銀河紙メンタル伝説 (七色プリズム)
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身体能力は人外
これ、がどんなきっかけで身に宿るようになったのか自分でも経緯は知らない。
しかしこの能力がどんなものなのかは理解していた。
十二の試練(ゴッド・ハンド)
ランク:B
由来:ヘラクレスの十二の偉業。生前の偉業で得た祝福であり呪い。Bランク以下の攻撃を無効化し、蘇生を重ね掛けすることで代替生命を十一個保有している。更に既知のダメージに対して耐性を持たせる効果があり、一度受けた攻撃に対してよりダメージを減少させる。
更にこれだ。
筋力:A+
耐久:A
敏捷:A
幸運:B
いったい何の因果かなのだろうか、私の身にはヘラクレスの祝福が宿っているのだった。
訳が分からない。
幼い頃から不可思議な現象は起こっていた。
例えば、幼児ながらに大人と同レベルの運動が出来るとか。
例えば、想定以上の力が出せるとか。
だがその程度のことがいったいなんだと言うのだろうか?
この世界の暦は宇宙歴。
銀河帝国と自由惑星同盟が150年もの戦争をし続ける世界。
1度の戦いで数多の生命が消えていく、数の戦いの世界。
かつて私が読んだこの世界の名を『銀河英雄伝説』という――――。
私の名前はマリアエレナ・メルクーリ。
自由惑星同盟軍人少尉ニック・メルクーリを父に持ち、ホテルのウェイトレスをしているアリス・メルクーリを母に持つ、現代では珍しい父母の揃った家庭で生まれ育った。
勿論、父方と母方の親は戦死しているため三世代揃って、という希少なケースにはなっていない。
母はホテルのウェイトレスをしているだけあって笑顔が素敵で、まあ、贔屓によるバイアスが掛かっているかもしれないのだけれど、美人だと思う。
褐色のウェーブがかかった髪は母から受け継いでいる。
父は軍人なのであまり帰ってこない――実を言うと、僻地の任務でハイネセン以外の星に行っているらしいのだが、その星の名前を単に私が覚えていないだけである。
決して私の頭の出来が悪いわけではないと主張はしておこう。
年に数えるほどにしか逢えないが、真面目な性格で子供の私によくお土産をくれる。特に甘いお菓子を。
幼い時から2人は私の事をしっかりと育ててくれ、また、特に母は美味しいご飯を作ってくれた。
とても感謝している。
また、私の異常な身体能力が周りに知られ始めて私が疎外感を感じている時にしっかりと話を聞いてくれたのは、度量の大きさを表していると思う。
そんな両親と諍いが起きたのは進学の希望を伝えた時だった。
「軍戦科学校に行きたいだと!」
ダン、と拳をテーブルに打ち付けニックは吼えた。
自由惑星同盟では女子の兵役はなく、それ故女性軍人は数少ないのだった。
女性軍人になった人間の殆どが経済的な理由での任官であり、一般的な女性は民間の職につくことが当たり前であった。
「マリー、何故軍戦科学校に行きたいの?
ママとパパに何の説明もなくただ行きたい、と言うなんていうのは絶対に駄目よ」
「パパ、ママ。
お願い、私の話を聞いてください」
「ああそうだな、聞くだけ聞いてみようか」
「パパ、ママ。
私の身体能力がとても優れているのは知っているよね?」
「そうだな……」
マリアエレナの身体能力は年々成長しており、その可憐な外見とは裏腹に青年軍人を軽々と上回るようになっていた。
最近は力の制御が出来るようになり、程々の身体記録に偽装することが可能となっている。
それでもトップクラスの身体能力であるが。
「それでね、学校の先生からこの能力を活かせるような進学がいいんじゃないのかって言われたの。
本当は私も軍戦科学校に行きたい訳じゃないの。
本当は、学校の体育の先生になりたかったのよ」
「なればいいじゃないか」
「学校の体育の先生ならママも応援するわよ」
「でもね……」
マリアエレナは苦虫を潰したような表情になった。
「また教育のお金が削られるらしくて、私が教員免許を取る頃にはもう就職先がないだろうって……」
「あー……」
「そうだったの……」
自由惑星同盟は慢性的な銀河帝国との戦争によって人員の減少や経済の弱体化が進んでおり、
増税と出費の削除が行われることが少なくなかった。
そして真っ先に出費の削除が行われるのは社会福祉に関することである。
声をあげる者は存在するが、社会福祉は弱者の為の制度であって、
声の大きい強者に打ち消されるのが当然の宿命であった。
「だからね、私、こう思ったの。
――私がやりたいのは体育を教えたいのであって、子供に教えたいんじゃないわ。
だったら軍人を体育を教える立場になってもいいかなあ、って」
「なる、ほど…。
分からなくはないがしかし、うーん……」
国防の為の金額は増加しつつある。
そのお金は何処に注ぎ込まれる事になるのか?
答えは人間と道具である。
国家の人員が減少している現在は、国力の勝る銀河帝国に勝つべく人材の育成に力を入れている。
つまり、人材の育成にかけられるお金は他の分野に比べると多いのだ。
子供に体育を教えるのか、軍人に体育を教えるのか、
どちらが易しそうなのかは後者に軍配が挙がる事になる。
「でもいくら体育を教えたいと言っても軍戦科学校に行くという事は、軍人になるということよ。
ママはマリーがこの世から消えてしまうなんて事は嫌だわ」
「うん。だからね、陸戦部門の軍戦科学校で上位層にくい込んでみせる。
そうすれば単なる一兵卒じゃなくて、少なくても精鋭部隊の新人になれる。
そしたら先生になれる道が拓けてくると思わない?」
銀河帝国との戦闘で最も必要とされているのは宇宙艦隊である。
何故ならば制宙権が無ければ上陸作戦は不可能だからである。
陸戦部隊はたしかに必要ではあるものの、銀河帝国との戦闘というよりもむしろ治安維持の役割の方が大きい。
そのため、陸戦部隊精鋭となると活躍の場が逆に少なくなってくるというのが現状であった。
「マリー、お前は知らないかもしれないが、陸戦部隊の精鋭は男しかいないんだぞ。
私は何よりもそこが心配なんだ。
お前はこの歳になるまで浮いた話の1つもない子だ。
悪い男に捕まったらどうするんだ」
「パパ……。
私だって浮いた話の1つくらいはあるのよ。
隣の席の子とか」
「それで、それはボーイフレンドなのか?」
「ボーイ、フレンドよ。他にもガールフレンドとか数える程度には居るわ」
「お前って奴は、お前って奴は……」
ニックはあまりの愛娘の恋愛事情の拙さと薄さに天を仰いだ。
普通なら恋人の1人や2人、既に経験しても可笑しくない年齢なのである。
「あなた、話が逸れているわよ」
「ああそうだったな……」
「パパとママは結局認めてくれるの?」
「私は今の話を聞いて賛成することにした。
お前は男が沢山いる環境にでも放り込まないと、結婚出来なさそうだからな」
「私もそう思います」
マリアエレナは喜ぶべきか悩んだ。
志望理由よりもむしろ自分の恋愛事情に重心のおかれた決定だからである。
兎も角、マリアエレナはこのような理由で陸戦部門の軍専科学校への進学をすることとなった。
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精神は紙メンタル
宇宙歴793年。
マリアエレナ・メルクーリ、軍専科学校へ入学。
宇宙歴796年。
マリアエレナ・メルクーリ、軍専科学校を卒業。
入学前にマリアエレナが家族に宣言した通り、トップクラスの成績であった。
身体能力に磨きをかけており、指導する教官からは「小さな化物」と噂されるほどであった。
マリアエレナは卒業と同時に18歳で伍長へ任官した。
配属先は第一艦隊、つまりハイネセン防衛が主な任務となる。
第一志望の体育の教官こそなれなかったが、これは卒業したての新人が教官になることで様々な弊害が起きるからである。
マリアエレナの能力の問題ではなく、単に年齢の問題であった。
宇宙歴796年5月14日。
イゼルローン要塞陥落の報が自由惑星同盟を駆け巡った。
同盟第13艦隊の司令官となったヤン・ウェンリーがイゼルローン要塞を無血開城したというものである。
マリアエレナも軍人として、一市民としてこの情報を知った。
しかし、大勢の者とは違う感想を持つこととなる。
「この日だったのか。
ヤン・ウェンリーのイゼルローン要塞攻略って」
マリアエレナの銀河英雄伝説についての記憶はもはや曖昧なものになっていた。
というよりも、そもそもそんな詳細な記憶は持っていなかったことが大きな原因である。
「えーと、このあとは…あ、あ、あ…アスターテの戦いだっけ?」
間違いである。
アスターテ会戦は宇宙歴796年2月に行われたものである。
正しくはアムリッツァ星域会戦と言い、宇宙歴796年の8月以降に行われる予定である。
マリアエレナは名称を覚えることがとても苦手であり、
「あ」から始まる名前の地名が、最近聞いたことのあるアスターテしか思いつかなかったのである。
「で、アスターテでぼろ負けして…どうなるんだっけ。
ヤンのハイネセン召還があって、ガイエスブルク要塞がワープしてきて……。
救国軍事政府?によるクーデター、ヤン艦隊が鎮圧、艦隊ボロボロ、アルテミスの首飾り破壊……あっ、そうか!
クーデターが起こるのは捕虜交換の後だ!ラインハルトが、
エレン?違う。ノイエ?違う。エル・ファシルの…リンチだった、を唆したんだっけ」
流れも名称も間違えまくりである。
「まあ思い出したからといってどうなる訳でもない。
所詮伍長なのよね、私という人間は。
取り敢えず体育の教官目指して地道に働いて、クーデター起きたら民間人の保護でもしようかな」
伍長という階級は、下から数えた方が早い階級なのである。
軍人のエリートである士官学校を卒業すればその時点で少尉を任官できるが、軍専科学校を卒業しても伍長からの出発である。
頭の出来の良さで階級が決まるのは民主共和制の近代国家だからであろう。
「ふああ……考えても仕方が無いし、トレーニングでもした方がよほど身の為になるわ。
本当は実戦形式のトレーニングがやりたいんだけど、誰も付いてこれないし。
やっぱり第一艦隊って生温いのかなあ?
ローゼンリッターなら強そうだから相手してくれそうな気がするけど、うーん、全然縁がない」
マリアエレナの身体能力は人外の領域へと至っているということに本人だけが忘れている。
同僚、上司、かつての教官が
「マリアエレナと戦ってはいけない」
ということを堅く自らに戒めている事は、マリアエレナは知らないのだ。
装甲服を着、炭素クリスタルのトマホークを両手に持ち、その上で三角飛びが出来るのは、
自由惑星同盟を見渡してもマリアエレナだけなのである。
ヘラクレスは伊達じゃない。
「白兵戦だけ強くても使い道ないからなあ…。
なんでこんな能力あるんだろう、まあ無いよりある方がいいんだけどさ。」
宇宙歴796年8月6日。
同盟最高評議会は帝国領への遠征を決定した。
8個艦隊、将兵は約3000万人が動員される。
しかし作戦計画の実態は稚拙極まりないもので、立案者であるフォーク准将曰く
「大軍をもって帝国本土へ侵攻する」
「高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処する」
といった抽象的かつ曖昧な語句に終始したものであった。
真綿で首を絞めるような同盟の状況がこの作戦で一変し、いよいよ殺伐とした傾国が始まるであろうことを視野狭窄に陥っていない者が予感するには、十分であった。
フェザーンを通じて同盟による帝国侵攻の報をもたらされた銀河帝国は、ラインハルト元帥に同盟軍の迎撃を一任した。
ラインハルト元帥は幕僚のオーベルシュタインが提案した焦土作戦を以て応じることとなる。
当初は帝国軍が領地から物資を引き上げつつ戦わずして引いたため、同盟軍は抵抗も無く進撃し200の恒星系を占領しそこで暮らす5000万の帝国国民を「解放」した。
だが、まもなく同盟艦隊が補給線の限界点に達し、かつ「解放した市民」が欲する物資は加速度的に膨れ上がった。
物資の補給のために同盟から大規模な補給部隊が送られたが、帝国のキルヒアイス准将の艦隊攻撃をうけて壊滅的打撃を受ける。
補給を受けられなくなった同盟軍は現地において物資を徴発せざるを得ず、新たな「市民」の反感を買った。
さらに各星域において、帝国軍が大規模な攻勢に転じたため、同盟各艦隊はことごとく惨敗。
同盟軍はアムリッツァ星域付近に集結し再反撃を画策したが、
ここでも帝国軍の猛攻に曝されて、さらに損害をだしてイゼルローンへ撤退を余儀なくされた。
この作戦により喪失した将兵は動員した約3,000万人のうち、
実に70%近くに相当する2,000万人に達した。
最も被害の少ないのはヤン・ウェンリー率いる13艦隊であり3割の喪失であった。
政府関係者はこの軍事行動の圧倒的敗北の認識を相対的に軽減させるべく、この功績をもって大将へと昇進させ、
「イゼルローン要塞司令官・兼・イゼルローン駐留艦隊司令官・同盟軍最高幕僚会議議員」
という役職をもってイゼルローン要塞に赴任させた。
「あーあ、全くろくなもんじゃないわ。
本当に、人殺しが大好きな馬鹿ばっかりで……!
勉強、の出来る阿呆共と、自分の見たいことしか見ないっ、俗物共が……っ!」
マリアエレナの手元には軍専科学校の卒業アルバムが開かれていた。
アーノルド、レフ、ミリー、アンナ、ベラ、ソフィア、アンディ、コニー、ユーリ、ロベルト、ゾルタン、ロマン、アルマ、カヤ……
同じ釜の飯を食べ苦難苦境を共にし青春を共にした、
沢山の同期生の7割が既にこの世に居なくなっていた。
マリアエレナは独語する。
「ごめんなさい、こうなる事は分かっていたのに、私は止めなかった。
作戦立案者のフォークを病院のベッドに送るなんてのは私の力だと容易いのは分かってた。
でも、私は臆病だからそれをしなかった……」
「結局私は、世界の修正力が、怖かったの…」
「自分が知らない世界になることが何よりも怖くて怖くて怖くて、怖くてたまらない。
気が狂いそうになるの。
未来が分からないなんて、そんなの、そんなの――」
眼が限界まで見開き、涙がボロボロと卒業アルバムに落ちていく。
身体が小刻みに震え、呼吸が浅く早くなっていく。
「怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い」
「死にたくない」
「傷つきなくない」
「ううううう、うぁあああああああああ――――っ!!」
母アリスがマリアエレナの絶叫を聞いて、リビングからマリアエレナの自室へ踏み入ったのはそれからすぐの事であった。
病院へ受診すると、マリアエレナには「PTSD」、つまりトラウマによる精神不安定であると診断され、
実践を経験するまもなく軍病院精神科へ入院することとなった。
マリアエレナは人外の身体能力を得たが、その精神性までは得ていない。
喪失を恐れるマリアエレナの在り方が、この銀河英雄伝説の世界と比べてあまりにもちっぽけであり、
何よりも重要な精神の強さという装甲が脆弱であったということである。
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喪失、そして狂気への晶華
「ママ、ママ、行かないで!
行っちゃ嫌!」
「マリー、ママは家に帰るだけよ。
また明日もマリーの元に来るから。
ね?」
アリスは愛娘のマリアエレナの額にキスを落とした。
マリアエレナは帝国侵攻作戦において同期や友人の多くを喪失し、それによってトラウマが植え付けられていた。
現在でこそ母の帰宅を渋々ながら許容しているが、PTSDと診断されたばかりの頃は視界から両親がいなくなることを、人間離れした身体能力で許さなかったのだ。
軍病院の精神科に入院したマリアエレナは、医師や家族などの協力によって少しずつ回復してきており寛解に近づいてきている、
と医師はマリアエレナの父ニックと母マリアに説明している。
マリアエレナの類まれなる身体能力は自由惑星同盟150億人の中でも突出しており、寛解し次第、軍への復帰が検討されている。
マリアエレナの病気であるPTSDは精神の病気であって肉体の病気ではない。
その為、マリアエレナは自由な時間があればストレッチや軽い組手などを行っていた。
勿論、この運動もPTSDの治療の一環である。
「ママ……来てね、絶対に来てね」
「ええ、勿論。
パパからのビデオメッセージも貰ってきちゃうわよ!」
アリスはパチリとマリアエレナにとびっきりの笑顔とウインクを見せた。
アリスの生来の陽気で人懐こい性格の表れでもあり、愛娘を安心させるためでもあった。
しかし彼等の穏やかな時間は永遠に訪れることはなかった。
1組の親子が愛情を育みながら人生を歩いている間に、世界では大きな出来事が起きていた。
宇宙歴797年1月20日。
自由惑星同盟イゼルローン駐留部隊の戦艦ユリシーズが帝国軍の使者と接触した。
これまでの戦争のために両国に存在する捕虜の交換の申し入れであった。
宇宙歴797年2月19日。
捕虜交換式がイゼルローン要塞にて行われた。
この時、帝国の代表としてキルヒアイス提督が、同盟の代表としてヤン提督がサインを書面に印している。
宇宙歴797年3月19日。
首都ハイネセンにて捕虜交換式成功祝賀式典が行われた。
宇宙歴797年4月3日。
惑星ネプティス、クーデター勢力に占拠される。
宇宙歴797年4月5日。
惑星カッファーにおいてクーデター発生。
宇宙歴797年4月8日。
惑星パルメレンド、クーデター勢力に占拠される。
宇宙歴797年4月10日。
惑星シャンプール、クーデター勢力に占拠される。
宇宙歴797年4月18日。
ハイネセンにおいて軍事クーデター勃発。
クーデターを起こした者達は自らを救国軍事会議と名乗り、議長にグリーンヒル大将が就任していることを示した。
情報規制、物流の規制、救国軍事会議に従わないビュコック提督を拘禁等の締め付けを行った。
宇宙歴797年4月26日。
ヤン艦隊が惑星シャンプールを攻略し、反乱を鎮圧した。
宇宙歴797年5月18日。
ドーリア星域にて、ヤン艦隊と第11艦隊の戦闘が開始。
宇宙歴797年5月19日。
第11艦隊敗北。
宇宙歴797年6月22日。
ハイネセン・スタジアムで開催されていた無許可の政治集会に、
救国軍事会議から派遣された3,000人の武装兵が乗り込み、先導者のジェシカ・エドワーズを撲殺した。
それがきっかけとなって暴動が発生し、武装兵が襲われながらビーム・ライフルを乱射。
死者は市民20,000人、兵士1,500人にのぼった。
アリスは娘のマリアエレナが陥った、戦争による間接的な被害に対して強烈な衝撃を受けていた。
出兵してすらもないのに病気になる程の負の影響。
いずれ娘が軍に復帰すると分かっていても、個人の感情としての戦争への忌避感はなくならない。
和平派として自己を確立するのは当然のことであった。
そんな時に起こった救国軍事会議によるクーデター。
彼等が主張するのは国民全てが戦争の為の働きをしなければならない、ということ。
そして、弱者を切り捨て多種多様な意見を持つ人々を排除すること。
黙って従っていても駄目なのはアーレ・ハイネセンが証明している。
ならば暴力を使わなくても意見を主張できる場を。
そうしてアリス・メルクーリはハイネセン・スタジアムで死亡した。
マリアエレナが異変を感じたのは、自分が入院している病院にドクターコールが流れた時である。
ドクターコールは通常、患者が急変したときに医師を呼ぶための放送である。
滅多に流れる事はなく、あっても日に1回程度の頻度。
しかし、この日は違った。
何回もドクターコールが流れており、医師以外の職員も慌ただしく動いている。
何かが起きた事は明白だった。
「あの、すみません」
「はい、どうされました?」
「何が起こってるんですか?
なんか大変なことが起こっているみたいなんですけれど……」
マリアエレナの元にテレビは存在しない。
何故ならマリアエレナの病気は、喪失を恐れるという症状だからである。
よって、多くの環境の変化を教えてしまうテレビは今のマリアエレナには不適当だとされ、
テレビ等のニュースを受け取るための物には一切関わりがなかった。
「そうですね……。
実は、ハイネセン・スタジアムで暴動が起こっているらしくて、それの怪我人が沢山運ばれてきてるんです」
「怪我人……!
ママは、ママは、無事なんですか!パパは!」
「今の所は何も分からないんです。
ごめんなさいね」
「そうなんですか……」
「あっ、でもテレビかラジオに名前が流れるかもしれないので、チェックしておきますね」
「お願いします……」
この会話の2週間後、この看護師はテレビニュースの画面でアリス・メルクーリの名とニック・メルクーリの名を見つける。
死者の欄に。
「ママ……パパ……なんで、なんでなの?約束したでしょ、明日また来るって、パパからのビデオメッセージ持ってくるって……嫌だ、なんで……?なんで、なんで、なんで、なんで……」
マリアエレナはその身体能力を使って病院を脱走していた。
しかし、マリアエレナ本人はその事を認識していない。
一時的な混乱と視野狭窄が、現状の認識を不可能にしていた。
病衣と裸足という異様な風体に気がつき、軍服を着た男がマリアエレナに声をかけてきた。
「おい、何をしている!
ここが何処か分かっているのか!
お前の名前は!」
「嫌……なんで、置いていかないで、嫌だ、嫌だ、ママ、パパ……」
強い口調での詰問にも関わらず、下を向いてブツブツと独語するマリアエレナの肩を男は揺さぶった。
「おい、大丈夫か!」
「……え……あれ、なんで私……?」
「よし、しっかりしてきたな。
いいか、ここはハイネセン・スタジアムだ。
俺は救国軍事会議に参加していて、ここに誰かが立ち入らないようにしている」
「救国、軍事会議……」
「そう、だからお前は早くここから……」
「……くっ、ふ、」
「おい?」
「ふふ、くふふふふふふふふふふ、あはははははは!ははははは――――」
「――――死ね」
マリアエレナが突き出した手刀は、易々と衣服と男の肉体を突き破った。
脊髄損傷による生理的な動きだけが、男の生物的な要素をその肉体に留めている。
男の腹部に差し込まれたマリアエレナの腕は、男の血で真紅に彩られた。
そのまま腕を横に薙ぎ払う。
バキャリ、と脊髄を潰しながら折る音と共に男の身体は上下2つのパーツになった。
彼が1つの身体に戻る事は最早、生物である時には無理だろう。
ゆらりと何の感慨もなくマリアエレナは歩き出す。
「――――殺す、私から奪う奴等を殺す、殺す、殺さなきゃ、泥棒は悪いことだから殺す。うん、可笑しくない。悪いことする人は殺さなきゃ。悪い人がいなくなれば皆で楽しく暮らせるもんね。殺そう。そうだ、ママとパパを探さなきゃ。殺そう。これからのことも考えなきゃいけないし。殺そう。原作の展開もよく覚えてないし。殺そう。ヤン艦隊が来るまで保留という事にしておこう。殺そう」
宇宙歴797年8月。
バグダッシュ中佐がヤン提督の要請により、クーデターがラインハルトによるものであると証言する。
これによって救国軍事会議の大義名分が机上の空論と化した。
ヤン艦隊は救国軍事会議の降伏を促すためアルテミスの首飾りを12個完全破壊する。
グリーンヒル大将と扇動者のアーサー・リンチの死亡をもって、救国軍事会議は完全降伏。
首都ハイネセンのクーデターは終了した。
最も死体の数が多かった場所はハイネセン・スタジアムであり、
その中には車の横転による事故であろう死者も少なくない数が見られた。
1つ違和感があるとするならば、車の横転での死者は全て救国軍事会議の者であるということだが、
集合した和平派の者達は徒歩であり、救国軍事会議の者達だけが車で来ていたのだから特に不思議ではなかった。
能力はギャルゲー世界のものだが、存在する世界は皆殺しの田中。
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MPメルクーリ伍長
宇宙歴797年9月21日。
マリアエレナ・メルクーリ伍長はイゼルローン要塞の憲兵、所謂MP (military police)として就任した。
マリアエレナは精神科から退院したばかりという事で、希望部署への異動を多少の配慮をしてもらえた。
マリアエレナの能力は白兵戦において図抜けたものであり、
ここで退職されるよりは少しばかりの融通を利かせて職務に準じてもらいたい、という意図があった。
このような理由で、マリアエレナは両親が殺されたハイネセンから遠く離れた、
イゼルローン回廊はイゼルローン要塞へ移動することとなった。
「よう、ユリアン!」
「こんにちは、ポプラン少佐」
ユリアン・ミンツに珍しく声をかけてきたのはオリビエ・ポプランであった。
珍しく、というのはユリアンとポプランの仲が悪いという事ではなく、
ポプランが自主的に男に対して声をかける事が珍しいということである。
ユリアンは笑いながら返答する。
「珍しいですね。
ポプラン少佐が、わ、ざ、わ、ざ、僕に話しかけてくるなんて」
「おいおいユリアン。
そんなに俺が色男過ぎるって皮肉るなよ」
「はいはい」
ポプランがユリアンに上機嫌で話しかける時、高確率で美女と悪巧みが絡んでいる。
今回もその中の確率に入っていた。
「どうやら新しく赴任してきた美しい女がこの僻地の要塞に来たらしい。
ここはひとつ、お前さんの男ぶりを上げるためにこのオリビエ・ポプランが女への声のかけ方の指南をしてやろうじゃないか」
「ああ、僕はそういうのはまだいいですよ」
「馬鹿を言うんじゃない。
俺の弟子として恥ずかしくないように特訓しろと言ってるんだ」
ユリアンがポプランの弟子なのはスパルタニアンの戦いにおいてであって、断じてナンパのやり方ではない――。
しかし、ユリアンはポプランの事が嫌いではない。
むしろ好きである。
丁度手持ち無沙汰であったことも関係し、ポプランの用事に付き合う事にした。
「そこで何をしている。
その女性から手を離しなさい。
さもなくば私がMPとして治安維持の仕事の内容を、貴方の身体に物理的に叩き込みます」
マリアエレナはパトロール中に路地裏で女に乱暴しようとしている男を発見した。
男は軍人であるのか女の関節を極めており、女に抵抗をさせないようにしていた。
女は恐怖に顔を引き攣らせ、涙を流している。
婦女暴行の立派な現行犯であることには間違いなかった。
声をかけられたことに男は身体をびくつかせたが、声の出元が華奢な女であると認識すると嘲笑した。
「ふん、お嬢ちゃんが俺の身体にどう教えてくれるって?」
この男の不幸は、マリアエレナの能力を知らなかったことである。
マリアエレナの能力を知っているものは、軍専科学校の同期と教官、前上司と前同僚、そして両親と病院関係者だけであった。
つまり、イゼルローン要塞にマリアエレナの能力を知る者はマリアエレナの書類を読んだ者だけである。
「3つ数える間に投降しなさい」
「するわけないだろ」
「3」
「2」
「1」
「――――拘束する」
ごおん、という異音が路地裏から聞こえたのはポプランのナンパが不発に終わった後であった。
明らかな騒乱の気配に、お祭り騒ぎが好きなポプランの精神は高揚した。
「ユリアン、行くぞ」
「はいっ!」
ポプランの陸戦能力は、ワルキューレによる戦功に比べれば微々たるものではあるが、それでも上から数えた方が早いのである。
ユリアンの陸戦能力も、ローゼンリッター隊長ワルター・フォン・シェーンコップに師事しているだけあって、優れたものである。
異変が起きた時にその騒ぎの中に飛び込んでいっても、身体能力に関しては不安の少ない人選である。
そしてポプランとユリアンが見つけたものとは。
「大丈夫でしたか?さぞ怖かったでしょう」
「いえ…ありがとう、ございます……」
「この人の骨、1本くらい折っておきます?
今なら正当防衛ききますよ」
「いや、いいです……」
倒れた男と涙を流している女、そして女を慰めている女軍人であった。
恐らく女軍人が婦女暴行に及んでいた男を倒したのだろうという予測が容易くつく光景であった。
ひゅう、と口笛を鳴らす。
「何者っ……お、お疲れ様です!少佐!」
マリアエレナは新たな不審者に過敏になったが、相手が少佐の階級章を付けている軍人だと分かると、慌てて敬礼した。
「いや、俺への敬礼はいいからそこの女性を保護してやってくれ。
俺のような青年が慰めるよりは女性同士の方がいいだろう?」
パチリと女性陣に向かってウインクを投げかけたのは、やはりポプランの女好きがそうさせたのであろうことはユリアンにとって明白であった。
女性陣からのポプランへの好感度は、不審者から良い人へと上がった。
「では、とりあえず貴方の洋服を…あっ、破れてる……。
とりあえず私の上着を羽織っておいてください」
「ありがとうございます」
「事情聴取を行いたいんですけど、1回自宅に帰ります?それともこのままMPの事務所に…」
マリアエレナはその身体能力が人外のものであると正しく認識している。
その為、対人戦においては基本的に手加減をしている。
犯罪者を全員この世から消してはいけないのがMPの仕事である。
故に、婦女暴行を働いた男に対して適切な力が振るい方が甘く、
気絶していた男の意識の回復が早かったのである。
「――はあああああっ!!」
男はマリアエレナの背後から飛びかかろうとした。
「危ないっ!」
「後ろ――!」
マリアエレナは後ろへ振り向きながらしゃがみこんだ。
そして拳を地面に叩きつける。
通常ならば手の骨が折れるだけの作業。
しかしマリアエレナの身体能力は地面の硬度を上回り、見事に粉砕した。
まさか足元が破壊されるとは思わなかった男は、身体の体勢を崩した。
体勢の崩れた人間の相手程、対人戦において楽な戦いはない。
マリアエレナは出来るだけ手心を加えながら男の胴を爪先で蹴り上げた。
そして宙に舞いながら回し蹴りを叩き込む。
男は壁に身体をしたたかに打ち付けて沈黙した。
「被害はないですか?
ああ、ちょっと砂がついちゃってますね……」
マリアエレナが真っ先に心配したのは被害者の女であった。
マリアエレナの言う通り、確かに砂が洋服にかかっていたがたいした量でもない。
「ありがとうございます。
その、お強いんですね……」
「ええ、軍人ですから!」
ポプランとユリアンは同じ事を思った。
軍人というだけでこんなに強い訳がないだろう、と。
マリアエレナは女性を安心させようとしてこのような冗談を言ったのだが洒落になっておらず、後に某高級士官達から「下手な冗談は止めてくれ」と言われることとなる。
続けて鬱展開が続いたので、自分の精神のためにギャグ回を書きました。
イゼルローン日記好きなのでイゼルローン要塞編続きます。多分。
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昼寝司令官の疑問、薔薇の連隊の襲撃
最近、自分の養子が鍛錬に熱心になっている。
その事に気が付いたのは、人間観察が得意というわけではないヤン・ウェンリーにもはっきりわかる程、ユリアン・ミンツが草臥れていたからである。
自分よりはるかに身体能力の優れているユリアンが草臥れるほどの鍛錬?
疑問に思ったが、ヤンは身体能力を鍛えるための労力など士官学校でしか使ったことがないのだ。
具体的な事はさっぱり分からない。
あれこれと疑惑を抱えるよりは本人に直接聞いた方が早いだろうと思い、ヤンはユリアンに尋ねることにした。
「ユリアン、最近頑張っているようだね」
「ええ。
ちょっとした目標ができたもので」
「目標か。
シェーンコップと同じローゼンリッター隊長になりたい、なんて言い出さないでくれよ?」
「それくらいは理解してますよ。
そもそも僕は同盟人なんですからローゼンリッターに入隊すら出来ませんしね」
「違うのか」
可笑しいな、目標と言うからにはてっきり指導者を目指すものだと思っていたのだが。
そうヤンが思い悩んでいるとユリアンが答えをあっさりと開示した。
「実はですね、とある女性の仕事ぶりに感動しまして。
僕も男ですから、どうにかしてああいう風になれないかと思って頑張ってるんです」
「仕事ぶりというと?」
「ええ。
MPの方なんですが、暴漢への対処の仕方がとても素晴らしかったんです。
ポプラン少佐も感動してましたよ」
「ポプラン少佐が感動したのはその女性の美貌なんじゃないのか?」
「もしかして見ていらしたんですか?
その通りです」
是非ともポプランの性格を見習わずに育って欲しい。
しかしまあ、女性がMPとは珍しい事だ。
MPというと実働部隊は体格の良い厳しい顔の男達が威圧感たっぷりに働くものだと思っていたが……。
暴漢、と言っていたな。
性的暴行加害者も暴漢であることは間違いない。
確かに女性のMPも必要になるな。
男性では被害者との対話が上手くいかない事もあるだろうし。
「でもシェーンコップ准将からはお前にも無理だって言われてますけれどね」
「え?
シェーンコップが本当にそう言ったのか?」
「はい。
確かに無理だという事は分かったので、今は対人戦のやり方を教えて貰ってます」
シェーンコップが無理だというような暴漢への対処のやり方?
性別、はこの際関係ないのか。
女という特性を使った対処ならユリアンが見習おうとは思わないだろうし。
それじゃあそのMPはいったい何をやったんだ?
「ちなみに聞いておきたいんだが、その女性はいったい何をやったんだい?」
「コンクリートを素手で粉砕してました」
「ジョークにしか聞こえないんだが……」
これはヤンとユリアンの会話より1ヶ月前の出来事である。
「うう……無理、やっぱり無理……」
「ほら、可愛い顔してるんだから勇気出しなさいよ!」
「無理だって、声かけれない、無理……」
姦しい騒ぎに気付いたのはワルター・フォン・シェーンコップが休日の時であった。
この日は珍しく1人で街を歩いており、その為注意が四方へと向いていたのである。
自分の方をちらちらと見ながら話している女性達を見逃すほど、シェーンコップは朴念仁ではなかった。
「俺がどうかしたのか」
シェーンコップは当然、女性達へ声をかけた。
シェーンコップの予想では、この中の1人が自分に何かしらの思惑を抱いている筈である。
「ほら、話しなさいよ!
折角声かけてくれたんだから!」
「うん……。
あっ、あのっ!」
「なんだ」
声をかけてきた女性を眺める。
褐色の髪に琥珀色の眼。
顔は整っており体型はやや細身だが標準体重だろう。
胸はふくよかそうだと見当をつけた。
「ワルター・フォン・シェーンコップ准将ですよね!」
「そうだが」
「1つ、お願いしたいことがあるんです」
「言ってみろ」
男に不慣れな女ということが丸出しの話し方である。
男女比が男に大きく偏ったイゼルローン要塞で、どう過ごしているのか……。
「私と、対人戦をして頂けませんか!」
「マリアエレナ、何を言っているの……?」
「え?
いや、このお願いのためにシェーンコップ准将を探してたんだけど……。
そっか、そう言えばまだキーリには言ってなかったわ」
シェーンコップは呆気にとられた。
自分に声をかけてくる女は基本的に男女の関係を求める者ばかりなのである。
それなのに対人戦の申し込みときた。
かのローゼンリッター隊長ということも理解しているのにわざわざ試合を申し込まれるような事は、例え男相手でも経験したことがなかった。
上から下まで鑑定するように眺める。
軍人なのだろう、ある程度の筋肉はついている。
しかし到底自分と対人戦が出来るとは思えない。
いくら技術を磨いても体格差というのは明確なハンディキャップであるのだ。
それに加えて身長、骨格。
これら全てがシェーンコップよりも劣っている。
つまり。
「指導、ということでよろしいのかなお嬢さん?」
「いいえ、徒手空拳の本気の試合をしたいのです」
「そりゃあ無茶ってもんだ。
強くなりたいのは分かるが、身の丈にあった事をしないとあっという間にヴァルハラ行きだぞ」
「でも……」
「やめておけ、御自分の身体を大切にするんだな」
「そうよマリアエレナ!
いくらMPでもシェーンコップ准将に勝てるわけないでしょう?」
「――――勝てます。いえ、勝ちます」
「見ておいてください、1ヶ月以内にローゼンリッターに襲撃をかけてみせます。そして勝ちます」
「そうしたら、私と試合していただけますよね?」
シェーンコップは後にユリアンに語った。
「ローゼンリッターの入隊資格がマリアエレナに無いのが残念で仕方がない」
と。
煽り耐性があまりない主人公。
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