ドレミースイートの夢日記 (BNKN)
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1 感情の摩天楼

 

 夢とは何か。

 我々人間が睡眠中に見る、あたかも現実であるかのような像。或いは場面の流れ。これは夢の説明には違いないが、表層的な部分をすくい取っているに過ぎない。夢という一見身近なものが何を示唆しているのか。良く言われる様に、単なる記憶の整理なのか。深層心理を顕にしているのか。我々はその正体すら把握しきれていないのだ。

 

 夢という言葉に対し、幻想的なイメージを持っている人は少なくない。それは夢が古くから我々の生活のスピリチュアルな部分と密接に関わってきた事を裏打ちしていると言えるだろう。遡るところまで遡れば日本では夢を神の啓示だと考えていた時代もあった。今で言うところの予知夢などを己が能力ではなく、見えざる神の力によるものだと見なした結果である。睡眠中に魂が抜け出したなんて説も本気で広まっていた。

 

 あらゆる科学が発達し、宗教という言葉に反射的に負のイメージを抱く人の多くなった現代日本においても未だ夢分野は解明されていない部分が多いため、上記のような説がまるっきり間違っていることの証明をして見せろと言われてもしかねるが、一般的には魂だの神の啓示だのは世迷言だと切り捨てられる風潮にある。フロイトやユング、エーリヒが唱える夢とは何か? という疑問に対する説にすがるわけではないが、境、もっと言えば定義が曖昧な存在は往々にして不安定で不確定である。やはり何かしらの確たる物で測られなければその存在は酷く危ういものとなるのだ。

 

「今日の夢は如何でしょうか」

 

 さて、ここに珍妙な出で立ちの女性がいる。白と黒のツートンカラーのフワフワゆったりとした格好は例えるなら中南米の民族衣装であるポンチョ。着ていると言うよりも上から羽織っているという表現が正しそうな雰囲気すらある。そんな彼女の足元には細長い尻尾が機嫌よさげに左右に振れている。サンタクロースを思い出す様な真っ赤な帽子の先を弄び、もう片方の手にはどうやって読むのかと聞きたくなるほど大きな本が握られている。黒表紙に上等そうな金字でDと彫られているそれを脇に挟む彼女こそ、我々の知り得ない夢を定義し、夢に生き、管理する存在なのだ。外界との繋がりを明確に分つ博麗大結界の内部にいながらその活動範囲は幻想郷内に留まらず、外部に行くことも容易い。以前、幻想郷において月の異変、地上浄化の件の時には博麗霊夢や霧雨魔理沙が夢を経由して月へたどり着いた。夢の境が曖昧であるが故にそれを分かつことが出来ないのだ。月にも繋がり、外界にも触れ、幻想郷を覗き見る。それこそユングの集合的無意識の話ではないが、統括的で広義的な存在と判断せざるを得ない。

 

「どれがいいですかねぇ」

 

 彼女は品定めするように指を惑わす。虚空に浮いた幾つもの小窓に近付き、中身を見ては視線を移す。彼女も妖怪には違いないので、その見た目からは一体どれほどの月日を生きてきたのかは分からない。分からないけれど、今の彼女はウィンドウショッピングを楽しむ一人の少女にしか見えない。

 

「ん? おや彼女は…」

 

 今宵、そんな彼女、ドレミー・スイートのお眼鏡に叶ったのは一体誰か。そして何の夢か。どんな夢か。

 

 それは覗いて見てからのお楽しみ。

 

 

 

「お邪魔しましょうか」

 

 

 

 

 

 〇

 

 目覚めて気付いたのはその静けさだった。

 正確に言うなら静けさに身を起こした。いつもならば聞こえてくる響子さんの元気のいい挨拶が聞こえないのだ。以前にも一度あったが、その時は鬼である伊吹萃香さんによる木枯らしごっこが原因であった。新人のくせに挨拶がないなんて随分生意気じゃないか、というのが彼女の言い分であった。ともあれ、そんな理不尽な襲撃を一度経験していれば、こうしてまた声が聞こえてこないと言うだけで不安を覚えるものだ。

 私は寝癖に跳ね返る髪の毛を撫で付けながら床を発った。

 

 

「響子さん?」

 

 寺を出て、門前にいるであろう響子さんに呼びかけるも返答はない。彼女がいつも握っている竹箒は門に立て掛けられた状態で置きっぱなしになっていた。

 

「?」

 

 首をかしげつつ、いつでも元気いっぱいな彼女でも寝坊くらいするかと一人で納得して寺の中へと戻る。ギシギシと音を立てて軋む床板に得体の知れない不安感を覚えながら歩いた。

 

 

 

 普段なら皆さんが起き出す時間になっても寺は静かなままだった。朝餉の香りに釣られて身を引きずって来るぬえや水蜜、私以上に爆発した髪をかきあげて欠伸しながら起き出す一輪、唐突に現れるマミゾウさんに瞼が殆ど落ちたままの星。ひもじい思いをして半泣きの小傘さんに、毎朝のように放火にやってくる布都さん。誰も来なかった。困るくらいに喧しい筈の食卓に座るのは私だけだった。

 

 流石に妙だと思い、失礼を承知でそれぞれの部屋を覗かせてもらった。布団はあったが、その持ち主たちの見る影はどこにもなかった。今日に何か朝から予定があっただろうかと焦り、急いで確認するも特に何も書かれていない。沸き立つ気持ちを抑えつつ、皆を探すために私は書置きだけ残して寺を出た。

 

 私は歩いて人里へ向かった。強くなり始めた陽射しが暑く、笠の下だと言うのに汗が止まらなかった。額にへばりつく前髪をはらいながら私は昨日の夜を思い出そうとした。そこに何か今の事態の兆候があると思ったのだ。

 

「はっ」

 

 私は思わず眩暈がした。

 

 何も思い出せなかったのだ。寝る前に何をしたかを思い出せない事はたまにある。前日の夜に何を食べたが不意に出なくなる事も無いといわけではない。だがしかし、今この時、この瞬間だけは前日を思い出せなかった。いや、正しく言うならば今日起きた時から以前の記憶がなかった。なんと言うか普段何をしていたか日常的な光景は漠然と分かるのだが、正確な情景が全く思い出せないのだ。ショックと暑さにやられて私は木の幹に手をついた。木陰に入って休みたかったのもあったかもしれない。地面に落ちる落ちる汗を眺めて呼吸を整えていると手の甲に違和感を覚えて視線を移す。

 

「ひっ」

 

 目をやってすぐに後悔した。私の手に大量の虫がはっていたのだ。しかもその虫たちは何やらぼそぼそと喋りかけてきた。気持ち悪くて仕方なかった私は寒気のままに思い切り手を振りきって逃げ出した。木の幹が折れた音がしたが構うものか。

 

 

 

「はぁっはぁっ」

 

 漸く人里の門が見えて少し安心する。震える手を胸に抱いて私は小走りに門前に立った。滴る汗を手で拭い、呼吸を整えてから門の内へ歩を進めた。

 

「……っへ?」

 

 その異常性に気付いたのは人里に入ってすぐ。

 

 誰もいなかった。

 

 お昼時、賑わいを見せているはずの食事処には客どころか店員すらいない。必ずと言っていいほど走り回っている子供たちはおらず、 乾いた風が虚しく音を鳴らす。ガヤガヤと耳を覆いたくなる程喧しい大通りには木の葉が数枚飛び跳ねるだけだった。

 

「誰か…誰かいるでしょう!」

 

 こういう時には一々声を出したくなる。でないと寂しいからだ。私は笠を投げ捨てて里中を走り回り、駆けずり回り人を探した。一輪が隠れて通っている酒屋、慧音さんの頭突きの音が冴え渡る寺子屋、マミゾウさんが執心している貸本屋、星お気に入りの甘味処に稗田亭。そのどこにも誰一人として姿は見せてくれなかった。

 

「そんな馬鹿なっ」

 

 私は急いで切り返し、人里を出た。向かうは博麗神社。これは異変に違いない。それも人里の人間が丸々いなくなるなんて超大規模のものだ。となれば霊夢が動かないわけもないのだ。きっと神社には、神社には霊夢がいるはず――

 

 

 

 ――だった。

 

「なんでっ!」

 

 地面を蹴散らし、階段を駆け上がり、膝を抑えながら顔を上げて見えたのは誰もいない博麗神社。私はいよいよ拳を鳥居に打ち付けた。赤い朱塗りの鳥居に大きくヒビがはいり、私の指から赤い滴が地面に落ちた。

 

 

 

 誰もいない世界。私だけが取り残されてしまったこの状況ではどうしても封印された法界を思い出してしまう。

 

 私は人と妖怪の共存を目指し、禁忌に手を染めた。妖怪であれ人であれそこに感情があり、生活があり、過去があり、未来がある。違いなんて無いのだ。だというのに当時の人々はそれを話を聞くこともなく、人と妖怪は相容れないものだと決めつけて勝手に争いに身を投じその世の中を憂いていた。妖怪とて全く同じだった。本来なら理解し合えるもの達が、その機会が無いからというだけで無意味に争う世界の空しさに私は立ち上がり、寺を開いたのだ。無為に虐げられる者達を匿い、無意味に暴れる妖怪たちを宥めた。その中で水蜜や一輪を初めとする沢山の理解者を得て、私の目指す世が少しずつ開けてきたと心を踊らせた。

 

 だが、上手く行かなかった。私の行ってきたことを誰かが早々に漏らしてしまった。そしてそれが理解されるには情報が漏れるのが早すぎた。

 

 その結果、寺は妖怪寺と言われ、私は数多の妖怪を率いて都に仇なす反逆者扱い。陰陽師の集団が徒党を組んで命蓮寺を取り囲んだその時ですら私は必死に彼らに語りかけた。妖怪と人間に何の違いがあるのかと、虐げる大義名分は何なのかと叫んだ。だがしかし、彼らに私の声は届かず、私は一人法界へ封印された。そこは何も無い世界であった。

 

 散り散りになった星星の、紫混じりの青色に。

 

 突き刺さった鉄塔が摩擦のある風に吹きさらされている。目が眩んでしまいそうなほどの明るい、血のように鮮烈な夕日を背に塗りつぶされた私の背中は酷くちっぽけな黒一点。解れた法衣の裾先に流された、病的なほどまでに白い骸骨指はウネウネと生々しく這いずり回って曲線を描いた。長く伸びた魂はグラデーションが掛かって、まるで脱皮途中で死んだ蛇のよう。時の経過を感じさせるものの一切ない、無限の地平線に佇んだ。気が狂いそうになる程静謐な空間に私は封印された。私は人のためになることをしたはずだ。妖怪のためになることをしたかった筈なのにどうして――

 

 

 

「本当に?」

 

 

 

 あの時と同じ様に周りが見えなくなりそうだったその時に聞こえてきた声は酷く聞き覚えのあるものだった。声の先にいたのはやはり見馴れた姿。この暑い夏にも関わらず羽織っているマントも、聞こえ過ぎる耳を隠すヘッドホンも、私を見るその目も全て想像通りの姿だった。

 

「貴女…」

 

 豊聡耳神子。私と同時期に眠から目覚めた仙人。聡明な頭脳と人の欲を聞き取る耳を持つ為政者である。見馴れた姿であるのに私はその場から動くことが出来なかった。駆け寄って手を握り、安堵したかった筈なのに、彼女からは発せられる剣呑な空気に飲まれてしまっていた。

 

「お前は本当に人の為に動いたのか?」

 

「…何が仰りたいんですか」

 

「そのままの意味さ。お前は本当に人の為、妖怪のために禁忌に手を染めたのか?」

 

 私の心の内を見ようとせんばかりの眼光の鋭さ。いつも通りの言葉遣いも刺がある様に思えてしまった。

 

「と、当然です…私は――」

 

「いや違う。お前が魔法に手をかけたのは世の中の為ではない。自分自身の為だ」

 

 私の言を遮った言葉。どこまでも鋭さを増す彼女に私はもう彼女以外の物が見えなくなった。

 

「何を馬鹿な。私は人と妖の平等な世を作る為に」

 

「下らない。お前は単に死ぬのが怖くなっただけ。弟が床に伏せ、老いて、死んでいくその様に恐怖しただけさ。私利私欲の為に手を出した魔法という禁忌に対する大義名分を後から作っただけなんだよ」

 

 目つきの鋭いまま、彼女は私をせせら笑った。弟の、命蓮の事など彼女に話したことはない。誰から聞いたかは知らないが余計なお世話だ。

 

「そんなこと貴女に言われる筋合いは有りません」

 

「温厚なお前でも図星をつかれると怒るか」

 

「っどうでもいいでしょう、私の事は。そんな事より今はこの異変をっ」

 

「逃げないで下さいよ。白蓮」

 

 別の声が私の後ろから聞こえてきた。その声は目の前の彼女よりもずっと身近なものだった。

 

「み、水蜜?」

 

 立っていたのは白い着物を纏う水蜜だった。その髪は水浸しで、折角の着物もびちゃびちゃで磯の香りを放っていた。

 

「水蜜、一体何処に行っていたので――」

 

「貴方は自らの目的のために私たちを利用したのですか?」

 

 また違う声。今度は一輪であった。

 

「貴方は本当に世のために、仕方なく不老を手に入れたのですか?」

 

 訳が分からなかった。

 

 さっきまで気持ち悪いほど静かだった神社の石畳。今や数え切れない程の人物たちが私を中心に立ち並んでいた。その全てが別々に私を問い詰めるのだ。

 

「何なんですかこれは!」

 

「私たちはただお前に尋ねたいだけさ。別に同時にすべてを聞けと言っているわけじゃない。一つ一つに答えていけばいつか全ての問に答えられるだろう?」

 

 人の波に消えた神子の声が頭に響いた。私はそれに頭を振る。ブツブツと聞こえる声が今の私には酷く不愉快だったのだ。

 

「う、うるさい!」

 

「おやおやおや、お前の姉は酷いことを言うものだなあ。なぁ、命蓮?」

 

「えっ」

 

 はたと顔を上げれば命蓮がいた。

 

 私のたった一人の弟。私の命蓮が…泣きながら私を見下していた。

 

 

 

「姉さん…どうしてこんな」

 

「ああっ違うの! 命蓮、待って! 私は悪くないの!」

 

 私の意思に反して口から出てくるのは情けない言い訳ばかりだった。

 

「私はっ、私はただっ」

 

「…失望したよ姉さん」

 

 そう言って遠ざかっていく命蓮を追いかけようと立ち上がった所を人の壁に阻まれ、手も届かない。

 

「待って命蓮! 私をおいていかないで!」

 

 私の叫びに答えるように小さな声が届いた。

 

 

 

「いただきます」

 

 

 

 ぶおんと風を切る様な音と共に私を取り囲んでいた全ての人影が消え去り、一人残ったのは舌舐りをする女性だけだった。

 

 

 

 〇

 

「んん、味は絶品。量も素晴らしい。やはり貴女で正解でした」

 

「っはへ?」

 

 私がこうして姿を見せた時には大体同じ様なリアクションを返されてしまう。この聖白蓮の様に目を点にして口をポカンと開けて暫くフリーズ。結構面白いが、正直見飽きた反応である。

 

「もしもし?」

 

「あっ!? んんっだ、誰ですか貴女は?」

 

 我に返って目を鋭くする聖白れ…白蓮さん。警戒心を露にするのは結構なことだが間抜けな声のおかげでこちらが笑ってしまいそうになる。

 

「紹介が遅れてしまいました。私ドレミー・スイートと申します。夢の世界でしがない獏なんぞをしております」

 

「ば、獏?」

 

「おや、獏をご存知ない? そうですね、簡単に申しますと人の夢を食べる妖怪です。基本的には悪夢を好んで食べますので人には有益な妖怪と言えるでしょう。私の事も気軽にドレちゃんとお呼びください」

 

「……」

 

「冗談です」

 

 七割方本気で言ったけれど、凄い顔されたから誤魔化しておく。因みにこの下りも毎回やって成功した試しがない。親しみやすくしようと心掛けているのだが、誰一人として心を開いてくれないのは何故であろうか。

 

「え、えと…」

 

「ええ、それで今日は貴女の悪夢を食べさせて頂きました。実に良質な悪夢で大変結構」

 

「夢…先程までのは全て夢なのですか?」

 

「ええ、夢ですよ。きっと現実世界の貴方はうなされていた事でしょう。汗もたっぷりかいてあるかも知れませんね」

 

「夢…」

 

 俯いてまたもやフリーズしてしまう白蓮さん。内容はよく分からないが、何やら深刻なムードだったのできっとそれを思い返しているのだろう。夢を食べる際に一番気になるのがこれ、人の夢を垣間見るがゆえに昨今騒がれているプライバシーも糞もない所だ。あまり踏み込みたくない様な話題も見てしまうことだってある。まぁ全部食べてしまうからどうでもいいのだけれど。

 

「私、そろそろお暇させていただきますね。今日はありがとうございました」

 

 食べた後はさっさと帰るのが一番である。私なりのジョークが通用する精神状態ならば少し話してもいいが、そうでないなら絡まれる可能性がある。私のジョークにはきっとその役割があるのだ、うん。

 

「待って下さい」

 

 そら来た。

 

「何でしょう?」

 

「先程のは…命蓮は夢だったのですか?」

 

 はて、命蓮とは…ああ、思い出した。

 

「ええ、全て夢です。弟さんも貴女のお仲間も、お友達も全て夢です」

 

「……」

 

 随分と思い詰めた顔を見せてくれる。何だか私が悪いことをした気分になってしまうではないか。

 

「先程まで貴女が体験したモノは全て夢です。貴女が心の中で不安に思ったり、後悔していること、或いは自分を見つめなおそうともがいているだけの事です。現実とは全く関係ございませんのでご安心を」

 

「後悔…」

 

「部外者である私が言うのもはばかられますが、こうして夢の中で悪夢を見る程思い悩んでいるだけ素晴らしいと思いますよ私は。世の中には何をしても後悔すらしない人々も大勢いますから」

 

 ふわっと当たり障りないことしか言えないが、アフターケアもしておかなければなるまい。私は善良な獏なのだ。それに変に病まれても私の寝覚めが悪くなってしまう。

 

「おまけに貴方の夢は私が食べてしまいました。きっと貴女が覚醒した時には何も覚えていないでしょうが、寝覚めはいいと思いますよ。寝汗で気持ち悪い以外はね」

 

「…そう、そうですか」

 

 未だ苦しそうな表情ではあるが、少し和らいだ。所詮、私に出来るのはこの程度でしょう。ほんの少しでも私に会えて良かったと思ってもらえるのなら嬉しい限りである。

 

「それでは御機嫌よう。またいずれ」

 

 

 

 〇

 

 私はただの獏だから人の悪夢を食べるだけ。自在に夢は作れるけれどそれを食べても美味しくない。なんと言うか、養殖臭くてかなわない。

 

 だからこそ、私は人が生み出すものを頂くのだ。何を食べるにしても天然物に限るというわけだ。月の都のサグメさんなんかには夢の管理者なんて思われてるけどそんな大仰なものじゃない。ただ、人よりも少しばかり夢に詳しくて、私の住処である夢を壊しかねない存在を監視するだけの本当にしがない獏である。

 

「ふわぁぁ」

 

 だからこそ私だって眠たくなるし、夢も見る。

 

 私の悪夢を食べてくれる獏がいないのが不安な所ではあるが、今のところこれまで一度だって悪夢にうなされたことは無い。きっと私は悪夢にも好かれているのだ。

 相思相愛ってやつ。

 

 

 

 さて、叶うなら今夜も快眠となるようにドレちゃんは祈っております。

 

 

 

 



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2 無意識無能の夢マスター

 

 

 

 

「ふうむ。これは困りました」

 

 暗い暗い森の中。積み上げられた闇の壁に遮られて自分のいる位置さえ危ぶまれる程の暗闇。ほんのわずかばかり上空から漏れでる光を辿れど、見えるのは木の葉の屋根ばかり。図太い木の幹と根が複雑に絡み合い、迷路と化したその森の中で顎に手を添え、困ったような声を上げる一人の女性。いつも通りのゆったりコーディネートのドレミー・スイート。

 夢という広大な物を支配する彼女は夢の中で絶賛迷子中であった。

 

「はてさてどうしましょうか」

 

 

 

 〇

 

 参った参った。

 まさか私ともあろうものが夢の中で迷うことになろうとは思わなかった。初めての体験にドレちゃんもちょっぴりドキドキである。か弱いドレちゃん、こんな助けが来そうにない森の中で暴漢に襲われたら大変である。いや、流石に暴漢は無いか。

 

 んーっと、猛獣に襲われたら大変である。きっとなすすべなく私は殺されてしまい、夢世界を見張るものがいなくなり、皆さんの悪夢を処理をする善良有益な可愛い妖怪がいなくなってしまう。それはいけない。というわけで私はこんな所で野垂れ死ぬわけにはいかないのだ。

 

 冗談はさておいて、真面目に迷っている。今日も快眠から目覚め、保存していた美味しそうな悪夢を腹の足しにしようと覗いた所までは良かった。ただ、選んだ夢が良くなかったらしい。パッと見で結構良さげな夢に何も考えず飛び込んだと思ったらこれである。因みに実時間にして既に結構な時間を歩き回っているが、一向に景色が変わらない。ぶっちゃけ進んでいるのかどうかも定かではない。

 

 残念ながら夢には距離も時間もないので本当に何も分からない。正確に言うなら距離の変動と時間の経過がない。歩いて景色が変わったならばそれは夢の見せる映像が変わっただけ、夢の中で半日たったなら場面が半日後の設定に変わっただけなのだ。

 例えるなら小説と現実世界みたいなもの。小説の中で描く場面や時間が劇的に変われど、それを読んでいる我々の世界に変化があるわけではない。それ程夢世界と現実世界は次元が違うのだ。

 

 話を戻すと私はここに来て、歩き回った…つまりは小説を読み進めたわけだが、何も見えないものだから訳がわからない。常に暗転している演劇を見せられている気分だ。全て食べてしまっても良いのだが、この暗闇が悪夢ではなかった場合、見ている方に申し訳ない。私はあくまでも皆さんを苦しめる悪夢を処理する獏であり、たまーに悪夢以外も失敬する事はあるが基本的にそこを変えるつもりは無いのだ。皆さんから愛されるキャラになるべく奮闘中である。

 ともかく、そういう理由だから此処を食べても良いかどうかを判別する為にも夢の持ち主を探したいのだが見つからない。そろそろ何かしら変化があってもいいと思うのだが。

 

「お?」

 

 と思った矢先に私の目の前、足元を一匹の黒い……何だろう。猿とナマケモノを足して二で割ったみたいな生き物が通り過ぎた。ようやく見せてくれた光明――と言うには怪し過ぎる気がしなくもないが、手掛かりには違いない。みすみす見逃すわけにはいくまいと、私はそれの後に続いた。

 

 あれ、もしかして今私凄くファンタジックじゃないでしょうか。不思議の国のアリスみたいな。なんて考えながらそれらしく振舞ってみようとしたのだが恥ずかしくなってすぐに止めた。私はクールでミステリアスなキャラを演じたいのであってアリスになりたいわけではない。ああ、そう言えば幻想郷にも同じ名前の魔法使いがいたような。彼女の方ならクールでミステリアスになれるだろうか。…いや、彼女も大概はっちゃけてるから駄目か。

 そんな事を思いながら、てくてく進んで徐々に景色が変わり始めた。

 

「おやおやおや…これはまた…」

 

 歩いて見えてきたのは霧だった。変化は欲しかったけど、霧って…。タダでさえ視界不良の森の中、濃い霧が包み始めて不良どころではない。もう最悪。

 

「すみません、どちらへ向かっているのでしょう? 森の外か主さんの元へ案内をお願いしたいのですが」

 

 これ以上深みにハマるのは勘弁願いたい。昨日の白蓮さんの悪夢が中々多かったので今はそんなに多くお腹に入らないのだ。太るのは勘弁である。夢を見る皆さんにしても折角自分の夢に現れるならスレンダーでビューティな女性がいいでしょう。ビューティかは分かりませんがスタイルくらいは美しくありたいものです。そして、今いる悪夢。全体像を掴みきれていないので何とも言えないが、かなり大きそうな気配が漂っている。これは最早夢の主さんではなく、私の戦いである。

 

 超大量の悪夢VSフードファイター・ドレちゃん、ファイ!

 

 なんて事にはなりたくない。因みにフードファイタードレちゃんと呼ばれた事は一度もない。呼んでくれる様な友人もいない。でも私は悲しくなんてない。なんせ私は夢喰いバク。謂わば餌付けされている皆さん共通のペットみたいなものだ。ペットはペットらしく扱われればよいのだ。そして、私自身もそれらしく振る舞うとしよう、わんわん。

 

「突然犬の真似なんて変な人だね」

 

「おや、口に出ていましたか。そして聞かれてしまいました。恥ずかしくて顔から火が出てしまいそうですね」

 

「顔から火が出るわけないじゃない」

 

「言葉の綾ですよ」

 

 さて、ようやく現れてくれた主さん。くすんだ黄色の洋服の上から藍色のコードが体中にまとわりついており、それは全て一つの閉じた瞳に繋がっていた。

 

「さとり妖怪でしたか」

 

「うん。でも心は読めないよ。目を閉じちゃったから」

 

「おや、どうして閉じてしまったので?」

 

「見ても面白くなかったから」

 

「そうですか」

 

 地雷臭が凄まじかったので早々に会話をやめる。私に本質的な悩みを解決するだけの力はないのだから聞く必要も無い。ただ、会話を切ったからと言って、何も話さないわけにも行かない。食事を済ませるべく、何が悪夢かを見極める必要があるのだ。

 

「貴女は――」

 

「こいし」

 

「はい?」

 

「こいしって呼んで」

 

「ああ、ええ。成程、でしたら私の事も気軽にドレちゃんとお呼びください」

 

「ドレちゃん…うん分かった」

 

 思わず心の中でガッツポーズである。苦節何年目かで初めてドレちゃん呼び。あだ名で呼ぶことで親近感アップで急速に距離が詰まっていくこと間違いなし。

 

「ねえ、ドレちゃん」

 

「はいはい、何でしょう」

 

「これあげるね」

 

「?」

 

 薔薇の刺繍の施された可愛らしいスカートの方ポケットから取り出したのはエナメルの緑の首輪だった。

 

「ドレちゃんの首輪。犬になるのが好きみたいだから私のペットにしてあげるね」

 

 一気にアダルティな香りが漂ってまいりました。ペットとは言ったが、個人に飼われるのはまた話が違う。てか何で首輪を常備しているんだ。

 

「申し訳ありませんが私に緑色は似合いません。誰か別の方にその権利をお譲り致しましょう」

 

「何色でもいいでしょ。ほらお手」

 

「わん。っは!?」

 

 自分でも驚く程自然に手を差し出していた。やはり私にはペットとしての才能があるのやもしれない。

 

「ほらね」

 

「いやいや、これは何かの間違いですね。間違いない」

 

「間違いなのか間違いないのかハッキリしてよ」

 

「紛れも無く間違いですね」

 

「むう、面白くない」

 

 はてさて困りました。お近付きにとは思いましたが、一転してこの子から漂う危険な香り。幻想郷の方はどの方も色々ぶっ飛んでいて怖い。我の弱い私などすぐに飲み込まれてしまいそうになる。

 

「こいしさん」

 

「なに?」

 

 だからこそ飲み込まれる前にこちらがペースを握らなければならない。あくまでも夢は私の口の中なのだからそこさえ覆らなければ私がこの世界ではナンバーワンでオンリーワンなのだ。ワンワン。

 

「貴女、今困っていることはありますか? 或いは苦しい事でも構いません。私がそれを取り払って差し上げましょう」

 

「困っていること? うーん…」

 

 大方、この森と霧だろう。これが現実世界で何を意味するのかは私には分からないことだが、せめて夢の中のものくらいは私なら取り払える。

 

「そうだ。ドレちゃんが首輪を付けてくれないのが辛いわ」

 

「それ以外でお願いします」

 

「えええーっつまんない!」

 

 ここまで想われるのも悪くない。少しくらいペットになってあげてもいいんではないかと傾きかけるドレちゃんがいるが、私はフリーを貫く独り身の獏ちゃんである。そうやすやすとリードを繋がせるわけにはいかない。

 

「例えばこの闇と霧とかいかがでしょう? 鬱陶しくないでしょうか?」

 

「え? まぁ、うんそうだね」

 

 こういう、何が悪夢か分からない事態は珍しくない。何が何だか分からないが、妙に苦しい。そんな時の対処も私、バッチリで御座いまする。まあ、誘導するだけなんだけれども。

 

「そうですよね。それではいただきま――」

 

「じゃあ変えちゃおうか。それっ!」

 

「――すぇ?」

 

 こいしさんがくるりとその場で回転するとすぐに景色が変わり始めた。今まで鬱々と辺りに重苦しい空気を撒き散らしていた悪質な加湿器は全てゴムのように歪んで縮んで無くなった。肌を湿らせて私をよりいい女にしていた霧も文字通り霧散。代わりにこの場を満たしたのは、極彩色のポップな空。そしてゴチャゴチャとした玩具箱にすら思えるほどの玩具たちであった。

 

「これなら鬱陶しくないね」

 

「すぇ?」

 

 ここまでコロリと変わる事が有るのか。しかも、自分の意思で。もしや明晰夢だったのかも知れない。それならば私が降りてきたのは完全にミスである。

 

「こ、こいしさん。貴女ここが何処だかお分かりで?」

 

「へ? ここは私の部屋なのかな。きっとお姉ちゃんが用意してくれたんだよ」

 

「お姉さんがいらっしゃるのですね…ではなく、ここが夢だとお気づきになっているのかと」

 

「夢? あーそうなんだ。夢なんだ」

 

 目を丸くして驚いた表情を見せるこいしさん。夢だと気付いていないのに世界を変えるとは、ますます意味がわからなくなってきた。

 

 本来、明晰夢…つまり、夢と知覚された夢を見ている時、その夢の主さんは二種類に分けられる。一つは夢と分かっているのにどうしようもないパターン。こっちが普通。もう一つは夢を自在に好きなように変えられるパターン。これは悪夢になる筈もないので私的にはあまり喜ばしいことではない。

 先ほどのこいしさんを見れば、後者かと思ったのだけれど、本当に気付いていなかったと言われてしまうといよいよわからない。

 

「夢なら夢でいいや。楽しまないと損だよね!」

 

 そう言ってこいしさんは人形の山に突撃していった。そして、あれでもないこれでもないと漫画のように人形を投げて、やがてお探しのモノを見つけ出すと胸に抱きながら私に走り寄り、人形を目の前に突き出した。

 

「これがお姉ちゃん! 可愛いでしょ?」

 

 少し暗い紫? ピンク? の髪の毛に、外の世界の幼児が着るスモックのような青色の服を着た人形だった。目は瞼が半分落ちて、ジト目になっている代わりにこいしさんと同じように三つ目の目が体からぶら下がっていた。

 

「ええ、とっても。でも何だか眠たそうですね」

 

「そうだよね。お姉ちゃんいつもこんな表情だから眠たそうに見えるよね。ちょっとドレちゃんに似てるかも」

 

「えぇ? 私はこんなジト目じゃないですよ。ほらこんなに目も開く」

 

「あっははは! 何それキモイ!」

 

「き、きもいって…」

 

 ここ数年で一番傷ついたかも知れない。これでは私の悪夢ではないか。

 

「あれ、傷ついちゃった? ごめんね。ほらこれ上げるから許して?」

 

「ありがとうございますっていりませんよ。首輪は」

 

「あっははは。いい反応っ! お姉ちゃんとかお空とかお燐みたい!」

 

 その方々の気苦労お察しします。いつかは夢の中でお会いして色々と話を伺いたく存じます。私なんかは久しぶりにこんなテンションの方とお話するのでまだ、楽しめているけども毎日これは少し滅入る。可愛らしいのは否定しないが精神的にクるものがあるのは否めない。

 

 と、いうわけでそろそろお暇させて頂きましょう。

 

「こいしさん、こいしさん。少し離れてください」

 

「ん? 何、どうしたの?」

 

「いえ、そろそろ用を済ませようと思いまして」

 

「用?」

 

「ちょっとした食事です」

 

 要するに私は見誤っていたのだ。この夢の主さんがこいしさんだと、ここで初めに会ったのがこいしさんだから勝手にそう思い込んでいた。そこが間違いだった。この夢の主さんはこいしさんではない。では誰の夢か、大体予想はついているがそれは全て食べてからのお楽しみとする。

 

「何を食べるの?」

 

 折角、私のことをドレちゃんと呼んでくれる存在が出来たというのに勿体ない事この上ないが、このこいしさんはただの悪夢。食べないわけにはいきますまい。

 

「まあ、見ていれば分かりますよ。それでは気を取り直して――いただきます」

 

「わわっ」

 

 カラフルな世界が全て黒霧となって私の口の中へ。空も地も玩具の山もこいしさんだって全て私の開いた口の中。

 ポツンと取り残されたのは先程までこいしさんが胸に抱いていたお姉さんの人形だった。

 

 

 

「まあ、貴女ですよね。こいしさんのお姉さん」

 

「私はドレミー・スイート。宜しければ妹さんの様にドレちゃんとお呼びください。…ええと、お呼びくださいとは言いましたが、今日は聞いてもらうだけで結構です。喋れそうにないですものね。そんなに長居するつもりも有りませんので」

 

 元より喋れていたならこんなにややこしい事にはなっていなかっただろう。恐らく最初にこいしさんの元へ案内したあの生き物もお姉さんだったはずだ。悪夢を見ているのは自覚していたが、自分ではどうしようもなかったから私に助けを求めた。しかし、ポンコツ無能な私はそれをこいしさんの夢とはき違えたというわけだ。

 

「食べるのに時間がかかってしまい申し訳ありませんでした。きっと貴女は現実世界でも苦労されているのでしょうね。心中お察し致します。

 妹さんのセリフではありませんが、せめて夢の中くらいは楽しくお過ごしになってください。楽しまなきゃ損ですよ。

 ですがもし、もしもまた何か酷い悪夢を見る様でしたら私が参ります。また私が食べて差し上げましょう。その時は是非、色々とお話したいものです。夢の内容なんて大抵は直ぐに忘れてしまうものですが、私の名前くらいは記憶の隅に置いていただけると幸いです。

 

 それでは私はこの辺で。またいつか」

 

 

 

 〇

 

「ウエッぷ」

 

 まずい、吐きそう。単純に食い過ぎである。

 夢から戻ってきて直ぐに横になったはいいが、胃の中がぐるぐると渦巻いているのが手に取る様にわかる。

 タダでさえ昨日食べすぎたのに今日も凄まじい量だった。あかん全部出しそう。

 

「あー、あー…」

 

 こうやってこれみよがしに呻いても助けてくれる人はいない。孤高の獏はいつか孤独死を迎えるのでしょうか。今から寂しくなってまいりました。

 

 よし、決めた。私のこれからの夢は私の伴侶を見つける事です。私が辛い時は話を聞いてくれて、私が悪夢に苦しんでいる時は颯爽と助けてくれて、私が吐きそうな時は背中をさすってくれる。そんな存在を見つけよう。

 

「オエッ」

 

 

 うん。早く見つけよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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3 異物混入~ドレミースイートの事件簿~

 

 全快なり。全快なり。

 

 一人、腹痛の悪夢を轢いて潰して消化すること幾星霜。激闘の末に私は身軽な身体を手に入れた。共に手を取り合う仲間がいなかった事だけが物足りないが、こればかりは致し方ない。孤独は孤独なりにそれを紛らわす術を持ち合わせいるものだ。一人遊びのバリエーションなら負ける気がしない。ソロプレイは大得意、ドレちゃんの真骨頂と言っても過言ではない。

 毎度毎度、孤独だと言っているが誤解が生まれそうなのでここらで述べておくとしよう。別に獏という妖怪は私一人を指すものではない。獏なんて探せばいくらでもいる。

 では何故私には喜びを分かちあい、悲しみに共に立ち向かい、背中をさすってくれる仲間がいないのか。

 

 …別に引きずってるわけじゃないけども。

 

 ともかく、その理由だがそれは獏の縄張り意識の強さにある。馴れ合いを好まないと言えば孤高感が出てかっこいい気がしないでもないが、単に独占欲が強いだけだ。ここら一帯の夢は自分のものだという意識を各々が作ってしまい、獏同士が干渉し合うことは滅多にない。あるとすればそれは領域を侵している事にほかならない。つまり、一触即発という奴だ。少なくとも私の周囲はそんな感じだ。

 私は少々特別なので出会って即バトルなんてならない。私という獏が如何に普通でないかはおいおい分かるとして、私の様な優しくて可憐で人当たりが良くてパーフェクトな獏がもう一匹いればきっと気が合うはずである。確認する術がないので純度百パーセントの希望的観測なのが心苦しいところである。

 

「あー…」

 

 一体いつまで悶々としているのだろうか。人肌寂しい獏に手を差し伸べてくれるお方はおりませぬか。そんな事を思って一人地面に円を描く私の肩に軽い衝撃が走った。

 

「うほいっ」

「……」

「そんな目で見ないで下さい。突然肩を叩かれたら誰だって変な声の一つや二つ出ますよ」

 

 私を叩いたのは月のお偉いさん。純白の片翼をパタぱタと振り、可愛らしさをアピール。異性を刺激せんばかりに深く切れ込みの入ったスカートから覗く御御足でセクシーさも強調。涼し気な表情に添えられた右手、その立ち振る舞いからは溢れんばかりの出来る女感。この職場にいるセクシーな女上司感抜群の彼女こそ稀神サグメさんである。是非ともパンツスーツでキメて頂きたい。

 

「……」

「そんな目で見ないで下さい。私が何をしたというんですか」

 

 まるで変態を見る目である。私は変態ではない。

 

「…変態」

 

 わお、まるで思考が読まれているようじゃありませんか。アメイジングですね。

 

「聞こえてる」

「あれれ?」

 

 どうやら口に出ていたようで、アメイジングですね。

 

 

 

 〇

 

「で、なんの御用です?」

 

 一人でコントの様に喋り尽くした獏も落ち着き、どこからともなく引っ張りだしてきた机に腰を下ろす。紫のようなピンクのような色で、お世辞にも趣味がいいとは言えない。紅魔の小さな主なんかと気が合うかもしれない。

 

「…単刀直入に。…暴れ過ぎって兎たちが」

「暴れ杉?」

 

 首を傾げるドレミー。アクセント位置的にもリアクション的にも理解していないのだろう。

 

「…杉じゃなくて」

「…杉ではない?」

 

 ドレミーは神妙な声色で驚きを顕にする。どうして自分で首を捻った様な内容を過信出来たのだろうか。ただ単にふざけているだけである。

 

「で、ではなんと?」

 

 わざとらしくゴクリと喉を鳴らすドレミーにサグメは舌打ちを漏らさんばかりに顔をしかめる。

 

「ああ、その顔もいいですね」

「……もういい。最近、あなたが夢を食い荒らしてると兎達からクレームが来てるの」

「クレームですか」

 

 久方ぶりの御客人にテンションの上昇傾向にあったドレミーは一転して落ち着きを取り戻し、顎に手を添えて考える人となる。

 

「…これ」

 

 そう言ってサグメが差し出した紙束。そこには月の兎たちの声が書き連ねられていた。

 

『気持ちのいい夢だったのに突然、やって来て全部食べられた。寝覚めが悪くて仕方ないわ。今月に入って何回目よ。いい加減にして』

 

『夢の中で追い立てられた。何度も続くものだから満足に寝れやしない』

 

『夢の中で食べられた』

 

 etc..

 

 ドレミーはしげしげと紙束を一枚ずつ捲り、目を走らせる事に眉間のシワを深くしていった。

 

「何ですかこれ」

 

 やがて読み終わったドレミーは机の上に紙束を投げてぶっきらぼうに言い捨てる。

 

「貴方への文句」

「文句ねえ…。分かりました。いえ、分かりはしませんが、何とかしましょう」

「…貴方は妖怪だから――」

「妖怪だから何です? 月には入ってくれるなと?」

 

 食い気味に尋ねるドレミーの語気から少しの怒りが感じられる。

 

「そうではない。通路の管理を任せている手前、貴方にそこまでの拘束を強いるつもりも権限も無い。そこまでの関係でもない」

 

 ほとんど突き放した様にも聞こえるセリフにドレミーも思わずしかめつらをキツくする。それも一瞬のことで、直ぐにいつもの力の抜ける様な表情に戻った。

 

「まぁ、そうですね。所詮私はしがない獏でありますから、精々身の振り方は弁えさせて頂きます。ただ、一つだけ弁解が許されるのであれば、私は今月に入って夢は一つも頂いておりません。先に入れたものが多すぎたもので」

 

 そう言ってドレミーは椅子を引いて立ち上がり、腰を曲げ果てしない通路の先を手で示した。

 

「今回の件は何とか致します。失った信用は自らの功績でのみ覆る。私なりにやらしてもらいますよ」

 

 ドレミーに倣って立ち上がり、背を向けたサグメ。カツカツと無機質な足音を少し鳴らして彼女は立ち止まった。

 

「…あなたの事は信頼している。だから私がここに来たのはあなたがこの事を解決出来ないか相談にきたから。決してあなたへの注意や勧告じゃない」

 

「…」

 

「……あなたの事は良いビジネスパートナーと思っているし、……その、…き、嫌いじゃない」

 

 顔を向けることなく、つまりづまりではあるが伝えられた言葉に獏もしばし面食らい、眉を上げて固まった。やがてサグメは歩き出す。先程もよりも感覚の狭い足音にドレミーも我に返り、少しニヤけた顔で言葉を返した。

 

「私もあなたのことは嫌いじゃないですよ」

 

 

 

 〇

 

 サグメさんが帰り、静けさを取り戻した第4槐安通路。サグメさんから嬉しい言葉を頂いて、ニヤつく顔を叩き直して考えねばならないのは彼女から持ち込まれた謎案件。サグメさんが置いていった玉兎たちの苦情一覧に目を通してみれば、あたかも私が現れて玉兎たちの安眠を妨げていると分かる。

 しかし、愛され獏ちゃんを目指している私がこんなことをするわけも無く、更にいえば私はここ最近は腹部の鋭い痛みと戦っていたため夢世界にはお邪魔していない。夢なんぞ食べている暇など無かったのだ。

 

 と、すればだ。考えられるのは私が夢遊病にかかっている可能性だが、夢をいじる私が夢遊病に苦しめられるなんてつまらない冗談は誰も求めていない。すると残る可能性は一つ。それそなわち外敵の存在である。同じ獏かどうかは知らないが、夢の世界に干渉できる存在である。

 

「久しぶりですねぇ」

 

 私も若い頃は随分と尖っていたもので、ここいらにいる獏達のテリトリーを奪い取ってきた。触れるもの全てを傷付ける十代の頃、と言ったところだ。そんな過去の私は何かと敵を作り、日々争いに明け暮れていたものだ。世紀末な感じをイメージしてもらうといいかもしれない。ただ、戦っていた相手は鋭い肩パットを付けたハゲ頭ではなくただの獏であった。

 

 話を戻す。ともかく、今でこそ私は非暴力を掲げる人畜無害な獏であるが、昔はそれはそれは敵が多かったのだ。だが、数え切れぬほどの縄張り争いを経て私は力を手に入れた。それこそ、月から通路管理依頼を受ける程には力があるはずだ。

 だからこそ私には獏の友人はいないし、今では縄張り争いすら無くなった。それは周りの獏たちからすれば当然のことだろう。負けるとわかっている戦を仕掛ける程、彼らも切羽詰まっている訳ではないのだから。争いは近いレベルにあるもの同士でしか成立しないものだ。

 そして今。何百年ぶりかに私は私の縄張りを侵されている。それも私の名を語っている所を見るに、真っ当に喧嘩を吹っ掛けられているのだ。

 

「……」

 

 怒る所なのだろう。私の名を使い、好き勝手働いて私の評判を叩き落とした愚か者に怒り狂う所場面なのであろう。

 

 だがしかし! 笑いが止まらない!

 

 ぶっちゃけ、夢での記憶なんぞ消えるのに75日も必要ない。忘れる人は5分で忘れるものだ。なんせ夢なのだから。夢とは記憶の整理や妄想や強い思考であり、現実ではない。現実に生きる生命にとって夢とは日々の箸休めでしかないのだ。

 何が言いたいかと言うと、私の評判が落ちることも、私のテリトリーを少しばかり侵されることも私にとっては毛程も痛くないのだ。逆に私にとってはメリットしかない。 サグメさんが直接ここにやって来たこともそうだが、何よりも私に並ぶであろう力を持った者と関わりを得るチャンスであるっ!

  先に述べた通り、争いは力が近い者としか成立しない。相手側が先に仕掛けてきたということは、相手側に私に勝てる算段か力があるということである。

 

「ふっふっふ…」

 

 ずっと待っていたのだ。喧嘩できる存在を。例えるのなら一人っ子の子供が兄弟喧嘩に憧れる様なものだ。私と並ぶ仲間(バク)の出現に心が踊って仕方がない。

 是非とも直ぐに会ってお話をして良い関係を築きたい。そのためにはまず、私から会いに行かねばならない。向こうがこうして夢の中で暴れて自己アピールしてくれているのだから私が迎えに行ってしかるべきだ。ならば私が今すべきことは――

 

「網を張りますかね」

 

 

 

 〇

 

「我が名はドレミー・スイート! 貴様の美しい夢を頂きに参った!!」

「ま、またあんたか! いい加減にしろよ! この前、サグメ様から話がいかなかったか!?」

 

 某日、某夢世界にて。

 頭についた2つのうさ耳をしわくちゃにしながら語気を荒げる玉兎A。彼女の前方上空にはフワフワと浮かぶ獏が一匹。何時もの白黒入り乱れたケープの様なポンチョのような服を羽織り、サンタクロースの様な赤い帽子の先を揺らしている。見てくれはどこからどう見てもドレミー・スイート本人である。

 

「フハハハ、サグメなど知ったことではないわ! ここでは私がルールであり、私が神だ! 貴様ら夢の奴隷に文句を垂れる権利はない!」

 

 普段とテンションがまるで違う。キャラも違う。

 

「く、くそ! たかが妖怪が調子に乗るな! 浄化してやる!」

 

 A兎は右手をピストルの形にして指先から勢いよく弾丸を発射。綿月依姫の管理する部隊所属のA兎。如何に普段の訓練が腑抜けた部活動と目糞鼻糞のレベルとは言え、腐っても軍人である。放たれたそれは真っ直ぐに飛んでいき、ドレミーの額のど真ん中をぶち抜いた。

 

「ここが夢ってのはもう分かってるんだったらここは私の明晰夢よ。訓練したら自分の見ている夢くらい操れるのよ。貴方はここじゃ神でも何でもない、ただの穢い妖怪よ」

 

 力無く地面に頭から落ち、ゴキリと嫌な音を立てて轢かれた蛙の様に地面に熱い抱擁をかました獏を見て、Aはドヤ顔で決め台詞を吐く。シワひとつない彼女のうさ耳が一度満足気に揺れると彼女の余裕も消え失せた。

 

「ひっ」

 

 ドレミーは立ち上がったのだ。虚ろな瞳から血を流しながら、口から血の泡を噴きながら、首を有り得ない角度に折ったまま。

 

「まだ立場を理解していないのか? 明晰だの訓練だの、馬鹿馬鹿しくて反吐が出る。それは住む世界の違う私にはどうでも良い話だ。お前が眠りに着き、ここにやって来たその時点から全て私の胃袋の中なんだよ。

 あと、進化をやめて悠久を生きることしかしないお前ら月人に何かを貶める権利はないぞ。健常者(わたし)からしたらお前らの方がよっぽど異常(きたない)

 

「あわわわ」

 

 一転してしわくちゃになるうさ耳。尻餅をついて後ずさるAに一歩一歩近寄っていくドレミー。

 

「神に反逆しようとした罪、その体で払って貰うとすしよう。飛びっきりの悪夢を見せてやる」

「ひぃぃっ! 来るな!」

 

 獏は片手を空中でひらつかせ、藍色に黒を足して混ぜ込んだような暗いウネウネと動く夢魂を腕に纏わせ、それをAの元へ伸ばしていく。その瞬間、目を閉じて神に祈ったAの頭上を影が轟音かき鳴らしながら過ぎ去った。

 

「……?」

 

 いつまで待てどもやって来ない悪夢に恐る恐る目を開いたA兎。そこに居たのは獏である。A兎を庇うように背を向けて獏に真っ直ぐな視線を送る獏。

 

「私の大切なお客様に何か御用でしょうか?」

 

 見た目は同じ。しかし、その目はどこか脱力感を感じるものであり、その口は普段のように少しニヤついている様にも見える。脇に携える大きな書の黒いハードカバーには上質感を醸し出す金字でDの字が淡く輝いている。

 

 A兎を窮地から救った慈悲深く、博い愛をその胸に宿す(自称)。頭が良く、力持ちで足も早い(自称)。完全無欠な夢と愛の権化(自称)、幻想郷の共有ペットだとかねてから一人で思い込んでいる彼女こそ真のドレミー・スイートその人である。



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4 垂るる悪夢

 

 

 やっと見つけた。

 今も私の姿形を真似て、私の名を語って絶賛活動中だった妖怪。目の前にして確信できたが、彼女?彼? ともかくあれは獏である。纏う妖気も、夢魂に触れている点を見ても獏以外考えられない。あの獏を見つけるのに結構な体力を使ったことや、それこそ徹夜で張り込みをしたことなんて些細なものだ。

 捕食されかけている玉兎ですらどうでもいい。

 どうやら私は自分で思っているよりも高揚しているらしく、彼女を前にして浮かび上がる笑みを咬み殺すのに必死である。顔筋を緊張させておかないと頬が緩んでしまうからややキツイ顔になってしまっているかもしれないが、ニヤケ顔よりましだろう。

 

「私の大切なお客様に何か御用でしょうか?」

 

 涼しげな感じで登場し、こともなげに悪夢を処理、薄目を開けて舌なめずりをする。いかにも過ぎて臭い強キャラ感だが、相手よりも優位に立つならばそれもありだろう。

 しばし待てども何も返事が返ってこないところを見るに私の迸る強キャラ感に打ちひしがれているのだろう。そうだろう。全て思い通りである。

 見てくれは真似できてもその本質までは模倣出来ないのだ。相手の出鼻を挫くという意味で言うならこちらのファーストインパクトは上々。だが、肝心なのは次なのだ。威厳を残し、カリスマを残し、強キャラ臭を出したまま、タイミングを見て距離を縮める。あの獏を見つけるよりよっぽど骨が折れそうである。

 

 …いや、待てよ。よく考えたら私には距離を詰めるための魔法の文句があるではないか。

 

「そちらはもうご存知でしょうが、何を置いてもこれをしなければ話にならないですよね」

 

 曰く、他者と距離を詰めるのはその呼び名。

 相手が私の名前を知っていようがいまいが、初対面には違いないのだ。やはりお互い自己紹介から入るのが筋だろう。そして初めましての印象が今後の展開を左右する。近しい距離を築きたいのならこれ以外ないだろう。

 

「初めまして。私、ドレミー・スイートと申します。気軽にドレちゃんとお呼びください」

 

 

 決まったっ! 私はかつてない手応えに心中でッツポーズを決めた。

 

 

 

 〇

 

 絶句。

 張り付けた様な笑顔から粘性の高い溶岩のように流れ出る殺気。言葉一つ一つに込められた怒り。彼女の一挙一頭速全てが私の行動を制限する。完全にランク違いだとわかる。私の中の獏が既に地に伏して降伏してしまっていた。私の本能が理解してしまっていた。私は死ぬのだ。

 

 

 △

 私は地元でそれはもうブイブイ言わせていた。近所の獏仲間の中では抜きん出た力を持っていた故に子供の頃はその力を皆の為に振るい、姉さんと呼ばれて仲間達から慕われた。中学生になると周囲から持て囃されることに快感を覚え始めた。私が好戦的というか戦うことを躊躇わなくなったのはこの辺りからだろう。噂を聞きつけて絡んできた隣町のチンピラ獏を撃退、あらゆる道場を看破し、舎弟もその度に増えていった。そして高校3年生の冬、私にはついにやることがなくなってしまった。日々、人間の悪夢を食べて、舎弟獏に悪夢を奢ったり、舎弟を顎で使うことにすら飽きていた。力を持ち過ぎたゆえの退屈である。

 そんなつまらないある日、舎弟獏からとある獏の昔話を聞いた。なんでもその獏は私と同じ様に絶大な力を持ち、あらゆる獏のテリトリーを奪っていったのだとか。その獏はもはや獏を超越した力を振るい、有り余るその力は夢世界から現実世界に干渉を可能にしたのだとか。何を馬鹿なと、初めは鼻で笑っていたのだが、ほかの獏に聞いてみると似たような逸話が聞けた。神話や御伽噺の類ではある様だったが、私が屈服させた舎弟をその獏に盗られる様に思えて我慢ならなかった。

 

 馬鹿馬鹿しいとは思いながらも私はその獏を探した。その獏を屈服してしまえば私が獏界のキングになれる。私より上の存在が消える。何よりやる事の無くなった私の次の目標だった。

 血眼になって子供の昔話の存在を探し求める私に舎弟たちは顔を曇らせ、いつしか私から距離を置くようになっていった。

 探して探して探し続け、その獏が幻想郷なる場所を拠点にしているらしいという情報を手に入れた時には私の周りには誰も残っていなかった。

 

 もう後には退けない。

 私はかの獏の王、ドレミー・スイートを見つけ出し、打ち倒すことでしか前へ進めなくなってしまったのだ。

 

 幻想郷入りは容易であった。現実世界ならば結界に阻まれてしまう隔絶世界も夢世界ならばなんの障害もない。この大きな結界を張った妖怪はこのガバガバ結界の実情に気付いているのだろうかと首を捻りたくなるがそれはともかく。

 夢世界から幻想郷へ侵入を果たした私はドレミー・スイートを誘き出す作戦を取った。私からドレミー・スイートを探すことをしなかったのは何処を探せばいいのか手をつけられないほどにドレミー・スイートのテリトリーが広過ぎたからである。普通の獏の万倍は軽くあった。

 

 そして私はドレミー・スイートの気を引くべく、ドレミー・スイートになりきることにしたのだ。道中仕入れたドレミー・スイートの肖像画を真似して自分の姿を変え、性格までは分からなかったので多分こんな感じだろうという予測の元で演技してみた。演技は成功、効果は的面だったらしく、私が偽物だとバレる事は無かった。ドレミー・スイートをあぶりだすべく、私は夢の中で彼女からの接触を待った。強者はやはり腰を据えて挑戦者を待っているべきであろうという私の下らない思想である。

 

 そして現在。倒してやると息巻いていた私はドレミー・スイートの放つ圧に押し負けて呼吸すらもままならない。

 

「私の大切なお客様に何か御用でしょうか?」

 

 強ばった彼女の表情は獲物に狙いを付けた獣の様に鋭く、舐め回すようにズルりと眼球が動いていた。

 てか舌なめずりしてたし。

 

 ようやく出会えた神話生物にへりくだってしまった口は硬直を貫くだけであった。情けない。次に溶かした鉛が渦巻くように重苦しい場の空気を破ったのはドレミー・スイートだった。

 

「そちらはもうご存知でしょうが、何を置いてもこれをしなければ話にならないですよね」

 

 更なる重圧っ!

 物理的に潰されてしまいそうになるほどの殺人的重圧っ!

 

 断固として私を許さない。絶対に喰い殺してやる。そういった確固たる意思をひしひしと感じる。恐らく私がここで全身全霊完璧500%の土下座をお見舞いしても彼女の怒りは鎮められないだろう。四肢をもがれ、それでも終わらぬ悪夢を永遠とさ迷うことになるのだ。神に障った罰である。神ならば致し方ない、そう思える程の不条理を感じ、全身の筋肉から力が抜けていくのが分かった。

 

 死を覚悟した私の頭の中で、これまでの記憶が溢れ出した。ドレミー・スイートを追いかけ、充実していた日々。友と過ごした輝かしき日々。父と喧嘩をして家を出た青き日々。母とままごとをして笑いあった幼き日々。走馬灯と呼ばれるそういった記憶が私の瞳から泪となって流れ出た。そして最後に思い出したのは父と別れの言葉を交えたその場面だった。

 

『ドレミー・スイートを探しに行くっ!? 何をガキみたいなこと言っとるんじゃい!!』

 

 父は私がドレミー・スイートを探しに旅に出ることに反対した。一人娘である私のことを思っての反発だったことは十分に理解している。だけど私も退けなかったのだ。

 

『ガラの悪い連中とつるむわ、御伽噺を真に受けるわええ加減大人になれんのか!』

 

 父の言う事だってわかる。ドレミー・スイートという伝説の存在を追うということが如何に滑稽かは分かっていた。だが、私は父に似て頑固だった。

 

『お前もいい歳なんじゃから…もう少し、先を見据えてだな――』

 

 (ようかい)にいい歳もクソもあるかと思ったが我慢。震える右拳を左手で握り、覚悟を決めて父を見据えた。

 

『これが最後。私、この旅が終わったらお見合いするわ』

 

 頻りにお見合いを勧める父の最も喜ぶセリフだったろう。私はずっとそれを拒み続けていたけれど、どうしてその日だけスルリとその言葉が出たのかは分からない。今思えば、もしかしたら帰ることが出来ない事を無意識に悟っていたのかもしれない。

 

『…お前はそうやって無茶苦茶なことばかりっ! 親の身にもなっておくれよ…』

 

 勝気な父からは想像出来ない弱々しい声にこちらが折れそうになってしまう。

 

『…絶対に帰ってこい。お前は我が儘かもしれないが、思いやりのあるいい子だと俺は知ってる。これが最後だと言うなら好きにしてみせろ親不孝者め』

 

『っうん!』

 

 父が初めて私の背を押してくれた。いや、もしかしたらこれまでだってそうだったのかもしれない。幼い私が気付いていなかっただけで。

 

 …そうだ。

 

 私はこれまで多くを父から貰い受け、何一つ返していない。父はきっと返して欲しくてやったのではない、親として当然だ、そう言うだろう。でも、それでも私にとっては父がこんなにも重いっ!

 

 このまま死ねるか。恩の一つも返さないで死んで逃げようなどと虫の良い話があってなるものか!

 

 萎えかけた自分を律し、私は背筋を伸ばしてドレミー・スイートを見据える。所詮、彼女も獏には違いない。多くの獏を従えてきた私が何も出来ずに殺されるなど有り得るだろうか、いやない。

 

 …私、父のためにもこの場を切り抜けられたら結婚するんだ。

 

「初めまして。私、ドレミー・スイートと申します。気軽にドレちゃんとお呼びください」

「ハヒッ」

 

 名乗り。

 それは立場が同じ者同士であるならば、似たような立場の者同士であるならば距離を近めるに必須な行為である。名前を知る所から両者の関係は始まるのだ。それが渾名であれば尚更である。

 

 だがしかし!

 それはあくまでも次元の等しい者達の話である!

 

 ここに至り、私とドレミー・スイートは月とスッポン、太陽と便所虫ほどの差がある! いくら便所虫が己は強い、勝てると自らを鼓舞したところでそこにある絶対的な力関係は変わらない。そして、名乗りとは己の立場を明確にしてしまうものである。

 

 例えば、一企業の平会社員。彼が休日、子供を公園に連れていったとしよう。彼の子供が遊具で遊んでいると、横から押しのけて入ってくる別の子供がいたとする。きっと彼は横入りしてきた子供に少しばかりムッとするだろう。彼の子供が泣いてしまった場合は横入りしてきた子供を怒るかもしれない。そうして、その子供を捕まえて注意しているとその子供の父親が後ろから現れる。無茶苦茶な理論で自分の子供を擁護しようとするその父親に対して、彼はきっと腹を立てて、矛先をそちらへ向けるだろう。口論が発展して、つい相手の肩を押してしまうなんてこともありえる。

 

 この時、彼がその手で肩を押した相手が実は会社の得意先のお偉いさんであり、それを彼が知っていた場合、ここまで無謀な立ち回りをすることができるだろうか。きっとしないだろう。

 また、その事実を後に彼が知った時、彼はどうするだろう。きっと失禁して白目を向きながら土下座する。

 

 いや、私なら失禁するとかしないとかそういう話ではなく、私はそんな間抜けはしないけれど、普通のか弱い人間なら失禁するってこと。

 

 何が言いたいかというと、名乗りには誰がするかによってその影響力が大きく異なるということだ。親しみを覚える場合もあれば、名乗った相手を焦らせる事も容易だ。

 つまり、今、彼女の名乗りは私の律した(笑)心を打ち崩すには十分な破壊力を持っており、それはもはや言葉による暴力であった。蹂躙と言っていいかもしれない。

 

 端的に言うと、私は彼女の名を彼女の口から聞いたというだけの事実に心折られ、意識を失ったのだ。

 

 

 

 〇

 

 薄い明かりがユラユラと揺らめくアダルティックな部屋。中央にどしりと構えた キングサイズのベッドに掛け布団はなく、そこで寝ていただろう主の姿はベッド上には見られない。そこで視線を引いてみれば、ベッドから離れた壁際に布団にくるまって震える影が一つ。それは信じられない物でも見たようにベッドの向こう側を見据え、彼女の視線の先、そこにはピンクの壁に突き刺さった何者かの脚が力無く揺れていた。さながら犬神家 Ver.Horizon である。

 

 火サス一本書けそうなこの状況が起きたのはつい先程のことであった。



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5 言葉の持つ強制力

 

 

 

「んぅ…」

 

 薄く開いた瞼からチラチラと覗き込む淡いピンクの光。大人の休憩所でよく見るエロティックな光に目を覚ました侵略獏。人をダメにするソファーを模して作られたドレミー特性のベッドから上半身を持ち上げて大きく伸びをする。まるで実家にいるように弛緩しきって、くああ、と幸せそうな欠伸をもらし、手の甲で目を擦った。

 

「…ん?」

 

 そこで動きを止めた彼女。彼女の決して大きくない胸の上にかけられた掛け布団がパサリと落ち、その肢体が顕になった。

 

「…っ裸!?」

 

 肌に触れる布の感触と風の心地に眠気を吹き飛ばされた彼女は仰天して、胸を隠そうと布団を引っ張った。

 

「どうもおはようございます。昨夜は激しかったですね」

 

 急に布団が引かれ、その下からぬるりと出てきた顔はドレミー・スイート。眠たげな半瞼を持ち上げつつ、律儀に朝の挨拶をかわす。因みにドレミーはキチンと何時もの服を着用しているのでご心配無く。

 

「ぎゃあああああああっ!?」

 

 裸獏は目覚めに氷水を顔面にキめられたような勢いで布団を持ったままベッドから飛翔。毛布が羽のようにはためいた。

 

「痛い!?」

 

 物凄い勢いで後ずさりする獏を尻目に、ベッドの上のドレミーは跳ね飛んだ時に蹴飛ばされたらしく、ピンクの部屋の壁に頭から突き刺さり、時折ビクビクと痙攣してやがて止まった。

 逝去。

 

「フーっ、フーっ…」

 

 この殺人もとい、殺獏の犯人はすっかり乱れてしまった呼吸を少しずつ戻し、肩が治まる程になってようやくこの珍妙な現場と向き合い始める。

 

「……」

 

 彼女はドレミーを引き抜くか否かを決めあぐねていた。動きを止めた下半身を見るに最低でも気を失っていて、最悪でも死んでる。いや、彼女からすれば最高でも死んでいて、最悪で気を失っている、だろうか。いかに彼女がドレミーに劣る獏だとしても、『思わず』で繰り出された力は凄まじい。理性というガードの無い妖怪の蹴りである。並の人間ならば蹴られた場所は粉々四散不可避の一撃である。対し、ドレミーも妖怪ではあるが、こちらは弛緩しきっていた。受け入れ態勢のない状態で受け身や受け流しなど出来る筈もなく、今の蹴りもきっと一溜りもないものであったろう。

 思わずとは言え、この場面を作ったのは自分自身である。そんな事を思ったのか彼女は布団を持ちながら恐る恐る動かぬ獏に近寄っていく。傍らまで近付けども動かぬ死せる獏。彼女は前を布団で隠しながら右腕でゴミを拾うようにして死体のスカートの裾を摘んだ。

 

「ほひょっ!?」

 

 それと同時にドレミーの足が跳ね上がる。ビクビクと跳ねる足は止まらず、腕もモゾモゾと蠢き出す。すっかりビビった彼女は先程と同じ位置まで走り逃げ、布団を頭から被ってガクガクと震えてドレミーを視界から追いやった。これは悪い夢だ、と考えているかもしれない。

 

「ああ…神様、夢なら覚めて…っ」

 

 本気(マジ)である。

 なんとこの獏、涙を流し、胸の前で両手をキツく合わせて神に祈っているではないか。いやまあ、人間なら至極真っ当な反応なのだろうけども彼女は妖怪、それも獏である。他ならぬ獏が悪夢を拒むところは滑稽と言わざるをえない。

 ドレミーの壁を叩く音が次第に激しくなり、やがて一際大きな音と何かが落ちる音で静まりかえった。ガックガクの彼女にヒタヒタと迫る足音。音が静かになる度に彼女の震えも増していく。ドレミーが傍まで来た時には携帯のバイブレーションみたく振動していた。数センチという所で足音が止まり、寝室…もとい、休憩所…もとい、部屋に響くはバイブ音。そんな時間が数分経ち、彼女は恐る恐る顔をあげた。

 

「おはようございます。昨夜は――」

「あひょんっ…」

 

 目をあげ、目前にまで顔を近付けていたドレミーに彼女は一瞬で白目を剥いて気絶した。

 

「んー…」

 

 ドレミーは彼女の頬を2、3回つつき、意識が無いことを確認すると頭を掻きながら立ち上がる。

 

「そんな怖い顔してますかねぇ」

 

 自分の頬に人差し指を当てて、口角を上げるドレミー。ニコニコとしてはみるもそれを見届ける彼女は夢の中である。

 

「話が進みませんし、次はもう少し刺激を少なくしてみましょう」

 

 この獏は刺激を求めてやまないらしい。

 

 

 

 〇

 

「おはようございます」

「……………ひっ!?」

 

 取り敢えず彼女を落ち着かせるために私が丹精込めて作ったソファーに座らせて毛布をかけておく。起きた時に心安らぐ様に安眠ミュージックをかけて、目覚まし用に温かいスープを作っている最中に彼女がモゴモゴと動き出したからその手を止めて彼女の前で待機した。薄らと瞼が上がった所におはようの挨拶をしてあげたところ、彼女はやはり驚いた様で凄まじく顔が引き攣ってしまっていた。

 

「そんなに怖がること有りませんよ。私は何もしませんから」

 

 裸は見ましたが。

 

「………」

 

 精一杯、微笑みかけたのに彼女の緊張は解れない。中々、他人と打ち解けるのは難しいのだ。

 

「まずは自己紹介からしましょう。あの時は貴方が気絶&失禁したせいでまともにできませんでしたから」

 

 ドレちゃん、ポカンとされた事はあれども自己紹介で失禁されたのは初めてであった。おまけに汚れた所に倒れ込むものだから彼女の衣服が台無しに。そして、私がその掃除をする羽目になったのだ。

 彼女の服を脱がしたのはそのせいである。他意はない。

 

「し、失禁?」

「ええ、失禁」

 

 やはり彼女もショックでしょう。獏とは言え、彼女も女性。ここはアフターケアマスターと呼ばれた私の腕の見せ所ですよね。

 

「えーとそうですね。ほら、仕方ないですよ。緩い時だって有ります。よく分かります」

 

 自分でも悲しいくらい私はポンコツだった。

 

「~~~~~~っ!!」

 

 案の定、彼女は顔を真っ赤にして毛布に顔を沈めてしまった。難しいものである。

 

「ほらっ、あれですよ。あれ。えーと私は無いですけど、多分誰しも一度は通る道ですから」

「するわけないでしょっ!!」

 

 そりゃ失禁なんてしない。と言うか私の場合、怪我も殆どしたことない。病気もない。馬鹿はなんとやらって喧しいわ。

 

「うわぁぁぁん! もうお嫁に行けないよお父さぁぁぁぁぁん!」

「ああ、布団が…」

 

 彼女の涙と鼻水で汚れていく私の愛用布団。また洗濯かと溜息が漏れた。

 

 

 

「で、落ち着きましたでしょうか?」

 

 泣き始めて十数分。やがて彼女も疲れてきたのか涙もおさまりはじめた。

 

「………」

 

 コクリと無言で頷く彼女。艶のある黒髪ロングのストレート。いつまでも裸は可哀想なので、至急作りこんだ赤いマフラーと私のお古の服を着用させている。とっても似合っていて可愛らしい。着せ替え人形みたく、色々着せたかったけど、それを口に出すとまた引かれてしまいそうな気がするのでやめておく。

 

「では、改めて。私はドレミー・スイート。親しみを込めてドレちゃんとお呼び下さい」

「………」

 

 沈黙が痛い。

 

「えっと、そちらは?」

「…ル、ルー・ビジオン」

 

 とても小さい声で返ってきた可愛らしい名前。親しみを込めてルーさんとお呼びしましょう。

 

「ではルーさん。色々と尋ねたいことがあるのでこちらへどうぞ」

 

 適当に机を列べて椅子をひく。女子会っぽく手料理でも振る舞って、お茶しながらお喋りならルーさんも喋り易いだろう。

 

「温かいスープをお持ちするので、少々お待ちを」

 

 

 

 〇

 

 コトリと出されたカップ。そこから湧き上がる湯気に思わず頬が緩んだ。

 

「どうぞ」

「ど、どうも」

 

 無愛想にしか返せない自分が憎い。けども考えてみてほしい。相手はあの、ドレミー・スイートである。一秒でゴリラを捻り潰し、一夜にして三千の獏たちを吊し上げ、一月で国を潰したという、あのドレミー・スイートである。今は穏やかな姿を見せていてもいつ狂ったように暴れるか分かったものではない。現に私はあの時(初対面)に死を感じた。

 

 あの笑顔は人を殺す笑顔だった。

 あの舌なめずりはそのままの意味だったはずだ。

 あの威圧は紛れも無く神獣の類だった。

 

 そんな存在を前に緊張するなという方が無茶だ。

 

「? 飲まないんですか?」

「へぁっ!? いや、えと…うん…はい」

 

 飲めるか! なんて思わず言いそうになった。

 あの時の笑顔を見せたドレミー…様の出したスープ。何が入ってるか分かったものじゃない。獏肉とか入ってそう。

 

「そうですか……」

 

 残念そうにカップを下げようとするドレミー様の姿を見て、私の脳髄に電流が走る!

 

 ここで、ドレミー様の機嫌を損ねるのは死に直結する!!

 

 私は半ばふんだくるようにカップを掴み、思い切り傾けた。獏肉がなんだ。死ぬよりマシだ。

 

「ん…んっ……っぷはぁッ!!」

 

 一気飲みをした私に面食らった様子のドレミー様。その表情も一瞬で、すぐにパァァっと明るく笑った。

 

「ど、どうですか? 美味しかったですか? いやー、実は私、手料理を誰かに振る舞うのは初めてでしてね? こうして飲んでもらうというチャンスも今までなかったんですよ。自分では上手くできたと思ってもそれを分かつ相手がいないもので…。ですから飲まないと仰った時はどうしようかと…、ですがこうして勢いよく飲んでもらえて凄く嬉しいです。ああ、どうしましょう。つい、にやけてしまいますね」

 

 机に身を乗り出して、私の目の前で凄まじい勢いで喋るドレミー様。早口過ぎてあんまり聞き取れなかったけど、「飲まないと仰った時はどうしようかと」と言ったのは確かに聞こえた。やはり、飲んで正解だったようだ。多分飲まなきゃ私がスープになってた。

 

「味の方はどうだったでしょうか? お口に合いましたでしょうか?」

 

 味わう余裕なんてねえよ! とは言えない。

 すっごい笑顔である。それはもう恐ろしいほど笑顔である。これでは答えは誘導されているも同然である。

 

「た、大変美味しゅうございました」

「本当ですか! やっほーい!」

 

 万歳して喜ぶドレミー様。

 私はこれから何度質問という死線を潜らねばならぬのだろう。

 

 

 

 

 

 私の素性はもちろんの事、ここに至るまでの経緯を根掘り葉掘り聞かれた。ドレミー様は自身のことが獏達にどう伝わっているかを知らなかったらしく、私の聞いた逸話を伝えると、目を真ん丸にして驚いていた。

 

「ゴリラを殺す? 吊し上げ? 国を潰す? 何ですかそれ、完全に化け物扱いじゃないですか」

 

 うんっ! とは言えない。

 

「ば、化け物と言うよりも神に近いです」

 

「尚更意味がわからないですね」

 

 不満げに頬を膨らませるドレミー様。不味い、機嫌を損ねてしまった。

 

「も、申し訳御座いません」

「ルーさんが謝ることではありません。別に怒ってもいませんしね。驚いたんですよ」

 

 だったらその指ポキポキをやめて欲しい。生きた心地がしないから。

 

「弁解しておきますと、ルーさんが聞いたのは真っ赤な嘘です。綺麗さっぱり嘘っぱちです。ゴリラなんて殺しませんし、喧嘩ならありますが、同胞を吊し上げなんてした事ありません。少々ヤンチャした時期はありましたが、国なんて潰してませんよ」

「そ、それは申し訳ございませんでしたぁぁっ」

 

 絶対嘘だ。なんか含みある言い方してるところからも分かる通りドレミー様はきっと何百、何千というゴリラを殺してる。ゴリラになんの恨みがあるんだ。彼らだって必死に生きてるんだぞ。

 

「生きてるか死んでるかも分からない伝説って、私は別に何もした覚えはないんですがね」

「も、申し訳ございませんでしたぁぁぁっ」

 

 絶対嘘だ。罪を犯した奴ほど「私何もしてないんです」って声高に言うもんだ。父にそう教わって生きてきた。

 

「ルーさんが謝ることではありませんよ。そんなに緊張しないで下さい。敬語もいりませんから。もっと気楽にお話しましょう」

 

 無茶言うな。

 

「い、いえ…この喋り方が慣れているので…えへへ…」

「そうですか…」

 

 少し悲しそうに顔を俯かせるドレミー様。ほんの一瞬、良心が痛んだが、こればかりはどうしようもない。倒そうなどと思っていた私は棚に上げて言わせてもらうが、超目上の相手にタメ口で良いなどと言われても困るだけだ。

 

「えと、それで話を聞くに私を探しに旅に出ると言って家を出たんですよね」

「? はい」

 

 暗い表情も直ぐに消えて、また顔を明るく尋ねるドレミー様。

 

「帰ったら嫌なお見合をするという約束で」

「……はい」

 

 何だか嫌な予感がしてきた。私はお見合は嫌だが、ここにずっと居るよりは――

 

「でしたら暫くここにいませんか? 私の誤解も解きたいですし、何よりルーさんもお見合しないで済みます。勿論、個室は用意してプライバシーは侵害致しません。食事も提供します。服だって何でもご用意致しましょう」

 

「ええと…」

 

 負けちゃダメだ。ルー・ビジオン。

 ここで断らなければきっと帰るタイミングを失ってしまう事は目に見えている。お見合がなんだ。別に構いやしないじゃないか。命あっての物種なのだ。

 よし断るぞっ断るぞっことわ――

 

 

「住みますよね?」

 

 

「はいっ!!」

 

 お父さん、やっぱり駄目だったよ。力には服従あるのみだよ。ルーは二度と帰れないかもしれないです。先立つ不幸をお許し下さい。

 

「やったー!」

 

 ドレミー様の喜ぶ声が何時までも響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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6 鼓と夢囚と偏向不穢の都

 

 ルーさんが私と暮らすようになって早一週間。未だにルーさんのビクビク癖は消えないけれどドレちゃんは距離を縮めようと必死であります。

 

「おはようございます。朝ごはんが出来ましたよ」

 

 彼女の部屋の扉を2、3回ノックして呼びかける。起きているかどうかは分からないが今のところ私が呼びに来て起きなかった事は一度もない。本当にしっかり寝れているのだろうかと不安になるところである。今だって扉の奥でドタンバタンと賑やかな音が鳴っているし。

 

「もももも申し訳ございません! 3秒ほどお待たせしてしまいましたっ!!」

 

 3秒も待っていない上に3秒だろうが3分だろうが待つのだけれど。寝癖で跳ね返った髪の毛とか、適当に巻いたマフラーとか肩まで落ちかかっているケープとか、色々とアレなところを直すのに時間かけてもいいと思う。

 

「そんなに急がなくてもいいですよ。何も取って食おうってわけではありませんから」

「取って食う!? おおおお許しを」

「いや、ですから食べませんってば」

 

 ルーさんは少々耳が悪いらしい。こういった事がよくあるのだ。なんというか、良くないところばかり聞き取れる耳である。

 きっとこれも私に対する信仰にも似た造り話のせいであろう。ルーさんにも言ったように、確かに私もここに来るまではなんやかんやあったことは認める。けれどゴリラなんて殺さないし、国を潰した事なんて一度もない。噂には尾ひれが付いて回るものではあるが、これはそういうレベルではない。火のないところから物凄い勢いで火柱が上がっているみたいなものだ。

 

 ルーさんが私と一緒にいたいと思っていない事など自明の理ではあるが、私としてはこの誤解を抱いたまま…というか拍車をかけたまま返すわけにはいかない。私が幻想郷で干された時に他の獏からも干されるなんて事になったら私は生きていけない。私は寂しさで死ぬ自信がある。

 そうならぬ為にもルーさんには私のいいイメージを他の獏に広めて貰わねばならないのだ。幸いにも私の名前はそれなりに通っている様なので一度広まり始めたらそこそこイけるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「お口に合いましたでしょうか」

「はい! 大変美味しゅう御座いました!」

 

 何気なく聞いた質問でも、これではまるで軍隊である。それに大変美味しゅう御座います以外の返答を聞いたこともない。不味いなら不味いと言って貰った方がコチラとしては嬉しいのだけれど、ルーさんからしたらそういうわけにもいくまい。ドレちゃんはその辺には理解ある女なのだ。

 緊張した空気の中、ルーさんの服の布の擦れる音が響く部屋。因みに、服は相変わらず私のを着ている。私が何気なく「似合ってますよ」とルーさんに言ったら「はいっ未来永劫着させて頂きます!」と言ってそれきりであるのだが、ここまで徹底していると私までどうしたらいいのか分からなくなってくるが、それはともかくとしてルーさんが朝食を済ませたのを見計らって今日の予定を告げる。

 

「えーと…申し訳ないんですが、今から少し用事があるので私に付いて来て下さい」

「っ!? わ、私、何か粗相を致しましたでしょうか!?」

 

 椅子に座った体制から土下座までのモーションの速さたるや私の目を抜く程である。この俊敏性があるなら私くらいなら怖くないはずだ。

 

「粗相…粗相と言われると粗相かもしれません。ですが、殺されるわけでは多分ありませんよ」

 

 ルーさんはかなりこういった話題に非常に敏感なので早口で考える余裕を与えず、ハキハキと喋ることで誤解を招かない様に心掛けている。

 

「粗相だけど殺しはしない? …でも何処かへ連れていく? っは、懺悔室ですか!? 懺悔ですね!! 私、懺悔大好きです! 早く行きましょう、すぐ行きましょう、今すぐ行きましょう!」

 

 一人で盛り上がっているところ悪いが懺悔室ではない。それに懺悔大好きって発言もどうなのか。

 

「残念ながら懺悔室ではありません」

「ああっ! やっぱり食べられちゃうんだ! ゴリラの代わりなんて嫌だよ、お父さんー!」

 

 まるで私がゴリラを常日頃食べてるみたいな言い草である。

 

「はいはい、駄々捏ねないで行きますよー」

 

 ルーさんの襟元を引っ摘んでズルズルと引っ張っていく。残念ながら今日は予定に遅れるわけにはいかぬのだ。何故なら今から向かうのは月の都。サグメさんに報告と顔見せと謝罪に向かうのだ。

 勿論、アポありで。

 

 

 

 〇

 

「うわあ…何ですかここ…凄いですね」

 

 第4槐安通路を経て月の都に降り立つ2匹。マフラーを巻いた方の獏がその発展した街並みに思わず感嘆の声を上げる。

 

「彼らの技術力は人間を凌ぎますからね。家にも貰い物のお掃除(穢れ用)ロボットとかありますよ」

 

 子供のように目を輝かせるルーを引き連れて街道をいそいそと進んでいくドレミー。

 ここ、月の都では妖怪はまず歓迎されない。歓迎どころか、まず最初に排除対象になるくらいのものだ。それはひとえに月の民たちが穢を嫌うからである。穢とは命であり、俗であり、死である。死や俗を象徴する妖怪など是が非でも駆除したいのだ。そんな、本来は立ち入りを許可されていない妖怪だが、ドレミーだけは特別である。第4槐安通路の管理者ということと、獏という種族ゆえに夢に浸透し、死や命から遠い存在であることがギリギリ許容範囲内に押し込んでいるのだ。

 まあ、立ち入りを許可されてるとは言っても、実際に月の都で自由に出来るかと言うとそうでもないのだが。

 

「……ど、ドレミー様。な、なんか凄い睨まれてませんか?」

「放っておきましょう。いつもこんな感じです」

 

 歩く度にギロりと睨んで顔をしかめる月の民。まるで汚物を見てしまった様なリアクションである。いかにドレミーが特別とは言っても、妖怪は妖怪。出来れば視界に入れたくないというのが彼女たちの心象であろう。今回はルーというおまけも付いているのだから尚更だ。

 

「でも、ドレミー様はいつもこの方達の悪夢も――」

「それはそうですが、中々受け入れてもらえないもので。まあ、夢の内容を覚えている方の方が稀でしょうがね」

「……」

 

 未だ緊張は消えず、ドレミーに対して恐怖を抱くルーではあるが、それでもルーは次第にドレミーという妖怪を理解し始めていた。ドレミーは孤独な妖怪である。夢の中では数え切れぬ程の妖怪や人と関わりを持つが、実世界で他人と関わることはほぼない。それこそ稀神サグメとたまに顔合わせをするくらいである。

 それを憂うドレミーは夢の中で非常に優しい。常に夢の所有者に敬意を払い、慮る。一度だけ食事に同行したルーはそのあまりの丁寧さに拍子抜けしたほどだ。

 

『どうしてそんなに…その、紳士的なんでしょうか』

『何がです?』

『さっきの夢… 』

『ああ、私はただ彼らの夢を横から頂いているだけですから粗野に振る舞うのも、横暴に振る舞うのも違うと思いまして。元々そんな野蛮な性格でもありませんしね』

 

 それは悪夢を処理してやっているというルーからすれば新たな見方であった。ルーは圧倒的な力を持ちながら献身的な姿勢を崩さないドレミーに驚く一方、力があるのにどうしてそんな考え方でいられるのだろうかと首を捻る。勿論、性格と言われればそれまでではあるのだが、元々ルーも好戦的なわけでは無かった。しかし、持て囃され、名実共に成長すると性分すらも変わってしまった。

 そして、自分より上がいなくなると一気に天狗になり、上が出てくるとその鼻っ面を叩き折られる。力とはそれだけの影響力があるということは他ならぬルーが一番よく分かっていたのだ。

 

 ドレミーは最早、獏を超えた獏である。現時点で彼女の以上に力を有している獏はこの世に存在しないと言い切れるほどに異常である。で、あるのに謙虚な態度を取るドレミーにルーは疑問を感じずにはいられなかったのだ。

 

『それに』

『?』

 

 首を傾けたルーの隣でドレミーは続けた。

 

『折角なら私にいい印象を抱いて貰いたいじゃないですか。私は他との関わりを大切にしたいのです。そうある為に必要ならば、私はペットにでも何にでもなりますよ』

 

 ルーは一人納得した。この人は単に寂しいのだと気付いたのだ。ドレミーはしっかりと記憶していても相手はドレミーに会ったことすら知らない、そんな虚しい世界で彼女は一人で暮らしてきた。

 そのつまらなさは取り巻きのいなくなって久しいルーにもよく分かっていたから。

 

「ルーさん?」

「っは、はい!」

 

 突然物思いに耽り、静かになったことを心配してドレミーはルーの顔を覗き込む。

 ルーはドレミーという妖怪の本質の一端を覗き見ているけれど、それでもドレミーのことを怖がってしまうのはそれだけ尊敬に近い畏れの念があるからである。尊敬以上に抱く感情があれば彼女も変われる筈だ。

 

「着きましたよ」

 

 二匹は都の中心部からやや離れた大きな施設を前にしていた。閑散とした道に佇むドレミーは尻尾を左右に揺らし、ルーは堅く伸ばしきった状態で止まっていた。

 

「入る前に注意事項ですが、ここは私が入ることを許可されている数少ない月の重要施設です。

 穢斥乖離公務執行室。要するに妖怪関連はここでやれって場所です」

「はい」

 

 何故か声を潜めて返事をするルーに吊られてかドレミーも少し声のボリュームを下げる。

 

「で、月の民(かれら)にとって妖怪(わたしたち)がどういう存在かは先ほど述べた通りです。ですから、ここからサグメさんに会うまでは不愉快な思いをするかもしれません。ですが、どうか堪えて下さい。私たちが問題を起こすと、それこそ駆除されてしまいますから」

 

 ずずいと乗り出して人差し指をたてるドレミーにルーは勢いよく首を縦に振った。

 

「では行きましょうか」

 

 ルーの反応を見て、ドレミーは満足気に頷き、建物の中に入っていった。

 

 

 

 〇

 

 入って直ぐにその嫌な視線に気付いた。

 簡素な受付に座る兎はまた来たのかという呆れた目をドレミー様に向け、なんだこいつはという拒絶の目を私に振った。

 

「通達していた通りです。サグメさんに話があるのですが」

 

 兎が何か言う前にドレミー様が捲し立てる。

 対する兎は何を言うでもなく、わざとらしく大きく溜息を吐いて、手元の紙を捲る。そして該当箇所を見つけたのか顔は書類に向いたまま目だけを私たちに向けて棒読みで続ける。

 

「ドレミー・スイート?」

 

 言うに事欠いて呼び捨てである。思わずこの方はお前らが呼び捨てていい方ではないと叫びそうになるのをぐっと堪える。

 

「ええ」

「と、そっちは?」

 

 顎で私を指す失礼兎。ドレミー様は気にした様子もなく笑顔で返す。

 

「私のツレです」

「はー…そういうのは事前に連絡頂かないと――」

「電話口ではお伝えしました」

「あー、そう。そうですか? 何も書いてないけどなぁ…まあいいや。こちらへどうぞー」

 

 ここが夢ならぶん殴って簀巻きにして悪夢の海にポイである。ここまで露骨なのかと嫌になる。思い返せば確かに私が恐れ多くもドレミー様の名を借りてコイツらを襲っていた時もろくな奴がいなかった。勿論、私の態度が悪かったのもあるが、それだけでは言い訳の聞かぬ見下した心を垣間見たものだ。

 

「こちらでお待ちくださいね」

 

 言葉だけ丁寧だが、扉を閉めながら雑に言われると腹が立つ。やがて扉が閉められた事を確認してから、止めていた息を戻すようにドレミー様に尋ねた。

 

「何ですかあれ。感じ悪過ぎませんか?」

「いつもこんな感じですよ」

 

 涼しげに笑うドレミー様。ドレミー様はいいと言うが私は腹に据えかねるものがある。いつ爆発してしまうか分かったものではない。こんな調子ではきっとサグメとかいう奴もろくな輩ではない。

「サグメさんは理解ある方ですから大丈夫ですよ。少なくとも私に対しては凄く良くして頂いてますから」

 

 心を読むとはドレミー様恐るべし。

 

「声に出てましたよ」

「あれ?」

 

 

 

 特にお茶等が出てくることもなく、待たされる事数分。

 ようやく扉が音をたてて開いた。慌てて立ち上がる私たちだったが、入ってきたのはさっきよりも上等そうな服を来た兎。聞いていた話ではサグメさんとやらは兎ではなかったようだが。

 

「おや、サグメさんは?」

 

 ドレミー様の反応を見るにやはり別人らしい。

 

「サグメ様がお前ら如きにお会いすることは無い」

「事前にお伝えしておりましたが?」

「知るか。緊急事態でな。手が離せなくなったとかでいいだろ」

 

 さっきの兎よりも横柄で偉っそうな奴だ。しかも『お前ら如き』とは随分といいご身分である。どうしてやろうか。

 

「何時ならお会い出来るでしょうか?」

「さあな。今日明日は無理だろ、知らんがな。分かったらさっさと帰るんだな」

 

 ムカ。

 

「では予定を合わせたいので余裕のある日をお教え願えますか?」

「さあ? 私はサグメ様の秘書でも何でもないからそんなの知らん」

 

 ムカ。

 

「でしたらここで暫くお待ちするとお伝え下さい。秘書の方と連絡が付いたらその時に予定を決めますので」

「あのなぁ…分かってない様だから言うけど、いつ来ても、いつ予定を合わせてもサグメ様は非常事態で来れねーよ。察しろ」

 

 ムカ。

 

「大体、お前が都に立ち入ることが許可されていること自体、私には理解しかねる。サグメ様も何だって所詮薄汚い妖怪なんかに――」

 

 仏の顔も三度まで。散々無礼を働いたことを後悔させてやろうではないか。まずは首を――。

 

「あれ?」

「ほらな。お前ら妖怪はこれだから穢いってんだよ」

 

 駆け出した私はいつの間にか兎に取り押さえられて関節まで決められていた。

 

「ルーさん…」

「こんな危険ヤツらはサグメ様にお目通し出来ねえよ」

 

 頭を抱えるドレミー様が見え、頭上から嘲笑った声が聞こえた。



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7 フリージア アイオライト

 

 

 夢の中で何度か玉兎を捕食することに成功していたルー。だからこそ油断してしまったというのもあるかもしれない。だが、それを考慮に入れたとしてもここにいる玉兎とルーには明確に力の差があった。

 それを分からせるかの様に玉兎は捕まえたルーをギロりと見下した。

 

「ひっ!?」

「喋るな汚物。本来ならこうして触れることも嫌な私の気持ちにもなれ。死ぬその瞬間まで物のように静かにしておくがいい」

 

引きつった顔で黙りこくるルーに満足した玉兎は表情の読めぬドレミーに向き直り、語りかける。

 

 「今回の件は私から上へ報告させて貰うからな。精々、ツレの轡を握っておかなかったことを後悔しな。コイツはここで殺し、お前は更迭され、晴れてお役御免となるだろう。まぁ、安心しろよ。お前の代わりに私があの通路の――」

 

つらつらと語る玉兎の口上を半ばで止めたのはドレミーであった。

 

「退きなさい」

 

 明確に空気が淀んだ。清を極める月の都にあってここまで息のできぬ空間は恐らく他にないだろう。肺をそのまま鷲掴みにする様なドロリとした淀み。それは玉兎も、ルーも体験した事の無い、深き海底に沈んでいくが如き感情の影である。

 

「聞こえませんでしたか? 退けと言ったんです」

 

 形は整えられながら、纏う色は鈍色で。向けられた言葉の刃先は鋭く尖って玉兎の胸に突き刺さり、抉った。

 

「…い、いいのか? ここで私を殺せばお前は間違いなく粛清される。こいつもお前も死ぬぞ?」

「私に何を言おうが、どんな無礼を働こうが一向に構いません。ですが、そこの子を殺すというのであれば話が違う。見殺しになど絶対にしませんよ。

 第一、貴方がたは二言目には殺す殺さないなどと物騒な事ばかり言って、これだから軍人はワンパターンでつまらない。月人は死を恐れ過ぎですよ。死よりも恐ろしいことがあるという事を知らなさ過ぎる」

 

 ドレミーは脇に抱えた黒表紙の本を開けてページを捲る。

 

「感情は死を凌駕するのです」

 

 やがてドレミーのページを捲る手は止まり、そこから暗褐色の重い霧が漏れる。数センチ先すらも見えぬ霧のカーテンは徐々に裾野を広げていった。

 

「お、お前はただの獏だ! 夢は操れるかもしれないが現実まで操れるわけじゃないだろう!」

 

 玉兎は自分を励ますためか、はたまた狭くなっていく視界を耳でまかなうためか大声を張り上げる。

 

「不安ですね。不快ですね。私が恐ろしいですね。そう思ったのなら貴女を夢に引き込むことは至極容易い」

「うっ…」

 

 微笑んだドレミーの笑顔はいつものそれではなく、紛れもなく捕食者の顔である。ドレミー・スイートという獏が敵意から捕食行為に走るのは非常に珍しく、それが月の都での話なら尚更のことであった。

 

「安心なさい。私は貴方がたと違って寛容です。絶対に、何があっても殺しはしませんから」

 

 霧の立ち込めた部屋に突然、笑顔を張り付けたドレミーの背後から白い羽根が舞った。

 

「ドレミー」

「…サグメさんじゃないですか。ご機嫌よう」

「何をしているの」

 

 散る白羽に黒霧が塗りつぶされていく。品定めするような目をサグメに向けてドレミーはしばし止まり、体はサグメに傾けたまま目だけで玉兎を見遣ってから一つ頷いて本を閉じた。

 

「いえ、何でも」

「…そう。ならいい」

 

 サグメも同じように玉兎とその下のルーを一瞥。少し考えるように目を閉じて言葉を返した。

 

 

 

 〇

 

「このお茶美味しいですね。どこのです?」

「綿月の姫君からの御歳暮」

「おや、それは上質な物に違いない。ルーさんも突っ立ってないでこちらへ」

 

 先程のゴタゴタから数分。似合わぬことをしてしまったドレちゃん猛省。すっかりいつもの調子に戻れた。

 

「え、えと…」

 

 戸惑ったような顔で何故か顔を赤らめるルーさん。きっと私の怒気にあてられた興奮が冷めやらぬのでしょう。まして、普段の私にすら恐れを抱いているルーさんなら尚更だ。これはまた溝が深くなってしまったかもしれない。誠に遺憾である。

 

「じ、じゃあ…」

 

 私がソファーを叩くと、ルーさんはおずおずといった様子で座った。

 

「あの、さっきのは…」

「ルーさん、ルーさん。まずはサグメさんに」

 

 ルーさんが気にしているのは先程の件であるが、何を話すにもまだ紹介が済んでいないではないか。

 

「はっはい! えと、紹介が遅れました。ルー・ビジオンです。この度は私の勝手の為に月の民の皆様に御迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます」

 

 流れるように頭を下げたルーさん。未だ付き合いの長いとは言えないが、この子は何か謝るということに対してはプロ級なイメージである。

 

「……」

 

 チラとこちらを覗き見るサグメさん。そんな熱い視線を送られると恥ずかしくなってくる、とか考えていると怒られそうなのでいざ煩悩退散。

 

「今回はルーさんが私を誘き出す為に起こした事のようです。月の皆々様に対する悪意は無かったようなので御容赦頂けると嬉しいですね。たかが夢での出来事ですしね」

 

 嘘は吐いていないが、100%本当というわけでもない。であるが、サグメさんもそんな事は分かっているだろう。真に通ずる者同士は本音と建前を使い分けられるのだ。

 

「…ドレミーがそう言うなら構わない」

 

 わかっていただけたようで何より。やはり私たちは真に通じているようだ。

 

「それでルーさん。さっきのは頂けませんでしたね。事前に言っておいたじゃないですか」

 

 止められなかった私が言うのもなんだけども、今は棚に上げさせてもらう。

 

「も、申し訳ありませんでした。ドレミー様を馬鹿にされて、いてもたってもいれなくて」

「ならよし、とはいきませんよ。嬉しいは嬉しいですが、サグメさんが来ていなければ、今頃どうなっていたか分かったものではありません。最悪の場合だってあります」

 

 私がいたからよかったものの、ルーさんはあまり力量を測るのが上手いとは言えない。恐らく自分以上の存在に慣れていないだけであろうが、ここではそれが命に関わるのだ。

 

「は、はい。すみませんでした」

 

 すみませんと、言う割に口元は笑っている様にも感じる。ルーさんの事だから私がマジギレしてると勘違いして顔が引きつっているのだろう。

 

「…ドレミーも」

 

 と、思っていたらサグメさんに思い切り横槍を食らってしまった。

 不満げに口を尖らせているサグメさん。話から置いていかれて拗ねたと見えるのはドレちゃん補正だろうか。何にせよ可愛らしいからなんの問題ない。

 

「いや、それは確かに。申し訳ありませんでした。しかし、彼女にも困ったものです。来る度に煽られるのも飽きてきたんですよね」

 

 ルーさんを組み伏せた玉兎はいつもあんな感じである。今日は一段と当たりがキツかったが、多分ルーさんがいたからであろう。きっと面白くないのだ。彼女から第4槐安通路の管理の役職を奪った私が月の都で好き勝手している事が気に食わないのだろう。

 

「…すまない」

「サグメさんが謝る事ではありません。煽り耐性の無い私が悪かったです」

「そ、そんなっ! ドレミー様は私の為にっ! 悪いのは私です!」

 

 どいつもこいつもそれぞれ言いたいことを言って、頭を下げた。それが馬鹿馬鹿しくて、可笑しくって思わず笑ってしまった。

 

「フフっ」

「ぷっ、アッハッハっ」

「……ふふ」

 

 全員同じだった様で。珍しいサグメさんの笑顔も見れたし、今日はもうお腹いっぱい。

 

 

 

 〇

 

 ドキドキが止まらない。

 玉兎に捕まった時、殺すと言われた時、ドレミー様と対峙したあの日に感じたものとは異なった敵意を感じた。きっとあれが嫌悪からくる敵意であり、殺意なのだ。

 悔しいが、私にはあの玉兎ほどの力は無かった。私はどうやら、人一倍死に対する恐怖に弱いらしい。私を上回る力で押さえつけられ、殺すと言われただけで私は縮み上がり、心の内では命乞いが完璧なスタートダッシュをきめていた。そして、恐怖から周りが見えなくなっていく私を救ってくださったのがドレミー様だった。

 

『退きなさい』

 

 今でも鮮明に思い出す。ドレミー様の純然たる怒気。私に出会った時とは比べ物にならない、海原の様な感情。

 

『そこの子を殺すと言うなら話が違う。見殺しになど絶対にしませんよ』

 

 あの、ドレミー様が私のために怒りを表したのだ。あの、いつでも紳士的で、嫌われることを避けるドレミー様が明確な敵意を見せたのだ。なんて光栄なことであろう。地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸どころの話ではない。私にはドレミー様がさながら白馬に乗る無敵の騎士様のように見えた。

 そうして、やっと分かった。私がなぜ、頭で考えている以上にドレミー様に畏まるのか。私はドレミー様に好意を抱いているのだ。私は心からドレミー様に嫌われたくないのだ。私はドレミー様に全てを捧げたいのだ。

 

「でも駄目だ」

 

 私はまだドレミー様に相応しくない。ドレミー様に肩を並べられる日が来るとは思わないけど、それでも私は並んでも恥ずかしくない私になりたい。

 お父さんごめんなさい。やっぱりルーは帰りません。お見合いだって知りません。しません。私はここでドレミー様と共にありたいのです。

 

 ルー・ビジオンは病める時も健やかなる時もドレミー様に心から寄り添うことを誓います。

 

「ああっなんて気持ちがいい!」

 

 常々漫画を読みながら思っていた。私もこのキャラ達の様に真っ直ぐ恋をしてみたいと。キラキラと輝く青春を送りたいと。

 周りに気になるオスがいなかった訳ではないが、私も女獏である。自分よりも弱いオスなど願い下げであった。もしかしたら私は被支配欲があるのかもしれない。ドレミー様にならば何をされても構わないと本気で思っている自分がいる。お側に座るだけで満たされる私がいる。窘められて興奮を覚えている私がいる。

 

 これではただの変態である。

 いや、変態で結構!

 

 この純な思いは誰にも止められない。恋という正体不明のエネルギーは膨らみ出すと止めることは出来ないのだ。

 

「ルーさん? 何かおっしゃいました?」

 

 少しはしゃぎ過ぎたらしい。扉の奥からドレミー様の素敵な、落ち着きのあるお声が聞こえる。この思いを伝えたいのは山々であるが、今の私とドレミー様は月と茶羽根ゴキブリみたいなものだ。

 まだ相応しくないのだ。

 

「いえっ! 何でもありません!」

「そうですか? 何かありましたら仰って下さいね」

「ッッぁぁ…」

 

 なんてお優しい。思わず色の付いた感嘆の息が漏れてしまった。優しさに触れ、お声を耳にするだけで身悶えする程の喜びが駆け巡る。私の細胞一つ一つが喜びの悲鳴を上げて立ちどころに神経回路がショートして火花を散らす。

 でもいつまでもドレミー様の優しさに肖ってばかりではいられない。自己研鑽を重ねなければこの恋は成就しない。

 

「まずは…そうだなぁ、ご飯とかからかな。フフン♪」

 

 私の恋物語は始まったばかりだ。

 

 

 

 〇

 

 本名:ルー・ビジオン

 齢:681

 趣味:少女漫画の通読

 現在無職

 

 (つがい)いない歴=年齢の寂しい女獏

 顔立ちが悪いわけでもない彼女が番になれなかったのはその力の強さに見合う獏がいなかったから、と思っているのは彼女だけである。彼女よりも強い獏はいた。いたが、ルーは自分の馴染んだ環境に甘んじて外の世界を覗こうとしなかった。端的に言って彼女はお山の大将だったのだ。

 彼女の父親が頻りにお見合いさせたがったのは681という決して若くない年齢と彼女の少女漫画に影響された、ちょっぴり夢見がちな性格を治したいという思いからである。

 白馬の王子さまに本気で憧れている681歳のなんと痛々しいことか。しかし、それも実際に相手を見つけてしまえば、他人がどうこう言えるものではない。実際、ルーは自分の全てを捧げてもよいと思える相手に出会えたのだ。

 

「フンフンフフン♪」

 

 こうして愛する人のために鼻歌交じりで料理を作る681歳を馬鹿にすることなど出来るものか。

 愛の調味料と称して髪の毛を混入させていることに突っ込みなど出来るものか。恐ろしくて不可能だ。

 

「ドレミー様喜んでくれるかなぁ」

 

 こんな屈託なく笑う彼女を誰が止められよう。味噌と称して味噌の代わりによく分からない固形物を大量投下していたとしても、酢と称してガムシロップをぶち込んでいたとしても、それは間違いなく愛の証であり、殺意とか悪意とかそういう類のものではないのだ。

 

「ん…美味しい!」

 

 どうやら恋の病は味覚まで狂わせる狂気の病らしい。

 

「はいっ、ドレミー様お待たせしてしまい申し訳ありませんでしたっ」

「いやぁ、誰かの手料理を食べるのは初めてで緊張してしまいますね」

 

 一見すればもう番の様に見えなくもない二人の共同生活は始まったばかり。家事分担なんかもいつか始まるかもしれない。

 

「腕によりをかけて作りました!」

「それは楽しみですね。それでは頂きます」

 

 ただ、唯一分かること。それは

 

「ッッッ~~~~っっ!!??」

 

 ルーに食事は任せられないということだろう。



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8 錆びた錨は酔いの海に沈む

 

 

 

「一つ」

 

 時化るというわけではないけれど、夜霧に一寸先すら白んで足を踏み出すのも躊躇してしまう、そんな海上。ギシギシと静波に軋む船の上で佇む獏は確かに人の声を聞いた。辺りは半紙の如き薄白ばかりで人の気配は無かった。けれども確かに女の声が響き渡ったのだ。

 

「ふむ…」

 

 そんな船の上で獏は一人、顎に右手を添えて思案する。その瞼は霧など見たくないとでも言うように固く閉ざされていた。そのまま動かぬ石像となった獏はやがて立ち疲れたのかゆっくりと座り込み、耳を立てる。恐らく彼女は先程聞こえてきた女の声を捕まえようとしているのだ。しかし、しばし待ち、次に船音以外に響いたのは彼女の求めていたものでは無かった。

 

「悲鳴…ですかね」

 

 板を割った様な音の後に響いた悲鳴。一つではなく複数のものであったようにも聞こえる。尋常には思えぬそれにドレミーは動揺することなく、音のした先を見据えるも以前、何も見えることなく。

 ただ、波に揺られるばかりのドレミーは黙して再び目を閉じる。来るべき時をまつ剣豪の様に姿勢を正す彼女が何をその心に思い描いているかは彼女しか分からない。

 

「…うん。迷子ですね」

 

 ただの迷子であった。

 

 

 

 

 

 〇

 

 悲しいかな、またもや迷子である。以前はさとりさんの夢の中でしたが、今回は別の方の夢にお邪魔させて頂いているドレちゃん。意気揚々と滑り込んだこちらの夢であるが、降りた時には既にこんな感じであり、非力な私ではいかんともしがたい状況なり。

 さっきから誰かの悲鳴やらなんやら聞こえるものだからさっさと進みたいのだが、如何せんどちらに進めばいいのか、そもそもどうやって進めばよいのかも分からない。

 

 まあ、また迷子とは言ったが、最初から状況が把握できる夢の方が珍しい。考えてみて欲しいのだが、そもそも夢の見始めを覚えている人がそんなにいるだろうか。どこから、どのように始まったかなんて普通はほとんど覚えていないものだ。それは単に夢が曖昧だからである。現実世界のストレスか何かが見せるにしても、強烈な思想が見せるにせよ、確たるものをポンと作ることは難しく、眠りについてから夢を見る中で徐々に完成させていくものなのだ。きっとこの夢も現在制作中の力作に違いない。だから私が迷うのは致し方ないことであり、決して私の力不足とか私が方向音痴とかそういう問題ではないのだ。

 

「一つ」

 

 そうこう言っている内にまた女性の声。どこかで聞いたことがあるような気もするが、どこでだったろうか。声が聞こえてしばらく経つとまた悲鳴。悲鳴の声の主は変わっている様なので別人だろう。というか、凄く悪趣味なのでさっさと切り抜けたいのだけれど。

 

「一つ」

 

 先よりも至近距離で聞こえた女性の声に振り向く。どこから聞こえたか分かるくらいの距離だった。

 

「っとと」

 

 と思ったらマジで目の前であった。船の一歩外に出たあたりの波の上に立つ濡髪の女性。水も滴るいい女なのは認めるが、私を見つめる目が尋常ではない。私に興味があるのか無いのかすら分からない程に淀んだ瞳の女性は左手に携えた柄杓を一度振った。

 

「……」

 

 当然ながら私に水がかかる。何だろう新手の嫌がらせだろうか。

 

「あのー…って?」

 

 コミュ力お化けを目指すドレちゃんはどんなに無礼を働かれようが我慢である。埒が明かぬと話しかけようとしてみた所で異変に気付いた。

 

「あわわわ」

 

 突然船の中に底が抜けたように水が湧き始めたのだ。当然沈んでいく船に私も思わず情けない声を出してしまったが、そこでやっと分かった。ああ、さっきまでの悲鳴はこういうことか、と。理解はしたものの、それで水が止まれば苦労はしないし、悲鳴は上がらない。

 

「あわわわわ」

 

 ドレちゃんピンチである。恥ずかしながら私、全く泳げないのだ。金槌というわけではないので浮きはするが、そこから全く動けない。渾身の力で犬かきをしても何故か動けないのだ。きっと前世で海に関する何かに因縁があるはずだ。私の運動神経の問題では断じてない。

 それはともかく、泳げないのなら今の状況はかなり不味い。私が夢世界で死ぬことはまずないだろうけど、悪夢から救うべく、突如やって来たヒーローが溺れる溺れるとか情けなさすぎる。

 

「もし、そこのお方。水を掻き出すのを手伝っていただけませんか?」

 

 どう考えてもあの女性がこれを仕掛けたのは明白だが、他にアテがない以上致し方ない。ラブリープリチーなドレちゃんに上目遣いでお願いされればきっとあの方も心を入れ替えて――

 

「……沈め」

 

 し、辛辣!

 敢え無く振られたドレちゃんは物理的にも精神的にも沈んでしまいましたとさ。

 

「とは行かないんですよね」

 

 慌ててから気付いたが、わざわざ律義に船に乗る意味もない。いや、出来るだけ他人様の夢を改変したくは無いのだけれど、今は仕方ない。緊急事態なのだ。

 というわけで、新しく船を造船。船首に私をデフォルメしたキャラを付属させた大船の完成である。名前は…そうだな、たしか幻想郷外の船にタイタニックという大船があったのでそれにしましょう。タイタニックVer.Doream完成である。

 

「……」

 

 きっとあまりの立派さに言葉が出ないであろう女性。心なしか私を見る目が冷たくなった気がするが気にするものか。手先がよく冷える人は心が暖かいと言うし、似たようなものだろう。

 

「沈め」

 

 し、辛辣!

 さっきよりも躊躇の無い口調で柄杓を振るう女性。先程は訳の分からないうちに沈んでいってしまったプロトタイプタイタニック号。此度のタイタニック号は私お手製なのでそう簡単に沈みは――

 

「あわわわわ」

 

 等と言っている暇もなく、水をかけられた端から我がタイタニック号浸水!

 なす術なく沈没!

 

「ってちょっと。折角造ったのになんてことするんですか」

 

 急遽2号を用意。用意したはいいが何だかまた沈められそうな気がしてならない。

 

「沈め」

「あーあ…」

 

 最早興味も無さそうに柄杓を振るう女性。今すぐお話してみたい気持ちで一杯ではありますが、聞く耳持たなさそうなので少々時間をかけましょう。

 

 

 

 

 

「満足頂けました?」

「………」

 

 あれから何十隻という船を落とされたドレちゃん。一隻一隻思いを込めて作っているというのに女性は水をひっかけるだけで沈められるとはなんとも不平等である。作るのが面倒なので今では桶みたいなのしか作らなくなったのだが、何となく女性が残念そうにしているように思えた。

 

「…最後に大きいのが欲しい」

 

 あらら、随分と可愛らしくなって。場所が違えば凄く魅力的なお誘いにも聞こえるけれど、隔つ物の何も無い海上では浪漫もクソもない。なので素直に大きいのを出して上げましょう。

 

「わぁぁ…」

 

 ドレちゃん渾身の造船。外の世界のガチの戦艦をプレゼントしてみた。女性も嬉しいのか、まるで大好物を前にした子供の様だ。一日一善。良いことをすると気持ちがいい限りである。

 

「沈め甲斐があるなぁっ!」

 

 テンションのすっかり振り切った女性は狂ったように笑いながら戦艦に水をかけまくる。なんだこの絵面。

 

「沈め沈め沈め沈め」

 

 目がやばい。

 たまにルーさんもああいう目になるが、狂気じみてて少しドレちゃんも身を引いてしまうところだ。

 

「沈めぇーっ!」

「…楽しそうで何よりです」

 

 

 

 〇

 

「いやー、気持ちよかった。ありがとね」

「いえいえ、お力になれて良かったです」

 

 無事、ドレミー戦艦を沈没させた船幽霊の村紗水蜜。いつものエネルギッシュな水兵姿ではなく、死装束に髪を濡らしたその姿。なれど、いつも以上に快活に笑うその姿はなんとも気持ちよく、誰よりも生き生きとしていた。

 

「えーと」

 

「ドレミー・スイートと申します。気軽にドレちゃんとお呼びください」

 

 既に場所は霧の立ち込める海上から陸地に移っている二人。尻尾の生えた方が恭しく一礼すると、死装束もそれに(なら)う。

 

「ドレちゃんね。オッケーオッケー」

 

 心の中で三弾ガッツポーズを決めるドレミーを他所に水蜜は続ける。

 

「ドレちゃんてさ、もしかして無限に船とか作れるの?」

「はい?」

 

 よっこいしょ、と胡座をかいた水蜜からの唐突な質問に豆鉄砲を喰らった様に目を丸くする獏。そんな点になった目のままドレミーもゆっくりと腰を下ろした。

 

「さっきとか何十隻かと分かんないくらい造ってたよね」

「ああ、それはですか。それはここが夢で、私が獏だからですね」

 

 事もなげに告げたドレミーにしばし固まる水蜜。何を言っているか分からないといったふうに首を傾げる。

 

「え、夢?」

「はい、あなたの夢ですよ」

「なーんだ、夢かぁ。まぁ、そうかー。確かに言われてみれば、さっきとか気付いたら(あそこ)にいたし。それを不思議にも思わなかったし」

「ええ、夢なんてそんなもんです」

 

 気が付いたら海におり、気が付いたら船を沈める作業に没頭していたという水蜜。船幽霊の性なのか彼女の(へき)なのかは分からぬ所である。

 

「ん? 私の夢なのにドレちゃんみたいな初対面もあるの?」

「先程も言いました通り、私は獏ですので水蜜さんの悪夢を頂きに参りました」

 

 悪夢を頂きに来たという獏。けれど先程までは食事と呼ぶには程遠い様にも思える。

 

「悪夢なんて見てないと思うよ?」

「何かに追い回されたり、襲われたりのような夢ではありませんが、こうしたい、こうしたいけど現実では出来ない! みたいな抑圧された鬱憤が溜まっていたのでしょうね。少しでも思い煩っていたのなら悪夢みたいなもんです」

 

 直接的な感情へのダメージではないにせよ、心的ストレスには違いない。そういった負から作り出される無意識の像こそが悪夢であり、ドレミーのような獏の常食となるのだ。夢の持ち主のストレスを発散するだけでも獏の腹の足しになる、そう言えば獏がどれだけ有益な妖怪かは分かってもらえるだろう。そうであろう。

 

「まー、気持ちよかったし何でもいいか」

「そうですよ。夢なんて深く考えるものではありません」

 

 胡座のまま半身を床に投げ出す水蜜にドレミーも柔らかく返す。このまま穏やかに夢は醒めていくものかと思われた。

 

「あれ、じゃあドレちゃんって夢の中なら何でも出来るの?」

「なんでもというわけではありませんが、大抵のことなら」

「じゃあさ、例えばさっきの船みたく、ある物を沢山用意とか出来たりするの?」

 

 大抵のことなら、と聞いて目を輝かせる水蜜。みるみる若返っているようにも見える。ドレミーはそんなリバイバルする船幽霊に圧され気味にではあるが、胸を張る。

 

「それ位ならワケありません」

「そっか!そっか! じゃあ、ある物を用意して欲しいなあー。これまた現実じゃ楽しめないものでさー」

「ええ、お任せ下さい。何でもどうぞ」

「さっすがドレちゃん。えっと、欲しいのは――」

 

 後先考えぬ獏が安請負した事を後悔するまであと数分であった。

 

 

 

 〇

 

「だーかーらーっ!! 私はぁっ!! 一輪が白蓮してるから今すぐ八百屋に行って、ぬええええええん!!」

 

 意味不明(カオス)である。

 いっそひっくり返した卓袱台の方がマシと言えるほどの惨状が私の前に広がっていた。

 

「おいぃっ!! ドレぇぇえ? ん?誰だあんた!」

 

 静かに座る私にべたべたと絡むキャプテン・ムラサ。彼女からのお願いはお酒を出して欲しいとのことだった。何でも宗教的に飲酒がアウトだそうで、白蓮さんに禁止されているんだとか。それで普段は隠れてチマチマ舐めることしか出来ない鬱憤を夢にて解消したいとのことであった。

 

「聞いてるぅーっ!? 聞いてない! 聞いてないやつはーっ酒持ってこーーい!!」

 

 五月蝿いし酒臭い。

 そんな訳で、優しい優しいドレちゃんはお酒を取り出し、着物に着替え、雅にお酌していたわけだ。

 

 開始十分、軽快なスピードで猪口を呷るキャプテン・ムラサ。

 開始三十分、吐息に酒気が混じり始めるキャプテン。

 開始一時間、猪口を捨て、一升瓶を振り回すキャップ。

 開始―――、何を言っているのか分からぬデイスイ・ムラサ。

 

 私も始めの方は頑張って水蜜さんの酔いを吹っ飛ばしていたのだが、如何せんキリがない。諦めて酒を作る事だけに没頭しているわけだが、この人は酔い方が酷い。言語中枢はやられるわ、性格は荒くなるわ忙しい限りである。お酌している時には着物を剥かれたりした。お嫁に行けない。

 

「おいいいっ!!どれぇレ? 酒がないぞぅー!? アッハッハッハッハッ! 一輪ってばそっちは厠だってえへへへ」

 

 一人で楽しそうに会話しているので放っておいてあげましょう。帰ったらどうしましょう。暫くはお酒は見たくないですかね。

 

「あれぇー? どれぇ? ドレちゃんどこぉ? ドレちゃぁぁぁ――」

 

 

 

 〇

 

「ただいま戻りました」

 

「おかえりなさいませ。今日は如何でしたか?」

 

「うーん…後味が最悪ですかね」

 

「それはいけません! 私が何か御口直しに用意致しますね!」

 

「ええっ!? いえいえいえ! それは大丈夫ですから!」

 

 後先考えぬ獏が己が不注意を後悔するまで後数分。

 

 

 

 



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9 夢中のホーセズネック

 

 

 

 

 

 

 最近、体が重だるい。

 私にとっては有限でない時間の中でいくら休んでも休んだ気にならないのだ。

 

「はぁ…」

 

 他人の何倍という時間を持った今日が始まってもう何度目のため息になるだろう。折角の時間も滔々と流れていき、無味乾燥とした気だるさだけが体に積もっていく感覚が煩わしくてかなわない。

 

「咲夜さん?」

 

 美鈴の頓狂な声に我に返ると、私より高い背を横に曲げて私の顔を覗き込む赤髪が目に入った。いつの間にか止まった時間が戻っていたらしい。少し前ならこんなこともなかったのだけれど。

 

「…いや、何でもないわ」

「何でも無いって…顔色が酷いですよ」

 

 まだ頭もぼーっとするし、もしかしたら風邪でも貰ったのかもしれない。紅魔館には私以外の人間はいないので、体調を崩すのも私だけである。その私も普段は止まった時の中で療養を重ねるので実質ここでは誰も体調崩さないみたいなものだが、今回ばかりは調子が戻らない。

 

「呼吸も荒いですし、今日は休んだ方がいいのでは?」

「…そう、そうね。そうするわ」

 

 でもまぁ、いざとなればパチュリー様に診てもらえばいいだろう。

 

 

 

 〇

 

 咲夜が倒れてからもう一月。未だに私の従者は目を覚まさない。時折苦しそうに魘されるだけで私と言葉を交わすことは無い。

 

「咲夜、主人を待たせるなんて従者失格よ」

 

 私だけのメイドは私を置いて夢の中。指揮者を失ったメイド妖精が館をふよふよと漂っているのを今日も目にした。咲夜の広げたこの館、その広がった大きさの分だけ、掃除されていない部屋の分だけ空しさが心を打つ。

 思えば咲夜が私たちと暮らすようになってから随分と咲夜を頼りすぎていたのかもしれない。咲夜の時に干渉する能力に頼り、咲夜もそれを良しとしていたからこそ、咲夜に蓄積されていく負担に気付けなかったのかもしれない。咲夜が優秀すぎるがゆえに気付けなかったのかもしれない。

 これでは主人失格だ。

 

「……ん」

 

 私がゆっくりと髪を梳いても咲夜は苦しそうに顔を背けるばかり。パチュリーが診ても原因は分からず、出張診断でやって来た永遠亭のウサギはろくに診断もしないで、なんたらかんたら眠猫とかいう胡散臭い置物を勧めるばかりで使えなかった。訳の分からない説明を自信満々の顔で続けていたウサギの耳を引っ掴んで薬師を出せと優しくお願いしてやっと本命の到着であった。

 

『突然意識を失った?』

 

 女の名は八意永琳。迷いの竹林の奥に構える永遠亭の薬師である。なんでも月の頭脳と呼ばれる程に頭が切れるらしく、作れない薬はないんだとか。

 

『そうなの。倒れてから全く目を覚まさないわ』

『…少し診ましょうか』

 

 そんな八意永琳の評判を聞いていたものだから診断後の彼女の発言には酷く失望した。

 

『原因不明ね。全く分からないわ』

『師匠! 私が思うにですね、咲夜さんは私が開発したこのウルトラソナーテック眠猫』

『点滴だけこちらから出しておくから様子見ね』

『し、師匠! ウルトラソナー…』

『何か変化があったら連絡してちょうだい』

 

 などという一幕があり、現在に至る。未だに咲夜は目を覚まさない。夢の世界にばかり行くような部下は一人で充分なのだけれど。

 

「早く帰ってきなさい。皆待ってるわ」

 

 

 

 〇

 

「咲夜?」

「っ!」

 

 最近、本格的に能力の制御が効かなくなってきている。時を止めたと思っても気付いたら今のように解除されていたり、ふと気付いたら能力が暴発している時もある。しかもこれが厄介で、中々元の世界に戻せないのだ。勝手に戻るのを待つしか方法がないというのが恐ろしい。

 

「調子でも悪いの?」

「…いえ、その…何でもありません」

 

 こぼしてしまった紅茶を拭き取りながら歯切れ悪く返す。この症状は相談して良くなる類のものでは無い気がする。それに、余計なことでお嬢様の心を荒立たせたくはない。

 

「私のパーフェクトなメイドがぼーっとして、紅茶をこぼすなんて真似するかしら」

「申し訳ありません」

 

 私はお嬢様の為に完璧でなくてはならない。完全を求めるお嬢様の完璧な従者にならなくてはならない。時をも恐れぬメイドでなくてはならないのだ。

 それなのにこのざまでは笑えない。

 

「怒ってるんじゃないわ。心配してるの」

「…すいません」

「珍しく話が通じないわね。どうしたのかを聞いてるのよ。何か隠してるでしょ?」

 

 クルクルと自身の髪を弄びながら私を覗き込む吸血鬼の紅い瞳。決して魅了の類が発動している訳ではないけれど、私はその瞳に吸い込まれるようにして気付いたら口を開いていた。

 

「能力がおかしいねぇ…」

 

 深く頷いて小さな顎を擦るお嬢様。完璧でなくなった私をお嬢様はどう思われるのだろうか。私の存在意義はどうなるのだろうか。

 

「そうね、取り敢えず咲夜は能力使うのは禁止よ」

「え?」

「暴発するような力は力と呼ばないわ。咲夜の場合、元の能力が能力だからその分危険よ。一旦、治まるまでは能力の使用を禁止するわ」

「それでは私…」

 

 私など要らぬのではないか。お嬢様に必要なのは時をも征するメイドである。能力の使えぬ私にどれだけの価値があることだろう。

 

「心配しなくてもいいわ。私の目には運命が映っているもの」

 

 その運命(みらい)には私はいるのだろうか。

 

 

 

 〇

 

「どうもこんばんは」

 

 火照った太陽が地上を熱し、水が去っていく幻覚すら見える様な暑い夏。せっかく太陽が形を潜めて落ち着いたかという期待を切り捨てて蒸し蒸しとした空気が喉にこびりつく。

 紅魔館の荘厳な門に背を預けている赤髪の門番、紅美鈴は人の時間では非常識な深夜、吸血鬼の時間なら常識な時間に訪ねてきた女に探る様な目を向けた。普段から紅魔館を訪ねてくるのは顔見知り、或いは迷い込んだ外来人に限られる。それも殆ど昼間である。今夜の様に、どう見ても妖怪の女が深夜に訪れることなど滅多にないのだ。

 

「何用でしょうか」

「御見舞をしたいと思いまして」

 

 突然の来訪者は当然の様な顔で門を潜り、かような不審者の侵入を防ぐのが仕事であるはずの美鈴もまた当然のように彼女を通した。

 

「お宅のメイドが悪夢をさ迷っているようなので助太刀に参った次第です」

 

 黒表紙の本を脇に抱えたドレミーは夜の闇より深く、暗い紅魔館に染み込んでいくように姿を消した。

 

 

 

 〇

 

 お嬢様の命令で能力を使うことをやめてしばらく。私は次第に治まっていく能力の暴走に胸を撫で下ろしていた。

 

「調子はどう?」

「問題ありませんわ、お嬢様」

 

 そう、と頷くお嬢様。こうして気にかけてもらえていることはありがたいことだが、私は依然として喉奥に引っかかる陰りを無視することが出来ない。

 ここにいる住人はメイド妖精やホフゴブリンを除いて皆唯一性がある。

 

 だが、今の私には何も無い。

 

 一日中、門前に立つ体力も無ければ、数え切れぬ程の書物の知識を有する脳もない。何でも壊す能力も、運命を見通す能力もないのだ。今の私の代わりなんていくらでもいるのだ。その事にお嬢様が気付いた時が恐ろしい。お優しいお嬢様の事だから興味を失せたことを私に悟らせぬ様にするだろう。だが、分かるのだ。仕える主人が何に興味を示し、何に無関心になるのかすら分からずして何がメイドか。

 

「あれから異常もない?」

「徐々に無くなってきましたわ」

「それならよかった」

 

 いつまでこんな日々が続くのであろうか。暴走の原因が分からない以上、いつからなら以前の生活に戻っていいのかも分からない。それならよかった、と一概に安堵しても良いのだろうか。

 

「何か思うところがあるみたいね。言ってみなさい」

「…いつになったら私は」

 

 これを伝えるのは危険だと踏み止まるのも遅すぎた。

 

「いつ…そうね。原因が分からない以上、ずっとかしら? いや、でもそうなると…」

 

 一人でブツブツと考え始めるお嬢様。これでは私が要らぬ存在だと伝えたようなものではないか。自殺も同然ではないか。

 

「ねえ、咲夜」

 

 いつの間にか静まり返った紅魔館テラス。先程まで聞こえていたはずの夏虫たちのさざめきは夜の闇に吸い込まれてしまった。ゴクリと飲み込んだはずの生唾の音すらも。

 

「私には貴方はいらないみたいだわ」

 

 無意識のうちに止めた私の世界。

 私が時間を止めたのはこれが最後となった。

 

 

 

 〇

 

「咲夜はどうなの? 貴方なら助けられるというの?」

 

 魘される咲夜の傍らに立ち、眉を潜める獏が一匹。向かいの吸血鬼からの懇願にも聞こえる質問に返す言葉は中々出てこなかった。

 

「…これは厄介ですね」

「何が厄介なのよ」

「全てが厄介です。解決には時間が必要ですかね」

 

 咲夜の額に手を乗せて、考え込むように目を瞑るドレミー。それでも時間をかければ咲夜を目覚めさせられるかもしれないと聞いたレミリアは思わずドレミーの肩を揺すった。

 

「それなら四の五の言わずさっさと治しなさい!」

 

 あーれー、と目を回すドレミー。

 

「…この(くだり)も何回目でしょうかね」

 

 ボソリと呟かれた彼女の言葉は誰にも届かず消えていった。ブルブルと頭を振ったドレミーはもう一度、目覚めぬメイドの額に手を当てた。

 

「それでは行ってきます」

 

 そう言い残してドレミーは咲夜の夢の中へ落ちていった。

 

 

 

 と、言うのがついさっきの私。現在私は紅魔館門前に降りてきたところである。

 

「何用ですか?」

 

 門前にて私を訝しむ、凛々しい瞳を見せつけてくれるのは紅美鈴さん。実は普段ならば顔見知りであるのだが、生憎ながらここは咲夜さんの夢なので美鈴さんとは初対面ということになる。

 

「御見舞をしに参りました」

 

 もはや何度目になるか分からない言葉。いい加減私も疲れてきた。

 

「失礼しまーす」

 

 門を潜って館に入るとすぐに先程の場面に移る。これだけ末端の作りが雑なのは咲夜さんの意識がそれだけ悪夢に向いているということなのだろう。

 

「咲夜はどうなの? 貴方なら助けられるというの?」

 

 食い気味で訪ねてくるレミリアさん。自己紹介もまだの相手にいきなりこれである。さすがは夢というかなんというか、お粗末過ぎるシナリオにドレちゃんも少し滅入ってきた。

 

「疲れました」

「それなら四の五の言わずに治しなさい!」

 

 もはや会話が成り立っていなくてもお構い無しである。咲夜さんによってプログラムされたレミリアさんはその力のままに私を強く揺する。毎回毎回、鬼の力で揺さぶられ、その度に脳味噌が飛び出そうになるからやめてもらいたいのだが、残念ながらプログラミング・レミリア氏にそれを言ってもどうしようもないのはここまでの調査で分かった。悪夢の大本を叩かない限りこの夢は覚めないだろう。

 

「それでは行ってきます」

 

 何十回目の悪夢へのダイブである。

 

 

 

 〇

 

 咄嗟に止めた世界。

 私だけの世界。

 私を見据えていたはずのお嬢様の視線の先から消えた私は一人、部屋に戻った。お前なんか必要ない、そう言われてしまった私はどうすればいい。非力な私は何をすればいい。部屋にうずくまって考えて考えて考え込んでも良い答えは見つからない。

 

「いや、待って」

 

 そうだ。私が要らぬと言われたのは私が能力を使えぬ様になったからだ。今後も一切使えぬかもしれないという可能性が出てきたからだ。だが、今はどうだ。

 殆ど無意識の反射ではあったが、こうして私は時を止め、今もそれを維持しているではないか。

 理由は分からないが、何故かあの症状を克服したのだ。この力があるなら私はこれまで通り、紅魔館の家族でいられる。あの力さえあれば私は私でいられる。

 時を戻したら直ぐにお嬢様に報告しよう。「もう大丈夫です」と、そう笑顔で報告するんだ。きっとお嬢様も笑顔で受け入れてくれる筈なのだ。私が無能でない限り。

 

 そんな風に、そんな風に思って駆け出した私は酷く愚かだった。

 

 

「どうしてっ!?」

 

 怒りに叩いた机の上に乗ったグラスは中身を揺らすこともなく静かなまま。この世界で生きているのは私だけなのだ。あらゆる物が死んだ世界では生者が何をしてもあちらは変わらない。

 

 結論から言ってしまえば、私はやはり駄目だった。脇目も振らずにお嬢様の前に立った私は意気揚々と止まった時計の針を動かそうとした。しかし、いくらゼンマイを巻いても時計は動き出さず、凍りついた館の主は冷たい視線のまま私を見下すに終わったのだ。

 立ち尽くした私は静かに悟る。きっとこれは代償なのかもしれない。時を意のままにするという人の身に余る能力を私利私欲の為に振り翳してきた。世界に、時間軸に干渉するとは神にも叶わぬ所業である。神のいたずらで神を超える力を手に入れた私は、神の気まぐれで神のいない世界で殺されるのだ。何もいない世界で暮らすことが私に課せられた罰なのかもしれない。

 それを受けなければならぬのかもしれない。

 

 でも、それでも。お嬢様の、紅魔館(ここ)の無い世界に私が生きる意味は無い。私だけが生き残った世界に何の価値もないのだ。

 

 だから私は今自らの喉元に自らのナイフを添えているのだ。

 

「叶うなら貴方に殺されたかった」

 

 私の最後のワガママも聞いてくれる主人ももう私にはいないのだから。

 

 

 

「させませんよ」

 

 

 

 死にゆく私を止めたのは動かぬ世界でゼーゼーと大きく肩で息をしている一匹の妖怪だった。

 

 

 

 〇

 

「ギリギリセーフですね」

 

 マトリョーシカみたく十重二十重(とえはたえ)の夢の葛を開け続けてようやくたどり着いた深層。冷えきった世界で私が掴んだ咲夜さんの銀ナイフに生きた血が滴る。夢なのだから食えばいいじゃないか、そう言われるかも知れないが、咄嗟に口よりも手が出るのは人型ゆえ致し方ない。なにはともあれ、咲夜さんの自刃は防げただけで良しとしよう。あまり、自殺して目覚めるなど気分の良いものではありませんから。

 

「……誰?」

 

 力無く尋ねる咲夜さん。放心状態に近いが、会話をする意思があるのは大変宜しい。今回、ドレちゃんは余りふざけないでおくとしよう。

 

「ドレミー・スイートと申します。貴方の悪夢を頂きに参りました」

「ドレミー・スイート…。悪夢…?」

 

 虚ろな瞳のまま首を傾げる咲夜さん。兎に角、ナイフから処理。

 

「色々と説明は必要でしょうが、取り敢えず失礼」

 

 強引にナイフをひったくり、口の中に投げ入れる。結構面倒な悪夢だったので味は良いだろうと踏んでいたが、私の血が付いているせいで凄く生臭いのが残念だ。

 

「とと、こんな風にここは貴方の夢でありますので獏である私は食べてしまうことが出来るのです」

「夢、夢?」

「ええ、夢。それもかなり厄介な悪夢でした」

 

 何が厄介って、咲夜さんときたら悪夢の中で悪夢を見て、その中で悪夢を見て、そのまた更に…てな具合である。潜るだけでも一苦労であった。ここから遡って遡ってその最後には咲夜さんが起きず、レミリアさんが悲しんでいるということを悪夢としているのは咲夜さんがどれだけレミリアさんを大切に思っているか分かる。

 

「……」

 

 咲夜さんは思いつめた様に動かない。夢であるとしても、現実に起こり得る可能性の一つを危惧しているのかもしれない。自分が能力を使えなくなったら捨てられてしまうのではないかという不安が彼女を押しつぶしたのだ。

 

「誠に勝手ながら、部外者の身分では御座いますが、一つだけ宜しいですか?」

 

 実は咲夜さんにお会いするのは今回が初。だが、彼女のことは前々からよく知っていた。というのもレミリアさんを初めとした紅魔館の皆様の夢に良く出てくるのだ。それも恨みとか嫌悪とかそういったものではなく、親愛と愛情の現れで。

 

「咲夜さんはもしかしたら不安に思っておられるのかも知れません。自分は優秀すぎる能力の為だけに周りから認められているのだと。周りから愛されているのだと」

 

 そんな不安を否と否定できるのは私か、ここの皆さんだけだ。夢を垣間見る、夢を渡る存在として私の手の届く範囲の一切無用な負の感情は取り払ってくれよう。但し夢世界に限るわけだが。

 

「それは大間違いです。夢という、ある意味でその生き物の本音に近い部分に直接触れる私だからこそ言いきれます。貴方は能力ではなく、十六夜咲夜という一人の人間を好かれているのです。そこに何かしらの疑念を挟む方が周囲に失礼です」

 

 バキバキと音を立て始める咲夜さんの悪夢。空が割れ始めた所を見るに目覚めが近いのだ。こんな胡散臭いドレちゃんに何を言われても信じられぬだろうが、一つくらい意味のある物を残しておきたい所である。

 

「ここも終わりみたいですね。余り長くはいられなさそうなので手短に。私のことはきっと信用も信頼も出来ないでしょう。なんせ私は何処ぞの隙間から現れる妖怪の賢者様と似ていると言われたことがあるくらいですから。

 なので信頼なんてしなくても構いませんが一つだけ、夢から覚めた時にこの会話を覚えていたのならば、目を開けた時に広がる光景の意味を考えて下さい。貴方がここの皆様にとって如何なる存在なのか、聞くまでもないと思いますから」

 

 

 

 〇

 

「咲夜!」

「…お嬢様?」

 

 目覚めたメイド。その枕元で不安そうに瞳を震わせる、幼き主が一人。

 

「お嬢様…どうか…しましたか?」

「咲夜が凄いうなされてるって、妖精が言ってたから。急いで来てみたら本当に苦しそうにしていたからどうしたらいいのか分からなくてっ…」

 

 500年という年月を生きた妖怪にあるまじきいじらしさを見せる紅き城主にメイドは安堵混じりのため息をこぼし、静かに目を閉じた。

 

「ありがとうございます。もう大丈夫ですよ」

「本当に? 咲夜がして欲しいなら獏とか枕返しとか手当り次第にぶち殺して来るわよ?」

 

 あいつら悪夢を見せて楽しんでるんでしょ? と真剣に考えるレミリアに咲夜は一瞬だけ呆気に取られ、そして静かに笑った。

 

「…ふふ。それは可哀想なのでやめて上げて下さい。でも、そうですね。一つだけお願いがあります」

「何? なんでも言いなさい。私が出来ることなら何でもしてあげるわ!」

 

 一転、小さな胸を自信満々に膨らませるレミリア。咲夜は照れくさそうに頬を赤らめながら望みを口にした。

 

「抱きしめて、一杯撫でてください」

「え? そんな事でいいの?」

 

 それならお易い御用よ! と言って、すぐに咲夜を胸いっぱいに抱きしめる。咲夜はレミリアの幼さを象徴するような甘い香りを、くすぐったそうに吸い込んで柔らかく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「これだわ!! ドレミー様ーっ!!」

 

 どこかからそんな声が聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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10 神隠しという名のダイオプサイド

 

 

 

 空には血を垂らした様な赤が広がり、ビルの谷間には切り裂かんばかりの風が吹き荒ぶ。木っ端人間は風に追いやられていそいそと家路につく。木枯らしの寒々しい音と、バタバタと忙しい布の音が響く街の隅、街を東西に貫いて走る大きな川を跨ぐ木製のボロついた橋。赤い夕日すら手の届かないその橋の下、下校途中の女子高生がスマートフォンを片耳に押し当て、笑い声を響かせながら学校指定のローファーを鳴らして歩く。

 

「そうそうっ! でさ〜そいつ駅前の本屋に入っていって何買ってるかってチラッと見たら『オカルト決定版! UMAの居場所とは!?』なんて買ってやがんのっ。しかもそれ3000近くしてたし! 馬鹿みたいじゃね?」

 

 キャハハと高い声で誰かの悪口を喜々として漏らす女子高生。電話口の相手の対応が気持ちよかったのかその声はしばらく続いて、橋の作る影の終わりが近付いてきた辺りまで続いた。しかし、日の当たるあちら側まで数メートルという所で彼女の口と足が止まった。

 

『どうしたの?』

 

 電話口の相手も訝しげに尋ねる。

 

「いや、なんだろう。なんか変な感じがする…」

 

 知らずの内に小さく震える彼女の声に電話口の相手も心配そうに声色を変えた。

 

『えー、何? ストーカー?』

「いや、ううん。もっと…違う」

 

 彼女が見据えるは今まで歩いてきた後ろ道。しらと続く黒絨毯にスマートフォンを握る掌に汗が滲む。

 

「……」

 

 いつの間にか音の消えた空間に響くのは向こう側の生活音だけ。あれだけ喧しかった風の音も、川の流れる音も、何もかも聞こえなかった。まるでそこだけが切り離されてしまったかのような錯覚すらした。

 

「っ!! 」

 

 目を細めた女子高生は闇の中に何かを見つけ、何かを口にするより前に、振り返って全力で走った。闇とは逆の方向へ。

 して、すぐに気付く。振り返った先にも闇しか無いことに。正確に言うなら日の当たるあちら側が酷く遠いことに。

 

『? どうしたの?』

「何あれ!!」

 

 困惑する話相手を置き去りに、吹き出る汗をそのままに彼女を走らせるのは背後に蠢く謎の影。辺りの暗闇に同化したその姿をハッキリと見ることは難しかった。

 

『ちょっと、どうしたのって。もしかしてほんとにヤバイ系?』

 

 事の深刻さに勘づき始めた話相手。察し始めたはいいがどうしたものかと狼狽えているのが音だけでも分かる。

 

「た、助けて! あれっヤバイ! 本当にヤバイ! 助けて! けーさつ! けーさつ!」

『え、ちょっと何何?』

「裏門から出てっ、ちょっと行った橋の――」

 

 制鞄を投げ捨て、スマートフォンに向かって殆ど叫ぶようにして助けを求める彼女の声は半ばにて千切れる。カラカラと滑り、夕日の赤を反射するスマートフォン。慌てる相手の声だけが虚しく聞こえた。

 

 

 

 〇

 

「ねーねー知ってる? あそこ、出るんだって。ほら、学校の裏門を出て、駅から離れる方の坂道あるじゃん? それを下って、公園を突っ切って右手に曲がった先にボロっちい橋あるでしょ? その下。そこで最近、よく人が消えるらしいの。実際、ここの生徒も消えちゃったんだって」

 

 姦しいクラスメートの噂話が耳につく。イヤホンを付けていると言うのにノイズキャンセリングを貫通して私の鼓膜にダメージを与える彼女たちのハイパーボイスには心から賞賛の拍手と「くそくらえ」という素敵な言葉を送ろうと思う。悪口、ゴシップの類が大好きな彼女たちなら喜んで受け取ってくれることだろう。

 

「はぁ…」

 

 さらに、彼女たちの情報に訂正を入れさせてもらう。最近、人が突如消える事件が多発している訳だが、それはあの橋に限った話ではない。裏路地、公衆トイレ、人のいないトンネル、情報だけならわんさかある。あの橋で事件が起きる数週間前から私はこの話を調べていた。決して彼女達のように流行りに流されて調べているわけではないのだ。

 

「誘拐とかじゃないのー?」

 

 馬鹿。これはそんな単純な話じゃない。幻想郷に行き来する私だからこそ感じるのだ。あれはこちらの者の仕業ではない。

 

「あんたそんな事言ってると連れてかれるよー。なんせ――」

 

 なにせこれは『神隠し』なのだから。

 

 

 

 

 

「という訳なんですけど、霊夢さん何か知りません?」

 

 こういうのは本職の人に聞くに限る。私ならそれが可能なのだから。

 

「それはいいけど、あんた最近ずっとここ来てるわよね。大丈夫なの?」

「ぐっ…、いいんですよ、私は。勉強なんてしなくてもそれなりに出来ますから」

 

 怒られはするかもだが、私の生きがいは向こうの世界ではなく、こちらの世界にしかないのだ。幻想郷という秘を暴いたのだから多少の居眠りくらい許されるだろう。

 

「それより、どう思います? 『神隠し』」

「神隠しねぇ…。何だか物凄い心当たりがあるのよね…」

 

 バツが悪そうに頭を掻きながら目をそらす霊夢さん。心当たりがあるって反応である。やはりビンゴ。

 

「教えて下さい」

「教えたらどうするの?」

「街の平和を守るべく、私が退治します」

「じゃあ教えない」

「えーっ!?」

 

 まさかである。完璧な返答だったと思ったのに流れるようにそっぽを向かれてしまった。実を言うと、散々心の中でクラスメートを馬鹿にした私だが、私だってこの件に関して知っていることはとても少ない。だからこそ、ここで貴重な情報源を逃すわけにはいかないのだ。

 

「どうしても教えないって言うなら」

 

 力ずくで。それが幻想郷(ここ)なら許される。

 

「あ、後ろ」

「その手には引っかかりませんよ! いざ尋常に――」

「霊夢よりも私に聞いた方がいいと思うわよ」

「ギャー!?」

 

 突然頬をつつかれたのに驚いて飛び上がってしまった。まさか本当に後ろに誰かいるとは思わないじゃない。

 

「あらあら、そんな驚かれると妖怪冥利につきますわね」

 

 私を飛び上がらせた犯人は、上半身だけを空中に浮かせて、空間の縁とでも言えばいいのかそこに肘を付いて閉じた扇子を勢い良く開いた。最早隠されてしまった半分の顔からしか慮ることしか出来ないが、とても綺麗な人…妖怪だった。

 

「れ、霊夢さん?」

「そいつは八雲紫。面倒臭くて胡散臭い、ひたすら臭い妖怪よ」

 

 臭いと言われれば反射的に鼻を摘むのが人間である。如何に強靭無敵の女子高生たる私でもそれは例に漏れない。

 

「酷いわ霊夢。私ほどフローラルな香りを発する妖怪もいないものよ? ほら」

 

 あっ、ほんとだ。凄くいい匂い。

 じゃなくて

 

「どちら様です?」

「そこの怠け者に御紹介与りました八雲紫と申しますわ。私は臭い妖怪ではなく、スキマ妖怪」

 

 スキマ妖怪とは聞いたことない妖怪だ。この前買った本にも載ってなかったはず。

 

「貴方のご執心な『神隠し』の主犯に御座いますわ」

「へ?」

 

 

 

 〇

 

「という訳で現在私の街で神隠しが多発しているのですが、紫さんの仕業ですか?」

「ええ、そうよとはいかないわね。もしかしたら貴方の街でも一度くらいならあるかもしれないけれど、そう短時間に何度も同じ場所でなんて風情がない、そう思うわ」

 

 場所を母屋に移して卓を囲む三人。大妖怪を前にしてなお勢いよくずずいと身を乗り出す女子高生に神社の巫女さんも若干引き気味である。

 

「こいつの言うことは信用しなくていいわ。そう言う妖怪だから」

 

 白湯気揺らめく湯呑みを置く霊夢は愚痴のように零す。うんざりしたような霊夢とは対照的にスキマ妖怪は薄笑いを深めた。

 

「酷いわ霊夢、私ほど真正直に生きている妖怪なんていないのに」

「アンタで真正直なら私は何? 聖人?」

「堕落の化身とかでしょ」

「よし分かった。表へ出ろ」

 

 流れる様にバトルモードへ移行した霊夢。恐るべき沸点の低さを露呈した巫女の肩を止めたのは菫子であった。

 

「ちょっと霊夢さん。話が逸れてますって」

「ちっ…命拾いしたわね」

「まあ、霊夢ったら如何に私には敵わないからって死ぬ気だったの?」

「死ぬのはアンタの方よ!」

 

 折角菫子が衝突を防いだのも束の間。ジッパーのついていない口から繰り出された些細な言葉にも律儀に反応してしまい、再度発火した霊夢。

 幣を振り回す巫女さんの怒りが治まらねば話も進まない。

 

 

 

「はい、では続きを聞きましょう」

 

 弾幕ごっこもひと段落。スカートの端が擦り切れたスキマ妖怪とリボンに穴の空いた巫女さんは再度同じ卓を囲む。

 

「はっきり申し上げて、私は貴方の探している『神隠し』には関与してないわ。霊夢は私が犯人だと思ってたみたいだけど全く的外れね」

「しょうがないでしょ。普通、神隠しって言えばアンタなんだから」

 

 ぶすっと頬を膨らませる霊夢。それを見た紫はいつに無く清々しい笑顔を見せた。

 

「犯人ではないけれど、代わりに犯人の目星は付いてるわ」

 

 扇子を広げ、口元を隠して目を細める。その表情は菫子からは読み切れなかった。

 

「誰ですか?」

「それを教えちゃつまらないわ。是非貴方が見つけて頂戴。貴方の街の問題なんだから」

 

 くつくつと笑う紫にため息をつく霊夢と露骨に面倒臭そうな顔をする菫子。似たり寄ったりである。

 

「まぁまぁ、そんな嫌そうな顔しないで。ヒント位は教えてあげるわよ」

 

 ニヤニヤと笑う紫は不意に姿を消す。そして菫子の背後に開いたスキマから体を覗かせて耳元で囁いた。

 

「貴方の街で神隠しが多発している原因は貴方ですわ、宇佐見菫子」

「はい?」

 

 払うように菫子が振り返るとそこには誰もおらず、先ほどの場所から紫が歌うように語りかけた。

 

「実は私、ここの結界の管理なんかもしているの。それで、私の引く結界ですからそれはもう厳重なわけなのだけど、不思議と貴方はコチラに来れてるわよね。それは何故?」

「何故って…寝てたら来れたってだけで――」

 

「そう、寝てたら来れた。普通は寝てるだけでこちらには入れないの。でも貴方が来ているのは、貴方がとある特別な通路を使ってるから。その通路を貴方が通ることで貴方以外もそこを通れるようになったみたいね」

「通路…?」

 

 おさげを傾ける眼鏡っ子。

 

「通路と言ったのはある意味で正解、でも正確には通路ではないの」

「???」

 

 数学だの物理だの英語だの、学業にならそこそこ自信がある菫子が頭を捻るも妖怪の賢者の伝えたいことは分からないらしい。

 

「それは――」

 

「シーッ…」

 

 先をせかそうとした現代っ子の視界は突如暗く落ちる。菫子の鼻に漂ってくる甘い香りが紫が至近距離にいることを告げていた。

 

「私が伝えるのはここまで。ここからは貴方が頑張ってみなさい」

 

 囁かれた言葉に頷くと菫子の視界が晴れ、その時には紫の姿は無かった。

 

「…不思議な方ですね」

「知ってるならはっきり言えばいいのに、面倒な性格してるわホント」

 

 プンスカ怒りながら、いつの間にか飲み干されていた紫の湯呑みを片す霊夢。現実世界で目覚めが近いのか、視界が薄くなっていく景色の中で菫子は眠りについた。

 

 

 

 〇

 

「ドレミー様! また料理を作ってみました!」

「え"っ!? そ、それはいいで…いや、えっと」

 

 今日も麗らかな第4槐安通路。お日様も見えない異世界的空間の我が家。変わらぬ景色に目を流しながら珈琲をすすっている所に思わぬ爆弾が投下された。ルーさんには申し訳ないがルーさんの料理は…その、不味い。不味いというよりテロに近い。飯テロとかそう言う話ではなく。

 

「大丈夫です! 前までは食材を使った料理だったので感覚が掴めませんでしたが、今回は夢を調理してみました!」

「……」

 

 夢の食べ方には幾つかある。普段は悪夢をその場で頂く、まぁ踊り食いみたいなものだ。そして今回ルーさんがしたらしい様に、調理も可能なのである。調理と言っても、本物の料理のように複雑な手順が必要なものではない。単純に幾つかの夢をブレンドするだけだ。カクテル感覚かな。

 そんな調理の簡単なカクテルですらルーさんにかかれば私の胃を破壊しかねない。そう思ってしまうのは失礼過ぎるだろうか。

 

「大丈夫ですって! 何度か味見しましたが結構美味しいですよ?」

 

 ルーさんの舌は少し、いやかなり特殊な訓練を施されているらしく、生半可な刺激ではびくともしない。私にはレベルの高過ぎる話だ。

 

「ではどうぞ」

 

 そう言って私の前、机の上に置かれたスープ皿。中ではキラキラと輝きを放つ美しいスープが揺らめいている。見た目は素晴らしいけれど、逆にどうしたら光り輝くのか分からない怖さもある。

 

「……では」

 

 かと言って捨てるのは勿体無い。折角、作って頂いたというのもあるし、元々が誰かの夢なのだから。まぁ、どうせ食べても死ぬわけではない…はず。

 

「んん、これは」

 

 美味しい…美味しいが何か残る臭みがある。何処かで感じたことのある臭み。喉元まで出かかっているのだけれど何だったか。

 

「どうですか? 上手く出来てますよね?」

「え、ええ。そうですね。美味しいです」

「やったー! 沢山作ったので持ってきます!」

 

 両手を上げて引っ込んでいくルーさんを見てやっと思い出した。長らく食べてなかったものだから直ぐに気付かなかった。あの臭みの正体、それは

 

「…人工的な臭さ、養殖臭さですね」

 

 

 

 

 

 

 

 



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11 すれ違いアスタリスク

 

 

 

 

「一々心配しないでよ。私は慧音よりも長生きなんだから」

「乱れた生活は気すら乱すものだ。私より長生きなら尚更しっかりしてくれ」

「はいはい」

 

 そう生返事を返すとどんよりとした流し目で見てくれる彼女、上白沢慧音。歳を重ねるごとに固くなっていくのは生き物の性なのだろうか。昔は厳しいながらに優しかった慧音も今や頑固なお婆さんになってしまった。

 

「しかし、慧音が寺子屋を辞めてもう何年? 百年くらい?」

「…そうだな、百と二年だ」

 

 そう、慧音は約百年前に寺子屋の教職を辞めた。理由は年齢の増加に伴う体力の低下である。慧音が教師をやめると聞いて、慧音の事を昔から知る人里の大人たちは驚き、労いの言葉を口にしていた。悪さをすれば男女関係なく頭突きをお見舞いしていた先生が体力の低下を理由にその職を離れるのだ。人々にとってショックは大きかった事だろう。

 

「百年か。もうお婆さんだね」

「……五十も百も変わらないさ。ただ、流れていくだけなんだから」

 

 そして何より私のショックが大きかった。

 蓬莱の薬を盗み出し、人をやめて幾百年。人間らしく生きることを諦めかけていた私と出会った慧音はまだ幼かった。

 

『誰?』

『……さぁ? もしかしたらお前を食べてしまう妖怪かもしれない』

 

 白沢(はくたく)の角と尻尾をそのままに村から排斥されていた慧音。そこに放浪していた私がたまたま通りかかっただけ、それだけの関係だった。

 

『あなたは妖怪じゃないでしょ?』

『妖怪みたいなものよ。しぶとさだけならまんま妖怪』

『ううん。貴方は人間。私には分かるわ』

 

 生意気だと思った。人生の酸いも甘いも分かっておらず、半獣であることを隠すことも出来ない子供に私の不死性から逃げていた姿勢を咎められているような気がしたのだ。

 

『うるさいな。生意気なこと言ってるとほんとに殺すぞ』

『怖くなんてない。貴方は私を殺さないもの』

 

 まるで全てを見透かす様な真っ直ぐとした瞳だったのを今でも覚えている。もしかしたら本当に全て分かっていたのかもしれない。万物に通ずると言われている白沢様なのであればそうであっても不思議はない。

 

『…っち! 可愛くない奴。精々、長生きしろよ』

 

 そこで終わり。すれ違っただけ、ほんの少し言葉を交わした関係で終わると思っていた。

 

『なんでついてくるのよ。どっか行ってってば』

『貴方についていけば長生きできると思ったの』

『…勝手にしたらいい。世話なんてやかないよ』

『うん』

 

 私にとっては些細な生き物だった。私の終わらない人生のほんの一部なだけくっついたほんの些細な。

 

『ほら妹紅も食べて』

『いらないって。食べなくたって生きちゃうんだから』

『そんな事では真っ当に生きることなんて出来ない。人間らしく生活しなきゃ』

 

 随分と馴染んだものだ。ほっときゃ死ぬだろうと思って無視し続け、気付いたら慧音だけは大きくなっていた。私に対しても親しげに話すようになった。それでも当時は一つだけ不思議な事があった。

 

『お前はさ…全然笑わないし、怒りもしない。泣きもしないし怖がりもしない。私にはお前が何考えてるか分かんないよ』

 

 慧音は全く自分のことを話もしなかった。だから私には慧音が分からなかったのだ。

 

『私は……』

 

 それきり黙りこくってしまった慧音を見て私も拗ねて、もういいよとか言って不貞寝したのだ。

 

 

 

 そんなよく分からない関係のまま年月は過ぎて、ある時事件が起きた。事件とは言っても、あの時代なら何処でも聞けたような話だ。妖怪に襲われた、ただそれだけの話。慧音のことだって知らない仲じゃなかったから毎回妖怪は撃退していたのだけれど、その日は私の手には負えない奴だった。

 

『あなたが最近この辺で妖怪を殺して回ってるって人間?』

 

 ソイツは鬼だった。羅生門の茨木鬼、京都大江山で頼光たちが退治し損なった酒呑童子が一派の首魁であった。もちろん私たちも京都を渡る上でそういった連中の注意はしていた。だからこそ茨木童子と出くわしたその瞬間に慧音だけでも逃がそうと動いたのだ。

 

『いきなり目突きとかいい趣味してるじゃない。もしかして片腕がないからって馬鹿にされてる?』

 

 見様見真似の陰陽術なんて勿論効かなかった。それでも構わなかった。ただ、目くらましになれば、足止めになればと思っていた。

 

『特別な力があるわけでもない、至って平々凡々のガキ。こんなチンチクリンに退治されるなんて京の妖怪も底が知れるわね』

 

 早々に私の右腕を食い千切り、腹を貫いた鬼。わずか数十秒の時間しか稼げなかったが、それでも半獣の慧音なら遠くまで逃げることは出来る、そう思ってた。

 

『あら? 貴方は逃げなくていいの?』

『…お前なんて怖くないわ』

 

 そこには子供が立っていた。スカート端を強く握って、いつもと変わらぬ表情で鬼の前に立っていたのだ。

 

『何で…逃げなさいよ!』

『彼女はああ言ってくれてるわよ?』

『二度も言わせないで貴方なんて怖くないわ。天から与えられた力にあぐらをかき、のうのうと欠伸をこぼしてきた貴方に、地べたに這いつくばって泥を啜ってでも生きのびてきた私たちは殺せない』

 

 私には慧音が本気なのが分かった。強ばった頬も、泣き出しそうな目も全部必死に生きている証なのだ。

 

『ふふ。貴方みたいな身の程知らずの糞ガキは大嫌い』

『危ないっ!』

 

 重たい体を無理くり跳ねさせ、慧音の前に立つ。慧音に向けた鬼の拳はまたもや鋭く私に突き刺さった。

 

『まだ動けるんだ。しぶといのね』

『慧音! 気持ちは分かったけどっ、それでも今は逃げて! それだからこそ今は逃げて!』

『そうよ。コイツの言う通りにしておいた方が身のためよ。その代わりコイツは殺すけどね』

 

『そいつは無理な話ね。だって私は死ねないもの』

 

 ふーん、そう言って鬼はそのへんの木の枝でも手折るかのように私の首をもいだ。意識が途切れ、再び目覚めた時には鬼の大きく見開かれた目と目が合った。

 

『不死者なんて本当にいたんだ』

『ああ、だから――』

 

『じゃあ殺し放題じゃない』

 

 そこからは悲惨だった。文字通り千切っては投げ、千切っては投げ。私の痛みもそうだが、何より体力が底をつくのも間もなくの事であった。

 

『なんか飽きてきたわ』

 

 私を殺し飽いた鬼は返り血まみれの顔を持ち上げ、そして笑った。

 

『ぷっここまで来ると傑作ね。ちょっと、貴方』

 

 上体すら起こせない程絞り尽くされた私の髪を乱暴に持ち上げた鬼。言いようもない睡魔に襲われていた私は直ぐに目覚めた。

 

『なんでっ何でいるんだ!』

 

『あっはっはっは! 馬鹿ね、大馬鹿だわ。貴方も何のために何十回も殺されたのやら』

 

 そこにはやはり、先ほどまでと寸分も違わぬ表情で慧音が鬼を見据えていた。

 

『ねえ、貴方。貴方は何で逃げないの?』

『私もっ妹紅も! お前なんかに負けるもんか! お前なんかに私たちを終わらせてたまるもんか!』

 

 唇を震わせる慧音にすっかり萎えた心が沸いた。けれど私のこれまでの生活が尾を引いたのか、単純に私の根性無しか、立つことは出来なかった。私の肉体はとっくに限界だったのだ。

 

『いいわ、じゃあ貴方だけはきちんと殺して証明しましょう。鬼の恐ろしさを教授してあげようじゃない』

 

 私の頭を地面に投げ捨てた鬼がゆっくりと慧音に近寄っていく姿が見えた。

 

『駄目…やめて…』

 

 空しくなるだけの言葉すら鬼には届かなかった。

 

 

 

 パチパチパチ。そんな乾いた音で目を覚ました。秋の日暮れに寒々しい空気に晒されていたであろう私の死体も何故か暖かいままだった。

 

『起きた』

『どうして…慧音がいるの?』

『言ったでしょ。私は殺されないって』

 

 それは初めて見せた笑顔だった。服は破れ、そこら中に切り傷を作った彼女の痛々しいほどに気持ちのいい笑顔だった。

 

『鬼は?』

『逃げていった』

『嘘ばっかり』

『本当よ』

 

 そう言って慧音は半獣の姿になった。尻尾がはえ、立派な角が突き出した。

 

『白沢は歴史を創り食らう聖獣。私を殺そうとするならこれまで私が食らってきた膨大な歴史と戦うことになるの。白沢は何でも殺せるし、何にも殺されることは無いわ』

 

『不死ってこと?』

『ううん、白沢は死ぬ。ご飯を食べなければ死ぬし、病気でも死ぬ。寿命だって人より長いだけで、キチンと死ぬ』

 

 不完全な不死者、けれど私にとってそれよりも大事な事があった。

 

『何でも殺せるの?』

『…歴史ある者なら』

『なら私を殺してくれ』

 

 唯一だ。

 私を殺す唯一の存在が慧音なのだ。薬を飲み、死なぬことに優越感を覚え、直ぐに絶望し、己の短絡さを呪った。その苦しみの果てが向こうの方から私にやってきたのだ。こんな運命があるのか、神はいたのだ、そう思った。

 

『いや。私は人殺しにはならない。なりたくない』

『私は不死よ。とっくに人間なんてやめてるよ』

『初めて会った時に言ったわ。妹紅は人間。妹紅は殺せないわ』

『…そうかよ』

 

 腹が立った。けれど怒鳴り散らす気には不思議とならなかった。もしかしたらあの時から私の心臓は再び動き始めたのかもしれない。

 

 

 

「妹紅、どうかしたか?」

「ああ、ごめんごめん。少しだけ昔の事を思い出していたんだ」

 

 箸が止まった私を覗き込むお婆さん。と、こんなことを考えていたら怒られてしまうかもしれない。けれどその目尻の、手の甲の、首筋の皺が嫌でも私に慧音の老いを感じさせるのだ。

 

「何を年寄りのような事を」

「私は慧音より年寄りさ」

「そうだったな」

「ああ、そうさ」

 

 もう慧音は長くない。医者が言ったわけでも、死神に告げられたわけでもない。けれど人より長く生きて、人より多くの死を見てきた私には分かるのだ。慧音はもう一年はもたない。

 

「なぁ、慧音」

「なんだ、妹紅」

 

 だからこそ、昔を思い出したのかもしれない。彼女がまだ生きている今だからこそ。

 

「頼みがあるんだ」

「…こんな年寄りになんの頼みがあるって言うんだ」

「簡単な事さ。老いた慧音でも簡単にできる」

 

 私は温かみを知ってしまった。一人でいることに苦しみを感じるようになってしまった。慧音がいない世界で私はこれから何千、何万、何億年も生きていく事なんて出来ない。

 

「私を殺してくれ」

 

 

 

 〇

 

「私を殺してくれ」

 

 ああ、ついにこの時がやって来てしまった。私がこぼした嘘が実を結んで花開いてしまった。もう何年前か分からないあの会話。忘れてしまえばよかったのに、とうとう後戻り出来ない所までやって来てしまった。

 

 私はあの時嘘をついた。

 

 白沢は歴史あるモノなら何でも殺すことが出来る、そう言った。殺されないというのは本当だが、白沢にそんな力は無い。あの鬼が去ったのも私に殺し飽きたからだ。撃退したんじゃない。

 では何故彼処で私が嘘をついたのか。それは私が妹紅に依存していたからだ。初めこそ自暴自棄で付いて行っただけだったが、次第に彼女がいなければ耐えられなくなっていたのだ。幼心の親に抱く感情とも少し違う。恋愛感情とも少し違う。依存という他ない、そんな感情を妹紅に抱いていたのだ。

 当時、妹紅が私を邪魔に思っていたのは明白だった。だからこそ、妹紅を私に依存させる理由を作る必要があったのだ。だから私は嘘をついた。私こそが妹紅の死地となれると、取り返しのつかない嘘をついたのだ。

 

 私のエゴで妹紅を期待させたまま、私はここまで生き長らえてしまった。私が人間の妹紅を殺してしまったのだ。私が妹紅をただの化け物にしてしまったのだ。

 

「……」

「慧音?」

 

 死にかけの老体だが、こんな状態になっても私はまだ我が儘を捨てきれないでいる。妹紅に真実を告げて、失望されることを怖がっている。そして、妹紅を失望させることに恐れを抱いているのだ。

 私の嘘で成り立っていた奇妙な関係は居心地が良すぎた。汚い私には勿体ないくらいの心地よさだった。

 

 だが、それももう終わりだ。妹紅に真実を告げる。

 自分勝手な事は分かっている。私の醜さは私が一番よく分かっている。

 

「慧音?」

 

 分かっているが耐えられない。これまでどれだけの時間を彼女と過ごしてきた。どれだけ彼女に救われてきた。私はそれを裏切るのだ。なんて醜い。なんて汚い。なんて狡いのだろう。そして私だけは死をもって逃げおおせるのだ。

 ほとほと自分が嫌になる。涙を流せば許されるなんて思っていなくとも涙が止まらない。地に這いつくばり、泥を啜って生きていくだけの覚悟が私には無かったのだ。

 

「妹紅っ…本当に、本当に済まない……」

 

 言え。

 言うんだ。

 死ぬまで隠すことなんて出来やしない。死に際には一人が私にはお似合いだ。

 

「私はっ…私は嘘をついた。取り返しのつかない…本当に愚かな…馬鹿な嘘だ」

 

 妹紅の顔を見ることが出来ない。私はやはり逃げることしか出来ないんだ。

 

「…私では妹紅を殺すことは出来ない! あの鬼を退治したって言ったのも全部嘘だ! 私はっ私はお前に捨てられないために! 捨てられたくないからっお前を騙して、利用して…台無しにしたんだ…」

 

 嗚咽。

 

 老いた体では涙も簡単に止まってくれない。童の様にエグエグとえづく私の音だけが聞こえていた。しばらくの沈黙のあと、今だ下を向いたままの私の肩に手が乗った。怖かったから私はずっと地面を見ていた。

 

「顔を上げてくださいませ。悪夢の時間は終わりです」

「!!」

 

 聞き覚えのない声に顔を上げて気付く。私の肩に置かれた腕は妹紅のものでは無かった。

 

「誰だ!?」

「その前に、そのお姿では何かと不便で御座いますでしょう。どうぞお戻りください」

 

 そう言って目の前の妖怪が指を振るとたちまち私の姿は若かった頃へと戻っていった。

 

「なっ!? なに!?」

「それでは気を取り直しまして、私ドレミー・スイートと申します。気軽にドレちゃんとお呼びください」

 

 

 

 〇

 

 今回の悪夢は過去の後悔。有り得るかも知れない未来予想。事の顛末を最後まで見届けようとも思ったのだけれど、涙に暮れる慧音さんを見ていてもたってもいられなくなったのだ。美人に涙は似合わないというのが私の自論なのだ。

 

「ドレミー・スイート…?」

「ノンノンっ、ドレちゃんで結構ですよ。」

「何者だ? 場合によっては」

 

 ギロりと私を睨む慧音さん。見目麗しいその瞳で凄まれても照れるだけなのだが、敵視されているのも勿体ない。せっかくならお近付きになろうではないか。

 

「事の次第は慧音さんがよくご存知の通り。ただ一つ、慧音さんが認識しておられないのはここが夢であるということです」

「何を言っている?」

「貴方が先程までいたのもここも夢なのです。だから獏である私がここにいる」

「獏、獏だと?」

 

 すっかり私のことを不審者だと思い込んでいる慧音さん。知らない人には着いて行ったらいけないというのを教える立場にある人だ。疑り深いのはある意味自然なことだろう。

 

「獏らしくあなたの悪夢を処理したのです。決して貴方に危害を加えようなどとは思っておりません」

「さっきまでの妹紅も…」

「すべて夢物語。割れて消えるだけの薄っぺらな幻像ですよ」

 

 ただ、過去に慧音さんが嘘をついたというのは本当の事なのだろう。と、すればおそらく慧音さんが似たような夢を見るのも一度や二度ではないはずだ。

 

「…案外、自分がついたウソはバレるものですよ。親しい人なら尚更に。きっと貴方がついた嘘も妹紅さんにはバレてます。だから貴方が嘘をついた時に深く聞いてこずに寝た振りをしたんです。罪悪感に駆られた慧音さんは何だか深読みなさっているみたいですがね」

 

 不思議と怒鳴る気にはなれなかったなんて都合のいい展開があるわけが無い。罪意識とは恋以上に人を盲目にするものだ。

 

「何を勝手なことを!」

 

「私は慧音さん程に誰かを愛したことはありませんが、恐怖するより信頼する方が精神衛生上いいのでは? と未熟ながらにアドバイスさせて頂きます」

 

「あ、愛!? ふざけるのもたたたた大概にっ!」

 

 あわわわと直ぐに顔を赤くする慧音さん。恋愛感情でも無いなんて言っていたが私からすればモロそれ。随分と純な思いだこと。

 

「とにかく、一度妹紅さんに聞いてみてはいかがでしょう。未来を変えるのはいつだって些細なことですよ」

 

 ぐるぐると目を回したままショート寸前の慧音さん。この姿を人里の男衆に見せてやりたいものだ。隠れファンクラブメンバーなら卒倒ものだろう。ギャップ萌えってやつだ。おっと、これは言ってはならないんだった。失敬失敬。

 

「それでは良い現実(リアル)を」

 

 

 

 〇

 

「も、ももも妹紅! 話があるんだ!」

「ん? 何さあらたまって」

「わ、私は―――」

 

 

 

 

 

 

 

「おっとっと。ここから先は二人のお話。部外者はさっさと退散です。馬に蹴られて死ぬなんてマヌケ晒したくないでしょう?」

 

 

 

 

 

 



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12 慣れぬ匙、不秤の力

 

 

「あー、足りない足りない」

 

 カランコロンと下駄の音。そそり立つ石柱の林の一角を一撃で更地に変えた鬼が欠伸をした。少し乱れた着物に一粒跳ねた赤い花を擦り、取れぬ事を悟ってそのままに、傾けた杯の中身を喉に流し込んでその喉を焼く感触に少しだけ眉を上げた。

 

「また派手にやりましたね」

 

 彼女の背後からへこへこと出てきた若い鬼。その手に持っていた酒瓶を傾け、彼女の杯を満たしていく。

 

「派手も何も。正々堂々と言われれば手は抜けんよ」

「今回は如何でした?」

「さっき言ったろう」

 

 もう一度その大きな杯を空にして頬を膨らませる一本角の鬼、星熊勇儀。古から歩み続けてきた怪力乱神の権化は酷く渇いていた。人間に愛想をつかした同胞たちを連れて旧地獄に大都市を築きあげ、仲間内だけで馬鹿騒ぎすることもつまらないものでも無かったが、それでも潤いをきたす様な心躍る毎日に未練が無いわけでは決してなかった。

 

 鬼が鬼退治を心待ちにするなど笑えない冗談である。だが、それでも彼女は本気で待ち望んでいた。死を望んでいたのではなく、死を垣間見る様な淵をだ。人が生き物として睡眠を必要とするのと全く同様に鬼は戦いに身を削らねば死んだも同然なのだ。

 

「あー、暇だ。また地上にでも出るか?」

 

 その戦いというのも生半可なものでは意味がない。弾幕ごっこなどというお子様のお遊びではなく、本気の本気でなければならないのだ。時たま訪れる妖怪の挑戦者も勇儀に肩を並べる様な実力者は中々いなかった。今回のように跡形もなく地形ごと吹き飛ぶのが関の山。

 

「でもなぁ…色々面倒くさいんだよな。私以外にも出たいって奴が出てくるだろうし」

 

 鬼という種族が組織として成り立っているとはお世辞にも言えない。単に、より集まって馬鹿騒ぎしているトンチキ集団であるが、頭領を立てるとしたら勇儀がそれにあたるだろう。事実、地獄移設時に尽力したのは彼女であるし、実力的にも他に適任者はいないだろう。そんな事実上の鬼の管理者がルールを破ったならばその下に下っているほかの鬼に示しがつかない。まあ、地上に出るだけならまだしもそこで大暴れとなると話は違ってくる。また最悪の場合、彼女が呟いた通り、我も我もと同じことをして地上を荒し回る事だろう。勇儀は地上を荒らしたいのではなく、心ゆくまで喧嘩がしたいだけなのだ。

 

「私の味方はこれだけだな」

 

 こうやって考えを巡らすのも一度や二度ではない。圧倒的な力を見せて戦いとも呼べない一方的な試合が終わったあとの寂寥感に浸る度にこうして悩み、そしてやがて諦め、酒に身を委ねるのが常であった。酒が嫌いなのではなく、諦めから逃れるための酒を勇儀は好いていなかった。

 

「偶には本気で喧嘩してみたいもんだ」

 

 ボソリと呟かれた言葉。前を歩く若い鬼にすら届かなかったそれは誰の耳にも止まること無く、地獄の底に消えてい――

 

「その願い! 聞き届けようじゃありませんか!」

 

 ――くことは無かった。

 

 ちょうど先程勇儀によって吹き飛ばされた一帯の脇、かろうじて生き残った岩山の上に一匹の妖怪が立っていた。

 

「お前は?」

「よくぞ聞いてくれました!」

 

 ぞんっと音を立てて消えた妖怪は勇儀の目の前に着地。ゆらりと上体を起こして気取ったように笑を浮かべる妖怪は恭しく名を告げた。

 

「私、ドレミー・スイートと申します。しがない獏なんぞをしております」

 

 

 

 〇

 

 今宵のお客様は鬼の星熊勇儀さん。であるからして流石の私もかなり緊張している。彼女はそりゃもう有名なので私は知っているものの、勇儀さんからすれば売り出し駆け出しの私なんかは知らぬ存ぜぬ些細な存在だろう。しかも獏とかいう劣等種族。文字通り吹けば飛ぶ存在だ。

 

「へぇ、獏なんて珍しい。昔はよく見たんだが」

「おお、私たちをご存知で。光栄なことです」

「それこそ幻想郷(ここ)が出来る前なら知り合いもいたんだがな。気付いたら居なくなってたよ」

 

 勇儀さんの知り合いだったという獏に心当たりがありすぎる私。…その、私がここに来た当時、幅を利かせていた獏がいて、その獏はギラギラしていた当時の私にこう言った。

 

『一部だけ分けてやるから我慢しな』

 

 今考えたらそれだけで非常に魅力的な提案だろう。しかし、当時の私は満足しなかった。なんやかんや端折って言うと、エリアの一部を分け与えると言った懐の深い先輩獏を私は容赦なく蹴落とし、幻想郷全土を私のテリトリーにしたのだ。いや、非常に申し訳ないと思っている。反省もしている。

 

 本当だ。

 

「そ、そそーですか? きっと何処か旅にでも出たい気分だったんでしょうね」

「まあそれでいいさ」

 

 鬼という種族は総じて嘘を好まない。そして概して鬼はこと嘘に関して、異常に敏い。しかし、嘘でなければ案外トラブルは避けられるものである。私が鬼の方とコミュニケーションを取る時に心掛けているのは決して嘘はつかず、殆どを推測で誤魔化すことだ。一歩間違えれば体の何処かが吹き飛ぶだろうけれど上手くいくことの方が多い。死ぬ覚悟が出来て遺書を残してから是非お試しあれ。

 

「それで、その獏が何だって?」

「私が貴方様の望みを叶えて差し上げます」

 

 主が誰であろうと何であろうと所詮夢は夢。存分に戦いたいなんて鬱屈とした思いを発散させるくらい訳ないというものだ。むしろそれくらいしか私には出来ない。

 

「ほう、確かにお前はそれなりに楽しめそうだ。アイツを殺したのもお前らしいしな」

 

 ボキボキと指の骨を鳴らし始める勇儀さん。勇儀さんの言うアイツってのは恐らく先程述べた先輩獏であるが、殺したというのは酷い間違いだ。少々痛めつけて何処かに捨てただけである。

 

「滅相もない。私なんかは貴方とは戦いませんよ」

 

 夢の中で負ける気なんて無いが、怖いから嫌だ。それに、負ける気もしない代わりに勝てる気もしない。

 

「望みを叶えてくれるんじゃないのかい?」

「ええ、勿論。そこで用意したのがこちらになります!」

 

「これは?」

 

 私が前に出したのは一体の人形。それもただの人形ではない。

 

「この子は私が丹精込めて作り上げた人形、スパーリング君です。勇儀さんと全く同じ力、同じ速さ、同じ知能をインストールしています。要するにもう一人の勇儀さんです」

 

「……」

 

 何処か曇顔の勇儀さん。何が気に入らないのだろう、やはりビジュアルだろうか。

 

「私に人形遊びをしろと?」

「今申しました通り、ただの人形では御座いません。貴方自身ですから油断すると少々でもなく不味いかもしれませんよ」

 

 どうやら勇儀さんは私のスパーリング君の力を侮っているらしい。舐められたものだ。私がその気になれば勇儀さんをボコボコに出来る人形だって作れる。

 

「ならそいつを出してみなよ」

「あら?」

 

 声に出ていたらしい。私の発言が悪かったのか、すっかり勇儀さんが戦闘モードにギアチェンジしてしまった。口は厄の元とはよく言ったものだ。

 くわばらくわばら。

 

「早くしな。じゃないとお前からいくぜ」

 

 私の胸倉を掴んで持ち上げる勇儀さん。完全にカツアゲである。誰か警察を呼んでください。

 

「スパーリング君!」

 

 私の声に反応したスパーリング君は勇儀さんの腕に掴みかかり、思い切り捻った。

 

「……」

「あ、あれ? スパーリング君?」

 

 まったくもって捻れていなかった。勇儀さんの同じ力を持っているはずなのにビクともしないとは何事だ。スパーリング君(キミ)の力はこんなものじゃないはずだ。もっと熱く――

 

「邪魔」

「あ」

 

 ポコポコと勇儀さんの腕をぶん殴っていたスパーリング君。主である私を助けようとしてくれていた健気な彼は勇儀さんの無造作な拳で顔面の4分の3が破損。その勢いのまま流星となって吹き飛んでいって見えなくなった。

 

「す、スパーリング君んんん!」

 

 生誕さっき、死せるもさっき。どんな儚い命よりも短い生しか与えられなかった哀れなスパーリング君に幸あれ。

 

「茶番はいいからさっさと出しなよ」

 

 そう言って私を下ろす勇儀さん。雑に下ろすものだからお尻から地面についてしまった。

 

「い、いいでしょう。分かりました。そこまで仰るのなら見せて上げましょう」

 

 鬼である勇儀さんの面目を潰してしまうのは誠に忍びないが、他ならぬ彼女が望んだことである。

 

「スペシャルスパーリング君! この子が貴方をけちょんけちょんにしますよ!」

 

 死んだ彼の意思はこの子に受け継いだ。スペシャルスパーリング君はあらゆるバロメーターをカンストさせたチートキャラみたいなものだ。勇儀さんなんか目ではないはず。

 

「それでいいのか?」

「ええ、勿論です。 やっておしまいなさい!」

 

 私が命令したと同時に目にも止まらぬ速さで勇儀さんの前に飛んだスペシャルスパーリング君。そのままゴリゴリに膨れ上がった筋肉を唸らせて勇儀さんの立っていた場所に振り下ろした。

 

「うわぁ…」

 

 我ながらその威力にドン引きである。その拳が着弾したと同時に地震を起こしながら地面が破裂、舞い上がった土煙のせいで何も見えやしない。怪力乱神を超える力のその異常さがよくわかる。ボコボコというかヘタをすれば粉々にでもなっているかもしれない。

 まぁそれが勇儀さんの望んだ夢であるからいいのだけれど。ドレちゃんは相手が望むとおりにキャラを変えられるのだ。SでもMでもなんでもござれ。

 

「…わお」

 

 引き気味にドヤ顔晒してしばらく。今だその煙幕は晴れないものの、徐々に先が見通せるようになってきたのだが、随分と予想と違う光景になっていた。

 聳え立つ一本角。我が愛すべきスペシャルスパーリング君の姿は何処にも見えなかった。

 

「確かにさっきよりはマシだな。…昔ならこれ位の奴はゴロゴロいたけどな」

 

 そう言って何かをこちらへ投げた勇儀さん。まもなくぐじゃりという生々しい音と共に私の背後の壁にとてつもなく大きな花が咲いた。

 

「っす、スペシャルスパーリング君んんんん!」

 

 私の足元に転がってきた彼の首。目とか鼻とか面倒臭いパーツは作っていないので表情なんかは分からないが、何となく悲しそうな目をしている気がした。

 

「なんてことを! この子はついさっき生まれたばかりなのに、貴方には心がないんですか」

 

「おいおい、私は言ったぞ」

 

 爆音。

 土煙が完全に霧散し、勇儀さんがいた場所が破裂した。隕石でも落ちたかのように抉れた地面に気付いた時には勇儀さんが目の前に立っていた。

 まるでバトル漫画のようだ。

 

「茶番はいいってな」

 

 なるほどルーさんが失禁したのも頷ける。自らと力の差が絶大な者が眼前に立つだけでこの緊張感である。正直、めっちゃ逃げたい。

 

「お、お見事です。楽しんでいただけましたよね。そうですよね。悪夢は去った様なので私はこの辺で――」

「満足したと思うか?」

 

 華麗に身を翻した私の肩を勇儀さんが掴んだ。掴んだっていうか千切られるかと思った。

 

「痛い痛い痛い痛いもげますってば。私の何かがもげます」

「あんな半端もん寄越されて中途半端に煽られて、このまま終わりなんて不完全燃焼にも程がある。私にとっちゃ元より酷い悪夢さ」

 

 めしめしと軋む私の肩骨。まあ、そんなものはどうとでもなるのでどうでもいいのだが、勇儀さんの発言は聞き捨てならない。私が悪夢を生んでしまうなどあってはならない。私の沽券に関わる上に何よりも私自身が許せない。

 

「致し方ありません。ポンコツ人形では駄目みたいですね」

 

 あんなスパーリング君だのスペシャルスパーリング君だのに頼っていた私が愚かだった。どうせ死なぬのだから初めから私が出張っていれば良かったのだ。

 

「お、ようやくかい」

 

「申し訳ありませんでした。私は獏であるというのになんと愚かな事をしたのでしょうか。私が作ってしまった悪夢は責任をもって私が処理いたしましょう」

 

 平和の使徒たる私がまさかこんな身体を張ることになるとは思わなかった。アイドル枠で呼ばれたのに汚れ役を強いられた気分だが自分の撒いた種だ。

 我慢我慢。

 

「えいっ」

 

 勇儀さんの拘束を解いて後退。いくら戦うと言ってもただの殴り合い、蹴り合いなんて芸がないし華もない。ここはやはり幻想郷に住まう者らしく華麗に戦おうではないか。

 

「おいおいよせよ。そんな弾幕ごっこ(お遊び)なんかでお茶なんか濁すなって」

「私は殴る蹴るよりこっちの方が得意でして」

 

 嘘じゃない。私みたいなナヨナヨの体で殴っても鉄より硬い勇儀さんの体に傷なんて残せないのは明白。ならばこそ私は現実世界でも夢世界でも絡め手しか使わないのだ。

 

 それに、そんな戦い方は美しくない。ラブリーチャーミードレちゃんには合わないのだ。

 

「そこまで言うならやってみなよ」

 

「眠らせてあげましょう。貴方の槐安は今作られる」

 

 試合に勝って、勝負にも勝つ。大きな声では言わないがドレちゃん実は負けず嫌いなのである。

 

 



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13 怪力乱神の生み出した物

「ぬんっ!!」

 

 仁王立ちする鬼目掛けて放たれた無数の紫弾丸は鬼の震脚、ただそれだけで散らされて消えた。

 

「……」

「不満顔じゃないか。理不尽だと思うかい?」

 

 弾幕ごっこで言うならスペルカード要らず、限度無制限のボムである。これがチートと言わずなんと呼ぼうか。しかし、そんな理不尽を前にしてもドレミーの態度は素っ気ないものだった。

 

「いえ、全く」

 

 それが当然とでも言う様に表情を動かさない獏に勇儀は関心した様に頷く。

 

「いいねぇ。じゃあサービスだ。もっと撃ち込んでみなよ。一発くらい当たるかもしれない」

「そうですね」

 

 言われるがままにドレミーは弾を作り続ける。対する鬼も何も言わず腕を組んだままそれを楽しそうに眺めているだけ。やがて色が変わるほどの弾丸が空を埋め尽くした。

 

「それでいいのか?」

「これ以上は作れません。一杯です」

 

 ドレミーが腕を下ろす。それと同時に一斉に勇儀に群がる弾の群れ。その様子はさながら滝であった。飲み込んだものを等しく殺す濁流を想起させる程の勢いで勇儀の身体を覆い隠し、地面を抉り、地を割る。それでもなお止むこと無く、超超巨大なクレーターを作り上げた所で弾切れとなった。

 

「……」

 

 浮かんだドレミーの顔は晴れない。曇もしない。ただ、漫然とその大穴を見ているだけだった。

 

「凄いじゃないか。五、六発は当たったぞ」

 

 爆心地から登る煙が吹き飛び、現れたのは依然として立つ勇儀。辺りは大量の球の死骸、というかトマトを潰したようなべしゃべしゃのソース状の紫色の液体まみれになっている。

 

「これはなんだ、嫌がらせか?」

 

 勇儀の顔面にも付着したその液体だったが、それも力むだけで全て吹き飛んでしまう。そのまま大地を破裂させてドレミーの目の前まで飛んだ。ドレミーもそれに一拍遅れて気付き、驚いたように眉をあげた瞬間に凄まじい力で地面に叩き落とされる。ドレミーは爆音と共に地面に着弾した。

 

「だから言っただろうが、お遊びなんだって」

 

 届いているかも分からぬ鬼の言。人間相手なら独り言になっているだろうそれも相手は妖怪、そこは安心である。

 

「お遊びでもなんでも勝てばいいんですよ勝てば」

 

 そう言いながら、煙の中から出てきたドレミー。無くなった左半身をぶくぶくと作り上げ、有り得ない方向に折れ曲がった腕を無理やり戻す。そのまま半分落ちかけている首を持ち直してつなげた。

 

「まるでゾンビだな」

「そんなおぞましいものに例えないで下さい。泣きますよ」

「じゃあ何がいい? サンドバッグとかか?」

 

 軽口を叩くドレミー。注意力散漫な獏にもう一度衝撃が走る。最早ほとんど瞬間移動と言っていいスピードで近寄った勇儀の拳が腹にめり込んだのだ。錐揉み回転しながら分断されたドレミーの体は二方向に飛んでいく。

 

「痛いですって」

 

 死体にしか見えないその体のままドレミーは何でもない様に口を開く。訝しむ勇儀を他所に遠く離れた向こうから半身を失った足が独りで歩いていき、上半身にくっついた。

 

「獏って奴は夢の中だと死なないのかい?」

「いいえ、そんな事ありませんよ。死ぬやつは死にます。私もキチンと死にますよ。というかむしろ夢の中で本当に死ぬ存在は獏くらいです」

 

 グチグチと体を無理矢理縫合したドレミーはやはりマイペースに服についた汚れを払い、破れた服を直す。

 

「じゃあ頑張ろうか!」

「ええ、どうぞ頑張って下さい」

 

 そこからは酷いもので、焼いて、千切って、爆発して、吹き飛んで、戦いと呼べるような高尚なものではなく、ただ鬼が暴れているというそれだけだった。壊して直して壊して直して壊して直して壊して直して……

 

 

 

「おい、戦う意志は無いのかい?」

 

 いかようにしても死なぬドレミーに目を細める勇儀。勇儀にしてみれば勝負を望んでいたのであって、今のままならば今までと何ら変わらない悪夢なのだ。大口叩いた割には手応えのない獏に怒りさえ抱き始めていた。

 

「はい?」

「一向に攻撃してこない。殴られては治すだけ。私を舐めんのも大概にしろよ。これじゃ悪夢のままさ」

 

 空気の重みが増す。どんよりとした熱が、凄まじい鋭さで鬼から漏れだしていた。

 

「笑わせないで下さい」

「あん?」

「私は貴方が躍起になっている間、ずーっと攻撃し続けていますよ。舐めているとしたらそれは貴方の方だ」

 

「一体何を――っ」

 

 その時、鬼の視界が揺らいだ。

 

「私は最初に言いましたよ。眠らせてあげましょう、と。そろそろお眠の時間です」

 

 体勢の崩れた鬼。ドレミーが使ったのは極めて人間臭い手法であった。それは

 

「――ガスか」

「少し違います。最初の球は皮膚から浸透するタイプの神経毒です。まぁ、毒とは言っても勇儀さんを快眠へ誘うだけですが、それでも生半可なものではありませんよ。ほっぺたを抓るなんてしても無駄です」

 

 次第に滲んで行く視界に鬼が遂に膝をついた。この戦闘が始まって初の事であった。

 

「お前、やっぱり舐めてるだろ…。私が望んだのはこんな……夢……じゃ……」

 

 うつらうつらと船を漕ぎ、やがて倒れた一本角。

 

「さて、ここから――」

「夢じゃない! まだ眠れないねっ!」

 

 目を閉じたドレミー、同時に鬼の爆音が大気を震わせた。

 

「…まったく無茶を」

 

 左腕を自ら引きちぎった鬼。その痛みに目を覚ました勇儀に初めてドレミーの表情が崩れ、汗が頬を伝った。

 

「小細工は終いかぁ!? 悪いがまだ付き合ってもらうぞ! 誰かさんのせいで虫の居所が悪いもんでなぁ!!」

 

 怒髪天と呼ぶに相応しい。滲み沸き立つ妖力が怒りを体現していた。一言叫ぶだけでビリビリと岩山が震えた。一歩歩みを進める毎に地を割るその姿は正しく古から続く恐怖の権化、鬼そのものだった。

 地に縫い付けられた様に動かないドレミーの前に立ちはだかった鬼は右腕を大きく引く。その拳はある一人を除き、全てを屠ってきた無敵の矛。一切の命を破壊する鬼の拳である。

 

「おらっ!!」

 

 その拳がドレミーに向けて放たれた。

 これまでにない程の轟音。だがしかし、目を見開いたのは鬼の方だった。

 

「眠らせて終わりなんて、そんなつまらない。私の仕事は貴方の意識をほんの一瞬だけ奪う事で、ここから先は彼に任せます」

「お前はっ」

 

 勇儀の拳を止めた人影。彼こそ唯一今まで勇儀の拳を止めたことのある存在。人間にして妖怪から恐れられた異常にして頂上なる大英雄。

 

頼光(らいこう)!」

 

 酒呑童子を初めとする鬼を大江山にて退治した源頼光(みなもとのよりみつ)その人である。

 

「あくまで彼は貴方の記憶にある存在です。長い時を経て、貴方に美化され尽くした化け物退治のエキスパートです。貴方の眠ったその一瞬に貴方の中から取り出してみました」

 

「…こんなサプライズがあるとは思わなかったよ」

 

 怒りをから一転、驚きと喜びに打ち震える鬼は極めて獰猛な笑を見せた。常人からしたらその笑だけで失神してしまいかねない程の迫力だったが、ドレミーはそれを見てとても満足そうに表情を和らげた。

 

 

 

 

 

「あっはっはっ!! 楽しいなぁっ懐かしいなぁっおい!!」

「うわぁ凄い」

 

 高らかに笑う勇儀。それを遠く、手頃な岩場に腰掛けて足を組みつつ頼光と鬼の戦いを眺める獏が引き気味にこぼした。

 

「勇儀さんはともかく、彼も完全に化け物ですねぇ」

 

 勇儀の拳が振り抜かれる度に山が消え、地が割れる。その嵐の中、まるで舞でも踊るかのように飛び回る頼光。本気を出した鬼の四天王が一角と渡り歩く人間なんて何処の世界にいよう。あれもまた化け物には違いない、ドレミーはそう一人で納得した。

 一見すると互角に見えるその戦いだが、方や手負い、方や万全、全盛期である。おまけに勇儀は彼相手に黒星を上げた過去もある。如何にあれから勇儀が己を鍛えたと言っても圧され気味であるのは致し方ないことだろう。

 

「アッハッハ…んー、不味いか?」

 

 腕は落ち、胴も大きく袈裟に斬られ、流れ出る血は止まりそうもない。その姿は勇儀にかつて頼光に負けて無様に逃げることとなった自分を思い出させた。他の鬼たちは酒に毒を盛られたから退治されたのだと言い訳出来るだろうが勇儀はそうではななかった。

 実はあの場で勇儀だけはたまたま酒に口をつけていなかったのだ。だというのに勇儀は負けた。正真正銘ただの人間に負けたのだ。その悔しさは図りきれず、仲間に担がれて生き延びてしまったその情けなさは彼女にしか分からない。

 しかもその汚名を返上するより前に頼光は死んでしまった。人間に勝ち逃げされてしまったその無念は計り知れない。戦うことが生きがいで、勝つことがアイデンティティの鬼の悲しみは他でもない鬼にしか分からぬものだ。

 

 しかし、その無念を晴らすチャンスが遂に巡ってきたのだ。本人とは言わないが、それでも死してからしか出会えぬと諦めていた頼光と再び拳を交える機会を得たのだ。満身創痍の鬼であるが、たかが満身創痍であることは、たかが体が上手く動かぬことは諦める理由にならなかった。潔く負ける理由にならなかった。

 

「これで最後にするかぁ!」

 

 それは勇儀が死に損なったあの日に出しそびれた鬼の秘技。破壊を司る鬼の必ず殺す、必殺の力である。

 

「あれはっ」

 

 遠くからぼーっと眺めていたドレミーも立ち上がる。それほどに勇儀が拳に溜め込んでいるエネルギーは尋常ではないのだ。先までの戦闘が嘘のように静まり返り、勇儀の掠れた声もよく響いた。

 

「一つ」

 

 大気が怒り狂ったように唸る。

 鬼が踏み出す。それだけで地面が割れて火の柱が幾つも登った。あまりの力に勇儀自身の皮膚にもヒビが入っていた。

 

「二つ」

 

 それは怪力乱神。勇儀が誇る最大の力である。

 

 怪力乱神とは何か。物体を破壊する力? 生き物を殺す力? 山一つ無くすほどの力? はたまた海を割る力?

 

 全て否。怪力乱神とは世界を壊す力である。その力で壊された物は二度と元に戻らず、破壊されたという結果を未来永劫残し続ける。世界そのものに消えぬ爪痕を残す力こそ怪力乱神なのだ。

 

「不味いっ!」

 

 先ほど述べていた獏を殺す方法。それは現実世界で実際に殺すのともう一つ。獏が夢にある状態で夢ごと壊すという強引な方法がある。

 怪力乱神の壊す世界とは、今なら夢世界がそれに当たる。勇儀の力は頼光に向けられたものだが、同時に夢世界に向けられたものでもあるのだ。すなわちドレミーそのものに向けられた物であるのだ。

 

「三歩必殺」

 

 ドレミーが夢から逃げ出したのと勇儀が拳を放ったのはほぼ同時であった。

 

 

 

 〇

 

「あっはっはっは!! おら飲め飲め!! 飲んでないやつは飲みまくれぇっ!!」

 

 地底に響く鬼の声。いつも響いて聞き慣れているハズの地底住人も驚く様な大声に、無理やり連れてこられた土蜘蛛と橋姫は耳を塞ぎながら眉をひそめた。

 

「ちょっと! ヤマメ!!」

「あーっ!? 何!? 聞こえない!!」

「あいつなんであんな上機嫌なのよっ!?」

 

 騒音に負けじと大声を出すも全く聞き通らないので身振り手振りで一所懸命に尋ねる尋ねる橋姫に土蜘蛛も同じようにして答えた。

 

「なんか夢見が良かったらしいよ!!」

「はーっ!?」

 

 一人で喜んでろとでも言いたそうな目で勇儀を睨む橋姫。付き合わされている彼女達は不憫極まりないが、当の鬼はご覧の通り幸せらしい。

 どんな夢を見れたのかは本人にしか分からぬことである。

 

「あっはっはっは!! 今日は飲むぞーっ!!」

 

 

 

 〇

 

「ドレミー様っ! ドレミー様っ!」

「ん…ルーさん?」

 

 目を覚ました獏。もう一匹の獏が心配したように覗き込んで呼びかけてやっと目を開いた。

 

「良かった!本当に良かった!」

 

 意識を取り戻したドレミーに思わず抱きつくルー。そのきつく結ばれた瞼からは涙が滴っていた。

 

「大丈夫…大丈夫ですから」

 

 最初こそ驚いていたドレミー。自分の体からこぼれ出た大量の血を見て納得したのか、痛む傷口を抑えつつ、ルーを抱きとめた。

 

 

 

 〇

 

 危なかった。もう数秒でも退くのが遅れていたら、こんな傷では済まなかっただろう。左脇腹の三分の一程は消し飛んでいるし、左足も無くなっている。決して無事とは言えないけれど、ぎりぎり生きているのだから何の問題もない。それに、これは私のミスだ。

 本来なら頼光公を呼び出した時点で退いておけばよかったのだ。その時点で食事は済んでいたのだから。

 

 しかし、私は夢に残っていた。それは私が彼らの戦いに興味があったから。つまりは私の望みを叶えた結果がこれなのだ。だから私は後悔なんてしていないし、まして勇儀さんを恨んだりもしていない。人の夢に入り込むなんていうプライバシーを無視しまくった妖怪には相応の報いだろうとも思う。それに、体もほっときゃその内治るのだ。

 

 だから本当の本当に気になんてしていないのだが、気になるのはルーさんだ。私以上にショックが大きいらしく、あの日以来ブツブツと部屋に籠るようになってしまった。食事などは彼女が持ってきてくれるのでその時にだけ顔を合わせるのだが、何となく生気がない気もする。何か話しかけても大丈夫です、と言われるだけである。

 

 それだけショックを受ける理由も分かる気がする。自分で言うのもなんだが、私はルーさんから好かれているのだろう。それは性的なものではなく殆ど神に抱く様な信仰と言ってもいいものである。それは獏界での私の立ち位置と、私と初めて出会った時の衝撃がそうさせているのだと思う。私という存在を大きく見過ぎるが余り、その存在の傷を負った、もっと言うなら弱い部分を大きく見せつけられたのだ。信仰心、つまりは心の拠り所が揺らいでしまっているのだ。きっと私に対する態度も変わるはず。下手をすれば私に愛想を尽かす事だって十分に考えられる。こんな奴を私は慕っていたのか、と。

 

 実は私はそれでもいいと思っている。本来、私がルーさんをここに留めたのは私が言い伝えられているよう恐ろしい存在でないという事を理解してもらうため。勿論、話し相手ができて楽しかったというのもあるが、それが何よりのことなのだ。思わずとは言え、彼女にそれが伝わったのなら本望である。

 

 ただ、

 

「寂しくなりますね…」

 

 短い時間しか共に過ごせなかったのは残念であるが、これ以上彼女を無理やりに留めるのは彼女の尊厳をあまりに無視している。まだ分からぬが、もしルーさんが出ていくというのなら私は止めるつもりは無い。いつかまた会いたいとは思うけれどそれは神のみぞ知ることだろう。

 

 獏なんて現実世界じゃ脆いものなのだ。

 

 

 

 〇

 

 怖かった。

 

 ドレミー様が目を覚まさず、血を吐き、体が失われていくのが恐ろしかった。本当に死んでしまうのかと思い、泣くことしか出来ない自分を心の底から呪った。

 結果的に目を覚ましたから良かったでは済まない、一命を取り留めたらから万々歳ではない。私は愛する方がその命を危ぶんでいる時に無力だったのだ。それが情けなくて叶わない。

 

 日々邁進! なんて巫山戯ている場合ではない。私はドレミー様が次また同じことになった時に助けられるよう、そうした犯人をぶち殺せるように鍛えなければならない。一度救ってもらったこの命、次は私が救う番なのだ。いつまでも甘えたちゃんではいられないのだ。

 

 でも、今はドレミー様を助ける時。それを図り違えてはならない。私が救いたいと思うのは私の我が儘でしかないのだ。そんな私の願望をドレミー様に押し付けてはならない。今はもっと沢山の夢を掻き集め、もっと良質な夢を作らせなければならないのだ。

 

「ドレミー様がいればそれでいい」

 

 それ以外の物はいらない。



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14 見えねど覚えねど枯れぬ

 転生とはなんぞや。

 死なぬのではない。ただ、終わらぬのだ。終えることは容易だが、終われぬのだ。いつまで私は筆を取り続ければいいのだ。

 

「貴方が死んでもう何年なのかも忘れてしまった」

 

 桜の花弁が散り舞うここには他の墓石はない。ここにいるのは名前の掘られていない彼の墓石だけ。何処にあるのかも知らぬ、どうやってきたかも分からぬが孤独に佇む彼の元へ私が訪れるのだ。

 

「貴方が誰かも」

 

 幾度の転生を経て得たものは空っぽの体。私の肉体は転生のたびに新たなものへ変われども心は過去に置き去りにしたまま。心だけでなく、大事だった記憶もそうだ。転生するたび抜け落ちていく記憶。見たものは忘れないが、体が変わればそれも怪しくなる。前世の記憶はどうしても朧気になってしまう。それでも普通の記憶なら前の私が書き置いて、記録として補完できる。でもこの墓の記憶に関しては、私も記録にも残したくなくなかったのか、一切残されていなかった。残ったのはがらんどうの体に湧いてくる何にも形容し難い、胸を締め付ける様な思いだけ。愚かな私はきっとこれから先、ずっとこの思いを抱いたまま死んだように生きるのだ。

 

「来なきゃならない気がした」

 

 見舞いに刺した花束も、風に体を揺さぶって私を追い払っているようだ。この光景もきっと何度も見たんだろうな。覚えてないけれど。

 振り返った私を聞きなれない声が背後から呼び止めた。

 

「初めまして」

「っ! …妖怪ですね」

 

 少々驚きはしたが、なんのことは無い。突然現れる妖怪にも誰かさんのお陰で慣れっこだ。ただ、今は誰かさんではなく、見たこともない顔だった。

 

「察しが良くて助かるわ。そう、妖怪。獏のルー・ビジオン」

 

 獏…獏と言えば随分と昔に一度だけ見た限りだ。その獏も目の前の彼女ではなかった。

 

「その獏が一体何の用でしょうか」

 

 ほんの少しだけ足をさげる。ここは人里の内部には違いないが、妖怪と人間が二人きりなんてよっぽど特殊な場合を除いて有り得ない。幸いにも獏は夢の中でなければあまり力のある妖怪とは言えない。ならばこそ私の足でも逃げ切れるかもしれない。

 

「そんな構えなくていい。貴方に危害を加えるつもりは今のところ無いし」

 

 あくび混じりにそう告げる妖怪。なるほど確かに余りやる気は無さそうだが、油断はしない。そんな体勢からでも人を襲うのが妖怪なのだ。

 

「…まぁ、いいや。私はただ貴方のモヤモヤを取ってあげようってだけなの」

「…」

「思い出せないんでしょ? これの主の記憶が取り出せないんでしょう? 手を貸してあげようってだけ」

 

 そう言って彼の墓石に手を乗せる獏。大して意味のある仕草でも無いのに何故だか無償に腹が立った。

 

「その手をどけて下さい」

「…失礼」

 

 獏は両手を上げて触ってないことをアピール。どこか不満顔なのは私の態度に棘が出たからだろう。そりゃそうだ。手を貸してやる、と言って、触るな、で返されれば気分は良くない。しかし、私としても彼女は油断ならない存在なのだ。つまり、何故見ず知らずの獏が私に組み居ろうとするのかが分からない。

 

「すみません。…でもどうして?」

「どうしてって…そりゃ貴方のそれを貰わないとここに来た意味が無いもの」

 

 獏は私を指差し、何を言ってるんだと言わんばかりに笑った。

 

「それ?」

「悪夢」

「何の話ですか」

「あーそっからね」

 

 獏は面倒臭そうに頭をかいてから私に歩み寄り、語り始めた。

 

 

 

「つまり、ここが夢で私は思い出せない記憶にもどかしさを感じるという悪夢を見ていると」

「そ、私がその記憶を思い出させてあげる。貴方は晴々、私はご飯にありつけて満足。素晴らしいでしょ?」

 

 確かに転生で溢れた記憶を拾うのはこんな時ではないと無理かもしれない。またとないチャンスなのかもしれない。

 

「お断りします」

「あ?」

 

 だが、私にはそれを知るだけの覚悟が無い。怖いのだ。人よりも長くこの世を見てきているのだからそれなりの経験はしてきたつもりだ。肝だってその辺の人間とは比べ物にならない程座っていると自負している。

 そんな私が敢えてしなかった記憶、そして墓。これだけでチープな物語が幾つ書けるか分かったものではない。そして、そのどれもがハッピーエンドでは終わらないことなど目に見えている。

 

「思い出す必要はありません」

「…そんな不完全燃焼のまま毎夜毎夜悪夢をさまよっても? また同じような夢を見て、また同じように悶々と渦巻いて、喉に残るしこりをそのままにするの?」

 

「思い出す事が必ずしも幸せになる事にはなりません。触らぬ神に祟なし、とはよく言ったものです」

 

 敢えて封じた扉をわざわざ開け放つことは無い。私は私のまま何かを背負ったまま次の私に移り変わる。

 

「グダグダ五月蝿いな…。いいから寄越せっつってんの」

 

 彼女の発する雰囲気がガラリと変わった。

 私としたことが失念していた。ここが夢であろうが何であろうが目の前の彼女は妖怪なのだ。如何に物腰柔らかだろうが、如何に話す余地があるように思えようが彼女は獏なのだ。ここにおいて彼女は捕食者であり、私は被捕食者に過ぎない。それを私は目の前で妖気を沸き立たせる彼女に思い出させられた。

 どろりとした嫌な汗が頬を伝う。

 

「理解してないようだから教えてあげる。あんたに選択肢は無いの。馬鹿みたいに頭空っぽにして頷いときゃいいの」

 

 彼女の足元から立ち上る濃紫の霧。それは指を伸ばすように徐々に私の足にせまり、やがて私の体を登り始めた。

 

「ここに私が来た時点で人間に選択権はない。質のいい悪夢を作る機械になりゃいいのよ」

 

 声をあげる間もなく、その霧は私の視界を塗りつぶしていった。

 

「ドレミー様の為にね」

 

 そんな声を最後に私の意識は遠のいていった。

 

 

 

 〇

 

「…」

 

 春。小川の畔で眠りこけていた彼女は頬に当たる桜の花弁に目を覚ました。初めての転生を経て体の調子が安定しないのかこうして度々眠りに落ちてしまうことがよくあったが、いくら何でも外で眠るのは良くないと、彼女は寝ぼけた頬を両手でピシャリと叩いた。

 日はまだ高く、向こうの畔で子供たちが遊び回る声が聞こえた。小さな子供たちの姿に彼女は自分がとても老いた様に感じた。まだ幼さすら残るその見た目、されど実際に生きた年月は見た目にそぐわぬ長さに違いないのだ。

 

「帰ろうかな」

 

 これから続く何十年、何百年という時間を想像すると寂しくなるというよりも気が遠くなる。いるのかは分からないけれど、不死者とはまた味の違った体験をすることになるだろう。転生とはそういうものだ。

 立ち上がった私の背中に子供たちの笑い声がいつまでも木霊していた。

 

 

 

 

「寒い…」

 

 この体に移ってもう十余年。次第に弱っていく肉体に嫌気がさす。廂の隙間からチラチラと視線を横切る白い礫に嫌気がさす。

 冬は嫌いだ。雪が降って喜ぶのは十までの子供だけ。大人たちは生き死にのかかった戦いを雪と繰り広げなければならないのだ。それに、積もらなかったら積もらなかったで寒いばかりでなんの良さもありはしない。だから私は冬が嫌いだ。

 筆を持つ指先がほんのりと赤らんで少し痛む。悴んだ指先も、鼻先も、耳も、何もかも面倒で仕方ない。早く春が来てくれればいいのにと思う。

 春は好きだ。笑いかけるような日差しも、歌うような鳥達のさえずりも全てが愛おしい。何より着物を着込む必要も無くなる。ああ、あの麗らかな日差しがずっと続いてくれたらいいのに。

 

「ああ…寒い」

 

 語彙も貧弱になる冬。部屋の掛け軸の中で走り回る狐がこちらへ嫌味を垂れているように思えた。

 

 

 

 

「……」

 

 遂に体を持ち上げることすら叶わなくなった。私がこの体で何年生きたかはあまり覚えていない。ただ、ひたすらに思い出されるのが冬の景色ばかりであるのは今まさに雪がしんしんと降り積もっているからであろうか。神様も随分な嫌がらせをしてくれる。没する頃が忌む頃なんていい迷惑だ。

 侍女が掛けてくれた布団が重い。暖かさよりも重さと汗の滲みが酷く煩わしい。ああ、目眩がする。

 

 叶うなら次は春に生まれ、春に散りたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

「へっクシ!」

 

 春は嫌いだ。以前の病弱な女の体から一転、それなりに長身の男体に生まれた。前の私が大層嫌っていたらしい寒暖にはとても強くなったと思うけれど、問題はこの鼻。この忙しい鼻が最悪だ。いっそ切り取って丸ごとすすいでしまいたいと何度思ったか分からない。

 春は嫌いだ。命の芽吹く、なんて言えば聞こえはいいが、花たちの芽吹きは私の鼻の死を意味する。鳥達のさえずりはそんな私の無様を笑っているようじゃあないか。暖かな日差しも、花の絢爛さも、鼻の剣呑さには敵わない。

 

「ズズ…あー…」

 

 袖で拭った不快感がいつまでも拭えないのも最悪だ。

 

 

 

 

 

「おや?」

 

 体を移すごとに人里の中を見て回る。それは私の顔を覚えてもらうというのもあるし、百余年という月日で変わってしまった人里の様子を把握する為でもある。一度見たものは忘れないと自負しているが、如何せん前世の記憶は曖昧だ。なんせ人が変わっているのだから。

 そんな私が以前よりも広くなった人里を徘徊して見つけた一本道。大路地から離れ、農民たちの住まいの脇を縫うように進んだその先に草むらどもがその先を通せんぼしていた獣道を見つけた。そんなに新しい道には見えないが、私の記憶にも残っていない。ずくずくと好奇心の湧いてきた私は日の高さをチラと確認し、まだ猶予があることを見てから草むらを掻き分けた。

 

 

 

 

「ふぇっくし!」

 

 止めておけば良かったかもしれない。進めど進めど終わりが見えぬのだ。いっそ道が切れて仕舞えば諦めも付くというのに、こいつときたら切れるか切れないかという微妙な所で続いていやがる。私も退くに退けなくなって進むしかなくなっている。

 オマケに進むほどに花花が沢山見えてきて、それに伴って私のポンコツ鼻も忙しくなってきているのだ。くしゃみをする度に思う、もう帰ろうかなと。

 

 しかし、私は不思議と歩みを止めなかった。中途半端に景色が変わるものだから期待していたというのもあるかもしれないが、不思議と私にはこの先に何かが待っているという確証を持っていたのだ。ふと見上げた木漏れ日、風になびく草木、幹にしがみついた昆虫。その一瞬一瞬に私は積もった土砂の中から引っ張り出される様な気持ちになった。

 

「ふっくし!」

 

 でもやっぱり帰ろうかな。

 

 

 

 

 獣道に誘われてもうどれくらいか。あまり日も見えないものだからその時間すらよく分かっていないが、足が草臥れる位には進んだ筈だ。いよいよ嫌気が指してきた私はあと十歩進んで引き返そうと心に決めた。十歩では変わるものも変わらないと思うが、中途半端に期待していた私の女々しさの現れであろう。

 

 二歩、風が私の裾を揺らした。

 

 四歩、爪先の石が転がっていった。

 

 六歩、向かい風が強くなり、思わずクシャミをした。

 

 八歩、桜の花びらが私の頬に付いた。

 

 十歩、終わりが見えた。

 

 引き返すと言っていた私はそんな決まり事も無視し、開けた野原に走り出た。

 それはそれは美しい所であった。あれだけ鬱陶しいと恨み言を言っていた花たちの美しさに目を奪われ、私だけがこの世から切り離されたような錯覚を抱いた。本当にあの世に逝ってしまったのかと頬を抓るくらいだった。しばらく魅了されていた私は空を見上げ、太陽が以前として高い位置にあることに内心驚きつつも胸をなで下ろした。低くなっていたのなら早く戻らねばならないだろうから。

 私はその美しい野原を歩き、その中心あるものを見つけた。それは群生する名も無き花たちに身を隠すようにして立っていた。

 

「墓? 何だってこんな所に」

 

 それは墓石だった。名前は掘られていなかったので誰のものかは分からないが、一つだけ思ったことはこの墓に眠る人を心底羨ましいと思った。この人里、大体は集合墓地に埋葬されるか妖怪の餌になるかの二択が人の末路である。後者は論外として、前者も私は好いていなかった。

 

 だってそうだろう? ある程度のスペースはあるとしてもどうして見ず知らずの連中と死後ずっと顔を合わせなければならないのか。そりゃもちろん、死んで墓に入ってもそこに魂は無いとする人もいるだろうが、生憎と私の死生観はそうではない。実際に私などは魂としてどこぞの体に引き継がれるのだ。その間は墓にいるのだろうよ。そう考えると私は集合墓地に入りたくないと思っていた。

 だからこの墓の主が本当に羨ましかった。集合墓地に入らないばかりかこんなに美しい場所で一人眠りにつけるのだ。羨ましくない訳が無い。

 

「貴方はいいなぁ」

 

 なんとなしに手を合わせた後に私は言った。

 すると一層強い風が吹きすさび、私は思わず目を閉じた。その瞬間、耳元で小さな女童の声が聞こえた。

 

『春は美しいでしょう?』

 

 私が目を開けた時には風はやみ、声の主もいなかった。狐だの狸だのに化かされたような気持ちのまま、しかし何故か晴々とした心持ちで私はその場所を後にした。

 

 

 

 

「ふぇっくしゅん!」

 

 春は嫌いだ。あの墓に初めて行った日からもう何年か。転生の準備を全て終え、私は死ぬことを残すのみとなった。もうそろそろかなと思う今は春。相変わらず私の鼻は空気を読まずに元気がいい。大人しく死んでおれ。

 確かに、あの時は春の美しさを有難いと思ったが、いざまた春がやってくる度憂鬱になる。それも今年で最後だと我慢しようにも煩わしいのは変わらない。あの時のことを思い出し、私はお付きの人間に尋ねてみた。

 

「なぁ、私はどこで眠るのだ」

 

 まだ幼さすら見える坊は丁寧に指をつきながら答えた。

 

「それはそれは美しい所であります。春を感じるには絶好の場所かと」

 

 やはり幼い。私が春を求めていないことなど誰にでも分かるだろうに。でも、そうだな…悪くないと思った。それはあの時の光景が少しだけ掠めたからかもしれない。

 

「そうか」

 

 ありがとう。そう言うと坊は満足したように笑った。

 

 

 

 〇

 

「はい!終わり終わり!」

 

 獏が柏手をしつこく打つと共に阿求にまとわりついていた霧が晴れた。

 

「そうか…貴方は…いえ、貴方達は私だったのですね」

 

 阿求は一人呟いて深く頷く。そしてゆっくりゆっくりと墓に歩み寄り、柔らかく右手を乗せた。

 

「ここが私の死地。ここが私の眠る場所…」

 

 過去に見た景色を思い出すように風が靡き、阿求のスカートの端を少しだけ揺らした。ほんの少し乱れた髪を梳いて阿求は振り返る。

 

「ねえ、私がなんで怒ってるか分かる?」

 

 そこには獏が立っていた。不機嫌な表情を隠しもせずに立つ獏が。

 

「なーに寒い夢なんか見せてくれちゃってるわけ? 私が求めてるのは悪夢だって言ってるでしょうが。『ここが私の死地…』じゃないわよ。下らない茶番はいいから悪夢を寄越しなさいよ。こんな夢じゃドレミー様は満足しない! こんな夢じゃドレミー様の前に出せない!」

 

 ガリガリと頭を掻き毟りながら反狂乱に叫ぶルーに阿求は身を退いていく。

 

「夢を無理やり見せたのは貴方よ」

 

「ああ!? それはあんたが良くない記憶だと確信していたのを私が知っていたからでしょうが。こんな温い夢を期待してたんじゃない!」

 

 理不尽身勝手な怒りを見せる獏はその手に黒い霧を纏わせ始めた。

 

「やっぱり天然なんてろくなものがない! 私が作らないと…私が見せないと…。

 

 眠れ。お前の悪夢はこれからよ」

 そう呟いて跳ねた獏は阿求の目の前に。反応の遅れた阿求が思わず尻餅を付いたその時に阿求とルーの間に亀裂が走った。

 

「あっ! おい、待て!」

 

 それは夢の終わり。空が崩れていくその様子にルーも地団駄を踏むばかりであった。青い天板が幾つも降り注ぐ野原に獏の歯軋りと地を踏み付ける音が響く。

 

「な、何!?」

「…夢は終わり。運が良かったね。アンタの夢なんか二度と来ないわ。毒にも薬にもなりゃしない」

 

 次第に空間を埋め尽くしていくヒビに唖然とする阿求を置いてルーは身を翻し、背中を見せた。離れていこうとするルーに阿求は縋るように語りかけた。

 

「…ありがとうございました」

「不愉快。どうせここでの記憶なんて忘れてるわ」

「一度見たものは忘れられない性質でして」

 

 そう言った阿求を背に、ルーは舌打ちを一つ残して消えた。

 

 

 

 〇

 

「ごめんなさいドレミー様。今しばらくお待ち下さい。スグに用意するので」

 

 親指を噛みながらブツブツと呟くルーは第四槐安通路の最奥へ足を引きずりながら進んで消えていった。

 

 

 

「何だか嫌な予感がしますね」

 

 横になるドレミーが静かにこぼした。

 

 

 

 



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15 迷いの宵に良い酔い宵

 

 

 

 

 キーキーと蝙蝠の鳴き声が聞こえる深夜。伸びる影を辺りの暗闇に潜ませたまま汗をこぼし走る影が一つ。

 

「はあっはあっ」

 

 駆ける背は小さく、漏れる声は幼かった。それはこの時間にそぐわない歳の、この場所にそぐわない人間の少年だった。

 好奇心、冒険心、家出、肝試し…理由を考えようと思えば限りなく挙げられるだろう。しかし、今重要なのは理由ではなく結果である。彼がここにおいて、人里の外において、それも深夜にただならぬ空気を纏って走りこけているという結果が全てなのだ。つまるところ、彼は何の対策もしないままに外に出、そして幻想郷らしくも妖怪に追われているのだ。そして、一般的に言えば、一部特殊な例を除く人間が妖怪から逃げおおせるケースは非常に稀だ。余程間抜けな妖怪出ない限りはありえないことだろう。

 

「う…お、お母さんっ…お母さん!」

 

 いまだ成熟していない彼の口から漏れたのは人里の内にいるであろう母を呼ぶ声。縋りつくことも出来ない。彼の足だけが彼を生かす物なのだ。

 汗と共に彼の後方に飛んだ涙の粒は迫る宵闇にのまれて消えた。その暗い暗い闇の底で赤く目を光らせた妖怪が舌なめずりをした。

 

「あっはぁ…お母さんかぁ。可愛い盛りね。きっと身もプニプニで美味しいんだろうなぁ」

 

 わざとらしく、彼に聞こえる様に声を響かせた妖怪は恍惚とした表情を強くして追う速度を上げる。

 

「ほらほら、追いついちゃうわよ。怖い怖い妖怪に食べられちゃうわよ」

「おっお母さん! お母さん! 助けてよっ!!」

 

 耳元で囁かれた妖怪の声に、懸命に腕を振るった少年は足元の木の根に蹴躓き勢いよく転んでしまった。

 

「痛っ。……うううっお母さあぁぁぁん!」

「あーあー、泣いちゃった。お母さんには会えなかったね」

 

 擦りむいた肌に、少年はついに泣き出してしまう。そんな少年に近づいていく妖怪はうっとりと顔を赤らめていた。

 

「ちゃんと美味しく頂いてあげるね」

 

 そう言うと、少年の泣き声はふと止み、辺りには木々が擦れる夜の音だけが響き渡った。

 

 

 

 〇

 

 大満足!

 大満足。いや本当に。

 あんまり言いたい事ではないけれど、私の普段の食事ったら質素の極みなもので。

 

 一昨昨日、余りモノの骨っこ。

 一昨日、その辺の猪。

 昨日、蛙二匹。

 

 と、こんな感じなのだ。これがもう何ヶ月も続いていて、そろそろお腹も限界だった。猪だの蛙だのでは口慰みにはなっても、腹は膨らまない。やはり人間でないとお腹に来ないのだ。その人間さんにはもう長らくありつけていないし。それもこれも人里の守護者の教育が行き届いているせいか、霊夢の注意喚起が行き届いているせいか。なんにせよ、私のような野良妖怪には嬉しくないものだ。

 

 たまに訪れる筈の外来人たちは運悪く私の前には現れてくれないし。もう腹の虫が鳴りっぱなしで気分も最悪だった。

 

「むふーっ」

 

 だがそれも昨日までの話だ。今日ついに私は人間さんにありつけたのだ。しかも、驚くなかれ。なんと五人もである。こんなのほっぺが緩んでも仕方ない。どうして突然こんなに沢山の人間が出てきたのかはよく分からないけど、そんなのはどうでもいい。私の好みの子供が沢山手に入って私はもうお腹一杯なのだ。こんなに幸せを感じたのも久しぶりである。

 

「クンクン…はぁぁ。来たァ」

 

 そしてまた鼻に香る特徴的な甘い香り。

 

「子供だっ」

 

 今日はお腹が一杯だけれど、毎日毎日こんなに豪華な食事にありつけるわけがない。だから私は一杯に膨らんだお腹を擦りながら立ち上がる。備蓄はしっかりしないとまた飢えちゃうから。

 

 

 

「この辺だ」

 

 匂いを辿ること…少し変な言い方になったので注を入れると私は別に普段から匂いを嗅ぎ回っているわけではない。猟犬じゃあるまいしそんなの無理。ってのが普段の話。

 今日は余りに空腹状態が続いたからか鼻が妙に冴えるのだ。それか単にまだ見ぬ子供の匂いがキツイだけかもしれない。それならちょっと嫌だなぁ。

 

「んー…あっ!」

 

 なんてことを考えていれば、ようやく見つけた小さな背中。私の背丈も大概だが、人を食べるんだったらやはり子供に限る。なんせ肉が柔らかいのだ。大人、それも最近に限れば外からやって来る男は肉が硬くて噛み切るのが面倒だし、女は化粧品だの何だので単純に不味い。おまけに痩せ細ってて食いでがない。それに比べて子供は化粧の類も少ないし、肉付きも丁度いいし、柔らかいしで最高品質である。初めて子供を食べた時はそうなのか! と手を打ったのを今でも覚えている。

 

「さてさて、今は食べないけれど、美味しいといいなぁ」

 

 子供に聞こえぬ様に呟いて忍び寄る。

 

 恥ずかしながら普段の私の狩りの成功率は10%未満。特に昼間は最悪だ。獲物を見つけ、襲いかかる前に暗闇で視界を奪おうとするのだが、その度に私の周りが真っ暗になってしまい獲物を取り逃してしまう。多分、霊夢とかその辺に呪いをかけられてるに違いない。夜はそのまま暗いから私が暗闇を使うまでも無くそのまま襲う。この時は不思議と霊夢の呪いは発動しないのだ。きっと昼間にだけ発動する呪いなのだろう。

 

「グスッ…グスッ…」

 

 近付けば、子供が泣いているのが分かった。まあ、子供は泣くのが仕事みたいなものだから構いやしない。食べるまでの数分だけでも面倒を見る私のママスキルが上がって仕方ないけども。

 

「こんばんわ」

 

 優しい声で挨拶して上げると子供はピタリと泣き止むのをやめた。驚いているのだろう。こんな深夜、山奥に話しかける奴なんていないと思っていただろうから。

 

「迷子かしら?」

 

 やはり返事はない。知らない人には付いていかないを徹底されているんだろう。まあ、私が姿を見せたらきっとその気も失せるだろうけど。なんせ私もガキンチョみたいな見てくれだ。

 

「実はね、私も迷子なの」

 

 ここで私のこれからの予定をハッキリさせておく。まず、こうやって私も迷い込んだ子供で、安全だというイメージを植え付ける。そうしてお腹が空くまでは一緒に生活をしてやる。その中で私好みの肉になるように食べ物を選定し、太らせる。人間の絵本にあったような作戦だけど、とても的を得ているから即採用。

 こうすれば私はお腹が空くまで肉を保存する手間がかからないし、肉はより美味しく仕上がっていく。いいことばかりなのだから、ここは子供に取り入るのに全力である。

 

「向こうでね、休められそうな場所があったから一緒に行こ?」

 

 子供の肩をつつく。いい年こいて子供の真似をするのも恥ずかしいものだ。

 

「? …どうしたの?」

 

 子供は動かず、私を振り向きもしない。落ち着き過ぎでしょ。

 

「ねえねえ。聞こえでっ!?」

 

 肩を掴んで振り向かせると同時に私の下顎に衝撃が走り、勢いよく吹っ飛んでしまう。

 

「ったいなぁ。何すんのよ糞ガキ…っあ?」

 

 子供らしからぬ力強さに涙目になりながら、多分赤くなっているのであろう顎をさすりながら、顔を上げた所目の前にはここにいるはずのない人の姿。

 

「れ、霊夢!? どうして!?」

「……」

 

 さっきまで子供がいた場所には表情のない霊夢。右手に幣、左手に針を携えて本気モードもいい所である。それに子供が消えていた。

 

「霊夢、そこにいた子知らない?」

 

 にじり寄る霊夢に私は冷や汗をかきながら尋ねる。私はルールを違反してないし、霊夢に怒られる筋合いもないのだから怖がる必要も無いけれど、霊夢の真顔は誰だってビビると思う。閻魔がマジ切れしながら金棒を振り回しているのに近いイメージ。閻魔なんて見たことないけど。

 

「霊夢?」

「……」

 

 やはり返事をしないままゆっくり歩いてくる霊夢に嫌な予感がする。

 

「れ、霊うわ!?」

 

 近付いてきた霊夢はそのまま幣を振り下ろしてきた。ギリギリで飛び退いたはいいが、当たったら頭から真っ二つであったろう。

 

「何で!? 私、何も悪いことしてないよ!」

「……」

 

 聞いても霊夢は言葉を返さず、針を構える。こんなの逃げるしかない。きっと霊夢の機嫌が悪い日なのだ逃げよう。災害みたいなものだ。

 そう思い、私は全速力で飛ぶ。背後からついてくる気配は感じられない。やはり単に機嫌が悪い時に見つかっただけだろう。

 

 ――と、思ったのだけれど。

 

「げえ…」

 

 急ブレーキ。いつの間にか私の前には霊夢が、やはり同じように針と幣を持って待っていた。

 

「あの、霊夢? 私別に人里に入って襲った訳じゃないよ?」

「…」

 

 相変わらず会話はしてくれないらしい。もしかしたら私が気付いていないだけで、異変でも起こっているのだろうか。確かに、よく聞く話として霊夢は異変時には見かけた妖怪を片っ端から退治していくらしい。かく言う私も紅魔館がやって来た時には手酷くやられた。通り魔もいいところだ。

 

「何か異変? 私は何もしてないよ。だから退治しないでね」

「……」

「本当だよ」

「……」

 

 会話にならない。徐々に近付いてく霊夢にいよいよ恐怖。いつもは異変時であってももう少し話になるのだが、今日はそういう訳では無いらしい。なんだか昔の博麗の巫女みたいだ。

 となれば、やはり私の取る方法は一択。逃げである。

 

「もう! 今日はいい夜だと思ったのに!」

 

 今日はお腹いっぱいで、備えも出来て素晴らしい日になると思ってたのに。

 

 

 

 〇

 

「はあっはあっ…。何なのよ」

 

 そう言ってルーミアは傷口から滴る自分の血を拭う。息を整えるルーミアの背後から草をかき分ける音。それを聞きつけてルーミアはオーバーに首を振った。

 

「もう来たし。ああ、早く朝にならないかな」

 

 近付いてくる霊夢の気配にルーミアは飛び上がり、傷が塞がるのを待たずに逃げ出した。その足を捕まえた霊夢の細腕。霊夢はそのままルーミアを地面に叩き落とした。

 

「いったい! もうっ、早すぎ!」

 

 作った弾幕を牽制にばら撒きながら立ち上がろうとしたルーミアだったが、体が地面に縫い付けられた様に動かずつんのめった。

 

「げげっ、札ぁ!?」

 

 ルーミアを投げた着地点にビッシリと敷かれた霊夢の御札がバリバリと音をたてながらルーミアを縛っていたのだ。ルーミアが動け無いことを見た霊夢は周りに七色のどでかい光弾を浮かび上がらせる。

 

「ちょ、たんまたんま! それは死んじゃう死んじゃう!!」

 

 危機を察したルーミアが動かない手足で、涙を流しながら命乞いするも、霊夢は表情を見せることなくその光弾を放った。

 

 

 

 

 

「いやぁ、やっぱり悪夢は手作りに限るわ」

 

 彼女の足元、光弾の炸裂する光に笑みを深めた獏。ルーミアの悲鳴をBGMに星空を眺めるルーはクルクルと指を宙で舞わせて心底楽しそうである。

 

「いい夢を見てる奴を悪夢にたたき落とすと味も良くなるのね。いい事知ったわ」

 

 ふんふんと鼻歌交じりの彼女は静かになったルーミアをチラと見る。跡形もなく消されたルーミアに獏は更に笑みを深くした。

 

「本来なら、夢の中でこうやって死んだら大体は醒める。けれど貴方は中々出来がいいから夢は終わらせない」

 

 ルーが指をパチンと鳴らすと、先程までルーミアが縛られていた場所に傷一つないルーミアが現れる。

 

「あれ? 私…」

 

 困惑気味に立って惚けるルーミアだったが、目の前に霊夢がいることに気付き、大急ぎで逃げ出そうと回れ右。

 

「振り出しに戻るってとこかしら。まあ、戻ろうが何しようがアレが悪夢から醒めることはないんだけど」

 

 そうしてルーは座り直す。そうして目を閉じ、遠くでルーミアの悲鳴が聞こえる度に笑みを深くし、指を鳴らすのだった。

 

「中々いい悪夢作るじゃない」

 

 

 

 〇

 

「毎度おなじみ文々。新聞で御座います。霊夢さんどうぞ一部」

「いらないって言ってんでしょ」

「まあまあ、今日は面白いニュースもありますし」

 

 とある日の朝。境内の石畳を箒で掃く霊夢の元に烏天狗である射命丸文が舞い降りた。文は脇に抱えた新聞束から一部取り、霊夢の胸元に押し付けた。

 

「面白いニュース? 面白がってアンタが作ったニュースの間違いでしょ?」

「失敬な。私がニュースを作るなんてなんの根拠があっての発言ですか。読者の好奇心を煽るべく、刺激的な表現を選ぶことはありますが、全くすべて作り物の事件なんて作っても面白みがありません」

「だから面白くないって言ってんのよ」

 

 そう言いながら霊夢は新聞を広げた。目を走らせた霊夢は顔を上げて首をかしげる。

 

「いつも通りのゴシップばかりじゃない。一番面白そうなのは『寺子屋女教師、熱愛か!? 』 ってやつだけね」

「や、確かに慧音さんの熱愛記事は気になるでしょうがそれではなくてですね。ほら、その裏の記事の」

 

 文が指さしたのは一面の下部。どちらかと言えば小さな枠に収められた記事だった。

 

「ちっさい枠ね」

「まだまだ情報が少ないもので」

「なになに、『消える妖怪。神隠しか?』ってまた紫が何かしたの?」

 

 ため息をつきながら顔を上げた霊夢に文はニヤつきながら返す。

 

「どうでしょうね? 私の考えでは八雲紫の犯行ではありませんが」

「なんで?」

 

「意味が無いからです。八雲紫が外の人間を攫ってくるのは幻想郷にとって必要な事ですが、幻想郷の…しかも妖怪なんぞを攫ったところで彼女にも幻想郷にもメリットはありません」

 

「紫の行動が意味わからないのはいつも――」

 

 言いかけた霊夢の口に文が指を立てる。

 

「寧ろ! みだりに妖怪の数を減らすことは悪影響です」

 

 妖怪の数が減れば減るほど幻想郷は外界に近付いていく。かと言って増えすぎても食糧となる人間が足りない。幻想郷のバランスを取っているのは妖怪の数と人間の数なのだ。それを誰よりも理解している筈の紫が妖怪の数だけ一方的に減らすという事は考えづらいと、文は考えているのだ。

 

「まあ、確かに。なら誰よ?」

「さあ? 皆目見当がつきませんね。暫く様子見でしょう」

 

 肩を竦めた文に霊夢はガッカリしたようにため息をついた。

 

「なんだ。駄目じゃない」

「私は探偵でも警察でもありませんからね。ですが何か心当たりか、気になった事があればまたお聞かせください。それでは」

 

 一息にそういった文は返事を待たずに羽を開き、風のように空を駆けていった。

 

「まったく…。せっかく集めたゴミが散らばったじゃない」

 

 呟きながらまた箒を動かす霊夢は何かを思い出した様に不意に止まる。

 

「神隠しって最近どっかで聞いたような…まあいいか」

 

 喉元まで出かかった何かを呑み込み、呑気な巫女さんは掃き掃除に夢中になった。



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16 そうではない。

 

 

 

 

「やーやー、まさかサグメさんが来てくださるとは思いませんでした。お茶のお味は如何です?」

 

 コクリと頷く片翼さん。傷も八割型回復し、ようやく私が夢を食べに行こうとしてもルーさんに「私が行きますからドレミー様は安静になさって下さい」と止められ暇をしていた所、サグメさんが遊びに来てくれた。遊びと言ってもお見舞いらしいが。

 

「……傷は」

「ええ、もうほぼ完治です。お騒がせ致しました」

「そう」

 

 そう言いつつカップを傾けるサグメさん。何処からお聞きになったのかは知らないが、こうしてわざわざやって来てくれるのは本当に嬉しい限りだ。サグメさん攻略は順調に進んでいると言っても過言ではないだろう。

 

「攻略?」

「や、失敬。なんでもないです」

 

 またもや口に出ていたらしい。この悪癖も早く治さねば。考えていること全てを口に出していいことなどある筈もない。 サグメさんと同じである。

 

「……あの子は」

「あの子? ああ、ルーさんですか。最近は甲斐甲斐しく私のお世話をして頂いておりますよ。今日も夢を取りに行っています」

「そう」

 

 言葉だけ聞いていれば素っ気なく聞こえるサグメさんとの会話だが、実際に話していると中々どうして面白い。表情豊かとは言えないが、羽の動きとか視線の動き、ほんの些細な変化が豊かなお人なのだ。それに何より美人。私は別段面食いというわけではないものの、美人と会話出来たら気分がいいのは誰だってそうだろう。

 本当はサグメさんともっとガールズトークに興じたいのだが、サグメさんの口の紐は中々緩まない。

 

 ここ、第四槐安通路は夢世界を土台にした地上と月を結ぶ特殊な通路である。ややこしい話は置いといて、要するにここは夢の中なのだ。夢の中と言えど、サグメさんやいつぞやの霊夢さんたちのように生身でここに来ることも出来る。夢世界でありながらかなり特殊な構造の夢通路が第四槐安通路なのだ。

 さて、そんなわけで何故この話をしたかと言うと、サグメさんの能力である。曰く、「口に出すと事態を逆転させる程度の能力」これが厄介で、発言と逆のことが起きる能力ではなく、起こるはずの運命を逆転させる…みたいなものらしい。サグメさんに運命を見通す力がない以上、逆転させる時には全てが博打になる。それに一口に逆と言っても何を表とし、何を裏とするかもよく分からない場合はもうお手上げ。そんなこんなでサグメさんは私以上に口が災いの元になるお方なのだ。きっと普段の生活でも相当の不便を強いられているに違いない。

 

 私なら退屈で死んでしまうだろう。SでもMでもとは言ったが、発言を縛られても嬉しくない。ドレちゃんは黙ると死ぬ獏なのだ。

 

 私の話はさておき、サグメさん。彼女の能力が故の発言の面倒さだが、第四槐安通路ならばなんの問題もない。少し誇張があるので正すならば、夢世界であるならば現実ほど問題にならない。現実と夢は文字通り世界が違う。現実での何かが夢を左右するのは個人の夢に限られるし、夢で起こったことが現実に影響を与えることなど有り得ない。

 (わたし)に言わせれば一富士だの二鷹だの、縁起がいいともてはやされているのは随分と適当な物言いだ。なんなら今ここで作ってあげよう。

 

「…ドレミー、 何してるの?」

「いや、考え事をしてまして。…鷹、要ります?」

「……いる」

「どうぞ」

 

 まさか、いると答えられると思わなかった。サグメさんに鷹の人形を渡して話を戻す。ともかく、夢世界と現実世界は基本的にそういう意味では相互不干渉の世界である。だから例えば、サグメさんが現実世界の何かに関して発言する分には全く心配いらないのだ。残念ながら夢世界では現実の運命は同期されていないのだから。

 サグメさんが夢世界でも注意しなければならないだろう事は、サグメさん自身のこと、私のこと、ルーさんのこと、要するに夢世界においても定義付けが可能な存在についての発言である。こう考えるとサグメさんの事をサグメさん自身から聞くのは中々に難易度が高いだろう。だが、私はそれでいいとも思っている。

 

「……チュンチュン」

 

 今、私の目の前で鷹の人形で遊ぶ彼女は、見てわかる通りに感情豊かだ。見ていて飽きないし、じっと見る口実になるし。

 

「……何?」

「や、何してるんです?」

「…今、ピーちゃんが恋人を攫われたところ」

「ハードモードですね。ピーちゃん」

「うん」

 

 鷹の人形で遊ぶサグメさん。こういう所が私は大好きなのだ。

 

「因みにですがサグメさん、鷹はチュンチュンとは鳴かないと思います」

 

「…………く、クルックー」

「それも違います」

 

「……………………」

 

 本当に可愛いお人だ。

 

 

 

 

 

「ただいま帰りました」

「お帰りなさい」

 

 サグメさんと鷹の人形で遊ぶことしばらく。分かりやすい様に時間を説明すると、サグメさんの愛鳥のピーちゃんが無事に恋人を連れ戻し、二羽で逃げようとした所に新手の組織がやって来て、またもや恋人を連れ去られてしまう。ピーちゃんはそこから血のにじむ様な修行を経て敵組織に乗り込み、無事に恋人を奪還するという涙無しには語れない重厚なアクションストーリー。これを三巡くらいした所でルーさんが帰ってきた。因みに私は敵組織役の鷹を一挙に担当してた。

 

「ドレミー様、何してるんです?」

「え? ああ、これは今しがたサグメさっ!?」

 

 そう言いかけた瞬間私の太ももに電流が走る! チラと見ればサグメさんはいつの間にか遊んでいた人形を後ろ手に私の太股を抓っていた。何事かと顔を覗きみれば、恥ずかしそうに赤らめた顔を小刻みに振っていたのでそういう事なのだろう。

 

「ええと、私がサグメさんに鷹の魅力について語っていた所なんですよ」

 

 そう言って鷹の人形を弄ぶ。ルーさんは納得していなさそうに頷き、サグメさんの方へ向き直った。

 

「サグメ様、いらしてたんですね。…折角来て頂いた所恐縮ですがドレミー様は未だ療養中ですので、あまり無理をするわけにはいきません」

 

 ほとんど治っているし、暇を潰して貰った身としては大丈夫と言いたいところだが、私の世話を焼いてくれているのはルーさんだ。ここは黙るとしよう。

 

「…元気そうで何より」

「もう少しで完全に回復するそうなので――」

「ドレミーがじゃない。…貴方が」

 

 おおっとサグメさんのジゴロ発動ですね。っと、これでは私がドラマでも眺めるおばさんになってしまう。よく考えたらこの二人だけで会話してるのを見るのは初かもしれない。よく見ておくとしよう。

 

「――ええ、お陰様で」

「…随分、生活も慣れたみたい」

 

「…何か、仰りたいことが?」

「…何も?」

「そうですか」

 

「……」

「……」

 

 おっもい。何であんな素晴らしいスタートダッシュを切った会話がこんなヘドロのように重い空気になるんでしょう。会話も電光石火で終わったし。サグメさんは元々多くを語る人では無いからいいとして、ルーさんは私といる時とキャラが違い過ぎて戸惑う。き、きっとまだお互い慣れていないからでしょう。まだまともに話したこともないだろうから。

 

「そうだ、これを機にルーさんとサグメさんで一つ、お茶――」

「ドレミー様。サグメ様はお忙しいらしく、もうお帰りになられるそうです」

「え?」

「…帰る」

「え?」

 

 何が何だか分からない。私と遊んでいた頃の愛らしいサグメ様は何処へやら。剣呑とした空気のままお開きとなってしまった。せめて玄関まで、と思って席を立つもルーさんに「お疲れになったでしょうから少しお休み下さいませ」と背中を押されてベッド・イン。ドレちゃんこれでは介護される老人ではないか。

 

 

 

 〇

 

「これはサグメ様の物ですね。どうぞお持ち帰り下さい」

 

 そう言ってルーはソファーの上に放置されていた計12羽に及ぶ鷹の人形をサグメに渡した。

 

「…この悪の組織の鷹は――」

「悪の組織なんて知りません」

「………」

 

 弁解しようとした台詞は強引にルーに止められてしまいサグメは少し頬を膨らませた。

 

「ドレミー様が弱っているのを嗅ぎつけて、恩でも売りに来ましたか」

「……」

 

 ドレミーが同席していた時から更に態度を変えたルーにサグメはただ押し黙るばかり。

 

「残念ながらもう手は間に合っております。ドレミー様は私がお守りしておりますのでどうぞご安心を」

「……」

 

 それを聞いたサグメは何も言わずただ一度だけ小さく頭を下げ、振り返りその場を後にしようとした。ゆっくりと離れていくサグメの背中にルーが小さく語りかける。それは語りかけと言うより、独り言に近いものだったかもしれない。

 

「ドレミー様の寵愛を頂くのは私だけです」

 

 投げられた言葉に、僅かにサグメは立ち止まった。しかし、何かを言うわけでもなく振り向きもせず、やがてまた歩き出した。しばらく歩いた所で、胸いっぱいに抱き抱えた人形の山の一羽が落ち、足を止めた。

 

「……ホーホケキョッ」

 

 そうではない。

 

 

 

 〇

 

「あ〜暑い。霊夢さん、エアコンとかないんですか?」

「エアコンて何よ。新しい妖怪? なんでもいいけど余計に暑くなるから暑いって言わないで」

 

 博麗神社にてうなだれて畳に大の字になり、大胆にボタンを上から開け放った女子高生、宇佐見菫子。貰った団扇を扇ぎながら汗を滴らせていた。

 

「こんなことなら来なきゃ良かった」

「帰りなさい帰りなさい。人が多いと暑いから」

「そんなこと言われても…行き方も帰り方もよく知らないですし」

 

 現実で眠ることで幻想郷にやって来る菫子。夢魂なるものもそうだが、その移動は未だに本人もあまり良く理解していない。

 

「帰り方って寝りゃいいんでしょ。ほら、夢を通って――」

 

 そう、菫子は眠ることで夢を見る。その際に夢を通して博麗大結界をくぐり抜けているのだ。

 

「夢ねぇ…この暑さじゃ眠れもしませんけど」

「紫あたりに催眠術でもかけてもらえば?」

「結構です。って紫さんと言えば『神隠し』の件はどうなりました?」

 

 はたと思い出したように菫子は勢いよく起き上がり尋ねた。

 

「あー、そうだ。そんな話してたわね」

 

 同じように横になっていた霊夢もゆったり体を持ち上げ、壁際に積まれた新聞の山から一部抜き出した。

 

「はいこれ」

 

「何ですかこれ、新聞?」

「それの裏の端っこ」

「裏…」

 

 そう言いつつ新聞を捲った菫子の目に止まったのは神隠しの文字であった。

 

「妖怪の神隠し…」

「それ、結構前の新聞だけど関係ありそう?」

「うーん、これだけでは何とも」

 

 首を傾げる眼鏡っ子に霊夢は退屈そうに欠伸を漏らした。

 

「そう言えば、紫さんは私の通った通路を誰かが使ってるって言ってましたよね」

「んーそうだった? そう言われたら確かにそんな気もするわ」

「あの時は通路って何のことかさっぱりでしたけど、夢の事じゃないです?」

 

「通路が?」

 

 霊夢は菫子から受け取った新聞を畳みながら聞き返す。

 

「多分。夢を使ったら私みたいに行き来が簡単に出来るから、それを利用してるんですよきっと」

 

 一人うんうんと満足そうに頷く菫子に端から声が上がる。

 

「夢を使うってアンタ簡単に言うけどね、フツーの人は夢なんて自由に行き来できるもんじゃないわよ」

 

 眠ることで夢を見ることは容易い。しかし、夢を使って結界を超えるとなれば話は違う。それはたとえ霊夢であれ簡単に出来ることではないだろう。

 

「…たしかに。なら私はどうして出来るんでしょう?」

「アンタは何度かオカルトボールを使って越えてるから。分からないけど癖でもついたんじゃない?」

「そんなギックリ腰みたいな…」

 

 結界を見張っている筈の巫女さんでもこんな感じなのだから案外博麗大結界も緩いものなのかもしれない。

 

「アンタみたいに自由に行き来出来るとしたら紫とかみたいに変わったヤツか…」

「か?」

 

「確か、ドレミーとかいう妖怪が夢に入り浸ってたハズだからそいつも多分出来るかもね」

「ドレミー…変わった名前の妖怪ですね」

「ドレミーって名前なだけで妖怪で言うなら獏ね」

 

 それは以前、月の異変の際霊夢たちが出会った夢の管理者。その身で乗り込んできた霊夢たちに対して「生身!? もしかして生身!?」とユニークな反応を見せた妖怪である。

 

「獏は夢を食べに来るらしいから多分、眠っときゃその内会えるわよ」

「そうですか? それならぐっすり眠って待つとしますか。 おやすみなさーい」

「…獏云々が無くても関係なく寝るくせに」

 

 やはり服をはだけさせたまま、またも大の字に寝転がる菫子に小言をもって返す霊夢であった。

 

 



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17 驚き、夢の木、太陽の木

 

 

 

 

 私、凄く困ってます。

 私、鍛冶とかベビーシッターとかしてて最近では人里の色んな人に覚えてもらったりして凄く嬉しいんですけど、本業というか私のご飯が問題なのです。

 

「よーっし行くぞー…」

 

 ご飯って言っても、人みたいにお米とかお野菜とかお肉とかを食べるわけじゃなくて、人の驚きを食べるのです。だから、お腹を満たそうと思ったら人を驚かせないといけないんですけど……

 

「ばあっ!」

「あら、小傘ちゃん。こんにちわ」

 

「あ、こんにちわ」

「これ、この前家の子みてくれたからお礼に」

 

「あ、わざわざどうも」

「それじゃあ、またよろしくね」

 

「あ、はい」

 

 こんな感じなのです。

 

 

 

 

 

 空腹に喘ぐ中、賢くはないけど私は一生懸命考えた。それで思ったのは驚かし方が古いのかもしれない。無縁塚で拾った外の世界の本には大体、流行とか先取りとかそういう事ばかり書いてあったから、やっぱりいつまでも同じやり方でやっていても飽きられるのだ。古臭い傘かもしれないけれど、せめて驚かし方くらいは新しいものにりにゅーあるしないとこのご時世、生き残れないのだ!

 と言っても驚かし方なんてそう思いつかない。だからとあるかっ…からくりが好きな妖怪に相談してみたら秘密道具を貸してあげるとこれを手渡された。

 

 片手で持てるサイズのこれは一見、ただの黒い箱。けど、にと…とある河童によると先を肌に押し当てるとバチッとするらしい。らしいというか実際にやってみたから分かってるけれど。

 バチッとして驚いたけど、怪我とかするようなものじゃなくて静電気みたいな感じだから安心である。これなら間違いなく驚いてくれる筈なのでれっつとらい。

 

 

 

 まず気配をけして後ろから近付く。そして首筋に押し当てるだけ。

 目標は前方を歩くおじさま。せーのっ

 

「痛っ。ん? 小傘ちゃんかいな。そないにけったいなもん持ってどうした?」

「え、ああ、えと…そのえへへ、驚きました?」

 

「何がいや?」

「いや、何でもないです。それではさよーならー」

 

 

 

 …全然驚いてくれなかった。多分、電気?が弱すぎて本当に静電気だと思われたのだ。ここでにとりを馬鹿にしてはいけない。にとりはキチンと火力あっぷぱーじょんを用意しているのだ。まあ一段階しかないけど。というわけで火力あっぷ! これで効かないようなら苦情ものである。

 

 次なる標的は前方で日傘をさしてらっしゃる女性。顔は見えないけれどその整えられた身形から恐らく瀟洒な感じのご婦人であるだろうと大予想。そういった方ならガテン系のおっちゃんよりはビックリしやすそうな気もするから彼女に的を絞ったのだ。

 経緯はさておき、それでは構えて

 

「せーの"ぉっ!?」

 

 緊急警報! 緊急警報!

 

 どうか驚かないで聞いてほしい。私が今まさに驚かせようとしている方、目の前まで気付いて、鼻に届いた花の香りで初めて気付いた。あの、花妖怪である。何かと良くない噂をよく聞くあの花妖怪である。そして何より重大なのは私がやろうとしていることはある意味で攻撃みたいなものだということ。そして彼女に攻撃するということが何を意味するかなど言わなくても分かるだろう。

 

「ああああっ止まってー!!」

 

 全体重をかけて走り出した私の足は止まらず、腕を引こうとした時にはもう箱は着弾間近。その刹那の合間に私が巡らしたのは、せめて大したことないバチッでありますように。という思いだけ。ここに来てにとりの作りが甘いことを願うばかりだった。

 

 3、2、1…

 

 

 

 ドガァンっ!!

 

 

 

 私の願いと裏腹に、麗らかな昼の人里に響いたのはバチッとかいう生易しいものではなく、落雷と聞き紛う程の爆音。そして発生した電気は瞬く間に花妖怪を包み込み、怒り狂ったように空気を震えさせた。

 

「は、はわわわわわわ…」

 

 すっかり怖気付いた私は犯人の箱を投げ出して後ろに転けてしまう。私が悪いんじゃない。あの箱が悪いの。にとりが悪いの。

 

 

 

 大体十秒ほど続いた放電の後に佇む花妖怪。ちらと頭の隅で気絶とかしてくれてたらいいなとか思ってたけど、あの花妖怪にこんなおもちゃが効くわけもなく。

 

「へぇ…後ろから近付いて来てるから何かと思ったら貴方だったのね」

「あ…あ、あ……あああ」

 

 ゆらりと振り返った彼女は笑顔だった。気狂いの快楽殺人者が人を殺した後みたいな綺麗な笑顔だった。

 

「小傘ちゃんはイタズラっこね。怒ってないから安心して?」

「あ、…あああ………」

 

 嘘だ。極々稀に酒の席なんかで花妖怪に名前を呼ばれる時は小傘ちゃんなんて呼ばれない。傘とか付喪神とか呼ばれるのだ。こんな時に限って小傘ちゃんなんて、ちゃん付けなんて…。

 

「に、にと…、にとりが! にとりがっ!」

「ごめんなさい。さっきので耳を壊したみたい。何も聞こえないわ」

 

 嘘だ。絶対嘘だ。だってだって、あんなのでダメージを負うような妖怪じゃないもん。

 

「話すのも久々だし、そうね少しお茶しましょう? 私の家で」

「あ、あああ…はわわわわわ」

 

 私の妖怪人生はここまでの様だ。私に手を伸ばす花妖怪を見て確信した。死んで霊になれるのならまず始めにやりたいことがある。にとりを呪う。

 

 

 

 〇

 

 ブイ!

 としてみても反応してくれる人もいないけど構うものか。ドレちゃんは久々のお食事にテンションアゲアゲなのだ。

 

 さて、そんなわけで記念すべきドレちゃん復帰一回目の悪夢はとある付喪神のお客様。彼女は忘れられた傘の化身であり、俗に言う唐傘お化けというヤツで、なんでも驚かすことでお腹を満たすらしい。私が言うのも変な話だが、世の中には変わったものを食べる人が多いものだ。

 と、そんな感傷に浸っていると小傘さんが某花妖怪さんに連れていかれそうになっているではありませんか。小傘さんなんかもうずっと目に涙を溜めてらっしゃる様なのでそろそろ食べちゃいましょう。

 

「んんっこれこれ。やはり自分で食べる夢は違いますねぇ」

 

 幸いにも怪我が治るまで私を介護してくれていたルーさんから夢を頂いていたので飢えることは無かった。ルーさんがやって来るまではちょっとした腹痛でも人肌恋しく思っていたのが嘘のようであるが、それはそれこれはこれ。やはり自分で汗水垂らして働いて稼いだお金で作るご飯の方が美味しい様に、自分で動いた方が味の格が上がる気がする。まぁ、働いて稼いだことなんてないけども。

 

「ぁぁ……おしまいだよぉ………。にとりめ…ぅぅ」

 

 背後から聞こえてくる啜り泣きに振り返るとうずくまって頭を抱えている小傘さんが目に入る。どうやら恐怖のあまり、目を瞑っているせいで助かったことが分かっていないようである。

 

「もしもーし、こんばんは。小傘さーん?」

「ひぅっ!?」

 

 震える肩に手を置いて呼びかけると、私の手を跳ね除けんばかりに跳ね上がった。私は驚きを食べたりしないんだけどな。

 

「だっ、だっ…」

「だ?」

 

「誰!?」

 

 鉄板ネタを振るがごとくのナイスパス。やはり復帰一発目だからキチンとやらねば気が済まない。

 

「よくぞ聞いてくれました! 私、幻想郷に住まい、皆々様の悪夢を頂いております獏のドレミー・スイートと申します。気軽にドレちゃんとお呼び下さいませ。是非!」

 

「えっ? えっ…? へ?」

 

 ついついテンションが上がっちゃって早口になってしまい、クルクルと目を回す可愛らしい小傘さん。早口もあるだろうが、何より状況整理が追いついていないだろうからそこから始めるとしよう。

 

 それにしても、世の中には便利な言葉があるものだ。

 かくかくしかじか。

 

 

 

「それじゃあもう幽香さんはいないんですか!? やったー!!」

 

 ここが夢の世界で私がもう処理し終わったと分かり、すっかり元気になった小傘さん。両手を上げて喜んでくれている所を見ると私としても嬉しい気持ちで、少しくすぐったい。素直な気持ちというのが一番見ていて心にクる。

 

「もう幽香さんにイタズラした時には生きた心地がしなかったよぉ…」

 

 実は私、今話題の幽香さんにもお会いしたことがある。勿論、夢の中での話なので彼女が覚えているかは定かではないが。彼女を知っている私からすれば案外、実際でもイタズラ程度ならそんなに怒られないと思う。今回のアレがイタズラレベルなのかは分からないけども。実は幽香さん、私と同じように昔ヤンチャをしていて、その反動からか今ではかなり穏やかな性格であった。残念ながら私と違い、彼女のヤンチャが現実で起こしてしまったという事と、少し長くヤンチャしていた様なのでその伝承が人や妖怪たちの心に残ってしまっているのだろう。

 以上が単なる私の推測。小傘さんの夢では悪者だった幽香さんだが、私の顧客には違いない。お客様のケアまでしてこそプロなのだ。

 

「小傘さん、いい事を教えてあげましょう」

「?」

 

「実は幽香さんはそんなに怖い方ではありませんよ。むしろ可愛いらしいお方です」

 

 大きな声では言わないが、何というかほんの少しサグメさんと似た部分があると私は思っている。例えば、寝る時にナイトキャップ被って何かを抱いていないと寝れない所とか、苺のショートケーキが大好きで月七回は紅魔館からケーキを貰っている所とか、色んなイベント事で本当は幽香さんが色々な人を呼んでパーティー開きたいけれど、怖がって誰も来ないことは目に見えているので、そういった日には必ずと言っていいほど神社や紅魔館、命蓮寺、魔法の森等々に遊びに出歩いている所など、可愛らしい所が沢山あるお方なのである。

 

 もしかしたら私もサグメさんより先に出会っていたら惚れ込んでいたかもしれない。

 

「可愛らしい…?」

「ええ、とっても。ですからどうぞ怖がらず現実で驚かせて上げてください。いいものが見れるかも知れませんよ」

 

「…でもやっぱり怖いかなぁ」

 

 やはり中々、勇気が持てない様子。ドレちゃんはそんな時にそっと背中を押してやれる系女子である。

 

「個人情報なので余り言いふらしたくないのですが、実は」

「…実は?」

「幽香さんは物凄い怖がりです。ええ、それはもう酷い怖がり。私が初めて夢の中で彼女にお会いした時は幽霊だと思われて大変でしたね」

 

 懐かしい思い出である。私の言う事を中々信じて貰えず、ひたすら必死に塩を撒かれるもんだから体中塩だらけ。服の中に入ってベトベトするし本当に大変だった。

 

「えぇー!? そうなんだ。そんなイメージ無かったなー」

「人が伝えているものなんていい加減なものです。口伝えなんて五人伝われば内容がコロりと変わってしまう。そういうもんです。実際に会って話すことが一番ですよ。レッツトライです」

 

 私が一番心掛けていることでもある。偏見を持って人と初めて話すこと程つまらないものは無い。事前に情報を知ることは結構だが、鵜呑みにすることは勿体ない。決めつける事ほど楽なこともないけれど、同時に損な事もないのだ。

 

「んー、そこまで言うなら…」

「是非是非」

 

 小傘さんのお腹も膨らむだろうし、一つ価値あるものを残せたのなら私が獏以上の何かになれた気がして嬉しいのだ。

 

 これでも伊達に長生きしちゃいないのだからそろそろ妖獣らしく尻尾とか増えないかな…とか思ったけど狐みたいにフワフワの尻尾ならまだいいが、私の尻尾はヒョロヒョロの先に筆が付いてる感じなので触手みたいになって気持ち悪そうなのでやめといた方が良さそうだ。夢の中で救ってくれたヒーローがお尻から触手蠢いているとか笑えないだろうから。

 

 

 

 〇

 

「よ、よーしやるぞー」

 

 某日、民家と民家の間で深呼吸をする水色。いつもミスを繰り返す大きな傘は奥の方に置いてあるようだ。そんな彼女の視線の先には人里にやって来ている花妖怪の風見幽香。どうやら小傘は夢で聞いた通り、彼女を驚かせるつもりらしい。小傘にしてみれば命を賭けた大勝負である。酒の席で数回数語話した時には分からなかったらしい、彼女が怖がりだという情報に賭けたのだ。

 お気に入りの日傘を差さず、たたんで手に持つ彼女は軽快な足取りで歩く。すぐ側の物陰に小傘がいるということを知らずに。

 

「フーッ…行くよーっ行くぞーっ」

 

 震える掌に人の文字を書き殴って飲み込んでを繰り返した小傘は勢いよく幽香の前に踊り出た。

 

「ばぁっ!!!」

 

 とびきり大きな声は大通りによく響き渡り、歩いていた人間達も何事かと視線を漂わせる程であった。そしてその音の発生源を発見した人はげっと顔を歪ませ、一目散にその場を離れていった。

 そんなことには目もくれず、やりきった感に浸る小傘は恐る恐る幽香の顔に視線を移した。

 

「!」

 

 幽香は笑っていた。いつもと同じように笑っていた。

 

 しかし、小傘は気付いたのだ。その笑の口元が引き攣っているだけであることに。そして、笑っているのは顔だけでなく膝もであった事に。そして何よりも、自分のお腹がかつて無い程に満たされていることに。

 

「な、な、中々やるじゃない。つ、つくみょ…付喪神。私をお、驚かせるなんて大したものね。是非おたっ…お話したいけど、その…私は急用が出来たからっ…その、失礼するわ。ご機嫌よう」

 

 アナウンサーもビックリの早口で、そして緊張しいでもビックリなくらい声を裏返しながら喋り、冷や汗をかきながら競歩みたく、殆ど走って逃げた幽香。そんな幽香の背中を見つめながら小傘はお腹を擦り、満足そうに笑ったのだった。

 

 

 

 以後、人里に限らず風見幽香のある所に水色の髪がいる光景が頻繁に見られるようになった。

 

 



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18 地下に咲く495年のホオヅキ

 

 

 

 ポツリ、どこか遠くで聞こえた水の音に目を覚ました。一定の間隔で拍をとるそれはすごく耳障りで、私が頑張ってもう一度寝てしまおうと目を結んでも許してくれなかった。ああもういいよ、なんて言いながら私はベッドから滑る様にして抜け出て一度だけ伸びをした後、ベッドに座り直した。羽根の付け根の背中が張って、パキパキと子気味いい音に少し嬉しくなった。

 

「雨なのかな」

『知らない』

 

 それでも叩き続ける拍の音。残念なことにここからでは今外が雨なのか晴れなのか、はたまた曇りなのか雪なのか雹なのか見当もつかない。だってここは地下だから。

 

『地面を叩く音だって聞こえない地下だからね』

「うるさいなぁ」

 

 伸びをしたせいで目が冴えてしまった。気付けばいつの間にか水滴以外にも耳障りが増えてしまっている。いつもの私ならここでアイツラをぶっ殺して、たまにぶっ殺されて終わりなんだけど、今日の私はそうならない。私はもう子供じゃないのだから。

 

『ええ? 子供じゃなきゃ何よ? 貴女が此処で成長するなんてムリムリ。あと、たまにって言ってるけど私の方が殺してるからね?』

「っさいな。黙っててよ」

 

 髪をワシャワシャすると耳が聞こえなくなったみたいで気分がいい。でも続けているとその内に血が出ちゃうからずっとは続けられないのが残念だ。

 

「…退屈」

 

『ええ、退屈ね。じゃあどうする?』

『やる? やる?』

 

 また、声が増えた。いつもこうだ。気付いたらやいやいと私の頭上で三つの声が会議を始めるのだ。

 

「うるさい! やんない!」

 

『おー、怖い』

『八つ当たりしないでよ』

『その声の方がうるさいわ』

 

 こうなったらもう止められない。私なんかお構い無しに声たちは大声を出すんだ。誰か、上にいる誰かが気付いて止めてくれたら良いのに今までそれをしてくれたことは一度も無い。何でだろう、無視されているみたいで凄く悲しい。

 

『アッハハハ。おかしいね』

『ほんとにね』

『笑わせないでよもう』

 

「何が面白いの!」

 

 私の悲しさを鼻で笑う彼女たちに無性に腹が立って声が荒くなってしまう。これもきっと、いつもの事なのだ。

 

『何がって、ねえ?』

『そうね。馬鹿みたい』

『ばーかばーか』

 

「うるさい!!」

 

 嘲るような声に私は思い切り腕を振った。ブオンと風切り音を響かせて私の腕はそのまま布団の上に落ちる。

 

『怖い怖い。そこまで怒るなら教えてあげる』

『お馬鹿さんに教えてあげる』

『嘘つきでお馬鹿さんに教えてあげる』

 

「黙れ!!」

 

 片手に掴んだ炎の剣を思い切り横に薙ぐ。歪なほどに延びたその刃は縞になっている壁に突き刺さり、大きく抉った。

 

『上の奴らが降りてこないのは』

『貴女の事が嫌いだから』

『貴女に興味すらないからよ』

 

「そんなことない! お姉さまたちは私の為にっ」

 

『貴方のために貴女を閉じ込めた?』

『それこそ笑わせないで』

『地下なんて何もいい事ないもんね』

 

 上から下から右から左から、ぐわんぐわんと響く私の声に頭が痛くなってきた。ムカムカと胸元を上ってくる何かを吐き出さないと暴れてしまいそうだ。

 

「ああっ!!」

 

『貴方もしつこいね』

『いい加減認めようよ』

『なんで地下に閉じ込められているのか本当は分かってる癖に』

 

 両手を振り回して声を追っ払おうとしても耳の傍から離れやしない。剣を振ってる筈なのに何も当たってくれやしない。

 

『上のヤツらだけじゃない』

『外のヤツらもそうよ』

『みーんな指さして言ってるもん』

 

「黙れ!!」

 

 

 

『『『イカれてる』』』

 

 

 

 いよいよ大きさを増した声に私はついに突っ伏して、右手に目を集めた。

 何も聞きたくなかったから。

 

 

 

 〇

 

 はいはいはいはい。今宵もドレちゃん登場であります。今回のお客様は以前お邪魔した紅魔館の城主レミリア・スカーレット氏…ではなく、その妹君のフランドール・スカーレット氏。前々からお話には聞いていた所ではあるけれど、実際にお会いするのはこれが初。いつもの私なら颯爽と登場して華麗に処理していち早く安眠を彼女の元に届けたい所ではあるけれど、今回は流石の私も慎重にならざるを得ない。

 

 何故なら彼女の能力が厄介なのだ。曰く『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』私の身体を吹き飛ばす分には構わないのだけれど、その能力が世界の破壊すら可能なら話は違ってくる。要するに以前の勇儀さんの時と同じなのだ。彼女の能力で夢を壊された場合、またもや私は寝たきりお婆さんに逆戻り。或いは永遠に眠って棺桶送りである。

 そんなわけで私もゆっくり考えたいのだけれど…

 

「あーあー、これは酷いですね」

 

 私の目の前で繰り広げられるのはR18Gでは効かなそうなグロッキーな映像である。フランさんが四人に分身して斬りあったり殴り合ったり、時々弾けてるのは多分能力のせいだろう。ともかく、こんな惨たらしい映像を見せられて私が傍観決め込んで逃げ出すなんて有り得ない。

 こんな悪夢、一秒だって長続きさせちゃいけないのだ。

 

「失礼! 少しよろしいでしょうか!」

 

 いつもより大きく張った声はよく通り、暴れ回っていた四人がピタリと動きを止めて首だけまわして私を見つめた。血だらけだしハイライトないしで怖いったらありゃしない。か弱いドレちゃんは血を見るのは嫌いなのだ。

 

「私、ドレミー――」

 

「「「「邪魔」」」」

 

「あっ!?」

 

 まだ名乗りも済んでいないと言うのにせっかちなフランさんは私に手を向け一斉に握り締めた。その瞬間、身体のいろんな所が爆発した。けどそれだけだ。

 

「あいたたたた。落ち着いて下さい。フランさん」

 

「治った?」

「気持ち悪い」

「初めて見る妖怪」

「誰?」

 

 どのフランさんに返事をしたらいいのやら。お話したいとは言え私は某耳が良い聖人様とは違うから十人どころか四人でも厳しい。今度お会いしたらコツとか聞いておこうかな。

 

「私はドレミー・スイート。訳あってここに参った次第です」

 

 今回はここを夢だとは明かさない。フランさんが狂ってるとは言わないが、幼い部分は否めない。故にその力の矛先が夢へと向けられる可能性は少しでも下げたいのだ。

 

「ドレ…何?」

「何の妖怪かな?」

「どうやってきたの?」

「どーでもいいよそんな奴」

 

 一期一会という言葉があるが、私は個々のつながりが大好きだし、一人一人との関わりを温めて育てたい。そんな私でも流石に同一人物四人を相手するのは骨が折れる。何とお呼びしたらいいのかも危うい。

 

「ふむ…」

 

「「「「何?」」」」

 

 実を言うと、私はどうしようかと迷っているところである。悪夢の処理事態はわけないのだが、如何せん私が食べるのはフランさんと全く同じ形をした分身たちである。目の前で自分と同じ姿が食べられる所を見るのは少し…というかそこそこ不愉快だろう。なのでここは一つ物凄く古典的に行くとしよう。

 

「フランさん」

「なあに?」

「お目を失礼」

「え、うわ!?」

 

 私が使ったのは古き良き目潰し、煙幕である。吸血鬼が活動するのは夜。多分夜目は効くのでフラッシュタイプの煙幕、要するにフラッシュバンみたいなやつだ。

 

「なにするの!」

「ああ、もう目を開けても構いませんよ」

 

 悪夢を食べるのにかかる時間はそう長くない。本物以外の三人は美味しく頂かせてもらった。

 

「あれ?」

「先ほどの三人なら何処かへ行ってしまわれました」

 

 ドレちゃん嘘は嫌いである。しかし、世の中にはホワイトライと言って、必要な嘘もある。何事も一辺倒ではまかり通らないという事だ。何の話だ。

 

「………」

 

 私からでは俯いたフランさんの表情を伺うことは出来ないが、その様子から察するにスッキリはしていない事だろう。さっきの三人も心なしか薄味だったし。

 

「フランさん。何を悩んでいらっしゃるのですか?」

「お姉さま達は私のことを……」

 

 ほうほう。嫌っているのではないか、とそういう事でしょう。咲夜さんと似たり寄ったりの内容である。これまで幾度となく聞いてきた類の悩み、されど難しい話題でもある。ここは幻想郷の母と言われたい私が――

 

「嘘つき」

 

「!」

 

 出ようとした私の足を止めたのはフランさん。もう一人のフランさんだった。さっき食べた筈の分身がまた現れ、フランさんを指さしていた。

 

「こんな奴に相談なんかしようとして馬鹿みたい」

「そうやって嘘ばっかりついてるから本当が分かんなくなるんだよ」

「自分のせいでしょ」

 

「わ、私……」

 

 みるみる増えて、また四人になったフランさん。本物のフランさんは現れた三人から責められ今にも泣きそうだ。

 

「ちょっと失礼」

 

 急いで駆け出し本物のフランさんの目を覆い、もう一度三人を飲み込んだ。やはり薄味、ということは…

 

「いますよねぇ…」

 

「さっきから鬱陶しいんだけど?」

「お前何?」

「邪魔」

 

 一人が無造作に握った拳、それと同時に私の身体が弾けた。

 

 

 

 

 

「なるほどなるほど」

 

 しばらくの間、食べて吹き飛んでを繰り返し、観察してようやく見えてきた。あの三人は悪夢には違いないが悪夢本体ではない。

 

「私としたことが見誤っていました。申し訳ない」

「なにを訳のわからないことを――」

 

 

「ズバリ! 犯人はフランさん本人ですね!」

 

 溜めて溜めて、完璧に決まったー…!

 腰に手をあて、姿勢を整えて指さす決めポーズ。きっとドレちゃんファンクラブなるものが存在するなら名場面セレクションベスト5に入ること間違いなしである。ファンがいないのが本当に口惜しい。

 

「は?」

「それでは失礼、頂きます」

 

 キョトン顔のフランさんも可愛らしいが、いつまでも悪夢を垂れ流すなんて私の目の黒い内は許さないってなもの。全て食べ終えてからゆっくりその可愛いお顔を見るとしましょう。

 

「………」

「悪夢は覚めましたね。フランさん」

 

 放心気味に腰を落としたフランさん。その様子と味から察するに今度は上手く食べれたのだろう。

 私が食べたのはフランさん自身の仮面である。先程までの彼女は本来のフランさんとは異なる性格をしていたはずだ。なので私はその新たな性格を食べさせてもらった。

 何を言っているかわからないだろうから端的に。

 要するに、今回の悪夢の内容は夢の中で分身したフランさんがその分身と話す内、分身のある生活に馴染む内に本当の自分を見失ったら…というフランさんの妄想である。

 

 たしかに生き物の精神というのは案外脆い。有名な話をするなら毎朝鏡の前に立ち、その目を見ながら「お前は誰だ」と言う。これをしばらく繰り返す内に自我が崩壊するとかしないとか。鏡でも容易に壊れる貧弱な自我ちゃんは、恐らく分身なんてものを見るとたちまち崩れてしまうことだろう。きっとどれが本当の自分か分からなくなってしまうだろう。いつだって自分が自分である事の証明は難しい。

 因みにドレちゃんはオンリーワンでナンバーワンである。何のナンバーワンなのかはご想像にお任せするが。

 

「私どうなったの?」

「強い思いに囚われて身動きが取れなくなっていました。そこを私、ドレミー・スイートがお助けに参った所存であります」

 

 ドレちゃんとお呼びください。というのも忘れず小声で付け加えとく。

 

「ふーん、そっか。ドレちゃんは何?」

「私は夢の中を泳ぐスーパーヒーローってとこですかね」

「何それわけわかんない」

「今はそれで我慢して下さいな」

 

 ぶう、と頬を膨らませるフランさん。可愛らしいことこの上ない。レミリアさんたちが溺愛するのも頷ける。

 

「今はってことはまた会えるの?」

「ええ、勿論。もしまたフランさんが悪夢を見ていたら…という前提はつきますけどね」

 

 空が割れ始めた。フランさんの飽きが来始めて、夢が覚めるのだろう。

 

「分かった。じゃあ次会ったときはドレちゃんが何なのか絶対教えて?」

 

 私のスカートの端を掴んで上目遣いに首を傾げるフランさん。いやぁ、私を落とすコツを良く理解してらっしゃる。将来が楽しみというか怖いというか。

 

「ええ、勿論。それでは次の悪夢…お会いしないことを祈っております」

 

 

 

 〇

 

「あ、ドレミー様、お帰りになられたんですね」

 

 トテトテと寄ってくるルーにドレミーは勢いよく顔を上げて呟いた。

 

「娘というのもアリですね。私、欲しくなってしまいました」

「へ!? む、娘!?」

 

 面食らったルーは顔を赤くして目を閉じた。そしてモジモジと体をよじりながらそよ風が吹いたような小さな声でもらした。

 

「…ド、ドレミー様が望むなら……わ、私は……」

 

 消え入りそうな声のまま照れるルーを尻目にドレミーは鼻歌まじりにその場を離れた。目を瞑っていたルーがそれに気付いたのはそれから二時間後のことであった。

 

 



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19 水面を跳ねるはヒレか尾か

 

 

 

 私は泳ぐのが好きだ。それはもちろん私が泳ぐことしか出来ないからというのもあるのだろうけれど、それでも私はこの地に足付けない体に満足している。たとえ地面を踏みしめて歩けなくたって水の中でもお洒落は出来るし、お友達も作れるし、歌だって歌える。そんな瑞々しく、輝かしい私の暮らしの中で一番好きなのが泳ぐことなのだ。澄み渡る水の中、世界が回るように景色がころころと変わるところが大好きだ。私がヒレを動かす度に生まれる水泡はキラキラと光を反射して美しい宝石のようなのだ。

 

 人魚といえば、大体の人が想像するのが人と人魚との間に生まれる悲哀の物語だったりするが、私に言わせればそれはない。なぜならそもそも私の場合、悲哀云々以前に出会いがない。欲しいとも思わないが、私のように湖だけでその生活エリアが完結しているなら新しい出会いなど同性、妖怪でもあまりない。異性、人間なんてもってのほかである。まして私が暮らす湖は人里から遠く離れた位置にあるものだからそりゃもうよっぽどのことがない限り悲哀の恋なんて生まれやしない。私もそれなりに長く生きてはいるが、恋らしい恋はしたことない。私の中の恋愛云々の知識は時たま湖畔に浸りかけた外界の雑誌だの小説だのに限られる。正直、そういった話にあまり興味はないが、そういった雑誌や小説に登場するあるものには興味を引かれる。

 

「ふむふむ…どこまでも続いている…。青い畳のよう…手の染まるような紺碧……」

 

 それは聞いた話によれば大きく、とても大きく、どこまでも広がっているようにも見えるらしい。水の中には塩が沢山入っていて、そこで暮らせない魚達もいるそうだが、その世界には数え切れない程の生命が自由に暮らし、緩やかで豊かな楽園を築いているらしい。

 

「あーあ、死ぬまでに一度くらいは行ってみたいな」

 

 私の頭の中で広がるそれは何にもとらわれず、地上に溜まる空のように麗らか。

 

「きっとそこで思い切り歌えば気持ちいいんだろうな。私も海に行ってみたい」

 

 まあその夢が叶うことはないのだろうけれど。

 

 

 

「と、お思いになっているあなたに朗報です! 夢は叶いますよ! 但し夢の中ですがね」

 

 急に響き、水面を揺らしたのは聞いたことのない声だった。結構大声だったものだから思わず水面を鰭で打ってしまった。

 

「どなた?」

 

 振り返った先、湖面の上に佇んでいる一人の妖怪。予想通り見た事のない妖怪だった。

 

「失礼、挨拶が遅れてしまいました。私、ドレミー・スイートと申します。気軽にドレちゃんとお呼びくださいませ」

 

 イエイとブイサインを頬の横にくっつける彼女に思わず私は石になってしまった。

 

 

 

 〇

 

 さてさて、今宵のお客様は見目麗しいお姫様。子供の頃に一度くらいは見聞きしたことがあるであろう人魚姫のわかさぎ姫さんである。姫かどうかは知らないが、名前に姫が付くくらいなのだからきっと姫なのだろう。なんの姫か? そりゃわかさぎ達の姫なのだろう。

 

「えっと、ドレミーさん? スイートさん?」

「ノン。ドレちゃんでいいですとも」

「…ドレミーさん、あなたは一体?」

 

 むう、ドレミーさんなどとよそよそしい。まあ、初対面&素性の知らぬ相手に馴れ馴れしくは出来ないという彼女の性格だろう。こう言ってはなんだが、幻想郷にしては珍しくいい性格である。決して皮肉の意味でなく。文字通り良い、グッドな性格である。

 

「あなたの夢を叶える妖怪です。夢の中で夢を作るだけの話ということを努努(ゆめゆめ)お忘れなく」

「ん? ゆめゆめゆめ?」

 

 頭の上に「ゆ」と「め」をいくつも作って傾くお姫様。ついでに「?」もと言おうと思ったが彼女の体的に、上半身を傾ければ「?」に見えなくもないので良しとする。

 

 話を戻す。

 

「結論だけ申し上げますと、私が獏という妖怪であり、あなたは今夢の中ということですね」

「夢…夢なのに夢であることを明かしてもいいものなの?」

 

 少し思案顔を見せてから向き直ったわかさぎ姫さん。なるほど、水も滴るなんとやら、かの姿を見た人間が恋をしてしまう気持ちも分かるというものである。

 

「夢であることを明かしてはいけないというルールは何処にも書いておりません。書いていたとしても存じ上げておりません」

「ふーん、そんなものなの」

「そんなものです。夢なんて自由であって然るべきですよ」

 

 夢に縛られるなど下らない。私が言うのもなんだが、夢など現実の二の次に違いない。ルールに縛られるのは現実だけで結構。

 

「それで、夢の中で夢を叶えてくれるの?」

「ええ、夢の中で夢を見せて差し上げます。既にあなたは夢の中ですがね」

 

 わかさぎ姫さんの夢は海を見ること。ここで一つちょっとした豆知識と問題を。わかさぎには成長期に降海する遡河回遊型とその生涯を淡水で暮らす河川残留型が存在する。わかさぎ姫さんがどちらか分からない以上、下手に彼女の泳ぐ場所をほいほいと変えてしまうのは怖い。一歩間違えれば悪夢直行である。

 しかし、そもそも人魚というカテゴリーに属する彼女が淡水だの海水だのという括りに囚われるかというのもよく分からない。わかさぎ姫というくらいだからわかさぎのあらゆる特性とか持ってたりしないだろうか。

 

「急に黙ってどうしたの?」

「いえ、少し気がかりが」

 

 クルクル巻いた可愛らしい髪で水面を撫でるわかさぎ姫さん。面倒なのでここは本人に聞くのがいいだろう。

 

「あなたは遡河回遊型ですか? それとも河川残留型ですか? 或いはその両方?」

 

 こんな質問を生涯でするとは思わなかった。間違いなくこんなイカれた日本語を発するのはあとにも先にも私だけだろう。

 

「そ…何? かせん?」

 

 あややや…というのは別人か。なんとその名すら聞き覚えがなかったらしい。これはいよいよ確認が面倒である。だが、そんなことすら些細な問題。わかさぎ姫さんがどちらであろうが問題ない環境を私が作れば問題ないのだ。

 

「なるほど、今のは忘れて頂いて結構です。全て私にお任せあれ」

 

 3、2、1と数えて指を弾けば一変する世界…とはいかず、ただ単に今わかさぎ姫さんが浸かっている湖を50倍ほど広げて塩分をマシマシにしただけである。ぱっと見は水平線の向こうまで水面が広がっているし構いやしないだろう。

 

「?」

 

 私の指パッチンに首を傾くわかさぎ姫さん。単に私が突然指パッチンしただけとでも思っているのだろうか。まあ、水に浸かっている分には気付かぬだろう。

 

「回れ右してみて下さいよ。中々に面白い景色が見れるでしょうから」

「後ろ? …っ」

 

 水面を優しく揺らして振り返る人魚姫。息を飲んで肩が少し跳ねたのが分かった。

 

「いかがでしょう? ご満足頂けましたかね」

「……」

 

 こんな風に感想を聞く瞬間が一番ドキドキである。私なりに全力を振り絞って夢を叶えたつもりではいるけれど、いい迷惑だなんて言われた日には私は首吊りものだ。いや、首吊りはしんどいから火炙り? 火炙りも辛いからギロチン? ギロチンも怖いからやっぱり無しで。命あっての物種。私はしぶとく生き残ってくれる。

 

 元に戻ろう。

 

「これが海?」

「まあ、一般的に海と認識されているものはこんな感じです。なんならロマンチックに日の出も付けてみましょう」

 

 もう一度指パッチンで輝かしい朝日を登らせる。指パッチンは全く必要ないが演出というものは大事なものだ。海を割る様にキラキラと光が縦横無尽に跳ね回り、我ながら綺麗な光景である。

 

「どうです? 私の知る海を再現してみたしだいです」

 

 今は幻想郷に海は無いけどもその内に海が幻想入りとかありそうである。アラル海とかそのあたり。

 

「すっごく綺麗」

「それは良かった」

「泳いでも?」

「ええ、どうぞ。心ゆくまで」

 

 私の答えを聞くより前にぴちゃんと潜って消えたその姿は正しく人魚だった。

 

「ああ、失敬」

 

 人魚「姫」ですか。

 

 

 

 〇

 

「ふむ、こんなものでしょうか」

 

 あれから自宅に戻り、私はむずっと来た。焼くような日差しの中に走り出し、白く輝く砂粒を足裏に付けてそのままキリリと冷えた水の中に飛び込む、つまりは私も海水浴がしたくなったのだ。やはり何をするにしても本場…とは思ったが、海水浴のためだけに大結界を超えるのも各方面の方々から反感を買いかねない。まあ、単に面倒臭いだけってのもある。

 それに私は海水浴はしたいが、人が多いのは嫌である。喧しいのは好きだがうるさいのは嫌。ここは私のこだわりであり譲れないところである。

 

 というわけでモノホンの海に行きたくないけど海水浴はしたい私、どうするかと言えば答えは一つ。

 

「控えめに言って完璧ですね」

 

 答えは自作。

 私のイメージする海をそのままトレースしてみた。外の世界では人が賑わうこと必至のここもココではガラガラのすっからかん。すっからかんで生じる唯一のデメリットは、男女問わずの容姿の整った方々のほぼ半裸と言って差し支えないそのあられもない姿を目に納めることができないことだろう。

 そうだ、今度サグメさんを私の海へ招待してみよう。勿論水着は持参で。いつもと変わらず涼しげな顔で立つ姿もそれはそれでいいだろうが、個人的には恥ずかしそうに顔を赤らめながら「そ、そうではない」とか言ってくれるとなおよし。その為には舐めるように、舐め回すようにサグメさんの全身を見つめることも厭わない。厭う理由もない。

 

「さて、それじゃあ」

 

 うだうだと心の中で喧しく…心の中で留まっていればいいけども…それはさておき。心の中で喧しくしているだけでは折角の海が泣いてしまう。いざ往かんという心持ちで着ている服を投げ捨てて水着を着用してみる。

 

「…」

 

 ドレちゃん、実は自らにおいて他人よりも数段劣って見えるのはこの体だったりする。まあ、単純に貧相なのだ。何がとは言わないが察してもらえると助かる。

 思えば私の懇意にしている人達は「豊かァッ!!!」とは言わないが、私よりは確かに大きい。サグメさん然り、ルーさん然り。手のひらを自分の鎖骨あたりから下ろしていってあるかないかをビデオ判定しなければならないような自分の体が虚しい限りである。

 

 体なんて自由自在なのだから好きなように変えればイイじゃん、なんて言われるかもだがそれをしてしまうと負けを認めた様で悔しいしそうまでしないといけない自分が切なくなるからやりたくない。もちろん、夢の主がどうせならグラマラスボディを見たいと言うのであればその限りではないが。

 

「まぁ、どうせ誰かに見せるわけじゃ――」

「ーーーーーーーっ!!」

「え?」

 

 突然聞こえた声にならない声。悲鳴にも聞こえないこともなかった。振り返ればそこに奴がっ…まあ普通にルーさんなんだけども。

 ルーさんは手に持っていたであろう何かの荷物を砂浜に落として瞳を震わせて口元を覆っている。なんだろう、もしかして私のあまりの貧相さに同情と悲しみを背負ってしまったのだろうか。もしそうならルーさんを殺して私も死ぬ。

 

「ど、どうしました? ルーさん」

「あ…ぁ…あ…」

 

 漏れ出る声はか細く吹けば飛びそうなほど。というか浜風に飛ばされてあんまり聞こえなかった。

 

「ルーさ――」

「ィヤッフウウウゥゥゥゥ!!」

 

 突如跳ねたルーさんは私を押し倒すようにして海に沈んでいった。

 そこから先はぶっちゃけ酸素不足であまり記憶がないが、確か私の無い胸に顔をひたすら擦りまくるルーさんのバタ脚によって人魚もかくやというスピードで散々海中散歩をしていたような気がする。

 わかさぎ姫さんは散っていく気泡が宝石のようだと私に語ってくれたが後ろから凄まじい速度で飛んでいくそれらを見て存外、魚の見ている風景はこんなものなのかと思った。

 

 しばらく海はもういいかな。



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20 神饌足らぬ紅葉の器

 

 

 

 

 私たちにとって最も恐ろしいことはなんだ。

 それは(のこ)らぬことだ。この世のあらゆる生き物たちの心の中から消えてしまうことだ。私たちは彼らの思いを受けて大きく、強く(のこ)る。逆に彼らの思いが無くなってしまえば直ぐに消えてなくなるか弱い存在でもある。強大であるように思われるが所詮私たちの存在を決定するのは彼ら次第なのだ。

 

 事実、私などは今にも消えかからん程度の信仰しか集まらず、歳を経て人間たちが世代交代を繰り返すごとにハラハラドキドキの日々である。ただ、これは聞いた話であるが、なんでも外の世界では幻想郷(ここ)よりも信仰心が無く、元々強大な力を有していたはずの神々でも存在が危ぶまれる程なのだという。嘆かわしい。いつから人は神を捨てたのだろうか。一から十まで己らで解読できるのだなどと驕り高ぶりだしたのはいつからなのだろうか。

 幻想郷に増えてきたのは一時の利益を求めて私たちに頭を垂れる人間。ここからは持論であるが、利己一辺のために私たちに熱烈な祈祷をささげる人よりも心中に邪心なく私たちに屁をかます人の方がはるかに気分がいい。その利己一辺の思いこそが私たちのルーツだとしてもだ。邪な信仰心では私たちは強くあれない。

 

 そういう意味では山の巫女の自称布教活動は嬉しいものではない。「信仰せよ。さすれば救われる」こんな謳い文句で靡く信仰は真の信仰からは程遠い。まあ、あちらさんもそんなことを言っている余裕も失くなった、仮初の信仰でも欲しているのだと考えれば分からなくもない。私も押しが強い巫女がいればあちらさんと同じくらいの信仰は得られる筈だ。

 

「お姉ちゃーん」

 

 というか巫女とまでは言わないが、せめて立派なお社さえあれば私の信仰は留まるところを知らないだろう。いわば今の私は(さなぎ)であり、本気を出せば、時期さえくれば羽ばたけるのだ。

 

「お姉ちゃーーん!」

 

 だから悔しくなんてない。山の中での扱いの差とか、妖精に馬鹿にされたって気にするもんか。精々今のうちに私を下に見ておくがいい。いまに――

 

「お姉ちゃんってば!」

「…なに」

「なにって今日から紅葉付け始めるから手伝ってって言ったじゃない」

「……ふん」

 

 この喧しいのは私の妹…妹の秋穣子。私と違って人当たりが良くて、色々実りが良くて、表情豊かな女神らしい女神である。それに比べて私と来たら心の中ではベラベラ喋る割にいざ口に出すとなると何も喋れやしない。おまけに目元も伏せがちで暗い。何も実ってもいない。

 

「ああ、悲しくなってきた。死のう」

「お姉ちゃん!?」

 

 私の実りが良くないのは信仰心が足りないからである。穣子は豊穣を司る神であり、年一でお呼びがかかっては盛大な催し物が開かれる。一方、私静葉は紅葉を司る神であり、催し物なんてまず無い。私が何とか神として体裁を保てているのは穣子の姉であるということのお陰というのが一つ、もう一つは幻想郷に紅葉を司る神が私しかいないお陰である。秋になれば微弱ながらに感じる紅葉への様々な思いを糧に私はひもじく暮らしているわけだ。

 

 裏を返せば私以外に、例えば穣子のような人当たりの良い紅葉を司る神が出てきた時に私の存在はかなり怪しい。そこで穣子に見捨てられても見ろ、もう死ぬしかない。

 

「…穣子」

「ん? どうしたのお姉ちゃん」

「…わ、私を……私を見捨てないでぇ」

「お姉ちゃん、急に泣いてどうしたの!?」

 

 泣いてなんかない。これは涙ではないんだ。…嘘です涙ですごめんなさい。

 

 

 

 〇

 

 今日は穣子が呼ばれての祭事。やんややんやと沸く民たちの中心で揺れ動く神輿を見て笑う穣子を少しだけ妬んでしまう私。少し離れた民家の影から頭を少し出して覗き見てるだけではあの渦中に入れないことくらい分かっている。私だって馬鹿じゃない。

 馬鹿じゃないけれど、意気地がない。奉られることに悪い気がするわけじゃないけれど、その民たちに笑いかけることが出来ない。出てこない言葉をさらに奥に押し込んでむすってした表情を見せて、怯えられることが堪らない。民達(かれら)からすれば私たち神は畏怖の対象なのだ。こうして祭儀で誰も彼も笑顔なのは穣子の機嫌を損ねまいとしているからなのだ。

 ――きっと本当に心から楽しいわけじゃないんだ。

 

「…やめよ」

 

 こうやって僻んで不貞腐れて、意味の無いことばっかり考えるのが悪い癖。私は覗かせていた頭を引っ込めて積まれた藁の上にのしかかり、壁に頭を預けた。

 ずきんずきんと揺れる頭に顔をくしゃくしゃにして、喧しい声を聞かぬように耳を塞いだ。

 

 

 

「……ん」

 

 どうやら私は眠っていたらしい。時間が経って民家の屋根隙間から盛れた光が私を起こした。通りは相変わらずのバカ騒ぎ。こうやって影で妹を見てるだけなのも空しいので戻ることにした。民家の間から出た私は何気なく穣子の方をみやり、スグに足を止めた。

 

「…誰あれ」

 

 なぜなら穣子(いもうと)の隣で穣子(いもうと)と同じように笑う、その子に全く見覚えがなかったから。

 

 

 

 〇

 

「え、だ、誰なん?」

 

 すっごい驚いたせいで変な言葉になってしまったけど、冷静に考えたらそんな不思議でもないことだろう。私と違って穣子は交友関係が広いし、なんならその場で誰とでも知り合いになれることだろう。

 ただ、凄い気になるのが穣子と話している子の服装が私と全く同じなのだ。自分で言うのもなんだがこのデザインの服は私が作った力作であり、この世界で二つとないレア物だ。それを何故あの子が着ているのか。

 

「…だ、誰よ」

 

 思わず呟いたその言葉、普段から小さい私の声がさらに小さい上に辺りがこれだけ騒がしかったら誰にも聞こえないはず――だったのに。

 

「……あ、ごめ…ごめんなさい」

 

 めちゃくちゃ響いた。それはもう水を打ったように。今までの喧騒が嘘みたいになくなって、神輿を担いでいた男の人たちも女の人も穣子もその隣の子もみんな私の方を向いて黙りこくった。

 

「あ、えと、あの…」

 

 口下手で恥ずかしがり屋な私にこのシチュエーションはキツすぎる。私が何をしたというのだろうか。泣きそうになって下を向いて黙ってしまった。

 しばらく謎の沈黙が続いた。やがて誰かが口火を切った。

 

「何もんだぁ? アイツ」

「静葉様と同じ格好してやがるぜ」

「けどあんな奴見たことねえぞ」

「誰かがイタズラしてんじゃねえか?」

「静葉様を馬鹿にしてんのか?」

「このめでたい日に何考えてんだ」

「ふざけた奴」

 

 いつの間にか私を取り囲むように立っていた民たちは堰を切ったように声を荒立て始めた。それに驚いた私はつい耳を塞いでうずくまってしまった。それでも聞こえる私に向けられた怒号は止むことがない。耳を塞いでも聞こえるんじゃ塞いだ意味がない。

 

「…あっ、あの…ごめ、ごめんっ……ごめんなさい」

 

 私みたいな小さな声で何を言っても聞こえるわけがない。いつにもまして小さな声なら尚更。私に怒る意気地があれば、私に信仰があれば、私に逃げ出す勇気があれば、私が穣子だったら…。

 

「まあまあ」

 

 その声は私の先の言葉よりもよく響いた。すごく綺麗な声で、紅葉流れる川を思い出すようなそんな澄んだ声だった。

 

「その子だって悪気があったわけじゃないだろうし許してあげて」

 

 彼女は私を見据え、薄く笑いかけなが言った。その時その一瞬だけは救われたようなそんな気を起こすような包容力のある笑顔だった。

 

「でも静葉様、こいつは静葉様のことをバカにしてるんですよ」

 

 民の一人が口を尖らせながらそう言うと、どこからか同じような言葉が出てきた。

 

「そーよそーよ。お姉ちゃんは優しすぎなの。怒る時は怒らないと馬鹿にされちゃうって前言ったじゃない。怒ることも神様の仕事だよ?」

 

 穣子が言った。

 名前も知らない民に責められるだけで泣きそうになっていた私だが、穣子までそちら側なのだと分かってしまうといよいよ辛い。止めたい涙がボロボロ落ちた。

 

「げ、泣いちゃったよ…もー」

「まあまあ、穣子もそんな邪険にせずに」

 

 私の頭の上で会話する二人が怖い。彼女は完璧で、綺麗で、私より神様してた。もしかしたら私がおかしいんじゃないかって、そう思うくらい彼女は秋静葉に相応しいと感じて負けている私がいた。

 

「よしよし、怖かったね。泣き止んで…そうだなまずはお名前を教えて?」

 

 私を撫でた彼女はひときわ優しい声だった。少し傾けた首から揺れる綺麗な黄色の髪に目を奪われた。

 

「わ、私…私は……」

 

 言い淀んだのは何故か。私こそが秋静葉だと自信を持てなくなった――という訳では無い。私こそが秋静葉だと今でも言いきれるが、私よりも彼女の方が秋静葉に相応しいのではないかと思ったのだ。天真爛漫にして豪放磊落な妹の姉として私よりも彼女の方が。きっとみなそれを望んでいる。ここで私が「私こそが秋静葉だ」なんて言った時には石の礫を投げつけられかねない。そうだ、おそらく私は消えてしまうのだろうがそれがいい。元々あるか分からない程の信仰しか集められない内気な私なんていらないんだ。

 

 私は決めた。私は今ここに名を捨てていく。

 

「…私は――」

「――ッシー…。滅多なことを言うものではありませんよ秋静葉様」

 

 もう一度水を打ったように、時が止まったかのように静まり返った。私の口を塞ぐように立てられた細い人差し指はゆっくりと空を切ってその者の頬に刺さった。

 

「いくら夢の中とはいえ信仰を失いかねない発言は頷けるものではありません。というか私も静葉様に精一杯の信仰を捧げているもので、それを見ず知らずの夢に奪われるのは癪の極みです」

 

 わざとらしく頬を膨らませる彼女は何者なのだろう。いつの間にか秋静葉が私でなくなった世界で初めて私を認識してくれた彼女は。

 

「ああ、失礼。挨拶が――」

 

「妖怪だー!! み、穣子様、静葉様! お助け下さい!!」

「ひい!? 化け物!」

「落ち着いて。こんな妖怪、恐るるに足りません。私が追い払うのでどうか冷静に」

「や、やった! 静葉様があの化け物を退治してくれるそうだ!」

「これで一安心だわ!!」

 

 彼女の、おそらく自己紹介であろうそれを遮った民衆の叫びはいい方の静葉に押し留められ、瞬く間に安心の声に変わっていった。そしてずいと身を乗り出したいい方の静葉と波のように引いていく民衆+穣子。

 

「さて、どなたか存じ上げませんが妖怪さん。ここは――」

 

 聞こえたのはそこまでであった。気付けばいい方の静葉は足首から先だけを残して忽然と姿を消していた。その光景が広がる一瞬前に垣間見えたのは妖怪の彼女が大きく口を開いた場面。

 

「喋らなくて結構。会話する気はありません」

 

 虚を突かれてそれまで静まっていた民衆たちは彼女の言葉で我に返る。各々、悲鳴をあげんと大きく息を吸った瞬間。今度は見逃さなかった。

 妖怪の彼女は先ほどと同様にして大きく口を開け、目を向いた。するとそれまで人の形を保っていたものが一斉にずるりと溶けだし、淡いピンクのような紫色のような何かに変わり果てて宙を舞い、構えられた彼女の口の中へと入っていった。そして彼女は口を閉じると眠たそうに瞼を少し落とし、舌なめずりをした。

 

「さてと、秋静葉様」

「ッは、ひゃい!!」

 

 突然振り向くもんだから驚いて声が裏返った。恥ずかしい。

 

「混乱しておられる様子なので一から説明したいと思います。どうかお聞きくださいませ」

 

 声が裏返ったのもそうだし初対面の妖怪と話すのも恥ずかしくて色々とそれどころじゃないんだけど。

 

 

 

 〇

 

「…獏」

 

 聞けば彼女は夢を喰らう妖怪の獏であり、名をドレミー・スイートというらしい。

 

「イエス、マム」

 

 彼女によれば先ほどのは全て私の見ていた悪夢であり、本当の私は今も積まれた藁の上でぐっすりだそうだ。しかもここで感じた程の時間も経たずして。つまり、この夢が終わり目覚めればまたもう一度穣子を待つだけの退屈な時間が待っているんだ。

 

「……」

 

 それならいっそ祭りが終わるまでこの夢の中で過ごしていようと思う。穣子を見ていると嫌でも自分の足りない部分が見えてしまうから。

 

「夢には様々な側面があります」

 

 そんなことを考えていたら彼女が突然に語り出した。

 

「過去の後悔、抱いている不安、記憶の整理、他にもまだまだありますが、現実から目を背ける場ではありませんよ」

 

 スグに私のことを言っているんだと分かった。どうして彼女が私の心の内を分かっているかなんて知らないけれど、ここは夢で彼女は獏なんだ。不思議があっても不思議じゃない。

 

「……わ、私の夢なんだから……その、好きにさせてよ」

「健康的なものであればそれでも構わないのですが、どうやら静葉様は不健康極まりない使い方をなさっているので。お節介がてら忠告させて下さい。そもそも現実というものが夢逃避…とでも言いましょうか、その場であります。現実における逃避が夢ならばその逆ということです。ここで大事なのは逃避することは目を背けることとイコールではありません。自立した感情を元にその場から駆け出すのが逃避であり、目を背けるという行為はただ己で選択する権利を放棄するだけなのです。余程逃避の方が健康的で私は好きですね」

 

 そこまで言って彼女は手を胸の前で組み、一息入れた。その様子と喋る雰囲気からなんだか彼女がどこかの閻魔の様にも見えた。

 

「静葉様は大変勿体無いことをなさっているのです。村人たちが一度でも穣子様みたいに愛想のいい神様じゃないと嫌だなんて言いましたか?」

 

 そんなこと言われたことない。言われたことないけどどうせ…。

 

「じ、実際私はあんまり信仰されてないし…」

「それは静葉様がそもそも知られていないだけです。言い方が不味いですね。正確には紅葉を司る神様の存在は知っているが、秋静葉様は知らないと言ったところでしょう」

 

「やっぱり私じゃなくても…その、いいのよ」

 

 彼女の言った通り、今私にある信仰は私に注がれたものではなく紅葉の神に注がれたものなのだ。私じゃないのだ。

 とうとう空が割れだした。

 

「時間も限られているので手短にいきましょう。恥ずかしい気持ちは痛いほど分かりますが、つま先だけでもいい。ほんの少しだけ一歩踏み出して見て下さい。きっと世界は変わりません。変わらずに静葉様を受け入れることでしょう」

 

 バキバキと音を立てて落ちる夢の天井破片の中で彼女は私に走り寄り、最後にこう言った。

 

「静葉様は私じゃなくても…と仰いましたが、少なくとも私は紅葉の神ではなく、秋静葉様という神様を信仰しております。それだけは寝ても覚めてもお忘れなきよう」

 

 

 

 〇

 

「……ん」

 

 どうやら私は眠っていたらしい。時間が経って民家の屋根隙間から盛れた光が私を起こした。通りは相変わらずのバカ騒ぎ。こうやって影で妹を見てるだけなのも空しいので戻ることにした。民家の間から出た私は何気なく穣子の方をみやり、スグに足を止めた。

 いわゆる既視感。その光景がいやに見覚えがあり、そしてスグに思い出した。私がついさっきまで見ていた夢を。

 

「………」

 

 穣子の隣に彼女はいない。そりゃそうだ、なんせここは現実なのだ。でも、それでも私は立ち止まったままでいる。ドレミーに押されても頑固で意固地な私は歩きだそうとしなかった。いや、頑固でも意固地でもない。

 

 ただ怖かっただけ。ただ恥ずかしかっただけだ。

 

 そんな自分を分かっていても私は踏み出せない。ただの一歩も。私は足元をつま先で少し引っ掻いた。

 

「――っぁ」

 

 私は一歩下がり始めた。摺り足で眠っていたあの暗がりへ戻ろうとしたんだ。それが情けなくって薄くだけど涙が出た。私はこんな私が大嫌いだ。

 

「お姉ちゃん!!」

 

 私を呼ぶ聞き馴染んだ声に思わず、泣きそうになった不細工な顔をあげてしまった。フワリと香る甘い香り。いつの間にか近くにいた穣子は私の手を取って民の方へ駆け出した。

 

「あっ」

 

 私がつま先で引っ掻いた地面の傷は私のはるか後ろに遠ざかっていたのに気付いた。

 

 

 

 〇

 

 どうやら幻想郷の皆々様は御自分が愛されていることに気付かず、いつか見捨てられるのではなどと不安を抱いている方が多いようで。

 

 私を差し置いて皆様、何をお考えか。

 

 私ドレミー・スイートは確信しております。この幻想郷内で愛がない故に見捨てられるような境遇にいる人外は私だけだと。ああ、人は除きます。私は皆様の夢に寄生して食い散らかしている、言わば害獣。どれだけ取り繕ったところで私が私のために夢を食べていることが事実なのです。そんな私ですら未だこうしてのうのうと暮らしていけているわけで。

 …まぁ単に見捨てられる前の段階にすら至っていないというのが本当のところなんですけども。いや、よそう悲しくなってきた。ドレちゃん一度こういった思考に飲まれるとしばらくブルーになってしまうのだ。

 

 ともかく、私から見れば皆様幸せ一杯空間で周囲の方と仲良くしているようにしか見えないのに当の本人がそれを案じている所はまるで私に対する嫌味のようにも見えてしまう。いや、そんなに嫌な気がしているわけではないけれど、妙に悲しくなっちゃうのだ。

 別に私の今がとても寂しいわけではないが、私は愛に飢えているのだ、きっと。夢で腹は膨れても心は満たされないのです。ドレちゃんは夢の中でも現実でも愛が枯渇して乾涸びる寸前。私が何をしようと夢の中では忘れ去られるだけ。ああ、ドレちゃんを捕まえて離さない、そんな素敵な方はいないのでしょうか。

 

 ドレちゃんは追いかけるのも好きですがたまには追いかけられて観たいものです。まぁ、無理な相談だろうけども…。いけない、いけない。また欝ルートに入りかけていた。今日はなんだか思考がそっち方面よりなので出直すとしましょう。

 

 それではまた何処かの夢の中で。

 

 

 

 



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21 最強無敵と夢中無敵

 

 

「……」

 

 自分の携帯に並ぶ文字列に冷や汗を流さずにはいられない。学校が休校になるということだけ見れば手放しで喜んでもいいものかもしれない、普通の高校生ならそれで正しい反応なのかもしれない。それでも私は間違っても喜べなどしない。喜ぶどころか焦りすら感じている。

 その原因はココ最近の神隠し事件。その被害者がじわじわと増えてきた今、週刊誌や夕方のニュースでも取り上げられはじめ、学校としても休校措置をとらざるを得ないことになったのだ。つまり、ウチの生徒も家出では言い訳が効かぬほどの人数が神隠しにあっているということである。もはや手をこまねいている暇はない。

 

 と、言っても私から何かアクションを起こすことは難しい。私の考えではこの神隠しの主犯は以前霊夢さんの言っていた獏なる妖怪のドレミー・スイート。この妖怪にどこまでの力があるか分からないが、恐らくこの妖怪が何らかの目的で人間を夢に引き摺り込んでいる…そんな事が出来るのか分からないけれど紫さんのようにスキマと夢を空間的に似たようなものと考えるなら可能なはずだ。つまり私はドレミー・スイートを探せばいいわけだ。そこで霊夢さんに力を借りようと思ったのだが、彼女的に外の世界の異変に手を出すのは望ましいことではないらしい。博麗の巫女の外の世界への干渉はただ首を突っ込んで終わり、とはいかないそうだ。となると私が出来るのは1つ。夢でドレミー・スイートに会うしかない。会って私が颯爽と退治し、この異変を解決するのだ。私は、獏は悪夢を好んで食べるらしいので悪夢を見るように眠る時にめちゃめちゃ暑くしたり、寒くしたり、枕をひっくり返してみたりと試し続けているが未だに出会えない。

 勢いづいたのに向こうからやって来るのを待つしかないというのはなんともから回るものだ。

 

 

 

 〇

 

「あーっ!! やっと見つけたわ! 貴方がドレミーね、絶対そう! そうじゃないと困るわ!」

 

 夢の中で私を知る人物に会うのは久方ぶりだろう。いつも通りに参上し、いつも通りに食事だけ済ませて立ち去るつもりだったのだが、私を探していたようなのでそうもいかないだろう。少し嬉しいが…はて、どこかで会ったことがあっただろうか。

 

「いかにもいかにも。私、数々の夢を処理し、皆々様に平穏なる睡眠を与える天使のような――」

「御託はいいわ! もうネタは上がってるんだからね!」

 

 ん? ネタとは何のことやら。それに凄まじい勢いで敵意を向けられているのは何故だろう。彼女のサイキック能力をフルに使っているおかげかせいか、先程まで見ていた夢世界がもはやボロボロ。こんな簡単に悪夢が壊せるなら獏も商売あがったりである。

 

「はて、ネタとは?」

「ははーん? さては知らばっくれるつもりね! いいわ、私が無理やり吐かせてやるから覚悟なさい!」

 

 今にも月に代わって~とか言い出さんばかりの見栄を切り、どこから出したかお手製のマントを翻した彼女。手のひらを私にかかげて何かと思えば、その可愛らしい手のひらから出てきたのはなんと炎。かっこいい。

 

「あちち、急に何ですか」

 

 思わず身を逸らしたが私のキュートな尻尾が少し焦げてしまった。

 

「すばしっこいわね!」

 

 キャンキャンとワンコばりに走り回る私を追いかける火の手。夢の世界でハッスルしてもらう為に私を攻撃するのなら構いやしないが、どうも彼女はそういう趣味でもないらしい。それに、先程の発言の意味も落ち着いて尋ねたいのもある。

 

「どれ」

「むっ」

 

 走り回るのを止めて彼女の炎を受けてみた。私が熱いと思えば熱いし、熱くないと思えば熱くないので問題は無い。対する彼女は平然とする私に文句がありそうな顔をしているが。

 

「火、効かないんだ」

「効きますよ? 今は効きませんけど」

 

 嘘ではない。

 

「なんかよくわかんないけど、倒しがいがあるってもんよ! この異変は私が解決してみせる!」

 

 

 

 〇

 

「あああっもう! どうしたらいいのよあんた!」

 

 ようやく飽きたのか眼鏡な彼女はその場に体育座りして顔を埋めてしまった。拗ねた子供のようでなかなか可愛い。彼女が何処かの巫女さんよろしく大見得をきってから私に対して様々な超能力を試して見せた。多分、彼女が出来る全てのことを試したのだろう。その全てがわたしには意味の無いものだったのだから拗ねてしまうのも無理はない。ただ、これだけ聞いていると私が彼女を虐めたみたいに聞こえるかもしれないが、私にだって言い分はある。瓦礫だの風だの電気だの光だの水だの…傷にはなりゃしないが地味に嫌なものである。髪はボサボサになるし、服は帯電してぱちぱち言うし、フラッシュで頭痛がするし、水のせいで髪も服も靴下までびちゃびちゃ。水も滴るいい女、いやん。

 じゃなくて。

 

「一通り終わったようなのでお話しましょう」

「…何を話すっていうのよ」

 

 抱いた膝の隙間から聞こえる声は登場時からワントーン低い。

 

「まずはそうですね。貴方のお名前からよろしいですか?」

「……菫子。宇佐見菫子」

 

 はて、宇佐見という性には少し耳馴染みがあるような、ないような。まあ、そこはさておき。

 

「では、菫子さん。貴方のおっしゃる通り、私はドレミーと申しますが、ネタというのは心当たりがありません。まして、異変など起きていることすら知りません」

 

 存在が異変なのよ! とかいわれたらヘコむなんてレベルではない。吐かせると彼女が言うからには何か異変は起きているのだろうけども。

 

「…ほんとに?」

「ええ、本当に」

 

 ちらりと目線を上げて恨めしそうに私を見つめる菫子さん。いじらしくて可愛らしくてつい頭を撫でそうになるがそこはグッと我慢。またびしょびしょにされてはかなわない。

 

「なーんだ、あなたが犯人じゃないのかー…。あーあ、振り出しかぁ…」

 

 立ち上がって悔しそうにしたと思ったらすぐ地面に手をつけて途方に暮れる菫子さん。更に声のトーンが低くなった気がしないでもない。

 

「まあまあ。私は菫子さんの期待する犯人ではありませんがこれでも夢のプロですから何かお力になれるやも知れません。事情をお聞かせ願えますか?」

 

 気落ちする彼女を放っておけないというのもあるし、恩を売っておいて損は無いというのもある。できる女故、申し訳ない。てへぺろ。

 まあ、首を突っ込む理由はそれだけじゃないんだけども。

 

「うーん…まあ、そうね。じゃあ話してみようかな」

「どうぞどうぞ。ここは夢、何を言おうが誰にも聞かれません。ドレ子の部屋のはじまりはじまり」

 

 ルールル、ルルル、ルールル…やめとこう。

 

 〇

 

「以上が私がドレちゃんを探していた理由。まあ、それも見当はずれだったわけだけどね」

 

 彼女は神隠しについてこれまでの経緯をドレミーに話すと溜息混じりに肩を竦めた。いつの間にかドレちゃん呼びなのは気にしない。

 

「なるほどなるほど。よくわかりました」

 

 これまで静かに相槌を打っていたドレミーは立ち上がり、頬をつついていた指を、いつの間に出したのかティーカップにかけて一口すする。

 

「何か心当たりとか? ってうわ紅茶か」

 

 それにならうように菫子もティーカップを傾けるも、慣れない紅茶に少し眉を寄せた。

 

「紅茶は嫌いですか?」

「あんまりかな」

 

「では何を?」

「ジンジャエールとか?」

 

「はいな」

 

 さながらマジシャンの様にドレミーはキレのいい指パッチンを一度鳴らす。すると菫子の手の中のティーカップは気付けばジンジャエールの並々注がれたコップに早変わり。菫子は口直しとばかりにそれを勢いよく傾け、満足そうに眉を上げてドレミーに向き直る。

 

「それで、心当たりとかある?」

「………」

 

 突然、歯切れ悪く黙るドレミー。何かを考え込むようにじっと押し黙る。

 

「ちょっと」

「はいはい。すいません、少し考え事をしていました」

 

 菫子に急かされようやく我にかえった様子。

 

「現時点で明確な心当たりはありませんね」

「は~、やっぱりね」

 

 ジンジャエールで復活した彼女の気力が崩れていく音が漏れたようなため息であった。そこから菫子がまた膝を抱こうとするより前にドレミーが続けた。

 

「ですが、神隠しに関しては私に預けて頂けませんか?」

 

 俯きかけた菫子の顔が不思議そうに持ち上がる。

 

「どゆこと?」

「そのままの意味で。私が何とかしましょうということですよ。菫子さんはもう、お休み下さいませ」

 

 帽子を脱いで恭しく頭を下げるドレミー。ふざけて見えるドレミーに菫子は少し頬を膨らませた。

 

「でもこれは私の…というか現の問題なんでしょ? 夢のプロでもこれには手出し出来ないでしょ」

「ノン、菫子さんの推理は恐らく合っています。八雲紫の言ったヒントはキチンと解釈出来ていると思います。つまり、あなたは夢を通り現と幻想を行き来している。そしてあの八雲紫が言うからにはその犯人も恐らく夢を使っているのでしょう」

 

「でもドレちゃんは犯人じゃないんでしょ?」

「ええ、もちろん。私は人の為を思いこそすれ、人を攫う理由がまんじりともありませんから」

 

 人の為、という部分をいやに強調したドレミーに少し笑いつつも菫子は片眉を持ち上げた。

 

「じゃあ――」

「犯人でなくとも、夢に関わるのであれば私に分からないことはありません」

 

「でも私が勝手に夢を使ってるのは知らなかったよね?」

 

 食い気味で自信ありげに胸を張る獏に菫子が突っ込む。

 

「その気になればという話ですよ。常に夢を監視調査なんて不可能ですが、調べろと言われればどんなバグも見逃しません」

 

 ドレ顔、もといドヤ顔をしてみせる獏に菫子は胡散臭そうに視線を投げるもドレミーには効かない。

 

「でも、全部丸投げってのもなんかなぁ…」

「私の手間を言っているのであればなんの問題もありません。私が進んでやりたいボランティアですから」

 

「いや、というよりも紫さんによれば私のせいで犯人が夢を通れるようになったって言うから、何となく罪悪感が」

 

 菫子はドレミーにやった視線を今度はバツが悪そうに横に逸らした。

 

「そこも調べてみないと分からないことですがね。慰めるとするなら、菫子さんは私に神隠しという異変を伝え解決に導いたことになるわけですから実質菫子さんのお手柄ですよ」

 

 にんまり笑うドレミーをよそに菫子はやはり不満そうに髪をかきあげた。

 

「はぁ、まあしょうがないよね。最強無敵の女子高生も夢が相手じゃ分が悪いし、ここは素直に専門家に任せるとしようかな」

「ええ、どうぞお任せ下さい」

 

「でも急いでね、ドレちゃん。あんまりもうちんたらしてられないから」

「それはもう。なる早ってやつですよね?」

 

 イタズラっ子の様にウインクをするドレミーに心配を隠せない菫子であったが、任せると言った手前文句も言いづらい。

 

「ドレちゃんと話すと疲れるわー。私はそろそろ帰るけど、よろしくね」

「つ、疲れる……。ええ、お任せ下さい。それではよい現を」

 

 疲れるというワードにひっそりとダメージを受けつつも営業スマイルで乗り越えたドレミーだったが少しずつ離れていくドレミーを呼び止めた。

 

「ああ、忘れてました。一つだけお願いがあります」

「お願い?」

 

 首をかしげた眼鏡っ娘にドレミーは笑い、口に人差し指を一本添えた。

 

「この話、霊夢さんには内密で。霊夢さんに伝わらなければ誰に話して頂いても構いませんが、彼女には伝えないで下さい」

「…? うん、分かった」

 

 困ったような笑顔を見せるドレミーに困惑気味に返した菫子。その返事を聞くとドレミーは満足そうに頷いた。

 

「ありがとうございます。それでは気を取り直してよい現を」

 

 

 

 〇

 

「おい、霊夢新聞取ってくれ」

「自分で取れ。よくもまあ家主を顎で使えるわね」

 

 それぞれ炬燵に入り亀のように丸まっている白黒と紅白。紅白の方に毒付かれた白黒はのそのそと立ち上がり、部屋の隅に固めて置かれた新聞の一番上の一部を拾い、またのそのそと炬燵に戻っていった。

 

「あ、そうだ。この新聞読んでて思い出したけどミスティアもしばらく見てないんだよな」

 

 魔理沙は唐突に起き上がり、天板の上に頭を預ける霊夢に語りかける。

 

「あー? 夜雀が何? っていうか『も』って何よ」

「や、だからさこれ見てみろよ」

 

 そう言って広げた新聞紙を指さす魔理沙。その指先には神隠しの文字がある。

 

「なーんか結構前にも似たような話をだれかから聞いた気がするわ。ってか確か妙蓮寺の連中もこの前言ってたかしら」

「なんて?」

 

「から傘と山彦がどっか行ったんだけど何か知らないかって聞かれたから家出でしょ、って言っといた」

「お前なぁ」

 

 倒れたままの霊夢に呆れる魔理沙。その声でようやく霊夢は頭を持ち上げた。

 

「何よ」

「悪いとは言わんけど、無関心過ぎだろ」

 

「異変でもないのに動きたいわけがないわ。まして今の季節は尚更」

「寒いからな! じゃなくて。神隠しは異変だろ」

 

「あら、それにはキチンと答えたじゃない」

「?」

 

「家出だって」

「お前なぁ…」

 

 新聞に載る程の集団家出、それも妖怪のなんてあるわけないだろ。そんなことをぶつくさ呟きつつ、これ以上霊夢をつつけば不機嫌になって「じゃああんたが調べなさい」とか言い出すのを分かっている魔理沙はそこで話を切り上げ、新聞を端に置いた。

 

 魔法使いも寒さには負けるのだ。

 

 



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22 夢色の宿痾

 

 今日はなんだかとても眠い。もういつまでだってここで眠ってしまいたい。

 

 〇

 

「私はお前のおもちゃじゃねーんだ!」

 

  一体いつの夢を見ているのやら。

 それはいつまでも干渉する私の父親に対してつい口が出てしまった時の懐かしい記憶。私はこの日、この言葉をきっかけにして家を出た。まあ、家を出たと言ってもしばらくは香霖の厄介になってたんだけど、それはそれ。ともかく私は家を出、はれて自由の身となったわけだ。私が魔導書を読むたびに怒鳴り散らしてきた父はもういない。これからは私が好きな時に食事をして、好きな時に本を読んで、好きな時に寝るんだと思うとなんだかワクワクした。母に会えないことだけは唯一名残惜しいものがあったが、私の中の未知への好奇心に勝る程じゃあなかった。

 

「まったく、いい加減戻った方がいいんじゃないか?」

「はあ? なんで戻る必要があるんだよ。せっかく一人になれたってのに」

 

  しばらくして香霖のツテで魔法の森の中にある小屋に住むことになった。小屋と言っても一人で暮らすのなら充分過ぎる大きさだった。香霖堂の裏で親の捜索の影に隠れる生活ともおさらばというわけだ。なのに香霖ときたら私に家に戻れなんて言いやがる。たしかにたくさん世話にはなったから感謝してるけど、なんだって私があの家に戻らなきゃいけないんだ。

 

「君が思っているよりも一人暮らしってのは辛いものだよ、魔理沙」

「はん。私は香霖みたいにナヨナヨしてねーからな。なんの問題もないね」

 

  心配してくれた香霖を私は一蹴したんだった。そう言えばそうだった。私が選んだ道だった。別に今後悔しているわけじゃない。そうじゃないけど私には別の道だってあったんだ。

 

「あー…しんど…」

 

  熱が出たって。

 

「あてて…いったいな」

 

  怪我したって。

 

「お腹…空いたな」

 

  食料が無くなったって、誰も世話を焼いてくれないんだ。そりゃ当然さ。一人暮らしはそういうもんだ。その代わりに私は好きな時に好きなことが出来るんだ。私は普段はこんな事考えたりしないけど、不意に、本当に突然にやってくるんだそいつは。それは例えば水浴びしてる時だったり、病気で寝込んでる時だったり、異変解決の宴会の後だったり、夜ベッドで眠る時だったり、ともかく私が一人きりの時にそいつはやってくる。

  怖くなるんだ。どうしようもなく。何が怖いのかも分からないけれど、なんだか見えないものに追われているみたいな、とても大きな空間に私だけが残されてるみたいな、なんとも言えない怖さが体に染みるんだ。そいつに捕まるとどうも駄目なんだ。眠って忘れようたって中々寝付けない。寝覚めだって最悪な上に怖さは抜けない。それがどこかへ消えるのは誰かと一緒にいる時。だから私が朝っぱらから博麗神社に行く時はそういうこと。

  でも今日はなんだかおかしい。あの訳の分からない怖さに取り憑かれ、逃げるようにベッドの上で足を抱いた。その内疲れて眠ったんだ。そしたら昔の夢を見てた。私が家を出た時の夢だった。それで、私が今の生活を始めるまでのことを夢に見ていたはずなのに気付いたらまた眠りについて、夢を見る。私は一体いつ起きて、いつ眠っているんだろうか。

  でもこの気持ちの悪い感覚は間違いなく夢のはずだ。私は夢を見ているんだ。とても気持ちの悪い夢。でも、こうして夢を見ているあいだは怖いけど、きっと朝になればまた怖さから逃げるために霊夢に会いに行くんだ。実を言うと、あんまりそれはやりたくない。あいつに会うのが嫌なんじゃないさ。あいつにその自覚はなくても、何回も助けられるのが性にあわないんだ。怖くてたまらないならその怖さを打ち破ってやるさ、私一人で。それが一人暮らしってもんだろ。

  このセリフももう何度目か分からないけどな。

  それよりも今日はなんだかとても眠い。色々考えるのば馬鹿馬鹿しくなるくらいに…とても…眠い。

 

 〇

 

  トツトツと響く乾いた足音。代わり映えのない槐安通路を歩く彼女はいつになく真剣な表情である。普段、彼女が努めて見せる明るい顔も、くだけた雰囲気も今はすっかり見えなかった。彼女の頭の中で渦巻く懸念がそれを隠すのだ。

  幻想郷では未だに新聞の一片にしか載らない程度の些細な話題、現を生きない彼女がそんな些細な話を知るわけもない。宇佐見菫子という外来人が予期せぬ形でもたらしたその事実は夢の支配者を動揺させるには充分だったらしい。

 

  この神隠し異変は決して小さなものでは無い。それは幻想郷から外の世界に対しての危害という形のアプローチだからである。幻想郷を創った賢者の一人である八雲紫がわざわざ出張っている点を見てもそれはわかる。

 そもそも、幻想郷は八雲紫を初めとする賢者たちが作りあげた魑魅魍魎のための世界であり、それは科学から彼らを守ることを意味する。外の世界でお伽噺の様に語り継がれるのに問題は無い。外の世界で人間からの信仰を得ることも問題は無い。何故ならそれは人間たちの実質的不利益に繋がるものでは無いからである。しかし、この神隠し異変はそういったものとは全く異なる。幻想郷の妖怪が、人間に敵意を向けているということは科学を敵に回すことに他ならない。それは幻想郷の魑魅魍魎には望ましい話ではないのだ。

  幻想郷としてはこの異変を早急に解決する必要があるわけであり、そしてその為に動くのは博麗の巫女なのだ。弾幕ごっこというある意味での盾があるとはいえ、博麗の巫女が未だに昔ながらの妖怪退治をしているのも事実である。此度の首謀者がどうなるのかは夢の支配者たるドレミーにも分からない事だ。

 

「…」

 

  考えているうちに辿り着いた扉の前でドレミーはしばし動きを止める。どうするべきか、なにがベストなのか。一度ドアノブに手をかけ離す。やがて目を瞑り意を決したように彼女は扉を開いた。

 

「ただいま戻りました」

「ああ! おかえりなさいませ! ドレミー様に味見していただきたいものがあるのですがよろしいでしょうか?」

 

  ドレミーが帰るやいなや中から元気に飛び出してくる同居人。目を輝かせてドレミーに縋り付くその姿には一抹の不安定さを感じてしまう。

 

「ええ、構いませんよ」

「わぁー!! ありがとうございます! すぐにお持ちしますのでお掛けになってお待ちください!」

 

  そのまま風のようにまた戻って行ったルーの姿に普段なら笑顔をこぼす彼女の顔は今日は陰っていた。何かを頭の中で抱えたまま彼女は座り、やがて戻って来るであろうルーを待つ。どこから出したやら、いつ出したやら、手元にあるティーカップの中の水面が静かに揺れた。

 

「お待たせしました! こちらがドレミー様に味を見ていただきたいモノです!」

 

  そう言って彼女が差し出したのは獏の食料たる悪夢の塊であり、それは獏であるドレミーからすればお目にかかったことがないような豪華な食べ物であった。一見ではとても大きく見えるそれも獏なら一口に、キレイさっぱり食べてしまうことが可能である。普段から他人の夢に入り込んで食事をする時、ドレミーは一口に終わらす。これはあくまでも獏の食事は二の次であり食事を長々と続けることもない、夢の所持者へ一刻も早く安眠を与えたいという彼女のポリシーがなすわざである。そしてそれは安眠を与えたいという彼女の願望と夢とその所有者への敬意に他ならないのだ。そんな彼女がルーの出した夢を前に動きを止めた。

 

「これは…?」

「ええ! 頑張って作りました! 自分ではとても上手くいったと思うので是非!!」

 

  ドレミーはしかめた眉を緩め、表情を落としてスンスンと匂いを嗅いだ。やがて彼女はゆっくりと腕を持ち上げ、目の前の悪夢の端を指で掬い、それを口に運んだ。ドレミーの言葉を期待の眼差しで向けつつ、行儀よく待つルーと味わうように目を閉じるドレミー。静かな時間が少しの後にようやくドレミーが口を開いた。

 

「……美味しいですね、とても」

「っほんとですか!? 本当にですか!? やったあああああい!!」

 

 静かに述べられたドレミーの感想はルーの期待していたものであり、飛び上がって喜ぶに充分だった。何故ならかつて一度失敗してからドレミーはルーの出したものを食べることにすら抵抗を抱いていたのだ。食べて、しかも褒められたとなればそれは嬉しいことだろう。しかし、文字通り手放しで喜ぶルーをドレミーが手で制止する。

 

「しかし、どうも匂いがありますね」

「…匂いですか?」

「ええ、匂い。確かに悪夢には違いませんが、これは――養殖の臭みです」

 

  いつか感じたそれはもはやドレミーの中で確信に変わっていた。

 

「…どういうことでしょう?」

「それは私よりルーさん、あなたの方がよくご存知ですよね?」

 

  ドレミーの言葉には影が、何よりも重みがあった。覚悟を決めたように机に手を付きつつゆっくりと立ち上がったドレミーに対し、もう一匹の獏は少し引きつった笑のまま、ほんの少しだけ後ずさりした。

 

「匂いがですか?」

「ええ、では少し聞き直しますね。これは誰が作ったものですか?」

 

  ドレミーが指さす先の悪夢塊。彼女の中で確信に至ったきっかけ。微睡むような不明瞭さを孕んだそれ。良くいえば多彩、悪くいえば継ぎ接ぎだらけの代物。

 

「? それは私が――」

「調理の話ではなく、材料の話です」

「それはもちろん…人間や妖怪たちの悪夢です」

 

  何を言っているんだと言わんばかり、事もなげに答えるルー。この悪夢塊は様々な悪夢の集合体であり、その一つ一つが普段、ドレミーらが食しているそれらとなんら遜色ない代物なのだ。たしかにドレミーであってもこのように悪夢を複数個重ねて食べることは可能である。

 

「して、その数は?」

 

  しかし、それは悪夢が少数の場合に限った話。夢というのは不安定なもので、現に存在できる時間は短い。仮に槐安通路という夢と現の狭間のごとき曖昧な空間であっても夢がそれ単体で存在できる時間は多くない。複数の夢を食べるというのは単純にドレミーが頑張って全速で悪夢をひったくり、他の夢にわたり、また頑張って全速でひったくりを繰り返して悪夢の消えるその時に集めた悪夢をまとめて食べるだけである。彼女がドレミーに味を見てほしいと言ってひっこんでからドレミーの前に運んでくるまでの時間を考えれば、たとえドレミーであっても出来て五個。それでもほかの獏たちが聞けば腰を抜かす早さである。

 

「………」

 

  しかし、ドレミーがこの塊に感じた悪夢は五個どころではなかった。それは何百、何千年と悪夢を食べ尽くしてきたドレミーですら一つ一つの判別は不可能だと感じざるをえないほどの種類、その数――

 

「――百を超えてから数えるのはやめました」

 

  百を超える悪夢。ドレミーですら一度に保持することはないであろうその莫大な夢の彩。

 

「十では足らなかったんです」

 

  語り継ぐ獏たちには到底考えも及ばない。

 

「百でも足りませんでした」

 

  黒く塗りつぶしたような瞳はより深く、より歪に。しかしその顔はとても愉快に。

 

「いまだ完成には至らずとも私の目指す、ドレミー様に食べていただく完璧な夢の続きの一端がこれなのです」

 

  その莫大な夢を一度に手にすることはドレミーにも不可能である。だがそれは真っ当な方法ならの話である。ドレミーが知る限りで一つだけそれを可能にする方法があるのだ。

 

「ルーさん」

「はい何でしょう」

「実はこんな話を今日聞いたんです」

 

  しかしその方法はドレミーならできない…と言うよりもしない。何よりも夢の持ち主を重んじる彼女、獏というバグを認める彼女だからこそしないのだ。もっと横暴なら、もっと傲慢なら、もっと尊大なら、もっと横柄であったならそうはならなかっただろう。

 

「外の世界の人間がどんどん消えているそうな。神隠しなんて言われているみたいなんです。おかしいですよね神隠しなんて」

 

  だから彼女には考えられなかったのだ。しかし、ルーの作った悪夢を口にしてそれは確信となった。

 

「これは神隠しでもなんでもありません。単に貴方が誘拐したんですよね? ルーさん」

 

 

 



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