コードギアス ~遠き旅路の物語~ (アチャコチャ)
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Re:00

 この小説を読む際は以下のことにお気をつけ下さい。

 ・逆行もの
 ・ルルーシュ最強
 ・ルルC
 ・独自設定
 ・特定キャラの優遇、冷遇(ルルーシュ側ではないキャラの扱いが厳しいです、特にラグナレク組)
 ・原作生存キャラの死亡あり。

 以上、ルルーシュが好きでないと読みづらい内容となりますので、苦手な方はお戻り下さい。


 抜けるような青空だった。

 

 後に青空を見上げれば、多くの人々が思い出す事になるだろう、この日。

 時代の終わりと、始まり。歴史の転換日。

 その事実を知らずにいる者達は、その胸に様々な想いを宿しながら、歴史の目撃者となるべくその中心となっている人物のもとに足を運んでいく。

 だが、その流れに逆らい、静寂に身を置く存在が一人。

 先の戦いの先駆け、神の名を冠する大量破壊兵器によって、被害を被ったとある学園に置かれた礼拝堂でその少女は一人、静かに祈りを捧げていた。

 ライトグリーンの長い髪をステンドグラスから差す光に濡らし、唯々祈りを捧げるその姿は少女の持つどこか人間味を欠いた容姿と合わせ、静謐な雰囲気を醸し出していた。

 一見すれば、敬虔な信者に見えるが彼女は神という存在を信じてはいない。

 世間一般でいう神がいるなら、自分はこの身に科せられた呪いから、とうの昔に解き放たれているだろうし、長い月日の中で相対した神と呼ばれる存在は信仰の対象と呼べるものではなかった。

 ならば、これは誰に捧げた祈りなのか。

 それは彼女にも、よくわかっていなかった。

 あえて、この行為に名をつけるなら、そう、願いだ。

 これから、死に逝く、罪深き王への小さな願い。

 瞼を僅かに震わせながら、少女が目を開く。

 小さな顎を持ち上げて、顔を上げれば琥珀色の瞳が細まる。

 降り注ぐ陽の光の強さは、建物の中にいても外の天気を窺わせた。

 もっとも、これから起こることを知る少女にとっては、この空模様は皮肉以外の何物でもなかった。

「――…」

 不意に彼女の口から音が零れた。

 小さく漏れたそれは、誰かの名前だったかもしれない。

 そして、それが切っ掛けになったのか、少女の瞳が涙に揺れた。

 

 今朝のことだ。

 その口の端から漏れた名の男を見送ったのは。

 周囲から何の気まぐれか、と思われながら学園のクラブハウスを建て直した男は数日前から其処に住み着いていた。

 本当に身が粉になるのではと思わせる程、忙しなく動き回っていた男はここに辿り着くと、これ迄とは打って変わって穏やかに時間を過ごし始めた。

 その姿を見て少女は男がやるべき事を全てやり遂げたのだと悟るのと同時に、これが彼にとっての最後の時間になるのだと気付いて胸が苦しくなった。

 それでも、それからの日々は穏やかで。

 ひょっとしたら、これからも続いていくんじゃないかと思わせるような何気ない日常は、しかし、今日という日で終わりを告げた。

 変わらない朝だった。

 いつものように、目が覚めると男の姿はなく。

 着替えることもせず、キッチンに足をやれば朝食を用意している男の背中が見え。

 その背中に挨拶よりも先に「ピザ」と言えば。

 振り返った男は、眉を寄せ、少女の姿を視界に収めると思わせ振りに溜め息を吐き、それでも文句を言うことなくリクエストに答えるためにオーブンを弄り始めた。

 そして、出来上がった朝食を二人で会話をしながらいただく。

 特に代わり映えするような話はなかった。

 あえていうなら。

 一言、二言。男の話の中に少女の未来を気にする言葉があったくらい。

 別にこれまでと変わらない、と告げれば。

 男もそうか、と答えてそれで終わり。

 後はいつも通り。

 ただ、食事の終わりの挨拶が「ごちそうさま」ではなく「ありがとう」だった。

 そして、約束の時が訪れる。

 少々絢爛な死装束を纏い、自らが用意した処刑台に向かう男の後ろをゆっくりと付いて行く。

 お互い、その胸中にどのような感情が渦巻いているかわからない。

 ただ、儚げな容姿とは裏腹にとても大きく、鮮烈な印象を与えるその背中は、これから先の、いつ終わるとも知れない人生の中でも決して色褪せずに自分の胸にあるだろうと少女は思った。

 やがて、二人の歩みは止まる。

 終着点は、男がその人生をかけて愛した存在と共にあった箱庭の終わり。

 男はそこから先に少女を連れて行こうとは思わず、少女もまた、付いていこうとは―、付いていけるとは思ってなかった。

 男が振り返る。

 これが最後になる時を、しかし、彼女はよく覚えていない。

 別れの言葉を交わしたかもしれない。あるいは無言のままで見つめあっていたか、もしくは愛を囁いていたかもしれない。

 気付いた時には、男を見送っていて。

 その足を礼拝堂へと向けていた。

 辿り着いた礼拝堂の扉に手を掛ける。

 そういえば、少し前にこの場所で同じように契約者を喪った事を思い出しながら少女は礼拝堂の中に歩を進めた。

 

 そして、今に至る。

 自らの内側に意識を向けると自分と男の繋がりを感じるので、彼がまだ生きていることに安堵の息が漏れる。

 だが、それも、もう間もなく消えるのだろう。

 世界中の罪と、負の連なりを背負って。

 この世界中で最も歓迎される死に至ることで。

 そう実感したら、もう無理だった。

 瞳にたまった涙が溢れ、頬を伝っていく。

「――…ーシュ、お前は人々にギアスを掛けた代償として…」

 かつて、ある王は湖の貴婦人から戴いた王の力を以て国の為に戦い、その死に際に臣下に命じてそれを返したのだという。

 ならば、これから死に逝く魔王もまた、同じなのだろう。

 魔女から得た王の力を以て、世界に抗い、その死によってその力に終止符を打つ。

 全ては新しい世界の為に。

 そして、人の理から外れた力に手を染めた罰として。

 ふざけた男だ、と少女は思う。

 その力を禁忌と、罪と認めながらも、それを与えた魔女のことをただの一度も責めはしなかった。

 裁かれるべきは自分だと、罪と知りながらも使い、歩み続けた自分だと言い、少女との出逢いを感謝した。

 その言葉がどれくらい、少女に祝福をもたらしたか男は知らないだろう。

 だから、少女は自らの願望を見送った。

 だから、少女は自らの想いを抑えてこられた。

 だから、少女は――…

「――――ぁ」

 不意に少女の声が漏れる。

 先程まで、確かに感じた男との繋がり。

 それが。

 ――途切れた。

 まるで雪のように。

 溶けるように。

「あ、…ぁぁ、ああ……!」

 少女の口から嗚咽が零れていく。

 いなくなってしまったと。消えてしまったと。

 そう実感していく度に、嗚咽は抑えきれなくなり。

 そして。

「る、る…しゅ……!」

 それが引き金となり、少女は悲しみを解き放った。

 蹲り溢れ出した感情のまま、泣き叫ぶ少女の声が礼拝堂に響いた。

 

 それから、どれくらい経ったか。

 人間らしい感情など、とうの昔に捨て去ったと思っていた少女は、自分でも信じられないくらいに泣き叫び、胸を痛めた。

 自分にこれ程人間らしい振る舞いをさせるくらいに深い感情が残っていたことに驚くくらいには落ち着きを取り戻していた。

 それでも、まだ、なお震える心を落ち着かせるために深く息をはき、瞳に残った涙を拭う。

 そして、泣き腫らして脱力した身体に力を籠め、立ち上がる。

 彼が、自らの道を歩み切り、彼方へ旅立ったのなら。

 少女もまた、歩き出さなければならない。

 もう一度、「生きていく」ために。

「私も、行くな…?」

 そっと、胸に手を当て呟く。まるで其処にいる存在に語りかけるように。

 私も旅立とう。

 お前が望んだ世界を見るために。

 お前に私との約束を破らせないために。

 お前に笑顔で逢えるように、旅立とう。

 そうして、旅立つために荷物を取りに行こうと踵を返した身体が、―ギクリと固まった。

 扉が開いていた。

 入るときに閉めた扉からはステンドグラスから差す光よりも多くの光が礼拝堂に入り込み、それが少女の瞳を灼く。

 だが、少女の身体を強張らせたのは其れではない。

 その光をまるで後光の様に背負い立つ何者かの存在だった。

 いつから居たのだろう。

 信心深い信徒が羽織るローブのようなものを纏っているせいで男か女かは分からないが、その某は中に入ることもせず、ただ入口に立っていた。

 片手に光を受けて輝くモノを持ちながら。

「――ッ」

 それを認めた少女が身構える。

 まさか。早すぎる。

 そんな思いが少女の胸中に湧く。

 男が死んだ以上、次は彼の周りにいた人間が狙われるだろうことは想像に難くない。

 だが、男がいなくなってから、そう時間は経過していないはず。

 ましてや、少女は彼の配慮もあって、外部の人間の目に付く場所には姿を晒すことはなかった。

 それ故に、こんなに早く自分が狙われたことに少女は驚きを覚えていた。

 しかし、実際問題、こうなってしまった以上どうこう言ってはいられない。

 素早く思考を切り換え、どうやって逃げるか少女は考えを巡らせる。

 幸い、相手は一人だ。

 隙を突いて、逃げ出すくらいは何とかなると少女は考える。

 だが、現実は彼女の予想を上回る。

「――ぁ」

 決して油断していた訳ではない。

 むしろ、相手の一挙一動に注視していた。

 だというのに。

 気付けば、自分の腹部に異物が刺し込まれていた。

「っ…」

 鋭い痛みに少女の顔が歪む。

 幸い、傷は致命傷には至らない。否、致命であっても彼女の身体はその理を覆す。

 長い時の中、疎むことはあれど、有り難く感じた事は無かったこの身の呪いに、少女は初めて感謝した。

 自分は今、死ぬわけにはいかないのだから…。

 痛みに震える身体を叱咤し、踏ん張りを利かせる。

 乱れる呼吸で、強引に肺に酸素を送り込み身体に力を巡らせる。

 そして、睨み付けていると思える程に力の宿った瞳が現状から逃れる為の出口を捉えた。

 その瞳が、急に闇に閉ざされる。

 何が、と思ったのは一瞬。すぐに目を―、額を相手の手が覆ったのだと理解する。

 意図の見えない行為に少女は若干戸惑いを見せるも、直ぐにその手を払いのけようとする。

 その次の瞬間。

 

 ドクン

 

 少女の身体が脈動した。

「!」

 心臓の音ではない。

 まるで少女の存在自体が震えたかのようだった。

 驚愕が少女を襲う。

 何か不味い事が起こっている。

 そう感じた少女は湧き上がる戸惑いと焦燥感を押し退け、相手から逃れようとする。

 だが、逃れようと懸命に少女が身体に力を入れるも、彼女の身体はまるで糸の切れた人形のように動かない。

 そして、その身体を激しい痛みが襲った。

「――、――」

 声にすらならない叫びを上げる。

 津波のように押し寄せる激しい痛みに身体が悲鳴を上げる。

 いや、違う。

 悲鳴を上げているのは、彼女の身体に巣食う呪われた力―、その源泉。

 自分の身に何が起こっているのか。その力と長く付き合ってきた少女にも分からない。

 だが、それが自分にとって良くないことであるのは感じるのか、少女は動けない身体を必死に動かそうとする。

 しかし、彼女を壊そうとする力は、彼女のそんな意思すら呑み込もうとする。

「あ……」

 意識が千々に乱れる。

 必死に繋ぎ止めようとするが、少しずつ溶けるように闇に堕ちていく。

「ル、ル……」

 心も身体も。

 消失していく中で呟いたのは一つの名前。

 それは、恐らく彼女にとって世界で一番大切な人の名前。

「すま、……な、…い」

 口にした相手の姿を思い浮かべ、謝罪する。

 それが何に対する謝罪なのか。それを考えるだけの力は、もう少女には無かった。

 つーっと涙が一筋、少女の頬を流れる。

 それを最後に少女――、C.C.の意識は闇に消えていった。




 ちまちま更新していきます。
 早い更新は期待しないで下さい。


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Re:01

 ハッ、と鋭く息を吐く音と共に意識が覚醒する。

 意識の浮上に従って思考がはっきりするよりも前に、C.C.は半ば反射的に身体を起こした。

「ここは…」

 思考が次第にはっきりしていく中、何が起こったのか、と思いながら周囲に目をやったC.C.はぽつりと呟く。

 そこは先程まで自分がいた礼拝堂ではなかった。

 廃工場か使われていない倉庫か。

 人気の無さと所々から光が漏れる天井や壁の寂れ具合からC.C.はそう考える。

 つん、と鼻を刺激する血と硝煙の臭いに視線を前にやれば、そこには血を流し倒れている―、死んでいる軍人らしき連中がいた。

 自分を襲った、そして、恐らくここに運んできたであろう人物の姿はない。

「死んだと思って、捨てていったか?」

 そう言いながらC.C.は自嘲気味に笑う。

 腹部に手をやってみるが特に違和感はない。

 むしろ、額の方がむずむずするので、そちらに手を持っていけば、ベッタリと手に血がついてきた。

「額でも割れたか…?」

 手についた血を見ながら、C.C.は先程のことを思い出す。

 自分を襲った相手によって行われた行為と、自分に齎された異変。

 全身を引き裂くような痛みと、その中で確かに感じた感覚。

 その感覚を思い出したC.C.は、信じられない気持ちになる。

 ありえない、と思う。

 だが、しかし。あの時起こったことを冷静に受け止めれば、やはりその結論に達する。

 信じられないが、あの男は――。

「私のコードに、……干渉した?」

 どうやったのかは分からない。

 何が目的なのかも分からない。

 だが、あの男は間違いなく自分の持つコードに触れた。

「一体、誰だったんだ? アイツは……」

 全身を覆い隠していたが、額を覆った手の大きさから恐らく男だと推察できる。

 だが、分かるのはそれくらいだ。

 C.C.の知る限り、どんな形であれコードに干渉できる存在は『達成人』と呼ばれるまでに至ったギアスユーザーだけである。しかし、その『達成人』も、もういないはずだ。

 C.C.の知る『達成人』は二人。だが、一方はしばらく前に継承したコードと共にCの世界に溶けて消え、もう一方は先程――。

 そこまで考えてC.C.は思考を止める。まるで今考えていたことを振り払うように頭を振るい、思考を切り替える。

(色々気になるのは確かだが、考えたところで答えは出ない。とにかく、今はここを離れなければ)

 コードに何らかの干渉ができる奴が、その不死性について知らないわけがない。何かイレギュラーからここに放置したのか、別の目的があるのかは分からないが逃げられる以上逃げないという選択肢はない。

 少し前ならいざ知らず。今は、死ぬことも殺されることも全力で拒否する。何かに利用されることなんて論外だ。

「お前がせっかくくれた『明日』なんだ。無駄にするつもりはないさ」

 頭に思い浮かべた人物に語りかけながら、C.C.は身体に異常はないかチェックし始めた。

 外傷については問題ない。腹部の傷も、割れたであろう額も元通りで傷一つない。

 すっ、と目を閉じ身体の内側に意識を向けてみる。こちらも問題ない。先程は身体が裂けんばかりに揺さぶられたコードも、今は腹立たしいくらいいつも通りに我が身に根付いているし、アイツとの繋がりもちゃんと―。

「――え?」

 あまりにいつも通りだったために、素通りしかけた感覚に思考が止まる。

「なんで…?」

 ポツリと漏れる呟き。半ば呆然とした状態でC.C.はもう一度、自らの内に意識を向ける。

 まさか。ありえない。だって、アイツはさっき―。

 そんな考えが次々に浮かぶ中、再び確認したC.C.は先程の感覚が間違いではないことを知る。

 あるのだ。

 自らの内に。

 アイツとの、ルルーシュとの契約の繋がりが。

「――ッ」

 内から沸き上がる衝動のままに、C.C.は自らの胸をギュッと掻き毟るように押さえ込む。

 混乱と驚愕に思考がまとまらない。ただ、両手で強く胸元を抱き込む。まるで、そこにある何かが零れ落ちないようにとでも言うように。

「――ルルーシュ…、ルル、…しゅ」

 無意識に何度もその名を口にしながら、大切な繋がりを確認する。何度も何度も。

 

 荒れ狂っていた感情の波が少しずつ凪いでいき、同時に戻ってきた理性が徐々に現実を認識し始める。

 どうしてと思う。都合のいい夢を見ているのではと考える。しかし、この身に宿る感覚が嘘ではないと告げている。

 つまり。それは――、

(ルルーシュが、……生きて、いる)

 覚悟と信念を持って世界に挑み、それに殉じた。自分の存在を祝福してくれた最愛の、そして恐らく最後の契約者。

 先程確かに喪ったはずの存在が、まだこの世界にある。そう思うだけでC.C.は、自らの感情が昂るのを感じた。

 色々と疑問に思うことはある。だが、今はその全てがどうでもいい。

(会いたい…)

 ただ、会いたい。その姿を確認したい。自分を見て、出来れば名前を呼んでほしい。

 そんな思いが次から次へと溢れてくる。

 その沸き上がる想いに急かされるように、C.C.が立ち上がろうと腰を浮かせた時だった。

『C.C.! ちょっと聞こえてる!?』

「ッ! …マリ、アン…、ヌ?」

 突然、頭に響いた声にギクリと身体が固まる。

 それは、最近までよく聞いていた人物の声。かつて、袂を分かった友人の声だった。

『ああ、ようやく繋がった。ちょっと、C.C.! 貴女、今まで何処にいたの? ルルーシュに会いに行くと言ったきり、全然応えてくれなくなるんだもの』

「お前、どうして――」

 あの時消えたはずだろ、と思うC.C.。

 今、話しかけてきているかつての契約者マリアンヌは、Cの世界でルルーシュと対峙した際、ルルーシュのギアスに掛かった集合無意識によって皇帝シャルルと共にCの世界に呑み込まれていったはずだ。

 最後までルルーシュの悲しみを、怒りを理解することなく、自らの行いを正しいものだと妄信しながら消えていったのをC.C.もまた、悲しみと憐れみを持って確かに見送ったのを覚えている。

(だと言うのに、何故? ルルーシュの事といい、ひょっとして、私はいつの間にかCの世界に来てしまったのか?)

 だとしたら、困る。こんな後を追うかのように死んでしまったとしたら、アイツに何を言われるか分かったものではないとC.C.は顔をしかめる。

 まぁ、死後の世界がこんな殺伐とした場所だとは思えないから、それはないだろうと考えてもいるが。

 ちなみに、未だマリアンヌが頭の中でごちゃごちゃと話しかけてきてはいるのだが、C.C.はまったく聞いていない。完全に意識の外である。

(あるいは、やはり夢でも見て、……夢?)

 そこで何かに気付いたのか。ハッと顔を上げたC.C.は辺りをもう一度よく見渡した。

 死んでいる軍人達。…よく見れば、その軍服に覚えがあった。そして、この廃倉庫にも。

(間違いない。ここは…!)

「おいッ、マリアンヌ! 今日は何日だッ!」

『はぁ? いきなり何よ。それよりル――』

「いいから、答えろッ!!」

 イライラとしながら、マリアンヌに怒鳴る。すると、マリアンヌはブツブツ言いながら、今日がいつかを教えてくれた。

 それを聞いたC.C.は、あぁ…と小さく息を漏らし、ゆっくりと瞼を下ろした。

 なんとなく分かっていた。そうじゃないかと。

 教えられた日付は、よく知っているものだった。

 当たり前だ。だって、この日は……。

 

 魔神が生まれた日。

 

 王が目覚めた日。

 

 全ての終わりと始まりの日。

 

 

 ―ルルーシュと私が契約した日なのだから。

 

 

(つまり、ここは過去。私は時間の流れを逆巻いたということ、か)

 あり得ないと思う。幾百の時間を流れ、コードやギアス、Cの世界という神秘を経験してきたC.C.を以てしても尚。

 だが、マリアンヌの言葉に嘘は感じられず、そも、そのマリアンヌの存在自体が、この事態の証明と化している。

 そっ、とC.C.は自らの腹部に手を当てる。思い出すのは先程の事。コードに干渉してきた正体不明の男の事。

 十中八九、この事態にはあの男が絡んでいるのだろう。

(しかし、私を過去に戻したとして、その目的がわからないな…)

 ここにきて、新たな面倒事に直面しC.C.は頭を抱えたくなる。

 ルルーシュの想いを受け、新たに一歩を踏み出そうとした矢先にこれだ。やはり、自分の業はかなり根深いものらしい。

 だからといって、前を向くことを諦めるつもりはC.C.には毛頭ない。これぐらいでへこたれる程、魔王が魔女にかけた願い(ギアス)は弱くない。

 そこで、はたと気づいた。ルルーシュは? ルルーシュはどうなのだろうと。マリアンヌには記憶がない。ルルーシュも同じである可能性の方が高い。

(だが、ルルーシュなら、…ルルーシュならば、と思ってしまうのは浅ましい願いなのかもな…)

 ふっ、と自嘲気味に笑う。根拠も何もないのに、そう願わずにはいられない。らしくない、普通の人間のような感情に苦笑を浮かべたC.C.は、今度こそ腰を上げると廃倉庫の外に出た。

 目の前に広がったのは、倒壊しかけの建物群。舗装されていない孔だらけの道。

 一見廃墟に思えるそこは、しかし人の息づく気配が感じられた。

 だが、響き渡る怒号と銃撃の音。そして、後に続く悲鳴が、それ等が刻一刻と数を減らしていることを物語っていた。

 シンジュクゲットー。始まりの場所。

 とても懐かしさを覚えるような場所でも光景でもない。なのに、胸を締め付けられるような気持ちになるのは懐古か、あるいは感傷故か。…きっと、そのどちらでもあってどちらでもないのだろうとC.C.は思った。

『ちょっと、無視しないでよC.C.! ルルーシュはどうしたの? 契約出来たんでしょ?』

「お前が気にするようなことは起きていない、マリアンヌ。ルルーシュとは契約出来たがはぐれただけだ。今から会いに行く」

 だから、静かにしていろとC.C.は言う。久しぶりに話せたからか、あるいはルルーシュとの契約により自分たちの計画が再び進められるようになると思っているからか。マリアンヌのはしゃぎようは今のC.C.には煩わしかった。

 前回もそうだったろうか、と思い出そうとするがよく思い出せない。…計画に反対していることを悟られないように当たり障りのない会話しかしていなかったからかもしれない。

 まぁ、いい。とC.C.は意識を切り替えて、ルルーシュの下に赴こうと踏み出そうとしたが、その直前で足を止める。

 ルルーシュのいる場所は前回の記憶からおおよその見当はつく。停戦命令が出てないことから、おそらく、クロヴィスとの接触はまだのはず。先回りすれば、合流することも可能だろう。

 だが、とC.C.は考える。

 クロヴィスのいる場所に行くのはリスクが大きすぎる。捕獲対象である自分が行けば、捕まる可能性はかなり高い。さらには、マリアンヌに現状をある程度知られている今、捕まってしまえば全てが終わる。マリアンヌを通してシャルルに伝わり、自分はあいつらの元に無理矢理連れていかれコードを奪われてしまうだろう。

「…………」

 そっ、とC.C.は視線をルルーシュがいるであろう方向に向ける。

 本当は今すぐ会いたい。だが、全てを台無しにするような危険は犯せない。それは、『明日』を望んだルルーシュの意志を無にしてしまうことだからだ。

 あいつの意志に寄り添い、そして、同じように『明日』を望む自分がそれを踏みにじることは許されない。

 だから、とC.C.は踵を返し歩き始めた。ゲットーの出口に向かって。

 今は会えないが、すぐに会える。だから、今はこの胸の思いを抑えて―。

 C.C.は逆巻いた時間の中を前に向かって歩き出した。




基本設定はアニメ準処で考えています。一応。


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Re:02

 勢いに乗れたので、今週もう一本投下します。


「…………」

 腹に響く重低音を響かせた軍用車両が遠ざかっていくのを確認し、C.C.は大きく息を吐いた。

 あの日から数日が経過した。

 軍に見つかるわけにはいかないC.C.は、前回の記憶を頼りに人目につかないようにゲットーからトウキョウ租界に移動していた。

 ルルーシュと逃げた地下水道を使ったり、人が通らないような瓦礫の中を進み、なんとか見つからずにゲットーから脱出することは出来たが、問題はそこからだった。

 何せ、C.C.が身に着けているのはブリタニアの囚人服。自分は犯罪者です、と言っているも同然の格好なのだ。軍の取り締まりが緩くなった代わりに、人目が多くなった場所を闊歩するには問題ありまくりな格好である。

 とはいえ、着替えようにも替えの服などあるわけもなく、それを調達しようにも騒ぎが起きてしまうことを考えれば実行することも出来ない。

 なので結局、C.C.は人目が少なくなる夜の内にしか移動することが出来ずにいた。だが、その夜間でさえもクロヴィスの一件故か警戒レベルの上がった警戒体制に引っ掛からないように移動するには慎重に時間を掛けなければならず、結果、数日経った今でも目的地に辿り着けずにいるわけである。

 はぁ、とC.C.は何度目かも分からないため息をこぼした。

 そも、租界に入った当初はここまで苦労するとはC.C.は考えてもいなかった。前回の記憶があるのでそれを頼りに行動すれば、あっさり目的地に辿り着けると思っていた。

 だが、過去の、―ある種、未来の記憶とはいえ、所詮記憶は記憶である。どこぞの共犯者であれば、過去のどの時点の事柄でも仔細に記憶しているかもしれないが、残念ながらC.C.は彼ほどの記憶力を持ち合わせてはいない。精々が「こっちの道は危なかった」とか「ここに隠れていた時に気付かれそうになった」とか、その程度である。

 結果、大きな危険は回避することは出来たが、警戒して進まなければならないのは変わらず、また、心の在り様が変わったせいか、前回よりも捕まらないようにしなければという思いが強くなり、必要以上に慎重になってしまったため、気付けば前回と変わらないくらい時間が経過していた。

『別にそんなに警戒しなくてもいいんじゃない?』

 頭の中でマリアンヌの声が響く。

「これ以上、面倒がかかるのはごめんだ。ただでさえ、予定外な横槍が入ったせいで接触に遅れたというのに」

『ふ~ん? まあ、捕まってもシャルルに言って、ちゃんと助けてあげるから心配しなくてもいいわよ?』

「ああ」

 そう返事をしながら、内心で嘘つきめ、とC.C.は思っていた。そんなつもりないくせに、と。

 そもそも、マリアンヌ達は自分達の計画が成就出来さえすれば、他のことは全てどうなってもいいと考えている連中である。そんな連中がC.C.やルルーシュの心情を慮り、ただ傍観している訳がない。

 おそらく、彼女達にとってはルルーシュとC.C.の契約はルルーシュにコードを引き継がせようとするのと同時に、C.C.の動きを把握し隙あらば彼女を捕まえるためのものでもあるのだろう。

 実際に前回、ルルーシュがシャルル達の手に落ちてC.C.を誘き出すために使われた際、V.V.を誤魔化すための演出とか色々言っていたが、C.C.が撃たれた時、ルルーシュがC.C.を受け止めようと側にやってこなければ。自分が蘇生する前にルルーシュが殺されていたら、C.C.は捕まっていた可能性が十分にあったし、C.C.はマリアンヌから別人の身体に精神を潜ませていることを教えられても、それがアーニャ・アールストレイムであることは中華で接触するまで知らなかった。そのことからも、戦場で機会があれば捕らえるつもりでいたと窺いしれる。

 つまり、彼女達にとってはC.C.を捕まえることが出来ればそれに越したことはないのだ。手間が省けたとばかりにコードを奪おうとする姿が容易に想像出来る。

 とはいえ、そんなことはずっと前から分かりきっていたので今更どうこう言う気はC.C.にはないし、相手を騙しているという点ではこちらも同様なのでお互い様だと思っている。

 ただ、かつて友人関係にあり、嘘のない世界をと志を共有した相手との成れの果ての、嘘と偽りに満ちた在り方に皮肉を感じずにはいられなかった。

 

 

 人目を掻い潜り、セキュリティの死角を突いて敷地内に忍び込む。学舎にしては、少し意匠の凝った造りのキャンパスの正門路を横に外れて、しばらく。見えてきた建物に、C.C.は目を細めた。

 アッシュフォード学園、クラブハウス。

 共犯者たる彼のかつての世界の中心。そして、自分にとっても、その彼との旅の半分以上とその終わりの時間を共に過ごした場所。

「………っ」

 思わず込み上げてきた熱い感情をC.C.は何とか抑え込む。自身の体感時間的には、僅か数日前まで過ごしていた場所なのに長く離れた故郷を目の当たりにした郷愁感に似た何かと、決して色褪せない『思い出』がもたらした懐古がC.C.の感情を揺さぶり続ける。

(我ながら重症だな…)

 その向ける感情の色はともかく、ルルーシュという存在が自身の中で占めるウエイトの大きさは分かっていたつもりだが、ここまで感情を持て余すとは思っていなかったとC.C.は苦笑する。だが、そのことに対して不快感は感じない。むしろ、嬉しいとか感じているんだから最悪だ。

 お互いに利害が一致した利用し利用される共犯関係。だが、その在り方は対等という立場を生み、色眼鏡のないお互いの姿をさらけ出させた。決してお互い踏み込もうとは思ってなかったのに気付けば理解を深めていき、最後には完全に心を許し受け入れられた。

 長い人生の中で初めて育まれた強く温かい絆。それは、確かなものとしてC.C.の世界に色を付けていた。

「~~~~~~ッ!!」

 そこまで考えてC.C.は首を振る。さすがにセンチメンタルすぎる。自分らしくない。どこの乙女だ。

 先程、マリアンヌ達の事を考えていた時は魔女らしく思考も感情もきちんとコントロール出来ていたというのに、アイツの事になった途端、まるで焼きたてのピザのチーズのように蕩けてしまう。不味い。いくら何でも恥ずかしすぎる。

(おのれ、ルルーシュめ……!)

 ぐるぐる回る思考と恥ずかしさの出口を求めて、頭の中のルルーシュに悪態をつく。完全な八つ当たりである。

 頭の中でルルーシュが不機嫌そうに眉根を寄せる姿が思い浮かぶ。その姿をはっきりと想像出来ることが、今は逆に腹立たしかった。

 

 

 コツ。コツ。と靴音を響かせながらC.C.は明かりの落ちたクラブハウス内を歩く。

 僅かに灯る常夜灯と外から差し込む少しばかりの明かりしかない視界は、ほとんど見えていない。

 だが、C.C.にとっては、もはや勝手知ったる―この時間の流れでは初めてだが―場所である。僅かな光源の中であっても、その足取りに淀みはなかった。

 ギアスの気配から、今、ルルーシュはここにいないことは分かっていた。力を手に入れた、しかし、一人でしかないルルーシュが、この時期忙しなく動き回っていたことをC.C.は後から聞いて知っている。

 とりあえず部屋で待つか、とルルーシュの部屋を目指していたC.C.だったが、その耳に物音が聞こえて足を止めた。

 音の発生源を探そうと前方に意識を向けたところ、ドアから僅かに光が漏れる部屋が目についた。近づき部屋の前に立てば、中に人の気配を感じられる。

 中にいる人物の予想はつく。この時間にこのクラブハウスにいる人物など三人しかいない。

 どうするか、と少しばかり悩んだC.C.はルルーシュと合流するまでの暇潰しも兼ねて、中の人物に会おうと決めて部屋の扉を開いた。

 内外を遮断していた扉が消えたことで、部屋から漏れていた物音がより鮮明に耳に届くようになった。

 聞こえていた物音は、どうやらTVの音だったようだ。

 照明の落とされた室内の唯一の光源になっており、その前にいる人物の後ろ姿がうっすらと見えた。

 そこにいたのは、やはり予想通りの人物。TVから流れる情報を得ることに集中しているのか、普段は気配に聡い彼女がこちらに気付いた様子はない。

 その彼女の様子と、どこか覚えのある光景にTVに意識を向けてみれば、これから先、幾度となく聞くことになるとある存在の名前が繰り返し聞こえてきた。

(ああ、そうか。今日、だったのか……)

 その名前を聞き、今日がいつなのか理解したC.C.はその名と仮面に隠された人物に思いを馳せる。

 そして、心配していた人物がとりあえずの窮地を脱したことを察した少女もまた、自分の後ろに人の気配があることにようやく気付き、数時間後、兄とのことで爆弾発言をする人物の方をゆっくりと振り返った。

 

 

 今日は、厄日だったんだな。

 目の前にいる少女から視線を外し、頭を抱えながらルルーシュはそう思った。

 今から数時間前、ルルーシュは後に世界にその名を轟かせる奇跡の男として、大々的に世界に反逆を開始した。

 中々にリスキーで綱渡りな部分もある作戦ではあったが、敵味方ともに予測した行動から外れることはなく作戦目的であった親友のスザクを無事に奪還することができた。

 犠牲者もなく、しかも、たった3人で衆人環視の中、ブリタニアから罪人扱いされている人物を救出。自身の演出も含め、『ゼロ』は一躍有名人になったことだろう。

 デビュー戦としては文句ない。大成功と言ってもいいくらいだった。

 そこまでは良かった。

 問題はその後であった。

 まず、せっかく救い出したスザクが、あろうことか戻ると言い出したのだ。

 国を奪われ、名誉ブリタニア人だということだけで軍でも粗雑に扱われ、挙げ句下らない体裁を取り繕うために無実の罪を押し付けられ殺される。

 そんな理不尽に、スザクも怒りと不満を感じていると思っていた。だから助け出せば、その後は、『ゼロ』と、ルルーシュと共に来てくれるとそう思っていた。

 なのに――。

 

『――間違った方法で手に入れた結果に、価値なんてないと思うから』

 

 パチ、と頭に過った言葉と光景を断ち切るようにルルーシュは閉じていた目を開いた。

 視覚からもたらされる情報がルルーシュに現実を訴え、先程までの感傷に浸る自分を制止させた。

 ハァ、と一つ溜め息をついてルルーシュは思考を切り換える。スザクのことは今はどうにもならない、命は助かったのだから、今は良しとすべきと自分を納得させる。

 だから、今、どうにかしなければならないのは目の前の女についてだった。

 逸らした視線を再び前に移せば、こちらをじっと見つめる少女の視線とかち合った。

 命懸けの作戦を終えたことと、スザクのことで肉体的にも精神的にも疲労困憊になったルルーシュは、その重い身体を引きずるようにしてクラブハウスに戻ってきた。

 協力させたテロリストグループとの会話を適当なところで打ちきり、正体がバレないように尾行を警戒し、ギアスによる情報操作で足がつかないように慎重に慎重を重ねた結果、帰宅した時にはもはや何かをなす気力もなかった。

 ひとまず、部屋に戻って仮眠しようと考えていたルルーシュだったがクラブハウスの一室に明かりがついているのを見つけて考えを改めた。

 帰りが遅くなることは事前に通達している。また、今日は付き人の篠崎咲世子も彼女の都合から、夜はいつもより早く辞することを知らされていた。

 故にこの明かりが誰のものか自然と正解に辿り着く。

 妹のナナリーのものだ。

 本来であれば、夜に彼女が一人になるときはいつもなら自分が付いているのが当たり前なのだが、今日はそうはいかなかった。

 一緒にいられないことを謝り、早く帰ることを約束すると、優しい妹は寂しそうにしながらも了承し早くに休むと言ってくれた。

 普段から、そう約束したならばきちんと先に眠っている妹が、どうやら、今日はそうせずにさらに何時もなら寝ている時間になっても起きているようだ。

「………」

 仕方ないか、とルルーシュは苦笑した。

 そもそも、ただのTV中継とはいえスザクの事を窺い知れるのに、彼を心配していたナナリーが大人しく眠りに入れるとはルルーシュも考えていなかった。

 加えて、ゼロによる救出劇が行われたことでスザクがどうなるか、分からなくなった。

 期待と不安、困惑。

 それらを少しでも分かち合いたくて、抱える悩みを解消したくて自分の帰りを待っていたのだろう。

 そう、考えていた。

 だから、少しでも不安を与えないようにリビングの前で疲労を押し込め、今出来る最大の笑顔と優しい声で扉を開けて、――その女を見て、時間を止めた。

(まったく…)

 思い出すだけでも頭痛がする。

 リビングには確かにナナリーがいた。だが、ナナリー以外の存在もあった。

 得体の知れない少女。その姿には見覚えがあった。だが、決してここにいるはずもない少女だ。

 

 何故なら、彼女は自分の目の前で死んだのだから。

 

 疑惑。警戒。

 長い間、暗殺等から自分と妹を守り通してきたルルーシュの理性がこの状況の危険性を訴えてくる。

 しかし、あまりにあり得ない事実に身体はまったく反応してくれなかった。

 その間にも、女―C.C.というらしい、…名前か?―はナナリーと会話を繰り広げ――。

 ルルーシュが再起動に成功したのは、自分との関係に言及する妹に爆弾を落とされた後だった。

 とりあえず、これ以上余計な事を言われてはたまらなかったので、自分の部屋に連れてきたのだが……。

(何なんだ…?)

 ナナリーといたときは、軽薄な態度で適当なことを言っていたのに、部屋に連れてきた途端、何も喋らなくなった。

 何も言わずにただ、じっとこちらを見つめてくるのだ。

 埒が明かないと、名前についてや、どうして生きていたのか、何者なのか、そして、恐らく少女が与えた力、―ギアスについて問い質してみたが、少女の反応は芳しくない。

 はぐらかしている、というより何処か上の空な感じな反応なのだ。

 要領を得ないことと、何故か不自然な少女の反応に何度目かの溜め息が零れたのが、つい先程のことだった。

 もういっそのこと、このまま叩き出してしまおうか。

 溜まりに溜まった疲労とどうにもならない現状に苛立ち始めたルルーシュはそんな事を考えて、少女に再度視線をやれば再び二人の視線が絡まった。

(本当に何なんだ…?)

 何も喋らず、こちらを見つめる不自然な態度の少女。

 とりわけ、不自然なのがこの少女の自分を見る瞳の色だった。

 自分を観察するような無機質なものではない。

 自分の利用価値を測るような冷たいものでもない。

 少女の自分を見る瞳には確かな熱が感じられ、その視線に含まれる感情は、あえて言うなら――。

(懐古? いや、だが……)

 その視線に宿る意味合いを、僅かながら感じ取ってみるものの、ますます当惑が増すだけだった。

 懐かしさに似た何かを感じられているみたいだが、当のルルーシュにはそんな感情を向けられる理由が思いつかない。

 何処かで会ったことがあるのかと記憶を辿ってみるも、やはり心当たりはない。そもそも、このような特徴的な髪の色の少女を忘れるはずもない。

 ひょっとしたら、髪の色は違っていたのかもしれない。あるいは髪型が違ったか、直接会わなかったか…。

 少女の正体について考え始めた頭が次々と可能性を提示してくる。それらについて思考を巡らせていく内にルルーシュの思考は深みに嵌まっていく。

 だから、その思考の元となっている少女がいつの間にか目の前に立っていたことにもルルーシュはすぐには気付けなかった。

「………、っ」

 柔らかな手に頬を捉えられ、そこでようやく目の前に少女が立っていることにルルーシュは気付く。

 驚きに声を上げそうになるのを何とか堪え、何のつもりだと言わんばかりに少女を睨む。

 しかし、そんなルルーシュの視線にも少女は怯んだ様子も見せない。

 両手で頬を取られているので顔を逸らすこともできず、吐息が届きそうな距離で少女と見つめ合う。

 そして数秒後、僅かに揺らめいていた少女の琥珀色の瞳が不意に閉じられたかと思うと――。

「!?」

 少女の唇がルルーシュのそれと重なった。

 突然すぎる出来事にルルーシュの身体はビクリと固まる。

 少女も動かず、ただルルーシュにその熱を伝えてくる。

 数秒か、それとも数分か。

 ゆっくりと離れた少女の唇の感覚に、ルルーシュはようやく我に返った。

「何をするッ!!」

 目元を真っ赤に染め、握った拳を口に当てる。そのまま、口を擦らなかったのは男の意地か。

 ルルーシュの怒声にも、少女はどこ吹く風というように動じない。ただ、変わらずにルルーシュを見つめるだけだ。

「いい加減に――」

「何か感じないか?」

「何?」

 痺れを切らしたルルーシュが声を荒らげようとしたのを遮るように少女が口を開いた。

「何か…、内側から、こう、沸き上がるものとか、思い出せそうなこととか、ないか?」

「一体、何を言って――」

「いいから、答えろ」

 要領を得ない少女の発言に、困惑の声を上げるルルーシュだが少女はそれを両断する。

「別に、……何も感じない」

 ようやく口を開いたかと思えば何なんだ、とそう思いながらルルーシュは答えた。

「そう、か……」

 絞り出すような声でそう呟くと、少女は俯き再び黙ってしまう。

 長い髪がハラリ、と顔にかかり少女の表情を隠す。

 どことなく、先程とは違い悲しげな雰囲気を纏いだした少女にルルーシュは僅かにたじろく。

「おい」

 別に悪いことをしたわけでもないのに、何となく居心地の悪さを覚えたルルーシュは躊躇いがちに少女に声をかける。

 どこに触れていいのか分からないまま、おずおずと伸ばされた手が、とりあえずの着地点を肩に見定めて、その手を置こうとしたとき、おもむろに少女が顔を上げた。

「寝る」

「は?」

 脈絡なく飛び出した少女の一言に、思わずルルーシュは間抜けな声を上げてしまう。

 しかし、そんなルルーシュに構うことなく少女は着ていた拘束服を脱ぎ捨てるや、ルルーシュのベッドに潜り込んだ。

 そんな少女の行動に慌てたのはルルーシュだ。

「おい! まさか、ここに泊まる気か!?」

「他に行く場所なんてない」

「だからって…ッ!」

「うるさい。疲れているんだ。男は床で寝ろ」

 ルルーシュの言葉に耳を貸さず、傲慢にそんな事を言い切ると少女は最後に、「お休み、ルルーシュ」と言って毛布を被ってしまう。

 そんな少女にルルーシュは尚も言い募ろうとするも、完全に無視を決め込んだ少女に彼の声が届くはずもなく――。

 

 やっぱり、今日は厄日だったんだな。

 

 ついには諦めたルルーシュは、疲労困憊な身体をベッドの横に投げ出しながら、改めてそう感じたのだった。

 

 

 

「…………」

 夜中、明かりが消された室内でC.C.はむくりと身体を起こした。

 暗がりの中、目を凝らせば月明かりの中に眠るルルーシュの姿が浮かび上がる。

 その姿を確認したC.C.は、極力音を立てないようにベッドの中から抜け出すと、静かにルルーシュの方に近付いていく。

 ひたひたと裸足の足が僅かに立てる音以外はルルーシュの小さな寝息のみ。

 やがて、ルルーシュの側まで来ることに成功したC.C.はルルーシュの顔を覗き込んだ。

 余程、疲れていたんだろう。警戒心の強いルルーシュがこんなに近くに人の気配があっても起きる様子を見せない。

 だが、その寝顔は安らかとは程遠い、苦しげなものだった。

 寝ているのに、眉間に皺を寄せ、時折苦悶の声を漏らす。

 穏やかな寝顔などほとんどしない。これがC.C.が見てきたルルーシュの基本的な寝顔なのだ。

 そう、ずっと見てきたのだ。

 誰よりも一番近い場所で。

 誰よりも多く。

「ぅ、――っ、…ぁ」

 こみ上げてきた嗚咽を噛み殺す。小さく息を吐きながら呼吸と感情を整える。

 涙でぼやけそうになる視界でルルーシュの姿を捉える。

 息をしている。呼吸している。――生きている。

 

 

 …………でも。

 

 

 ナナリーと共にいたリビングに入ってきたその姿を見た時、感じたのは喜びだけだった。

 もう会えないと、聞くことは出来ないと思っていたその姿を、声を感じられるだけで泣き出しそうな程だった。

 あまりの嬉しさに頭が回らなかったから、ナナリーとのかつての会話を反芻しながら、落ち着けと自分に言い聞かせ、なぞるようにその会話を繰り返した。

 その時のルルーシュの反応があの時の全く同じで。可笑しくなって笑いそうになった。…だが、同時に、自分と同じような記憶はないという確信を得てしまった。

 でも、生きている。生きて、ここにいる。なら、充分だ。そう思った。そう、思っていた。……はずだったのだ。

 でも。

 ――素直ではないが自分への信頼を感じられていた瞳が、得体の知れないものを見るように自分を見るたびに。

 ――投げやりのように思いつつも、自分への気遣いを帯びていた声が、敵意を孕んだものとして自分の耳に届くたびに。

 ――自分の存在を、その罪ごと受け入れてくれた男の姿に、自分への拒絶を感じるたびに。

 

 C.C.は、自分の心が色を失っていくのを感じた。

 

「――、ぁ、…るるぅ、しゅ……っ」

 ついに抑えられなくなった感情が目の前の、しかし、そうじゃない男の名を、まるで求めるかのように震える唇から紡ぎでた。

 何を今さら。

 分かっていたことだろう?

 自分の中の理性的な部分がそう自分に語りかける。

 そう。わかっていた。

 けれど、夢を見てしまった。浅はかに希望を持ってしまった。

 長い時を流れてきた自分にすら初めてのこの事態に小さな望みを願ってしまった。

 あり得ないと、希望を持つなと、そう考える一方で心は強く、自分でも驚くほど強くそうあって欲しいと思い続けていた。

 もう一度、生きて『ルルーシュ』に会いたい、と。

 だけど、それはやはり夢でしかなかった。

 叶わぬ望みだと言わんばかりに、現実は分かりやすいカタチでC.C.の望みを否定し、彼女の心を砕いた。

 それでも、諦めきれなくて。

 目の前のルルーシュに『ルルーシュ』を見出だそうとその面影を探し続けて。だけど、見つからなくて。

 最後の望みと言わんばかりに口付けという形で接触による記憶の更新を行うも互いのコードにもギアスにも何の反応もなかった。

 それは当然の帰結で。C.C.も自分のしていることの無意味さを理解していた。

 けれど、夢を見てしまった。だから、もう一度事実を認めることが怖かった。だけど――。

(分かっていた……)

 あの教会で確かに感じた喪失感も。

(分かっていた……っ)

 あの胸が張り裂けんばかりの悲しみも。

(分かって、いたんだ……!)

 嘘ではないのだから。

(アイツは、ルルーシュは…………)

 

―――お前が魔女なら、俺が魔王になればいいと言ってくれた契約者は。

―――俺が必ず笑わせてやると、そう約束してくれた共犯者は。

―――お前がいてくれたから、と祝福をくれたあの男は。

 

 

 

あの時、死んだのだ

 

 

 

 

「――――っ」

 そう認識した瞬間、C.C.の瞳から止めどなく涙が溢れた。

 一度はきちんと受け入れ、前を向こうとした矢先に淡い夢を見せられ、もう一度現実を叩きつけられたC.C.の心はボロボロだ。

 まるで、今この瞬間にルルーシュを失ったかのようにC.C.の思考も感情もグシャグシャになっていく。

 涙で揺れる視界の中に眠るルルーシュの姿が映る。

 無意識に伸ばされるC.C.の白い手。その細い指先がルルーシュに触れようとして、――とまる。

 すぐ届く距離に求める人がいる。なのに、永遠に届くことはない。その矛盾した現実がC.C.を苛む。

 それに耐えられなくて。ともすれば、今にもみっともなく泣き散らしたくなりそうになったC.C.は、弾かれるようにその場を離れた。

 何処かに行こうと言うわけではない。だけど、今はこの場にいることが辛くて、C.C.は逃げるように部屋から出ていこうとドアノブに手をかけた時だった。

「っ、……ザ、ク」

「――――」

 悲しみに震える、誰かを呼ぶ声が聞こえた。

 ドアノブを回そうとした手が止まる。そのまま、ゆっくりとC.C.は声のした方へ振り返る。誰も味方のいない、ひとりぼっちな世界への反逆者を。

 すっ、と波が引くようにC.C.の中で荒ぶっていた感情の熱が引いていく。

 それと共に涙の雫が全て零れ落ちた凪いだ瞳がルルーシュを捉えた。

 ルルーシュ。C.C.にとっての、――恐らく最後の契約者。

(此処にいるルルーシュは、私の『ルルーシュ』ではない)

 だが、いつか『ルルーシュ』に、――アイツと同じ場所に辿り着くかもしれない少年である。

 大切な者のために、たった一人で世界に抗い、絶望し、苦悩し、信じていたものに裏切られ、誰にも理解されず、されど世界のためについた嘘を最期まで貫き通し、独り死んでいった孤独な魔王。

 そして、同じく一人ぼっちな死にたがりの魔女に、『明日』をくれた唯一人の男。

 今はまだ違うが、そうなるかもしれない。また、色褪せた自分を彩ってくれるかもしれない、そんな少年。

 もっとも、そうなってもやっぱりそれは私の魔王ではないのだがなとC.C.は悲しげに微笑む。

(何を考えているんだか……)

 堂々巡りを繰り返す自分の思考に苦笑しながら、C.C.はそれを断ち切るように軽く首を振った。

 そうして、もう一度、目の前のルルーシュを見つめる。

 今のは唯の可能性、そして、願望。

 故に不確かで起こりえない、かつてと違う可能性に辿り着くこともあるだろう。

 唯一つ言えることは。

 もし、C.C.が逃げ出したら。

 ルルーシュは独りになってしまうということだけだ。

(『ルルーシュ』…)

 自分がいたから、ルルーシュは最後まで歩みきることが出来たなどと自惚れるつもりは毛頭ない。

(もう一度、お前と共に歩んでも良いか?)

 だが、必要だと言ってくれたのが本当なら。

(もう一度、お前と契約を交わしても良いか?)

 お前がいてくれたから、という言葉を信じていいなら。

 

(もう一度だけ、約束を望んでも良いだろうか…?)

 

 笑顔をくれると言った、その約束の叶う明日を――。

 

 問いかける想いに答えはない。

 しかし、問いかけた魔女の瞳には光が戻っていた。

 冷たい光ではない。

 魔女が魔王の隣で一番多く灯した不遜で横暴で、どこか優しい光だ。

「これは契約」

 紡がれた小さく細い声が空気を震わす。

「力を与える代わりに、私の約束を必ず叶えてもらう」

 見送るのは、一度だけだ。

 だから、もう見送ってなんてやらない。

 魔女の白く小さな手が静かに動く。

 その指先が、先程はどうしても触れることの出来なかったルルーシュの、その前髪に触れた。

「『ルルーシュ』の代わりに、私との約束を果たしてもらうぞ、ルルーシュ」

 そっと前髪を掻き分けた指先はゆるゆると滑り、唇に触れて離れた。

 そうして、満足したのかC.C.はルルーシュの元を離れて再びベッドに潜りこんだ。

 改めて潜り込んだ久方ぶりのベッドは共犯者の匂いがした。

 その事に気付いたC.C.はふふ、と小さく笑うと押し寄せてきた睡魔に従ってまぶたを下ろした。

 ――おやすみ、ルルーシュ

 それがどちらのルルーシュに向けられた言葉なのか。

 半ば微睡みに身を浸した魔女には、もはやわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 シンジュクゲットー。そのとある地区。

 先に虐殺の行われたこの場所にも、等しく夜は訪れる。

 貧しく辛い生活を強いられるこの場所ではあるが、それでもついこの間までは、人の気配と生活感に溢れる場所であった。

 しかし、今はもう誰もいない。

 人が居たことを示すものは、ところかしこに咲いた血の華と、無惨に打ち捨てられた生活用品だけ。

 故にあるのは静寂だけだ。

 しかし、静けさだけが支配するその場所に、突如ノイズが響いた。

 ガガ、ザザ、という砂を思わせる雑音に混じりながら人の声を届けているのは壊れかけたラジオであった。

 捨てられたか、あるいは持ち主を失ったか。

 誰の手にもないそのラジオは、しかし、主なくともその役目を果たさんと電波に乗った情報を拾い届けていた。

 誰に聞かれることもないその音声は、虚しく鎮魂歌のように流れ続ける。

 

 《次のニュースです。昨夜、裁判所に護送中だったブリタニア軍の前にゼロと名乗る男が現れました。ゼロは現在行方不明中であらせられるクロヴィス・ラ・ブリタニア殿下を殺害したと供述。同じくクロヴィス・ラ・ブリタニア殿下の誘拐の最重要参考人である枢木スザク容疑者を連れて逃亡した模様です。この件を受けて、ブリタニア軍並びに政庁各関係部署はゼロの発言の裏付けをとると共にクロヴィス殿下の安否の確認――――…………》

 

 誰も聞くことがない。

 故に。

 その綻びに気づくものも、――――誰もいない。

 




 初キスが 上書き されました

 なんやかんやあったC.C.ですが、少しだけ浮上しました。
 そして始まるC.C.によるルルーシュ調教物語(違う)


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Re:03

 あの日から。

 

 色々なことがありながら、それでも、もう一度ルルーシュと歩むと決めたあの夜からしばらく。

 ルルーシュがあの結末に至らないように、あの悲しい選択をしないようにしようと密かに決意したC.C.だったが――。

 

「よし、これでチーズ君にまた一歩近付いたぞ」

 特別何かすることもなく、前と変わらない日常を送っていた。

 ペタリ、と応募用紙に複数枚貼られたシールを愛しげに撫でながら、C.C.はゴロリとベッドにその身体を転がした。

 しどけなく横たわるその姿は、彼女特有の雰囲気もあって色を感じさせなくもないが、姿だけは妙齢の女性のその周りにあるピザの空箱のせいで、むしろ残念な空気が漂っている。

 しかし、その彼女の姿にいつもなら色々と小言を言うこの部屋の持ち主であるルルーシュは今はいない。

 数日前、この地に着任したコーネリアの挑発に乗り、サイタマゲットーの方に向かったのだ。

 過去の展開になぞらえるなら、このあとルルーシュはコーネリアに追い詰められ、ピンチとなるためそれを助けなくてはならない。

 だが、逆に言えば今C.C.に出来ることはそれしかなかった。

 一緒の部屋にいるとはいえ、今のルルーシュとC.C.の距離は遠い。いや、なまじ同じ空間にいる分C.C.に対するルルーシュの警戒心は強い。

 お互いに弱味を握りあう共犯者同士ということで一緒にいることを許されているだけで、ルルーシュの言動の端々に拒絶の意が窺える。

 以前は別段気にすることはなかったが、今は少々居心地が悪い。

 そして、そんなルルーシュから信頼を勝ち取ることがC.C.の目下の課題だった。

「んー…」

 もぞりと身体を動かして、頭に敷いていた枕を抱える。

 ずっと抱いていたお気に入りの人形が今は手元にないため、その代わりだ。

 あの人形よりもボリュームも肌触りも劣るが、何もないよりかは幾分気持ちが和らぐ。

 ふぅ、と一つ息を吐いたC.C.の頭にはルルーシュのことが思い浮かんだ。

 あの夜から、何度も思い、考えていること。

 ルルーシュを死なせない方法。

 らしくもなく頭を使い、色々な可能性を考えた。

 だが、共犯者である男のように微々に精査できるほど面倒くさい頭脳を持ち合わせていないC.C.には、何度考えたところで、結局のところ、ルルーシュが明確に引き返せないラインを越えないようにするという解答しか出すことが出来なかった。

 そのために、必ず回避しなくてはならない事象が二つ。

 特区虐殺とラグナレクの接続。

 前者は、ギアスの因果により多くの日本人と異母妹ユーフェミアがその命を散らした。

 背負わされた希望と背負わせた罪。

 親友との完全なる訣別。

 この出来事は、ルルーシュを完全に後戻りが出来ない運命へ誘った。

 後者は、単純に止めなければならない。

 母マリアンヌの真の姿と、シャルル達のもはや妄執に成り果てた理想。

 それ自体ルルーシュの心を苦しめるものではあるが、この計画は阻止しなければ、世界がどうなるか分からない。

 そして、それを実行するために必要なのが……。

「ちっ」

 巡りめぐって、最初に戻ってきた思考に思わず舌打ちが出た。

 そう、この二つをどうにかするには、とにかくルルーシュに信用してもらわなくては話にならないのだ。

 特区虐殺、―ひいてはギアスの暴走を回避するにはルルーシュがギアスを乱用しないようにするしかない。

 だから、C.C.は出来るだけ早くルルーシュにギアスの危険性を教えて、何か違和感があったらすぐに自分に教えるように言わなければならなかった。

 だが、今現在のC.C.が何を言ったとしてもルルーシュがどれだけそれを信じて受け入れてくれるか分からない。

 何しろ、ルルーシュにその危険なギアスを与えたのは他でもないC.C.なのだ。

 危険だと分かっていて、何故ギアスを与えたのか問われても本当のことを言うことができない以上、余計な不信感を持たれるだけだし、言ったとしても目的が目的である以上、その時点で関係が終わる可能性も十分にある。

 そして、ラグナレクの接続。

 マリアンヌのこともある以上、本来なら話さずに済めばそれが一番なのだろうが、ラグナレクの接続を止めるには、ルルーシュの『達成人』に至るまで高められたギアスを使う方法しかC.C.には思いつかなかった。

 そのためにはルルーシュがギアスを多用し、その力を高める必要がある。

 しかし、ギアスを使い過ぎれば暴走を早め、特区虐殺の引き金を引きかねない。

 堂々巡りである。

 つまり、C.C.はルルーシュに自分の言葉を信じてもらってギアスの暴走に気を付けてもらいながらラグナレクの接続を阻止するためにギアスの力を高めて貰わないとならないのだ。

 難しい。

 特にラグナレクの接続に関しては話すタイミングを間違えたらアウトだ。

 なぜならマリアンヌのことはルルーシュに話しても、信じてもらえるとはC.C.には思えなかったからだ。

 ルルーシュはマリアンヌを盲信しているから、かつてのように直接その目でマリアンヌの狂気を見ない限り、決してC.C.の、―例え前回のC.C.であったとしてもその言葉を信じはしないだろう。

 よしんば、信じて貰えたとしても。そのあとのルルーシュを抑えられるかどうか。

 普段は冷静沈着、冷酷といっても良いような側面を覗かせるルルーシュだが、内面は情に篤く、そして、とてつもない激情家だ。

 真実を知れば、かつて嚮団を潰した時のように、その激情のままに敵陣に飛び込んでいくだろう。

 そうなれば、詰みだ。

 シャルル、V.V.。更には、マリアンヌとナイトオブワン、ヴァルトシュタイン。

 最悪、敵陣のど真ん中でこの4人を相手に、C.C.は自身のコードとルルーシュを守らなくてはならないという状況に追い込まれるからだ。

 それを避けるためにも、ルルーシュにC.C.が完全に自分の味方だと理解してもらわないとならない。少なくとも、ちゃんとC.C.の意見に耳を傾けて冷静さを取り戻す程度には。

「……まったく」

 頭が痛い。

 あのルルーシュ相手にそこまでの信頼関係を構築できた人物など、C.C.が知る限り唯一人だけ。

 

 枢木スザク。

 

 初めから特別枠にいたナナリーと違い、まっさらな状態からあそこまでの信頼をルルーシュから勝ち取った唯一人の人物。

 それと同じものをC.C.は求められているのだ。それも、自身の願い、皇帝の元協力者、協力の意思はないとはいえ、今もマリアンヌと通じていることなど、ルルーシュに関してマイナスにしかならない裏事情を抱えた状態で。

 ……無理である。不可能だ。

 それは、もはや、たった一人で巨大な帝国に戦いを挑み勝利するくらいに不可能―、いや、それならできる奴を知っているというか、そのうえ世界まで手に入れた奴がいるから簡単なことに思えてしまう。

 ――だからこれは、そう、どこぞのシスコンが妹のことを考えずに生きていく並に不可能だ――――!

「おのれ、ルルーシュ……!」

 この数日で、何度も繰り返し呟いたセリフが口から漏れる。

 別にルルーシュが悪いわけではない。

 しかし、C.C.にとってはルルーシュを救うために頑張ろうとしているのに、そのルルーシュがラスボスの如く立ち塞がっているように感じるのだ。

 この嘘つき、頑固者、唐変木、童貞。この私がピザを我慢までしているんだから、もっと優しくしろ。

 心の中でぶつぶつとルルーシュに文句を言うC.C.。

 代わり映えのない日常ではあったが、C.C.はC.C.でルルーシュの信用を得る努力をしていた。

 『前回』は一日三食+間食夜食の計五食をピザLサイズで頼んでいたりしていたC.C.は、今回は一日三食だけにし、さらにピザのサイズもMサイズに抑えていた。

 ピザ女と呼ばれる程にピザを愛するC.C.にとっては、二食も断食するのはまさに断腸の思い。

 ここまでやっているんだから、ルルーシュの中で私の好感度はうなぎ登りだろう、とC.C.は半ば本気で思っていたりする。

 だが、そんなC.C.にとっては涙ぐましい努力も『前回』という比較対象をルルーシュが知っていれば多少なりとも効果はあっただろうが、それを知らない以上効果がないのだということをC.C.はわかっておらず――。

 後日、それに気付いたC.C.の断食分を補う悪逆皇帝ならぬ悪逆ピザな暴食ぶりに、気分を悪くしたルルーシュの好感度が人知れず下がることを彼女はまだ知らない。

 

「ん…、そろそろか」

 考え事を止めて、ベッドから身を起こす。

 時間を確認すれば、ルルーシュが部屋を出てから結構な時間が経っていた。

 作戦が開始される時間からしても、そろそろ後を追わないと助けに入れないかもしれない。

 そう考えたC.C.は、隠してあるゼロの衣装を取り出そうとベッドから降りた。

 その時、ふとデスクに目がいった。

 そこに置いてあるのは先程ルルーシュを止めるために使用した銃だった。

 そのことを思い出してC.C.の顔色が僅かに変わる。

 

 ――俺はお前に会うまで、ずっと……

 

 必要と判断したから。

 もしくは、心の奥底でかつての面影を見たいと思ったからか。

 前回と同じ状況で、ルルーシュは何も違えることのない答えを返してきた。

(やはりルルーシュは、ルルーシュなんだな)

 そのやり取りのなかでC.C.はそう再認識して、心の中で苦笑した。

 例え記憶があろうとなかろうと。

 何度やり直そうとも、きっとルルーシュという男の、その在り方が変わることはないだろう。

 己が望む明日のために戦う生き方を選ぶ。

 それは、きっと往々にして長く生きられるような、そんな道ではないだろう。

 今、こうしてC.C.が頑張ったとしても、結局行き着く先はそう変わらないかもしれない。

 そういう道を歩いている男だから。

 それでも……。

「本当に、我ながら甘くなったものだ」

 呆れを孕んだ笑みを浮かべ、C.C.はそう呟く。

 かつてのC.C.を知るものなら、今の自分を見てどう思うか。

 そんなことを考えてしまう。

 心の内はどうあれ、自らの願いのために冷酷な魔女として振る舞ってきた自分が、無駄かもしれないとわかっているのに、ルルーシュというたった一人の人間のために行動しているのだから。

 変わったのだろうとC.C.は思う。

 いつから、こうなったのかは分からないが、悪くはないと思っている。

「だから、私も変えてやる」

 自分を変えた男を、今度は自分が。

 今より、ほんの少しだけでもいいから、自分の『明日』を考えられるように――。

 それくらいの我儘は許されるべきだ。

 そう考えるC.C.の笑みだけは、かつてと変わらない魔女としての側面を覗かせていた。

「さて、とりあえず、今はまだ未熟な魔王様を助けに行くとするか」

 厳重に隠してあるゼロの衣装の入ったケースを引っ張り出す。

 複雑な手順の、手動での解錠と電子的な解錠を行いロックを外す。

 そして、中に入っているケースに長い暗証番号を三つ打ち込んで、ようやく目的のものが取り出せる。

 神経質で几帳面なルルーシュらしいと思うが、ここまでされると、逆に中身に興味を持たれるんじゃないかとC.C.は思った。

 そんな親しみを感じられる苦笑を浮かべながら、ケースを開いたC.C.は――。

「な……」

 中身が空なのに気付き、その笑みを凍りつかせた。




 みっしょん
 虐殺特区までにルルーシュをデレさせろ!
 ルルーシュ有効属性 くるくる、ふわふわ、妹
 C.C.所有属性 ツン、クー、ピザ

 どないせいっちゅうねん(汗

 都合50話かけて深めた絆を半分の期間でクリアしろとか無理ゲーな要求をするラスボス、ルルーシュ。
 おかしい、二周目なのに楽にならない。
 ルルーシュさん、あなた勝手に難易度変えてません?


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Re:04

 誤字・脱字の報告ありがとうございます。

 一話四~五千くらいにしようと思ってるのに、気付いたら一万字越えてた…


 甲高い音が廃墟に響く。

 数機で編隊されたナイトメアフレーム、サザーランドのランドスピナーが地を削るようにして進む音だ。

 構造物内を動き回るには大きすぎる巨体が一糸乱れぬ動きで押し寄せる様は、見る人に爽快感をもたらすだろう。

 しかし、今ここにいる人達に沸き上がる感情はそれではない。

「う、うわあああぁぁ!」

 恐怖だ。

 暗闇に動く人影を、サザーランドのファクトスフィアが捉える。

 そこに映る人達の様子は様々だ。

 へたりこみ、サザーランドを見上げる者。

 未だに背を向け、逃げ続ける者。

 そして、手を上げて降伏の意を示す者。

 そんな人達に対して、彼らが示す行動は唯一つ。

「――――――」

 悲鳴が銃声に掻き消される。

 カメラの先、銃撃のリズムに合わせて踊る人影の姿が一つ、また一つと減っていく。

 やがて、全ての人影が動かなくなった時、そこに残ったのは血と硝煙の臭いだけだった。

「ふん、イレブン風情が。つけ上がるからだ」

 編隊のトップにいたブリタニア軍人の男が、コックピットの中で鼻を鳴らしながら、そう吐き捨てる。

 漏れ残しがないか、ファクトスフィアを再起動しセンサーを注視する。

 慣れた手つきではあるが、その動作は荒々しい。

 それが、彼、―彼らの苛立ちを表していた。

 さして、難しい任務ではなかったのだ。

 この地区に巣食うテロリストグループの殲滅というもの。

 そこに、一つだけ不確定要素が加わる。

 それだけのことだった。

 しかし、それが問題だったのだ。

 ゼロという名の不確定要素が。

 

 始めは、ただの蹂躙戦だった。

 レジスタンスとは名ばかりの、素人同然のテロリスト集団と不穏分子の排除は問題なく行われた。

 様子が変わったのは、それが始まって少ししてからだった。

 集団戦での心得もない、ただ闇雲に攻撃を仕掛けてきていたテロリストの動きが変わったのだ。

 誘い、待ち伏せ、予測し、対応する。

 統率された動きと、ブリタニア側のナイトメアの反応が次々と消えていく事実から、ゼロが現れたのだと彼らは理解した。

 それは、予定通りであったため司令官であるコーネリアは即座に部隊を一度退かせたが、それまでに決して少なくない数の戦力が削られた。

 作戦に支障は出ない程度ではあるが、傷を負わされたのだ。

 天下のコーネリア・リ・ブリタニアが率いる部隊が。

 ナンバーズの薄汚いテロリストごときに。

「くそっ、何がゼロだ…っ!」

 その事実が、彼を憤らせる。

 一時膠着した戦局は、しかし、その後、救難信号を出したナイトメアフレームを罠と看破したコーネリアにより、再びブリタニア側に傾く。

 容赦なく、躊躇いなくナイトメアを破壊したブリタニア軍にレジスタンス側は戦意喪失。

 三々五々に逃げ出したレジスタンスを、ブリタニア軍は容赦なく殲滅していった。

 もはや、勝敗は決した。

 いかに頭が優秀だろうと、手足がこれではいかんともしがたい。

 ブリタニア側の勝利は揺るがないだろう。

 しかし、ブリタニア軍人達の憤りは収まらない。

 むしろ、こんなにあっさりと蹴散らせる程度の連中に後れを取ったという事実が彼等をさらに憤慨させる。

「どこにいる、ゼロ……!」

 このままでは気が済まない。

 興奮したブリタニア軍人は、どこかに潜んでいるだろうゼロを探し始める。

 逃がさない。見つけだして目にものを見せてやる。

 屈辱にまみれた男は、敵を殲滅後、即帰投という命令を忘れて、廃墟内にサザーランドを走らせる。

 しかし、どれだけ探してもセンサーもカメラ越しの風景にも反応は見られない。

「くそ……!」

 ようやく僅かに冷静さが戻った男が諦め、命令に従い帰投しようとした。

 その時だった。

「―――?」

 暗闇で何かが動いたような気がした。

 帰投しようとサザーランドを反転させようとしていた男は、それを止めてファクトスフィアを全開にしながらカメラに集中する。

 僅かな変化も見逃さないと言わんばかりにカメラを睨み付ける男。

 その男の目に光が映った。

「あ?」

 強い光ではなかったのに、それは男の目に焼き付いて離れない。

 光、――いや。

(緋い、――鳥?)

 それが、男の最後の思考。

 最後の自我になった。

 

 

「ふん、呆気ない」

 部下達からの報告と、自分達が優勢だと一目でわかる戦局図を眺めていたコーネリアは、つまらなさそうにそう言い捨てた。

『見事な采配でしたな』

「つまらん世辞はいい。当然の帰結だ」

 通信機越しに聞こえてきた部下のダールトンにそう返し、再び戦局図に目を落とす。

 敵を示すシグナルは、全て消えていた。

「残るはゼロだけ、か」

 敵方の動きから、ゼロの出現は手に取るように分かった。

 今回の作戦自体、ゼロを挑発し誘き寄せることが目的だったので、出現そのものにはコーネリアは驚いたりしなかった。

 しかし、現れたときには些か驚かされていた。

 質も量も悪い、僅かな手勢を上手く使い、ブリタニア側に損害を与えたのだから。

 成程、言うだけのことはある。

 素直にコーネリアは感心した。同時に甘い、とも。

 エリア11にいた、弛んだ軍人達を相手に自信をつけたのか。

 ゼロは、コーネリア達を真っ向から潰しにかかってきた。

 やれる、と勘違いしたのだろう。

 大きな勘違いだ、とコーネリアはその時そう思った。

 はたして、結果はご覧の通り。

 多少戦術に覚えのある頭がいようと、腕も覚悟も足りないゴロツキ紛いのテロリストが、幾多の戦場で腕を鳴らした本物の軍人に敵うべくもなかった。

「所詮は、この程度か…」

 大層な演出でブリタニアに宣戦布告をしたが、蓋を開ければこの通り。

 そこらの三流テロリストと変わらない、自らの実力を履き違えた凡骨でしかなかったか、と。

 そうコーネリアは、未だに姿を見せないゼロのことを評価した。

 もう逃げたか、あるいは逃げられずこそこそと隠れているか。

 後者だ、とコーネリアは判断している。

 何故なら、コーネリアはゼロの隠れている場所に当たりをつけていたからだ。

『姫様、遅れていた部隊が戻りました』

「ご苦労。だが、姫様はよせ、ギルフォード。ここは戦場だ」

『申し訳ありません、コーネリア総督』

 画面越しに慇懃な態度で頭を下げる自らの騎士に、一瞬だけ表情を和らげたコーネリアは、次の瞬間には武人としての顔付きに戻っていた。

 自らの乗るナイトメアを操作し、戻ってきた部下達のナイトメアを一つ一つ厳しい目付きで睥睨する。

 ゼロの隠れている場所について。

 コーネリアは、ゼロがこちらの動きを正確に把握していたことに焦点を置いていた。

 こちらの指示を、作戦を理解しているかのような動き。

 恐らく、情報が抜かれている。そう判断した。

 だが、どうやって?

 自身の麾下に裏切者がいる可能性は無いに等しい。

 欲の皮の突っ張った三流軍人ならともかく、今ここにいるのはコーネリアが選りすぐった軍人のみだからだ。

 なら、考えられる手段はそう多くない。

 その中で最も可能性が高いのは――。

「総員、直ちにナイトメアを停止し、コックピットブロックを――」

『姫様!』 

「騒々しいぞ、何事だ! それと姫様と呼ぶなと…」

『ゼロです!』

「なに?」

『ゼロが部隊正面の廃ビルから――』

 現れました。

 その報告にコーネリアは瞠目する。

 自身の予想が外れたこともそうだが、この状況下で正面から姿を現すなんて予想もしなかったからだ。

 その内心の動揺を押し隠し、コーネリアはナイトメアのカメラアイを操作し、正面ビル周辺の映像を拡大する。

 そして、その拡大された映像の中、確かにいた。

 漆黒の衣装。怜悧な黒塗りの仮面。

 夜の暗闇においては溶けて消えそうな黒き反逆者は、光り差す白日の下、その黒を浮き彫りにさせて静かに佇んでいた。

「確かにゼロのようだな」

 その姿を確認し、そう呟いたコーネリアはランドスピナーのスロットルを押し込み、自機を部隊の前、ゼロの正面に移動させる。

 それに追随するように、ギルフォードとダールトンも主君の隣を固めるように機体を移動させた。

「今一度確認しておく、貴様がゼロで間違いないな?」

 スピーカー越しのコーネリアの声が周囲に響く。

 その凛とした声に返る言葉はない。

 沈黙を守るゼロにコーネリアは、ふん、と鼻を鳴らした。

「まあ、いい。貴様がどうして我々の前に現れたのか、それもどうでもよい」

 結果は変わらん。そう言い締めたコーネリアのナイトメアの腕がゆっくりと動き出す。

「貴様はやりすぎた。もはや命乞いも弁明も聞かん。我が弟と多くの同胞を手に掛けた罪、その命で贖うが良い」

 ガコン、という音を出してコーネリアのナイトメアが持つ銃がゼロに照準を合わせる。

 これで終わり。

 後は指を一本動かすだけで、銃口の先の男はただの肉塊に変わる。

 しかし、この期に及んでも微動だにしないゼロに、さすがのコーネリアも眉を顰める。

 罠か? とコーネリアは考える。

 だが、状況は完全に詰み。この状況を覆せるような大掛かりな罠を張れるような時間も人材もなかったはず。

(…いや、関係ない)

 降って湧いた疑念を、頭を振って振り払う。

 よしんば、罠があったとしても関係ない。

 脆弱な罠など食い破ってしまえば良いだけの話だ。

「一つだけ選択させてやろう。仮面を被ったまま死ぬか、それとも――」

「神聖ブリタニア帝国第2皇女、コーネリア・リ・ブリタニア」

 スピーカーで増幅されたコーネリアの声を断ち切るように黒い仮面から言葉が紡がれた。

 敬愛する主の言葉を遮り、あまつさえ敬称も付けずに呼ばれたことに、コーネリアの部下達が色めき立つ。

「貴方に問いたい」

「命乞いも弁明も聞かんと言ったはずだ」

 ゼロの問いかけを切って捨てるコーネリア。

 しかし、ゼロは気にすることなく次の言葉を紡ぐ。

「貴方は、――撃たれる覚悟があるか?」

「何だと?」

 その奇抜なゼロの問いかけにコーネリアの目が険しく細まる。

 両隣に控えるダールトンとギルフォードもコックピットの中で、その問いかけの意味が解らずに疑問に満ちた顔付きをしていた。

「『撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ』 私は常々そう考えている。コーネリアよ、お前はここに住む日本人達を殺したが、それは撃たれる覚悟があってのことか?」

「はっ、何を言い出すのかと思えば……」

 くだらん。

 そう思いながら、コーネリアは鼻でゼロの発言を笑う。

 コーネリアは皇女だ。

 しかし、自身は武人であり戦士であると考えている。

 それ故、戦場に於ける命の重さもよく理解している。

 どれだけ大事にしていようと。

 どれだけ疎ましく思おうと。

 どんな命も死ぬ時は死ぬ。戦場で死神が振るう鎌は等しく平等だ。

 それはコーネリアも同じ。死の覚悟を持って戦場に躍り出る。

 だが。

「それは弱者の理論だ」

 それはあくまで生死の覚悟の問題。

 戦場に出ておいて、いつ撃たれるかなどと考えていてどうする。

 撃たれる覚悟など必要ない。

 撃たせない。

 それだけだ。

 撃とうとするなら撃つ。殺そうとするなら殺す。

 相手の意志も覚悟も、それを上回る力を持ってねじ伏せる。

 唯それだけだ。

「強者であり続ける、それだけだ」

 弱ければ撃たれ、強ければ撃たれない。

 なら、強くあればいい。

 それが――。

「我らが神聖ブリタニア帝国であり、我々の国是だ」

 人は平等ではない。

 強き者こそ正しい。

 故に強者であれ。

 それがブリタニアという国の強さだった。

「貴様こそ、撃たれる覚悟はあるのだろうな?」

 ゼロに向かって突きつけられた銃口が鈍色の輝きを見せる。

「無論だ。その覚悟をして引き金を引いた」

「そうか、……ならば、ここで撃たれるがいい!」

 咆哮。

 裂帛の気勢がゼロに叩きつけられる。しかし、それでもゼロに動じた様子は見られない。

 それがコーネリアを苛立たせた。

 明らかに追い詰められているのに、まるで大したことではないと言わんばかりの態度と、こちらを煙に巻くかのような言動。その一つ一つがコーネリアの癪に障った。

「もういい、時間の無駄だ。貴様が何を企んでいようがこれで終わりだ」

 これ以上相手をする気の失せたコーネリアが、遂にその引き金を引こうとする。

 罠の可能性を考え、部下達に注意を喚起し不測の事態に備える。

「それは大きな誤解だ、コーネリア。私はこの場においては何も企んではいない。その銃口が火を噴けば私の命など簡単に消え去るだろう」

 コーネリアはもはや取り合わなかった。

 ただその一挙手一投足に注意しながら、目の前の男を物言わぬ存在にしようとして――。

「ただし―」

 

   ドウジニキサマノイモウトモシヌ

 

 その言葉に全ての動きを止めた。

「な…に?」

 何を言われたのか理解できなかった。

 頭が真っ白になり、思考が上手くまとまらない。

 今、この男は何と言った?

 死ぬ? 誰が?

 妹? それは、つまり――。

「もう一度言った方が良いのか? 私が死ねば、コーネリア、貴様の妹ユーフェミア・リ・ブリタニアも死ぬと言ったのだ」

 その瞬間、コーネリアは目の前が真っ赤になった。

「貴様ァァァ! ユフィに、ユフィに何をしたッ!!」

 激情のまま、コーネリアが吠える。

 その怒りに、しかし、ゼロは答えない。

 ただ沈黙を通す。

「答えろッ! 貴様はユフィを――ッ」

『姫様!』

『コーネリア殿下! 落ち着いて下さい!』

「黙れ! コイツは、ユフィを、ユフィに……っ!」

 怒りのあまり、言葉が上手く出てこない。

 ひどい剣幕のコーネリアに、しかし、二人の忠臣は怯むことなく言葉をかけ続ける。

『落ち着いて下さい、もしユーフェミア様の身に何かあれば、とうに姫様の耳に入っておられましょう』

『ユーフェミア様には姫様が万全の備えをつけたでありませんか。テロリスト一匹にどうこうできるはずがありません』

「ギルフォード……ダールトン……」

 部下二人の必死な呼び掛けに、コーネリアの頭も徐々に冷えていく。

「そう、だな」

 深く息を吸い、吐き出す。

 熱くなった血が冷えて思考が再び回り出した。

「すまんな、二人とも」

 苦言を呈してくれた部下二人に小さく礼を返す。

 お気になさらずと告げた二人に、ふっとコーネリアの口元が緩む。

 頭は冷えた。冷静になった。

 しかし、滾った怒りが霧散したわけではない。

 今にも沸き立ちそうな怒りをそのままに、コーネリアはその原因の男を鋭く睨み付けた。

「おのれ、卑劣な真似を……っ」

 ハッタリ。

 最後の悪あがきに吐いた下らない嘘。

 覚悟があると言っておきながら、醜く足掻くその様にコーネリアは不快感を顕にする。

 同時にそんな程度の低い嘘に嵌まった自分自身にも。

 冷静に考えれば、すぐに分かることだったのに、ゼロの口からユーフェミアの名が出ただけで我を忘れてしまった自分自身が恥ずかしい。

 ギルフォード達の言う通りだ、とコーネリアは思った。

 この情勢の悪いエリアに付いてきた妹には、出来る限りの護りをしてある。

 本当は政庁内で大人しくしていて欲しかったが、下手に束縛すると何を仕出かすかわからないことは、長年の、そして昨日の行動でよく分かっている。

 なので、ユーフェミアには適当な公務を与えており、今はその公務に励んでいるだろう。

 そして、その公務を行うにあたり、コーネリアは過剰とも言えるセキュリティを敷いていた。

 護衛の選別はもちろん、偽情報をばらまき、カモフラージュのための囮も用意してある。さらには、目的地に護衛の一部を先行させ、周辺警戒と安全の確保をさせるという手の込みようだ。

 真っ当な軍事組織ならともかく。

 そこらのテロリストごときが手を出せるレベルではなかった。

(そうとも、何も問題ない。今頃、あの子は美術館で――)

「今頃は、美術館の視察をしている頃か? コーネリア」

 その言葉を聞いて、今度こそコーネリアの思考は完全に止まった。

「美術館の後は、公共施設の見学と慰労。その後、租界内のグランドホテルの周年記念パーティーに参加。…夜には政庁に戻って共に夕食とは、麗しい姉妹仲だ」

 完全に言葉を失くしているコーネリアに、ゼロは畳み掛けるように言葉を重ねる。

「護衛の名前は、ヘンリー、リチャード、マイケル、オットー、キャシー、ヘルマン。カモフラージュの偽装車は3台。偽情報では、フクオカの学会に参加、ということになっているらしいな」

「な…ぜ……」

 震えるコーネリアの唇から、絞り出るようにそう呟きが漏れる。

 心臓が鷲掴みにされたようにギュッと締まり、ドクドクと早鐘を打つ。

 何故知っている?

 コーネリアの頭は、その疑問で埋め尽くされる。

 情報は完全に遮断した。事前に情報が漏れることはなかったはず。

 だというのに。

 だというのに、なぜこの男は――。

(いや、惑わされるな)

 先程の失敗からか、コーネリアは乱れそうになった思考を何とか抑えることに成功する。

 ゼロが正確に情報を得ていることには驚愕を禁じ得ない。

 しかし、それだけだ。

 知っている、だが、どうにか出来るかということになれば話は別だ。

 むしろ、得た情報を晒すことで此方が何かしたと思うように思考を誘導することこそが、ゼロの狙いかも知れない。

(そうだ、ただのハッタリだ。たかだか、口の回るテロリスト一匹にユフィの命を狙うことなど…)

 そう間違いなくハッタリだ。苦し紛れについた嘘だ。

 ここでこの男を殺しても、ユフィには何の危害も及ばない。

 感情も理性も、撃っても何も問題ない。だから、撃つべきだと主張している。

 なのに。

「く……っ」

 コーネリアの指はまるで凍ったように動かない。

 撃てと思うのに身体がまるで言うことを聞かない。

 その原因はコーネリアにも分かっていた。

 

 もし。

 

 本当だったら?

 

 もし、ここでゼロを撃った後、ユーフェミアが死んだとしたら?

 ここでゼロを葬った後、見るものがユーフェミアの死体だったら?

 可能性としては、無いに等しいことは分かっている。

 しかし、僅かばかりあるかもしれない『もしも』がコーネリアに引き金を引くことを躊躇わせていた。

(そうだ、コイツはクロヴィスを殺している)

 そう、ゼロはブリタニア軍人と親衛隊に護られていたクロヴィスにどうやってか接触し、その後殺害している。

 その事実が、コーネリアに『もしも』をより起こりうる可能性として印象付けさせていた。

『姫様…?』

 いつまで経っても引き金を引かないコーネリアの様子を訝しんだギルフォードが声をかけてくる。

 他の部下達にも、どよめきが広がっていた。

 まずい、とコーネリアは感じる。

 ここでこれ以上時間をかけてゼロに手こずっているかのように思われれば、例え勝利したとしても今後の士気に関わってくる。

 だから早急に始末するべきだ。

 そう。分かっている。

 なのに、彼女の指先は固まって動いてくれない。

「くそ、卑劣な! ユフィを人質に取るなど……!」

 焦りと苛立ちから、コーネリアはゼロに非難の言葉を浴びせる。

「人質? 誤解だ、私は何かを要求するつもりはない」

「では、何だと言うのだ!」

 てっきりユーフェミアを人質に、この場を逃れるつもりでいると考えていたがそうではないらしい。何を考えているか分からないゼロにコーネリアは声を荒らげて問う。

「言ったはずだ。コーネリア」

 冷たく光るナイフのように、仮面が告げる。

()()()()()()()()()()()?」

 その言葉に、コーネリアは愕然とする。

 まさか、この男は。

 今まさに撃ち殺されようとするこの状況下で。

 この私を試しているというのか!? 

 

 撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ。

 

 この言葉の本当の意味を、その指し示す現実を。

 貴様は本当に理解した上で引き金を引いているのかと。

 その冷たい仮面の下の素顔が、無言で問うてきていた。

「っ、…だが、無関係なユフィを巻き込むことなど――」

「その言葉、そのまま返そう。ここにはレジスタンスに関係のない人々も数多くいた。なのに、何故殺した?」

「テロリストが潜伏していると知っていて通報しなかったのならテロリストと変わらん! 放っておけば新たなテロの温床になりかねん!」

「その言葉も、そのまま返そう。このような虐殺を行う者の妹だ。いずれ同じことをすると考えても、不思議ではあるまい」

 ならば禍根は断つべきだ。

 そう告げるゼロにコーネリアは押し黙る。

(何なんだ……?)

 いつの間にか、自分の呼吸が乱れ荒い息を吐いていることにコーネリアは気付いた。

 手袋に包まれた手はじっとりと汗ばんでいる。

(何だと言うのだ……!)

 立場は明らかにこちらが上。

 追い詰められているのは相手の方で、生殺与奪は自分の手にある。

 だというのになぜ。

(こちらが追い詰められている気分になる!?)

 いや、そもそも。

 このゼロは本物なのか。

 コーネリアの頭にそんな疑念が浮かぶ。

 先程まで戦っていた、自分が頭の中で評価を下したゼロと目の前のゼロの人物像が一致しない。

 無言で佇むゼロの纏う雰囲気が、その存在感が圧倒的に違いすぎる!

 危険だ。

 コーネリアはそう直感する。

 この男は、ゼロは間違いなく我らを―、神聖ブリタニア帝国を脅かす存在になりうる。

 今ここで、確実に息の根を止めなくては。

 だというのに、自分は――。

「撃てないのか?」

 その言葉にコーネリアは唇を噛む。

「ならば、それが貴様の限界だ。コーネリア・リ・ブリタニア」

 そこでようやくゼロが動いた。マントに隠れていた細い右腕をゆっくりと掲げてゆく。

「その浅はかさ――」

 何をしようとしているのか警戒するコーネリアの部下達の前でゼロは天を指すかのように右手を空に向かって伸ばす。

「己が命で、贖うが良い」

 パチン、と。

 掲げられた右手の指が軽い音を立てた。

 そして、次の瞬間。

 爆音が辺りに響いた。

 

 一瞬、何が起こったのか誰にも分からなかった。

「何が……」

 そう呟いた瞬間、自分達の頭上を覆った影に全てを理解する。

 ゼロが出てきた廃墟ビル。

 コーネリアの部隊が集結している正面のビルが。

 根元から折れ、コーネリア達に向かって倒れてきていた。

 ぞわっ、と全身の毛が粟立つ。

 迫り来る死の予感に、コーネリアは慌てて指示を飛ばす。

「総員、全力でこの場から離だ―、うあっ!」

 自身の乗るナイトメアを突然衝撃が襲った。

 見れば、ナイトメアの一機が自分のナイトメアに組み付いていた。

 自分の部隊のナイトメアが。

『姫様!』

『貴様、何をやって、ぐぅ!』

 駆け寄ろうとしていたギルフォードとダールトンのナイトメアだが、同じく横合いから飛び出してきた味方のナイトメアに邪魔をされる。

 何が起こっているのか、分からなかったが今は考えている余裕もない。

 何とか絡み付いているナイトメアを引き剥がそうとするが体勢が悪く引き剥がせない。

『おのれ、貴様! ゼロの仲間か!?』

『姫様、お逃げ――』

 怒号や必死な声が飛び交う。

 そして、その声ごと巨大な質量が全てを押し潰した。

 

 

 爆音。そして、それに続く大きな地響きによってパラパラと天井から埃と細かい破片が降ってくる。

 しかし、それらを気にすることなくC.C.は地下水道の壁に静かにもたれ掛かっていた。

 両腕を後ろに回して腰の所で手を組むような体勢で、何かを待つように閉じられていたC.C.の瞳がゆっくりと開かれる。

 同時に響いてくるカツン、カツンという靴音。

 それを聞いたC.C.は、壁から身体を離すと立ち塞がるように、迎えるように通路の真ん中に立った。

 やがて、暗闇から人の姿が現れる。

 漆黒の衣裳と仮面。

 ゼロ、――ルルーシュだ。

「来ていたのか?」

 C.C.の存在に気付いたルルーシュが、仮面の下からそう声をかけてくる。

「一応、な。何かあれば助けに、と思ったが」

 いらない心配だったか。軽く笑みを浮かべながらC.C.はそう言う。

「当然だ。だが、結果は散々だ」

 そう言うとルルーシュは再び歩き出し、C.C.の横を抜けていく。

 その姿をC.C.は何とも言えない表情で見つめる。

 本来ならルルーシュはここでコーネリアに追い詰められ、C.C.の助けを借りて逃げおおせたのだ。

 だが、今回のルルーシュはC.C.の手を借りることなく逃げることに成功している。しかも、コーネリアに一矢報いる形で。

 なら、このルルーシュは――?

「―――ぁ」

 声をかけようとしたC.C.の口が、しかし、何も発することなく閉じられる。

 様々な思いと葛藤がC.C.の心の中でせめぎ合う。

 それでも、何か声をかけようとしたC.C.が口を開くよりも早く、ルルーシュが言葉を口にする。

「やはり、必要だな」

「――え?」

「俺の、軍隊が」

 そう言って歩いていくルルーシュを、話すタイミングを逸したC.C.はただ見送る。

 そのまま、再び暗闇に溶けそうになるルルーシュだったが、不意に立ち止まると肩越しにC.C.を振り返った。

「何をしている、行くぞ」

「――――っ」

 小さく胸が震えた。

 そのぶっきらぼうだけど、何だかんだと此方を気にかける仕草と口調がそっくりで――。

 その姿に言いたいことがあったけど、言葉は出てこず。

 結局何も言わないまま、C.C.はルルーシュと一緒に闇に溶けていった。

 

 

 嘘だ。悪い夢だ。

 呆然と目の前の光景を見つめながら、男はそう思った。

 男には家族がいた。

 妻と息子。そして、生まれたばかりの娘。

 日々の苦しい暮らしの中で、三人も養わなくてはならなかったが男は苦痛に感じなかった。

 むしろ、彼女達がいるからこそ男はこの苦しい現実に耐えていけた。

 ボロボロな家屋だろうと。ブリタニア人に理不尽な扱いを受けようと。

 家族がいるだけで男は幸せだった。

 そんな男に、一つ不安なことが出来た。

 最近周りが妙に慌ただしいのだ。

 慌ただしいのは自分達の住むゲットーに潜むレジスタンスだった。

 彼らは男にとって悩みの種だった。

 彼らの気持ちは理解出来る。止めるつもりはない。

 だが、自分達に飛び火がくるのは遠慮したい。

 彼らとブリタニア軍との小競り合いで、男とその家族は何度か住む場所を追われている。

 その経験からここも危ないと判断した男は、遠方への出稼ぎのついでに新しい住居を探してくるつもりだった。

 気をつけて、と微笑みながら妻が。

 お土産よろしく、と息子が。

 差し出した指に手を絡めて娘が。

 そんな家族に行ってきますと告げて男は遠くに旅立った。

 難航するかと思われた新居探しはあっさりと事が運んだ。

 出稼ぎで知り合った人物が紹介してくれたのだ。

 建物の感じは今のと変わらないが、周辺に過激なレジスタンスグループはないというのが決め手になった。

 お土産を買い、喜ばしい報告を持って男は帰っていった。

 迎えてくれたのは。

 

 物言わなくなった家族だった。

 

「なんで……?」

 がくりと男は膝から崩れ落ちた。

 ボロボロだった住居は、銃撃と爆撃で粉々になっていた。

 そして、その近くで。

 道に投げ捨てられるように、男の家族がそこにいた。

 貧しい生活のなかでも白さを忘れなかった妻のワンピースは真っ赤な物に変わっていた。

 父ちゃん、と手を振りながら駆けてきた息子の手足は、足が一本だけになっていた。

 生まれたばかりの娘は、実の娘でなければ目を背けたくなるような姿だった。

「あ、あああ、ああ……っ」

 項垂れた男の指が土を食む。

 何が悪かったというのだろう。

 何をしたというのだろう。

 自分達は、ただ静かに暮らしていただけだったというのに。

 アイツらは。

 ブリタニア人は。

 それすらも、小さな幸せすらも奪わないと気が済まないというのか――――!

「こぉねりあぁぁぁ……!」

 地面を削る男の指の爪が剥がれ、血が流れる。

 しかし、男は痛みを忘れたかのように何度も爪の剥がれた手で地面を掻き毟る。

 許さない。絶対に。

 お前にも同じ思いをさせてやる。

 俺が、必ず。

 俺が。オレが。オレガ、おれがオれガおれガおレがオレが俺ガオレが――――――――――

「コォォォネリィアアアアアァァァァァ!!!!」

 夜が迫る空に、男の咆哮が響く。

 夕闇の空は、まるで血のように朱かった。




 口先一つでダウンさ

 仮面の人はやはりミステリアスでないといけませんね。
 鉄血の新仮面とか何ガリさんなのか、ほんと分からないガリ。

 作中のゼロとコーネリアの言い合いは論点がズレているようになってるのは仕様です。
 純粋に引き金を引く覚悟を聞いているルルーシュに、立場こみで「パンがなければ~」的な発言をするコーネリア。
 生まれながらの強者で、守られながら強くなった故の『強者の歪み』みたいなものです。
 もうちょっと上手く書きたかったのですが、作者の文章力が貧困なせいで分かり難かったらスミマセン。

 次はナリタ!
 果たして、名前呼びイベントは発生するのか!?
 


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Re:05

 生温い風が頬を撫でる。

 鼻につくのは、土と木の匂い。

 なだらかに続く緑の平野には見渡す限りには獣も鳥も見えない。

 それは、これからここで起こることを予期してのことだろうか。

 

 ナリタ連山。

 

 これより、ここで起こる事に備えてC.C.はこの地を訪れていた。

 ブリタニア軍と日本解放戦線、そしてそれに介入する黒の騎士団の戦い。

 その戦場に立つゼロことルルーシュが窮地に陥った時に助けに入るためだ。

 C.C.の記憶の通りであれば、ここでルルーシュは枢木スザクが駆るランスロット―この時はまだ、白兜だったか―に後一歩というところまで追い込まれ、自分の助けにより事無きを得ている。

 そして、その後は。

 その後は――――

 

 

         ありがとう

 

 

「っ!?」

 まるで耳元で囁かれたみたいに、あの時の言葉が思い出されてC.C.は反射的に耳に手をやった。

 何を動揺しているんだとC.C.は自分に言い聞かせる。

 確かに、あの時の通りになればまた同じような展開になるだろう。

 それはやぶさかでないのだが。

 同時にあの時の思い出はあの時感じた想いと共にそっと胸にしまっておきたいと思うのは、はたして誰の影響だろう。

 もっとも、今のところ本当に前回のようになるという保証はないのだが。

 サク。

 C.C.のブーツが柔らかい音を立てる。

 テンポこそ一定だが、どこか重い足取りを思わせるのが彼女の心境を物語っていた。

 

 サイタマゲットーの戦いから、かなりの時間が流れた。

 その間に、ルルーシュは『前回』と同じように自分の手足となる武装組織、黒の騎士団を結成。今日まで地道な地下活動を行いながら、組織の拡大と地盤固めに奔走していた。

 あれから、ルルーシュの様子に変わりはない。

 ルルーシュにかつての『ルルーシュ』の面影を見たのは、あの時だけ。

 注意深く見ていたが、結果は変わらず。

 ルルーシュはこの当時のルルーシュのままだった。

 行動も。……C.C.への接し方も。

 むしろ、後者はあまりじっと見ていたため気味悪がられていたかもしれない。

(やはり気にしすぎだと言うことか……)

 吹き抜ける風に煽られる髪を押さえながら、C.C.は思う。

 ここが過去だとして、全てが同じになるという保証はされない。

 現に自分の行動は以前と全く同じというわけではないのだ。なら、他の所で細かい差異が生じても不思議ではない。

 あの時のことも、その一つとC.C.は考えている。―考えるようにしている。

 だって、そうでないのなら―――。

 そこでC.C.は考えるのは止める。

 その可能性を、C.C.は考えないようにしていた。

 あり得ないから、とかではない。

 単純に怖いからだ。

 微かな希望に縋って、あの夜のように打ちのめされるのが、怖いのだ。

 それに、今はルルーシュと絆を深めなければならないのだ。

 別人の面影を探している場合ではない。

 だから、考えない。考え、たくない。

「…っと、こっちだったか」

 道を間違えそうになり、C.C.は目的地の場所を思い出して、その方向に向きを変える。

 目的地は、ルルーシュがいるログハウスではない。

 この戦いでルルーシュの心に影を落とすことになる事件が起こる場所。

 ただ、それを変えることが本当に正しいのかC.C.の心には迷いがあった。

 

 

 岩肌の目立つ山の頂きをコーネリアは険しい表情で見つめる。

 その眼差しは、まるで敵を睨み付けるかのように鋭く厳しい。

 事実を言えば、確かにその山にはブリタニアと敵対する大勢力の中枢とも言える拠点がある。

 しかし、コーネリアがその視線の先に思い描いているのは、もはや遺物となりかけているその組織ではなく、得体の知れない仮面の男ただ一人だった。

「コーネリア総督、全部隊の配置完了致しました」

「ああ」

 返ってきたのはそれだけ。

 報告に来た自らの騎士を一瞥することなく、コーネリアは変わらず前を見つめたままでいる。

 そんな主にギルフォードは憂いを帯びた表情を見せるがすぐにそれを引き締めると、報告を続ける。

「姫……、コーネリア総督のご指示通り部隊の三割を予備兵力として編成し後方に配置、待機させました。これで戦況がどのように変化しようと敵に後れを取ることはないかと」

「で、あれば良いがな」

 そこでようやくコーネリアはギルフォードの方へ向き直り、彼の持ってきたデータに目を通し始めた。

「不満か?」

「はっ、いえ……」

「良い。少々過剰だとは私も思っている」

 部下が物言いたげな視線を向けてくるのもわかる。

 コーネリア自身、いささか過ぎると思っているくらいだ。

 この状況下で部隊の三割も遊ばせておく理由はない。

 今回は、敵の数も質も決して悪いというわけではないのだ。頭数が減れば、その分損害が増えるのは分かりきっている。

 只の保険にしては物々しい。慎重と言えば聞こえはいいが、これでは臆病と捉えられてもおかしくはなかった。

「だが、必要だ。奴が現れた時に、な」

「総督は、今回の戦いにゼロが加担しに来ると?」

「私が奴ならこの機会を逃しはせん」

 だが、助太刀に来るというのは些か違うとコーネリアは考える。

 ゼロはブリタニアの敵で、日本の解放を謳う者かもしれないが日本解放戦線の味方ではないのだ。

 ゼロにとって、これから起こる戦場は敵と利用できる駒が転がっている場所くらいにしか思っていないだろう。

 だからこそ、警戒が必要なのだ。

「しかし、であれば、ユーフェミア様を連れてこられたのは……」

「戦場を見てみたいと言うのがアレの希望だ。それに近くにいた方が有事の際に対処しやすい」

 そこでコーネリアは、はたと思い出す。

「あの件、結局進展はなかったか」

 あの件というのは、サイタマゲットーでのことである。

 最後のビルの倒壊に巻き込まれたコーネリア達は、ギリギリでしがみついていたナイトメアを引き剥がす事に成功。辛くも離脱に成功したが、突然の出来事にパニックになった部隊の半数近くが倒壊に巻き込まれた。

 その時、コーネリア達の離脱の邪魔をした味方のナイトメアに搭乗していた者達の割り出しをコーネリアは命じていた。

 はい、とギルフォードが頷く。

「全員倒壊に巻き込まれており、現場を捜索しましたが恐らく身元に繋がるようなものは……」

「死をも恐れなかったか、それとも我等に一矢報いるために命を捨てたか…」

 あるいは、それだけのことを為せる何かがあの男、ゼロにあるのか。

 その底を見通せない不透明さをコーネリアは危険視していた。

 ゼロという男の今日に至るまでのその行動の中で、その存在感に違和感を覚えたのはサイタマゲットーでの対峙の時のみ。

 もし、あの事がなければコーネリアも他の者達と同じように、こそこそと小賢しい真似をする男だと思って終わりだったかもしれない。

 果たして、読み間違えているのは自分か、――他か。

 答えは分からないが、コーネリアは自分の直感を信じた。

 あの時、肌に感じた戦士としての自分の本能を。

 だから。

(来るなら来るがいい)

 ギュッ、と手袋ごと握り込まれた拳が音を立てる。

 もう、戯言に惑わされたりしない。

 その仮面の下の口が大層な言の葉を紡ぐ前に、その命を終わりにしてやる。

 戦場を前に昂る気持ちを感じながら、コーネリアは戦意を研ぎ澄ましていった。

 

 

「フェネットとかいうのはお前か?」

「は?」

 聞き慣れない声に名前を呼ばれて、ジョセフ・フェネットは振り返ると、飛び込んできた光景に目を見張った。

 珍しい色の髪をした拘束服を着た少女がいたからだ。

 年の頃は娘であるシャーリー・フェネットと同じくらいだろうか。

 最近は仕事が忙しく、中々顔を合わせられない娘の姿が目に浮かぶ。

 その娘が怖い目に遭ったばかりだというのに、満足に側にいてやれない不甲斐無さと、娘に嫌われたくない子煩悩さから、ちょっとしたご機嫌取りという名の贈り物をしたのは記憶に新しい。

「おい、聞いているのか?」

 先程より苛立ちの色合いが目立った声にジョセフは現実に立ち返る。

「えっと、君は…?」

「質問しているのは、こちらだ」

 その出で立ちに困惑しながらも、ひょっとしたら、娘の知り合いなのかと殆ど無い可能性について尋ねようとしたジョセフの発言は、少女ににべもなく断ち切られた。

「確かに、私がフェネットだが……」

 目上に対する礼を感じられない少女の立ち居振舞いに、ジョセフは僅かばかり不快感を覚える。

 …もっとも実際のところ、少女の方が遥かに年を重ねてはいるのだが。

「そうか。なら、すぐに逃げろ」

 そんなジョセフの様子に気にした様子も見せず、少女はここに来た本題をさっさと切り出した。

「……さっきから何だと言うんだ? いきなり現れて名乗りもしないで、今度は逃げろ? 何から? なんのつもりか知らないがふざけているなら――」

「もうすぐ、ここは戦場になる」

 その言葉に、一方的に用件だけを話す少女に苛立ちを覚え始めていたジョセフの頭が一気に冷えた。

「ここにいたら巻き込まれる。だから逃げろと言っている」

 そう言われて、困惑するジョセフだが、確かに今日、山の中腹に大部隊の軍隊が向かうのを見かけていた。

 何か大規模な作戦でも行われるのかと思い、軍からの通達を待っていたが何の沙汰もなかったため、軍事演習か何かと考えていた。

「いや、だが……」

 仮に戦場になったとしても、それはここから遠く離れた場所でだ。今から慌てて逃げる必要をジョセフは感じなかった。実際ここからは、戦いを彷彿させるものは何も見えない。いきなり銃弾が降ってくるわけでもなし、雲行きが怪しくなってからでも避難は十分間に合うだろうとジョセフは考える。

 これは彼の危機感が足りないわけでも、状況を甘く捉えているというわけでもない。

 彼らブリタニア人にも、仕事があり生活がある。この情勢の落ち着かないエリア11という場所で仕事をする以上、些細なことで避難などしていたら、とてもやっていけない。

 だから確たる証拠がなければ、彼らはもっと状況が逼迫してからでないと動くことはなかった。

 だが、そんな彼らの事情など少女には興味がなかった。

 用件を告げると少女は早々に踵を返し、この場を去ろうとしていた。

「きみ――」

「警告はした」

 後は好きにしろ、と振り返らずに少女が告げる。

 その日常とはかけ離れた奇妙な存在感に、少女の言葉がジョセフの中で重みを増した。

 

 

 背中に感じる視線が消えたところで、C.C.は一度だけ後ろを振り返った。

 動いたのか。動かなかったのか。

 天秤がどちらに傾いたのか、それによって今後の道程が変わってくるのだが、その結果を確認する気はC.C.にはなかった。

 そもそも、C.C.は、先程話した男のことなど始めからどうでもよかった。

 ただ、あの男の死は、後にルルーシュに大きな影響を与える出来事への引き金となっている。

 

 シャーリー・フェネット。

 

 C.C.にとっては、先程の男と大して変わらない、面識のない女の名だ。

 名前だけはよく耳にしたが、話したことはもちろん、姿とて遠目に何度か見たくらいだ。

 そんなC.C.にとっては遠い女が、C.C.が一番側にいた男に多大な影響を与えるのだから、人の繋がりというのは分からない。

 そして、この件に関わるべきかどうか、C.C.はずっと悩んでいた。―否、今も悩んでいる。

 この時のルルーシュはまだ現実を、世界をよくわかっていなかった。

 俗に言ってしまえば浮かれていたのだろう。

 ギアスという力を手に入れ、黒の騎士団という軍事力も手に入れた。

 危機的な状況に陥りはしたものの、ここまで決定的なものは何も失いはしなかったルルーシュは、どこかゲームをやっているような感覚で戦っていたのだろう。

 作戦が的中した時の達成感。生死の境目で生をもぎ取った時の充実感。そして、勝利という名の甘美な快感。

 ルルーシュは戦いに酔った。

 そんなルルーシュを、父を喪った少女の涙が現実に引き戻した。

 違う、そうじゃない、と雨の中泣きじゃくる少女の悲痛な叫びが彼に現実を教えてくれた。

 結果、それはルルーシュにより一層の覚悟を固めさせ、甘さを消させる要因となった。

 もし、ルルーシュがあのまま戦っていたら、どこかでもっと取り返しのつかない目にあっていたか、それこそ志半ばで命を落としていたことだろう。

 そういった意味では、これらの出来事はルルーシュにとっては必要なことなのかもしれない。

 だが、この時、僅かとはいえルルーシュの運命に触れてしまったシャーリーは、それに絡め取られてしまった。

 何度心を歪められても、変えられても、そこから抜け出せず―抜け出さず―その命を落とした。

 そして、それはきっと、ルルーシュにゼロレクイエムを決意させる遠因になってしまったのだろう。

 だから、C.C.には判断がつかなかった。

 どちらがマシなのか、と考えるも、どちらに転んでもルルーシュに喜ばしい展開には、きっとならないだろう。

 色々悩んで。考えて。

 結局答えが出なかったC.C.は、流れに任せてみることにした。

 C.C.がするのは警告だけ。

 それを信じるも信じないも、生きるも死ぬもジョセフ次第。彼自身の行く末を、C.C.は彼自身に手に委ねることにしたのだった。

 

 そして、今、選択はC.C.の手を離れた。

 もはや、ここでC.C.がやるべきことは、たった一つだけ。

 

 大気が緊張に染まる。

 戦火の足音が聞こえてくる。

 この感覚をC.C.は、よく知っている。

 

 戦いが、始まる。




 C.C.「(攻略難度が上がってイベが潰れた? ならば、他の奴らのも潰すしかないな)」
 とか思っていたりはしません、きっと、多分、……はい(目逸らし)

 モチベーション維持のために五千字前後で投稿していこうかと。
 地の文を長く書きがちなので、あまり話が進まなかったりするかもですが、長い目で見ていただければ有難いです。


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Re:06

 颯爽登場!


 目の前に『罪』がいた。

 

 

 スロットルを全開にまで押し込み、機体を加速する。

 時折、視界に入る障害物を刹那に薙ぎ払う。

 高められた集中力は、巻き上がり小雨のように機体に叩きつけられる石の一つ一つが起こす音すら拾えそうだった。

 土に沈みそうになる機体を巧みな調整で保ち続ける。

 捲り流れた土が機体に与える抵抗感は、土というより水のソレだ。

 

 まるで波に乗っているみたいだ、とスザクは思った。

 

 

 偶然か。必然か。

 

 ソレが起こったのは、ナリタ連山に拠点を置く日本解放戦線と、そこを攻めるコーネリア率いるブリタニア軍の戦いが始まってしばらくのことだった。

 数で勝るブリタニア軍と地の利を持つ解放戦線の戦いは始めこそ膠着状態だったが、将を始め部下にも一流の腕前を持つブリタニア軍が徐々にだが優勢になり出した。

 対する解放戦線も、先の戦争で敗戦はしたもののれっきとした軍人を有する、それなりの組織ではあるのだがこの場にいるのは角の立たない、言ってしまえば並としかいえない者達ばかり。もちろん、一流と呼べる存在が組織にいないわけではないが、不幸にも今この戦場に彼等はいなかった。

 紙に水が染み込むように、徐々に徐々に前線を押し込み、解放戦線の敗北が濃厚になり始めた時だった。

 

 山が壊れた。

 

 比喩でも何でもない。文字通り山が壊れ、崩れたのだ。

 山肌が剥がれ、流れる。岩を砕き、木々を折り、虫も獣も、山が長い時間をかけて育んだ一切のものを呑み込み猛威が駆け巡る。

 それは解放戦線にも、ブリタニア軍にも例外なく無慈悲に襲い掛かった。

 例え、歴戦の猛者を有するブリタニア軍であろうとも、長く堪え忍んできた解放戦線であろうとも、地に足をつける者である以上、その自然の脅威の前には無力に等しい。

 敵も味方も関係なく、その戦場で戦っていた者達の多くが戦いとは関係ないことで命を散らした。

 もう、こうなっては戦いどころではない。 

 一刻も早く救助に向かいたいスザクだったが、命令がないと出撃できない。

 もし、自分一人だけであったら一も二もなく飛び出していただろうが、今勝手をすればロイドやセシルといった特派の人達にも迷惑がかかってしまう。

 せめて、いつ命令が下ってもすぐ出撃できるようにとスザクはコックピットの中で待機することにした。

 まだかまだか、と逸る気持ちについ操縦桿を握る手に力が入る。

 そうこうしているうちに、スザクの耳に一つの報せが入った。

 それは待ち望んでいた出撃命令ではなかった。

 

 

 軟らかな土の波間を順調にスザクは滑走していた。

 猛スピードで進む機体は、刹那の判断を間違えれば命に関わる。

 今も目の前に障害が横たわっているのだが、スザクに動じた様子は見えない。

 瞬時に、的確に軟らかな土の中にある固い部分を見極め、ハーケンを打ち出す。

 ハーケンが地面に刺さり、その反動で機体が宙を舞う。

 出撃時に両足に装着したサンドボードの噴射力が中空を舞う機体を四方八方に行かせようと唸りを上げる。

 下手をすれば、機体がバラバラになりかねないその事態もスザクには大した問題にならない。

 片足の噴射を強め、機体を独楽のように回転させて安定させる。

 土の川と川を両断する流木を飛び越え、スザクは自分ごと遠心力に振り回される機体を難なく着地させることに成功する。

 さながらそれは、氷の上を踊るアーティストのようだった。

 

 

 黒の騎士団が現れた。

 そして、土砂崩れで半壊したブリタニア軍を襲撃している。

 その報せを聞いて、スザクは憤慨した。

 今、この瞬間にも命を落とそうとしている人達がたくさんいるのに、何のつもりか、と。

 苦しみ、助けを求める者達に手を差し伸べるどころか、その命を踏みにじることが正義を謳う者達がすべきことなのか、と。

 ゼロからすれば、筋違いも甚だしいだろう。

 これはゼロが敵を倒すために講じた策なのだから、それなのに助けに入るなどお門違いも良いところだ。

 しかし、事情を知らないスザクからしてみれば黒の騎士団の行動こそ的外れに思えてならず、滲み出る怒りとやるせなさに噛み締めた奥歯をギリッと鳴らすのだった。

 

 この黒の騎士団の突如とした襲撃に、司令部であるG-1ベースも混乱をきたしていた。

 突然の災害と第三勢力の介入。

 二つの予想外に、司令部本部はパニックの極みにあった。

 しかし、このイレギュラーをきちんと予想していた人物がいた。

 そう。司令官のコーネリアだ。

 このような事態に備えて、彼女は部隊の三割を予備兵力として温存していた。

 これを投入すれば、瓦解しかけた部隊を立て直し、黒の騎士団をはね除けることも可能だろう。

 ただ、彼女にとっても予想外だったのは。

 そのイレギュラーの規模が大きすぎたことだった。

 壊され、乱れた地形。越えても越えても行く手を遮る障害物。まるで罠のように起こる二次災害。

 それらによって、予備兵力の投入は遅々として進まない。

 これらを越えるには、現行世代のナイトメアの突破力では足りない。頭一つ、それらを飛び抜けた機体でなければ。

 そう、第七世代ナイトメアフレームでなければ。

 そして、奇しくもそれは、今スザクの手元にあった。

 白き騎士に出撃命令が下りたのは、それから少ししてのことだった。

 

 

 本来、ナイトメアに乗ることが出来ないスザク達、名誉ブリタニア人だが、実は何度か騎乗の経験がある。

 廃棄寸前のボロボロな機体に乗せられ、生粋のブリタニア軍人と戦わせられるのだ。

 建前上は、新しい機体の慣らしだとか、模擬演習だとか色々言っているが何てことはない。ただのナンバーズいびりとストレス発散だ。

 当然スザクも、この下らない茶番に参加した経験がある。

 そして、初めてナイトメアに乗ったとき、こう思った。

 

 ――ああ、遅い、と。

 

 機体がボロボロだということを差っ引いても、スザクには機体の反応速度がとても遅く感じられた。

 まるで、水の中に落とされたみたいに動かない『身体』に当時のスザクは少なからず苛立ちを覚えたものだった。

 だから、ランスロットに出会った時、スザクは驚き、―歓喜した。

 

 特別派遣嚮導技術部開発、嚮導兵器Z-01ランスロット

 

 稀代の天才か。

 はたまた、狂気の落とし子か。

 ロイド・アスプルンドが設計し、造り上げたそれはスザクという異端を難なく受け入れてみせた。

 スザクの世界に追随し、スザクが望むイメージを見事に描いてみせた。

 果たして、幸運に恵まれたのはスザクか。

 それとも、自分を限界まで使いこなせる担い手に出会えたランスロットの方か。

 人馬一体という言葉が日本にはある。

 人と馬。

 異なる意志を持つ二つの命が、まるで一つの生き物のように在ることを指す。

 ナイトメアフレームを、騎士の馬と言うのなら。

 スザクとランスロットは、まさにそれだった。

 

 終わりが見えた。

 視線の先、山林と岩壁の向こうに目指す場所がある。

 しかし、迂回していたら間に合わない。

 だから、スザクは決断する。

 高速で山林に向かっていくランスロットが、その手の銃身を掲げる。

 人によっては無謀とも言える選択。

 事実、失敗すればスザクの命はない。

 しかし、スザクには確信があった。

「やれる――」

 僕と。

「このランスロットなら――!」

 銃声という爆音が大気に響いた。

 そして。

 

 

 そして――――。

 

 

 

 目の前に『罪』がいた。

 

 

 

「――え?」

 何が起こったのか、スザクには分からなかった。

 まるで夢から覚めたみたいに、異なる物語を無理矢理くっつけたみたいに目の前の光景がいきなり変わった。

 何があったのか、とスザクは直前の記憶を思い出してみるも上手くいかない。

 撤退しようとするゼロを追い詰めたところまでは覚えている。

 その後は――?

 

 カチリ

 

 どこかで秒針が刻む音が聞こえる。

「あ……」

 『罪』が振り返った。

 その無機質な瞳がスザクを見下ろしてくる。

 スザクはその瞳が嫌いだった。……いや、怯えていた。

 

 カチリ カチリ

 

 自分を見ているのに、見ていない。

 自分に望む理想を押し付け、それが見出だせない自分の価値を認めない、なのに自分の全てを見透かしてくるような、その瞳。

 

 カチリ カチリ カチリ

 

 何度その瞳に思っただろう。何度その瞳に問いたかっただろう。

 俺に理想を押し付けるな。俺は人形じゃない。俺はここにいる。俺を見てくれ。

 だけど、その瞳と目を合わせるだけで何も言えなくなってしまう。

 そんな自分が嫌で、そんな自分を誤魔化したくて、身体を鍛えることで、自分は強いんだと自分に言い聞かせた。

 そうやって、上手く誤魔化していた。

 あの兄妹に会うまでは――――

 

 カチリ カチリ カチリ カチリ

 

 『罪』がスザクを見下ろしていた。

 あの時と変わらない瞳で、スザクの内側を全て見透かそうとしてくる。

 その瞳にスザクの心臓は壊れそうなくらいに鼓動を打っている。

 見られている、全て。

 目を背け、見ないようにしている過去まで……。

 

 カチリ カチリ カチリ カチリ カチリ

 

「違う…っ、僕は、…()はそんなつもりじゃ……!」

 スザクの叫びが白い空間に溶ける。

 『罪』は何も言わない。変わらずスザクを見下ろすだけだ。

 その瞳の圧迫感から逃れるように、後ろめたさをかき消すようにスザクは捲し立てる。

「そうだ…っ、仕方がなかったんだ! だって、アンタは、父さんは……っ!」

 続けようとした言葉が出てこない。

 ついに誤魔化しきれなくなったスザクの心が、口を、舌を引き攣らせた。

 過呼吸になったみたいに喋れなくなったスザクを黙って見下ろしていた『罪』。

 その『罪』が口を開いた。

 

 カチリカチリカチリカチリカチリカチリカチリカチリカチリカチリカチリカチリカチリカチリカチリカチリ――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 魂が、――――――――発狂した。

 

 

 雷と紛う轟音が周囲に響く。

 木々が薙ぎ払われ、地面が抉られる。

 衝撃が風となり、全ての物を煽り舞わせる。

 まるで嵐の中にいるみたいだ、とルルーシュは思った。

 再び起こる爆音。次いで衝撃が荒れ狂う。

 その衝撃に堪えるようにルルーシュは足に力を入れるが、ルルーシュの側にいた存在はそうはいかなかった。

 煽られ堪えられず、ルルーシュの方へもたれ掛かってきた。

「おい……!」

「何ともない、それより早く……、ッ!」

 逃げろ、と言おうとしたC.C.だが言葉が続かない。

 ルルーシュの盾になるように立っていた彼女の身体に、衝撃で飛んできた石の破片が突き刺さる。

 白い彼女の拘束服は、疎らに朱に染まっている。

 所々は、服が裂け彼女の肌を晒しているのだが、その肌すら服と共に裂け、抉られている。

 さすがに心配になり、声をかけるもC.C.は「問題ない」「いいから逃げろ」としか言わない。

 だが、どこに逃げろと言うのか。

 この壮絶な光景をもたらしているのはルルーシュの目の前にいる白兜だ。

 窮地に立たされたルルーシュを救うために、C.C.が何かしたらしいのだが、こんなことになるとは彼女も思わなかったのか。

 いや、彼女は最初に危なくなるかもしれないから、先に逃げていろと言った。

 その言葉を聞かず、むしろこの得体の知れない少女が何をするか怪しんでここに留まったのはルルーシュだ。

 ともかく。

 こうなっては動くほうが逆に危険だった。

 白兜は当たり構わず銃弾を撒き散らしている。

 これでは何処にいても、危険に変わりはない。

 いや、足元にいる分、あの銃撃の直撃を受ける可能性が低いから、むしろ安全と言えよう。

 あの銃撃をまともに喰らえば、二人まとめて消し炭にされてしまうだろうから。

 危なくとも、ここで嵐が過ぎるのを待つのが一番安全だった。

 近くで衝撃が響き、身体を震わす。

 思わず、――本当に思わずルルーシュは咄嗟にマントを翻し、血に濡れたC.C.をその中に覆い隠した。

 息も絶え絶えな少女は、反抗する気力もないのだろう。

 大人しくルルーシュの腕の中に収まっている。

 舞い散る砂埃と共に石礫が仮面を叩く。

 苦悶の表情を仮面の下に浮かべ、早く終われと思うルルーシュ。

 そのルルーシュの耳に、先程から起こっているものとは違う音が聞こえてきた。

 ホイールの摩擦音。ランドスピナーの駆動音だ。

 それが近づいてくるナイトメアだと理解した瞬間、ルルーシュの明晰な頭脳が即座に近づいてくるナイトメアの正体を看破し、状況の不味さを理解する。

 向かってきているのは、ブリタニアの予備兵力だった。

 儘ならない状況ながら、スザクが開いた道を辿り何とかここまでやって来たのだ。

 それでも、突破できたのは二、三機程度。

 だが、自機を壊され、味方も腕の中の瀕死の少女しかいない状況のルルーシュには、その数機の援軍は命取りになりえた。

 視界の端にナイトメアの影が見えた。このままここに留まることは出来ない。

(危険だが……)

 ルルーシュはこの状況からの離脱を図ることを決意する。

 見定めた突破口は、白兜の背後。

 当たり構わず銃を乱射しているが、その範囲は前方に多く集中している。

 白兜の背後を突破し、その先の森の中に逃げ込めば逃げられる確率は高いとルルーシュは判断する。

 問題は……

「おい、動けるか?」

「私の、ことは…、気にするな、ゴホッ、……邪魔なら、捨てていけ……っ」

 血が混じった咳をしながらそう言うC.C.に、ルルーシュは知らず彼女を抱く腕の力を強くする。

 別に彼女に絆された訳ではない。もし、本当に捨てる必要があるなら、捨てるだろう。

 だが、こうもあからさまに言われると、逆に意地を張るのがルルーシュだ。

 捨てられることが前提な発言が、まるで自分を庇った少女を見捨てなければ逃げられないと決めつけられているみたいに聞こえ、ルルーシュのプライドを刺激する。

 もちろん、C.C.にそんな意図はない。

 ともすれば、ルルーシュよりルルーシュの性質を理解しているかもしれないC.C.は、この状況ではどう言ってもルルーシュが自分を見捨てないことを理解している。

 だから、余計な発言を省き、少しでも足手まといにならないように身体に意識を集中させ、回復に努めようとしていた。

 増援はもうすぐそこまで来ている。

 だが、今動けば、すぐに捕捉されて蜂の巣にされてしまう。

 ルルーシュは白兜の影に隠れ、逸る気持ちを抑えながら機会を待った。

 

 そして、その瞬間がくる。

 白兜の放った銃撃が、地面を穿ち砂塵を巻き起こす。

 増援のナイトメアとの間に穿たれたそれは、ルルーシュ達を隠すカーテンとなった。

 瞬間、ルルーシュ達は駆け出した。

 まるで、豪雨の中を走るかのように一心不乱に駆ける。

 C.C.も、苦しそうに荒い息を吐いてるも、それでもルルーシュに支えられながら、懸命に足を動かしている。

 見つかるかもしれないという焦燥。

 撃たれるかもしれないという恐怖。

 それらと闘いながら、ルルーシュ達は走り――、

「よし、ここまで来れば……!」

 森の中へと飛び込む。

 生い茂る草木と、自然の天蓋が二人の姿を隠す。

 森に入り、暫し進んだところで一息つこうと肩を抱いていたC.C.に声をかけようとする。

 その時――。

「っ!?」

 ざわり、と背筋を撫でる冷たい悪寒に思わず振り返る。

 その目に映ったのは、森の入り口、こちらに向かって銃を構えているナイトメア。

(捕捉されていた……!?)

 しまった、と思うも気づくのが遅かった。

 相手の銃は、まさに火を噴く寸前。

 何をするにも、もう手遅れなタイミング。

 次の瞬間には、ルルーシュの身体は虫食いのように穴だらけな姿に変えられるだろう。

「ルルーシュ!!」

 それを絶対に良しとしない存在が傍らにいなければ。

 

 どん、と強い衝撃に身体を押される。

 衝撃で地面に倒されたルルーシュの瞳に映るのは、一人の魔女。

 ルルーシュを庇うように両手を広げたC.C.。

 その彼女に――、鉛の驟雨が降り注いだ。

 

 

 黒い仮面に。

 血の化粧が施された。

  

 




 即効退場…………

 スザク君、登場でした。しかし、即オチ。

 何が悪かったって? 機体の名前じゃない?

 ヒトヅマンスロットじゃ駄目だって。べディさんにしなさい。

 次は洞窟イベです。ルルCになるかな? ……なるといいな。


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Re:07

 ピチョン、と雫が降る軽い音が聞こえる。

 昼にあっても、陽の届かない鍾乳洞はキン、とした冷たさを保っておりマントとスーツ越しにも冷たさが伝わってくる。

 

 あの後。

 何とかブリタニアの追っ手を振り切ったルルーシュは、この鍾乳洞の中に身を潜めていた。

 時間が立てば、ここも危険だろうがブリタニア側も余裕が無いだろうから、少なくとも数時間は安全だとルルーシュは考えている。

 …もっとも、仮に危険だったとしても動こうとはルルーシュは思っていなかったが。

 

 ピチャ

 

 軽い水を思わせる音が聞こえる。

 しかし、今度は雫の滴る音ではない。

 発信源は、ルルーシュの腕の中。

 全身を赤く染めて、息の絶えた少女、――C.C.から滴る血の音だった。

 

 軽い。

 C.C.を横抱きに抱えながら、ルルーシュは何故かそんなことを思った。

 完全に意識のない人は重く感じるという話をどこかで聞いたことがあったからだろうか。

 今腕の中にいる少女は、意識どころか命さえも喪っている。なら、重く感じてもいいはずだ。

 だが、軽い。

 それは、流れて失った血の量が多すぎたためだろうか。

 あるいは。

 その身体を構成する肉が刮ぎ落とされたからだろうか。

 

 横にさせるには丁度良い大きさの岩を見つけ、ルルーシュはその上にC.C.を静かに下ろした。

 普段から白い肌の彼女だが、血を失いさらに白さを増した今の彼女が静謐に横たわる様は、端から見る分にはまるで童話に出てくる眠り姫のようだ。

 これが普段はピザ箱に囲まれて、だらしなくベッドに横たわっているというのだから、女というのは分からないと、ルルーシュは思う。

 思ってから、そんな自分の思考にルルーシュは舌打ちした。

 他にも色々考えなくてはならないというのに、先程から思考が働くたびに、こんなどうでも良いことばかり考えている。

 どうやら、自分が思っている以上に動揺しているらしいとルルーシュは自己の状態を分析する。

 軽く項垂れたまま、ちらりと目の前のC.C.に視線をやる。

 横にして間もないというのに、C.C.が横たえられた岩は血で赤く染まっていた。そのことから、彼女がどんな状態なのか伺いしれる。

 その彼女の首筋にそっとルルーシュは手を伸ばした。

 首筋についた生乾きの血が、手袋をとったルルーシュの手について滑らせる。

 それに構わず、首筋に指先を当て続けて数秒。手に返る振動がないことを確認したルルーシュは静かに手を離した。

(死んでいる、確かに……)

 目の前の少女の死を確かに確認したルルーシュは、それでもC.C.から目を離そうとしなかった。

 死体。命を終えたもの。二度と目覚めぬ、物言わぬ存在。

 今ルルーシュの目の前にあるのは、正しくそれだ。

 もう、この少女が不遜な色の瞳を開き、偉そうな口を開くことは二度とない。

 しかし、C.C.はその本来ないはずの二度目を一度成している。

 だが、一度死に再び目の前に現れた経験を経た後でもルルーシュには到底信じられはしなかった。 

 ギアスという異能どころではない。

 死者の蘇生など、自然の理に、それこそ世界に反逆する事象だ。

 実はあの時死んでいなくて、自分が勘違いしただけで生きていたと言われた方が、まだルルーシュは納得できる。

 よしんば、仮に本当に生き返れたとして。

 今回も生き返れるのか、とルルーシュは思う。

 前の時は額を撃ち抜かれただけだった。―それを「だけ」と言っていいものか悩むところだが―損傷も死因も一つだけだった。

 だが、今回は違う。

 咽喉、肺、肚、頭、心臓。致命に至る傷だけでも、これだけある。他も挙げていけばキリが無い。

 失血死、ショック死。他にも考えられる死因はある。

 これだけの死に連なるものがあるのに、それでも生き返れるのか、ギアスのように制限はないのか。

 もし、これで生き返れたら、この女は―――。

「――――――」

 そこで思考を止める。何となく今頭に思い浮かんだことを言葉(カタチ)にすることに躊躇いを覚えた。

 小さく首を振って、再びC.C.の血に塗れた顔を覗き見る。

 呼吸は依然止まったままだ。

 そのままC.C.の顔を見ていたルルーシュだったが、ふとポケットから白い布を取り出すと、腰を上げた。

 生き返るにしろ、死んだままでいるにしろ、少女の顔を血で汚したままにしておくことを偲んだのだ。

 近くに出来ている水を貯めた窪みに布を浸す。冷気を孕んだ水は刺すような冷たさを手に伝えてきた。

 その冷たさに少し思案気な顔をした後、ルルーシュはおもむろにその冷水を両手で掬いとると思い切り顔につけた。

 戦場の興奮と。少女の死と。その他諸々のことでオーバーヒート気味な頭を冷やすために。

 冷たい。

 ひんやりと言うには少し冷たい水が、今は心地よかった。

 チョロチョロ、と耳を澄ませば水の流れる音が聞こえてくることから雪解け水も含んでいるのかもしれないとルルーシュは思った。

 その時だ。ルルーシュの耳に、ある種待ち望んだものが聞こえてきたのは。

「――ぁ、は……っ」

 ずっと停まっていた肺が酸素を求め、不器用な呼吸を刻んだ。

 それを聞いたルルーシュは、慌てて水に浸したままだった布を掴み、C.C.の元へ駆け寄る。

 そこにいたのは、もう死者ではなかった。

 横たえられたC.C.は、僅かではあるが白い肌に赤みが戻り、確かに胸を上下させている。

 その光景を信じられない面持ちで、しばし茫然としていたルルーシュだったが、苦しげにしているC.C.の様子にハッと正気を取り戻す。

 蘇生は完了したが、肉体の修復はまだなのだろう。

 雑音混じりの呼吸を繰り返すC.C.に、ルルーシュは少しだけ俊巡した後、彼女の身体を締め付ける拘束服を脱がし始めた。

 拘束服を脱がし、下に着ているアンダーウェアも剥ぎ取る。

 応急措置しか出来ないが、何もしないよりはマシだろうと、ルルーシュは肺の部分の―つまりは胸元の―傷をよく見ようと水で濡らした布で血を拭っていく。

「ん……」

 小さくC.C.の咽喉が震えるが、ルルーシュは構わない。

 血糊を拭き取り、顕になった胸元にできた傷口を注視する。

 傷口は小さかった。少なくともナイトメアが持つ大口径に撃たれたような傷には見えない。

 他の傷もそうだった。あれほど血を流していたというのに、その殆どの傷がうっすらと線が引かれた程度のものでしかない。

 それでも大きめの傷を処置しようとしたルルーシュだが、患部をよく見えるように血を拭きとるころには、かすり傷程度の傷になっていることに、行為の無意味さを理解し、血で汚れた拘束服の代わりに自身のマントをかけてやる。

 一呼吸ごとに、表情から苦痛の色が消えていくC.C.の顔を綺麗にしながら、ルルーシュの表情は逆に少しずつ険しいものになっていく。

 

 C.C.。ルルーシュにギアスを与えたルルーシュの共犯者。

 秘密を共有する対等な立場と言えば、聞こえはいいが実際はそうではない。

 ゼロのこと。ギアスのこと。そして、ナナリーのこと。

 手の内を晒しているのはルルーシュの方だけで、ルルーシュはC.C.の本名さえ知らない。

 正体も。目的も。いつ、裏切るかも分からないそんな存在が、一つ屋根の下、ルルーシュの懐と言える場所にいるのだ。

 時限爆弾を抱えているような気分だった。

 カチリ、カチリと耳障りな音をたてているのに、何処でどんな風に爆発するか分からないから、迂闊に投げ出すことも出来ない厄介極まりない爆弾。

 さらに、今度は解体処理もできないときた。

 

 痛くなってきた頭を抱える。

 今回知り得た事実は、最悪の場合、C.C.を確実にどうにか出来る手段がないと言っているようなものだった。

 だからと言って、ただ魔女が気まぐれを起こさないように顔色を窺っていることなどルルーシュには出来ない。

 口封じが出来ないまでも、何かしら、代わりの対応策を考えなくてはならないとルルーシュは思った。

 そのためには、出来る限り彼女の生体情報を得る必要がある。

 しかし――――。

「…………」

 手に持った血塗れの布を握りしめ、ルルーシュは押し黙る。

 C.C.の身体の特性を知るためのものとして、この血液は貴重な情報源だ。

 傷口の状態も、撮影しておけば再生の速度などを知るための役に立つだろう。

 だが、動けない。

 およそ、普段のルルーシュからは考えられないことだが、今、ルルーシュの行動を止めているのは、驚いたことに理性ではなく感情だった。

 

 自分でもどうしてそう思うか分からない。

 だが、ルルーシュには、C.C.が……、この魔女が自分を裏切ることはないだろうと、そう思ってしまうのだ。

 馬鹿なことを思っていると、ルルーシュも分かっている。

 およそ、昨日の自分でも明日の自分でも、今のルルーシュを見たら失笑するだろう。

 今、自分が抱いているものは、予測でも確信でもない。ただの願望、もしくはそう思い込みたいだけという逃避に近い何かだ。

 そう分かっている。分かったうえでそう思ってしまう。

 それは、きっと見てしまったからだ。

 彼女がルルーシュに向ける瞳の色を。

 そして、聞いてしまったからだ。

 

「ん?」

 不意にC.C.の口唇が、微かに動くのを見てルルーシュは眉を寄せる。

 何かをうわ言のように呟いているのだが小さく、そして、掠れているため聞き取れない。

 耳をC.C.の口元に持っていく。小さな彼女の息づかいがルルーシュの耳を優しく擽る。

 そして――。

「――――…」

「――――っ」

 それは名前だった。

 とても聞き覚えのある、耳慣れた名前。

 しかし、まるで知らない人の名前のように、ルルーシュには聞こえた。

(どうして……)

 そう思う。

 どうして、そんな風にその名を呼ぶのか。

 どうして、そんなに大事そうにその名を告げるのか。

 分からない。

 お前は何者だ?

 お前は俺の何を知っている?

 お前は俺の何を見ている?

 お前は俺の――、

 俺はお前の、どういった存在なんだ?

 

 その答えは。

 未だ遠い明日にあって、ルルーシュには届かなかった。

 

 だけど、聞いてしまったから。

 確かな熱を込めて、その名を呼ぶ彼女の声を――。

 

 

 

  ――――――ルルーシュ

 

 

 

 血塗れの布が、冷たい水の底に沈んでいった。




 名前イベ、……うん、名前呼びイベント。

 苦しくて、辛かったのでついついルルーシュの名前を呟いてしまった乙女ちっくC.C.により、本名イベはカット。知っているのは『ルルーシュ』だけです。

 とりあえず、ルルデレ。
 次、Cデレデレ。


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Re:08

 いきなりUAとお気に入りが跳ねたので、すわ何事かと思っていたら、ギアス三期の噂が……。
 ほわぁぁぁ!! う、噂の出どころ的に、き、期待しても良いのだろうか……!

 失礼、取り乱しました。お気に入りや感想ありがとうございます。では、本文どうぞ。


「ん……っ」

 くぐもった声が洞窟内に響く。

 気だるい感覚をその身に纏いながら、C.C.は目を開いた。

 何度も味わったことのあるその倦怠感に、死んで生き返ったことを理解しながらゆっくりと身体を起こす。

 さらり、とした感触が肌を撫で下ろす感覚に自分の身体を見れば、何も身に付けていない自分の裸身に彼のマントが掛けられているという状態だった。

 自分をこういう風にしたであろう犯人は、探さずともすぐに見つかった。

 少し離れたところ、此方に背を向けてルルーシュが立っていた。

「…………」

 その姿を見つけた途端、肌を刺す洞窟内の空気の温度が上がったようにC.C.は感じた。

 だというのに、まるで寒いと主張するかのように腰元までずり落ちたマントを慌てて口元近くまで隠すようにして手で押さえた。

 何をやっているんだ、と自分自身の挙動不審さにC.C.は呆れてしまう。

「どうやら、大丈夫なようだな」

 そんな様子を横目で窺っていたルルーシュが声をかけてくる。横顔を僅かにC.C.に向けただけで、変わらず背中を見せたままだ。

 内心落ち着かないC.C.だったが、それをおくびも出さずにいつもの不敵な笑顔を浮かべる。

「平気だ、心配ないと言っておいただろう? 相変わらず変なトコロでお前は甘いな」

 おかげで助かったがな、と少しばかり皮肉の混じったことを言うC.C.に、しかし、ルルーシュは何も言わずに黙っている。

「…どうした?」

「何がだ?」

「いや……」

 何が、と問われれば言い淀んでしまうが、どことなくルルーシュの様子がおかしいようにC.C.は感じられた。

 不機嫌、とまではいかないが、どことなく固い、……ぎこちない印象の空気を感じるのだ。

 長く―と言っていいのか分からないが―ルルーシュと付き合ってきたC.C.にして珍しいと言わしめる反応だった。

 感情に直結する事柄があった場合、往々にしてルルーシュはそれが言動に出やすい。

 不機嫌なら不機嫌だと、不満や怒りも、それと分かりやすいアピールがなされる。

 もちろん、嘘が得意な男であるから、取り繕う必要がある場合はそれを悟られないようにしているが、見えないところ、取り繕う必要のないところでその感情を発散している。

 だから、こんなふうに内心に溜め込んで、消化不良気味に感情を持て余しているのは、非常に珍しい姿だと言えた。

(私が死んでいる間に何かあったか?)

 そう思った自分の思考で、C.C.は、はたと思い出す。

 洞窟。意識のない自分。――名前。

「……ルルーシュ」

「何だ?」

「その、変なことを聞くが、……意識を失っている間、私は何か言っていたか?」

「……………………いや」

「そうか……」

 どうやら、今回は名前を呟かなかったらしい。

 ほっとしたような、残念なような、……やはり、少し残念か、とC.C.は思った。

 摩耗していない記憶の中において、C.C.の真名を言ってくれたのはルルーシュだけだ。そのルルーシュにしても、その名を呼んでくれたのは後にも先にも、この時だけ。

 

 せめて、もう一度だけ。

 

 もう一回だけ呼ばれてみたかったな、とC.C.は儚げな笑みを口元に浮かべながら思った。

 

 

「ところで、お前は大丈夫だったのか?」

 胸を疼かせる思いを誤魔化すように、C.C.はルルーシュにそう問い掛ける。

 見た感じは大丈夫そうに見えるが、先程からのルルーシュの様子もあるので少しばかり心配になる。

 何しろ、今回は『前回』より切羽詰まった状況だった。

 まさか、あそこまで徹底的に身体をボロボロにされるとは思っていなかったのだ。

 状況が状況だっただけに、あそこから意識を失った自分を連れて無傷で逃げられたとは思えなかったので、C.C.は見えないところでルルーシュが怪我をして、やせ我慢しているのではと考えたのだ。

「無事だ。かすり傷くらいは負ったが、それだけだ」

「あの状況でか? よく無事だったな」

「すぐ近くで銃を乱射している奴がいる中で、呑気に山狩りの真似など出来てたまるか」

 それを聞いて成る程、とC.C.も思った。

 確かにあんな人間台風が近くにいたら、いつ撃たれるか分かったものではないな、と。

(しかし…)

 はっきり言って今回はかなり危ないところだった。

 油断と言っていいか分からないが、『前回』を知っているためか、想定外の事態が起こった時の判断に遅れが出てしまうのだ。

 今回は、ランスロットさえ凌げばそれで終わりとC.C.は思っていたので、敵の増援が来たと聞いたときは内心冷や汗をかいていたし、ルルーシュが撃たれそうになったときなど、本当に頭が真っ白になって何も考えられなくなった。

 そんな状態でも、何とかルルーシュを守ることが出来たんだから、自分も随分板についてきたなと思い、C.C.は苦笑した。

「お前がやろうとしていることに口出しするつもりはないが、毎回これではとてもじゃないがやっていけんぞ」

 挑発するような物言いを装って、苦言を呈する。

 C.C.に向けるルルーシュの視線が鋭さを増したが、C.C.は構わずに続ける。分かっているんだろう、と。

「予測をいくら積み上げても予測にしかならない。想定外のことが起きたとき、それをリカバーできる要因が必要だ」

 ナナリーという存在を除けば、ルルーシュの最大の弱点は人材だ。

 利用できる駒は多くても信を置き、本当の意味で志を共にして戦う存在がいないのだ。

 自身と相手の間に線を引き、それ以上踏み込ませない相手ばかり。故に懐に潜り込まれると、途端に脆くなる。

 それをルルーシュはギアスを上手く使うことで補っているのだが、やはり限界がある。それにギアスの乱用はあらゆる意味で反動が大きい。

 それは、ルルーシュも重々承知なのだろう。痛いところを突かれてか、表情が苦々しいものになっている。

「ふん、随分と肩入れするようなことを言うんだな。死ななければ、他はどうでもいいと思っていたんだが?」

「お前が危なっかしすぎるからだ」

 鼻を鳴らし、適当に切り上げようとするルルーシュの発言にC.C.はピシャリと言い切る。

 簡単に人を信用しないルルーシュが相手だから、以前のように基本興味がないというスタイルを貫いているため、あまりルルーシュの行動を諫めたり、心配したりすると逆にルルーシュに警戒されてしまう。

 少し踏み込み過ぎたか? とC.C.は思ったが仕方ないと諦める。『前回』と同じになるとは限らない以上、ある程度釘を刺しておかないと、自分の身も持たない。

 この身を盾にすることに躊躇いはないが、さりとて簡単に死んでもいいとは、今はもうC.C.は思っていないからだ。

「お節介ついでに、もう一つ助言してやろう」

 丁度良いから、勢いに任せてもう少し踏み込んでみるかとC.C.は考えた。

 いらんお世話と言わんばかりにルルーシュは顔を背けたが、ギアスについてだと言うと身体ごとC.C.の方へ向き直った。

「何か違和感を感じたりしていないか? 左眼が痛んだりとか」

「どういうことだ?」

「言葉通りだ。お前とて、何の副作用もなしに使える安易なものだとは考えていまい?」

 ルルーシュは答えない。その沈黙を肯定と取ったC.C.は先を続けた。

「ギアスは使えば使うほど力を増していき、やがて、持ち主を蝕み始める」

「……具体的にはどうなる?」

「ギアスが暴走して制御できなくなったり、精神を侵されおかしくなって、場合によっては発狂する」

 ルルーシュが息を呑む音が僅かに聞こえた。

「…ギアスを持つ者は、必ずそうなると? 俺もいつか狂ってしまうのか?」

「必ず、というわけではない。強大になるギアスに呑まれることがなければ、お前はお前のままでいられるだろう。だが……」

 そこで失速し消えるC.C.の言葉。尻すぼみに消えていった彼女の発言からルルーシュは、それがどれだけ奇跡的なことかを理解した。

 俯きルルーシュを見ないC.C.。ルルーシュもまた何も言わず彼女に背を向けた。

「…………責めるか? 私を」

 言葉じりが、微かに震えた。

 聞くつもりはなかった。相手が誰であれ、ギアスを与えるということはC.C.の罪だ。

 いつか破滅すると分かりながら、自らの願望のためにその道に誘う、醜悪な魔女としての罪。

 恨まれて、責められて、許されないことをしている。

 だから、そうなることを恐れてはいけない。――恐れることは許されない。

 なのに――――

 

 沈黙が洞窟内に広がる。

 ルルーシュは何も言わない。それとも、それが答えなのか。

 洞窟内の冷えた空気とは、違った冷たさがC.C.を凍えさせた。

 寒いな、とC.C.が諦めを孕んだ笑みを浮かべてそう思った時だった。

 

「――さっきは助かった」

 不器用な感謝が。

 

「ギアスのことも、だ」

 優しさが。 

 

「だから、一度だけだ。……一度しか言わないぞ」

 温かさが。

 

「――――――ありがとう」

 C.C.に触れた。

 

 正直色々と不安はあった。

 自分がしていること。自分が置かれている状況。――ルルーシュのことも。

 悩んで、迷って、怖くなって、自分の弱い心はすぐに逃げ出そうして、それを堪えて。

 先の見えない暗闇のなか、一人怯えている子供のようだった。

 ――けれど。

 

 ああ、とC.C.は思った。

 ルルーシュだけだ、と。

 これほど端的に、的確に。

 

 自分の心を拾い上げてくれる存在を他に知らない――――……

 

「ははっ」

 洞窟内に笑い声が木霊する。

 色々な不安があっさりとどこかへ行ってしまって、C.C.は自らの単純さに笑ってしまった。

「何がおかしい……っ」

 顔を上げれば、面白くなさそうに顔をしかめるルルーシュがいた。自分の発言を笑われたと思われたのか、僅かに怒りも滲んでいる。

「いや……」

 眦に浮かんだ涙を指で払い、C.C.は笑みを浮かべた。…もっとも、素直な、とは言い難い笑みだが。

「なら、これは貸しだ」

「貸し、だと?」

 ルルーシュの眉が寄る。

「そうだ。いつか盛大に取り立ててやるから、楽しみにしていろ」

「……呆れた女だ」

 はあ、と溜め息をつきながら言うルルーシュ。それに心底楽しそうな笑みを浮かべてC.C.は返した。

「そうとも。私はC.C.だからな」

 

 

 血に塗れ、ボロボロになった拘束服を着込む。

 新しい拘束服が必要だな、と言えば、何故拘束服なんだという呆れた声が返ってきた。

 やがて、入口の方が騒がしくなり、聞き慣れた声が聞こえてきた。カレンだ。

 相変わらず騒がしいな、とそう思いながらルルーシュとカレンのやり取りを聞いていると、ふとこの時の事を思い出した。

 あの時は、確かルルーシュはC.C.に「雪が何故白いのか?」というC.C.の問い掛けに、ルルーシュなりの返答をしてきたのだ。

 だが、今回はそれがない。寄り道をしたために、C.C.がルルーシュのいた場所に着いた時には、もうルルーシュはそこにいなかったからだ。

 もっとも、もし間に合っていたとしても、あの時と同じことをC.C.は言わなかっただろう。

 なぜなら、C.C.はもう色を忘れた魔女ではないから。

 かつての色を思い出すことは出来なくても。

 染まりたい色が、ずっと目の前にいるのだから…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ルル……っ、助けて……ぇ」

 掠れ震える声が縋りつく少女の口から漏れる。

 雨の中、悲痛な泣き声を上げる少女とは裏腹に辺りには荘厳な音楽が響いていた。

 

 その報せを聞いたのは、シャーリーが恋する男の子とのデートの約束を無理矢理取り付けた後だった。

 父が黒の騎士団の戦いに巻き込まれた。

 そう聞いて、母と二人、父の元へ急いで駆けつけた。

 迎えてくれた父は、とても無惨な姿だった。

 全身を余すことなく包帯に巻かれていた。肌が僅かにでも見えるのは酸素挿入の為の管を入れる口元のみ。

 集中治療室の分厚いガラスの向こう、大きな呼吸音が聞こえるそこが、まるで現実の中に置かれた夢のようにシャーリーには遠く感じられた。

 

 無事だった人に話を聞いてみると、父ジョセフは戦いが始まってすぐに逃げるように言ってきたらしい。

 普段であれば、まだ避難するような段階ではなかったがジョセフがあまりに必死に訴えるものだから、皆も避難することに決めたらしい。

 しかし、本来ならまだ逃げるような段階ではなかったため避難は遅々として進まない。

 それが増したのは、山が崩れてからだった。

 慌てて全員が避難を急ぎ出す。遅々としてでも避難を始めていたため、多くの者が逃げ出すことに成功した。

 ジョセフも早々に逃げ出していれば、こうはならなかっただろう。

 しかし、現場でそれなりの地位にいたジョセフは最後まで避難誘導を行い、そして、巻き込まれた。

 逃げる寸前だったので、完全に巻き込まれはしなかったが、それでも津波のように押し寄せる土石流に車ごと流されてしまった。

 

 ジョセフの容態は、意識不明。

 そして、脊椎損傷による左半身不随だった。

 

 雨の中、シャーリーはルルーシュに語った。

 怖い、と。

 黒の騎士団の、―いや、エリア11で起こっている争い事は、シャーリー達一般人には遠い出来事だったのだ。

 例え、すぐ近くのシンジュクゲットーで虐殺が起こってもシャーリー達の日常は変わらない。

 普通に友達とお喋りしながら、部活に励み、後でその事を知り、現実味のない感想を抱くだけだった。

 しかし、今回その日常が侵食された。

 すると、途端に怖くなった。

 これから先も、またこんなことがあるんじゃないかと。

 今度は、自分や友達を、――目の前の男の子を巻き込むんじゃないと思うと気が狂いそうだった。

 怖くて、怖くて、だから、縋ってしまった。

 浅ましい女、と自分を嘲笑う自分がいる。

 父が死にそうになっているのに、その悲しみを利用して気を惹こうとするなんて、と。

 でも、止まれない。

 自分の中の弱い部分が、温もりが、目の前の男の子が欲しいとねだっている。

 雨に濡れて冷えた身体が寄り添われる。

 僅かに残る熱を共有しようとお互いの口唇が触れようとして、――――――肩を押し返す優しい感覚に遮られた。

「シャーリー……」

 自分の名を呼ぶその声に、シャーリーの中の熱が急速に冷えていく。まるで、夢見心地から覚めたように雨の降り注ぐ音が耳を叩いた。

「え、……あ、ご、ごめんね! わ、私ってば何やってるんだろっ、ルルには何も関係ないのに、私――」

「シャーリー」

 しどろもどろになって動揺するシャーリーの名を、ルルーシュはもう一度呼んだ。

 その、いつもとは違う、低い、しかし、人を惹き付ける声音にシャーリーも言葉を止めてルルーシュを見た。

「俺はずっと死んでいた」

「え――?」

「多くのことに苛立ち、どうにかしたいと思っているくせに、何も出来ず、唯々自分が生きていると嘘をついて誤魔化していた」

「何を、言っているの?」

 突然、訳のわからないことを言い出したルルーシュにシャーリーは戸惑いの声を上げる。しかし、ルルーシュは構わずに続ける。

「君の想いも、会長やリヴァルやニーナといる時間もとても温かく気持ちよくて、嬉しかった。だが――」

 同時に苦しくもあった。

 その言葉にシャーリーは目を見開いた。

「そのままでいいんだと、このままでいいじゃないかと、全てを忘れて目の前の幸せに浸り続けることの何が悪いと、そんな風に思ってしまう自分がいて、それが、そう思ってしまう自分が、堪らなく嫌いだった」

「ル、ル?」

「俺は君が思っているような人間じゃない」

 一切の甘さを捨てた冷たい声が、シャーリーの胸に突き刺さった。

「これ以上踏み込むな」

 そっ、と冷たい手がシャーリーの手に触れた。

「君が傷つくだけだ」

 その手に傘を握らされる、――同時にシャーリーが彼に渡したチケットも。

 思わず声をかけようとして、ルルーシュの顔を、その瞳を見て何も言えなくなった。

「さようなら、――シャーリー」

 静かに別れが告げられる。

 全身を雨に濡らして告げるその中で、その瞳だけは、しかし。

 

 

 とても乾いていた。

  

 




 ルルーシュがC.C.を慰める時の台詞って良いですよね。
 マオの時の「契約だ」は本当におおっ、と思いました。
 慰めも哀れみもノーサンキューなC.C.の心に寄り添ってストンと入り込むような台詞が言えるルルーシュ。
 そんな格好いいルルーシュが少しでも書けたらと思います。

 しかし、ルルC小説と豪語しながら、雪白発言といい本名イベといい、なぜルルCイベントをことごとく潰しているのだろうか……。いや、でも、ちょっとはルルCしたよね? ね?

 お次はマオ偏。C.C.の闘いになります。


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Re:09

 お気に入り件数1,000件超え……!
 よ、よろしいんでしょうか?このような小説にここまでの評価を頂いて……。
 ハイ、根が小心者ゆえ正直ビビりまくりです。
 でも、やっぱり嬉しいです。ホントにありがとうございます!


 パン、と乾いた音が響いた。

 

 その音に、ビクッと身体を震わせ、シャーリーは手に掛けようとしていた銃を落とした。

 我に返り、自分が今何をしようとしていたかを振り返って動悸が激しくなる。

 ぐっ、という呻き声に顔を上げれば、褐色の女性軍人の身体がぐらりと傾く姿が目に入った。

 

 黒の騎士団の関係者かも知れない者がいるから協力して欲しい。

 ヴィレッタ・ヌゥと名乗る女性軍人にシャーリーがそう声を掛けられたのは、あのコンサートの夜から数日後のことだった。

 学生の中に黒の騎士団に関係している可能性のある者がいるから、その人物の行動を監視して、怪しい動きをしたら連絡して欲しいと言われたのだ。

 初めは断ろうと思った。

 黒の騎士団の戦いに父が巻き込まれたシャーリーは、出来ることなら関わり合いになりたくなかった。

 でも、その生徒の写真を見て、それが今一番自分の心を占めている男の子だと分かると、気が付いたときには協力を了承していた。

 半ば衝動的だったとはいえ、どうしてそうしようと思ったのか。シャーリーは自分自信に問い掛ける。

 大切な人が悪事に加担していないことを証明したかったから?

 それとも、もし道を踏み外すような行いをしているなら正してあげたいから?

 それとも、ただ信じたいから?

 多くの答えがシャーリーの中で渦巻く。

 そして、それらの全てにシャーリーは違うと首を振った。

 ただ知りたかった。

 自分が好きになった人のことを少しでも。誰よりも。

 

『これ以上踏み込むな』

 あの雨の夜、彼から告げられた明確な拒絶。

 いつも見てきた好きな人の言葉だから分かる、分かってしまう、そこに籠められた言葉の重さが。

 その夜は涙が止まらなかった。……否、今だって止まっていない。

 どれだけ涙を流しても収まらない。悲しみの遣り処が、行き場を失ったこの胸の想いが、シャーリーの中で決して消えようとしない。

 どうしていいのか、分からなかった。

 そんな時、機会が降って湧いた。自分の知らないルルーシュの一面を垣間見られるかもしれない機会が。

 

『俺は君が思っているような人間じゃない』

 

 なら、もし。

 それを知ったら?

 

 自分が知らないルルーシュを知って、自分が思っているようなルルーシュじゃない一面も、きちんと受け入れられたら?

 

 ルルーシュは。

 

 ――――自分を見てくれるだろうか。

 

 そんな甘い囁きが、シャーリーの中で鎌首をもたげた。

 

 

 パン、パンと銃声が続く。

 誰かの上げた怒鳴り声とコンクリートの地面を固い靴底が叩く音が聞こえる。

 それらはシャーリーの目の前で行われていることなのに、シャーリーは何が起こっているのか理解出来なかった。あまりに日常からかけ離された状況に、シャーリーの思考がついてこられなくなったのだ。

 数瞬後、ざぶん、と何かが水の中に落ちる音が聞こえてきて。

 それを最後に騒音は治まった。

「ちっ、逃げられたか。…出来れば止めを刺しておきたかったんだが」

 まあ、仮面の下は見られていないだろうから大丈夫だろう、と何か物騒なことを言っている女性の声が聞こえた。

 そこで、ようやくシャーリーの思考が再起動し、目の前の情報を処理し始めた。

 

 自分がルルーシュの行動を連絡した女性軍人はいなくなっていた。

 代わりにいたのは、自分と年の変わらない夜の暗闇でも映えるライトグリーンの髪の女の子だった。

 何故か拘束服を着ている少女の出で立ちにシャーリーは最初は戸惑いを感じたが、その手に平然と黒く光る凶器を携えているのが目に入ると、小さく悲鳴を上げた。

 

 一方、少女の恐怖の対象になっているC.C.はというと、そんな少女がそこにいることなど気付いていないと言いたげに、シャーリーに一瞥もくれることなく、あらぬ方向へ歩いていく。

 シャーリーもそんなC.C.にただ怯えた表情を見せていただけだったが、その向かう先が何処であるかに気付くとその表情を変えた。

 激しい攻撃に倒れたナイトメア。そのコックピットブロックから半ば投げ出され、気を失っている人物、――ゼロ。

 その仮面の下の顔をシャーリーは見た。見てしまった。

 暗がりの中にあっても見間違えることはないその顔を。……ルルーシュを。

 

「あ……」

 目の前の光景にシャーリーの口から思わず声が漏れた。

 傷つき気を失っているルルーシュの側にしゃがみこんだC.C.が、その容態を確認するためにルルーシュの顔にそっと触れていた。

「…命に別状は無いな。まったく、あれほど言ったのにコイツは……」

 呆れたような口調だが、ルルーシュに触れた手は優しい。

 一目で分かる、ルルーシュを包みこむようなC.C.の親しげな空気。その距離感。

 それを見てシャーリーの胸がざわついた。

「あ、あの……っ」

 じりじりと燻るような感情に突き動かされて、シャーリーはルルーシュの方へ歩を進める。

 そんなシャーリーを銃口と共に向けられた鋭い瞳が射抜いた。

「それ以上近づくな」

 有無を言わせないその言葉と銃口に、シャーリーが足を止める。

 先程までの空気は霧散し、代わりに息苦しい程に重く冷たい空気がシャーリーとC.C.の間に流れた。

 聞きたいことが山程ある。知りたいことで心が氾濫しそうだ。

 でもそんなシャーリーの想いの全てを、C.C.が無言で切り捨てていく。

 二人の間に沈黙だけが漂う。それを破ったのはC.C.だった。

「運が良かったな」

「え?」

「本来なら、とうに殺していたが、お前がいなくなると煩い奴がいるからな」

 チャ、と軽い音を立てながらC.C.は銃を下ろした。

「見逃してやる。ここで見たことは忘れて、とっととここから消えろ。ただし――」

 二度目はないと思え。

 底冷えする魔女の声音で念を押すと、C.C.はもう用はないというかのようにシャーリーから視線を外した。

「ま、待って!」

 思わずかけてしまった声に反応して、C.C.が鬱陶しそうに振り返る。その表情にうっ、と僅かに怯むもシャーリーはなけなしの勇気を振り絞ってC.C.に問いかけた。

「あ、あなた、誰なの? ルルとどういう関係?」

「貴様が知る必要はない」

 にべもないC.C.の言葉に、シャーリーの頬が、かっ、と朱に染まった。

「か、勝手に決めつけないでよ!! ねぇ! そこにいるのルルなんでしょ!? どういうこと!? ルルがゼ――」

 空気を引き絞る音が耳を掠めていった。

 波風に浚われてシャーリーの鮮やかな橙の髪が数本、はらりと宙を舞う。

「二度目はないと言ったはずだぞ」

 いつの間にか再び向けられていた銃口に、シャーリーは先程の音の正体を理解した。

(撃たれた……!)

 その事実に怒りと興奮で熱くなった頭が一気に冷えていく。

 自分に触れようとする死の気配にシャーリーの身体が小刻みに震えた。

「これが最後の警告だ」

 そんなシャーリーに追い打ちをかけるが如く、銃を下ろさないままC.C.が告げる。

「失せろ」

 明確な拒絶が叩き付けられた。

 お前は関係ない。お前は必要ない。お前は邪魔だ。

 とても高い壁が目の前を覆い隠すかのように立ち塞がっているのをシャーリーは見た気がした。

 それを越えたい。越えていきたいと強く思う。

 だけど、それを越える術をシャーリーはまだ知らない。

「――――――っ」

 しばらく俯き、口唇を震わしていたシャーリーだったが、抑えてきたものが堪えられなくなったかのようにバッ、と身を翻すと勢いよくその場を離れて行った。

「っ、……ひっ、く、…………ぅ、ぇ」

 手の甲で押さえた口元から嗚咽が漏れ続ける。

 涙も、もうずっと止まらない。

 

 知りたいと思った。知っても平気だよって言えると思った。

 そんな恋心が知った現実は。

 まるで立ち入ることが許されない遠い世界だった。

 

 

 

「酷い顔………」

 自室の鏡台に映る自分の顔にシャーリーは、ぽつりとそんな感想を溢した。

 目元は赤を通り越して黒こけており、唇もカサカサだ。触れた頬も普段はある瑞々しい手触りがまったくない。

 恋する乙女どころか、年頃の女の子にあるまじき顔だった。

 

 あれから数日。

 シャーリーは学校を休んだ。

 布団を被り、ただ泣いていた。

 ルームメイトやミレイが心配して色々気遣ってくれていたが、父親のことと勘違いしていたのか最終的には早く元気になってね、と言葉を残してシャーリーの好きにさせてくれたのが有り難かった。

 あれから数日経って、ようやく感情が一応の落ち着きを見せたシャーリーが学校に行こうと決意したのが、つい先頃。

 もう放課後になっていたので明日からでもいいかも、と思ったが色々心配かけたことから、少しでも早い方がいいと考え、部活にだけ行くことにした。

 生徒会には、まだ行けない。まだ、ルルーシュの顔をまともに見られる自信がシャーリーにはなかった。

 寮から部活棟への道をとぼとぼと歩く。

 その脳裏に思い出されるのは、あの時の光景。

 傷付いたルルーシュとそれに寄り添うC.C.の姿。

 ずきん、と胸が痛む。涙も滲んできた。

 ずっ、と鼻を鳴らしながらシャーリーは泣きそうになるのを堪えた。

 知る必要がない、と言われた。それは裏を返せば何かあると言っているのも同義な訳で。

 そこにあんな光景を見せつけられれば、シャーリーでなくとも邪推しよう。

(あの二人は、きっと……)

「変な勘違いしないでくれるかなぁ。C.C.がルルーシュなんかとそんな関係になるわけないだろ。あれはC.C.の優しささ」

 不意に聞こえてきた声にシャーリーの心臓が跳ねる。

 口に出していたのかと思いながら、慌てて振り返ると知らない男がそこに立っていた。

 白衣を思わせる服装と視線を完全に遮る黒いバイザー。ファッションなのか、大きなヘッドフォンをつけていた。

 完全に知らない、怪しさを漂わせる男にシャーリーが警戒心を覚える。

 しかし、男はそんなシャーリーの様子に気遣う素振りも見せず、両手を顔の横まで持ち上げると手を鳴らし始めた。

 

 パン パン パン

 

 どこか人を馬鹿にするようなリズムに不快感を覚えた。

 関わらないほうがいい、と思ったシャーリーは適当に言い訳をして、その場を離れようとしたがそれより早く男が口を開いた。

「酷い男だよねぇ、ルルは。人の大切な人を横取りしようとしたり、自分を好いてくれている女の父親を瀕死にしたりさぁ」

 それに、シャーリーの心臓は先程とは比べものにならないほど大きく跳ねた。

 男の発言はまるでルルーシュの正体を知っているかのようだったからだ。

 そんなシャーリーの動揺に気付いているのか、男の口がニヤリと笑みを作る。

「でも、君も酷いよねぇ。父親が生死の境を彷徨っているというのに、考えることといえば父親を半殺しにした男のことばかり。ま、泥棒猫なルルには丁度良い相手かもしれないけど? 残念だったねぇ、せっかく都合よくキス出来るところだったのに出来なくて」

 まるで泥だった。

 どろどろと、身体に纏わり付いてくる泥のように男の言葉がシャーリーの頭から離れない。

 男が笑い声を上げる。その顔に道化のように笑みを貼り付けて男がシャーリーの心に泥を落としていく。

「でもさぁ、君、間違えてるよ」

 道化が囁く。

「知れば、自分を見てくれるかもしれないだって? そんな甘い考えじゃルルは振り向いてくれないよ?」

 土足で踏み入り、泥をばら蒔く。

「だって、そうだろう? 君が知らないルルのことを知っている奴なんて沢山いるんだから。君がそれを知ったところで、ルルにとってはその他大勢が一人増えたくらいにしか感じないさ」

 その言葉が耳につく。どこか虚ろな瞳のシャーリーに男はニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべた。

「だからさぁ、特別にならないと」

「……特別?」

 その言葉にボンヤリとシャーリーは言葉を返した。

「そうさ、ルルは間違ってることをしてるだろう? なんせ、人殺しをしてるんだ。でも、誰もそれを指摘してあげない。だから、君が気付かせてあげるんだ。そうすれば……」

「……特別になれる?」

 ルルは、私を。私だけを見てくれる?

 そんな思いがシャーリーの中に生まれる。

「そうさ。最初は辛いかもしれない。でも、すぐに君が正しいって気付いて、感謝して、君だけを見てくれるようになる」

 だからさぁ。

 そう言って、男が懐から何かを取り出した。

 黒光りするそれを、シャーリーは最近見た気がするな、と何処か遠いことのように思いながら受け取る。

「これを使って、ルルを――」

 殺しちゃいなよ。

 道化が囁く。ばら蒔いた泥が少女の気持ちを、心を塗り固めようとして―――――、

 

「そこまでだ、マオ」

 

 魔女の一言に払われた。




 C.C.とシャーリーの初邂逅になりました。
 ルルーシュに一番近い少女と一番近くにいたい少女。
 初戦は圧倒的正妻?力でC.C.が勝利?
 ちょっとシャーリー苛めすぎちゃったかなと思ったけど、住んでる世界が違い過ぎるから、まあ、しょうがないかと。

 そして、マオ登場。
 いや、ホント書きにくいです、この人。
 こういうタイプは読むのも書くのも苦手だなーとつくづく思いました。


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Re:10

(どうやら、正しかったみたいだな)

 鋭く目付きでマオを見据えながら、C.C.は内心で安堵の息を吐いた。

 

 過去に戻る。もう一度やり直す。

 それは、大抵において喜ばしいことに思えるだろう。

 C.C.もそれに否、と答えるつもりはない。事実、彼女は今与えられた機会を最大限に活かそうと動いているのだから。

 しかし、実際に過去に戻った身の上として言わせてもらうなら、何もかもが素晴らしいと言うわけではない。

 越えてきたもの。越えなくてはならないもの。

 それらにもう一度向かい合わなくてはならないのだから。

 そして、C.C.にとってのそれは、今、正に目の前にいる人物に他ならなかった。

 

 色々と齟齬の出始めている過去の時間であるが、マオが自分を求めてやって来ることをC.C.は疑ってなかった。

 だからこそ、『前回』のようにマオがルルーシュに接触し、色々と事を起こす前に捉えようとC.C.はシャーリーの動向を監視していたのだ。

 以前のように、またシャーリーを言葉巧みに誘導してルルーシュを排除するのに利用しようとするのか、少々不安なC.C.であったが、ふと、かつてのルルーシュの言葉を思い出した。

 曰くマオは心が読めるが故に単純で読みやすいと。

 ならば、ルルーシュの周りで心が弱り、利用しやすいシャーリーに接触してくる可能性は十分に高いと踏み、彼女の周りに目を光らせていた。

 結果、マオは予想通りにシャーリーに近づき、前は中々捕まえられなかったマオに早々に接触することにC.C.は成功したのだった。

 

「C.C.? …C.C.! 会いたかったよ! 僕のC.C.!」

 いきなり現れたC.C.に最初こそ呆けた顔をしていたマオだが、すぐにその顔は喜色に染まった。

 今の今までその心を弄ぼうとしていた少女のことなど、まるで最初からいないかのように忘れて、C.C.の名前を嬉しそうに呼ぶ。

 完全に他者に甘え、依存した声。

 まるで大好きなご馳走を前にしたかのようにはしゃぐその姿にC.C.は己が罪を感じずにはいられない。

 目の前の人物をここまで壊してしまったのは、他ならない自分だと自らに言い聞かせる。

 だけど、逃げてはならない。目を背けてはならない。

 例え、その結末がどのようなものであっても。

 今度こそ最後まで向き合い続けねばならないと、C.C.は自分自身を戒めた。

 

「久しぶりだな、マオ」

「うん、うんうん! ああっ、会いたかったよ、C.C.! 僕ね、C.C.がいなくなってから頑張ったんだよ! ルルーシュのことからC.C.がいるって分かったから、山から下りてきてね! もう、どいつもこいつもぐちゃぐちゃで気持ち悪かったけれどC.C.に会うために頑張ったんだ!」

 一方的な愛が振り翳される。それは誰に対しての愛なのか。

 誉めてほしい、自分を見て欲しいと望み続けるそこに他者への情愛を見ることは出来ない。

 そんなマオをC.C.は一切の感情を排した表情で見ている。

 情も非情も、そこにはない。先程までの鋭い目付きすら消えていた。

 完璧に魔女のヴェールを纏いC.C.はマオに対峙していた。

 そして、そんなC.C.の様子にマオは気付かない。いや、そもそも、見ているのだろうか。

「あのね! 僕ね、家を買ったんだ! 真っ白い――」

「それ以上、近付くな」

 興奮した口調でC.C.に歩み寄ろうとするマオを冷たい一言が阻む。

「C.C.? どうしたの? ねえ、はやく僕と――」

 阻まれて、なおもC.C.に近づこうとしたマオの足が再度止まる。

 地面に穿たれた弾痕によって。

 そして、それを為した銃を持ったC.C.によって。

「C.C.?」

「マオ…、お前の目的は分かっている。だから、結論だけ述べよう」

 ようやく少しだけ困惑を表したマオにC.C.は静かな口調で告げる。

「私はお前と共に行かない。お前と共に生きることは出来ない。お前と結んだ契約はもはや叶わず、故に共にいる理由もない」

「C.C.? 何を怒ってるの? どうしてそんな酷いこと言うのさ?」

「恨んでも憎んでも構わない。それだけの事をしたのだから、甘んじて受けよう。だが、慈悲は乞うな。それに応えることは、…ない」

 その表情に僅かな揺らぎも見せず、C.C.は傲慢にマオを切り捨てる。

「大人しく一人で山に戻れ。そして、もう、私に関わるな。そうすれば、最低限、お前が人として生きていけるように努めよう」

 可能性の一つとして。

 かつて、ルルーシュが皇帝のギアスにより、記憶ごと暴走状態にあった自身のギアスを封じられたことがあった。

 ならば、ルルーシュの絶対遵守のギアスにも同じことが出来るのではないか、とC.C.は考える。

 『達成人』に至り、神をも御した彼のギアスならば。

 もちろん、それだけでここまで歪んでしまったマオが、人間社会にすぐに溶け込めるとは思っていない。

 だが、取っ掛かりにはなるはずだ。

 読心により、心を病むことがなくなり、ギアスの汚染が消えれば。

 元来は優しく思いやりのある子だということを、誰よりもC.C.は知っているのだから。

「他の人なんて知らないよ! 欲しくもない! 僕はC.C.さえいればいいんだ!」

「マオ」

 C.C.が静かにマオの名を呼ぶ。しかし、今度は冷たい響きではない。

 かつてのような優しさを僅かに滲ませて、言い聞かせるように。

「頼む。もはや、私と共にいてもお前のためにはならない。許してくれとは言わない。だが、少しでも私を思うなら、そして、自分自身のことを思うなら、このまま――」

 帰ってくれ。

 その言葉を飲み込んだのは、優しさか、それとも弱さか。

「――――」

 マオは何も言わない。

 言われた意味を分かっているのだろうか。キョトンとした顔をしているだけだ。

 C.C.も、何も言わない。後はもう願うばかりだ。

 出来ることなら、これで終わって欲しいと。

 だが。

「ああ、そっか!」

 それが叶わない願いだと、きっと分かってもいた。

「僕が怒ってると思ったんだね! だから、僕の気を惹くために心にもないことを言ってるんだ! それとも、いきなり僕が現れたから照れてるのかな? C.C.は奥ゆかしいからね!」

 

 失望はしない。落胆もしない。

 

 こうなるだろうとは思っていた。それでも、微かな希望に賭けて、願った。

 そう。最初から分かりきっていた。

 

 マオの中でC.C.という存在は既に完成して固定されている。

 自分に都合良く、自分に甘く、自分にとって心地よい存在がC.C.なのだ。

 そのぬるま湯に浸かり続け、甘やかされた幼い精神はそれ故にそれ以外の在り方を決して認めようとしない。

 だから、C.C.の言葉は届かない。どれだけ厳しい言葉を投げかけようとも、マオの中のC.C.が現実のC.C.を都合良く歪めてしまうからだ。

(自業自得か。分かってはいたが本当に罪深いな、私は…)

 苦々しい思いがC.C.の胸の内に渦巻く。

 願いを叶えるために、自分に都合の良い人間にするために甘い言葉を囁き続けた結果がコレだ。

 

 あるいは。

 ラグナレクの先にあるのは、ひょっとしたらこんな世界なのかも知れないな、とC.C.は不意にそう思った。

 自分に優しい世界だと。あの時、ルルーシュはシャルル達の望む世界をそう言い切った。

 ならば、行き着く先は然程変わらないだろう。

 なるほど、願い下げだ。

 己の罪を前にして、C.C.は彼らの目指した理想に、世界にそう思わずにいられなかった。

 

 一方、そんなC.C.の内心など露と知らないマオは次々と自分本意なことを捲し立てていく。

 大丈夫、僕は怒ってないよ。僕は他の奴らと違って汚くないからね。あいつ等ホントくだらない。こんなところC.C.には似つかわしくない。はやく僕と二人で静かなところに行こう。

 文脈もなく、ただ愉しげに言葉を綴っていたマオだったが、何かに気付いたという顔をして笑みを深くする。

「そうか! ルルーシュだね! あいつに弱味を握られて僕に酷いこと言うように言われたんだ!」

 その言葉に、視界の端で少女の肩がビクリと震えたことにC.C.は気付いた。

「酷い奴だよね。でも大丈夫! 僕が来たからにはルルーシュなんてすぐに殺してあげるから。ね? だから、C.C.は心配しなくていいよ!」

 静かにC.C.の目蓋が伏せられる。何かを決意するように数秒。

 同時にC.C.の手にある銃がカチリと鳴った。

「待っててね、今すぐ……、ああ、もう!」

 ニコニコと無邪気にはしゃいでいたマオの顔が、突然歪む。

 まるで顔の周りを飛んでいる虫を払うように、がむしゃらに顔を振り乱す。

「せっかくC.C.に会えたのに……、ああっ、煩い!」

 そんなマオの反応に覚えがあったC.C.は周囲に意識を巡らせて納得する。

 まだ遠いが人の声と気配がした。

 先程のC.C.の発砲音とマオの声に人が集まってきたのだろう。

 どうやら、結構な人数が此方に向かって来ているようだった。

 その声が無造作にマオの中に入ってきて、彼を苦しませ始めた。

 頭を抱え、獣のように唸り声を上げる。

 何とか耐えようとするも、それが叶わないと分かるとマオは悲しげな顔をC.C.に向けた。

「ごめんね、C.C.。ホントは今すぐに一緒に行きたいんだけど……。少しだけ待っててね? すぐに迎えに来るから!」

 最後までC.C.の言葉を聞こうとせず、自分勝手に納得するとマオはふらふらとした足取りで、その場を離れていく。

 何も知らない人なら痛ましげに思えるかもしれない程、苦悶の表情を浮かべて。

 しかし、そんなマオを見てもC.C.は顔色一つ浮かべることはなかった。

 

 マオの姿が完全に見えなくなったのを確認すると、それまでその背中に狙いを定めていた銃をC.C.は下ろした。

 ふぅ、とゆっくりと長い息を吐いて身体から余分な力を抜いていく。

 本当はここで決着をつけてしまうつもりだった。

 説得が叶わないなら、躊躇わず。

 しかし、出来なかった。

 ここは、このアッシュフォード学園はルルーシュのホームで、ナナリーの為の箱庭。

 故に火消しも満足に出来ない状況下で騒ぎを起こせば、後に響くと判断したのだ。

(いや、違うな……)

 躊躇ったのだ。僅かだが、引き金を引くことを躊躇した。

 可能性は潰えたのに、それでも叶うなら、と思う心が判断を狂わせた。

(ルルーシュ程には上手く出来ないな)

 世界を騙し通し、最愛の妹にも嘘を貫き通したように、躊躇わず、迷わずという風にはいかないな、とC.C.は苦笑する。

 騒がしさが増してきた。

 そろそろ離れないとマズいと思ったC.C.は、そこでようやく状況から置き去りにされて、ぽつりと佇む少女のことに思い至った。

「あ……」

 視線が合ったシャーリーが小さく声を漏らす。

 どうするか。一瞬悩んだC.C.だったが、はあ、とこれ見よがしに大きく溜め息を吐くとツカツカとシャーリーの方へ歩み寄っていった。

「え、あ……」

 身を竦ませ、本能的にジリジリと後ろに下がっていくシャーリー。

 そんなシャーリーに構うことなくC.C.は彼女との距離を詰めると、その手にあったモノを強引に奪い去った。

「いつまで持っているつもりだ」

 そう言われて、シャーリーは自分がずっと銃を握りしめていたことに気付いた。

 先程の男から手渡された凶器を。人殺しの()()を。

 何のために受け取った? ――――殺すために。

 誰を? ――――それは。

「――――っ」

 引き締められた咽喉が可笑しな音を立てた。

 病に罹ったかのように震えが止まらない身体を強く抱き締める。

「わ、わたし、……わたし」

 その時、思ったことを思い出してシャーリーは愕然とし、そして、そんなことを考えた自分に恐怖する。

 だって、そうだろう?

 一瞬だったとはいえ、そう思ってしまった。

 そうすることが正しいと本気で考えてしまった。

 ルルーシュを、好きな人を――――

「余計なことを考えるな」

 何故か自然とそんな声がすんなりと入ってきて。

 その声に、シャーリーは最悪に堕ちそうになる思考を止められた。

「それはお前の内から生み出された想いじゃない」

 琥珀色の綺麗な瞳が真っ直ぐにシャーリーを見る。

「思考を濁らせ、感情を麻痺させ、そうするのが正しいという考えを植えつけられただけだ」

 不思議だ、とシャーリーは思う。服装も口調も、雰囲気すらもまるで違うのに。

「悪い夢でも見たと思っておけ」

 シスターみたいだ、とシャーリーは感じた。

 懺悔を聞き、神に代わり罪を許すその存在に。

 何故か似ていると、そう感じた。

 

 胸中にそんな感想を抱き、ぽけーとC.C.を見ていたシャーリーだったが、用件の済んだC.C.がどこぞに去ろうとするのに気付くと、慌ててその背中に声をかけた。

「あ…っ、ま、待って、下さい!」

 その声に足を止めたC.C.が振り返る。

「何だ?」

「え? あ、その……」

 思わず呼び止めて、その後に続く言葉が思い浮かばなくてシャーリーはしどろもどろになる。

 何を言いたいんだろう、と思う。

 あの日あの夜。

 自分の知らないルルーシュと、自分が知らない間に一緒にいた彼女に。

 私は……、

「用が無いなら――」

「ルルが好きなの!!」

 気づいたら、大声でそう叫んでいた。

 さすがに驚いたのか、C.C.の金色の瞳が見開かれる。

 しかし、それも一瞬で、すぐに元に、…いや、先程までより幾分不機嫌そうに目を細めた。

「だから?」

「だから……」

 だから、何なんだろう?

 譲りたくない? 近づいてほしくない? 渡したくない? それとも、それとも――。

 頭の中で沢山の想いが次々と浮かぶ。

 何を言いたいのか、定まらないままシャーリーは口を開いて。

「それだけ、……です」

 結局何も言えなかった自分に内心で涙した。

 二人の間に沈黙が流れる。しかし、流れる空気はあの時のような重苦しいものではなかった。

「ふん」

 沈黙を破ったのはやはりC.C.で。

 いかにも不機嫌だ、というように鼻を鳴らすと今度こそシャーリーの前から立ち去っていった。

 

 C.C.が消えて、一人になると緊張が解けたのか、シャーリーはペタリ、とその場に座り込んでしまった。

「あー、もう。なんであんなこと言っちゃたんだろう……、うぅ、私の馬鹿……」

 くしゃり、と前髪を掻き上げながら、シャーリーはうーうーと呻き声を漏らす。

 でも、言わずにはいられなかった。

 あの人だから、言わずにはいられなかったとシャーリーは思った。

 どうしてそう思ったのか、ここに至ってシャーリーはその理由に気付く。

 色々あり過ぎて、おかしくなりそうだった。

 近くにいたと思ってたのに、実は手が届かない程遠い存在だと気付いて悔しくて、悲しかった。

 でも、この気持ちは変わらなかった。

 

 シャーリー・フェネットは。

 ルルーシュ・ランペルージが好きなのだ。

 

 ならば、悔しいが自分より好きな人に近いあの女の子は。

(恋のライバル、ってことだよね……!)

 だったら、きっとあれで良かったのだ。

 みっともないのだろう。不様なのだろう。的外れなのだろう。

 でも、これがシャーリー・フェネットなのだ。

 恋する乙女なのだ。

  

 




 恋する乙女は伊達じゃない。
 さすが、恋はパワーのシャーリー。この程度ではめげませんでした。そして、勝手にC.C.を恋のライバル認定。いや、正しいのだろうが、いいのか?シリアスは。

 そんな訳でシャーリーへの忘れろギアスは無しです。
 ルルーシュはシャーリーがいたこと知らんし、C.C.も『前回』のシャーリーの死に際を知っているから、まあ、大丈夫だろうとスルー。あれ?ここにもイベントが潰れる呪いが?で、でも、良い方向に変わったし、ツッコミはない、……はず。


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Re:11

 勢いがあるときは勢いに乗るッス! と昔の主人公が言っていたので。

 二日連続投稿、いってみます。


「説明しろ。一体どういうことだ?」

 黒の騎士団関係で、放課後を待たず学園を後にしていたルルーシュは、帰ってくるなり部屋にいたC.C.にそう言い放った。

 自分のテリトリーで騒ぎがあったことで苛立っているのだろう。問いかける口調が些か乱暴だった。

 しかし、ルルーシュがそんな反応をするだろうことは分かっていたので、特に気にした様子も見せずC.C.は口を開いた。

 昨日、ついに届いた、かつての愛用のぬいぐるみをギュッと抱き締めながら、ぽつり、ぽつりと。

 マオが以前の契約者であること。契約の遂行が叶わなくなったため彼の元を去ったこと。そんなC.C.を追いかけてきたこと。そして、C.C.を奪ったと思っているルルーシュを敵視していること。

 自身の心情については言葉を濁したが、極力話せる範囲でのことをC.C.はルルーシュに話した。

「……契約を果たせなくなったというのは、前に言っていたギアスに蝕まれた状態と考えていいのか?」

「そうだ。今のマオはギアスを自らの意思でコントロール出来ず、およそ物事の判断がつけることの出来ない状態だ」

 ルルーシュの苛立たしげな舌打ちが部屋に響く。

 およそ、考えうる最悪の展開だった。

 自分の正体、弱点、行動パターン、その他騎士団に関する極秘情報も。

 それらを自分を敵視する人間に全て握られているのだ。それも、まともな精神状態とは言い難い相手に。

 どう考えても楽観視できるような状況ではない。

 迅速に片をつけなくてはならない。だというのに、相手はこちらの張った罠や行動を看破してくるのだという。

 最大限打てる布石を打ち、事に当たる戦略を旨とするルルーシュには相性最悪の敵と言えるだろう。

 だが、何とかしなければならない。出来なければ、何もかもが終わってしまう。

 焦燥に駆られたルルーシュが状況を打破するための策を頭の中で次々と模索していく。しかし、有効的な策は思い浮かばない。更にこうしている間にマオが外部に決定的な情報を漏らすのではという思いがルルーシュの焦燥に拍車をかけていく。

 なので、C.C.に名前を呼ばれた時も、およそ友好的とは言えない視線をルルーシュは彼女に向けていた。

「頼みがある。マオの事は私に任せてくれないか?」

「……信用しろと言うのか? 元はと言えば、貴様がソイツに見切りをつけた時に片をつけなかったのが原因だろう!」

「そうだ。だからこそ、私が自分の手でケリをつけなくてはならないんだ」

 睨みつけるルルーシュの瞳を見返したC.C.の強い瞳に、思わずルルーシュは怯んだ。

 

 本当に大切なものは遠ざけておくものだ。

 かつて、C.C.はルルーシュにそう語った。生き方だ、と。

 今もそれは決して間違っているとは、C.C.は思っていない。

 魔女と呼ばれ、多くの人々に疎まれ、それに値するだけの罪を重ねてきたこの身には、常に危険と殺意が付きまとう。近くにいれば、その猛り狂う炎に身を焼かれることもあるだろう。

 事実、C.C.の側にいたから、関わったから、庇ったから。それが理由で命を落とした人達がいたことをC.C.は知っている。

 だから、間違った考えではないのだ。

 でも。

 それは、きっと言葉で言うほど簡単なものではないのだろう。

 例え、大切が故に遠ざけたのだとしても、見向きをしなくなったのなら、それはもう――。

(ああ、そうだな……)

 誰ともなしにC.C.は内心で呟いた。

 今なら、分かる。今なら、向き合える。

(私は、マオを捨てたんだ)

 幸せになれる可能性があるなら。一人でも生きていけるかもしれないなら。

 何も殺す必要はないだろうと。

 そんなことは無理だと分かっていたのに。

 そうやって、都合の良い言い訳をして、自分の行為を正当化して、――逃げ出したのだ。

(マオのことだけじゃない……)

 嚮団や、マリアンヌ達にしてもそうだった。

 出来る出来ないはともかく、本来なら早々に決心をつけなくてはいけないことだった。

 でも、結果を出すことを、その現実と向き合うことを恐れて、なあなあに先延ばしにしてしまった。

 そして、その帳尻を合わせる羽目になったのがルルーシュだ。

 日常を削り取られ、親しい人を失い、両親の真実に涙する事になってしまった。

 だからこそ、逃げ出すわけにはいかないのだ。

 いや、そうでなくとも。

 過去と、自分のしてきたことと向き合い、その責任を取れないようでは、きっと。

 明日を望む魔王の隣を歩むことなんて出来ないだろうから。

 だから……。

「頼む、少しでいい。私に自分のしたことのケジメをつける時間をくれ」

 C.C.の真摯な瞳がルルーシュに向けられる。ルルーシュもまた、そんなC.C.の真意を問うかのように真っ向から彼女を見据えた。

 かつてにおいては、こういった時、C.C.はルルーシュと視線を合わせることは殆どなかった。

 真っ向からルルーシュの瞳を覗き見るには、隠し事や後ろめたさが大きかったからだ。

 でも、今は違う。隠し事はともかく、自分がしたことに対する後ろめたさが消えた訳ではない。それでも、その視線を逸らそうとはC.C.はしなかった。

 無言のまま、まるで見つめ合うかのようにお互いの瞳を覗き込む。

 永遠に続くのでは、という陳腐な物言いが似合う空気が二人の間に暫し漂い続けていたが、その終わりは程なくやってきた。

「――――――」

 紫紺の瞳が閉ざされる。

 同時にルルーシュの纏っていた空気が和らいだようにC.C.は感じた。

 ルルーシュは何も言わない。

 無言のまま、C.C.の前から離れ、クローゼットの前に移動するとおもむろに着替え出した。

「ルルーシュ?」

 突然のその行動に、C.C.は戸惑いを乗せてルルーシュの名を呼ぶ。

 ルルーシュは答えない。そのまま、着替え終えるといつもの大きめのバッグを肩に下げて、C.C.の前まで戻ってくると、未だ戸惑い顔の彼女にスッと何かを差し出した。

「三日だ」

 差し出されたのは、カードと携帯だった。

「三日くれてやる。その間にケリをつけろ」

「……いいのか?」

「自分で言い出しておいて、何だそれは?」

「いや……」

 ノロノロと手を出して、カードと携帯を受け取る。

 顔を上げることは出来なかった。今の自分の顔をルルーシュに見られたくなかったからだ。

「分かっていると思うが、三日の間にアイツが俺を狙ってきた場合は――」

「分かっている。その前に終わらせる」

「なら、いい」

 言いたいことは言い終わったのか、ルルーシュは最後にベッドの上で俯き、受け取ったカード等を強く握るC.C.を一瞥すると部屋の外に向かって歩き出した。

「俺は騎士団の方を調整してくる。お前も動くつもりなら、早くするんだな」

 悲愴な決意を漂わせながら、C.C.はああ、とだけ返事を返した。

 そんなC.C.を残し、部屋の外、廊下に出たルルーシュが後ろ手にドアを閉める。

 扉が閉められ、お互いの姿が完全に消えようとした、――――その直前。

 

 

「勝てよ、C.C.。自らの過去に。そして、行動の結果に」

 

 

 いつか言った、誰かの声が聞こえたような気がした。

 

「――――ッ!」

 弾かれたように顔を上げる。しかし、その視線が目的の人物を捉えるよりも早く、パタン、という音が全てを隔てた。

 残されたのはC.C.一人。後には何もない。余韻すら、僅かにもなかった。

 ほんの一瞬。空耳や幻聴と言っていい程、軽く遠く響いたその声。でも……。

「ふん、縁起でもないな」

 その後、一年も離ればなれだったんだぞ。

 そう言って、不敵に笑う魔女の心に確かに届いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 二日が経過した。

 

 

 

 太陽が真上から、大分西に降り始めた頃。

 人気のない小さな公園でC.C.は遅めの昼食を取っていた。

 公園の入口近くで、過剰に人目を窺いながら、露店を開いていた名誉ブリタニア人から買ったホットドッグを、もぐもぐと小さな口で頬張る。

「………ふ、ぁ」

 漏れた生あくびを、一緒に買ったコーヒーで流し込む。しかし、C.C.を襲う慢性的な睡魔が消えることはなかった。

 

 この二日間、少しでもマオを誘き出す可能性を上げるため、C.C.は一時ルルーシュの部屋を出て、租界の外れにある小さなホテルを仮の住まいとしていた。

 そこを拠点に、マオが接触してきやすいよう人気のない場所を選んで、日がな、あちこちと歩き回る。

 最初の内は『前回』の情報を駆使し、マオの潜んでいる場所を探り当てようかとも考えていたC.C.だったが、心が読めるマオが相手では追い詰めても逃げられる可能性が高いことと、よくよく記憶を探れば『前回』ではロクな情報を得ることが出来てなかったことを思い出して諦めることを選んだ。

 加えて、下手に探して警戒心を煽るよりは『待っている』という風な態度を装っていた方が、マオの性格上、釣られやすいだろうという共犯者のアドバイスもあって、C.C.は待ちに徹することに決めた。

「………ぁ、ふ」

 再度、漏れた欠伸を噛み殺す。

 退屈を表す態、と言うわけではない。単純にC.C.は寝不足だった。

 夜遅くまで、人気のない場所を点々としていたというのもあるが、無機質で味気ないホテルの部屋は寝心地が悪かったのだ。

 事ここに至って気付いた、自身の新たな一面にC.C.も驚く。どうやら、自分が思っている以上にC.C.はあの部屋に安心感を抱いていたらしい。

 もっとも、あの部屋の何に安心感を抱いていたのか、と言われれば答えを濁すだろうが。

 

「あと半日……」

 手の中で携帯を弄びながら、C.C.はぽそりと呟く。

 それは約束の三日の刻限までの時間だった。

 流石に焦りを感じなくはなかったが、さりとて何か出来るというわけではない以上、待つことしかC.C.には出来ない。

 去り際にルルーシュを殺すようなことを仄めかして消えていったマオだったから、ルルーシュの事も危惧して、時折様子を見に行っていたが、どうやらルルーシュは三日の間は籠城を決め込むことにしたようだった。 

 友人や人気の多い場所にいて一人にならず、彼の弱点とも言えるナナリーの側にも自分や誰かしら人を置くようにして、学園の外に出ようとしない。

 完全に守りに入ったルルーシュが相手では、さすがにマオも手を出しようがないだろう。

 だからこそ、接触するなら自分の方だろうとC.C.は考えている。

「――――っ」

 冷たい風に身体が反射的に震える。

 視線を空に向ければ、空が僅かに赤くなり始めていた。

 どうやら、長いこと物思いに耽っていたらしい。

 そろそろ場所を変えた方が良いか、と思ったC.C.が腰を上げたその時、手の中の携帯が軽快な音を立てた。

「………」

 表示された知らない番号に、思わず携帯を握る力が増した。

 逸る気持ちを抑えて、C.C.は携帯を耳に当てた。

 

 相手は、――――予想通りだった。

 

 先と変わらない無邪気な声が通話口から響く。

 その内容の殆どが意味の無いものだったのでC.C.は聞き流していく。

 知りたいのは、一つ。自分を、魔女を招待する、その場所。

 そして、長い言葉の羅列の先、ようやくそれが告げられた。

 

 約束の場所は、かつてと同じ。――クロヴィスランド。



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Re:12

 深い静けさが耳に痛い。

 深夜と呼ぶにはまだ一刻程早い時間ながら、いつもより夜の静寂が深まって感じるのは、周りの賑やかさを感じさせる造りの建物が沈黙を保っているからだろうか。

 

 クロヴィスランド。

 

 営業時間はとうに過ぎ、人が完全に捌けた無人の娯楽施設に、C.C.は一人ポツンと佇んでいた。

 『前回』もマオはこのクロヴィスランドを再会場所に指定していたので、こんな場所に呼ばれたこと自体は別段驚きはしない。だが、人がいる場所が苦痛なくせに、何故人が多く訪れるイメージのある場所を指定したのだろうとC.C.は少しだけ疑問に思った。

 単純に人がいなかったからか、再会を演出したかったからか。――または、誰もが童心に返り、無邪気にはしゃぐこの場所に、自分の有り様を見たからか。

 まぁ、何でも良いか、と思い、C.C.は時間を持て余したが故の思考を閉じる。

 園内のあちこちに設置された無駄に背の高い時計に目をやれば、約束の時間になろうというところだった。

 

 ガチン、と遠くに音が響いた。

 それを皮切りにC.C.の周りが明るくなり始める。

 園内にある全てのものが無理矢理叩き起こされ、輝き、軽快なリズムを奏で出した。

「C.C.~~!」

 声が聞こえた。

 メルヘンの象徴とも言える遊興装置から、マオが此方に声をかけてきていた。

 その光景に、C.C.の眉が不快げに寄った。

 過去に遡るにつれて、かつてと同じ情景を、体験をしたことは何度もある。

 だが、ここまで、まるで絵画をもってきたかのように、かつてと違わない光景を見たのはこれが初めてだった。

 まるで出来の悪い映画を二度も見せられたような不快感がC.C.の胸に広がった。

 そんなC.C.の様子に気付かず、マオは造り物の白馬から降りると嬉々とした様子でC.C.に近づいていく。

「ゴメンね、C.C.! 待たせたよね? C.C.が一人で僕が迎えに来るのを待ってたのは分かってたんだよ? けど、ルルーシュの奴が汚くてさぁ。僕が苦しむのが分かってるから、ずっと人ごみに隠れてるんだ」

 酷い奴だよね? と心底自分の正しさを疑わず、マオは滔々と語り続ける。

「きちんとルルーシュを殺してから、C.C.のこと迎えに行きたかったんだけど、まあ、もうどうでもいいよね! C.C.は僕のところに帰ってきてくれたんだから!」

「勘違いするな。お前を待っていたのは共に行くためじゃない」

 さっ、と懐から抜いた銃をC.C.はマオに向けて構えた。

「殺すためだ」

「あはは~! ダメダメ! そんな嘘を吐いたって。C.C.は僕がだ~い好きなんだから! その証拠にほらっ!」

 片手に音量のボリュームの調節を持ち、もう片方の手で頭に掛けていたヘッドフォンをC.C.に差し出すように突き出す。

 音量の大きくなったヘッドフォンから、かつての自分の声が流れ出す。

 自らの願いを叶えさせるために、甘言を繰る魔女の声が。

「ね? 分かったでしょ? C.C.は僕のことがだ~い――」

 続く言葉を銃声が掻き消した。

 放たれた銃弾は、マオの手にあったヘッドフォンを正確に撃ち貫き、C.C.は耳障りな自分の声を止めることに成功する。

 カシャ、カシャン、と軽い音を立てて、ヘッドフォンだったものが地に跳ねた。

 一瞬の沈黙。その後、絶叫が響き渡った。 

「あ、ああ、あぁぁぁぁ! C.C.! ああ! 僕のC.C.が!!」

 悲痛な叫びを上げて、まるで愛しい人の亡骸を抱くかのように、マオは砕けたヘッドフォンを胸に掻き抱いた。

「ひ、酷いよ! 何でこんな酷いことするのさ、C.C.! 僕のC.C.が、こんな……ッ! やっぱり、ルルーシュが――」

 激しい感情がC.C.に向けられる。

 ずっと自らの内でのみ完結されていた感情が、激情が外に向けられた。

 そう、今マオは初めてC.C.を()()のだ。

「違う、ルルーシュは関係ない。言っただろう、殺しにきたと」

「嘘だ! C.C.はそんな事言わない! 僕のC.C.はずっと僕を愛してくれてるんだ!」

 叩きつけられるような感情に、しかし、C.C.は静かに首を横に振り、凪いだ瞳をマオに向ける。

「嘘じゃない。マオ、これが私だ。自らの願いを叶えるためなら、他人の人生を狂わせることも厭わず、利用できなくなったら躊躇いなく捨てていく、傲慢で冷酷な魔女。それがC.C.という女だ」

 まるで自分で自分を告発するかのように、無機質な声でC.C.は言う。

 そして、口唇を戦慄かせ、小さく首を振り続けるマオに最後の一言を告げた。

「それは、お前とて例外ではない。マオ」

「違う、C.C.は、僕のC.C.は、……僕の事が好きで、……愛して……」

 ブツブツと呟きながら、がくりと頭を落としマオは項垂れる。先程まであった炎のような感情は消え失せ、燃え尽きた灰のような雰囲気がマオから漂っていた。

 

 後悔の時間も、躊躇の時間も過ぎ去った。だから、後はもう……。

 

 C.C.はゆっくりと銃口をマオに合わせた。

「マオ、私は――」

「違う」

「マオ?」

 突然、声質の変わったマオに訝しげにC.C.が声をかけた。

「違う、違う違う違うちがうちがう! お前はC.C.じゃない! お前は、僕のC.C.じゃなあぁぁい!!」

「な――ッ」

 絶叫し、雄叫びを上げながら飛び掛かってきたマオにC.C.は驚きながらもその場を飛び退いて躱す。

 しかし、反応が遅れたため、がむしゃらに振り回していたマオの腕が銃を持っていた手に当たり、その衝撃でC.C.は銃を手放してしまった。

 警戒し、マオから距離を取るC.C.。しかし、マオはそんなC.C.を見ることなく、虚ろな表情でどこかに向かっていく。

「言わない、……僕のC.C.は……、僕の、……ああ、そうか。ルルーシュか。ルルーシュのギアスでC.C.はおかしくなっちゃったんだ………」

「マオ、私にギアスは―――」

「煩い煩いッ! 偽者が喋るな! 僕のC.C.じゃないC.C.が、喋るなああぁぁぁ!!」

 ギャン、と甲高い音が鳴る。雄叫びと共にマオが物影から取り出したのは、前の時と同じ、チェーンソーだった。

 それを正面に構えて、マオは恍惚とした表情で謳う。

「待っててね、C.C.ぅ~。今、僕が殺して(すくって)あげるから。そうしたら、一緒に行こう? 誰もいない静かな場所に二人っきりで」

 C.C.は何も言わない。ただ静かにマオを見据えていた。

 

 結局、何も変わりはしなかった。

 

 多少の変化はあれど、やはりここに行き着いてしまった。

 きっと、もうとっくに手遅れだったのだとC.C.は気付く。

 優しさも、憐憫も、悲嘆も。

 とうの昔に、C.C.の声が目の前の男に届く時は過ぎ去っていたのだ。

 マオの姿がC.C.の瞳に映る。その狂気とも狂喜ともつかない笑みが。

 その中に一瞬だけ、幼い頃の彼の笑顔を見た。

 自分の名前を呼び、無邪気に駆け寄ってくる彼の笑顔を。

 その姿に情を抱いた。

 弟のように、息子のように思っていた。

 だが――。

「――――――」

 すっ、とC.C.は目を閉じた。まるで、今しがた見た過去の情景を断ち切るように。

 例え、どれ程の過去があっても。

 もうC.C.は選んでしまったから。

 共に在ろうと思う相手を。そして、約束を交わした『明日』を。

 だから―――

「さようなら、マオ」

 一度、その手で訣別した相手に、今一度別れを告げて。

 C.C.はその身に魔女を纏った。

 

 数メートルの距離を置いて対峙しているマオに、注意を払いながら、C.C.はポケットから携帯を取り出した。

 予め登録していた目的の番号を選び、通話ボタンを押す。その行動に笑ったのはマオだった。

「あはは! 何のつもりだい? C.C.! ひょっとしてルルーシュでも呼ぼうとか考えてる? でも、ざぁんねん! アイツの行動は把握済みだよ。ここには来ていない!」

「勘違いするな。これの目的は別だ」

 その答えはすぐにやってきた。

 マオにより叩き起こされ、夜の静寂に輝いていた園内が、糸が切れたように再び闇に包まれたのだ。

「なッ! こんな、……クソッ、C.C.! どこにいるの!?」

 突然の暗闇に、C.C.の姿を見失ったマオが彼女を求めて、声を上げる。

 その返答は、銃声だった。

 ヂュン、という銃弾が跳ねる音と共にマオの足下で火花が散った。

 慌てて後ずさるマオの耳に軽い足音が遠ざかっていくのが聞こえた。

「どこに行くの? 逃がさないよ、C.C.ぅ。君は、必ず僕が殺す(すくう)んだからぁ!」

 遠ざかる足音を、狂気が追随した。

 

 クロヴィスランドの特徴の一つに、ミラーハウスがよく挙げられる。

 大抵の遊園地においては、こじんまりとした小さなもので場所によっては申し訳程度に置かれていたりするものだが、ここクロヴィスランドでは大きく外装も豪華な三階建てとして、園内中央付近に配置されている。

 というのも、このミラーハウスはその名が冠せられた、今は亡きクロヴィス・ラ・ブリタニアの肝入りだったからだ。

 設計から携わり、施工中も何度も足を運ぶという入れ込みように、当時のクロヴィスはこう語った。

『一階は男性が最も美しく、二階は女性が最も美しく映るように鏡が配置されている』と。

 では、三階は、という意見にクロヴィスは一言だけ、言い添えた。

『そこは、ある者達が最も美しく映ったであろう』

 その言葉に当時の世間はしばし沸いたものだった。

 殿下には既に意中の相手がいる。いやいや、『達』と言うからには、よもやお子ももういるのでは。しかし、『あろう』ということは、既に別れているか、亡くなられている?

 様々な憶測が飛び交うなか、不敬罪を覚悟した幾人かのマスコミ関係者が、この事についてクロヴィスに質問してみたのだが、その全てにクロヴィスは微笑みを浮かべるだけで口を開くことはしなかった。

 ただ、その都度、彼の視線が政庁の屋上付近に向けられていたことをごく僅かな人間だけが気付いていた。

 

 来場者の気持ちを高めるための、愉しげな音楽が止まったミラーハウスに暴力的な破壊音が響く。

「C.C.ぅ、…C.C.!」

 もはや、呪詛を呟くようにC.C.の名前を呼びながらマオは片手に持ったチェーンソーを振りかぶった。

 ガシャン、と一際高い音を立てながら、また一つ鏡が割れる。

 ガシャ、とその鏡を踏みつけてマオは耳を研ぎ澄ませた。

 ドッ、ドッ、ドッ、というチェーンソーの脈動音だけが場を支配する。その中に、パキ、という何かが割れる音が混じった。

 素早く顔を上げれば、目的の人物の姿が鏡に乱反射しながら映るのが見えた。

「C.C.ぅぅ、みぃつけ、―――ガッ!?」

 壊れた笑みを浮かべ、C.C.に飛び掛かろうとしていたマオだったが、顔を中心に全身を襲った痛みに、もんぞりうって倒れこむ。

 眼前にあったのは鏡だった。反射して映ったC.C.の姿を本物と思い、飛び掛かってしまったのだ。

 無理もない事だった。元々、視覚を惑わすことを目的とした場所であるのに加えて、照明が一切消えた状態なのだ。余程感覚に優れているか、鏡の配置を覚えていない限り、ぶつからずに歩くことすら困難だった。

 再び、パキ、と音が鳴る。同時に鏡の中に魔女が現れた。

「くそ、くそくそくそ! C.C.ぅぅぅぅ!」

 掛けていたバイザーをかなぐり捨てて、マオはC.C.に向かって叫んだ。

 

(ここまでは予定通り……)

 二階にある鏡の死角になっている場所に、小柄な身体を押し込みながらC.C.は長い息を吐いた。

 荒くなりつつある自分の息を整えながら、マオの様子を窺い見る。

 一方的にマオが消耗させられているかと言われれば、そうでもない。

 事前にミラーハウスを調べて、ある程度鏡の配置等を頭に叩き込んでいたC.C.だったが、あくまである程度だ。

 意識を集中して、鏡の配置に気を配らないと逆にC.C.が追い込まれかねない。

 一歩間違えれば全て終わりという状況がC.C.の気力と精神力を容赦なく奪っていっていた。

(バイザーも捨てた。どうする? そろそろ仕掛けるか?)

 両手で握りしめた銃を見ながら、C.C.は考えた。

 C.C.は自分の事を過大評価していない。特に、長年付き合ってきた己の心の弱さ、――甘さ加減をよく分かっていた。

 決意を固め、覚悟を決めたとはいえ、何度もマオに向けて銃を撃てば、すぐに自分の弱い心が顔を出してくるだろう。

 だから、必要だった。確実に一発で終わりにするための策が。

 そのための作戦だった。携帯を使って遠隔操作で主電源を爆破し照明を落としたのも。このミラーハウスに誘い込んだのも、全て。

 打てる布石は全て打った。

 後は――。

「みぃぃぃぃぃつけたぁぁぁぁぁ!! しぃぃぃつぅぅぅぅぅ!!」

 感情のメーターを完全に振り切った、そんな歓声とまがう絶叫が聞こえた。

 驚き、声がした方に視線をやれば、探し人が見つかったマオが、他の物が目に入らないと言わんばかりの勢いでC.C.に向かってきていた。

「くっ!」

 凶器が一閃する。暴力的な音色がC.C.の頬を掠め、肉の一部を削り取っていった。

「みぃつけた! C.C.! もう、逃がさないよぉ?」

 ニタニタと狂人の笑みを浮かべたマオが、追いつめた獲物をなぶるために近付こうとする。

「―――――」

 そんなマオから、その鋭い視線を外さずに、C.C.は廊下の奥へと身を翻した。

「アハハ! 無駄無駄ぁ。もう、逃げられないって、 C.C.ぅぅ」

 はたして、その通りだった。

 C.C.が身を翻した先にあったのは、小さな部屋だった。数人が入っても余裕があるくらいの円形に鏡張りされた小部屋。他に入口はない。一つだけだった。

 そのたった一つの入口からマオが姿を現した。

「つ~かまえ、たぁ」

 入口を背にジリジリと部屋の奥、マオに背中を向けているC.C.に迫る。

「待っててね? C.C.ぅ、今僕が殺し(たすけ)てあげるから。C.C.が僕のC.C.に戻るまで、何十回でも、何百回でもぉぉぉ!」

 ブンブン、と手に持ったチェーンソーを振り回し、その嬉しさをアピールする。

 もはや、これまで。C.C.に逃げ場はなく、もうすぐにでもこの手の凶器の餌食になろう。

 もし、マオにまともな思考力が残っていたらそう思った事だろう。

 だが、振り返ったC.C.の顔にあったのは笑みだった。

 冷たく涼やかな魔女の笑み。その笑みを浮かべながら、C.C.は今まで黙して語らなかった口を開いた。

「こういう時、アイツなら。……ルルーシュなら、こう言うんだろうな」

 ルルーシュの名前がC.C.の口から出たことでマオの顔色が変わる。その手の凶器を強く握り締め、今にもC.C.に襲いかかろうとしていた。

 だが、そんなマオより早くC.C.が動く。

 ヒュ、と片手に持っていた物をマオに向けて投げ放った。

「条件は――」

 カツン、と音を立ててコロコロとマオの足下にソレは転がった。

 思わずソレを注視したマオがその正体に気付くより早く。

「―――全てクリアした」

 音の無い爆発がマオを襲った。

 

 閃光弾。

 C.C.が投げたものの正体は、それだった。

 光の爆発がマオを襲う。

 暗闇に慣らされ、ミラーハウスの中、酷使され続けた目に光が威力となって突き刺さる。

 それは暴力だった。

 光という一点で極められた情報量が、目を通して脳を侵し、マオの意識を奪い去ろうと襲いかかった。

「カ――――……」

 悲鳴を上げることも、のたうち回ることも許されない。

 意識が混濁したマオが、白目を剥いてガクンと膝を折った。

 

 カチャリ、と銃を構える。

 目を瞑り、腕でガードしたにもかかわらず、影響をもたらされた視力が回復し、銃口が無防備なマオを捉えた。

「…………ッ」

 喉まで出かかった言葉を飲み込む。

 謝罪も。別れも。もう語るべき言葉は何もない。

 暗闇に浮かぶ、かつての契約者をしっかりと見据える。

 その姿から決して目を逸らさずに、C.C.は、その心臓に向けて引き金を引いた。




 多分、次くらいでマオ偏は終わりです。


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Re:13

 ファンファン、という緊急時のサイレン音が止まり、パトカーから二人の警官が降りてきた。

「通報では明かりが点いていたとあったが、…暗いな」

「ああ、それに静かだしな」

 クロヴィスランドの正門から、中の様子を窺いながら警官達は口々にそう言った。

 ここに彼等が来たのは通報があったからだ。

 営業時間の終わったクロヴィスランドに明かりが点いて、何やら争う声がすると。

 それだけなら、イタズラか何かだと無視するところだったが、さらには、銃声らしきものも聞こえたとあっては無視することも出来ず、彼等はこうしてここにやって来たのだった。

「どうする? やっぱガセっぽいが一応、中見てくか?」

「ま、せっかくここまで来たしな。どうせなら、噂のミラーハウス見ていこうぜ」

「夜中に男二人でか? ホラーにしかなんねぇよ」

 軽口を叩き合いながら、二人が正門をくぐろうとした時だった。近くの茂みからガサリ、と音がした。

「誰だ!?」

 浮わついた雰囲気を一瞬で霧散し、二人は銃とライトを構えながら鋭い声を飛ばした。

「ああ…、お疲れ様です」

 束の間の静寂の後、現れたのは男だった。

 人好きのする笑顔と、優しげな声。そして、見るからにブリタニア人と分かる人相に、警官達は警戒を解いて銃を下ろした。

「学生か? こんな時間にこんな場所でどうした?」

「いえ、友人宅からの帰りだったのですが、ここから何やら争う声がしたのを聞いて、気になってしまって……」

「とすると、君が通報してくれた市民かな?」

 警官の問いに男は答えない。ただ、柔和な笑顔を浮かべるだけだった。

 その沈黙を勝手に肯定と受け取り、警官が口を開く。

「そうか、ご苦労だったな。だが、もう夜も遅い。後は我々で調べておくから、君は帰りたまえ。家が遠いようなら送ろう」

「ありがとうございます。では、一つお願いしてもよろしいでしょうか?」

「ん? 何だ?」

 警官達が男の顔を覗き込む。その二人の瞳に男の瞳が緋と輝いた。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 男の声が静かに闇に溶ける。その言葉に、しばらく警官達は黙り込んでいたが、少しするとゆっくりと頷いた。

「……了解だ。ここに異常はなかった」

「ああ、戻ってそう報告しよう」

「ありがとうございます」

 礼を言う男をその場に残し、警官達はパトカーに乗り込むと来た道を戻っていった。

「………………」

 パトカーの明かりが完全に消えたのを確認すると、男は振り返り、夜の闇に浮かぶクロヴィスランドに視線を向けた。

 先程までの騒がしさは完全に消えて、クロヴィスランドは夜の静寂に包まれている。

 どうやら、中での戦いは収束を迎えたようだった。

 ならば、もうここで男がすべきことはない。

 早々に家路につき、後から帰ってくるだろう少女を待つだけだ。

 だが……、

「―――――」

 男は身を翻えさず、そのまま正門をくぐると、そのまま、園内の奥に消えていった。

 

 夜も更けた深夜のクロヴィスランド。

 ここに三人目の来場者が現れた。

 

 

 一時忘れ去られていた呼吸が思い出され、必死に酸素を求め始める。

 千々に乱れた呼吸を整えようとしながら、C.C.は未だ引き金に掛けたままの指を外そうとして、―失敗する。

 完全に動きを忘れた指を、もう片方の手を使って解こうとするも、そちらも同じような状況らしく上手くいかない。どうにかこうにか、四苦八苦した挙げ句、ようやくC.C.の指が銃から離れた。

 カシャン、とC.C.の手から滑り落ちた銃が音を立てた。

 しかし、そちらを見向きもせず、C.C.はフラフラと今しがた自らの手で命を奪った存在の元へ近付いていく。

 残り数歩というところまで近付くとそこで立ち止まり、C.C.は色の読めない瞳をマオに向けた。

 そうして、実感が沸き上がる。自分がした行為の、家族のように思っていた存在の命を、二度もその手で奪ったのだという実感が。

「っ!」

 思いきり唇を噛んで、込み上げてきた感情を押し殺す。

 その胸に生まれた感情を発露させることをC.C.は自身に許さなかった。

 悲しむことも、嘆くことも、――まして、涙することも許さない。

 これが自分が選んだ道だと。自らの意思で選び取った結末だと、何度も自分に言い聞かせる。 

 呼吸の度に震えそうになる唇を押さえ込み、涙しそうになる瞳を瞬かせ、C.C.はその胸の内の感情が溶けて消えるのを待った。

 

「はぁ………」

 照明の落ちた暗い天井を仰ぎ見ながら、C.C.は肺に溜まった空気を大きく吐き出した。

 精神が落ち着きを取り戻し、思考力が戻ってくる。

 いつもの冷静さが戻ってきたC.C.は、これからどうするか、と考え始めた。

(少しやり過ぎてしまったかな)

 仕方がなかったとはいえ、やり過ぎてしまった感は否めない。クロヴィスランドの主電源を壊し、ミラーハウスもボロボロだ。どう考えても、自分の処理能力を越えていた。

(仕方ない)

 困ったときの共犯者頼り。

 C.C.はルルーシュに連絡を取り、協力を仰ぐことに決めた。

 もっとも、事が結構大きくなってしまったのでルルーシュをしても、もみ消しには相応の労力が必要になってくるだろう。

 ネチネチと小言を言われる覚悟はしておかないとな、と思いながらC.C.は携帯を取り出そうと自身の身体をまさぐり始めた。

 見つからない携帯に何処にしまったか、とC.C.の意識が完全に他所に向いた、――時だった。

「ヒャアアァァァ!!」

 凶器がC.C.の身体を薙いだ。

 肉を斬られる感覚と、抉られる感覚を同時に感じながらC.C.の身体は床に転がった。

「しぃつぅ、……しぃぃぃつぅぅぅぅぅ!!」

 暗闇にゆらり、と立ち上がる姿がある。

 濁り、焦点の合わない瞳が、しかし、確実にC.C.を捉えていた。

「マ、オ……」

 どうして、と思った。C.C.が放った弾丸は確実にマオの心臓を撃ち抜いていたはずだからだ。

 疑問に思うC.C.だったが、ゆらゆらと揺れるマオの身体から落ちた機械の残骸にその答えを知る。

 それはレコーダーだった。マオがC.C.の声を録りためていたレコーダー。

 つまりはそういうことだった。マオに放たれた銃弾は心臓を貫く前にそれに当たってしまったのだ。

「アハアハ! やっぱり僕のC.C.だ! やっぱりC.C.は僕を愛しているんだぁぁぁぁ!」

 肺を痛めたのか。可笑しな呼吸音をさせながら、マオがチェーンソーを振り下ろす。

 ゴロゴロと床を転がり、凶撃を避ける。そのまま、転がった勢いを使って身体を起こした。

 激しい痛みに意識が飛びそうになるのを堪え、C.C.は小部屋の外へ駆け出していった。

 

「ゴホッ!」

 上手く出来ない呼吸の代わりに込み上げてきた血を吐き出す。

 ミラーハウスの三階の片隅に隠れ、C.C.は傷の具合を確認した。

 傷はかなり深かった。腹部は真っ二つに切り裂かれ、ドクドクと濃い色の血を流し続けている。左腕に至っては未だ腕がついているのが不思議と言える有り様だった。

 感覚で分かる。かなり、危険な状態だった。このままではコードが傷を塞ぐより早く出血で意識を失ってしまうだろう。

 どうにかしなければならない。だが、状況はC.C.に考える時間を与えてはくれなかった。

「C.C.ぅぅぅぅぅ!!」

 ガシャン、と背にしていた鏡が割れる。振り返ろうとしたC.C.の背中に熱い、と錯覚する程に鋭い痛みが線を引くように走った。

 ズキズキと痛み出す傷に耐え、距離を取ろうとするC.C.だったが、幾分もしない内に今度は右足に走った痛みに倒れこんでしまった。

 倒れこみ、二転三転する視界に銃を構えたマオの姿が見えた。それはC.C.の銃だった。小部屋に置き去りにしてきた銃をマオが拾ったのだ。

 視界の中で銃口が光った。今度は左足に痛みが生まれた。

 もはや、満身創痍だった。

 立ち上がることはおろか、出血と痛みにろくに身体を動かすことも出来なくなり、C.C.はついにその身をマオの前に投げ出してしまう。

「C.C.ぅ~、ああ、これでやっと一緒に行けるねぇ……」

 ぜひゅー、ぜひゅー、と息を吐きながらマオが動けなくなったC.C.の側へ寄っていく。

「僕ね…、オーストラリアに家を買ったんだ。とてもキレイで周りに誰もいない素敵なところ。これから、一緒に行こうね? そして、ずっとずぅぅぅっとC.C.は僕といるんだ」

 意識がぼやけ、視界も掠れてきたC.C.の耳にマオの妄執が貼り付いた。

「ね? 一緒に行こう?」

 唸りを上げる凶器を携えて、マオが無邪気にそう言った。

 その姿を瞳を閉じることでC.C.は断ち切った。そして、かろうじて動く右手で懐をまさぐる。

「そ、うだな。……一緒に、行こう」

 ポツリ、と漏れた呟きを、しかし、マオは聞き逃さなかった。

 満面の笑みを浮かべて、C.C.に詰め寄ろうとする。

「C.C.! ああ、僕のC.C.にもどってくれたんだね!?」

 嬉しそうに喝采を上げるマオだったが、C.C.にはもう聞こえていなかった。

 ただ、残った意識を右手にのみ集中する。

 ごそごそと何かを探すC.C.。そのC.C.の指先にようやく目的の物が触れた。

「ただし……」

 沈みゆく意識には、もう自分の口が言葉を紡いでいるのか分からない。それでも、C.C.は口を動かしながら、懐から取り出した物を掲げた。

「地獄の入口までだ」

 カチリ、とスイッチを押し込む。

 次の瞬間。

 二人の身体は宙に投げ出されていた。

 

 初めに爆音。次いで轟音が周囲に轟く。

 それはC.C.の最後の手段だった。

 本当に追い込まれ、打つ手の無くなった時の奥の手。

 ミラーハウスを爆破し、自分ごとマオを倒壊に巻き込むという方法だった。

 断続的に倒壊音が響く。やがてそれは少しずつ消えていき、しばらくすると再び静寂に包まれた。

 しかし、その破壊音の中心地となったミラーハウスはというと、かつての面影を忘れ、見るも無残な姿に成り果てていた。

 曇り一つなかった無数の鏡は悉く割れて砕け散り、きらびやかな城を思わせていた外見は、攻め滅ぼされ落城したかの如き哀愁を漂わせている。

 そして、その瓦礫の山にC.C.の姿が見えた。

 幸運か、それとも悪運か。

 最上階の三階にいたためなのか、瓦礫の下敷きにならずに済んだのだ。

 全身に酷い怪我を負っているが、息は止まっていない。弱々しいがその胸が小さく上下していた。

 だが、彼女が無事だというのなら、彼女の近くにいた男もまた無事な可能性が高いということになる。

「く、……あ、……がはっ!」

 果たして、それは現実のものとなる。

 身体に覆い被さった瓦礫を避けて、マオがその姿を現した。

 こちらも無事とは言えない姿だった。割れた鏡に全身を裂かれ、頭からも血を流している。建築に使われたであろう大きめのネジが肩に突き刺さり、片足もあらぬ方向に曲がっていた。

 だが、その意識だけはハッキリとしていた。

 血が入り、見えづらい視界にC.C.をおさめ、ヒョコヒョコと歩いていく。

「C.C.、……C.C.」

 もう、彼の口からはそれしか言葉が出てこなかった。

 無事な片手がC.C.に向かって伸ばされる。

 自分を守ってくれる、自分を理解してくれる、自分を愛してくれる、自分だけのC.C.。

 あの日、突然無くなってしまった温もりが、もうすぐ、また、自分のものになる。そんな幸福感にマオは酔いしれた。

 

 

 だが、その願いが叶うことは永遠に来なかった。

 

 

「…………あ?」

 いつから居たのか。いつ、現れたのか。

 気付けば一つの影が、魔女の傍らに寄り添うように立っていた。

 影が動く。音を感じさせない静かな動作で少女を抱き上げた。

「…まったく、詰めが甘すぎる。こういうのはただ爆破すればいいってものではない。爆発させる支柱や爆破のタイミングをきちんと計算しないと狙った効果を出すことなど出来ないのに、適当にやりすぎだ」

 皮肉混じりに小言を言うのとは裏腹に、少女を抱く腕はとても優しい。血で汚れるのも厭わず、少女の肩口を抱き、胸元に顔を寄せさせるその仕草に少女への深い愛情を感じさせられた。

 それは少女も同じで。

 抱き上げられた瞬間から、まるで痛みを忘れたかのようにその顔が穏やかに、まるでうたた寝をしているかのように安らかなものになっていった。

 そして、そんな光景を見せられれば不愉快に感じる人間が一人。

「お前ぇぇぇ! 触るな! 僕のC.C.に勝手に触るなぁぁぁ!!」

 怒号が撒き散らされる。一人の少女の妄執に支配されていた思考に怒りが混じった。

 影は答えない。そもそもマオを見ていない。その意識は腕に抱いた少女の安否にのみ注がれていた。

 それがますますマオの怒りを煽る。

「ふざけるなよ、このガキ! お前みたいな頭でっかち、始末するのなんて、たや、……すい………?」

 そこで気付く。

 静かだった。何も感じない。いつもなら、耳を塞いでも嫌が応にも入ってくる声が今は何も聞こえなかった。

「え? ……え?」

「どうした?」

 マオを見た。正面に向き直るために一歩踏み出した足に反応して、マオが後ろに下がろうとして、――折れた足でバランスを崩して尻餅をついてしまった。

 何かがいる。目の前に何かが。

「何を怖れる必要がある?」

 得体の知れない存在が語りかけてくる。いつの間にかマオの身体は小刻みに震えていた。

 夜の闇を羽織り立つその存在に、マオは恐怖を覚えた。

「それはお前が魔女に求めたものだろう?」

 逃げないと不味い。――だが、どうやって?

 殺さないと不味い。――だが、どうやって?

 本能が鳴らす警鐘に従って、マオは目の前の存在の排除ないし、逃亡を図ろうと考える。だが、動けない。どう動いたらいいのか、分からないのだ。

「コイツが向き合ったのだから、今更俺がお前に何か言う必要はないだろう」

 カチカチ、と歯が鳴る。意味もなく首を横に何度も振る

 何を思っているのか分からない。何を考えているのか分からない。何をしようとしているのか分からない。

 何も、――分からない。

「だが、……そうだな。一つだけ言っておこう」

 

 それが。

 

「C.C.は俺のものだ」

 

 とてつもなく、――怖かった。

 

「誰にも渡さない」

 

 

 

 

 ――――比翼の緋鳥が闇に羽ばたいた。

 

 

 

 

 

 ゆっくりと開かれた瞳に見慣れた天井が映る。

 億劫に思いながら、首を動かして視線を彷徨わせれば、自分のすぐ隣、ベッドに腰掛けた共犯者の姿が目に入った。

「ル―――」

「寝てろ」

 名前を呼びながら、起き上がろうとするC.C.だったが、その言葉に動きを止められた。

 傷はコードによって回復したが、失った体力まで戻るわけではない。さらには、今回は精神的にも色々と消耗させられる場面が多かったC.C.の身体は、本人が思っている以上に休息を欲していた。

「マオ、は……?」

 ともすれば、すぐにでも眠りに落ちそうになる意識を繋ぎ止めて、C.C.は掠れた声でルルーシュに問いかけた。

「死んではいない」

 だが、もう二度と会うことはないだろう、というその言葉にC.C.は目を閉じた。

 最終的にどうなったのかは分からない。だが、ルルーシュの言葉を信じるなら、概ね自分が望んだ通りになったということなのだろう。

 ふう、と。安堵とも、溜め息ともつかない長い息を一つ吐いてからC.C.は再びルルーシュの方に視線を向けた。

 いつもと変わらない姿だった。

 だが、いつもと違う気配だ。

 いつも感じる、どこか線を引かれているような気配とは違う気配。

 ああ、私はこれを知っている、とC.C.は思った。

 

 とてもよく知っている――…

 

 当たり前だ。だって、ずっと共にあったのだ。

 一緒に歩んで、寄り添ってきたのだ。

 胸が苦しくなる。吐息も熱くて堪らない。

 泣き出しそうになる気持ちのままに、C.C.は彼の名前を呼ぼうとした。

 ……でも、それより早くルルーシュの掌がC.C.の視界を閉ざしてしまった。

「るる、…しゅ?」

「眠れ。今は夢の中だ。起きたときにはいつも通りになっている」

 だから、眠れ。そう、ルルーシュが囁いた。

 じんわりとした温もりがC.C.に溶けていく。

 その慣れ親しんだ体温にC.C.は微睡みに落ちそうになるが、愚図る子供のようにそれに抵抗する。

「今が、夢なら……、少しくらい、望み通りなことがあっても、いいだろう………?」

「………望みは何だ?」

「決まっているだろう…?」

 思うことなら沢山ある。願うことも沢山ある。

 でも、口にして望むことは一つだけだった。

「ピザ」

 瞬間、ルルーシュの気配が呆れたものに変わった。

 呆れたような、ではない。完全に呆れたものに。

「まったく、お前の頭にはそれしかないのか?」

「当たり前だ。他に何があるというんだ?」

「……俺はそろそろ、本気でお前の食生活を正すことを考えなければならないようだな」

「いや、待て。他にもチーズ君のこととかも、私は考えているな」

「どっちもピザだろうが」

「おい待て。それはピザにもチーズ君にも失礼だぞ。大体、お前は――」

 軽やかな会話が続いていく。

 それは、C.C.が睡魔に負けて再び眠りにつくまでの間、ずっと続いていた。

 

 まもなく夜が明ける。

 ほんの一時だった。

 騒がしかった夜が明けるまでの、ほんの少しの夢現な語らい。

 だけど、それが。それこそが。

 魔女が自らの意志で勝ち取った『明日』だった。




 C.C.がルルーシュの十八番の足場崩しをするっていうのは、C.C.で書きたいことの一つでした。相方とかの技を借りるって展開、割と好きです。

 マオはこれで退場です。生きてますが、もう出てきません。どうなったか書こうかとも思いましたが、長くなりそうなのでカットしました。

 次の話ですが、一気に学園祭のものとなります。そして、そのまま特区へ、という流れです。






 ――――――そろそろ、かな?


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Re:14

 ギャグ回です。


 開幕を知らせる花火が上がる。

 年に一度のこのお祭りの日に学園の中にも外にも、今か今かと始まりを告げるオープニングコールを待つ人達が溢れ返っていた。

 その人々の興奮が最高潮に高まろうとした頃、学園の生徒会長が前振りをして、後の魔王最愛の妹がついに始まりの一言を告げた、――もとい、鳴いた。

 

『にゃ~~~~♪』

 

 鬨の声が上がる。

 今日この日、ここで小さな戦争があることを、今はまだ誰も知らない。

 

 

「~♪ ~♪」

 ご機嫌に鼻歌を歌いながら、C.C.は白色のリボンで自分の髪を括っていく。

 普段は絶対に使わない鏡の前に立ち、胸のタイやスカートがおかしくないかチェックする。

「よし、完璧だ」

 完全なアッシュフォード女学生に変装したC.C.は、自分自身のその姿に自慢気に鼻を鳴らした。

 その普段の彼女なら行わない仕草に、彼女の興奮具合が見て取れた。

 着替えを終えたC.C.が、ベッドの上に置いてあった本日の武器を手に取った。とある科学者謹製のとても軽く、そして割れない大きな皿を。

「では、行ってくるな? チーズ君。戦果を期待して待っててくれ」

 愛用の人形に話しかけ、C.C.は足取りも軽やかに部屋を後にしようとする。

 廊下に出たC.C.が後ろ手にドアを閉める。

 扉が閉められ、その姿が完全に消えようとした、―――その直前。

 

「食べ放題~~♪」

 

 ……何か、聞こえた。

 

 

 露店が開かれている通りを一通り廻り、時折発生したトラブルを全て対処し終えたシャーリーはポッカリと空いた時間を持て余していた。

 生徒会メンバーの仕事は多いが、それでも楽しめるようにと心優しい副会長が全員のスケジュールを完璧に調整してみせた結果だった。

 どうしようか、と暫し悩んだシャーリーだったが学園祭、片思い、乙女とくれば自ずとやることは決まってくる。

 先日、一度は失意の底まで叩き落とされた恋心だったが、やはり彼が好きだと再確認してからは、前と同じ、いや、前以上に積極的にシャーリーはアプローチをかけていた。

 もちろん、やりきれない想いはある。ルルーシュがゼロなら、思うことが全くないとは言い切れない。

 でも、それでも、なのだ。

 否定されても、拒絶されても、迷惑に思われても。

 自分にだって、譲れない想いはあるのだ、とシャーリーは思った。

 頭の中で先日叩き込んだ目的の相手のスケジュールを思い浮かべる。その予定表をチェックし、いざ目的の場所にシャーリーは突貫しようとして。

 く~~。

 自分のお腹から聞こえた健康的な音に顔を赤らめた。

 一度、意識してしまうと周りから漂う食欲を誘う匂いがどうしても気になってしまう。

 食べていきたいところだが、これから片思いの相手の所に行こうというのに、ガツガツ食べてしまうのはどうか、という乙女的思考がシャーリーの食欲に待ったをかける。

 食べたいけど食べれない。そんな乙女のジレンマにシャーリーは思い悩んだ、―――のは一瞬だった。

(そうだ! 一緒に食べればいいんだ!)

 名案、とばかり手を打つシャーリー。実際、ルルーシュは生徒会メンバーの中では飛び抜けて仕事が多く、学園祭準備期間中も遅くまで仕事をしており、私的な時間を大分削っている。

 今朝も朝食の時間を削って、今日の最終調整を行っていたのは確認済みだった。

 なら、と思いシャーリーは居並ぶ露店に目をやった。

 ルルーシュの好みを思い出し、良さそうな物を見繕う。――もちろん、妹のナナリーの分も。

 さりげない好感度アップのポイントは逃がさない。ちょっと懐が寂しくなるが気にしない。

 何せ、今や、恋のライバルが存在するのだから。

(あれ……?)

 丁度、シャーリーがその人物のことを思い浮かべた時だった。人混みの中に、その人物の姿が見えたのは。

 遠目だったが間違いない。あの特徴的な髪の色はそうそう見間違えたりはしない。

 ただ、そうなら一つだけ疑問に思うことがあった。

「何で、ウチの制服?」

 少女が着ていたものが、自身が今着ているものと同じだったことにシャーリーは首を傾げた。

 ひょっとして、同じ学園生だった? と思うもすぐに違うと否定する。だって、ルルーシュにあれだけ近い女子生徒がいたら自分が気付かないはずがないと、シャーリーは確信を持って言えるからだ。

「よし!」

 敵を知り己を知れば百戦なんちゃら。考えるより動け。

 心の中でギュッとハチマキを締めて、シャーリーは恋敵に向かって突撃した。

 

 

 喜び勇み、学園祭に乗り込んできたC.C.だったが、目的の目玉イベント、巨大ピザ作りまで、まだまだ時間があった。

 だが、別段C.C.に苛立ったような様子は見れない。あっちに行ったり、こっちに行ったりと学園のあちこちで行われているイベントを一人楽しそうに廻っている。

 時折、祭りの熱に浮かされた男が、そんな魔女の魅力に惹かれて群がってきたりしていたが、そんな男達を冷たい眼差しと「魔王になってから出直してこい」という一言で撃退しながら、程々にC.C.は学園祭を満喫していた。

「ふふっ……」

 彼女の口から笑い声が零れる。それは、現状の楽しさから漏れたものでもあったが、それ以上にこれから訪れる至福の時に思いを馳せたが故という部分の方が大きかった。

 そう。この日のために、C.C.は多くの策を講じてきた。

 何故か早々に学園祭で巨大ピザを焼くことを知っていたC.C.を胡乱げに見るルルーシュの視線を無視し、様々なアドバイス―C.C.にとっては―をしていたのだ。

 枢木スザクには何があっても、くるくるさせ続けろ。妹と語らう時は、時と場所と妹を選べ。ピンクに捕まるな、無理なら追い出せ。魔女をトマトに落とすな、せめてチーズにしろ等々……。

 そんな事を昼夜問わず、さらには寝ているルルーシュの耳元で囁いたりしていたものだから、ノイローゼ気味になったルルーシュがふざけるな、俺の計画は完璧だ、狂いがあってたまるか、と激昂し、さらにそこからいつもの皮肉の応酬をしていたら、なんと、もし失敗したらピザを好きなだけ食べさせてやると言質を取ることにC.C.は成功したのだった。

 つまり、成功したら巨大ピザが食べ放題。失敗しても、ルルーシュで食べ放題というC.C.にとっては、どっちに転んでも食べ放題な明日が約束されているのだ。

「フフフフ……」

 もうすぐ、手の届くところまで来ている未来に、C.C.は身体を震わせる。まだかまだか、と気持ちを逸らせながらも、メインディッシュの前の前菜を味わうような気分で学園祭を楽しんでいた。

「ん?」

 丁度その時、人混みの中に見知った顔を見た気がした。遠目だったが、間違いない。あの特徴的な髪のモジャモジャ具合は、間違えたくともなかなか出来ない。

 しかし、C.C.の気を引いたのはそっちではなく、その隣り。何か雰囲気は違っていたが、帽子から覗いた銀色の髪と褐色の肌は先日仕留め損ねた女性軍人だった。

 それを見たC.C.は、どうするか、――などと刹那も考えることもなく、どうでもいいと切り捨てた。

 何が悲しくて、赤の他人の恋路などというゲテモノを至福のメインディッシュの前に味わわなくてはならないというのか。

 とりあえず、後でルルーシュに教えておこうと考える。前以て知っていれば、あの程度の小物、ルルーシュがどうとでもするだろう。そう結論づけたC.C.が、さて次は、と視線を別の所にやろうとして。

「あの……!」

 後ろから来た、別の恋路に取っ捕まった。

 

 

(うぅ……っ)

 その切れ味鋭い眼光が向けられると、シャーリーは思わず竦み上がってしまった。煩わしいと、口ほどに物を言うその視線に思わず、すみませんでしたと言って回れ右をしたくなる。

(が、頑張れ、私!)

 そんな弱気を叱咤しシャーリーはC.C.に頭を下げた。

「そ、その! その節はどうも」

 ありがとうございます、と頭を下げるシャーリーにC.C.はああ、と返す。

「今日は、どうしたんですか?」

「ピザを食べに来た」

「ピザ…、お好きなんですか?」

「当たり前のことを聞くな」

「す、すみません!」

「…………」

「…………」

 途切れてしまった会話に、シャーリーはう、と内心で呻き声を上げる。シャーリーとしてはC.C.と話をしたいところなのだが、当のC.C.にその気がないので会話が続いていかない。

「もういいか? 気持ちは分かったから、もう私に話し掛けるな。アイツの周りの人間と話をするのは、私としてもあまり都合が良いとは言えんからな」

 そう言ってその場を後にしようとするC.C.を、シャーリーは慌てて止める。何とか引き止めようと、話題を探そうとして、――パッ、と閃いた。

「そうだ! お礼! お礼させて下さい!」

「礼だと?」

「はい! あの、私、生徒会メンバーなので、ちょっと顔が利くというか、融通が利くというか…、その、ピザ、食べたいんですよね? だったら、お礼に焼き立ての美味しいところ、食べられるようにしますから、もう少しだけ……」

 お話を、と恐る恐る告げるシャーリー。それにC.C.は考える素振りを見せているが、その何かを期待するような表情からするに、答えは出ているのだろう。

「…いいだろう。約束は守れよ」

 

「それで? 何が聞きたいんだ?」

 手渡された飲み物に口をつけながらC.C.は問い掛けた。

「あ、はい、あの、え~~と……?」

「? ああ、名前か。C.C.と呼べ」

「し、しぃつぅ?」

 口馴れない名前に、シャーリーが戸惑いながらも、たどたどしく少女の名を口にする。

「何だ?」

「い、いえ! その、珍しい名前だな~、って……」

「そうか? ルルーシュは良い名前だって言ってくれたぞ?」

「む」

 嘘である。良い名前じゃないか、とは確かに言っていたが、それは本名の方だ。こっちの方は、むしろやり過ぎだ、と言っていたくらいである。しかし、そんな気配を微塵も感じさせず嘘を吐くあたり、流石は世界を騙しきった男の共犯者と言えよう。

 何となく、ちょっとだけ敗北感を覚えたシャーリーはそれを誤魔化すように一つ咳払いをして、自分の名前を告げようとする。

「えっと、私は――」

「知っている。シャーリー、だろう?」

 自分が名乗るのに先んじて、相手の口から自分の名前が出たことにシャーリーは驚く。口を半開きにして、いかにも驚いてますという風にC.C.を見るシャーリー。その様子にC.C.は挑発的な笑みを浮かべた。

「アイツの話によく名前が出てくるからな」

「そ! それは、その…、どういう……?」

「さて、……何だったかな?」

「むむむ!」

 からかわれているんだろう、と分かる。それでも、気になるものは気になるし、悔しいものは悔しい。

 だが、それ以上に気になるのは、やっぱり少女とルルーシュの関係だった。

 親密な関係だというのは、この間のアレで何となく察しはついていた。だが、思っていた以上に自分の思っている方向に親密な気配が感じられて、シャーリーの中の恋心がそわそわし始めた。

「ず、随分と、ルルと仲が良いみたいですけど、その、C.C.さんはルルと、どのようなご関係で?」

 頬やら口元やらをピクピクさせながら、それでも笑顔で問い掛けてきたシャーリーに、C.C.はふむ…、と神妙な雰囲気を漂わせる。

 関係。ルルーシュと自分の関係。

 表面上は共犯者だ。いや、正確にはそう言った面もあるというべきか。少なくとも、C.C.の中には共犯者として、何があっても離れず、最後までその罪を分かち合おうという気持ちがある。ただ、そういったルルーシュへの強い感情の源泉は何なのかと言われれば、少しばかり困る。正からくる想いなのか、負からくる想いなのか。C.C.にもはっきりと分からない。

 

 ただ、はっきり言えるのは。大切だということだけだ。

 ルルーシュのことが。とても…………。

 

 しかし、そんな内心を素直に吐露するようなC.C.ではない。不安げに答えを待つ少女を、ちらりと横目で見てから、しらっ、とした顔ですっとぼけた。

「そうだな、…周りからはよく愛人と言われているな」

「あんちん!?」

「誰だ、それは?」

 驚きのあまり舌が回らず変な言葉がシャーリーの口から漏れる。

「あ、あい、あ、じ、……愛人!?」

 予想の斜め上すぎる。親密な関係どころじゃない。ただならぬ関係どころか爛れた関係だ。

 まさか、そんな。あのルルが……、と混乱しながらぶつぶつ呟いているシャーリーに、C.C.はさらなる追い討ちをかける。

「他にも内縁の妻とか、皇妃とか、まあ、色々言われたな」

「妻……、妃……」

 次々出てくる、かなりな関係を指し示す言葉にシャーリーはがくり、と項垂れた。

 どこまで本当かは分からない。だが、そう言われたということは周りからはそう見えるくらいの関係であることは確かだ。

 一、二歩リードされているとか、そういうレベルではなかった。周回遅れですら可愛らしい。暢気に好感度アップとかしている場合ではなかった。

「まあ、そういう訳だ。お前も頑張っているようだが、私とルルーシュの間に割って入るのは難しいと思うぞ?」

「うぐぐ……」

 上から降ってくる勝ち誇った声に、シャーリーが悔しげに唸る。

 このままではいけない。ここで引いたらダメだ。負けるな、シャーリー。

 自分自身に発破を掛けて奮い立たせる。

 負けられない。他の何かで負けるのはいい。でも、この恋だけは負けられない――――!

「わ、私だって、私だって……!」

 言葉が続かない。反論したいが、自分とルルーシュの間柄は友人、級友、生徒会仲間。とても、愛人やら妻やら皇妃やらに勝る関係とは言えない。

 でも、負けない。負けたくない。引くな、引くんじゃない、シャーリー――!

 そんな気力だけが、どんどん空回りし、気付けばシャーリーの目はグルグルと鳴門を描き、頭からも湯気が出ていた。

「ふふ、無理するな。何しろ、私とルルーシュは将来を――」

「ルルを思って書いたポエムの数なら誰にも負けないもん!!」

 

 

 フレイヤが爆発した。

 

 

 一年後であれば、そう言われるような爆弾がシャーリーの口から飛び出した。

 大声、かつ、あまりにぶっ飛んだ内容にC.C.はおろか、周りにいた人達も驚き、シャーリーを見ていた。

「ほ、他にもルルと私を主役にした妄想小説とか、ルルを思って作った曲とか、ルルの写真をプリントアウトして作った等身大抱き枕とか、色々……!」

 気付くんだ、シャーリー。君は今、自分で地雷を埋めて自分で踏むという曲芸をしていることを。

 しかし、残念ながら、そんな忠告をしてくれるような人物はその場にいなかった。

 故に止まらない。暴走が加速する。

「あ、あと、早起きしちゃったりマフラー編んじゃったり滝に飛び込んでルルの名前叫んじゃったり――……」

 暴走が止まらない。恋する乙女号は加速し続ける。

 ブレーキ? あれば、暴走なんてしない。

 ゲフィオンディスターバー? それは、対策済みさ。

「と、とにかく! 貴方とルルが実際どんな関係か分かりませんけど! つ、積み重ねてきた想いとか、時間なら貴方には負けません!」

「ほお………」

 C.C.の目が冷たく細まる。シャーリーの熱気に当てられたのか、普段であれば冷笑と共に流したであろう発言に何やら反応してしまうC.C.。

 魔女モード、無駄に発動。

「言うじゃないか、小娘が。ただ一方的に募ってきた想いが、私とルルーシュの絆に勝ると?」

「負けません! 虚仮の一念だって、岩をも……、えっと、岩をも、い、岩を持ち上げるんだからぁ!」

 魔女モードの冷たい声のC.C.に、負けじと言い返すシャーリー。両者、一歩も引かなかった。

「ほほう? だが、片思いなら相手からアプローチされることもあるまい? 言っとくが、私はルルーシュに手作りの料理を作ってもらったことがあるぞ。何度も、だ」

「な……ッ!」

 違うな、間違っているぞ。

 もし、ここにルルーシュがいたら、そう言っていたことだろう。確かに手作りはしたが、それはC.C.が催促してピザを作らせていたのが殆どで、そんなほのぼの系イベントではないと。

 しかし、そんなことを知らないシャーリーの頭の中にはある光景が浮かび上がる。スーツを着て仕事に行こうとするC.C.に手作り弁当を渡すエプロン姿のルルーシュが。……何かが違う。

 どうだ、と言わんばかりに胸を張るC.C.。しかし、シャーリーも負けるものか、と反論する。

「た、確かに羨ましいけど……っ、でも、私だって、一緒に買い物行ったり、遠出したり、そう! 二人で仲よく共同作業とかしたことあるもん!」

「む……!」

 違うな、間違っているぞ。

 ルルーシュがいたら、そう言っていたかもしれない。

 それは、大抵生徒会の買い出しで、共同作業も同様に生徒会のイベントや仕事で、そんな甘酸っぱい何かを感じさせるものではなかったと。

 しかし、そうとは知らないC.C.は若干だがたじろいた。その脳裏にある光景が浮かび上がる。大きなケーキを前に二人でナイフを入れようとするタキシード姿のシャーリーとウエディングドレスのルルーシュが。……違う、と言いたい。

 

 その後も二人の言い合いは止まらず、ヒートアップしていく。周りの様子も目に入らずに、あーだこーだと言い続ける。

 もはや、誰にも止められそうになかった。さながら、それはフレイヤが飛び交う戦場のようなものだ。それを誰に止めることが出来よう。

 

 

「何を、……やっている」

 

 

 いや、一人だけいたか。

 

 凍てつく波動が発せられる。将来の魔王が発する冷気に言い合いをしていた二人だけならず、周りにいた全ての人がその動きを止めていた。

「何やら、生徒同士が揉めているというから来てみれば……」

 その王者の貫禄を宿した瞳が、キッと一人の魔女を捉えた。

「答えろ、C.C.。貴様、ここで何をやっている」

「決まっているだろう」

 魔王の鋭い視線に晒されながらも、魔女は平然とこう告げた。

「ピザ」

 

 

 

 後にシャーリーはこう語る。

 人が本気で怒った時って、本当に火山が噴火したようなイメージなんだな、と。

 そして、それを見て、普段怒らないルルの怒った顔が見れてラッキー、とか思っているあたり、この子も大概懲りていなかった。

 

 

 

 

 

 幕間が終わる。束の間の休息は終わり、次の幕が上がる。

 

「私、ユーフェミア・リ・ブリタニアは――」

 

 運命の時が始まる――…




 次回から、いよいよ特区になります。


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Re:15

『私、ユーフェミア・リ・ブリタニアは――』

 薄暗い部屋に備えられたTVから、明朗な声が響いてきた。

 それは、最近話題を独占している皇女、ユーフェミア・リ・ブリタニアの行政特区日本の設立を告げた時のものだ。

 苦境に喘ぐイレブンに手を差し伸べた慈愛の皇女として、彼女の姿がマスメディアに取り上げられない日はなく、今や、彼女は救世主のように崇められていた。

 事実、それはかつて日本人と呼ばれていた人々にとっては諸手を挙げて歓迎すべきことなのだろう。

 しかし、全ての日本人がそれを喜んでいるわけではない。少なくとも、この部屋に集まった人々には……。

 

「申請が通った。ここにいる奴等全員、当日は特区に参加出来る」

 リーダー格の男が、そう告げると部屋の至るところから、驚きとも称賛ともつかない声が上がった。それもそのはず。この部屋にいる人間の数は二、三人程度ではない。その全員を、今、注目の特区に参加させられるようにしたと男は言ったのだから、当然の反応とも言えた。

「武器の持ち込みの方も目処が立っている。後は決行するのみだ」

 男の目がTVの方へ向けられた。その目に優しげな笑みを浮かべて民衆に手を振っているユーフェミアの姿が映る。

「これが、最大のチャンスだ。復讐を果たす最大の――」

「な、なあ? 本当にやるのか?」

 男が喋るのを黙って聞いていた仲間の一人が、おそるおそる男にそう問い掛ける。

「怖くなったか?」

 あくまで落ち着いた口調の男に、仲間の男が慌てて首を振った。

「そ、そんなんじゃないさ。ただ、このユーフェミアって皇女は日本人のために色々してくれようとしてるから、その……」

「ああ。特区は俺達にとっても良い話だろ? それを実現してくれるっていうなら、……復讐の機会も、相手も他の奴に変えて、また、待った方が得策だ」

 部屋に集まった数人から、消極的な意見が飛び出す。

 それに賛成する声、反対する声が次々と飛び交い、部屋の中が騒然としてきた。

「本当にそうだろうか」

 その騒ぎの隙間を縫うように男の声が部屋にいた人達の耳に届いた。

「本当にユーフェミアは日本人を思っているのだろうか?」

「どういう意味だよ?」

 一番最初に意見を出した男が代表して、リーダー格の男に疑問を投げかけた。

「なあ、特区を語っているときの皇女の顔を見たことがあるか?」

「は? あるも何も、毎日TVとかでやっているだろ?」

 今もほら、と男が指差す先で、ユーフェミアが可憐な笑顔を振り撒いていた。

 朗らかな邪気のない、純真な笑顔。――陰りのない……。

 それに、男の組んだ両手がギュッ、と音を鳴った。

「何で、笑顔なんだ……?」

「な、何で、って――」

「あの女が与えようとしているのは、八年前俺達から奪っていったものなんだぞ…………ッ!」

 食い込んだ爪が皮膚を破り、血が滲んだ。

「国の名前も、当たり前の幸せも、…人権も! 尊厳も! 自分達で奪っておいて、今も不当に奪い続けているのに、まるで無償で施すみたいに――、ッ! 罪の意識はないのか? 自責の念を感じないのか!? 俺はあの何も分かっていない無知な笑顔を見るたびに怒りが止まらなくなる…………ッ!」

 男とて理性では分かっている。戦争に敗けたのだ、日本は。ならば、勝者に敗者が多くの物を奪われるのは仕方がないことだと。

 だが、それは人としての尊厳や生き方まで奪われねばならないのだろうか。理不尽に虐げられ、奴隷のように扱われ、享楽や慰みものの道具にされ、彼らの気分一つで吹き飛ぶ、そんな軽い命であらねばならないのだろうか。

 もし、今回のユーフェミアの行動がそんな現実を知り、それを憂いてのことなら、何故そこに少しの呵責も見えないのだろう。

 皇族としての立場があるのは分かる。だが、慈愛の皇女と呼ばれるような少女なら、僅かにでもその笑顔に陰りを見たかった。――見せてほしかった。

 そうすれば、男もユーフェミアのことを少しは信じられたかもしれなかった。

「だが、よ……」

「分かっているさ、あの皇女に悪気も悪意もないのは。でも、ブリタニア皇族の残虐さや気紛れは、俺達はよく分かっているはずだ」

 その言葉に、部屋の中の空気が明らかに変わる。リーダー格の男にユーフェミアの擁護の言葉を投げ掛けていた男すら、その顔色が暗いものに変わった。

 そう、ここにいる者達は、先のシンジュク、サイタマの虐殺で家族や大切な者を失った人達ばかりだった。

「あの悪魔どもと同じ血を引いている以上、これから先、ユーフェミアもそうしない保証なんてない。今日は良くても、明日は? 明後日は? 一年後は? ユーフェミアの気が変わらないなんて言えない以上、本当に日本を思うなら、……いや」

 そこで言葉を切り、小さく首を振る。そして、小さく笑みを浮かべた。全てに疲れ、諦めた諦観の笑みを。

「言い訳だな。俺は日本のことなんて、もうどうでもいいんだ。恨みを果たしたい。この苦しみを、憎しみを少しでも、奴等に味わわせてやりたいだけだ」

 そこで顔を上げて、男は目の前の、そして、部屋にいる人々を見回す。

「でも、これは俺の勝手な感情だ。それに無理に付き合う必要はない。まだ、明日を諦めていない、…生きる希望がある奴は下りてくれて構わない」

 誰も何も言わない。水を打ったような静寂が部屋を満たした。

「俺は、……やる」

 最初に口を開いたのは、男の目の前にいた男だった。

「そうだな、お前の言う通りだ。抵抗せず、静かに暮らしていれば小さな幸せくらい掴めるだろうって、そうやって八年間、堪え忍んできて……、ははっ! その結果が穴だらけにされた恋人と妹の死体だって言うんだからな。笑えるぜ……」

「俺もやる。シンジュクで苦しい思いをしながら、それでも誰も恨むな、と言っていたオヤジやオフクロを殺したブリタニアの連中を俺は決して許さない……!」

 俺も、俺も、私も。次々に声が追随した。

 反対する者は、――もはや、いなかった。

「決まりだ」

 男が最後にそう締めくくった。

「一つだけ言っておく。この計画を実行すれば、成功してもしなくても、俺達に居場所はなくなる」

 特区が水泡に帰すことをしようと言うのだ。どう考えても、ブリタニア人からも日本人からも恨まれる。

「全員、死ぬ覚悟で来てくれ」

 

 

 光射さぬ暗闇で、熟成された憎しみが闇から這い出そうと動き始める。

 

 それは行政特区日本が開かれる数日前の出来事……。

 

 

 

 

 その日は晴れやかだった。

 

 神聖ブリタニア帝国第三皇女ユーフェミア・リ・ブリタニアが宣言し、推し進めた政策、行政特区日本は本人の自覚なしに大きく、そして、大勢の注目を集めていた。

 それもそのはず。これは、強硬に侵略戦争を仕掛けていたブリタニアにとって類を見ない政策だった。

 この政策の正否、そして、ブリタニアの姿勢いかんによっては、多くの国や政府がその対応を変えるやもしれない。今や、これは一国に留まらず、これからの世界の運命を決める、そんな命運を託された政策となっていた。

「……………」

 そうして、世界中がその動向を見守る中、その中心となっているユーフェミアの顔はというと、あまり晴れ晴れとしたものではなかった。

 開催宣言が迫っても、どこか落ち着きなくそわそわしている。

 ちらり、と何度となく、未だ空席の席を憂いを帯びた視線で見つめていた。

 

 この運命の日、ゼロの姿はまだ、どこにもない。

 

 

「………………」

「………………」

 複座式とはいえ、決して広くないコックピット内で二人の男女が至近距離で見つめ合っていた。

 鼻が時折、軽く触れるほどの距離で見つめ合う二人だが、二人の間に色っぽい雰囲気は一切ない。

 男は自分の頬をその小さな両手で挟みこんできている少女に苛立ちと戸惑いを。

 少女はそんな男に不安と心配を。

 それぞれの思いを瞳に込めながら、長らく見つめ合っていた。

「おい、もういいだろう? そろそろ、会場に向かわなくては本当に不味い」

 そう言って、その頬に張り付いた手を剥がそうとルルーシュは自身の手をC.C.の手に添えるが、彼女の手が離れる気配はない。その様子にルルーシュは溜め息を吐いた。

「何をそんなに心配しているのか知らんが、ギアスに異常は感じない。それは、お前の方でもそうなんだろう?」

「ああ……」

「なら、何が心配なんだ」

 C.C.は答えない。もし、これが単純に答えたくないが故の曖昧な態度ならルルーシュも相応な対応が取れるのだが、彼女の瞳と頬に触れる手がたまに震えることから、本気で此方を案じていると感じられるため、下手なことが出来ないでいる。

 だが、このままでは埒が明かないのも事実だ。もう、時間は差し迫っている。

 もう一つだけ、ルルーシュは息を吐くと頬に触れるC.C.の手を強く握りしめた。

「いつになく心配してくれているのは有り難いが、俺は逃げ出すことは出来ない」

 ルルーシュの言葉が共に漏れる息と共にC.C.の肌に触れる。

「忠告は必ず守ろう。左眼には常に意識を払う。仮面を外している時は迂闊な発言はしない」

 ゆっくりとC.C.の手がルルーシュの頬から離れていく。

「約束しよう、必ず戻ると。だから、心配するな」

 返事はない。だが、それに答えるようにC.C.の瞳がゆっくりと閉ざされた。

 仮面を手に取り、コックピットの外に出ようとハッチを解放する。そして、手にした仮面を被ろうとしたところで。

「ルルーシュ」

 名前を呼ばれた。

「何だ、――――ッ」

 応え、そちらに視線をやれば、そっと近付いてくる少女の顔があって。

 反射的に瞳を閉じると、左の眼の上に柔らかく温かいものが触れた。

「おまじないだ」

 瞳を開ければ、そこには悪戯っぽく微笑む少女の顔があった。

「………今日は随分としおらしいな。雨でも降らせようと言うのか?」

「随分な物言いだな。それに、まじないは魔女の本分だ」

 どう反応すれば良いのか分からなかったので、いつも通り皮肉を返せば、返ってきたのもいつも通りのそれで。

「では行ってこい。…しくじるなよ?」

「誰に言っている」

 らしい笑みを揃って浮かべながら、二人は運命の舞台に足を踏み入れた。

 

 

 会場に現れたゼロと共にユーフェミアが、一時会場から姿を消したことでざわめく会場内に男がいた。

『おい、ゼロが来たぞ』

「ああ、見ていた」

 耳に付けた通信機から聴こえてきた声に男が答える。

『どうする? 計画は、このままでいいのか?』

 若干の戸惑いを含んだ声音に、男はああ、と返す。

「ゼロの思惑は分からないが、俺達はもう止まれない。予定通り、計画は実行する」

 了解、という声に通信を切る。

(そうだ、もう止まれないんだ……)

 胸元の不自然な膨らみに服越しに触れる。それに応えるようにカチャリ、と音が鳴った。

 夢に見る、とそんな台詞をよく聞くことがある。酷い体験をした人が、それを忘れられず夢という形で何度もフラッシュバックすると。

 それを聞いて男は思った。

 安い地獄だ、と。

 夢で見る程度で済むなら、まだいい。寝ても覚めてもその光景を思い出すことですら、気安い。

 何故なら、男にとってはあの日の光景は思い出すことではない。味わい続けることだからだ。

 視界に映るあらゆるものが家族が流した血の色に染まっている。

 鼻は何を嗅いでも血の匂いしかしない。

 口にしたものは、死んだ家族の肉のように思えてしまう。

 触れるもの全てが、体温を無くした彼女たちのようだ。

 耳の奥底で、あの日家族が上げたであろう悲鳴がずっと聞こえている気がしてならなかった。

 ああ、自分は壊れてしまったんだな、と男は自分でよく分かった。

 そして、もう全うに生きられないのだということも。

 だから、男には、もう、こうする道しか選べなかった。

 

 

 取り合った手を離す。しかし、長い時間を掛けて再び結ばれた絆は解かれることはなかった。

 本当は、その手を取るつもりはルルーシュにはなかった。

 ルルーシュがここに来たのは起死回生の策を打つため。

 ギアスを使い、ユーフェミアに汚名を着せることで特区をご破算にし、窮地を脱しようと考えたからだ。

 しかし、それを実行することは出来なかった。

「でも、私って信用ないのね。いくら脅されたからって、私がルルーシュを撃つと思ったの?」

 軽やかな笑い声と共にユーフェミアがそう拗ねたように口にする。

 懐かしい感覚だった。もう二度と感じることはないと思っていた遠い日の感覚。

 それを為したのは一重にユーフェミアの平和を、そして、愛する人達と共に在りたいという想いであり、ルルーシュの捨てきれなかった妹への愛情なのだろう。

「ああ。違うんだよ。俺が命令したら、誰だって逆らえないんだ」

 ルルーシュも、その感覚を感じているのだろう。その口がいつもより軽かった。

「俺を撃て。スザクを解任しろ。何でもね」

 そんな軽口にユーフェミアも笑う。冗談ばっかり、と。

 幼い会話だった。まるで、あの日。世界を何一つ分かっていなかった童心だった頃のように。

「本当だよ」

 だから。

「例えば」

 幼いあの日に立ち返った心が、拙い冗談を口にしてしまいそうになるのも、不思議ではないだろう。

「日本人を――――」

 

 

 

 

 不意に。

 

 

 

 誰かの唇の感触を思い出した。

 

 

 

 

「どうかしたの? ルルーシュ?」

 いきなり、左眼を手で覆いながら自分から目を背けたルルーシュに心配そうにユーフェミアは声を掛けた。

「………いや、何でもないよ」

 軽く笑顔を見せて答えながら、ルルーシュは仮面を被り直した。

「そろそろ、戻ろう。主催者がいつまでも姿を消していたら、皆が不安になる」

「あ、そうね」

 はた、と思い出したようにユーフェミアは微笑み、ルルーシュに先んじて会場に戻ろうとする。

 名残惜しくはあったが、でも、これからはまた昔みたいに何時でも会えると思うと心が弾んだ。

「ふふっ」

 小さく笑い声をあげ、くるり、と華が広がるように身を翻す。

「これからよろしくね? お兄様?」

「……ああ」

 愛らしい笑顔を浮かべる腹違いの妹に、仮面の下から返ってきた声は優しかった。

 

 

「どうやら、無事に終わったみたいだな」

 コックピットの中から外の様子を窺っていたC.C.がぽそりと呟いた。

 ユーフェミアの後。それに続くようにゼロの、――ルルーシュの姿が見えた。

 その瞬間、C.C.は肺に溜まった空気を全て吐き出すほどの息をして、コックピットの背もたれに身体を預けた。

 

 罰なのかもしれないと思っていた。

 

 あの日、自分に罰が下されたのではないかと。

 過去ということは、それはつまり、一度は道筋が決定されたということ。だから、自分が何をしても結局何も変えられず、また、ルルーシュが死ぬ瞬間に立ち合わなくてはならないのかと。

 でも、未来は変わった。変えられた。

 今、この瞬間、世界はC.C.の知るかつての未来を逸れて、新しい明日に向かって歩み始めているのだ。

 はあ、と息を漏らす。ふと、頬を伝う冷たい感触に、C.C.は自分が泣いていることに気付いた。

 泣き笑いのような表情でC.C.はモニターを見る。

 そこに映るルルーシュの姿を、そっと指先で撫でた。

「……良かった」

 まだまだ、これからやらなければならないことは沢山ある。未来が変わった以上、もう『前回』の知識も当てにならないだろう。

 それでも。今は、今だけは――――。

 

 束の間の喜びを感じていたかった。

 

 

 

『お集まりの皆さん!』

 会場内にユーフェミアの声が響き渡った。後ろにゼロを従えて、会場に声を張るその姿に男は目を閉じた。

「…………先に逝く」

 一度だけ通信機のスイッチを入れて、一言だけ呟いた。

 会場の人々がユーフェミアに意識を向けている隙間を縫って男は事前に調べておいた所定のポイントに向かう。

 ユーフェミアの声が続く。ちらり、と横目にその姿を見れば、幼い言葉ながら日本人への想いを語るユーフェミアの姿が見えた。

 

 ――本当は分かっていた。

 

 色々言ったが、彼女が本当に日本人を思っていることを。ゼロが側にいるということは彼も認めたのだろう。なら、間違いない。

 分かっている。

 あの少女に罪はない。他者を思いやれる心優しい女の子だ。

 その少女を恨みを晴らすためだけに、その手にかけようというのだ。

 どっちが悪人か分かりきっている。

(ああ、分かっているさ………!)

 それでも、もう止まれないのだ。

 ブリタニアへの、ブリタニア皇族への憎しみが、怒りが、恨みが、不信が。この身体に、心に染み付いて剥がれない。

 

 黒い衝動が沸き上がる。

 あの日、この胸の内に巣食った醜い獣が表に出ようと荒れ狂う。

 ずっと抑えてきたその衝動を。

 男は抑えるのを、――やめた。

 

 高らかと両手を広げたユーフェミアが声を張りあげる。

 さあ、思い知るがいい。

 

『今日! この日、この輝かしき日に!』

 俺達の憎しみを。

 

『私、ユーフェミア・リ・ブリタニアは――』

 奪われる悲しみを。

 

『行政特区日本の設立をここに』

「お前も知れええぇぇぇ!! こぉぉねりあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

 

 誰がそれにいち早く気付いたのか。

 騎士か。将軍か。それとも――。

 

 その瞬間、時間がゆっくり流れたように誰もが感じられた。

 

 世界が見つめるその先で、――――鮮血が舞う。

 

 今日。この日、この場所で。

 再び、血が流れた――――……




 何が悪かったのかと問われれば、ルルーシュならば、世界と答えるのでしょうか……。


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Re:16

 血が熱いものだと、その時、初めて知った。

 

「え……?」

 ピッ、と雫のようなものが頬にかかった。

 何となしに触れて、それが血だということにユーフェミアは気付く。

「誰、の………?」

 ぼんやりと自分の身体を見下ろしてみるも、身体はどこもなんともなかった。

 なら―、と思って視線を前に戻せば、ぐらり、と傾く兄の姿が。

 どさり、と音を立てて倒れて、そのまま動かない。

 ゆっくりと広がる血の赤が、やけに目に痛かった。

 

 

 最初に聞こえたのは、悲鳴か。怒声か。罵声か。

 

 凶弾を放った男は、その銃を下ろすことなく構えている。その目には、自分が命を奪おうとしている皇女の姿しか映っていない。

 先程、誰を撃ったのか理解していない。理解しようとしていない。ただ、ターゲットが生きているなら、もう一発撃つだけだと、男は引き金を引き絞る。

 だが、その銃が撃たれることは叶わない。

 身体が引き摺り倒される。数人のブリタニア軍人が、男の身体にのし掛かり、動きを封じる。

 倒された衝撃で、男の手から銃が離れてしまった。身体も押さえつけられ、もう、男には皇女を殺めることは出来ない。

 他者の体重で肺が締め付けられ、まともに息も出来ない。ぐ…、と呻き声を漏らしながらも、前を向いた男の視線の先にユーフェミアの姿が見えた。

 血を浴びて、白桃のドレスが赤にまみれており、動揺が激しいのか、何処か不安定な雰囲気を醸して出しているが、怪我は見えなかった。

 

 その事実に、ほんの少しだけ安堵した。

 

 目蓋を下ろす。そこに、愛した家族の姿を思い浮かべようとしたが、思い出せたのは、あの日の家族の姿だけだった。

 きっと、一緒の場所(てんごく)には自分は行けないだろうと思い、少しだけそのことを残念に思った。

 罪人の行き先など決まっている。

 ならば、悪人は悪人らしく。

「くたばれ。ブリタニア」

 怨嗟を撒いて、地獄に落ちよう――――…

 

 

 爆炎が吹き荒れた。

 ユーフェミアを撃とうとして失敗し、ブリタニア軍人に押さえつけられていた日本人の男がその身体に巻き付けていた爆弾を作動させたのだ。

 誰かの血と誰かの肉が、周囲に飛び散らかる。

 それは突然の出来事に混乱していた人々に錯乱を生んだ。

 水面に波紋が立ったように、それは一気に広がっていく。

 そして、不幸なことに波紋は一つではなかった。

 

 狂乱は続く。

 

「ブリタニアの皇族に死を!」

 混乱する人ごみから抜け出てきた男が刃物を手にユーフェミアに向かっていく。

「ブリタニアに呪いあれ!」

 また、別のところからも、凶器を手にした人間が。

 次から次へと、何の罪もないユーフェミアを血に染めようと殺到する。

 しかし、それを黙って見ている程、ブリタニア軍人は馬鹿ではない。

 声を張り上げ、制止を促す。しかし、止まらない。なれば、強制的に止めねばならない。

 軍人の機銃が火を吹いた。

 ユーフェミアに殺到しようとしていた内の一人の身体に穴が開いた。致命傷である。即死してもおかしくない傷だった。

 だが、そいつは止まらなかった。死を覚悟し、憎しみに支配された精神が肉体を僅かながら生に繋ぎ止めた。

 肺に溢れた血でゴボゴボと水に溺れるみたいになりながら、声を上げ、さらに前へ突き進む。

 しかし、それも二回目の掃射で終わりを告げた。

 もはや、これまでだった。だが、その生の終わり際、その顔にあったのは笑みだった。嘲り、人を囀ずる卑しい笑み。

「し…………ね」

 その手に持ったスイッチを押す。爆発が起こり、一人の人間の身体がその形を忘れた。

 そして、それに巻き込まれたブリタニア軍人の身体も。

「ひ、……あぁ」

 運よく爆発から逃れた軍人が尻餅をついた。その全身に同僚の血を浴びて、その精神は恐慌状態に陥っていた。

「おい。大丈夫か?」

 その状態を気遣う声が聞こえた。自然、そちらに目を向けると心配そうに近寄ってくる特区参加者の男の姿があった。

 そう、日本人の姿が……。

「あ、あああ、ぁぁ」

 日本人の男は気付かない。軍人の恐怖が、何に変わったのか気付かなかった。

「―――るな」

 カタカタと震えながら、軍人が地面に転がった銃に手を伸ばした。

 そして。

「来るなあああぁぁぁぁ!!!」

 狂乱が悲劇に変わった。

 

 情報が混乱する。思考が混濁し、感情だけが迸る。

 

 人の本音・本性というものは、平時ではなく命の危険が差し迫るような状況で表れるという。

 平和、そして、平等の名のもとに、この特区に多くの人々が集まったが、それを真に望んでいるのはどれだけいたのだろうか。

 仮面が外れ、暴き出されたその本質はユーフェミアが望んでいたものとは程遠いものだった。

 

「ブリタニアが撃ってきた!」「畜生! 結局それがアイツらのやり方かよ!」「イレブンごときが!」「甘くするべきではなかったのだ! 奴等は管理しないとすぐ付け上がる!」「黙れ! 卑怯者ども!」「口を謹め! 下等な人種が!」「強欲な豚ども!」「薄汚い家畜!」「死ね!」「殺せ!」「死ね!」「殺せ!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」

 

 負の連鎖。終わらないイタチごっこ。

 それを、断ち切れる存在はここになく。

 故に。

 

 

地獄の釜が開かれた。

 

 

「なに? 何が起こってるの!?」

 突如として、騒然とし始めた特区会場にカレンは紅蓮の中で戸惑いの声を上げた。

「どうなってるんですか!? 扇さん!?」

『分からない! 此方にも何の情報も……』

 怒鳴るように通信機に噛みつくも、返ってきた反応は芳しいものではなかった。

 他の騎士団幹部からも、動揺や戸惑いの声が聞こえてくる。専用の回線内はたちまち多くの声が入り交じり、情報が乱れ飛んだ。

 その中にディートハルトの声が混ざった。

『ディートハルト! ゼロと連絡が取れたのか? 会場はどうなってるんだよ!?』

 誰かがディートハルトに問い詰めた。それを受けて、ディートハルトが口を開く。いつになく、戸惑った声で。

『どうやら、暴動が起きているようです。仔細は分かりませんが、会場内にいた日本人がユーフェミア皇女殿下の暗殺を謀ろうとしたのが原因らしく……。会場内は既にパニックに。指揮系統が混乱し、恐慌状態に陥ったブリタニア軍によって、関係ない一般参加者にも被害が出ているようです』

「そ、そんな……」

 暴動。しかも、日本人が発端となったその事態にカレンはショックで声を詰まらせる。

 しかし、本当のショックを受けたのは、この後だった。

『それと…、未確認ではありますが、件の皇女殿下を庇おうとして、ゼロが撃たれた、らしいと……』

 その時の感情をどう言い表せばいいのだろう。

 血が凍る。視界が真っ暗になる。……違う。

 宙に浮いているような感覚だった。

 それほどまでに圧倒的な、――不安。

 地に足がつかない。どこにも、何にも繋がっていない。そんな不安定で心許ない感覚がカレンの中で溢れ返った。

『ど、どういうことだよ!? ゼロが何でブリキの姫なんか――』

「そんなこと、どうでもいい!!」

 いまだ、情報を処理しきれずにいる幹部達にカレンは吠えた。

(もしゼロに万一なことがあれば、私達は、……私は!)

 居てもたってもいられない。だから、そんな些末事に拘っている暇なんて一秒とてない。 

「会場に向かいましょう! 助けないと、日本人の皆を。――ゼロを!」

 

 

「ユフィ!」

 混乱し、他者を呪う言葉と銃弾が飛び交う会場内を突っ切り、漸くスザクはユーフェミアの元に辿り着くことが出来た。

 事が起こった時、その直後こそ、発端となったのが日本人による凶行だということにショックを受けていたスザクだったが、ユーフェミアが危険だと自覚すると直ぐに立ち直り、動き出していた。

 だが、一直線にユーフェミアの元へ向かおうとする()()()のスザクに錯乱状態にあったブリタニア軍人が発砲。同じ様に疑心暗鬼に取りつかれた味方によって行く手を遮られてしまう。

 下手なことをすれば、彼らの敵意を煽りかねないと判断したスザクは極力彼らとの接触を避けて動き、どうにかユーフェミアの元へ来ることに成功したのだった。

「ユフィ! ここは危険だッ、急いで離れよう!」

 いつ、銃弾が飛び込んでくるかもしれない状況に、スザクは最大限に周囲を警戒しながらユーフェミアに呼び掛ける。しかし、スザクの足元でへたり込むユーフェミアからは何の反応も窺えない。

「ユフィ! 急いで………ッ」

 ユーフェミアの様子がおかしいことに気付いたスザクが彼女の方へきちんと視線をやって、そこでようやく理解する。

 ユーフェミアはへたり込んでいたわけではなかった。

「スザク…………」

 自分を呼ぶスザクの声が耳に届いたのか、ノロノロとユーフェミアがスザクに顔を向ける。

 理性の溶けた瞳がぼんやりとスザクを見詰める。

「ね、…スザク、どうしよう……? 血が…、血が止まらないの…………」

 汚れを知らなかったであろう彼女のその手は真っ赤だった。

 柔らかい手を包む白いグローブは血を吸いすぎて、ビチャっと不快な音を立てている。それに包まれた手はとても嫌な感触を感じているだろうにユーフェミアはそんなことが気にならないかのように、ある一点に両手を置いて離さない。

 彼女を庇い、凶弾に倒れたゼロの胸元から……。

「ユフィ………」

 どう答えていいのか、スザクは分からなかった。

 応急手当の心得などあるはずもないユーフェミアは、ただ必死に傷口を押さえている。しかし、それで血が止まるはずもない。流された血はどんどん広がり、彼女のスカートをも、赤黒く染め上げていく。

「そんな…、ダメよ……、だって、……ようやく、また………」

 何かを呟いたユーフェミアだったが、声が小さすぎてスザクには聞こえなかった。

 ユーフェミアがゼロに何を見て、そして、ゼロが何を思ってユーフェミアを庇ったのか、スザクには分からない。

 だが、ユーフェミアを安全な場所に連れていこうにも、彼女はゼロをここに置いては離れないだろうことは理解できた。

 故にスザクは動けなかった。

 いくらスザクとて、ユーフェミアを守りながら重傷の男を連れて、この銃弾の雨の中を移動することは出来ない。

 ランスロットがあれば、二人まとめて安全な場所に連れていくことは出来ただろうが、生憎ここにあるのは己の肉体だけだ。

 状況は刻一刻と悪化していっている。

 これ以上、ここにいることは出来そうになかった。

「………ッ」

 判断を迫られたスザクが、後で主に責められるのを覚悟で決断しようとした時、後ろから声が聞こえてきた。

「ユーフェミア様! 枢木!」

「ダールトン将軍!」

 数名の部下を引き連れて、こちらに向かってきているその姿にスザクはホッ、と安堵の息を漏らした。

「何をしている! 何故ユーフェミア様を避難させない!?」

「申し訳ありません! ですが……」

 ダールトンに頭を下げたスザクの視線がユーフェミアに向かうのを見て、ダールトンも彼女の様子に気付く。

 その血染めの姿と脂汗を滲ませながら、周りの状況が目に入っていないかのような一心不乱なユーフェミアの姿にダールトンも瞠目したが、すぐに気を取り直しスザクに命令を下す。

「とにかく、枢木。お前はユーフェミア様をお連れしろ。ゼロは私が――」

「イエス、マイロード」

 了承の体を取り、スザクは座り込んでいるユーフェミアの肩に手を掛けて彼女を立たせようとする。

「さ、ユフィ。ここから離れよう?」

「あ、や…。待って、スザク。私……」

「ゼロのことなら大丈夫。ダールトン将軍がいるから。だから、ね?」

 そこでユーフェミアはダールトンがいることに気付いたようだが、少し考える素振りを見せた後、ゆるゆると首を横に振る。

「だめ……。だって、他にも日本人の人達がケガしているのに……」

「ユフィ」

「私、……私が。……違う、違うの。こんなことになるなんて、私……」

「大丈夫。分かっているから。僕は分かっているから……」

 ゼロの負傷。そして、日本人の凶行と暴動。

 それらは、世界が広がったばかりの無垢な少女が受け止めるには、とてもではないが重すぎることだった。

 ショックに心が麻痺してしまった愛しい少女に何度も大丈夫と言い聞かせながら、スザクはユーフェミアを立ち上がらせる。

 そうして、ゼロの元から離れた二人と入れ替わるように今度はダールトンがゼロの側に立った。

 仮面でその表情は見えないが、時折痙攣するその身体からゼロの容態が見て取れる。

 そんなゼロを暫し見下ろしていたダールトンだったがおもむろにゼロに向かって目を閉じた。

 数秒。まるで目礼するかのように目を閉じていたダールトンだったが、それが済むと、懐から銃を取り出してゼロに向かって構えた。

「将軍!? 何を――!」

 スザクが驚きの声を上げたが、ダールトンは答えない。

 それは温情だった。

 忠義を尽くすべき存在を命を賭して救ってくれたゼロに対する。

 こうなってしまっては、もう特区が成功する目はなかった。これから先、ブリタニアの弾圧は激しさを増し、日本人の抵抗も同様に激しくなるだろう。

 そうなれば、ブリタニアにとって、ゼロは最大最悪の脅威となる。

 例え、ここで治療を施し一命を取り留めたとしても、その先に待っているのは想像を絶するような拷問であり、見せしめとしての惨たらしい死だけだ。

 ならば、ここで楽に死なせてやることが、せめてもの慈悲だった。

 苦しませないようにと、頭に銃口を合わせる。仮面の上からだが、この距離からならそれを貫いて届くだろう。

「将軍!」

 鋭い声が後ろから掛かる。その声にハッ、と顔を上げれば、突如として陽が遮られた。

 上空から、黒い巨体が降り立つ。降り立ったその巨大なナイトメアフレームは、慌てて飛び退いたダールトンや警戒し銃を構える軍人達を無造作な腕の一振りで払うと、直ぐ様飛び去っていった。

「――――、――――」

 飛び去っていくその姿に手を伸ばして、ユーフェミアが誰かの名前を叫んだ。それは、混沌とし、阿鼻叫喚の坩堝となったその中に飲み込まれ、誰の耳にも届くことはなかった。

 

 

 再三の突入を望むカレンの声にも答えることが出来ず、扇はコックピットの中で黙り込んでいた。

 ゼロと連絡が取れない以上、現時点での黒の騎士団の行動の決定権は扇にある。なので、扇が何かしらの采配を下さないと騎士団は身動きが取れない。

 扇もそれは分かっている。分かっているが、その口は固く閉ざされて開かれずにいた。

 通信機から自分に指示を求める幾つもの声を聞きながら、扇は葛藤し続けていた。

 このような状況に立たされた時、ゼロなら間違いなく直ぐに突入の指示を出すだろう。

 扇とて、そうする。……そうしたい。

 だが、扇はゼロではない。ゼロと同じことは出来ない。

 突入するまではいい。しかし、その後どうすればいい? どうやって、日本人達を助ける? どうやって、荒れ狂うブリタニア軍を止める? その後は? 逃げるのか? 何処へ? なら、戦うのか? 戦えない者を守りながら?

 ゼロなら、その全てに答えを出せるだろう。だが、扇には出来ない。最善の答えが、最適な行動が彼には思い付かない。

 ふと、昔のことが頭に過った。

 ナオトがいなくなり、自分が暫定的なリーダーになってからの事を。

 あの時のパッとしない作戦でさえ、負傷者が毎回出て、時に命を落とす者もいたのだ。

 今はもう、あの時とは何もかもが比べものにならない。

 自分の一声で、多くの者が命を落とすかもしれないという重圧が彼の口から言葉を奪っていた。

『……突入するぞ、扇』

 そんな扇に助け船を出したのは藤堂だった。

『このまま、日本人が殺されるのを黙って見ている訳にもいくまい。指揮は私が執る。突入の許可を』

 扇の気持ちを慮ばかったのかどうかは分からないが、その一言に呼吸が楽になるのを扇は感じた。

「あ、ああ。そうだな、……ですね」

 自分には出来ない。だが、奇跡の藤堂と呼ばれた彼ならば、上手くやってくれるだろう。

 そう思った扇が、遂に指示を下した。

「よ、よし! 黒の騎士団は特区会場へ突入。ブリタニア軍から日本人を守るんだ!」

 命を賭ける戦場に向かうには些か弱すぎる声に導かれて。

 黒の騎士団もまた、運命の地に足を踏み入れた。

 

 

「黒の騎士団か」

 純日本製のナイトメアフレームが会場内に乱入してきたのを見て、ダールトンは小さく呟いた。

「こんな時に………ッ」

 同じくナイトメアを確認したのであろうスザクが苦汁に満ちた声を漏らした。そんなスザクを一瞥すると、ダールトンは会場内に視線を巡らせた。

 平和を望んだその場所は、今や地獄と成り果てていた。

 至るところに弾痕と血痕が刻まれ、絶えず響く銃声から生まれる硝煙によって、まるで靄がかかったかのように白く霞んで見える。

 銃を乱れ撃つブリタニア軍人が日本人の逃げ惑う背中に穴を開け、奪った銃を構えた日本人がそんなブリタニア軍人の頭に華を咲かせる。

 会場の中心にあった日本とブリタニアの国旗も、いつの間にか地に落ち、血と炎に巻かれていた。

(もはや、止まらぬか)

 その光景にダールトンはそう思い至る。

 言葉で穏便に済ますには、もう、ここは血と狂気で溢れ過ぎていた。

 ならば、ダールトンも決断を下さねばならない。

「枢木、お前はユーフェミア様を連れてこの場から、―特区から離脱しろ。後のことは、私がやる」

「待って下さい! 黒の騎士団が現れたのなら自分も―――」

 そう告げようとしたスザクだったが、その言葉を言い切る前にダールトンに胸ぐらを掴まれ、最後まで言えなかった。

「間違えるなよ、枢木スザク」

 その気迫と声に、思わずスザクは押し黙る。

「貴様は何だ? ユーフェミア皇女殿下の騎士だろう? 主がこのような状態だというのに、貴様はその側を離れ、己の正義を満たすために戦おうとでもいうのか?」

「じ、自分は―――」

「忘れるな。もはや、貴様の全てはユーフェミア様のためにあるのだ。その身も心も、力も。己の全てはユーフェミア様に捧げるためだけにあると思え。―――それが、皇族の騎士、と言うものだ」

 言いたいことを言い終えたダールトンが、勢いよくスザクを突き放す。その勢いに押されてスザクは数歩たたらを踏んだ。

「行け。己が忠を全うしろ」

 スザクに背を向けて、最後にそう言い添えた。

「…………、イエス、マイロード」

 噛み締めるようにそう言ったスザクが、ユーフェミアを伴ってその場を離れていく。

 その気配が遠ざかっていくのを感じながら、ダールトンはその口元に笑みを作った。

 

 叩き上げの生粋な軍人であるダールトンは、皇族や貴族達ほどにはナンバーズに対しての偏見はない。

 その上で言わせてもらうならば、アンドレアス・ダールトンという男は枢木スザクという少年が嫌いではなかった。

 多少、歪に捻れていると感じなくはないが、若者らしい不器用で青い夢を抱く生き方には、素直に好感が持てた。

 ユーフェミアにしても、そうだ。幼い夢だったかもしれないが、それでも彼女は胸を張ってそれを口にし、拙いながらそれを形にしてみせようとしたのだ。

 それを笑う者もいるだろう。だが、その在り方をダールトンは素直に賞賛した。

 

 だからこそ。

 

「この声が届く全てのブリタニア軍人に告げる」

 

 今は自分が泥を被ろう。

 

「これより、我々は暴動の鎮圧ならびに反乱分子の排除を開始する」

 ダールトンの力強い声に正気を取り戻したのか、一部の軍人が銃撃を止めるのが見えた。

「必ず降服勧告と武装解除を呼び掛けろ。それに応じた者には決して危害を加えるな。だが、応じない者、不穏な動きを見せるものには容赦の必要はない」

 そこで、一度言葉を区切り、ダールトンは最後の命を下した。

 

「――――殲滅しろ」

 

 

 

 震えが止まらない手が仮面にかかる。

 定まらない指先に唇を噛みながら、C.C.は何とか仮面を外すのに成功した。

 そうして、仮面の下、ルルーシュの顔が露わになった。

「―――――」

 悲鳴を上げることも出来なかった。

 自らが吐いた血で顔を真っ赤に染めて、呼吸も糸のように細く弱い。いつもは強い意思を感じさせる瞳も虚ろで何も映していなかった。

 それがどういう状態なのか、分かってしまう自分が恨めしかった。

「だい、じょうぶ、…だから、な?」

 弱々しい笑みを浮かべながら、C.C.は何時になく優しい声でルルーシュに語りかける。しかし、その声は震え過ぎていて、もはや言葉としての意味を為していなかった。

「すぐに、よく、…っ、なる、から…………」

 誰に言い聞かせているのだろう。ルルーシュか、それとも自分自身にか。それも分からないまま、C.C.は言葉を紡いでいく。

「大丈夫……、こんな所で、お前、は、…死なないさ。だって、お前は、世界を……っ、変えるん、だろ?」

 片手で優しくルルーシュの頬を撫で、もう片方の手で彼の痛々しい傷口を覆い隠す。

「ナナリーが、……待っている。早く、……かえ、ろ、な……ッ」

 ルルーシュの意識が途切れないように懸命に言葉をかけ続けていたC.C.だったが、込み上げてきた想いに遂に言葉を止めてしまった。

「――――――」

 そんなC.C.の頬にルルーシュの血塗れの手が触れた。

「――ぃ、――っ」

「ルルーシュ……?」

 微かな呼吸音と共に漏れた声にC.C.はルルーシュが何か言おうとしているのに気付く。

 よく聞こえるようにと、その耳を口元に寄せた。

 そして、その耳に声が届いた。

「ぁ―――、ぅ」

 ありがとう

 

「―――ぃ―――」

 お前がいてくれたから

 

「ぉ、ぇ――――、ぉ」

 お前のおかげで、俺は――――

 

 その瞬間、C.C.は弾けた。

 

「やめろッ! ……言うなッ! そんなことを言うな―――ッ!」

 両手をルルーシュの頬に添えて、C.C.が叫ぶ。

「また置いていくのか!? また、……ッ、私を置いていくというのか!? 許さないぞ! もう、そんなことは………!」

 溢れる感情のままにC.C.はルルーシュに呼びかける。

 しかし、C.C.の激情に反してルルーシュの瞳はゆっくりと閉ざされていこうとしていた。

「瞳を閉じるな! ルルーシュ……ッ、私の声を聞け! 駄目だぞ、駄目…………ッ、いやだ! ルルーシュ!!」

 遂に堪えきれなくなったC.C.の瞳からポロポロと涙が零れた。

「いやッ! やだ……! ………しない、で、……ひとりに………ッ、――――私を一人にするな!! ルルーシュ!!」

 泣きじゃくり、何度もかぶりを振りながら必死にC.C.はルルーシュに呼び掛け続ける。

 しかし、それに返る答えはなく。

 泣き叫ぶC.C.をその瞳に映しながらルルーシュの瞳はゆっくりと閉ざされていった。

 

 

 目蓋を開けているのも辛くなり、ルルーシュはそれを閉じた。

 そうして、閉じてみるとさらによく分かる。

 手足の先から、自分が希薄になっていく感覚が。

 自分の中から何かが抜け出ていく実感が。

 

 なるほど、これが死か、とルルーシュは他人事のようにそう感じるのだった。

 

 死の淵に立ったルルーシュだが、何故か心は穏やかで、思考もハッキリしていた。

 だからなのか、沢山の事が頭の中に思い浮かんだ。

 

 心残りは沢山あった。

 

 結局何一つ為せないまま、自分は死ぬのだ。思うことは沢山ある。

 その中でも一番に想うのは、やはり最愛の妹のことだった。

 目も足も不自由な妹。自分がずっと守ってきて、ずっとその将来を憂いていた。

 でも、何故だろうか?

 いざ、死に別れることになると分かると妹のことはあまり心配に思わない自分がいることにルルーシュは驚いた。

 死を前に思考が可笑しくなったか? と一瞬思ったが即座にそれを否定した。

 ずっと思ってはいた。例え、自分がいなくなってもナナリーならきっと大丈夫だろう、と。

 大人ですら、絶望し俯いて生きるこの世界で、あの娘は、一人で生きていくことすら難しい身体であっても、絶えず微笑み続けてきた。

 そういう強さを持っている少女だ。

 それに、自分がいなくなっても一人ではない。ナナリーを気に掛けてくれる存在は他にもいる。妹の世界は自分一人ではないのだから。

 だから、きっと大丈夫………………。

 

 終わりが近い。

 意識に靄がかかり始め、とてつもなく眠くなってきた。

 その眠りに身を委ねたら二度と目覚めぬ予感があった。

 

 ふと、青い空が見たくなった。

 

 遠いあの日。戦火に曇る夕焼け空の下で幼い決意を口にしたあの日から。

 自分はロクな死に方をしないだろうと思っていた。

 それでも叶うなら。最後くらいは青空の下で死にたいと願った。

「―――――――」

 最後の力を振り絞り、僅かに目蓋を開けた。

 霞む視界には残念ながら、青空は映らなかった。

 代わりに緑が見えた。

 視界を埋め尽くす鮮やかなライトグリーンが。

 

 それは、まるで木洩れ日を浴びた新緑のようで。

 

 ――――これはこれで悪くないか……

 

 最後にそう思いながら、ルルーシュは二度と覚めぬ眠りについた。



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Re:17 ――― PLAY:00 そして鎮魂歌は鳴り終わり

 満を持して


 歌が終わる

 

 

 陽が沈み、夜の暗闇が徐々に辺りを支配していく。

 昼間、血と銃と激情と。あれ程までに激しく醜い争いを見せていたその場所も、戦闘の余韻を残し、今は静寂に包まれている。

 出来たばかりの真新しかった行政特区の会場は、長い年月をかけて風化したかの如き様相を見せており、それは、もはや人の関心が離れ、忘れ去れ、ただ朽ちていくのを待つだけの代物に思えた。

 ――もっとも、これからのことを思えば、その感想はあながち間違いというわけではないが。

 

 風が吹き抜けた。夜気を孕んだ冷たい風が頬を撫で、濃い血の香りが鼻をついた。

 

 それにコーネリアの顔が不快げに歪んだ。

 

「姫様……」

 声を掛けられ、コーネリアがその声の主の方に視線をやる。そこにいたのは、大きな身体を折り、膝をついたダールトンだった。

「もう、大丈夫なのか?」

「はっ! アンドレアス・ダールトン、これより原隊に復帰致します!」

「ああ。だが、無理はするなよ」

 その声とは裏腹にダールトンの様子は痛々しい。巻かれたばかりであろう頭の包帯はもう血が滲み出しているし、きっちりと着こなした制服の下は幾重にも包帯が巻かれている。

 それはコーネリア達、援軍が来るまで黒の騎士団や暴徒達を相手に孤軍奮闘したが故のことだった。

 自身を労るコーネリアの言葉に、もう一度ダールトンは深く頭を下げた。

 そして、そのまま言葉を重ねる。

「姫様、今回の失態の責は全て私にあります。どうか――」

「よい。分かっている」

「……………は」

 下がれ、と言う言葉に頭を下げて、ダールトンがコーネリアの前から去っていった。

 

 分かっている。―――分かっていた、と言うべきか。

 こうなる可能性は十分あったし、こうなるだろうと思ってもいた。

 あの妹が何を思って、今回の事を思い立ったのか。想像はついた。だが、優しさだけで、それだけで何かが出来るというわけではない。

 自分達は支配者で簒奪者だ。力を至上とし、不平等を善しとした。

 国がそう在るべきと定め、皆がそれに倣った。

 ユーフェミアはそれに反しようとしたのだ。

 だが、足りなかった。何もかもが足りなかった。

 結果、生半可な行為は、ただ無用に血を流しただけに終わった。

 誰の責でもない。ただ、ユーフェミアは弱かった。それだけだ。

 それだけ、なのだ。

「――――――」

 そう理解しているのに、コーネリアは胸の奥に感じる棘みたいな痛みが取れないことに顔をしかめた。

 この暴動が何に端を発するものなのか、コーネリアも聞き及んでいる。

 だが、それに対してコーネリアが思うことはない。

 自分が間違っていたとは思わない。例え、同じことがまたあったとしても、自分はまた同じ手段を取るだろう。

 国家に仇なす反乱分子とそれを匿う存在を粛清しただけだ。軍人として、皇族として、正しいことをしたと言える。

 だから、何も気にしてなんかいない。

 だというのに―――

 

『撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ』

 

 何故か、あの男の言葉が耳にこびりついて離れなかった。

 

 

 特区会場内にある施設の一室。

 その一室に黒の騎士団の幹部が顔を揃えていた。

 先の戦闘で多少の怪我をしている者もいるが、大きな怪我は一人もしていない。

 だが、彼らの顔は一様に沈み、とても酷い顔付きをしていた。カレンに至っては、この部屋にやって来てからずっと抱えた膝に顔を埋めて身動ぎ一つもしていなかった。

 ガンッ、と重苦しい空気が漂うその部屋に無作法な音が響いた。

 玉城が苛立たしげに手近にあったものを蹴り飛ばしたのだ。内に溜め込んだ感情の捌け口を求めたが故の行動だった。

「どうすんだよ、これから……」

 その声に、そこにいた全員の顔がさらに暗くなる。

 誰も、その問いに答えない。……答えられない。

 何故なら、もういないからだ。

 彼らの問い掛けに、答えをくれていた存在は、もう―――。

 

 日本人の保護のため、特区会場に突入した当初、黒の騎士団は優勢に事を進めていた。

 ダールトンの声に一部の兵士が呼応したものの、まだ多くの者が混乱の最中にあった。そんな彼らを倒しつつ、逃げ惑う日本人達を特区から逃がそうと騎士団は動いた。

 だが、事が順調に進んだのは最初だけだった。

 混乱していたのは、ブリタニア軍人だけではない。この会場にいた日本人は、訓練などしていない一般人なのだ。そのため、彼らの方がより重度の集団心理に陥っていた。

 助けにきたと、味方だと呼び掛けても、完全にパニックになった日本人達にその声は届かない。

 まったく進まない民間人の避難に黒の騎士団にも、焦りと動揺が生まれ始め、逆に明確な敵が現れたことで冷静さを取り戻し始めたブリタニア軍が徐々に劣勢から盛り返していく。

 それから、間もなくだった。

 両者の趨勢を決める情報が流れたのは。

 

 

 

『ゼロが死んだ』

 

 

 

 最初は何の冗談かと誰もが思った。得体の知れない、しかし、それ故にあった神秘性から、およそゼロに死というイメージを誰も抱いたことはなかったからだ。

 しかし、通信機から流れてくるディートハルトの支離滅裂な発言と、彼に代わって情報をもたらしたラクシャータの何時になく神妙な声に、それが真実だと皆が理解した。

 ――その後、どうなったのか。それは語らずとも分かろう。

 動揺した幹部の迂闊から、情報は一般団員にも広がってしまい、黒の騎士団は民間人の避難はおろか、戦闘すら儘ならない状態に陥った。

 かかしのように立ち尽くす彼らに好機と見たブリタニア軍が襲いかかると、指揮系統が混乱した騎士団は完全に戦闘能力を喪失。

 それでも、藤堂が必死に混乱した騎士団の立て直しを図りながら、特区会場に籠城することに成功したが、それまで。

 援軍として駆けつけたコーネリア率いるブリタニア軍によって、黒の騎士団は特区に封殺されてしまったのだった。

 

「何なんだよ、これ……。訳わかんねぇよ………」

 不満とも愚痴ともつかない発言が止めどなく玉城の口から漏れていく。

「…結局こういうつもりだったんじゃないの?」

 玉城の発言に答えたのか、今まで黙っていた朝比奈が口を開いた。

「どういうことだよ?」

「彼…、やっぱりブリタニア人だったんだろ? 僕達を騙して、弄んでいたんじゃないのかってことさ」

 その言葉に、項垂れていた幹部が数人、ハッとしたように顔を上げた。

「命懸けで日本を取り戻そうとしている僕らをアゴで使って、そうして、必死になってる僕達をあの仮面の下で愉快に笑っていたんじゃないの? そして、飽きたらこうやってブリタニア軍に処理させようとしていたとか」

「おい、こんな時に適当な事を言うな」

 曲がりなりにも自分達の仲間で、さらには死人であるゼロにあまりな暴言を吐く朝比奈を卜部が諫める。

「だが、あながち間違いとも言えないんじゃないか?」

「千葉……、お前まで」

「紅月の話だと、ゼロは唯のブリタニアの学生だったらしいじゃないか。そんな奴が何故日本人に味方して、ブリタニアと戦う必要がある? 朝比奈の言う通り、どこぞの貴族のガキが私達を駒に見立てて、娯楽代わりに戦争ゲームを楽しんでいたと考えた方が納得出来る」

「全部臆測だろうが……! 大体、遊びだったって言うんなら、何でゼロは皇女を庇って死んだんだよッ?」

「さあ? 分かりませんよ。所詮はブリタニア人の考えることなんか」

 ざわざわと部屋の中が騒がしくなる。元々、ゼロに好意的な感情を抱いていなかった騎士団の幹部達は、朝比奈達の穿った考えにも、あっさりと同調し、室内にゼロへの悪意がひしめきだした。

「やめろ」

 手に持った刀で床を叩きながら、藤堂は厳しい目を幹部達に向けた。

 するとゼロを悪し様に罵っていた者達は、ビクリと肩を震わせると、再び押し黙った。

「今はゼロの事をどうこう言っている場合ではない。今すべきことは、ゼロ亡くした我らがこれからどうするか、そして、ここをどう切り抜けるか考える事だ」

 その瞳が扇を捉える。だが、扇はその視線に気付きながらも、顔を上げることはせず、下を向いたままだった。

「とは言うものの、この状況で出来る事はそう多くはありますまい」

 沈黙を貫く扇に代わり、仙波が口を開いた。

「まず戦うか否か……。それから、考えるべきかと」

「否かって、それはつまり降伏するってことか?」

「これ以上、無用な血が流れるのを避けるためにはそれも一つの答えとしてあるということだ」

 疑問を挟んだ南の問いに仙波が頷いた。

「降伏すれば、命は助かるのか?」

 今度は杉山から出た疑問に朝比奈が答えた。

「その可能性があるのは一般団員だけさ。僕達幹部は、高い確率で処刑される。少なくとも、藤堂さんは確実だ」

 だから、僕は反対だね、と言って朝比奈は締めくくった。

「でも、戦って勝ち目があるの? この状況から……」

「ほとんどないな。相手はコーネリア。戦力差もある。さらに、こちらは非戦闘員を抱えている。生き残れる確率などほんの僅かだ」

「何だよ! 結局どっちを選んでも死ぬんじゃねぇか!!」

「そんな事は皆分かってるよ。その上でどうするか考えようって言ってるんだ。君も馬鹿みたいに文句ばっかり言ってないで頭を使いなよ」

「んだと! 誰が馬鹿だ!」

 朝比奈の挑発的な物言いに玉城が反応し、室内が再び荒れ始めた。

 口汚い言葉が口から飛び出し、時に拳を振り上げる者も出てくる始末。

 その光景は、今まで命を懸けて国を取り戻そうと戦ってきた者達とは思えない程に不様な光景だった。

 そうして、皆が激しく言い争うようになっても、カレンだけは一人、一度も顔を上げないまま、ただ蹲っていた。

 

 時折、小さく肩を震わせて……

 

 

 幹部達がいるのとは別の部屋。そこのベッドに仮面が外されたルルーシュが安置されていた。

 血で汚れていたその顔は綺麗にされて、一見眠っている様にも見えるが、整えられただけの服の大部分が血に塗れていることが、ルルーシュが死者であることを証明していた。

 そのルルーシュの傍らにC.C.はいた。

 ルルーシュが安置されているベッドに顔を突っ伏して、片手をルルーシュの片手に添えて、ずっと離そうとしなかった。

『ん~、残念だったわね~』

 そんなC.C.の頭の中に、この場に似つかわしくない呑気な声が響いた。

『結構いい線いってたのに。こんなつまんない結末を迎えるなんて、少し期待し過ぎたかしら?』

 息子の死を以て、その程度のことしか思わないのに、それでも子供達を愛していたと宣う女が心底がっかりしたと言わんばかりに溜め息を吐いた。

 

 自らの耳を切り落とせば。

 この声は聞こえなくなるだろうか――?

 

 もし、C.C.にもう少しだけ気力があれば、本気でそれを実行していたことだろう。

 脳裏に響くマリアンヌの声は、今のC.C.には頭痛よりも酷い。頭の中を何かが這いずり回っているかのようで、とても気持ちが悪かった。

 しかし、人の気持ちを考えることなどしようともしないマリアンヌは、C.C.にお構いなしに好き勝手に喋り続けている。

『ねぇ、もう良いでしょ? 何を意固地になっているのか知らないけど、ルルーシュも駄目だったんだし、いい加減にしたら? シャルルにコードを渡したら、すぐにでもあなたの願いは叶うのに何がそんなに不満なのかしら?』

 結局のところは、それだった。自分達の計画の成就に必要なコードを持ちながら、それを渡すことを拒むC.C.への不満。自分達とC.C.の利害は一致している。C.C.のコードをシャルルが継承すれば、それでお互いの願いは叶えられるのだ。

 なのに、何故拒むのか。

 自分達の理想は正しいのだと疑わないマリアンヌには、それが不思議でならなかった。

『ちょっと、返事くらいしてよ』

 何の反応も示さないことC.C.に不満げにマリアンヌがそう言う。

『……驚いたわ。まさか、そんなにルルーシュに入れ込んでいたなんて』

 目的のために他人を利用することに何の躊躇いもない、非情な魔女。C.C.の人となりをそう解釈していたマリアンヌは、今のC.C.の様子に素直に驚いた。

『なら、なおのことよ。私達にコードを渡しなさい。そうすれば、ラグナレクの先で貴女はまたルルーシュに会えるわ』

 ならばと甘言を用いて、C.C.の気持ちを傾けようとするも、今更そんな言葉がC.C.に届くはずもなかった。

『はあ、もう良いわ。でも、覚えておきなさい。ルルーシュも駄目になって、次の当てもない以上、私達もいつまでも待っていられないことを』

 今のC.C.に何を言っても無駄だと判断したマリアンヌが、呆れたように溜め息を溢した後、そう警告する。

 そして、それを最後に彼女の声は聞こえなくなった。

 

 マリアンヌの声が聞こえなくなって、少しして。

 今まで動かなかったC.C.の身体が、ようやく動きを見せた。

 自らの体温を分け与えるかのように離さずに繋いでいたルルーシュの手をゆっくりと引き寄せる。

 手繰り寄せたその手にもう片方の自分の手を添えて、まるで祈るように両手で強く握りしめた。

 

 状況はC.C.に決して良い訳ではない。

 このまま、ここにいればブリタニア軍に捕まる可能性は高いし、先程のマリアンヌの口振りから彼女達が直接的な手段に訴えてくる可能性もある。

 だから、逃げるべきだと、断片的に働く思考がそう判断を下す。

 でも、C.C.は動かない。

 大切な人が二度も死ぬ現実に直面した少女の心は、もはや限界で。

 

 何かを為す気力が、彼女にはもう、なかった。

 

 もう、――――動けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは何処でもなかった。

 本来なら何処にもその場所はない。人の概念や想像の中に在るものを明確に存在すると定義できないように、そこも確かなものの上に成り立っているとは言えない空間だからだ。

 不思議な場所だった。

 空と呼ぶべきところには灯りとなる光は何もないのに、その空は満月の夜のように明るい。

 地と呼ぶべき場所は漆黒で、綺麗に磨き上げられた大理石の如く、美しく冷たい印象が与えられる。

 その場所の中心に光る何があった。青く、蛍火を思わせるように淡く光るそれは本だった。

 無数の本が空間に浮かび上がり、ゆっくりと螺旋を描きながら、天に向かって昇っていく。

 さながら、それは光る螺旋の樹だった。

 十八年分の記憶で創られた本の樹。

 

 

 ――――そこに男はいた。

 

 

 切れ長の瞳を閉ざし、デッキチェアの様なものに身を預けている。

 服装は白いシャツと黒いスラックスという簡素な身なりで、几帳面な性格の男にしては珍しくシャツを着崩して着ており、その綺麗な肌の胸元が覗いていた。

 その胸元に手が置かれた。男の手だ。

 その仕草はまるでそこにある大切な何かを噛み締めているように思えた。

 いや、事実として男はその身に繋がれた特別な絆を通じて、ある少女に思いを馳せていた。

 わりと泣き虫な、とある魔女に……。

「――――――」

 瞳が開かれた。同時に胸元に置かれた手が何かを決意したかのように、ギュッと握りしめられた。

 男が身を起こす。ゆっくりと、しかし、しっかりとした動作で男は立ち上がると、とある方向へ向かって歩き出した。

 波紋が浮かぶ。

 水もなく、水音もしない地面に男が歩くたびに波紋が次々と浮かんでは消えていった。

 そうして、歩き続けた男はある物の前まで来ると立ち止まった。

 それは扉だった。

 地と同じように磨かれた大理石のように黒く滑らかな大きな扉だけが何もない空間に、ぽつんと浮かんでいた。

 どこにも繋がっていない、しかし、確かに通じているその扉に触れようと男が手を伸ばした。

『いいの?』

 声が聞こえた。

 静かで、抑揚のない女性の声が聞こえてきた。

『本当に、それでいいの?』

 再び声がした。今度はさっきよりもはっきりと。

 男の背後で影が形を作り出す。一瞬の間の後、そこに女性が現れた。

 特徴的な髪の色をした女性だった。濡れ羽のように黒い髪だが、その先端部分は色が抜けたように白かった。その顔には表情らしい表情は見られない。その人間味の感じられない在り方は、どこか男の側にずっといてくれた共犯者の少女の、出会った頃の雰囲気に通じるものがあった。

『現実世界の貴方が命を失った以上、今までのような一時的に意識を同調させる方法は、もう出来ない。それでも戻るというなら、封印を完全に解くことになる。―――それが、何を意味するか。分からない貴方ではないはず』

 男は振り向かない。女の言っていることを聞いていない訳ではない。しかし、男が揺らぐことはなかった。

『世界は決して貴方に優しくなんてならない。運命は絶対に貴方を逃がしはしない。貴方は、再び多くのものを失い、裏切り、裏切られ。苦しみ、悲しみ、怒り、そして、――絶望する』

 答えは返らない。だが、扉に伸ばしかけていた手が再び動き出したことが、女への答えを示していた。

『――何故? 貴方は既に旅路を終えた者。ここで見て見ぬ振りをしても、誰も貴方を責めはしない。なのに、どうして?』

 

 それは。

 結局のところ、男が我慢出来ないからだろう。

 

 

 目の前に理不尽が転がっていたから、我慢することが出来ない。

 皆が見ない振りをして、目を逸らしていく中で、一人逸らすことが出来ない。

 儘ならない事が多すぎる世界で、それらに目を瞑って生きていくことは決して悪いことではない。

 人一人に出来ることなど、たかが知れている。自らが抱え込むものを取捨選択していかなければ、あっさりとその重みに潰されてしまうだろう。

 でも、男には出来なかった。

 だから、抗い続けたのだ。

 人に、国に、父母に、運命に、神に、世界に。

 憤りを感じた全てのものに抗い、――生き抜いた。

 

 だから、今度も同じ。

 ただ、大切に想う人が悲しんでいるのを、黙って見ていることが出来ないだけだった。

『女一人のために、世界が滅ぶかもしれない選択をしようというの?』

 何を今さら、と男は思う。

 元々、たった一人の妹のために世界を変えようとしたのだ。別に驚くに値しない。

 それに、大切に想う存在は少女一人だけではない。

 厳密にはこの世界は男が生きてきた世界とは言い切れない。

 だから、ここで死んでいった者達が生きていても、それは男の手から零れ落ちていった命では、きっとないだろう。

 でも、事ここに至れば、それは些細な事だった。

 例え、別人だとしても、大切なものは大切で。愛しいものは愛しいのだ。

 なら、男に我慢する理由など、一つもなかった。

『よく分からないわ』

 女が首を傾げながら呟いた。

『それは人だから? それとも、貴方だからかしら?』

 問いかける女の声に僅かに変化があった。抑揚のなかったその声音に呆れと興味が少しだけ含まれていた。

『……所詮、私はただ管理するだけの存在。それが貴方の選択だと言うなら、それに否と唱えるつもりはない』

 でも、忘れないで、と女が厳かに続ける。

『完全に封印を解いてしまったら、もう後戻りは出来ない。我々(わたし)は絶対に貴方を逃がしたりはしない。故に貴方の選んだ道は、全てを破滅させる可能性を孕んでいるということを』

 男は何も言わない。女も答えを求めない。

 何故なら、もう解りきっているから。

 それが現実だと、運命だというなら、男がすることはたった一つだけだ。

 クスリ、と女が笑った。どことなく親しげに思える微笑みだった。

『また、会いましょう? コードに至りし者(コードギアス)よ―――』

 最後にそう言うと、微笑みを浮かべたまま女は静寂の中に溶けていった。

 

 

 女が消えたことで、空間には再び男一人しかいなくなった。

 あの女が、何を思って男に手を貸したのか、男には分からない。

 だが、その人間味を欠いた表情や言葉の中に人を思いやる気持ちが時折、垣間見えていたのを男は見逃しはしなかった。

 今も、彼女なりに男を案じてくれていたのだろう。

 そう言うところは本当に似ているな、と男は一人の少女の顔を思い浮かべて苦笑した。

「――――――」

 扉に手を掛けて、瞳を閉じる。

 ピシリ、と扉を等分するように綺麗な亀裂が一つ縦に入った。

 静寂が支配する空間に重苦しい音を響かせて、ゆっくりと扉が開き始めた。

 

 少しだけ迷いがあったのは事実だ。

 女の言う通り、男の旅路は既に終わっている。本来なら男はもう存在しないはずなのだ。

 だから、今まで新たに歩み出すことに躊躇いを覚えていたことは否定出来ない。

 あるいは、このままここで眠り続けるのもいいかもしれないと思った。

 でも、見てしまったから。

 たった一人でも『明日』を望み、定められた未来を変えようと必死に抗う少女を。

 涙を溢しそうになりながら、不安に耐えて運命に立ち向かっていく少女を見てしまったから。

 だから、男も覚悟を決めたのだった。

 

 扉が開かれた。

 

 休息は終わった。足を止めていられる時間は過ぎ去っていった。

 

 

 さあ、行こう。

 

 例え、その旅路がどれ程の地獄であったとしても。

 

 寂しがり屋で、愛されたがりの魔女の元へ

 

 

 約束を、――――――――果たしにいこう。

 

 

 永遠を刻む印が、その胸で緋く光り輝いた。

 

 

 

 そして――――――……

 

 

 

 

 

 

 両手で握りしめた手にコツン、と額をくっつけた。

 体温を失い、無機質なものに変わってしまった手だったがC.C.には何よりも温かく感じられた。

「今さら、思い知らされるなんてな……」

 なあ? ルルーシュ、と共犯者の名前を呼びながらC.C.は儚げな笑みを浮かべた。

 長く生きてきた。だから、理解していた。

 でも、それでも認識が甘かったと思い知らされた。

 ああ、本当に――

「世界はこんなにも思い通りにならないんだな………」

 

 少女の言う通りだった。

 どれだけ二度と失いたくないと思っても。

 ようやく巡り合えた存在との『明日』を願っても。

 一緒にいたいと祈っても。

 世界はそれらを嘲笑い、あっさりと踏みにじっていくのだ。

 残酷で、薄情で、理不尽で、悲しみと苦しみに満ちている。

 何一つ儘ならない存在を、きっと世界と呼ぶのだろう。

 

 もう、無理だった…………。

 

 そっ、と瞳を閉じる。

 暗闇に支配された感覚の中に底冷えするような感覚が混じる。

 どこまでも落ちていくような、暗く冷たい水の底に沈んでいくような感覚。

 それは死の感覚だった。

 長きを生きた魔女ですら、初めて感じる死。

 

 心の死。

 

 沈みきってしまったら、もう二度と浮かんでは来れない。

 これから先、何も感じず、何も思わず、誰を想うこともなくなるだろう。

 人形のようにただ朽ちるのを待つだけの存在になる。

 でも。それでも……。

 

「すまない、ルルーシュ……」

 そう呟く魔女の眦から涙が音もなく流れ落ちた。

 

 

 

 確かに少女の言う通りだった。

 

 でも。

 

 一つだけ。

 

 一つだけ、忘れていることが少女にはあった。

 

 それは。

 残酷な現実を踏み越え。

 儘ならない運命を凌駕し。

 薄情な神を支配して。

 理不尽な世界を壊した男が。

 

 ――――自らの魔王(きょうはんしゃ)であることを………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

「――らしくないな。魔女のくせに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小さな手が

 

 

 

 

 

 

 

 

 そっと握り返された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「戦おう」

 長らく沈黙を貫いていた扇が口を開くと、今の今まで言い争いをしていた幹部達は言葉を止めて扇を見た。

「どちらを選んでも死ぬしかないなら。……戦おう」

 普段は優柔不断で言い淀むことの多い扇がはっきりとそう口にしたことに幹部達は驚き、顔を見合わせた。

 そんな中で玉城が一歩進み出ると扇に向かって口を開いた。

「だ、だがよ、扇――」

「分かっている。ゼロがいない以上、勝ち目なんてないことは。でも、生き残れる可能性までないわけじゃないはずだ」

「確かにそうだが、でもよ」

「少しでもいいんだ。一人でも。そうやって生き残った奴が後を引き継いでくれれば、それでいい」

 扇の顔に笑みが浮かぶ。情けない弱々しい笑みだがそこに諦めは見えなかった。

「何より俺自身、まだここで終わりたくない」

 その脳裏に一人の女性の姿が浮かんだ。

 自分のために日本人になっても良いと言ってくれた最愛のブリタニアの女性の姿が。

(そうだ。こんなところで死ねない。帰るんだ、千草の元へ……ッ!)

 握り拳を作り、強い決意を示す扇に皆が戸惑い、どうするか悩む。ただ、藤堂だけは扇の決意を聞いた後、同じように強い決意を秘めた瞳を静かに閉ざしていた。

「私も、………戦う」

 口を開いたのはカレンだった。

 部屋に入ってから、ずっと蹲って顔を上げなかったカレンは立ち上がると、髪と同じくらい目を真っ赤にしながらそう言った。

「私もここで終わりたくない。何より、お兄ちゃんも、……ゼロも、最後まで戦った。私だけ逃げるようなことはしたくない」

「カレン……」

 一番年下で少女でもあるカレンの言葉に感化されたのか、幹部達も一人一人、ゆっくりと頷いたり、同意の言葉を口にし始めた。

「決まりだな」

 悲愴な覚悟が部屋に満ちたのを見てとった藤堂がそう口にした。

 それに扇が頷いた。

「ああ、やろう! 例え、奇跡が起きなくても、俺達は―――」

 

 

「違うな、間違っているぞ」

 

 

 力ある言葉が悲愴感漂う部屋に響いた。

 それに部屋にいた全員が弾かれたように、一方向に顔を向けた。

「確かに状況は最悪だ」

 そこにいたのは一人の男だった。その服装は彼等が見慣れたものだった。しかし、その人物が何者なのか、一瞬誰も分からなかった。

 それは、その顔にいつもの見慣れた仮面が無かったからだ。

「相手はコーネリア率いるブリタニア軍。対して、こちらは士気も落ち、瓦解しかけのにわか軍隊に多くの民間人を抱えている。……絶望的だな」

 くつり、とその口元に笑みが浮かぶ。

 黒く美しい髪が揺れ、強い光を湛えた紫紺色の瞳が部屋にいる全員を見渡した。

「だが、奇跡は起こる。起こしてみせる」

 およそ少年の顔立ちをした男の言葉に、しかし、誰も反論しなかった。いや、出来なかった。

 全員が呑まれていた。藤堂でさえも。

 その仮面の下に隠されていた圧倒的な存在感に、皆が呑み込まれていた。

「何故なら、私はゼロ」

 絶望を越え、死の運命を覆し。

「奇跡を起こす男だ」

 奇跡がここに舞い降りる。

 

 

 

 

 それを何と言えばいいのだろう。

 それを何と呼べばいいのだろう。

 

 善か、――悪か。

 正義の革命家か、――はたまた、悪逆なる皇帝か。

 

 その姿は一つなのに、その在り様は万華鏡の如く数多に移ろう。

 その本当の姿を知っているのは一人だけ。

 たった一人の魔女だけ………

 

 

 皇歴2017年、その日。

 かつて、世界が辿った未来、――より僅かに早く。

 

 

 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア

 

 

 その名が再び、歴史の表舞台に姿を現した。




 逆行ルル様、ご登場。


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PLAY:01 その旅路を共に往こう

 すんっっっごい数の感想と評価ありがとうございました。
 少しくらい反応あればいいな、と思っていたら、予想を超えるオール・ハイル・ルルーシュに狂喜しました。
 本当にありがとうございました。

 そして、お待たせしました。
 ちょっと書ききろうと思っていたら、気付けば二万字超え……、うん、二度はやらない。
 そんな無駄に長い文章ですが、それでもよろしければ、どうぞ。


「コーネリア様、黒の騎士団から通信が入っております」

 G-1ベース、その司令部。

 通信オペレーターから告げられた報告に、コーネリアは顔を向けた。

「通信だと?」

 今まで、何の動きも見せなかった黒の騎士団からの唐突な通信要請にコーネリアは訝しげな表情を見せる。

「降伏、でしょうか?」

 側に控えていたギルフォードがコーネリアに、そう問いを投げ掛けた。

 その可能性は十分にあった。

 戦力が整っているコーネリアの部隊に対して、黒の騎士団はガタガタだ。まともに戦闘を行えるかも怪しい。

 今の彼等にはゼロがいない。

 会場から消え去る際のゼロの様子はコーネリアも聞いている。瀕死だったゼロがそこから助かる見込みは無いに等しいと言えた。例え、助かったとしても、およそ戦場に立てる身体ではないだろう。

 ゼロによって保たれていた黒の騎士団が、そのカリスマを欠いたことで臆病風に吹かれたと考えても可笑しくはなかった。

「……いいだろう、繋げ」

「ハッ!」

 コーネリアの了解を得たオペレーターが通信を繋ぎ、その映像をメインスクリーンに回す。

 通信は音声のみだったため、画面は変わらず暗いままだった。

 SoundOnlyと表示された画面から、ザザッ、と音が鳴る。

「さて、降伏か。それとも――」

 どこか余裕の面持ちでそう言うコーネリア。

 しかし、彼女のその余裕は画面から聞こえてきた第一声によって、一瞬にして消え去るのだった。

 

『お久しぶりです。コーネリア皇女殿下』

 

 

 聞こえてきた声に驚いたのはコーネリアだけではなかった。隣にいたギルフォードも細い目を丸くしており、司令部にもどよめきが生まれた。

「ゼロ……、貴様生きていたのか」

『ええ、生憎と。安易に死ねない運命にあるので』

 ふん、とコーネリアが忌々しげに鼻を鳴らす。内心は驚きを禁じ得なかったが、そのような様子をおくびも見せずに暗い画面の向こうにいる仮面の男に挑発的に語りかけた。

「それで、態々通信を寄越してきた理由は何だ? 我が妹の盾になった労を労ってでも欲しいのか?」

『まさか』

 通信越しに軽い笑いを含んだ男の声が届く。

『こうして、連絡したのは他でもない』

 だが、それも一瞬。

『交渉をしよう、コーネリア』

 明らかに空気の変わった声に、幾人かが息を呑んだ。

「交渉? 降伏の間違いではないか?」

 しかし、それに臆するコーネリアではない。怯むことなくゼロに向かって口を開いた。

「いくら、強気に出たところで戦力差は明らかだ。虫の息の貴様らに止めを刺すことなど造作もない。この期に及んで貴様と交渉する必要など――」

『分かりきっている事を一々説明させる気か? コーネリアよ』

 強気な態度を崩さず、彼我の戦力差を示すコーネリアの台詞を遮り、ゼロが口を挟んだ。

『圧倒的有利にあって、それでもお前が攻めあぐねている理由は分かっている。しかし、このまま睨み合いをしていてもつまらんだろう? だから、舞台を整えようと言っているのだ』

 これはその為の交渉だ、と言うゼロにコーネリアは舌打ちを漏らす。だが、同時に確信した。音声通信だということで、あるいはあちらが負傷したゼロの代わりを演じることで少しでも有利に立とうと考えているのかもしれないとコーネリアは疑っていた。

 だが、この頭のキレと通信越しにも分かる威圧感は真似できるものではない。

 間違いなく、このゼロは本物だ。

 だからこそ、油断できない。僅かな隙も作れない、と気を引き締めるコーネリアにゼロは続けた。

『此方の要望は一つ。特区への参加を希望していた一般人をここから離脱させたい。それを為すための時間が欲しい』

「話にならんな。何故暴動を起こしたナンバーズの避難が済むのを我々が待たねばならない。私にとっては、もはや粛清対象も同然の存在だ。逃がしてやる理由はない」

『しかし、ユーフェミアにとっては違うのでは? 自分の言葉を信じ、集ってくれた日本人達が姉の手で皆殺しにされたとあっては、彼女がどれだけ心を痛めるか、想像出来ないわけではあるまい?』

「構わん。今回のアレの振舞いは少々目に余る。たかだか数百人のイレブンの命で、今後自粛してくれるというのなら安いものだ」

 それは嘘だった。確かにコーネリアにとってはどうでも良い命ではある。だが、ゼロの言う通りユーフェミアには違う。もし、ここでコーネリアが彼等を殺してしまえば、今後は、今まで同じように仲の良い姉妹として接していくことは出来ないかもしれない。

 それに、日本人の心情もある。

 日本人の暴発が切っ掛けで始まった今回の騒動。

 どんな形であれ、ブリタニアからの歩み寄りを拒んだ今、ここで少しの温情も見せない対応をすれば、彼等はもう情状酌量の余地はないと取るだろう。

 そうなれば最後。

 明日がないと思った日本人は、ブリタニアに決して従おうとは考えなくなり、それこそ最後の一人になるまで戦い続けるだろう。

 最悪、それはエリア11の無法地帯化を引き起こしかねなかった。

 しかし、だからといって弱腰になる訳にはいかない。少なくともゼロに付け入る隙を見せれば、この男に全てを持っていかれかねない。

 毅然とした態度を崩さず、コーネリアはゼロに対応する。

 そのコーネリアの返答に、ゼロはふむ、と思案げな声を一つ上げて、数秒黙り込んだ後、なら、と更なる条件を提示してきた。

『承知していると思うが、現在、我々は特区式典に参加していたブリタニア側の列席者を保護している』

「保護? ふん、捕虜の間違いだろう」

 忌々しげな声を出しながら、コーネリアは画面を睨み付けた。

 コーネリアが圧倒的戦力差にあって、この時点まで特区に踏み込めないでいた最大の理由がこれだった。

 ユーフェミアの行政特区日本は、ブリタニア人にとっては決して良いものではない。

 だが、そこにビジネスチャンスがないかと言えば、答えはノーだ。

 新規開拓される事業というのは、多角的な面から利益を生む機会を多く孕んでいる。

 目端が多少なりとも利くものであれば、一枚噛みたいと思うのが普通だ。

 そうでなくとも、皇女自らが陣頭に立った政策なのだ。顔を売っておけば、今後の有利に繋がる。

 そう考えた経済界、政界の重鎮、そして、有力貴族などが特区の式典に参加していたのだ。

 そして、その後の暴動に巻き込まれ、警備に当たっていた軍の混乱から、逃げることもままならず、結果その多くが特区に取り残された。

 流石のコーネリアも、これは無視できなかった。

 エリア11を中心に各エリアと、幅広く事業を展開している企業の大物や、本国にいる大貴族と縁のある貴族達もいるのだ。

 彼等を失えば、いらぬ混乱や軋轢が生まれかねない。

 だから、コーネリアも部隊を展開しつつも、慎重に事を運ばざるを得なかったのだ。

『もし、こちらの条件を呑むと言うのなら、彼等はそちらにお返ししよう』

「何だと?」

 思いもよらないゼロの言葉にコーネリアの眉がピクリ、と動いた。

「どういうつもりだ。折角の人質をみすみす手放すと言うのか?」

『人質も何も。私は彼等に特に価値を見出だせない。故に、少しでも有効に使おうと思ったまでだ』

 彼等の身柄を上手く使えば、黒の騎士団としては元より日本としても、ブリタニアからかなりの譲歩を引き出せるかもしれない。

 しかし、ゼロはそれが分かっていて尚、無価値と断言した。

『こちらからは以上だ。返答を聞こう』

 コーネリアは答えない。

 まるで画面の向こう側にいる仮面の男の真意を探るかのように鋭い目付きで画面を見据えている。

(危険すぎる………)

 隣で共に話を聞いていたギルフォードが内心でそう呟いた。

 こちらに有利過ぎるのだ。

 ゼロの提示した案を受け入れれば、ブリタニア側に攻撃を躊躇う理由は無くなる。そうなれば、全面対決は避けられないだろう。

 この状況で真っ向から双方がぶつかった場合、その結果は火を見るより明らかだ。

 ゼロとて、それは分かっているはずだ。なのに、彼は敢えてその選択を選ぼうとしているのだ。

「――――――ッ」

 ふと、ギルフォードの脳裏に苦い記憶が甦った。

 追い詰めているのに、まるで揺るがない存在感。

 巧みにこちらを切り崩そうとしてくる、その舌峰。

 そして、何よりこの何を考えているか分からない、得体の知れない不気味な雰囲気。

 あの時のゼロと同じだった。

 あの時。サイタマで自分達を相手に、たった一人で絶望的な状況をひっくり返したあの時のゼロと。

『どうした? 共に足枷となっている存在を除いたうえで、改めて雌雄を決しようと言っているのだ。何も迷うことはあるまい?』

 押し黙ってしまったコーネリアに答えを促すようにゼロがそう言ってくる。

 受け入れるべきではない。ギルフォードはそう判断する。

 コーネリアの言う通りだ。このゼロは、まるで別人だ。

 普段のゼロには見られる付け入る隙が、このゼロからはまったく見られない。

 画面越しにも分かる威圧感と、見透すことの出来ない底知れなさは、認めたくはないが風格すら感じさせられた。

 このゼロの思惑に乗って、奴に時間を与えるくらいなら、このまま攻め入り、そこから来る混乱や被害を被った方がまだ安いと思えた。

(姫様……)

 不安や戸惑いを帯びた視線が、司令部内の至るところからコーネリアに集まった。

 その視線を受けてコーネリアが口を開く。しかし、口にした答えは彼等の望むものではなかった。

「いいだろう。貴様の口車に乗ってやろう」

「姫様!?」

「黙れ」

 驚愕を露にするギルフォードだったが、コーネリアのその一言に何も言えなくなってしまう。

「それで? イレブン共の避難にどれくらいの時間が必要だと言うんだ?」

『そうだな、……ざっと十二時間というところか』

「ダメだ。長過ぎる。三時間だ」

『八時間。こちらには老人や怪我人も多い。それに今のように威圧するように部隊を展開されては、昼の恐怖から動けない者も出てくる』

「………なら、六時間だ。代わりに部隊を百メートル後退させよう」

 コーネリアのその発言に、ゼロは暫く考え込むように黙った。

『――時間は五時間で良い。但し、部隊は現時点から四百メートル後退して貰いたい』

「……いいだろう。その程度なら譲歩してやる」

『決まりだ』

 お互いの姿が見えない中で、しかし、その二人の視線が交わったように感じられた。

『では、五時間後に』

「覚悟しておけ。我等を侮った事、必ずその命で支払わせてやる」

『肝に銘じておこう』

 それを最後に、ゼロとの通信は途切れた。

「姫様、何故……ッ!」

 堪らず、ギルフォードがコーネリアに詰め寄った。

「アレは危険です! 今の奴は普通ではありません! 時間を与えてしまえば何をしてくるか……!」

「だろうな。だが、だからといって退くわけにはいくまい?」

 更に言い募ろうとするギルフォードの口を、獰猛な笑みを作ることでコーネリアは封じた。

「ゼロの提案は、もはや果たし合いを望んでいるのと同義だ。決戦の場を望み、我等に挑戦状を叩きつけてきたのだ。ならば、私に退くことは許されない。敵に臆して、戦うことから逃げることなど出来ようはずがない」

 くくっ、とコーネリアの喉が鳴る。

 恐らく、こちらの性格も織り込み済みだったのだろう。

 本当にゼロがこちらと矛を交えるつもりでいるか分からないが、戦うことを望まれれば、コーネリアは応じずにはいられない。だから、あの男は今回の交渉を、あくまで『決戦』のための交渉とすることで、コーネリアから最大限の猶予を引き出したのだ。

 まったく、よく理解していると感心せざるを得なかった。

 腹立たしいが、どうやら弁舌では相手の方が一枚上手らしい。

(だが、戦いに関しては別だぞ)

 気持ちを切り替え、コーネリアは声を張り上げた。

「これより五時間以内に部隊を増強し、黒の騎士団との決戦に備える! 待機中のグラストンナイツを呼び寄せろ! シズオカ、ナゴヤにも増援を出すように通達せよ!」

 矢継ぎ早に出される命令に、司令部内が慌ただしく動き始める。

「確かに奴に油断は出来ぬ。だが、私は、…我等は敗けん。そうだな? 我が騎士ギルフォードよ」

 その確信と信頼に満ちた言葉に、ギルフォードの中にあった迷いも消える。

「イエス、ユアハイネス」

 それに満足げに頷くと、コーネリアもまた決戦に向けて動き出した。

 次々に命令を出しながら、きびきびと動き回る中で、コーネリアは脳裏に忌々しい仮面を思い浮かべた。

(油断も慢心もない。ゼロよ、貴様が何を企もうが、我等の全力を持って必ず叩き潰してくれる……!)

 

 

(そう思っているのなら、こちらの思惑通りだ。コーネリア)

 通信を終えた機器に、これから敵対する姉の姿を見ながらルルーシュは口の端を釣り上げた。

 現状、ルルーシュにとって一番困ることは動きがないことだ。

 どんな優秀な打ち手だろうと、ゲーム自体が進行しなくなれば手の打ちようがない。

 だが、どのような苦境でも、物事が動き、流れが出来れば幾らでもやりようはある。そのための時間も確保した。

(しかし、コーネリア、か……)

 最後には世界すら敵に回し戦ったルルーシュが、一番多く戦火を交えたのは、おそらくこのコーネリアだ。

 最終的に勝敗が着かずに終わった事と、『前回』辛酸を舐めさせられた事から、サイタマではつい、()に出てしまった。

 そして、今回。まるであつらえたかのように、そんなコーネリアとの雌雄を決する場が設けられた。

(因縁か? まあ、いい。肩慣らしには丁度良い相手だ)

 問題は、と思いながらルルーシュは振り返った。

 その視界に沢山の顔が入った。

 今、この部屋にいるのは黒の騎士団の幹部及びキョウト六家の面々。――そして、入口の側にいるC.C.だけだ。

 

 懐かしいと思える顔はほとんど無かった。

 

 恐怖、猜疑、困惑。およそ、友好的とは言えない表情をその顔に浮かべて、皆一様にルルーシュを見ていた。

 とはいえ、そんなのは今に始まったことではないのでルルーシュは特に気にする素振りも見せず、涼しい顔で立っている。

「さて………」

 通信機が置いてあった机にもたれ掛かるように身体を預け、腕を組みながらルルーシュが口を開いた。

 普段は仮面に隠されていた強い意思を携えた瞳に見つめられ、何人かが居心地悪そうに居住まいを正した。

「五分だ」

「――は?」

 誰かが間の抜けた声を上げた。

 一体これからどんな話が飛び出してくるのかと身構えていた一同は、その予想外の一言にどう反応していいか分からない表情をする。

「時間を確保したはいいが、余裕があるとは言えない。だから、五分だけ質問する時間をやる。その間に自分達を納得させてみろ」

 納得させてみる、ではなく納得させてみろ。

 不遜とも言える物言いに、やはり食って掛かる人物がいた。

「い、いきなり出てきたと思えば、何様だ!? このガキ! 大体、お前、ホントにゼロかよ!? 死んだって聞いたぞ、俺は!」

 大きな声を上げて、玉城ががなり立てた。

 撒き散らすかのように、玉城はルルーシュに詰め寄るが、当のルルーシュはどこ吹く風と言わんばかりに涼しい態度を崩さない。

「無意味な質問だな」

「あ? どういう意味だよ」

「誰もゼロの素顔を知らなかった以上、幾らでも言い訳は効くということだ。別人、影武者、あるいは後継者。何とでも言える」

 だから、とルルーシュが続ける。

「今、ここでお前達が確認すべきは、私がゼロだったのか、ではなく、今ここにいる私がゼロ足りうるか、ではないのか?」

 鋭い眼光が玉城を射抜いた。

 責め立てていたはずが、逆に言い負かされた玉城は、その視線にたじろぎ後ろに下がった。

「なら――」

 そんな玉城に代わり、今度は扇が一歩前に進み出た。

「なら、君がゼロだったとして……、教えてくれ、君は一体何者なんだ?」

 組織のナンバー2としての責任からか、扇が皆の気持ちを代弁するかのようにその疑問を口にした。

「――――――」

 それにルルーシュはすぐには答えなかった。

 戸惑いや不安を隠せずにいながら、しかし、ルルーシュから顔を背けない扇の顔を見て、そして、部屋にいる全員の顔をゆっくりと見回した後、目を閉じて―――

「―――ルルーシュ」

 かつてにおいて、自らの口から言えなかったその名を口にした。

「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア」

 

「ルルーシュ、ヴィ……、ブリタニア!?」

「ブリタニアって、……つまり、皇族ってことかよ!?」

「どういう事だよ!? ゼロが皇族って、……いや、なら、俺達はブリタニアの皇族に言いように使われていたってことか!?」

 動揺が部屋の中に広がり、直ぐにそれは悪意に変わろうとし始める。

 それを押し止めるように、扇が驚きの声を上げた。

「ま、待ってくれ! つまり、ゼロ、君はブリタニアの皇族だと言うのか?」

「正確には、元、皇族だ」

 熱を帯び始めた部屋の空気とは裏腹に、ルルーシュの声は水のように冷たかった。

「かつての私の肩書きは、神聖ブリタニア帝国第11皇子第17皇位継承者。八年前、父帝と祖国に捨てられた元皇子だ」

「捨てられ、た……?」

 その言葉の意味を確かめるかのように、たどたどしくカレンがルルーシュの言葉を繰り返した。

「そうか。あの時の……」

 その理由を答えようとルルーシュはしたが、それより早く呟かれるように漏れた声に皆の視線がそちらに集まった。

「知っているんですか? 藤堂さん。ゼロの事……」

 朝比奈の問いに藤堂が頷く。

「知っている者もいるだろう。八年前、戦争が始まる少し前に、ブリタニアから幼い皇族の兄妹が留学してきたことを。その兄が彼だ」

 それに思い当たる者もいたのか、何人かがそう言えば、という顔をした。大して大きなニュースとして放送された訳ではなかったし、その後の壮絶な出来事から、ほとんどの人間の記憶には残ってはいなかった。

 だが、当時顔見せ程度だが、直接会っていた藤堂は合点がいったという風に桐原の方へ顔を向けた。

「キョウトが何故、簡単にゼロを信じたのか疑問に思っていたが、…成程、桐原公であれば、彼の正体を知っていても不思議ではない」

 魔女以外で、ただ一人その仮面の下の素顔を知っていた老人がニタリ、と悪どい笑みを作った。その老人から再びルルーシュに視線を戻すと、藤堂は問いかけた。

「ならば、ゼロ。君が戦う理由はやはり、復讐か……?」

 その問いかけに、ルルーシュは表情を少しも変えることなく、ゆっくりと首を横に振る。

「確かに、それも理由の一つだったが、今となってはどうでもいいことだ」

「どうでもいい? それは復讐を果たしたということか? それとも―――」

 諦めたのか、と視線で問いかけてくる藤堂に、ルルーシュは億劫そうに深い息を吐いた。

「どちらでもない。単純に復讐するに値しないと分かっただけだ。虫に刺されたからといって、虫に復讐しようなんて考える奴は、ただの馬鹿だろう?」

 許すことはない。怒りもある。だが、だからと言って態々相手にしようとも思わない。

 ルルーシュにとって、父母の存在は、もう、その程度のものでしかなかった。

「じゃあ――」

 そのやり取りを黙って聞いていたカレンの固い声が部屋に響いた。

「答えて、ゼロ。貴方は一体何の為に戦っているの? ……何を望んで、貴方はゼロとして立ち上がったの?」

 少しの嘘も見逃さないと言わんばかりの視線がルルーシュに突き刺る。

 他の皆も、それを知りたいのか。

 小言の一つも口にすることなく、黙ってルルーシュの言葉を待っている。

 再び、しん、と部屋が静まり返る。

 張り詰めた緊張に、誰かが生唾を飲む音が聞こえた。

 その静寂の中、僅かにも逸らさないカレンの目を見つめ返して、ルルーシュは答えた。

 

 

「――――世界が欲しい」

 

 

 誰もが目を丸くし、驚きに声も出なかった。

 まさかゼロの口から、そんな発言が飛び出すとは誰も思わなかったからだ。

 当たり前だ。無知な子供でもあるまいし、世界というものを少しでも理解していれば、それがどれだけ荒唐無稽な発言か分かろうものだ。それこそ、大国の王でもなければ、嘲笑と侮蔑の的になることだろう。

 だが、皆、驚きこそすれ、誰もその発言を笑うことはしなかった。

 それは、きっと、ルルーシュの口から出たその言葉が、とても透明だったからだろう。

 欲に塗れた言葉ではない。

 理想という熱に浮かれた言葉でもない。

 その凡百な言葉の裏にある隠し切れない想い(ねがい)を皆が感じ取っていた。

「カレン、君は今のこの世界をどう思う?」

「え? あ……」

 他と同様に、ルルーシュの言葉に気圧されて固まっていたカレンは、咄嗟に答えることが出来ず、口ごもってしまう。

「壊したいと思ったことはないか?」

「壊す……?」

「私は、――――ある」

 ぞわり、と肌が粟立つのを感じた。怒りにも似たその言葉と、一層研ぎ澄まされたルルーシュの気配に金縛りにあったように身体が動かなくなる。

「人は平等ではない。強き者こそ正しい、と誰かが言った」

 弱肉強食。強き者が生き残り、弱き者は淘汰されていく。

 生命の始まりより連綿と続く、原初のルール。

 ルルーシュも、それを否定することは出来ない。

 どれだけ言い繕うとも、物事には必ず優劣が生まれる。

 より優れた者が、より強き者が勝つ。

 それは確かに、この世界の理の一つだろう。

 だが―――

「それが全てなのは、獣の世界だけだ」

 原初のルールと言うことは、最も古いということ。

 人が人たりえる前から存在したもの。

 即ち、理性の光が宿らない、純粋な本能によるものだということだ。

「いつから、人は猿に戻った? いつから、この世界は豚の飼育場になったというんだ?」

 その理を都合良く解釈した一部の人間が、あらゆるものを貪り食い、肥えたぎった豚になる。

 弱き者は、ただ俯き、他者を僻みながら、自分が巻き込まれないようにと卑屈に生きる。

「お前達は満足か? 自分が、愛する者が、これから生まれてくる生命の生きる世界が、そんな世界で」

 そう問いかけた自身の言葉に、ルルーシュはかぶりを振る。

「私はごめんだ」

 人はそんなものではない、とルルーシュは続けた。

 人の本質は、人の想いは、決してそんなちっぽけなものではないと。

 簡単なことのようで、とても難しい。でも、それでも必ず、そんな『明日』が来ることをルルーシュは信じた。

 命を費やす程に……

「人が人に優しく在れる世界。そんな世界が欲しい。それが私の、戦う理由だ」

 

 

 言葉もなかった。

 初めて語られたゼロの、ありのままの想いに誰しもが言葉を失っていた。

 気高い想いだった。

 この世界に不満を抱く者は多いだろう。理不尽だと呪う者もいるだろう。

 だが、大抵の者はそれを口にするだけで終わる。本気で世界に抗おうなどと誰も考えない。

 だが、ゼロは違った。

 本気で世界に憤りを感じ、変えようと立ち上がったのだ。

 それは素晴らしく、そして、尊い想いだろう。

 

 だが、それに理解を示せるかは話が別だ。

 

 ざわめきが少しずつ部屋を満たしていく。

 その口を突いて出るのは、やはり困惑だ。

 仕方がないことだった。何しろ、スケールが違いすぎるのだ。

 自分達の現状に不満を持ち、何とかそれを変えようとしている黒の騎士団と、世界を憂い、その在り方を変えようとしているゼロとでは、見ているものの視点が違いすぎた。

 ここにいるほとんどの人間が、その壮大な思想に感銘は受けても、共感することは出来なかった。

 ルルーシュとて、それは分かっていた。元より理解されたくて話した訳ではない。これより先、進むべき道を選ばせるために質問に答えたまでだった。

「時間だ。答えを聞こう」

 約束の時間になったのを見てとったルルーシュが幹部達の戸惑いを無視して、そう告げた。

「選べ。私をゼロとし、もう一度私と共に戦うか、それとも、否かを―――――」

 

 部屋が三度、静まった。

 答えを求めるゼロに、誰も口を開かない。

 ゼロの正体は分かった。その戦う理由も知った。

 だが、逆にゼロという人物が分からなくなってしまった。

 信じられるのか、どうか。ゼロという人間を計りきるには彼等には多くのものが不足していた。

「ゼロ、…その、俺達は、君を信じてもいいのだろうか?」

 それ故に扇がルルーシュに答えを求めるが、返ってきた言葉は無情だった。

「誰かに答えを求めるな。自分の命の使い方を、その生き死にくらい自らの意思で選べ。その目で、その耳で、何に命を懸けるのか、自分で選ばなければ、いずれ後悔することになる」

 その突き放した物言いに、部屋の空気が否定的な方へ流れ始めた。

「ゼロ様」

 その流れを変えるかのように、鈴が鳴るような声が部屋に響いた。

「何でしょう? 皇神楽耶様」

 名前を呼ばれ、神楽耶が前に進み出てくる。先程、ルルーシュの想いを聞いた後も戸惑いを見せなかった数少ない人物であり、その時からずっとその頬が朱に染まっている。

 しずしずと、神楽耶はルルーシュの目の前まで歩み出てくると、とてもにこやかな笑顔を浮かべた。

「ゼロ様。先程のご高説、私、とても感動いたしました。ですが、力なき理想など百害あって一利なし。ですので、どうかお答え下さい、ゼロ様。貴方はこの窮地をどう脱するというのですか? この強大な嵐を前にした我等に勝利を授けることが出来ると仰ることが出来ますか?」

「窮地? いいえ、間違っておりますよ、神楽耶様」

 神楽耶の笑顔に応えるように、ルルーシュもその顔に愉しげな笑みを浮かべる。

「これは窮地ではありません。またとないチャンスです」

「チャンス?」

「ええ、いくら強大な嵐でも風が止むところはありましょう。………では、そうですね。一つ宣言しましょう」

 ふっ、と微笑を湛えた自信溢れる表情に至近距離で見つめられ、神楽耶はふるり、と身体を震わせた。

「もし、黒の騎士団が、貴女方が今一度、私と共に戦うことを選べば―――」

 言い切る前にルルーシュは腰掛けていた机から離れると、ぐるりと周り、その後ろの壁に掲げられていた二つの旗のうちの一つを強引に剥ぎ取った。

 白地に赤い丸の旗が、バサリと翻った。

 

「――夜明けの頃、この旗がこの国の首都にはためく光景をご覧に入れて差し上げましょう」

 

 

 ああ――、と神楽耶は熱いため息を吐いた。

 何て甘美な囁きなのだろう。

 何て甘い誘惑なのだろう。

 力ある言葉とは、こんなにも人の心を惹き付けてしまうのか、と神楽耶は思った。

 ぽー、と熱に浮かされたように神楽耶はルルーシュを見つめたまま動かない。

 ルルーシュも神楽耶を見たまま、目を逸らさずにいる。

 その姿が、その瞳が、先程の言が偽りではないと神楽耶に訴えかけてきていた。

(これが、王、というものなのでしょうか?)

 そんな自身の感想に一つ、笑い声を上げると神楽耶は深く頷いた。

「分かりました。キョウト六家を代表して、私、皇神楽耶がゼロ様への協力を約束致しましょう」

「神楽耶!?」

「何を勝手に! 家柄だけの女子が!」

「では、何とする!!」

 勝手に話を進めた神楽耶を糾弾しようと、桐原以外の六家の代表が声を荒げるが、それらを切り裂く鋭い声が神楽耶の口を突いて出た。

「ここで抗わねば、もはや日本に明日はない! これから先をブリタニアの奴隷として生きていくことになるのだぞ! それすらも分からんと言うのか!?」

「それは……っ、だが、しかし……」

「むぅ………!」

 小さな女子と侮っていた六家の面々は、その姿からは想像できないほどの覇気に当てられ、押し黙ってしまう。

「…うむ、ここは神楽耶が正しかろう」

「桐原……」

「お主まで……」

「神楽耶の言う通り、ブリタニアはもう我々に容赦はせんだろう。どれだけ擦り寄ろうと骨の髄までしゃぶり尽くされてしまうだけじゃ。ならば、少しでも出目の良い方に賭けるのが賢い選択じゃろうて」

 にやり、と笑う桐原にルルーシュも同じような笑みを返す。

 そのやり取りを見ていた他の六家達も不承不承といった感じではあるが、一人、また一人とルルーシュへの協力を承諾していくのだった。

 

「さて、お前達はどうする?」

 この期に及んで、まだ答えを出せず悩み続ける黒の騎士団のメンバーにルルーシュが答えを促す。

 だが、それでも誰も答えない。しかし、口を開く者はあった。

「ゼロ、……ううん、ルルーシュ。もう一つだけ答えて」

「質問の時間は終わっただろう、まったく――」

 若干渋る素振りを見せるも、そこに拒絶の意がないことを感じ取ったカレンは強気な口調でルルーシュに問いを投げた。

「教えて、ルルーシュ。貴方は、この国を、――日本をどう思っているの?」

 それにルルーシュは僅かに目を見開いたが、直ぐに冷ややかな表情に戻る。

「――別に何も。目も足も不自由な年端もいかない少女を土蔵に押し込めるような人間がトップの国だぞ。どう考えても好意的な印象など持つことは出来はしない」

「それは――…、そうね。その通りだわ」

「だが――」

 ルルーシュの言葉に沈んだ表情を見せ始めたカレンから顔を少し背けて、ルルーシュは言葉を重ねた。

「―――いいと思った」

「え?」

「それでも、この国で死んでもいいと思った」

 例え、二度と祖国の土が踏めなくても。

 この異国の地に葬られることになろうとも。

 悔いはない。――そう思った。

 この国に思い入れなんてない。でも、そう思わせる出会いはあった。

 そう、思わせてくれた友がいた――――。

「そう………」

 それに驚いた表情を見せていたカレンは、暫し居心地悪そうに顔を背けたルルーシュの横顔をじっと見つめていたが、不意に表情を和らげた。

「少しだけだけど、何となく貴方の事が分かった気がするわ」

「ふん」

 不機嫌そうに鼻を鳴らすルルーシュに、声を出してひとしきり笑うと、晴れやかな表情でカレンは告げた。

「決めました。零番隊隊長紅月カレンは貴方と共に戦います、ゼロ」

「おい、カレン!?」

「いいのかよ!?」

「うん、もう決めたから。それにお兄ちゃんも、きっと同じ選択をしたと思うし」

 そう答える少女の顔に迷いはなく、いつもの溌剌とした表情がその顔に戻っていた。

「なら、私も一緒ねぇ」

「ラクシャータさん?」

「アンタがいないと紅蓮は動かせないしぃ? それにちょっと驚いたけど、やっぱりゼロは面白そうな奴みたいだし。付き合ってあげるわよぉ?」

「ありがとうございます!」

 バッ、と勢いよく頭を下げたカレンにラクシャータは苦笑する。

「それで? アンタはどうする気? ディートハルト」

「愚問ですね」

 煙管を振りながら訊ねてきたラクシャータに、ディートハルトは即答する。

「私はやはり正しかった。ゼロこそ、時代の先駆け。新たなる世界の体現者。先程の話を聞いて実感しました。時代は必ずここから変わる――――ッ!」

 興奮冷めやらぬ、といった表情でディートハルトはルルーシュを見つめ続けている。

 この男もまた、神楽耶同様、ルルーシュの言葉に魅入られていた。

「――私も共に戦おう」

 そんな彼等に続くように、藤堂が声を上げる。

「藤堂さん!?」

「いいんですか!? こんな訳の分からない奴と――」

「確かに全面的に信頼するのは少しばかり難しい。だが、私は何としても日本を取り戻したい。それが出来なければ、国を想い散っていった片瀬少将や他の皆に合わせる顔がない………ッ」

 重苦しく思いを吐き出しながら、藤堂はルルーシュに強い視線を向けた。

「ゼロ………、君が何者であっても構わない。日本を取り戻せるというのなら、悪魔であってもその手を取ろう」

 そう決意を示した藤堂に卜部と仙波が追随する。

「まあ、確かに怪しいと言えば怪しいが……」

「うむ。その力量は本物だ」

 卜部と仙波が藤堂に同調するが、未だ納得のいかない朝比奈と千葉は答えを出すことを渋っていた。

「朝比奈、千葉。納得がいかないならお前達は―――」

「いいえ、お供します! 藤堂さん!」

 見かねた藤堂が声を掛けるが言い切る前に、千葉が慌てたようにそう口にする。

「僕も。……正直ゼロのことは、正体を知った今でも信用出来ませんが、藤堂さんのいる場所が僕の居場所ですからね。一緒に戦いますよ」

「……感謝する」

 頭を下げた藤堂に、千葉が慌てた様子を見せ、そんな彼女を朝比奈がフォローしている。

 そんな光景を黙って見ていたルルーシュは、静かに視線を動かすと、まだ答えを出していない者達に視線を戻した。

 即ち、扇グループのメンバーに。

「扇……」

 他の面々が決意を示したために、肩身が狭くなったのか、玉城が扇に声を掛けた。

 カレン以外の扇グループのメンバーは、扇に選択を託したのか、口を開かず心配そうに扇を見ている。

 それらの視線を受け、ゼロや他の皆の視線を一身に浴びて、険しい表情を見せていた扇だったが、ついに意を決したように口を開いた。

「ゼロ、俺は君を信じきることは出来ない」

「扇さん!?」

「信じたいとは思う! でも、君の考えや想いは、俺なんかじゃ及びもつかないくらいに大きくて、だから、君が何を考えているのか分からなくて不安を感じてしまう」

「――そうか」

「でも!」

 ゼロの考えや想いは、確かに分からない。

 でも、と扇は思う。

 でも、その口にした言葉が本当か、その想いに込められた熱が本物かどうか。

 それまで、分からない訳じゃない―――。

「君の覚悟や、それに懸ける想いは紛れもなく確かなものだと俺は感じた。だから、ゼロ。俺は君に賭ける」

 世界を変える、と彼は言った。

 今のこの世界の在り方は間違っていると。

 強き者が蹂躙し、弱き者がただ虐げられることを否、と彼は言った。

 なら、見ているものの高さは違うかもしれない。

 でも、見ている方向は、きっと同じなはずだから。

 だから――――。

「頼む、ゼロ。俺達を、日本を終わらせないでくれ…………!」

 頭を下げて扇がルルーシュにそう懇願した。

 

 

 願いが届けられる。

 ここにいる者達だけの願いではない。

 この地に根付いていた全ての人達の願いが。

 か細く、すぐに溶けて消えてしまう小さな声が届けられる。

 本来なら、それは誰の耳にも届かず、ただ消えていく雪のようなものだ。

 しかし、かつて魔王はそんな声を拾い上げた。

 『明日』を求める世界中の声なき声に応えた。

 

 故に―――。

 

 

「―――いいだろう。聞き届けよう、その願い」

 

 

 国と、その名を奪われた者達の願いもまた、確かに拾い上げられた。

 

 

 

 

「――以上が、作戦の概要になる。質問は?」

 全員が今一度、ゼロと共に戦うことを宣言すると、ルルーシュは時間がないと言わんばかりに慌ただしく作戦内容の説明に入った。

 事実、時間に余裕があるわけというわけではない。ルルーシュがコーネリアからもぎ取った五時間という時間は、ルルーシュが作戦を展開するにあたって計算したギリギリのラインなのだ。

 それ以上時間を費やせば、策を看破される可能性があるし、その後の作戦行動にも支障をきたす。

 だから、限りある時間をルルーシュは出来るだけ有効に使いたいのだが、やはり人というのは儘ならなかった。

「あの、その、……ルル、じゃなかったゼロ」

「何だ?」

 おずおずと手を挙げて質問しようとするカレンにルルーシュの鋭い視線が突き刺さる。

「いえ! その、何というか今回の作戦って――」

「子供騙しだな」

 言い淀むカレンに先んじて、ルルーシュがそう答えた。

「だが、子供騙しとはいえ騙しは騙しだ。その一瞬の乱れを見逃さなければ、勝機は十二分にある。――いや、例え僅かしかなくても、必ず私が勝機に変えてみせる」

 それに納得したのか、カレンが頷き、手を下ろした。

 真剣な顔をしているが、内心で出来れば仮面を被って言って欲しかったとか思っていることに、勿論ルルーシュは気づかない。

「他に質問は?」

 一同を見渡しながら、ルルーシュがそう聞くが誰の口も開かれなかった。

「よし、では準備にかかる。藤堂は具体的な戦術を詰めておいてくれ。ラクシャータはナイトメアの修理を。カレンはそれに付き合った後、作戦開始時間まで出来る限り身体を休めておけ。桐原公、必要なデータの提出をお願いする。扇は先程リストアップした組織に連絡を取り協力を取り付けろ。ディートハルトは全体の調整を頼む」

 次々と幹部達に指示を出すと、最後にルルーシュはもう一度、全員を見てから鋭い声で注意を促す。

「ここから先は、もう足を止めていられる時間はない。一分一秒の遅れが敗北に繋がると思え」

 ピリ、とする緊張感を漂わせてそう言うルルーシュに、皆が息を呑みながら神妙に頷いた。

 それを確認した後、ルルーシュも頷き、作戦開始の号令を下した。

「一気に駆け抜けるぞ、―――この国の夜明けまで」

 

 

 

「ディートハルト、私は一度下がる。何かあれば連絡しろ」

「分かりました」

 一同が忙しくなく動き出したのを確認すると、ルルーシュはそう言って、部屋を後にした。

 固い廊下を踏みつけるブーツの音がコツコツと聞こえる。―――二人分。

 コーネリア、黒の騎士団、とクリアした今、残る最大の問題がルルーシュのすぐ後ろに付いてきていた。

 

 ……正直、少し気が重い。

 

 こちらにも理由があるとはいえ、C.C.が自分を想い、色々と頑張ってくれていたのを知ったうえで、ルルーシュは自己の意識を深く沈めていたのだ。

 彼女の性格からして、面倒な事になるのは避けられない。

 しかし、だからといって、避けられる問題でもない。

 素直に認めるのは癪だが、彼女を想うが故にルルーシュは現実世界に戻ってきたようなものなのだから。

 

 適当な空き部屋に入り、C.C.も後から入ってきたのを確認すると念の為、鍵をかける。

 そのまま、どう切り出すか、と考えながら振り返ったルルーシュの身体を衝撃が襲った。

 柔らかい身体の感触と、懐かしい少女の香りがルルーシュの身体に勢いよく抱き付いてきた。

 咄嗟だったことと、かなりの勢いで飛び付いてきた少女の身体をルルーシュは受け止めきれず、強かに扉に身体をぶつけてしまう。

 ぐっ、という苦しげな声がルルーシュの口から漏れた。

「ッ、おい! 何を―――」

「本当に――」

 思わず文句を言おうとするルルーシュだったが、それを遮るようにC.C.の震える声が耳朶を打った。

「本当に、ルルーシュなのか? 私の―――」

 声も身体も震わせ、ルルーシュにしがみつくように抱き付きながらC.C.がそう言う。

 それにどう答えるか。

 少し考えたルルーシュは少女の髪を掻き分けると、あらわになった耳元で優しく囁いた。

「―――――」

「ぁ―――…」

 ピクン、とC.C.の肩が跳ねる。

 相変わらずだった。相変わらず、発音は怪しいし、素直さと労りも足りない。

 でも、優しさと温かさは何よりも増していた。

 それは、名前だった。

 世界でただ一人、共犯者たる魔王のみが知る魔女が魔女になる前の名前。

 

 C.C.の本当の名。

 

 それをルルーシュは告げてみせた。

「納得したか?」

 答えはない。代わりに身体に回されたC.C.の腕の力が増した。

 何度も肩を震わせ、時折嗚咽を漏らすC.C.。

 てっきり罵詈雑言が飛び出してくると思っていたルルーシュは、その予想していたのとは違うC.C.の行動にどう反応していいか分からず、とりあえず彼女の背中に手を回すと、あやすようにポン、ポン、と彼女の背を叩き始めるのだった。

 

「落ち着いたか?」

「ああ……」

 長らく、まるで全身でルルーシュを感じようとしているかのようにぴったりと密着して離れなかったC.C.だったが、ひとしきり泣き、温もりを堪能したからか、落ち着きを取り戻すとルルーシュから身体を離した。

 そうして、落ち着きを取り戻し思考が回り始めると様々な疑問が浮かび上がってきた。

 とりわけ一番疑問に思うことが……

「お前、どうして生きている?」

 それだった。

 薄々ではあるが、C.C.はルルーシュが自分と同じように時間を遡っているのではと勘づいていた。

 だが、それを確かめて違っていた際、また絶望に打ちのめされることを嫌い、淡い希望に留めておくにしておいたのだ。

 でも、その希望も数時間前にルルーシュの命と共に消えてしまったと思っていた。

 しかし、ルルーシュは生きている。

 こうして、ここにいる。

「何となく分かってはいるんだろう?」

 そう言いながら、ルルーシュは自分の胸元のボタンを外し、その下に隠れていた肌をさらけ出した。

「…………」

 無言のまま、C.C.はルルーシュの胸元に刻まれたそれを撫でた。

 それはC.C.の額にあるのと同じ。

 刻まれた人間を、人の世の理の外に置く時の異邦人たる証。――コード。

 それがルルーシュの胸元にしっかりと刻まれていた。

「そんな、どうして……、いや、そもそも、これは誰のコードだ?」

 この時代のC.C.のコードはC.C.がしっかりと保有している。V.V.のコードはここにはないが、遠い場所に僅かにその気配を感じる。

 可能性があるのは、あの時代のV.V.からシャルルに移ったコードだが―――、

「これはアイツらのコードではないな?」

 ルルーシュの胸元にあるコードからは、よく知っているコードの気配はしなかった。

 ルルーシュが頷く。

「これは俺のコードだ」

「お前、の?」

 ああ、とルルーシュはC.C.の手ごと自身に刻まれたコードに触れる。

「俺のギアスから、――俺自身から生み出された新しいコード、らしい」

 ルルーシュから告げられた事実に、C.C.は驚き、その事実を確認するかのようにルルーシュのコードを何度も撫でる。

「……あり得るのか? そんなこと。初めて聞くぞ、新しいコードの発生なんて」

「さあな。だが、事実としてあるんだ。受け入れるしかないだろう」

 しょうがない、と言う風にルルーシュが肩をすくめる。

 だが、そうなると新たな疑問が浮かんでくる。

「あ、ま、待て。コードについては分かった。だが、おかしい。私とお前の契約は途切れていない。何より、お前、ギアスが………」

 先程、一度は切れたと思っていたルルーシュとの契約だったが、いつの間にか、しっかりと結び直されていた。

 じっ、と覗き込むようにルルーシュの瞳を見つめるC.C.。それに答えるようにルルーシュは、一度、左手で両目を覆い隠した後、ゆっくりとその手を離した。

 再び現れた両目は色を変えていた。

 紫紺色の瞳は消え去り、代わりに緋が宿っていた。

 それは印だった。彼女がルルーシュに与えた王の力の印。

 ギアス。

 それがルルーシュの瞳に未だ宿っていることを認めたC.C.は呆然と呟いた。

「何故だ? 何故、コードが刻まれているのに、ギアスが…………」

「詳しくは俺にも分からん。だが、どうやら、これが敵の狙いらしい」

「敵――」

 その言葉に、思い出す光景があった。

 この時間に飛ばされる前、あの礼拝堂で自分のコードに干渉した謎の人物のことをC.C.は思い出した。

「いるんだな? 敵が……」

「ああ、いる。お前を使うことで、Cの世界に溶けて消えようとしていた俺の意識を繋ぎ止め、俺達をこの時間に放り込んだ神話(てき)が」

 そこまで言うと、ルルーシュは顔を僅かばかり下に向けて、何かを考えているのか思案げな顔をしているC.C.に、伏せ目がちに口を開いた。

「――すまない」

「え?」

「少し、迷っていた。俺が完全に現実世界に戻ってくれば、敵は動き始める。そうなると、多くの者を巻き込み、傷付けてしまう。だから――」

「だから、――逃げるつもりだったのか?」

 固く、厳しいC.C.の声に顔を上げれば、苛烈な意思を宿らせた魔女の顔がそこにあった。

「今さら、自分のせいで誰かが傷付くのが恐くなったのか? また、誰かを傷付けるくらいなら、と言い訳して、全てから目を背けて逃げ出すことが正しいとでも思ったのか?」

「それは、……いや、そうだな。その通りだ。俺はもう全てを終えた人間だ。そんな人間が、今を生きる人達の世界を乱すわけにはいかないと。死者は死者らしく大人しくしているのが正しいんじゃないかと、考えて―――」

「ふざけるな」

「C.C.?」

「ふざけるなッ! 全てを終えた? 何も終わってないじゃないかッ! 私との約束はどうした!? 笑顔をくれると、お前は私に約束した! それすらも忘れたと言うのか!?」

「それは……」

 堰を切らしたように、まるで小さな子供のように、C.C.はルルーシュに喚き散らす。

「最悪だ! こんな酷い嘘は初めてだ! こんな酷い契約者はお前だけだ! 私が―――ッ! ……私、が、どんな想いで………ッ」

 長い付き合いとは言えないが、それでも多くの出来事を共有しC.C.と絆を深めてきたルルーシュだったが、こんなにも感情をあらわにした少女を見るのは初めてで、思わずたじろいてしまう。

「その、……すまない」

「誰が許すか! ああっ、もう、本当に最悪だ! お前は本当に最低最悪の大嘘つきだッ!」

 

 でも。

 

 一番、最悪なのは。

 

 本当の本当は、そんなことを少しも思っていない自分自身だ――――――。

 

 

 

 ぐい、と目尻を力一杯擦り、泣きそうになるのを堪える。

 これ以上、この男の前で泣くことは魔女の矜持と少女の意地が許さなかった。

「……ルルーシュ」

「ッ、――何だ?」

 キッ、と睨みつけるようにルルーシュを見れば、しどろもどろになりながら、ルルーシュが答えた。

 その、とても一度は世界をその手に収めた男とは思えない狼狽ぶりにC.C.の溜飲が少し下がる。

 

 ……正直なところ、とても不本意だ。

 

 まだまだ、怒りは収まらない。言いたいことは山ほどある。

 でも。悔しいが仕方がなかった。

 だって。

 だって、この魔王が側にいるだけで、こんなにも―――……

「許して欲しいか?」

「何?」

 今の今まで、怒りを撒き散らしていたC.C.の突然の心変わりにルルーシュが怪訝そうな顔をする。

「何だ? 許して欲しくないのか?」

「……………そんなことはない。お前がいないのは、その、……………………困る」

 ぶっきらぼうに顔を背けながら、ボソボソとそう呟くルルーシュに、フン、とC.C.は魔女らしく鼻を鳴らした。

「なら、誓え」

「誓え、だと?」

「そうだ。お前は契約しようが、約束しようが破る、とんでもない大嘘つきだからな。だから、誓え。お前の矜持とお前が愛する全てに懸けて」

「…………何を誓えと言うんだ?」

 そこで一度、C.C.は目を伏せた。

 明らかに雰囲気が変わったC.C.に釣られて、ルルーシュの表情も真剣なものになる。

 数秒。閉ざされていた瞳を開いたC.C.の表情を、ルルーシュは何度か見たことがあった。

 ブラックリベリオンの最期。

 そして、ダモクレスに乗り込む前。アヴァロンの格納庫で言葉を交わした時。

 憑き物が落ちた、あどけない少女の顔をルルーシュは、――ルルーシュだけは見たことがあった。

「私と生きろ」

 その言葉に、ルルーシュは目を見張った。

「私と生きて、私を笑顔にして、そして、私と一緒に死ね。それを誓うと言うなら、私は何があろうとお前の側を離れず、お前と共に歩み、お前が創る『明日』を、お前の隣で見よう」

「C.C.…………」

 驚きに暫し固まるルルーシュ。

 C.C.は、そんなルルーシュから目を逸らさず、真剣な表情のまま、じっと答えを待っている。

「つまり、それは、これから先、ずっとお前に付き合わなければならないと言うことか?」

「何を言っている。逆だ。私がお前に付き合ってやるんだ」

「どちらにしろ、最悪だ……」

 はあ、とため息を吐きながら、ルルーシュはそう言う。

「だが、――――悪くない」

 くしゃり、と髪を掻き上げたルルーシュの顔に笑みが浮かんだ。魔女と並び立つ魔王の不敵な笑みが。

「いいだろう、誓おう。我が矜持と、愛する者、全てに懸けて」

 そう言って、ルルーシュは手をC.C.に差し出す。

 一瞬、それが何を示すか分からなかったC.C.だったが、すぐに思い至る。

 かつての時と同じ。ルルーシュからC.C.に契約を持ちかけた時と同じことをしようと言っているのだろう。

「―――――」

 その手を見て、ルルーシュの顔を見て、もう一度、手に視線を戻して………。

 にやり、と悪ふざけを思い付いた顔をしたC.C.は手を差し出すとルルーシュの手を取ろうとして、――――するり、とそれを通り抜けてルルーシュの首筋に抱き付いた。

「お、――――ッ」

「ん………………」

 二つの影が完全に重なった。

 一秒、二秒、――――――十秒。

 少し長めの口づけを交わし、影が再び二つに分かれる。

「お前な―――」

「誓い、と言ったら、キスが相場だろう?」

 文句を言おうとするルルーシュだったが、その楽しそうな笑みに口を閉ざした。

「……何処へでも付いていってやる。だから、もう置いていくなよ………?」

 答えはない。

 代わりに、目を伏せた男の首が縦に動いた。

 一度だけ。

 だが、深く。はっきりと。

 それに溢れんばかりの笑顔を浮かべて。

 

 魔女はもう一度、魔王に口づけを贈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 過去(あらすじ)に彩られた序章が終わり、本当の物語が。

 

 

 これは鎮魂歌の先。

 魔女だけが知る魔王の旅路の物語。

 

 

 

 

 

 

 

 いや――――

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 自らの唇を指先で、そっ、と撫でながらC.C.は視線をルルーシュの背中に向けた。

 そんな少女の視線に気付いているのか、いないのか。

 ルルーシュは、先程連絡を寄越してきた部下に、あれこれと指示を出している。

 

 

 分かってはいたが、腹立たしい。

 

 

 どうやら、本当にルルーシュは、先程のキスを誓いの為のキス、つまり儀式みたいなものと思っているらしい。

 勿論、朴念仁で鈍感なルルーシュが、そういう反応をするであろうことは察しがついていたし、C.C.としても、こう、確かな想いを込めて、口づけをしたというわけではない。

 ない、が………

(やはり、腹が立つな)

 こう、あからさまに何も感じていないという態度を取られると、それはそれで面白くなかった。

「ああ、それでいい。では、頼む。―――何だ? その顔は?」

 指示を出し終えたルルーシュが通話を終え、振り返ると、じと、とした目で自分を見る魔女の姿が目に入った。

「別に…………」

 むっつりとした表情でそっぽを向いたC.C.にルルーシュは眉を寄せる。

 やはり、よく分かっていなかった。

(まあ、いいか)

 呆れたように、というか呆れてため息を吐くC.C.。

 その態度が気に入らなかったのか、ルルーシュが不機嫌そうな表情を見せた。

「何なんだ? 一体」

「別に何でもない。だが、まあ、覚悟はしておけ」

「? 何をだ?」

「決まっている」

 いつも以上に魔女らしい笑顔で、C.C.は宣言する。

 

 

「魔女を本気にさせたことを、だ」

 

 

 

 

 

 

 

 『明日』を望み、魔王と共に歩み出した魔女は、もう、語り部にはならない。

 

 だから、これは二人の物語。

 

 永遠を生きる、魔王と魔女の――――――

 

 

 

 

 

 

遠き旅路の物語

 

 

 

 




 というわけで、序章『Re:』編は前回で終わり、今回から本編『PLAY:』編になります。
 ここから、タグやあらすじにあるように、ルルCだったり、ルル無双だったり、あの人やあの人やこの人に厳しい展開もあったりしてくるので、苦手な方はご注意を。

 次回の投稿ですが、色々あって少し空きます。
 楽しみにしている方がいらっしゃれば、申し訳ないですが、暫しお待ちを。
 とりあえず、毎日ちまちま書いているのでまだ、失踪はしませんとだけ。


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PLAY:02

 長らく空いてしまって、すみません。
 投稿、再開します。


「はあ? 戻るぅ?」

「はい」

 上司であるロイドが上げた素っ頓狂な声に、スザクは生真面目に頷いてみせる。隣に視線をやれば、セシルも口に手を当てて、目を丸くしていた。

 驚きに固まる二人。そんな二人の状態に構わず、スザクは真剣な表情のまま頭を下げると、もう一度、懇願を口にした。

「お願いします! 僕を特区まで連れていって下さい!」

 

 

 時は少し遡る。

 ユーフェミアとスザクの願いの結実ともいえる行政特区日本。

 多くの人に望まれ、血を流すことなく平和な世界を創れると思い、奮走した彼等の願いは、憎しみに駆られた救うべき日本人の手によって、一歩も歩み出すことなく失敗に終わった。

 平和を喜ぶ人達が見たかった。手を取り合い、平等を謳うブリタニア人と日本人の姿が見たかった。

 しかし、二人が目の当たりにしたのは、お互いを蔑む二つの人種であり、憎しみと殺意と狂気に満ちた、望んでいたものとは、ほど遠い現実だった。

 

「…………………」

「ユフィ…………」

 窓際に立つユーフェミアの背中に、スザクは口の中で彼女の名前を呟いた。

 ダールトンの命に従い、特区からアヴァロンを使って政庁に戻ってきてから、ユーフェミアはずっと窓の外を見つめたまま動かない。

 租界の人工的な光に曇った夜空には、星明かりの一つも見えない。だが、ユーフェミアは一言も喋らずに、唯、その夜の空を見上げ続けていた。

 その背に何と声をかければいいのか。

 普段は使わない頭を必死に動かして、スザクはどう慰めるべきか考える。

 だが、どれだけ考えてもかける言葉が見つからない。

 悲しみに暮れる愛しい主を元気付けられない己の無力さに歯噛みしながら、スザクもまた、ユーフェミアの姿をずっと見つめたまま一言も喋らずに佇んでいた。

 

「―――スザク」

「っ、何? ユフィ」

 長らく思考の海に埋没していたスザクは、唐突にユーフェミアに名前を呼ばれたことに反応出来ず、慌てたように返事を返した。

「――――――!」

 そうして振り返ったユーフェミアの顔を見て、絶句してしまう。

 華が咲いたような少女だと、ずっと思っていた。

 優しさと慈愛で咲いた清らかな華のような少女だと。

 でも、今のユーフェミアをそう例えることは出来なかった。

 悲しみと、戸惑いと、後悔と。

 迷子になって、どうすればいいのか分からない小さな子供のような顔がそこにはあった。

「何が悪かったのかな……?」

 今にも泣き出しそうな声に、スザクの胸がギュッ、と締め付けられた。

「私、……何を間違ったのかな?」

「違う! 君は何も間違ってなんかいない!」

 たまらず、スザクは声を荒げて否定する。

「間違っているのは彼等の方だ! 手を差し伸べてくれた君を否定して、間違った方法で結果を求めた彼等の方が………ッ!」

「スザク…………」

 そう。何も間違ってなんかいない。

 正しい想いで、正しい方法で日本人達を救おうとしたのだ。

 それが否定されていいはずがない。

 こんな結果が許されていいはずがない。

 だって、正しい方法で得た結果が意味を為さないというなら――――

()は、何の為に……」

「スザク? どうしたの?」

 様子がおかしくなったスザクにユーフェミアが心配そうに声をかける。

 その声にスザクはハッ、とすると余計な考えを振り払うように首を振り、出来る限りの笑顔をユーフェミアに向けた。

「ッ……、とにかく、僕は君が間違っていたなんて思わない。ユフィは正しい事をしたんだ。だから、胸を張って?」

「………………うん」

 ただ、ひたすらにユーフェミアを肯定するスザクに、少女の顔にも微笑みが戻る。

 もっとも、何時もに比べれば、悲しげでぎこちない笑顔ではあったが。

「ユフィ?」

 再び、スザクに背を向けて、窓の外の夜空に向き直ったユーフェミアにスザクが声をかける。

 暫しの沈黙。それが過ぎ去った後、スザクに答えるようにユーフェミアも彼の名を呼んだ。

「スザク」

「何だい? ユフィ」

「……お願いがあるの」

 

 

「――で、そのお願いというのが」

「ユフィは僕に言いました。『日本人の皆さんを助けて』と」

 

『私には、もう何も出来ないかもしれないけど、スザクなら、まだ出来ることがあるかもしれないから』

 

 その言葉を思い出し、スザクは拳を固く握った。

「だから、お願いします。特区に引き返して下さい」

「行くのは構わないけどさぁ、行ってどうするっていうのぉ?」

「それは、……分かりません。行ってみないことには」

「スザク君……」

 セシルが心配そうな声を上げる。ロイドもそんなスザクの様子を眼鏡の奥の冷たい目で観察するように見ていた。

 二人の危惧はもっともだった。

 一見して、普通に見えるが今のスザクはどこか危うい。

 思いだけが先走っている。そんな印象を受けるのだ。

 いつもの無鉄砲とは違う、がむしゃらに何かを振り払おうというかのような。

 そんな雰囲気が今のスザクには漂っていた。

「スザク君、貴方やユーフェミア様の気持ちは分かるけど、今は少し休んだ方が良いんじゃないかしら? 今の貴方、とても大丈夫そうに見えないわ」

 見かねたセシルが、そう忠告するも、スザクは無言で首を横に振る。

「出来ません。こうしている間にも、傷付いていく日本人がいるかもしれないのに。それに黒の騎士団の事も放ってはおけません。……そう、間違っている彼等やゼロを止めないと、ユフィは…………」

「スザク君……」

「まあ、いいんじゃない?」

「ロイドさん!?」

 あっけらかんとしたロイドの発言を諌めるようにセシルがロイドの名前を呼ぶ。

「だぁ~って、ユーフェミア様のご命令ってことは、副総督直々のご命令ってことだし。僕達に待機命令は出ていないしぃ? コーネリア様も黒の騎士団との決戦に備えて、戦力をかき集めているみたいだし、邪魔にはならないでしょぉ?」

「それは………、ですが!」

「本人もやる気になってるんだし、ランスロットが必要になる状況もあるかもだからねぇ。行くだけ行ってみるのも、まあ、いいんじゃないのぉ?」

 いつもの笑顔を浮かべて肩を竦めてみせると、ロイドはスザクに向き直った。

「という訳だけど、いいんだね?」

「はい! ありがとうございます!」

 勢いよく頭を下げたスザクに、それを見ていたセシルも心配そうにしながらも仕方ないという風に息を吐いた。

「でもまぁ、一応、気を付けてねぇ?」

「え?」

 突然の、脈絡のないロイドの忠告に、スザクは首を傾げた。

「多分、これから向かうところは、君にとって――」

 

 

 ――――地獄だよ?

 

 

 

「ほれ、これが頼まれていたデータじゃ」

「感謝します。桐原公」

 桐原から頼まれていたデータが揃ったと連絡を受け取ったルルーシュはC.C.を伴って、桐原がいる特区会場内の施設の一室に赴いていた。

 差し出されたデータを受け取り、一つ礼を言うと、ルルーシュは凄まじい速度でデータに目を走らせていく。

「どうじゃ? 役に立ちそうかの?」

「ええ、十分です」

 答えながらも、ルルーシュは受け取ったデータを元に頭の中でより綿密な作戦を立てるべく、情報を処理し、様々な事柄を修正し、調整していく。

 暫く、そんなルルーシュの様子を眺めていた桐原だったが、不意に思い立ったかのように口を開いた。

「しかし、何だの」

「何か?」

「いや、なに。確かに儂はあの時、お主を認めた。蒔かれた種が芽を出したと思ったからじゃ。しかし、所詮、芽は芽。華を咲かせるのは、まだ先、と思っておったが、……お主、いつの間にこれ程の大輪を咲かせるに至った?」

 その発言にルルーシュはおや? という顔をして見せた後、面白そうに表情を弛めた。

「男子三日会わざれば――、というのは、この国でもよく使われていた言葉と記憶していましたが?」

 それに、違いない、と言いながら桐原は声を出して愉快とばかりに笑う。

「………ブリタニアに占領された時には、つまらん老後になりそうだと思ったものだが、……カカッ、中々どうして、まだまだ楽しめそうではないか」

「くれぐれも、過ぎた野心は抱かぬよう。私としても、貴方を手にかけるのは、少々偲びないので」

 暗にやり過ぎれば、容赦はしないと言うルルーシュの発言だったが、桐原は気にした様子も見せず愉しそうに笑うのだった。

 

「それで? 桐原から何を受け取ったんだ?」

 桐原とのやり取りが終わり、その場を後にすると、付き添っていたC.C.がルルーシュの手元を覗き込みながら、そう聞いてきた。

「この周辺の地形データと、サクラダイトの採掘場所。それと、特区で予定されていた事業の一覧だ」

「そんなものを何に使うつもりなんだ?」

 地形データはともかくとして、ほとんどが戦いに関係なさそうなデータにC.C.は首を傾げながら疑問を口にした。 

「お前……、さっきの俺の作戦を聞いていなかったのか?」

「ああ、どこぞの魔王にいたいけな魔女の心を弄ばれてな。とても話なんて、聞いていられる状態ではなかったんだ」

 呆れたように聞いてきたルルーシュに、C.C.は悪びれもせず、そんな事を宣う。

 誰が何だと? と思ったルルーシュだが、一応原因はこちらにあるので、思うだけに留める。

「……聞いていないんだったら、それでいい。どうせ、戦いが始まれば、すぐに分かることだ」

「そうか。なら、後の楽しみにしておくか」

「ああ。作戦が始まるまで大人しくしていろ」

 手元のデータに目を落としながら、あしらうように適当な返事をするルルーシュに、むっ、とC.C.が不機嫌そうな表情をする。

「酷い男だな。さっき、あれほど激しくお互いの永遠を誓い合ったというのに、興味がなくなれば、途端に扱いが雑になるときた」

「誤解を招くような言い方をするな」

「うん? それはつまり、誤解じゃないようにしろと言うことか?」

「都合の良い解釈をするな……!」

 にやにやと笑いながら身体を寄せてきたC.C.に、ルルーシュはまったく、と愚痴をこぼしながら軽く握った拳を少女の額に押し当てた。

「身体を休めていろと言っているんだ。戦いが始まれば、嫌でもお前には働いて貰うことになる。だから、今のうちに出来る限り休息をとっておけ」

 口には出さないが、ルルーシュはC.C.が『前回』の特区でのギアスの暴走を心配して、ここ最近寝付きが悪かったことに気付いていた。それに、ルルーシュが撃たれてから復活するまでの間、とても悲しみ、憔悴していたことも。

 表面上は元気に見えるが、身体は大分消耗しているだろう。

 だから、今のうちに少しでも休ませてやりたいというルルーシュなりの気遣いだった。

「…そういうことなら、仕方ないな。素直に大人しくしていてやろう」

 それに気付いたのか、C.C.がぎこちない態度で了承を示すと、そこに突然、第三者の声が響いた。

「ゼロ様!」

「ん?」

「神楽耶、様?」

 軽やかな声に、二人が振り返ると、ててっ、とこちらに駆けてくる神楽耶の姿があった。

「やっと、見つけました! ゼロ様!」

 小走りにルルーシュの元へやってくると、神楽耶は満面の笑みでルルーシュを見上げてくる。

「……神楽耶様、私に何かご用が?」

 どことなく覚えのある流れに、ルルーシュは少しばかり躊躇いを感じながらも、神楽耶に訊ねた。

 すると、何がそんなに嬉しいのか。輝かんばかりだった神楽耶の笑顔がますます眩しいものに変わる。

「いえ。ただ、これから妻になる身としましては、夫の活躍を少しでも近くで見たいと思いまして」

「………………」

「………………」

 ああ、やっぱり、とルルーシュとC.C.は思った。

 そんな二人の心中に気付かず、神楽耶は人差し指を愛らしく唇に付けると、んー、と小首を傾げた。

「……やっぱり、私、ゼロ様にお会いしていますよね? 枢木の所に居たのなら、当然といえば当然かもしれませんが……、変ですね? これ程の高貴な方ならお会いしていれば、忘れるはずはないのですが……、まあ、良いでしょう、今日この日に会えたことこそが大事なのですから! 改めまして、ゼロ様。皇神楽耶です。私、貴方のデビュー当時から、ずっとファンだったんですよ? …背、思っていたより、ずっと大きいですね。それに鼻筋も通って凛々しくていらっしゃる。私は、まだ背も顔付きも少々幼さが残っておりますが……、でも、大丈夫です! すぐに追い付きますから! あ、それとも、ゼロ様はこういう体型の方がお好きですか?」

「いえ、あの………」

 何時にも増して――この時間軸では初めてだが――絶好調な神楽耶に、さしものルルーシュも押され気味である。

 それでも、何とか気を取り直すとルルーシュは神楽耶に問いかけた。

「神楽耶様、貴女は今、妻と仰いましたが――」

「ええ! キョウト六家はゼロ様に協力すると約束しましたからね。ゼロ様には必要でしょう? 貴方の事を補える確かな家柄と立場を持った伴侶が」

「成程、確かにそれに関しては貴女の言う通りだ。その慧眼、お見逸れします」

「でしょう? ですから――」

「しかし、ゼロという存在は、その名が示す通り、何者にもなってはならないのです。あらゆる者の味方になり、あらゆる者の敵となる。貴女を妻とすれば、ゼロは日本の味方と思われてしまうでしょう。それは私の願うところではありません」

 『前回』であれば、確かに魅力的な提案だったが、今回は違う。

 今のルルーシュであれば、下手に後ろ楯を得なくても、実力で切り抜けていくことが出来る。

 今後のために、日本との友好は結んでおきたいが、だからといって、あまり踏み込み過ぎるのは良くない。

 あくまで、中立。どこにも属さない無色の力でなければならない。

 それが人々から求められるゼロの在り方だからだ。

「そうですか……」

 ルルーシュの意図を察したのか、神楽耶は少しばかり残念そうな顔をして、肩を落とした。

「分かりました。残念ですが、こちらとしましても、無理強いさせるつもりはありませんから」

 しおらしく神楽耶はそう言うが、しかし、すぐににこやかな表情を取り戻すと、ポン、と両手を合わせた。

「急いては事を仕損じると言いますからね。ここは、婚約者、ということでよろしいでしょうか?」

「は? いえ、ですから……」

「今は必要なくとも、これから先、私の立場や権力が必要になるときもありましょう? その時、婚約者という立場であれば、無理なくお力添え出来ると思いますが?」

 む、とルルーシュは唸った。

 確かに、婚約者であれば「懇意」というカタチに収めることは出来るし、神楽耶の言う通り、力が必要になった時、スムーズに事を運ぶことが出来るだろう。

「しかし………」

「ゼロ様」

 なおも渋るルルーシュの手を神楽耶は両手でギュッ、と握りしめた。

「ゼロ様、協力を約束したというのもありますが、それ以上に、私は貴方の力になりたいのです」

 幼い頃。

 国を奪われてから、神楽耶はずっと籠の中の鳥だった。

 皇の血を引く者。日本の象徴となりうる存在として、大事に囲われてきた。

 暗い、外の光が入らない場所に押し込められ、自分の意思一つ満足に通せない日々を送ることになったが、それでも神楽耶は不満一つ漏らさなかった。

 それは、信じたからだ。

 いつか、きっとこの国にもう一度、夜明けの光が差すと。

 国を奪われた当初、神楽耶はそう信じて疑わなかった。

 しかし、現実は幼い少女の願いをあっさりと踏みにじっていった。

 どれだけ待とうとも、聞こえてくるのは虐げられ、悲しみに暮れる愛する民の声だけ。

 祖国を取り戻せ、と叫び、抵抗を続ける人達の声は日増しに少なくなっていく。

 そうなっても、神楽耶の周りの大人達は、保身と益を得ることだけを考えて、自ら動こうとは全くしない。

 その在り方に何度も憤りを感じた。

 そして、それ以上に。

 何も出来ない無力な自分を恨んだ。

 もう、夜明けを見ることは叶わないかもしれない。

 籠の中、もう、空を羽ばたくことなく死んでいく鳥なのかもしれない、と神楽耶の心に諦めが過り始めた。

 その時だった。

 ゼロが現れたのは。

 その時の思いをどう現せばいいのか。神楽耶は言葉が見つからない。

 ただ、とても。

 とても、―――眩しかった。

 何にも臆することなく、唯一人、ブリタニアという大国に戦いを挑んだ存在に神楽耶は目を奪われた。

 それからずっと、神楽耶はゼロを求めてきた。ゼロを信じ、その姿を追い続けてきた。

 そして、先程。ついに直接まみえることが出来たゼロは神楽耶の想像以上で。

 その気高い想いに。その揺るがぬ存在感に。力溢れる自信に満ちた姿に。

 何より―――、

 

『夜明けの頃、この旗がこの国の首都にはためく光景をご覧に入れて差し上げましょう』

 

 その言葉に、神楽耶は心を奪われた。

 

「ですから、お願いします。微細な身なれど、どうか貴方様のお力にならせて下さい」

 内心の想いを吐露しながら、そう語る神楽耶の手に力が篭る。

 ルルーシュを見つめる、熱く潤んだ瞳からどれだけ神楽耶が本気なのかが見て取れた。

「はあ……………」

 神楽耶の想いにたじろぐルルーシュの隣で、そのやり取りを聞いていたC.C.が、これ見よがしに長いため息を吐いた。

 その健気な姿と、真摯な想いを聞いて、それでも無下に出来るほど、ルルーシュが女性に対して非情になれないということを、この魔女はよく分かっていたからだ。

(勝負あったな)

 そう思い、C.C.はやれやれと言わんばかりに首を振った。

 

 

「良かったなぁ? 可愛い婚約者が出来て」

 とりあえず、時間がないので、と婚約者問題を保留にし、ルルーシュに付いてこようとする神楽耶を押し留めた後、少し疲れた様子を見せているルルーシュに、隣を歩く魔女がどこか刺々しい声でそう言ってきた。

「ああ。神楽耶はやはり優秀だな。変わってないようで安心……、と言っていいかは分からないが」

「ああ、じゃないだろう、全く………」

「ん? 何か言ったか?」

 神楽耶の様子を思い出し、苦笑するルルーシュにC.C.が不満を漏らすも、小さい声だったためルルーシュの耳には届かなかった。

「何でもない。だが、あの様子なら神楽耶は大丈夫そうだな。『前回』のこともあるから、少し心配だったんだが……」

「前の時は仕方ない。神楽耶には立場があった。それを疎かにするような愚かな女ではない」

 最終的な目的はともかく。その手段として、世界征服を掲げ、ルルーシュが動きを見せていた以上、最高評議会議長である神楽耶が表立ってルルーシュを擁護をすれば、余計な混乱を生みかねなかったし、場合によっては日本の立場を悪くしかねなかった。

 それで済めばまだ良い方で、当時、ギアスの事から過剰にルルーシュに拒絶反応を見せていた黒の騎士団であれば、最悪、神楽耶を無理矢理、議長の座から引きずり降ろしかねなかった。

 神楽耶がその座に執着を示していたかは分からないが、発足して間もなく、内部のゴタゴタで議長が変わったとなれば、内外ともに、超合集国の脆さを露呈しかねない。

 神楽耶であれば、その辺りの事を考えた上で、公に徹したと考えられる事が出来た。

「まあ、憶測と希望的観測でしかないがな」

 そう言って曖昧な表情で笑うルルーシュだったが、C.C.はあながち間違いではないだろうと思った。

 ダモクレス決戦の時、カレンに敗れ、海に落ちたC.C.を捕らえにきた神楽耶はルルーシュの事を「あの方」と呼んだ。そして、ルルーシュがゼロだと知らなかったというC.C.の発言に声を固くしていた。

 その事から、神楽耶がルルーシュに悪感情を抱いていなかったことが伺い知れた。

 手酷い裏切りに遭い、捕らえられても神楽耶はどこかで信じていたのだろう。

 ルルーシュを、――――ゼロを。

「まったく……、『前回』といい、今回といい、純粋な女を誑かすのも程々にしておけよ」

「だから、誤解を招くような事を言うなと言っているだろう!」

 その事実に少しだけ、ムカ、としたC.C.の発言にルルーシュは心外だとばかりに大声で反論した。

「とにかく……、神楽耶の事は今は置いておけ。それと、お前もいい加減休んでおけ。いざというときに動けないなんて事になっては、俺が困る」

「そうさせてもらおう。……一つ、用を思い出したしな」

「? 何かあったのか?」

「大した事じゃない。すぐに済む事だから、気にするな」

 ひらひらと手を振り、ルルーシュの側を離れようとしたC.C.だったが、数歩も行かぬうちに足を止め、ルルーシュを振り返った。

「そうだ。マリアンヌから連絡があったら、どうする?」

「お前に任せる。好きにしろ。どうせ何も出来ん」

 微塵も興味がない、という感じのルルーシュの口調にC.C.も特に何も言わずに頷いた。

「じゃあ、また、後でな」

「ああ、大人しく休んでおけよ」

「お前こそ、目覚めたばかりなんだから無理するなよ」

 素直に、とは言い難いが、それでもお互いにそれぞれの事を気遣って見せると、最後に二人は似たような笑みを交わして、その場を後にするのだった。

 



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PLAY:03

 約束の刻限が迫り、コーネリア達、ブリタニア軍も開戦まで秒読みの段階に入っていた。

 

「―――よし」

 これより、決戦の場で命を預ける自身の愛機の最終調整を終わらせ、コーネリアが満足そうに頷いた。

 ナイトメアから外に出て、身体を解す。

 いつもより、念入りに、そして、集中していたためか身体が随分と固くなっていた。

「コーネリア総督」

 名前を呼ばれ、振り返る。

 そこには、いつもと変わらずにギルフォードが控えていた。

「コーネリア総督。部隊の展開、もう間もなく完了します」

 戦いを前にしたコーネリアに感化され、呼び方を改めたギルフォードの報告に身体を解しながら、頷きだけで答えた。

「また、先程、解放されたブリタニアの特区参加者達ですが、疲労と緊張から、憔悴しておりますが怪我は見られません。ただ……」

「何だ?」

「は。本来の予定では、この戦いの後に彼等の護送が予定されておりましたが、その………」

「ごね始めたか?」

「はい……」

 苦々しい表情で頷くギルフォードに、コーネリアは舌打ちをする。

「まったく、解放されたらされたで面倒な奴等だ」

「いかが致しますか?」

「仕方ないな。ここで騒がれて、後を引かれても困る。一部の兵を彼等の護送に回せ」

「分かりました。それと、特派から今しがた――」

「コーネリア様! 部隊の配置、完了致しました」

 報告を続けようとしていたギルフォードだったが、割り込んできたその声により、中断させられてしまう。

「分かった。そのまま、全軍待機せよ。……すまんな、それで何だ?」

「いえ、大した報告ではありませんので、お気になさらず」

 そう言って、頭を下げたギルフォードに、コーネリアも特に気にした様子も見せず、そうか、と頷く。

「ならば、護送の手配のみ頼む。それが済み次第、開戦の最終確認に入るぞ」

「イエス、ユアハイネス」

 

 

 

 

 

 ―――時を同じくして。 

 諸々の準備を終え、後は最終配置に着くだけとなった黒の騎士団の幹部達の前にルルーシュが姿を現していた。

「全員、いるな?」

 数時間前に、初めて晒した紫紺色の瞳が緊張の面持ちを見せる幹部達を一人一人確認し、全員がいることを確認する。

 いつもなら、この時点でさえ作戦に不満を漏らす者がいるのだが、今回ばかりは全員何も言わずに黙り込んでいた。

 そんな幹部達の様子に、普段からこうなら助かるのにな、とそんな感想を抱きながら、ルルーシュは視線を藤堂に向けると口を開いた。

「藤堂。戦術の方は問題ないか?」

 既に把握している内容だったが、確認の意味も兼ねて、ルルーシュは藤堂に報告を求めた。

「問題ない。今回の作戦に合わせて、臨機応変に対応出来るように組んである」

 頷き、答える藤堂に、ルルーシュも頷いてみせる。

「ラクシャータ、ナイトメアの修理はどうなった?」

「補充物資が無かったからねぇ。全部、万全とは言えないけど、紅蓮を始め、主だった面子のものは完璧よぉ」

「カレン、身体の調子は?」

「問題ありません。何時でも行けます、ゼロ」

「扇、他勢力の協力は取れたか?」

「ああ。君がリストアップした組織全てから、今回の作戦に協力するという回答を得ている」

「ディートハルト、全体の進捗状況は?」

「99%が完了しています。特区参加者達の避難も既に。六家の面々からは、神楽耶様と桐原公が我々に同行致します」

「よし」

 報告と作戦行程に抜けがないことを確認したルルーシュは準備は整ったと言うかのように、最後に大きく頷いた。

 そうして、ルルーシュは固唾を飲んでいる幹部達に、最後の号令を下そうとして――――、

「おい、ルルーシュ」

 後ろから聞こえてきた空気を読まない魔女の声に、その出鼻を挫かれた。

「何だ、―――――って、オイ!」

 眉間に皺を寄せながら、不機嫌そうな声を出して、ルルーシュが振り返ると、こちらに向かって何かが投げ渡された。

 咄嗟に手を出して、それがぶつかるのを避ける。固い衝撃が受け止めた掌を叩いた。

 危ないだろッ、とC.C.に怒りの声を上げようとしたルルーシュだったが、投げ渡されたものの正体に気付くと口から出かけた言葉を飲み込んだ。

「必要だろ? 黒の騎士団には」

 そう言って、鼻を鳴らすC.C.に答えず、ルルーシュはじっ、とその手のものを、―――ゼロの仮面を見つめていた。

 少しだけ、複雑な気持ちだった。

 何故なら、ルルーシュにとっては、この仮面もゼロの名も既に他者に託したものなのだ。

 それが数奇な運命を辿り、こうして再び自分の手の中にあることに、思うことがないとは言い切れない。

 ましてや―――…

「ゼロ?」

 仮面を手にしたまま、固まって動かないルルーシュにカレンが声をかけてくる。

 他の面々も、何かあったのか、というように不思議そうな顔をして、ルルーシュを見ていた。

 

 ましてや、黒の騎士団のメンバーに正体を知られて、それでも、仮面を被るなんて事を、ルルーシュは夢にも思っていなかった。

 

(まだ、誰かに託すのは早かったということか……)

 手放して、尚、この手にあるということは、つまりはそういうことなのだろう。

 世界も。『明日』も。

 まだまだ、果たすべき責任も、願いも、お前にはあるだろう、とそう言われたような気がした。

(スザク……)

 それを託した人物の名前を心の中で呼ぶ。

(すまないな。今暫く、この仮面は返してもらう)

 仮面を顔に宛がいながら、脳裏に思い浮かべた()()にはいない親友に、一言謝罪する。

 

 そうして、死を越えて、時の流れを遡った先。

 本来なら、あり得なかった三度目の復活を経て。

 

 

 始まりのゼロは、ここに甦った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――………

 

 

 夜も深まり、時が日を跨ごうという頃。

 決戦の舞台となるこの場所も、多くの人の気配がひしめくのとは裏腹に静寂が場を支配していた。

 少しのことで揺らめくこの水面を思わせる、あらゆる感情を、思いを胸に秘めて黙する静けさ。その静けさが、コーネリアは好きだった。

 この、静から動に変わるこの瞬間が。

 一気に熱する鉄のような、この冷たさがとても心地よく、好きだった。

 コックピットブロックに立ち、眼下に見える部下達を睥睨する。

 準備の時から覇気が高められていたコーネリアに当てられたのか。

 皆、一様に良い面構えと気迫に満ちていた。

 心身共に鍛えぬかれた一流の兵士が、今、コーネリアの下に集っている。

 いつものコーネリアなら、それを見ただけで勝利を確信し、勝者の笑みを溢していただろう。

 しかし、今日は違った。

 一瞬の弛みもなく、その心は、ただ勝利を得ることのみに専心していた。

「諸君、長らく待たせた」

 玲瓏な声が淀みなく、夜に響いた。

「潰しても潰しても、いなくならない虫の駆除を思わせる、このエリアのテロリスト狩りは、これより、ここで終わりを告げる」

 八年間。

 敗北して、それでも、こんなに長くブリタニアに歯向かい続けてきた国は他にないだろう。

 そのしぶとさだけは、コーネリアも認めていた。

 しかし、それは敵としてではない。

 コーネリアの、ブリタニアの敵は唯、一人。

「敵は仮面の反逆者、ゼロ! そう、奴を倒せば、全てが終わる!」

 バッ、とコーネリアの片手が振り抜かれ、その指先が夜の闇の向こうにいるであろう仮面の男を指し示した。

「初めてアレが現れた時、ふざけた男だと誰もが思ったことだろう。だが、認めねばならん。奴は敵だと。この世界で、たった一人、我等の喉元に噛み付き、我等の命を脅かす事が出来る、明確な敵だと」

 何度、あの仮面に出し抜かれた事だろう。

 どれ程の命が、あの男によって奪われただろう。

 その存在は、まるで運命がブリタニアに用意した天敵のように思えた。

「故に、これ以上、奴を放置する訳にはいかん」

 常勝を続けた神聖ブリタニア帝国に、傷を負わせ、血を流させた孤高の反逆者。

 放っておけば、これから、どれだけの血が、涙が流され、どれだけの命が失われるか分からない。

「ここで、討たねばならない。そのために、皆、この一戦に命を懸けてもらう」

 その一言が、ここにいたブリタニア軍人達の心に火を着けた。

「そして、必ず勝つ」

 水面を思わせる空気が少しずつ揺らめき出す。

「祖国の為、家族の為、仲間の為、……何より、自分自身の為に」

 誰かが拳を握り締めた。

 家族を思い、目を伏せていた男の目が強い意思を宿して開かれた。

 隣の仲間と頷き合う姿があった。

「今こそ、我等、神聖ブリタニア帝国の国是を示す時! 真の強者の尊厳を、奴に知らしめてやるぞッ!」

 そう高らかに吼えたコーネリアが、拳を突き上げた。

「行くぞッ! オール・ハイル・ ――――ブリタニアァァァ!!!」

 そして、その声が轟いた瞬間。

 空気が一気に熱を帯び、――爆発した。

 

 

 《イエス! ユア! ハイネス!!!》

 《オール! ハイル! ブリタニア!!!!》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブリタニア軍が布陣する場所からは、遠く離れていたにも関わらず届いた、全身の毛が総毛立つような気勢と雄叫びに、黒の騎士団の団員達は震えそうになる身体を何とか抑え込んだ。

 ここにいるほとんどの者は、まともな訓練を受けていない素人上がりの民兵のようなものだ。

 しかし、そんな彼等でも、この大気に満ちる気迫がどれ程のものかは理解出来た。

 本気だと。

 ブリタニア軍が、自分達を駆逐しようと本気になって攻めて来ると。

 否が応でも肌を刺し、胃を締め付けてくる気配が、そう彼等の心に訴えかけてきていた。

 本来なら、恐慌に駆られ、逃げ出しても可笑しくなかった。

 只でさえ、劣勢な状況にあるにも関わらず、遂に本気になったブリタニアの軍勢が押し寄せてこようとしているのだ。

 軍人でもない彼等に、それに耐えろと言うのは、あまりに酷だろう。

 だが、にも関わらず、誰も逃げようとはしない。

 逃げる素振りさえ、見せなかった。

 恐怖は感じている。気を抜けば、不様に悲鳴を上げて、逃げ惑ってしまうくらいに。

 しかし、皆、それに耐えていた。

 鳴りそうになる歯を食い縛り、震えそうになる足を奮い立たせ、その場に留まっていた。

 何故なら、此処にはあるからだ。

 

 その時、頭の上の方でカツン、と音が鳴った。

 思わず顔を上げる。そして、見上げたその先に、―――希望が()()

 

 そう。此処に希望があるからだ。

 それを信じるからこそ、彼等は恐怖に打ち克つことが出来たのだ。

 

「多くは問わない」

 夜の闇に浮かび上がる漆黒のナイトメアフレームの肩に立ち、黒き仮面がそう告げる。

 この状況にあって、少しの乱れも感じない、芯の通った力強い声に、それを聞いた団員達の心が幾分和らいだ。

「一つだけ、覚悟を問おう」

 いつもと同じ声。いつもと同じ口調。しかし、いつもとは何かが違うその声に、黒の騎士団の団員達は、静かに耳を傾けていた。

「問おう。これより先の地獄を、―――私と共に駆け抜ける覚悟はあるか?」

 しん、と辺りが静まり返った。

 誰も口を開かない。気付けば、呼吸の音すらしなかった。

 問いかけに、答える声はない。

 しかし、微塵も揺るがぬ空気が、その問いに是、と答えていた。

「良い覚悟だ」

 いつになく引き締まった空気と士気に、ルルーシュは仮面の下で満足そうに笑んだ。

「ならば、その覚悟に、私も応えよう」

 バサリ、とマントが翻る。

 その下から伸びた腕が前に向かって差し出され、その掌が何かを掴むようにギュッ、と握り締められた。

 

 

「奇跡をもって」

 

 

 ぶるり、と団員達の身体が震えた。

 恐怖からではない。心が沸き立つその昂りは歓喜だ。

 ゼロによってもたらされたその感情は、一瞬にして彼等の心に染み渡り、周りに伝播していくと、一気に弾けた。

 

 歓声が沸き上がった。

 

 割れんばかりのその中に、奇跡をもたらす男の名が何度も叫ばれた。

 

 何度も、………何度も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒の騎士団とブリタニア軍。

 日本とブリタニア。

 二つの国の戦士の雄叫びが、高く、遠く、夜空に響く。

 我等の決意を、我等の覚悟を聞け、とばかりに轟いたその声は、期せずして始まりを告げる鐘となった。

 

 幕が上がる。

 

 一人の皇女の想いから始まった、この長く続いた運命の時。

 その最後の章が、遂に、始まった。




 流れや勢いもあって、普通にゼロを名乗っていましたが、仮面を見て、少しだけ複雑な心境になったルルーシュでした。

 次回、開戦です。


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PLAY:04

 けたたましく地面を削る走行音が重なり、地響きを起こす。

 鉄と鉄がぶつかり合う鈍い音がそこかしこから上がり、銃火が絶え間なく暗闇に瞬く。

 命と命のせめぎ合い。始まりから、ものの数分もせずに、戦場に多くの血が流れた。

 

 始まりから、戦いは熾烈を極めた。

 そこに手の探り合いも、様子見もない。

 初めから、全てを絞り出すかのような戦いぶりは、長期戦を完全に捨てた戦い方だ。

 それもそのはず。

 数で劣る黒の騎士団は、もとより長期戦など考えられるはずもない。時間の浪費は、そのまま彼等の敗北に繋がる。

 一方、数に勝るブリタニア軍だが、この戦場においては常に一つの懸念が付き纏っている。

 そう、ゼロだ。

 寡兵でありながら、幾度となくブリタニア軍を破ってきた大胆不敵な戦略家がここにいるのだ。

 何を仕掛けてくるか分からないゼロを相手に、時間を掛けた戦い方や常套手段は、逆に自分達の首を絞めかねない。

 そう考えたコーネリアが取った戦術は、速攻。その一点。

 どんな罠があろうと、策を張り巡らしていようと、緩まずに圧倒的な物量で一気に押し潰す。

 それが、最も有効な手だと、コーネリアは踏んだ。

 故に、両軍共に短期決戦。

 耳を劈く破壊音が響き、爆炎が上がる。

 一つ。また、一つ。

 命を糧に咲いた炎が、夜の闇を押し退け、狂い咲いていく――――。

 

 

「思った以上に、進行が早くなりそうだな」

「ああ。それでいて、堅い。さすがはコーネリア、と言ったところか」

 C.C.の言葉に答えながら、そのまま、ルルーシュはC.C.に指示を出して指定したポイントにハドロン砲を撃たせる。

「だが、いいのか? こちら側も中々頑張っているが、ジリ貧は否めないぞ?」

「分かっている。だが、ここは耐えるときだ」

 圧倒的不利にありながら、黒の騎士団は押し寄せてくるブリタニアの軍勢を相手に中々善戦していた。

 特区周辺のなだらかな丘陵地帯は、どちらかというと小回りの利く黒の騎士団側に有利に働いたのも大きかった。

 次々と迫りくるブリタニア軍を、地の利を活かして何とか撃破していく黒の騎士団。

 状況だけみれば、黒の騎士団が優勢に事を進めているように思えた。

 だが、両軍では、戦いの規模が大きく異なっている。

 全軍がほぼ戦闘状態に入っている黒の騎士団に対し、ブリタニア軍はまだ半分にも届いていない。

 今ある戦力が全ての黒の騎士団に対し、ブリタニア軍はまだまだ余力があった。

 火力では一歩譲っても、それを補って余りある数で間断なく襲い掛かっていく。

 それは、少しずつ黒の騎士団から、余裕を奪っていっていた。

 何しろ、倒しても倒しても、爆炎と砂塵の向こうから止めどなく敵影が現れるのだ。

 必死に敵を倒しても、それを無かったかのようにするかのように新たな敵が現れる。

 まるで津波に小石を投じているかのようだった。

 初めから分かっていた事とはいえ、視界全てを覆い尽くさんとするその数は、普通であれば心を折るには十分な程の迫力を持ち合わせていた。

 しかし、屈しない。

 震えそうになる手を強く操縦桿を握ることで誤魔化し、黒の騎士団の団員達はひたすらに敵に立ち向かっていく。

 それが出来るのも、ひとえに――――

 

「第二、第三部隊はポイントD12まで後退、第五、第八、第九はB07、A10、D08にそれぞれ前進、進軍してくる敵の出鼻を挫け。藤堂、小隊を二つ率いて、突出してくる左翼を抑えろ。カレン、これから指定する敵を順次叩け。それらは小隊指揮官だ。倒して、敵の足並みを乱せ」

『承知した』

『了解しました!』

 

 ひとえに、敵軍の僅かな変化から、相手の動きを読み、即座に対応するルルーシュの戦略と。

 陣頭に立ち、次々と部隊を撃破していく藤堂の確かな戦術と。

 孤軍で敵に突撃し、首級を挙げていくカレンの一騎当千の活躍があるからこそだった。

 

 

「存外、手間取っているな」

『はい。どうやら、こちらの想定以上に敵の練度は高かったようです』

 次々と投入されていく自軍を相手に戦線を維持し続けている黒の騎士団にコーネリアがぽつりと感想を溢した。

 ゼロを始め、一部の相手は一筋縄ではいかないことは承知していたが、それでも純粋な戦闘でここまでやるとは思ってもいなかった。

「雑魚でも、命が懸かれば少しは牙を研ぐということか……」

『いかが致しますか?』

『このままでも、今暫くすれば、敵も崩れてくると思いますが……』

 そう進言してくる部下二人に、しかし、コーネリアはいや、と首を横に振る。

「恐らく、ゼロはまだ、手の内を明かしていない。その状態でこれ以上の損害は避けたい。………、全軍の進軍速度を上げろ! 両翼は多少広がっても構わん! 敵部隊を囲み、一気に押し潰せ!」

 コーネリアのその命令に、ブリタニア軍は素早く反応し、命令通りに部隊を展開していく。

「それと、ギルフォード、ダールトン。私に付いてこい。ちょろちょろと動き回る邪魔者共を叩きに行くぞ」

『イエス、ユアハイネス!』

 その返事を聞いたコーネリアは、アクセルを思いっきり踏み込み、自機を加速させる。

 自軍を一気に追い抜いたコーネリアは、そのまま、敵軍に迫ると、コーネリアの接近に気付き、それを止めようとしていた敵ナイトメアをランスで貫き、一撃の下に沈める。

 その光景に一瞬固まっていた黒の騎士団のナイトメアだったが、すぐに思い立ったようにコーネリアに攻撃を仕掛けようとする。

 だが―――

「無礼者め」

「姫様には、指一本触れさせん」

 追い付いたギルフォードとダールトンが、それらを瞬く間に撃退していく。

 そうして、忠臣二人と共に最前線に躍り出たコーネリアは、そこで縦横無尽に暴れ回る黒と紅の二機のナイトメアを見定めると、ニタリと口の端を持ち上げた。

「前菜には丁度良い。まずは貴様らから血祭りに上げてやろう」

 白いマントをたなびかせ、紫の機体が黒の騎士団に襲い掛かった。

 

 

「動いたか。よし、これより、作戦を次の段階へ移行する。全軍、敵を引き付けつつ、指定ポイントまで後退しろ」

 コーネリアが動いたのと、敵軍全体が前掛かりになったのを確認したルルーシュが自軍にそう指示を飛ばす。

 横合いから攻撃しようとするブリタニア軍の囲みを抜けながら、それらを引き付けるように銃撃を繰り出しながら、後退する。

 すると、それに釣られたようにブリタニア軍が前進。

 後退する黒の騎士団を追撃するように、そのまま戦線を押し上げてきた。

「よし、そのまま、第二作戦ポイントまで敵を誘導しろ。但し、敵の勢いが予想以上に激しい。油断だけはするな」

 コーネリアが前に出たためか、敵の勢いが目に見えて増している。下手を打てば、一気に食い破られかねない程に。

 だが、ルルーシュの顔に焦りはない。

 静かな瞳で、眼下で荒ぶる腹違いの姉の機体を見つめている。

「大したものだ、コーネリア。認めよう、貴女は紛れもなく、生まれついての強者だと」

 先頭に立ち、破竹の勢いで黒の騎士団に襲いかかろうとするコーネリアは、自信と強さに満ち溢れていた。 

 強きに生まれ、多くに恵まれ、勝利を糧に育ったその姿は、正に絵に描いたような強者だった。

「ならば、教えてもらおうか」

 くっ、とルルーシュの口の端が面白そうに釣り上がった。

「勝利しか知らない事が、果たして、本当に強いことなのかを、な」

 

 

 コーネリアが打って出るのと同時に、後退を始めた黒の騎士団を、ブリタニア軍は勢いを殺さないまま、追撃に移った。

 そのまま、後退する敵軍を一気に仕留めようと襲い掛かるが決定打を与えられず、黒の騎士団はこちらを誘う動きを見せながら、後方に広がる森林の中にその姿を消していった。

『奴等、明らかに我々を誘っていますね』

「ああ。十中八九、罠が待ち構えているだろうな」

 あからさまにこちらを誘っていたのだから、間違いないだろうとコーネリアは確信する。

 同時に、その隠す気のない誘いが、あの仮面の男の挑発のような気がして腹立たしかった。

「とはいえ、ここで勢いを殺す訳にはいかん。このまま、追撃するぞ」

『よろしいのですか? 危険では?』

「奴が相手である以上、どう対応しても危険なことには変わらん。なら、こちらが打てる最大手で立ち向かうのみだ」

 そもそも、ゼロの罠を警戒したが故の速攻なのだ。ここで立ち止まっては意味がない。

 戦力を小出しにしても、先の戦闘を見る限り、こちらが優勢に転ぶとは言えない。

 悪戯に戦力を消耗したところを、ゼロの罠に嵌められるのだけは避けたかった。

「部隊の編成を変更する! 全軍を最少人数での部隊に再編成。各隊、連携を密に。一気に乱戦に持ち込んで仕留めるぞ!」

 サイタマやナリタでの戦いを見るに、ゼロが敵に甚大な被害をもたらす罠を使う場合、自然とその規模も大きなものになる。

 ならば、部隊を固めずに広範囲に展開しながら、一気に乱戦に持ち込めば、被害は最小限に抑えられる可能性が高い。

 そう考えたコーネリアは、部隊を再編成すると、先陣を切って森の中に飛び込んだ。

 

 

 そして、戦場を森に変えて、再び戦闘が繰り広げられる。

 勢いよく、飛び込んできたブリタニア軍を黒の騎士団が攻撃する。

 待ち伏せ、死角からの奇襲。

 正攻法とは言えない方法で、群がるように襲い掛かる。

 元々、人数も武器にも乏しいレジスタンスが集まったのが、黒の騎士団だ。

 そのため、こういったゲリラ戦法は彼等の得意とするところである。

 巧みに相手の意表を突き、次々と黒の騎士団はブリタニア軍のナイトメアを仕留めていく。

 

 だが、――足りない。

 それで、倒せる程。

 それで、崩れる程、ブリタニアは、コーネリアは脆くはなかった。

 

「よっしゃあ! 楽勝!」

 敵を撃破した玉城が、コックピットの中でガッツポーズを取る。

「さ~て、お次はどいつだぁ?」

 今にも口笛を吹きそうな軽い雰囲気を漂わせながら、揚々と玉城は次の敵を探し始める。

『ちょっと、玉城! アンタ、油断しすぎ! もっと気を引き締めなさい!』

 堪らず、近くにいたカレンが玉城を窘めるも、当の玉城は気にも止めない。

「へーきだって。ここまで、ずっと、俺達の楽勝ペースじゃねぇか。ブリタニア軍なんて、所詮、黒の騎士団にかかれば、ただ、数が多いだけの――――」

『玉城! 後ろだ!』

「へ? うおおおおっ!!」

 鋭く飛んできた扇の忠告に、玉城が機体を後ろに向ければ、そこには今にも武器を降り下ろそうとするブリタニアのナイトメアの姿があり。

 余りに咄嗟だったため、玉城はまともに頭が働かず、反射的にコックピットの中で自分の頭を抱え込んでしまう。

『この馬鹿!』

 破壊されそうになりながらも動かない玉城の代わりに動いたのがカレンだった。

 扇と同時に敵影に気付いたカレンは、持ち前の反射神経で紅蓮を操作すると瞬時に敵との距離を詰め、その右手の銀爪で敵ナイトメアの頭を掴む。

『じゃあね』

 そして、敵を捕らえたカレンは、短い別れの言葉を口にした後、止めを刺すべく輻射波動のスイッチを押した。

 

「はあ……」

 敵の機体が、輻射波動で爆散したのを確認すると、カレンはホッ、としたように小さく息を吐いた。

 しかし、すぐにその顔に怒りを滲ませると、カメラに映る玉城の機体に怒鳴りつけた。

「馬鹿! だから、言ったでしょうがッ! ああ~、もう! 輻射波動だって、タダじゃないんだからね!?」

 まだ、先は長く、敵も多い中で、虎の子の輻射波動を無駄撃ちさせられた事にカレンは怒りを見せる。

『わ、悪かったって……』

「大体アンタはすぐ、調子に乗って! 少しは――」

『紅月!』

「ッ!」

 警告の声が上がり、カレンは即座に紅蓮を木の影に隠す。間を置かず、紅蓮のいた場所を銃弾が降り注いだ。

 少しの間、それは続いていたが、少し離れたところで爆音が響くと、銃撃はピタリ、と収まった。

「助かりました。ありがとうございます。千葉さん」

『ああ。だが、思っていた以上に敵の攻勢が激しいな。ああもあからさまに誘えば、少しは躊躇すると思ったんだが……』

「ですね。もう少し削れれば良かったんですけど……。やはり、ゼロの言う通り、コーネリアは甘くないみたいですね」

『だな。気を引き締めていかないと、作戦前に我々ですら、―――ッ』

 アラートに反応して、千葉とカレンの機体が死角を潰すように背中合わせになる。

 そこに扇と玉城の機体も加わり、四方を警戒する。

『不味いな、囲まれているぞ』

 ファクトスフィアを起動し、レーダーマップに表示された敵の反応に千葉が舌打ちをした。

「突破します! 私に続いて下さい!」

 右手の銀爪を掲げ、紅蓮が敵に突撃した。

 

 

 戦術の質で言えば、この場に置いては確かに黒の騎士団側に軍配が上がる。

 だが、ブリタニア軍とて、ゲリラ戦の訓練をしていない訳ではない。決して、侮れる相手ではないのだ。

 さらに、ブリタニア軍はコーネリアの指示により、部隊を広範囲に展開しながら、連携をしっかり取ることで死角を極力潰し、索敵範囲を広げている。

 つまり、奇襲の機会がどちらにあるかと言えば、それはブリタニア軍側にあった。

 

 樹木の合間をすり抜け、コーネリアの機体が滑るように疾走する。

 左へ、右へ、そして、上へ。

 まるで、平地を往くのと変わらないスピードで森中を駆け巡り、敵を屠っていく。

「ふん、脆弱者め」

 今も木の影からこちらを狙っていた敵を、逆にハーケンで仕留め、その脆さにコーネリアは鼻を鳴らす。

 ―――流れが変わりつつある。

 幾度となく戦場を越えてきた経験から、コーネリアは場の空気の変化を敏感に感じ取っていた。

 敵が保ってきた優勢は、今や均衡を保ち、それも少しずつ傾き始めていた。

 一気に戦場を拡げ、乱戦に持ち込んだのが、功を奏したのか。

 懸念しているゼロの策略は、まだその気配を感じない。

 使わないのか、それとも、使えないのか。

 それは分からないが、チャンスであった。このまま、敵を崩してしまえば、ゼロが何をしようがもう勝利は揺るがないだろう。

 勝利の気配を感じたブリタニア軍が、それを引き寄せようとその勢いを、更に増した。

 その攻勢に、黒の騎士団は遂に後退を余儀なくされる。

 天秤が傾いた。流れが変わった。

 その確かな手応えにコーネリアは勝利の光を見た。

 

 

 それが、この戦いで初めてコーネリアが見せた隙だった。

 

 

 いや、本人はそれを隙だとは思っていないだろう。

 勝利に、勝つことに慣れてしまったコーネリアやブリタニア軍にとっては、それは当たり前の感覚だった。

 流れが変わる瞬間。有利と不利が入れ替わり、天秤が自分達に傾く瞬間。勝利の手応え。

 ()()に、ルルーシュは、――毒を仕込んだ。

 

 ほんの少しだった。

 ほんの少しだけ、その一瞬。

 自軍が確実に不利になる状況を、ルルーシュは少しだけ派手に演出してみせた。

 苦戦から、後退するタイミングを僅かに早く。

 押し込まれ、逃げようとするその速度を少しだけ、速く。

 先程、森に誘い込む時のあからさまで杜撰な陽動とは真逆に、緻密に、かつ慎重に毒を仕込んだ。

 味方が不利になった状況、その中に仕込まれた毒にブリタニア軍は気付かない。

 何時ものように、自分達の力の前に敵が不様に退いていくものとしか思っていなかった。

 だから、嵌まる。

 誘いながら、一点に集まろうとする黒の騎士団。

 知らず、それに釣られて、深追いする形になったブリタニア軍の広く展開していた陣形が狭まり、―――固まった。

 

 

 カツン、と。

 

 黒のキングが、一つ、白のクイーンに差し迫った。

 

 

 日本――今はエリア11だが――が世界に誇るものの一つにサクラダイトがある。

 希少なこの金属は、世界を見ても採掘できる場所は限られており、特区会場があるこのフジ周辺は有数な採掘場所として知られていた。

 もし――。

 もし、特区が無事に開催された場合、挙げられる事業は何だろうかと考えた場合、この周辺でのサクラダイトの採掘業務が真っ先に思い浮かぶ。

 そう考えたルルーシュが、桐原から提出させた特区で行われる予定だった事業案を確認したところ、やはり、それが含まれていた。

 ならば、あるはずだった。

 採掘を行うならば、爆発物が必要になる。

 そう思い、避難する特区参加者達に紛れ、周辺の採掘場所や採掘予定地区を回った所、予想通りにそれはあった。

 無造作に積まれた大量の流体サクラダイトが。

 

 

 轟いた轟音にブリタニア軍の足が止まる。

「ッ、何が……!」

 ナイトメア越しですら脳にまで響きそうな、その爆音にコーネリアも足を止めて、周囲の警戒に神経を尖らせる。

 一つ、二つ、三つ。

 絶え間なく何度も轟く爆音の振動が細かくコーネリアの身体を揺さぶる。

「くっ! …状況を報告しろ!」

 身体を震わす振動が続く中、轟音に負けないくらいの大声でコーネリアがそう命じた。

『被害、ありません! どうやら、地面に仕掛けられていた流体サクラダイトが爆発しているようですが、巻き込まれた味方はおりませんッ』

「何?」

 その予想とは違う報告に、コーネリアの顔が難しいものになる。

 まず、間違いなくこれはゼロの仕掛けた罠だろう。

 だが、それにしてはお粗末に過ぎる。

 状況の移り変わりの速さに、慌てて罠を作動させたのだとしても、被害が全く無いというのはおかしい。

 その事実がコーネリアの警戒心を煽る。

 まだ、何かある。

 そう思ったコーネリアが、部下達に警戒をするように促そうと口を開きかけた時だった。

 コツン、と何かがコーネリアの機体を叩いた。

「―――――?」

 雨か? と思い、上を見上げたコーネリアは、数秒後、その音の正体を知り、戦慄するのだった。

 

 コツン、コツンという軽い音から始まり、少しずつ大きく、激しく。

 上空より降るそれの正体は、石だった。

 地面に埋め込まれた流体サクラダイトの爆発によって、空高く巻き上げられた砂が、石が、岩が、巨木が、夜の闇に紛れ、落ちてきているのだ。

 あっという間に、激しい音の坩堝に呑み込まれたブリタニア軍の機体に無数の傷が出来ていく。

 ドン、という音にそちらを見れば、巨木に潰されたナイトメアの姿があった。

 激しさが増す。

 

 ()()降りが、ブリタニア軍に降り注いだ。

 

 掘削音にも似た音が痛いくらいに耳を打ちつける。

 降り注ぐ礫がカメラを割り、巨岩が穿ち、大木に打ち倒される。

 夜の空より来たる自然の凶器は、確かな刃を持ってブリタニア軍に襲いかかった。

 爆発音が幾つか上がった。

 確認しなくても分かる。当たりどころの悪かった誰かの機体が破壊されたのだろう。

「ちぃ―――ッ!」

 その場に留まるのは危険と判断したブリタニア軍が慌てたように四方へ散り始めた。

 コーネリアも、激しく舌打ちを打つと機体を駆り、その場からの離脱を図る。

 時間差での爆発で巻き上げられた土砂は、未だ止まずに、コーネリア達の頭上に降り注いでいる。

 砲弾のような大岩が機体を押し潰し、巨木が槍のように突き刺さる。

 時間にして、一分にも満たない一瞬の土砂の通り雨。

 しかし、それにブリタニア軍は完全に掻き乱されていた。

「くそ―――ッ」

 直上から迫る落下物を回避しながら、苛立たしげにコーネリアは吐き捨てた。

 それもそのはず。自軍に傾き始めていた戦況を、罠の一つであっさりと滅茶苦茶にされてしまったのだ。怒りの一つも覚えよう。

(だが、まだだ………ッ)

 確かに、胆が冷えた。危険と感じたし、自軍を乱されたのは認めよう。

 だが、決定打は与えられていない。

 無差別に降り注ぐだけの攻撃では確実性に欠ける。

 少なくとも、この罠ではナリタの時のような被害をもたらすことは出来ないだろう。

 なら、まだ、やれる―――――。

 心は折れない。

 コーネリアの瞳に陰りは見えず、その身体から溢れる戦意に揺らぎはない。

 そして、コーネリアが折れていないのであれば、ブリタニア軍も死んだりはしない。

 この場を凌がれれば、そこまで。

 多少の損害を被ったとしても、たちまち黒の騎士団は追い詰められてしまうだろう。

 

 

 もっとも、それは。

 

 今までのゼロだったならば、の話だが………。

 

 

 ブリタニア軍の誘導に成功し、流体サクラダイトを使った自然物の絨毯爆撃が発動可能な状況に達するのと同時に、ルルーシュはドルイドを起動した。

 予想した通りに流体サクラダイトがあるにはあったが、その量はやはり想定通りの量でしかなく、直接的に用いても、ブリタニア軍に風穴を開けるには火力が圧倒的に足りない。

 しかし、ルルーシュが行おうとしていた策を実行するには十分な量だった。

 この攻撃はあくまで布石。一時、ブリタニア軍を混乱させるためのもの。

 一瞬の乱れ。僅かな隙を生み出す子供騙しの罠。

 だが、それだけあればいい。それだけあれば、十二分に勝機を見出だせる。

 そして、今。

 

 かつての戦いで、女神の名を冠する破壊の光を消した力の一端が、再び、垣間見えようとしていた。

 

 

 その細い指先が鍵盤を弾くように、キーボードの上を軽やかに滑る。

 

 ―――地形データ入力。温度、湿度、風向、風量、地質、地熱、入力。流体サクラダイト熱量、爆発深度、爆発規模、それに伴う噴出物の高度、落下速度を算出――――……

 

 世界を構成するあらゆる要素が数値化され、瞬く間に入力されていく。

 超高度な演算能力を有し、ファクトスフィアよりも数段上の機能性を誇る電子兵装システム・ドルイド。

 先の時間軸においても、絶対守護領域やフレイヤ・エリミネーターの計算などに用いられる等、圧倒的なまでの情報処理を可能とするこのシステムだが、その能力を最大限引き出すには、使用者に高いシステム適性が要求され、実質的に使いこなせたのは、ルルーシュ一人だけである。

 

 ―――精査完了。全ナイトメアフレームの現在位置及び機種把握。機種毎の機動性、最大速度、平均速度、敏捷性、基本回避プログラムを判別、算出、入力――――……

 

 淀みなく、僅か数秒の間に数々の演算が行われ、多くの情報が処理されていく。

 刹那を争う戦場において、過度の思考は『遅れ』である。行き過ぎれば、命を危険に晒す。

 ましてや、計算は完全なる思考の領域、――自己に埋没する行為だ。命をやり取りする場で、外ではなく内に意識を傾けるなど、本来であれば自殺行為と言ってもいいだろう。

 だが、ドルイドを繰るルルーシュの手に乱れはない。

 その圧倒的な集中力に、迷いもブレも見られなかった。

 それは、数々の困難を越えてきたが故の強さか。

 それとも、傍らにいる全てを預けられる魔女への信頼故か。

 刹那を争う戦場の速さを追い抜き、魔王の手は、その先へ伸びていく。

 

 そして――――。

「入力完了」

 最後まで、一度も止まることなくデータを入力し終えたルルーシュがタンッ、と一際強くキーを叩いた。

 準備は整った。条件は、全てクリアされた。

 

 これより、ここに。

 

「近未来予測。流体サクラダイトの爆破から、60秒以内の全ナイトメアフレームの回避行動を予測。全行動パターンを展開」

 

 魔王の手によって、奇跡が示されようとしていた。

 

 

 カツン。

 

 また、一つ。

 黒のキングが、白のクイーンに迫った。

 

 

 ようやく、土砂の雨が収まり、ゼロの罠が過ぎ去ったと認識したコーネリアは、ふぅ、と安堵の息を吐いた。

 コンソールを動かし、素早く機体のチェックをする。

 あの障害物の雨の中、かなり無茶をさせたためか、駆動系を始め、機体のそこかしこにダメージカラーが点滅していた。

 だが、戦闘機動に大きく影響を与える程ではない。つまり、まだ、戦えた。

「皆は、どうしたか………」

 周囲に味方の姿はない。先程の攻撃のせいで、散り散りにさせられてしまったようだ。

 まずは、部隊の立て直しを図らなければならない。

 そう考え、味方の位置と状況を知ろうとレーダーマップに視線を落としたコーネリアは、驚愕に目を見開いた。

「な………」

 僅かな時間だった。

 ゼロの罠が発動して、そして、ここまで待避してくるまで、ほんの僅かな時間しか経っていない。

 なのに。

 その僅かな間に、多くの味方の反応が消失していた。

「何が起こっている!?」

 驚愕がそのまま、口を突いて出た。

 あり得ない、信じられないという気持ちがコーネリアの胸中に渦巻く。

 仕方のないことだった。コーネリアの意識が部隊から外れていたのは、数分にも満たない時間であり、更に言えば、その時点では、自軍が優勢を保っていたのだ。

 それが、少し目を離していた間に、何故か、逆にこちらが劣勢に追い込まれようとしているのだ。

 信じられず、困惑するのも無理からぬ事だった。

 だが、現実は覆らない。

 こうしている間にも、味方の数はどんどん減っていっていた。

『コーネリア様!』

 すぐさま、状況を把握し部隊をまとめなければ、とそう考えていたコーネリアの元に、焦りと苦悶に満ちた部下達の声が幾つか届く。

「皆、無事か!? 何があった!?」

『わ、分かりませんッ! いきなり、攻撃が………ッ』

『こちらもです! 待ち伏せを食らって、……ぐあッ』

 通信の向こうで叫び声が上がる。

 ブツリ、と音を立てて通信が途切れ、レーダーマップから、また、味方の反応が消失した。

「待ち伏せ、だと?」

 つまりはそういうことだった。

 先程の攻撃から、何とか逃げる事に成功したブリタニア軍だったが、その矢先、まるでそこに来るのが分かっていたかのように現れた黒の騎士団の奇襲に遭ったのだ。

 まさか、逃げた先に敵が待ち構えているとは思わなかったのだろう。

 上空に意識を完全に持っていかれていたブリタニア軍は、その黒の騎士団の奇襲にまともに対応することも出来ず、次々に撃破されていってしまった。

 だが、とコーネリアは思う。

 どうやって、先程まで、後退を余儀なくされていた黒の騎士団が自分達を待ち伏せすることが出来たのか。

 何故、自分達の逃げる先を予想出来たのか、と。

 あの時、あまりに突然の事態だったため、部隊に指示を出す余裕がなかった。

 他のブリタニア軍人にしても、明確な意思や意図があって、動いていた訳ではないだろう。

 だというのに、黒の騎士団は、――いや、ゼロはまるで、こちらがどう動くかわかっていたかのように、部隊を先んじて動かしていた。

 それが意味するところは、つまり―――…

「まさか――――」

 ぞわり、とコーネリアの全身が冷水を浴びたように震えた。

 自身の思考の行き着いた答えに、思わず身震いしてしまう。

 不可能だ、と否定したかった。

 出来るわけがない、と言いたかった。

 けれど、今、この瞬間の現実が何よりもコーネリアに、それが正解だと訴えかけてきていた。

「読み切ったと言うのか………ッ!」

 我等の動きを。

 無秩序に逃げ回っていた全てのナイトメアの動きを。

 ゼロは、全て読み切って見せたというのか――――?

「馬鹿な……」

 呆然と震える唇でコーネリアがそう呟いた。

 理解出来なかった。

 ここに、どれだけの数のナイトメアフレームがいたと思っている。

 それらが、どれくらい無軌道な動きをして見せたと思っている。

 例え、僅かな時間とはいえ、その全ての動きを読み取る事など、不可能に近い。

 少なくともコーネリアには、どうすればそんな芸当が出来るのか想像も出来なかった。

「化物め………ッ」

 抑えきれない感情が沸き上がる。

 震えを止めるために食い縛った唇が切れ、血が滲み出た。

 おそらく、この状況はゼロが狙って作り出したものなのだろう。

 なら。

 一体、いつからゼロの手の内だったのか、とコーネリアは考える。

 この森に踏み入れた時からか。

 自分が最前線に飛び込んだ時からか。

 それとも。

 

『交渉をしよう、コーネリア』

 

 あの時からか。

 

「――――ッ」

 ドンッ、と操縦席に拳を振り下ろす。

 油断していたつもりはなかった。

 最大限警戒して行動し、部隊を動かしていた。

 だが、それでも、まんまと良いように踊らされてしまった。

 その屈辱と怒りから、コーネリアの頭が真っ白になった。

 そんな時だった。

 忠臣達の声がコーネリアの耳に入ったのは。

「ギルフォード! ダールトン!?」

 

 通信機から聞こえてきた声にギルフォードは安堵の息を吐いた。

 いつになく、余裕のなさそうな声だったが、どこか怪我を負っている風には感じられなかった。

『お前達、無事か!?』

 必死にこちらの身を案じるその声に思わず、苦笑が漏れた。

「ご安心を、私は無事です。姫様」

 安心させるために、極力、穏やかな声でそう告げる。

「ですが、申し訳ありません。合流には今暫く時間が掛かりそうです」

 その穏やかな声とは裏腹に、鋭い目付きでカメラ越しに見える敵のナイトメアを睨み付けた。

『悪いけど、逃がすわけにはいかないよ』

『貴様の相手は、私達がしよう』

 左腕を破壊されたギルフォードのナイトメアを挟むようにして朝比奈と千葉のナイトメアが油断なく、ギルフォードを牽制していた。

「ダールトン将軍、姫様を頼んでも?」

 

「そうしたいのは、山々なのだがな」

 同僚の声にそう言葉を返しながら、ダールトンも苦笑を漏らした。

 言葉だけ聞けば、大事に感じられないが、先程の攻撃から逃れる際の無茶な機動によりダールトンの傷口は開かれ、身体中の至るところから血が滲んでいた。

「こちらも中々、一筋縄とはいかないようだ」

 額に脂汗を滲ませながら、そう返答するダールトンの目はしっかりと自分と相対している長い飾り髪を付けた黒い侍のナイトメアフレームに注がれ、逸らされずにいた。

『先の戦いの雪辱、晴らさせてもらう』

 厳とした声でそう宣言してくる藤堂に、ダールトンもにやり、と挑戦的な笑みを浮かべた。

 

 通信から、忠臣達の危機的状況を察したコーネリアだったが、そのどちらかに援軍に駆けつけようともせず、未だその場に留まり続けていた。

 ―――正確には留まらざるを得ずにいた。

 こちらの主力に敵の主力が当てられるように配置されている事をコーネリアが見抜くと同時に、それが現れたからだ。

『安心したよ』

 暗闇において、それでも輝きを忘れない銀爪を携えた紅の機体が夜の森からゆっくりと姿を現した。

『まだまだ元気そうで』

 溌剌とした若い女の声が、挑発的な口調でそう言ってくる。

『弱ったアンタを倒しても、気持ちが収まらないからね。私も、皆も』

「ふん」

 強気なその台詞を、コーネリアは鼻で笑い飛ばす。

「見くびるなよ、小娘」

 ゼロに踊らされて部隊をバラバラにされ、自身も敵の最大戦力と孤軍で対峙という状況に晒されながらも、コーネリアの強者としての佇まいに衰えは見えない。

 事実、コーネリアはまだ勝利を捨てていなかった。

 自身も忠臣二人もまだ健在。他の部下達も、数を減らしたものの壊滅的と言える程に減ってはいない。

 なら、ここから状況を挽回をする機会は十分にあるとコーネリアは考えていたからだ。

 

 

 もっとも――――。

 

 

「そう。それでいい、コーネリア」

 

 そう考える事すらも、魔王の手の内であったが。

 

「そうそう、屈してくれるなよ? お前にはまだ、役目があるからな」

 

 盤面が動く。

 カツン、カツンと。

 愉しげに音を立てながら、黒のキングは順調に盤上を進んでいく…………。




 難産でした……。
 まだ、納得いかないところですが、これ以上こねくり回すと余計おかしくなりそうなのでやめます。
 執筆レベルが上がれば、その内手直しするかもしれません。
 そして、サクラダイト。流体じゃないと爆発しないと書いてから気づく。
 うろ覚えの知識を使うのはダメ、と実感しました。


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PLAY:05

 そろそろ、タグにA(オール)・H(ハイル)・L(ルルーシュ)と入れるべきなのだろうか………


 神聖ブリタニア帝国。首都ペンドラゴン。

 今や、世界の半分近くを支配し、強さを掲げ、弱者から搾り取った富と贅が蔓延するこの首都。

 その首都において、一際、燦然と妖しく輝く皇城の一室で、今、ブリタニア皇族を始めとする一部の権力者が集い、会議とは名ばかりの欲と驕りに満ちた話し合いが行われていた。

「いやはや……、一時は、どうなるかと思いましたが、これで、長年騒がしかったエリア11も、静かになりますな」

「ええ、それにユーフェミア様も、これでナンバーズの贔屓など、いかに愚かしい行為か分かっていただけましたでしょう」

「妹君への教訓を兼ねた、エリア11の鎮静化。一挙両得、いや、一石二鳥と言いますかな? ともあれ、さすがはシュナイゼル殿下。実に素晴らしいご采配でありましたな」

 揃って貼り付けたような笑みを顔に浮かべ、明け透けに下心を持って、擦り寄ろうとしてくる権力者達にシュナイゼルは、困ったような、それでいて悲しそうな表情で首を横に振る。

「いえ、ユフィには可哀想な事をしてしまいました。こうなる事も視野に入れていたとはいえ、私は純粋にあの子の平和への夢を応援していた。このような結果になってしまった事は、実に残念でなりません」

 嘘か真か。どちらとも、誰にも分からせない程に、精巧な仮面を被り、そう悲しそうに言うシュナイゼルに、うんうん、と呑気に頷く男の姿があった。

「そうだね。ユーフェミアの夢は実に素晴らしかった。血を流すことなく、争いを終わらせようとしたんだから」

 本気でそう思っていそうな、第一皇子オデュッセウスの言葉に、シュナイゼルがええ、と返す。

「哀しいじゃないですか。人と人がいつまでも争い続けるのは。今回のユフィの行いは、平和に世界を一つに纏めようという試みでした。失敗したとはいえ、賞賛に値します」

「うんうん、そうだね。実にそうだ」

 どこまで本気なのか。ともあれ、第一、第二皇子が共にユーフェミアの行いを庇うような発言をしたため、遠回しにユーフェミアの行いを愚昧なものと言っていた者達は、居心地悪そうに咳払い等をして、場をやり過ごそうとした。

「ま、まあまあ。何にせよ、これでエリア11も平和になる事ですし。であるなら、ユーフェミア様の夢も僅かながら叶ったと言えましょう」

 そう言って露骨に話題を変えようとする人物に、他の者達も追随する。

「そ、そうですな。とにかく、エリア11の矯正エリアへの格下げは必然のものとして、今後のイレブンの取り扱いやサクラダイトの収益について―――…」

 この時点では、まだ、コーネリア率いるブリタニア軍と黒の騎士団が戦闘を開始したばかりである。

 にも関わらず、ここにいる者達は、既に勝ったものとして、話を進めていた。

 それについて、シュナイゼルは何も言わない。

 戦いの行方については、概ね、シュナイゼルも同意見だからだ。

 利権やら何やら、熱が入り始めた連中の話をとりあえず耳に入れておきながら、シュナイゼルの思考は別の事に向けられた。

 エリア11の今後については、シュナイゼルには興味がない。いや、そもそも始めから興味など抱いてはいない。

 今回の事についても、ただ、出来る事があったからしただけであり、別段、特別な事をした訳ではなかった。

 だが、そんなシュナイゼルだったが、ほんの少しだけ、ゼロに興味を抱いた。

 能力とか、志とか、そういうものにではない。

 敢えて言うなら、その姿勢、か。

 ブリタニアという強大な敵を前に、たった一人で堂々と向き合うその姿。

 それが、重なって見えたのだ。

 昔日に喪われた、この胸に熱を灯らせた愛しき存在に―――。

「―――――」

 珍しく感傷に浸った自分の思考を切り替えるために、シュナイゼルは小さく頭を振った。

 そういった理由から、ゼロに興味を抱いたわけだが、それも、もう失われていた。

 特区式典で重傷を負ったはずのゼロが命を繋ぎ止め、戦いを仕掛けてきた事はシュナイゼルにとっては意外な事だったが、今までのゼロの行動から、その力量を正確に読み取っていたシュナイゼルは、ゼロにこの窮地を乗り越えることは出来ないと踏んでいる。

 よしんば、ここを乗り切れたとしても、ここで戦力を失ってしまえば、今後の情勢下で再起は不可能に近い。

 ふう、とつまらなさそうにシュナイゼルはため息を吐いた。

 何故、ゼロがこんな選択をしたのか分からない。

 だが、それを知ろうとはシュナイゼルは思わなかった。

 もう、彼の運命は決まってしまった。どんなしがらみがあったにせよ、それを振り払えなかったのなら、それがゼロの限界だったというだけだ。

 なら、もう興味を惹くものは何もない。

 そう結論付けると、シュナイゼルはゼロについて、考えるのをやめる。

 ちらり、と視線を周囲にやれば、激しく議論を交わす出席者達の奥、上座に位置する場所に誰も座っていない席が目に入った。

 その光景に、僅かばかり苛立ちを孕んだため息を吐くと、シュナイゼルは今後の世界情勢と、ブリタニアの版図拡大について思案し始めるのだった。

 

 『前回』の戦いにおいて、ルルーシュの最後の敵として立ちはだかったシュナイゼル・エル・ブリタニア。

 この世界においても、一、二を争う程に知略に富んだ彼ではあるが、そのシュナイゼルをもってしても、まだ、分からなかった。

 不敗を誇り、およそ不安など何も感じられない超大国、神聖ブリタニア帝国。

 その足元が、砂上のそれに変わりつつあることを。

 シュナイゼルですら、気付かずにいた……。

 

 

 そして、舞台は再び、エリア11。日本に戻る。

 遠いブリタニア本国において、誰もその勝利を疑っていなかったブリタニア軍と黒の騎士団、延いてはコーネリアとゼロの戦いは、彼等の予想を覆し、ブリタニア側の劣勢となっていた。

 質も数も問題ない。軍隊としては、黒の騎士団など比べるべくもない程に完成されている。

 本来であれば、敗ける要素など見当たらないだろう。

 しかし、そんなブリタニア軍も、地獄より舞い戻った魔王には敵わずに、彼の手の平の上で、終始踊らされ続けていた。

「相変わらず、見事なものだな」

 突発的、かつ派手な広範囲攻撃で相手を混乱させ、その間隙を突いて、動きを読んで先回りさせた部隊で奇襲を掛ける。

 一瞬でそれらの事をさらりとやってのけた魔王に、魔女は感嘆の声を上げながら振り返った。

「場所も状況も限定されている状態だ。相手の心情を読む事など容易く出来る。そこにドルイドも加われば、この程度の事など造作もない」

 未来予知さながらの超速演算も、今のルルーシュにとっては特に難しい事ではない。

 足を組み、頬杖を突くという、いつものスタイルのまま、ルルーシュは事も無げにそう言った。

「ほう? だが、いいのか? 仕込んでおいた策を使ったというのに、ブリタニア軍は、随分と元気みたいだぞ?」

 指揮系統を分断し、奇襲と速攻でそこそこ敵を削る事が出来たとはいえ、まだ、致命的と言える程には、ブリタニア軍は崩れていない。

 現状、こちらに有利とはいえ、この後の展開次第では、まだ、どう転ぶか分からない、そういった状態だった。

 それを心配したC.C.だったが、返ってきたルルーシュの言葉に目を丸くさせられる事になる。

「当たり前だ。削りすぎないように加減したのだからな」

「何?」

 思っていた以上に、驚きが顔に出たのだろう。

 視線を合わせたルルーシュが、その表情をふっ、と和らげた。

「この状況で時間も労力も使う殲滅戦など馬鹿げている。下手に追い詰めて、ヤケになられても困るからな。番狂わせが起きない程度にしか減らしていない」

 加えて、今の黒の騎士団は戦場を知らない。

 追い詰められる経験はあっても、敵を追い詰める経験は無いに等しい。

 そんな彼等に、殲滅戦をさせるのは、色々な意味でリスクが大きすぎた。

「なら、どうするつもりでいるんだ? てっきり、私は、ここでコーネリアとブリタニア軍を倒して、日本を解放するつもりだと思っていたが……」

 そう疑問を口にするC.C.に、ルルーシュは、いや、と首を横に振る。

「この戦いが局地戦でしかない以上、ここで勝っても決定打にはならない。…正直に言えば、ここでコーネリアを倒す必要は全く無いと言ってもいい」

 今後のためにもな、と続けるルルーシュにC.C.は、ますます訳が分からないという顔をする。

「なら、何のために、こんな戦いを仕掛けたんだ?」

「それは、もう少しすれば分かる」

 したり顔で、答えを濁すルルーシュに、む、とC.C.は面白くなさそうに眉を寄せた。

「まあ、何でも良いがな。油断して足元を掬われるような真似だけはするなよ?」

「あり得ないな」

「ほう? 随分と自信たっぷりに言うじゃないか?」

 妙に自信ありげなルルーシュに、C.C.がそう言うと、ルルーシュは、当たり前だろ? と余裕の笑みを浮かべて、口を開いた。

「お前がいるんだからな」

 根拠も何もない。

 そもそも、ルルーシュらしくない、ただ、お前がいるから、という無条件の信頼に、C.C.はキョトン、とした顔になる。

 だが、それも一瞬。

 その言葉の意味を理解すると、C.C.は思いっきり顔をしかめながら、鼻を鳴らして、ルルーシュからバッ、と顔を背けた。

「……くそ、不意打ち……、というか、コイツ、誑しぶりが凶悪になってないか…………?」

「何を言っている?」

 顔を背けて、ブツブツと何やら呟き出したC.C.にルルーシュが問いかけるが、C.C.は何でもないッ、と言って話を変える。

「そ、それより、いいのか? 戦場の方は。このまま、膠着状態で」

 それに、ルルーシュはふむ、と頷くと思考を巡らした。

 交渉、―――黒の騎士団とブリタニア軍の決戦が決まってから、五時間。

 そして、戦闘が始まってからも、大分時間が経過していた。

「頃合いか――?」

 時間の経過具合と、戦場の状況を確認したルルーシュが、小さく呟く。

 倒す必要はない。だが、今後の展開をスムーズにしておくために、もう少しだけ、コーネリアとブリタニア軍の動きを鈍くさせておく必要があった。

 そのための準備は、既に整っている。

 後は、タイミングだけが問題だったのだが―――……

「――――よし」

 今まで、数々の勝機を見逃さなかった自身の直感に従い、ルルーシュは次の作戦の決行を決断した。

 

 

 左手に持った銃器が火を噴き、ハーケンが素早く射ち出される。

 木々の合間をすり抜けながらの、流れるような連続攻撃だったが、それを難なく回避した紅蓮は、その勢いのまま、コーネリアのナイトメアに迫る。

 伸ばした右手で捕らえ、必殺の一撃を与えようとするが、その動きを見せた途端、コーネリアは木々を盾にしながら、紅蓮から距離を取った。

「なかなか、やるじゃない」

 紅蓮よりも機体性能で劣るナイトメアを駆使し、一進一退の攻防を演じるコーネリアにカレンが皮肉混じりの賞賛をする。

『みくびるな、と言ったはずだ。小娘』

 何処となく、上から目線な物言いに、カチン、ときたカレンだったが、直ぐに落ち着けと言わんばかりに深呼吸をして気持ちを安定させる。

 コーネリアは侮れない。こちらが、攻め気を見せれば、するり、と抜けていくかのように絶妙な距離を保ち、様子を見ようと攻め気を抑えれば、躊躇いなく踏み込んでくる。

 性能に劣ろうとも戦い方を熟知し、互角に戦ってみせるのは、さすがは、音に聞こえた、と言うべきなのだろう。

 そんな相手に、感情に任せた迂闊な攻撃は出来ない。

 それに、ゼロからもコーネリアを殺すな、と厳命を受けている。

 だから、カレンは逸りそうになる気持ちを何度も抑え、努めて冷静に戦いを進めていた。

 そうして、気持ちを落ち着け、再び、攻撃を、とカレンがそう思ったところへ。

『カレン』

「ゼロ!」

 信頼する指揮官からの通信に、カレンが喜びの滲んだ声を上げた。

 

(―――? 気配が変わった?)

 何度目かになる紅蓮の猛攻を凌ぎ、距離を取ったところで様子が変わった敵にコーネリアが警戒を強める。

(何か、仕掛けてくるつもりか)

 相手の機体が前傾姿勢になり、こちらに突撃しようという気配が強く伝わってくる。

「いいだろう」

 不敵にコックピットの中でそう言い放ち、コーネリアも、また迎撃の体勢を取った。

 ――先に動いたのは紅蓮だった。

 ランドスピナーが唸りを上げ、鋭い動きで距離を詰めてくる。

 迎え撃つコーネリアが銃を乱射するも、驚異的な反射を見せる敵に銃弾は、ひたすらに空を切り続ける。

「ならばッ!」

 後退しながら、再び放った銃が敵ではなく、周囲の木々を撃ち抜くと、それらが紅蓮を押し潰そうと倒れかかってくる。

 しかし、銃弾すら避けてみせるカレンにとっては、ゆっくりと音を立てて倒れようとする倒木など障害物にもならない。

 案の定、あっさりと避けた紅蓮が、倒木によって巻き起こった砂塵の中から姿を現すが、それこそが狙い。回避しきったその瞬間を狙っていたコーネリアがそこに銃を放つ。

 必殺のタイミング。

 狙い澄まされた無数の銃弾が、紅蓮を撃ち抜こうと迫る。だが、……届かない。

 重たい音を立てて発生した輻射波動の障壁が、迫る鉛弾の全てを溶かし、塵に還す。

 そのまま、触れるもの全てを溶かす赤光の盾を掲げて襲い掛かろうとする紅蓮。牽制に放たれる銃弾の悉くを溶かしていく紅蓮から、コーネリアは一瞬、目を離す。そして、銃弾の残弾数をチェックし、残り少ないことを確認したコーネリアは、手にしていた銃を、―――紅蓮に向かって投擲した。

 弾薬の詰まった銃が、輻射波動の障壁にぶつかり爆発する。

「もらったッ!」

 銃の爆発を目眩ましにしてコーネリアの機体が滑るように紅蓮の横に移動し、爆発に動きを止めたその横っ腹にランスを叩き込む。

 銃を投げ捨てるのと同時に動き出し、爆発から間を置かず繰り出された会心の一撃。

 並の相手なら、それで片が付く。それほどに練られた一撃だった。

 しかし、それでも、届かない。

 コーネリアの機体がランスを繰り出すより早く、紅蓮は大きく後方に飛び退く事で、それを躱わした。

 銃を犠牲にした必殺の一撃を躱わされ、コーネリアは舌を鳴らすが、まだ、チャンスは続いていた。

 空中で身動きが取れない紅蓮の着地際を狙おうとコーネリアは追撃に移る。

 中空を舞う紅蓮が、そんなコーネリアに向けて、飛燕爪牙を放ってくるが、コーネリアはそれらを弾き落とす。

 そして、着地した紅蓮がその衝撃を殺そうと機体を深く沈めた、その間際を狙い、コーネリアは今度こそ、必殺の一撃を繰り出そうとして――――、

「――――ッ!」

 視界の隅で、上空に佇む漆黒のナイトメアが赤い光を放つのを目にしたのだった。

 

「姫様!」

 ゼロの乗る大型ナイトメアフレーム、ガウェインがコーネリアのいる地点にハドロン砲を放つのを見たダールトンが、コックピットの中で焦燥に駆られた声を上げる。

 直ぐ様、レーダーを確認し、まだ、コーネリアの信号が消えていない事に、ほっ、と息を吐く。

 だが、安堵出来たのも一瞬。

 今、コーネリアは敵のエースと指揮官の双方から攻撃を受けていることになる。

 例え、コーネリアであろうとも、そんな状態で何時までも無事でいられる保証はない。

 逸る気持ちが大きくなる。

 しかし、早々に駆けつけたくとも目の前に立ち塞がった敵は、ゼロが現れる前まで、日本における奇跡の代名詞だった男。

 そう、易々と越えていく事は出来なかった。

(一か八か……)

 先の戦闘での負傷も相まって、限界の近いダールトンが、荒い呼吸を繰り返しながら、勝負に出ようと考えた。

 その時だった。

「な――――」

 お互いに攻撃の隙を窺いながら、対峙していた長い髪付きのナイトメアが、突如として反転。

 その場から、離脱していった。

 突然の、その行動に戸惑うダールトンだったが、すぐに、その狙いに気付く。

 反転した藤堂のナイトメアが向かう先。

 そこは。

「姫様が狙いかッ!」

 不味い。そう思ったダールトンが後を追うようにナイトメアを全力で走らせる。

 敵の主戦力二人に狙われているところに、さらに、藤堂が加われば、姫様は………。

 最悪の事態が思い描かれ、それを振り払うように、ダールトンは追い縋る藤堂のナイトメアの背に銃を放つ。

 しかし、高速で移動しながらの攻撃では上手く照準が定まらない。

 それどころか、余計な動作を行っているせいで藤堂との距離は詰まるどころか、さらに開いていく。

「く………ッ」

 銃撃が無意味と理解したダールトンが銃を手放す。

 少しでも、機体の速度を上げるため、他の武装も。

 そうして、脇目も振らず、ただ、追いつくことのみに専心したのが良かったのか、藤堂との距離が詰まっていく。

「姫様は、やらせん………ッ」

 十分に距離を詰めたダールトンが、主に襲い掛かろうとする敵の無防備な背中にハーケンを放とうとする。

 止める。姫様の元へは行かせない。

 忠義の心が暗闇にボヤける黒の機体を、はっきりと捉える。

 高められた集中力が、振動に軋む身体の痛みを忘れさせ、その視界に、討つべき敵の姿のみを映し出した。

 そう。

 その忠義故に、視界には、藤堂一人しか映らなかった。

『ダールトンッ!!』

「ッ!?」

 反応出来たのは、奇跡に近かった。

 数々の修羅場を潜り抜けてきた本能のままに、反射的に左腕を差し出す。

 そこに、銀の爪が顎の如く噛み付いた。

 藤堂の機体を死角に迫り、それを飛び越えて襲い掛かってきた紅の機体の右腕が。

 頭がそれの危険性を認識するよりも早く、身体が機体を操作し、左腕をパージする。

 直後、左腕が赤熱に歪み、爆散した。

 至近距離での爆発にコックピットが揺さぶられ、ダールトンは痛みと振動に歯を食い縛った。

 窮地は終わらない。

 衝撃に耐えるダールトンの耳に、危険を知らせるアラートが飛び込んできた。

 ハッ、とするダールトンの目に、先程まで背を向けていた藤堂のナイトメアが、再び反転し、自分に迫ってきているのが見えた。

『―――御免!』

 機体を反らそうと全力で操作するも間に合わない。

 日本刀に似た造りの刀剣が、閃光を引いて振り抜かれた。

 

 敵の刀剣が振り抜かれ、部下のナイトメアの右腕が宙に舞う光景に、ギリッ、とコーネリアの歯が鳴った。

(初めから、私ではなく………ッ)

 ここに至り、コーネリアは敵の狙いに気付くが遅かった。

 先程の攻撃。

 コーネリアの不意を突く形で撃たれ、しかし、難なく回避したゼロのハドロン砲による攻撃。

 ゼロであれば、奇襲や不意打ちを仕掛けてくるとコーネリアは思っていた。そして、先程のがそれだとも。

 だが、違った。

 あれは攻撃ではなかったのだ。

 黒の騎士団の最大戦力が。

 コーネリア達が、その意図に気付く前に、最速、最短で標的に到達出来るようにするための。

 攻撃の体を装った、―――()()()だったのだ。

「おのれッ!」

 本来のコーネリアであれば、あるいは、気付いていたかもしれない。

 しかし、総大将である自分が単騎でいる状況と、ゼロであるならば、という先入観が彼女の認識に遅れを生じさせた。

 そして、その遅れは致命的だった。

 視線の先、暗闇に溶けて消えそうな距離に、忠臣の機体が小さく映った。

 かろうじて、命を繋いでいるものも、両腕を失い、苦し紛れに放ったハーケンを断ち切られ、もはや、死に体と言っていい在り様だ。

「ダール、……クッ、邪魔を、するなぁッ! ゼロぉ!!」

 風前の灯火とも言える部下を救おうと、コーネリアが急ぎ駆けつけようとするも、それを許すゼロではない。

 上空から、何度もハドロンの禍々しい光が撃ち出され、それに行く手を阻まれたコーネリアは、ダールトンに近づくことが出来ずに怨敵に怒りの声を上げる。

「ダールトンッ! 下がれッ、一度後退しろッ!!」

 この状況下で、それがどれ程に無茶な命令か、コーネリアも承知していた。

 しかし、視界の先で、今にも消えそうな部下に、それでも、叫ばずにはいられなかった。

『―――、ひ、……、ッ、…………さま』

「ダールトンッ!?」

 ノイズにまみれた通信の中に、コーネリアは自分に向けられた声を確かに聞いた。

 もう、内部のシステム周りすらボロボロなのだろう。

 まともに音を発することも出来なくなった通信で、その一言だけは、ハッキリとコーネリアの耳に届いた。

 

『――――御武運を』

 

 耳に慣れた爆発音が、やけに煩く聞こえた。

 

 

「ダールトン将軍ッ!?」

 ダールトンのナイトメアの信号が消失した瞬間、暗い森の中で奮闘していたグラストンナイツの一人が、堪らず絶叫する。

 根っからの軍人であり、偏見で物を見ず、純粋に能力を評価してくれるダールトンを慕う軍人は多い。

 特に彼に直接見出だされ、育てられてきたグラストンナイツのメンバーにとっては、父とも呼べる存在だった。

 それ故に、彼等を襲った衝撃は大きかった。

 そして、そんな隙を見逃さない歴戦の強者が、黒の騎士団の中には、しっかりと存在した。

「ワリィな」

 動揺から大きく隙を見せたグラストンナイツとの距離を詰めた卜部は、そう呟くと手にした近接武器を一閃。

 敵の機体を真っ二つに切り裂いた彼は、その光景に、ようやくノロノロと動き出そうとしていた、もう一人のメンバーに向かって、手にした武器を投擲。

 瞬く間に、厄介な敵を二人、撃破する。

 一方、違う場所でも、仙波が部下を率いて、精彩の欠いた動きをしているブリタニア軍を相手にしていた。

「限界のようだな」

『だな』

 劣勢からの信頼する上官の撃破という事実が追い打ちになったのだろう。

 あからさまに逃げ腰になっているブリタニア軍に、卜部と仙波は畳み掛けるように、攻撃を仕掛けていった。

 

 

 何がなんだか、分からなかった。

 勝てると思っていた。勝てると信じていた。

 力量は上。数も上。状況すら、こちらに有利だった。

 例え、相手が開戦以降、最大最悪のテロリストだとしても、こちらには数ある戦場を勝利で飾ってきたコーネリアがいるのだ。

 危険は、重々承知している。

 でも、本気になった自分達であれば、勝てると思っていた。

 今までにも、経験し、乗り越えてきた修羅場のように。

 乗り越えられると、そう、思っていた。

 なのに。

 これは、何なのだろう?

 何故、敵を追い詰めていた我等が、追い詰められている?

 何故、我等は、複数の敵に追い立てられるような戦いを強いられている?

 いや、そもそも、今、我等は戦っているのか? それとも、必死に逃げているのか?

 まるで、夢から覚めたと言わんばかりの現実の落差に、ブリタニア軍人達の認識はついていけない。

 それでも、培ってきた経験と、一流にまで鍛え上げられた軍人としての矜持が彼等を戦場に踏みとどまらせていた。

 だが、ダールトンという信の篤い上官の撃破が、その危うく保たれていた精神の均衡を崩した。

 疑問が、不安になり、恐怖に変わる。

 現状の覚束なさに、敗北を感じてしまう。

 数々の戦場を越えて、それでも遠かった死の感覚が鮮明に頭を過った。

 じわり、じわりと心を浸食する負の感情に、遂にブリタニア軍が屈しそうになる。

 その時―――、

 

『これで勝ったつもりかッ!? ゼロ!!』

 

 オープンチャンネルでそう叫ぶ、意志のある声に彼等の心は繋ぎ止められた。

 

 

 ブリタニア軍の心に忍び寄る恐怖を払拭するほどに、憤怒の熱を帯びた雄叫びを上げて、コーネリアがゼロの乗るガウェインに向けて突撃する。

 好機だった。

 部下を倒すために、自分に取り付いていた敵のエースは離れ、自分とゼロを遮るものは何もない。

 ここで、ゼロを倒せば、戦局は一気に傾くどころか、戦いそのものに決着を付けられる。

 そして、自分の力量であれば、例え、相手が強奪された最新鋭機に乗っていようと勝てる自信がコーネリアにはあった。

 そう思えば、ダールトンはコーネリアに勝利の機会を与えるために散ったと思えた。

 故に、単騎であっても特攻を迷わない。

 いや、ここは、だからこそ、だろうか。

 本来なら、指揮官たる将の単身での突撃など、愚の骨頂だ。

 しかし、ことコーネリア軍においては、それは最大最強の戦術だった。

 絶対的強者であるコーネリアが、単身で突撃し、敵を薙ぎ払う事で、敵対する者達に強さと威容を見せつけ、戦意を挫いたところを即時殲滅する。

 今日まで、ブリタニアの強大さを示してきた必勝戦術。

 コーネリアにとっては、単純明快ながら必殺とも言える戦術だった。

(殺る、ここで貴様を終わらせる。―――ゼロ!)

 このチャンスを無駄にはしないと、コーネリアは一人、ゼロに立ち向かう。

 さながら、その光景は物語の一幕に見えた。

 劣勢に立たされた戦乙女が、己を庇った部下のために、一人、悪に立ち向かい、これを討とうとする。

 成程、美しい話だと思えた。

 そして、コーネリアは、その物語を完成させるに足るだけの力を持っていた。

 この戦いが終われば、彼女を語る英雄譚が、また、一つ、増えたことだろう。

 

「迂闊が過ぎたな、コーネリア」

 

 正義を悉く。

 あまねく英傑を地に這わした。

 悪逆皇帝が、その物語に登場していなかったならば、だが…………。

 

「チェックメイトだ」

 

 

 黒のキングが、白のクイーンを弾き倒した。

 

 コトン、と。

 

 コロコロ、と――――。

 

 

「が………ッ」

 突然、機能を停止し、動きを止めたナイトメアの慣性にコーネリアは荒々しく息を吐き出した。

 身体を大きく前後に揺さぶられ、一瞬、暗転した視界が戻ると、コックピット内は非常灯のような赤い光に包まれていた。

「く…………!」

 停止した機体を再起動しようと、コーネリアがガチャガチャとコンソールを操作する。

 だが、機体は何の反応も見せない。

「これは―――」

『ゲフィオンディスターバーだ』

 コーネリアの疑問に答えるように、ゼロの声が外から響いた。

 

 ゲフィオンディスターバー。

 それは、以前、任務で、枢木スザクの乗る第七世代ナイトメアフレームすら止めた、サクラダイト反応を無効化する兵器の名前だった。

「どうやって誘き出すか、悩んでいたが、まさか、自分から嵌まりに来てくれるとはな」

 もっとも。

 コーネリアであれば、こうするだろう、とルルーシュは読んでいたが。

 自身の強さを信じるからこそ、最終的にコーネリアは将としてではなく、武人として動こうとする。

 だから、少し揺さぶれば、単純かつ単調な特攻戦術を使ってくるだろうと、ルルーシュはそう考えていた。

「先程までの采配は中々だったが……、まあ、そこが貴様の限界だったのだろう」

 動きを止め、格好の的となっているコーネリアの機体にガウェインが両腕を向ける。

「終わりだ、コーネリア」

 十指から射出されたハーケンが、コーネリアの機体の四肢を砕いた。

 

「ふぅ………」

 コーネリアの機体が戦闘不能状態に陥るのを確認すると、ルルーシュは大きく息を吐いた。

「手加減というのも、随分、難しいものだな」

 そう呟くルルーシュを振り返って、C.C.は訊ねた。

「いいのか、殺さなくて。後々、面倒になるんじゃないのか?」

「意味がない。忠義の篤いブリタニア軍を死兵に変えるだけだ」

 半ば、勝利を確信し浮わつき始めた黒の騎士団では、主を失い、その仇を取らんと命を捨てて向かってくる死兵の相手は出来ないだろう。

 同じ理由でコーネリアを捕らえることも出来ない。

 虜囚の辱しめを受けるくらいなら、死を選ぶ。

 あれは、そういう存在だとルルーシュは理解していたからだ。

「とりあえず、転がしておけ。それで十分、役に立つ」

 相変わらず要領を得ない説明に、眉を寄せるC.C.。

 その様子に、もう少しだけ説明しようか、とルルーシュが口を開こうとした時だった。

 敵接近を知らせるアラートが、コックピット内に響いた。

 素早く敵の照合を行い、表示されたその機体名にC.C.は複雑な表情をする。

「おい。何で、コイツが、このタイミングで、ここに来るんだ?」

 不機嫌とも、面倒とも感じられる声でそう言うC.C.。

 しかし、そんな魔女とは裏腹に、魔王の表情は明るかった。

 カメラに映し出された白い機体を懐かしそうに見つめ、ルルーシュは嬉しそうにその口を開いた。

「来たか。信じていたよ」

 

 

 ――――――我が友よ。

 

 




 次回予告。

 ルルーシュ「俺達は、友達だからなぁ!!」

 ルル様、皇帝モード全開。
 果たして、妹すら敵わなかった皇帝ルルーシュに、親友スザク君は勝てるのでしょうか?


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PLAY:06

 注意!
 今話は、かなりスザクに厳しいです。
 スザクファンの方は、どうかお気をつけ下さい。



 ゲフィオンディスターバーの効果範囲内においてナイトメアがその機能を止め、かつ、ゼロに機体の四肢を壊され、地に這わされても、コーネリアはまだ諦めてはいなかった。

 最後の攻撃で頭から血を流し、排熱が停止したコックピット内で汗を滴らせながら、反応を示さない計器類に手を伸ばし、何とかしてこの状況を脱しようと様々な試行を繰り返していた。

「まだだ。まだ、敗けてはいない………!」

 戦いが始まってから、何度となく呟いてきた言葉が、無意識にコーネリアの口から溢れる。

 機体の手足がもげたから何だ。ならば、ハーケンで絡み付いてやる。

 機体の機能が停止したから何だ。ならば、外に出て動くナイトメアに乗り換えるだけだ。

 空いてるナイトメアが無いなら奪えばいい。それも無理なら生身で戦ってやる。

 そうとも。

 まだ、やれることは沢山ある。

 まだ、命は尽きていない。心は折れていない。

「ふん、脆弱者め」

 後の事を考え、手に掛けることを躊躇うゼロをコーネリアは卑下する。

 後先を小賢しく考え、殺せないというなら、敗けはない。

 何度でも立ち上がり、その喉元に必ず食らい付いてやる。

 この状況にあって、コーネリアの心は折れるどころか、さらに戦意が増していた。

 

 しかし、そんなコーネリアであっても、それを知った時には我を忘れた。

 

「馬鹿な……」

 インカムから、もたらされた情報に呆然とコーネリアは呟いた。

 そして、理解した。

 ゼロの狙いを。その、思惑を。

「―――――ッ」

 全身の毛穴から、一瞬にして汗が吹き出した。

 心の底から動揺し、取り乱す。

 その時、初めて。この戦いが始まってから、初めて、敗北の二文字がコーネリアの心を過った。

「何故だ…………!」

 不味い、と思った。

 最悪だ、と思った。

 それは、およそ、考えうる最悪の状況だった。

「何故、来た…………ッ!」

 怒りが滲んだ声が出た。

 誰かの命令だったのか。

 それとも、独断専行なのか。

 何にせよ、愚かと言う他ない。

 ここに、こうして来た事自体が、既に最悪の判断なのだ。

 なのに。

 だというのに、どうして、それに気付かない――――――!?

「枢木スザクッ!!」

 

 

 

 暗く冷たい、氷のような炎を心に灯す。

 仮面を付け替える。

 奇跡を以て、正義を為す仮面の英雄から、巨悪を以て、全ての善悪を蹂躙した悪逆の皇帝へと。

『ゼロッ! 今すぐ、援護を!』

 自分の身を案じる部下の声が聞こえた。

「必要ない」

『え?』

 一言、切り捨てるように告げられた言葉にカレンが戸惑いの声を上げる。

『で、ですが! 相手はあの―――』

「聞こえなかったのか?」

 先程までとは、声の質が違う。

 聞くだけで相手の心を凍てつかせる覇王の声に、通信越しでありながら、カレンは気圧され、言葉を飲み込んだ。

「全軍に通達。条件は全てクリアされた。作戦を次の段階に移行する。各自、これより転送される作戦プランに従って行動せよ」

 不確定要素が無くなったルルーシュが、前以て、立てていた作戦プランの一つを、黒の騎士団全員の元に転送した。

 ざわっ、と回線の向こうが騒がしくなる。

 だが、それに構わずに、ルルーシュは言葉を重ねる。

「行動が遅れれば、敵に反撃の糸口を与えることになる。総員、チャンネルをオープンに切り替え、速やかに行動を開始しろ」

 有無を言わせない迫力を含んだ言葉に、口を噤んだ黒の騎士団が、眼下で行動を開始したのを確認すると、ルルーシュは、黙って自分を見ていたC.C.に視線を移した。

「C.C.。ランスロットに攻撃する際は細心の注意を払え。スザクに掛けたギアスが発動したら、こちらが危ない」

 先の時間軸において、驚異的な精神力で掛けられたギアスを上手く利用し、世界最強の片翼を担ったその戦闘能力を思い出しながら、ルルーシュが忠告する。

「それは、いいんだがな……」

 そう言って、含みがある生返事を返すC.C.の瞳が、不安と心配に揺れる。

 ルルーシュが仮面を切り替えた瞬間、C.C.はあからさまに表情を曇らせた。

 何故なら、今のルルーシュは、C.C.にとっては、出来る事なら、もう二度と見たくない姿だったからだ。

 冷笑を浮かべながら敵を追い詰め、冷酷にあらゆる存在を切り捨て、無慈悲に命を摘み取っていく。

 自身の『明日』と、その手の平から全てのものが零れ落ちることを代償に、世界に手が届くほどに完全無比な王者として君臨した神聖ブリタニア帝国最後の皇帝。

 

 悪逆皇帝ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。

 

 着ている服こそ違えど、雰囲気も気配も、あの時の、――引き返せない、死に至る道を歩むと覚悟を決めた時のルルーシュと同じだったからだ。

「ルルーシュ……」

 不安に駆られ、C.C.はルルーシュの名前を呼ぶ。

 別に、ルルーシュが、また、あの時と同じ道を歩もうとしているとはC.C.も思ってはいない。

 でも、それでも、不安を感じてしまう。心配になってしまう。

 あの時の、言葉に出来なかった数々の想いが思い出され、それに胸が、ギュッ、と締め付けられる。

「そんなに不安そうな顔をするな」

 ありありと不安を浮かべ、今にも泣き出しそうな表情を見せ始めたC.C.に、まさか、そんな反応をされるとは思っていなかったルルーシュは、悪逆皇帝の仮面を外すと、素の顔で安心させるようにC.C.に笑みを見せた。

「別に、お前が心配するような事をするつもりはない。ただ、相手はスザクだからな。こちらも本気でやらないと不味いだろう?」

 甘さを残して、勝てる相手ではない事は、十分身に染みて分かっている。

 だからこそ、ルルーシュは意識して、自身の思考を切り替えることにしたのだ。

 一切の容赦と甘さを排した、あの時の自分のものに。

「だから、お前も余計な事を考えずにスザクに集中しろ。お前がその様では、俺が困る」

 わざとおどけて言ってみせると、そのルルーシュの様子に安心したのか、C.C.の表情も、いつもの魔女のものに戻る。

「……まったく人使いが荒いな。一人で、あの体力バカの相手をしろとは」

「これでも信頼しているんだよ、魔女」

「…………ふん。なら、もっと大切に扱え。私は繊細なんだ」

「そうか。それは、知らなかったな」

 調子の戻ったC.C.に、フッ、とルルーシュは小さく微笑むと、視線を正面に戻す。

「さて――――」

 熱が消えた瞳がカメラに映る白い機体を見据える。

「悪いな」

 再び、声の質が変わる。妹すら切り捨てた、あの時のように。

「世界のため、未来のため、……俺自身の願いのために――――」

 

 そして。

 

 おこがましさを許して貰えるなら。

 

 お前自身のためにも。

 

 

「お前を壊そう。枢木スザク」

 

 

 戦闘空域を飛行しながら、スザクは眼下に広がる惨状に顔をしかめた。

 スザク達、特派が戦場に到着した時、ブリタニア軍は、半ば、継戦能力を失っていた。

 ゼロの狡猾な策略によって、戦列を掻き乱され、散り散りなったところを襲撃され、多くの者が為す術もなく倒されていった。

 それでも、何とか踏み止まり、必死に戦っていたブリタニア軍人達の気持ちをゼロは挫く。

 主を思うその気持ちを利用して、人望のあるダールトンを複数で狙い、彼の命を奪うことでブリタニア軍の動揺を誘った。

「ダールトン将軍……」

 食い縛った歯から、絞り出すようにその名前が紡がれた。

 使えるものは使う。そう言って、ナンバーズを蔑視するコーネリアの下でも、スザクに力を見せる機会を与えてくれたのは彼だった。

 ユーフェミアの騎士になった時も、ダールトンがその事を好意的に見て、態度に示してくれたから、表立ってスザクに悪意を見せる者はあまりいなかった。

 だから、そんなダールトンを嬲り殺しにしたゼロをスザクは許せなかった。

 止める。これ以上、ゼロの好きにはさせない。

 義憤と怒りに満ちた決意を胸に、スザクは、今、更にコーネリアすら蹂躙しようとしていたゼロの元へ急ぎ、駆けつけた。

『枢木ッ!』

「コーネリア総督!」

 唐突に飛び込んできたコーネリアからの通信に、スザクは驚きと安堵に満ちた声を上げた。

 カメラに映し出されたコーネリアのナイトメアは、半壊状態だったが、声を聞く限りコーネリア自身は、命に別状はなさそうだった。

「総督! 今、そちらに―――」

『何故、来たッ!?』

「―――え?」

 スザクの行為そのものを否定するように怒号が通信機から響いた。

 救援に来たことを素直に賞賛されるとは、更々思っていなかった。

 だが、これ程までに怒りを買うとも思っていなかったスザクは、コーネリアの怒りの真意が分からず、困惑してしまう。

『今すぐ、引き返せッ! 奴の、ゼロの狙いは―――…』

「総督ッ!?」

 会話の途中にノイズが混じり、コーネリアの声が聞こえなくなる。

 そして、聞こえなくなったコーネリアの声の代わりに、聞き覚えのある別の人物の声が聞こえてきた。

『枢木』

「ッ、………ゼロ」

 因縁のある相手の声を聞いて、スザクの声が固くなる。

「ゼロ、コーネリア総督に何をした?」

『何も。いつまでも騒がしいから、少し黙らせただけだ』

 感情的になりつつあるスザクに対し、ゼロの声は淡々としていた。

 それに、スザクが違和感を覚える。

 いつもの、言葉の端に感じる自分こそが正しいと言わんばかりの熱が、感じられなかったからだ。

 そんなスザクの小さな疑問を無視し、ゼロはそれで、と言葉を続けた。

『一応、聞いておこう。枢木スザク。貴様は、ここに何をしに来た?』

「何をしに、来た、だと………?」

 眼下の光景を見れば、スザクがここに来た理由など分かろうものだ。

 だというのに、真下に広がる光景が、まるで目に入っていないかのようなゼロの口振りに、スザクの眦が釣り上がった。

「決まっているッ、君を止めるためだ! ゼロ!!」

 その言葉と共に、ランスロットがガウェインに向けてヴァリスを構えた。

「こんなやり方は間違っている! 人の気持ちを利用し、踏みにじり、それに何の呵責も覚えない。これのどこが正義だと言うんだッ!? こんな光景しか作り出せない君に何が変えられるって言うんだッ!?」

 否定的な言葉を叩き付ける。

 ひょっとしたら、と少しだけ思っていた。

 ユーフェミアを庇ったゼロを見て、彼女の想いが少しはゼロに届いたのではないかと。

 でも、それは淡い期待でしかなかった。

 結局、ゼロはこういう人間なのだ。

 こんなやり方でしか、何かを変える事が出来ないのだと。

 期待を裏切られた反動か。

 スザクはゼロの事を、そう決め付けた。

 だから―――

「ゼロ、君は間違っている。だから、僕が君を止める―――!」

 それは、まるで使命感のように。

 ()()()()()()()()()()()、と胸が軋む程に強く思いながら、スザクはゼロを断罪するかのように糾弾した。

 だが、そんなスザクの言葉に返ってきたゼロの言葉は淡白なものでしかなかった。

『結局、それか……』

「何?」

 怒りもせず、反論もせず。

 ゼロは、ただ、スザクの言葉をつまらなさそうに一蹴する。

『私を間違っているといい、ユーフェミアを正しいと言うわりに、枢木スザク。お前の口から出る言葉は他者の否定ばかりだな』

 平等を謳い、平和を説いた姫の騎士とは思えないと。

 本当に、それを良しとしているのかと疑うような言葉にスザクが色めき立った。

「何を―――」

『枢木スザク』

 感情のままに反論しようとしたスザクをゼロが制する。

 そして、問い掛けた。

()()()()()()()()()

 その何気ない一言に。

 ドクン、とスザクの心臓が跳ねた。

「そ、そんなの……」

 言葉が震える。動悸が収まらない。

 冷たい感覚が、スザクの背中を走った。

 音声だけの通信。自分は相手の顔さえ知らない。

 なのに、見透かされている気分になる。

 心の奥底まで。

 ―――まるで、■■のように。

「き、決まっているッ、変えるためだ。こんな間違ったやり方じゃなく、正しいやり方で中からブリタニアを変えるために、お、…僕は、……」

『安い言葉だ。理想()欲望(猛り)も感じられない』

 脳裏に浮かびそうになったものを振り払い、必死に言葉を紡ぐスザクをゼロは非情の一言で切り捨てた。

『時間の無駄だな』

 溜め息混じりにそう言うとゼロは話を切り上げた。

 それと同時に、ガウェインがハドロン砲を射出体勢に移行する。

「ッ、それでも―――ッ」

 ガウェインが攻撃体勢に入ったのを見て、スザクも内心に生まれた動揺を押し殺し、声を荒げた。

「それでも、お前が間違っている事には変わりないッ。だから、僕が―――」

『聞き飽きた。綺麗事を綴ってないで、掛かってくると良い』

 得意だろう? と嘲笑うゼロ。

『私と同じように、力で物事を押し通すやり方が』

 挑発に感情が沸騰した。

「―――――――ゼロォ!!」

 腹の底から、その名前を叫ぶ。

 その主に呼応するように、ランスロットも、鋭く矢のようにガウェインに向かって飛び出した。

 

 突撃してくるランスロットに向けて、ハドロン砲が撃たれる。

 挑発に我を忘れたスザクだったが、真っ正面からの攻撃を受ける程ではない。

 まともに食らえば、ランスロットであろうと一撃で消し炭になるであろう攻撃をギリギリ、最小の動きで回避する。

 だが。

「く―――ッ」

 ギリギリで避けすぎたため、ハドロンの熱に煽られた機体表面の一部が融解する。

 高熱量のハドロン砲を銃弾と同じ回避機動で避けるのは危険だった。

 追撃が来る。

 砲撃中のハドロンがその軌道を変えて、ランスロットを追尾するように迫ってきた。

 同時にもう片方のハドロンからも攻撃が放たれる。

 正面と横からの同時攻撃。

 しかし、それらの攻撃を今度はあっさりとスザクは躱わしてみせた。

 確かに厄介な攻撃だった。

 弾速も威力も申し分ない。さらには、攻撃の軌道を変える事も出来る。

 だが、代わりに弾道が読みやすかった。

 砲口も大きいため、スザクにとっては回避することは造作もない。

 いつもより、早く、大きな回避行動を取りながら、スザクはガウェインにヴァリスを放つ。

 攻撃行動中ながら、それを避けてみせるガウェイン。

 中々の反応だった。

 だが、スザクの鮮やかな動きに比べれば、稚拙さが目立つ動きだった。

 体勢を立て直している間にスザクは距離を詰める。

 躱わせるとはいえ、やはり、ハドロンの砲撃は危険だと判断したためである。

 接近し、一気に片を付けようと、ランスロットが猛スピードで空を駆ける。

 物凄い勢いで近付いてくるランスロットに、スザクの思惑を読み取ったのだろう。

 ガウェインが次々とハドロンを放つも、スザクは常人離れした三次元機動を展開し、難なくと回避しきってみせる。

 上へ、下へ、右へ、左へ。

 くるくると機体を回転させながら、高速で動き回るランスロットを捉えるのは至難である。

 そうして、距離を詰めたスザクが、勢いを乗せたまま、自身の得意技でもある蹴撃を放とうとした時だった。

 ガウェインの右手が動く。

 その手からハーケンを放って迎撃しようとしているのだろう。

 しかし、スザクは止まらない。

 たとえ、至近距離で放たれようと自分の反応速度とランスロットの敏捷性なら回避出来る。

 そう考えていたスザクだったが、視界に映るガウェインは彼の予想とは違う動きを見せた。

 動いたガウェインの右手は、確かにハーケンを放とうとしていた。

 但し、それはスザクに対してではない。

 その狙う先は、斜め下の方向。

 それに釣られて、動いたスザクの視線の先にあったのは、―――四肢を壊されたコーネリアのナイトメアだった。

「まさか―――ッ!」

 直ぐ様、ゼロの狙いに気付いたスザクが、攻撃を中断し、射線上に割り込もうとランスロットを急降下させる。

 その直後、ハーケンが放たれた。

 スザクが気付くのを待っていたと言うべき絶妙なタイミングで放たれたハーケンは、ランスロットがコーネリアとの間に割り込むのと同時に命中する。

 激しい火花を散らして、五つのハーケンが展開されたブレイズルミナスに弾かれる。

 間一髪、攻撃を防ぐことに成功したスザクだったが、結果、ランスロットの足が止まってしまう。

 そして、それを見逃す程、ゼロは甘くなかった。

 ガウェインの両肩が赤く光る。

 次の瞬間、先程とは比べものにならないほどの衝撃がスザクに襲い掛かった。

「ぐ、う………ッ」

 両腕のルミナスを全開にし、ハドロン砲の熱と衝撃を受け止める。

 だが、圧力まではそうはいかなかった。

 踏ん張るための地がない空中なため、ハドロンの圧力に押されたランスロットが徐々にその高度を下げていく。

 不味い状況だった。

 背後にいるコーネリアがいる場所はゲフィオンディスターバーのある場所である。

 このまま、押し込まれ、その効果範囲内に入ってしまえば、ランスロットも機能を停止してしまう。

「ぐ、ぅ、おおおおッ!」

 雄叫びを上げる。

 全力稼働するユグドラシルドライブが嘶きを上げ、フロートシステムの出力が跳ね上がる。

 臨界寸前の稼働にコックピット内でアラートがけたたましく鳴り響き、食い潰されていくエナジーフィラーの残量が目に見えて減っていった。

 両者の勢いが拮抗する。

 放たれる赤い光の奔流が、輝く碧の盾にぶつかり、弾けた二色の粒子が粉雪の様に戦場に舞い散った。

 

『――あの状況でハドロンを防ぎ切るか。その機体と戦闘能力だけは評価に値する』

 ―――もっとも。万が一にも、スザクを死なせないようにと、ルルーシュがきちんと威力を計算した上で放たれたハドロン砲ではあったが。

 しかし、そうとは知らないスザクは、ゼロのやり口に激昂する。

「ゼロッ! お前は、また………ッ」

 激しい怒りに声が詰まる。

 自身の優位性を誇るかのように、上空から見下ろしてくるガウェインに、ゼロの姿が重なり、スザクはそれに向かって、言葉と共に荒ぶる感情を吐き出した。

「お前は、そうやって、何度も人を騙してッ! その気持ちを利用して! こんな卑怯な真似を、何度も! 何度も……ッ!」

『ああ、そうだな。だから、どうした?』

「どうした、だと―――?」

 これだけ激しく責め立てているのに、ゼロの口調にはまるで変化がない。

 乾いた、何の感情も乗らない声が戦場に流れる。

『卑怯というなら、そうなのだろう。だが、言ったはずだ。結果こそが全てだ、と。むしろ、私には、お前の方こそ不可解だ』

 その言葉の意味が分からず、スザクは訝しそうな表情をする。

『私が卑怯と言うならば、それなりのやり方や立ち回りがあっただろう。だというのに、お前は何も考えず、無策で私に向かってきた』

 相手を卑怯者と罵り、そういう存在だと理解していながら、スザクは何の対策もせずに、真っ正面からゼロに向かっていった。

 この状況下であれば、ゼロがコーネリアを人質や盾に使おうとするくらい、少し考えれば分かりそうなものだというのに、だ。

 かつて、白兜の危険性をきちんと認識し、対応戦術マニュアルを構築したゼロに言わせれば、スザクの行動は過信、もしくは浅慮と言っていい愚行である。

『それは何故だ? 枢木スザク』

「そ、それは………」

 答えに詰まる。

 どうしてか、と問われれば、スザクには答えられなかった。

 ―――いや。

 答えたくなかった。

『答えられないか? ならば、私が代わりに答えてやろう』

 そんなスザクの心情を知ってか、ゼロがスザクの心を見透かすように口を開いた。

『どうでもよかったんだろう?』

 瞬間。

 身体中から熱が消えた。

 あれほど荒ぶっていた感情が凪ぎ、代わりに心臓が痛い程に激しく鼓動を刻み出す。

『本当は何もかもどうでもいいと思っているからだろう? 勝つのも敗けるのも。日本もブリタニアも。道理も誇りも、信念も願いも、何もかも、お前は戦いに持ち込んではいない。だから、何も考えずに戦場に飛び込む』

 じくりと胸が痛んだ。

 本能が叫ぶ。

 聞くな、と。

 言わせるな、と。

 この男は、―――お前の傷口(過去)に触れようとしている、と。

『お前が戦いに望む事は一つだけだ。それは――』

「黙れッ!」

 ゼロの言葉を掻き消すように、スザクは声を張り上げ、ランスロットを動かしヴァリスを放った。

「知った風な口を利くなッ! お前に何が分かる!? お前に、僕の――、()の何が分かるっていうんだ!!」

『ほう? なら、お前は自分の事を分かっているというのか? 過去から目を背け続けているお前が』

 ヴァリスの連続射撃に晒されながら、ゼロは口を開くことを止めない。

 駄目だ。止めろ。言わせるな。言わせてはならない。

 焦燥と強迫観念に追い立てられながら、がむしゃらにスザクはヴァリスを放つ。

『いい加減見苦しく思っていた。その手を血に染めていながら、その事から目を背け、綺麗事で覆い隠し、過去を想起させる出来事があれば、癇癪を起こして、喚き散らす』

 心が悲鳴を上げる。

 

 止めろ。

 

 言うな。

 

『そんなに重かったか?』

 

 

 言うな――――――

 

 

 

『――――――枢木ゲンブの命は?』

 

 

 

「え…………?」

 通信機から、流れてきたその言葉の意味が分からず、カレンは、ぽつりと戸惑いの声を漏らした。

 ゼロの口より告げられた言葉に衝撃を受けたのは、スザクだけではなかった。

 オープンチャンネルで、二人のやり取りを聞いていた黒の騎士団にも、驚きと動揺が広がる。

「どういうこと、ですか? ゼロ。今の言い方じゃ、まるで、スザクが、枢木首相を………」

 言葉が途切れる。その続きを口にすることが出来ず、カレンは口を閉ざした。

 カレン達が知る限り、日本国最後の首相、枢木ゲンブの最後は自決とされていた。

 ブリタニアとの戦争において、徹底抗戦を唱える事で民意をまとめていたが、ブリタニアの屈強さに勝ち目がないと知ると、無用な犠牲を避けるために自決することで強硬派を諌めたとなっていた。

『彼は自決したんじゃない。殺されたんだ。実の息子に』

 だが、実際は違う。

 枢木ゲンブは、日本と己の利の為に最後まで徹底抗戦を唱えていた。

 それを幼いスザクは良しとしなかった。

 頑なに開戦を主張する父は間違っていると、小さな正義を胸に立ち向かい、その果てに、手を血で染めた。

 それが、正しいと信じたからだ。

 しかし、現実は残酷だった。

『徹底抗戦を唱えていた枢木ゲンブの突然の死に、日本は混乱。トップがいなくなったことで、軍部と政府、関係各所はろくな連携を取れなくなり、日本は力を出し切る事が出来ないまま、あっさりと敗北した』

 そして、その不完全燃焼な想いは日本人達の心に残り続けた。

 まだ、やれる。まだ、やれた。本当なら、もっと戦えた。

 そう言った気持ちが絶えず彼等の心に燻り続け、八年間もの長きに渡ってブリタニアと戦う意志の種火となった。

「じゃ、じゃあ……」

 思いもよらなかった事実に、カレンは、自分でも信じられないくらいに声を震わせていた。

 スザクの事は、どちらかというと好きではない。――正確には気に食わない。

 でも、生徒会で顔を付き合わせ、言葉を交わし、親交を深めた。

 友達、は少し微妙だが、生徒会という言葉を先に付ければ、仲間、となら言える。

 だから、信じられない。――信じたくない、という気持ちが少なからずカレンの中にはあった。

 でも。

 同時に思ってしまった、恐らくそれは真実なのだろう、という気持ちの方が遥かに大きかった。

 その根拠となる出来事があったからだ。

 少し前、神根島という無人島で二人きりで話をする機会があった。

 手段は選ばない、というカレンに対し、スザクは頑なに間違った方法に意味はない、と言い続けた。

 そして、ゼロや自分の父親は間違っているとも。

 その時は、スザクの言い分を認められなかった事もあり、結局、語られる事のなかったその強い否定の感情の出処を、カレンは気にも留めなかった。

 だけど、今、こうして振り返り、その時のスザクの反応と、もたらされた真実がカレンの中で結び付いた。

 だから、確信出来てしまった。嘘ではないと。本当の事だと。

 つまり、―――つまり。

「日本が敗けたのは………」

『お、俺達が、こんな目に遭っているのは……』

『アイツのせいだって事かよ!?』

『ち、違うッ!!』

 

 オープンチャンネルから聞こえてきた自分を責める声にスザクは大声で反論する。

「し、仕方なかった! ああしなければ、日本は取り返しがつかない程に、大きな傷を負っていた!」

 声を震わせ、捲し立てるスザク。

「父は、あの男は日本の事なんて考えていなかった! 戦争を容認したのは、自分に都合の良い流れを作るためであって、決して――――」

『そんな事は、どうでも良い』

 つらつらと並べ続けられるスザクの言い訳をゼロが遮る。

『全ては過去。終わった事だ。その手を汚したのは、お前なりの考えと正義があっての事だったのだろう。日本も、今よりも更に悲惨な結果になっていたかもしれない。枢木ゲンブも、お前がそう言うなら、そうなのだろう。……枢木スザク。私が、お前に突きつけたい事実はそれではない』

 ゼロの言葉が続く。癒えない傷口が広げられ、さらに奥にあるものを暴こうとしていた。

『そこにどんな想いや理由があったにせよ、今、この現実を創り出したのは、お前だ。だというのに、お前はその事実から目を背け、結果に対し責任を負おうともせず、ひたすらに逃げ続けている』

「違うッ! 俺は逃げてなんかない! 間違えたから、だから、正しい方法で、ブリタニアを内から変えようと―――…」

『枢木スザク』

 名を呼ぶその声が変わる。

 今までの興味もないというような、ただ事実を告げているだけのものから、冷たい、―――氷よりも冷たい怒りを孕んだものに。

『自分すら騙せない安い言葉で、この私を騙せると思うな』

 聞く者全てを威圧するような王者の声に、スザクも息を呑み、押し黙ってしまった。

『ずっとお前を見ていた。正しい事を望み、内から変えようとしているように見えるが、お前の口から出るのは内ではなく外の否定ばかり。あからさまに、害意が含まれた命令にも唯々諾々と従い、そこには不満も悔恨もなかった』

 式根島で、ゼロと共に死ねと言っているような理不尽な命令を下された時、スザクはそれに素直に従い、死のうとした。

 もし、本当に彼がブリタニアを内から変えようとしているなら、志半ばで終わることを悔しく思うだろう。無念に思うだろう。

 だが、その時のスザクの顔にも瞳にもそんな感情は一切映らなかった。

 ただ甘んじて、死を受け入れようとしていた。

「そ、それは命令だからだ! 俺は軍人だッ、どんな命令にも従うのがルールだッ!」

『そう。それが、お前がブリタニア軍に入った理由だ』

 もはや、上っ面な言葉は通じない、と言わんばかりにゼロはスザクの内心を切り崩していく。

『ブリタニアの、しかも、軍部であれば、ナンバーズなど使い捨ての道具も同然だ。だが、だからこそ、お前にとっては都合が良かった』

 そして、ボロボロなスザクの内心を崩し、遂にゼロはその一番奥底、スザクの望みを暴いた。

『死ぬ理由を見つけるには』

「違うッ!!」

 もう、それ以上喋らせないと、ランスロットがガウェインに突っ込んでいく。

『お前は何かを変えようなんて、本当は思っていない。死に場所を探しているだけだ。だから、お前は過程に拘る。最後には死ぬつもりでいるお前には、過程こそが結果になるからだ』

「違うッ!!」

 接近しながらヴァリスを放ち、近付いてMVSで斬りかかる。

『正しい方法で結果を求め、ルールに従って死んだのなら、誰かを救うために死んだのなら、と。そうすれば、お前は自分に死を許すことが出来るから。だから、無闇矢鱈に戦場に飛び込む』

「違うッ!」

 ゼロの声を否定しながら、闇雲に攻撃を仕掛ける。MVSを振り、ヴァリスを撃ち、ハーケンを飛ばす。

 だが、その全てが空を切る。

 スザクとは思えない程に、出鱈目で単調な動きだった。

 まるで子供が泣き喚き、当たり散らしているような。

「違うッ、違う違う違うッ! 少なくとも俺はッ、今の、俺は…………ッ」

 ユフィと、と言い掛けて言葉が途切れる。

 今の自分は違う、と。

 ユーフェミアと出会い、そして、その夢を共にした自分は違う、と。

 そう言いたかった。

 でも――――

『ほう? ならば、言葉にしてみせるといい』

 告げる言葉を失ったスザクを、ゼロが促す。

『今、お前の眼下で、必死に現実に抗い、日本を取り戻そうと命を懸けて戦っている者達に言ってみせると良い。自分は、間違っていないと。正しい方法で、現実と戦い、日本を取り戻そうとしていると』

「――――――ぁ」

 恐る恐る下に視線を向ける。

 そこに、多くのナイトメアフレームがあった。

 動きを止め、空を、――自分を見ている黒の騎士団のナイトメアの姿が。

「おれ、――――俺、は」

 辿々しく言葉を紡ごうとする。

 ゼロの言う通り、間違っていないと。

 ユーフェミアと共に日本のために、そして、ブリタニアを内から変えるために戦っている、と。

 そう言おうと口を開いた。

「ぁ、………っ、……あ、…お」

 しかし、言葉が口を突いて出ることはなかった。

 今の自分を、胸を張って告げる事がスザクには出来なかった。

 それは、まだ、子供だったから。

 きちんと過去の罪に向き合い、現実と戦う覚悟を決めていない。

 ユーフェミアという眩しい夢に引っ張られているだけの、あの日の子供のままだったから。

「ッ!?」

 ハッ、と息を呑んだ。

 視界に映る、操縦桿を握る手がいつの間にか幼くなっていることに気付いた。

 はあ、はあ、と荒い呼吸を繰り返す。

 ドクン、ドクン、と激しい心臓の音が聞こえた。

 小刻みに震える小さな手を操縦桿から離し、ゆっくりと、その手を返した。

「――――ひっ」

 小さく悲鳴が漏れた。

 真っ赤だった。

 べったりと、その手の平に赤が塗りたくられていた。

「あ、ああ………ッ」

 慌ててその赤を落とそうとパイロットスーツで手を拭う。

 だが、全く落ちない。

 必死になって、何度も何度も拭うが、赤が落ちることは決してなかった。

 ピチョン、と音が鳴った。

 その音に聞き覚えがあった。

 あの日、あの時、あの場所で。

 銀の刃と、それを両手で握る自分の手から滴り落ちた。

 

 ――――――血の音だ。

 

 ならば、この赤は血だ。

 

 じゃあ、誰の血だ?

 

 誰の?

 

 だれの?

 

 ダレノ?

 

 誰のだれのダレノ誰のだれのダレノ誰のだれのダレノ誰のだれのダレノ誰のだれのダレノ――――――――?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親父の

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひ、ひあ、あ、ああああああああああぁぁぁぁぁ!!!!」

 必死に両手を拭う。

 それでも、落ちない血に怯え、少しでも見えないようにと、顔を背け、手を遠ざける。

 慟哭が響く。

 癒えない傷の痛みにスザクは絶叫した。

 

 

 耳を劈く程の悲鳴が、通信機から聞こえてきた。

 心の底から上げられる悲鳴、魂の叫びとも言える程の慟哭が。

 酷い悲鳴だった。人の口からこれ程の悲鳴が出るのかと思う程の、思わず耳を塞ぎたくなるような悲鳴だった。

 だが、そんな悲鳴が聞こえてきても、ルルーシュの表情が変化することはなかった。

 眉ひとつ、ピクリとも動かない。

 顔にも、瞳にも、身体にも、僅かな躊躇いも見せることもなく、ルルーシュは追い打ちを掛けるように口を開いた。

「己の罪一つ、満足に向き合えない」

 もう、反論する声も聞こえない。

 気力が奪われてきたのか、迸る絶叫からも力が無くなってきていた。

「過去から目を背け、生きる事に怯え、他人の夢に縋る事で答えを得たつもりになっている。それが、今のお前だ、枢木スザク。そんなお前にこそ、何が変えられる?」

 ガコン、とハドロンの砲口が開いた。

「私を止めると言ったな? ならば、まずは、この世界(地獄)と戦う覚悟をしてみせろ。生きてみせろ、枢木スザク」

 ハドロン砲の照準がランスロットに向けられる。

 砲口を向けられているにも関わらずランスロットは、何の動きも見せない。ただ、ふわふわと宙に浮かび続けるだけだった。

 そんな無防備なランスロットに向けて、容赦なく。

「それすら出来ない今のお前は、この私以上に―――」

 ハドロン砲が放たれた。

 

「―――空っぽ(ゼロ)だ」

 

 

 両腕とフロートの一部をもがれ、地に落ちていくランスロットをルルーシュは見つめていた。

 いや、それは、もはや眺めると言った方が良いだろう。

 何の感情も熱も宿らない眼差しは無機質で、とてもではないが、友と呼ぶべき存在に向けるような視線ではなかった。

 しかし、それこそが悪逆皇帝だった。かつて、世界中から憎まれ、恨まれ、恐れられた皇帝の姿であった。

 暫く、何の感慨も見せず、地に落ちたランスロットを見ていた悪逆皇帝だったが、その頬に柔らかく温かい何かが触れた。

 瞳だけを動かすと、魔王の頬に手を添えて、静かな表情で見つめる魔女の姿が目に入った。

 言葉もなく、ただ視線だけを交わし、見つめあう。

 少しの時間、そうしていたが、氷が溶けるようにルルーシュの瞳に熱が戻り始めたのを確認すると、C.C.は小さく微笑んだ。

「妹と親友には、どこまでも甘いお前にしては、よく頑張ったな」

「必要な事だった。それはお前も分かっているだろう?」

 愛する人を失った後のスザクは憎しみを胸に、日本の為にと暴走し続けた。

 その果てに迷走し、最後には個を捨て、世界に全てを捧げる道を選んだ。

 今、この世界は、もうかつての道筋を逸れ始めている。ユーフェミアは生きている。

 だが、スザクがこの様では意味を為さない。

 言葉一つ、過去を突きつけられただけで、こんなにも崩れてしまう今のスザクでは、これから、更に過酷になっていく世界では、自分の命も、ユーフェミアの命も守る事は出来ない。

 なら、行き着く先は、同じになってしまう。

 だから、ルルーシュはスザクに罪を突きつけた。

 その心の奥底にある、罰せられ、死にたいという望みを暴いた。

 荒療治であろうとも、それと向き合う事をさせなければ、スザクは今度こそ取り返しのつかない目に遭うかもしれないから。

 だから、ルルーシュは躊躇わず悪となった。

「しかし、これでお前はスザクの奴に恨まれる事になるだろうな。もう二度と、一緒に戦う事は出来ないかもしれないぞ?」

「別に構わない。共に在ることだけが友達じゃないだろう?」

 隣にいなくてもいい。一緒にいられなくてもいい。

 ――生きてくれるなら。

 生きて、自分の本当の望みを見つけて、自らの道を歩んでくれるなら。

 恨まれてもいい。憎まれてもいい。ずっと、敵のままでもいい。

 それでも――――

「俺達は、友達だからな」

 もう、お互いに共にあるべき存在は見つけている。

 ユーフェミアなら、スザクの手を離したりしない。

 だから、ルルーシュはルルーシュで、敵として、悪として、友に出来ることを。

 そう決めて、スザクと共に歩む道を拒んだのだった。

 そう語るルルーシュに、C.C.は目を細めながら、悪戯っぽく笑う。

「少しは成長したじゃないか、坊や」

「黙れ、魔女」

 そう言って、頬に添えられた手を優しく払う。

 そして、気持ちを、思考を切り替えるように、一度瞳を閉じた後、通信機のスイッチを入れた。

「さて、諸君。寄り道は終わりだ。これより、首都奪還のため、トウキョウ租界に向けて進軍を開始する」

 そう言いながらルルーシュはある方向に視線を向ける。

 戦場の隅に浮かぶ白亜の戦艦に。

 現時点において、唯一と言っていい、大型空中母艦に視線を向けて、ルルーシュは笑みを浮かべた。

「まずは、のんびり、空の旅と往こう」




 ルル帝(100%中の100%)の精神攻撃で、スザク撃破。

 身体はチートでも、心は硝子な今のスザクでは皇帝ルルーシュに勝ち目はありませんでした。

 この父殺しの他の人へのバレは、スザクでやりたかった事の一つです。原作R2に入ってからは父については全く触れられなかったし、今作ではもう少し突っ込みたいんで、とりあえず皆にバラしてみました。

 そして、ルルーシュは空飛ぶ宅急便アヴァロンをゲット。
 黒の騎士団のトウキョウ租界への即日配達が開始しました。


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PLAY:07

 カチカチ、とマウスを操作してページを更新していく。

 表示された内容にさっ、と目を走らせ、めぼしい情報が無いことを確認すると、再びマウスを操作する。

 それを繰り返し、何度も行っていたリヴァルだったが、遂に限界に至り、だーッ、と声を上げながら机に突っ伏した。

「駄目だー。やっぱ、どこのサイトも同じ。特区内で暴動が発生。それに黒の騎士団が関与。これを受けてコーネリア総督が鎮圧に乗り出したってだけ」

 突っ伏した体勢のまま、リヴァルは顔だけを動かし、PCに表示されている何度も目にした内容を疲れた目で読み上げた。

「TVの方もおんなじ。やっぱり、情報規制が掛かってるわね、コレ」

 リモコンを操作し、TVのチャンネルを変えていたミレイも、困ったような笑みを浮かべて肩を竦めた。

「それって、結構、大事になっているってことですよね?」

「そうね。ただの政策の失敗ってだけなら、マスコミがこんなに大人しい訳ないし……」

 暴動が起こったのも、コーネリアが鎮圧に向かったのも、日が沈む前の事だ。

 それから、日を跨ぐ程に時間が経っているというのに、情報は更新されるどころか、未だに錯綜中である。

 加えて、詳細は分からないが軍の動きが慌ただしいという情報もある。

 事が大きくなっているというのは、決して間違ってはいないだろう。

 行儀悪く机に座って長い足を組みながら、リモコンを口元に当てて、ミレイが思案する。

 それに、リヴァルの男心が擽られるが、耳に入ってくるカタカタカタカタ、カチカチカチカチ……、とひたすら止まらずに聞こえてくるキータッチの音に燃え上がることなく、鎮火する。

 同じように、極力聞かないようにと頑張っていたミレイも誤魔化しきれなくなったのか、笑みを引き攣らせていた。

「で、でも、ユーフェミア様が負傷したって、情報はどこにもなかったですよッ?」

 なら、大丈夫って事っすよね! とわざとらしく明るく言うリヴァルに、ミレイも頷いた。

「そうね! もし、お怪我をなさっていたら、規制掛かっていても、誰かが漏らしているわよ。絶対!」

 根拠のない空元気だったが、少しは二人の気持ちが伝わったのか、タイピング音が僅かに小さくなった。

 それに、ホッとしたリヴァルが、さらに話題を変えようと陽気な感じを装って口を開いた。

「あ、でも、こっちはどうなんですかね? ゼロがユーフェミア様を庇って撃たれたっていう―――」

 カチカチカチカチカチカチカチ!

「ひぃッ!」

 大きくなった携帯を弄る音に、リヴァルは情けない悲鳴を上げた。

 いつもとは、スイッチの入る場所が違ったため、物の見事に地雷を踏み抜いてしまったようである。

「あー、うん、どうなんだろ? 映像だと庇っていたのは確かみたいなんだけど………」

 情けない後輩のフォローをしようとするミレイだが、情報が不鮮明なため、曖昧な事しか言えない。

 特区式典の様子はTVの生中継で、世界中に配信されていたが、暴動が起こるとパニックと規制からか、中継はすぐに途絶えてしまった。

 故に、彼女達が最後に見たのは、獣のような声を上げて、ユーフェミアに銃を向けた男と、パンッ、という乾いた銃声の音、そして、それからユーフェミアを庇った、――もしくは庇ったように見えたゼロの姿だけだった。

 言葉を失い、口を閉ざすミレイとリヴァル。

 目に見えない重圧に、冷や汗を流しながら、二人はそろそろと重圧の発生源となっている一角に目をやった。

「………………」

「………………」

 そこに、脇目もふらず、一寸不乱にPCと携帯を操作し、少しでも目的の情報を――つまりは、ユーフェミアとゼロについて――得ようと奮闘しているシャーリーとニーナの姿があった。

「あ、あのー、お二人さん? ちょっとは、休憩したら? 夕飯だって食べてないでしょ?」

 鬼気迫る様子を見せる仲間の体を慮ったリヴァルが、地雷を踏み抜く覚悟で、もう何度目になるか分からない台詞を、恐る恐る口にする。

「平気」

「大丈夫」

 そして、再び返される取りつく島のない答えに、はあ~、とミレイと二人、重い息を吐き出した。

 そして、共に苦笑いを浮かべると必死になっている少女二人のお眼鏡にかなう情報を、また探し始める。

 両者とも、いかにも、しょうがない、という感じではあるが、本当に呆れている訳ではない。

 もし、本当に呆れているなら、日が変わるまで、面識のない、それこそ雲の上のような存在の安否確認を手伝ったりはしないだろう。

 とはいえ、少女達の行動に全く疑問を抱かない訳じゃない。

 ニーナは、まだ、分かる。

 ここ最近のニーナの、命の恩人であるユーフェミアへの熱の入れようは、生徒会仲間なら皆知るところである。

 実際に、特区の中継の最後の映像を見たときの彼女の取り乱しようは、酷いものだった。

 ミレイやリヴァルが必死に宥め、落ち着かせる事に成功していなければ、彼女は、今頃、特区に向かっていたに違いない。

 それほどまでにユーフェミアを敬愛しているのだから、ニーナのこの必死な様子も納得出来る。

 だから、リヴァル達が不思議に思うのは、もう一人の方。今も、携帯の画面を食い入るように見て、そこに望んだ情報がない事に悔しそうな表情を見せているシャーリーの方だった。

 ここまでの言動を見るに、彼女が安否を気にしているのはユーフェミアではなく、どうにもゼロの方らしいのだ。

 それが、リヴァル達には、分からない。彼等にしてみれば、シャーリーにとってゼロは、父親を半死半生にした仇のような存在のはずだ。

 そのゼロの事を、どうしてここまで心配しているのか。込み入った事情がありそうなので、聞くのは憚れるが、疑問と興味は尽きない。

 何せ、彼女が、こうまで必死になるのは、彼女が恋してる男の子関連くらいなものだと思っていたからだ。

「まーったく。こんな時にホント、ルルーシュ君はどこに行ったんだか……」

 不真面目だが、何やかんやで優秀な副会長がいれば、自分達では想像出来ないような方法で、知りたい情報を得ることが出来たかもしれない。

 何の気なしに、そう呟いたリヴァルの言葉に反応して、カチャッ、と陶器の音が不自然に響いた。

「あ………、悪い。ナナリー」

 自分の発言の迂闊さに気付いたリヴァルが、寂しそうに眦を下げているナナリーに謝罪する。

 その声に、ナナリーはハッ、とすると首を振りながら儚げな笑みを浮かべた。

「いえ、私の方こそ、すみません」

 気を遣わせたと思ったのか、ナナリーが頭を下げたのを見て、ミレイが、しらー、とした目をリヴァルに向けた。

「大丈夫よ。ナナちゃん」

 リヴァルからナナリーに視線を戻し、ミレイが明るい声で話し掛けた。

 健気に心配ないと言わんばかりに微笑みを絶やさずにいるが、やはり、普段と比べて顔色が悪い。

 気丈に振る舞える強さは持ち合わせているが、目の見えない彼女は感受性が強く、繊細だ。

 加えて、身体もその印象通りに強い方ではないため、精神の不調が、そのまま、身体の不調に繋がりやすい。

 そのため、昼の特区での暴動は、ナナリーには堪えた。

 何しろ、その暴動の中心にいたのは先日、久方ぶりに会えた腹違いの姉と長く離ればなれになっていた幼馴染みなのだ。

 心配にならないわけがない。

 ましてや、ナナリーは幼い頃に、テロによって肉親を失っている。

 また、再び、同じように近しい人を失うのでは、とそう考えても不思議ではないだろう。

 安否が分からない事への不安。喪失への恐怖。

 そして、何より。

 こんな時、いつも側に寄り添って自分を守ってくれていた最愛の兄がいないという事実。

 それらの強い負の感情は、瞬く間にナナリーの心と身体を蝕んだ。

 目に見えて、血の気が失せて、崩れ落ちそうな雰囲気を醸し出しながらも、心配かけないようにしようとするナナリーを見かねたミレイが、少しでも気持ちを和らげられるようにと、兄が帰ってくるまで共にいることを提案。そして、夜が更けてからも、一人にさせることを躊躇われた事もあり、ナナリーはそのまま、ミレイ達と共にルルーシュの帰りを待っていた。

「うん。大丈夫よ、ナナちゃん」

 目を閉じた顔を向けてきた、自分達にとっても妹のような存在の少女に、顔を近付けて、ミレイは優しく言い聞かせるように、もう一度、大丈夫と告げる。

「スザク君は、強いもの。暴徒なんかに負けたりしないわ。きっとユーフェミア様を守ってくれたわよ」

 だから大丈夫、と言う芯のある声に、ナナリーも微笑む。

「ええ……、そうですよね。スザクさんなら、きっと……」

「そ! それにルルちゃんも、もうすぐ、帰ってくるわよ。こんな状態のナナちゃんを放ったらかしにするルルちゃんなんて、想像出来ないもの」

「そうだぜ、ナナリー。今頃、ゼェゼェ言いながら、大慌てで帰ってこようとしてるって」

 その姿を想像したのか、ミレイとリヴァルが声を出して笑う。それに釣られて、ナナリーもクスクス、と小さな笑い声を上げた。

「ありがとうございます。ミレイさん、リヴァルさん」

 先程よりも、自然な笑みで礼を言ってくるナナリーにミレイは、うむ! と大仰に頷いた。

 そして、喋って喉が渇いたのか、紅茶を飲もうと側に置いてあったティーカップを手に取って。

「ありゃ」

 もう、既に飲み干していた事に気付き、残念そうに口を尖らせた。

「ミレイ様。お飲み物が必要でしたら、私がご用意致しますが?」

 それに気付いた咲世子が、ナナリーの横から声を掛けた。

「ん……、そうね。まだ、大分、掛かりそうだし、お願いしても良いかしら?」

 ちらり、と横目でシャーリーとニーナを見て、まだまだ、納得しそうにない二人の様子に、ミレイがそうお願いした。

「分かりました。では、皆様の分も。ナナリー様、お持ちのカップを私に。中身が冷えてしまっているので、お取り替え致します」

「あ、はい。ありがとうごさいます、咲世子さん」

 礼を言いながら、カップを渡してくるナナリーから、それを受けとり、咲世子は飲み物を淹れるために生徒会室を出た。

 そうして、ダイニングに向かおうとしたその時、人気のない廊下に、携帯の着信音が鳴り響いた。

 それが、自身の携帯からだと気付いた咲世子は驚きに目を軽く見開いた後、見覚えのない番号に、普段のおっとりとした表情を引き締めて通話ボタンを押す。

「――はい」

『篠崎咲世子だな?』

 耳に当てた携帯から、僅かにくぐもった男の声が聞こえてきた。それに咲世子が警戒し、沈黙するが、続けて男が咲世子の騎士団登録ナンバーを口にして騎士団関係者だと証明すると、警戒を解いて返事を返す。

「はい」

『単刀直入に用件だけを伝える。これより、君に指令を与える。ランクゼロの最優先命令だ』

 男が告げた内容に咲世子はギュ、と携帯を強く握り直した。

 ランクゼロ。

 黒の騎士団並びにその関係組織において、他のどんな命令よりも優先される最上級指令ランク。

 その全てが、機密事項等に関わる極秘指令であるため、よほど信頼を勝ち得た者か、もしくは実力を示した者にしか下されない。

 それが、末端の、しかも、外部協力者と言っていい自分に下された事に咲世子は驚く。

 そして、気付く。電話口の相手が誰なのか。

 このランクの命令を出来る人物は一人しかいない。

 黒の騎士団首魁、ゼロ。彼一人だけである。

「…………なんなりと」

 流石に驚いた咲世子だったが、それでもプロの仕事人として培ってきた精神で、動揺を言葉に表さずに返答することに成功する。

 しかし、そんな咲世子でも、次にもたらされた事実には言葉を失ってしまった。

『助かる。これは貴女にしか頼めない事だ。………お願い出来ますか?』

 

 

『――――咲世子さん』

 

 

 軽い微笑を孕んで、自分が忠義を尽くす男の声が聞こえてきた。

 

                         

 

「――ええ。では、もしもの時はそのように」

 一際、慇懃な了承の言葉が電話口から流れてきたのを確認すると、ルルーシュは通話を切った。

「咲世子を使うのか?」

 話を聞いていたC.C.の問いに、ルルーシュは首を横に振る。

「唯の保険だ。…お前の話を聞く限り必要になるとは思えないが」

 だが、何が起こるのか分からないのが実戦であり、現実である。

 罠も、策も、保険も、二重三重に張り巡らせて、初めてその威力を発揮する。

 打てる手、然るべき対策があるのなら、それが結果的に意味を為さなくとも、手を抜くつもりはルルーシュにはなかった。

「扇、艦内の制圧は完了したか?」

 アヴァロンの制圧を命じていた副司令に進捗状況を求める。

「……? おい、扇。何かあったのか?」

『! あ、ああ、ゼロ? どうしたんだ?』

 再度の呼び掛けに、ようやく気付いた扇が反応の鈍い返事を返してきた。

「艦内制圧は完了したのか?」

『ああ、だ、大丈夫だ。艦橋の制圧も、もうすぐ――』

「急げ」

 短く、少し語気を強くして命じてから、ルルーシュは荒っぽく通信機をオフにする。

 くく、という面白がるような笑い声に視線をやれば、魔女が愉快そうに笑っていた。

「どうやら、副司令殿はトウキョウにいる恋人の事で頭が一杯らしいな」

 まさか、本当にあの絶望的な状況から一転して、トウキョウに攻め込むという逆転劇が展開されるとは思っていなかったのか。

 首都奪還が現実味を帯びるのと同時に、トウキョウが戦場になった時のブリタニア人の恋人の安否が気になって、扇は作戦に身が入らなくなっていた。

「………これも手を打っておかないとならないか」

 面倒臭そうに溜め息を吐き、ルルーシュはガウェインのコックピットのハッチを開いた。

 

 

 突き付けられた銃口に、壁際に寄せられていたセシルは小さく息を飲んだ。

 トウキョウ租界へ最速で到達するための手段としてゼロに標的にされたアヴァロンは、あっさりと敵の手に落ちた。

 元々、試験運用中であることもあり、アヴァロンにはランスロット以外のナイトメアも戦闘要員も配置されていなかったのだ。

 だから、唯一最大の戦力であるランスロットが落とされ、さらに行動不能に陥った総大将とエースに銃口を、アヴァロンの艦橋にガウェインのハドロン砲を向けられれば、非戦闘員でしかないセシル達に選択の余地など残されてはいなかった。

「スザク君……」

 先程、徹底的に打ちのめされたであろうパイロットの少年を思い、セシルは彼の名を呟く。

 戦闘の途中から、感情と思考のコントロールが出来なくなっていたスザクの耳には、セシルの声は聞こえなくなっていた。

 セシルがどれだけ声を張り上げて、落ち着いて、後退して、と呼び掛けてもスザクに届くことはなかった。

 その事を思い出し、セシルは唇を噛む。

 スザクが、何かしら心に傷を持っていることは分かっていた。

 だが、ナリタでのあの酷い錯乱を見ていた事と、唯の仕事仲間でしかない自分に、ずかずか踏み込まれては迷惑だろうと考え、ここまで来てしまった。

 その結果がこの有り様だ。

(もっと………)

 もう少し、上手くやれなかったのか、とセシルは自分を責めた。

 上司として、同僚として、――そして、大人として。

 戦闘技術は卓越していても、まだまだ不安定な心で、一人、祖国を奪った敵国の中に身を置く子供に、何か、もっとしてやれることはあったのではないかと、セシルは自身の不甲斐なさを悔やんだ。

 そんな風にセシルが後悔の念に駆られていると、シュン、とドアの開く音が聞こえてきた。

 それに隣にいるロイドがおやぁ? と珍しいものを見たときのような声を上げたので、俯いていたセシルも何だろうと思い、顔を上げて。

「ゼロ…………!」

 瞳に映ったその無機質な仮面の輝きにふる、と身体を震わせた。

 

 艦橋にいたその二人の姿に、ルルーシュは仮面の下で、その瞳を少しだけ、懐かしそうに細めた。

 ロイド・アスプルンド。

 そして、セシル・クルーミー。

 共に、『前回』の最後、スザクと一緒にルルーシュに合流し、ルルーシュの決意に覚悟を持って応えてくれた数少ない人物達だった。

 手荒な真似は避けろと命じていたので、二人とも怪我は無さそうだ。

 一瞥して、その事を確認するとルルーシュは二人に声を掛けようとして。

「あ、あの…………ッ!」

 思い切った、と言う様に先んじてセシルが声を掛けてきたので、ルルーシュは先に相手の発言を許した。

「何だ?」

「え? あ、えっと……」

 てっきり無視されるものと思っていたセシルは、驚きに言葉を詰まらせる。

 それでも律儀にルルーシュが言葉を待っていると、セシルは意を決して再度口を開いた。

「ス、スザク君は……」

 無事なのか? という問いに、ルルーシュは意識して冷たい声を出して答えた。

「外に捨ててある。後で拾いにいくと良い」

「へぇ? それって、僕達を無事に解放するつもりでいるって受け取っても良いのかなぁ?」

 興味がないという風に言い捨てたルルーシュの言葉にロイドが食いついた。

「それは貴方達次第だ。ロイド・アスプルンド伯爵」

「おや~? まさか、天下のゼロが、僕みたいなしがない貴族の事を知っているとは驚きだねぇ?」

「ロイドさん!」

 聞き方によっては、相手を挑発しているようにも聞こえるロイドの物言いを、セシルが諌めようとするも、当の本人は何が問題なのか分からないという顔で首を傾げる。

 内心、冷や汗のセシルだったが、ルルーシュは特に気にする素振りも見せず、言葉を続けた。

「無論だ。君の造ったランスロット(おもちゃ)には、毎回、手を焼かされたからな」

 ランスロットは、毎回、黒の騎士団の勝利にケチをつけていた因縁の相手である。ならば、その製作者について、黒の騎士団が情報を持っていても、確かに不思議な事ではない。

「成程ぉ。……なら、このアヴァロンにランスロット以外のナイトメアや戦力が無いということも、お見通しだったと?」

 カチャ、と眼鏡を手で押し上げながら、ロイドは探るような瞳をゼロに向けた。

 そのロイドの言葉に、セシルも隣でハッ、としたように口元に手を当てた。

 言われてみれば、確かに、と思う。

 このアヴァロンは、曲がりなりにも最新鋭艦。第二皇子シュナイゼルが、一時とはいえ、使用していた空中戦艦である。

 普通に考えれば、中にも最新鋭の機体や十分な戦力が配備されていると思うだろう。

「枢木少佐の事もぉ。色々と知りすぎていたしぃ? そもそも、致命傷を負っていたはずだよねぇ? 君、さっきまでのゼロと別人だったりする?」

 好奇か、探求か。

 基本的に人間に興味を持たないロイドが、この時ばかりは、普段よりも饒舌だった。

「致命傷を負ったのに元気でいる以上、別人に違いない筈なんだけど。でも、君みたいなのが、二人も三人もいるとも思えないんだよねぇ?」

 状況は、別人である事を示している。

 だが、能力は本人である可能性を示唆している。

 噛み合わない、ピースが足りない。

 そんな感覚が科学者としてのロイドを刺激していた。

「その質問に意味はない。ゼロの真贋は中身ではなく行動と結果によって問われる。中身が何者であれ、ゼロに足る結果を示せば、それがゼロだ」

「ふ~ん……?」

 答えになっていないルルーシュの返答に、ロイドは何か感じるものがあったのか、敵であるルルーシュの目の前で思考に没頭する。

「君……、僕達が思っている以上に厄介な存在みたいだね?」

 そして、短い思考の間に、一応の答えが出たのか、ロイドがそう言ってきた。

「誉め言葉と受け取っておこう」

 そう答えながら、ルルーシュは内心で、ロイドの事を評価する。

 大抵の場合、過程に矛盾や疑問があっても、結果が奮えば、人は自分の中で納得のいく形に収めて、消化するものだ。

 黒の騎士団はそうだった。コーネリアも、おそらく、スザクもそうだろう。

 だが、ロイドは違った。

 知りすぎていること。

 死んでいてもおかしくない人間が生きていること。

 それらを勢いや奇跡と言う言葉で消化せず、受け止めた。

 そして、そこにある『今までのルルーシュ』と『今のルルーシュ』の齟齬に気付いた。

(やはり、優秀だな。ロイド)

 コードやギアス、そして、時間逆行という非科学的な現象の実在を知らない以上、ロイドが答えに辿り着く事はない。

 しかし、それでも、自分の知らない何かがルルーシュにはあるのだろうと理解したようだった。

「さて、質問は終わりだ。すまないが、君達を拘束させてもらう。大人しく従うなら、身の安全は保証する」

 ルルーシュがそう言うと、周りにいた黒の騎士団の団員達がカチャリ、と音を鳴らして銃を構え直した。

「…まあ、仕方ないね」

 そう言って、へらり、と笑うと、ロイドは両手を上げて、降参の意思を示した。

「ロイドさん………」

 隣から聞こえてきた心配そうな声にロイドが肩を竦める。

 致し方ないとはいえ、敵に無抵抗で投降し、最新鋭艦を明け渡したとなれば、ロイドの立場は悪くなるだろう。

 現状、エリア11、コーネリアの指揮下にいる以上、ひょっとしたら、叱責だけでは済まないかもしれない。

「気持ちはありがたいけど、ちょっと、相手が悪すぎるねぇ。僕達の手に負える相手じゃないよ? 彼」

 くい、とアゴでゼロを示すロイド。

「それは、確かにそうですけど…………」

「大人しくしていたら、解放してもらえそうだしぃ? 僕としてはランスロットが弄れれば、それで………、ああッ、そう言えば、僕のランスロット! ぼ、ボロボロに壊され…………」

 ランスロットを撃墜された事を思い出したのか、ショックを受けたロイドが、ガクリと首を折った。

「はあ、………仕方ないですね」

 ロイドの姿に呆れて、ため息を吐くとセシルもゆっくりと両手を持ち上げる。

 確かにロイドは心配だ。だが、同じように心配な少年もいるのだ。

 正しさに囚われ、死を望む男の子が。

 それを思うなら、ここで死ぬわけにはいかない。

 このまま、終わりにさせたくはない。

 だから。

「投降します」

 覚悟を決めて、生き残るために、セシルも投降の意思を示した。




 アヴァロン速達便の話、一話で終わらす予定だったんですが、長くなってきたので切ります。

 次回。

 アヴァロン×ルルC=???


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PLAY:08

 遅くなりました!スミマセン!


 黒の騎士団によって、頑強なワイヤーロープで地面に縫い付けられたナイトメアから、コーネリアが救出されたのは、黒の騎士団の乗ったアヴァロンが特区から離れ、姿が見えなくなってからだった。

「コーネリア様! ご無事ですかッ!?」

 ハッチを解放し、ギルフォードは熱気が漏れ出てくるコックピット内に向かって叫び、呼び掛けた。

「コーネリア様! 姫――」

「どけッ!!」

「姫様!?」

 ギルフォードを押し退け、コーネリアが荒々しくコックピットから飛び出してくる。

 多少の怪我はあるが、無事と言っていい姿にブリタニア軍人達は、安堵に顔を綻ばせるが、当のコーネリアは険しい顔付きで、ゼロが消えていった夜空を睨み付けていた。

「ゼロぉぉぉ………!」

 獣の呻き声のように、コーネリアは憎々しげにゼロの名を口にする。

 こんな屈辱的な事があるか。

 ひたすらに振り回され、弄ばれ。

 命を奪う価値もないと言うかのように、おざなりに地面に転がされ。

 あまつさえ、味方を釣るための餌にされた。

「――――ッ」

 噛み締めた唇が切れ、血が糸の様に垂れた。

 思い出しただけで、腸が煮えくり返る怒りにコーネリアの全身が震えた。

「ギルフォード! 貴様ッ、何故、奴を行かせたッ!?」

 やり場のない感情が、コーネリアにギルフォードを責めさせた。

「…申し訳ありません」

 主君の怒りを、粛々とギルフォードは受け止める。

 言い訳はしない。その怒りは正しい。自分は、主の意を汲み取らなかったのだから。

 

 コーネリアが、ゼロに敗北し、その生殺与奪を彼に握られた時点で、ギルフォードは戦う事を放棄した。

 ゼロと黒の騎士団を刺激しないように、全軍に手出ししないよう指示を出し、彼らがここから去っていくのを黙って見送った。

 全てはコーネリアの命を守る為に。

 ブリタニア軍人としての在り方より、コーネリア・リ・ブリタニアの騎士としての在り方を選び、彼女の命を何よりも優先した。

 それを主が望まぬと分かっていながら、彼はそうしたのだ。

 そして、そうするだろうと確信していたからこそ、ルルーシュは、ギルフォードを生かしておいたのだ。

 頭のなくなった有象無象の群れは、どのような行動を取るか分からない。

 冷静さを欠き、統率を失い、襲いかかってこられれば、余計な時間と戦力を浪費してしまう。

 だから、あえて、ルルーシュは自分の意に沿う頭を残した。

 ドルイドを用いて、コーネリアの通信をジャミングし、彼女の生死を分からなくさせると共に、コーネリアに自身の命を度外視した命令を出させなくさせる事で、ギルフォードの思考を誘導した。

 例えば、これがダールトンだったならば、こうはならなかったかもしれない。

 生粋の軍人である彼ならば、コーネリアの命なくとも、その意思を汲み、彼女が命を落とす事になろうとも、軍人としての職務を全うしたかもしれない。

 だが、ギルフォードは違う。

 主君を第一に考え、主命であれば―実際には、そう思い込んでいた、だが―ブリタニアすら敵に回すという事は『前回』の戦いで、証明済みだ。

 そんなギルフォードだから、コーネリアを見捨てるような選択をすることは出来なかった。

「―――クソッ!」

 頭を下げ続けるギルフォードから、顔を背け、コーネリアは苛立たしげに吐き捨てる。

 ギルフォードの行動は、確かに褒められたものではない。

 だが、これは八つ当たりだ。

 自身の不甲斐なさを誤魔化すために、部下に当たり散らしているだけだ。

 ギリギリッ、と音が鳴るほどに歯を食い縛り、爪が食い込むほどに拳を握り締めて、感情を抑え込む。

 皇女として、上に立つ者として、これ以上部下達に醜態を晒すことは出来ない。

 何より。

 今は、みっともなく、当たり散らしている場合ではないのだ。

 

 今の状況は、最悪の一言に尽きた。

 ゼロの目的は、まず間違いなくトウキョウだ。

 もし、政治・経済、流通その他の心臓部であり、国の象徴とも言える首都が、敵の手に落ちれば、ブリタニアと黒の騎士団、――延いては日本との戦争の勝者が、どちらなのか、誰の目にも明らかになる。

 そして、そのためにゼロはこの特区での戦いを持ち掛けてきたのだ。

 皇女と言っても、皇帝ではなく、代わりのきく一エリアの総督でしかないコーネリアでは、仮にその身柄を押さえたとしても、戦争での勝利を飾るには足りない。

 首都を取り戻すことは、名実共に日本が勝利するために、必要不可欠な事であり、戦いを終わらせる最善手なのだ。

 当然、ブリタニア側もそれは承知だ。平時であれば、防衛に置かれた戦力は厚く、少数でしかない黒の騎士団がどれだけ奇策を用いようとも、突破できるものではない。

 だが、今は違う。

 サイタマから、ゼロを過剰に警戒していたコーネリアは、『決戦』という言葉に踊らされ、戦力を特区に集め過ぎてしまった。

 加えて、圧倒的優位だった状況が災いして、本国はコーネリアの勝利を疑わず、援軍など用意していない。

 周囲の基地から援軍を送ろうにも、空路を用いている黒の騎士団がトウキョウに到着する方が早い。

 コーネリア達、主戦力はいない。

 援軍は間に合わない。

 トウキョウにある戦力は最低限のものでしかなく、ほぼ丸裸。

 敵にしてみれば、まさに絵に描いたようなチャンスである。

(それ以上に……)

 もし、これが。

 もし、この全てが、ゼロの思惑通りだったなら。

 コーネリアが戦力を集中することも。特派がアヴァロンで戻って来ることも。

 ギルフォードやダールトンや本国の考え、その他全てを思惑通りに動かして、この状況を作り出したのなら。

 戦場どころではない。

 ()()()()()()を、ゼロにコントロールされていたことになる。

 流石に考え過ぎだ、とコーネリアも思う。

 だが、今のゼロの言動を思うと、その可能性は否定出来ないどころか、現実味を帯びてしまう。

 底が知れない奴だとは思っていた。

 だが、本気で一戦交え、その肌でゼロの力を感じ取った今、より明確に脅威をコーネリアは感じていた。

 ひょっとしたら。

 ひょっとしたら、奴の底は、ブリタニアを飲み込むほどに深いのではないかと。

「――――ッ」

 考えれば考えるほど、深みに嵌まり、弱気になる思考を無理矢理払い、意識を切り換える。

 ゼロがどうであれ、こんなところで負け犬に甘んじている訳にはいかない。

 少なくとも、このまま、おめおめと引き下がるつもりはコーネリアにはなかった。 

「ギルフォード、政庁と本国に連絡は?」

 未だ、頭を下げ続けているギルフォードにコーネリアは問いかけると、頭を下げたまま、苦々しい声でギルフォードは答えた。

「それが……、Gー1ベースを始め、通信関連は黒の騎士団に破壊され……」

「ちっ、抜け目のない……!」

 神経質なほどに、こちらの動きを悉く封じてくるゼロに大きな舌打ちが鳴った。

「どんな手段を使ってもいい。連絡手段を確保しろ。それと、残存兵力をまとめるように指示を。それが終わり次第、全速で租界に引き返す」

「了解しました」

「――ギルフォード」

 痛みを堪えるような表情で、コーネリアの下を去ろうとするその背に呼び掛けた。

「そなたの忠義、感謝する」

 その一声にギルフォードの瞳が揺れる。

 そして、噛み締めるようにギュッ、と一度口を閉じた後、悲愴な気配を払拭し、声高らかに叫んだ。

「イエス! ユアハイネス!」

 凜とした佇まいで臣下の礼を取ると、ギルフォードは駆け出していく。

 それを見送り、コーネリアは後ろを振り返った。

 その瞳に、夜の森を映した。

 敵、味方。両者の命で、煌々と炎が灯る夜の森を。

「……許せよ」

 一言、囁く。

 自分に従い、そして、不甲斐なさ故に命を散らせてしまった者達に、小さな謝罪を一つ。

 本来なら、丁重に弔ってやりたい。だが、時間がそれを許してくれない。

 まだ、全ての可能性が潰えた訳ではないのだ。

 ゼロの作戦が計画通りに進む保証はない。間に合う可能性は無いとは言い切れない。

 もし、何かしらのイレギュラーが起こり、チャンスが巡ってきた時、それを不様に見送るような真似をコーネリアはしたくなかった。

「必ず、戻る」

 強く、誓うように言い切るとコーネリアもまた再起のために動き出す。

 散っていった忠臣達に報いるためにも、諦めず。

 一縷の望みを掴むために………。

 

 

 そして、――――知ることになる。

 

 微かな希望も、僅かな望みも何もかも全てを、完全に断つからこそ。

 

 

 彼の男は、魔王と呼ばれるに足る存在なのだということを。

 

 

 

 

(思っていた以上に、動きがない)

 アヴァロンの艦橋。そこの端末から、ブリタニア側の情報を吸い上げていたルルーシュは、心の中でそう呟いた。

 敵の動きを知るために、ブリタニア軍の通信記録や指令の履歴を漁り、各エリアからブリタニア本国に至る全ての軍の動きを調べる。

 ちなみに、当然の話だが、ブリタニア全軍の動きを知ることなど、例え、ブリタニア軍人であろうとおいそれとは出来ない。

 総督や皇族クラスのアクセスキーを入力して、初めて可能となる。

 つまり、本来なら、外部の人間にはこんな事は出来ないのである。

 ――この、先の時間軸で皇帝を務めた男以外には。

 ともあれ、その本来あり得ないレベルでブリタニア側の内情を獲得し、情報を吟味した結果が、先程の感想だった。

 行き掛けの駄賃とばかりに、敵側の通信設備を破壊したのが効いたのか、トウキョウ租界の残留部隊は、まだ何の動きも見せていない。

 慢心に胡座を掻いているブリタニア本国は、万が一にも備えていなかったらしく、増援の準備もしていなかった。

 こうなるように立ち回ったとはいえ、ここまで動きがないとはルルーシュも思っていなかった。

(まだ、油断は出来ないが、この状況ならシュナイゼルはおそらく……)

 その場に黒の騎士団幹部しかいないため、窮屈な仮面を外していたルルーシュは、指先で頭をトントンと叩きながら、次兄の顔を思い浮かべた。

 皇帝ルルーシュと渡り合えた知将であり、その欲の無さと合理性から、ルルーシュとは違った意味で仮面を使い分けられるブリタニアの雄。

 その策謀に何度も辛酸を舐めさせられたからこそ、ルルーシュはシュナイゼルの存在を決して侮らない。

 ――だが、今回に限れば、シュナイゼルはあまり問題視しなくても良いとルルーシュは考える。

 シュナイゼルとて完璧な人間ではない。欠点は少なからずある。

 直接、矛を交えれば、智謀も戦略もルルーシュと比肩しうる存在だが、両者には決定的な違いがある。

 例え、微々たる可能性でも勝てるところで勝負をし、それを引き寄せる戦いをするルルーシュに対して、シュナイゼルは結果がどう転ぼうと常に負けないところで勝負をする。

 不利な盤面で勝てるか分からない勝負を仕掛けるよりは、素直に引いて、その分の力を次の勝利に注ぐ。

 それがシュナイゼルの戦い方(本質)である。

 だから、今回の戦い。これから、シュナイゼルが参戦してくる可能性は低い。

 他の者は分からないが、引き際をきちんと弁えている彼ならば、ここで無理な防衛戦を仕掛けてはこないだろう。

 迅速に作戦を展開し、一気に戦局を傾けることでルルーシュはシュナイゼルを牽制したのだ。

(コーネリアは降した。スザクも無力化した。シュナイゼルは脅威にならない。なら、残るは……)

 そう考えたルルーシュの眉間に皺が出来る。

 有利な状況にありながら、不機嫌そうな表情がその顔に浮かんだ。

 細かな問題はさておいて、あと一つ、対処しなければならない事が、――倒さなければならない相手がいた。

「ゼロ」

 呼び声に意識が引き戻される。苦々しい気持ちを払い、振り返ると、そこにディートハルトが立っていた。

「ラクシャータから連絡が。ナイトメアの修理について相談したいことがあるので、格納庫の方へ来て頂きたいと」

「分かった。すぐに行くと伝えろ」

 ディートハルトにそう答え、仮面を手に取る。

「扇、ここは任せるぞ」

「…………あ? あ、ああ。分かった、ゼロ」

 ぼんやりと携帯を見つめていた扇が、間を置いて返事を返してきた。

 その集中力が欠けた反応に、ルルーシュは一つ溜め息を吐くと、扇、ともう一度、彼の名前を呼んで―――

「ブリタニア人の恋人が気掛かりなのは分かるが、作戦に支障は出さないようにしてもらいたい」

 思いっきり爆弾を投げ入れた。

 

 唐突に、もたらされた衝撃の事実に真っ先に反応したのは、投げ入れたルルーシュでも、投げ込まれた扇でもなく、彼の仲間達だった。

「はあ? こ、……え、恋人ぉ!?」

「おい、マジかよ、扇! てか、ブリタニア人!?」

「一体、いつから……」

 驚愕と疑問の視線と声が、扇に突き刺さるが当の本人はそれどころではない。

 顔を赤くしたり、青くしたり、と色々忙しそうだった。

「ぜ…ッ、ゼロ! どこで、千草の事を………」

 おろおろと挙動不審な扇。それを見て、ルルーシュの影でC.C.が肩を震わせながら笑いを堪えていた。

「どこでも何も。来ていたのだろう? アッシュフォードの学園祭に。あそこは私のホームだ。二人仲睦まじく、楽しそうにしていたと聞いているぞ」

 ルルーシュの表の素性については、既に周知の事実だった。

 ゼロが撃たれ、復活するまでの間に、その仮面の下を見たカレンの口から、自分の同級生でアッシュフォードの学生だと語られていたからだ。

 その事を思い出し、ヴィレッタと自分の関係をゼロに知られていると理解した扇の顔から血の気が一気に失せた。

「ゼロ! 俺はッ、その、決して……!」

 裏切るつもりなんてない。裏切る事をした訳でもない。

 だが、疚しい気持ちが無いわけではない。

 ゼロについて何か知っていそうな女性軍人を保護し、その詳細を報告しなかったのは事実だ。

 情に流され、後顧の憂いを絶つことも出来なかった。

 それどころか、記憶を無くしているとはいえ、ブリタニア軍人である事を知りながら、その女性と関係を持ってしまった。

 本人がどう思っていようと、端から見れば敵国の女性と親密になり、それを隠していたとあっては裏切り行為に等しいだろう。

 仲間内に隠し事をしていたという後ろめたさから、自身の行動をそう解釈してしまった扇は、ルルーシュが何も言っていないのにも関わらず、誤解を解こうと必死に言葉を探し始めた。

「俺も、……千草、いや、彼女も……」

 しかし、言葉が上手く出ない。

 緊張と焦りから、思考も口も回らず、途切れ途切れの言葉が、返って不審感を煽る。

 その様子に、どうして扇がこんなに焦っているのか、いまいち事情を飲み込めずにいた他の幹部達の間にも、よく分からないが何か取り乱す理由があるのではという邪推が生まれ始めた。

「何を勘違いしているのか、知らないが……」

 勝手に自分で自分を追い詰めていく扇。

 それに助け船を出したのは、他ならぬルルーシュだった。

 片手を上げて、上手く喋れなくなっている扇の口を制する。

「別にお前を糾弾しようとしている訳ではない。その女の素性も、お前の元に身を寄せている理由も把握している。色恋についても同じだ。覚悟があるなら、お前が誰と恋仲になろうと私は一向に構わん」

「そ、そうか。……すまない、ゼ――」

「だが、だからと言って、現を抜かして、腑抜けていいと言うつもりはない」

 誤解されていないと分かり、ホッ、と安堵の息と共に身体から力が抜けそうになる扇だったが、ルルーシュの厳しい声がそれを許さなかった。

「自身の立場、その重み、――忘れたとは言わせない」

「―――ッ」

 衝撃が身体を突き抜けた。

 否とは言わせないと言わんばかりの鋭い視線が、扇に背負っているものの重さを思い出させる。

 黒の騎士団副司令。

 組織において、ナンバー2の立場にいる扇はゼロに次いで命令権が高い。

 ゼロに代わり、命令を下すことも多々あるだろう。

 扇の命令で、仲間達が命を落とすかもしれない戦場に向かうかもしれないのだ。

 その事を扇は思い出した。

 そして、その時、長い間、不甲斐ない自分を信じて支えてくれた仲間達ではなく、違う女性(ひと)を思い、命令を出すのかと。

 一歩間違えれば死ぬような場所に、きちんと考えていないおざなりな命令で皆を送り出すつもりかと。

 身を切りかねない程に鋭い視線でそう問いかけてくるルルーシュに、扇は己の愚かさを自覚せずにはいられなかった。

「そう、……そうだな。すまない、ゼロ。…皆も」

 頭を下げて、謝罪する扇。それを見てルルーシュも重苦しい空気を和らげた。

「分かればいい。それに、ここにはいない誰かを心配するその気持ち、私も分かるつもりだ」

「ゼロ……」

 一転して、こちらを案じるような言葉に扇の声が感極まったように震えた。

「だから、お前さえよければ、トウキョウにいる黒の騎士団の末端員に恋人の保護を指示しても良い」

 予想もしなかったルルーシュの言葉に扇が驚いたように目を丸くする。

「……いいのか? 彼女は、その……」

「構わない、と言ったはずだ。それでお前が戦いに集中出来るなら、女の素性など些末事に過ぎん」

 それでどうする? と聞いてくるルルーシュに扇がもう一度、頭を下げた。

「助かる! 宜しく頼む、ゼロ!」

「分かった、手配しておこう。但し――」

「ああ、分かっている。トウキョウ、いや、日本奪還のために、俺は全力を尽くす!」

「――良い答えだ」

 打って変わってやる気に満ちた扇の様子に、ルルーシュは口の端を小さく持ち上げた。

 

 

「………言いたい事があるなら、ハッキリ言ったらどうだ?」

 扇に関する諸問題を片付けて、改めてラクシャータの元へ向かう道すがら、後ろから付いてくるC.C.にルルーシュは振り返らずにそう言う。

 振り返らなくても分かる。

 今、この魔女がいつもの笑みを浮かべ、ニヤニヤとしているのが。

「いや? ただ、いつの間に人質を取る事を保護と呼ぶようになったのかと思ってな」

 扇は気付かなかったが、ゼロの命令でヴィレッタを保護するということは、彼女の命はゼロの手の中にあるということ。

 だから、これから先、扇が何か良からぬ事を企もうとも、彼女の存在が足枷になるだろう。

 そう考えたからこそ、保護なんて言い出したのだろう? とC.C.が指摘した。

「随分、ひねくれた解釈だな。俺は扇が作戦に集中出来るように配慮しただけだ」

「そういう台詞は、せめて、その悪人染みた笑みを引っ込めてから言うんだな」

 ちらりと振り返った横顔に、悪どい笑みを認めたC.C.が同じような表情をしながら、愉しそうに微笑む。

「まあ、でも、良かったな。これで今の時点で分かっている不確定要素は全て対処し終えたんじゃないか?」

「そうだな……」

 『前回』、ブラックリベリオンを迎えた時、ルルーシュは特区でのギアス暴発から予期せぬ決戦にもつれ込む事になったが、それでも不利な状況と言うわけではなかった。

 しかし、ルルーシュの預かり知らぬところで働いた多くの人々の思惑が絡み合ってルルーシュに迫り、結果、ルルーシュは敗北の運命に誘われる事になった。

 だが、今回は違う。

 ユーフェミアが生きている事を始め、コーネリアとスザクを先に排除し、ブリタニア側の介入を遅らせた。

 裏でこそこそと動いていたらしいヴィレッタも抑えられた。

 そして、ルルーシュにとって一番の懸念材料であるナナリーも咲世子の守りがある以上、何があっても万が一も無いだろう。

 ―――もっとも、何もないかもしれないらしいが。

「C.C.、もう一度、確認しておく。今回、V.V.が動く可能性はほぼ無いと考えていいんだな?」

 足を止め、真剣な表情で向き直ってきたルルーシュにC.C.がああ、と頷いた。

「基本、アイツが前に出てくる事はない。慎重、と言えば聞こえはいいが、まあ、臆病者、ということだ」

「そうか……」

 そこでルルーシュは、一度、瞳を閉じる。

 そして、情報を整理し、考えをまとめると――

「つまり、あの時、V.V.が動いたのは、俺がお前のコードを継承出来るようになったからと考えていいんだな?」

 静かに瞳を開き、今まで触れなかった部分に触れた。

「………何だ、気づいていたのか」

「あの時のお前の様子や、その後の言動を思い出したら、そういう答えに辿り着いただけだ」

 Cの世界に初めて足を踏み入れた時、ルルーシュを守ろうと現れ、土壇場で自らの望みを明かしたC.C.はルルーシュがコードを継承出来るような事を仄めかしていた。

 なら、両眼にギアスが宿ることは絶対条件と言うわけではないのだろう。

 そして、いつ、継承出来るようになったのかを考えれば、この時を除いて、他に無かった。

「察しの通りだ。コードを継承出来るようになるには、継承者が()()以上に高められたギアスを有すること、……個人差がある」

 重い口を開いて、ポツポツと語り出すC.C.。

 全ての感情を遠くに置き去りにしたような、儚げな表情で。

「必要な力の閾値は、ギアスを制御出来ているかで変わる。どれだけギアスを御しきれているか、どれだけ心を侵蝕されずにいるか。……だから、ギアスに完全に呑み込まれ、心が狂ってしまった者は、どれだけ力が強まってもコードを継承することは出来ない」

 マオのように、と呟くC.C.にルルーシュも頷く。

 要約すれば、心がギアスに侵蝕されていればされている程、必要な力の量は増えるということ。

 逆に、ギアスを完全に御しきれていれば、片目の状態でもコードを継承出来るということだ。

 とはいえ、それはあくまで可能性の話。

 C.C.然り、シャルル然り。

 コード保有者の殆ど全てが、両眼に至る程のギアスでなければ、コードの獲得は為し得なかった。

「だが、お前はそれを為した。暴走しても他者を想い涙し、その心をギアスに歪められることも無かった。他のコードは分からないが、私のコードなら確実にお前は奪う事が出来ただろう」

「成程な。それはさぞかしV.V.も驚いた事だろう」

 なにしろ、自分達の計画に必要なコードが、何も知らない第三者の手に渡る可能性が、いきなり出てきたのだ。

 しかも、相手は自分と弟の仲に割って入った、忌々しい女の子供だという。

 V.V.には、ルルーシュの存在は母に代わり、自分の邪魔をしようとしている怨敵のように映ったことだろう。

 そして、その被害妄想が膨らんだ結果が、『前回』のアレだ。

 焦ったV.V.は、慌てて滅多に上げない腰を上げて、スザクやナナリーにちょっかいをかけ、ルルーシュを排しようと画策したのだ。

「だから、今回、アイツは出てこない。よく分からないコードがあるような場所に、単身でやって来れる度胸はアレにはない」

「確かに、お前の話を聞く限り、そのようだな」

 コード保有者もまた、他者のコードを引き継ぐ事が出来る。

 忌々しい女の息子であるルルーシュがコードを持っている以上、V.V.が自らルルーシュに接触してくる可能性は限りなくゼロになる。

(接触してくるとしたら、まずは様子を見た後……、自分ではなく、恐らく手駒を使って。……なら、来る可能性が高いのは………)

 

 ――兄さん、と自分を呼ぶ声が微かに耳の奥で響いた。

 

「……ルルーシュ」

 先の展開を予測し、それにどう対処するか考えていたルルーシュは、こっちの反応を窺うようなC.C.の声に意識を彼女に戻した。

「何だ?」

「その……、責めないのか? 私を」

 いきなり、そんな事を言い出したC.C.にルルーシュは怪訝そうな顔をする。

「今の話のどこにお前を責める理由がある?」

「それは、……いや、いい」

 馬鹿な事を言った、と言ってC.C.は俯く。

 初めから、C.C.は全てを知る身だった。

 全ての事情も、思惑も。

 周りが、他人が見えなくなっていたマリアンヌ達の関係も、そこに含まれた気持ちも。

 そして、V.V.が、マリアンヌに対して愛憎ない混ぜな感情を抱き、それ故に暴挙に及んだ事も、当然知っていた。

 だから、あの時、C.C.だけはV.V.の暗躍を予見出来たはずなのだ。

 もし、C.C.がV.V.の行動をいち早く察知しルルーシュに忠告出来ていれば、あのような結末を迎えることは無かったかもしれない。

 ナナリーが敵の手に落ちなければ。ルルーシュが単身で戦線を離れる事態にならなければ。

 ああはならなかったかもしれないのだ。

 それをルルーシュに責められるかも、とC.C.は内心、不安だった。

 勿論、それは唯の杞憂である。

 当時のC.C.が様々な想いの板挟みになっていたことは既に知っているし、そうでなくとも独占欲と被害妄想を拗らせた男の行動の責を彼女に求める程、ルルーシュは愚かな人間ではない。

 むしろ―――

「感謝している、……色々とな」

 思わず、と言ったように漏れたルルーシュの呟きにC.C.がキョトン、と首を傾げた。

 その表情に、ルルーシュが柔らかく笑う。

 ルルーシュにコードを渡せたのなら、やはりC.C.は、いつでも死ぬ事が出来たのだ。

 だが、それを自らの意思で放棄した。

 それが、如何なる理由から、如何なる想いからの選択かはルルーシュには分からない。

 分かるのは一つだけ。

 C.C.が、その時から、ルルーシュに何かを望む事なく、――もしくは、何かを望む事に耐えて、ずっと、ルルーシュの傍にいてくれたということ。

 そして、全てが零れ落ちていくルルーシュの手の平の中で。

 

 たった一つ、零れ落ちない存在でいてくれたということだけである。

 

「感謝って、……何にだ?」

 脈絡のない感謝の言葉の意味をC.C.は求めるが、当然、その胸の内を素直に明かすようなルルーシュではない。

「特に意味はない。気にするな」

「何なんだ、それは……」

 口にする言葉は、いつものままだが、ルルーシュの纏う空気がいつもより柔らかいため、反論するC.C.の言葉にキレが無い。

 調子が狂う、と思うC.C.だが、決して嫌な訳ではない。その証拠に、ルルーシュに釣られるようにC.C.の顔にも柔らかい笑みが浮かんでいる。

 いつになく、らしくなく、魔王と魔女に似つかわしくない空気が二人の間に流れた。

 その空気を感じたC.C.が、一歩前に出ようとする。

 二人の間に僅かにある距離を詰めようと、一歩前に出ようとする――――

「ちょっと! こんなところで何やってるのよッ!」

 ――その直前、割りこんだ怒声によって踏み出そうとした足が止まった。

「何時まで経っても、やって来ないから、探しに来てみれば………」

「カレン」

 ブツブツ文句を言いながら、ズンズカやって来る赤毛の少女が目に入った瞬間、二人の間に流れていた空気は一瞬にして溶けて無くなった。

「―――――――ちっ」

 何となく、惜しいところを邪魔された気分になった魔女の口から舌打ちが漏れる。

「まったく……、前の格納庫の時といい、お前は私達の間に入ってくるのが趣味なのか?」

「は? 何の事よ? ……っていうか、ちょっと! ルルー、……ゼロ! 何こんな所で仮面外してるのよ! 一応、ここは敵艦の中なのよ? どこに監視カメラとかがあるか分からないんだから、ちゃんと被ってなさいよッ!」

「あ、ああ。すまない」

 もの凄い剣幕で詰めよってくるカレンにたじろぐルルーシュ。

 まったく、もう。と言って怒ったように顔を背けるが、不器用ながらにルルーシュの身を、――ゼロを案じているのが、横で見ていたC.C.には手に取るように分かった。

 だから、これは、きっと意趣返しなのだろう。

「そうだぞ、ルルーシュ」

 にや~、とからかうように笑いながら、C.C.はルルーシュの首筋に手を回して、もたれ掛かる。

「ゼロの仮面を外すのは、()()()()()()()()()()()()。に、しておけ」

「な―――ッ!?」

「いいえ! それはいけません!」

 ゼロとの仲を見せつけるようなC.C.の言動に、カレンが沸騰しそうになるが、それより早く彼女の後ろから新たな声が場に届けられた。

「これからは是非! 私の前でも!」

「え? え? 神楽耶様ぁ!? どうして、ここに?」

「それは勿論、将来の夫の様子を伺いに」

「いえ、そういう事ではなく、て……、……夫?」

 その言葉の意味を上手く処理出来ず、カレンは呆けたように口を開いて、固まってしまう。

 そんなカレンの横を通り、ルルーシュの前まで来ると神楽耶はにこやかに語り出す。

「実は私、憧れていることが、…結婚したら、やってみたいことがありまして。ほら、小説や映画で、新婚生活中の夫婦が出てくると、よく仕事に出掛ける夫のネクタイを妻がキュ、と締める場面があるじゃないですか? あれをやってみたいと思ってまして。でも、ゼロ様はネクタイをしておりませんから、代わりにその仮面をカポ、と被せる役目を務めてみたいと」

 ですから、是非、私の前でも! と力説する神楽耶。

 そこで、情報の処理が完了したカレンが、夫ぉ!? と叫び声を上げながら、再度、ルルーシュに詰め寄った。

「どういうことよ!? 夫って! いつの間に、そんな……、ちょっと! ちゃんと、説明してよ! ルルー、……ゼ、ゼ…、ああ、もう! 早く仮面被ってよ! やりにくいでしょ!」

「驚いたり、怒ったり、忙しい奴だな」

「うるさい!」

 煽るだけ煽って、傍観を決め込んでいたC.C.が更に油を注ごうとするのを、ルルーシュが目線で咎めるが、C.C.は意に介さない。

「ふふ、落ち着いて下さい。紅月カレンさん。今はまだ婚約者、あくまで将来の、というだけですから」

「いや、その話は保留だと……」

 もう婚約したとして話が進みそうになるのをルルーシュが止めようとするが、勿論、誰も聞いていない。

「こ、婚約者……。シャーリーといい、そこの女といい……、あ、アンタね! アンタはゼロなのよ! なのに、こんな、女の人を沢山……」

 わなわな、と震えながらルルーシュを睨み付けるカレン。

 アイドルに夢を見る人並みに、ゼロを強く偶像崇拝しているカレンには、ゼロであるルルーシュの周りに女の影が多い事が気に食わない、……らしい。

「あら? ゼロ様程のお方でしたら、むしろ、女の一人や二人、侍らしていた方が箔が付くのではないですか?」

「は、侍らす……、ゼロが女を侍らす………………、い、いえ! というか、いいんですか? 神楽耶様はそれで」

 何かを想像したのか、頭をブンブンと振りながら、カレンは神楽耶に問いかけた。

「ええ、勿論。英雄、色を好むと言いますし、()()の一人や二人、認められない程、狭量ではありませんから」

 愛人、とわざと強めて言いながら、強かな笑顔を浮かべて幼き姫君は魔女に挑戦的な視線を送る。

 その意味をきちんと理解している魔女は、ふん、と鼻を鳴らして応じるように余裕の笑みを返した。

「――と、そんな訳で私は気にしません。ですから、カレンさんがゼロ様に懸想していても、私は一向に構いませんよ?」

「は? ………………はあぁぁぁぁぁ!?」

「あら? 違うのですか?」

「何だ? 違うのか?」

 意外、とばかりに神楽耶が。

 面白そう、とばかりにC.C.が。

 顔を真っ赤にしているカレンに、そう訊ねた。

「ち、違いますよ! 違うわよ! わ、私は、親衛隊長として心配しているだけで、こんな………、こんな、ひねくれてて、カッコつけてる奴のことなんて――――!」

「カッコつけ、ひねくれ……、まあ、ゼロ様にそんな一面が?」

「ゼロを悪く言わないで下さい!!」

「何か、もう、面倒臭いな、お前」

「アンタに言われたくないわよ!」

 ぎゃあぎゃあ、と――といっても、騒いでいるのは一人だけだが――姦ましい女三人。

 話題の中心にいるのに、何故だか蚊帳の外に置かれているような気分を味わいながら、ルルーシュはその光景にこっそりとため息を吐いた。

 

 

「まったく、もう。時間が無いってのに……」

 暫くして。

 ようやく、落ち着いたカレンを先頭にルルーシュ達は格納庫へ向かう。

「カレン、ナイトメアの修理について、ということだったが、それは修理状況が芳しくないということでいいのか?」

「そうよ、……です」

 ルルーシュの問いにカレンが頷く。

「手持ちの補修資材は、さっきの戦いの前に使い切っちゃったし、この艦、物資は殆ど載っけてないらしくて……。それに、トウキョウに着くまでの間じゃ、どれだけ急いでも修理が間に合わないって、ラクシャータさんが」

 アヴァロンに乗り込む際、黒の騎士団の大半はナイトメアを破棄して乗り込んでいた。

 先の戦いで、殆どが使い物にならなくなっていたということもあるが、いくら、少数とはいえ、流石に全軍のナイトメアは入らなかったというのもある。

 なので、今、このアヴァロンにある黒の騎士団のナイトメアは主力を含め、損耗の少なかった機体だけしかなく、それでも修理するには補修資材が足りないし、時間もない。

 これでは、速攻と奇襲を仕掛けたとしても、戦力が足りなさ過ぎて失敗に終わりかねない。

 そう思っていたから、カレンはずっとカリカリしていたのだが、ルルーシュに慌てた様子はなかった。

「やはり、それか。なら、何も問題ない。紅蓮と第一降下部隊の機体さえ万全なら構わない」

「え?」

 予想していなかったルルーシュの言葉に、カレンは驚き、振り返った。

「どういうこと? それじゃ、いくらなんでも―――」

「当てがある。武器弾薬、それにナイトメア。トウキョウに着けば、それ等が補充出来るよう、手筈は整えてある」

 だから、問題ない、と言うルルーシュに神楽耶も驚いて口元を手で覆う。

「驚きました。ですが、一体、何処から? 流石のキョウトもブリタニアの目が厳しいトウキョウへ大掛かりな搬入は出来なかったはずですが」

「キョウトではありませんよ、神楽耶様。別口です」

「別口って、いつの間にそんな……?」

 カレンも疑問を感じ、口を挟む。

 黒の騎士団全軍を賄える程の武器、兵器を提供出来る組織がいたなんて聞いていなかったし、そもそも、そんな組織、キョウト以外に思い付かない。

「何。先程、戦いが始まる前に。ちょっと()()()()をした時に、な」

 そう言って目元を指で叩くルルーシュ。

 それが何を意味するのか。

 今はまだ、魔女以外、誰も分からなかった。




 アヴァロン×ルルC=カレン「私が止める!」

 原作、格納庫のシーン。せめて、後10秒待てなかったのか、と思ったルルCファンは自分だけではないはず。

 そして、皆様ご懸念のV.V.ですが、今回は出てきません。今、出てきてもルルーシュにコードの研究材料にされるだけですので……

 次からは、やっとトウキョウ決戦!
 一期の終わりが見えてきた!


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PLAY:09

 誤字・脱字、ご指摘諸々、いつも有難うございます。
 投稿する前に、何度か目を通しているのですが、言葉の使い方そのものを間違っていたりすると、もう、あれですね。
 変な言い回しで誤解をさせてしまったりとかもありますが、とても助かっております。
 これからもよろしくお願いします。
 では、本編。いつもより少し短いですか、ご容赦を。


 パチパチ、と暖炉の中で薪が小さく爆ぜる。

 一人でいるには少し大きすぎる部屋。派手な装飾が少なく控え目に置かれた調度品は落ち着いていて、心が安らぐ。

 お気に入りの部屋である。暖炉の前は特にそうで、何も仕事がない時は、そこで揺れる炎と優しく空気を暖める熱に、微睡みながら。

 最近の忙しい時間の最中でも、――いや、忙しいからこそ、ここに来て、愛しい人と寄り添えば、それだけで元気が出た。

 現金な奴め、と姉に笑われた。

 ユフィらしいね、と彼は微笑んだ。

 ここに、あの兄と妹を連れてきたら、何て言うだろうか。

 また、昔みたいに時間を忘れるくらいにお喋りが出来るだろうか。

 ううん、きっと、もっと素敵な時間になるだろう。

 お気に入りの部屋のお気に入りの場所で。

 憧れの姉と、優しい兄と、少しお転婆な妹と、そして、愛しい彼と。

 きっと、夢の様な時間を過ごせるだろう。

 そんな、大切な人達といられる時間。

 それが、これから訪れるのだと。

 

 最後にこの部屋に来た時、ユーフェミアはそう信じて疑わなかった。

 

 パキリ、と一際高く薪が鳴る。

 泡沫に消えた夢を見ていたユーフェミアは、その音に意識を浮上させた。

 立てた膝に乗せた腕を枕に、物思いに耽っていたユーフェミアは疲れから自分がいつの間にか、浅い眠りに落ちていた事に気付く。

 だから、今の幸せな時間が夢だったのだと、分かっていた。

 分かっていて、それでも、意志の弱った瞳が夢の名残を探そうと部屋の中、あちこちに向けられる。

 しかし、見つかったものは現実という冷たい事実だけだった。

 夢の中でいたのと同じ部屋、同じ場所。

 だというのに、現実のこの場所はとても寒々しい。

 此処には自分一人だけ。姉も、彼も、――勿論、兄も妹もいない。

 赤々と燃える炎の熱が肌を刺す。

 いつもなら、優しく微睡みを与えるそれも、今は責めるかのようにチリチリと痛い。

 炎の明かりに揺らめく影法師も、普段はちょっとした影絵のように楽しく思えるのに、今はまるで自分を嘲笑っているかのようだ。

 優しく護られ、優しい想いで彩っていたユーフェミアの世界は、たった一つの悲劇により、その全ての色を変えてしまった。

「………………ッ」

 瞳に映る現実の色に、再び悲しい気持ちが込み上げてきたユーフェミアは、力なく頭を膝の上に落とした。

 

 ―――何が悪かったのだろう。

 

 もうずっと、何度目になるか分からない自問が頭を過る。

 何が悪かったのだろう。

 何がいけなかったのだろう。

 何が間違っていたのだろう。

 正しいと思うことをした。

 喜んで貰えると思うことをした。

 幸せになれると思うことをした。

 

 なのに………。

 

 考えても考えても、答えに辿り着けない。

 拒まれた自分か。拒んだ彼等か。

 そこで思考が固まってしまっているユーフェミアには、どれだけ思考の海に身を沈めても答えを掬い上げることは出来ない。

 ただ、悔恨だけが募っていく。

 望みは決まっているのに。願いはあるのに。

 どうすればいいのか、分からない。

 正しいと信じて、突き進んだ結果がこれなら、自分はどうすれば良かったのだろうか?

 こんな事になるなら、初めから―――

「何もしない方が良かったのかな…………?」

 悲しみと後悔に苛まれ、ユーフェミアは何もかもが間違っていたのではないかという考えに陥っていく。

 夢を見なければ。姉の言い付けを守っていれば。

 誰も傷付かずに済んだ。誰も失わずに済んだ。

 ルルーシュも、あんな目に遭わずに済んだはずなのだ。

 なら―――…

「……ルルーシュ、……スザク」

 じわり、と涙が滲んだ。

 共にいたかった。ただ、愛する人達と。

 でも、それを叶える為に誰かが傷付くなら。

 それは、きっと間違った願いなのだろう。

 だから……

「やっぱり、私が……、私の――――」

 強く、決定的な否定を口にしかけた、その時だった。

「――――――!」

 夜の静寂の只中にある政庁に、――いや、トウキョウ租界全体に警報が響き渡った。

 心を急き立てるその音にビクリ、と身体を震わせてユーフェミアの思考が一瞬途切れる。

「何………?」

 数秒の混乱の後、思考が戻ったユーフェミアは、この警報の意味を知ろうと窓際に駆け寄る。

 窓から見えるその景色に大きな変化はない。

 ただ、夜の闇を突き刺すように照らす警戒用の大型照明が忙しなく動き回っていることから、何かしら非常事態な事が起こっていることは察知出来た。

 そうこうしているうちに、部屋の外が騒がしくなる。

 複数の人の気配と落ち着きのない声が扉越しに伝わってきた。

「何事です!?」

 勢いよく扉を開けて、廊下で騒いでいた政庁の関係者らしい男達に問い掛ける。

 その声に反応した男の一人が、ユーフェミアの姿を認め、一瞬目を丸くした後、慌ただしく礼を取って、たどたどしく事態を説明し始めた。

「く、黒の騎士団です!」

「え―――?」

「黒の騎士団がッ、ぜ、ゼロが―――ッ!」

 

 

 

 最大戦速で暗い空を駆けるアヴァロンの望遠カメラがトウキョウ租界の外縁部に配置されたブリタニアのナイトメアの存在を認める。

 ようやく通信手段を確保したコーネリアからトウキョウの部隊に連絡が入ったのは、つい先頃の事。

 それを受けて、黒の騎士団が到着する前に慌ただしくも動き出していたブリタニア軍が、迎撃せんと空に火器を向けて待ち構えていた。

 だが、それを認めて、尚、アヴァロンは止まらない。

 速度を落とす事なく、無遠慮に突っ込んでこようとする白い戦艦に、逆に怯みそうになるブリタニア軍が、それを誤魔化すかのように、掃射を開始する。

 地から空に向けて降り注ぐ銃弾の雨。

 しかし、それがアヴァロンに当たる事はなかった。

 ギリギリのタイミングで通信は間に合ったとはいえ、防衛ラインの構築どころか、規定の戦時配置に着く時間すら儘ならなかったブリタニア軍の薄く穴のある対空砲火ではアヴァロンを捉えきれない。

 キィィ……ン、と甲高い音を発しながら、黒の騎士団の乗ったアヴァロンが銃火を潜り抜けて、外縁部に迫る。

 そして、そのまま、アヴァロンは、地上から必死になって迎撃を行っているブリタニア軍の頭の上を嘲笑うかのように一気に通り過ぎていった。

 

 

 アヴァロンがトウキョウ上空に到着すると同時に、艦橋からルルーシュの指示が鋭く飛び始めた。

「作戦は、以前より構築していた首都奪還作戦をベースにして行う。作戦行程から、第1~第11までをカット。第15、21、23を繰り上げる」

 現状に合わせ、修正を施し、作戦を最適なものに再構築したルルーシュの命令に従い、黒の騎士団が動き出す。

 その一番手を担ったのは、カレンだった。

 ヒュン、と風を切り裂きながら、紅の機体が空に踊る。

 高々度からのダイブを降下用のパラシュートも無しに敢行する紅蓮に驚いたのは、味方ではなく下にいたブリタニア軍だった。

 それは蛮勇か、勇猛か。

 ゆっくりと降下してくるところだろうと考え、そこを狙い撃とうとしていたブリタニア軍は、猛スピードで落下してくる紅蓮に面食らい、慌てて銃を発砲する。

 だが、銃弾とほぼ変わらない速度で降る紅蓮に鉛弾は、ただひたすらに空を切るばかりだ。

 地上が迫る。

 このまま、銃弾を追い抜く速度で、地上に落ちれば、いかに紅蓮と言えども無事では済まない。

 しかし、カレンは慌てず、動じない。

 地上との距離が僅かとなったところで、紅蓮が動く。

 租界にそびえ立つ高層ビルの一つに飛燕爪牙を放ち、紅蓮をビルの壁面に移動させた。

 ガガガガッ、と壁面と共に、紅蓮の落下速度が徐々に削られていく。

 しかし、足りない。間に合わない。

 やはり、蛮勇か、と下でその光景を見ていたブリタニア軍人達がそう思った、――次の瞬間だった。

 ゴドンッ、という音ともに紅蓮の足下、――壁面に添えられた右手の輻射波動が発動する。

 放熱ともに発せられる輻射波動の衝撃は並みではない。壁面に叩きつけられ、生じたそれは、一時的に紅蓮の落下エネルギーを上回った。

 機体が跳ね上がる。

 曲芸染みた機動で宙空を舞う紅の機体は、そのとんでもない動きに呆気に取られていたブリタニア軍の背後に見事着地する。

 そして―――

「挨拶代わりだッ!」

 鎧袖一触。紫電一閃。

 紅蓮が降り立って、僅か数秒後。

 その時、そこに立っていたのは紅いナイトメア、ただ一機だけであった。

 

『降下ポイント周辺の敵勢力の排除及び、ポイントの安全確保、完了です。ゼロ』

「よし、では、第一降下部隊、降下を開始しろ」

 後続の部隊が降下を始める。

 とはいえ、カレンと紅蓮のような無茶な降下ではない。

 周辺の敵を殲滅したので、幾分、高度を下げたアヴァロンのハッチに撃ち込んだ飛燕爪牙をロープ代わりにして続々と黒の騎士団のナイトメアが地上に降りていく。

「第一降下部隊は、送信した部隊編成でそれぞれ、主要施設の制圧に向かえ。雑魚には構うな、有能な司令官がいない今、主要施設に攻め込めば勝手に乱れてくれる」

 了解、という声が通信機の向こうから複数上がった。

「第二、第三、第四降下部隊は降下後、後続の補給部隊と合流。指定ポイントで防衛線を張り、中央区画と外縁部周辺の敵部隊を分断。合流を阻止しろ」

 テキパキと残りの部隊に指示を出し終えたルルーシュは、最後に黒の騎士団の二枚看板の二人に声を掛ける。

「藤堂、それとカレン。お前達への指示は特に無い。好きに動け」

『好きに………?』

『あの、それはどういう………?』

 緻密な計画と作戦進行で部隊をまとめ上げるゼロらしからぬ言葉に藤堂とカレンは戸惑いの滲んだ声を漏らす。

「正確には、派手に、だ。黒の騎士団のエース。そして、厳島の奇跡。お前達は共に日本の『力』の象徴だ。この戦いでそれを示し、日本は健在であると世界に知らしめろ」

『――――承知!』

『ハイ!!』

 心が奮い立つ。

 それはその言葉を聞いていた、他の団員達もだ。

 改めて、皆の心に実感が湧いてくる。

 ―――日本に届く、と

 日本を取り戻す。長く夢見た悲願に、もう少しで手が届くと。

 それに気付き、沸き立たない日本人はここにはいない。

 例え、どれだけの障害があろうと必ず越えてみせる。皆が強くそう思った。

 この運命の日が始まって、もうすぐ丸一昼夜が過ぎようとしている。

 長く、厳しい戦いを続けてきた黒の騎士団だったが、その士気はここにきて、遂に最高潮に達しようとしていた。

「ここが最後の正念場だ」

 そして、この日、この夜。夜明け前の最後の戦い。

 それに赴かんとする黒の騎士団に、ゼロが最後に掛けた言葉は、実にシンプルだった。

 

 

 

「辿り着いてみせろ、――――日本人よ」

 

 

 

 その言葉を皮切りに、黒の騎士団が勢い良く飛び出していく。

 かつて、東京と呼ばれた日本の首都。

 今はもう、その面影がない程にブリタニアによって作り変えられ、トウキョウ租界と呼ばれるようになってしまった彼等の都。

 その場所に、それを取り戻す戦場に、彼等は飛び出していった………。

 

 

 

 

 ――――……

 

 地上で黒の騎士団が戦いを始めた、丁度その頃。

 トウキョウ租界の地下階層のとある一画で、バタバタと騒いでいる者達がいた。

「おい、本当か!? 黒の騎士団がトウキョウに……ッ」

「信じられん! ならば、コーネリア殿下が敗けたということになるぞ!?」

「いいから、早くしろ! この研究所は破棄だ! データを纏めて――――」

 白衣を纏った、いかにも研究者といった者達があれこれと口にしながら、室内を忙しなく駆けていく。

 その中心にいたのは、他とは身なりの違う恰幅の良い男、――皇子付きの将軍という立場から、非公式な研究の責任者にまで身をやつしたバトレーだった。

「急げ! もし、地上が黒の騎士団に抑えられるような事態になれば、脱出は困難になる! 今のうちにトウキョウ租界を出るのだ!」

 部下たる研究者達を急かしながら、バトレーは一人頭を抱えた。

 ゼロ。黒の騎士団。

 バトレーが彼等によって、研究を邪魔されるのは、これで三度目だった。

 この頃の彼は、とことんなまでに運がない。

 主君たるクロヴィスが鬼籍に入り、それに伴って自身は更迭された。

 それをすり抜けても、こうして、行く先々で邪魔が入る。

 いつから、こうなったのか?

 いや、どこから、こうなってしまったのか?

 そう考えた時、脳裏に浮かぶのは一人の少女の姿だった。

「やはり、関わるべきではなかったのか……? 魔女なんてものに…………ッ」

 バトレーが何もかも、上手くいかなくなったのは、不老不死と囁かれる魔女に関わってからだった。

 こんな不幸な目に遭っているのは得体の知れない存在に手を出したせいではないのか?

 自分の今の境遇は、魔女に呪いを掛けられたからではないのだろうか?

 追い詰められ、理性が破綻しかけた精神が、次々とそんな有りもしない空想を掻き立てていく。

 ボゾボソと独り言を呟きながら、胡乱な目付きで室内を見やるバトレー。

 その彼の目に、一つの光景が飛び込んできた。

「おい! 何をしているッ!?」

 思わず大きな声を上げて、駆け寄ろうとする。

 叱責を受けた研究者は、自分が何をしたのか、よく分かっておらず戸惑いの声を漏らしている。

 ビーッ、と耳に刺さるような警報が部屋の中に鳴り響いた。

 規定の手順でシステムを停止させなかった為に、システムが誤作動を起こしたのだ。

「すぐに止めろ! システムを―――」

 取り返しがつかなくなる前にシステムを緊急停止させようとするバトレーだったが、遅かった。

 部屋の中心にある培養槽に電力を送っていたケーブルが過剰な供給に火花を散らし、バツン、と音を立てて千切れる。

 培養槽自体も放電し、青白い火花が鈍い音と共に周りに飛び散らかる。

 それに思わず、腕で顔を隠す面々にバリンッ、と硝子が割れるような音が聞こえた。

 何の音か、バトレーには見なくとも分かった。培養槽が割れたのだろう。

 ゴポゴポと中に満たされていた薬液が部屋の中に溢れていく。

 それと共に中にいた男を包んでいた浮力も消えていく。

 そして、消えた浮力の代わりに重力が男の身体に覆い被さると、男は数歩たたらを踏んだ。

 培養槽から出て数歩。重い足取りで男は歩を刻もうとしたが、久方の重力に堪えられなくなったのか、ガクンと膝を折って動かなくなった。

 シ…ン、と先程までの騒がしさが嘘のように部屋が静まり返る。

 皆がどうするか、と顔を見合わせる中で、ゴクリ、と唾を飲んだバトレーが一歩男に向かって足を踏み出した。

「―――ひっ」

 その瞬間、男がガバッと顔を上げた。

 目が合ってしまったバトレーが、情けない声を上げて後ずさる。

 しかし、男はそんなバトレーに構わずにぐるりと首を回す。

 右を見て、左を見て、そして、正面を見た男の視線が改めてバトレーを捉えた。

「………………」

 ゆらり、と幽鬼のように男が立ち上がる。

 その様子に、今にも逃げ出したいと思う研究者達の怯えた視線を一身に浴びた男は、ゆらゆらと数度身体を揺らした後、今の今まで纏っていた倦怠感を感じさせる空気を払拭して、軍人然としたピシリとした態度を取ると、一言、こう告げた。

 

 

「おはようございました」




 おはようございました。

 さて、皆さん、お待ちかね。
 特区編ラスボス。皆、大好き、オレンジジェレさんのご登場です。

 これで、役者は出揃いました。クライマックスまで、あと少し……!


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PLAY:10

 受けてみて! これが日本の全力全開!!

 ※若干、加筆しました。


 ――――きっと。

 

 

 ――――きっと、この日を生きた日本人は、その夜明けを生涯、忘れることはないだろう。

 

 思わず、深く息を吸い込んでしまいたくなる、涼やかな青い空を。

 

 昇る陽を浴びて、黄金色に輝く地平を。

 

 その狭間に咲いた

 

 燃えるような、あの輝きを……。

 

 

 

 

 石を投じてきた。

 

 八年間、幾度となく、絶えることなく、何度も何度も。

 誰もがそれを乱そうと、必死になって()を投じてきた。

 ブリタニアという巨大な水面に向かって、ひたすらに。懸命に。

 だが、それが叶うことは無かった。

 どれだけ投じても、何を投じても、水面はその度に小さな円を描くだけで、大きくさざめくことはなかった。

 揺るがない、震えない。

 その強大さの前に、己の小ささを感じずにはいられない。

 無力だと、弱いと、そう思う度に、口にする悲願が、とても空しく聞こえた。

 でも、それでも、途絶える事は無かった。

 消えていった命は数多ある。失ってしまったものなんて数え切れない。

 だが、その想いだけは絶やさなかった。顔も知らない人達の想いは、同じく顔も知らない人達に受け継がれていった。

 そして、今。

 それが、今。

 形となって、実を結ぼうとしている。

 

 ()()が投じられる。

 

 ゼロという奇跡の下、投じられたそれは、遂にブリタニアという国を揺らす波紋となった。

 

 

「どけぇぇぇぇッ!!」

 雄叫びを上げながら、カレンの乗る紅蓮が縦横無尽に夜明け前のトウキョウを駆け巡る。

 真紅に染められたその機体は、暗闇にあってもよく映える。

 紅蓮が駆け抜けたそこには、紅い残像が閃光のように軌跡を描いた。

 絶好調である。

 疲れなんて微塵も感じさせない、――事実、感じていない。

 望んだ戦場にいるのだ。望みが叶う戦場にいるのだ。

 なのに、どうして、疲れなんて感じようか。

 トウキョウを所狭しとばかりに、紅蓮が暴れ回る。

 それを止められる者は、誰もいない。

 紅の侵攻を阻もうとするブリタニアのナイトメアは、立ちはだかる度に、鉄の塊に変えられていく。

 まるで、話にならない。桁が違い過ぎる。

「返してもらうぞ、……お前達が奪った全て!!」

 不純(迷い)を含まない純粋な感情。

『おのれッ! イレブンが――』

「違うッ!!」

 それは、まるで焔のように、紅く、熱く、鮮やかに。

「私はッ! 私達は―――!」

 それが自身を焼く炎と知りながら、それでも、ブリタニア軍はその紅に魅入られた。

 

 

 一方。

 カレンが張り切っているのとは、また、別の場所で。

 この男も静かに戦意を滾らせていた。

 降下部隊の制圧目標となる施設に通じる道の一つ。

 そこにブリタニア軍の一部隊が、遮るように立ちはだかり、道を塞いでいた。

 即席のバリケードを構築し、そこから、銃を構える。

 小賢しいイレブンなど返り討ちにしてくれる、と気勢を上げて敵を待ち受けていた彼等の前に現れたのは、たった一機の黒いナイトメアだった。

 ランドスピナーも使わずに、ガシャ、ガシャ、と音を立ててゆっくりとブリタニア軍の方に歩いてくる。

 ナイトメアでありながら、その動きからは長い年月を掛けて培われた練達の型が感じられ、その佇まいと機体の造形と相まって、古き武人を思わされる。

 無数の銃器を前に、悠然と歩んで来る武人のナイトメアに、先程まで息巻いていたブリタニア軍人達は、しかし、笑う事は出来なかった。

 威風堂々たるその姿に、知らず息を飲み込む。

 

 今までの彼には、技はあった。体はあった。

 しかし、心が欠けていた。

 軍人でありながら国を護れず、国を取り返す事も出来ずにいた。

 皆が自身に希望を寄せても、大きすぎるその光を背負う事は出来なかった。

 挙げ句、忠を捧げた将を失い、ただ生き恥を晒し続けている。

 苦悩、悔恨、葛藤。

 そんな想いが彼の心を曇らせていた。

 だが、今、その心が満ちている。何にも勝って満ちている。

 ならば、今の彼に敵はいない―――。

 

「う、撃てぇぇぇぇッ!!」

 分隊長の号令に従い、ブリタニア軍の部隊が攻撃を開始する。

 舐めた態度を取るナイトメアを蜂の巣に変えようと銃撃を放つ。

 無数の銃弾が、黒いナイトメアに迫る。――が、それでもその動きに乱れはない。

 だというのに、当たらない。

 心が乱れた攻撃では、どれだけ銃弾を放とうとも敵は捉えられない。

 心の有り様の大切さを身を以て知るが故に、彼は避けることもしなかった。

「ふざけやがって……」

 それに腹を立てた隊長機が、大型火器を取り出した。

 ナイトメアの二~三機、まとめて吹き飛ばす威力を持つ火器が黒いナイトメアをロックする。

「死ね!!」

 凶器が放たれる。これで終わりである。

 ロックされた砲弾は、例え、敵が避けようとも追尾し、敵を葬る。

 ブリタニア軍の隊長の顔に、勝利を確信した卑しい笑みが浮かんだ。

 だが、この異国の地にあった技は、その死の凶器を上回る。

「――――ぬんッ!!!」

 一閃。

 上段から鋭く振り下ろされた、その一振りが迫る砲弾を見事に両断する。

 ギィィン、と両断された砲弾が、彼に当たらず、その後ろで音を立てて爆発する。

 吹き上がる炎。

 それを背景に、彼は手にした制動刀を敵軍に向け、古式ゆかしく名乗りを上げた。

「藤堂鏡志朗、……いざ、参るッ!!」

 心・技・体、全てを兼ね備えた本物の異国の騎士、――サムライ。

 その本当の切れ味をブリタニア軍人達が味わう事になるのは、この僅か数瞬後の事だった。

 

 

 紅が舞う。黒が閃く。

 それに引き立てられて、多くの者達も。

 強く、強く、心を焦がす程に叫びたかった想いを、彼等の戦いを目に焼き付ける全ての者に、無言で叩き付けていく。

 

 

 ――――我等は、此処にいる。

 

 

 ――――日本は、此処にある。

 

 

 

 

 

 戦いの趨勢は、誰の目にも明らかだった。

 コーネリアはいない。ギルフォードもいない。ダールトンもいない。

 その他の有象無象の指揮官達では、この波濤は止められない。

 ルルーシュが策を講じる必要もない。それほどに黒の騎士団の勢いは凄まじかった。

 もし、今。ここで、ゼロが何らかの理由で戦線を離脱したとしても、彼等の勢いが収まる事はないだろう。

 そう思える程だった。

 とはいえ、そんな黒の騎士団にも不安要素が無いわけではない。

 ―――数だ。

 いくら、気力に溢れていようと、長い戦いの傷が消える訳ではない。消耗が無くなるわけではない。

 実際、その勢いに比例して、彼等は満身創痍の身だった。

 当たり前といえば当たり前だ。

 黒の騎士団が、ここに来るまでに戦ってきたのは、歴戦の猛者、コーネリア・リ・ブリタニアと、彼女に選び抜かれた精鋭なのだ。

 それを相手にして、無事でいられる方がおかしい。

 ならば、今は耐えれば良い。

 今は勢いがあろうとも、やがて息切れを起こすに違いない。

 その時を狙い、一気に殲滅すれば良いのだ。

 この地に残された指揮官達はそう考えた、――そう、考えてしまうから、彼等はこの地に残されたのだ。

 もし、ここにコーネリアや彼女の両腕足る軍人がいれば、こう思った事だろう。

 あの抜け目のない男が、――ゼロがそんな単純な事を見落とすはずがない、と。

 

 

 暫定指揮官の命令に従い、外縁部周辺にいたブリタニア軍は中央区画を目指していた。

 戦闘を行った部隊から、黒の騎士団の継戦能力に難ありとの報告が入ったからだ。

 その為、一時、トウキョウ租界の主要区画以外を切り捨て、政庁付近の守りを最大限に固め、嵐が過ぎるのを待つという作戦が打ち出された。

 たかがナンバーズ如きに、そんな消極的な作戦を取らなくてはならない事に、忸怩たる思いがあるが仕方ない。

 この借りは後で必ず返すと思いながら、中央に向かっていたブリタニア軍の部隊の前に、暗闇から複数のナイトメアが現れた。

 直ぐ様、警戒し、銃を構える。

 だが、現れたのがブリタニア製のナイトメア、サザーランドだと気付くと、彼等は銃を下ろした。

「驚かすな、……? おい、どこの部隊の奴等だ?」

 部隊の隊長らしき男が、目の前の一団の識別を確認しようとしたが、認識コードが発せられていない事に眉を寄せ、問い掛けた。

『いえ、我々は軍所属の者ではありません。スペイサー公爵の私設部隊の者です』

「スペイサー公爵?」

 聞き慣れない貴族の名前だったが、問い詰めるような事はしない。

 このエリア11にいる貴族は多い。指折り数えられないくらいにいる以上、知らない貴族がいてもおかしくないからだ。

『はい。主からの命令で、軍に協力し、夜を騒がす賊を排除せよ、と』

 貴族が、護身と保身の為、固有に武力を保持しているのは周知の事実だ。

 中には、この様にナイトメアまで所持し、時折、何の罪もないナンバーズに濡れ衣を着せて、軍の真似事をして楽しんでいる貴族もいたりする。

 その事を、勿論、このブリタニア軍の隊長も知っていた。

 なので、それ以上、素性を詮索することはしなかった。

「そうか、協力に感謝する。では、我々に付いてきてくれ。中央区画で防御を固めて、敵を迎え撃つ」

 そう言って、先駆け、前に進もうと彼等に背を向けた瞬間だった。

『了解、……悪ぃな、騙し討ちでよ』

「何だと?」

 その言葉に反応し、振り返るブリタニア軍。

 その目に飛び込んできたのは、味方だと思っていたナイトメアの持つ銃が火を噴いた光景だった。

 

 

 

 時間は少し戻る。

 

 トウキョウ租界に数多くある屋敷の一つに一人の男がいた。

「まったく、とんだ目に遭った……ッ!」

 ズカズカと歩きながら、ある企業の社長である男は苛立たし気に服を脱ぎ捨てていく。

「おい! 誰か飲み物を持ってこいッ!」

 夜も更けた時間だと理解もせず、男は屋敷中に響く大声を上げて、ドスンとソファに腰を下ろした。

 落ち着きなく足を鳴らし、爪を噛み、今しがた命じたばかりの飲み物が来ないことに苛立たしさを募らせる。

「~~~~~ッ!」

 溜まった鬱憤を吐き出すように、男の片腕がテーブルの上を無造作に払う。

 ガチャ、ガシャリ、とテーブルの上にあった調度品が嫌な音を立てて、床に落ちた。

「お、お待たせしました……」

「遅いッ! 早く持ってこいッ!」

 帰ってきた時点で、機嫌の悪かった主の怒りを買わないようにと、身体を縮こまらせて入ってきたメイドに怒鳴り付ける。

 慌てて側に寄ってきたメイドからアルコールの入った飲み物をひったくるようにして奪うと、一息に煽った。

「クソッ! あのお飾り皇女とイレブンを使えば、更に一儲け出来ると思ったのに……、とんだ貧乏クジを引かされたッ!!」

 外聞もなく、男は口汚い言葉を吐いて悪態をついた。

 

 男は特区式典のブリタニア参加者だった。

 特区が決定した時に、早い段階で協力を申し出たこの男だが、先の言葉が示すように、別に慈善事業家という訳ではない。

 単純に、ユーフェミアは御しやすく、イレブンは扱いやすいと考え、ここで一儲け出来ると考えたからだ。

 だから、ユーフェミアの覚えを良くするため、他よりも多くの融資をし、表向き善人として振る舞ってきた。

 だが、その全てが、今日、水泡に帰した。

 儲け話は始まる前に頓挫し、男の目論みは、ただ金と労力を消費するだけで終わった。

 それで済めば、まだ、良かったが、彼はつい先程まで捕虜として、黒の騎士団に捕らわれていたのだ。

 見下すべきナンバーズに。

 ブリタニアでの成功者であるこの自分が。

「所詮はお飾りの思い付き! こんな話に乗るべきではなかった!」

 ガブリ、ガブリ、と酒を煽っていく。

 疲労と緊張から解き放たれた反動か、一層態度の悪い主に怯えながら、メイドは頭を下げて問い掛けた。

「こ、このあとは、ご就寝でよろしいでしょうか?」

 本来の予定スケジュールが大幅に狂っているため、何か調整が必要な用があるかもしれないと思い、一応、伺いを立てたのだが、怒り一色に染まっている男の頭には、そんな考えは微塵もなかった。

「当たり前だろう! 今何時だと思っているッ! 明日も早いんだッ、下らない事を聞いていないで、早く――――」

「――――――?」

 失態を犯し、ひたすらに頭を下げて謝罪していたメイドは、突然、途切れた怒声に内心で首を傾げた。

「――――おい」

「は、はい。何でしょうか?」

 先程までとは違う。冷静、……というよりは感情が希薄な声に戸惑いながら、メイドが答える。

 そんなメイドに、主は淡々とある地区の住所を口にした。

 あくまでこの屋敷に勤めるだけのメイドには知る由もないが、その住所は男が所有するある倉庫を示すものだった。

「そこの警備担当者に連絡を入れろ。人払いをしなくてはならない」

「は? 人払い、ですか?」

 その命令自体には特に疑問は感じない。

 男は真っ当な事業家ではない。口に出しては言えない裏取引等も散々やっている。

 そういうときは、こうやって人払いを命じるということはメイドも知っていた。

 ただ、それをいきなり、しかも、一介のメイドでしかない自分を通して、命じようとする事には、大きな疑問を抱いた。

 だが、そんなメイドの心情など構いもせず、男は急かすように再び命じる。

「急げ。早く人払いをしなくてはならない」

「は、はい! 直ちに!」

 その態度の変わりように気味の悪さを感じ、加えて、また下手を打って、主の怒りを買うのはごめんだったメイドはそれ以上何かを言うことなく、命じられた事を為すために足早に部屋を出ていった。

「これで良い。これで、ゼロに命じられた通りに黒の騎士団にナイトメアを提供出来る」

 自分以外、誰もいなくなった部屋で、男は紅く染まった瞳を細めながら、満足そうに呟いた。

 

 

 それから、また、別の時間……。

 アヴァロンが上空からトウキョウに迫り、そちらにブリタニア軍の目が向いた隙を突いて、地上からも黒の騎士団の別動隊が租界に侵入していた。

「おい、まだかよ?」

「急かすな、今開ける」

 落ち着きのない玉城の声に答えながら、杉山はゼロから教えられたパスワードを間違えないように、慎重に入力していく。

 一行が今いるのは、とある大企業が保有する倉庫が建ち並ぶ一画である。

 特区での戦いで消耗したナイトメアを始めとする、武器の補給を命じられた彼等は、ゼロに言われるがまま、この場所に来ていた。

「にしても、本当に警備がいないわ」

 周りを警戒していた井上が自分達以外に人影がないことに驚く。

 人払いは命じてある、とゼロは確かに言っていたが、正直、皆、半信半疑だった。

 何しろ、この倉庫の持ち主たる企業は、ブリタニアの企業なのだ。

 そんなところから武器を補給出来ると言われて、素直に頷ける程、彼等は大物でもないし、ゼロを信じきれている訳でもない。

 その仮面の中身と行動理由を知ってから、まだ、半日も経っていないのだ。元々の心証が良くなかった事を思えば、無理からぬ事ではある。

「よし! 開いた!」

 嬉々と声を上げて、杉山がロックの外れたコンソールを操作すると、大きな扉が鈍い音と振動を生じながら開かれた。

「……入るぞ」

 照明の落ちた倉庫に恐る恐る足を踏み入れる。

 その足取りには、罠ではないか、という拭いきれない一抹の不安があった。

 だが、照明が点き、中の様子が顕になるとそんな考えは何処かに飛んでいってしまった。

 誰かのおおっ、という感嘆の声が聞こえた。

 そこには、恐らくここや周辺のエリアの軍に卸される予定であったであろうブリタニアのナイトメアが、傷一つない新品の状態で黒の騎士団を待っていた。

「マジかよ……」

 呆然と開かれた南の口から、そんな声が零れた。

 周辺が騒がしくなるのを感じる。どうやら、ここ以外の倉庫も似たような状況らしい。

「信じらんねぇ……」

 皆の気持ちを代表するかのように吉田が呟く。

 今回、全軍の補給を行う為にゼロが用意した補給ルートはこのブリタニアの企業だけではない。

 ゼロの言葉が真実なら、他にもキョウトクラスの組織やナイトメアを保有する貴族等からも武器の提供が約束されているのだ。

 しかし、一体、どうやれば、こんな芸当が可能だったのだろうか?

 どれだけの力をゼロは隠し持っているのだろうか?

 目の前の光景に、彼等の疑問は尽きることはなかった。

「ねぇ……? ゼロって何者……?」

「皇族だろ? 本人が言うには、元、らしいが……」

 だが、それもどこまで信じられるのか。

 ただ皇族だったというだけでは、ここまでの事は出来ないだろう。

 ―――ひょっとしたら、今も皇族ではないのか?

 今の肩書きとは、不釣り合いな程の人脈と力を示すゼロに、扇グループの面々の畏れが掻き立てられ、思考が良くない方へ流れる。

 他の団員達が沸き立つ。戦える事に、悲願を叶える道を、まだ、進める事に。

 しかし、その中で、彼等だけはその心に暗い影を落としていた。

 それを払拭したのは、今まで一番ゼロに食って掛かっていた男の能天気な声だった。

「何ゴチャゴチャ言ってんだよ?」

「玉城……」

 頭上から降ってきた声に、顔を上げれば、既に玉城はサザーランドの一つに乗り込もうとしていた。

「んなこと、どうでも良いから、とっとと行こうぜ」

 早く出撃したいのか、ウズウズと身体を揺らしながら玉城が他のメンバーを急かす。

「どうでも良いって……、玉城、お前は気にならないのか? ゼロがどうして、こんな事出来るのか……」

「そんなの考えたって無駄じゃねぇか。アイツはゼロなんだぜ?」

 単純明快。

 答えになっていないが、玉城には他に答えようがないし、それに、今の彼にはそれだけで十分だった。 

「すげぇよ、ゼロの奴……。あんな全滅手前のヤバい状況を、あっさりひっくり返して、それどころかトウキョウまで……、誰にも真似できねぇよ、こんな事……」

 ここに至るまでに体験した、ゼロの起こした奇跡の数々を思い出したのか、玉城は鼻息荒く、滔々とゼロの凄さを語る。

「だから、ゼロだから、でいいだろうが。つーか、あんまり、アイツを悪く言うと親友の俺が黙ってねぇぞ?」

「親友って、お前……」

 認めたら認めたで、調子の良いことを言い始めた玉城に呆れた様子の面々だったが、その考えなしの発言は、思いの外、彼等には効果があったようだ。

「ま、玉城の言う通りかもな……。アイツが怪しいのは今に始まった事じゃないか」

「ああ、疑い出したら切りがない。それでも扇は、俺達のリーダーはゼロに賭けるって言ったんだ。なら、それに従おう」

「そうね。それにゼロが怪しくても、ここまで来れたのも事実なんだし」

「だな。ここを乗り切れれば、それで終わりなんだ。確かに考えるだけ無駄かもな」

 表情が晴れる。

 疑問に答えが出たわけではない。

 だが、もう、ゴールは見えているのだ。後、少しなのだ。

 ならば、尽きない疑問に足を止めるよりは、このまま走り切ってしまった方が、きっと良い。

 互いの顔を見合わせて、そこに同じ思いを見出だした扇グループのメンバーは、それぞれ笑みを浮かべて頷くとナイトメアに乗り込んでいく。

 それを見た玉城が、意気揚々と片手を振り上げて、ぶんぶん振り回す。

 その姿は、ゼロのような圧倒的なリーダーシップを誇る存在と比べれば、威厳も貫禄も、何もかもが足りていなかった。

 どうみても、唯のお調子者、といった風だろう。

「よっしゃ! んじゃ、行こうぜ! ゼロやカレンにばっか良いカッコさせてられっかよッ!」

 しかし、それが必要な時もある。

 唯の勢いと、深みのない気楽な言葉が、時として、人の心を軽くさせる事だってあるのだ。

 ナイトメアが唸りを上げる。補給の為の武器やナイトメアを積んだ大型トレーラーがアクセルを吹かし、走り出した。

 また、少し。

 夜が騒がしくなる……。

 

 

 そして、時間は今に戻る。

 

「ゼロ、補給部隊が防衛部隊と合流しました」

 ルルーシュの耳に、上がってきた報告をまとめ上げたディートハルトの声が届く。

 現状、主戦場となるトウキョウ租界に脅威はなかった為、ルルーシュはそちらを扇とディートハルトに任せ、自身はそれ以外、――周辺の基地やコーネリア、ブリタニア本国の動きを監視していた。

「そうか」

「戦局は変わらず此方が有利です。此方の戦闘稼働率の低下の隙を狙おうとしていたブリタニア軍は、その目論見が外れ、早くも指揮系統に乱れが生じています」

「脆いな。コーネリアがいなければ、所詮は腐り果てた軍隊。程度が知れる」

 視線を目の前の端末に向けたまま、特に感慨もなくそう言うルルーシュにディートハルトも肯定するように頷く。

 補給を受けて万全の状態を取り戻した黒の騎士団の防衛部隊に阻まれて、戦力の一点集中は叶わず、狙っていた隙を補われ、当初の作戦を崩されたブリタニア軍は面白いように黒の騎士団に振り回されている。

 戦術の競い合いも戦略の読み合いもない。ただ、不様、としか言い様のない有り様である。

 これが、強さを履き違えた者の成れの果てだった。

 ブリタニア軍という強者だった者の末路。

 クロヴィスという政務にも軍務にも、決して長けているとは言い難い人物がトップだったのを良いことに、汚職を蔓延らせ、自身も堕落し、熟れすぎた果実の如く腐り落ちた軍隊の末の姿だった。

 そんな名ばかりの軍隊では、もう、今の黒の騎士団は止められない。

 もはや、強者と弱者は完全に入れ替わっていた。

「ディートハルト、ここはもう良い。制圧部隊に加わり、例の準備に入れ」

 敵の動きに想定外の動きが見られない事を確認したルルーシュは端末を切ると、立ち上がり、ディートハルトに次の指示を出す。

「分かりました。では、後ほど」

 一礼して、艦橋から出ていくディートハルト。

 それと入れ替わるように、二人の人物が艦橋に現れた。

「ゼロ様!」

「神楽耶様、桐原公」

 入ってきたのは、神楽耶と桐原だった。

 駆け寄ってきた軽く小さな身体を受け止め、ルルーシュは二人の名前を呼ぶ。

「お二人とも、御足労感謝します」

「いいえ! ゼロ様からのお呼びだしでしたら、私は何時でも何処でも大歓迎です」

 抱きついた身体を離し、朗らかに笑う神楽耶にルルーシュの顔に苦笑が浮かぶ。

「して、我等を呼び出した理由は何じゃ?」

 駆けてきた神楽耶とは違い、ゆったりとした足取りでルルーシュの近くまでやってきた桐原が自分達を呼び出した理由を問い掛ける。

「はい。戦況が落ち着きましたので、当初の通り、我々はここを破棄し、新たな拠点に移動します。お二人にも、勿論、同行して頂きますので、その事をお伝えしたく」

「何じゃ、ようやっと腰を下ろせたかと思ったら、また直ぐに移動とは。忙しない夜は、老骨には堪えるんだがのう」

 わざとらしい皮肉を口にする桐原に、神楽耶が呆れた様な表情を見せると、やれやれと言うように首を振った。

「何を言うかと思えば……。悪巧みをしている時は、どれだけ夜を徹しても平気な顔をしている奴が、この程度の散歩で堪える訳がなかろう?」

 皇の者らしい威厳ある言葉使いで神楽耶がたしなめると、老人は長く狸を演じてきたその黒さを僅かに滲ませて嗤い、応えた。

「そう言うお主も、随分な性格になったのう? ワシ等に囲われていた時の楚々と振る舞っていた姫君はどこにいったのじゃ?」

「あら? 元より、これが本来の私ですわ。ご存知でしょう? 桐原のお爺様?」

 コロッと再び言動を変えて、いつもの調子に戻った神楽耶は後ろにいたルルーシュを仰ぎ見る。

「やはり、夫となる方には有りのままの自分を好きになって貰いたいですからね。でも、ゼロ様が大人しく儚げな女子の方が好みだと仰るなら、そう振る舞うのも吝かではありませんが……」

「好きだぞ。世界を変えようとか思うくらいにそんな女が好きだぞ、ソイツは」

「C.C.ッ!」

 横からいらない事を言う魔女にキツい視線を送るルルーシュ。

 だが、当の魔女はそちらを見向きもせず、皇族や総督が座す椅子にだらしなく座りながら、ルルーシュから預かった仮面を退屈そうに弄んでいた。

「カカッ、ブリタニアすらはね除ける奇跡の担い手も、女には苦戦しておるようだの?」

「……そんな事はありません」

 憮然とそう返したルルーシュは、億劫そうに一つ溜め息を吐いて、狂った調子を調節する。

 一瞬後、再びゼロとなったルルーシュは膝を折り、神楽耶と目線を合わせると、神妙な雰囲気で口を開いた。

「神楽耶様、現在、作戦は想定以上の速度で進行しています。このまま行けば、貴女に出番が回ってくるのは、そう遠い事ではないでしょう」

「――はい。大丈夫です、ゼロ様。貴方様に頂いた大役、見事務めてみせましょう」

 つい先程、その話をしたばかりだと言うのに、神楽耶には動じる気配もない。

 凛、と軽やかでありながら、芯の通った佇まいは彼女がただ鳥籠の中の鳥としてではなく、王たる自覚を持って長く埋伏してきたのだと感じさせられ、ルルーシュは感嘆と共に礼を述べた。

「感謝します、神楽耶様。桐原公もよろしくお願いします」

 それに両者が頷いたのを確認すると、ルルーシュは立ち上がり、全軍の統制と拠点移動の為の指示を出していた扇に声を掛けた。

「扇、準備の方はどうだ?」

「ああ、問題ない。何時でも移動出来る。……しかし、今更だが、ゼロ。移動する必要があるのか? 此処にいた方が安全に思えるんだが……」

 扇の感覚としては、地上に降りるよりも、こうして空に浮かんでいた方が安全なように感じられるのだが、その疑問にルルーシュはしっかりと首を横に振る。

「いかにこのアヴァロンと言えども、これから航空戦力も出てくるだろう主戦場のど真ん中で浮いているのには不安が残る。それにエナジーの問題もある」

 既にトウキョウと特区を往復するのに、エナジーフィラーを大分消耗している。

 まだ、フロートシステムが試験運用中の今、ブレイズルミナスを展開しながら、この宙域に留まり続けるのは難しい。

 ならば、下手に空にいるよりは地に足を下ろした方がずっと安全に違いなかった。

「……分かった。済まない、変な事を聞いた。それで、何処に向かえば良いんだ」

 トウキョウ租界のほぼ全域が戦場になっている以上、完全なブリタニアの勢力圏という場所はないが、主だった軍事施設等はまだ制圧には至っていない。

 ならば、何処に司令部を置くのか?

 答えは決まっている。

 ルルーシュにとっての城。

 護るべき存在をひたすら悪意から遠ざけてきた箱庭。

 かつてのこの時まで、たった一つの例外を除いて、何者も踏み込ませる事を許さなかったルルーシュの日常。その象徴。

「アッシュフォードだ」

 

 

 小さく、また、建物が揺れた。

 同時に、部屋の明かりが二、三度明滅する。

 何度目かのその光景をやり過ごして、まだ、明かりが点いていることに皆が安堵の息を溢した。

 だが、決して安心は出来ない。外から聞こえてくる心を乱す音の数々が、いつ明かりが消えても可笑しくないとそう語っている。

「くそ……、マジで何が起こってるんだよ………!」

 カタカタと貧乏揺すりをしながら、リヴァルが生徒会室の窓から外を見やる。

 何となく、身体を壁に付けて、こっそりと外を窺うがそれも数度目を経た今となっては、新しく何かが分かる訳でもなかった。

 ただ、変わらず遠くで爆発が起こったり、何かの喧騒があるという事だけしか分からない。

「やっぱ、何処かに避難した方が良くないっすか?」

 カーテンを閉めて、リヴァルはこの場の最高責任者である自分の想い人にそう訊ねる。

 それが引き金になって、部屋にいた他の面々の視線も彼女に集まった。

「避難、とはいってもね……」

 いつものような明るい笑顔ではなく、上に立つ者としての責任感を帯びた真剣な表情でミレイは考え込む。

 ――結局、あの後、彼等は生徒会室に留まり続けていた。

 解散する機会を逸したという事もあって、ならば、今日は、このまま夜を明かそうとなったからだった。

 その時は苦笑と、不謹慎ながら好きな人と夜を明かせるというシチュエーションにリヴァルはただ気持ちが高揚しただけだったが、今となっては本当に良かったと思っている。

 数名足りないが、気心が知れた仲間の無事な姿は、リヴァルから心配と不安をかなり消し去ってくれた。それは、他の皆も同じだろう。

 とはいえ、完全に消える訳ではない。

 突然、災害の現場に放り込まれたような状況なのだ。

 何が起こっているか分からないという事実は、時間と共に不安を掻き立てていく。

 年齢を加味すれば、冷静にリーダーの意見を仰ごうとしているあたり、彼等はまだ落ち着きのある方だろう。

「ニーナ、ネットの方はどう? 何か分かる?」

 ともかく、情報が何もないのは厳しい。

 動きにしろ、留まるにしろ。正しい判断材料がないことには身動き一つ取れない。

 だが、肝心の政庁や軍からは何も通達がない。

 少し前、うつらうつらと感じていた眠気を彼方に吹き飛ばすような警報が租界内に鳴り響いた後は、音沙汰なしである。

 マスコミも同様。

 昼からこっち、情報規制に加えて、展開の早さと予想外の内容に、さしもの彼等もパンクしていた。

 ならば、と僅かな可能性に賭けて情報を拾えるかとネットの方に期待してみるも、答えは予想通りで。

 ふるふる、と小さく横に振られた友人の顔に、ミレイは思わず溢れそうになった溜め息を飲み込んだ。

「お爺様がいらっしゃれば、何か分かったんでしょうけど……」

 アッシュフォード家の全盛期に敏腕を振るったルーベンであれば、昔のツテを使い、情報を得られたかもしれないが、生憎、今はトウキョウにはおらず、連絡もつかない。

 さて、どうするかと悩みに悩んだミレイは、とりあえず、と探るように言葉を紡いだ。

「とりあえず、皆を何処か一ヵ所に集めておいた方が良いかもしれないわね」

 今、学園にいるのは寮生と教職員が数名だろう。

 避難した方が良いのかは、まだ分からないが、いざ、逃げなくては、となった時、一ヵ所に集まっていれば、迅速に行動に移しやすい。

 そう考えたミレイが、なら、まずは放送室に、と思いたった時だった。

「――――ひっ」

「―――――ッ」

 遠くからではなく、近く。正確にはこのクラブハウスの入り口。

 そこから、ガァン、と大きな音が残響を響かせて、聞こえてきた。

 その音に驚いて、気の弱いニーナと耳の良いナナリーが小さく悲鳴を上げる。

「何!?」

 バタバタという足音と、怒鳴り声にも似た話し声にシャーリーも身体を強張らせる。

 慌てて窓から外を見たリヴァルは、薄暗い闇の中で動く複数の人影を見つけて、慌てた声を上げる。

「な、何かヤバそうッスよ!」

 尋常ならざる事態に、皆の顔に緊張と恐怖が走る。

 どんどん大きくなる足音。

 身を寄せあうように集まる一堂の元に、遂にその乱暴な足音を響かせた者達が、ドアを蹴破って姿を現した。

 

 ――咄嗟に身体が動いた。

 侵入者達の揃いの黒い服の意味とか、彼等の人種とか、……手に持った知識の上ではよく知っている物の正体とか。

 それを頭が理解するより早く、その侵入者達が自分達にとって、よろしくない来客だと一目見て分かった途端、リヴァルは両手を広げて、皆を庇うように前に立った。

「ちょっと、リヴァル……ッ!」

 その行為をミレイが咎める。

 勇気は買うが、この状況で率先して矢面に立とうとするのは危険な行いだ。

「いいから。……ちょっとくらい、カッコつけさせて下さいよ」

 それはリヴァルとて分かっていた。

 だが、彼は良い人だった。

 男が一人しかいない状況で、我が身可愛さに隠れる事が出来ない性格で。

 そして、好きな女に良いところを見せたいと思う、――思ってしまうくらいに男の子だった。

「………………」

 すっ、と咲世子が音もなく動く。

 侵入者達とナナリーの間に身体を入れながら、何かあった時には直ぐに動けるように。

 緊張感が場を支配する。

 それを破ったのは、侵入者だった。

「我々は、黒の騎士団!」

 先頭にいた男が名乗りを上げる。

「黒の、……騎士団ッ!?」

 この場でその名を知らない者はいない。

 時の人となっているユーフェミアと共に世間を賑わせているゼロ、――その手足となる組織だ。知らない訳がない。

 だが、とミレイ達は思う。

 だが、どうして黒の騎士団がここに、トウキョウにいるのだろうか?

 彼女達の持つ情報では黒の騎士団は特区にいるはずなのだ。そこで起こった暴動に関与していて、その後、鎮圧にコーネリアが向かっている。

 なのに、どうして彼等がここにいるのか。

 戸惑うミレイ達を無視して、黒の騎士団の一般団員らしき男は威圧するように声を張り上げた。

「この学園は我々が制圧した! 大人しく此方に従え! 抵抗しなければ、危害は加えないと約束しよう!」

 

 信用など出来るはずもなかった。

 危害は加えないと言いながらも、その言葉は高圧的で、誠意の欠片もない。

 有無を言わせないその言動は、もはや脅迫である。

 しかし、従うしかないだろう。

 相手は大人の男。数も多く、銃まで持っている。

 対して、此方は女子供だけ。安穏と生きてきて、銃を見ただけで身体が縮む。

 例え、納得出来なくても、その口約束に保証などなくとも従うしかないだろう。

「ごめんなさい。受け入れかねるわ」

 だが、それは出来なかった。

 上に立つ者として。落ちぶれたとはいえ、貴族の端くれだった者として。

 上辺だけの、突いて出たような口約束に、何百という命を預ける事はミレイには出来なかった。

「代表の方を呼んで頂けるかしら? その方から今の言葉をもう一度、聞かせて貰いたいのですが」

「ミレイ会長……ッ」

「平気。大丈夫よ」

 リヴァルを押し退け、前に出ようとするミレイをリヴァルが押し止めようとするが、やんわりと笑顔と共に遮られてしまう。

「……何だ? 貴様は?」

「ミレイ・アッシュフォード。この学園の生徒会長です」

「唯の学生が、偉そうにしゃしゃり出てくるな!」

「確かに私は唯の学生です。ですが、この学園の理事長ルーベン・アッシュフォードの孫娘でもあります。祖父がいない現在、この学園にいる者達の安全を護る義務が私にはあります」

 銃を持った大人の怒鳴り声にも怯まない。

 努めて冷静に、静かにミレイは会話を続けていく。

「……安全なら、保証するとさっき言ったはずだ」

 一歩も引かないミレイに、苛立ちと面倒を覚えながら、男が吐き捨てるように言う。

「はい。ですから、その言葉をきちんとした立場にいる者の口から聞きたいのです」

「ッ、我々の言葉が信用出来ないと言うのか!?」

「はい。出来ません」

 顔は笑顔で、言葉は穏やかに。ミレイは男の言葉を切り捨てる。

「私は、貴方達、黒の騎士団の事を信用出来ません。貴方方はご存知ないかもしれませんが、私の友人の身内が貴方達のせいで、生死の境をさまよっているのです」

 ちらり、と視線を僅かに後ろに向けてそう語った後、ミレイは再び男に向き直り、口を開いた。

「ですので、きちんとした確証を得ることが出来なければ、我々は貴方達に従う事は出来ません」

「この……ッ、黙って聞いていれば――――ッ!」

「ミレイ会長!」

「ミレイちゃん!」

 苛立ちが頂点に来た男が銃口の狙いをミレイの胸元に定める。

「撃ちますか?」

 悲鳴を上げて、自身を呼ぶ声を聞きながら、ミレイは、しかし、退かない。

 きつく拳を握りしめて、震えそうになる指先に力を籠める。

「良いでしょう。ただし、覚悟しなさい。没落したとはいえ、我がアッシュフォードは貴族だった身。そして、私は伯爵、ロイド・アスプルンド侯の婚約者。いわれなき暴力で私の命を奪えば、その事実、決して隠し通せるものではないと」

 憶さないミレイのその強気な姿勢が引き金となる。

 興奮した男には、そのミレイが語った言葉の意味を理解出来る余裕がなかった。

 仲間の団員の制止を振り切り、男が銃の引き金に指を掛ける。

 リヴァルがそれを止めようと駆け出す。

 ニーナが泣き叫ぶように声を上げ、シャーリーとナナリーが制止しようと叫び、咲世子が懐に忍ばせた暗器を取り出そうとする。

 怒り、悲痛、恐怖、焦燥。

 あらゆる感情が飽和した――――。

 

 

「何をしている?」

 

 

 感情に色があるならば。

 その声は、まさに黒だった。

 一言である。

 たった一言、それが場に存在したあらゆる感情を塗り潰した。

 コツ、と音を立てて、声の主が現れる。

 感情的になっていたその場の者達とは対照的な無機質な仮面はとても異質で、その場に存在するだけで全員、感情が鎮火していくのを感じた。

「何をしている?」

 再び仮面、――ゼロが問い掛ける。その仮面の下の瞳が手にした銃に向かっている事を悟った団員の男は慌てて銃を後ろ手に隠す。

「……決して、危害は加えるな、と言ってあった筈だが?」

「いえ、これは、その―――」

「その?」

 男の言葉尻をゼロが繰り返す。

 すると、男はガタガタと震えて、何も喋れなくなってしまった。

「……もう良い。ここは私が引き継ぐ。お前達は、下に戻って副司令に指示を仰げ」

「――は、いや、ですが……!」

「二度も言わせる気か?」

 ひたすらに冷たい声。

 熱い言葉を使う革命家よりも、冷徹な指導者を彷彿させるゼロの声に、男を始め黒の騎士団の一般団員達はバタバタと逃げるように生徒会室から出ていった。

 

 生徒会室から団員達が出ていった事で、中には生徒会のメンバーとゼロだけが取り残された。

「まずは彼等の非礼を謝罪しよう。すまなかった」

 先程までとは違う、温かな、とは言えないが熱のある言葉にミレイは、まるでずっと息を止めていたかのように長く息を吐き出した。

「会長!?」

「へーき、ちょっと気が抜けちゃって……」

 緊張が解けたのか、ミレイは崩れそうになる身体を机に片手を付いて支え、もう片方の手で額を押さえている。

 その姿に仮面の下で苦笑していたゼロだったが、ふと刺さるような視線を感じて、そちらに目を向ける。

「……………」

 視線の主はシャーリーだった。

 ゼロが出てきた時から、落ち着きなく、ずっとそわそわと身体を揺らしている。

 何度も口を開こうしては、閉じて。また開きかけて……、と傍目には少し可笑しな行動をしているシャーリーに少しだけ申し訳ない気持ちになりながら、ミレイに視線を戻すとゼロは彼女に言葉を掛けた。

「随分と無茶をする。月並みだが、勇敢も過ぎれば蛮勇でしかないと言わせてもらおう」

「あはは、そうね。……でも、私は生徒会長ですから。それに元貴族として、ノブレス・オブリージュは果たさないと」

 此方を心配する言葉を掛けられた為か。

 先程の男達と変わらない侵入者なのに、ミレイは、ごく自然な調子でゼロと言葉を交わしている自分に驚く。

「成程。だが、だからと言って、無謀・無茶が誉められた事ではない事には違いない。違いないが――」

 そこで、一度、ゼロは言葉を切る。

 その仮面の下の素顔が柔らかい笑みを刻んだ。

「貴女の義務に対する責任と使命感に、敬意を表しよう、ミレイ・アッシュフォード」

 その言葉にミレイが目を丸くする。

 エリア11のナンバーズには正義の味方と持て囃されているが、ミレイ達にとっては、やはり敵対者としての意味合いの方が大きかったからだ。

 そんな彼からの素直な称賛に、一瞬、返す言葉を見失った後、ミレイは小さく微笑んで、ありがとうと口にした。

「まさか、ブリタニアを敵としている組織のトップに、貴族としての在り方を称賛されるとは思わなかったけど……、て、あら? 私の名前、どうして……?」

 自分が名乗った時、ゼロはこの場にいなかったことを思い出して、ミレイは首を傾げる。

 疑問を込めた視線が、その黒い仮面に突き刺さるが、ゼロはそれを無視して、本題に移った。

「さて、先程の彼等も言っていたと思うが、このアッシュフォード学園は、現在、作戦進行の為、我々黒の騎士団が接収させて貰っている。だが、我々には貴女方を害する意思はない。今暫く不自由をさせるが、大人しくしていて貰えるなら、事が済んだ後、速やかに解放すると約束しよう」

「ごめんなさい、ゼロ。貴方の言葉からはきちんとした誠意を感じるわ。でも……」

「確かに、先程の彼等の行動を思えば、信用しろと言うのは無理がある。だから、私も君に倣い、誠意を示そう。それを以て、どうか、我が言葉を聞き入れて貰いたい」

 そう言うと、ゼロは黒い手袋に包まれた手を仮面に宛がった。

 小さな機械の音がする。それに合わせて、ゼロの仮面がスライドしていくのが見えた。

 それを見て、ゼロの行動の真意を理解したミレイ達は、驚きに声が出そうになる。

 

 だが、その驚きも仮面の下から現れた顔を見た衝撃で、何処かへ吹き飛んでいってしまった。

 

「え…………?」

 ニーナが、自分が何を見ているのか理解出来ていないような、呆然とした声を漏らした。

「は? …………はあ!?」

 リヴァルが、悪い冗談を聞いた時のような、信じれないと言った声を上げる。

「――――――そう」

 ミレイは、その顔を見て、目を見開いたが、直ぐに何かを納得したように、ポツリ、とそう呟いた。

 そして、シャーリーは――――

「――――――」

 知っていた。

 そうだと。あの時、遠目に見たからだ。

 だから、大丈夫だと思っていた。

 だが、いざ、それを目の前にすると身体が固まってしまった。

 ゼロが彼なのだと、彼自身がそれを認めるようなその光景は、思っていた以上の衝撃となって、シャーリーの胸に突き刺さった。

 でも。

 でも、ここなのだ、とシャーリーは強く自分に言い聞かせる。ここで退いては駄目なのだと。

 ここで退いたら、もう絶対に彼には届かない。

 きちんと認めて、受け入れなくてはならない。

 だから、シャーリーは彼の名前を呼んだ。

 か細く、呼吸のように細く、震える声だったが、ドクン、ドクンと痛いくらいに高鳴る心臓の音を感じながら、目の前の光景を認めるために、確かにその名前を口にした。

「………………ルル」

 

 

 それが誰の名前か、ナナリーは直ぐに分かった。

 でも、どうして、その名前が、今、ここで出てくるのか、ナナリーには分からなかった。

 目が見えないナナリーには、何が起こっているのか、正しく理解する術はない。

 だから、周りの人達の言葉や、感情の移り変わりから状況を何となく理解するしかなかった。

 そこから、察するに、今、自分達の前にいるのはゼロ、彼一人のはず。

 なのに、どうして、その名前が出てくるのだろう?

 何故、その名前がゼロに向けて、言われるのだろう?

 それでは、まるで――――

 まるで……。

 驚愕に支配されながら、ナナリーは必死に目の前にいるだろう男の気配を探る。

 固く、鋭い、それでいて、海を思わせるように大きな気配だった。

 炎のように苛烈な印象を受けながら、氷のような冷たい印象を感じる。

 まるで安定しない。陽炎のような存在感なのに、しっかりとした山のようにも感じられた。

 例えるなら、何か。その幾つもの姿を見せるゼロの気配を表す言葉を、ナナリーは上手く見つけられなかった。

 全然、違う。

 いつも自分が感じている、穏やかで、日溜まりのように暖かい、優しく包んでくれるような、あの気配とは全然違う。

 ――――そう、違う。

 なのに。

 ああ、なのに――――。

 分かってしまった。

 どうしてかは分からない。

 共通点などなかった。

 でも、これも()()なのだとナナリーはハッキリと理解してしまった。

 

 

 

 

 

「………………お兄様……………」

 

 

 

 

 

 優しい日常が、ゆっくりと(ほつ)れ始めた。




 首都攻略の難易度が下がった為、前回よりも日本を取り戻せる実感が沸き、開店前の店先に並ぶがごとく、テンションメーターが振り切れた黒の騎士団無双の回。
 トウキョウをぴょんぴょん跳ね回る赤バニーカレンちゃんに、首を出せぃ!と言わんばかりの貫禄でばっさばっさと敵を斬り倒していくパーフェクトミラクルさんと、やりたい放題です。

 後半は生徒会組。
 ここら辺はやりたい話でした。
 前回苦い思いをしたため、石橋を叩きまくるゼロさんは、生徒会組が突拍子もない行動に出ないよう、仮面をオープン。
 果たして、その正体は――――!?

 しかし、一万五千字と結構書いたのに、あまり話が進まなかった……。予定では、特区編は後三話くらいなのですが、何かこのままだと終わらなさそうで不安……。


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PLAY:11

 すみません。
 色々あって、遅くなりました。


 皮肉な話だ。

 

 

 ――みんな、どうして……? 修学旅行は?

 

 ――俺達だけで行ったら泣くでしょ? 君

 

 ――旅行なんてのはね、何処に行くかじゃなくて、誰と行くかなのよ。

 

 

 優しい世界が欲しかった。たった一人の妹が健やかに、安らかに生きていける平和な世界が。

 今の彼女を取り囲む優しい日常が、これからもずっと続いていくように、とそう願い動いた。

 

 

 ――それは………?

 

 ――ああ、これ? 願い事が叶うって言うから作ってみたの。誰に教わったのか、どうしても思い出せないけど……

 

 

 だというのに。関わらせる事はなかったというのに。

 巻き添えにしてしまった。犠牲にしてしまった。

 結局、自分のしたことは、その日常を壊す事だった。

 

 

 ――何を願ったんだ?

 

 ――もう、叶ったよ。少しだけ、皆と一緒に花火がしたいなぁって。

 

 

 一人の敬愛を憎しみに変え、狂気に走らせた。

 一人の感情と記憶を滅茶苦茶にし、その果てに自身の運命に巻き込み、命を落とさせた。

 三人の記憶を好き勝手に弄られ、一年という時を自らを閉じ込める檻を彩る人形として無駄にさせてしまった。

 そして、妹は。

 あれほど遠ざけようとしていた、あの澱んだ感情とどす黒い欲望と身動ぎすら出来ない程の権謀の渦巻く場所へ、一人連れ戻される羽目になってしまった。

 

 

 ――――皆。

 

 

 自分が何もしなければ壊れることのなかった、あの夏の日のように美しく優しい世界。

 望めば、まだ、選べるだろう。今、全てを投げうれば、まだ、その世界に戻れるだろう。

 そんな可能性を前にして、しかし、首を横に振る。

 それは違う。そうではないと。

 彼女達を守る事と、その世界を守る事は、決して同義ではない。

 少なくとも、壊れない『今日』という日を続けていきたいが為に、この道を歩んできた訳ではない。

 だから、今、自分がすべき事は向き合う事。

 彼女達に闇が降りかかった時、少しでも、それを見透せるように。

 理不尽な運命から、遠ざけられるように。

 例え、それが再び、今までを壊す事になろうとも。

 

 

 ――――また、ここで…………

 

 

 例え、二度とその世界に還れなくなろうとも。

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、ここだ。アイツもよく使う抜け道だ。見通しが良さそうに見えるが、正門方面からは死角になっていて意外と気付き難い。監視カメラもないから、もしもに備えて守りを固めておけ」

「わ、分かった。手配しよう」

 学園の見取り図の上にトン、と指を置いて淡々と説明をするC.C.の言葉に従って、扇が団員達に指示を出していく。

 今、一行がいるのはクラブハウス一階の大ホール。

 そこを本陣と定めた黒の騎士団は、現在、敵の襲撃に備えて防御を固めている最中だった。

「それと、ここもだ。ナイトメアでは周りの建物が邪魔で突破は難しいが、生身なら話は別だ。乱戦に持ち込みやすいから狙われる可能性が高い」

 トン、トン、トン、とC.C.の細い指先が次々と見取り図の上を踊る。

 どこか面倒そうに、そして投げやりに聞こえるが、その内容は的確で早い。

 きちんとこのアッシュフォード学園という場所の特性を理解し、それに添って決められていく守備配置は戦略として十分通じるものであり、特に可笑しな点は見られない。

 ただ、普段、彼女の黒の騎士団への関心の無さや、やる気の無い態度からは、こんな指揮官のような姿は欠片も想像出来なかった為に、扇はC.C.が口を開く度に驚きを隠せずにいた。

「………おい、いい加減、その鬱陶しい態度はやめろ。不愉快だ」

 最初は気にも留めていなかったが、毎回、口を開けば、奇異なり戸惑いなりの視線を向けられ、ぎこちない応答をされれば、不快感の一つも湧いてくる。

 不機嫌だと全力で訴えてくる鋭い目付きで睨み付けられ、扇はその視線から逃れるように顔を背けた。

「す、すまない……。そ、それにしても、君も随分とこの学園について詳しいんだな」

 話を変えようとして、扇は思った事をそのまま口にした。

 それにC.C.は、何をそんな今更な事を聞くのか、というように眉を寄せながら、素っ気なく答えを返す。

「当たり前だ。ここは私にとってもホームのようなものだ」

「……ああ! 君もここの学生だったのか!」

 ポン、と納得したように手の平に拳を落とす扇。

 完全に的外れである。もう少し下世話な考えが出来れば察する事は出来たであろうが、良くも悪くもお人好しで通っている扇は、残念ながらC.C.の濁した物言いをきちんと汲み取る事が出来なかった。

 察しの悪い扇に、これみよがしな溜め息を吐いて、C.C.は扇にも分かるように言葉を付け加えた。

「違う。私はアイツと同じ部屋で寝泊まりしている。詳しいのは、それで、だ」

 学生ではない、とそう自分で口にしたその言葉に、C.C.は僅かに眦を下げた。

 少し前に学生をしてみたい、と思った事を思い出したからだ。

 即物的ではない、今までの魔女なら一顧だにしなかった平凡な願望。

 C.C.本人に自覚はなかったが、確かに『明日』を思い描いた小さな望み。

 その事を思い出し、そして、それが、まだ果たされていない事をC.C.は少しだけ残念に思った。

 その一方で。

 回りくどい言い回しを省いて告げられた、見た目は若い少女の、自身が属する組織のトップとの同棲発言に、扇は口をあんぐりと開けたまま固まっていた。

 目の前の、親友の妹と然して年が変わらなさそうな少女がゼロの愛人と囁かれている事は扇も勿論知っている。

 だが、当人はそれを否定していたし、ゼロに関しても女を囲うような印象を受けなかったので、人の好い扇は噂を鵜呑みにせず、変な邪推をする事もなかった。

 しかし、蓋を開けてみれば、この通り。

 やはり愛人で、ゼロとこの少女はそういう関係なのか。

 生々しい想像をしてしまいそうになり、扇は慌てて頭をブンブンと振った。

「変な勘違いをするな」

 その表情と様子から、扇が何を考えているか察したC.C.が小馬鹿にしたような笑みを見せた。

「単に他に行くところのない私が、アイツのとこに転がり込んでいるというだけだ」

「そ、そうなのか。それはすまない」

「構わないさ。誰かさんは保護した女と爛れた生活を送っているようだからな。変な想像をしてしまうのも、無理はない」

 年齢に似つかわしくない口調で、たっぷりと皮肉の利いた言葉が少女の口から紡がれる。

 それを聞いた扇はギクリとゼンマイの切れた人形のように動かなくなった。

「な、や、その、俺と千草は確かに恋人同士だが、そんな……」

「無理するな。反応が女の味を覚えたばかりのガキのようだぞ」

 くくっ、と愉しそうに喉を鳴らしながら、C.C.は獲物をいたぶる猫のように金色の瞳を細める。

「まあ、確かに良い身体をしていたからな。お前も、大分楽しめたんじゃないのか?」

 明らさまに嫌味と取れるその発言に、扇の頬が先程とは違う意味で朱に染まる。

「ッ、――べ、別に俺はそんなつもりでッ! ……い、いや、それより、君、どうして千草を知っているんだ?」

「さあ? どうしてだろうな?」

 勿体ぶって扇をひとしきりからかい、先程不愉快な思いをさせられた分の仕返しが出来て満足したのか、C.C.は興味を失ったように扇から見取り図に視線を落とす。

 その傍ら、この、ある意味ゼロより何を考えているか分からない少女が、最愛の恋人について含む発言をした事に気が気でない扇。

 ひょっとしたら、と有りもしない不安と心配を感じて、少し強めに問い質そうと口を開きかけた時だった。

「――――要さん!!」

 その声に何もかもが吹き飛んだ。

「おや? 噂をすれば、というやつだな」

 面白そうにそう言うC.C.の視線を追って、扇もそちらに顔を向ける。

 視線の先、向かったのはクラブハウスの入口。

 そこに、ずっと心配して、気を揉んでいた自分の恋人。

 両脇を黒の騎士団の団員に固められ、不安の中に安堵を滲ませた表情の、千草、と扇が呼ぶブリタニア人の女性が立っていた。

「千草ッ!!」

 瞬間、たまらず扇は駆け出した。

 応えるように彼女も。

 事情を知らない一般団員達が何事かと視線を投げるその中心で二人が抱き合う。

「要さん……ッ」

「千草ッ! ああ、良かった……!」

 腕の中にその感触を感じ、ここにいるという実感をしっかりと確認する。

 束の間そうしていたが、腕の中の恋人の、要さんと自分を名前を呼ぶ声に、名残惜しく感じながらも扇は身体を離した。

「要さん、あの、一体何が……、ここは何処でしょうか? それに、その、彼等………」

 再会の喜びと安堵が過ぎ去り、再び不安と戸惑いが顔を出してきたのだろう。

 不安そうな顔で、おずおずと窺うように周りを見渡すヴィレッタに扇は安心させるように笑顔を作る。

「安心してくれ、大丈夫。ここはアッシュフォード学園だ」

「アッシュ…………?」

「ああ。ほら、前に学園祭をやっていただろう? あそこだ。そして、彼等、いや、俺達は……」

 言葉を切る。唇を湿らせて滑りを良くする。

 そうしないと、喉の奥に言葉が引っ込んでしまいそうだった。

「千草、その、すまない……。ずっと君に隠していたが、俺は、………黒の騎士団の一員なんだ」

「え…………?」

「隠していた事は謝る! でも、言わせてくれ! 俺は君を騙すつもりはなかった! 今だって、君に危害を加えるつもりはない! 寧ろ、逆だ!」

 恋人の瞳に感じられた自分への信頼が揺れたのを目敏く感じ取った扇が、慌てるように捲し立てる。

「ここに連れてきたのは、万が一にも君に危険が及ばないようにするためだ。誰も君を傷付けたりはしない、――いや、俺がさせないッ!」

 力強く言い切り、扇はヴィレッタの身体を抱き締める。

「か、要さん……?」

「信じてくれ! 俺の君への想いに嘘はない。俺は本当に千草、君の事が好きなんだ! だから……」

「要さん……」

 赤裸々に気持ちを告白する扇。

 自分を抱くその背中が時折、震えている事に彼の本気が感じられ、ヴィレッタは、ふっと顔を綻ばせた。

 そして、その背中に手を回そうとする。

 大丈夫だと、自分も同じ気持ちだと、そう応えるように手を持ち上げた時だった。

「お楽しみのところ、申し訳ないんだがな」

 二人だけだった世界を裂くように、無機質な声が無遠慮に投じられた。

 冷や水のようなその声に、ハッ、と現実に引き戻された扇がヴィレッタを離し振り向くと、つまらなさそうな表情でこちらを見る魔女の視線とぶつかった。

「乳繰り合うんだったら、後にしてくれないか。見ろ。副司令が、いきなり女と絡み始めたから、連中、どうしたら良いのか分からない、といった顔をしているぞ」

 クイ、と顎で周りを示すC.C.に促され、扇も周りを見回す。

 そこには、指示を仰ぎにきた黒の騎士団の団員達が、戸惑いを露に扇とヴィレッタを遠巻きに見ていた。

 そこで扇は、ようやく自分が衆人環視の中でどれだけ大胆な発言をしていたか気付いたのだろう。

 あたふたと、先程の強気な態度を忘れたかのように顔を真っ赤にして動揺している扇。

 それに構わず、C.C.は扇の身体に半ば隠れるようにして立っているヴィレッタを一瞥する。

「―――――ッ」

 射抜かれるような冷たい視線に、怯えたようにビクッ、と身体を震わせるヴィレッタ。

 その生娘のような反応に、フン、と鼻を鳴らすと、もう関心が無くなったというかのようにC.C.は彼女から視線を扇に戻した。

「私はゼロに報告してくる。お前も猿みたいに女に鼻息を荒くする前に、すべき事をすませておけ」

 冷笑を浮かべたまま、C.C.はくるりと踵を返す。

 その動きに合わせて、彼女の長く鮮やかな緑色の髪がふわり、と靡いた。

「…………ゼロ?」

 その光景が、矢鱈とヴィレッタの目に焼き付いた。

 ぼんやりとした瞳で、歩みに合わせて髪が揺れる魔女の後ろ姿から目を離せないまま、彼女は一つの単語を口にする。

 意識しないままに、呟いたその言葉がやけに胸を疼かせる。

「? ……ああ、大丈夫だ、千草。ここにこうして君を連れて来ることはゼロも了承済みだ。いや、寧ろ、彼が……」

 その呟きを不安か何かと勘違いしたのか。

 扇が安心させるように状況を説明しているが、ヴィレッタの耳には入らない。

 扇の姿が目に入っていないかのように、C.C.が消えていった場所を焦点の合わない瞳で見つめながら、ヴィレッタはどんどん大きくなる胸の疼きに従うように、もう一度、呟きを漏らした。

「ゼロ………、緑の、髪の………女」

 そう呟いた瞬間だった。

 カリ、と失った記憶が引っ掻かれた。

 ズキン、と鈍器で殴られたかのような頭痛がヴィレッタを襲う。

 ――――アッシュフォード。学生。黒の騎士団。関係者。ゼロ。記憶。欠落。正体。

 頭痛を皮切りに、次々と浮かび上がってくる記憶の断片を受け止めきれず、意識が混濁したヴィレッタは立ち眩んだように身体をふらつかせる。

「―――ッ、―――ッ!?」

 誰かの声が聞こえるような気がする。

 しかし、それを気にしている余裕はなかった。

 グルグル、と意識を掻き回される。ともすれば、暗闇に沈みそうになる記憶の奔流は、一つの映像が頭に過るのを最後に収束に向かった。

 ―――夜の倉庫群。

 ―――ナイトメアから投げ出されるようにして倒れているゼロらしき人物。

 ―――そこに近付こうとする自分。

 ―――そんな自分に銃口を向ける

 ―――緑色の髪の女。

 

「――ぐさ! 千草ッ!?」

 声が聞こえる。

 水の底から浮かび上がるように、次第に鮮明になってくる声に、ヴィレッタは自分の意識が現実に帰還したことを悟った。

「千草ッ!? 大丈夫か?」

 突如として、頭を抑え、ふらつき始めた恋人に必死になって扇は呼び掛ける。

 意識を失ってはいないようだが、どこかぼんやりとしていて、呼び掛けにも気付いていないようなその様子に、心配が募る。

「千草、具合が悪いなら、何処か……」

 休める場所に、と思い、彼女の肩を抱こうと扇は手を伸ばす。

 だが……

「―――――」

「千草?」

 それを避けるようにして、ヴィレッタは距離を取った。

 その動きがまるで扇の手を拒むように感じた為、扇は戸惑ったように恋人の名前を呼んだ。

「………大丈夫、です。ちょっと、緊張が解けただけで………」

 大丈夫、とそう口にするが、頭を押さえ、目を合わせようとしない。

 さっきまでの甘い感じが嘘のように感じられ、そんな不安を誤魔化すように扇は、もう一度大切な恋人の名前を口にした。

「千草、本当に―――」

「大丈夫……です。本当に気にしないで、…下さい。……扇、………さん」

 心配する扇の言葉を遮り、頑なに大丈夫だと口にし続ける。

 だが、やはり、あまり大丈夫そうに見えない為、扇は彼女の身体の心配ばかりで、他に気を回す余裕はなかった。

 だから、気付かなかった。

 最後に彼女が口にした言葉。

 その中に含まれた僅かな違和感に。

 

 

 

 ゼロ。

 

 何の前触れもなく現れ、大胆不敵に神聖ブリタニア帝国に反逆の意を表明した稀代の革命家。

 正義の象徴。最悪の反乱分子。

 ナンバーズの希望。ブリタニアの害悪。

 両極端な二つの側面を持つその仮面の男の正体は、全てが謎に包まれており、誰も知らない。

 ナンバーズなのか。他国の人間か。ひょっとしたら、ブリタニア人か。

 人々の不遇に涙する聖人か。全てを打倒し、上に立とうと考える野心家か。それとも、理想に燃える何処かの国の皇子か。

 好悪はあれど、老若男女問わず、様々な人間がその正体について憶測を飛ばしてきた。

 かくいうリヴァルもその一人で、シャーリーがあんな目に遭うまでは、級友やらと色々な推測を打ち立て、好奇心を満たしていた。

 その正体が、今、目の前に晒されている。

 多くの人達が知りたがっていた世界で最も謎に包まれた人物の素顔が。

 だけど。

 

 それを前にして、リヴァルは少しも喜ぶ事も楽しむ事も出来なかった。

 

 沈黙が降りる。

 先程までの騒がしさが消え、微塵も動かない凍りついた空気がその場を支配していた。

 誰も喋らない。

 あまりの事実に固まる者。何を喋って良いのか分からない者。静かに閉口する者。

 沈黙の種類は違えど、誰も口を開かない。

 全員、見慣れた顔なのに。長く付き合ってきた人ばかりなのに。まるで、初めて会った時のような、――いや、その時ですら、こんな居心地の悪さはなかった。

 今まで一度としてなかった張りつめた空気の重さに、誰もが呼吸が苦しくなるのを感じた。

「なん、……だよ」

 ぽつり、と雫が落ちるように、静寂に声が零れた。

 発生源は、悪友、とルルーシュと呼び呼ばれる仲だった少年。

 呆然としたように表情は固まっていて、感情らしいものは窺えない。

 しかし、それが色々な感情がごちゃ混ぜになって許容を越えてしまった為だとルルーシュは理解していた。

「なんで……、どういうこと、だよ………?」

 リヴァルの口が、歪に歪む。笑おうとしているのだろう。冗談だろう? と笑い飛ばしたいのだろう。

「…………………」

 だから、ルルーシュは無言で首を振る。冗談ではないと。嘘なんかではないと、そう言うかのように。

「ッ、そん……、だって、じゃあ………」

 ポロポロ、と形にならない言葉が破片のようにリヴァルの口から零れ落ちる。

 思考が完全に固まってしまい、何が言いたいのか分からないまま、意味を持たない言葉だけが零れ続けていく。

「――――そう」

 そんな混乱の激しいリヴァルの横で、新たに口を開く者がいた。ミレイだ。

「やっぱり、許せなかったのね、貴方は」

 別にゼロではないかと疑っていた訳ではない。

 でも、不思議なくらい、ストン、と胸に落ちた。

 それは、きっと、心の何処かで思っていたからだろう。

 こんな光景が、いつか現実のものになるかもしれないと。

「それが貴方の選んだ道なのですね、……ルルーシュ殿下」

 

 殿下、という言葉にそれを知らなかった三人が目を丸くする。

 ミレイを見て、ルルーシュを見て、……そして、ナナリーを見て、とを繰り返す。

「……元、ですよ。会長」

 そこで、漸く仮面を外してから一言も喋らなかったルルーシュが口を開いた。

 何時ものように淡い笑みを浮かべて、何時ものような口調で。

「それに少し違います。確かにブリタニアという国の在り方は許せませんが、私怨で動いている訳ではありません。今の俺にとって、復讐(それ)は過ぎ去っていったものに過ぎない」

 復讐ではない。

 その言葉は、ミレイには意外だった。

 驚き、目を見開いて、ルルーシュの顔を見る。

 シャーリー程ではないにしろ、事情を知る者として、ミレイもルルーシュの事は、それなりに見ていたつもりだ。

 だから、意外だった。

 少なくとも、ミレイが見ていた限りでは、皇族や皇帝の話になった時、ルルーシュの瞳から暗い光が消える事はなかったからだ。

「なら……、なら、どうして………?」

「それは――――」

「ちょ、待っ、待って、……待ってッ」

 二人だけで話を進めていこうとするルルーシュとミレイの間に割り込むようにして、リヴァルが声を上げた。

「どういうことだよ、ルルーシュ。殿下って何だよ。そんなの、俺、全然……、いや、それより、ゼロって…………」

 友達だと思っていた。

 だから、全てとは言わずとも、それなりにリヴァルはルルーシュを分かっているつもりだった。

 優秀なくせに、不真面目で。基本的にやる気がないくせに、いざとなると頼りになって。

 妹の事が大好きで、妹の事ならどんな些細な事でも直ぐに気付くのに、あんなに分かりやすい同級生の好意には全く気付かない朴念仁。

 少しばかりズレてるけど、気の良い、自分達と何も変わらない男友達。

 そうリヴァルは思っていた。

 でも、次々ともたらされる真実は衝撃的過ぎて。

 自分は本当は何も分かっていなかったと思い知らされた。

 言外に、友達ではなかった、と言われた気がしてリヴァルはクシャ、と顔を歪めた。

「なあ、本当に、ゼロなのか…………?」

「……ああ」

「なら…………」

 そう言ってリヴァルが後ろを振り返る。

 その視線が、口を開かず、じっ、とルルーシュを真摯な瞳で見つめている明るい髪の色をした少女に向かっているのを見て、彼が何を言いたいのか察したルルーシュは先んじて答えを告げた。

「そうだ。シャーリーの事は、俺のせいだ」

「何で――――ッ!!」

 それが引き金だった。

 箍が外れたように自分を抑える事が出来なくなり、リヴァルは声を荒げた。

「何でだよッ! 何で――――ッ!」

 感情が膨れ上がり、噴き出した。

 沸き上がる気持ちのままに、リヴァルは言葉を吐き出していく。

「何でお前…………ッ!」

 本当なら言いたい事は沢山ある。聞きたい事だって。

 でも、今は、ただ、ひたすらに。

 悲しかった。悔しかった。

 何も知らなかった事が悲しかった。

 何も言ってもらえなかった事が悲しかった。

 黙っていられた事が悔しかった。

 気付いてやれなかった事が悔しかった。

 それがとても悲しくて、悔しくて、――やりきれなかった。

「友達だろ? 俺達………」

「ああ」

「なら―――」

「だが、友達だからといって、全てを話せる訳じゃない」

「――――――」

 それにリヴァルは言葉を失う。

 突き放されたような気分になり、ガシャリ、と崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。

「すまない」

 クシャッ、と頭を抱え、いたたまれない様子を見せるリヴァルに向けてルルーシュが謝罪する。

「正体を知れば巻き込んでしまうと思った。知らなければ、危険な目に遭う事はないと………」

 そこまで言って、いや、とルルーシュは自分の言葉を否定した。

 確かにそう考えてもいたが、一番に思う、本当の理由は別だ。

 何時もなら、心の奥底に置いたまま、決して口にしようとは思わないだろう。

 でも、今、この時だけは…………

「失いたくなかった」

 きちんと本当の気持ちを晒け出さなければならないと思った。

「嫌われるのが怖かった。拒絶されるのが怖かった」

 苦しく感じる事もあった。優し過ぎて。

 この世界だけで十分じゃないかと思ってしまいそうになりそうで。

 怒りも悲しみも、押し流されてしまいそうで怖かった。

 それほどまでに、優しい世界だったから。

「ここから、弾き出されてしまうのが怖かった」

 結局、胸に抱え続けた想いを捨て去る事は出来なかった。

 でも、彼等と居る場所を慈しむ気持ちも失わなかった。

 何も捨て去る事は出来なかった。

 だから、ルルーシュは日常と非日常を抱え込んできたのだ。

「酷い奴だろう? 沢山嘘を吐いて、隠し事をしておきながら、平然と友達面をしているんだから。……絶交、してくれても構わないぞ」

「出来る訳ないだろッ、………ばかやろぅ」

 俯いたままではあるが、間を置かずに怒り混じりの返答が返ってきた。

 その台詞と反応が、事ここに至ったリヴァルのルルーシュへの想いを如実に表していた。

「すまない、……ありがとう」

 そんな彼に、ほんの少しだけ微笑を浮かべて、ルルーシュはもう一度謝罪と、そして、感謝の言葉を口にした。

 

「お兄様………」

 自分を呼ぶ声が聞こえた。いつもとは違う固い声音だったが、それでも、誰の声か、考えなくても分かる。

「――――――」

 一度、瞳を閉じる。

 当に覚悟していたとはいえ、気持ちを締めておかないと、毅然とした態度を保てるか分からなかったから。

 瞳を開く。

 自分の心が、ちゃんと落ち着いているのを確認すると、ルルーシュは今までずっと自分の全てだった愛しい存在に向き直った。

「ナナリー」

 膝を折って、正面から向かい合う。

 覗き込んだ顔は、困惑と悲しみに彩られていた。

「お兄様……」

 もう一度、ナナリーがルルーシュを呼ぶ。

 本当に目の前にいる人が兄なのか、確かめたいと言うかのように。

 ―――確かめなくても、もう分かっているのに。

「ああ、俺だよ。ナナリー」

 努めて、平常通りに、優しくルルーシュが答える。

 いつもは優しくて、温かくて、愛されていると感じる兄の声。

 だけど、今のナナリーには、とても残酷な響きだった。

「お兄様が、……ゼロだったんですか?」

 形の良い眉を、キュッ、と寄せて、声どころか身体も震わせてナナリーが問い掛ける。

 信じられない。信じたくない。嘘であってほしい。違うと言って欲しい。

 祈るように、そう思いながら答えを待つナナリー。

 しかし、兄の答えは残酷だった。

「ああ、そうだ。俺がゼロだ」

「………どうして」

 再度問い掛けるナナリーの声は苦し気だ。

 首を何度も振りながら、喘ぐように、必死に言葉を紡いでいく。

「どうして、ゼロなんかに……ッ」

 肯定されて、尚、ナナリーには信じられなかった。

 ゼロという存在は大罪人だ。

 多くの人を傷付け、苦しめ、半分だけ血の繋がった姉達を危険な目に何度も遭わせた。

 スザクも言っていたではないか。

 ゼロは間違っている。卑怯者だと。

 そんなゼロと兄が結びつかない。

 優しい兄としての側面しか知らないナナリーには、ルルーシュがそんな非道な行いをするような人物だとは、どうしても思えなかった。

「ひょっとして、それは、私の()ですか…………?」

 だから、思ってしまった。

 ひょっとしたら、何か事情があるのではないかと。

 やむにやまれぬ事情があって、兄はゼロになったのではないかと。

 そう思い至った時、ナナリーの頭に浮かんだのは自分の為ではないか、という考えだった。

「だとしたら、私は――――」

「違うよ、ナナリー。お前の()()ではない」

 もし、自分が原因ならば、自分が止めてと言えば、と思い口にしかけた言葉は、同じく口を開いたルルーシュの言葉に優しく遮られた。

「誰のせいでもない。俺は、俺の願いの為にゼロになった」

 どこまでも優しく、語りかけるようにルルーシュが言う。

「俺には叶えたい願いがある。望む世界がある。願う未来がある。創りたい『明日』がある。誰のせいでもない。あくまで俺が望み、選んだ道だ」

「それは、……それは、こんな事をしなければ叶えられないものなのですか?」

 口調こそ変わらないが、その言葉には幾分棘があった。

 無意識かもしれないが、ナナリーは責めているのだろう。

 思えば、ルルーシュの側を離れ、自らの思いを口にするようになってから、ナナリーは一度もゼロを肯定した事がなかった。

 優しい世界の中で、優しい想いを育んできたナナリーには、ルルーシュが思うよりも世界は希望に満ち溢れているのだろう。

 だから、悪を以て正義を為す、ゼロという存在を認める事が出来ないのかもしれない。

「……そうだな。ひょっとしたら、こんなやり方ではなく、もっと簡単で、もっと優しい道があったかもしれない」

 ユーフェミア然り。ナナリー然り。

 彼女達の言うような、優しく、緩やかでも、血を流す事なく、世界を変えていける道があったのかもしれない。

「でも、俺にはこれしか見つけられなかった」

 世界は人に優しくなんかなく、現実はどんな色であっても、一つの色に染まる事を許さない。

 優しさが芽吹くには、この世界()は欲望で穢れきっていた。

 だから、世界を壊すと決めた。

 この手を血に染めてでも、世界を変えてみせると決めたのだ。

「それに、こんな道であっても信じて付いてきてくれた人達がいる。背負った希望がある。俺の創る『明日』を共に見てくれると誓ってくれた奴がいる。……今さら、投げ出す事は出来ない」

「お兄様……」

 確固たる意志を示すルルーシュ。

 何度も世界に揉まれ、最後には宣言した通りに世界を壊した男の強い覚悟に、まだ、世界というものを知らないナナリーは返す言葉を無くし、ただ、兄の名前を呟く事しか出来なかった。

「すまない、ナナリー。分かってくれとは言わない。でも、どうか許して欲しい。愚かであっても、お前の兄が己の道を進む事を…………」

「お兄様!」

 ふっ、と優しく微笑みながら、そう言うとルルーシュは立ち上がる。

 それが、まるで訣別の言葉のように聞こえて、ナナリーは焦燥に駆られてルルーシュに向かって手を伸ばした。

 だが、その手は空しくも空を切るだけで終わる。

 手を伸ばせば、いつだって握り返してくれたその手の温もりがない事にナナリーは愕然とした表情になる。

 そのナナリーの表情を見ても、ルルーシュは手を差し出さない。

 ここでナナリーの手を握り返しても気休めにしかならない。

 自分の行く道に、ナナリーを連れていく事は出来ないのだから。

「ナナリー」

 それでも、ここで言葉を紡いでしまうのは、甘さか、優しさか。

「すまない、――愛している」

 そう言い切ると、未練を払うように茫然としている妹から視線をその後ろで控えていた咲世子に移した。

「咲世子、ナナリーを頼む」

「はい、お任せ下さい。ルルーシュ様」

 美しい所作で礼をするのを見てから、今度はミレイに。

「会長、学園にいる全員を体育館に集めて下さい。黒の騎士団に守らせます」

「……分かったわ。任せて」

 しょうがない、と言うように肩を竦めながら了承するのに頭を下げる。

 そして、未だ項垂れたままの友人に向けてお願い事を一つ。

「リヴァル。皆の事を頼む」

 返事はない。

 だが、その頭が確かに上下に動くのを確認すると、ルルーシュは頷いて、ニーナに視線を合わせた。

「ニーナ」

「――――ッ」

 名前を呼ばれたニーナが、ビクッ、と身体を震わせる。

 小さな悲鳴を上げて、怯えたように一歩後ろに下がったのを見て取ったルルーシュは、困ったように苦笑すると彼女に向かって頭を下げた。

「怖い思いをさせて、すまなかった」

「ルルーシュ……」

「それと、ユフィは無事だ。安心して欲しい」

「あ…………」

 思いがけず、敬愛する姫の安全を知らされて、ニーナは両手を口元に持っていきながら、安堵とも取れる言葉をぽつん、と落とす。

「今トウキョウを黒の騎士団が攻めていて、これから、政庁にも攻め込む事になるが……、皆とユフィの安全は保証する」

「本当に? ……信じていいの?」

「ああ。俺が妹に甘いのは君もよく知っているだろう?」

 そう言われれば納得するしかない。

 小さく笑むルルーシュに、心の強張りが解けたのか、ニーナも小さく笑顔を見せて、頷いた。

「分かった。……信じるね?」

「ありがとう」

 そう言って、もう一度、頭を下げる。

 

 そして。

 

 最後に。

 ずっとルルーシュから目を離さず、彼を見つめ続けていた少女に、ルルーシュは向き合う。

「……シャーリー」

「うん」

 互いに視線を逸らさない。

 心も静かである。

 ルルーシュは覚悟を決めており、シャーリーもまた、ここに至るまでに覚悟を決めていた。

「俺は、君の父親を見殺しにした」

「……うん」

「分かっていて、見捨てた」

「………………うん」

 生死は問題ではない。意識の問題だ。

 ルルーシュは助けようと思えば、シャーリーの父親を助けることが出来た。当たり前だ。知っていたのだから。

 C.C.が先に動いていたからというのもある。

 でも、何より覚悟が足りなかった。

 本人達の気持ちはどうあれ、シャーリーはルルーシュに()()()()

 常人では付いていくことも儘ならない、そんな過酷な運命の只中にルルーシュはいる。

 そんなルルーシュに近付き過ぎれば、どうなるか。

 それは『前回』で答えが出ている。

 だから、ルルーシュは選んだのだ。

 何もかも、全てを背負い、もう一度、旅路を往くと覚悟を決めていなかったその時のルルーシュは、彼女と彼女の父親を天秤にかけ、シャーリーを選んだ。

「打算で君の父親を見殺しにしたんだ。最低だ」

「うん……」

 そうして、徹底的に突き放した。

 父親の事で傷付いているシャーリーの心を抉るように、冷たい言葉を浴びせて、突き放したのだ。

 嫌われるように。自分から離れていってくれるように。

 ……もう二度と、あんな目に遭わないように。

「だから、これ以上、俺なんかを――――」

「うん、全部、分かってる」

 ルルーシュの言葉を遮り、シャーリーがにこやかにそう言った。

「大丈夫。全部、分かってるよ、ルル」

 シャーリーは馬鹿ではない。

 少なくとも、ルルーシュの事に関しては。

 だから、分かっているつもりだ。

 細かい事情はさておいて、それにルルーシュが苦しんでいたかどうかくらい。

「これでも一杯悩んだんだよ? ルルがゼロだと分かって、一杯泣いちゃったし、本気で結構塞ぎ込んだし」

 えへへ、と照れくさそうに笑うその表情に恨みや憎しみは感じられない。

 父親を生死の境に追いやられて、冷たく突き放されても、それでも、シャーリーはルルーシュを許した。

 正確には、死の直前にありながら、それでも、好きな人に微笑んでいられる程に強く揺るがない想いが、全てを凌駕した。

「ごめんね。私はルルを嫌いにはならないよ、……なれない」

 きっと迷惑を掛けるだろう。踏み込む事をルルーシュは嫌うだろう。

 それでも、止まらない。止められない。

「だって、私は、ルル―――」

「おい」

 そのまま一息に想いを告げようとするシャーリーだったが、それは叶わなかった。

 待ったを告げる声にそちらを向けば、何度か顔を合わせたことがある少女が、入口のところ、コンコンとノックをしながら扉に寄り掛かっていた。

「残念、時間切れだ、ルルーシュ。例の女が到着した。それとトウキョウでの戦いに動きが出てきた。そろそろ、指揮に戻れ」

「……ああ」

 短く返事をして、瞳を閉じる。

 そうすることでシャーリーとの会話を切り上げた。

 彼女の想いに驚きがあった事は否めない。でも、ルルーシュが揺らぐことはなかった。

「ルル……」

「ありがとう。でも、すまない。俺は、もう君を巻き込みたくないんだ」

 そう告げるルルーシュの顔は笑顔だった。

 内心を全て覆い隠した、仮面のような、そんな笑顔。

 それが無性に悲しくて、シャーリーは何も言えなくなってしまった。

 

 扉に手を掛ける。

 そのまま、出ていこうとしたルルーシュだったが、ふと振り返り、最後に全員の顔を見渡す。

 全員、あまり良い顔をしていなかった。

 自分がそんな顔をさせてしまった事に申し訳なさを感じながら、一人一人きちんと顔を見渡した後、ルルーシュは最後の言葉を口にした。

 

「さようなら、――――皆」

 

 扉が閉まる。

 パタン、と乾いた音を立てて。

 再び、日常と非日常が隔てられた。

 

 

 一階ホールまでの廊下を無言で歩く。

 横にC.C.を伴いながら、ルルーシュは何かを考えているのか、思案気な表情で足早に歩いていく。

「……………?」

 すると、ぽすん、と右肩に軽い衝撃が起こった。

 何だと思い、そちらを見れば、何を思ったのか、C.C.がルルーシュにもたれ掛かってきていた。

「おい。なんのつもりだ」

「疲れた。しばらく杖代わりになれ」

 そう言ってC.C.はピタリ、とくっついて体重を掛けてくる。

 そのせいで自然、足並みは遅くなってしまう。

「歩きにくい。離れろ」

「もうずっと、お前にこき使われてやってるんだ。少しは労れ」

 鬱陶しいと訴えるも、C.C.はどこ吹く風で離れず、そうこうしているうちに面倒くさくなったのか、ルルーシュは溜め息を吐くと、C.C.の好きにさせる事にした。

「全く……、余計な気を遣い過ぎだ」

「何の事だ? 私は疲れて、歩くのも面倒になったから、お前を杖代わりにしているだけだ」

 飄々と適当な事を言うC.C.。

 本当に気を遣い過ぎである。

 ルルーシュは生徒会の皆を切り捨てたつもりはない。

 ゼロだと明かしたせいで、もう今までのようにはいられないだろう。

 あの輪の中からも弾き出されてしまうだろう。

 立ち位置は変わってしまうかもしれないが、ルルーシュにとってはそれだけだ。

 皆を大事に思う気持ちは変わらない。やることは変わらない。

 ただ、一つだけ、心残りがあることを思い出した。

 自分の記憶以外からは消えてしまった約束。手に入れたかった『明日』があった事を思い出したのだ。

 それを叶えたい、と少し思ってしまった。

「……許されるだろうか?」

 都合の良いことを言っているのは分かっている。

 でも、同じ場所からではなくとも、同じ空を見上げる事くらいは許してもらえるだろうか?

「? 何か言ったか?」

「いや、……ああ、そうだ。C.C.、お前――」

 ついでに。

 一人、増えることも。

 

「お前、―――花火は好きか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――皆。

 

 

 

 

 ――――また、ここで花火を上げよう。

 

 

 

 

 ――――絶対。絶対に、もう一度。

 

 

 

 

 ――――皆で…………

 

 

 




 ……おや!? 千草の ようすが……!

 黒の騎士団総司令、副司令のプライベートが拗れる回でした。

 ちょっと、リヴァル苛め過ぎたかなーと思ったり。……シャーリーもですけど。苛めた分、彼等の想いの強さが表現出来ていたら良いなーと思います。

 今話の勝者はC.C.。
 女二人のラブアピールを妨害しつつ、自分はイチャコラ。やはり、メインヒロインは強かった。


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PLAY:12

 今回、名無しキャラ視点の場面が多いです。
 つまらないかもですが、ご容赦を。


 暗闇が薄く、変わり始めた。

 夜の黒と朝の白の狭間。昇らぬ陽の光で青に染まる時間。

 夜に生きる者の時間ではない。

 昼に生きる者の時間でもない。

 誰もが眠りにつくであろうこの時間は、その幻想的な青と相まって、まるで世界そのものが眠りに落ちているかのようだ。

 しかし、数多の音が息を潜めるこの時間も、今日ばかりは違う。

 この時間を越えて、夜明けを目指す者達が此処にいるからだ。

 

「くそッ! クソォぉぉぉッ!!」

 怒声よりも、泣き声に近い声を上げて、ブリタニア軍に属する男がナイトメアの機銃を斉射する。

 だが、繰り出されるそれは、もはや、攻撃ではなかった。

 迫る恐怖から逃れる為に、銃という確かな凶器のもたらす安心感に依存しようと、ただ闇雲に発砲しているだけである。

 少なくとも、この間断なく鳴り響く銃撃音が手元から聞こえている間は、男は完全に恐慌状態に陥る事だけは避ける事は出来るだろう。

「畜生ッ! おいッ、援軍はまだなのか!?」

 規律が徹底される軍人とは思えない程に、荒々しく感情的な発言を通信に垂れ流す。

 本来なら、厳罰に処されるべき振る舞いではあるが、その判断を下す上官からして、彼と同じようなものなのだから、どうしようもない。

 援軍は必ずやる。それまで耐えろ。

 早口で聞き取りにくい、司令部からの口先だけの希望と無茶な命令に、くそったれが! と男は吠えた。

 それまで耐えろ?

 たった一人で、どうやって。

 数多くいた仲間は既に、其処らでナイトメアを棺桶にして、覚める事のない眠りに就いている。

 いつ、彼等と一緒にそこに寝転がる事になるか分からないのにふざけた事を抜かすな。

 心の中でか、それとも、口に出してか。

 そんな事を思いながら、その間にも、残弾数と共に心がすり減っていく。

「クソッ、クソクソクソクソクソォ! 畜生! 何で俺がこんな目にッ!」

 自分はブリタニア人だ。そして、ブリタニア軍人だ。

 強者の筈なのだ。

 なのに。

 なのに、何でこんな目に遭っているのだろう――?

 

 強さとは麻薬である。

 その甘美なる蜜の酒は、人を狂わせる。

 この男も、軍に入った当初は、真っ当な軍人だった。

 国の為、国民の為。

 立身出世の欲はあったが、身を壊す程のものではなく、彼は日々軍人として邁進していた。

 変わったのは、このエリア11に配属されてからだった。

 高みから、圧倒的に弱者な存在をいたぶる快感。

 人の命と運命を自身の思うがままに出来るという全能感。

 そして、搾り取った富と贅沢。

 国の支柱となることを夢みた男は、夢見心地を与える現実を前に堕落し、軍人として腐っていった。

 

「畜生ぅ、畜生ぅ……」

 終わりを感じるからか。

 もはや、男の恨み言は、完全に泣き言に変わっていた。

 上手くいっていたのに。満たされていたのに。

 これからも、愉しく楽に生きていけると思ったのに。

 こんな終わり方、想像すらしていなかった。

 カタカタ、と震えながら、それでも操縦桿を握り、銃撃を続けていく。

 無意味でも、もう、その行為だけが、彼を軍人たらしめていた。

「―――――――ひ」

 そして、遂にその時が来た。

 死の宣告のように、残弾数が残り僅かを告げるアラートが響く。

 もう、まもなく、弾は切れるだろう。

 そして、その時が男の終わりである。

「……ぃ、だ、いや、だ」

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 死にたくない。死にたくない。生きていたい。

 今までずっと、飽きるくらいに聞いて、嘲笑い、踏みにじってきた者達と同じ願いを、彼は胸中で呟いた。

「ふざけるなッ! イレブンならイレブン(弱者)らしくしていろよッ!」

 最後には完全に逆上し、罵詈雑言を吐き出し始める。

 散々食い物にしてきた存在に、最後は路傍の石を蹴飛ばすように殺される。

 その屈辱に、男の顔が真っ赤になった。

 そんなのは嫌だった。

「ん?」

 何とかして、生き延びようと必死に思考しながら、生存の光を求めて、視線を巡らせていた男は、レーダーに味方の認識反応があることに気付く。

 数は六~七機。反応の動きは滅茶苦茶で、恐らくあちらも逃げ惑っているのだろうことが窺い知れた。

「……………」

 それを見た男の顔に卑しい笑みが浮かんだ。

(アイツらに、敵を上手く押し付けることが出来れば………)

 助けようとは、一切考えない。

 軍人としてはもとより、人間としても誇れない考えを実行に移すことに男は躊躇いもしなかった。

 即座にその場を放棄する。命令違反という言葉は、もう彼の頭には存在しなかった。

 ただ、助かるために。生き残る為に。

 再び、他人を食い物にしようと走った。

 だが――――。

「は――――?」

 間の抜けた声が上がった。

 理解できない事が起こった。

 レーダーに映っていた複数の味方機の反応。

 それが、いきなり、消えたのだ。

 蝋燭の火を吹き消すように、ふっ、と。

 あまりに唐突な事だったため、男は呆けたような顔をする。

 自身が助かる事のみ考えていた男は気付かなかった。見落としていた。

 何故、複数で固まっていたナイトメアの集団が、あんなに隊列を乱して、不様に逃げていたのかを。

 

 その答えを男は知る事はなかった。

 生涯最期の時を、血が沸騰しそうになるほどの熱の中で過ごすことになった彼には、答えあわせをする余裕なんてなかったからだ。

 

 

『エナジーフィラー保管施設、防衛ラインを突破。これより、制圧に入ります』

『通信施設、こちらは間もなく制圧を完了する』

 進軍を続ける黒の騎士団の戦況報告が届けられる。

 虫食いのような敵のお粗末な防衛網を悉く蹴散らし、黒い駒が次々とチェックを掛けていく。

『敵軍、航空戦力の発着場は抑えた』

『TV局の制圧は、今暫く時間を下さい、ゼロ』

 頭にトウキョウ租界の地図を浮かべ、報告に合わせてそれを塗り潰していく。

「敵工廠施設と都市ライフラインの関連施設はどうなっている?」

 ルルーシュが通信機を通して、それらの制圧部隊に状況報告を求めると同時、彼の視界に赤い光が映った。

 ちらり、とそちらに目を向ければ、敵軍の残り少ない航空戦力の一部がハドロン砲に薙ぎ払われているところだった。

『工廠施設は、後、数ヵ所で叩き終わる。敵が逃げ腰になっているから予定より早く上がりそうだ』

『ライフラインの掌握も問題ないよ。現状の制圧率、八割を越えた、ってところかな』

 順調そのものである。

 首都攻略も半ばを過ぎれば、流石に敵も躍起になってくるだろうかと思い、本陣であるアッシュフォードを扇に任せ、再びガウェインで前線に戻ってきたルルーシュだったが、予想に反し戦況は危なげなく黒の騎士団が優勢のまま、大詰めを迎えようとしていた。

 有効打を打ち出せない指揮者にも原因はあるだろうが、それ以上に、このエリアに長く駐屯しているブリタニア軍の脆さが目に付く。

 甘い汁ばかり吸い、弱者の相手をする事に慣れてしまったエリア駐屯軍には、この圧倒的不利な状況は想像以上に堪えるらしい。

 逆境で奮う誇りも気概も忘れ、薄皮程度しかなかった軍人としての皮が剥がれ落ちれば、我が身が可愛いとばかりに自分勝手な行動を取る輩が出てくる始末。

 敵の事とはいえ、見るに耐えないその有り様に、ルルーシュの口から思わず溜め息が出てしまうのも仕方ないと言えよう。

 そんな彼等にこれ以上、時間をかけてやる程、ルルーシュは暇でも寛大でもなかった。

「C.C.、どうだ? ここに俺達以外のコードやギアスを感じるか?」

 念押しのように、ルルーシュがC.C.に確認を求める。

 一応、今はルルーシュもコードを保持してはいるのだが、勝手が違うのか、まだ、ルルーシュにはコードやギアスの気配を読み取る事は出来なかった。

「…いや、コードもギアスも近くにはない。だが、私が感じ取れるのは、あくまで純粋なコードとギアスの気配だけだ。そこから派生した存在の感知については、かなり曖昧になる」

「そうか。なら、まだ、イレギュラーが発生する可能性は残っているな……」

 ここまで、懸案事項を悉く潰してきたルルーシュの、最後の心残り。

 『前回』の最後、自分達を追い詰めた厄介極まりない忠臣の存在。

 もし、彼が出てくるのであれば、やはり、これ以上ブリタニア軍で遊んでいる訳にはいかない。

 

 夜明けも近い。

 そろそろ、幕を引くときだろう。

 

「全軍に通達。これより政庁並びに敵軍司令部の制圧に入る」

 いよいよである。

 それを理解してか、黒の騎士団全体の興奮と緊張が高まっていく。

「防衛部隊は、現時刻をもって防衛線の維持を破棄。制圧部隊と合流せよ。同時に部隊を再編。通常の部隊編成に再編後、補給を行い、制圧拠点の防衛に部隊の一部を配置。残りは速やかに最終攻略目標へ進軍を開始しろ」

 最終局面の作戦を指示をし、続けてルルーシュは勝利を確実なものにするべく布石を打っていく。

「南、杉山、井上、吉田。お前達は小隊を率いて、今から言うポイントに向かえ」

 幹部から四人を指名し、あるポイントを口にする。

 戦闘区域から離れた一見して関係なさそうな場所を告げられ、四人は首を傾げた。

「念の為、策を一つ用意しておく。お前達はそこに向かった後、それを実行するための準備にかかれ」

 相変わらず、意図の読めない指示が下されるが、この時ばかりは、どうしたのか四人とも特に何も言わず、直ぐ様動き出した。

 そして、その後、他にも色々と細かな指示を出した後、ルルーシュは最後に藤堂と扇に通信を繋いだ。

「藤堂、扇。しばらく指揮を預ける。作戦進行の指揮は扇が。現場指揮は藤堂が取れ」

 それに二人の目が大きく見開かれた。

 これから、首都解放の最後の戦いを行おうとしているこのタイミングで、最高司令官が指揮権を放棄しようとしている事に藤堂と扇は疑問を隠さずに問い返した。

『どういうことだ、ゼロ。此方が強く攻勢に出れば、敵もその隙を突いて、反撃に出てくる可能性が高い。制圧した主要施設を奪い返されたりでもしたら、敵が勢いづくぞ』

 外縁部と中央区画を分断していた防衛線を破棄すれば、敵はおのずと中央に集まってくる。

 もし、最終攻略に手をこまねいている間に、背後からやってきた敵にせっかく制圧した施設を奪還されでもしたら、黒の騎士団は袋の鼠に陥ってしまう。

 それを避けるためには、最速で政庁と敵の司令部を落とさねばならない。

 それには、やはり、ゼロの天才的な手腕が必要だった。

『そ、そうだぞ、ゼロ。これからが正念場だろう? なのに、いきなり、どうして……』

「正念場なら、もう過ぎている」

 二人の疑念と懸念を断ち切るように、ルルーシュが断言する。

「敵の底は見えている。これ以上ブリタニア軍が何かを仕掛けてくる事はない。断言しよう。此方が最終目標に手を掛ければ、まず間違いなく奴等は戦力を集中して守りに入る」

 戦い方。立ち回り方。軍の動き。

 それらを通して、ルルーシュはブリタニア軍の指揮官の本質を見抜いていた。

 典型的な自己保身、自己愛の強い人間、――つまりは、三流指揮官だと。

 今、刃を交えているブリタニア軍の大半も同様だろう。

 そんな彼等が、我が身を危険に晒してまで僅かな勝機に賭けて反撃に出てくる事は、まず有り得ないと言える。

「わざわざ烏合の衆が一ヶ所に集まってくれるというんだ。そこをまとめて叩けばいい。それで終わりだ」

 私がいなくても問題ない、とルルーシュが締め括る。

『……話は分かった。此方は、我々で何とかしよう』

『ああ、それでゼロ。君はどうするんだ?』

「私は、先に政庁に向かわせてもらう」

 すっ、と視線が動き、ルルーシュの紫紺の瞳がトウキョウ租界で最も高い建物を捉えた。

 捉えると同時。その瞳が如何なる感情からか、少しだけ細くなる。

「……話をしておきたい相手がいる」

 

 

 黒の騎士団の動きが変わった。

 攻勢の色合いが増し、明らかに政庁と軍司令部を狙っている。

 その報告を受けて、現在、トウキョウ租界のブリタニア軍の指揮官である男の顔色が目に見えて青くなった。

「何をやっている! この愚か者どもが!」

 口を衝いて出てくるのは、罵倒。それのみ。

 他の言葉は一切口から出てこない。

「たかだかイレブンの集団にいいようにされおって! それでもブリタニア軍人かッ!」

 一番いいようにされているのは、果たして誰か。

 それを誤魔化したいのか、指揮官は絶えず、唾を吐き続ける。

 

 黒の騎士団が奇襲を仕掛けてきた当初は、この男の顔にも余裕の色があった。

 むしろ、チャンスだと考えていた。

 どういう小細工を使ったのかはしらないが、敵がコーネリアを出し抜いてきたのは事実。

 彼女の失態で危機に陥ったトウキョウ租界を、自分の采配で見事護り抜く事が出来れば、自分の評価は確実に上がるだろう。

 そんな甘い面持ちで、戦闘に臨んだ彼を待っていたのは、圧倒的な黒い蹂躙。

 自信を持って打ち出した策は裏目に出て、白紙に墨滴を垂らしたように広がっていく黒の騎士団の侵攻に何も出来ないまま、ズルズルと追い詰められていってしまった。

「くそッ、何でも良いから、早く何とかしろッ!」

 混乱が極まり、額に脂汗を滲ませた指揮官は、既に自分で考える事をやめ、ひたすらに他者に事態の収束を命じるだけだ。

 そうこうしている間にも、もたらされる報告は事態の悪化を知らせてくる。

 このままでは、全てを失う。

 地位も名誉も。それどころか命さえも。

 そんな事が思い浮かんだ指揮官が取った行動は、まさしくルルーシュが予見した通りだった。

「全軍に命じるッ! 全ての戦力を政庁と此処に集めよ! 何としても、此処が落とされるのだけは防ぐのだッ!」

「ま、待って下さいッ!」

 保身の為に、何も考えず、ひたすら己の周りを固めようとする指揮官に、まだ、まともな思考が残っていた軍人の一人が反論した。

「ただ守りに入ってもジリ貧ですッ。勝つには、敵に奪われた施設を奪い返さなければ!」

 例え、本丸たる政庁が無事でも、都市機能を敵に掌握されてままでは状況は好転しない。

 嵐の海でポツン、と小舟が沈まずに浮かんでいたとしても、それにどれだけの意味があるのか。

 現状を打破するには、危険でも此方も打って出るしかない。

 そう必死になって、軍人は指揮官に進言するが、返ってきたのは血走った目で睨み付けてくるその視線だった。

「ふざけた事を抜かすなッ! そんな事をしている間に此処を落とされたらどうすると言うんだ! 政庁にはユーフェミア様もいるんだぞッ。適当な作戦を立てて、もし、何かあれば、責任を取れるのか!? えぇ!?」

「―――――ッ」

 軍人がきつく唇を噛みながら、黙り込む。

 責任、という言葉を出されれば、もう、彼には何も言えなかった。

「とにかく、守れ! 何としてもだ! そうすれば、――そう、そうすれば、必ずコーネリア殿下が助けに来てくれる!」

 ふと、浮かんだ考えをそのまま口にする。

 だが、その発言は、今までの無意味なものに比べれば、程々に効果はあった。

 窮状を知らせてきたコーネリアは、全力でトウキョウを目指していると言っていた。

 だとすれば、耐え続けてさえすれば、いずれコーネリアが駆け付けて、助けてくれるだろう。

 皆がそう思った。

 …もっとも、その発言をした当の本人は、コーネリアが来れば、全ての責を彼女に押し付けられる、とそんな浅ましい事を考えていたが。

 それでも、希望が見えるからか。司令部内がにわかに活気づいた。

 仮にコーネリアが間に合ったとして、どうやってこの状況をひっくり返すのか。どうやって黒の騎士団に半ば奪われたトウキョウ租界を取り戻すのか。

 そんな事は考えない。そんな不安に向き合える程、彼等の心に余裕はない。

 だから、祈る。

 普段は祈るどころか、神の存在すら笑い飛ばしているのに、今だけは都合よく、真摯に。

 早く助けが来るようにと。

 早く救いがあるようにと。

 

 ―――だが、その祈りが神に届く事はない。

 

 何故なら、彼等が相手にしているのは、魔王ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。

 神すら支配してみせた男を前に。

 神への祈りなど、通じる筈もなかった。

 

 

 土煙が舞う。

 戦場となっているトウキョウから離れた山道の一つ。

 普段はあまり、人の通る事はないが通行に不便を感じない程度には整備が行き届いているトウキョウに通じる道の一つ。

 そこを全力で抜けようと脇目も振らず、疾走する集団があった。

 コーネリア軍である。

 火急の報せを、本国とトウキョウ租界に入れたコーネリアは、速やかに残存兵力をまとめ上げ、一路、トウキョウに向かって突き進んでいた。

 そして、そんなコーネリア軍を遠くから見ている存在が一つ。

「来た、本当に来たぞ……!」

 双眼鏡片手に見張りをしていた日本人の若者が、地平に地鳴りを上げて、此方に向かってきているコーネリア軍を確認して、鼻息を荒くしながら、離れた場所にいる仲間達に通信で報告を入れる。

 

 彼等はレジスタンスのグループだった。

 この界隈に拠点を置き、日々、日本奪還の為に活動していた。

 とはいえ、黒の騎士団や日本解放戦線のような大それた組織ではない。

 本格的にブリタニアと事を構えるには、今一つ覚悟が足りない。

 精々が、名ばかりの、と付かない程度に活動している極小規模な組織だった。

 そんな彼等に、黒の騎士団の副司令から連絡があったのは、数時間前の事になる。

 

「よし。……ッ、おい、準備は出来てるのか?」

「ああ、バッチリだ……ッ」

 いつもの嫌がらせのような活動とは違う。

 これは紛れもなく日本の奪還に通じる作戦の一端である事。

 そして、相手が其処らの軍人ではなく、天下のコーネリアである事。

 本当の戦争に身を浸しているという実感に、リーダー格の青年や応じる仲間の声が、緊張で上ずった。

 地響きが強くなってくる。

 刻一刻と浮き彫りになっていく、軍列の先頭を走るブリタニア製のナイトメアの姿。

 それは、八年前のあの日から、日本人にとっての恐怖の象徴。夥しい量の血をこの国の土に染み込ませてきた虐殺の象徴でもある。

 今までのレジスタンス活動では見ることのなかった、そんなナイトメアが数え切れない程に含まれた、ブリタニアの大軍。

 それは、元を辿れば、唯の一般人でしかないレジスタンスのメンバーからしてみれば、見ているだけで戦意が挫かれてしまいそうな程に、暴力的な光景だった。

「―――――」

 でも、挫けない。

 恐怖と緊張で身体が震えるのを誤魔化せなくとも、振り上げる手の動きが鈍る事はない。

 意地があるのだ。彼等にも。

 願いがあるのだ。この国に生まれた命には。

 そう。

 例え、花を咲かすことは出来なくても。小さく芽吹き続けてきた意思がこの国には無数にある。

 で、あるならば。

 それを拾い上げずして、何が奇跡か。

「―――今だッ!」

 タイミングを見計らっていたリーダーが、勢い良く腕を振り下ろす。

 それに合わせて、爆弾から伸びたケーブルが繋がっている起爆装置の取っ手に手を添えていた仲間の男が、思いっきりそれを押し込んだ。

 爆音が響く。

 崖が崩れ、岩が雪崩れた。

 

 ブリタニア軍が巻き起こした土煙とは、また、別の土煙が、もうもうと視界を曇らせる。

 トウキョウへの道。その道の半ばを過ぎたところで起こった、突然の土砂崩れに、先を急いでいたブリタニア軍は慌ててその足を止めた。

「くそッ! またしても……ッ!!」

 もう、何度目かになる足止め。

 手を変え、品を変え、何度も自分達の道往きを邪魔するイレブンの妨害に、コーネリアは苛立ちの言葉と共に拳を力一杯振り下ろした。

 直接的な被害はない。道を塞ぎ、進路を断つだけの単純な策。

 だが、それも複数回に渡って続けば、余裕と時間も奪われよう。

「やはり、これもゼロの仕業でしょうか?」

 部隊の被害状況を確認していたギルフォードが、憔悴の色が濃くなった顔を懸命に引き締めながら、コーネリアに問い掛ける。

 それに、コーネリアは答えない。

 だが、否定をしない事が答えだと彼女から発せられる怒り混じりの威圧感が、そう物語っていた。

 進軍の勢いを削ぐ絶妙のタイミング。

 返すか、進むか。それに迷いが出る絶好のポイント。

 そして、個々にあって繋がりのない小さなレジスタンスに渡りをつけ、地雷のようにトウキョウまでの道に配置させた交渉力。

 考えるまでもなく、この裏にゼロがいると言えた。

 

 事実その通りである。

 コーネリアは迷いなく、己が心に従って、トウキョウに引き返す事を決めたが、ここに至っても「らしさ」を失わない彼女の強さは、それ故に皮肉にもルルーシュの予測にも迷いを与えなかった。

 ならば、コーネリアが間に合う、間に合わないは別にして。

 何もしないという選択肢はルルーシュにはない。

 敵が万が一の可能性に賭けるなら、その一すら刈り取っていく。

 徹頭徹尾、敵に付け入る隙を与えない。

 その徹底した容赦の無さが、彼を世界の頂きに押し上げたのだ。

 だが、手持ちの戦力である黒の騎士団は、トウキョウ奪還で精一杯で、コーネリアの足止めまで手が回らない。

 そこで、ルルーシュは、先のような特区・トウキョウ間に数多く点在するレジスタンスグループに白羽の矢を立てた。

 本来であれば、所在は元より、存在すると知られる事すら死に繋がるかもしれない、小さなレジスタンスグループを見つけ、連絡を取ることは困難を極めるが、ルルーシュには、『前回』、ブラックリベリオンの時の記憶がある。

 その時に、黒の騎士団に合流したレジスタンスの情報を記憶から掘り起こしたルルーシュは、彼等にコーネリア軍の妨害を要請した。

 誰あろう、ゼロ直々のご指名である事。

 戦闘をするのが目的ではないので、危険が少ない事。

 そして、何より、日本を取り返すのに一役買いながら、ブリタニアに一矢報いられる事。

 断る理由はなかった。

 扇から連絡を貰ったレジスタンスは、皆、一も二もなく頷いた。

 

「ちぃ……ッ」

 ナイトメアから降りたコーネリアが、道を分かつように堆積する土砂の山を見上げて、顔をしかめる。

 数十メートルに渡って、道を塞ぐ土の山は崩れたばかりで柔らかく、そう易々と越えていけそうもなかった。

 ナイトメアだけなら、周囲の崖を登り、迂回する事も出来なくはないが、フィラーや待機中のナイトメアを積んだトレーラーは、どうやっても無理だ。

 必然的に、今、この場における選択肢は目の前の障害物を撤去して進むか、他の道があるところまで引き返すかの二つに絞られる。

 どちらを選んでも、時間を多量に消費する以上、せめて、即断し、迅速に行動しなければならない。

 だが――――

「……………」

「姫様………」

 沈黙を貫くコーネリアに、ギルフォードが声を掛ける。

 分かっている。

 こうしている間にも時間は流れていく。無駄に出来る時間は、一秒とてない。

 それは、コーネリアが一番、よく分かっている。

 分かっていて、それでも、コーネリアは沈黙せざるを得なかった。

 この極小レジスタンスの足止めが、ゼロによるものだと一度目の襲撃の時に理解していたコーネリアは、勿論、ただ、されるがままでいた訳ではない。

 罠を回避するべく、相手の思考を読んで、ルートを厳選していた。

 広い道。狭い道。公道。山道。果ては、獣道。

 条件を絞らなければ、道など無限にある。

 いくら、ゼロと言えど、その全てに罠を張るのは不可能に近い。

 準備に掛かる時間を考えれば、コーネリアがルートを選んだ後に手を打つ事は出来ないだろう。

 多少、時間を奪われるのは痛いが、これ以上、敵の妨害を受けてやるつもりはコーネリアにはなかった。

 だが、ここに来て、その見通しは甘かったと思い知らされる。

 確かにコーネリアの言う通り、全ての道に仕掛けを講じる事は出来ない。

 限りのある手札で敵の時間を少しでも奪おうと考えるならば、この場合、最短ルートを潰し、なるべく時間の掛かるルートを通らせるようにしようと考えるのが普通だろう。

 その辺りを踏まえ、また、逆に時間の掛かり過ぎる道にも罠がある可能性など、考え得るリスクを排してルートを選んだコーネリアに、特に落ち度はなかった。

 だというのに。

(何故、こうも行く先々で………ッ)

 どの道を選んでも。どれだけルートを模索しても。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、行く先々で敵が待ち受けているのだ。

 一度や二度ならともかく。

 何度、道を選び直しても、必ず敵の妨害を受ける以上、偶然で片付ける事は出来ない。

 信じられないが、自分の考えをゼロに完全に読まれている可能性がある。

 その疑念が、コーネリアから判断の速度を奪っていた。

 繰り返すが、コーネリアに落ち度はない。

 ただ、今回に限れば、相手が悪かったと言える。

 まさか、相手がどう思うか。何を考え、何を話すか。

 先んじて言動を予測し、録画した内容で会話を成立させる程に相手の思考・心理を読み切れる人間がいるなんて誰が思おう。

「クソ……ッ」

 白い手袋ごと爪を噛み、コーネリアは吐き捨てるように悪態を吐く。

 退くのが正しいのか。進むのが正しいのか。

 別の道を行くのが正しいのか。

 だが、その先で、また、妨害を受けるかもしれない。

 なら、多少、時間が掛かっても障害物を排除して、先に進むのが良いのか。しかし、この先に罠がないとは言い切れない。

 思考を重ねれば重ねる程、迷いは深くなり、焦りが積もっていく。

「どこまでも、あの男は…………ッ」

 積もった焦りが、苛立ちと怒りを助長させる。

 こんな所で立ち止まっている暇はないのに。

 早く、一秒でも早く、トウキョウに向かわねばならないのに。

 直接刃を交えず、陰湿なやり方でこちらを盤上から排しようとするゼロにコーネリアは怒りを感じずにはいられない。

 そして、それ以上に―――

「自ら噛みつく牙も持たない雑魚共めッ。狩るまでもないと見逃していれば、付け上がりおって――――ッ」

 それ以上に、弱者と見なした連中に手をこまねいているという事が腹立たしく、屈辱的だった。

 

 戦いが始まる前、コーネリアは敵はゼロ、唯一人と定めた。

 数いる抵抗勢力など歯牙にもかけず、他は、全て取るに足らない存在だと断言した。

 その認識に間違いはない。

 事実、その他大勢のレジスタンスなぞ、彼女にかかれば号令の一つで吹き飛ぶ塵の様なものでしかないだろう。

 だから、コーネリアは彼等に目もくれなかった。

 だが、それこそが彼女の間違い。

 彼女は彼女の物差しでしか強さを測れず、それ故に見誤ったのだ。

 どれだけ踏みにじられても、芽吹き続ける。

 道端に生える雑草にも強さがあることを彼女は知らなかった。

 故に、こうして、今。

 コーネリアは苦しめられている。

 ゼロの手引きがあったとはいえ、コーネリアは、歯牙にもかけなかった者達の小さな強さによって、愛しい妹のいるトウキョウに向かう事も出来ず、遥か遠い道の只中で立ち往生する羽目になっていた。

 

 光の濃度が増す。

 夜が途切れ始め、白に染まった東の空が、もう夜明けまで時間がない事を告げていた。

 その空を憎々しげにコーネリアは睨みつけた。

 本来なら、新しい日の始まりを予感させる、清々しい光景も、今のコーネリアにはジリジリと焦燥を煽る砂時計のようにしか感じられなかったからだった。

 

 

 カツン、カツン、と明るくなり始めた空の光に照らされた廊下を一人、歩く。

 非戦闘員は、我先に逃げ出したのか、エリアにおける権力の象徴である場所にしては、とても人の気配が薄い。

 それでも、時折、現れる警備員や兵を散らし、迷いなく目的の場所へ歩いていく。

 状況を鑑みれば、もう避難している可能性の方が高い。

 だが、きっといるだろう。

 愛らしい外見に似合わず、胆が据わっている事は、昔から知っているし、あれでいて、気性の面でも姉と似通っているところがある。

 だから、きっと逃げずにいるだろう。

 そう、確信していた。

 そうして、目的の場所に辿り着く。

 ドアをロックしているシステムを持ち前の技術で解除して、扉に手を掛けた。

 シュン、と軽い音を立てて、扉が開かれる。

 開いた扉の向こう―――。

 そこに、半日前に顔を合わせた、二度と会うことの叶わないはずの妹の姿があった。

 

「ルルーシュ…………?」

 突然、ロックされていた扉が開いた事に驚き、警戒心を露にしながら振り返ったユーフェミアだったが、そこに立っているのが誰だか分かると頭が真っ白になってしまった。

 黒い衣装を身に纏った黒い仮面の男。

 顔どころか、肌すら見えないのに、ユーフェミアにはそれが兄であると確かに分かった。

「本当に、生きて―――……」

 ふつり、と眦に涙の珠が浮かぶ。

 死んでしまったのではないかと思っていた。

 ゼロが生きていた、というのは聞いていた。

 でも、自分の手やスカートを真っ赤に染める程の血を流している姿をユーフェミアは直に見ていたから、皆が言うゼロは自分の知るゼロ()とは違うのではないかと思っていた。

「……ああ、心配を掛けた」

 口元を覆って、嗚咽を漏らすユーフェミアにルルーシュが仮面越しに声を掛けた。

「ううん。……良かった。本当に」

 ふるふる、と涙を溢しながら、小さく首を振る。

 その顔に笑顔が戻る。

 それは、いつものように柔らかくて、温かく、華を思わせる笑みではあるが。

「貴方にまで何かあったら、私は本当に何の為に………」

 いつもとは違い、どこか後ろ向きな感情が窺える、まるで、今にも花弁が落ちて、儚く散ってしまいそうな、そんな華を思わせる笑顔であった。

「ユフィ?」

 それにルルーシュも気付いたのだろう。

 様子の可笑しい妹を窺うように名前を呼んでみるも、返ってきたのは消えてしまいそうな程に弱々しい笑みだった。

 ユーフェミアは答えない。

 眦に残った涙の滴を指先で払うと、くるり、とルルーシュに背を向けて、窓の方を向いた。

「………皆。皆、分かっていたのね」

 視線を窓の外に向けたまま、ユーフェミアが、ポツリ、と言葉を落とす。

 高い政庁の建物から、下を見下ろせば、明るくなり始めた空に照らされた街並みが見えた。

 トウキョウ租界と、ゲットー。

 ブリタニア人と、日本人の住む街並みが。

「お姉様も、シュナイゼルお兄様も。…ルルーシュも、分かってたんでしょう? きっと、こうなるって」

 脈絡のない、唐突な話題だったが、ルルーシュにはユーフェミアが何の事を言っているのか理解出来た。

 だから、余計な口を挟まず、黙って彼女の吐露に耳を傾ける。

「当たり前よね。私にさえ、思い付いたんだもの。お姉様やルルーシュが思い付かない筈ないわよね」

 そんな事にも気付かないで、私……、と言う、その顔に浮かぶ自嘲的な笑みが窓に映る。

 正しいと思う事をした、――つもりだった。

 喜んで貰えると思う事をした、――つもりだった。

 幸せになれると思う事をした、――つもりだった。

 熱い想いを胸に、眩しい夢を見た。

 それを叶える為に、自分の意思で自らの道を歩み出した。

 それが、ただ単に、熱に浮かれ、眩しさに目が眩んでいただけだったと気付いたのは。

 全てが終わってからだった。

「取り返しのつかない事をしちゃった」

 スザクは、ユーフェミアは間違っていないと言った。

 でも、そんな訳がないとユーフェミアは思う。

 間違っていたから、失敗したのだろう。

 間違っていたから、拒絶されたのだろう。

 だから、そんな自分が正しいなんて事はあり得ない。

 ユーフェミアが振り返る。

 その瞳が、先程とは別の涙で揺れていた。

 頬に熱い涙を伝わらせながら、それでも微笑む彼女は、――とても、痛々しかった。

「全部、……ッ、私の、せい。……私、が、間違っていた、……からッ、あんな事が起きた。そう、なんでしょ………ッ?」

 私が間違ったから。私がいたから。私のせいで。

 私が。

 私が。

 私が――――。

 血を吐くように、自分を否定し続けるユーフェミア。

 そこに、幼い少女がいた。

 しゃくりあげ、止めどなく涙を溢し、自分が描いた夢を破り捨てようとしている少女が。

 でも、出来なくて。

 間違っていると思っていても、その夢を、願いを、自分では捨てきれなくて。

 だから、誰かに、――いや、ルルーシュに否定して欲しかった。

 一度は手を取ってくれて、だけど、そのせいで傷つけて。

 自分の夢にいて欲しいと望むルルーシュに終わらせて欲しかった。

 自分とは違う方法で、同じ夢を望むルルーシュなら、終わらせてくれると思った。

 でも――――

「………………」

「―――るるぅ、……しゅ?」

 その首が、しっかりと、そして、はっきりと横に振られた。

 その意味が分からず、ぼんやり、とユーフェミアは黒い仮面を見つめる。

「ユフィ。君は間違えたんじゃない。知らなかったんだ」

 無機質な仮面に似合わない、優しげな声が響く。

 遠い昔、自分や彼の妹の他愛ない疑問に答えてくれていた時のような声で。

「知らなかった? ………何を?」

 何を知らなかったのだろう、とユーフェミアは幼子のように首を傾げた。

 ブリタニア人の事をだろうか?

 日本人の事をだろうか?

 苦しみの意味をだろうか?

 悲しみの意味をだろうか?

 答えは、――全て、否。

「自分自身の事を」

 予想外の答えに、ユーフェミアの頭が真っ白になった。

 それは、決してユーフェミアだけのせいではないだろう。

 陳腐な言い回しになるが、世界は広い。

 一歩、今いる場所から踏み出せば、それだけで世界は色を変える。

 その色の分だけ、人は仮面を持つのだ。

 ルルーシュが、皇族、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアであるように。

 学生、ルルーシュ・ランペルージであるように。

 奇跡の男、ゼロであるように。

 全てに憎まれる、悪逆皇帝であるように。

 

 永遠を生きる魔女にとっての、たった一人の魔王(共犯者)であるように。

 

 人と交われば、交わるだけ仮面は増えていく。

 そして、その仮面も。

 ちょっと角度を変えれば、光を映す硝子のように、その仮面の色も、誰が見ても同じ色には決してならない。

 だから、世界は簡単ではないのだ。

 だから、世界は、こんなにも思い通りにならないのだ。

「君は、まず、知るべきだったんだ、ユフィ。たとえ、君の手が血で汚れていなくても、君の名が、既に血で汚れていることを―――」

 ユーフェミア・リ・ブリタニア。

 神聖ブリタニア帝国第3皇女。

 血の臭いとも、硝煙の臭いとも無縁な、可憐な華の姫君。

 平和を願い、平等を尊ぶ慈愛の皇女。

 そして。

 強さのみを是とする皇帝の娘。

 虐殺を行い、沢山の命を無為に奪った腹違いの兄と実姉を持つ少女。

 今も、日本人を、弱者を虐げ続けているブリタニア。その象徴たる皇の血を引く者。

 本人がどう思おうと、どう望もうと、その想いとはかけ離れた色でユーフェミアを見る者もいる。

 いや、皇族としての権力を振るい、特区を実現しようとした以上、そこに含まれる業も背負わなくてはならない。

 ブリタニア皇族がその力を、地位を、栄誉を得る為に、流した血と犯した罪も、ユーフェミアは負わなくてはならなかった。

 でも、ユーフェミアは気付けなかった。

 ずっと、変わらない優しい世界にいたから。いさせてくれたから。

 自分の預かり知らない所で、自分の意味が変わる事もあると知らなかった。

 だから、見落としてしまった。

 苦境に嘆き、悲嘆に暮れる日本人達に手を差し伸べる一方で、ブリタニア(自分)のせいで誰かを失った人達の怒りと憎しみに気付いてやれなかった。

 間違ったのではない。

 ユーフェミア・リ・ブリタニアは、ユーフェミア・リ・ブリタニアを知らなかった。

 それだけなのだ。

「そう…………」

 話を聞き終えたユーフェミアが、小さくそう呟く。

 何がいけなかったのか。その答えが分かっても、いや、分かったからこそ、ユーフェミアの顔に明るさが戻る事はなかった。

 結局、大して変わらない。

 間違っていたのか。知らなかったのか。

 そこに、大きな違いなんてないだろう。

 自分が悪い事には変わらないのだから。

「やっぱり、私のせいだったのね。私が、何もしなければ良かったんだ」

 ギュッ、と前で合わせた両の手を強く握り込む。

 無知なまま、夢を語ってしまったのが悪かったのだ。

 皆の言う通りだ。

 お飾りは、お飾りらしく。綺麗に飾られていれば、それで良かったのだ。

 カタカタ、とユーフェミアの細い肩が震える。

 それが、悔しさで震えているのか。

 羞恥か、それとも、悲しみか。

 震えている本人にも、よく分からなかった。

 そんなユーフェミアを、ルルーシュは黙って見つめていた。

 少しの間、そのまま黙っていたルルーシュだったが、暫くするとゆっくりとユーフェミアの方へ歩き出した。

「―――前に、言われた事がある」

 窓際に立つユーフェミアの側に向かいながら、ルルーシュが口を開く。

「ずっと、ある一人の為に戦ってきて。きっと、俺の戦いが、俺の望みがその人を幸せにすると信じて戦ってきた。でも、俺の戦いはその人に否定された。貴方のやり方は間違っていると思う、と」

 その手が仮面に触れる。

 ルルーシュの靴の音と、仮面がスライドする小さな音にユーフェミアが顔を上げた。

「もう、俺の戦いに意味はないんだと。俺は必要ない、むしろ、邪魔なんだと。自分のしてきた事が全て意味のない、間違ったものだと思って、自暴自棄になりかけていた俺に、ある女性がこう言ったんだ」

「――――――?」

 靴音が止まる。

 仮面を外し、ユーフェミアの目の前に立ったルルーシュは悲しみに染まる妹の瞳を真っ直ぐに見つめながら、言葉を紡いだ。

「一度、失敗したから何よ、って」

 その言葉に、ユーフェミアの目が大きく見開かれた。

「俺には夢を見せた責任があるって、そう怒られた」

 その時の事を思い出して、ルルーシュは小さく笑う。

 でも、それも一瞬で。

 再び、真摯な、力ある瞳がユーフェミアの瞳を捉える。

「誰かを慮り、何かをしようとする気持ちも、行いも、とても尊いものだ。でも、それを振り払われたからと言って、否定してしまえば、それは、ただ善意を押し付けようとしていたという事になる。それは、悪意と何も変わらない」

「ルルーシュ……」

 戸惑いの色を見せるユーフェミア。

 ルルーシュが何を言いたいのか、分かるような。でも、分かりたくないような。

 そんな曖昧な表情でルルーシュを見つめ返す。

「人は神ではない。失敗しない人間なんていない。答えを間違えずに歩み続ける事なんて、誰にも出来はしない」

 その視線が掌に落ちた。

 ルルーシュ自身、沢山、失敗した。沢山、間違えた。

 その結果、多くのものを失った。多くのものを犠牲にした。多くのものを切り捨てた。

 その手に残ってくれたのは、たった一人だけだった。

 拳を握る。

 その手に残ったものを、噛み締めるように握ると、再びユーフェミアに視線を戻した。

「確かに、ユフィ。君の特区は失敗した。でも、君の夢を、誰も信じなかったのか?」

「それ、は…………」

 果たして、あの特区に誰も来なかっただろうか?

 皆がくだらないと、そっぽを向いただろうか?

 いいや、そんな事はなかった筈だ。

「夢を捨てるな、ユフィ」

 ルルーシュの手がユーフェミアの手に触れる。

 真っ白になるくらい、強く固く握り込んだ手を解すように、指を一本一本、開いていく。

「失ったものだけを見るな。まだ、この手に残っているものを見ろ。あの時、この手の上にあったものを思い出せ。それが、君の、夢の重みだ」

 優しく、兄の手に握り締められた自分の手の平を見る。

 そして、思い出す。

 あの時の光景を。

 あの時、特区に来てくれた人達の事を。

 自分の語った夢を、信じてくれた人達の事を。

「でも、……でも、また、失敗したら…………」

 怖かった。

 また、失敗したら。間違えたら。

 また、今回のような事が起こったらと思うと怖かった。

 次は、この手の平から全てのものが溢れ落ちてしまうかもしれない。

 そう思うだけで身体が縮んだ。

「一人で考えるな」

 ともすれば、弱気に踞りそうになるユーフェミアに、ルルーシュが言葉を注ぐ。

「君は一人ではないだろう? ユフィ。自分一人で不安なら、誰かと一緒に考えれば良い。誰かと一緒に頑張れば良い。少なくとも、君には、君と一緒に夢を見てくれる誰かがいた筈だ」

「あ…………」

 そう告げられた言葉に、目の前が開けた気分になった。

 その人の顔が思い浮かぶ。

 誰にも理解されず、一人で戦う人を。

 誰に分かってもらえなくとも、一人、足掻いていた人を。

 その人の力になりたかった。

 その人と一緒に戦いたかった。

 そう想う人が、自分のすぐ隣にいてくれた事を。

 ユーフェミアは思い出した。

「人を信じる事をやめるな」

 それでも、上手くいかない事もあるだろう。

 失敗し、間違え、打ちのめされる事もあるだろう。

 それでも―――

「人を想う事をやめるな」

 人の気持ちが分かるから、人は人に優しくなれるんじゃない。

 人を想うから、人を思いやろうとする気持ちがあるから、人は人に優しくなれる。

 それが、いつか、きっと、ルルーシュやユーフェミアやナナリーの願う、他人に優しい世界に繋がる。

 ルルーシュはそう信じているから。

 だから――――

「人を諦めるな、ユーフェミア」

 瞬間、ユーフェミアの瞳から涙が溢れた。

 顔を両手で覆い隠し、コクン、コクン、と何度も頷く。

「ごめ、ッ、なさ、………ッ」

 嗚咽が酷くて、上手く喋れず、途切れ途切れにユーフェミアは言葉を溢していく。

「駄目、ッ、だと、…思った、から、ッ、……諦めなくちゃ、いけ、ない、ッ、て…………」

 涙が止まらないユーフェミアの頭に、ポン、とルルーシュの手が乗る。

 柔らかく、心地よい肌触りの髪をゆっくりと梳いた。

「構わないよ、沢山、泣くと良い。その涙を拭ってくれる人も、君にはいるんだから」

 その言葉が嬉しくて。

 また、涙が溢れてくる。

 泣き続ける。

 半日間、胸に蟠った重い気持ちを吐き出すように、ユーフェミアは大声を上げて、泣きじゃくった。

 

 

「ごめんなさい」

 そうして、長らく泣いて、落ち着いたのか。

 暫くして、ユーフェミアが恥ずかしそうにルルーシュに謝った。

 最も、声はまだ、鼻声で。目も真っ赤だったが。

「そんなに気にする事じゃないだろう? 昔は、よくナナリーと喧嘩して、二人でわんわん泣いていたじゃないか」

「もう、ルルーシュ!」

 意地悪な事を言ってくるルルーシュに、ユーフェミアが頬を膨らませる。

 そこに、先程までの陰はない。

 いつものユーフェミアが、そこにいた。

「……どうした?」

 その事に安心していたルルーシュだったが、ユーフェミアが何時までたっても、頬を膨らせ、次いでジトッ、と自分を見つめてくるものだから、不思議に思って問い掛ける。

「………ルルーシュは、私の涙を拭ってはくれないのね」

 不貞腐れたように、そっぽを向くユーフェミア。

 先程、ルルーシュは優しく頭を撫でてくれていたが、涙を拭ってはくれなかった。

 ついでに、泣いてる妹に胸を貸してくれる事もなかった。

「……まあ。君に一緒にいてくれる人がいるように、俺にも隣にいてくれる奴がいるから、な」

 何となく、不本意な感じが見え隠れする、そんな表情でルルーシュがポツリ、と呟く。

「頑固で意地っ張りな割に泣き虫でね。約束がある手前、俺はソイツの涙を拭うので精一杯なんだ」

 困ったように笑いながら、ルルーシュが肩を竦める。

 でも、それに反してユーフェミアは悲しそうに眦を落とした。

 何気ない会話だったが、気付いてしまったのだ。

 それは、別れの言葉。

 一緒にはいけないと。一緒の道は歩めないと、そう言っているのだと気付いたから。

「大丈夫だよ、ユフィ」

 ユーフェミアの表情から、会話の裏に隠された真意に気付いたのだと理解したルルーシュは、彼女の頭をポンポンと撫でながら、優しく笑い掛けた。

「歩む道は別でも、願う先は一緒だろう? 心配しなくても、辿り着いた世界()で、君とスザクとナナリーが一緒に笑っていれば、俺はそこに行くから」

「……本当に?」

「ああ」

 疑わしそうに自分を見るユーフェミアに苦笑しながら、ルルーシュは頷く。

 でも、納得出来ないのか。

 じゃあ、と言いながら、ユーフェミアは小指を差し出した。

 それを見たルルーシュが、驚いたように目を丸くした。

「あれ? 知らない? 指切りって言うの。前にスザクに教わったんだけど……」

 

 ――この前、教えてもらったの。日本の約束の仕方。

 

「……離れていても、やっぱり―――」

「? どうかしたの? ルルーシュ」

「いや………」

 何でもないよ、と言って、ルルーシュも小指を差し出した。

 小指と小指が絡まる。

 半日前、しっかりと握手した時とは違って、今回は、指を一つだけ。

 まるで、細い糸のような、そんな繋がり方。

(でも、今度は切れない。切れさせない)

 楽しそうに、お決まりの唄を歌うユーフェミアを見ながら、ルルーシュは心の中で硬い決意を示した。

 

「それで、あの、今更だけど……」

 指切りを終え、改めて、思うことが出来たユーフェミアが、おずおずとルルーシュの顔を覗き込みながら、尋ねる。

「今、外って、どうなっているのかしら? 黒の騎士団が攻めてきたって聞いたけど……」

「ああ、その事で君に頼みがあるんだ。ユフィ」

 ユーフェミアの様子が気になったというのもあるが―正直、そっちの方が本題に思えるが―先んじて、一人、政庁に乗り込んできたのには、ちゃんとした訳があった。

「すまない、ユフィ。この戦いが直ぐに終われるように、君を―――」

 そう、用向きを切り出した時だった。

 建物が、大きく揺れた。

「きゃッ」

 突然の揺れに驚き、バランスを崩したユーフェミアが転びそうになる。

「ユフィッ!」

 間一髪のところでユーフェミアを抱き止め、ルルーシュは振動を伝えてくる自分の足下に視線を落とす。

「地震、かしら?」

「いや、地震にしては揺れ方も揺れの強弱も不規則すぎる。これは、もっと―――ッ」

 そこで、心当たりに思い至ったルルーシュは、通信機をオンにすると、怒鳴るようにして問い掛けた。

「C.C.ッ! 反応は!? この揺れの原因は――ッ!」

 ブツ切れの質問だったが、魔女にはきちんと伝わったようだ。

 ルルーシュに頼まれ、ドルイドで超広域サーチを行っていたC.C.が皮肉を利かせながら、答えを返してきた。

『残念なお知らせだ。お前の懸念が当たってしまったようだぞ、ルルーシュ。直下から地上に向けて上がってくる大型ナイトメアの反応がある。このスピードなら、地上まで、あと数秒だ』

「ッ!?」

 それを聞いたルルーシュが、窓に張り付くようにして眼下を睨むように見る。

 外で戦闘中のブリタニア軍と黒の騎士団も揺れに気付いたのか、戦闘が一時中断していた。

「来るのか。やはり、来てしまうのか………ッ」

 出きることなら、避けたかった。

 でも、そんなルルーシュの願いも空しく、それは遂に地上に飛び出した。

 従来のナイトメアを遥かに凌駕するその巨体。

 人の形を忘れ、より兵器としての面影を見せる形状。

 今までのナイトメアとは一線を画する、未知にして新なる空飛ぶ要塞。

 

 ナイトギガフォートレス、ジークフリート。

 

「ジェレミア――――ッ!」

 

 パイロット、ジェレミア・ゴットバルト。

 

 

 未来(かつて)の悪逆皇帝の、一の臣。

 




 書きたかったのはブリタニアの強さ(弱さ)と、日本の弱さ(強さ)。
 自分に優しい世界でぬくぬくしていた連中と、国を、延いては誰かの為にと戦ってきた人達の想いの差。
 他人に優しくなれる世界というのは、この小説での題材の一つなので、そんな感じが少しでも出てれば、と思います。
 ラストはユフィ。
 何か勢いのままに書いてしまいました。後で帳尻合わせが大変になりそうだけど、まあ、……良いかな?

 ともあれ。

 次回、特区(ルルーシュ復活)編、クライマックス。

 ……多分。


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PLAY:13

 長らくお待たせしました。
 本当は特区編最後まで書ききりたかったのですが、予想以上に長くなってしまったので(今書き終えてるところまででも余裕の三万字越え)、三つくらいに分けて、投稿しようと思います。


 バタバタ、と足音を立てて、皇宮内の至るところで慌ただしく兵士達が駆け回っている。

 皇宮に詰めている文官達は、一様に青い顔をしながら右往左往しており、普段は皇族達の顔色窺いや社交に忙しい貴族達も、この時ばかりはそれを忘れ、忙しなく動き回る兵士達を掴まえては、詳しい話を聞こうと落ち着きなく皇宮内を動き回っていた。

 ほんの数時間前、余裕の顔色で損得勘定をしていた、ここ、神聖ブリタニア帝国の皇宮。

 日本の空に陽が昇ろうという頃。

 希望の夜明けまで、後一歩のところまで来ている日本とは反対に、ブリタニアは、その長き栄光に陰りが差そうとしていた。

「く、詳しい情報は入っておらんのか!」

「こ、コーネリア殿下は本当にやられてたのか!?」

「エリア11は!? トウキョウ租界は―――!?」

 混乱。焦燥。時に錯乱。

 その実、薄氷の上を歩いていた事に気付いていなかったブリタニアの重鎮達は、その氷が割れ、現実という冷水に片足を突っ込んだ事で、ようやく夢心地から覚めたようだ。

 状況の確認の為、兵士を走らせ、情報を集め、軍やその他の必要部署に連絡を回す。

 取り乱しているとはいえ、状況への対応力は流石は軍事大国の中枢を担う者達と言えよう。

 だが、遅い。

 もう、何もかもが遅すぎた。

 パリンッ、と硝子の砕ける音がした。

 先程まで、優雅に嗜んでいたワイングラスが床に落ちて割れ、中に入っていた濃い色の液体が血のように広がっていった。

「と、とにかく、早く援軍を出さなくては……ッ、エリア首都を敵に奪い返されるなんて事が起これば、今後のエリア政策に大きな課題が出てしまう」

「とはいってもねぇ……」

 臣下の一人が、とにもかくにも軍隊の派遣を、と気を逸すがオデュッセウスは困ったような顔をしながら、顎を撫でた。

「相手は、コーネリアを負かすような人物だからねぇ。数に物を言わせても返り討ちに遭うだけだろうし」

 将としても、武人としても、ブリタニア最高峰の実力を持ち、その彼女に鍛えられた精鋭部隊を擁するコーネリアですら、遅れを取ったと言うのだ。

 二流、三流の指揮官に数を与えて援軍に送ったとして、ゼロのいいように料理されてしまうだけだろう。

 本格的に対抗するには、ラウンズ級の能力を持つ実力者を二、三人送らないと話にならない。

 だが。

「ラウンズも、マリーベルも、皆、任務で不在だからねぇ。それに、ラウンズは父上の勅命がないと……」

 ブリタニア皇帝が擁する最強の十二本の剣、ナイト・オブ・ラウンズ。

 戦略級の指揮官としての権限と能力を有する彼等は、最前線に配置されており、彼等へ采配を振るえるのは基本としてはブリタニア皇帝シャルルのみである。

「父上は何と?」

 何とかしてラウンズを動かせないものかと、オデュッセウスは皇帝への伝令に走っていた近衛兵に問い掛けるも、返ってきたのは申し訳なさそうな表情だった。

「それが、奥の間に入られたままで、依然として、連絡がつかず……」

「―――――」

 その報告に、ピクリ、と指を僅かに動かす者がいた。

「なら、ビスマルクに、……う、…ん、いや、どちらにしても、今からじゃ………」

 途中まで口に出して、言葉を濁すオデュッセウス。

 仮に、ラウンズを援軍に出せたとして、今からでは手遅れな感が否めなかった。

 トウキョウの政庁と連絡が途絶えてから、もう、随分経つ。

 この時点で、そこまで追い詰められているのだとしたら、エリア11外からの援軍は、どうやっても間に合わないだろう。

 そう思い、口を閉ざし、代案を出そうとするオデュッセウスだが、中々、良い案が思い浮かばない。

 そうしている間に、周りはその感情の温度を上げていった。

 今の状況が不利、いや、もう打つ手がない状況だということには、皆、薄々と気付いてはいた。

 でも、だからこそ、彼等の言は熱を帯びていく。

 認められない。認めたくない。

 認める訳にはいかないのだ。

 神聖ブリタニア帝国が、敗者に成り下がるなど。

 誰が認められるというのか。

 傲りと慢心の下、積み重ねられた高すぎるプライドが邪魔をして、誰もがこの先にある現実を受け入れられずにいた。

 だが、だからといって、何が出来る訳でもない。

 口数は増し、それに伴って様々な案や策が打ち出されていくも、現実を直視したくないが為に、ただ口から衝いて出ただけのものに光明など見出だせるはずもなかった。

 唯々、気持ちは空回りし、熱量だけが増していく。

 このままでは、暴発しかねない。

 無為な策略の下、狂気と恐慌のままに動き出し、自滅してしまいかねなかった。

 ―――この男がいなければ。

「皇帝陛下は、いらっしゃらない」

 感情が迸る声が飛び交う中で、水面を思わせる静かな声が響いた。

 別段、声を荒げたという訳ではない。

 たが、その場の誰の、どの声よりも通った声に、言葉のぶつけ合いをしていた重鎮達は水を打ったように静まった。

「シュナイゼル……」

 その声は、勿論、オデュッセウスにも届いた。

 頭を抱え、必死に打開策を考えていた彼は顔を上げ、普段と変わらない表情の弟に視線を向けた。

「ラウンズが動かせない以上、即応の戦力でこの状況に対処するのは難しい。よしんば、動かせたとしても、援軍は間に合わない。そうなるよう仕向けられています」

 一つ一つ、現実を認めようとしない者達に言い聞かせるように、そして、この状況を作り出した者の思考を後追いするように、シュナイゼルはゆっくりと言葉を紡いでいく。

「この状況は、まず間違いなくゼロによって意図的に作られたものでしょう。なら、不測の事態にも対応出来るよう手筈を整えている可能性が高い。今、この状況下で我々が動くのは得策ではありません」

 室内がざわつき始める。

 勘の良い者達が、シュナイゼルの言わんとしている事に気付いたからだ。

「トウキョウは捨てましょう」

 決定的な一言を、しかし、まるで挨拶をするかのように、平然とシュナイゼルは告げてみせる。

「ここで我々が意地になって、杜撰な防衛戦を仕掛けても敵を喜ばせるだけです」

 犠牲は最小限に。それは戦争の鉄則である。

 なら、ここで増援を送るのも、闇雲に戦闘を長引かせるのも愚策である。

 半ば、敵の手に落ちたトウキョウ租界を切り捨てる。

 その後、然る対応を講じる。

 それが、最も合理的だとシュナイゼルは判断し、そう主張した。

 トウキョウ租界にいるブリタニア軍を、民間人を、……ユーフェミアを切り捨てるという発言を淡々と。

「しかし、それでは、我々はイレブンに敗北した事に……」

 それでも、やはり、プライドに障るのか。

 体裁を気にする者達が渋面を浮かべ、弱々しく否定的な声を上げた。

「たかだか一エリアの首都です。その程度のものにムキになって判断を誤れば、それこそ敗北者の烙印を押されかねません」

「それは、……確かに」

 プライドを刺激しないように、皆の思考を巧みに誘導していくシュナイゼル。

 これは真っ当な敗北ではない。

 我々の目を盗んでこそこそ動いていたイレブンが、小狡い手を使って領土を掠め取っていったのだと。

 そんな風に、―――刷り込んでいく。

「彼等の涙ぐましい努力に免じて、トウキョウはくれてあげようではないですか」

 あくまでも、上から。

 奪われるのではなく、くれてやる。

 唯の言葉遊びに過ぎないが、その言葉は甘い毒だった。

 自分達の意に沿う言葉に絡め取られ、先程の狼狽ぶりが嘘のように、皆、鷹揚な態度でシュナイゼルの意見に賛同していく。

「兄上も宜しいですかな?」

「…………………仕方ないね」

 苦々しい表情のまま、諦めに似た溜め息と共にオデュッセウスは頷く。

 感情の上では、納得などこれっぽっちも出来ていない。

 だが、他に手がある訳ではないし、下手をすれば、余計な犠牲を出しかねないのも事実。

 シュナイゼルの言っている事は何一つ間違ってはおらず、その判断も合理的で正しい。

 そう。

 ()()()()()()()()()()()()

 感情も私情も一欠片も介在させず、自身を含めた全ての者に平等という名の冷たい判断を下す。

 そんな弟が頼もしく、――時に恐ろしい、とオデュッセウスは感じていた。

「では―――」

 オデュッセウスの賛同を得て、他の者達からも反論が上がらない事を確認したシュナイゼルが結論を下す為に口を開いた。

「コーネリアに連絡を。……認めてあげようではありませんか」

 そう口にするシュナイゼルの顔に微笑が浮かぶ。

 大抵の者達には、いつもの涼やかな笑みにしか見えないが、違う。

 

 今、シュナイゼルは、――()()()()()()()()

 

 どこまでも不敵に。少しも揺るがず。

 予想が外れたのは初めてだった。敵を見誤ったのも。

 特区での戦いが始まった頃、シュナイゼルはゼロの器量を計り間違え、打ち手を誤った。

 油断したのか、それとも、油断させられたのか。

 それは分からない。

 だが、その事実にシュナイゼルは憤りを感じてはいなかった。

 むしろ、――高揚していた。

 何しろ、自分が読み間違える程の、つまりは、自分と同等の打ち手が現れたのかもしれないのだ。

 絞め殺される程の退屈な中で生きてきたシュナイゼルには、それはとても魅力的で、とても胸が弾む出来事だった。

 おそらくゼロの策謀はこれで終わりではないだろう。

 自分を出し抜く程の人物が、たかが一エリアの首都をもぎ取った程度で終わるとは、とても思えなかった。

 また、楽しめるかもしれない。

 また、心が踊る戦いが出来るかもしれない。

 ―――あの日のあの子のように。

 それを思えば、一エリアの行く末などシュナイゼルにはどうでもいい事だった。

 むしろ、また、あの日々のような気持ちを味わわせてくれるというなら、エリアの一つ、本当にくれてもいいとさえ思えた。

 だから、シュナイゼルは宣言する。

 とても軽く、子供を相手に宣言するかのように、内心楽しそうに。

「今回は、我々の――――」

 

 果たして、それは余裕か、―――慢心か。

 

 その答えが出るのは。

 今生において、再びブリタニアの最優が魔王と矛を交えた時になるだろう。

 

 

 

 地平が光り輝いている。

 もう、夜明けまで間もないだろう。

 この戦いに参加していた黒の騎士団は、その夜明けを新たに生まれ落ちる気持ちで迎えようとしていた。

 かつての自分達の首都を半ば、この手に落とし、張り子の虎も同然の敵軍も粉砕した。

 後は、敵の本丸を落とせば、勝鬨を上げられる。

 二つの意味で陽が昇るのも時間の問題だと思っていた。

 だが、ここに来て光が遮られる。

 空と地を分かつ分厚い雲のように夜明けの光が霞む。

 終着への長い道程。

 その最後の一歩を遮るように、脅威が未知の威容を纏って姿を現した。

 

「何だよ、アレ………」

 呆然と、誰かがそう呟いた。

 突如として、地を割って現れたその物体に、黒の騎士団もブリタニア軍も戦闘の手を止めて、驚愕と困惑を胸に空を見上げている。

 その現れ方もそうだったが、その異様さにこそ、皆、驚かされた。

 空を飛ぶ巨大な物体。

 それをナイトメア、と表していいのか分からないが、少なくとも、安全な代物でない事は、一目見れば、よく分かった。

 そんな異様な物体が、不気味な沈黙を保ちながら、上から自分達を見下ろしている。

 飛躍的な技術革新が行われた一年後ならともかく、まだ、二機しか自律飛行が可能なナイトメアが存在しない現時点において、その存在感がもたらす畏怖と緊張感は測りしれないものがあった。

 ピリピリとした、肌を刺すような空気が両軍の間に流れる。

 先に耐えられなくなったのは……、黒の騎士団だった。

「何だか知らねぇけど、邪魔するなら………ッ」

 緊張に耐えられなくなった団員の一人が空に向かって銃を構える。

 それに呼応するように他の団員達も。

 今はまだ敵地であるトウキョウの地下から、進行上、両軍を分かつように現れたそれは彼等には障害にしか思えなかった。

 後少し。本当に、後一歩。

 ゴールまで、直ぐそこまで来ているのに、こんなところで訳の分からない奴に邪魔をされたくない。

 そんな思いから、団員達は敵意を持ってそれを排除しようと空に銃を向けた。

「待てッ!」

 独断専行に走ろうとする団員達に気付いた藤堂が制止の声を上げるが、遅かった。

 機銃が唸りを上げ、空に浮かぶ機体に向けて銃火が咲き乱れる。

 その得も言えぬ雰囲気に圧されまいと、全弾を撃ち尽くすつもりで団員達は機銃を放ち続けた。

 だが………。

「な………」

「そんな………ッ」

 弾を撃ち尽くした団員が驚きに声を漏らす。

 止めに入ろうとしていた藤堂や四聖剣も、その光景に思わず息を呑む。

「無傷……?」

 同じように不明機を見上げていたカレンが、その機体の装甲に損傷を見つける事が出来ず、小さく呟いた。

 いくら、ランスロットや紅蓮、ガウェインといった最新鋭の機体であろうとも、無防備なところにナイトメアの機銃の一斉射撃を食らえば、只では済まない。

 少なくとも、無傷という訳にはいかないだろう。

 だというのに、その機体の表面にはあれだけの鉛弾を受けても、小さな傷一つ見つけられなかった。

「―――来るぞッ! 全機、警戒!」

 その鉄壁の防御に衝撃を受けていた黒の騎士団の耳に藤堂の警戒の声が届く。

 空に浮かぶ機体には、まだ何の動きも見えない。

 だが、明らかに空気が変わった事を歴戦の戦士たる藤堂は敏感に感じ取っていた。

 藤堂の命に従い、黒の騎士団が警戒態勢に入る。

 僅かな動きも見逃さないと、全員が空の機影に神経を集中させていた。

 

 ―――それでも、反応出来なかった。

 

 グシャリ、という嫌な音が聞こえた。

 それに反応して、黒の騎士団の大半がハッとしたようにそちらに意識を向けた。

 誰も目を離さなかった。

 だが、その鈍そうな巨体とは裏腹な俊敏さと速度に、皆が虚を突かれた。

 黒の騎士団の反応と思考をすり抜け、地上に迫った巨体は、そのまま、そこにいた黒の騎士団のナイトメアを数機、まとめて押し潰した。

 メキャッ、と押し潰されたナイトメアがその重量によって機体を歪ませて、爆発する。

 そこで、漸く黒の騎士団が動き出した。

 牽制の射撃を行いつつ、先程の攻撃から遠距離攻撃は効かないと判断したのか、その手に近接武器を持ったナイトメアが次々と攻撃を仕掛けていく。

 群がるように四方から襲い掛かる黒の騎士団のナイトメア。

 両者が激突し、火花が散る。

 砕けたのは、――――黒の騎士団の方だった。

 

 まるでチェーンソーかノコギリのようだった。

 攻撃が当たる直前、高速回転をした機体に黒の騎士団のナイトメアが弾き飛ばされる。

 空気を裂き、残像すら見える程の高速回転に巻き込まれたナイトメアは、一瞬にしてバラバラになり、無残な姿となって宙に投げ出された。

 あまりに規格外。あまりに常識外れな攻撃。

 技能の介在する余地もない。

 圧倒的な質量と原始的な力による蹂躙。

 でも、だからこそ、強く明確に心を抉る。

 盤上の駒をまとめて薙ぎ払うようなその暴力に、黒の騎士団が戦慄する。

 破壊の嵐が、トウキョウに吹き荒れる。

 

 夜は、まだ終わらない……。

 

 

「は、はは……ッ」

 突然現れた未確認機が、黒の騎士団を蹂躙している。

 その光景に、先程まで追い詰められ、口汚い言葉しか吐いていなかったブリタニア軍の指揮官は、乾いた笑いを溢した。

 何事か、と司令部の軍人達が怪訝そうに見つめる中、止まらない笑いは狂笑に変わっていく。

「ハハハハハハッ! 思い上がった屑共め! 身の程を弁えないからこうなるのだッ!」

 鉄槌が下った、とばかりに笑いながら、罵倒を繰り返し続ける。

 優勢になったと勘違いしたのだろう。

 気が大きくなり、増長した指揮官は味方らしき機体に薙ぎ払われていく黒の騎士団の姿に高笑いをしながら、その謎の機体に命令しようと通信回線を開いた。

「おい! そこの未確認機ッ! どこの所属か分からないが、よくやった!」

 勝手に味方と決め付け、偉そうな口を開く指揮官。

「そのまま、奴等を血祭りに上げろッ! だが、一思いに殺すなよ? 悲鳴と断末魔を上げさせ、不様に許しを乞わせろ! そうでもしないと、傷つけられた私の名誉が回復せんッ!」

 自身の溜飲を下げる為に、敵を徹底的に嬲って殺せという最低極まりない命令を下す。

 しかし、それに返る答えはなかった。

「――――? おい」

 興奮し、ひたすら一人で喋っていた指揮官も、流石に可笑しいと思ったのか。

 眉をひそめながら、再度、通信機に向かって呼び掛けた。

 本当に味方なのか。その機体に乗っている人物を味方と認識していいのか。

 知らないまま、――知ろうとしないまま。

「おいッ、聞こえていないのか!? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 彼は爆弾を投げ入れた。

「おい! 聞こえているなら―――」

『…――ジ』

「ん? 何だ? 何と言った?」

 漸く聞こえてきた返答。

 それをしっかり聞き取ろうと聞き耳を立てた指揮官が聞いたのは。

 狂った、いや、壊された男の声だった。

『…――ンジ、――オレ、…ジ、…オレンジ。オレンジ、オレんジオれンジおレンジおれんじオレンジオreンジオレンジOレンジオレnジオレンじ――――』

 延々と。

 壊れたスピーカーのように延々と繰り返すその言葉が通信機から流れてくる。

 まるで呪詛である。

 抑揚もテンポも発音もバラバラ。

 硝子を引っ掻いたような生理的嫌悪感を感じさせるその声に、指揮官が顔をしかめながら耳を塞ごうと手を宛がった時だった。

『オレンジでは、――――――ノオオオオオオォォォォォォッ!!!!』

 キーン、というハウリングを伴って聞こえてきた男の絶叫が司令部を支配した。

 それに、そこにいた全員が耳を塞ぎ、身体を縮ませながら、反射的に目を閉じた。

 故に、誰一人気付く事はなかった。

 男の絶叫と共に、その機体に付いていた棘のような大型スラッシュハーケンが司令部に向かって飛んできている事を。

 直ぐそこに迫る死を警告するアラートが鳴り響いている事に、誰も気付かないまま。

 数秒後、司令部にいた人間は、例外なく物言わぬ肉塊に姿を変えた――――。

 

 

「手当たり次第か。……やはり、精神に異常をきたしているようだな」

 政庁の一室から、ジェレミアの乗ったジークフリートの動きを観察していたルルーシュは、その敵味方の区別なく破壊をもたらす姿を見て、苦虫を噛み潰したように呟いた。

 あるいは――。

 そう。あるいは、精神が変調していなければ、言葉で穏便に済ませられるかもしれないとも思った。

 だが、やはり、それは過ぎた希望に過ぎなかった。

「ルルーシュ………」

 その無差別に行われる暴虐の嵐に、ルルーシュの腕の中でユーフェミアが身体を震わせながら、気配の変わったルルーシュを心配して声を掛けてきた。

 それにルルーシュは答えない。変わらず眼下のジークフリートに視線を向けたままでユーフェミアを見ようとはしない。

 代わりに抱き寄せた腕の力が少しばかり強まった。

『――()()()()()()?』

 通信機から聞こえてきた魔女の声が耳を擽る。

 何気ない一言だが、そうではないと分かる。

 何故なら、これは魔王と魔女の関係が始まってから、何度となく繰り返してきたやり取りだからだ。

 初めて会った時よりも、心配や優しさが多分に含まれるようになったが、その本質は最初の頃と変わらない。

 スザクやユーフェミア、ナナリーと言ったルルーシュにとって大切で、しかし、向き合わなくてはならない存在が現れた時、ルルーシュの迷いに切り込み、時に彼の背中を押してきてくれた。

 魔王が心の矛先を定められるように、その覚悟を問い掛けてきた厳しくも優しい魔女の審問だった。

「……決まっている」

 一拍置いて返された返事。

 そこに重苦しさはあったが淀みはなかった。

 もとより、問われずとも答えは決まっていた。

 こうなる可能性は、……いや、こうなるだろうとは考えていた。

 心ではこうならないようにと願いながら、理性はこうなると確信していた。

 だから、覚悟は決まっていた。

 可能性を信じてはいても、可能性に縋っていた訳ではない。

 少なくとも、これで揺らぐような甘い覚悟で現実世界(ここ)に戻ってきた訳ではないのだ。

 傷つけたくないという気持ちは、勿論ある。

 その忠心を知らず、傷つけたからこそ余計に。

 でも、だからといって、このジェレミアの凶行を見過ごす事は出来ない。

 まして、それが自らの業によるものなら、尚更、背を向ける事は出来なかった。

 なら、答えは一つだけだ。

 深く、たった一言でルルーシュの心の葛藤に踏み込んできた魔女の問い。

 それに答えた魔王の言葉も、――たった一言だった。

「―――止めるぞ」

 そう口にしたルルーシュの言葉には、もう苦々しいものはない。

 感傷を胸の奥底に沈め、ルルーシュは迷いのない瞳で自分の前に立ちはだかった敵を見据えた。

 

 

「ルルーシュ………?」

 再び、気配の変わったルルーシュにユーフェミアは兄の腕の中で首を傾げた。

 先程、僅かに苦しげな雰囲気を醸し出していた気配は、再び強く芯のあるものに戻っていた。

 この僅かな間に何があったのだろうと、ユーフェミアは疑問に思いながらルルーシュの顔を見上げていると、今度は視線を妹に移した兄の瞳とかち合った。

「ユフィ、君は此処にいてくれ」

 ジェレミアが狂乱している以上、トウキョウの何処にいても危険な事には変わりない。

 それでも、あえて安全だと言うとしたら、この政庁だろう。

 例え、自意識が保てなくなっていたとしても、あの忠義の塊のような男が、皇族がいるかもしれない場所を破壊するとは思えなかった。

「もうすぐ、ここに黒の騎士団が乗り込んでくる。彼等が来たら、抵抗せずに身柄を預けて欲しい」

 抱き寄せていたユーフェミアの柔らかな身体を離し、しっかりと目を合わせて真剣な表情で告げる。

 先程、頼もうとしていたのはこの事である。

 指揮系統が杜撰なここのブリタニア軍では、たとえ、政庁を制圧したとしても、末端まで命令や情報が行き渡らず、そのまま、戦い続けてしまう可能性が高い。

 仮にブリタニア軍に敗北を悟らせたとして、この質の低さでは、その後の行動にも不安が残る。

 トウキョウから逃げ出していくのなら、まだ良い。

 だが、もし、奪われるくらいなら、と市街地を破壊しようとしたら。

 憂さを晴らす為に、ゲットーで虐殺を始めたら。

 無意に流れた血が、何をもたらすのか。それは、半日前の出来事でよく分かっていた。

 必要なのだ。勝利の証が。

 一目でブリタニア軍に敗北を突き付け、凶行に走らせず、武装解除させられる存在が。

 それが可能なのは、皇族ユーフェミア・リ・ブリタニアをおいて他にいない。

 だから、ルルーシュは速やかに戦闘を終わらせられるよう、先んじて政庁に乗り込み、安全無事にユーフェミアの身柄を確保しようとしたのだ。

「……それが、一番、皆が傷つかない方法なのね?」

 話を聞き終わったユーフェミアもまた真剣な表情でルルーシュを見上げてきた。

 そこに先程までの夢と現実の狭間で苦しんでいた少女はいなかった。

 今までのように、そして、今までとは違い、簡単には手折れない夢を芯に、これから芽吹かんとする姫が、そこにいた。

 その変化を内心嬉しく思いながら、ルルーシュは頷く。

 彼女の本気に答えるように、自身の本気を視線に込めて。

「……分かったわ。貴方にこの身を託します。ゼロ」

 それが伝わったのか。

 じっ、とルルーシュを見つめていたユーフェミアは、一度こっくりと首を縦に振ると、毅然とした態度で自身の命運を兄に託した。

「感謝します。……ありがとう、ユフィ」

「ううん。でも、約束して。どうか―――」

「分かっている。俺の目的はブリタニアを滅ぼす事ではない。このトウキョウ租界に住む一般人はもとより、降伏を願い出た者なら、ブリタニア軍人であっても害する事は誰にもさせないと約束しよう」

「うん。…お願いね?」

 それを聞いて安心したユーフェミアは、ホッ、としたように胸を撫で下ろすと、ふんわりと微笑んだ。

「じゃあ、私は此処にいるけど、ルルーシュは………」

 どうするのか、と問い掛けようとして、途中でユーフェミアは口を閉じた。

 答えを聞かなくとも、再び窓の外に視線を向けたその横顔が答えを物語っていたからだ。

「……行くの?」

「ああ、アレを止めないと。……止めてやらないといけない」

 今はまだ、その脅威が十全に振るわれていないが、このまま暴走が続けば、トウキョウ租界はたちまち火の海になってしまうだろう。

 それだけは、避けなければならない。

「気をつけてね」

 ふわり、と柔らかな感触が手を包んだ。

 それに反応して、ユーフェミアを見れば、両手でルルーシュの手を握り締めた彼女に、そう声を掛けられた。

「ああ、……君も。ここも確実に安全とはいえないから無茶だけはしないように」

 一度だけ軽く握り返して、するりと温かい感触から手を引き抜く。

 そして、少しでも不安にさせないようにと、笑みを絶やさないまま妹に背を向けて。

 ゼロは、戦場に向かって歩き出した。

 

 

『ゼロ』

『ゼロ!』

 ユーフェミアがいた部屋からガヴェインが待機しているところまで向かう途中。

 スイッチを入れた通信機から緊迫した藤堂の声と扇の慌てた声が聞こえてきた。

『ゼロッ、戦場に何かッ、……巨大な、空を飛んでる……』

「ああ、此方でも確認した。藤堂、味方の被害状況を知りたい」

 混乱し要領を得ない扇の説明を制し、ルルーシュは藤堂に現場の状況を求めた。

『謎の巨大機の出現と攻撃で、部隊の一部に被害と動揺が広がっている。だが、どちらも作戦遂行が困難な程ではない』

「そうか。なら、部隊を一度下がらせろ。多少、戦線が後退しても構わん。アレとの交戦を避けながら、安全域まで部隊を退避させておけ」

『承知』

 ゼロに命じられた事を遂行する為、藤堂の声が途切れる。

「扇、全軍の状況と、敵軍の動きを出来るだけ詳細に報告しろ」

『……制圧した拠点は大丈夫だ。時折、散発的な攻撃を受けているが奪われるには至っていない』

 命令を無視したのか、暴走したのか。

 一部のブリタニア軍は、司令部及び政庁の防衛から外れ、勝手な行動を取っていた。

『先の飛行物体の攻撃で敵の司令部が壊滅したとの報告が上がっている。それのせいか、敵軍の動きが極度に乱れているらしい。……あ、それと、ディートハルトから準備が整ったと』

 扇からもたらされる情報を元に、現在の状況を整理する。

 状況はそれほど悪い方に転がってはいなかった。

 ジェレミアの乱入は最悪の一言に尽きるが、それでも想定の範囲内であり、ここに至っても黒の騎士団の状態は悪くない。

 一方のブリタニア軍は、元々の質の悪さに加え、司令部が壊滅した事で、もはや、軍としての体を成していなかった。

 つまり、後は、やはりジェレミアを沈黙させられれば、この戦いを終わらせる事が出来る。

 そして、今の状況と黒の騎士団の士気なら、二正面作戦を行っても問題ないとルルーシュは判断した。

「よし。―――黒の騎士団、各位に通達」

 素早く作戦プランを組み立てたルルーシュが、通信機の向こうにいる黒の騎士団に向かって口を開いた。

「これより、戦場に現れた所属不明機を敵性個体と認識。これの排除を開始する」

 足早に階段を上り、ガヴェインが待機している屋上へ向かう。

「敵性機体の排除は、私と零番隊、藤堂、それと四聖剣で行う。以上の部隊の副隊長は隊長から指揮権を継承せよ」

 ジークフリートが相手では、数を揃えても意味がない。

 少数でも最大戦力のみで当たるのが、一番被害が出ず、戦闘の効率も勝率も高かった。

「壱番隊以下の部隊は、現行の攻略作戦を遂行。政庁を制圧の後、ユーフェミア皇女殿下の身柄を確保しろ。……但し、くれぐれも丁重に扱え。万が一にも危害を加えるな」

 幹部達なら迂闊な真似はしないとルルーシュも思うが、他は感情に任せた行動に走るかもしれない。

 先の生徒会でのやり取りがあった為、そう懸念したルルーシュは念を押すように強く厳命した。

 ……悪逆皇帝の顔を僅かに覗かせて。

「扇、政庁の攻略の指揮はお前に任せる」

『わ、分かった』

「それと神楽耶様と桐原公を政庁に。お二人にも準備をお願いするよう伝えろ」

『あ、ああ、了解した』

 矢継ぎ早に指示を出していくルルーシュだったが、ふと気付くものがあった。

 鼻を擽る甘い香り、……花の香りだ。

 屋上が近付くに連れて、それが次第に濃くなってきていた。

「ディートハルト。お前も政庁の方へ向かえ。神楽耶様達と合流しろ」

『了解しました』

「それと、……玉城」

『あ?』

「お前は―――」

 屋上への扉に手を掛ける。

 ぶわっ、と勢いよく風がルルーシュの身体を撫でていき、一層濃くなった花の香りが彼を包んだ。

 庭園がそこにあった。

 前総督クロヴィスによって手掛けられたもののはずだが、彼が亡き後もきちんと管理と手入れが行われ、朝露に濡れた瑞々しい花が甘い香りを漂わせていた。

 それだけで分かるというものだ。

 この場所が、いや、この元になった場所が、一部の皇族や貴族、軍人にとって、どれだけの価値があった場所なのかが。

「――以上だ。出来るな?」

『お、おう! 任せろ!』

 そこに何の感慨も見せず、ルルーシュは足を踏み入れた。

 甘い花の香りに惑わされず、思わず溜め息が溢れそうになる造形に一瞥もくれる事なく、その足は真っ直ぐに自分を待っているその場には不釣り合いな黒い巨躯の兵器の元に向かっていく。

「井上、南、杉山、吉田。そちらの準備は終わっているか?」

 近付くと開いたハッチからガヴェインに乗り込み、事前に仕込みを命じていた四人に現状を確認する。

 代表して、答えたのは井上だった。

『もう、間もなくで完了します。ゼロ』

「少し急げ。アレが本格的に暴れ始める前に終わらせなければならない」

 了解、という返事に通信を切り、ルルーシュはドルイドシステムを立ち上げる。

「C.C.。俺達も出るぞ。準備しろ」

「……いいんだな?」

 確認するような魔女の囁きに、ルルーシュはドルイドを操作する手を一瞬止めて、C.C.を見たが直ぐに何事もなかったかのように作業に戻った。

 それを見たC.C.も、それ以上特に何かを言うことなく、前に向き直るとガヴェインの起動準備に入る。

 

 ――C.C.の言わんとしている事は分かる。

 

 戦えば、無事で済む保証はない。

 スザクの時のような搦め手が通用しない以上、望まぬ結果、最悪の未来も十分有り得る。

 まして、相手はジェレミアだ。

 ラウンズ級の腕前を持った、最新鋭のワンオフ機が相手なのだ。手加減など出来るはずもない。

 対軍制圧能力では、スザクのランスロットにも引けを取らないジークフリートを相手に、手心を加えようものなら全滅の憂き目を見るのは、此方になってしまうだろう。

 だから、手加減は出来ない。

 だが、それでも、やると決めたのだ。

 なら、後は信じるのみ。

「全力でいく。容赦も加減も一切ない。全力でお前を叩き潰そう」

 だから。

「死んでくれるなよ、ジェレミア」 




 難しかった。シュナ兄がとんでもなく難しかった。
 この人の場面だけで一週間くらい悩んだかも。
 原作の最後にギアス掛けられる瞬間まで崩れなかった余裕を出しつつ、ある台詞を言わせる為に一捻りしつつ、あんまり大物感出し過ぎたら今後に触るから押さえつつ、と頭痛い。おのれ、シュナイゼル!
 それに比べてオデュ兄の書きやすさと言ったら。
 でも、この人も双貌見ると粘り強く政策を進めていける人っぽいので、作者が終盤まで投げ出さなければ、かなり美味しい役どころを得るかもです。
 そんな訳で、次回こそラスバト、オレンジ収穫戦。
 次回分は、概ね書き上がってるので近日中には上げられると思います。


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PLAY:14

 お待たせしました。
 今度こそ、本当に特区編ラストバトル開始です。
 果たして、ルルーシュはオレンジの皮を上手に剥くことが出来るのか?


 意識が澱む。

 思考は濁り、記憶も解れてバラバラだ。

 自分は、何をやっているのだろうとジェレミアは考える。

 自分はどこにいるのか。何をしているのか、したいのか。

 絵の具が混ざったようにぐにゃりと歪む思考を働かせ、自分の中に答えを探す。

 すると、その脳裏を僅かに掠めるものがあった。

 そう。

 何か、そう。自分を突き動かす事が何かあったはず。

 それを許せなくて、それを求めて、それを終わらせたくて自分は走ったのだ。

 では、それとは何なのか。

 そう思い、それを考えようとして、……失敗する。

 思考が、意識が、ジェレミアという存在が引っ掻き回される。

 吐き気を催すような気持ち悪さに耐え、今一度、答えを探そうとして。

 果たして、自分は何をしようとしていたのだとジェレミアは首を傾げた。

 何を考えようとしていたのか、思い出せない。

 一瞬前の記憶すら、この後の一瞬で消えてしまいそうな程に朧気だ。

 まるで、本のページを読んだ端から破り捨てているみたいに、自分という存在が繋がらない。

 ――苛々する。

 とても、とても苛々する。

 思い出せない事も。よく分からない身体の状態も。そして、思い出せないのに神経を逆撫でる何かも。

 何もかもが、とても腹立たしく、不愉快だった。

 纏わり付く不快感が酷く鬱陶しい。

 どうやっても消えない感覚に苛立ち、何とかして振り払おうと、がむしゃらに、感情のままに暴れ狂おうとした時だった。

「――――ッ!?」

 強い、骨まで響く衝撃に身体を大きく揺さぶられた。

 それが切っ掛けだった。

 人としての生存本能か。軍人として鍛え上げてきた条件反射か。

 どちらかは分からないが、背後からの攻撃と思われる衝撃に反応して、千々に乱れていたジェレミアの意識が幾分、鮮明になった。

「卑怯ッ!? 後ろをバック!」

 違法なる人体実験によって乱れた言語が口から飛び出る。

 誰だ、と思い振り返るその耳に、歪であろうとも、今のジェレミア・ゴットバルトを形状し得る、彼の男の声が響いた。

『異なことを言う。逃げ惑う人々の背中に穴を開けるのは、ブリタニア軍(貴様等)のお家芸だろう?』

 その瞬間。

 ガチン、とブレーカーが落ちたみたいにジェレミア・ゴットバルトの全てが停止した。

 真っ暗になる。真っ白になる。

 限界を振り切る程の感情の波に思考が押し流された。

「お、おお、おおお、あな、あなた、ああああああ貴方様、はぁぁぁぁぁ!!」

 ねっとりとした言葉がその口から漏れ出る。

 同時に処理出来ない程に振り切れていた感情の波が徐々に引いていき、理解の範囲に収まりつつあった。

 先程まで感じていた、身体に纏わり付くような不快感が彼方に消え去る程の荒々しい感情の嵐。

 一番最初に、その胸を満たしたのは怒りでも憎しみでもなかった。

 ――感謝だった。

「何という、僥倖! 宿命! 数奇!」

 感謝する。歓喜する。祝福する。

 だって、そうだろう?

 追い求めていた敵が目の前にいるのだ。

 自分の全てが壊れても消し去りたい程の宿敵が目の前にいるのだ。

 殺しても殺しても飽き足らない程の怨敵が目の前にいてくれるのだ。

 この出会いに、巡り合わせに、どうして感謝せずにいられようか。

「ワタシですッ! ゼロォォォォォォォッ!!!」

 叫ぶ。

 猛々しく、高らかに。

 恋い焦がれるように、狂おしく。

 

 狂喜と狂気に満ちた絶叫がトウキョウの空に木霊する。

 その倒錯に走った叫びに返すように、まるで正反対の静かな声が響いた。

『久しいな、……オレンジ君?』

「ショックッ!」

 静かな、嘲るようなその台詞に刹那で反応し、ジェレミアはコックピットの中で、銃弾を胸に受けたかのように大仰に仰け反った。

「お、お、お、オレンジ……! いいえ! ワタシはおれんじではいいえ!」

 プルプル、ピクピク、と生まれたての小鹿か陸に上がった魚のように小刻みに震えながら、自分の気持ちを必死に伝えようとするジェレミア。

 しかし、その気持ちはゼロに伝わらなかった。――いや、わざと無視される。

『そうか、まあ、どうでもいい事だ。それで? 君はこんな所で何をやっている? ここは生鮮売場ではないぞ? オレンジ君』

「通じず! 理解が無理解! それは不幸せ!」

 再度の暴言に、またも、大袈裟にジェレミアは反応する。

「わ、ワタシの理由はオンリーワン! それは素晴らしき、せ、雪辱! つまりは、貴方というゼロ!」

 興奮が高まったのか。更に言語が乱れていく。

 辛うじて意味が分かる程度の滅裂な言葉を駆使し、ジェレミアはゼロに訴えかけた。

「ゆ、ゆ、故に、お、おおお願いです! しん、ししし死んで頂けますか? ゼロ!」

 高まった興奮に言葉が震える。

 それでも丁寧な口調で、不躾を通り越した願いをゼロに叩き付けた。

『ふむ、成程な……。しかし、それは難しい』

 一方のゼロであるが、死ね、と直接的に言われたのにも関わらず、やはり、その言葉は大人しい。

 僅かにも怒りに震えず、強い言葉にも動じず、繰り出された言葉には、むしろ、困った様な響きが含まれていた。

『これまで数々の奇跡を成してきた私だが………、一体、どうすれば、柑橘類に殺されてやる事が出来るのか、皆目見当も付かない』

「ガ――――ッ」

 脳天に雷が落ちた気分だった。

 ジェレミアの言葉が刃なら、こちらは毒。

 しかも、甘さなど一切ない。

 苦々しさしか感じない猛毒の言葉に、ジェレミアは凍りついたように動かなくなった。

「な、な、なんという――――」

 わなわな、と唇が震える。

 零れ落ちるのでは、と思えるくらいに見開かれた瞳は血走り、ギロリ、とゼロを睨み付けた。

「なんという悪辣辛辣! ゼロ! 貴方の卑劣! ワタシの心にクリティカル! ワタシの願い、拒否は悲しみ!」

 口の端から唾が飛び散る程に激しく、荒々しい感情に振り回されながら、ジェレミアが叫んだ。

 それと同時に、ジークフリートも動き始めた。

 主の昂りに呼応するように、巨大な機体が唸りを上げる。

「もはや、言葉は売り切れ! なれば、ワタシ! ジェレミア・ゴットバルトの全てを懸け――――」

 機体が跳ね上がる。

 空中にありながら、ジークフリートはバーニアを噴かし、ボールが跳ねるように更なる高みまで駆け上がった。

「いざ! お覚悟を、ゼロォォォォォォォ!!」

 そして、落ちてくる。

 雄叫びと共にジークフリートが落ちてくる。

 バーニアを噴かし、重力に押されて、目の前にあるもの全てを押し潰さんとばかりに、巨大な隕石と化したジークフリートが黒き巨兵に迫った。

 

 

 ナイトギガフォートレス、ジークフリート。

 従来のナイトメアシリーズとは、系統を別とするブリタニアの最新鋭機。

 ランスロットやガウェイン以上に乗り手を選ぶこの機体だが、それに見合うだけの機体性能も秘めていた。

 防御力や、それを攻撃に転じての圧殺力。

 それだけでも厄介なものだが、この機体はその大きさからは想像出来ない程の機動力と瞬発力を兼ね備えている。

 それがこの機体の脅威を最大限に高めていると言えよう。

 並の攻撃は歯が立たず、逃れようにも瞬間的な加速で一気に距離を詰めてくるのだ。

 只でさえ、反応から行動の間に、操縦という行程が入るナイトメア戦で、あれから逃れるのは困難を極める。

 対抗出来るのは、余程、反射神経に優れた者か。

 ジークフリートの機体性能と同等以上の性能のナイトメアを扱える者か。

 もしくは――――

「五秒後、三時方向、ビルの陰」

 もしくは、未来予知さながらの精度で、情報を分析出来る者だけだろう。

 

 カタカタ、とキーボードを叩く音がガウェインのコックピット内に絶えず響いていた。

「三秒後、二時方向、最大加速からの突貫」

 ルルーシュの指摘に従い、C.C.が機体を動かす。

 すると、直前までガウェインが浮いていた空中をジークフリートが物凄い速度で駆け抜けていった。

「次、八秒後、七時方向、スラッシュハーケン、――からの突撃」

 転身、そちらに向けてハドロン砲を放つ。

 放たれたハドロン砲がガウェインに向けて飛来していたスラッシュハーケンを弾き、ジークフリートに直撃した。

 しかし、やはり、無傷。

「ちッ、相変わらず固いな」

 現段階において、世界最高峰の攻撃力を持つハドロン砲の直撃を受けても、平然としているジークフリートにC.C.が舌打ちを打つ。

「今はこれで良い。あの防御は段階を踏まないと突破出来ない。――来るぞ、四秒後、正面、ビルを貫通してのスラッシュハーケン」

「まったく、忙しい、な!」

 愚痴を溢しながら、それでも機敏に機体を動かすC.C.。

 その状況を確認しながら、ルルーシュは手を休める事なくドルイドを操作し続けた。

 そう。

『前回』においては、逼迫した事情があったにせよ、防戦すら儘ならなかったガウェインが、こうして、時折、攻勢に回れる程の立ち回りが出来ているのは、ルルーシュによる近未来予測があるのが大きい。

 かつての戦いで鍛え上げ、そして、ドルイドの高度な情報処理能力と拡張性を利用した、ルルーシュの先読み。

 とはいえ、それでも、ここまでの精度を叩き出せているのは相手がジェレミアによるところがある。

 ドルイドに入力して、処理させている地形データと頭に入っていたジークフリートの機体データに加え、リアルタイムで入力している機動データから弾き出されるジークフリートの機動予測。

 そこに、ルルーシュがデータには換算出来ないジェレミアの思考・心理、そして、かつての戦いで見たジェレミアの戦い方、その癖を掛け合わせる事で、初めて、この精度での予測が成り立っていた。

 だが、それでも互角、――いや、時間が経つにつれて、徐々にだが詰められつつあった。

 ルルーシュの予測にもC.C.の操縦にも問題はない。

 これは、単純に立ち回り方の問題だった。

 敵の攻撃に対して、回避しか選択の取れないガウェインと、攻撃を無視して行動出来るジークフリートでは、どちらが俊敏に立ち回れるか、考えずとも分かる問題だ。

 回避行動の合間に攻撃に転ずるガウェインを、攻撃を無視した直線的な軌道を描いて、じわり、じわり、とジークフリートが追い詰めていく。

 明らかな劣勢。

 さしもの優秀なナイトメア(騎馬)であっても、フォートレス(要塞)を一人で破る事は敵わない。

 だが、しかし―――…

「捉えました! さあ、ゼロ! 今こそ―――」

 遂に回避が間に合わなくなったガウェインを、ジークフリートが捉える。

 宙を舞う黒い機体の真ん中に、風穴を開けようとスラッシュハーケンを放とうとする。

 だが、しかし。

「ぬぅッ!?」

 本来、要塞とは孤軍で攻めるものではない――――。

 

 

「―――よし! 直撃を確認ッ! 次弾装填、急げ!」

 ジークフリートに攻撃が当たったのを確認した、零番隊の副隊長が次の攻撃を命令する。

 速度が求められ、広域に広がっての戦闘が強いられた先の特区での戦いでは陽の目を見る事のなかった他脚砲台、――雷光に。

「他も攻撃の手を止めるな! 通らなくても構うな! とにかく撃ってッ、撃ってッ、撃ちまくれッ!」

 そう零番隊の他の面々に攻撃を命じながら、自分も攻撃に参加する副隊長。

 その脳裏に、この戦いが始まる前のゼロの言葉が思い出された。

 

 ―――何物も通さない頑強な防御力、誰も逃がさない圧倒的な機動性。一見、無敵に思えるが、そうではない。……弱点がある。

 

 どこから引っ張り出して来たのか。

 いきなり現れた謎の機体のデータを入手したゼロが、確信を持って、そう告げた。

 

 ―――奴の防御はブレイズルミナスと電磁装甲という特殊な装甲による複合防御だ。これがある限り無敵に近い防御力を誇るが、共に展開にエナジーフィラーを消費する。……つまり、フィラーが尽きれば、奴の防御力は格段に下がる。

 

「次弾装填、完了しました!」

「よし! 超電磁式榴散弾重砲、――()ぇッ!」

 副隊長の号令に従い、雷光の巨大な砲身から電磁加速された散弾が高速で撃ち出された。

 

 ―――囮役は私が引き受ける。零番隊は隙を突いて、奴に攻撃を与え続けろ。但し、絶対に近付くな。射程限界ギリギリから攻撃を与え続け、奴のシールドエナジーを少しでも削れ。

 

 空気を裂いて、雷光の一撃が、再び、ジークフリートに直撃した。

 

 

 再び発生した重い衝撃に、ジェレミアはコックピット内でバランスを崩した。

 たたらを踏み、倒れそうになるのを堪えて、自分とゼロの間に割って入った者達を睨む。

「ぬぅッ、姑息小癪脆弱! 我が雪辱、阻むなれば、――ぐうぅッ!」

 自分の素晴らしき雪辱を邪魔されたと思い込んだジェレミアが、遠くからコソコソと攻撃を仕掛けてくる零番隊に狙いを定めた。

 だが、その瞬間、余所に意識が向いた隙を狙い、ガウェインのハドロン砲が至近距離から放たれた。

『気の多い奴だ。太陽(目的)に向かって、真っ直ぐに芽を伸ばすのが植物(貴様)の良いところだろう? そんな事では立派な柑橘類になれないぞ? オレンジ君』

「ゼロ! 貴方はまたもワンスモ、アああああッ」

 再度、ゼロに意識が向いた瞬間、超電磁式榴散弾重砲がジークフリートを捉えた。

 此方に意識を向ければ彼方から。

 彼方に意識を向ければ此方から。

 隙を突いての同時攻撃を、しかし、ジェレミアは捌けない。

 実験により、荒々しい感情のコントロールが出来ず、意識が散漫になりやすい、今のジェレミアでは対処する事は出来なかった。

 その防御力と機動力から攻めきれないガウェイン。

 追い詰めようとしても、その隙を狙われ、後一歩を詰め切れないジークフリート。

 戦局は、再び互角。

 だが、互角では勝利為し得ない。なればこそ。

『ゼロ、遅くなりました。準備完了です!』

 一進一退の攻防が続く中、その膠着状態を動かさんと、ゼロによって次なる一手が繰り出されようとしていた。

「戦術プランを次の段階に移行する! 気を抜くな、まだ、これからだ!」

 ルルーシュが声を張り上げる。

 戦場が変わる。

 

 舞台を変えて、戦いは、まだまだ続く………。

 

 

 低空を飛行するガウェインが、それを追って迫るジークフリートに向けて、ハドロン砲を放つ。

 直撃。

 何度も繰り返してきた、焼き直しのような場面だが、決定的に違うところもある。

 始めの頃は、その威力の殆どをブレイズルミナスによって弾かれ、電磁装甲に遮られていたハドロンによる砲撃だったが、今は僅かではあるが、直撃の度に機体の表面が熱に煽られて赤くなり、一部には融解している場所も見られるようになった。

 ルルーシュの目論見通り、ブレイズルミナスの出力が落ちて来ている証明だった。

 それを知ってか、ジェレミアの戦い方にも変化が出てきた。

 焦り、焦燥という感情を、今のジェレミアが正しく理解しているのかは分からないが、明らかに勝負を急ぐ動きを見せ始めた。

 遠くから狙い撃ってくる零番隊の攻撃を気にも止めなくなり、ひたすらにゼロに追い縋る。

 こうなってくると、先程までの様にはいかない。

 出力が落ちて来ているとはいえ、やはり、零番隊の攻撃ではジークフリートの防御を破れない。

 被弾を気にしなくなり、意識の全てがゼロに向けられれば、均衡は再び崩れてしまう。

 だが、今のルルーシュには、それは都合が良かった。

 ジェレミアの意識がゼロに向けば向くほど、誘導がしやすくなるからだ。

 

「ぬぅッ!?」

 低空を飛行するガウェインを追尾していたジェレミアは、突然、黒い巨体が消えた事に、唸り声を上げた。

「驚愕! ゼロ! 貴方は今――――?」

 驚き、見失ったゼロを探すジェレミア。

 きょろきょろと辺りを見回すと、直ぐに気付いた。

 ゼロは消えたのではない。――潜ったのだと。

「そこですか! ゼロ!」

 そこにあったのはトンネルだった。

 トウキョウ租界に張り巡らされている公道。

 車線が多い為、幅が広く、ナイトメアを積んだトレーラーが行き交う為、高さもある大きなトンネルが、口を開けていた。

 ジークフリートすらも入る事が出来る程のトンネル。

 間違いなくここにゼロは逃げ込んだのだとジェレミアは察した。

「ゼロ! いけません! 貴方はワタシの手で!」

 罠があるかもなどと露にも思う事なく、ジークフリートがトンネル内に突入していく。

 

 

 その入口に、ガウェインとジークフリートの巨体を確認した扇グループの四人は、殆ど同時にゴクリ、と唾を飲み込んだ。

 緊張から滴り落ちる汗を何度も拭いながら、四人はゼロの作戦を思い出す。

 

 ―――防御力を落としたら、次は機動力だ。特にあの高速回転力と加速力。あれを鈍らせる。

 

 先行して入ってきたガウェインとの距離が近付き、暗いトンネル内の照明の中でも、姿がハッキリと見えてきた。

 ガウェインが通過すれば、直ぐにでもジークフリートが来るだろう。

 タイミングは外せない。

 

 ―――私が奴を、お前達がいる逃げ場のないトンネル内に誘導する。そこからはお前達の出番だ。

 

 トンネル内にガウェインとジークフリートの駆動音が反響して響く。

 耳が痛くなりそうな程のその音に耐えながら、彼等が動く。

 幹部と小隊の数名が、飛燕爪牙を放ち、壁に、天井に張り付いた。

 

 ―――ガウェインが通過したら合図だ。

 

 そして…………、その時が来た。

 黒い機体が猛スピードで駆け抜けていった瞬間、幹部の誰かが吠えた。

「今だッ!!」

 気合いの叫びと共に飛燕爪牙が放たれる。

 但し、それはジークフリートにではない。

 

 ―――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 交差するように、それぞれの味方機に向かって、彼等はそれを放った。

 

 

 機体ごと、身体が持っていかれそうな衝撃に、何人かが悲鳴を上げた。

 機体も悲鳴を上げ、関節部が嫌な音を上げている。

 覚悟していたとはいえ、想像以上の衝撃に身体のあちこちが痛みを訴えかけてきた。

 だが、その甲斐はあった。

 それぞれに放った飛燕爪牙。

 お互いの機体を傷付けないようにと速度を落として放ったそれをナイトメアの身体に、腕にきつく巻き付け、編み上げた即席の飛燕爪牙による網。

 それに、ジークフリートは物の見事に引っ掛かっていた。

「まだだッ! やれ!」

 その声に反応して、もう一つの飛燕爪牙を放つ。

 ジークフリートの身体に巻き付くように、しっかりと絡ませ、しがみつく。

 複数のナイトメアが群がるように、ジークフリートにぶら下がり、機体の動きを鈍らせる重石の代わりとなった。

「よし、全機、りだ―――」

 離脱、と言おうとして、突然の衝撃に言葉が途切れた。

 彼等の役割はここまでだった。

 ジークフリートを止めて、機体をしがみつかせて機動力を鈍らせる。

 ゼロからの指示はそこまでであり、成功したら、機体をそのままに、脱出装置を使って離脱しろと命じられていた。

 だが、彼等が最後の行動に出るよりも、ジェレミアが動き出す方が早かった。

「またしても小癪! しかし、通じず! このジェレミア・ゴットバルトには!」

 そう言って、バーニアを噴かし、機体を回転させて、群がったナイトメアを振り払おうとする。

 しかし、取り付く前なら、ともかく、一度取り付いた、更には複数のナイトメアを振り払うのは困難だった。

 機体の重さによって速度は出ず、重心がブレてしまう為、回転も維持できない。

 それでも、しがみついている機体にはそれがもたらす負荷は強力だった。

 身体を右に左に、と振り回され、とてもではないが機体の操作をしている余裕なんてない。

「ぐぅ、何という屈辱恥辱! しつこいは嫌われ!」

 振りほどけないナイトメアの群れに、痺れを切らしたジェレミアが怒りの声を上げた。

 そして、バーニアを噴射し、機体に取り付いたナイトメアを壁に叩き付けて破壊しようとする。

 流石に、それは不味かった。

 速度が鈍っているとはいえ、この質量、この重量で壁に押し付けられたら、圧壊は免れないだろう。

 全員がその危険性に気付く。

 壁に押し付けられようとしている者達は、急いで脱出しようと。

 そうでない者達は逃げろ、と叫ぼうとする。

 だが、振り回され頭にも身体にも大きく負荷を掛けられた彼等には、そのどちらの行動も取る事が許されなかった。

 バーニアが息吹を上げる。

 そうして、ジークフリートが急加速で黒の騎士団のナイトメアを押し潰そうとした時だった。

 

 ―――動きを鈍らせたら、チャンスだ。バーニアを潰し、加速力と敏捷性を奪え。

 

 斬撃が閃いた。

 薄暗いトンネル内を縦横無尽に影が駆け巡り、手にした近接武器が鋭さを伴って弧を描いた。

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 四つ。

 

 ―――この時点で、防御力と機動力が格段に落ちているとはいえ、攻撃力は健在だ。これを掻い潜り、敵の急所を狙えるのはお前達しかいない。

 

 斬閃が二つずつ、今まさに火を噴かんとしていたバーニアに吸い込まれる。

 刹那の間。バーニアから別の意味で火が吹き荒れた。

 

 ―――出来るな? 四聖剣。

 

 これまで、あらゆる敵の、あらゆる攻撃を凌いできたジークフリート。

 その堅牢な要塞が、初めて損傷らしい損傷を受けた瞬間だった。

 

 

「まずは、二つ……」

 爆発し、煙を吹いているバーニアの数を数え、朝比奈が眼鏡を光らせた。

「おい、今の内だ! 早く脱出しろ!」

 その卜部の声に、九死に一生の窮地を脱して茫然自失と化していた幹部と団員達が慌てて、脱出機構を作動し、その場から逃れていく。

 その様子を視界の端に収め、四聖剣はそれぞれ注意深く警戒しながら、ジークフリートに視線を固定する。

 ここまでの攻防で、防御を削られ、機動力を鈍らされた。

 バーニアも二つ破壊され、瞬発力も幾分下がっただろう。

 でも、誰一人気を緩める事はない。

 確かに弱体はしているだろう。

 しかし、言い換えれば、ここまでやってしても、まだ、決定打の一つも打ち込めていないのだ。

 たからこそ、油断は出来ない。

 何より、今まで数多の戦場を潜り抜けてきた軍人としての勘が全力で警鐘を鳴らしていた。

 ――この敵は不気味だと。

 キチ、と音を立てて、四聖剣のナイトメアが攻撃態勢に入る。

 全員が脱出し、無事にその場からの離脱が完了したからだ。

 余念を抱く必要がなくなり、攻撃にのみ集中出来る状況になったのを確認すると、口火を切るように仙波が声を張った。

「行くぞ! 日本軍人の生き残りとして、我等の力、見せてやるぞ!」

『応! 我等ッ、四聖剣の! 誇りに懸けてッ!!』

 裂帛の気勢と共に四聖剣のナイトメアが勢いよく飛び出した。

「ぬ……、ワタシはゼロ、しかし、帝国臣民の敵を排除せよ。なれば、オール・ハイル・ブリタァァァニアッ!」

 軍人としての本能が、同じく軍人として研鑽を積んできた四聖剣の気迫を感じ取ったのか、ゼロ以外は邪魔物としてしか認識していなかったジェレミアが、四聖剣を敵と認め、排除しようと動く。

 そのジェレミアに向かって、四聖剣が殺到する。

 一矢乱れぬ動きで迫り、時に交差し、変幻自在に動きながら、ジークフリートの周りを囲むようにして動き回る。 

「この程度! ワタシの瞳は曇りません!」

 同型の機体が巧みにそれぞれ速度を変えて右に、左に、と回転する様は、並みであれば、標的を絞りきれず、困惑させられた事だろう。

 しかし、ジェレミアは並ではない。

 多少、精神に異常をきたしていたとしても、一流のブリタニア軍人。

 ただ、周囲を旋回するだけの包囲陣形に遅れを取りはしない。

 高速で旋回する敵の一人をしっかりと捉え、逃げられないタイミングを狙って、スラッシュハーケンを叩きこもうとした。

「むッ?」

 その瞬間だった。

 右回転で旋回していた標的の前に、左に旋回していた敵がやってくると、その敵は急停止し、ジェレミアの視界の真ん中に立ち塞がった。

 まるで、自分を狙え、と挑発しているようなその様子にジェレミアの意識がそちらに向く。

 その隙に狙われていた方は、視界から消えていってしまい、ジェレミアは標的をロストしてしまう。

 ならば、目の前の敵を撃とうとするが、その僅かな逡巡の間に停止していた敵は動き出し、視界から消えようとしていた。

「何とも! 目がスリップ!?」

 慌てて、その敵を捕捉しようと視線が追い掛けるが、この時点でジェレミアの意識はその敵に集中してしまい、他の三人への警戒が散漫になった。

 そうなれば……

「ぐぐぅ!」

 機体に起こった爆発の衝撃にジェレミアが呻いた。

 ジェレミアに出来た隙を突いて、残りの四聖剣がバーニアを破壊したのだ。

「ぬぐ…ッ、難敵強敵大敵! しかして、ワタシは負けを置き去り!」

 再び、敵を捉えようとするジェレミア。

 しかし、先程のように四聖剣はそれを許さない。

 ただ、敵の周りをクルクル回るだけが能ではない。

 それしきしか出来ない者に四聖剣は名乗れない。

 変幻に、多彩に動き、時に敵の目を逃れ、時に敵の目に止まり、時に敵の目を欺き、時に敵の目を奪う。

 隙を消し、隙を作り。

 意識から外れ、意識に潜り込む。

 それぞれがバラバラに違う動きを取りながら、しかし、パズルのピースのようにそれぞれの動きはきっちりと嵌まり合い、一連の攻防の流れを作っていく。

 止まらずに、臨機応変に、自由自在に、即応で戦術を重ね合わせ、敵の動きを殺しながら、味方の動きを活かし、味方を生かしながら、敵を討つ。

 

 故に、旋回活殺自在陣。

 

 一流なれども、心が壊れかけている今のジェレミアには、到底、破れる代物ではなかった。

 卜部の剣が走る。

 一瞬出来た隙を逃さず、的確にバーニアを貫き、破壊する。

 次いで、千葉の攻撃が入り、更にもう一つ。

 更に一つ。もう一つ。

「ぬ、ぐ、おぉ、のぉぉぉれぇぇぇぇぇッ!!」

 何も出来ず、面白いようにバーニアを壊される事に怒り、ジェレミアは機体を操作し、生きているバーニアを全力で噴かした。

 機体が高速回転し、纏わり付く四聖剣を弾き飛ばそうとする。

 しかし、それも今のジークフリートには叶わない。

「遅いよ、と!」

 朝比奈がジークフリートの底部に潜り込み、そこのバーニアを破壊する。

 無数にナイトメアをぶら下げ、バーニアの半数を破壊された今のジークフリートの回転力では、敵を弾くどころか、急所を狙わせないようにする事も出来なかった。

 残り数個。

 それで全てのバーニアが破壊出来る。

 そうすれば、敵はもう、ただ刺が付いただけの空飛ぶ鉄の固まりも同然となる。

 そうなれば、勝利は目前だ。

 迫る勝利を意識し、高速で旋回する四聖剣が、残りのバーニアに意識を集中する。

 狙いを意識の片隅に置き、それぞれがジェレミアの意識を、視線を誘導し、隙を作り出そうと動き回る。

 仙波が、卜部が、朝比奈が、千葉が。

 いつ来るか分からない好機を見逃さないように、と全神経を集中させ、その時を待った。

 

 そして、それは突然に訪れた。

 

 旋回活殺自在陣の動きに付いていけなくなったのか。

 細かく動いていたジークフリートの動きがピタリと止まったのだ。

 遂に訪れた好機。大きな隙。

 それを見逃す四聖剣ではない。

 言葉も合図もいらなかった。

 その瞬間、剥き出しになっている、まだ生きているバーニアに向かって、四人全員が一息に飛び掛かった。

 

 

 

 

「――――――見えた」

 

 

 

 

 四聖剣の判断に間違いはない。

 それは、確かに隙だった。

 しかし、それは、()()()()()だった。

 四聖剣がジェレミアの視界の真ん中に立って、意識を誘導したように。

 ジェレミアは、彼等の狙いであるバーニアをわざと晒す事で、彼等の動きを誘導したのだ。

 それは、不幸な事だった。

 今のジェレミアは、狂気の実験によって普通ではない。

 精神は変調し、意識は混沌とし、記憶は曖昧だ。

 だが、今までのジェレミア・ゴットバルトがいなくなった訳ではない。

 皇族への忠義を貫く為に、日々、己を鍛え上げ、超一流に届く程にまで至った軍人としての経験が、技術が消えた訳ではないのだ。

 それが、この瞬間、この一瞬に甦った。

 いや、呼び起こされたのだ。

 向かい合う四聖剣の一流の軍人としての戦術と、磨き上げられた技と、機体越しにも分かる気迫に刺激され、彼等に追い込まれる事によって、幾多の戦場で何度も味わった死と窮地の感覚を思い出し、今この一時において、彼を軍人、ジェレミア・ゴットバルトに成さしめた。

 その彼の卓越した技術が。鋭敏な感覚が。

 迫る敵を正確に捉えた。

「見えた」

 仙波を。

「見えたッ」

 卜部を。

「見えた!」

 朝比奈を。

「見えたッ!」

 千葉を。

 

 四方向同時スラッシュハーケン。

 

 一撃でナイトメアを粉砕する脅威が、四聖剣に襲い掛かった。

 

 四聖剣の背中に冷たいものが走った。

 油断していた訳ではない。

 攻撃に転じていたとはいえ、反撃には備えていたのだ。

 しかし、突然、精度が格段に跳ね上がった攻撃は、彼等の虚を突く形となった。

「ちぃッ」

「くッ」

「ぬぅッ」

 攻撃を取り止め、回避行動を取る卜部、朝比奈、仙波。

 しかし、一人、千葉が遅れる。

 いち早く、攻撃に転じた事が災いして、反応が間に合わなかった。

「千葉あッ!」

 それに気付いた卜部が声を上げる。

 他の二人も気付き、何とかしようとするが、三人共に回避行動の真っ最中で動く事が出来ない。

 何より、もう、―――間に合わない。

 なら、軍人として、千葉が取るべき行動は一つだった。

 武器を投げ捨てる。

 両手を広げ、迫り来るスラッシュハーケンを待ち構える。

 回避は間に合わない。死は確実。

 なら、後に続く者の為に、スラッシュハーケンにしがみつき、敵の攻撃手段を一つでも削ごうと千葉は考えたのだ。

 それに気付いた三人が、何かを叫んだ。

 制止の声か。自分の名前か。それとも、この判断を怒る声か。

 しかし、それは、もう千葉の耳には届かない。

 今の彼女の感覚の全ては、目の前の死に向けられていて、彼等の声が届く事はなかった。

 もう、何も聞こえなかった………………。

 

 

 

 

 

「――――――させん」

 

 

 

 

 

 なのに、その声だけは、ハッキリと耳に届いた。

 

 ダンッ、と機械の足が地を踏み抜く。

 腰元から、逆袈裟に斬り上げる様は、まさしく、居合い。

 鞘がない代わりに、峰に付けられた近代の技術(ブースター)が、高速の斬撃を超速の斬撃に押し上げ、放たれた。

 キリィ、…ン、と甲高い音を立てて、スラッシュハーケンの頑丈なワイヤーが断ち斬られる。

 轟音がトンネル内に轟く。

 コントロールを失ったハーケンが、千葉の機体を逸れ、トンネルの天井に衝突した。

「これ以上、貴様等に同胞の命を奪わせはせんッ!」

 剣を突きつけ、高らかに藤堂が宣言する。

 

 藤堂鏡志朗。そして、ジェレミア・ゴットバルト。

 

 今に生き残った最後のサムライと、狂える忠義の騎士が遂に戦場で対峙した。




 赤コーナー、日本の最後の奇跡、ラスト・ミラクル!
「恐れるものは何もない。飛天御剣流奥―――」
 青コーナー、ブリタニアの壊れた忠義、ブロークン・オレンジ!
「ご覧の通り、貴様が挑むのは無限のオレンジ。栽培の極致」

 この二人の対決って、原作であったかな?と思いつつ、次回へ。

 次回分は、まだ書き終えてないですが、熱が逃げないうちに書き切って、なるべく早くに投稿したいと思います。


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PLAY:15 夜の淵に咲き誇る

 二万字はもう越えないと決めていたのに……!
 過去最長です。無駄に長くて申し訳ないです。
 代わりに『燃え』要素は、ふんだんに注ぎ込んだつもりです。

 そんな訳で、特区編ラストエピソード。
 読んだ後に、晴れた日の夜明けを見たような気持ちに、少しでもなってもらえれば幸いです。


 チャキ、と水平に制動刀を構える。

 ジークフリートの一挙一動を注視しながら、藤堂は戦いの前のゼロの言葉を思い出していた。

 

 ―――お前に望む事は、一つだけだ。

 

 そう前置きして告げた、藤堂への命令は単純で、……とても、難解だった。

 

 ―――どんな方法、どんな手段を使っても構わない。僅かで良い。奴の装甲に穴を開けろ。

 

(簡単に言ってくれる)

 苦笑が口元に浮かぶ。

 いくら、ブレイズルミナスや電磁装甲の出力が落ちているとはいえ、装甲の硬さは、未だ、彼等の攻撃を受け付けない。

 にも関わらず、具体策の一つも示さないまま、ゼロは藤堂にそう命じたのだ。

 信頼されているのか、もしくは、投げやりになったのか。

 そう考えて、否、と藤堂は思った。

 おそらく、ゼロは確信しているのだ。

 藤堂には、あの装甲を破るだけの力があり、それが出来る人物だと。

 そう確信したから、あれしか言わなかったのだ。

 それは信頼とは違うだろう。しかし、打算とも違うように思えた。

 あやふやで、言葉にし辛いが、敢えて言うなら、可能性に賭けた、というべきか。

 そこまで考えて、藤堂は思考を断ち切った。

 何であれ、それに、応、と答えた以上、やるしかない。

 そして、その思いはここに来て、より一層強くなった。

「藤堂さん……」

 背に庇った部下が声を掛けてきた。

 一瞬前まで死を覚悟していた部下の声は、何時もよりも幼く聞こえた。

 ジークフリートへの意識を切らないまま、チラリ、と周囲を見れば、スラッシュハーケンの一撃を回避し切れず、機体を半壊にされた他の者達の姿もあった。

「……よく、戦った」

 部下がこんなになるまで戦ったのだ。

 なら、自分が不様を晒す訳にはいかない。

「後は、私に任せろ」

 黒い機体が動く。

 ひび割れ始めた要塞の扉を開かんと、一人駆け出した。

 

 

 勝負は、一瞬だった。

 初めから、トップギアでランドスピナーを駆動させた藤堂の月下が地を這うようにジークフリートに迫る。

 対するジェレミアの反応も速かった。

 必殺の意を携えた藤堂から命の危険を感じ取ったのか、見過ごせない敵と判断し、動いた。

 スラッシュハーケンが放たれる。

 先程、四聖剣に放たなかった最後の一つが、真っ正面から藤堂を捉え、射ち出された。

 高速で飛来する通常のナイトメア並の大きさの大型スラッシュハーケン。

 当たれば、必死確実なその攻撃を、藤堂は横に避けるのではなく、下に潜り込む事で躱す。

 深く。深く。

 地を舐める、という表現の方が合う程に機体を沈め、スラッシュハーケンを掻い潜る。

 そして、機体を沈めた反動を利用して、藤堂は機体を一気に加速させ、間合いを詰めた。

 刹那にして、紙一重の攻防。

 それに勝った藤堂が、そのまま、攻撃手段を失ったジェレミアの無防備な機体に、自身が持つ最大の威力の技を繰り出そうと制動刀を構え直した。

 しかし、まだである。

 まだ、勝負は決してはいなかった。

 

 それは騎士の忠心が為せる技か。

 

 ジェレミアは放ったスラッシュハーケンを巧みに操作し、その軌道を変えたのだ。

 大きく弧を描き、スラッシュハーケンが藤堂の背後に襲い掛かる。

「藤堂さん!」

 それに気付いた朝比奈が、警告の声を上げる。

 だが、遅い。

 今、気付いても、藤堂が機体を操作するよりも早く、スラッシュハーケンが直撃するだろう。

 絶死のタイミング。

 誰もが、藤堂の機体が破壊される瞬間を想像した。

 

 ならば、それは武の境地か。

 

 見ていた訳ではない。知っていた訳でもない。

 己の身体だけでなく、心の鍛練も積んできた武士としての直感が、襲い来る死の気配を感じ取った。

 月下が跳ぶ。

 後方宙返りをするように、背後からのスラッシュハーケンを避け、トンネルの天井に着地する。

 そこから、再び、攻撃を繰り出そうとする藤堂だったが、今の攻防の間に、放たれていた三つのスラッシュハーケンが機体に戻っていた。

 今、攻撃を放てば、あれの迎撃に合う。

 今度は空中にいる為、先程のようには躱せないだろう。

 瞬時にそう判断した藤堂は、左腕を突き出し、腕部に装着されたハンドガンを撃った。

 ガァン、と音を立てて銃弾が放たれる。

 しかし、今更、そんな攻撃がジークフリートに通る筈もない。

 それは藤堂も承知していた。

 だから、狙いはジークフリートではなく。

 そこに重石となるべく取り付いている、無人の黒の騎士団のナイトメアだった。

 爆発が起きる。

 大口径の銃弾が、見事、ナイトメアの機関部を撃ち抜き、爆発を起こした。

 その衝撃にジェレミアの身体が揺さぶられる。

 ほんの少し。僅か、数秒。

 しかし、その僅かこそが。

 

 必殺の、――――瞬間。

 

「受けよ。我が必殺の――――」

 月下が天井を蹴る。

 重力を味方に付け、矢のような速度を纏った月下の右腕が霞む程の速度で穿たれた。

 

「―――三段突きぃッ!」

 

 必殺が放たれる。

 肉に染む込む程に繰り返し、磨き上げた技が、血の通わぬ鉄の身体を通して放たれた。

 右腕が唸りを上げる。

 上段、中段、下段の三点のどれかから初撃が始まり、頭から爪先までを攻撃範囲とする事で、防御をすり抜け、敵を仕留めるのが、本来の三段突きだが、これはジークフリートの装甲を貫く為に、一ヵ所、いや、一点のみに狙いを定めて繰り出されていた。

 一瞬三突。

 狙い違わず。寸分違わず。

 藤堂の必殺の刃がジークフリートに吸い込まれるように命中した。

 

 パキィィ、ン、と軽い音が残響と共にトンネル内に響いた。

 

 音の発生源は、藤堂の持つ制動刀。

 藤堂の技の威力と、それを阻まんとするジークフリートの装甲の硬さに耐えられず、その切っ先が折れてしまったのだ。

 対するジークフリートの装甲は、――――無傷。

 絶好のタイミング。最大の威力を以て、繰り出された三段突きも、ジークフリートという要塞の前に跳ね返された。

 もはや、術はない。

 切っ先が折れてしまった以上、もう、三段突きは使えない。

 他の武装では、ジークフリートの装甲に傷を付けるどころか、埃を舞い上げる事しか出来ないだろう。

 後は、部下を庇いながら、ここから逃げる事しか藤堂には出来る事はなかった。

「――――まだだッ!」

 今までの、敗残の将に甘んじていた彼ならば、そうしていた事だろう。

 だが、今の彼の頭に諦めの文字はなかった。

 考えるよりも先に、身体が機体を動かしていた。

 だから、それは意図して繰り出した訳ではない。

 今まで鍛えてきた武道の技と、ブリタニアに抗うべく磨いたナイトメアの操縦技術。

 そして、記録映像で見た弟子の戦い方が、藤堂の中で奇跡的に噛み合った結果だった。

 月下が回転する。風を巻き起こすように、鋭く、速く。

 目の前のジークフリートの高速回転が、全てを斬り砕くチェーンソーの刃なら。

 こちらは荒ぶる風の威を示す、竜巻の如く。

 

 ―――陽昇流誠壱式旋風脚。

 

 宙を舞う制動刀の切っ先を巻き込んで、技が放たれた。

 遠心力で速さを増した蹴撃が鞭のようにしなり、爪先に乗った切っ先が楔のようにジークフリートに打ち込まれた。

 そして。

 

「入った…………」

 その光景を見ていた卜部が、思わず呟いた。

 奇跡か、偶然か。それとも、必然か。

 先に放たれた三段突きと、全く同じ場所に打ち込まれた切っ先が、ジークフリートの装甲に食い込んだ。

 先の先。僅か、十センチ程度だろう。

 それでも、遂にジークフリートという要塞の防御を食い破ったのだ。

『全機ッ、全速離脱ッ!』

 一瞬の間すら置かず、張り上げられたゼロの声に、殆ど反射的に藤堂と四聖剣が、機体を動かし、トンネル内からの離脱を図る。

 無傷に近い藤堂と千葉が、半壊し、動きの鈍った他の三人の機体を助け、全速力でその場から離れていく。

 その突然の行動に、反応が遅れたのは、勿論、ジェレミアだ。

 今の今まで、戦意を袞らせ、命のせめぎ合いをしていた相手の、小さくなっていく振り返らないその背中を、しばらく一人眺めていたジェレミアだったが、思考が驚きから立ち直ると、急いでその後を追い掛け始めた。

「失態! 追走を爆走!」

 機体の出力を全開にし、今出せる最高速度で藤堂達を追走する。

 長いトンネルの先、かなり先行している藤堂達の影を追う。

 藤堂達も半壊した卜部達の機体を支えている為、速度は落ちているが、それでも、今のジェレミア程ではない。

 ナイトメアをぶら下げ、殆どのバーニアを破壊されたジークフリートでは、その差は中々詰まる事はなかった。

 ならば、とジェレミアがジークフリートを操作する。

 ガコン、と鈍い音と共に四つの大型スラッシュハーケンの先端が前を行くナイトメアの背中に照準を合わせた。

 追い付けなくとも、攻撃は届く。

 そう判断し、追走から撃墜に行動を切り替えたジェレミアは正しい。

 決して広いとは言えないトンネル内で、動きの鈍った機体を支えていては、いかに藤堂と言えど、巨大なスラッシュハーケンを四つも捌く事は出来ない。

 少なくとも、部下を庇おうとする藤堂か、部下達のどちらかに被害が出るだろう。

 よしんば、無事でも速度は落ちる。

 なら、その間に追い付ける。

 そう考えたのか、それとも本能によるものか。

 ともあれ、ジェレミアは自分の前にいるナイトメアの集団を破壊しようとスラッシュハーケンの発射スイッチを押そうとして、――出来なかった。

 光が見えた。

 思わず、そちらを見て、それが出口の光だと気付いたジェレミアは、その瞬間に再び狂気に身を浸していた。

 もう、藤堂の事も四聖剣の事も目に入っていなかった。

 その濁った瞳は、ただ一人。

 トンネルの出口で悠然と立つその機体に向けられていた。

「ゼロォォォォォォォォォッ!!!」

 喉が潰れんばかりに声を絞り出し、ジェレミアがガウェインに向かって手を伸ばす。

 届けとばかりに必死に、指先が震える程に力を込めて。

 しかし、その手は、――――振り払われる。

 ジェレミアの絶叫も、手も、狂気も、全てを押し流すように。

 圧倒的な破壊の奔流が、ジークフリートを呑み込んだ。

 

 ハドロン砲の禍々しい光が壁のように、トンネルの出口を塞ぐ。

 ドルイドシステムによって、完璧なタイミングで放たれたハドロン砲は、藤堂達が飛び出した瞬間を狙い撃つようにして撃ち込まれ、追走し、ゼロに押し寄せようとしていたジークフリートを、再びトンネル内に押し戻した。

「ぐぎ……ッ」

 目前に迫りつつあったゼロの姿が遠のいていく。

 それを、良しとしないジェレミアは、当然、押し留まろうとジークフリートを操作し、ハドロン砲の圧力に抗おうとする。

 だが、止まらない。

 ジークフリートが藤堂や四聖剣を相手にしている間、チャージを行っていたハドロン砲の一撃。

 フロートや機体に回すエナジーの殆どをつぎ込み、砲身の強度を無視して放たれたハドロン砲の威力は、今までの比ではない。

 バーニアの殆どを壊されたジークフリートでは、どうする事も出来ず、流されるようにトンネル内に押し戻されていく。

 そして、被害はそれだけに留まらない。

 超重量のジークフリートを苦もなく押し流す程の威力のハドロン砲の直撃を受け続けて、この程度で済むはずがなかった。

 

 ピキリ、と亀裂が走る。

 崩壊の瞬間が訪れた。

 

 ピキッ、パキッ、と卵の殻が割れるような、軽く、乾いた音が断続的に響く。

 音を立てているのは、ジークフリートの装甲。

 藤堂が突き立てた、制動刀の切っ先が刺さった箇所を起点に、細かな亀裂が入り始めている音だった。

 音は止まらない。

 徐々に、段々大きくなっていき、それと共に亀裂も深く長く、広がりつつあった。

 もし、このまま、亀裂が広がり、ハドロン砲の熱と衝撃に装甲が耐えられなくなれば。

 そうなれば、如何にジークフリートといえども無事では済まないだろう。

 状況の危険性に気付き、ジェレミアがブレイズルミナスの出力を上げようとする。

 しかし、それも焼け石に水。

 僅かに輝きを増した碧の障壁は、瞬く間に赤い輝きに埋め尽くされ、掻き消える。

 もはや、防御は完全に破られた。

 加えて――

「ぐぅぅぅぅッ!」

 間断なく襲い掛かってくる衝撃にジェレミアの身体が激しく振り回される。

 重石となった貼り付いていたナイトメアが、一つ、また一つと誘爆し、その衝撃がジェレミアから身体の自由を奪っていった。

 前へ、後ろへ、左へ、右へ。

 そして、上へ、下へ。

 濁流に呑み込まれた小石のように、ジェレミアも、そして、ジークフリートも、何も出来ずに、ただ転がり続けていく。

 ……限界である。

 防御しようとも叶わず、回避しようにも逃げ場はない。

 反対側の出口に出る頃には、良くて鉄の塊、悪ければ形も残っていないだろう。

 勝負は、決した――――――。

 

 

 

「オォォォル、ハイルゥゥゥゥ――――」

 

 

 

 この男、ジェレミア・ゴットバルトでなければ。

 

 

 

「ブリタァァァァァァニアッ!!!」

 

 

 

 気合いの咆哮と共に、ジークフリートからスラッシュハーケンが放たれる。

 射ち出された四つのスラッシュハーケンは、トンネルの壁を深く穿ち、ジークフリートを宙に固定した。

 固定されたジークフリートが前面にブレイズルミナスを展開する。

 展開された碧の盾を打ち砕かんと、ハドロン砲が押し寄せるも、今度は先程のように砕かれない。

 ジークフリートを固定したジェレミアはフロートをカット。

 必要最低限の駆動系のエナジー以外の全てを防御に回し、更に防御面を前面に限定することでシールドの密度を高めたのだ。

 しかし、完全に、とはいかない。

 それでも、先程までとは雲泥の差であり、このままなら、耐え凌げる可能性も見えてきた。

 ならば、戦える。

 ならば、倒してみせる。

 今は朧気ながらも、心に刻み込んだ忠義と騎士道から決死の覚悟で踏みとどまるジェレミア。 

 

 だが、それも。

 この決死の覚悟すらも。

 魔王にとっては、想定されたものであり、勝利への布石の一つに過ぎなかった。

 

 

 

「―――――やれ」

 冷酷な声が宣告する。

 それを受けて、井上達が手に持った起爆装置のスイッチを押した。

 押し込むと同時、爆発が起こる。

 場所は、ジークフリートがいるトンネル内。

 ゼロに言われて、先んじて、トンネルに来ていた井上達が仕掛けた、特区の戦いで使わなかった流体サクラダイトが爆発を起こしたのだ。

 爆音が響く。

 トンネルの至る所で爆発が起こり、発生した爆炎と爆風にジークフリートの機体が煽られ、揺さぶられる。

 そして、最悪が訪れる。

 ピシリ、と音が鳴った。

 但し、今度はジークフリートからではない。

 何の音か、と思うよりも早く、答えが先に出た。

 天井が、いや、トンネルが崩れたのだ。

 重いコンクリートの塊がジークフリートに降り注いでくる。

 しかし、逃げられない。逃げ道なんて、とうに失われている。

 取り入る選択肢は、全て奪われていた。

 ジークフリートの装甲が砕ける。スラッシュハーケンが瓦礫に埋もれた。

 ハドロン砲が、ブレイズを砕き、装甲を灼く。

 サクラダイトの爆発で、機体が蹴鞠のように跳ねた。

 三重の攻撃力が一点に集中された破壊の中心。

 無数の瓦礫と、巻き起こる大量の粉塵の中にジークフリートは姿を消していった…………。

 

 

「…………やった、のか?」

 トンネルの崩壊が完全に収まり、辺りが静寂を取り戻し始める。

 嵐が過ぎ去ったように、戦闘の熱が余韻を残して引いていくのを感じた杉山が、ポツリと呟いた。

「……多分、そうだろ」

 そう答える南の返事は、どこか上の空で鈍い。

 それは、他の皆にしてもそうだった。

 命懸けで、激しすぎる戦闘だった為に、集中し過ぎた思考と感情が、中々落ち着きを取り戻してくれず、誰もが勝利を実感出来ずにいる。

 でも、勝ったのだろうという事は、巡りの鈍くなった頭でも理解する事が出来た。

 全員の視線が、未だ、崩落によって発生した粉塵で煙るトンネルに集中する。

 ガウェインによるハドロン砲の直撃を受けながら、サクラダイトの爆発に巻き込まれ、最後に無数の瓦礫に呑み込まれた。

 攻撃に攻撃を重ね、火力を一点に集中させた飽和攻撃。

 ナイトメア相手には、正直、過剰に過ぎる程の火力だったのだ。

 いくら、あの機体が、最新鋭の防御に特化した機体であっても、耐えられるものではないだろう。

 気が緩み始める。

 戦闘の興奮が収まり、別の興奮が彼等の中を満たし始めた。

 勝った。夜が終わった。

 誰もが、そう思い始めた。

 

 

 

 その間隙を縫うように。

 

 

 

「ゼロォォォォォォォォッ!!!」

 

 

 

 狂気が、空に舞い上がった。

 

 

 

 一瞬の事だった。

 黒の騎士団の僅かな気の緩み。

 本来なら、勝利確実な状況故に出来てしまったその隙を狙っていたかのように、ジークフリートが瓦礫から飛び出した。

 スラッシュハーケンで機体を埋め尽くす瓦礫を打ち砕き、開いた空間に機体をねじ込み、ロケットのように一瞬にして、瓦礫の中から空に舞い戻った。

 その機体はボロボロで、スラッシュハーケンは四本が既に碎け、最後の一本にも皹が入っている。

 悉く銃弾を弾き、跳ね返してきた装甲は亀裂が入っていないところを探す方が難しく、時折、洩れたエナジーがパリッと火花を散らしていた。

 だが、それでも耐えきった。

 死に体になりながらも、彼は死地を抜け出した。

 満身創痍ではある。

 しかし、それは相手も同じ事。

 空に上がられてしまえば、黒の騎士団には手の出しようがない。

 遠距離攻撃において、彼等の火力は乏しく、それさえも先の攻防で使い切ってしまった。

 唯一、同じ空にあるガウェインも、先程の砲撃で砲身は焼きつき、砲撃にエナジーフィラーの殆どを回した為、宙に浮いているのも、やっとの状態だった。

 残された攻撃手段は、両指のスラッシュハーケンだけだが、いくら、亀裂が入っていても、あの装甲の厚みを突き破る事は出来ないだろう。

 対するジークフリートも、同じようにフィラーは尽きかけているが、動きの鈍ったナイトメアにスラッシュハーケンを射ち出すだけの余力があり、全てを推進力に変えれば、その超重量の機体を相手に叩きつけてやる事も可能だった。

 つまり、最後の詰め。

 この瞬間、刃を手にしていたのは。

 ジェレミアだった。

 

「ゼロォォォッ! ワタシです! ゼロォッ!!」

 ジークフリートがガウェインに迫る。

 熟成された狂気と執念は、相手を捉えて逃がさず、特攻でもしようとするかのように、真っ直ぐに怨敵に向かっていく。

 ガウェインが動く。

 両手が前に差し出され、その十指からスラッシュハーケンが勢い鋭く放たれた。

「無駄です!」

 ガキキンッ、と金属同士がぶつかる音が響く。

 狙いを外さず、ガウェインのスラッシュハーケンは全てジークフリートに命中した。

 だが、命中しただけだった。

 それぞれが装甲の亀裂に食い込み、機体に巻き付いたりしているが、そのどれもが致命傷を与えるには足りていなかった。

 むしろ、自分と相手を繋げてしまった分、状況は更に悪くなったと言える。

 これで、ゼロは攻撃手段を失った。

 先程とは逆に、今度は自らの逃げ道が閉ざされてしまった。

 届く。

 今なら、確実に届く。

 そう確信したジェレミアは、躊躇う事なく目の前の勝利に噛み付いた。

 罪を断罪するかのように声高に、自らの勝利と死の宣告を叫ぶ。 

「終わりです! ゼロ! 懺悔は、今ッ!!!」

 もはや、これまで。

 奇跡は、ここに尽き果てた。

 残ったものは、妄念に塗れた狂気だけであり、それを遮るものは、もう、何もない。

 敗北が間際に迫る。

 復讐という欲を滴らせ、狂える忠義が死の気配を漂わせながら、その喉元に牙を突き立てんと襲い掛かった。

 

『――――――悪いが』

 

 しかし、揺らがない。

 答える声は、泰然自若。

 動じる事なく、怯える事なく。

 自らを縛る数多の運命を断ち切り、世界に君臨した絶対者の声が、突き出された死と敗北を否定した。

 

『私に、懺悔(救い)は赦されない』

 

 奇跡は尽き果てた? ―――否。もとより、もう、奇跡は必要ない。

 

 何故なら、もう、奇跡を振るわなくても――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――――――捕まえた』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝利は、既に舞い降りている。

 

 

 

 ――――……

 

 ジークフリートが粉煙の中に消えたその瞬間。

 カレンはスロットルを全力で押し込んだ。

 

 

 ―――最後の決め手は、君だ。カレン。

 

 集中力が極限にまで研ぎ澄まされ、周りの音が意識から抜けていく。

 無音の世界。

 その中で、この戦いの最中、幾度となく思い返していた男の言葉だけが、頭の中に響いていた。

 

 ―――あの装甲の厚さを考えれば、ブレイズと電磁装甲を突破出来ても、決定打になる攻撃を与えるのは難しい。確実に決める為には、紅蓮の輻射波動が必要だ。

 

 物質を異常加熱させ、膨張、崩壊を起こさせる紅蓮の輻射波動機構。

 外からの攻撃には破格の防御力を発揮するジークフリートではあるが、機体や装甲に分子レベルで直接干渉する輻射波動ならば、致命的な一撃を与える事は出来るだろう。

 しかし、だからといって、簡単という訳ではない。

 ブレイズルミナスや電磁装甲が健在の内は、輻射波動は防がれてしまうだろうし、装甲も無事であれば、内部まで輻射波動が浸透せず、装甲の表面を破壊して終わる可能性が高い。

 確実を期する必要があった。

 最大の好機に、最強の一撃を叩き込めるように。

 つまり、ここまでの戦いの全ては。

 その為の、布石。

 

 ―――突破口は、我々で作る。カレン、君は、その時が来るまで、決して手を出すな。例え、我々の誰が、どうなろうとも、だ。

 

 血の味が、口の中に広がる。

 噛み切れた唇から、血が細い糸のように滴り落ちた。

 この戦いにおけるカレンの役割は、最後の一撃を確実に決める事。

 その為に、紅蓮を万全の状態に保ち続ける事。

 それは即ち、カレンは最後の瞬間まで戦いに参加出来ない事を意味していた。

 ジェレミアの操るジークフリートは、間違いなくランスロット級の強敵。

 不用意に戦場に飛び込めば、紅蓮とて無事ではいられないだろう。

 今まで以上に、生と死が紙一重で存在するこの戦い。

 小さな損傷一つが、勝敗を分かつ事になるかもしれない以上、誰が死にそうになろうとカレンが戦いに参加する事は、絶対に許されなかった。

 だから、カレンは動かなかった。

 扇グループの皆が、四聖剣が、藤堂が、そして、ゼロが必死に戦っているのを、ひたすらに耐えて、見続けていた。

 今にも操縦桿を繰り出しそうになる手を、もう片方の手で爪が食い込み、血が滲む程に抑え付け、感情のままに吠えて、全てを投げ出して仲間の元に駆け付けたいと叫ぶ胸を掻き毟り、でも、その光景から決して目を逸らさずに、ずっと、ずっと。

 そして、遂に巡ってきた好機。

 鎖から解き放たれた獣のように、カレンは飛び出した。

 周りの空気が緩むのが分かる。

 勝ったと思ってしまっているのだろう。

 だが、カレンは迷わなかった。

 集中された感覚が、未だ、戦場の気配を捉えて逃がさない。

 戦士としての嗅覚も、衰えない強敵の戦意を感じ取っている。

 何より。

 ゼロが、勝利を宣言していない。

 だから、カレンは迷わず、瓦礫の山に向かって紅蓮を走らせた。

 埋もれているなら探し出し、這い出てくるならその瞬間に。

 皆が作ってくれたこの好機を逃しはしないと紅蓮は駆けた。

 しかし、敵もまた、勝利に飢えた獣。

 その執念が、カレンが駆けつけるよりも早く、機体を空に舞い上げる。

 敵が逃げる。勝利が遠のく。

 空は、まだ、カレン達が立ち入れる事の許されない戦場。

 其処に至られては、紅蓮であっても、攻撃する術を持たない。

「だから、何だ」

 そんな現実をカレンは一蹴する。

 空が飛べない? だから、何だ。

 攻撃が届かない? だから、何だ。

 届かないなら、届くところまで行けば良い。

 空が飛べないなら。

「藤堂さんッ!」

 飛べるようになれば良い。

 

「私を! 紅蓮をッ! ―――空へッ!!」

 

 

 それを聞くと同時、藤堂の月下が紅蓮に向かって走り出す。

 同様に紅蓮も。

 カレンの意図を瞬時に読み取った藤堂の行動は早かった。

 ランドスピナーをトップに入れ、機体を全速力で走らせる。

 合わせて、制動刀のブースターも火を噴き始める。

 ブースターの加速も含め、一気に機体の速度を最高速度まで持っていくと、藤堂はその勢いを殺さないまま、機体を回転させた。

 一回転。二回転。

 発生した加速力と勢いを注ぎ込み、遠心力を最大限に利用した制動刀の一撃が紅蓮に向かって振り抜かれた。

 空気が唸りを上げる程の、全力の一振り。

 当たれば、死が確実のそれを前にして、でも、カレンが慌てる事はなかった。

 これは、いわば砲台。

 紅蓮という砲弾を、敵に向かって打ち上げる為のカタパルト。

 ()()に、紅蓮が着地する。

 接触の瞬間、勢いを殺さないように手首を僅かに返し、腹を見せた制動刀の上に。

 常の一撃でさえ、ナイトメアを斬り払える制動刀の一撃。

 そこに遠心力を加えた制動刀に紅蓮が乗り、更にタイミングを合わせて最大出力で跳躍する事で、空に機体を打ち上げるという荒業。

 それを以て、カレンは空にいるジークフリートの元まで行こうとしていた。

 口で言うのは簡単だが、実際には針の穴を通すようなタイミングが要求される至難な離れ業である。

 失敗すれば、只では済まないだろう。

 少なくとも、常人がやろうとすれば、ただの自爆で終わる。

 だが―――

 

『行けッ! 紅月君ッ!!』

「ハイッ!!」

 

 この二人であれば、不可能ではない。

 

 紅蓮が打ち上がる。

 寸分のズレも許されないタイミングを見事に合わせ、力の全てを速度に変えて、紅蓮が空を駆け昇っていく。

 光る地平の輝きに照らされて、燦然と輝き昇る紅蓮の姿は、空にいる鳥を撃ち抜かんとする紅の矢か。

 それとも、再び宙に返らんとする紅い箒星か。

 心が震える。

 その力強い姿に。

 見惚れるような輝きに。

 その姿を目に焼き付けながら、黒の騎士団が空を駆る少女を後押しするように、勝利を願い、その名前を精一杯に叫ぶ。

 迫る。迫る。

 遠くにあった敵の姿がみるみる大きくなり、後少しのところまで紅蓮が迫る。

 届く。絶対に届ける。

 敵を見据え、カレンが操縦桿を握る手に力を込めた。

 皆の想いを。皆の意志を。

 ここに繋いでくれた全ての日本人の願いを。

 

 ――――絶対に。

 

「と、ど、けぇぇぇぇぇッ!!」

 叫び、手を伸ばす。

 白銀に光る銀の爪が、勝利と、その先の希望に向かって伸ばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 だが。

 

 

 

 

 

 光のあるところに闇があるように。

 

 

 

 

 

 希望の側にも、絶望がある。

 

 

 

 

 

「――――――――ッ!」

 突如、失速した紅蓮にカレンが目を見開いた。

「な…………ッ」

 驚きの声も出ない。

 原因が分からなかった。

 完璧に上手くいったのだ。届くと思ったのだ。

 忍び寄る絶望を否定するように、カレンが髪を振り乱し、首を振る。

 確かに完璧ではあった。

 しかし、思った通りにいかないのが、現実である。

 頭の中と違い、現実には様々な思惑、要因、要素がある。

 それらが絡み合うから、現実は想像を凌駕していくのだ。

 特に、今回のようなギリギリの状況であれば、僅かなズレが大きな歪みになる。

 例えば、切っ先が折れてしまった為に、遠心力が僅かに足りなくなってしまったように。

 例えば、強固な装甲に穴を開けられる程の蹴りの反動で右足が少しばかり歪み、軸足の踏ん張りが僅かに利かなかったように――――。

 

 紅蓮の勢いが止まる。

 機体が再び、重力に捕らわれ、地に押し返される。

 迫りつつあった敵の姿が、また小さくなりつつあった。

 その姿を、カレンは力の限りに睨み付けた。

 諦めた訳じゃない。心は死んでない。

 届けば、終わらせられる力だってある。

 なのに。――――なのに。

 現実が想いを踏みにじる。

 いつものように。

 これまでように。

 気持ちだけでは何も変えられないと。

 想いだけでは何も為せないと。

 力なき者に願いは叶える資格はないとでも言うかのように。

 絶望を押し付け、現実という名の世界がカレン達を嘲笑った。

 

 

 

 

 

 

 でも。

 

 

 

 

 

 そんなことは、百も承知。

 

 

 

 

 

 だからこそ。

 

 

『カレェェェンッ!!』

 

 

 だからこそ。

 個を繋ぎ、全に束ね。

 現実を打ち破り、勝利を引き寄せる。

 

『戦略』と呼ばれる力があるのだ。

 

 

 

 

 ―――玉城。お前は、今回、戦闘に参加しなくても良い。

 

 それが、最後の布石。

 

 ―――お前の役割は、カレンのサポートだ。この戦い、何があるか分からない。だが、カレンだけは必ず『ある』ようにしなくてはならない。分かるな?

 

 あくまで保険。

 使うかも分からない、それでいて、必要な存在。

 例えるなら、盤上の外に置かれた将棋の駒のよう。

 

 ―――必ず、カレンを()()()。それが、この戦いにおけるお前の役目だ。

 

 大それた事を期待する訳ではない。

 保険の役目は、最後の一押し。

 その為に置かれた。

 予想外(イレギュラー)を潰す、考えなし(イレギュラー)

 

 

「カレェェェンッ!!」

 空に昇らんとする少女の名前を呼ぶ。

 ルルーシュが考えていた通り、玉城には大した事は出来なかった。

 理に適う戦術を編み出せる知識が有るわけでなく、戦場で道理を通す理性も足りない。

 有り体に言ってしまえば、愚者であろう。

 だが、愚者だからこそ、物事を深く考えないからこそ、咄嗟に動き、時として思いもよらない行動を取れる時がある。

 それが、今、この時。

 

 突然の呼び声と共にアラートがコックピットに響いた。

 自分に向かって飛来してくるそれが、照準機能付きの大型弾頭だと認めた瞬間、カレンは全てを理解した。

 撃ったのは、当然、玉城。

 具体的な事は、何も考えていなかった。

 ただ、頭の中にゼロの届けろと言う言葉が思い出され、その為には、もう一度、紅蓮が跳ぶ為の踏み台が必要だと考えた。

 その結果が、味方に攻撃するという事だった。

 本来であれば、それは正気を疑う程の悪手だろう。

 しかし、今は。

 最大の、――――好手。

 

「褒めて上げるわッ、玉城ッ!」

 カレンの顔に笑顔が浮かぶ。

 繋ぎ止められた希望が、少女の身体を活力で満たす。

 操縦桿を力強く握り締める手を素早く動かし、身動きの取れない空中でありながら、カレンは紅蓮を鮮やかに舞わせる。

 ひらり、と大型弾頭を躱わしながら、カレンは自分より高みにいる敵をキッ、と見据えた。

ブリタニア(お前達)だけが――――」

 掲げられた紅蓮の右手が、赤い光を帯びる。

 それをカレンは、擦れ違おうとしている大型弾頭に向けて。

「飛べると思うなッ!!」

 躊躇う事なく、思いきり叩き付けた。

 

 弾頭が爆発する。

 爆発音が響き、発生した閃光と煙が空に広がる。

 そこから、抜け出すように紅蓮が飛び出した。

 下にではなく、上に向かって。

 爆発の衝撃、輻射波動の反動。

 それらを利用し、もう一度、紅蓮が空を跳ぶ。翔ぶ。飛ぶ――――――。

 不様でも高く。

 不器用でも遠く。

 絶望を突っぱね、嘲笑った現実を踏み越えて。

 そうして―――…。

 

「―――――――捕まえた」

 

 至る。

 

 

 激しい衝撃を立てて、ジークフリートの巨大な機体の上に、紅蓮が舞い降りる。

 衝撃に機体を揺さぶられ、小さく呻き声を漏らしたジェレミアは、危険を知らせるアラートとセンサーが捉えた機体表面の質量、つまりは敵の存在に、否が応でも意識を奪われた。

「何という不覚死角折角ゼロ…………ッ!」

 驚愕と怒りに満ちた声が溢れる。

 自分とゼロしかいない戦場に割って入ってきたという驚き。

 どこの馬の骨とも分からない奴が操るナイトメアに踏みつけられているという怒りと。

 そんな輩に、雪辱を果たすのを邪魔されたという怒り。

 ギラリ、と輝く眼が真上に向けられ、ジェレミアはそこにいるであろう敵を睨んだ。

「何処の誰がアナタ! ここはワタシとゼロ! お邪魔はバック!」

「アンタさぁ、さっきから、何言ってんのか、全然、分かんないんだけど」

 ジェレミアの怒りの声に、カレンは取り合わない。

 興味がない、とばかりに冷やかに切って捨てる。

 事実、興味など欠片もない。

 下らない言葉の羅列を聞くために、ここに辿り着いた訳ではない。

 目的は、一つ。

 勝利。

 それのみ。

「アンタが誰かは知らないけど、アンタを倒せば、全部終わる」

 嵐のような敵だった。

 夜の終わりに、突如として吹き荒れ、敵も味方もなく全てを破壊せんと荒れ狂った暴風の体現者。

 その姿は、未だに人類に大きな爪痕を残す自然の脅威と何も変わらなかった。

 でも、それも終わる。ここで終わらせる。

 長い夜に灯され続けた火は、もう、嵐であろうと消える事を知らない。

 紅蓮が構える。

 右手を振り上げ、輻射波動が荒々しい輝きを放つ。

 それに脅威を覚えたのか。

 それとも、単純に邪魔者を排除しようと思ったのか。

 ジークフリートが、紅蓮を振り落とそうと機体を大きく揺さぶった。

 輻射波動を全力で叩き付けようとしている紅蓮は、僅かでも動きを阻害する要素を排するために、飛燕爪牙で機体を固定していない。

 広さはあれど、足場としては、決して良いとは言えないジークフリートの上では、少しバランスを崩してしまったら転落は免れないだろう。

「無駄よ」

 しかし、動けない。

 機体を傾けようとしても、激しく揺さぶろうとしても、ジェレミアの意に反して、ジークフリートはほんの少し機体が揺れる程度にしか動かない。

 何故、と思うジェレミアだったが、直ぐに原因に気付く。

 それは、先程のガウェインの攻撃。

 攻撃としての意味を為さなかった両の指より放たれたスラッシュハーケン。

 弾かれ、機体に絡み付くだけだったそれが、ここにきてジークフリートの動きを大きく阻害してるのだ。

 そこで、漸く思い知る。

 先程の攻撃の、本当の意味を。

 だが、もう、遅い。

 幕を引く為の舞台は、既に整えられた。

「これで――――」

 赤い輝きが強さを増す。

 エナジーゲージが限界まで満たされ、威力が最大に至る。

「――――――終わりッ!!」

 それは、伝家の宝刀。

 黒の騎士団の先頭に立ち、数多の強敵を葬ってきた最強の一撃。

 本当の意味で、日本人が反逆を始めたことを知らしめた、始まりの狼煙。

 それが、今。

「落ちろぉぉぉぉぉッ!!!」

 最後の敵に、振り下ろされた。

 

 

 ガォン、と音が響く。

 空気が撓み、熱せられた空気が衝撃と共に弾けた。

 赤い輝きが、ジークフリートの表面に叩き付けられ、弾ける。

 遂に振り下ろされた、黒の騎士団の最後にして、最強の一撃。

 輻射波動。

 ブレイズルミナスも電磁装甲もなく、機体表面に無数の亀裂を走らせたジークフリートに、渾身の一撃が浸透していく。

 衝撃が装甲を砕き、火が発生する。

 熱し、膨張した装甲が爆発し、剥がれ落ちた。

 効いている。

 確信がカレンの胸に満ちる。

「お、お、おおおおおお―――――ッ」

 癪に障るダメージアラートが、爆発の度にコックピットに鳴り響く。

 それを聞きながら、ジェレミアは大きく仰け反り、目を見開いた。

「この感覚、ワタシはメモリー! アナタ、あの時のアナタ!」

 身体に刻み込まれた輻射波動の感覚が叩き起こされ、ジェレミアの中で、敵の姿が重なる。

 あの時、自分を焼いた敵だと。

 そうしている間にも輻射波動がジークフリートを破壊していく。

 装甲は真っ赤に染まり、亀裂から分厚い装甲に守られた内部機関にも輻射波動が侵入していく。

 ジェレミアに逃れる術はない。

 あの時と同じ。

 ゼロを前にしながら、紅蓮の一撃によって、ジェレミアは沈む。

 その光景が、ここで、また、再現されようとしていた。

「いいえ! 今のワタシはリニューアル! この程度、ワタシには無駄遣い!」

 装甲が弾け飛ぶ。

 しかし、内部は、致命には足りていない。

 届いてはいる。

 それでも、その多くが装甲に遮られ、必殺の威力を削いでいた。

 つまり。

 火力が足りていない。

 紅蓮の、最大火力の輻射波動であっても。

「あ、そう」

 だが、今更だ。

 今更、止まれるか。

「なら―――――」

 一発で足りないなら。

「これで、――――どうッ!?」

 足りるまで。

 再び、ゲージが最大まで振り切れる。

 衝撃と熱に、同じく衝撃と熱が重なる。

 

 輻射波動機構。

 

 ――――――連撃。

 

 

「止めなさいッ! カレンッ!」

 この光景に声を荒げたのは、ラクシャータだった。

 何時もの口調を忘れ、悲鳴に似た声が彼女の口から飛び出す。

 その設計上、確かに輻射波動の連発は可能だ。

 冷却期間を置かなくても、輻射波動は撃つことが()()()ようにはなっている。

 だが、あくまで撃てるだけだ。

 それを安全に()()するには、クリアしなければならない問題が沢山ある。

 右腕や機体の強度。関節部への負荷。

 そして、パイロットへの反動。

 武器として扱うには、連射はリスクが大き過ぎる諸刃の剣だった。

「もたないわ! 紅蓮も、―――アンタもッ!!」

 

 

「ごめんなさい、ラクシャータさん…………」

 聞こえてきたラクシャータの声に、謝罪をしてカレンは通信を切る。

 彼女の最高傑作をこんな風に扱ってしまうのは、ラクシャータにも、そして、紅蓮にも申し訳ないと思う。

 でも、止まる事は出来ないのだ。

 皆が、必死に、命を懸けて作ってくれた活路。

 勝利への道。

 それを、無駄には出来ない。

 だから、止まれない。

 止まって、なるものか。

 鈍い音が、再度、空に響く。

 三発目。

 右腕から、爆発が起こる。

 重ねられた衝撃を流し切れず、反動によって腕部の一部が壊れたのだ。

 銀色に輝いていた爪は、赤く歪み、その内の一本が弾けた。

 壊れていく紅蓮。

 同じように、ジークフリートも。

 一際、大きな爆発が発生する。

 先程までとは違う。

 それは、確かに紅蓮の攻撃が致命に届いた証だった。

 共に崩壊していく二つの機体。

 もう、ここまで来れば、後はどちらが先に限界を迎えるかだった。

 紅蓮が耐えられなくなるのが、先か。

 ジークフリートが破壊されるのが、先か。

 それとも。

「あと、五発…………ッ」

 輻射波動の弾切れが先か。

 再び、カレンが輻射波動のスイッチを押す。

 右腕の嫌な音が止まらない。

 負荷に耐えられず、弾け飛んだ銀爪が紅蓮に刺さる。

 右腕からの反動と、刺さった爪のダメージがコックピットに届き、計器の類が割れ、火花と破片がカレンの顔に襲い掛かった。

「ッ」

 瞼が切れた。

 血が目に入る。

 駆動系にも異常が発生し、冷却が止まる。

 輻射波動の熱を完全に処理出来なくなった紅蓮の機体からもジークフリートに負けず劣らず火が吹き荒れ、壊れていく。

「…………、あ」

 カレンの呼吸が荒い。

 完全に冷却が死んだせいで、コックピット内の空気が外と同じように輻射波動の熱で焦がされ、一呼吸毎にチリチリとした空気がカレンの肺を焼こうとしていた。

 それでなくとも、輻射波動の反動は、鍛えていても年頃の少女の身体を持つカレンには大きすぎる。

 このままでは、カレンが先に限界に達してしまうだろう。

 

 でも。

 

 それでも―――…。

 

 衝撃に耐えられなくなった紅蓮の頭部の一部が壊れた。

 カメラも死んだ。

 もう、何も見えない。何も分からない。

 それでも、カレンは止まらなかった。

「……………………永田さん」

 不意に。

 意識が朦朧とし始めたカレンの口から、一つの名前が零れた。

 それは、もう、ここにはいない人の名前。

 ここに辿り着けず、先に逝ってしまった人の名前だった。

 

 ――――――――――あと、四発。

 

「……扇さん、井上さん、………南さん、…杉山さん、吉田、さん……、玉城………………」

 ポロポロと次々と名前が零れ落ちていく。

 一緒に歩んできた人。支え合ってきた人。共に涙を流した人。励まし合ってきた人。

 

 ――――――三発。

 

「…………ゼロ」

 導いてくれた人。

 

 ―――二発。

 

「………………お兄ちゃん」

 守ってくれた人。

 

 一発。

 

「…………………………………………おかあ、さん」

 

 守り続けてくれた人。

 

 

 今。

 

 全ての想いを込めて、――――――懸けて!

 

 

「弾けろッ!! ブリタニアァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」

 

 

 

 

 空を、見上げた。

 夜明けの頃まで続く戦闘音に怯えていた日本人達は、ふと何かに導かれるように、その空を見上げた。

 そして、この光景を刻み込む。

 きっと、この日を生きた日本人は、その夜明けを生涯忘れる事はないだろう。

 思わず、息を吸い込みたくなるくらいに、高く青い(ソラ)

 陽の光に照らされて黄金色に輝く大地。

 その狭間で。

 空が紅の輝きに彩られる。

 

 明けに輝く明星よりも目映いそれは、魂の色だ。

 

 国を奪われても、国の名を奪われても、親を奪われても、子を奪われても、兄弟を奪われても、友を奪われても、恋人を奪われても、尊厳を奪われても、自由を奪われても、幸せを奪われても。

 

 決して色褪せなかった、日本人の魂の色。

 

 長い夜に、決して消えなかった篝火。

 あの日から、ずっと受け継がれ、絶やす事をしなかったその輝きは。

 

 

 どこまでも誇らしく。 

 

 

 何よりも輝かしく。

 

 

 

 

 夜明けの空に、――――――――咲き誇った。

 

 

 

 

 

 

 トウキョウ租界、その近郊。

 山一つ越えたところに、コーネリアの一団がいた。

 ゼロの策略に苦しめられたコーネリアは、更なる強行策を敢行。

 罠を強引に突破し、突破出来ない者。遅れる者は置いていき、ひたすらに速度だけを重視し、トウキョウを目指す事にしたのだ。

 結果、当初に比べれば部隊の数は減ったが、行軍速度は大幅に上がり、今、こうして山一つ向こうのところまで来ることに成功していた。

 ここを越えれば、もう、トウキョウは目と鼻の先だ。

 トウキョウに着けば、再び、ゼロとの戦いが待っている。

(今度は、遅れを取らない)

 決意を固め、いよいよに迫った戦いに向けて、部下の士気を上げる為にコーネリアが檄を飛ばそうとした時だった。

『コーネリア総督!』

 水を差すように、自らの騎士であるギルフォードの声が聞こえた。

「何だッ!?」

 勢いを削がれた気分になり、コーネリアは荒い口調で返事を返す。

『その…………』

「何だ! 大した用ではないなら、後に――――」

 戦いを前に、歯切れの悪い返事をするギルフォードに苛立ちを覚えるコーネリアだったが、続く言葉に一気に頭が冷える。

『本国から通信です!』

「――――何?」

『本国、………シュナイゼル殿下からコーネリア総督に通信が…………』

 コーネリアのナイトメアが足を止める。

 それに釣られて、他の者達の足を止まる。

 突然、行軍が停止した事に、事情を知らない者達が、コックピットの中で困惑を露にしていた。

「…………兄上からだと?」

『はい。…………その、如何しますか?』

 一応、コーネリアに伺いを立てるギルフォード。

 だが、如何も何もないだろう。

 同じ皇族という立場にあり、職務上であれば、軍部にも口を挟める宰相という立場にいるシュナイゼルからの通信だ。

 加えて、今の状況を考えれば、何らかの命令である可能性が高い。

 急ぐからと無視出来るものではなかった。

「………繋げ」

 コーネリアの命に従い、ギルフォードがコーネリアのナイトメアに通信を繋ぐ。

 長距離通信用の大型機材を積んだトレーラーは途中で置いてきたため、何度も中継を介した通信は、画像が粗い。

 それでも、音声だけは何とか拾う事が出来た。

『―――やぁ、コゥ。無事で何より』

「兄上…………」

 ザラ、と乱れる画像の中でシュナイゼルが微笑みを浮かべ、ゆるりとした口調で喜びの言葉を口にした。

『ゼロに手酷くやられたと聞いて、気を揉んでいたのだけど、……ああ、頭に怪我を負ったのかな? 大丈夫かい? 傷が残ったりでもしたら――――』

「兄上、我が身を案じて頂けるのは有り難いですが、今は一刻を争います。用件だけをお伝え願いたい」

 状況が分かってないかのように、のんびりと話し続けるシュナイゼルに痺れを切らし、コーネリアが苛立ちを滲ませた口調で、シュナイゼルの言葉を遮る。

 場合によっては、無礼に取られる態度だが、シュナイゼルは特に気にした様子も見せず、そうだね、と言って本題に移った。

『では、本題に入ろう。コゥ、少し前に君がくれた通信では、君は黒の騎士団を追って、トウキョウ租界を目指しているとの事だったが……』

「はい。途中、ゼロの手による妨害がありましたが、もう、トウキョウまで、すぐのところまで来ています」

『そう。では、本国の決定を伝えよう』

 逸るコーネリアとは逆に、感情が僅かにも震えないシュナイゼルの穏やか過ぎる声が、非情の決定をコーネリアに伝えた。

『撤退だ。コーネリア総督』

 ガン、と頭を殴られた気持ちだった。

 冷たい感覚が胸を中心に広がり、舌が痺れたように動かず、コーネリアは言葉を発する事が出来ない。

「………………ま」

『君は、トウキョウから脱出してくるブリタニア軍がいれば、それを回収後、速やかに近隣の基地まで後退しなさい。以後の行動については、追って通達する』

「待ってください! それはユフィを、……トウキョウ租界のブリタニア人を見捨てるという事ですか!?」

 衝撃から回復したコーネリアが声を荒げ、シュナイゼルに噛みつく。

 シュナイゼルは、何も言わない。

 表情を少しも変える事なく、コーネリアの激情を受け止めていく。

「私は、まだ戦えます! 私の部隊も……ッ、それに近隣の基地からも援軍が出ています! 我々に合わせて、中で戦っているブリタニア軍を動かせば、黒の騎士団を挟み撃ちにして、押し潰す事が――――」

 そこまで語ったコーネリアの言葉が途切れる。

 ゆっくりと首を振ったシュナイゼルに、言葉を失ってしまう。

『もう、遅いんだよ、コゥ。君は、間に合わなかった』

「そんな事は…………ッ」

 ない、と反論しようとした時だった。

 画面が、突如として大きく乱れる。

 通信がジャックされ、世界中の通信回線に別の通信が割り込んできていた。

 数秒後、映し出された映像は。

 コーネリアが、間に合わなかったという証明だった。

 場所は、トウキョウ租界の政庁、その屋上。

 映っている人物は数名。

 一際、目を引くのは他の人物よりも、数歩分、前に立った異国の意匠が施された絢爛な服を身に纏った幼さを残す少女だった。

 その少し後ろに並ぶように、着物を着た、未だ経済界に影響力を持つ老人と、軍服を纏った鋭い刃物のような雰囲気の男が立っていた。

 そして、更にその横に―――

「ユフィ…………!」

 愛しき妹の姿を認め、絞り出すようにコーネリアはその名前を口にした。

『分かったかい? 勝敗は既に決してしまったんだ。今更、足掻いても何の意味も為さない。強者と自負するなら、時には退く覚悟も持たねばならない』

 分かるね、とシュナイゼルが優しく諭すように声を掛ける。

 それに、コーネリアは答える事は出来ない。

 ただ、項垂れ、震える程に手を握り締める事しか出来なかった。

『もう一度、命令を伝えよう、コーネリア・リ・ブリタニア。君は、トウキョウからの脱出兵を回収後、近隣の基地まで退避。以後、本国が今後の方針を決めるまで待機。次の行動に備えよ。いいね?』

「………………イエス、―――――」

 食い縛った歯から、震える声で、かろうじて返事が呟かれた。

 最後の方は音になるかどうかというくらい、微かに唇が動いただけだったが、シュナイゼルにはきちんと届いたようだ。

 一つ頷き、穏やかな顔付きで言葉を紡ぐ。

『今は辛いかもしれないけど、本国はユフィ達を見捨てたつもりはないよ、コゥ。勿論、私も。必ず取り戻す。だから、今は耐えてくれないかい?』

「…………………………はい」

『弱さを認める事も強さの証だ。だから、今は素直に認めて上げよう。今回は、我々の――――』

 

 

 

 

 

負けだよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 政庁の屋上。

 その端に立ち、神楽耶は大きく息を吸い込んだ。

 夜明けの空気は冷たい。

 普段なら震える程の冷たさであるだろうが、興奮に火照った身体には心地好かった。

 肺に冷たい空気が満ちる。

 身体を冷気が駆け巡り、昂った気持ちが少しだけ落ち着きを取り戻した。

 眼下に視線を下ろす。

 高い政庁の建物の周りに、人だかりが出来ていた。

 黒の騎士団の団員達。

 ゲットーにいた日本人達。

 そして、名誉になっていた日本人達。

 何であれ、愛すべき民達だ。

 そんな彼等に向かって。

 そして。

 中継を通して見ているだろう世界中の人々に向けて。

 神楽耶は、その小さな口を開いた。

 

「八年前、私達は問いを投げ掛けられました」

 

 しん、と人だかりが静まり返る。

 誰もが期待を胸に、神楽耶の言葉に耳を傾けていた。

 

「強さとは、どういうものか。弱さとは、どういうものなのか」

 

 それを聞いているのは、彼等だけじゃない。

 胸の内はどうあれ、世界中の人々がその声に耳を傾け、その姿をじっと見ていた。

 例えば、このトウキョウ租界の、とある学園の体育館で、この流れの中心にいる男を心配している生徒会の面々が。

 

「強者とは、誰か。弱者とは、誰か」

 

 近隣の中華では、神楽耶と同じように王の位を持つ少女が、たった一人の忠臣と共に。

 

「ある国が、示しました。強きとは、こう言うものだと、他者を踏みつけ、奪い、自らの欲を貪る姿を」

 

 遠くEUでは、兄の呪いに縛られた日本人が、彼を案じる上司の少女と共に。

 

「彼等は嗤いました。これが弱きだと、苦しみの中でそれでも懸命に生きていた人達の背中を撃ち、悲しむ人達を見ながら」

 

 ブリタニアでは、偽りの記憶と罪を刻まれた少女が、仲間と親友たる主君と共に。

 

「本当に、そうなのでしょうか?」

 

 ある場所では、王の力を植え付けられた少年が、失ってしまった愛しき人を想いながら、一人で。

 

「本当に、それが真実で、そう在るべきなのが、世界なのでしょうか?」

 

 そして。

 罪を暴かれた少年が、生気の欠けた虚ろな瞳から涙を流しながら。

 

 皆が、神楽耶の言葉に耳を傾けていた。

 

 そんな彼等に、世界に神楽耶は問い掛ける。

 これが、こんなものが世界なのかと。

 私達の在り方なのかと。

 そう問い掛けて、神楽耶は首を横に振った。

 いいえ、いいえ、と。

 

「それは、きっと違うでしょう」

 

 答えは。

 既に示されている。

 

「ある人が言いました。人とは、そんなちっぽけなものではないと」

 

 世界が欲しい、と彼は言った。

 人は人に優しくなれると、そう信じて。

 

「そして、示してくれました。たった一人でも、声高らかに間違っていると叫ぶ、その強さを」

 

 目を閉じれば、何時だって思い出せる。

 強き想いを胸に、世界を変えようと一人立ち上がった、あの人の姿が。

 

「そして、見せてくれました。誰かを想う事、諦めない事。それが強さになると、私達の手を取りながら、世界に」

 

 約束をくれた。

 ある光景を見せてくれると。

 その言葉に、嘘はなかった。

 

「今、その強さを、私は謳いましょう」

 

 空を見上げる。

 鳥籠の外の空は。

 怖いくらいに高く、遠く。

 そして。

 泣きそうなくらいに、――――広かった。

 

「ブリタニアよ、聞きなさい」

 

 手を広げ、神楽耶が声を張る。

 燐とした声が、青い空に溶けるように響いた。

 

「世界よ、見て下さい」

 

 その言葉に合わせて、脇に控えていた藤堂が動いた。

 手にした日本刀を抜き放ち、二つのロープを同時に断った。

 旗が降りてくる。

 この政庁に掲げられていたブリタニアの旗が、ゆっくりと地に落ちた。

 そして、代わりに一つの旗が掲げられた。

 それは、八年前に意味を失った旗。

 戦火に燃えて消えた旗が、今、再び、意味を取り戻し。

 この国の空に翻った。

 

 

 

 

「日の本は、――――――――ここに在りッ!!」

 

 

 

 

 世界が、歓声に割れた。 

 

 

 

 

 喝采に包まれる政庁、――トウキョウ租界。

 そこから、僅かに離れた海岸の港に、ルルーシュは一人佇んでいた。

 喜びに満ちた歓声の中に、自身を求める声が含まれている事を知りながら、それに背を向けるように。

「いいのか? 救国の立役者様がこんな処にいて」

 そんなルルーシュの背中に声を掛ける人物が一人。

 海風に煽られる長い髪を乱雑に抑えながら、C.C.はルルーシュの傍へとゆっくりと歩を進めていく。

「……今、必要なのは神楽耶だ。俺ではない」

 必要なのは、正当性。

 日本の存在を主張する事を許された人物が、日本の、そして、日本政府の復権を宣言する事。

 それが出来るのは、日本の王の血を引く神楽耶だけである。

 傍らには、戦前は政界、経済界、戦後も経済界では強い影響力を持つ桐原と、軍人としてその名を馳せた藤堂がいる。

 日本が健在だと証明するだけなら、それで十分である。

「だが、お前には必要だったんじゃないのか? お前の国が、合衆国日本が」

「もう、必要ない。合衆国制度は必要だが、それが俺の国である必要は、もうない」

「そうか。まあ、お前がそれで良いとしているなら、私は構わないがな」

 振り向かず、そう語るルルーシュに、適当な相槌を打ちながら、その隣に並ぶ。

 そのまま、二人して、静かな海の彼方を見つめる。

 静かに波打つ海の先は、先程、ジェレミアが消えていった場所だった。

 

 あの後。

 カレンの最後の輻射波動がジークフリートを完全に破壊しようとしたその最後の瞬間。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ジークフリートは、紅蓮を振り落とす事に成功。

 落下しそうになる紅蓮を受け止める為に、両手が塞がったガウェインの横をすり抜け、フラフラとトウキョウ湾の彼方に消えていった。

 かなりのダメージを負ったであろうが、おそらくは死んではいないだろう。

「……良かったな? 全部、お前の思惑通りにいったんだろう?」

 問い掛けに、ルルーシュは答えない。

 だが、その沈黙は肯定を意味していた。

 この戦い、ルルーシュの勝利条件は厳しいものだった。

 ただ倒すだけなら、手間は掛からない。

 ジークフリートは確かに厄介だが、今のルルーシュであれば、手間取る事もなく、倒せただろう。

 だが、それではルルーシュの勝利にはならない。

 ジェレミアも、そして、カレン達もこれからの戦いには、共に必要な存在である。

 命を奪う事は出来ない。

 だが、ジェレミア相手に下手に手を抜けば、カレン達が命を落とす事になりかねない。

 つまり、ルルーシュは、この戦い、全力でジェレミアを叩き伏せ、しかし、命を落とさせないようにしながら、勝利するという条件を満たせるように戦場をコントロールしなければならなかった。

 それは、とても難しい事だった。

 生と死の境を見極め、共に全力を尽くしても、僅かに相手の命には届かない。

 そうなるように戦場を組み立てる為には、ただ戦略を構築して、戦術を駆使するだけでは足りない。

 読み切る必要があった。

 この戦場にいる全ての人間の思考を、心理を。

 想いを、意志を、感情を、熱意を、執念を、執着を、思慕を、誇りを、願いを。

 どう動くか、どう思うか、その全てを読み切り、僅かな誤差も生じないように勝利までの道筋を完璧に描く事が出来なければ、望む結果を得る事は出来ない。

 それは、もう、予測を越え、予知の領域である。

 だが、ルルーシュはそれを為した。

『前回』のマオやシュナイゼルの時のように、ジェレミアと黒の騎士団の心情を完全に読み切り、人の心という不確定要素すら確定要素として、戦略に組み込んでみせたのだ。

 そして、見事、自らの望む勝利を引き寄せた。

「とは言うものの、随分と綱渡りだったな。一歩間違えれば、目も当てられない結果になっていたんじゃないのか?」

 もし、幹部連中が尻込みしてしまっていたら。

 藤堂が、最後の追い討ちを掛けなかったら。

 カレンが、ジークフリートが空に昇った時点で諦めていたら。

 玉城が、思い付かなかったら。

 そして。

 ジェレミアが、黒の騎士団の猛攻に途中で屈していたら。

 そう動くだろうと読んでいたとはいえ、本当にそう動くとは限らない。

 人の心の在り方に、絶対なんて言えない。

 ある意味、一か八かと言っても良いような戦いだった。

「まあな。だが、渡り切れる綱だと確信していた」

「ほう? その根拠は?」

「別に。ただ、そうするだろうと信じた。それだけだ」

 その言葉に少しだけ目を見開いた後、そうだったなとC.C.は小さく笑った。

 信じる。

 何だかんだ言いながら、ルルーシュの根底にはそれがあった。

 人の醜さを認め、嫌悪しながら、人は人に優しくなれると信じている。

 世界を疎みながらも、人が創る『明日』はより良いものになると信じている。

 こんなものだと人を割り切らないのだ、ルルーシュは。

 人の持つ、想いの力を信じている。

 シャルルであれば、まやかしだと切って捨てるだろう。

 シュナイゼルであっても、それは欲望にもなると否定するに違いない。

 可能性という曖昧で、あやふやなものに懸ける。

 それは甘さであり、弱さだろう。

 でも、だからこそ、ルルーシュはこの二人を越えていく事が出来た。

 人を信じる事を諦め、自分に優しい世界に引きこもろうしたシャルルを破り。

 明日を否定し、今日という日の連なりで世界を閉じようとしたシュナイゼルを負かした。

 そして、今も…………。

「際どくはあったが、その甲斐はあった。ジェレミアも黒の騎士団も、可能性を見せてくれた」

 だから、大丈夫。

 手にした答えに間違いはない。

 信じた道に間違いはない。

 なら、戦える。戦っていける。

 例え、相手が誰であろうとも。

 例え、自分が――――――

「おい」

 不機嫌そうな声と、ぺちんと頬を叩く感触に思考が途切れる。

 横を見ると、あからさまに不愉快だという顔をしたC.C.と目が合った。

「……何のつもりだ?」

「別に。ただ鬱陶しい顔をしていたからな」

 しれっ、と悪びれもせず、そう告げるC.C.。

 その態度に文句の一つでも言ってやろうと口を開きかけて、―――やめる。

 思考が行き過ぎそうになっていたのは、否めない。

 気負っていたつもりはなかったが、自分で気付かないだけで、やはり、気負っているのかもしれないとルルーシュは思った。

 とはいえ、それも仕方のない事。

 これから先、そう遠くない未来で相手にしなくてはならない敵の強大さを考えれば、ブリタニアから首都を奪還する事など、盤上の埃を払う程度のものでしかない。

 それほどの敵を相手にしなければならないのだ。

 そして、それに敗ける事は許されない。

 知らず、気負ってしまっていても不思議ではなかった。

 だからこそ――――。

「………………おい、何のつもりだ?」

 先程の魔王と同じ台詞が、魔女の口から突いて出る。

 だが、そこに含まれる不機嫌の割合は、魔王の比ではなかった。

 いきなり、じっ、と自分の顔を見つめてきたかと思えば、おもむろに渋面で首を振られては、無理からぬ事ではあるが。

「特に意味はない。気にするな」

「気にするに決まっている。何を考えていたのか、おい、吐け、ルルーシュ……………!」

 ぶつくさ文句を言ってくるC.C.を置いて、ルルーシュは政庁に戻ろうとガウェインの方に足を向ける。

 後ろから付いてくるC.C.が、延々と吐けだの、言えだのと言ってきているが、ルルーシュは徹底的に無視を決め込んだ。

 

 

 確かに、敵は強大。

 進む道は遠く、長く、『前回』よりも、更に険しい。

 それでも。

 以前より息苦しく感じないのは。

 前よりも、肩が軽く感じられるのは。

 隣に信頼出来る誰かさんがいるおかげだろう。

 

 そんな事を考えてしまう自分に呆れ、苦笑しながら、ルルーシュは久方ぶりの朝日に目を細めた。




 取り敢えず、第一目標、原作一期越え完了!
 まさか、Re編と殆ど変わらない話数になるとは思いもよりませんでした。

 さて、心配されていたオレンジさんですが、黒の騎士団の厳密な品質チェックの結果、出荷にはまだ早いとされ、海に放流する事になりました。
 荒波に揉まれ、いつか、きっと立派なオレンジになって戻ってきてくれる事でしょう。

 次回の投稿ですが、再度、間が空くと思います。
 ちょっと夏は忙しいもんで……。
 次回以降も大まかな話の流れしか決めていないので、落ち着いたら、また、投稿を再開しようと思います。
 楽しみにしている方がいらっしゃれば、また、お待たせする事になりますが、どうかご容赦を。


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PLAY:16

 ハーメルンよ、私は帰ってきた!!

 ……はい、調子に乗りました。スミマセン。

 なんやかんや忙しかった時期も過ぎて、中盤くらいまでそこそこ話が固まったので、またボチボチ投稿していきたいと思います。


 何事にも流れというものがある。

 

 時間、歴史、……人の意志もそうだろう。

 常に絶えず、変化し、移ろいゆく。それを流れと人は呼ぶ。

 世界にも、流れがあった。

 始まりは理想か、そうと気付かなかった妄執か。

 いや、彼等が魅入られた力の原点を辿れば、果たして始まりは何時になるのか。

 ともあれ、世界もまた、一つの流れの中にあった。

 心地よい言葉に乗せられ、酔いしれ、その果てにあるものが誰かにとっての都合の良い世界に至る破滅の道だと気付く事もなく。

 

 ずっと、ずっと………。

 

 しかし、移ろうからこそ、流れである。

 ひたすらに緩やかに、穏やかに、都合よく流れ続けていく事など、決してありえない。

 

 流れが変わる。

 

 高みにありて、自分達こそ絶対なのだと思い上がっていた者達の作り出した流れは、一つの雑音(ノイズ)によって、大きくその流れを変えようとしていた。

 

 

 バタバタ。バタバタ。

 慌ただしく世界が動き回る。

 人の口は絶えず、その足は止まらず、目は忙しなく文字を追い、耳は常に何かしら、誰かの言葉を聞き取っている。

 ひっきりなしに鳴る電話の音が煩い。文字を書く手が疲れた。途切れることなく行われる会議、話し合い、論争に声はしゃがれ、喉はカラカラで痛い。

 それでも、誰も止まらない。まるで、一歩でも足を止めれば、乗り遅れてしまうとばかりにせかせかと動き続けていた。

 その発端は、たったの一日。たったの一夜の出来事。

 しかし、その僅かな間に起こった出来事は、世界を急き立てた。

 誰が予想していただろうか。

 常勝無敗、絶対強者として世界に覇を唱えていた神聖ブリタニア帝国のその不敗の神話が、何の前触れもなくあっさりと崩れ去ろうなどと。

 まして、それを成したのが、かつてブリタニアに敗北し、その全てを奪われた小さな島国の一組織の反逆によるものなどと。

 誰も予想だにしなかっただろう。

 でも、だからこそ、この事実は人々の心を惹き付けた。

 古いお伽噺のような奇跡の一夜は、多くの人々の心を震わせ、希望を与えた。

 誰もが思った。俺達だってやれると。

 誰もが考えた。後に続けと。

 足元さえ見えない、真っ暗な闇の中を標もなく歩み続けるのは難しい。

 果たして、ゴールはあるのか。それは、自分達の望むものなのか。いつ、辿り着くのか。

 不安、疑心、焦燥。まとわりつく負の感情が人の歩みを鈍らせ、やがてその足を止めてしまうからだ。

 でも、今は違う。

 その真っ暗な闇の中に、確かな足跡が残された。

 望む先に辿り着いた軌跡が、確かに刻まれたからだ。

 辿り着ける。終わりがある。ならば、自分達もそこに。

 それを知ったが故に、誰も足を止めようとはしなかった。

 バタバタ。バタバタ。

 慌ただしく世界は駆け巡る。

 その胸に、時に言の葉に、この奇跡の体現者たる男の名前を残しながら…………。

 

 

 

 ガシャン、と冷えたビールのジョッキが音を立てる。

 何度目になるか分からない音頭に沸き立ち、ジョッキの表面から滴り落ちた水滴に手を濡らしながら、一息にキンキンに冷えた中身を飲み干していく。

 そこかしこで歓声が上がり、笑い声が絶えず、時折、喜びに涙を浮かべ泣いている者もいた。

 奇跡の夜明けを経て、再び陽が沈んだトウキョウ租界、――いや、日本国首都、東京。

 僅かとはいえ、初のナンバーズの国土奪還という偉業を成し遂げた黒の騎士団の面々は、現在、政庁一階の大ホールで東京奪還並びに日本の復国を祝した酒宴の真っ最中であった。

「……んでよぉ、こいつはやべぇって思った瞬間、俺は直ぐに動いた訳よ。落下しそうになるカレンを助ける為に、一人、な」

 おおっ、と歓声を上げる後輩の団員達に気を良くしながら、玉城はぐびり、とジョッキを煽る。

 いつもの安酒とは、全く違う。

 総督、――つまりは、皇族が口にするような高価な酒は、いつも以上に玉城の口の滑りを良くしていた。

「きっと、あれだな。ゼロは分かってたんだろうな。あの状況で動けるのは、この俺様しかいねぇってよ。……ならぁ、答えねぇ玉城様じゃねぇって事よ」

 大袈裟に誇張した自身の武勇伝を身ぶり手振りで語っていく。

 普段であれば、流石に苦笑するであろう話の盛り具合も、半日経っても興奮の冷めない団員達には、丁度良いのだろう。

 玉城の話の要所要所で歓声を上げ、拍手をし、口笛を鳴らし、盛大に盛り上がっていた。

「……ったく、しょうがないな、玉城の奴は」

「まあ、気持ちは分からなくはないがな」

「だな」

 その光景を、南達が遠くから眺め、苦笑する。

 のんびりと酒瓶を傾け、いかにも落ち着き払った風を装ってはいるが、栓の開いた酒瓶の数を数えれば、彼等も玉城と似たり寄ったりな状態であると分かる。

「ふむ、美味い……」

 その近くでは、所狭しと並べられた料理に舌鼓を打っていた藤堂と、その一言に嬉しさと安堵が交ざった表情を見せている千葉や他の四聖剣の姿があった。

「しかし、まさか、日本酒まであるとはな」

 最近では、めっきり見かける事のなくなった郷里の酒の味に懐かしさを覚えながら、仙波がくいっ、とお猪口を煽る。

「ブリタニアの連中にとっては、奪った国の物は全て戦利品かコレクションだろうからな。好き者が寄贈した物もあるんだろう。……っと、藤堂さん、どうですか? もう、一杯」

「む……、だが、これ以上は………」

 嬉しそうに酒瓶を差し出してくる部下に、僅かに顔を赤くした藤堂が渋る。

 上機嫌に酒を勧めてくる千葉の酌もあって、流石の藤堂も少しばかり酔いが回ってきていた。

「まあまあ、藤堂さん。今日くらいは良いんじゃないですか? あの敗戦の日から、ずっと根を詰めに詰めてきたんですから」

 生来の生真面目さもあるだろうが、長く戦い続けた軍人としての性が隙を見せるのを良しとしないのだろう。

 折角の酒を程々で済ませようとする藤堂に、朝比奈も口を挟んだ。

「千葉が藤堂さんに喜んで貰おうと張り切った料理も、まだ沢山ありますし、もう少しだけ僕達に付き合って下さい」

「おいッ、何を言って…………!」

 余計な事を言う朝比奈に、千葉が真っ赤になりながら慌てふためく。

「ふむ……、そうだな。では、もう少しだけ付き合おう」

 羽目を外し過ぎるのは良くないが、自分が抑えてしまっては、部下達も気持ちよく飲む事は出来ないだろう。

 そう考えた藤堂が、千葉に向かって自分のコップを差し出した。

「それにしても、今回のゼロは随分と気前が良かったな」

 その光景を肴に、酒を楽しんでいた卜部が、ふと思い出したようにそう言った。

 それに、それを聞いていた者達も、同意見だという様に頷く。

 普段は、有象無象の集まりである騎士団を統率する為に、必要以上に厳しい態度を取るところがあるゼロではあるが、今回、酒宴を開くにあたっては、特に何かを言うことはなかった。

 それどころか、今夜だけだが政庁にあるものを自由に使っても良いという許可すら出しているのだ。

 流石に金品には手を触れるな、という厳命はあったが、それでも普段のゼロを思えば、考えられないくらいの気前の良さである。

「流石のゼロも、今回の大勝利に浮かれているんだろ?」

「かもな。それでも、付き合いの悪さは変わらないみたいだが」

「仕方ないわよ、ゼロの正体を知っているのは幹部だけなんだから。仮面を付けたまま、参加なんて出来ないでしょ」

 この酒宴の席に、当然、ゼロはいない。

 今回の勝利をもたらした最大の功労者であるにも関わらず、宴の始まりから今に至るまで、彼は一度も此処に顔を出してはいなかった。

「……でも、本当に良いんでしょうか? こんなに騒いでいて」

 ちびちびとノンアルコールの飲み物に口を付けていたカレンが、ぽつり、と呟く。

 確かに、東京を奪還出来た事は喜ばしいが、それでも、もう戦いが終わったかのように騒いでいて、本当にいいのか。

 そんな思いに、ゼロの姿が見えないという事実が加わり、一人素面なカレンは皆と同じように騒ぐ事が出来ずにいた。

「まあ、騒ぎ過ぎるのは確かに良くないが……」

 隣にいた為、カレンの呟きが聞こえていた扇が苦笑しながら、楽しそうに騒いでいる仲間達を見回す。

「でも、ようやく―――、長年、夢見続けてきた悲願が形になったんだ。今日くらい羽目を外して騒いだって、バチは当たらないさ、きっと」

 そう語りかけてくる扇の声は、とても満足そうだった。

 兄がいなくなり、崖っぷちに立たされた組織を四苦八苦しながら維持し、ゼロの下、仲間達を盛り上げてきた扇だ。

 感慨もひとしおなのだろう。

 そんな気持ちに水を差す気にもなれず、カレンは感じていた不満を飲み物と一緒に飲み込んだ。

「さて、それじゃ……」

「扇さん? 何処かに行くんですか?」

 まだ宴が終わる気配もないのに、腰を上げ、席を立とうとする扇に疑問を感じ、カレンは声を掛けた。

「あー、いや、その、……ちょっとな………」

 歯切れ悪く、視線を逸らし、答えを濁して部屋を後にする扇にカレンは首を傾げる。

 どうしたんだろう、と思うが特に追及する気も起きない。

 相手は扇。滅多な事なんてあるわけがない。

 何か用事でもあるんだろう、と思ったカレンは、ふう、と息と共に疑問を吐き出した。

 そのまま、何となく扇の消えていった入口から、部屋の中に視線を流して―――、気付く。

 ゼロがいないのは当たり前だが、あの目立つ髪の女の姿も見当たらない事に。

 先程、ちら、と見掛けたような気もしたが、今はもう影も形もない。

 おそらく、いや、間違いなくゼロと一緒にいるのだろう。

 彼女一人だけ………。

「………………ふん」

 それが、カレンには面白くなかった。

 先程とは別の感情が湧き上がってくるのを誤魔化すように、目の前の肉に、ぶすり、とフォークを突き立てる。

 ゼロの正体を、幹部達はもう知っている。

 勿論、カレンもだ。

 もう、あの女一人だけが特別という訳ではないはずなのだ。

 だというのに、何も変わらない。

 近しいのは、変わらず、やる気も熱意もない、人を煙に巻くような気に障る言動をする少女一人だけ。

 いや、カレンの勘が確かなら、前より――――。

「……何よ、アイツだけ」

 もやもやする。

 それが何に由来するものなのか、カレンは深く考えずに、不機嫌そうにおおぶりの肉を頬張った。

 

 

「―――分かった。合流希望の組織全てにメンバーのリストを提出させろ。提出後、三十分以内に此方で編成を行い、所属と配置を連絡する」

 政庁上階、執務室の一つ。

 朝の戦闘後、その後処理が一段落してからルルーシュは此処にずっと引き込もっていた。

 必要書類を片手に、絶えず鳴り続けるパソコンのタイピング音をBGMにしながら、耳に付けた携帯でディートハルトを始めとする一部の部下達に次々と指示を出していく。

 雑務から重要案件まで。

 今や、大きく動き出そうとしている世界の中心。ピンからキリまで数えたら、処理しなくてならない事は膨大なんて言葉では片付かない。

 その全てを一人でこなす事は、以前のルルーシュであれば、流石に無理があったであろうが、今、ここに座しているのは二ヶ月だけとはいえ、世界の全てを握り、自分の思うがままに動かしていた無敵の皇帝。

 圧倒的な情報の海を前にしても、呑みこまれ、溺れるどころか、どこか楽しそうに彼はその海を捌いていた。

「ああ、それとメンバーには文官としての素養があるか、適性検査を受けさせろ。判定B以上の人材は日本政府の方へ回せ。後は神楽耶様と桐原公がどうにかする」

 一通りの指示を出し終えるとルルーシュは携帯を切る。

 しかし、一息も入れる事なく手元の書類を素早く捲り、先程以上のスピードでパソコンを操作していく。

 その時、パタン、と軽い音がした。

 誰かが執務室に入ってきたようだが、ルルーシュは顔を上げない。一々確認しなくても、誰が入ってきたのか分かっているからだ。

「下の様子を見てきたぞ」

 いつもより、少し高めの声で呼び掛ける。

 声から滲み出る喜色が、彼女がご機嫌だと告げていた。

「奴等、揃いも揃って浮かれきっていたぞ。戦いが終わった訳ではないのに、あれでは、これから先が思いやられるな」

 やれやれ、と愉しそうに告げるC.C.。

 しかし、もしルルーシュが顔を上げていたら――ひょっとしたら気付いているかもしれないが――お前が言うなと言っていたかもしれない。

 片手に宴の場から頂いてきたトッピング多めのピザが乗った大皿を抱えていては、説得力も何も無いだろう。

「アイツらはあれで良い。一応は目的を達したといってもいい状態だ。下手に締め付けてしまえば、そちらの方こそ使い物にならなくなる」

「へぇ?」

 面白い事を聞いたという様に眉を上げ、C.C.は笑む。

 そのまま、クルクルと大皿を回しながらルルーシュの前まで来ると、執務机に身を乗り出した。

 大きめの机の為、身体の殆どが机の上に乗っかり、もはや寝そべると言っていいようなだらしない姿のC.C.がルルーシュの視界の端に入るも、ルルーシュは特に何も言わずに作業を続けていく。

 そんなルルーシュに、C.C.はニヤリと笑いながら、それで? と問い掛けた。

「都合の良い事を言って、ひたすらに国の為に戦ってきた、いたいけな黒の騎士団の連中を除け者にして、奇跡の救世主サマはどんな悪巧みをしているんだ?」

「人聞きが悪いな」

 C.C.の意地の悪い言い方に、フッ、とルルーシュが笑う。

「今は好機だ。世間が騒がしく、世界が慌ただしい今だからこそ、やれる事、やるべき事が沢山ある。彼等とは違い、俺にはやる事があるだけだ」

「それが悪巧みではない、とは言わないんだな」

 返る答えは、沈黙。つまりは、そういう事だった。

 いつかのように。そして、いつものように。

 世界中が求める正義の味方には似つかわしくない笑みが、何よりも答えを物語っていた。

「……C.C.、ここで食べるな。向こうに行け」

 ことり、とC.C.が目の前にピザの大皿を置いたのを感じたルルーシュが、首を微かに振って応接用のソファを示す。

 今更、この魔女のだらしなさについて言及するつもりはないが、流石に目の前で机に寝そべりながら食べられては、仕事がし難いし、気が散る。

 だが、そんなルルーシュの反応が気に入らなかったのか、C.C.はむっ、とした表情を見せると唇を尖らせた。

「随分な扱いだな。折角、私が気を利かせて、お前の為に持ってきてやったというのに」

「何だと?」

 ぴたり。

 今の今まで、止まる事を知らなかったルルーシュの指が止まる。

 顔を上げ、信じられないものを見る目付きで、目の前の不貞腐れた魔女を見る。

「……おい、魔女。俺はお前に雨を降らせとは一言も頼んでいないぞ?」

「お前も、大概、酷い言い草だな。魔王」

 はぁ、と一つ溜め息を吐くと、C.C.は先程までとは変わって真剣な表情で、ピザをルルーシュの方に押しやった。

「いいから、食べろ。寝食を忘れて働き続けるお前の姿は見たくない」

 思い出すのは、あの最後の日々。

 取るものも取らず、眠りを忘れ、少しでも何かを残せるようにと。

 生き急いで、死に急ぐ、あの皇帝の姿を魔女は誰よりも近くで見ていた。

 色褪せていく絵画のように、日に日に生が磨り減っていくその姿を逃げもせず、傍で見続けてきた彼女だからこそ、それを彷彿とさせる姿を、あまり見たくはなかった。

「………そうだな」

 僅かに表情が柔らかくなったルルーシュが、手に持った資料を机に置き、耳に付けた携帯を外す。

「折角の魔女の気まぐれだ。受けておいて損はないか」

 からかうようにルルーシュが言うと、ふん、と鼻を鳴らしてC.C.は自分もピザを食べようと一切れ摘まみ上げた。

 ――ここで、二人の間にちょっとした意識の差異が生まれる。

 今、C.C.がピザを取ったのはあくまで自分で食べる為だ。

 しかし、話の流れから、ルルーシュの方はC.C.が自分にピザを手渡そうとしていると勘違いしてしまった。 

 つまり―――

「お……………ッ」

 驚きの声が、喉に詰まる。

 C.C.の細い手首を掴んだルルーシュは、あろうことか、そのままC.C.の持っていたピザに大胆にもかぶりついた。

 小さく口を開いて、ぱくり、と食い付き、ルルーシュの薄い唇がC.C.の指先に触れて、……離れた。

「おま、えな…………」

「何だ?」

 以前のルルーシュでは、とても考えられない行動にC.C.は驚き、少しだけ鼓動を乱すも、当の本人は特に意識した様子もなく、C.C.から奪い取ったピザを上品に食べている。

「……何でもない」

 途端に自分の反応が馬鹿らしくなる。

 分かっていた反応だろうに、と呆れながらC.C.は今度こそ自分の分のピザを手に取った。

「で? 結局のところ、どうなんだ?」

 とろり、と伸びたチーズを指で絡め取り、改めてC.C.はルルーシュに何をやっていたのかを問い掛ける。

 すると、ルルーシュは黙ったままパソコンを操作し、あるデータを展開すると、C.C.が見えやすいようにパソコンの向きを変えた。

 ピザを食べながら、パソコンの画面を覗き込み、それが何のデータか分かると、C.C.は面白そうに金色の瞳を細めた。

「日本以外の政府機関から十六、傭兵斡旋・レジスタンス支援等の非政府組織から四十五、その他、大小含めたレジスタンス、地下組織の類は既に百以上。……たった半日で、よくも、まぁ」

 くくっ、と喉を震わせてC.C.が笑う。

 それは、朝の日本復活の宣言が世界中に流れてから、この半日の間にゼロに接触を図ってきた組織、機関の数だった。

「皆、それだけゼロに期待しているという事だ。縋る藁すら、中々見つけられない今の情勢では特に、な」

「そのせいか、素直なところが多いな。『今以上の厚遇でゼロを迎え入れる準備がある』『黒の騎士団としての協力が難しいようなら、ゼロだけでも構わない』。……七割近くが、お前だけ来てくれという要請だ」

「澤崎の例があるからな。どの国も、ほぼ日本人で組織された黒の騎士団の介入は可能な限り避けたいんだろう」

 先のキュウシュウ戦役の中華がそうだったように。

 程度の差はあっても、可能性がある以上は避けられるものなら、という事なのだろう。

 成程、黒の騎士団には見せられない情報だな、とC.C.は一人納得する。

 そんなC.C.の様子を見ながら、ルルーシュは画面を別のものに変える。

「E.U.と中華の反応も想定した通り。身内に問題を抱えている彼等にとっては、この状況は追い風だからな。下手な介入は、まず無いと言える」

 どの国も、大きく動き出している。現状に抗おうとする気運は、この瞬間にも加速度的に高まっており、世界の流れは、ブリタニアからルルーシュにとって都合の良い方向に流れを変えようとしていた。

「だが、肝心のブリタニアには大きな混乱は見られない」

 甘い考えを切り捨てるような魔女の一言に、しかし、ルルーシュは反論する事なく頷いた。

 トウキョウ決戦の最中は、ゼロによって振り回されたブリタニアだが、冷静に戦局を分析すれば、損害そのものは大きくない。

 確かにトウキョウ租界を奪われ、エリア駐留軍は半壊したが、言ってしまえば、それだけだ。

 氷山の一角が崩れたとはいえ、未だ帝国の強大さは磐石のまま。

 今は、トウキョウ租界にいるユーフェミアを始めとするブリタニア市民が万単位で人質状態にある事。自分達の想像を大きく上回ったゼロを警戒して大人しくしているが――――。

「それも長くは続くまい。シャルルやシュナイゼルであれば、あっさりと切り捨てるだろうからな」

 もはや世間に関心はないシャルルと、必要であれば自国民を首都ごと爆弾で消し去るシュナイゼルだ。躊躇いなど期待するだけ無駄である。

 ユーフェミアも人質も無視して、掃討戦を仕掛けてくる事は想像に難くなかった。

 攻め入る理由も、いつものように関係者全員を皆殺しにしてから、都合の良いようにでっち上げれば良い。

「ブリタニアにとっては、単純明快だ」

 そこで、C.C.は机の片隅に手を伸ばした。

 そこにはルルーシュが置いたのか、それとも此処を使っていた人物が置いたのか、チェス盤が置いてあった。

 それを手繰り寄せると、何も置いていないチェス盤の隅に黒のキングを一つだけ置いた。

「ゼロを倒す。それだけで良い」

 そう言いながら、C.C.は黒のキングの周りに白の駒を次々と置いていく。

「劇的な復活をしたところで、日本はかつてブリタニアに敗北し、全てを吸い上げられ、痩せ細った国。そんな国を従えたところで、国力差は明らかだ」

 ビショップ、ナイト、ルーク、クイーン……。次々と置かれていく駒によって、あっという間に黒のキングの周りは白で覆い尽くされた。

「この騒ぎの火付け役となったゼロと日本が潰れれば、世界は夢から覚める。反ブリタニアの気運は高まったままだろうが牽引役がいなければ意味のない事だ。負け犬の遠吠えが少し喧しくなったところでブリタニアは揺るがない」

 違うか? とチェス盤からルルーシュに視線を移すと、ルルーシュは満足そうに頷いた。

「お前の言う通り、それがブリタニアの考え方だ。冷静で合理的。油断なく事に当たれば、万が一もない。そう考えている」

「そう言う割りに余裕だな? 見ろ、状況は圧倒的に不利だぞ」

 そう指で指し示すのは、先程のチェス盤。

 白の駒に囲まれて、盤上の隅で身動きが取れなくなっている黒のキングだった。

「それはお前もだろう? 随分と楽しそうじゃないか?」

「何。私は、お前がここからどんな悪知恵を働かせて、この状況をひっくり返すのか。どうやって世界やブリタニアを騙すのか、見物だと思ってな」

「口の減らない………」

 言葉は悪いが、何だかんだでルルーシュへの信頼を見せるC.C.に苦笑する。

「確かにブリタニアの判断は、冷静で合理的だ。()()()()()()()()()()()()

 すっ、と手を伸ばし、ルルーシュは黒のキングを手に取った。

「合理的に考える事が、全てにおいて正しいとは限らない。世界はそれほど単純ではないし、人はもっと不完全で、曖昧で、感情的で………、でも、だからこそ、時として、思いもよらない力を発揮する」

「だが、それでも大局的に見れば、ブリタニアは正しい。お前がいなくなれば、たとえ抗う意志が世界に根付こうとも、何も変えられないだろう。思いだけでは何も成せない。これまでがそうだったように、これからもどうにでも出来ると予想している筈だ」

「そう。予想しているだけだ。実感ではない」

 その時のルルーシュの瞳の色を何と言ったら良いのか。

 遠くにある何かを懐かしむような、……憧れるような。尊いものを見るようなそんな瞳をしながら、ルルーシュは手の中のキングの駒をくるくると弄ぶ。

「彼等は知らない。泥に塗れながらも立ち上がる人の強さを。理不尽に耐える人の強さを。誰かの為に命を投げ出せる人の強さを。国を想い続ける人の強さを。一途に誰かを想う人の強さを。そして、絶望の中で希望を見つけた時の、どれだけ苦しくても、それでも『明日』を求める人の、その想いの強さを彼等は理解していない。それがこの局面で判断を誤らせた」

 タンッ、と音を立てて、黒のキングがチェス盤の中央に置かれる。

「何より、悪逆皇帝(オレ)を見誤った」

 中央に置かれた黒のキングを遮るものは何もない。

 白の駒は隅に固まり、黒のキングは盤上の何処へでも好きに動かす事が出来る。

「ブリタニアは、あの戦いでゼロを勝たせるべきではなかった。どれだけ犠牲を払おうとも、どれだけ醜態を晒そうとも、日本に閉じ込めたまま、倒してしまうべきだった。だが、くだらないプライドに拘り、合理的にしか物事を判断出来ずに、ゼロを世界に解き放ってしまった」

 その顔に笑みが浮かぶ。世界全てを相手にする事になっても、崩れる事のなかった不敵な笑みが。

「同じく世界全てを敵に回した者として、全てを敵にした者が敗北に甘んじれば、どういう結果を生むのか……。直々に教えてやるとしよう」

 但し、授業料は高いがな、と囁く顔は、魔王と呼ぶに相応しく―――。

「やはり、正義の味方には見えないな」

「そうか? ……そうだろうな」

 そんな軽口を叩きながら、魔王と魔女は二人だけで、こっそりと笑い合った。




 映画見てきました!
 何か、C.C.が既にR2並にルルーシュに優しい感じがしたのは気のせいでしょうか?

 そして、やはりブリタニアはゲスかった。
 この小説では、そんな彼等に悪逆皇帝サマの正義の鉄槌が下ります。容赦なく下します。なので、悪逆なのに正義とは何ぞ?というツッコミはどうか無しでお願いします。


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PLAY:17

 踏み込んだ瞬間、世界が変わったのを感じた。

 比喩ではない。文字通り、世界そのものの変容。

 俗世は遠くに押しやられ、理は別のモノに置き換わり、時間すら、その意味を失う。

 そこは、静寂を越え、静謐を通り越し、唯々、寂寥にも似た神秘のみが横たわる終末の世界。

 神に最も近く、そして、神を殺せる剣の鞘。

 

 黄昏の間。

 

 この場所を知る者達からは、此処はそう呼ばれていた。

 

「ふふ………」

 選ばれし者のみが入れる神秘の世界観を肌で感じ、V.V.は優越に満ちた笑みを溢した。

 此処には何もない。そして、何も意味を為さない。

 煩わしいしがらみも、下らない欲望の淀みも、嘘が蔓延した世界の腐臭も。

 この身にこびりついた穢らわしさが、瞬く間に洗い流されていくようで、とても清々しい気分になる。

 いずれ、この世界が全てとなるだろう。

 嘘も争いも、その一切が押し流され、世界は新たに生まれ変わり、人はその先で永遠の安寧を得る。

 誰もが救われる、非の打ち所なんてない完全なる人類の救済。

 それを成せるのは自分達だけなのだという、使命感と優越感に酔いしれながら、V.V.は黄昏の間の長い階段の先に人影を見つけると、上機嫌に声を掛けた。

「やあ、シャルル。来ていたのかい?」

 その声に人影が、ゆっくりと振り返る。

 僅かな所作であっても漂う貫禄。此方を見つめる瞳には老いによる衰えなど微塵も感じさせない。

 その佇まいは、大きな体躯と相俟って、まるで古い巨木のよう。

 しかれど、V.V.にとっては、幾つになっても可愛く、愛すべき弟。

 ブリタニア皇帝、シャルル・ジ・ブリタニアは幼い兄の姿を確認すると大きく頷いた。

「兄さんこそ、最近はいつも此処にいるようですが」

「そうかな? ……うん、そうだね。多分、シャルルと同じじゃないかな。年甲斐もなくワクワクしているんだと思う」

 そう言いながら、シャルルの隣に立ち、彼と同じものを見上げるV.V.の瞳は言う通り、少年の輝きだった。

「随分かかってしまったけど、後少しでアーカーシャの剣が完成するんだと思うと、ね」

 しかし、その視線の先にあるものは、決してそんな瞳で見上げるようなものではなかった。

 世界の枠組みを壊し、人の在り方を根本から変えてしまう神殺しの剣、アーカーシャ。

 道を間違え、狂気に堕ち、歪んでしまった理想の集大成。

 その完成に長い年月を費やしてきたが故に、V.V.もシャルルも逸る気持ちを抑えられず、何度も此処に足を運んでしまっていた。

「後はC.C.のコードが手に入りさえすれば、ラグナレクの接続を始める事が出来るけど………」

 そこで、一度言葉を切る。そして、視線はそのままにV.V.はシャルルに向けて口を開いた。

「そっちは上手くいってるのかな?」

 その問い掛けに、シャルルは無言で首を横に振る。

「そう。……でも、C.C.は変わらずルルーシュの側にいるみたいだし、居場所が分かっているのなら、やりようはいくらでも――」

「――兄さんは」

 無邪気に語るV.V.の幼い声を遮るように、老練な声が静かに響いた。

「兄さんは、何かご存知ないですか?」

「何か……?」

 その質問の意味するところが分からず、V.V.は小首を傾げながら、シャルルの方へ向き直る。

「あの日、致命傷を負ったゼロが、その直ぐ後に戦いを仕掛けてこれた事。何故、生きていたのか。何故、助かったのか。それの意味するところ、つまり―――」

「―――ないよ」

 感情の絶えた無味な声が、今度はシャルルの声を遮った。

「君が考えているような事はないよ、シャルル。コードを持っているのは、今もC.C.だ。そう、僕のコードが告げている」

「では、あやつが生きておるのは、単に運が良かっただけでコードは一切関係ないと?」

「そうじゃないかな? 何にせよ、僕達に必要なのはコードで、持っているのはC.C.だ。他は関係ないよ」

 その言葉に、シャルルもV.V.の方へ向き直った。

 厳しい顔付きで、その発言が本当かどうか問い質すかのように強い視線をV.V.に向ける。だが、そんな視線を向けられてもV.V.は動じない。うすら笑いを浮かべて、シャルルの視線を受け流していく。

 そのまま、無言で向き合い続ける二人。

 身動ぎすらしない二人の代わりに、伸びた影法師が光の加減でゆらりと揺れた。

「………分かりました」

 睨み合いにも似たその時間は、シャルルのその一言で終わりを告げた。

 そして、それ以上口を開く事はせず、シャルルはV.V.に背を向けると黄昏の間の長い階段をゆっくりと降り始めた。

 暫し、その背中を笑顔で見送っていたV.V.だったが、シャルルの姿が遠ざかると表情を一変させた。

「そうさ、関係ない」

 呟きが零れる。

 それは短い呟きだったが、冷たく暗く、そして、ドロリとした感情が含まれた呟きだった。

 

 そう、関係ない。必要ない。

 

 必要なのはコードが一つだけ。それをC.C.が持っている。

 それを手に入れれば、それで良いのだ。

 だから、関係ないのだ。新しくコードが生まれた事実なんて。

 それを誰が持っていようが、自分達には関係ない、必要もない。

 だから、シャルルが知る必要もないのだ。

「シャルルが気付いてないようで安心したよ。……今なら、知らないままにしておける」

 自分達に必要ないのだから、存在しても意味はない。むしろ、邪魔だ。

 もう、これ以上余計な横やりはいらない。

 自分達の間に、誰かが割って入る事など許しはしない。

 二人だけで良い。自分とシャルルだけで良いのだ。

 だから―――…

「早めに手を打つ事にしようか。……万が一にも弟に変な虫が付かないように」

 その言葉に含まれた殺意とは裏腹に、とても楽しそうにV.V.はそう宣言した。

 

 

 明かりの落ちた廊下を、シャルルは護衛も付けずに歩いていた。

 世界を相手に宣戦布告をした大国の王にしては不用心だが、この場所は皇帝と極一部の人間しか知り得ない上に、ブリタニアという国の中心も中心。

 そんな場所まで暗殺に来れる気骨のある人間のいる国があるのなら、ブリタニアは最近まで不敗を誇ったりしていない。

 そして、付け加えるなら。

「どうだった?」

 護衛は付けずとも、剣が側にない訳ではなかった。

 ピタリ、とシャルルの足が止まる。

 ともすれば、風の音と勘違いしそうな程、軽やかな声だったが、シャルルは聞き逃しはしなかった。

 前を向いたまま、声が聞こえてきた暗がりに答えを返す。

「―――嘘を吐いた」

「あら、また? しょうがないわねぇ」

 コロコロと楽しそうな笑い声が暗がりから響いてくる。

 邪気の欠片も感じない笑い方は、まだ幼さを残す声質も加わり、無邪気過ぎて、逆に人間味を欠いているように感じられた。

「でも、これでハッキリしたわね。()()()()()()()()()()()()()()()

 V.V.はシャルルが気付いていないと思ったようだが、勿論、そんな訳がなかった。

 とうの昔に、V.V.はシャルルの信用を失っている。

 故に、V.V.の側近にはシャルルの息の掛かった人間が複数人、紛れ込んでおり、全ての情報は皇帝に筒抜けの状態にあった。

「どうやってコードを獲得したのかは分からないけど、……ふふっ、流石は私の息子ね。こんなにも親孝行に育ってくれるなんて」

 楽しそうに喋る人物が、暗がりの中で弾むように動いた。どうやら、くるくると踊っているらしい。

「あの子が来てくれれば、もうC.C.も用済み。……ううん、ルルーシュに入れ込んでいるみたいだから、ひょっとしたら一緒に来てくれるかもしれないわね。そうしたら、V.V.こそ用済みかしら?」

 決定事項を告げているかのように、自信に満ちた一言。

 しかし、そこに含まれるのは信頼ではなく、良く躾られた動物か手に馴染んだ道具に向けるそれに近かった。

「それで? あの子の迎えはどうなったのかしら?」

「幾度か機情を差し向けた。だが、その全てが消息を絶った」

 シャルルの答えに暗がりから、あら、と驚いたような声が聞こえてきた。

「皇帝直属の機密情報局を、此方に何の情報も漏らさせずに片付けるなんて、やるじゃない」

 機密情報局は、数ある諜報部隊の中でも選りすぐりの精鋭である。

 その特色から風通しが悪く、味方を内偵する事もあるので周りから煙たがられる事が多いが、その腕は確かで彼等が本気で自分達の正体を隠し、潜伏しようものならブリタニア軍ですら、見付け出すのは困難を極める。

 その彼等全てが外に一切の情報を持ち出す事も出来ずに処理されたとなれば、驚くのも無理はない。

 果たして、どのような手段を用いたのか。

 余程、鉄壁なセキュリティシステムがあるのか。その道に精通した手駒があるのか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「あの子は貴方を誤解しているから仕方ないとしても、機情でも手が出せないなら裏工作は難しいわね。……う~ん、私が直接会いに行ければ、それで片は付くんだけど、()()()も忙しいみたいだし……。そういえば、最近、大分慌ただしいのだけど、知ってた?」

「俗事は、シュナイゼルに任せておる」

 知る必要もない、とばかりに一切の興味も示さず、シャルルは疑問を切り捨てる。

「所詮はラグナレクの接続が成されれば、全て解決する小事。ラウンズの扱いもビスマルクに任せておる。その程度の事ならば、それで十分よ」

「それもそうね。それに、騒ぎが続いた方が私達にとっては都合が良いか」

 何しろ、この騒ぎの中心にいるのは、当のルルーシュだ。

 つまり、この騒ぎが続けば、いずれ放っておいてもルルーシュの方から自分達に会いに来てくれるという事になる。

「いいわ。コードを持っている上にC.C.が側にいるなら、滅多な事にはならないでしょうし、今は息子の頑張る姿を見ながら、のんびりと待つことにしましょう」

 もう、未来は約束されたようなものなのだし。

 クスクス、という笑い声が響く。

 それが少しずつ小さくなるのと共に暗がりの中の気配も徐々に小さくなっていく。

「でも―――」

 それが完全に消えてなくなる直前。

 思い出したとでも言うかのように、再び暗がりから声がした。

 

 

「私からの呼び掛けにも応えないで、C.C.ってば何を考えているのかしら?」

 

 

 もう、何時だって死ぬことが出来る(願いを叶えられる)のに―――――?

 

 

 

 

「ん……………」

 ふと。

 誰かに呼ばれたような気がして、C.C.はうっすらと目を開いた。

 ぼんやりとしたまま身体を起こし、辺りを見渡すも周囲は静かなまま。少なくとも、眠りを妨げるような何かは存在しない。

「………………」

 気のせいか、と思いながら、窓の方に視線を向ければ、カーテン越しに見える外の明るさはまだ不十分で、その事からまだ夜明け前であると知れる。

 つまり、遅起きのC.C.が起きるには、余りに早すぎる時間だった。

「………まったく、人が良い気持ちで眠っていたというのに……………」

 ぶつくさ言いながら、再び横になり毛布を被り直す。

 眠りを邪魔された苛立たしさから、グイッと毛布を強引に引き寄せながら、寝返りを打つ。

 すると、ぽすん、と。

 不意打ちのような感覚に、眠気にとらわれていたC.C.は一瞬それを忘れ、ぱちくりと目を瞬かせた。

「………ふふ」

 それが隣で眠る男の背中だと気付き、C.C.はふわりと笑った。

 随分と身体に慣れてしまった温もり。

 少し前までは、近い将来、失われると思っていた背中の感触。

 でも、今はそんな心配はなくて。

 少なくとも、これがある限り、魔女は一人の夜に怯えなくても良い。凍える夜に終わりのない生に涙する事もない。

 

 だから、今のC.C.には死を願う理由なんてなくて……。

 

 ふぁ、と魔女の口から小さな欠伸が溢れる。

 遠い空の下で、かつての友人が今の自分の行動に疑問を感じているなどと露にも思っていないC.C.は、先程までの不機嫌さなど忘れた上機嫌さで、共犯者の魔王の背中にぐりぐりと頭を押し付けながら、ゆっくりと微睡みに落ちていった。

 

 そして。

 

 C.C.が、再度の眠りに落ちてから数秒後。

 おもむろに背中にピッタリと貼り付いてきた共犯者の魔女の寝息を聞きながら、はあ、とルルーシュは呆れたように溜め息を吐いて呟いた。

 

「……寒いのなら、もっと厚着をしろ」

 

 

 

 

 ――――――……

 

 

 そんな、一部の者達が、緩やかな時間を過ごす一方で。

 

 世界は、確実に、そして大きく変わり始めていた。

 

 一つ、例を上げよう。

 例えば、ナンバーズと呼ばれる存在。

 彼等は、一言で言ってしまえば、奴隷だ。

 それは、名誉ブリタニア人であっても変わらない。

 苛酷な状況、劣悪な環境、最低な条件の中で、ひたすらに行使され、使い潰され、棄てられていく。

 だというのに、使い潰す側は何も痛まない。

 端金で働かせても、誰にも文句は言われない。

 壊れても壊れても、直ぐに補充出来る消耗品。

 何より、どんな扱いをしても良心は欠片も痛まない。

 雇用する側にとっては、とても都合の良い労働力だった。

 そう。

 労働力なのだ、彼等は。

 そして、有名、大手の企業程、彼等を労働力として多く行使していた。

 軍需産業を筆頭に、各産業、各企業。

 ブリタニアのエリア政策が進むにつれ、年々、その傾向は強くなり、今日においてナンバーズという存在はブリタニアにとっては欠かす事の出来ない、重要な人的資源となっていた。

 だからこそ、今、彼等は困っていた。

 生きていく為に、ブリタニアに使われていたナンバーズ。

 どんな扱いを受けても、文句も言わずに働き続けてきたナンバーズが。

 ある日を境に、一人として働きに来なくなったのだから…………。

 

 ―――とある矯正エリア。レジスタンス支援組織が用意した仮設住宅。

 カチャ、と扉が開く音を聞いて、幼い子供をあやしていた女性がパタパタと玄関まで小走りで駆けていく。

 そこに、以前よりも顔の血色が良くなった夫の姿を見つけて、ホッ、と肩から力を抜いた。

「お帰りなさい」

「ああ、……ただいま」

 柔らかく微笑む最愛の妻に微笑み返し、男性は懐から薄い封筒を取り出した。

「今月の支給金を貰ってきた」

 大して多くはない、一粒種の子供と三人、何とかやっていける程度のお金だが、それでも、それを受け取った女性は嬉しそうに涙を浮かべ、封筒を胸に抱える。

 その姿に、男は自分の選択が間違っていなかったと確信した。

 

 自らの国が、エリアと呼ばれるようになった日。

 男は、家族を養う為に名誉ブリタニア人となる事を選んだ。

 周囲から裏切り者と呼ばれても気にしない。

 ナンバーズのままでは自分一人が食っていく事すら儘ならない。

 家族を生かす為には仕方ないのだと割り切り、男はブリタニアに服従する道を選んだ。

 勿論、だからといって、劇的に変わるという訳ではない。職にあぶれる心配が、いくらかマシになる程度だった。

 だが、そのいくらかで家族が生きていけるのだから、構わなかった。

 エリアになるまででは考えられない最低な賃金の職の中なら少しでもマシなものを探し、日々、食い繋いでいく為に働き続けてた。

 いや、それは働くなんて言い方で表せるものではなかった。

 ――戦いだった。

 僅かにでもミスをすれば殺される。僅かにでも遅れようものなら殺される。少しでも反抗的な態度が見られれば殺される。だからといって、何の反応も示さなければ、つまらないと殺される。

 機嫌が悪い、そういう気分、つまるところ、目に付けば殺される。

 顔馴染みなんて出来た試しがなかった。同じ顔ぶれで仕事をする日なんて一日とて存在しない。

 そんな地獄の中で生をもぎ取り続ける事を戦いと言わずに、何と言おう。

 そして、そうやって、毎月、地獄を切り抜けても手に入るのは一般ブリタニア人が数日働いた程度の額。

 それでも難癖をつけて、そこから額を更に減らされたりせず、毎月、給金が支払われるだけ、まだマシだと言えた。

 だから、男は地獄と分かっていても、そこから抜け出せなかった。

 此処で働けなくなったら、もう職にありつけないかもしれない。次の職場が、これ以上の地獄でないなんて保証はない。

 毎日のように、妻が泣く姿を見るのは中々に堪えたが、それでも自分も働くからと言う言葉に頷く事は出来なかった。

 分かっていたから。ナンバーズである妻を働きに出させてしまえば、最後。二度と会えないという確信があった。

 そうして一人、命を磨り減らすように働き続けた。

 国の事なんて考えられない。他人は元より、自分の命すら二の次に。

 ひたすら、家族を生かす為に。愛する者達を守る為に戦い続けた。

 だからこそ。

 何があってもしがみついてきたからこそ、それを手離すような選択をするのは、並大抵の覚悟ではなかった。

 事の始まりは、一月程前。

 レジスタンスを支援する組織を通して告げられた、この国の元国家元首の言葉を聞いた。

 彼は言った。

 ()()()()()()。だから、これから始まる戦いに協力してくれと。

 その言葉を聞いて、男は覚悟を決めた。次の日から、彼はブリタニアの下に働きには行かなくなった。

 いや、男だけではない。

 今、このエリアでブリタニア関連の仕事に働きに出ているナンバーズは一人としていない。

 このエリアだけではない。隣のエリアも、その隣のエリアも。

 エリアの枠を越えて、ブリタニアの傲慢に言葉と態度で訴えかける。

 超大規模ストライキ。

 それが、武器を取らなかった者達の、武器を取らないなりの戦いだった。

 

 思い切った事をしたものだと男は思う。

 自分も、――他人も。誰も彼もが。

 そもそも、ナンバーズのストライキなど上手くいく筈はないのだ。

 すげ替えれば、それで終わりな上に、雇用側が音を上げるより先に、彼等の方が参ってしまうからだ。

 今回、それが上手く機能しているのは規模が大規模であることと、彼等を支援する組織がいるというのが大きい。

 そう。収入の無くなった男を含めたストライキ中のナンバーズが何とか生活出来ているのは、毎月、今回の活動に協力してくれているレジスタンス支援組織から援助金が支給されているからだ。

 大した額ではない。働いていた時と変わらない額だ。それでも、妻を泣かせる事がなくなったと思えば、天と地ほどの差はあるが。

 しかし、それでも長く続けば、洒落にならない額になるだろう。

 いくら、国を奪還後、政府が負担分を支払うと約束しているとはいえ、果たされなければ、文字通り無駄金に終わる。

 それは、男達もそう。失敗すれば、もう生きていく事は出来ないだろう。

 それでも、皆が今回の戦いに参加するのを選んだのは、きっと。

 誰もが皆、こんな馬鹿みたいな、思い切った行動に出る覚悟を決められたのは、きっと…………。

「あなた、今日は、もう家に居られるのですか?」

 物思いに耽っていた男は、妻の声に我に返った。

「いや、今日は同僚連中とデモ隊に参加するつもりだ。……名ばかりのストライキでは、金を出してくれている連中に悪いからな」

 例え、僅かでも変えられるものなら変えてやろう。

 そう意気込む夫に、妻は心配そうにしながらも、健気に微笑んだ。

「いってらっしゃい。……どうか、無理だけはしないで」

「分かっている。程々で帰ってくるよ。……それに、そんなに心配しなくても大丈夫さ。何てったって、俺達には――――」

 

 ―――奇跡が付いているんだから。

 

 

 そうして、武器を持たぬ者達が戦い続ける一方で。

 当然、武器を持つ者達も戦い続けていた。

 

 領土拡大を行うブリタニアの最前線というべき戦場に、程近いエリア。

 その首都近郊に、大きな兵器工廠の施設群があった。

 数年に渡り続く激戦区を支援するという名目上の、そこに派遣される皇族や大貴族のご機嫌取りの為に、総督が無駄に金を費やして完成させた、軍需施設の都市と言っても良いくらいの大規模な施設群。

 その効果の程はというと、下心から生まれた案の割に絶大で、本国から遠く離れた戦地であるが故に滞りやすかった兵站の補給を十分以上に賄い、潤沢な物資に支えられ、ブリタニア軍は、数年に渡る戦いに後少しで決着を付けられるというところまで迫れるようになっていた。

 それ故に、この場所を狙う輩も多かった。

 このエリアのレジスタンス、戦場でブリタニアと敵対している国の別動隊。

 様々な勢力が、これを落とそうとした。

 しかし、その悉くは失敗に終わる。

 金に物を言わせた最新設備、最新のナイトメア。

 夜ですら、昼のように明るく、エリア政庁よりも鉄壁と思われる防衛網。

 自らの地位と栄誉を守らんとする野心は、これに挑まんとする全ての勢力を叩き落とした。

 誰がしても、何をしても、落とす事が出来ない。

 その不落・不夜の堅城を前に為す術を持たず、多くの者達が自分達の無力さを叩きつけられていた。

 だが、人のやる事に絶対はない。

 人の造り出した物に完璧はない。

 例えば、この工廠群の守備隊長。

 最前線を支える後方の最重要施設の防衛責任者という肩書きではあるが、やはりというべきか、彼も実力でその地位をもぎ取ったという訳ではない。

 このエリアに着任してきたばかりの総督に上手く取り入り、この地位を得たのだ。

 この経歴を見れば、もう分かるだろう。例に漏れず、全うな軍人ではないと。

 事実、彼は金を好み、称賛に飢え、酒と女、そして、何より勝てもしないのにギャンブルがとても好きだった。

 そんな彼が、人生に一度、有るか無いかというくらいの大勝ちをしたのが、五日前。

 そして、この数日、浮かれ気分だった彼が、その気持ちのままに、ちょっとした気紛れを起こしながら、再びカジノに赴こうとしたのが、今日だった。

 彼は、本当に良い気分に浸っていた。好きなギャンブルで大勝ちをして、その場にいた者達から限りない称賛を得たのだから、当たり前といえた。

 だから、彼は気紛れを起こした。

 いつもは、部下に仕事を押し付けて、一人カジノに向かう彼が、今日ばかりは部下達も連れていってやろうと。

 取り巻きの分隊長達、補佐官、それに自分が目を掛けている者達にも良い思いをさせてやろうじゃないか。

 そして、再び自分が大勝ちする姿を見せて、思いっきり称賛されようではないか。

 そんな浅ましい事を、彼は考えた。

 

 だがしかし、それが何だと言うのだろう。

 確かに、これは、チャンスではある。

 隊長勢を始め、上役は全員出払う事になる為、緊急時の対応は混乱を極めるだろう。

 上が仕事を放棄した事で、下の者達も緩み、監視やセキュリティのチェックも杜撰になるだろう。

 しかし、これは、一個人の気紛れから起こった偶然の産物である。

 スケジュールや習慣から読み取れるようなものではない。

 偶々、ギャンブルで大勝ちし、ふと、カジノに行こうと思い立ち、金に意地汚い男が、気分から金を散財してでも部下達を連れていこうと思い立っただけ。

 機会として活用するには、不確定要素が多く、突拍子も無さすぎる。

 まして、この地に集う僅かな反抗勢力だけで、難攻不落の軍事拠点を落とすとなれば、尚更。

 それでも、この機会を活かせるとすれば、それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 つまり………。

 

 工廠施設群の中央司令室の前に横付けされていた数台の黒塗りの高級車がゆっくりと走り出す。

 乗っているのは、この拠点の守備隊隊長と中隊長数名、その他諸々。

 これから繰り出す夜に思いを馳せ、喧しいくらいに騒ぐ彼等を乗せた車が、夜道の向こうに消えるのを、近くの森の中から、そっと覗く人の影があった。

「本当だ。……本当に全員いなくなった」

 ぽつり、と呟いたのは、この地に集うレジスタンスグループの中では最大の勢力を誇り、今作戦の纏め役に選ばれたリーダーだった。

「お、おい、早くやろうぜ。今がチャンスなんだろ?」

 隣で同じ光景を見ていた、違うグループのリーダーで今作戦の補佐を務める男が、興奮から震える声を隠さずに話し掛ける。

 それに、本当に起こった絶好の機会の訪れに呆然としていたリーダーは我に返ると、いや、と首を振った。

「ゼロから送られてきた作戦の概要には、突入時刻は今から127分後……、出ていった奴等が酒を浴びるように飲んで、完全に出来上がってからだ」

 手元にある作戦概要が書かれた資料に目を通しながら、リーダーの男が内容に従って指示を出す。

「だが、それまでにやらなければならない事は沢山ある。監視システムへの介入。警報装置の解除、各種防衛機構の機能停止。……大変だが、ここに書かれている通りにやれば大丈夫だ」

 ゼロから送られてきたその指示書には、必要な事は全て書かれていた。

 作戦の手順だけではない。

 拠点内部の正確なマップデータにセンサー、トラップの配置と数。

 セキュリティシステムへのアクセスコード。

 監視カメラの切り替え速度。警備兵の巡回経路、要所通過時刻。

 警備に使われているナイトメアの数に機種、更には暗証番号まで。

 もはや、敵以上に敵を知り尽くしているその内容に、戦慄すら覚えてしまう。

「俺……、ブリタニアにかける情けなんて持ち合わせちゃいないと思ってたけど、これ見た時は、思わずアイツ等に同情しちまったぜ」

「ああ。でも、同時に確信した。俺達の信じた奇跡は、嘘でも幻でもない。……日本の復活は起こるべくして起こったんだってな」

 そう言って、リーダーの男は通信機を取り出し、近くに潜伏している仲間と今作戦の協力者達に語りかけた。

「皆、聞いてくれ。ゼロの予見した通り、千載一遇のチャンスが巡ってきた。これより、俺達は、この巨大軍事施設群の破壊を行う」

 通信機の向こうからは、目立った返答はない。

 小さな息の音や、溜め息にも似た掠れた声だけ。

 緊張は伝わってくる。だが、同時に伝わってくるのは、覚悟よりも迷いの方が強かった。

 ゼロに対してとか、作戦の内容についてとかではない。

 彼等の迷いは、自信の無さ故のものだった。

 この地でブリタニアに抗う者は、この場所の堅牢さをよく知っている。

 何度も挑み、何度も破れ、仲間を失い、無力感に締め付けられながら、遠巻きに明かりの消えない、この野心と欲望の象徴を眺めなかった者等、一人としていない。

 だから、迷ってしまう。本当に勝てるのかと自分達を疑ってしまう。

 それは、リーダーの男もよく分かっていた。

 嫌と言うほど、分かっていた。

 それでも、彼は皆を鼓舞するように口を開いた。

「皆の気持ちは、よく分かる。俺も自分の無能さから仲間を沢山失った」

 もう十分と言う程に思い知った。

 正直、折れかけていた。抗う気持ちは尽き掛けていた。

 それでも、彼は此処に立っていた。

 何故なら――…

「でも、ブリタニアは不敗なんかじゃない。敗けを知らない絶対の存在じゃない。もう、俺達はそれを知ってる筈だ」

 鍍金は、既に剥がされている。

 ブリタニアに敵わないなんていうのは、それこそ幻想。

 彼等も敗ける。彼等も膝を折る。

 それを、教えて貰った。

 全滅寸前の状況を覆し、首都を取り戻して国を復活させた奇跡の一夜が、教えてくれた。

「だから、俺達もきっとやれる。大丈夫。俺達にも味方がいる。奇跡っていう大きな希望が」

 それに率いられた小さな島国の一組織は、国を取り戻すという偉業を成し遂げた。

 なら、自分達もとリーダーは己を奮い立たせる。

「俺達も続くぞ。俺達も自分達の手で自分達の国を取り戻すんだ。だから、迷わずに戦おう。そして―――」

 

 ――――勝とう。

 

 その日。

 このエリアの首都近郊で大きな爆発と、無数の炎が狂い咲いた。

 場所は言わずもがな、である。

 権力者が巨額を費やして育てた金のなる木は、その炎に巻かれて、燃え落ち、ブリタニアの最前線は重要な兵站補給線を喪失。

 それに支えられていた戦線は、更に後方の混乱によって勢いを落とし、そして、その隙を突いた敵の勢力に一気に巻き返された事で、遂には後退を余儀無くされるのだった……。

 

 

 神聖ブリタニア帝国が数多く抱える戦線の一つ。

 ブリタニアをして、激戦区と言っても過言ではない最前線の一つに派遣されたジノ・ヴァインベルグは、その前線基地の食堂で遅めの昼食を取っている同僚の姿を見かけて声を掛けた。

「エルンスト卿? 今日は随分と遅い昼食みたいですね」

 食後のコーヒーを飲みながら、手に持った資料に目を通していたドロテアは、その声にちらりと視線を上げた。

「ヴァインベルグか。そういう貴公も今からのようだが?」

「ええ。先日の戦闘で少しばかり機体に無茶をさせてしまいましてね。さっきまで修理に付き合ってたんですよ」

「程々にしておけよ。我等ラウンズには、今のナイトメアは脆すぎる。きちんと加減をして扱わなければ、あっという間に自機でスクラップの山が出来るぞ」

「いやぁ、一応、分かってはいるんですけどね。例の第七世代の実用化の目処が立てば、こんな苦労もしなくてすむようになるんでしょうけど。……こちら、座っても?」

 ああ、と答えるドロテアに、では失礼して、と返してジノは彼女の前の席に腰を下ろした。

「――と、私の理由はそんな訳ですが、エルンスト卿の方はどうして?」

「ん? ああ、そうだな。貴公の耳には早めに入れておいた方が良いか」

 そう言って、手に持っていた資料を置くと、改めてドロテアはジノに向き直る。

「今朝方、ヴァルトシュタイン卿から辞令が下った。私は近日中にここを離れ、エリア平定に赴く事になる」

「え? ……って、エルンスト卿もですか?」

 驚きから、食べようと口にパンを持っていった体勢のまま、口を開けて固まるジノ。

「私も、とはどういう事だ?」

「ああ、いや、……実は昨夜、アーニャ、――アールストレイム卿とプライベートで通信をする機会がありまして。彼女、本来なら此処に追加の援軍として派遣される予定らしかったんですけど、急遽予定が変わったとかで、エリア平定の任に就くことになったと」

 それを聞いたドロテアの顔色が僅かに変わる。

「初耳だな。最前線からラウンズを二人も、エリア平定に回すということか?」

 虎の子のラウンズが二人も、本来ならエリア総督だけで治めるべき、エリアの平定に回されるのだ。本来なら、大袈裟な措置と眉をひそめるべき采配と言える。

「前線にばっかり居るので、あまり情報は入ってこないですけど、今、各エリアは異常なくらい、反ブリタニアに染まっているそうですよ?」

「例のゼロの影響か……。ふん、弱者は直ぐに夢やら希望やらに尻尾を振りたがる」

 くいっ、とコーヒーを最後まで飲み干しながら、憮然とした表情でドロテアは深く息を吐き出す。

「あんまり、乗り気じゃなさそうですね」

 その様子に、サラダを口に掻き込んでいたジノは苦笑する。

「当たり前だ。私はラウンズだぞ。ラウンズとは皇帝陛下の威光を世に知らしめる剣であり、陛下の道を切り開く為に振るわれる存在なのだ。間違っても、雑魚の血を吸う為に存在しているのではない」

 命令でなければ誰がやるかとばかりに、渋面の顔にはありありと不満が表れていた。

「私は、結構楽しそうだと思いますけどね。エリアの戦場というのも。時折、面白い奴にも出会えるみたいですし。ほら、エリア11で暴れまわったっていう、グ、……グレ? グリン―――」

「グレンニシキだな。コーネリア殿下を追い詰めたという話だが、どこまで本当なのか」

「そう、それ。聞けば、例のランスロットのパイロットもイレブンらしいですし。いやぁ、面白そうだな、エリア11。行きたくなってきましたよ」

「………はあ。まったく、貴公らしいというか………」

 遠くの地にいるだろう強敵を思い浮かべ、うずうずと興奮しているジノに、一瞬、ドロテアは呆けたような表情をすると毒気を抜かれたように、やれやれと首を振る。

 それでも少しは気が紛れたのか。食事が済み、立ち上ろうとするドロテアの顔は先程よりも険が取れていた。

「………要らぬ忠告だと思うが、一応気を付けろ。此処は、本来ならラウンズを三人投入して片付けるはずだった戦場。まだ見ぬ強敵に現を抜かして、遅れを取るような真似だけはしてくれるなよ」

「分かっていますよ。私とて、ラウンズの端くれ。その名に懸けて、戦場に敗北は刻みません」

 なら、良い、と告げて、その場を後にするドロテアの背中を微笑しながら、手を振って見送ると、再びジノは食事に戻る。

 戦場にありながら、一流レストランのランチ並の食事を豪快に、しかし、どこか品を感じさせる姿勢で食べ進めていくジノ。

 その頭にあったのは、目の前の食事の事でも、この戦場の先行きでもなく、ドロテアの言う、まだ見ぬ強敵の事だった。

 ブリタニアの外で造られた異色のナイトメア。

 現在、最高峰とも言える第七世代相当の機体で、それを操るパイロットの腕前も一級品だという。

「どんな奴なんだか。……ひょっとしたら、女の子だったりするかもな」

 有り得ない話ではない。

 ラウンズを始め、将軍、総督、筆頭騎士。

 ブリタニアで頭角を現している女性の数を数えれば、全くないとは言い切れない。

「……何か、考えてたら、本気で気になってきた。此処が片付いたらエリア11への異動を申請してみようかな」

 そう呟いたジノの顔は、先程までとは打って変わり、ブリタニア最強の剣に相応しい自信に満ち溢れたものだった。

 

 

 ―――しかし。

 結論から言ってしまうと、ジノのその願いが叶う事は無かった。

 これより、この戦場はジノの予想を越える勢いでブリタニアに不利な方向に激化し、ラウンズの彼を以てしても戦線を維持するだけで手一杯な状況に陥ってしまうからだ。

 

 そして、それはジノだけではなかった。

 最強の騎士の称号を持つナイト・オブ・ラウンズは、狙ったようにブリタニアの広い戦場に散り散りとなり、時が経つにつれ、満足に動く事が出来なくなっていくのだった。

 

 まるで、そこから動く事は許さないと言うかのように。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()




 長くなったんで、切ります。

 どっかの悪い皇帝サマの悪巧み劇場は、まだまだ続きます。


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PLAY:18

 やっと……


 明かりの落ちた大きめのホールに、恰幅の良すぎる男達が集まっていた。

 指に幾つも嵌められた指輪は、そのどれもが宝石や細工の施された一流のものであるにも関わらず、品のない輝きを放っており、着ている服もとても見事な造りをしているが、肥えた肉から滴った脂と汗が染み込んで、とても着たいと思える代物ではなくなっていた。

 その姿は、幸福という名の水を吸いすぎて腐った花か。権威という名の餌で肥えた家畜か。

 そんな言い回しが似合う彼等こそが、ブリタニアに蔓延する、貴族という存在だった。

「まったく、何故、私がこんな目に……」

「ナンバーズごときが、私を誰だと思っている……!」

「そもそも、軍の連中が不甲斐ないから」

「所詮、皇族とはいえ、女に任せたのが全ての間違いだろう」

 口を開けば、不満。不満。不満。

 金と権力に恵まれ、生まれた時から、思い通りにならなかった事がなかった貴族達に、堪え性なんてものは存在しない。

 ほんの少し、自由を締め付けられただけで、狂ったように不平不満をぶちまけ、誰彼かまわず、悪意を撒き散らかしていた。

「それにしても、何時までこんな所に待たせておくつもりだ」

「全くだ。無理矢理、我等を此処に連れてきたのはあの男だというのに……」

 不満の矛先が変わる。相手は、自分達を呼びつけた人物。

 自分達に、貴族にあるまじき生活を強いているその元凶とも言える男。

 何時まで経っても姿を現さないその男に、貴族達は落ち着きなく動き回ったり、カタカタと貧乏揺すりをしていた。

「ふん、なんだかんだ言っても、所詮はナンバーズの頭でしかないと言う事よ。我等の不安を煽り、少しでも有利な条件を引き出そうという浅知恵が透けて見えるわ……!」

 底の浅い人間は浅い考えしか出来ない。

 自分達を呼びつけたのは、自分達の持つ富や権威が目当てに違いない、と貴族達は勝手に思い込んでいた。

「ふむ、成程。しかし、ならば、話は簡単だと言うもの。貧しく、卑しい連中が相手なら、少しばかり金を積んでやれば、直ぐにでも我等を解放するでしょうよ」

 人とは、富と権力に従属するものである。

 誰であろうと、その魅力に逆らえる筈もない。

 それが、彼等の価値観だった。

 実際、お金欲しさに誇りも尊厳も捨て去る人間は存在する。

 金をちらつかせれば、四つん這いになって犬の鳴き真似をする人間がいた。

 札束を落とせば、虫のように這いつくばって群がる人間がいた。

 ゲットーのビルの天辺から、気紛れに金をばら蒔いた時などは、普段は支え合っている隣人を殴り飛ばして金を奪おうとする人間が沢山いた。

 そんな姿を見て、彼等はよく笑ったものだった。

 だから、これから来るであろう男も同じだと彼等は考えていた。

 どれだけ綺麗事を口にしようと、一皮剥けば他の人間と同じ。

 富と権力に目が眩み、それを得る為に直ぐにでも自分達を解放するだろう。

 それこそが、人間の性だと彼等は信じていた。

「ふふ、皆さんには申し訳ないですが、先ずは私から解放させて貰うとしましょう。私には本国だけでなく、このエリア11にも蓄えがありますからね。今すぐに、目の前で札束の山を作ってやれば、一も二もなく頷くでしょう」

「ほお? しかし、私もサクラダイトの採掘権を持っておりましてね。相手がテロリストなら、サクラダイトは喉から手が出る程欲しいはず」

「ははぁ、皆さん、良い物をお持ちで。ですが、私も屋敷にナンバーズの女を数多く揃えていましてね。各エリアから選りすぐった様々な肌の女の味……。男なら、一度は味わってみたいと思うでしょう」

 自慢するように自らを語る貴族達には、もう恐れも怯えも見られない。

 しかし、それも当然と言えば当然である。

 これから来る終わりを理解し、震え、恐怖しながら、出荷されるのを待つ家畜なんて居る筈もない。

 そうして、遂にその時が訪れる。

 下らない話を囀ずる彼等の耳に、カツン、と固い靴の音が響いてきた。

 ようやく、来たか。

 そう思いながら、貴族達は元から突き出た腹を更に突き出すように椅子の上にふんぞり返り、男が現れるのを待った。

 

 カツン、カツン、カツン―――――。

 

 聞こえる足音は一つ。他に音は聞こえない。気配もない。

 ゆっくりと。

 一定の調子で響く靴の音が、ホールに反響して、尾を引くように伸び、暗闇の中で、まるで不吉が忍び寄るかのような印象を帯びて、貴族達の耳に叩き込まれていく。

 例えるなら、そう。

 処刑台に至る階段のような………。

 ぶるり、と知らず、誰かの身体が震えた。肘掛けに添えられた手のひらが汗で濡れている。

 本能が危険を察知し、身体が警鐘を鳴らすが、煩悩に飼い慣らされた貴族達は気付かない。

 気付かないまま、―――終わりを迎え入れた。

 暗闇を固めたように、ぼんやりと人の輪郭が彼等の前に浮かび上がった。

 それを見つけた瞬間、早速とでも言うかのように貴族の一人が口を開いた。

「おお、来たか! ああ、余計な事は言わなくても良いぞ。何が欲しい? 金か? 権利か? 女か? 何でも用意してやる。だから、とっとと――――」

 そこまで言い掛けて、――――言葉が途切れる。

 言葉に詰まった訳ではない。単純に理解したのだ。

 暗闇に慣れた夜目が、闇に映える白い肌と暗闇を更に濃く染める黒髪と、その合間から僅かに覗いた瞳を見た瞬間に、此処にいる全員が悟った。理解してしまった。

 悲しいかな、自らを肥え太らせる為に他者に取り入らんと磨いてきた欲望の目が、彼等に理解させてしまった。

 

 ―――コレは、()()()()

 

 その認識は正しい。

 悪魔とは取引きを持ち掛ける側であって、持ち掛けられる側ではない。

 

 瞬間、身体が凍りついた。

 コレが自分達を解放してくれるような生易しい存在ではなく、今、自分達がいるこの場所が断頭台の上だと今更ながらに気付き、這い寄ってきた恐怖に身体の自由と言葉を奪い去られた。

 心が叫ぶ。このままでは不味い、と。

 しかし、彼等にはもうどうする事も出来ない。目の前の存在は彼等の常識の埒外であり、故に彼等が誇ってきたものが通用する相手ではなかった。

 コレに金は価値を持たない。コレに権力は意味を成さない。コレに涙は水でしかなく、命乞いは風よりも軽やかに過ぎ去っていくものでしかない。

 理解させられる。悟らされる。分からされる。

 相手は、闇の中に僅かにその姿を浮かべているだけ。

 だというのに、それだけで無数に銃を突き付けられるよりも遥かに鮮明に、これから辿る命運を頭の中に刻み込まされた。

 身体が震える。歯が噛み合わずにガチガチと打ち鳴り、知らず涙が溢れてきた。

 ひぐ、と息を吐くのに失敗して蛙が潰れたような声がホールに漏れた。

 異臭が立ち上る。誰かの股が湿り気を帯びた。

 抜けた腰に気づかず、立ち上がろうとして椅子から転げ落ちた。

 だけど、汗は冷えきったように一滴も流れない。全身を支配した恐怖が、身体から熱を奪っていた。

 すっ、と男の右手が上がる。

 静かに、ゆっくりと、目元まで上がっていく。

 死神の鎌のように持ち上がっていくその手を見ながら、その場にいた貴族達は打ち寄せる圧倒的な恐怖からか、最後にらしくもない事を考えた。

 

 

 ――ああ、報いを受ける時が来たのか、と。

 

 

 

 

 

 

 

「コーネリア」

 ポン、と肩を叩かれるような気安さで名前を呼ばれた。

 場所は首都ペンドラゴン。多くの貴族と皇族が登城するコーネリアにとっては、実家と言っても間違いではない皇宮の一角。

 あまり気持ちが良いとは言えない、粘ついた感情が込められた発言ばかりが耳に纏わりつくのが常の皇宮で、その声はとてもさっぱりとしており、コーネリアは反射的に後ろを振り返っていた。

「ノネット、……先輩!?」

「はいよ、お久しぶり」

 ひらひらと手を振りながら、親しみのある笑顔を浮かべて立っていたのは、コーネリアの学生時代の先輩。

 ナイト・オブ・ラウンズの第九席、ノネット・エニアグラム、その人だった。

「どうよ、驚いてくれたか?」

「ええ、まあ。……相変わらず唐突に現れますね、先輩は」

 ふふん、と笑うノネットに困ったように微笑むコーネリア。

 片や、皇族。片や、帝国最強騎士の一人。

 共に軍属とはいえ、世界中が戦場と言っても良い昨今では、彼女達程に責任のある立場になると顔を合わせようと思っても中々合わせられるものではない。

 だというのに、この型破りな先輩は、そんな事は自分には関係ないとばかりに毎回、ふらっ、と現れては、散々にコーネリアを振り回していくのだ。

 やれ、開発中の最新鋭機と戦わせろ。

 やれ、面白い敵がいるそうだから、私も戦場に出せ。

 酒が飲みたいから付き合え、トレーニングに行くぞ、遊びに行こう等々……。

 規律も立場も常識も無視して、コーネリアを引っ張り回すその無茶振りに、頭を抱えたのは一度や二度ではない。

 それでも憎めないのは、彼女の人徳か。それとも、コーネリアの好意の表れか。

「―――――」

 そんな先輩の所行を思い返しながら、ちらり、と隣のギルフォードに視線を移す。

 すると、主君の考えを察したのか、ギルフォードは二人に頭を下げると、会話が聞こえない距離まで離れていった。

「帝国の先槍……、うん、やっぱり良い騎士だねぇ」

 しっかりと主の意図を汲み取る騎士の模範のようなギルフォードの姿は、あまり騎士らしからぬ振る舞いが目立つノネットをして、感嘆させられるものだったらしい。

 離れていくその後ろ姿を見ながら、うんうん、と何度も感心したように頷いていた。

「そうですね、少し融通が利かな過ぎるのが玉に瑕ですが……」

「そりゃあ、あれだろ? 普段は厳格でしっかりとしているけど、戦場に出ると先陣を切って一人で敵に突っ込んでいく破天荒な主のせいだろ?」

「…………その台詞、先輩にだけは言われたくないんですが」

「お? 言うねぇ」

 皮肉を利かせても、少しも悪びれない。相変わらず過ぎるノネットの態度に、コーネリアは小さく肩を落とした。

「……良かったよ、思ったより元気そうだな」

「先輩?」

 そんなコーネリアの様子を、飄々とした態度ながら注視していたノネットの、ぽつり、とした呟きに、コーネリアは意味が分からない、といったように相手の顔を見返した。

「ちょっとばかし、心配だったからね。自棄になってるんじゃないかってさ」

「あ………」

 余計なお世話かもしれないがな、と苦笑しながら肩を竦めるノネットにコーネリアは彼女がペンドラゴンに居る理由を知る。

 そもそもの話、何故、エリア11の総督であるコーネリアがブリタニア本国に居るのか。

 答えは簡単。彼女は、もう総督ではないからだ。

 あの夜から、暫く。今までにない敗戦に、浮き足立ったエリア駐留軍を纏めつつ、各地の混乱に対処していたコーネリアの下に、本国から総督の解任と転属命令が届いたのは記憶に新しい。

 現在、各エリア並びに各戦線は激化の一途を辿り、混乱著しい。

 対して、エリア11は当初の混乱から立ち直りつつあり、トウキョウ租界を占拠したテロリストも静観の構えを見せ、現状、戦局は膠着状態にあると判断し、有能な人材を遊ばせておくわけにはいかず、つきましては―――……、等と色々取り繕った文面やら言葉やらが命令書や通信で踊っていたが、コーネリアはその言葉の裏にある上層部の真意をしっかりと見抜いていた。

 つまるところ、彼等はこう言っているのだ。

 

『コーネリアでは手に負えない』

 

「不服か? やっぱり」

 その事を思い出し、憮然とした表情を見せたコーネリアにノネットが問い掛ける。

「遺憾ではあります。しかし、今の私は敗残の将。異議を唱える資格はありません」

 屈辱ではある。怒りも覚えた。

 お前では勝てないから、部下の仇を取る機会も雪辱を晴らす機会も捨てて、尻尾を巻いて逃げろと言われたようなものなのだ。コーネリアでなくとも、怒りの一つも覚えよう。

 しかし、反論する事は出来ない。大々的に敗北を喫したコーネリアは、彼等の言い分を否定出来る材料を持ち合わせてはいなかった。

 だから、コーネリアは不承不承ではあっても、命令を受け入れ、本国に戻ってきたのだ。

 敵に囚われた妹を置いて…………。

「―――――ッ」

 ギッ、と食い縛った歯が鳴った。

 腹立たしかった。

 反論出来ない事も、敗北した事も、そして、ユーフェミアを置き去りにしてしまった事も。

 そんな現実を受け入れざるを得ない、無力な自分が恨めしかった。

「あまり自分を責めるな。お前はよくやったさ」

 俯いてしまったコーネリアの肩を叩きながら、ノネットが慰めの言葉を口にした。

 だが、コーネリアは答えない。そんな聞き飽きた気休めの言葉で吹っ切れるものなら苦労はないだろう。

 ノネットとて、それは理解していた。だから、彼女の本題はこれからだった。

「ユーフェミア殿下だがな。元気にしておられるようだぞ」

「―――――――え?」

 跳ねるように顔が上がる。

 あまりに意外だったのか、珍しく厳しさが抜けた表情のコーネリアに、ノネットはにんまりと笑った。

「通信越しの映像でだがな。おそらく、エリア11にいるブリタニア人の不安を取り除く為と、暴動抑制の処置だろう。市民に呼び掛ける姿が、先日、エリア11で流れたらしい」

 無事の報せを、コーネリアに伝える。

 これを伝える為にノネットはコーネリアに会いにきたのだ。

 本国に戻ってから、こっち。コーネリアの下にエリア11関連の情報が回ってこない事は、ノネットも知っていた。

 規制、とまではいかないが、やんわりと情報が止められているのだ。

 おそらく、エリア11の情勢が悪化した場合のコーネリアの反応を危惧した上層部の指示だろう。

 今まで虐げてきた人々に捕らわれた姫君という状況。最悪も十分想定される以上、()()()に引っ張られて、コーネリアまで使い物にならなくなっては困ると考えたに違いない。

 だから、コーネリアはユーフェミアの安否を知りたくても、中々、情報が手元まで回ってこない為、知ることが出来ず、こうして、悪い先輩がこっそりと耳打ちしにきたという訳である。  

「まあ、失敗したとはいえ、ユーフェミア様は特区を建設しようとするくらいイレブンに献身的だったからな。イレブンからの反感を買う恐れがある以上、下手に危害を加えたりしないだろうさ」

 だから、安心しろ、と再度、肩を叩かれる。

 少し強めに叩かれたその衝撃が切っ掛けになったのか。

 ようやく情報を呑み込めたコーネリアの表情に理性が戻った。

 同時に身体から力が抜けていく。抜け過ぎて、膝が折れそうになり、慌てて力を入れた。

 自覚しているつもりだったが、どうやら、思っていた以上に余裕がなかったらしい。

「ひょっとして先輩、この為にわざわざ…………?」

「ついでだよ、ついで。私にも異動命令が出てたからね。移動がてら寄り道して、ちっとばかし先輩風吹かせてみようと思っただけさ」

 だから、気にするなと言って笑うノネット。

 まるで、大した事じゃないというかのように振る舞っているが、そんな訳がない事はコーネリアにも分かっていた。

 現在、ブリタニアはその驕りから無駄に抱え込んできた各方面の戦線で後退を余儀なくされるまでに追い込まれつつあり、傲慢から圧政を敷いたエリアも、各地で超大規模ストライキや見違えるように洗練されたレジスタンス活動により、経済、統治両面に深刻な問題が出始めていた。

 その火消しに追われ、各地で不眠不休の活躍を強いられているのが、ノネット達、ナイト・オブ・ラウンズだった。

 圧倒的劣勢、破綻寸前の戦線やエリアの立て直しの為に休む間もなく、駆り出され続けるラウンズ。

 本来なら、他人を気にしている余裕なんてないだろう。それなのに、ノネットはコーネリアを案じて、情報をかき集め、無い筈の時間を絞り出してコーネリアに会いにきたのだ。

 それが、どれだけ大変な事だったのか。分からないコーネリアではなかった。

「………感謝します。エニアグラム卿」

「かしこまんなよ。恥ずかしいだろ」

 姿勢を正して、頭を下げてきたコーネリアに、流石のノネットも照れを感じたのか、誤魔化すように軽口で答えた。

「まっ、お偉方の真意はともかくとして、お前が此方に回ってくれたのは助かるよ。ここに来て、更に面倒事が増えて、正直、困っていたからね」

「面倒事、……ああ」

 少し思案したコーネリアだったが、思い当たる事があったのか、直ぐに納得したように頷いた。

 それは、ユーフェミアの安否を探ろうとして、方々から情報を得ようとしていた時に耳に入ってきた話題だった。

「エリア11の貴族の件ですか?」

 ノネットが頷く。その表情には僅かに苦々しいものがあった。

 先日の事である。

 トウキョウ租界で復活を宣言した日本政府が、エリア11に根付いていた貴族の暴虐非道を明るみにしたのだ。

 戦争に敗けて、エリアになってからの八年間でブリタニアの貴族達がしてきた、その非人道的行為の一切を晒け出し、貴族とそんな存在を許すブリタニアという国を激しく批難した。

 だが、それ自体は問題ではなかった。

 ブリタニアの、特にエリアに居住する貴族達が、総督の目を盗んで、もしくは抱き込んで、倫理に悖る行いをしているのは今に始まった事ではない。

 ナンバーズがそれを責めるのも同様だ。

 戦争に敗けて以降、彼等のブリタニアへの敵愾心が何時までも消えないのは、軍と貴族の横暴によるところが大きい。そんな彼等が、貴族の所行に目を瞑っている筈もないだろう。

 だから、問題は。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そして、それがブリタニア国民の目にするところになってしまった事にあった。

「ある程度、予測は付きますが、やはり……?」

「ああ。噂として聞くのと、実際に真実を目の当たりにするとじゃ訳が違うからな。……おかげで士気がガタ落ちだ」

 頭が痛い、とばかりにノネットが頭を抱え、首を振る。

 気持ちは分かる。コーネリアとて、聞いた時は頭が痛かった。

 

 

 今日まで、ブリタニアが時に政治に疎い総督を頭に戴き、悪政の中、ナンバーズのレジスタンス行為に晒されても、エリアの支配を保てていたのは、情報を完全に制していた事が大きい。

 例えば、先のシンジュクゲットーでの虐殺。

 実際のところは、皇帝に極秘で非合法な人体実験を行っていたクロヴィス総督が、それが公になる事を恐れ、保身から証拠隠滅を図ろうとした事が原因で起こっている。

 だが、ブリタニア国民が知る真実は違う。

 彼等にとって、シンジュクゲットーでの虐殺の原因は、危険なテロリストが軍の研究所から毒ガスを盗み出し、それを使ったテロ計画を実行しようとしていた為となっている。それを軍は極力穏便に鎮圧しようとしたが、現地のナンバーズの妨害と追い込まれたテロリストが毒ガスを使用しようとしていた為、やむなく強行手段に踏み切ったから、虐殺が起きてしまったのだと、そう認識している、―――させられている。

 真実をねじ曲げ、自分達に都合の良い真実をでっち上げる。ブリタニアの常套手段である。

 軍が横暴を働こうが、民間人に犠牲が出ようが、誰の目にも映らない。

 貴族が、どれだけ非道を重ねようが、罪を犯そうが、誰の耳にも届かない。

 不都合を押し付け、情報を隠蔽、操作し、真実を脚色して、世間に浸透させる。そうやって、不条理を押し通してきたからこそ、ブリタニアは杜撰であってもエリアを支配してこれたと言えた。

 だが、今回の一件で、それが覆された。

 公にされた非道の数々を、貴族自らが認めた事で、ねじ曲げられていた真実が、ありのままの姿で国民達に届けられてしまったのだ。

 それによって、人々の価値観は揺さぶられ、認識が変わる事となる。

 今までは理解出来なかった。

 何故、こんな虐殺に至るような過激なテロ行為を行うのかと。罪のない人々を巻き込んでまで、逆らい続けるのか、その理由が分からなかった。

 名誉ブリタニア人になれば、一応の市民権は得られるのだ。敗戦国民となれば、多少は冷たい目で見られる事もあるだろう。だが、それは我慢出来ない程なのか、と疑問に感じてきた。

 しかし、真実を知り、その考えは変化する。

 時に見下し、時に不当に暴力を振るおうとも、恋人を持つ普通の男が、ナンバーズであろうと恋人を目の前でなぶられて、泣き叫ぶ男がいるという事実に眉をひそめない訳がない。

 子供がいる普通の家庭を持つ親が、兄弟を殺し合わせ、それを見て笑う貴族に吐き気を催さない訳がないだろう。

 今までは理解出来なかった。だが、今は理解出来た。

 逆らい続けるナンバーズに『ここまでやる必要があるのか』と思っていた彼等の考えは、『ここまでやるのも当然だろう』という考えに変わっていった。

 そして、それは一般市民だけではない。

 多くが、腐り、堕落している軍の中にも真っ当な軍人は存在する。

 国の為に、忠義故に、家族の為に。そう必死に言い聞かせ、親や妻と同じ年頃の民間人を殺す虐殺命令に涙ながらに従った軍人とて、きっといるだろう。

 彼等は、こう思った事だろう。『こんな事をさせる為に、殺したのではない』と。

 数は決して多くはない。だが、小さくとも否定的な意見はそれだけで集団に大きな影響を与え、足並みを乱すものだ。

 事実、この出来事を受けて、ブリタニア軍は大きく士気を落とし、良識を持つ、罪悪感や同情を覚えた国民の間でぽつり、ぽつり、とある言葉が口に登るようになり始めた。

 

 ――――我々は、本当に戦争なんて(こんな事を)していて良いのか、と。

 

 

「加えて、更に問題があってな」

「と、いうと?」

 件の問題を思い出し、難しい顔をしていたコーネリアは、続きがあると言うノネットの言葉に首を傾げた。

「日本政府がな、貴族が行った日本人への非人道的行為に対し、謝罪と賠償を請求してきたんだよ」

「それは………、受け入れられないでしょう、どう考えても」

 日本の要求を受けると言うことは、ブリタニアが自らの非を認め、日本に頭を下げると言うことだ。行為を行った貴族達に謝罪させろ、と言うなら、ともかく。ブリタニアという国が、ナンバーズと見下してきた日本に頭を下げる事はないだろう。

「ああ。お前の言う通り、当然、お偉方は聞く耳持たずで、日本の要求を突っぱねていたんだかな……」

 そこでノネットが言葉を切る。その顔に先程と同じようなものが過ったのを見たコーネリアは、まさか、と口を開いた。

「また、貴族ですか?」

 その問い掛けに、ノネットは溜め息を吐きながら、おうよ、と頷いた。

「本国の貴族連中がな。あのまま、あの恥知らず共の口を開いたままにさせておけば、自分達の名誉と沽券に関わるから、とっとと回収しろと喚き散らしててな。上層部は頭を抱えている訳よ」

 本当に頭が痛かった。日本からの要求に無視を決め込んでいるのに、どうやって貴族を解放しろと言うのか。

 解放を求めれば、日本は先の条件を通そうとしてくるだろう。それに応えられない以上、正攻法での解放は不可能に近い。しかし、解放せず、手をこまねいていれば、本国の貴族達の不満を煽り、いらぬ摩擦が生まれかねない。いや、もう、生まれているかもしれない。

「お前が考えてるとおりさ。唯でさえ、にっちもさっちもいかない状況で、何もしない貴族が偉そうに騒ぐもんだから、上層部の印象も悪くなってきててな。空気が悪いのなんのって」

 コーネリアの考えを読んだのか、ノネットが先んじて状況を教える。どうやら、すでに水面下では両者間に軋轢が生じてしまっているらしい。

「貴族の方も軍や政府は当てにならないと思ったのか、何やら勝手な動きを見せてるらしくてな。おかげで、そっちにも睨みを利かせなくちゃならなくなりそうだ」

「……まさか、態々ペンドラゴンまで来たのは、それもあって………?」

 今、ブリタニアはラウンズを始め、名の通った者達は全て出払っており、本国の軍事力は薄い状態にある。

 貴族が良からぬ事を考えているなら、この状況は好機だろう。だから、ノネットはわざわざペンドラゴンまで来る事で、貴族達の動きを牽制しようとしたのではないかとコーネリアは考えた。

「私がそこまで考えてる訳ないだろう? 言った通り、ついでだよ、ついで」

 適当な物言いでノネットはお茶を濁す。だが、豪胆な性格の割りに、他人をよく見ているという先輩の性格を知っているコーネリアには、何が本当の事なのか、よく分かった。

 ノネットもそれに気付いたのか。誤魔化すように、とにかく、と声を張った。

「そんな訳だ。あっちもこっちも面倒事でてんてこ舞いだからな。お前の活躍、当てにさせて貰うぞ、コーネリア」

「ええ、任せて下さい。活躍の場が多いというのであれば、私に文句はありません。むしろ、好都合です」

「頼もしいねぇ。ま、その調子でいっちょ頼むわ。んでもって、とっとと敗将の汚名を返上して、ユーフェミア殿下を助けに行ってこい」

 コーネリアの頼もしい返事に、カラカラと笑いながら、ノネットはコーネリアに発破を掛ける。

 それに、勿論です、と頷くコーネリア。その顔には、前と変わらない強気な笑みが浮かんでいた。

「よし! んじゃ、用事も済んだ事だし、私は行くな。先に行った奴等を待たせちゃ、悪いし」

 コーネリアの様子に満足したのか、ノネットはスッキリしたようにそう言うと、バサリ、とマントを翻して、コーネリアに背を向けた。

「ありがとうございました、先輩。この借りは、いずれ」

「おう。また今度、落ち着いた時にでもお前んとこに邪魔しに行くから、そん時にでも頼むわ」

「…………はい」

 言外に、はっちゃけに行くという破天荒な約束に、しょうがない、というような表情で微笑みながら、コーネリアは答えた。

 振り返らないまま、ひらひらと手が振られる。

 その先輩の姿を黙って見送ろうとしていたコーネリア、―――だったが。

「先輩」

 気付けば、その姿に声を掛けてしまっていた。

「ん?」

 まさか、引き止めれると思わなかったのか。ノネットは不思議そうな顔で振り返った。

 コーネリアとしても、呼び止めるつもりはなかったのだろう。自分の行動に驚いたように目を丸くしている。

 僅かな沈黙。数瞬の躊躇を経て、しかし、意を決したコーネリアはノネットに一言だけ、言葉を紡いだ。

「――――()()()()()()()()

 それに今度はノネットが目を開いた。唯の社交辞令、唯の挨拶と一緒くたに出来ない響きがその言葉に含まれている事に気付いたからだった。

「それは、―――()()か?」

()()

 誰に、とも、何に、とも言わない。忠告でありながら、忠告になっていない、……忠告。

 もし忠告したのがコーネリアでなく、また受けたのがノネットでなければ、鼻で笑い飛ばして終わっていた事だろう。

 この二人だったから、その忠告は意味を持った。

「……分かった。覚えておく」

 小さく笑い、手を上げて、了承の意を示す。

 そして、再び踵を返すと、今度こそ止まらずにノネットは去っていった。

 

 

 ノネットが去っていった方向を、彼女の姿が消えてからも、コーネリアは見続けていた。

 とはいえ、そこに何かを見出だそうとしている訳ではない。単純に考え事の真っ最中なだけだった。

 考えるのは先程の事。思わず、口を衝いて出た、忠告と呼ぶには、あまりにもぼやけた曖昧な一言。

 何故、言葉にならないまま、言葉にしてしまったのか。そう考えて、思い至る。

 それは、きっと、先の会話に引っ掛かるものがあったからだ。

 日本がしてきたという要求。未だ、部分的にしか国を取り戻せておらず、戦争状態にある敵国に謝罪と賠償を求めるなど、普通はしようとしないだろう。国家の運営に少しでも携わっていれば、深く考えずとも無意味と理解出来る。

 だが、現実にはその無意味であろう行為のおかげで、ブリタニアは国の中枢で不協和音が発生し、新たに不穏の種を抱える事になった。

 そのやり口に、コーネリアは覚えがあった。最近、嫌と言うほどに味わったばかりだった。

 だから、だろう。あんな忠告をしてしまったのは。

 今回の件が、本当に自分の推測通りなら、あの男の手はエリア11の外に伸びつつある。もし、そうなら、何処に、いや、()()()()に罠が張り巡らされているのか分からない。

 あるいは。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

(いや、流石に疑心暗鬼が過ぎるか……)

 用心深くなり過ぎている自覚はある。

 あの夜に、散々に出し抜かれたせいか、どうにも物事を疑ってかかってしまうのだ。

 とはいえ、何時までもこの調子では、忙しい合間を縫って元気付けに来てくれたノネットに申し訳が立たない。

「よし」

 気合いを入れ直して、思考を散らす。

 小さく首を振ると、話が済んだのを見たからか、いつの間にか傍に戻ってきていたギルフォードの姿が目に入った。

「すまんな。待たせた」

「いえ、お気になさらず」

 随分、長いこと待たせていたのにギルフォードの顔には不満の一つも見当たらない。その事に気付き、少しだけ表情を弛めた。

「ノネット先輩の話だと、本国は随分と私に活躍の場を用意してくれてるらしい。忙しくなる、よろしく頼むぞ、我が騎士ギルフォードよ」

「イエス! ユアハイネス!」

 向かう先は、銃火が飛び交う戦場か。それとも、隠謀渦巻く亡者の巣か。

 敗北しても変わらぬ忠義を貫く騎士の返答を聞きながら、コーネリアは再起の為の一歩を踏み出した。

 

 

 

 胸に感じる一抹の不安には気付かない事にして。 




 終わらなかった……!
 今話で、一方その頃的な話を終わらせるつもりでしたが、全然話が進まなかった!
 うーん、ちょっとこのままじゃ不味いかもです。完結のかの字も見えない。
 とりあえず、次で、……いや、もう、何も言いません。


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PLAY:19

 遅くなりました。出来れば一ヶ月以内に投稿したかったのですが、二月は空中庭園でチョコ量産したり、マンションで立ち退き要求除霊したり、どうして空は蒼いのかと悩んだりしていたもので……。はい、スミマセン。

 ※今回、双貌キャラが少しばかり出てきます。とはいえ、ゲストのようなものなので、知らない方はそんな人もいるのね、くらいに思っておいて下さい。


 カチャリ。

 

 歯車が音を立てる。

 

 

 切れ間一つない曇天が、空を覆っている。

 熱病に侵されたように活気に溢れ、行き過ぎた自由が闊歩していた街並みが、灰色にくすんでみえるのはこの空模様のせいだろうか。

 常春の都、栄華の象徴、世界の中心。

 以前ならば、十人中十人がそう答えただろう。だが、果たして今はどうか。

 そんな、最近、雰囲気が変わり始め、落ち着かない空気が流れつつある、帝都ペンドラゴンで、一人の男が人目を避けるように街の中を通り過ぎていこうとしていた。

「聞いた? エリア11のあの噂……、やっぱり本当みたいよ」

「ああ。ネットでも上がってる。嘘も混ざってるかもだが、ヤバイのが多いぜ」

「動画も上がってるぜ。動画見たけどエグすぎ。数秒でトイレに駆け込んだわ」

「動画? 流石に捏造でしょ? そんなものある訳ないじゃん」

「それ、本物らしいぜ。貴族がコレクションとか言って、撮影してたって、もっぱらの噂。しかも、本国の貴族」

「マジかよ……、やっぱ、イカレてんじゃん、貴族」

「ナンバーズも悲惨だな。……まっ、オレには関係ないけど。だって、ブリタニア人だし」

 噂話が聞こえてくる。

 深刻に見えて、何処か無責任に思える発言にしかめた顔を帽子で隠しながら、男は一つの雑居ビルの中に入っていく。

 キィィ、と正面玄関の扉が閉まる。中と外が隔てられ、外の喧騒が遠のく。すん、と鼻を鳴らせば、カビ臭さが鼻腔を通り抜けた。建物自体は古くない。しかし、戦争による繁栄で次々と目新しい建物が乱立するペンドラゴンでは、数年で人気が失せるビルなど珍しくもなかった。

 カ、カカン、カ、カン。カ、カカン、カ、カン。

 コンクリートの色が目立つビルの廊下に、男の靴音が寒々しく響く。規則正しいとは言えない、スキップでも踏んでいるかのような不規則な足音を立てながら、男は廊下を進んでいく。

 乱れた歩き方の割りに、真っ直ぐな足取りで、とある部屋の前まで来ると、男はピタリとその足を止めた。

 ノックはしない。必要はなかった。人気のないビルに響いた特徴的な足音がノックの代わりとなり、()()()となっていた。

 数秒、待つ。カチャリ、と小さく音がしたのを確認すると男はドアノブに手を掛けた。

 

「確認してきた。エニアグラムはもう本国にはいない」

 廊下と同様、部屋の中も殺風景だった。

 元は店舗か何かが入っていたのか、間取りは広く取られているが、それが却って、部屋の寂れ具合を助長させて、ひどく物悲しい気持ちになる。

 部屋にいたのは、広い部屋の割りに僅か数人。

 申し訳程度に置かれた破れて中身の綿が飛び出しているソファに腰を下ろし、テーブル代わりに置いたのか、段ボール箱の上のショットグラスの中身を舐めるようにちびちびと飲んでいた。

「コーネリア皇女は?」

「まだ本国にいる。だが、エリア方面を抑える為に近日中にはそちらに発つようだ」

 仕入れてきた情報を話しながら、男もソファに腰掛けた。ふう、と一息いれながら、コートの前を開く。コンクリート築の部屋は、冷気が厳しく脱ぐ事はしなかった。

「ほらよ」

「すまない」

 部屋にいた男の一人が差し出したグラスを受け取る。とぷとぷ、と注がれた鮮やかな色の液体を男は一息に煽った。

 喉を通った瞬間、カッ、と燃えるように身体が熱くなる。

「お、良い飲みっぷり」

「相変わらず、酒に強い奴だな」

 はは、という笑い声が上がる。懐かしい雰囲気、変わらない空気。何時だって、この空気が自分を温めてくれた。

「……そちらはどうだった?」

 胸に込み上がる哀愁を振り払うかのように話題を切り出すと、仲間の一人が何とも言えない表情で答えた。

「……あの男の言っていた通りだった。コーネリア皇女に加えてラウンズまで現れたのが効いたようだ。軍は尻尾を見せた貴族の動向を追うのに必死で、此方に見向きもしない」

「タレイランの翼の残党とも接触出来た。連中もこのまま終わりたくはないとさ」

「各地の反貴族派や反シャルル派の主義組織とも連絡が取れた。俺達が本気で行動を起こすつもりなら、こぞって参加すると言っている」

「そうか……、これで一応形にはなった訳だ」

 小さな点と点が繋がる。かろうじてではあるが、線となった手応えは、成果を実感するには十分だった。

 はぁ、と疲れとも安堵とも取れる溜め息が白い息となって男達の間に広がる。ふと、視線を落とせば、グラスの底に僅かに酒が残っているのが見えた。一舐め程度だが、重くなりそうな口の潤滑油とすべく、舌の上に滑り落とす。

「……で? やる、……で良いんだな?」

「ああ」

 空になったグラスを段ボールの上に置く。口の中を満たしたアルコールの刺激が、彼の口から決定的な一言を押し出した。

「この混乱が、いつまで続くか分からない。今を逃せば、行動を起こす機会は二度と巡ってこないかもしれない」

 

 主義者、と呼ばれる者達がいる。

 国是の批判、現社会体制への反感、戦争の是非。細かい理由は多岐に渡るが、反社会的な主義主張を抱く者をブリタニアでは、一口にそう呼んでいた。

 同時に、蔑称でもある。

 表面上は、上手すぎる程に上手く回っているブリタニアで、主義者の主張は偽善と蔑まれ、また現在の社会体制、――つまりは貴族社会を否定するような言動は貴族達に睨まれ、突き詰めていけば、現状を促した現皇帝シャルルへの不敬と取られかねないため、今日まで彼等の考えが世間に浸透する事はなかった。

 しかし、消える事もなかった。

 声を大にする事は出来ずとも、潜在的主義者と言える存在は、ブリタニアの繁栄の影に隠れた歪みが大きくなればなるほど、広大な国に撒かれた砂粒のように、点々とあらゆる場所で息づくようになっていった。

 学生、報道関係者、企業人。

 そして、軍人………。

 

「このままでは、この国は終わる」

 固い表情のまま、熱のある言葉を吐き出した男に、他の者達も黙って頷く。

「他国から富を奪う事に味を占めて、そればかりに夢中になり、自分達の足元を見ようともしていない。軍拡に伴い横行する軍の専横。貴族達の常軌を逸した行い。自分達の身近に闇があるというのに、殆どの市民は危機感も抱かずに、他人事のような感想ばかり口にしている」

 今のブリタニアは、まるで風船である。

 何も考えずに、(空気)を入れ過ぎて、パンパンに膨らんだ風船。

 膨らみ過ぎた風船が、どうなるのか。

 それは、子供にも分かる事だ。

「だというのに、皇帝は何もしない。搾取されるのは弱いからだと無責任な台詞をほざき、国を省みようともしない」

 よくある話である。

 貴族出の指揮官が功を焦るあまり、無謀な作戦を敢行。孤立した戦場から逃げ出す為に、平民の軍人を捨て石に戦地から逃げ帰る事など。

 自らの失態の責任を全て下級士官に押し付け、罪を免れようとする事など。

 そして、生き残った者達が死罪を覚悟で皇帝に直訴し、しかし、些事であると冷たく切り捨てられる事など。

 よくある話なのだ。

 でも、そのよくある話のおかげで男は気付けた。

 この国の王が、民の事を本当は何も考えていないと。

 弱者なんて存在(ブリタニア人)は、何処にでも存在する(強者なんかではない)のだと。

 気付いた。――気付いてしまった。

 だから、この国の目を覚ましてやらなければならないと思った。

 そう――…

「誰かが声を上げねばならない。ユーフェミア様やウィルバー・ミルビルのように」

 後ろ指を指されようと臆する事なく、イレブンとの平等を説いたユーフェミア。

 若手将校を率い、自らをブリタニアという国の喉元に突き立てる刃とする事で、国防の甘さを訴えたウィルバー。

 共に方法は違えど、ブリタニアに背いた者達である。

 男も、彼女達のようになりたかった。

 この国は間違っていると、いい加減目を覚ませと平和ボケした奴等の横っ面をぶん殴ってやりたかった。

 でも、男には力がない。

 ユーフェミアやウィルバーのように、社会的地位も権力もない、唯の平民出の軍人である。

 幸い、仲間はいたが、それも数名。いくら、現在本国の戦力が手薄だと言っても、これでは羽虫の羽音よりも小さな声を上げるだけで終わるだろう。

 

 そこに奇跡が介在しなければ。

 

 キン、とボトルとグラスがぶつかる音が響く。

 空になっていたグラスに、再び酒が注がれ、半分以上まで減ったボトルが、トン、と段ボールの真ん中に置かれた。

「少し残っちまったか」

「勿体ないな。飲みきっちまおうぜ」

「だな。もう飲めるとも思えんしな」

 馴染みのある空気が肌に触れる。死を当然のように受け入れながら、しかし、その恐怖を笑い飛ばせる軍人特有の空気。

「しっかし、最後に一矢報いれれば、と思っていたが、まさかな」

「ああ、正直、軍人崩れの俺達に協力してくれるもの好きなんていないと思ってたぜ。……奇跡サマサマだな」

 そう言って、仲間の一人が段ボールの上、無造作に広げられていた紙の一枚を手に取った。

「もう存在が知られている組織はともかくとして、まだ旗揚げ前の組織や、個人でひっそりと活動している主義者のリストアップなんて、どうやったんだか」

「さぁな。ひょっとしたら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「まさか」

 思い付きの軽口が仲間の内から溢れ、その有り得なさに皆が声を上げて笑う。つられて、男の口元にも笑みが滲んだ。確かに有り得ないと思う。本当に、そんなことが出来るなら、どう転ぼうがブリタニアの未来は真っ暗だ。

 でも、だからこそ、今は頼もしかった。

「おい、どうした? 気分でも悪いのか? 全然飲んでねぇじゃねぇか」

 手に取ったまま、何時までも口を付けない男の様子を訝しんだ仲間の一人が問い掛けてくる。

 いつもは人一倍飲むくせに、と続いた小言に苦笑しながら、いや、と男は首を横に振って、思い付いた事を口にした。

「その酒……、今度に残しておこう」

 顎をしゃくり、段ボールの上のボトルを示す。

 次なんてないだろう、と皆が思い、だから、ここで飲んでしまおうと思っていた酒を。

「折角、奇跡が味方してくれたんだ。最後まで肖ってみようじゃないか」

 もう一度、全員で酒が飲める。そんな奇跡を信じてみようじゃないか、と言いながら、男はグラスを掲げた。

 その発言に、ポカン、とする仲間達。だが、直ぐに苦笑したり、大きく笑い声を上げると、楽しそうに揃ってグラスを突き出した。

「んじゃ、……戦友(とも)に」

「国に」

「同志に」

「仲間に」

「…………奇跡に」

 

 キキィ…ン、と。

 澄んだ硝子の音が部屋の中一杯に響き渡った。

 

 

 カチャリ。

 

 歯車が音を立てる。

 

 

 

「――ズ、オーズッ!」

「ッ」

 突如として、意識に割り込んできた明るい声に反応して、反射的に身体が跳ねた。

 よっぽど、明後日の方向に意識が出掛けていたのだろう。戦場において、爆音が響こうが指一つ震えない身体が、其処らの少女のようにびくんと跳ね上がり、手に持ったペンが書きかけの報告書に盛大な心電図のグラフの如き鋭角を描いた。

「あぁ……、折角ここまで書いたのに……」

 ただ整備士に渡すだけの報告書ならいざ知らず。まだ試験運用中の域を出ない次世代機に関わっている以上、知らない人の目に触れる可能性が高い。

 であるならば、マリーベル・メル・ブリタニアの筆頭騎士としては、みっともないものは提出出来ないし、したくない。

 書き直しだぁ、と机に突っ伏したオルドリンは、ぐぐっと引き締まった細い腕を、まっさらな用紙に向けて伸ばした。

「あ、や、えぇと………、ごめん?」

 悪気はなかった、というか、寧ろ心配して声を掛けた事が逆に裏目に出てしまい、気まずそうにソキアが謝罪を口にする。

「気にしないで。ぼんやりしていた私が悪い」

 謝罪に笑顔で返答し、気を引き締める為にピシャリ、と頬を両手で叩く。

 そうして、むん、と気合いを入れ直して再び報告書に向き直るオルドリンだが、暫くするとまた同じように筆の進みが鈍くなり始める。

「オズ……、その、差し出がましいようですが、体調が悪いのなら医務官に診て貰った方が………」

 ソキアと同様、明らかに集中力を欠いているオルドリンの様子を見かねたレオンハルトが驚かせないように静かに声を掛けると、そうだな、と賛同する声が隣から上がった。

「疲れているなら休んで欲しい。マリーベル様がいない以上、指揮官である君の不調は、そのまま部隊の生存率の低下に繋がる」

 最後にティンクが諌める。落ち着きのある性格から声の起伏が少ないせいで淡白に感じられるが、そこにある厳しさと優しさは、しっかりとオルドリンには届いていた。

「ごめん、でも、大丈夫。疲れている訳じゃないの」

 度重なる出撃に遠征。そして、報告書の山。

 休む暇がない程に多忙なオルドリンではあるが、ぼんやりしていたのは疲れているからではない。

「ちょっと思う事が、ね。いけないと分かってはいるんだけど、色々考え過ぎちゃって」

 淡く笑みを浮かべ、椅子の上で身体を伸ばす。強張っていた身体から力が抜けていく感じに合わせて、オルドリンの唇から、ふう、と物憂げな息が零れた。

 その様子から、オルドリンの物思いに耽っていた理由を察したレオンハルトが困ったように眉を寄せながら、口を開いた。

「無理もないです。最近は色々ありすぎましたから」

「……だね。私でさえ、色々と考えちゃうもん」

 ギッ、と音が鳴る。元競技者として、人の目に映えた長い足が床を蹴り、その度にゆらゆらと揺れる椅子の上でソキアもまたぼんやりと天井を見上げた。

「……私はさ、まあ、今は他にも理由はあるけど、元々は前みたいに皆がKMFリーグを楽しめるように、って思って騎士団に入った訳じゃん」

「ソキア?」

 唐突に、ぽつりぽつりと呟きだしたソキアに訝しげな表情を向けるレオンハルト。

 他の二人の視線も集まる中、ソキアはかつての情景に思いを馳せる。

 血と硝煙ではなく、汗と歓声。

 生死を懸けた戦場ではなく、純粋に勝ち負けを懸けた競技の中で躍動するナイトメア。

 何の不安もなく、皆が楽しみ、熱狂したその光景は、今はもう何処にもない。

 活発化するテロに、人々の中には常に不安と恐怖が付きまとい、激化する戦争によって、ナイトメアはただの兵器として塗り固められていった。

 そんなのは嫌だった。記憶の中に消えていこうとしているその光景を、もう一度、現実に引っ張り出したいと思った。

「だからさ。騎士団に入って、テロをなくして、全部のエリアが平定されたら、また、皆が楽しめるようになるって思ってた」

 そこで一際強く床を蹴る。後ろに倒れるのでは、と思う程に傾いた椅子は、しかし、後ろに倒れる事なく数秒間、奇跡的なバランスを保つと勢いよく前へと戻っていく。

「けど、さ」

 前へと戻る椅子の勢いに逆らわなかったソキアの身体が前に折れる。俯くように、今度は床に視線を落とした彼女の口から続く言葉は出てこなかった。

 しかし、それでも何を言おうとしていたのか、此処にいる全員が分かっていた。

 エリアを平定する為にテロを無くす。だが、エリアを混乱させているのはテロリストだけなのか。

 無関係な人を傷付け、無用な血を流し、命を奪う行為をテロと呼ぶのなら、貴族達の、いや、ブリタニア人のナンバーズに対する仕打ちは何と呼べば良いのか。

 皆が楽しめるように? なら、その皆とは何処から何処までを言うのか。

 テロが蔓延する、そんな世の中にしてしまったのは、果たしてナンバーズか、それとも――……?

 そんな考えが、その華奢な身体に渦巻いているのを語られずともオルドリンには分かった。

 いや、オルドリンだけではない。レオンハルトもティンクも。

 おそらく、真っ当な正義と信念を掲げ、それを貫いてきた軍人であれば、誰もが同じ苦悩を抱え、苦しんでいる事だろう。

 倫理に悖る行いを犯している者達と同じ側に立っている事に。

「それでも」

 それを理解した上で、レオンハルトが口を開く。それでも、と。

「それでも、テロは間違っています。確かに大元の原因は僕達ブリタニア人の身勝手な振る舞いのせいなのかもしれない。でも、それはテロという行いを正当化して良い理由にはならない」

「……そうだな。ナンバーズの怒りは当然かもしれん。主義者が今の国の在り様に嫌悪を覚えるのも分かる。だが、彼等の行いは自分で自分の首を締めているだけだ」

 軍や貴族の非道も事実なら、活発化するテロリズムによって、他の事に手が回らなくなっているのも事実。

 もし、こんなにもテロが横行していなければ、ブリタニアは内部の自浄に力を注ぎ、貴族の非道や汚職、腐敗の蔓延を見逃す事もなかったかもしれないのだ。

「そりゃ、そうかもだけどさ。でも、結局、ブリタニアが戦争を始めたから、こんな事になってるんだし……」

「ソキア、それは主義者の考え方です。戦争による恩恵を受けている以上、僕達に戦争を始めた事をどうこう言う権利はありません」

 類を見ない程の大国であるにも関わらず、次から次へと兵器、ナイトメア等を造り出せるだけの資源。

 各種行政機関を潤し、軍事力を維持出来る膨大な資金。

 巨大な帝国を不足なく流通する物資、労働力。

 普段は何食わぬ顔で、そんな数多の犠牲の上に成り立つ社会の恩恵を甘受しておきながら、都合が悪い事を突き付けられた時だけ、間違っていると宣う。

 それは正しく偽善であり、恥ずべき行いだ。

 それに気付いたソキアが、苦虫を潰したような顔で口を閉ざし、レオンハルトもティンクも何とも言えない表情で黙り込んだ。

 オルドリンも、また同じく。

 テロは間違っていると、それだけはハッキリと言える。それを止める為に力を振るう事に躊躇いもない。

 だが、間違いを正しているから、正義は我等にありとは口が裂けても言えない。根本的なところで、どうすれば良いのか、その答えがオルドリンには見えない。

 仲間達と同じ悩みを抱え、それに対する答えを持たないオルドリンには、彼等に掛ける言葉が見つからなかった。

(マリーなら、何か言えたのかな?)

 忠義と親愛を捧げた主君は、今、此処にはいない。

 正確にはオルドリン達がいない、と言った方が正しいか。

 各地で頻発する暴動、テロ、友軍の支援に駆り出されているグリンダ騎士団だが、その全てに対応出来るという訳ではない。

 それでも、テロを撲滅せんとする主の願いを少しでも叶える為にオルドリンは、時折、少数で部隊を離れ、本隊で対応しきれなかった問題を対処して回っていた。

(マリー……)

 こうして、ラウンズでもない自分達が単独行動を取らねばならない程に首が回らなくなってきている軍も悩みの一つではあるが、最近のマリーベルの様子もオルドリンの尽きない悩みの一つとなっていた。

 元々、テロの事となると目の色が変わるマリーベルではあったが、最近は更にその傾向が強い。

 昨今の情勢は、確かにマリーベルの心情的に宜しいものではない。テロによって人生を変えられ、テロを憎むマリーベルが躍起になるのも分かる。

 だが、実際に、より多く、一つでも多くと鬼気迫る様子でテロを潰して回るマリーベルの姿を見てしまうと、頼もしさよりも心配が上回るのだ。

 人間、余裕のない状態で、多くのものを望めば、その先に待っているのは大抵が破滅だ。

 テロを憎むあまり、マリーベルの心に魔が差さないか。()()()()()()()()()()()()()()()()()。それがオルドリンには心配だった。

(ちょっと、連絡でもしてみようかな……?)

 考えていたら心配になったオルドリンが、離れて半日も経っていない親友の声を聞こうといそいそと携帯の端末に手を伸ばしかけた時だった。

 ビーッ、という音が艦全体に響いた。どうやら、後少しで次の目的地に着くようである。

「……………」

 伸びかけた手の、その指先がきゅっ、と握り締められた。

 はあ、とがっかりしたように息を吐き出すと気持ちを切り替え、瞳に戦意を宿す。

 悩みはある。迷いもある。気に掛かる人もいる。

 でも、それでも自分はマシな方だとオルドリンは考えていた。

 今回の事に限らず、現実において、何が正しいかなんて、そうそう分かるものではない。それでも、回り続ける現実を前に何の答えが出ずとも動かなくてはならない時があり、何も分からず動けない者だっている。

 その点、オルドリンには足を止める理由はなかった。

 仮に自分達の立ち位置が究極的には間違っていたとしても、剣を手にした理由だけは間違いないと言えるからだ。

 その嘆きを知っている。その涙を知っている。その怒りを知っている。その憎しみを知っている。

 過去に囚われ、かつての業火に焼かれ続ける彼女の心が僅かでも健やかであるようにと。

 人一人の人生をあっさりと狂わすような悲劇が、力なき無辜の民に降りかからないようにと。

 剣に込めたその願いだけは、絶対に間違いではない。――間違いとは言わせない。

 そして――…

「んー、もう到着かー」

「予定よりも大分早いな。まあ、スケジュールが前倒しになった分、グランベリーとの合流が早まったと思えば有り難いか」

「そうですね。此方も中々大変ですが、本隊も随分と無理をしていると聞きます。最近の情勢を考えれば、早めに合流出来るに越した事はないでしょう」

 立ち上がり、座りっぱなしで強張った身体を解しながら、いつも通りの会話をしている仲間達を視界に収め、微笑む。

 どんなに悩んでも、迷っても、こうして自分を信じて、付いてきてくれる仲間がいる。

 それだけで、自分は十分に恵まれているのだ。

「そうね。早く終わらせて、そして、マリーに最高の戦果を持って帰ろう。私達、全員一緒に」

『イエス! マイロード!』

 

 

 そうして、駆け出していく。

 

 何が正しいのか、何が間違っているのか。

 善悪正誤が、今までよりもっと、しっちゃかめっちゃかに成りつつある世界で、今、自分に出来る、正しいと思った事を為す為に。

 

 悲劇が新たな悲劇を生み出さぬよう、その連鎖を断ち切る為に。

 力なき人々を守る。それだけは正しいと信じて……。

 

 

 だが。

 

 

 だが、血を流す悲劇(方法)は何も一つではない。

 世界は、常に守るべき者と守らなくてもよい者が線引きされているようには出来ていない。

 もし、これから先。

 力なき守るべき人々の中から、刃を手にする者が現れた時。

 力がなくとも何かを守る為に、守るべき人々がお互いを傷付け合う時が来た時。

 

 

 彼女の切っ先は、果たして誰に向けられるのだろうか――――?

 

 

 カチ……、リ。

 

 歯車が回る音がする。

 

 

 

「………………」

 ペラリ、と束ねられた書類を一枚捲る。くわえた葉巻を苛立たし気にもみ消し、一枚。また一枚。

「…………クソ!」

 やがて我慢が限界に達した、とあるエリアの総督は一言吐き捨てると、手に持っていた報告書を真横に投げ捨てた。

 報告書を束ねていたクリップが外れ、バラけた書類が紫煙に煙る会議場に散らばる。

「……状況は芳しくはありませんな」

 その様子を黙って見ていたこのエリアを統括する役人の一人が、疲れたように溜め息を吐きながら、そう切り出した。

 それを皮切りに、集まった要人達が次々に報告を行っていく。

「エリア内の事業は、どこも生産効率が落ちてきています。特にナンバーズを多く使っていた採掘業関連は他よりもその傾向が顕著です」

「どの企業も、ナンバーズの雇用条件の見直しに応じる様子はありません。このまま雇用状態の改正がなされなければ、今年度の総生産率は絶望的かと」

「前回、会議に上りましたナンバーズのストライキを支援しているであろう組織の割り出しですが……、駄目です。関連があると思われた団体、会社、企業48件、全てがダミーでした」

 書類でもたらされた報告と共に口頭で述べられる最低の国内事情と全く進まない状況改善の徒労ぶりに、新たな葉巻に火を着けようとしていた総督は、オイルが切れかけて、中々火種を生まないライターごと葉巻を投げ捨て、頭を抱えた。

「……軍の方もよろしくはありません。掌を返した名誉ブリタニア軍人によって戦力は縮小、日増しに拡大していく反抗勢力に、最近は敗走する事が多くなってきています」

「加えて、軍に関しましては、この頃は統制が取れているとは言い難い状態です。例の貴族問題が取り上げられて以降、明らかに貴族将校と一般軍人の間で不和が生じ、足並みが乱れております」

「報道機関の抑え込みも難しくなりつつあります。これ以上、反乱分子を付け上がらせない為に情報操作を試みているのですが、真実を暴こうと暴走しつつある報道のせいで規制すらままなりません」

「その事で貴族から苦情が。周囲を嗅ぎ回る報道関係者が多くて鬱陶しいから、早く何とかしろと催促が」

「同じく、総督府に多く出資してくれている貴族の方達からも最近の規制と取り締まりの強化で、満足に()()も楽しめなくて困っていると連絡が……」

 止まる事なく続く報告を、もう総督は聞いていなかった。

 恐いものをやり過ごそうとする子供のように頭を抱え、ただ呻くばかりである。

「……このままでは、矯正エリアへの格下げは時間の問題かと……」

 最悪の報告は、その言葉を最後に終わりを告げた。

 それは聞こえていたのか、総督はひたすら頭を掻き毟り、苦悶の声を漏らす。

「クソ……ッ、矯正エリアだと? そんなものになろうものなら、私の評価は…………ッ!」

 矯正エリアは、各エリア毎に振り分けられる評価の中で最低のものになる。

 評価が低ければ鞭が多くなり、しかして、高い評価を得るにも犬の真似が上手くなければならないという、ナンバーズにとってはろくでもないの一言に尽きるシステムだが、総督にとっても場合によっては最悪なものになる。

 もし、任されていたエリアが最低の評価を受ければ、総督も躾も満足に出来ない無能という謗りを免れないからだ。

「……何とかしなければなりませんね」

 総督の呻き声だけが聞こえる会議の場に、そんな呟きが溢れた。

 会話の糸口を探しての事か、沈んだ空気を少しでも浮かせようとしたのか。

 誰かが漏らした呟きは、しかし、望んだ結果をもたらしはしなかった。

「そんな事は分かっているッ!!」

 バンッ、と机を叩き、頭を抱えていた総督が怒りの表情で立ち上がった。

「揃いも揃ってクソみたいな報告ばかりしおって!! 芳しくない? 不味い状況? んな事は言われなくても分かっておるッ!! 分かりきった報告ばかり持ってこないで、少しは改善案も一緒に持ってこられないのかッ、この無能どもが!!」

 もはや、言葉を取り繕う余裕もないのか、口汚い言葉を唾と共に吐き出し、どっかりと総督は椅子に腰を下ろす。

 懐を探り、葉巻を取り出そうとするが、先程ライターを投げ捨てた事を思い出し、舌打ちを鳴らすと、トントン、と机を指先で叩き出した。

「………やはり、状況改善を図るにはナンバーズをどうにかしなければならないかと」

 苛立ちを露に、早く何か改善案を出せと言わんばかりの雰囲気を醸し出している総督を刺激しないように、一人が口火を切った。

「ストライキを起こしているナンバーズを国家反逆罪として処刑してみては? 幾らか見せしめに殺せば、奴等も従順になるのでは」

「得策とは言えん。今の状況でそれを行えば、逆にナンバーズの反抗心に火を着けかねない。これ以上、反抗勢力の勢いが増すのは避けねばならない」

「ならば、先にテロリスト共を駆逐しては? 奴等を根絶やしにすれば、ストライキをしている者共も考えを改めるのでは」

「どうやって? このエリアの重要度はそう高くはない。本国からの援軍がいつになるか分からない以上、手持ちの戦力だけでテロリストの駆逐は不可能だ」

「では、軍事力の増強を。いざというときの為にも配備するナイトメアの数を増やすべきです」

「資料を読んでいないのか? まず、金がない。ナンバーズからの税収を得られない今、これ以上軍備に割く余裕は、このエリアにはないぞ」

「………いっそのこと、ナンバーズの条件を受け入れてみれば? ある程度、雇用条件が改善されれば、彼等も納得し、大人しくなるかと」

「企業側が納得しないだろう。ナンバーズは使い潰せるから価値があるのだ。使い捨てられないナンバーズなんぞ、誰が雇うと言うのだ」

「それに、少しでも甘い顔を見せれば、それまでだ。エリア11のように調子に乗って、平等やら自由やらを宣うナンバーズの姿が目に浮かぶわ」

「では、どうしろと!? あれも駄目! これも駄目! それで、どうやって状況を改善しようと言うのです!?」

「そちらがまともな意見を言わないからだ! いい加減な妥協案ばかり口にしてないで、もっと頭を使いたまえ!」

「そちらこそ、否定するばかりでしょう! 偉そうに人の案にケチを付けてないで、案の一つでも出してはいかがです!? もっとも、貴方ごときの頭でまともな案が出せるとは思いませんが!」

「何だと!? もう一度、言ってみろ!」

「何度でも言ってやる! この役立たずが!」

 喧々囂々。

 限界だったのは、総督だけではない。

 追い詰められた理性が破綻し、沸騰した感情によって室内が荒れ始める。

 もはや、議論をしているのか、相手を罵っているのか、それすらも分からない。

 一つだけ言える事は。

 もう、誰もまともではなかったという事だけである。

 圧迫された精神は錯乱を起こし、次第に悪化する現実は常識を溶かした。

 倫理観が消失し、理知が押し潰され、思考が締め付けられる。

 正常という言葉を見失った状態。

 

 そんな時にこそ。

 

「税率を―――」

 

 悪魔は囁くものだ――――。

 

「税率を上げては如何です?」

 ピタリ、と室内が静まり返った。

 どうしてかは分からない。殊更、大きい声でもなかった。

 でも、何故か、口元を歪に歪めたその男の、その闇から這い出てきたような声音は、ここにいる全員の耳朶を打った。

「税率を上げてみては如何でしょう?」

 もう一度、同じ発言が繰り返される。

 それを聞いた役人の一人が、浮かせていた腰を下ろし、発言主に対し、反論を口にした。

「何を言い出すかと思えば。ナンバーズからは既に絞り取れるだけ絞り取っている。これ以上、税率を上げても効果は出まい。何より、今の奴等は我々の法など気にも―――」

「いえ、そうではなく」

 反論に口を挟み、男は首を横に振る。

 何が言いたいのか。

 発言の意味が分からず、首を捻る役人達を見回し、男は口元を更に歪め、言葉を重ねた。

「ナンバーズではありません。……()()()()()()()、です」

 その発言に、ここにいる全員が目を見開いた。

「今の我々には状況を立て直すだけの力、……特に資金面が圧倒的に不足しています。ナンバーズから絞り取れないなら、ブリタニア人から徴収するしかないかと」

 唖然とする面々を無視し、男は畳み掛けていく。

「ついでに労働法も改正いたしましょう。私は常々、ここのブリタニア人はもう少し勤労に勤しんだ方がよろしいと考えておりました。よい機会です、これを機に色々と改正するのが良いかと」

「いや、……だが、しかし……」

 ようやく我に返った一人が、切れの悪い反論を口にしようとするが、それより先に男が口を開く。

「何か悪いことでも? 今はエリアの存亡に関わる危機、それにお忘れかもしれませんが、我がブリタニアは戦争中であります。であれば、国民が国家の為に尽くすのは当然の事かと」

「む…………」

「確かに……、言われてみれば」

 戦争中。国家の為に。

 並べ立てられる言い訳に都合の良い言葉に、役人達の顔にも男と同じ表情が浮かび始めた。

「確かに一理ある。聞いた話だと本国の貴族達も成果の振るわない軍や上層部に見切りをつけ、自らの領地で徴収を行い、力を蓄えているとか。我々も彼等に倣い、本国を頼りにせず、一致団結して事に当たるべきではないかと」

「賛成です。我々だけが苦労していても意味がありません。平民達とも苦労は分かち合うべきです」

「同じく。今のエリアの法はブリタニア人に都合が良すぎるように定められていますからね。このエリアに住むブリタニア人からナンバーズと同じだけの税収、労働力を期待出来るなら、状況の改善は十分に可能だと予測出来ます」

「なら、反対する理由はないな」

「ええ、国の為に苦労するのは国民の義務です」

 歪な笑みを貼り付けて、次々と賛成の声が上がっていく。

 その視線が、全員が賛成の声を上げると同時に総督に向けられた。

 理性を失い狂気に濁った瞳が向けられる。

 しかし、そんな視線を向けられた総督はというと。

「そうだな」

 笑んだ。

 向けられる狂気以上に表情を狂気に染めて。彼等以上に口元を歪に歪めて。

「今まで我々のおかげで甘い汁を吸ってこれたんだ。……少しは我々の役に立って貰うとしようか」

 嗤った。

 

 

 

 

 神聖ブリタニア帝国。

 皇帝シャルルの下、強い者こそ正しいと国是を掲げ、一人の名も無き革命家が現れるまで、絶対の強さを誇ってきた世界最大の大国。

 しかし、元は他と変わらない国家であったこの国が、何故世界を相手にここまでの大立ち回りをする事が出来たのか。

 多くの才が集まっていたから。技術面で抜きん出ていたから。矜持があるから。それもあるだろう。だが、果たして、それだけだろうか。

 思うに、彼等の本当の強さは、もっと純粋かつ単純に、その飽くなき欲望にあるのではなかろうか。

 人はより良き、を求めるものである。

 シャルルも言っていたではないか。競い、奪い、獲得し、支配せよと。

 他者よりも強く。他者よりも多く。他者よりも裕福に。

 誰よりも、何よりも、もっと、もっと――――。

 人の根源に巣食うその衝動は、それを許したシャルルによって、何の躊躇いもなく膨れ上がっていき、世界という矛先を得た事で、より鋭く強靭に鍛え上げられていった。

 欲望という人が持つ最も強い力を最大限に活かし、原動力にしてきたからこそ、ブリタニアは他国に先んじる事が出来てきたのだろう。

 

 だが、気付いているのだろうか?

 

 その力は、強大な分、歯止めが効きにくい事に。

 食べてはいけないと分かっていても食べてしまうように。してはいけないと思っていてもしてしまうように。

 一度、贅沢を覚えた者がそれを抑えなくてはならないと言われて、抑える事が出来るのだろうか。

 

 気付いているのだろうか?

 

 強さなんてものは、定義と枠組みが変われば、簡単に立場を変える事に。

 ブリタニア人とナンバーズだけではない。

 大人と子供。武器を持つ者と持たない者。貴族と平民。

 自分達こそが強者だと思い上がっていた者達は、すぐ傍で肩を叩く弱さに、気付いていたのだろうか。

 

 気付かなかったのだろうか。

 

 膨らんだ欲望のその矛先が、強さの定義と枠組みを変えた時、何処に向くのかを。

 飢えた獣が、最後には何に噛み付くのかを。

 人は平等ではない。他者の手を取らず、踏みつけ、その上に立つという強者の理がもたらす現実を。

 果たして、本当に理解していたのか。

 

 

 その答えは。

 

 すぐ傍まで迫ってきていた。

 

 

 パキ……ン、と。

 

 歯車が壊れる音がした。

 

 

 

「うーむ……」

 ブリタニア本国、皇宮の執務室にて、唸り声を上げながら、書類とにらめっこしている男がいた。

 オデュッセウスである。

 豊かな髭が生えた顎を撫で擦り、難しい、というよりは困ったような表情をしながら、机に広げられた世界地図を所々指差しながら、地図と書類を交互に見比べている。

 帝国第一皇子の肩書きを持ち、今も国の大事に関わる仕事をこなしている最中なのだが、如何せん、その姿からは覇気というものを感じられず、むしろ、カタログを広げ、娘の誕生日プレゼントに悩む父親だと言われた方がしっくりする程だった。

「失礼します」

「オデュッセウス兄様、いらっしゃいますか?」

 そんな書類と格闘中のオデュッセウスの執務室の扉を叩く音が聞こえた。合わせて、二人の女性の声が扉の向こうから聞こえてくる。

 それだけで、誰か分かったオデュッセウスは顔を上げるとにこやかな表情で二人を招き入れた。

「勿論。入ってくれて良いよ」

 そう言って、入ってきたのはオデュッセウスの予想通りの二人。

 異母妹であるギネヴィアとカリーヌだった。

「やあ、二人とも。いきなり、どうしたんだい? あ、ひょっとして、お茶会にでも誘いに来てくれたのかな。いやぁ、それは嬉しい。最近は息が詰まる事が多いからね。妹達とお茶を一緒に出来るなら、願っても―――」

「違いますわ」

 バッサリと。

 願望が先立ったオデュッセウスの発言をカリーヌが切り捨てた。

「まったく……。オデュッセウス兄上は、こんな時でも相変わらずですね」

 その隣ではギネヴィアが、ともすれば自らお茶を入れようとするのでは思う程に、うきうきとしていたオデュッセウスの皇族らしからぬ反応に眉間を揉みしだいていた。

 予想が外れて肩を落とすオデュッセウスと、別の意味で肩を落とすギネヴィア。

 そんな二人に構わず、カリーヌは、そんな事より、とオデュッセウスの近くまでやって来ると、ここに来た目的を切り出した。

「単刀直入に伺います。兄様、議会や私達に内密でお金を使用しておりませんか?」

 その質問に、ギクリ、とオデュッセウスの身体が強張った。

「あ、いや、違うよ? 農耕用ナイトメアを数台、民に卸したけど、アレに国のお金は元より家のお金も使ってないからね? アレは私がTVに出演して貯めたお金で買ったものだから―――」

「もう良いです」

「この様子ではシロですわね。まぁ、分かっていた事でしたが」

 しどろもどろになって、弁解するオデュッセウスに溜め息混じりにそう答える二人。

 訳が分からないオデュッセウスは、何があったのかと思いながら、二人に質問の意味を訊ねた。

「実は、近頃のエリアの状況を鑑み、不必要に使われていたり切り詰められる面がないか、大臣達と予算の見直しを行っておりましたら、使途不明の金が国外に流れている事が分かりまして……」

「調べてみましたら、結構な額でした。小さな国一つ賄える金額です」

「それは……、随分と穏やかではないね」

「ええ。一応、流れは差し止めましたが、今は時期が時期ですからね。国の中枢で良からぬ事を企てている者がいるかもしれないと、相談してきたカリーヌと二人で調査を行っているところです」

「ちなみに、オデュッセウス兄様は、今のお話でピン、とくる事はございませんか?」

 カリーヌに問われ、オデュッセウスは腕を組み、暫く中空に視線を彷徨わせながら、記憶を探っていたが心当たりはなかったのか、申し訳なさそうに首を振るとカリーヌに視線を戻した。

「……すまない。力になりたいが、思い出せる範囲に思い当たる節はなさそうだ」

「お気になさらず。これは私達の仕事ですから。もし、何か思い出したり、気になる話を耳にしたら教えて下されば、それで十分です」

「ああ、勿論。覚えておくよ」

 本当に申し訳なさそうに思っていそうなオデュッセウスの反応に苦笑しながら、答えを返したギネヴィアとカリーヌに、安堵の表情でオデュッセウスは頷く。

「それにしても、二人ともご苦労だねぇ。特にカリーヌはまだ年若いのに」

「私は別に……。それに、ご苦労と言うなら、オデュッセウス兄様の方こそではないですの?」

 広げられた世界地図と、机の上に所狭しと積み上げられた書類の山にカリーヌが渋い顔をする。

「……各地の戦況報告の確認など、兄様が直接する必要はないように思われますが」

 部下に纏めさせて持って来させれば良いのに、と呟くカリーヌにオデュッセウスは、頭を掻きながら困ったように笑う。

「いやぁ、皆、忙しそうだったからね。それに、これはこれで楽しいものだよ?」

 やはり、皇子らしからぬ発言に、今度は揃って肩を落とす二人。

 やれやれ、と首を振るギネヴィア。そのギネヴィアの視線が、机の角、他とは分けられるように寄せられている書類の山を捉えた。

「オデュッセウス兄上、これは……」

「ん? ああ、それは、意見書というか嘆願書だね」

「嘆願書?」

 興味を持ったのか、書類の山から一枚引き抜きながら、カリーヌが訊ね返した。

「うん。最近、少しずつ増えてきてね。和平派というか、これ以上戦火を広げる事を良しとしない人達がね、他国と歩み寄る方法を模索してはどうかって、意見を出してきているんだ」

「下らない」

 同じように、嘆願書を手に取っていたギネヴィアは、さっと中身に目を通すと、パラリ、と床に投げ捨てた。

「目を通す価値もありませんよ、兄上。状況が少し悪くなって、逃げ腰になっている臆病者が日和見な事をつらつらと並べてるだけです。こんな弱音を吐く輩に、兄上が時間を割いてやる必要はありません」

「手厳しいね」

「事実ですので」

 キッパリと、そう言い切るギネヴィア。

 温厚なオデュッセウスを味方に付けようとする魂胆が見え隠れする為、兄が変な気を起こさないよう、少し語気を強めて訴える。

 カリーヌも同意見なのか。興味がなくなったように嘆願書を書類の山に戻すと、話題を変えるかのように、そう言えば、と口を開いた。

「オデュッセウス兄様、例の中華の天子との婚約の件、どうなりましたか?」

「ああ、それについては――――」

 その時だった。

 兄妹の会話を遮るように、バタンッ、と勢い良く扉が開き、数人の兵士が転がり込むように部屋に入ってきた。

「し、失礼しますッ!」

「何事かッ、騒々しい! 第一皇子のいる部屋に、ノックもなしに……ッ、無礼であろうッ!」

 オデュッセウスしかいないと思っていた兵士達は、他に皇女が二人いたことに驚き、次いでギネヴィアの怒気に当てられ、ビクリ、と身体を震わせた。

「も、申し訳ありません! 至急、お伝えしなければならない事が…………!」

 辿々しく敬礼を取る兵士に、厳しい視線と冷たい視線を向ける皇女二人。

「ギネヴィア。カリーヌ」

 苦笑しながら名前を呼ぶ。そこに咎めが含まれている事を悟った二人は、小さく息を吐くと態度を軟化させた。

「すまないね。それで何だい?」

 皇女二人の視線が切れ、オデュッセウスの穏やかな声に少しばかり緊張が解れたのか、兵士の一人が一歩前に進みると、焦る気持ちと戦いながら、彼は報告を口にした。

「ぼ、暴動が、エリアにて暴動が起こっていると報告が入ってきております!」

「暴動? それだけ?」

 一緒に聞いていたカリーヌが、キョトン、とした顔をする。

 確かに、由々しき事態ではあるが、今の情勢ではそこまで慌ててやって来るような問題ではないと思ったからだ。

「まったく、またナンバーズですか。それで、どこのエリアだと言うんです?」

「い、いえ…………」

 ギネヴィアの問い掛けに、兵士は首を何度も横に振りながら、言葉を紡いだ。

「ナンバーズではありません。ぶ、ブリタニア人です! ブリタニア市民が暴動を…………!」

「な――――ッ!?」

 流石に予想外だったのか、普段は落ち着き払ったギネヴィアの口から、驚愕の声が飛び出した。

「重ねて、申し上げます!」

 声を上げて、後ろに待機していた兵士が報告をしていた兵士の横に並ぶ。

「ブリタニア本国、貴族領地にて市民が騒ぎを起こしていると報告が。領地内にてデモ行進が行われ、領主官邸を市民が取り囲んでいると!」

「貴族領地でも……、げ、原因は何なの?」

 驚きを隠せないカリーヌの上擦った問い掛けに、兵士の一人が答える。

「詳細はまだ分かりませんが……、どうやら、強引な法改正と徴収が行われ、それが原因となったと思われ……」

「そ、そんな…………、そんな報告、一度も……」

「どうやら、何処かで隠蔽が行われたようだねぇ」

 伸びた手が、豊かな髭ごと口元を隠した。

 先程とは打って変わり、普段は穏やかなオデュッセウスの表情が、今は苦悩に歪んでいた。

「……合わせて、申し上げます」

 そんなオデュッセウス達に止めを刺すかのように、最後の一人が口を開いた。

「先程、ブリタニア本国内、複数の場所にて、主義者によるクーデターが確認されました。犯行声明を出している組織は現時点で八。その他にも複数の組織の活動が確認されています」

「まさか、テロまで……。それも同時多発? しかも、このタイミングでなんて……」

「これは……、中々に不味いねぇ」

 ショックを受けているギネヴィアの声に重なるようにオデュッセウスの苦い声が響いた。

「ラウンズもマリーベルもいないし、コーネリアも本国を発ったばかりだ。……領地内の暴動は領主に対応を任せたいところだけど………」

「それは、……正直、不安が残るかと。状況を考えれば下策に出る可能性は否めません。虐殺なんて起ころうものなら、鎮静は不可能になるかと…………」

「だね。それに、そっちは何とか出来ても主義者のクーデターの方は厳しい。例のグリンダ騎士団も苦戦したという、タイレランも噛んでいたりしたら、現在の戦力では対抗しきれるかどうか……」

 何にしても、情報が足りなかった。此処であれこれ悩んでも推測の域を出ないと判断し、オデュッセウスは報告を持ってきた兵士達に指示を飛ばす。

「とにかく情報が欲しい。クーデター、暴動、共により詳細な情報を集めるよう、皆に伝えて貰えるかい?」

『イエス! ユアハイネス!』

 指示を受け、敬礼を取ると、兵士達は慌ただしく部屋から退室していった。

「兄上、私はこれから大臣や関係者を集めて、緊急の議会を開く準備を行います。整い次第、兄上にも参加して頂きたいのですが」

 ギネヴィアのしっかりとした声に頷く。ショックを抑え込んだのか、単純に持ち直したのか。皇女の顔付きでそう言ってきた妹を、オデュッセウスは頼もしく思った。

「ああ、分かった。準備が終わったら呼んでくれ」

「……私は皇宮守護隊や警邏隊の責任者に会ってきます。少しでも人を出せないか聞いてみようかと」

「そうだね……、よろしく頼むよ、カリーヌ」

 ギネヴィアに比べれば、まだ少し動揺が見られるカリーヌの言葉に頷くと、二人はきびきびとした動きで部屋から出ていく。

 そして、妹二人が出ていくと、オデュッセウスは疲れた様子で椅子に腰を下ろした。

「やれやれ……、炎は消えるどころか勢いを増すばかり。我が国のしてきた事を思えば、当然の事かもしれないが、些か………」

 額に手をやり、天井を仰ぐ。

 元々、穏やかな性格故、強行な国の方針に思う事がなかった訳ではないオデュッセウスではあるが、別に愛国心がない訳ではない。

 だから、転げ落ちるように傾いていく国の情勢に胸を痛めていないなんて事はなかった。

 ふう、と息を吐き出し、身体を起こす。その視線が、机の角、先程の嘆願書に向けられる。

 ギネヴィアは下らない、の一言で切り捨てたがオデュッセウスには一つの懸念があった。

 実際に和平やら国の舵を大きく切る必要があるかは、まだ分からない。問題はそういう意見が増えてきているということだ。

 今までブリタニアは積極、消極の差はあれど、結局は戦争賛成という一つの意見でまとまってきていた。

 だが、そこに反対、和平という相反する意見が生まれた。

 すると、どうなるか。

 一つの集合体で、相反する意見が両立する事は、まず有り得ない。そこに生まれるのは対立と分裂だ。

 戦争派と和平派。強硬派と穏健派。貴族派や改革派なんてものも出てくるかもしれない。

 そうやって、対立と分裂を繰り返され、国家としての意志の統一性が失われでもしたら。

 もし、ブリタニアという大国で、意志が千々に乱れるような事になれば、行き着く先は―――。

「内乱、……いや、しかし」

 口に出した最悪の想像に、しかし、とオデュッセウスは疑問を挟む。

 果たして、そうトントン拍子に話が進むだろうか。

 このブリタニアという国が、世界最大の国家が自分達で自分達を終わらせるような状態にまで陥るだろうか。

 そう考え、首を横に振る。

「有り得ない………、筈だ」

 頭の中ではないと確信していた。

 でも、オデュッセウスは有り得ないと言い切る事が出来なかった。

 どうしてか。それは、オデュッセウスにはもう一つ、懸念があったからだ。

 いや、それは懸念と呼ぶには曖昧なものだった。

 部下の負担を考え、ずっと、地図を見ながら、各地から寄せられる戦況報告を確認していたオデュッセウスだけが感じる、喉の奥に小骨が刺さったような、チリ、とした感覚。

 ふと、彼は感じたのだ。

 日本の復活に始まり、各エリアでのストライキ、各戦線の攻勢、貴族の問題と不和、そして、今回のブリタニア市民の暴動と、主義者のクーデター。

 この一連の流れ、些か、()()()()()()()()()()()()()

 例えば、各エリアのストライキが始まる前より、日本の復活に後押しされた各国の攻勢が早かったら、まだ散らばる事のなかったラウンズによって押し返す事が出来ていたかもしれない。

 貴族の問題から来る士気の低下も、タイミングが早ければ、もう少し戦況に余裕があれば、こんなにも傷が広がる事はなかった筈だし、今回のクーデターも、一歩間違えれば、コーネリアや彼女に会いに戻ってきていたノネットによって、即時殲滅させられていたであろうし、貴族領内の暴動も、クーデターが発生していなければ、軍を派遣して、直ぐに鎮圧出来ていた筈だ。

 偶然と言えば、それまでかもしれない。だが、あまりに狙ったようなタイミングで起こる問題に、作為的なものをオデュッセウスは感じていた。

 そして、もし。

 もし、本当に、この流れが誰かの手によって引き起こされているのだとしたら、そんな事が可能なのは…………。

「いや………、それこそ有り得ない。……有ってはならない」

 その視線が、地図上、とある小さな島国に行きそうになるのを無理矢理止める。

 有ってはならないだろう。

 エリアだけではない。ブリタニアを含めた全ての国々が、――世界が、一個の意思によって、都合良く動かされているなんて、考えるだに不可能だ。

 もし、本当にそんな事が出来るのなら、それは、もはや、人智を越えている。

 そんな化け物がいると仮定するくらいなら、まだ偶然の方が素直に納得出来た。

「とはいえ、偶然なら偶然で、我がブリタニアは随分とついてない事になるけどね……」

 偶然なら、ブリタニアは天に見放されている。運命だというなら、悪魔に好かれ過ぎ(呪われ)ている。

 はぁぁ、と重い溜め息がオデュッセウスの口から盛大に溢れた。

「果たして、敵は、偶然という名の神か。運命という名の悪魔か」

 それとも。それとも―――?

「私達は、一体、誰と戦っているんだろうねぇ………」




 ゼロ「私だよ!!!!」


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PLAY:20

(前回の感想の数を数えながら)おかしい、何故、ルルーシュ達が全く出てこなかったのに、過去最多の感想が来たのだろう?一体、何が読者さん達の感想魂に火を付けたのか。サクシャワカンナイ。

 ともあれ。毎回、沢山の感想、ありがとうございます。
 それと、返信する前に運対されて、まともな返しが出来なかった方は申し訳ないです。今回、ちょっと多かったもので謝罪させて頂きます。
 でも、感想にはきちんと目を通してあります。返信自体は時間のある時にじっくりと、と思っているので遅くなってますが、感想は速攻で読ませて頂いてます。

 では。前置きが長くなりましたが、本文をどうぞ。


「カレンさん!」

 声を掛けられたのは、席に着くのと同時だった。

 おはよう、と控えめに挨拶したにも関わらず、教室の入口に矢鱈と集まった視線から逃れるようにそそくさと席に座ったカレンは、弾むような声音で声を掛けてきたクラスメイトの顔を見て、内心で首を傾げた。

 その顔に見覚えはあったが、名前がどうにも思い出せなかったからだ。

「良かった。来られるようになったんだね」

「大丈夫なの? 今回は随分長かったけど……」

 声を掛けてきた女子と一緒に、カレンの席の周りにやってきていた他の女子達も口々に声を掛けてくる。

 そこでようやく、カレンは彼女達の名前を記憶から掘り起こす事が出来た。

 彼女達は、カレンが生徒会に入り、そちらと行動を共にする事が多くなる前、休みがちなカレンを気に掛けて、時々、昼食を一緒にしようと誘いを掛けてきてくれた子達だった。

「ええ、おかげさまで。ありがとう」

 きちんと一人一人と顔を合わせて、カレンがほわりと微笑む。

 普段は跳ね上げた髪を下ろし、勝ち気に開いた眦を緩く落とした、見た目だけはまごうことなき深窓の令嬢の微笑みに、こっそりと盗み見していたクラスメイトの男子達が、ほぉ、と俗っぽい溜め息を吐いた。

 ちらり、とそんな視線を送る男子達を流し見て、年頃の話題と最近の出来事で話に華を咲かせる女子達に愛想よく返事を返しながら、時折、教室内に視線を這わせる。

 僅かに意味深な光を宿した空色の瞳に映るのは代わり映えのない光景。

 壁際で談笑する女生徒。行儀悪く机に座り、昨晩のTVの話題ではしゃぐ男子の輪。他にも携帯を弄る生徒に、きちんと予習の為にノートを開いている生徒もいる。

 以前と何ら変わらない光景。

 誰の顔にも暗い影は見当たらず、空気に悲愴なものは感じられず、見知った日常はあの夜を越えても見知ったまま、平凡で、―――平和だった。

 

 

 あの大一番の戦いから、しばらく。

 トウキョウ租界が、再び東京という、かつての呼び名と響きを取り戻してから、季節を跨ぐ程度に時間が過ぎ去っていった。

 長い時間と数多の血を捧げ、奇跡の後押しを受けて、ようやくその手に返った自らの故郷に、多くの日本人が喜びに沸いた。嬉しさに吠えた。

 時に戦い、時に堪え忍び、数え切れない生命を見送ってきたその時間が報われたのだと、皆が涙を流し、感動に打ち震えた。

 その一方で。

 恐怖と不安に震えていたのが、置き去りにされたブリタニア人だ。

 いや、当時の状況を思えば、恐怖と不安だけでは片付くまい。鎖の切れた狼の群れに置き去りにされた羊という分かりやすい構図。故にその末路も、一々語らずとも分かる顛末だ。

 生きた心地などしなかっただろう。ある意味、自業自得とはいえ、「この先」を想像した時の彼等の心境は察するに余りある。

 きっと、誰も彼もが最悪しか想像出来なかった事だろう。

 

 だが…………。

 

 

「でも、ちょっとばかし驚いたわよねぇ」

「驚いた?」

 そう呟かれた一言に疑問符を付けて繰り返しながら、カレンはその意味を問い返した。

 場所は放課後、アッシュフォードの生徒会室。

 一時は七人までいた人数が半数近い四人にまで減った事に危機感を覚えつつ、最大戦力たる副会長不在によって増えた仕事量にひーこら言っていた、この部屋の主の突然のぼやきはカレン以外の二人の興味も誘ったのか、三人の視線が一斉に彼女に集まった。

「んー、拍子抜けっていうか、肩透かし? ……意外?が、しっくり来るかな?」

 うむむ、と自分の感覚に当てはまる言葉を探して、ミレイが唸り声を上げる。

「まー、とにかく、アレよ。もっと、こう、悲惨な状況を覚悟してた訳よ。私としては」

 ビシリ、と突き付けられたのはメガホンのように丸められた書類の束。会長のチェック待ちの自分が苦心して提出した書類の無惨な姿に、カレンは渋い顔をする。

「悲惨って、会長……」

「でも、シャーリーだって思ったでしょ?」

 今度は呆れたように口を挟んだシャーリーに、くるりと巻いた書類の先が向けられる。

「自分達で言うのもなんだけど、日本人のブリタニア人に対する評価なんてドン底な訳だし? 相応の扱いを受けるんだろうなぁって」

「それは………」

 思わず口から言葉が出掛かったシャーリーだが、横にいるカレンにちら、と視線を送ると口を閉ざした。

 気を使ったのだろう。

 だが、それだけで彼女がどう思っていたのか、伺い知る事が出来た。というか、それが当然の反応である。

 よっぽど頭がお花畑でもなければ、誰だって報復されると考えるだろう。軍は散り散りに逃げ出し、誰の庇護も得られない以上、虐げてきた人々の恨みを、怒りを一身に受けると思うのが普通だ。

 でも、そうはならなかった。

「学園には普通に来れるし、遊びにもショッピングにも行ける。トウキョウ租……、じゃないわね。東京からの出入りに検問は敷かれているけど、基本、一般市民は素通りで問題なし。一番心配してた日本人からの当たりも黒の騎士団が目を光らせてくれているおかげで表面上は穏やか。つまり、総じて問題なし」

 そう。最悪を覚悟していたブリタニア人ではあるが、予想に反して、彼等の生活が変化する事はなかった。

 勿論、全てが今まで通りという訳ではない。あの夜からこっち、東京に流れてくる日本人によって一部の区画はブリタニア人の立ち入りが禁止になっているし、皇族であるユーフェミアや貴族に関しては、少なくない監視が付き、行動も制限されている。

 何より変わった事と言えば、いなくなった軍の代わりに黒の騎士団の姿が見られるようになった事だろう。

 治安維持の為に市内を闊歩する黒の制服に、時折、ブリタニア市民が複雑そうな顔をする時もあるが、概ね、取り残されたブリタニア人は今まで通りの日常を送る事が出来ていた。

「なら、良いじゃないですか。それより、手を動かして下さい」

 予想だにしない展開に戸惑いを覚えるミレイ達の気持ちは分からなくもない。だが、問題がある訳でないのなら、カレンにとっては自分の横に積まれた書類の山の方が気掛かりだった。

「まぁ、そうなんだけどねぇ。確かに有り難い事なんだけど、有り難すぎて逆に不安になるというか、疑っちゃうというか……」

 何もないなら、それに越した事はない。でも、無いならないで、何かあるのではと勘繰ってしまうのが人間である。

「そんな訳で黒の騎士団エース、()()カレンさんに聞きます」

 ずい、と机の上に身を乗り出し、今度は書類をマイクの代わりにしたミレイがそのにやけた顔をカレンに寄せた。

「ぶっちゃけ、何を企んでる訳?」

「何も企んでません」

 ぴしゃん、と出来上がったばかりの書類を顔に押し付け、カレンはミレイを押し戻す。

「今は、世界中が日本の動向を注視してるんですよ。そんな状態で自分達を貶めるような行為、する訳ないじゃないですか」

 ここで軍人でもない捕虜同然のブリタニア市民に暴行を振るうような事態を許せば、日本は人道的措置も満足に取れない癖に、他国の非人道的行為は容赦なく非難する。そんな国と思われてしまう。

 これから国を立て直していこうというこの時期に、そのような風聞、誰も好んで広めようとは思わない。

 とはいえ、理性と感情は別物である。

 並べ立てられた御大層な理由に理性は納得出来ても、感情まで納得するとは限らない。黒の騎士団が警戒をしているとはいえ、それだけでは今の状況を作り上げる事は到底出来なかっただろう。

 故に決定的な理由は別。日本人が愚行に走らない理由は唯一つ。

「何より、ゼロが許しません」

 つまり、それ故に、である。

 敵国の姫君をその身を挺して庇うという美談を携え、死の淵から甦る奇跡を纏い、一夜にして国を復活させる伝説を打ち立てた救世の英雄。

 そこに正体が分からない事から来る神秘性も加わり、今や日本人がゼロに抱く感情は、期待や信頼を通り越して、崇拝や信奉に近かった。

 だから、ゼロが否と唱えれば、日本人の大半は一も二もなく頷く。

 仮に納得していなくても、頷くだろう。

 ブリタニア人に思うことがあっても、まるで神話から抜け出してきたような存在を敵に回してまで、蛮行に及ぼうとは誰も思わないからだ。

「でもさぁ………」

「何よ」

 そこで、黙ってカレンの話を聞いていたリヴァルが口を挟んだ。

 お前まで何だ、というか働け、と言いたげなカレンの物言いと視線がリヴァルを射抜く。

 お嬢様モードのカレンしか知らなかったリヴァルは、吊り上がった勝ち気な瞳に睨まれ、情けなく愛想笑いを浮かべるも、その口を閉ざす事はしなかった。

「いや、ちょっと気になると言うか……。一応さ、俺達って人質みたいなものなんでしょ? でも、一般市民は東京から出ようと思えば出られる訳で……。つまり、良いのかなって」

 人質、いなくなっちゃわない? とリヴァルが続けた。

「それは、私も最初はそう思ったけど、でも、ゼロが言うにはこの方が都合が良いって」

 ゼロが言っていた事を思い出しながら、カレンはそう説明する。

 

 当たり前の話、情報というのはとても大事である。

 それは戦いにおいても同じ。歴史を紐解けば、一の情報が百の兵、万の軍に勝る価値を示した事例は幾つもある。

 だから、基本、情報とは秘匿するのが常道なのだが、それが如何なる時でも好手となるかと言えば、そういう訳でもない。

 例として挙げるなら、今回がそれに当たる。

 確かに、状況だけを俯瞰して見れば、ゼロの手は悪手に思える。

 彼我の国力差は言うに及ばず。その状態で人質も情報も外に流出するような対応は常軌を逸していると思われても仕方ないだろう。

 だが、今回の場合、完全に情報を遮断してしまうと、それを逆手にとって、ブリタニアが死人に口なしで事を済ます可能性が非常に高かった。

 要は、敵味方全てを皆殺しにした後、いつものように真実をでっち上げるのではないかという事である。

 何しろ、今のブリタニアには余裕がない。

 各地の騒動は鎮まらず。対応は後手後手。ひっきりなしに湧いてくる問題の山に、国家という車に火が着き始めている状態だ。

 そんな中で、もし、ゼロと日本を始末する事が出来れば、反ブリタニア勢力の勢いに盛大に水を掛ける事が出来る。

 ならば、やるだろう。数万の犠牲もブリタニアの総人口を数えれば、端数でしかない。

 それを避ける為に、ゼロはブリタニア市民の出入りを自由にして、真実を脚色される前に、先んじて真実を世間に流したのだ。

 虐殺も暴行も私刑もない。大量に血が流れるような事は起こってないと他ならぬ捕まっていたブリタニア人に語らせる事によって、ブリタニアが下策に訴えてくるのを防いだ。

「だから、問題ないみたい。ブリタニア人も外には出ていくけど、そのまま逃げ出していく人は少ないって話らしいし」

「そうなの?」

 意外、と言うようにシャーリーが目を丸くする。

「まっ、そうよね。不自由を強いられるならまだしも、今まで通りの暮らしが出来て、その上、何時でも逃げ出せるのなら、慌てて逃げようとは、あまり思わないわよね」

 ミレイがそう言うのに、成程と頷く。

 シャーリー自身は、父親が動かせる状態ではない為、――勿論、それだけが理由ではないが――留まらざるを得なかったが、確かに言われてみれば、こうして学園に通う中で見知った顔がいなくなったのは数える程でしかなかった。

「それに逃げ出すって言っても、最近は本国も物騒だって話みたいだしね。下手に逃げるより、此処の方が安全だって思ってる人も結構多いんじゃない?」

 ふと溢れた言葉だったが、一理はあった。

 エリアは勿論、本国すら物騒となれば、安全を求めて何処かに移ろうという気も起きないだろう。東京も敵地である以上、絶対安全とは言えないが、それでも弱者の味方を掲げるゼロのお膝元。他に比べれば、安心感の度合いが違う。

 ブリタニアからしてみても、市民の安全を前面に押し出されては、東京を攻略しようとする意味も意欲も著しく損なってくる。ゼロを始末したいのは山々だが、強引な手段を封じられている中で、下手に刺激して藪をつつくような事になれば、東京のブリタニア市民や世論の反感を買う恐れもあった。

 つまり、身体ではなく心。それも、恐怖ではなく安全、安心という受け入れやすい感情で縛る事でブリタニア市民を自主的に留まらせ、ゼロは門を開きながらも、東京の独立性を維持していた。

「こうして考えてみると、……()()()わね」

 カレンの辿々しい説明から、その辺りの考えを察したミレイが苦笑と共に呟いた。

 リアリストでありながらロマンチスト。

 善意と思わせておきながら、何処かに打算を忍ばせ、きっちりと割り切っているように見えるが、他者への優しさがちらほらと見え隠れする。

 正体が知れれば、成程、ゼロのやり口は実に自分達の知っている副会長らしかった。

「――――――――」

 ピタリ、とその発言を切っ掛けに会話が途切れた。

 各々の気配にぎこちなさが混ざり、唐突に途切れた会話を結び直せないが故に訪れた沈黙が、何とも言えない空気を生徒会室に醸し出していく。

「さて……、と」

 それに耐えかねたのか、何気なさを装いながら、ガタリ、とリヴァルが立ち上がった。

「コ~ラッ! まだ仕事も片付いてないのに何処に行く気?」

 軽く伸びをしたリヴァルの足が入口の方に向かうのを見たミレイが冗談めかして咎めた。

「いや~、ちょっと気分転換にバイクを弄ってこようかなと。ほら、書類仕事が一段落したら買い出しに走らなくちゃですし?」

 苦笑いを浮かべながら、それっぽい理由を口にする。

 そのまま、じりじりと入口に向かっていたリヴァルは扉に手を掛けると、伺うようにカレンの方に視線を向けた。

「……いいだろ?」

「……絶対に学園の敷地内から出ないで。それと、出来るだけ人気のある場所にいて」

「分かってるって。クラブハウスの入口んとこにいるよ。それなら問題ないだろ?」

 返す手で再度の確認を求めてきたリヴァルに、しょうがないと言った風にカレンが頷く。

 それに片手を上げて、悪い、と言葉と態度で示すと、リヴァルは宣言通り、バイクを弄りに生徒会室から出ていった。

「護衛役も大変ね。色々と気を遣って」

 一連のやり取りを見ていたミレイが苦笑しながら言うのに肩を竦める。

 元から、時間があれば学園に通うようにしていたカレンではあるが、この時期に再びアッシュフォードに通うようになったのは別に暇を持て余しての事ではない。

 ゼロから、ミレイ達生徒会メンバーの護衛を指示されたからだ。

 既に皇帝を始め、敵国の一部の人間にはゼロがルルーシュであると知られている。『前回』の事を考えれば、ミレイ達に皇帝達の手が伸びないとは言い切れない。

 その事を危惧したゼロが、もう少し状況が落ち着くまでは誰かしら戦える者を護衛に付けるべきと考え、アッシュフォードに堂々と入れて、生徒会メンバーの近くに居ても怪しまれず、かつ彼女達の信用を得られる人物としてカレンに白羽の矢を立てた。

「それはともかく」

 書面に走らせていたペンを止めて、カレンはリヴァルが出ていった入口の方を見やる。

「……やっぱり、リヴァルは納得いかないんでしょうか……?」

 ミレイやシャーリーにもどことなく自然を装おうとしている感はあるが、リヴァルの反応は少しばかり過剰だった。

 それも無理からぬ事であるとはいえ、仲の良かった二人の姿を知っているだけに、露骨に話題を避ける彼の反応に、カレンが落胆と悲壮が混ざった感情を抱いてしまうのも、また、無理からぬ事であろう。

 勝手な想いだとは思う。でも、叶うなら、あまり拗れて欲しくないというのが、カレンの素直な心情だった。

「んー? あれはちょっと違うんじゃない?」

 だが、沈んだ気持ちを露にするカレンに答えたミレイの声は実にあっけらかんとしたものだった。

 思わず目を丸くして、驚きと共に振り返れば、訳知り顔で笑うミレイの視線とかち合う。

「ルルーシュがゼロだった事がどうとか、裏切られたうんぬんとか、そういうんじゃないわよ、きっと」

「そう、なんですか?」

 よく分からないと首を捻るカレンに、ミレイはそっ、と自信たっぷりに頷く。

「だって、もしそうなら、バイクを弄りにいくなんて言ったりする筈ないでしょ?」

 リヴァルが愛用するサイドカー付きのバイクは、生徒会御用達として活躍する以外では、悪友たるルルーシュと乗り回す事が殆どだった。

 もし、リヴァルが本当にルルーシュを忌避しているなら、バイクにだって近付こうとは思わないだろう。

「だから、大丈夫。カレンが心配するような事はないわ。……あれでいて複雑なのよ、男心ってやつも」

 勿論、女心も。

 にんまりと笑いながら、そう締めくくり、ミレイもまた席を立つ。

「――って、会長まで何処に行く気ですか!」

「ナ・イ・ショ♪」

 というか、仕事をしろ! と怒声を轟かすカレンに、人指し指を唇に当てたジェスチャーで答えると、ミレイはするりと半身を扉の向こうに滑り込ませる。

「まー、私もこのまま思い出にされるのは、ちょっと癪だからねぇ」

「会長?」

 入口の扉から顔だけ出して、何やら意味深な事を言うミレイに、何の事かと疑問を浮かべながら、カレンとシャーリーは顔を見合わせる。

「そんな訳で、後はヨロシクぅ!」

「あ、ちょ………」

 呼び止めようと、そちらにもう一度視線を向けるも時既に遅く。

 意味もなく伸ばした手の先で、ひらひらと扉の隙間から生えていた手が引っ込むと、パタンと軽い音を立てて扉が閉じられた。

「………………」

「………………」

 再び、沈黙。

 奔放過ぎる生徒会長の行動に暫し呆然としていた二人は、やがて、どちらからともなく疲れたように息を吐き出した。

「まったく、もう。後はよろしくったって、会長が一度チェック入れないと処理出来ないものだってあるのに……」

 鼻息荒く憤慨するカレンの横で、シャーリーもあはは……、と乾いた笑みを浮かべる。

「とりあえず、どうしようか……?」

 後はよろしくと言われたが、もう二人しかいない以上、どれ程の事が出来る訳でもなし、カレンが言う通り、会長の指示がないと処理出来ない問題も多い。

 正直、今日はこれ以上時間を費やしても意味がないように思えた。

 それは、カレンも同意見だったのだろう。

 しょうがない、と疲れたように言いながら、机の上に広げられた書類をまとめ始めた。

「とりあえず、急ぎのものがないかだけ確認して、後は整理して終わりにしましょ。私達だけ真面目に働くのも不毛というか、馬鹿みたいだし」

 歯に衣着せぬカレンの直球過ぎる物言いに、シャーリーは苦笑しながらも頷く。

 そして、かつてのおっとりとしていたカレンの姿からは想像出来ない、素早く机の上の書類をかき集める姿に内心でちょっぴり驚く。ちなみに物言いの方にはあまり驚かない。とある男の子の事について口論した時に、静かな口調ながら、割りとはっきり物を言うカレンの性格は分かっていたからだ。

「でも、私も少しだけ驚いちゃった」

「え?」

 手を動かしながら、不意に零れた呟きにカレンが反応する。

 同時にシャーリーも、ある男の子の事を考えてしまった為に頭に過った考えをうっかり零してしまい、あ、としたような表情をする。

 そのまま、二人して黙る。

 じっ、と言葉の続きを待っているカレンに、シャーリーは言うべきかどうか俊巡するが、ここで誤魔化した方が気まずくなると考え、思い切って口を開いた。

「その……、ルルだけじゃなくて、カレンも、その、……黒の騎士団だったなんて」

 躊躇いがちなその言葉に、カレンは大きく目を見開き、そして、逸らすようにシャーリーから机の上の書類に視線を落とした。

「うんと、……あれだよね。ブリタニアの、同じ学校の、それも生徒会の中に二人もいたなんて。世間は狭いって、本当だね」

「…………そうね。といっても、私もゼロがアイツだって知ったのは、貴女達と殆ど同時だったけど」

「そうなの?」

「ええ」

 投げたボールが壁にぶち当たって無造作に転がりながら返ってくる。

 そんな印象をもたらすカレンの固い声に、シャーリーもこれ以上、何かを言う気にはなれず、口を閉ざす。

 以降、共に口を開かず、黙々と作業に没頭する二人。

 会話はない。――出来ない。

 先程までならともかく。多分、今のカレンと普通に会話をする事は無理である。共に普通を演じる為に付けていた仮面が二人きりである事と、先の発言が原因で外れてしまったからだ。

 だから、ただ、手だけを動かしていく。申請書類その他諸々の内容に目を通し、急ぎのもので処理出来るものがあれば処理し、会長の判断待ちのものは分けて置いておく。

 会話がない分、作業効率は上がり、テキパキと仕事をこなしていく。

 元より、割りと優秀であり、普段から会長の無理難題に付き合ってるだけあって、カレンとシャーリーが一連の作業が終えるのにそれ程時間は掛からなかった。

「………………よし」

 最後の書類の確認を終え、トントン、と綺麗に整える。

 カレンは、と思い、そちらを見れば、一枚の書類にペンを走らせている姿が目に入った。

「……えっと、手伝う?」

「平気。これで終わりだから」

 書面から顔を上げずに返ってきた答えに、そっか、と応じる。

 やることもなくなり手持ちぶさたになってしまったシャーリーだが、何故だか帰ろうとはしなかった。

 単純にこの状況でお先に、と言えないのもあったが自分達の護衛として来ている以上、勝手に一人で帰るとカレンが困ると思ったからだ。

 カレンが困れば、結果、後ろにいる彼も困る。だから、シャーリーはどうにも感じてしまう居心地の悪さに耐えながら、生徒会室に留まり続けていた。

(そういえば、リヴァルは………?)

 気を紛らわそうとあちこちに視線を這わせ、シャーリーは、窓の外、橙の色が大分滲んだ風景を見て、はたと思い出す。

 クラブハウスの入口でバイクを弄ると言って出ていった彼だが、あれから、そこそこ時間が経った今でもまだいるのか。

 何となく気になり、入口の方を見ようと窓に駆け寄った時だった。

「………何で」

 絞り出すような声が背中に掛かった。

「………何で、何も言わないの?」

 苦しげに発せられる声に、振り返る。

 そろそろ西日になろうとする陽の光に照らされた部屋の中で、それに負けじと映える紅い髪が、さらりと揺れた。

「…………何か、言いたい事、あるんじゃない? ………私に、さ」

「…………何か?」

 思わず、繰り返す。言葉の意味を求めての事ではない。本当に、思わず、繰り返してしまった。

 それが分かってるのか、カレンはそれ以上言わない。

 僅かに振り返った紅い髪からはみ出た、綺麗で柔らかそうな唇は、何かを覚悟するかのようにキュッ、と閉じて開かれない。

 先程と同じ。シャーリーが何かしら言うのを、ただ待っている。

 だから、シャーリーも覚悟を決める。……というのは、少し大袈裟過ぎるが、緊張して心臓が煩いなら、勇気は必要だ。

 すぅ、と息を吸って、吐き出す。

 余計な事は言わない。

 答えだけを簡潔に。

 出来るだけ、ハッキリと。出来るだけ、―――笑顔で。

 

 

「――――――ないよ?」

 

 

 告げる。

 

 

 簡潔に返された一言にカレンの喉が震え、合わせて身体もほんの少しだけ震えた。

「私が、カレンに、言いたい事、なんて、特にないよ?」

 もう一度、繰り返す。

 意識して、声が震えないようにした為、短い言葉はぶつ切れで、辿々しい。

 それでも、きちんと届いたのだろう。固く結ばれていたカレンの唇から力が抜け、その隙間から細い声が紡がれた。

「―――――嘘」

 それは信じられないという意味か。それとも、分かりやすい嘘を言うなという意味か。

 紡がれた言葉はか細く、そこなら感情を読み取る事は出来なかった。

 でも、それが何にしても、シャーリーの返す答えは変わらない。

「嘘じゃ、ないよ?」

「―――――――ッ」

 困ったように笑うシャーリーから見えない位置で、カレンの手が、ぎゅう、と握り締められた。

「だって――――」

「そんな訳ないじゃないッ!!」

 バンッ、と机を叩く音と共に、鋭く、まるで、責めるような声が響いた。

 勢い良く立ち上がった事で、座っていた椅子が煩く音を立てて、二人の間で倒れる。

「私は黒の騎士団でッ、紅蓮に乗っててッ、あの時、ナリタにいて……ッ、だからッ、だから……ッ、アンタの…………ッ」

 抑え切れなくなった感情のままに吐き出された言葉が、そこで途切れる。

 いっそ睨んでいるのでは、と思うくらいに厳しい色を見せていた瞳は、徐々に滲む苦悶の表情に曇ると、苦しげに背けられた。

 これは正しい感情ではない。

 心の中で、暴発してしまった自分をカレンは激しく責め立てる。

 シャーリーに落ち度は全くない。むしろ、責められるのは自分であって、間違っても彼女ではない。

 だというのに、彼女が返す答えが意外過ぎて、八つ当たりのように激昂してしまった。責められなくてはならない、そんな身勝手な感情から来る衝動をカレンは抑えきれなかった。

 顔を背け、拳を震わせ、歯を食い縛って、生まれた激情が鎮火するのを待つ。

 ――――いや、違う。

 ただ、堪えているだけだ。何故なら、カレンは納得していない。己の言動は間違っていると思っても、彼女の答えに納得はしていない。

 父親を殺されかけたのだ。その引き金を引いた人物が目の前にいるのだ。

 なのに、何故、何も言うことはないなんて言える――――?

「…………だって」

 納得出来ないまま、収まらぬ衝動に身を震わせるカレンに声が掛かる。

 事ここに至っても、その声に怒りが滲む事はなく。彼女の声は、残酷なくらい穏やかだった。

「だって、…………駄目でしょ?」

 何が駄目なのか。

 意味が分からず、それを問うように逸らした視線を、もう一度、彼女の方に向ければ、逆光の陰の中で本当に、――本当に心の底から困ったような表情で笑うシャーリーの顔が目に入った。

「私ね、カレン。……許したの」

 ぽつり、ぽつり。

 ゆっくり、静かに。少しずつ語られる自分が傷付けてしまった少女の独白に、カレンは黙って耳を傾ける。

「正体が分かって、お父さんをあんな目に遭わせた人だって分かって、……ね? それでも、私、許しちゃったの」

 誰の事を言っているのか。そんな不粋な事は問わない。この少女がそこまでの感情を向ける相手が一人しかいない事くらい、付き合いの短いカレンにだって分かった。

「なら、カレンの事だって許さなくちゃ、でしょ? あの人は好きな人だから許して、この人は違うから許さないなんて、…………そんなの」

 自分の感情一つで、父親を殺されかけた罪を許したり許さなかったり。そんな浅ましい真似はしたくないし、そんなのは誰に対しても不誠実だとシャーリーは思う。

「だから、許すよ。カレンの事も。……許したいと思う」

 果たして、その台詞を吐くのに、どれ程の勇気が必要だったのか。

 己の感情の善し悪しのみで、他者を傷付けた罪をどうこうするなど、確かに不誠実だろう。人によっては、傲慢と取るかもしれない。

 だが、だからといって、父親を殺されかけた罪を許すと言える女の子がどれだけいよう。

「だから、ね。カレン」

 すっ、と手が伸ばされる。それが、握手を求めるものだと分かるのに、そんなに時間はかからなかった。

「協力して? カレン。私がカレンを許せるように」

「シャーリー……」

 つまり、仲直り。と言って良いかは分からないが、とにかく、今まで通りの関係でいようとシャーリーは言っているのだ。

 今まで通り、生徒会の仲間として一緒に頑張ったり、会長の無理難題に頭を抱えたり、時に勘違いから口論したりする、そんな友達のような関係でいようと。

 そんな想いを込めて、手を差し出してくるシャーリーに、しかし、カレンは答える事が出来ないでいる。

「……良いの? 本当に。私は黒の騎士団、……貴女達にとってはテロリストよ。知人の父親を殺しかけた事なんて、本当は何とも思っていない、最低な人間かもしれないわよ?」

 脅すように、自らを貶めるようにそう言うカレンにシャーリーは答えない。代わりに、少しも崩れない笑みが何よりも答えを物語っていた。

「全く、……生徒会(アンタ達)は、本当に………」

 カレンの表情から力が抜ける。強張りが解れ、笑みが浮かんだ。疲れたような、呆れたような、そんな笑みが。

「今までのようにいられるかは分からないけど……」

 そう前置きして、彼女も手を差し出す。

「でも、努めるわ。アンタが許せるように、そう思ってくれるように。それだけは約束する」

 その言葉と共にカレンはシャーリーの手を取った。ギュ、と握り締め、上下に一度、軽く揺する。

「うん。改めて、よろしくね。カレン」

「こちらこそ。……よろしく、シャーリー」

 そう言って、笑みを交わしあう。普通に友達に向けて浮かべる、普通の笑みを。

 心の内は分からない。蟠りはあるかもだし、複雑な感情もあるだろう。

 だが、少なくとも、今、この時、浮かべられた笑顔にはそんな心の陰りは少しも見当たらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、そっか。二人とも黒の騎士団だったからだったんだ」

「? 何が?」

 安堵したようにそんな事を言うシャーリーに、カレンが疑問を浮かべながら、聞き返す。

「いや、ほら? 私、誤解してたでしょ? 二人が付き合ってるんじゃないかって」

 かつて、シャーリーは二人だけで話をしたり、キスをしているのではと思う程に密着する姿を遠目に見たこともあって、ルルーシュとカレンの仲を誤解した事があった。

 結果、その事はカレンが直接否定したのと、カレンよりも強力なライバルが現れた事で、気にする事もなくなっていたが、それでも納得していた訳ではなかった。

「付き合ってないならどうしてって、ずっと不思議に思ってたけど、そっか。二人でこそこそしていたのは黒の騎士団関係の話をしてたんだ」

 うんうん、と何やらスッキリした顔で頷くシャーリー。

 だが、それも束の間。怪訝な顔で口を挟んだカレンの一言に、直ぐ様凍りつく事になる。

「いや、黒の騎士団は関係ないわよ?」

「…………え?」

「さっきも言ったじゃない。私もアイツがゼロだって知ったのは、最近の事よ」

「……………あ」

 先程交わした会話を思い出し、シャーリーは間の抜けた声を上げた。

「え、え? ……じゃあ、アレって」

「知らない。でも、アイツとは何でもないってのは本当だから。また、変な誤解しないでよね」

 わたわたと慌て出したシャーリーに、溜め息混じりにカレンが答える。

「全く……、あんな男のどこが良いんだか」

「カレン?」

 呆れたように呟かれた一言。

 だが、言うほどに呆れが混じっているように感じられない一言に、シャーリーの勘が嫌な予感を告げてくる。

 こう、厄介な敵の出現みたいなものを。

「カレ―――」

「さっ、私も片付いたし、帰るとしましょ」

 報告もしなくちゃならないし、と言って机の上を整理して、片付けを始めるカレンを、シャーリーは見つめる。

 その仕草に、別段、変なところはない。いつも通りで、今まで通り。

 だが、シャーリーには分かった。分かってしまった。

 凡人は誤魔化せても、鍛え抜かれた恋する乙女のセンサーを誤魔化す事は出来なかった。

 

 前言撤回。もとい、修正。

 

 今まで通りになりたいと思った。元の関係でいたいと思った。

 でも、恋のライバルとしての関係に戻るのだけは勘弁して欲しい。

 そんなしょうもない事を切に願い、でも、きっと叶わぬ願いとして終わるんだろうなぁ、と肩を落として嘆きながら、彼女もまた帰途につく為に手を動かし始めた。




 複雑な男心リヴァル。恋する大天使シャーリー。アップを始める悪逆会長。
 ……はい、東京は今日も平和です。

 そして、また出てこなかったルルーシュ。ごめんなさい、本当はルルーシュが出てくるところまで書こうと思ってたんですが、後半ちょっと熱が入ってしまって。
 そんな訳で次こそ!次こそは必ず出しますので、どうかご勘弁を。


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PLAY:21

 ザァァ……、と水の流れる音がする。

 

 控えめな電球色の光に照らされた、白い洗面台の中で蛇口から流れる水が緩く渦を巻いて、排水口に吸い込まれていく。

 その様をぼんやりと見つめる。流れる水と、その音に、擦り切れそうだった精神が少しずつ落ち着きを取り戻していくのが分かった。

 は…ぁ、と掠れる喉で深い呼吸を一つ。ゆっくりと吐き出すのに合わせて、瞳を閉じる。

 数秒。まだ少しばかり早い鼓動にして三つか四つ。

 瞳を開けて、鏡に映る自分の瞳にきちんと光が宿っているのを確認すると、彼女は蛇口を締めた。

 

 

 

 叩き付けられた手が、執務室の幅広い机に高い音を立てる。

 非力な腕、少女の小さな手で叩かれた机は、しかし、材質が良かったのか、大きな音を立てて部屋に響き、結果、それは応接用のソファで午睡に沈んでいた魔女の眉間に皺を作る事となった。

「んぅ…………?」

 何やら口の中で唸りながら、愛用のマスコット人形を押し潰す形で彼女は身体を反転させる。

 その動きは緩慢で、思考も半分、夢の中である。

 昼寝にしては眠りが深いように思えるが仕方ない。

 放っておけば、文字通り、死ぬまで働きかねない共犯者の魔王を程々でベッドに引き摺り込むために、共に夜を更かす事が多い彼女は、こうして昼寝でもして睡眠時間を確保しないと身体が持たなくなる。

 ともあれ、小柄な身体には少々大きめのソファの上で、ごろんと転がった魔女は、寝惚け眼で、さっきの音は何だったのか、と音のした方に視線を投じた。

 そこにいたのは、一人の少女。机に手を付いたまま、挟んで向かいにいる男を睨んでいる姿を見るに、この少女が先程の大音の原因だろう。

 名前は分からない。――おそらく、知らない。

 だが、この少女が『前回』の最後、ルルーシュの側に立っていた少女だということだけは分かった。

 どういう状況かは分からない。でも、とりあえず、危険はなさそうだと回転の遅い頭で判断した魔女は、もう一度、身体を反転させると黄色い人形を抱き締めて、再び眠りに就いた。

 

 

 視線を、真っ正面から相手に突き立てる。

 おさげにしていた髪をまとめ上げ、ブリタニアの官服の上から好んで白衣を纏ったニーナは、この執務室に鼻息荒く乗り込んできてからずっと、その視線から力を抜こうとしなかった。

 厚いレンズの奥に見える瞳は確かな意志を宿し、身体共々臆する事なく真っ向から相手を見据えている。

 その僅かにも視線を逸らさない姿からは、およそ今までの彼女を連想する事は出来ず、彼女を知る者なら、その豹変ぶりに当惑を露にしていた事だろう。

 何せ、自分の願望を言うのにすら、誰かの口添えを必要とする程に気の弱かった彼女である。

 そんな彼女が、見知った顔とはいえ、異性を相手にここまで強気な態度に出れるだけの胆力があったなど、そこそこ付き合いの長い生徒会のメンバーですら知りはしなかった。

 かくいうニーナも、自身にこんな一面があるなど思ってもいなかった。おそらく、少し時間が経ち、冷静さが戻れば、己の大胆さに顔を覆って崩れ落ちる事間違いなしだろう。

 そんな根っこのところは、何も変わってはいないニーナが別の時間軸の事とはいえ、世界すら蹂躙した皇帝に物を申せるとすれば、その理由は唯一つ。

 心から敬愛する姫君に関する事だけだ。

「何とかして」

「そうは言うがな」

 じっとりとした響きを以て発せられるニーナの発言に、ルルーシュは手元の書類に淡々とサインを入れながら答える。

「ユフィの頑固さは筋金入りだ。俺が何か言ったところで素直に言うことを聞いたりはしないだろう」

「そんな事ない。だって、ルルーシュはユーフェミア様のお兄さんなんでしょ? なら、ユーフェミア様だって――」

「血縁にたしなめられた程度で、行動を改めるなら、コーネリアも苦労はしていないさ」

 ナンバーズの皇族騎士への起用、行政特区。そもそも、他人の言うことに素直に頷く性格なら、過保護なコーネリアの忠告を聞いて、危険なエリア11に来る事もなかっただろう。

 これまでにユーフェミアが引き起こした、前代未聞にして型破りな出来事の数々を思い出し、ニーナは一瞬、うっ…、と怯むも、それでも負けじと言い募る。

「で、でも、このままじゃ……ッ、ルルーシュは心配じゃないの?」

 あまり芳しくないルルーシュの反応に焦りが滲む。

「食事はまともに摂られないし、最近は殆ど眠ってすら……、でも、私が何か言っても大丈夫の一点張りで……」

 震えそうになる声を唇を噛んで押し殺し、ニーナは力なく俯く。どうにも出来ない不甲斐なさに身体を震わせ、必死に涙しそうになる感情を押し留めているその姿からは、彼女が演技ではなく本気で、今や主君とも言える少女の身を案じているのだと窺い知る事が出来た。

 もっとも、そんな事は『前回』の時点で既に分かっていた事だし、そんな彼女だからこそ、ルルーシュは現状敵地にて寄る辺のない妹の数少ない味方となってくれるだろうと、本人の希望と合わせ、()()()()()()()()ニーナにユーフェミアの側仕え兼補佐役を任せる事にした訳なのだが。

「心配は、勿論、している」

 そこで、今の今までそびえ立つ紙の山々を絶え間なく切り崩していたルルーシュの手が止まる。

 顔を上げ、視線をニーナに向けたルルーシュの表情は淡白な返答の割に案じるように優しい。

「なら―――」

「だが―――」

 更に言い募ろうとするニーナの言葉に重ねるようにルルーシュが口を開きかけた。その時だった。

「ルルーシュッ!」

 大声で自分を呼ぶ声に被さるように、執務室の扉を勢い良く開け放つ音が響き、明るい色が室内に飛び込んできた。

 話を中断し、ニーナと揃ってそちらに視線を向ければ、作法など知りませんとばかりに片手で乱暴に扉を開き、躍動を表すように、ふわりと柔らかい桃色の髪を靡かせた少女、――ユーフェミアがもう片方の手で中々厚みのある何かを大事そうに胸に抱えながら、パタパタとルルーシュの下へ駆け寄ろうとする姿が目に入った。

「ルルーシュッ!」

 再度、名前が呼ばれる。数こそ多くはなかったが、それでも人前で喋る立場に在ったユーフェミアの張りのある声は、そこそこに広い執務室でも良く通り、ソファで睡眠を貪る魔女が煩いと言いたげにもぞもぞと動いた。

 不機嫌そうに目元を擦り、寝返りを打って、耳栓でもするかのように黄色いマスコット人形に思いっきり顔を突っ込む。政庁に用意した自分達の部屋に引っ込めば静かに眠れるだろうに、それでも執務室で寝ようとする共犯者の姿を、視界と思考の隅に収めながらルルーシュは目の前にやって来たお転婆な妹を苦笑半分、親愛半分な笑みで迎えた。

「ユフィ、元気なのは結構だが、慎みは忘れないように」

 軽くたしなめる。

 別に皇女らしく振る舞えとまでは言わないが、スカートの裾を気にするくらいはして欲しい。

 姉のように軍服ならともかく、女の子らしい格好をしているユーフェミアが激しく動き回れば、色々と目に毒な光景も生まれよう。この政庁にはルルーシュ以外にも黒の騎士団の団員やなんやらも多い。もし、彼等の目にそんなユーフェミアの姿が晒されようものなら、ルルーシュも兄として然るべき対応をしなくてはならなくなる。こう、悪逆なんちゃら的に。

「もう……ッ、そんな事より見てくださいッ!」

 出鼻を苦言で挫かれたユーフェミアは、ぷくりと一瞬頬を膨らませたが、直ぐに気を取り直し上機嫌な様子で胸に抱えていたものをルルーシュに向かって突き出した。

「今度こそ、です! ルルーシュ! 確認してみて下さいッ!」

 突き出されたそれは文書の束。分類するならば、企画書、提案書に該当するものが中々の厚みを持ちながらクリップで留められ、ユーフェミアの手の中でパサリと揺れる。

 手応えがあるのか、更にずい、と見せびらかすように突き出し、胸を反らして、ふんす、と自信ありげに鼻を鳴らす。

 ここ数日、寝食を忘れて作成したこれは、正に会心の出来と言って良い内容になっているとユーフェミアは自負する。

 何度も駄目だしを食らい、棄却された案を検討し、より良いものに、ちゃんと人々の為になるようにと、心配するニーナが止めるのも構わず、一心不乱に書き上げた。

 きっと大丈夫。今後こそ、ルルーシュは首を縦に振ってくれる。

 期待を胸に、ユーフェミアは目を通そうと手の中の自信作を受け取る兄の姿を固唾を飲んで見守った。

 

 何やら必死な様子のユーフェミアだが、では、何を必死にやっていたのか。

 一言で言えば、金策である。

 俗っぽい話になるが、今の日本には金がない。

 日本は、確かにトウキョウの一大決戦に勝利し、ブリタニアから首都をもぎ取り、国の名前を取り戻した。

 だが、それで万事解決。めでたしめでたし、となる訳ではない。

 八年。文字にすれば、二文字で終わる長い年月は日本から国家として一人で立つ力を奪っていった。

 政府は力を失い、かつての街並みは破壊し尽くされ、追い立てられ、職を失くし、誰もが酷い生活を強いられるようになった。

 失ったそれらを取り戻すのは、並大抵の事では済まない。

 各地の復興支援に再建事業。廃墟のようなゲットーでその日暮らしをしている日本人がかつての生活に戻る為の支援活動、生活の保障。政府機関各組織の立て直し、地下鉄網の復活。

 これから行わなくてはならない事は多くあり、そして、そのどれもが膨大な資金を必要とする。――が、長く国として機能していなかった日本に税収なんてものはなく、まずは先立つものをかき集める事からしなくてはならなかった。

 その金策の一つとして、ブリタニアから援助を引き出し、日本の復興の一助とするのが今のユーフェミアの役目だった。

 しかし、ブリタニアは紛うことなき敵国。いくら、支援が必要だからといって、彼の国から敵に塩を送るような真似をして貰う事は普通なら不可能に思えるが、実際はそうでもない。

 勿論、国家としては無理だろう。だが、個々人、個々の企業となれば、話は変わってくる。

 例えば、日本、――エリア11を拠点とする企業。

 彼等はこのままいけば、悪徳、真っ当を問わず軒並み撤退しなくてはならなくなるだろう。

 ブリタニア企業の中には、貴族と癒着して力のある大企業がひしめく本国を避け、エリアで大成した企業も多い。

 だが、これから先、日本が独立に成功した場合。日本でブリタニア人の生活が保障されず、今のエリア11内でのイレブンのように扱われるような事にでもなったら。

 今までを振り返れば、日本がブリタニアに便宜など図る筈もない。

 トウキョウ租界が東京に戻ってからこっち、ブリタニア中で激化する反ブリタニア活動に苦労はあっても、まだ何とかやってこれたが、生活水準がそこまで落ち込む事になれば、完全に立ち行かなくなる。

 ゼロがいる以上、必要以上に不当に扱われる可能性は低いが、仮にそこまで酷くならなくなったとしても、これから再び日本企業が台頭してくれば、同じこと。

 彼等は日本から弾き出され、エリア11で成功したブリタニア企業の多くが得た功績の全てを失う羽目になる。

 つまり、日本は復興の為の支援を。ブリタニアは今後の日本での生活の保障と立場の確立を。

 共に利害は一致していた。

 しかし、だからといって、両者が直接顔を合わせれば、上手くいくものもいかなくなる。

 何せ、昨日の敵どころか今日も敵なのだ。恨み辛みが先立ち、交渉が難航するのは目に見えていた。

 そこでユーフェミアの出番となる。

 ブリタニアにとっては自国の皇族であり、日本にとっても唯一歩み寄りの姿勢を見せてくれた敵国の姫。仲介人として、両者の間に立つには、正にうってつけの人物だった。

 ユーフェミアにとっても、この仲立ちを成功させる事は大きな意味を持つ。

 日本人の助けとなり、ブリタニア人がこれからも日本で暮らしていく事が出来れば、日本人とブリタニア人として、共存の中から平等な関係を築いていける可能性も生まれるからだ。

 それは、理想に適う。

 だから、ユーフェミアは必死だった。自らの理想の為に懸命だった。

 仲介を成立し、両者を繋げる為に、双方の要求を聞き、意見を調整し、折り合いを付けていく。

 ともすれば、利益に走りがちな企業人を抑え、怒りから感情的になりやすい日本政府を宥めるのは中々に骨が折れる。そんな両者だからこそ、ユーフェミアが譲歩案を出せなければならないのだが、これが難しい。

 何故なら、きちんと両者の釣り合いが取れていないと今後に支障を来たすからだ。たとえ、僅かでもどちらかに天秤が傾けば、それは後に不平不満を生み、新たな諍いの元となる。

 そして、ユーフェミアの兄はその僅かを決して見逃さない。

 最終的な譲歩案については、兄にアドバイスを貰い、幾度か原案を提出してみたが、ルルーシュのチェックは厳しく、今日まで彼の首が縦に動く事はなかった。

 それでも今日。納得の出来るものが仕上がった。

 今度こそ、と意気込むユーフェミア。

 だが…………。

 

「駄目だな。これでは」

 

 その一言に、ユーフェミアの顔から表情が消えた。

 受け取って、僅か数十秒での返答である。ペラペラと書類を捲り、その類い稀なる才能で速読し、きちんと内容を吟味してからの返答ではあったが、端から見れば受け取って即却下という光景である。

 何日も夜を徹して作成しての、結果のこれには流石のユーフェミアもショックを隠せない。

 衝撃に何も考えられないのか、はたまた気力を支えていた期待がへし折られたからか、表情のないまま固まるユーフェミアの代わりに、隣にいたニーナが眉を吊り上げるが、彼女が怒りの声を上げるよりも早く、ルルーシュが言葉を続ける。

「方向性は間違えてない。内容もよく考えて練られている。日本とブリタニアの関係が良好だったなら、これで十分に及第点だっただろう」

 パラパラともう一度、ユーフェミアの原案を流し見る。両国の実状をきちんと把握し、現実をしっかりと見据えて作成された案は、最初の頃に比べれば、格段の進歩である。

 そう、悪くはない。悪くはないのだ。

「唯、……そうだな。ユフィ、君は少し()()()()()んだ」

 ルルーシュは、柔らかい物言いをしたが、率直にユーフェミアは日本人に甘過ぎる。

 ユーフェミア自身、意識しての事ではないだろう。

 願いか、愛か。――あるいは、負い目か。

 ユーフェミアの作成した譲歩案には、所々に日本人に負担を掛けまいとする気遣いが垣間見えるのだ。

 数字の上では問題ない。実利だけ見れば、両者の釣り合いは取れている。

 あくまで気持ち。精々が甲斐甲斐しいとかその程度。

 だが、今回のユーフェミアは中立に徹しなければならない立場である。であるなら、私情を交えるのはあまり良い事とは言えない。それに、紙の上ではその程度でも、実際に現実として動きを見せた時、どう作用するか分からないなんて事も、往々にして良くある事だ。特に、両者がいがみ合っているのなら、過ぎた気遣いは、傷になりやすい。

「で、でも、その程度なら……」

 堪らずニーナが口を挟む。確かに、言っている事は正しいが、特区での事を思えば、ユーフェミアに完全に感情を排せと言うのは難しい事だろう。私心と言っても野卑なものではない。その程度なら、民衆も理解してくれる筈だ。

 そう、口にするニーナだが、ルルーシュは何も言わない。ただ、静かにユーフェミアを見つめている。

 ルルーシュとて、今回のこの一件だけで終わるのなら、こんなにもとやかく言いはしなかった。

 しかし、そうではない。ユーフェミアの戦いはこれからも続くのだ。

 ならば、何時までも私情を引き摺らせる訳にはいかない。今回は良くても、このまま吹っ切る事が出来なければ、いつか判断を誤り悲劇を繰り返す。

 それをルルーシュは分かっていた。そして、ユーフェミアも………。

「分かりました。もう一度、やってみます」

「ユーフェミア様!?」

 一言も文句を言わず、ルルーシュから折角の力作を受け取るユーフェミアに、ニーナが悲鳴のような声を上げる。

 しんどい思いをして、漸くゴールかというところで振り出しになったのに、ユーフェミアの顔には不満などない。一度、へし折られた気力もあっさり元通り。さっき、部屋に入ってきた時のように強敵に挑まんとする闘争心の如き気力を漲らせる妹にルルーシュはふっ、と細く息を吐き出すとちょっとばかりの助言を添えた。

「さっきも言ったが、方向性は間違えていない。だから、後は――」

 一端、切る。どう言えば、ユーフェミアが受け入れやすいか。続く言葉を数瞬考え、最適なものを選ぶ。

「―――信じろ」

 もっと現実な助言がされると思ったのか。こんな場面でそんな言葉が兄から出て来るとは思わなかったユーフェミアは、ぱちくりと何度か瞬きをした後、口の中で転がすように、小さく繰り返した。

「信じろ………」

「そうだ。心配しなくても、日本人はそんなに弱くはない。……それは、君が一番側で見ていたのだから、良く知っているだろう?」

 畳み掛けるように続く予想外の言葉。でも、そう言われてしまえば納得で、何やら妙に胸に落ちた。

「………うん。……うんッ。うん!」

 少しは心構えの参考になったのか。頷く度に喜色が滲んでいくユーフェミアの表情が最後に笑顔となって、弾けた。

「ルルーシュッ! 私、頑張りますねッ!」

 握り拳を作り、元気一杯に宣言する。寝不足のせいか、妙に高揚しているユーフェミアは、えいおー、と気の抜けた声で拳を突き上げると、早速、作業に取り掛かろうと言うのか、脇目も振らずに執務室から去っていってしまった。

 来てから去っていくまで、僅か数分。小さい頃から、ナナリーと共にじっとしているのが苦手だったな、と当時を思い出して、小さく微笑んでいると、ひんやりとした冷気と共に鋭い視線がルルーシュの頬に突き刺さった。

 誰かは見なくても分かる。言いたい事も、言われなくても分かっている。

 働き過ぎなユーフェミアを何とかして欲しいと言ってきた本人の前で、止めるどころか、一層煽ったのだ。本人がやる気に満ち満ちているのは結構な事だが、このままでは身体の方が持たない。今も、表情こそ生き生きとしていたが、目の下には確かな陰影があり、良く見れば、光沢が美しかった桃の髪からも艶がなくなっていたし、心なし細身の身体が更に細くなったようにも感じられた。

 大分、無理をしているのだろう。無理、無茶に関してはルルーシュも他人の事をとやかくは言えないが、それでも妹を思えば、ニーナの言う通り、大事を取るように言うべきではあった。

 でも、ルルーシュは止めなかった。

「君の心配は分かる。だが、今はユフィのやりたいようにやらせてやってくれ」

 身の回りの世話と精々が資料をまとめる事しか出来ず、ユーフェミアの無茶を見ているだけでその負担を分かち合えない。

 歯痒い思いをしているニーナには申し訳ないが、今は逆なのだ。

「もし、本当に駄目だと思ったら、その時こそ俺に言ってくれ。何があってもユフィの身を第一にすると約束する。だから、それまでは側でユフィを助けてやって欲しい」

「……どうして?」

 泣きそうな、いや、殆ど泣き声でニーナが問う。

 どうして、今では駄目なのか。

 どうして、これ以上を許すのか。

 もう、十分過ぎる程やっている。もう、十分過ぎる程頑張っている。見ていられない程、無理をしている。己を磨り減らす程、無茶をしている。

 なのに、どうして――――?

 

「…………立ち止まっているより」

 

 啜り泣く少女の声に、静かな声が答えと混じる。

 

「走っている方が楽な時もある」

 

 

 空は晴れやかだった。

 風も穏やかである。

 風に乗って、トンカンと鉄が鳴る音が聞こえて、それよりも大きな活気ある声と大声で笑う人々の声が耳に楽しい。

 自分が歩く横を、はしゃいで遊ぶ二つの肌の子供達が駆けていった。

 誰かが自分に気付いて手を振ってくるのに、皇女らしさも忘れて、子供のように大きく手を振り返した。

 楽しい。嬉しい。――そして、優しい。

 どこもかしこも幸せだった。誰も彼もが笑顔だった。

 燦々と照らす陽の光を両手を広げて全身で浴びて、夢見た世界を駆けていく。

 ――と。名前を呼ばれた。

 優しい声。大好きな声。愛しい、声。

 思わず、顔が緩む。

 幸せな世界。共に見た理想の場所で、果たして彼はどんな顔でいるのだろうか。

 胸が高鳴る。喜んでくれていると良い。そう思う。

 そして、振り返る。

 期待と、ちょっぴりの不安をスパイスに、一杯の笑顔で振り返った。

 

 

 

 ぴちゃり、と真っ赤な血が嫌な音を立てて、顔に飛び散った。

 

 

 

 銃声が煩く耳に響く。視界は靄がかかったように白く、血と硝煙の臭いが鼻の奥まで刺激を与える。

 悲鳴が聞こえた。罵声が聞こえた。怨嗟が木霊した。

 笑顔なんて何処にもない。幸せなんて何処にもない。あるのは地獄、一色のみ。

 視界に何かの影が走った。

 気付き、見上げようとするが、それよりも早く影の正体が、どさりと自分の前に落ちてきた。

 小さい身体。血に塗れ、肌の色は何色か分からない。

 手が伸ばされる。弱々しい力の抜けた小さな手が、小刻みに痙攣しながら、自らに向けて伸ばされた。

 助けを求めているのか。それとも、別に――――?

 分からないが、伸ばされた手を無視する事は出来ない。せめて、その手を取ろうと手を伸ばしかけた時だった。

 鋭い銃声が轟き、地面に刻まれた弾痕が線を引くように自分と投げ捨てられていた誰かとを永遠に分かった。

 硝煙と砂埃が視界を完全に遮る。

 目の前で起こった光景の意味を理解出来ず、ぼんやりと立ち尽くす自分の身体に、ぱすんと何かが当たって地に落ちた。先程伸ばされた、自分が取ろうとしていた手、――だけだった。

 土煙の中から、大きな機械の人形が飛び出してきた。

 その手には数秒撃てば、人間など原形が分からない肉の塊に変えられる大型の銃を持ち、その銃口が、まるで自分に見せつけるかのように逃げ惑う人々の方に向けられる。

 ――思わず、叫んだ。

 やめて、と。逃げて、と。

 でも、口から飛び出した言葉が音になる事はなかった。

 だから、誰の耳にも届かない。誰も自分に気付かない。

 出来る事は、唯、人間が肉の山になるのを見ている事だけだ。

 

 限界だった。

 声が出ないのに叫びながら、全てを振り切るように走り出す。

 地面に伏した虚ろな目と目が合った。

 もう動かない母親の腕の中で泣きじゃくる赤子の姿が目に入った。

 暗い感情に濁った瞳で自分を睨み付ける男の姿が目に映った。

 走り抜ける自分を無表情に見つめる、沢山の日本人の顔が目に焼き付いた。

 その中で。

 自分に背を向けて歩く、大切な人の姿があった。

 堪らず、名前を呼ぶ。でも、聞こえないだろうから、駆け寄ろうと必死になって足に力を込める。

 彼は振り返らない。

 自分ではない、何処か別の所に行こうとしている彼の背中目指して、走って。走って。走って――――、届いた。

 彼が振り返る。背中に触れた自分の手に気付いて、振り返ってくれた。

 安堵に息が零れる。不安と恐怖しかなかった心の中に、じんわりと安心感が広がっていく。

 振り返った彼が笑う。――笑ってくれた。

 何時もの笑顔で、こちらを安心させるような笑みで。

 自分に笑い掛けながら、彼が何かを言おうと口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

「お前のせいだ」

 

 

 

 

 

 

 

 跳ね起きた。

 突っ伏していた机から飛び起き、その衝撃で広げていた資料が、バラとなって床に広がる。

 しかし、ユーフェミアには、今、それを気にしている余裕はなかった。

「――――ッ、――――――ッ」

 息が、出来ない。

 過剰な精神への負荷に呼吸機能が麻痺してしまっていた。

 掻き毟るように両手を喉にやって、無理矢理喉を動かす。

「………………ぜ、ッ、ひゅぅ――――ッ」

 掠れた声と共に僅かに空気が喉を通った。それを皮切りに、呼吸が機能を取り戻し始める。

 だが、それで終わりではなかった。

「――――――ぅ」

 今度は嘔吐感が喉を支配する。胃がひっくり返ったように締め付けられ、中にあるものを全て押し出そうとするかのような感覚がユーフェミアを襲った。

 とても、耐えられるものではない。

 口を手で覆いながら、ユーフェミアは急いで洗面所に駆け込んだ。

 

 思いっきり捻った蛇口から、水が勢い良く流れて落ちていく。

 その様子を眺めながら、小さく呼吸をしながら息を整える。

 時折、また嘔吐感が込み上げるも、殆ど空っぽだった胃からは胃液だけしか出て来ず、その胃液も枯れ果てると、もうえずく事しか出来ない。

 ……どれだけ、時間が経ったか。

 身体が落ち着きを取り戻し、呼吸が楽になる。

 漸く過ぎ去った悪夢の爪痕に、ユーフェミアは深く息を吐き出した。

 

 眠るのが惜しいと思った事はあった。

 幼い頃、大切な兄妹の所に遊びに行った時、夜が更けるまで遊んでお喋りして、もう寝ようと言う兄に腹違いの妹と一緒になって、よく愚図ったものだった。

 でも、眠るのが恐いと思うようになったのは、このエリア11に来てからだった。

 ……いや、誤魔化すのは止めよう。

 あの日。特区を始めようとして、終わった日。

 あれからずっと、眠るのが恐かった。

 夢の中の自分はあの日のあの場所のままで。どれだけ現実で時間が流れようと、夢の中ではそこから動けないでいる。

 そして、見せつけられるのだ。

 自らの所業を。その愚かさを。

 見せつけられる度に、責められて、その度に弱気が心の底から顔を出す。

「――――――」

 顔を上げる。鏡に映った自分は生気に欠けて、今にも死にそうな程に弱々しい。

 それを払拭しようと、無理矢理笑顔を作ろうとする。

 でも、気力の足りない今のユーフェミアには口の端を僅かに持ち上げた歪な笑みしか作れない。

 その笑みは、まるで嘲笑だった。

 鏡の中のユーフェミアが、ユーフェミアを嘲笑う。

 

 また、繰り返すつもりなのか、と。

 

 また、同じ過ちを繰り返すのか。また、思い上がって誰かを傷付けるのか。また、理想を口にして、多くの命を無為に散らすのか。

 また。

 また。

 また――――。

 鏡の中の自分が囁き掛ける。もう、やめろと。

 自分には何も出来ない。夢を見るだけ無駄。余計な事はせず、唯黙ってお飾りになっていろと囁き、ユーフェミアの心を挫こうとしてくる。

 思わず、頷きそうになる。

 でも――――……

「――――――ッ」

 おもむろに。

 ユーフェミアは自分の顔に思いっきり水を掛けた。

 弱気な自分を叱咤するように、両手で流れっぱなしで冷えた水を掬い、叩き付けるように。

「……信じる事をやめない」

 何度も。

「……想う事をやめない」

 何度も。

「……諦めて」

 もう一度、顔を上げる。

 そこに映った顔は濡れ鼠の様だった。勢い良く、大量に水を掬っていた為、袖や襟元は水びたし。水を吸った前髪が顔に掛かり、滴がポタポタと滴り落ちていた。

 でも、表情には力が戻っていた。

「たまるもんですか…………ッ!」

 睨み付けるように鏡の自分に吐き捨て、ピシャ、と両手で顔を叩く。

 愚かではあるのだろう。不様でもあるだろう。

 弱気な自分が言うように、夢の中の彼等が言うように。

 色々と足りない自分は、きっと何度も躓いて失敗して後悔もするだろう。

 でも、それでも決めたのだ。

 だから、弱い己に負ける訳にはいかない。罪の意識を言い訳に投げ出す事は出来なかった。

 そう自分に言い聞かせ、手で顔の水気を拭い、瞳を開ける。

 

 そこに、弱気な自分はもういなかった。

 

 

 

 軽い音を立てて、扉が閉まる。

 扉に押し付けていた身体は扉が閉まった事で傾くのを止めると、今度は下の方へと下がっていく。

 ずるずると扉に身体を預けながら、膝から崩れ落ちるようにして床にへたりこんだニーナは膝を抱えて、先程の光景を思い出していた。

 

 限界までやりたいようにやらせてやってくれ。

 納得はいかずとも、一応、その言葉に従ったニーナだったが、やはり、心配なものは心配だった。

 時刻は既に日付が変わってから長針が二回りしている。

 ここ最近は、そんな時間でも割り当てられたユーフェミアの部屋から明かりが消える事はない。いや、本当に夜の内に明かりが消えているのかも怪しい。

 ちょっと様子見がてら、必要なら夜食か何かを用意しよう。そう思い、こっそりとユーフェミアの部屋を覗きに来たニーナが見たのが、自らの罪にのたうち回る敬愛する人の姿だった。

「………何で」

 ぽつり、と呟かれた。

 何で。どうして。

 それは、最近の彼女の口癖になりつつある言葉である。

 何で、あそこまでやるのか。どうして、あそこまでやろうと思うのか。

 つい最近。今の今まで、普通の学生だったニーナはあれほどにボロボロになるまで、何かを成そうとした経験はない。

 なので、分からない。元より、人との関わり合いを不得手とするニーナには、信念と覚悟を以て、理想に挑まんとする人間を理解しきるのは、博士号を取るより難解な問題だろう。

 ただ、そんなニーナにも分かる事が一つだけあった。

 それは、何があろうとユーフェミアは諦めず、もし、彼女に付いていこうとするなら、彼女と同じ道を歩まなければならないという事である。

 果たして、そんな事が自分に出来るのか。

 そう考えて、――首を横に振る。

 付いていきたいと思う。力にだってなりたい。

 その想いに嘘はない。でも、その気持ちとは裏腹にニーナは、あまりユーフェミアの力になれていなかった。

 普通の一般人であるニーナには、ドレスの着付けの仕方が分からない。正しい礼儀作法も分からない。

 紅茶の淹れ方なら何とか分かるが、それでも素人の域を出ず、料理の腕前もカロリー用品で済ませる事が多かった為、まあ、言わずもがなだった。

 唯一、力になれているとしたら計算、それと資料集めとまとめくらいだろう。そのあたりは日々の研究で慣れていた為、役には立てていると思うが、言ってしまえば、それしか出来ていない。

 他に、何が出来るのだろう。

 気付けば、思考が熱を帯びていた。自分を振り返り、ニーナは己の中に出来る事を探す。

 だけど、何も思い浮かばない。端から、大した人間ではないのだ。自分に出来る事などたかが知れている。

 そんな自分が、イレブンを始め、沢山の人の助けになりたいと足掻くユーフェミアの役に立つなど――――

「――――――あ」

 不意に、脳裏に閃くものがあった。

 暗闇に慣れた目が、うすぼんやりと輪郭を浮かび上がらせる机の上のパソコンに向けられた。

 

 あるかもしれなかった。

 自分にしか出来ない方法で、役に立つやり方が。

 

 立ち上がり、ふらふらと机の前まで移動し、電源の落ちたパソコンの画面を、そっと撫でる。

 つるりとした感触を返してくる画面を撫でながら、ニーナはある事を思い出していた。

 生徒会仲間であるルルーシュに、ユーフェミアの補佐役を願い出た時、ルルーシュはあっさりと承諾してくれたが、一つだけ条件が付けられた。

 それは、ニーナの研究について。その内容を公表する時は必ず自分の許可を得て欲しいと、そういうものだった。

 どうして、ルルーシュがそんな約束を取り付けたかは分からない。

 でも、研究そのものをやめろとは言われなかった。なら、研究を進めれば、何かユーフェミアの役に立つかもしれないとニーナは考える。

「……出来る、……かもしれない」

 頭の中で研究内容を思い出し、ユーフェミアの願いに添えるかどうかを考えて、―――今度は首を縦に振る。

 まだ漠然としているから、確かな事は言えないが、もし本当に自分の仮説が正しくて、研究が成功したならば、新たなエネルギーを作り出せるかもしれない。

 そうなれば、必ずユーフェミアの助けになるだろう。

「私の研究が……、ユーフェミア様のお役に…………」

 口に出すと、実に甘美な響きだった。

 自分の好きな事が、自分の好きな人の役に立つかもしれないのだ。嬉しくない訳がなかった。

 居ても立ってもいられなくなり、今すぐにでも研究したい気持ちになり、――はたと気付く。

(そっか。ユーフェミア様は、こんな気持ちだったんだ……)

 はからずも、分からないと思っていた感情の一端に触れて、ニーナは表情を綻ばせた。

 うん、と一つ頷き、決める。

 手早く邪魔にならないよう、髪をまとめ上げ、壁に掛けてあった白衣を羽織り、ニーナは椅子に座ると、未だ暗いままのパソコン画面を見つめた。

 

 今はまだ、どんな結果(カタチ)になるかは分からない。

 でも、必ず、良いものにしようとニーナは決意する。

 敬愛するあの人の苦しみが、少しでも減るようにと。

 自分を救ってくれたあの人が、いつかきっと、また心の底から笑えるような未来を作る為にと。

 確かな想いを胸に抱き、それを形にする為に、ニーナは電源スイッチを押した。




 頑張れ、女の子。


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PLAY:22

 何時もよりも更に遅くなってしまいました。スミマセン。
 遅くなった理由は……、多分、本文を読んで頂ければ分かるかと…………。


 広い格納庫に、火花が雨と降り注ぐ。

 鋼の金臭さとオイルの油臭さ、微かな汗の臭いが代わる代わる鼻を掠めていく。

 鉄と鉄がぶつかる音が甲高く響き、怒鳴り声での会話があちこちで投げ交わされて、それに耳朶が震えた。

 正に男の仕事場、と言うような場所ではあるが、この場所の中心的人物は、意外にも褐色の肌の女性である。

 今も、塗装がされていない鋼色をしたナイトメアの前に陣取り、長い煙管を振りながら、白衣を纏った男達と何やら難しい話をしていた。

「では、これで進めます」

「よろしくねぇ」

 間延びした返答に頷き、男達が散り始める。どうやら、話は終わったらしい。

 自分達の仕事をこなす為、散り散りに何処かへ向かう男達に目も向けず、その場に一人取り残されたラクシャータは、鎧を着た武者のようなナイトメアを見上げると、目を細め、煙管に口を付ける。

 慣れた煙の香りが鼻腔を満たし、味が舌の上を転がる。それを十分に堪能した後、ラクシャータは、ふわりと紫煙を吐き出した。

「ご苦労」

 そんなラクシャータに新たに声を掛ける人影が一つ。

 自分以上に忙しい、最近は椅子に根が生えたのではと思うくらい、自分の執務室から出ることのない人物の声にラクシャータは驚きと共に振り返るも、すぐに楽しそうに表情を緩めると、近付いてくる仮面の男に笑い掛けた。

「珍しいわねぇ、ゼロ。多忙なアンタが、こんなところに顔を出すなんて」

 仮面にマント、黒い服と季節感を無視した完全装備のゼロを見るのはラクシャータは久しぶりである。

 顔を晒してからは、幹部会議も報告書を提出する時も、正体を知っている者しかいない時は、素顔でいるのが殆どなので、今は逆に、この無機質な仮面姿の方がラクシャータには新鮮に感じられた。

「何か、急ぎの用ぅ?」

 問い掛けに仮面が僅かに揺れる。格納庫の照明に反射した光が横方向に角度を変えるのを見るに、否定の意志表示だろう。

「ただの陣中見舞いと近況の確認に来ただけだ」

「進捗状況なら報告書で分かるでしょぉ? 毎回、早くしろって催促してるのに、まさか目を通していない訳ぇ?」

「勿論、内容は把握している。だが、実際に見ないと分からない事もある」

 そう言って、隣に立ったゼロが仮面を持ち上げ、先程のラクシャータと同じように未完成のナイトメアを見上げた。

 その姿を見ながら、ふぅん、とラクシャータは相槌を返す。

 相変わらず、いまいち何を考えているか分からないが、そのあたり、ラクシャータはあまり気にしないし、もう良い加減慣れたものだった。

 視線を戻す。造り掛けの機体の上でゼロが来ている事に気付いて、完全に固まってしまっている作業員達に手を振って、休憩の意思を示すと、ラクシャータは煙管をくわえ直す。自分からは特に話す事もない為、ぷかり、ぷかり、と紫煙を燻らせ、ゼロが何か言うのをのんびりと待った。

「………紅蓮の改修は目処が立ったようだな」

 黒の騎士団の最高戦力にして、ラクシャータが手掛けた最高傑作、紅蓮弐式。

 一時は見る影もない程に大破損傷したその機体も、今は右腕と塗装以外の修理を概ね完了させ、ゼロの前に鎮座していた。

「苦労したわよぉ? 何せ、造り直した方が早いってくらいにボロボロだったんだから」

 煙管の根元を噛み、両手を広げて大袈裟に肩を竦める。

 少々芝居掛かった仕草だったが、これくらいは大目に見て貰いたい。頭は吹き飛び、虎の子の右腕は全損。胴体部分にも吹き飛んだ右腕の爪が深く刺さり、輻射波動の反動と熱にフレームは歪み、機体表面も溶けかけのアイスと似たり寄ったりな姿だったのだ。

 これを見たときは、流石にラクシャータも言葉を失った。

 致し方なかったとはいえ、我が子のように大事な機体に目の前の司令官はこんなにも無茶を強いてくれたのだ。これくらいの皮肉の一つや二つ、言ってもバチは当たるまい。

「まぁ、お陰で良いデータが取れて、面白い改修案も思い付いた訳だから良いんだけどぉ?」

 結果論ではあるが。

 無理をしてくれたお陰で、より正確に改良点、改善点を洗い出せたし、耐久テストと思えば、これ程詳細なデータはない。

 純粋に技術者として見れば、悪い事ばかりでもなかった。

 だから、ラクシャータもゼロに対しては、ちくりと皮肉を言うだけに留めていた。

 ゼロに対しては………。

「ほう? その割には随分とこっぴどくやり込められたとカレンが溢していたが?」

「当ぅ然。それとこれとは話が別よぉ。私はナイトメアを造ってるんであって、棺桶を造っている訳じゃないの」

 それはそれとして、パイロットたる紅毛の少女にはしっかりと灸を据えているラクシャータである。無茶の必要性は認めるが、無茶をする事を許した訳ではない。壊れても良いとは思っても、壊しても良いとは彼女は思っていないのだ。

「そうか」

 それにルルーシュは一言だけ返して、話を打ち切った。

 単純に機体を壊された事だけでカレンを責めたのなら、眉の一つも顰めるが恐らくそれだけではないだろう事は既に理解している。

 それが分かっているから、ルルーシュはこれ以上不毛な会話をしようとはせず、話を変える意味も兼ねて、次の話題を口にした。

「戦場には、いつ頃戻せそうだ?」

 現在、日本とブリタニアの戦争は情勢の変化から、睨み合いと散発的な戦闘という小康状態に移行している。

 とりわけ、紅蓮が必要な状況には見えないが、ルルーシュには違うらしい。

 出来れば早めに、と口にするルルーシュだったが、ラクシャータの反応は芳しくなかった。

「悪いけど、まだ当分先になるわぁ。飛翔滑走翼も徹甲砲撃右腕部も試験運用が終わっていないしぃ、紅蓮自体もスペックアップしてるから慣熟訓練も必要になるでしょぉ?」

 機体の組み上げまでは、もうそれ程時間を要しはしないが、まだ追加兵装の運用テストが残っており、機体自体にも手を入れた上に運用方法も変わってくるのでラクシャータとしては慣らしに時間も欲しかった。

 カレンであれば、長く時間を必要とはしないだろうが、それでも近日中に、とはいかないだろう。

 そう説明するラクシャータに、ゼロは、ふむ、と頷くと黒い手袋に包まれた手を仮面の下、顎のあたりに持ってきて思案の姿勢を見せた。

 ある程度予測はしていたのだろう。苦言もなく、その様子からは焦りも感じられない為、単にもたらされた情報を基に戦略の修正でもしているのだろうと察したラクシャータは、詫びの代わりに更なる新情報を提示した。

「ああ、それとぉ、アンタから提案されたガウェインの強化プランだけどぉ、何とかなりそうよぉ?」

 それに、僅かに俯いていたゼロの顎が上がる。

「それは朗報だ」

 返ってきた言葉は一言だけ。であるが、その声から少しだけ固さが抜けている事に気付いたラクシャータが、ええ、と微笑む。

「ハドロンブラスターとブレイズルミナスホーンは既存の兵器の延長だから悩みはしなかったけど、残りはアイデア性が大きかったからねぇ。実用化出来るか怪しかったけど、ドルイドシステムを応用すれば、絶対守護領域の演算問題は解決出来そうだし、コールブランドも、まぁ、おんなじねぇ」

 ただぁ、と微笑みから一転、難しい顔になるラクシャータ。

「特性上、どうしてもパイロットの能力ありきになるわねぇ。……いくら、アンタでも火器管制と戦場指揮に加えて、この二つの演算もとなると脳が焼き切れるんじゃないのぉ?」

「問題ない。予測シミュレートの結果から見ても、十分に運用は可能だ」

 疑いの目を向けてくるラクシャータに、ゼロはこともなげに言い切ってみせる。

 事実、今のルルーシュは、戦場にひしめく全てのナイトメアの機動予測を瞬時に叩き出し近未来を推し測る超速演算を可能としている。今更、少し演算する事が増えたところで苦にもならないだろう。

「でもぉ、そうなると、今以上に操縦はあの子任せになるわねぇ。……そういえば、そっちはそのままで良い訳ぇ?」

 そっちと言うのは、今しがた口にした魔女の事である。

 ガウェインの操縦担当として、ゼロと相乗りしている彼女だが、厳密には彼女は戦闘要員ではない。元より、大国に挑むには常に人手不足、戦力不足の黒の騎士団。魔女がガウェインに乗り込む事になったのも、適性云々ではなく、単に彼女以外に手隙がいなかっただけに他ならなかった。

 なので、このままで良いのかとラクシャータは問い掛けた。

 成り行きで乗ったC.C.の腕前は意外にも悪くはなかったが、今後、更に激化していくであろう戦闘状況を考えれば、この機会にきちんと乗り手を選び直す必要もあるかもしれないと思ったからだ。

「今なら、人材に困る事もないし、より適任が見つかるかもよぉ?」

「必要あるまい。心配しなくても、アレは己に与えられた役割はきちんとこなす。そうである以上、私に不満はない。それに―――」

 ラクシャータの指摘通り、C.C.の腕前はとりわけずば抜けているという訳ではない。

 だが、彼女は技量に劣ろうとも神根島でジークフリートを、ダモクレス戦では圧倒的性能を誇る紅蓮聖天八極式からルルーシュを逃がす事に成功している。何だかんだ言いながら、ここ一番で活躍してくれている以上、C.C.のパイロットとしての技量にケチを付ける気はルルーシュにはなかった。

 それに。

「こと命を預けるという一点において、私にとってアレ以上の適任は他にいない」

 素直に認めるのは、少々癪ではあるが。

 勝率やら打算やらを抜きにすれば、そのあたり、魔王の魔女への信頼はあの親友を上回るらしい。

 そんな自分の感情が何となく腹立たしいのか、仮面の下で少々不機嫌そうな表情をしていたルルーシュの耳に、へぇ? と言う驚いたような、感心したようなそんな声が聞こえてきた。

「アンタがそんな事言うなんてねぇ。ちょっと意外だったわ」

「事実を言ったまでだ。他意はない」

 仮面のまま、むすりとした人間味のある声が返ってくる。そのアンバランスさがやけに面白くて、ラクシャータは堪らず吹き出してしまった。

 ジロリ、と仮面の下で瞳が動く。今、何かを言ったところで裏目にしか出ないと分かっているのだろう。不機嫌さと苛立ちを混ぜて冷やしたような視線が仮面の下から、とうとう腹を抱えて笑い出した科学者に注がれた。

 それに気付き、ラクシャータが何とか笑いを抑えようとしながら、ごめんごめん、と片手を上げて謝罪する。

「いや、でも、そうよねぇ……」

 笑いを微笑に変えて、何事かを呟きながら、ゼロの無機質な仮面に顔を向ける。

 この仮面と立ち居振舞い、そして奇跡に忘れそうになるが、中身は間違いなく少年なのだとしみじみ思う。

「カレンじゃないけどぉ、何となくアンタがどういう人間か分かった気がするわぁ」

 全てを見通し、世界すら手玉に取っているのではと思う程に底が見えない男でも、こうして見れば親しみも湧く。

 そんなラクシャータの視線が居心地悪いのか、黒い仮面が、ついと明後日の方向に向けられるのに、もう一度だけ笑うと、とにかく、と言って話題を戻した。

「ガウェインについては、今言った通りよぉ。ただぁ、後半のシステムについては手探りになるから、完成までは紅蓮以上に時間が必要ねぇ。そんな訳だから、私としては、紅蓮の完成を優先させたいんだどぉ?」

「構わない。寧ろ、此方から頼もうと思っていたところだ。紅蓮を戦場に出せるようになれば、ブリタニアを大きく牽制出来る。そうなれば、今後の見通しも良くなる」

 何やら意味深な言葉が紡がれたが、ラクシャータは聞き返さない。興味がない訳ではないが、説明されたからと言って、ゼロの深謀を完全に理解出来るとは思わなかったからだ。

「……時間か」

 そこで、格納庫の入口の方が騒がしくなる。

 小休止を終えた作業員達が戻ってきたのだろう。ゼロの方もこれ以上、時間を浪費出来ないのか、足の先が入口の方に向けられた。

「では、よろしく頼む。何かあれば適宜報告しろ。ある程度なら便宜を図る」

「了~解。ま、カレンも焦れてきてるだろうしねぇ。変に爆発しないうちに、ちゃちゃと仕上げておくわぁ」

 軽口を叩き、ひらり、と手を振る。

 了承を沈黙で返し、激務に戻ろうとするゼロから未完成の紅蓮に視線を移したラクシャータは、最後の一服とばかりに煙管に口付けて深く煙を吸い込んだ。

 瞳を閉じて、たっぷりと煙を堪能する。

「変に爆発、ね……」

 ふわり、と霞のように吐き出された煙と共に、先程の自分の言が零れる。

 何となしに紡がれた軽口だったが、その言葉通りに変に爆発したところがあったのをラクシャータは思い出した。

「そっちは、中々苦労してそうねぇ? プリン伯爵………」

 ざまあみろ、と皮肉に表情を歪めて、ラクシャータは頭に浮かんだ人物に吹きかけるように、残りの煙を吐き出した。

 

 

 

 息が荒い。早鐘に変わった心臓は煩くて、動悸もずっと収まらず、ズキズキと痛い。

 まだ戦ってすらいないのに、この状態。あまり覚えていないが初陣の時ですら、こんな風にはならなかっただろう。

 ごくり、と喉が鳴った。レバーを握ったまま石のように固まった手を無理矢理動かし、流れて止まらない汗を拭う。

『スザク君、大丈夫?』

「………………はい」

 耳に付けたインカムから聞こえてきた自らを案じる声にかろうじて、そう返す。何年も喋っていないかのように舌がひきつったが、それでも声になった事に安堵する。

 だが、それでも絞り出すような声では安心感に欠ける。事実、通信の向こうにいるセシルの顔から不安が消える事はなかった。

『スザク君…………』

「大丈夫です、本当に。それより状況を教えて下さい」

 何も聞きたくない、と言うかのように話を強引に打ち切る。ひたすらに余裕が感じられないスザクの態度に、セシルは更に何かを言い募ろうと口を開きかけて、――閉じる。

 今、スザクが立っているのは紛れもなく戦場。そこに立つのを防げなかった時点で、これ以上通信で押し問答を繰り広げても、スザクの集中の妨げになる。

 それが分かっているから、セシルはこれ以上何も言わない、――言えなかった。

『……敵レジスタンスは、もう間もなくで到達するわ。彼等の目的はトウキョウの黒の騎士団を中枢とする日本勢力との合流。……数は多くないけど、気を付けて』

「イエス、マイロード」

 お決まりの返答をし、スザクはファクトスフィアを起動する。

 黒の騎士団。日本政府との合流。

 当たり前の事ではあるが、あの夜を迎えてからずっと、そう考える輩が後を絶たないでいる。

 北から南から。東で西で。

 コーネリアのテロ殲滅をしつこく生き延びたレジスタンス。日本の復活を機に立ち上がった者。

 他にもブリタニアは憎いが、テロリズムは良しとしなかった者達が、皇神楽耶という錦の旗の下でなら、と決意を固め駆けつけようとしたりと、理由は様々にあれど、エリアの至るところで多くの日本人が、今はまだ首都だけが国土の故郷を目指していた。

 とはいえ、数こそ脅威であるが、一つ一つの規模は大したものでもない。

 その全てがゼロと合流すれば厄介になるかもしれないが、合流する前なら、ただの雑兵に過ぎない。

 平時のスザクなら、目を瞑っていたって勝てる相手である。

 そう。いつもの、――今までのスザクだったならば……。

 

「ッ、――来た」

 ファクトスフィアのセンサーが範囲内に移動する熱源反応を捉える。

 連動して光学カメラが動き、ランスロットが陣取る間道の先から此方に迫り来るナイトメアの一団を確認する。

 数は、――八。

 キョウト等の後援がないレジスタンスの平均ナイトメア所有数が一台前後であることから考えるに、おそらく突破の可能性を上げる為、此処に来る途中で他の集団と合流したのだろう。

 それを裏付けるかのように、ナイトメアの後方を追随する車輌の数が多い。

 何処かで調達したであろう軍用車輌に、民間の大型バスもある。

 おそらく、あのバスの中にレジスタンスの仲間やその家族、民間人が乗っているのだろう。

 本当に、誰も彼もが目指しているのだ。

 漸く取り戻した自分達の故郷を。

「………………」

 苦虫を噛み潰したようにスザクの表情が歪む。

 その苦味の意味をスザクは考えない。

 考えてしまえば、きっと自分は迷う。迷えば、絡め取られてしまう。

 そう思うからこそ、スザクは余計な事は考えまいと頭を振ると、目の前の事に集中した。

「……此方は、ブリタニア軍」

 外部スピーカーをオンにし、対象の集団に呼び掛ける。

 そのまま、停止せずに問答無用で仕掛けてくるかもと警戒していたスザクだったが、意外にもレジスタンスの集団は進みを止める。

 それでも、警戒はしているのだろう。

 横一列に並んだ八台のナイトメアの持つ銃口が全て向けられてくるが、構わずにスザクは警告と投降を呼び掛けた。

「許可なきナイトメアの使用、並びに武装は禁じられている! 直ちにナイトメアを停止し、武装を解除せよ! これに応じなければ、実力を以て――――」

 言えたのは、そこまでだった。

 これ以上聞く気はない、とばかりに全ての銃口が火を噴いた。

 同時に、両端に構えていたナイトメアが二機ずつ、――四機で陣形を組んでランスロットに向かっていく。

 銃撃の支援を受け、何度も機体を交差させながら、迫ってくる。

 ブリタニア軍の見様見真似か。援護を受けながらの撹乱から素早く近接に移行する戦い方は、ナイトメアによる基本戦術の一つである。

 しかし、当然ながら本職に比べればお粗末に過ぎる。ランドスピナーの勢いを殺し切れず、切り返しの度に停止寸前まで速度を落としていては、撹乱も何もあったものではない。

 ある程度、熟練した軍人なら切り返しの瞬間に、銃撃なりハーケンなりを射ち込んで、それで片が付く。

 だが…………。

「く、…………ッ」

 そんなお粗末な戦術に、何故か苦悶の声を漏らすスザク。

 何度もあった攻撃のチャンスを見逃し、ひたすらにブレイズルミナスを展開して守りに入っている。

 対して、隙を見逃された敵ナイトメアは、お陰でランスロットの側面に回る事に成功。二機が銃撃を開始し、残りの二機はそのまま横からランスロットに突っ込んでいく。

 近接武器は用意出来なかったのか。一機は徒手で、一機は銃を逆手に持って、ランスロットに襲い掛かった。

 しかし、動作に隙の多い鈍重な攻撃ではランスロットを捉えられない。

 振り下ろされる攻撃の軌道を見切ったスザクは、極少の動きで銃床による攻撃を回避。地面を叩いた反動で敵の手を離れ、宙をくるくると舞う銃を蹴り飛ばして粉砕すると、背後を突いて殴り掛かってきた敵の意表を突くように真下にスラッシュハーケンを射ち込み、その推進力で空中にある機体を更に持ち上げて、回避した。

 落下してくると思いきや、更に上に跳躍され、突き出した拳を空振りさせた敵ナイトメアが、バランスを崩して地面に転がる。

 数の差を物ともしない。

 八機からなる猛攻を、あっさりと防ぐランスロットにコックピット内でレジスタンス達は唖然となる。

 銃火が止み、皆が思わず動きを止める中、ランスロットはフロートを起動すると、一気に宙を駆け下りた。

 地面を砕き、砂塵を巻き上がらせ、ランスロットが敵機の真ん前に降り立つ。

 まるで瞬間移動でもしたかのような速度で肉薄された敵は驚き、慌てて銃を構えようとするが、――遅い。

 鮮やかな赤光が、滑るように敵ナイトメアの喉元に突きつけられた。

「……重ねて警告する。速やかにナイトメアを停止し、武装を解除せよ。これに従わない場合は、実力を以て行使する」

 MVSを突き付け、再度の警告を発する。

 言葉の上では威圧的に、口調も冷徹と思わせる程に淡々としていたが、その実、祈るような気持ちでスザクは呼び掛けていた。

 これで終わってくれ。

 ここで退いてくれ。

 そう切に願うスザクの姿は、敵を圧倒しているにも関わらずボロボロで、追い詰めている人間より追い詰められている人間と言った方が似合う有り様だった。

 沈黙が時間と共に流れていく。

 敵以上に時間が流れていくのを遅く感じながら、敵が投降ないし撤退してくれる事を願っていたスザクだったが、彼等はスザクの願いを叶えはしなかった。

 高速で回転するスピナーが地面を削る。

 反射的にそちらを振り向けば、先程のように銃を振りかぶりながら向かってくるナイトメアの姿があった。

 機体を操作し、跳躍して飛び退く。着地した瞬間、移動後の隙を狙っていた別の敵機が攻撃を仕掛けてくるが、スザクは難なく回避する。

 ぶん、ぶん、と音だけは大層なものを響かせながら、子供が棒を振り回すように銃を鈍器にして何度も殴り掛かってくる。

 当然、そんな攻撃はランスロットには当たらない。初撃を躱されたナイトメアも追い付き、二機がかりで襲い掛かってくるが、結果は同じ。だが、それでもランスロットに張り付き、自棄を起こしたように攻撃を続ける敵にスザクは何か嫌なものを感じた。

 果たして、それは、数瞬後、現実のものとなる。

 まるで味方を目隠しにするように。

 まるで味方ごとランスロットを撃ち抜こうとするように。

 銃弾が雨となって、ばら蒔かれた。

「な…………ッ」

 突飛な出来事に、思考が一瞬真っ白になる。

 だが、鍛え抜かれたスザクの戦士としての感覚は止まる事なく、身体を動かし、ランスロットを動かした。

 生命の危機にあっても、攻撃する事を止めない敵ナイトメアを片手のみでいなし、ルミナスを展開して、二機ごと銃弾の雨から自分を守る。

 そうして、看破する。敵の意図を。

 一見すれば、自暴自棄に陥った様に見えるが、そうではない。

 彼等は、捨て身なのだ。

 きちんとランスロットの脅威を理解し、その力量を正確に感じ取ったからこそ、()()のナイトメアは、自分の生命を捨ててでもランスロットの足止めに徹しているのだ。

 恐らく、この弾丸の先、この寄せ集めの集団のリーダー格が乗るナイトメアを先頭とする車輌やバスに乗った仲間や家族がここを突破出来る時間を稼ぐ為に。

 生命を捨ててでも、大切な人達を自分達の故郷に届ける為に…………。

「クソッ!」

 らしくない悪態を吐く。言い様のない暗い感覚が込み上げてくるのを感じ、誤魔化すようにスザクは荒々しく機体を操作する。

 スロットルをフルに押し込み、巻き上がる砂塵で張り付いていたナイトメアのカメラを封じ、超加速でブレイズルミナスを展開しながら銃撃を行っているナイトメアの側まで寄ると、ランスロットは加速の勢いを最大限に活かして跳躍、囲みを一気に突破していく。

 ぎこちなさの欠片もない機敏な動きに、ランスロットを足止めしようとしていたレジスタンス達は反応出来ない。

 そんな彼等を置き去りにし、ランスロットは一度の跳躍で離れていこうとする集団にあっさりと追い付くと、その先頭に躍り出る。そのまま、淀みない動作で腰に備え付けてあったヴァリスを引き抜き、リーダー格のナイトメアを行動不能にしようと、引き金を引こうとして――――……

 

 ―――どうでもよかったんだろう?

 

 ビクリッ、と全身を震わせながら動きを止めた。

 何か触ってはいけないものを触っていた事に、今更気付いたかのような反応で、スザクは操作レバーから弾かれたように手を離した。

 その様子は、傍目にも分かる程、取り乱し、動揺している。

 混乱しているのか、戦闘中だという事も忘れて、頭痛を堪えるように片手を頭に持っていき、何度も頭を振る。

 誰が見ても、誰にとっても致命的な隙。

 そんなチャンスを捨て身なレジスタンスが見逃す筈もなかった。

 重たい衝撃が、ランスロットごとスザクの身体を揺さぶる。

 追い付いてきた敵のナイトメアが、ランスロットにぶつかっていったのだ。

 ダメージは大した事ない。しかし、ぶつかられた衝撃でよろめき、ランスロットは集団の正面から弾き出されてしまう。

「しまった…………!」

 道が開けた集団が行動を再開する。ランスロットの防衛ラインを突破して、東京に向かおうとする。

「まだ――――ッ!」

 間に合う。先導しているナイトメアを行動不能にすれば、足並みは乱れる。

 そう考え、スザクは今度はハーケンを放とうと片手を敵に向けるも―――……

 

 ―――そんなに重たかったか?

 

 ()()()()

 攻撃しようとする意志を拒絶するように、スザクの身体は指一つ動かせなくなる。

 その隙に、追い付いてきた他のナイトメアが集団とランスロットの間に割り込み、攻撃を遮る盾となった。

 再び、銃火が咲き乱れる。

 先程と同様に、ブレイズルミナスを展開して防ぐランスロットだったが、そこから動く事が出来ない。――正確には動こうとする意志が鈍い。

 何とかしなくてはならないとは思っている。しかし、立て続けに襲った()()がスザクに二の足を踏ませていた。

 目標が遠ざかっていく。

 捨て身でランスロットを足止めしていたナイトメア達も殿を務める形で、銃撃でランスロットを縫いとめながら、徐々に後退していく。

 このままでは、突破される。

 焦りを滲ませ、しかし、裏腹に鈍い動きでランスロットがヴァリスを構える。

 そして、自分に言い聞かせる。

 大丈夫だと。殺す訳ではないと。

 攻撃するのはあくまで止める為。殺すつもりもないし、傷付けるつもりもない。ナイトメアを少し壊せば、それで済む。ヴァリスを撃つのに抵抗があるなら、ハーケンでも構わない。それも嫌ならMVSでも、徒手でも何でも良い。

 強く、強く、言い聞かせる。

 ただ、攻撃するだけだと。いつものようにやれば良いと。生命を奪わずに戦いを止めるのは自分の得意とするところだろうと。

 そう、強く言い聞かせ、スザクはヴァリスを撃とうとする。

 でも、その度に――――……

 

 ―――お前は何かを変えようなんて、本当は思っていない。

 

「――――――ッ!」

 抉られた傷口が酷く痛んだ。

 スザクの理性を押し付け、魂に刻まれた傷が戦おうとするスザクを否定する。

「ッ、………止まれッ!」

 絞り出すように、苦しげに、声を張り上げる。

 身体を震わせ、息を震わせ、痛いくらいになる心臓の音を聞きながら、それでも必死になって指先に力を込める。

 

 ―――己の罪一つ、満足に向き合えない。

 

「止まれ……………ッ」

 

 ―――過去から目を背け、生きる事に怯え、他人の夢に縋る事で答えを得たつもりになっている。

 

「止まれって、…………ッ」

 

 ―――私を止めると言ったな? ならば、まずは、この世界(地獄)を生き抜く覚悟をしてみせろ。生きてみせろ、枢木スザク。

 

「―――――――ぅ」

 

 ―――それすら出来ない今のお前は、この私以上に―――

 

「ぅ、ぅぁぁぁあああああああああああッ!!!」

 

 

 

 ―――空っぽ(ゼロ)だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピー、と甲高い電子音がコックピット内に鳴り響く。

 僅かなりとも力が込められた指先は、ついぞ動く事はなかった。

 標的は全て遠ざかり、対象を見失ったレーダーマップは光点の一つも灯さず、真っ暗な画面が己の顔を映している。

 それに気付いて、スザクは思わず顔を伏せた。

 撃てなかったのか。撃たなかったのか。

 成せなかったのか。成さなかったのか。

 どちらが良しで、どちらが悪しか。

 己の表情に浮かぶ感情からそれが分かるのが恐かった。

 

 

 

 

 長く、重苦しい溜め息がアヴァロンの艦橋に何度も広がっては消えていく。

 その最たる主であるセシルは、不味いと思いつつも口から絶えず吐き出される溜め息を抑える事が出来ずにいた。

「スザク君……、不調が続いてますね」

 常識人である彼女には、気苦労の絶えない状況なのだろう。

 作戦終了における諸々の業務をこなす彼女の顔は、スザクに負けず劣らず生気に欠けていた。

「んー、ここまで長引くとなると一過性のものと考えるのは、流石に厳しいかな」

 一時的なショックから来る精神的不調であれば良かったが、ここまで尾を引くとなればそうではないのだろう。

 唸るロイドの声も、いつもはない真剣味を僅かに帯びていた。

「……決して戦えなくなった訳じゃないんです。シミュレーターの成績も以前と同程度の数値を叩き出していますし」

 ここ最近のスザクの戦闘データを表示しながら、セシルが改めて状況を見直すように説明していく。

「ブリタニア人を相手に模擬戦をした時も問題なく戦えています。一応、実験的に日本製のナイトメアとの訓練も行いましたが、中身が違うと分かっていれば問題ありませんでした。ですが――」

「相手が日本人になると、どうやっても戦えなくなる。――いや、攻撃する事が出来なくなる、と」

 これまでの戦闘記録を眺めていたロイドが、より正確な表現に改めるのに、こくりとセシルが頷く。

「ま、仕方ないかもしれないけどね。あんな事があっちゃ」

 カチャリ、と眼鏡を指先で押し上げ、ロイドがつまらなさそうに呟く。

「……日本人の気持ちを考えれば、スザク君が銃を向けられなくなるのも、確かに分からなくはないんですけど……」

 八年前、開戦を間近に控えた当時、スザクは日本の首相である自らの父、枢木ゲンブをその手に掛けた。

 決して、私欲に溺れての行動ではない。浅ましくあった訳でもない。

 浅ましくはなかったが、――彼の心は幼かった。

 戦争に利益を見出だす父親を否定し、大切な人や多くの人達が傷付き、血を流す事を疎んだ彼の行いは、確かに戦争を早期に終わらせた。

 そして、日本人から戦う機会を奪い、満足に抗う事もさせずに、ブリタニアの家畜として生きる道を強いた。

 日本人からしたら、何とも理不尽な話である。

 戦おうと思っていたのに。敗けると分かっていても、死ぬと分かっていても、せめて誇りだけはと願った戦士達は、いざ、戦場へと思い至った瞬間に、王手を掛けられたのだ。その絶望は、満足に戦えず散っていた者達の無念は、果たしてどれ程のものだったか。

 まして、それが小さな子供の、それも同胞の手によって引き起こされたと分かれば、日本人はどう思うか。

 それを想像すれば、只でさえ、己の過ち故に死にたいと願っていたスザクだ。引き金を引けなくなっても、何ら不思議ではなかった。

「ちなみに、軍医はなんて?」

「……完全に心の問題である以上、とにかく時間と静養が一番の良薬だと」

「時間ねぇ。それで解決してくれるなら良いんだけど」

 懐疑的なロイドであるが、セシルから咎める声は上がらない。

 こうなった直接の原因は、先日のゼロとの一連のやり取りにあるのだろうが、根本の原因は八年前の出来事に由来している。

 それを考えれば、時間が解決してくれるという事にロイドが疑問に感じるのも無理はないと思えた。

「とはいえ、他に良案もないしねぇ。此処は専門家の意見を素直に聞くべきかな?」

「良いんですか?」

 てっきり、渋ると思っていたセシルは、あっさりと承諾したロイドに疑問と驚きを以て尋ねた。

「そりゃ、ランスロットの開発が遅れるのは嫌だけどさ。仕方ないでしょ? 無理させて余計拗らせたら、それこそ面倒だし」

「ロイドさん」

 やれやれ、と首を振るロイドにセシルが嬉しそうな表情をする。

 少し前までは、ランスロットが全て。パイロットも全部パーツという風にしか考えていなかったロイドの口から、スザクの身を案じる言葉が出てきた事にセシルは嬉しくなった。

「漸く見つけたデヴァイサーだからね。大事に扱わないと」

「ロイドさん?」

 しかし、それも一瞬。

 やはり、ズレていたロイドの言葉に緩んでいたセシルの表情がピタリと固まった。

 前言撤回。

 スザクの前で迂闊な事を言わせない為にも、少し教えて差し上げなくてはならない。

 そう理解したセシルは、何故かみしり、と鳴くインカムを置くと久し振りの良い笑顔でロイドに向き直った。

 

 

 

 日本の空に、男の情けない謝罪が木霊するのは、このすぐ後の事だった。

 

 

 

 エリア11。東京近郊の海に浮かぶ式根島。

 そこに敷かれた対日本、対ゼロの本陣、その司令所の一室で、シュナイゼルはのんびりとティータイムを楽しんでいた。

「――以上となります」

 斜め後ろに控え、各地の近況と嘆願、その他の仔細を報告するカノンの乱れのない声に耳を傾けながら、鮮やかな紅の色と香りを楽しんでいたシュナイゼルは、カチャリ、と美しい所作でカップを置くと、お茶菓子として置かれたフロランタンを一つ、摘まみ上げた。

「ふむ。しかし、やはりと言うべきか。どうにも後手に回らざるを得ないね」

 出来を眺めるように、摘まみ上げたフロランタンをくるくると返す。

 現在、先の戦いでブリタニアを出し抜き、類い希なる才覚を発揮したゼロを牽制、殲滅の任からエリア11に腰を落ち着けているシュナイゼルであるが、悪化する情勢から各地への対応、指揮も任されていた。

 何をしても、どうやっても、流れを抑えられない現状に頭を抱えた本国政府が、有象無象の総督や指揮官の現場指揮に任せるくらいなら、とシュナイゼルに丸投げした判断は、情けないながら英断であったと言える。

 しかし、いくらシュナイゼルであっても、この一連の騒動を収束するのは容易ではなかった。

 何しろ、敵はシュナイゼルと同格の才を有するルルーシュ。

 奇しくも、共に日本、エリア11に自らを置き、世界を動かすという意味では同等であるが、ルルーシュとシュナイゼルでは情報の鮮度が大きく異なってくる。

 この一連の騒動を引き起こし、常に流れの先にて物事を動かすルルーシュと、事が起こってから辺境のエリアにて対応せざるを得ないシュナイゼルでは、情報伝達能力に大きな差が出てしまう。

 才能は同等でも、いや、それ故に二手も三手も遅れてしまう現状では、さしものシュナイゼルであっても後手に回らざるを得なかった。

「それにしても…………」

 サクリ、と小気味の良い音を立てて、フロランタンがシュナイゼルの口に溶ける。キャラメルとアーモンドの甘さが口に残った紅茶の苦味と混ざり合い、絶妙の加減となって口の中に広がった。

「まさか、マリーやコゥまでもが、こうまで手こずるとはね」

 自らの騎士団を率い、テロ鎮圧に躍起になっているマリーベルや、エリア11の騒動で総督を解任されたコーネリアが、各エリアの暴動や総督府の暴走の対処に回っているが、中々、状況は好転しない。彼女達であれば、もう少し手際良く各地の混乱を収束出来ると思っていただけに、この展開は予想外と言わずとも、意外と言わざるを得なかった。

「いくら、彼女達であっても、彼を相手にするのは荷が重いと言う事かな?」

 マリーベルとコーネリアの実力はシュナイゼルも良く知っている。にも関わらず、事は自分の予想より下方に動いている。

 過大評価し過ぎたのか、あるいは、彼女達の動きを妨げる何かがあるのか。

 後者だと、シュナイゼルは当たりを付けていた。

「ですが、俄には信じられません」

 そこで、シュナイゼルの後ろで直立体勢で控えていたカノンがシュナイゼルの思考に口を挟んできた。

「殿下の考えを否定する訳ではありませんが、この一連の騒動がゼロの手によるものなら、彼は本国の内情すら事細かに把握しているという事になります。流石に――」

「そうだね。その点に関しては、私も素直に驚いているよ」

 反ブリタニアの気運が高いエリアならともかく、ブリタニア本国は仮にも敵の本丸。そこの情報すら精緻に把握しているとあらば、ゼロの情報収集能力は脅威の一言に尽きた。

「そういえば、前にギルフォード卿が、今のゼロは以前までのゼロとは別人である可能性があると」

「確かにそう考えてしまうのも無理はないけど、おそらくその可能性はないよ」

 あまりに今までとは一線を画するゼロの脅威に、別人の可能性を示唆するカノンだったが、シュナイゼルはその可能性を切り捨てる。

 思考。思想。行動。言動。傾向。癖。

 脅威度こそ跳ね上がっているが、それらは紛れもなく今までのゼロと合致する。

 どちらかと言うと。

 今のゼロは、別人というより、()()()()()()()()()()()()()と言う方が正しいとシュナイゼルは考えていた。

 もっとも、ここまで急激に変化した理由までは、彼にも分からなかったが。

「しかし、あれだね」

 サク。

 フロランタンの残りを口に放り込み、強くなった口の中の甘みが、自然と紅茶に手を伸ばさせる。

「各地で、皆が苦労しているのに、こうしてのんびりとしていると、流石に申し訳ない気持ちになってくるね」

 口ではそう言うものの、その表情は変わらずの微笑である為、本気で言っているのか判断に困る。

 そんな困った主君に、これみよがしに溜め息を吐いて見せると、カノンは、そんなに言うなら、と話を切り出した。

「早々にトウキョウ租界を取り戻して、各地の応援に行かれては如何です?」

 現在、エリア11は他の場所に比べれば、比較的平穏を保っている。

 首都奪還の勢いのままにエリア11全土を取り返してくるかもという予想に反し、ゼロは東京の独立を策を講じる事で保つと、特に大きな動きを見せず、強行策を封じられたブリタニア側も事を荒立てるのは得策ではないと判断し、牽制と小競り合いに留めているのが理由だ。

 しかし。

「策と言っても、所詮は小細工。殿下ならいくらでもやりようがあるのでは?」

 それは、相手がシュナイゼルではない場合に限る話である。

 ゼロとは違う方向で人心掌握能力に長けるシュナイゼルなら、世間体を都合良くコントロールし、首都奪還の手筈を整える事など造作もないとカノンは踏んでいる。

 だから、今、こうしてシュナイゼルがのんびりと構えているのは、打つ手がない訳ではなく、余裕の態度であるか、もしくは、待ち望んでいた自分と同等の打ち手がこれから何をしてくるか見たいが為に、わざと攻勢の手を緩めているのでは、と考えていた。

「それが出来るならね」

 だが、微笑みと共に振り返った主の言葉に、カノンは自らの考えが間違っていると悟る。

「まさか、手が出せない理由があると?」

 信じられない気持ちである。

 まさか、この主君が二の足を踏むような日が訪れようなど、カノンは想像すらした事もなかった。

「確かにね。君の言う通り、トウキョウ租界を奪還するだけなら造作もないよ。ただ、それだけでは意味がない」

 今のブリタニアの現状は、黒の騎士団にトウキョウ租界を奪われた事に端を発しているが、トウキョウ租界を取り戻せば、全てが片付く訳ではない。

 何しろ、もう既に前例が出来てしまった。たとえ、これからトウキョウ租界を奪い返したとしても、ゼロが生きている限り、人々の希望は消えない。

 また、やってくれる。

 そう思う限り人々の心から、反逆の灯が消える事はないだろう。

 完全に灯を消すには、ゼロを抹殺し、それを世間に公表しなくてはならない。

 だが、トウキョウ租界を奪い返すのではなく、ゼロを討つとなると、話が違ってくる。

 何故なら、今の日本政府の力は脆弱であり、ゼロがいて何とか維持する事が出来ている。だから、ゼロが死ぬという事は、再び日本がその名を失い、滅びる事と同義と言えた。

 決死の想いと無数の生命の犠牲の果てに、漸く取り戻した自らの故郷。それが再び失うのを、エリア11に住む日本人が指をくわえて見ているだろうか?

 答えは、否、である。

 もし、ブリタニアがゼロを葬ろうと躍起になれば、日本人は自らの故郷をまた奪われない為に、決死の覚悟でそれを阻むだろう。それこそ、八年前のあの時、戦えなかった無念を晴らすかのように、エリア11全土を巻き込んだ大規模なクーデターとなる。

 そうなれば、ゼロを葬るのは容易ではなくなる。

 更に付け加えるなら、ブリタニア側が先に手を出した結果、エリア11全土が混乱に叩き込まれれば、此処に住まうブリタニア人がどういう行動を取るかもあやしくなる。

 日本政府の出方次第だが、ゼロであれば、本国に不信を抱いた彼等を反ブリタニア勢力に仕立て上げる事は十分に可能であろう。

「そうなると、一か月、……いや、二か月かな?」

 考え得る最悪の展開を想像し、今のゼロの実力を予想したシュナイゼルがそう呟く。

 おそらく、二か月。

 コーネリアやマリーベル、ラウンズを含めた全ブリタニア勢力で掛かっても、ゼロであれば、二か月は確実に自分と日本の名を残す事が出来るとシュナイゼルは予想する。

 そして、二か月もエリア11に全戦力を結集して、他を手薄にしてしまえば、各戦線は食い破られ、全てのエリアは転覆してしまう。自分がゼロなら、まず間違いなくそうする。

 つまり、戦力不足。

 今のシュナイゼルには、いや、ブリタニアにはゼロにチェックを掛けるだけの余力が、もはや存在していなかった。

「な、なら! なら、殿下が何時までも此処にいる理由はないのでは?」

 シュナイゼルの説明を聞いたカノンが、震える声で反論する。

 ゼロを仕留められない事は分かった。だが、攻勢に出れない、出る必要がないのなら、シュナイゼルが此処にいる必要もない。

 牽制だけなら、別の誰かでも十分にこなせる。その誰かに一度、ゼロへの牽制を任せ、シュナイゼルは各地の混乱を収める。そうして、余力が生まれてからエリア11、ゼロの攻略に乗り出せば良いのでは、とカノンは訴えた。

 しかし、その訴えに対するシュナイゼルの返答は、少しばかり困ったような表情で首を横に振るというものだった。

「ゼロの狙いが先の通りなら、守り切れる可能性が低いトウキョウ租界に態々戦力を集中するのは得策ではない。だというのに、ゼロは今日まで各地のレジスタンスを取り込み、戦力の拡大を図っている。どうしてか分かるかい?」

「それは……、いざ、我々が攻勢に出た時に少しでもトウキョウ租界を守れるよう、備えているからでは?」

 トウキョウ租界を失う事は痛手ではないにしろ、あっさりと奪い返されれば、ゼロの実力に疑問を持つ者も出てくる筈。

 それを防ぐ為には、ある程度、防衛戦を行う必要があり、その為の戦力を集めているのでは、とカノンは考えた。

「であるなら、戦略的にはおかしい。備えるというなら、そもそも拠点がトウキョウだけでは足りない。もし、そうなら、既に何らかの軍事行動があって然るべきだ」

 ブリタニアから生き残るのではなく、守り切るとなると大きく違ってくる。

 もし、ゼロがカノンの考える通り、防衛戦を行うつもりなら、ブリタニアの混乱に乗じて、エリア11のブリタニア基地を落とすなり、他の主要都市を奪い返すなり、首都防衛の充実を図ろうとしている筈である。

 しかし、ゼロは戦力を集めるだけ集めて、大きな動きは見せていない。つまり、それはゼロの目的は別にある事を示していた。

「他に……? この状況で他に何か画策していると?」

 別に目的があると説明しても、カノンはいまいちピンと来ないらしい。

 仕方ない事ではあるが、ゼロと自分の思考に付いて来れないカノンに、シュナイゼルは困った子供にするように、ふぅ、と溜め息を溢した。

「分からないかい? つまり、彼は狙っているんだよ、ここと、……ここを、ね」

 そうして、緩く動いたシュナイゼルの指が示したのは、地図上、ハワイ島と、――――()()()()()()()だった。

 それに、カノンは瞠目した。

 ハワイ諸島は、広い太平洋を挟んでブリタニア本国と東亜方面のエリアを繋ぐ大事な中継点である。

 もし、此処が落とされれば、アジア方面のエリアは本国から寸断され、更にはブリタニアと勢力を割る中華の動きにも対応出来なくなる恐れがあった。

「いや、ですが……! ハワイは分かりますが、本国を攻めたとしても、何の意味も…………!」

「意味はあるんだよ。残念ながらね」

 今、ブリタニア臣民には心に余裕がない。

 圧倒的優位を誇っていた情勢が、坂道を転がり落ちるように劣勢になり、先日には本国でも大規模な暴動が発生した。

 きっと、誰も彼もが心に不安を抱いて、毎日を過ごしている事だろう。

 その状況下で、もし、本国が敵に攻め入られでもしたら。

 数分。数秒でも構わない。

 敵の首魁、ゼロがブリタニア本国の土を踏むなんて事実が生まれてしまったら。

 ブリタニアはパニックになる。混乱は頂点を極め、恐怖が蔓延する事になる。

 そうなってしまえば、シュナイゼルであっても収めるのは難しい。

 故に、シュナイゼルはエリア11から動く事は出来ない。

 自分がいなくなれば、ゼロが攻勢に出るのは避けられず、また、ゼロを止められるのは自分しかいないと分かっていたからだ。

「で、ですが、それでも……! いえ、殿下であれば、本国に入れば、ゼロの本国攻めを阻止出来る――――」

「本当にそう思うかい? 相手は敵本国ですら、好きに引っ掻き回せる相手だよ?」

 そう言われ、カノンは押し黙る。

 相手は本国内部の事情に精通し、既に一度、ブリタニアでクーデターを誘発させている。

 なら、ゼロが攻勢に出た際、何らかの方法でシュナイゼルの動きを封じて来る可能性は大いにあった。

 上手いやり方だ、とシュナイゼルは思う。

 ゼロは、可能性というものを実に上手く使いこなしている。

 本来であれば、一笑に付すような可能性をシュナイゼルですら捨て切れないのだ。見事と言う他なかった。

「で、では、我々は……、ブリタニアにはこの流れを止める事は出来ないと? 為す術もなく、国が傾いていくのを見ている事しか出来ないと?」

 最悪の展開を予想してしまったのだろう。普段のカノンからは想像出来ないくらいに動揺が激しかった。

 とはいえ、無理もない。

 零れ落ちる砂時計の砂は如何として止まらず、それを止める術を持つシュナイゼルは身動きが取れない。

 このままでは、ブリタニアが滅びる。そう考えて取り乱さない方が可笑しかった。

 だが、状況の不利を説明し、カノンを震え上がらせた当人はというと、何時もの笑みで、いや、と首を横に振った。

「一見、八方塞がりに思えるけどね。この状況を何とかする方法は実はあるんだよ」

 

 

 ――――()()()()()




 シュナ「強制的に成長したんだ。私を倒せる年齢まで!」
 ルル(一年後)「やあ」

 鋭い読者の方なら、そろそろルルーシュが何を目的に各地で騒ぎを起こしていたのか分かるかもですが、どうかご内密に。
 と何かあるっぽく言ってますが、目的自体はありきたりなものなので、どうか期待値は上げずにお願いします。


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PLAY:23

 私には、まだ約束がある―――。


 ひゅん。ぱすん。からん。

 

 放たれたダーツが、的に当たる。

 ふんわりとした放物線を描き、狙い通りにダーツ盤に当たったダーツは、しかし、刺さる事なく下に落下。ころりと硬い床に転がった。

 単純なようで、中々に難しい。

 自らの手から投げ放たれ、無惨な結果に終わったダーツから視線を切ったC.C.は、口に咥えたピザの先を指先で押し込むと、再度、するりと構えて、ダーツを投じる。

 

 ひゅん。ぱすん。からん。

 

 だが、結果は再び場外。

 死屍累々よろしく床に転がる無数のダーツを、しばらく面白くなさそうに見下ろしていたC.C.だったが、気分を切り替える為か、あるいは単に食指が動くからか。その光景を視界から追いやると、新たにピザを食べようとカウンターに置かれていた皿に手を伸ばした。

 予めカットしていたピザの一片を持ち上げる。

 時間が経ち、少し固さを取り戻したチーズを指で舐め取り、C.C.は、はむりとピザを咥えた。

 途端に、口の中に広がるジューシーな味わい。

 共犯者お手製のピザは、多少の時間の経過では、その味を損なわない。

 新たに頬張った好物の味に、C.C.は機嫌良さそうに鼻息を漏らすと、カウンターにもたれかかって室内に視線を這わせた。

 ムーディーな音楽と雰囲気が盛り上がるよう明るさを調節した照明に彩られた政庁の豪華な娯楽室。

 おそらく、時期と時間と人が違っていれば、下卑た欲と女と金と品のない笑い声でごった返していたであろうこの場所も、時期と時間と人が違ってしまえば、この人気の無さである。

 いるのは二人。

 ピザを食べながら、興味本位でダーツに興じる魔女と、半ば仕事着と化した学生服の上着を脱いで、何人掛けだか分からないソファに一人腰掛けた、こんな場所にまで仕事を持ち込んでいる魔王だけであった。

「そうですか。無事に成って何よりです」

 甘い声が魔女の耳朶に触れる。声だけなら、この場に似つかわしいその声を辿るように視線を移せば、携帯を片手に微笑む共犯者の姿が目に入った。

「いえ、私は何もしていませんよ。協力を取り付けられたのは貴女の力です」

 労りの言葉を掛けながら、更に笑みが深くなる。何時もなら、電話中であろうと多忙で止まらない手が止まっているあたり、どうやら電話越しの相手はそれなりに気を遣う人物のようである。

「ええ。では、細かい報告はその時に……」

 そう言って電話を切ると同時に動き出したルルーシュの手の動きに合わせるように、くるりと身体ごと視線を切ったC.C.がダーツを手に取りながら、興味無さそうに口を開いた。

「婚約者との密談は終わったか?」

 ゼロの声質。けれど、柔らかい口調から相手が神楽耶であると当たりを付けた魔女がからかい半分に問い掛ける。

「ああ」

 対して、共犯者の返答はぶっきらぼうなこの二声のみ。

 ちょっと前までなら、不機嫌そうに否定してきたのにこの投げやりな対応。

 少し、むっ、としたC.C.だったが、それを押し隠して努めて何でもない風を装うと、言葉を続けた。

「随分と楽しそうだったが、何かあったのか?」

「神楽耶が交渉を担当していた国の幾つかが、日本への援助に応じたそうだ。復興の物資支援だけでなく、援軍の用意も約束してくれた国もあるらしくてな。思っていた以上の好感触に神楽耶も喜んでいた」

「ほう?」

 意外な内容だったのか。驚きに眉を上げたC.C.が、その勢いのままにダーツを放った。

「まだまだ、一人で立てない日本にこの段階でそこまで入れ込む国があるとはな」

 暫く前に、日本はブリタニアから国土を取り戻すという偉業を果たしたが、あくまで首都のみ。

 下手に擁護して、ブリタニアに目を付けられる事を考えれば、現段階で日本に積極的に働きかけるのは中々に度胸のいる決断だった。

「お前の入れ知恵か?」

 ぱすん。からん。

 床に落ちていくダーツから目を逸らしながら、ニヤリと魔女が笑い掛けた。

「大した事はしていない。『前回』、超合集国に参加した国の中で、日本に好意的だった国をリストアップしただけだ。後はおまけ程度に、各国が抱える問題について、少しアドバイスをしたが、それくらいだな」

 手元の書類から顔を上げないまま、さらりとルルーシュが答える。

 アドバイスは、あくまでアドバイス。それを活かすも殺すも使う者次第。

 活かし切れたのなら、それは神楽耶の実力であり、神楽耶の功績だと。

 ――もっとも、普段と変わらないルルーシュの反応を見るに、神楽耶の努力は織り込み済みであったのであろうが。

「何にせよ、これでまた一つ状況が動いた。いざという時、外から睨みを利かせられるというのは、ブリタニアの判断に大きく圧力を掛ける」

 今回の成果で、日本とブリタニアの戦争に第三国の介入という可能性をねじ込む事が出来たのは大きい。

 いざという時、背後から撃たれるかもしれないという可能性は、例えば、ブリタニアが日本に全戦力を投入しての超短期決戦でゼロを討とうとした場合、彼等の進軍に些か以上に躊躇いを生じさせる事になるからだ。

 そして、その躊躇いは、その分だけ、ゼロに反撃の時間を与える事になる。果たして、ブリタニアがゼロを討つのが先か。戦力集中に伴い、手薄になった戦線やエリアをゼロが食い破るのが先か。

 どちらの骨が先に断たれるか、分からなくなれば分からなくなるだけ、ブリタニアは起死回生の策に出る踏ん切りが付かなくなるだろう。

 となれば、この状況。何がブリタニアにとって最も『合理的』となりつつあるのか。

 そう考えたルルーシュの口元に微かな笑みが浮かんだ。

 そんなルルーシュの気配を敏感に感じ取ったのか。ダーツ盤に視線を固定したままのC.C.の表情にも喜色が浮かぶ。魔王がご機嫌な内は魔女もご機嫌なのか。どことなし、上機嫌な様子でダーツを放つC.C.だったが、その機嫌も放たれた直後、落下するダーツと同じ軌道を描いて急降下するのだった。

「むぅ………」

 良い加減、的に刺さらないダーツに唸り声を上げる。長い年月を生きる中で、多くの娯楽をそつなく嗜んできた彼女であるがこの遊戯とは相性が悪いのか、絵に描いたような不器用さを披露していた。

 膨れっ面のまま、新たなダーツを手に取る。プライドか、意地か、それとも、ただの気紛れか。何にせよ、諦めるという選択肢は、今の彼女にはないらしい。ダーツを掲げ、数メートル先のボードに狙いを定める少女の顔は、苛ついた様子はあれど、一転して、らしくない真剣なものへと変わっていた。

 そんな様子を感じたからなのか。単に、これ以上の失敗は面倒事に繋がると経験則から判断したのか。それとも、こちらも同じように気紛れなのか。

 狙いを定め、投げる速度とタイミングを測っていた少女の手首が、待ったでも掛けるかのように男の手に抑えられた。

「――――?」

 思考が没頭していた世界から戻ってくる。ぱちぱち、と目を瞬かせ、邪魔をされた不満と共に疑問を込めて、魔女は後ろの共犯者を振り返ろうとするが、それより早く、魔王が動いた。

 手首を抑えていた手が離れ、その指先が這うように魔女の白い指先に絡む。次いで、腕から肘に伸び、最後に、肩に置かれたもう片方の手が、少女の身体の向きと立ち位置を調整する。

 時間にして、数秒。どうやら、ダーツの投げ方を教えてくれているらしい、と少女が気付いた時には男は既に側を離れていた。

 色気もへったくれもない、風が吹いていったかのようなやり取り。

 男が女に遊びを教えるという、年頃の男女の心を擽るようなシチュエーションをして、この反応は流石に如何なものかと言いたくなるが、当の本人に気にした様子はなく、対する魔女も慣れたもの。

 少しだけ、何か言いたげな視線でルルーシュを一瞥しただけで、すぐにボードに向き直った。

 そして―――。

 

「――――お」

 

 タンッ、と小気味良い音が立ち、驚いたように短く声が上がった。

 少々の不満はあったが、それでも、律儀に直された通りに投げたのが功を奏したのか、先程までの的外れが嘘のようにボードの上にダーツが突き刺さった。

 ようやくの成果にC.C.の表情が緩む。さっきまでの大暴投を忘れたかのように得意気な笑みを浮かべると、祝杯でも上げようというのか、追加のピザを頬張る為にカウンターへと手を伸ばした。

「それで?」

 遊んでいるのか、口元からチーズを長く伸ばしたC.C.が、唐突にそう口にする。

「これから、どうなるんだ?」

 真上に伸ばしていたチーズが切れ、重力に従って垂れ落ちてくる。それを器用に舌の上で受け止めたC.C.は、唇の油を指先で拭うとルルーシュの方へ顔を向けた。

「お前の暗躍で各地のエリアは経済、統治両面でダメージが深刻化。無駄に広げた戦線の活発化で主力は散り散りでまともに動けない。加えて、今まで上手く誤魔化していた問題が表面化して、貴族と政府の連携は最悪。それに伴う俗物達の暴走。頼みの綱のシュナイゼルはゼロに釘付け」

 くるくる、と手の中のダーツを弄びながら、改めてルルーシュのやり口に感心する。

 いくら、未来の情報があり、東京奪還の功績から各方面の反ブリタニア勢力が素直にゼロの指示に従ってくれたお陰で、世界規模で足並みを揃えてブリタニアに反撃する事が出来たとはいえ、熱したナイフでバターを切るように、こうも簡単にブリタニアを切り崩すとは、皇帝時代のルルーシュを見ていたC.C.ですら思っていなかった。

 正直に言えば、もう勝負は決したも同然とC.C.は考えている。

 先程のルルーシュの話を聞く限り、ブリタニアは一発逆転の策すら半ば封じられたようなもの。シャルルにしろ、シュナイゼルにしろ、その攻略法を熟知している以上、ルルーシュが直接対決で負けるとも思えない。

 だから、C.C.は素直にルルーシュに問い掛けた。

「後は、ブリタニアが自滅するのを待つだけか?」

 今のブリタニアの内情を見れば、もう下手に手を出さなくても勝手に自分の首を締めて終わってくれる。

 そう思ったC.C.が、愉しそうに、ニヤリ、と魔女の笑みを浮かべるが、問い掛けられた側のルルーシュは、同じような笑みを浮かべるも、その首を横に振った。

「まさか。そこまで都合良くはいかない」

「何?」

 ピタ、と魔女の手の中で回っていたダーツが止まる。新たなピザに伸ばし掛けていた手を止め、驚きのままルルーシュの方へ視線を戻した。

「確かに、この状況。此方の有利に見えるが、先を見越せば楽観出来る程ではない。現状、ラウンズもマリーベルもコーネリアも各地の対応に手こずってはいるが、だからと言って、命の危険がある程、危機的状況にある訳ではない。ブリタニアの内部にも亀裂をいれはしたが、バランス感覚に優れるオデュッセウスがいる以上、空中分解するような最悪な展開は望めないだろう。経済方面も同じだ。損得勘定に限れば、ギネヴィアもカリーヌもあれで中々優秀だからな」

 次々と出る名前と共に、久方ぶりに思い出した腹違いの兄弟の事を考えて、ルルーシュは薄く笑う。

「挙げ句の果てのシュナイゼルだ。むしろ、奴なら、この状況、態々ブリタニアの膿を出すのを手伝ってくれて有り難うとか思っていそうだな」

 加えて、ルルーシュの予見が正しければ、そろそろ此方の足並みも乱れてくる。

 奇跡も慣れてしまえば、油断に繋がる。負け続きだった故、慎重且つゼロを頼みにしていた連中も、勝利が重なれば、浮かれ、目先の欲に目がくらんで独断専行に走らないとも言い切れない。

 そうなれば、苦労して作り上げたこの状況も、あっさりと水泡に帰すだろう。地力で言えば、遥かに上のブリタニア。勢いを取り戻させてしまったら、二度とこのような状況は作れまい。

「なら、何で、こんな面倒な事をしたんだ?」

 今のルルーシュが勝利も覚束ないような状況を作る為だけに、ここまで苦心するとは思えない。だが、どうやって勝つのか。それがイメージ出来ないC.C.は眉を寄せて、首を傾げた。

「ブリタニアに最悪を想像させる為だ」

「最悪?」

 鸚鵡返しに聞き返したC.C.に、ルルーシュが、ああ、と答える。

「自らの勝利を確信している相手に聞く耳を期待するのはするだけ無駄だ。だから、まず、相手の余裕を奪う。勝利を確信させている理由を崩し、不利な状況に陥らせ、負けるかも、と思わせる。そうなって、初めて()()が生まれる」

 そこで、C.C.もルルーシュの言わんとしている事が理解出来たのか。成る程、というように頷く。

「そうか。だから、お前、神楽耶を前面に押し出したのか」

 それに答えるように、ルルーシュが小さく笑った。

 

 基本的に。

 国家はテロリストとの交渉に応じない。国によって、多少見解は違うだろうが、少なくとも解決の最善手として積極的に用いようとは、どの国も考えない。

 理由を上げれば、詳細且つ多岐に渡るが、つまるところ、組織の最大単位である国家が、一組織の暴力や非人道的行為に屈してしまえば、テロの有効性を証明してしまいかねず、最悪、国家というシステムの破綻を招く恐れがあるからだ。

 特に、ブリタニアのように力で全てを抑えつけてきた国であれば尚更である。一度でも前例を許せば最後。ブリタニアに対するテロ行為に歯止めが利かなくなるのは火を見るより明らかだ。

 だから、ブリタニアはテロリストと交渉しない。

 故に、どれだけゼロが大義名分を掲げ、正義を謳おうとも彼がテロリストに分類される以上、ブリタニアが語る口を持つ事は決してない。

 だからこその、神楽耶だ。

 日本における最古にして、最も尊き血筋。それ故に、彼女の言葉は十分な資格と正当性を帯びている。

 その彼女が、日本の復活を宣言した。傍らには、桐原もいる。国土はなくとも、資格だけは政府を持つ国として胸を張るには十分だった。

 つまり、あの夜からこっち、黒の騎士団とブリタニアの戦いは、『ブリタニア内におけるテロ組織による過激活動』から『日本とブリタニアによる国家間戦争』に移行したと取る事が出来るのだ。

 そして、相手がテロリストではなく国家となれば、ブリタニアの対応も違ってくる。テロリスト相手には決して開かれなかった口も、相手が国家であるならば、という事だ。

「だが、そう上手くいくか? 負けるかも、と思ったとしても、プライドと自信だけは無駄にある奴等だ。己の勝ちを信じて、最後まで戦い続けるかもしれないぞ?」

「いくさ。何の為に、俺が中華とE.U.に手を出さないでいたと思っている」

『前回』の超合集国とブリタニアのように、世界勢力が二分されているのであれば、C.C.の言う通り、最後まで戦い続ける可能性もあった。

 だが、今はそうではない。中華は健在で、E.U.もまだ息をしている。その状態で、状況の収束にのみ国力を費やしてしまえば、たとえ、ゼロを何とかする事が出来たとしても、その後、この二大勢力を捌き切れなくなる。

 当然、そんな事はブリタニア側も理解している。だからこそ、何処かで落とし処を見つけようとするだろうというのがルルーシュの考えだった。

 

「……しかし、分からんな」

 ルルーシュからの説明を聞き終え、おおよそを理解したC.C.だったが、根本的に腑に落ちない事があった。

「そもそも、どうして、こんな回りくどい方法を選んだ? 今のお前なら、やろうと思えば、もっと手っ取り早くブリタニアを潰せる筈だ」

「もう一度、悪逆皇帝でもやれば良かったか?」

「ふざけるな」

 瞬間、怒気混じりの鋭い声が返ってくる。同時に、くるくると回転しながら飛んできたダーツが、ルルーシュの掲げた書類に遮られてソファに落ちた。

 どうやら、気に障ったらしい。

 睨み付けるように此方を見てくる魔女に、ルルーシュは冗談だという風に軽く肩を竦めた後、真剣な表情になって口を開いた。

「……違いがあるからだ」

「違い?」

 何の事だ、と思うC.C.。その疑問に答えるように、ルルーシュが言葉を重ねる。

「前に、お前とした話を覚えているか?」

「話? 何時のだ?」

「出会った頃、夕方の俺の部屋でした話だ。その時、俺が何て答えたか、覚えているか?」

 それに、ああ、とC.C.が頷く。ルルーシュがゼロとして立ち上がった日の翌日。ギアス一つで強大なブリタニアに立ち向かおうとするルルーシュと交わした会話。世界の変え方。理想。戦いの終わらせ方。その答え。

「誰かが勝てば、戦いは終わる。……お前は、そう答えた」

 そう口にしたC.C.に、今度はルルーシュが頷く。

 それは、当初、思い描いていた通りではなかったのかもしれない。でも、それでもルルーシュは、その言葉通り、『誰か』に勝ち、『誰か』を勝たせ、蔓延した戦争によって疲弊する世界を一つの結末に導いた。

「そこが、『前回』と違う。今回は、誰()が勝つだけでは駄目だ。俺にとっての勝利条件をクリアするには、誰()が勝たなくてはならない」

「誰もが……? それは……、いや…………」

 最初、要領を得ないルルーシュの物言いに渋い顔をしていたC.C.だったが、呟く内に何かに思い至ったのか、徐々にその表情が固いものへと変わっていく。

「まさか………」

 誰かが勝つ。誰もが勝つ。あまり、変わらないように思えるが、明確に違いがあるとルルーシュは示した。

 だが、ルルーシュの求めるものは、――願いは、今も昔も変わっていない。

 確かに、その旅路の中で多少望みは変化し、大きく膨らんだかもしれないが、目指した世界(もの)は何も変わりはしなかった。

 なら、違いがあるのはルルーシュの方ではなく、世界の方となる。

 では、何が違うと考えた時、C.C.の頭に浮かんだのは一つだけだった。

『前回』と『今回』の違い。

 誰も気付かない、しかし、魔王と魔女だけが知っている差異。

 つまり――――

「気付いているのか? 私達を逆行させた敵の正体と、その目的に………」

「確証はない、がな……」

 珍しく断言しない物言いだったが、それでも否定しなかったルルーシュの答えに、C.C.が目を見開いた。

「物的証拠は何もない。あくまで、推論を重ねて組み上げた仮説だ。だが、ギアスの性質に、コードの存在。人の意識を一つに纏め上げる事が出来るラグナレクの接続と、それを可能とするCの世界。そして、同時発現している俺のコードとギアス……。それ等のピースを組み合わせた時、見えてくるものが一つある」

 そして、おそらく、それこそが敵の目的なのだとルルーシュは当たりを付けた。

「それは、何だ?」

 誰が。何の目的で。自分達を利用しようとしているのか。あるいは、しようとしたのか。

 我が身とこれからも長く付き合っていくであろう共犯者の問題であるが故か。少しばかり余裕が消えた声音でC.C.は問うが、返ってきた答えは首を横に振るというものだった。

「何故、言えない?」

「敵に知られては困るからだ。……今は、僅かであっても敵を刺激するような事は避けておきたい」

 ルルーシュが施された封印を解き、コードと共に現実世界に帰還してから、もう少なくない時間が経過している。

 しかし、あの日からこっち。敵が動いた様子はなかった。

 その理由を、ルルーシュは測れないでいる。

 唯の余裕なのか。何かしら、動けない理由があるのか。

 それとも―――…

 

 

 ―――また、会いましょう?

 

 

 誰かが、お節介を焼いているのか。

 

 

 何にせよ、動かない敵を刺激する愚は犯せない。

 今はまだ、動かれる訳にはいかないのだ。今、敵に動かれたら、確実に詰む。

 慎重を期する必要があった。

「………………」

 そんな思索にルルーシュが耽る一方で。

 C.C.の眉が、キリリ、と吊り上がる。

 明らかに機嫌を損ねた様子で、ずかずかと思考に沈む魔王の近くまで来ると、不穏な気配に顔を上げたルルーシュの上に、覆い被さるようにのし掛かった。

「――――おい」

 見ようによっては、ルルーシュの太ももの上にC.C.が腰を下ろしているようにも見える。実際には、片膝を跨ぎ、やや前傾姿勢になっているものの、背もたれに付けた手が僅かな空間を作っている為、そこまで密着している訳ではないが、そんな体勢の考察よりも、どうしてこんな体勢になったのかの方が気になるルルーシュは、怪訝な表情でC.C.に問い掛けようとする。……が、直近から見下ろしてくる魔女の瞳と表情を見て、とりあえず言葉を飲み込んだ。

「……今の言い方」

 無感情な言葉が魔女の唇から零れる。ぐっ、と更に近付いた頭の動きに合わせて、C.C.の肩から、さらり、と長い髪がルルーシュの顔に滑り落ち、ヴェールのように二人の表情を隠した。

「私が信用出来ないと言いたいのか?」

 敵に知られては困る。それは、返せば、C.C.が敵に知られるような行動を取る可能性があると思われてる訳で。

 確かに、昔は色々あったが、この後に及んで、そう思われていると思うと腹が立ち、そして、それ以上に悲しくて、寂しくなる。

 それを悟られたくなくて、荒々しく強引に詰めよった訳なのだが、勿論、そんな風に考えてはいなかったルルーシュは、ただ、目の前の魔女の怒りに困惑するだけだった。

「別に、そんな事は思っていない」

 あっさりと出てきた否定の言葉に、C.C.は内心で安堵する。

 だが、ならば、何故。

「何故、話せない?」

「逆に聞くが、話しても良いのか?」

 C.C.の問いに問いで返したルルーシュの指が、C.C.の前髪を割り、その奥にあるものに触れる。

「俺達の会話が盗み聞きされている可能性は? ナリタの時のようにお前の記憶を読み取られる可能性はないのか?」

 C.C.の意思とは裏腹に、情報が漏洩する可能性がある。その可能性を示したルルーシュに、C.C.は、む、と唸ると押し黙った。

「皇帝達にバレるのは、別にどうでも良い。だが、そこから敵に情報が流れるのだけは防がなくてはならない。その可能性がないと言い切れるなら、今すぐにでも全てを話そう」

 保険は必要だからな、とルルーシュが続けるが、C.C.は口を開かない。

 ルルーシュの示唆した通り、可能性がないとは言い切れなかったからだ。

「…………悪いが、そうでないなら、今は話す事が出来ない」

 キッパリと断言する声に、魔女からの反論はない。

 納得出来たからではない。言えない理由があるのは分かったが、だからと言って、大人しく蚊帳の外に置かれていろ、と言われて素直に頷ける程、彼女は物分かりの良い性格をしていない。

 だが、世界にすら勝利したルルーシュをして、ここまで慎重に成らざるを得ない敵であるとも分かってしまった為、無理に聞き出す事も躊躇い、結果として、彼女は肯定も否定も出来ないまま、沈黙するしかなかった。

 そんなC.C.の葛藤を感じたのか。

 俊巡するように、一瞬、視線を彷徨わせたルルーシュが、何か言おうと口を開きかけた時だった。

 甲高い音が、二人の空間に割って入ってきた。ルルーシュの携帯が鳴る音だった。

「…………私だ」

 タイミングを削がれたルルーシュが、嘆息気味に一つ息を吐くと、携帯に出る。

「……そうか。思ったより粘った方だな。……いや、私が行こう。手は出さなくて良い。見失わないようにだけしておけ」

 手短に用件を伝え、携帯をソファに放る。

 そして、改めて、正面を見やれば、先程の怒気が込められた瞳から打って変わって葛藤と感情に揺れる瞳とかち合った。

 その瞳を、しばし、じっと見つめるルルーシュ。

 だが、やがて、根負けしたように、ふぅ、と小さく息を吐き出すと、ゆっくりと頭を持ち上げた。

「……心配しなくても」

 こつん、と小さな音を立てて、二人の額が触れあう。

「お前には、最後まで付き合って貰う。置いて行くつもりはないし、時が来れば、きちんと全て説明する。だから、今は納得して、大人しく俺に使われろ」

 口調は相変わらず。けれど、声はいつもよりも穏やかに。

 ある意味、暴君のような、信ある言葉が、唇が触れ合いそうな距離から紡がれた。

 額の熱と、互いの吐息を感じながら、黙って視線を交わし合う。

 完全に納得した訳ではないだろう。

 けれど、ルルーシュの言葉はしっかりと胸に溶けたのか、C.C.は感情を飲み込むように、一度、静かに瞳を閉じた後、ルルーシュの上から退いた。

 身体を反転させて、ちょこん、とルルーシュの隣に腰を下ろす。

 一応の納得を見せたとはいえ、彼女なりに今の問答に思うところがあったのか、普段のようにだらしなく寝そべる事なく、何かを考えている。

 そんなC.C.の様子を横目に、ルルーシュはソファに放っておいた携帯を手に立ち上がると、背もたれに掛けていた学生服の上着に袖を通し始めた。

「……何だ? 何か用事でも出来たのか?」

「報告があった。放っておいた鼠が、ちょろちょろと動き出した、とな。適当に処理させても良かったんだが……、丁度良い、C.C.、お前も来い。意見が聞きたい」

「意見? また、悪巧みでもするつもりか?」

 悪い事を考えていそうな気配を感じて、C.C.は軽口を叩くが、ルルーシュは、意外にも、まさか、と首を横に振ると、何を思ったのか、おもむろにソファに転がっていたダーツを拾い上げた。

「そこまで、大した事じゃない」

 小さな笑みを浮かべ、ペン回しのように指の上でダーツを一回転させる。そして、ボードの方に首を巡らすのと同時、それを投げ放った。

 

 

「――――ただの実験だ」

 

 

 ダンッ、と獲物を射抜くような鋭い音を立てて、ダーツがボードの真ん中に突き刺さった。




 更新再開という。

 そんな訳でお久しぶりになります。諸事情により、長らく更新を停止していましたが、皆様の温かいお言葉を受け、この度、更新を再開させて頂きました。
 とはいえ、もう半年近くも離れていたので忘れられてるかもしれませんが……(汗)
 それでも、また読んでやるよ、という読者の方がいらっしゃれば 、またお付き合い下さると幸いです。


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PLAY:24

 前回、沢山の感想と評価をして頂き、ありがとうございました!
 本気でもう忘れられていると思っていたので、あまりの感想の多さに別の作者さんのアカウントを乗っ取ったのかとビビりました。
 本当にありがとうございます。そして、こんなに沢山感想を貰ったのに、似たような感謝の言葉しか返せなかった作者の語彙力のなさを許して下さい(涙)


 漏れ出る息が掠れる程に心肺機能を酷使した呼吸が、闇の中から聞こえてくる。

 時に止まり、時に動き、しかして、ひっそりと。闇の中の、更に闇。見えぬ影を踏むかのように、 人影が一つ、東京の夜をひた走る。

 

(やった、やった、やった、やった…………ッ!)

 

 ぶるり、と身体が震える。逸る動悸は、走っているからだけではないだろう。

 声すら忍ばせる程に慎重な動きとは裏腹に、彼女の心の中は歓喜と喝采に溢れ返っていた。

 

 

 

 千草、と日本人の男性から呼ばれていた女性が、本来の名前を思い出したのは、トウキョウ租界がそう呼ばれていた最後の夜の事だった。

 おそらく、自分が記憶を失う事になった直接の原因のその特徴的な髪色を見たのが、引き金だったのだろう。

 その日、彼女は、全てを思い出した。

 自分がブリタニア軍人である事。とある事件を契機に落ち目となった純血派と呼ばれる組織に属していた事。名誉の回復と共に戦果と栄誉を得る為、勇み足を踏み、失敗した事。

 自分が、ヴィレッタ・ヌゥである事を。

 そうして、自分を取り戻して。

 奇しくも、敵の最大戦力の、その中核に近付く事に成功したヴィレッタが、このチャンスを前にして、何をしたかというと―――、何もしなかった。

 彼女の名誉の為に言うなら、別に日和った訳ではない。彼女なりに何かをしようとして、結局、何も出来なかったのだ。

 確かに、彼女は敵の中核に位置する場所にいた。絶好の機会でもあった。だが、それだけだった。チャンスはあっても、巡ってきたタイミングは最悪でしかなかった。

 武器はなかった。味方もなかった。周りは敵だらけ。トウキョウの自軍は敗走中。そして、自分は信頼が地に落ちた純血派の軍人。仮に通信手段を入手して、内外で協調して動いて貰おうにも、言葉と力に信頼が足りない。

 無い無いだらけである。その状態で、鍛えているとはいえ、たかが女の身一つで、どうやってチャンスを物にしろと言うのか。

 不可能である。出来るとしたら、精々が自分を信頼しきっている敵の副司令の命を奪うなり、致命傷を負わすなりして、小火騒ぎのような混乱を起こして逃げる事くらいだろう。

 しかし、ヴィレッタはそれをしなかった。()()()それすらも許されなかった。

 何故なら、彼女はゼロの正体を知らない。一目たりとも、その仮面の中身を見てはいなかった。

 

 

「―――――は、……は、……ッ」

 建物の陰に身を潜め、興奮と緊張、走り続けて乱れた呼吸を整える。

 喘ぐように肩を上下させて、時折、大きく酸素を取り込もうと深めの呼吸を挟む。酷使された肺は、酸素を取り込む度に、じくりと痛み、走り続けた足は、もう、ふくらはぎが張り始めていた。

 その姿は、どこから見ても、軍人には見えない。軍務から離れて久しいヴィレッタの身体は、彼女が思うよりも、かつての自分を忘れ去っていた。

「―――――ッ!」

 その事実が、腹立たしかった。怒りのままに、ビルの壁面に拳を叩きつければ、弱り切った皮が捲れ、血が滲む。怒りの発散すら儘ならない体たらくが、更に怒りに拍車をかけた。

 それでも、そこらの女性のように癇癪を起こして、喚く事はしなかった。

 身体は鈍っても、心までそうであるつもりはない。

 少なくとも、心は昔のまま。何も忘れてはいない。

 だからこそ。

(屈辱に耐え、イレブンの恋人の振りをしてこられたのだ……ッ!)

 歪な笑みを闇に浮かべ、ヴィレッタは自らの行動を自賛した。

 

 

 ヴィレッタは、あの日、行動を起こさなかった。起こさず、記憶が戻った事を悟られないように留まった。……留まらざるを得なかった。

 それは、今現在、軍での自身の扱いが、どうなっているか分からなかったからだ。

 作戦行動中の行方不明として処理されているなら良い。だが、ヴィレッタは軍から離れての独自調査中に記憶を失っている。その為、意図不明の音信不通から脱走兵として扱われている可能性があった。

 もし、そうなら最悪である。腐っても規律にうるさい軍隊だ。誤解が解けなければ、銃殺刑もあり得る。

 加えて、仮に誤解が解けたとして。命を失わずに済んだとしても、あまり明るい未来は期待出来ないだろう。ナンバーズの捕虜になったという汚名は免れず、オレンジ疑惑があった純血派の所属となれば、内通者として疑われる可能性も十分にある。なくても、出世の道は間違いなく断たれる。

 成果が必要だった。

 それも、唯の成果ではない。失態を帳消しにして余りあるくらいの、ゼロの正体(特大の成果)が。

 だから、彼女は決意した。

 それが、どれ程の屈辱であろうとも、己の野心の為に。

 計らずも得られた扇要という黒の騎士団の幹部に近しい人物という立ち位置を最大限利用すると。

 その為に、ヴィレッタ・ヌゥを殺し、存在しない偽りの人間、……千草であり続ける事を。

 

 それからの日々は、羞恥と屈辱の連続だった。全てが、とまでは言わないが、少なくともこれから先の人生で染々と思い返したい記憶ではない。

 男に擦り寄り、甘い言葉を繰り、情報を引き出す。

 覚悟しての事とはいえ、まるで娼婦のような己の振る舞いに、嫌悪を抱かずにはいられなかった。

 その度に、この先にある栄光を夢想し、ひたすらイレブンの恋人を演じながら、ゼロの正体を探り続けていたヴィレッタだったが、これが中々上手くいかなかった。

 当初、ヴィレッタはここまで時間が掛かるとは思っていなかった。

 彼女の主なターゲットである扇が千草に熱を上げているのは誰の目にも明らかである。そんな扇であれば、ヴィレッタが千草として、少しばかり甘い言葉を吐いて迫れば、すぐにでもゼロの正体について溢すだろうとタカを括っていたからだ。

 だが、ヴィレッタの予想に反して、扇の口は固かった。

 あるいは、少し前までの扇であれば、ヴィレッタの目論み通り、すぐにゼロの正体を引き出せたかもしれない。

 しかし、あの夜、恋人を心配するあまり、作戦に身が入らなくなっていた自身の言動をゼロに諌められて以来、扇は公人としての振る舞いと意識を少しずつ身に付けるようになっていった。

 ひょっとしたら、そこには、自身の問題に恋人を巻き込みたくないという扇なりの思いやりもあったのかもしれないが、自分の言動一つで、多くの人間が命を落とすかもしれない、そんな立場に自分がいる事を強く自覚した扇は、どれだけ恋人に傾倒しようとゼロの正体は元より、黒の騎士団に関する情報を口にするような事は一切しなかった。

 ヴィレッタにとっては、良い迷惑である。

 唯のお人好しのままでいてくれれば、どれほど楽だったか。

 泣き言を言いたくはないが、恥を忍び、屈辱を噛み殺して行った色仕掛けの数々が空振りに終わる度、ヴィレッタは色々と複雑な虚しさを感じずにはいられなかった。

 けれど、それでも投げ出さず、諦めなかった甲斐はあった。

 自身の立場を再認識したとはいえ、元は一般人の扇である。

 外に対しては頑なな口も、内側、――仲間内であれば、その限りではない。仲間だけだと思えば、安心から気も緩み、自然と口の滑りも良くなろう。

 ヴィレッタは、その隙を突いた。直接的な方法は効果が薄いと判断した彼女は、こっそりと盗聴器の類いを入手し、間接的な方法で情報の取得に努めた。

 足が付かないように完全に黒の騎士団の流通から外れた場所で入手した盗聴器は精度が低く、また、騎士団の活動中は身体チェックから盗聴器が発見されてしまう恐れがある為、完全にプライベートな時間しか狙う事が出来ず、それ故、めぼしい情報は中々得られなかった。

 しかし、今日、確かな情報を得られた。

 ノイズ混じり、というより、音混じりと言った方が正しいと思える程、酷いノイズの嵐の中から耳に零れてきた三つの単語。

 たったの三つ。だが、ヴィレッタには、それで十分だった。

 

 『ゼロ』。『学生』。そして、―――更に微かに人の名前。

 

 確信が、ヴィレッタの身体を突き動かした。

 

 

 苦々しい記憶を思い返していたヴィレッタの顔が、記憶の終わりを迎えると、先程までのように興奮と歓喜に満ちたものへと変わる。

(学生……、ゼロは学生……! そして、あの名前………ッ!)

 自信と確信が胸中に溢れる。やはり、自分の推測は正しかったのだと。

 故に、ヴィレッタはその情報の真偽を確かめなかった。自分が持っていた情報と、苦労して手に入れた情報が、きちんと線で繋がったと思えたからだ。

 

 間違いない、ゼロはアイツだ。

 

 朧気に浮かぶ人影。靄に埋もれかけたシンジュクでの一幕を思い出したヴィレッタは、抑え切れない感情に何度目になるかの身体の震えを覚えた。

 とはいえ、それもしょうがない事ではある。

 ゼロ。それは、今や、ブリタニアにとって死神よりも死神の名だ。

 何せ、ブリタニアは世界の三分の一近くを占める超大国。そのブリタニアの心胆を寒からしめているとなれば、それは即ち世界を半数に届こうという数で震え上がらせているということ。そう考えれば、確かにゼロの存在は死神よりも死神らしいと言えよう。

 それの正体を突き止めたとなれば、値千金の価値はある。実際、この情報を上手く使えば、ブリタニアはこの窮地を脱するどころか、混乱に乗じて更に版図を広げる事も可能に違いない、とヴィレッタは考える。

 そうなれば、報奨は思いのままだ。失態の帳消しは勿論、念願の爵位とて、かなりの位を授かる事が出来る筈。

 それだけではない。軍での地位だって、きっと望める。将軍や、それこそ、神聖ブリタニア帝国における騎士の最高位、ナイト・オブ・ラウンズすら――――。

「ッ」

 足が止まる。己の輝かしい未来を想像していたヴィレッタは、緩んだ己の表情を引き締めると、物影に身体を押し込んだ。

 荒れる息を無理矢理整え、注意深く物陰から顔を出せば、視線の先に黒の制服を着た男が数人集まっているのが見えた。

 会話は、勿論、聞こえない。ただ、固まっていた男達が、何事かを話し合い、頷きの後、散っていく様から、ただ事でない事は理解出来た。

(……私がいなくなった事がバレたか………?)

 偽装工作も何もせずに、衝動のままに飛び出してしまった事が悔やまれる。……が、それも今更な事である。

 思考を切り替えつつ、周囲の状況を窺う。しばらく、様子を見るが、黒の騎士団の団員が集まってくる気配は感じられなかった。

 つまり、まだ、居場所までは突き止められていない。ならば、逃げ切れる可能性は十分にある。

 今、ヴィレッタがいるのは外縁部の辺りになる。公共機関その他を使っては逃走ルートが割り出されると思ったヴィレッタは、新開発地区から徒歩でゲットーへ出るルートを選んだ。

 かつてなら、そこかしこにイレブンがうようよしていたゲットーだったが、東京が解放され、無駄に広大だった貴族区画が日本人居住区として整備し直されるにつれ、徐々にその数を減らしつつある。

 となれば、警備も手薄な筈。だから、ゲットーに降りれば、多少、強引な手段で移動方法を確保したとしても逃げ切れる。そう、ヴィレッタは踏んだ。

 その狙いは、ここまでは上手くいったと言える。

 ここに来て、追手が掛かった可能性があるが、ゲットーはもう目と鼻の先だ。

 逃げ切れる、いや、何としても逃げ切る。

 そう決意を新たに、物陰から飛び出そうしたヴィレッタだったが、飛び出す直前、その動きを止めた。

 何かに気付いたように、そろりとポケットに手を突っ込む。そうして取り出したのは、携帯だった。

 今は電源を切っている為、ウンともスンとも言わないそれは、関係が親密になってすぐの頃、扇から手渡されたものだ。

 ――ふと、考えが過る。

 扇から渡されたコレに、発信器の類いが仕込まれてはいないかと。

 扇の性格を考えれば、可能性は低い。

 だが、彼の上役はゼロだ。用心深いあの男が、副司令が敵軍の女と親密になってる事を知って、何の手も打っていないとは考えにくい。それこそ、扇に黙って発信器を仕込むくらいはするだろう。

 なら、これ以上、コレを持ち歩くのは危険だ。

 そう判断したヴィレッタは、手に持った携帯を破壊しようと腕を大きく振りかぶり―――、ぴたり、と動きを止めた。

 表情が変わる。躊躇いの色が覗く表情は何やら苦しげで、振りかぶったまま、腕を下ろせない。

 如何なる理由からか、指先が震える。それを誤魔化すように力を込めれば、より手の中の携帯の存在感が大きくなった。

「ッ、何を………ッ」

 躊躇う必要はない。

 これを捨てない意味はない。持ち続ける理由など皆無だ。

 先程の想像通り、発信器が仕込まれている可能性は大いにある。今すぐに手放さないと、全てが無駄になるかもしれないのだ。

 連絡手段など幾らでも調達する手段はある。登録されている番号も、扇のみ。失ったところで、困るものではない。ないのだ。

 なのに――――。

「こんな……! こんな………、もの………」

 冷静な思考とは裏腹に、ヴィレッタの顔が歪んでいく。力を込め過ぎた指先は白く、震えは全身に伝播していく。

 ふと、誰かの顔が思い浮かんだ。

 唯の情報源でしかない男の顔。利用しているだけの男の、その表情。

 いつも、優柔不断で、すぐに動揺して、遠慮して、きっぱりと物を言う事が出来なくて。

 でも、だからこそ、自分を主張せず、相手を立てて、損な役回りを引き受ける事も躊躇わない。

 優しい、と言うよりは損な性格の、文字通りのお人好し。

 そんな人間を、ヴィレッタはその男以外に知らない。そんな面倒な性格の人間を、ヴィレッタは初めて見た。

 だから。だからこそ………。

「…………違うッ!」

 理性とは別のところで、感情に後押しされた思考が働こうとするのを無理矢理押し止める。

 強く目を瞑り、頭を振れば、結っていなかった銀の髪が、激しい首の動きに合わせて宙を舞い、今の心境を表すかのように、ぐしゃりと乱れた。

 胸が、苦しかった。じくじくと刻む心臓の鼓動が痛かった。

 先程までとは違う、胸の苦しみ。

 その痛みと苦しみを自覚する度に、振り上げた腕から力が抜けていく。

 

 ―――本当は。

 

 きっと分かっている。胸の苦しみ、痛み、身体の震え、歪む表情のその意味を。

 考えないようにしている。つまり、それは考えれば理解出来るという訳で。

 本当は理解しているのだ。この胸に、確かな感情が芽生えた事を。

 理解している事を、ヴィレッタは理解していた。

 

 だからこそ。

 

「―――――ッ」

 目が見開かれる。

 抜けかけた腕に、再度、力が込められ、手の中の携帯がみしりと鳴った。

 そう。

 だからこそ、理解しては駄目なのだ。認めてはいけないのだ。

 だって、それはヴィレッタ・ヌゥを殺す。

 認めてしまえば、今までの全てが崩れる。価値観も、信念も、積み上げてきたもの、歩んできた人生そのものが否定される。

 だから、駄目だった。

 ずっと、自分が心より渇望していたものよりも大切なものがある。望んでいた人生よりも幸福なものがある。

 それに気付いたとして、その為に今までの全てを捨て去れる程、ヴィレッタ・ヌゥという女は強くはなかった。

 ならば、捨て去るべきは。

 

 振り上げられた腕が、遂に下ろされる。

 声が漏れないよう喉は引き絞られ、乱れた髪の合間から覗く瞳は揺らぐ事を堪えるように険しく、叩き付ける地面を見据える。

 そこに、誰かの姿を幻視した。

 ヴィレッタは、もう構わなかった。

 

 故に。

 

 彼女が今一度、振り下ろそうとした手を止める事になったのは。

 

 

「どうかしましたか? こんな所で」

 

 

 この場には不釣り合い過ぎる程に甘い、死神の声が聞こえたからだった。

 

 

「ッ!?」

 突然、思考に割って入ってきた声を聞いたヴィレッタの行動は早かった。

 感情に振り回されていた思考を一気に冷やし、乱雑に携帯を仕舞い直すのと同時、懐に手を忍ばせる。

 錆び付いてしまった肉体であっても、機敏さを忘れない身体に染み付いた軍人の性。

 先程までの動揺はどこへやら。一瞬にして、軍人としての顔に戻ったヴィレッタは、警戒を顕に懐の物体に手を掛けた。

 盗聴器とは別に、こっそりと入手していた小型の銃。

 例に漏れず、バレない事を第一に動いた為、質の良い物は得られなかったが、それでも銃は銃だ。人の一人や二人、殺める分には事足りる。

 その引き金に指を掛ける。何かあれば、いつでも抜き放てるよう神経を尖らせながら、ヴィレッタは声がした方向、自分がこれから向かおうとしていた道の先を睨んだ。

 すると、まるでヴィレッタの準備が整うのを待っていたかのようなタイミングで、暗闇からまた声が聞こえてきた。

「こんな時間に女性が一人でいるのは危ないですよ?」

 敵意も殺意もなく、善意しか感じられない柔和な声がコンクリートを叩く靴音に交じりながら響く。

「それとも、何か困り事でも? なら、お力になりますが」

 同時に人の影が闇から這い出てくる。いや、この場合、その言い方は正しくないかもしれない。

 何しろ、夜の闇からひっそりと現れたその姿は、その演出とは不釣り合いな程、不気味とも脅威とも縁遠い姿だったからだ。

 日本人よりも漆黒の髪。女性のように細い身体とその身を包む学生服。

 夜闇の僅かな明かりに浮かんだ紫紺の瞳は優しげな光を湛え、表情は此方を安心させるように柔らかい。

 明らかにブリタニア人の学生。紛う事なき一般人の容貌は、どこから見ても危険には見えない。

 普通なら、その姿を見れば、唯のお節介な一般人が声を掛けてきたものと思い、警戒を解いていた事だろう。

 だが、ヴィレッタは違った。

 人好きする笑みを浮かべて、ゆっくりと此方に向かってくる男の挙動に注意を払いながら、相手を牽制するように口を開いた。

「ルルーシュ………、ランペルージ」

 ぴたり、と男、―――ルルーシュの足が止まる。

 それを見て、ヴィレッタの口元が笑みの形に歪む。

 何も知らない風を装いながら近付いてきたゼロに、その本当の名前を告げる事でヴィレッタは相手の警戒を誘った。

 知らないとでも思ったか。ゼロの正体だけではない、その中身についても調べは付いているぞ。

 暗にそう告げる事によって、此方の優位性を示すのと同時に相手に此方の出方を伺うよう仕向け、場の主導権を握ろうとしたのだ。

 しかし。

「ランペルージ、か………」

 警戒して足を止めたと思ったヴィレッタの予想に反して、ルルーシュの反応はつまらなそうに、そう呟くものだった。

「成程。一度は俺に辿り着いたお前だ。これだけ時間があれば、もう少し調べが付いてるものと思ったが……、所詮はこの程度だったか」

 使えるのであれば手駒にしようかとも考えていたが、これでは足手まといにしかなるまい。

 そう結論付けたルルーシュの口から、ふぅ、とこれ見よがしに溜め息が零れた。

「なら、もう見るべきものはない」

 正体を知っていると暗に告げているにも関わらず、警戒する素振りの一つも見えない。

 それどころか、完全に興味を失ったと言わんばかりの言葉と目が、ヴィレッタの感情を逆撫でした。

「貴様………」

 舐められている。明らかに。

 道端の小石程度にしか自分を見ていないゼロの目付きに、ヴィレッタが低く唸る。

 思わず懐から銃を抜き放ちたくなる衝動に駆られるが、ここ数ヵ月で鍛えられた忍耐力が何とかそれを抑え込む。

「随分と余裕だな? それとも、状況が分かっていないのか?」

 内心の苛立ちを押し隠し、あくまでも自分が優位にあるように振る舞う。

 正直に言えば、こんな悠長な事をしていないで懐の銃を頼りに一気に突破してしまいたかった。

 何しろ、目の前のこのゼロは、どんな手品かは分からないが相手の心身を喪失させ、記憶を欠落させる術を持っているのだ。

 本当なら、こうして向かい合っているのも危険かもしれない。リスクを考えれば、相手をせずに一気に突破するのが最も賢い選択だろう。

 だけど、同時に、だからこそ強引に突破を図れなかった。

 ゼロの能力について、ヴィレッタが知っているのはその発動効果だけ。発動条件は何も分かっていない。

 目線か。キーワードか。手振りか。立ち位置か。距離か。

 何をトリガーに発動するか分からない以上、ゼロの一挙手一投足に注意を払っていなければ対応出来なくなる恐れがあるし、下手に動いた結果、発動条件を満たしてしまったなんて事になっては目も当てられない。

 だから、何とかしてこの場の主導権を握り、明確な隙を作りたいのだが。

「状況も何も、部下の情婦一人連れ戻す事の何に慌てろと言うんだ?」

 相手は、嘘と仮面で世界を騙し通した男。

 言の葉で刃を交えるには、悪すぎる相手だった。

「それとも、お前はこう言いたいのか? 私はお前の正体を知っている。私はお前を破滅させる事が出来るんだぞ、と」

 あっさりと告げられたその言葉に、ぐっ、とヴィレッタの喉が鳴った。

 主導権を握る為に、ヴィレッタがちらつかせていたカード。

 それを事も無げに告げられ、ヴィレッタは手品のタネを見透かされたような居心地の悪さを覚えて押し黙った。

「何だ、図星か」

 閉じた口の分、睨み付ける力が増した目を面白そうに見ながら、くつくつとルルーシュが笑う。

「おめでたい奴だ。尻尾の見えている鼠を何時までも放置していた時点で、その情報がどの程度の価値しかないのか、自然と分かるだろうに」

「何………?」

 何やら、聞き捨てならない事を言われた気がした。

「どういう意味だ?」

 今まで慎重に慎重を重ねて、隠してきたゼロの素性。

 それがバレても構わない、と言うかのような言い種にヴィレッタは眉を顰めた。

「知る必要があるのか?」

 にべもなく疑問が切り捨てられる。

 そして、次の瞬間。

()()()()()()()()()()()()()()()

 空気が変わった。

「ッ!?」

 ヴィレッタが飛び退く。

 言葉が刃となって喉元に突き付けられたようなイメージに襲われ、ヴィレッタは本能に従って咄嗟に距離を取ると、懐から銃を引き抜いて、構えた。

「ほう? 大事そうに何を懐に入れているかと思えば。どうやら、そこまで腑抜けてはいなかったらしい」

 抜き出された銃を前に、臆しもしない。逆に感心したような表情で自分に狙いを定める銃をルルーシュは眺める。

「だが、やはり、しょせんはこの程度か」

 言うが早いか、ヴィレッタの背後でじゃり、と音が鳴る。

 物音に反応して、ヴィレッタは僅かに後ろに視線をやり、――舌打ちをした。

 記憶に張り付いた、忌々しいライトグリーン。暗闇の中でも、不遜な輝きを忘れない金色の瞳。

 ゼロの愛人と揶揄される程にゼロに近しいこの女の存在を、完全に失念していた自身の迂闊さをヴィレッタは呪いたくなった。

 しかし、今更、後悔したところで遅い。

 前門の魔王に、後門の魔女。

 油断は決してしていなかったのに、気付けばどんどん追い詰められつつある状況に、ヴィレッタの背中に嫌な汗が流れた。

(どうする………?)

 数の利を取られてしまっては、もう主導権がどうこうと言ってはいられない。というより、この男を相手にその考え自体、愚考でしかないと遅まきながら気付く。

 なら、取るべき選択肢は………。

「危険を承知で強引に突破を図ろうと考えてるなら、やめておけ」

 ヴィレッタの思考を読んだかのようなタイミングで声が掛けられる。 

「無駄だ」

 決めつけるような一声が、癪に障る。

 障るが、……無視した。むしろ、チャンスだとほくそ笑む。

 ゼロは慢心している。勝手にヴィレッタを下に見て、自分が勝つと驕っている。

 それは油断だ。隙であり、急所だ。

 ならば、その急所。容赦なく―――。

(突かせて貰う!)

 心の中で啖呵を切り、それを引き金にヴィレッタは動いた。

 カチャリ、と手にすっぽりと収まる程の小さな銃が音を立てる。狙うは眼前に立ちはだかる仮面を脱いだ男の胸。

 そこに狙いを定めたヴィレッタは、引き金に指を掛けて―――、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 本来なら、撃つべき用途にある銃を、唯一であろう武器を自ら手放すという愚挙、それを以て一瞬の虚を作り出すべく、ヴィレッタは牽制を兼ねて後ろの女に銃を投げつけた。

 そのまま、身体を反転。足に力を込め、次の瞬間生まれるであろう虚を最大限利用すべく、ヴィレッタは駆け出す。

 予想外の行動に相手の思考が停止しているだろうこの一瞬でゼロに肉薄すべく、鈍った足を総動員して全力で。

 同時に、空を切るように腕を振るう。すると、袖に仕込んでおいた果物ナイフが、するりと手に滑り落ちた。

 折り畳みの刃を反転させ、銀の刃が顔を出す。殺傷力は先程の銃よりも、更に心許ないが銃だけが唯一の武器と侮っているなら、その小さな輝きはそれだけで相手の虚を広げる一助となろう。

 事実、それが正しいというかのように、数歩先まで迫ったゼロは何の動きも見せていない。

 固まったかのように、ポケットに片手を突っ込み、変わらず見下したようにヴィレッタを見下ろすばかりだった。

 勝った、とヴィレッタは思う。

 ここまで迫れば、もうゼロは何も出来ない。ゼロが何かするよりも早く、ヴィレッタのナイフがゼロを捉えるだろう。

 

 

 二人目がいる時点で、()()()()()()()()()()()()という、当たり前の疑念にヴィレッタが思い至っていれば、だったが。

 

 

「!!」

 背中に、悪寒が走った。

 それに嫌な予感を覚えたヴィレッタは咄嗟に足を止める。

 すると、一瞬後に自分の顔があったであろう場所を、頬を掠めるように何かが飛んでいった。

 ちり、とした感覚が頬に残る。投擲武器、と気付いたヴィレッタが第三者の存在に今更ながら気付き、凶器が飛んできた方法に視線と注意を向ける。

 だが、遅かった。

 ヴィレッタの視界に入ったのは白いエプロンドレスと翻る黒のフレアスカートのみ。

 この場にあまりにそぐわないその服装に感想を抱く余裕すらない。反射的に掲げた腕に重い衝撃が走り、堪らずヴィレッタは吹き飛ばされてしまう。

 固いコンクリートの上をボールが跳ねるように転がる。それでも、最後に何とか体勢を立て直せた辺り、腐ってもというべきか。

 でも、それまでだった。

 衝撃を殺し、体勢を立て直し、敵の追撃を警戒するヴィレッタ。

 その肩に。

 

 ―――ポン、と。

 

 気安く、手が置かれた。

 

 それに、ヴィレッタは振り返った。―――振り返ってしまった。

 振り返るヴィレッタのその視界。その全てを塗り潰すように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 緋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 が

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………え?」

 ぽつん、と呟きが漏れた。

「ここは…………?」

 唐突に夢から覚めたような気分で、ヴィレッタは周囲を窺う。

 薄暗い路地裏。遠くに鉄筋だけの建物。更に、あちこちに資材を覆うブルーシートや大型重機の姿があるという事は、おそらく新開発地区の何処かなのだろう。

 だが。

「何故、私はこんな所にいる―――?」

 そも、どうして自分がこんな所に突っ立っているのかが分からない。

 本当に眠りから覚めた時のように思考が働かず、ヴィレッタは此処に至るまでの自分の行動を思い起こそうと、頭を抱えて首を振った。

 確か、自分は自身の名誉と功績の為に、ゼロの正体を突き止めようと副司令たる扇の恋人のフリをしていた筈。己の行いに恥辱を覚えながらも、耐えて堪えて頑張ってきた。それは間違いない。

 そして、今夜、その扇の元を飛び出したのだ。興奮を覚えつつ、緊張と疲労を背負って必死にここまでやって来た事をヴィレッタは思い出した。

 思い出して、………愕然とした。

 ここまでの記憶については、問題ない。扇の所にいた理由もその間の記憶も確かにある。

 新開発地区についてからの記憶が全くないのは、少々疑問に残るが、今はどうでもいい。

 問題なのは。

()()()()()()()()()()()()()………!?」

 あそこから逃げ出すのは、ゼロの正体を知ってからだった。なのに、何故、自分は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――――?

 ふらり、と崩れ落ちそうになり、冷たいコンクリートの壁面に背中をつける。

 自身の行動をつまびらかにしたヴィレッタは、とても酷い顔をしていた。

 ショックと混乱と、後悔と苛立ちと疑問がごちゃごちゃと頭を駆け巡り、遂には訳が分からなくなって、爪を立てて頭を掻き毟る。

 自分で自分が信じられなかった。

 ここまで、軍人にあるまじき行為に耐えてきたのは何の為か。何があろうと投げ出さなかったのは、どうしてか。

 その意味も理由も、自分が一番よく分かっている。

 なのに、その自分が自分を裏切ったのだ。自分が耐え忍んできたその全てを、自分の手でぶち壊したのだ。

 正気の沙汰とは思えなかった。どう考えても、ヴィレッタ・ヌゥの思考、行動から大きく逸脱している。

「どうして、私は………」

 泣きそうな声で、自らの行動を自問する。どうして、全てを無に帰してまで、自分は扇の元を離れようとしたのか、と。

 その答えは、ヴィレッタの中にない。

 だが、それでも、自分が自分らしからぬ行動を取った理由について、意味を求めるとしたら、考えられるのは………。

「千草!!」

 突如として聞こえてきた声に、肩が震えた。

 ノロノロと顔をそちらに向ければ、肩を大きく上下して必死な様相で自分を見る男の姿があった。

「扇…………」

「千草……、良かった」

 安堵したように胸を撫で下ろし、扇が笑みを見せる。

「急にいなくなったから………、その……、心配した」

 言葉を選ぶように、いや、言葉を避けるように口数少なく、扇がヴィレッタの方へ歩み寄っていく。

 まるで、迷子の猫を捕まえようとするかのように、慎重に。

「さ、帰ろう? ……どうして、君がこんな所に一人で来たのかは知らないが、大丈夫。何があろうと君は俺が守る」

 事情も聞かず、恐がるように話をまとめ、扇は笑顔と共に手を差し出した。

 その手を、ぼんやりとヴィレッタは見つめる。

 もし。

 そう。もし、今までの自分からは想像出来ないような行動を自分が取ったとして、その場合、考えられるのは。考えられるとしたら。

「だから………」

 それは、自分を変えようとする誰かがいるからだろう。

「―――――!」

 瞬間、覚醒した。感情が沸騰し、混乱する思考を押し退けて、身体を動かした。

「近付くなッ!!」

 いつの間にか、手にしていた銃を扇に向かって構えた。

「お前の……ッ、お前が………ッ」

 言葉が上手く出てこない。興奮に銃を持つ手は震え、その表情は今にも泣き出しそうだった。

「千草? 一体、どうし―――」

「近付くなと言っているッ!!」

 拒絶の言葉と共に弾痕が足下に刻まれ、扇は思わず足を止めてしまう。

「お前のせいなんだ……ッ、全部、お前がいたから……ッ、だから、私は、こんな………ッ」

 苦しげに、呻くように、言葉に出来ない想いを絞り出すように吐き出していく。

 それが余りにも辛そうで。扇もまた悲しげに顔を歪めながら、知らず足を一歩踏み出した。

「千草………」

「違うッ!」

 扇の言葉と行動に反応して、再び、地面に弾痕が生まれる。

「私はヴィレッタ・ヌゥだ! ヴィレッタ・ヌゥなんだ! それ以外にない! なりたくもない!」

「だとしても!」

 髪を振り乱し、そう叫ぶヴィレッタの声に被せるように、扇も声を張り上げる。

「だとしても。君が千草でなかったとしても……。それでも、俺は、きっと君が――――」

「言うな!」

 三発目。今度は、扇の顔を掠めるように銃弾が夜の闇に消えていった。

「出会わなければ良かったんだ…………」

 か細い、糸のように小さな声がヴィレッタの唇の隙間から零れた。

「そうすれば、こんな苦しみも、こんな自分を知る事もなかった」

 小さな、小さな声が夜に落ちる。今の今まで火が付いたように盛っていた姿が、まるで雪のように儚く、溶けて消えそうな程に弱々しく見えた。

 その姿に、手を伸ばす。

 そして、声を掛けようと口を開きかけて―――、何と呼べば良いか分からず、何も言えないまま、扇は口を閉ざした。

「扇!」

「おい、大丈夫か!?」

 沈黙を破るように大声が二人のいる場に響いた。それを合図に二人は我に返る。

 先に行動に出たのはヴィレッタだった。弾かれたように扇に背を向け、路地裏の闇に消えていこうとする。

「待っ―――」

 それに気付き、扇が制止の声を上げようとする。するが、先程と同じ、何と呼べば良いか迷い、結果、彼の言葉は途中で切れてしまう。

 

 その躊躇いが、二人を別った。

 

 声は届かず、伸ばし掛けた手は空だけを掴み、視線は遂に愛しい人の姿を見失ってしまう。

 呆然と立ち尽くす扇。そこに遅れて、彼の仲間達が到着した。

「おい、無事か!?」

「銃声が聞こえたが、撃たれてないよな!?」

「それで、逃げたっていう女は? 何処に行ったんだよ!?」

 矢継ぎ早に質問を繰り出す扇グループの面々。だが、それに一言も答える事なく、扇は黙って目の前を見つめていた。

 その様子に、何かあったのかと訝しげな表情を見せながらも、仲間達は揃って黙り込む。すると、何かに気付いた扇が、数歩、前に足を進めると地面から何かを拾い上げた。

 それは、携帯だった。表面に傷が入ってしまっているそれは、彼が彼女に贈ったものだ。

 落としたのか、捨てたのか。扇には分からない。

 何も分からないまま、扇はただ大事そうに傷付いた携帯を撫でた。

 

 

 その光景を、ビルの屋上より見つめる人影があった。

 一人は女。三人の一番後ろに控え、目を伏せたまま、折り目正しく指示を待っている。

 もう一人も女。此方も眼下の様子に興味を示さず、けれど、何やら難しそうな顔をしながら、その場に佇んでいた。

 そして、最後の一人。ルルーシュはビルの縁に立ち、一連の騒動を興味なさそうに、しかして、観察するように眺めていた。

「……ご苦労だった」

 眼下の騒動が収束したのを見たルルーシュが、振り返らないまま、後ろに声を掛ける。

 それに答えるように、一番後ろにて控えていた女、――咲夜子は一つ礼をすると、音もなく夜の中に消えていった。

 溶けるように消えていく咲夜子の気配。それが完全に消えたのを確認すると、ルルーシュは斜め後ろにいるC.C.を振り返った。

「どうだ?」

「………強くなっている」

 問い掛けるルルーシュに、苦々しくC.C.が答える。

「集合無意識の時よりも、皇帝の時よりも、更に、だ」

「そうか。やはりな」

 ルルーシュの側に立ち、未だに緋色に染まる瞳を見上げるC.C.の言葉に特に驚きもせず、納得する。

 少し前、サイタマゲットーでゼロを誘き出そうとしていたコーネリアを出し抜く為に、一時的に表に出て来た時、ルルーシュはナイトメアに乗ったブリタニア軍人にカメラ越しでギアスを掛けた事があった。

 本来であれば、ルルーシュのギアスにそれは不可能である。ロロやマオのような空間発動型と違い、ルルーシュのギアスはあくまで光情報に属し、直接相手の眼に叩き込まなければ掛ける事が出来ない。

 しかし、その時のルルーシュには、何故か確信があった。確かめた訳でもないのに、自分のギアスは今はこう使えるという知識めいた直感があり、そして、その通りにギアスは発動した。

「発動条件の変化……、いや、増大か? ギアスそのものが強くなった影響か、それとも、コードが関係しているのか……」

「さっきの女には、『前回』と同じようにシンジュクでギアスを掛けていたんだろう? それで、今回、またギアスが掛けられたという事は回数制限も解除されたのか?」

 C.C.の問い掛けに、暫し、ルルーシュは瞳の感覚を探るように手をやって考え込み、――いや、と首を振った。

()()からして、おそらく回数は一度きりのままだ。今回、ヴィレッタにギアスが掛けられたのは、多分だが、かつての俺のギアスを、より強力になった俺のギアスが上書きする形になったからだろう」

 かつて、皇帝に捕らえられた時、記憶改竄のギアスが暴走状態にあったルルーシュのギアスを抑え込んだように、以前のルルーシュのギアス―実際にはそこまで力を落とした、だが―を抑え込んで、今回のギアスが発動したのだろうとルルーシュは語る。

「得られた情報としては、こんなところか……。出来れば、もう少し情報が欲しいところだが」

「危険すぎる」

 更なる情報の獲得をと考えるルルーシュに、C.C.が難色を示した。

「唯でさえ、コードとギアスの両立なんて訳の分からない状態になっているんだ。何が切っ掛けでどうなるか分からない以上、下手な使用は避けた方が良い」

 そう言って、より深くルルーシュのギアスを探るべく、C.C.は瞳を閉じる。

 今のところ、暴走の気配はなかった。感じ取れる気配、力の脈動は以前よりも強くなっているが、状態については、酷く安定している。

 だからこそ、不気味だった。

 ギアスとは、暴れ馬のようなものだ。力が増せば、増した分、馬は暴れ、手綱を握る事が難しくなってくる。

 なのに、安定している。達成人に至る程に高められたギアスが、暴走の予兆すらなく、ルルーシュの中に根付いているのだ。まるで、コードのように。

 それが、C.C.には怖かった。

「せめて、あのコンタクトが使えれば、話は変わったんだが………」

 ぽつり、と呟き、C.C.は力なく肩を落とす。

「使えそうにないか?」

 尋ねるルルーシュに、こっくりと頷きが返る。

「もう役に立たんだろう。達成人から、更に一歩出ようとする程のギアスを完全に遮断出来る程の効果はアレにはない」

「そうか。予想出来ていた事ではあるが……」

 痛いな、とルルーシュが唸る。

「…………すまない」

「渡された時に言われていた事だ。謝られる事ではない」

「そうじゃない」

 てっきり、コンタクトの事を言っているものだと思っていたルルーシュに、C.C.は気落ちした表情で、ふるふると首を横に振った。

「私が、もう少しマリアンヌ達(アイツ等)の研究に興味を示していれば、もっと色々と分かったかも―――」

「冗談にしては、面白くないな」

 ぽつぽつと悔いるC.C.の言を、ルルーシュは即座に切り捨てた。

「俺のコレは、『明日』を望む中から生まれたものだ。昨日に閉じこもろうとしたアイツ等の研究で何か分かってたまるか」

「だが…………」

 無意味と吐き捨てるルルーシュに、C.C.は弱々しく食い下がる。

 度々、思っていた事だった。今のルルーシュに、自分がしてやれる事は、あまりに少ない、と。

 例えば、これがスザクやカレンなら、その圧倒的な武力でルルーシュの助けになれるだろう。咲夜子は隠密として影から、ジェレミアは一派閥をまとめあげた統率力で表から支えになれるし、ロイドやセシル、ニーナにもその頭脳と技術力がある。

 そんな中で、C.C.だけが出来るというものはなかった。

 だから、せめてコードやギアスに関しては役に立とうと考えていたのだが、結果はコレである。

 果たして、自分がいる意味はあるのか。そんな焦燥が少なからずC.C.の胸に燻っていた。

「珍しく殊勝なのは結構だが、卑屈に考え過ぎだ」

 そんな魔女の考えを見抜いたのか、悩みを笑い飛ばすかのように、あっさりとルルーシュは言う。

「そもそも、役に立った事があったか? 契約や願いについて聞いてもはぐらかし、ギアスやその関係者についても黙りを決め込み、いよいよとなって、漸くその口を開く。マオの時も、V.V.の時も、皇帝の時もそうだったと思ったが?」

「それは、…………そう、だった、かも、だが…………」

 歯切れ悪く、言葉尻を濁すC.C.に苦笑する。

「だが、それでも、お前が俺の助けになってくれたのは確かだ」

 たった一人で世界と向き合い、嘘と仮面に塗れながら強大な敵に立ち向かっていく自分の姿をきちんと見てくれている誰かがいた。

 血で血を洗う修羅の道で、多くを喪い、多くから拒絶される中、最初から最後まで自分の道行きに付き合ってくれる誰かがいた。

 それが、どれだけの力になったか。おそらく、魔女は知るまい。

 あの日。あの時。あの場所で。お前がいてくれたから、という言葉にどれ程の感謝が込められていたのか。目の前で、キョトンとするこの少女は気付いてはいないだろう。

 

 ………まあ、だからといって、態々口にする程、この魔王も素直な性格はしていないが。

 

「とにかく、だ」

 何となく居心地の悪さを感じたルルーシュが、強引に話を締めくくろうとする。

「あまり下らない考えに頭を使うな。お前が自分の使い道に悩もうが、それくらい、俺が考えてやる。だから、お前は今まで通り俺の側にいろ」

 からかうようにそう言えば、むぅ、と面白くなさそうにC.C.は唸り、更にそんな反応をしてしまった事が悔しいのか、照れ隠しのようにそっぽを向いた。

 どうやら、完全に調子が戻ったらしい。

 そっぽを向いた魔女に気付かれぬよう、柔らかな笑みを口元に浮かべる。調子は戻ったが、機嫌を損ねてしまったので、追加でピザを焼く羽目になるかもしれない。

 やる事が増えてしまったな、とあまり困ったようには見えない感じで、ルルーシュが嘆いた時だった。

 二人の間に割って入るように、再び、携帯が鳴ったのは。

 忙しい夜だ、と思いながら、ルルーシュは携帯を取り出す。だが、ディスプレイに表示された名前を見た瞬間、弛緩していた空気が一気に引き締まった。

 それに気付いたのか。そっぽを向いていたC.C.が何事かとルルーシュの方に向き直った。

「………はい」

 通話ボタンを押す。すると、しわがれた老人の声が待ちに待った用件を伝えて来た。

「そうですか。では、予定通りに。……いえ、準備は整っています。会議は神楽耶様が戻ってからで構いません。すみませんが、残りの六家の方に連絡をお願い出来ますか?」

 それから、二言三言必要な事を伝え、では、という言葉を最後に通話を終える。

「桐原からか? 何があった?」

「別に驚くような用ではない。ただ、舞台が整ったという連絡だ」

 要領を得ない返答に首を傾げるC.C.をよそに、ルルーシュは真剣な、しかし、何処か愉しそうな表情であらぬ方に顔を向ける。

「『今回』、初めての顔合わせか」

 視線の先、海を隔てたとある場所にいる人物の顔を思い描き、ルルーシュは、ふっ、と笑う。

「では、手合わせといきましょうか。……兄上」

 

 

 

 

 

 

 

 日本政府に、ブリタニアから停戦交渉の申し入れがあったという情報が世界中を駆け巡るのは、この僅か数時間後の事だった。




 ヴィレッタは犠牲になったのだ。ルルCがイチャつくための犠牲にな!
 そして、すまんな、扇よ。でも、すれ違い、勘違いはギアスの人間関係の基本だし、是非もないよネ!

 そうして、漸く本題。この章の山場、停戦交渉。ここに至る為に一年近く費やしてしまったよ……。
 そんな訳で、次回。優雅の仮面を被ったどっかの兄と変な仮面を被ったどっかの弟がテーブルを挟んでほのぼのと談笑します。


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Re:Surrection キセキイロノアシタヘ 復活ネタバレにご注意

 公式からのお許しが出た!(出てない)
 本編に先立ち、二人の関係をファイナルに移行する!


 ……はい、本編じゃなくてスミマセン。
 ちょっと、復活のルルーシュの興奮が覚めなくて、熱吐き出す為に散文散らさせて下さい。
 短いです。雑です。ネタバレあります。それでも良い方だけお付き合い下さい。
 ※加筆修正しました。


 復活のルルーシュのネタバレありです!まだ、見てない人はご注意を!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 流れる川のように、群れを成す人々の中を歩く。

 男がいる。女がいる。子供がいる。老人がいる。その中を確かな足取りでしっかりと。

 何となしに周りを見渡してみれば、道往く人の顔色はあまり良くない。ここに至る過程を考えれば、それも当たり前と言えば当たり前だし、陰鬱な空気を避けて集団から離れても良いのだが、この人混みは姿を眩ますには丁度良く、当てのない二人には、この人の流れは程よい指針でもあった。

 暫く、言葉もなく、二人並んで歩いていく。男は女から受け取った荷物がずり落ちないよう片手をショルダーストラップに添え、女は友人から貰ったマスコット人形を片手で抱いて、お互いがお互いの側の手だけを手持ち無沙汰に空けて、プラプラと。

 道が少し険しくなる。道程はなだらかな傾斜の丘に差し掛かり、視線を向ければ、一足先に頂上に到達した人の列が次々と丘の向こうに消えていくのが見えた。

 ここまで来れば、もう、二人を見送った人達は彼等を見失ったであろうか。それとも、まだ見ているのだろうか。旅路を往く人々が着る民族衣装の明るい色合いは、女の目を引く髪の色すら目立たなくしてしまっているだろうから、もう見失っている可能性の方が高そうだった。

 とはいえ、如何せん数が多い。姿を消すにはこの人混みはうってつけかもしれないが、これでは見失ってはいけないものまで見失ってしまう。

 だから、だろう。

 どちらからともなく、手を繋いだのは。

 人混みにはぐれまいと、二人揃ってしっかりと手を結ぶ。互いの温もりは互いに若干の気恥ずかしさを感じさせたが、それでも結んだ手を離す事はなかった。

 その手の感触を感じながら、前を見ていた女は川のように流れていく人の波にふと思った。

 この流れは、まるで今までの自分の人生のようだと。

 こんなに周りに人がいるのに触れ合わない。同じ方向に流れていくのに他人のまま、すれ違っていく。

 本来あるべき人の流れから弾き出され、多くの人々とすれ違うだけの生き方をしてきた自分に本当にそっくりだった。

 だから、今、この右手に誰かの温もりがあるのが嘘みたいで、確かめるように何度も握り直してしまう。

 そんな行為を不思議に思い、男が女の方を見てくるが女は素知らぬ顔で前を見続ける。

 見続けながら、嘘のような温もりを確かめ、女は染々と考えた。

 一体、いつから、こんな簡単に触れ合うような間柄になったのか。

 一体、いつから、二人である事が当たり前であって欲しくなったのか。

 最初の頃はこうではなかった。互いが互いに距離が近くなるのを嫌い、必要以上に干渉する事はなかった。

 なのに。

 初めての感謝が嬉しかった。一人じゃないという言葉が嬉しかった。過去と願いを知っても拒絶されなかった事が嬉しかった。

 約束が、――とても嬉しかった。

 そして、気付けば、今や、自らが歩む終わりのない旅の連れ人だ。そんな人に巡り会えるなんて、昔の自分なら想像すら出来なかっただろう。

 だから、やっぱり、信じられなくて、にぎにぎと温もりを確かめる。

 長い夜の先に得た温もり。孤独な旅の終着点。幾度なく別れを繰り返し、その果てに辿り着いた、たった一人。

 それは、女が長く願って止まなかったものだ。

 そう思うと、本当に夢のようで。夢ではないと思いたくて、何度も何度も手を握り直した。

 それが、しつこかったのだろう。あまりに続くにぎにぎ攻撃に辟易したのか、男は呆れたように溜め息を吐くと転じて攻勢に出た。

 指と指を絡める。互いの指の間に指を差し込み、拳を握るように、しっかりと繋ぎ直した。

 それは、まるで離さないと言うかのようにピッタリで。不安にならなくても一緒だと言っているように女には感じられた。

 その手を、ぱちくり、と目を瞬せて女が見る。そうして、ちょっとだけ力を入れて、僅かにも動かない密着ぶりを確認すると、今度は男の横顔に視線を突き立てる。

 男の横顔は、いつも通りだった。いつものように少し難しそうに顔をしかめ、むっつりと道の先を見据えている。

 そこに、後悔も未練も見られなかった。見られないまま、ただ一つ残った温もりを大事そうに握っている。

 馬鹿な男だ、と女は思う。

 男は女と違う。望めば、零れ落ちた多くの温もりを取り戻せた筈なのだ。

 裏切られた仲間の、恨まれた姉の、手放した友人達の、慕ってくれる臣下の、憎まれた親友の、そして、愛する妹の。

 でも、その全てを振りほどいて。

 男は、世界の片隅でひっそりと泣いていた女の手を取った。

 そう思うと、本当に呆れてくる。何を好き好んで、こんな自分の手なんか取ったのか。

 馬鹿だな。生真面目だな。面倒臭い奴だな。

 そんな言葉が頭に浮かび………、口から出る事なく消えていく。

 だって、しょうがないではないか。

 だって、自分はそんな馬鹿な男より、きっと馬鹿なのだから。

 今も、男の馬鹿に泣きそうになるのが、その証拠だろう。

 だから、女は男に身を寄せた。怪訝そうに顔を覗いて来ようとする視線から隠れるように、ぴったりと男の肩に顔を寄せて。今の顔を見られないように。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、荒野の丘を登り切る。

 そこで、二人は足を止めた。いや、女が足を止めた。

 だが、止めただけだ。女は男に問い掛けるような視線を向けて、男はそれに気付きながら、前だけを見ていた。

 でも、気付いていた。

 おそらく、ここが本当に分岐点。ここを下れば、もうかつての居場所は見えなくなる。

 だから、女は足を止めた。本当に良いのか、とそう言いたげに。

 それに気付いていた。そして、女の心情にも。

 何だかんだで、気が弱く、優し過ぎる女なのだ。だから、踏み込む事を恐れ、傷付ける事を恐れ、自分の願いを見送ってしまう。

 男はそれを知っていた。

 だからこそ、男は後ろを振り返らなかった。

 前だけを見つめて、歩みを再開した。

 軽く手を引かれ、女も歩き出す。女の一歩前を行く男のその足取りに迷いはない。当たり前だ。だって、もう後ろに心残りはないのだから。

 妹の笑顔が見れた。親友の笑顔が見れた。仲間の笑顔が見れた。慕ってくれた人達の笑顔が見れた。

 十分だった。

 かつて、願った世界は其処にある。それを託せる者達も其処にいる。

 もう、憂いはない。

 ならば、自分に残ったものは一つだけだ。

 だから、男は歩いていく。少しの間の後、再び男の横に並んだ女の隣で、その温もりを逃がさないようにしっかりと女の手を握りしめながら。

 

 

 丘を下る。開けた視界の先に広がるのは、変わり映えのない風景。

 赤土と岩肌の目立つ広い大地。乾いた空気に風が混じり、さらさらと砂が流れていく。

 見上げれば、疎らに浮かぶ白い雲の向こうに、色の薄い青空が高く広がっている。

 どれもこれも女には見慣れた光景だ。長い年月の果てに、絵画であれば色すら摩耗する程に良く見た光景。

 ああ、でも、何故だろう。

 そんな見慣れた風景に、心が動くのは。

 終わりのない道の先を、この光景の先を楽しみに思ってしまうのは。

 やがて、道が分かれる。ここまで一本だった人の流れは此処に来て、三本に分かれる。

 どれを選ぼうか。どれを選んでも同じ事には変わりない。どの道を選んでも、その先に道は続き、終わる事なく巡っていく。

 でも、今は、それすらも楽しみで仕方なかった。

 女が男を見る。男も女を見る。全くの同じタイミングに笑みが零れる。

 言葉は要らなかった。だから、一度だけ、繋いだ手を握り直し、二人は同時に同じ方向に足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――そうして、歩いていく。

 

 

 

 

 

 

 男が問い掛ける。

 

 何処に行きたいと。

 

 

 女が答える。

 

 何処にでも行きたいと。

 

 

 

 

 

 ―――これから先も、ずっと、同じ方向に、同じ歩幅で。

 

 

 

 

 

 男が問い掛ける。

 

 何をしたいと。

 

 

 女が答える。

 

 何でもしたいと。

 

 

 

 

 

 ―――長い旅の先に色付いた、奇跡色の明日に向かって。

 

 

 

 

 

 男が呆れる。

 

 本当に我儘な女だと。

 

 

 女が笑う。

 

 そうとも。私は世界一我儘で。

 

 

 

 

 

 ―――二人、歩いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっと、世界一、幸せな女なんだ、と。

 

 

 




 あの最後のC.C.の泣き笑いだけで良かったと思えた。
 長い旅の苦労が報われて、本当に良かったと思います。それだけで満足でした。

 そんな想いが爆発して書いてしまいましたが、思いっきり脇道なので、熱が冷めるか公開が終了するか、はよ本編書かんかいと突っ込まれたら消すと思います。

 ※まだ映画見てないという人と加筆で多少マシになったかなと思うので、暫くは残しておきます。でも、やっぱり、勢いで書いた話は冷静になると少し恥ずかしいので、作者が羞恥に耐えられなくなったら消すかもしれません。


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PLAY:25

 もう嫌い………(涙)


 広々とした空間内に、小さく綺麗な音がビー玉のように零れた。

 

 隙間も空洞のない、質の良い木と木がぶつかる音。磨きあげられ、歪み一つない木製の小道具が奏でる単音の羅列は、それだけで音楽のように聞く人の耳を擽る。

 ほぅ、という熱い吐息が誰からともなく零れ落ちた。緊張と興味から呼吸すら潜めていた人達が揃って、感嘆と共に息を吐き出していく。

 聞こえるのは、それだけだった。

 広い室内である。人の気配も複数ある。なのに、場には静寂以外には、それしか音がなかった。

 

 それ程までに、人々は場の中心にて戯れる二人の遊戯に魅了されていた。

 

 音は続く。淀みなく、乱れなく。深い思考を必要とする遊戯でありながら、音は一定の調子を保ったまま、まるで会話をするように流れ続けていた。

 その流れが止まる。

 音と同じように、ある種の予定調和を保っていた盤上がここに来て、大きく動きを見せる。

 より深く、より複雑に。賢しき者でなければ、流れすら見通せぬ闇が盤上に顔を覗かせる。

 それを見て、彼は―――……。

 

 

 

 その日、神楽耶は珍しく緊張していた。

 何時もの和装よりも刺繍が入り、金の細工が目立つ着物は小柄な神楽耶には重く、嵩張る。

 だが別に、神楽耶をしてあまり袖を通さぬ程の高価な着物に緊張しているという訳ではない。問題はそんな高価な物を着なくてはならない今日という日にあった。

 こくり、と喉が鳴る。喉を通る唾が痛く、そこで喉がカラカラだと気付いた。

 これではいけない。これから沢山喋るのだ、喉が枯れていては満足に物も言えない。

 そう思い立ち、飲み物はないかと室内に視線を這わせる。しかし、やはり緊張からか、その視線は落ち着きなく、借りてきた猫のようにきょろきょろと顔が忙しなく左右に振れる。

(いけない………)

 そんな状態の自分に気付き、気合いを入れ直そうと頬をぺちぺちと叩く。そのまま、押さえつけるように頬に当てた自分の手がやけにひんやりと感じた。

 

 

 停戦交渉、と一口に言うが、時と場合によっては、その内容が唯の停戦に留まらず、休戦や終戦に繋がる事がある。

 戦況、経済、その他背景。停戦とは即ち、片方ないし双方に戦闘をしていられない問題が発生したから起こるものであり、その問題が解消出来ない、もしくは解消に国力や時間を費やして、余力や機を逸する場合があるからだ。

 今回の場合も、そのケースに当たるだろう。日本、ブリタニア共に停戦を望み、先に話を切り出したのがブリタニアである事から交渉の立場は日本が上になる。

 つまり、この交渉。上手く立ち回る事さえ出来れば、日本は国内からブリタニアの軍事影響力を完全に廃した上で停戦する事も不可能ではなかった。

 もし、叶えば、それは事実上の終戦であり、独立となる。正面切っての殴り合いでは勝機の薄い日本にとっては、正に千載一遇のチャンスと言えた。

 

 

(上手く、いくでしょうか………?)

 控え室に用意されていた水差しからコップに注いだ水に口を付け、神楽耶は心の中で独りごちた。

 この交渉の重要性は理解している。そこに臨む意気込みも本物だ。

 だが、ふとした拍子に覗かせる弱気を神楽耶は払拭出来ないでいる。今もそうだ。

 一気に水を飲み干し、コップを置く。少しは落ち着きを取り戻した身体から、緊張が深い溜め息となって抜けていった。

「大丈夫ですか? 神楽耶様」

 そんな神楽耶の様子に気を揉んだのか。らしからぬ調子の神楽耶に声を掛ける人物がいた。

「カレンさん」

 呼ばれ、顔を上げれば、神楽耶達、交渉役の護衛として付いて来ていたカレンが、心配そうな表情で神楽耶の顔を覗き込んできた。

「大分、その、……緊張しているように見えますが」

「……分かりますか」

 言葉を選び、心配してくるカレンに苦笑する。本来なら、大丈夫、と気丈に返すべきなのであろうが、気心が知れた同性だからか、あるいは誰かに弱音を晒したかったのか。神楽耶は否定しなかった。

「駄目ですね。普段、偉そうに振る舞っておきながら、この様です」

「そんな事は………」

 漸く巡ってきたチャンスを前に泣き言を溢す情けなさを自嘲する神楽耶にカレンが否定の声を上げる。

 実際、よくやっていると思う。

 日本が復活してからの神楽耶の努力は並大抵では語れない。

 それこそ、ゼロに勝るとも劣らない働きぶりで、少しでも日本の立場を良くしようと、日々、他国の重鎮を相手に交渉を務める毎日だった。

 しかし、それでも、やはり年端もいかぬ少女である事には変わりない。自分の発言一つで、国の未来が閉ざされてしまうかもしれない。そんな重責を肩に背負う少女が泣き言の一つや二つ、溢したところで誰に責められようか。

 まして、これから相手にしなくてはならないのが自分達が信じる相手と同格の存在となれば、尚更である。

「神楽耶様………」

 だからこそ、何かしら励ましの言葉を掛けようとするカレンだったが、言葉が出てこない。日々、ゼロの凄さを目の当たりにしていれば、相手の強大さは嫌でも想像が付く。交渉役として、神楽耶に不満などありはしないが、アレを相手に安い言葉を口にしたところで、気休めどころか嫌味にしかならないだろう。

 それでも、何とか励まそうと、うーうーと唸りながら頭を捻るカレン。が、元来の大雑把な性格が災いしてか、その口から気の利いた言葉は中々出て来なかった。

 けれど、その姿こそが励ましになったのか。くすり、と神楽耶の口元に笑みが戻った。

「ありがとうございます、カレンさん」

「え? あ、はい………?」

 特に何もしていないのに礼を言われ、戸惑うカレンに更に笑みが募る。

「任せて下さいと軽々しく言えないのは、情けないですが……」

 そこで言葉を切り、気合いに満ちた表情で神楽耶は両の拳を握る。

「でも、無駄には出来ません。折角、ゼロ様が作って下さったチャンスですもの。未来の妻として、是非とも期待に答えませんと!」

「そ、そう、ですね」

 弱音を吐き出して、少しは気持ちが上を向いたらしい神楽耶が軽口を叩いて己を奮い立たせる。

 少しは役に立ったのか。いまいち、実感はないが、それでも、先程に比べれば、朱が戻った神楽耶の顔を見て、カレンも表情を綻ばせた。……多少、口の端がひくついてはいたが。

 

 コンコン、と控えめにドアがノックされたのは、それから暫くしての事だった。

 先のやり取りの後、そのまま、他愛のない話をしていた神楽耶とカレンは、その音に揃って顔をドアの方へと向けた。

 つるりとした表面の自動開閉式のドアは、現在、警備の点から内側からロックされていて開かれない。

 なので、此方側がロックを解除しないと外にいる人物は中に入る事が出来ないのだが、聞こえてきたのは先のノックが一回だけ。沈黙を保つドアからは再度のノックもドアを開けるよう促す声も聞こえない。

 おそらく、無作法だと思っての事だろう。扉向こうの誰かは律儀に室内からの応答を待っているようだった。

「………………」

 皆の視線が集まる中、一回だけ、大きく呼吸をする。隣からも気遣うような視線が感じられたが、今は応えずに、入口の側にて控えていた藤堂の確認を求める視線に頷きを返す。

 頷きに応え、藤堂がドアを挟んで隣に立つ千葉の方へ視線を向け、意思を汲み取った千葉が手早くロックを解除する。

 解除を示す軽快な電子音が鳴り、機能を取り戻したドアが外で待機していた人物に反応して、開かれた。

「失礼します」

 シュン、と開いたドアの向こう、立っていたのは女性の軍人だった。金糸のような髪をすらりと流し、きっちりと着こなした白の軍服は女性らしさを覗かせつつも、一分の隙も見られない。

 整えられた顔立ちは理性的に引き締まり、自信と知性を宿した瑠璃色の瞳が確認するように室内をゆっくりと巡った。

「お時間になりました。これより、私、モニカ・クルシェフスキーが皆様を会場までご案内します」

 洗練されたブリタニア式の敬礼に合わせて、その身を包む萌黄色のマントが静かに揺れた。

 

 

 ブリタニアの大型空中母艦、アヴァロン。それが、今回の交渉の場として選ばれた場所だった。

 長らく争い続けてきた両国が、一応の友好を結ぶ場としては無骨で、華やかさに欠けるが仕方ない。今回の交渉にはスピードも必要だった。

 というのも、この停戦は両国にとっては好ましい話であるのだが、他の国々にとってもそうとは限らないからだ。ブリタニアの混乱が収束に向かう事もそうだが、ゼロを抱え、首都を取り戻し、今なお、ブリタニアと戦い続けている日本は多かれ少なかれ反逆の象徴として、世界に認識されている。即ちそれは、日本はブリタニアとの戦いの矢面に立っているという事でもあった。

 それが失くなるとなれば、面白くない国もあるだろう。ブリタニアの支配からは逃れたいが睨まれたくない、次の矢面に立たされたくない。そう考える国はおそらく片手の指では足りない。

 なので、余計な邪魔が入らぬ内に迅速に交渉をまとめなければならないのだが、両国の何処かでは角が立つし、第三国に頼れば肝心の速度を犠牲にしてしまう。

 よって、会場をアヴァロン、場所を東京とし、艦内警備をブリタニア側が、周辺警備を日本側が受け持つ事で、両者の納得と均衡を図った。

 

 

「しかし、まさかラウンズが来るとはね……」

 会議場となる大広間に移動し、その壁際に立った朝比奈は、円卓のテーブルを挟んで向かいの壁際に立つブリタニア側の護衛の姿にいつもの笑みが崩れるのを抑えられなかった。

「それも三人も、な」

 答える千葉の声にも余裕がない。表情こそ崩れていないが、それは保てているというより緊張から固まってしまっているという方が正しかった。

 日本側の護衛役として、壁際に並ぶのはいつもの顔触れだ。

 元々、軍人である藤堂と四聖剣。ナイトメアは元より生身であってもそれなりの戦闘能力を有するカレンに零番隊の精鋭と、黒の騎士団の中核を成す戦力がずらりと並んでいる。

 本来なら、ここに幹部代表として扇も並ぶ予定だったのだが、先日の件が尾を引いているのか、明らかに精彩を欠いている様子から、今回、その姿はなかった。

 対して、この場におけるブリタニアの護衛は、僅かに三名。

 だが、その三名が曲者だった。

 揃いの白い装束に、色違いのマント。共に、ブリタニア最強の騎士たるラウンズの証である。

 並ぶ色は、三色。

 一つは萌黄色。先程、案内人を務めたモニカは涼しげな表情で成り行きを見守っている。

 一つは深緑。三つ編みに結った金髪を垂らした青年、ジノは何が楽しいのか、カレンを見つけてから、へらへらと彼女に向けて手を振っていた。

 そして、最後の一つ。純白。

 汚れなきその色は、正真正銘の最強。紛う事なき王の剣の証。

「ナイトオブワン。ビスマルク・ヴァルトシュタイン………」

 片眼を塞いだ、藤堂や仙波よりも更に一回り大きい体躯の男が放つ存在感に当てられ、卜部の顔が険しくなる。

「この交渉はブリタニアにとっても重要なものだと重々承知していましたが……」

 よもや、ビスマルクまで、と溢す仙波の声にも隠し切れない驚きがあった。

 四聖剣の驚きは、尤もである。

 そもそも、今のブリタニアの情勢では、ラウンズは動かそうと思って動かせるものではない。一騎当千の彼等を無理に動かせば、状況の対応に穴が開いてしまう。

 それでは、本末転倒である。状況を好転させる交渉で、状況が悪化すれば元も子もないだろう。

 それが分からぬブリタニアではない筈だ。それでもブリタニアは、他をないがしろにしてでもこの交渉にラウンズを回してきた。ナイトオブワンという切り札まで添えて。

「それだけ警戒しているという事だろうな」

 ひけらかすように揃えられたラウンズ。その裏にある真意を感じ取った藤堂が、ラウンズから神楽耶の後ろにて控える仮面の男へ視線を移した。

 

 

「初めまして、皇神楽耶殿」

 抑揚を抑えた声音。低く、しかし、すんなりと耳に通る声で胸に手を添えた金髪の男が、神楽耶の名前を口にする。

「此度の交渉に際し、ブリタニア皇帝シャルルより全権を預かって参りました。シュナイゼル・エル・ブリタニアと申します」

 完璧な微笑。仮面よりも仮面染みた微笑みで会釈するシュナイゼルに合わせ、神楽耶も小さく頭を下げる。

「日本政府全権大使、キョウト六家。その暫定代表を務めさせて頂きます、皇神楽耶です。本日はお会い出来て光栄ですわ、シュナイゼル殿下」

 並ぶ四人の老人より数歩前に歩み出て、負けず綺麗な笑みで挨拶を交わす神楽耶に、こちらこそ、とシュナイゼルがにこやかに返す。

「皆様の事は私も聞き及んでおります。我々の支配に晒されて、尚、その血と権力を絶やす事のなかった日本の古き血統。両国の未来を占うこの場に、貴女方以上に相応しい相手はいないでしょう」

「ええ、お互いの未来の為に。私どもも建設的な交渉になる事を望んでおります」

 微笑みと微笑みの応酬。最後に小さく笑い合い、挨拶という名の小手調べが終わると、途端にシュナイゼルの興味は神楽耶からその後ろの人物へと移った。

 それに気付いた神楽耶が、半歩横にずれ、後ろに控えていた人物を紹介しようと手で指し示す。

「ご紹介します。彼は………」

「ああ、結構ですよ。神楽耶殿」

「え?」

 紹介しようとしていたのを遮られ、神楽耶は目を丸くする。

 本来、神楽耶が紹介しようとしていた仮面の男には、この場に出席する権利はない。

 正体不明、国籍不明。日本人の藤堂達はともかく、ブリタニアが最も警戒するテロリストである彼は、居るだけでブリタニアを刺激する。

 その彼がこの場に居られるよう、納得出来る理由と肩書きを紹介がてら述べようとしたのだが、そんな建前は必要ないとばかりに神楽耶を遮り、シュナイゼルは目の前の仮面の男に微笑んだ。

「初めまして、……で良いのかな?」

 先程までと変わらない笑み。だが、崩れない完璧な微笑を形作る瞳の奥には、先程まではなかった熱が見え隠れしていた。

「シュナイゼル・エル・ブリタニアだ。こうして会えるのを楽しみにしていたよ、ゼロ」

 嘘ではなく、本当に楽しそうな様子でシュナイゼルがゼロに手を差し出す。

「こちらこそ。噂に名高いブリタニアの神童にお目にかかれて嬉しく思います」

 常に微笑みを宿し、友好な調子で話し掛けるシュナイゼルに対し、ゼロはその手を取りながらも、どこかそっけない。

 まるで、相手にしようとしていないような。そんな印象を受けたが、シュナイゼルは構わず言葉を重ねる。

「神童、と言うなら君の方が相応しいだろう。僅かな手勢でブリタニアに反旗を翻すや否や、我が妹を始め多くの猛者を蹴散らし、遂には我がブリタニアから支配したものを奪い返そうとしているのだから」

 ゼロの活躍は、そのままブリタニアが辛酸を舐めさせられた数になる。普通なら苦々しく思う事柄であるのに、称賛するシュナイゼルの口振りはとても面白い映画を観たかのように楽しげだ。

「果たして、何者なのか。我々を翻弄するその知略。未来を知っているかのような広い戦略眼。それらを何処で培ったのか。君の正体について興味は尽きないが……、今は置いておこうか」

 興味深そうに目を細め、滔々とゼロへの関心を語っていたシュナイゼルだったが、その正体については深く追究するような真似はせず、あっさりと話を切り上げると、さて、と一同を見渡した。

「これで役者は揃ったようですし、早速、本題の方に移りたいと思いますが……」

 いよいよである。

 緊張にひりついた空気を感じ取り、決意を示すように神楽耶は固く拳を握る。小声で会話を交わしていた護衛達も、ぴしゃりと口を閉じ、普段は飄々としている六家の老人達の瞳にも勝負師としての光が宿るのが見えた。

 だが、日本側の決意に反し、シュナイゼルは、ふぅ、とわざとらしく息を吐き出すと、きつく締まった首元を緩めた。

「ところで、ゼロ。話は変わるが、君はチェスを嗜んだ事はあるかな?」

「多少は」

 あまりに脈絡のない話題転換。突然、世間話のような話を切り出してきたシュナイゼルに、皆が唖然とする中、一人動じる事のなかったゼロの首が縦に振られる。

 それに満足そうに頷き、相好を崩したシュナイゼルは、合図でもするように片手を上げる。

「いや、実を言うとね。私も、ここまで国の進退に関わる難事には携わった経験がなくてね。恥を晒すようだが、些か緊張してしまっているようなんだ」

 いけしゃあしゃあと、そんな事を宣う主に内心で呆れながら、シュナイゼルの手に合わせて動いたカノンが、持っていたアタッシュケースを開いた。

「そこで、どうだろう? ゼロ、君さえ良ければ、緊張を解す為に、一つ手合わせをして貰えないかな?」

 開かれたその中に収まっていたのは、白と黒の象形の駒。そして、傷一つなく綺麗にマス目の引かれた、――チェス盤だった。

 

 沈黙が降りる。

 本題にも入らず、子供が遊びに誘うような気安さでゼロをチェスに誘おうとするシュナイゼルの言動に当惑する日本の傍ら、同じく真意を覗かせない黒の仮面はアタッシュケースの中身を一瞥すると、今度は首を横に振った。

「私程度の腕前では、殿下を楽しませる事は出来ないと思いますが」

「気にする必要はないよ。ほんのお遊びだ。それに、折角の場に、余興の一つもないのは寂しいと思わないかい?」

 そう思いませんか? と同意を求めてくるシュナイゼルに、神楽耶は窮する。

 意図が全く読めないのだ。

 確かに、大事を前にして、緊張と警戒で張り詰めている空気を和らげる為に、余興を挟むのも良いかもしれない。

 だが、この男がたかだかそれだけの為にこんな提案をしてくるとは思えない。

 しかし、特に理由もなしに提案を断れば、悪感情を抱かれる恐れがあり、後の交渉に響かないとも限らない。

 一体、何を考えているのか。本当に緊張を解したいだけなのか、それとも何かあるのか。

 それを探ろうとシュナイゼルを凝視するが、残念ながら神楽耶にはその裏にあるものを読み取る事は出来なかった。

 むしろ、逆に自分の方こそ見透かされてしまいそうで、神楽耶は逃げるようにシュナイゼルから視線を逸らすと、自らの傍らに立つ男を見上げる。

「それで、どうだい? 君が相手をしてくれれば、きっと、私もこの後の交渉で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 普通に取れば、緊張が解れてリラックスして交渉に臨めると聞こえるが、おそらく違うだろう。

 暗に、彼はこう言っているのだ。もし、乗るなら、この後の交渉で手心を加えるのも吝かではない、と。

 実際に、するかどうかは分からないが、こう言われれば、応じずにはいられないだろう。そうやって、食い付きたくなるような餌をちらつかせ、分かっていても自分の思惑に乗ろうとするように誘導する。

 そう。あたかも、『決戦』という餌でコーネリアを誘った時のゼロのように。

「……分かりました。お受けしましょう」

 であるなら、これは当然の結末。

 分かり切っていた答えなのに、その言葉を聞いた瞬間、シュナイゼルは顔に張り付けた笑みが深くなるのを感じた。

 

 

 

 そうして、話は冒頭に戻る。

 

 カツン、カツン、と小気味の良い単音が響く度に、様変わりしていた盤上が、中盤を越え、より複雑に乱れた。

 互いの読み合いが極まり、煩雑な模様の描いた盤面。

 それを眺めていたシュナイゼルは、ふと一定の調子を保っていた手を止めると、隠すように口元に添えた。

 微笑みが崩れるのを抑えられなかったからだ。

 始まる前に、緊張を解す為とか、余興だとか、色々と言ったが、やはりと言うべきか、本当にそう思っていた訳ではない。

 単純に、戦いたかったのだ。ゼロと。

 直接、手を合わせて確かめかったのだ。奇跡の担い手と称される彼の力量を。漸く現れた自分と対等の打ち手なのか。それを見極めたかった。

 その結果は。

 僅かとはいえ微笑の仮面が崩れたシュナイゼルの姿を見れば、一目瞭然だった。

 

(いやはや………)

 自然と口元が緩むのを止められないまま、シュナイゼルは内心で新鮮な驚きを味わっていた。

 思考の回転速度、読みの深さ、視野の広さ、勝負所の嗅覚。どれを取っても、ずば抜けている。

 ここまで卓越した頭脳の持ち主が相手となれば、成程、コーネリア達が敗北するのも無理はない。

 まず間違いなく、目の前の男は戦略家として稀有な才能を有している。そう断言出来た。

(それにしても………)

 はぁ、と口元を覆う手の隙間から熱い溜め息が零れる。

 一体、いつぶりだろうか。盤上の前で、こんなにも胸が熱くなるのは。

 優劣がはっきりすれば、直ぐに打ち筋が乱れる貴族達とも違う。躊躇っては駄目だと勝ち気に逸る挑戦者達とも違う。

 一手一手に心が踊る。自らの打ち込みに、相手が頭を下げるのではなく、打ち返してくるのがこんなにも待ち遠しいものだなんて、忘れて久しい感情だった。

 

(ああ、そうか。そうだったね…………)

 これが、楽しい、というものだった。

 

「随分と謙遜したね? その仮面といい、ひょっとして恥ずかしがり屋なのかな?」

 これ程打てるのに、多少はなどと嘯いたゼロをからかう。これもまたシュナイゼルには珍しく、特に裏もない、本当につい口から出た軽口だった。

「まさか。小心者なだけですよ」

「ふふ。それこそ、まさか、ではないかな? 小心者に一人で大国に挑むなんて芸当は出来ないよ」

 適当な発言で軽口を流すゼロに、シュナイゼルが小さく笑う。称賛だろうが挑発だろうが、等しく流していく。それもまた、シュナイゼルの好むところだった。

「しかし、意外だったね」

 改めて、盤上に視線を落とし、白と黒のせめぎ合いを眺めていたシュナイゼルは、ふと今気付いたかのように、ぴっ、と黒の駒を指差した。

「今までの君の戦略を見るに、君はもっと攻撃を好む人間だと思っていたのだけどね」

「殿下こそ。博打のような勝負手より堅実な手の方が性に合ってると思いますよ」

 平然と返された言葉に、シュナイゼルの笑みが変わる。

 それは思考を同じくしている、――()()()()()者への共感の笑みだった。

 おそらく、周りの者は分からないだろう。

 端から見れば、ただチェスを打っているだけのように見えるが、ゼロもシュナイゼルも、チェスと平行して情報戦を繰り広げていた。

 攻めを好むのか、守りを好むのか。勝機に大胆になるのか、慎重になるのか。

 策を好むか、直球を好むか。王道か、邪道か。

 戦い方や戦略の傾向。それらをチェスの打ち筋から悟られぬよう、両者とも巧みに打ち筋を変化させつつ、相手の打ち筋を暴こうと、様々な手を織り交ぜてお互いを試していた。

(そう言った意味では、読めない手もあるが……、まあ、構わないかな)

 顎に手を添えて、盤上を確認しながらゼロの手を反芻していたシュナイゼルは、その中に意図の読めない手が複数あるのに気付いていた。

 流れから逸脱している、まるで高等数学の問題の中に算数や物理式が紛れ混んでいるような異物感。

 しかし、シュナイゼルはそれについて追究はしなかった。

 予想外の一手からの奇襲。ゼロお得意の戦法を仕掛けてくれるというなら願ったりであるし、何より何をしてくれるか見てみたいというのもあった。

「ところで、ゼロ」

 なので、シュナイゼルは別の方。もう少し分かりやすい切り口から攻める事を選んだ。

「君のキングは、少しばかり動きが目立つが何か拘りでもあるのかな?」

 カツ、と白の駒が動き、止まっていたゲームが動く。

 隠さなかったのか、隠し切れなかったのか。巧みに隠された打ち筋の中にあった、()()()動きをシュナイゼルは見逃さなかった。

「大した理由ではありませんよ」

 本来の打ち筋(スタンス)を見抜かれたゼロ。だが、特に焦りも動じた様子も見せずに、件の黒のキングを取ると、見せびらかすように二人の顔の高さまで持ち上げた。

「王が動かなければ、部下は付いて来ない。そう思っているからです」

 答えと共に、カツン、と一層高く駒音が鳴る。

「動かず、省みず。あまつさえ、()()()()()()()()。そんな王に価値はない。そう思いませんか?」

「……………成程。見識だね」

 肯定も否定もせず、けれど、何か引っ掛かったのか、すっ、とシュナイゼルの瞳に、一瞬、ほんの刹那、冷たい光が過った。

「王が動かなければ……、つまり、戦いの中でも矜持を忘れない。それが君という人間の本質という訳か」

 ぶつぶつと小声で呟きながら思案し、そして納得出来たのか。シュナイゼルは頷きながら、自らの考えを披露する。

「誇り高く、繊細。それ故に理性を愛し、獣性を嫌悪する。だから、一見無秩序に見えても、君のやり方には確かなルールがあり、君はそれを絶対に破らない。破る事を君自身の矜持が許さない。……違うかな?」

 即ち、それは常に合理的に判断を下せるという訳ではないという事になる。時に切れるカードを切ろうとせず、最善手であろうとも自らに定めたルールに触れれば、打つ事はない。

 怜悧狡猾に見えても、何処かに甘さを隠している。それがシュナイゼルの感じたゼロという人間の本質だった。

 だが、そんなシュナイゼルの評価を、ゼロは軽い笑いを孕んだ声で否定する。

「買い被り過ぎです。私はそこまで大した人間性は持ち合わせていませんよ」

「そうかな? では、試させて貰うとしよう」

 そう言って、盤上から摘まみ上げたのは、ゼロと同じくキングの白。

「私が言った事が間違いだと言うなら―――」

 そして、先程のゼロと同様、見せつけるように白のキングを二人の目線の高さまで持ち上げると、コトン、と静かに盤上に戻した。

「是非、取ってみせてくれるかな? この白を」

 黒の駒の前という、盤上に。

 

 ざわり、と。

 シュナイゼルの手に騒いだのは対面のゼロではなく、今まで黙って二人の勝負に見入っていた周囲の者達だった。

 それも、そうだろう。今のシュナイゼルの一手は悪手とすら呼べない、ふざけたものだ。

 ルールをよく知らない者でも分かる。敵の駒の前に自分のキングを差し出せば、どうなるかなんて。

 これで、勝敗は決した。後は、黒の駒が目の前のキングを取れば、それで終わり。

 つまり、施しのように差し出された勝利を、ゼロが拾えれば勝ちとなる。

「…………………」

 ゼロの手が止まる。迷う必要のない盤面で動かず、黙するゼロの仮面は、変わらず黒く、その奥に隠された表情を窺い知る事は出来ない。

 どんな表情で盤面を見ているのか。その胸中を想像しながら、シュナイゼルは優雅に手を組んでゼロの選択を待った。

 そして、動く。

 僅かな空白を置いて、伸ばした指先は―――、白のキングの前から黒の駒を退けた。

「……どうやら、正解だったようだね」

 周りがまた騒ぐ中、期待通り、という風にシュナイゼルは笑いながら、自らの駒を動かす。

 そこからは、一方的だった。

 無意味に退いた事により、布陣が崩れ、その隙を逃さなかった白の攻めに、瞬く間に黒は追い詰められていく。

 こうなる事を予測出来なかったゼロではあるまい。にも関わらず、退いたゼロの判断はシュナイゼルの推測が正しいという証明に他ならなかった。

「皇帝陛下なら、迷わず取っていただろうね……」

 淡々と呟いたシュナイゼルの声には、どことなく乾いた響きがあった。

 推測が当たった事への嬉しさ。推測通りでしかなかった事への失望。

 相反する気持ちを抱きながら、シュナイゼルは胸にいつもの感覚が広がっていくのを感じていた。

 結末の分かっている本を読んでいるような、()()()()()()()()勝利への道をなぞるだけになった現実に対する虚しさ。関心が薄れ、色褪せるように自分が空虚になっていく感覚。

 それが、ゼロ相手でも湧き上がって来てしまった事実に、シュナイゼルの口から様々な感情と共に溜め息が零れた。

「でしょうね」

 だが、そんなシュナイゼルと現実にゼロが食らいつく。

「差し出された手を払い、切り捨て、踏みにじる。そんな野蛮な行為、私にはとてもとても」

 シュナイゼルの背後で若干名の気配が鋭くなるが、それに構わず、ゼロは少なくなりつつある黒の駒を迷いのない手で動かした。

「確かに殿下。私は貴方の言う通り矜持に固執するきらいがある。でも、だからこそ、私は手負いの獣のように誰彼構わず噛みつくような手段ばかり取るつもりはありません」

 何を例えているのか。次々と黒の駒を取りつつ黒のキングを追い詰めていたシュナイゼルは、そこでふとした感覚に捉われた。

 網をすり抜けるように魚が逃げていくというべきか。追い詰めているのに、黒のキングは悠々と動いているようにシュナイゼルには見えた。

(まさか、先程の―――?)

 違和感に僅かに目を見張る。しかし、その手は止まらず、いや、止められず。盤上、白の駒はその隅に置かれた黒のキングへと迫った。

「人であるなら」

 コツン、と白の駒が置かれるのに合わせ、盤上の有り様とは裏腹に、焦りのない余裕ある声が黒い仮面から零れた。

「時には、知性ある結末も模索してみませんと」

「ほう? では、君の言う知性ある結末とは、例えば、どんなものかな?」

「そうですね………。差し当たり、貴国、――いえ、両国に、今、私が望むのはコレでしょうか」

 そう言って、ゼロは自分の手番でありながらも駒を取ろうとせず、チェス盤を差し出すように手を指し広げた。

「終局です」

 黒のキングは、ギリギリチェックを掛けられていない。

 本来なら、まだゲームは終わっていないのだが、ゼロは終局を宣言した。

 そう。それは、自らの手番に、しかし、打てる手が何も残っていない場合、そこでゲームを終える事が出来るチェスのルールの一つ。

「対等。その終わりを以て、余興とさせて頂きましょう」

 

 ステイルメイト(引き分け)。―――それが、今回の勝負の幕引きだった。

 

 

 ゲームが終了しても、暫く誰も言葉を発さなかった。

 シュナイゼルがキングを差し出した時はゼロの勝ちと皆が思った。ゼロが退いて追い詰められた時はシュナイゼルの勝ちだと思った。

 だが、勝負は皆が予想しなかった結果で終局を迎えた。

 追い詰められ、首の皮一枚残る形で黒のキングは生き残り、白は優勢に在りながらも黒を取り逃がした。

 この結果、どちらを称賛すれば良いのか。

 劣勢ながら引き分けに持ち込んだゼロか。いや、だが追い詰められたのは事実。

 ならば、追い詰めたシュナイゼルか。でも、途中の奇抜な手でゼロが退かなければ、負けていた。

 一体、どこまで計算でどこからがそうでないのか。

 所詮、余人たる彼等には、盤上で起こった全てを理解する術はなかった。

「―――ふふ」

 分かるのは二人。対面に座して、思考と思惑を交えたゼロとシュナイゼルだけだろう。

「期待通り。いや、それ以上だった。とても楽しませて貰ったよ、ゼロ」

「此方こそ。思った通り、貴方が優秀だったお陰で、有意義な時間を過ごす事が出来ました」

 暫し、盤上を眺めていたシュナイゼルが顔を上げ、心底楽しめたという表情で称賛するのに、称賛で返す。

 そうしたやり取りを終えて、漸くゼロから関心が離れたのか。シュナイゼルは立ち上がると、何時もの薄い微笑みを顔に張り付け、観戦者と化していた本来の出席者達に向けて、軽く頭を下げた。

「長らくお待たせしてしまい、申し訳ありません。これより、両国の未来の為、停戦とそれに伴う各種条件を詰める交渉に入りたいと思いますが、宜しいですかな?」

 殊更、丁寧な口調。柔らかい、完璧な笑み。

 そこに、今の勝負で垣間見た熱も感情もなく。

 先程よりも、完璧に見える人形のような笑みに身体が震えそうになるのを堪えながら、宜しくお願いします、と神楽耶も頭を下げた。




 長くなりましたので、前哨戦で切ります。
 本当は交渉最後まで書くつもりでしたが、普段は何も感じてないポーズしている癖に、弟を前にした途端、私ともあろう者がドキドキして参りましたと兄がはしゃぎ始めまして、つまり何が言いたいかと言うと全部シュナ何とかとか言う奴のせいなんだ。

 そんな訳で、(作者にとっての)地獄のシュナイゼルタイムはまだ続きます。出来れば、次で終わって欲しいけど……、欲しいけど………ッ(震え)


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PLAY:26

 おの… シュナ…


 感嘆と興奮、驚嘆と困惑。夏の暑気のような雑多な感情がもたらした熱が引いていくと、場には再び厳かな空気が流れ始めた。

 負けられない戦いを前にした緊張感。強者のひしめき合いが生む緊迫感。そして、難敵への警戒心。幾重にも絡む感情に目に見えない空気がたちまち重くなっていくのが見えるようだ。

 けど、重い空気に反して壁際に並ぶ護衛にも、席に着こうとしている六家の面々にも気持ちに昂りはあれど、先程と違い、昂り過ぎているという印象はない。

 余興のインパクトが強すぎたせいだろう。一度リセットされ緩められた気持ちや感情が、程よい強さで締め直されて自らの内に収まっているのを神楽耶は感じた。

 であるなら、あの余興にもそれなりに意味はあったという事なのだろう。思考の展開も速度も発想も、常人が遠く及ばない領域で繰り広げられた頭脳戦は、ゲームと呼ぶには余りに飛び交った情報量が多く、決着どころか応手一つ取っても、どちらの思惑が勝ったのか分からないものだったが、少なくとも肩の力は抜けたのだから。

「さて――――」

 でも、それは相手も同じ事。

 程よく低く、程よく固く。語りかける、という話し方のお手本のような声に神楽耶は没頭していた思考を閉ざし、意識の焦点を現実に切り替える。

 ぐるり、と輪を以て和を示す円卓の対面、数合わせの文官を両隣に補佐官を後ろに控えさせ、正面から見据えてくる完璧に整えられた微笑みという名の刃に、思わず膝の上の手に力が入る。

 これが、この男の本気なのか。それとも、僅かとはいえ、感情の色を見た反動なのか。一層際立つ秀麗な微笑みに、時として笑顔は凶器に変わるという言葉の意味を理解した気がした。

 特に、透明感。一切の感情が乗らない瞳と微笑は鏡のようで、見ているだけで気持ちも思考も丸裸にされていくような気分になる。

 一体、その微笑みでどれだけの人間の意志を挫いてきたのか。並の人間であれば、喋る事すら覚束なくなるであろう虚無の微笑を前に、神楽耶は一度は自らの内に収まった感情にまた皹が入っていくのを感じた。

「神楽耶殿?」

 そして、そんな隙を見逃す程、目の前の男は甘くない。ここぞとばかりに優しい声が耳朶に触れた。

「大丈夫ですか? 気分が優れないようでしたら、もう少し時間を空けますが……」

 甘い囁きに肌が粟立つ。とろりとした蜂蜜をたっぷりと流し込まれたような甘ったるい感覚に胸がざわつく。

 会話ですらない。話すタイミング、声の抑揚、喋る速度。それだけで相手の心を乱す巧みな話術に、神楽耶は改めて敵の強大さを知る。

 何気ない言葉から、表情や仕草の一つまで。

 あらゆる全てに仕込んだ甘い毒で相手の心を繰り、『前回』には最大の敵であった黒の騎士団すら言葉だけで瓦解せしめたブリタニアの叡智の手練手管は、器はあれど、まだ中身を満たし切れる程の経験を重ねていない神楽耶の遠く及ぶものではない。

 だから、せめて、心だけはと再び過る弱気を振り払うように、語気を強めて気丈に返そうとして―――。

 

 ――――――コツ

 

 ………不思議なものだ。

 目の前の男のように甘く声を掛けられた訳ではない。そもそも、言葉ですらない。でも、後ろで小さく鳴ったその音は他の何よりも、優しく、心地よく。

 たったの一音。耳を擽った彼の音に心のざわつきがさざ波のように引いていくのが分かった。

(私も大概、ですね)

 小さな肩にのし掛かる重圧も、目の前の男がもたらす動揺も、ほんの少し、気持ちを傾けた男の存在を認識しただけで消え去るのだから、自分も大概恋する乙女だと心の中で苦笑する。

(ありがとうございます、ゼロ様)

 感謝の念を抱きつつ、けれど、と神楽耶は己を引き締める。

 助けて貰えるのは嬉しいが、助けて貰ってばかりもいられない。自分はこの国の王、そんな存在がいつまでも庇護に甘んじていて、どうやって国が守れようか。

 それに、本気で後ろの彼の隣に並ぼうと思うのなら、自分も奇跡の一つや二つ、起こしてみせないと。

「平気です。どうぞ、始めて下さい」

 ならば、やはり、此処は自分の戦場。

 退けない理由を一つ加えて、神楽耶は凛とした態度で前を見据えた。

 

 

「では、改めて」

 そう前置きし、口火を切ったのはシュナイゼルだった。

「まずは、今回、我が方の交渉に応じて下さった、皆様の寛大な御心と判断に敬意と感謝を」

 ゆるく眦を落とし、親しげな表情に喜色を滲ませた、如何にも良き隣人である体で、日本を蹂躙した侵略者が神楽耶達に笑む。

「他者の嘆きに耳を傾け、憎しみに囚われる事なく、戦いよりも停戦に同意した日本の高潔な精神は、ブリタニアは元より、後の世においても高く評価されるでしょう」

 思わず、鼻で笑い飛ばしそうになるのを堪える。

 ちらり、と横目で左右を見やれば、普段は飄々としている老人達も滲む不快感に溜め息を溢したり、鼻を鳴らしたりしていた。

 それもそうだろう。

 憎しみに囚われる事なく? 高潔な精神? ふざけるなと、馬鹿にしているのかと言ってやりたい。

 この八年。一体、どれだけのものを奪われてきたと思っている。どれだけの生命が踏みにじられたと思っている。

 自らの行いを省みれば、簡単に水に流せるものではない事くらい、直ぐに分かるだろう。

 それでも、この停戦に同意し交渉のテーブルに着いたのは、あくまで自国の益と民の安寧の為。

 なのに、それを自分達に都合良く解釈して、終わった事のように言われれば、欲の皮の突っ張った狸達であろうと不快感の一つも覚えよう。

 同時に、分かってもいた。これは、わざとだと。

 往々にして、人は良い方向に誤解を受けた場合、それを解くのを躊躇い、尻込みするものである。

 そんなつもりはなかった。偶々、上手くいっただけで本当はこうするつもりだった。

 そうやって、下方向の真実を明るみにし、その落差から来る相手の軽蔑や落胆、自分の矮小さを自覚するのを忌避するからだ。

 だから、シュナイゼルは先んじて日本の行動を殊更持ち上げ、あたかも聖人を見たかのように賛美する事で、日本側が利益に訴えるのを難しくしたのだろう。交渉上は日本有利とはいえ、やはり両者の関係は小国と大国。もし、僅かでも口の滑りが悪くなれば、その強大さに呑まれ、何も求められないまま、交渉を終えてしまう可能性もあった。

「お言葉、有り難く。ですが、そう持ち上げられる程の事ではないかと」

 それを分かっていたからこそ、神楽耶は激昂せずに淀む事なく挑発を受け止めた。

 受け止めて、――投げ返す。

 不快感は極力抑え、けれど、冷めた気持ちは隠さずに。

 始まる前の狼狽ぶりが嘘のように、丁寧な口調にそぐわぬ冷たい笑みが、神楽耶のあどけない顔立ちを為政者のそれに変えた。

「このご時世、特に肩入れする理由はなくとも、他国の暴虐から一国を救い上げるようなお方もいらっしゃるくらいです。人として最低限の品格を備えていれば、弱者を生肉か何かとしか思わないような判断はしないと思いますが?」

 綺麗に揃えた指の先で上品に口元を隠しながら、神楽耶が含む物言いをすると、呼応するように両隣の老人達がくつくつと嗤う。

 明らかな皮肉。明らかな嘲笑。

 丁寧な言い回し(オブラート)から侮蔑が零れ落ちるのも構わない。悪感情を抱かれようと、ここで顔色を伺ってはブリタニアに付け入る隙を与える事になる。

 それを避ける為にも、この交渉においては自分達の方こそ上であるという態度を崩す訳にはいかなかった。

「ですので、殿下。我が国を評価して頂けるのであれば、この機会に他者への手の差し伸べ方を学んではいかがでしょう?」

 痛烈な皮肉で不用意な発言に釘を刺しつつ、シュナイゼルの目論見を躬す。

 言われ慣れてないのか。それとも、まだ日本を弱者としか見ていないのか。

 あからさまに顔色を変えている文官達を尻目に、神楽耶はシュナイゼルの反応を窺う。

 少しは堪えたであろうか。そう思い、神楽耶はシュナイゼルの表情の中に苦悶が見えないか探る。

 だが、神楽耶の予想に反して、シュナイゼルに見えたのは苦悶ではなく悲痛だった。

「そうですね………」

 こめかみを抑え、シュナイゼルは信頼を裏切られたかのように悲しげに呟く。

「これ以上、民に負担を強いるのは心苦しいですが……、他ならぬ貴女方がそうおっしゃるなら、是非とも勉強させて頂きましょう」

 そう言って、淡く微笑むシュナイゼルに苛立ちが募る。

 どこまでも加害者なくせに、どこまでも被害者ぶるその言動の一々が癪に障った。

 奥歯が鳴る。知らず、苛立ちから表情に力が入っている事に気付き、そうと分からぬよう、ゆっくりと呼吸音を抑えつつ息を吐き出し、強張った表情を解す。

 やはり、手強かった。強気な態度や発言が許されている日本と違い、言動が束縛されているにも関わらず、まるでマウントが取れそうにない。

 そう感じると同時、力が抜けた歯が違う感情から再び噛み締められる。

 実力差は理解していたつもりだった。だが、それでもまだ認識が甘かったと痛感する。

 正直、圧倒的有利な立場に居続けたのであれば、不利な交渉は不慣れだろうと考えてもいたが、どうやら、この程度のアドバンテージではシュナイゼルを抑えつける事は出来ないらしい。

(悔しいですが、仕方ありませんね)

 出来る事なら、きちんとこの場における両者間の力関係を明白にした上で本題に入りたかったが、下手な会話や議論はシュナイゼルの有利にしか働かないだろう。

 であるなら、場の空気が日本有利に動いている今の内に本題を終えるべきと判断した神楽耶は、そこでシュナイゼルとの会話を打ち切ると、左隣に座る六家の老人の中で、唯一ゼロからの信頼を受けている男の方へ顔を向けた。

「桐原」

「………うむ」

 呼び掛けに、桐原が重く頷く。どうやら、この男も神楽耶と同じ帰結らしく、苦々しく思いながらも、否定や意見を割り込んだりはしてこなかった。

 ゆったりとした着物の内に手を忍ばせ、どうやって隠していたのか、書類袋を取り出すと留め紐を外し、中から格式張った文章でびっしりと埋め尽くされた書類を抜き取る。

 そして、その書面を突きつけるようにブリタニア側に示した。

「此方が、今回、停戦に同意するにあたり、我々が貴国に要求する内容となる。……悪いが、口頭で説明すると長くなりそうでの。書面に起こさせて貰った」

「拝見します」

 シュナイゼルがそう言うと、桐原は突き出していた要求書を下げ、神楽耶の後ろに控えていたゼロに手渡す。

 そうして、ゼロからカノンを通し、手元に渡ってきた苦情ない交ぜの要求書にシュナイゼルは目を通し始めた。

 

 

 日本の要求は、簡潔にまとめると以下の通りだった。

 

 一つ、日本領土並びに領海の全ブリタニア軍の撤退、及び関連施設の完全撤去。

 一つ、八年間に及ぶ占拠、並びにブリタニア人による日本人への非人道、不法行為に対する賠償金の請求。

 一つ、将来的な国交回復を指針として、親善大使にユーフェミア・リ・ブリタニアを指名、その身柄を日本国内に留めるものとする。

 一つ、ハワイ諸島全域を中立地帯に設定。以後を、日本との共同管理とし、ハワイでの軍事行動は両国の了解があってのみ認められるものとする。

 

 

「……随分と吹っ掛けてきましたね」

 文書に目を通し、その後、シュナイゼルによって物語を読み聞かせるように穏やかに、簡潔にして読み上げられた要求書の内容に、護衛として静かに交渉を見守っていたモニカが呆れと若干の苛立ちに目を細めた。

「欲張り過ぎて、逆に足元を見られる可能性を考慮していないのでしょうか?」

「承知の上だろう。日本とて、挙げた要求が全て通るとは思ってはおるまい」

 値を吊り上げ、少しでも高く売り付けるのは交渉の基本である。

 おそらく、日本が本当に通したいのは最初の一項目、ブリタニア軍の完全撤退だけであろう。

 首都を掌握され、政庁を失った今、エリア11の総督府は内政機能の殆どを停止している。そこに軍事機能の喪失も加われば、エリア11におけるブリタニアの統治能力は完全にゼロとなり、ブリタニアはエリア11から手を退かざるを得なくなる。

 つまりは、独立の完成だ。

 他の条件もそれなりに破格だが、優先順位では第一項目に劣る。むしろ、第一項目の譲歩を引き出す為に他の条件の値も吊り上げたのかもしれないとビスマルクは語った。

「へぇ、王サマだけかと思ったら」

 てっきり、一時の有利に驕り、何も考えずに上から目線で要求を突き付けてきたのかと思いきや。

 きちんと物を考えて、シュナイゼルを相手に抜け目なく立ち回ろうとする強かさと、一度は大敗を喫しておきながらも、ここまで強気に自分達を負かした大国に挑める神楽耶達の度胸にジノは素直に感嘆の声を上げた。

 やはり思っていた通り、随分と歯応えのある国らしい。

「中々やるねぇ、イレブンのお姫サマ達も」

「ヴァインベルグ卿」

「おっと、失礼」

 ついつい楽しい気分になり、軽口と共に蔑称に当たる呼び方をしてしまい、モニカに咎められる。

 ひんやりとした視線に首を竦めて謝罪し、けれど、楽しげな気分はそのままにジノは反対側の壁際に視線を向けた。

 目に入るのは、一目で自分の視線を釘付けにした少女。燃えるような紅毛の髪と勝ち気な藍色の瞳のコントラストが美しく、交渉の成り行きに従ってコロコロと変わる表情は見ていて飽きを感じさせない。

 それだけでも此処に来た甲斐はあるのに、護衛という立場である事と、探ればひしひしと伝わってくる強者の気配から彼女もまた一角の戦士であると分かる。

 そこで視線があった。じっ、と自分を見つめる気配に気付いたからだろう。怪訝そうに自分の方を見てきた少女にチャンスと見たジノは表情を一変。にこりと貴公子のように微笑んだ。

 すると、どうだろう。社交界において、百発百中の精度を誇るジノの貴族の笑みを見た少女は、とても不味いものでも食べたかのように思いっきり顔をしかめると、ふいと神楽耶達に視線を戻してしまった。

 まるっきり、相手にされていない。

 それもまた、ジノには新鮮で。

 つくづく来て良かった。

 そう思いながら、ジノはひらひらと少女に向けて手を振った。

 当然、無視された。

 

 

 緊張に心臓が高鳴る。遂に投げられた賽に鼓動がまるで太鼓のように内側から胸を殴り付けてきていて、ともすれば身体すら震え出してしまいそうだった。

 だが、そんな様子をおくびも見せずに神楽耶はブリタニアの返答を静かに待つ。

 ここからだ。

 色々と喧しい身体を無視して、神楽耶は頭の中から昨日詰め込んだブリタニア関連の情報を引っ張り出す。

 ブリタニアの情勢や日本との関係。中華とE.U.、その他主要国家との現状。各戦線の状況に、各エリアの経済状況。更には現時点でのエリア総督、皇族、目ぼしい貴族達の人となり、人間関係、噂諸々。

 交渉に使えそうな、使われそうなあらゆる情報を頭に叩き込み、六家の老人達と綿密に打ち合わせを行い、ブリタニアがしてきそうな要求を可能な限り考え、その対応策も講じてきた。

 全てはここで日本を取り戻す為に。

 入念に入念を重ねて準備を行ってきた。

「ふむ………」

 視線の先、改めて要求書に目を通していたシュナイゼルが何かに納得したように小さく頷くのが見えた。

 考えがまとまったのだろう。シュナイゼルの様子からそう判断した神楽耶は唇を一舐めして、居住まいを正す。

「成程、貴国の要求は理解しました」

 書面に落としていた視線が神楽耶達に戻ってくる。その表情は他の者達と違い、変わらずの笑顔。

 しかし、そんな事はもう分かり切っていた事なので神楽耶も桐原達も気持ちを崩さない。

 さあ、来るなら来い。お前がどんな弁舌をどれだけ繰り広げようと必ず日本は取り戻す。

 そんな覚悟が伝わってきそうな神楽耶達に、シュナイゼルは要求書をテーブルに置いて手を組んだ。

 そして、殊更柔らかい笑みで、にこり、と微笑むと―――。

 

 

 

「では、このように」

 

 

 

 とても軽やかに、一言、そう告げた。

 

 

「……………ぇ」

 意識せず、気の抜けた声が漏れそうになり、慌てて喉を引き締めた。

 しかし、出来たのはそこまで。思考は、まだ止まったまま、動かない。

 今、この男は何と言った? では、このように? このように? 承認した? 何を? 要求を? 日本の要求を? 受け入れた? なら、返ってくる? 皆が苦労して取り戻そうとしたものが? 多くの日本人が生命を懸けて取り戻せなかったものが? どれだけ手を伸ばしても届かなかったものが? あんなにも心の底から渇望した故郷が?

 

 こんな簡単に―――――?

 

「ふふ、昨日の()()()()()()()()()()()()()()()貴族の件には我々も胸を痛めておりましたので。今回の事はそれを含めて、とお考え下さい」

「あ………………」

 かろうじて働いた思考が、しまった、と叫んだ。

 日本が、かねてより行っていた攪乱作戦。

 エリア11内の貴族によって行われた非合法、非人道の行為を本人達の承認、証言の下、白日に晒し、それも以てブリタニアを非難した日本の外交攻撃。

 ブリタニアのプライドの高さを逆手にとって醜態を晒す貴族を拘束、本国の貴族を煽り、長らくブリタニア国内に不和を生んできた計略だったのだが、これはブリタニアが誠意ある回答をしない事を前提に成り立っていた。

 それが崩れた。

 シュナイゼルはこの交渉の譲歩を、先の問題と絡める事で誠意としたのだ。狙いはどうあれ、誠意を示されてしまった以上、日本はこれ以上ブリタニアを非難する事は出来なくなる。謝罪も、今の状態で言い逃れされてしまっては深く追及も出来ない。すれば、今度は日本が難癖を付けていると叩かれる事になるからだ。

「貴女方に倣い、私なりに手を差し伸べてみたのですが……、何かご不快な点でもありましたでしょうか?」

「―――――ッ」

 返された皮肉に反論も出来ない。

 何か言わなければと思う。ここでの沈黙は得にはならない。そう分かっていた。

 だが、神楽耶も桐原達も自らが切り出したカードを切っ掛けに、くるくるとオセロの駒のように大きく、簡単に移り変わる状況の変移を整理するのに必死で、悠長に皮肉を返す余裕も非難出来る余地を探す思考力も彼女達にはなかった。

「では、日本の要求に関してはこの通りに。続いて、ブリタニアからも要求を幾ばくか述べさせて頂きます」

 答えられない沈黙を肯定と解釈し、シュナイゼルが締め括る。

 あっさりと締め括られる。

 あんなに緊張と不安に苛まれて臨んだ交渉の場が。日本の行く末が掛かっていると覚悟を決めて挑んだ勝負の場が。少しでも勝つ見込みを上げる為にと必死になって山積みの資料を頭に叩き込み、寝るのも忘れて対応策を考えた交渉が。

 一言も喋る事なく。

(いいえ、まだ終わりではありません……!)

 何も出来ないまま終わってしまった無力感に項垂れそうになるのを首を振る事で押し留める。

 何も出来なくはあったが日本の要求自体はちゃんと通ったのだ。なのに折れてはシュナイゼルの思う壺だと己を奮い起たせて、ブリタニアが要求を切り出してくるのに備える。

 場の流れは、悔しいながらブリタニアに向いていた。

 厳しい要求を突き付けられても余裕綽々だったシュナイゼルに対し、神楽耶達は予想外の答えに上手く対応出来なかったのだから無理からぬ事ではある。

 とはいえ、このタイミングで流れを完全に持っていかれたのは不味い。

 何しろ、シュナイゼルだ。一連のやり取りに思惑があるのなら、このタイミングで流れを掴んだのは勢いに乗じて、無理難題を通そうと企んでいるからだろうと想像出来る。

 ならば、阻止しなくては。

 幸い、流れはともかく立場はまだ日本が優勢のままだ。ブリタニアも停戦を翻意されたくはないだろうから、あまりに無理な要求は突っぱねる事が出来る筈。

 後は、シュナイゼルの舌先に丸め込まれて要求を丸飲みしないよう、しっかりと頭を働かせて拒否の意志を強く持てれば。

 そう先の展開を予測し、対応の為に気持ちと身体を引き締め直し、神楽耶は身構えた。

 しかし、それでも、やはり甘かったのだと直ぐに神楽耶は思い知らされる事になる。

 いざとなれば拒否すれば良いなんて、そんな都合の良い考え自体が既に油断であり、甘さだったのだと。

 何しろ、この数瞬後にシュナイゼルの口より告げられた要求は。

 神楽耶にとっては死より選び難い選択だったのだから。

 

 

 告げられて、暫く。

 言葉を発する者は誰もいなかった。

 ブリタニア側はシュナイゼルの口より発せられた言葉に驚きつつも口を出す場面ではないと口を閉ざし、日本側は、一見的外れに思えながらも的確な要求に驚愕と迂闊に黙り込んでいた。

 そして、シュナイゼルは。

 突き付けられた要求の意図をしっかりと理解し、もはや憚る事なく悔しさに口を噛み締め、俯く日本の幼姫に楽しそうに微笑んでいる。

 その彼が口頭で告げた要求は一言。

 実にシンプルで、実に簡単なもの。

 

 要求内容は。

 

 

「黒の騎士団総司令、ゼロの国外追放」

 

 

(やられた…………ッ!!)

 俯き、身体を震わせる神楽耶の胸中に、先程とは比べものにならない程の後悔が押し寄せてくる。

 ここにきて、神楽耶は自分が完全に読み違えていた事を理解する。

 シュナイゼルは初めから日本との停戦がどうなろうとどうでもよかったのだ。

 だから、日本がどのような要求をしてこようが興味を示さず、独立を果たす事になろうとも構いもしなかったのだろう。むしろ、日本が躍起になればなる程、シュナイゼルにとっては好都合だったに違いない。

 全ては、ここに至る為の布石。逆転の一手を最大限に放つ為の罠。

 停戦を申し込んだのも交渉の場を整えたのも、全て今の要求を日本政府に突き付けられる機会と舞台を用意する為だったのだと神楽耶は気付く。

 しかし、気付くには遅すぎた。

 この状況で、この条件。至った時点で、もう退路はない。

 つまり、どちらを選んでも最悪(チェックメイト)である。

「……………ッ」

 そこに考えが至ると同時に一際身体が震えた。

 目元が怪しくなり、必死に力を込めて不様を晒さないよう努力しつつ、活路を探す。

 だが、いくら考えても道はなかった。

 そう。完全に詰みなのだ。少なくとも、神楽耶にとっては。

 例えば、シュナイゼルの要求を飲むとしよう。

 そうすると、要求に従い、日本政府は今まで日本の為に戦ってきてくれたゼロを日本から追放しなくてはならなくなる。

 それは、手酷い裏切りとなろう。ゼロからの印象は最悪となり、関係は修復不可能な程険悪となる。

 それだけではないだろう。

 今のゼロは、誰がどう見ても日本の救世主である。

 登場以来、世界を熱狂させてきた彼の奇跡とカリスマはあの夜を越えて更に膨れ上がり、その恩恵を一番に授かった日本人の中には信頼を通り越して信仰心を抱く者すら現れる程にまで至っている。

 そんな彼を日本政府が追い出したと民衆が知れば、どうなるか。

 そして、そこに態勢を整えたブリタニアが攻めてくれば。

 日本を追い出され、手足と足場を失えば、いかにゼロであろうと少しは動きが鈍る。その間に、ゼロの牽制から解放されたシュナイゼルがブリタニアを立て直す事が出来れば、もはや停戦など気にする必要はなくなる。

 守護者を失い、政府が支持を失った小国と、万全の態勢を取り戻した大国。

 ぶつかった時の結果など、目に見えていよう。

 

 では、要求を拒否すれば良いのか?

 飲んだ場合を考えれば、そうした方が良いように思えるが、こちらも悪手である。

 おそらく、日本政府が要求を拒否した場合、シュナイゼルは直ぐに停戦を取り下げ、日本に全面戦争を仕掛けてくるだろう。

 勿論、そうなった場合の対策はゼロによって講じられている。いるが、それはこの停戦交渉が始まる前までの話。始まってしまった今、その対策にも不安が残る。

 何故なら、日本人の多くは既に停戦が成されると思ってしまっているからだ。一時であろうと、戦いが終わり国と平和が戻ってくると思っている。

 なのに、停戦に成らず、更には即開戦となれば、民衆はその落差に戸惑い、動揺するだろう。そこに、本来であればかなり有利な条件で停戦と独立が果たせていたという情報が漏れれば、最悪、ゼロがいようと日本は割れる。場合によっては、ゼロがその原因となってしまう。

 少なくとも、開戦の初動は確実に鈍るだろう。

(その為に……)

 胸を締め付ける感情に揺れる瞳が、シュナイゼルの奥、壁際に並ぶラウンズの姿を捉えた。

 神楽耶の読み通り、ラウンズ、――もといビスマルクを護衛に配置したのは、それに備えての事もあった。

 確実視される開戦直後の初動の遅れ。それを最大限活かす為に、シュナイゼルはあらかじめ自分とビスマルクという知と武の最強カードを日本に集めておいたのだ。

 

 僅かに上げた顔が、再び下を向いた。

 駄目だった。やはり、どれだけ考えても行き着く先は同じ。むしろ、考えれば考える程、どん詰まりに嵌まっていく。

 どちらを選ぼうが国は割れ、遠くない未来に最悪の状態でブリタニアとの戦いを強いられる。なのに、どちらかを選ばなくてはならないその現実に、神楽耶の心は軋み悲鳴を上げそうになる。

(まだ………、まだ、何か………)

 打開策が、と神楽耶は瞳に弱々しい光を灯しながら、頭を必死に回転させる。

 国防の重要性を訴え、ゼロの追放を取り下げさせるか。いや、黒の騎士団の解体ならまだしも、一時的に戦争から解放される日本でそれは弱い。なら、日本の復興の為にゼロが必要だと、いや、ブリタニアにとってゼロはあくまでテロリスト、建前とはいえ両国の国交回復を謳った以上、危険なテロリストに対する措置と言われれば反論出来ない。

 では、譲歩を引き出すか、……出来ない。処刑ではなく追放の時点で既に譲歩が為されているし、ブリタニアの要求がこの一点である以上、他の要求で擦り合わせる事も不可能だ。

 それでもこれ以上を望むなら、それはもう譲歩ではなく『懇願』となる。

 だけど、なら、では、どうすれば良い?

 どうすれば。

 どうすれば―――。

 どうすれば――――――。

(ゼロ様………)

 遂に心が折れかけ、弱った意志が拠り所を求める。

 俯いたままの顔が、僅かに動き、光の消えた瞳が後ろに控えている筈の男を探し求めるように動く。

 しかし、そんな神楽耶の様子に気付きつつも、ゼロは無言を貫いている。

 それを見たシュナイゼルが、訳知り顔で小さく笑った。

 これもまた、狙い通りだった。

 実のところ、この状況に陥っても日本を切り捨てさえすれば、ゼロには十分に勝ちの目があった。

 弱り、縋り付いてきた幼姫に都合の良い嘘を吹き込み、捨て駒として使い潰すつもりで日本をブリタニアにぶつければ良いのだ。それだけで再起の時間は十分に稼げる。失うのは未来のない弱小国が一つだけ。損得で言っても、実に合理的な判断だと言えるだろう。

 もし、自分が彼の立場にいれば、間違いなくそう決断していたと断言出来た。

 でも、彼には出来ない。

 たとえ、自らが窮地に陥ろうとも、自分一人が助かりたいが為に他者の信頼に付け込むなど。

(君の矜持が許さない。違うかな、ゼロ?)

 いっそ信頼すら窺えそうな声音で内心で語り掛け、シュナイゼルはもう一度小さく笑った。

 

(………ここまで、かの)

 暫定代表たる神楽耶の隣で、交渉の成り行きを見定めていた桐原は、その光景にこっそりと諦めの混じった溜め息を溢した。

 もう、逆転の目はない。あったとしても、それを通せるだけの気力はもう神楽耶にはないだろう。

 今の神楽耶は、桐原から見ても可哀想なくらい取り乱している。これで交渉を続けるのは誰がどう見ても無理だ。

 そこで、桐原は改めてシュナイゼルと神楽耶、交渉の中心にて言葉を交わし合った二人の様子を見比べた。

 うっすらと微笑み、全くの余裕を見せるシュナイゼルと、項垂れ憔悴し切った神楽耶の様子は、そのままブリタニアと日本の力関係を表しているように思えた。

 尤も、このような結果になったのは神楽耶ばかりが悪い訳ではない。

 この円卓の上でなら戦えると思ったのは、桐原を含め皆同じだった。神楽耶の胆力と主君としての器量は申し分なかったし、桐原達も腹の探り合いや相手を出し抜く事に掛けては自信があった。

 だが、こんな結果に終わり、なのに、何故か妙に納得している自分がいる事に桐原は内心首を傾げ、――納得する。

 考えれば、当たり前だった。自分が絶対に敵に回したくないと思っている人物と同格の相手を敵に回したのだ。そう思えば、この結末にも納得がいく。

(潮時じゃの)

 何であれ、得るべきものは得たのだ。なら、後はそれをきちんと持って返るだけ。

 ちらり、とゼロの姿を横目に見る。相変わらず、何を考えているのか分からない黒く光る仮面を一瞬瞳に映し、――息を吐くと共に閉じる。

(…………悪く思うな)

 言い訳とも覚悟とも付かない言葉を胸中に落とし、桐原は目を開けて、口を開いた。

「ここまでじゃよ、神楽耶」

「桐、原……?」

 唐突にそんな言葉を投げ掛けられた神楽耶が、俯いていた顔を上げる。

 数分前までは、年に似合わぬ威厳を身に纏って前を向いていた顔は疲弊を色濃く浮かび上がらせ、痛みに堪えるように最後の一線を死守する表情は、年よりも幼い少女がただ泣くのを堪えているようだった。

「もはや、全てを選ぶ事は出来ぬ。ならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 今の今まで意見を控えていた桐原の敗北宣言にも似た言葉に神楽耶は目を見開く。

 桐原の言う責務とは日本を取り戻す事。戦いを終わらせ、少しでも平和を日本人達に返す事。

 その為に仕方がないのなら、()()()()()()切り捨てねばならない。

「桐原、お前は―――」

「うむ、その通りよな」

 桐原の言わんとしている事に気付き、怒りの火を目に灯して、堪らず神楽耶は鋭く叱責しかけるも、それを遮るように桐原以外の六家の老人が声を上げる。

「停戦が締結し、日本も返って来る。なら、多少の問題は些事であろうよ」

「うむ。確かに非難はあるだろうが、国を取り戻す為であるのなら、英雄殿も民衆も分かってくれるだろうよ」

「お主には酷かもしれんがの。我々には国を預かる者として民と国土を守る使命がある。その為には、少しでも利益と時間を持ち帰らねばならん」

 桐原の発言を切っ掛けに、堰を切ったように他家の代表達がそんな言葉を吐き出していく。

「本気で………、本気で言っているのか、お前達は………?」

 愕然とした気持ちになり、先程まで複雑ながらも頼もしく思っていた老人達を見回す。

 確かに停戦と賠償金、人質と牽制の手段。それ等を手に入れ、態勢を整え他国に支援を求める時間がある選択と、最強の駒はあるがそれ以外は何も得られない選択。

 日本の立場に立てば、どちらが日本の為になり、より可能性のある選択であるかは明白だった。

 だが、しかし―――……。

「我々だけでは此処まで来られなかった。なのに―――」

「では、他にどんな選択があると?」

「お主とて何も失わぬまま、日本を取り戻せると思っていた訳ではあるまい。必要な犠牲よ」

「それに八年前の敗北は、急すぎる宣戦布告と直後の混乱によるもの。英雄殿がいなければ敗北は必至と決めつけるのは、これまで戦ってきた者達を軽視しているように思えるが?」

 まるで責めるような物言いに、神楽耶は押し黙ってしまう。

 綺麗事をちりばめ、仕方がないと自分達を誤魔化している醜い言葉だったが、神楽耶には反論出来なかった。

 他家の者達が言うように、他に選択肢はないからだ。ないのなら、よりマシな選択肢を選ばなければならない。

 そう言った意味では老人達の言い分は正しい。公人、まして上に立つ者なら、時として非情な決断をせねばならぬ時があり、汚名を被らないといけない時もある。

 神楽耶も、その覚悟がなかったのかと問われれば、あると返しただろう。

 けれど。

 けれど………。

「無理なら下がれ、神楽耶」

 埒が明かないと感じたのか。それとも、今の神楽耶には酷だと思ったのか。

 口火を切ってからは、事の推移を見守るだけだった桐原が見兼ねたようにそう口にした。

「所詮は暫定の代表。無理をする理由もあるまい。後の事は儂等に任せると良い。良いようにしておこう」

「………それを信じろと?」

「そう思うのなら、覚悟を決めるしかあるまい」

 言われ、神楽耶は口を噤む。

 ここで逃げ出すのは簡単だった。代表の座を降りれば、苦しい決断もする必要はなくなる。

 しかし、そうすれば、残った他家の者達が何をするか。今の彼等であれば、もしシュナイゼルがゼロに関して追加の条件を出してきたとしても躊躇いなく頷く。そんな予感があった。

 それを防ぐ為には、此処に居続けなければならなかった。

 覚悟を、決めなければならなかった。

「答えは決まりましたかな?」

 問うてきた穏やかな声に顔を前に向ければ、先程までと変わらない笑みがそこにあった。

 腹立たしいくらいに余裕な微笑み。遂に崩す事の出来なかったその微笑みを神楽耶はせめて力の限りに睨み付けようとして、―――出来ない自分の弱さに唇を噛む。

(きっと………)

 結局、子供でしかなかった自身の弱さを恨み、その弱さ故に人としての矜持を犯す自分の愚かさを嫌悪する。

(私は地獄に落ちるでしょうね)

 いっそ、そうなって欲しい。

 そう思う程に無力な自分を呪いながら、神楽耶は噛み切れそうな程に強く結んでいた唇を緩め―――

 

 

 ――――一言、細い声で答えを口にした。

 

 

 

 

 以て、交渉は終わりを告げた。

 正式な調印や捕虜交換など細かい部分については、後日通信にて会談を行う事を取り決め、日本とブリタニアの停戦は此処に無事に成された。

 結果だけを見れば、当初の有利と不利のまま立場は変わらず、日本は世界に誇れる偉業を持って凱旋せんとしてると言えるだろう。

 だが、俯き逃げるように足早にこの場を去ろうとする日本の代表と、笑顔を浮かべそれを見送るブリタニアの代表の姿を見れば、どちらが真の勝者かは一目瞭然だった。

「中々楽しかったよ、ゼロ」

 心配そうに様子を伺う紅毛の護衛を傍らに、幼姫を先頭にホールを後にした日本の代表と護衛に続く形で、この場を去ろうとしていたゼロを呼び止める。

「次は、こんな()()ではない、命を賭けた盤上で戦えるのを楽しみに待っているよ」

 呼び掛けに答えもせず、振り返りもしない。

 けれど、そんな態度に気分を害するでもなく、足を止めていたゼロが最後に部屋から出て行くのを見送ると、疲労を滲ませた補佐官の労りの声が耳に入ってきた。

「お疲れ様でした、殿下」

 日本の姫に負けず劣らず、疲弊した様子を見せるカノンにシュナイゼルは苦笑を漏らした。

「君の方こそね。……大分、気を揉ませてしまったかな?」

「ええ、それはもう」

 憚る事なく、盛大に溜め息を吐くカノン。見れば、此方に歩み寄って来るラウンズ達も同意見だという風に頷いていた。

「日本の要求を全て受け入れた時は、正直、何を血迷ったのかと思いましたよ」

「それは悪かったね。でも、ゼロを追い詰めるにはあれくらいはしないと駄目だと思ってね」

 僅かでも隙を作れば、ゼロの事だ。先のチェスのように、ひらりと逃げてしまうだろう。

 だから、ここまでする必要があったと困ったように語れば、それ以上に困った顔をしながら、カノンは再びの溜め息と共に肩を落とした。

「まぁ、でも、良かったじゃないですか」

 そこに会話を聞きながら歩み寄って来たジノが、暢気に笑顔で言葉を挟んできた。

「結果として、全てシュナイゼル殿下の思惑通りにいったんでしょ?」

 ポンポン、と気安くカノンの肩を叩きながらそう言うと、そうですね、とモニカが同調した。

「これで日本はゼロの庇護を失い、ゼロは手足をもがれ足場を失いました。払った対価は大きいですが、将来的に回収が見込めるなら、そう悲観する事はないかと」

 商売道具を失くした勝負師と、糸の切れた操り人形。それから元手を回収するなど、赤子の手を捻るより簡単だ。

 これで、ブリタニアの転落も収まるだろう。

 見事な手際で逆転劇を演じたシュナイゼルにモニカは感嘆を漏らし、ジノは近く待ち受けるだろう日本との戦いに高揚を露にし、カノンも疲れたながらも安堵の表情を僅かに覗かせた。

 しかし、当のシュナイゼルはいうと、そんなやり取りに微笑みを張り付けると、意味深に黙ってしまう。

「………何か、気になる事でも?」

 それに気付いたビスマルクが声を掛けるも、シュナイゼルは特に何かを言うでもなく、静かに近くに置いたままにしてあったチェス盤に目を落とした。

 

 この停戦交渉が、ゼロの自分に当てた招待状だという事は分かっていた。

 あらゆる状況を想定し、常に先手を打ってブリタニアを追い落としてきたゼロが、この停戦交渉に関しては何も手を打って来なかった。

 おそらくゼロはこうすれば、自分が停戦に乗ってくると理解しており、だから、シュナイゼルもまた理解した上で誘いに乗った訳だが、だからこそ、疑問が残る。

 果たして、ステイルメイトに出来る(ここ)まで、自分の考えを読み切れるゼロがこの展開を予測出来なかったなんて事があるのだろうか、と。

 勿論、シュナイゼルはこの停戦の誘いに乗り、その上でゼロの思惑を上回れるよう立ち回った訳だから、素直にゼロがシュナイゼルを読み切れなかっただけかもしれない。

 しれないが、先の余興で自分の思惑を読み切った上で、自分の望む形で勝負を終わらせたゼロの打ち回しを思えば、何かしら思惑が潜んでいる可能性もあった。

(尤も、それならそれで楽しませて貰うだけだがね)

 実際、どちらが上回ったか分からないが、分からないこそ楽しめるというもの。むしろ、自分と対等の打ち手であるなら、簡単に先を読ませないくらいでないとつまらない。

 直接対峙して、ゼロの実力と危険性をこの目と頭できちんと認識出来ただけでもこの交渉の結果としては上々であると言えよう。

 そう締め括ったシュナイゼルは、先程のチェスのやり取りを思い出し、チェス盤を覗く目を細めた。

 ゼロの攻め手、応手、打ち回し、交わした会話。その一つ一つを、まるでお気に入りの本を読むかのように思い返しつつ思うのは、ゼロの気質。

 巧みな打ち筋で誤魔化していたが、最後の打ち回しの為の布石を除外し、ゼロの打ち筋を注意深く観察すれば、やはり彼は攻撃を好む傾向にあるのが分かる。

 守りに入った時の手と攻めに入った時の手を比較すれば攻め手の方が鋭さを感じるし、攻めにチャンスを見出だす速度は他に比べても速かったし、何より、多少守りが崩れても攻めようとする姿勢は昔のまま変わってなくて――――――――

「―――――――。」

「殿下?」

「今――――――」

 

 今、誰を思った?

 

 今、誰を重ねた?

 

 今、このチェス盤の中に誰を見つけた?

 

 漂白された思考に、ぽつりぽつりと疑問が浮かぶ。

 流れるように過ぎた己の思考から答えを掘り出すべく、下手に意識せず、シュナイゼルは先程と同じ思考速度で盤上に刻まれたゼロの軌跡を辿る。

 万遍なく意識を散らし、眺めるように、ぼんやりと辿る中、頭の片隅を過ったのは、――――黒の、髪。

「まさか――――、まさか―――――」

 頭に浮かんだ可能性にまさかと溢し、あり得なさにまさかと溢す。

 あり得ないだろう。いくら才覚があろうと、あの時の彼はまだまだ子供で。象徴とも言える皇族で。権力機構の中枢にいて。

 何の庇護もなく、敵の、更には敗戦国の中にいて生きていられる筈はない。

 合理的に考えても、生き抜くなんて不可能だ。

 なのに、なのに―――。

 自分と同等の才能。孤高にあって人を惹き付けるカリスマ性。皇族に対する理解力。不自然なまでに持っているブリタニア内部の情報。特区への参加を望んだユーフェミア。枢木スザクへの執心。

 たった一人で、強大な存在に立ち向かえる意志。

 ブリタニア皇帝に比肩する、圧倒的な存在感。

 エリア11、――――日本。

「まさか…………」

 ぶるり、と寒気を帯びたようにシュナイゼルの身体が大きく震える。

 それが如何なる感情によるものなのか。

 今のシュナイゼルには理解出来なかった。

 

 

 おろおろ。あわあわ。

 アヴァロン格納庫に待機していた二機の小型挺の内の片方に神楽耶を護衛しながら乗り込んでから、カレンはずっとそんな感じで狼狽えていた。

 目の前にいるのは、交渉が終わってから一言も声を発さず黙り込んだままの神楽耶。今も俯き、表情は伺えないが、時折震える身体と爪が食い込む程に握りしめられた拳から神楽耶の心情は察する事が出来た。

 無理もない、とカレンは思う。

 神楽耶にとっても、カレンにとってもゼロという存在は特別だ。恩人なんて言葉では片付かない。それこそ太陽、と言っても恥ずかしくないくらいに特別な存在である。

 だから、今の神楽耶の気持ちが痛いくらいに分かってしまう。裏切りに等しい言葉を吐いてしまった神楽耶は、きっと心が引き裂かれる程の後悔と苦悩に襲われているに違いない。

 そう分かっていた。分かっていたから、カレンは迂闊に声を掛けられなかった。

 今、慰めを口にしても余計に神楽耶を傷付けてしまう。けれど、ただ黙って苦しみ続ける神楽耶を見ている事もカレンには出来なくて。

 何か出来る事はないかと頭を捻るも特に何も思い浮かばず。

 結果、彼女は神楽耶の横で右往左往する羽目になっていた。

 そんなカレンの耳にドアが開く音が聞こえた。反射的にそちらに顔を向け―――、思わず立ち上がる。

 視線の先、いたのはゼロと桐原だった。

「ゼロ!」

「ッ」

 ビクリ、と神楽耶の身体が大きく跳ねた。

 それに気付いたカレンは心配そうに神楽耶を見つめ、同じような視線をゼロにも向ける。

 神楽耶も心配だったが、ゼロも心配だった。

 何しろ、共闘関係にあった六家に、延いては日本に裏切られたようなものなのだ。散々、日本の為に戦ってきた末でのこの仕打ち。ゼロが、今、どう思っているのか。心配と不安に駆られながら、おずおずと声を掛ける。

「あの、ゼロ………」

「カレンか。ご苦労だった」

「ふぇ? あ、はい。………って、そうじゃなくて、ですね……」

 怒りも苦悩も感じない、あまりに普通通りの声に驚き、無意識に返事するも、すぐにそうじゃないと首を振る。

「あのですね……、えーと、……その………」

 もごもごと口に動かし、きょろきょろと視線を彷徨わせ、あからさまに挙動不審なカレン。

 暫くそのまま。そして、意を決したのか、ずんずんと数歩ゼロに詰め寄り口を開く。

「あのッ、ね! その、私、たとえ、貴方が日本を追い出されても………、い、い、いいっ、しょ―――」

「ゼロ様ッ!!」

 言えたのは、そこまでだった。

 カレンの言葉を遮り、身体を押し退けるように小さな身体がゼロの細い身体を直撃する。

「ッ、神楽耶様? 一体、どうし―――」

「ごめんなさい」

 いきなり抱き付いてきた神楽耶に戸惑い、声を掛けようとするが、それより早く謝罪の言葉が返ってくる。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………! 許して下さいとは言いません、私はどうなっても構いません、如何なる罰も受けます! ですから、ですから、どうかお願いします。日本だけは、どうか日本だけは…………ッ」

 助けて、という言葉が嗚咽に飲まれて消えていく。

 驚いていたゼロも、何かを言い掛けていたカレンも言葉を失くし、神楽耶のごめんなさいという言葉と嗚咽だけがその場を支配する。

 

 どれだけ、そうしていただろうか。

 突然の謝罪と涙に動揺し、らしくなく思考を止めてしまっていたゼロは、そこで意識を回復すると油の切れたゼンマイ人形のようにあらぬ方に首を動かした。

「まさか………、いえ、どうにも様子がおかしいとは思ってましたが……、桐原公」

 首を動かした先、そこで一連の様子をニヤニヤと眺めていた古狸の様子から全てを察したのか。ゼロは仮面の下で視線を鋭くする。

()()()()()()()()()()

 その言葉を聞いた瞬間、神楽耶とカレンの思考は停止した。

「仕方なかろう。お主と同じくらい鋭い男が相手じゃ。神楽耶の様子がおかしければ、そこから気付かれていたかもしれぬ」

 一理ある言い分に、む、と唸るゼロに桐原は、カカッ、と一つ嗤うと一転して真剣な顔で問い掛けた。

「それで? 奴は気付いたと思うか?」

「………半々、ですね。何かあるとは思っているでしょうが()()()()もしてきましたから。私が何かしら動きを見せれば、日本からは気が逸れるかと」

「成程、の。では、ブリタニアが攻めてくる前に間に合いそうじゃの。超合集国とやらは」

「まだ課題は残ってますが。尤も、その為にこうなるよう仕向けた訳ですが………」

「ちょ、ちょちょ、ちょっと待って待って……!」

 ぽかんとしている少女二人に構わず、仲違いの様子も見せずに話を進めていく男二人に、思考停止から回復したカレンがストップを掛ける。

「あの、その……、意味が分からないんですけど」

「いや、それは、だな………」

「ゼロ様?」

 歯切れ悪く言い淀むゼロに疑問を感じ、神楽耶も懐から未だ涙に濡れる瞳でゼロを見上げる。

 すると、ますます狼狽する気配が仮面を通して伝わってきた。

 それでも、そのまま、じっ、と二人してゼロの仮面に視線を突き立てていると遂に観念したのか、ふぅ、と小さく息を吐き出す音と共に、ゼロの左手が仮面を取り去った。

「悲しませてしまい、申し訳ありません」

 膝が折られ、目線が近付く。いつもの強い光を宿す瞳ではない、優しげにも見える申し訳なさそうな瞳に至近から覗き込まれ、神楽耶は一瞬全ての感情を忘れて息を詰めた。

「ですが、ご心配なさらずに。貴女が思うような事態は起こりません。何故なら、この結末はシュナイゼルではなく、()()()()()()()()()()()()()

「え………?」

「えっ、と……? ごめん、やっぱり分からない」

 白状するルルーシュの言葉の意味を理解出来ず、神楽耶と二人、カレンは小首を傾げると、桐原が愉快とばかりに話に入ってきた。

「言葉の通りよ。その男はな、この交渉の結末がこうなると分かっておった。……より正確に言うなら、こうなるよう仕向けたのじゃ。世界丸ごと、自分の筋書き通りに動かしてな」

 くっくっ、と嗤い、愉しそうに種明かしをする桐原の言葉に二人は目を見開き、揃ってすまなそうな顔をしているルルーシュの方に視線を戻した。

「ごめん、それでも分からない。その、ルルー、……ゼロの筋書き通りなら、もっとマシな――」

 展開があったんじゃない、とカレンが言い切る前にルルーシュが首を横に振る。

「これは他の国にも言える事だがな。いくら弱体化してもエリア化で痩せた国や戦線の維持で国力が逼迫している国が単独でブリタニアを打ち破るのは無理がある。それでも独力で国を取り戻そうとするなら、相手を交渉のテーブルに引き摺り込んでもぎ取るしかない」

 だがしかし、そこで相手をする事になるのはシュナイゼル。

 戦略や軍略ならともかく、政略や交渉となるとやはり宰相として長く国政に携わってきたシュナイゼルに一日の長がある。

 まして、席に着くのはゼロではない。神楽耶には悪いがまともに口でやりあって、日本を取り戻せる相手ではないだろう。

()()()()()()()()()()()()()

 だから、東京を取り戻し各地のレジスタンスを取り込みながらも大規模な戦闘行動を控える事で日本そのものへの警戒を薄れさせ、暗躍を仄めかせる事でシュナイゼルの興味を引きつつ、あくまで排斥すべきはゼロと思わせる事でブリタニアの交渉の焦点を日本ではなくゼロへと誘導したのだ。

 そうすれば、意外と遊び心の強いシュナイゼルの事。此方の実力を味わう為にチェスあたりで勝負を仕掛けてこようとする事は容易に想像が付く。

 そこで、抜け目の無さを披露すれば、ゼロへの関心と相まって確実に追い詰める為に、他の全てを二の次にして退路を断とうとしてくるだろう。

 それで、条件はクリアだ。

 本来なら、それでも不確定要素は残るが、シュナイゼルは必要と判断すれば首都すら躊躇いなく消し去れるくらい、徹底した合理的思考の持ち主。そこに()()がないのも、チェスの中で確認した。

 なら………。

「日本の要求は全て通る。日本は返ってくる」

 それでチェックだ、と何でもない事のように語るルルーシュに驚きと混乱と困惑に言葉を失うカレンと神楽耶。

「じゃ、じゃあ…………」

 唇を戦慄かせ、ゆっくりと桐原の方へ顔を向ける神楽耶。その様子から聞きたい事を理解したのだろう。ひっぱたきたくなるくらい底意地の悪い笑みを浮かべて、口を開いた。

「他の六家(奴等)は知らんがの。少なくとも、儂はこの男を敵に回そうなんて馬鹿な事を考えるつもりはないわい」

 生命が幾つあっても足りん、と肩を竦める桐原。そこから、また再び、ゆっくりとルルーシュの方を見れば、申し訳ありません、と頭を下げられ。

「桐原公には事前に話を付けてありました。なので、今回の件で裏切られたと思う事もなければ、日本と手を切るつもりも私にはありませんよ」

 だから、どうかご安心を、と笑顔で告げられた瞬間。

 神楽耶は、ふらり、と後ろに倒れそうになり、慌ててカレンが抱き留めた。

「神楽耶様!?」

 心配し、名前を呼んでくるカレンの腕の中で、神楽耶は貧血でも起こしたように頭を抱え、首を小さく振っている。

 でも、直ぐに立ち直ると、交渉の始まりの時のように力強い瞳で、ニヤニヤと嗤いながら自分を見ている桐原を睨んだ。

 先程のゼロの言葉を聞くに、おそらく桐原経由で自分にも話が通る筈だったのだろう。そうでなければ、交渉の最中に神楽耶が意図しない選択をする可能性もあった。そのリスクを避けるなら、事前に神楽耶にも話を通しておかないと可笑しい。

「こ、の…………ッ、狸!!」

「カカカッ! 良い経験になったじゃろう?」

 怒号を浴びせても少しも悪びれない。その態度に、更なる怒りを募らせ、カレンの腕の中から抜け出すと桐原に詰め寄った。

 怒りのまま、文句と小言を口にする神楽耶と、飄々とした態度で受け流していく桐原。

 そこに先程までの神楽耶はなく。少々、複雑ながらも元気になった姿にカレンは安堵の息を溢すと、はたと何かに気付いたようにルルーシュを振り返った。

「だけど、良いの? その……、日本とゼロの関係が大丈夫なのは分かったけど、アンタは結局追い出されちゃう訳でしょ? そうなったら黒の騎士団は………」

 日本を取り巻く状況はこれで改善されるだろうが、ゼロはそうではない。このままでは、折角築いた日本での足場を失う事になるし、最悪、また孤立無援に逆戻りになる可能性もある。

 それを心配したカレンだったが、やはりと言うべきか、当人はまるで気にした様子も見せずに問題ないと言い切った。

「プランは考えてある。むしろ、ここから先は日本から出た方がやりやすいからな。その為にも、ブリタニアには是非ともゼロを追い出して貰いたかった」

 今の日本のゼロへの依存度を考えると、ゼロが自分の意志で日本を出ると悪感情から要らぬ混乱が生まれる可能性もある。だから、ブリタニアに国外追放を要求させる事で、ゼロは自分で出ていったのではなく、出て行かざるを得なくなったとなるよう仕向けたのだ。

「代わりに、要求を受け入れた日本政府に少しは非難が集まるだろうが………、まあ、問題ない。対策は出来ている」

 全て計画通り。

 日本は解放され、ゼロは世界に飛び出す事が出来た。

 失ったものは、何もない。

 自分で筋書きを描いたとはいえ、ここまで上手く事が運んだのは、やはり。

()()()()()()()()貴方が優秀だったおかげですよ」

 かつてのあの時と同じように。

 彼は完璧であるが故に、完璧なまでにルルーシュの思考から外れる事はなかった。

「感謝します、………兄上」




 神楽耶「ゼロ様に純情を弄ばれてしまいました。これは責任を取って妻にして貰いませんと(チラッチラッ)」
 才能を持て余した兄弟の遊び。に付き合わされた今回の被害者。しかし、流石は神楽耶様、抜け目なし。

 あーーー、終わったーーー!
 分かってはいたけど、シュナイゼル抜きにしてもこの交渉編は難しかったです。
 小難しい話を固い文章で書くから、もう何が何やら。正直、かなり読みづらいというか、たるいかもしれなかったですが、今の作者ではこれが精一杯でした。
 全く誰だよ。大して文章力もないのにこんな面倒くさい話にしたのは…………

 私だよ

 そして、次からは日本編の畳み、……ふふふ、どうやら目を背けていた事実と向き合う時が来たようだぜ(汗)


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PLAY:27

 イベント消化。女の子編。


 清潔に保たれた白い部屋に、小さな電子音が短く周期を刻みながら鳴り続く。

 それより少し長い間隔で呼吸音。

 口に付けられた人工呼吸器が、深呼吸のように男の胸を上下させ、その度に大きめのくぐもった呼吸音が電子音を掻き消し部屋に響く音を支配する。

 意識もなく、己の生命すら満足に維持出来ない彼がこのような状態になってから、もうどれくらい経っただろうか。

 一命は取り留めたものの、いつ容態が悪化するか。予断が許されないまま、集中治療室の窓越しに妻と娘が祈るように男の様子を見守る姿も日常になって久しい。

 いつ起こるか分からない奇跡を期待しつつ、何も変わらない現実の冷たさに歯噛みし、希望を持ちつつも変わらない日々に悲しみよりもある種の納得のような気持ちを抱いて病室を後にする。

 その日が訪れたのは、そんな諦観にも似た感情で日々を過ごすようになってから少ししての事だった。

 

 連絡を受けて、程なく。

 東京、――かつてのトウキョウ租界で一番大きな病院にシャーリーの姿があった。

 余程、急いでいたのだろう。最近、世間を大きく揺れ動かした事件の影響か、渋滞に巻き込まれ遅々として進まなくなったタクシーに痺れを切らし、部活で鍛えた己の足を頼りに此処に辿り着いた彼女は、息は元より髪も乱れてぐしゃぐしゃで、途中制服とタイを外して、尚、汗で張り付けてしまったシャツの上から、その健康的に引き締まった肉体と共にうっすらと下着の色まで晒してしまっている。

 およそ、周囲の目を特に気にする恋多き女子高生の姿ではなかったが、今のシャーリーには気にしている余裕はなかった。慌てて病院に飛び込んできた様子に何事かと集まる周囲の視線に気付く事もなく、受付で二言三言何かを話すと直ぐにエレベーターに乗ろうと足と目を向け、――待ち人の多さと上の階層を示して止まったままの表示パネルに、その隣の階段に足の向く先を変えた。

 目指す階層は上。正直、あそこで大人しくエレベーターを待っていた方が早く着いたかもしれない、そんな上の階だったのだが、逸る気持ちを抑え切れないシャーリーは此処に来るまでに酷使した足に鞭を入れ、目指す階、通い慣れた病室の一つに飛び込んだ。

「お母さんッ!!」

 入ると同時に、中に居た母親に叫び掛ける。

 いつものように集中治療室と見舞い室を隔てる窓ガラスに手を添え、いつもとは違ってハンカチで口元を覆い隠して泣き濡れていたシャーリーの母親は息を切らして飛び込んできた娘に気付くと、再び瞳から大粒の涙を零した。

「お母さん………!」

 娘の姿を見て、気が抜けたのか。膝から崩れ落ちそうになる母親を慌てて支える。ぶつかるように泣きはらした顔が胸元に預けられ、溢れる涙が汗で濡れたシャツをまた濡らしていく。

「お……ッ、お父、さん、は……?」

 落ち着かせるように母の両肩に手を置き、肩で息をしながら、シャーリーは集中治療室の厚い窓ガラスの向こうを凝視する。

 人工呼吸器に、心電図の電極。肌を隠す包帯と点滴の管。動かせない左半身は何かの拍子に滑り落ちないよう拘束され、つい最近まで首やら手首やらをギプスで固定していた父の姿。

 事故当初の顔や指の先にまで包帯が巻かれていた姿よりも幾分マシになっているとはいえ、未だ大怪我の跡を色濃く残す姿は痛々しく、また()()()()()()()()()()シャーリーはそれ故に物も言えず苦しむ父の姿に罪悪感を覚え、見舞いに来る度にその胸を痛めていた。

 そんな父の姿が、――見えない。

 ガラス一枚隔てた室内は、駆け足とはいかずとも、足早に病室の内外を複数の人が行き交い、容態を確認しているらしい医師と、医師からの指示を受けて器具の準備やデータチェックをしている看護師が壁のように父の周りに立って、その姿を隠してしまっている。

 かろうじて見えるのは、腕や胸や喉元だけ。

 何とか無事な姿を確認しようと首を動かし、意味なく背伸びをしてみたりするも全て無駄な努力に終わり、シャーリーは容態が確認出来ないもどかしさと、良否が分からない不安に表情を悲痛に歪めた。

「大丈夫よ………」

 すん、と鼻を啜り、まだ僅かに震える声で母親は視線を下ろしてきた娘にぎこちなく微笑む。

「さっき、お医者様がね………」

 言われた事を思い出したのか。目端から流れた涙をハンカチで拭う。それでも止めどなく流れる涙に拭うのを諦め、ちょっとだけ目線を上げた母親の表情は、やはりぎこちなくはあったが、父が事故に遭って以来久しく見ない穏やかなものだった。

「もう心配いらないって――――」

 その言葉を飲み込むのに、シャーリーは数秒の時間を要した。

 そして、数秒後。

「ぁ――――」

 くしゃり、と表情が崩れるのに合わせ、同じように微笑みながら泣き出した母親が、自分より少しだけ背が高くなった娘を力一杯抱きしめた。

 

 

「危険な状態は脱したと言って良いでしょう」

 シャーリーの父、ジョセフ・フェネットがほんの少しだけであったが意識を取り戻した日の夕方。

 いつものように、つぶさに夫を見守っていた母がいち早くそれに気付き、連絡を受けて慌ててやって来た娘と人目も憚らず泣き腫らしてから数時間後。

 より正確な容態を報告するべく、診察室にて母娘と向かい合った担当医の第一声がこれだった。

「完全に意識が回復するには、もう数日要するでしょうが容態は快方に向かっています。この様子ですと、意識が戻る頃には一般病棟に移す事が出来るかと」

 漸く聞けた吉報に、シャーリーは、ほっ、と安堵の表情に滲ませ、母親も深く息を吐き出すと胸を撫で下ろした。

「ただ、左半身の麻痺を始めとした骨折や裂傷の治療、全身の矯正にはまだ多くの時間を必要とします。リハビリと合わせ、ご主人が完治するのは数年は先だと考えて下さい」

 一転して、まだ道半ばな現実を突き付けられ、母親は重苦しく頷くが、担当医の言った内容に疑問を感じたシャーリーは首を捻って、尋ねた。

「完治? ……あの、父の身体はまた動くようになるんですか?」

 思い出すのは、とある兄妹の片割れの事。

 動かせなくなった原因も症例も違うから一概に同じとは言えないが、あの二人を身近に知っていたシャーリーは父の左半身は二度と動かないのものだと勝手に思い込んでいた。

 だが、そんなシャーリーの疑問に、担当医は、ええ、と頷く。

「ブリタニアの医療技術は、ここ数年で飛躍的に発展していますので。難しい治療にはなりますが回復の見込みは十分にありますよ」

 皮肉な事であるが。

 ブリタニアに端を発した戦火が世界中に飛び火し、燃え上がるにつれ、数を増やしていく負傷兵をより多くより早く戦場に送り返さんとブリタニアの医療は尻に火が付いたようにその技術を大きく発展させていた。

 尤も、そんなブリタニアの医療でも件の治療は最先端技術である為、治療出来る人間はブリタニア本国にも数名とおらず、治療費も貴族御用達かと思う程、膨大であるのだが。

「スペイサー公爵の方から治療費に関しては心配いらないと連絡を受けています。それと……」

 そう言うと、担当医はジョセフに関する検査結果等をまとめたファイルから、封蝋の施された真白い便箋を抜き取ると、シャーリーの母親に手渡した。

「同じく、公爵からです。とあるインド人技師への紹介状だと仰ってました」

「インド人技師……?」

 何故インド人の技術者が? と思う母親に担当医が説明する。

 曰く、その科学者は一時期医療サイバネティックスの分野を賑やかした、かなりの傑物であると。

 戦争が始まって久しく名前を聞く事はなかったが、助力を得られれば、ジョセフの治療の大きな助けとなるだろうと担当医が説明すると、シャーリーの母は受け取った紹介状を大切そうに握り締め、そっと目を伏せる。

 どこまでも援助の手を伸ばしてくれる、とある貴族に感極まる母親を横目にシャーリーは名前しか知らない貴族の事について考えると複雑、……もとい不機嫌そうにそっぽを向いた。

 

 それは、突然の出来事だった。

 ジョセフが事故に巻き込まれて、数日。病院で担当医からジョセフの容態について話を聞いていた母親の元に、スペイサー公爵の遣いと名乗る人物が現れたのだ。

 一庶民には、縁もゆかりもない貴族。その遣いの突然の登場に面食らう母親をよそに、遣いの青年は公爵がジョセフの参加していた事業を取り仕切っていた人物であると説明すると、巻き込んでしまった責任としてジョセフが完治するまでの治療費の全額を負担する事を強引に取り付け、向こう数年、フェネット一家が豪遊しても使い切れないだけの額が書かれた小切手を置くと、驚きから回復した母が何か言うのも聞かずに、あっさりと去っていったという。

 おかげで、主収入を失った今でもシャーリーも母親も以前と変わらない暮らしが出来ている訳だが、その話を聞いた時、シャーリーは感謝よりも先に呆れてしまった。

 足長おじさんでもあるまいし、たかが一般人の不幸にここまで親身になる貴族なぞ、広い帝国を探しても()()()()()()()()()

「………………ばか」

「何か言ったかしら?」

 どこぞのあんぽんたんの心情に、ついつい小言が口を突いて出てしまったシャーリーは、何でもない、と慌て気味に手を振って否定する。

「大丈夫? やっぱり、タクシーを拾った方が良いかしら?」

 病院からの帰り道、モノレールまでの道を数歩先に歩いていた母親は、その歩数分、娘の方へ歩み寄ると薄闇を掻き分けるように顔を覗き込んだ。

「平気。それにタクシーじゃ、いつ家に帰れるか分からないもん」

 苦笑を浮かべ、誤魔化すように顔を車道の方へ向ける。

 時刻は既に夜の手前。夕闇に浮かぶ車のヘッドライトが蛇のように車道を埋めつくし、右から左へ見えなくなるまで途切れる事なく続いている。

 もう夜に差し掛かろうとする時間帯になっても一向に減る気配のない交通量。大型連休もかくやのこのうねりに巻き込まれれば、帰り着くのは日が変わる頃になってしまうだろう。

 そう言い訳しつつ、心配しないで、と念押しすれば、一応は納得したのか母親は再び家路を歩き出す。

 ……尤も、娘を心配してか、今度は二人並ぶようにだが。

「お父さん、良かったね」

 二人して黙々と歩く事に耐えかねた訳ではないが、何となく思った事を口にしたシャーリーに、母は、ええ、と頷く。

「………本国に帰るの?」

 少しだけ、言葉が喉に引っ掛かった。

 ジョセフが完治する為には、ブリタニアでも最先端の治療に掛からなければならず、その治療を行える人物が本国にしかいないとなると、必然的に答えは決まってくる。

 だが、そうなると。

 そうなれば…………。

「そうね、……貴女はどうしたい?」

「え?」

 まさか、この選択で話を振られるとは思っていなかったシャーリーは、少しばかり困惑した様子で隣を歩く母親の横顔に質問の意図を求める。

「先方の事情にもよるけど、今は何かと慌ただしいでしょう? あの人だって、動かせるまでに体力が戻るには時間が必要でしょうし。なら、貴女の卒業までは此方でリハビリに励んで、それから本国に戻っても良いかと思って」

 つい最近、遂に独立を果たした日本の影響で、元エリア11におけるブリタニア人の国内外への出入りは激しくなっていた。

 ゼロがトウキョウ租界を占拠していた時は、彼の策略と他エリアや本国の情勢不安から中々腰を上げるブリタニア人はいなかったが、完全に独立し、ブリタニアの属国でなくなるとなれば、流石に先行きに不安を覚えるのだろう。

 日本を離れ、本国に戻ろうと考えるブリタニア人は、その数を増しつつあったが、逆に、先の国内情勢で貴族やエリア総督府の暴走、クーデターやテロに見舞われた人々の一部が、比較的情勢の安定している他エリアや日本へ逃げ場を求めて入って来ている事もあり、現在、日本国外へ通じるルートはどれもパンク状態に陥っていた。

「それも貴女が卒業する頃には落ち着いているでしょうし。確か、大学は本国のを希望していたわよね?」

「え? あ……、うん」

 そうだった、と、シャーリーは遠い昔のように思える記憶を引っ張り出す。

 思い起こすのは、かつて書いた進路希望の調査票。まだ父や彼の事を知る前に書いたそれの第二、第三希望には、確かに本国にある大学の名前を書いた記憶があった。

 とはいっても、特に思い入れや志望動機があった訳ではない。単純に自分の学力で行ける一番良い大学だとか、水泳で有名だとか、その程度の理由だった。

 ……ちなみに、第一希望が空白だったのにも特に理由はない。

 単に、彼の志望する大学が何処か分からなかった。それだけ。

 そう。それだけだ。

 (それ)だけを理由に、彼女は自分の進むべき(みち)を定めたのだ。

 昔も、…………今も。

「シャーリー?」

 唐突に足を止めた娘に、数歩進んで足を止めた母親が訝しげに呼び掛ける。

「……お母さん」

 固く結んでいた唇を緩めると、代わりとばかりに肩に下げた学生鞄の持ち手を両手がきつく握りしめた。

 気持ちがせめぎ合う。娘としてのシャーリーが、言ってはならないと首を横に振っている。

 だって、あんなに泣いていたのに。小さな背中が、更に小さくなる程、憔悴し窶れたのに。

 そんな母に、更に重荷を背負わせるのかと。漸く父が意識を取り戻したばかりの母に、更なる苦労を押し付けるのかと。

 これ以上、母を家族の事で泣かすのかと。

 母を、家族を想う自分が、自分勝手な自分を責め立てる。

 言われなくても分かってる。一番近くにいたんだから、一番よく分かっている。

「……………お母さん」

 だけど、でも、それでも、なのだ。

 それでも、この胸を燻る想いに目を背けたまま。

 誰もが抱くこの熱を、誰もと同じように吹き消して。

 賢しく大人になる(歩む)事が、今の自分にはどうしても出来なかった。

 

「相談したい事が、あるの」

 

 

 

 

 

「どっ、こいっ、せっ、と!」

 どさり、と両脇に抱えた荷物を下ろし、淑女にあるまじき台詞と行儀の悪さで、ミレイはソファに腰を下ろした。

 場所は東京に位置する、何処ぞに雲隠れしたとある貴族が残していった貴族邸。

 持ち主不在から日本政府に接収され、その後、ユーフェミアが親善大使に任命されたのを受けて、ブリタニア大使館として改修される事が決定した旧貴族邸の応接間の柔らかいソファに身を沈めたミレイは、大荷物に強張った肩をトントンと叩くと、んぁぁぁ、と変な声で呻いた。

「はー、ちょっと前までならこれくらいの荷物、どうってことなかったんだけどなぁ……、あーあ、私も年かなぁ」

「何言ってるの、ミレイちゃん……」

 言葉とは裏腹に機嫌良さそうに伸びをするミレイの様子に呆れながら、ニーナは持ってきた冷たい飲み物をミレイの前に置くと、大きめのテーブルを挟んだ向かいのソファに、ちょこんと腰を下ろした。

「ごめんね? ミレイちゃんも忙しいのに、わざわざ来て貰っちゃって……」

「へーき、へーき。最近、息が詰まる事が多かったから、丁度、息抜きしたいと思ってたところだし。それに、久しぶりに友人の顔も見ときたかったし?」

「うん……、ありがとう」

 ちょっと前までは、毎日、嫌でも顔を合わせる間柄だったのに、今ではこうして会おうと思わなければ会う事もない。

 広がってしまった距離を改めて感じて、少し寂しく思うニーナだったが、変わらない友人の明るさと温かさにはにかむと、照れを隠すように自分の飲み物に手を付けようとして、―――言わなければいけない言葉がある事を思い出した。

「それと、遅れちゃったけど……、卒業おめでとう、ミレイちゃん」

「――――ん。アリガト」

 つい先日。

 一般の卒業シーズンから遅れに遅れて、ミレイ・アッシュフォードは通い慣れた学園を卒業した。

 学園占拠に、首都占拠。後に、世界すら巻き込んで吹き荒れる大嵐に一番最初に巻き込まれ、一時は休校も余儀なくされたアッシュフォードだったが、教職員含め生徒に被害はなかった事もあり、巻き込まれた事件の割には早く学園を再開させていた。

 その為、大半の生徒は補習枠を使い、本来の日程に間に合いこそしなかったものの、そこまで遅れる事なく卒業していく事が出来ていたのだが、諸々の事情であちこちを駆けずり回っていたミレイは、この時期になって漸く出席日数に目処が立ち、先日、青髪の男子生徒に惜しまれながらも、晴れて愛しい学舎を巣立っていった。

「ホントなら卒業式に行きたかったんだけど……」

「ああ、良いわよ、そんなの。卒業式って言っても、ただ卒業証書を渡されて終わりのつまんないものだったし」

 ケラケラと笑いながら、ミレイは用意された飲み物に口を付ける。

 そもそも、式と呼ぶのも烏滸がましいだろう。

 何せ、卒業生は自分一人で、卒業証書も学園長室で学園長から手渡されただけ。

 その学園長も、出席日数を満たす生徒が現れる度に繰り返される行程に辟易していたのか、読み上げる声も手渡す動作も機械的で、もはや作業と呼んだ方が良い感じであった。

 正直、どうしてもと言って参加してくれた生徒会の可愛い後輩二人と、彼等の盛大な拍手がなかったら、感慨すら浮かばなかったであろう。

 今、思い返してみても、胸の一つも震えやしない。

 そんな自分の卒業に立ち会わせても、ただ時間を浪費させてしまうだけだ。

 そう思う。思うが……。

「……うん。やっぱり、来て欲しかったかな」

 不意に過った面影に、自然と想いが零れ出た。

 あそこに皆が居てくれる、そんな光景を夢想したミレイはしんみりとグラスの中の氷をかき混ぜ、―――何を口走ったのかに気付いた。

「―――って、私の事はいーのよッ!!」

 赤く染まった顔を誤魔化すように、ストローを取って中身を一気に飲み干すと、空のグラスをテーブルの脇に叩き付ける。

 そして、ふん、と鼻息荒く、持ってきたトランクケースの一つをテーブルの上に載せると、ロックを外して中身を広げた。

「ちょっと前に着ていた物だから、少しデザインは古いかもだけど、質は保証するわ」

 そう言って、身体に宛がいながらミレイが広げて見せたのは、桜色の綺麗なパーティードレス。

 ピンクのシルク生地にレースの刺繍が入った、スカートの裾が白波のように白くふわりと靡くドレスは触り心地も一流で、ミレイから受け取ったニーナは、その滑らかさから、うっかり床に滑り落としそうになった。

「とりあえず、着れそうで似合いそうなの片っ端から持ってきたんだけど、……うん、大丈夫そうね」

 檸檬色、若草色、水色、紺色。

 次々と多種多様なドレスをニーナの身体に宛がい、ミレイは満足げに頷く。

 袖や胸元は少し詰めなくてはいけないが、概ねサイズを外さなかった自らの眼力に、流石は私! と胸を張ったミレイは皺になるのも構わずに、次から次へと慌てるニーナの腕にドレスを積み重ねていく。

「それとヒールと、後、必要になるかもと思ってコルセットとか。一応、一通り揃えておいたから」

 それはアッチね、ともう一つのトランクケースを指差し、つい、とその隣の鞄に綺麗に伸ばした指先を移す。

「それで、あっちに入ってるのが頼まれていたマナーの教本。それと紅茶指南書に、ダンスのレッスン書。あ、あと、シャーリーが良ければってメイク本くれたから、それもね」

「わ、わ……、一杯あるね」

 どさどさ、とテーブルの上に積み重ねられた書物の数は、ざっと数えただけでも三十以上はある。

 マナー本だけでもビジネスで初級から上級、そこに社交編にロイヤルマナーと複数あり、ダンス本に至ってはジャンル毎に細かく分かれている為、更に数が多い。

 自分で頼んでおいてなんだが、この本の山を全て読破出来るか、ちょっぴりニーナは不安になった。

「凄いなぁ。ミレイちゃんも、ユーフェミア様も。こんなに沢山色んな事が出来るんだから」

「まあ、私達にとっては嗜みみたいなもんだし、小さい頃から少しずつ身に付けていったからね。……だから、今から、それも独学でとなると、結構しんどいと思うわよ?」

 大丈夫? と言って、ミレイは両手でニーナの顔を挟み、自分の方へ向かせる。

「……顔色悪い。それに、酷い隅。今だって、大分無理してるんでしょ?」

 ずばり、自分の体調を言い当てられ、ニーナは誤魔化すように、えへへ、と笑う。

 日本政府の人材不足が原因か、何処かの兄の差し金か。もしくは、ユーフェミア自身が勝ち取った成果か。

 親善大使という名の人質。鎖を付けられ、改めて日本という国に押し込められたユーフェミアだったが、重要な手札の割に特に行動に制限を受ける事なく、むしろ前よりも増えた仕事に従事する日々を送っていた。

 その役目は、変わらずの折衝・仲介役。

 様々な理由から日本に残ると決めたブリタニア人と、ナンバーズとしての立場から本来の権利と自由と名前を取り戻した日本人。

 遺恨が残りまくる二つの人種を噛み合わせるには、優秀な緩衝材が必要だった。

 実際、ユーフェミアの存在は大きかった。特に、圧倒的なまでの情報収集能力と情報解析能力を持つゼロとの組み合わせは強力で、彼女の仲立ちのおかげで本格的な暴動に発展する前に鎮火した問題も多い。

 ユーフェミア自身、場数と成功を重ねて自信が付いたのか。

 持ち前の行動力と度胸、人柄とゼロに苛め抜かれ、鍛え上げられた才覚を存分に発揮して、あらゆる方面で成果を出し、活躍の場をどんどん広げていた。

 だが、そうなってくると、やはり人と、――立場の高い人間や上流階級の人間と交流を持つ場面が多くなってくる。

 加えて、ユーフェミアは肩書きとして与えられた親善大使としての仕事もこなすつもりでいるので、尚更機会は増えるだろう。

 そんな彼女の隣に立つ為には、いや、それがなくとも、これから先もユーフェミアの力になるつもりなら、礼儀作法や社交界の定石を身に付けなければならない。

 そう思ったからこそ、ニーナはミレイに助力を求めたのだ。

 だから。

「無茶かもしれないけど……、でも、私、決めたから。この道を歩くって」

 無茶も無謀も重々承知。

 それでも、ユーフェミアに付いていくとニーナは決めたのだ。

 罪の重さと現実の非情さにのたうち回るあの人を、全身全霊で支えようと決めたのだ。

 なら、こんなべっこで弱音を吐いていられない。

 そう心情を吐露するニーナの笑顔は昔のまま弱々しかったが、昔とは違って輝いているようにミレイには見えた。

「全く……、敵わないわね」

 あの夜を共にした中で、一番最初に足を踏み出した仲間の成長した姿に苦笑する。

(こりゃ、私も負けてらんないわね)

 あのニーナが、と思うと少々置いていかれた感があるが、それが逆に励みになった。

 気持ちを新たに、うん、と気合いたっぷりに頷けば、ニーナの頬を挟む手首に巻かれた時計が目に入った。

「あり? もうこんな時間なの?」

 まだ大して話もしていないのに、気付けば時間が差し迫っている事に唇を尖らす。

 出来れば、もう少し話をしていたいが、遅れたら遅れたで、ごちゃごちゃ言われそうなので諦める。

 全く。

 少しでも自由に動ける時間を確保する為に、祖父に頼んで()()()()()()()()()()()()()()、そのせいで時間が潰れては話にならない。こちとらタイムリミットも迫っているのに、何が悲しくてする気もない見合い話に耳を傾けなくてはならないのか。

 失敗したなぁ、と疲れた顔でこっそり呟き、それから笑顔を作るとミレイはニーナに手を合わせた。

「ゴメン。時間なんで、私、行くわね」

 慌ただしくてごめんね、と拝めば、ニーナは、ううん、と首を振る。

「こっちこそ。ありがとう、助けに来てくれて」

 変わらず頼りになる友人の行動力と好意に破顔し、腕の中のドレスを見せるように持ち上げる。

「じゃあ、暫く借りているから―――」

「ああ、良いわよ。あげるあげる」

「え、……って、えぇッ!?」

 あっけらかんと言い放たれた言葉に、変な声が出てしまう。

 目を白黒させながら、腕の中のドレスを見て、ミレイを見て、わたわたと口を開く。

「そんな、受け取れないよッ、私………!」

「良いから良いから。…………どうせ、私が着る事は、()()()()()()()()()、さ」

「――――? ミレイちゃん?」

 違和感を、覚えた。

 長い付き合いだから分かる、微かな齟齬。言葉の引っ掛かりに驚きも忘れて、名前を呼ぶ。

 確かに、少し前に着てたというなら、もうサイズも合わないだろうし着る事もないだろうが、何故かそういう意味ではないように思える。

 それは、もっと……、行為そのものを過去にしたような―――?

(そういえば、髪型………?)

 自分の事で一杯一杯だったのと、お洒落に関しては無頓着だった為、気づくのが遅れたがよく見ればミレイの髪型が今までと違う。

 前よりも大人びたイメージ。ドレスを着て社交界で踊っているより、スーツを着こなして颯爽とあちこちを飛び回っている方がしっくりくるような髪型に、ニーナの違和感が強くなる。

 だから、だろう。

 そんな事を口走ってしまったのは。

「ミレイちゃん……、何か企んでる?」

「―――――――」

「ひぅ…………ッ」

 うっかり聞いてしまった己の愚かさが恨めしい。

 ミレイは笑顔だった。とんでもなく笑顔だった。

 その笑顔をニーナは知っている。思い出すだけで身体が震えるくらい、よく知っている。

「それじゃ、またね♪」

 汗をダラダラ流しながら、小刻みに震えるニーナを置いて、ミレイはご機嫌な様子で手を振ると、すたこらと部屋を出ていってしまう。

 残されたニーナは動かない。もとい、動けない。

 当たり前だ。だって、あの笑顔は地獄への片道切符だ。

 長い付き合いでなくとも、生徒会役員なら誰でも分かる。生徒会長がその笑顔を浮かべたら、生徒会役員はとんでもなく苦労させられて。

 

 

 優秀な副会長が頭を抱えるんだ。




 リヴァル「(そろそろ女難が)行くぞ、ルルーシュ。胃薬の貯蔵は十分か?」


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PLAY:28

 イベント消化。
 ??来たる。ワル代官とワル庄屋。嫁と姑(幼)序。


 ふぁぁ、と大きな欠伸が出た。

 全身が弛緩し、瞳が潤む。真上を越え、降り始めた午後の陽気は生温くも心地好く、なけなしの緊張感を奪われた黒の騎士団の末端員である男は、あー、と間の抜けた声を上げながら、その場にしゃがみ込んだ。

「おい、もうちょっとシャキッとしろよ」

 あまりに緊張感の欠けた相方を見かねて、同じく黒の騎士団に属する男は、肩から下げた自動小銃の銃身を苛立たしげに指で叩きながら立つよう促す。とはいえ、そう注意する彼からして、片手の指から紫煙を立ち昇らせているのだから、説得力も何もあったものではないが。

「つってもよぉ、折角、黒の騎士団に入ったってんのにやる事がこんな所の警備なんてよぉ」

 つまんねぇ、とぼやきながら、一応立つだけ立ち、怠そうに腰を反らす。

「こんなところ、誰も使わねぇだろうによ」

 反らした腰を叩き、不満たらたらに振り返ると、門扉で閉ざれた東京内部に通じるゲートの中を覗く。

 トラックが一台、何とか通れる程度の道幅のこのゲートの警備を命じられて、はや数ヶ月。一般居住区からも商業区画からもかけ離れた残念なこのゲートは、警備をしている男達のやる気のなさから分かるように、人の出入りが激しい時分にあっても、人一人通る気配もない。

 だからこそ、良からぬ輩に利用される可能性もあると、こうして警備が配置された訳なのだが、所詮可能性は可能性。

 期待するような刺激的な事件もなく、今日も今日とて真っ黒い暗闇だけを奥に漂わせて、ぽっかりと口を開けているゲートを覗き見た男は拭いきれない眠気に欠伸を噛み殺した。

「あー…、駄目だ。おい、コーヒー買ってきてくれよ」

「あぁ? んで、俺が」

 おもむろに使い走りに使命された事に眉をひそめ、同僚は苛立ったように難色を示すが、男は悪びれる事なく、にかりと笑う。

「良いじゃねぇか。ほら、この間、煙草ないつった時に一本やっただろ?」

「………ちッ、仕方ねぇな」

 煙草一本で、コーヒー一本とパシリ。割に合わないが、ただ突っ立っているのに飽きていた同僚は、待ってろ、と言うとコーヒーを買いに近くの自販機に向かう。

 その背中にひらひらと手を振り、男は同僚の姿が見えなくなると再びしゃがみ込んで、空を見上げた。

「あー、つまんねぇ……」

 もはや口癖となった台詞を空に吐き捨て、見上げ過ぎて首が痛くなってくると、今度は地面を眺めて適当に転がっていた石を意味もなく放り投げる。

 カチリ、カチ、と音を立てて転がる石を見るでもなく、ただ視界に収め、止まると同時にお決まりの溜め息を溢し、再び石を手に取る。

「ゼロが東京を奪い返したって言うから、黒の騎士団に参加したってぇのに―――、よッ」

 いよいよ、偉そうにふんぞり返ったブリタニア人共の顔を泣きっ面に変えてやれると意気揚々と黒の騎士団に参加してみれば。

 これでは、解放の英雄どころか、ただの警備のバイトではないか。

 ブリタニア人を爽快に蹴散らし、日本を解放した英雄の一人になれる事を夢想していた男は、現実の落差に不貞腐れ、不満を込めて石を放り投げた。

 不格好に腕がしなり、指先から石が意味も目的もなく飛んでいく。

 不満と共に力が込められた石は、しゃがんだままの体勢からの投石の割に、遠く大きく弧を描き、……警備員の詰め所の壁にぶつかると、()()()()()()()()()()()()()()地面に転がった。

「んぁ………?」

 石が弾む軽い音とは別に、何かが地面を擦る音に男は腰を上げる。

「なんだぁ……?」

 特段、警戒心を抱いた訳ではない。警備員にあるまじき事だが、その証拠に男は肩から下げている自動小銃に手を掛けるどころか見向きもしない。

 強いていうなら、ただの興味本位だろう。余りある退屈に心が刺激を求めて、ちょっとした雑音にも興味を傾けてしまったのだ。

 ばりばり、と頭を掻き、立ち上がった男は緩慢な歩き方で音がした詰め所の方へ歩いていく。

 途中、転がっていた石を蹴り飛ばす。蹴られた石は詰め所を逸れ、地面の凹凸にぶつかり、その裏へと消えていく。

 ……何も反応はない。

 犬か猫でもいたのか、それとも気のせいだったのか。

 そう思いつつも、僅かな好奇心に背中を押され、男は詰め所の裏、死角となっている場所を覗こうとして―――。

「おい、買ってきたぞ」

 後ろから聞こえてきた声に動きを止めた。

「……何やってんだ? お前」

「あー、いや、……ちょっとな」

 さして意味もなく、こっそりと詰め所の裏を覗こうとしている。

 好奇心と暇故に、無駄に詰め所の壁に背を付けて、ちょっとだけ、それっぽく振る舞っていたところを見られた男は、ばつが悪そうに頭を掻くと、何でもねぇ、と言って詰め所から離れて同僚の方へ歩いていく。

 同僚は、特に問い詰めなかった。どうせ、しょうもない理由だと察しが付いていたからだ。そんな理由を耳にして無駄に気力を奪われたくない。

 だから、同僚は何も言わず、男に向かって缶コーヒーを投げた。

 下手で投げられたコーヒーは、先程の投石よりも高く、半回転しながら男に向かっていく。

 自然、受け取るべく男の視線が上を向いた。同僚も同じく。

 軌跡を辿るように、やる気のない瞳が二人分、宙を舞う缶コーヒーに向けられ―――――

 

 ―――――――――――

 

 ――――――

 

 ―――

 

「――――!? ッてぇ!!」

 額を襲った激痛に、堪らず男は蹲った。

 余程、痛かったのだろう。何をするにも、口を閉ざす事を知らない男が無言で悶絶する様に、流石に心配になった同僚が声を掛ける。

「おい、大丈夫か? いきなり、どうしたんだよ?」

「………いや、…………なんか、……当たった、みてぇ……………」

「当たった?」

 額を抑え、痛みに食い縛られた歯の隙間から絞り出された声に同僚が首を傾げる。

「当たったって、……何がだよ」

 丸くなって痛みが過ぎ去るのを待つ男の背中に手を置いて、同僚は首を回して周囲を観察する。

 だが、特に変わった様子は見られない。雲しかない空は元より、周囲の建物にも何かが落ちたような痕跡は見当たらない。

 一瞬、狙撃という言葉が頭を過り、ひやりとした感覚が背中を駆け抜けるも、直ぐに否定して銃に伸びかけた手を下ろす。本当に狙撃なら、痛いで済んでいる訳がない。

 一体何が当たったのか。結局何も分からないまま、同僚は念の為、もう一度ぐるりと周囲を見渡して、―――そこで地面を転がっている缶コーヒーに気付いた。

 立ち上がり、近付いて拾い上げる。

 地面を転がったせいで、水滴が付いた表面が砂利で汚れ、少しばかりへこんでしまっているが、それは間違いなく自分が投げ渡そうとした缶コーヒーで。

 だから、同僚は首を傾げた。

「音、したか?」

 250ml缶とはいえ、高いところからコンクリートに叩き付けられればそれなりに音がするだろうに、それらしい音を聞いた覚えがない。

 男の奇声に気を取られて気付かなかったと言われればそれまでだが、的外れな方向に投げた訳でもないのに、男に向けた視界の隅にすら落ちるコーヒーが入らなかったのは一体どういう事なのだろうか。

 そんな疑問を同僚が胸中で自問していると、漸く痛みが引き始めた男が、額を押さえたまま、のそりと立ち上がった。

「あー、くそ、……痛てぇ」

 痛みに顔をしかめ、ノロノロと同僚の方へ近付いていく。

「平気か?」

 一応な、と苦味のある声が返ってくる。

 手で額を押さえているので直接視認は出来ないが、血は流れていなさそうなので、言うとおり、そこまで大事に至ってはいないだろう。

 小さく嘆息。その安堵を切っ掛けに、胸に引っ掛かっていた疑問がさらりと流れて消えた。

「ったく。一体、何だってんだよ」

「さぁな。お前があんまり眠てぇ眠てぇ言うから、誰かが気ぃ利かせてくれたんじゃねぇか?」

「んな訳ねぇだろ………」

 まだ痛みが残っているせいで、男の反論には切れがない。

 そのしおらしい態度に、くっくっ、と笑うと、同僚は、ほらよ、と汚れを落とした缶コーヒーを放った。

「取り敢えず、それでも飲んでしっかりと目ぇ覚ませや」

「ああ、わりぃ………、って、これブラックじゃねぇか!」

「何が良いとか言わなかっただろ?」

 そう言いつつ、自分はちゃっかりと微糖のコーヒーを選んでいる辺り、コーヒーの選別に悪意を感じる。

 恨めしげに、持ち場に戻りながら微糖缶のプルタブを開ける同僚の背中を一睨みして、深く溜め息を吐きつつ、後に続く。

「まったくコンチクショウ………」

 仕事は暇だし、額には何か当たるし、痛いし。

 おまけに、折角の奢り(ラッキー)は甘さの欠片もないブラックコーヒー。

「ホントついてねぇ………」

 プルタブをこじ開けて中身を呷り、口の中に広がる苦味に舌を出す。飲み慣れていない無糖のコーヒーは思っていた以上に苦味が舌に残った。

 それでも、折角の奢りを残してたまるかと飲み慣れないブラックコーヒーを飲み干す事に男は必死で。

 だから、気付かなかった。

 先程、愚痴りながらゲートを覗き見た時は、確かに閉まっていたバリケードの門扉。

 その門扉が、いつの間にか少しだけ開いている事に………。

 

 

 緩やかに流れた空気が、赤い漆器の燭台の上で煌々と明かりを灯す蝋燭の細長い火を揺らす。

 合わせて、御簾に映った影が瞬く。―――二つ。

 僅かな光であっても人の姿を映す程に美しい光沢を放つ板張りの広間。その中央に一段高く用意された四方を中が見えないよう御簾で囲った畳の間で、桐原は向かいの人物との間に置かれた白と黒の丸石が並ぶ盤上を食い入るように凝視していた。

「む、ぅ………」

 かつてブリタニアに日本が占領された時やキョウトが潰されそうになった時ですら、ここまで苦しげに唸る桐原は見なかっただろう。

 普段の飄々とした態度も忘れ、砂漠から金砂を探すが如き真剣さで桐原は碁盤を睨む。

 睨む。睨む。睨む。

 胡座をかいて頬杖をつき、時折、じゃらじゃらと碁笥を掻き回し、けれど、視線だけはひたすら盤の上に。

 チェスでは話にならなかった。

 将棋でも惨敗を喫した。

 なら、これならどうだと最後の頼みとばかりに持ち出した囲碁だったのだが、望みも空しく既に黒星が二つ。

 これ以上負けられるか、と本来の目的である情報の交換や擦り合わせも忘れて、桐原は盤上から自らの石が生きる道を探す。

「――――ッ」

 くわ、と目が見開かれた。

 碁石を掻き回していた手が勢いよく握りしめられ、畳に石をばら撒かせながら指先に一つ挟む。

 パチンッ。

 軽い音を弾ませ、桐原は碁盤に石を放つ。

 遂に見出した活路。絡まった細い糸を手繰るように、無数の死路の中から見つけ出した一筋の正解。それを探し当てた事実に震えつつ、興奮と共に叩き付けた碁石から指を離し、確かな手応えに僅かながら逆転の光を見た、………次の瞬間。

 ぱち。

「―――――――」

 物語であれば、今の桐原の一手を皮切りに半目を争うような熱い応酬が繰り広げられていた事だろう。

 しかし、そこは人の想いの強さは理解出来れど、女心と機微には疎い魔王様。

 起死回生に繋がる一手をノータイムで打ち返され、桐原は一息つこうと傍らの湯呑みに手を伸ばした体勢のまま石のように固まった。

「ぅ、…………ぐ、ぅ」

 もはや、ぐうの音すらまともに出てこない。

 湯呑みに伸ばしかけた手を膝に落とし、背中を丸めて脂汗が滲んだ顔を碁盤に近付ける。

 だが、物理的距離が近くなったからといって、良い手が見つかる訳もなし。

 このまま正攻法で攻めても勝ちは拾えないと判断した桐原は顔を上げないまま、対面に行儀良く正座した仮面を取った英雄、――ルルーシュの気を逸らすべく、本来する筈だった話題を口にした。

「追い出される準備は順調かの?」

「ええ、今のところ滞りなく」

 少々嫌味っぽく言ってみるも効果はなし。それでも、漸く入れた本来の目的にルルーシュの意識がそちらに切り替わった。

「大宦官とも話が付きました。スレイプニィルの竣工も間近ですので、残りの用件が済み次第、私は中華に拠点を移します」

「大宦官か……。最近、あやつらにブリタニアが接触したという情報もあるが」

 独立を果たし、日本が復興への道を歩き出したように。

 ゼロとの鍔競り合いから解放されたシュナイゼルの下、ブリタニアも大きく動きを見せ始めていた。

 腐敗した貴族の粛清。過激派テロリストの鎮圧、エリア総督府の抑止と経済の回復。

 ゼロが方々に働きかけ、少しずつ崩してきたブリタニアの情勢を瞬く間に立て直していく手腕は、複雑ながら見事と言えよう。

 しかし、それでも他国に働きかけるのは時期尚早と言える。慎重、確実を旨とするシュナイゼルなら、もう少し態勢を整えるのに時間を割くだろう。

 にも拘わらず、この時期での謀略の気配。何かあると思わない方が可笑しい。

 例えば。ゼロの動きを読んで先んじて手を打ったのなら、大宦官の手引きは罠という可能性もある。

 そう桐原は考えたが。

「問題ありません。穏便に中に入る事さえ出来れば、私にとっても彼等は用済みです」

「成程。全て織り込み済みか」

 ゼロとブリタニア。世界を牽引するこの二大巨頭両方に良い顔をしたかったのか。それとも、ブリタニアへの手土産としたかったのか。

 何にせよ、獲物を釣り上げるつもりで獅子身中の虫を呼び込んでは世話がない。

 そも役者が違う。将来、ブリタニアとゼロに挟まれて慌てふためく大宦官の姿を想像して、桐原はくつりと嗤った。

「用済みと言えば、……あやつらもな」

 ちゃり、と手持ち無沙汰に掬い上げた碁石が三つ、掌から零れ落ちて碁笥の中で音を立てる。

「この時期に、日本の重鎮が立て続けに事故で死ねば、神楽耶はともかく儂に疑いの目が向くのは避けられないと思っておったが……、お主が口実を作ってくれたおかげで面倒なく片が付きそうじゃ」

「いえ。私としても愚者を演じて貰う人材は必要だったので」

「愚者、の。……あやつらもブリタニアに占領される前は、もう少し日本の事を憂いておったものだが」

 仮にも、日本権力の枢軸を担っていた者達だ。野心こそあれど、それでも昔はあの手この手で激動の時代から自分を守り、日本を守ろうと手を尽くしていた。

 だが、今もそうかと言われると定かではない。

 日本を愛しているのがハッキリと分かる神楽耶や、売国奴と蔑まれながらも面従腹背を貫いた桐原なら問題ないだろうが、たとえば、『前回』の大宦官達のように、ブリタニアから今以上の地位を約束された場合、他の面々はその誘惑に抗い切れるだろうか。

 ――無理だ。

 ブリタニアに占領され、一度は全てを奪われる危機に瀕した彼等の保身と地位欲は一層強く、早期敗戦した日本への信頼は一層薄い。

 より良い枝があると囁かれれば、きっと宿り木を変えるだろう。

 そんな輩が、これから先も日本の権力の中枢に巣食う事を、どうして容認出来よう。

「…………必要なら、私が手を下しますが」

 おそらくは、桐原に疑いが掛かる可能性を少しでも下げようと思っての提案だろう。

 ひょっとしたら、今の短い会話で老人の中に懐古にも似た想いを見たからかもしれない。

 だが、桐原は必要ないと、犬を追い払うようにひらひらと手を振り、ゼロの提案を却下する。

「お主の手を借りるまでもないよ。ただ、奴等はともかく、抱え込んでいた人材と人脈まで失うのは惜しいからの。その吸い出しに少々時間が掛かっとるだけじゃ」

 そこで、一つ間を置くように桐原は先程、手を戻した湯呑みに再び手を伸ばした。

「じゃが、それも間もなく終わる」

 香り高い玉露を一息に飲み干し、その枯れ木のような顔には余りある野心と獰猛さを滾らせて、ニタリと顔に走る皺を更に深く、くしゃりと歪める。

「心配せんでも、お主が日本を発つ前には、あやつらが民衆を諌め、お主に詫びてくれるじゃろうよ」

 

 ―――ゲンブの奴に倣っての。

 

 先に行われた交渉にて、破格の条件で国を取り戻す事が出来た日本政府だったが、被らなければならない不利益が一つだけあった。

 ゼロの追放による、支持率の低下である。

 策の都合上の問題であるとはいえ、日本の解放者であるゼロをその役目を終えるのと同時に切り捨てるような行為は、何も知らない民衆の反感と不興を多いに買った。

 何しろ、ゼロだ。その実力と奇跡の価値を知らない者は、この日本には存在しない。

 その奇跡を敬う者は不義理を責め、畏れる者は彼の者を敵に回すような行為を罵り、絶対の庇護にあやかりたい者はその恩恵を失った事を嘆いた。

 勿論、この状況にあっても、ゼロが説得に乗り出せば鶴の一声で片は付く。

 しかし、それで支持が上がるのは庇ったゼロだけだ。民衆は、ゼロが言うならと不満を抑えるだけで、解消させる訳ではない。

 問題を根本から取り除くには、他でもない日本政府自身が分かりやすい形でケジメを取る必要があった。

 

 例えば、そう。

 

 ゼロの追放を積極的に支持したキョウト六家の三人が、その不義理を負って自決する、など………。

 

「日本の速やかなる解放の為、敢えて汚名を被り、その生命を以てゼロへの筋を通す。……あやつらには過ぎた名誉よな」

「そして、皇以外の六家が消える事で、貴方は労せずにキョウトを手に入れる事が出来る、と」

 チャリ―――。

 腹が暴かれる。

 石を掻き回す音が止まり、桐原が瞳だけは剣呑に、しかし、口元は悪戯のバレた悪童のような笑みでルルーシュを見据える。

 そう。桐原が他の六家の排除に踏み切ったのは、キョウトを完全に手に入れる為でもあった。

 キョウトは、ブリタニアの占領下においても強い影響力を持ち続けた日本最大の権力機構。

 それを手中に収めるという事は、即ち、日本を手に入れるに等しい。

 キョウトを手に入れ、日本での絶対の地位と権力を確立する。

 無能者の排除にかこつけてそれを達するのが桐原の目的だったのだが、ルルーシュはその事に気付きつつも確認するように指摘しただけで、それ以上何かを言う事はなかった。

 どのみち、内憂にしかならないと判断した時点で彼等の抹殺は決定事項なのだ。なら、遅かれ早かれ、桐原はキョウトを手にしていただろう。

 それに桐原が日本の権力の大多数を握る事は、決して悪い事ではない。

 今はキョウト六家が最高意思決定権を持ち、彼等の合議で日本政府を動かしているのだが、神楽耶と桐原以外の六家が消え、桐原がキョウトを掌握すれば、神楽耶を頭に桐原が実権を握る形で、日本の統治機構を安定させる事が出来る。

 そうすれば、今よりもスムーズ且つ強靭な意思決定の下、日本の復興は迅速に進んでいく事だろうし、これより先、()()()()()に万全の体制で臨む事も出来るだろう。

 だから、ルルーシュは桐原の腹積もりに気付きつつも目を瞑り、その野心を見逃したのだ。

 何だかんだ、ギラつく刃のように余りある野心を持ち合わせていても、その野心で国を傷付ける事だけはないと理解した上で。

「………………」

 ルルーシュが絡まっていた視線を切るように、傍らのお茶に手を伸ばした時点で、自身の行動が黙認されたと理解した桐原は、碁盤に目を戻しながら、ゆっくりと鼻息を漏らした。

 高い確率で切られる事はないとは思っていたが、それでもやはり息が詰まった。

 故に黙認された事に安堵して然るべきなのだが、どうにも釈然としない。

 まるで、微笑ましいものを見る親の前に立たされた子供のような。

 そんな気分にさせられた桐原は、憮然と碁盤を睨みつつ、気持ちを切り替える為に、ふと疑問に思った事を口にした。

「そう言えば、一つ気になったんだがの」

「何でしょう?」

 返答の前後に、お茶を啜る音が小さく聞こえた。

 途中、冷めてしまったお茶を取り替える際、二連敗の腹いせに濃く入れ直すよう指示したのだが、ルルーシュは平然と口を付けている。

「………何、交渉の時の事じゃ」

 嫌がらせも通じない様子に、一瞬言葉が詰まるも、直ぐに気を取り直して、言葉を続ける。

 疑問にしたのは、あの日本の運命を決定付けたブリタニアとの交渉での事。

 あの時の事を思い返して、桐原はゼロの追放に積極的に賛同した他家の者達の言動に違和感を覚えていた。

 確かに、愚か者に相応しい言動ではあっただろう。

 聞こえの良い言葉で、恩を仇で返す行為を正当化し、自分達が良い思いが出来ればそれで良いとばかりに、あっさりと目の前の人参にかぶり付いた。

 言葉だけ聞けば、成程、確かに俗物の行動だろう。

 だが。だが、と桐原は思う。

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 彼等の中で、日本と自分達はイコールで結ばれていない。桐原やルルーシュの懸念するように、自分の益の為なら、故国すら売り飛ばすだろう。

 なのに、何故か。

 確かに俗物ではある。あるが、あれでも桐原と共にブリタニアの支配下で自分達の財と権力を守り続けてきた者達だ。自身の不利益になる事には鼻が利く。

 そんな彼等が、どうして、この展開を想像出来なかったのか。あそこでゼロの追放に率先して賛同すれば、後で自分の首を締める事になると本当に気付かなかったのだろうか。

 神楽耶や他の者であれば、だから愚か者なのだの一言で済ますだろう。

 だが、彼等の意地汚さを誰よりも知っている桐原は、だからこそ、と首を傾げた。

 だから、彼は問い掛けた。確証はないが確信を持って。言い繕う事もせず、真っ直ぐに。

「お主……、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………いや、つまらない事じゃな。今の発言は忘れてくれ」

 パチン、と。

 話を切るように、桐原は碁石で碁盤を叩いた。

 ルルーシュは、何も言わなかった。

 何も言わず、――――ただ、笑顔だった。

 その笑顔は何かある、けれど、何があるか分からないそんな笑顔で。

 それを見て、桐原は退いた。

 気付いたから。このまま、つまらない好奇心のままに笑顔の裏にあるものを暴こうとしたら、最後。

 自分も、彼等と同じ運命を辿る事になると――――。

「そう致しましょう。……とはいえ、此方の方までそうはいきませんが」

「むぉッ!?」

 ルルーシュが打ち返した一手に、桐原が奇声を上げた。

「ここまでですね」

 盤上の石の並びを見て、ルルーシュは自らの勝ちを確信する。

 趨勢は決した。ここから逆転する事は、シュナイゼルでも無理だろう。

「いや、待て、まだ………。いや、待った―――」

「残念ですが、時間ですので。その『待った』は受け付けられません」

 尚も諦め切れない桐原が、後生とばかりに粘ろうとするも残酷なルルーシュの一言に、がっくりと首を項垂れた。

「では、これで。それと例の件、どうか忘れずに」

「……分かっておる。約束は違えんよ」

 立ち上がり、横に置いておいたマントを羽織るルルーシュに、未練がましく勝負の付いた碁盤を見つめながら桐原は頷く。

 桐原に、日本を独立させる方法として、例の交渉に関する話を持ち掛けた際、ルルーシュは自分が貧乏くじを引く代わりに、日本に対して幾つか条件を取り付けていた。

 支援の継続と同盟関係の維持。超合集国の承認と参加。

 そして―――。

「最大限便宜を図ろう。ユーフェミア殿下にも、もう一人の妹御にもな」

「…………結構」

 それさえ聞ければ十分。

 本日の邂逅の目的を果たしたルルーシュは、ゼロの仮面を被り、桐原に背を向けた。

 その時だった。桐原が再びルルーシュに声を掛けたのは。

「………そう言えば、忘れておった」

「……何を、でしょう?」

 瞬間、周りの空気が一気に温度を下げる。

 契約成立後の騙し討ち。

 使い古された展開に、よもやあるまいと思いつつも気配と目付きが鋭くなったルルーシュに、桐原は首を横に振る。

「そんなに警戒せんでもええ。一つ、頼みたい事があるだけじゃ」

「頼み?」

 条件の追加だろうか。そう思うルルーシュに、再度、桐原は首を振って答える。

「大した事ではない。ただ、国外に出るお主に運んで貰いたいものがある。それだけじゃよ」

「……私を隠れ蓑に、極秘裏に国外に運び出したいと?」

「そう言う訳ではないんじゃがの。だが、お主に運んで貰うのが一番具合が良いというのはある」

 いまいち、要領を得ない説明に仮面の下でルルーシュは眉を寄せる。

 大した事でもなく極秘にする必要もないなら、ゼロを頼る必要はない。なのに、ゼロに依頼し、それが一番都合が良いという理由がルルーシュには掴めない。

 考えられるとすれば、ゼロの戦力を当てにするものだが………。

(いや、無駄か)

 そこでルルーシュは思索を打ち切る。ルルーシュと違い、桐原のような人間はどうでも良い事まで謀ったりするものだ。その手の輩の企みについて一々考えていてはどれだけ時間があっても足りない。

 なら、ここは貸しを作っておくべきだと、最終的にルルーシュは判断した。

「……何を運ぶかの確認はさせて頂きます。それで構わないのなら」

「構わんよ。積み荷を確認して邪魔になると思ったら、その時は断ってくれて構わん」

 では頼むぞ、と締め括り、それを合図にルルーシュの姿が御簾の向こうに消える。

 数秒後。

 微かに御簾に滲んでいた黒い影が薄闇に溶け、広間からゼロの気配が完全に消えた事を確認すると、桐原は、にぃ、と口の端を吊り上げた。

「………断れるならの」

 してやったり、と陽炎のように揺らめく灯火の闇に消えていった男に呟くと、桐原は懐から携帯を取り出し、登録していた番号を呼び出した。

「儂だ。………ああ、ゼロの了解は取れた」

 数回と待たず、繋がった相手に今しがた決まった内容を伝える。

「後はお主次第じゃ。精々、頑張ってくるといい」

 用件を伝え、通話を切る。

 これで、仕込みは完了。電話主のやる気はもう十分分かっているので、後は()()が届きさえすれば、あの余裕綽々の顔を少しは歪ませられるだろう。

「悪いが、やられっぱなしは性に合わんでの」

 これでつけられた黒星の溜飲も少しは下がるというもの。

 最後の最後に、少しだけ一矢報いる事が出来た事に満足感を覚えながら、今の一局を検討すべく、桐原は碁盤の上の石に手を伸ばした。

 

 

 

 

 こん、こん、と小さな手の隙間から咳が零れた。

 二回、三回、と繰り返し、最後に強く咳込んだナナリーは、その刺激に意識を浮上させた。

「…………」

 はぁ、と湿った熱っぽい息を吐き出し、汗で濡れた枕を嫌うように頭の位置をずらす。

 ずらすと同時に、また吐息が零れた。下半身が動かないナナリーには身体の位置を少しずらすだけでも重労働ではあるが、それにしても疲労が酷い。僅かに動いた身体はもう動かすのも億劫で、体力の失った身体は骨が抜かれたように力が入らない。

「ふ、ぅ…………ッ」

 そんな甘ったれた身体に、ナナリーの固く閉ざされた瞳から涙が溢れた。

 嗚咽を噛み殺しながら、羽毛布団を顔に押し当て、涙を隠す。

 

 ―――もう、意味なんてないのに。

 

 調子が悪くなれば、ずっと側に付いて、自分を労ってくれる人は、もういないのに。

 自分が目を覚ませば、優しく声を掛けて、そっと汗を拭ってくれる人は、もういないのに。

 熱に魘されて苦しくても、安心して眠れるよう、ずっと手を握ってくれていた人は、もう自分の側にはいてくれないのに。

 なのに、身体はその人を求めるように何度も調子を崩す。頭では分かっているのに、きちんと理解しているのに、身体はそんな事は嘘だと言わんばかりに、遠いあの人の気を惹こうと何度も何度も。

 そんな身体が恨めしくて。それ以上に、体調を崩す度に微かな希望を抱いてしまう自分が恥ずかしくて。

 だけど、生まれてからずっと抱き続けた想いは、自分ではどうにもならず。

 結局、それ以外に縋るべきものを知らないナナリーは、叶わぬと知りつつも譫言のように、その名前を呟いた。

「お兄様………………」

 そっ、と唇に乗せられたその名前に、返事を返したのは無音の静寂だけだった。

 望んだ声は、聞こえない。

 兄は、―――いない。

「ッ……………」

 じわり、と溢れる涙を押し出すように新たに涙が滲み、そんな自分に辟易する。

 何度も同じ事を繰り返して。何度も分かり切った答えに泣いて。

 

 馬鹿みたいだ。本当に………。

 

 布団の端を掴み、頭から被る。止めどなく溢れる涙を拭う気にもなれず、ナナリーは開かない目蓋を更に閉ざした。

 眠ってしまおう、いつものように。

 泣いていれば、そのうち泣き疲れる。泣き疲れれば眠りに落ちる事が出来る。眠りに落ちれば、何も考えずに済む。兄のいない世界を感じずに済む。

 だから、眠ってしまおう。

 嗚咽に震える唇から、全てを投げ捨てるかのように長く息を吐き出し、思考を放棄する。

 全身を包む倦怠感と熱が曖昧になる意識に拍車を掛け、ナナリーは深い闇に身を委ねるように意識を手放そうとして―――、それを遮るように部屋のドアが開かれた。

 僅かに戻ったナナリーの鋭敏な感覚に、人の気配が交じる。

 咲世子が夕食を持ってきたのだろうか。それともミレイか、生徒会の誰かが見舞いにでも来てくれたのだろうか。

 何にせよ、相手をする気力はない。来てくれたのに悪いが、このまま帰って貰おう。

「ごめんなさい。ちょっと眠りたいので申し訳ないですけど――――」

「そうか。なら、このピザは私が頂こう」

「え―――――?」

 予想外。あまりに予想外の珍客に、ナナリーは被っていた布団をはね除けた。

 途端に、チーズの刺激的な匂いが鼻を突く。

 体調の悪いナナリーには、あまり歓迎したい匂いではないが、今はそれどころではないのか、気にした様子も見せずに布団から顔を這い出して、あらぬ方へ向けている。

 会ったのは数回。声を聞いたのも同じく。

 だけど、どうにも記憶に残った名前。

 それはきっと、彼女の名前が耳に慣れない珍しいものだったからではない。

 それはきっと、彼女が兄の、――――――だと名乗ったから。

「C.C.、さん…………?」

 

 閉じた視線の先で、静かに魔女が笑った気がした。




 夫のフォローに嫁出陣。

 ※キョウト六家に関してですが、調べると枢木家入れて六家とするのと枢木除籍後の吉野ヒロシを入れて六家とする二通りが出てきまして。
 アニメの中でも囲炉裏囲んで密談している時は神楽耶を除いて五人いたんですけど、特区虐殺後にゼロと会った時は神楽耶含めて五人と、いまいち良く分からなかったので、この作品では枢木家を入れてキョウト六家の方を採用しています。なので、そのように解釈お願いします。


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PLAY:29

 長らくお待たせしてすみませんでした(土下座)
 何とか納得出来るくらいには形になったので、投稿します。

 ※今話は、ナナリーに厳しいところがありますので、彼女のファンの方はお気をつけ下さい。


 薄いベージュのカーディガンを肩に羽織り、気だるい身体をベッドの上で起こしたナナリーは、閉ざした瞳で両手の中で掌を温めるように収まっているマグカップを見つめた。

 立ち上る湯気が香りを運び、甘い香りが鼻を擽る。ホットミルクである。

 とはいえ、別に飲みたかった訳ではない。食欲がないと告げたら、じゃあこれを飲めと無理矢理押し付けられたのだ。

「飲まないのか? 蜂蜜をたっぷりと入れた、私お手製だ。甘くて飲みやすいぞ?」

 問い掛けに、無言で首だけを横に振る。

 聞いてきたのは、いらないという自分の意見を無視してホットミルクを押し付けてきた張本人。

 備え付けのソファにどかりと座り、肉付きの良い腰から伸びた足を組んだ女性、――C.C.は、ナナリーの無言の意思表示に機嫌を損ねるでもなく、そうか、とだけ言うと、ガラステーブルの上に置いたピザに意識を戻した。

 

 ……正直に言えば、帰って欲しい。

 

 自分のプライベート空間に他人同然の人間が居座っている事もそうだが、弱っている身体にチーズとトマトソースの濃厚な匂いは刺激が強過ぎて、嗅いでいるだけで気分が悪くなってくる。

 それでなくても、今は誰にも会いたくないのに。

 嫌に思う状況が重なった中での沈黙は、ナナリーにとって苦痛以外の何物でもなかった。

「あの……、C.C.さんは、どうして此処に………?」

 遂に堪えきれなくなり、ナナリーはC.C.に訊ねる。

 もし用がないなら、何処か別の場所で食べて欲しい。

 そんな思いが言葉の端々に滲んでいたが、魔女は取り合わない。

 素知らぬ顔でピザを頬張ると、C.C.は額面通りに質問に答えた。

「特に何か用があって来た訳じゃない。()()()の用事に咲世子が駆り出されて、その代わりを押し付けられただけだ」

 アイツ。そうC.C.が呼んだのを聞いた瞬間、ナナリーの心にさざ波が立った。

 素っ気ない呼び方であろう。でも、そのぞんざいさが逆に親しみを感じさせて………。

 そう思った瞬間、理解した。―――させられた。

 この人は、いるのだ。

 あの夜、自分の手をすり抜けて、遠くへ行ってしまったあの人の側に。

 ――――自分を差し置いて。

「……貴女は、……貴女も知っていたんですね、お兄様の事……」

 言葉に刺が交じる。隠し切れない妬心に声が硬くなるのが分かるが止まらない。――止める気も、ない。

「だったら?」

 悪びれない、淡々とした一声。それに思わず、口を開きかけ、――閉じる。

 言いたい事がない訳ではない。

 今もって兄の側にいるという事は、兄がゼロである事を容認しているという事だ。そんな女性に対して、思う事がないなんて事はない。

 だが、それを口にする気はナナリーにはなかった。

 兄の話をすれば、きっと自分は取り乱すと分かっていたからだ。そんな醜態を、殆ど会ったばかりの人に晒せる筈もない。――晒したくもない。

 それに何より、早く一人になりたかった。

 だから、ナナリーは口を閉ざした。余計な事を口をせず、会話もなく黙っていれば、そのうち飽きて出ていくだろうと、そう思って。

「知ってるさ、当然な」

 しかし、そんなナナリーであっても、次にC.C.が口にした言葉は無視出来なかった。

「何せ、アイツがゼロになる切っ掛けを作ったのは私なんだからな」

「え?」

 弾かれたように、顔が持ち上がる。

 何を言ったのか分からない。そう言いたげに盲目の視線を向けてくる少女に、魔女は艶然と微笑んだ。

「分からないか? つまり、お前の隣から兄を奪ったのは、私だと言ってるんだ」

 偽悪的に、得意げに。罪の告白にしては、軽薄に。

 いっそ悪意すら窺えそうなC.C.の言葉に、ナナリーの全身が総毛立った。

「あ――――――、ッ」

 暗い視界が真っ赤に染まる。溢れ出た激情のままに、口汚い言葉を吐き出しそうになったナナリーは、そんな自分に気付くと慌てて顔を背けた。

「どうして……、一体、お兄様に何をしたんですか」

「さて、な」

 感情が膨れ上がらぬよう、気持ちを落ち着かせつつナナリーは問うが、相手はそんな事に構いもしない。

 お構い無しに挑発して神経を逆撫でてくる魔女に、唇を噛んで感情の波が過ぎ去るのを待つと、ナナリーは改めて口を開いた。

「………貴女は。貴女は、一体、何なんですか」

 惚ける事は許さない。そう言いたげな口調でナナリーは問い詰める。

「一体、お兄様をどうしたいんですか」

 自分と兄の間に割って入って、兄を唆して、ゼロにして。

 ナナリーには、C.C.が優しい兄を狂わせる為にやって来た死神に思えてならなかった。

「どうしたい、か………」

 そこで、C.C.は視線を虚空に彷徨わせて、目を細めた。

 ナナリーが言う、どうしたい、を捨て去ってから、まだどれ程の月日も経っていない。情と希求の狭間で煩悶しつつも抱き続けた年月に比べれば、爪の先程にも満たないだろう。

 だというのに、とても懐かしい。まるで色褪せた絵画のように、かつての自分を遠く彼方に思う。

 それはきっと、今の自分が経験の積み重ねではなく、ちゃんと日々を生きているからで――――。

 ふっ、と一瞬、目元が和らぐ。だが、直ぐに隠すように目を伏せると、C.C.は魔女の表情になって問い返した。

「そういうお前こそ、アイツをどうしたいんだ?」

「は――――――」

 その質問は、ナナリーにとっては余りに予想の埒外で。

 真っ白になった頭が、何の意味も持たないまま、意味もなく言葉を溢した。

「泣いて、泣いて、泣き疲れるまで泣いて。そんなに泣くくらい、今のルルーシュが嫌なんだろう? なら、どんなアイツがお好みだ? アイツをどういう風に()()()()()、お前は泣いているんだ?」

 含む物言いに、カチン、とくる。

 続く挑発に感情が抑え切れなくなり、ナナリーはゆっくりと口を開いた。

「私は……、違います。私は、お兄様に自分の望みを押し付けたりしません」

 ともすれば、決壊しそうになる感情を抑えてか、ナナリーの声は小さく固い。

「私は………、私は、ただ…………」

 そこで、声質に変化が現れる。

 小さいながらも、はっきりと言い返していたナナリーの声が急に淀み、溶けるように消えて途絶えた。

「私、は……………ッ」

 再度、繰り返そうとするも続かない。

 唇は震えて、音は言葉にならず、見えずとも気丈に魔女を睨んでいた瞳の端には涙が浮かび、あの日、空を切った手は氷にでもなったかのように感覚を失っていく。

 ぐしゃぐしゃだった。もう。

 ひび割れた感情は、自分ではどうする事も出来なくて。

 花が萎れるように、兄を想うだけで心がバラバラになる。

 どうしたいなんて、そんなの自分が教えて欲しい。

 一体、どうすれば良かったのだ。一体、どうすれば良いのだ。

 願った事は、一つだけ。望んだ人も、一人だけ。

 世界なんて知らない。平穏な生活だっていらなかった。

 たとえ、他に何がなかったとしても―――。

「私は、お兄様だけで良かったのに…………」

「………そうか」

 祈りにも似たささやかな願い。震え、掠れる声で呟いた少女の願いに魔女は頷く。

 だが、それは理解を示しての事ではない。

 

()()()()()()()()()()()()。お前は」

 

 その一言に。

 鼓動が凍り付いた。

 

 たった一人だけを望む。その人が居れば、それで良い。

 それは確かに、聞きようによってはささやかな願いに聞こえるだろう。欲深きこの世界で、他に何も望まず、ただ共に在る事だけを願うのだ。実に微笑ましく、慎ましい願いに思えるだろう。

 ―――大間違いだ。

 C.C.は知っている。目に映る世界に、たった一人しかいない事がどれだけ人を歪めるのかを。

 他の何にも目もくれず、たった一人に執着する事がどれだけ人を狂わせるのか。C.C.は身を以て知っている。

「なに、を…………」

 唇を噛む。

 言葉にしようとした舌は何故か痺れて、空気が喉に引っ掛かる。

 上手く回らない口を唇を噛んで無理矢理叩き起こし、もう一度、ナナリーは口を開いた。

「何を………、どういう意味、ですか」

「惚けるな。分かっているくせに」

 辿々しくも懸命に言葉を紡ぐも、直ぐに非難めいた言葉に切り捨てられる。

「それとも、自分で吐いた嘘も分からなくなったのか?」

「だから、何を―――ッ」

 のらりくらりと要領を得ない発言。なのに、耳に障る言葉に募っていく苛立ちにナナリーは少しだけ語気を荒くして問い詰めようとして、―――吐こうとした言葉ごと息を止めた。

 真っ暗な視界。瞼に映る暗闇に金色の月を見たからだ。

 先程までの弛んだ気配はない。ふざけた色もない。

 纏っていた軽薄な雰囲気を剥げば、そこにいるのは正真正銘、悠久の時の中で数多に恐れられた不死の魔女。 

 夜の闇を暴く月のように、金色の瞳が冷たい光を宿し、長く人の真実を見続けてきた魔女の視線を正面から受け止めたナナリーは、妙な居心地の悪さを覚えて見えない視線を切った。

「――――ずっと、気にはなっていた」

 その様子をつぶさに見ていた魔女が呟く。遊びのない声色は硬く、鋭く、嘘と虚構を貫いて胸に刺さった。

「ナナリー。どうして、お前がルルーシュがゼロである事に気付かなかったのか」

 え、と言葉の粒が舌の上で弾けた。

 糸でも付いていたかのように、一度は切った視線が元に戻ってくる。

 月色の瞳と向き合うナナリーの瞼が、まん丸に縁取られ、その奥にある思考が飽和した視線が魔女の視線と絡んだ。

「スザ……、枢木スザクはゼロの正体がルルーシュである事に確証はないが気付いていた」

 その場にC.C.はいなかったが。

『前回』、ブラックリベリオンの幕引きにて、ゼロと対峙したスザクは、その正体がルルーシュである事に半ば気付いていた。

 信じたくはなかったと。確証がない事を理由に否定し続けていたが、逆に言えば、否定し続けなければならない程にスザクは勘づいていた。

「なのに、お前は全く気付かなかった。スザクよりも長く、スザクよりもずっと近くにいたのに、気付く素振りさえ、お前は見せなかった」

 可笑しな話だろう。

 切れぬ絆があったとはいえ、数年間も離れ離れになっていたスザクですら気付いたというのに、一番近くにいた妹が、ひょっとしたら、と欠片もそう思う事がなかったなんて。

『前回』で言えば、更にヒントもあった。

 ゼロを捕らえたというスザク。同時期に行方が分からなくなったルルーシュ。

 極めつけは、電話越しで行われた、あの不可解なやり取り。

 そんな、あからさまに不審な言動もあったというのに、それを経験して、尚、ナナリーはルルーシュがゼロだと疑う事はなかった。

 何故か?

 答えは、……馬鹿馬鹿しいくらいに簡単だった。

「分からなかったんだな。……本当に」

 いっそ哀れみすら滲ませて、魔女が答えを吐き出した。

 そう。大それた理由があった訳でもない。複雑な疑問が挟まっていた訳でもない。

 単に、現実と同じようにナナリーの心にも、ルルーシュは映っていなかった。それだけである。

「お前はアイツの事を分かっていない。……分かろうとしていない。アイツの意志を、覚悟を、想いを嫌悪し、いつだって自分に都合の良い(優しい兄の)虚像を通してしか、ルルーシュを見ようとしなかった。だから、お前はルルーシュがゼロである事に気付かなかったんだ」

「嫌悪なんて―――ッ」

 C.C.の言葉に被せるように、語気も鋭くナナリーが否定する。

「私は……ッ、私はお兄様を愛しています! 嫌悪なんて、そんなの………」

 唇を震わせ、声を震わせ、必死になってナナリーは否定する。

「それに、お兄様の事だって……、私は、分かっています………! 誰よりも、ずっと、お兄様の事は私がよく分かっています!」

「いいや、違うな」

「違いませんッ!」

 絹を裂くような叫びを上げ、首を振りたくったナナリーは盲目の瞳にあらんかぎりの力を込めて、魔女を睨み付ける。

「貴女に何が分かるんですかッ! いきなり現れたばかりの貴女なんかに………ッ、私の、私とお兄様のッ、何が………ッ!」

「分かるさ。私はお前のような女をよく知っているからな」

 叩き付けられるような激情を涼風のようにさらりと流し、C.C.は自嘲するように口の端を歪める。

「傷付くのが怖いから、踏み込めなくて。傷付けられるのが怖いから、距離を置いて。そのくせ、いっそ離れる事も割り切る事も出来なくて、自分も自分の感情も中途半端で曖昧なまま先送りにしている―――……」

 そう語る口はいっそ穏やかに、だけど、感情に乏しく。

 金の瞳は凪ぎ、ぽつぽつと語り続ける魔女の声はどこまでも他人事のように、誰かの軌跡をなぞっていく。

「本当は愛されたいのに、……愛したいのに。臆病な自分を変えられないまま目を背けて……、だらだらと時間だけを貪った挙げ句に何が嘘で何が本当か、自分自身すら見失ってしまった愚かな女を、私はよく知っている」

 ふっ、と短く、C.C.の唇から息が零れた。どうしようもない、と呆れ、笑うかのように。

「………お前は、その女にそっくりだ」

 そんな事はない。そう言いたかった。違うと、そう否定したかった。

 なのに、言葉が出なかった。言葉がなかった、とも言える。

 口先だけの言葉で否定するには、C.C.の言葉はナナリーの胸に深く刺さり過ぎていた。

 でも、認めるには弱かった。

「怖かったんだろう?」

 ギュッ、とマグカップを握りしめ、俯くナナリーに、優しくも残酷な響きを伴って魔女が囁く。

「お前とルルーシュは同じ運命に流されてきた。だから、他の誰に理解出来なくても、お前だけはルルーシュの怒りを、その心に灯ったものを理解出来た筈だ」

「………………」

 首を振る。壊れた人形のように、力なく、それでも認めたくないとばかりに頭を振り続けるナナリーであったが、そんな彼女の意志を嘲笑うかのように、脳裏にある光景が浮かぶ。

 と言っても、目の見えないナナリーに情景は浮かばない。甦るのは、視覚以外で彼女が記憶に留めた情報。

 茹だるような熱気。照りつける太陽の熱。汗ばむ身体。自分を背負う兄の息遣い。

 鼻を刺激する臭気。耳障りな蝿の羽音。カラスの鳴き声。嗚咽。手に触れた涙と頬の体温。

 その先。おそらくは陽が傾き、空気に若干の涼気が混じり始めた頃―――……。

 

「――――――ッ」

 乳白色の水面が跳ねる。

 最後に脳裏を過ろうとした記憶を振り払うように、一際強く首を振りたくった弾みで、マグカップからミルクが飛び散り、毛布に染みが広がっていく。

「お兄様だけで良い」

 ぽつり、とナナリーの吐いた言葉を転がしながら、C.C.はガラステーブルに置かれたグラスに手を伸ばした。

 ミネラルウォーターが注がれたグラスのリムを行儀悪く鷲掴んで持ち上げ、ゆらゆらと揺れる水越しにナナリーの姿を透かして見ると口を付ける。

「……なら、さぞ疎ましかったろうな。何がどうなろうと兄が居れば良い。兄がずっと一緒に居てくれれば、それだけで幸せ。そんなお前の幸せを蔑ろにする、()()()()()()()()()()()は」

 ルルーシュとナナリーの願いは違う。幸せのかたちも。

 ナナリーにとっての願い、幸福は、ルルーシュと共に在る事だけだ。

 家族に捨てられるのも辛くはない。異国の地に放り出されても耐えられた。

 だって、一番大切な人だけは、変わらずに自分の隣に居てくれたのだから。

 だから、どんな苦境であっても兄の存在と愛を感じられれば、それだけで満たされた。それだけで幸福だった。

 だが、ルルーシュは違う。

 ルルーシュは、ナナリーの『明日』こそを何よりも尊んだ。

 たった一人の妹が、自由に、心穏やかに生きていけるように。

 弱きを貪るこの世界で、最愛の妹が何者にも脅かされる事なく、健やかに生きていける世界を望んだ。

 その為に立ち上がる決意があり、戦う意志があり、壊す覚悟があった。

 たとえ、その果てに全てに憎まれ、一人孤独に死んでいく事になろうとも。

 欲しい世界が、彼にはあった。

「だから、見なかった」

 グラスがテーブルに戻される。

 行儀悪く掴んだその持ち方とは裏腹に、音もなくグラスを置くと、C.C.は人差し指で縁をなぞった。

「……だろ? アイツが『明日』を望む理由に、ナナリー、お前があってもお前の隣にはない。その意味を理解しているからこそ、お前はアイツの本心から目を背けた」

 確信を持って告げるC.C.に、沈黙だけが答える。

 一瞥すれば、力なく項垂れ、小刻みに肩を震わす姿が目に入った。その姿は誰が見ても庇護されるべき弱者の姿であるが、それが逆に魔女の舌峰に火を付けた。

「アイツの怒りを知らないから、ゼロだと疑わなくて良い。アイツの覚悟を知らないから、お兄様のいない未来なんて考えなくて良い。自分は優しいお兄様しか知らないのだから、余計な事を考えずに目の前の幸福に浸り続けていれば良い。……自分は何も知らない、何も分からない。聞きたくない、見たくない、嫌だ、嫌だ、嫌だ――――」

 キンッ、と透明な音が汚濁を流すように響く。

 縁を滑っていた人差し指がグラスを弾き、硝子が音叉のように震えた。

「楽しかったか? 終わりが分かり切っていた幸福は」

「やめてください」

 馬鹿にしたようにせせら笑えば、小さな懇願が反論となって返って来た。

「磨り減っていく幸せも数えず、自分の手で掴み取る努力もせず、雛鳥のように幸せを甘受するだけの生活は心地好かったか?」

「やめてください」

「お前の未来を案じ、狂いつつある世界に必死に挑みながら、少しでも優しい兄であろうと心を砕くアイツの姿は、快感だったか?」

「やめてください…………ッ」

「結局、兄妹だな。お前はゼロを非難したようだが、やってる事は同じだ。名前を偽り、正体を偽り。自分を偽り、現実を偽り、あげく最も大切な人の想い(姿)すら偽る。……いや、むしろ自分の幸せの為である分、アイツより質が悪いか?」

「やめてください! ………もう、やめて! 出ていってッ!」

「そんな厚顔で、悲劇のヒロインよろしく、シクシクシクシクお涙頂戴とはな。大した役者だ」

 くっ、と猫のように魔女が喉を鳴らす。

 瞳は温度を失い、あらん限りの侮蔑を込めた視線が冷笑を彩り、注がれた。

「この、―――――うそつきめ」

「――――――――――――――」

 

 

 

 

 何かが、割れる音がした。

 

 

 

 

 

「………………」

 視線が下りる。

 陶器が割れる音に嘲笑を引っ込めたC.C.は、無表情に自分の足下に散らばるマグカップを見つめた。

「――――ったら、――――いうんですか」

 息も絶え絶えに絞り出された声に、視線をまた上に戻す。

 そこにいたのは、小さな獣。

 フーッ、フーッ、と肩で息をし、右手を振り抜いた体勢のまま、睨み付けてくる少女をC.C.は何の感慨もなく見つめ返した。

「だったら……、何だっていうんですか…………ッ」

 ぐしゃり、と怒りに表情が歪む。

 仮面が外れる。ずっと偽ってきた温厚な自分が粉々に砕け、生来の気性が荒ぶる感情と共に顔を出した。

「だったら、何だっていうんですか! 私が本当のお兄様を見ていなかったから、何だっていうんですかッ! 私が嘘吐きだから!? それがどうしたっていうんですか!! それでも、私にはお兄様しかいないんです! お母様は亡くなって! お父様は私達を捨てて! 優しかったお姉様達も私達を見限ってッ! 楽しい思い出の詰まったお家を追い出されて! 新しい居場所も焼かれて! スザクさんとも離れ離れになってッ!! 他に何があるんですか! お兄様だけでしょう!? お兄様だけなんですッ! なのに! なのに…………ッ」

 グラスが割れる。

 飛んできた枕に倒れ、衝撃で砕けたグラスからミネラルウォーターが、しとしととテーブルから床に滴り落ちていく。

「ええ! そうですよッ! 貴女の言う通りです! 私は、ずっと怖かったッ! ずっとずっと………ッ、お兄様に置いていかれる日が来るのが怖かったッ!」

 言われなくたって、気付いていた。そんなの、初めから分かっていた。

 分かるから、目を背けたのだ。そうしないと、どうにかなってしまいそうだったから。

 それを嘲笑われる謂れはない。それ以外、自分に何が出来たと言うのだ。

 そうだろう? だって―――

「貴女に分かりますか!? 一人で動けない人間の惨めさが! 誰かに助けて貰わないと生きていけない人間の不甲斐なさが! 足手纏いになりたくないのに………ッ、どうやっても無力でしかない人間の気持ちが貴女に分かるんですか!?」

 止まらない。長い年月をかけて、胸の奥底で熟成された想いは暗く、昏く。吐き出して、尚、行き場のない感情にナナリーは勢いよく手を振り下ろした。

 バシッ、と腿の上で平手が弾ける。痛みは()()

 そのまま、引っ掻くように拳を握り込む。折れるのも構わず、薄い毛布の上から長い爪が白い肌に赤い線を描きながら食い込み、抉らんばかりの勢いで深く突き刺さる。

 なのに、何も感じない。手には強く肉に爪が食い込む感触があるのに、足からは何も感じない。

 その事実が、その無力が酷く恨めしく、ナナリーは自分を痛めつけるように、強く唇を噛んだ。

「生きているだけで、こんなに迷惑なのに。そんな私が何を言えというんですか。こんな役立たずの身で何を願えというのですか…………ッ」

 出来る訳もない。

 今にも溢れ出そうな水を掬う事も出来ないのに、バシャバシャと水面を波立たせて、どうする。

 何も出来ないなら、せめて溢れ出るその時まで、じっとしているべきなのだ。少しでも水面が乱れないよう、息を潜めて。

 だから、ずっと良い妹であり続けたのだ。

 少しでも、兄を不愉快にさせないように穏やかに。少しでも、兄の不興を買わないように我が儘を言わず。

 兄の本心に切り込んだ結果、兄の決断を促してしまわないよう口を閉ざし。

 兄が自分を遠ざけたり思わないよう、何も見ず。

 そうやって、ただひたすらに、兄が離れていかないよう自分を殺し続けてきたのに。

 なのに。

 なのになのになのに!

「どうして、ですか………………」

 ぽたり、と冷たいものが力を込めすぎた手の甲に落ちた。

 それでナナリーは自分が泣いている事に気付く。

「どうして、私だけが一緒にいられないんですか………。どうして、私だけ誰も側にいてくれないんですか………」

 自覚すると、更に涙が溢れた。

 怒りの火を飲み込む悲しみが胸の奥から止めどなく溢れ、ナナリーは寒気にも似た悲哀に身体を震わせると、しゃくり上げた。

「ユーフェミアお姉様もスザクさんも一緒にいられるのに………。C.C.さんだって、お兄様の側にいるのに、……………………ずるい」

 後は、もう言葉にならなかった。

 どれだけ擦っても涙は止まらなくて。唇は震えて、噛んで塞ぐ事も出来なくて。

 怒りの冷えた部屋に、激しい嗚咽と掠れた泣き声だけが寒々と響いていく。

 

「………なら、来るか?」

 そんな言葉が泣き声と嗚咽に答えたのは、しばらくの沈黙を挟んでの事だった。

「そこまで望むなら、……来るか?」

 静かな声音。けれど、深く、重く。先程とは別の意味で仮面を割り、素顔に向き合ってくるその清廉に、ナナリーは涙に濡れた顔を上げた。

「兄が、いないだけだ」

「……………?」

 何を言っているのか。

 頭に溶けず、耳から耳に素通りした言葉にぼんやりと僅かに首を傾げる。

「兄がいないだけなんだよ。それだけだ。それさえ受け入れれば、もう、お前の人生から幸福が零れ落ちる事はなくなるだろう。……絶対に」

 張り上げるでもない、ゆっくりと紡がれる言葉は神託のように。

 たった一つ以外を諦めた少女に、たった一つを諦めた先を示していく。

「暖かなベッドで寝て、美味しい食事にありついて、好きな事をして過ごして、時に騒がしい学園に顔を出して。穏やかに日常を過ごして……、目も足も治る。それさえ諦めれば、お前は一度は失った全てを取り戻して、平穏で温かな人生と、幸多き『明日』に生きていく事が出来るだろう」

 望みさえすれば、必ず。どれだけ世界が荒れ狂おうと、彼の魔王は、二度と少女の手から幸福を零れ落とさせたりしないだろう。

 その人生に、一滴の血も、一片の狂気も、一幕の悲劇も寄せ付けたりしない。

 どんな力にも、暴虐にも手出しさせない。

 たとえ、世界の理不尽だろうと不条理な運命だろうと覆し、その生命が終わる瞬間まで、彼女の人生と幸福を守り続けるだろう。

 ―――魔王の側に寄らず、人並みに生きていく事さえ望めば。

「それでも、お前は、どうして、が知りたいか?」

 だがしかし、諦めなければ。

 あの夜に、ずっと握りしめていた幸福が離れていった理由を知りたいと願うなら。

 少女は、地獄を歩む事になる。

 時代という荒波のど真ん中、死と絶望の最前線。常人では立つ事すら出来ない道を行く兄の側に立てば、人並みの幸福などあっさりと吹いて消えるだろう。

 きっと、見たくもないものを見せつけられるに違いない。

 頭から血を被り、罵詈雑言に汚れ、心も身体も傷付くだろう。

 そうして、手に入るのはちっぽけな真実が一つだけ………。

「それでも、側に居たいか? ()()()()()()()ルルーシュの側に………」

「――――――――」

 言葉を、失った。

 何を問われるのか、予想出来た。だから、当然だと即答するつもりでいた。

 それなのに、口はナナリーの望む言葉を発しなかった。

 喉が絞まり、舌が引き攣り、唇が震えた。

 気持ちに偽りはない。兄と一緒に居たい。兄と生きたい。今すぐにでも、兄の胸に飛び込んでいきたい、のに………。

 

『お兄様ではないルルーシュ』

 

 その言葉が、ナナリーを呪う。

 ずっと、それ以外見ようとしなかったお兄様以外のルルーシュ。

 あの日、あの夕焼け空の下で。二人で見ていた幼い夢から抜け出して、少年から大人に成長したルルーシュに、未だ幼いままのナナリーの心が悲鳴を上げて、泣きじゃくる。

 怖い、と―――――。

 

 

 しゃり、と砕けたカップの破片を踏むブーツの音に、茫然としていた意識が回復する。

 微かに流れた空気が肌を撫で、のそりと動く気配にナナリーは自然と立ち上がったC.C.に顔を向けていた。

「ないとは思うが、動くなよ。下手に怪我でもされて、アイツにガミガミ言われるのはゴメンだ」

 そう言って、しゃりしゃり、と破片を気にする素振りも見せずに歩き出す。

 ナナリーの答えも聞かない。

 まるで、もう聞く気はないとばかりに、興味を失った様で部屋の外に足を向ける魔女に、思わずナナリーの口が開いた。

「あ、の……………」

「ついでに何か持ってくる。良い加減、何か腹に入れろ。()()()を悲しませるのは、お前とて本意ではないだろう?」

 出鼻を挫かれる。

 微妙に答え難い問い掛けに詰まり、二の句を告げられなかったナナリーに代わり、C.C.が言葉を重ねる。

「せめて自分の想いくらい、躊躇わずに言葉()にしてみせろ。それまでは、保留にしておいてやる」

 幼い心。未熟な精神。

 前にも後ろにも進めない、そんなにっちもさっちもいかない心持ちで、急いて答えを出したところでロクな結果にならない事は、『前回』のこの兄妹の結末を見れば、容易に想像が付く。

 時間は必要だろう。一言だけだろうと、この弱々しい少女が、決意を言葉にするには。

「まぁ、あまり余裕はないだろうがな」

「え―――――?」

「言っただろう? 似ている女を知っていると」

 ふっ、と息を吐くように微かに笑う。

 口元が悪戯っぽく弧を描き、艶を漂わせた表情は人を惑わす魔女のそれ。

 だけど、瞳の奥に灯る光だけは、真摯に、純真に。

「お前にとって、アイツが唯一であるように」

 パチ、と火花が散るように、一瞬だけある光景が頭を過る。

 それは、『前回』の最後。これから先、どれだけ長い時を生きようと、決して色褪せる事はないと思える程に心に刻み込まれた、一つの肖像。

 晴天の太陽。真っ白い陽光。溶けるように消えていく。

 世界一嘘つきな――――……。

 

「私にとっても、ようやく巡り合えた、たった一人なんだ」

 

 流れてきたのは穏やかで、優しげで、どことなく寂しげな気持ち。そんな、言葉に乗って流れてきた魔女が初めて見せた本心に、ナナリーの閉ざされた瞳が瞼の奥で見開かれる。

「いざ決断した時、ルルーシュの隣が空いていなくても文句を言うなよ」

 しかし、それも一瞬。次いで流れてきた挑発的な――、もとい挑発に先の言葉の余韻は嘘のように消えて。

 最後に、パタン、と本を閉じるような音が、魔女の姿と心をドア向こうに隠した。

 

 

 

 話を切り上げ、部屋から出たC.C.は音を立てないようにドアに背中を預けた。

 ふぅ、と気だるけに息を吐く。荒々しくも、その実、慎重に少女の心に踏み込んでいた魔女の身体は思っていたよりも神経を使っていたらしく、吐き出した身体からは目に見えて緊張と強張りが抜けていった。

(これで、少しは好転すれば良いんだが……)

 半ば強引に話を切り上げ、適当な言い訳と共に部屋の外に出たのには、勿論、理由がある。

 限界だと感じたからだ。

 おそらく、あそこが瀬戸際、ギリギリのライン。あれ以上踏み込んで少女の心を荒らせば、未熟な心は制御を失った感情に引き摺られて、良くない方向に流れていたに違いない。

 それでは、『前回』の二の舞である。

 それはC.C.の望むところではない。口こそ悪かったものの、今回、ナナリーに突っかかったのは彼女なりにナナリーを思っての事。

 自分の殻に閉じこもり、生きた屍になりつつあったナナリーの心を無理矢理にでも叩き起こそうとしたからであった。

 そう言った意味では万全の結果とは言えないが、先も言った通り、これ以上は逆効果になる可能性が高い。

 僅かとはいえ、外に意識を向けられたこと。その一歩(取っ掛かり)を示せただけで良しとすべきだとC.C.は判断した。

(ルルーシュが知れば、余計な事をと怒るんだろうな)

 自分がした事に対する共犯者の反応が頭に思い浮かび、やれやれと内心で首を振る。

 今回、ナナリーの護衛を命じた時、ルルーシュはC.C.に何も言わなかった。

 説得しろとも。諌めろとも。ケアしろとも。

 おそらくは、ナナリーの意思を尊重しての事だろう。

 結局、ルルーシュはナナリーに甘いのだ。

 同時に、深い愛情と同じくらいに信頼を寄せている。

 たとえ、苦しくとも。それが愚かだったとしても、絶望の中で、一人で道を見出だし、歩き出す事が出来ると。

 それだけの強さがあると知っているから。

 いるから、今、この瞬間、この場所にルルーシュは居ない。

 妹の心を大きく占める自分の存在が、ナナリーの決断の雑音にならないようにと、深い愛情を以て見守りつつも、信頼を以て見放していた。

 だが、C.C.はルルーシュ程にはナナリーを信頼していない。

 実際、引きずり出したナナリーの心は、グズグズだった。

 硬い殻に覆われて、硬すぎるが故に殻を破れず、死に絶えた雛鳥のように、脆く柔い。

 迂闊に触れる事すら、危うい。悪意ある者がほんの少し力を入れれば、あっさりと握り潰されるだろう。

 それを思えば、荒療治に訴えたC.C.の判断も、決して間違いとは言えない。

 だって、そうなれば。

 そうなると………。

(臆病者なのは、私も同じか)

 結局、誰の為なのか。

 最終的な自分の心の行き着く先に呆れながら、C.C.はドアから背中を離すと、もう一度ホットミルクを用意すべく、キッチンの方に身体を向けた。




 話の流れが可笑しいと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、どうかお目こぼしを。ちょっと主観的になり過ぎて、どうにも客観的に見れなくなってしまい……。時間が経って、客観的に見れるようになったら手直しするかもです。
 しかし、今回はホントにドツボ。最初は調子良かったのですが、今後の為に少しナナリーを掘り下げといた方が良いかなと思った結果、底なし沼にはまりました。人の心って難しい……(遠い目)
 とりあえず、日本編最後の難関も何とかクリア出来たので、またボチボチ投稿していこうと思います。


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PLAY:30

 ぐぬぅ……。一ヶ月以内に間に合わなかった。いや、日数で数えれば……?(悪あがき)


 東京郊外。旧シンジュクゲットー。

 かつては人気に溢れ、伝説の始まりに滅び、そして、今、別の意味で人気が失せたこの地の一画に、反して、がやがやと人が集まる場所があった。

 景観を損なう廃ビルの地下の地下、租界建設時の旧都の取り壊しと建設ラッシュのゴタゴタによって生まれ、そのまま忘れられた地図にも描かれていないその場所は、特区式典以前、黒の騎士団のアジトの一つとして使用されていた場所だった。

 故に、そこに集まっているのも、当然、日本の英雄黒の騎士団。

 日本の独立の功労者達として、本来なら人々から尊敬と感謝の目で見られていても可笑しくない彼等だが、今はまた、人目を忍ぶかのように、このアジトに揃って集まっていた。

「ッたく。何で集合場所が、来るのがめんどくせぇ此処なんだよ。政庁で良いだろうが」

 当然ながら、日本の英雄と言う事は、ブリタニアにとっては最大のテロリストと言う事になる。そのアジト、それもあのゼロが使用を良しとするレベルとなれば、セキュリティも、勿論高い。

 出るにも入るにも、暗証やら何やらで一苦労させられるし、トウキョウ決戦からこっち、東京の中央区画の方に居を移していた者達にとっては、外縁部からゲットーに降り、そこから地下の更にその地下と、とにかく遠い。

 となれば、騎士団一辛抱の利かないこの男が騒ぎ出すのも時間の問題であった。

「仕方ないでしょ。政庁は政治を行うところ。日本政府が本格的に動き始めたなら、そっちに譲るのは当たり前じゃない」

 ぶちぶちと不満を漏らし続ける玉城に、良い加減煩いとカレンが突っ込む。

 これまで、騎士団本部兼ゼロの悪巧みの発信源として使われてきた政庁も、日本の独立と再出発を機に日本政府に明け渡している。英雄とはいえ、黒の騎士団はあくまで武力集団。再始動のこの忙しい時に、頭では戦えない部外者が居座っていても邪魔にしかならないのだから、これも当然の成り行きと言えるのだが、玉城には違うのだろう。

 ちッ、と不服そうに舌打ちすると、何もない床を苛立たしげに蹴り付けた。

「駄目なら駄目で、もっと近くて良い場所、いくらでもあんだろうによ。何だって、天下の黒の騎士団が今更……」

 その気になれば、高級ホテルだろうと軍事基地だろうと使いたい放題なのに、わざわざこんな不便なアジトを使うのは、人一倍承認欲求の強い玉城にはへりくだっているように感じられて嫌なのだろう。

 不貞腐れた様子で、だらだらと壁際に向かうや、だらしなくその場に座り込んだ玉城に、カレンは処置なしとばかりに腰に手を当てて、首を振った。

「でも、実際、何の用なんだろうな? 最近は活動らしい活動なんて、全くしてなかったのに」

 そんな二人のやり取りを、扇グループの面々はいつものように苦笑しながら見守っていたが、ふと気になった事が出来た杉山が仲間内に話を振ると、そうね、と井上が頷いた。

「東京の治安維持も、政府が編成した首都警備隊や再編中の警察に少しずつ譲るようになってきてるし……。仮に戦うにしても、ね。正直……」

「……だな。扇は何かゼロから……、って、あれ? 扇は?」

「扇なら、ゼロに呼ばれたって、さっき出ていったぜ」

 問い掛けようとして、自分達のリーダーがいない事に気付き、きょろきょろと辺りを見回す南に、吉田がそう答える。

 そこでカレンも、扇がいなくなっている事に気付き、本当だ、と言いながら首を回して………、例の如く、あの女もいない事に気付いて、ふん、と荒々しく鼻を鳴らす。別にムカついてない。

「にしても、いつまで待たせるつもりだ。もう、かれこれ三十分は経つぞ」

 懐から取り出した携帯で時間を確認し、未だ現れないゼロに痺れを切らした千葉に、全くだね、と朝比奈が同意する。

「用があるなら、早くして欲しいんだけどね。僕らはともかく、藤堂さんは暇じゃないんだしさ」

 相変わらず、反抗的な感じが見え隠れする二人の態度に軽く肩を竦める卜部の横で、同じく苦笑していた仙波は二、三度咳払いを入れると口元の弛みを揉み消して、藤堂に向き直った。

「そう言えば。聞きましたよ、藤堂さん。日本政府から再編される日本軍の指揮を任されたとか」

「む。いや、それは……………」

 おめでとうございます、と頭を下げてくる部下に何やら言い淀む藤堂だが、彼がはっきりと何かを告げるより早く、話に食い付いた若手二人が目を輝かせて、話に割り込んできた。

「そう! そうだとも! 日本軍の総指揮……、トップだ! 藤堂さんが………ッ!」

「まあこれまでの藤堂さんの功績を見れば当然だけどね。何しろ日本で唯一ブリタニアに土を付けた厳島の奇跡。日本解放戦線の要。藤堂さんがいたおかげで、日本がずっとブリタニアと戦い続けられた事も考えれば、むしろ引き立てが遅いというか」

「お、おぉ、そうだな、………そうだな」

 感極まり言葉に詰まる千葉と、平然としているようで、その実、興奮に震える指先で無意味に何度も眼鏡を押し上げている朝比奈の勢いに押され、仙波と卜部は若干後ずさるが、それはそれとしてめでたいのは確かだ。

 ゼロが現れるまで、日本唯一の希望として、儘ならずとも抗い続けた藤堂の苦難の日々を知らない部下はいない。

 その苦労が報われたとなれば、仙波や卜部とて喜ばずにはいられない。正直、場所が場所なら、四人で藤堂を胴上げしたいくらいだった。

「おめでとうございます、藤堂さん」

 喜色に染まる心に、その厳めしい顔を珍しく破顔させた卜部が拍手と賛辞を送ると、藤堂は若干の躊躇いを見せつつも、ありがとうと素直に感謝を返し、だが、と直ぐに渋面に戻って首を大きく横に振った。

「お前達の気持ちは有難いが、まだ確定ではなくてな。先方にも少し考える時間が欲しいと、今は返事を待って貰っている」

「それはまた………、どうして?」

 驚き、目を丸くする部下達の質問に、藤堂は答えない。閉口し、沈黙する藤堂の雰囲気は重苦しくも悩ましく、そこに何かしらの葛藤を見た古参の部下二人は、何となく藤堂が何に悩んでいるのかを察した。

 義理堅く、忠義に厚く、そして不器用。それが藤堂鏡志朗という男である。

 おそらく、故人とはいえ、将と仰いでいた片瀬よりも立場が上になる事、袂を同じくしている黒の騎士団の今後の見通しが立たない状態で我先に足抜けする事に負い目を感じているのだろう。

 心情的には断りたいのかもしれない。だが、時世がそれを許さない事も重々承知している。

 長い抵抗活動の中で主だった将校達は殉職し、日本解放戦線の崩壊で最後の砦たる片瀬も喪った。ゼロの国外追放が決定している以上、もう藤堂くらいしか再編される日本軍をまとめあげられる人材は残されていない。

 最終的には折れる、――引き受ける事になるだろう。藤堂も、理性の上ではもう意思を固めているに違いない。

 だから、後はこの不器用な男が自分の気持ちにどう折り合いを付けるかなだけで。

「…………しかし、千葉じゃないが、確かに遅いな。ゼロ」

 若干、わざとらしさを感じさせる口調ではあるが、話を逸らすべく声を上げた卜部の言葉に、藤堂を説得しようと詰め寄っていた若手二人を含めた四人の視線が、一気に集まる。

「………確かに。時間に関して、ゼロはいつも正確だったからな。………何かあったのかもしれん」

 同じく意図に気付き、話を逸らそうと追随した仙波ではあるが、自分で口にした内容に思うところが出来たのか。次第に慎重になる口振りに、藤堂も顎に手を添えて一つ唸ると、誰かを様子見にやろうと顔を上げた。

「すまないが、誰か―――」

 そう指示を出すべく、口を開いた時だった。

 一瞬、部屋がどよめいた。次いで、波が引くように静かになる。

 それだけで分かる。誰が来たのか。

 確信に開きかけた口を真一文字に結び直し、入口の方へ顔を向ける。そこに案の定、彼はいた。

 ゼロだ。

 黒い仮面、黒い装束、黒いマント。その出で立ちの全てを黒に染めた日本の真の英雄は、後ろの扇と周囲からの視線を引き連れたまま、静かな足取りで部屋の真ん前まで来ると、幹部とひしめく団員達の方へ向き直った。

(あれ……………?)

 その光景に疑問を覚え、カレンは入口の方へ視線を向けた後、もう一度部屋の中をぐるりと見渡す。

 いないのだ。ディートハルトとラクシャータが。

 てっきりゼロと一緒に来るものだと思っていただけに、カレンは黒の騎士団においても重要な位置を占める二人の姿が、この場にない事に首を捻る。

 加えて、もう一つ。

「おい、扇の奴、どうしたんだ………?」

「何か、顔色が……、いや、最近はずっと悪かったけど………」

「何かあったのかしら………?」

 ひそひそと小声で交わされる仲間達の会話に、カレンも心の中で頷く。

 先程、ゼロに呼ばれたと出ていった扇。その扇の顔色が、目に見えて悪くなっていた。

 最近の顔色の悪さに輪をかけて、である。

 血色の悪かった顔からは血の気が失せ、普段から優柔不断故に泳ぐ事が多い視線は更に落ち着きを失くし、表情も何処か心此処に在らずだ。

 具合でも悪いのだろうか。

 もはや病人のようなその様相に、カレンは心配になって駆け寄ろうとするが、それより早くゼロが口を開いた為、一度踏み出そうとした足を止める。

「揃っているな」

 黒い仮面をゆっくりと左から右に動かし、必要な面子が揃っている事を確認する。

「一体何の用なんだよ。わざわざこんなところに呼び出して、そのくせ、やたら待たせやがって……。おい、ゼロぉ。何だか知らねぇが、とっととしてくれよ。こっちはもう、此処に来るまでで足がパンパンなんだからよぉ」

 だるいったらねぇぜ。

 そう言って、天下のゼロを相手に管を巻くのは、勿論玉城である。

 壁に背中を預け、だるいと言う足をみっともなく地べたに投げ出し、まるで酔いが回った酔っ払いのような、だらしない体勢からの玉城の愚痴を耳に入れるだけで聞き流したゼロは、何事もなかったかのように話を続ける。

「今回、集まってもらったのは他でもない。黒の騎士団の今後についてだ。これについて決定した事を、今より説明する」

 ざわり、と部屋が騒いだ。

「決定……? 初耳だな、幹部(私達)は何も聞いていないぞ」

「感心しないね。組織の今後を自分一人で決めるなんてさ。いくら君でも、少し勝手過ぎるんじゃない?」

「不満があるのであれば、後でいくらでも()()()()()()。まずは此方の話が先だ」

「………千葉、朝比奈。とりあえず話を聞こう」

 有無を言わさず話を進めようとするゼロに、千葉と朝比奈の表情が険しくなるが、更に食って掛かるより早く藤堂が二人を押し止める。

「それで、ゼロ。決定した事とは………?」

 その一言に、部屋が静まり返る。

 期待、不安、反抗、嫌悪。それぞれに、それぞれの思いを浮かべながら、自分達の先行きを告げるゼロの言葉を待つ幹部達と一般団員達。

 そんな彼等の姿を、もう一度。

 もう一度だけ、ゼロはゆっくりと見回した。 

 そして――――……。

 

 

 

「機密情報の移転、及び抹消。概ね完了しました、ゼロ」

 遡ること、数十分前。

 同アジト、ゼロの私室にてディートハルトは進捗状況の報告を部屋の主に行っていた。

「地下協力員……、レベルCまでの情報取得者への対応も完了です。必要情報以外がそちらに漏れた形跡がないのは既に確認済みですので、後は此方で使用していた連絡手段を処分すれば、彼等は唯の一般市民に戻る事が出来るでしょう」

「そうか。……団員達と幹部に関しては?」

「一般団員達については問題ないかと。Bレベル相当の情報が外部に漏れたとして、今後の活動に影響が出る可能性は0.3%程です」

 ですが、とそこで流暢に報告を行っていたディートハルトの声に、若干の苦味が混ざる。

「藤堂、扇を加えた幹部連も含めた場合、数字は21%にまで跳ね上がります。これは無視出来ない数字かと」

 ふむ、と存外落ち着いた声に、ディートハルトは手元の端末から顔を上げる。

 目に入ったのは、仮面の下、身に纏う衣装よりも漆黒の髪。机にもたれ、思案に俯く表情は、大半が髪と口元に添えられた手によって隠れて見えないが、それでも髪の合間から垣間見える、美しくも危なげな紫紺色の輝きは、ゼロを至上とするディートハルトを陶酔させるには十分で。

「…………それで。如何なさいますか?」

 咳払いを一つ。うっかり、明後日の方へ飛びかけた思考をニュートラルに戻し、ディートハルトは事前に用意していた策を、それとなく訴える。

()()は整えておりますが…………」

 何の、とは言わない。それで十分である。

 上に数十トンものコンクリートを抱える地下の空間。そこに勢揃いしている不確定要素。これで察しが付かない人間は此処にはいない。

 だから、ルルーシュが首を横に振ったのは、明確に否定の意志があっての事だ。

「よろしいのですか? 後方に不安を残す事になりますが……」

「分かっている。だが、アイツらには、まだ利用価値がある。これから先、盤上に配置する必要性もある以上、ここでの処理は早計だ」

 曲がりなりにも、ブリタニアという超大国を相手に生き延び、決して多くはない数で国を取り戻した連中だ。

 手持ちの戦力としてはそうでなくても、戦略としてはその限りではない。多少リスクを抱え込む事になるが、先の展開を考えれば、ここは伏せ札として残しておくべきというのが、ルルーシュの判断だった。

「とはいえ、懸念は尤もだ。漏洩の可能性がある情報のピックアップと優先度の設定。ルートの予想と対策。ダミー情報の設置。……セキュリティレベルの引き上げも必要か」

「分かりました。それについては、私が。………それとゼロ。こちら、指示されていたものではありませんが………」

「うん? 名簿か? 何のリストだ?」

()()()()()()()()()()()の、です」

 意外な内容に目を丸くするルルーシュに、ディートハルトがニヤリと笑う。

「かねてより、いざという時を考え、私の方で声を掛けていた者達ですが……、恐らく()()()()は満たしているかと」

「成程、抜け目ない……、いや、ここはお前の用意周到さを褒めるべきか」

「恐れ入ります」

 粛々と頭を下げるディートハルトに不敵に微笑み、ルルーシュは手渡されたリストに目を通す。

 人数はそこまで多くない。全部で二十名程か。だが、今後の台所事情を考えれば、たったこれだけの人数であろうと見た目の数字以上に価値はあるし、それが事情を知るディートハルトからの提示となれば、更に期待値は高まる。

 その証拠に。

「ほう。ラクシャータもか」

 今後の活動に必要な人材として、さてどう引き入れたものかと思い悩んでいた人物の名前が、既にリストに記載されている事にルルーシュが感嘆の声を漏らす。

「彼女とは、同じ作り手として意見が合いますので……。尤も、紅蓮については不満があるようですが」

「だろうな。だが、代わりのパイロットに当てがない訳ではない。……そうだな。その辺りの事も含め、私の方でも話を通しておいた方が良いだろう」

 特に問題ない事を確認し、パタリと名簿を閉じて、表情に期待を滲ませているディートハルトにリストを返す。

「嬉しい誤算だ。よくやってくれた、ディートハルト。やはり、お前は優秀だ。卓越している」

「あ、ありがとうございます! 光栄です、ゼロ……………ッ!!」

 狂喜に表情を歪ませ、勢い良く頭を下げるディートハルト。気のせいだろうか。元から、リアクションに大袈裟なところがある部下ではあるが、最近、より一層応答の時の反応が激しい気がする。大丈夫だろうか、色々と。

「……………」

 頭を振る。余計な考えが浮かぶのは、まだ思考に余裕のある証拠か。集中力が散漫になってきた証明か。

 どうでもよい考えを首を振って散らすと、ルルーシュは僅かとはいえ、部下の働きによって生まれた余裕を生かすべく、計画を修正、一部を前倒しにする事を決める。

「ディートハルト、日本に関してはもう良い。後は、私の方で処理しておく。お前は手持ちの案件が片付き次第、一足先に中華へ飛べ」

「中華に? ……特殊通信回線(ライン・オメガ)が必要になると?」

「それもある。が、………………おい」

 斜め後ろ。更に視線を落とし、ルルーシュは指先でデスクを叩く。

 すると、今の今まで、部屋に一つ残された椅子を独占し、机に突っ伏す形で部屋のオブジェへと成り下がっていた魔王の共犯者は、もぞもぞと懐からメモリーカードを取り出すと、顔を上げないまま、ルルーシュの方へカードを滑らせた。

「これは?」

「中華のとある地方の地形図だ。幾つか入っている。少し古いが、村落の場所や流通ルートも記載済みだ。お前には、その中から潜伏場所として使えそうな場所の絞り込みを頼みたい」

 ガツン、と机を通して足に振動が伝わる。どうやら、古いという言葉がお気に召さなかった魔女が、足癖悪く机を蹴り飛ばしたらしいが、事実なのだから仕方ない。無視する。

「それと、もう一つ」

 そう言って、掌にメモリーカードを落としたまま、差し出され続けていたディートハルトの手に、もう一枚、カードを滑り落とす。

「トウキョウ決戦から今まで、私に接触してきた中華内のレジスタンスのリストだ。これの選定も、お前に任せたい」

「選定……、ですか? 失礼ながら、現地でまとまった戦力を確保したいのであれば、武官の黎星刻に接触するのが、一番かと思われますが」

「政権を交代させるだけなら、そうだろうな。だが、私が目指すところには、それだけでは足りない。それに、あの男の能力は買うが………、いや、()はまだ決め付けるべきではないな」

 彼の願い、彼の主。二人の関係、絆。上手くすれば、物語が一つ作れるかもしれない。

「いずれにせよ、駒として必要になる。保有する戦力、組織の規模は考えなくていい。必要なのは団結力。リーダーを支持し、命令系統が明確な組織が選定の最低条件だ」

「例えば、扇グループのような、ですか?」

「そういうことだ」

 ふッ、と何だかんだでチームワークだけはあった件の彼等の事を考え、小さく笑うルルーシュの前で、ふむ、とディートハルトは指示された内容について吟味する。

 仮にも、参謀である。ゼロが何を戦術目標として自分に何をさせたいのかは良く分かる。

 だが、肝心の戦略目標が見えて来ない。ここから、どうするのか。何処を終着点に考え、何を目指しているのか。ディートハルトにも、さっぱり分からなかった。

 尤も、だからこそ、撮り甲斐がある(素晴らしい)のだが。

「分かりました。この件に関しては、どうかお任せを。必ずや、ご期待に応えてみせましょう」

 そうして、改めて掌に落ちた二枚のカードを見やる。

 ゼロから手渡されたもの。即ち、奇跡の種。

 果たして、これが芽吹いた時、そこにどのような光景が広がっているのか。

 それを想像するだけで、自然と速くなる足取りと呼吸をディートハルトは抑える事をしなかった。

 

 何やら鼻息荒く、足早に部屋を出ていったディートハルトを見送ると、一段落付いたルルーシュは、ふぅ、と息を吐き出し………、そんな自分に気付くと小さく舌を打った。

 握り拳を額に当て、調子を整えるように数度叩く。

 疲れている訳ではない。だが、理想(入力)現状(出力)の差にストレスを感じている事は否めない。

(計画を前倒しに出来たとはいえ、やはり、手が足りない。今後の流れをスムーズにしておく為にも、インド軍区と『前回』の超合集国参加国には早めにコンタクトを取っておきたかったが、ディートハルトが使えないとなると………)

 既に、ディートハルトには多くの問題を預けてしまっている。いくら優秀とはいえ、これ以上は無理だろう。

 ルルーシュも、今はまだ日本を動けない。咲世子もC.C.も動かす事が出来ない以上、現段階では保留にするしかなかった。

 せめて、後、もう一人。広報や渉外を担当出来る人材がいれば、話は変わってくるのだが………。

(ないものねだり、だな。全く、本当に我ながら人望がない………)

 皇帝の時(いつぞや)と同じ台詞を吐きつつ苦笑し、益の無い思考を打ち切る。

 いつもの事だ。駒はあっても、仲間が少ないのは。

 C.C.にも指摘されていた。人を中々信用出来ないルルーシュの悪癖である。

 分かっている。

 だからこそ、欲しいのだ。今度こそ―――。

「甘いな」

「……久しぶりに聞いたな、その台詞」

「私も、今更、お前にこんな台詞を吐く必要が出てくるとは思わなかったよ、坊や」

 久しぶりに聞く台詞、声音。それなりに温情がある魔女が遊びもなく、絶対零度にまで声の温度を下げる時は、いつだってルルーシュの甘さを責める時だ。

 額から拳を外し、思考に沈んでいた瞳を開ける。

 振り向く事はしない。それが気に障ったのか、自分に向けられる魔女の視線と口調が鋭くなった。

「まさか、『前回』の事を忘れたとか言わないだろうな? 今の変態はともかく、他の連中を()()も付けずに放し飼いにするとか、また裏切りにでも遭いたいのか?」

 C.C.の苦言に、ルルーシュは答えない。答えるつもりもないのだろう。

 ただ黙して、前だけを見ている。その様子を、暫く観察するように見つめていたC.C.だったが、やがて無駄と悟ったのか。ふん、と鼻を鳴らして顔を逸らした。

「別に、お前がそれで良いなら構わないがな。篩にかけた小石に躓くような、みっともない姿だけは晒してくれるなよ」

「なら、ちゃんとお前が俺を見ていろ」

 沈黙。

 その後、もう一度鼻を鳴らして、顔を伏せる。別に緩みそうになる口元を隠す為だとか、そんな事はない。

「……………それで」

 一分後。漸く、小波立った心を落ち着けた魔女が、再び真剣な表情と声で問い掛ける。

「……いいのか? 本当に」

「……ああ」

 問い掛けに、今度は応える。前は向いたままだが。

「『前回』の事がなくても、此処が限界だった。………正直、持ってくれた方だ。最悪、日本が独立した時点で、切れていてもおかしくなかった」

 正体を明かさない、――明かせない秘密主義のトップ。それによる心証の悪さ。不信感。反発。そこに、いよいよ明かされたゼロの正体。『前回』の事を考えれば、本当に、良く此処まで持ってくれたものだと思う。

「だから、此処までで良い。……どのみち、ここから先は寄せ集めの軍隊でどうにかなる話じゃなくなる。戦い抜くには、どこかで作る必要があった」

 数だけなら、問題ない。既に中華の攻略に目処が立っている以上、超合集国設立に向けて、大きな障害は存在しない。そして、超合集国さえ成れば、超合集国憲章の下、各国の軍事力を統合して、一大軍事組織に仕立てる事が出来る。

 だが、それだけでは今までと変わらない。『前回』の黒の騎士団に届いても、それだけでは足りないのだ。勝つ為には、最後まで戦う為には、更にその先を望む必要がある。

 つまり―――……

「必要なんだ、今度こそ、本当の意味で。俺の……、ゼロではない俺の、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの騎士団が」

 出し惜しみは出来ない。悔いは残せない。

 騎士に剣。賢者に杖。弘法は筆を選ばずと言うけれど、一杯のコップに大海が収まらないのも事実。

 ならば、その知略を、その才覚を、頭脳を、叡知を。一度は、世界を手中に収めた、その類い稀なる才能を十全に振るうには、相応の戦士がいる。

 そう。ほんの一握りであっても。かつての終わりに、ルルーシュの願いに、覚悟を以て集ってくれた彼や彼女達のような。

「ふぅん………?」

 そんな、驚いたような曖昧な声を上げたのは、そのほんの一握り。

 一瞬、目を瞠るように切れ長の瞳を丸くした少女は、しかし、直ぐに目を細めると、くすりと笑いながら、目の前の男の腰を小突いた。

「それは、また、随分と前途多難だな。お前には世界を壊すより難しいんじゃないか?」

「それが分かっているなら、何時までも油を売っていないで働け。人手が足りないんだ」

 ちょっかいを止めない魔女の手を払いつつ、ルルーシュは用事が終わっても、のんべんだらりと部屋に居座り続ける事に小言を言おうと振り返り……、いつもとは僅かに違う色を宿す視線と瞳に毒気を抜かれて、開きかけた口を閉ざす。

 代わりに、はぁ、と今度こそ疲れた溜め息を吐き、懐から取り出した写真をC.C.の目の前に広げた。

「……東京に潜入しているのは確認済みだ。アレが相手となると、咲夜子でも荷が重い。お前の守りが必要だ」

 ちらり、と視線を投げれば、そこにあるのは数枚の写真。

 気取られる事を嫌ってか、遠目の監視カメラや隅に少しだけ姿が映るピンぼけの写真ばかりだが、これだけで十分、相手が自分達の予想した人物であると分かる。

「……狙いは、やはり、ナナリーか?」

「あるいは、いや、あわよくば、お前だろうな。なら、一つにまとめておいた方が、動きが読みやすい」

 ついでに、守るべき存在は一処に集まってくれていた方が良い、とは言わない。

「裏をかいて、直接、お前を狙ってくる可能性は?」

「あり得るのか?」

「………いや。……ない、だろうな」

 糸を引いている人物の性格を思い出し、一瞬だけ考える素振りを見せるが、すぐに無いと断じる。

 V.V.がマリアンヌの子であるルルーシュを疎んでいるのは間違いないだろうが、間接的であろうと、この危険人物に手を出す度胸はないだろう。

 やるなら、もっと遠回りに。小賢しく、相手の弱点から攻める。もしくは、遠巻きにして完全に関わらないか。そう考えれば、狙いはやはりナナリーかコードを持つ自分に絞られる。

「そういうことだ」

 思考を読んだようなタイミングで声が掛かる。考えながら眺めていた写真が持ち上げられ、追うように視線を上げれば、懐に写真を仕舞う共犯者の顔に辿り着いた。

「無力化する為の策は用意してある。だが、肝心のお前にふらふらされていたらタイミングが掴めない。だから、戻れ。………お前がナナリーを気遣って、適度に距離を取ろうとしているのは分かるが」

「………別に。息苦しいのが嫌だっただけだ」

 殆ど顔も合わせた事がない人間が、四六時中側に居るというのは、それだけでストレスになる。元々、丈夫とは言い難く、兄が離れた事で心身共に弱り切っていたナナリーだ。適度にガスを抜かねば、身体が持つまい。

 先日の件もある。故に、C.C.は何かに付けてはナナリーの側に、気心の知れた咲夜子が居られるよう計らっていた。

 とはいえ、それもそろそろ限界である。襲撃者の存在が確認出来た以上、警戒レベルの引き上げは必須。その相手が彼であるなら、尚更だ。ナナリーへの負担は憂慮すべき事ではあるが、死んでしまっては元も子もない。

 C.C.もそれを理解しているのだろう。気怠い、緩慢な動きではあるが、餅のように伸びきった身体を丸めると、のそりと立ち上がった。

「……極力、咲夜子を回すようにはしておく。アレのギアスもお前には効かないだろうが、……………くれぐれも慎重にな」

 そこで気を付けろ、と素直に言えないのは性格か、若さか。

 ともあれ、心配されるのは悪い気分ではない。ひらひら、と手を振って答えたC.C.は少しだけ口の端を吊り上げると、ご機嫌なまま部屋を出ようとして――……。

「…………C.C.」

 躊躇いを含んだ声に呼び止められ、足を止めて振り返った。

「何だ?」

「……………いや」

 らしくなさすぎる歯切れの悪さ。そのまま途切れ、言葉を失った男の様子を、しばし黙って見つめていたC.C.は嘆息を一つ、入口の方へ向き直るのと同時に口を開いた。

「……食べるようにはなってる」

 一言。それだけであるが、それで十分だろう。

 それ以上何も言わず、ドアを開く。

「あ……………」

 すると、タイミング良く……、悪く、丁度部屋に入ろうとしていた人物と鉢合わせた。扇である。

 一瞥し、横をすり抜け、入れ替わるように扇が中に入る。

 その時、僅かに、出ていくC.C.を扇は何か言いたげに見るが、結局、何も言わずに視線を切るとルルーシュへと向き直った。

「ゼロ。その、呼ばれたと聞いたんだが………」

「………ああ。……アイツに何か用でもあったのか?」

 少し遅れて返答。若干乱れた気持ちを落ち着かせつつも、目敏く扇の反応に気付いたルルーシュがそう質問すると、扇は曖昧に笑って首を振った。

「いや、………何でもない」

 本当に、何でもない。

 ただ、C.C.の姿を見た時、思い出したのだ。

 今の少女が、あの夜、路地裏の闇に消えていった彼女について知っていた事を。

 だから。

 だから――――、何だ?

「何でも、ないんだ………」

「……そうか」

 呻くように答える扇の姿に、何となく答えを察したルルーシュはそれ以上の追及を止め、扇もまた空元気なりに表情を作ると、話題を本題へと切り替える。

「それで、ゼロ。俺を呼んだのは……?」

「ああ、それについてだが、……正直、今のお前に託すのは少々酷だと思うが、他に任せられる人材もなくてな」

 痩せこけた顔付きで、自分の前に立つ組織のNo.2の姿に悩ましく思いつつも、話を切り出す。

「これから、黒の騎士団の今後について、団員全員に伝える事がある。まずは、その事について、お前に話しておこうと思う」

 勿体つけた前置きから、事の重要性を感じ取ったのか、扇が表情を引き締める。ごくり、と鳴った喉は緊張か、覚悟故か。

 どうやら、中身は見た目ほどボロボロではないらしい。完全ではないものの、公私を切り替えようとする扇の姿に、少しだけ先行きに安堵を覚えた。

 

 だから、ルルーシュは口元に微かに笑みを浮かべて――――………。

 

 

 

「――――――――――え?」

 呟いたのは、一体、誰か。

 沈黙が場を支配する。今後の予定として、ゼロが口にした一言は誰の頭にも浸透しなかったのか、誰もが喋る事なく呆然とした顔付きでゼロを見ていた。

「え? ―――あ、え?」

 だが、それも永遠という訳ではない。

 じりじり、と火が付くように再び空間がざわつき始める。意味を飲み込めず、騒ぐ者。意味を飲み込んだからこそ、騒ぐ者。どちらにしろ、混乱している事には変わりない。

「あ、あの、ゼロ!」

 そんな中で、一番最初に意味を持って言葉を発したのは、やはりと言うべきか、カレンだった。

「すみません、今の発言って、どういう………」

 とはいえ、混乱しているのはカレンも同じこと。繰り出された質問は、理知的には程遠い。

 ―――いや、少し違うか。

 混乱しているには違いないが、その質問には、多分に懇願が含まれていた。

 聞き間違いであって欲しい。嘘であって欲しい。

 そんな想いが、震える声音から垣間見えた。

「今、言った通りだ」

 しかし、そんな少女の想いも、魔王が相手では意味を成さない。

 冷酷なくらい冷静に、残酷なくらい普段と変わらない声は迷いなく、同じ台詞を繰り返すべく言葉を重ねていく。

「既にブリタニアとの停戦は成り、日本政府もその機能を取り戻しつつある。ブリタニア軍の撤退は、まだ全てが完了した訳ではないが、近くその作業も終了し、日本はブリタニアの影響から完全に解放されるだろう。……これにより、君達の悲願は達成されたと私は判断した。故に、諸君と私が轡を並べる理由も、もはや存在しない」

 弱者の味方。強者の敵。悪を挫いて、正義を為す。

 それが黒の騎士団が掲げる大義であり、設立理由である。

 だが、実際に、そう思って加入した団員がどれ程いるだろう?

 本当に、正義の為にと戦いに身を投じた者が、どれだけいただろうか?

 率直に言おう。そんなものは建前だと、誰もが分かっていた。

 分かっていて、黒の騎士団に入ったのだ。日本を取り戻す為に。ブリタニアを倒す為に。

 ゼロとて、同じ。彼も、彼なりの目的と打算の為に正義を掲げたに過ぎない。………その根底にある、願いの色については、ともかく。

 故に、両者の間にあったのは、結局のところ、共通の目的と利害の一致。

 ならば、この結末は、当然の帰結であると言えよう。

 

 

「私は、君達、黒の騎士団との関係を、今この時を以て放棄する」

 

 

 二度目。一度目と変わらない、淡々とした決別の言葉が団員達の胸に刺さった。

「事後については、扇に託した。私の方でも、君達の今後に融通を利かすよう、日本政府を始め、可能な限り取り計ってある。これを機に退団を考えている者、戦いを離れようと思う者は――――」

「ちょ……ッ、ちょっと待てよッ!」

 あくまで淡々と話し続けるゼロに、もはや我慢ならんとばかりに、玉城ががさつに声を張り上げて割り込んだ。

「い、一方的過ぎるだろうがよッ! そりゃ、俺達は日本の為に戦ってきて、それが返ってきて、その、お前とも色々あったけどよ! それでも此処まで一緒にやってきたんだし、そもそも黒の騎士団を作ったのはお前じゃねぇか! なのに、何を勝手に決めて、勝手にほっぽり出そうとしてんだ! お前がいなくなったら、黒の騎士団は、俺達はどうすりゃいいんだよッ!」

 がなり立てながら、愕然とする団員達を押し退け、玉城が最前列から飛び出してくる。

「それについては、もはや私の関与するところではない。好きにするといい」

「好きにって……、何だよ、そりゃ! ふざけんなッ!」

「では、どうするつもりでいた?」

 無責任にも思える発言に、顔を怒りと苛立ちで真っ赤に染め、ともすれば、今にも殴り掛かりそうな玉城に、しかし、当のゼロは腹立たしいくらい冷静な声で、荒ぶる感情に水を掛ける。

「私が国外追放されるのは、周知の事実だ。この決定が覆る事がない以上、私が日本に留まる事はない。そんな私に付いて、折角取り戻した日本を追い出され、他の国の誰とも知れない誰かの為に生命を懸けて戦い続けるつもりでいたと、お前達は言うのか?」

「そりゃ……、そんなの…………」

 改めて問われ、口ごもる。

 そんな玉城から視線を外し、他の団員達に目を向ければ、俯いたり、顔を背けるのが見えた。

「真に覚悟がある者については構わない。まだ私と戦い続ける意志があるのなら、歓迎しよう」

 個々人に限れば、ゼロに付いていこうと考える者もいるだろう。

 ゼロのカリスマに当てられた者。ブリタニアを潰したい者。あるいは、別の。

 だが、組織の総意としては?

 それは、見回した彼等の顔付きを見れば、十分に分かる答えだった。

「……最終的な判断については、各々各自に任せる。退団も残留も………、黒の騎士団の名も君達に残すが、存続か解散か、その辺りも含め、良く話し合い、決めると良い」

 目的を失った武装組織など、残しておいても愉快な事にはならない。だが、ゼロが抜けるとはいえ、黒の騎士団の名前にはまだ威力がある。残しておけば、牽制になる。

 果たして、どちらが良いのか。もはや、他人事になったルルーシュには、どちらでもどうでも良かった。

 たとえ、転んだ先で、薬になろうと毒になろうと。ルルーシュにとっては、使い道が変わる程度にしか意味合いは変わらないからだ。

「最後に。………此処まで正体の分からない、私のような人間に、よく付いてきてくれた」

 そう呟いた口から、意図せず息が溢れた。そんな自分に気付き、こっそりと苦笑する。

 思えば、随分と苦労させられた。

 揃わぬ足並み、足りない練度。資金不足の解消に地道な裏工作。そこまでやって結果を出しても、幹部との摩擦は消えず、猜疑心は募り、『前回』には遂に追い出された。

 全く、思い出しても、ロクな記憶がない。繕わず言ってしまえば、自分も含め、実に最低な軍隊であったと言えるだろう。

 でも、そんな彼等でも、いなければ、何も始まらなかった。

 たった二人だけでも生命を懸けてくれなければ、親友を助けられなかった。

 不承不承でも、自分に協力してくれなければ、腹違いの妹と友人達を救う事は出来なかった。

 最後には敵として終わったが、彼等がいたから戦い続けられたのも事実。命懸けの戦場に、自分を信じて赴いてくれたのも事実だ。

 だから。

 だから、せめて、最後くらい相応に。

 

「………ありがとう」

 

 感謝を伝えて、幕を引こう――――。



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PLAY:31

 前回のあらすじ
「ゼロ、黒の騎士団やめるってよ」

 音沙汰なくて、すみません。どうにか戻ってこれました。


 とかく、若者という生き物はスリルを求める傾向にある。

 それは、有り余るエネルギーがそれを発散しようとする先を求めるからか。半熟の精神が一足先に大人の世界を見ようと先走らせてしまうからか。

 あるいは、もっと端的に若さ故に、なのか。

 その原因は定かではないが、ともあれ若者という生き物は往々にして日常を退屈なものと捉えがちであり、刺激を求めて危険や背徳と背中合わせの非日常に走りたがる習性があった。

 それに例えるなら、リヴァル・カルデモンドという少年も、決して例外ではないだろう。

 尤も、根は健全で善良な少年であるところの彼は、そこまで人様に言えないような事に手を出す度胸も倫理の欠如もない。

 だが、バイト先に高級なボトルが所狭しと並び、昼の時分にさえ非合法な賭けチェスが行われるバーを選んだのは、正しく若い衝動故にであろう。

 読めずとも流麗な筆記体で記されたボトル。外部からの光を遮断し、人工の光と音楽で彩られた店内。そんな中で、制服をかっちりと着こなし、かっこ良くグラスを磨いていれば、それだけで大人の世界の気分を十分に味わえるし、時に膨大な額の金が揺れ動く賭けチェスは見るのもやるのも刺激的で、貴族が戯れに札束を積んだ時にはあらゆる意味で生唾が絶えず、ドキドキと心臓が煩かった。

 ……多分、自分は上手くやれていたのだろう。

 時に授業をサボり、時に学校行事に精を出し、テストで頭を抱え、男友達と馬鹿をして、バイトをこなしつつ、時折起こる刺激的な出来事(ニュース)に興奮を覚え、スリルに背筋を震わせる。

 いじめも疎外感もない。ありふれているが、実に充実した学生ライフ。

 その代わり映えのなさを退屈に思う事もあったが、逆に言えばそう思えるくらいにリヴァルの毎日は平穏で、そして、満たされていた。

 だから、上手くやれていたのだ。

 

 だけど。そう思っていた全てが色褪せた。

 

 まるで、星の光を塗り潰す月明かりの如く。その日、他愛ない日常から気紛れに顔を出したものを、リヴァルは見た。

 見て――……、魅入られた。

 当人にとっては、つまらない出来事だっただろう。だが、平凡と退屈を持て余していたリヴァルにとっては、とても鮮烈で、とても刺激的で。出会ったその時から、リヴァルの日常は大きく色を変えた。

 それが幸運だったのか、それとも不運だったのか。今はまだ分からない。

 分かるのは、一つだけ。

 恐らく、彼が最初だったということ。

 親友でも、魔女でも、最愛の妹でもなく。

 多分、きっと。リヴァル・カルデモンドこそが誰よりも早く、世間に紛れ、日常に埋もれていたルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを見つけたのだ―――……。

 

 

「…………よし、と」

 ナットをレンチで回し、緩みがないのを確認して立ち上がる。

 そのまま、一歩後ろへ。

 視界全てに、ピカピカに整備し終わった愛用のバイクを収めたリヴァルは、袖口で汗ばんだ額を拭うと満足気に頷いた。

 生徒会御用達。一時は毎日のように乗り回していたこのバイクが、こうしてクラブハウスの片隅にしか姿を現さなくなってから、どれくらい経ったであろうか。

 彼を振り回す、破天荒な生徒会長は、もういない。

 忙しくも、賑やかな生徒会は、もう存在しない。

 そして、女友達に嗜められつつも、頻繁にサイドカーに乗せて、一緒に悪い事をしていた悪友も、もうリヴァルの隣にはいない。

 恐らく、この愛車が以前のように活躍するような事は二度とないだろう。 

 そう思いつつも、定期的に弄り回し、手入れをしてしまうのは習慣か、未練か。

 どちらとも付かない気持ちを胸に、リヴァルは油に汚れた軍手を外すと、自分と同じようにかつての日常に置き去りにされたバイクに、そっと手を置いた。

「……………ッ」

 風が吹いた。

 気付けば、からりと晴れていた空は灰色に模様を変えており、涼風から寒風へと変わり始めた風が汗ばんだリヴァルの身体から瞬く間に熱を奪っていく。

 条件反射のようにぶるりと身体が震え、リヴァルは慌てて広げていた工具を工具箱に押し込み、ハンドルに掛けていた制服を着込むと、最後に開けたまま放置していたホットコーヒーの缶を拾い上げた。

 ちびり、と一口。身体を温めようと口に含む。

 だが、温かかったコーヒーは既に冷たく。喉を通った冷気と舌に残る苦味に、リヴァルは苦しげに顔をしかめた。

 

 

 飲み干したコーヒーの苦味が残る口内に、舌が張り付く。

 表情筋ごと固まっていた口元を動かして舌を剥がし、唾で舌の乾きを誤魔化そうとするも、緊張と焦燥で唾液は一滴も出てこない。

 なのに、身体はどこもかしこもびっしょりだ。額は何度拭いても汗が吹き出し、クーラーを効かせた室内にも関わらず、背中は汗でじっとりと濡れている。

 止まらない汗が眉間を流れて目に入り、リヴァルはカチコチと煩い時計の音を聞きながら、揉むようにして目尻を拭った。

「良い加減、諦めたらどうかね?」

「ッ、まだ負けてない!」

 耳に届いた粘つくような声に、反射的に返す。

 もう何度目かになる問答。故に、問い掛けた方も答えは分かり切っていたのだろう。

 ふぅ、とあからさまに溜息を吐くと、態度とは裏腹な愉しげな表情で、後ろに立つ従者が差し出したワイングラスに手を伸ばした。

「ならば、早くしたまえ。時間はもう数分とないぞ?」

「………ッ」

 余裕綽々な態度が目を瞑っていても分かる。

 擦れ切った集中力を更に削る対戦者の言葉に歯噛みし、リヴァルは力強く目を開ける。

 暗闇から解放された視界に映るのは、木製のチェス盤。ゲームも半ばを越えた盤上は白の駒が目立ち、一目で黒が劣勢だと分かる。

 だが、黒のキングはまだ詰められてはいない。つまり、まだ負けてはいないとリヴァルは己を奮起する。

 尤も、まだ負けていないからといって、イコール勝ち目があるのかと言えば、それは全くの別問題になるのだが。

 

 当たり前の話だが、チェスは一人では出来ない。

 小さなマス目の盤を挟んで向かいに一人。二人いなければ、ゲームは始められない。

 故に、賭場を訪れた一人身の客は、まず対戦相手を見繕う事から始めなければならないのだが、当然、いつも都合良く対戦相手を待っている客がいるなんて訳もなく、それがお高い貴族様となれば尚更である。

 そんな時、客の相手をするのが店側、つまりはリヴァルの役目であった。

 溢れた客の相手、素人の代打ち、あるいは劣勢になるとよく体調不良を訴える貴族の代わり。相手の腕前に差はあれど、実戦の機会という意味では数に困る事もなく、初めは本当に数合わせの素人だったリヴァルもゲームを重ねる内に腕を上げ、気付けば助っ人として真剣勝負の場に駆り出される事も多くなっていた。

 要するに、自分の腕に自信があったのだ。

 少なくとも、昼間っから火遊びを楽しみに来た貴族のぼんぼんをあしらえる程度には。

 だから、その日、バーにやってきた貴族にも特に警戒を抱かなかった。温室育ちの遊び、スリルを楽しみたい金持ちの散財趣味と、賭け金の額を吊り上げようとする相手の口車に乗って、リヴァルは自分の支払い能力を超えた金額を提示してしまった。

 その貴族にとっての火遊びが、金を賭けたゲームではなく、自分のような人間を嵌めて破滅させる事だと気付いたのは。

 取り返しが付かない程に、ゲームの趨勢が決まってからの事だった。

 

(畜生……、どうする? どうすりゃいい?)

 活路の見えない盤上を睨む。一見してまだ諦めず勝ち筋を見出だそうとしているように見えるが、リヴァルの思考は半ば盤上から離れていた。

(素直に敗けを認めて、床に額を擦りつけて謝ったところで許して貰えるとは思えないし、逃げるにしても身元が割れてちゃ……、払うにしたって………)

 一瞬、脳裏に折り合いの悪い父親が浮かぶが直ぐに頭を振るい、その考えを切り捨てる。たとえ、唯一助かる方法だとしても、あの父親に頭を下げるのだけはごめんだった。

 だが、このままでは、とリヴァルがもう一度、この状況を打開する方法を考えようとした時だった。

 びしゃびしゃと何かが零れる音がして、リヴァルは音がした方――、対戦相手の方へ久しぶりに顔を向けた。

「ふむ……、少しは楽しめるかもと、こんな寂れたバーにやって来たのだが………、どうやら、私には動物を観賞する趣味はなかったらしい」

 口を付けていたワイングラスを躊躇なく逆さに返し、濃い赤色の液体をバーの床にぶちまけていた相手の貴族が冷めた表情でリヴァルを見下ろす。

平民(サル)の顔を眺めているのにも飽いた。私としては、ここらで見苦しい悪足掻きを止めて貰えると助かるんだが?」

「ま、まだ、俺は―――」

「忠告しておくが」

 しぶとく、それでも意味のない時間稼ぎをしようとするリヴァルの口を、先んじて貴族が制する。

「ここから先は発言に注意したまえ。もし、これ以上、無駄に私を不快にさせるようなら、君は賭け金を()()()()()()()()()()()()

「―――――――」

 淡々と告げた貴族の言葉に息を呑む。

 調子に乗って吹っ掛けた、今回のゲームの賭け金が、たかだか学生の身分に払えるものではないのは額を見れば誰でも分かる。

 その上で、たかが学生のリヴァルに支払わせようとするなら、選ばないというその手段を想像する事は難しくない。

 例えば、人身―――。

「理解したかな?」

 ビクリ、と肩が震える。こっそりと相手の顔を窺うように覗き込めば、余裕を漂わせた表情の奥にある瞳が暗い光を放つのを見た気がした。

「ならば、言うべき言葉は分かるだろう? この局面で相手はこの私。もはや、詰んでいるゲームを無駄に長引かせて、自分の寿命を縮めるほど愚昧という訳でもあるまい?」

 ………終わった。

 胸中に広がっていく気持ちに従うように、リヴァルはのろのろと視線を盤上に向ける。

 局面は変わらず。目を背けたくなるくらい酷い有り様で、もはや手を動かす気にもなれない。

 盤外戦術も同じく。一般人とは違う、危険な雰囲気を醸し出した貴族の脅しに口も思考も、もうまともに働かない。気分を損ねれば、生命が危うい。そう思うだけで心が萎縮し、命乞いも一か八か逃げ出そうという気も起きなくなる。

 だから……、駄目だった。盤の内にも外にも、もう逃げ道はなかった。

「…………………」

「くふ………ッ」

 絶望が広がり、泣きそうになりながら項垂れたリヴァルに、貴族が気味の悪い笑いを漏らした。

 中々、どうして。萎えていた嗜虐心が鎌首をもたげ、快感が背筋を通り抜ける。

 ああ、駄目だ。やはり堪らない。他者に奪われるのではなく、自らの意思で己を差し出す瞬間。断頭台に頭を乗せるように、処刑台の階段を昇るように、その先にある絶望を知りながらも、己の意思で希望を手離す瞬間が、堪らなく心地好い。

 どんな美酒にも、美女にも勝る、最高の快楽。その決定的瞬間を今か今かと舌舐めずりしていた貴族は、逸る気持ちと勝者の余裕から、何てことはない、冗談めいた軽口を叩いた。

「まぁ、つまらなくはあったが、君の醜態は中々に無様で見事だったよ。もっとも、その往生際の悪さは頂けないがね」

 それが、己にとっての、断頭台へ首を差し出す行為だと知る由もなく。

「こんな勝ちの目の欠片もないゲームにいつまでもこだわって……。もし、本当にここから逆転出来るんなら、犬の真似をしても良いくらいだ。負け犬らしく、三回回ってワン、とね」

 

「ほう? それは中々面白そうだ」

 

 唐突に。妙に存在感のある声が、場の空気を支配した。

 聞き覚えはない。

 低く、愉悦を孕み、やたらと耳に残る。貴族への畏敬の欠片もない、あまりに堂に入った声に、顔を上げる気力もなかったリヴァルの顔が何かに引っ張られるように持ち上がった。

 そして、絶句する。その姿に。

「平民を下々と見下すお偉様が、這いつくばって犬のように見上げてくれるんだからな。さぞや、見物だろう」

 特に変わった格好という訳ではない。

 見慣れた色。見慣れたデザイン。飽きる程に見慣れたその装いは、リヴァルにとっても馴染み深いものだ。

 場所が違えば、気にも留めなかったであろう。口を挟んできた声の主は、その声とは裏腹に、この場においては誰よりも平凡で普通の姿をしていた。

「何だ? 学生か?」

 だからこそ、際立つ。

 声の主が嗤う。いきなり現れたそいつは、リヴァルの嫌う退屈な日常を纏いながら、だけど、闇に潜む獣のように獰猛に、ぞっとするほど冷酷に。

 

「何だ、―――――貴族か」

 

 ―――その日、リヴァルの日常に足を踏み入れてきた。

 

 

 

 着なれた黒い学生服のボタンをきっちりと一番上まで留め直し、リヴァルは改めて目の前の扉に手を掛けた。

 カチャ、と軽い音と共に重苦しい見た目の割に、軽快にドアが開き、隙間から流れてきた冷え切った空気が訪れたリヴァルを冷たく歓迎する。

 中には誰もいない。蛍光灯の明かりが消えた室内は灰色で、人気を帯びていない空気は静かで、痛い。

「………分かっちゃいるんだけどさ………」

 習慣から、ドア横のスイッチに伸びた手を途中で降ろし、リヴァルは自嘲気味に笑う。

 そもそも、今現在、この場所に用がある人間はいない。当人達の事情を抜きに、リヴァルも含めて。

 ミレイを筆頭とした生徒会の任期はもう終わっている。登校率が不安定になると同時にミレイから託され、それでも頑なに生徒会長代理として新規のメンバーを追加する事なく、無理と意地を通してきたリヴァルだったが、自身にも卒業の二文字がちらつき始めた頃、遂に重い腰を上げた。

 後一週間もすれば、新しい生徒会メンバーも決まり、ここも活気を取り戻すだろう。

 引き継ぎの準備も既に終えている。活動の全てを終えた旧生徒会メンバーがここに立ち寄る理由は、もうどこにもなかった。

 なら、何故、来たのか?

 それは。そんなのは………。

「…………………」

 胸に去来する思いを曖昧なまま、部屋の中へと歩を進める。

 一度伸ばしかけたスイッチに、もう一度手を伸ばす気にも空調を入れる気にもなれず、リヴァルは襟元を締めて灰色な室内をうろうろと歩き回ると、とある場所で足を止めた。

 そうして、手を伸ばす。一瞬、触れるのを恐れるように躊躇われた指先が捉えたのは、生徒会の活動資料として棚に収められていたアルバムだった。

「………半分、私情が混じってるし。変なものが混ざってないか確認しといた方が良いかね」

 誰ともなしに言い訳を溢し、棚から抜き出したアルバムを片手にパイプ椅子に腰を下ろす。

 主にリヴァルやシャーリーが写真係を務めた、任期中のメンバーの写真を収めたアルバム。

 だからだろうか。やはりと言うべきか、個別に撮った写真には特定人物への片寄りが見える。

 多いのは、勿論、アッシュフォード学園一の色男。

 突然振られたのか、少し困惑したように笑う写真。読書の途中で眠くなったのか、芝生に寝転がり無防備な寝顔を晒している写真。他にも後ろ姿だが、窓辺に立ち、燦々と差し込む太陽の光に溶けるように、儚げな様子で空を見上げている写真もある。

「カッコつけちゃって、まぁ………」

 トントンと指先で件の写真を叩きながら、視線を移せば、一転して、顔に髭を描かれ、猫耳を付けられて困り顔で仲間達と一緒に写っている写真が目に入り、その落差に思わず吹き出してしまう。

「………こうやって見ると、唯の学生にしか見えないよなぁ……」

 仲間達との思い出に思いを馳せながら、リヴァルはそう独り言ちる。ルルーシュだけではない。ミレイやシャーリーは元より、あまり人付き合いが得意ではないニーナも写真の中では割と表情豊かであるし、ブリタニア人に複雑な想いを抱えていたカレンも控え目だが穏やかに、学園でたった一人の名誉ブリタニア人として肩身の狭い思いをしていたスザクも、生徒会の皆といる時は年相応の顔付きで笑っている。

 これを見たら、誰だって学生だと思うだろう。

 いや、事実、学生なのだ。ニーナも、カレンも、スザクも、………ルルーシュも。

 学園に来て、授業を受けて、部活をして、友達と遊んで、時々馬鹿をやって、他愛のない話で盛り上がって。

 そうやって生きていて良い時期なのだ。そうしたって良い筈なのだ。

 なのに。

 どうして、誰も此処にいないのか。

 どうして、自分だけが此処にいるのか。

「俺は…………」

 自然と転がり出た言葉は、しかし、続く事なく静寂に消える。理性と感情と。堂々巡りを繰り返すジレンマに答えは曖昧に溶けて、リヴァルはその重みに潰されるように背中を丸めて、冷たいデスクに頬を押し付けた。

 はぁ、と重苦しく垂れ流した溜め息が、デスクを一瞬だけ曇らせる。その様を見ながら、何となく何をする気にもなれなくなったリヴァルが、そのまま、いつものようにぼんやりと時間の流れに身を任せようとした時だった。

 静寂を破って、生徒会室に備えてある電話が鳴り出した。着信音の設定からするに職員室からだろう。

 何か用でもあるんだろうか、と心の片隅で思うも、もはや生徒会役員ではない自分には関係ない事だと無視を決め込む。

 だが、鳴り出した電話はいつまで経っても止む気配を見せず、10回を超えたところでリヴァルは根負けして、とうとう受話器に手を伸ばした。

「……はい、こちら、生徒会室………、は? ラグビー部と馬術部が揉めてる? ………え、や、待って下さい。それでどうして園芸部と文芸部が出てくるん………、ちょ、水泳部が何ですって………、ああ、もう」

 説明らしい説明もなく、矢継ぎ早に現状だけを告げて、電話は切れた。

 良く分からないが、どうにも、良く分からない事が起こっているらしい。

「全く…………」

 どうしたもんかと通話の切れた受話器で面倒そうに肩を叩きながらも、ちょっとだけ耳を澄ましてみる。すると遠く、――グラウンドの方から聞き慣れた喧騒が聞こえてきた。

 野太い雄叫び。黄色い声の応酬。やけに甲高い悲鳴。妙に艶かしい男声。次いで、轟音、爆音、何故かキャタピラに似た重低音。

 あまりに無秩序な乱痴気騒ぎ。首を突っ込めば、厄介事に巻き込まれる事間違いなしだろう。

 けれど、それがどうにも懐かしくて。これこそがアッシュフォードなんだと、懐古に埋もれていた心にすとんと落ちてきて。

「………しょーがない」

 任期を終えたとはいえ、この時期に後任の生徒会が決まっていないのには自分にも責任がある。

 そう自分を納得させると、自ら鉄火場に乗り込むべく、リヴァルは生徒会室の扉に手を掛けた。

 その顔には、かつての活気が少しだけ戻っていた。

 

 

「ちょ、ちょっと待てよッ、……待てって!」

 勢い良く扉を開け放ち、叫ぶ。

 光量が抑えられた室内から、一気に外に飛び出した為か、からっからの日差しは想像以上に眩しくて、目を開けていられなくなったリヴァルは目を閉じて、腕を目元に宛がった。

 それでも呼び止める声だけは止めない。真っ暗な視界を相手がいるであろう方向へ向けて、興奮で上ずった声を張り上げた。

「何だ?」

 興味の薄い返答が間近から返ってきた。漸く明るさに目が慣れ、リヴァルがゆっくりと目を開けると呼び止めようとした人物が無関心に目の前に立っていた。

「あ、いや………」

 咄嗟に答えようとして口ごもる。無視されると思っていただけに意表を突かれたのもそうだが、興奮から冷めた頭が目の前の人物から受ける印象の落差に動揺していた。

 先程とは違う。声音には自分の視線を引き付けた時のような引力はなく、表情にも心の臓を鷲掴みにするような冷たい笑みはない。少なくとも、今、目の前に立っている人物だけを見れば、覇気のない、何処にでもいる平凡な男子学生にしか見えないだろう。

 尤も、そうであっても、美形には違いないのだが。

「どうした? 何か用があって呼び止めたんだろう?」

 再度の問い掛けを、ぎこちない表情で受け止める。

 それを勘違いしたのか、目の前の彼は少しだけ不機嫌そうに眉を寄せると大金の入ったケースを持ち上げた。

「ひょっとして分け前に不満でもあるのか? きっちり半分ずつ。一番角の立たない分け方をしたつもりだが」

「ち、違ぇって! そうじゃなくて、お礼をさ………」

 僅かに鋭さの戻った瞳に睨め付けられ、慌てて手を振って否定する。

「その……、助けてくれてありがとな。正直、もう駄目かと思ってたから、すげぇ助かった。……その制服、アッシュフォード学園のだよな? 実は、俺も―――」

「知っている。リヴァル・カルデモンド、……だろ?」

「え? って、どうして、俺の名前……」

「学園に在籍している生徒の名前とプロフィールは全て把握している。本国からの入学生もいる以上、何処に落とし穴があるか分からないからな」

 驚くリヴァルに構わず、良く分からない発言をすると、彼は用は済んだとばかりに踵を返す。

「礼なら必要ない。別にお前を助けようと思って助けた訳じゃないからな。ただ、偉そうな貴族に一泡吹かせる良い機会だと思っただけだ。大した事はしていない」

「大した事って……、何言ってんだよッ、凄かったじゃねぇかッ!」

 思い出した瞬間、興奮がぶり返し、リヴァルは鼻息荒く訴える。

 難敵を相手にほぼ詰んでいたゲームを逆転した事。それを大して持ち時間も使わず、ほぼノータイムで成し遂げた事。

 何よりリヴァルを驚かせたのは、ゲームを始めたその前後。

 半ば勢いに圧される形で席を代わった後、この男は自分に紙とペンを用意するよう言ったのだ。

 その時は、そうする意味も何を書いたのかも分からず、ただ怪訝な顔をするだけだった。

 分かったのは、勝負が付いた後。あり得ない展開に皆が呆然とする中、彼がリヴァルに預けていた紙の内容を読むように言った時である。

「な、なぁ、一体どうやったんだよ? さっきの始まる前にゲームの棋譜を書くやつ。まさか、本当に全部予測したのか?」

 そう。そこに書いてあったのは一手も違う事ない、直後に彼と貴族が打ったゲームの棋譜。それを、彼はゲームが始まる前に、それも走り書きでもするように、さらりと書いてのけたのだ。

 一体、どうやって。どうすれば、そんな手品みたいな事が出来るのか。

 普通ならお目にかかれない芸当を目の当たりにして、リヴァルは抑えられない興奮のままに勢い良く相手に詰め寄った。

「さっきも言っただろう。あの貴族は手慣れているだけで素直過ぎる。真剣勝負での敗北を知らない……、温室栽培な貴族にありがちな接待ゲームで甘やかされた(慣らした)奴の打ち方だ。だから、読めた。そして、書いた。それだけだ」

「それだけって……、いや、お前さ、もうちょっと………」

 あまりにどうでも良さそうな言い方に、今度はリヴァルの眉が寄る。

 謙遜も謙虚も過ぎれば嫌味だ。当人とはいえ、手放しで凄いと思っただけに、それを馬鹿にされたような気分になったリヴァルは、少しだけ不愉快そうに背中を向けた彼の肩を掴み―――。

 横顔から覗く、その瞳を見てしまった。

 

「……じゃあな。折り合いの悪い父親はともかく、母親をあまり心配させるなよ」

 掌から細い肩の感触が抜け、背中が遠ざかっていく。

 その光景を視界に収めながら、しかし、リヴァルは追いかける事なく、今しがた見た彼の瞳を思い出していた。

「……………は」

 バイトとはいえ客商売に携わっていれば、相手の心の内くらい自ずと読めるようになってくる。

 称賛を浴びたいのか。優越感に浸りたいのか。見下したいのか。態度こそ紳士的であれ、表情、――特に目はこういう時、口以上に物を語る。

 だから、分かった。彼の言葉に嘘がない事が。

 あれだけの事をやってのけて、貴族を歯牙にも掛けず一蹴して、尚、彼の目に色はなかった。

 ただ、つまらないと。退屈に渇れ果てた瞳は、そうとだけ物語っていた。

 まるで、自分のように。

 なのに。

「は、はは………、ははははは……ッ」

 それが堪らなかった。

 喜びと愉快と。ドキドキとワクワクがごちゃ混ぜになって身体を駆け巡り、リヴァルは腹を抱えて笑い出す。

 理屈ではなかった。本能でもない。敢えて言うなら、若者の、――スリルを求める男の性がシンプルに答えを弾き出した。

 

 ―――ヤバい(スゲェ)奴!

 

「………おい! 待てよ、おい!」

 笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を払い、リヴァルは遠ざかる背中に向かって、もう一度、駆け出す。

 予感があった。アイツはきっととんでもない事をしでかすと。

 もっとずっと刺激的で。今までに味わった事のないスリルに満ちた事を。

「~~~~~~~ッ」

 見てみたい。味わってみたい。

 アイツの側に居れば、それが叶う。平凡だけが取り柄な毎日がとんでもなく面白くなるに違いない。

「おーい! だから待てって!」

 そんな感情と衝動のままに、リヴァルは声を張り上げる。

 これから買う事に決めた、バイクのサイドカーに乗せるつもりのソイツの名前を聞くべく。

 アスファルトが生む陽炎の彼方にいる、遠い背中に向かって……。

 

 

「ほい、それじゃ、解散! ちゃんと仲良くやれよー」

 手に持った拡声器越しにそう声を張り上げると、先程まで争っていた学生達がやいのやいのと散っていく。

 争っていた理由は……、果たして何だったか。

 思い出すのも疲れるから記憶を掘り返す気にもなれないし、思い出したところで大した理由でもないだろう。

 下らない理由でおっ始め、そして、お祭り騒ぎにしていくのは此処では日常茶飯事で、――敬愛する前生徒会長が作り出した光景だった。

「…………さて、と」

 少しだけ感慨深く。騒がしい光景に肩を竦めると、リヴァルは教師達に事の顛末を報告するべく、その場を後にする。

「と、その前に、問題ないか見回っておいた方が良いか」

 基本、育ちの良い連中の集まりであるから、備品や校舎を傷付けたりと度を越えて暴れてたりはしていないだろうが、万が一もある。軽く確認はしておいた方が良いだろう。

「とりあえず、手分けしてって………、ああ、そうか」

 携帯を取り出し、元生徒会仲間であり同級生であるシャーリーに手伝いを頼もうとして、今日、彼女が学園に来ていない事を思い出した。

 詳しくは知らないが、シャーリーはシャーリーで何やら色々と立て込んでいるらしい。時間があれば、顔を出すと言っていたが来ているだろうか。

「………ま、丁度、暇してましたし」

 僅かな俊巡の末、ポケットに携帯を押し込む。一人で方々を巡るのは面倒に違いないが、どうせ何もなければあの生徒会室で時間が過ぎ去るのを待っていただけの身だ。動き回っている分、まだ建設的な時間の使い方だろう。

 それに、何となく、今は学園内を歩き回りたい気分だった。

「これがモラトリアムって奴なんですかねぇ……」

 愛しの女性が折に触れては口にしていた言葉を冗談ぽく口にする。当時は性別の違いからか、いま一つ理解に苦しむ話ではあったが、今なら彼女の気持ちが良く分かる。

 特別なのだ。やはり、青春という時間は。

 大人でもなく、子供でもなく。

 大人ほど不自由(自由)ではないが、子供ほど自由(不自由)でもなくて。

 きっと人生で一番馬鹿でいられる時間。人生で一番可能性に溢れている時間なのだ。

 だから、眩しい。懐かしく、惜しみ、振り返らずにはいられない。キラキラと輝く宝石のように、その輝きを眺めずにはいられない。

 それが、きっと青春というものなのだろう。

「アイツにとっては……、どうだったんだかな」

 失いたくなかった、と、あの夜、彼は自分に言った。

 彼の素性や生い立ちを考えれば、真っ当に青春時代を送れるとも送ろうとも思っていなかっただろう。

 それでも、彼は自分にそう言ったのだ。

 なら、少しは意味はあったという事なのだろう。彼の隣で何も知らず、ただヘラヘラと笑っていただけの自分の青春にも。

「……だったら、まぁ、………良いかな」

 へらり、とリヴァルの顔に笑みが浮かぶ。諦めと悲しみと、少しだけ喜びがない混ぜになったような笑みを浮かべたまま、リヴァルは騒ぎの遭った場所の一つをチェックし終えると、よし、と小さく呟いた。

「特に問題なし、……と、急がないとヤバいかね」

 時間を確認すれば、もう部活動も終わろうとする時間だ。ここの教員は生徒に負けず劣らず自由気ままなところがあるから、とっとと終わらせて報告に行かないと余計な問題を押し付けられかねない。

 それだけは勘弁、とばかりに足早にその場を後にする。次の場所に向かう中、ちらりと周囲を見れば、部活動を終えた生徒の姿がちらほらと目に入った。

「ね? あれ、そうだよね? さっきの」

「あ、やっぱり? ちらっと見えただけだけど間違いないよね」

 それと同時、周囲に視線を巡らせていたリヴァルの耳に、賑やかな声が入ってきた。

 視線を戻せば、長い渡り廊下の向こう、同じく部活動を終えたらしい女子生徒が二人、並んで話しているのが視界に入った。

 余程、話に華が咲いたのだろう。話に夢中な女子生徒達は向かいからやってくるリヴァルに気付く様子もなく、どんどんと近付いてきていた。

 苦笑して、行く先を譲る。進行方向を僅かにずらし、女子生徒達の横をすれ違う、――時だった。

「だよね、だよね? チラッとしか見えなかったけど、アレ、絶対―――」

 

 

「ルルーシュ君だったよね?」

 

 

 

 

 長い廊下を駆け回る。

 時に左に、時に右に。自分でも何処を走ってるのか、分からなくなるくらいにひたすらに、がむしゃらに。

 駆け抜ける耳に声援が届く。何処で聞いたのやら、視界の隅には野次馬根性の生徒が男女問わず、自分の事を応援する姿があった。

 それに交ざって、野太い声。

 自分の名前を口にしながら、背後より迫る体育教官は、そのイメージの通り、趣味としている筋トレで鍛えた筋肉を全力で躍動させ、さながら猪の如くリヴァルに向かって駆けて来ていた。

「……ッくしょーッ、何で俺の方に来ちゃいますかな………ッ!」

 文句を吐きながらも、内心、自分で良かったと安堵する。

 もし、体力に自信のない悪友の方に向かわれていたから、彼に逃れる術はなかったであろう。

 尤も、悪知恵の働く相棒の事だ。こうなるよう状況を仕組んだ可能性は大いにあるが。

「どりゃ、しょ………ッ」

 階段を勢い良く駆け降りる。途中、半分を過ぎたところでちまちまと降りる手間を省く為にジャンプ。無事に踊り場に着地したリヴァルは着地の衝撃に痺れる両足を休める事なく、すぐに駆け出そうとして―――。

「どわぁッ!」

 すぐ目の前、階上から踊り場に一息に飛び降りてきた体育教官の存在に驚き、尻餅を付いてしまった。

「ここまでだな。全く、手間取らせてくれおって……」

 着地のダメージもものともしない。

 片膝を突いた体勢から、体育教官は平然と立ち上がると、じりじりと尻餅を付いたまま後ろに下がり続けるリヴァルに、教師とは思えない程にドスの利いた声を降らせ、何故か両の指を鳴らし始めた。

「ちょ、ちょちょ……ッ、体罰は流石になしというか、時代遅れではないでしょうか………!?」

 その体格と相まって、威圧的に過ぎる姿から最悪の可能性を想像して、リヴァルは片手を突き出して弱々しく反論するが、返ってきたのは歯を剥き出しにして笑う、更に恐怖を煽る教官の姿だった。

「体罰……? 馬鹿を言え。誉れあるアッシュフォード学園の教師が、そんな前時代的な真似をするか」

 その言葉に安堵するのも束の間、続く言葉にリヴァルは震え上がる。

「エリア11では健全な精神は健全な肉体に宿ると言われているらしいからな。それが本当かどうか、お前とランペルージには、これから俺が考案した生徒矯正用特別筋トレメニュー地獄版を受けて貰おう」

「響きが物騒なんですけど!?」

 踊り場の壁際まで追い詰められ、どう聞いても体裁を整えただけの体罰っぽいメニューの名称に情けない声を上げるリヴァルとは対称的に、体育教官は先程までとは打って変わって、やたらと爽快感のある笑顔を浮かべると高笑いを始めた。

「ハッハッハッ! 何、心配するな、死にはせん。それに筋トレは良いぞ! お前達もきっとハマる。そうすれば、学校を抜け出して遊びに行こうなどという馬鹿な考えも―――」

「先生の趣味を否定するつもりはありませんが、それは遠慮しておきますよ」

「ッ、ランペ……ッ」

 聞こえるや否や、踊り場がピンク色のスモークに包まれた。つい先日にも行われた、首謀者ミレイ・アッシュフォードによるゲリラお祭り騒ぎ。それに使用されて余り、生徒会が保管を任された発煙筒が獲物を追い詰めていた体育教官の視界を見事に奪う。

「チャ~ンス……ッ」

「ま、待て! カルデモンド!」

 それを好機と見たリヴァルが四つん這いになりながら、教官の横をすり抜ける。気配に気付き、体育教官が声を荒げながらリヴァルを捕まえようとするが、彼が踊り場を脱出する方が早かった。

「すぐに戻ってきますから。勘弁してくれな、先生」

 捨て台詞をスモークに煙る踊り場に投げ入れ、ようやく一階に到着したリヴァルは近くの窓に足を掛け、行儀悪く外に飛び出す。すると、待っていたと言わんばかりのタイミングでヘルメットが飛んできた。

 反射的に受け取り、改めて前を向けば、そこには予め用意していた彼が愛用するサイドカー付きバイクと、一足先に定位置に辿り着いて、素知らぬ顔で乗り込んでいる悪友の姿があった。

「へへ……ッ、サンキュー」

「急げよ。最近、シャーリーがうるさいからな。午後の授業までには戻れるようにしたい」

「わーってますって」

 返事を返しながら、受け取ったヘルメットを被り、バイクに跨がる。背後から、再び体育教官の怒鳴り声が響いてくるが、もう遅い。

「んじゃま、きちんと帰って来れるように……、たまには出してみますかッ、本気ってヤツを!」

 にかり、と笑いながら、リヴァルは思いっきりアクセルを回す。

 急発進するバイクは追ってきた体育教官を砂煙に巻き込むと勢い良く校舎の外に向かって、飛び出した。

 

「いやー、しかし、流石はルルーシュ君! 今回も見事なお手並みでしたなぁ!」

 そして、その帰り道。

 大型トラックや都市間バスも行き交う環状線を、リヴァルは行きよりものんびりとした速度でバイクを走らせつつ、サイドカーにて暇つぶしに本を読んでいたルルーシュに軽口を叩いた。

「相手がショボかったとはいえ瞬殺も瞬殺。クリアタイムの記録、更新したんじゃないの?」

「してないさ。51秒遅い。今回の記録は順番で言うなら三番目だ」

 尤も相手がもう少し賢ければ、無駄に足掻かずに後三手は早く投了していただろうから記録を更新出来ていたかもしれないとルルーシュは続ける。

「へぇ~……、まぁ、俺は楽しかったし、おかげで安全運転で学校に戻れるから良いけど、さ」

 そう言って、バイクを走らせていたリヴァルは一瞬だけ視線を外すと、ちらりとルルーシュの様子を窺う。

 その様子は相変わらず。さして興味も無さそうな表情で風圧にぺらぺらと煽られる本を指先で器用に押さえつつ、ぺらりぺらりと一定のリズムを刻みながらページを捲っている。 

「あー……、そういやさ」

 視線を前に戻す。聞いているのかいないのか分からない友人の気配を探りながら、リヴァルは若干、口ごもりながらも何気ない風を装おって話題を切り出した。

「知ってるか、カレン・シュタットフェルトって? 何か身体が弱いらしくて、入学してから全然学校に来ていない女子生徒がいるんだけどさ」

「ああ」

「その子が、この間、少しだけ学校に来ててさ。俺も見に行ったんだけど、すげ~美少女でさ! 派手な紅い髪とは裏腹な儚げな感じが堪らないっていうか。あ、勿論、俺は会長一筋だけど、あのギャップにやられた男連中が今度のミス・アッシュフォードの最有力候補だって、すげぇ騒いで―――」

「へぇ」

 興味なし。ワンストライク。年頃の男の子であれば、一も二もなく食い付くであろう極上の餌を見事にスルーされたリヴァルは、内心で呻きながらもめげずに次の話題を切り出した。

「美少女と言えば、シャーリーもだよな。噂だけどさ、最近、同じ水泳部員の先輩に告られたって話だぜ? そこら辺、どう思います? ルルーシュ君的に」

「どう思いますも何も、確かに魅力的ではあるからな、シャーリーは。告白の一つくらい、されても可笑しくないだろ」

「いや、まぁ、そうだけど、そうじゃなくてさ………」

 呟かれた声は、風を切る音に紛れて弱々しく消える。

 ツーストライク。ついでに、異性の友人の恋愛模様も、この様子ではあまり芳しくなさそうである。

「あ、じゃ、じゃあ、……そうだ! 今度さ、あるんだよ、大会!」

 あまりの手応えの無さにたじろぎつつ、頭を回す。必死に記憶とネタを漁り、とっておきの情報を思い出したリヴァルは起死回生の思いでその話題を口にした。

「オオサカで、デカいチェスの大会が! 高校生でも参加可で優勝すれば賞金とさ、プロも参加する本国の大会への参加枠が―――」

「悪いが興味ないな。金を稼ぐだけなら、賭けチェスの方が効率が良い」

 確かにリスクを度外視すれば、数回勝利して漸く賞金を得られる大会より、一回の勝利で金銭感覚の緩い貴族から金を巻き上げられる賭けチェスの方が遥かに稼ぎは良いだろう。

「それに、見世物になるのもゴメンだ。そういうのは、もっと健全かつ純粋にチェスをしている奴等でやっていれば良いさ」

「……………………そっすか」

 スリーストライク。空振り三振。

 掠りもしない興味のなさに、相づちを返す声にも落胆が混じる。

 正直なところ、予想はしていた。理由は分からないが、この友人がどこか有名になる事を忌避している節がある事にはリヴァルも気付いていたからだ。だが、それでもあるいはチェスの大会ならばと思ったのだが。

「はぁ………………」

 結果は敢えなく撃沈。

 探り探りでとはいえ、ここまで手応えがないと流石に落ち込む。

 信号でバイクを停めたリヴァルは、落胆を溜息に変えて吐き出すと、ハンドル部分にくたりと突っ伏した。

「どうかしたのか?」

「いんや~、別に………」

 自分に原因があるとは露知らず。訝しげに声を掛けてきたルルーシュに適当に手を振って答える。

 すると、そうか、とだけルルーシュは返すと再び本に視線を落とした。

 色の無い、退屈に彩られた瞳を。

「………………」

 その様子をこっそりと盗み見ていたリヴァルは、思わず目を逸らした。

 出会った時と同じ瞳。出会った時と同じ虚無感。

 それが、今のリヴァルには耐え難かった。

「なぁ~、お前さぁ………」

 だからだろう。つい、聞いてしまったのは。

「何だ?」

「やりたい事ってないの?」

 特に答えを期待していた訳ではない。このひねくれ者の友人が素直に答えてくれる程簡単な性格をしてるなら、リヴァルは今こんなにも悩んでいたりはしない。

 ルルーシュと出会った事で、リヴァルの日常は変わった。

 型に嵌まった平凡と、ちょっとしたスリルだけだった毎日が一気に面白くなった。

 一緒に馬鹿をやってくれるのが楽しくて。目の前で繰り広げられる逆転劇が爽快で。鼻持ちならない貴族の鼻が明かされるのが痛快で。生徒会で振り回されるのが可笑しくて。何より気の置けない友人というのが最高で。

 これこそが青春。これぞ若者と言える程、ルルーシュと出会ってからのリヴァルは愉快で刺激的で充実した日々を送る事が出来ていた。

 だが、ルルーシュは?

 自分と出会った事で、ルルーシュの日常に、青春に変化は訪れたのだろうか?

 確かに、リヴァルがルルーシュと絡むようになったのは、彼がヤバくて面白そうな奴だと思ったからだ。

 一緒に居れば、もっと刺激的で、ずっととんでもない事を体験出来ると思ったからだ。

 だが、一緒に居れば関係性も変わる。関係性が変われば、相手に抱く感情も変わるようになる。

 少なくとも、自分一人だけが楽しければ良いと、そんな風に思えなくなるくらいには二人の間柄は変化していた。

 だって、そうだろう? 相手がどう思っているかは知らないがリヴァルにとってルルーシュは、ちゃんと―――。

「やりたい事、か………」

 微かに届いた呟きに、悶々としていたリヴァルの思考と耳が傾く。

 とはいえ、答えを期待しての事ではない。所謂、条件反射のようなものだ。

 先程も言った通り、素直に答えてくれるなら苦労はない。そもそもからして、自分の事は妙に語りたがらない相手だ。どうせ、適当にはぐらかされるだろうとリヴァルは耳を傾けながらも、そう考えていた。

 

 だから、一瞬、耳を疑った。

 

「―――――え?」

「信号、変わったぞ」

「うわッ、た、と………ッ」

 指摘され、慌ててアクセルを回す。急発進にエンジンが唸りを上げ、驚きから加速し過ぎた車体が二人の身体を前後に大きく揺さぶった。

「おい、リヴァル…………」

「わ、わりぃ、それより、今、なんて………?」

 ジト目で睨んでくるルルーシュに謝りつつ聞き返す。話を流されたくないからか、謝罪もそこそこに真剣な声音で問い掛けてくるリヴァルに、ルルーシュは文句を引っ込めて嘆息すると視線だけは本に戻しながら口を開いた。

「ある、と言ったんだ」

 返る答えは端的に。

 先程までと同じ、淡々としていて態度も素っ気ない。

 敢えて違いを上げるなら、一瞬だけ空虚な瞳に昏い光が宿った事だろう。

 だが、それに気付かないリヴァルは、ルルーシュが率直ながらもはっきりと言い切った事に驚き、絶句していた。

「―――――――」

 正直に言って。

 そんなものはないのだと思っていた。なにも、とそう答えるだろうと思っていた。

 だって、今日に限らず、隙あらば色んな話題を振ってそれでもずっと空振りだったのだ。リヴァルからしてみれば、――いや、リヴァルに限らずルルーシュを知る者なら大なり小なり驚いた事だろう。

 そう思うくらい、ルルーシュはあらゆる事に無関心で、無興味だった。

 必死になるのは妹の事くらいで、何でも出来るのに何もかも適当で、そのくせ、退屈だけは持て余して。

 ――ひょっとして、やりたい事なんて何もないんじゃないか。

 大人びているとかじゃなくて、夢とか希望とか、人並みに抱く想いを始めから持ち合わせていないのではないかと、そんな馬鹿げた不安を抱くくらいリヴァルから見たルルーシュは乾いていた。

 だから、そんなルルーシュの口から素直にやりたい事があるという言葉が飛び出した事は、リヴァルにとってあまりに予想外で――

「―――はは」

 あまりに嬉しい事だった。

「はは、はははは! そっか、あるのか、……そっかぁ…………!」

 運転中にも関わらず、笑いが止まらない。何が可笑しいのか、堰が切れたように笑い続けるリヴァルに最初は怪訝な表情をしていたルルーシュだったが、やがて苛立ちが勝ったのか、ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らすと無視を決め込むように読書に戻ってしまう。

「悪い悪い、いや、別に馬鹿にしてるとか、そんなんじゃなくてですね」

「もう、言わん」

「だから、悪りぃって! でも、そっかぁ……」

 はぁ、と思わず息が溢れた。まだ僅かに笑みを孕んだ息は熱く、改めてルルーシュの言葉を噛み締めるように一瞬だけ遠い空に視線を送ったリヴァルは、うん、といつもと変わらない調子で。

 

「なら、付き合ってあげますよ、それ」

 

 何気なく、自分の気持ちを口にした。

 

 驚きからルルーシュの顔が持ち上がった。

 よっぽど意外だったのか、何の含みもない、まっさらな視線がゴーグル越しに運転するリヴァルの横顔を捉える。

 リヴァルは何も言わない。何やら満足気な顔で、ちらりとも視線を向ける事なくバイクを運転している。

 その横顔をルルーシュはじっと見つめる。何かを探るでもなく窺うでもなく、ただじっと見つめて――、盛大に息を吐き出した。 

「………まぁ、気持ちだけ貰っておく」

「何だよ。気持ち以外もちゃんと貰えよ」

 分かりやすいくらいに呆れたと言わんばかりの溜息を吐いて、折角の良い話を打ち切ろうとするルルーシュにリヴァルが口を尖らせて反論する。

「遠慮する。そもそも良く知りもしないで付き合う馬鹿がいるか」

「いるんだから、しゃーなしでしょ。というか、付き合うに決まってるじゃん? だってさ………」

 付き合う理由なら沢山ある。スリルだとか退屈だとか言葉にすれば陳腐に色々と。

 けど、結局はシンプルだ。大層な理由がなくても、何をやるのか知らなくても、たった一つ、けれど十分過ぎる理由がリヴァルにはある。

 だって………

 

「友達でしょ? 俺達」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友達だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友達なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今、自分はこんなにも必死に走っているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぜぇ、ぜぇ、と息も絶え絶えになりながら、茜色に染まる廊下をリヴァルは必死になって走る。

 元より部活動の揉め事に駆け出され、方々を走り回ったリヴァルの身体は既に限界で、途中、何度も足を取られては転び、強かに打ち付けた身体はどこもかしこもじくじくと痛い。

 けれど、止まらない。転ぶ度に立ち上がり、真っ赤に染まる廊下を自分の影を追うかのようにがむしゃらに走り続ける。

 生徒会室にはいなかった。クラブハウスにも気配はなかった。なら、後は………。

「畜生………」

 知らず、吐き出す息と共に言葉が漏れた。

 誰に対してなのか。何に対してなのか。無意識に零れ落ちた故に、リヴァルにもそれは分からない。

「畜生……、畜生、畜生、畜生………ッ」

 いいや、そんなのは嘘だ。何を言いたいのか、何を叫びたいのか、それが分からないなら、こうして転がり走り回ってたりはしない。

 だって、答えは最初からあったのだ。きっと百回問われても、百回その答えを答えるだろう。そんなたった一つでシンプルな答えが。

 なのに―――。

「畜生……………ッ!」

 吐き出す唇に力が入る。

 息も絶え絶えだと言うのに、前歯が自らの呼吸を止めるように唇を噛む。

 どうして、なのだろう。

 あれ程スリルを求めていたのに。あれ程日常なんて退屈だと笑っていたのに。

 どうして、肝心な時に馬鹿でいられないのか。

 どうして、いざという時に賢しくあろうとするのか。

 そんな自分が嫌だった。

 いざ、この時になって、馬鹿な子供でいられない自分の小賢しさが、堪らなく嫌いだった。

 

 ――だけど、それが正しいのでは?

 

「うるせぇ………」

 

 ――友情の為なんて綺麗事の為に、人生を棒に振るのか?

 

「うるせぇ………ッ」

 

 ――テロリストになるかもしれないのに?

 

「ッ、うるせぇ………ッ!」

 

 ――人殺しになるかもしれないのに?

 

「うる、せぇッ! うるせぇっつってんだろッ!!」

 

 ――ただの学生でしかないのに?

 

「うるせぇッ! うるせぇうるせぇうるせぇ……、ッ、うるさいんだよッ!!」

 

 

 ―――――現実を見ろよ。

 

 

「うるさいッ!!!」

 張っていた虚勢が剥がれ落ちる。癇癪はここが限界だった。

 疲労にも耐えていた両足の動きが鈍り、遂には止まってしまう。

 視界が溺れるように歪んだ。食い縛った唇が震え、行き場を失くした憤りが拳となって、掌に爪を食い込ませる。

「………………畜生」

 結局、こうなのだ。 

 結局、自分は止まってしまうのだ。

 現実なんて分かってる。何が正しいかも、あれもこれも何もかも分かっている。最初から全部分かっている。

 だから、自分はこんな所にいるのだ。

 分かっている。分かっている。分かっている分かっている分かっているんだ。

 

 

 

 ―――だけど。それでも。

 

 

 

「友達なんだ。友達なんだよぅ………」

 

 

 

 

 

 

 

「――――リヴァル?」

 迫る夕闇に溶けるかのように、俯き項垂れるリヴァル。

 そんなリヴァルの背中に問いかける声があった。

 のそりと振り返った先、そこにいた一人の少女。夕日の茜に負けず劣らず、鮮やかな燈の髪色をしたリヴァルと同じ唯の学生。

「シャーリー…………?」

「………大丈夫?」

「ッ、あ、いや、ちょっと走り回り過ぎちゃってさ。目に汗が…………」

 そこで今の自分の状態を自覚したリヴァルは誤魔化すように、慌てて瞳から流れ落ちているものを制服の袖でゴシゴシと拭う。

「っていうか、どうしたんだよ、シャーリー。今日は来れないって言ってなかったっけ?」

「うん。そうだったんだけど、ちょっと早めに先生方に相談しておきたい事があって。そしたら…………」

 そこで途切れた言葉と共に、シャーリーの視線がリヴァルからリヴァルの背後、――その先に続く廊下へと向けられた。

 その視線を追って、リヴァルも廊下の先へと視線を向ける。自分が向かおうとして、――止まってしまった廊下の先へと。

「…………行かないのか?」

 ぽつり、と一言問い掛ける。脈絡のない問いではあるが、自分が此処にいて、シャーリーも此処にいるなら何が聞きたいかは決まっている。

「……うん。つい、ふらふらと来ちゃったけど………、行かないよ。………行けない」

「………そっか。…………そうだよなぁ」

 ああ、と自分勝手な嘆きが聞こえた。同時に、ほっ、と胸を撫で下ろす音も。

 それは余りに聞きたくない答えで、……余りに聞きたい答えだった。

 だって、シャーリーだ。この学園で恐らく、誰よりも真剣にアイツの事を想ってきた少女だ。

 その彼女ですら足を止めたのだ。なら、諦めもつく。所詮は住む世界が違ったのだと、暗く卑屈な正論で自分を諦めさせられる。

 そんな風に自分を誤魔化そうとしたリヴァルが、へらへらと笑みを浮かべて、シャーリーに向き直ろうとした時だった。

「だって、今、会うと折角固めた決心が鈍っちゃうかもしれないし」

「え?」

 朗らかに告げられた言葉に、反射的に首が動いた。

 聞きようによっては、悪い方向に決心を固めたとも取れるかもしれない。

 けど、そういう意味ではない事は、振り返った先のシャーリーの強気な瞳と笑みを見れば、一目瞭然だった。

「シャーリー………?」

「リヴァル、あのね、私、決めた事があるの」

 そう言って、自分の決意を明かすシャーリー。

 同じく、唯の学生の、同級生の、仲間の、恋する少女の秘めたる想いと決意。

 それが、近い将来、リヴァルの選択にどのような影響を与えるのか。

 

 今はまだ、当人を含め、誰にも分かっていなかった。




 ※リヴァルとルルーシュの出会いはドラマCDを参考に少々アレンジしております。

 長らく放置してすみません。上手く書けずに筆が止まりかけていたところ、ご時世も重なり完全に筆が折れておりました。せめて生存報告くらいはとも思っていたんですが、いつ戻ってこれるか分からないのに変に期待させてもと思うと尻込みしてしまい……、いや、本当に申し訳なかったです。
 相も変わらずの遅筆、亀更新となりますが、またぼちぼち書いていきますので、良ければ付き合って下されば幸いです。


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PLAY:32

 時間が経つのが早すぎる……(震え)

 お待たせしました。漸くあの人の舞台入りです。


 弱肉強食にて権謀術数蠢くブリタニアの貴族の中で、長く伯爵位を預かる者として、その身を置いてきた彼ではあるが、驚くべきことに真に膝を折ったのはその長い人生の中でたったの二度であった。

 一度は、勿論、この国の王。ブリタニア皇帝シャルル。

 大樹の如き風格。雷鳴を思わせる鋭き威。数多いた兄弟達の血でその身を洗い、幾多の殺意と狂気の中で己を叩き上げ、この国の頂へと辿り着いた者の存在感はそれだけで畏怖を覚えるには十分で、初の謁見時、一瞥の末、気付けば膝を折り、頭を垂れていた事実は彼の貴族としての矜持と強者としての驕りを砕いた出来事として、今も記憶に深く刻まれている。

 二度目は、その王の妃。有象無象の草花より生まれし黒薔薇。アリエスの主マリアンヌ。

 その甘美なる蜜と毒に溶かされた者は、自分一人だけではあるまい。

 冷徹と無邪気の同居。殺意のない殺意。笑顔で花を手折るように、戦場では優雅に、社交では典雅に、仇なす全てを縊る姿は恐ろしくも美しく。

 初めて膝を折った日、己の頭上より降り注いだあの冷たいナイフで頬を優しく撫でられるような感覚は、これから先何があろうと決して忘れる事はないだろう。

 形は違えど、共に絶対性を備えた王器。比喩でも過言でもなく、世界を治めるに足る王とその隣に立てる王妃は人の上に立つ者としては完成されており、だからこそ、彼も己が戴く王としてこれ以上はないとそう思っていた。

 

 

 ―――あの日までは。

 

 

 果たして、あの日、彼は何を拾ったのだろうか?

 異国に棄てられた哀れな皇子か。覇王の種か。

 たった一人の妹以外の家族を喪った孤児(みなしご)か。毒蛇の申し子か。

 あの日、血に染まった大地に沈む、血のように赤い夕日の中で邂逅した幼き灯火に彼は()()

 信ずる何かがあった訳ではない。確信も確証も、抱くには目の前の火は余りに小さく弱い。

 だが、もし、己の見たものが正しいならば。もし、己の本能に強く訴えかけてきたものが正しいならば。

 

 

 彼は、きっと――――。

 

 

 

 ――早まったかもしれん。

 

 目の前で繰り広げられる光景を目の当たりにして、卜部は片手が腹部に伸びるのを抑えられなかった。

 さすりさすりと軍人特有の無骨な掌で腹を撫でつつ、来て早々後悔の二文字が過り始めた瞳を斜め上に持ち上げる。

 そこにあったのは巨大な艦。ドックの薄暗い照明に鳥を思わせる威容を浮かび上がらせ、羽ばたく時を今か今かと待つ漆黒の戦艦は、これから先の彼の住居でもある。

 そして。

「まぁ! これがゼロ様と私の新居ですか!」

 隣にて目をキラキラと輝かせる日本の王の居城でもあった。

「そ。全長250m、最大航続距離約1万5千キロ。武装を縮小する代わりに輻射波動障壁の全面展開と絶対守護領域の局所展開による高出力多重防御を可能にした、生存性と航続性に特化した超長距離航行型空中浮遊艦、旗艦名『スレイプニィル』。文字通り世界を股に掛けられる、ゼロの新しい空飛ぶお城さ」

「素敵です!」

 パンッ、と両手を打ち鳴らし、喜びを露にする神楽耶に、得意気に語っていたラクシャータの笑みが更に深まる。

「勿論、内装もバッチリよぉ。なんてったって、これからはこのスレイプニィルが私達の活動拠点になる訳だからねぇ。食堂にぃ、大浴場ぉ。パーティーホールに庭園もあるしぃ、娯楽施設なんてカジノ顔負けよぉ。プリン伯爵が乗っていた無粋な艦とは、全~然違うんだからぁ」

「素晴らしいです、とても! 艦での暮らしと聞いて少々心配していたのですが、これなら私とゼロ様の新婚生活も断然潤うというもの!」

 話が噛み合ってねぇ。

 横から耳に入ってくるお転婆な会話を聞き流しながら、キリキリと痛みを主張してくる腹部を必死に宥める。黒の騎士団に合流する前、日本解放戦線の一員として不利な戦場を何度も潜り抜けてきた経験のある卜部ではあるが、ここまで胃が死にそうになる戦場はあっただろうか。

「お~いおいおい。卜部さんよぉ、な~にしかめっ面してんだよ。どっか悪いのかぁ?」

 そんな悩める卜部に掛かる声が一つ。ガシッ、と肩に腕が回され、同時にたっぷりとした酒気が辺りに漂い出す。

「いや、ちょっと胃の調子がな……」

「おいおい、大丈夫かぁ? これから天下のゼロの軍隊としてやってくってのによぉ」

 そう宣うのは、『元』黒の騎士団一のお調子者。

 ゼロが黒の騎士団との決別を表明した日。いの一番にゼロに噛みついていたにも拘わらず、次の日には何事もなかったかのように飄々とゼロに付いていく事を宣言した男、――玉城はひっくり返すように酒瓶を呷ると、げふ、と盛大に酒臭い息を吐き出した。

「ま、気持ちは分かるぜ。俺も散々悩んだからよ。けど、やっぱ、親友として放っとけないっつーか? アイツにはこの俺様が必要だと思って断腸の思いで―――」

 うそをつけ。

 聞いていると胃の痛みが増してきそうだったので、そこから先をシャットアウトする。

 気付けば、口から溜息を吐き出している自分に更に溜息を重ね、戦ってもいないのに疲労に顔を彩られた卜部は、どうしてこうなったと天を仰いだ。

 

 

 そんな若干の場違い感を醸し出している卜部ではあるが、そもそも何故黒の騎士団に属する彼が此処にいるのか。

 その理由を一言で説明するなら、所謂パイプ役である。

 ゼロと袂を別ってから暫く。一時は絶対的なカリスマの喪失に混乱を極めた黒の騎士団だったが、円満に別れた事が功を奏したのか、混乱は長引く事なく穏やかに収束に向かっていた。

 そもそも、既に役割を終えている組織なのだ。当初こそ、突然降って湧いた空白の未来に動揺していた団員達だったが、時間が経つにつれ落ち着きを取り戻すと一人、また一人と黒の騎士団を去っていった。

 おそらく、最終的には首都方面の治安維持を目的とした自警団のような立ち位置に収まるだろう。

 余計な混乱を生まぬよう解散すべきという声もあったが、誰も彼もが未来を描ける訳でもない。八年の間に奪われたものを取り戻せない者、ろくな教養も得られず生きてきた者。そういった者達の受け皿は必要だというのが扇の判断だった。

 上に立つ幹部達は、元よりゼロとは水と油。ほどいた手は結び直される事なく、黒の騎士団はその名を残したままゼロとは無縁の組織へと生まれ変わろうとしていた。

 だが、いざ捨てるとなると急に惜しくなるのが人間というものである。

 別に戻ってきて欲しいとか、そういう話でない。幹部達がゼロに抱く感情は、依然、最悪なまま。関わらずに済むなら、それに越した事はないと思っている連中が殆どだろう。

 しかし、それでも無視は出来ない。認められずとも、ブリタニアから日本を取り戻した実力は紛れもなく本物。この情勢下で、自ら世界最強の『軍事力』を手放そうとしていると考えれば、後ろ髪を引かれるのも仕方ないと言えよう。

 繋がりは残したかった。

 だからこその卜部である。

 黒の騎士団、――延いては藤堂が指揮することになる日本軍に直接通ずる糸として、白羽の矢が立ったのが彼だった。

 

「はぁ…………」

 ここに至る経緯を思い返し、卜部の口から何度目か分からない溜息が重く吐き出される。

 別に、異存がある訳ではない。

 根っからの軍人である彼は朝比奈や千葉のようにゼロに嫌悪感は抱いていない。重きを置くのは、あくまで指揮官として有能か、――信頼出来るかであり、人種や素性は二の次だ。

 その点で言えば、ゼロは文句なく合格だ。仮面を脱ぐ前は目的が不透明であったが故に今一つ不信感を拭えずにいたが、それも真意を知った今となっては過去に過ぎず、実力に至っては日本を取り戻したという事実だけでお釣りが来る。

 人選面でも、朝比奈や千葉は論外。仙波も年齢を理由に第一線を退き、後方にて教官を務める事を希望していた以上、他に適任はいなかっただろう。 

 それに何よりゼロは自分の、藤堂の、日本の恩人である。自分が戦う事で少しでもその恩を返せるなら、断る理由は卜部にはなかった。

 だから、問題ない。

 問題ない、筈なのだが………。

 

「けどぉ、本当に良いわけぇ?」

 ぐるぐると頭の中で渦を巻いていた思考が、耳に聞こえてきたその一言で止まる。

 はた、と横に視線を向ければ、薄く煙る紫煙の向こうから流し目で神楽耶を見やるラクシャータの姿があった。

「お国が大事な時期に、男にくっついて国を出るなんてさぁ。仮にも女王サマでしょぉ? 日本は良い訳ぇ?」

「だからこそ、です」

 やや嫌味がかったラクシャータの問い掛けに、毅然と神楽耶は言い放つ。

「無事独立を果たしたとはいえ、日本がブリタニアに敗北し属国と化していたのは変えようのない事実。早急に国際的信用を回復し、確固たる地位を築かねば。負け犬のままでは、何も守れません」

 世間ではブリタニアの支配に打ち勝ち、見事に国を取り戻したとして世論を集めている日本ではあるが、各国首脳陣や政府までもがそうだとは限らない。

 開戦時に混乱があったとはいえ、ブリタニアに為す術なく大敗を喫したイメージは強く、八年間属国に甘んじていた事実もまた拭い難い。

 順調に進んでいる復興も、その実、友好国とユーフェミアを仲立ちにブリタニア企業から引き出した支援によって何とか成り立っているとなれば、恐らく少なくない数の国が日本を弱小国と見なしている事だろう。

 それでは駄目だ。

 敵はブリタニアだけではない。かつて中華の大宦官が澤崎を口実に日本に傀儡政権を樹立しようとした件からも分かるように、サクラダイトの産出及び輸出のおよそ全てを担っている日本を密かに狙う国は多い。ゼロの国外追放も周知な以上、餌を抱えたまま、いつまでも腹を見せていたら、日本はすぐにまた他国の食い物に逆戻りになってしまう。

 それだけは防がなくてはならない。

 その為にも、失墜した国際的信用の回復は急務だ。たとえ、国力に余力がなくとも国際社会において強く影響力を持つことが出来れば、おいそれと日本に手は出せなくなる。

 その為に神楽耶が出来る事。

 それは―――。

「ゼロ様の提唱する超合集国。その第一加盟国として、その設立に助力すること。それが日本の『顔』として、今、私がすべき最大の事です」

 今はまだ理想でしかないが。

 停戦交渉の際に交わされていた密約を抜きにしても、ゼロが設立を掲げる超合集国、その方針と構想は日本にとって非常に旨味が強い。

 何しろ参加した国家は固有の武力を放棄せねばならず、しかし、参入すれば各国のバックアップを十全に受けたゼロの守護にあやかれるのだ。軍事力に不安のある日本には正に渡りに舟と言えよう。

 超合集国内での立場も発言力も、多少国力に問題があったとしても第一加盟国としてその設立に関わったとなれば、決して軽んじられることはないだろう。

 国内情勢についても、素直に認めるのは腹立たしいが桐原がいる以上、内政に大きな不安はない。

 であるならば、見るべきはやはり外。

 自らの立場と名前を十分に活用し、超合集国設立に貢献しながら、少しでも日本の立場が良くなるよう他国との交渉に努める。

 それが日本の為に、神楽耶が己に課した使命だった。

「それに………」

 吐息のように呟いた神楽耶の手が、まるで大切な何かに触れるかのように、そっ、と己の胸に添えられる。

 それに。

 多少、私情を交える事を許されるなら。

 超合集国。世界に数多ある国を一つにまとめ、武力ではなく言葉でもって世界の舵を取ろうとするゼロの理想。

 もし本当に、それが叶うなら。

 もし本当に、法も信仰も肌の色も違う国と国を繋ぎ、一つの連合国家として成立される事が出来たなら。

 世界は間違いなくその在り方を変える。

 ディートハルトの言葉ではないが、時代が変わるのだ。

 此処から。ゼロから。

「………………」

「神楽耶様?」

「いえ…………」

 胸に手を添えたまま、頬を染めて黙り込んでしまった神楽耶の様子を訝しみ、卜部が声を掛けるも神楽耶は問題ないとばかりに、ふるふると首を横に振る。

 そして、一転。

「それに、覚えめでたくゼロ様の伴侶の座を射止める事が出来れば、日本は安泰ですから!」

 再度手を鳴らし、無邪気に悪戯っぽく宣う神楽耶にラクシャータが吹き出す。

「成程ねぇ、そりゃ確かに大仕事だわ」

「ええ! ですので、私が無事にゼロ様の妻になれるよう、()()()()()協力して下さいね? 卜部に玉城?」

「え゛」

「おうッ、任せろ!」

 何やら、さらり、と厄介事に巻き込まれたような。

 そう思う卜部だが記憶を反芻したりしない。胃が痛くなるから。なんなら、もう痛い。

 そんな半ば現実逃避中の卜部に気付く事なく、乗っかってきた玉城とラクシャータと共にはしゃぐ神楽耶。

 だが、はた、と何かに気付いたのか。きょろきょろ、と周囲を見回した後、小首を傾げて、卜部に問い掛けた。

「ところで、肝心のゼロ様は?」

「……え? ………あ、ああ……、はい。ゼロなら―――――」

 

 

 世界が染まる。

 地平に沈みゆく西日は優しくも痛く、理事長室より部屋を紅に染める陽を見つめていたルーベンは、僅かに目を細めた。

 妙な気分だった。

 見慣れた色、見慣れた風景。この理事長室の窓から、夕陽に染まる学園など幾度となく見てきたというのに、今日はやたらと古い記憶を刺激される。

 それは、この夕陽()があの日にとても似ているからなのか。

 それとも………。

「時間を作ってくれたこと、感謝します」

 背後にて座する男のせいなのか。

「……………」

 首が微かに動き、視線が僅かに後ろに向く。

 男の表情は分からない。室内に入り込む西日は濃い陰影を作り、仮面のように男の顔をルーベンから隠していた。

「………思えば」

 微かに動いた首が、また前を向く。夕陽を眺める瞳を、先程とは別の意味で細めたルーベンが刺激された記憶を掘り起こすように口を開く。

「思えば、あの日もこのような光景でしたな」

 遠くを想うように深く一言。懐古に濡らした唇を引き結び、目を閉ざす。

 返る言葉はない。西日の影に潜む男は催促するでもなく、ただ静かにルーベンが相対するのを待っている。

「八年か………」

 片手では足りない、しかし、両手では足りる歳月。

 長いようで短い月日を言葉にして吐き出すと、ルーベンを閉ざしていた瞳を開き、―――振り返った。 

「いつかは、このような日が来ると思っておりました」

 しっかりと見据え、告げる。

 覚悟を宿した言葉は強く、けれど、敵意も害意も含まない言葉に男、――ルルーシュは小さく苦笑する。

「会長、――ミレイにも似たような事を言われました」

「アレは私以上に貴方に近い。であるなら……、いや、そうでなくとも気付きましょう。存外、貴方は分かりやすい」

 父への怒り。祖国への嫌悪。復讐心、憎悪。

 尽きず、絶えず、汚泥のように濁った感情を完璧に抱え込むには、彼は幼く、甘く、……素直過ぎた。

 だからこそ、予感はあった。疑心もあった。

 それでも、見逃した。目を瞑ってきた。

 何の為に―――?

 クスリ、と微かにルルーシュが笑う。

 己の未熟さを笑ったのか。それとも親身に語るルーベンが可笑しかったのか。

 口元の微笑を絶やさないまま、ルルーシュの手が懐に伸びる。

 僅かに陰った警戒心にルーベンの目付きが若干鋭くなるが、予想に反して、懐から出てきたのは一枚のメモリーカードだった。

「……これは?」

「ブリタニアの貴族に関する情報です。息を潜めている反シャルル派や、皇族に極秘で私腹を肥やしている貴族を告発するに必要な証拠やデータも揃えてあります。上手く立ち回れば、以前と同じとまではいかなくても、十分な爵位は取り戻せるでしょう」

 つまりは、アッシュフォード家の悲願が成る。

 あっさりと告げられた事実に、ルーベンが瞠目する。

「せめてもの感謝です。忠義か、野心か……。腹の中がどうであれ、あの日から、これまでに対する………」

 幾分柔らかくなった声と共に、そっ、とルルーシュがカードをテーブルに置く。

 だが、差し出されたソレをルーベンを受け取ろうとしない。

 何か思うところがあるのか、固い表情のまま、ただじっとカードに視線を落としている。

 とはいえ、それはルルーシュには関係ない。黙するルーベンをそのままに、用の済んだルルーシュが退室しようと踵を反した時だった。

「……お聞きしたい事が」

 待った、を掛けるように、その背中に嗄れた声が届いた。

「お聞きしたい事が、あります……」

 相変わらず答えはない。

 だが、振り返り、再び相対したその姿を肯定と受け取ったルーベンは、礼をするように小さく頭を下げると、そのまま目を伏せた。

 僅かな沈黙。一瞬の逡巡が過ぎ去ると、ルーベンはしっかりと理性の灯る瞳でルルーシュに問い掛けた。

「………ブリタニアは、………滅ぶのですか?」

 仮にも、元貴族にあるまじき発言。ブリタニア人からすれば、突拍子のない台詞も目の前の男を動じさせるには足りない。

 ほんの少し、意外そうに眉が動いただけの彼の顔を探るように、それでいて試すように見据えながら、ルーベンは言葉を続けていく。

「……ブリタニアは強い。国力も武力も技術力もあり、シュナイゼル殿下やコーネリア殿下を始め、個々の資質に優れている者も数多くおります。……ええ、普通に考えればブリタニアは勝てましょう。たとえ、世界を相手にしようとも」

 言葉を選ぶように慎重にではあるが、真剣に淀みなく紡がれていた言葉が、そこで途切れる。

「……しかし。しかし、だ。私には、どうしても『その先』が見えない」

 ゆるく首を振り、ルーベンは遂に誰にも明かしていない胸の内を語り出す。

「他国を全て蹂躙し、エリアとして支配し、それで綺麗に終わると? 世界を全て欲さんとする欲望がそこで素直に収まると? 強者として弱者を食い物にすることに慣れた者の渇きが失くなると? ……ありえないでしょう。何故かと言われれば、そう、()()()()()()()()()()()()()……」

 自嘲染みた笑みが浮かぶ。だが、それも一瞬後には消えてなくなると、長くブリタニアの貴族と渡り合ってきた老人はその胆力を以て、目の前の反逆者を問い質していく。

「不躾である事は重々承知しております。ですが、どうかお答え頂きたい。我々の道は……、皇帝陛下の仰る『未来』は真に臣民の為のものなのか。それとも……、いえ………」

 そこで、もう一度言葉を切る。そして、ゆっくりと静かに呼吸を整えると、ルーベンはその一言を切り出した。

()()()()()()()()()()()。貴方は………?」

 

 ボォー…ン、ボォー…ン、と柱時計の時報がなる。

 しかし、面と向かい合う二人は、まるで時が止まったように互いから視線を外さない。

 ルルーシュと向かい合うルーベンの表情は真剣そのものだ。今しがた、捉えようによっては反逆罪に問われても不思議ではない程に不敬に当たる言葉を吐いたにも拘わらず、その表情に動揺はなく、それ故に真意が測れない。

 額面通りに受け取れば、祖国に弓を引くルルーシュに同調しているように思えるが、ルーベンの目と表情が素直にそうだと言わせてくれない。

 果たして、裏があるのか。それとも、表は表のままなのか……?

 意図の読めないルーベンと向かい合うこと暫し。

 同じく真意の測れない顔付きで向かい合っていたルルーシュだったが、ふっ、と笑みにも似た息を吐くと相好を崩した。

「そういえば、最近……、いや、もう随分前か。アッシュフォードの学園祭があったんだが、知っているか? ルーベン」

「ルルーシュ様?」

 唐突に何の脈絡もない話を始めたルルーシュに、ルーベンが眉を顰めるが、ルルーシュは構うことなくルーベンの横を素通りすると、先程彼が立っていた窓際に歩み寄った。

「ミレイが会長として主導したあの学園祭なんだが、名誉ブリタニア人だけでなく日本人、……イレブンの参加も認められていてな。勿論、数こそ少なかったが……、実際に来場したイレブンがいたのを俺は知っている」

 その時の光景を思い出しているのか。窓の外を望むルルーシュはどこか楽しそうに話を続けていく。

「そういえば、スザクがユフィの騎士に任命された時も学園総出でパーティーをしたんだったな。全員が心から、とまではいかないだろうが、ナンバーズの皇族騎士の就任を素直に祝福出来たのは、ブリタニア広しと言えど、後にも先にもこのアッシュフォードだけだろう」

「ルルーシュ様、一体、何を―――」

「ある」

 何が言いたいか分からず、堪らず口を挟もうとしたルーベンの言をルルーシュの一言が力強く遮った。

「『その先』はある。ちゃんと、()()に……」

 柔らかな笑みを浮かべ、コンコン、と窓を叩く。

「良い場所じゃないか。イレブンと知りながら手を差し伸べられる。ブリタニア人と知りながらも笑い合える。目が見えずとも……、歩くことすら儘ならない少女であっても微笑んでいられる……。お前にはそんなつもりはなかっただろうが、このアッシュフォードはブリタニアとは、いや、今の世界では信じられないくらい、人に優しい箱庭(世界)だ。そうは思わないか?」

「は、………いえ、しかし、それは―――」

()()()()()()()()

 傾いていた陽が沈む。

 橙色だった空が藍色に染まり、更に黒へ。

 静かに降りる夜の帳と共に雰囲気を一変させたルルーシュに、ルーベンは息を呑んだ。

「『この先』にあるものを見てみたい。……俺が望むのは、それだけだ」

 怒鳴るでもなく。語るでもなく。

 ただ紡がれただけの言葉に、ルーベンは先に言い掛けた言葉を飲み込んだ。……飲み込まざるを得なかった。

 理想だと、夢だと。そう現実を知らしめる言葉は幾つもある。だが、そのどれもが、今、目の前の男を否定するには陳腐に思えた。無理だと不可能だと口にするには、目の前の男はあまりに()()()()()()()()()

「貴方は………」

 代わりに出てきたのは、そんな一言。震える舌先を動かし、違う意味で震えそうになる身体を抑え込み、ルーベンは問い掛ける。

「貴方は………、誰ですか?」

 少なくとも、今、目の前にいる男をルーベンは知らない。

 彼の知るルルーシュという少年は、怒りと復讐に囚われていた。

 皇帝たる父と自分達を捨てた祖国に暗い情念を抱き、たった一人の妹以外に執着も執念も示さない、世界というものを斜めに見ている、そんな少年だった。

 だが、目の前にいる彼は。

 この彼は………。

 

「―――『ルルーシュ』」

 

 返ってきたのは当たり前の答え。当たり前の名前。

 けれど、その声は目の前からではなく……。

「ルルーシュ・ランペルージ。我が生徒会自慢の副会長です。お爺様」

 当然と言わんばかりの声音と共に、部屋の入口からスイッチを押す軽い音が聞こえた。

 途端に部屋が明るくなる。

 夕闇に染まっていた室内が蛍光灯の白色に一気に侵され、暗闇に目を慣らしていたルルーシュとルーベンは揃って顔をしかめた。

 いや、ルルーシュが顔をしかめたのはそれだけが理由ではないだろう。

 何故なら声の主はルルーシュにとっては予定外の来客であり、予想外の珍客なのだから。

「……私の話が終わるまで待っておれと言っただろう」

「ごめんなさい。でも、もう十分かと思って。私とお爺様の目に狂いはなかった。なら、そこのロマンチストが誰であれ、私達の答えに変わりはないでしょう?」

 クスクス、と笑う彼女にルーベンは黙する。

 確かに言う通り。多少、迂遠な言い回しではあったが望む答えは得られた。

 元が付くがルーベンは知っての通り、貴族である。

 それも、ブリタニアの中では数少ない()()()()国を憂う、だ。

 特にルーベンは、既に敗者として本国より離れた異国の地にいるからか、勝利の美酒にも酔い難い。

 であるなら、闇路を往く今のブリタニアを看過出来る筈もなかった。

 しかし、肩入れする相手が故国に引導を渡す破壊者では意味がない。

 見極めかった。

 残り少ない生命と人生を賭ける相手が、唯の復讐者か、それとも。

 尤も。()()()()()()()()()()()()()()

 はぁ、と溜まっていた空気を全て吐き出すように、ルーベンが深く溜息を吐く。

 同時に緊張も解いたのか、険しかった顔付きに再び懐かしむ色が混ざる。

「よもや、大樹に薔薇が咲くとはな………」

 脳裏に甦るのは、あの日のこと。

 この異国の地にて、改めて邂逅した紅い日のこと。

 幼い少年だった。弱く、無力な少年だった。

 皇族に生まれながら異国の地に捨てられ、かつて臣下であった者達に利用される、――()()()()()()()()()()()少年だった。

 たとえ、泥に塗れても金は金。真に価値あるものはどれ程貶められても、その輝きを損なわないと言う。

 ならば、あの日の少年は正しくそれだろう。

 生きる為に、妹を守る為に、従順にへりくだりながらも、その高貴を失わない。頂点()底辺(自分)。大木を錆びたナイフで切り倒すが如き無謀を抱えながらも、その覇気を失わない。

 見てみたいと思った。

 母の強かさと父の威。幼いながら、その二人の面影を見せる少年の行く末を見てみたいと思った。

 信ずる何かがあった訳ではない。確信も確証も、抱くには目の前の火は余りに小さく弱い。

 だが、もし、己の見たものが正しいならば。もし、己の本能に強く訴えかけてきたものが正しいならば。

 彼は、きっと―――。

(大きくなられた………)

 己の予想を超えて立つあの日の少年の姿に、ルーベンは潤む瞳を閉ざす事で隠した。

 

 観念したように、けれど、どこか嬉しそうにルーベンが瞼を伏せる。

 その様子に答えを見た彼女は、おもむろに理事長室のデスクに近付くと、そこに置かれていたメモリーカードを手に取り、とても良い笑顔でへし折った。

「お…………ッ」

「ルルーシュ様」

 いきなりの奇行に、さしものルルーシュも驚いたのか、思わず声を上げそうになるが、制するようにルーベンの声が重なった。

「一つ、申し上げたき儀がございます。感謝と、そう仰るのであれば、どうかお耳に入れる事をご容赦願いたい」

「儀……? ルーベン、お前、まさか………」

 明晰な頭脳が、容易にこの後の展開を弾き出す。

 いや、明晰でなくても予想は付くだろう。可能性としては十分に考えられたし、味方の少ないルルーシュには歓迎すべき事である。

 視界の端で薄く笑む彼女の存在がなければ。

「不肖、このルーベンをルルーシュ様の軍の末席に加えて頂きたく存じます」

 果たして、結果は御覧の通り。

 改めてルルーシュの直前に向き直り、膝を折って傅いたルーベンは、真摯に自らの願いを訴える。

「老い先短い身ではありますが、ブリタニアを憂う者として、またヴィ家に忠義を捧げた者として、この生命、御身の理想の為に使って頂きたく」

 予想通りの答え。本来なら願ってもない申し出である。

 長く貴族社会を渡り歩き、ナイトメア産業、アッシュフォード創立などあらゆる方面で爪痕を残すルーベンだ。頭脳労働者の少ないルルーシュの陣営においては、実に貴重な人材と言える。

 しかし、当のルルーシュの表情は芳しくない。

 ちらちら、とあらぬ方へ視線を向けて答えを渋っている。

「ルーベン……、その、だな。お前の忠義には感謝する。故国の為に反逆者に身をやつす覚悟も受け取ろう……。だが、その前に一つ確認したい事がある」

 言い淀むルルーシュに、ルーベンは無言で頷く。

 分かっている、と言わんばかりの表情に、己の言いたい事を汲んでくれたと思ったルルーシュは、安堵に顔を和ませる。

「無論、これは私の一存故に。御身を裏切らぬという保証は出来ませぬ。故に、私と志を共にする者をどうかお側に。私と同じく不肖の娘ではありますが、必ずやルルーシュ様のお役に立ちましょう」

 違う、そうではない。

 言いたい事は理解出来る。人質を取るというのは往々にして有効な手段である。ルーベンが裏切らぬよう彼の身内を人質として側に置いておくのは、成程、理に適っている。

 というのが建前なのも分かっている。何かもう空気で分かる。何だ、この緩んだ空気は。そもそも、どうして彼女が此処にいる。ニュースキャスターはどうした。彼女の進むべき道はそちらであって、間違っても此方ではない。

 そうとも。

 そうでなくては困る。そうじゃないと駄目だ。

 だから、あの夜、俺は―――……

「―――友達だから」

 優しく頬を叩くように、明朗な声が答えとなって耳朶に触れた。

「まさか、さよならを言えばそれで終われると思ってたの? それとも後暗い事情を話せば、皆が皆、勝手に離れていってくれるとでも?」

 心情を見透かすように問うと、呆れたとばかりに大袈裟に首を振る。

「まだまだ人生経験が足りないようね。若人?」

 悪戯っぽい台詞とは裏腹に、その目は笑っていない。

 舐めるな、と言わんばかりに勝ち気な瞳は爛と輝き、そのあまりの眩しさにルルーシュは分かりやすく顔を背けた。

「………ま、私の場合、それだけじゃないけどね」

 やり込められた事で、少しはすっきりしたのか。

 満足気に鼻息を吐くと、彼女は改めて、と片手を胸に添え、もう片方の手でスカートの端を持ち上げた。

「ミレイと申します。今日より、祖父ルーベンと共にルルーシュ様の道往きのお供をさせて頂きます。浅学非才の身ではありますが、どうぞよしなに」

 美しい所作と淀みない言葉遣い。音もなく頭を下げるミレイに、ルルーシュは答えない。

 だって、自ら歩み寄ってくれた人を素直に受け入れるだけの勇気を、今のルルーシュは持ち合わせていない。差し出された手はいつだって血に沈み、常に何かを犠牲にして前に進んできたルルーシュだ。零れ落ちたものを拾い上げるには、その生き方はあまりに臆病に過ぎた。

 ()()()()()()()()

 誰も彼もが心情を汲み取ってくれるでもなし。迷惑を承知でお節介を焼くのも友人だ。呪うなら、そんな面倒な友人に捕まった己の不運と、そんな友人()を振り払えなかった己の未熟を呪うといい。

「そんな訳で。これからヨロシクね?」

 とん、と優しくミレイが胸を小突く。

 その笑顔は、いつもように。あの生徒会室で何度も副会長を悩ませた日々と同じように、それでいて挑戦的に。

 天下無敵の生徒会長は。

 

ご主人サマ(Your majesty)♪」

 

 ズカズカと無遠慮に、一人になりたがる王様の世界に足を踏み入れた。




 るるーしゅの いは ぜんめつした……。


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