦痛で心が壊れていく。

 希望が絶望に塗り替えられ、抱いていたはずの未来への願いが崩れていく。

 自分の肉体と精神が端から破壊されていく感覚。五感が意味を失い、肉体が死体へと変じていく感覚。魂が身体から引き剥がされ、まるで地の底へと吸い込まれていくような感覚。

 その全てが未知の感覚で、言い様のないその感触が堪らなく気持ち悪かった。

 

(だれか……た、すけ…………て………………)

 

 深い絶望と恐怖。

 そして苦痛を余すことなく感じながら、赤座守は絶命した。

 だが、それは赤座にとって苦しみからの解放でもあった。命という代償を支払い、彼は祝の責め苦から脱出したと考えることもできるだろう。

 そういう意味では、赤座はようやく死ぬことができて幸せだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伐刀絶技《既死回生(カルぺ・ディエム)》――発動。

 

 

「――でも私、思ったんです。それだけじゃ駄目だって」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう、絶命した……はずだった。

 

「…………え?」

 

 呆けた表情で、赤座が(・・・)間の抜けた声を漏らす。

 気が付けば赤座は控室に佇んでいた。

 目の前では祝が微笑んでおり、その手には大鎌が携えられている。血溜まりは綺麗になくなっており、噎せ返るほどの血の臭いもない。

 たった今まで襲っていた痛みや苦しみは既になく、体調は至って良好。思わず視線を落とせば、見るに堪えない責め苦を受けたはずの四肢は全く異常のない状態で赤座の胴に繋がっているではないか。

 

「……は? ……え? どうしてっ!?」

「このまま貴方を殺すだけでは、大鎌を愛する者として失格です。逆にどうしたら赤座さんに心から大鎌の素晴らしさを知ってもらえるのかを考えなければいけない。さっき赤座さんに大鎌を馬鹿にされてから、ずっとずっとその方法を考えていたんです」

 

 天井の照明を反射し、《三日月》の刃がギラリと光る。

 大鎌を大きく振りかぶった祝は、混乱の極地にあった赤座に“死神”の二文字を想起させた。

 そして祝が《三日月》を一閃。

 腹部に凄まじい熱。

 それを意識した瞬間に昇ってくる激痛。

 そして締め上げられる首。

 夥しい量の出血。

 溢れ出る内臓。

 遠退く意識。

 死。

 

「…………ッ!?」

 

 そして気が付けば赤座は控室で佇んでいた。

 慌てて自分の身体を(まさぐ)れば、裂かれたはずの腹には傷一つない。

 確かに血が流れ、内臓が腹部から零れ落ちる感覚を味わったというのに、今では痛みなどどこにもない。

 では、先程の体験は夢だったのだろうか。質の悪い白昼夢だったとでもいうのか。

 

「な、なんで――」

「そして思い至ったんです。――きっと赤座さんは大鎌のことを勘違いしているんですよね。農具としての大鎌しか知らないから、大鎌の素晴らしさを知る機会に恵まれなかったからあんなことを言ったに違いありません」

 

 頭の頂点に凄まじい衝撃。

 脳天から首を貫き、内臓までを貫く鈍色の刃。

 視界が真っ暗になる瞬間、赤座は「ふんぐっ!?」という鼻から抜けたような声を漏らして死亡した。

 

「なッ、何なんだこれはァ!?」

 

 そして気が付けば赤座は控室で佇んでいた。

 本当に()()()()()()()かのように。

 流石にこれはおかしい。どう考えても異常だ。しかし何が起こっているのか、赤座には全く意味がわからない。

 

「お、お前の仕業か!? 何の魔術だッ、私に何をしたんだぁ!?」

 

 赤座の必死の叫びに、しかし祝は答えない。

 まず、両の膝を一斬にて切断した。

 そのまま冷静に赤座の首を糸で絞めて悲鳴を封じると、倒れ伏す赤座にマウントを取り、祝は石突を顔面に叩き込み続ける。

 

「だったら私が教えてあげればいいんです。大鎌がどれだけ優れていて、他の武器に劣らぬ素晴らしい可能性を秘めているのかを()()()()()()()()()()()

 

 歯が折れ、鼻が潰れ、顔面の骨が残らず破片になるまで止むことなく打擲される。眼球が潰れ、舌が潰れ、唇が千切れようと止まることはない。

 そして度重なる痛みによって意識の消失と覚醒を繰り返した赤座は、四十八回目の衝撃を迎える前に失血で息絶えた。

 

「ぅッ、ぎゃぁぁぁぁああああああああッッ!?」

 

 そして気が付けば赤座は控室で佇んでいた。

 盛大に尻餅をつき、そのまま部屋の隅まで転がるように逃げ惑う。

 しかしそこに逃げ場などあるはずもなく、赤座は自ら雪隠詰めの状況を招くこととなった。

 

「や、やめ……助け……!」

「だから私はこれから、時間が許す限り、持てる全ての技を以って貴方を殺し続けます。きっと辛く苦しい試練となるでしょうが……それを乗り越えた時、貴方の中に大鎌を愛する心が生まれると私は信じています」

 

 赤座の言葉など聞こえていないとばかりに、祝は赤座の首元へと閃光を走らせた。

 そして気が付けば赤座は控室で佇んでいた。

 意識が戻った瞬間に舌を噛み切って自殺を図る。

 

「…………どうして……どうして()()()()んだァッ!?」

 

 そして気が付けば赤座は控室で佇んでいた。

 汗、鼻水、唾液――あらゆる液体を顔から流しながら、赤座は必死に叫ぶ。

 全く噛み合わないこの会話が無意味だとしても、それでも赤座は叫び続けた。

 

「どういうことだッ、お前の能力は予知能力じゃないのかぁ!?」

 

 しかしもう祝は答えない。全ての結論を自分一人で完結させてしまった彼女にとって、もはや赤座の意見などどうでも良かったのだ。だから自身の納得と満足のため、祝は再び赤座を大鎌で屠る。

 そして気が付けば赤座は控室で佇んでいた。

 彼の意識が戻った瞬間、その刃を見せつけるように祝が大きく《三日月》を振り翳す。

 心を込めて、丹念に、丁寧に命を奪う。そこに込められた思いは偏に大鎌への尊敬と感謝だった。

 その感情を、刃を通して赤座の魂へと刻み込むかのように祝は赤座の命を刈り取った。

 そして気が付けば赤座は控室で佇んでいた。

 その瞳に浮かぶのは隠し切れない恐怖。

 それは祝が赤座に求める感情ではない。

 だから祝は赤座を再び殺した。

 

 そして次も、その次も赤座を殺し続け――何度死んでも終わらないその現実に、赤座はようやく何もかもを諦めることができたのだった。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

「……先生たち、遅いなぁ」

 

 現在、私は訓練場の出入り口で南郷先生たちを待っていた。

 本当は用事の後で席まで戻ろうと思っていたのだが、訓練場を出ようとする生徒たちの波に押しやられてしまったのだ。

 前世の通勤ラッシュを彷彿とさせるその人混みに私は即行で抵抗を諦め、こうして御三方を待てる場所に移動した次第である。

 一応、新宮寺先生にメールはしてあるから、気付いていれば私を探してくれるか連絡を入れてくれるだろう。

 

 そう考えて私はボケっと突っ立っているわけなのだが……道行く生徒たちは先程の黒鉄の試合について、やれ新技だ、やれ一撃必殺だと燥いでいた。

 まぁ、確かにショッキングな試合ではあったからね。興奮が冷めないのも無理はないだろう。

 私としても、確かにさっきの黒鉄の試合はヤバかったと言わざるを得ない。――もちろん原作崩壊的な意味で。

 

 もうね、見るからにさっきのって《一刀羅刹》じゃないんだもの。《雷切》を速度で完全に凌駕するとか、普通に原作の展開を超えているよ。あんなのどうやって対処すればいいんだよ。というか避けたり防いだりって本当にできんの?

 「速さが足りないッ」をガチで克服したらとんだ化け物が生まれてしまったよ兄貴。

 

 ……もしかしてこれって私のせい?

 原作崩壊の原因は、基本的に“余分な要素”が原作に関わったためだと考えられる。そして原作にない存在といえば私しかいないわけで。

 知らない間に何かしていたのかなぁ、私。黒鉄とは喋ったことすら殆どないのにね。

 謎だわ。

 因果干渉系能力を持っていても、世界の流れは本当に摩訶不思議である。これが所謂バタフライ効果というものなのかもしれない。

 

 ……いや、あるいはあれが“主人公補正”というものだったのではッ!?

 

 勝てるはずのない敵になぜか勝てる。敵の予想を超えた成長で新たな力に覚醒する。――これ、マンガとかアニメで習ったヤツだ!

 何ということだ。あれが伝説の主人公補正だったのか。

 もちろんその陰には黒鉄の弛まぬ努力があったのだということはわかっているのだが、それを土壇場で実らせてしまうのが主人公補正。というか戦闘中に明らかに強くなる展開など現実で起こることは……ないとは言わない。『あり得ないことはあり得ない』って某強欲が言っていたように。でも私の経験上は殆どない。

 闘いとは、基本的にヨーイドンしたところの強さと時々の運で勝敗が決まる。だから闘いの中で成長する、というのが特別に語られるのだ。

 

 

 ――とか楽しく考察してみたが……まぁ、馬鹿らしいよね。

 

 

 主人公補正とか、マンガじゃあるまいし。

 前世の記憶持ちとはいえ、私はこの世界で生まれ育った住人。本気でこの世界が夢幻(ゆめまぼろし)だとは思っていない。

 ここは前世とは違った法則で成り立つ異世界であり、自分はそこの知識で少し未来をカンニングしているだけなのだ。

 だから主人公補正とかお約束とかの言葉で黒鉄の成長を否定してしまうのは、個人的には“逃げ”だと思っている。

 得てして、そういう逃げの思考は心の隙を生む。

 仮に原作キャラと闘って敗けそうになった時、そういうことを考える奴に限って「原作キャラ相手だから仕方ないよな」とか「主人公を相手に自分は頑張ったよな」なんて言い出すのだ。そんな便所のネズミの糞にも匹敵する、くだらないものの考え方こそが命取りになるとも知らずに。

 

 普通に黒鉄は強かった。だから東堂さんに勝った。以上、終わり。

 

 それ以上の感情はさっきの試合には必要ない。

 実際、それ以外に思ったこともないしね。強化版《一刀羅刹》の絡繰りも原理は単純だったし、あれも黒鉄が持つ可能性の一つだったということだろう。

 あえて感想を言うのなら、私の知る原作知識も完全に信用できるものではないんだな、くらいか。七星剣武祭では真面目に警戒する必要があるだろう。

 

「お~い、祝~」

 

 するとどこからか私を呼ぶ声がする。

 辺りを見回せば、学生たちに混じって明らかに禿げて老け老けなお爺様が。流石は南郷先生、探しやすい。

 一緒にいる西京先生にも見習ってほしいものだね。この人、天狗下駄とか履いているにも関わらずチビすぎて見失うくらいだし。

 

「……クソガキ。なに人にガンつけてんだ、あぁ?」

「チンピラですか貴女は。ただ、西京先生は身長が低くて不便そうだなぁと思っていただけです。別に睨んでなんかいません」

「喧嘩売ってんだろテメェ!?」

「いちいち騒ぎを起こさなければ気が済まないのか、お前たちは。……というか疼木、急にどこへ行っていた?」

「すみません、試合が終わってすぐにお手洗いへ。グズグズしていると人でいっぱいになってしまいますから」

 

 実際、今頃は訓練場のトイレは女子の行列ができているだろう。

 この身体で最も苦痛に感じることの一つが、トイレの行列が長いということだ。当然ながら女性の方が男性よりも用を足すのに時間がかかるため、必然的に列ができやすくなってしまう。

 この不便さだけは本当に辛い。

 もしもTS転生とかに憧れている男性がいるのなら、その地獄を覚悟しておくといいだろう。マジで待っている途中で手が震えるから。

 

「南郷先生はもうお帰りに?」

「いや、最後に刀華の顔を見て帰ろうと思っておる。しばらくは目を覚まさんじゃろうが、言伝くらいは置いていくとするわい」

「そうですか。では、私はこのまま修行に行くので失礼させて戴きます」

「うむ。……あー、そういえばお主に聞きたいことがあるんじゃが」

「はい?」

 

 立ち去ろうとする私を、南郷先生は何とも言えなさそうな表情で呟いた。

 何か言いにくいことでも切り出そうとしているのだろうか。

 

「何でしょう?」

「…………お主は……」

「はい」

 

 ……どうしちゃったの。

 南郷先生がこんなに言い淀むのは本当に珍しいな。

 もしかして私の制服にタグが付いたままだったりするのだろうか。あるいはスカートが捲れあがっていたり!? ……良かった、後ろ手に確認したけど大丈夫そうだ。

 じゃあ何なのだろうか。

 

「……いや、何でもないわい。お主はそのまま進めばいい。お主の道に口出しする資格など、既に魅せられてしまったワシにはないのじゃからな」

「……?」

「こっちの話じゃ。それでは祝、達者でな」

 

 シワシワの手で私の頭を撫でると、先生は西京先生を連れて去っていった。このまま師弟揃って、東堂さんの見舞いに行くのだろう。

 それを見送った私と新宮寺先生は、そのまま流れで解散する空気が生まれたのだが……しかし先生は何かを思い出したように私を引き留めた。

 

「そういえば疼木。お前、あの赤狸の奴を見なかったか? 客席を飛び出して行ってから姿が見えんのだが」

「――さぁ? お帰りになられたのでは? あんな人、もうどうでもいいですけど」

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 選抜戦の最終日。

 その日の夕方、第一訓練場を見回っていた警備員によって赤座守は発見された。

 選手控室の隅で膝を抱えて丸まっていた彼は、虚空を見上げて呆けるばかりで全く会話をすることができなくなっていたという。しかし精神状態に反して()()()()()()()()()()()。室内には争った形跡もなく、訓練場内でもその手の痕跡は発見されなかった。

 明らかに尋常ではないその様子に赤座は救急車で病院に搬送されることとなったが、しかし医師は「どこにも悪い場所はない」と首を傾げていたという。

 精神科医は、強いショックによって精神に異常を来してしまったのではないか、と判断を下した。

 

 しかし原因がわからない。

 

 というのも、赤座が正常だったと確認される時間帯から彼が発見されるまでの間、訓練場に設置されていた監視カメラは()()()()()()によって機能を停止していたためだ。

 よって赤座が客席を立ったその後、何が起こったのかは誰にもわからない。試合直後の出来事であったためか、目撃者もいない。

 その後、気が狂った――そう判断せざるを得ないほど意思疎通ができなくなってしまった赤座は、家族の申請によって連盟を退職。

 それからは相変わらず考えることを忘れてしまったかのように実家の部屋の隅で穏やかに過ごしている。

 だが、彼はある意味で幸福と言えるだろう。

 

 “考える”という人間が手にしてしまった業を失ったことで、その身を襲った恐怖と苦痛を二度と思い出すことはないのだから。

 

 



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第一章、完ッ!!

これにて(本当に)第一章こと《選抜戦編》は終了です。
次回から《前夜祭編》に入ります。
投稿は朝にでも。


 黒鉄が東堂さんを斃してから()()()が経った。

 その間に黒鉄を巡る騒動は大方の決着がついたと言えるだろう。

 

 査問会で宣言してしまった通り、黒鉄が決闘を制したことで今回のゴタゴタは完全に不問。日本支部はこの件について一切の言及を取り下げることを約束した。

 ステラさんの父君であるヴァーミリオン国王も事態の推移を知るなり、この件の収束に納得を見せた。ただし黒鉄とステラさんの仲がなくなったわけではないため、黒鉄は七星剣武祭が終わったら「お嬢さんをください!」をしにヴァーミリオン皇国まで行かなければならないらしい。リア充爆発しろ。

 これによりマスゴミもスキャンダルの追求が難しくなり、報道から二人の名前が聴かれることはなくなった。

 

 よって黒鉄家の思惑が絡んだ此度の一件はこれにて落着である。

 

 そして選抜戦の最終日が終了してから二週間後の今日。

 本日は破軍学園にて七星剣武祭の代表として選出された六人の任命式が体育館で行われていた。

 マイク越しに大音量で流された「これより任命式を行う」という新宮寺先生の宣言と共に、私を含めた六人の名前が読み上げられていく。

 

『一年Aランク、ステラ・ヴァーミリオン』

『二年Bランク、疼木祝』

『三年Dランク、葉暮桔梗』

『三年Cランク、葉暮牡丹』

『一年Dランク、有栖院凪……彼は所用により式を欠席すると連絡を受けている』

『そして最後に一年Fランク、黒鉄一輝』

 

 新宮寺先生の発表に、黒鉄は「はい!」と緊張した面持ちで応えた。

 本来、この任命式は選抜戦が終了してから一週間後に執り行われる予定だった。つまり任命式は本来、一週間前の今日に執り行われる予定だったのだ。

 しかし黒鉄の容体が思わしくなく、その関係から新宮寺先生の計らいで予定を一週間先送りにしたのである。

 

 最終戦の怪我――校内新聞によると《一刀天魔》なるあの伐刀絶技は、黒鉄の肉体に凄まじいダメージを残す特攻技だった。

 原作でも《一刀羅刹》によって黒鉄は流血を伴うダメージを負うこととなっていたが、その強化版はそのハイリスクハイリターンな性質も漏れなく強化されてしまったらしい。しかも査問会の疲労などの諸々が影響し、退院するまでに二週間は必要と診断された。

 それに先生が配慮し、尚且つ他の参加者たちから反対の声も出なかったたために任命式の予定はズレることとなったのだ。

 

 ……はい、そこの「なぁ~んだ、二週間なら大したことないじゃん」と思った貴方! それは大間違いですぞ!

 

 騎士という戦闘職が蔓延るこの世界では、iPS再生槽を始めとした現代医療が非常に発達している。具体的には複雑骨折だって一日で完治させられる。そんな技術を以ってしても全治に二週間かかるということは、この世界的には凄まじい大怪我だということを意味するのだ。

 一応怪我だけではなく、査問会では毒を盛られたり休憩がなかったりとしたため黒鉄は疲労もかなり溜まっていたというが、それを加味しても二週間は長い。死力を振り絞り、それを一撃に凝縮するというのはそれほどにリスクの高い技なのである。

 

 まぁ、そんな感じで任命式は今日と相成った。

 新宮寺先生としては、黒鉄を日本支部の魔の手から守り切れなかった責任を感じているからこその配慮なのかもしれないが。どちらにしろ黒鉄の出席は破軍の生徒の大半が望んでいたことだろうしね。

 去年と違い、彼は最早スクールカースト最上位の存在なわけだし。

 

『以上、ここに並ぶ五人と有栖院を加えた六人を我が校の代表に任命する。……では次に代表選手団の団長を発表する。名前を呼ばれた生徒は前に出るように』

 

 団長かぁ……。

 確か原作では黒鉄が団長に任命されていたような気がする。桐原や兎丸、さらに学園最強の東堂さんを斃し、その能力値の差を努力で覆したという功績から黒鉄が団長に選ばれたんだっけ?

 確かに黒鉄の功績は衝撃的で、何よりドラマティックであることは認めざるを得ない。彼を団長に選んだのならば選手団の士気の向上を狙うこともできるだろう。

 

「団長は二年Bランク、昨年の七星剣王――疼木祝だ」

「はぁい」

 

 だが残念、団長は私だ。

 御祓さんが言うには校内の下馬評では私、ステラさん、黒鉄の三人の誰かが団長になるとされていたらしい。ということは原作のように黒鉄が相応しいと思う人も多いのかもしれないが……しかし私がいる以上そうは問屋が卸さない。

 もっとも、不戦勝しまくりの私よりも劇的な勝利を収めてきた黒鉄を団長に任命したかった人は少なからずいたようで……

 

 

「えー、疼木が団長かよぉ」

「確かに強ェけど、何かウチの学校のイメージが……」

「華がないわけじゃないけど、武曲の諸星くんとかと比べると何かダークというか薄気味悪いというか」

「そうか? 去年の《七星剣王》だし妥当なところじゃね?」

「実力的にも破軍の象徴なわけだし、学年的にも一年坊に任せるのはなぁ」

「いや、黒鉄は留年してっから実質二年生みたいなもんだろ」

 

 

 眼下から漏れる(どよめ)きには思わず苦笑してしまう。

 やっぱり不戦勝ばかりしていたのが悪かったのかもしれない。そのせいで大鎌のシンプルな強さが生徒たちに伝わり切らず、こうして賛否両論な風潮を生み出してしまっている。

 去年はマスゴミの風評被害によって大鎌のイメージアップに失敗してしまっているので、今年こそはカッコいい大鎌の姿を全国のお茶の間に届けなければならないだろう。

 

『静かにしろ、任命式の途中だぞッ。……これより団長に校旗の預託を行う。東堂、前へ』

「はい」

 

 名前を呼ばれた東堂さんが壇上へと上ってきた。

 何を隠そう、校旗をその手に持ちながら表情を引き締めている彼女も黒鉄派の一人である。現に生徒会室で私が団長になると通達してきた彼女の表情は「マジでこいつを団長に?」という感じの複雑な感情が入り混じったものだったし。

 おのれ黒鉄、これが主人公の風格というものか。

 

「……まさか次の剣武祭で私が貴女にこの旗を託すことになろうとは、去年の今頃は思いもしませんでした」

「正直、私もです。東堂さんは次の任命式でも一緒にこの壇上にいるものだと思っていましたから」

 

 皮肉にも聞こえるかもしれないが、これは割とマジだ。

 黒鉄の存在を加味しても、普通に彼女が私の隣に並んでいる可能性は充分にあった。いや、最終戦で私が黒鉄と闘っていればそうなっていた可能性が高い。

 だというのに、東堂さんがこうして原作と同じように校旗を渡す立場に回ってしまうとは……。

 事実は小説より奇なり――いや、むしろ現実的な問題をひっくり返してしまう小説(げんさく)の運命力的な何かの方が奇なんだろうけど。

 

「前団長としてハッキリ言わせて戴くと、貴女にこの校旗を託すのは非常に心配です。生徒の皆さんが心配している通り、破軍の校風が世間に誤って伝わってしまうのではないかと思うと既にお腹が痛いくらいですよ」

「心配性ですねぇ。去年と同じように相手を完膚なきまでにぶち殺し、圧倒的な強さを破軍のイメージとして世間に振り撒いてきますから安心してください」

「それが安心できないって言っているんですっ!」

 

 ガックリと肩を落とした東堂さんは、渋々といった様子で私に校旗を差し出した。

 

「貴女が何を仕出かすのか、それを考えただけで私は怖い。叶うことなら、せめて選手団の顔である団長の座だけは他の人にお願いしたかったのが本音です」

「それは残念でしたね」

「ええ、全く。しかし今年の代表生徒の中で……いえ、七星剣武祭に出場する全ての選手の中で最も次の《七星剣王》に近いのが貴女であるということには私も異存はありません。その信頼から、私はこの旗を貴女に託します。――どうか、我らが破軍学園に勝利を」

「承りました。元より私にとっては準優勝以下など惨敗も同然――優勝くらい、二連覇のついでに持って帰ってきてあげますよ」

 

 そうして私は、東堂さんから校旗を受け取った。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 疼木祝という少女を“暗殺者”という職業の人間から評価するのなら、『最高に面倒な標的(ターゲット)である』と言わざるを得ないだろう。

 その理由はいくつかある。

 

 まず第一に《既危感》という予知能力だ。

 自身に降りかかる火の粉を悉く、それも正確に察知する予知ということは、つまり彼女には全ての奇襲が見抜かれてしまうということに他ならない。

 奇襲に最も重要な要素は“意外性”だ。手段にせよタイミングにせよ、標的に「まさか」とすら思わせる暇も与えないことこそが暗殺の鉄則。

 しかし奇襲に対して絶対のアドバンテージを持つ祝にはこの鉄則を通用させることはできない。

 その例を一つ挙げよう。

 ()は前に偶然を装い、しかも自分(・・)が関わっていると悟らせることもせずに少量の毒物を彼女の食事に混入してみたことがあった。しかし結果として、祝は毒が混じった食事に手を付けることもなくこれを廃棄してしまったのだ。恐らくは“毒を口にしてしまう”という未来そのものを害として予知したのだろう。

 やはり彼女に奇襲や騙し討ちの類は通用しないと考えるのが妥当だ。

 

 そして第二に、彼女は無駄に能力の高い社会不適合者であるという点だ。

 何も寝込みを襲い、その首に刃物を押し当てることだけが暗殺ではない。周囲と諍いを発生させて内部から自滅させる“謀殺”も暗殺術の一種だと()は考えている。

 しかし祝にはこれも通用しない。

 例え諍いが発生しようと、彼女は個人の力で強制的に黒を白へと塗り替えてしまうだけの力がある。そしてそれを躊躇なく行えてしまうだけの反社会性、及び非社会性も持ち合わせている。

 さらに最悪、彼女は今の居場所を破棄してどこへなりとも消えることができてしまう。身一つでいくらでも己を満たすことができてしまう彼女は、故に躊躇なく己の障害を破壊し、長い目で見た将来的な自分への損害を細かく勘定することを殆どしない。

 このような相手に謀殺を試みるのは困難だろう。

 

(直接殺すのは難しく、間接的に殺すのも難しい。本当に暗殺者泣かせの人ね)

 

 己を悩ませる元凶に頭を痛めながら、彼――有栖院凪は浅い溜息をついた。

 周囲にひと気はなく、しかし仮に何者かがアリスに近づこうとも彼の存在に気付くこともできないだろう。彼の『影』の概念を操る能力により、現在の彼は極限まで()()()()なっているのだから。

 本来ならば破軍学園で一輝たちとともに任命式に参加していなければならないはずの彼は、こうして学園の関係者が間違っても訪れない学外に佇んでいる。

 

『――なるほど。ということは、これで正式に破軍の代表は決定したということですね?』

 

 その時、破軍学園のものとは違う電子生徒手帳から響く声によってアリスは我に返った。

 どうやら思考に没頭するあまり、一瞬とはいえ電話から意識を離してしまっていたらしい。しかし電話の相手はそれに気付くこともなく愉快そうに喋り続けている。

 

『いやいやまさか、《速度中毒(ランナーズハイ)》に加えて《雷切》までもが出てこなかったのは想定外でしたね。加えて貴方の一押しだった《深海の魔女(ローレライ)》も出場しないとは。どうにも破軍は選抜試合を取り入れた一年目にしていきなり不作を引いたようだ』

「その三人はくじ運が悪すぎたとしか言い様がないわね。選抜戦という形式を取る以上は仕方ないこととはいえ、確かにあたしの目から見ても今年の破軍はベストメンバーではないけど。……でも《告死の兇刃(デスサイズ)》は健在よ。彼女が残っているだけでも破軍の脅威度は然程変わらない」

 

 淡々と話すアリスの纏う空気は、普段のそれとは全く違っていた。

 どこまでも冷たく、それでいて抜き身の刃のような鋭さ。

 学園における彼の姿を知る者ならば、その雰囲気の差に唖然とさせられることだろう。

 

『確かにそうなんですよねぇ。貴方の方から見てどうです? 例の彼女は』

「間違いなく計画に支障が出るわ。奇襲に対して彼女の《既危感》はあまりにも相性が良すぎる。彼女を騙し討ちできるのなんて、それこそ激レアの因果干渉系の能力者でもない限り不可能よ」

 

 仮に(・・)アリスが祝を奇襲(あんさつ)する必要ができたとする。狙うのならば、恐らくは彼女が一人で訓練をしているタイミングだ。

 アリスが調べた限り、彼女は基本的に一人で訓練している。周囲には誰もいないことの方が多いため、暗殺にとっては絶好の機会だ。殺した後で死体を始末するのにも、アリスの能力ならば数秒で全てを済ませることができるだろう。

 普段の(・・・)手順ならばこうだ。

 「お疲れ様」と声をかけながら自然に彼女へ近づき、そのまま『影』ごと対象の動きを縫い止める伐刀絶技《影縫い(シャドウバインド)》により一瞬で拘束。声を上げる前にその細い喉元をダガーナイフの霊装《黒き隠者(ダークネスハーミット)》で一刺しして殺害完了だ。

 死体は影の中に収納できるため、証拠は何一つ残らない。

 

(……まぁ、無理でしょうけどね)

 

 アリスの()()()()()()の勘が告げている。

 もしも今の手順を実行しようとすれば、恐らくは霊装を展開しようとした瞬間にこちらの首が落とされているだろう。彼女の有する《既危感》の前では、このような古典的な暗殺方法は正面から刃物をチラつかせているのと何も変わらないのだから。

 友人が攻撃してくるはずがない、という意識的な死角を突くことも難しい。アリスの知る彼女は「何かあるのかな」と相手に思いながらも平気で反撃してくるタイプの人間だ。あるいは《既危感》に慣れ過ぎたが故の精神的な弊害なのかもしれないが、今は関係のないことなので置いておく。

 

 

 これらの分析結果から導き出されたのが“暗殺不可能”――即ち《解放軍(リベリオン)》の若き暗殺者である《黒の凶手》有栖院凪では彼女を殺すことができないという結論だ。

 

 

 念の為に断っておくと、これは彼が臆病風に吹かれたなどという愚かな理由では断じてない。目標の冷静な分析と観察は暗殺者にとって絶対的に必要な技術である。その末にアリスは自分の手に負える仕事ではないという極めて正確な判断を下したのだ。

 

『……ふむぅ、やはりそうですか。となると《前夜祭》前に彼女はどうにかしたいところですねぇ』

 

 電話の相手――平賀玲泉が唸る。

 彼としてもアリスの暗殺者としての技量は評価している。アリスをここまで育て上げたのは《解放軍》の中でも指折りの伐刀者。その人物が幼少期からその才能を見出し、育て、経験を積ませ、そして遂に完成したのが《黒の凶手(アリス)》という暗殺者なのだ。

 その彼が不可能と言うのならば、恐らく《解放軍》の中に祝を暗殺してのける者は存在しないのだろう。

 

『《前夜祭》は我が『暁学園』がその産声を上げる重要なイベントです。その鍵である貴方と相性の悪い彼女は、可能ならば排除しておきたい。……今の内にサクッと拉致できたりしません? 流石に殺すのは弱腰と取られて計画的にアウトでしょうが、最終的に七星剣武祭の時に解放できれば恐らく問題ないですし』

「馬鹿馬鹿しい。そもそもあたしと相性が悪いから排除しようというのに、あたし自身がその刺客になるのは無茶というものよ。というかそちらは何か動いてくれたのかしら?」

『一応、《前夜祭》の直前に刺客を雇い入れて彼女を拉致監禁する計画もあったんですけどねぇ。彼女、今年はずっと学園に引きこもっていてどうにも難しそうなんですよ。学園へ突っ込ませるのも手ですが、そんなことをすれば《世界時計(ワールドクロック)》や《夜叉姫》がこちらの尻尾を掴みかねませんから』

 

 元々祝の存在は、彼らが《前夜祭》を計画した時点で挙げられるほど主だった障害だった。

 故に彼女が在校する破軍学園で《前夜祭》を行うべきではないという意見も『暁学園』の内部には存在したのだが……

 

『しかし去年の優勝校を()()()確実に『暁学園』への注目度と期待は増すことになるでしょう。《雷切》と《告死の兇刃》が台頭したおかげで破軍の地位も以前よりだいぶ上がった。しかも今年は《紅蓮の皇女》までそこに加わっている。逃がすには実に惜しい獲物だ』

 

 彼らが《前夜祭》で手にすることを最も欲しているのは《七星剣王》を斃したという称号ではない。『暁学園』が《七星剣王》を輩出した破軍学園(そしき)(まさ)ったという結果なのだ。

 故にその障害である祝を一時的に排することに何の躊躇もない。彼女を斃すべき場はあくまでも本番である七星剣武祭。わざわざ危ない橋を渡ってまで《前夜祭》の時に彼女を屠る必要性は低い。

 しかし……

 

『しかし一つ問題がありまして』

「問題?」

『実は彼女を事前に排除してしまう作戦に身内から反対が出ているのですよ。彼女のことを小細工抜きで叩き潰したいという、王馬くんからの凄まじく強い進言がありましてねぇ』

 

 「視線だけで殺されるかと思いました」と語る平賀に、アリスは呆れから溜息をついた。

 アリスの知らぬところで作戦開始の前に内部分裂されては堪らない。一応とはいえ纏め役として『暁学園』のメンバーを率いる平賀がこの調子で大丈夫なのだろうかと、アリスに一抹の不安が過る。

 

「じゃあ貴方はそれを大人しく受け入れたというの? ゲストとはいえ彼も暁の一員。勝手なことをされては困るわ」

『いえいえいえ、まさか。何とか保留(検討します)という形で抑え込んでおきましたよ。ですが事前排除をしたが最後、このままでは彼に背後から斬られてしまいそうですね。全く困ったものですよ、ハハハ』

「巫山戯ないでくれる? 《風の剣帝》より先にあたしが貴方を殺してもいいのよ?」

 

 アリスの言葉は半ば本気だった。自分のミスならばともかく、味方の怠慢で背中を狙われてはアリスとしては堪らない。

 しかし平賀は《解放軍》きっての暗殺者の脅しなどどこ吹く風とばかりに笑い声を漏らすばかりだった。

 

『これは手厳しい、努々肝に銘じておきますよ。……しかしですねぇ同志・有栖院、ボクも今まで手を拱いていたわけではありません。貴方が我々に齎した彼女の情報のおかげで光明が見えました。()()()()()()()()。疼木祝の《既危感》を掻い潜り、《前夜祭》を完遂し、さらには王馬くんの要望にも応えられる策をね』

「……!」

 

 平賀の言葉にはアリスも驚かされた。

 アリスが考え得る限り、祝の持つ予知能力はその性質的に奇襲に対して無類の強さを誇ることは間違いない。

 それを理解できない平賀ではないだろうに、彼は自信に満ち溢れた声音で《既危感》の攻略法を暴いたと言い放ったのだ。それがどのような方法なのか、アリスも興味がないと言えば嘘になる。

 

「そんな一石三鳥の方法が本当に存在するというの? ならば是非ともお聞かせ願いたいわね」

『えぇ、我ながらなかなかの上策だと自負しております。とはいえ、この方法は今回のような場合でしか使えない裏技です。真っ当な攻略法ではないので貴方のご期待に沿えるかはわかりませんが』

 

 そして語られる平賀の策。

 それを聞き終えたアリスは、彼が語る《既危感》の“抜け穴”に思わず息を呑んだ。いや、《既危感》だけではない。これは彼女の持つ人格的な性質からも恐らくは()()

 祝という少女を間近で観察してきたアリスから見てもそう思わせるだけの巧妙さがこの策にはあった。

 

『どうです? ボクとしては結構いい線を行っていると思うんですが』

「……確かに、悪くない作戦だと思うわ」

 

 悪くないどころではない。詰めさえ誤らなければ完璧な作戦だ。

 事前に作戦が外部に露呈するなどのトラブルがない限り、この作戦ならば恐らく破軍の代表を祝ごと封殺することができるだろう。

 思わずアリスが息を呑んでしまうほど、この作戦は的確に《既危感》の欠点を突いている。

 

「……わかったわ、あたしはその作戦を前提に《前夜祭》では動けばいいのね? 彼女さえ攻略できればこちらの成功は約束されたも同然よ。既に代表生徒たちの大半とは友好な関係を構築できているわ」

『流石は《黒の凶手》です。それでは《前夜祭》でお会いしましょう。ああ、もちろん何かトラブルが起きた時は早急にご連絡を。二十四時間いつでも対応致しますので』

 

 「くれぐれも気取られないように」という言葉を残し、平賀は電話を切った。アリスは懐に生徒手帳を仕舞いながら先程平賀が立案した作戦を頭の中で反芻する。

 それを基に作戦の進行を再びシミュレートしてみるが、アリスの頭脳と経験はやはりこの作戦の成功率が限りなく高いという計算を導き出した。

 これはアリスの立場から考えれば非常に喜ばしいことだ。いや、縦しんば喜びの感情が浮かばなかったにしても懸念材料の一つが減ったことに安堵すべきことだろう。

 だというのにその表情は計画の成功率の高さに対して――どこか“憂い”を帯びているかのようだった。

 

「あたしは、こんな大人にだけはなりたくなかったはずなのにね……」

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 七月。

 それは学生ならば胸を躍らせる月だ。

 夏の蒸し暑さが本格的に顔を覗かせ始め、それによって地球が日本人という人種を淘汰しようと奮起し始めたとしか思えないこの時期。しかし社会人にとっては忌々しさしか感じさせないこの天候も、学生たちにとっては“夏休み”というビッグイベントを前にした可愛らしい試練にしかならない。

 しかし七星剣武祭の代表となった学生騎士にとって、七月とは特別な意味を持っている。

 

 それは即ち、大会直前における最後の調整期間だ。

 

 七星剣武祭が行われるのは八月。

 学生たちにとって夏休みに当たる時期に行われるこの大会の参加者にとって、七月という月は自身のコンディションを整える最後の時間なのだ。

 医療技術が発展している現代において故障を引き摺る可能性は低い。しかし逆説的に言うと、強い選手が事前に脱落する可能性もまた低いということに他ならない。

 虎視眈々と天を仰ぐ選手にとって、この時期にどれだけ実力を伸ばせるかが鍵となっているのである。

 

「というわけで、今月下旬に毎年恒例の直前合宿を行います」

 

 教壇に立つ刀華が、高らかに一同へと宣言した。

 彼女を見つめるのは、破軍学園の代表生徒である計六名だ。刀華の呼び出しによって空き教室に集められた彼らは、刀華から配布されたプリントへ各々目を通していく。

 

「本来ならば奥多摩で行われるこの合宿ですが、今年は例の『巨人事件』があったので使用を控えます。そこで巨門学園に連絡したところ、山形県にあるあちらの合宿場を使用させてくださるとのことなので合同合宿を行うことが決定しました」

 

 「ここまでで質問は?」と問いを投げた刀華に代表選手の一人である葉暮姉妹の片割れ、葉暮桔梗が挙手する。

 

「ちょっと聞きたいんだけど、合宿って具体的な訓練メニューとかってあんのか? オレらはこの合宿に参加するのは初めてだから、もっと細かい内容が知りたいんだけど」

「わかりました。では説明しますと――」

 

 刀華が合宿の訓練メニューを説明し始める。

 熱心にその説明を聞く彼ら代表選手だったが、その中に一名だけ聞き手として集中できていない者がいた。

 

「はぁ……」

 

 祝は小さく溜息をつきながら、配布されたプリントを流し読む。

 内容はほぼ見覚えがあるものであるため、恐らくは祝が去年参加した合宿と大きな違いはないだろう。しかし祝の視界の中央を占めているのは、プリントの頭の方に記されている合宿の日程の部分だ。

 

(そういえば合宿の最終日って暁学園が《前夜祭》するんだっけ)

 

 平賀やアリス、延いては『暁学園』に関わる人間が全力で外部に秘匿する極秘計画《前夜祭》。

 それを前世というこの世の外側から齎された知識により、祝はその全容をほぼ知り尽くしているのだった。

 概要から参加メンバー、さらには背後で糸を引く人間の頭まで承知しているという、計画の関係者からすれば怒り狂っても仕方がないほどの反則である。

 彼らにとっては最早神を恨む以外にないというほどの理不尽だろう。

 そのような恐るべき知識を持つ祝だったが、しかし彼女自身はその使い処を非常に難儀しているのが現実だった。

 

(……どうしようかなぁ、これ)

 

 祝は内心で頭を抱えていた。

 『暁学園』――それは連盟によって日本国内に設立された七つの騎士学校を()()()()()()に設立された“国立”の騎士学校である。

 

 第二次世界大戦に敗戦した後、日本は連盟によって国内の伐刀者を一括して管理される立場に追いやられた。

 いや、正確に表現するのならば、日本は《サムライ・リョーマ》を筆頭とした伐刀者たちによって戦勝国に迎えられているために“敗戦国”ではない。しかし厭戦ムードによってなあなあの状態で終戦を迎え、その後に時の首相が強行に協調路線を取ったことによって国の軍事力と言える伐刀者の管理を連盟に明け渡すこととなったことを考えれば、戦後の政争によって日本は敗戦国に落ちぶれたと後世の人々が判断したと考えても不思議はないだろう。

 

 当然ながら戦前より国内の伐刀者を統括していた『侍局』はこれに猛反発し、さらに国家の重要な戦力である伐刀者(サムライ)を他国の人間に支配される立場には多くの国民や政治家が反対した。

 しかし時の政権は諸外国との関係悪化を恐れてこれを強行。日本は連盟傘下の国となり、侍たちはその立場を騎士へと変えた。

 

 この問題は戦後から半世紀以上が経過した現代でも根深い。

 現与党が出来上がった根幹にはこの問題を解消し、伐刀者たちを名実ともに自国の戦力として取り戻すという理念があるとされている。そして国民の間にもこの意見を支持する者は多く、将来的に何かしらの問題が起こることは連盟内部でも認識されていたことだった。

 

 そしてその問題の尖兵として名乗りをあげようとしているのが、件の『国立・暁学園』なのである。

 

 国立の名からもわかる通り、この学園は日本という国家が主体となって起ち上げた学園だ。

 未だ国家の最重要機密であるため世間には公表されていないが、次の七星剣武祭に参加することでその産声をあげることが予定されている。

 その際、暁の実力を示すことで連盟の学園の力が自分たちに劣ることを連盟自身に突き付けるためのデモンストレーション――通称《前夜祭》が行われる。それはつまるところ連盟の騎士学校一つを暁の生徒だけで撃滅する電撃作戦に他ならない。

 もちろんこれは連盟に力を示すことを主な目的としているため、大切な国民である学園の生徒や教師を殺すことはしない。しかし伐刀者には《幻想形態》という便利な代物がある。これを用い、学園内で抵抗の意志を示すものは纏めて片付けることが決定されていた。

 

(その標的になったのが破軍(ウチ)なんだよなぁ。せめて別の学校なら色々と考えずに済んだのに)

 

 祝が原作のまま破軍が標的にされていると確信しているのは、偏に《黒の凶手(アリス)》の存在があるためだった。

 アリスは《前夜祭》の工作員として破軍学園に入学した暁学園のスパイなのだ。同時に伏兵としての役割を持ち、《前夜祭》の際には破軍の主力たちを背後から仕留める任務も与えられている。

 

 つまり潜入先=襲撃先という式が確立される。

 

 よって破軍学園が原作の通りに《前夜祭》の舞台となるのは間違いない。

 そしてその《前夜祭》が決行されるのがこのプリントに記された期間の最終日――合宿から代表の生徒たちが学園に戻ってきたタイミングなのである。

 

(そこで暁の生徒たちが破軍学園を襲撃し、代表ごと学園の戦力を纏めて叩き潰す)

 

 これによって暁学園の戦力を連盟に示すことで「我らこそが真の騎士学校なり」と名乗りを上げる。

 そうすれば連盟は高い確率で暁学園を無視できなくなり、七星剣武祭で雌雄を決するという展開になるのが日本の目論見だ。

 

(連盟が『舐めんな』ってキレたりすればお終いの気もするけど)

 

 恐らくは連盟内部にも日本は手を回しているのだろう。

 その後は七星剣武祭を舞台に連盟と日本が“決闘”し、暁の誰かが七星剣王になってしまえば日本の勝利。暁学園は名実ともに日本を代表する最強の騎士学校となる。少なくとも日本という国家はそういう扱いをするようになる。

 

 これを基端とし、やがて連盟の傘下にあることに反対する風潮を国内に作り出すのが暁学園の目的だ。

 

 この作戦は政府が力を入れているというだけではなく、日本が連盟傘下であることに反対する元侍局――現代では名を変えその一部となった騎士連盟日本支部も支援している。よってその規模は決して生半可なものではなく、まさに日本による連盟への反発が表立った一大プロジェクトだ。

 当然ながら失敗は許されず、日本は成功のためならば連盟が敵視する伐刀者集団《解放軍》すらも雇い入れる所存だった。アリスもその一員であり、《解放軍》から暁に派遣された伐刀者なのである。

 

「……どうしよう」

 

 消え入るような声で祝は呟いた。

 刀華の丁寧な説明を余所に祝は思考を巡らせ続ける。今まで先延ばしにしていた問題だが、最早それも限界と言えるところまで来ているのだ。

 どうすれば全てが上手く行くのか、それを真剣に考えなければならない時が遂に来てしまっている。

 模索すべきは破軍を暁から守り抜く最善の方法――ではない。

 

 

 

 

(どうやったら《前夜祭》で大鎌が大活躍できるんだろう)

 

 

 

 

 祝が考えるのはそのことだけだった。

 破軍学園の級友たちを守ることでも、愛する母校の破壊を食い止めるでもなく、ただ只管にそれを考え続けていたのだ。

 いや、むしろそれ以外の発想など最初からなかったというべきだろう。彼女の中ではそれらのことなど、それこそ大鎌の活躍と比較すれば些末なものでしかないのだから。

 

(もしも襲撃してきた暁学園の生徒を私が片っ端から返り討ちにできたら、きっと大鎌の知名度アップになるはずッ!)

 

 相手は日本が《解放軍》という違法組織に頭を下げてまで用意してきた最高レベルの学生騎士たち。

 破軍学園が原作において彼らに成す術もなく敗北したことからも、その実力の高さは疑うべくもない。ではそれほどの戦力を自分が撃退できたとしたら、七星剣武祭を前にして大鎌の活躍を世に知らしめることができるのではないだろうか。

 

(《解放軍》にも日本政府にも、さらには連盟にまで大鎌の強さを示すことができる画期的なこの機会! 絶対に逃すわけには行かない!)

 

 ギャラリーが少ないことだけが残念だが、その分試合の時のような“魅せ技”を重視することなく確実に鏖殺できるというもの。《前夜祭》で重視すべきは『大鎌使いが活躍した』という結果だけだ。

 それに加え、祝は大鎌を有名にできて嬉しい、連盟は《解放軍》の若い兵を始末できて嬉しい、世間も犯罪者が減って嬉しい――つまり皆が幸せになる素晴らしい対応策でもある。日本政府は将来的に困るかもしれないが、敵の事情など祝の知ったことではなかった。

 しかしここでたった一つだけ問題が浮上する。

 

(各個撃破ならそんなに難しくはないと思うけど、集団が相手だとちょっとなぁ)

 

 要は戦力差が大きいという非常に根本的な問題だった。

 相手は腐っても精鋭部隊。原作知識を持つ祝は暁学園の生徒たちの強さを誰よりもわかっている。故に純粋な白兵戦ならばともかく、能力込みで袋叩きにされてしまえば流石に()()()()()()だろう。

 

 ――そう、祝の頭には最初から暁学園に敗れるという発想は微塵もなかった。

 

 精々が逃げに徹されてしまえば一人か二人程度ならば仕損じてもおかしくはない、といった程度。

 最早傲岸不遜を超えて自信過剰とも取れる彼女のその考えは、しかし祝にとっては決して実現不可能な未来予想ではなかった。

 事実、その程度の危機ならばこれまでも腐るほど経験してきている。実力者たちに包囲されることなど、祝が修行に赴く際は至って当たり前の状況なのだから。むしろ原作知識によって敵の詳細が判明している今回は比較的易しい難問と言えるだろう。

 

(これは仕留めやすそうな人からさっさと始末していくしかないかな。そうなると狙い目は……)

「――そこっ、疼木さん! 去年の合宿で内容を知っているにしても、今年の貴女は選手団の団長なんです! もっと真面目に聞きなさい!」

 

 祝が思考を余所に飛ばしていることを刀華は目敏く見つけ出す。

 《雷切》の名に恥じぬ眼力で睨みつけられた祝は「はぁい」という気の抜けた返事をする。

 しかしその後も刀華の話を聞いているのは表面上だけで、頭の中では当然のように対暁学園の作戦を練り続けていた。

 常識的に考えれば、強敵の襲撃を受ける立場の者は戦々恐々としながら未来を警戒することとなるのだろう。

 しかし《前夜祭》をシミュレートし続ける祝は、鼻歌でも歌いそうなほどに楽し気な表情を浮かべているのだった。

 

 



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前夜祭編
《幻想形態》なんか捨ててかかってこい!


前話を新しく、前々話は修正して上げ直しておりますのでご注意を。
今話は所々を修正しておりますが、最後以外は内容に大幅な変更はありません。(4/18)


 ステラ・ヴァーミリオンという少女が、なぜ遠い異国の地である日本に留学してきたのか。

 それは偏に“自分を過酷な状況に追い込むため”に他ならない。魔力量という観点から世界最高クラスの才能を持つと言われる彼女にとって、北欧の小国である母国・ヴァーミリオン皇国はあまりにも小さすぎたのだ。

 故に彼女は学生騎士の質が高いとされる日本に学ぶ場を移し、そこで己をさらに研鑽せんと考えていた。

 そんな彼女にとって、この試合は願ったり叶ったりのものだったことは言うまでもない。

 

「喰らい尽くせ、《妃竜の大顎(ドラゴンファング)》ッ!」

 

 剣型霊装《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》の切っ先から、紅蓮の炎が迸る。

 一見無秩序に放たれたように見えたその炎は、しかし噴射されると同時に圧縮、洗練され、やがて蛇のように長大な龍となって目の前の獲物に襲い掛かった。

 通常の敵ならばそのまま炎に呑まれて終わりだ。しかし目の前の敵は、いかなる面から見ても全く尋常な敵ではない。

 それを証明するように、“彼女”は《妃竜の大顎》へ一歩を踏み出し――

 

「行きますよ~」

 

 一瞬で龍の脇を駆け抜けた。

 ステラの目を以ってしても一瞬。一歩目の足先に力が乗った瞬間までしか捉えることができない、その人知を超えた速度。

 しかし相手が相手だけに、その程度は想定内だ。

 ならばお互いの土俵である接近戦で片を付ける――そう考えたステラは、これまでの中距離(ミドルレンジ)から近距離(クロスレンジ)へと戦場を渡った。

 

「勝負よ、ハフリさん!」

 

 ステラが咆哮し、それに呼応するかのように刀身に紅蓮の炎が灯る。

 摂氏三千度を誇るその炎は、掠るだけでも人間の肉を焼き焦がす灼熱の息吹。間違っても一人の少女が呼吸をするように繰り出せる魔術ではない。

 しかし対する少女――祝はそれを意にも介さず緩やかに微笑んだ。

 

「私で良ければ、喜んで」

 

 そして息つく間もなく、一輝の《一刀修羅》にも劣らぬ機動力を以って祝がステラへと突っ込んだ。

 《三日月》は祝の急接近に伴い、既に上段へと振りかぶられている。恐らくはステラをその間合いに収めた瞬間、その刃は刹那の間も置かずステラの頭蓋を斬り砕くだろう。

 しかしそれがわからないステラではない。

 何と彼女は自身が祝の間合いに入る瞬間に前進。ステラは死神の懐へとあえて飛び込み、その刃の予測軌道を抜け出そうと画策したのだ。選抜戦でカナタが使った最後の戦術に似たそれだが、しかしその立場に立ったステラにはわかる。この作戦が心理的にどれだけ難しいものであるかということを。

 

 長柄武器の弱点は懐――そうわかっていても、祝を前にすればその常識の何と心細いことか。

 

 目の前の少女が放つプレッシャーは尋常ではない。

 まるで自分とは違う生物なのではないかと錯覚させられるほどの“死”の気配。

 これを感じながら平然とこの行動を選択できる人間がいるのならば、それはもはや常人を超越した精神の持ち主だろう。

 もちろんステラとて恐怖は感じている。しかし彼女にとってそれは望むところ。強敵であるからこそ、こうして海を越えて日本に来た価値がある。

 

(技術では劣るけど、力ならこっちが上よッ)

 

 頭上から迫る大鎌。

 その長柄に当たる部分を剣で受け止め、そのまま祝へと強引に接近するのがステラの作戦だ。

 ある程度近づくことは剣の間合いすらも逸してしまうために危険だが、しかしステラの膂力ならば素手でも充分に強い。そのまま抑え込んでマウントを取れば、いかに祝であろうと力技でほぼ一方的に斃せるだろうという確信があった。

 技量で敵わないのならば自分が優れている面で勝つ。実にシンプルであり、しかし同時に効果的な戦略だ。

 

 だがステラの目論見は、大鎌の軌道が流れるように変化したことで崩れ去った。

 

 ステラが接近戦を挑んでくると察するや否や、《三日月》はピタリと静止。そしてグンっと石突に近い下の手を押し出し、振り下ろしを下段からの打撃へ変更した。

 力のロスをほぼ感じられないその巧みな攻撃に驚愕するも、ステラは咄嗟に剣を前方へ突き出してこれを防ぐ。しかし急激な変化であるにも関わらず、祝の打撃は魔力放出による瞬間的な加速によって凄まじい金属音と共にステラの腕を彼女の頭上へと弾き上げた。

 

「しまっ」

「隙あり」

 

 下段からの攻撃はまだ続く。

 そのまま大鎌は風車のように回り、今度は短剣の部分が回転に乗ってステラへと襲い掛かった。

 剣で防御する余裕はない。

 それを悟ったステラは武術から魔術へと防御を変更。《妃竜の羽衣(エンプレスドレス)》によって炎の鎧を一点に集中、下顎をぶち抜こうとするその短剣を受け止めた。

 

「がッ!?」

 

 炎の鎧が短剣の刃を阻む。

 しかし魔力放出による加速力が乗ったその一撃は《妃竜の羽衣》を以ってしても完全に防ぎきれるものではなかった。

 辛うじて刃は皮膚に達していない。しかし衝撃は防御を越えてステラの脳を深く揺さぶり、一時的に平衡感覚を奪い去る。

 そして一瞬とはいえ確かにステラの身体は自由を失ってしまい――それは祝にとっては充分すぎる隙。

 

「せぇ……」

 

 祝の左脚が大地を踏み締め、そこから伝わるエネルギーが股関節を伝わって右脚へ伝導。無駄なく右脚へと押し込められた運動力は魔力放出の追い風を受けて莫大な破壊力を秘めた一撃となる。

 

「のッッ!!」

 

 祝の右脚が大質量を持つ砲撃となった。

 がら空きの腹へ祝の蹴りが入り、ステラの身体がくの字に折れ曲がる。ステラの内臓から吐瀉物が這い上がり、それを吐き出す間もなく彼女は大鎌の間合いから追放された。

 ズガンッ、という大凡人体から響いたと思えないほどの衝撃音が耳を劈く。

 その音がハッタリではないことを証明するかのように、ステラはリングを越え、そのまま壁を突き破り、建物の外へと退場していった。

 破砕音と共に姿が見えなくなったステラを見送り、祝は目をぱちくりと瞬かせる。

 

「……あっ、もしかしてやりすぎました?」

「もしかしなくてもやりすぎに決まってるでしょうッ!?」

 

 シンと静まり返ったリングで呟く祝。

 そんな彼女に、模擬戦(・・・)を見守っていた刀華の雷が落ちたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「ぐあああッ、悔しいいいいいッ!」

 

 合宿所に程近い繁華街で、ステラは地団太を踏んでいた。

 選抜戦から月日は経ち、既に七月下旬。季節は春から夏に移り変わり、湿気と雨が目立つようになる時期。

 七星剣武祭の足音を各校の代表生徒たちが徐々に感じ始めるこの時期。破軍学園の代表たちは夏休みを利用し、山形にある巨門学園の合宿場で大会の直前合宿を行っていた。刀華たち生徒会のメンバーも調整の手伝いとして付いてきてくれている。

 本来ならば破軍学園が所有する奥多摩の合宿場を利用するのが例年の行事なのだが、今年は巨人騒動があったために安全面を考慮され、こうして巨門学園と合同合宿を行っている。

 その機会を利用し、ステラは最大の敵となるであろう祝に模擬戦を申し込んだのだが……

 

「もう何なのよあれ! 接近戦であれを斃せる人とか学生騎士にいるの!? 一太刀も入らないんだけど!」

 

 その結果は本日だけで三戦三敗。

 言い訳もできないほどの完敗となった。

 唸り声をあげて悔しがるステラに、隣を歩く一輝は思わず苦笑する。

 

「疼木さんの近接戦はもう結界だからね。彼女の間合いで闘い続けるのは僕でも容易じゃないし」

「結界っていうか、もう暴風域よ。こう……視界の端からグワングワン刃と石突が飛んでくるし、隙あらばぶん殴られたり蹴り飛ばされるし。近接戦でここまで歯が立たなかったのは一輝以来ね」

 

 祝を覆い隠すように大鎌が円の動きを見せ、かと思えばこちらの攻防の隙間を突くように手足が凄まじい速度で伸びてくる。

 それがステラが感じた祝の戦闘スタイルだった。大鎌はほぼ防戦に用い、攻撃でも牽制に使用されることが多かった印象だ。長柄から九十度に刃が伸びるあの形状も頗る厄介で、正面からぶつかれば必ず四方の内の二方向はカバーされてしまう。

 その性質を利用され、ステラは中距離と遠距離(ロングレンジ)でしかまともに闘うことができなかった。

 

「って言っても、祝さんには近接戦以外の攻撃手段がない。だから一方的に勝てて当然なのに……」

「あはは、全然魔術が当たらなかったねぇ……」

 

 理想的な魔力放出を駆使する祝の瞬発的な機動力は《一刀修羅》を用いた一輝に匹敵する。故にステラの魔術は彼女の制服に焦げ跡を付けることすら叶わなかったほどだ。

 そもそもの話、祝は遠距離と言えるほどの間合いを決してステラとの間に作らなかった。

 たとえ離れても必ず中距離程度を維持し、ステラが大技を使おうと一呼吸入れれば刹那の間に接近戦に移行できる距離を保ち続けていたのだ。よって隙あらば祝の接近を許してしまい、そのまま押し込まれる形でステラは三戦とも敗北している。

 

「でも収穫はあった。一つ彼女の能力についてわかったことがある」

「ホントにっ!?」

 

 目を輝かせるステラに、一輝は自信を持って頷く。

 これはステラという強者と闘ったが故に判明した祝の新たな真実だ。

 

「疼木さんの《既危感》が発動する瞬間、彼女の眼球は微細な揺れが走る。たぶん未来からのフィードバックに対する身体への副作用なんだと思う。つまり、彼女がこちらの攻撃を読んだ瞬間がこちらにもわかるんだ」

「なるほど……それで?」

「えっ?」

「いや、それだけじゃ意味ないでしょう? 未来が読まれようと彼女自身の経験則から対処されようと、闘う相手からしたら同じことじゃないの?」

「……あっ、確かに」

 

 ステラの言う通りだった。

 祝の《既危感》は確かに驚異的な能力だが、それ以上に警戒すべきは祝自身の対処能力だ。結局、彼女の戦闘能力そのものを突破できなければ変わりはない。

 

「彼女の癖とかもだいぶ見ることができたけど、こちらの見切りを彼女は見切ってくるからなぁ。やっぱり彼女は強敵だ」

「意味ないしっ!」

 

 祝への対策は、彼女への恐怖を克服した一輝を以ってしても前途多難だった。

 

「七星剣武祭では必ず彼女とどこかで当たることになるんでしょうね。縦しんば当たらなかったとしても、それは彼女以上に強い選手が出てきたってことになるし」

「疼木さんは優勝を目指す以上、避けては通れない壁だ。この合宿で僕たちは少しでも成長する必要がある。最悪、僕には《一刀天魔》っていう切り札もあるけど……」

 

 一輝が言い淀んだ。その理由はステラにもわかる。

 《一刀天魔》――それは一輝が編み出した《一刀修羅》の応用。最終戦で刀華を一刀の下に斬り伏せたその伐刀絶技は、しかし一輝に凄まじい代償を支払わせた。

 その証拠に、一輝は試合の後に二週間以上も病院へ入院することとなったのだ。

 

「全身を極度に酷使するせいで、一度使ってしまえば病院行き確定。iPS再生槽がある現代医療であっても、使えばしばらくは絶対安静にする必要がある。この技を使ったが最後、次の試合には絶対に出られない」

 

 七星剣武祭における試合は一日一戦。

 それを連日行うことで試合が進むため、《一刀修羅》でギリギリ次の試合に影響を残さずにいられる。

 となればそれ以上の負担を強いる《一刀天魔》は完全に諸刃の剣だ。七星剣武祭に優勝できなければ試合に勝って勝負に負けたも同然。おいそれと切れる手札ではない。

 

「だから、僕ももっと強くならないと。《一刀天魔》がなくても、少なくとも決勝まで上がれるようにしなければ優勝なんて絶対に無理だ」

 

 警戒すべき相手は祝だけではない。

 例えば真っ先に思い付くのが、昨年惜しくも準優勝に留まった武曲学園の三年《浪速の星》諸星雄大だ。彼の巧みな槍捌きは一流の剣士である刀華すらも圧倒し、彼女に《雷切》という切り札を使わせることもなく完封した巧者だ。

 一輝が捨て身で勝利した刀華を圧倒したその実力に、彼はさらなる磨きをかけてきていることだろう。

 そして彼以外にも――いや、彼以上に警戒すべき人物も存在する。

 

「黒鉄王馬――僕の兄さんだよ」

「……名前を聞いて薄々そうじゃないかと思っていたけど、本当にイッキやシズクのお兄さんなのね」

 

 黒鉄王馬。

 件の人物のことはステラも僅かながら聞き及んでいた。

 友人の加々美によれば、彼は武曲学園に所属しているにも関わらず、平時は世界中を放浪して回っているらしい。滅多に連絡を取ることもできず、基本的には行方不明も同然なのだとか。

 一昨年と去年の七星剣武祭にも出場しておらず、その実力についてもリトルリーグ以降の情報は一切ない。わかっているのは伐刀者として最強クラスである証――即ちAランクであるということのみ。

 そんな王馬が今年の七星剣武祭に出場するという情報が出回り始めたのは、破軍と同じく選抜戦を行っている武曲の代表が決まった後だった。噂によれば彼は代表の一人に決闘を申し込み、それを一方的に斃すことで出場枠を奪い去ったと聞く。

 

「公式戦から五年間も離れていた彼が、今更になってどうして表舞台に戻ってきたのか。たぶんだけど、その理由はステラにあると思う」

「アタシ? どういうこと?」

「兄さんはとにかくストイックな人で、もう『生きること=強くなること』っていう感じの人なんだ。だから同じAランクであるステラと闘うため、こうしてわざわざ表舞台に戻ってきたのかもしれない」

 

 そう、兄は昔からそんな性格をしていた。

 最後のリトルリーグで優勝した彼は、そのまま世界大会を制覇。そうして名実ともに同年代における最強の称号を手にした王馬は、まるでさらなる敵を探すように表舞台から去っていった。聞くところによれば、彼はそれから紛争地帯などに赴いてその腕を磨き続けているらしい。

 それ聞いた当時の一輝は、『実に兄らしい』と驚く前に納得してしまったほどだ。

 

「強くなることって……それってイッキもじゃないの? ストイックさならイッキも相当だと思うけど」

「いや、兄さんは僕以上だよ。強くなることに全力を注ぎ過ぎて、家族や学校みたいな(しがらみ)を放り投げてしまうような人だからね。僕というよりかは……うん、どちらかというと疼木さんに似ているかも」

「ハフリさん? えっ、オウマ・クロガネってあんなほわほわした感じなの? なんかイメージと違う……」

「いやいやいやっ、そういうことじゃなくて!」

 

 しかし自分で言っておきながら、一輝はその言葉がストンと胸に落ちた。

 そうだ。よく考えてみると王馬と祝には似通ったところがある。

 表面上の性格ではなく、その根底。自分が求める究極の一のために、その他の全てを些事として切り捨てられてしまうその精神構造。その一点において一輝が知る両者は非常によく似ていた。

 

「強くなるために人生を捧げてきた修羅……それが王馬兄さんだ。実力もAランクの名に恥じない本物で、国内大会では敵なしって言われていたほどだよ。リトルリーグで優勝した時点で当時の七星剣王クラスの実力があったと言われているほどだ」

「ふーん。ならイッキから見て、ハフリさんとお兄さんはどっちの方が強いと思うの?」

「それは……難しい質問をするね。でも“当時”の強さを基準に考えるのなら……恐らく兄さんだと僕は思っている」

「それほどの実力者なのね、お兄さんは。……ん? というか当時ってどういうこと?」

 

 その言葉の意味がわからず、ステラは首を傾げた。

 

「兄さんの最後のリトルリーグの決勝戦の対戦相手。それは当時小学五年生だった疼木さんなんだよ」

「ッ!?」

 

 一輝の語った事実に、ステラに衝撃が走る。

 確かに王馬と祝は一歳の違いしかない。ならば過去の公式戦で闘っていた可能性も充分にあった。

 

「それじゃあ、ハフリさんはその試合でお兄さんに敗けて……?」

「……うん、まぁ……そういうことになるんだけど。その試合はちょっと複雑な事情があってね」

「複雑って?」

「…………その年のリトルリーグの決勝戦に残ったのは、例年の大会で悉く優勝を重ねてきた天才少年『黒鉄王馬』。そしてもう一人は、徐々に頭角を現し始めていた無名の秀才『疼木祝』。その頃にはそこそこ名前が知れていたけど、当初の疼木さんは全くと言っていいほど無名の騎士だったんだ」

 

 祝の名は、騎士の世界に関わる手段に乏しかった少年時代の一輝にとって全く知らない名前だった。

 そして当時の評判を聞く限りでも祝はパッとする選手ではなかったようだ。

 その大鎌という特異な武器と秀でた魔力量こそ目を引いたが、それ以外は平々凡々。体術による接近戦しか闘う術がなかった彼女にとってリトルリーグの壁は厚かったことが察せられる。

 

「リトルリーグはまだ身体が出来上がっていない上に戦闘経験に乏しい子供たちの大会だからね。当然ながらアドバンテージがあるのは魔術に秀でた子だ。そんな中、未来予知という玄人向けの能力しかない疼木さんは凄く苦労したはずだと思う」

「確かに。体術より魔術っていう風潮はそういう頃に出来上がる考えだものね」

 

 しかし大会経験を重ねたためか、徐々に祝は大会の上位陣の中でも名前が聞こえる存在になっていった。

 そして王馬にとって最後のリトルリーグ、その決勝戦で二人はぶつかることとなったのだ。

 

「今までの大会で兄さんと疼木さんが闘ったことは何度もあった。でも、兄さんは多少追い詰められたことはあれど敗けたことは一度もなかったんだよ。だからその時も兄さんに軍配が上がると誰もが思っていた」

 

 しかし試合が始まり、前評判による予想は一瞬で覆されることとなる。

 祝が取った予想外にして“異常”すぎる戦法に、王馬は逆に手も足も出なくなってしまったためだ。

 

 

「疼木さんには《幻想形態》が効かなかったらしい。王馬兄さんの刃も魔術も、彼女は笑って受け切ったって聞いている」

 

 

「は?」

 

 《幻想形態》とは、極論を言ってしまえば“思い込み”だ。

 刃を受けた、魔術を食らったという強い暗示を脳に与え、それによって相手を昏倒させるのが《幻想形態》という魔術。

 しかし極稀に、その暗示を怪物染みた気力によって跳ね除けてしまう人間がいる。火事場の馬鹿力などによって一時的に己を奮い立たせてしまう事例が存在するのだ。

 

「疼木さんはその性質を悪用(・・)して、兄さんの剣も魔術も踏み潰した」

 

 精神が肉体を超越する――その異次元の戦法を誰が予測できただろう。偶発的なものではなく、それを前提に試合へ臨んだというのなら最早気が狂っているとしか思えない。

 これによって魔術の相性というアドバンテージを祝は叩き潰し、王馬へと武術家として真っ向勝負を挑んだのだ。

 

 その試合を観戦していた誰もが思った――正気ではない。

 

 確かにその戦法を用いれば王馬との間にある相性の悪さを克服することは可能だ。しかしそれはあくまで机上の空論であって、現実的に可能かと問われれば普通は首を横に振る。

 ルールを逆手に取り、己の身を顧みず、そして常識を逸脱した狂気の沙汰。

 そして祝の近接戦闘の技術が成長期を迎えていたこともあり、王馬はその試合で当初の予測に反して一方的に追い詰められる結果となった。

 もちろん《風の剣帝》もただやられていたわけではない。彼は風の魔術を用い祝を壁や地面に叩き付けるなり、男としての体格を利用して肉弾戦を仕掛けるなりと反撃はしていた。

 しかし祝は骨が折れようと肉が断たれようと立ち止まることはなく、まるで痛みすら忘れた(リミッターが外れた)かのように王馬を圧倒してみせたという。

 そこからはもう泥沼である。お互いに死力を振り絞り、リトルリーグにあるまじき血で血を洗う死闘に発展した。

 

 

 そして遂にその事件は起こってしまった。

 

 

 その事件はリトルリーグ史上最も血塗られた試合として知られている。

 大会関係者の間では未だにその事件を危険な事例として取り上げ、その対策マニュアルを徹底させるようになったほどだ。

 

「事件って……?」

「……記録では、疼木さんが試合の途中で《幻想形態》の使用を自発的にやめたっていうことになっている。それに応戦する形で王馬兄さんも《幻想形態》の使用をやめた。そしてお互いに本気で目の前の“敵”を殺すため、ルールで使用を禁止されていた《実像形態》の闘いを始めたんだ」

「えッ!?」

 

 ステラの驚愕ももっともだ。

 通常、連盟傘下の国々では十五歳未満の元服していない騎士同士で試合をする場合、《幻想形態》を使用することが厳命されている。そのルールを破ったということは、それは本当の殺し合いに他ならないではないか。

 リトルリーグの決勝戦ともなれば、大勢の人間が集まる会場で行われたはず。

 つまり二人は衆人環視の中で禁忌に手を染めたということなのか。

 

「そ、それってつまりハフリさんが先んじてお兄さんを殺そうとしたってことなの……?」

「正確なところはわからない。実際に観ていた人が言うには、いつの間にか《実像形態》になっていたって話だから。でも僕はこうも思っているんだ。――二人は望んで殺し合いに手を出したんじゃないかって」

 

 あくまで一輝の勘だ。

 しかしもしも当時から二人が一輝の知る精神構造をしていたとしたら……

 

「二人とも闘うことに何の躊躇も見せない、修羅道を平然と歩み続ける生粋の求道者だ。だったら二人が行き着くところは自然と殺し合い(そこ)になるんじゃないかって……僕の考え過ぎだといいんだけどね」

 

 だが、ないとも言い切れないのがあの二人だ。

 《幻想形態》の闘いに埒が明かないと見切りをつけ、《実像形態》に手を出してしまった可能性も否めない。

 それを平然とやってしまうのではないかと、そう思える程度には二人とも頭の螺子が外れている。いや、考えれば考えるほどその可能性の方が高いのではないかと思えてきたほどだ。

 

「その試合は結局どうなったの? 審判は止めなかったの?」

「もちろん止めたさ。でも二人にとって審判の試合終了に意味なんかなかった。二人とも大人の騎士たちの制止を振り切って死闘を演じ続けたらしいよ」

 

 魔術が完全解禁された王馬と、手足を犠牲にするほどの捨て身で喰らいつき続けた祝。

 二人の死闘は激化の一途を辿り、当初予想されていた実力差など何の当てにもならなくなるほど二人は闘った。

 

「最後は二十人がかりくらいで無理やりやめさせたと聞くけど、それでも二人とも怪我が原因で瀕死の重体に陥ったらしい」

 

 公式記録ではこの事件は祝が先んじて《実像形態》を用いたことになっているため、それによって彼女は三年間の大会出場を禁止された。

 しかし事は黒鉄家の、それも将来を有望視されるAランクの長男に関わることだ。あるいは黒鉄家が裏から手を回して真実を隠蔽しようとした可能性もある。当の本人たちである祝と王馬がずっと行方を晦ましていたため、今更になって真実を聞き出そうという者などいないのが現状だが。

 

「最終的に疼木さんの反則敗けによる失格ということで試合は処理されて、兄さんはリトルリーグを制することになった。でも、僕の知る兄さんならばきっと凄く不本意に思っていたと思う。実際に勝ってもいないのに優勝できたって、それはあの人の求める強さじゃない。絶対に納得しなかったはずだ」

 

 その後、祝が公式試合に戻ってくることは去年の七星剣武祭までなかった。失格となったことで準優勝すら得られず、そのまま祝は表舞台から姿を消したのだ。その間、彼女が何をしていたのかは未だに明らかになっていない。

 時を同じくして王馬も姿を消した。

 それから二人が揃って表舞台に現れることはなくなり、その事件の記憶も風化の一途を辿っている。

 

「だから当時の強さのままの関係だったのなら、強いのは恐らく兄さんだ。七星剣武祭は《実像形態》が使用される大会。同じ戦法が通用しない以上、地力の相性はどうしても兄さんの方が優勢になる」

「でも、ハフリさんはハフリさんでやっぱり強い。実際に《風の剣帝》を見ていないアタシには何とも言えないけど、正直予測ができないわね」

 

 《風の剣帝》黒鉄王馬。

 《七星剣王》疼木祝。

 その二大巨頭が君臨する今年の七星剣武祭は、間違いなく例年以上の苛烈さを孕む大会になる。

 その確かな予感に、一輝とステラはより気を引き締めて合宿に臨むことを改めて決意したのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 合宿場の管理人さんに壁を壊してしまったことを謝った私は、そのまま自主練を再開していた。

 また誰かと模擬戦をしても良かったのだが、それを言い出したら破軍の人も巨門の人も蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまったのだ。せっかく七星剣王の実力を直に見られる機会なのに、それをふいにして良いのだろうか。

 というわけでせっかくの合宿だというのに早速暇になった私は、邪魔にならないよう合宿場の隅で今日も一人で素振りです。

 

 そういえば、さっき南郷先生が臨時の指導教官として合宿場にやってきたらしい。

 何でも黒鉄が巨門の用意した剣術師範を全員斃してしまい練習にならなかったため、急遽先生に無理を言って合宿に参加してもらったのだとか。

 日本が誇る《闘神》南郷寅次郎を呼び出すとは、豪華な合宿ですこと。

 何はともあれ、後で挨拶に行かないと。

 

「――あ? ……げぇっ!?」

 

 そうして日課の素振りをしていると、後ろから聞き覚えがあるようなないような声がした。

 誰ぞと思って振り返れば、巨門の制服に身を包んだアッシュブロンドの女子生徒が苦虫を噛み潰したような表情でたじろいでいる。

 

「あれ、鶴屋さんじゃないですか。お久しぶりです」

「出たわね、変態鎌魔人ッ。ボッチの貴女のことだから絶対に合宿になんて出てこないと思っていたのに油断したわ」

 

 彼女の名前は鶴屋美琴。

 昨年に続き巨門の代表選手に選ばれた三年生で、《氷の冷笑》というイカす二つ名を持った少女なのだ。

 ちなみに去年の七星剣武祭で、私と準々決勝でぶつかった相手でもある。

 

「私だって合宿くらいは出ますよ。しかも今回は合同合宿ですし、もしかしたら巨門学園の中からも合宿中に私の大鎌に興味を持ってくれる人が出てくるかもしれないじゃないですか。こういう機会は逃しません」

「本気でやめて。私の学校にまで貴女の病気を持ち込まないで」

 

 迷惑そうにする鶴屋さん。解せぬ。

 彼女の所属する巨門学園は破軍や武曲と違い能力選抜方式を採用している騎士学校だ。故に彼女の学園で重視されるのは魔力量、そして能力の強力さである。よって彼女の学園は基本的に現代の風潮に合った魔術重視の校風と言えるだろう。

 よって彼女も代表入りする程度には魔術に秀でており、彼女の伐刀絶技《死神の魔眼(サーティン・アイズ)》は氷雪系最強……かどうかはわからないが、結構便利な氷系能力だったと記憶している。

 

「はぁ、貴女は相変わらず気楽でいいわね。私にとって今年の七星剣武祭は悪夢よ。無名の一年生(ルーキー)がわんさか出てくるし、よりにもよって《紅蓮の皇女》に《無冠の剣王》に《風の剣帝》って! もう巫山戯ているとしか思えないわっ!」

 

 頭を抱える鶴屋さんも相変わらずらしい。

 彼女は他の騎士たちのような『もっと強い奴と闘いてぇ!』なハングリー精神旺盛な性格ではなく、どちらかというと手段を選ばずに勝ちを獲る性格の人なのだ。

 だから去年も私と試合をする前に、あらゆる手段を用いてプレッシャーをかけてきた。結果的には普通に私が勝ったが、彼女はそういう策略家としての面が強い騎士なのである。

 きっと内心では、私が並みいる強豪たちを全部片付けてくれたら楽に上へ進めるのにな、とか考えているに違いない。

 

「っていうか、なんで貴女はそんなに平然としているわけ? 黒鉄王馬は貴女にとっても因縁深い相手でしょう。緊張とかしないの?」

「因縁があるのは否定しませんけど、別に緊張するほどでは」

 

 鶴屋さんに言われて思い出したが、王馬くんとは最後に闘ってからもう六年くらいになるのか。

 知っている人は知っているだろうが、私と彼の関係はリトルリーグから始まっている。

 

 南郷先生を始めとした武術家の方々から武術のイロハを学んだ私は、その力を早速活かすべく小学三年生の辺りから公式試合に参加するようになった。

 当初は今のような魔力制御の技術もなく、しかも《既危感》を有用に使えるほどの戦闘技術もなかった。故に最初の方の成績はボロボロで、四年になってからも辛うじて全国大会に進めるかどうかという程度の実力しかなかった。

 己の無力さに泣きながら修行を続けたその時代は、私の中では完全に黒歴史である。

 

 王馬くんとはその頃に試合で闘ったのが最初の出会いだ。

 あっ、ちなみに初戦は惨敗しました。お前は風の契約者(コントラクター)かってくらい魔術を連発してくる王馬くんマジでチート。男女平等ソードとカマイタチで幼気な女の子を容赦なくズタズタにするところは本家に決して負けていない。

 それから何度か色々な大会に出場し、その度に王馬くんは私の行く手を遮った。

 それ以来私は『打倒黒鉄王馬』を胸に誓い、より修行に励むようになったという……そんな青春をしていた時代が私にもあったというそれだけの話である。

 最後の試合では私が大会を失格になってしまったため、最終的に決着をつけることはできなかったが。

 

「……リトルの決勝は殺し合いに発展したって聞いているわよ。貴女が先に《幻想形態》を解いたってね。全く、騎士の風上にも置けない行為だってことを自覚しているのかしら」

「そんなこともありましたねぇ」

 

 そうそう、確かにそうだった。

 試合中、王馬くんが()()()()()()()()()()だったので、私が先んじて《実像形態》に切り替えてあげたのだった。

 

 闘っている途中で何となくわかったんだけど、あの人ずっと「こいつと本気で闘いたい」、「《幻想形態》では物足りない」みたいなことを思っていたみたいなのだ。

 彼が私に向ける殺気は正真正銘の本物だった。

 そして刃を取るのに並々ならぬ覚悟を抱いていることも原作知識を持つ私は知っていた。

 しかしその時の王馬くんは、その覚悟のために全てを捨て去るほどの気概をまだ持ち合わせていなかったのである。

 

 

 ここで《実像形態》を使えば、自分はこれまで築いた全ての栄光を失ってしまうのではないか。

 もしもそれで相手を殺してしまったとして、それは自分が望む勝利なのか。

 そもそも全てを捨ててまで勝利に拘る必要があるのか。

 

 

 そんなくだらないゲロ以下の迷いが彼の瞳にはあった。

 だから私は()()()()こちらから《幻想形態》を解いてあげたのだ。そうすれば王馬くんも全力を出す口実ができるだろうと思ったし……何より私は全力の彼と闘いたいと思ったのである。

 

「彼は闘いの最中、その瞳に大鎌への微塵の油断も見せませんでした。大鎌なのに凄い、などという勘違いもしなかった。私の大鎌に正しく強敵足り得る能力があると認識し、その上でもっと闘いたいという欲望を見せてくれたんです」

 

 彼は人生で初めて、大鎌(わたし)を強敵と認めてくれた人だったのだ。

 そんな敬意を持つべき敵に対して、最後の踏ん切りを付けさせてあげる必要があると私は感じた。大鎌使いの一人として、お互いに全力で闘うこともできずにこのまま勝ってしまうのは無粋の極みだとしか私には思えなかった。

 

 そうして私たちは試合から“殺し合い”へと戦場を移した。

 

 最終的に私は右の手脚を肉片になるまで消し飛ばされ、逆に私は彼の胸元をガッツリ抉ったところで大会スタッフに取り押さえられたのだ。

 納得できる決着がつかなかったのは残念だったが、その時の選択を私は一切後悔していない。例えあそこで私の実力が至らず死んでいたとしても、大鎌使いとしてあそこでトドメを刺すという選択をするのはあり得なかった。

 

「そういうわけなので、因縁がないとは言いません。しかしそこに恨みや怒りといった余計な感情は一切ないんですよ。『次に闘う時は絶対にぶっ殺す』――それ以外にはお互い思うことはありません」

「想像以上に根深かった!?」

 

 愕然とする鶴屋さん。

 まぁ、確かにロジカリストの彼女には縁遠い話だろう。

 

 しかしだ。

 その因縁のことを抜きにしても、私が王馬くんと尋常な再戦を望んでいるのは間違いない。

 国内の学生騎士で唯一のAランクである《風の剣帝》――本気の彼を斃せば、きっと去年の七星剣武祭以上に大鎌は知名度を上げられるだろう。

 いや、七星剣武祭の前には《前夜祭》も控えているのだ。《前夜祭》で王馬くんごと暁学園の連中を叩き潰し、七星剣武祭にまだ出てくるというのならば再び捻り潰すことができる。そうすれば大鎌が持つ潜在能力(ポテンシャル)に注目する人間が増えることは疑うまでもない。

 

(上手に事が運べば二度も美味しい思いをさせてくれるなんて……暁学園は本当に素晴らしい人たちだよね)

 

 一人たりとも逃がしはしない。例え背中を見せて敗走しようと、土下座して命乞いをしようと許さない。

 絶対に連中の死体を残らず積み上げ、それを踏み台に大鎌の威光を示してみせる。

 

「本当に楽しみですよねぇ、七星剣武祭」

「私は今から胃が痛いわ……」

 

 どこか哀愁を背負いながら、鶴屋さんはガックリと肩を落とすのだった。

 

 

 

 ――しかし。

 この時、私は思いもしなかったし、想像すらしていなかった。

 後に振り返れば、これが“捕らぬ狸の皮算用”でしかなかったのだと断言することができる。まさにこの時の私は己の力を過信し、大鎌の威光を汚す愚か者だった。

 

 つい先日、目の前で原作崩壊が起こっていたことを私は失念していた。

 自分の想像以上に黒鉄が成長し、その力を大幅に増した事例を数少ない“例外”だと慢心していた。

 だから私はこの数日後、その心の隙を突かれることとなったのだ。

 

 ……いや、あるいは私の怠慢を責める前に“彼”を称讃するべきなのかもしれない。

 

 

 

 

 “疼木祝”という本来は存在しなかった異分子に影響されてしまったが故、原作という本来の未来を遥かに超越してしまった黒鉄王馬という一人の少年のことを。

 

 

 

 

 

 




次話は半分ほど書き終わっていますが、もう少し書き足してから投稿します。
活動報告にも書きましたが、社会人にジョブチェンジしてしまったので更新が遅れそうです。GW頃には投稿する予定ですので、しばしお待ちを。


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(主人公以外を)守護らねば……!

遅ればせながら戻って参りました。
気が付けば半年ぶりの投稿という事実に驚愕を禁じ得ません。久しぶりすぎて文章の感覚を忘れ気味で辛い。文体が変だったらごめんなさい。
感想、誤字報告は毎度のことながらありがとうございます。


 合宿は無事に終わり、私たちは帰途についていた。

 帰りの交通手段は行きと同じくバスで、運転は奥多摩に行った時と同じく砕城が行っている。山形の合宿場から都内にある破軍学園まで運転してくれる砕城には本当に感謝である。

 

 ちなみに代表入りしていない砕城がどうして代表生徒たちの一団の中に交じっているのかというと、今回の合宿に生徒会の皆々様がボランティアという形で付いてきてくださったためだ。

 恐らくは黒鉄と当たりさえしなければ確実に代表入りしていたであろう東堂さんも当然ながら付いてきており、ステラさんの調整に付き合っていた。

 

 ……まぁ、私はずっと一人で修行していたので関係ないけどね。

 

 最初の内は大鎌でステラさんとドンパチできて多少は楽しかったのだが、合宿が中盤以降になると彼女は東堂さんとばかり訓練をするようになってしまっていた。詰まらぬ。

 なので暇そうな黒鉄ならと思い足を向けてみれば、こちらはこちらで指南役として出向いてくださった南郷先生と楽しそうに剣術のお稽古をしていらっしゃる。またしても詰まらぬ。

 接近戦(クロスレンジ)主体の私と訓練をするには、ある程度の武術的な経験か知識が必要だ。しかし能力選抜方式である巨門はもちろん、破軍にもその手のことに詳しい生徒は正直なところ多くない。

 巨門が用意してくれた武術の指南役もいてくれたので多少は暇を潰せたが、《既危感》を自動で発動させてしまう私にとっては半日もあれば彼らの術理と技術を学ぶことができてしまう。

 

 よって私は合宿の殆どを学園の日常と同じ感じで終わらせてしまうという、何とも味気ない数日を過ごすこととなったのだった。

 

 楽しかったのは南郷先生に練習に付き合ってもらえた時間だけだよ。

 でもあの人と打ち合いをすると基本的に睨み合いで終わるのが残念なんだよなぁ。何だろう、漫画で言う『技撃軌道戦』っていうやつ? 私の《既危感》と南郷先生の見切りがぶつかってお互いに隙がなくなるあの状態。

 個人的には詰将棋みたいで嫌いではないんだけど、あれってギャラリーに大鎌のカッコよさを広めることができないという致命的な弱点を抱えているんだよなぁ。

 しかし無理して動いてみせると打ち合いの質が落ちるというジレンマ。

 最終的に睨めっこで打ち合いは終わったのだが、いつかあれが起きないくらい南郷先生を圧倒するのが私の目標だ。

 

「はぁ~」

 

 そんな感じで私が合宿を振り返りながら外を眺めていると、私の席の一つ前から盛大な溜息が漏れる。

 辛気臭い空気を垂れ流しにしているのは、意外にも普段から快活さを振り撒くステラさんだった。

 何事よ、生理か何か?

 他の人もそう思っていたらしく、私たちと同じく代表入りしている葉暮の双子姉妹が心配そうにステラに声をかけていた。しかし彼女の隣に座る黒鉄によれば、別に体調が悪いとかそういうことではないらしい。

 

「どうも合宿中に東堂さんに勝ち越せなかったことが悔しいみたいです」

「「あぁ~」」

 

 葉暮姉妹が揃って納得したように頷く。

 どうやらステラさんは模擬戦で東堂さんに三勝三敗だったらしく、その成績が残念でならないらしい。だったらもう一戦くらいすれば良かったんじゃないですかね。そうすれば負け越しか勝ち越しかの結論が出ただろうに。

 

「……それだけじゃないわよ。アタシ的には、ハフリさんに()()()()()()()()()のが一番悔しいわ」

 

 背凭れ越しにこちらをじっとりとした目で見つめるステラさん。

 彼女の言う通り、あの壁破りの後も数こそ少ないが私たちは模擬戦をした。結果はステラさんが言ったように全勝であり、彼女は最後まで私の接近戦(クロスレンジ)の牙城を崩すことができなかった。

 途中からチマチマと全方位攻撃や広範囲攻撃で攻めようとしていたが、そんなことをさせるほど私は優しくない。即行で接近戦に持ち込んでフルボッコだ。

 

「イッキにトーカさんにハフリさん……ウチって接近戦の達人が多すぎない? 去年まで能力値で選抜していたのが信じられないんだけど」

 

 (むく)れるステラさんだが、貴女もその一人なんですよと言いたい。

 魔術と魔力量ばかりに目が行ってしまうが、ステラさんは剣術家としても一流だ。遠近攻防武術に魔術とそれらの全てを高次元で熟せるのがステラさんの強みであり、基本的に弱点がないのが特徴でもある。

 そんな彼女が他人を強すぎると言ってしまえば、常人から見ると皮肉としか思えないだろう。

 そんなことをボンヤリと考えていると、ステラさんたちの話は知らない間に太る太らないといった姦しいガールズトークへと変貌していた。

 どうでもいいが、ステラさんの談によると食べたものは胸の脂肪として蓄えられるため太らないのだとか。あまりにも迂闊なその言葉に、葉暮姉妹がガチギレしている。

 

「そ、そういえばっ! ハフリさんも途中のサービスエリアで結構食べていたわよね!?」

 

 そして予期せぬ飛び火。

 獣のように怒り狂っていた双子の眼光が私に回ってきた。

 

「言われてみればそうなの! 疼木もラーメンを何杯もお代わりしていたの!」

「それどころかたい焼き何個も買ってんの見たぞ! 牡丹ちゃん、こいつも異端者だッ。とにかく異端審問(ごうもん)にかけろ!」

「うわ、ウザ……」

 

 あっ、思わず先輩にウザいって言っちゃった。

 しかし女性のこういう体型に対する意識は、同じ女に生まれ変わった今でもよく理解できない。傍から見れば痩せているのに過度にダイエットしたがったり。

 元男性の立場から言わせてもらうと、ちょっと肉が付いているくらいのほうが魅力的だと思うんだけどね。

 まぁ、女性がダイエットしたがるのは男が無駄に筋トレしたがるのと似た感覚だと聞いたこともあるし、面倒だが『そういうものだ』と認識しておこう。

 

「私は純粋にカロリー不足ですよ。日常的に訓練をしているとエネルギーが足りなくて困るんです」

「嘘つけ! オレらだって代表に選ばれる程度には身体動かしてんだ!」

「そうなの! それでもラーメンを何杯も食べられるほどにはならないの!」

 

 尚も噛み付く醜き双子姉妹。

 その間にステラさんは息を潜めにかかっていやがる。この女、憶えていろよ。

 

「そんなことを言われても……なら葉暮さんたちも私と一緒に訓練しますか? 修行のことしか考えられなくなって食事も休憩も忘れるくらいになれば体重なんて一週間で軽く十キロは――」

「「あっ、何でもないです。すみませんでした」」

 

 二人は揃って首を横に振ると、大人しく席へと戻っていった。

 そんなに手っ取り早く痩せたいのなら山籠もりでもすればいいのに。枯渇していく食料、見つからないタンパク質(エモノ)、木の根っこを齧って空腹を紛らわせる日々――これを潜り抜ければ一気にスリムボディへと早変わりだ。

 おまけに「ヒャッハー!」なアイドル張りにキノコと友達になることができ、さらに「動物の気持ちになるですよ」を真剣にトライするようになること間違いなし。

 某国のとある山岳地帯で遭難し、一ヶ月近く彷徨った私が保証する。斜面を下っているはずなのに木々が一向に開けないあの感覚には背筋が凍ったものだが、今となっては良い思い出だ。

 

 と、その時だった。

 バスが急ブレーキをかけながら停車し、「うわぁ!?」と悲鳴をあげながら周りの人たちが慣性で踏鞴を踏む。

 何事かを慌てる周囲を余所に、車窓から外を眺めてみれば――もうすぐ到着するであろう破軍学園の方向から黒煙が立ち昇っていた。

 

 どうやら《前夜祭》が始まったらしい。

 ということは……

 

「――《影縫い(シャドウバインド)》」

 

 私が背後を意識するのと全く同時に“彼”は予想通り(・・・・)のタイミングで動き始めていた。

 ……私の予想を逸脱した方法で、という注釈を付けて。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 一同が黒煙に目を奪われるのと、アリスが《黒の隠者(ダークネスハーミット)》を展開したのはほぼ同時だった。

 複数本のナイフを扇のように手元で開いたアリス。

 もちろん霊装が複数本の顕現が可能だということすら破軍の一同は知らない。

 決して己の情報を漏らさず、力を隠したまま七星剣武祭の代表にまで登り詰めた彼の技量は驚愕に値する他ないだろう。そしてその隠形に加え、彼は“仲間”という最強のフィルターによって自身が纏う血の芳香をこの瞬間まで完全に隠しきっていたのだ。

 そしてアリスは、背中を晒した車内の一同の影へと一斉に霊装を投げ放つ。

 

「――《影縫い》」

 

 そして霊装は一本残らず標的たちの《影》へと突き立ち、その身動きを封じることに成功していた。

 殺気もなく、気配もなく、音すらたてぬ絶技ともいえる暗殺術。

 その技術はアリスの予想を裏切ることなく、その静かなる猛威を振るっていた。

 

 

 ――()()()()()()()

 

 

「…………解せませんね」

 

 魔術によって一同を拘束したアリスの耳に、困惑に満ちた祝の声が届く。

 次の瞬間、アリスの首元には大鎌の刃が押し当てられていた。祝が僅かにでも力を込めるか、魔力放出を用いて腕を動かせば一瞬でアリスの首を断てるその状態。

 そう、アリスは祝の《影》にのみ刃を突き立てなかったのだ。

 故に祝は、一同が奇襲された次の瞬間にはアリスへと反撃の刃を繰り出すことができていた。

 

「……順を追って話すわ。だから少しだけあたしの首を落とすのを待ってほしいの」

 

 交錯するアリスと祝の視線。

 背後で交わされる二人の言葉に、一同はようやく身動きが取れなくなっており、それを仕向けた犯人がアリスであるということを正しく理解したのだった。

 

「――えっ、アリス!?」

「あり、す……?」

「ど、どういうことなんだこれは!?」

 

 一輝たちは振り返ることもできず、ただ困惑を顕わにしながらアリスの名を呼ぶ。

 しかしそれらに反応することもなく、アリスと祝は見つめ合い続けていた。

 

「祝さん、あたしが信用できないのならこのままでも構わない。疑わしいと思ったら首を刎ねても結構よ。でも今は信じて、まずはあたしの話を聞いてちょうだい」

 

 あくまで冷静に、しかし目に必死さを湛えながら。

 アリスは懇願するかのように祝へと言葉を紡いでいった。それが友を裏切り続けてきた自分にできる最大限の誠意だと思ったから。

 しかし……

 

「貴方の話なんてどうでもいいので質問に答えてください。なぜ、貴方は私の《影》を縫い止めなかったのですか? 背後から襲いかかっておいて、まさかこうして反撃されるなんて思わなかったというわけではないでしょう?」

 

 祝が知りたいのはそれだけだった。

 元々祝は原作知識によりアリスの裏切りを知っていた。だからこそ彼がここで《影縫い》を使ってくることに驚くことはなかったのだ。

 しかし全てが祝の想像に沿ったものではなかった。

 なぜかアリスはこの中でも主力の一人である祝を無視し、他の乗員たちの拘束を優先したのである。これでは拘束に成功したが最後、アリスが次の一手を繰り出す前に祝の反撃に遭うことはわかっていたはずだ。

 

「だというのに、なぜ?」

「これが祝さんの《既危感》を掻い潜る方法だということを知らせたかったからよ」

 

 両手を挙げて降参の姿勢を見せたアリスは、祝に言い聞かせるかのように語り続ける。

 

「祝さんの《既危感》は確かに奇襲に対して無類の強さを誇る。あたし程度の伐刀者ではどうやっても貴女の予知から逃れることはできないでしょう。――でも、貴女以外なら?」

 

 《既危感》は祝の身を守ることに関しては一部の隙も無い。

 しかし予知が知らせる害はあくまで()()()()()()なのだ。例えば祝の目の前に座っているステラたちへの攻撃を祝はまるで察知することができなかった。

 自己防衛に特化するあまり、味方を守ることを全く想定していない――それが《既危感》が持つ最大の欠点なのである。いや、あるいは心の底では他者への関心を真に抱くことのない、祝という人間そのものの欠点なのかもしれない。

 

「だからあたしは、祝さんという今回の奇襲における最大の障害をあえて無視した。貴方の予知を掻い潜り、詰め(チェックメイト)の下準備をすることならばあたしにもできるということを証明するために。事実、もしもここであたしの他に一人以上の裏切り者がいたら……」

「なるほど。確かに主戦力の一人か二人は殺せていたでしょうね。最悪、私以外は今の一瞬で全滅していたかも」

「そういうことよ。後は残された貴女を強力な伐刀者たちで袋叩きにすればいい。あたしがこれから話す“敵”は既にその弱点に気付いている。それを事前に知らせるためにも、あたしはここで実際にその隙を突いてみせたの」

 

 アリスの語る《既危感》の弱点。それは能力の持ち主である祝本人ですらも……いや、祝だからこそ思いつかなかった欠点だった。

 確かに祝の予知は降りかかる火の粉を察知するための能力。しかし火元を用意することに徹したアリスは直接的に害を齎す者ではない。だからこそ《既危感》はアリスの姿を捉えることができなかったのだ。

 

「私の伐刀絶技をとても研究しているようですね」

「これを思い付いたのはあたしじゃないんだけれどね。破軍学園(あそこ)で派手に暴れている内の――暁学園の一人が発見した唯一の抜け穴よ」

 

 そしてアリスは語り始めた。

 自分が《解放軍》の暗殺者であり、暁という新設校の一員として破軍に潜り込んでいたスパイだったということ。

 暁が七星剣武祭に介入しようとしていること。

 そして先程アリスが行った奇襲を用い、背後からここにいる破軍の主戦力を潰そうとしていたこと。

 それらの情報を可能な限り彼は一同へ明かしていった。

 当然ながら、アリスの荒唐無稽な話を素直に信じるような者はいない。一輝やステラですら不信感から渋面を浮かべ、アリスと付き合いの短い葉暮姉妹などはあからさまに彼の言葉を出鱈目だと断じている。

 

「……わからないわね」

 

 そんな中、アリスのルームメイトであり、それ故に最も付き合いの深い珠雫だけは静かに彼の言葉へと耳を傾けていた。

 だからこそ彼が語った言葉を冷静に呑み込むことができたのだと言えるだろう。

 

「貴方は自分がしていることの意味を理解しているの? 冥途の土産にしては事情を話すのが早すぎる。こうして私たちが無傷でいる時点で、貴方は暁学園とやらを裏切っているも同然なのよ?」

「同然じゃないわ。あたしは端から暁を裏切るつもりだったんだから」

 

 その意外過ぎるアリスの言葉に、流石の珠雫も瞠目する。全く動じていないのは、最早アリスから興味を失い車窓の外をぼんやりと眺めている祝くらいのものだ。

 

「破軍に来た時こそ、あたしは《解放軍》の一員として任務を完遂するつもりだった。そのために破軍の代表になり得る珠雫という存在に意図して近づいたわ。……でも、そうしている内にあたしは珠雫のことを思った以上に気に入ってしまったのよ」

 

 それこそ《解放軍》を裏切ってでも守りたいと思えるほどに。

 アリスはストリートチルドレンとして幼少期を過ごし、汚い大人たちの思惑によって仲間を殺された過去を持つ。そして復讐者として外道へと身を窶した彼は、生き残った年下の子供たちと共に在る資格はないと故郷を捨てた。世の不条理に屈し、アリスは仲間たちを愛することを放棄したのだ。

 しかし珠雫は、己の愛が成就しないであろうことを覚悟した上で一輝への愛を貫き続けた。その眩く尊い精神に感化され、アリスは《解放軍》を裏切ることを決意したのである。

 

「だから、どうかあたしを信じて。珠雫が愛した一輝たちの七星剣武祭を守るために力を貸してほしいの」

 

 暁による今回の襲撃の目的は、破軍へ完膚なきまでに勝利することで自校の強さを証明すること。つまりここで破軍が暁を撃退することに成功すれば、そもそも敵の計画は最初の一歩で頓挫することになる。

 それこそが裏切りを決意したアリスの狙いだった。

 

「あたしが暁を裏切っていることはまだ知られていない。だから今あたしが貴方たちにしたことをそのまま暁にやり返す」

 

 味方からの裏切りが有効なのは破軍だけではなく、暁にもそれは当てはまる。

 アリスが破軍の背後を突くと油断した瞬間、逆に暁を一網打尽にしてしまうことができる。

 暁は《解放軍》の出身者が多数存在する以上、その人材が精鋭であることは疑いようのないことだ。正面から闘えば勝機は薄い。だからこそ初撃で決着をつけることで、彼らが力を発揮する前に一撃で片を付ける必要がある。

 

「だから……信じて……!」

 

 静まり返った車内に響くアリスの必死な声。

 もちろん彼らには、アリスの言葉を無視してここから逃げるという選択肢もある。しかしアリスによれば追手をかけられるだけであって根本的な解決にはならないという。

 だからこそ一同の意見は割れた。

 葉暮姉妹は明らかにアリスを信用できないと『逃げる』ことを支持し、一方で刀華や一輝たちはアリスを信じて『闘う』という選択を支持したのだ。どちらの意見にも根拠と理論があり、だからこそ話が纏まることはない。

 しかし事態は一刻を争うことだけは全員が理解しており――だからこそ刀華はこの議論の結論を一人の人物に預けることとした。

 

「……疼木さん、どうしますか? 私たちは選手団の団長である貴女の指示に従います」

 

 一同の視線が祝へと集中する。

 それを受け、祝はお手本のような微笑を浮かべた。

 彼女は自分の聞きたいことの回答を得た途端、先程までの存在感が嘘のように気配を潜めて席に戻っている。団長という立場でありながら「面倒ごとは知らぬ」と言わんばかりのその態度には刀華たちも思うところはあるが、しかしこの場で判断を下すべき責任者は彼女なのだ。

 刀華たちの意見はあくまで諫言。最終的な結論を決めるのが団長である祝であることは疑いようもない。

 

 

「では、とりあえず突撃で」

 

 

 そして一秒の間を置くこともなく、祝は即答していた。

 静まり返った車内で祝の宣言は、夏場だというのに底冷えするほどの寒気を以って浸透していく。積極的に闘うことを推していた一輝たちですら背筋が粟立ったほどだ。

 それもそのはず。

 一輝たちから見ても、祝の瞳には葛藤や迷いのようなものが一切存在していなかったためである。虚勢ではなく、この少女の思考には一分一厘すらも『闘わないという選択肢』が存在していないことを一同は悟っていた。

 

「な、なに言ってんだ疼木! 学園がやられたってことは、相手は学園にいた先生たちでも敵わなかったってことなんだぞ!? オレたちだけでどうにかなんのかよ!」

 

 祝の異常な返答に葉暮姉妹の片割れである桔梗が噛みついた。

 もしもこれが一輝や刀華が熟慮の末に導き出した結論であれば、彼女も覚悟を決めることができたのかもしれない。しかし相手は戦闘狂として知られる祝が、それも即決で出した結論だ。このような反発が起こるのも無理はないだろう。

 そもそもの話、一匹狼の気質を強く持つ祝はこのような場において必要とされるカリスマ性と呼ばれるものを持ち合わせていないことも大きな問題だった。人は不測の事態にこそ「この人に付いていけば何とかなる」と思える光を本能的に求めるものだ。しかし祝は優秀な伐刀者でこそあるものの、人々を纏め上げるだけの求心力には乏しい。土壇場で選択を預けるには、祝という存在は異端に過ぎる。

 そして祝という少女は、カリスマ性がないばかりか集団を纏めようという意思にも欠ける人物であるわけで……

 

「そうですか、では葉暮桔梗さんは不参加ということで。お疲れ様でした」

 

 こうなる。

 来る者拒まず、去る者追わず。他者に興味を持たない祝は誰が相手でも平等であり、だからこそ戦意すら持たない人間を戦場に引き止めることなど思考の片隅にも過ぎらない。

 故に戦意を持たない人間は不要。

 逃げたければ逃げればいいのだ。

 その選択で彼女たちが後悔しようと幸福になろうと祝の知ったことではない。

 加えて合宿で大まかに把握した彼女の実力から、戦力的に考えても彼女一人がいなくなったところで微々たる差しか生まれないのだから、いようがいまいが大した意味はないという考えもある。もちろん大鎌の活躍の場が減るか否かという視点で。

 さらに言わせてもらうのならば、別にここで自分以外の全員が遁走してしまっても構わない。手間は増えるが大鎌が活躍する場も増えるのだから、祝としては差し引きゼロだ。

 

「ちなみにですけど、このまま突撃することに反対の人は思い思いに動いてくださって構いませんので。逃げるも付いてくるもお好きにどうぞ? 参加する人だけ来てください、表で待っていますから」

 

 私からは以上です。(バス)は置いていきますので逃げるなら使ってください。

 それだけ言い放つと、祝は喜色を浮かべながらバスを出て行ってしまった。この非常事態が楽しくて仕方がないという内心を隠すこともなく。

 そのあまりにも無責任で異常な祝の様子に、車内の一同は絶句する他ない。祝と最も付き合いの長い刀華ですらも呆然としている。

 そんな中、いち早く口を開いたのはアリスだった。

 

「――そういうことよ。あたしとしてはこの機を逃したくない。この選手団の総戦力で、それも初撃で全てを終わらせたいと思っているわ。でも皆があたしの言葉が信じられない、闘いたくないというのなら……」

 

 そうなれば最早ここに留まる意味はない。

 一秒でも早くバスをUターンさせ、可能な限り遠くへと逃げるしかないだろう。暁学園の精鋭たちから逃げ切れるかどうかは甚だ疑問だが。

 

「……つまるところ、言葉は色々と足りてこそいませんが、疼木さんの言うこともあながち間違いではないということになります。選択肢は二つ――闘うか、逃げるかです」

 

 改めて一同の進むべき道を刀華が示す。

 そう、究極的に言えば祝の言うことは何も間違ってはいない。現状彼らには、アリスの策に乗って暁学園に闘いを挑むか、戦闘を放棄して離脱するかの二択しか選択の余地がないのだ。

 もちろん無事に逃げることができれば選手団は無傷のまま生還できることとなるが、その代償に恐らく学園にまだ残っているであろう生徒や教師たちを見捨てるということになる。その選択は、騎士道の観点からすれば到底許されることではない。

 だが、アリスを信用して暁学園に勝負を挑むことは尚危険と言わざるを得ない。選手団は破軍学園の主戦力でこそあれ、それは試合上の話。実戦となれば全く話は変わってしまうのだ。策が外れたが最後、誰かが戦死してしまう可能性は大いにある。

 

 

 この中の誰かが、あるいは全員が死ぬかもしれない。

 

 

 その恐ろしい未来に年端も行かない少年少女たちが動揺するのは当然のことだった。

 

(まずいですね、この空気は)

 

 動揺と苦悩が支配する車内において、刀華は内心で呻く。

 完全に議論が硬直していた。逃げるとも闘うとも言い出せない空気が既に形成されつつあることは、誰の目にも明らかだった。事は一刻を争うというのに、これでは貴重な時間が減っていくばかりだ。

 だが、それも仕方のないことだろう。

 仲間を見捨てて逃げるか、あるいは仲間を死地へと送り出すか――次に誰かが強く意見を主張すれば、恐らくそれが一同の総意となる。そうなったが最後、その発言者こそがその選択の責を負うことになりかねない。

 事実、この場において最も発言権が強いはずの生徒会役員たちですらも渋面のまま言葉を切り出せずにいる。

 

「…………ッ」

 

 誰一人として言葉を発しない。

 そんな静寂に対し、刀華は人知れず奥歯を噛み締めた。

 もはや猶予はないだろう。いつ学園にいる暁学園がこちらを捕捉するかもわからない現状において、迅速な判断と行動こそが優先される。例えそれが拙速であろうと、愚鈍であるよりかはマシだ。

 そこまで考え、刀華は覚悟を決めた。

 

 選択は――突撃。

 

 アリスを信用して策に乗った場合、それが通ればこちらは大した苦労もなく一切の死傷者を出さずに事態を打開することができる。そういう意味では二択の中で最も安全な選択だと考えることもできるだろう。

 だが、それは作戦が失敗したが最後、経験の浅いこちらが暁学園の精鋭たちから逆襲を受けてしまうことに他ならない。

 つまりこの覚悟とは、己の号令により後輩や仲間たちを死地へと臨ませることの決意だ。目の前で仲間が死に、そして自分自身が死ぬことへの諒解だ。

 この状況を打開するために己の心身を投げ打たず、どうして破軍学園の生徒会長を名乗ることができようか。

 

(もちろん、誰一人として彼らを傷つけさせるつもりはありません)

 

 万が一アリスの策が成らなければ、己の命を懸けて仲間を守る。少しでも形勢が不利に転じたと判断した瞬間、自身を盾にしてでも彼らを逃がしてみせる。例え、それが原因で相手と差し違えることになったとしてもだ。

 そして刀華は全ての覚悟を完了した。

 小さく息を吐き、そして沈黙を破る一声を発さんと息を大きく吸い――そして賽は投げられる。

 

 

「――僕は、アリスを信じるべきだと思う」

 

 

 刀華よりも一呼吸だけ早く覚悟を決めた、黒鉄一輝によって。

 

「ッ、黒鉄くん!?」

 

 驚愕に目を見開く刀華を、しかし一輝は目で制す。その動作一つで、刀華は一輝がその照魔鏡の如き観察眼で自身の内心を読み解いていたのだということを悟った。

 一輝は刀華に代わり、仲間を危険に晒す契約書にサインをしてしまったのである。

 刀華は知っている。一輝は祝のような人格破綻者でもなければ無責任でもない。恐らくは刀華と同等の、いや、生徒会長としての責任すらもない彼はそれ以上の覚悟を以って沈黙を破ったのだろう。

 

(でも、貴方がそんな重圧を受け止める必要なんて……!)

 

 一輝は所詮、代表選手の一人でしかない。だというのに、彼はその正義感と明晰な頭脳から、自分自身の身を切ることで状況を打開する一石を投じたのだ。

 並みの精神力でできることではない。

 しかし刀華の驚愕を置き去りに、一輝の言葉で状況は変わってしまった。まず一輝の積極的な意見にステラと珠雫が同調した。それに釣られるように葉暮姉妹も渋々とそれを承諾し、次に兎丸が、さらに御祓たちがそれに同意していく。

 御祓やカナタなどは刀華の内心を察して一輝に同調した節があるが、それ以外の面々は一輝の強い意思に引っ張られた形だ。

 

 それは祝が持ち得ず一輝が持つカリスマ性(びてん)によって引き起こされた刀華の誤算だった。

 

 孤高の異端者である祝に反し、一輝の直向きさと誠実さは人を惹き付ける。事実、選手団の意思は一輝が場を主導することで淀みなく統一されつつあった。最早刀華が主導権を握ることは叶わないだろう。

 確かに一輝の存在は、刀華にとってもこの非常事態における光明として大変頼もしくはある。だが本当ならば、自分こそがその光として選手団を導くべきだったのだ。

 

「東堂さん、最後は貴女です」

 

 一輝の一言に、刀華はハッと我に返る。

 気が付けば自分以外の全員が一輝に付いていくことを選択していた。残すは刀華の意思を確認するだけというところまで事態は進んでいる。

 後輩が将器の才を宿していることをここまで無念に思ったことはない。

 もちろん失敗した場合、というネガティヴな思考に自分が捉われていることはわかっていたが、それでも期待の後輩に全てを預けてしまう自分の情けなさが刀華は悔しくてならなかった。

 だが、刀華ではもう状況を覆すことはできない。そして皆の方針に否と思うところがない以上、その答えは決まり切っている。

 

「……わかりました。私も、皆さんと意思は同じです」

 

 だからこそ、刀華は改めて覚悟を決めた。

 率いることではなく、全力で一輝を助ける覚悟だ。この先、一輝はより苦しい選択を迫られることがあるかもしれない。敵の魔手から仲間を守るため、その矢面に立たなければならない状況が訪れるかもしれない。ならばその時は……

 

(この身に代えても、私が貴方を守るッ……)

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「…………」

 

 選手団がその意志を統一した同時刻。

 和装を身に纏う一人の男が静かに目を見開いた。()()()()()()()校舎に残された僅かな残骸に寄りかかり瞑目していたその男――黒鉄王馬は徐にその視線を虚空へと滑らせる。

 

「……ふん」

 

 それは嘲笑だった。まるで毒も針も持たぬ蟲けらが象へと勝負を挑むことを嗤うような、同時にその無謀を儚むかのような、そんな絶対的上位者にのみ許される行為だ。

 何の前触れもなく虚空を嗤うその姿は奇妙の一言に尽きるが、しかし王馬と共にこの破軍学園を襲撃した暁学園の生徒たちは思い思いに動いているためそれを目にする者はいない。

 しかし事実だけを述べるのならば、王馬は真実蟲けらたちのその蛮勇を嗤ったのだった。

 

 

 王馬には全てが視えていた。

 

 

 アリスが裏切る様も、選手団が困惑する姿も、そして意思を統一した彼らがたった今バスでこちらへ移動を始めたことも、全てが。

 王馬が司る能力は“風”。

 それは即ち空気の流動。

 ならばその能力を応用することで空気に自身の感覚を共有させ、千里眼の如く遥か彼方を覗き見ることなど造作もないこと。

 最早王馬はただ座しているだけで十数キロの範囲へと目と耳を届かせることが可能だった。そこに空気さえ存在していれば、王馬の知覚からは誰も逃れることができない。

 なればこそ、たかだか数キロの距離では王馬の掌の上にあるも同然だ。当然ながら知覚の圏内に選手団が侵入した瞬間から王馬はその存在を察知し、万が一にも逃亡することがないよう彼らを監視していたのである。

 

「……待ちわびたぞ、この時を」

 

 王馬の肉体がその意思と連動し歓喜に震える。

 図らずも愚弟によって状況は好転した。最悪、祝だけでもこの場に吶喊してくるだろうことは王馬も予想していたが、《紅蓮の皇女》も漏れなく付いてきたのは素直に喜ばしい。

 暁学園の一生徒としては選手団が一致団結して抵抗してくることに安堵するのが正しいのだろうが、元々己の目的のためだけに暁に所属する王馬からすれば些事でしかないことだ。

 

 来い。早く、速く、迅く。

 

 岩のように固まり、暁学園の一同ですらその表情が動くところを見たことがない王馬の面差し。

 それが今、誰に知られることもなく愉快そうに歪む。

 凶悪に弧を描いた口元に、狂気すら宿し充血する双眸は、極限の餓えを経た末に獲物を見出した獣のそれに相違ない。

 

「早く来い、《告死の兇刃(デスサイズ)》。俺は六年待ったぞ、この時を」

 

 今度こそ殺してやる。

 殺意と喜悦に満ちたその言葉が、風に紛れて消えた。

 

 

 

 

 




次回か次々回辺りには王馬とぶつけられるといいなぁ……


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今のは《クサナギ》ではない

毎度ながら、感想や誤字脱字報告ありがとうございます!
皆さんの感想に返信できずに申し訳ありません。


 ――さて。唐突ではあるが、『敗北フラグ』という存在を諸君はご存知だろうか。

 

 例えばバトル系の創作物などを鑑賞していた際、まだ闘っている最中なのに「このキャラ敗けそう」と感じたことはないだろうか? スポーツ系で「絶対にこの新技はすぐに攻略されるな」と思ったことは? 戦記系で「この作戦失敗しそう」と考えてしまったことは?

 そう感じた直前、それらのキャラクターはこんなことをしていなかっただろうか。

 

 例えば必殺技や能力や秘策を相手より先に出して、更には勝ち誇って説明までする。

 急に辛い過去の回想や将来の夢が描写される。

 闘いの最中に「やったか!?」と言って油断したり、決着のついていない争い事に「勝った!」と言い放ったり確信したり。

 

 それこそが創作物の界隈で言われる所謂お約束――敗北フラグなのだ。

 たった今挙げた三つの敗北フラグはその中でも突出した、いわば「これをやったらほぼ敗北確定」と断言できる代表的なものとすることができるだろう。

 

 では、この敗北フラグをなぞると物語はどうなってしまうのか。

 

 

 その結果は、()()()()()()()()()()()()()雄弁に語っていた。

 

 

 結論から述べると、アリスの企てはものの見事に失敗した。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 外の景色が、まるで川の流れのように後方へと過ぎ去っていく。

 時速100キロ近くを出して走行するバスは、私たちを乗せたまま破軍学園へ向けて荒々しい運転で突入していった。

 

 あの後、選手団は空中分解することもなく原作通りに総員で突撃する選択をしたと東堂さんに聞かされている。どうやら黒鉄が皆を纏めてこの作戦に同意させたらしい。

 流石は主人公。カリスマ性が私とは違う。

 私でもその気になれば某北の大国風に「撤退したら殺す」と脅し立てて集団を纏めることはできるが、黒鉄のようにリーダーシップを執るのは無理だろうね。

 

 そんなことを考えている間にバスは破軍学園の正門をぶち破り、正面広場へとその大きな車体をドリフトさせながら停車した。そして慣性を殺し切ることを待たず、黒鉄たちは窓やドアから外へと飛び出していった。

 私? 普通に歩いてドアから出たよ。《既危感》があるからそもそも攻撃があればわかるし、それ以前に襲い掛かってくる気配もなかったし。

 

 そしてバスから出た私たちを出迎えたのは、変わり果てた破軍学園の姿だった。

 建物は残さず吹き飛ばされており、地面には所々に陥没した跡が残っている。さらに目を引くのは学園に残っていたであろう生徒や教師たちが倒れている姿で、見渡す限り意識を保っている人は一人としていない。

 

「徹底的ですね~」

 

 一応、血の臭いはしないので死人はいなさそうだ。いや、もちろん血を一滴も零さずに死体を作る方法なんていくらでもあるけど。でもその辺に転がっている人全員にそんな殺し方をしたと考えるより、《幻想形態》で気絶させたと考えるのが自然だ。

 

 というか、私としてはそんなことよりも建物の方が興味深い。

 

 ぱっと見だから断言はできないけど、校舎や訓練場の破壊痕が特徴的なんだよね。一階部分が少し残っている以外はその全てが消し飛ばされて瓦礫くらいしか残っていないという。

 しかもほぼ全ての建物は残っている部分が同じ高さしかなく、破壊のされ方も大威力の攻撃で外側から吹っ飛ばされているように見えた。

 立ち昇る黒煙はどうやらその後で起こったもののようで、火災で建物が崩壊したようにはどうにも見えない。

 

 それはまるで、大威力の一撃で全てを纏めて薙ぎ払われたみたいな……

 

 しかし私が考察できたのもそこまでだった。

 殺伐としていた空気の気配が俄かに変わる。それに気付いたのか、東堂さんや黒鉄、それからステラさんが一斉に同じ方向へと首を巡らせていた。

 そこにいたのは、仮面で素顔を隠した道化師(ピエロ)だった。

 

「おや? おやおやおや? これは破軍学園代表選手団の皆様ではあァ~りませんかァ!」

 

 とうっ、と間抜けな掛け声とともに道化師が私たちの方へと飛び込んできた。そして軽やかに着地してみせると優雅に腰を折って一礼してみせる。

 戦場にはあまりに似つかわしくないその風貌に、ステラさんたちは度肝を抜かれたように瞠目していた。

 

 彼のことは原作知識がちょっと薄れている私も良く憶えている。

 彼の名前は平賀玲泉。暁学園の一員にして、数少ない()()()()()()()()()()()人間の一人だ。

 というのも、どうも彼は人間ではないらしい。どこか超遠距離から埒外の傀儡師が操っている人形……らしい。らしいというのは、私の知る原作知識ではその裏にいる人物が出る前までしかないからなんだけど。

 10巻に行くか行かないかくらいで原作知識は打ち止めだから、その後でちゃんと元の傀儡師が描写されたのかわからないんだよねぇ。

 まぁ、とりあえずカンクロウとカラスの関係のようなものと納得しておく。カンクロウもカラスを人間に化けさせていたりしたもんね。こういう時に二次元の知識は便利。

 

 話が逸れたが、その後はまさに怒涛の展開だった。

 平賀さんが姿を現したのを皮切りに、他の暁学園の生徒たちも続々と集まってくる。その姿はまさに私の原作知識にある通りで、とりあえず私のせいで向こうの戦力が減っていないようで安心した。原作崩壊して増える分には大歓迎だけど、もしも減っていたらその分だけ闘えなくなっちゃう。

 

 おっ、ちゃんと王馬くんもいる!

 彼も成長しているようで、さっきから視線に乗せてわかりやすいくらい私に向かって殺気を放っているのに周りの人はそれに気付いた様子もない。どうやら殺気に指向性を持たせるという器用な真似をしているらしい。

 ……あれ? でもこれって“アリスさん対策”で作られた人形だったような……ってことはこの殺気は偽物なんだろうか? でも再現度は本物と遜色ないみたいなことを原作で言っていたような、言っていなかったような……。

 

「……ああ、なるほど」

 

 いや、違う。1/1スケール王馬くん人形の再現度が高すぎて騙された。

 これ、視線こそ人形から来ているけど殺気は別方向から来ている。そっちは全く視線を感じない上に、殺気の方も上手に出所を散らしているせいで最初は全然わからなかった。

 はぁ~、本当に器用なことするねぇ。

 

 私が一人で感心していると、黒鉄も王馬くんが暁学園の中にいることに気付いたらしく驚いている。

 まぁ、黒鉄似のイケメンで高身長で和装でロン毛という派手な出で立ちの学生騎士なんてたぶん王馬くん以外いないもんね。そりゃ気付くよね。

 

「貴方は……!」

「…………」

 

 王馬くん人形は安定のスルー。うん、マジで再現度高いわこの人形。

 というか冷静に考えたら黒鉄からしたら衝撃の事実だよ。すんごく久々に会った兄貴が自分の母校を破壊して回るテロリスト集団に加わっていたっていうんだから。別に兄弟仲もそんなに悪くなかったらしいし、まさに驚天動地ってところだと思うよ。

 

「どういうことなんですか、兄さん。貴方もこの暁学園とかいう集団の――」

「囀るな、愚物が。俺はとうに黒鉄と縁を切った身。貴様らに語る言葉などない」

 

 あっ、声もそっくり。でも前よりちょっと低いかな?

 ようやく口を開いた王馬くん人形だけど、口調とか言葉選びまで本当に王馬くんそっくりだ。

 そんな彼は不意に私から視線を外すと、今度はステラさんへとその鋭い眼光を向けた。でも殺気は私に向いたままなので、たぶん王馬くん側も私が気付いたことに気付いたっぽい?

 それでもこっちに手を出してこないってことは、お互いに考えることは一緒ってことね。以心伝心なようで手間が省ける。お礼として君は最初に殺してやろう。

 

 そんなことを考えている内に、平賀さんが朗々と暁学園とは何なのか、なぜ自分たちが破軍学園を襲撃したのかを語っていく。

 内容は概ねアリスさんがバスで説明した通りだった。そして平賀が語り終わるのを合図に、黒鉄たちが霊装を展開する。

 それと同時に、アリスさんがさも黒鉄たちを騙し討ちしますとばかりに気配を潜める。

 そして次の瞬間、両陣営が発した闘争の気によって空気が爆ぜた。

 

 

 で、戦端が開かれるまでもなくアリスさんはリタイアしたのでした。

 

 

 結果だけ言うのなら、アリスさんの裏切りは見事に暁学園側に読まれていたのだ。彼らの中に予知能力者(笑)(紫乃宮天音)という存在がいたことによって、全ては最初から無駄な足掻きでしかなかった。

 つまり味方(スパイ)に裏切らせるはずが、まさかのその味方こそが裏切り者だったという戦法を用いようとしたアリスさんは、実は裏切ることを予見されていたという更なるまさかのどんでん返しによって裏切りを封殺されてしまった。

 これによって破軍学園の奇襲は失敗。暁学園の精鋭たちvs破軍学園のアマチュア集団という敗北必須な全面戦争が始まってしまう。

 

 ……うん、知ってた。

 

 というか、正確に言うと前世で原作を途中まで読んでいた頃から知ってた。

 メタな話になってしまうが、実は原作においてアリスさんは裏切り者というキーパーソンであるにも関わらず、長々と回想や心情を描写されてしまうという読者にとって「あっ……」と言わざるを得ない失敗フラグを立ててしまっていたのだ。

 これを見た多くの読者が物語(ストーリー)の行く末を察してしまったのは想像に難くない。

 

 もちろん、私はその気になればこの事態を防ぐことができた。

 選手団の皆さんに警告するなり、裏切り者を裏切って奇襲してきた暁学園をその瞬間に一人か二人くらい仕留めることもたぶんできたのではないかと思う。

 

 しかしそれをしては大鎌の活躍の機会が減ってしまう。

 私としてはガチンコの闘いを大鎌が征するのが理想の展開なのだ。なので今回、私はアリスさんがこうして敵側の霊装によって背後からハリネズミにされる展開を泣く泣く許容したのである。

 倒れ伏すアリスさんは、紫乃宮さんの複数展開が可能な剣型霊装《アズール》が何本も背中に突き刺さっているという大変痛ましい姿だ。でもごめんね、大鎌の活躍のためにどうしても必要な犠牲だったんだよ。

 貴方のその犠牲、無駄にしないくらい全力で私頑張るから!(幻想形態なので死んでない)

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 最悪と言って差し支えない状況だとステラは歯噛みしていた。

 

 アリスの作戦通りに暁学園の面々を斬り伏せた彼女たちは、しかし成功の裏に潜む油断という隙をこれ以上ない形で突かれる形となる。

 なんとステラたちが倒したと思った暁学園は敵の能力によって作り出された偽物(デコイ)で、本物は息を潜めてこちらの作戦が空転するのを待っていたというのだ。その逆襲をこちらは見事に食らってしまい、瞬く間にアリスが負傷、そのまま敵の一人である平賀玲泉によって連れ去られてしまったのである。

 もちろん破軍学園の一同もそれを指を咥えて見ていたわけではない。既に追跡に珠雫が、そしてそれを援護するために一輝がこの場を離脱しているが……

 

(こいつら、誰一人として二人を追おうとしない!)

 

 それはあまりにも不気味な反応だった。

 

 《風の剣帝》黒鉄王馬。

 《凶運(バッドラック)》紫乃宮天音。

 《不転》多々良幽衣。

 《魔獣使い(ビーストテイマー)》風祭凛奈。

 《血塗れのダ・ヴィンチ》サラ・ブラッドリリー。

 

 彼らは誰一人として離脱していった《道化師》平賀玲泉の援護に回ろうとしなかった。まるでその必要はないと言わんばかりの落ち着きぶり。そこから推測できるのは、平賀があの二人を退けられるだけの実力を持っているか、あるいは……

 

(その行先にさらなる実力者がいて、迎撃が容易であるかってことね)

 

 何はともあれ、最早ステラに平賀を追うことはできない。姿を見失ったことに加え、目の前の敵がそれを許すはずもないということはステラも理解している。特にその一人、王馬の視線は先程から完全にこちらに狙いを定めていた。

 その全身から放たれる圧迫感からステラは悟る。自分がこの男を振り切り、一輝たちを追いかけるのは不可能だということを。

 敵は日本唯一のAランク伐刀者。そしてその威圧感は暁学園の面々の中でも明らかに突出していた。しかし即ちそれは、彼が暁学園の誇る最強戦力であることを意味している。であるならばそれはステラにとっても好都合だった。

 

「蒼天を穿て、煉獄の焰ッ!」

 

 紅蓮の炎熱を纏い、ステラの霊装《妃竜の罪剣》が天高く掲げられ、一呼吸の間に灼熱の大剣へと変貌していた。逆巻く炎は周囲の大気を食らい、その名の通り天壌を焼き尽くさんばかりに破壊の渦を天高く立ち昇らせる。

 

(アリスの作戦が外れてからこっちの士気はガタガタ。強引にでも主導権を捥ぎ取る必要がある!)

 

 それ故の《天壌焼き焦がす竜王の焰(カルサリティオ・サラマンドラ)》。ステラの持つ最強にして最大の伐刀絶技。

 およそ対人としては過剰すぎる威力であることはステラ自身がよく理解していたが、しかし敵は愛すべき母校を破壊し尽くした仇敵だ。容赦の必要は微塵もなく、同時に油断も欠片すらない。

 一撃だ。

 全力の初手によって王馬を斃し、最悪一撃で斃せなかったとしても応手の隙すら与えず焼き尽くす。これによって敵の最高戦力を潰し、闘いの形勢を一気にこちらに呼び込むのがステラの狙いだった。

 

「――ずっとアンタの視線を感じていたわ、オウマ・クロガネ。アタシと闘いたいんでしょう?」

 

 ならば望み通りに受けて立つ。

 雄弁に語るステラに、相対する王馬は目を細めることで応えた。黙して語らず、しかしその鋭い双眸は()()()()()()()かのように灼熱の大剣を見上げている。

 この場の全てが予感した。これから二人のAランクが激突し、それが開戦を告げる狼煙となると。

 王馬はその二つ名の通り風使い。そしてステラと同じくAランク。ステラが初手で大技を放つのならば、考えられる応手は一つしかない。

 《月輪割り断つ天龍の大爪(クサナギ)》――それは《風の剣帝》が誇る最強にして必殺の伐刀絶技。

 もちろん王馬ほどの伐刀者ならばステラの攻撃を躱すことなど容易だろうことは想像に難くない。しかし目の前で仁王立ちするこの男が、そのような軟弱な選択をすると考える者はこの場には一人としていなかった。

 必ずこの男は迎え撃つ。それも一歩も退くことなく、この灼熱の炎剣を相手取るはずだと。

 

 

 だが、後に人々は理解する。

 それは黒鉄王馬という男をあまりにも侮ったが故の発想だということを。

 

 

 その場の誰もが瞠目し、祝ですらも意外そうに眼を瞬かせた。

 味方であるはずの暁学園の面々ですら訝し気に王馬を一瞥する。

 そしてステラは唖然とするあまり、瞬間的に思考停止に陥っていた。

 なんと《天壌焼き焦がす竜王の焰》を前にして、王馬は抜き放った野太刀の霊装《龍爪》をだらりと下げたまま()()()()()()()()()。それどころか、まるで「つまらないものを見た」と言わんばかりに不快そうに鼻を鳴らし、そして一輝たちが去っていった方向を忌々し気に睨む。

 

「あのペテン師が。これほどの原石がまだこの領域とは、全く失望させてくれる。やはり奴は《紅蓮の皇女》に並び立つべき器ではない」

「あ、アンタ何を――」

「《紅蓮の皇女》、念のために、万が一を警戒し、己の未熟さを疑い一度だけ確認してやる」

 

 ステラの困惑を余所に、王馬は見るからに白けた様子で再び視線をステラへと向けた。

 そしてステラは理解する。既に王馬の視界に、自分の姿がないことに。もう先程まで自分に向けられていた闘志はなく、残っているのはまるで地を這う蟲ケラを見下ろすかのような……

 

 

 

「――これがお前の全力か?」

 

 

 

 交わる視線。

 放たれた言葉。

 そして叩き付けられる“殺気”。

 

「ひッ……」

 

 その瞬間、ステラは生まれて初めて心の底から人間を相手に竦んだ。理解できないほど強大で、意味がわからないほどに隔絶した実力に背筋が凍り付く。

 そして理解した。自分を()()()()この男の前で生存を許されていることが、ただの気紛れという名の奇跡によるものでしかないという事実を。王馬がその気になれば、その瞬間に自分は死ぬ。逃げることも抗うことも許されず、指の一本を動かす暇すらなく命を蹂躙される。

 そこに同じAランクであるという評価など何の意味も持たなかった。存在しているのは、経験したことがないほどの恐怖だけだ。

 

「あ……あっ……」

 

 あまりのプレッシャーに息すらできない。眼力だけで全身の筋肉が縮み上がり、恐怖は血流すらも凍り付かせる。

 世界最高の魔力を持つステラは、間違いなく最高の潜在能力を持つ逸材だ。才能という観点から見れば、彼女に勝る伐刀者などこの世に存在しないだろう。しかしステラはこの日、世界には自身を矮小な弱者でしかないと見做すことができる人間が存在するという真実を身を以って教えられることとなった。

 この、目の前に佇む絶対強者によって。

 

「――やはりその程度か、竦み上がることしかできんとは。《告死の兇刃(デスサイズ)》はこの程度、平然と受け流したぞ」

 

 失望と呆れ。

 それが王馬の目が語る全てだった。

 しかし彼もこのまま終わらせるつもりはないのか、その人外染みた殺気を滾らせたままにゆらりと《龍爪》を頭上へと持ち上げる。それだけでステラは、その優れた才覚と本能から自分の命運が尽きかけていることを悟った。

 

「手加減はしてやる。本物の『強さ』の意味をその魂に刻んで眠れ」

「う――ぁぁぁぁあああああああッッッ!!!」

 

 剣を振り下ろすことができたのは、死を恐れる本能からだった。

 恐怖と絶望と僅かに残された理性が、目の前の死の脅威を排除せんとステラの魔力と筋力を稼働させる。大地へと叩き付けられた劫火は、破壊の嵐となって斬線の延長上に存在する全てを蹂躙した。まさにAランクの名に相応しい、あまりにも人間離れした威力。

 

 もっとも、その破壊を向けられた王馬からすればあまりにもか弱い“火”でしかなかったが。

 

「――嗚呼」

 

 王馬の口から、溜息とも欠伸とも思える気の抜けた音が漏れる。

 そして眼前に迫る劫火を前に、思い出したかのように王馬は《龍爪》を振り下ろし……

 

 

 ひゅるり――

 

 

 それは暴風と呼ぶにはあまりに洗練され、しかし旋風と呼ぶにはあまりにも鋭すぎた。

 王馬の斬撃に合わせて放たれたその一陣の風。

 それはステラが最強と謳う《天壌焦がす竜王の焰》と交わった瞬間――紅蓮が、火の粉を残し真っ二つに裂けた。炎も、熱も、光すらも断ち切られ、僅かな拮抗すら許されず、あまりにも呆気なく勝敗は決していた。

 否、それだけで終わるはずもない。

 

「――えっ?」

 

 それが意識を闇に呑まれる寸前にステラが発することができた言葉だった。

 王馬の風は紅蓮の炎剣を断ち、僅かな威力の減衰を見せることもなくそのまま直進。その使い手たるステラの脳天から股先までを一刀の下斬り捨てた。

 やがて一拍遅れ、炎と共に引き裂かれたことにようやく気が付いた大気が爆ぜる。それは最早、颶風だった。王馬に刻まれた斬撃の跡をなぞり、颶風が気を失ったステラへと襲い掛かる。意識のないステラがそれを耐えられるはずもなく、彼女は受け身すら取ることも出来ず、校舎の残骸をいくつも砕き、貫き、そして幾度も地面を弾んだ末に――学園の敷地の外にまで吹き飛ばされてようやくその身を横たえることが許されたのだった。

 

「そんな……馬鹿な……」

 

 そう漏らしたのは一体誰だったのだろうか。

 しかし誰の言葉であれ、それが敵味方を含めたこの場の全ての人間の心情を代弁したことは間違いないだろう。

 あの《紅蓮の皇女》が、世界最高峰の魔力を身に宿した天才が、同じAランクの、それも学生騎士にこうも一方的に敗れ去った。その事実を誰もが受け入れられない。王馬が先程の言葉を違えず《幻想形態》で魔術を繰り出したために、ステラの柔肌には傷の一つすらもないが……もしも王馬がその気すら起こさなければ、彼女は今頃血の霞となってこの世を彷徨うこととなっていただろう。

 あまりにも異質なその強さ。

 それは学園の代表選手といえども学生騎士(アマチュア)でしかない彼らの戦意を砕くには充分すぎるものだった。

 

「この、怪物(バケモノ)め……!」

「嘘だろ……どうすりゃ倒せんだよ、あんな奴……」

 

 勝てる気がしない。

 まず、葉暮姉妹の姉である桔梗が霊装の槍を取り落とした。続いて妹の牡丹が膝を屈する。生徒会の面々は戦闘態勢こそ崩していないものの、既に戦意は削がれたも同然だった。

 そして大きく戦意を削がれたのは刀華も例外ではない。もしも彼女の背後に守るべき仲間たちがいなければ、今頃は彼女も膝を地に付けていただろう。しかし刀華を支える最後の柱が――その覚悟と信念がある限り彼女の意志はこの絶望的な状況でも挫けはしない。

 

 だが、刀華はショックのあまり忘れていた。

 

「す――」

 

 敵味方の誰もが王馬に畏怖する中。

 常識的に考えれば絶望の底に突き落とされても仕方のないこの状況。

 そんな場において、むしろ狂喜乱舞してしまう狂人がその傍らにいたことを。

 

 

 

「すっっっっっごぉぉぉぉぉいッッッ!!!」

 

 

 

 その言葉に畏怖はなかった。

 そこにあるのはただ“感動した”という、ありきたりでこそあるが人間の最も原始的な感情だった。

 誰もが恐れ戦くその惨状を目にし、ただ一人――疼木祝という少女だけが目を輝かせていた。拳を握り締め、興奮のあまり小さくその身を跳ねさせる。まるで幼子のように感情の抑えが効かないのか、「凄い凄いッ」と止むことなく口走り続けていた。

 

「東堂さん東堂さん東堂さんッッ! 今の見ました今の!? ステラさんのバ火力を相手に一撃ですよ一撃ッ! 一撃!! しかも瞬殺って……もう本当に王馬くん凄いッ! 凄い凄い凄いッ!」

 

 言葉だけで感情を抑えきれなくなった祝は、遂に唖然とする刀華へと抱き着いてしまうほどだった。その異常な反応には敵である暁学園の生徒たちですら閉口し、むしろ王馬とは別種の薄ら寒いものを感じざるを得ない。

 だが、当の王馬はまるで動じていない。それどころか祝の奇行に呆れたように眉を顰めていた。

 

「貴様は六年経とうと全く変わらんな。その拙い語彙で“獲物”を褒めちぎる癖はまだ残っているのか」

「だって凄いものは凄いじゃないですか! あの時の少年がまさかここまで成長するなんて思っても見ませんでした! 凄すぎて“凄い”しか言えないくらい凄いです! 今になって思うと本当に――本当に六年前に殺し損ねていて良かったぁ」

 

 たった一言。

 その言葉が発せられた瞬間、抱き着かれていた刀華は自身の死を幻視した。内臓が裏返り、脳が内側から爆ぜたとすら感じた。あるいは抱擁のために回されたこの細い腕が自分を絞め殺したのかとすら思った。

 

 そう錯覚してしまうほどに溢れ返る濃密な“死”の気配。

 

 殺気ではない。闘気でもない。

 ただ概念としての“死”が刀華を覆い包む。その尋常ならざる感覚に、刀華は確かに自分の魂が黒く重い何かに押し潰されていく感覚を刻み込まれた。

 

「うッ、おえ゛え゛え゛……!」

 

 気が付けば刀華は祝を突き飛ばし、その場に吐瀉物をぶち撒けていた。

 いや、刀華だけではない。選手団の面々は一様に顔を青褪めさせてその身を震わせ、暁学園の精鋭たちですらもその地の底から滲み出るかのような不気味すぎる気配に思わず後退る。

 平然としているのは王馬だけだ。いや、それどころか彼はピクリとも動かさなかったその表情を歪め、獰猛な笑みを浮かべながら一歩を踏み出していた。

 

「殺し損ねたのはこちらとて同じこと。あの日以来、餓えと渇きで俺の魂が休まる日は一日としてなかったぞッ……」

 

 一歩、また一歩。

 王馬が歩く度に天が震えているとすら錯覚するような、尋常ではない殺気。

 

「私も心残りでしたよ? でもこんなに強くなって戻ってきてくれたのならあの日の残念な敗北にも意味がありました。凄く強い貴方を殺せば、それって大鎌がもっと凄いって証明できるってことなんですから」

 

 蹲る刀華には目もくれず。

 祝はその手に大鎌《三日月》を顕現させると、まるで手足の延長であるかのように滑らかな動作で一旋させた。

 

 その瞬間、二人の戦闘準備が整ってしまったことを周辺の全ての生物が悟った。

 

 全てを押し潰さんと天が動く。

 全てを呑み込まんと地が啼く。

 殺意と狂気が鳴動し、耐えられないとばかりに日輪が分厚い雲の衣にその身を隠す。大気すらも息を潜めたかのように沈黙し、周辺の野鳥や獣たちが一斉に身を翻してその場を後にした。

 

「――くは」

「――あは」

 

 自然と二人の顔には笑みが毀れていた。

 美男と美女が見つめ合い、その笑みを交わし合う。言葉にすれば仲睦まじい関係としか思えないその動作だが、しかし野太刀と大鎌を手にしながら向かい合うこの二人を見てそれを懸想する者はこの世に存在しないだろう。

 しかし太陽だけはその光景に油断したのかもしれない。

 笑い合う二人に向けて雲間が途切れ、一瞬の光明が――

 

 

死ねェッッッ!!

 

 

 刹那、闘いの火蓋が切られた。

 

 

 




キリが良いので今回はこの辺で。
結構強引に話を進めてしまったので反省しています。


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つかあのお兄さん刃が刺さんねーんだけどマジで

毎度ながら、感想や誤字脱字報告ありがとうございます!
感想は全てに返信できず申し訳ありません。


 風を操ることで空気抵抗をなくし、逆に空気を暴風の推進力へと変換する王馬。

 埒外の魔力制御と理想的な身体運用により、並みの伐刀者の十倍以上の『行動強化』――魔力放出による身体強化を可能とする祝。

 この二人が激突したことでまず始まったのは、凡庸な伐刀者では目で追うことすらも叶わない高速戦闘であった。

 

 戦闘開始と同時、破軍と暁の両陣営の多くの者は二人の姿が掻き消えたようにしか見えなかった。

 

 二人の姿を捉えられたのは、動体視力に特に優れる多々良と《閃理眼》の伐刀絶技を保有する刀華のみ。そんな二人が驚愕に表情を硬直させるよりも速く、王馬と祝は互いの霊装の間合いに足を踏み入れていた。

 振り下ろされる《龍爪》。

 薙ぎ払われる《三日月》。

 単純ながらも常人ならば掠るだけでも必殺の威力を誇るその二撃は、しかしこの二人にとっては小手調べにもならない挨拶程度の意味合いしか持たない。

 二人の距離は瞬く間にゼロとなり――更なる加速によって初撃を見舞ったのは祝だった。

 王馬の上段からの斬撃を前方への加速のみによって回避した祝は、すれ違いざまにその無防備な脇腹へと鈍色の刃を叩き込んだのだ。まさかの初撃による決着に多々良と刀華は瞠目し、しかし当の祝は眉を顰めるという勝者に相応しくない表情を浮かべていた。

 しかしそれは当然だろう。

 なぜなら、そもそも勝敗はまだ決していないからだ。

 

()ァッッッ!」

 

 大鎌を振り抜くことで背を向けることとなった祝に向け、脇腹を斬り裂かれたはずの王馬が間髪入れず反撃を繰り出した。

 しかし祝は()()()()()()()()()、背中越しに斬撃を長柄で受け流す。そしてそれに収まらず更なる反撃として、今度はその石突を受け流しの運動エネルギーを乗せたまま王馬の頭蓋へと叩きつけた。

 祝の魔力放出すらも上乗せされたその打撃は王馬の右側頭部を直撃。堪らず王馬は大きく体勢を崩し、――それを見逃す祝ではない。

 

「やッはァ!」

 

 まるで舞のようにその身を躍らせた祝が漆黒の大鎌を振るう。

 それはまさに発破と表現するに相応しい大音量だった。大鎌の曲刃の先端が王馬に触れるやいなや、炸裂音とともに王馬の身体が大きく吹き飛ぶ。

 

 だが、王馬は倒れない。

 

 なんと彼は僅かに宙に浮いた己の両脚を地面に突き立てるや、粉塵を巻き上げながらその勢いを力尽くで押さえ込んだのだ。

 あれほどの斬撃をその身に受けておきながら、王馬の動きは全く衰えた様子はなかった。それどころか彼の身体からは血の一滴すらも流れ落ちておらず、諸に石突を食らったはずの側頭部にも傷は見られない。強いてダメージの痕跡が見受けられるのは、王馬がその身に纏う和装だけだ。

 

(な、何がどうなって……!?)

 

 一連の攻防を傍らから見ていた刀華には全く意味がわからなかった。

 攻撃をその身に受けながらもダメージを殺し切る方法は確かにある。その代表的な例が、魔力総量に絶大な差があるために攻撃側が防御側の魔力防御を貫けないというものだ。

 一見すればその現象によって王馬が祝の攻撃を防ぎ切ったようにしか見えない。

 しかし刀華の知る限り祝の魔力総量は数値上では自分よりも多く、ステラを除けば学生騎士の内でも最高峰に相当するもののはず。加えてあの威力で繰り出される斬撃を無傷で受け止めるなど、どう考えても尋常ではない。

 だが、その不可思議を前にしても祝は興味深そうに王馬を見つめるだけだった。

 

「……へぇ。硬いですね」

「貴様の刃が軟すぎるだけだ。今度はこちらから行くぞ」

 

 ゆらりと《龍爪》が持ち上がる。

 そしてたちまちその刃がブレ――

 

()ィッ!!」

 

 放たれる斬撃。

 間合いを開けながらも繰り出された斬撃は風を纏い、その風は鎌鼬となって祝へと迫る。

 しかも一撃ではない。瞬間にして繰り出された風の刃――《真空刃》は十三。まるで嵐のように殺到する刃の群れに、しかし祝は微笑みを崩さない。それどころか避ける仕草すら見せなかった。

 

「ふぅん?」

 

 「あっ」と破軍の誰かが叫ぶより速く、いや、それどころか王馬が刃を振り下ろすよりも早く、祝は《三日月》を大きく背後へと振りかぶっていた。

 そして刃が殺到するや否や、全身の筋肉を捻るかのように大きく大鎌を薙ぎ――

 

 

 その一撃は爆砕音を奏で、横殴りの爆風となって大気を蹂躙した。

 

 

 物体が音速を超えることによって引き起こされる衝撃波(ソニックブーム)

 それは風の刃を食らい尽くし、更には大地すらも抉り取る。そのあまりにも荒々しく暴力的な防御行動に、先程の王馬など比でないほどの粉塵が舞い上げられた。

 

「何でもありかよクソがァ!」

 

 暁か、それとも破軍か。

 余波だけで身体が吹き飛ばされそうになるのを懸命に堪えながら誰かが叫ぶ。誰のとも判断の付かないその言葉だが、実際に刀華たちの内心を実に簡潔に表していた。

 《真空刃》から身を守るための防御行動でしかないこの一撃。だが、もしも人間がこれを直撃してしまえばどうなるかなど自明の理だ。これほどの衝撃波を食らったが最後、全身が千切れてバラバラになるに違いない。

 その身に三度もの致命打を食らって平然としている王馬は疑いようのない怪物だが、素振り一つで殺人攻撃を当然のように放つことができる祝もやはり普通ではなかった。

 

 そんな刀華たちの驚愕を余所に祝が粉塵へと突入する。

 

 視界が利かない中へとあえて踏み込むのは明らかに愚行。

 しかし《既危感》によって敵の反撃を予知できる祝にその常識は当てはまらない。

 

(来るか)

 

 そんな祝の接近を、王馬は己の支配下に置くことで感覚を共有している周辺の大気から悟った。視界が利かずとも問題がないのは祝ばかりではない。空気さえ存在していれば王馬の眼は全てを見通す。

 

(あっ、何か知らないけどバレた――そっちもだけど)

 

 祝もまた、《既危感》により王馬の存在を悟る。

 粉塵を引き裂き迫る白刃を未来から予知したのだ。刃渡りと軌道から即座に逆算、祝もまた王馬の正確な位置を割り出す。

 予知と感覚共有という、互いに常人を逸脱した超感覚を用いた探り合いは互角。ならばやはり、雌雄を決する要因は“己の強さ”しかないだろう。

 その意志を乗せた二つの刃が交錯し――そのあまりの衝撃に粉塵は瞬く間に消し飛んだのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 王馬くん凄すぎワロタ。

 

 息をつく間もない高速戦闘。

 いつの間にか戦場は移り変わり、東堂さんたちのいた正門付近は遥か彼方だった。

 それを意識している間にも私と王馬くんは一切足を止めておらず、破壊の痕跡を周囲に刻みながら転々と戦場を変え続けていた。

 加速し続ける戦闘模様。それに引き摺られるように思考も加速していく中、私は改めて王馬くんの戦力を分析する。

 

 王馬くんの何が凄いって、色々凄いけどその最たるものは肉に刃が通らないことだろう。

 マジで純粋に硬すぎて普通の斬撃では皮膚すら貫けない。打撃すらもあのガチガチの筋肉と骨に阻まれて全く通用していない。これは原作にもあった王馬くんの特性なので知っていたには知っていたのだが、実際に闘ってみてわかった。比喩表現とか抜きで鋼より硬いよ、あの筋肉。

 筋肉に刃が刺さらないって、お前はジャック・ラカンかよ。

 

 ではなぜ彼の身体がこれほどの硬度を持っているのかというと、原作知識によれば彼は数年もの間、自身の風の能力で身体に圧をかけ続けるという修行をし、それに適合する形で肉体が変化したためらしい。常に肉体を空気圧で潰し続けるだけであそこまで人間が超進化できるものなのかは甚だ疑問だけど……ほら、そこはファンタジーですから。

 おまけに筋肉が進化したせいで硬度だけでなく膂力も上昇し、もはや素の力だけでステラさんと渡り合えるほどなんだとか。原作では東堂さんの《雷切》すら受け切っていたし、マジで筋肉で攻防能力を底上げしているのだ。

 

 筋肉最強説(力こそパワー)

 

 これを王馬くんは体現していると言えるだろう。というか魔術で闘うラノベで筋肉でほぼ全ての敵を薙ぎ払える王馬くんは絶対に生まれる世界を間違えている。

 っていうかこの人、力がありすぎて通常攻撃すら防御ができないんですけど。斬撃を受け止めたらそのまま叩き潰されるんじゃないの、私。さっきは様子見として受け流しをしてみたりもしたのだが、魔力放出で無理に相殺したのに手と腕が痛いし。本音を言うのならばあんまりやりたくはないが、躱し続けるのは却ってシンドいので却下。

 

 更に言うのなら他にも速さとか反応速度とか無駄のない体捌きとかたぶんまだまだ残されているであろう風の魔術のレパートリーとか、王馬くんの凄い点を上げればキリがない。

 速いし硬いし力は強いし魔術も魔力量も優秀とか、これどこの“僕が考えた最強の伐刀者”なんですかねぇってくらいステータス的に隙がない。高次元にバランス良く能力が揃えられた理想的なオールラウンダーだ。

 それから……もしも違ったら私の勘違いみたいで恥ずかしいんだけど……

 

 

 この人、原作よりも強くね?

 

 

 最初から違和感はあった。

 原作では確かステラさんの《天壌焼き焦がす竜王の焰》に対し、王馬くんは彼の必殺技である《月輪割り断つ天龍の大爪》で迎撃していたはずなのだ。そして二人の必殺技が激突した結果、ステラさんは生まれて初めて力押しによって敗れ去る……って感じの展開だった気がする。

 しかし実際は違った。

 王馬くんは必殺技の「ひ」の字すら晒さず、《真空刃》でステラさんを片付けてしまった。もちろん連撃で放つようなものとは込められた魔力も空気の密度も桁違いではあったんだろうけどね。

 

 でも、最初は興奮のあまり意識していなかったけど、これって普通にヤバいよね?

 ステラさんは猛特訓の末に王馬くんを打倒することになるけど、これ本当に勝てんの? 正直、この王馬くんに勝てる彼女のイメージがサッパリ湧かないんですけど。

 

 ……まぁ、何はともあれだ。

 王馬くんのその一見無謀としか思えない修行でこれほどの成果を出したという事実は素直に賞賛するしかない。私からすれば『感謝の正拳突き一万回』を繰り返し、その果てで百式観音を習得したのと同種の凄い偉業だ。

 誰に命令されるでもなく、成功する保証も実を結ぶ確証もないというのに、自分にできることを極め続けたことで極限の領域までそれを昇華させたのだから。

 

 彼がこのような修行を始めたのはなぜだったか……

 そうだ。確か彼は小学生(リトル)リーグに優勝して中学生に上がった後、国外へと武者修行の旅に出たのだ。しかしその過程で《解放軍》の首領にして最強戦力である《暴君》と闘い、その人物にぶっ殺される寸前まで痛めつけられてしまったのである。

 そして世界の本当の広さを知った王馬くんは無茶な修行に手を出すようになり、そして現在に至る、と。

 

 いや~、大鎌至上主義の私は剣士なんて須らく死ぬべきだと常に思っているけれども、彼の強さに対する執念は私の大鎌に対する情熱と比較できる程度には本物だと私も認めざるをえない。

 彼は心の底から強くなることを渇望し、いつか《暴君》すらも下せるような伐刀者になることを目指しているのだろう。

 

 世界の勢力図を三分割するほどの伐刀者《暴君》。

 噂によれば高齢のため寿命がもう長くないとかは聞いたことがある。しかし間違いなく世界最強クラスの伐刀者であることに間違いはないので、恐らくは彼も《魔人(デスペラード)》と呼ばれる存在なのだろう。

 そんなこの世界における大魔王的なポジションのレベルを目指す王馬くんには感心させられるが……

 

 

 

 残念ながら王馬くんの冒険はこれで終わりだ。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 戦闘が始まってから数分。

 王馬と祝の戦闘は膠着状態に陥りつつあった。

 というのも数撃を交えたことによって王馬も祝も敵の大まかな力量を計り終えてからは、下手に牽制や派手な動きをすることを嫌い、ジリジリと互いの隙や意識の解れを探り合う読み合いの段階に移行したのである。

 その一瞬すらも気の抜けない戦闘の最中(さなか)、王馬は静かに思考する。

 

(数年前とは桁違いに武術が洗練されている。まさかこの俺の攻撃をこうも受け流し続けるとは)

 

 表情にこそ出さないが、王馬は内心で舌を巻く思いだった。

 王馬の肉体はこの数年で圧倒的な進化を遂げている。『行動強化』の訓練も怠らず、加えて黒鉄家で暮らしていた頃から慣れ親しむ『旭日一心流』も実戦の中で研鑽を絶やさなかった。そんな王馬の必殺の剣技を祝は躱し、そして受け流すことで掠り傷の一つすらも負わずにいる。

 認めるしかない。祝の武術と魔力・身体運用は自身のそれを凌駕していると。

 身体能力そのものは王馬が圧倒的に勝っていることは疑いようがないが、その差を覆し、更には互角に持っていけるほどに祝は巧い(・・)

 しかも《既危感》による経験値の蓄積により、戦闘開始の当初よりも明らかに王馬に対応する動きが洗練され始めている。このままダラダラと時間をかければ、自分の武術は何一つ彼女に通用しなくなってしまうだろう。

 

(ふん)ッッ!!」

 

 大地を断つかと思われるほどの威力で振るわれる《龍爪》。

 それを無駄なく紙一重で躱した祝は、その刃が振り終わるよりも早く王馬へとカウンターの刃を振るう。その刃が狙う先は――眼球。

 筋肉と違い、人体において最も柔らかい部位の一つ。

 なるほど、道理には適っている。王馬の硬質化した筋肉や骨に攻撃が通用しないのならば、剥き出しの弱点である眼球から攻めようと考えるのは当然だ。

 

 しかしそれは王馬も腐るほど経験した対応だった。

 

 その殺人的な目潰しを、王馬は軽く首を動かすだけで防ぐ。まっすぐに眼球へ向かっていた刃は目標には辿り着けず、王馬の頬を浅く()()()に留まった。単純に頬の皮膚を刃が傷つけられなかったのだ。

 「ちぇ」と残念そうに呟く祝。

 だがその攻撃の失敗も彼女にとっては想定内なのか、更なる追撃を行うこともなく後方へと退いていく。王馬もそれを追うことはせず、ちょうど良いタイミングではあったためゆっくりと空気を吸い込み身体の調子を安定させた。

 しかし隙は作らず、その思考もまた回転を続けていた。

 

 ――決定打に欠ける。

 

 弄ぶかのように大鎌を一旋、二旋させる祝を眺めながら、王馬はその事実を再確認する。

 祝の刃が自分に届かないことと裏腹に、接近戦では予想通りにこちらの攻撃が通用しなくなり始めつつある。

 かといって中・遠距離戦をしようにも速射できる《真空刃》は通じず、溜めを必要とする大技の類は祝の予知によって出だしを強制的に潰される。ダメージこそほぼないが、体勢を崩されるような一撃を見舞われて大技を放てないのだ。

 傍目から見れば恐らく延々と接近戦を続けていたように映るかもしれないが、王馬とて馬鹿ではない。戦闘の過程で魔術を試みなかったはずがなかった。

 

(己の魔力(ステータス)を極限まで研ぎ澄まし、《既危感》でそれを最大に発揮する。なるほど、奴の戦闘の“型”は既に完成形だ。しかも未だに発展の余地を残している)

 

 こと接近戦に限るのならば、王馬がこれまでに出会った伐刀者の中でも五指に入る実力者。

 膂力も通常の伐刀者が相手ならば充分に反則的で、敏捷力や機動力も超一流の領域だ。王馬もこの進化を遂げずに彼女と相対していたのならば、恐らくは一方的に惨殺されていたに違いない。

 

 そう、()()()()()()()()()()()

 

 闘争にifはない。

 現実として祝の攻撃が王馬に通用していないことは覆しようがないのだ。確かに王馬の攻撃は祝に当たらないが、彼が持つ特性は祝の持つ強みを殺し切って余りある。

 決定打がないのは祝とて同じこと。むしろこちらは武術も魔術も当たれば必殺という有利に変わりはないのだ。

 

 つまり膠着状態でこそあれど、戦局が傾いているのは――王馬。

 

 そもそも大鎌による接近戦しかほぼ手札がない祝は、敵と実力が拮抗した時点で“敗け”なのだ。それは即ち、唯一にして最強の手札が相手に通用していないことを意味しているのだから。

 先程の衝撃波のような技があろうと、自身の得意な土俵で勝ち目を見出だせなければ祝は最早打つ手がないも同然。

 だからこそ王馬の鋼の肉体は、これ以上ないほどに祝の戦闘スタイルに()()()

 

(どうする? ここから貴様はどう逆転する?)

 

 だが、王馬に油断や慢心は欠片も存在していなかった。

 むしろ逆だ。こうまで自分に有利な状況で祝が逆転する術が思い付かないという、()()()()()()()()()()()

 それはつまり、仮に祝がまだ勝機を確信していた場合に次の手が全く予想できていないという王馬の未熟さすらも表しているのだから。

 

 超人的な見切りと魔力制御によって制御された、武術という名の暴力を絶えず見舞う祝。

 そしてそれを全て受け切りながらも、尚斃れることなく即死級の斬撃を繰り出し続ける王馬。

 

 それはAランクという外野の評価などまるで意味を成さない、至高の超人たちだけが踏み入ることのできる領域の闘争だった。

 一挙手一投足が命運を決してしまうその闘い。だが、王馬の直感が告げている。この疼木祝という敵は、博打を打ってでも早々に勝利を掴むべき狂気を孕んでいると。

 ならば――

 

「やらせませんよ」

 

 刹那、王馬の脳が指令を肉体に伝達するよりも更に速く。

 これまでとは比較にならないほどの速度で祝が間合いを詰めていた。あまりの速度に物理現象すらも追いつかず、祝の蹴り足によって砕けた地面が思い出したかのように爆ぜる。

 

 ――速いッ、まだ手を抜いていたというのかッ!?

 

 王馬が驚愕に目を見開く暇すら与えず、その加速力を用いて祝は石突を用いた神速の刺突を見舞う。

 その渾身の一撃に王馬は思わずといったように呻き、堪らず数歩後退った。しかしそれだけだ。これでもまだ皮膚に痣を刻む程度。未だに祝の攻撃は王馬の肉体に致命傷を与えることはできていない。

 そして……

 

「それは予想済みだッ!」

 

 体勢を崩したことなどものともせず、王馬はその全身に旋風を纏った。

 《風神結界》――自身の周囲に高速で回転する竜巻を形成し、接近する全てを微塵に斬り裂く王馬の防御魔法。しかしそれを敵が目の前にいる状態で繰り出せばどうなるか。

 即ち、攻防一体の範囲攻撃と化す。

 

「やっぱり駄目ですか~」

 

 そしてそれを予知できない祝ではない。

 刺突が王馬の体勢を崩すに留まった時点で祝は後退し、たった一歩で《風神結界》の殺傷範囲から離脱した。

 対する王馬もただ闇雲に風を纏ったわけではない。それどころか、これこそが王馬が必殺の一撃を繰り出すための布石。

 

「……ッッ」

 

 竜巻に巻き上げられた木の葉が微塵に斬り刻まれる外界とは打って変わり、《風神結界》の内部は静寂に包まれていた。その中心に佇む王馬は、一呼吸の間に体内で莫大な魔力を練り上げる。

 祝に屈辱的な勝利を収めてより、王馬は絶えず己を鍛え続けていた。

 それは肉体に限らず、その魔力制御の技術もだ。

 王馬は何一つ妥協しなかった。肉体を鍛えるために魔術を疎かにするなど、王馬の目指す“強者”に相応しくない邪道。むしろ祝という得難い強敵と幼い内に遭遇したことで、本来の彼よりも更に修行に容赦がなくなっていた。

 ならば、だ。

 

 《暴君》に敗れ去って以降も研鑽と進化を続けていた王馬が、本来の彼を超える進化を遂げているのは当然の帰結である。

 

 王馬にとっての溜め――それは一呼吸の間さえあれば充分だ。

 直後、王馬は大規模魔術を放つための全ての行程を終えていた。あとは祝の動きによって応手を決めるという、その段階まで一秒とかからない。

 応手とは、即ち『遠か近か』という問題だ。

 王馬が迎撃準備を整えたことは祝も既に予知しているはず。ならばその後の彼女の動きで王馬は有効な攻撃を選択すればいい。

 祝が《風神結界》を突き破って接近してくるのならば、近距離に絞って威力を発揮する面制圧を。距離を取って様子を伺うようならば更に魔力を練り上げ、躱しようのない大規模攻撃でこの学園の敷地ごと叩き潰す。

 もはや攻撃の規模(スケール)が学生騎士のそれではないが、王馬にとって祝という存在はそこまでして斃すべき価値のある強敵だった。

 

 そして待ち構える王馬に対し、祝が取った行動は――突撃。

 

 直後、風神結界が大鎌の一斬によって消し飛ばされた。

 衝撃波だ。先程《真空刃》を吹き飛ばした衝撃波により、今度は《風神結界》すらも祝は打ち破ったのである。そして引き裂かれた結界の狭間から、祝が神速で間合いを詰めにかかる。

 しかしそれは無駄な足掻きだ。

 祝の予知能力の特性から鑑みて、遠距離から狙い撃ちにされるよりも乾坤一擲の接近戦に臨む方が危険度は低いと判断した末の選択だということはわかる。何せ距離を取ったが最後、祝には投擲くらいしか攻撃手段がないはずだからだ。

 つまり祝は最悪手と悪手を秤にかけたに過ぎない。よってどちらを選んだにしても、もう状況が祝に傾くことはない。

 

(しかし奴のことだ。決死の一撃を割り込ませることによって俺の攻撃を阻もうと企むはず。だが、そうとわかっていればどうということはない)

 

 これにて王馬が放つべき魔術は決定した。《風神結界》を応用、拡大化することにより、莫大な大気の斬撃を半径二百メートルほどに向けて解き放つ。まさに極小のハリケーンとなったその魔術の斬撃が四方八方へと殺到するため、逃れようのない広範囲攻撃(ワイドレンジアタック)となって今度こそ祝を殺害足らしめるだろう。

 

 だが、それを予知によって理解していて尚、祝は王馬へと最後の一撃を繰り出そうとしている。

 

 王馬がここまで攻撃の意を示しているというのに、祝の能力がそれを見逃すはずがない。

 そして彼女が無駄な自殺行為を喜々として行うはずがないため、恐らくこの一撃は王馬の魔術に先んじて王馬へと届くのだろう。魔術を発動するための一瞬の隙にその刃を奔らせ、王馬の魔術を失敗に終わらせるのだろう。それほどの斬撃ともなればどれほどの威力が込められるのかは王馬をしても想像に苦しむが……

 

 ――どれほどの一撃であっても耐えてみせる。

 

 その覚悟とこれまでの己の鍛錬に対する自負が、王馬の鋼の肉体を更に硬質化させた。筋繊維同士が結合を強め、ゆったりとした和装の上からでもわかるほどに筋肉が隆起する。魔力と風の鎧すらもその身に纏った王馬の身体は、さながら人間大の要塞と言っても過言ではない。

 これでも止まる様子を見せない祝には、既に魔術に失敗する王馬の姿が予知できているのかもしれない。

 だが、それでも王馬は構わなかった。

 

 ――ならばその予知を覆し、勝利をこの手に収めるまでのこと。

 

 王馬の眼前に迫る祝の構えからして、恐らく繰り出されるは上段からの斬撃。

 横薙ぎと合わせて最もポピュラーな大鎌の攻撃の一つ。その単純さ故に、最も大鎌が威力を発揮するであろう構え。

 それを見切ると同時、王馬は来るべき大威力の斬撃に一瞬たりとも魔術の発動を遅れさせまいと神経を集中させる。

 祝の速さは計り知れない。最悪の事態を想定し、少なくともあと二段階は速度が上がると仮定しておくべきだ。そうなればすれ違いざまに一撃を叩き込まれ、そのまま魔術が発動する前に逃げ去られてしまう可能性もゼロではない。

 タイミングを計り損ねることは許されない。この千載一遇の勝機を逃せば、次に彼女を仕留められる機会がいつ回ってくるのかわかりはしないのだ。そして無駄に時間をかけることは祝が更に王馬の戦術に最適化してしまうこととなる。そうなればこの二つの眼が抉り取られるのもそう遠くないこととなるだろう。

 だからこそ王馬は耐える。耐え忍ぶ。この大博打に勝利するためと奥歯を食いしばり……

 

 

「――あは」

 

 

 悪戯が成功した幼い少女のように目を輝かせた祝を見るなり、王馬は直感的に己の失敗を悟ったのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「くッ……」

 

 額から頬へと伝う汗を拭うこともせず、刀華は表情を歪めながら苦しげに呻く。

 そんな刀華に対し、暁学園の一人である紫乃宮天音はこの場に不釣り合いな無邪気な笑みを見せた。

 

「うーん、頑張るなー。もうそろそろ諦めちゃった方が楽だと思うよ?」

 

 巨門学園の制服を纏い、幼さすらも感じさせる彼の両手には無数の剣が扇のように広げられている。

 いや、彼だけではない。刀華を逃すまいと、他の暁の生徒たちまでもが刀華を包囲していた。

 絵筆とパレットの霊装を手に気怠げな様子でこちらを眺めるサラ・ブラッドリリー。

 チェーンソー型の霊装を引き摺り、追い詰められた刀華を愉快そうに眺めやる多々良幽衣。

 そしてメイド服の少女を引き連れ、黒い獅子に跨りながら好戦的な笑みを浮かべる風祭凛奈。

 状況は()()()

 つまり他の選手団の生徒たちは既に全滅しており、刀華はこの精鋭たちを相手に孤軍奮闘を強いられているのだった。

 

 事の発端は数分前。

 

 王馬と祝が刃を交えながら戦場を移した途端、二人の戦闘の余波を警戒して動かなかった残りの暁学園の生徒たちが動き出したのである。

 もちろん、王馬と祝の戦闘に目を奪われながらも敵への警戒を緩める刀華ではない。それは刀華と同じく実戦経験を積むカナタも同様であったが――しかしながら、それ以外の生徒たちにそれを要求するのは些か厳しすぎた。

 一斉に動き出す暁の面々に対し、咄嗟に対応することができたのは刀華とカナタのみ。そして彼らもそれを事前に承知していたのか、暁は正確に刀華とカナタへと刺客を放つ。

 カナタへは夏場だというのに防寒着を着込む少女――多々良幽衣が。そして刀華には眼帯を付けたドレス姿の少女――風祭凛奈が。どちらも暁学園が今回の七星剣武祭のために裏社会から選抜した精鋭であるだけに、二人は応戦せざるを得ない。

 

 そしてそれだけの隙があれば充分だった。

 

 紫乃宮天音とサラ・ブラッドリリーが残りの生徒たちへと襲いかかる。戦意が折れ、呆然と王馬と祝の戦闘を見守るしかできなかったただの学生騎士にそれを捌き切れなどというのは土台無理な話。

 カナタと刀華が応戦している僅かな間に彼らは全滅してしまった。

 そしてカナタも多々良の何らかの能力に敗れ去り、既に地面へとその身を横たえてしまっている。あちらにどのような事情があるのかは刀華も知らないが、全員が《幻想形態》によって気絶させられているだけで死傷者がいないことが唯一の吉報だろう。

 

「おいリンナァ。テメェ、アタイが《紅の淑女》をブチのめしてる間ナニやってやがったァ? この(アマ)、ピンピンしてやがんじゃねェか」

 

 嗄れた声で多々良が毒づく。

 迅速にカナタを沈めた彼女からしてみれば、同じく()()()()()()()だけの刀華を相手に凛奈がまだ勝利できていなかったことに納得がいかないようだった。

 これに対し、凛奈は「クックック」と含み笑いを漏らす。

 

「その喧しい口を閉じろ、《不転》の。たまさか貴様に星の巡りが味方しただけのことよ」

「お嬢様は『うるさい! 偶々そっちは相手との相性が良かっただけでしょ!』と仰っております」

 

 凛奈の仰々しい言葉遣いを、すかさず背後に控えるメイド――シャルロット・コルデーが翻訳する。

 凛奈のわかりにくい言葉に怪訝そうに耳を傾けていた多々良はその翻訳でようやくその意味を理解し、「あァン?」と不快げに表情を歪めた。

 

「上等だぞボケが。《雷切》の前にまず使えねぇテメェからぶっ殺してやろうかァ?」

「ほう、吠えたな狂犬が。吐いた唾は飲み込めんぞ?」

 

 味方であるはずの二人が一気に険悪な雰囲気になる。

 その様子に思わず溜め息を漏らしながら、天音は「二人とも、今はお仕事中だからねー」と仲裁に入る。多々良と凛奈も本気で争うつもりはなかったのだろう。お互いに鼻を鳴らしながら視線を刀華へと戻した。

 まるで子供の戯れ合いだ。しかしその間も包囲がまるで緩まないのは、流石は精鋭というべきだろうか。

 だが、刀華にもこの場から離れられない理由があった。それは選手団の仲間を含め、周辺に倒れ伏している破軍の生徒や教師たちだ。

 刀華一人ならばあるいはこの場から逃げ果せる可能性もゼロではない。しかし万が一にも彼らが生徒たちを人質に取ってしまったならば……

 

(その時は完全に打つ手がなくなる!)

 

 だからこそ刀華にできたことは、暁の視線が周囲に向かないように哀れな狩りの獲物として踊り続けることだけだった。

 もちろん刀華もただやられてばかりではない。隙を見ては反撃をし、あわよくば暁を撃退しようと試みた。しかし敵は精鋭というだけあり、刀華はジリジリと追い詰められつつある。また焦り故か、あるいは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、今日は妙に足場を滑らせたり、状況判断を誤り攻撃に失敗したりすることが多い。

 

(どうすれば……どうすれば……!)

 

 劣勢は更なる焦りを呼び、そして焦りは更なる劣勢を生み出す。

 刀華は今、完全に負の循環に呑み込まれつつあった。そんな刀華の内心を見透かしたかのように、天音は心底から楽しそうに笑う。

 

「アハハ。大変だねー、生徒会長っていうのも。でも大丈夫、君は会長として立派に闘ったと思うよ。だからもういい加減にやられちゃってくれると僕も嬉しいかな?」

「ッ、まだまだ!」

 

 その言葉は己への鼓舞だった。

 そう、勝機はまだ残っているはずだ。ならば最後まで諦観に膝を屈するわけにはいかない。

 一輝がバスで選手団の先導を買って出た時、己の騎士道にそう誓ったのだ。

 弱い自分は仲間を守りきることはできなかったけれど――それでも絶対に暁のこれ以上の暴挙を許すわけにはいかない。

 そんな意志を眼に秘めた刀華に、天音は笑顔を浮かべながらもどこか冷めたような声音で「へー」と気の抜けた声を漏らした。

 

「あっそう。僕としては親切で言ってあげたつもりだったんだけどなぁ……まぁ、無駄だと思うけど頑張って?」

 

 そして天音は、両の手に広げられた十本もの《アズール》を無造作に投げ放った。

 牽制を兼ねているつもりなのか、それらの多くは刀華に掠りもしない軌道を描いている。それを見切った刀華は、余裕を持って自分に直撃するであろう剣のみを弾き落とした。

 

(来るッ)

 

 それを合図にしたかのように、多々良に凛奈、そして沈黙のままに刀華を見据えていたサラが一斉に動き出した。

 その胸に宿るは不退転。孤軍奮闘という圧倒的に不利な状況に陥っていようと、彼女は己の騎士道を曲げはしない。刺し違えてでも彼らを止めてみせる。

 その意志を刃に乗せ、刀華は彼らを迎え撃たんと霊装《鳴神》の柄を強く握り締め――

 

 

 ――そして背後から飛来した無数の《アズール》にその身を貫かれたのであった。

 

 

「……えっ?」

 

 膝から腰へ、腰から腕へと力が抜けていく。

 意識が遠退き、五感がその機能を停止させていく。視界は徐々に暗くなりつつあり、その時点でようやく刀華は己の不覚を悟った。

 

(みん……な、ごめ……ん……)

 

 崩れ落ちる中、刀華は悔しさと自分の不甲斐なさに涙を流していた。

 そして地面に全身を打ち付けながら、刀華は意識を失うその直前に声を聞く。

 

「――ほら、やっぱり無駄だった」

 

 それが誰の言葉なのか刀華には最早わからなかったが、それは嘲笑と失望に染まりながらもどこか悲しげだった。

 

 

 

 

 

 




まだ王馬vs祝は序章でしかないのでご注意を。
というか王馬に本気を出させると破軍学園ごと生徒や教師が死体の山になってしまうので凄く扱いにくい……!


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風さえあれば何でもできる

毎度ながら、感想や誤字脱字報告ありがとうございます!
感想は全てに返信できず申し訳ありません。


 王馬と祝。

 二人の怪物が雌雄を決する最後の激突は、しかしその結末を物語るにはあまりにも味気ない光景を見せていた。

 王馬が怖気(おぞけ)すら感じた祝の最後の一撃は、天地が裂けんばかりの大斬撃でもなく、武力の粋を結集した達人の鋭い一斬でもなく。

 

 

 胸部から伝わる衝撃は王馬が予想していたよりも遥かに弱々しく、鈍く、そして鋭さにも欠けるただの斬撃だった。

 

 

 祝の魔力放出と武術のキレは本物だ。王馬のような特別な肉体などなくとも、彼女ならば斬撃の一つ、刺突の一つで人体を粉微塵に粉砕することも血霞に変貌させることも可能だろう。

 だというのにこの一撃は何だというのか。

 確かにただの伐刀者を殺すにはこの威力で充分かもしれないが、王馬を殺すにはあまりにも惰弱に過ぎる。衝撃が背中へと突き抜ける程度の勢いはあったが、骨や肉どころか皮すら断てていない。

 食らったダメージが予想を下回りすぎるあまり、警戒を最大にしていたからこそ王馬は刹那の驚愕に意識を奪われた。いや、拍子抜けしたと表現するのが正しいだろう。

 

 これは何の真似なのか。攻撃が不発に終わったのか。

 それとも魔力と風の防御が堅牢すぎたあまり、祝の攻撃が肉に届くまでにここまで威力を減衰させられてしまったのか。

 いや、そもそも最後に感じた怖気がただの勘違いだったのか。

 

 いずれの理由にしても、王馬が詰みの一手として《風神結界》を放つには何ら支障がない状態であるということに違いはなかった。残り0.1秒と待たず風の刃が周辺を蹂躙し、祝の纏う魔力の防御すらも斬り裂いてその身体を肉片に変えるだろう。

 だが、王馬はあまりにも呆気なく闘争の果てが訪れてしまったことを、驚天動地の心境以外で迎えることができない。

 終わる。

 六年前、自分に捨て身の狂気を見せつけ、この闘争でも王馬の予想を超えた強さを見せつけた《告死の兇刃》の命が。

 六年に及ぶ積年の餓えを満たすための闘争が。

 雌雄を決するための最後の交錯が。

 

 ――本当にこれで終わってしまうのか。

 

 様々な感情が王馬の内で渦巻き、最後の最後で失態を犯した祝への怒りと唐突な幕引きへの虚しさで王馬の思考が灼熱に焼き付く。

 しかし王馬はそれで冷静さを欠くようなことはしなかった。

 即座に感情を鎮静し、思考を冷却し、氷のような冷静さで己の過ちを正す。

 

 

 ――俺は何を勘違いしている?

 

 

 この幸運、好機、千載一遇の勝機。

 これこそが王馬の望む“強さ”ではないか。闘争を決する要因は肉体のステータスに限らない。

 

 そもそも伐刀者とは、その身に宿す魔力によって己の運命を押し通すことで何かを成す生物である。

 

 魔力とは、伐刀者がこの世界の運命に干渉するためのエネルギーであるというのが定説だ。即ち、この世界に自身の意志を反映させることこそが伐刀者の力の本質であり、個々人の能力の性質はその付属的なものでしかない。

 よって魔力総量とは伐刀者個人が変革できる運命の総量に他ならず、これが生涯変動しないのは生まれ落ちた瞬間にその人物が持つ“可能性(ポテンシャル)”が決定されているためだ。

 そしてこの魔力総量は、伐刀者の『天運』すらも左右する。

 要はステラのような世界最高峰の魔力の持ち主は、才気に溢れ、その生涯に恵まれ、人を動かし、そして運すらも味方につける。天から愛され、あらゆる可能性をその身に秘めた成功者の卵となるのだ。

 だからこそ王馬はこの《前夜祭》でステラに目をつけた。

 ステラという強大で圧倒的な運命の持ち主を打倒するという試練を乗り越えることで、己を更なる高みへと昇華させるために。

 

 ――そしていつか辿り着く。

 

 可能性の果ての、その先に住まう怪物の存在を自分は知った。

 《解放軍》の《暴君》――彼を始めとした、克己の果てに限界を突破した伐刀者たち。

 次はお前たちだ、と王馬はその手を伸ばす。この身は未熟なれど、必ずお前たちの領域へと至って見せると。己を蹂躙し、今尚自分を縛る恐怖を植え付けた怪物に今度こそ打ち勝ってみせるのだと。

 それこそが王馬の目指す強さ。

 そのために王馬は自分の可能性を極め続けた。多くの伐刀者が自身の可能性を持て余したまま寿命を迎えるこの世界で、王馬は自分の全てを出し尽くすためにひたすらに強さを求め続けた。

 

 だからこそ王馬は闘争における“運”の要素を否定しない。

 

 己の意志を押し通すために天運すらも呼び寄せてしまうのが、伐刀者の持つ強さの一面なのだから。

 ここで祝が闘争の趨勢を左右するミスを犯してしまったのなら、それが偶然であれ必然であれ祝はそれまでの器だったというだけのこと。王馬は勝利するべくして勝利するのだ。そこに何の疑問の余地があるというのか。

 

 ――さらば。

 

 王馬は、ここまで自分を引き上げてくれた祝という存在へ感謝とともに別れを告げた。

 彼女との闘いという貴重な経験がなければ、自分は《暴君》と出会うまでの一年間を怠惰に訓練を重ねるだけで浪費していただろう。《暴君》に絶対的な力の差という恐怖を身に刻まれたという未来に変わりはなかっただろうが、それでもその一年の意識の差は確実に自分の成長の糧として芽吹いている。

 その事実に感謝しよう。だが、お前が俺の糧となるのは今日この時までだ。

 祝を殺し、恐らくは成長して《七星剣武祭》に舞い戻るであろうステラを斃し、自分は更なる高みへ昇る。そしていつの日か《魔人》へと至ることで、彼女たちの死に報いよう。

 そして王馬は体内の魔力を全身から放出し、この闘争に終止符を打った。

 

 ――さらばだ、疼木祝という強敵よ。

 

 

 

 

 刹那、黒鉄王馬は己の驕りを突きつけられることとなる。

 

 

 

 

「…………ッが……ぁ……ッ!?」

 

 予期せぬ苦痛に、王馬は練り上げた魔力を霧散させていた。

 ぐらりとその巨躯が傾ぎ、その手から《龍爪》が滑り落ちる。経験したことのない苦しみが王馬を襲った。

 身体が動かず、視界が暗さを増していく。呼吸が一気に浅くなり、更にどれだけ喘ぐように息を吸っても息苦しさが消えない。

 思考を経由することなく、王馬は反射的に胸元を抑えていた。それは苦しみに悶える人間が脊髄反射で取ってしまうただの生理現象に過ぎなかったが、しかし生物とは優れた設計がされているもので。

 その行動により、王馬は自分の身に何が起こっているのかを理解することができた。

 

 心臓から鼓動を感じない――つまり心停止だ。

 

 地面に膝をついたまま王馬は瞠目する。

 何がどうなっているのかはまるで見当が付かないが、勝機から一転して自分は死の危機に瀕していた。心停止から脳死に至るまでにどれほどの時間がかかるのかは知らないが、このままでは恐らく数分で命を落とすこととなるだろう。

 

(な、なぜ……)

「踏み込みと、間合いと――」

 

 風を切る音。

 それを耳にした王馬はハッと我に返ったものの、身体がまるで言うことを聞かない。結果、王馬は神速で繰り出された大鎌の斬撃を首筋へ(もろ)に受けることとなった。

 

「――き・あ・いだァァァッッ!」

 

 万全の体勢から放たれた全力の斬撃。

 あまりの速度に長柄が僅かな撓りすら見せた。破壊力に満ちた曲刃が王馬の首を殴りつけ、これまでの爆音を超えた、それでも最早爆音以外に表現できない大音量で王馬の身体を宙へと吹っ飛ばす。

 その斬撃は神速であり、流麗であり、苛烈であり、そしてあまりにも殺人的だった。人知を超えた威力にとうとうこれまで鉄壁を誇っていた王馬の肉が裂け、数センチとはいえ内側にある血管を貫き、骨に刃が到達する。

 

 だが、奇跡的に即死に至るほどではない。

 

 その傷がほんの紙一重によって即死に至らない程度に収まったのは、戦闘経験によって反射的に展開した一点集中の濃密な魔力防御と、本来の彼を超えるほどに鍛え抜かれた肉体の強度故。

 首元に魔力を集中させたのはただの勘だった。殺すならば首を断つだろうという脊髄反射の判断だ。

 しかしそれが深手の傷であることに変わりはなく、頸動脈から逸れこそしたものの左の斜角筋は断裂しており、頚椎にまで刃が達している。骨が砕けなかったのは魔力防御と筋肉が威力を受け止め切り、骨が損傷しないレベルにまでダメージを抑え込んだためだ。

 

「……ぐ、ぬ……ぉ」

 

 地面へと叩きつけられた王馬は咄嗟に起き上がろうと四肢に力を込めたが、しかしやはり身体は動かない。首からは血が水溜りのように流れ出しており、間もなく失血死するだろうことが伺える。

 しかしそんな王馬をわざわざ放置しているはずもなく、横たえた身体を起こすことすら叶わぬ王馬の傍らに祝がひらりと降り立った。

 

「……今のは割りと本気で殺したと思ったんですけど、これで首が落ちないんですか」

 

 驚愕の面持ちで「軽くホラーですね」と呟きながらも祝は《三日月》を頭上へと振り被り、今にもそれを振り下ろさんとしている。朦朧とする意識の中で、王馬はその大鎌から苛烈なまでの死の気配を感じていた。

 放っておいても徐々に死へと近づく王馬に対し、祝はトドメとして更なる追撃を仕掛けようというのだ。迅速かつ確実に敵を殺そうとする彼女の姿勢は呆れるほどに正しく、また王馬は先程までの慢心に満ちた己に殺意すら抱く。

 

「く、ぉ……」

 

 動け、動け、動け。

 王馬の脳は必死にその伝令を出しているが、まるで神経が途切れたかのようにそれが届かない。たった今まで完璧な制御の下に操作していたはずの身体が全く言うことを聞かなかった。

 そして反撃が叶わないことを祝は《既危感》から読み取っているのだろう。その動作には微塵の躊躇もなく、この一撃で王馬を確実に絶命させようという『意』が読み取れる。

 恐らく先程の傷を寸分違わず抉ることでこの首を切断しようとしているのだ。まるで農夫が雑草を刈り取るかのように、この生命を摘もうというのだ。

 その姿は二つ名の如く、まさに死神。

 

「よいしょっとっ」

 

 そして祝は王馬へ最期の別れを告げることもなく、《三日月》を振り下ろした。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「――チッ、ついてねぇなぁ」

「全くだ」

 

 豪奢な和装をはためかせる歳不相応に幼気な女性。

 そして黒いスーツを着込んだ長身の麗人。

 言わずとも知れた破軍学園の教師である西京寧音と新宮寺黒乃は、現在時速350キロを超える速度で東北新幹線の線路上を疾走していた。

 なぜ彼女たちが新幹線にも乗らずこのような場を走り続けているのか。それはつい先程、破軍学園に残る教師たちから緊急事態を知らせる連絡を受けたためだ。各々の用事で偶然にも大阪へと出張していた二人は、その連絡を受けるなり東京へ引き返そうとしていたのだが……

 

「まさか飛行機が止まっているたぁね。運が悪いにもほどがあんぜ」

「……本当に運が悪いだけならばいいんだがな。これだけの大事でありながらニュースで放送される気配もない。あるいは何者かの思惑が絡んでいるのか……」

「やめろって。そういう面倒臭いのは御免なんよ」

 

 寧音の言葉通り、関西から関東へ戻るための飛行機は何らかのトラブルで全てが欠航となっていた。ならば新幹線による陸路を利用しようと考えるのが常識的な発想だが――

 

 ――しかしこの二人に限るのならば、空路が使えない時点で自分たちの足で走るのが最速の移動手段なのだ。

 

 重力の向きを操作することによって自由落下のように加速し続けることができる“重力使い”の寧音と、時間を加速させることによって常人を遥かに超える速度を維持し続けることができる“時間操作”の能力者である黒乃。

 この二人からすれば、大阪から東京まで息を切らすこともなく新幹線以上の速さで移動することなど造作もない。

 そもそもの話、今回の襲撃は黒乃か寧音が学園にいれば全て解決していたのだ。現役のKOKリーグで世界三位の寧音はもちろん、黒乃は寧音の前にその座に君臨していた強者。襲撃者など容易に撃退できただろう。

 だが、だからこそ敵は二人が学園を離れているタイミングを見計らったのだろうが。

 

「何にせよ、私たちが戻りさえすれば全てが明らかになるはずだ。私の縄張り(シマ)を荒らしたこと……死ぬほど後悔させてやる」

「熱くなんなよ、くーちゃん。つーか今日は選手団の連中が学園に戻ってくる日だろ? もしかするととーかや黒坊が何とかしてるかもしんねぇぜ?」

「それか疼木が襲撃者たちを皆殺しにしているかだな。私としてはそちらの方が困る。現役の七星剣王が防衛目的とはいえ惨殺行為など、笑い話にもならんぞ」

「……やべぇ、すんげぇありそう」

 

 二人の脳内では、襲撃者を惨殺したことを誇らしげに自慢する祝の姿がハッキリとイメージできていた。もちろんその姿は血塗れで、《三日月》には肉片と血がベットリとこびり付いている。

 刀華や一輝がいる以上は皆殺しにまではならないと思いたいが、一人か二人は殺していてもおかしくない。

 これはますます急ぐ必要があると直感的に判断した二人は、更に速度を上げようと――

 

 

 その瞬間、喉元に白刃を突きつけられたかのような剣気が二人の足を止めさせた。

 

 

『――――ッッッ!?』

 

 その気配は一瞬。

 しかしあまりにも濃密で鋭いそれは、世界でも最高峰に位置する二人であっても無視できない。その巨大な気配に二人は狼狽を隠すことができず、そして同時に襲撃者の中に“彼女”がいるということを悟った。

 

「ば、馬鹿なッ! なぜ奴がこんなところに!」

「おいおいおい、マジかよ……」

 

 その人物は世界最強にして、同時に世界最悪の犯罪者。

 強すぎるという理由だけで、世界のあらゆる機関が彼女の捕縛や殺害を断念した無双の剣士。

 あるいはこの世界で最も有名な伐刀者の一人。

 

 その名も――《比翼》のエーデルワイス。

 

「不味い、あれは黒鉄たちでは手に負えん! 急ぐぞ寧音!」

「お、おう!」

 

 そして二人は、持ち得る全力の速度で破軍学園へと走り出した。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「――今のは……?」

 

 同時刻。

 広範囲に放たれた剣気を祝は敏感に感じ取っていた。明らかに自分へと向けられた威圧感ではないが、その人外としか思えぬ剣気に祝は目の前から王馬から意識を逸らさざるを得ない。

 そしてそれによって祝の刃が止まったことは、王馬にとって不幸中の幸いとしか言い様のない幸運だった。

 

「――ぉぉぉおおおおああああああッッッ!!!」

 

 裂帛の咆哮。そして迫りくる死を前に王馬は決死の足掻きを見せた。

 身体が動かないと判断した王馬は、咄嗟に通常の回避を放棄。薄れ行く意識の中で周囲の大気を操り、突風によってその身を吹き飛ばしたのだ。

 結果的にその判断は正しかった。

 「あッ!?」と我に返った祝がその刃を振り下ろすまさに直前、王馬の全身を打ち付けた風は祝の殺傷圏内から彼を弾き出す。刹那の後、王馬の頸があった空間を超音速の一斬が駆け抜け、轟音と破壊を撒き散らした。

 

「……あっちゃ~」

 

 己のミスに祝は「やってしまった」と眉を顰める。

 しかし王馬はそれを意識する余裕などなく、地面を転がりながら懸命に事態の打開を図る。

 

(落ち着けッ、全ては“心停止”という症状がこの状況の元凶だ! これを優先しろ! 首はどうとでもなるッ!)

 

 イメージする。

 最大の問題は心停止。

 身体が動かない以上、自分が打てる手は魔術によるものに限られる。首の怪我は空気で固定するとして、まずはこの心臓を蘇生させなければ。

 

(思い出せッ、所詮は子供でも知っている蘇生法を“風”で行うに過ぎん! 胸部の圧迫を繰り返すだけだ!)

 

 《天龍具足》――直後、王馬の身体を風の鎧が包み込んだ。

 しかし先程の防御に専念した風とは違い、驚くべきことに外部からの衝撃から身を守るはずの《天龍具足》を王馬は()()()()()。これによって外へと向かう風が内へと逆流し、王馬の身体を押し潰す。

 一見すれば自殺行為にしか見えないが、《天龍具足》は的確に王馬の胸元を圧迫し、気圧の圧縮と開放を繰り返すことで心臓マッサージを敢行。何度も地面に弾みながらも突風による運動エネルギーを消化し終えた頃には、完全に心機能を回復させていた。

 

「ッ、かっはぁ……ッ」

 

 自発的な心拍を取り戻した王馬は、首元から上ってきた血を吐き散らしながらも跳ね起きる。

 そして休む間もなく頚椎付近へ風を集中させると、空気を圧縮、固定することで傷口を無理やり止血。そのまま出血を押さえ込むことで、蘇生から三秒とかからず応急処置を終了させたのだった。

 

「――《龍爪》」

 

 立ち上がるなり、王馬は油断なく取り落とした霊装を再展開。改めてそれを構え直し、その切っ先を向ける。

 まさに一瞬の復活劇。

 常識的に考えれば“死”以外に選択肢のなかったその状況を、王馬は一つの好機から見事に脱出してみせたのだ。これには祝としても驚かざるを得なかったのか、瞠目したまま硬直している。

 

「……またしても《比翼》に命を救われたか」

 

 首から上ってくる激痛に僅かに眉を顰めながらも、王馬は自嘲せずにはいられない。

 彼には祝が動きを止めた剣気に覚えがあった。忘れるはずがない、彼女に命を救われたのはこれで二度目なのだから。一度目は《暴君》にあわや殺されるというところを救ってもらい、今度も闘いの中で命を救われた。

 自身の成長のなさに、王馬は奥歯を噛み潰さんばかりの怒りを覚える。しかしその怒りはあくまで胸の内で凝縮し、頭は氷のような冷徹さを保ち続けることができてこそ一流の戦士。煮えたぎる感情は行動の原動力でこそあれ、それに支配されてはならない。

 

「……私としたことが、不覚ですわ~。外野に意識を取られて目の前の敵を仕留め損なうなんて、凹みますわ~」

 

 抉れた大地を踏み砕きながら、祝が《三日月》を右手で霞むほどの速度で一旋させる。口調こそ普段通りだが、空気を裂きながら唸る大鎌が祝の怒りを物語っているかのようだった。

 何はともあれ、状況はほぼ五分(ごぶ)に戻った。いや、手負いとなった分だけ王馬が僅かに不利ではあるが、心停止に陥り瀕死となった状況と比べれば天地の差だ。

 

 そんなことよりも――あの技。

 

 王馬の思考が目まぐるしく回転する。

 あの時は状況を打開するために考える余裕もなかったが、今は違う。また心臓を止められても再び動かすための手段は確保したが、無策で放置するにはあまりにも危険な絶技だ。最低でもその正体は見極めておきたい。

 そして幸運なことに、騎士であると同時に刃引きの試合という名の“スポーツ”を行っていた一人でもある王馬には朧気ながらもその技の正体に心当たりがあった。

 乱れた呼吸を整えながら、王馬はその時間稼ぎも兼ねて口を動かす。

 

「……そうか。今の技の正体が見えてきたぞ、疼木」

「……へぇ?」

 

 王馬が低く呟くと、祝は興味深そうに笑った。まるで「聞かせてみろ」と挑発するような笑みには、技の秘密を見抜かれたことへの動揺などは欠片も見られない。

 しかし、もしも予想が当たっていたのならば。

 

 ――この女は、俺とは全く異質な方向に進化を遂げている。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 心臓を止められ、首の筋肉は断裂し、あと0.1秒で敵に殺されてしまうという、奇跡の生還率を誇るポルナレフも真っ青なこの状況。

 そこで問題だ。この半殺しどころか八割くらいは死んでいるも同然の身体で王馬くんはどうやって攻撃を躱すか。

 

①イケメンの王馬くんは突如、反撃のアイデアを思い付く。

②仲間が来て助けてくれる。

③躱せない。現実は非情である。

 

 答えは原作でポルナレフが言うように――③だ。

 《既危感》は王馬くんの反撃を捉えておらず、背後から他の暁が襲い掛かってくる気配もない。よって①も②も選ぶことはできず、相棒のイギーすらいない王馬くんに③以外の解答は存在しない。

 

 油断や慢心ではなく、私はあくまでフラットな思考でそれを認識していた。

 某眼鏡の死神のように、淡々と、坦々と。

 心情的には確かに楽しくはあったが、その熱に浮かされて思考を鈍らせるのは二流どころか三流のすること。平時の私は感情と行動が割りと直結してしまうタイプなのではないかと疑っているが、闘いの場となれば話は別だ。

 むしろそれでも気丈に私を睨み返す王馬くんを見て、本当にできるというのならどう逆転してみせるのか興味すらあった。

 

 しかし状況を一変させたのは、選択肢のどれによるものでもなく――④ただの偶発的な横槍によるものとなる。

 

 背筋が凍るを超え、まるで脊髄を握り潰されると錯覚するような圧力(プレッシャー)を感じたのは、《三日月》を王馬くんに振り下ろそうとするまさにその瞬間だった。

 

「――今のは……?」

 

 反射的に私は動きを止め、圧力が放たれたと思われる方角へ視線を向ける。

 当然ながらそのような尋常ではない気配を発することができるだけの人間が学園にいるはずもなく、よって視界には瓦礫の山以外映らない。しかし視界の先の遥か彼方に、その何者かが存在していることは明らかだった。

 その気配を感じ取れたのは一瞬。しかも恐らく私を狙い撃ちしたのではなく、津波のように広がった威嚇の余波を食らっただけだろう。それでこれほどの剣気を感じさせるとか、正真正銘マジで怪物としか言い様のない存在だ。

 

 もしかして、今のが原作において恐らく最強を誇る“彼女”なのだろうか?

 

 そんなことに思考を囚われていた私は、そのツケの代償を支払うこととなる。後になれば冷静に考えなくても、このような大きすぎる隙を王馬くんが見逃すわけがないわけで。

 

「――ぉぉぉおおおおああああああッッッ!!!」

 

 突如、雄叫びを上げた王馬くんが動き出す。

 ヤバっ、と思い慌てて《三日月》を振り下ろすも、もう遅い。

 何と彼は心臓が止まってまともに動かせないはずの身体を魔術の風で吹き飛ばし、私の間合いから脱出してしまったのだ。

 しかもそれだけに留まらず、転がりながら唐突に《天龍具足》と思われる風の鎧を纏った王馬くんは……はぁ!? 風の圧力で心臓マッサージをしてる!?

 しかも吹っ飛んだ勢いを殺し切って地面に大の字になるや脚を振り上げ、身体のバネで何事もなかったかのように跳ね起きてしまった。……お、おぉぅ、しかもいつの間にか首の止血まで終わらせてるよ……

 

 信じられない。

 こいつ、本当に人間か? 全力チャージの砲撃を白い悪魔に速射砲撃で押し返された敵役の少女の気持ちが今ならわかる。あり得ないでしょ。

 

 そんな私の驚愕を余所に、王馬くんは手元から離れた《龍爪》を分解し、即座に手元で再構成。正眼の構えで戦闘態勢を整えた。

 これには密かに逆転を期待していた私も唖然とせざるを得ない。「風さえあれば何でもできる」ってか? 万能すぎ、その能力。

 

 …………というか、だ。

 

 王馬くんの華麗なる復活劇を思わず終わりまでしっかり鑑賞してしまったわけだけど、それと同時に私の心中は驚愕以上のとある感情に支配されつつあった。

 

 

 それは――怒りだ。

 

 

「……私としたことが、不覚ですわ~。外野に意識を取られて目の前の敵を仕留め損なうなんて、凹みますわ~」

 

 口ではこう言っているが、実際は凹むどころでは済まない。

 目の前に過去の自分がいたとしたら、間違いなく私を生かしたまま解体して痛覚の地獄を見せていただろう。それくらいに私の内心は怒りで満ちていた。

 

 ――何だ、今のザマは?

 

 私以上の強者が、未熟な私を指して隙だらけと言うのは構わない。そのようなものがあること自体が腹立たしいのは事実だが、同時にそれは私と大鎌に許された発展の余地でもあるからだ。

 

 だが、今のは駄目だ。

 

 よりにもよって外野から気圧されただけで攻撃の手を止め、あまつさえ目の前の敵を殺し損ねてしまうなんて。

 あってはならない。

 というかあり得てはならない。

 愚図にも限度がある。

 合格や不合格のラインを越え、最早これは失格。

 自分の弱さに殺意を覚えたことは幾度となくあるが、これほど自分を憎悪したのは久しぶりという程度には赦せない。可能ならば、このまま自分の首を《三日月》で抉って殺してしまいたいくらいだ。

 

 いや、本当……馬鹿じゃないのか? 私は。

 大鎌使いとしての自覚に欠けるとしか思えない。殺気も剣気も所詮は気迫、それ単体では包丁一本にも敵わない存在なのだ。

 だというのにそれに過剰に反応し、敵を殺し損ねるだと?

 むしろお前が死ね。死んでしまえ。速やかに自殺して大鎌に詫びろと、心からそう思う。

 

 

 ……まぁ、やらないけどね。

 

 

 私にはまだ役目が残っている。大鎌を極め、その素晴らしさを世に伝えるという夢が残っている。

 メジャー武器たちを押し退け、大鎌でもこの世界で最強の座を手にすることができるのだと知らしめてやるという夢のためならば、この怒りも甘んじて受け入れよう。発散することもせず、地獄の苦しみを齎しているこの怒りを永遠に忘れずにいよう。

 

 それが私に課す、私自身への罰だ。

 

 大鎌への罪悪感と、その原因である自分への怒りで胸がジクジクと痛む。血管が切れたのか頭まで痛かった。

 しかしそれでいい。そうでなければ罰にならず、自分を律するための楔にならない。この痛みを糧に、私は更に強くならなければならないのだから。

 

「……そうか。今の技の正体が見えてきたぞ、疼木」

「……へぇ?」

 

 そんな私の荒れた内心を知ってか知らずか、王馬くんは体勢を立て直した後も即座に襲ってくるようなことはしない。

 それが呼吸を整えるための時間稼ぎなのは明らかだったけど……

 まぁ、いいや。闘いに関してはクソ真面目な王馬くんが戦闘中にお喋りしようとしてくるなんて初めてだし、ちょっとくらいは聞いてあげよう。

 西京先生たちが学園に戻ってくるタイミングがわからないので横槍が入るのではないかということだけが不安だけど、それは王馬くんも同じはずだ。手短に話してくれることを期待する。

 

「今の技――あれは『心臓震盪』を応用したものだな」

 

 そして王馬くんは私の期待を裏切ることなく、いきなり核心を突いてきたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 『心臓震盪』――それは日常生活の中でままある致死性の症状だ。

 

 簡単に説明すると、心臓震盪とは外的ショックによって心停止を起こしてしまう現象を指す。人間の心臓は角度、威力、タイミングなどの条件が重なった衝撃を受けた場合、それが胸骨の上から伝わった衝撃でも停止してしまうことがあるのだ。

 例えばニュースなどで、『野球の最中に胸に球を受けてそのまま心停止に陥ってしまった高校球児』というような事例を聞いたことがないだろうか。これがまさにその事例である。

 人体とは機械すらも凌駕するほどに複雑な構成をしている反面、精密機械のように繊細でもある。この心臓震盪はそれを表す症例の一つと言えるだろう。

 

「スポーツ選手の間では知られた症状ではあるが、まさかそれを武術に取り入れるという発想が存在したとはな。つくづく貴様には驚かされる」

「……別に、この《魂穿(たまうが)ち》は私が開発した技ではないんですけどね」

 

 確信を持って告げた王馬の推測を、祝は隠すことなく肯定した。だが、それが真実ならば実に恐ろしいと言わざるをえない。

 先程、祝は大鎌でこの技を繰り出した。

 しかしこの技――祝によれば《魂穿ち》とやらは性質から鑑みて本来は打撃によって仕掛ける技と見て間違いないだろう。そして祝の言葉が本当ならば、この技の源流は打撃を主体とする武術――棒術や拳法にある。祝は大鎌の戦闘スタイルを確立させる前、日本各地のあらゆる武術家に弟子入りしていたと聞くのでその時に教わったか盗んだと考えられた。

 ということは、だ。

 

 最悪、祝は素手の一撃で人間の心臓を止められるということになるではないか。

 

 他の流派の技を修め、それを大鎌で使えるよう改良したとしか思えない。基礎ができなければ応用に続かないように、彼女は源流の技も習得していることだろう。

 そのような武術の殺法が存在していることにも驚かされたが、しかしそれを自在に繰り出せるとなればそれは達人どころの話ではない。

 

「何がホラーだ。貴様のほうが余程人外染みているぞ」

「いえいえ、これは立派な人間業ですよ。ただ、昔『これを意図的に再現すれば一撃で人間を殺せるんじゃね?』と考え、そして実現させた天才がいただけのことです」

 

 「実際、私以外にも先生や高弟の人は使えるみたいでしたし」と言い放つ祝に、王馬は目眩すら感じる。

 日本の武術界の闇は深い。

 

「先生から口外を禁じられているので流派は教えられませんけどね。他にもたくさんのお弟子さんがいる立派な先生だったんですけど、門外不出らしく皆さんには内緒で教えてくれました」

「貴様は特別扱いか。なんだ、まさか色仕掛けでも使ったか?」

 

 もちろん、王馬もそんなことは思っていない。必要とあらば祝は平然と身体を使うこともするだろうとは思っているが。

 つまりこれは、王馬流の冗談なのである。祝もそれをわかっていたため、「まさか〜」と笑いながらそれを流した。

 

「私としては真面目にお稽古していただけなんですけどねぇ。そうしたらなぜか教えてくれました。……『自分が流出させたと口外したら地の果てまで追って殺す』と脅されてはいますけど」

 

 「念の為に技名も先生が新しく考えました」と祝は語る。

 何はともあれ、これでハッキリした。祝はいつでも王馬の心臓を止めることができる。いや、むしろダメージが通らないために直撃前提の戦法を取る王馬にこそ刺さる。あの技は文字通り、当たれば“必殺”なのだから。

 だが、一つだけ王馬にもわからないことがあった。なぜ祝がもっと戦闘の序盤にこの技を使わなかったのか、という謎だ。早々にこの技を使用していれば、王馬をもっと早くに追い込むことができただろう。

 

「――だというのに、なぜだ?」

「ああ、それは簡単です」

 

 王馬が訊ねると、祝は大鎌を担ぎながら僅かに姿勢を低くする。それを見た王馬は、彼女が喋ることに飽いたのだということを悟った。

 つまりお喋りの時間は終わりだ。

 

「王馬くんの筋肉と内臓が硬すぎてなかなか衝撃を通せなかっただけですよ。殴りまくったおかげでようやく威力の調整が済んだだけで――最初から殺そうとはしていましたから」

「……なるほど」

 

 王馬は心から安堵していた。

 そして改めて祝がどのような存在であるのかを再認識する。彼女が“敵”を相手に手加減するだとか、手を抜くだとか――その発想そのものが疼木祝という狂人を舐めているのだと。

 

「では、今度こそ殺しますね」

 

 そして祝が音すら置き去りにする速度で地面を蹴り砕くのを合図に、第二ラウンドが始まった。

 

 




先生「心臓震盪を利用した技を教えるでー」
祝(これ、ライトノベルとかゲームで見たことある技だ……!)

先生「技名で弟子とかにバレると自分がヤバいから技名考えたでー」
祝(これ、最近読んだ漫画のマスコットキャラの名前だ……!)


次の更新で『前夜祭編』を終わらせるのが目標です。


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我が生涯に一片の悔い無し(死んでない)

毎度ながら、感想や誤字脱字報告ありがとうございます!
特に誤字ですが、最近変換ソフトと書き込む媒体を変えたので少し増え気味です。本当にありがとうございます。


「――ッふ」

 

 祝の口元から漏れる短い呼気。

 刹那、《三日月》の石突が王馬の胸元に突き立てられていた。石突が捉えたのは王馬の真芯。穿てば心臓を貫くだろうその軌跡が意味するのは、王馬すらも瀕死に追い込んだ絶技《魂穿ち》。

 一撃目から必殺を図る祝に、しかし王馬とて一方的に屠られるほど弱者ではない。

 風の動きから祝の初動を読んだ王馬は石突が接触する直前、僅かに身を捩ることで衝撃を回避。結果、《魂穿ち》が心臓を掠めるに留めたのだ。

 

()ァッッ!」

 

 攻撃が不発に陥るや、王馬は胸に突き立つ《三日月》など物ともせず踏み込んだ。

 確かに祝の一撃は強力だが、それは魔力放出による瞬間的な爆発に過ぎない。こうして一撃を受け止め終えた後の力比べならば王馬に分がある。

 そして王馬は《龍爪》を横薙ぎに一閃、祝の胴を薙ぎ払いにかかった。

 しかし祝の《既危感》に見通せない反撃はない。刺突を放った瞬間には王馬の反撃が視えていた彼女は、突き立てた石突はそのままに滑らせるように後ろ足を踏み込ませ……

 

「……はッ!」

 

 轟音とともに王馬が吹き飛ぶ。

 祝は前後の脚を入れ替えると同時、その重心移動に合わせて全身の筋肉と魔力放出を連動させ、密着状態から再び打突を放ったのだ。

 無手において『寸勁』とも呼ばれる武術の極意。だが祝の手にかかれば武器越しに繰り出すことすら容易なことでしかない。

 しかし如何に強力な打撃であっても、それだけでは王馬の肉を貫くことはできない。万全の体勢で放った祝の斬撃によってようやく骨まで届く威力になることを鑑みれば当然のことだった。

 だが、王馬もただやられてばかりではない。

 

「……捕らえたぞッ」

 

 胸から伝わる衝撃に呻きながらも、王馬の左手は遂に《三日月》の柄を掴み取っていた。

 平均的な膂力は王馬が明らかに上。だからこそ祝にとって王馬に動きを制されることはそのまま敗北に直結しかねない。

 そしてこの千載一遇の好機を王馬が逃すはずもない。

 

「ぬァッッ!!」

「おうっ!?」

 

 王馬が《三日月》を振り上げ、それに引っ張られて祝までもが彼の頭上へと晒される。そして王馬は、その勢いのまま祝を地面へと叩きつけた。

 しかし祝はこれを霊装を()()()()解除することで回避。王馬の手に握られた部分の柄のみが空気に融けるように消失した。

 

「小癪な真似をッ」

「器用と言ってくださいな」

 

 空中で笑いながら身を翻す祝。

 しかしそれは紛れもない悪手。飛翔系の能力がない限り、人間は空中において絶対的に無力だ。腕も脚も空を切るばかりの滞空時間となれば、どのような達人であっても慣性の枷から逃れることはできない。

 

(ここで獲るッ)

 

 風によって祝の位置と軌道を確認。

 王馬は即座に右手の《龍爪》を奔らせ、そのまま祝の着地を狙い斬撃を放つ。

 しかしその一撃は虚しく空を切った。

 なぜか。王馬の軌道計算は確かに完璧だった。常識的に考えれば今の一刀で勝敗は決していたはず。

 しかし敵は天下の七星剣王であり、常識を彼方に置き去った怪物だ。それを常識で考えたことが失敗だったと王馬は刹那に悟る。

 

 なんと祝は地面ではなく、未だ王馬の頭上にいた。

 

 いつの間にか《三日月》を手放した彼女は()()()王馬の左肩を掴み、まるで平地の上であるかのように危なげなく倒立していたのだ。

 そして王馬の首元にひたりと冷たい刃が押し付けられる。

 そう、王馬の肩を掴んでいるのは片腕だ。

 ならばもう一つの腕は必然的に大鎌を掴んでおり、そして祝が敵の頭上を取ったという有利を有効活用しないはずがない。

 

(……ッ!?)

 

 空気から伝わる感覚によってそれを理解した王馬はその信じ難い光景に絶句すると同時、《天龍具足》で祝を弾こうとするももう遅い。

 刹那、魔力を片腕から放った祝はその勢いで――王馬の片耳を斬り飛ばしていったのだ。

 

「ッぐッッッぉぁぁああああああッ!!」

 

 新たな激痛に声を漏らす王馬だったが、しかし即座にそれを反撃の雄叫びに変えたのは流石と言える。その咆哮すらも追い風にしたかのように《龍爪》が閃き、片耳を奪った下手人を断罪せんと唸る。

 だが、魔力放出を叩きつけられた王馬は、それによって大きく体勢を崩されていた。それによって咄嗟の反撃は空を切り、祝は曲芸師のように宙でくるりくるりと回って危なげなく地面へと着地した。

 

「……なるほど、軟骨ならばギリギリ普通に斬れるんですね」

 

 刃にこびり付いた血と肉を眺めながら、祝は興味深そうに分析している。

 そして苦しみ悶える王馬を前に祝は楽しげに大鎌を元の長さに復元すると同時に一旋。その勢いにより、刃から赤い軌跡を描いて耳の欠片が飛び散った。

 そして同じ血が、王馬の左耳から痛みとともにドクドクと流れ出ている。それを腕で押さえ付けながら、王馬は魔神と錯覚するほどの恐ろしい形相で祝を睨んだ。

 だが祝はそれを一瞥すらせず、顎に手を添えながら王馬の全身を見渡している。

 

「骨は骨でも柔らかい部位は斬れる……なら他はどこが斬れるんでしょうね? 細い骨? 薄い肉? それとも指の関節くらいなら意外と簡単に砕けるんですかね?」

 

 まるで子供の自慢のように満面の笑みを浮かべながら、再び祝は霞むような速さで踏み込む。

 痛みに呻きながらも、距離を詰めさせまいと王馬は《真空刃》を一閃させるが、祝は僅かに姿勢を落とすだけでこれを潜り抜けた。ほぼ直進と差がない祝の動きに王馬は二刀目を放つことができず、舌打ちしながら打ち合いに応じる。

 ――その瞬間、王馬は腕に電流が奔ったのかと錯覚した。

 

「むっ……!?」

 

 《三日月》と《龍爪》が激突する。

 するとその刃を伝い、これまでになかった衝撃が王馬の腕へと流れ込んだのだ。衝撃は腕の筋肉と骨を蝕み、それは腕の痺れとなって王馬を襲う。

 しかし祝がそれで手を緩めることはなく、一合が終われば次の打ち込みが迫るのは当然のことだった。結果、握りの甘くなった王馬の剣は容易く祝に弾き飛ばされ、そのがら空きの身体を祝に晒してしまう。

 

「しまっ――」

 

 思わず王馬が声を漏らすが、祝にそれを最後まで聞き届ける理由もない。

 踏み込みが地面を穿ち、《三日月》が唸る。体勢を崩した王馬にはそれを受ける他に選択肢はなく、咄嗟に《天龍具足》と魔力防御によって防御を固めるのが精一杯だった。

 一体今度はどこを斬り落とそうというのか。

 軌道から考えて指が狙いではないことはわかる。しかし先程の祝の口ぶりからして、またどこかの部位を実験的に斬り落とそうとしているのだろう。

 ならばその部位で一点集中の防御を固めれば、今度こそ防ぐことが――

 

 ――いや、待て。

 

 その瞬間、王馬の脳裏を閃光のように何かが横切る。

 祝から感じる違和感。視線、体勢、力の配分、筋肉の駆動、呼気の強さ、大鎌の伸び――あらゆる情報を空気から読み取る王馬だからこそ感じ取れた違和感だった。

 おかしい。何かがおかしい。王馬の経験が全力で警鐘を鳴らしている。この選択は失敗だと本能が叫んでいる。

 

 王馬は反射的にそれに従い――それが命を救った。

 

 右から迫る曲刃。

 それを王馬は自由の利かない両腕ではなく、地面を踏みしめていた右脚で仰け反るようにして蹴り上げたのだ。それによって刃先が逸れた大鎌は威力を失い、祝は斬撃を空振らせてしまう。

 

「……へぇ?」

 

 感嘆したかのように息を漏らす祝。

 しかしそれも束の間。祝は斬撃の勢いを利用し、後ろ足で王馬の軸足を薙ぎ払った。身体を支えていた左脚が崩されたことで王馬は堪らず転倒し、地面へと背中を打ち付ける。

 そして地面へと引き倒された王馬へ、逸早く体勢を立て直した祝の振り下ろしが襲った。

 

「ぉ――」

 

 喉元から声が漏れる。しかし王馬はそれを言い切る暇もなく、転がりながら全力でその場から退避していた。

 そしてちょうど王馬の胴があった地点を斬撃が襲い、――そして刻まれた残痕が波紋のように爆散して飛び散る。

 明らかにただの斬撃ではなかった。

 ようやく痺れの収まってきた両腕を支えに地面から跳ね起きながら、王馬はその惨状に冷や汗を流す。これをまともに食らっていれば、王馬は少なからぬダメージを負っていたことだろう。あるいは一撃で絶命していた可能性すらある。

 

 ――心臓を止めても復活するのなら、破壊してしまえばいい。

 

 そんな祝の思惑がこの斬撃には込められていることを王馬は肌で感じ取っていた。

 恐らくは蹴りによって逸した先程の攻撃も、そして恐らくは腕に痺れを齎した攻撃もこれと同種のものだったのだろう。

 となれば、やはり先程の王馬の直感から下した判断は正しく彼の命を救ったことになる。

 つまり、先程の残虐性に満ちた独白はブラフだったのだ。王馬の意識を胴への薙ぎ払いから逸らし、僅かでも他の部位へと目を向けさせるための陽動だったのである。

 

「貴様も案外、姑息な真似をするな」

「あはは、バレちゃいました。でもこれくらいの駆け引きは普通でしょう?」

「…………チッ」

 

 腹立たしいが、こればかりは祝が正しい。

 あの程度の小細工にまんまと乗せられかけた王馬が間抜けなのだ。

 自分の落ち度を棚に上げて敵を卑怯と詰るなど、王馬のプライドが許さない。

 そんなことよりも、問題は先程から祝が晒し続ける数々の妙技だ。

 どれか一つでも各流派に伝わる絶技だろうに、それをこうも使い熟す祝はやはり侮れない難敵だった。

 

「……貴様、あとどれだけ珍妙な技を隠し持っている?」

「はてさて、どうですかね? 一つかもしれませんし、あるいは十かもしれませんし?」

 

 可愛らしく首をコテンと傾げながら、祝は王馬を恐れる様子も見せず歩み寄ってくる。

 王馬は《龍爪》を再展開し、祝とは逆にジリジリと間合いを計りながら横へ横へと位置を変えていく。

 

 ここに来て、二人の闘いはこれまでとその様相を一変させた展開へと変貌していた。

 

 王馬が敗北の間際に追い込まれたとはいえ、二人の勝負は先程まで確かに互角の体を見せていたと言うのにだ。

 王馬と祝。

 この二人の戦局を傾けさせているのは、偏に近接戦闘における引き出しの多彩さだった。王馬は確かに肉体こそ超人的だが、戦術や剣術はあくまで人間のそれ。その一方、祝の戦闘技術は王馬にとって全く予想のできないものだ。変幻自在にして予測不能な祝の大鎌は、王馬の肉体のアドバンテージすらも貫く。

 王馬の戦術はあくまで人間業の延長上でしかないが、祝の武術の全貌は未だ全くの不明。この差こそが互角を王馬の劣勢へと傾ける最大の要因だった。

 

「……ふん」

 

 王馬が不満げに眉根を寄せる。

 祝は《既危感》によって王馬の全ての攻撃を事前に経験し、その太刀筋を猛烈な速度で学習して成長を続けている。

 だが王馬は全くの初見で祝の妙技を捌き切らなければならない。

 攻め手は通じず、守れば一方的に技に晒される。

 状況はまさに八方塞がり。

 

(認めるしかあるまい。今、俺はこの女に追い詰められている、と)

 

 つまるところ、王道の闘い方では王馬には打つ手など残されていないのが現状だった。

 このままではジリ貧だ。

 そう遠からず王馬は祝の成長と自分の実力が起こす摩擦によって擦り潰され、ふとした拍子に呆気なく死ぬこととなるだろう。

 

「……《告死の兇刃(デスサイズ)》か」

 

 その名で最初に祝を呼んだ者も、今の王馬と同じ心境だったのだろうか。

 あるいはただ大鎌を持つという単純な理由だけでそう呼んだのか。

 真相は王馬の知るところではないが、血の臭いと死の気配を纏わせる祝の姿は正しく死神だった。そうでなければ悪鬼か悪魔だ。同じ人間とは思えない。

 王馬自身も自分が大概まともな人間からは逸脱していると自覚しているが、“これ”がそれであるというのなら人間という生物の定義は緩すぎる。

 嘗て《暴君》や《比翼》に対しても同じことを思ったが、彼らは本当に自分と同じ世界の住人なのだろうか。異世界から渡ってきた魔物の類と言われても信じられる。

 

「――く」

 

 祝の強さ。それによって齎される自身の死。そして目指すべき頂きの高さ。

 それを改めて自覚した途端、王馬の喉から無意識の内に息が漏れていた。

 しかしそれは恐怖から喉が震えたわけではない。これだけの絶望的な状況でありながらも、不思議と今の王馬に祝への恐怖や畏怖といった感情は浮かばないのだ。

 

 ――闘志がまるで薄れない。

 ――勝利への渇望が全く収まらない。

 ――剣を握るための活力が欠片も尽きない。

 そしてなぜかはわからないが、素晴らしいほどに痛快だった。

 

「……く、くく、くははははッ……!」

 

 王馬は笑っていた。

 これ以上ないほど凄烈に、心の底から愉快だと言わんばかりに。この声も、堪えきれずに思わず腹の底から湧き出たものだ。

 祝が訝しげに王馬を見やるが、そんなことは微塵も気にならない。それほどに王馬は愉快で仕方がなかったのだ。

 

「ど、どうしちゃったんですか? 血を流しすぎておかしくなっちゃいました?」

「くくっ……いや、なに……闘いそのものをこれほど楽しんだのは久しぶりだったものだからな。俺は“勝利”にこそ最高の愉悦を感じたがために闘い続けてきたが、その過程でこれほどの悦びを抱いたのは初めてだ」

 

 胸の内から湧き上がる歓喜。それは王馬の鋼の精神を以ってしても抑えることができない初めての感覚だった。

 もう、本当に馬鹿馬鹿しいほど一方的で圧倒的で絶望的な状況だ。

 それ以外に表現できないほど祝は強い。自分が積み上げてきた全てが崩れ去り、自分の修行漬けの人生の存在価値すら揺らいでしまう。

 六年前は祝と決着がつかない程度には拮抗していた。それがここまで差が広げられたという事実にプライドは完全にズタズタだった。

 だが、だというのに……

 

「なぜだろうな。こんな状況を楽しんでしまっている自分がいる」

 

 王馬自身にもその理由はわからない。

 普通ならば目前の死に恐れ慄くか、あるいは恐怖に打ち勝たんと己を奮い立たせるところだろう。

 実際、王馬は修行の旅の中で何度もそうして強敵や障害を打ち倒してきた。

 だが今、その感情は一切感じない。

 

 

 “強くなりたい”

 

 

 嘗てそう願った少年がいた。

 初めての剣術の試合で勝利することができて、そこで得られた達成感に酔い痴れたが故の願い。

 勝って、勝って、勝ち続けて。その末に世界で一番強くなったと実感できたのならば。

 

 それは――どれだけ気持ちがいいのだろう。

 

 たったそれだけの願い。

 物語の主人公のような、壮絶な過去や神から与えられた使命があるわけではない。我が儘を貫き通そうというただの身勝手な自己願望(エゴ)に過ぎない。

 だが、王馬にとってそれは家族も、約束された将来も、平穏な日常すら捨ててでも叶えたい崇高な願いだったのだ。

 そしてそれは今も薄れることなく王馬の胸にある。この絶望的な状況にありながら、王馬の胸の中で烈火のように燃え盛り王馬の魂に命じている。

 

 “闘え”と。

 

 敗北と死は不可避であろうこの状況。万が一の幸運すらも先程使い果たし、もう自分には何も残されていない。恐らくは逃げることすら叶わないだろう。

 それでも存在しないに等しい可能性に賭けて逃亡し、僅かな延命を図ってもいい。

 逃亡を完全に諦め、命乞いをしてもいい。

 他の暁の下へとさり気なく誘導し、袋叩きにしてもいい。

 だが、王馬はそれらのどの選択肢も選ぶ気にはなれなかった。ただ魂の命じるがままに、絶望に立ち向かい、それを超越することで更なる強さへと至る“道”を自然と選び抜いていた。

 

「俺は全てを捨ててきた。家も、生活も、将来も――そして今、俺は命すら失いかけている。嗚呼、恐らく俺は人間が得るべき最低限の幸福すら捨てて道楽に耽る落伍者なのだろうな。ここで死ねば、誰もが俺を愚かと嘲笑(わら)い、そして剣に取り憑かれた哀れな生涯だったと蔑むのだろう。

 

 

 ――だがそれでも俺は、この絶望の中で一片の悔いすら抱いていないッ!

 

 

 感謝するぞ、疼木。この極限の状況に至ることで、俺は己の歩んできた道に誤りなど何一つなかったことを改めて知ることができた」

 

 本当に清々しい気分だ。

 全てを、命すら失いかけたことで、王馬は己の魂が示す偽りのない“道”を再確認することができた。

 ならば、ここで死線に挑むことは本望。むしろ死線を越えてこそ本当の強さへと至る道が開けるのだと王馬は確信していた。

 

「お前は俺が斃す」

 

 その言葉に、祝に刻まれた傷が悦び疼く。

 全身の筋肉が武者震いし、痛みすらも感じない。

 だというのに五感は嘗てないほどに冴え渡り、そして同じく嘗てないほどに己の肉体をコントロール下に置いていることを感じる。

 そして、王馬も気が付かない内にゆらりと――その身体から揺らめく炎のような魔力が溢れ出ていた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 あっ、ヤバい。

 

 笑いながら、しかし据わった目で剣を構える王馬くんを見て、私は王馬くんが何かヤバい一線を越えたのだということを悟った。

 王馬くんの全身から立ち昇る魔力には見覚えがある。あれは黒鉄の《一刀修羅》の時にも出た、制御し切れずに体外へと魔力が漏れ出ている現象だ。

 あれは制御し切れないほど大量の魔力を一気に燃焼させない限り起こることはないんだけど、それを王馬くんレベルの伐刀者がしているということは……

 そしてその結論を出し切る前に――ゴバッと地面が爆ぜる。

 

 そして既に目の前に王馬くんがいるというね。

 

 っていうか洒落にならない!

 《既危感》によって王馬くんが動き出す前、足に力が込められた瞬間には斬線から脱していた私だったが、そこからコンマ一秒ほどしか斬撃が繰り出されるまでに間がない。

 つまりそれは、間合いが開いていながらも思考から動作の終わりまでが極端に短時間であることを示す。

 今までの攻撃が何だったのかと思えるほどの圧倒的な速さ。

 動きそのものはただの正眼からの面打ちなのだが、速すぎて基礎技が超必殺技に昇華されてしまっている。

 

()ァァッッッ!!!」

 

 返す刀で二撃目。

 それを私は咄嗟に大鎌で受け流す。長柄の表面を滑らせ、刃に引っかからないように丁寧に押し退けて――

 

「――ォッ」

 

 軌道を――ズラして――

 

「――ォォォオオオッ」

 

 駄目だ!

 斬撃の威力が高すぎて、軌道が全く変わらない!

 今までとは桁違いの膂力によって加速した《龍爪》は、逆に《三日月》を押し退けながら――

 

「オオオオオオアアアアアアッッッッ!!!」

 

 遂に斬撃は私の受け流しを破壊し、その刃を爆進させた。

 空気抵抗を魔術によってなくしたことで音速を遥かに超え、そして破壊力を増したその一刀が迫る。

 それに対し私は斬線に合わせて魔力防御を一点集中させて展開。即死という最悪の展開を免れるべく防御を固めたが……

 

「ッ邪魔だァァァアアッ!!」

 

 王馬くんのあまりの脚圧に周囲の地面が割れる。

 筋肉が膨れ上がり、立ち昇る魔力が地獄の業火のように王馬くんから噴き出す。

 あまりの速さに《龍爪》がギチギチと悲鳴をあげた。

 しかしその咆哮とともに更に加速した斬撃は私の魔力防御を硝子のように粉々に砕き、そのまま私の身体を引き千切るかのように断ち斬った。

 

「――ぁっ」

 

 声を上げる暇さえない。

 断ち斬るだけに収まらず、その斬撃が与えてきた衝撃によって私の身体がバラバラに吹き飛んでいくのを視界の端で捕らえた。

 刃が通過した左脇腹から右胸にかけてが熱くて痛い。

 そして捩れながら吹き飛んでいく右腕が、もう繋がっていないというのにまるで何本もの刃物で滅多刺しにされているかのように痛い。

 食道を逆流してくる血と吐瀉物が気持ち悪い。

 断面から零れ落ちていく内臓が尾を引くように伸びていき――その思考すらも許さないと言うかのように、王馬くんの三撃目が私の頭を斬り潰した。

 

 

 伐刀絶技《既危感(テスタメント)》――発動。

 

 

 そして時は巻き戻る。

 私の失敗という経験が過去の私へと受け継がれ、同じく死傷した()()()の痛みと苦痛が破滅的なまでの量の経験値となって蓄積されていく。

 その感覚を味わいながら私の意識は途切れ――

 

 可能性上に存在する全て世界線の経験を私が認識したのは、王馬くんの初撃を躱した直後だった。

 

 最初にこの伐刀絶技を使い始めた頃には立ち眩みと嘔吐感と精神的疲労と知恵熱で死にそうだったこの感覚も、既に慣れ親しんだものだ。

 もう何万、何億、何兆ほどこの攻撃からの流れで殺されたのか思い出せないが、その経験値の中から冷静に失敗のパターンを分析し、そこから最適解を直感と戦闘経験で導き出す。

 即死するほどの酷い失敗の動作と、僅かに成功できなかった軽症レベルの失敗の動作を比較し、検証し、その延長上に存在するはずの無傷(せいこう)という未来を瞬時に導き出す。

 

「覇ァァッッッ!!!」

 

 返しの二撃目。

 それを私は紙一重で躱した。鼻先を斬撃が通り抜け、前髪を撫でる。

 パワーアップしたところ残念だけど、もうその攻撃も、そこから広がる次の攻撃パターンも……

 

「もう死ぬほど見飽きています」

 

 次の瞬間、王馬くんが繰り出したのは刺突の二連撃。足運びだけで躱す。

 そして繰り出される斬撃の嵐と、その間に襲い来る神速の刺突。十、二十とその斬撃は続き、まるで途切れる様子が見えない。

 この技は原作で知っている。

 絶えることのない高速の斬撃で敵を捉え、連続攻撃によって確実に敵を屠るという黒鉄家の剣士が学ぶ()()の奥義。

 

 その名も旭日一心流・烈の(きわみ)《天津風》。

 

 初撃から百八撃目までの全ての攻撃が決められており、使い手は無心でこの全てを繰り出せるまで骨身に技を染み込ませるという。

 そして増大した王馬くんの魔力放出と身体能力によって更に進化を遂げた《天津風》は、最早斬撃の壁だった。

 一秒間に七、八連撃は繰り出されるそれを、しかし私は一つ一つ丁寧に躱していく。

 

 なぜ私にそんなことができるのか。

 答えは単純で、私には《天津風》が描く軌道の全てが視えているからだ。

 無心で百八撃を放つと聞けば凄まじいが、それはつまり初撃の時点でこれから放つ全ての攻撃が決まっているということ。

 そんなもの、《既危感》の前では硬直時間の長い盛大なテレフォンパンチでしかないのだ。膨大な経験と捌き切るだけの速度さえあれば、《天津風》などただの作業ゲーでしかない。

 どれだけ壮大な弾幕だろうと、正面安置では⑨呼ばわりされてしまうのと同じだ。

 

 だが、それこそが彼の狙いだと気付かされたのは、この二秒後に《既危感》が経験を齎した時だった。

 そして私が経験を取得した瞬間から()()()()()刹那の後、王馬くんが動く。

 

「あっ、何それズルい!」

「――()ァッッ!」

 

 私が声を上げると同時、練り上げられ、逆巻く風の魔力。

 そして放たれたのは、《天龍具足》の最大開放だった。凄まじい速度で斬撃を繰り出しながら、同時並行で広範囲攻撃を放つ。

 しかもどうやらこの戦術は《天津風》を使いながら考えたものらしく、初撃を躱した時点では《既危感》の探知範囲に存在しなかった。

 《既危感》は周囲の人間の思考と自然現象などを総合的に擦り合わせて未来を算出する。それはつまり、咄嗟に思い付いた思考を良く考えもせずに反射的に実行されると私が反応し切れないということなのだ。

 だから私は斬撃の檻に閉じ込められたまま――至近から暴風を食らって吹き飛ばされた。

 

 攻撃は身体の反射と経験にだけ完全に任せて、頭は魔術に切り替えたってこと!?

 信じられない。

 人間業じゃないぞ、これ!

 例えるなら、全力で100メートル走をしている途中で急に出された計算問題を速度を落とさずに暗算で解いているようなものだ。そして絶対にどちらかのクオリティが落ちるところを、王馬くんは完璧に並列させている。

 クソッ、暁学園の生徒は化物かっ!

 

 って、文句を言っている場合じゃない。

 風の衝撃は魔力放出で威力の大半を殺したけど、このままだと際限なくぶっ飛ばされ続ける。

 咄嗟に石突を地面に突き立てた私は、ガリガリと地面を削りながら柄に両足を乗せて全体重をかけて姿勢を保つ。宛ら着地キャンセルをするデルフィング第三形態のように!

 

 だけど、その間にも王馬くんとの距離はどんどんと広がっていく。

 そして舞い上がる砂利やら瓦礫やらに紛れて小さくなっていく王馬くんが高々と《龍爪》を頭上に掲げ――

 

「――《月輪割り断つ天龍の大爪(クサナギ)》」

 

 そう呟くのが見えた私は、盛大に顔を青褪めさせたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 ――身体が恐ろしいほどに軽い。

 

 それが王馬が最初に驚いたことだった。

 身体だけではない。この手に握る《龍爪》に至っては羽根でも掴んでいるのかと錯覚するほどに重さを感じず、魂の奥底から無限に力が湧いてくるかのようだった。

 それだけでなく、なぜか魔力も身体から溢れ出てくる。

 膂力、魔力、気力――その全てが王馬にとって経験したことがないほど絶好調だった。

 

 だが、それが王馬の体験した進化とは別種の“力”だ。

 

 本能的にとはいえ、王馬もこれが人間が手を付けるべきではない禁断の領域に眠る力なのだということはわかっている。この力を使い果たした時、もしや自分は力尽きて命を落とすのではないかという懸念も確かにあった。

 しかしそんなことよりも、王馬にとって重要なのは『自分が祝という敵を超えられるのかどうか』ということだけだったのだ。

 

 力を絞り込め。

 殺される前に殺し尽くせ。

 意識を研ぎ、祝を殺すことだけを考えろ。

 この闘いの後のことなど、今はどうでもいい。

 ただ、今だけは――目の前の強敵を殺すことだけを考えろ。

 

 剣を振るう内、王馬の思考からは雑念が完全に掻き消えていた。

 各感覚が風を通して極限まで広がり、王馬自身の器官で捉えた主観的な感覚と、魔術によって得た俯瞰的な感覚が完全に融合する。

 全身の筋肉が解れ、王馬の全細胞が祝への殺意に躍動した。

 そして祝を《天龍具足》によって弾き飛ばした時、それらの感覚は頂点に達する。

 

 ――これが最後の勝機。

 

 王馬の本能と理性は、一瞬の差もなくそれを悟っていた。

 ここで全ての余力を注ぎ込み、僅かな可能性すらも残さず祝を鏖殺しなければならない。

 僅かにでも手を緩めれば、祝は間違いなくその隙間を抜けていってしまうだろう。

 ならば己の持つ最強にして最大の魔術を用いて、完膚なきまでに絶対的な勝利を掴み取る。

 

 そして王馬は《月輪割り断つ天龍の大爪》を抜き放っていた。

 

 これで全てを終わらせるために。

 勝利をこの手に得るために。

 あの死神を殺し、新たな境地へと至るために。

 

 

 

 

 

 ――どこかで、重く堅い鎖が擦れる音がした。

 

 

 




次の更新で『前夜祭編』は終了の予定です。
寧音先生、早く来てー!


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化け物には化け物をぶつけんだよ!

毎度ながら、感想や誤字脱字報告ありがとうございます。
実は今回の更新は今までで一番投稿するかどうか悩んだ回です。今後のストーリーの持って行き方を決定付けてしまうので「別ルートを今からでも考え直した方が……」と何度も思いましたが、結局プロットの通りに進めることにしました。


 破軍学園は小高い山の中腹に存在している。

 つまり付近の平地からならば、大まかに学園がある位置を望むことができるのだ。

 

 だからこそその日、多くの人々がその光景を目の当たりにすることとなった。

 

 破軍学園から立ち昇る黒煙――それを突き破り、呑み込みながら天空へと昇る龍の姿を。

 それは黒龍だった。

 瓦礫を吸い上げ、黒煙を身に纏い、全身を黒く染め上げた漆黒の龍だ。雲すらも突き破り天上へと首を伸ばした黒龍に、麓の街の人々は呆気に取られるしかない。

 それがやがて特大サイズの竜巻だと人々が気付き、その超常現象に動揺と畏怖を心胆に刻み込まれる。

 

 それは常識的に考えれば伐刀者による魔術だろう。

 発生源が破軍学園であることからもそれは明らかだ。

 しかしあの見るからに強大な竜巻を発生させることなど、例え伐刀者であっても可能なことなのだろうか。

 神話を体現するかのようなその黒龍に、人が、街が畏怖に震え上がる。

 そして人々がその光景に動揺する中、破軍学園に急行する黒乃と寧音も時を同じくして彼方にその光景を捉えていた。

 

「くーちゃん、ありゃあ……!」

「ああ、あれほどの規模と密度の風の魔術……間違いなくAランクの伐刀者だ!」

 

 二人には予感があった。

 国内においてあれほどの規模の風を行使できる伐刀者となれば、その数はかなり限定される。そしてその内の一人は破軍学園に帰還しているであろうとある生徒と非常に強い因縁を持つ人物。

 

「まさか王馬ちゃんか!?」

「恐らくはな……」

 

 《風の剣帝》黒鉄王馬。

 かの少年が襲撃者、あるいはその内の一人である可能性は非常に高い。

 だが、それにしてもあの規模の魔術は異常だ。確かに王馬はAランクに相応しい魔力量と潜在能力を秘めていた伐刀者だったが、それでもあれほどの魔術を行使できるほどに成長していることには驚愕を禁じ得ない。

 そしてもう一つ問題がある。

 

「仮にあの魔術の使い手が《風の剣帝》で、もしもあの魔術が《月輪割り断つ天龍の大爪》だったとするのならば……!」

 

 あの異様な竜巻はただの予備動作に過ぎない。

 本命の一撃はまだ始まってすらいない。

 そして黒乃の懸念は間もなく現実のものとなる。

 

「ッ、ヤベェぞくーちゃん!!」

 

 新幹線の最高速度すらも凌駕する速度で疾駆する二人。

 彼女たちの視界の先で立ち昇っていた巨大な竜巻がやがてゆっくりとその巨体を傾がせ――

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「――《月輪割り断つ天龍の大爪(クサナギ)》」

 

 その小さくも殺意と剣気を纏う号令に、《龍爪》は歓喜の声を上げていた。

 まるでこれまで自身を縛り付けていた枷を脱ぎ去ったかのように風が刃に集約し、それらは王馬の身体から引き出された莫大な魔力によって更なる風を呼ぶ。

 数キロ四方の大気が《龍爪》へと収束され、圧縮されることで突風が巻き起こった。

 王馬の長い髪もまた吹き荒れる風に引き込まれ、重力に逆らい空へと伸びる。

 

「ぅぉぉっ、何じゃこりゃぁ……!」

 

 未だ《天龍具足》による慣性を殺し切れていない祝は、遠ざかっていくその光景に思わず心境を漏らしていた。

 それは彼女が知り、そして予測していた《月輪割り断つ天龍の大爪》をあまりにも超越していた。

 半径だけでも優に数十メートルあり、刃渡りとも言えるその全長は雲を割るほど。先程まで雲を纏い身を隠していた日輪はその姿を引きずり出され、陽光が大地を照らす。

 恐らくは低い位置の雲を掻き乱しているだけなのだろうが、それでもこの風撃の射程が数キロに亘っているのは間違いない。

 こんなものを地面に叩きつけたが最後、小さな町ならば振り下ろしの一撃とその余波だけで消し飛ぶこととなるだろう。

 

「それを対人で使いますか、普通」

 

 確実に個人を相手に使用する規模の魔術ではない。都市や大軍の殲滅に使用される“戦略級魔術”に相当することは明らかだ。

 あるいは“禁技”(シールドアーツ)として連盟より使用を禁じられてもおかしくはないほどの大魔術。

 そのあまりの便乱坊(べらぼう)さにボヤく祝であったが、しかし一転して自身が絶体絶命の窮地に立たされていることだけは正確に理解していた。

 あれを魔力防御で防ぐことは流石に祝でも無理だ。そして遮蔽物に身を隠そうにも、王馬はそれごと祝の身体を肉片も残さず粉砕してのけるだろう。

 つまり防御と回避は不可能。

 

 

 ならば攻めるのみ。

 

 

 ゴバッ、と大気が爆ぜる。

 何と祝は背後へと大威力の魔力放出を行い、それによって慣性の運動エネルギーを無理やりに殺し尽くしたのだ。これによって祝は全身を叩きつけられたかのような衝撃を受けることとなったが、しかし死ぬことと比べれば大した問題ではない。

 だが、王馬もみすみす祝に反撃を許すつもりなどなかった。

 既に《月輪割り断つ天龍の大爪》という魔術は完成している。後は《龍爪》を振り下ろすだけで全てが終わるという段階にまで事は至っているのだ。

 故に王馬は微塵の油断も躊躇もなく、その最強にして必殺の刃を繰り出す。

 

「……これで――」

 

 全身がバラバラに引き裂かれそうだ。

 《月輪割り断つ天龍の大爪》を噴射した圧力は、全て王馬の身体へと伸し掛かっている。常人ならば準備段階の余波だけで身体が圧壊するだろうこの魔術に耐えられるのも、偏に王馬の強靭な肉体があってこそ。

 それを示すかのように、王馬の踏み込み、その一歩で地面に蜘蛛の巣のような亀裂が奔る。

 だが、王馬の心と身体は折れない。

 全ては勝利のために。更なる強さを得るために。

 

「――終わりだァァッッッッ!!!!!」

 

 ゆっくりと《月輪割り断つ天龍の大爪》が傾ぐ。

 その斬撃の軌道は狂いなく祝を目指しており、その大鎌ごと彼女を粉砕せんと唸る。

 

「いいえ、まだです」

 

 しかし高々距離を取られた程度で打つ手を失う祝ではなかった。

 翳されるは右の掌。

 そしてその人差し指には、極限の集中状態にある王馬をしてもようやく直前になって気付くほど()()魔力の糸が結び付けられていたのだ。

 その糸が伸びる先は――王馬の“左肩”。

 霊体化していた糸が強い魔力を帯びることで励起し、その姿を実体化させる。そして祝の手から放出された魔力は一瞬で糸を伝導し、王馬の左肩へと到達し、まるで布へと吸い込まれる水のように浸透した。

 

 

「――《月頸樹(ゲッケイジュ)》」

 

 

 それは突如として起こった。

 王馬の左肩の筋肉――それを構成する鋼の筋繊維の僅かな隙間。

 そこが俄に祝の魔力を纏ったかと思うと、そこから一斉に“黒いナニカ”が鮮血と共に顔を覗かせた。

 

「ぐおおおおおおおッ!?」

 

 ブチブチと皮が裂け、肉を押し退け、まるで内側から獣が牙を立てたようにそれは身を顕にした。

 その正体は――刃だ。

 左肩を中心に、肘から首元まで。そこからまるで植物が芽を出すように《三日月》の短剣や曲刃の破片が出現したのである。

 ギチギチと皮を突き破るその様はまるで剣山だが、しかし姿を見せているそれらが全てではない。

 あまりにも予想外の事態に王馬は思い至っていないが、刃は腕の中をも侵食している。貫けない筋肉や骨以外、血管や柔らかい肉などは今の一瞬で蹂躙の限りを尽くされてしまっていた。

 事実、王馬の左上腕は常時とは比べ物にならないほど膨れ上がっている。内側で滅茶苦茶に生えた刃によって肉が膨張しているのだ。腕が千切れ落ちていないのは、強靭な筋肉と骨がそれを繋ぎ止めているからに過ぎない。

 

(左腕が……!? これはまさか平賀の時のッ)

 

 瞬時にその正体に行き当たる王馬。

 これは以前、平賀が破軍に傀儡による遠隔攻撃を仕掛けた際に祝によって仕掛けられた魔術だろう。

 糸によって魔力を敵の体内に伝導させ、内側で霊装を展開するという悪魔の技だ。

 王馬の左肩――祝は一度そこに触れている。恐らくはその時に後の布石として糸を括り付けていったに違いない。

 しかし王馬がそのことに思い至る前に事態は大きく動く。

 

「馬鹿なッ!」

 

 左腕が死んだ――それはつまり、両腕で支えていた《月輪割り断つ天龍の大爪》の制御に不足が生じるということに他ならない。

 頭上から降り注ぐ圧力のバランスが崩れる。

 右腕一本で踏ん張ろうと力を込めるも、皮肉にも王馬自身が最大の威力を込めたと自負する必殺の魔術がその程度で止まるはずもなかった。

 そして――斬線がズレる。

 失われた左腕の穴を突くように風の巨龍は左へ、左へと傾ぎ……祝を射線上に捉えることなく無人の大地へと斬撃を炸裂させた。

 

 

 その瞬間、爆音によって全ての音が掻き消された。

 

 

 風が逆巻き、瓦礫が粉塵になるまで断裁され、横倒しになった竜巻が蹂躙した跡には何一つ残らない。

 射程は優に数キロにまでも達しているだろうその大斬撃。

 地表に叩き付けられた後もその威力は一切減衰することなく、螺旋状の破壊が斬線を阻む全てを削り取っていく。

 しかし《月輪割り断つ天龍の大爪》という魔術が如何に破壊の権化であろうと、それが指向性を持った魔術である以上は当たらなければどうということはない。

 最後の一手――王馬の乾坤一擲の奥義はここに空転した。

 だが――

 

「ぎッ!?」

 

 叩き付けられる暴風の大剣。

 その斬線は確かに祝を捉えることには失敗した。

 しかし祝にとって不幸だったことは、《月輪割り断つ天龍の大爪》という魔術は直撃を避けても尚、殺人的な威力を宿していたということだった。

 祝を正面とするならば、《月輪割り断つ天龍の大爪》が振り下ろされたのは十一時から僅かに左へ逸れた方向。この極限の戦局においては全くの見当違いの方向と言っても過言ではない致命的なミス。

 それでも暴風の余波は筆舌に尽くし難く、竜巻から漏れ出た僅かな風力ですらも侮ることはできない。

 

 事実祝は、《月輪割り断つ天龍の大爪》本体からすれば微風にも等しい余波をその身に受けたことで――右半身の骨が粉々に砕け散っていた。

 

 祝の全力の魔力防御など何の意味も為さない。

 まるで障子を破るかのように魔力の鎧を破壊し尽くし、風圧の鎚が祝を殴り飛ばす。

 たった一撃。

 それだけで祝の右腕と右脚は氷細工のように粉々に砕け、衝撃に耐え切れなかった右肩の関節が血飛沫を上げながら捩れ、真紅の軌跡を描きながら千切れ飛んだ。

 右側の頬肉が裂けて消し飛び、赤く彩られた歯が顕となる。

 錐揉みしながら吹き飛ぶ祝は、他の右半身もそれらに劣らず千切れ、裂け、そして陥没していた。

 疑う余地すらなく重症だ。たった今まで無傷に等しかった祝を、王馬の奥義は掠らせることすらせずにここまで追い込んだのだ。

 

 

 そして――だからこそこれで王馬の敗北は決定的となった。

 

 

「クソォッ!」

 

 左腕を潰された代わりに、王馬は祝の右半身を破壊した。

 王馬の負傷はまだ他にもあるとはいえ、総合的に見れば怪我の度合いはこれで互角となった。

 ……否、()()()()()()()()()()()()()

 

(これも予知による適応だというのかッ!?)

 

 錐揉みしていた祝が「あは」と笑みを浮かべる。

 そして左手一本で大鎌を振るい、即座に姿勢を制御。残された左脚で地面を掴み取り、魔力放出によって慣性を殺す。

 

(あと一歩――)

「あははっ」

 

 微かに聞こえた笑い声。

 それを王馬が耳にした瞬間、祝は既に地面を蹴り砕いていた。

 半死半生の身で漆黒の大鎌を振り翳し、自身の血と肉がこびり付く長髪を乱れさせながら、削げた頬肉の下から歯を剥き出しにしながらも鮮烈な笑みを浮かべて。

 激痛に身を苛まれているだろうに、その技の冴えは衰えることを知らず、その笑みは些かも苦痛に歪むことはない。

 

(奴の命に届かなかった……!)

 

 考えるまでもなく王馬は理解した。

 必殺の《月輪割り断つ天龍の大爪》を食らうことは即ち死という敗北に他ならない。

 ならば瀕死の重症に陥ろうとも反撃のために左半身だけでも生かす。祝はそう判断したのだ。

 恐らく先程の状況下において、あの大怪我を負う以外に最適の解答は存在しなかった。だから祝は躊躇なく、それどころか笑って右半身の骨が砕け、肉が削げる選択をした。

 常人が抱く痛みへの恐怖や失敗への不安など微塵も感じさせないその行動は、まさしく狂気の沙汰。

 空を翔けて迫る祝を眺めやりながら、王馬は悔しさに奥歯を噛み締める。

 嘘偽りなく全力だった。

 王馬は本当に全ての力を振り絞ってここまで繋げたのだ。この一撃で勝利を得るために、文字通り死力を振り絞った。

 だというのに、それでも……

 

(それでも届かないというのかッ……)

 

 暴風すらも掻き消すような哄笑を響かせながら、漆黒の死神が迫る。

 自分の全てを限界まで使い果たしても彼女には届かなかった。

 確かに数値上の魔力は王馬よりも祝の方が上であることは確かだ。しかしその数字の差は――その身に秘める可能性(うんめい)の差はこれほどまでに広いというのか。

 このまま自分はその残酷なまでの運命に頭を垂れ、この生命を差し出すことしかできないというのか。

 

 

「――まだ、……だァッッ!!!」

 

 

 否、断じて否だ。

 王馬は己の信念と魂に誓った。

 絶望に立ち向かい、それを超越することで更なる強さへと至る“道”を征くのだと。

 

 ――俺はまだ生きているぞ。

 

 心臓が激しく鼓動する。

 王馬の全細胞が猛り、唸り、咆哮する。

 その身から湧き上がる魔力すらも荒ぶり、暴風を纏う《龍爪》が軋む。

 

 ――生きているのならば、まだ闘えるはずだ。

 

 王馬の全てがそう叫んでいる。

 闘えと、魂の端から細胞の一片に至るまでもが命令している。

 胸元に刻まれた傷が、その勝利への渇望が王馬の諦観を許さない。

 

「ぅ……ぉ……」

 

 祝の必殺の刃が王馬に達するまでおよそ一秒弱。

 繰り出されるは、恐らく防御不能のあの斬撃。

 ならば王馬は交叉を以ってその必殺を征すしかない。

 

「ぉぉ……」

 

 その時、《月輪割り断つ天龍の大爪》が動いた。

 王馬は祝を捉えることができなかったこの竜巻を用い、祝ごと前方を薙ぎ払おうとしているのだ。

 しかしそれは明らかに無茶な選択だった。

 確かに《月輪割り断つ天龍の大爪》は王馬の魔力を吸いながら未だ暴風を吐き出している。

 しかし全身の筋肉で支えていたあの風圧を右腕一本で満足に動かすことなどできるはずがない。

 事実、刃のあまりの重さに右腕の筋肉は裂け、その下では骨に亀裂が入り始めていた。それでもこの竜巻を纏う剣を僅かなりとも動かすことができるのは流石と言わざるを得ないが……

 

(……私の方が速い)

 

 加速する戦況。

 その一方で緩慢になる時間感覚の中、祝は凄烈な笑みの奥で彼我の速度からそれを冷静に見切っていた。

 そして《既危感》も同様のことを告げている。予知はこの運命線上に祝が“害”を受ける未来が存在しないことを証明していた。

 このまま《三日月》は王馬の命を刈り取り、その魂を粉砕するだろう。

 咄嗟に反撃に移ることができたことは賞賛に値するが、敗北までの過程に無駄な足掻きが加わるだけのこと。

 そしてそれは王馬自身が誰よりも理解していることでもある。

 

(剣が……身体が……重い……)

 

 己の身体を支配し尽くす全能感。

 それを得ても尚感じるその重さに王馬は歯噛みする。

 まるで全身に重い鎖が巻きついているかのように、王馬の身体は自身の魂に付いていくことができていない。

 そしてその剣速もまた、あまりに遅い。

 祝へ交叉を挑むには明らかに不足。

 王馬の戦闘経験と理性が無情にも冷徹な判断を下す――自分のこの反撃は何の意味もなく失敗する、と。

 

(これが俺の限界なのか……?)

 

 緩やかに過ぎていく末期の一刻(ひととき)

 その中で王馬は己が生まれながらに身に刻まれた運命の限界値を感じていた。

 自分は今、嘗てないほどに最強だと確信できる。そして自分の中に眠る全ての力をこの一瞬で振り絞り、この身を闘争のためだけに闘いの中で昇華させ続けた。

 それでもまだ届かないあの領域。

 限界まで手を伸ばしても届かない、黄金の才覚を持つ者――ステラや祝のような鬼才だけが足を踏み入れることができる魔境。

 ただの天才でしかない王馬では一生を費やしても到達できないその場所。

 

(そうか……その先に《魔人》の境地があるのか……)

 

 王馬は静かに悟った。

 今まで垣間見ることすらできなかったその領域を、己の才能と運命を振り絞ったことで確かに視認した。

 次元の違い。その断層を、人であるならば頭を垂れるしかないその絶対的な序列の差を視た。

 

(だが、それでも)

 

 その絶望的な壁を視ても、王馬の剣が止まることはなかった。

 事ここに至って逆転の目はない。

 敗北は必定で、死は目前まで迫っている。例え魂が絶望を塗り潰し、闘争にこの身の全てを費やしていようとそれは変わることのない絶対。

 

(だが……それでも……!)

 

 しかし、()()()()()()()()()()()()

 不可能ならば自分は敗北するしかないのか。

 絶対であるならば自分は諦めなければならないのか。

 世界がそうあれと法則を定めているのならば、自分はそれに従うしかないというのか。

 

 

 ――巫山戯るな。

 

 

 王馬はその全てを拒絶する。

 その全てに抗う。

 己の勝利への渇望は、世界に否定された程度で萎れるような薄っぺらいものではない。

 例えそれが人の身では不可能な所業であろうと、死んでも、輪廻の果てに転生したとしても王馬は絶対に諦めることはない。

 

「……ぉ、ま……ぇは……ッ…………」

 

 ピキリ――何かが罅割れる音がした。

 ただ一刀を振るうことに極限まで集中している王馬はそれに気付かない。

 しかし祝は確かにその音を聞いた。それは予知という、因果干渉系の能力を持つ彼女だからこそ察知することができた異音。まるで鎖が千切れるような、同時に生命が卵から孵る過程でその殻を打ち破るかのような……

 

「嘘でしょう……!?」

 

 祝が瞠目する。

 それは必中であるはずの予知を“超越”して王馬の剣が僅かに加速を始めたためだった。

 

(《既危感》が見せた経験にこんな未来は……ッ、まさかこの土壇場で《覚醒(ブルートソウル)》を――)

 

 未来が姿を変えた。

 それは俄かには信じ難く、しかし紛れもない現実だった。その事実に、祝の凄烈な笑みが驚愕により強張る。

 祝のその変貌に、今度は王馬がニィと口角を持ち上げた。

 

 ――そうか。俺はまだ、お前を脅かす“敵”として在ることができているのか。

 

 王馬の喜悦が伝わったかのように暴風が荒れ狂う。

 無理な動作で右腕を変形させ、血を迸らせながらも《龍爪》が加速し続ける。

 《既危感》の捉えた未来を、限界という断層を踏破せんと足掻き続ける。

 全ては勝利のために。

 

「ォ……れがぁ…………!」

 

 ビキリ、ビキリと何かを引き千切りながら、王馬が己の運命の最果てのその先へと足を踏み入れた。

 しかしその人間に許されざる行いを罰するかのように、王馬の全身から鮮血が舞い散る。意識の外に追いやっていた激痛が巨大な津波となって王馬に追い付き、その不屈の魂すらも削り潰すような苦痛が彼を襲う。

 常人ならば廃人と成り果てるだろうその苦痛。

 

 だが、それでも王馬は止まらない。

 

 最早痛みに思考が潰え、意識と呼べるものが殆ど残されていなくとも。

 五感が機能を停止し、斃すべき敵の姿を見失っていようとも。

 あるいは既に自分は死んでおり、この肉体にへばり付く魂の残滓に成り果ててしまっているのだとしても。

 

 ――それは王馬が闘いを止める理由には成り得ないのだから。

 

 そして王馬の限界という名の運命を縛る最後の鎖が引き千切れ――暴風の大剣と必殺の黒刃が、殺意と狂気が運命の定めを越え交錯を果たした。

 

「疼木ィィィィッッッッ!!」

「死ねぇぇぇぇッッッッ!!」

 

 気が付けば、二人は共に血を吐くように絶叫していた。

 時計回りに円を描く二つの刃は互いに必中。

 故に次の瞬間、両者とも敵の一撃を受け絶命することは誰が見てもわかりきった未来。

 それでも、だからこそ今は敵を殺し勝利することしか王馬の頭には残っていなかった。

 殺す。

 ただ殺す。

 0.01秒でも先に敵を殺す。

 例え他者に相討ちと見做されようとも構うものか。

 どうしても勝ちたい。

 吐き気がするほどに勝ちたい。

 死んでもこの女に勝ちたい。

 今この瞬間だけは《暴君》への恐怖すらどうでもいい。

 これまでの生涯はこの一瞬のためだけにあったのだとすら思える。

 例えこの生命が燃え尽きようとも、この魂に刻まれた渇望を消すことはできはしない。

 

 

 ――俺は、勝ちたいッッッ!!

 

 

 それがあらゆるものを捨て去り、闘争の化身へと至った今の王馬にとっての全てだった。

 裂帛の咆哮が轟く。

 充満していた殺意と狂気がこの一瞬へと凝縮され、二つの刃が死と破壊そのものへと昇華する。

 そして遂に彼我の間に広がる距離がゼロとなり――視界が真紅に染まると同時に王馬の意識は途絶えた。しかしそれでも、彼は最期の瞬間に確かにその目へと焼き付けることができたのだ。

 

 《月輪割り断つ天龍の大爪》が祝を呑み込み、その身体を血の霞へと変える光景を。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「うっひゃ~。これはまたスプラッタな」

 

 惨状としか言い表せないその光景に、天音は笑みを引き攣らせながら袖で鼻を塞ぐ。

 そこに広がるのは、破壊され尽くした大地を彩る一面の“赤”であり、鼻腔を満たすのは噎せ返るほどの鉄臭さだった。

 その異臭に凛奈などはあからさまに顔を青褪めさせ、その隻眼に浮かべた涙をシャルロットによって拭われていた。

 表情と反応に乏しいサラですらも眉を顰めており、唯一平気そうにしているのは多々良くらいのものである。

 

「人が死ぬ瞬間くらいは何度も見たものだけど、どうすればこんな()()ができるんだか」

 

 暁学園一同の視線の先には、地面へと仰向けに倒れる王馬の姿があった。

 既にその双眸に光はなく、しかし見開かれた瞳に反して総身は眠っているかのように弛緩している。そして奇妙なことに、まるで身体が内側から爆ぜたかのように内臓の破片と血の池が死体の周囲に広がっていた。

 しかしその酷い有り様に不釣り合いなほど、その表情は安らかなものである。死して尚笑う王馬に天音は「戦闘狂って怖い」と内心で引いていた。

 念の為に天音が王馬の口元に手を翳し、次いで首元から脈を計るも、どちらも手応えはない。

 故に天音は、間違いなく王馬が絶命していると判断した。

 

(まさかあの《風の剣帝》が学生騎士なんかにねぇ……)

 

 あの殺しても死ななさそうに見えた怪人が、高々日本の学生騎士の頂点などというお山の大将によってあっさりと屠られたことが天音には意外だった。

 しかし周囲を見回しても肝心の《告死の兇刃》の姿が見えないことから、あるいは相討ちに持ち込まれてしまったのかもしれない。

 

「まぁ、どちらにしても()()()()()()()()()

 

 天音がこの場に到着したのは、《月輪割り断つ天龍の大爪》が大地へと叩き付けられてすぐのことだった。

 つまり王馬がこの状態になってから、()()()()この瞬間まで数十秒しか経っていない。

 ならば彼らに打てる手段は残されている。

 

「サラさん」

「わかった」

 

 その名を呼ばれた途端、《血塗れのダ・ヴィンチ》の右手が目にも留まらぬ速さで虚空を奔った。

 右手に握られているのはボロボロの絵筆。そして彼女の左手に携えられたパレットを合わせたこれこそが彼女の霊装《デミウルゴスの筆》。

 その筆が、何もない空中に凄まじい速度で何かを描く。

 そして……

 

「《幻想戯画(パープル・カリカチュア)》――世界時計(ワールドクロック)

 

 ものの数秒で彼女の絵は完成した。

 だが魔力を帯びた彼女の絵画はいとも容易に条理を超える。

 何と彼女が虚空に描いた絵が次の瞬間に立体感を持ち始め、やがて二次元の平面世界から三次元の立体世界へと実体化を果たしたのだ。

 そして姿を表したその人物こそ、破軍学園の理事長にして《世界時計》の二つ名を持つ新宮寺黒乃その人だった。

 

「ひぇ~、相変わらず何度見ても凄いや。君の伐刀絶技は本当に反則級だよね。――絵を通して自分のイメージを具現化させるだなんて」

 

 戯けたように天音が語るも、サラは「あっそう」と一瞥すらしない。

 しかしやるべきことは理解していた。

 

「治して」

 

 サラのその言葉に従い、血に塗れることを厭う様子もなく黒乃の虚像が王馬の傍らへ膝をつく。

 そして王馬を囲うように白い魔法陣が出現したかと思えば――みるみる間に王馬の傷が塞がり、周囲に飛び散った血が映像を逆再生させたかのように王馬の身体へと戻っていったのだ。

 これにより数秒と待たず王馬の傷の殆どが塞がり、途切れていた脈と呼吸が回復する。

 だが……

 

「うむ? ダ・ヴィンチよ、まだ一際深い傷が残っているぞ?」

 

 治療を切り上げた黒乃が絵の具に戻り、「バシャリ」と地面へ撒き散らされる。しかし凛奈が指摘した通り、王馬にはまだいくつかの傷が残っていた。

 特に首元にはたった今多くの傷を塞いだ苦労を無意味にするかのような巨大な残痕があり、今も尚大量の血が流れ出している。

 これはどういうことなのかと凛奈が首を傾げるのも無理はないことだろう。

 しかしこれにはサラではなく、具現化のモデルとなった黒乃に問題があった。

 

「《世界時計》の時間操作で問題なく修復できる傷は数十秒以内に負ったものだけ。これはそれよりもっと前に作った傷だから無理」

 

 「だから……」とサラが再び絵筆を滑らせる。

 そして黒乃の時と同じように数秒で次の絵が完成した。

 

「《幻想戯画》――カンピオーネ」

 

 そして現れたのは白いボルサリーノ帽にジャケットを羽織った西洋人の男性。

 彼の名はカルロ・ベルトーニ。

 《カンピオーネ》の二つ名で知られ、現KOKリーグ世界ランキング二位にして“史上最高の水使い”と呼ばれる男だ。そして同じく水使いである珠雫も該当するが、高位の水使いは『治癒』と呼ばれる回復魔術を行使することが可能となる。

 よってイタリア最強とも名高い彼の手にかかれば、この程度の外傷では致命傷にならない。偽カルロが先程の偽黒乃と同じく手を翳し魔術を行使したことで、今度こそ王馬の傷は全て塞がった。

 時間を巻き戻し、世界最高クラスの治癒術で残りの傷を纏めて消し去る。時間制限こそあれど、これがサラの持つ死者すらもこの世に呼び戻す最強の治療方法(コンビネーション)だった。

 

「これで大丈夫」

「……改めて思ったんだが、テメェの能力ガチのチートだよな。なんで当たり前のようにボロ雑巾みたいになった死人を生き返らせられるんだよ。マジで意味わかんねェ」

「そう?」

 

 王馬を完全に蘇生してのけたサラに、多々良が呆れと畏怖の混じった心境でボヤく。

 しかし当のサラからすれば、これでも大した労力をかけていないのが実際のところだった。本人と同等のスペックを持たせて戦闘させるならまだしも、今のように治癒だけを目的としたイメージの具現化ならばそれほど魔力を消費することもない。

 事実、彼女はこの二人を用いた治療方法を「旅先で役立つ応急グッズ」程度の認識しかしていなかった。もちろん、世界最高クラスの戦力であり能力者でもある二人を救急箱程度としか考えていないサラが異常なだけであるが。

 

「さてとっ! それじゃあ王馬くんも無事に生き返ったし、さっさと撤収しよう。破軍の選手団を無事に殲滅できた以上、長居は無用だしね」

 

 天音の号令を最後に、暁学園は気絶する王馬を連れて夕闇の中へと消えていった。

 彼らにとって()()()()()のは、入れ違いになるように黒乃と寧音が周囲の敷地ごと消し飛び、廃墟となった破軍学園に帰還を果たしたことだろう。

 そして黒乃が時間操作の能力によって学園で何が起こっていたのか把握した時には、既に彼女たちが追跡できないほど彼方へと暁学園は遠ざかっていたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 その日、全体の建物の九割以上を瓦礫の山へと変えられた破軍学園の姿は全国ニュースで報道されることとなった。

 そしてその下手人である暁学園は、なんと逃げ隠れすることもなく世間へと自身の正体を明かし、「我らこそが暁だ」と名乗りを上げたのである。

 この大事件に連盟は即座に動いた。日本政府に対し、下手人である学生騎士たちを即座に逮捕するよう要求したのである。

 しかし暁学園の理事長を名乗る人物の登場に、連盟を含め世間は動揺を露わにした。

 

 なぜなら、その理事長とは日本の“現総理大臣”だったのだから。

 

 月影獏牙首相は、連盟傘下であり、同時に七星剣王を有する破軍学園を少数精鋭にて撃破したという事実を大いに利用した。

 即ち、「日本の騎士は連盟の下に居らずとも充分に強い」と主張したのだ。

 そして後は祝の原作知識にある通り。

 連盟は七星剣武祭を自身と日本の代理戦争として取り扱い、連盟傘下の学生騎士が暁学園を潰すよう事態は推移していったのだった。

 そしてそのニュースの中で、一際世間の驚愕を煽る内容が報道される。

 

 

 ――『《七星剣王》疼木祝選手、事件に巻き込まれ死亡か』

 

 




もしかすると『前夜祭編』はあと一話だけ続くかも……?
終わる終わる詐欺を連発してしまい申し訳ありません。


 原作を知らない人のための解説その参。
 サラ・ブラッドリリーとは、七星剣武祭で一輝と対戦した天音に次ぐ暁学園の万能チート能力者です。
 色の概念を媒介に自分のイメージを具現化する能力を持ち、その応用によって伐刀者を能力ごと再現できるというチート能力を使えます。
 つまり彼女はイメージさえできれば全ての伐刀者の能力を使うことができるということに……


 原作を知らない人のための解説その肆。
 実は魔力量そのものは上の下から中レベルで、暁学園の中でも中堅クラスの黒鉄王馬(もちろん世間的に見れば普通に天才の領域です)。
 しかし魔術の威力や応用力、武術、身体機能、精神性などが突出しており、伐刀者としては間違いなくAランクの実力持ちです。
 本作では鍛えに鍛えに鍛えまくった結果、元々はCだった魔力制御すらもAに格上げされております。

【伐刀者ランク】A
【伐刀絶技】月輪割り断つ天龍の大爪
【二つ名】風の剣帝

【攻撃力】A
【防御力】A
【魔力量】B
【魔力制御】A
【身体能力】A
【運】C


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大鎌は滅びぬ! 何度だって蘇るさ!

新年、あけましておめでとうございます!
毎度ながら、感想や誤字脱字報告ありがとうございます。
感想欄が「王馬が主人公じゃね?」というもので溢れ返り、誰一人としてヒロインを心配しないという……


 ――東京都・夕方。

 

 東京都でも有数の広大さを持つとある公園。

 その公園は都市化の進む現代日本において珍しいほどに多くの木々を残す、いわゆる“森”としての形を残す場所。

 もちろんそれらは人の手が入った『管理された森』であり、過去に存在した人を迷わせる天然の迷路を思わせる魔力は残っていない。

 しかし時刻は日没が始まる逢魔が時。

 それほどの時間ともなれば人の気配も減少の一途を辿り、枝葉によって光すらも拒絶する公園は小さな魔界へと姿を変える。

 

 

 そして漆黒の大鎌は、その魔界に紛れるようにして在った。

 

 

 夜の闇と同化するかのように黒く、その中で三日月のように鈍色の刃が不気味に光る。

 それは先の戦闘で主人を喪い、《月輪割り断つ天龍の大爪》によって遥か彼方へと吹き飛ばされた《三日月》であった。

 これを見れば誰もが自身の目を疑うことだろう。

 霊装とは伐刀者の魔力によって存在を維持されている以上、術者が死ねば当然ながらその存在は魔力に還る。つまり先の王馬との決戦で祝が死亡したため、この大鎌はこの世界に存在しているはずがないのだ。

 だが現実として《三日月》は未だここに在る。

 ならばそれが意味することとは……

 

 変化が起こったのは日が沈み切り、昼が夜へと転じたその瞬間だった。

 

 ジワリと《三日月》の曲刃から墨汁のような黒い何かが滲み出る。

 鈍色の刃を塗り潰すように発生した“それ”は、やがて刃を呑み込むと重力に逆らうように長い柄まで這い上がっていった。

 

 その正体は“炎”だ。

 

 上へ上へと昇っていくその姿は炎の性質に相違ない。

 しかし異様に過ぎるのはその色だった。

 ――黒い(・・)

 あまりにも黒すぎる。その炎は闇夜にあって尚、黒すぎるが故に視認できるほどに黒い。最早、その炎の輪郭や立体感を掴むことは愚か、遠近感を掴むことすらできない。

 月明かりや遠くに灯る外灯の光により、闇夜といえども決して世界は漆黒ではない。しかしその炎はブラックホールのように全ての光を吸い込み、まるでその部分のみ世界が欠けているとさえ錯覚させる。

 やがて炎は大鎌を包み込み、その姿が完全なる漆黒によって塗り潰された。

 

『……自分に《既死回生(カルペ・ディエム)》を使わされることになったのは久しぶりか』

 

 小さく声が響き、漆黒の炎がその形を変える。

 大鎌を呑み込んだ炎は大きく膨張し、やがて音もなく弾け飛んだ。

 そして炎の中心点に残されたのは《三日月》と、それを握る一人の少女――《月輪割り断つ天龍の大爪》による負傷など()()()()()()()()()()()()()()()()佇む疼木祝の姿だった。

 

「今まで何度となく屈辱を呑み込み、自分の弱さに泣く日々を過ごしてきたけれど……」

 

 祝が獣のように全身を大きく震わせ、長い髪や服の裾などに残っていた黒炎を振り払う。

 花びらのように舞い散った炎ははらはらと地面へと落ちていき――その炎が触れた雑草は一瞬で枯れ果て、朽ち落ち、塵となってその生命を終わらせた。

 いや、その草だけではない。

 最初に弾け飛んだ黒炎に触れた木々も等しく灰へと変わり、元々存在していた小さな森は少女を中心に塵の山へと変貌している。

 しかしそんなことは彼女の眼中にない。

 祝の心中にあるもの。

 それは――

 

「ここまで自分のことを情けなく思ったのは初めてだよ」

 

 ――“怒り”だ。

 その瞬間、祝は思わず自身の奥歯を全て噛み潰し、勢い余って犬歯や切歯すらも数本圧し折っていた。当然ながら激痛が祝を襲うものの、今の彼女にとって痛みなどどうでもいい。

 

「赦せない」

 

 その声はまさに地の底から響く怨嗟だった。

 そしてその怨嗟に混じり、口の端から物語の中の龍のように黒炎が漏れ出る。それだけで炎は空気を汚染し、それに触れた大気中の微生物を殺し尽くした。

 

「暁学園を利用して大鎌を盛り立てる絶好の機会だったのに……よりにもよって成果ゼロだと? 無能にも程がある……!」

 

 祝が再び口を開くと、そこには砕け散ったはずの白い歯が欠けることなく姿を覗かせている。

 しかしその異様な事態を指摘する者は一人としておらず、そして祝自身もそれを気にすることはない。なぜなら、そもそもこれこそが祝の持つ()()()伐刀絶技の一つなのだから。

 尤も、彼女がこの能力を人前で使うことは()()皆無に等しいが。ましてや戦闘中に使ったことなど、祝の両手の指で数えられるほどしかない。

 

「大鎌の武術家として私は本気で敵を()りにいった、それなのに結果は相討ち、あり得ない、無能過ぎる、どこで何を誤った、エーデルワイスの時のは致命的、他にもきっとどこかで……」

 

 《三日月》を魔力に散らすと、祝は口元を手で覆いながら当て所なくその場を歩き去る。

 深夜の公園をブツブツと小声で呟きながら徘徊するその姿は変人としか思えないが、しかし祝にとって幸運なことに彼女の姿を見咎める者は時間が時間であるだけに一人としていない。

 もちろん、例え他人の視線があったところで今の祝が気にすることはないだろうことは想像に難くない。

 

「クソが」

 

 祝が小さく吐き捨てた。

 最後に王馬が《覚醒》を迎えたことは祝にとって完全に予想外のことだったが、それを敗因とするかどうかは全く話が違う。

 《覚醒》とは即ち、自身に与えられた運命(さいのう)の限界値へと至り、それでも尚強い意志の下で更なる高みを求めた伐刀者に発現する現象である。

 この現象により限界突破を果たした伐刀者は《魔人(デスペラード)》と呼ばれ、星を巡る運命の外側へと身を置く超越的な存在へと変貌するのだ。そして《魔人》は運命を超えたが故に先天的に決定される魔力量すらも上昇させ、運命に対する強い主体性すら持つという。

 つまりそれは後付で因果干渉系の能力を付与されるのと同等の意味を持ち、例を挙げるとすれば最後の王馬が行った『予知の超越』がそれに当たる。

 祝の《既危感》も所詮は因果干渉系の一能力。

 そして因果干渉系の伐刀者は同じ因果干渉系の能力をある程度対抗(レジスト)できるという特性がある。ならば《魔人》も天然の因果干渉系の能力者と同じく、その能力に対抗できるのも道理だ。

 

 だが祝から言わせてもらえば、《覚醒》直後の伐刀者などレベル100のキャラクターがその上限を超えて101になったという以上の意味はない。

 

 つまり限界点の伐刀者と《覚醒》したばかりの《魔人》など微々たる差しかないのだ。

 よって圧倒的な地力の差があれば、理論上は未覚醒の伐刀者であろうと《魔人》を打倒することなど容易。

 故にあれは決して無敵の怪物などではない。

 ならばなぜ祝は王馬に敗れたのか。

 

 決まっている。――それは祝が未熟だったためだ。

 

 祝の魔力量は王馬よりも多い。

 つまり限界値も比例して王馬より高い。

 よって大鎌を以ってしても埋められないほどに自分の潜在能力(ポテンシャル)が低かった……などという言い訳は通用しないのだ。

 だからこそ此度の闘いの敗因は“祝自身の未熟さ”にあるとしか考えられなかった。

 

「大鎌の名声を気にするあまり、肝心要の修行が疎かになっていた……? 冗談にしても笑えないぞ」

 

 しかし祝にはそれ以外の敗因が思い当たらない。

 現に――非常に認めたくないことではあるが――王馬は学生騎士の身でありながら修行の旅に人生を捧げることで、こうして祝に相討つことができるほどの力を手にしている。

 一方、自分は《七星剣王》という名誉のために学業に甘んじてしまった。

 なるべく学校に顔を出さずに修行をするように努めてこそいたが……

 

「……“努める”程度では不足だった? でもそうすると大鎌の活躍の場が……いや、それで修行が妨げられたらどうしようも……」

 

 もちろん、祝のこの自己問答を一発で解決する答えはある。

 王馬の健闘を「天晴見事」と讃えてしまえばいい。

 祝自身も研鑽を怠らなかったが、王馬もそれは同じだった。だから彼は自分と相討つほどの猛者となり得たのだと、そう認めてしまえば全ての片がつく。

 最後の最後、まさに祝に交叉を挑む瞬間に《覚醒》に至った戦運も素晴らしかった。あのタイミングでなければ祝も対処の仕様があったが、それを許さずに《魔人》となった王馬は得難い才能を持っていると評価できる。

 しかしそんな甘えを自分に許す祝ではない。

 

 ――敵の健闘や努力を褒め称えるのは自分の弱さから目を逸らす愚行である。

 

 それが祝のモットーだった。

 圧倒的な実力差があり、こちらが上位者として世辞を使っただけならばそれも良いだろう。

 だが実力伯仲、あるいは自身を上回る敵を褒めそやすことだけは許されない。生き残ってしまった敗者がすべきことは悔恨と反省であり、真に敗北に胸を痛めているのならば敵を讃えている余裕などないはずだからだ。

 だからこそ祝は己を責める。

 徹底的に過去の自分を洗い直し、僅かな欠点すらも残さず悔い改めることだけに思考を回転させる。

 

「差し当たっての問題は七星剣武祭だよね」

 

 公園を抜け出し、人気の少ない住宅街の路地を歩く。

 そう、今考えるべきことは今後の方針ではない。

 最大の問題は「七星剣武祭の優勝が難しくなってしまった」ということだ。正確には思いも依らぬ障害が立ち塞がってしまったと言うべきか。

 

「今までの“普通の大鎌使いの闘い方”では王馬くんに敗北する可能性が結構高いことがわかってしまった」

 

 ならばどうするか。

 ――普通に考えるのならば“普通でない闘い方”をすればいい。

 そして当然ながら、祝の手札の中には常識を超えた大鎌使いとしての戦法も当然ながら――ある。

 

「でもこれ邪道というか奇抜というか……大鎌使いの間違ったイメージが世に伝わっちゃいそうで……」

 

 そもそもの話として、王道の大鎌使いの戦法でも王馬に対する勝ち目は充分にあるのだ。

 ならば下手に奇策に走るよりも、その勝ちの目に全力で賭けるべきではないだろうか。

 

「……いや、選り好みはしていられない。圧倒的に勝てない以上、邪道も外道も何だって利用して然るべき。一応、選択肢としては入れておこう」

 

 全ては大鎌の更なる地位向上のために。

 七星剣武祭まで残り一週間。

 祝ほどの練度になれば、その程度の短期間では最早大幅な戦力強化は望めない。ならば祝にできることは、切らずに封印していた手札を手元に忍ばせることだけだ。

 そして祝が自身の脳細胞と思考能力の全てを費やし、時間すら忘れて今後について考え続けた結果。

 

「…………あっ……もしかして学園に連絡するの忘れてた……?」

 

 夜闇は薄暗闇へと色を変え、東の空が赤く滲み始めている。

 それほどの時間が経ってようやく、祝は自分が置かれているであろう状況に考えが及んだのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「………………」

 

 静まり返った早朝の理事長室で、黒乃は一人深く息を吐いた。

 その息吹に乗り、紫煙が薄く広がる。すっかり短くなった煙草を灰皿に押し付けた黒乃は、半ば呆然とした面持ちで新たにもう一本の煙草へと火を着けた。

 表情には疲労の色が濃く滲み出ており、目元には淡い隈が浮かんでいる。

 事実、黒乃は言葉の通り疲労困憊だった。

 昨日の破軍学園襲撃事件の後から彼女はこの瞬間まで僅かな休息もなく働き続けている。

 そして先程、残された体力と魔力でこの校舎だけでもと能力で修復した黒乃は、ようやく理事長室にある自分のデスクでこうして一息つく時間を得ることができたのだった。

 

「…………どうして……どうしてこうなったんだ」

 

 黒乃の頭に浮かぶのはその言葉ばかりだった。

 間違いなく黒乃の人生の中でも五指に入るほどには怒涛の一日であり、未だにその現実に頭が追い付いていない。

 愛すべき母校であり自分が治める学園が壊滅し、現首相であり同時に()()()()()である月影が連盟に叛意を翻し、そして栄光の舞台であるはずの七星剣武祭が日本と連盟の代理戦争の場となった。

 そしてそれだけに留まらない。

 未だに最も信じられず、しかし同時に最も黒乃の胸を締め付ける残酷な事実。

 

「……疼木、本当にすまない…………チクショウがッ……!」

 

 黒乃は能力による過去を投影する魔術により、その光景をハッキリと見てしまった。共に傷だらけの王馬と祝が激突し、最後に刺し違えてしまったその瞬間を目撃してしまったのだ。

 今でも黒乃の脳裏にはそれが焼き付いている。

 

 ――螺旋の暴風が、祝の右半身を削り飛ばした。

 ――鈍色の曲刃が、王馬の右脇腹に突き立てられた。

 

 ――瞬く間に祝の総身が血霧となって消え失せた。

 ――刃から伝う衝撃が体内で暴れ狂い、傷口を含む王馬のあらゆる穴から鮮血が噴出した。

 

 ――そして祝がこの世に存在した痕跡すら残さず、《月輪割り断つ天龍の大爪》はその全てを破壊し尽くした。

 ――全ての臓器が血と肉の破片を混ぜた柔らかい何かに変じ、王馬の肉体は人体としての機能を完全に停止させた。

 

 その全てが一瞬だった。

 交錯した次の瞬間に祝は消し飛び、王馬は血の池に沈んでいた。

 その後、王馬は仲間の治療により九死に一生を得たようであるが、恐らく……いや、間違いなく祝は……

 

「私がもっと早く学園に戻れていれば、あいつは死ぬことなどなかった……!」

 

 たった数分違うだけで全てが変わっていた。

 自分と寧音の二人ならば、暁学園の連中を取り押さえることは間違いなくできただろう。一人たりとも逃がすことはなかったはずだ。

 いや、仮に王馬と祝の相討ちに間に合わなかったとしても、その直後ならば自分の能力で祝を蘇生させることもできた。

 迅速さに欠けた己の行動によって、一人の若く尊い命を散らせてしまったのだ。

 確かに祝は間違っても良い生徒ではなかっただろう。しかし彼女には誰よりも強い志があった。そして若く、未来があったのだ。

 それは人から褒められるような夢ではなかったかもしれない。しかしその善悪に関係なく、大人の汚い事情で潰えさせてしまうことだけはあってはならなかった。

 否、その修羅の道にありながら、それでも世界で生きていけるような生き方を模索させることこそがこの学園の役割であり、そして自分が成すべき責務だったはずだ。それを自分は何一つ遂げられないまま祝の命を散らせてしまった。

 

「……ぐ…………っ」

 

 握り締めた拳が鬱血し、血が滲む。

 情けない自分にも、全ての元凶である月影たち暁学園にも怒りが溢れてくる。

 しかし恩師である月影を未だ信じ、何かの間違いであるか、さもなくばそうせざるを得なかった尋常ではない事情があったのだと縋るような気持ちも黒乃の中にはあった。

 憤怒と信頼の板挟みは、容赦なく彼女の心を苛む。

 そしてそれから逃げるように、黒乃は紫煙を吐き続けていくのだった。

 

 だが、このままこうして立ち止まり続けることは許されない。

 

 黒乃は日本に七つしかない騎士学校の一つ――破軍学園の理事長だ。次代の伐刀者を育成する教育機関の長なのだ。

 だからこそ月影の叛意を叩き潰し、連盟が維持する現在の秩序を維持する義務がある。

 故に連盟が決定した代理戦争に備え、すぐにでも準備を始めなければならない。それが彼女の理事長としての職務なのだから。

 

(……まずは代表選手を選抜し直さなければ。事態が事態だ、恐らく参加を拒否する選手も現れるだろう)

 

 憔悴しながらも時計を見上げれば、時刻はまだ七時にもなっていない。

 恐らく代表選手たちはまだ疲労と傷を癒やすために眠りに落ちているだろう。

 ならば他の仕事を先に片付けて……

 

 

 ――理事長室に備え付けられた電話がけたたましく鳴ったのは、黒乃がそう思い立ったまさにその瞬間だった。

 

 

 甲高い着信音は疲労する黒乃の耳には些か以上に響き、その音量は静寂さも相まって頭痛と吐き気すら催す。

 今は非常時であるため早朝の電話があっても仕方ないということはわかっているが、それでも苛々することには変わりない。しかも電話にあるパネルを見れば、登録した先ではなく見慣れぬ電話番号。加えて携帯電話だ。

 理事長室への直通回線を用いているとはいえ、このような電話は普通に考えれば無視するのが常識だろう。

 しかし彼女は嘗てないほど苛立っていた。それはもう、額に青筋を浮かべ、引き攣り笑いで表情が固まるほどに。

 故に黒乃は「ゴシップ雑誌の下らない取材依頼だったら社員を一人残さず殺す。本社支社を問わず次元の狭間に引き摺り込んでやる」と本気で考えながら、勢い良く受話器を取った

 

「…………破軍学園、理事長室です」

 

 さあ、私は名乗ったぞ。

 さっさと貴様も名乗るんだ。

 どこのマスゴミだ。正直に言えば電話主を社会的に殺すだけで……いや、やはり許さん。マジで殺す。

 そして気が早すぎることはわかっていたが殺意を抑えられなかった黒乃は、思わず空いた手に霊装の拳銃を顕現させ――

 

 

『もしもし? 疼木です、今○○駅で通りすがりの人から借りた携帯電話でかけているんですが』

 

 

「…………………………」

『いや〜、本当は自分の生徒手帳から電話できれば良かったんですけどね。戦闘中に壊れてもあれだったので、実はバスの中に置きっ放しで……先生、聞いていますか?』

「………………疲れてるな、私」

『……え? ちょ、せんせ』

 

 どこかで聞いたような声を耳にした瞬間、黒乃は静かに受話器を置いた。

 そして再び鳴り始めた電話を無視してデスクチェアへと身を沈めると、ゆっくりと瞼を落としたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 その日、各新聞の夕刊に驚くべき記事が掲載される。

 即ち――『《七星剣王》の無事を確認』と。

 その事実にある者は生存を喜び、ある者は只々驚いた。ある者は「マスコミの早とちりか」と落胆し、またある者は「《月輪割り断つ天龍の大爪》からどうやって生き残ったのか」と冷静に訝しむ。

 暁の面々などは、疲労から未だ意識が戻らぬ王馬がこれを知った時に何と言うか想像し渋面を浮かべ、同時に相討ちの現場を見ていないが故に内心では「仕損じているではないか」と嘲った。

 

 

 そんな中、この世界の極僅かな者たちだけが「知ってた」と呟いた。

 

 

 大阪に鎮座する武曲学園の訓練施設。

 そこで熱心に槍を振るう一人の青年がいる。

 バンダナと180センチはあろうかという背丈が特徴的な彼は、滝のような汗を流しながらも緩めることなく虚空へと穂先を突き出す。

 小刻みに位置を変えながらも鋭い刺突を繰り出すその姿は、ただの素振りにしては鬼気迫るものを感じさせられた。まるで目の前に不可視の敵が存在し、それと死闘を繰り広げているかのようだ。

 

 そして事実、青年の目にはハッキリと敵である“怪物”の姿が映っていた。

 

 方々に跳ねる黒い長髪。薄く浮かべた笑み。靡く制服。――そしてそれらを塗り潰すかのような威圧感を放つ黒い大鎌。

 その怪物の名を、人は《七星剣王》と呼ぶ。

 

「――ぜェアッッ!」

 

 刹那、男の槍がブレる。

 そして一瞬の静寂が場を支配し――次の瞬間、空気を裂く幾重もの炸裂音が訓練場に響き渡った。

 あまりに鋭すぎる突きに、空気の流動すらも追い付かなかったのだ。

 まさに絶技や神槍と呼ぶに相応しいその技。

 だが彼が槍を握る手を緩めることはない。

 

「……かァ~、キッチリ防ぎよるなぁ!」

 

 誰もいない虚空へと、青年が悔しさと喜びが入り混じった笑みを浮かべる。

 しかしその瞳に一切の油断はなく、声を漏らしつつもジリジリと敵との間合いを図っていた。

 そして張り詰めた空気は時間を置かず臨界点へと達し――

 

「ホッシー、一大事やッ!」

 

 訓練場に大声で乱入してきた少女――浅木椛に気を逸らしてしまったことで男の敗北が決定した。

 

「ギャーッ!?」

 

 イメージトレーニングで仮想敵として用いていた祝が青年――諸星雄大の首を一斬で落とす。

 それを明確すぎるほどにイメージしていた諸星は、悲鳴を上げながら地面を転げ回った。

 

「浅木ィ! お前このアホ! お前のせいで今ワイ死んだ! 首チョンパされて死んだで!?」

「あっ、ゴメン……ってそうやなくて!」

 

 一瞬だけシュンとした椛だったが、すぐにそれどころではないと言わんばかりに持ち込んだ新聞を諸星に突き出した。

 そこには堂々と祝の生存が確認されたことの記事が載っている。

 

「これ! 祝ちゃん生きとったって! これコンビニで見かけてな、早くホッシーに教えなって思って!」

「…………」

 

 椛から新聞を受け取った諸星は、槍の霊装《虎王》を消すと無言で記事に目を走らせる。

 そこには今朝になり祝から生存の連絡が学園に来たこと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()などが書かれている。

 詳細な情報はまだないのか憶測なども混じった記事ではあるが、ともかく祝が無事だということは確かなようだった。

 そして一分ほどで全ての文面を読み終えた諸星。

 諸星が人情に熱く、加えて身内しか知らないであろう去年の七星剣武祭において二人の間で起こった“とある騒動”を間近で見ていた椛はこの報道に彼が大層喜ぶかと思ったが――

 

「いやいや、これガセネタやん」

 

 椛の予想を裏切り、諸星の第一声はそれだった。

 唖然とする椛へ、諸星は「しょーもな」と溜息混じりに新聞を返す。

 

「……えっ、ガセって……それって祝ちゃんが七星剣武祭に出られへんってこと!?」

「ん? ああ、ちゃうちゃう! ガセっちゅうのはそっちやない。……まぁ、気にせんでええわ! 昨日の時点で死んどらんのは薄々わかっとったし」

「ここに来て秘密って、それはないやろ!」

「本人に聞け! あいつの大鎌教に入信すれば教えてくれるかもしれへんで~」

 

 椛をあしらいながら、諸星は踵を返す。

 そう、全てはわかっていたことだ。

 昨日の報道や月影総理の会見で、そのどれもが『襲撃に巻き込まれ祝が死んだ』としか発表しなかった。

 

 

 ――襲撃者によって()()()()()()()()()、ならばともかく“死んだ”だけは彼女の能力的にあり得ないのにも関わらず。

 

 

「《既死回生(あのチート)》がある時点で王馬が祝を殺すのは“不可能”や。それでも死亡説が出たっちゅうことは――王馬の奴、ホンマに祝の大鎌に勝ったんか」

 

 それは諸星が考える限り、恐らくは彼しか知らないであろう祝の真の能力。

 過去、とある事情によってこの能力を知った諸星は、この能力について生涯口外しないと堅く祝に誓った。同時に祝がこの能力を他人に明かさないようにしていることも知っている。

 故に諸星は、文字通り死んでも祝の真実を誰かに話すことはないだろう。

 それこそ、彼女が自発的に口外することがない限り。

 

「チッ、よりによって王馬に先を越されるたぁな」

 

 椛と別れた諸星は、沈みゆく夕日を眺めながら拳を握り込んだ。

 全身に武者震いが走り、自然と口角が吊り上がる。

 祝に限らず、それを打倒した王馬に彼を筆頭とした暁学園。そしてAランクの《紅蓮の皇女》、新進気鋭の《無冠の剣王(アナザーワン)》。

 今年は去年よりも更に厳しい七星剣武祭となるだろうことは想像に難くない。

 だが、それがわかっていても諸星の笑みが陰りを見せることはなかった。

 

「……祝、今年の優勝こそワイが貰うで」

 

 彼の名前は諸星雄大。

 人は彼を《浪速の星》と呼ぶ。

 武曲学園三年生にして、昨年の七星剣武祭において祝に敗れ、惜しくも二位の座に甘んじた男。

 そしてその舞台において、()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 

 




これにて『前夜祭編』は終了です!
次回から『七星剣武祭編』が始まります!
皆様、良いお年を!


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幕間
“敗北者”じゃけェ……!!


久しぶりの更新です。
あんまり話が進まない上に短くてすみません。


追記 11/26
こちらは前回投稿した内容の文末に4,000字ほどの加筆を行ったものです。
紛らわしくて申し訳ありません。


 ――螺旋の暴風が祝の右半身を削り飛ばす。

 ――鈍色の曲刃が王馬の右脇腹に突き立てられる。

 

 ――瞬く間に祝の総身が血霧となって消え失せる。

 ――刃から伝う衝撃が体内で暴れ狂い、傷口を含む王馬のあらゆる穴から鮮血が噴出する。

 

 ――そして祝がこの世に存在した痕跡すら残さず、《月輪割り断つ天龍の大爪》はその全てを破壊し尽くした。

 ――全ての臓器が血と肉の破片を混ぜた柔らかい何かに変じ、王馬の肉体は人体としての機能を完全に停止させた。

 

 相討ち――それが二人の修羅の行き着いた結末だった。

 

(……ふ、…………はは……)

 

 ぐらりと王馬の身体が傾ぐ。

 右手から滑り落ちた《龍爪》が、地面に届く前にただの魔力へと解けて消える。

 このまま地面に身を横たえた時こそ、自分が生者から死体になる時なのだろうと王馬はぼんやり思う。

 それでも、だ。

 

(……充実した、一時(ひととき)だった…………)

 

 自分は間もなく死す。

 しかしそのことに悔いなどなかった。

 たとえ余人に狂気の沙汰と呆れられようとも、この最期を迎えられたことに一片の悔いすら抱きようがない。

 

(嗚呼……やはり闘いはいい……)

 

 重力に引かれ、背中が地面へと吸い込まれていく。

 その僅かな時間。

 王馬の胸には嘗てない爽快感と充足感が満ちていた。粉々となったためもう残ってすらいないが、声を出すのに必要な器官が無事だったのならば歌でも歌いたいほどには良い気分だ。

 限界を極め、踏破し、仇敵と相見える。

 それがこれほどまでの充足感を与えてくれるとは。初めて手にした勝利の記憶を塗り潰して尚余りあるその多幸感は、言葉で語るにはあまりに大きすぎた。

 《暴君》に打ち克つ前にこうして力尽きてしまったことだけが残念だったが……

 

(だが、まぁ……最後の闘争としては悪くない……)

 

 そう不承不承ながらも認めざるを得ないほどに、祝との闘いは素晴らしいものだった。

 敵は強かった。恐らくは己よりも。

 しかし己はそれを追いつくほどに闘いの中で強くなった。

 その代償として命を落としたことを惜しむことはあれど、その結果に後悔の念は一切ない。

 

 故に王馬はその鉄面皮を僅かに綻ばせ、雲の散った蒼天をその瞳に映しながら意識を闇に沈めたのだった。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

「ぐ…………ぅ……」

 

 深く、暗く、沼のような粘性が意識に絡みつく。

 そのから引き摺り上げられるような感覚と共に王馬はゆっくりとその瞼を押し上げた。

 視界に入ったのは見知らぬ……いや、よく観察してみればそこそこに見知った天井だった。ただこれまでここまでまじまじと観察したことがなかったために一瞬だけ理解が追い付かなかった。

 

「ここは……暁学園か……」

 

 腕を支えに上体を起こせば、そこは暁学園で生活するに当たり、王馬たちが学園側から支給されている医務室であった。とはいっても、王馬がこれまでこの部屋を利用したことは一度としてなかったが。これまで他の暁学園の生徒たちの力を以ってしても、王馬に傷一つすら入れられなかったのだから。

 時刻は夜だろうか。電気の点いていない部屋は薄暗く、月明かりだけが光源だった。

 そんな見慣れぬ部屋へグルリと視線を巡らせながら、同時に王馬の脳裏を一つの疑問が過る。

 

 ――俺はなぜ生きている?

 

 王馬の最後の記憶は、不倶戴天の敵である祝と刺し違えたその瞬間で途切れている。

 あの瞬間、確かに王馬は《月輪割り断つ天龍の大爪》で祝の全身を消し飛ばし、同時に自分も彼女の奇怪な技によって肉体を内側から破壊され尽くしたはず。あの時、確かに王馬は激痛と同時に、ヘドロのように魂へと何かがこびり付き、その重さによって地の底へと誘われるような感覚を味わったのだ。

 あれこそが“死”の感覚であることは疑いようがない。

 つまり王馬はあの瞬間、確かに死んだはずなのだ。

 だというのに、自分はこうして呼吸をし、心臓を鼓動させ、魂を現し世に留まらせ続けている。これは一体……

 

「どういうことだ……?」

「それは《血塗れのダ・ヴィンチ》の功績ですよ」

 

 部屋の暗がりから響く(おど)けた声。

 そしてひょっこりと顔を出したのは、道化師姿の平賀であった。登場と同時に「あっ、電気点けますね」と勝手に点灯させた明かりに眉を顰める。

 

「いや~、ご無事そうで何より……いえいえ、そういえば一回死んでいましたよねぇ、アナタ。《血塗れのダ・ヴィンチ》の能力による蘇生が間に合わなければ、王馬くんも三途の川の向こう側の住人でしたよ」

「……そういうことか」

 

 「ハッハッハ」と愉快そうに笑う平賀を他所に、王馬は大まかに状況を察していた。

 サラは能力によって他の伐刀者の魔術を模倣できる。これは暁学園内でしか知らされていない極秘事項の一つであるが、王馬にも共有されている情報であるだけに驚きはしない。恐らくは彼女がストックする数ある能力を用い、王馬を地獄のそこから引き摺り出したのだろう。

 ただ、一つだけ王馬の胸の内に浮かぶ感情があるとすれば、……それは燻るような怒りの感情だった。

 

「余計なことを……ッ」

 

 祝との生死をかけた果たし合い。

 あれの決着は相打ちであり、両者が共に死すことで全てが終わった闘争だったのだ。

 しかしその結末は彼らによって覆され、王馬だけがおめおめと生き残ってしまった。闘争の末に命を拾ったのではなく、外野の茶々によって王馬は死に損なってしまった。これほどまでに屈辱的な幕引きなど、王馬にとっては当然赦されることではない。

 だが、それはあくまで武人として生きる王馬一個人の意見に過ぎない。

 

「いやいやいやいや余計も何も、勝手に死なれるのはこちらとしても困るものでして。貴方の役目はあくまで七星剣武祭。裏切り者の《黒の凶手》ならばともかく、前夜祭で生徒に欠員が出るのは困りますからねぇ」

「チィッ……!」

 

 盛大に舌打ちをするが、言っていることは理に適っている。

 王馬としては暁学園の思惑を利用している形ではあるが、あくまでも組織の一員。挑発的な物言いをしてはいても、一体どちらに理があるのかと聞かれればそれが平賀にあるということは子供でもわかることだ。

 

「まぁ、何はともあれ、無事に目が覚めてくれてボクとしては一安心ですよ。あっ、一応今の状況を説明しておきますね?」

「……勝手にしろ」

「では僭越ながら、ワタクシ平賀玲泉がご説明させていただきましょう。現在は《前夜祭》より28時間が経過しています。戦果としてはほぼ成功と言えるでしょうねぇ。破軍学園の代表選手は軒並みこちらの戦力が圧倒。無事だったのは暁学園に突入してきた王馬くんの妹さんくらいのものです。ああッ、実は面白い報告がありましてね! その妹さんがヴァレンシュタイン先生を――」

 

 饒舌に状況報告をする平賀の声に耳を貸しながらも、王馬の心はここにはなかった。

 ベッドの上に再び身を横たえ、王馬は半ば呆然とした面持ちで天井を見やる。

 先程は怒りによって身が打ち震える思いを味わったが、しかし冷静さを取り戻してみればどうにも実感がわかなかった。

 

 ……本当に、俺たちの闘争は終わってしまったのか?

 

 ただただ現実味がなかった。

 胸元の傷に手を添えれば、まだあの時の闘争の残り火のような感情が燻っている。あれは断じて夢などではなく、紛れもない現実だったことは間違いがない。

 だというのに、あれほどまでに充実した時間がもう終わってしまったのだと、そして思いもよらぬ横やりによって死に損ねてしまい、自分が今ここにいるのだということが王馬にはイマイチ信じられなかった。

 

「いやぁ、傑作でしたよ! まさか《隻腕の剣聖》とまで呼ばれた《解放軍》の猛者がBランクの小娘に為す術もなく……ヒャッハハハハハハッッ!」

 

 腹を抱えながら耳障りな哄笑を撒き散らす平賀に、王馬は不快気な視線を向ける。

 それに気付いてか、平賀はすぐに「おっと失礼」とその笑い声を引っ込めた。

 

「しかし意外といえば、暁学園(ボクたち)では君のことの方が話題になっていますよ? あまり協調性に富んでいるとは言い難いボクたちですが、撤収してからはこの話題で持ちきりです」

 

 俄に、本当に僅かながら、平賀の言葉の端に悪意がこもったことを王馬は敏感に察知した。

 故に「また下らないことでも言い出すのか」と平賀を一瞥し……

 

 

「まさか貴方ともあろうものが――紙一重とはいえ疼木祝に敗北(・・)してしまうとはねぇ」

 

 

「…………何?」

 

 その言葉に、王馬は文字通り呼吸を止められた。

 敗北?

 敗北と言ったのか、この男は。一体、誰が誰に?

 

「貴様、今、何と言った?」

「おやおやぁ? ひょっとして気に障っちゃいましたかね? いえねぇ? ボクもこういう言い方は心苦しいのですが、現実として命を落としたのは王馬くんだけ(・・)ですから。生死を勝敗と考えるのならば、まさしく王馬くんはこの戦いの“敗北者”というわけになりますよねぇ?」

 

 含み笑いを漏らす平賀に、しかし王馬は気に障るなどという以前に呆然と彼を見返すことしかできなかった。

 その内容が荒唐無稽過ぎて理解できなかったのだ。

 

「……貴様、俺を謀っているのか?」

「はい? それはどういう意味です?」

「どうもこうもない。お前の言い方では、まるで《告死の兇刃》が生きているかのようだぞ。()()()()()()()()()。俺は末期(まつご)の瞬間、確かに奴の総身を消し飛ばした。貴様らの横槍さえなければ、あの戦いは共倒れという結末を迎えていたはず。…………俺を敗北者と呼ぶことは、()()()の闘争そのものを侮辱するも同意と知れッ!」

「……ッ、これは」

 

 空間が歪んだ――そう平賀が錯覚するほどの殺気。その手に《龍爪》を顕現させ、微風すらその身に纏いながら王馬はベッドから降り立った。

 平賀の――正確には平賀を操る傀儡使い――も海千山千の伐刀者だ。殺気を向けられたことは数知れず、何ならそのまま殺されかけたことだって数え切れない。しかしその中でも上位に食い込むほど、今の王馬の殺気は“特別”だった。

 そう、()()()()()()()()()()を引き摺り込むような、ただの確実に殺気とは違う怖気。

 これはまるで……

 

「……まさか、《前夜祭》で()()()というのか?」

 

 小さく、それも仮面からも漏れ出ぬほど小さく平賀は呟く。

 その事実に驚きながらも、平賀はすぐに「ククッ」と笑みを漏らす程度には心に平静を取り戻していた。

 いや、それどころか今の彼の機嫌は最高と言っても過言ではない。何せ彼の操り主にとってはとても喜ばしいことなのだから。

 

 

 これでまた、世界に新たな火種が生まれた。

 

 

「いえいえ、謀るだなんてとんでもないですよ! ボクは真実しか口にしていないのですから!」

 

 だからこそ平賀は今まで言葉の端に滲ませていた悪意を取り払い、今だけは王馬のご機嫌取りに終止することを決めていた。

 本当ならばあれだけ大口を叩いて《告死の兇刃》を仕留めると息巻いていた王馬をコケにしてやるくらいは考えていたのだが、自分をここまで楽しませてくれた褒美のようなものだ。

 

「真実だと? 戯けたことを」

「別にボクは戯けたつもりはないんですけどねぇ。何せ情報源は新聞とニュースの報道ですから」

「……なん、だと…………」

 

 瞠目する王馬に、平賀は嫌がらせ目的で持ってきていた新聞の夕刊を王馬へと放る。

 それを宙空で掴み取った王馬は、血走った目で記事へと目を通し始めた。

 そして記事を読み進めること数十秒、絞り出すような声で「馬鹿な……」と王馬は言葉を漏らした。それはあまりにも信じがたい内容だったのだ。

 

 生存。

 重傷だが命に別状はない。

 《七星剣部祭》には出場可能。

 

 そんな文字が紙面には踊っている。

 どれも王馬にとっては悪夢でも見ているかのような内容だった。

 

「王馬くんの口ぶりから察するに、君は今際の際で《告死の兇刃》を仕留めきったと確信していたのですか? しかしどうやら向こうも大概しぶといようで。この通り、死に損なったみたいで――」

「違う」

「はい?」

 

 なるべく王馬の神経を逆撫でしないよう言葉を選んでいた平賀だったが、その言葉は王馬に否定される。

 しかし怒りを誘発したのではないようだった。

 なぜなら王馬は新聞に皺ができるほど握り締めながらも、その鋭い眼光はすでに彼へと向けていなかったためだ。

 

「あの瞬間……俺は確かに、間違いなくあの女を鏖殺した。肉片も残さず血霧へと変えた」

 

 王馬の言葉には確信が宿っていた。

 当然だ。あれが幻覚などであるはずがない。

 目が、耳が――王馬の五感全てと超直感的な感覚がそれを主張し続けている。あれで死なない人間が……いないと言い切れないのが伐刀者の妙だろうが、しかし祝の能力では天地がひっくり返っても死を逃れることなどできはしない。

 

「だというのに……奴が……生きているはずがない……」

 

 そう、そのはずなのだ。

 どう考えても祝があの状況で生き残るのは不可能。

 ならばこの記事は何だ。

 事態を収めるために破軍学園か連盟辺りがこのような偽りを発表した? 馬鹿な、時間稼ぎにもならない。こんな姑息な真似をする意味がないだろう。

 ならば自分と同じように、他者の能力によって運良く蘇生された? いいや、《世界時計》以外にそんなことができる伐刀者は破軍にはいないはず。そして彼女の能力的にも、祝を生き返らせるほどの時間的な余裕があったとは思えない。

 

(ならば……本当に奴は生きて……?)

 

「平賀、この記事の確度はどの程度だ? 本当にこの内容は正しいと、《解放軍》の名に誓って保証できるか?」

「えぇ~? 流石にそこまでは無理ですけど。でも日本政府(パトロン)が確認した限りではかなり信用の置ける情報だと思いますよ?」

「…………そう、か」

 

 それだけ呟くと王馬は力が抜けたかのように壁へと背を預け、ズルズルと床へ座り込む。

 そのまま黙り込んでしまった王馬に平賀は「もしも~し?」と二言三言話しかけるも、最早彼は何の反応も示すことはなかった。

 一応、学園から任されている王馬への報告も終わっていることから、平賀としてもそれ以上話すことはない。故に平賀は、王馬にこれ以上語りかけることが無意味と悟ると早々に医務室を退出していった。

 それを気配で感じ取りながらも、王馬の意識は今や別のことに集中している。

 

 そう、全ては“どうやって祝が生き残ったのか”だ。

 

 そして王馬の脳裏には、既に認めるわけにはいかず、しかしある程度の確信を持たざるを得ない可能性があった。

 だが、それを認めることだけは王馬には断じてできない。

 なぜならばその可能性は、王馬が信じるあの闘争の結末すらも否定することになりかねないのだから。あの充実が、あの滾りが、あの高揚が全て無意味で無価値な、それこそ唾棄すべき存在に貶められてしまう。

 そんな可能性など、絶対に認めるわけにはいかない。

 

 

 

 祝がまだ力を隠し持っていて、自分との闘いに手を抜いていた可能性など。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 駅員さんにお金を借りて(なぜか幽霊でも見るような目だったが)電車で破軍学園に戻った私を出迎えたのは、エヴァでお馴染みの司令官のポーズでこちらを睨みつける黒乃先生だった。

 ……まぁ、そりゃそうですよね。

 先生の立場からすれば、「学園が襲撃されました」ってとんぼ返りしたら生徒の大半は重軽傷、しかも私に至っては行方知れずだ。これで心配するなと言う方が無理があるだろう。

 それがまさか無傷で二、三個市を飛び越えた辺りまで吹っ飛ばされていたなど予想できるはずもない。

 

「……え~と」

 

 さてさてさて、どうしましょうかこの状況。

 まずは何から話したものか。

 そうして私が苦慮していると、先生が「はぁ」と大きな溜息を吐きながら口を開いた。

 

「……まず、無事に戻ってきたことだけは評価しよう。だが、私としてはお前に聞きたいことがいくつかある」

「アッハイ」

 

 ですよね~。

 そりゃ、「ただいま」と「おかえり」で済ますのは無理があるよね~。

 きっと先生も残った生徒とかから事情を聞いているはずだ。つまり私が王馬くんと闘っていたことは知っているのだろう。あるいは先生の時間操作の能力である程度の状況を把握できるのかもしれない。

 私は一応《七星剣王》として学生騎士最強の称号を持ってはいるけど、それでも王馬くんを相手に無傷で帰還というのは無理がある設定だろう。

 …………最悪、私が《月輪割り断つ天龍の大爪》に削り飛ばされた光景まで把握されていれば最悪だ。

 

 その時は――この人を殺してでも“私の能力”を隠し通す必要が出てくるのだから。

 

 見たところ、黒乃先生は連日の事件への対処や校舎の復旧作業で疲弊している。――大鎌に拘ら(形振り構わ)なければ、今この場で誰にも気付かれることなく、()()()()()()()()()()

 しかし私の思惑を知ってか知らずか、次の瞬間には先生が動いていた。

 ゆっくりと私に向かって手を突き出し、私へ待ったをかけたのだ。

 

「お前の考えていることは大体わかる。お前は常人とはかけ離れた思考回路を持ってこそいるが、しかしある程度理解してしまえば考えを読むのは容易い。……お前のことだ、私の口を封じる算段を立てていたのだろう?」

 

 刹那、脊髄反射の領域で私の身体は動き始めていた。

 0.1秒と間を置かず《三日月》を顕現。魔力放出によって爆発的な加速を得た私は、先生が言葉を終えたその瞬間には執務机へと足をかけその首筋へと黒刃を突き立てていた。

 

「――《時間加速(クロックアップ)》」

 

 忽然。

 そう言い様がないほど唐突に黒乃先生の姿が掻き消える。

 そして次の瞬間、《三日月》を空振らせた私の後頭部に白銀の拳銃型霊装《エンノイア》が突きつけられていた。

 

「……へぇ。そういえば使われる側になるのは初めてですね、これ」

「そうだ。自身の固有時間を加速させる魔術《時間加速》、大会中は審判として何度となくお前に見せたものだ。だが侮るなよ? 貴様の《既危感》は所詮未来の経験をカンニングしているに過ぎない。……ならば予知(カンニング)しても対処できないだけの“速さ”で対処すれば良い」

「なるほど。……それで? まさかですけど、()()()()で私が大人しくなるとでも?」

「……なってもらわなければ困る」

 

 それだけ告げると、黒乃先生は徐に銃を下ろす。

 てっきりこのままズドンと来ると思っていただけに、私としては拍子抜けだ。

 

「あれ? てっきりこのまま撃ってくると思っていたのに」

「この程度で生徒を撃つか、馬鹿者。言っただろう、お前の思考を見切ることくらい私にもできる。いきなり殺しにかかってくるだろうことくらい予想できた」

 

 「むしろ大人しく話を聞くものかと思っていたよ」と呟き、先生は再び椅子へと腰を下ろした。

 バレテーラ。

 先生に促され、私も机から降ろされる。

 

「だからこそ、大人しくさせるために二、三発は撃ち込んでおくべきだったのでは? 自分で言うのも何ですけど、今でも隙あらば先生のこと殺そうと思っていますし」

「ふん、らしくない挑発だな。()()()()()()を相手に迂闊に攻撃するほど私は間抜けではない」

「…………」

 

 この人、本当にどこまで知っているんだろうね。

 マジで洒落にならないぞ。

 隙を見せたら絶対に殺さないと。たとえ百倍速だろうと逃しはしない。

 

「そう睨むな。しかしこのままでは埒が明かんな。……わかった、先に私が持っている情報と、今の状況を教えよう。話はそれからだ」

 

 そうして先生が語ったのは、思いの外大事になっている破軍学園の状況だった。

 原作の通り、既に月影総理は暁学園の存在と自分がそのバックにいること公表したらしい。その一方、破軍学園を彼らが強襲したことについては報道関係で一斉に取り上げられたものの、警察や司法はこれに我関せずと不干渉を貫いたらしい。つまり政府が暁学園の後ろ盾だということが世間に明るみとなり、同時にこれが日本国家から連盟に対して突きつけられた果たし状にして開戦の狼煙であることを国民は理解させられたのだった。

 

 ……う〜ん、随分と豪いことになっているなぁ。

 原作はキャラ関係と大まかな時系列は覚えているんだけど、ここまで細かい内容までは覚えていないんだよねぇ。これが原作通りなのか私には判断できない。

 

 そうそう。それで私についてだが、現段階では『暁学園の襲撃によって行方不明』というところまで情報が回ってしまっているらしい。

 その情報を回したのは何を隠そう黒乃先生で、内心で「死んでいるだろうな」と思いながらも捜索中と言ってマスコミを黙らせたのだとか。

 

「ちなみにですけど、私が死んだと思った根拠は何ですか?」

「私の能力ならばごく短期間だが過去視を行うこともできる。そこでお前が黒鉄王馬の《月輪割り断つ天龍の大爪》に全身を消し飛ばされる瞬間を視た(・・)。お前がこうして五体満足で戻ってくるまで、私はお前の能力が()()()()()()だと思っていたからな。死んだと思うのは当然だろうが」

「なるほど」

 

 いかんですよ。

 この人マジで過去視なんてできるのか。時間操作マジパネェ。つまり逆説的に、この人私みたいに未来視とかもできちゃうんじゃないの? 万能すぎない? ここまで便利な時間操作能力者とか、漫画でもドラえもんくらいしか見たことないよ。

 いや、そんなことよりもだ。

 つまりこの人は、私があの闘いで確かに()()()ことを確信している。そうなるともう誤魔化せない。

 流石に《既死回生(カルペ・ディエム)》の全貌までは知られていないだろうが、私が因果干渉系の自己蘇生能力を持ち合わせていることはバレてしまっただろう。

 

「これが私の知り得る情報だ。……さぁ、次はお前の番だぞ疼木」

「む……」

 

 ……………………ダメだな。

 やっぱり上手く誤魔化す方法は、ない

 ここまで状況証拠を揃えられたら流石に言い逃れできない。

 ということは、だ。

 

 

 残念だけど、やっぱりこの人には死んでもらうしか――

 

 

「だから落ち着けと言っているだろうが」

 

 呆れたように先生が溜息を再び。

 そんなことを言われても、私としてはもう語ることなどないのが現状なのだが……

 

「もういい。お前の反応から、何を聞こうともこの先は殺し合いにしか発展しないことが充分にわかった。だからこれ以上は何も聞かん。というか、聞かなくても大凡の察しはつく。その理由もな」

「えっ?」

 

 聞かない?

 今、聞かないって言ったの、この人?

 「悪いが一服するぞ」と煙草に火を点けた先生は、フィルムが一気に半分ほど焼け落ちるまで煙を吸い込み、天井へ向けて紫煙を吐き出した。

 

「ここからはあくまで私の想像が多分に含まれた独り言だが……お前のことだ。どうせ『強すぎる能力があっては大鎌が相対的に地味になる』とか、そういうことを考えていたんだろう。そう考えれば得心が行く。因果干渉系の能力者の中でも生命蘇生の域にまで達している者は極稀だ。疼木祝=蘇生能力者となっては、お前の目標である大鎌の啓蒙に支障が出かねん」

「…………」

「別に答える必要はない。マスコミの方にも『重傷だったが再生槽のおかげで大会の参加に支障はない』という内容で報せる。……ただ、これだけは聞かせろ」

 

 天井を向いていた先生の視線が私に戻る。

 真剣味を帯びているその目にとうとう何か聞かれると感じた私は、反射的に魔力を練り上げるが……

 

「その能力に副作用の類はないか? 強すぎる能力は往々にしてリスクや制限が付き物だ。七星剣舞祭を前にそういったことは見逃せん。これだけは隠し立てせず正直に申告しろ。今すぐにだ」

 

 そう語る先生の目は真剣そのもので、疲労の色に塗れながらもその奥には僅かな偽りすらも見逃さんとする鋭さがあった。

 

「…………先生が何を仰っているのかわかりませんけど、体調は健康そのものですよ。むしろ絶好調です」

「……そうか、ならばいい。もう帰っていいぞ。寮の方はもう復元が終わっているからな。……あぁ、そうそう。寧音の方には私が上手く言っておく。今のお前とあいつでは売り言葉に買い言葉で殺し合いに発展しかねん」

 

 それだけ言うと、先生は椅子を回転させて私に背を向けた。どうやらこれ以上の問答は必要ないと判断したらしい。

 だが、私としては一つ聞くことができたのでこのまま「バイナラ」というわけにはいかない。

 

「なぜです? 貴女にとっては私はただの一生徒でしょう? しかも少々ではありますが騒動も起こしましたし、自分が問題児の端くれであると自覚しています」

「少々ではないがな。しかも端くれでもないがな。お前が代表格(ナンバーワン)だ」

「真面目な話なのでツッコミやめてください。……だというのに、そんな私にどうしてそこまで気を遣ってくださるのですか?」

「聞くまでもないだろう、それが教師というものだ。生徒が間違ったことは糺す。だがそれ以外の、夢や目標があるのならば背を押し、道を示すのが教師の仕事だ。去年のお前の蛮行はともかく、今のお前はまだ何も間違った真似はしていない。そうだろう?」

 

 それだけ言うと先生は黙したまま次の一服を始めてしまったので、一礼だけして私は理事長室を後にした。

 

 

 ……借り、作ってしまったなぁ。あの人に。

 これはしばらく頭が上がらなさそう。

 




 書きたいシーンはいくつかあるので、後はそこを繋ぎ合わせていく作業に終止していく予定です。
 あと、次回か次々回に《七星剣舞祭》のトーナメント表を載せたいと思います。たぶんわかりにくいと思うので、自分の整理も兼ねて。


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名状しがたい幕間のようなもの

 タイトル通りです。
 超短いです。
 次回から本気で七星剣舞祭編始まります(何回目だよ)。


 ステラ・ヴァーミリオンという少女は、自身が天才であるということを正しく理解している人間である。

 数値として自身の魔力量が世界最大量であること、加えて他人と比べて努力や鍛錬による成長効率が並外れていることなどからもそれは明らかだ。

 能力こそ『炎を操る』という平凡な自然操作系のものだが、それを侮ることができるのは彼女の火力を目にしたことがない者だけだと断言できるほどに強力。

 家柄すらも王族の生まれという完璧さ。

 そしてその美貌。

 まさに非の打ち所がない完璧な超人だ。

 もちろん、天才であることと未熟であることの意味を履き違えるほど愚かではない。

 だが既に自分の能力が――とりわけ魔術による火力や怪力に限るのならば、自分の実力が世界有数であることだけはハッキリと自信を持って断言することができた。

 

 だが、だからこそ。

 

 自分は天才であり、得手不得手はあれどこの能力だけは誰にも負けないと自負していたからこそ。

 それを真正面から歯牙にもかけられず敗れ去ったということが信じられなかった。

 

 ステラが意識を取り戻したのは、それは既に全てが終わった後のことだった。

 選手団は珠雫を除いて全員がほぼ敗北。一輝はあの《比翼》のエーデルワイスを相手に善戦したとのことだが、敗北には変わりない。祝に至っては生死不明な上に行方不明(こちらは後でひょっこり戻ってきたと聞かされたが)。

 それを聞き、ステラは己の無力さと経験したことのないほどの敗北感を噛みしめることとなった。

 

 真っ先に、それも一撃で敵に敗れ去っておきながら、何が天才か。何がAランク騎士か。

 

 聞くところによれば、祝はあの後で件の王馬と一歩も譲らぬ闘いを繰り広げたという。

 彼女もまた別種の天才ではあるが、その一方で自分は誰もが認める才能とそれに裏打ちされるだけの実力を兼ね備えていたはずだったのに、王馬が相手では自分の土俵(パワー)ですら歯が立たなかった。

 圧倒的だった。

 話にもならないほどに隔絶した力量差であった。

 ただ一合でレベルの差を認識させられるほど。その差はまさに赤子と大人。ステラは大人が赤子をあやすように丁寧に、硝子細工を扱うかのように慎重に手加減をされたのがあの結果だというのが今ならばわかる。

 加えてあの殺気だ。

 あれほどの殺気がただの威嚇だなど、冗談にしても笑えない。いや、王馬の言が本当だったのならば、()()()()で竦み上がったステラの方が期待以下だったのだろうが。

 

(……アタシは、弱い……)

 

 ステラがそう痛感させられたのも無理からぬ話だ。

 合宿の時点でも薄々勘付いてはいた。昨年の優勝者であり現役の《七星剣王》である祝には模擬戦で一度も勝ち越せず、ベスト4止まりの刀華が相手でも勝率は五分止まり。

 これに加えて今年はあの王馬が七星剣舞祭に出場するというのだから、もはや“今のステラ”ではその頂に立とうなど夢のまた夢なのは明らか。

 

(でも、アタシは約束したんだから! イッキと……二人で騎士の高みへ行こうって!)

 

 ならばこんなところで立ち止まることが、膝を屈して涙を流すことが果たした彼女の“騎士道”に悖らぬ行為なのか。

 否だ。

 七星剣舞祭の開催まで残り約一週間。

 その僅かな期間で、王馬に、祝に――そして一輝に追い付かなければならない。

 

(待っていて、イッキ。アタシは貴方より強くなって必ず戻ってくるッ……!)

 

 少女の目には覚悟の炎が灯っていた。

 その炎を瞳に宿し、彼女は破軍学園において最強の伐刀者――西京寧音を訪ねたのだった。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 黒鉄一輝は現在、自室において一人、精神集中(めいそう)を行っていた。

 彼はよくこうして自身の精神の深くにまで潜り込み、精神の修行や肉体のメンテナンスを行っているが、今日の目的はそれではない。

 

 先日の刀華との試合で掴んだ新たな自分の可能性――即ち《魔力制御》の修練である。

 

 最初に断っておくと、『新たな可能性』と銘打ってこそいるが一輝がこれまで《魔力制御》の技術を疎かにしていたというようなことはない。しかし彼がこれまで修めていた内容は、あくまで《一刀修羅》の運用に特化した内容だった。

 一分間で自分の魔力(すべて)を出し切る、そういった特殊な運用方法を専門に彼は修練を積んできたのだ。

 しかし今の一輝が行っている訓練はその真逆だった。

 一分間の極限状態を維持する目的ではなく魔力そのものを体内で自在に練り上げ、それを無駄なく使用する普遍的な魔力運用――即ち珠雫や祝が得意とする《迷彩》の技術に近い。

 

(僕は、まだ高みに行ける……!)

 

 刀華との試合は、まさにそれを実感させてくれる内容だった。

 剣の上達、武の向上。それ以外の新たな境地を己の力で切り開き、一輝はその新たなステージを目指すようになっていたのだ。

 加えて、先日の暁学園の襲撃に際して遭遇した世界最強の剣士――《比翼》のエーデルワイス。

 彼女との闘いは自分の敗北という結果で終わりこそしたものの、生き延びることができたのは僥倖だ。なぜなら、それによって自身の遙か先に位置する剣の頂を垣間見ることができたのだから。

 剣術と魔術。

 一輝はその二つの領域にこそ己の成長におけるための道があると確信していた。

 

(今はまだ全然仮定の段階だけれど……もしも僕が珠雫や祝さんに匹敵する《魔力制御》を身に付けられたのならば……)

 

 その時は、恐らく《一刀修羅》は従来のものとは比較にならないほどの出力に跳ね上がる。

 そして今はまだ不可能であるが、もしかすると身体の運用方法によっては《一刀天魔》すらも限りなく少ないリスクで使用することができるかもしれない。

 《一刀天魔》――それは一輝が新たに身に付けた最大最強の魔術。

 一分間で使い切るはずの魔力を一瞬の出力へと集約し、更にそれを《魔力制御》による凝縮で体内に押し止める最強の身体強化。しかしそのリスクは大きく、魔力切れで継戦が不可能になるのはもちろん、あまりの強化倍率に肉体が限界を超えてしまい一週間近く病院送りになることは確実な自滅魔法。

 刀華との試合では前日までの疲労と体調不良が祟り二週間ほどの入院となったが、実際はこのくらいの休養で全快することができるだろう。……寿命を削りそうな魔術であることに変わりはないが。

 あるいは《魔力制御》を適当にすることであえて強化倍率を下げ(ダウングレードさせ)て瞬間的な出力のみを利用すれば反動も小さくなるかもしれないが……

 

(でも、それも選択肢の一つかもしれない。《一刀天魔》は使い所が難しすぎる。使えるのは決勝戦の一回限りになるし)

 

 もちろん《一刀修羅》だけでは心もとないというわけではない。

 しかし切り札は多ければ多いほどに良い。

 刀華との試合はテレビによって全国にも放送されていることから、《一刀天魔》がハイリスクハイリターンな大技であることは知れ渡っているはず。

 ならばあれを一輝が軽々に使うとは誰も思うまい。

 

(だったらその裏をかく意味で、ダウングレードは本当に僕の切り札足り得るかもしれない)

 

 そう思い、一輝はこの日まで絶えず《魔力制御》の修練を重ねてきたのだ。

 今の所、成果としてはまずまずといったところだろう。

 最初から容易に《迷彩》の領域にまで辿り着けるとは思っていなかったが、一輝の魔力運用がそもそもピーキーすぎることも相まってそう上手くは行かないのは予測済みだ。

 まだ一週間ある。

 ここで焦ってもどうにもならない。

 

(……ステラは自分の強さを追い求めて一週間戻らないという。だったら僕もうかうかしていられない)

 

 同室の少女のことを思い浮かべながら、一輝は再度瞑想に集中した。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

「ええっ、王馬くん生きているんですかぁ!?」

 

 馬鹿な、死んだはずでは!?

 私がその驚愕の事実を知ったのは、通称《前夜祭》から数日たったある日のことだった。

 七星剣舞祭に向けた旅支度を行っていた私を黒乃先生が訪ねてきて、「そういえば言い忘れていたんだが」とこの情報を言い放ってきたのだ。

 絶対に死んだと思っていたのに。

 「凄まじい原作ブレイクをしてしまったなぁ」と内心では少し反省していたくらいだというのに。

 

 先日の《前夜祭》で、私は王馬くんと相打ちという形で命を落とした。

 その際、私は黒鉄からパクった《第六秘剣・毒蛾の太刀》で内臓と脳をメチャメチャのグチャグチャになるまで粉砕してミンチにしてやったというのに、それでも彼は死ななかったというのか。

 

 何てこった、黒鉄の人間は化物か!

 

 と、私は一人で戦慄していたのだが、どうもそれは私の思い違いらしい。

 どうやら王馬くんは敵の能力によって死体の状態から瀕死の重傷レベルにまで肉体の損傷を回復させられたらしく、それによって九死に一生を得たのだとか。黒乃先生によれば、何でも『能力をコピーする能力持ちが向こうにはいる』とのこと。

 ……ああ、《血塗れのダ・ヴィンチ》(笑)の人か。

 なるほど、あの人の能力って応用すればそんなこともできるのね。原作ではそういう描写がなかったと思うから普通に予想外だった。魔術って凄い。

 

「それで、大阪に向かう準備はできたのか?」

「ええ。私は元々荷物が少ないので、小一時間もあればトランクに全部詰め込めます」

「……お前のことだから、服なんて予備の制服をありったけ詰め込むだけで終わるだろうしな」

「はい。機能的で素晴らしいでしょう? “制服がある”――それは学生の身分が持つ最高の利点の一つだと私は思うんです!」

 

 だって服装で迷う必要とかないもんね。

 困った時はとりあえず制服着ておけば大体のことは解決するもんね。

 社会人とか大学生は、そういう意味では自由すぎて面倒だったと前世の記憶にある。高校から大学に上がったり、あるいは職場の人間と休日に集まったりする時に最初は「何を着てきゃいいんだ?」ってなるからね。

 

そうそう、なぜ私が旅支度までして大阪に向かおうとしているのかというと、七星剣舞祭の舞台が大阪にあるからだ。

 大阪中心部から少し離れた場所に、企業誘致などが上手く行かず無人となってしまったビル群――いわゆるゴーストタウンがあるのだが、そこにある湾岸ドームで七星剣舞祭は開催される。

 つまり無駄になってしまった土地を再利用しましょうという目論見が含まれた行事なのだとか。

 大阪は湾岸エリアでこういう行事を行うことで、ゴーストタウンがスラム化しないように防いでいるという涙ぐましい努力が裏にはあるのだ。個人的には「さっさと更地にしてしまえばいいものを」と思うけど。きっとお金の問題とか色々あるんだろうね。お役所は大変だ。

 

 ……う~ん、それにしても困った。

 

 話は戻るが、王馬くんへの対処についてだ。

 彼は友達とか少なさそうだし仲間意識とか微塵もなさそうだから迂闊にペラペラと「俺は祝を殺したもんげ!」とか騒ぎ立てたりしないと思うけど、私が蘇生系の能力を持っていると知られているのは危険だ。

 最悪、私の能力が世間に曝されて「そんなんチートや! チーターや!」とか騒がれると非常に不味い。

 そんなことになったら私に引き摺られるように大鎌の評判が悪くなりかねない。チーターの武器=大鎌とかになったら、もう私は泣いて自害するレベルだ(結局復活して()()()けど)。

 あと何日かしたら七星剣舞祭だから嫌でも王馬くんとは顔を合わせることになるが、その時の王馬くんの様子次第では……始末しないとだめかも?

 

 私がそんなことを考えながら荷物を詰めていると、黒乃先生が「ああ、疼木」と何かを思い出したように……

 

 

「七星剣舞祭の二日前に大会が主催するパーティがあるだろう? お前、あれに出席しろ」

 

 

 唐突にそう宣ってきたのだった。

 

 




 活動報告にも書きましたが、現在対戦表に悩み中です。
 あっちを立てればこっちが立たず。一輝の成長フラグとかを考えると迂闊に動かせない部分があるのが難しいところですね。大枠は決まっているのですが、細かい所の調整が難しいです。

 それと本編には関係ありませんが、原作における七星剣舞祭のトーナメント表を整理目的で個人的に作成したので、よろしければどうぞ。


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七星剣舞祭編
フルフルニィ


本日二話目の更新です。
お昼頃にもう一話投稿しています。念の為にご注意を。
それとすみません、今回はかなり難産だった上に結構端折ったので、原作を読んで戴いた方が良いと思えるほどの回です。すみません。

今回より『七星剣舞祭編』の開始です。


 《国立暁学園》の設立。

 これによって世論は大いに割れた。政府の方針への賛同派と否定派の真っ二つとなり、連日連夜の討論番組が絶えないほどと言えばどれほどのものかわかるだろう。

 連盟からの脱退か、あるいは現状維持か。

 これからの国の未来を左右する目に見えた、加えて七星剣舞祭の結果によってそれを決するという差し迫った問題だ。平和ボケしていると揶揄される日本人であろうと見過ごすことなどできはしなかった。

 

 しかし実際のところ、そのような国民の心配は当の選手たちにとって重要ではない。

 

 なぜならば彼らに突きつけられた真実は、結局のところ『自らが最強であると世に証明してみせよ』という課題ただ一つなのだから。

 

 優勝者が誰であるかによって国が動く?

 それによって日本の命運が決まるかもしれない?

 知ったことか。そんなものは自分が勝ち残れば全て解決する話だ。

 

 そう考えることができる選手だけがこの七星剣舞祭に残っている。

 暁学園の圧倒的な力に挫けず、世間からのプレッシャーに怯えることなく、ただ勝利を望む真の騎士のみがこの舞台に残ることとなった。彼らにとってはそれだけの話なのだ。

それによって篩にかけられ、舞台に残った学生騎士は三十二人。暁学園の生徒を除けば二十六人。七つの騎士学校から六人の代表選手が輩出されることを考えれば、およそ半数強が姿を消した計算となる。

 

 ――上等だ。

 

 誰かがそう呟いた。

 むしろ実力を兼ね備え、さらに複雑な事態の最中に放り込まれたこの舞台へと上がる決意をした騎士が二十六人もこの国にいたことこそが称賛されるべきなのだ。

 今年の七星剣舞祭は、心技体を兼ね備えた学生騎士たちが鎬を削り合う熾烈な闘いとなることだろう。

 

 そして七星剣舞祭の開幕となる二日前。

 いよいよ大会の対戦表が発表される。

 祝の初戦の相手、それは――《浪速の星》諸星雄大。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 現在は七星剣舞祭の二日前。

 私は大会が行われる大阪に身を寄せている。なぜ二日前なのかと問われれば、それはこの日に代表選手限定の大会が主催するパーティが開かれるためだ。会場は各学園の選手が宿泊するホテルの最上階で、私は現在それに参加するための準備をしている。

 もちろん私としてはそんなものに参加するつもりはなかったのだが……

 

「――疼木、準備はできているか?」

 

 コンコンッと小気味よく更衣室の扉がノックされ、私が「どうぞ~」と返すと、いつものダークスーツに身を包んだ黒乃先生が入室してきた。

 先生は私の姿を見るなり「ほう」と一息つく。

 

「ふっ、馬子にも衣装というやつか。私の予想以上に似合っているぞ」

「それはどうも。褒めても何も出ませんけどね」

 

 これは心からの言葉である。

 別に“パーティ用の衣装”が似合っているからといって何か感じるところはない。

 これは前世が男だった影響なのか私が不精なだけなのかは知らないが、私はどうも服に対する興味関心が薄い。TPOの観点から着替えが必要なのは理解できるが、別に綺麗に見られるために着飾ろうという意識が湧かないのだ。

 だというのに私がこうして着飾っているのは、黒乃先生たっての要望だからである。というか参加することそのものが彼女の要望であり、先日の件で借りのある私はそれを断ることもできず不承不承こうして従っているというわけだ。

 ちなみにドレスや靴などは全てレンタル、化粧はその店のスタッフが行ってくれた。さらに言うなら、ドレスの選出からメイクの具合まで全て黒乃先生監修である。

 何をさせたいんだろうね、この人は。

 実は私を着せ替え人形にして楽しんでいるだけなんじゃないの?

 

「では、そろそろ行くぞ」

「行く? 先生もパーティに参加するんでしたっけ? 私は去年のに参加しなかったのでその辺が曖昧で」

「ああ、私のような理事長クラスの人間も参加する。ああいう場は血の気の多い輩が多いからな、それを抑えるための配置という意味もある。……それに上手く行けば、()のボスが出てくるかもしれんからな。そうなったら私も少しばかり挨拶(・・)してくるさ」

「先生が一番血の気が多い件について」

「馬鹿者。大人の挨拶というものはもっとスマートなものだ。お前たちガキと一緒にするな」

 

 すると「ゴーン」というレトロな音とともに、部屋に備え付けられた振り子時計が午後六時を告げる。

 それがパーティ始まりの合図。誰か来るかニャ誰も来ないかニャ、ドキドキしながら待ってるニャ~。私としては誰も来ていないとすぐに帰れて楽なんだけどね。

 

 パーティ会場は先程も言った通り高層ホテルの最上階にあるため、そこまではエレベーターで向かう。

 よってお粧しした私はその装いのままエレベーターホールへ黒乃先生と向かったのだった。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 祝が移動を始めたまさに同時刻。

 パーティ会場は現在、不穏な空気に包まれつつあった。

 大胆不敵にもパーティに参加していた暁学園の多々良が、何と同じくパーティに参加していた珠雫へと毒入りの剃刀を料理に盛ったのだ。

 これを境に場は険悪な雰囲気へと遷ろい、周囲がその状況を不審に思い始めた次の瞬間――なんと多々良が自らの霊装《地摺り蜈蚣(チェーンソー)》を顕現させたのだ。

 多々良の好戦的な雰囲気と抜かれた霊装。これが意味するところはつまり、これより闘いが始まるということに他ならない。流石に一流の学生騎士が集まるこのパーティにおいて激しく動揺する者はいなかったが、唐突に広まった闘争の気配に驚きを隠すことはできない。

そして多々良に相対する一輝もその手に《陰鉄》を顕現させようと――

 

 

「やめとけや。《無冠の剣王(アナザーワン)》」

 

 

 しかし二人が激突すると思われたまさにその瞬間。

 外野から制止が入る。

 その一声に一輝だけでなく多々良すらもその動きを縫い留められた。ただの一声で二人は動きを完全に制されてしまったのだ。

 ザッと、状況を傍から見守っていた人垣が割れる。その先から現れたのは、高い身長と額に巻かれたバンダナが特徴的な偉丈夫。

 

 前年度《七星剣舞祭》において祝を除く他を圧倒し、国内において序列二位の強さを誇る学生騎士――武曲学園の諸星雄大だ。

 

 祝を除く全ての対戦相手を無傷で制し、祝と並び今世代の二枚看板とまで称される男。

 三位以下と二人との間に聳え立つ壁は厚く、恐らくは彼女と並んで優勝の最有力候補と目される伐刀者。

 そんな男の一声はまさしく重力を伴っていた。まるで全身が重くなったと錯覚させられるような、そんな圧力を彼は放っている。

 その後ろに続くのは昨年の第三位とベスト8、同じく武曲学園の城ヶ崎白夜と浅木椛だ。一気に揃った昨年度大会の実力者たちに、場の空気がより一層の緊張に包まれる。

 

「何や、全員殺気立ってからに。大会は明後日からやで。それにそこの物騒な嬢ちゃんも、犬みたいにキャンキャンと騒ぐのはやめんかい。……いや、犬の方が『待て』ができる分いくらか賢いか?」

 

 多々良へと細めた目を向けた諸星は、これ見よがしに溜息をつく。

 それに頬を引き攣らせた多々良は、《地摺り蜈蚣》のエンジンを稼動させながら諸星へと一歩を踏み出した。

 

「ギギッ、舐めた野郎だ。余程愉快な死体になりてェらしいな」

「耳は大丈夫か、お嬢ちゃん? ワイは思ったことをそのまま言っただけやで」

「上等だクソがァ! まずはテメェからぶっ殺して――」

 

 その瞬間、多々良は反射的に、されど全力でその場を飛び退いていた。

 後方の人垣を強引に吹っ飛ばし、魔力放出によって強化された脚力を以って全力で後退する。そして床を削るような勢いで多々良が制動をかけたのは、諸星からおよそ5メートルは離れた位置だった。

 

「ッ、テメェ……!」

「ほう? ええ眼力や。……そう、そこまでがワイが一息でこいつを突き出せる“間合い”やで」

 

 気が付けば――まさに誰もが顕現の瞬間を目視することができぬほどの速さで、諸星の手には2メートルを超える長槍が握られていた。

 黄色い長柄から真っ直ぐに伸びる刃と、穂の根本に傭えられた虎の毛のような飾り。

 この黄槍こそが彼の霊装《虎王》である。

 

(……この野郎ッ、なんて広い間合いしてやがる!)

 

 多々良は内心で歯噛みする。

 諸星の槍の全長が2メートル、腕の可動範囲を精々0.5メートルほどと考えれば、この間合の広さの異常さがわかるというものだろう。小手先の足捌きでどうにかなるレベルの長大さではない。

 そしてその異常さは、間近でそれを見た一輝も感じ取っていた。

 諸星を中心に広がる半径5メートルの半円球。最早結界とも呼べるその領域が一輝にはハッキリと見えていた。正直に言って、敵として相対した際にはこの領域に踏み込める気がまるでしない。

 

(これが去年の七星剣舞祭であらゆる選手を間合いに入れなかった最強の間合い――《八方睨み》か!)

 

 これこそが諸星が最強たる所以。

 この間合を制し、諸星に近接戦闘(クロスレンジ)を仕掛けられた学生騎士は去年の七星剣舞祭では一人として存在しなかった。そう、それは伝家の宝刀《雷切》を持つ刀華でさえも。

 しかし近接戦闘が敵わないならば遠距離戦闘(ロングレンジ)――即ち魔術で仕留めようと多くの者は考えるだろう。如何に武術の達人であろうと、武が届かない領域で闘われたのであれば勝ち目がないはずだと。

 

 だが、諸星にだけはそれは当てはまらない。

 

 その理由は彼の保有する魔術による。

 諸星の魔術とは、魔術を無効化する魔術――即ち遠距離からの攻撃を全て無効化することができるのだから。

 つまり遠間からの魔術は全て無効化され、近間は槍によって封殺される。あまりにも効率的で完璧すぎる鉄壁の布陣。よってこの布陣を破り、諸星へ刃を突き立てることができる者だけが《七星剣王》の領域へと辿り着く資格を得るのだ。

 

「……で、まだやるんか? ワイとしてはこれで大人しくしてくれるってんなら、一年坊を可愛がってやる理由もなくなるんやけどな」

「チッ」

 

 多々良は小さく舌打ちした。

 気が付けば人垣は膨れ上がり、各学園の教師陣までもがレセプションルームの端々から睨みを利かせている。加えて人垣の中には事前に集めた情報にもあった障害になり得る学生騎士たち――《鋼鉄の荒熊(パンツァーグリズリー)》加我恋司や《白衣の騎士》薬師キリコ、それに――

 

「……テメェ、女。誰に断って《無冠の剣王》に手ェ出そうとしてやがる? アァ?」

 

 人垣を強引に割って多々良の前に姿を現したのは、諸星に劣らぬ長身と逆立った金髪、そして何よりも特徴的なのが(はだ)けた胸元から覗く髑髏の入れ墨――貪狼学園の《剣士殺し(ソードイーター)》倉敷蔵人だった。

 

「コイツは()()()()()()()()()()野郎だ。それを割り込もうってんならテメェから先にブッ殺すぞ!」

「……ッ」

 

 比較的背の低い多々良を見下ろす形になりながら蔵人が凄む。

 それに対し、多々良は歯噛みするだけで何も言い返そうとはしない。それは状況を正しく理解しているためだ。

 これ以上ここで騒ぎを大きくすれば、このまま彼らに袋叩きにされるだろう。……もちろん、この場の全員を相手取っても多々良は負けるつもりなど毛頭なかったが、面倒なことには変わりない。

 

「倉敷くん……久しぶりだね」

「ハッ、無事に七星剣舞祭まで登ってきやがったか。聞いたぜ? テメェ、あの《雷切》を斃してしてここまで来たっていうじゃねぇか。……結構なことだ。闘い甲斐がありやがる」

 

 二人はしばらく前、紆余曲折の末にとある道場を巡って一騎打ちの決闘を行った過去を持つ。

 その際の決着は一輝の白星で終わったが、それで黙って泣き寝入りする蔵人ではない。この数ヶ月、一輝へと“借り”を返すために黙々と修練を積んできたのだ。

 それがこんなわけのわからない女一人に台無しにされるなど、蔵人としては笑い話にもならなかった。

 

「――白けちまった」

 

 状況の不利を判断した多々良は、霊装を消し踵を返す。

 そして歩き去る多々良の後を追う者はいない。お互いにこれ以上の諍いが無意味であることを了解したためだ。そうして会場から足早に去っていく多々良の背を見送りながら、一同は内心でほっと一息をついたのだった。

 

「……ありがとうございました、皆さん。あのままだと僕も剣を抜かなければならないところでした」

 

 多々良が姿を消すや、一輝は周囲の人々に礼を返す。

 実際、珠雫が狙われた時点で一輝としても怒りで頭に血が上りかけていたのだ。彼一人では、ここまで穏便に多々良を追い返すことはできなかっただろう。

 しかし礼を言われた諸星は先程までの鋭い重圧が嘘のようにカラッとした笑みを浮かべた。

 

「構わん構わん! 見ていた限りやとそこの妹ちゃんを狙われたんやろ? なら先に抜かなかっただけで上等や。ワイやったら手を出された瞬間にフルボッコやで」

「……雄、それは自慢げに語ることではありませんよ? 貴方は我が校最強の学生騎士なのですから、もう少し品性というものをですね」

「あはは、無理やてびゃっくん。ホッシーは筋金入りのシスコンやからな」

 

 諸星の隣で城ヶ崎と椛が困ったように笑う。

 しかし諸星はそれに納得がいかないようで、「カーッ、こんなん兄貴なら当然やろが!」とキレていた。

 

「そういえば黒鉄。今日は祝の奴は来とらんのか?」

 

 すると諸星が思い出したように会場へと視線を走らせる。

 しかし残念なことに彼女はまだパーティには出席していない。いや、それどころか彼女がこういう場に姿を現すかどうかすら怪しい。

 その旨を伝えると、諸星は残念そうに肩を落とした。

 

「そか。そういえばあいつは去年も不参加やったし、望みは薄いか。いや、試合の前に一度“挨拶”しときたかったんやけどな」

「あ、挨拶ですか……そういえば諸星さんは去年、決勝戦で疼木さんとぶつかったんでしたね」

「せやで、《深海の魔女(ローレライ)》の嬢ちゃん。まぁ、完敗もいいところやったけどな! とはいえ……」

 

 諸星がニィと口角を上げる。

 その好戦的な空気は、先程の多々良に放った威圧感を彷彿とさせる。

 いや、気配としてはそれ以上だ。本来ならば全身から放たれているであろうあれ以上の威圧感が圧縮され、まるで薄く引き伸ばされたかのように諸星の全身を覆っている。その僅かに漏れたであろう威圧感でさえ、一輝と珠雫の背筋を凍りつかせるには充分なものだった。

 

「ワイとしてもやられっ放しちゅうわけやないで? 今年はキッチリと勝ちを獲ったる。……それにあいつには、()()()()()()用があるからなぁ。ククク、会うのがホンマ楽しみやでぇ……!」

 

 試合以外――その言葉に一輝は思わず息を呑んだ。

 反射的に思い起こされるのは祝が去年及んだという、他校の生徒への蛮行だ。校内の生徒ですら未だに彼女に対して反感がある者が多いのだから、校外でも同じように怒りを燻らせている者がいても不思議ではない。

 思えば先程から言葉の端々で感じる威圧感も、騎士としてのそれというよりは、それとは別種の何か滾る感情のようなものを感じる。

 もちろんこれは一輝の予想に過ぎないが、それでもこれが真実だとしたら……

 

(だとしたら、この場に疼木さんがいなくて良か――)

「私が来たッッ!!!」

 

 一輝がそう胸を撫で下ろしたまさにその瞬間、その一声と共に会場入口の両扉がドバァと勢い良く弾け飛んだ。いや、正確には弾け飛んだと錯覚するほどの勢いで開かれた。

 暁学園の多々良に続き今度は何だ、と一斉に会場の人間たちが入り口へと振り返る。否、正確には振り返るまでもなくその犯人が誰なのかを多くの人間が理解していた。

 その光景にある者は腰を抜かし、ある者はゲンナリと肩を落とし、またある者は「相変わらず派手だなぁ」と苦笑を浮かべ、ある者は「なんてタイミングの悪い」と胃の辺りを押さえていた。尚、一輝は最後の一つに当てはまる。

 そして振り返った一同は、その()()()()()()()()()()()()

 

 そこにいたのは、疼木祝であり、だが彼らの知る疼木祝ではなかったのだから。

 

 

 凄まじい美少女がそこにいた。

 

 

 普段から手入れを怠っているであろう跳ね放題の癖毛は息を潜め、美しいロングストレートへと変貌していた。

 服に至っては万年制服しか着ていないことで知られる出不精の彼女が、制服ではなく、両肩が露出するデザインの黒いイブニングドレスを身に纏っている。しかし露出度が高い一方、黒いオペラグローブによって腕の露出がほぼないというギャップが、その限られた肌の面積の白さを際立たてていた。

 そして普段からスッピン丸出しの顔には、明らかに彼女が施したのではないことがわかるメイクが施されており、元々愛らしい顔立ちをしていた彼女の可愛らしさを引き立てている。

 繰り返すが、祝であって祝ではない、最早恐ろしいほどに完璧な美少女としか言い様のない祝がそこにいた。

 

『…………………………えっ、誰……?』

 

 空気が止まった。

 恐らく数秒に限り、全員の呼吸すらも止まっていたのは間違いない。

 いっそ祝の装いは荘厳とすらも感じられるもので、あまりにも彼女の普段の装いからはかけ離れていた。馬子にも衣装どころの話ではない。これでは最早魔法をかけられたシンデレラだ。

 しかしその一方、空気の読めない祝は首を傾げるばかりで状況が全く読めていない様子だった

 

「……あれっ、どうしたんですか皆さん? 皆大好き《七星剣王》の登場ですよ~? もっとこう、『恐ろしい重圧、俺でなきゃチビッちゃうね』とか『あれが……《七星剣王》……!』って感じで恐れ慄いてもいいんですよ?」

「って、誰やお前はー!」

 

 真っ先に再起動したのは、一輝たちにとっては意外や意外、武曲学園の浅木椛であった。祝の下へと駆け寄るなり、渾身のツッコミを炸裂させながらどつきをかます。

 もちろん祝は「当たらなければどうということはないっ」と意味不明なことを口走りながら華麗に躱した。

 

「マジで誰やねんお前! 何やその服ッ! あんた制服とジャージしか持っていなかったのになんで突然ドレス!? ウチも着たかったのになんでドレスなんやー!」

「ウチの理事長の方針です。『七星剣王が適当な服でパーティなど私が許さん』だそうで、お化粧とか髪の手入れとかまで全部手配してくださいました。あっ、ドレスはレンタル品です、同じく理事長が選んでくださいました」

「かーッ! 何やその至れり尽くせり! 羨ましすぎてハゲ散らかすわ!」

 

 やいのやいのと二人が騒ぎ立ててくれたおかげで、一輝を含めた一同もようやく再起動が完了する。

 そして改めて正装した祝を見やり、一輝は思わずその視線を彼女によって奪い去られてしまうのだった。

 元々、祝の素材が良いことは一輝も察していた。しかしあまりの化粧っ気のなさ(血化粧は除く)、ジャージしか見たことのない私服、そして何より修羅道に身を委ねるその狂気のせいで祝を一人の女性として見たことが皆無に等しかったのだ。

 故にこうして“女”を全面アピールした格好で登場されると、一輝としても目のやり場に困るのが正直なところだ。隣で珠雫が「じぃー」と祝を睨んでいることは何となく察していたが。

 

「へ、へぇ……疼木さんは武曲の浅木さんと知り合いだったんだね。シラナカッタナー……」

「……あの人、私のお兄様の視線を釘付けにして……妬ましい!!(そうですね)」

「ちょ、珠雫! 思っていることと口に出していることがたぶん逆になっているから!」

「ハッ⁉︎」

 

 正気に戻った珠雫は「失礼しました」と恥ずかしそうに前髪を直しながら体裁を取り繕っている。

 

「……それにしても、疼木さんがパーティに出てくるのは意外だったな。あの人ならこういう行事は無視しそうなものだから」

「大方、理事長先生の指示なんでしょうけどね。とはいえ、たとえ先生の指示だろうとあの人がこういう場に出てくるとは思いませんでしたが」

 

 確かに、珠雫の言った線が最も正しそうな気がする。

 祝は先日の襲撃事件の際、一時とはいえ生死不明の状態で行方を晦ませてしまった。一度は死亡説すら出たほどだ。

 あるいはそれに対するマスコミへの対応などの件を恩義に感じているのかもしれない。

 

 

 

 

「く、ククク……ようやくお出ましかァ? 待っとったで、祝ァ……!」

 

 

 

 

 しかし正常に戻りつつある空気の中、今度は背後から、一輝と珠雫は唐突に総毛立つほどの寒気を叩きつけられた。

 その瞬間、諸星の空気が明らかに変わった。これまでの洗練された戦士の気配から、まるで獲物を前に舌舐めずりする獣へとその身に纏う気配を変貌させたのだ。

 事実、最早諸星はその顔つきすら変え、内に秘めた獰猛さを隠すことさえできていなかった。いや、そもそも彼には隠す気すら毛頭ないのだろう。

 なぜなら今の彼には、祝以外の人間など眼中にないことは傍目から見ても明らかなのだから。

 

「はふ、りィ……」

 

 「何事か」と一輝が驚くのと、一輝を押し退け、諸星が静かに一歩を進めたのは全くの同時だった。

 獣のように猛々しく、しかし獲物へ襲いかかる肉食獣のように静かにその歩みは始まる。靭やかに、されど音も、気配すらもなく一歩、二歩とその歩みは続き……次の瞬間、諸星の総身がブレた。

 

(速いッ……⁉︎ いや、それだけじゃ――)

 

 一輝がそう思考した瞬間には、諸星と祝の間合いは一気に半分まで縮められていた。

 この動きは尋常のそれではない。ただ速いだけで一輝の目から逃れることはできない。

 これはまさに“覚醒の無意識”へと――人が意識に捉えつつも、無意識の内に認識外へと追いやってしまう死角へと潜り込む奥義――《抜き足》だ。

 

(いきなりだから完全に見失って――!?)

 

 一輝を含めた多くの人間が、諸星の姿を消えたと錯覚しただろう。それほどまでに見事な《抜き足》だった。

 彼の全身からは殺気とも闘気とも取れない“熱”が充満しており、それが一瞬で会場内へと充満する。

 落ち着きつつあった生徒の多くがギョッと振り返る。祝の隣にいた浅木が「またか」と呆れたように諸星を一瞥する。祝が不思議そうに諸星へと視線を向ける。そして状況が読めない中――一輝だけが目まぐるしく思考を高速回転させていた。

 

(なぜ諸星くんが我を失ったのかはわからないッ。でももし、僕の予想が当たっていたとしたら!)

 

 一輝の知る疼木祝という存在は、紛うことなき修羅道の人間だ。自分の目的のためならば、あらゆる他者を踏み潰して進む鬼だ。

 故にその道に敵は多く、この諸星のように衝動的に――それこそ我を忘れて殴りかかられるような相手がいても不思議ではない。

 祝と諸星の間にどのような関係があるのかは一輝も知るところではないが、ことここに至ってはそれを推察している暇もない。ここでもしも諸星が祝に襲いかかってしまえば、最悪乱闘騒ぎを起こしたとして諸星が出場停止になってしまう可能性もある。

 同じ七星の頂を目指す同志として、同時に一人の武人として、一輝はそんな下らない結末を諸星には迎えてほしくなかった。

 

「祝ィィィァァァ!!」

(ッ、ダメだ! もう追いつけない!)

 

 しかし一輝の判断は些か以上に遅すぎたと言うべきだろう。

 諸星の体捌きと間合いの近さ――この二つの条件が重なった結果、如何に体術の達人である一輝といえども最早できることは残されていなかった。

 

「落ち着くんだッ、諸星さん!!」

 

 そう、一輝にできるのはこうして制止の声を呼びかけるのが精一杯だった。

 一輝は万感の思いで叫んでいた。

 早まった真似はやめてくれ。せっかくこうして出会えたというのに、こんな形で貴方が退場してしまうなどあってはならない。その怒りを放出するのは試合の場であり、決してこんな場所ではないはずだ。

 しかし果たして一輝の願いも虚しく、諸星は祝へと向けて飛びかかった。天井スレスレまで跳躍した彼は、その右手を祝へと突き出す。そして繰り広げられるだろう光景に一輝が思わず目を逸らし――

 

 

 

 

 

「祝ィーッ!! ワイやああぁぁー!! 結婚してくれぇぇえええッッッ!!!!」

 

 

 

 

 

 諸星はどこからともなく取り出した花束を祝へと差し出したのだった。

 そしてパーティ会場を静寂が支配する。

 

『……………………は?』

 

 一輝は、珠雫は、それ以外にも事情が呑み込めない人々は、状況が一片たりとも理解できず固まった。「なぜ?」という言葉すら頭に浮かばなかった。人間は予想を超えすぎた事態に遭遇すると思考が停止するというが、この状況こそがまさにそれだった。

 そんな彼らを他所に、祝は驚いた様子もなくゆったりと笑みを浮かべ……

 

「嫌です」

 

 花束を受け取ることもなく諸星を袖にした。

 まさに鎧袖一触。

 こうして諸星の一世一代の求婚(プロポーズ)は僅か五秒で終わってしまったのだった。

 

「い、嫌っておまッ、そりゃあんまりやああああぁぁぁぁッ! 祝お前最近ワイに冷たすぎんか⁉︎ ここまで男らしいプロポーズを一言でノーセンキューて! もう少し気を遣った返事があってもええんちゃう⁉︎ それこそ昔は『気持ちは嬉しいですけどお友達から』みたいな感じだったやん⁉︎」

「えぇ〜……だってゆーくん(・・・・)のそういう“芸”は会う度会う度に見せられているせいで正直見飽きたというか。最初は驚きましたけど、別にもうそれにすら値しないというか。ぶっちゃけ、同じネタを繰り返すばかりな辺り、関西人っていうのも大したことないなって思っていたり」

「ネタちゃうわボケェ! 毎回本気で口説いとんのや! ワイは祝が首を縦に振るまで諦めへんぞ……って、『うわぁ、コイツ面倒臭ぇ』って顔すんのやめぇや。ガチで傷つくから」

 

 熱気から一転。

 和気藹々とした雰囲気を振り撒き始めた二人に、一輝はようやく我に返った。

 

「えっ、何だこれ? いや、ホント何なのこれぇ!?」

「お兄様、安心してください。珠雫にもサッパリわかりません」

 

 諦めたように首を振る珠雫。

 困惑する周囲の代表選手たち……否、よく見れば違う。禄存学園の加我を始め、巨門学園の鶴屋などの数名は「またか」と言わんばかりに呆れた笑みを二人に向けている。同じ武曲学園の浅木や城ヶ崎などは既に見慣れた光景なのか、気にすることすらせず料理を取りにテーブルへと立ち去っていた。

 それらの選手に共通していることは、そのほぼ全員が《七星剣舞祭》に嘗て出場した経験を持つ、選手たちの中でも比較的実力上位に君臨している者たちということだった。目を白黒させているのは、一輝のようにこの大会の新参者たちばかりだ。

 

「え、えーと……諸星さん? それに疼木さんも……」

「ん? おう黒鉄、どないした?」

「いえ、何と言いますか……その、僕も含めて状況についていけていない人がいると言いますか……」

「……?」

 

 キョトンとしていた諸星だったが、次第に一輝の言葉が理解できてきたのか「あぁ! スマンスマン!」と頭を掻きながら呵々と大笑した。

 祝の方も困ったように「いつも通り過ぎて忘れていました」と苦笑いするばかりだ。

 

「う~ん、どこから説明したもんかなぁ……。まぁ、話せば長くなるんやけど、あれはワイがまだ小学生(リトル)の選手だった頃――」

「ゆーくんは私にずっと片思いしていて、会う度に私へ交際と結婚を申し込んでくるんですよ。で、私は別に彼のことを恋愛対象としては見られないので毎回断り続けているんです。ハイ終わり」

 

 沁み沁みと過去の回想に入ろうとした諸星を、祝の解説がバッサリと切って捨てた。

 

「いや雑ぅ!? もっと何かあるやろォ! ほら、二人の馴れ初めとか、初めてデートした時のこととか!」

「はい? 私達が初めて会ったのは小学生(リトル)リーグの試合中ですし、デートは新しい槍の技を教えてもらうための対価でしょう? あっ、ちなみにこの呼び方も技を伝授してもらった際の交換条件なので悪しからず。……でもそんなことまで話す必要あります?」

「ありますぅ~! そういう途中経過がないとワイただの変態やん! 嫌がる相手に結婚申し込みまくる不審者(ストーカー)やん!」 

 

 慌てて弁明する諸星だが、祝はイマイチその必死さが理解できていないようだった。

 そんな祝を置いて、諸星は一輝に事情を説明する。

 つまり要約すると、だ。

 二人は小学生の頃に伐刀者の大会を通して知り合い、ちょうど大鎌に流用できる技術を欲していた祝は大会上位の常連である諸星へと近づいていった。そこで諸星が祝に一目惚れし、技術交流を通してお近づきになろうと画策。祝としても親切に槍術の流派や自身の技術を教えてくれる諸星に好感を抱きそのまま交流。されど諸星の思惑通りに恋愛関係に発展することは叶わず現在に至る、と。

 ちなみに先程の《抜き足》も祝が諸星に指導して完成した技術らしく、諸星から祝への一方通行ということでもないらしい。

 

「つまりこういうことですね?」

「そういうことです」

 

 うんうんと頷く祝だが、一方の諸星は渋面を浮かべていた。

 彼からすれば現在進行系の敗北の歴史をこうして解説されてしまったわけなのだから、決して良い気分ではないだろう。

 

「ガッハッハ! まぁ~た振られたなぁ雄大! お前ぇ、小学(リトル)合わせてこれで振られるの何回目だべさ?」

「うっさいわ恋司! まだこれからやっちゅうねん!」

「そうかそうか! まぁ、祝に嫌われんようほどほどになぁ!」

 

 笑いながら去っていく加我。

 

「んふふ。()()()()()()、あの子は。また後でお邪魔することにするわ」

 

 白衣を翻して人垣へと紛れていくキリコ。

 

「チッ、テメェらの毎度の漫才に付き合う気はねぇよ。一生やっていやがれ」

 

 舌打ち交じりにその場を後にする蔵人。

 彼らの様子を見るに、どうやら二人の関係を知っていたようだった。いや、他の諸星の奇行に動じていなかった生徒たちの様子から察するに、この二人の関係はある程度昔から有名なものなのだろう。

 しかし片や大阪、片や東京で生活する学生騎士。その関係を知ることができるのがこういった地域の垣根を超えた交流の場だけだということなのかもしれない。

 

「それにしても祝、今日はやけに別嬪さんやな。ワイに会うためか?」

「……? なんでゆーくんに会うのにお粧しする必要が? 普通にTPOを弁えただけですけど」

「……ああ、うん……せやな。お前の何気ない言葉が胸にグサグサ来るところまでいつも通りすぎて逆に安心したわ」

 

 笑いながら滝のように涙を流す人間を一輝は初めて見た。

 

「それにしても今日の服はマジでエロいな。肩モロ出しやん」

「エッロいですよね~。でも理事長曰く、これくらいはドレスとしては普通らしいですよ?」

「そかそか。ただ、ワイとしては未来の嫁さんが露出多めの服で他の男の前をウロウロしてほしくないのが本音なんやけどなぁ?」

「あっはっは! も~、そんな未来一生来ないから安心してくださいって~!」

「なるほど! そりゃ安心や! ……って安心できるかーい!」

 

 ノリツッコミまで熟す辺り、流石は関西人と感心する一輝だった。

 しかし感心する一方、一輝は先程の会話の中でふと気になる部分があったため口を開く。

 

「そういえばなんですけど」

「あん?」

「はい?」

 

 祝と諸星が不思議そうに一輝へと視線を送る。

 首を傾げる珠雫にもわかるよう、苦笑しつつも口を開く。

 

「さっきの話だと、諸星さんが疼木さんに槍術を教えていたということですが……その、良かったんですか? 諸星さんとしては敵に塩を送るようなものだったんじゃ……」

「あ~、なるほどそういうことか」

「疼木さんの学習能力は《既危感》も相まって超人的な領域に至っていますよね。そんな相手に手の内を見せるのは、切磋琢磨すると言えば聞こえは良いですけど、ハッキリ言って自滅行為だ。彼女と闘うことを想定しているのならば下手に手の内を見せることがどれだけ危険なのか諸星さんほどの伐刀者なら理解できるはず」

 

 一輝にはそれだけが解せなかった。

 仮に一輝が祝から自身が剣の教えを請われたとしても、大会期間中は絶対に断る。いや、可能ならば学生騎士である間は可能な限り遠慮したいのが本当のところだ。

 そんなことができるほど自分に余裕があるなどと一輝は思い上がってはいない。

 しかし諸星は祝に自身の技術を教え、彼女の大鎌術の発展に協力すると同時に自身の手の内を晒し続けてきた。常識的に考えればありえない行動だ。もちろん祝から齎される恩恵も諸星にはあったのだろうが、それでもハイリスクハイリターンな行為であることに変わりはない。

 

「それなのに、なぜ?」

「それはワイがこいつに借りがあるからや」

 

 ぽふ、と諸星が祝の頭に手を添える。

 その瞬間、心なしか祝の眼光が鋭くなったのを一輝は見逃さなかった。しかしそれに気付かない諸星でもないだろうに、気にする様子もなく話し続ける。

 

「詳しくは話せん。それがこいつとの約束やからな、ワイは生涯この約束を違えることはせん。せやから話せるのはここまでやけど……ワイにはこいつに一生をかけても返しきれん恩がある。せやからこいつの願いは可能な限り力になってやりたいんや」

 

 「惚れた弱みもあるしな」と快活に笑った諸星は、納得ができない様子の一輝が口を開く前に「それにな」と言葉を続けた。

 

「全ての手札を見破られていたとしてもワイは負けんで? ポーカーと同じや。手札が全部見えていたとしても、最強の手札(ロイヤルストレートフラッシュ)に敵う方法はない――ワイの槍で祝の大鎌を食い破ればそれで全てが済む話や」

「……ッ」

 

 ハッタリではない。

 それは目の前の男が放つ威風堂々とした言葉尻からも察することができる。

 流石に全ての手札を祝に晒しているようなことは諸星もしていないだろうが、しかし自身の槍術に圧倒的な信頼を置いていることは明らかだった。

 元々、祝は圧倒的な地力を以って絡め手を潰し、真っ向勝負を仕掛けることを好む騎士。そして諸星もまた、その能力から敵の魔術を潰して真っ向勝負にて決着をつけんとする騎士だ。

 この二人が激突した結果どうなるのか、たとえ照魔鏡の如き観察眼を持つ一輝であっても容易に想像することはできない。

 

「“最強の手札”? 流石は関西人、冗談がお上手ですね。さっきのネタがつまらない云々は訂正しましょうか」

 

 しかし諸星の言葉に異を唱える人物が一人だけいた。

 祝だ。

 鈴を転がすような声で笑いながら、されど視線は絶対零度の如き冷気を込めて諸星を見据えている。

 

「何やと?」

「ゆーくんの槍術は確かに一流の域ですけど、精々が準優勝(ストレートフラッシュ)止まり。最強は私の大鎌です。そこだけは履き違えないようお願いしますね?」

「……ハッ、確かにな。去年の七星剣武祭で、ワイは遂にお前の強さには届かんかった。せやけどそれも所詮は一年前の話や。今年も同じ結果とは限らへんで」

「同じですよ。だって勝つのは私ですから」

「ならそれを早速ワイは確認できるっちゅうわけや。一回戦で去年のリベンジができるわけなんやから……なぁ?」

 

 和やかな雰囲気から一転、二人の間で激しい火花が散る。

 祝はともかく、さっきまでハートマーク全開だった諸星ですら好戦的な空気を放っていた。

 あくまで全く自然体を崩さない祝と、洗練された戦士特有の鋭い気配で彼女を見下ろす諸星。ある種、正反対とも呼べる二人の睨み合い。

 その睨み合いは果たして……

 

「……アカンな、そんなに見つめられたらドキドキするやん? 祝、嫁とは言わん、まずは清い交際から始めんか?」

 

 諸星の求愛によって台無しになったのだった。

 

「も~。すぐにそうやってシリアスな空気をぶち壊す! ここは何も言わずに立ち去って、『無言でも通じ合っているライバル感』を出すのがお約束でしょう? 本当に空気読めないんですから」

「カーッ! 未来の嫁と見つめ合ってドキドキせん男がおるかい! そうやろ、もう嫁確定の彼女兼ライバルがおる黒鉄ェ!?」

「えっ、ここで僕に振るんですか!?」

「当たり前やァ! あのガセネタ週刊誌の報道を何もかんも信じとるわけやないけど、《紅蓮の皇女》と恋人っちゅうのはホンマなんやろ! ならワイの気持ちがわかるはずや!」

「え、えぇ……」

 

 まさかこちらに飛び火するとは思っていなかった一輝は及び腰となる。

 しかし諸星の目は真剣そのもの。

 そしてステラとの関係が持ち出された以上、一輝も適当な返事をすることはできない。

 とはいえ……

 

「い、いやぁ……でも疼木さんに恋人云々は無理なんじゃないかなぁ……なんて」

 

 《告死の兇刃》と校内で恐れられ、昨年度は日本中の騎士学校に殴り込みをかけては負傷者を笑って量産していた少女に恋する気持ちをわかれというのは流石の一輝にも無理であった。

 

「そもそも諸星さんは疼木さんのどこが好きなんですか?」

 

 珠雫が投げかけた疑問に、一輝も内心で頷く。そう、そこがそもそも一輝には疑問だった。

 忌憚のない意見を言わせてもらうのならば……まず顔立ちが可愛らしいことに異存はない。化粧っ気が薄いのはこれからの努力でどうにでもなる。

 しかし性格面となると話は別だ。中学生にして道場破りなどを敢行する自分も異常だとは思うが、それと比較してもハッキリ言って彼女は頭がおかしい人間の部類に入ると思う。寝ても覚めても闘い尽くめで、物腰こそ柔らかだがそれは薄い綿の下に刃物を仕込んでいるかのような危うさがあることも一輝は知っている。

 そして何より、諸星からは“修羅”特有の狂気的な意志が感じられない。

 つまり彼は祝のような何かに取り憑かれたような人生を歩み、その果てに祝に共感した彼女の同類、というような人間ではないはずだ。

 

「……そうか。お前らには祝がそう見えとるのか」

 

 一輝が祝のイメージを諸星に伝えると、彼は眉間に皺を寄せた。

 ちなみに一輝が本人を前にして内容を暈すことなく諸星に伝えたのは、諸星の相手が面倒臭くなってしまったのか一輝へと諸星の視線が向いた途端に音もなくこの場から逃走してしまったためである。それに気付いた諸星の少し寂しそうな顔が印象的だった。

 

「せやな、言いたいことはわかる。確かに傍から見れば祝は狂人の類や。……二人は、祝が大鎌の普及に命かけとることは知っとるのか?」

「……それは初耳ですね。ただ、彼女が何かの目標に突き動かされていることは何となく察しています」

「そか、そこまでわかっているのなら話は早い。

 ――でもな、あいつは()()()()()()()()()

 確かに祝は大鎌に命をかけとる。大鎌そのものを楽しみ、それを人々に広め、大鎌について世界が意見を改めてくることを本気で目指しとる。正直その意志や行動力は怪物的や」

 

 「でもな」と諸星は続けた。

 

「あいつは真剣なだけなんや。誰もが子供の頃に憧れるような、そういう幼稚な夢を本気で叶えようと真っ直ぐに生きとる。あいつは哀れなくらいに純粋で、眩しいほどに自分に正直で、誰よりも大鎌を信じているだけなんや。そんなところにワイは惚れた。夢を叶えようと誰よりも努力し、それが少し前進した時に見せる笑顔が何よりも愛おしいんや」

「……」

「きっとワイは、一生かけてもあいつの“一番”にはなれんのやと思う。でもな、それでええ。ワイは大鎌に夢中になっているあいつが好きなんやから。それにな、あいつは狂人ではあっても悪魔やない。普通の人のように笑いもすれば優しさもある。ワイは……()()()()()その優しさに命を救われたことも――いや、何でもない。とにかく、黒鉄の祝への印象は紛れもない本物やけど、でもそれだけやないことだけは覚えたってや?」

 

 そう寂しげに、されどどこか愛おしさを表情に浮かべ語る諸星に、一輝と珠雫は何も言えなかったのだった。

 

 

 

 




一応作ってみたので、トーナメント表を載せておきます。

【挿絵表示】


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質問を質問で返すなあーっ!

 毎度ながら、感想や誤字脱字報告ありがとうございます。
 前回は特に誤字が多くてすみません。
 感想にも全てお返事をしたいところなのですが、なかなか返すことができずにいて申し訳ないです。


 ふと気が付くと、諸星は電車に揺られていた。

 車窓から見えるのは見慣れた大阪の町並み。

 武曲学園に入学して寮暮らしになってからはこの光景も少々縁遠くなったが、しかしその程度では忘れることすらないほどに見慣れた光景。

 しかし今日のこの光景にはどこか違和感があった。加えて言うのなら、自分はいつ……いやそもそもなぜ電車に乗ったのだろうか?

 何か、本当に大事な何かを忘れてしまっているような……

 

「お兄ちゃん、どないしたん?」

 

 ハッと我に返ると、傍らには妹の小梅の姿があった。

 その後ろには両親の姿もあり、そこでようやく諸星はこれから家族で遊園地に向かおうとしていたことを思い出したのだった。

 それを思い出した途端、先程までの違和感も消える。むしろ違和感を抱いていたという記憶さえ、諸星の頭からは抜け落ちていた。

 

「……おー、すまん小梅。何や、ちょっとボーッとしとったみたいや」

「もー! これから遊園地でいっぱい遊ぶんよ? なのにもうへばっとったら話にならんやん!」

「カカカッ、スマンスマン! お前、前から行きたい言うとったもんな! よーし、小梅こそ今日は一日付き合ったるから、先にへばるんやないで!」

 

 小梅の頭をグリグリと撫でてやると、彼女は「キャー」と嬉しそうに笑った。

 その微笑ましい光景を見て、諸星の両親も笑っている。

 そうだ、これから諸星は家族で近場の遊園地に向かおうとしていたのだった。近頃は自分が()()()()()()の調整や練習で忙しかったため、諸星家は家族の時間というものが減りつつあった。

 そこで諸星がいないことを寂しく思った小梅が、珍しく「どうしても家族で遊園地へ行きたい」と我儘を言うようになったのだ。

 今日はその約束の日。

 諸星も厳しいスケジュールを遣り繰りして、ようやく手に入れた丸一日の空白日。今日ばかりは小梅に思い切り我儘を言わせ、日頃の寂しさを帳消しにしなければなるまい。

 これはそんなどこにでもありふれた幸せな光景。

 そしてこんな光景が続くと、諸星は疎か誰もがこの瞬間まで疑っていなかっただろう。

 

 

 この瞬間までは。

 

 

「……?」

 

 不意に諸星の乗る列車に走る異音。

 小刻みに訪れる不自然な揺れ。

 そして一瞬の浮遊感。

 ――そこで諸星の意識は暗転した。

 

 気が付いた時には全てが終わっていた。

 

 意識を取り戻した諸星が見たのは、横倒しになりベコベコに変形した鋼色の車両だったものと、その下敷きになり血を溢れさせる小梅の姿。

 不幸中の幸いにも両親と自分は怪我を負いながらも軽傷だったが、その不幸を全て小梅が背負ってしまったのだと諸星は()()思っている。

 必死に彼女に伸し掛かる車体を退かそうと三人は足掻いた。しかし本当は自分も、そして両親も気付いていたのだ。

 数トンはあろう物体に押し潰されながらも悲鳴や呻き声一つあげない小梅の瞳に、最早光が宿っていないことに。

 そう、小梅は瓦礫によって胸から下を押し潰されていた。

 

 

『――大丈夫ですよ』

 

 

 小梅の死を受け入れられず、泣き喚くだけだった自分。

 だが、そんな自分を救ってくれた人がいた。

 

『ゆーくんは私の……大鎌のためにいっぱい頑張ってくれたから。だから私はここにいる』

 

 泣き腫らす瞳を持ち上げれば、そこには一人の少女がいた。

 真っ黒な大鎌を携え、血に塗れた小梅を見下ろす死神のような少女がいた。

 「本当は貴方を助けにきたんですけどね」と真っ黒な少女が呟いた。

 

『心配しないでください。私これでも、死神さんとは仲良しですから。三途の川の向こう側からだってこの子を連れ戻してきてあげますよ』

 

 「できるのか」と少年は問うた。

 小梅の死により絶望に沈んだ心が希望に縋る。そんなことができるはずないと理性が叫ぶ。

 すると少女は可愛らしく笑い、大鎌を小梅へと翳した。

 

『大丈夫。だって、“私の力”はきっとこういう時のために――貴方みたいな人のためにあるんですから』

 

 すると小梅の亡骸から黒い炎が吹き出し――

 

『《既死回生(カルペ・ディエム)》』

 

 

 

 

「……夢か」

 

 目を覚まし、諸星が真っ先に思ったことがそれだった。

 グッと上体を起こせば、そこは七星剣舞祭の選手たちに充てがわれたホテルの一室。

 その光景が、先程までの悪夢が現実のものではないことを教えてくれる。気が付けば汗で濡れていた額を拭い、諸星は大きく息を吐いた。

 

「もう六年も前になるんやな、あの事故も」

 

 先程の悪夢を頭の隅に追いやりながら、諸星はベッドから立ち上がる。

 まずはシャワーを浴びてサッパリしようと思い立ち、自宅から持ってきた着替えを取り出しながらふと思う。

 

「……せやな。よし、今日は祝をウチに連れてったろ! オフクロや小梅も会いたがってるやろうしな」

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 大会が主催したパーティから一夜明け、遂に日付は七星剣舞祭の前日となった。

 明日は参加選手にとって晴れの舞台の日であり、同時に決戦の日でもある。よって選手の多くは手早く食事を済ませると充てがわれたホテルの自室にこもり、心身のコンディションを整えるのが普通だろう。

 そんな中、選手たちの代表格《七星剣王》である私も当然明日に向けて部屋で精神統一を――

 

 

「おーいしー! やっぱり大阪に来たら『一番星』ですよねー!」

 

 

 特にしているというようなことはなかった。

 現在私は大阪の知る人ぞ知るお好み焼き屋さん『一番星』にお邪魔してお好み焼きを平らげていた。

 本当にここは箸が進む進む。流石は自称『日本一のお好み焼き屋』。

 何年か前にとある人に連れてこられて以来、大阪を訪れたらここへ足を運ぶのが私の習慣なのだ。

 

「ナハハッ、そうやって美味そうに食ってもらえればこっちも冥利に尽きるっちゅうもんや」

 

 そうやって私の食事風景を見て笑うのは、昨日も会場で会った《浪速の星》こと諸星雄大(ゆーくん)である。

 何を隠そうこのお店は彼の実家であり、そして私をここに初めて連れてきたのも店長の息子である彼だったりする。つまり最初は半ば客引きのような感じで連れ込まれたわけなのだが、しかし実際に美味しいお好み焼きを提供されてしまったのだから文句は言えない。

 そしてそれ以来、私はこのお店のファンとなり、大阪=ここでご飯という図式が出来上がったわけなのだ。ちなみに今日はゆーくんの方からのお誘いである。

 しかし私がこのお店を訪れているのは、何もゆーくんの実家だから贔屓しているというわけではない。前にネットで調べたのだが、何でもこのお店はお好み焼きの名店として割と評判が結構良く、最近は「知る人ぞ知る」というワードも使えなくなりつつあるらしい。実際今日も私以外のお客さんが大勢来ているため、以前にも増して繁盛しているようだった。

 

「それにしても相変わらずよく食う奴っちゃなぁ。明日は試合やってのに大丈夫なんか? もう軽く三人前は食っとるで?」

「何を言っているんですか、ゆーくん? こんなのまだ四分目くらいですよ。昔から言うでしょう、腹八分目って。あと四人前は堅いです」

「マジかや」

 

 ちょっと引いたような目でこっちを見るゆーくん。

 だって仕方ないじゃん? 本当にそれくらいなんだし。

 どうもこの身体は燃費が悪いのか、前世と比べて食べても食べても腹が減るのだ。いや、もちろんたくさん運動している影響もあるんだろうけど、自分としてもこの身体のどこにこれほどの量の食事が入っているのか時々不思議にはなる。

 なるだけだが。

 

「そういえば昨日のパーティでチラッと聞こえたんやが、お前、廉貞の《白衣の騎士》と知り合いなんか? あの人は騎士としてはほぼ活動していないって話やから、祝とは縁がなさそうな感じやけど」

 

「ああ、薬師キリコさんですか? 大したことではありませんよ。あの人とは昔ちょっと喧嘩した仲です」

「け、喧嘩? お前が喧嘩屋擬きをやっとったのは知っとるけど、医者にまで喧嘩吹っかけとったんか? あの人は確かBランク騎士って話やけど、本職が戦闘職でもない奴を襲うんは……」

 

 明らかに難色を示すゆーくん。

 まぁ、そうですよね。彼からしたらヤクザがカタギの人に手を出すような感覚に近いのだろう。

 彼女は医師としての活動が本職で、しかし伐刀者としての能力を持っているが故に仕方なく騎士学校に入学した珍しいタイプの騎士だ。しかもどうやらその活動は彼女が小学生の頃から行われていたらしく、元服して成人になるまでの間は無免許で活動していたリアルブラックジャック先生なのである。

 尚、医師免許がどうとかについては曰く『治るならどうでもいいじゃない』ということらしい。

 そんな彼女と闘ったことをゆーくんは気にしているのだろう。

 しかしそれは誤解というものだ。

 

「あはは、違いますよ〜。喧嘩を吹っかけてきたのはあっちです。私が前に広島で怪我人――手足を両断するレベルの“軽傷者”を量産していたら、向こうが『いらん仕事を増やすな!』って襲撃してきたんです」

「まさかの向こう側が発端やった⁉︎ っていうか、やっぱり諸悪の根源はお前やん!」

「そうですね。私の大鎌が強すぎたことについては反省せざるを得ませんね」ドヤァ

「うわぁ……絵に描いたようなドヤ顔」

 

 今の時代、手足が千切れる程度は再生槽(カプセル)があるため軽傷に分類される程度の怪我でしかない。しかし再生槽と千切れた手足さえあれば誰にでも傷を治せるのかというとそうでもなく、その離れた部位を再生用に縫合する人材が必要となるのだ。

 どうも薬師さんは私が連日連夜と怪我人を増産しまくったせいでその作業に動員されてしまったようで、それで業務に支障を来したことでブチギレ。

 結果、『怪我人が出るのなら要因をぶちのめせばいいじゃない』という結論に達して私を襲撃してきたとのこと。

 

「いや、でも本職が医師とはいえ、本当に強かったですよあの人? 私が遭遇したのはまだ中学生の頃でしたけど、当時の時点で身体を流体物に置換する魔術を使えていましたし。今のBランクなんて詐称ですよ、詐称。とっくの昔に彼女はAランク級の伐刀者です」

「身体を? ……ほぉ、卓越した自然操作系の伐刀者は自分の身体すらその操作対象に変換できるらしいが」

 

 世間では『因果干渉系はマジチート!』という風潮があるが、物理的な面では自然操作系も過ぎれば充分にチートなのだ。自身の体を操作物に置換する魔術ということは、つまりリアルでONE○IECEの自然系(ロギア)みたいなことができるということ。

 実際、私の知り合いにも自分の身体を砂礫に変換して物理攻撃を無効にする砂使いみたいな人がいたりする。ちなみに薬師さんは珠雫さんと同じ水使い。その気になれば他人の体内のあらゆる液体にまで干渉できるイカレたレベルの水使いである。たぶん、この七星剣舞祭で王馬くんを殺せる数少ない伐刀者の一人なんじゃないかな、と言えばそのヤバさが伝わるだろうか。

 とか言っている間にテーブルにある分は全て私の胃の中に消えていってしまったのだった。なので「すみませーん! 同じのお替りでー!」と声を掛けると、店の奥から待ってましたとばかりに和服姿の小柄な少女が料理を運んできた。どうやら私が次を頼むのは想定済みだったらしい。

 

「はーい、お待たせしましたー!」

 

 そして()()()()()()()()()()()()()、少女――ゆーくんの妹さんの小梅ちゃんが私のテーブルに具材を並べていく。

 

「おー、スマンな小梅。ホンマはワイも手伝おうと思ったんやけどオフクロに追い出されてもうてな」

「もう、今日のお兄ちゃんは祝さんを案内してきたんやろ? せやったら祝さんを放ったらかして手伝いなんてお母さんが許すはずないやん!」

「せやけど、何や今日は初めて見る客も多いし、今からでも手伝い……」

「大丈夫ですぅー! それにデートの邪魔するほどウチもお母さんも野暮やないで?」

 

 それだけ言うと、小梅さんはさっさと他の客の対応へと移ってしまった。

 相変わらず元気だなぁ。

 そんな彼女のことを目で追っていると、不意にカウンターの向こうにいるゆーくんのお母さん(おかみさん)と目が合った。すると彼女はニッと笑って軽く目礼してくる。ああ、こりゃどうも。

 というか小梅ちゃんに言われて気が付いたけど、これってデートだったのね。今度対価を貰わないと。

 

「小梅ちゃんもお母さんも変わらず元気そうですね」

「せやな。店も繁盛しとるし、順風満帆ってところやな」

「結構なことです。何だかんだゆーくんにはお世話になっていますからね。私としても貴方が幸せそうなのは嬉しいことですよ」

「……世話になったのはこっちの方や」

 

 僅かに声を潜めながら、ゆーくんはやや真剣な眼差しでこちらを見つめる。

 

「小梅があんな風に元気にやっとるのも、ワイやオフクロが平和に過ごせているのも、何もかもお前のおかげやで。オフクロも親父も感謝しとる。……もしもお前がいなかったらどうなっとったか――」

「ストップです。声を小さくしていても、その話はここではしないでください。誰が聞いているかわからないんですから」

 

 慌ててゆーくんの話を遮る。本当にそれはここでするような話ではない。

 彼もそれは理解しているのだろう。詳しい内容は一切含まれない内容だったが、しかし念には念をだ。

 だが一応、彼が何を言いたいのかはわかる。

 恐らくは六年前のあの事故のことを言っているのだろう。

 

 原作において、彼が両脚を欠損する()()()()()事故のことを。

 

 今からおよそ六年前。

 大阪で大規模な列車の脱線事故が起こった。その現場には運悪く諸星家もおり、家族全員がその事故に巻き込まれる形となってしまったのだ。

 原作ではこの事故で他の三人は軽傷だったもののゆーくんは両脚がミンチとなってしまい、伐刀者としては再起不能となった。現代には再生医療という便利なものがあるが、これは切断された部位をくっ付けることはできても手足そのものを再生させることはできない。一応“復元手術”という裏技もあるにはあるが、あれは相応の準備があって初めて成立する治療方法なので今回は除外する。

 その後、小梅ちゃんは自分の我儘でゆーくんの競技選手としての夢が潰えたことに絶望して失語症に。

 それを解決するために、ゆーくんは小梅ちゃんに自分の壮健な姿を再び見せる必要があると考えた。そこで先程話にも出た薬師さんの治験をして(力を借りて)両足を復元、現役選手としてカムバックしてきたという経歴を辿ったのである。

 

 あくまで原作では、だが。

 

 一方、この世界では、家族で事故に遭ったというところまでは一緒なのだが、そこから先が些か事情が違う。

 私がこの世界に転生したためなのかそうではないのかは不明だが、彼らが事故に遭った際、重傷を負ったのはゆーくんではなく小梅ちゃんだったのだ。

 

 一応、私は普段からゆーくんより大鎌関係の技術協力や槍の流派の紹介などをしてもらっていたので、「今回くらいは原作ブレイクしてでも助けてあげなければ大鎌道に悖る」とゆーくんのスケジュールから事故の日を割り出して彼を救出しようとしていた。

 しかし事情が事情だったので、彼の代わりに当日は小梅ちゃんを助けてあげたところ、それ以来諸星家から凄く感謝されるようになったのである。

 

 あっ、もちろん私がこういう能力を持っていることは絶対に口外しないよう諸星家には言い含めてあるからね? むしろ小梅ちゃん本人には、私が彼女を蘇生させたことについては知らせていないくらいだ。漏れる可能性がある口は少ない方が良い。

 ちなみに事故を事前に察知したことについても「絶対に私に何も聞かないように」と言ってある。

 何だか感謝につけ込んでいるような気もするが、私としても死活問題なので許してほしい。まぁ、黙っているだけで皆が幸せということは諸星家も理解しているのか、ご両親とゆーくんは「この秘密は墓まで持っていく」と言ってくれたが。

 

 何はともあれ、結果的にこれで私はストーリー全体に対する支障こそないものの、結構大きな原作ブレイクを行うこととなった。

 実際、ゆーくんは怪我のブランクもなく競技選手を続けているわけだし、小梅ちゃんも声を失ったりしていない。私もあれからずっとゆーくんより技術提供を受け続けておりと、全員が幸せ。まさにWIN-WINの素晴らしい原作ブレイクだったと自負している。

 

 ……え? 事故の時に他の乗客はどうしたのかって?

 

 助けるわけないじゃないですか。《既死回生》を好んで他人にバラすことになりかねないことなんてするわけないでしょう?

 小梅ちゃんの蘇生だって周りにバレないようこっそりとやったくらいなんだし。

 今回私が無理を押して、しかも能力まで使用して彼らを助けたのは、偏に『大鎌を助けてくれる存在だから』だ。それ以外の人たちについては、もちろん将来性という観点から見れば貴重な大鎌ユーザーだが、無理をしてまで助けるべき存在ではないかなぁ、と。

 

 もしかしたらその中に大鎌ユーザーがいたかもしれない?

 

 確かにいたかもしれないが、……ぶっちゃけ私はifよりも堅実性を取る性格なので、目先の恩を優先させて戴きました。0か1かの可能性よりも確実な1を取る主義なのだ、私は。

 なので、もしも本当にいたらごめんなさいね?

 天国に行けるよう心から願っておくので、それで赦してほしい。

 

 うん? だったら事前にゆーくんに「遊園地に行くと事故で両脚失いますよ」と忠告しておけば良かったって?

 

 言えるわけないでしょ。

 それ、下手しなくても頭のおかしい人驀地(まっしぐら)ですよ。確かに私は予知能力持ちだが、とはいっても私にできるのは直近の、それも自分に関する予知だけ。それはゆーくんも知っていること。

 なのに唐突に他人の予知までできるようになるのは道理が合わない。

 だったら事後で強引に「何も聞かないでください」と言って、さも隠していた能力のおかげですと装っていたほうが話が通りやすい。ただでさえ《既死回生》という隠し能力を見せた後なのだから、その信憑性も増すだろう。

 原作知識を利用するのは、案外簡単なようでいて難しいものなのだ。

 

「さぁさぁ、過ぎたことは忘れて食事にしましょう? せっかくの『日本一のお好み焼き』が冷めてしまいます」

「おお、そりゃスマンかった! さぁ、食え食え! せっかくやし、ここはワイが奢ったるわ! たんと食いや!」

「マジですか!? よっ、流石は《浪速の星》! 太っ腹!」

「ぬっふっふ、せやろ! あ~、きっとこんな旦那に貰われた女はさぞかし幸せなんやろな~?」チラチラ

「そうですね~。誰だか知りませんけど、きっと幸せ者なんでしょうねその人は。あっ、結婚式には呼んでくださいね? いっぱいご祝儀入れてあげますから」

「…………おー、おおきにな……」

 

 泣きながらお好み焼きを食べるゆーくん。

 残念だったな。私は君と結婚する気など毛頭ないのだ。

 私は大鎌と結婚しているので、いわば全世界の大鎌こそが私の嫁なのだ。どうしても私と結婚したかったら、大鎌に転生してから出直してきてほしい。

 

 その後、食事を終えた私は「送っていく」というゆーくんの申し出を丁重に断り、一人夜の大阪をトボトボと歩いていた。

 『一番星』からホテルまではそう遠い場所ではなかったし、何なら途中で少し買い物でもしようかと思っていたのだ。

 ついでに――私に用がある人もいるようだったし。

 

「……そろそろ出てきてもいいのでは? 姿は隠しても尖すぎる殺気のせいで正体はバレバレですよ?」

 

 帰路の途中にあるひと気のない公園。

 その中に歩を進めた私は、中心部で声を掛ける。

 すると背後に忽然と人の気配が現れ、振り返ってみると想像通りの人がそこにはいた。

 

「やっぱり王馬くんでしたか」

 

 和装の袖と長髪を微風に揺らしながら、王馬くんが闇夜の中に佇んでいた。

 前髪の下から見える眼光は先日闘った時と同等のレベル……いやそれ以上にまで凶悪になっている。

 それと、どうでもいいことなのだが。

 『一番星』の帰り道に王馬くんに襲われるって、まるっきり原作における黒鉄の立ち位置なんですけど。

 なんだっけ? 原作だと「お前は《紅蓮の皇女》の足を引っ張って悪影響しか及ぼさないから七星剣舞祭から去れ」的なことを黒鉄は言われたんだっけ。

 なのにどうして私のところに来たのやら。……まぁ、何となく察しはつくけどね。私もこの人に用があるし。

 

「……信じられん」

 

 開口一番、王馬くんは私の全身へと刺すような視線を送りながらそう呟いた。

 

「こうして貴様を前にしても未だに信じられん。お前はあの時、確かに俺が殺したはず。だというのに……貴様、なぜ生きている?」

「あぁ、やっぱりその件ですか」

 

 内容は概ね予想通りのものだった。

 まぁ、そうだよね。殺したと思った敵が実は生きていました、となったら真偽を確かめたくもなる。

 ……それにしては気合が入りすぎのような気がしないでもないが。

 

「それよりも先に聞いておきたいのですけれど。王馬くんは私のことを“殺した”ことについて誰かに喋っていたりしますか?」

「質問を質問で返すな。俺は、なぜ貴様が生きているのかを問うている」

「……? 悪いのは耳ですか? それとも頭ですか? 私は、先に、誰かに喋ったかということを聞きたいと言ったのですが」

「答える理由がない。それよりも俺の質問に答えろ」

「……はぁ」

 

 思わず溜息。

 暖簾に腕押しとはこのことか。

 全く会話が通じていない。王馬くんのこういうところは昔から苦手なんだよね。

 

「すみませんけど、貴方の()()()()()()質問よりもこちらの方が最優先なんです。なのでもう一度聞きますけど――」

 

 しかし私がそこまで言った瞬間、それを遮るように王馬くんの殺気が増した。

 そして徐にその手へ《龍爪》を顕現させると、鉄仮面の彼にしては怒りの感情を剥き出しにしながら構えを取った。

 

「……どうでもいい、だと?」

 

 彼の身体から放たれた暴風が私の髪を揺らす。

 いつの間にか戦闘態勢に移行した彼に、私も反射的に《三日月》を抜いた。

 

「今、確信した。やはり貴様はあの闘いで手を抜いていたな? でなければ、あの闘争を『どうでもいい』の一言で片付けられるはずがない! 俺にとってあの闘いは、あの一時(ひととき)は生涯の全てを擲ってでも命をかけるべき一世一代の舞台だった! それに相討った貴様も同様だとばかり、俺は思っていたが……!」

 

 歯を食いしばり、《龍爪》が軋むほどに柄を握り締めて王馬くんが吼える。

 どうやら知らない間に、私は彼の逆鱗に触れてしまったらしい。これがキレやすい現代の若者というやつか。

 

「なぜだッ! なぜ貴様は俺を本気で()りにこなかった! 貴様の力が予知に限らないことは最早明らかだ! だというのになぜ貴様は俺との闘争で手を抜いたッ! その力を使えば相討ちなどという結果にはならなかったはずだ! なぜだッ、答えろ疼木ィ!」

 

 烈風を身に纏い、王馬くんは殺意に塗れた目で私を睨む。

 ああ、やっぱりそこまでは察していたのね、この人。

 う~ん、どう答えたものか。これ、本当に正直に言っちゃった方がいいのかな? 言ったら余計に王馬くん怒りそうだし。そもそも答える義理もないし。

 ……しかし、まぁ。彼は先日、私と相討つことで私の胸の内にあった傲りを消し飛ばしてくれた人だ。ここは誠意を持って“正直に”答えてあげるべきだろう。

 

「……怒りませんか?」

「なに?」

「いえ、これを言ったら王馬くんますます怒りそうな感じなので、あんまり答えたくないんですけど……」

「………………言ってみろ。それが真実であるのなら、一度に限りあらゆる戯言を見逃してやる」

 

 

 

「勝てるに決まっているからです」

 

 

 

「………………は?」

 

 私が言い放った言葉に、王馬くんが呆ける。

 完全に思考が停止したのか、吹き荒れていた烈風すらもピタリとその動きを止めた。

 

「…………貴様、今、何と……」

「だって、私の能力“全て”――《死に至らぬ病》を使ったら貴方を殺せないわけがありませんから。……あぁ、もちろん貴方だけでなく、この世の大概の人間相手にはですからね? そういうことですから、そんな力を全開で使ったら大鎌が目立てないじゃないですか。そんな力、私が好んで使うはずがないでしょう?」

「…………………………」

 

 瞠目し、黙したままこちらを見つめ続ける王馬くん。

 どうやら思考停止しているらしく、私が「もしも~し」と話しかけても全く反応しない。

 まだ私の質問に答えてもらっていないんだけどなぁ。

 

「…………ふ……」

 

 すると、ようやく王馬くんは再起動を始めたのか、何事かを呟き始める。

 しかしどういうわけなのか顔面はどんどんと蒼白く血の気が引いていき、――次の瞬間、一斉に彼の毛が逆立った。

 

 

「巫山ッ、戯るなァァァァァアアアアアアアアアッッッッ!!!」

 

 

 咄嗟に魔力防御で前面をガード。

 そして刹那の後、王馬くんの身体からこれまでの比ではないほどの暴風が吹き荒れる。いや、最早それは一つの颶風だ。

 現にその風により公園の遊具は残さず根こそぎ引っこ抜かれ、地面は捲れ上がり、木々すらも横倒しとなって夜の闇へと消えていく。

 

「巫山戯るなッ、巫山戯るなッ、巫山戯るなァァァッッ!!」

「怒らないって言ったのに……」

 

 そんな私の呟きも風切り音に斬り刻まれて消える。

 しかし王馬くんの怒りは相当なもののようだった。

 怒りに震えるその剣の切っ先を空へと掲げたかと思うと、その刃へ莫大な量の魔力が収束していく。

 一応広めの公園とはいえ、彼はここで《月輪割り断つ天龍の大爪》を放つつもりらしい。

 

「闘えッ、疼木! 今度こそ全力でッ! 貴様の正体、ここで暴いてくれる! そして貴様の身の内に潜む力諸共、この俺が一切合切殺し尽くすッッ!」

「えぇ~、やめておきましょうよ。質問に答えてくれない以上、私にとってもう貴方は()()()()()()()()()()()人ですし。そうなったら私、大鎌だけでは済ませませんよ?」

 

 むしろ殺すだけなら“こっち”の方が手っ取り早い。

 王馬くんの実力はこの前の闘いで把握できたし、実戦的な修行もできた。なので最早、彼は用済みに近い。将来的に成長した彼と闘いたいという欲はあるが、しかし私の能力が漏洩するリスクを無視してまで闘いたいかと問われればそれほどでもないというレベル。

 それに場所も悪いしね。こんなところで市民の皆様を巻き込みながら闘うのは私の本意ではない。

 

 

 なので申し訳ないが……《月輪割り断つ天龍の大爪》諸共、一撃で彼を殺すことにした。

 

 

 私が目を細めた瞬間、横倒しになったり傾きながらも僅かに残っていた周辺一帯の街灯が一斉に砕け散る。

 これによって周囲は一気に暗くなり……つまり私の“能力”が非常に使いやすい環境になった。

 私の能力は、明るい場所だと少し目立つ。

 

「本当に続けますか? 今ならばまだ引き返せますよ?」

「諄いッ」

「そうですか。では、殺しますね」

「上等だッ、《告死の兇刃(デスサイズ)》ッッ!」

 

 そして、《三日月》の刃に黒い炎が灯る。

 それを見るや王馬くんは風の大剣を振り下ろし……

 

「《月輪割り断つ天龍の――

「《獄落(メメント)――

 

 

 

「そこまでです」

 

 

 

 しかし、その時だった。

 私と王馬くん。

 その二人の間に降り立つ一つの“白い影”。

 一対の剣を携え、白銀の長髪を靡かせながら。

 その服装こそ一般人のそれではあるが、その気配から連想されるのはまさに“戦乙女”。

 

「貴方たちの闘争は、このような多くの人が住まう場で行うには狭すぎる」

 

 “彼女”の視線がこちらへと向く。

 それだけで背筋に氷柱を突き立てられたかのような悪寒が襲った。その殺気に思わず目を見開く。

 

「貴女は……」

 

 王馬くんも同じく瞠目する。

 なぜ彼女がこんな場所にいるのか。

 目的は何なのか。

 なぜ自分たちの闘いを止めようというのか。

 その全てがわからないままだが、しかし一つだけ確かなことがある。

 

 

「《比翼》のエーデルワイス?」

 

 

 そう、それは彼女こそが原作における最高戦力にして、この世界でも『世界最強の剣士』と名高い《比翼》のエーデルワイスであるということだ。

 

 

 




 今回はちょっと展開が怒涛だったかも、と反省中。
 というか書いていて思いましたけど、同じく能力を明かした相手だというのに諸星と王馬でこの扱いの差。やっぱり敵味方の識別って大事。

 それと、一応現段階で判明している祝の能力を載せておきます。

【能力名】《死に至らぬ病》
【伐刀絶技】《既危感(テスタメント)》、《既死回生(カルペ・ディエム)》、《獄落●●(メメント・●●)


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ついカッとなってやった、今は反省している

 毎度ながら感想や誤字報告、ありがとございます。
 今回も短めです、すみません。


 突如として現れた《比翼》のエーデルワイスに、祝と王馬は困惑を隠せずにいた。

 当然だろう。

 百歩譲って自分たちの闘いの場に邪魔が入るとしても、よもやそれが世界最強にして最も悪名高い剣士が乱入してくるとは夢にも思うまい。

 

「双方、武器を収めなさい」

「なに……?」

「……」

 

 王馬は解せんとばかりに眉を顰め、祝は表情を変えることなくエーデルワイスを見据える。

 

「何の真似だ? 如何に“貴女“といえど、これは俺の生涯をかけた闘争の一つ。邪魔立てするのであれば容赦はしない」

「場所を選べと、そう私は言っているのですよ。オウマ」

 

 そう王馬を諭す彼女は、どうやら彼と知己の間柄のようだった。

 一応、二人が知り合いであることは祝も原作知識より知っている。王馬は嘗て《解放軍》の長である《暴君》に挑み、その末に敗退した過去を持つが、その際に彼の命を救ったのがこのエーデルワイスなのだ。

 

「月影先生から貴方の監視の依頼を受けた際にはまさかと思いましたが、本当にこうなってしまうとは。あの人の慧眼には感服するばかりですね」

「……月影獏牙の差金か」

「えぇ、はい。彼は曲がりなりにもこの国の現職総理大臣であり、何より国家の行く末を憂う人間の一人。故に国土が荒れ、国民が死するような事態を看過する人ではありません。……引きなさい、オウマ。これ以上は、私も剣を以って貴方を止めなくてはならなくなる」

「…………チィッ」

 

 舌打ちを一つすると、王馬は《月輪割り断つ天龍の大爪》を解き、続けて霊装を解除した。どうやらエーデルワイスの忠告により矛を収める決断をしたらしい。

 元々王馬には、エーデルワイスに対して返しきれないほどの恩があるのだ。そんな彼女の頼みを無闇に断ることなど、彼の生真面目な性格からしてできはしない。

 加えて戦力差もある。エーデルワイスがこう言う以上、王馬が継戦の意思を見せれば言葉の通りに彼女は剣を振るうだろう。それも赤子の手を捻るかのように容易に王馬を取り押さえてしまうに違いない。それならば無駄に剣を交えるのよりも、ここは大人しく退くしか王馬には選択肢などないも同然。

 そして王馬が戦意を収めたのを認めるや、エーデルワイスは今度はもう一人へと視線を向ける。

 そこには変わらず大鎌の刃に黒い炎を宿し、黙したまま興味深そうにエーデルワイスを眺めやる祝の姿があった。

 

「こんばんは。貴女とは初めましてですね、《告死の兇刃》」

「へぇ? 私のことをご存知なんですね、《比翼》のエーデルワイス。それともお話に出てきた月影総理の入れ知恵ですか?」

「それもあります。しかし貴女のことは以前から存じていました」

「……私を?」

 

 その意外な言葉に、祝は少しばかり驚いたように目を見開いた。

 世界に名立たる《比翼》が、《七星剣王》とはいえ一学生騎士でしかない自分のことを知っているとは思わなかったためだ。

 

「どこで私のことを知ったのか少々興味がありますね」

「貴女は自分が思っている以上に悪名が轟いていることを知るべきですね。世界各地で強者に大鎌を突き立て続けるその所業はかなり有名ですよ。それに一年前に《砂漠の死神(ハブーブ)》たちと共に起こしたあの事件と、それに伴う除名騒動で知名度は爆発的に上昇しました。それこそ、世捨て人にも等しい私の耳にも届くほどに」

「……なるほど」

 

 祝の脳裏に浮かんだのは、《砂漠の死神》こと彼女の師匠の一人に当たる人物だ。

 正確には“現時点の師匠”だが。彼からは仕事関係の伝手や技術を教わっている程度の関係だが、一応今のところは彼に師事していると言えなくもないので師匠と定義しておく。それほど真面目な関係なのかと問われると言葉を濁すしかないが。

 

「何はともあれ、貴女にもここは退いて戴きたい。月影総理より聞いています。貴女とて、このような場で周囲の住民を巻き込んで争うのは不本意のはず。……その炎については私も初めて見聞しますが」

「他の人には内緒にして戴きたいんですけどね。……まぁ、何はともあれ私としてはここで退くのも吝かではありませんが」

 

 しかし祝としてはここで全てを終わりにする以上、王馬に聞かなければならないことがあった。

 それを確かめるために、再び視線を王馬へと移す。

 

「王馬くん、ここで手打ちにするには私の質問に答えてもらう必要があります。でなければ私は、この《比翼》のエーデルワイスと闘うという無理を押してでも貴方を殺さないといけなくなる」

 

 その言葉にエーデルワイスが視線をやや鋭くするのを感じながら、しかし気にする様子もなく祝は言葉を紡ぐ。

 

「私は質問に答えました。だから王馬くんも質問に答えてください。……貴方は私を“殺した”という事実を――いいえ、もう回りくどい言い方は止しましょう、私が予知以外の能力を持つことを誰かに話しましたか?」

 

 チリッ、と大鎌から漏れ出た漆黒の火の粉が足元の地面に落ちる。

 それだけでその地面は一瞬で燃え果て……なぜか灰ではなく塵となって風に舞う。

 その光景を目に焼き付けながら、王馬は苦々しい表情で「否」と首を横に振った。

 

「……本当に? 本当の本当ですか? 貴方の剣に誓えるくらい本当ですか?」

「諄い。話す相手もいない。それに貴様の能力を言い触らしたところで、俺に何の得がある?」

「……なら良かったです〜! いやぁ、迂闊に口外していようものなら、その人を見つけ出して殺さなければならなかったので。王馬くんもこのまま誰にも喋らないでいてくださると、私としては嬉しいんですけどね……」

「……ッ」

 

 刹那、王馬は祝の視線を浴びた途端に周囲の温度が数度下がったかのような怖気に襲われた。

 殺気ではない。現に祝の視線に殺意はない。

 ただそこにあるのは冷徹なまでの、まるで蟻を眺めるかのような観察眼。王馬より嘘偽りの気を僅かにでも感知したのならば、即座にその命を奪い取ろうという、ただそれだけの意識。

 必要ならば殺そうという意思を見せながら殺意が感じられないという、明らかに矛盾したその視線。

 その異様としか言いようのない眼差しに、王馬は思わず息を呑んだ。

 しかしその視線を遮るかのように、エーデルワイスは二人の中間に立ち塞がる。

 

「《告死の兇刃》、何度も言いますがこれ以上の争いは――」

「黙っていてください。私は今、王馬くんと話をしています。私が確信を持てない以上、貴女の仲裁に従う必要性を感じません」

「……それは他ならぬこの私が敵に回ることを理解した上での発言ですか?」

「関係ない、と私は言っているんですよ」

 

 刃に宿る黒炎が祝の意思に呼応したように猛る。

 祝としてはこればかりはエーデルワイスも何も関係がなかった。

 ここで王馬が少しでも言い淀むような様子を見せれば、あるいは邪な思考を抱いたと判断したその瞬間から彼は祝にとって最優先の殺害対象に変わる。そうなれば最後、エーデルワイスや周辺住民には悪いが“死力を尽くして”王馬を殺しにかからねばならない。

 そして敢えて言うのならば、これは祝から王馬に対する最大限の譲歩でもある。

 本来ならば祝としては、この場で王馬を抹殺することが最も確実で安全な選択肢なのだ。それを敢えて見逃すということは、即ちリスクとしては大きくてもリターンは皆無に等しい。エーデルワイスが敵に回る可能性があることを差し引いても、ここでこんな問いを投げかけることそのものが祝の優しさなのだ。

 そんな剣呑と冷徹さを兼ね備えたような気配をエーデルワイスも感じ取ったのか、その表情に小さく渋面を浮かべながら王馬へと視線を移す。

 

「オウマ、どうなのですか? 恐らくここがこの後の展開の分水嶺です。貴方の回答によっては、私は剣を以ってこの場を収めなければならなくなる」

「……確信を以って話したことは、ない。そもそも俺自身が貴様が生きていることに半信半疑だったのだ。暁においても俺が仕留め損ねただけという形で概ね意見は一致していた。貴様が蘇ったなどと考えている者は一人としていないだろう」

「それ、神に誓えます? っていうか私に誓えます? 貴方の剣に、天地神明に誓って言うことができますか?」

「諄いと言っている」

「それくらい私は“マジ”ということです」

 

 最早堂々巡りに近いそのやり取りに、王馬は疎かエーデルワイスも渋面を隠せない。

 この慎重な、言い方を変えれば臆病なまでの確認。

 祝が携えるこの炎は、この少女にとってそれほどの意味を持つものなのかと二人は察した。

 そしてだからこそこの埒を明けさせるために動いたのは、その手段を持つエーデルワイスであったことは驚くに値しないことだろう。

 

「ならば私の剣に誓う、というのならどうでしょうか」

 

 エーデルワイスが霊装である剣の内の一振りをその場に突き立てる。

 その不可解な行動と言動に、祝は首を傾げた。

 

「貴女の剣に、とは?」

「このままでは堂々巡りのまま話が終わりません。よって私の剣と能力を以って、その宣誓を誓いの儀とさせていただきます。――私の唯一にして絶対の伐刀絶技《無欠なる宣誓(ルールオブグレイス)》を以って」

 

 《無欠なる宣誓》――それはエーデルワイスが保有する唯一の伐刀絶技にして契約を司る能力。

 彼女の霊装《テスタメント》の前で自主的に宣誓された契約は、誰であろうとその内容を遵守しなければならなくなるという能力だ。これに叛した言動を行った者は、宣誓の際に打ち込まれた楔によってその心臓を引き裂かれ、その生命を奪われることとなる。

 これを解除することは術者本人であるエーデルワイスにも不可能であり、加えて言うのならば能力の発動に必要なその煩雑さ故か外部からの解呪も不可能。

 まさに絶対遵守の契約を結ばせる魔術なのだ。

 

「……なるほど。確かに聞いたことがあります。《比翼》のエーデルワイスの能力は戦闘向きのそれではないと」

「はい。なのでこの能力を約定の要とすることで、この場は収めてほしいのです。いかがですか、《告死の兇刃》?」

「私としては確実な信用方法があるのならば、それに従わない理由はありません。ついでにエーデルワイスさんにも他言無用の誓いを立てて戴けると嬉しいのですが」

「構いません。元より誰かに言い触らすつもりもありませんからね。それでオウマ、貴方は?」

「構わん。……いや、一つある。これが誓われなければ俺はこの誓いには納得できない」

「へぇ?」

 

 一旦は了承の意を見せた王馬だったが、しかし何か思い至ったのか一つの条件を出してきた。

 その条件とは……

 

「疼木。七星剣舞祭のトーナメント表は既に確認したな? 俺とお前は数日後、準決勝で再び刃を交えることとなる」

「そうですね」

「その試合で、次こそ俺は貴様を殺す。だが貴様は衆人環視の下で“全力”を出すことはないだろう」

「仰る通りです」

「……だからこそここで《無欠なる宣誓》に誓え。俺はその舞台で()()使()()()()()()()()を完膚なきまでに粉砕する。それこそ貴様が“全力”を用いなければ勝てないと痛感するほど、敗北を心胆から認識するほど圧倒的に。……その時は“全力”を――貴様の全ての能力を以って俺と再び闘うと誓え。隠し立てしていた魔術も全て、それもその場でだ。仕切り直しは許さん」

「え゛っ!?」

 

 突きつけられたその言葉に思わず祝は驚愕する。

 

「そ、そんなこと私が誓うと本当に思っているんですか……? というかそもそも実現可能だと本気で思っているんですか? つい先日の時点で互角だった王馬くんが私に圧倒的な敗北感? 正気とは思えません」

「いいや、貴様は誓う。なぜならばここで誓いから逃げることは、お前自身が大鎌の可能性を否定することに他ならないからだ。そして俺は実現する。必ずだ」

「ぐっ……」

 

 そう言われてしまうと祝としては弱い。

 大鎌こそ最強であると、祝は常にそういう生き方をしてきた。もちろん業腹ではあるが、自分の未熟さ故にその性能を引き出しきれず敗れ去ることはあると納得はしている。

 しかし先日、祝は王馬と引き分けた。

 そんな相手からこんな誓いを申し込まれて背を向けるということは、即ち「敗けるのが怖いから逃げる」と公言したも同然。大鎌の可能性を信じているのならば到底できないことだ。

 それに敗北した際のリスクこそ話にならないレベルで大きいものだが、要は勝てば何も問題はないも同然。もしも祝の大鎌に圧倒的な実力とそれへの信頼があるのならば何も躊躇することなどないはずだと王馬は言っているのだ。

 

(…………落ち着いて。冷静に考えろ)

 

 そこまで考えたところで祝は深呼吸する。

 そうだ、冷静に考えてみろ。

 どう考えても王馬のそれは不可能な妄想だ。人間とは数日で成長できるような生命体ではない。それこそ王馬クラスの達人ともなれば、僅かな成長ですら膨大な時間を要する。それは《魔人》であろうと変わりはない。

 ならばここでYesと頷くことに何の支障もない。

 ないが……

 

(これって明らかな負けフラグだよね)

 

 祝は知っている。

 そうやって相手を過小評価し、状況を楽観視した人間から敗北し死んでいくのがお約束ということを。「やったか!?」と叫んだ人間から死んでいくのはお約束だ。

 疼木祝とは敗北フラグを決して容認しない女。目に見える敗北フラグを立てるなど彼女がそのような迂闊な真似をするはずもない。

 そもそもこんな取引は、王馬がこちらの足元を見て吹っかけてきた悪徳な契約だ。こんなものを馬鹿正直に守る理由など祝にはそもそもないのだ。

 もちろんこんな契約をしたところで祝が――強いて言えば大鎌が敗けるとは思わないが、しかし余計なリスクを増やす必要も……

 

「ふん、なんだ? 大鎌使いとはその程度か。剣士の挑戦に怯え竦む程度ならば、初めから世に出てこなければ良かったものを。負けるのが怖いのならばとっとと去れ」

「…………………………………………おォン?」

 

 その後、無事に宣誓は完了となったのだった。

 後に祝は語る。――ついカッとなってやった、今は反省している。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

「……はぁ。何とかなりましたね」

 

 肩を怒らせながら去っていく祝を見送りながら、エーデルワイスは深く溜息をつく。

 今回は無事に話し合いで決着がついたが、それはまさに幸運により齎された結果でしかないということを理解しているためだ。誰かが何か一つでも選択肢を違えていれば、あの祝という少女は迷うことなく自分に刃を向けていただろう。彼女の目には、そんな狂信的なまでの熱量が確かに宿っていた。

 

(それに、それだけではない)

 

 エーデルワイスは確かに感じていた。

 祝の瞳の奥に潜む、その黒々とした憎悪の色を。

 彼女が自分の何にそこまで憎悪の炎を燃やすのかはわからないが、しかし彼女が自分と刃を交えることに殊更の躊躇すらなかったのはあの感情こそが大きいのではないかとエーデルワイスは考えていた。

 それに何より彼女は先程の対話の中、数度とはいえエーデルワイスに向けて挑発とも取れる動きを仕掛けていた。宛ら、剣士が鯉口を切って挑発をするかのようなその行動。

 その全てをエーデルワイスが無視したことから大人しく引き下がったようだったが、仮にも『世界最強の剣士』である自分に対して何とも豪胆と言わざるを得ない。

 

「……エーデルワイス、貴女に頼みがある」

 

 祝の背中が完全に夜の闇に消えると徐に王馬が口を開く。

 そしてエーデルワイスが振り返ると、そこにはギラギラと獰猛な視線で祝が消えた闇を睨む王馬の姿があった。

 

「頼み、ですか?」

「ああ……俺を、鍛えてほしい」

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 失敗した。

 失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した。

 

 なぜ私が某バイト戦士のような独白をしているのかと言われると、全ては先程の王馬くんとのやり取りが原因だ。

 

 なぜあんな挑発に乗ってしまったんだ、一時間前の私!!!

 どう考えても無駄にリスクを増やしただけじゃないか私!!!

 あんな安い挑発に乗って、それでリターンゼロの約束をしてしまうとか、もうこれ漫画やアニメだと悪役の敗北フラグ驀地だよ!? そしてここはラノベの世界だよ!? 迂闊すぎだよ私!!!

 

「あーっ、失敗したーっ!」

 

 ホテルのベッドでゴロゴロと転がりながら、私は先程の軽率な行いを悔い続ける。

 いや、別に勝てば問題ないということはわかっている。

 でも私はフラグ信仰をするタイプの人間なので、こういう無駄なリスクを背負い込みたくないのだ。なのでこういった『敗北フラグ』とも呼べるものを立てることは極力遠慮したいのだが……

 

「……でも、まぁ……必要経費と考えるしかないのかな?」

 

 仮に私があそこでNoを突きつけていた場合、王馬くんは意地でも私との宣誓に首を縦に振らなかっただろう。最悪、衆人環視の前で私が妙な能力を持っていることを公言しかねない。

 そう考えるとエーデルワイスさんの能力で絶対の保証を得られたのは大きなリターンと考えることもできるが……しかし本来ならばリスクなしで得られた誓約なのだと思うと途端に勿体なく感じてくる。

 あー失敗したー。

 もう過ぎたことは仕方ないけど。

 ……しかし、先程のやり取りが成果ゼロだったかというと、実際大きな収穫はあった。

 

 それは《比翼》のエーデルワイスを生で見られたということである。

 

 実際に剣を振るう姿こそ見られなかったが、それでも生でその姿を見るのと強さを噂程度で聞くのとでは大きく違う。

 ハッキリ言おう、あれは正真正銘の化物だ。

 放たれる剣気、その佇まい、そして威圧以外の気の殺し方――その全てが私の知るあらゆる伐刀者のそれを遥かに凌駕していた。全く底が見えない。それこそ全盛期の南郷先生くらいなのではなかろうか、あの人とまともに闘えるのは。西京先生や黒乃先生、それに今の師匠ですら彼女には恐らく及ばないだろう。

 試しに何度か挑発こそしてみたものの、それの流し方も優雅そのものだった。こちらの“気”に気付いていないはずがないだろうに、まるでそれを素通りさせるかのように袖にされてしまった。

 

 それらの観察から得られた情報より断言する。あれには“まだ”勝てない。

 勝てる光景が思い浮かばない。

 逃げるので精一杯だろう。

 

「でも“いつかは”勝てる。それだけはわかった」

 

 枕に顔を埋めながら、思わずくぐもった笑い声が漏れる。

 理屈ではない。あくまで直感的な確信。

 エーデルワイスという頂は確かに高く険しい。

 だが、自分と大鎌ならばいずれそこに辿り着ける。

 そうなれば世界最強は私のもの。そして私が最強ということは、だ。

 

「やっぱり大鎌は世界最強になれるだけのポテンシャルがある」

 

 その事実を改めて確信できた。

 そういう意味では、私は今日とても幸福だ。

 

「絶対に奪い取ってやる、その『世界最強』の称号を」

 

 何年先か、何十年先かはわからない。

 しかしその場所はお前のような“剣士風情”がいていい場所ではない。

 故に必ず至る、その頂へ。

 それまで首を洗って待っているがいい。

 

 




 原作未読の方のために注釈しておきますと、エーデルワイスの霊装名とウチのヒロインの伐刀絶技名がかぶっているのは偶然です。
 私の作品の方が先出ししてしまい、そのしばらくした後に原作でもこの名前が出てきてしまいました。今から変えるのも手間なのでこのまま通すつもりです。


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拙者にときめいてもらうでござる

 毎度ながら感想と誤字報告ありがとうございます。
 今回も少し短めです。


 闘争とは人間が持つ最も原始的な欲求の一つが発露したものである。

 他者より強く、他者より先へ、他者より上へ。

 そうして人はお互いに憎み、争い、時には命さえ奪い合ってきた。故に闘争が野蛮であることは誰にも否定することはできないだろう。

 

 では、闘争とは“悪”なのか。

 

 それは否である。

 闘争の根源である感情たちは、しかし人類の発展に貢献してきた重要なファクターであることもまた疑いようがないことだからである。

 血を流すことで、悪感情を増幅させることで人は成長してきた。他者より先へと進まんがために、歯を食い縛って進化を続けてきたのだ。

 だからこそ人は闘争を求め、日々血を流さなくとも誰かと争い、競い、闘い続けている。

 

 そして人は闘争を求めるからこそ、そこから野蛮さを取り除いた『格闘技(スポーツ)』を生み出した。

 

 “強さ”で競い、“ルール”で縛る。

 人間の根源的な欲求と、それを戒める強靭な理性を統合した――七星剣舞祭とは、そんな人々の欲望と願いが結集された舞台。

 

 集いしは北の空に燦然と輝く七星の名を与えられた七つの学園――北海道『禄存学園』、東北地方『巨門学園』、北関東『貪狼学園』、南関東『破軍学園』、近畿中部地方『武曲学園』、中国四国地方『廉貞学園』、九州沖縄地方『分曲学園』、そして新たにその七星へと挑戦状を叩きつけた国立『暁学園』の八校。

 参加選手は三十二人。

 

 今日から五日間をかけ、彼らはその頂に立つべく激闘を繰り広げることとなる。

 ある者は圧倒的な強さを以って敵を捩じ伏せるだろう。

 ある者は計略の糸を以って敵を絡め取るだろう。

 またある者は極めし技巧を以って敵を斬り伏せるだろう。

 その果てに誰が生き残るのか。

 それはまだ誰にもわからない。

 わからないが……ただ一つ確かなことは、五日後にはその頂点の名が歴史に刻まれるということである。

 

 そして恐らく日本で最も多くの人々に注目される中、開会式は無事に終了し――第六十二回七星剣舞祭はその幕を上げた。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

「おー、やってますねー」

 

 観客席の一角から眼下を見下ろせば、既にBブロックの第一試合――総試合数で言うと五組目の試合が開始されている。

 試合の順番は無難にAブロック――トーナメント表の左上から左下、右上、右下の順に試合が行われていく感じだ。つまりBブロックは武曲の城ヶ崎さんのものから始まることとなり、大会進行的にはステラさんの一戦目は既に終了していることになっているのだが……

 

「来ていないんだなぁ、これが」

 

 そう、実は原作と同じように、ステラさんはまだ試合会場入りをしていないのだ。

 どうやら試合会場に向かう途中の鉄道が遅れているらしく、彼女はまだ現地に到着していない。

 よって彼女は不戦敗により失格……とはならないのが七星剣舞祭で。大会運営側はかなり柔軟な性質を持っているらしく、彼女の試合を後回しにすることで大会の進行を図ることにしたのだ。

 よってステラさんの試合は彼女が到着し次第行われることとなっており、そのまま大会はBブロックに突入。現在は城ヶ崎さんの試合が始まっている。

 それで今の話に出た城ヶ崎さんの試合の方なのだが……

 

 あの眼鏡くん、試合だと無類の強さを誇るんだよなぁ。

 

 城ヶ崎さんの戦法は《強制転移(テレポート)》とかいう反則技を使うからそれで対戦相手をリングアウトさせて、そのまま相手はカウント内で戻ってこれず時間切れになるというものだ。人間みたいな動く物体が相手だと座標固定のために一撃入れる必要があるみたいだけど、それはつまり最短二手で相手を斃せるということに他ならない。

 加えて彼は黒鉄を超えるほどの観察眼を持ち合わせており、試合前にはどう試合が転ぶのかを完全に予測してきてしまうため逃げ場がない。要は未来予知に匹敵する未来予測で敵を追い詰めてしまうため、それ故に彼は《天眼》の二つ名で呼ばれている。

 まぁ、去年はゆーくんとぶつかったせいで、その一撃すら入れられず敗退していたけど。同じ予知系の技能を持っているからわかるけど、予知できても回避するすべがない未来が出てしまうのは予知能力者あるあるなのだ。

 

「……あら? 奇遇じゃない」

 

 そうして試合をぽけーっと眺めていると、不意に背中から声をかけられた。

 振り返ってみれば、そこにいたのは白衣を着込んだ女性だった。というか廉貞の薬師さんだ。その後ろにはアリスさんと珠雫さんもいる。

 あぁ、そういえば原作でもこの人たちは三人で黒鉄の試合を読者に解説していたなぁ……。

 

「お久しぶりです、薬師さん。パーティで少し見かけて以来ですか」

「そうね。あの時は諸星くんとお取り込み中だったから話せなかったけど、今ならちょうどいいかも。これから彼女たちと黒鉄くんの試合を見物するんだけど、一緒にどうかしら?」

「構いませんよ。私の試合は後半の中頃ですし、それまでは暇ですから」

「それは重畳。……ついでに言っておくけど、貴女が妙なことをしようとしたら全身の関節を逆向きに圧し折るとだけ警告しておくわ」

「い、いきなりご挨拶ですねぇ……」

「当然でしょ。貴女が何をしだすかわからないのはこの数年で身に沁みたわ。貴女が除名処分になりかけているなんて聞いた時には、『遂に来たか』と思ったものだけど」

「失礼なっ! あの件は私も騙されていたんですよ、まさか除名相当の案件だとわかっていなければあんな仕事受けませんでしたって」

「どうだか。貴女は大鎌のためなら平気で患者(クランケ)を量産するから信用に値しないわ」

 

 この人、まだ何年も前のことを根に持っているのか。

 いいじゃん、もう過ぎたことなんだし。

 それに道場破りをした際に向こうの人間を一人残らず手足をぶった斬って病院送りにしたのだって、最後に最終奥義『全員で始末しろ』をしてきたあっちが悪いんだし。

 というか会話の内容にアリスさんと珠雫さんが引いているんだけど。こんなバイオレンスドクターに付いてきてしまったことを後悔しているのだろう、可哀想に。

 

 まぁ、何はともあれ私の試合はDブロック第一試合。つまり後半の後半だ。それまでだいぶ時間があるので、ご一緒することは吝かではない。

 ちなみになぜ私がこうも律儀に試合を見に来ているのかというと、それはトーナメント表が原作からはだいぶ変化してしまっているからに他ならない。

 例えば黒鉄の試合なんかが顕著だ。

 原作において黒鉄の第一試合の相手はゆーくんであり、断じて貪狼の倉敷さんなどではなかった。しかもゆーくん戦で黒鉄は剣術の新たな境地に達することとなり今後の戦闘力が爆発的に向上することとなるのだが……

 

 果たして倉敷さんとの試合でそれがどうなるのかは私にもわからない。

 

 案外黒鉄が倉敷さんに負けて初戦敗退という結果になる可能性もゼロではないわけだし、他にも何だかんだの変化があるかもしれないので今日は監視に努めようという所存なのである。

 とりあえずトーナメント表で今日気になっている試合はそれくらいかな?

 ステラさんは原作と変わらない感じの試合になっているし、他もそこまで違和感のある試合の流れではない。

 唯一原作と乖離が酷いのは私とゆーくんの試合だが……まぁ、そちらは私には勝つ以外に選択肢がないので除外とする。

 

 ……って、あっ!

 そうこうしている間に城ヶ崎さんの《強制転移》が炸裂した!

 もうこれで試合は終了だ。相手選手がカウント内に戻ってくる可能性はない。たぶんドームの外にまで相手選手は跳ばされているのだろう。南無三。

 

「あら、これでもう試合は終了ね。黒鉄くんの試合が始まる前に席を確保できて良かったわ。……まぁ、私とこの子の試合もこの後すぐだから、最悪立ち見でも構わなかったのだけれど」

「ああ、そういえば二人の試合もBブロックでしたね。良かったんですか、控室にいなくても? 別に間に合いさえすれば大会の方も文句はないでしょうけど」

「私も珠雫さんも、彼の様子で少し気になることがあってね。映像越しではわからないことも多いから」

 

 それだけ言うと薬師さんは「失礼」と断って私の隣に座り、その隣に珠雫さん、アリスさんの順で座る。

 アリスさんは親しげな笑みを浮かべてこちらにヒラヒラと手を振ってくれて、珠雫さんは軽く目礼して席に着いた。こういう辺り、アリスさんのコミュ力というものを感じさせられる。

 何にせよ、しばらくはこのメンバーで試合を鑑賞することになりそうだ。

 

「そういえば、薬師さんはお二人と知り合いだったんですね。初めて知りました」

「えぇ、まぁね。昨日、外食した時に黒鉄くんたちと偶然会って」

「へぇ~」

 

 これも歴史の修正力というやつなのかね。

 原作ではゆーくんのお店で黒鉄たちと薬師さんは知り合うはずだったのだが、実際昨日は薬師さんは疎か黒鉄たちすら店には来ていない。よって彼女たちが知り合うこともないだろうと思っていたのだが……

 ちなみに、この世界ではゆーくんの脚がミンチになっていないことから薬師さんとゆーくんは特に知り合いでも何でもない。これも私が引き起こした原作ブレイクの一つだ。

 

「次は一輝と貪狼の《剣士殺し(ソードイーター)》の試合よね。薬師さん……は七星剣舞祭が初めてだから何とも言えないけれど、疼木さんは彼について何か知っている?」

 

 するとアリスさんがこちらに話題を投げかけてきた。

 あれ、そういえばこの二人は倉敷さんと会ったことがないんだっけ?

 原作初期の方だからちょっと内容が曖昧なんだけど……そういえば彼と会っていた主要メンバーは黒鉄とステラさんくらいだった気がする。

 

「はい、存じていますよ。《剣士殺し》とか名乗っているのに剣を使う不届きな野郎がいると聞きまして。去年、何度か貪狼学園に殴り込みをかけた時にぶちのめしてやろうと思って情報を漁っていましたから。運の悪いことに彼は学校をサボっていて全然会えなかったんですけどね」

「……あ、あら……そうなの? 思ったよりずっとバイオレンスな理由だったけれど……何にしてもちょうど良かったのかもね。一番のリピーターがここにいるんだから」

「理由なんてどうでもいいです。疼木さんはこの試合をどう見ますか? 相手がどういった選手なのかは知りませんが、《剣士殺し》の異名を持つからには剣士に対するアドバンテージがあるのだと思いますが」

 

 おおっと、流石はブラコンの珠雫さん。

 今まで黙り込んでいたのに、黒鉄の話題が出た途端に饒舌に喋り出した。

 本当にこの人はお兄ちゃんが大好きなんだなぁ。

 

「どうでしょうね~? ぶっちゃけ、彼が《剣士殺し》と呼ばれる所以はその“間合い”にありますから、それを攻略できるかどうかが肝だと思いますけど」

 

 倉敷さんの能力は『剣の伸縮』だ。

 彼の霊装《大蛇丸》はその刃渡りを自在に変えることが可能で、しかも物理的に曲がって相手を追跡することまでできるという優れものだ。これによって武器を戦闘の主体とする騎士は彼の間合いの広さに対応しきれず、自身の間合いの外(アウトレンジ)から一方的に攻撃されて敗れ去る。

 これによって彼につけられた二つ名が《剣士殺し》なのである。

 

「それに加えて、彼には《神速反射(マージナルカウンター)》がありますからねぇ。懐に入り込めてもどうにかできるかどうか」

「《神速反射》……? 何ですか、それは?」

 

 《神速反射》とは、倉敷さんの真髄その二と言っても過言ではない彼の“特性”である。

 人間は反応速度の限界として、理論上は0.1秒を上回ることができないという。しかし彼はどういった原理なのかは知らないがその速度を0.05秒以下にまで短縮できる体質だというのだ。

 これにより倉敷さんは反応してから行動に移すまでの過程を常人の倍速以上で行うことが可能となっており、つまり常人の二倍から三倍の量の動きを繰り出すことができるということになる。天才的というか、まさにチート能力だよなぁ。私も欲しい。

 

「というか、噂だと倉敷さんには黒鉄は一度勝利しているんですよね? だったら攻略法は本人が一番わかっていると思いますし、向こうもそれは把握していると思います。初戦ならともかく再戦であるのならば、外野からは試合がどういう流れになるのかなんて易々とは想定できません。とりあえず、まったりと観戦するしかないと思いますよ?」

「……それは……そうですが……」

「それでも心配になってしまうものなのよ。ましてや珠雫は身内なんだから」

「そういうものですか?」

「そういうものよ」

 

 そう言いながらウインクしてくるアリスさん。

 相変わらずのイケメンである。

 ……と、そんな話を珠雫さんたちとしている間に試合の準備が整ったようで、アナウンスが倉敷さんと黒鉄を呼び出す。

 その声に応えるように、二人がゆっくりと入退場のゲートから姿を現した。

 片や獰猛な笑みを浮かべながら、片や真剣な面持ちの中に微かな笑みを浮かべながら。

 全く正反対の性質の笑みを浮かべる二人からは、しかし同様にこの試合が楽しみで仕方がないという空気が感じられる。

 そんな二人を紹介するように、実況のアナウンスが会場へと鳴り響いた。

 

『まずは赤ゲートより現れましたのは、貪狼学園三年・倉敷蔵人選手です! 常人には届き得ぬ天性の反応速度《神速反射》を持ち、さらに伸縮自在の刃を兼ね備えたその圧巻の強さはまさに《剣士殺し》の名が相応しい! そんな彼の初回の対戦相手はァ――!』

 

 その実況に釣られるように、観客たちの視線が一斉に逆側のゲートに向く。

 

『青ゲートより姿を見せた、破軍学園一年・黒鉄一輝選手ですッッ! 七星剣舞祭どころか公式試合には初参加の彼ですが、その顔をご存知の方も多いはず! 同学年の《紅蓮の皇女》を下し、昨年の七星剣舞祭におけるベスト4こと《雷切》東堂刀華を一刀の下に斬り伏せたその実力は伊達ではない! さぁ、今日は一体どんな試合を彼は見せてくれるのかァ!』

 

 実況の勢いに押されるように、会場中から歓声と応援が二人に送られる。

 しかしそんな大音量かつ大熱量の歓声に押し潰されることなく、二人とも相手選手を見据えながら歩を進めるのだった。

 

「キリコさん、お兄様の具合はどうですか?」

「ちょっと待って、今から“視る”わ」

 

 珠雫さんに何やら耳打ちされた薬師さんは、右眼に魔力を集めると黒鉄のことを凝視する。

 この魔力の流れには覚えがある。

 恐らく、彼女お得意の《視診(ドクタースコープ)》だろう。今の彼女の右眼には黒鉄の体内の様子が手に取るように視えているのだ。

 

「……んふふ、大丈夫よ。さっきみたいな不自然なリラックス状態はどこにもない。私が保証するわ、今の彼は間違いなく絶好調よ」

「良かった……」

 

 薬師さんの話を聞き、珠雫さんは安堵したように胸を撫で下ろした。

 しかし私にはどうにも話が見えてこない。

 

「リラックス、ですか?」

 

 何の話だろう?

 すると首を傾げる私に気付き、薬師さんが苦笑まじりに口を開く。

 

「さっき黒鉄くんとすれ違った時にね、彼が少しリラックスしすぎているように感じたのよ。貴女だって、試合前には大なり小なり程よい緊張感を維持しようと心を落ち着けるでしょう? さっきの彼はそれを過度にやりすぎて本調子になり切れていないようだったから、何か不安でもあるんじゃないかって少し心配だったのよ」

「きんちょうかん……?」

 

 よくわからないが、そういうものなのだろうか?

 個人的には試合や実戦などの前には「大鎌を活躍させるぞー!」というやる気に満ち溢れた状態であるため、別に緊張感やそれをリラックスさせようという感じを抱いたことはない。

 いや、むしろ私は生きている限り大鎌の活躍について考え続けているような状態であるため、むしろ闘いの中でも普通に平常心だ。こう、気持ちが昂ぶったり緊張したりという感覚はあまり思い浮かばないのだが……。

 そんな感じのことを薬師さんに話すと、まるで頭痛がするかのように頭を抑えた。

 どうかしたんですか?

 

「……いいえ、ごめんなさい。貴女に普通の人間の感覚をわかれと言う方が無理だったわね。そうよ、コイツは心臓に毛が生えたどころかもはや鋼鉄製みたいな奴だってことを忘れていたわ。緊張感なんて無縁な人間だったわね」

「失敬な」

 

 リアルブラックジャックとして闇医者みたいなことをやっていたこの人にだけは言われたくない。

 医師免許もなく自分のセンスと我流の医術で人間を治すとか、それこそ鋼の心臓がなければできないことだと思う。

 ……まぁ、そんなことよりもだ。

 薬師さんの話を聞いていて私も少しだけ記憶が蘇ってきた。

 黒鉄が何かを不安に思っているということだが、恐らくそれは原作と同じく()()()()()()()()()()()()が原因だと思われる。

 彼女の剣技は少々特殊で、脳から身体へと送られる信号が常人のそれとは異なっているのだという。それを黒鉄は《模倣剣技(ブレイドスティール)》で盗んだのだが、激戦の最後の方は本人の記憶が薄れていたとかでその信号の使い方を理解できていなかっただとか、よくわからん小難しい理論によって黒鉄は不調に追い込まれていたのだ。

 原作では昨夜王馬くんとのやり取りの中でその不調を自覚するはずだったのだが……うん、王馬くんは私の方に来てしまったからなぁ……まぁ、何だかんだでこっちの世界線でもその不調を感じ取れたのだろう。詳しい事情は知らない。興味もないし。

 ただ私は、歴史の修正力の偉大さを噛み締めるだけである。

 

 などとそんなことを考えていると。

 二人は既にフィールドの開始線の位置に佇み、その霊装を顕現させていた。

 しかしそこで明らかになった異常な光景に、会場の一部からは(どよめ)きが漏れる。その理由は、倉敷さんの霊装が“二刀”であるという理由からだった。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

「ッ、その霊装は……!?」

 

 観客席から驚きの声が上がる中、一輝もまたその光景に驚愕から息を呑まされた一人であった。

 蔵人の霊装は一輝もよく知っている。何せ一度は剣を交えた関係なのだから。

 その時の彼の霊装は白骨を削り出したかのよう無骨な形状の野太刀一つであったが、今の彼はどうだ。まるで日本刀のように洗練された刃の霊装が“二振り”――即ち二刀流だ。仮に剣が二本あり前回は片方を使わなかっただけだとしても、霊装の形状までもが変化している点は流石の一輝にも見逃せない。

 

(霊装が……魂の形が変わったというのかッ?)

 

 通常、魂の具現化である《霊装》がその形状を変貌させることはまずない。

 なぜなら魂とはその人間の意識そのものであり、意識が変わるということは即ち人間としての在り方が変わってしまったということなのだから。

 よって記憶喪失となった伐刀者の霊装の形状が変化したというような例外を除けば、基本的にこのようなことはあり得ない……はずなのだ。

 

「……よぉ? まずはテメェの驚く顔が見れて嬉しいぜ、クロガネェ」

 

 そんな一輝を眺めやり、蔵人はニィと笑みを深める。

 だが、蔵人からしてみれば一輝を驚かせるのはまだまだこれからが本番だというのが胸の内だった。たかが武器の形が変わった程度で腰を抜かされては蔵人としても興醒めである。

 

「ずっと待っていたぜ、この瞬間(とき)を。テメェと闘ったあの日から、俺は今日のリベンジのために自分を研ぎ澄ましてきた。さぁ、やろうぜクロガネッ! 今日こそテメェをぶち殺す!」

 

 そう、蔵人は今日まで己を鍛え、痛めつけ、そして高め続けてきた。

 嘗て己が叩きのめした剣術道場の主へと土下座し、その剣術を学ぶことで自分の限界へと挑戦し、その果てに今の霊装を手に入れたのだ。つまりそれは、彼が自分の魂が変質するほどに鍛えてきた証拠に他ならない。

 よってこの魂の変質とは、即ち進化であり昇華であった。

 最早彼は以前の蔵人ではなく、同じと思い闘えばまともに剣を合わせることもできず一輝は敗北することになるだろう。

 それを一輝も感じ取ったのか、驚愕の表情を剥ぎ取ると、一転して真剣のような鋭さをその面貌に携えた。

 

「望むところだよ、倉敷くん。……ただ、あれから強くなったのは君だけじゃない。それを僕も証明させてもらう」

「ハッハァ! 上等だ! そうでなけりゃ殺し甲斐がねぇ!」

 

 そして剣を構えた二人が睨み合い、その瞬間に会場を静寂が包み込んだ。

 二人から発せられる闘気が会場の喧騒を押し退け、今この場が戦場であることを観客たちに思い知らせたのである。

 その空気を解説と実況も感じ取ったらしく、最早待ち切れないとばかりにアナウンスが場内に鳴り響く。

 

『両選手とも開始位置に着きましたことで、これよりAブロック第二組の試合――倉敷蔵人選手 対 黒鉄一輝選手の試合を開始させていただきたいと思います!

 ――LET’S GO AHEAD!!』

 

 



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キング・クリムゾンッッ!!

 毎度ながら感想や誤字報告ありがとうございます。
 ちょっと今回は急ぎ足です。

12/9
 ご報告なのですが、この度前回の更新分の中盤に300字ほど追加させて戴いております。
 加えてトーナメント表を一部改修しましたのでご報告を。
 変更点としましては、AブロックとBブロックを入れ替えさせて戴きました。前回分への追加もそれの補足です。
 すみません。

【挿絵表示】



「カッはッ」

 

 最後の交錯は一瞬の出来事であった。

 脇腹へと入った一閃は血となってその軌跡を彩り、蔵人は膝から崩れ落ちる。

 そして最後に立っていたのは――《無冠の剣王》黒鉄一輝ただ一人。

 その光景を固唾を呑んで見守っていた観客たちは、その圧巻の試合に言葉を漏らすこともできない。しかしその緊張の糸を断ち切ったのは、逸早く我に返り試合終了の旗を掲げた審判の合図であった。

 

『――し、試合終了ーッッ! 激闘を制したのは破軍学園の黒鉄一輝選手だァー!』

『『『う、うおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおォォォォォッッッッ!!!』』』

 

 一転して爆発するように盛り上がる会場。

 しかしその歓声がまるで聞こえていないかのように、一輝は気絶したまま担架で運ばれていく蔵人を見据えていた。

 まさに紙一重の闘いだった。

 何か一つの要素でも違っていれば最後に立っていたのが自分であったか、一輝の照魔鏡の如き眼を以ってしても判断できないほどには際どい勝負であった。

 しかしその勝負を制したことに対する安堵は一輝の胸にはない。

 

 あるのは、誇りだ。

 

 自分はこれほどまでに強い騎士と闘い、そして勝ったという誇りだけが今の一輝の胸の内にはある。

 そして最後の瞬間、蔵人が崩れ落ちるあの瞬間に、確かに一輝は彼と目が合った。その時、言葉に出すことはなくとも彼の目はこう語っていた。

 

 ――勝ち続けろ、と。

 

 自分に勝ったという、その責任を取り続けろと。責任とは即ち、七星の頂に立つことに他ならない。

 

(お世辞でも倉敷くんは立派な人間などと呼べる存在ではないけれど……)

 

 各地で喧嘩を繰り返し、強者を求めて流離うその様はまさに餓狼だ。

 だがこの試合のために彼は変わった。

 彼の剣からは、強さを求めて暴走していた頃とは比較にならない技術があった。圧倒的な修行の積み重ねが剣の重さを増していた。そして以前の彼にはなかった、勝利への執念があった。

 だからこそ一輝は断言する。

 倉敷蔵人という選手は、間違いなく“騎士”であったと。

 そして騎士と騎士が刃を交わした末の誓いは守られなければならない。

 

(僕は先に行くよ、倉敷くん。そして至る、七星の頂へ……!)

 

 そんな熱を視線に込め、一輝は蔵人を見送った。

 そしてそんな熱を感じ取ってか、蔵人は身体を横たえたまま微かに、されど彼らしく獰猛に笑うのだった。

 

 ――パチパチパチ

 

 そんな中、蔵人を見送る一輝の背に一つの拍手が混じる。

 客席からの拍手にしては近すぎるその音源に一輝は訝しげに振り返り――そこにいた“少女”に思わず瞠目した。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

「……凄まじい、闘いでしたね」

「ええ、まさに一進一退の攻防だったわ。二人とも全くの互角、どちらが勝ってもおかしくなかったわね」

「確かに。七星剣舞祭の序盤も序盤でこれだけの闘いが見られるなんて、今年は近年稀に見る事態でしょうね」

 

 試合が終わり黒鉄たちが退場していく中、私の隣では珠雫さんたちがようやくといった様子で口を開く。

 その口から出るのは賞賛の言葉だった。

 

「あの男、粗暴な見た目に反して凄まじい剣の使い手でした。あの二刀流から放たれる瞬間四連撃なんて、私では目で追うことすら難しかったというのに」

「確かに。でも一輝の方も凄まじかったわ。途中で突然調子を崩したと思ったら、そこからまさかの《比翼》のエーデルワイスの剣技を使い始めるだなんて」

「それもあるけど、私としては途中で《剣士殺し》が見せた《天衣無縫》という技に驚かされたわ。まさか人体であそこまで精緻な動きを可能とさせる人間がこの世にいたとは。世界の広さを痛感させられたわよ」

「しかし流石はお兄様ですね。その絶技に対して、お兄様もまさか《天衣無縫》で返すとは。これでお互いに攻撃が全く当たらなくなった時にはどうなることかと思いましたが……」

「そうね。でもその後、《剣士殺し》が見せた《八岐大蛇》の瞬間十六連撃なんて、試合が終わった今でさえどうやって黒鉄くんがしのいだのか理解できていないほどだもの」

「確かに一輝の武術の冴えも凄まじかったわ。出だしから見せた《第四秘剣・蜃気狼》にはあの《剣士殺し》ですらも完全に翻弄していたしね」

「でもそこからの立て直しも凄かったわよ。完全に動きを騙されたと思った次の瞬間には《神速反射》で反応を――」

 

 思い思いに語る三人。

 珠雫さんなど次が自分の試合だということを忘れているかのように試合の感想を語っており、その熱量がどれだけ今の試合が激しいものだったのかを物語っている。

 いや、珠雫さんだけではない。アリスさんや薬師さんも興奮を交えながら試合を評している。あの普段から冷静沈着な薬師さんまでもがそうなのだから、その試合の凄まじさの具合も察せられるというもの。

 そんな中、私は一人会話に加わることもなく黙して瞑目し、そして改めて眼下の光景を焼き付けるかのように瞼を開いた。

 傍から見れば、私は周囲の熱気から切り取られたように静けさを保っているように見えただろう。宛ら熱に浮かされることもなく、極めて冷静に試合を分析する戦略家のごとく。

 

 しかし実際は違う。

 

 私は決して冷徹に試合を見定めていたわけではなく、かといって戦略を練って頭をクールダウンさせていたわけでもない。

 では、なぜ私だけがこうして静かにしているのか。

 それは……

 

 

 

(………………あれッ? 試合終わってる!?)

 

 

 

 わけがわからない状況にただひたすら混乱していたからだった。

 えっ、エッ……ゑっ?

 だ、だって今『れっつごーあへーっ』って試合が始まったと思ったのに……あ、あれ?

 

 あ、ありのままに今起こったことを話すぜ……!

 

 私は黒鉄の試合が始まる瞬間を眺めていたと思ったら、気が付いたら試合が終わっていた。

 な、何を言っているのかわからないと思うけど、私自身も何が起こっているのかわからない!

 催眠術とか超スピードだとかチャチなモンじゃあ断じて……ハッ! これが噂に聞くキングクリムゾンってヤツなのかッッ⁉︎ 私は時を吹っ飛ばされてッ……?

 

「あら? 貴女、ようやく起きたのね」

「……えっ?」

 

 私がポルナレフ状態に陥っていると、薬師さんが呆れたようにこちらの顔を覗き込んできた。

 えっ、起きた(・・・)って?

 

「貴女……試合が始まったところからウトウトし始めて、そのまますぐに寝ちゃったのよ?」

「全く、お兄様の試合だというのに眠りこけてしまうなんて失礼な……」

「ほらほら珠雫、そう怒らないの。……ごめんなさいね、疼木さん。本当は何度か起こそうとしたんだけど、あんまりにも気持ちよさそうに寝ていたからそっとしておいたのよ」

「え、えぇ……?」

 

 寝て……?

 えっ、私って寝ていたの?

 

 …………いやいや、それはないわぁ~。自分で「原作との差異を確かめるキリッ」って息巻いて会場入りしたのに、肝心要のところで居眠りとか。

 ……いやね? 実際、剣士同士の闘いなんて欠片も興味ないし、何ならそんなものを見ていたら目が腐るとさえ思っているけれども、それで寝ちゃうのは流石にどうなのよ、私!

 や、ヤバいな……原作との比較検証とか全くできないまま試合が終わってしまったぞ……!

 こうなったら薬師さんにどういう試合だったのか話を……あっ、ダメだ! この人これから試合じゃん! 珠雫さんもすぐにいなくなるし、そもそも私は愛しのお兄様を粉砕する怨敵なポジションになる人間だから情報なんて話してくれそうもない!

 となると……

 

「あ、アリスさぁん……」

「んもう、仕方ないわねぇ。後で新聞部の友達に今日の録画映像を借りてきてあげるから」

「……!」

 

 お、おお……!

 流石は原作屈指の常識人かつ天使兼“女神”枠のアリスさん!

 私が困ったように視線を向けただけで全てを察してくれたぞ! ありがたや~。

 と、その時だった。

 

『あ、あれは……! 《紅蓮の皇女》ステラ・ヴァーミリオン選手だーっ!!』

 

 大音量のアナウンスが会場中に響き渡る。

 その音声に釣られて再びフィールドへと目を向けると、一輝が入場してきたゲートよりステラさんが入場してきたのだ。

 遅刻してきたというのに堂々とした態度だなぁ……と私が思っていると、どうやらそれは他の観客たちも感じていたことらしい。「遅刻してきたのに」というような声がチラホラと聞こえてくる。

 すると彼女はそれを聞いてか、あるいは誠意からなのか、これまでの威風堂々とした佇まいから一転してその場で深く頭を下げた。

 

 

 

「遅れて申し訳ありませんッッッ! ステラ・ヴァーミリオン、遅ればせながらただいま到着致しましたッッッ!!」

 

 

 アナウンスに負けないほどの声量で謝罪をするステラさん。

 どうやらその清々しいほどに真っ直ぐな謝罪は好印象を抱かれたらしく先程まで聞こえてきた声は鳴りを潜め、逆に「まぁ、事故が原因なら仕方ないよな」という空気が会場に広がる。

 す、スゲェ……これがカリスマというやつなのか? あれか、カリスマまでも彼女はAランクなのか?

 私が同じことをやっても絶対に許されない自信がある。わちき許されない。

 

『元気の良い謝罪が好印象ですね。……しかし、彼女の試合はどこで行われるのでしょうか? 一応、延期という形にはなっていますが』

『どこかのブロックが終了した後か、あるいは最終戦に回されるのではないかと思われます。そこは大会の委員会側がただいま協議を……おや? もう出た? はい……はい、承知しました。――皆さん、お待たせ致しました。ただいま委員会の決定により、ステラ選手の試合はこの直後、即ちこの次の試合で行われることとなりました。Bブロックの第三試合以降はその後で行われることとなります』

 

 その急な決定に会場がざわめく。

 しかしステラさんの方は黒鉄の試合を見た後であるためかやる気に満ち溢れているらしく、「私は構いません」と言い放っていた。

 しかし、それに納得できない人もいるわけで……

 

「私を抜きに一方的に決められては困りますね」

 

 そうして客席から華麗に飛び立ち、リングへと着地して見せたのは巨門の鶴屋さんだ。彼女曰く、ステラさんは遅刻によって試合進行を妨げたのだから何らかのペナルティを課すべきだ、とのこと。

 もちろん彼女は委員長タイプの生真面目人間ではないので、ペナルティによってステラさんの弱体化並びに試合を有利に進めようと画策しているのは明らかだ。

 一応、確かに彼女の言い分にも一理がないことはないのだが……すると鶴屋さんの言い分に対し、観客たちからは「正々堂々と勝負しろー!」「汚ねぇぞ!」などと野次が飛ぶ。

 まぁ、そッスよね。

 ここにわざわざチケットを買ってまで観戦しに来ている人たちがペナルティ付きの微妙な試合を歓迎するはずもない。この反応は至極当然のものだろう。誰だってそうする、私だってそうする。

 しかし知り合いなので知っているが鶴屋さんはこういうことに関しては非常に強かな人で、きっと頭の中では「過程や方法などどうでも良いのだァー!」というDIO様みたいなことを考えているに違いない。

 

 だが、今回ばかりは鶴屋さんも分が悪かったようだ。

 

 元々、七星剣舞祭で彼女の提案したようなペナルティが選手に課されることもなくはないのだ。

 しかしそういった場合は悪質な行為や選手側に重大かつ明らかな過失のあるミスがあった場合に課されるものであり、ステラさんの遅刻の原因である列車の事故のような場合はそれに当てはまらない。

 もちろんステラさんが事前に現地入りしていればこのようなことは起こり得なかったと言われればそれまでだが、事前の現地入りは大会側の規定として定められた項目にはない。

 よってステラさんはペナルティを課されるような違反を行っていはいないというのが大会側の判断だった。

 だったのだが……

 

「いいえ、鶴屋さんの言う通りよ」

 

 そこで「はい」と頷かないのが、我らがヒロインことステラ・ヴァーミリオン。

 何と彼女はペナルティを甘んじて受け入れるというのだ。

 

 しかも彼女曰く、「Aブロックで勝ち残っている他三人を含めて四対一で相手をして構わない」とまで言い切ってしまう。

 トーナメント表を見ればわかるのだが他のAブロックの勝ち残りは全て暁学園の生徒――《不転》多々良幽衣、《魔獣使い(ビーストテイマー)》風祭凜奈、《道化師》平賀玲泉の三人だ。つまり彼女は、ここで鶴屋さんのペナルティに託つけて暁の三人をまとめて“始末”する腹積もりなのである。

 

 まさかの自分からの不利を要求するステラさんに鶴屋さんは面食らったようだったが、委員会側が「選手自身がそう言うのなら」と納得を見せると彼女もそれを承諾する。

 当然だ。彼女からすれば裏社会の傭兵三人が自分の味方となってくれるというのだから、ここで断る理由がない。

 暁の三人も、Aランク騎士という障害を袋にできるというのだから参加しない理由はなかった。しかも仮にここで自分たちが敗れても、自分たちは普通に次の試合ができるということを委員会に保証されてしまっているのだ。

 リスクゼロでステラさんをボコにできる以上、ここで参加しない理由が彼女たちにもなかった。

 

「ステラ……どうしてそんな、敢えてリスクを背負い込むようなことを……」

 

 壇上の黒鉄が心配そうにステラさんへと問いかけるが、彼女は「決まっているでしょ」と平気の平左だ。

 

「このままだと二回戦の段階で暁の生徒同士――ヒラガとカザマツリがぶつかることになる。そうしたらアイツら、きっとどちらかが棄権してフェードアウトしていくに違いないわ。向こうは誰かが優勝できればそれでいいんだもの」

 

 だが、それでは彼女の気が収まらないのだという。

 

「アタシの学園で好き勝手暴れた連中を一人でも逃すつもりなんてないわ。せっかく鶴屋さんが“機会”をくれたんだもの――一人残らず叩き潰す。引き摺り砕いて、アタシの前で泣いて後悔するまで赦さない」

 

 そう、それが彼女の思惑だった。

 彼女が目論んでいたのは鶴屋への謝罪などではなく、それを利用した暁への徹底的な報復。

 四対一の不利なんて最初から彼女の勘定には入っていない。

 今のトーナメントでは必ず取り逃す暁の生徒をリングに引き摺り出し、それらをまとめて叩くのがステラさんの考えだったのだ。

 つくづく思わされる。

 仮にもヒロインの考えることじゃねぇー。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 その後。

 ステラは圧倒的な力を以って四人を捻じ伏せたのだった。

 

 《不転》多々良幽衣――肝臓打ち(リバーブロー)を脇腹にモロに食らい内臓破裂。

 《魔獣使い》風祭凜奈――《天壌焼き焦がす竜王の焰》の二連撃を食らい意識不明。

 《道化師》平賀玲泉――《暴竜の咆吼(バハムートハウル)》なる広範囲炎熱攻撃で焼失(ただし平賀本人は魔力の糸で操作された人形だったため本体は健在と思われる)。

 《氷の冷笑》鶴屋美琴――平賀の巻き添えを食らい意識不明。

 

 その撃破のやり口は非常に丁寧なものだった。

 巻き込まれただけの鶴屋を除き、ステラは暁の生徒たちを丁寧に丁寧に一人ずつ叩き伏せ、焼き千切り、消し炭にしていった。

 多々良は血反吐をぶち撒けながらリングに転がり、凜奈は熱線で焼き飛ばされ、平賀に至っては文字通りリングの染みになった。

 それも四対一という圧倒的に不利な状況下でだ。

 その圧巻の光景には観客は疎か、治癒魔術を受けて急いでステラを応援しに戻ってきた一輝でさえ閉口する他ないほど。

 唯一幸いだったのは、ステラが報復を念頭に置きながらも人体へのダメージを無くす《幻想形態》の使用を怠らなかったことだろう。そのおかげで鶴屋と凜奈は五体をまだこの世に留めおくことができている。そうでなければ、人形体――即ち人体ではなかった平賀と同じ様に消し炭となっていたはずだ。

 

 だが、ステラの恐るべきはそこだけではない。

 

 最後の広範囲攻撃は、本来ならばこういった屋内に置ける公式試合では禁じ手(タブー)とされる一手だ。なぜなら、広すぎる一撃は客席の無力な一般人たちをも巻き込んでしまう可能性が高いためである。

 もちろん、こういった大会には客席を守るための人員が何人も配置されており、そういった伐刀者たちが人々の防備を担っているのだが……

 

 ――果たしてその能力はどれほどのものなのか?

 

 ステラは確信していた。

 これから先、七星の頂を目指すにあたって“手加減”をしている余裕がいつまでも続くはずはないと。王馬を、祝を、そして何より一輝を相手に《幻想形態》などという刃引きを行えるようなゆとりなど生まれるはずがないと。

 故に彼女は、その防備を()()()

 この七星剣舞祭という舞台が、自分が全力を出して闘える舞台であるのかを、《竜王の咆吼》というあえて危険な魔術を使うことで判断しようと考えたのだ。

 

 そしてその結果は上々だった。

 

 ステラの心配を他所に、客席を守る防人たちは見事に観客を守ってみせた。ステラの放った爆炎を防ぎ切り、火の粉の一つすら客席には届かせなかった。

 

「ああ、安心した」

 

 ステラは人知れず安堵した。

 元々《竜王の咆吼》など、ステラにとっては効果範囲を除けば大した技ではない。魔力を周囲へと無差別に放出しただけの、それこそ破軍学園に入学当初ですらできた魔術だ。本当ならば《天壌焼き焦がす竜王の焰》を客席に叩きつけたかったくらいだった。

 しかしこれで少なくとも、恣意的に客席を傷つけるような攻撃でもない限り自分の攻撃が周囲の人々に迷惑をかけないものであることはわかった。

 

 ならば安心して闘える。安心して全力を出せる。

 

 そしてこの闘い、ステラの報復が完了すると同時にもう一つ朗報があった。

 この試合において多々良がドクターストップとなり次の試合を棄権、凜奈もまたこの試合でステラとの戦力差を実感したのか自主棄権、そして平賀は術者本人がこれまでリングに上がっていなかったことにより失格扱いとなったのだ。

 これによりステラは僅か一勝を以ってAブロックを制覇。

 大会史上初となる、一勝のみで準決勝へと駒を進める選手となったのだった。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

『会場の皆様にご連絡します。これよりリングの再設置、及び清掃のため二十分の休憩を設けさせて戴きます。作業が終了次第Bブロックの試合を再開させて戴きますので少々お待ち下さい。また、選手は控室に集合してください。繰り返します……』

 

 アナウンスが会場に響き渡る。

 ステラの衝撃的な試合が終了し、自身の試合が終わるなり珠雫たちと合流して試合の行く末を見守っていた一輝はようやくといった様子で安堵の息をついた。

 

「……はぁ、ハラハラする試合だった。さっきステラと会った時は物凄い覇気だったから、きっと大丈夫だろうとは思っていたけれど……」

 

 それは一輝以外の、珠雫やアリスたちも同じ意見だったようで、二人もそれぞれ安堵した様子で胸を撫で下ろしていた。もっとも、珠雫は「お兄様に心配をかけて」と若干苛立った様子だったが。しかし言葉とは裏腹に、彼女自身も内心ではステラのことを心配していたことを一輝は察しているため、苦笑交じりに珠雫を宥めるのだった。

 一方、なぜか珠雫たちと同席していた祝は「火力ヤバいですねぇ~」と気楽そうに呟きながら、自前で持ち込んでいたらしい大量のパンを頬張っている。

 その様子からはステラに対する心配などは欠片も感じられず、その様子もまた祝らしいと一輝としてはやはり苦笑するしかない。

 そして安堵と同時に、一輝は内心で感じていることがあった。

 

 それは堪えきれないほどの歓喜だ。

 

 ステラは一週間前の襲撃により――否、王馬との圧倒的な実力差を知ったことで己が“弱い”ということを知った。

 そしてその感情を糧に、こうして七星剣舞祭へとやってきたのだ。

 もちろん先程までの試合だけでは、彼女がどれほど成長して一輝たちの前に戻ってきたのかまではわからない。しかし彼女が纏っていた覇気が、満ち溢れる自信が彼女の成長を物語っている。

 達人であればあるほど、強ければ強いほどさらなる強さを手にすることは難しいものだ。

 しかし彼女はたった一週間でそれをやり遂げてきていると、一輝の研ぎ澄まされた直感は確信していた。

 

「――じゃあ、私たちも行きましょうか」

「ですね。あれだけの試合を見せられた後です。私たちも無様なものは見せられません」

 

 そしてステラの試合に当てられたのは一輝だけではなかった。

 キリコと珠雫が闘志をその身から湧き出させながら立ち上がる。Bブロックの残りの試合は二人のものだった。

 そんなやる気に満ち溢れた二人に、アリスと一輝がエールを送る。

 

「二人とも頑張って。何の力にもなれないけれど、ここからしっかり応援だけはさせてもらうから」

「僕もここから応援させてもらうよ。じっとしているだけでも体力は回復するからね。応援させてもらいながら休憩することにする」

「お兄様……」

 

 愛しの兄に応援してもらえることを喜ぶ反面、珠雫としてはキチンと部屋に戻るなり医務室に行くなりして休憩してほしいのが彼女の本音だった。

 しかしそれを一輝も察したのか、「大丈夫だから」と微笑まれると何も言えなくなる。

 一方、祝の方は気が抜けた様子で「頑張ってくださいね~」と二人にエールを送っていた。これから命すら危ういかもしれない試合に送り出す姿勢ではないその態度に、キリコが呆れたように溜息をつく。

 

「貴女ねぇ、もう少し声にやる気を入れなさいよ。一応、これから私たちは闘いに赴く騎士なわけなんだから。……まぁ、相手が誰であっても私が勝つけどね」

「おぉ~、自信満々。薬師さんの相手って誰でしたっけ?」

 

 首を傾げる祝に、またもやキリコは呆れるしかない。

 自分からは遠いブロックの対戦表とは言え、参加者である以上は普通こういった大会の試合を全て把握しておくべきではないのだろうか。

 そんな祝に苦笑しっ放しの一輝は、助け舟を出すように「暁の紫乃宮くんだよ」と教えてやる。

 しかし天音の名前を出すと同時、一輝はこれまでの表情から一転して神妙な顔となった。一輝から見た彼には、ただならぬ気配のようなものが感じられたためだ。

 

「……薬師さん。こんなことを言うと不安を煽るようですけど……紫乃宮くんには気を付けてください」

 

 一輝が天音と初めて遭遇したのは、暁学園が破軍学園を襲撃する前の合宿中。

 そこで自分のファンだと公言する彼と出会い、そこから交友が始まった。

 天音に対し、一輝は人懐っこい笑顔や人伝とはいえ一輝のスタンスを――努力を以って克己し、自分自身の価値を信じるというスタンスを理解していることに好感を持っていた。

 そして学園こそ違えど、良い友人としてこれからも付き合っていけるだろうと、そう思っていたのだ。

 

 だが、彼と別れた後で一輝の胸の内にあった感情は、そこはかとない“不気味さと嫌悪感”だけだった。

 

 一輝はその感情に戸惑うこととなる。

 天音の言動におかしなところは何もなく、それらから彼に対する印象に不気味さなどというものを感じる要素は皆無だったはずだ。

 だというのに、この感情は何なのか。

 もちろん彼は暁学園の一員であり、学園を襲撃したことに対する憤りなどがあることはおかしくない。しかし一輝はそれ以前から、彼が暁学園の一員だと知る以前から彼に対する悪感情を抱いてしまっていた。

 そのことだけが、一輝の紫乃宮天音という少年への懸念だった。

 

「あら? 黒鉄くんが忠告だなんて。……彼ってそんなにヤバい人なの? 私が見た感じだと、暁学園の中では一番覇気とかがなさそうな子だったけれど」

「わかりません。自分でもどうして彼がこんなに気になるのか。でも彼には何かがある、そんな不気味さを感じるんです。根拠はないんですけど……」

「……そう」

 

 一輝の真剣な表情に、キリコは改めて気を引き締め直した。

 キリコの本業は医師であって騎士ではない。

 しかし本職の、それも《七星剣王》に手が届き得る騎士が何かを感じるというのならば、それを無下にすることはできない。

 加えて言うのなら、警戒感を顕にしているのは()()黒鉄一輝なのだ。照魔鏡の如き観察眼を持ち、敵の剣技から心の奥底までもを見切るという《無冠の剣王》が何かを感じている。これはほぼ確実に、あの紫乃宮天音という少年には“何か”があるのだろう。

 それに万が一、これが一輝の勘違いだったとしても警戒しておくに越したことはなかった。

 

「ご忠告、感謝するわ。でもそろそろ行かないと」

「はい。どうか気を付けて――」

 

 

「あははー! ここにいたんだ、イッキくん!」

 

 

 その時だった。

 一輝がキリコを送り出そうとしたまさにその瞬間、まるで幼子のように無邪気な声が一輝の背後よりかけられる。

 その声を聞いた瞬間、一輝の背筋が粟立つ。

 振り返った先にいたのは、薄い金髪と幼い顔立ち。そしてその顔に浮かぶ人懐っこい笑顔。その小柄な身体を駆けさせながらこちらへと近寄ってくるのは――紫乃宮天音。

 今、まさに話題に上がっていた人物が姿を現したのだった。

 

 

 

 

 

 現れた天音を、祝がジッと見つめていることに誰も気が付かないまま。

 



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何が可笑しい!!

 毎度ながら感想や誤字報告ありがとうございます。


「あははー! ここにいたんだ、イッキくん!」

「あ、天音くん……」

 

 今まさに話題に上っていた天音の登場に、一輝は思わず顔を引き攣らせた。

 しかしそんなことを知らぬ天音は、興奮したように一輝へと語りかける。

 

「イッキくん、二回戦への進出おめでとう! さっきの一回戦も観ていたよ! 凄い激戦だったね、僕感動しちゃって!」

「ああ……ありがとう。わかったから少し落ち着いて……」

 

 子供のように捲し立てる天音を宥めながら、一輝は改めて天音を観察する。

 こうして見ても、彼が高校生だと思えないほどに小柄で華奢だ。そして表情がコロコロと変わる様子はまさに幼子のようで、外見からも立ち振舞からも彼のことを一輝が嫌う要素はない。

 それでも胸中を過るのは、やはり嘗て感じた不気味さだった。

 しかし一輝としては、この素直な気持ちを天音にぶつけることは気が引けた。それは一輝が、理由もわからず他者へと嫌悪の感情を伝えることに抵抗を覚えたからだ。しかも彼は悪意をぶつけてきているわけではなく、少なくとも表面上は自分のことを慕ってきているように見える。

 そんな天音に、その幼い子供のような外見も相まって、一輝は正直な言葉を口にすることができずにいた。

 しかし……

 

「失礼」

「あうっ」

 

 困惑する一輝を他所に、珠雫は容赦なく天音の横腹に前蹴りを叩き込む。そして一輝と天音の間で仁王立ちした彼女は、明確な敵意の下、天音を睨みつけた。

 珠雫としては天音の態度などどうでも良かったのだ。そんなことよりも一輝が彼に嫌悪感を抱いているというだけで他の幾千の理由よりも拒絶の理由足り得る。そもそも珠雫からしてみれば、天音は破軍襲撃だけで充分に敵対の対象だ。故に珠雫は天音に対し、一輝のような容赦を抱くことはない。

 そんな珠雫の言葉を聞き、天音は縋るように一輝を見やった。

 

「う……そうだよね。僕が嫌われる理由なんてそれだけで充分か。ごめんよ、一輝くん。でも、僕はそのことについては本当に悪かったって思っているんだ。今日君に会いにきたのは、おめでとうって伝えたかったのもあったけど、どちらかというとそのことのお詫びの意味もあって……」

「お詫び? それは――」

 

 その時だった。

 スピーカーが一瞬ノイズを流したかと思うと、アナウンスが会場へと響き渡る。

 

『お知らせ致します。Bブロック第三試合まで残り十分となりました。選手は控室にお集まりください』

 

 その放送に一輝が我に返る。

 気が付けばリングの再設置が終了しており、既に試合ができる状況となっていた。これ以上話し込んでいては天音とキリコが試合に遅れてしまう。

 

「何だか話が見えないけれど、そろそろ時間みたいよ。話は後にして、そろそろ控室に移動した方がいいんじゃないかしら?」

 

 キリコも試合に遅れると思ったのだろう。まだ話し足りないとばかりに口を開こうとする天音にそう話しかける。

 しかし当の天音は、話しかけてきたキリコに対してなぜか首を傾げた。

 

「えっと、どちら様?」

 

 それは天音の口からは決して出てはいけないはずの言葉だった。

 これから命をかけて闘う対戦相手の顔を知らないなど、常識的に考えればあり得ないからだ。

 しかし天音は本当にキリコのことを知らないらしく、その事実に彼女は顔を引き攣らせながら自己紹介する。

 

「……私も多少は顔が売れているものだと自負していたけどね。廉貞三年の薬師キリコよ。これから貴方と試合をすることになっているのだけれど」

「あー、そうなんだ。ごめんなさい。僕、イッキくん以外の騎士は本当に有名どころくらいしか知らなくって」

「……随分と余裕なのね」

 

 キリコの表情がますます引き攣る。

 当然ながらキリコとしては気分の良い話ではない。仮にも彼女はBランク。世間ではAランクにすら届き得るとまで噂される才女だ。それを鼻にかけるわけではなかったが、そうまで噂される自分をここまで興味なしと切って捨てられるのは彼女のプライドに関わる。

 

「理事長に頼まれて仕方なく出場した身だったけれど、気が変わったわ。次の試合が楽しみよ、それだけ大口を叩いたからには相応の実力を見せてもらおうじゃない」

「あー、うん。それは無理かも。だって貴女とは()()()()()()()()んだもの」

「はぁ? それはどういう……」

 

 天音の意味深な言葉をキリコが問い詰めようとした時だった。

 不意に彼女の携帯電話が着信音を鳴らしたのだ。

 そのタイミングの悪さにキリコは舌打ちを漏らしそうになるが、連絡先の表示を見て顔色を変える。そこに映し出されていたのは、彼女自身が院長を務める薬師総合病院だったのだから。

 

「ちょっと失礼。……はい、もしもし? これから試合なんだけれども、一体何かしら?」

『先生ッ、大変なんです!!』

 

 その場にいた全員に聞こえるほどの音量で、電話の先から大声が響く。耳を劈くようなその声にキリコは眉を顰めながらも、電話に向かって「落ち着きなさい」と宥めすかした。

 しかし同時に、キリコは電話の向こう――病院の気配が慌ただしいことも感じ取っていた。

 何かが病院で起こった。

 そう頭の中で予測を立てながら、やや早くなる口調で電話に問いかける。

 

「一体どうしたというの? 慌てず、順に説明して」

『そ、それが……! 入院している患者さんの容態が急変して、危篤状態に……!』

「何ですって⁉ 一体誰が危篤状態になったというの!」

『それが……患者さん全員が危篤状態なんですッ!!』

「な……」

 

 あまりに予想外なその内容にキリコは思わず絶句した。

 同時に頭の冷静な部分が主張する。――どう考えてもあり得ない、と。

 キリコは七星剣舞祭に参加する絶対条件として、自分が広島の病院を留守にする間に患者の容態が変わることがないことを自分に課していた。そして事前の綿密な診断の結果、自分が少々病院を留守にしても問題はないという診断を下した上でこの大会に出場したのだ。

 それが一人ならともかく、全員の容態が急変するなどどう考えてもあり得ない。あり得たとしても、それは天文学的数値に等しい。

 しかしそのような推測など、事ここに至っては何の意味もない。

 混乱の極みの中にありながらもキリコは電話先に対応を指示。移動用のヘリがこちらへ回されていることを確認すると、静かに電話を切った。

 そして――

 

「……さて、これはどういうことなのかしらね。紫乃宮くん」

 

 諸悪の根源と思われる人物を睨みつけた。

 しかし件の天音は白々しくも慌てたようにキリコの問を否定する。

 

「ま、待ってよ、言いがかりだよぉ。大体、大阪にいる僕が広島にいる君の患者さんにどうこうできるわけないじゃないですかぁ」

「ぐ……」

 

 キリコは押し黙る。

 そう、常識的に考えれば不可能だ。物理的な距離的にももちろんそうだが、仮に天音の仲間がキリコの患者にどうこうしたとしても、病院の警備やスタッフの目を潜り抜けて全員に手を出すことなどできはしないだろう。

 だがそんな中、一輝だけがこの謎の現象の正体に心当たりを見出していたのだった。

 事前に加賀美より聞いていた、巨門学園の模擬戦の戦績が()()()()()()()()という情報を思い出したことによって。

 

「……ああ、そうか。そういうことだったのか。それならば君の能力にも説明がつく。……つまるところ全ての順序が逆だった、それだけなんだ」

 

 一輝たちの知る紫乃宮天音という少年の能力は“予知”――それは彼が《前夜祭》でアリスの裏切りを事前に察知してみせたから。

 しかしそうではなかった。

 全ては順序が逆。

 彼は予知をしてみせたのではなく、彼が《前夜祭》の成功を()()()()()アリスの裏切りが発覚したに過ぎないのだ。

 つまり天音の能力とは……

 

「『自分の願いを叶える』――つまるところそれが君の能力なんだろう?」

「…………」

 

 一輝の断言に天音は目を細める。

 しかしそう間をおくことなく嘆息し、やがて苦笑をしながら「まぁね」と首肯した。

 その反応に一同は動揺を隠せない。天音の首肯が本当だというのなら――それはもはや神の如き力ではないか、と。

 

「……流石は照魔鏡の如くと讃えられる《無冠の剣王》、僕如きが隠し果せるはずもなし、か。……うん、その通り、それが僕の能力だよ」

「なら、やっぱり薬師さんの患者さんたちの容態も君が……!」

「いやいや待って待って! それは違うよ」

 

 慌てたように天音が補足する。

 自分はそのような願望を懐いてなどいないと。

 

「僕が願ったのは全然違うこと。僕の能力は君たちが思うような細かい内容じゃなくてね、もっと大まかな、僕のざっくりとした()()みたいなものを叶えちゃうんだよ。それこそ『破軍襲撃がトラブルなく進んだらな~』とか『闘うの面倒だな~』とか、そういうことを考えるだけでね、――手段を問わず何だかんだでその通りになっちゃう能力なんだ」

 

 

 それが僕の能力――《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)》なんだよ。

 

 

 笑いながらそう語る天音に、最早誰も言葉を発することすらできない。

 恐らくは因果干渉系に属する能力なのだろうが、しかし規模があまりにも滅茶苦茶にすぎる。

 因果に干渉することで己のあらゆる願いを叶えてしまうなど、しかも天音の言葉が事実ならば細かい操作や条件も必要なく『ただ願うだけ』で能力が発動してしまうなど、到底人間の持ち得る能力ではなかった。

 まさに“神”の御業だ。

 ここまで規格外の能力など、他に類を見ないどころか誰も想像したことすらなかった。それほどに規格外の能力。

 そんな中、真っ先に口を開いたのはキリコだった。

 

「……つまり紫乃宮くんの能力は、何でも願いが叶うほど幸運に恵まれていると捉えていいのね?」

「うん、そうだね。そういう考え方でいいと思うよ? まぁ、僕自身にもそれは推測でしかないんだけど。だって――僕の願いが叶わなかったことなんて今まで一度もないんだからさ」

「……ッ。なら、貴方の願いがあくまで能力で叶えられたものだというのなら……貴方を今ここで殺せば全てが解決っていうことよねッ?」

 

 その言葉が終わるや、キリコが霊装のメスを顕現させる。

 その行動に一輝たちが息を呑む中、天音はやはり困ったような笑顔を崩すことはない。

 

「いや、やめておきなよ。僕の経験上、そういうことをされると『死にたくない』っていう願いが叶っちゃうんだ。僕の能力は結果を成就させるだけでその過程までは考慮しないんだから、何が起こるかは保証できないよ?」

「何ですって?」

「つまり……そうだなぁ、例えば君が攻撃しようと考えた瞬間に大地震が起こって闘っている場合じゃなくなったりとか、他にも君が呼んだヘリが到着直前で事故に遭ってその対応に追われるだとか……そういうことが起こりかねないっていうことだよ」

「そ、そんなことができるっていうの⁉」

「さぁ、わかんないや? 願ってみないことには、ね」

「ぐ……ッッ」

 

 今度こそキリコは歯噛みした。

 そのようなリスキーな真似ができるはずなどない。もちろんこれが天音の真っ赤な嘘である可能性も否定はできないが、しかし真実だった場合を考えればキリコにとってリスクが高すぎる。

 その瞬間、キリコの頭は嘗てないほどに回転していた。どうすればこの状況を打破できるのか。あるいは土下座をして許しを請えば患者への手出しをやめてもらえるのか。もしくは患者のためにも、やはりこの少年を全霊を尽くしてここで殺すべきではないのか。

 あらゆる思考が目まぐるしくキリコの脳内を巡り渡り、――そして彼女の明晰な頭脳は判断する。

 

(……打つ手が、ない)

 

 それは明確な敗北宣言だった。

 最早これ以上の問答も抵抗も無意味だ。キリコにとって最善なのはこの状況を打破することではなく、この現状を維持することで最悪を防ぐことのみ。

 

「……わかったわ」

 

 それだけ言うと、キリコは霊装を引っ込めた。

 そしてキリコの意思を感じ取った天音は「冷静で助かるよ」と笑って嘯いたのだった。

 

「さてっ! そういうわけだから、僕が控室に行く必要がないことを説明できたところで、さっきの話の続きをさせてもらうね!」

「さっきの話だって?」

 

 一輝は冷や汗を流す。

 《過剰なる女神の寵愛》の件ですっかり忘れていたが、天音は一輝に何の用があって訪れたのだっただろうか。

 そう、確か“お詫び”がどうと言っていたような……

 

「そうそう、お詫びだよ! 本当は破軍襲撃のお詫びとして僕の能力を教えてあげたかったんだけど、でもそれは先にイッキくんにバレちゃったからね! だから改めてお詫びをしなきゃって今考えたんだけど……そうだ! これならきっとイッキくんも心から喜んでくれるよね! それを僕が君にプレゼントをしてあげる!」

 

 人懐っこい笑みを深めながら謝罪する天音に、一輝は凄まじい胸騒ぎを覚えた。

 耳鳴りが酷い。

 何か、今からこの少年は自分では想像もできないような何かを口にする。そんな予感がある。

 そんな直感により一輝は天音の言葉を遮ろうと口を開くが、それは少しばかり遅きに失した。

 

 

「僕はイッキくんにプレゼントしたいんだ! 七星剣舞祭の優勝を!」

 

 

 その言葉は、寒々しいまでの沈黙を以って受け止められた。

 誰もが言葉を発することができない。

 それほどまでに不吉な言葉。

 

「なん……だって……」

「イッキくんって確か、七星剣舞祭で優勝できないと破軍学園を卒業できないんだよね? せっかく君がこんなに頑張っているのにそんな結果に終わるなんて悲しすぎるよ! ……ぁ、もちろん君が優勝できないって言っているんじゃないんだよっ? でも万が一ってこともある。そんなことになったら僕は悲しくて死んでしまいそうだ! だから僕が願ってあげるよ! 君の華々しい優勝を! 喜んでよイッキくん! 《紅蓮の皇女》も《風の剣帝》も《七星剣王》すら僕の能力の前では敵じゃない! これで何の苦労もせずに卒業を――」

 

 天音が囀り続ける。

 その言葉の大半を一輝は聞き取ることができていなかった。

 天音の言葉が本当ならば、彼の願いは最早叶ったも同然。きっとその望み通り、キリコとの試合のように一輝は何の苦労もせずに七星の頂へと達することができるのだろう。

 

 

 ふざけるな。

 

 

 そうとしか言い様がなかった。

 一輝は頭に血が昇っていくのを感じていた。

 確かに天音の能力を使えば容易く《七星剣王》の座に就けるのかもしれない。

 だがそれは、一輝のこれまでの努力に対する愚弄だ。いや、一輝だけではない。彼を含めた、この大会に参加する全ての選手すら馬鹿にしている。

 仮に天音の能力で手にしたとして、そんな優勝杯に一体何の意味があるだろうか。

 それで得られた《七星剣王》の座にどれほどの価値があるだろうか。

 一輝が七星剣舞祭で優勝したかったのは、もちろん卒業のためでもある。しかしそれ以上に『自分の価値を信じる』という信念を貫き、それを形として証明するためなのだ。

 だというのに目の前のこの少年は、その全てを台無しにしようとしている。

 そんな真似、一輝は断じて許すことなどできない。許せるはずもない。

 故に一輝はこの瞬間、天音に対する最後の情を捨てていた。今までは根拠のない嫌悪感に困惑していたが、ここまで“悪意”に満ちた言動をされれば一輝とて黙ってはいない。

 だからこそ一輝は拒絶の意を込めて天音を突き飛ばそうと――

 

 

 

「ぷ……ふふふ……」

 

 

 

 しかしその瞬間だった。

 天音の悪意と一輝の拒絶。その間に差し込まれたのは――堪えられないとばかりに漏れたような笑み。

 寒々しさすら感じていたその場の空気が、絶対零度にまで冷え落ちる。

 一輝たちの視線が一斉に声の主へと突き刺さる。

 

「ふ、ふふ……あぁ、ごめんなさい邪魔しちゃって。どうぞ、続けてください」

 

 その声の主とは、口元をニンマリと、まるで不思議の国のアリスに登場するチェシャ猫のように歪めた祝だった。顔を赤らめながら顔を脇へと逸し、口元を手で覆い隠しながらもその奥にある愉悦の表情を隠し切れてはいない。

 その予想外にすぎる彼女の反応に、一輝を含めた一同は呆気に取られるしかない。

 しかしそんな中、祝に対し最も早く立ち直りを見せたのは意外なことにも天音であった。

 

「っ、……ああ、そっか! ごめんごめん! そういえばここに《七星剣王》ご本人がいることを忘れていたよ! ごめんね、嫌な思いさせちゃったよね? 現役の《七星剣王》の前で優勝をプレゼントするだなんて話、するべきじゃなかったよ! でも、申し訳ないんだけどイッキくんの将来のためにもここは優勝の座を譲ってあげてくれないかなって」

 

 天音が笑いながら祝へと語りかけるのを聞き、一輝を含めた皆は血の気が引くのを感じていた。

 当然だ、何せ相手はあの《告死の兇刃》なのだから。

 何がおかしくて彼女が笑みを見せるのかは誰にもわかっていないが、このような巫山戯た言葉を投げかけられれば彼女が不快に思うことは目に見えている。

 そして彼女が不快に思うということは、即ちそのまま刃が伸びてくるということに他ならない。それこそ天音が『死にたくない』などと暢気なことを考える前に。

 そうなれば血の雨が降る。そして縦しんば天音が生き残ったとしても――彼の言葉が正しいのならば――起こるのは周囲を巻き込んだ天災だ。どちらに転んでも恐ろしいことしか起こらない。

 そう一同が背筋を凍りつかせる中。

 

「…………ぷっ…………ふふふふ、あははははははっ!」

 

 しかし祝は《三日月》を顕現させることもなく、より笑みを深めるどころか唐突に声を上げて大笑し始める始末。

 「ヒィヒィ」と腹を抑えて涙を見せるその様子は、心底からこの状況を面白く思っていることの証拠だった。

 これには流石の天音も顔を顰め、不快げに低い声を漏らす。

 

「……何がそんなにおかしいのかな? 僕は真面目にイッキくんを優勝させてあげようと思っているんだけど? それとも僕にそんなことができるはずがないって思っているのかな」

「ふふふっ……いえいえ、本当にごめんなさいね。ただちょっと、ふふ、おかしくて……いやぁ~、ここまで笑ったのって久しぶりですよ」

「ッ……だから何がそんなに可笑しいのかって聞いているんだけど。それとも《七星剣王》様は耳が悪いのかな?」

 

 遂に天音の口から漏れた皮肉も、しかし祝は笑って受け止めるのみ。

 そして徐に天音へと近寄る。急な接近に天音は思わず後退ったが、しかし祝は気にも留めずジッとその瞳を覗き込んだ。

 

「天音くん。今まで自覚していなかったんですけど、私って君みたいな人のこと凄くすっごく好きみたいなんですよ〜」

「…………は、はぁ?」

 

 好き。

 その唐突すぎる言葉に天音は理解が追い付かない。加えて言うのなら、その言葉に天音は疎か一輝たちまでもなぜか背筋が寒くなる感覚しか抱くことはできなかった。

 しかし祝は至極真面目に天音に対して本気で好意を感じているらしく、目を輝かせながらますます天音へと顔を寄せていく。

 

「そう、好きですよ? 実際に会って話を聞いてみて確信しました。君は素晴らしい人ですよ、私が保証します。きっと黒鉄辺りも彼の魅力を理解できると思うんですけどねぇ~?」

「えっ、僕が……?」

 

 視線を向けられた一輝は思わずたじろいだ。

 そして疑問に思う。

 一輝から見て、天音という少年に好意を抱く理由など一片たりともない。だというのに祝は、一輝を名指しで指名してきた。一体彼女の目には、天音がどの様に映っているというのだろうか。

 しかしその理由を一輝は程なくして知ることとなる。

 

「い、いやぁ……急に告白されてビックリだよ! でも、できればそういうのは時と場所を考えてほしいなって――」

 

 

「だって君みたいに惨めで、情けなくて、生きている意味すら感じられないような人に初めて会いましたから」

 

 

 「だからおかしくて〜」と嘲笑(わら)う祝のその言葉に、天音の表情が固まった。

 

「……どういうことかな」

「あ〜あ〜、別に大丈夫です何も言わなくていいですから。どうせ私も何も答える気はありませんし。……ただね、私にはわかるんですよねぇ。君がどうしようもなくこれまで負け続けてきて、這い蹲り続けてきて、そして諦め続けてきた人間だっていうことが」

「――ッ!!」

 

 その言葉に、今度こそ天音は飛び退った。

 鼻先まで近づいていた祝の顔が遠ざかり、しかしその視線と笑みは片時も天音を逃さない。

 何だ。

 この女は自分の何を知っている。

 まさか、……絶対にあり得ないはずではあるが、この女は自分の“過去”を知っているのだろうか。あの忌まわしく悍ましい過去を。

 しかしそんな天音が抱いた疑問に祝が答えるはずもなく、祝はクスクスと笑う。

 

「な、何を……」

「きっと黒鉄が羨ましかったんですよね。努力でここまで伸し上がってきちゃった人を見ると、気分が悪くて仕方がなかったんですよね。足を引っ張りたくなっちゃったんですよね。目を見ればわかります。だって今の君、凄く気持ち悪い目をしていますもの」

 

 笑いながら、祝は再びゆっくりと歩き出す。

 

「私はね、君みたいな色んなことを無理だできない恨めしいって諦め続けて惰性のままに生きている人を見るとこう思うんです。

 

 

 ――あぁ、私は頑張ってきて良かったって。

 

 

 こんな薄ら惨めでゴミみたいな人間に零落(おちぶ)れなくて良かったって。私が諦めずに努力してきた人生に間違いなんて何一つなかったんだって、そう再確認できます。だから君みたいな人が大大大好きなんですよ〜」

 

 再び縮まる距離。

 しかし天音は祝の言葉と視線に身体を絡め取られ、最早後退ることすらできなかった。

 

「私もね、凄く時々ですけど思うんです。夢に向かって全力疾走して生きてきましたけど、ひょっとして自分の人生は間違っているんじゃないかって。もしかしてこの努力は無駄で、私のしていることは徒労に過ぎないんじゃないかって。でもね、君みたいな人を見かけると、ハッと我に返ることができるんです」

 

 天音の瞳を覗き込む祝の瞳。

 そして天音はようやく気が付いた。祝は皮肉でも何でもなく、言葉の通り心から天音という人間の存在そのものを嘲笑っているのだということを。

 

「私はこんな風になっちゃダメだ! こんなドブに棲むネズミみたいな生き方をしたら、それこそ私の夢に失礼だ! だから頑張らなきゃ、って!」

 

 パッと咲く花のような笑顔。

 しかし最早天音にとって、その笑みは不吉の象徴だった。

 

「ですから君はそのままの在り方で大丈夫です! 落ち込まないで元気を出してください! 弱くてクズで何にもできなくて、なんで生きているのかすらわからないくらいの無意味な人生! 素晴らしいです! そういう人は頑張っている人の糧となり勇気となり丁度良い踏み台になります! きっと君はそういう人たちのために生まれて生きてきたんですよ! それを黒鉄だってすぐに理解してくれますから!

 なので君はそのまま、黒鉄に優勝をプレゼントしちゃってください!

 私はそんな君のせせこましい悪意にも負けず、頑張って頑張って頑張って、君が足を引っ張ったことで親が死のうとこの会場の人たちが皆殺しにされようと《七星剣王》の座を守り続けますからね!」

 

 そこに映るのは漆黒の闇。果てが見えず、まるで奈落の底を覗き込んだかのように広がる永遠の黒。

 天音にはそれが何なのかわからない。あまりに理解不能すぎて、脳がその闇を直視することすら拒絶する。しかし祝の闇はその拒絶すら許さず、現に天音は全身が硬直し瞬きすらできずにいた。

 

「あ……あ、あ……」

 

 俄に天音の身体が震え出す。

 何だこれは。何なのだこの生物(イキモノ)は。天音の胸中にはその言葉しか浮かばない。

 歯がガチガチとぶつかり合う音を聞きながら、天音は心底この少女に出会ったことを後悔していた。あまりにも未知にすぎる祝は、その言葉が徹底して自分を貶める言葉ばかりだというのに天音は怒りどころか恐怖しか抱くことができずにいる。

 同時に天音は頭の何処かで理解した。

 これは自分とは全く違う未知の存在だ。自分とは違う、諦めや惰性を踏破した先にいる怪物なのだということを。

 その怪物を何と呼べば良いのか天音にはわからない。しかし唯一確かなのはこの闇に呑まれたが最後、天音は心が何かに侵され死より残酷な思いをするだろうということだった。

 そして天音の心は軋みを上げ、遂に祝の瞳に呑まれ圧壊しようとしたその瞬間――

 

『お知らせ致します。Bブロック第三試合は薬師選手の棄権により中止となりました。よって第四試合の破軍学園の黒鉄珠雫選手と武曲学園の浅木椛選手を……』

「ッッ、うわあああああああああああッッッ!」

 

 次の瞬間、アナウンスで我に返った天音は祝を突き飛ばし、彼女に背を向けて全速力で走り去っていた。突き飛ばされた祝は多少蹌踉めく程度で転ぶこともなく、天音を「元気ですねぇ」と笑って見送る。

 そしてすぐに天音の背中は人混みに紛れて見えなくなり、その場には沈黙が舞い戻った。

 しかし誰もが絶句する沈黙の中、祝だけが上機嫌に笑っている。

 

「話を遮ってしまいすみませんね、黒鉄。あまりにも面白いものを見つけたので、つい思いの丈をぶつけてしまいました。貴方のことですから、きっと彼に何か一言くらい言いたかったでしょうに?」

「……いいや、大丈夫だよ。むしろ助かったくらいだ。あれ以上彼の負の感情を受け続けていたら、僕の方が調子を崩していたかもしれない」

「そうですか? きっと黒鉄なら、私と同じ様に“あれ”を面白おかしく眺められると思ったんですけど。黒鉄みたいな努力の人は、きっと事情を知れば知るほど玩弄して楽しめるはずです。お気に召しませんでした?」

「……ああ、最悪の気分だよ」

 

 吐き捨てるように一輝は呟いた。

 祝のようにある種極まってしまった修羅(そんざい)からすれば、なるほど天音の悪意すらもそういう見方で捉えることもできるのだろう。しかし一輝はあくまで人であり騎士だ。天音の大勢の人々の思いを馬鹿にする言動に不快感を覚えることはあれど、そこから愉悦の蜜を味わうことなどできはしない。

 しかし同時に決意も固まっていた。

 一輝は最早、天音に一片たりとも気を遣うことはない。もし先程の言葉の通り一輝の努力を愚弄するつもりだというのなら、その時こそ一輝は容赦しないだろう。

 ……もっとも、天音がそれを為すには眼の前で笑う少女を七星剣舞祭から排除しなければならないわけなのだが。

 

(きっと彼は、さっき疼木さんの“闇”を垣間見たんだろう)

 

 そのことだけは一輝も天音を気の毒に思う。

 祝の言葉の大半は意味がわからないものだったが、しかし彼女の言う通り天音が諦観の果てにあのような悪意を一輝に向けてきたのだとしたら、疼木祝という少女はその対極に位置する存在だ。

 何せ修羅とは、常人が持ち得る諦めや妥協という言葉を忘れ去り、求道のためだけにあらゆるものを捨て去ってしまった人間なのだから。

 そんな存在を肌で感じ取り、魂に刻み付けられてしまえば、もう人は今までの自分ではいられない。特に一輝のような修羅に片足を突っ込んでいた人間や、あるいは望まずしてその対極に辿り着いてしまったような人間は尚更に。

 

(天音くん、君の過去に一体何が……?)

 

 祝が天音の何を知っているのかは、一輝としてはどうでもいい。

 しかし彼の黒々とした、祝とは別種の闇を湛えたあの目。

 それがどうしても一輝には気になった。

 あの目――あれをどこかで自分は見たことがある。それを一輝は確信していた。しかしそれがいつなのか、どこで見たものなのかが一輝には全く心当たりがなかったのだ。

 

「彼とぶつかるのは準々決勝か」

 

 恐らく、それは嘗てない様相の闘いになるだろう。

 それが熾烈なのか、あるいはそうでないのかは一輝にもわからない。

 だが心してその闘いに臨まなければ、地に伏して敗北を味わうのは自分になるかもしれない。

 一輝はそんな予感がしてならないのだった。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 その後、キリコは到着したヘリに搭乗して広島へと蜻蛉返り。

 続く試合で珠雫は武曲学園の浅木椛を打ち破り、見事に二回戦へと駒を進めることとなる。

 そして王馬のいるCブロックの試合も何事もなく終了し、Dブロックが始まる。

 

 そのDブロック第一試合は――破軍学園・疼木祝 対 武曲学園・諸星雄大。

 

 昨年度七星剣舞祭の序列一位と二位による頂上決戦が、一回戦という序盤から始まろうとしていた。




 次回はようやく祝vs諸星です。
 やっと戦闘回!


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ランサーが死んだ!

 毎度ながら感想や誤字報告ありがとうございます。
 FGOのクリスマスイベントのせいで投稿が全く進まない!(嬉しい悲鳴)


『それでは会場の皆様、お待たせ致しました! Cブロックの試合が終わり、これよりDブロックの試合を始めさせて戴きたいと思います! 解説の牟呂渡プロ、Dブロックにおける注目の試合は、やはり《七星剣王》疼木選手の試合でしょうかッ?』

『そうですね。私個人としましては、彼女が今年もどのような試合を見せてくれるのか楽しみにしています。昨年の七星剣舞祭で知られている通り、彼女は大鎌という戦闘向きではない霊装を授かりながらもその弛まぬ努力と研鑽によってその地位を獲得した秀才であり――』

 

 こらこらこらー!!!

 公衆の面前でデマを流すなデマをー!

 

 殺風景な控室に設置されたモニター。そこから流れる映像に、私は怒り心頭であった。

 ああいう人が公然とフェイクニュースを流すから、この世界からはデマという概念がなくならないのだとすら思う。

 ちゃんと裏を取れよ、裏を! お前が取材しにこい、洗い浚い話してやるからさぁ!

 

 そんな風に怒る私がなぜ控室にいるのかというと、先程Cブロックが終了し、舞台の主役はDブロックに移っているためだ。

 時刻は十五時を少し回った頃。ちょうどお昼のおやつが恋しくなってくる頃の時間帯である。

 ちなみにCブロックは特筆すべき点もない普通の試合ばかりだった。原作に登場する人も殆どいなかったし。

 えっ、王馬くん?

 

 彼はね……うん……あれだね。瞬殺だったね。

 

 試合開始と同時に風の刃《真空刃》を放って相手の頸を一斬必殺。血飛沫が噴水のようでとても綺麗でした。

 そして試合終了がコールされると同時に早足でさっさと帰ってしまった。

 何やら急ぎの用事でもあったかのように「こんな無駄なことで時間を浪費するとは」とかブツブツ呟いていたけど。

 

 ……おっと、そんなことよりも今は試合だよね。

 

 意識を切り替えた私は、改めてゆーくんの試合へと気を向ける。

 とはいっても、彼との試合など公式戦でも私的な模擬戦でも何度か行っているから必要以上にシミュレーションすることもないのだが。

 

 ――諸星雄大。

 彼のことはそれこそ小学生リーグの頃から知っている。

 彼は一流の槍使いであり、それ以上に知られているのは“突き”の名手であるということだ。これは原作から変わっていない。

 ちょうど中学に入るころから払いよりも刺突をベースにした戦法へとスタイルを変更させた彼は、それ以来《三連星》という瞬間的に目に見えぬほどの速さで三連撃の突きを叩き込む技を軸に闘うようになった。

 

 つまり彼は実戦的な槍使いの中では珍しい“刺突特化”の使い手なのだ。

 

 通常、刺突というのは隙が大きい技である。

 原作でもこれには触れられているが、突きは攻撃できる範囲がどうしても“点”になってしまうことからその範囲が狭くなる。るろけんの斉藤さんが《牙突》を平正眼で行い、外れたら払いに移せるようにしているのも同じ理屈だ。

 よって流派によっては刺突を払いの下位として扱ったりもするわけなのだが、しかしゆーくんはこの弱点を《ほうき星》という技と連撃を以ってカバーしているのだ。

 ちなみに《ほうき星》とは、手首のスナップと肘の角度の調整によって突きの最中にその刺線を変え、まるで槍の軌道がグニャリと曲がったかのように錯覚させる槍技である。

 これは魔術などを使わない純粋な体術であり、しかも完全に目の錯覚を利用した技であるため、口伝えでなければその存在を知ることができないという優れもの。傍から見る限りでは槍が曲がってなどいないし、よって食らった本人はほぼ初見でこれに対処しなければならないというチート技なのだ。

 

 私には通じないけど。

 

 だって《既危感》のおかげでどこに曲がるのかわかるし。

 中学生くらいの頃、自信満々にこの新技を見せてきた時に一発で見切ってやったせいでゆーくんを泣かせてしまったのは良い思い出だ。

 

 まぁ、そんなどうでもいいことは置いておいて。

 

 とりあえず原作知識と転生してから知るゆーくんの手札を確認。

 常套手段の《三連星》、それから《ほうき星》。

 そして彼の伐刀絶技――《暴喰(タイガーバイト)》。

 

 この《暴喰》がなかなかの曲者だ。

 《暴喰》――それはゆーくんが持つ唯一にして最強の伐刀絶技。

 この伐刀絶技は、触れた魔力を分解することであらゆる魔術を解除し、その効果を無効化させてしまうという『無効化系(キャンセラー)』に分類される能力だ。

 昔は魔力を虎を象った形状に放出して敵の魔術を正面から打ち消すというだけの能力だったのだが……

 

 ここからが恐ろしい話なのだが、()()()()《暴喰》が無効化する対象は伐刀絶技に限らず――魔術の一種でもある“霊装“にすら有効になったのである。

 

 しかも槍に纏わせて。

 今までの《暴喰》は、敵の魔術を打ち消すことはできても霊装を分解するほどの出力はなかった。そして槍に纏わせることもできなかった。

 

 あくまで槍は槍、魔術は魔術で別々に使っていた技だったのだ。

 

 しかし去年の七星剣舞祭で私を相手に使ったそれは、もう既に原作時点における完成形――すなわち“霊装破壊の槍”を使えることができるほどの完成度を誇っていたのである。

 原作では今年の黒鉄戦で初披露された魔術だったんだけどなぁ……。

 どうも事故で助かったことによるバタフライエフェクトが作用したらしく、一年早くの解禁である。

 

 ……話が逸れた。

 

 それで能力の説明であるが、強制力のある分解能力は、食らった術者にとっては霊装を破壊されるのと何ら変わらないダメージを齎す。

 つまり諸星の前で霊装を展開することは、即ち敵に急所を晒すも同然の行為となってしまうのだ。

 この事実が――諸星が霊装すらも破壊できると発覚したのは一年前。前回の七星剣舞祭において、ゆーくんが《暴喰》を槍に纏う魔術を祝への切り札として用いてきたことが発端だった。

 それも他の選手との試合ではただの槍技を用い、他の攻撃は《暴喰》を放射することだけだったため、この魔術は真実私を斃すためだけに秘匿された技だったのだ。

 

 よってこの『槍に纏う』という技術は対私で初めて用いた技術だったのだが……

 

 そもそも原作知識によってその存在を事前に予想されていた私にとってその魔術は意外でも何でもなく、《既危感》のおかげもあって「あっ、もう使えるんだ」と思われただけで空を切ったという過去を持つ。

 ちなみに大した驚きもなく私があっさりと技を見切ってしまったせいか、ゆーくんはショックで一週間口を利いてくれなかった。

 

 …………とはいえ最大の問題はこれなんだよなぁ。

 ゆーくんの持ち味が武器破壊だというのならそれは即ち私にとっては死活問題だ。

 なぜかって?

 

 

 大鎌が活躍できないからだよ!!!!

 

 

 武器と武器なんてぶつかり合うのが常套。

 だというのにそれをやったらこっちが一方的に破壊されるなど、そんなの大鎌がどうやっても活躍できないじゃないか!

 どうしろと!

 もちろん、これが能力に頼り切った雑魚相手ならどうとでもなる。

 魔術無効化? 知るかバカヤロー! とゴリ押しで突破することも可能だ。

 しかし相手は槍の達人であるゆーくん。そんな適当な闘い方をしたらドたまか土手っ腹に風穴を開けられるだろう。そんな無様な真似、大鎌使いとしてできるはずもない。

 

「どうしたものか~、どうしたものか~」

 

 そんなことを思案しながら控室をウロウロしていると、徐にスピーカーからアナウンスが流れ始めた。

 

『控室の選手各位にお知らせ致します。時間になりましたので、これよりDブロック一回戦第一試合を開始したいと思います。選手のお二人は入場ゲートよりリングへとお進みください』

「……あっ、もう行かなきゃ」

 

 そうこうしている内に入場の時間が来てしまった。

 結局、全然ゆーくんの対策とか思い付いていないけど。

 

 ……まぁ、いいや。

 

 こういう時は当たって何ぼだ。

 たぶん何とかなるだろう。

 問題は大鎌をどう活躍させるかだが……そこも闘いながら考えるしかない。

 去年なんかはその辺が楽で助かったんだけどねぇ。

 最初は普通に大鎌vs槍な感じでバトって、最後は「喰らえ隠し技の《暴喰》ォ!」「躱してドーン!」で決着が付いてしまったので。

 仕方ない。今年は要所要所で無理矢理にでも大鎌を挟んで、それで《暴喰》を何とか躱してトドメで大鎌しかないだろう。

 

「よし、今日もレッツ大鎌です!」

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

『それでは皆様、長らくお待たせ致しました! これより選手の入場です!』

 

 実況のそのアナウンスにより、会場が一気に熱を帯びる。

 特にその盛り上がりはこれまでの試合よりも若干以上に大きい。

 それも当然だろう。この試合はある意味で今大会における頂上決戦の一つと言っても過言ではないのだから。

 

『まずは赤ゲートより姿を見せたのは、前大会序列二位! 武曲学園・三年生の諸星雄大選手です!』

 

 その紹介とともに諸星がゲートより姿を現す。

 180センチを超えるその細身の体躯。

 額にバンダナを携えた、どこか野性味を帯びた相貌。

 そして眼前の敵を食い千切ってやろうという気概を見せる鋭い眼光。

 まさに序列二位の名に恥じぬ偉丈夫だった。

 

『その天才的な槍術と魔術無効化能力を駆使し、今日はどのような試合を見せてくれるのか! 万夫不当にして何者をも寄せ付けぬ技巧! その全てを以って、今日彼は一年前の雪辱を晴らす! さぁ、今日こそが頂上へと至る最初にして最大の関所となるかァ、《浪速の星》ィィッ!』

 

 実況の紹介が終わるや否や、歓声で会場が激震した。

 『星ィィィ!』『頑張ってくれェ!』『ファンだ、死なないでくれぇ!』とあちらこちらから観客たちが大声を張り上げる。

 ここは大阪。

 故に諸星にとってこの地は圧倒的なホームなのだ。こういった応援になることも致し方ないことだろう。

 

『続きまして青ゲートより姿を見せたのはァ! 日本でこの名を知らぬ者はいない! 昨年、全学生騎士の頂点に立ちッ、最強の名を全国に轟かせた少女! あらゆる相手をその大鎌の錆に変え、返り血の化粧で美しく彩られることからその二つ名を《告死の兇刃》とされた怪人! 今日はその二つ名を《七星剣王》と改め、その名をかけて初の防衛戦に挑む! 皆様ご存知、前大会序列一位――疼木祝選手です!!』

 

 実況に導かれ、今度は祝が反対側のゲートより悠然と姿を現した。

 その姿が現れるや、諸星にこそ劣るものの会場中から歓声が沸き上がった。

 もちろん、地元の人々も彼女に対して歓声を上げている。その多くは『今年は敗けねぇぞ!』という諸星の視点から見た歓声ではあったが。

 しかしその中にも純粋に祝のことを応援する声はあり、『いいぞーッブッ殺せー!』『血みどろフィーバー!』『ハァハァ祝ちゃん可愛いよハァハァ』『殺せー!』という陽気な声が大半だ。

 そして二人が開始線の位置に辿り着くと、一層その歓声は大きくなった。

 しかし祝と諸星はそこに着いた途端、その視線を目の前の相手に集中させる。

 

「……遂にこの日が来たな。ずっとずっと待っとったんや、この時を」

「そうなんですかぁ~」

 

 獰猛に笑う諸星に対し、あくまで祝は自然体でほにゃっと笑いながら首をコキコキと鳴らしている。

 そこに緊張感などまるでなく、かといって戦意で気分を高揚させている様子もない。

 至って普段通りの、先日会った時とまるで変わらない姿。

 

(相変わらず心臓に毛が生えたような奴や。……いや、こういう奴だからこそ大鎌への狂気的な信念を抱けるっちゅうことやな)

 

 諸星は笑みの下で冷静に祝を見据える。

 祝の精神構造は常人のそれとは明らかに違うのだ。だからこそ彼女は強い。だからこそ彼女は手強い。

 それを胸に刻みつけ、じっとりと汗ばむ掌を拭う。

 

「さて、去年はお前に首チョンパされて敗けたからな。今日はその可愛い面に風穴開けて返したるで、覚悟しィ」

「できるものなら、ご自由に。でも、今日は首チョンパが嫌なら頭からお股まで真っ二つという方向で手を打っても構いませんけど?」

「ハッ、どっちもご免やな。……まぁ、やれるモンならやってみろや。やれるモンなら、なァ?」

「はい、ではそうさせてもらいますね」

 

 あくまで穏やかに笑う祝。

 獣のように毛を逆立て獰猛に笑う諸星。

 対照的な笑みを浮かべる二人。

 しかしその実、二人は既に戦闘準備を済ませ今にも眼前の“敵”を抹殺せんと刃を研ぐ戦士だった。

 祝の闘気と諸星の殺気――その二つが激突したことで表れたビリビリと肌が痺れるような感覚に、観客たちも思わず息を呑む。

 そしてそれを察したのか、二人の会話が終わるや実況が高らかに口を開いた。

 

『それではッ! これより七星剣舞祭Dブロック第一回戦を開始したいと思います!

 諸星雄大選手 対 疼木祝選手! それでは皆さん、ご唱和くださいッ!

 ――――LET'S GO AHEAD!!!!』

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 試合開始。

 

 その瞬間、諸星の額を目指し漆黒の大鎌が飛翔する。

 開幕から0.1秒と経たず繰り出された先制攻撃は、祝による《三日月》の投擲。

 しかし諸星はこれを危なげなく首を傾げて躱し――その瞬間には祝が諸星の間合いの内に這うような姿勢で吶喊していた。

 

(来よったッ)

 

 諸星と祝の視線が交錯する。

 諸星の背後、ゲートの奥へと消えていった大鎌が破砕音を奏で――次の瞬間には突き出された《虎王》と再展開された《三日月》が火花を散らし激突した。

 諸星が繰り出すは、瞬間三連撃の槍技《三連星》。

 しかし祝は大鎌を振るい難なく迎撃。そして返す刃で舞うように斬撃を放つ。諸星もまたこれを薄皮一枚で回避し、そして傾いだ姿勢となりながらも苦もなく《三連星》を再び放った。

 これを祝は大鎌を舞うように二旋、三旋させ柄で弾き飛ばす。

 

「……」

「……」

 

 無言の一呼吸の間。

 そして次の瞬間に再び激突。

 大鎌の曲刃が大気を唸らせ、黄槍の穂先が音の壁を螺旋に穿つ。

 両者ともに魔力放出を込めているとはいえ恐ろしい速度。離れた地点から見守る観客席や実況席からも、目を凝らさなければ二人の手元を見失ってしまうほどの速さ。

 そして攻防の移り変わりも凄まじい。

 今この瞬間も祝が諸星の頭上を獲り大鎌を振り下ろしたかと思えば、それをバックステップで躱した諸星が即座に《三連星》で振り下ろし(モーション)の隙を突こうと攻めている。

 このように攻撃の主導権を両者が激しく奪い合うことで、試合の流れが全く捉えられない複雑なものへと変貌しているのだ。

 しかしそうした攻撃のやり取りの刹那、祝が徐に石突を前方に突き出した下段の構えに移る。

 

 そして繰り出されるは――諸星と同じ瞬間三連撃。

 

 なんと祝は諸星の必殺の《三連星》を、あろうことか本人の前で使用してみせたのである。しかもその速度はまさに本家本元の諸星のそれと遜色ない。

 諸星の代名詞たる槍の極みの一つにある技を、大鎌使いの祝が使う。

 この挑発染みた祝の一手に、果たして諸星の顔は驚愕に彩られるかと誰もが考えた。

 

「……へッ」

 

 しかし諸星は僅かに笑みを漏らすと、なんとこれを()()()()()()()()

 石突と穂先が正面から激突し、三連撃のその全ての威力を余すことなく相殺してみせたのである。

 これには流石の祝も「へぇ」と感心したように笑い――再びの《三連星》。

 

「甘いわッ」

 

 それを再び諸星が《三連星》で迎撃し、……続く()()()()の刺突に今度こそ目を見開かされた。

 四連撃。即ちそれは諸星の《三連星》を祝が独自に進化させたということだ。

 そもそも《三連星》とは、諸星が日々の鍛錬によって磨き上げた神速の槍術だ。凡百の伐刀者では対応することはもちろん、同じ槍使いであっても簡単には模倣することができない絶技であると自負している。

 しかし祝はその技術を模倣するだけに留まらず、それをさらに進化させたのだ。その事実に諸星は舌を巻く思いだった。

 

 だが、それは迎撃できないことと同意ではない。

 

 今度は祝が瞠目させられる。

 繰り出された四連撃目を、諸星も()()()()()()()()()()()()で迎撃したのだ。

 そして続いて繰り出した()()()()()()も同じ様に諸星は迎撃してみせ、……そこで祝は諦めたようにバックステップで諸星の間合いの外へと退いていったのだった。

 そして訪れた静寂に、緊張から黙していた客席より一拍遅れて歓声が湧き上がる。

 

『あ、圧倒的ーッッ! 試合開始の早々から槍と大鎌による凄まじい攻防だァー! というか牟呂田さんッ、今の疼木選手の技は諸星選手の《三連星》ではないですか!? いや、そもそも今の連撃、二人とも三連撃以上行っていたようにも見えましたが!?』

『……いえ、それも驚きですが、注目すべきはそこではありませんよ。諸星選手は疼木選手の《三連星》を《三連星》で防いでみせた。突きの連撃を突きで正面から迎撃するなど、もはや学生騎士の領域にありません。諸星選手、恐ろしい程の技量です』

 

 実況が驚愕する中、解説は冷静に諸星を評価した。

 そしてこれは口にはしなかったが、解説の牟呂渡は理解していた。

 諸星の迎撃。これは祝の《三連星》による挑発への意趣返しなのだということを。

 事実、祝が自身の技を模倣し、使用することができたとしても、自分の槍技はさらにその上を行っているということを証明するかのように諸星は同じ《三連星》で迎撃をしてみせた。

 それほどのことを可能とする技量ももちろんだが、咄嗟にそれを為せるだけの判断力と度量には牟呂渡といえど脱帽するしかない。

 

「……驚きました」

 

 お互いに槍と大鎌を構え直しながら睨み合う二人。

 その時、徐に祝が口を開いた。

 

「この前に会ったときよりも腕を上げていますね。……いえ、さっきの見切りは隠していただけですか」

「まぁ、せやな。お前には技や術理の教えを請われたことはあっても、偶にやる模擬戦で全力を出せとまでは言われとらんし。つーか祝、お前いつの間にワイの《流星群》までパクっとんねん。これは流石にまだ見せた覚えはないで」

「《流星群》? ……ああ、《三連星》の四連撃目以降のことですか? 見た覚えはありませんよ? それにパクるも何も――元から三連撃以上できるからやった。それだけです」

「……ケッ、そうかい」

 

 何事もないかのように言い放つ祝に諸星は苦笑する。

 《三連星》を始めとして祝とはよく技術を教え合う仲だが、もちろん諸星としてもそれを余すことなく教えているわけではない。しかしその術理の一片からでも、少し目を離した隙にこうして勝手に進化してしまうところは祝の恐ろしいところだ。

 ……まぁ、それはそれとして、だ。

 

「さてさて~、前哨戦はこの辺りでいいでしょう。そろそろ本番を始めましょうか」

「せやな。ワイもそろそろ本気で行くで?」

 

 その“前哨戦”という言葉に観客たちは再び驚愕する。

 既に大会はDブロック。数々の学生騎士の試合を見てきた観客たちは、その分だけ目が肥えつつあった。しかしそんな彼らをしても今の二人の闘いは激戦と呼ぶに相応しい内容だったのだ。

 しかしそんな闘いが、二人にとってはただの前哨戦でしかないという。

 これが驚かずにいられるだろうか。

 しかし彼らは次の瞬間、二人の言葉が偽りではないことを実感させられることとなる。

 

 諸星が穂先を寝かせ、斜に構える。

 祝が大鎌を脇に添え、腰をやや落として構える。

 

 それだけで二人から放たれる“圧”が格段に増したのだ。

 たったそれだけで観客たちの声援は再び静寂によって押し潰され、掌に汗が滲んでいくのを感じさせられていた。

 そして仕掛けたのは――

 

()ィァッッ!」

 

 鋭く息を吐きながら諸星が駆ける。

 彼我の間に広がる距離はおよそ五メートル。それを僅か“一歩”で詰めた諸星は、一瞬の後に槍を突き出していた。

 何の足捌きも見せず、構えすら崩さず、まるで地面を滑走するかのように間合いを詰めた諸星。

 尋常ではないその動きに観客たちが息を呑む中、しかしこの場において意外という言葉とは最も無縁な祝は冷徹にその刺突を回避――しようとした瞬間、彼女は目を細めた。

 なんと回避しようとした槍が()()()()のだ。常識ではありえないその軌道。

 

 これぞ諸星の誇るもう一つの絶技《ほうき星》である。

 

 その予想外の角度から襲い来る槍に尋常な人間であれば回避することが叶わず、不意を打たれて刺突を受けるか守勢に回らざるを得なくなるその技。

 しかし……

 

「それは私には通じませんよ」

 

 祝は曲がった槍を一瞥すらすることもなく、その軌道をさらに躱す。

 そう、《既危感》の前では奇襲に類する技術は全て無力と化す。相手からすれば不意を打った行動も、祝の前では未来から呼び寄せた経験値によって飽きるほどに見飽きた凡百のそれと化す。

 原作と呼べる世界において一輝が剣によって弾くしか対処の手段がなかったその技も、祝にとってはただの突きとまるで変わらなかった。

 

「なら、これならどうや?」

 

 すかさず放たれる二撃目。

 それすらも祝は容易に躱し――しかし再び曲がったその槍が金色の魔力を纏ったことで思わず眉を顰めた。

 

「喰い破れェッ、《暴喰(タイガーバイト)》ォ!」

 

 裂帛の雄叫びとともに槍が目指した目標は、祝の《三日月》である。

 

「……やっぱり使ってきましたか」

 

 祝が苦々しく呟く。

 その必殺の一撃を繰り出された祝は、しかし曲刃を打ち抜かんとばかりに迫る刺突に対し僅かにこれを持ち上げることで紙一重で槍を躱す。

 その動きこそ危なげのない動きであったが、祝としては内心穏やかではない。

 当然だろう。

 祝が七星剣舞祭という表の晴れ舞台に上がったのは、偏に大鎌を活躍させるため。しかし活躍させるべき大鎌が最大の急所となる流れなど、祝としては不愉快極まりない。

 しかしそれすらも勘定に入れて動く諸星は、内心苛立つ祝を見据えながらも冷徹にその理性を削りにかかる作戦に出た。

 

「まだまだァ!」

 

 高々二発を躱された程度で大人しくなる諸星ではない。

 そして放たれた三撃目。

 今度は最初から大鎌狙いであり、即ち本体ではなく武器を破壊することで決着をつけんとする戦術。

 しかしそのままやられるほど祝も大人しくはなかった。

 

「舐めないでください」

 

 咄嗟に大鎌を持つ右手を後方へとやった祝は、左半身を前方へと出すことで《三日月》を庇う。そして迫る槍を――なんと左の素手の一撃で弾き飛ばしたのだ。

 穂先の腹を手刀で薙ぎ払う祝。

 槍に対して徒手空拳で、それも左手一本で挑むというその無謀。

 その姿に「勝負だ」とばかりに笑みを浮かべた諸星は……

 

(シャ)ラァァッッッ!」

 

 あまりの速度に、黄槍を握る諸星の腕がブレる。

 祝の左腕を貫き、そのまま急所である大鎌を破壊せんと続け様に《流星群》を打って打って打ち放つ。文字通り流星群のように殺到する槍の猛攻。

 しかしそれに対する祝もまた常軌を踏み躙る高みに棲まう怪物。諸星の仕掛ける連撃を《既危感》で全て見切り尽くし、彼女もまた恐るべき精度と速度で弾き続けた。

 

「――ぅ、ぉぉぉおおあああああッッ」

「ぐ、ぅッ……!」

 

 最早残像すら見えるほどの速さで刺突と手刀が激突。

 諸星の神速の槍技と祝の無謬の体技が鎬を削り合う。

 最早二人はその猛攻と防勢に呼吸どころか瞬きすら儘ならぬほどだった。

 その絶え間ない連撃に最早諸星は次に放つ一撃を脳で処理することをやめ、肉体に刻み込まれた経験と本能のみで槍を振るっていた。

 一方の祝は脳をフル回転させて未来を読み取り続けており、止むことのない《流星群》を最適の動作だけで捌き続ける。手刀で間に合わない場合は肘で、手首の返しが無駄ならば裏拳でと、手段も手刀に拘らずとにかく左手一本で刺突を処理していった。

 この人体の限界に迫ろうかという攻防に観客たちは言葉を失い、そしてその中で息を潜めて見守る強者たちでさえも勝敗の読めぬこの攻防を固唾を呑んで見守っていた。

 

「……凄まじいな、これは」

 

 そしてその攻防に息を呑んでいたのは、観客席から試合を見下ろす一輝も同様だった。

 武術の達人たる一輝の目から見ても、あの二人の闘いは尋常な伐刀者のそれではない。魔術に秀でる者こそが優れた伐刀者という世間の常識を置き去りにした、まさに武と武のぶつかり合い。

 

(諸星さんの突きの連打……僕でもあれを凌ぎきれるかどうか……)

 

 恐らくは《比翼》の剣技を用いた加速力で対応できるか、といったところだろう。

 しかし《既危感》による先読みがあるとはいえ、それを左手一本で防ぐ祝も尋常ではない。同じことをやれと言われても一輝には到底真似できない。

 

「でも、それも長くは続かないだろう」

 

 戦況は程なくして動く。それが一輝の読みだった。

 無呼吸で続くこの技と技のぶつかり合いは、もうそろそろ人間が全力で動くことができる限界を迎える。事実、祝と諸星の顔色は酸欠の影響で蒼白さすら帯び始めており、既に限界が近いことを物語っていた。

 その限界にどちらかが至った瞬間に均衡が崩れる。

 

 そして一輝の予想通り、その拮抗は唐突に崩れ去った。

 

 絶え間なく続く攻防。

 その中で先に限界を迎えたのは、果たして諸星の方であった。

 

「く…………は……」

 

 その隙はほんの一呼吸。

 口に含み舌に乗る程度の空気を、諸星は肉体の限界から遂に吸い込んでしまう。

 たったそれだけの動作。それだけの隙。

 しかしその動きの間に確かに諸星の動きは刹那の鈍りを見せ、そしてその隙を見逃すほど眼の前の少女は甘くはない。

 

「残念」

「――ッ」

 

 気が付けば祝は諸星の懐に滑り込んでいた。

 金色の魔力を纏う槍は祝の脇の下を抜け、彼女自身は諸星の《八方睨み》の奥にまで踏み込んでいたのだ。

 如何に槍の達人といえど、こうまで近間に入られては槍を満足に振るえなくなるのが道理。

 

「懐に入り込まれちゃいましたねぇ~」

「このッ」

 

 咄嗟に諸星は槍を引き戻そうと右腕を引くが、その寸前に祝が《虎王》の柄を空手の左で掴み止める。

 「なッ」と諸星が呻いた。

 そして次の瞬間、祝の《三日月》が頭上へと持ち上げられ――

 

「死んでください」

 

 鈍色の影がまるで断頭台の刃のように諸星へと振り下ろされた。

 魔力放出の急加速によって初速から亜音速に達した大鎌。

 その大鎌は迷うことなく諸星の頭から股へと両断せんとばかりに迫る、まさに一撃必殺の斬撃。

 そしてその一撃は諸星の脳天へと突き立つ――かに思われた。

 しかし。

 

「舐めんなやァッ!」

 

 槍を掴まれた諸星の判断は極めて迅速であった。

 最早これ以上は死を待つのみと悟った諸星は、祝が大鎌を振り上げた瞬間に自ら槍を手放したのだ。そして頭上から迫る刃をスウェーの要領で見事躱してみせたのである。

 そのまま上体を反らし続けて地を蹴った諸星は空中で背転。その後も倒立と着地を繰り返して身体の上下を数度入れ替えながら祝の間合いの外へと脱し、そして一気に十メートル近くも距離を空ける。

 

「逃さないんですけど」

 

 しかし祝はようやく動いた戦況と好機を手放すつもりなど毛頭なかった。

 諸星がようやく離脱の勢いを止めて着地すると同時、最早用済みとなった《虎王》を投げ捨てるや否や吶喊。

 再び槍を顕現させる間すら与えず、一瞬で大鎌の間合いへと彼を引き摺り込む。

 

「このヤロッ――」

「ソォラッッ!」

 

 これまで散々大鎌を破壊されかけたその鬱憤を晴らすような大鎌の横薙ぎを、諸星が勢い良く伏して躱す。

 返す刃で放たれたもう一撃を飛び退き躱す。

 そしてその勢いから顔面へと放たれた拳を首を傾げて躱し――そのあまりの鋭さに掠めた諸星の頬が僅かに赤く裂ける。

 祝が大鎌を一旋し、その反動で左脚の回し蹴り。――スウェーで躱す。

 石突による突き。――半身に身を逸らし、服の裾を抉られながらも躱しきる。

 斬る。躱す。斬る。躱す。殴る。躱す。蹴る。躱す。躱す。躱す躱す躱す躱す躱す躱す――

 

「大人しくしてください」

「無茶言うなッ!」

 

 祝が眉を顰めそう言い放つ間も攻勢は止まらない。

 諸星が息をつく間もなく、今度は彼女が諸星へと一方的に斬撃と打撃を叩き込み続けていく。

 

『ああっと、諸星選手! ここに来て疼木選手に追い込まれ始めたァ! 霊装の展開すら許さぬ怒涛の攻勢! それを諸星選手、一心不乱に逃げ回るッ』

 

 実況の言う通り、諸星の様子は傍から見ればまさに一心不乱だった。

 しかし槍の再展開さえ許さぬその攻撃はまさに暴風の如し。その窮地の中で生き残るには、こうして一心不乱になるしかないのだということも人々は理解していた。

 それほどまでに祝の攻めは苛烈だったのだ。

 

『星ィィ! 頑張れぇぇ!』

『捕まったら死ぬぞ! 足を止めんなァ!』

 

 観客席から漏れる声援。

 それは一方的に追い詰められる諸星を心配しての声だった。

 だが状況はまさに一方的。

 そもそも得物を失った諸星は反撃に打って出ることはもちろん、斬撃を受け止めることも、そして祝の魔力防御すら貫くであろう殺人的な拳撃蹴撃を防ぐこともできはしない。

 つまり先程の攻勢から一転、今の諸星には逃げの一手以外に打つ手がないのだ。むしろこれほどまでに祝の攻撃を見事に見切り、その上で掠り傷しか負わずに逃げ回れる諸星こそをここでは賞賛するべきだろう。

 しかしそんな一方的な状況の中、圧倒的に有利な状況にいるはずの祝は徐々に違和感とも呼べるものを諸星から感じ始めていた。

 

(……ゆーくんのこの目……この人、こんな状況でも全然諦めていない……?)

 

 そう、違和感の元は諸星のその目。

 祝の一挙手一投足を注意深く観察しながら逃げ回る諸星は、しかしその手に槍を持つことすら叶わないというのに、まるでまだどこかに勝機があるかのように活力のある視線を祝へと向けていたのだ。危機に対する焦りはあれど、目に諦観の色が見えないのである。

 一体今の状況のどこに、そこまでの闘志を懐き続けられる要素があるのだろうか。

 

(《暴喰》は槍がなければ怖くないし、そもそも得物がない槍使いなんて何の脅威もない。徒手空拳で特攻してくる気配もない。なのにどうしてそんなに自信満々?)

 

 攻撃の合間の刹那、手を緩めることはなくとも祝の脳内に疑問が(よぎ)る。

 諸星の狙いが見えない。

 あるいはただ彼の気質が諦めることを良しとしていないだけなのだろうか。

 わからない。わからない、が……

 

(面倒だ、さっさと殺そう)

 

 祝は即座に決断した。

 こういう土壇場に来ても闘志が萎えない輩は、往々にして何かしら奥の手や切り札を隠し持っている場合が多い。それを心の拠り所としているからこそ、死線の間際で虎視眈々とこちらを伺う余裕が生まれるのだ。

 そして祝は経験上、こういった手合いには強行と速攻を以って決着とすべしという方法で切り抜けることを良しとしていた。

 切り札など、所詮使わせなければ存在しないも同じこと。

 

「そろそろ終わりにしましょうか」

 

 終わりのない攻勢(オフェンス)

 そんな中、唐突に祝がこれまで以上に深く諸星の懐へと潜り込んだ。そして見舞われるのは――足払い。下半身の力が抜けたかのように急激に腰を落とした祝は、諸星の足元へ神速の回し蹴りを放ったのだ。

 

「しまッ!?」

 

 急激な動きの変化にペースを崩した諸星はこれに対応できずバランスを崩し、背中を強かに打ち付けた。

 そして祝はそうして倒れる彼の利き腕たる右腕を踏み押さえて仁王立ちし頭上で大鎌を一旋。

 

「では」

 

 そんな軽い掛け声とともにその無防備な首元へ向けて大鎌を振り下ろし――

 

 

 その瞬間、諸星がニヤリと笑い、同時に押さえのない左手に槍を顕現させた。

 

 

「ようやっと晒したな……トドメの大鎌(さいごのおおぶり)を。おかげでタイミングは完璧や」

「……ッ?」

 

 祝の背筋が粟立つ。

 諸星のしてやったりという笑み。

 到底反撃など間に合わないであろうタイミングで展開させた《虎王》の存在。

 そしてそれらを認識した瞬間、トドメを刺しているのは祝の方だというのに。

 

 まるで電流が走ったかのように――《既危感》が警告音(アラート)を発した。

 

 

 




 ランサーが死んだ(今回で死ぬとは言っていない)


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冒涜的な間話

 毎度ながら感想や誤字報告、ありがとうございます。
 今回はちょっと間話です。すみません、短いです。

 それと活動報告にも上げましたが、先日お気に入り件数が10,000件を突破しました!
 本当にありがとうございます!
 こ、これは何か記念に外伝でも書いた方がいいのでしょうか……!
 何かリクエストでもあったら活動報告にでも戴けると。何かピンときたらその内にでも書きます。
 なさそうならばこのまま続行ということで。


 諸星が疼木祝という少女と出会ったのは小学五年生の時だった。

 当時、小学生にして関西においては『《夜叉姫》の再臨』と呼ばれるほどの才を発揮し始めていた諸星は、既に全国大会で王馬と並び立つほどの成績を収める天才として知られていた。

 東の《風の剣帝》、西の《浪速の星》。

 その双璧の片割れとして、諸星は将来を望まれる選手だったのだ。

 そんな諸星の前に、夏と冬に行われる小学生リーグの全国大会において競い合う選手として姿を現したのが祝だった。

 

 最初は噂に聞く程度の存在だった。――何やら関東には大鎌などという、しかも長柄に曲刃が付いただけのバリバリの大鎌の霊装を武器に闘う小学生がいるらしい、と。

 

 最初に噂を聞き諸星が抱いたのが「酔狂な奴もいたものだ」と半ば呆れを含んだ感情だった。

 その呆れも当然だろう。

 何せあの大鎌だ。

 農具だ。

 アニメじゃないのだ。現実(ホント)のことなのだ。

 誰があんな使いにくい形状の武器を好き好んで使いたいと思うだろうか。

 しかし聞くところその者は健気にもその武器を用いて全国大会まで這い上がり、あの王馬とすら一戦交える程度の力量は持っているらしい。しかも未来予知という玄人向けの能力から、本当に身一つ大鎌一つでこの領域まで上がってきていることがわかった。

 

 ――面白いやんけ。

 

 そこまで聞くと、諸星も俄然興味が湧いてくる。

 大鎌などというハンデ同然の武器を片手に全国大会に上がってくるなど――それも自分と同じく体術主体の戦法でだ――興味を懐くなという方が難しい。

 一体その“男”がどのような堅い意志を持ってこの厳しい全国大会の領域にまで上ってきたのか。

 大会で出会った暁には、是非聞いてみたいものだと。

 

 そして来る全国大会の日、出会ったのが自分よりも年嵩の少ない“少女”だった時には、思わず目を見張ってしまったものである。

 

 背丈はチビッこく、諸星よりも頭一つ小さい。

 腕や身体は華奢の一言で、諸星が全力で握るだけで折れてしまいそうだった。

 全体的にのんびりとした印象で、顔立ちも可愛らしいものだったが、それがまたこの場の空気には似合わない。

 そんな少女が、この全国の領域に大鎌一つで伸し上がってきただと?

 正直に白状すると、諸星はその事実が最初は全く信じられなかった。あるいは大会のクジ運の巡りの良さから偶然この大会に上がってきただけではないのかとすら思った。

 そして疑心をその眼に充満させ彼女の試合を物見遊山に見学し――

 

 

 そこで彼女が“本物”であると思い知らされた。

 

 

 祝という少女は異常だった。

 その幼さに見合わず、様々な流派の色がその闘いの中には散見された。

 剣術や小太刀術、果てには無手の流派の動きすら見える(後に聞いた話では、あの『闘神』南郷の下で教えを受けていたらしい)。それらを大鎌に流用し、洗練された闘いが彼女の中にはあった。

 

 ――これは只者やない。

 

 諸星がそう認識を改めたのは言うまでもない。

 彼の他にも、彼女の闘いぶりを見て表情を引き締める者が散見された。

 そしてその数日後。

 クジ運の巡りと必然が合わさり、勝ち残った諸星と祝は試合でその刃を交えることとなったのだった。

 

 その結果は――僅差で諸星の敗北。

 

 掛け値なしの強敵だったと諸星は断言する。

 『抜き足』を含め、彼女はその全ての技術が高次元で纏まった怪物だった。諸星はかなり善戦したほうだと考えているが、しかしそれでも彼女には一歩敵わず敗退することとなる。

 

 ――次は敗けへんぞ。

 

 諸星はそう胸に刻み込み、その回の全国大会を後にした。

 そして試合は終わり、祝という少女は諸星の記憶に強く刻みつけられて過ぎゆく過去となる……はずだった。

 

「貴方の年でそれほどの槍術を操る人は見たことがありませんよ。どなたに教わっているのですか?」

 

 しかし大会が終わってすぐ、祝は諸星の自宅を訪ねてきた。

 手土産に東京ばな○の箱を携えて。

 何と彼女は諸星の強さに興味を持ち、その秘密を探るべく関東からわざわざ一人で諸星に会いにきたのである。

 これには諸星も面食らった。まさかアポイントすらなしに突撃してくるなど、彼としても想定外だ。というかどこで諸星の住所を知ったのだろう。

 しかし諸星としてもわざわざ関東から来た客人を追い返すほど無礼ではない。

 祝の大鎌にかける熱意は闘いぶりから見ても本物であることは諸星も何となく察している。故に師匠に紹介しても問題はなく――あわよくばこの可愛い少女と定期的に会う口実にでもなればという下心もあって快く自身の師匠を紹介したのだった。

 ――その一週間後、修行のために祝が大阪の学校に転校してきたのは予想外だったが。

 

「マジかや」

 

 諸星が道場でそれを知った第一声である。

 土日の朝練習に道場を訪れ、そこで道場を掃除する祝に出会って彼は全てを知った。

 住まいはどうやら師匠の家に居候しているらしく、言語化するのならば“内弟子”というポジションになるらしい。どうやら師匠が相当に祝のことを気に入ってしまったらしく、彼女の弟子入りはそう難航せずに決まってしまったのだとか。

 まさか出会って早々、知り合いでしかなかった少女が自分の妹弟子になるなど、流石の諸星でも予想できないというものだ。

 

 そして彼女と修練を共にし――そこで諸星は知った。

 

 彼女はその全てが大鎌だった。

 正月も、盆も、クリスマスすら彼女には関係ない。

 一年間365日その全てが彼女にとって大鎌を育てる日だった。

 流石に異常なその生活に諸星は師匠に陳情を出したこともあったが、しかし当の師匠が「やらせてやれ」と困ったように笑うのだ。いや、むしろその師匠こそがその生活を推して祝を扱いていたようにすら感じる。

 そうして諸星は理解していったのだ。

 疼木祝という少女の大鎌にかける情熱を。

 あらゆる練習において他の生徒の倍の努力を重ね、天才と尊ばれる諸星すらも比較にならぬ執念をその目に宿し、大鎌のためならば人並みの幸福すら捨てて修行に励む彼女の姿を。

 

 そしてその曇のない(まなこ)で、大鎌のために泣き、笑い、時に憤る真っ直ぐな彼女にいつしか諸星は惹かれていった。

 

 彼女はいつも大鎌に対して真摯で、だからこそ愚かとも言えるほど正直だった。

 自分を極限まで苛め抜き、しかしそれでも目指す自分に至らぬことに泣き、そして確かな成長に涙を流して喜ぶ。

 そんな正直すぎる彼女を支えてやりたいと心から思うようになった。もっと彼女のことを理解したいと思った。ずっと彼女の傍で、その成長を共に分かち合いたいと思った。

 故に――一年ほど経ったある日、祝がふらりと諸星たちの前から姿を消しても彼は驚くことはなかった。彼女のことだ、きっと大鎌の修行のために寄り木を移したのだろうとすとんと理解できた。

 もちろん寂しくはあった。

 しかし彼女が大鎌使いとしてもうこの場所に未練はなくなったのだということがわかる程度には、諸星は彼女のことを理解してしまっていたのだ。

 だが……

 

 ――それでええんか。

 

 自分の中で、小さな疑問が鎌首を擡げる。

 祝はもう自分のことを必要としなくなってしまったのだということはわかっている。だが、それで自分の中に秘めるこの感情を押し殺してしまっても良いのか。

 そんな感情だけが、彼の心に凝りのように残った。

 そしてその凝りはやがて成長し、諸星自身にとって無視できない大きさへと成長していく。

 しかしまだ幼いとする諸星はその感情をどうこうする(すべ)を持たなかった。

 故に彼は苦悩した。

 自分はどうすれば良いのか。何が正しく何が間違っているのか。果たして自分は何を為すべきなのか。

 全てを捨てて祝と共に生きるという選択肢もあった、しかし諸星には家族があり、期待してくれる人々がおり、そして捨てられないものが多すぎた。

 だからこそ祝のように生きることは彼にはできない。

 

 ――どうすればアイツと一緒にいられる? どうすればワイはアイツを引き止められる?

 

 しかし自分のために祝の歩みを止めさせる。

 それもまた諸星の望むところではなかった。

 何も捨てずに得るものを得たい。そんな傲慢で欲深い悩みに諸星は悩んだ。

 そしてその末に、彼は一つの答えに辿り着く。

 

 ――そうか、だったらワイ自身が新しい寄り木になればええんや。

 

 そう、祝は力を求めて彷徨う。

 ならば自分がその新しい力を与えよう。

 自分が身に付けた力を彼女に分け与え、それを彼女と出会う理由としよう。

 そう結論づけた諸星は、その日から我武者羅に修行した。祝と出会うには彼女に新たな力を、技を、術理を与えられるほどに強くならなければならないのだから。

 だからこれまで以上に技を磨いた。

 これまで以上に槍への理解を深めた。

 払いの術理を極める時間を惜しみ、突きのみを極める道を選んだ。

 そして祝に連絡を取り、技を教え、時に教えられ――そうして時間は過ぎていく。

 諸星にとっては充実した日々だった。生まれて初めての“恋”の相手と逢瀬を重ね、そして己の強さも高めてくれる好敵手にも恵まれる。これ程に充実した日々は、諸星にとっては後にも先にもこの時期の記憶にしかない。

 

 だが、そんな充実した日々も長くは続かない。

 諸星が幸せを噛み締め、ずっとこんな日々が続いていくのだろうと思っていた矢先……あの事件は起こった。

 

 大阪にて起こった大規模な列車の脱線事故。

 死傷者多数。

 中には死体が粉々となり、身元確認もできず埋葬された遺体もあったという。

 そんな地獄のような事故の中、諸星は最愛の妹を喪った。

 列車に押し潰され、生気を失い、どんなに声をかけても妹は反応すらしてくれない。そんな思い出すだけで身の毛もよだつような体験をした。

 

 だが、奇跡は起こった。

 

 黒い炎を携えて、祝は諸星の前で“死者蘇生”の奇跡を起こしてみせた。

 しかし彼女が救った命は妹の命一つのみ。その他の命には見向きさえせず、諸星たちのみを救って彼女は去っていった。

 後に諸星は聞いたことがある。

 なぜ祝は能力を秘匿しているのか。より多くの命を救おうとしないのか、と。

 

「そんなの決まっているじゃないですか。私がそんな力を使ったら大鎌が目立たなくなるからですよぅ。持っていながら使わないっていうのも舐めプとかいちゃもんを付けられる世の中ですし~?」

 

 だが、それでも多くの人の命は救われるはずだ。

 祝の能力はまさしく奇跡の産物。

 完全に死んだ人間すらも容易く生き返らせるその力。

 彼女一人だけで一体どれだけの命が救われることだろうか。

 しかしそう問われれば、彼女は花のように笑ってこう答えた。

 

「別に興味ないですから。私が救うのは過去現在未来の大鎌ユーザーと、それに準ずる命だけです。それ以外の人間なんて何人死のうと知ったことではないですし」

 

 思わず諸星は背筋を凍りつかせられた。

 そうだ。

 祝という少女はこういう人間だった。

 諸星は改めて思い知らされる。彼女は天使でもなければ悪魔でもない。

 

 この世の倫理を捨て去った修羅なのだと。

 

 だが、それでも諸星の祝に対する“想い”が変化することはなかった。

 彼女が平気で他者の命を見捨てる人でなしだということがわかっていても、尚も諸星の心は揺れ動かない。

 変わらず彼の心は、疼木祝という少女に向けられたままだ。

 

 ――この阿呆が。趣味の悪い奴やで、ホンマ。

 

 そう諸星は自嘲した。

 間違いなく祝は碌でなしだ。世が世ならば英雄足り得たかもしれないが、現代社会に於いては間違いなく社会不適合者だ。気狂いだ。他人から後ろ指をさされても仕方があるまい。

 だがそんな少女でも、そんな少女の修羅の一面を見せられてもこの気持ちが変わらないというのならば――それは諸星にとって変えようのない大きな感情ということなのだろう。

 

 ――なら、この気持ちをワイは貫き通すだけや。

 

 誰に詰られようと、諸星はこの気持ちにだけは嘘をつけない。

 だから諸星は槍を振るい、魔術を極め、祝の寄り木であり続ける。

 たとえ彼女がより深い修羅の沼へと沈み込んでしまっても、それでも彼女との(えにし)が切れてしまうことがないように。

 




 凄まじくどうでもいいですが、個人的に愛を確かめるという仕草で一番好きなのは、めだかボックスで球磨川が『安心院さんの顔面を生きたまま引き剥がしたけどやっぱり好きなままだった! 自分は彼女の顔に惹かれただけじゃなかったんだ!』というシーンです。
 本当か嘘なのかはわかりませんが、でもそれでも好きならばそりゃ本当に好きなんだろうなと納得させられました。


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防御は最大の攻撃

 感想、誤字報告ありがとございます。
 最近スランプ気味なので、とりあえず短めを投稿して勢いを取り戻そうと画策。


 振り下ろされる大鎌。

 その刃は切っ先が諸星の首元に触れる寸前でピタリと止まった。

 あと一息で諸星の首を刎ねられるという場面でありながら、祝はその刃をそれ以上進めることはない。

 なぜか。

 

 それは諸星の首元で燦然と輝く“黄金の魔力”が原因であった。

 

 まるで鎧のように彼の首元を覆うのは、間違いなく彼の必殺の魔術――《暴喰》のそれに相違ない。それが彼の首元を覆うように広がり、まるで《三日月》に対し牙を剥いたように待ち受けていた。

 それは槍にしか纏うことができなかったはずの《暴喰》の魔力。

 だがそれは最早一年前という遠い昔の話。それだけの時間があれば、諸星という達人にとって魔力も武術も進化するに余りある時間。

 

 そう、今年の《暴喰(タイガーバイト)》は――()()()()()()()()

 

 霊装すら破壊する最強の“矛”たるこの魔術が、今年は最強にして最凶の“盾”ともなるのだ。

 祝がこうして大鎌を振るう腕を止めたのは、まさにこれが原因。

 彼女は予知したのだ。

 己の大鎌がこの黄金の魔力に触れた瞬間にその切っ先から砕かれ、そのまま霊装を破壊される未来を。

 

「……ッ」

 

 同時に、祝の《既危感》はもう一つの予知を祝に齎していた。

 その大きすぎる隙――振り下ろした武器を寸止めするなどという行為に際して起こる硬直を諸星が見逃すはずもないという予知を。

 

「もろたァッ!」

 

 祝の大鎌が動きを止めると同時、諸星の黄槍もまた動き始めていた。

 まるで跳ね上がるかのように穂先が持ち上がると、こちらもまた黄金の魔力を纏い、その軌道は動きを止めた祝の急所(腹部)へと伸びる。

 その動きは虎というよりも、得物へと喰らいつく蛇のそれに近い。

 

 タイミングは完璧だった。

 

 祝が動きを止めるのと、諸星が反撃に移った挙動。

 その全てのタイミングが噛み合い、如何に達人の祝といえど最早これを回避するだけの時間すら残されていない。

 これが諸星が祝に対して仕掛けた策。

 事前に全ての思惑を予知によって見通されてしまうのならば、避けようのない二重の策を講じれば良いというだけのこと。

 祝の大振りを待ってひたすら逃げに徹したのも、《暴喰》を身に纏えるという技能を今日この時まで隠し続けてきたのも全てはこの瞬間のため。

 

 大人しく大鎌を砕かれるか、あるいはそれを回避し槍を食らうか。

 

 祝が取れるDEAD or DEADの二つに一つの選択肢を祝に突きつけるこの状況。

 祝が逃れられないよう運命の袋小路に追い詰める、それこそが諸星が仕組んだ単純ながらも究極の予知対策だった。

 もちろん誰にでもできる策ではない。

 これは諸星だからこそ初めて可能となったもの。この状況に追い込めるだけの能力と、そして追い込んだ末に仕留めきれるだけの技量があってこそ成立する彼のみに許された一手だ。

 

()った!)

 

 真っ直ぐに土手っ腹へと伸びる穂先に諸星は今度こそ勝利を確信した。

 体勢から鑑みても回避は間に合わない。

 そのタイミングを計ってこの策を頭で“思考”した。祝がどの瞬間に予知をするのかは諸星も把握している。故にその最適の瞬間が訪れるまで、諸星は決して彼女に仕掛けることをしなかった。

 いや、むしろその瞬間が来なければ無条件で敗北することすら諸星は視野に入れていたのだ。

 しかし諸星は信じていた。

 祝ならば必ず最後に大鎌による“魅せ技”を繰り出すことに拘るはずであると。大鎌を観客にアピールするため、彼女ならば間違いなくそこを欠かすことはないはずであると。

 

 そしてその策は成った。

 

 祝は諸星の期待通り、最後の最後に隙を晒した。

 最早止める術も逃れる術もない。

 この状況こそ“詰み”だ。

 いや、仮にこれで致命傷が与えられなかったとしても重傷は負わせてみせる。腕の一本程度は奪ってみせよう。

 その確実性を重視したからこそ、あえて必殺の急所である首ではなく命中率の高い腹へと狙いを定めたのだから。

 急激な停止は慣性を生み、そしてそこから逃れることはたとえ《七星剣王》であろうと物理的に不可能。宛ら急ブレーキを踏んだ自動車も同然。これで獲り損ねるなどあり得ないはず。

 ――そう確信していたはずだった。

 

 

 祝がその漆黒の瞳を《虎王》へと向けるその瞬間までは。

 

 

 次の瞬間、諸星の黄槍は祝の上半身が()()()空間を通過していた。その穂先は彼女の腹は疎か腕にすら掠ることもなく虚空を穿つ。

 なぜか。

 それは槍が炸裂するかに思われた瞬間、祝の顔面がまるで何かに殴り飛ばされたかのような勢いで弾かれたためである。

 まるで見えないボクサーによって豪快に横っ面を殴られたかのような吹っ飛び具合。

 しかしその勢いが結果的に祝の命運を分けた。

 仰け反るほどの勢いに押し出された祝の上半身は大きく仰け反り、諸星の突きを見事に回避することに成功したのだから。

 

「なにィ!?」

 

 諸星は思わず瞠目した。

 完璧なタイミング。完璧な一撃。完璧な策。

 全てが揃ったこの状況が、それがわけのわからない方法で回避されてしまったのだ。彼の動揺も一入だった。

 

「ぐぅ……!」

 

 呻き声を上げながら、祝が諸星の上から引き剥がされていくかのように吹っ飛ぶ。

 そのあまりにも不自然な回避に思わず瞠目した諸星。しかしその正体に「あっ」と声を上げた彼は即座に思い至る。

 

「今のはまさか……お前、魔力放出で自分自身を吹っ飛ばしたんか!?」

「頭がグワングワンします……」

 

 諸星の驚愕に答えることなく、祝は吹き飛んだ体勢から片腕で体を支え、背転のままに着地する。

 そう、諸星の言う通り、それが祝の不自然な回避方法の正体。まるで虚空から殴られたように祝が顔面から吹き飛んだのは、魔力放出による反動を自分から食らいにいった結果だった。

 もちろん上半身が仰け反るほどの威力の反動とは、即ちそれと同威力の打撃を防御もなしに食らうに等しい。

 しかし祝はあえて自らへのダメージを覚悟してまで諸星の槍を躱すことに専念したのだ。

 逆に言えば、それほど彼女が追い詰められていた証拠でもある。

 尤も、諸星からすれば必殺の一撃すら躱す祝の技の引き出しに舌を巻くしかないというのが現実ではあったが。

 

(躱された!? ワイの必勝の策をこうも簡単に!)

 

 諸星は歯噛みしていた。

 最善ではここで勝利し、最悪でも手傷の一つでも負わせるのがこの段階での諸星の計画だったのだ。

 しかしそれが頓挫し、諸星にとっての策はここに瓦解した。

 もう諸星には、彼女を地力で追い詰める以外に方法がないも同然だった。

 

「チィッ、おンどりゃァ……!」

 

 悔しさと行き場のない怒りで思わず額に青筋が浮かぶ。

 渾身の策だったというのに、それをあっさりと祝は防いだのだ。これで何も思うなと言う方が無理な話だろう。

 事実、諸星の内心は額に浮かぶ青筋とは裏腹に動揺で満ちていた。

 今のは諸星が仕掛けた、本当に必勝の策だったのだ。祝の裏をかくにはどうすれば良いのかを考えた末に導き出した必殺の一手。常識的に考えれば回避不能なはずのそれを、馬鹿みたいにあっさりと彼女は凌いでしまった。

 その動揺のあまり思わず握り込んだ拳が震える。

 噛み締めた奥歯が軋り、無意識の内に喉を震わせる。

 そんな諸星を見て、祝は果たして「してやったり」と笑みを浮かべただろうか。あるいは諸星の必殺を無事に回避したことに安堵してみせただろうか。

 しかし実際はどちらも否であった。

 

「……う~ん?」

 

 祝は首を傾げていた。様子がこれまでとは明らかに変わる。

 なぜか彼女は試合中だというのに諸星に視線すら向けず、虚空を眺めやりながら何事かを呟き続けていた。

 まるで目の前の試合よりも、他の何かに気を取られてしまったかのように。

 

「………………今のはいいですね。凄くいい。ははぁ、なるほど、魔力放出にこんな使い方があったんだ反射的にやっちゃったけど便利だなこれこれなら他にも使い途があるかも魔力放出は加速力だけではないってことかこんな使い方原作にあったかないやなかったたぶんなかったできるかできないかそれはこれから試せばいいしそうかゆーくんを実験台にすればいいんだ実戦で通用するかも比較検証できる調整も試合中に出力過多の方向で《既危感》使えば自傷ってことで視えるだろうし原作になかった上に誰もこんな使い方しているの知らなかったから思い付かなかったいや魔力量と燃費の問題かこれをクリアすれば《月頚樹》みたいに後々の人にも伝授できる技になるんじゃねこれ…………へぇ、うん、いいですね悪くない」

「……ああ? 何や、ワイを無視してブツブツと」

 

 だが祝は諸星の問に答えることもなく、口の端から流れる血を拭いもせず、ただ口元に手を添えて何かを呟き続けるばかり。

 そんな祝の様子を訝しむ諸星。しかしそんな諸星の姿に気が付くこともなく、祝は全く別のことに気を取られている様子だった。

 

(……何や? アイツ、一体何して……)

 

 その姿に諸星は一転、無意識の内に一筋の冷や汗を流していた。

 よくはわからない。

 しかし何か拙いことが起こっていると諸星の直感が警鐘している。何か、何かが彼女の中で起こっているのだと。

 

(これは……ヤバいんやないか? こういう怖気が走る時、アイツはいつもいつも碌でもないことを考えとるッ。このままアイツの考えが纏まるのを待っとったら恐ろしいことが起こる!)

 

 判断は一瞬。

 策が破られたことへの悔恨すら置き去り、諸星は槍を構え直していた。

 しかし槍を構えたところで諸星の動きが再び止まる。それは彼の心の迷いから生じた反射的な身体の停止だった。

 

(いや、でも……具体的にどうする? ここからどうやってワイは祝と闘えばいいッ……!?)

 

 それは当然の迷いだった。

 同じ策は二度と通じないだろう。

 祝がそう簡単にトドメの大鎌をやめてくるというようなことはないと思われるが、しかしここから先は、彼女が不用意にトドメを刺しにくるようなことはなくなった。

 となると、やはり諸星は祝に対し“地力”――即ち己の槍術と《暴喰》の力を駆使した純粋な実力で挑む他ない。

 《既危感》を持ち、さらに昨年度の七星剣舞祭で自分を武術で下した《七星剣王》と正面勝負など、分が悪いとしか言い様がない。

 そんな絶望的な状況に思わず諸星は一歩退き……

 

「……いや、それは(ちゃ)うやろ」

 

 ……かけたところで踏み留まる。

 そして無理やりに口の端を持ち上げ、喉を震わせ、表情を半ば引き攣らせながら笑ってみせる。

 それは決して自棄から来る卑屈な笑みではなく、己を奮い立たせるための――この状況を決して悲観的に捉えまいとする戦士の笑みだった。

 

(逆境上等ッ、却って面白いやんけ。……いや、面白くなくても笑え! 笑ってみせろ諸星雄大ッッ)

 

 諸星は笑う。

 確かに状況は危機的だ。

 必勝だったはずの策が外れ、最早打つ手は地力で祝に挑む他がない。もちろん未だ《暴喰》が祝に対してアドバンテージを持っていることに変わりはないが、それも祝という怪物(バケモノ)を相手にどこまで通用するかわからない。

 だが。

 

(策が破られた? もう地力で闘う以外に道はない? ……逆やろうがッ、まだ《暴喰》っちゅう最強の手札が残っとるやろうが! 弱気になるなッ、胸を張れッ! 策がなくともまだワイは闘える! 死んでも諦めんっちゅう気概もなく祝に挑む資格なんて元々ないんや!)

 

 そうだ。確かに必勝の策こそ祝に破られたが、《暴喰》という最強の手札は依然として健在。ならばここで後退する理由などどこにもないだろう。

 カッと改めて目を見開いた諸星は《虎王》を頭上で一旋させると、油断なく祝へ向けて穂先の狙いを定めた。

 ――そう、思えばこれまでも“それ”こそが諸星たちの世代にとっての分水嶺だった。

 

 暗黒の時代があった。

 

 祝という狂人の力が小学生時代の全盛期を迎えた頃、彼女は小学生(リトル)リーグにおいても多くの選手を狂気的に追い詰めていた。その姿に心が折れ、騎士の世界から去っていく少年少女も大勢いた。

 その中で諸星を含む、所謂“生き残り”と呼ばれる者たちは、何を精神の支柱にしてこの世界に留まり続けたのか。

 

 それこそが諦めない心だ。

 

 祝の狂気に充てられ修羅の道に落ちることなく、かといって心を折られ二度と立ち上がれなくなることもなく、何度彼女に敗れ去ろうとも決して諦めない不屈の心。

 それがあるからこそ、生き残った諸星の世代は彼女と渡り合ってこれたのだ。

 だから諸星は退かない。挫けない。諦めない。

 こと闘いにおいて、諸星雄大という男に真の意味での“後退”はないのだ。

 

「祝ィ! 考え事も大概にしィや! お前の相手は、目の前にいるこの諸星雄大(ワイ)やぞッッ! さっさとかかってこんかワレェ!」

 

 諸星の咆哮が会場中に響き渡る。

 その声に触発され、会場中から諸星の名前が繰り返し叫ばれる。その人数から来る声量に会場が揺れたかと錯覚させられたほどだ。

 

『いいぞォ、星ィ!』

『ここから形勢逆転だァ! 気張れェ!』

『油断すんなよッ、《浪速の星》ィ!』

「――――ッシャアぁぁぁ!!」

 

 声援に応えるように諸星が雄叫びを上げる。

 しかし視線は祝へとピタリと定めたまま決して外さない。

 そこには微塵の油断もなく、諸星は先程の策の失敗から意識を完全に切り替えることに成功していた。

 

「ここからは第二ラウンドや。来ないならこっちから行くで、祝!」

 

 

 



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一体いつから――――

 毎度ながら感想、誤字報告等ありがとうございます!


「狩り殺せェ、《暴喰(タイガーバイト)》ォォ!」

 

 徐に諸星が石突を地面へと突き立てると、彼の全身から黄金の魔力が噴き出す。そしてそれらの魔力は彼の身より離れるなり三つの塊へと分裂し――次の瞬間、陽炎のように揺らめきながら巨大な虎の首へとその姿を変じさせた。

 

「散れッ!」

 

 諸星の号令の下、三頭の虎が各々咆哮を上げながら祝へと飛びかかる。

 まるで本物の虎が駆けるかのような速度で迫るそれらは、その首を構成する魔力の全てが《暴喰》だった。つまりあの顎門(アギト)に食いつかれたが最後、瞬く間に霊装が破壊されてしまうのである。

 

「遠距離攻撃までできるんですか……!」

 

 《既危感》によりそれを瞬時に把握した祝は、襲いくる黄金の虎たちに堪らず距離を取った。

 あれらは漏れなく祝の大鎌を殺す一撃必殺の魔術。それを三方から囲まれるように放たれれば、流石の祝でも分が悪い。

 しかし闘いが許されているのは狭いリングの中のみ。

 後ろへと退いた祝を、瞬く間に《暴喰》たちが追い詰めていく。

 どうやら射程範囲はリング内を覆い尽くすほどらしい。――そう判断したのか、祝はやがてその足を止めると、大鎌を背後に大きく振りかぶり……

 

「うっっぉりゃああああッ!!」

 

 大鎌が振り下ろされ――次の瞬間、空気が断裂した。

 そして嵐のように舞い踊る、常人ならば食らうだけで全身がバラバラに千切れるであろう衝撃波。

 地面を抉りながら放たれたその不可視の斬撃は空気すらも削り飛ばし、祝へと牙を剥いていた《暴喰》をまとめて消し飛ばさんと吹き荒れた。

 

「そいつは知っとるでッ!」

 

 しかし諸星もさるもの。

 その技は鍛錬の過程で祝に披露されたことがある技だ。残念ながら諸星では再現が叶わなかった絶技ではあるが、しかし使えないからといって対処ができないわけではない。

 咄嗟に《暴喰》の顎門を操作した諸星はそれらを一気に散開させ、祝から距離を取らせることで衝撃波を回避する。

 

「その技は距離が開くと極端に威力が落ちる。間合いさえ計り違えなければそれほど恐ろしい技やないッ」

「……ちぇ~」

 

 鬱陶しそうに、されどどこか楽しげに祝は唇を尖らせる。

 しかしその表情とは裏腹に、祝は早くも動き始めていた。衝撃波によって捲り上げられたコンクリート片の粉塵を目眩ましに、《暴喰》の一頭に間合いを詰めていたのだ。

 そして――踏み込んだ震脚の轟音とともに縦拳をその鼻っ面に叩き込む。

 轟音に続く爆音が会場中に響き渡る。

 一撃。人間の、それも見た目だけは麗かな少女の細腕から放たれた一撃で《暴喰》の顎門は爆散して果てていた。

 

「数さえ揃えれば勝てるとでも?」

「ッ、舐めんなや!」

 

 挑発とも取れる祝の言葉に、諸星は残った二頭の《暴喰》を襲いかからせる。

 それと同時に自身も吶喊。むしろ《暴喰》たちに先んじて、金色の魔力を纏った黄槍を祝へと突き出していた。

 

「うぉらぁぁぁああああッ!」

 

 黄金に輝く槍。

 一瞬で間合いを詰めた諸星がその一刺を差し向けると、祝は目にも留まらぬ速さの手刀で《虎王》を弾き飛ばす。

 そして弾き飛ばすや否や、祝の視線が諸星の胴へ――瞬間、諸星の胴半身が金色の魔力を纏う。祝は思わず舌打ちを放った。

 刺突の動作の最中にも関わらず、祝の視線すら逃さぬその観察眼。

 そしてそれをたった一手で無敵の防御に変えるその魔術。

 

「はぁ〜、本当に面倒ですねその能力。というかそんなにバカスカと《暴喰》を連発して、魔力は保つんですか?」

「安心しィ! 試合中いっぱいは保たせてみせるで!」

 

 二カリと笑いながら、諸星が続け様に刺突を繰り出す。

 それを手刀と腕刀で弾き飛ばしながら……突如として祝がその場を飛び退いた。直後、頭上から《暴喰》の顎門が祝のいた空間を食い千切る。

 かと思えば彼女の背後からもう一頭の《暴喰》が回り込み、《三日月》を噛み砕かんと大顎を開いていた。

 

(これでどうや!)

「見え見えです」

 

 しかし祝の《既危感》に通常の不意打ちも闇討ちも騙し討ちも通用しない。

 振り返ると同時に足刀が跳ね上がり、その顎門を一撃で消し飛ばした。

 ならばと残った首を差し向けるが――それも祝の振り返り様の衝撃波により一瞬で吹き潰される。

 全滅した《暴喰》に思わず諸星は舌打ちした。

 

「……チッ、そう上手くは行かんか」

「いえ、今のは結構ビックリさせられましたよ? 遠間から近間まで網羅しているとか、ハッキリ言ってヤバさだけで言うのなら先日の王馬くんに並びます。並みの伐刀者なら何もできずにやられると思います」

「それは自分には通じんっちゅう嫌味か? それとも自分が並みやないっちゅう自慢か?」

「嫌味でも自慢でもありませんよ。――これは余裕というものです」

「……抜かしおる」

 

 額から冷や汗を流しながら、諸星は獰猛に笑った。

 そして試合が一段落したことを見計らったのか、実況がけたたましく驚愕の一声を上げる。

 

『な、何だ今のはぁぁあああ!! 疼木選手が大鎌を振るったかと思うと、爆風とともに《暴喰》が吹っ飛ばされましたァ! 疼木選手の伐刀絶技は予知のはず。だというのにあの攻撃は何だぁ⁉︎』

『……信じ、られませんが……どうやら単純に大鎌のスイングによる衝撃のようです。しかしただ大鎌を振っただけであれほどの衝撃波を生み出すなど、どう考えても異常です。魔力放出による身体加速があるとはいえ尋常ではありません。同じことをやれと言われても、KOK選手の中にもどれだけ今の技を再現できる者がいることか……』

『牟呂渡プロですら絶句せざるを得ないほどですか⁉︎』

『断言させて戴きますが人間業じゃありませんよ。フランスの《黒騎士》くらいではないでしょうか、同じことができるのは。……しかし驚くべきは、それほどの技に苦もなく対処した諸星選手ですね。間合いを上手く調整し、見事にそれを空転させました』

 

(見事に、か。確かに傍から見ればそうかもしれんが……持っていかれた魔力はデカいんやで?)

 

 笑みを浮かべながらも、諸星のその内心は穏やかではない。

 《暴喰》の顎門を三頭、さらに得物に一つ、さらに防御にも魔力を回していたのだ。祝の指摘通り、消費した魔力量はかなりのものである。一連の攻防で四割は使い切っただろうか。

 残った魔力で今と同じことをやろうと思えば、途中でガス欠は必至だろう。対して祝は低燃費で即死級の格闘技をバンバンと放ってくる。

 

(くそッ、あンの馬鹿力め。というか刃が通らないと見るや衝撃波やら拳やらで強引に対処して来おるとか、脳筋も程々にせぇよ)

 

 しかし今の攻防で祝の腹は読めた。

 祝は純粋な大鎌の攻撃が危険と判断したことから、その他の物理攻撃で諸星を撹乱。《暴喰》が発動できなくなるほどに痛めつけたところを大鎌で仕留めるつもりなのだろう。

 最早そこまで来れば大鎌なしで仕留めにかかった方が効率的なのではないかとすら思われるが、そこは彼女の絶対に譲れないポリシーだ。必ず最後は大鎌で殺しにくる。

 

(けどなぁ……徒手空拳で簡単に攻略できるほどワイの槍は甘くないで)

 

 『剣道三倍段』という言葉がある。

 無手が剣に勝つためには、その間合いの不利から三倍の実力が使い手に求められるという指針だ。無論これが正確かどうかは定かではないが、しかしその理論そのものには納得できるところもある。

 そして無手と槍の間合いの差は無手と剣のそれよりもさらに広い。

 

(とはいえ祝は徒手空拳でも達人級っちゅうのは既に見とる。しかもさっきの衝撃波みたいな隠し技がこれ以上ないとも限らん。ここは慎重に――)

 

 諸星の思考が戦術を組み立てられたのはここまでだった。

 なぜなら祝が、先程のように再び《三日月》を大きく振りかぶったためだ。今度の角度は……左の脇構え。

 

(来るッ)

 

 直後、衝撃波の嵐が爆音を奏でながら空間を切り裂く。

 予め攻撃を予見していた諸星は全力の後退により衝撃波の範囲外へと逃れることに成功。

 しかし祝もこれ一つで仕留められるとは思っていなかったのだろう。衝撃波を放つや否や、疾風の如き速度で諸星へと吶喊していた。恐らくは先程のように衝撃波を目眩ましに懐へと飛び込む腹だ。

 

「させるかいッ」

 

 放たれる《三連星》。

 しかしその刺突が祝の額に触れると思われたその瞬間、――祝の姿が霞のように掻き消える。

 

(ッ!? こいつは黒鉄のッッ)

 

 諸星は気付く。

 以前動画として上げられていた、一輝が得意とする剣技の一つである第四秘剣《蜃気狼》。先程の蔵人との闘いでも彼が使用していた技だ。

 足捌きにより動きを誤認させるこの技は、相手の読みが深いほどに()()()。達人ほど敵の次の一手を読みながら動く生き物であるが、この技はその習性を逆手に取った技と言えるだろう。

 何はともあれ、諸星が祝の術中に落ちたのは変わりがない。

 即座に諸星は思考を切り替え、祝の動きを追う。

 

(祝はどこに!?)

 

 右――いない。

 左にもいない。

 前後への動きを欺いたわけでもない。

 つまり諸星の視界には既に祝の姿は、ない。

 

(上かッ!)

 

 諸星の視線に影がかかる。

 咄嗟に頭上へと目を向ければ、そこには大鎌を上段へと振り上げた祝の姿がある。刃筋の向きからして、狙いは諸星の頭部。恐らく頭から股までを真っ二つに切り裂くつもりだ。

 ならば話は早い。

 《暴喰》を頭部へと集中。この一手だけで片がつく。

 大鎌を振りかぶった祝がいるのは空中。如何な達人といえど、空中で身動きは取れまい。攻撃を繰り出すか、それを中断して硬直を生むかの二つに一つだ。

 数瞬。まさに刹那の間の反応の差。

 あと一秒でも諸星の反応が遅れていれば、彼は祝によって抵抗する間もなく斬り刻まれて絶命していただろう。

 しかしその数瞬が二人の勝敗を分けたのだ。

 

(今度こそ()ったか!?)

 

 槍を引き戻しながら諸星は思わず目を見開く。

 期せずして諸星が先程繰り出した状況を再現することとなってしまったが、これは諸星にとって幸運以外の何物でもない。

 攻撃をしてくるのならば良し。《暴喰》で大鎌を粉々に砕いてくれよう。

 攻撃をやめるのならばそれも良し。着地の瞬間を《虎王》で刺し貫く。《暴喰》があれば魔力防御も関係ない。

 その攻防に観客一同は息を呑んだ。実況と解説もそれを予見し「遂に決着か」と激しく叫び倒す。

 そして刹那、諸星と祝の視線が交錯し――

 

 

 次の瞬間、空気が爆ぜるかのような轟音とともに祝は地面へと着地していた。

 

 

 跳躍したと思われた次の瞬間の着地。

 そのあまりの上下動の速度変化に諸星の視線すら追い付けない。

 まるで格闘ゲームのキャラクターの空中コンボのような、常識的に考えれば不可能なその軌道。

 その動きに、諸星は完全に置いていかれた。

 これこそが祝の答え。

 DEAD or DEADの選択肢に突きつけた三択目の選択肢。

 

「本当に便利ですよねぇ、魔力放出って」

 

 ()()()()()()()()()()()

 まるでジェット噴射のように指向性を持たせた強力な魔力放出。

 先程の自身すら傷つける魔力放出の応用により空中で身体にかかる慣性を制動し、反動で強引に地面へ運動エネルギーの方向(ベクトル)をズラしたのである。

 最早彼女には地に足を付けなければ人間は移動できないという常識すら通用しなくなった。遂に彼女は“空”すらも克服したのだから。

 

「この調子なら、虚空を蹴るのすらもう夢じゃない。実験の協力、感謝します」

 

 諸星が祝を追いかけるように視線を下ろすと同時、鈍色の刃が陽光を反射して輝く。

 その流れるような祝の攻撃に、観客は疎か解説すらも理解が追いつかない。

 誰もが諸星の勝利を確信していた。諸星が空中の祝を捉えた瞬間、全てが決着するだろうと確信していた。誰もが一流の騎士として認めるであろう一輝でさえも外野から見ていてそう確信していたのだ。

 《蜃気狼》による撹乱からそれを見破り対処することも、それによる勝利への確信すらも利用した祝の奇策。

 そしてその祝の策は見事に人々を混乱の渦に叩き込んだ。

 ただ一人。

 

「――せやろな」

 

 そう。

 たった一人だけ。諸星雄大という男を除いて。

 

「お前ならばこの局面、絶対にワイの思惑を上回ってくると思っとったで」

「……もぉ~、いい加減しつこいですよぉ」

 

 《三日月》は…………未だ動かず。

 誰もが理解すらできぬ内に祝の勝利が決まったと思われたこの局面で、当の祝がその一手を繰り出さない。

 その理由は唯一つ。

 諸星の()()()()()()()()()()が原因であった。

 頭部のみへと《暴喰》を展開すると思われたこの局面で、諸星だけはただ一人、祝に対して直感的に欠片の油断すらしてはならないと理解していたのだ。だからこその全身への《暴喰》だった。

 無論、全身へと防御を回せばその分だけ魔力を食う。それが単なる魔力防御ではなく、《暴喰》という伐刀絶技であるのならば尚更だ。

 しかし、所詮はそれだけだ。

 体力を消耗するだけで一命を取り留めるというのなら、その程度は安い代償。諸星は進んでその代償を払うだろう。

 徒手空拳を警戒し、後方へと飛び退きながら諸星はほくそ笑む。

 

「常識的に考えれば、頭部への《暴喰》だけで決着がつく場面。けどな、お前がそんな浅はかな展開運びをしてくるわけがないやろが。ワイはお前ほどお前を舐めとらんで。絶対に何かあるってピンと来たわ」

 

 そう、諸星はわかっていたのだ。

 祝は必ず何かを仕掛けてくる。それも諸星が予想もできないような、誰もが呆気に取られるような“何か”を。

 ならば諸星がするべき対策は唯一つ。――全力の防御だった。

 だからこそ祝がこの場面でトドメを刺しにくることを想定し、全身を《暴喰》で守るという選択をしたのだ。

 

『お、おぉぉっとォ⁉︎ 何だ今のはッ! いや本当に何なんでしょうか今のはぁぁあああッッ⁉︎』

『ま、魔力放出の応用なのでしょうか? しかしこれはもう身体加速や行動加速といった領域を超えている……! 彼女の発想力と、それを実現するだけの魔力制御能力に我々の常識が通用していませんッ! 長年騎士の世界に身を置いてきましたが、ここまで常識外れの伐刀者は初めてだ!』

『しかしその裏をかくかのように、諸星選手も《暴喰》で全身をガード! どうやら疼木選手への警戒が功を奏したようです!』

 

「え、えぇ~。そこは普通に油断して死んでおく場面じゃありません? せっかくゆーくんの作戦に乗った感じで逆転しようと思ったのに」

 

 大鎌を一旋させて持ち直した祝は、真実呆れたように諸星を見やった。

 しかし実際、諸星のその弛まぬ警戒心が祝の戦術を覆したのだ。諸星としては「やはり」という他ない。祝としてはますます面倒なことこの上ないだろうが。

 

(とはいえ、また仕切り直しか)

 

 槍を構え直しながら、諸星は内心で毒づく。

 気が付けばこれで何度目の仕切り直しだろうか。どちらかの猛攻・奇策をどちらかが躱し、迎撃し一呼吸。そして再びの接戦という流れが先程から続いている。この流れはあまりよろしくない。

 なぜならば、その度に消耗させられているのは一方的に諸星のみだからだ。

 《暴喰》による魔力の消耗と空振り続ける己の攻撃。これにより、着実に諸星は体力を消耗させられていた。

 その一方、祝は未だ無傷に等しい。魔力の消費も人知を超えた魔力制御によって超絶的な燃費を誇る魔力放出くらい。予知に至っては戦闘中に支障が出るほどの魔力の消耗もないと聞く。

 つまり一見すれば互角に張り合っているように見えるこの試合。

 結果的に見れば、一方的に諸星が追い詰められているのだ。

 

(クソッ、気に食わん!)

 

 確かに正面戦闘は《暴喰》のガードもあって互角だろう。

 しかし持久力という点で諸星は祝に遥かに劣る。このままズルズルと試合を長引かせれば、最初に膝をつくのは自分の方だ。

 となれば、狙うは短期決戦しかない。

 

(そろそろ腹ぁ括るしかないで、諸星雄大。祝の変態技術を恐れて守りに入れば敗北は必至や。つまり特攻覚悟の中にしか活はないッ。決着をつけに行かなアカン)

 

 しかし諸星がそう決意する一方。

 どうやらこの展開に痺れを切らしていたのは彼だけではなかったらしい。

 クルクルとバトンのように大鎌を旋回させながら、祝は眉を顰めていた。

 

「……思ったより粘りますねぇ~。ここまで膠着した闘いは私的にもあまり経験がないです。最近だと王馬くんくらい? 他は大鎌でスパッと終わらせられた試合ばかりでしたから。……大鎌がほぼ活躍できていないという点では大違いですけど」

「ハッ。そりゃ結構なことや。その焦りは隙を生む。ワイはそれを容赦なく衝かせてもらうで」

「そうなんですよねぇ~。ゆーくんが相手だとそれもあり得るんですよね~」

 

 「困った、困った」と笑う祝は、しかしその状況すらも楽しんでいるかのようだった。

 恐らく彼女の頭の中は、ここからどうやって大鎌を輝かせようかという想像でいっぱいなのだろう。所謂嬉しい悲鳴というやつだ。

 彼女はいつもこうだ。

 困難の中でも常に大鎌の活躍できる場を求め足掻いており、そしてその足掻きにすらも楽しみを見出している。

 苦行や困難すらも彼女の中では己と大鎌の可能性を試す場でしかないのだ。だからこそ彼女の心は折れず、曲がらず、弛まない。

 

「まぁ、とはいえ私の方も実験は無事に完了して技の引き出しも増えましたし、《暴喰》がある貴方相手では大鎌の必殺技をお客さんに魅せるのにも都合が悪い。なので本邦初公開。ゆーくんに今から面白い技を使ってあげます。――それを最後に試合を終わらせてみせましょう」

「……ッ!」

 

 試合を終わらせる。

 その一言に寒気を感じた諸星は、反射的に祝からさらに距離を取っていた。

 後ろへ、後ろへと後退し、視野を拡げるためにリングの中央へと陣取る。それを追いかけるように祝もゆったりと歩を進め……気が付けば二人は試合開始時とほぼ同じ位置に陣取っていた。

 相対した二人の間に広がる距離はおよそ十メートル。遠すぎず近すぎず、それでいてリング全体を捉えるには理想的な位置取り。

 しかしそんな諸星の警戒を嘲笑うかのように、祝は尚も歩を進める。

 

「実はこれ、大鎌使いとしては邪道というか裏技というか……そういう感じの真っ当な技ではないのでちょっと使うかどうか迷っていたんですよね。それにカッコいいといえばいいんですけど、使い所が難しい上に未来の大鎌ユーザーたちが観ていても参考にならない類の技なんです。だから完全に見栄えだけを重視した技なんですよねぇ〜」

 

 「まぁ、ゆーくんほどの人が相手ですし使うのも吝かではないか」と祝は零す。あくまで楽しげに。

 裏技。

 その言葉に諸星は警戒感を強め、改めて大鎌を注視する。

 伐刀絶技なしでの衝撃波に空中移動。それすらも成し遂げた彼女がさらに“邪道な裏技”とまで語る存在。

 それを彼女から引き出せたことに喜びはあるが、しかし同時に恐ろしさもあった。そこまで祝が言い切る技とは一体どれほど凶悪な代物であるのか、と。まさしく得体が知れない薄気味悪さがある。

 だが決して諸星は弱気にはならない。

 彼は既に決心しているのだ。祝の全てを超え、今年こそ七星の頂に立つのだと。

 

 ――そしていつかはあの“黒炎”すらも超えて、本当の彼女を……

 

「ほぉ? だったら見せてもらおうやんけ。お前の言う裏技っちゅうモンを。ただし魅せ技感覚なんて舐めたことはせん方がええで? 隙あらば、ワイはそれを正面から打ち崩す」

「……う~ん」

 

 不敵に笑う諸星。しかし一方の祝の表情は芳しくない。

 いや、むしろその表情は曇り、まるで諸星のその気概を受けて申し訳ないとばかりに苦笑している。

 

「何や? 何がおかしいねん」

「いえ、そうやって息巻いて戴いたところ申し訳ないんですけどね? ――残念ながら原理上、ゆーくんはこの技を見ることすらできず死ぬんです」

 

 そして祝は諸星が既に槍を構えていることすら眼中にないかのように、……尚もゆっくりと前進する。

 その歩みは散歩でもしているかのように緩やかで、諸星への警戒感はまるでない。

 それはまるで、「もう勝負はついた」とでも彼女が語っているようで――それが諸星の癇に障った。

 

「お前……まさかもう勝った気なんか? その裏技とやらを使えば確実にワイに勝てるとでも、そう言いたいんかッ?」

 

 あと数歩で祝と諸星、両者の得物が届く間合いに達する。だと言うのに彼女のこの弛緩した闘気は何だ。

 構えもなく、まるで欠伸でもしそうなほどに緩んだその空気は何なのだ。

 

「舐めるんやないでッッ、祝ィ!」

 

 上等だ。

 ならば受けて立とう。

 その裏技とやらを完膚なきまでに攻略してみせよう。

 諸星の全身から殺気が立ち昇る。まるで湯気のように充満したそれは《虎王》にも伝播し、その穂先からもゆらりと魔力が漏れ溢れる。

 彼は決意していた。

 祝が間合いに入ったが最後、これより先は一呼吸の間すらも置かず彼女を()りに行くと。残る全魔力と気力を総動員し、全力で彼女の命を絶つ。

 

(集中せぇ、諸星雄大。アイツの一挙手一投足すらも見逃すんやない。祝が妙な動きを見せたら、それがアイツの“裏技”の始まりや)

 

 諸星の視野が祝へと集中し、その他の背景から色が消える。それだけでなく、周囲の客席から聞こえていたはずの音すらも消え失せた。

 今まさに、諸星は極限の集中状態(ゾーン)に到達していた。

 彼の全神経、全細胞が疼木祝という少女を注視している。

 今の諸星は祝の吐息すら耳で捉えられる。それほどまでの集中状態に達している。

 

(さぁ、来い)

 

 両者の間合いまであと三歩。

 祝が大鎌を一旋、二旋させ肩に担ぐ。

 

(来いッ)

 

 諸星の世界がスローモーションに変わる。

 祝の一歩が長い。額から頰を伝い、顎から汗が滴り落ちた。

 だがそれが地面に落ちる前に祝との間合いが二歩に狭まる。

 

(来いッッッッッッ!!!!)

 

 そして汗の粒が地面に叩きつけられ。

 間合いが一歩に縮まり。

 全ての動きが緩慢となった世界で。

 

 

 諸星は確かにその言葉を聞いたのだった。

 

 

 

 

「たとえ神の如き目を持っていようとも、“視えない”所からの攻撃は防ぎようがない。――至言ですね、これは」

 

 そして――ゼロ。

 

 

 

 

 その瞬間、諸星の脳は全身へと指令を送っていた。

 地面から足首、膝関節、股関節、腰椎、肩、そして腕へと運動エネルギーを送り出し、最速にして必殺の一刺を繰り出さんとシナプスが弾け飛ぶ。

 諸星は確信していた。この一刺はこれまでのどの刺突をも超えた極限の一撃になると。これならば祝が裏技とやらを繰り出す間すら与えず、彼女の心臓を穿つことができると。

 最速にして最短。敵の身動きさえ許さぬ高速の一撃。

 

 それ即ち、“神速”。

 

 この局面に至り、諸星は真にその領域を繰り出す資格を得ていた。

 気力と魔力が極限まで研ぎ澄まされ、集中力は超人の域にまで高められ、それを諸星の勝利に対する執念が追い風をかけている。

 この一撃は、たとえ同じく武術の達人である《無冠の剣王》でも、世界最高の潜在能力を持つ《紅蓮の皇女》であろうとも、それこそ祝という兇刃であっても防ぐことは疎か、躱すことすら叶わなかっただろう。

 否、その神速の槍を前にして対処が可能な人間がこの世に何人いることだろうか。その存在は、それこそ《魔人》と呼ばれる領域の人間たちの中でも一握りであろうことは想像に難くなかった。

 

 

 だが、それには一つ。

 たった一つだけ致命的な前提があった。

 ――たとえ研ぎ澄まされた能力があっても。

 ――たとえ極限の集中力があっても。

 ――たとえ、道理を覆すだけの執念があったとしても。

 

 

「実際に出せなければ無意味ですよねぇ」

 

 

 あるいは諸星が“ゾーン”の領域に到達していなければ、()()より迫りくる脅威に対し寸前のところで気付くことができたかもしれない。

 しかし全神経を()()の祝に集中し、加えてその姿を見せつけるかのように悠然と歩み寄る祝に意識を完全に奪われていた諸星にそれを言うのも酷なことだったかもしれない。

 矢を放つ間際の引き絞った鉉を断ち切られたかのように。

 必殺の刺突を放たんとしていた諸星は、気が付けば地面に膝をついていた。

 

 

「…………あ?」

 

 

 カランという乾いた音とともに、《虎王》が地面に滑り落ちる。

 その黄槍はカラカラと地面を転がりながら、やがて罅割れたように亀裂を走らせ、そして虚空へと魔力となって散っていった。

 

 

「…………は?」

 

 

 理解が追いつかない。

 まるで時が飛んでしまったかのように。

 何が起きた。

 呆然とそう思わず呟こうと口を開き――自然と喉奥から何かがせり上がってくる。その激流に耐えきれず、諸星は思わず口元からそれを吐き出した。

 

 

「……かっは」

 

 

 赤い“ナニカ”が口元から溢れ出る。

 血だ。

 吐き出した全てが血だった。次々と喉奥から溢れる血に諸星は思わず咽せ返り――そこでようやく胸元から襲いくる激痛に気が付いたのだった。

 

「あ、が、ああああぁぁぁぁあああああッッッ」

 

 諸星の絶叫に引き摺られるように、胸元から、そして背中からも血が噴き出す。

 それは鈍色の刃だった。

 ()()()()諸星を貫いた鈍色の刃が、諸星の身を内に秘めた心臓ごと一穿したのだ。

 

「っっあああああぁぁぁぁぁ……」

 

 膝をついていた諸星が、力なく地面へと崩れ落ちる。

 心臓を貫かれた諸星に、最早再び立ち上がるだけの力は残されていなかった。

 それでも最後までその視線は祝から外すことはない。それだけは、たとえ敗北しようとも捨てられない、決して譲れない諸星の意地だった。

 そしてその視線の先で、諸星は信じがたい光景を目にすることとなる。

 

「な……ぁ⁉︎」

 

 胸元から突き出る鈍色の曲刃。

 血に塗れ、砕け散った心臓の欠片を装飾として纏おうとも、それを他ならぬ諸星が見紛うはずがない。

 それは自分が恋い焦がれ、また憧れ目指した少女がこの世で最も信頼する武器の刃なのだから。

 つまりこの胸を貫く刃は、間違いなく祝の《三日月》だ。

 どんな絡繰があるのかは知らないが背後から諸星の背を祝は貫いたに違いないと、咄嗟に諸星は考えていた。

 そのはずなのに……

 

 

 祝が未だ手にしている武器――それも間違いなく《三日月》であった。

 

 

 刃紋も、浅く描かれた反り具合も、何より何度も刃を合わせたことで知ったその重さも。その全てがその存在を物語っている。

 だが、それは決してあり得てはならない。

 なぜなら、《三日月》は未だ諸星の心臓を貫いているのだから。

 霊装は一人につき一種類、一つが原則。稀にアリスのように複数の形で顕現する場合もあるが、祝がそうだなどと諸星は聞いたこともないし、またこのような重量系の武器で複数型の霊装など見たことすらなかった。

 故にあり得ないはずなのだ。彼女の手に収まっているはずの霊装が、こうして自分の胸を貫き続けていることなど。

 だがこれではまるで、《三日月》が()()()()()()()()()()()()()

 

「……な……な、んで……?」

 

 倒れ伏した身体からさらに力が抜ける。

 悠然と歩み寄ってくる祝に、諸星は呆然と呟く。

 意味がわからない。

 呆然とする諸星に、祝は《三日月》を振り上げながらニコリと笑った。

 

 

「一体いつから――――()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 無情に言い放たれた言葉。

 その言葉の理解が追いつく時間すら祝は許さず――振り下ろされた《三日月》の曲刃が諸星の頭蓋を断ち割った。

 

 

 



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脳漿をブチ撒けろ!(臓物でも可)

 毎度ながら感想、誤字報告ありがとうございます。
 いつもメチャクチャ誤字報告を戴いているので、いつか一話丸々誤字報告なしを実現するのが最近の目標です。


「……どういう、ことなの……!?」

 

 一輝や珠雫とともに観戦――もとい後々のための偵察に赴いていたステラは、そのあまりにも予想外の光景に思わず呆然と呟いていた。

 突如現れた()()()()《三日月》。

 デバイスは一人につき一つが原則。

 その原則を当然のように祝が踏み越えてきたことにも驚かされたが……何よりも問題はその二本目が()()()()()()()()ということだった。

 突如として諸星を貫いたその二つ目の漆黒は、誰にも予想できない場所から姿を現した。

 

 何とそれは、諸星が入場してきたゲートの奥から投げ放たれてきたのである。

 

 無人のままゲートを潜りリング内へと飛来した二本目が、無防備な諸星の背中を一穿したのだ。

 祝へと視線を集中させていた諸星はこれに反応することすらできなかった。

 恐らくは彼本人も、その最後の瞬間まで事態を理解できないままだっただろう。試合を俯瞰的に見ていた観客や実況席、そして百戦錬磨の達人である一輝たちですら唖然としたままなのだから。

 

 そして諸星の頭蓋が砕かれ、真っ白なリングに赤とピンクの脳漿が飛び散ってから数秒後。

 ――事態が動く。

 

『き、きゃぁぁぁあああああああああッッ!』

『うわああああぁぁぁあああぁああ⁉︎』

『まただ! また今年も《告死の兇刃》が殺しやがったぞ!!』

『早く医療班を! このままだと諸星が死んじまうッ!』

『いや、というか……もうありゃ死んでるだろ!? 脳みそぶち撒けてんぞッ』

 

 客席から悲鳴と怒号――そして一部からは小さな歓声が飛び交い、会場は阿鼻叫喚の地獄絵図となる。

 この場の誰もがわかっていたはずだった。

 《実像形態》で命のやり取りをしている以上は誰かが瀕死の重傷を負ったり、あるいは即死するような致命傷を見せつけられることになることを。

 しかし、これはあまりにも惨すぎる。

 トドメを刺したと言えば聞こえがいいが、心臓を貫いた相手の頭を斬り刻むなど死体蹴りもいいところだ。明らかな過剰攻撃(オーバーキル)。騎士としては当然ながら褒められる行為ではない。

 実際そのあまりにグロテスクな光景に観客たちの多くは顔を青褪めさせ、思わずその光景から目を逸らした。中には前方の席でそれを直視してしまい、その場に吐瀉物を撒き散らした者もいる。

 テレビ放送は現在、放送事故として自然の景色と緩やかな音楽を流してお茶を濁していた。熟練カメラマンの英断により直前でカメラを切ったため衝撃の映像がお茶の間に流れることにはならなかったのが不幸中の幸いか。

 だが、何にしてもそれについて議論を交わしている時間はなかった。事は一刻を争う。

 

「《時間凍結(クロックロック)》ッ」

 

 その時、まるで予定調和のように客席から一発の銃弾が諸星を撃ち抜いた。

 途端、諸星から流れ出る血が動きを止める。

 そして客席から黒い影が――このような事態に備えて控えていた黒乃が飛び出し、魔術を維持しながら医療班へと叱咤する。

 

「落ち着けッ、去年と同じだ! 疼木が参加する以上、この程度の惨事は大会前から充分に想定されたことだろう! 医療班は担架を回せ! 医務室は再生槽(カプセル)の準備! 急げぇッ!」

 

 黒乃のその言葉に突き動かされたのか、ゲートから担架を担いだ医療班の人間がすっ飛んできた。

 だが黒乃はその到着を待たず、諸星へと時間遡行の魔術を施す。現代医療は確かに発達しているが、流石に零れ落ちた脳漿までは再生が難しいためだ。よって心臓の治療に先んじて、脳の治療を優先しているのである。

 そして遅れて医療班が到着。諸星の時間が止まっているのを確認すると強引に突き立った大鎌を引っこ抜き、諸星を担架に乗せて走り去っていく。

 それに付き添いながら立ち去った黒乃は去り際に憎々しげに祝を睨んでいったのだった。

 

「お疲れ様で~す」

 

 そしてその背中を見送る祝。

 飛び散った諸星の脳漿の破片や返り血が制服の所々に付着しているが、そんなものを彼女が意に介すはずもない。

 彼女の理想通りの形で大鎌の()()()()活躍を魅せて幕を下ろせたことで、祝は終始穏やかな笑顔で黒乃たちを見送っていた。

 

『…………な、何ということでしょうッ……。突如二本目……二本目ですか? 二本目の大鎌が諸星選手を貫いたかと思われた瞬間、疼木選手がまさかの追い討ちです! ちょ、ちょっとこの試合は色々とありすぎてコメントに困る試合でしたが、その最後もまた予想外の展開を迎えました! そして担架に運ばれていく諸星選手を、血化粧を纏った疼木選手が悠然と見送ります……!』

『……疼木選手。大会運営によって定められたルールの関係上、退出の前にいくつか質問させてください』

 

 実況が色めく中、解説の牟呂渡が退場しようとする祝に待ったをかけた。

 それに対し不思議そうに首を傾げた祝が、「何でしょうか?」と実況席を見上げる。

 

『では質問させていただきます。貴女が諸星選手の背後から突き刺した二本目の大鎌。……複数型の霊装であったことを黙していたことはルール上問題ありません。戦略として情報を伏せるのは騎士として当然のことです。しかしあれは会場外から第三者によって投擲されたように見えましたが、それはどういうことですか?』

 

 牟呂渡の指摘に会場中がざわめく。

 確かにそうだ、とステラは内心で頷いた。

 祝が大鎌を二本も顕現させられる――双刀ならぬ“双鎌”と言い表すべきなのだろうか?――使い手であったことにも驚かされたが、そこはもうそういうものだと納得するしかない。

 むしろ「大鎌は一本しかない」という常識に囚われていた自分の迂闊さを恥じるところだろう。

 しかし背後からの一撃は、一体どこから、どうやって諸星に突き立てられたのか。その説明がないまま祝を帰すのは彼女も……いや、彼女だけでなくこの会場にいる多くの人間が納得ができなかった。

 彼女に限って反則などという(こす)い真似はするまいが、しかしこの場においては納得こそが何よりも優先されていた。

 

 だが牟呂渡の指摘に、祝は「まさかぁ」と笑う。

 

 笑いながら、徐に手元の《三日月》を片手で一旋させた。

 すると突如、として諸星から引き抜かれ地面に転がっていた二本目が跳ねるように起き上がり――まるで自ら意思を持っているかのような挙動で祝の手元へと舞い戻ったではないか。

 その大鎌の不可解な動きにステラは思わず目を剥いた。

 そしてそれは牟呂渡も同じだったようで、『これは……!』と驚愕を声音に滲ませた。

 

「観ての通り、魔力の糸です。感知できず視認もできないギリギリにまで魔力を抑え霊体化させた糸が二本の石突には結び付けられています。これを使ってもう一本を操り、リング外より手繰り寄せた。それだけのことですよぉ。ルールのどこにも抵触してはいません」

『むむ……』

 

 牟呂渡は唸る。

 確かにルールには抵触していない。

 七星剣舞祭のルール上、リング外から内側へと攻撃を加えるのは反則に当たる。しかしこの攻撃はリング内からリング外を通じて相手選手を攻撃している。これならば確かに選手がリング外へと出たわけではないので、ルールに則った攻撃ということになるだろう。

 一例として、ステラと対戦した平賀玲泉も同様の攻撃を繰り出している。

 彼はリング内より会場周辺の廃車などを集め、それを組み合わせることで巨大な人形を即席で作り出した。このように、リング内から外へと干渉する攻撃はルール違反に当たらない。

 

『し、しかしその二本目は! その二本目の大鎌はいつリング外へと設置したのですか!? 試合中にそんなことをしていた様子はなかったはず! 試合前の設置だとすれば、それは立派なルール違反だ!』

「いつって……それくらいはプロに上り詰めるほどの方ならわかっていると思ったんですけど。――試合の一番最初ですよ。ゆーくん……諸星選手に投げるふりをして赤ゲートの奥に設置しました」

『一番最初? …………ああああ、あっ!!!』

 

「……ッ、まさかあの時に!」

 

 思わず牟呂渡が声を上げるのと同時に、ステラも祝の指摘した瞬間を脳裏にまざまざと思い浮かべていた、

 そう。試合の開始直後、確かに祝は《三日月》を諸星に投擲していた。諸星はそれを難なく躱したため誰もの意識からその一投目の大鎌は外れてしまっていたが……

 

『……では、貴女が再展開したように見せたその《三日月》は……!』

「はい。()()()()()()()()

『……なんて、ことだ……では、貴女は最初からこれを狙って!』

 

 ここに来て牟呂渡を含め、開場の全ての人間が理解させられた。

 全ては順序が逆だったのだ。

 試合の開始直後に放たれた一投目――即ち諸星の背中に突き立てられた《三日月》こそが一本目の《三日月》。

 そして祝はその事実を二本目の《三日月》でさも再展開したかのように欺きながら、試合開始の直後からずっと背後から諸星を強襲する機会を虎視眈々と伺っていたのである。

 

「二本目で普通に斃せるのならそれに越したことはなかったんですけどね。《暴喰》が邪魔だったのでプランBで奇襲させて戴きました」

 

 左の《三日月》を肩に担ぎながら、右の《三日月》をクルリと一旋させてこびり付いた肉片と血を払う。その動きに淀みはなく、二本の大鎌を用いることに何の苦もないことが伺い知れた。

 そう、つまりは最初から計算尽く。

 奇襲が必要となる事態すらも視野に入れ、彼女は最初から行動していたのだ。それも最初の一手目で。

 

「それで? まだ聞きたいことはありますか?」

『…………いえ、結構です。疼木選手、お疲れ様でした。お時間を取ってしまい申し訳ありません』

「いえいえ~、納得して戴けて何よりです。それでは~」

 

 虞れすらその声音に滲ませながら、牟呂渡が退出を許可する。

 それを聞いてニッコリと笑った祝は最後に観客席をグルリと見回しながら手を振ると、入場時と同じような朗らかな足取りで退場していったのだった。

 

「……凄まじい試合だったね。疼木さんも諸星さんも、どちらも尋常な騎士ではなかった」

「ええ。流石は前年度の七星剣舞祭で頂点を競った二人。ハフリさんが色々と怪物染みていることは前から知っていたことだけれど、モロボシさんも恐るべき騎士だったわ」

 

 一輝が思わずといった様子で漏らした感想に、ステラもまた首肯した。

 相変わらずわけが分からないほどにロスのない《魔力制御》と、それを用いた格闘技術を見せつけた祝。そしてあらゆる距離から霊装を破壊しにかかり、加えて魔術の一切を無効化してみせる諸星。

 今回は祝に軍配が上がったが、仮にステラが諸星とぶつかっていた場合でも自分が勝てたかどうか……

 無論、ステラも敗けるつもりなど毛頭ないし、試合を見る限り充分に勝機のある相手であることは断言できる。しかし破軍学園の選抜戦で何人も下してきた生徒たちと比較すれば、その練度は雲泥を超えて最早天地の差だ。

 打倒するにしても、容易くとは行かないだろう。

 

 だが、そんな諸星を祝はほぼ無傷で制してしまった。

 

 あの領域となれば一撃が必殺となり得る世界なので、そのこと自体は不思議ではない。

 現に諸星も、最後の背後からの強襲以外は無傷も同然の姿で祝の攻撃を受けきっていた。

 しかし理解はできてもステラの内心に張り詰められた緊張が解けることはなかった。

 

 ――もしもあそこに立っていたのが自分だったら。

 

 そんな想像がステラの脳裏を過り、思わずゴクリと唾を飲み込む。

 元よりそんなつもりなどなかったが、やはり祝は微塵も油断ができる相手ではないということを、五感を通して改めて思い知らされる。

 彼女とぶつかるのは決勝戦だが……その時は開幕から全力全開だ。未だこの大会で見せていないあの切り札すらも即行で使わなければならないだろう。

 しかしステラが内心でその覚悟を固めていたまさにその頃。

 

 多くの強者たちが試合の内容を反芻している中、試合会場の観客席は騒然の渦中にあった。

 

 その原因となった少女が姿を消すと、潜められていたその声量は爆発的に大きくなっていく。

 曰く「やはり疼木はやりすぎている」、「あそこまで徹底的に殺す必要はなかった」、「やはり彼女は《七星剣王》の冠を戴くには過激すぎる」という声がその大半だ。

 

 しかしその一方、彼女に肯定的な意見も少なからずあった。

 

 「殺し合いのルールの中で確実にトドメを刺すことの何が悪いのか」、「あの圧倒的な強さこそ《七星剣王》を名乗るに相応しい何よりの証拠だ」、「強さこそ騎士の大前提。弱い騎士では国を守れない」という彼女の力こそを尊ぶ意見だ。

 

 しかし実際のところ、彼らの意見はそのどちらもが正しいものだった。

 

 騎士とは即ち、国防を最も直接的に担う国の要。国民はそれに身を預けることで日々の安寧を享受することができているのだ。

 その騎士が野蛮で凶悪だったとしたら……それは国民が心配するのは無理もない。

 だが仮に騎士たちの皆が高潔であったとしても、国を守れるだけの力が備わっていなかったのならば……それは騎士という職務そのものの存在意義が崩れる。

 

 思いだけでも、力だけでも騎士は務まらない。

 

 高潔な精神と万夫不当の力。この二つこそが騎士に最も求められる素養なのだ。

 だからこそ祝の姿を見た人々の意見は真っ二つに分かれる。

 序列二位である諸星との試合は、結果的に祝がほぼ無傷のまま制することとなった。即ちそれほど一位と二位との間に圧倒的な力量差があることを見せつけたこととなる。これを見てもまだ彼女の騎士としての力量を認めない者はこの国には存在しないだろう。

 だが同時に、彼女は呼吸をするように修羅としての側面を人々に見せつける。

 当然といった顔で敵にトドメを刺し、笑いながら人を殺し、道徳を嘲笑するかのように問題を起こす。

 力と精神、そのどちらを重要視するか。

 もちろんこれの問いは極論だ。

 しかし祝という少女は、その極論を鼻先に突きつけてくる稀有な存在と言えるだろう。

 

「やっぱり荒れるわよね、今の試合を見た後は」

 

 口々に意見を交わし合う観客たちを眺めやりながら、ステラは彼らの言葉へと耳を傾け呟いた。

 実際、ステラとしても彼らの意見はどちらも正しいと感じている。どちらの意見にも思うところがあり、そしてどちらの言葉にも頷けるところがあった。

 もちろん日本は道徳観念が行き渡っている国であるが故に、祝に対しては批判的な人間が多い。

 しかし国民性など時代によって変わる。

 もしも今が戦乱の時代だったのならば、果たして彼女はここまで否定されていただろうか。

 

「確かに彼女の力だけを見たのならば、味方としてこれ以上に頼もしい人もいないでしょう。でも、彼女の精神だけを見たら、決して万人受けするものじゃない。だってハフリさんは自分が闘いたいから闘って、守りたいものだけを守る――それが全ての人だから」

 

 何人(なんぴと)であろうとも彼女を縛ることはできない。

 だからこそ只人は祝に底知れぬ不信感と恐ろしさを覚え、そしてその自由さに憧れた人々は彼女の後ろ姿に熱狂する。

 

「そう、それが彼女の最も危険なところだ」

 

 観客席から祝の去ったリングを見下ろす一輝は、ステラの言葉に頷きながらそう呟く。

 

「彼女の自由は――それを形成する“狂気”は伝染する。愚直なまでに自分の目標を追い求める彼女には、ある種の人間にしか伝わらない狂気のカリスマがある。……諸外国の盾となる騎士として、彼女は恐らく最も相応しい力を持つと同時に最も不相応な精神を持つ人材の一人だろう」

 

 狂気の伝染。

 それにより一つの争いがまた争いを呼ぶ。

 考えたくもないが、彼女の考えに当てられた人間が増えれば増えるほどその狂気はさらに大きくなっていくだろう。

 

 ――最悪の想像が一輝とステラの脳裏を過る。

 

 いつか彼女の狂気に触れ、伝染し、群衆となった修羅たちが、世界の平穏を食い潰すその光景を。

 高潔さこそを尊ばれる騎士たちがただの戦闘集団に成り下がり、平和な国々を慮ることもなく戦争を繰り広げていく世界を。

 もちろんそれが杞憂であることを一輝もステラも願っているが、他ならぬ一輝がその狂気に当てられかけた人間だということを思うと一笑に付すことはできない。

 

「でも、もしも……もしも疼木さんがその狂気で僕の手の届く範囲を血で染めることになったのならば……その時は、僕が彼女を止める」

 

 思えば、一輝はこの時微かに予感していたのかもしれない。

 彼女の狂気が、やがてそう遠くない未来で多くの人々を巻き込んだ争乱に関わっていくことになることを。

 だが、それはまだ先の話。

 この時、心底一輝とステラはこの予感が杞憂であることを願っていたのだった。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

『何とまさかの二本目の大鎌という予想外の一手に、私も驚きを隠せない試合でしたッ。しかし牟呂渡プロ。短剣や片手剣などの類の小型~中型武器ならばともかく、大鎌のような重量系武器を複数展開することなど現実的にあることなのでしょうか?』

『あり得ないとは申しませんが、世界的に見ても珍しいタイプであることは間違いないでしょうね。そもそもそういった類の武器は両手で扱うのが基本。二本以上の展開ができてもメリットが薄いため、伐刀者の本能的にそのような形にはならないというのが通説です』

『なるほど。では疼木選手はその通説から外れたレアケースということですね』

 

 試合会場の湾岸ドームから近すぎず遠すぎずといった位置にある無人の海辺。

 そこでとある二人の人物が電子学生手帳のテレビ機能を用いて祝の試合を眺めていた。

 その内の一人――《比翼》のエーデルワイスは「ほう」と感心したように息をつく。

 

「霊装の名といい、二振の霊装というスタイルといい、つくづく彼女とは共通点が尽きませんね。しかしなるほど。彼女の戦う姿は初めて見ましたが、確かに尋常な使い手ではないようです。貴方が執着するのもわかる気がしますよ、オウマ」

「ふん」

 

 不機嫌そうに鼻を鳴らしたのは、腕を組みながら画面越しに祝を睨む王馬だった。

 事実、彼の機嫌は諸星と祝の試合を観てから下降の一途を辿っている。

 なぜか。

 それは今回の試合で、祝が王馬との闘いですら見せなかった“双鎌”という武器を持ち出したためである。

 

「奴め、まだ手札を隠し持っていたか。俺との闘いではそれを使うに値しなかったということか? 巫山戯た真似を……」

 

 ギリッと奥歯を噛み締めた王馬は、荒々しく手帳のテレビ機能をOFFにした。

 これまで喧しく鳴り響いていた音が消え去り、周囲は風と波の音と遠方より時折届く街の音だけとなる。あとは稀に近くの国道を通り過ぎる車の排気音くらいだろうか。

 昼間だと言うのに周囲に人の気配はなく、それ故に彼は他者の目を気にすることなく修行に励むことができていた。――少なくとも王馬に感じ取れる気配はこの場には、ない。

 

「さて、休憩はこんなところで良いでしょう。そろそろ鍛錬を再開しましょうか」

「――応」

 

 二振の剣《テスタメント》を顕現させたエーデルワイスに対し、王馬もまた《龍爪》を展開することで応える。

 翼を広げるように剣を構えたエーデルワイスは、その身体から圧倒的な剣気を放ちながら王馬に問うた。

 

「オウマ。修行の前にも言いましたが、ハッキリ言ってハフリとの試合に間に合わせる形で劇的な強化が叶うかどうかと問われれば私は『非常に難しい』と答えます。今、貴方が行っていることは徒に体力を消耗させるだけの無駄な行為かもしれませんよ? ――それでも続けますか?」

 

 エーデルワイスの言っていることは事実だった。

 たとえばゲームで考えてみてほしい。

 レベル1のキャラクターとレベル50のキャラクター。成長率が高いのはどちらだろうか? 考えるまでもなく僅かな経験値でレベルが上がるレベル1の方だ。

 ましてや王馬は先日《魔人》の領域に到達した、いわば成長限界を超えてカンストした存在だ。

 そんな彼が一朝一夕で強くなれるかと問われれば、伐刀者の素人であってもそれが難しいということがわかるはずだろう。

 

「それがどうした」

 

 しかし王馬はエーデルワイスの問いにそう言い切った。

 

「難題に挑むことは愚かなのか? なるほど、無謀へと挑むことは確かに愚かかもしれん。――だが難題だからと無条件に膝を屈する者こそが本物の愚者なのだと俺は思う。同じ愚者ならば、俺は挑んだ末の愚者になりたい」

 

 王馬は断言する。

 ここで少しでもと強さを求めることに決して迷いや後悔などないのだと。

 祝という修羅(バケモノ)に挑むためならば、この程度の道程を踏破できなくてどうする。

 少なくともあの女ならば、可能か不可能かを論じる前にこの程度の苦境など喜んで挑戦していくことだろう。

 

「俺は《魔人》となり限界を超えたと貴女は言った。そして場を整え、さらに貴女という世界最高の師にも就いてもらった。既に人事は尽くしたのだ。ならばあとは、俺自身の力で天命を引き寄せるのみ」

「……貴方が、そこまで言うのならば」

 

 エーデルワイスは根負けしたように溜息をついた。

 事実、王馬は先日の闘いで伐刀者としての限界を超えた。ならば彼女としても、自身が鍛えるだけの素質があると王馬を認めざるを得ない。

 

「ならば最早言葉は不要ですね。ハフリとの試合までそう長く(とき)はありませんが、それまで私ができることをしましょう。精々足掻いてみせなさい」

「望むところ」

 

 そして二人の剣気が収束し――次の瞬間、刃を合わせることで爆発した。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 ひゃっほい! 勝った勝った!

 

 見事にゆーくんを大鎌でぶち殺した私は、上機嫌でゲートを潜りその先の廊下へと歩みを進めていた。

 いや~、本当は二本目の大鎌を使うつもりはあんまりなかったんだけどねぇ~。

 だってそもそも戦場に二本も大鎌を持ち歩くような人なんていないだろうし、そもそも重量系の武器を複数本も展開できる伐刀者なんて殆どいない。

 だから未来の大鎌ユーザーの参考にならないし、布教用としても微妙なのでこれまで使うことはなかったのだ。

 

 ……いや、まぁ? カッコいいからいつかは使いたいなとは思っていたけど。

 

 しかし今回、私がその手札を切ったのは、ゆーくんの強さを警戒していたが故だ。

 実際、彼が思った以上に手強かったので、背中刺す刃的な展開で幕を下ろすこととなってしまった。不意討ちにすらも使えてしまう大鎌はやはり万能。ハッキリわかんだね。

 えっ、王馬くん?

 あの人には別に使う必要ないよ。だって片手で大鎌使ってもあのきんに君には刃が通らなさそうだったし。

 知ってるか? 大鎌ってのは片手で振るより両手で振ったほうが強ェんだぜ?

 

 ……さて。

 これからどうしようかな、と歩きながらふと思う。

 とりあえずシャワーを浴びて血を落とすところは決定している。その後はどうしたものか。

 

 あっ、そうだ。

 その前に医務室にも行っておこう。

 さっき魔力放出で顔面を吹っ飛ばしたせいで口の中を切っちゃったんだよね。

 別に“能力”を使えば一瞬で治る傷ではあるのだが、しかし現代は監視社会。どこで誰がその様子を見ているかわからない。とりあえず医務室に行けば治癒術で治してもらえるわけだし、ここはゆーくんへの見舞いも兼ねて大人しく行っておくかと思った次第。

 

 その後は……時間は既に午後の夕方に近い。

 残るところも数試合だし、物見遊山で見物していってもいいが……

 

「ぶっちゃけ面倒だな~」

 

 誰にともなく呟く。

 だって残りは原作キャラたちの試合だし、彼らが勝ち残ってくるのは明らかだろう。

 特に加我さん。

 あの人は小学生リーグの頃からやり合っていた仲だから、確実に上がってくることはわかっている。

 そしてもう一人は原作で読者に「どうやって勝てばいいんだよ」と言わしめた暁三人衆の一人、サラ・ブラッドリリーだ。あれも勝ち上がってくるだろうし。ちなみに残る二人は、筋肉モリモリマッチョマンの王馬くんとリアルラッキーマンの紫乃宮天音である。

 

 何にしても。

 

 勝ち残ってくる二人は原作にも登場するキャラ。

 戦法も強さも大まかに把握しているので、別に見る必要も……

 

 

「――いかんいかんいかァん! 慢心、ダメ、絶対! 知識はあくまでベース! 現実は違うんだってば!」

 

 

 次の瞬間、私は戒めの意味を込めて両頬を勢い良く張る。

 そうだ。慢心はいかんのだ。

 慢心せずして何が王か? うるせぇ、こちとら王は王でも《七星剣王》だい! 七星剣武祭の王が試合を観戦して何が悪い!

 というか今回のゆーくんとの試合。これで私は改めて現実というものを突きつけられた。

 

 即ち、既に原作との乖離は確実に、それも起こるところでは激しく起こってしまっているのだと!

 

 黒鉄の《一刀天魔》、王馬くんの《魔人(デスペラード)》化、そしてゆーくんの原作にない成長と、既に三人の例を見せられている。ゆーくんの成長は完全に私がスケジュールを狂わせたためだが、他の二人はもう私が存在しているからこそ起こったバタフライエフェクトとしか言い様がない。

 この調子ではステラさんとかがどんな化物に変貌していても不思議ではない。だってあの人、原作者公認の化物チートヒロインだもの!

 そんな変化が他のキャラに起こっていないとも限らない。

 大鎌を滞りなく活躍させるためにも、念の為に偵察しておくことは必要ではあるまいか!

 

「そうと決まれば急いで医務室に行かないと! 次の試合に間に合わない!」

 

 改めて決意を胸にした私は、歩みを若干速めながら医務室へと向かう。

 次の試合まで恐らくそう時間はないはずだ。

 そう思い私は無人の廊下を強歩していたのだが……

 

「――待ちなよ」

 

 そんな時だった。

 通路の影から、まるで闇を纏うかのように黒い影が――紫乃宮天音が姿を現したのは。

 

 



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「覚悟」とは!

 暗闇の荒野に!
 進むべき道を切り開くことだ!


 毎度ながら感想や誤字報告ありがとうございます!


「――待ちなよ」

 

 私の行く手を遮るように通路の陰から現れたのは、私よりもちっこい少女のような顔立ちの美少年だった。

 もうこれだけでおわかりだと思うが、先程ちょっとからかっただけで私から泣いてチビって逃げ出した負けワンコこと紫乃宮天音くんである。

 そんな彼が、まるで親の仇でも見るような濁った瞳を私に向けている。

 なんぞ?

 

「何かご用ですか、天音くん? ちょっと急いでいるので、手短にお願いしたいんですけど」

「惚けるなよ。お前が何かしたに違いないんだ。……お前、()()()()()()()()?」

「はい?」

 

 突然意味のわからないことを言い出した天音くんに、私は思わず首を傾げた。

 なんでって、そりゃ〜私がゆーくんより強かったからでしょうよ。

 むしろそれ以外に何があるよ?

 しかしどうやら彼が言いたかったのはそういうことではないようで……

 

「ふざけるな、お前が勝つはずないんだッ……。お前は一回戦で無様に敗けなきゃいけなかったんだ。だって……だって僕は、()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

 

 急に目を血走らせた天音くん。

 そしてそのまま血を吐くような勢いで彼は言葉を捲し立てていく。

 

「どうしてだよッ、なんでお前勝ってんだよッ。僕の《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)》は絶対なんだ! なのになんでッ、どうやって勝った! あり得ない! 何なんだよお前ェ!」

「……ああ、そういうことですか」

 

 先程の猫撫で声のような甘えた口調ではなく、剥き出しの感情に晒されたその言葉。

 それによってようやく話が見えてきた。

 彼の能力は《過剰なる女神の寵愛》といい、要は願ったことが何やかんやで叶ってしまう因果干渉系の能力なのだ。

 そしてどうやら彼は呆れたことに、ゆーくんとの試合で私が惨敗することを健気にもずっと願い続けていたらしい。

 

「なるほど。貴方、私の試合中にずっと能力で私に妨害を入れていたんですね? 小癪なことしますねぇ」

 

 ぶっちゃけ、全然気が付かなかった。

 たぶん何かしらの影響は私に起こっていたんだろうけど、恐らくは知らぬ間に《既危感》で対処してしまっていたのだと思う。

 

「なぁんだ。『あらゆる願いを叶える能力』っていうから、あわよくば私の夢に利用できるんじゃないかって思っていたりしたこともあったんですけど……所詮はその程度の干渉力なんですか。まぁ、指向性が強いのならともかく垂れ流しの因果干渉系なんてそんなものですよねぇ」

「………………その、程度……? そんな……もの…………?」

 

 呆然と呟く天音くん。

 顔からは血の気が引いていき、俄かに全身が震え出す。

 大きく見開かれた目は充血し、口元は開閉を繰り返して声にすらならない息を吐き続けていた。

 

「ふ、ふざ、けるな……《過剰なる女神の寵愛》は無敵だ……無敵のはずなんだ。だって、そうじゃなきゃ、僕は今まで何のために……」

 

 よろよろと後退った天音くんは、やがて無表情なままにブツブツと何事かを呟き始めた。

 どうやら私に能力が通じなかったのが余程堪えたらしい。

 う〜ん、井の中のフロッグ、オーシャンをドントノウですわ〜。

 あの程度の妨害、私にとっては大した手間もなく対処できる程度の些事に過ぎない。いや、むしろ()()()()()()その能力は通用しない。

 

「ずっと……ずっと僕はこの能力のせいで諦めさせられ続けてきたんだ……! こんな力のせいでッ、僕は何一つ認められなかったんだよ! それをッ、“そんなもの”呼ばわりされて堪るかッ……!」

 

 すると徐に、彼はその手の中に無数の剣型霊装《アズール》を顕現させた。

 そして仄暗い炎のような光をその目に宿しながら、まるで幽鬼のようにゆらりと前へ進み出る。

 どうやら()る気らしい。

 

「いいんですか。場外での乱闘は一発で失格扱いになりますよ? ここにはカメラもあります」

「そんなの見つからなければどうってことない。今、僕は『君を痛めつけるのを見つかりたくない』と願っている。何だかんだで、この瞬間が第三者に見つかることはないよ」

「へぇ、便利なものですね」

「……随分と余裕だね。それってつまり、泣いて許しを請うても誰も助けてくれないっていうことでもあるんだよ?」

「……??? 誰が? 誰に?」

「……ッ」

 

 思わず私が首を傾げると、天音くんはなぜかワナワナと震えながら閉口した。

 

「どこまでもふざけやがってッ!」

「ぷふふっ」

「ッ、何がおかしいんだよ! さっきの時もそうだ。ヘラヘラと笑って、人のことを見透かしたようなこと言って! お前に僕の何がわかるっていうんだよ!」

 

 熱り立っているが、しかしその様に私はますます笑ってしまっていた。

 本当に彼は面白いと思う。

 

「さぁ? 私は私の知っていることしか知りませんからね。でもこれくらいは知っています――貴方は自分に自信がないんですね」

 

 殺意を顕にする彼に、私もまた一歩踏み出した。

 隠しきれなくなった満面の笑みを、とうとうその表情に浮き上がらせて。

 

「本当は怖いんでしょう? 今まで自分の能力で何でもできてきたから本当は自分では何にもできなくて、自分の存在価値はその能力だけなんじゃないかって」

「……黙れよ」

「誰かに認めてもらいたい。でも自分で自分が信じられない。怖い。そもそも自分の力を証明することができない。だから他人を能力で蹴落とし、嘲笑い、夢を諦めさせ努力を否定することで自分の安寧を維持しようとする」

「煩い。黙れ」

「いや〜。本当、素晴らしいほどの負け犬根性です! あはははははっ、やっぱり君を見ていると愉快な気分になれます。負け犬ってサイコーですね!」

「――ッッッ、黙れって言ってんだろぉ!」

 

 そして突如、天音くんが無数の《アズール》をこちらに投げ放ってきた。しかしそれが私に届くかと思われた瞬間、一瞬で展開した《三日月》を一旋させてその全てを弾き飛ばす。

 弾き飛ばされた剣群は残らず地面や壁へと突き立ち――それだけだ。そのまま何も起こることはなく、シンと廊下は静まり返る。

 その様子に天音くんは明らかな動揺を見せた。

 恐らくは普段の調子ならば、何もしなくても持ち前の“運”で何かしらの攻撃が成立していたのだろうが……

 

「無駄ですよ。私の《既危感》は私に降りかかるあらゆる“害”を見通す。貴方の能力が誘発する失敗(エラー)も偶発的事象も――既に飽きるほど()()()()ですよ」

 

 今の攻撃は私が適当に弾くだけで壁を剣が乱反射し、四方八方から刃が襲いかかる攻撃に変貌するよう因果が操作されていた。

 ならば対処は簡単。

 どう因果が干渉しても乱反射できない角度と速度で弾き飛ばせばいい。

 

「そんな……馬鹿なッ……」

「何を驚いているんですか? あっ、もしかして私の能力を事前に調べることもなく闇討ちをしてきたとか! ぷぷっ、本当に馬鹿ですねぇ君は」

「ッ、煩いんだよぉ!」

 

 しかし驚愕の表情から一転、再び憎々しげに再びこちらを睨みつけると、今度は二刀流の形で《アズール》を展開。

 素人丸出しのチャンバラ剣術でこちらに飛びかかってくる。

 

「うわぁぁぁあああッ!」

 

 悲鳴のような声を上げて二振の剣を振り上げる天音くん。

 普段ならばこれらの攻撃の全てがラッキーパンチに変貌するのだろう。

 加えて彼が攻撃を仕掛けた途端にどこからか私の目に埃が飛んできたり、唐突に足が縺れたりと様々な因果の妨害が干渉してくるものの……

 

「私の《既危感》にまぐれ当たりは通用しません」

 

 埃を首を傾げて躱し、足の縺れは歩幅を変えて対処。

 その他の失敗も《既危感》による経験値を用いて全て一斉に処理していき、そして剣が振り下ろされる直前。

 その無防備な顔面を私の前蹴りがぶち抜いた。

 

「ぶあっ⁉︎」

 

 間抜けな悲鳴を漏らしながら、天音くんは受け身も取れず地面に転がった。

 原作知識で知っている。

 彼はこれまで全ての戦闘と呼べる行為を能力による偶然性で対処してきたため、本人の戦闘能力は皆無に等しいのだ。つまり才能にかまけて全く努力をしてこなかった人間なのである。

 しかしその才能を上回る存在を前にすれば、彼は無能なガキでしかない。

 よって彼が私に勝てるはずもない。その程度のこと、仮にも《解放軍》の人間であるならば彼にもわかりそうなものだが。

 

「素人剣法。能力はダダ漏れのノーコン。おまけに私との相性差も理解できない。零点です、よくそんなザマで今まで生き残ってこれましたね。イージーモードが許されるのは小学生までですよ?」

「な、な……」

 

 自分の力が全く通用しない……否、発動している様子すら見えないこの状況に、どうやら彼は混乱しているらしい。

 まぁ、そうか。

 今までここまで能力を弾いてくるような人間とはきっと会ったこともなかったんだろうから。

 そういう意味では、私の能力と彼の《過剰なる女神の寵愛》との能力は最悪にして真逆だ。

 彼の『何でも願いが叶う能力』とは違い、私の“能力”は効果が凄まじく限定的な分、その内側ならば《既危感》は効力も桁違いなのだから。

 こと私への“害”という領域に関してならば、《既危感》は――否、私の《死に至らぬ病》は他の因果干渉系の追随を許さない。抵抗(レジスト)するまでもなく正面から捻じ伏せられるほどだ。

 まぁ、元々因果の干渉などという下らない方法で、大鎌の活躍という輝かしい場を曇らせるつもりなんて毛頭ないけどね。

 

「さて、それで次はどうします? そろそろ君の攻撃が私には何にも通じないってことがわかってきた頃だと思いますけど。それとも、まだ何か私に面白いものを見せてくださるんですか?」

「…………」

 

 無言のまま天音くんが俯く。

 しかし何を思ったのか、唐突に「クククッ」と小さな笑みを漏らしながら徐に立ち上がる。

 

「あーあ。本当は君に泣いて土下座でもさせられればそれで充分だったんだけどな。『もう生意気なことは言いません。赦してください』って謝ってくれれば、僕はそれで良かったのに。――お前が悪いんだ」

 

 顔を上げた天音くんの表情には歪んだ笑みが張り付けられていた。

 可愛らしい相貌は幽鬼のように生気を失い、しかしその目だけは当初の爛々とした殺意を激しく放っている。

 そして彼はますます笑みを深くしながら、こう言葉を紡いだ。

 

 

「死んじゃえ」

 

 

 殺意の呪言。

 天音くんが発したその言葉に因果の歯車が軋みを上げる。

 彼は今、心から私の死を願ったのだろう。

 その殺意に《過剰なる女神の寵愛》が反応し、彼の背後に佇む見えざる女神の腕が私へと伸びてくるのを感じた。

 

「死ねッ、死ね死ね、死ねぇ! お前なんか死んじゃえばいいんだ! 惨たらしく苦しんで死ね! 地獄で後悔しろクソ野郎! あはははははははッ!」

 

 ケタケタと狂ったように天音くんが笑う。

 その歪んだ笑みは殺意と憎悪に溢れており、その可愛らしい顔立ちを悪魔の形相へと変貌させていた。

 そして彼の望みに応えるかのように女神の腕は私の心臓を包み込み、その動きを止めようと……

 

 

 

「――《天網壊々(カウサ・ラテト)》」

 

 

 

 次の瞬間、チリッと私の身体から黒い火花が散った。

 恐らくは廊下の暗がりに紛れ、紫乃宮くんの目では捉えられなかっただろうほどの淡い火花。

 しかしその火花が散るや否や――何も起こらない。

 

「あはははははははははは……はは……は、…………は?」

 

 呪言が紡がれてから五秒が経ち、やがて十秒が経過し、そして二十秒が過ぎ去ったところで天音くんの笑みが止まった。

 何が起きたのか――否、何も起きないことにようやく気が付いたらしい彼は、今度こそその表情を完全に停止させる。

 一向に死ぬ様子のない私を見て、引き攣ったような笑みを浮かべたまま。

 そのまま動く様子のない彼に私は大股で近づいていき、その無防備な顔面に拳を叩き込んだ。

 

「おごぉぉおッ!?」

 

 捻りを加えて頬に拳を叩き込まれた紫乃宮くんは、そげぶと言わんばかりの綺麗な放物線を描いて吹っ飛ぶ。

 それでようやく再起動したらしい彼は、痛みすらも忘れたように、信じられないものを見るような目で私を見た。

 

「なッ、なんで……!? ぉ、お前……、何をした……!」

 

 驚きのあまり碌に舌も回らないらしい。

 それほどに混乱した様子の紫乃宮くんだったが、そんな彼の疑問に私が答える義理などない。

 

「言葉一つで人間を殺せるだなんて、デスノートも真っ青な万能性ですね。素晴らしいです、感動しました。――私には通じないですけど」

「な……な……」

 

 余程今の攻撃が私に通じなかったのがショックだったのか、もう彼はまともに口を利くことすらできない様子だった。

 言葉すら失ったか……、と思わずモロの母ちゃんみたいなことを思う私。

 しかしこのまま彼の間抜け面に付き合う義理もないので、私は溜息交じりに口を開いた。

 

「それで、次は? まださっきのチャンバラで私に立ち向かってみますか? それともまだ技の引き出しでも? 残念ですが、私は三分間も待ってあげるほどお人好しではありません」

 

 とはいえだ。

 私もこのままバッサリと彼を殺してしまうほど鬼ではないし、そもそも最初からそんなつもりもない。

 彼が勝手に突っかかってきただけで、私としては彼のことなどどうでもいいのだ。

 だからここは穏便に済ませてあげようと思い、尻餅をつく紫乃宮くんに歩み寄った私は、優しく彼の肩に手を置きながら耳元で囁く。

 

「まぁ、私としてはまだ頑張ろうなんて主人公みたいなことを思わないで、……このまま尻尾を巻いて逃げ出してくれると愉しいなって」

「……ッッ」

 

 ビクッ、と彼は総身を震わせる。

 その目は先程までの仄暗い色を失い、まるで肥溜めで溺れた鼠のように弱々しいものとなっていた。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

「まぁ、私としてはまだ頑張ろうなんて主人公みたいなことを思わないで、……このまま尻尾を巻いて逃げ出してくれると愉しいなって」

 

 祝のその言葉は、天音を心胆から震え上がらせるのに充分な冷気を纏っていた。

 天音は理解した。

 彼女は心の底から、天音が無様に敗走する様を眺めて悦に浸ろうとしているのだと。

 最初から祝にとって天音などその程度の存在。

 天音が祝のことを心から憎んで剣を取ったのとは裏腹に、彼女は天音のことを敵とすら認識していない。

 その事実に天音の憎悪は一瞬で消し飛ばされ、そして顔を上げて祝と目を合わせた天音はその行為を後悔した。

 

 ――嗤っている。

 

 口元は弧を描き、双眸は爛々と天音が震え怯える様を玩弄している。

 それは人間に対するそれではなく、まるで幼い無邪気な子供が適当に捕まえた虫を解体する姿によく似ていた。

 

「あ……」

 

 ひゅう、と喉の奥を冷たい息が抜けていく。

 それは生まれて初めて感じた死の恐怖。

 《過剰なる女神の寵愛》を踏み越え、天音の命を易々と刈り取ることができる死神との邂逅。

 そんな存在を前に能力がなければ無力な少年でしかない天音は凍り付き、同時にとある感情に支配されたことで踵を返して逃げ出す余裕すら失っていた。

 

 

 その感情を、人は“絶望”と呼ぶ。 

 

 

 死の恐怖と同時に天音は、絶対価値観(アイデンティティ)の崩壊による絶望にも苛まれていた。

 天音のこれまでの人生を一言で表すのならば“悲惨”以外の言葉はないだろう。

 彼はこれまで、その神懸りな能力によって人生を台無しにされてきた。

 親からは能力のみを目的に育てられ天音という個人が愛されたことはなく、他の人間からはその能力の強大さ故に疎まれ、僻まれ、敬遠されてきた。

 彼はこれまで己の人生に絶望していた。

 しかしその絶望の根底にある《過剰なる女神の寵愛》が、他者(ハフリ)から見れば“その程度”と見下されるような程度の存在であることを知ってしまった。

 そんな彼が何を思うか。

 

 “その程度”の存在に台無しにされてきた自分自身の人生とは何だったのかという思いだ。

 

 生きながら死んでいた、運だけで生かされていた惰性のような人生。

 望まず強いられていると、絶対無敵の神様の悪意によってこんな人生を送らされているのだと彼はずっと思っていた。

 しかしそんな神様の意思が、実は他の人間にとっては簡単に踏破できる程度の試練だったと彼は知ってしまった。

 

 そうなるともう彼には、何が正しく何が間違っているのかわからなかった。

 

 圧倒的な絶対強者を前に震え上がりながら、天音はこれまでの人生を走馬灯のように想起する。

 一体自分はどこで間違えてしまったのか。

 両親が能力よりも自分という個人を愛してくれているか試そうとしたことが悪かったのだろうか。

 それともこんな能力を持ちながらも、人並みに誰かから愛してもらえると期待していた過去の自分が馬鹿だったのだろうか。

 あるいは……こんな人生が惰性でしかないと気が付いた時に、さっさと死んでしまうべきだったのかもしれない。

 

「どうしたんですか? 逃げないんですか?」

 

 不思議そうに首を傾げる祝。

 傍から見れば可愛らしく映るのであろうその挙動も、天音にとっては死神の一挙手一投足でしかない。

 「ひっ」と喉を引き攣らせた天音は思わず腰を抜かし、その場で尻餅をつきながら後退る。

 

「なんなんだよ……一体何なんだよお前はぁ……」

 

 気が付けばそんな言葉が天音の喉を通して漏れ出ていた。

 命乞いでもなく、いっそ殺してくれという懇願でもなく、天音の口から出たのは絶望に塗れた問いだった。

 

「《過剰なる女神の寵愛》はずっと理不尽で、無敵で、どうしようもない天災だったんだ……なのになんでお前はそんなにあっさりと……」

 

 口を開く度、気が付けば天音の双眸からは大粒の涙が零れ落ちていた。

 

「僕だって頑張った……頑張ったんだっ。能力(ちから)だけが僕の全てじゃない、僕自身の力で何かを成し遂げてやろうって頑張ってきたんだ! そうすれば誰かが僕自身を見てくれるって、そう思って頑張ってきたんだ!」

 

 それは天音の魂の叫びだった。

 自分を認められず、存在を認められず、この社会から弾かれ続けてきた哀れな少年の叫びだった。

 

「なのにお前はッ、僕の今までの人生を馬鹿にするみたいにあっさりと《過剰なる女神の寵愛》を乗り越えやがって! そんなこと今まで誰にも……僕にだってできなかったのに!

 ――何なんだよお前はッッ! なんで今頃になって……全部諦めた後になって僕の前に現れたんだ! ふざけるなよチクショウがァ!」

 

 喉が枯れるほどに天音が叫ぶ。

 《過剰なる女神の寵愛》があまりに理不尽だからこそ彼は過去の苦しみ、現在の惰性、未来の虚無感を受け入れることができていた。

 しかし人間はそんなものを踏破できる存在なのだということを天音は知ってしまった。

 故に彼は絶望する。

 このままでは――まだ自分は頑張れるのではないか、誰かに認めてもらえるのではないかという希望に縋ることができるようになってしまう。

 

「僕の心に土足で踏み込んできて、何もかもメチャクチャにした……! なんでそんなことするんだよ…………酷いよぉ……こんなのないよ……」

 

 もう天音は限界だった。

 全ての言葉を吐き尽くした彼はその場で蹲り、年甲斐もなく瞳を泣き腫らす。

 最初は、一輝という自分と同じような、誰にも期待されない存在が輝こうとするのが目障りなだけだった。だから自分に降りかかる理不尽を彼にも押し付け、同じく絶望の沼に引き摺り込んでやるというくらいの気持ちだったのだ。

 

 だが彼の傍らには、天音の想像を超える修羅がいた。己の絶望を見透かし、その傷を大鎌で抉り尽くす死神がいた。

 

 確かに天音は悪意を持って人を傷つけようとした。

 これはその報いなのかもしれない。

 しかしそれでも、こんな思いをする覚悟など天音にはなかったのだ。

 

「……頑張った?」

 

 そんな天音に、祝は心底不思議そうに問いかける。

 涙で歪む天音の視界。

 その先で、祝が大鎌を担ぎながら無邪気に首を傾げる。

 

「天音くんは本当に頑張ったんですか?」

「…………あぁ?」

 

 その、これまでの彼の努力を否定するかのような言葉。

 そんな言葉に、天音は憎しみを込めて祝を睨む。

 だがそんな視線を受けても祝は微動だにせず、まるで純粋な疑問を口にするかのように天音に問いかけた。

 

 

「じゃあ、どうして天音くんは生きているんですか?」

 

 

 全く意味がわからない問い。

 祝のその言葉に、天音は思わず「は?」という気の抜けた言葉しか返すことができない。

 しかし祝はその反応こそ意味がわからないと言わんばかりに眉を顰め、「ですから」と言葉を紡ぐ。

 

「君は頑張ったんですよね? それって本当に限界を超えるまで頑張りましたか? 命をかけましたか? 魂が磨り減って廃人になるくらいまで頑張りましたか? もう身体が動かなくなるくらい頑張りましたか? 何でもやりましたか? 殺す必要があるならば親だって殺せますか? 血反吐は? 血尿は? ストレスで白髪が生えたり精神が衰弱したり夢が叶わなければ自殺して来世にかけるしかないと思うくらい頑張りましたか? プライドは捨てましたか? 常識は捨てましたか? 人間性をどこかに残したりはしていませんか? 夢や目標以外の他の全てを捨て去りましたか?」

 

 矢継ぎ早に投げかけられる祝の言葉に、天音は目が回る思いだった。

 何だ。この女は何を言っている?

 しかし祝は天音の呆けた様子に構うことなく、話し続ける。

 

「頑張ったなんて言葉を気安く使わないでください。君はまだ生きているでしょうが。生きているのならばまだ頑張れるはずです。死ぬまで頑張った人だけが遺書か死に際で『頑張った』という言葉を使っていいんです。諦める、なんて言葉を使う人は全然頑張っていません。諦めるという言葉は死ぬという言葉と同義です。諦めているのに生きているなんていう人は、私からすればそれだけで理解不能です。なんでそんな人は生きているんですか? どうしてさっさと死なないんですか? 死ぬのがそんなに怖いんですか?」

「な、何を……」

 

 狂気に染まった祝の目。

 漆黒のその瞳の奥で渦巻く混沌とした激流に、天音は自分の呼吸が浅くなっていくのを感じていた。

 祝の言っていることは殆ど理解できない。

 人は弱い。彼女の言うように全てを捨ててまで何かを成し遂げられるような人間などそうはいない。

 そんなことは天音にもわかる。

 ならば彼女にもわからないはずはないのだ。そんなはずはないのに……

 

 天音は理解させられた――祝は本気でそう思っている。

 

 努力に、夢に全てを捧げている彼女は、本気でそのためならば全てを捨て去ることができる人間なのだ。家族も、プライドも、人間性も、人並みの幸福さえ夢のためならば抛ててしまう人間なのだ。

 

「き、君は……本気でそんなことを……?」

「私は冗談で頑張ったりしません。命をかけて、人生をかけて、全身全霊をかけて夢を追っています。君みたいに消化不良のまま惰性で生きることだけはしない。夢の達成が不可能だとわかったら死にます。……あるいは、その夢を捨てられるほどに価値のある何かを見つけたのならば話は別ですが」

「…………羨ま、しいな」

 

 気が付けば天音はそう言っていた。

 自分はそんな風にはなれない。

 夢のためなら全てを捨てられるような、そんな狂った精神を持ち合わせてなどいない。

 能力の非凡さに対し、天音はどこまでも凡人だった。

 凡人だったからこそ苦しみ、挫折し、そして諦めてしまった。

 誰かに認めてもらわなくたって死にはしないと言い訳して、今日まで生きてきてしまった。

 

「僕には……できないや。そんな風に頑張り続けるなんてこと。こんなに辛くて苦しい道程をそれでも歩き続けられるほど、僕は強くない。だから僕は何もかもを諦めてしまった」

「――本当に?」

「えっ?」

 

 思わず顔を上げると、そこには“黒”があった。

 鼻先が付きそうなほど近くから、あの黒い瞳が天音の目を覗き込んでいる。

 鮮烈なまでに輝く漆黒の眼光が、瞳を通して天音の心を剥き出しにする。

 

「本当に心から諦めた人は『羨ましい』なんて言葉は使いません。それはまだどこかに未練がある人の言葉です。だったらまだ貴方は諦めてなんていないはずです。ただ道を見失っているだけで」

「……僕が、まだ諦めていない……?」

 

 それはまさに天音にとって目から鱗だった。

 自分は既に全てを諦めて、死への恐怖から死んでいないだけの人生を歩んでいるだけなのだと。

 しかし祝はそれを「道を見失っただけ」と言う。それはつまり天音にとっての夢の在り処への道筋を見失っているだけで、そこへ至るための火は未だ心に灯り続けていることを指し示していた。

 へたり込む天音に視線を合わせてしゃがみ込んでいた祝は、「なぁんだ」と腰を上げると《三日月》を魔力へと散らせる。

 

「詰まらないの。マイナス方向に振り切れた負け犬なら眺めるだけの面白みもあるのに。やっぱり貴方は“原作通り”のただの詰まらない人だったんですね」

 

 それだけ言うと、祝は天音の横を通り過ぎていってしまった。

 そのまま靴音を響かせ、廊下の先へと立ち去っていってしまう。

 しかし気が付けば天音は「待って!」と祝を呼び止めていた。

 

「僕にはもうわからないんだ! 僕は誰かに認められたくて、でも……でもどうすればこの忌まわしい力を超えて誰かに認めてもらえるのかわからない! 僕は君みたいに強くない! どうすれば君みたいに何もかもを捨てて夢に向かうことができるんだ!? お願い、教えてよ……!」

 

 縋り付くような声音で天音は叫ぶ。

 自分は弱い。

 それでも夢を叶えたい。なりたい自分を目指したい。

 しかしそのためには夢へと続く道筋を照らす光が――こう在りたいという象徴が必要だった。暗く険しい道程を歩こうとも、それでも「こう在るのが正しいのだ」と示す絶対的な象徴が。

 そんな象徴になり得る存在が今、目の前にいる。

 では、どうすれば自分もそんな存在になるための資格を得られる? どうすれば自分もその領域に辿り着ける?

 

「さぁ?」

 

 しかし天音の切実な言葉に祝は足を止めることすらせず、どうでも良さそうに呟く。

 

「ただ、そこまで苦しんでいるのにまだ何も捨てることもできないのなら――それはもうその程度の夢だったということなんじゃないですか? 私は夢のためならば全てを捨てられますよ。その程度の“覚悟”はとっくの昔に済ませましたから」

 

 そしてそのまま振り返ることもなく、祝は廊下の先へと姿を消した。

 残されたのは遠くから響く観客たちの喧騒のみ。

 しかし天音の目には、もう姿がないはずの祝の後ろ姿がしっかりと焼き付けられていた。

 

「……覚悟……覚悟……覚悟……覚悟覚悟覚悟覚悟覚悟覚悟覚悟覚悟覚悟覚悟覚悟覚悟……それさえあれば、僕は君みたいになれるの? 君みたいな、何もかもを捨てられる人に、……僕も、いつか……」

 

 壁に凭れかかりながら、天音はゆっくりと立ち上がる。

 彼は呆然と、しかし確信を懐きながら「覚悟」という言葉を何度も反芻した。

 そして俯いていた顔を上げた彼の表情は、まるで憑き物が落ちたかのような晴れ晴れとした表情となっていた。

 

「そうか……そうかぁ……! 僕には“覚悟”が足りなかったんだっ、そうだったんだっ! あははははっ、なぁんだ。そうだよね、だってあの人がそう言うんだもの、間違いない」

 

 「あはははは」と朗らかな笑みを浮かべた天音は、小躍りでもしたいかのような開放感に包まれていた。

 長年の自分を苛み続けていた苦しみの原因は、《過剰なる女神の寵愛》ではなく自分にあったのだと彼は気が付いてしまった。

 そしてそれを解消するために必要な“覚悟(もの)”の存在も、それを持った上でどう生きれば良いのかという象徴(ハフリ)の存在も知ってしまった。

 

 

 もう、彼に怖いものなどなかった。

 

 

「あははっ、あははっ! あはははははははははは――」

 

 まるで見た目通りの少年のような純粋な笑い声を上げながら、天音はその場を立ち去った。

 もう彼は立ち止まらない。

 夢というゴールを思い出し、道の存在を啓示され、道の歩き方を授けられた。

 ならばあとは覚悟を胸に進むだけだ。

 たとえその道がどれほど険しかろうと、彼はもう諦めることはないだろう。

 

 

 

 

 




 天音「覚悟完了」


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夢はいつか必ず叶う!

 毎度ながら、感想や誤字報告ありがとうございます。
 前回はとてもたくさん(100件近く!?)の感想を戴けてとても嬉しいです。ただ、流石に全てに返信するのは難しいのでそこだけはご容赦ください。

 尚、今回は短めです。


 現職総理大臣であり、同時に暁学園の学園長でもある月影獏牙には一つの悩みがあった。

 

 彼の計画は現在のところ、予想外の展開を迎えつつも概ね順調に進んでいる。

 予想外というのは他でもない、六人の生徒の内の三人が既に七星剣舞祭から退場してしまったことであるが、そちらはまだ良いとしよう。

 逆に言えばまだ半分も生徒が残っているのだ。その中の一人でも《七星剣王》の座を手にすれば、それで月影の此度の計画は成就される。

 特にその中でも王馬という切り札が彼の手中にはまだ残っているのだ。慌てるにはまだ早い。

 では、そんな月影が何を悩む必要があるのか。

 

 それは残った生徒の内の一人、《凶運(バッドラック)》紫乃宮天音についてだった。

 

 月影は天音の過去を知っている。

 天音は決して誰にも自身の過去を漏らすことはないだろうが、彼の伐刀者としての能力《過去視》によって天音の秘めたる過去は全て暴かれていた。

 悲惨な過去だ。哀れにも思う。

 しかしそんな彼だからこそ、同時にこの大会に何の目的で参加し、どのような手段を取るのかも予想することができた。

 

「彼の目的は《無冠の剣王(アナザーワン)》――黒鉄一輝くんか」

 

 月影も海千山千の政治の世界を渡り歩き、さらに過去には破軍学園の学園長として十人十色の生徒たちを見守ってきた、謂わば人物鑑定のスペシャリストだ。

 そんな彼からすれば、天音がどのような思惑を持っているのかを想像するに容易い。

 恐らく天音は公衆の面前でこう宣言するだろう。

 

 ――自分は黒鉄一輝が優勝することを願っている、と。

 

 その上で彼は棄権し、一輝の手の届かない領域から彼の虚しい勝利を眺め愉悦に浸るのだ。

 天音の能力の万能性は既に観客たちや選手たちにも知れ渡っている頃だろう。そんな彼が一輝の優勝を願ったとするのならば、果たして人々は一輝の優勝を心から祝福できるだろうか。

 不可能だ。

 絶対に「天音の《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)》のおかげで優勝できたのでは?」という疑念が残る。

 そうすることで天音は、一輝の栄光ある優勝杯を汚そうと目論んでいるのだ。

 

 だが、それで困るのは月影である。

 

 彼の目標は“七星剣舞祭の優勝”だ。それを子供の幼稚な癇癪で邪魔されるのは困る。

 そしてさらに言わせてもらうのならば――それでは誰も救われない。

 天音も、一輝も、この大会に参加するすべての選手も、誰も救われることもなくこの大会は終わってしまう。

 政治家であると同時に、月影は一人の教育者だ。暁“学園”の長だ。

 たとえそれが自身の遠大な計画のために設立された仮初の学び舎だとしても、月影が国の行く末を憂い、同時に未来ある若者のためにこのような計画を立案したという事実は変わらない。

 よって月影にとって、天音の願望の成就は意地でも避けなければならない事態であった。

 

「さて、どうしたものか……」

 

 一番の理想は、この大会に天音が本気で取り組んでくれるようになることだ。

 彼の意識が都合良く変わり、この大会の優勝を望むようになってくれるのが一番良い。

 しかしそれはどう考えても不可能だろう。

 仮に月影が天音を説得するにしても、その材料がない。

 現状、月影が天音の過去を知っているのは、能力によって彼の過去を覗き見したが故だ。その事実を天音が知ったが最後、彼は怒り狂い、話をする間もなく月影を殺すだろう。

 

 ならば現在日本にいる《比翼》のエーデルワイスに説得を依頼するのはどうか。

 

 彼女と天音が知古の仲であることは月影も知っている。

 しかしこれも無理だろう。

 《過去視》によれば、能力の暴走状態にあった天音を保護し《解放軍(リベリオン)》に参加させたのは彼女なのだという。

 彼女が天音の面倒を見なかったのは、何も彼女が天音を無責任に放り出したためではない。

 天音の神懸りな能力は彼女を以ってしても手に余ると判断され、それ故に仕方なく《解放軍》という社会の暗部へと預けざるを得なかったのだ。

 エーデルワイスの手によって天音の精神が安定するのならば、彼女がとっくにそうしているだろう。

 

「……となると、やはり“彼”に頼むしかないか」

 

 彼――即ち黒鉄一輝に。

 一輝に天音の過去を暴露し、その上で挑発してもらい、試合に引き摺り出してもらうのだ。

 一輝としても不本意な優勝を飾ることを避けられ、加えて棄権によって天音が一輝の手の届かない場所へと逃げ去る事態を回避できる妙手となるはずだ。

 その結果がどうなるのかは月影にも予想しかねるが――しかし“彼”ならば天音に何らかの影響を及ぼしてくれるのではないかという期待もある。あの不屈の精神を懐き、研鑽の末に行き着いた強さを持つ黒鉄一輝という少年ならば。

 

「まぁ、何にしても話は二人が対戦する三回戦が決定してからか。それまでは取らぬ狸の皮算用になりかねん」

 

 そこまで考え月影が顔を上げると、眼前には七星剣舞祭の舞台である湾岸ドームのリングが一望された。

 時刻は既に夕方で、先程本日の全試合が終了したところだ。

 観客たちは興奮も冷めやらぬ様子で各々帰り支度を終えており、席も四分の三以上が既に空席となっている。

 月影は終了時のラッシュを嫌って人が疎らになるのを待っていたのだが、そろそろ頃合いだろうと腰を上げる。

 そしてゆったりとホテルに戻ろうと歩を進めていた彼は、他の観客たちの中に見慣れた姿を見かけて思わず声をかけた。

 

「おや? 天音くんではないか」

「……?」

 

 ドームの出口近くをフラフラと歩いていたのは、先程から月影の頭を悩ませている少年こと天音だった。

 彼の方も月影に気が付き、ニヘラと笑いながら歩み寄ってくる。

 

「ああ、月影先生。何だか久しぶりですね。先生はあんまり暁学園生の前に姿を現さないから。……といっても、僕も土日以外は普段はずっと巨門にいますけど」

「ははっ、それはすまないね。学園の方はヴァレンシュタイン卿にほぼ任せきりとなってしまっていて」

 

 表面上はにこやかに。

 月影は天音に自身の胸の内で、謂わば彼を陥れるような計画を立てていることなど露程も匂わせずに相対する。

 あくまで自然に、学校の教師と生徒が偶然にも出会っただけというような体で。

 

「天音くんはこれから帰りかね? 君さえ良ければホテルまで送っていくが? といっても、私は送迎される身なので私自身が運転するわけではないが」

「……あ~。気持ちはありがたいですけど、今日は歩いて帰ります。色々と考えたいこともあるので」

「考えたいこと? 悩みがあるならば相談してくれても良いのだよ? 名前ばかりとはいえ私も教師だ。生徒の話を聞くくらいはできるさ」

「う~ん、そうですねぇ……」

 

 僅かに悩むような素振りを見せた天音。

 しかしそれも短い間のことで、やがて「そうですね」と顔を上げると笑顔を月影に向けた。

 ――普段の彼からは考えられないような、純真無垢で邪気の全く感じられない笑顔を。

 

「えっとですね、先生……どうしたら僕は人から認められる存在になれるかなぁって」

「…………ほう?」

 

 天音のその言葉に月影は思わず息を呑みかけた。

 彼の過去を知る月影からすれば、それが天音の口から出てきた言葉だとは到底思えなかった。

 なぜなら彼は、『人から認められる』という夢をとうに諦めてしまっていると月影は思っていたから。たとえ胸の奥に消えかけの火が残っていたとしても、彼自身がそれに気が付くことはないだろうと月影は思っていた。

 そんな彼の口から『認められたい』という言葉が出た。

 これは一体どのような心境の変化なのか。

 

「詳しく聞かせてもらっても?」

「えへへ、実はですね。僕ってこんな能力でしょう? だから今まで誰からも能力というフィルターを通してしか僕という存在を見られたことがなかったんです。だからずっと、ずぅっと僕は能力を抜きに“僕という存在”を他人から見てもらえることなんてないんだって諦めてきたんです。

 

 ――でもそれは違った。僕は諦めてなんかいなかった!

 

 それを“ある人”に教えてもらったんですっ! 僕はまだ心の底ではその夢を全然諦めていなくて、諦めたふりをして足踏みしていただけなんだって!」

「……なるほど」

 

 正直、意外だった。

 天音の心中を月影は察していたが、彼にそれを指摘できる人間が存在するとは思わなかった。

 同時に天音が自身の過去を断片的にとはいえ自分という他人に明かしたことも。

 

「そして“あの人”は言ったんです! 必要なのは“覚悟”なんだって! 夢や目標のためならば()()()()()()()()()()()()っていう覚悟なんだって!」

「……うん?」

「思わず目が醒めるような思いでした。僕には覚悟がなかったから前に進めなかったんです。善悪や苦楽に関わらず何でもやるっていう確固たる意思さえ在れば“あの人”みたいになれる。その結果として何が起ころうと、それを成したのは僕自身なんだって認めてもらえる! 最初はきっと色々なことに戸惑うだろうし傷つくだろうけど、でも夢のためならばそれも当然の代償なんだって“彼女”は教えてくれたんです!」

「……天音くん?」

「僕、もう迷いません! 必要だと思うことは()()やります! 試しにまずは七星剣舞祭で優勝して世間の反応を見たいんですけど、その後で何をしようかなって悩んでいて。あっ、でも優勝って言っても《過剰なる女神の寵愛》の不戦勝でじゃないですよ? 二回戦からはちゃんと試合に出て、ちゃんと相手を斃しますから!」

「天音くん、何を……」

「あははっ! 月影先生、覚悟って凄いですね! 今の僕には、さっきまでの僕には見えなかったものが見える。わからなかったことがわかる。何でもやってやるって思うだけでこんなにも世界が変わるなんて、僕知りませんでした! 今ならわかる。今なら僕は自分を信じられる。

 

 ――きっと僕なら、この忌まわしい女神だって屈服させられる!

 

 “名無しの栄光(ネームレスグローリー)”をいつか僕自身の栄光にしてみせる! ……それでですね、先生。この七星剣舞祭はそのためのいい()()になると思うので、まずは大会の優勝を目標に()()()として、それからの具体的な方針を――」

 

 天音が発する違和感に、俄に月影の背筋が粟立つ。

 彼の様子を表すというのならば……そう、吹っ切れたというよりも()()()()()というのが正しい気がする。

 天音の人生はこれまで明らかに停滞していた。

 惰性で生を享受し、やがて来るであろう死をただ待つだけの生きた屍。

 そんな彼がここに来て息を吹き返した。それ自体はとても喜ばしいことだろう。

 だが、それにしても天音の様子は明らかに可笑しい。

 まるで何者かに洗脳でも受けたかのように思考回路が切り替わっている。一体彼に何が起こってしまったというのだろうか。

 

「……天音くん、一つ良いだろうか」

「――ああ、はい。あっ……すみません、僕ばっかり喋っちゃって」

「いいや、構わないよ。ただ、気になってね。君がそこまで活き活きと未来を語れるようになった理由というものが。君が先程から語る“彼女”とやらに関係があるのかな?」

「……えへへっ、わかりますか?」

 

 そう言う天音の表情は先程までの無邪気な笑顔から、まるで神々しいものを思い出すかのような別種の笑顔へと変わっていた。

 

「そうなんです。僕、今日出会ってしまったんですよ。僕が目指すべき“象徴”――こう在りたいっていう目標にするべき人間に」

「ほう? それは誰かな? 私も知っている人物かね?」

「はいっ! というか日本中の人が知っているんじゃないかなぁ。――だって彼女は日本で一番有名な学生騎士なんですから」

「――――ッ」

 

 天音の一言で月影は理解させられた。

 この場において『日本で最も有名な学生騎士』で、加えて女性ともなればそれは一人しかいない。

 

(まさか、彼女が……!?)

 

 予想だにしない人物に、月影は思わず驚愕の表情を隠せない。

 月影にとって“彼女”――疼木祝という少女は特別注目するほどの選手ではなかった。

 いや、注目するほどではないという言葉には語弊がある。

 当然ながら月影の目標を阻害する“戦力”としての彼女は大いに注視していた。幼少期から国内外を練り歩き、道場破りやストリートファイトに明け暮れていたという過去は驚愕に値する。

 加えて先日の《前夜祭》において王馬と引き分けたという点からも、彼女のことは特に注目せざるを得ない選手であるということは月影も認識している。

 だが、それだけだ。

 彼女に注目すべきはその戦闘能力のみであると月影は認識し、数値と経歴を調査しただけでそれ以上の深入りはしてこなかったのだ。

 

 しかしここに来て月影は即座に認識を改めた。

 

 天音の拗れた過去と精神を停滞から救い出した――否、さらに捻じ曲げあらぬ方向へと矯正した少女。

 それだけで月影にとってはこれまでの“ただ強いだけの少女”という認識を改めるには充分すぎる。

 彼女は天音に何を語り、何を施したのか。

 彼の教育者として、月影にはそれを知らなければならない義務があった。

 

「……疼木祝くん、か」

 

 その後、天音と別れた月影は一人その名を呟いた。

 日本に名立たる大鎌使いの少女。

 大鎌という到底戦闘向きではない武装のハンデを覆し、その圧倒的な白兵術と魔力制御によって日本の学生騎士の頂点に立った女傑。

 その他に月影が知っているのは、彼女の簡単なプロフィールくらいだ。

 

「改めて彼女の調査資料を読み込む……だけでは足りないな。彼女の足取りや思想、趣味嗜好まで改めて調べる必要がある。――必要とあれば私の能力を使ってでも……」

 

 月影は脳裏でスケジュールを組みながら、祝の調査をするための人員を整理する。

 しかし祝へと意識を割きながらも、月影は先程の天音の言動に大きすぎる不安を懐いていた。

 

「天音くん、君は『認められるためならば何でもする』と言ったね。しかしわかっているのかい? 善を為した末に存在が認められたのならば、人々の善意と感謝による形で以って君の存在は認められるだろう。――だが手段を選ばず悪を為した末に君に残るのは、四面楚歌の地獄だけだ」

 

 それとも、そうまでしてでも君は他者から存在を認められたいのかね?

 その言葉が、大阪の町並みの喧騒に紛れて消えた。

 

 

 

 



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