絶対評価制! (珊瑚)
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第一話:絶対な評価
一章


 他者を気にしながら生きていく。

 それは昔、いや、数年前は笑われるような生き方だった。

 臆病で、他人の気にしていないことに意識を向け、神経をすり減らす。

 人にもよるが、無価値であると言われてもおかしくはない。それが生むメリットなど、表面上の平和くらいなのだから。

 人間、裏でどう考えているか分からない。だから更に疑心暗鬼となり、他者を気にする生き方はどんどん悪化していく。

 私もきっと、昔はそんな生き方をしていたのだろう。

 記憶が曖昧で二年前のことすら覚えていないけど、なんとなく分かる。

 私は他人を傷つけず、平和に過ごす方法を探していたのだ。

 みんなが笑顔でいられる、馬鹿みたいに不自然な方法を。

 けれど、私はもうそんなことを考えない。

 どれだけ人に迷惑をかけ、評価を下げてもいい。

 私は他人の評価を気にしない。それが人生を懸ける理由になり得ないと思うから。

 

 『絶対評価制』。

 

 私は世界の決まりなんかに従わない。どこまでも人間らしく、楽しく生きてやる。

 

 

 

 ○

 

 

 

 赤、金、緑、青……目の前で動く、ゲームのカラーバリエーションみたいに彩色豊かなそれを、私は呆れながら眺めていた。

 朝。登校の時刻である。

 一般的な女子高生である私は校門をくぐり、校舎へ直通するコンクリート舗装の道を歩いている。右横には校庭が見え、朝練を終えて校舎へ帰っていく生徒が見えた。

 校舎がセンスを疑うくらいカラフルなわけではない。あちこちで狂ったように花が咲いているわけでもない。

 日常的な光景だ。とてもカラフルなものが見える場面ではなかった。

 しかし、それらはある。

 目を疑うほどカラフルで、鞄を背負い、頭や手足があり、私と同じように登校する――人間は。

 彼らはまるでアニメの登場人物みたいに髪を奇抜な色にしており、それが当然だと、意識すらしていない様子で歩いている。

 色だけではなく髪型まで千差万別。個性を強烈に主張しているそれらは視界に入るだけで気分が悪くなる。

 異質な光景だ。

 一ヶ月近くこの光景を見ているが、まったく慣れる気配がない。むしろ感じる不自然さが強まるばかりだ。

 

「はぁ……」

 

 深く嘆息。

 私の日常はこうして、知識や常識と正反対になった日本を見て憂欝になることから始まる。

 そして――

 

「おはようございます。武蔵 楼(むさし ろう)さんですね?」

 

 ――こうして声をかけられることもまた、日常だ。

 敬語、そして不自然なくらい気持ちのいい笑顔。今日私の前に現れたのは一人の女子だ。

 至って普通な顔立ち、スタイル。学校の制服を問題無く着こなし、髪色は薄いピンク。髪型が普通のセミロングで、髪色以外特徴のない、いわゆるモブ的な見た目の人だった。

 彼女は鞘に納まった剣を両手で持ち、私を見ている。

 昔なら即通報レベルの不審者だが今はいても何ら問題はない。

 あくまで『世間的に』であって、私的には大問題なのだが。

 ……またいつもの展開になりそうだ。

 

「そうだけど、あんた誰?」

 

 生意気な口調を意識。鞄を道の隅に置いておき、私は校庭へゆっくり歩き出す。

 彼女は『解っている』私の動きを見て嬉しそうに笑みを深めた。

 

冬花(ふゆか)です」

 

 無論、告げられたのは知らない生徒の名前だ。

 見た目からして二年、三年の生徒だろうか。年下のか弱い女子をいじめてなにが楽しいのやら。

 そのまま私達は校庭の中心へ。迷惑がかからない位置に移動し、対峙する。

 

「さて……予想はつくけど、それが嫌だから一応聞く。私に何の用?」

 

「決闘です。私と戦って下さい」

 

 やっぱり。

 自由奔放な私の生き方。その代償が、一日三回の決闘だ。

 どこぞのソーシャルゲームを彷彿とさせる規則が、私の生活には生じていた。

 弱い私は評価を稼ぎたい方々に大人気で、毎日こうして標的にされている。効率的な方法なのだから責められはしないけど、私にはいい迷惑だ。

 本日二度目の溜息。

 今日の相手は剣を持っているからまだマシだろう。昨日は魔法ばっかりで一方的に負かされたし。

 断りたがる自分に言い聞かせる。この決闘を断ってまた魔法三連続では死ねる。自分を生かすためにも、楽そうな相手とは戦うべきだろう。

 

「分かった。いいよ。戦おう」

 

 私が頷くと、冬花は剣を抜いた。

 刃を右手に。鞘を左手に構え、私を見据える。その表情はもう笑顔ではない。明確な敵意を露わにした、殺気を放つ顔だ。真剣そのものである。

 負けたくない。その意志が伝わってくるようだった。

 けれども、それは同じだ。私も負けたくない。勝ちたいわけでもないが、痛いのは勘弁だ。

 早く終わらせる。そして、こんなふうに決闘を挑まれる雑魚の地位から逃れるのだ。

 私は意気込み、構えをとった。両拳を軽く挙げ、胸の前へ。足を片方下げる。

 

「準備はいいですね。いきますよ」

 

 どこへ。

 そう小声でつっこむと同時に、冬花は駆け出した。平均的な体格からは想像できない速度で私へ迫る。

 あっという間だ。50メートルはあった距離は一瞬に詰められ、飾り気のない素朴な剣が振られる。

 右から左への横切り。シンプルな腹部を狙った攻撃だ。私はそれを小さく後ろに下がり、あえて紙一重でかわす。

 『能力』の補正で叩き落とすこともできるけど、それよりも攻撃後の隙を突いた方が確実だ。握った拳を引きつつ、一歩踏み出す。

 校庭の地面に足が擦れ、音と砂ぼこりを立てる。

 剣は振りきられたまま。冬花の口は動いていない。攻撃の前兆は皆無だ。

 隙があるのを確認し、私は拳を勢いよく突き出した。

 補正を受けた拳は、さながら大砲のような威力を込めて放たれる。当たれば、怪物と化した人間でもダメージは通るだろう。

 

「あうっ!?」

 

 固い何かを叩いたような、殴ったこちらが痛くなる強い衝撃が手に返ってくる。とても人間の腹を叩いたときの感触ではない。何かの能力だろうか。

 違和感を覚える私だが、殴られた冬花は地面を転がっていく。ダメージはあるらしく、呻き声らしきものを上げて。

 ――終わりかな。

 呼吸を整えながらその場で待機。

 自慢ではないが、私のパンチはおそらく、熊を一撃で沈めるくらいの威力がある。もっとも、パンチする前に死ぬだろうけど。

 まぁ、そんな威力のパンチがまともに当たったのだ。立てる筈がない。

 と、思うのだけど。

 

「なるほど。格闘系統の能力ですか。魔法かと思ってましたが」

 

 今日日、怪物になった人間へ、そんな常識が通用するわけはなく。

 にっこりと笑っている冬花は、ダメージなどないように跳ね起きた。

 腹パンされたにもかかわらず呼吸は少しも乱れていない。この生徒なら過酷ないじめにも耐えられるのではないか、なんて馬鹿げたことを思い浮かべてしまう。

 やはり、先程抱いた違和感は気のせいじゃないみたい。

 今までもそういう人はいたけど、多分彼女は防御関係の『能力』も持っている筈。

 最初の疾走。剣術。持っている鞘。そして防御関係。

 これから予想するに、冬花は多分戦闘に使える『能力』を四つ以上は持っている。

 ……なるほど、私を狙うわけだ。

 能力の数から言って、彼女もまた雑魚の部類に入る人間だ。

 強い人間ならば、数秒の内に予想できる能力数が二桁を超える。

 それなりな強さの人間でも、こいつ主人公なんじゃないか、と思うくらいのレベルなのだから……冬花の弱さがよく分かると思う。

 もっとも、こんなこと私が言えた身分ではないのだが。 

 

「そんなことも知らないで戦いを挑んできたの? 情報収集は大切だって知らない?」

 

 私は溜息を吐く。相手が先輩かもしれないのは重々承知だ。

 自分でもむかつくと分かる。うん。

 

「うっさい! こっちだって必死なの! 早く評価を得て就職先を――って違う!」

 

 なにやら一人漫才をはじめる冬花。簡単に私の台詞に反応してボロを出す。敬語はやっぱり演技だったみたいだ。

 地団太を踏み、苛立ちを露わにする。私は更に彼女を挑発することにした。

 

「はは、じゃあ早くかかってきなよ。私くらい早く倒さないと、評価が下がっちゃうかもね」

 

「わわ分かってるわよ! むかつくやつね!」

 

 本来ならば私は彼女に負ける実力。だが今回ばかりは相性がいい。 

 怒りで我を忘れて突っ込んでくる冬花を見据え、拳を振りかぶる。攻撃の速度は大体分かった。あとはタイミングを合わせてカウンターをぶちこめば、防御の能力があってもそれを貫いてダメージを与えられるだろう。勝利は目前だった。

 

「待ちなさい!」

 

 しかし、あいつが現れた。

 日本刀を手にした、いかにも美少女な女の子。私が苦手としているその子は、膝まではある長い藍色の髪を揺らし、私と冬花の間に入ってくる。

 目にも見えない速度とはこのことだろう。彼女が私の前に止まるまで、私はぼんやりとした残像しか捉えることができなかった。速すぎる。

 白く、綺麗な肌。理想を体現したかのような顔立ち。凹凸が見て分かる豊かなスタイル。完璧な容姿をした女の子は、してやったりと言わんばかりの得意げな顔で、私へバッと手を向けた。

 

「弱い者いじめは私が――許しませんよ!」

 

 ああ……来ちゃった。面倒な子が。なんだその台詞の無駄なタメは。

 彼女は私と同じ一年生で、クラスメイトの女の子。名前は風 優姫(かぜ ゆうき)だ。自由奔放に生き、世間の常識に従わない私を、物凄く敵視している良い子ちゃんである。言うなればヒーローみたいな人で、私の知る『強い人』最上位に入る人物だ。

 面倒になって彼女へ一度襲いかかったけど、一秒もしない内に返り討ちになった……と思う。戦いが始まったと思ったら気を失って、数時間後に目覚めるという有様だった。

 何を見ていたのか、彼女は私が冬花をいじめているように見えたらしい。逆にいじめられてるようなものなんだけど、困ったものだ。

 なにはともあれ、この状況はまずい。私を裁く大義名分を彼女に与えたら、どうなるか分かったものじゃない。というか分かりたくない。

 なんとかして説明しなくては。

 ……よし。いいこと思いついた。

 

「弱い者いじめじゃないんだけど。ね、冬花? それに私より弱くないでしょ、冬花は」

 

「当然! ほらそこの長い髪! いじめるのは私よ! どきなさい!」

 

「はい? あなたがいじめてたんですか?」

 

 よしきた!

 ばれないように小さくガッツポーズを作る私の前、笑顔で威圧感を放つ優姫が、後ろにいる冬花へゆっくり振り向く。

 ぎぎぎと機械のように。やたら怖い動作である。

 

「ひっ!? そ、そうよ! 文句ある!?」

 

 思わず悲鳴を上げ、涙目になりながらも強がる冬花。いじめているのかと問われ、否定をしないところに彼女の健気なプライドを感じる。

 しかしプライドは得てして邪魔ものになるものだ。人間をどこまでも不器用に、無愛想にしてくれる。

 たとえ危機が迫っていると分かっていても、曲げられないのだ。

 完全に他人事となった光景を眺め、私は合掌。鞄を取り校舎へ向かう。

 

「風剣! 神伐殺!」

 

「きゃあああっ!?」

 

 後ろで爆音と悲鳴が聞こえてきたけど、大丈夫。優姫ちゃんは加減ができる人だから。……多分。

 

 

 

 ○

 

 

 

 教室に入る。

 不良の如く手にした鞄を肩に担ぐようにして歩く私へ、声をかけるクラスメイトはいない。

 視線くらいは向けてくるものの、絡まれたら嫌だとでも思っているだろう。すぐ逸らしてしまう。

 そんな分かり易く邪魔者扱いされている私が教室に入っても、教室の様子は変化しない。

 みんな敬語で会話し、笑顔を浮かべて誰かと話している。

 私以外の全員が笑顔のクラス。少し不気味だけど、うちのクラスは髪色が比較的地味だから助かる。これでカラーバリエーション豊かならば、私の精神が学園生活を拒絶していたところだろう。

 

「よっこいしょ」

 

 おじさん臭い掛け声をもらしつつ、自分の席に着席。

 私の席は窓際の最前列にある。はじめは目立つようで嫌だったけど、今はそうでもない。逆にこの席で助かったと思うくらいだ。

 なにせ、黒板以外に何も目に入らないからね。

 ここから見える光景は、数少ないかつての常識が存在する場所だ。

 物騒な武器がなく、空を飛んだり炎を出したりする人間はいない。ただ緑色をした板があるだけだ。

 若干寂しいけども、精神的疲労を蓄積されるよりはまともだろう。

 

「はぁ……癒やされる」

 

「楼ちゃん。おっはよう」

 

 緑一色だった癒やしの空間に、白が入ってきた。

 遠慮もなくフラッと現れたそれは、私へ笑いかける。

 私よりはるかに小さな身長。短い真っ白な髪。顔にはいつも眩しい笑顔が浮かんでいる、可愛らしい少女だ。

 不自然な笑顔が溢れる中、自然な笑みを作れている数少ない人物である。

 名前は紀理(きり)。彼女は誰にでも同じ様に会話できる、今も昔でも珍しい天真爛漫な少女だ。人気なのは言わずもがな。

 

「おはよう。今日も無駄に元気だね」

 

 私も彼女のことはそれほど嫌いではない。

 しかし朝のテンションで付き合うべき人間じゃないことをよく分かっていた。

 だから追い返そうと冷たい台詞を口にする。

 

「おーうっ! あたしは無駄に元気だよ! 必要ない時も騒ぐよ!」

 

 しかし効果はないみたいだった。両手を挙げてあはははと何故かテンションを高めて笑う。

 うるさい。朝の彼女を表現するには、その一言で十分だ。

 

「皮肉なんだけどね……。で、何の用? 用がないならさっさと自分の席にお帰り」

 

「ひどい言い草だなぁ。そんなんだから友達いないんだぜ?」

 

 うっさいわい。

 私が突き出した拳を軽々と避け、紀理はニヒルに笑みを浮かべてみせる。

 

「楼に声をかけたのは、今日のことを相談しようと思って」

 

「今日のこと?」

 

 言われて、思い返してみる。今日は何かあっただろうか。

 ……ふむ。分からん。

 首を傾げる私。紀理は呆れた様子で肩を竦めた。

 

「ほら、あれだよ。ペアで戦うとかなんとか。今日の評価制の授業から始まるでしょ?」

 

「あ……あれね」

 

 ようやく思い当たる記憶を引き出す。

 評価制。現在国語や数学よりもメインとなっている授業である。

 その目的は力や技術を制御し戦う術、生きる術を身につけようとすること。

 基本的に個人の希望と能力により、やることを選択する自由な科目なのだが、特に何も希望がない生徒は戦闘をすることになっている。

 『世界』が能力の使用を自由化し、武器の所持が認められた現在。

 世の中は昔よりも物騒になった。故に戦闘はできて損なことではない。それに扱い方を知らない力ほど危険なものはないだろう。

 だから授業で取り扱うのもそれなりーに納得できるのだが、実際に生徒同士が戦うのはどうなのかな。扱い方を知らない力が、全力で生徒にぶつかったら、死亡事故くらいは起きそうなものだが。

 と、当初私は不安になっていたのだが、なんでも危険が迫ったら、教員が能力の無効果スイッチを押してくれるらしい。

 言うなれば、教習所の教習車みたいなものだ。

 そのブレーキのお陰で、大きな怪我人はこれまで出ていないらしいし、安全性も高いのだろう。

 

「忘れてたなんて……それじゃ、あたしなんていなくても、もうペアは見つかってるのかな? ん?」

 

「先生と組もうかな」

 

「あほー! あたしがいるっつってんだろー」

 

 噴火するようにして、再び両手を突き上げて今度は怒りを露わにする。

 紀理が嫌だからボケたのいうのに、分からないのかな、この子。

 あまり強い人と行動して、評価を頂いたら困るのだ。私は一段階ずつ強くなって、ちょうどいい点数を見極めたいというのに。

 

「人を阿呆扱いする人とは組みません。ほら帰って」

 

「うう、後悔するぜ? あたしと組まないと輝かしい紀理ちゃんルートは開通しな」

 

 と、紀理が言う途中で予鈴が鳴り響く。時間ぴったりに入室する中年の教員は、紀理を視線で促した。

 

「ちいっ。運が良かったな、だが休み時間がある限り、第二第三の私が現れるだろう……」

 

 はよ帰れ。

 大袈裟な台詞と、自前の効果音で去っていく紀理のけつを押し、私は溜息を吐く。

 やっぱり朝は馬鹿の相手をするべきではない。精神力がごっそり持ってかれた。友達いないとか言われたし。

 

「では、ホームルームをはじめる」

 

 教員が来ると異様なくらい静かになる教室。

 男性教員の声を聞きながら、私は物思いにふける。

 

 昔、『混沌』と呼ばれる時代があった。

 三年前のことだ。

 突如として現れた強大な能力に人々は大きな混乱を起こし、各国から大勢の犠牲者が出た。

 それは平和な日本も同じこと。善人から犯罪者まで分け隔てなく与えられた能力は遠慮なく振るわれ、世界のあらゆる制度は崩壊当然となった。

 その際に結成されたのが『世界(ワールド)』。

 各国の優秀な人間が集結し、世界に平穏をもたらそうとした正義の組織である。

 『世界』はその卓越した技術により、能力の制御法を半年で発見。一度全世界の能力を封じた。

 そして混沌は半年という奇跡的に短い期間で治まったのだ。

 それから半年後――混沌がはじまってから一年後のこと。

 『世界』が新たな制度を施行した。それこそが――

 

 『絶対評価制』。

 

 評価を絶対とし、他者からの評価によって対象の能力を開放、封印していく制度である。

 これによって、混沌前の秩序を取り戻していた世界は激変する。

 能力が、評価が人生を左右し、人々は評価を得ようと積極的に外面を気にするようになった。

 そうしてできあがったのが現在の世界。

 退屈など存在しない、非日常的な日常だ。

 

 『世界』が決めた制度は、この二年間で全ての国に定着した。

 人間は全知全能に近づき、地球上で負けを知らない最強の生物になったのだ。

 それは痛感しているのだが、私はどうにも嬉しくない。

 

「やくそく……」

 

 私の知識、常識は時間が解決してくれる問題だと言う。

 しかし一方で、ぼんやりとした記憶が語るのだ。それは大きな間違いなのだ――と。

 

 

 

 ○

 

 

 

 そんなこんなで結局ペアを組もうと思う人間は見つからず、私は孤立していた。

 校庭。今朝私が戦い、冬花という人物の血と肉が刻まれた場所(比喩)には大勢の生徒が集結している。

 数にして約30人。ちょうどクラス一つ分くらいの人数である。

 評価制の授業は二つのクラスが一緒になって行われるのだが、今回は体育館組と校庭組に分かれるため人数は少なめだ。

 見慣れない顔もいる中。私は適当な場所に立ち、どうしようか考えていた。

 無論、議題はペアのことである。

 絶対評価制が施行された今、ペアにあぶれたなんて言ったら評価はガタ落ちだ。

 私の開放されている唯一の能力『格闘』も封印されてしまうかもしれない。さらなる雑魚として君臨するのは火を見るより明らか……。

 そうならないためにも、それなりーなレベルのペアを探すべきだ。

 しかし不運なことに私は、評価制の授業をうっかり忘れてしまった。

 行うべき準備を行わず、今ペアにあぶれている人間なんて問題児くらいしかいない。

 そんな中で評価が必要以上に上がらず、かといって下がらない人物を探さねばならないのが難点である。

 

『……』

 

 そう。

 間違っても、こちらの様子を窺ってくる問題児とペアを組むようなことは避けねばならないのだ。

 先程から私を見ている問題児は二人。

 一人は分かると思うが、紀理である。私の何がいいのか、朝からずっとペアを組んでいないのだろう。困った私が最後には声をかけてくると思っているらしく、彼女は常に視界の中にいる。そして私をちらちら見てくる。

 ずっと断ってるんだから、他の人を探せばいいのに。メンタルが強い奴である。

 まぁ、嬉しいは嬉しい。私のような生意気な女を気にかけてくれるのだから。しかし私の目標のため、彼女と組むわけにはいかない。

 よって、彼女のことは無視。気の毒だが、彼女は人気者。組んでくれる人なんて山ほどいるだろう。

 問題はもう一人の方だ。

 私を狙っているらしき二人の片方、それが……優姫だ。

 いつも私を目の敵にしてくる彼女は何故だか今日は絡んでこず、遠目に私を見ている。

 何故だろう。物凄く期待した顔で私を見ているのだ。何も言わずに。

 怖い。

 何か怒っているわけではないのだが、人間が無言で一点を見つめる姿は言い様のない威圧感がある。それが自分に向いているなら尚のこと。

 触らぬ神に祟りなし。何か言って切られるのも嫌なので、紀理と同じく無視を決め込む。

 さて。他に誰か組んでなさそうな人はいないかな――っと。

 

「あっ」

 

 二人に気をとられている間に時間が経過していたのか、予鈴が鳴り響いた。

 信じられない私の耳へ入る、無慈悲な通告。

 授業まであと数分しか残されていない。その事実を痛いほど思い知らされる。

 このままではペアにあぶれた可哀想な子だと、評判が下がることになってしまう。

 焦る私。するとそこへ近づく人物が一人。

 

「楼。どうしたのですか、そんなに慌てて」

 

 優姫である。彼女は顔を赤くし、棒読みの台詞で声をかけてくる。何故かとても恥ずかしそうだ。

 いつも凛とした彼女のそんな様子を見ていると、少し可愛いと思ってしまう自分がいる。と同時に、何か企んでいるのではと疑ってしまう自分も否定できない。

 彼女は宿敵。一方的に彼女が私を目の敵にしているのだが、その事実はこの一ヶ月で私の常識と化している。

 そのせいで、彼女のしおらしい態度にも何かしらの黒さを感じてしまうのだった。

 

「なんでもないよ。気にしないで」

 

「そうですか? やたら不審でしたけど」

 

 ファイティングポーズをとる私へ、再び棒読みな台詞を投げかける優姫。

 落ち着きなく視線をあちこちに泳がせる彼女の方が間違いなく不審なのだが、そこは指摘しないでおこう。下手なこと言って怒られるのは勘弁だ。

 

「そ、そういえば、楼。あなたペアはいるのですか?」

 

 ——やはり私と組もうとしているのか。

 不自然な流れで話題を切り出す優姫。多分、真面目な彼女のことだ。不真面目な私と組んで、監視してしまおうとかそんな感じのことを考えているに違いない。

 ここは彼女のプライドを刺激して、回避することにしよう。

 

「なに? 私と組みたいのかな?」

 

 強気に出て、にやけながら口にする。

 その刹那、優姫の刀が私のすぐ前を通った。

 それを『格闘』の補正で判断し、身動き一つとらずに見送る。傷つける気がない脅しだろう。当たらないと分かっているのだから、焦る必要もない。

 

「怒った?」

 

「う、うう、うるさいです! 馬鹿にして! 誰があなたと組みたいなんて!」

 

 刀を払うように振り、優姫は叫ぶ。思惑は成功したらしく、プライドが高い優姫は見事に怒ってくれた。

 これでペアを組みましょうなんて言うことはないはずだ。

 馬鹿にするように笑いながら、内心ホッとする私。嫌われただろうけど、優姫が諦めてくれるなら安いものだ。あとは優姫が去ってから、すぐペアを見つければ万事解決!

 ……などと私は暢気に考えていたんだけど、いつまで経っても優姫は私の前から動かない。

 抜いた刀を持って私を睨んでいたが、何故かまたしおらしい態度へと戻っていた。

 どうしたというのだろうか。今日の彼女は様子がおかしい。さっきだって、いつもなら刀を思い切り当てにくるのに。峰打ちで。

 まったく意味が分からない宿敵の行動に、私はすっかり参ってしまった。

 

「わ、私はただ、風紀を守るものとして、クラスメイトが孤立していないか気にしているだけです」

 

 今度は少しまともなトーンで優姫が言った。

 意外だった。単純にクラスメイトとして心配している。彼女はそう言ったのだ。

 

「はい? 何言ってんの?」

 

 あまりにも有り得ない言葉だったので、私は耳を疑った。

 彼女が私をクラスメイトとして認識しているなんて、初めて知ったのだ。こうした反応も自然だと思う。

 訊き返す私へ、優姫は赤い顔を向けて言う。

 

「だから、心配しているんです。悪いですか?」

 

 どうにも調子が狂う。さっさとどこかに行ってくれるといいのに。

 私はどう言うべきか考え、頭の後ろを掻く。

 少しくらい厳しめでも大丈夫かな。よし、そうしよう。

 

「いや。でもあんたのこと苦手だし、できれば来ないでほしいな」

 

 私の知る彼女なら、こう言えば怒って帰っていく。冷たい気もするけど、私に突っかかってきたのは優姫だ。これくらい言っても不自然ではない。

 

「そう……ですか。すみません」

 

 予想に反し、怒ったりはしなかった。

 今にも泣き出しそうな顔をして優姫は俯き、とぼとぼと元の位置に戻っていく。見るからに落ち込んでいる彼女だが、私の台詞を聞いて驚くような様子は見せなかった。

 分かっていたのだ。自分が嫌われるようなことをしたと。

 その一瞬で物凄い罪悪感がわいてきた。これまで散々迷惑をかけられたにもかかわらず、だ。

 謝ろう。そう思った時、私の横から小さな笑い声が聞こえた。

 

「あーあ。思い切り振っちゃったわね」

 

 聞いたことがない声だった。

 私は無意識にそちらへ顔を向ける。

 見知らぬ少女がそこに立っていた。

 つり目がちで勝気そうな印象の少女だ。私と同程度の身長で、身体のラインはモデルのようにスレンダー。金髪ツインテールと黒い二ーソックスが特徴的で、所謂ツンデレキャラっぽい容姿をしている。優姫ほどではないが、綺麗な子だ。

 彼女は楽しそうに私へ笑みを向けている。

 その表情には親しい友人をからかうような、近い距離間が感じられた。

 

「悲しんでるわよ? 彼女。面と向かって苦手なんて、中々言われることじゃないし」

 

「え……っと。君誰?」

 

 この場にいるし、一年生なのは分かる。しかし彼女にかわかわれる覚えはなかった。

 尋ねると、彼女はまたクスリと笑う。そして一言、

 

「妹」

 

 さらりと告げた。

 驚愕の真実。私の妹は同じ学校にいたのだ。

 

「――はあぁ!?」

 

 一瞬の間を空け、意味を理解すると同時に叫ぶ。

 有り得ない。記憶を失った私だけども、家族のことはよく分かっている。

 私の身内は残らず死亡しているのだ。国が調査した結果だから間違いない。

 そもそも私には妹という存在すらいなかった筈。一人娘だし。

 つまりは――

 

「嘘じゃないわよ、姉さん」

 

 思考を呼んでいるかのようなタイミングで少女は言う。

 うろたえる私の反応を見て、少女が笑みを深めた。

 からかっている。それは理解できた。けれども不思議なのは嘘を言っている気配がないことだ。彼女はそれが何年も前からの常識みたいな調子で、私の妹を名乗っている。

 彼女の揺るぎない瞳で見つめられ、私は焦りの他にふと何かを感じた。

 なんだろう。何かが間違っているような。

 ほんの些細な引っ掛かり。忘却に消えた微かな記憶が、私の思考を遮る。

 

「君は」

 

「はーい。それじゃあ授業始めるぞー」

 

 私はずっこけた。

 前を見てみれば、いつの間にか女性の教師が校庭へ来ている。予鈴から数分後。時刻はちょうど授業開始くらいだろうか。

 知らぬうちにタイムオーバーである。少女のせいで時間を気にすらしなかった。

 

「ね。姉さん一人?」

 

「一人だけど……なに?」

 

 質問を返す私に、妹と名乗る人物はウインク。そしてこう提案してきた。

 

「私と一緒に組みましょ。大丈夫、私はほどほどな実力だから」

 

 もし本当ならば願ってもみない申し出。だが――何故それを知っている?

 私が尋ねるよりも早く、教師が号令を出し、整列することに。

 

「話は後で聞かせてもらうからね」

 

 怒られぬよう私がこっそり言うと、彼女は笑顔のまま頷いた。

 そうして、わけの分からないままに評価制の授業がはじまる。

 約二名の鋭い視線を感じた気もするけど……勘違いだと思っておこう。

 

 

 

 ○

 

 

 

 名前を呼ばれ、私は妹(仮)と校庭の中心へ向かった。

 さながら軍隊のように立っている生徒の列から出て、教師からほどほどに離れた位置で制止する。

 いよいよ順番が回ってきた。

 私は嘆息。それから視線を上げ、対戦相手を見ておく。

 校庭の真ん中に立つ教師、その向こうに一組のペアが立っている。斧を背負ったサイドテールの女の子と、ネコミミを生やした奇怪な少女だ。容姿的にそれほど強そうではない。

 この世界の強者は得てして王道。一概には言えないけれども、あんな普通の見た目をした彼女らが強い筈はないのだ。

 うん。対戦相手に不満はない。問題は……妹だ。

 彼女は私の言う王道にあてはまる人物である。容姿だけでもファンは多そうだ。

 とてもほどほどな実力には見えないんだけど、まぁなるようになるか。

 評価が上がれば、また下げるのみ。時間を消費するけど、それで済むなら安いものだ。

 私が暢気な思考に落ち着くと、戦いの準備が整ったことを確認した教師が手を挙げる。

 

「はいはい、じゃあとりあえず挨拶しようか」

 

 軽い口調である。

 学校指定のジャージを着用している彼女は、確か佐藤(さとう)教諭。

 体育を教えていた教師だが、絶対評価制が施行されてからは評価制の授業も兼任している校内『最強』の一角だ。

 気さくで親しみやすい性格、卓越した身体能力、大人の魅力あふるる容姿……その全てが高評価を獲得しており、彼女の能力の数は計り知れない。

 『素』で高評価を得ている珍しい人間だ。

 彼女は適当に後ろで縛った長い黒髪を揺らし、右、左と向かい合ったペアの方を向いて挨拶を促す。

 

『よろしくお願いします』

 

 二つのペアは大体同じタイミングで頭を下げた。

 戦いといえど学校の授業。やはりそこにはスポーツマンシップじみた精神が存在するのだ。

 丁寧に礼をする三人、生意気な新入社員のように、おねがいしゃーすと頭を下げる私を見て佐藤教諭は満足そうに頷いた。

 

「よーし、それじゃあ殺す覚悟で頑張って」

 

 スポーツマンシップは礼からたった数秒で消し飛んだ。

 向かい側にいる生徒が斧、短剣を取り出し、殺意を露わにする。

 始まった。私は身構えると、隣の妹はどうしているのか確認してみた。

 敵が物騒なものを持っているにも係わらず、彼女は悠然としていた。武器の類いは持っていない。前髪を手でかきあげ、ツインテールを揺らし、とても余裕な態度だ。

 

「始まったよ?」

 

 堪らず声をかけると、彼女は頷いた。

 

「ええ、知ってるわ。姉さん前に出てくれる? 私前衛は苦手なのよね」

 

「別にいいけど……戦ってよね?」

 

「当然。姉さんを負けさせるわけにはいかないし」

 

 渋々前に出る私。

 格闘しか戦う手段がないし、前に出るのは当たり前なんだけど……なんか不安だ。妹が余裕だから余計に。

 

「さて……」

 

 軽くその場でステップ。

 前を見れば、対戦相手のペアは二人揃ってこちらへ突っ込んできていた。

 魔法の類いは使わないらしい。有り難いことだ。

 前衛の私がするべきことは二人を妹へ近寄らせないこと。ここは私も突っ込んでおくことにしよう。思考し、私は走り出す。ほどなくして、斧が届く範囲に入った。

 サイドテールの女の子が巨大な斧を振りかぶる。柄を抱えるように持ち、刃を内側に向けて左へ。

 左から右への斬撃。素早い動きだが、容易に予想できた。

 身を低くし、サイドテールの前へ大きく一歩進む。

 私の頭上を斧が通過し、鈍重な風を切る音を響かせる。あと一歩進めば拳が届く距離。斧は振り切られ、次の攻撃がやってくる気配はない。

 隙だらけだ。続いて一歩踏み出すと、私は体勢を低くしたまま足払いを仕掛けた。

 『格闘』能力の補正がかかり、つたない蹴りは鋭く、目に見えないほどの速度となる。くらえば、防御系の能力を持っていたとしても、転倒は免れまい。

 蹴りが命中する。思惑通り転倒した彼女は斧を落とし、派手に尻餅をつく。そこを突こうとして――私は横へ飛んだ。

 

「なっ!?」

 

 驚いたらしいネコミミの声が聞こえる。

 相手は気づいていないようだが、攻撃しようと踏み切ると派手に砂利を擦る音がするのだ。あとはタイミングを合わせて回避行動を起こせばいい。

 私が彼女の攻撃を見もせずにかわせたのは必然と言えるだろう。

 間抜けな顔をしたネコミミへ、私は素早く体勢を直し、拳を突き出した。

 避けられる道理はない。肩に当たり、ネコミミは猫らしい鳴き声を上げて転がっていった。

 うまくいっている。意気揚々と私は、近くのサイドテールへとどめを刺そうと振り向く。しかしそこに彼女はいなかった。

 ――背後。

 濃密な殺気を感じ、私は振り向こうとする。だがそれよりも早く、耳を塞ぎたくなるような大きい音がさく裂した。

 

「うっわ!?」

 

 爆弾のような衝撃。何の用意もできていない私は、後ろを向きかけたまま爆風に吹っ飛ばされる。

 が、痛くはない。地面を転がって、僅かな擦り傷ができるくらいだ。

 私が対象ではないのか、はたまたそういった効果なのか。どちらにせよ理解不能だった。何故有利な状況で私を逃がすようなことをしたのか。

 数メートル進み、転がる勢いが減衰する。文句を言いながら立ち上がると、先程背を向けていた場所には小さいクレーターのようなものができていた。

 その中心には、斧を傍らに倒れるサイドテール。何をされたのやら、制服に焦げ跡をつけ、目を回していた。

 どうやら攻撃をしたのは私の仲間らしい。

 

「姉さん大丈夫?」

 

 抗議の視線を送ると、実行犯らしい妹は胸を張りつつ悪びれなく尋ねてきた。

 髪をかきあげ、どうだと言わんばかりに得意げな顔をしている。

 なるほど。前衛が苦手だと言っていたのはこのせいか。

 妹はおそらく魔法を中心に使うタイプなのだろう。詠唱を要し、隙が大きな魔法は、敵と向かい合って使うこに適さない。威力の高さはあるものの、かなりリスキーだ。

 それならば後衛をすること、サイドテールがいいタイミングでやられたことも納得できる。

 正直言うと、制服が汚れてしまうから私を巻き込むのは止めてほしかったけど……怪我を負ってしまうのはもっと嫌なので黙っておく。

 

「おおう。これは圧勝だね」

 

 二人とも戦闘不能となり、サイドテールとネコミミの具合を見た佐藤教諭が暢気な声を出した。彼女らに大した怪我はないようで、先生はとてものんびりしている。

 流石は化け物。魔法による爆発をくらっても、熊を殺すような拳を受けても無事だとは。

 絶対評価制、能力が出て、普段の基本的なステータスも格段に上がったというけど、こうして頑丈さを見せつけられると痛感する。きっと私が斧で背後から切られても、重症くらいで済むのだろう。

 全然被害が軽くなった気はしないけど、即死レベルになるよりはマシだと思う。

 

「意外だよ。楼は能力一つなのによくやるね」

 

「あはは……運がいいんですよ、多分」

 

 苦笑して返答。

 私は教師に問題児――否、変わり者として認識されており、それなりに有名だ。

 まぁ、生意気な態度で、能力が『格闘』一つだったら嫌でも記憶に残る。

 

「おや、珍しく謙虚だね。いつもなら当たり前だ、くらい言うのに」

 

 佐藤教諭が目を丸くさせる。常識的な返事に驚いたのだろう。

 あ、まずい。忘れてた。低評価の為にも生意気キャラは維持しておきたいのに。

 私は慌てて話を逸らそうとする。

 

「次の対戦にいかなくていいんですか?」

 

「おお、そうだね。時間も押してるしさっさとやろうか。ご苦労様、四人とも」

 

 思い出したように手を叩く佐藤教諭。

 それに従って、よろよろと立ちあがったネコミミとサイドテールが元いた列まで帰っていく。横に並んで歩き、互いを励まし合っているようだ。

 私達を恨んでいる様子はなく、ただ負けたことを悔しがっている。中々できないことである。結構いい人なのかもしれない。

 彼女らの後ろを歩きつつ私は思った。

 

「姉さん強いのね。能力は一つだって聞いてたのに、楽々二人を相手にして」

 

 列に戻ると、妹が感心した口ぶりで言った。

 能力一つで複数人を相手にする。その異常性は私もよく分かっている。だが、今回は本当に運が良かっただけなのだ。

 魔法を使う敵が出てきたら、私の負けは確定する。

 じゃんけんみたいなものだ。今回はたまたまこちらの握りこぶしにチョキが出てきてくれただけ。

 

「当然。私は能力が少なくてもやっていける」

 

 と思うのだが、キャラを持続させるためにも大きく出ておく。

 妹はふーんと興味なさげにつれないリアクションを返す。自分から言っといてなんだ、その態度は。

 私は嘆息をもらし、前へ視線を向けた。

 ちょうど次の戦いが始まる頃だった。一組は特徴のないモブの方々。

 それに対する相手は――紀理、優姫の最強なんじゃないかと思えるペアだった。

 余りものには福がある、なんてレベルじゃない。理不尽だ。勝負にもならないだろう。

 すっかり怯えて青くなるモブさん達の近くで、リモコン型をした無効化のスイッチに指をかけている、真顔の佐藤教諭が印象的だった。

 最早処刑である。一度優姫に叩きのめされた私としては、痛いほど同情できた。

 

「あれはどうなるかしら。姉さんみたいに差を覆せるなら面白いんだけど」

 

 完全に他人事な立場にいる妹は、にやけながら呟く。

 私も他人事ならば存分に楽しめただろう。校内屈指の強者が組み、弱小ペアを捻り潰すのだ。しばらく話題に困ることはない。

 しかし私は今回、他人ではなかった。

 これから起こるであろう惨状に、五割くらいの原因を背負っているのではないだろうか。

 二人はとても不機嫌なのである。見て分かるくらいに。

 多分、私が二人の誘いを断って他クラスの女生徒と仲良くしていたからだろう。

 まぁ優姫は誘うようなことを言ってなかったし、妹とはそれほど仲良くないのだけど……怒るのも自然なことだと思う。

 頬に汗を流す私。そうこうしている間に四人は礼をし、戦いが始まろうとしていた。

 

「できるだけ即死はやめようね。先生もタイミングを見失うことはあるから」

 

 さっきと言っていることが露骨に変化している佐藤教諭であった。

 

「大丈夫ですよ、先生」

 

 刀を鞘から抜くと、小さく、だがよく通る声で優姫が言う。

 俯いていて顔は見えない。けれどもその姿は見る者を圧倒させる迫力があった。

 

「――うん、そうだね」

 

 同意する声が彼女の横から上がる。

 紀理である。二丁の銃を構えた彼女は、いつものように笑顔を浮かべている。ただ、今彼女の表情に浮かぶ笑みはとても不自然で歪だった。

 二人ともラスボスだとか、数百人殺していると言われても納得できるほどの風格だ。

 彼女らは揃って敵であるモブの二人へ武器を向け、ニコリと笑う。

 

「殺しはしません」

「殺さないから」

 

 嗚呼、これはまずい。

 直観的に私が思った瞬間、凄まじい音とともに怒りを込めた絶叫が聞こえてきた。

 

「なんで私の心遣いが無下にされて、見知らぬ人が優遇されるんですかああぁっ!」

「親友なのに楼のバカヤロー!」

 

 ……直接私に攻撃がこなくてよかった。

 まさに一瞬と呼ぶべき短時間で地面に倒れたモブ達を見て、私は関係者として思うのだった。

 

 

 



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二章

「武蔵 楼」

 

 真っ暗な部屋の中。真面目そうな印象を声は、とある人物の名を呼んだ。

 それと同時に、部屋の中に備え付けられたプロジェクタがスクリーンに一枚の画像を映し出す。

 映し出されたのは長い黒髪の少女である。

 人が好さそうな優しい顔した彼女は、何者かと話しているのか愛想笑いを浮かべている。

 身につけているのは制服ではなく、何故か黒のスーツとスカート。

 噴水と緑が背景となっている公園で撮られたらしき写真の中で、彼女のきっちりとした服装は浮いていた。

 拡大したからだろう。画質が悪く、目線はカメラに向いていない。カメラを意識している様子もなかった。

 素人目にもこれが盗撮によって撮られたものだと分かる。

 しかしそれを指摘する声は上がらなかった。

 

「これは我が『組織』の潜入員が撮影した彼女の写真です。撮影した日付は今年の3月14日。国の機関にいた時代のものです」

 

 写真を手で示し、真面目な声の少女は話す。

 すると別の声が疑問を口にした。

 

「国の機関に? ――彼女の経歴は?」

 

「『混沌』で両親を亡くし、さらに記憶喪失。現在の学校に入学する一ヶ月前までは、二年間をかけて国の指導の元、中学校までの学習や簡単なトレーニングを行っていたそうです。それ以前は至って平凡な少女、としか言いようがないです」

 

「なるほど。分かった。それで……どうして彼女を仲間に?」

 

「妹」

 

 真面目な声が回答を促す。少しして椅子を床に擦る音を立てながら、プロジェクタの光の中に妹が現れた。特徴的なツインテールを揺らし、椅子に座る。そして堂々とした態度で脚を組んだ。

 

「理由は簡単。彼女は私の妹だからよ」

 

「意味が分からないのだが」

 

 曖昧な答えに、淡々とした返答。

 沈黙が起き、空気が少し冷たくなった。

 真面目な声の人物は、あぅあぅと小さな声をもらす。慌てているようだ。

 

「よく知っている仲だから、必ず仲間になってくれるって意味ですよね? ねっ?」

 

「そうとも言うわね」

 

「あるほど、それなら納得だ」

 

 空気が若干だが緩和される。

 スクリーン横の真面目な声の人物は、ほっと息を吐いた。

 

「けれど、それだけでは理由として不十分だ。確かに人員は多く欲しい。しかし彼女に『組織』へ入る資格があるかと問われれば、無論ノーだろう。戦う力がなさすぎる」

 

「ふんっ、いつもパソコンばかりでロクに戦えない奴がなに言ってるんだか」

 

「妹ちゃん!? だ、ダメですよ、仲良くしてください。仲良く」

 

「うっさいわね。あんたもあうあう言ってないで、私の案に賛成したんだから、少しは手伝いなさい!」

 

「な、なんでそうなるの!? 私リーダーなのに! 中間の立場にいないと、独裁になっちゃわない?」

 

「……いつも我我言ってるなら頼もしいのに、なんでこう面倒なのかしら」

 

 妹は嘆息。あうあう言っているリーダーを放置し、言葉を続ける。

 

「とにかく、人員は多いにこしたことはないでしょ? それに姉さんは能力が一つの状態でもそれなりに戦えるし、役にも立つ。拾っておいて損はないわ」

 

「……分かった」

 

 淡々とした声の人物も渋々だが納得したようだ。

 人員の確保。それは『組織』において、最も重視するべき問題となっている。

 楽に加入してくれそうで、かつそれなりに使える人材。それを拒めるような状況ではない。

 妹は不敵な笑みを浮かべ、椅子から床へ立ちあがった。

 

「じゃあ、明日から接近を試みるわ。――それと、試験のことしっかり考えておいてよ」

 

 『試験』。何気なく言った言葉に、妹意外の人物は沈黙した。

 やがて、淡々とした声の人物が口を開く。

 

「やるのかね? 本人の同意も得られない内に」

 

「ええ。勿論よ」

 

 妹はにっこりと笑い、プロジェクタの光から出ていく。

 

「姉さんは世界の命運を握ってるんだから」

 

 プロジェクタの電源が切れ、部屋は暗闇と静寂に包まれた。

 

 

 

 ○

 

 

 

 放課後。いつもは真っ先に自宅であるマンションへ帰る時刻なのだが、今日私にはやらなければならないことがあった。

 ホームルームが終了し、騒がしくなる教室内。鞄を持つと真っ先に教室から出て行く。

 目指すは隣の教室。今日評価制の授業をともに受けたクラスである。

 そう。私の目的は妹から話を聞くこと。

 彼女は自分のことを妹だとか語っていたが、そんな確証はどこにもない。むしろそれを否定するような証拠しかないのだ。

 授業が終わってからはなんだかんだと逃げられたが、私を姉と呼ぶ理由を知るために、会っておかねばならない。もし嘘や理由がないならば、これから無視のスタンスを貫くとしよう。

 考え、開いている教室のドアから中の様子を窺う。

 赤、緑、青……相変わらず頭が狂ったような風景が広がっており、中にいる生徒らは帰り支度をしていた。もう帰っている生徒もいるのか、空いている席もちらほらと見える。

 

「……あれ?」

 

 私は首を傾げる。カラフルな教室内に、妹らしき金が見当たらないのだ。あんな目立つカラーリングと容姿をしていたらすぐ分かりそうなものなのだが。

 もう帰ったのだろうか。もしそうなら困る。容姿くらいで、彼女に対する一切を知らないわけだし。

 

「あら、何かご用ですか?」

 

 中を覗き込んでいた私へ、いかにも優等生な外見をした少女が声をかけてくる。

 柔らかい色の茶髪と穏やかな目。優しそうな人だ。

 おそらく、人に親切にしてポイントを稼ごうとしている偽善者だろう。

 今のご時世、少しでも困った素振りを見せると、家電量販店の店員並みに目敏く声をかけてくるのが人間だ。

 少しでも親切に印象よく、評価を稼ぐ。生き抜くための賢い手段である。

 うっとうしいだけの存在だが、役に立つときもあるようだ。

 私はむすっとした顔で尋ねる。

 

「金髪ツインテールの女の子知らない?」

 

「ああ、あの子ですね。あの子なら体育館に行くって」

 

 意外にも行き先を言っていたようだ。この子は彼女の友達なのだろうか。

 疑問を抱く。しかし尋ねている時間はない。私は軽く頭を下げてから体育館に向かうことにした。踵を返そうとし――

 

「あ、楼さんじゃありませんか」

 

 聞こえてきた声に顔を向ける気すら失くす。

 優姫以上の難敵が出現してしまった。隠そうともせず大きな溜息を吐き、私は近づいてくる足音の方向へと振り向いた。

 数人の生徒を引き連れて歩いているのは、美形としか言い様のない容姿をした男だ。

 すらりとした細めの長身。優しさを全面に出した目。温和そうな笑みを浮かべている口元。その全てが理想とも言える場所に収まっており、こうして見慣れてしまった後でも一目見ただけで息を呑んでしまう。

 この世のものとは思えない見た目をした男性である。色の濃い、肩程まではある紫色の髪が異様なほど似合っていた。

 

村上 賢哉(むらかみ けんや)……」

 

「おや、ようやく覚えていただけました?」

 

 私が嫌そうな顔をしながらフルネームを呼ぶと、村上はさも嬉しそうに微笑んだ。

 背景が輝いて見えるような笑みに、彼の取り巻きである女子生徒が黄色い声を上げる。私は耳を塞いでそれに頷く。

 彼自身はそれほど嫌いではないのだが、この一連の流れが嫌いだった。女子の高い声は耳が痛くなる。

 私も女子なのだけど、分かると思う。アイドルやらなにやら、熱狂している女性の声は普段と別物になるのだ。私も多分美味しそうなものを見つけたりすれば、さぞかしうるさく騒ぐことだろう。

 

「そりゃ一ヶ月話しかけられれば覚える」

 

「ふふ、それはそうですね」

 

 私の刺々しい言葉へ、彼はまるで嬉しいと言うように笑顔を浮かべたまま頷く。

 一ヶ月前――簡単に言えば入学してから、私はこの優男に声をかけられている。理由は簡単。私が不良だからだ。

 私を監視、制裁しようとする優姫に対し、彼のスタンスは真逆。優しく見守り、私をやんわりと優等生の方向へと誘導していくのだ。

 取り巻きがいなかったら、私も彼の優しさにあてられて少しは真面目に評価を稼いでいたかもしれない。

 現に、彼が更生した生徒の数は数えきれないほどである。

 容姿の悪さから思ったように評価を稼げす、やさぐれた生徒がいたときは親身になって相談に乗り、共にボランティアに励んだとかなんとか。

 巷では聖人だともっぱらの噂だ。男女問わず人気があり、戦闘能力では優姫に劣るものの、数多くの技術を所持しているらしい。

 

「どうですか、最近は。評価点は増えました?」

 

「増えない。私が増える筈ないでしょ」

 

「そうですか。不思議ですね、可愛らしいのに」

 

「ごふっ」

 

 そしてもう一つ特徴がある。このように小っ恥ずかしいことを平然と口にするのだ。

 慣れない言葉に拒否反応が出て、思わず口から女子らしからぬ変な声が漏れる。

 周囲の女子からの鋭い視線や羨望の目を受けつつ、私は彼を睨むようにして答えた。

 

「あんた馬鹿? 私が可愛かったら、何もしなくても評価が入ってくるよ。あんたみたいに」

 

「あはは、手厳しいですね。でも確かに僕は楼さんのことを可愛いと思うのですが」

 

「だ、だだ、だから何を言っているんだか」

 

 まずい。あまりの慣れなさに震えがきた。

 女子に言われるならまだしも、なんで学園のアイドルみたいな輩に取り巻きの前で可愛い発言をされなければならないのだ。私の精神的負担を少しは考慮して頂きたい。

 

「――私は急いでるから! 用がないならもう行くけど?」

 

「あ、そうですね。すみません。なら、用件を一つ」

 

 ぺこりと頭を下げ、村上は真面目な顔をして手をこちらに差し出した。膝をつき、恭しい動作で。

 なんだろう。この少女漫画みたいな構図は。これが漫画の世界なら、多分私は彼の突拍子ない行動に白目になっていたことだろう。

 

「何してんの?」

 

 取り巻きや野次馬がざわめく中。妙に冷静な私の問いへ、村上は真剣なトーンで答える。

 

「楼さん。『優等生』の仲間になりませんか?」

 

「嫌」

 

「ええっ!?」

 

 即答すると村上が両膝を付いて正座するような体勢になり、困惑した様子で私を見てきた。まさか断られるとは。そんな心の声が聞こえてくるようだった。

 可哀想だけど、即答されても仕方ないと思う。

 『優等生』。無尽蔵と言っても差し支えないほど多く存在する学校内の部活動、その一つである。

 活動目的は評価を得、優等生となること。

 短銃明快な目的、評価の重要性などの理由から、この組織は学校内で最も大規模な部活となっている。

 彼はそんな優等生の幹部なのだ。

 彼が『優等生』に参加している目的は、評価の平等性を実現すること――なのだが、それに関しては私はあまりいい印象を受けていない。

 評価は自身の行動が第一であると同時に、容姿も重要な要素を担っているからだ。

 どんなに善人であろうと、不細工とイケメンでは評価の上がる倍率が違う。

 彼が評価の平等云々言っているのは、まことに立派である。しかし恵まれた位置にいる人間が平等性を説くのは、どうかと思うのだ。余計なお世話的な。

 ……僻みなのかな、これ。

 

「いや、だって私評価要らないから。『優等生』に入る価値が見出せないんだよね」

 

 とにかく。私は『優等生』に入る気はない。朝早く起きて走ったり、ボランティアしたり、学業に励んだり、清掃したり、帰りに喫茶店寄ったり、スポーツしたり……学生生活をエンジョイするつもりはないのだ。

 

「僕と一緒にいれるじゃないですか」

 

「色々文句をつけたいけど……それあんたが得してない?」

 

「無論ですっ! 勿論楼さんも幸せにしますが、一番の幸せ者は僕です!」

 

 力強く肯定する村上。すると周囲がざわついた。

 あの村上が他人を利用するようなことを言ったのだから、そのリアクションは無理もない。

 何がどうなってそうなるのか分からないけど、私が村上と一緒にいると彼にとって得が生じるらしい。

 話しにならない。わざわざ他人に利用されようとする人間がどこにいようか。

 私は溜息を吐く。

 するとそれまでざわついていた周囲が急に静かになりはじめた。

 なんだろう。疑問を感じる私。見れば最低な発言をした村上も沈黙して私を見ている。

 なんでこんな静かなの? そんなに重要な場面?

 考えて……まったく身に覚えがないので、いつも通り断ることにした。

 

「お断り。用がそれだけならもう行くから」

 

 早いところ体育館に向かうことにしよう。

 手短にお断りの意思を伝えて、膝をついている村上の横を通る。そして廊下を歩いていく。

 それにしても、本当になんだったんだろう。みんなしてあんな真面目になるなんて珍しい。

 

「村上様の告白をああもあっさり……」

「武蔵の低評価も納得よね」

「許すまじ……楼」

 

 いつもより陰口が多い気もするし。

 ま、どうでもいいか。優等生のことなんて私には無関係だ。

 平々凡々。それが私が目指すべき終着点なのだから。

 

 

 

 ○

 

 

 

 体育館は教室のある校舎から少し離れた場所にある。

 校舎から入れるルートは二つ。一つは校舎の外へ出て、歩いて入り口に入っていく。

 二つ目は校舎二階の通路を通り、直接体育館に入るルートだ。

 今回私は二つ目を選択した。妹は体育館に向かったと聞いたし、おそらく問題ないはずだ。

 

「しかし妹は何の用でここに来たんだろう」

 

 渡るのに二分もかからない通路を歩きつつ、ふと一人呟く。

 夕方の校内は静かで、遠くから部活を行っている野球部らしき人達の声が聞こえてくる。思考にはちょうどいいくらいの静けさだった。

 妹が部活を行っているなら、今の展開も納得できるんだけど。

 

「ん?」

 

 あれこれと考えていた私は顔を上げた。

 何か聞こえた気がする。部活動で起こるようなものではない。悲鳴と、誰かが倒れたような……。

 

「あ」

 

 何故だか分からない。不意に私は思い出した。

 部活の勧誘。生徒手帳。目まぐるしく過ぎていった一ヶ月の中で何度も見てきた情報が、私の脳内にふっと浮かぶ。

 今日は月曜日。月曜日はどの部活も体育館を使用しないのだ。

 色々とおかしい点が出てきた。

 無性に帰りたくなってきたんだけど。……でも、あんな音を聞いて帰るのは家で胸糞わるくなりそうだし。今更回れ右するのも癪だよね。

 

「嗚呼、面倒」

 

 私の性格、そして状況に忌々しく呟き、走り出す。

 鉄製の通路をこんこんと足音を立てて進んでいく。少しして体育館の入り口が見えてきた。

 カーテンが締め切られ、真っ暗な館内の二階、長方形のちょっとしたスペース。そこには誰もいないようだが、微かに明かりが見える。

 おそらく、一階を照らしているのだろう。

 嫌な予感がした。

 武器の所持、そして能力。これらが認められてから、生徒達の自由と責任は以前と比較にならないほど広く重くなった。

 が、それについていける様な大人は少数だ。

 大多数は多数派に流され、責任を知らぬ少数は自分勝手な行動をとる。

 その辺の仕組みは変わらない。

 私が言うのもなんだけど、馬鹿みたいないじめはまだ実在している。

 評価が減ればまともに生活できない。決定的な弱者として生きる。

 それが浸透しているから死亡者は出ていないものの、おそらくいつか死人が出ることだろう。

 それも、かつての人間より悲惨な状態で。

 もし誰かがやられているなら……止めなければならない。後のことは考えない。とにかく助けなくては。

 まだそうと決まったわけでもないが、走りながら息が乱れぬようペースを調整しておく。体育館の中へ入り、二階の柵に手を付いて一階を見下ろした。

 予想通りライトに照らされた一階には、数人の生徒がいた。

 三人の男子学生と、彼らに囲まれるように立っている二人の女子生徒。

 男子学生は顔がいいでもなく、特徴があるわけでもない。評価が低そうなモブ達なのだが、見る限り男子生徒が優勢であった。

 制服に汚れ一つない男子生徒。それに対し、女子生徒はボロボロだ。

 一人はやはりというべきか、金髪ツインテールの妹である。先程の声や音は彼女が出していたのだろう。片膝をつき肩に手をやって、とてもピンチな感じ。

 もう一人は見たことがない女の子だった。眼鏡をかけていて、おどおどとした性格というか、地味さが見ただけで認識できる今時希少な女の子だ。

 ――これは助けに行くべきだね。

 普通の決闘ならば手出し無用。しかしあそこまでボロボロになって尚続けるのはマナー違反だ。っていうか、男子として恥ずかしくないのだろうか。

 深呼吸。柵の手すりに足をかけ、私は躊躇なく一階へと降りた。

 スカートを押え、直立のまま落ちていく。大丈夫。『格闘』の能力ならこれくらいの高さは耐えられる。

 着地。衝撃は不自然に緩和、靴の底は擦れ、私は何事もなく斜めに傾き――

 

「お前ら、女子をいじめるのはやめ゛っ!?」

 

 思い切り頭を打った。

 衝撃は計算に入れてたけど、摩擦は考慮してなかったわ。体育館用シューズの大切さを痛感するね、まったく。

 

「いじめは、よくない」

 

 ぽかんとした顔を向けてくる面々へ、頭を押さえながら標語よろしく手短に声をかける。

 壁に手を付きながらなんとか立ち上がり、痛む頭を横に振った。まだ視界はぼやけるけど、これくらいならまだまだ戦える範疇である。

 よたよたとおぼつかない足取りで前に出る。すると何故だろう。男子生徒にビビられた。

 

「いじめ、してたでしょ」

 

 後ずさる男子生徒へ再度問いかけると、彼らはようやく返事をした。

 

「いじめなんてしてないよ」

 

「そうだ。私達は彼女達に能力の指導をしていただけだ」

 

「勘違いしてもらっては困る」

 

 と、男子生徒三人の主張。

 気弱そうな優男、眼鏡で偉そうな男、がたいのいい男の順番に三人で同調するような台詞を言う。

 言い分を簡潔にまとめると『指導だから悪くない』、その一点。どこの犯罪者だ。

 呆れつつ、私は妹へ視線を向ける。彼女は私と目を合わせると、一度頷いた。

 

「姉さん……」

 

 助太刀に感謝する。彼女の呟きと視線から、そんな戦士のごとく潔さと、誠意のこもった感謝の気持ちが伝わってきた。

 生意気でわけの分からない奴だが、意外に可愛らしい一面もあるものだ。

 

「馬鹿な登場ね」

 

 余計な言葉を付けた足さんでよろしい。

 著しいやる気の減少を感じつつ、私は身構える。

 馬鹿にされはしたけど、間違っているとは言われていない。眼鏡の女の子は『助かった』みたいな顔をしているし、戦って大丈夫な筈。

 

「そっちが指導って言うなら、私もしてあげる。教育を」

 

 三人の男子が何かを言おうとするが、知ったことではない。まずは一番近くの気弱に向かって疾走していく。彼は剣と盾を持っており、見るからに接近戦特化のタイプである。私の得意な間合いで戦ってくれる人間だ。

 驚く気弱。すぐに距離を詰め、私は拳を叩きつけようとする。が、バッと斜めへステップ。彼を中心にするようにして左へ回り込む。

 

「チィッ!」

 

 眼鏡の男が舌打ちをする。それと同時に、溜めていた魔法を解除した。

 危ない危ない。チラッと見えたけど、あの短時間で詠唱を終えるとは。魔法に『格闘』は通用しない。

 普段は馬鹿みたいに速く動ける私だが、魔法を避けると無意識に思うだけで補正を失ってしまうのだ。そうなれば後は勘だけ。動体視力も踏み込みの速さもなくなり、頭から飛び込むくらいしか回避の方法がない。

 今回の戦いは負けられない。悪人に負けるのが嫌なのは無論で、負けてこいつらが調子に乗ったら目も当てられなくなる。

 だから、必ず勝たないと。

 

「妹! 地味な子! もう少し戦ってくれるかな」

 

 倒した後に狙い撃ちされては困る。

 二人に戦うよう呼びかけ、横に振られた気弱の剣を拳で叩き落とし、接近。素早く体勢を直して右ストレートを顔面にぶち込む。

 手に固い骨の感触が伝わる。しかし『格闘』の名は伊達ではない。拳は鉄のように硬く、衝撃を吸収する。人の顔面を殴ったというのに、全然痛みはなかった。

 倒れる気弱に続いて、がたいのいい大男が私に迫る。

 それと同時に、彼の後ろにいる眼鏡が、焦りながらも詠唱をはじめた。大男の攻撃方法は分からない。けれども、このままではまずいことが容易に認識できた。

 

「姉さん! 目の前の敵に集中して!」

 

 私が思考を巡らせていると、妹の声がした。詠唱を終えたのだろう。その周囲には炎の渦巻く真っ赤な球体が幾つも浮いていた。

 早い。多分私が助けを求めるよりも早く準備をしていたのだろう。相手の眼鏡は私の行動に驚いていただけなのに、したたかな奴である。

 あれなら眼鏡は放っておいても大丈夫そうだ。苦笑いを浮かべ、大男へ視線を戻す前にちらっと地味な女の子を見ておく。彼女はあまり戦闘に慣れていないのか、ただ両手を胸の前で握ってこちらを見ている。詠唱や攻撃の素振りはない。

 まぁ、見た目通りの人畜無害な子だったというわけだ。戦いを強要する気はない。だがそんな子を指導だとか言って痛めつけた男子への怒りが更に強くなった。

 奥歯を噛みしめ、大男を睨む。彼も接近戦――私と同じように格闘が得意なようで、武器の類いを身に付けていない。

 おそらく彼は、私より多くの格闘能力を所持している。まともに戦って勝てるような相手ではない。

 では、どうするか。少し考える。

 ここは周囲に何もない体育館。相手は体格もよく、能力も多い、私の上位互換。

 ……勝てる戦術はおろか、希望すら見つからなかった。

 うう、すごく不安だけど、やるしかない。相手の能力を見極め、何を使おうとしているのか判断できれば被弾を減らすことも可能なのだ。『格闘』の補正が機能するだろうし、それでなんとかなる――と思うことにしよう。

 そうときまれば先制攻撃。こちらへ走ってきている大男目掛けて走り出す。

 不利な状況で先手をとられるのはまずい。ここはなんとしてもダメージを与えておきたい。

 眼鏡は妹に任せておき、目の前にいる大男の動きに集中する。

 

「はっ!」

 

 手の届く範囲に入る。と同時に私は右の拳を横に払う。

 小さく、隙もあまりない攻撃。これはいとも簡単に大男に受け止められた。

 だが、それでいい。これは次の攻撃への布石なのだ。

 すかさず振りかぶっていた左手を突き出そうとする。瞬間、身体が右へ思い切り引っ張られる。

 一体なにが起こった。混乱する私は右手に走る痛みを認識し、何が起こったのか理解した。

 この大男は防御したと同時に、私の拳を掴んで、横へ引っ張ったのだ。

 思い切り突き出した拳は大男の顔を掠るだけにとどまり、大したダメージを与えられずに振り切られた。バランスを崩し、倒れそうになる――が、大男が私の腕を掴んでいるため、それはない。

 腕に全体重がかかり、私は痛みに顔をしかめた。

 彼に吊られるようにして、私は倒れずに身体を起こしている。そう、あまりに無防備な姿で。

 大男が手を離す。何をするかは、後ろに下がっている彼の足から予想できた。

 痛いのは避けたい。人間として当たり前の本能が、反射的に私の両手を動かす。腕を顔の前でクロスさせ、防御の姿勢をとる。

 刹那、想像だにしない衝撃が私の頭を貫いた。女子の平均はある体格の私が軽々と飛び、壁に叩きつけられる。

 手を離し、タイミングよく蹴りあげられる……さながらサッカーボールのように私は吹き飛び、バウンドすることも転がることもなく、壁から落ちる。

 

「ぐっ、ぁ……」

 

 腕に、頭、そして背中の痛みに弱々しく喘ぐ。靄がかかったような視界。遠くに大男らしき姿が見える。

 口の端から出そうになる唾液を手で拭い、私はうずくまるようにして丸まり、楽な姿勢をとる。

 息がうまくできない。苦しい。身体が痛い。ぼんやりする。他にも症状があるだろう。だが――それだけだ。

 気を失ってはいないし、まだ身体は動く。少しすれば戦える筈だ。

 

「驚いたな、まだ動けるか」

 

 自身の荒い呼吸が聞こえる中、大男の感心するような言葉が聞こえる。

 それはさも偶然そうなったような、私の『幸運』を称えるような口振り。

 だが、私が動けるのは偶然じゃない。

 くらう前に交差させた腕を、相手へ押し出す。それによって『格闘』の補正を引き出し、攻撃する腕を硬化させたのだ。

 私が予測し、行動した結果。それは偶然ではなく必然である。

 ――そこまでして、このダメージなのは予想外だったけどね。

 とかなんとか、自慢したいくらいの好プレーを心の中で解説しつつ、息を、体調を整えようとする。

 しかし回復系統の能力がない私の回復力は人並み。とても大男が近づいてくるまでに戦える状態になれるとは思えなかった。

 

「くそっ……」

 

 低評価をキープしている私が悪い。しかし勝ちたい戦いにすら勝利できない、無力な自分が悔しかった。

 呼吸はそれなりに楽になった。このまま動けないところを攻撃されるのは癪だ。私は顔を上げると、再び壁に手を付いて立ちあがろうとした。

 息を大きく吐きつつ、震えながら身体を起こす。そこまではできたものの、足を床に立たせることはできなかった。

 足が上がらず、頭が揺れる。寝ていればどんなに楽か。誘惑に屈しそうになる自分を、壁を叩いて奮い立たせる。

 ――それは駄目だ。

 こちらが完全に正しい。正義なのだ。そんな状況で敗北するのは許せない。

 そうだ。私は……。

 

「負けられない」

 

 意識がはっきりする。視界はまだぼやけている。身体はまともに動けない。それでも私の意志は確かな言葉として口から出た。

 壁に付いた手を支えに、私は立ち上がる。ゆっくりではあるが確実に。

 自分でやったことだが、驚いた。とても立てる状態じゃないのに、何が私をここまで駆り立てるのだろうか。

 ……しかし、立ったところでなにもできない。このままでは走ることはおろか、歩くことすらままならないだろう。

 肩で息をしながら、近づいてくる大男を見る。すると、その背後に動く小さな人影を見つけた。

 最初は何か判断できなかったけれど、視界が晴れていくにつれてそれが何なのか視認できるようになる。

 地味な女の子だ。今を好機と見たのか、彼女は大男の背中をとり、接近を試みている。その表情には怯えが見えたが、何かをしようとする覚悟が窺えた。

 彼女は走りながら、口をぱくぱくと動かす。

 

『攻撃の用意をしてくださいっ!』

 

 何をしようとしているのか。疑問を抱くこともなく、私は壁に手を付きながら拳を振りかぶる。

 誰かが危険を冒して私を助けようとしているのだ。信じないのは失礼である。

 今は彼女を疑うより――攻撃の用意だ。できる限り呼吸を整え、全力の攻撃を行えるようにしよう。

 私は彼女を信頼する。ただ攻撃の用意をして、くるべき時に備える。自分で戦うより、圧倒的に気持ちが楽だ。

 私はにやけ、深呼吸のように深い呼吸を繰り返す。大男が間近まで近づいてくるが、心の中は落ち着いていた。

 大男が拳をつくり、私を嘲笑うような笑みを浮かべる。くる。能力の補正を貫き、軽々と私を吹っ飛ばした攻撃が私に迫ってくる。

 私は最後までそれを見つめ続け、一瞬ずれる(・・・)ような違和感を覚えた。立ちくらみのような感覚。一度目を閉じると、そこに見えたのは――

 

『今ですっ!』

 

 大男の背中だった。

 彼女の指示と重なって、鈍い音と小さな悲鳴が聞こえる。

 なにがなんだか分からない。しかし彼女が作ってくれたチャンスを無駄にはできない。準備はした。今は目の前の背中に、全力の拳を放つのみ。

 足をふんばり、一歩踏み込む。僅かに捻った腰を使い、私は今できる全力で攻撃を行う。

 硬い感触。弱っていたせいで補正が弱いのか、手がひどく痛んだ。

 しかし、相手はそれ以上に痛かったはずだ。

 背中で攻撃を受けた大男は呻き、その場に倒れる。やはり能力を使う人間とはいえ、不意打ちには弱いようだ。

 

「倒し……た」

 

 眼鏡は妹がなんとかするとして、私の身体はもう限界である。

 突き出した拳を引っ込めようとして、勢い余って尻餅をつく。傍目からは酔っ払いみたいに見えていたことだろう。

 そのまま仰向けに倒れた私の視界、照明が眩しい天井が映るそこへ、地味な女の子がひょっこりと顔を出した。

 

「助けていただいてありがとうございました」

 

 丁寧なお礼とともに彼女は微笑む。

 その頬には殴られたのか、赤い拳の痕が見えた。

 なるほど。

 先程起きた不可解な現象について、私は理解した。

 

「いえいえ。今のは君の能力だね……」

 

 こくり、と控えめに彼女が頷く。

 おそらく、私と対象の位置を取り替える能力と、テレパシー。

 彼女は私と位置を取り替えて、代わりに殴られたのだ。

 テレパシーは私の予測なのだが、私への指示が大男へ聞こえている様子はなかったし、指示と彼女が殴られた悲鳴が重なっていたのも普通では有り得ない。

 

「ありがとう。こっちこそ助かったよ」

 

 もし彼女の能力がなければ、あそこで無様にやられていた。

 私がお礼を言うと、彼女は恥ずかしそうに頷いて返した。

 ――そろそろ起きられるかな。

 

「あっ、つ。いたた……」

 

「あわわっ、大丈夫ですか?」

 

 地味な女の子に支えられながら身体を起こす。

 と、制服の汚れを払いながらこちらへ来る妹が見えた。

 その背後には黒コゲになって横たわっている眼鏡がいる。無事勝利したらしい。

 

「姉さん。派手にやられたわね」

 

 そう言っている妹も相当なものである。

 制服のあちこちが破れており、まだサービスカットにならないくらいのレベルで治まっているものの、若干いかがわしい。そして擦り傷が痛々しい。

 自分でもそれを分かっているのだろう。からかうようなことを口にしながらも、表情は不機嫌そのものである。なんであんな雑魚にこんなふうにされなくちゃ――云々考えてそうだ。

 

「そっちもね」

 

 私は苦笑し、痛む身体に鞭を打って立ち上がった。

 三人がいつ復活するかも分からない。軽く伸びをして呻き、私は二人へ提案した。

 

「いつつ……ふぅ。とりあえず、移動しよっか」 

 

 どうしてこうなったのか。

 ひとまずそれを聞かないといけない。

 なにか大切なことを忘れている気もしたが……まぁ、忘れているのだから大した用事ではないだろう。

 

 

 



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三章

「と、そんなわけで襲われてた彼女を助けようとしたのよ」

 

 学校から移動することしばらく。最寄駅前の公園で妹は経緯を語った。

 放課後から一時間は経過しただろうか。周囲は少し暗くなっており、夕方も間近というところだ。

 地味な子は白のベンチに行儀よく座っており、未だ身体が痛む私もその隣に。

 妹はまだ軽傷なようで、私達の前に立っていた。

 結構長い話しだったので、まとめることにする。

 

「私と話すために人気のない場所に行こうとしたら、たまたまこの子が襲われているのを見つけて、助けに入ったけど、返り討ちにされたと……そういうわけだね?」

 

「そうね。流石に一対三みたいな状況だと私でも辛いわ」

 

 概ね納得できる。私は頷きながら考えた。

 解消されていない疑問点がまだある。……しかし、それはわざわざ聞く必要もないような些細なことだ。きっと偶然起きたことなのだろう。

 

「あのっ」

 

 会話が途切れ、沈黙が生じる。するとタイミングを窺っていたらしい地味な子が、思い切った様子で手を挙げた。

 

「うん? どうしたの?」

 

「私、松原 夢深(まつばら むみ)といいます」

 

 いきなり何を言っているのだろう。

 と思ったのだけど、これまでずっと私達はこの子のことを妙な名称で呼んでいたことを思い出す。

 多分、かなり前から気にしていたのだろう。学校出るくらいからソワソワしてたし。

 

「ああ……ごめん。そういえば名前で呼んでなかったね」

 

「まったく、姉さんは困ったものね。女の子を地味な子なんて呼んで」

 

「人を勝手に姉扱いしてるやつに言われたくない」

 

 確かに地味な子はひどかったけども。

 話を逸らそうと新たな話題を探り、私はぽんと手を叩いた。

 

「あ、そうだ。なんで夢深はあの男子達と戦ってたの?」

 

 妹の話ならば、最初は夢深と男子三人が戦っていたことになる。そんな状況になるなんて、おかしなことをしない限りは有り得ない。

 他人の評価がイコールで力に通じる世の中なのだ。いじめのようなことを行うリスクくらい、男子三人も自覚しているだろう。

 

「……」

 

 私の問いに、夢深は黙ってしまった。

 表情を暗くさせ、まだ痛むであろう頬に手を当てて俯く。よくないことを訊いてしまったと思ったが、もう遅い。

 

「姉さん。少しはデリカシー持ったほうがいいんじゃないの?」

 

「いや、だって心配だし、できるなら解決したいし……」

 

 話を聞かなければ解決方法も分からない。

 私は決して興味本位や、妹の責める視線から逃れたくて尋ねたのではなく、彼女を助けたいから訊いたのだ。『あ、そうだ』とか言ってたけど、本当なのだ。

 

「でも、気になるのは確かね。私は興味本位だけど」

 

 半眼をつくり、こちらを見ていた妹が夢深を見る。

 私にデリカシーとか言っていたくせに、正直な心の声を口にしていた。訊いた後なので気を遣う必要はないと思ったのだろうか。

 色々と文句を言ってやりたいのだが、黙っておく。夢深の信用を損なうようなことはやめておいた方がいいだろう。

 思考の結果、小さな溜息に留める。

 暗くなってきた空を眺め、夢深の返答を待つ。

 

「すみません。助けていただいたのはありがたいですけど、これ以上迷惑をかけたくないので」

 

 やや間を空けて私と妹を順番に見やり、夢深は答えた。

 まっすぐな目で私達を見て、最後に微笑む。

 強がっている。見て分かったけれど、彼女は私達の助けを必要としていない。一人で解決しようとしている。

 私は少し考え、暢気な結論を出した。

 ――それなら、まぁ大丈夫ろう。

 この世界は偽善であるが、善に属する人間が沢山いる。いじめられていると言えば、誰かしら即制裁してくれる筈だ。評価に繋がる大きなチャンスであるし。

 弱い私が無理に出っ張るような話ではないのだ。頼られれば、手伝うけども。

 

「そか。それじゃあ頑張って。無理はしないようにね」

 

「は、はい。ありがとうございました」

 

 ぺこりと頭を下げる夢深。

 断ったことが申し訳なく感じたようで、彼女は再度お礼を言うと足早に駅へと歩いていった。

 

「別に気にしなくていいのに」

 

「そうもいかないの。初対面よ?」

 

 呟く私へ、妹が嘆息混じりに返す。

 初対面、ね。自分が不必要だと思ったことを、そうだと告げて何が悪いのだろうか。私ならば特に気にしないのに。年上なわけでもないし。

 

「きょとんとしない。姉さん昔よりデリカシーなくなったんじゃない?」

 

 呆れられてしまった。

 ジトッとした目を向けた妹は、肩を竦めると私の手を取る。そして少し乱暴に引っ張った。酷使した腕に痛みが走る。

 

「いっ、た!?」

 

「大袈裟ね。ほら、行くわよ」

 

 全然大袈裟でもないと思うんだけど……。

 肘を撫でながらなんとか足を動かして、歩いていく妹に同行する。

 どこに向かうかは知らないが、弱っている今、アクティブな彼女に抵抗する術はない。精一杯歩き、私は口を開く。

 

「ちょっと、ゆっくり歩いてっ。一体、どこに行くの?」

 

「私のことについて話してあげる。そのために会いに来たんでしょ?」

 

「え……ああっ!」

 

 そうだった。私は妹が妹と名乗る理由を尋ねに来たのだった。本来の目的は戦うことではないのだ。すっかり忘れていた自分が恥ずかしい……。

 

「――でもなんで移動を?」

 

「誰かに聞かれたら困るのよ。ほら、行きましょ」

 

 優しい口調だが、容赦なく腕を引っ張ってくる鬼畜な妹。

 歩く度にツインテールが揺れ、私の手を引いて進んでいく彼女の後姿は、なんだか犬みたいに見えた。

 一緒に歩けることが嬉しくてたまらないと、はしゃいでいるようにも思える。

 そんな彼女にどこか懐かしさを感じつつ、私は目を細めて言うのだった。

 

「いたいいたいいたい! もうちょっと優しくしてぇ!」

 

「我慢しなさい」

 

 犬に引っ張られる飼い主の気持ちが、少し分かった気がする。

 

 

 

 ○

 

 

 

 駅前を去り、街を通って住宅街へ。

 家が数多く立ち並ぶ区域を、私と妹の二人はのんびりと歩いていた。

 依然、目的地は分からないまま、私は気ままな犬に連れられる飼い主の心境で周囲を見回す。

 私は通りすぎた街に住んでいるのだけど、この辺りに来たのは初めてであった。

 絶対評価制が施行され、変化した世界。それでも生活の根幹は変わらないらしく、私の知識の通りな景色が広がっている。

 ちょっと安心しながらも――アニメや漫画のような奇抜としか言えない容姿をしている学校帰りの子供や、会社帰りのおじ様方を見ると、思わず口から溜息がもれる。

 剣を背負っていたり、杖を持っていたり……そんな人物らが家の並ぶ中を歩いているのは、結構カオスな光景である。

 それを差引けば、うるさくない程度に賑やかで、雰囲気もいい場所である。

 やはり人が住むだけあって、快適な空間となっているらしい。

 

「……」

 

 さて。私は妹を見た。

 歩きがてら訊いたりもしたのだが、依然としてどこに向かうかは答えてくれない。

 「秘密」だとか、「着けば分かる」やらでまったく相手にしてくれないのだ。同じ学校の生徒であるし、怖いことに巻き込まれることはないと思いたいのだけど、流石に不安だ。

 

「そんなことしても得にならないか」

 

 夕陽に照らされた家々を眺めながら歩いていると、不意に妹が立ち止った。

 

「わぷっ! 着いたの?」

 

 思い切り妹の頭に顔をぶつけ、変な声を出す私。

 どうしたのだろうと彼女の前を見るも、その先には道が広がるばかり。何かあるとは思えなかった。

 

「ええ、着いたわよ。ほら」

 

 しかし妹は頷く。

 私の手を離し、横へ向いた。

 どうやら目指していたのは住宅の一つだったらしい。

 まさか妹の家? 会って一日でご招待されちゃうの?

 

「……あそこ?」

 

 などと考えながら妹の視線を追い、硬直。

 そこには小さいながらもおしゃれな喫茶店があった。

 レンガ造りのような見た目の家で、煙突が付いている。ファンシーな見た目は周囲の住宅に浮いているが、かなり可愛らしく『入ってみたい』と興味を引かれるデザインであった。

 家の前には木製の看板があり、そこには『喫茶店』とシンプルすぎる名前が。

 住宅街を歩いていたので、喫茶店の登場は意外だった。てっきり妹の自宅へ招待かと思ってたのに。

 まぁ、自宅に招待された方が怖いし、ここは喫茶店でよかったと喜ぶべきか。

 

「ええ。あそこ。可愛いでしょう?」

 

「可愛いけども……誰かに聞かれたら困るんじゃないの?」

 

 それにこの喫茶店、開いてない気がするんだけど。

 中は真っ暗だし、人がいる気配すらない。扉すら空いているか分かったものじゃ――

 

「さ、入って」

 

 普通に入りおったよ、この人。

 窓から中の様子を窺っていた私は、妹が躊躇いなく入っていくのを見て、仕方なくそれに続いた。

 ドアを開け、中に入る。ドア上部のベルが、小気味のよい音を奏でた。

 中は当たり前だが、外で見たように暗かった。かろうじて妹の金髪が見えるくらいで、テーブルやいすなど、外で確認できたものは黒い影としてしか目視することができない。

 上下不安定な場所を歩くような、おぼつかない感覚で妹のすぐ後ろへ歩いていく。彼女の肩に手を置き、私は息を吐いた。

 

「ここって妹のお店なの?」

 

「ううん。友達の店」

 

「よく平然と言うよね」

 

 犯罪者発言を堂々とするなんて、こいつは人間としてどうなのだろう。

 

「ああ、心配しなくても許可は貰ってるから大丈夫よ、姉さん」

 

「そ。心配はしてないけど、安心したよ」

 

 あちらが私に遠慮していない以上、私が遠慮する必要もない。

 苦笑して私が答えると、妹はゆっくり歩き出した。

 と、そこで私は気づく。

 私達の前方、微かにだがそこから光が漏れているのだ。曲がり道になっているのだろう。右方向から射し込んでいる光を目指して、妹は歩く。

 二人しかいない店内で、革靴の立てる足音が響いた。

 

「誰かいるの?」

 

 暗闇と無音に耐えられず私が言うと、妹は振り向――かずに、頭を動かしてツインテールで攻撃してきた。

 無論髪なのでそれほど痛くはないのだが、目に入ったせいで結構痛かった。

 

「あと少しで分かるわよ、せっかちさん」

 

「口だけで言えばいいのに……」

 

 呻きながら言うも、妹には効果がないようだった。

 歩みを止めずにずんずんと進んでいく。妹の言った通り、それから少しもせずそこに何があるのか分かった。

 暗闇の中から、明るい光の中へ。ほんの少し目が眩むような感覚を覚え、私は目を細める。

 そこにあったのは座敷の部屋だった。洋風な見た目の喫茶店に反し、こちらはかなり和風な造りである。

 畳の敷かれた床、布団のないこたつ、その上に置かれた急須と皿に入ったお菓子。中々の広さで、周囲には電気ポットや、棚が置いてある。居心地のよさそうな場所であった。

 

「はい、ここで靴脱いで上がってって」

 

 部屋の入り口前で観察をする私へ、ドアを閉めて妹は言う。

 ここで話、ね。確かに話をするにはいい場所だけども、わざわざ友達の喫茶店に来て、その裏でお話ってどうなんだろう。

 釈然としないが、帰るのも癪である。

 言われた通り靴を脱いで座敷に上がる。適当な席に座り、妹へ視線を向けた。妹は靴を脱いでいるところで、「よっこいしょ」だとかおじさんくさいかけ声を出している。

 なんだろう。その部分でやけに繋がりを感じてしまう私だった。

 

「あなたが楼さんですね」

 

 突然聞こえた声に、私は体を震わせた。

 まさか誰かいるのを見落とした?

 慌てて周囲を見回すも、声を出したらしい人物はいない。なんとなく天井を見たりもするのだが、無論そんな場所に人がいるわけもなく。

 

「今の妹?」

 

「違うわよ。私は姉さんって呼ぶでしょ」

 

 問いに呆れ顔で答え、彼女はこたつを指差す。

 それにつられるようにして私は下を見るのだが……いた。こたつの中で丸まるようにして潜む何者かが。

 

「こんばんは。ご機嫌いかがでしょうか?」

 

 優姫ちゃんよりも優雅さが多分に含まれた、ゆったりとした口調。丸まった何者かはぬるりと滑るようにこたつの下から出て、その姿を現す。

 その人物は私たちと同じ制服を着た少女だった。肩くらいまで長さのある黒髪。身長が少し高く、キリッとした凛々しい顔立ちは同じ女子と思えないカリスマを漂わせている。

 頭に乗っている小さい帽子が軍チックで、雰囲気もありなんだか司令官っぽかった。

 とてもこたつの中に隠れているような人物には見えないのだけど、何をしていたのだろう。

 

「そうだけど……なんでこたつの中に?」

 

「妹が見つけてくれるかと思いまして。まさか楼さんを連れてくるとは思いませんでしたけど」

 

 微笑みながら答える少女。

 この人は結構お茶目らしい。妹ともそれなりな仲みたいだ。

 

「子供よね、相変わらず。リーダーやめたら?」

 

 リーダー?

 妹の言い放った言葉に首を傾げる私。

 ええと、リーダーってあの人のことだよね。

 私の斜め左の席へ座った少女を見てみる。彼女は「あう」と小さく唸っていた。子供と言われて落ち込んだみたい。

 

「リーダーとは初対面だったわよね。ほら、自己紹介」

 

「う、うん」

 

 妹に促され、びくっと体を跳ねさせて反応するリーダー。役職名の割に妹より立場が低そうなんだけど。

 心配する私。しかしリーダーは深呼吸すると、顔を出会った当初のように凛々しくさせる。あう、とか言っていたときは頼りなさそうだったのに、今の彼女からは役職に相応しい覇気を感じる。

 彼女は胸を張り、大きな声で堂々と名乗る。

 

小西 麻緒(こにし まお)。二年生です。よろしくお願いします」

 

 見たことがないとは思ったけど、まさか上級生とは。

 妹が思い切りため口きいていたけど、いいのだろうか。

 名乗られた以上無視はよくないだろう。頭を下げておく。

 

「麻緒さんですか、よろしくです」

 

「あ、敬語とかいいよ。私はリーダーだから使うけど、仲良くフランクにね」

 

 パッと表情を子供っぽく変えてウインクする麻緒さん。

 ……妹もだけど、この人も個性が強そうな人だ。

 

「うん。分かったよ。よろしく、麻緒」

 

「うんうん、よろしくね」

 

 麻緒さんは嬉しそうに笑った。

 この教育番組のお姉さんを思わせるノリはなんなのだろうか。

 

「さて。自己紹介は済んだわね。じゃあ本題に入るわよ」

 

 妹が急須でお茶を淹れながら話を切り出す。

 一つ二つ三つ。しっかり人数分淹れ、私達に配る。

 一口飲むと、彼女は真面目な表情で口を開いた。

 

「私達は今、優等生を潰すよう活動しているわ」

 

「待て」

 

 妹が一言言い終わるタイミングで間を空けずに制止する。

 

「なによ、姉さん。お茶は冷たいのが好みだった?」

 

「違う。話の内容が全然妹と関係ないよね、これ」

 

「関係あるじゃない。私のしていることなんだから」

 

 にやけ顔で迷うことなく返す妹。

 確かに妹は、私のことについて話してあげると言っていた。だから間違いではないのだが……詐欺じゃない?

 

「騙したな」

 

「ええ。だって話すつもりなんてないから」

 

 睨む。が、効果なし。妹は開き直った様子で頷いてみせる。

 

「本人が忘れてるのに、私が教えるなんてなんかむかつくし」

 

 そんなくだらない理由で私を弄んで——って、あれ?

 

「私が記憶喪失だって知ってるの?」

 

 私の記憶喪失は学校の先生くらいしか知らないはずだけど、何故妹が知っているんだろう。

 訝しむ視線を送ると、妹が胸を張って答えた。

 

「勿論。私達の情報収集能力をなめたらいけないわよ」

 

 『私達』。複数形であるのを考えると、なんらかの部活動だろうか。

 いや、でも部活動が学校の名簿を漁るようなことはしないだろうし……。

 

「まぁそれは今話さなくてもいいわ。大切なのは私達が何をしようとしているのか、ということ。それだけよ」

 

「いや、記憶喪失を知られてたこととか、妹の正体とか今話してほしいんだけど」

 

「さっき言ったように私達は優等生を潰す算段を立てているわ」

 

「無視かっ!」

 

 完全なるスルーに声を荒げて抵抗する。大声を出したのは久しぶりな気がした。

 

「うるさいわね。あー、じゃあ知りたいなら私達に協力しなさい。少しはヒントをあげるから」

 

 何処吹く風と、知らんぷりしていた妹は、こちらが罪悪感を抱きそうになるくらい面倒そうに言った。

 なんだろう。この有無を言わせない妹の雰囲気は。こっちは悪くないのに、私が委縮してしまう。

 

「いきなり理由もわけも告げずに連れてきたらこうなると思いますけど……」

 

「リーダーは黙ってなさい」

 

「はい、ごめんなさい」

 

 このリーダーも私と同じような現象に陥っているようだ。些か重症だけども。

 すっかり縮こまった麻緒を一瞥し、妹が溜息を吐く。

 

「そうね。確かに理由を告げないのはいけなかったかしら。じゃあ、なんで私が姉さんをここに連れてきたか説明してあげる」

 

 随分と上から目線なお言葉だが、それでも何も知らない私からしたら有り難い提案だ。私は頷く。

 妹は湯呑片手に髪をかき上げ、さも優雅に答えてみせた。

 

「理由は簡単。私達の仲間に姉さんを入れるためよ」

 

「ごめん、よく意味が分からないんだけど」

 

 むしろ妹の発言によって疑問が増えた気がする。

 

「最後まで聞きなさい。いい? 私達は『絶対評価制』の廃止を目指す『組織』なの」

 

「え……?」

 

 絶対評価制を廃止。

 私は耳を疑った。

 そんな目標を掲げる組織なんて初めて耳にする。

 世間一般、いや全世界で絶対評価制は歓迎されていると私は聞いている。

 無論反対する者はいるのだが、評価がないものの僻みとして大体馬鹿にされていた。

 負け犬だ――と。

 

「まぁ、簡単に言えば負け犬の集まりね。中には物好きと正義漢がいるんだけど、それは例外」

 

 私の思考を読んだような言葉を続け、妹はさらりと負け犬を自称する。

 負け犬の集まり、絶対評価制の廃止……にわかには信じがたい。が、その隣でこくこくと頷いている麻緒を見ると、それが真実なのではと私の中に確信めいたものが生じる。

 会って間もないが、あの人、物凄い正直者だと思うのだ。とても嘘など言えそうもない顔をしている。

 妹の言うことはもう記憶するだけで、信じないことにしようと思っているのだが、麻緒さんなら信じられる。

 

「それで? 私も負け犬だと思われたの?」

 

 間違ってはないのだけど、私は評価が要らないだけ。評価を得るような行動を意識したくないし、かといって雑魚として分類されたくない。微妙なラインにいるデリケートな存在なのだ。主に心が。

 落ち込みながら私が問いかけると、彼女は首を横に振った。

 

「ううん、違うわ。姉さんが絶対評価制の鍵を握ってるから。ただそれだけ」

 

「私が?」

 

 この子は何を言っているのだろう。

 私はただ親が死んで、記憶を失っただけの女なのに。

 それにそんな重要な役割を担っていたら、国からなにかしら言われるだろう。

 少なくとも、お金と学校だけ与えて放置、なんてことはしない筈だ。

 

「まぁ、そのことについて姉さんは私とともに綺麗さっぱり忘れてるみたいだけど……そこは自分で思い出して、というわけで」

 

 なにがというわけで、だ。

 心の中でつっこみを入れつつ、妹の説明を待つ。

 教えてくれないのは癪だけど、妹は協力すればヒントをくれると言っていた。

 自分の失くした記憶に興味がないと言えば嘘になる。

 ここは黙って私が手伝うことを聞いておいても損はないだろう。

 ヒントの件も嘘ならばもう救いはないのだが……そのときはここで話されたことを思い切り公表してやろうと思う。

 

「今日、『組織』の頭脳からメールが来たの」

 

 妹は端的に話を切り出し、ポケットから携帯電話を取り出した。ボタンを押して少々の操作した後、彼女はその画面を私に見せる。

 件名は『優等生、及び試験について』。内容は――

 

「優等生がついに問題児を駆逐する活動――教育を開始したらしい。組織構成員は迅速に優等生の壊滅に繋がる策を考えるように。追伸。君の姉だという人物の試験はこの問題に対する貢献度で計ることに決めた。よろしく」

 

 メールを読みあげ、私は首を傾げた。

 内容はともかく、私の名称がおかしい。

 『姉だという人物』。妹の仲間も、妹の言うことを信じていないような呼び方である。

 記憶喪失のことは調べられるけど、妹については調べられなかったのだろうか。確かに身内も知らない人物のことを調べるのは骨が折れるだろうけども。

 

「実は今日戦ってたのも、この命令に従ってたからなの。情報屋から情報を得て、見張りの優等生を排除して……それで、ああやって苦戦しながら姉さんを待ってたのよ」

 

 考える私の前、妹が誇らしげな顔をして言うのだが……それがどこまで真実なのかは分からない。実際、かなりぼろぼろにやられていたし、本当は弱いのかもしれない。

 ただ、あれが計画通りだと考えれば辻褄が合う。

 教室で私に話しかけてきた優等生っぽい少女。彼女は妹になにか依頼されたと思っていいだろう。

 クラスメイトだし、少したら友人が来るから行き先を教えてあげて、とでも頼めば素直に聞いてくれるはずだ。

 一人納得して頷く。

 

「なるほど。とりあえずは信じておくよ。それで、私は『教育』とやらを始めた『優等生』を潰せばいいの?」

 

「ええ。手伝ってくれれば約束通りヒントをあげる」

 

 こくりと頷く妹。迷いなく頷く彼女は嘘を言っているようにも見える。

 しかし私は彼女らに抵抗しうる手段を持っているので、嘘をつかれてもちょっと脅迫するくらいはできるだろう。そこまで心配する必要はない。

 

「分かった。じゃあ手伝ってあげる」

 

 私が了承すると、妹と麻緒さんが嬉しそうに笑った。

 自分の記憶のヒントを知るため。それが引き受けた主な理由だけど、『優等生』のいじめまがいな行為を放っておくことはできそうもなかった。

 私が『教育』のターゲットになることもあるだろうし、他人事では——ん?

 

「そういえば、なんで私じゃないんだろう……」

 

 よく決闘のターゲットにされている私。

 その私がやられず、なんで夢深が狙われたのだろうか。

 偶然かとも思える些細なこと。けれども何故か、私の頭からその疑問が離れることはなかった。

 

 

 

 ○

 

 

 

 あれから今日は解散ということになり、私は自宅へ向かった。

 街の中心近く。様々な音で賑やかになっている一角に、私の住むマンションはある。

 名前は知らない。ただ、街の中心に建てられているだけあり、とても大きく立派だ。五十階建てで部屋なんていくつもある。

 ほぼ新築なので灰色をした比較的地味な壁なども輝いて見えた。

 ここに住むことになった当初こそ慣れなかったものの、今ではなにものにも代え難い愛しい我が家となっている。 敷地内に足を踏み入れ、心が落ち着いていくのを感じながら私はマンションへ入っていく。オートロックのドアを越え、エレベーターを使って四十階へ。

 エレベーターを出ると、右突き当たりの部屋の中に入った。

 

「ただいま」

 

 部屋の電気はもう点いていた。

 靴を脱ぎながら横にかけられた時計を見れば、時刻は六時近く。

 すっかり遅くなったものだ。部屋が明るくなっているのも納得である。

 私は鞄をすぐ近くの床に置き、小さく息を吐いた。

 外観の高級そうな見た目に相応しく、マンションの部屋も広く立派で、居心地がいい空間となっている。

 柔らかい光が玄関を照らし、廊下はおしゃれなランプで彩られていた。その光景は高級ホテルだ。とても高校に通う女子が帰る場所とは思えない。

 一ヶ月経過した今も、幻想的ともいえる風景に感動を覚える。

 靴を脱いで、ピカピカの床に足をつける。玄関からまっすぐ続く廊下を歩いていき、正面つきあたりのドアを開いた。

 

「あら、お帰りなさい。楼さん」

 

 明るい部屋。ソファと大きな画面のテレビが置かれたリビングの中で、掃除をしていたらしき同居人が笑顔を浮かべた。

 身長が私より少し低く、女性らしいスタイルをした彼女は、汚れ一つない床にモップをかけている。白いエプロンをしており、その姿はとても家庭的に見えるのだが、彼女がそれをしているのはとても似合わないと思った。

 流れるような金髪のロングヘア。おしとやかそうなたれ目と、常に微笑を浮かべている口。彼女の見た目もそうだが、仕草や身のこなし一つ一つから高貴な気品が感じられる。

 ――そう。どう考えても掃除する側ではなく、させる側に立っているような容姿をしているのだ。

 見た目やマナーに言葉遣い。全て完璧で、これだけお嬢様という言葉が似合う女性はいないだろう。家事が趣味だとか言わなければ。

 

「ただいま、華蓮(かれん)さん」

 

「はい、お帰りなさい。今日もお疲れ様でした」

 

 私が帰ってきたからだろう。彼女はモップを床にかけるのを止め、自室へそれをしまいに行った。

 足音を立てずゆっくり歩いていく背中を見送り、私はソファへ腰掛ける。ふかふかで体が沈むように柔らかいそれは、言うまでもなく座り心地がいい。ベッドにしても問題ないくらいだ。

 私はリラックスしきり、深く息を吐く。

 今日は決闘を三回申し込まれたりしなかったけど、実質四人を相手に戦った。肉体的疲労はそれなりに貯まっている。精神的な疲労は言わずもがな。

 

「疲れたなぁ……」

 

 充実感とはまったくの逆。自分の疲労に見合ったものが手に入るかは分からず、先の見えない不安に胸が少し苦しくなる。

 心配しても何も変わらないのは分かっているんだけど、そう簡単にはいかないのが人間である。

 

「楼さん楼さん」

 

 心配事に胃を痛めていると、視界の横からひょっこりと華蓮が顔を出した。

 わくわくと輝いた目をこちらに向け、手にしているものをこちらへ差し出す。

 お皿に乗ったそれは見事な出来のケーキだった。どこかお店で買ってきたかとも思うクオリティーなのだが、私はそれが華蓮作だと分かっていた。

 

「今日も作ったの?」

 

 私は感心が半分、呆れが半分で受け取りながら尋ねた。すると彼女は笑顔を浮かべて頷く。

 華蓮はよく仕事終わりや休日に趣味である家事に勤しむ。今日も仕事が終わった後にケーキを作って、掃除をしていたようだ。

 このご時世に、よくそこまで時間があるものだ。それで給料もこのマンションに住めるくらい高いのだから、なんとも言えない。流石は国の公務員といったところか。

 

「試食してくださいまし」

 

「ん、分かったよ」

 

 促され、フォークをケーキに刺す。

 今回彼女が作ったのはショートケーキだった。クリームがたっぷりかかっており、横の切断面からは赤いイチゴが見える。それの置かれた位置が規則正しく、彼女の性格を如実に表していた。

 苦笑しつつ、刺したフォークを動かしてケーキを一口大に切る。

 三角形のケーキは、崩れる、などと思う暇もなくすんなりと切断され綺麗な切り口が見える。

 ちょうど一口分に切るときにイチゴが一個入るよう設計されているようで、フォークにイチゴがひっかかることはなかった。

 イチゴとイチゴの間に切り取り線があるみたいだ。これはこれで便利かもしれない。バランスを守ると共に、味の均一化も図れる。

 イチゴがない、スポンジとクリームの甘さもじっくりと味わいたい、とも思うけど、それは贅沢だろう。

 食べる以上、感想とアドバイスを考えておかないといけない。

 じっくり観察をし、私は一口大に切ったそれをフォークで運び、口に入れた。

 まず感じたのは濃厚な甘さ。クリームはこれまでかと甘味を主張し、しっとりとした口触りは心地よく、私に途方もない幸福感を与える。

 しかし、これだけではしつこい味になってしまう。

 そんな懸念を抱く私だが、趣味を自称するだけあり、その点も抜かりはない。

 幸せなクリームの味と、スポンジの素朴で柔らかい味わい。一度噛みしめることで、甘さだけを訴えかけていたケーキは、絶妙な塩梅の甘味へ姿を変える。

 クリームが二種あるのでは、と思ってしまうほどスポンジは抵抗なく噛み切れ、溶けていく。

 バランスを考えて味付けをプレーン寄りにしたのだろう。クリームとのハーモニーがたまらない。

 フォークを刺し、切断したときからなにかしらの工夫はあるだろうと思っていたけども、まさかイチゴの配置だけではないとは。

 職人技としか言いようのない味に感心する私は、もう一度歯を動かし、イチゴをかじる。

 するとどうだろう。上品な甘さが広がる口内が、果物特有の甘酸っぱさによって緩和――いや、それぞれの味を更に高めつつ、のみこんだ後もさっぱりとした余韻を残すではないか。

 最初に強い甘味を感じさせ、次にそれを弛め、最後に口直しと言わんばかりに引き締める。その一連の流れが計算された絶妙なバランス。

 シンプルイズベスト。誰かが言っていた言葉が今は痛く理解できる。余計な味付けはせず、作ろうと思った一品に向き合い、工夫とバランスを考えるだけで、それは逸品となりうるのだ。

 

「……美味しい」

 

 目を瞑り、最初の一口を味わうこと数秒。

 色々と考えたことはあるのだけど、私の口からはまずシンプルな一言が出た。

 美味い。これは今まで食べたケーキと格が違う。

 嬉しそうに笑う華蓮さんを前に、私は二口目を食べた。

 今度は全て一緒に一度噛みしめてみる。後味は一口目より甘ったるいけど、これぞショートケーキという、甘味と酸味の味わいがいい。

 

「本当に美味しそうですわね。楼さんに喜んでいただけたようで幸いですわ」

 

 私の食べっぷりが良かったからだろう。華蓮が手を合わせて微笑み、キッチンへと向かっていく。ご機嫌にスキップなどしながら。

 

「お茶はなににいたします? やっぱり緑茶でして?」

 

「うん。お茶と言ったらやっぱりそれかな」

 

 カウンターテーブルの向こうに立つ彼女へ返事を返す。

 このケーキと合うか、と言われれば無論ノーなのだが、もう食べてしまったので関係ないだろう。

 洋菓子を食べているとき以外、私はバリバリの緑茶派である。

 

「はい、どうぞ」

 

 手際よく緑茶を湯呑二つ分用意し、ソファ前のテーブルへ置く華蓮。

 私は軽く頭を下げてソファの近くに座り、早速それをいただく。

 ケーキが幸福感を与える味ならば、温かく渋いお茶は安心感を与える味であった。

 一口飲み、ホッと一息つく。

 

「ケーキごちそうさま。かなり腕を上げたみたいだけど、なにかあったの?」

 

「今朝新しい能力が出まして。『スポンジ作り』……でしたっけ」

 

「それまたマニアックだね」

 

 なるほど。通りでスポンジが別次元になっていたわけだ。

 しかしスポンジだけか……。

 世の中には『パティシエ』なんてお菓子作りが習得できる能力があるというのに、運があるのかないのか。

 まぁ、絶対評価制で開放される能力は完全ランダム。そういうこともあるだろう。

 

「それで能力いくつだっけ? 華蓮かなり能力持ってるよね」

 

 容姿もよく、混沌前から国家公務員として働いていた彼女はエリート中のエリート。

 能力なしでも完璧超人と呼べるくらいの力を持っており、彼女の評価は言うまでもなく高い。

 そんな彼女の能力の数は何個なのだろう。ふと気になり、尋ねてみた。

 少々考える素振りを見せ、華蓮は首を傾げる。

 

「三百は超えますわね。自分でも把握できない数ですわ」

 

 能力は自分の感覚で何個、何を持っているか把握できる。評価の高さも同様だ。

 私には縁のない話だが、高評価者は能力の全てを把握するのに時間がかかるらしい。膨大な情報量を処理するのは、怪物となった人間でも大きな手間みたいだ。

 華蓮もまた、そうなのだろう。

 

「それはそれは。羨ましいことで」

 

「え? 楼さんは全然羨ましく思わないでしょう?」

 

 ホームドラマ的なノリの冗談に真顔で返してきた。

 肩を竦めていた私は、苦笑いを浮かべる。

 彼女とは長い付き合い。『混沌』で家族と記憶を失い、絶望していた私を助けてくれたのが華蓮である。

 それ故に私の性格も結構深くまで知られているため、その反応は自然に思える。

 少しくらいノッてくれてもいいと思うけども。

 

「う、うん。思わないよ。ちょっと冗談を言っただけ」

 

「……まだ絶対評価制に慣れませんの?」

 

 ちくり、と。

 刺すように鋭い視線が私に向けられる。それは私への怒りからではない。そう分かっているというのに、私は怯えてしまう。目を逸らし曖昧な、返事ともとれない何かをぶつぶつと呟く。

 

「道を外れるなら外れる。歩くなら歩く。しっかり判断しないと、後悔することになりますわよ?」

 

「そう……だね。私は道を外れる気でいるんだけど」

 

 私の言葉を、絶対評価制への未練とでも受け取ったのか。相手の発言の意図は分からないが、私は思っていることを答える。

 彼女はどこまでも私の味方だ。だからこそ、このような言葉もかけてくる。だから、あんな怖い顔をする。

 

「……すみません。冗談だと言う前にどもっていたから、まさかと思いまして」

 

 少しすると、華蓮がいつもの様子に戻る。私が怯えていたのを察したのだろう。彼女は頭を下げた。

 ――確かに、未練がないと言えば嘘になる。

 絶対評価制は魅力的だ。評価を得れば得るほど、自分の才能が自身に分かる形で増えていく。

 それはかつて『努力』と呼ばれたものより、遥かに確かなものだ。

 夢が破れても能力は残り、評価を上げていけば何らかの職につけるほどの技術が身に付くこともある。

 就職以外にも、剣術や魔法といった類の能力もまた興味を引かれる。

 これまで読んでいただけの世界の力を、自分が使用できるのだ。わくわくしない人間は皆無と言っていいだろう。

 私は迷っているのかもしれない。本当にこのまま絶対評価制を嫌い、最低限の関係を持ち続けるのか。それとも、自身の力を磨いていくか……。

 

「いや。私も悪かったから。そうだよね。あんなこと言った後にこんな状態じゃ、頼りないよね」

 

 一瞬頭に浮かんだことを否定するように頭を振り、私は答えた。

 私は絶対評価制を否定する。そう決めたのだ。

 何年も前から決めていたのに、今日たった一つの出来事で揺らいでいては仕方がない。

 私に力がないのは今に始まったことではないし。

 

「まぁ時間はありますし、のんびり決めてくださいまし。私は楼さんを応援していますから」

 

 彼女はきっと、私が中途半端でいるのが嫌なのだろう。そして私がそんな状態だと、自分を許せなくなるのだろう。

 華蓮さんはそういう人だ。責任感が強く、面倒見がいい根っからの善人である。

 だから私が高校に入学した後も、こうして引き続き面倒を見てくれているのだろう。そんな義理はないのに。

 食事の用意をすると言って、再びキッチンへと歩いていった華蓮。

 一人になった私は、先程頭に思い浮かべたことを無意識に考えていた。

 

 ――力があれば、夢深だって楽に助けられたかもしれない。誰にも狙われないかもしれない。

 

 けどそれは、やはり違うと思うのだ。

 力があれば誰かを助けられるかもしれない。安全かもしれない。

 でも。私はどうも好きになれない。

 『混沌』。世界中の人間が好き勝手に能力を振るまった、ほんの僅かな時間。

 私の両親は、その時に死んでしまったのだから。

 

 

 



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四章

 『優等生』。

 現在学校でこの部活が存在しないのは有り得ない、とも言われる最もポピュラーな組織である。

 そのはじまりはとある田舎高校の生徒が、絶対評価制に適応するべく立ち上げたものだと言われるが、正直なところ詳しいことは分からない。いつの間にか全国の高校、学校で『優等生』という組織は結成され、有名となったのだ。

 彼らの活動内容は以前も語った通り、評価を得て優等生となることだ。

 評価、能力はそれだけで将来を決め得るものとなる。

 なので、『優等生』のような組織が結成されるのも納得だ。だからこそ……。

 

「問題を起こすなんて、想像できないよね」

 

 組織について回想し、私は溜息を吐いた。

 昨日のような『教育』なんてすれば、評価が暴落するのは目に見えている。

 人生を憂い、評価を重要視する彼らがそんな行為をするとは思えなかった。

 むしろそれは、評価を得ていない負け犬のすることだ。

 自暴自棄。絶対評価制がある今、彼らが行っている『教育』はその言葉がなによりも似合う行為だろう。

 

「まずは事実確認かな……」

 

 最初はそれが妥当だろう。

 『優等生』の集会はほぼ毎日やっているというし、それを遠くから眺めるとしよう。

 

「やぁやぁ、楼。朝は相変わらず難しいというか、パッとしない顔してるね」

 

 朝のホームルーム開始を待つ私の前に、いつもの人物が現れた。

 天真爛漫な笑顔を浮かべた紀理である。彼女は私の席の前に立ち、挨拶代わりに軽く手を挙げる。

 朝は弱い。いつも私はそう言っているのだけど、彼女がそれを気にしている様子は皆無だ。

 私は半眼をつくり、呆れながら返事を返す。

 帰れとか言いたいけど、今日は彼女に訊きたいことがあった。

 

「おはよう。今日も元気だね」

 

「おうともっ。元気は取り柄だから」

 

 昨日と同じような返答をする紀理。両手を挙げるポーズすらまるっきり一致していた。

 私がペアを断ったことはすっかり忘れているようだ。有り難い。

 

「ねぇ、紀理。ちょっと訊いていい?」

 

「んぅ? 珍しいね、楼から話なんて」

 

 紀理が首を傾げる。

 そういえばこの一カ月、私から紀理に話しかけたことがないような……。本格的にこの子が私につきまとう理由が分からなくなってきた。

 苦笑し、私は怪しまれない訳を考える。

 一ヶ月話さない人物が話しかけるなど、相当な理由がなければ成立しないだろう。

 よし、ここは自虐しておくとしよう。

 

「ちょっと気になることがあって。だけどほら、私って知り合いそんないないでしょ?」

 

「うん」

 

 即答されると結構傷つくんだけども。

 まぁ知り合いがいないのは事実なので黙っておく。

 

「遠慮しないでなんでも訊いてご覧なさい」

 

「優等生について知ってることはない?」

 

「優等生? ……ってあれ? 大勢入ってる部活のこと?」

 

 首肯。尋ねる紀理へ頷いて返す。

 いくら紀理でも優秀な生徒である優等生と、部活の『優等生』を間違えることはないようだ。

 

「なにっ? まさかついにあのイケメンさんの誘いに乗っちゃうの?」

 

 妙な勘違いはするみたいだけど。

 後ろに体を反らし、紀理は驚愕したふうな表情をする。

 

「いやそういうわけでもないんだけど。単なる好奇心だよ」

 

 イケメン、が誰を指しているのかは分かる。十中八九、村上だろう。

 私があいつの誘いに乗るような人物に見えるのだろうか。だとしたら少し心外である。

 

「なんだぁ。そんなら別にいっか」

 

「で、優等生について教えてくれない?」

 

「うん。何を知りたいのかね?」

 

「普段の活動かな」

 

 これで『教育』らしき行為の欠片でも出てくれば、彼らが悪行を働いている可能性がぐっと高まる。

 私が尋ねると彼女は、顎の下に手を当てて小さく唸った。

 

「うーん、確かボランティアだったり、勉強したり、運動したり……学生らしく、評価を得るために協力する、って感じだったよ」

 

 紀理の語ったのは私の知る『優等生』と変わらないことだった。

 必要以上に正しく、爽やかな団体。学校にもよるだろうけど、我が校の彼らは問題の「も」の字が見つからないほど優等生なのだ。

 私は考え、紀理へ質問を続ける。

 

「なにか問題を起こしていたりは?」

 

「問題? ないと思うよ?」

 

 問いに、紀理はきょとんとした表情をする。

 彼女は私と丸っきり同じ知識らしい。活動内容、問題の有無、それらに対しての認識が一致している。

 聞き込みをしても情報は得られそうにない。やはり見張りしかないのだろうか。索敵能力持ってる人間がいないとは限らないし、あまりやりたくはないんだけどなぁ。

 

「ありがとう。答えてくれて助かったよ」

 

 落胆を隠し、私は笑顔を浮かべる。私の目的と彼女は関係がないことだ。ここは素直にお礼を言っておくとしよう。

 

「おう。どういたしまして。けど、全然詳しくなかったでしょ?」

 

 苦笑いを浮かべる紀理。

 彼女は帰宅部。顔は広いが、授業外のことはあまり知らないのだろう。それを自覚しているようだった。

 どう答えようか私が悩んでいると、目の前に立つ紀理が手をポンと打った。

 

「事情は知らないけど、もし詳しく知りたいならイケメンさんを利用すれば?」

 

 私は多分、それを耳にしたとき凄まじく嫌そうな顔をしただろう。自分の表情は見えないが、よく分かった。

 

「ええ……。あのね、私があの人のこと苦手だって分かってるよね?」

 

「うん。なんとなくだけど、誘いに乗らないことで大体察しがつくよ。話題に出すといい顔しないし」

 

 正確には彼ではなく、彼の周りが苦手なのだけど。

 紀理は分かっていて、なんでそんなことを言うのだろうか。

 

「知りたいことがあるなら、少しは我慢しないとね。それにあの人、根っからの善人で結構ヘタレっぽいし」

 

 なるほど。悪い人じゃないし、何か代償を求められるようなこともない。それならば少しくらい我慢してもよいのではないか、ということか。

 尤もな意見である。まさか紀理にそんな常識を説かれるとは。

 

「そうだね。手段の一つとして考えてもいいかも」

 

「でしょ? 利用できるものは利用しないともったいないよ」

 

 村上なら『優等生』の深いことも知っているだろうし、適任だ。

 彼は嘘を言わなそうだし『教育』が本当に行われているならば、教えてくれるだろう。私は考え、小さく呟いた。

 

「ん。じゃあ二人きりになれる手段を考えておこうかな」

 

「なんで!?」

 

 物凄い反応を返された。

 何も問題はないのに。こっちがなんでと問いたい。取り巻きを回避したいだけなのだが。

 

「関係ない人に聞かれるのは嫌だし」

 

「で、でも二人きりになる必要はないよね?」

 

「あるんだって。人に聞かれるのが嫌だって言ったでしょ?」

 

 何故そこまで狼狽えるか分からず、首を傾げる私。

 二人きりといっても、そこまでいかがわしいものではない。

 いって教室で話すくらいだ。二人きりで『優等生』の悪事について尋ねる……取り調べに近い空気になることは分かりきっている。健全すぎるくらい健全だ。

 

「それに取り巻きが嫌なの、私は」

 

「取り巻き? ああ、なるほど……」

 

 紀理が納得したようで首を縦に振る。

 村上に取り巻きがいることは学校では周知の事実である。

 そして彼女らがうるさいのもまた、皆知っていることだ。 

 

「楼が避けるのはなんとなく分かるよ。嫌いそうだもんね、うるさい人」

 

「それを肯定すると紀理も嫌いな人に入るんだけど?」

 

「嫌いな人と話さないでしょ、楼は」

 

 そうなんだけど、なんで紀理が自信たっぷりに言うのかな。

 堂々と胸を張る紀理に私はジトッとした目を向ける。彼女は楽しげに笑い、私の頭に手を置いてから教室の後ろへ去っていった。

 

「まぁ、理由も分かったし、それなら応援するよ。頑張ってね、楼」

 

 そんな台詞とともに、ホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴り響く。

 やたら演出の香りがするタイミングである。台詞もキザだし。

 肩を竦め、私は深く息を吐いた。

 

「……さて。授業だよね」

 

 友人の要らぬ許可も得た。

 活動は放課後からだ。それまでは心おきなく授業に集中することにしよう。

 

 

 

 ○

 

 

 

 昼休み。いつも通り黙々と華蓮作の弁当を食べていると、これまた普段通りに紀理が席の前へやってきた。

 

「二人で食おうぜーっ」

 

 口調が安定しない奴である。

 何が楽しいのか、満面の笑みを浮かべた彼女は、複数のパンを机の上に広げる。

 あんパンにクリームパン、チョココロネ。飯にならないような甘いもののオンパレードだ。

 

「それでご飯になるの?」

 

「おうっ。今日は甘いものを食べたい気分なんだよね」

 

 紀理の昼食はアンバランスだ。

 入学からこうして毎日一緒に食べているのだけど、弁当の日があれば飲み物だけで済ませている日もある。ころころと規則なく変わるそれは、天真爛漫な彼女の表情を思わせる。

 

「食事が毎日新鮮なのはいいけど、身体に悪いよね、絶対」

 

「楼みたいに作ってくれる人がいないから、気分に左右されるんだよ。羨ましいよ、まったく」

 

 包装を破き、あんパンを立ち食いしはじめる紀理。その視線は私の前に置かれた弁当に向かっている。

 丸型の弁当箱に入っているのは、至って普通な弁当のおかずと白米だ。一見作る手間がかからないように見えるのだが、この弁当は一つとして冷凍食品が使われていない。

 冷凍食品と手作り。おかずというジャンルにおいて、その差は分かりやすいくらいはっきりと出る。

 まさに月とすっぽん。年々埋まっている距離だが、手作りに届くまでの道のりはまだまだ遠い。

 

「美味しいんだよね、店のより圧倒的に。いいお母さんじゃあないか」

 

「あんた誰だ」

 

 変な口調で泣き真似をしながら、クリームパンをかじる紀理へ突っ込む。

 華蓮の弁当がすごいのは私も認めるところだ。しかし大袈裟すぎるだろう、そのリアクションは。

 素晴らしい塩加減のアスパラのベーコン巻きを味わい、呑みこんでから私は続ける。

 

「それにお母さんじゃなくて、同居人だっていつも――」

 

「姉さん!」 

 

 嫌な声がした。

 教室中に聞こえそうなそれに反応し、白米に刺そうとした箸が底まで深く突き刺さる。

 目立つ。間違いなく目立つ。

 そうでなくとも彼女は視認性が高い容姿をしているのだ。大きな声を出せば目立つのは自然の道理。

 そんな彼女が姉さんと私を呼んだら、私にも注目が及ぶ。無論、悪い意味の注目が。そうなれば、私の不良説の信憑性がいやがうえにも増してしまう。

 ……いやいや、ちょっと落ち着こう。

 箸を救出し、私は静かに首を横に振る。

 『姉さん』と人を呼ぶ人物が妹しかいないと誰が決めたのだ?

 いや、まぁ姉さんなんて言う人は『妹』しかいないのだけど、私と関係していない妹が別の姉を呼びに来た可能性があって――ややこしい!

 と、とにかく。別の人の妹だという可能性もあるのだ。私が過剰反応する必要はないだろう。

 

「姉さん? なにしてるの?」

 

 ようやく結論を出し、気づくと紀理の隣に妹が立っていた。

 ……うん。声で大体分かってたよ。ただ、認めたくなかっただけなんだ。私が嫌な注目をされるなんて。

 思考の間も残酷に時間は過ぎていく。妹は私が考え込んでいる間に教室へ侵入してきたようだ。

 見知らぬクラスで随分と度胸の要ることをするやつである。

 

「なんでもない。考え込んでただけ」

 

 突然のツンデレ娘乱入に、クラスは珍しく沸いている。間違いなく注目されていた。

 クラス中の視線を感じながら、私はできるだけ威厳を保つように答える。妹は「そう」と一言。それから髪をかき上げ、目を細める。

 

「ちょっと付き合ってくれない? 話があるの」

 

「話、ね……もしかしてアレ?」

 

 弁当を食べたったのだが、『優等生』についての話なら付き合うことに異存はない。

 私の記憶と、生徒達の安全がかかっているのだ。食事が遅れるくらい耐えてみせよう。

 弁当の蓋を閉じる私へ、妹は頷いて返す。やはり昨日のことらしい。

 

「分かった。それなら行くよ」

 

 私は立ち上がる。のだが、妹の隣で不機嫌な顔をしていた紀理が叫んだ。

 

「ちょーっと待った! あたしとの昼食はどうするのさ!?」

 

「一人で食ってればいいんじゃないかな」

 

「すっげー冷たい!」

 

 それくらいで落ち込むようなキャラではないと分かっているので、即答する。こいつの扱いは慣れたものだ。

 爽やかな笑顔で私は言うと、弁当をしまいはじめる。授業まであと二十分はある。話をした後に弁当を食べることもできるかもしれない。念入りに蓋の確認をし、しっかりと鞄に入れておく。

 それを見て、妹が笑った。

 

「ふふ、姉さんは私を選んだみたいね」

 

 こいつは本当にいい性格をしている。多分私が即答したときよりも、いい笑顔を浮かべているんじゃないだろうか。

 紀理をいじめて楽しんでいるみたいだ。

 

「なんだとぉ!?」

 

 からかわれているのが分かっているのか、いないのか、紀理が両手を上げて怒りを露わにする。

 妹へ一歩近づいて、ヤンキーのように眼をつけた。

 

「あたしは親友だぞ、今日はたまたまあんたのところに行っただけで、きっと最後はあたしのところに戻ってくるんだからなっ!」

 

「はっ。不倫された妻みたいなこと言っている時点でたかが知れてるわね。もう少し個性を身に付けないと、姉さんに愛想尽かれるわよ」

 

 妹を見上げ、必死にくらいつく紀理。それに対し余裕の態度を見せる妹。

 なんだろうね、これ。

 私はご飯を食べてて、正義を貫くべく立ちあがったのに、なんでこうわけの分からないことが起きるのだろう。

 睨み合う二人を見ながら、私はしまったばかりの弁当箱を取り出して食事を再開する。まだ言い争いは終わりそうになさそうだ。

 浮気現場を発見した妻と浮気相手みたいな会話を繰り広げる二人を見ながら、黙々とご飯を食べ進める私。傍目から見たら、さぞかしおかしな光景であろう。

 しかし身に覚えがない話をされているのだから、私にできることはない。黙って見ているだけだ。

 

「ぐぬぬ……昨日から気にくわなかったけど、まさかここまで腹が立つとは……」

 

「昨日? あら? ああ、あなた、昨日余りものになってた可哀想な子?」

 

「むきーっ!」

 

 人の痛いところを突くのは妹の方が上手らしい。

 古典的な奇声を上げて紀理が憤る。

 流石にこれ以上は可哀想なので、私は弁当の蓋を閉じて言った。

 

「やめなよ。私は妹を選んだつもりも、紀理を選んだつもりもないから」

 

『黙って弁当食ってた奴がなに言ってるの?』

 

 二人してやけに冷静な態度で指摘してくる。

 そこで正常な反応を示してくるのは、いじめじゃないかな。きめ顔で言った私が馬鹿みたいじゃないか。

 

「ま、たまにはいいよね。妹さん、今日の昼食は一人で食べるよ」

 

「ごめんなさい。馬鹿な姉さんを少し借りてくわね」

 

 二人ともすっかり落ち着き、清々しい顔で当人を差し置いて私の受け渡し作業を完了させる。

 少し仲良くなったのはいいけど、その間に私の心という大きな犠牲が払われたことを忘れないでほしい。

 妹に強引に腕を引っ張られ、教室を出ていく。ツインテールが目の前で揺れる光景に、既視感を覚える私であった。

 

 

 

 ○

 

 

 

 妹は階段を上がり、屋上へのドアがある小さな長方形状のスペースに着くとようやく手を離した。

 しっかり施錠された扉。その前に立ち、後ろにいる私へと振り返る。

 屋上まで上がるつもりはないようだ。

 少し安心しながら、私は口を開く。

 

「で、話って?」

 

「『優等生』のことよ。彼らを潰すための作戦でも聞こうと思って。何か考えてきたでしょ?」

 

 私が勝手に勘違いしていたことだけど、情報をくれる、などといった用件ではないようだ。

 不敵に笑う妹へ、首を横に振る。

 

「潰すことは考えてないよ。今は『教育』が本当に行われているか確認を考えてる」

 

「……『組織』のことは信用できないかしら?」

 

 少々の間を空けて返ってきた答え。

 組織は『教育』が行われていると断定していた。それを私が本当か再確認しようとしている。

 少し疑い深い行動かもしれない。けれど。

 

「そうだね。昨日会ったばかりの人を疑うのは当然だと思うし、人が多い部活動を信じたくなる気持ちはある。私はそれが当たり前だと思うよ」

 

「素直ね。まぁいいわ。私も正直、考えてたのよ」

 

 妹は苦笑し、肩を竦める。

 意外な返答だった。否定されるとばかり思っていたのに、肯定されるとは。

 

「と言っても、私は絶対『教育』があると認識しているわ。現に昨日起きたんだもの」

 

「じゃあ何を考えてたの?」

 

「『優等生』の誰が行っているか、よ」

 

 ふむ。確かに彼らほどの大規模な部活ならば、なにかしら派閥のようなものができていてもおかしくはないだろう。

 優等生を目指す場所だ。様々な面で未熟な人間もいることだろう。

 大人数ならば全員の把握も難しい故、目立たずに小規模で『教育』をすることも可能だろうし。

 妹の考えも尤もである。組織が行っているとして、その誰が主犯なのか。責任をとるべくは誰なのか。はっきりさせるべきだろう。

 

「……だったら、なんで私に潰す作戦を考えたか、なんて訊いたの?」

 

「『組織』は絶対評価制、その支持者に短絡的なところがあるから」

 

 妹が嘆息する。

 そういえば昨日見たメールの文面でも、壊滅がどうとか書いてあった。

 『教育』が行われていることが分かったとして、その主犯が分からないままに部活ごと潰す指令を出すなんて、よほど絶対評価制を嫌っているのだろう。

 もしくは、被害が出る前に迅速な対応をしているのか。 

 後者ならば少しは理解できるが、妹の言葉を聞く限りそれはなさそうだ。

 

「けど『教育』を止めさせれば文句は言ってこないから、姉さんの方法でも問題ない筈よ」

 

 そう言って、妹は腕を組んだ。

 何か考えているようで、目を伏せて沈黙する。

 

「……そういえば、夢深のことがあったのに姉さんは『教育』が行われているかを疑ってるの?」

 

 やがて問いかけたのは、当然とも言える疑問であった。

 私は頷いて答える。

 

「うん。いじめみたいなことをされてたのは分かるけど、あれが『優等生』によるものか、それともただの生徒が起こしたものなのか分からないでしょ? 私の疑いを否定しないことを考えると、昨日の三人について調べがついてないみたいだし、決めつけはよくないと思って」

 

 ぺらぺらと長い台詞を話す私に、妹は目を見開いて驚いた後に、笑みを浮かべた。

 

「そ。しっかり考えているみたいね、安心したわ」

 

「そりゃ私と生徒のためだもん。深く考えるよ」

 

「心配は要らなそうね。あ、そうだ」

 

 なにを思い出したのか、ブレザー内側のポケットを漁る妹。慣れていないのだろう。何回か引っ掛かりつつ、彼女はポケットから青い携帯電話を取り出した。

 ストラップの類いは付いておらず、色は黒。妹にしてはシンプルな色である。

 

「いざというときに連絡がとれるようにしておきましょ。はい、赤外線」

 

 連絡先の交換をしようとしているらしい。

 断る理由もないので、私も携帯電話を手にする。メニューを操作し、赤外線を受信。

 ほどなくして連絡先の交換は済んだ。

 

「これでいつでも姉さんを呼べるし、姉さんも私のことを呼べるわよ。嬉しい?」

 

「そんなには……」

 

 少し頼もしいくらいだろう。

 私が答えると、得意げな顔をしていた妹は口をへの字にさせる。

 

「ここは嬉しいって言っておきなさい」

 

「嬉しい」

 

「――姉さんいい性格してるわよね、ほんと」

 

 それはこっちの台詞である。

 ため息を吐く妹へ、抗議の視線を送る。彼女は鼻をふんと鳴らして、私の横を通り階段をおりていった。私の視線は少しも通じないらしい。これでも不良で通っているんだけど。

 

「じゃあ別行動ってことで。頑張ってね、姉さん」

 

 話はそれで終わり。

 背を向けたままの彼女は手をひらっと振り、去っていく。

 別行動、ということは彼女もなにか思うところがあるのだろう。

 私は私のできることをやるだけ。彼女のことは電話がかかってきてから考えることにしよう。

 昼休みの終わりを告げるチャイムを聞きながら、私は頷いた。

 弁当を食べるのは五限目の終わりになりそうだ。

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 長い長い授業が終わり、ついに放課後がやってきた。

 担任が教室から出ていくと、教室は僅かに賑やかさを取り戻す。授業を終えた解放感は今も変わらない。放課後の予定を話す声などを聞きながら、帰りの支度を終えた私は速やかに席を立った。

 今日も今日とて私はすることがある。

 昨日と同じように、まずは妹のクラスを覗き込む。

 まだ帰りのホームルームが終わっていないようで、教室内の生徒は壇上に立つ担任をまっすぐ見ている。

 それはあの妹も同様だ。腕を組み足を組みながらだが、話を聞き流している様子はない。

 

「流石にここじゃないか」

 

 一通り生徒の顔を確認し、私は独りごちる。

 村上のクラスが分からず、こうして探しているのだが……妹のクラスにはいないようだ。

 昨日ばったり会ったし、ここだと思ったんだけど。

 そうなると、もう一つのクラスかな。

 まったく。いつもは会いたくなくても現れるのに、探しているときに限っていないんだから。

 理不尽なことを考えながら、私は妹の教室から一つ奥に進んだ先の教室に向かおうとする。

 時間が時間なので廊下には沢山の生徒がいる。村上がいるであろうもう一つのクラスもホームルームを終えたのか、階段のあるこちらへ向かう生徒も多い。

 邪魔になるのは忍びないので、右に寄ろうとして私は気づく。

 下校する生徒達に混ざって一人、こちらを見ている人物が立っていた。

 

「あら、楼さんじゃありませんか」

 

 エンカウント。学生生活に縁がないと思われる単語が私の脳裏を横ぎった。

 偉そうに迷惑など考えず廊下の真ん中にたたずむ少女。彼女は私を見て微笑む。

 この少女には見覚えがある。というか、名前も覚えている。

 (せん)。接近戦を主とする私の天敵ともいうべき人物である。

 高飛車で我儘、常識もあまりなく、華蓮とは正反対なお嬢様キャラだ。係わりたくない人種の中では上位に入るだろう。

 

「うげっ」

 

 会いたくない相手と遭遇し、私は顔をしかめる。

 最近は私からターゲットを外したと思っていたのに、まさか声をかけられるとは。私よりレベルが高い相手に挑んで、評価が下がったりしたのだろうか。調子に乗りやすい性格だから、ものすごく有り得そうだ。

 

「そんな嫌そうな顔しないで下さいな」

 

「何回もやられたら、嫌そうな顔もするよ。なに? また決闘?」

 

「察しがいいですね。そう、決闘です」

 

 やっぱりか。もてるのはつらいね。

 決闘は学校側が提案しているルールで、基本的に申し込まれると逃げられない決まりとなっている。

 弱者救済のために一日三回までという制限もあるが、逆に言えば弱い人間は一日三回の戦いが義務付けられているとも言えるのだ。

 案外、『教育』よりもこちらの方が身近な問題なのではないのかと思える。

 

「私用があるんだけど、駄目かな?」

 

「駄目ですよ。今日は三回戦ってませんよね?」

 

 うーん。ここで戦ったと嘘を言ってもいいけど、戦いの回数を偽っていることがバレると後々が面倒だからなぁ。どうするべきか。

 

「楼さん、どうかしました?」

 

 この場をやり過ごす手段を考えていると、扇の後ろからひょっこりと村上が顔を出した。少し遅れて、その隣にいつもの取り巻きも現れる。

 ナイスなタイミングだ。彼に感謝をしつつ、私はいかにも探したというリアクションをとる。

 

「村上っ! 探したんだよ、まったく」

 

「はい? そうなんですか?」

 

 扇の隣に立ち、とても嬉しそうな顔をして首を傾げる村上。

 私の『優等生』加入が一歩近づいたとでも思っているのだろう。相変わらず営業の鏡みたいな奴だ。

 彼の健気さに少し感心しながら、私は頷く。

 

「ちょっと話がしたくて。二人で会えない?」

 

「二人で!? はい、勿論ですっ!」

 

 村上が跳ねるようにして驚く。

 紀理もそうだけど、なんで二人という単語に異常な反応を示すのだろうか。

 まぁ頷いてくれたし、よしとしよう。

 

「――というわけで、私は村上と話をするからっ。今日は付き合えないかな」

 

「え、あ……ええっ?」

 

 学校のアイドルと私が二人で会う約束をする。現実には有り得ない状況に、扇は動揺しているみたいだった。実際は取り調べと勧誘活動の約束という、よく分からないカオスなものなのだが、傍から見れば漫画チックな出来事に見えるかもしれない。

 取り巻きもショックで白い灰みたいな感じになっていた。

 

「ええと、よく状況が分かりませんが……ごめんなさい」

 

 村上はうろたえる扇を見て、頭を下げる。

 後から出てきて私を奪ってしまった、とか思ったのだろうか。謝る必要はないのに律儀な男である。

 

「そ、そんな。だ、大丈夫です、気にしなくても」

 

 無論、アイドルである彼にそんなことをされれば強く言うこともできない。

 彼女もまた村上のファンなのか、顔を赤くして首をぶんぶんと横に振ると、慌てた様子でその場から走り去っていった。去り際に、私へ鋭い視線を残して。

 おぼえとけ、とかそのあたりだろう。この学校は小悪党キャラが多いものだ。

 

「彼女とは知り合いですか?」

 

「あー、うん。そんな感じ」

 

 何回も私をぼっこぼこにしてくれたり、一時期毎日会ってたからね。知り合いランクには達しているだろう。

 彼の問いに苦い表情で頷く私。村上はそれを聞いて申し訳なく思ったのか、表情を少し暗くさせた。

 

「気にしないでいいって。今日はあんたと話そうと決めてたんだから」

 

「そうですねっ。一日くらいいいですよね。さてさて、行きましょうか楼さん」

 

 テンションをひっくり返し、ニコニコといつも以上に眩しく笑いながら歩き出す村上。

 彼は取り巻きに一言挨拶を言うと、近くの階段を上りはじめた。

 二人で話をできる場所に当てがあるらしい。すっかり動かなくなった取り巻きに、もう移動しなくてもいいんじゃないかな、などと思うも、私は彼についていく。

 取り巻き以外の人間に話を聞かれるのも、できるだけ避けるべきだ。

 もし『教育』のことを村上が知っていても、あんなこと人前では言い辛いだろうし。

 そう考えれば、今は村上についていくのが賢いだろう。

 

「どこに行くの?」

 

 私が後ろから声をかけると、彼は答えた。

 

「『優等生』の部室の一つです。今日は確か人がいないはずですから、安心して下さい」

 

 驚いたことに『優等生』は幾つも部室を持っているらしい。

 しかしそれは規模を考えれば当然とも言えた。

 二つか三つか分からないけど、部員の人数から五つくらいあっても不思議ではないだろう。

 階段を上がり、教室のある階から一つ上へ。音楽室や特別な授業で使用する部屋が揃っているそこは生徒の姿がなく、ちょっと離れただけだというのにやたらと静かであった。

 本当に人がいなそうだ。これなら誰かに聞かれる恐れもないだろう。

 

「ここです」

 

 階段から廊下を右へ。突き当りまで歩くと、村上は立ち止まった。

 その前にあるのは至って普通な教室。ただ、ドアの上部には『優等生第六会議室』とプレートが付いている。第六……少なくとも六個部室があるのか。なんて恐ろしい。

 戦慄を覚えつつ、ドアのガラスから中の様子を窺う。中は普通の教室であった。

 豪華な設備などはなく、生徒らしい質素な雰囲気である。部室や会議室と呼ぶには少し寂しい気もする。

 私が観察している間に村上はドアの鍵を開き、中へ入っていく。私もそれに続いて、彼に促されるままに中心に近い席に着席。村上はその向かいに座った。

 

「……それで、何が訊きたいですか?」

 

 開口一番に問われ、私は面をくらった。

 私は訊きたいことがあるなんて一言も言っていない。話があるとだけ言ったのだ。

 なのに何故私が彼に質問をするとバレたのだろうか。

 考えて――当然のことだろうと結論する。

 今日の紀理に対してもそうだが、私はこの一ヶ月間まともに人と話そうとはしなかった。

 その私が彼を自ら雑談に誘ったのだ。何か理由があると思うのが当たり前である。

 

「私に利用されてるのが分かってて来たの?」

 

 申し訳なさ半分、呆れ半分の微妙な気持ちで私が尋ねると、彼はすぐ首肯。

 幸せそうな笑顔を浮かべて、ぐっと拳を握りしめる。

 

「楼さんと二人きりで話せると聞いて、我慢できるはずがないでしょうっ」

 

 なんでこの人がアイドルになれているのか。私は少し分からなくなった。女子にこんなことを言う男性は普通なのだろうか。私の常識では普通じゃないんだけど。

 

「色々つっこみたいけど、まぁいいや。ちょっと訊きたいことがあるの」

 

「はい。僕が答えられることなら、なんでも答えますよ」

 

 なんにせよ、協力的なのはいいことだ。

 頼もしい返事をする村上に、私はストレートな質問を投げかけてみることに。

 

「優等生が『教育』っていうことをしてるって聞いたんだけど」

 

 途端に村上の顔から笑顔が消えた。私が『教育』という単語を口にした瞬間、彼の様子が豹変したのだ。

 やはり何かしら知っているらしい。黙り込む彼が返事するのを待つ。

 

「……どこで聞いたかは分かりませんが、確かに行ってます」

 

 やがて重い口を開き、彼は肯定した。

 短い言葉。だが、それだけでいくつか分かったことある。

 まず『教育』というものを彼らが行おうとしていること。そしてそれが――

 

「まだ計画段階なの?」

 

 計画している最中であること。

 『優等生』は何度も言っているように大規模な部活だ。その部活が大々的に行っていることについて尋ねたならば、「どこで聞いたか分かりませんが」なんて言わないだろう。

 口が重い生徒がいれば、口が軽い生徒もいる。組織が知っていることは全ての生徒に流れると言っても過言ではない。

 なので計画途中か、限られた人物が密かに行っているか、このどちらかだと分かる。

 夢深の件を考慮すると有り得るのは後者なのだが、村上の性格上それは考え難い。

 まぁ、私の妄想なんだけども。

 

「はい。実はそうなんです」

 

 私の予想は正しかったみたいだ。

 村上の言葉に少し安心するも、頭の中には新たな疑問が浮上した。

 『教育』が計画途中。彼がそう言うのだからそれは間違いない――と仮定しよう。

 そうなると、夢深の一件についての理由が分からなくなってくる。あの三人が『優等生』メンバーだと考えても、筋が通らない。

 昨日の事件は何が理由で起きたものなのか。単にいじめというわけでもなさそうだけど。

 ……というか、そもそもなことが分かっていなかった。

 

「『教育』って具体的になにをするの?」

 

 私はまだその言葉がなにを指すのかすら理解していなかったのだ。

 昨日のことからなんとなくいじめっぽいことを想像していたものの、こうなるとその認識自体が誤っている気がした。

 もう話してしまったからだろう。今更な質問に些か拍子抜けをくらった顔をする村上だが、きちんと答えてくれる。

 

「問題児を文字通り教育し、手本を示して更生。その過程で評価を得るという作戦です」

 

「つまり邪魔者を消し活動をし易くして、評価も得ると……一石二鳥の作戦だね」

 

 問題児とは私のように絶対評価制に対抗する人物や、単に出席日数や授業態度、問題のある行動をする人など様々いるのだけど、今回はどちらの人間をターゲットにしているやら。

 おそらく『優等生』のターゲットにされるくらいだから、周知の問題児だろう。私のような人物は選らばれない……と思いたい。悪事は働いてないし。

 

「はい。ですがそれは一方で、いじめではないかとも言われています」

 

「だろうね。そのせいで計画が進まないと?」

 

「そうですね」

 

 村上が頷く。

 うまくいけば本当に一石二鳥の大きな効果を上げるだろう。しかし失敗すれば自身の評価、及び部活自体のイメージダウンは免れない。

 計画が頓挫していないし、賛成者はいるのだろう。

 その反面、単にそのリスクを恐れている人物もいれば、道徳的なことを考えて躊躇っている人もいる筈だ。

 となれば考えられることは……。

 

「まさか組織内で争ってる?」

 

「まったくもってその通りです」

 

 情けない。肩を落としながら返答する彼からはそんな心情が窺えた。

 

「『優等生』幹部――その中でも重要な位置にいる人間しか知らないことですが、結構ピンチです」

 

 声を抑え、内緒話をするみたいにあっさり暴露した村上。

 それを私に言っていいものなのか。

 まぁ、信頼の表れだとでも思っておこう。信頼される理由が分からないけども。

 私は小さく溜息を吐く。

 そこは今気にしてもしょうがない。

 気を取り直し、情報収集に勤しむことにする。

 

「……そっか。その辺、詳しく聞かせてくれない? 問題児として気になるんだ」

 

 村上はそれに迷うことなく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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五章

 ホームルーム終了から半時間ほど経った時刻を見計らい、妹はとある場所を目指していた。

 別行動。そう姉へ言った彼女には、やるべきことがある。

 それは一人でこなせることであり、これまでも何度か行ったことであった。

 すっかり人がいなくなった校舎を進み、彼女は階段を上がっていく。

 窓から夕陽が射し込み、静寂に包まれた校舎。妹の足音だけが響き、物寂しさを感じさせる。

 世界で自分一人だけになったかのような静けさ。普通ならば寂しい思いに駆られそうな中で、妹は笑っていた。

 

「ついに始まる」

 

 絶対評価制が刻んだ歴史の変化。それがようやく始まったのだ。

 待ち望んだ時の訪れに、笑みを隠すこともせず歓喜する。

 彼女が渦中に戻ることで、果たして何が起こるのだろうか。『始まり』は『現れる』のだろうか。

 全てが予想できず、そして楽しみであった。

 にやけながら階段の踊り場を曲がり、目に入る光に目を細める。

 彼女の前に続く階段、その先には屋上への扉が見える。

 光源は扉に付いている窓。外の景色は見えないようになっているのだが、夕陽はそれを通して妹へと降り注いでいた。

 手を目の上に当てつつ、彼女は扉の錠前を確認する。

 普段は厳重に閉じられている鍵は外されており、『あいつ』がいることが見て知れた。

 ――仕事熱心なことだ。

 苦笑し、自分もまたその一人であることを思い出す。

 青春を謳歌する道筋は各々違う。とはいえ、自分達はあまりにも一般人の青春とかけ離れた場所にいるように思えた。

 ――今の状況みたい。

 暗い場所に立ち、眩しい光を見上げながらその場所へ歩いていく。

 彼女のしていることとそれは大差なかった。

 自分と違うのは、光への距離が長いことだろうか。

 

「……なんて。何考えてるんだか」

 

 自嘲。扉の前に辿り着いた妹はノブに手をかけ、開いた。

 錆ついた金属が擦れ、不快な音が立つ。眩しい夕陽を受けながら屋上に入り、後ろを向いて丁寧に扉を閉める。

 大きな音を立てない。それがルールの一つだ。

 

「また来た。妹も暇ね」

 

 音を立てずに扉を閉めると、扉の横から欠伸混じりの声がかかった。

 大人っぽい女性の声である。眠いのか、若干舌っ足らずであるが不思議と通る声だ。

 妹は扉の確認をしながら、顔を向けずに返事をする。

 

「ええ、暇よ。あなたに会いに暇を作ってるんだもの」

 

「そりゃどうも」

 

 素っ気ない声を返す声。

 ドアがしっかり閉まっているのを確認し、妹は声の方向へと振り向いた。

 扉のすぐ横にある柵と壁の角。そこには茶色のロングコートを制服の上から羽織り、ディアストーカーを身に付けた少女が立っている。

 探偵のような服装をした彼女は『情報屋』。

 学園の情報を趣味で収集しており、それを取引している人物である。

 ふざけた容貌であるが情報の鮮度、正確さは勿論、その幅広さまで定評がある。妹も彼女の仕事には絶対的な信頼をおいていた。

 

「今日は何の情報が欲しいの? 『優等生』について?」

 

 煙の出ないパイプをふかし、ニヒルに笑ってみせる情報屋。妹は彼女の前に行き、真面目な顔をして頷いた。

 

「ええ。『教育』について追加情報はない?」

 

「またそれなの?」

 

 情報屋が顔をしかめる。

 

「一日二日で新しい情報が出るのは珍しいことなのよ? こちとら一応高校生だしさ」

 

「分かってるわよ。情報があるかないかだけ言いなさい」

 

「もう……。ないわよ。情報なし」

 

 眉をハの字にして答える情報屋に、妹は隠すことなく舌打ちする。

 

「役立たず。情報屋が聞いて呆れるわね」

 

「へいへい。仕方ないでしょ、そうでなくても『優等生』の奥深くは閉鎖的なんだから」

 

 加えたパイプを上下に動かし、情報屋が半眼をつくる。

 大規模な組織ではあるが、彼らの情報管理は徹底してある。

 一般の部員へ話すに至っていない事柄が、他者に伝わることはほぼ皆無と言っていいだろう。

 現に『優等生』の部長など、彼ら組織の詳細は分からないことが多い。

 その彼らが何か大きな動きを見せようとしているのだ。

 『教育』の前兆が見えただけでも、情報屋は大した手腕だ。

 その言い分を妹は理解していた。それでも、期待せざるを得ない状況なのだ。

 

「そこをなんとかするのが情報屋だと思うんだけど」

 

「あはは、流石にお菓子のためにそこまでやらないわ、私は」

 

「――まぁ、そうよね」

 

 妹はがっくりと肩を落とす。

 情報屋は趣味で情報を集め、それを教える代わりに好物のお菓子を要求する。

 それはいくらなんでも『優等生』の深淵を覗く代償とは釣り合わないだろう。

 

「というわけだから。そうだねぇ、どうしても知りたいなら幹部にハニートラップでも仕掛けてみたら? 妹さん可愛いからいけると思うわ、お姉さんは」

 

「寝言は寝て言いなさい。私の流儀じゃないでしょ、そんなの」

 

 妹の身体を品定めするように見る情報屋を睨み、嘆息。

 確かに、情報を聞き出すには幹部を通さないと無理だろう。しかしそれは難しい。

 『優等生』の幹部となるような人間は根っからの絶対評価制信者。どちらかといえば不良にカテゴリされる自分の話を聞くとは思えなかった。

 

「そうね。妹さんは性格悪いし」

 

「小悪魔なのよ、私は」

 

 情報屋は吹き出し、落ちそうになったパイプを慌ててキャッチする。

 

「――っとと。小悪魔というよりはイフリートとかがしっくりくるけど?」

 

「失礼ね」

 

 あながち間違ってはいない、そう思うも女性に対して使う単語なのだろうか。憮然とした表情で言い、妹は気を取り直そうと小さく頭を振った。

 ここに来た用件はもう一つある。

 

「『教育』については姉さんもいるし、今日は諦めるわ。別に依頼したもう一個の件はどう?」

 

「ああ、あれのこと?」

 

 情報屋は再びパイプをくわえ、明るい顔をする。

 

「全然情報はないよ」

 

「そう……」

 

 あっけらかんと言われ、妹は落胆した。

 急いでいるわけではないが、重要度ではこちらの方が圧倒的に高い。駄目元で高校生である彼女に依頼してのだが、やはり無理だったようだ。

 妹の反応が先程と違うことに気づいたのだろう。情報屋は首を傾げつつ不思議そうな顔をして尋ねる。

 

「『原初』、よね? なんの暗語なの?」

 

 何気なく言われた言葉に、妹の心は大きく揺れた。

 『原初』。その単語を聞くと、今でも無意識に反応してしまう。

 

「そう、ね……」

 

 身体が僅かに跳ねるのを感じ、妹はそれを抑えようと腕を強く組む。そして少々考えた後に一言。

 

「全ての原因にして、唯一の人類よ」

 

 情報屋は眉間にしわを寄せた。

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 仕入れた情報を早速報告しようと、私は昨日の喫茶店に向かっていた。

 村上がベラベラと話してくれたことだから、重要度は低いかもしれない。妹とかはとっくに知ってるかもしれない。けれでも大きな進歩だと思う。なにも知らない状態から、『教育』の有無、段階などを知ることができたのだから。

 帰宅する人々が行き交う街を抜け、意気揚々と住宅街を歩く。

 考えてみると今日は戦いもなく平和な一日だった。精神を削るような出来事はなく、朝はぐっすり寝たし健康体そのものである。

 足取りも軽く、体感的にあっという間な時間で喫茶店の前へ到着。

 昨日聞いたことだが、妹ら属する組織の本拠地はここらしい。

 なのでここに行くことにしたんだけど、妹と麻緒さんは来ているだろうか。

 最低、書き置きくらいはしておこう。私は考えて真っ暗な喫茶店のドアノブを捻った。弱く押してみると――やはり今日も開いている。入っても問題なさそうだ。

 

「失礼します」

 

 なんとなく無言で入るのも申し訳なく、小心者な私は入室と共に呟く。

 中は誰もおらず、相変わらず真っ暗だ。今日は一人なので少し心細い。

 早く進むとしよう。ドアに付けられたベルの音にびっくりしながら進み、私は和室を目指した。

 変わらない、ということは安心感をもたらす。

 角からもれる光を見て、私はいくらか落ち着く。あの光は昨日と同じ。和室の照明だろう。となれば、妹か麻緒さんがいる筈。

 ホッとする自分に呆れるも、自然と足が速まる。真っ暗闇の中で一人はやはり辛いものがある。

 すたこらと通路の角を曲がり、私は和室へ顔を出す。

 

「妹、麻緒さんっ……あれ?」

 

 畳、こたつ、和と団欒を前面に出した落ち着きのある部屋には見覚えのない人物がいた。

 二人の名前を呼んだ私は、予想外なことに目を丸くさせる。てっきり組織に入っているのは妹と麻緒さんくらいだと思っていたのだが……よくよく考えてみれば、昨日妹が言っていた台詞、最低でも三人以上メンバーいることが予想できる。

 妹は物好きではなさそうだし、正義漢なんてもってのほかだし。

 

「……君が楼か」

 

 こたつにノートパソコンを置き、それに視線を向けていた人物は私を見て言った。

 呟くようなボリュームだが、確かに私へ向けて言ったことだろう。私は頷く。

 

「う、うん。君は組織の仲間?」

 

「ああ。そうだ。楼、中に入るといい」

 

「ん、お邪魔します」

 

 促され、私は彼女の対面に座る。

 それから恐る恐る彼女を見ると、既に私から目を離してパソコンを操作していた。

 小さな女の子だ。小学生くらいに見える紀理ほどではないが、幼い印象を受ける。

 水色の髪をポニーテールにしており、眠そうに開いた目の下にはくっきりと隈ができている。更にはTシャツの上から白衣をまとっていて……幼いながら、研究者チックな見た目をしている少女だった。パソコンを慣れた手つきで操作している点も、そのイメージを加速させる。

 組織は高校生以外も入れるのだろうか。ちょっと会話を試みようかな。

 

「ねぇ、君の名前は?」

 

(れい)。組織の『頭脳』と呼ばれている」

 

 パソコンから目を離さずに、ぼそっと答える零。

 頭脳……? あ、そういえば妹がそんな単語を言っていた。

 頭脳からメールがきたとかなんとか。

 彼女がその『頭脳』なようだ。こんな小さな子が指令のメールを出すなんて想像できないけど、実際こうしてパソコンをいじっている姿を見ると否定できない。私より上手だと試さなくても分かるし。

 

「そっか。私のことは知ってる?」

 

 尋ねると、零は頷く。

 

「武蔵楼。両親を『混沌』の間に亡くし、国の機関で二年間の日々を過ごしてきた。身長、体重などは平均的で、見た目より実際は胸が大き」

 

「す、ストップ! 知ってることは分かったから!」

 

 ペラペラと話しはじめる零を慌てて制止する。妹の記憶喪失云々のことも驚いたけど、そんなプライベートなことも知っているなんて。恐るべし。

 

「そうかね」

 

 画面を見つめて表情一つ変えることなく零は口を閉じる。

 この子はまともかとも思ったけど……それは違ったらしい。

 溜息を一つ。

 

「……零は何年生?」

 

「僕はフリーターだ。学生じゃない」

 

 フリーター?

 零が自分をそう称し、私は首を傾げた。

 決して珍しいものでもない。能力が出現し、人間には数々の才能が見つかるようになった現在、職業は色々なものを経験して自分に合うものを探すのが一般的だ。

 なので誰かがフリーターであると名乗っても驚きはしない。

 のだが、それを小さな女の子が口にすると、こうも違和感があるものなのか。

 中学まで義務教育なのは変わりない筈なのだけど。

 

「そうなんだ。今は何してるの?」

 

 ま、今はほぼなんでもありな世の中だ。彼女みたいな人がいても何ら不思議はない。

 追求したくなる気持ちを抑え、私は尋ねる。彼女はパソコンのエンターキーを押すと、私を見た。

 

「喫茶店のマスター」

 

「なるほど――なっ!?」

 

 静かに言われた衝撃発言に今度こそ私は驚いた。

 マスター、ということはこの喫茶店の持ち主は彼女なのか。そしてマスターはフリーターに分類されるのだろうか。

 

「ここの喫茶店は、まさか君の?」

 

 うろたえながら私が言うと、彼女は首肯。やはり彼女がここの持ち主らしい。

 小さいのにお店を持っているなんて……どんな人生を送ってきたのだろうか。

 

「楼。何か収穫はあったかい?」

 

「えっ?」

 

 目の下の隈から、相当な苦労をしてきたのだろうと妄想をはじめた瞬間に声をかけられ、ハッと我に帰る。私に視線を向けたままの零が、パソコンを閉じていた。私との会話に集中しようとしているようだ。

 収穫。多分今日の活動の結果について訊いているのだろう。

 

「えっと、幹部の村上から話を聞いたんだけど……」

 

 私はそう言い、説明を始めた。

 『教育』は計画段階で、まだ行われていないこと。部長をはじめる賛成者と、村上含む反対者で争っていること。そして――

 

「賛成者は近い内に強行を試みているらしいんだ」

 

「なるほど」

 

 説明を聞いた零は特に驚いた様子もなく、小さく頷いた。

 目を伏せ、何かを考えるように彼女は暫し沈黙する。そしてぼそっと言った。

 

「『教育』が行われていない――つまり僕が昨日妹に送信したメールは間違いであったと」

 

 反応するのそこですか。

 

「早とちりだったようだ。妹に連絡しなくては」

 

「ええと、他になにかリアクションはないの?」

 

「ないね。筋が通っているし、予想外というわけでもなかった」

 

 学校を代表する部活動の抗争なんて、私は聞いたとき驚いたものだけど、零は冷静だった。携帯電話を取り出して、目の覚めるような速度で文章を打ち込んでいく。

 

「ただ、一つ驚いたことがあったな。お茶飲むかい?」

 

 あっという間にメールを打ち終わり、携帯をしまうと彼女は立ち上がった。

 座高がやけに低い、というわけでもなく、本当に小さい。立っても私の胸の高さにぎりぎり達するか、くらいの身長だった。

 

「うん、頂戴。――驚いたことって?」

 

「『優等生』と接点がない君が情報屋以上の情報を聞き出したことだ」

 

 部屋の隅に置かれた棚から茶葉の入った缶を出し、急須に入れていく零。さらさらと落ちていく茶葉を眺め、彼女は退屈そうに息をもらした。

 

「村上とやらはそこまで口が柔らかい人間じゃあない。むしろ礼儀や規則を重んじる真面目人間だ。その彼が組織内のことを話すとは……」

 

 そこまで言いかけ、彼女の動きがぴたっと止まった。

 茶葉を入れた急須を手に、フリーズしたように静止してしまう。

 

「そうか。村上は……なるほど」

 

 なにを納得しているのだろう。不審な匂いのする彼女の動きと言動に私は疑問を抱く。

 

「姉さん!」

 

 が、次の瞬間和室に飛び込んできた妹によって、そのことは頭の中から遠い彼方へと消え去っていくのだった。

 

「やぁ、妹。おかえり」

 

「ただいま。じゃなくて!」

 

 再び稼働しはじめた零に挨拶を返し、妹はノリツッコミ。荷物を放り投げ、靴を脱ぐと和室へ上がってくる。

 メールを読んだのだろう。とても慌てているようで、表情にいつもの余裕がない。息が切れてるし。

 妹はこたつの近くに座ると、私へ鋭い目を向けた。ちょっと不機嫌気味だ。

 

「なんで連絡してくれなかったの、姉さん。幹部から聞きこみをするなら、私も呼んでくれていいじゃない」

 

「いや、だって妹がいると遠慮なく訊きそうなんだもん」

 

「そりゃ遠慮なく訊くわよ。幹部は一人だったんでしょ? 口封じしておけば、手段なんてどんなものでもモーマンタイよ」

 

 呼ばなくてよかった。拷問とか平気でやりそうだ、こいつは。

 悪役みたいな笑顔を浮かべる妹に呆れつつ、零から湯呑を受け取って頭を下げる。

 お茶の品のいい香りが鼻に入る。流石はマスター。華蓮の淹れるお茶より香りも色もいい。

 

「ま、呼ばなかったことはもういいわ。肝心なのは強行策に出ようとしている、ってところね」

 

 追加で淹れられた三つ目の湯呑を手に、妹は真剣な顔をする。

 聞き込みをした内容について話す必要があるかとも思ったのだが……零のメールにはどこまで書いてあるのだろうか。

 

「そうだね。それが実行される前になんとかして止めないと」

 

 お茶の見事な味に目を見張りながら私は頷く。

 

「言うのは簡単だけどねぇ……。零、何かいい考えはあるかしら?」

 

「やはりここは力勝負でどうだろうか」

 

「それこそ言うのは簡単、よね。一応落ちこぼれなのよ? 私達」

 

 妹が苦い表情をする。

 力勝負。これが現世で最も分かりやすい物事の解決手段である。

 対立した者同士が戦い、勝者に敗者が従う。今日日人間以外の生物も行ってきた原始的な手法だ。

 それで解決できるならいいだろう。

 しかし落ちこぼれ集団が『優等生』に挑んだところで、雑魚のようにバッタバッタなぎ倒されるのが関の山だろう。それは無謀と言う。

 それに今回勝利しても、また次負けてしまっては意味がなくなる。力技はあまり得策とは言えないだろう。

 私も妹に賛同である。とても解決できるとは思えない。

 が、零はそう思っていないみたいだった。

 

「いや、今回の味方は『組織』だけというわけでもない。協力すれば敵の撃破も夢ではないだろう」

 

「協力? 誰が協力するって言うのよ?」

 

「反対者である幹部だ」

 

 なるほど、そういうことか。

 反対者である幹部ならば『教育』を止めるという共通の目的がある。幹部ならば実力もある筈だし、彼らと協力をすればグッと勝率が高まるだろう。

 妹も得心がいったのか、何も言わずお茶を飲んでいた。

 

「問題はどうやって協力関係を結ぶか、そしてどのように戦いへと持っていくかだ」

 

 零は言葉を続ける。

 協力関係の方は『優等生』らと接近を試みなければならない。目的が一致しているし、それほど難しいことではないように思える。

 だが、後者の方は難しい。

 賛成者で一番地位が高いのは部長。正体がはっきり分からないそいつへ、どうやって戦いを挑むのか……。

 強行策の話が出ている今、戦いを受けてくれるかも分からない。問答無用で『教育』を始められたりでもしたら、それでおしまいだ。

 

「誰が対象にされるか予測できるなら話は早いんだけど、それも無理よね」

 

「無理だろう。他の幹部――それも賛成者が話すとは思えない」

 

 妹に零が頷く。

 情報屋に情報がいかない封鎖された組織。その行動を先読みすることはほぼ不可能だろう。

 私は状況を整理し、明日やるべきことを導く。

 

「じゃあとりあえずできることは、村上を通じて『優等生』の反対者側に入ることかな」

 

 二人は首肯。

 

「そうだね。それくらいだろう。あとは強行が起こらない内に、何かイベントがあるのを期待するしかない」

 

 やはりそうだろう。

 受け身になるしかない現状はいただけないが、それが最善である。

 

「でも私達がなにかして役に立てるのかしら。多分反対者の中で一番弱いわよ?」

 

 妹がツインテールをいじりながら言った。

 彼女にしては珍しい弱気な発言であるが、正論だ。幹部は実力が私達とは段違いだろう。

 私達になにができるのか……と不安になる気持ちは強く共感することができた。

 

「立てるだろう。僕達には仲間がいる」

 

「仲間、ねぇ。信頼してるわよ、姉さん」

 

「はいはい。私も信用してるから頑張ってね」

 

 なんで私に言うんだか。

 妹に私は適当に返事をする。

 なにはともあれ、今日できることはなくなった。私は目の前のお茶に意識を集中させた。

 明日も何事もなく終わるといいけど……それは無理な相談だろうか。 

 

 

 

 ○

 

 

 

 雑魚の朝は忙しい。

 

「楼さん。昨日は逃げられましたが、今日こそ戦っていただきます」

 

 翌日。登校していると一日ぶりの出待ちがいた。扇である。

 逃げたのはあちらなのだが、なんだか根に持っているみたいで笑顔が怖い。

 校門前に立つ彼女は、私がやって来ると校庭を指差す。既にそこでは誰かが戦っていたが、まだまだスペースはある。不幸なことに戦える状況だ。

 

「戦わないと駄目?」

 

 彼女は私の天敵である。故に決闘は避けたいのだが、無論逃がしてくれるわけもなく。

 

「駄目です。分かるでしょう?」

 

 即座に却下すると、扇が校庭へと向かって歩き出す。

 決闘は逃げられない。嘆息し、私もついていく。

 まぁ、この時間ならせいぜい一戦が限界だ。それで満足してくれると願おう。

 校庭の近くに着き、私は鞄を下ろして置いておく。

 

「では始めますよ」

 

 私と距離をとると扇が声をかけた。手をひらりと挙げて笑みかける。

 表情や仕草は可愛らしいのに、これから始まることを想像すると寒気がする。合図を聞き、私はとりあえず斜めに走り出した。

 戦うならば無抵抗にやられるようなことはしたくない。評価がこれ以上下がるのも勘弁だ。

 だから、やれることはやろう。

 目を凝らし、私は前兆を見極めようと試みる。

 彼女とは何回も戦っている。攻撃の種類も大体理解している。前兆さえ分かれば、かわせないこともない筈だ。

 確か彼女が初手で使用してくるのは――

 

「――されし、深淵の闇。今我に力を与えたまえ」

 

 闇の魔法。それも私の動きを制限する、重力操作。いつもこれが避けられずに私は格好の的になるのだ。

 詠唱を耳にし、私は方向転換。しかし能力の補整なしの足より、補整を受けた魔法が早いのは当然のこと。私が回避行動をとるよりも早く、周囲に黒い円形の陣が広がる。

 前兆を察知しなんとかその中心から逃れることは成功するものの、展開した魔法の中に入ってしまった。

 足元に広がる、禍々しい闇が蠢く魔法陣。半径は30メートル程だろか。それなりに広く、発動までの時間が短いことから、牽制としては最適な魔法である。

 もっとも、私には決定打になりかねない威力なんだけども。

 魔法が発動すると同時に身体が重くなる。

 前兆が分かっていても、逃げられないのでは話にならない。自分を責めながらなんとか足を動かし、私は陣から出ようともがく。足が鉄になったみたいに重く、立っているだけでも体力がなくなっていく。

 何度もそうなったように、一度倒れたら二度と起き上がれないだろう。

 

「ふふ、相変わらず魔法に弱いですね」

 

 扇が勝ち誇った笑みを浮かべ、手を前にかざす。

 すると彼女の周囲で風が吹いた。激しく、だが砂ぼこりを起こすことはなく、不思議なそれは下から上へ扇を中心にして、螺旋状に上昇していく。そして、彼女の頭上で収束した。

 複数の矢の形をとった灰色の風は、その先端を私へと向ける。

 詠唱の要らない低威力の魔法。走りながらでも出すことができる、汎用性が高い能力である。

 動きを止めて遠距離から仕留める。それが彼女のパターンだ。接近戦を嫌い、逃げることを徹底する彼女は私と極端に相性が悪く、同時に良くもある。

 近づけるか否か。この勝負のポイントはそこだけだ。

 

「いきなさい」

 

 そしてそのポイントを制されたされた今、私は圧倒的な窮地にいる。

 どうしようか。

 扇に何度も負けたせいか、風の矢が迫っているというのに、頭の中は冷静であった。

 どうやって避けよう。伏せて避ける――のは駄目だ。立ち上がれなくなる。となれば、動いて回避するしかない。

 魔法を対象にすると意識し、『格闘』の補正を失った私は現在一般人並みの身体能力である。反射神経も低く、全てが一段階速く見え――避けるのは無理だ。

 仕方ない。私は舌打ちし、頭を守るようにして手を交差させた。

 

「いっつ……」

 

 衝撃を受ける。詠唱もなく簡単に発動できる魔法は、それほど痛くはないものの私の身体にしっかり傷をつけた。

 痛い。が、まだ倒れるには至らない。魔法を受けながらも私は歩みを止めずに進み続ける。

 矢は私の腕、脇腹を浅く刺すと消えていった。制服が破れた位置からは血が流れ、空気に触れるだけで傷が痛みを訴える。

 手を下ろし、私は深呼吸。次弾が用意されるのを眺めながら、なんとか足を進める。

 あと数メートル。陣から出れば、私は速さを取り戻せる。それが私に残された唯一の希望だ。

 勝ち誇った笑みを浮かべる扇が、二回目の矢を放つ。

 私はそれを限界まで見極め、できるだけ直立の体勢で手や足を動かして被害を少なくしようと試みる。

 結果、足、肩、頬を矢が掠めるまでに抑えることができた。

 

「ふふ、流石は楼さん。いい感じです」

 

 完全に勝ったつもりでいる。嘲笑うような扇の声に苛立ちを覚える私。

 だが、それもここまでだ。なにせ私の甲斐甲斐しい努力によって、あと一歩で陣から――あれ?

 急に身体が軽くなり、私はよろける。こけないよう足元を見て、陣が消えていることに気づいた。

 どうやら彼女が自分の意志で消したらしい。確かあの魔法は次に発動できるまでの時間が異様に長い筈。なのに、あと一歩で出られる、というだけで自ら消滅させたりするものなのだろうか。

 

「何のつもり? 馬鹿にしてるの?」

 

 あと一歩というところで消されると、ちょっと虚しいんだけど。

 私は肉薄しながら尋ねる。

 すると彼女はにっこりと笑った。心から楽しそうに。

 

「いえいえ。折角評価が上がったのに、最近はつまらない勝負ばかりで。遠距離からお互いにちくちく戦うような勝負に比べて、こちらの方がスリルがあると思っただけです。それに……」

 

 扇が手を前へ。すると即座に現れた小さな風の刃が私へ殺到する。

 魔法を意識し、グッと下がる私の速度。私は咄嗟に横へ頭から飛び、それらを回避。今度は当たることなくやりすごした。

 そのまま前転し素早く体勢を立て直す。それから私は一歩踏み込み、彼女へと拳を振るった。

 が、空を切る。小さく身体を動かし、彼女は私へ開いた手を向ける。

 攻撃がくる。頭を抱え、屈む私。一瞬の間の後、私の身体があった場所を矢が通過し、地面へと突き刺さった。

 助かった。そう思い顔を挙げると、既に扇は私から距離をとっていた。

 

「楼さんは諦めませんし、楽しいです」

 

「ずいぶん性格悪い台詞に聞こえるけど、それ」

 

 諦めずに近づいてくる相手を遠距離から……扇が好みそうな戦いである。

 しかしまぁ、私と戦って楽しいと聞くのはそれほど悪い気分じゃない。

 単なる評価稼ぎだとか、作業感を持たれるよりはよっぽど健全だろう。

 言うなればスポーツである。私は負けたくない。相手も負けたくない。そのために全力を尽くす。

 そう考えれば、なるほど、確かに遠距離から打ち合ったり、すぐ諦められるのは楽しくないかもしれない。

 天敵でありながら、どこか憎めない人物である。

 

「加えて村上様と仲良さげなあなたをいたぶることでストレスも解消できますし」

 

 これで私怨が含まれてなければなぁ……。

 苦笑をもらし、私は彼女へと走り出す。やっぱり村上のファンだったらしい。

 

「はっ、負けなければの話でしょ?」

 

「そうですね。ですが今回の私には秘策があります」

 

 私の挑発に珍しくむきにならず、扇は手を――地面につけた。

 見たことのない行動だ。秘策、という言葉も引っ掛かる。

 それに彼女は評価が上がったと言っていた。

 まさか新しい能力を得たのでは? 私の頭に一つの予感が浮かぶも、とりあえずは接近しなければ私に勝ち目はない。私は自分の本能に逆らって接近を続ける。

 地面に手をついたまま彼女は動かない。こちらを挑発する不敵な笑みを浮かべて立ち止っている。

 なにをしようと企んでいるかは分からないが、このまま攻撃を叩きこんでやる。

 罠であろうと勝つために立ち止るわけにはいかないのだ。

 私は大きく拳を振りかぶる。その時だった。

 

「かかりましたね」

 

 詠唱もなしに、彼女が触れていた地面から光が溢れだす。

 身長程の高さをもつ、輝く光。すぐ目の前に出現したそれは、私の目を眩ますことなく優しい輝きを放つ。

 攻撃的な雰囲気は感じられない。だからこそ嫌な予感がした。

 魔法を意識。私の拳は速度を失う。

 きっとこのまま扇に攻撃が当たったとしても、大したダメージは与えられないだろう。

 ――しかし、利用価値はある。

 速度を落とせば方向転換がし易くなる。車しかり、思考しかり……それはどんなものにも適応される当然の法則だ。

 私は下ろそうとした拳を止め、斜めに足を踏み込む。

 溢れだす光の横を通過し、その奥へ。幅があまりなくて助かった。

 光を通り越すと、そこには扇がいた。私の接近に気づいておらず、前を向いたままだ。手は地面につけていないが、先程と体勢はあまり変わっていない。

 罠を張って通過、自爆しては無意味である。罠を使用した人間は、それを越えた安全な場所で仁王立ちしているのが当然であり最善なのだ。

 好機。気づいていない今がチャンスだ。

 

「甘いです」

 

 蹴りを放とうと足を動かす。私の靴底から砂利を擦る音が立つ。

 と同時に扇の声が聞こえ、私は自分の犯したミスに気付いた。

 この校庭では目で見なくとも相手の位置を確認することができる。

 かつて自分が利用した戦法。目の前の魔法へ意識をとられたばかりにそれが頭から抜けていた。

 クルッと扇は向きを変え、私の方を向く。すると光が再び私の前に立ちはだかった。

 今度は避けられない。私はそのまま蹴りを放ち――頭に衝撃を受けて地面に倒れた。

 

 

 

 ○

 

 

 

 なにが起こったのだろう。

 薄暗い視界の中、私はふと考えた。

 光を蹴って頭をやられる……意味が分からないけど、どこかに法則があるはず。

 あれが反射系の魔法であることはほぼ間違いないはず。

 となると、受けた衝撃を頭上へ返すもの? いや、限定的すぎるし、私以上、以下の身長の相手だっている筈だ。紀理みたいな相手には当たりすらしないだろう。

 あと考えられるのは……扇が攻撃を受けるはずだった場所に攻撃を返す、とかだろうか。

 あの時彼女はしゃがんでいた。

 発動後は地面に手を付ける必要がないみたいだったし、ただ座っているというのは無意味に思える。

 しかし私の考えた通りの効果ならば、頭を狙いやすい体勢になった方がダメージを狙えるだろう。

 ふむ。そう考えると、やっぱり自分の受ける筈のダメージを相手にそのまま返す、という説が正しいか。

 遠距離、重力操作、そして反射。厄介な能力を身に付けたものだ。

 今度狙われそうになったら、もっと強い人と戦うように言っておこう。私の身のために。

 さて。そろそろ起きようか。

 私は手を少し動かし、息を吐く。手に伝わるこのざりざりした感触は……校庭だ。

 どうやら気を失った私はそのまま放置されていたらしい。薄情なものだ。

 

「あ。お、おはようございます」

 

 目を開く。すると目の前には地味な子――夢深がいた。

 おどおどと、何も悪いことはしていないだろうに視線を泳がせ、場違いとも思える挨拶を口にする。 

 それがおかしくて、私は笑みをこぼした。

 

「おはよう。ごめんね、心配させたかな」

 

 この子に生意気な口調を使うのは忍びない。私は身体を起こすと、できる限り柔らかい台詞を考えて返事をする。

 

「あ、はい。倒れていたので。傷はなかったんですけど、血の跡があったりして」

 

「――傷がない?」

 

 夢深の言葉を復唱して、私は首を傾げる。

 確かに扇から受けた傷は何事もなかったかのように、綺麗さっぱり完治していた。あるのは破けた制服と血の跡だけだ。

 はて。誰かが治してくれたのだろうか。

 と、首を傾げたその時、私の胸元から何かが膝へと落ちた。

 一枚の紙である。手に取って読んでみると……。

 

「はは、そういうことね」

 

「どうしたんですか?」

 

「ん? ああ、これだよ」

 

 きょとんとした顔をする夢深へ紙を見せる。

 『傷は治しました。これは貸しです。今度はあなたから決闘を挑むように』。立って書いたであろう、少し汚い文字で書かれたそれは、扇から送られたメッセージだ。

 治療の代わりにまた戦え、といった内容である。

 勝手に戦って傷つけて、挙句の果てにその発言。我儘なことには変わりないけども、何故だか今回は笑って許せた。戦おう、という気すら沸いてくるから不思議だ。

 

「なんだか、面白い人ですね」

 

「うん。天敵だと思ってたのに」

 

 いつの間に好敵手となっていたのだろうか。いやまぁ、私が勝ったことは一度もないのだけれど。

 微笑んでポケットに紙を入れる私。

 

「いいですね、楼さんは……」

 

 夢深は呟き、表情を暗くさせた。

 なにがいいのだろうか。ライバルがほしいのかな。

 私がいるじゃない! とか……言うタイミングじゃないね、うん。

 

「戦いは戦い。無意味なもの。けど楼さんの戦いは意味がある」

 

「意味?」

 

 ぼそぼそと呟くような声で紡がれた言葉に首を傾げる。

 意味がない戦いなどあるのだろうか。負けたくない。評価を下げたくない。そう思うだけでも戦う意味はあるんだと思う。

 まるで彼女は戦うことに何も思わないみたいな言い方だ。

 でも、私はそれがあながち間違っていないのではと思ってしまう。

 見覚えのある悲しげな目。機械的な声。

 彼女のことは何一つ分からない。が、何故だか理解できた。彼女は諦めているのだと。

 

「って、すみませんっ。変なこと言って」

 

 ジッと見る私の視線に気づいたのだろう。

 彼女は我に帰ったように普段通りの様子に戻ると、ぺこぺこと頭を下げた。

 その間も私は彼女の顔を見つめていた。

 ――ああ、そうだ。

 私は思い出した。彼女のあの表情は、口調は、そっくりなのだ。

 両親と記憶を失い、目覚めたばかりの私と。

 

 



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六章

 三年前。全てが混沌と化し、世界が大きな混乱に包まれた時代。

 彼女は両親に言われ、家から出ることを禁じられていた。

 外の世界がどの程度危険なのか分からない。しかしそれは正しい判断だと、幼いながら彼女は思った。

 世界は明らかに自分の知らない姿へと変貌を遂げていた。

 窓から見える外の景色は昼なのに薄暗く、人がいないように静か。

 大きな住宅街だった面影は感じられない。あちこちの住宅は瓦礫と姿を変えており、家のある自分はまだ恵まれている環境にいるのだと思った。

 だから、退屈でも寂しくても彼女は一人で文句も言わずに家で大人しくしていた。

 住宅を壊すほどの何かがこの世界には現れたのだ。そう思うと、外に出る気は沸かなかった。

 

『戦う意味ができた』

 

 ある日、母と帰宅した父親は食糧を手に、そんなことを嬉しそうに言った。

 戦う意味。果たしてそれは何なのだろうか。父親は何と戦っているのだろうか。

 分からないことは多かったが、彼女は単純に二人が嬉しそうにしていることを喜んだ。

 混沌が訪れて一ヶ月。彼らの表情は暗いことが多く、今日のように笑顔を浮かべることは珍しかった。

 だから彼女は心から「おめでとう」と言い、彼らに負けないくらい明るく笑った。

 

 翌日。彼女は初めて外に出た。

 最低限の荷物をまとめ、住み慣れた自宅を出ていく。やることを見つけた両親は、仲間が集う本拠地へ移動するらしかった。滞在する期間は不明で、安全も確保されていることから小さな彼女も連れて行くことになったようだ。

 久しぶりに出た外は、やはり自分の知る世界とは違った。

 空気が冷たく、異様な臭いがし、ピリピリと本能に危険を告げる何かがあちこちから感じられる。

 両親がいなければきっと、まともに外を歩けていないだろうと思うくらいだった。

 移動の間、両親は度々彼女の目を塞いだ。そのわけは分からないものの、護られていると彼女は思った。時々遅れて肌色と赤色が見えたような気もしたが――彼女は気にしなかった。

 気にしてはならない気がしたのだ。

 

 しばらく歩くと『ワープホール』と呼ばれるものに乗り、彼女は目的地に到着した。

 そこは老若男女様々な人がおり、活気がある場所だった。街とは違い危険を感じず、変な臭いがしたりもしない。白い壁の体育館のような広い空間が広がっていた。

 彼女は驚いた。見知らぬ場所へワープする得体の知れないものに。そして、この場所に。

 街があんな状態になっているにも関わらず人々は明るく、希望に満ちている。両親が明るくなったのもここの人のおかげなのだと思った。

 

『ここが私達の新しい家だよ。名前は――』

 

 父親の言葉に彼女は笑った。

 ここなら、退屈も寂しい思いもせずに済む。素直にそう思えた。

 

『――組織だ』

 

 これから起こることも知らずに。

 

 

 

 ○

 

 

 

 放課後。

 昼休みに届いたメールの通り、私は妹の教室へと向かった。

 依然として制服は数カ所破けており、血の跡もある。

 当然生徒達の視線を少し感じるも、凝視されている様子はない。

 また楼か、みたいな台詞が聞こえてくるようだった。私がぼろぼろで歩いていても、然程心配されないだろう。紀理とか先生は全然気にもしなかったし。

 自嘲しつつ、妹の教室を覗く。今日はぴったりホームルームが終わる時間に来れたようで、教室から出ようとしていた隣の担任教師にぶつかりそうになる。

 私はむすっとした表情で頭を下げ、再度教室の中を見た。

 

「姉さん」

 

「なあぁ!?」

 

 後ろから声がかかり、飛び跳ねる。振り向いてみるとそこには妹が。鞄を片手にニコニコと楽しそうに笑っている。

 

「お、驚いた……やめてよ、びっくりするから」

 

「いいじゃない。ちょっとしたお茶目よ」

 

 ウインクする妹。反省する気はないらしい。

 呆れる私に背を向け、彼女は歩き出した。方向はもう一つの教室――村上のクラスだ。

 

「姉さんが話をしなさい。私よりはそっちの方が確かな筈よ」

 

「ん、分かってるよ。村上の目的は私だしね」

 

 一時だが仲間になるなんて言えば、営業マンの村上は歓喜しそうだ。

 そのまま『優等生』に加入、なんてことになりそうで怖いけども、リスクを恐れていてはなにも進まない。それになんだかんだ言っても、村上は分かってくれると思うのだ。私の脳内妄想だけども。

 

「本当に分かってるんだか……」

 

 小さく呆れた調子で言う妹。表情は見えないが、彼女は肩を竦めてみせる。

 

「分かってるって。任せてよ、私が仲間に入り込んでみせるから」

 

「私達の目的じゃなくて、村上の目的よ」

 

「村上の? 私を『優等生』に入れること? あ、賛成者を止めることか」

 

「これは分かってないわね」

 

 妹がなにを言いたいのか分からなくなってきた。どうやら私の考えは間違えているみたいだけど、どういうことだろうか。

 まさか村上はおそろしい目的を他に持っているとか……。

 賛成者と反対者の争い。そして相手は部長。そこから予想できるのは――

 

「ま、まさか村上は『優等生』を乗っ取ろうと!?」

 

「バカ」

 

 ええ、バカですとも!

 

「その話はもういいわ。とにかく、姉さんにかかってるんだから頑張りなさい」

 

 私にも聞こえそうな音量で嘆息する妹。

 きっと、人に頑張れなんて言う顔をしていない筈だ。

 

「分かったよ。頑張るから、サポートお願いね」

 

 いちいち指摘していても仕方ないだろう。私は頷いて、脳内で台本を作成しておく。

 『教育』のことを知ってしまったし、放っておくわけにもいかない。私達も仲間にしてくれ……と言うのはどうだろうか。妹がいるのは説明できないが、偶然聞いたとか言っておけばいいだろう。

 よし。これであとは即興だ。私の巧みな話術を発揮させるときがきたようだ。ふふふ。

 ……ものすごく不安しかないけど、大丈夫だと思っておこう。緊張は会話の妨げになりかねない。

 村上への質問以前に『教育』について知っていた、とか色々理論の穴はあるのだが、開き直りの心境で、私は隣の教室のドアの前へ。

 幸い、まだホームルームが終わっていないようで、席に座る生徒達が見えた。

 やはり皆真面目に担任らしき男性の話を聞いており、微動だにしない光景はジオラマを思わせる。気味が悪いというか、なんというか。

 村上も彼らの中に混じって話を聞いていた。姿勢がよく、いつもの笑顔ではないキリッとした顔は、大変癪だがかっこいい。

 いつもああで、あの性格じゃなかったら――ん?

 

「気づいたみたいね」

 

 隣にいる妹の声に頷く。

 担任に目を向けていた彼は、私達に気づいたようで視線をこちらに向け、ごきげんようと言うお嬢様のように手をひらひらと振った。そして担任に注意されてしょんぼりしていた。

 

「あれが幹部? すごく馬鹿っぽいんだけど」

 

 全面的に同意である。

 やがてホームルームは終了し、村上がこちらへやって来た。

 勿論、きちんとその前に取り巻きの女の子に挨拶をしてからだ。今日は妹もいるからか、取り巻きのダメージは少なそうだった。

 

「こんばんは。何か御用ですか?」

 

「うん、ちょっと話が。今日も時間いいかな」

 

「勿論です。さぁ、行きましょう」

 

「馬鹿ね。あいたっ」

 

 笑顔で何も考えずに即答する村上に、妹が思ったことをそのまま口にした。そんな彼女の頭へチョップを叩き込む。

 

「これから話をするのに不利になるようなことは言わないで」

 

「はいはい。分かってるわよ」

 

 本当に分かってるんだか。私は嘆息。

 村上は馬鹿などと言うだけでは怒ったりしないだろう。けど、悪口は控えるべきだ。妹が暴言を口にしないよう目を光らせておかないと。

 心に決め、歩き出した村上の後ろへ続く。

 今日も昨日と同じ会議室に向かっているようで、彼は近くの階段を上がっていく。

 

「そういえば、『優等生』の集まりはないの? 昨日も今日も話をすることになっちゃうけど」

 

 私はふと気になり、彼の背中へ問いかける。

 村上は肩越しにこちらへ顔を向け、爽やかな笑顔を浮かべた。

 

「ありますね。けどサボることになります」

 

「サボ……いいの?」

 

「はい。恐らく行っても今後の活動計画を話し合うくらいでしょう」

 

 対立を知らぬ部員達の話し合い。そんなものに参加している場合ではない……そういう意味だろうか。

 いや、そもそも『優等生』がそれを望んでいないのかもしれない。

 なんであれ組織内で争っているのは醜く見えるものだ。もし争いが部全体に広がり、校内にそのことが知れ渡れば、イメージダウンから逃れられなくなる。

 それを避けるために部員には普段通りの集まりを続けさせる……有り得なくはない。

 

「それよりも楼さんです。なにやら今日は調査とも違うみたいですし」

 

 階段を上がるとやはり昨日の会議室に入り、私達は席に座る。

 私の隣に妹が増えただけで、特に新鮮味はない。むしろ一日も経過していないのではないかと思えてしまうほど、私の視界に映るものは変化がなかった。

 

「……うん。実は今日は頼みごとがあるんだ」

 

 私は努めて真面目な顔をすると静かに言った。

 村上が微笑む。

 

「なんですか? お付き合いなら喜んでお受けしましょう」

 

「ふざけんじゃないわたぁ!?」

 

 真顔で暴言を吐いた妹にチョップをかます。

 妹が涙目になりながら睨んでくるが――知らんぷりだ。

 冗談だろうに、なんでこう過剰反応するんだか。

 

「私が村上に妹同伴で告白するわけないでしょ。仲間に入れてほしいの」

 

「仲間、ですか?」

 

 少ししょんぼりした様子で村上が首を捻る。

 

「うん。『教育』は決して許してはいけないことだと思うの。だから私と妹はそれを止めるために戦いたい」

 

「有り難く思い゛っ!?」

 

 三度目の体罰を打ちこみつつ、お願いする。

 頭を下げながら人の頭を叩くという、よく分からない姿を晒してしまったが、果たして彼はどんな返事をするのだろうか。

 

「いいですよ」

 

 即答だった。

 あまりの即決ぶりに妹ではないが、私も思わず馬鹿かと言いたくなった。

 

「はい? い、いいの? だってほら、私達賛成側のスパイかもしれないよ?」

 

「スパイなんですか?」

 

「いや、違うけども」

 

 ならいいじゃないですか、と村上は笑う。

 ええと……私間違ってないよね? 即決するような話じゃないよね?

 『面接で世間話しかしなかった』と語る友人が微妙な表情をしていた理由が、今なら分かる気がする。なんだこの複雑な気持ちは。色々脳内で準備してきたのに、そんな簡単なことで終わりかい。

 

「妹……ごめん。この人には暴言言っても仕方ないかもしれない」

 

「分かってくれればいいのよ、姉さん」

 

 首を傾げる村上の前で、私達は頷き合った。

 村上は少しくらい馬鹿や暢気などと言われた方がいいかもしれない。彼の将来のためにも。

 

「……じゃあ早速行きます?」

 

 私達の台詞の意味を理解していないようで、彼は笑顔のまま立ち上がると何気なく言う。

 二次会行きます? みたいなノリだが、どこに行こうと言うのか。急に立った彼を見上げると、村上はこう続けた。

 

「反対者の集会です」

 

 この人は本当に状況を理解しているのだろうか。

 危機感を抱いていない彼の様子に、私は少なからず不安を覚えた。

 

 

 

 ○

 

 

 

 村上が向かったのは校舎の一階にある一室。

 プレートがかけられていない部屋のドアを開き、村上は躊躇うことなくその中へ入っていった。

 彼の後ろを歩き、私と妹も入室する。

 暗い部屋だった。カーテンを閉め切り、照明の類いは一切点けていない。唯一点いているのが……何故だろう、キャンプで使うようなランプだった。

 部屋のドアを閉め、私は部屋にいる人物を眺める。

 男二人と女性二人。ランプが置かれた大きな丸テーブルの周囲に座っており、どれも真面目そうな顔をしている。村上のようなふざけた雰囲気は感じない。

 それはいいのだが……私は思わず帰りたくなる。

 部屋にいる女性二人の内一人が、あいつなのだ。

 

「ろ、楼さん!?」

 

 扇だ。

 彼女は突然村上と入って来た私を見て驚き、なにやら複雑な表情をしている。

 一応私の無事を喜んでくれているのだろうか。それとも、憧れの村上と私がまた一緒にいるのが気にくわないのか。その心情は表情から読み取れない。

 実力はそれほどではない筈なのだが、こいつも『優等生』の幹部だったのか。知らなかった。

 そういえば村上は昨日、扇を見た後、誰だとは問わず、私に知り合いなのかと尋ねてきた。あの時は気づかなかったが、村上と彼女は知り合いだったらしい。

 

「こんばんは」

 

「姉さん、知り合い?」

 

 ひとまず挨拶を返すと、妹が横から顔を出してくる。その顔は何故か不機嫌そうだ。

 

「うん、知り合いだけど……なんで怒ってるの?」

 

「嫉妬」

 

 意味分からん。

 ムスッとした顔で一言だけ返してくる妹をスルーし、私は村上へ視線を向ける。

 なんだか室内の空気が重く、話していた雰囲気もないのでやり辛いことこの上ない。この中で妹と漫才ができる筈がないのだ。

 

「遅れてすみません。今日は新しい仲間が入ってくれるようです」

 

 村上が頷き、室内の幹部らへ説明をする。

 全員がそちらを見て、続けて私と妹へ顔を向けた。

 当然のことだけど、そのどれもが不審なものを見る目をしている。

 まぁ、内密となっている組織の問題に、部外者が協力するなんて言えば、不審がられるよね。

 

「彼女達は?」

 

 自己紹介するべきか否か。私が迷っていると、四人の一人が手を挙げた。

 眼鏡をかけた頭が良さそうな男である。幹部なのだから評価はそれなりなのだろうが、容姿はそれほどよくない。一見すると平凡な男子学生だ。

 他に眼鏡をかけている人物もいないので、彼を眼鏡と心の中で呼ぶことに決める。

 

「一年のむ、武蔵 楼です」

 

「その妹よ」

 

 若干どもる私と、簡潔な名称を口にする妹。

 きっと彼は名前を聞いてはいない。そうは分かっているのだが、名前を言うくらいしか選択肢はなかった。

 村上は馬鹿だから通過できた。でも、彼らはそう簡単にいかないだろう。

 ああもう、なんで考えておかなかったんだろう。移動の間とか時間はあったのに。

 早く何か理由を用意しないと。

 

「実は僕が彼女達にお願いしたんです。協力してほしい、と」

 

 村上は何をとち狂ったのか私達に助け舟を出した。

 手を軽く挙げ、笑顔でさらっと嘘を言ってみせる。

 こいつは何を言っているんだ。私達を助けて得があるのだろうか。

 疑問しか沸かないけど、ここは乗るしかない。私が考えた理由よりもはるかに筋が通ってそうだ。

 

「皆さん、戦力がほしいところですよね? それも『優等生』に属していない、少数派の仲間を」

 

 村上が言葉を続ける。

 『優等生』は現在、秘密裏に内部での争いをしている。それを『優等生』の構成員に知られず、尚且つ外部に漏らさぬよう協力者を得るには、私達のような『優等生』に係わっていない問題児に声をかけるのがベストだろう。

 勿論、『優等生』の構成員に協力を仰ぐのも、場合によってはいいだろう。

 しかし、こちらに部長はいない、というのが厄介だ。

 組織において一番上に立つ者の力は絶対と言ってもいい。そうしなければ組織は崩壊するし、そもそも組織の必要性がなくなる。

 事情を話し協力を求めたが、その人物が賛成者側に回る。

 そういったことが起こる可能性は高いと考えられる。

 

「だが何故、優姫や紀理などの実力者を呼ばなかった?」

 

 眼鏡ではない、もう一人の男子学生が尋ねる。

 小太りの男性だ。真面目になんで幹部やっているのかと思ってしまうくらい、外見はよくない。しかし不思議な覇気のようなものを感じる。

 流石は幹部、といったところか。個性が強い。

 

「あの二人は二人で可愛いが、彼女らは可愛いだけでなく強い。相当な戦力になってくれそうだが。会話したいとかそんなじゃないぞ」

 

 ……流石、個性が強い。

 

「確かに優姫さんは強いです。正義感も強いから、積極的に協力してくれるでしょう。けれど、彼女では駄目です」

 

 小太りの言葉にツッコミ一つ入れず、真面目に返答する村上。

 何故、と。四人の中で最後に口を開いたのは、目が隠れてしまいそうなほど前髪が長い女子学生。小さく消えそうなボリュームで疑問を投げかけると、首を傾げる。背が小さく、縮こまっている姿はなんだか小動物的な雰囲気を漂わせていた。ちょっと可愛い。

 私も彼女の問いに関しては気になった。

 私達よりも優姫の方が役立ちそうなのに、なんで村上は即答したんだろう? それを説明できる言い訳はあるんだろうか。

 小動物の問いを受け、村上は頷く。

 疑問が沸く。

 それが当然だと言わんばかりに、余裕のある対応だ。

 我々はなにか見落としているのだろうか。この場にいた者は全員考えたことだろう。

 そう。村上を除いては。

 不可解な理論、そして村上の態度に場の空気が微かに緊迫する。

 まるで探偵が犯人のトリックを説明する場面みたいだ。私は緊張から唾を呑みこむ。

 彼は笑顔を顔から消し、目を鋭くさせると、こう答えた。

 

「優姫さんは『優等生』そのものを壊滅させかねないですから」

 

『あー……』

 

 物凄く納得だ。

 悪即斬な彼女が悪いことを企んだ部長――『優等生』そのものを許すのは考えられない。話を聞いたらすぐにでも暴走しそうだ。

 みんなの認識も大体そんなものなのだろう。室内の人間が全員で頷き合う。

 

「というわけで、彼女は最終手段です。紀理さんは話自体に乗ってくれそうもないので、見送りました」

 

「なるほどな……それで、確実そうに反対してくれそうな人物を選んだわけだ」

 

 眼鏡が真面目な顔で言う。

 

「はい。それに今は強行策の噂こそ出ていますが、僕らのスタンスはあくまでも平和的解決を目指すことです。あちらに優姫さんを仲間に入れたと知られれば警戒されるでしょうし、あまりいい作戦とも言えません」

 

 ふむふむ。私達を仲間にしたことが、それほど悪くない作戦に聞こえてきたぞ。

 問題は大した戦力にもならないことだけど。

 

「よし、分かった。彼女達の助太刀を認めよう。これからよろしく」

 

「よろしく――」

 

「よろしくお願いします。で。はいっ、ちょっと質問!」

 

 小太りが言うや否や、妹が私の台詞を遮って手を挙げる。

 私含め驚く人物はいたものの、それを制止する声は上がらない。それをイェスに受け取った妹は一歩前に出た。

 

「平和的な解決って言ってたけど、これから何をするつもりなのかしら?」

 

 私はハッとする。つい聞き逃していた。

 組織としては、戦いで決めることが最善だと結論を出していた。それが最も分かり易いから……という理由だが、私自身この作戦は無理があるのではと思っている。

 だって、『優等生』の部長とその賛成者と戦うなんて……あれ?

 何かおかしい。私はなにか勘違いしているのではないのだろうか。

 急にそんな疑問が頭を襲う。気のせい――なのかな。そもそもの認識が間違っているような。

 

「話し合いです。正直、私達の戦力は大きいとは言えませんし」

 

 村上が苦笑を浮かべる。

 彼自身はかなり強いのだが、強者が一人いても、向こうにそれが大勢いれば勝ち目がない。

 きっと扇レベルが多いのだろう。私相手に遊ぶことはできても瞬殺はできない、くらいの実力だ。

 

「参考までに聞くけど、大まかに持ってる能力言ってくれる?」

 

 仲間に入ったから遠慮する必要はない、とか思ったのだろう。妹が腕を組みながら偉そうに尋ねる。

 

「我は勉強、その他ボランティア系の能力だ」

 

「私は通信、パソコン、漫画や魔法を少々」

 

 眼鏡、小太りが答える。見た目通りな能力だった。

 

「読書と小説、それと映画評論」

 

「私は魔法とピアノを少々」

 

 続いて、小動物と扇。

 ――なるほど。『優等生』において強さ以外の点も大きく判断に考慮されるらしい。幹部といっても強いというわけでもないようだ。四人の答えだけ聞くと趣味の発表みたいなことになっている。

 これなら、戦いという手段をとらないのも納得である。

 

「なるほどね……よく分かったわ」

 

 元々『戦う』選択肢を渋っていた妹は、それで簡単に引き下がった。

 賛成者の戦力を当てにしていたところもあるし、戦うのは無理だと悟ったのだろう。

 私も話し合いに文句はない。けど、問題なのは。

 

「話し合いできるの? 部長の顔とか名前すら分からないでしょ」

 

 私が問うと、妹以外の全員が小さく唸った。どうやら話し合いの明確な計画はないらしい。

 入室した際の重苦しい空気はこれが原因か……。もっとオブラートに包んで尋ねれば良かった。

 

「そうですね。反対者の方に話をしているんですけど、部長はまったく話しに出てこなくて」

 

 村上は苦笑を浮かべたまま申し訳なさそうに話す。

 なんでも、何度か話しを聞いてはくれるのだが、部長自身が話し合いに出てくることがなく、肝心な話は全然できていないらしい。

 村上の説明に妹が舌打ちする。物凄く態度が悪い。

 

「それで引き下がるから駄目なのよ。副部長はどうなの?」

 

「副部長は……実はどちらにもついていなんです」

 

 意外、とも言えないか。

 少し驚いたけど、そんな人がいてもおかしくはない。仲間内での争いなんて面倒だし。

 

「どっちにもついてない? 放置ってこと?」

 

「そうですね」

 

「賛成者ほどじゃないけど、馬鹿な人もいたものね。その人の名前は?」

 

 さっぱりした性格の彼女は、どっちつかずが嫌いなのだろう。見るからに機嫌を悪くし、村上へ訊く。

 副部長の名前か。それは気になる。もしかしたら仲間になってくれるかもしれないし、聞いておいて損はないだろう。

 村上は少々迷った様子を見せるが、やがて口を開いた。

 

「松原 夢深です」

 

 夢深。聞いたことがある名前だ。

 確か眼鏡をかけた地味な女の子――

 

『えええぇぇ!?』

 

 私と妹は絶叫した。

 まさかここで彼女の名前が出てくるなんて夢にも思ってなかった。

 いや、というかいじめみたいなことをされている人が副部長なんて思いもしないだろう。

 

「な、なんでそんな……ええっ!? 嘘でしょ!?」

 

「お、落ち着こう、妹。予想外なことが起きるのは流れ的に当然のことで、決して予想外でない筈。うん」

 

「いや意味分かんないわ」

 

 そこで冷静に返してくるか。

 私も混乱で反射的におかしなことを言っちゃったんだけど、少しくらい乗ってくれても。

 私達は二人揃って深呼吸。静かに大きく呼吸し、気分を落ち着かせようとする。

 ……うん。ちょっとは落ち着いたかな。

 

「夢深だね。分かった。もう驚かないよ」

 

「そうね。私達もう高校生だもの」

 

 今度はやたら爽やかな感じで頷き合う私達。

 賛成者の皆様方が暖かい目をしているのがとても気になりました。

 それにしても夢深が副部長ね……『びっくりした!』以外なんとも言えない。

 なんでそんな重要な位置にいる人があんなことをされていたのだろう。

 落ち着いてくると混乱と入れ替わりに、様々な疑問が浮上してきた。

 

「……ん?」

 

 不意に聞こえたドアがノックされる音に、私は後ろを振り向く。

 来訪者だろうか。もしかしたら、ついに部長が話し合いをする気になったのかも。そんな期待を抱き、私は賛成者のみんなの方を向く。

 開けてくれ、と全員が目配せしてくる。

 そういえば私はもう仲間なのだ。となればここはマイホームだと言っても過言ではない。

 確認する必要もなかった。

 苦笑し、私はドアを開いた。

 ドアの前にいたのは坊主頭の男性。彼は息を切らせ、なにやら必至な顔をしている。

 

「あなたは? すみません、失礼します!」

 

 一瞬見覚えのない顔がいたからか目を見張るも、彼はすぐ中へと入っていく。

 村上達が何も言わないところを見ると、彼もまた仲間のようだ。

 緊急の用事みたいなので、それを見送り、ドアを一応閉めておく。

 

「何があったんですか?」

 

 坊主頭の緊迫した雰囲気は誰が見ても分かる。

 村上は表情を引き締め、簡潔に尋ねる。坊主頭は今にも倒れそうなほど苦しそうにしながら、絞り出すように言った。

 

「夢深さんが……攫われました」

 

 まさか驚かないと誓ってから一分もしないうちに驚かされるなんて、思ってもみなかった。

 

 

 

 

 



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七章

 賛成者の幹部を見張っていた坊主頭の話によると、夢深は図書館で勉強しているところを無理矢理催眠術にかけられ連れ攫われたらしい。

 誘拐の実行犯は賛成者幹部。誘拐した理由は……よく分からない。反対者は全員、話を聞いた後にぽかんとしていた。

 無関係だった筈の副部長が突然攫われる……確かに、意味が分からない。不可解すぎる。

 ここは学校だから、それほどひどいことはしないのだろうけど……放っておくわけにもいかない。

 というわけで、私達反対者は急遽、夢深を救出するための作戦を実行することにした。

 

「で、なんで私達だけなの?」

 

「さぁ?」

 

「まぁ戦える人が少ないですし」

 

 そう。たった三人で。

 小太りと眼鏡、小動物は後方支援。私、妹、村上は潜入。そして扇と坊主頭は一応の拠点待機。

 少ない人員ではそれが限界だった。

 果たして三人で賛成者の中に乗りこんでいけるのだろうか。話しによれば誘拐犯は二人だけだったらしいけど、不安が残る。

 愚痴をこぼしつつ、私は三階建ての合宿所を見上げた。

 うちの高校はそれなりに大きく、設備も整っている。運動部のために造られたこの場所は校舎からかなり離れた位置にあるので、交通の面では不便だ。

 だが、下手したらそこらへんのホテルより立派なのではないかと思うほど綺麗で大きい。

 それもそのはずで、『混沌』を経て大部分が崩壊した学校は、その八割近くを新しく建て直している。

 唯一残った校舎も、今は旧校舎と呼ばれ使用されていないので……実質、すべてを新しくしたと考えてもいい。

 とにかく、小奇麗なのだ。学校とは思えないくらいに。

 その綺麗な合宿所を眺めてみれば――二階に明かりが灯っており、利用者がいることが見て知れる。こんな春に合宿所を利用する部活は少ない。おそらく、あそこに賛成者達がいる筈。

 理由は分からないが、誘拐なんて強引な手段をとった以上、戦いになることは避けられないだろう。覚悟を決めておかねば。

 深く息を吐き、私は耳に付けたインカムへ声をかける。

 小さく、ほぼイヤホンとマイクが黒い点くらいにしか見えないそれは、小太りから渡された物だ。

 

「そういえば、誘拐犯二人の能力とか分からない?」

 

『詳しくは分からない』

 

 ほぼ間を空けずにイヤホンから坊主頭の返答が聞こえた。

 先程私達がいた部屋……拠点で待機している彼らの役割は、私達のサポート。潜入組三人がそれぞれ付けたマイクとカメラから情報を得て、まめにアドバイスや指示をくれるらしい。

 それらの管理は通信やパソコン関連の能力を持つ、小太りの仕事だ。

 彼の実力は確かなもので、ここへ着くまでにわざと同時に喋ったり、カメラを身体の後ろに付けてたり、妹があらゆるおふざけをしていたのだが、彼はその全てを看破していた。

 私や村上と話していたり、映像を観て指示を出していたのにも係わらず、だ。

 とても人間技ではないと思う。

 

『確か二人とも、魔法を好んで使っていたな。流石に室内で広範囲のものを使わないだろうが、気をつけてくれ』

 

「了解」

 

 魔法……。聞こえてきたワードに、私は意気消沈する。

 魔法使いが相手ならば、私はあまり前に出ない方がいいだろう。扇のときも結局は負けたし、接近できる自信がない。

 私にできることは……盾? いずれにせよ役に立ちそうにはない。

 

「作戦はどうする?」

 

 私が尋ねると、インカムから声がする。この声は眼鏡だ。

 

『あなたたちの中では村上さんが一番強い。戦いは村上さんに任せ、楼さんと妹さんはできるだけ発見されないよう救出に専念してくれ』

 

「頭脳派な見た目してるくせにお粗末な作戦ね」

 

『時間がないし、情報もない。そうなって当然だ』

 

 ため息混じりの主張が聞こえる。

 その言い分は尤もだ。妹へチョップを入れておき、私は頷く。

 

「了解。それが一番だね、きっと」

 

「僕も異存はないですよ」

 

 妹も文句は言わないし、それでいいのだろう。憎まれ口は叩くのだけれど。

 

「じゃあ、村上。正面からお願い。私達はどこか入れそうな場所から入るから」

 

 正面の入り口にいたらすぐ見つかりそうだ。

 少し考え、私達は正面以外の場所を探すことに。もし入れるような場所がなくても、時間を空ければそれなりに見つかり難くなる筈だ。

 村上は分かりましたと笑顔を浮かべ、私達へ手を振る。

 とてもこれから一人で戦う前の男がする顔とは思えない。

 しかし今回はそれが頼もしく見えた。手を振り返し、私達は合宿所の横へ回る。

 正面は何もなく、明かりもあったため明るいが、こちらはそうでもない。

 木がすぐ近くに生えており、合宿所は二階以外照明をつけていないので薄暗かった。

 さてどこかに侵入できそうな場所はないか、などと探していると、それはすぐ見つかった。

 

「なんで開いてるのかしら」

 

 何故か全開になっている窓だ。

 一階の会議室らしい場所へと繋がる窓。その枠には、ここを踏んだと言わんばかりに泥が付着している。

 いかにも怪しいものを発見し、妹が不審そうに呟く。

 

『……多分、そこから連れ込んだのかと』

 

 今度は小動物の自信がなさそうなぼそぼそとした声。

 なるほど、正面からでは目立つから、ここから入ったと。図書館で誘拐、なんて大胆なことをしておいて慎重な奴らである。

 

『罠の可能性もある。気をつけたまえ』

 

 と、芝居がかった口調の小太りが注意を促す。

 まぁ、こんな分かり易い形跡をわざわざ残すなんて馬鹿みたいだし、その可能性を疑うのも尤もだ。

 私は窓から中の様子を窺う。机が一定間隔に置かれ、前に黒板が置かれたそこは至って普通な部屋。罠や待ち伏せの気配はない。というか、人が隠れられるような場所がない。

 

「少なくとも人はいないみたい」

 

 校内である以上、それほど危険なトラップも仕掛けてはいないだろう。かかったらかかったで、その時考えるとしよう。

 私は気楽に考えて、窓枠を乗り越えようと膝を曲げる。

 

「待って、姉さん」

 

「あうち」

 

 すると妹が手を私の前に出した。

 何かを察知したのか、真剣な顔をしている。口調もいつもより幾分かシリアスで、一点を鋭く見つめる彼女の横顔はなにかの職人を彷彿とさせた。

 彼女の手が私の目に入らなければ、もっとかっこよく見えたに違いない。

 

「目に見えないけど、魔法の罠がかけられてるわ」

 

 地面で悶え、転がる私をよそに妹が真面目な様子で続ける。

 

「多分、侵入を知らせる警報の魔法ね」

 

『警報?』

 

 イヤホンの向こうにいる待機組が何人か妹へ訊き返す。

 ちなみに一人として私のことを心配してくれませんでした。

 

「ええ。戦闘では役立たずな能力だけど、こういう場面では厄介なのよね。使用者以外は解除できないから」

 

「そ、それは大変だね……どうすればいいのかな?」

 

「簡単よ。少し待ってなさい」

 

 やっと復活。立ち上がると妹へ対策法を訊く。

 妹はフッとドヤ顔というのだろうか、得意げな顔を見せると勢いよく窓から視線を外し、その後ろ、木が生えている方向を見やる。

 

「はうち」

 

 金色の何かが見えた気がし、首を傾げると同時に私は奇声を発した。

 彼女のツインテールが私の目を襲撃し、またもや地面を転がる。

 最初はいいけど、もうわざとやってるとしか思えないよねこれ。

 

「あ、ごめん」

 

 と思ったけど、二回目はわざとじゃないみたいだ。妹は本気ですまなそうに謝る。

 一回目はわざとだとこれで分かってしまったが……謝ったなら許そう。いい匂いもしたし。

 目を押さえつつ私が立ち上がると、妹はイヤホンを押さえて言った。

 

「村上。突撃」

 

 どこの軍師だお前は。

 

『はい? いいんですか?』

 

 簡潔すぎる命令に戸惑った反応が返ってくる。

 村上は正面の入り口で私達が入るのを待っていたようで、まだ潜入はしていないみたいだった。

 私は止めようとも思ったのだが、成り行きを見守ることに。なにか理由があるのかもしれない。

 

「ええ。さっき言ったように、あの魔法は解除不可能。だから一度踏んで作動させるか、魔法を避けるしか手はないわ。幸い、今回はそっちまで魔法の効果が伸びてるみたいだし、村上が生贄になればそれで済む筈よ」

 

「おいこら、生贄て」

 

『分かりました! 楼さんと妹さんのために身体を張ります!』

 

 村上のやる気満々な声が聞こえる。

 彼はそっち系の趣味でも持っているのだろうか。いじめられるのが大好き、みたいな。

 言い方はともかく、解除する方法がない以上、村上に頑張ってもらうしかない。

 

「村上、無茶はしないようにね」

 

『楼さんが言うならば努力しましょう。お二人方も無茶しないように』

 

 少しテンションを通常運行に戻した村上はそう言い、通信が切れる。どうやらマイクをミュートにしたらしい。

 さて。戦いだ。

 響き渡る警報を耳にし、私は目から手を離した。

 夢深を助けるため、そしてまだもやもやする頭をさっぱりさせるために、頑張るとしよう。

 

「行くよ、妹」

 

「ええ。姉さん」

 

 悪人がどうなるか。

 今も変わらないルールというやつを、教えてやる。

 

 

 

 ○

 

 

 

 と意気込んだのはいいものの、正直なにをすればいいのだろうか。

 会議室らしき部屋へ入り、ドアを開く。それから充分に気配やら声に注意し、私は廊下の様子を窺った。

 村上の侵入が察知されたからだろう。外で見たときは点いていなかった明かりがついている。

 きょろきょろと辺りを見回し、人がいないか確かめる。すると階段をおりるような足音が耳に入った。

 

「敵襲だ! 相手は一人、あの村上だ」

 

「む、村上様!? うう、気が引ける……」

 

 顔を引っ込めると同時に、すぐ近くの道を男女二人の声が通っていく。

 私達には気づいていないようで、暢気に話をしていた。

 徐々に遠ざかっていく足音に安堵の息をもらす。ここでばれてしまっては村上の突入も無駄になってしまう。慎重に行かねば。

 再び顔を出し、廊下の安全を確認。結構近くから色々な音が聞こえてくるけど、多分村上が暴れているせいだろう。

 多分相手は村上一人だと分かれば、出せる戦力を惜しみなく使い、全力で潰しにかかる筈。本来なら彼ぐらいしかまともに戦うことができないのだから。

 騒音は聞こえるも、足音は聞こえない。

 相手側の戦力は全て戦いに向かったらしい。

 

「妹」

 

 後ろで待機している妹へ手で合図を送る。すると私の制服が小さく引っ張られた。

 了解してくれたみたいだ。

 

「こういうとき、声は必要ないのよ。姉さん」

 

 余計な一言があったけども。

 溜息を吐き、私は廊下へ出る。近くで乱闘騒ぎが起きているものの、比較的静かだ。人の気配はない。

 階段は確か……。

 

『そのまま進んで左です』

 

 聞いただけで分かるくらい呆れ気味な扇の声。

 校内の地図も把握していない私が悪いんだけど、なんだか刺々しい。さっき村上と仲良さげにしちゃったし、それが響いたのかな。

 ふむ。今は生意気ぶる必要もないし、凍てついた心を溶かす小粋なジョークなどどうだろうか。

 

「了解。愛してるよ、扇」

 

『くたばれ』

 

 なんだろうね、これがツンデレってやつだろうか。

 凍てついた心が閉ざされ、なんだか冷凍庫に収納されたようになってしまったのを感じつつ、私はやれやれと肩を竦める。何気なく私のダメージも大きかった。

 というか音声が二重になってたような。イヤホンと、私の背後から聞こえた気が。空耳?

 

『余計なこと言ってないでさっさと行ってください。むかつく人ですね』

 

「はいはい。ちょっとした冗談なのに」 

 

 あの発言もいつもの生意気キャラとして受け取られたらしい。

 口をとがらせつつ、真っ直ぐ走っていく。何秒か走ると指示通り、左手に階段が見えた。

 後ろを確認。妹が黒い笑顔を浮かべていたが、ついてきているから問題ない。

 階段へ視線を戻すと私は足を一段目に乗せた。

 

「侵入者か!?」

 

 不意にかかる声。それは上から聞こえた。

 危機を感じる前に私は反射的に走り出す。

 カメラには誰かしらの姿が映っているのか、インカムからは速やかに排除するようにとの指示が発せられた。

 チラッと横を見て、手すりを確認。金属製で頑丈そうだ。人一人乗ったくらいで壊れはしないだろう。

 階段をよちよち進んでいく暇はない。今はとにかく、速く敵を倒さなくては。

 躊躇なく跳躍。敵の姿を見ずに階段の手すりへ着地し、それを上っていく。

 そこで私は初めて顔を上へと向ける。

 男子生徒が一人。それなりに顔がよく、評価も高そうだ。

 襲撃者は村上。そう聞いていたであろう彼は、幹部でもない私達がここにいることに焦っているようだった。

 手すりを駆けあがる私を見て、詠唱を始めるが――遅い。

 再度私は宙を飛ぶ。相手の頭上へ行き、左肩を踏みつける。人間の体重、加えて、踏みつける動作。とても人間が支えられる重量ではない。男はよろけ、詠唱が解除される。

 無論、それだけで倒すことはできない。私は踏みつけた肩を踏み台にし、三度目の跳躍。

 縦に一回転し、今度は相手の右側へと回る。

 そして左方向によろけた相手を、思い切り蹴飛ばした。

 為す術もなく男子生徒は踊り場の壁に叩きつけられる。そして床に倒れ、動かなくなった。

 完全に無防備なところを全力で叩いたのだ。補整なしならまだしも、『格闘』能力のある攻撃だ。立てる筈もないだろう。

 

「なんとかなった、かな」

 

 踊り場に着地。倒れた男が動かないのを確認すると、私は額の汗を拭った。ちなみに冷や汗である。

 いきなり声がかかって驚いたけど、冷静に動けて良かった。

 

「ほえぇ……姉さん、そんな人間離れした動きもできるのね」

 

 階段を上がりながら、妹が素直に驚いた様子で声をかける。

 手すりを上がって、相手を踏みつけ、よろけたところをトドメ……自分がしたことを整理すると、確かに人間離れしている。

 いつもは校庭やら体育館で戦っているからか、広い戦場に慣れていたけど、存外狭い室内戦の方が私に向いているのかもしれない。

 『格闘』は人間に対してだけでなく、物に対しても効果が出るし。

 

「まぁ、今回は相手が魔法を出さなかったから。運が良かったよ」

 

 なんにせよ、相手が魔法を出さなかった。これが大きい。

 もし相手が詠唱を必要とする魔法ではなく、即発動できる魔法を使用していたら、多分手すりに飛ぶ辺りで馬鹿みたいな失敗をしていたことだろう。

 

『よくやった。これで二階の夢深がいる部屋までは誰もいない筈だ……と願おう』

 

 自信なさげな眼鏡の言葉。

 ついツッコミたくなるが、今さっきも予想外なことが起きたのだ。断言できない気持は理解できた。

 私は苦笑し、階段を上る。

 そこからは流石に何もなく、無事二階に到着。

 一階より少し狭い廊下には誰もおらず、声も音も聞こえない。

 争いから離れたこともあり、静かだ。

 これは本当に誰もいないと見てよさそうかな。

 階段を上がった少し先から左右の様子を窺い、私は頷く。

 

「姉さん。声が聞こえる」

 

 安心したのも束の間。

 廊下の左右を安全確認している私の服を、妹が引っ張った。

 声? と私が首を傾げると、彼女は一言。

 

「夢深」

 

 どうやら夢深の声が聞こえたらしい。

 私も彼女に倣ってその声とやらを聞こうとするが……全然聞こえない。戦争のような音なら下から聞こえてくるんだけど。

 

「どこから聞こえるの?」

 

「こっちね」

 

 妹が先頭になり、歩き出す。

 右へ進み、その突き当たりへ。そこには照明の点いた一つの部屋があった。

 いきなり中へ突入、というわけにもいかない。私はひとまず本当に夢深がいるのか知るべく、ドアにイヤホンを付けていない方の耳をくっ付ける。

 

『嫌だ。私は人を傷つけたくない。意味がないことなんてしたくない』

 

 誰かと口論しているのだろうか。大きくはないものの、怒っているふうに言われた台詞が耳に入る。

 印象が若干違うものの、それは確かに夢深の声だ。

 どうやら無事らしい。分かっていたことだが、安心する。

 さて。夢深がいるのは分かったし、あとは室内にどれだけ人がいるか分かればいいんだけど。

 耳を澄まし、会話の続きを待つ。

 

『違う。そんな下らないことはしたくない』

 

 しかし聞こえてくるのは夢深の声ばかり。

 彼女が話しているであろう相手の声が全然聞こえてこない。彼女が独り言を言っているのは考えられないし、どうしたのだろうか。

 それから少し室内の様子を音声のみで観察したが、結局聞こえたのは夢深の声。

 『下らない』やら、『意味がない』とかそんなを誰かに向けて延々と言っているだけだ。

 このままでは埒が明かない。私はドアから顔を離し、妹を見た。

 

「どうする? 待機組は何も言わないし、私達任せなんだろうけど」

 

「突入でいいんじゃないかしら? 夢深しか喋らないし、案外彼女だけかも」

 

「それはそれで怖いよね」

 

 長々とあんな独り言をリピートしてるのなら、私は病院をおすすめする。

 でもまぁ、それくらいしか考えられないんだよね……彼女の他に声は聞こえないし。

 

「じゃあ突入してから室内を確認。敵がいたら戦闘。これでいいね?」

 

「そうね。私は真っ先に夢深を確保するから、姉さんは敵をお願い」

 

 私は頷き、マイクへそれでいいかと尋ねる。

 話し合う声が聞こえ、異存なしとの返答が返ってきた。

 

「……行くよ」

 

 ドアへ手をかけ、私は息を吐く。

 そして吸うと力いっぱい開いた。

 明るい室内が視界に映る。足を室内に踏み込み、まず目に入ったのは椅子に縛り付けられた夢深。身体と足を縄で縛られており、とても身動きがとれる状態ではなかった。そして少しいやらしく見える――って、言ってる場合じゃない。

 私は続いてもう一人の人物を見つける。

 特徴のない比較的地味な少女だ。身の丈ほどの大剣を背負っており、手には通信機らしき物を持っていて、それを夢深の耳に当てていた。

 ……なるほど。夢深以外の声が聞こえなかったのはそのためか。

 考えつつ、部屋の左右にも目を向ける。他に誰もいないし、何もない。完全に油断していたようだ。

 好機である。夢深へなにもされない内に、奪還するとしよう。

 私は夢深の隣にいる少女を倒そうと真っ直ぐ走る。

 が、流石は幹部といったところか。

 少女が乱入してきた私達に驚いていたのは、ほんの僅かな間。彼女は通信機を夢深の膝に置くと、素早く大剣を抜き、彼女の腹部辺りへと突きつける。

 殺しはしない。そう分かっているのだが、私は思わず急ブレーキ。

 誘拐なんてしたのだ。まさかの事態もある。

 

「なにをするつもり?」

 

 尋ねると、少女は物凄く悪役っぽい笑みを浮かべる。

 なにをするつもりなのだろう。嫌な予感が頭をよぎり、私は拳を強く握り締める。

 少女は大剣を少し動かして牽制しつつ答える。

 

「少しでも動いたら、この子の服を切る」

 

 平和的だった。

 でも夢深からしたら物凄い被害かもしれない。この時刻ならば校舎は閉まっているだろうし、服を取りに行くこともできない。

 それに学校側が制服の値段を格安に引き下げているけど、未だ新品に取り換えるのは二千円くらいする。お小遣いからそれを捻出するのは女子高生にとって大ダメージだ。

 それが親のお金から払われるとなれば……罪悪感が凄まじいことになる。私も何度華蓮に払わせたことか。

 いやまぁ、命を奪うよりはマシなんだろうけども、生活も重要である。

 くそぅ、まさかそんな手段でくるとは。手が出せないじゃないか。

 夢深はぼんやりしちゃってるし……服を犠牲にしてもいいか、なんて訊けたものじゃない。

 何もできずに歯を噛みしめる私を見て、少女はニンマリする。

 その時、彼女の背後に赤色の何かが見えた。

 

「さぁ、それが嫌だったら大人しくこの部屋から出て――」

 

「よっこいしょ」 

 

 鈍い音が立つ。

 気の抜ける掛け声とともに、勝ち誇った表情のまま少女は床にうつ伏せになり昏倒した。

 

「典型的な悪役ね。ったく」

 

 赤い何か――消火器を持った妹は、倒れた少女の背中を容赦なく蹴りつけながら悪態をつく。

 どうやらどこかからか回り込み、少女の頭を消火器で殴打したらしい。

 アナログながら恐ろしい。一昔前ならば殺人事件になっていただろう。

 

「気絶してくれたみたいね。縛る必要もなさそうだわ」

 

 蹴っていたのはその確認だったようだ。

 呆然としていた私は握っていた手をほどき、尋ねる。

 

「どこから来たの?」

 

「どこからって、そこよ」

 

 消火器を置くと妹がドアを指差す。ただしそこは私が入った場所でななく、もう少し廊下を奥に行った先にあるもう一つのドア。

 少女の注意が私に向かってる間に、あそこから侵入し背後へ回った、ということなのだろう。

 

「夢深の声がするのに、なんで他の人の声がしないんだろうって不審に思ったから、姉さんを先に行かせたのよ。二人で突っ込んでいったら、罠があった場合一網打尽だし」

 

 いわゆる囮か。

 敵を欺くにはまず味方からとも言うが、一言くらいは言ってほしいものだ。

 すんなりと口にする妹を睨む――も、文句を言う気はすぐなくなった。現に助けられたのだ。反論する筋合いはない。

 

「助かったよ。ありがとう、妹」

 

「ええ。感謝しなさい。それで、この子はどうしましょうか」

 

 妹が視線を夢深へと向ける。彼女はまだぼーっとしており、私達の会話にも反応しない。何か考え事でもしているのだろうか。自分の服が危機に瀕したというのに。

 

「とりあえず助けないと駄目だよね……ん?」

 

 そういえば。

 私は夢深の膝に置かれた通信機を見る。一昔前の携帯電話のような見た目をしたそれには、緑色のランプが灯っている。

 

『まだ繋がっている可能性が高い。楼、取ってみたまえ』

 

 小太りの指示に従い、通信機を手に取る。

 誰かが手に取ったと分かったのだろう。小さいノイズに混じり、誰かが息を呑むような音がスピーカーから聞こえた。

 この通信機の先には誰かがいる。それもおそらく、『あの人』だ。

 なんて喋ろうか。私はそんなことを考えながらも、結論が出る前に口を開いた。

 黙ってて切られでもしたら勿体ない。

 

「こんばんは、部長」

 

『なっ!?』

 

 私の予測。それを口にすると、通話している人物はさぞかし驚いたようだった。

 それが肯定なのか、それとも単に驚愕しているだけなのか。それはまだ分からない。

 

「ああ、ごめん。まず名前を名乗ろうか。私は武蔵 楼。ただの生徒だよ。そっちは?」

 

『何故私が『優等生』の部長だと?』

 

 自己紹介を無視し、通信機の向こうの相手は静かに尋ねる。

 素直に部長だと認めるのか……意外だな。もっと否定すると思って、挑発の言葉をあれこれ考えてたんだけど。

 殊勝な態度に拍子抜けしつつ、私は説明することに。

 

「副部長を誘拐しようなんて思うのは、部長くらいでしょ? それに『優等生』の幹部が理解できないような不可解な誘拐を、幹部連中使って行うなんて、同じ幹部にできそうもない」

 

 私はそこで一呼吸。頭に浮かんだ言葉をそのまま告げる。

 

「それでまさかと思って……わざわざ通信機で話してたから部長だと予測したんだ。部長は顔も分からない、話し合いにも出ようとしない、って聞いてたから」

 

『そういうこと。納得した。――そう。私が『優等生』の部長よ』

 

 顔が出ないから大丈夫だと思っているのか、部長はあっさりと名乗った。

 まぁ声だけで身元が割れるわけもない。この流れで名乗らないのは相当慎重な人間くらいだ。

 

「そ。で、『教育』の強行策はどうなってるの?」

 

『そうそう。そのことを言いたくて、わざわざ通信を切らずに相手してたの』

 

 通信機取るときに少し緊張したような声を出してたのに、何言っているんだか……。

 なんだか全然部長という感じがしない。精々小悪党なんだけど、この人。

 

『強行策は明日実行することに決めたわ。覚悟することね』

 

「明日!?」

 

 いきなりな宣言だ。部長のことを心の中で小馬鹿にしていた私は、驚きで大きな声を出す。

 なんてこった。まだ何も分かってはいないのに。

 これはさっさと決闘の話をしなくては、まずいことになりそうだ。

 

「ちょっと待った。その前に、賛成者と反対者、どちらが正しいか戦って決めない?」

 

『嫌よ。正しいのはこっちだもん』

 

 どこの我儘な姫様だこいつは。

 私は頬を引きつるのを感じつつ、用意した挑発を使用することに決める。

 

「そうやって影でこそこそして……。自分達を正義だって言うなら、堂々と前に出てきたらどう?」

 

『これは必要なことよ。それに部長は代々その正体を秘密にするよう言われてるの。こうして通信してるだけでも特別なのに、表舞台に立つことはできないわ』

 

「……ずいぶん短い期間に『代々』なんて使うんだね」

 

 二年しか経ってないのに。

 私は呆れつつ、思考をする。

 反対者の話を聞いた時から、私が抱いている疑問。それは間違いなく部長に関するものだ。

 少し整理しよう。

 部長は正体を知られていない。話し合いにも、戦いにも応じない。しかし誘拐は行い、それでいて自分はその場にいない。

 果たしてそれは、単に『決まりだから』で済ませられることなのだろうか。

 通信を特別と言っているのを考慮すれば、現在彼女は決まりを破っている。彼女が決まりを気にしているならば、通信すらしない筈だ。

 そのとき私は、あることに気づいた。

 決闘のルール。彼女の口調、性格。そして、幹部だからといって強くはないという点。

 それから導かれる結論は……。

 

「あ。弱いのか」

 

 そう。単純に負けるのを恐れているのだ。

 顔を合わせれば決闘を申し込まれるかもしれない。

 提示された条件に頷くか頷かないかは自由だが、部長が負ければ賛成者の信頼は下がる。

 それを恐れているから、話し合いをしない。

 だから決まりを破って通信をしているのに、決まりを言い訳に使う。

 そうだ。私はおそらく、『部長が強い』という前提に疑問を感じたのだ。

 

『……何を言ってるの?』

 

 図星。口で言ってはいないが、彼女の重苦しい声がそうだと語っていた。

 分かり易い。あんなすぐ私の提案を断ったのに、思い切り今回の言葉には反応している。

 

「弱いんでしょ? だから決闘にびくびくしてる。肩書きに分不相応な実力だから。もしかしたら、評価自体――」

 

 低いんじゃないの?

 そう言おうとした瞬間にノイズが途切れる。スピーカーからは何も聞こえなくなった。どうやら通信を切ったようだ。

 

「切れたみたい」

 

 部長が弱いのもあながち間違ってなさそうだ。

 私は通信機から耳を離し、マイクと妹へ向かって報告する。

 

「馬鹿!」

 

「はうあっ!?」

 

 するとすぐさま妹から怒りの鉄拳が飛んでくる。

 私は頬を押さえながら、何をするのかと言ってやろうかとも思ったが……気づく。

 自分は結局『教育』について一つも進展を得ていないのだと。

 それなのに得意げに自分の理論を展開し、部長との通信が終わってしまったのだ。それも相手に最悪な印象を与えた上で。

 とても悪いことをしてしまった。

 

「す、すみませんでしたぁ!」

 

 妹に文句を言うなど筋違いもいいところだ。私はすぐさまマイクに向けて謝罪をし、ぺこぺこと頭を下げる。

 もう全面戦争になってもいいくらい状況は悪化してしまったのではないのだろうか。

 

『気にしないでください』

 

 しかしイヤホンから聞こえてきたのは、村上のそんな一言だった。

 私が「でも」と言いかけると、彼は続けた。

 

『あちらが話し合いに乗らない以上、『強行』は確定していた未来です。日にちが分かっただけでもよしとしましょう。それに賛成者の一部でしょうが、戦力も把握できました。部長についてもそれなりに』

 

『そうだな。夢深も助けられたんだ。目的は果たされたさ』

 

 村上の台詞に、坊主頭も同調する。

 確かに当初はそうだ。夢深を助けるという、今になって考えるとお人好しにも思える目的だ。

 だが交渉の場があって、このザマでは……。

 

「もういいわよ、姉さん。反省してるならそれで終わり。姉さん一人を責めるのも悪いし。夢深を連れてこの場から逃げるわよ」

 

 妹は溜息を吐き、夢深を指差す。

 そういえばまだ私達は敵地にいたのだ。今は逃げることが先決だろう。

 私は返事をすると落ちていた大剣を拾い上げ、それで夢深を縛っていた縄を切り裂く。

 

「あ……楼さんに、妹さん?」

 

 そこでやっと彼女は私達に気づいたらしい。

 目をぱちっと開き、私と妹を交互に見る。

 

「うん、私。助けに来たよ、夢深」

 

「助けに? あ、め、迷惑をかけてすみませんでした」

 

 一瞬ぽかんとする彼女は、その後驚いた表情を受けべて頭を下げた。

 そしてゆったりとした動作で立ち上がる。まるで自分が攫われたことを分かっていないような様子だった。

 

「夢深。一旦ここから出ようと思うんだけど、ついてくる?」

 

「はい……そうですね。そうします」

 

 彼女は頷き、フッと表情に影を落とす。

 それはまた、全てを諦めている人間の顔だった。

 そんな夢深の顔を見て胸が苦しくなるのを感じながら、私は脱出するべく走り出した。

 

 



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八章

 帰りは村上が幹部を全滅させていたので苦労なく帰還。

 夢深の奪還を無事果たし、私達は反対者の拠点にいた。校舎は閉まっているので窓からの侵入である。

 

「……で」

 

 時刻はもう夜も近づいてきたかというところ。

 そろそろ帰らないと華蓮が泣きそうなので、私は話を切り出す。

 

「夢深はなんで誘拐されたの?」

 

 何故かは分からないけど、首謀者は部長なのだ。『教育』のことに関連しているとしか思えない。話を聞くだけの理由がこちら側にはあるだろう。恩着せがましいが、助けたわけだし。

 ランプが二個になり、少し明るくなった室内。テーブル付近の席に座っている夢深は暗い表情のまま口を開いた。

 

「……話さないといけないですよね。分かりました。緊急事態ですし、私も彼女を止めないといけません。全て話します」

 

 全て、なんて言うからには長くなるのだろうか、やはり。

 帰ったらどうやって華蓮を宥めようか考えつつ、私は彼女が話すのを待った。

 

「皆さん、『優等生』の部長がどのように決まるかご存じですか?」

 

 彼女はぽつりと、そう語り始めた。

 部長の選出方法。部外者である私には想像もつかないことだ。

 私は黙る。のだが、他の反対者達もそれを知らないのか、誰一人として口を開かない。

 

「まさか、誰も知らないんじゃないでしょうね?」

 

 半眼を作った妹が尋ねると、彼らは気まずそうに頷く。

 

「なにその部活……おかしいと思わないの?」

 

 私も妹の意見には同意だった。けどそれは、傍から聞いているからかもしれない。

 顔も選出方法も不明な部長に従い、活動を行う……外側から聞けば不審極まりないが、内側に入っていればそれほど気にならないかもしれない。

 部長が顔を出さなくとも成立しているわけだし、そもそも活動は強要されていることではない。

 好きなときに集まりに顔を出し、好きな活動をすればいい。基本的に『優等生』は自由なスタンスであり、名ばかりの部員も多いのだ。

 部長なんて活動に関係ない。ならば気にしないのも道理と言えよう。

 改めて、広く浅い部活なのだと思い知らされる。

 

「それが決まりですから。しかしそれでも、現在まで大きな問題は起きてません。影から部長が指示し、副部長がそれを伝える。この二年間はそれで問題もなく、勿論これからもそうなる筈でした」

 

「でも『教育』の話が出てそうではなくなったと?」

 

 首肯。眼鏡の言葉に夢深が頷いて返す。

 私は隙を見て手を挙げた。

 

「――そもそも『教育』って誰が考えたの? 部長?」

 

「はい。彼女が考えました」

 

 やはりそうなのか。

 それで馬鹿な幹部が賛成して現在に至ると……。

 

「ですが、その話が出てきたのは私が原因でもあるんです」

 

 夢深の言葉に、室内の全員が不可解そうな顔をした。

 私と妹を含めて、反対者達が初めて聞く話らしい。

 

「それはまさか、この前のことが?」

 

「はい。私がいじめられていたことが原因です」

 

 いじめ。

 私はやはりかと思う反面、少し悲しくもなった。

 なんで彼女が『優等生』の人達にいじめられていたのか……その理由として考えれるのは、彼女の性格。

 無意味な戦いを避ける彼女はおそらく、何かされても文句言わず嬲られていたのだろう。

 そしておそらく……。

 

「もしかして夢深ってかなり強い? 評価が高かったり」

 

「無意味ですが、戦闘系で百は持ってます」

 

 私達は絶句した。

 戦闘で使える能力を百。能力の開放は毎回ランダムなので、戦闘以外の能力も百以上持っているだろう。合計して二百、三百……なんという才能の塊。

 それなら、いじめられる理由もなんとなく察しがつく。

 そんな強い人物を一歩的に叩けるなんて、人によっては楽しいことだろう。ましてや彼女はよく見れば可愛らしい見た目をしている。いじめたい人が出てきてもなにも不思議はない。

 

「……いじめられているのは皆さんが予想している通りだと思います。最初は私のおどおどした態度が原因で決闘を挑まれて……結果、抵抗しないからと目をつけられました」

 

 割と深刻なのに淡々と語るものだ。

 なるほどね。

 『教育』だと思われていたものは、実はいじめ。見張りまで用意して、体育館でこっそりと行っていたのは多分、評価を稼ぎたい人による制裁が怖いから。

 そんなところだろう。

 

「それが『教育』と……なんの関係が?」

 

 小動物の声。

 確かにそれが今回の騒動と関係しているとは思えない。彼女がいじめられているからなんだという――

 

「私がいじめられているから、彼女はその人達を対象に含めて行おうとしているんです」

 

 ――あ、そういうことか。

 となれば副部長と部長は知り合い、それも親しいことになる。

 それは同時に……。

 

「つまりいじめられている夢深を助けようと、問題児を裁こうと?」

 

 私が確認に、夢深が頷く。

 なるほど。それは良く分かった。

 

「誘拐の理由は?」

 

 分からないのは誘拐だ。

 通信機で話してたみたいだけど、話すなら彼女を呼べばいい話だろうに。

 

「多分、私に会うのすら怖いんだと思います。彼女はいじめられてましたから」

 

「なるほどね……。部長とは何を話してたの?」

 

 通りで躊躇がないわけだ。

 自分がそんな過去を持っていて、友達もいじめられている。そこで、自分の持っている大きな力を振るおうというわけだ。

 あっちもそれなりな理由を持っているらしい。彼女についてる仲間はどうなのか知らないけど。

 

「誘拐されてから、あの部屋で私は仲間にこないかと誘われました」

 

「けど断ったんた。だよね?」

 

「はい。更生と言いながら、その行為は私達のされてきたことと大差ありません。そんなことは意味がないと言いました」

 

 ふむ、納得。

 粗方の理由は分かった。

 部長のやり方はやはり駄目だ。いじめられているからといって、それをやり返していいことにはならない。

こんな誰のためにもならないことは止めなければならないだろう。

 皆が揃って難しい顔をする中、私は一人頷く。

 絶対評価制、組織、あらゆる環境と関係なしに、『教育』は私自身が許すことができない。

 

「あの。私も皆さんの仲間に入れてください」

 

 静かに、しかし今回は堂々と手を挙げ、夢深は言った。

 室内がざわつく。これまで中立の立場にいた者、それも部長の友達である彼女が反対者の仲間になる。

 それがどんな意味を示すのか。

 皆を代表し、私の隣に立っていた村上が彼女へ尋ねる。

 

「いいんですか? 部長を裏切ることになりますよ?」

 

「はい。あの子を止めるなくてはいけませんし、なによりこうなったのは私の責任です。居場所は分かりますし、強行策も明日止められるでしょう」

 

 ただし条件があります、と彼女は村上から視線を逸らし答えた。

 彼女が向く先にいるのは私。

 ……なんだろう。シリアスな空気の中、私は何故だか物凄く嫌な予感がした。

 

「楼さん。私と戦ってください」

 

 あー、そういうパターン?

 私は創作物を見ている気分で、予想できない展開に肩を竦めた。

 脳裏に浮かぶのは優姫にぶちのめされた瞬間の映像。

 私に化け物と戦うほどの技量はない。

 死なないといいなぁ、私。

 

 

 

 ○

 

 

 

 誰もいない無人の校庭。

 つい先ほどまで部活が行われていたそこで、私と夢深の戦いが始まろうとしていた。

 部活用なのだろう。ランプよりはるかに眩しい照明が校庭を隅々まで照らしており、その端にあるベンチには十人は座れるスペースがあった。

 今日はよく戦っている気がする。

 どうしてこうなったかを考え――自業自得だと結論。ギャラリーへ視線を移しつつ自嘲する。

 青いベンチには反対者の皆さま方が座っている。どこからか持ってきたポップコーンやジュースを手に、完全な観戦を決め込んでいた。

 この一戦に反対者、『優等生』、そして問題児の命運がかかっているというのに、サポートのサの字もない。暢気なものだ。

 

「条件は君が負けたら反対者の仲間になる。これでいいよね?」

 

 負けられない。

 私は気合いを入れ、前に立つ夢深へと尋ねた。

 

「それでいいです。いつはじめてもいいですよ」

 

 夢深も一見すると、観戦しているが如く暢気な様子だ。

 私をじっと見てはいるものの、棒立ちでなんだか頼りない。

 しかし私を超越した能力を持っているのだ。ああ見えてかなり強い筈。

 拳を強く握り締め、私は勢いよく駆け出した。

 

 

 

 ○

 

 

 

 どうしたものか。

 先程は勢いでああ言ったものの、夢深はとてつもない罪悪感を覚えていた。

 嘘をつくのはいつぶりだろう。

 考えてみても、『混沌』以前だろうという不確かな答えしか出てこない。

 人を騙す。その感覚は彼女の性格上、やはり気分がいいものではなかった。

 けど、そうしなければ全力の彼女と戦うことはできないだろう。

 夢深は自身の正面に立つ彼女――楼を見る。

 何故自分が、とでも思っているのか、彼女はうっすらと笑みを浮かべており、小さく溜息のように息を吐いた。

 確か彼女は戦いの際に、格闘しか使っていなかった。ピンチに陥った際もそうだったし、おそらくそれしか使えないのだろう。

 とても今回の騒動に出てこれるような実力ではない。

 しかし、と思う。

 しかし楼がもし、本当に『彼女』が言うような人物ならば……その片鱗くらいは窺える筈だ。

 きっとこれもまた、意味のない戦いなのだろう。

 夢深は拾っておいた石を握り、視線を上に向けた。

 自分は自分の事情で、彼女と戦っている。

 武蔵 楼。

 『混沌』に包まれた半年間の中で、一度だけ聞いた名前。

 彼女が本当に世界の命運を握る人間なら、問いたいことがある。

 

「さて」

 

 前にいた楼が走り出す。

 屋外だからだろう。以前見たよりもその速度は速く、加速もスピーディーだ。

 それを見て夢深は、暢気な調子で声を出す。戦闘開始だ。

 握っていた石を振り上げ、『魔弾』の能力を使用。そして走ってくる楼へ向けて投げた。

 『魔弾』。投げた物に対象を追尾する機能を付与する、簡単な魔法だ。永遠に追いかけるほどの力はないが、この距離、そして彼女の能力ならば回避は不可能な筈。命中、よくて防御。いずれにせよ、夢深の作戦を邪魔する要素はない。

 楼目掛けて飛来する小石。すると何故だろう。楼の速度がぐっと落ちた。そのまま攻撃を警戒しているのか、小石が到着する随分前から防御の姿勢をとる。

 思惑通り、楼は飛来したそれを手をクロスさせて受け止めた。

 小石が彼女の腕に当たり、跳ね、地面に落下する。楼の速度が上昇するのを感じるのとともに、夢深は能力の発動を試みた。

 『位置交換』。自分と、あるものの位置を交換できる能力である。

 一見便利に思えるが条件がいくつかあり、対象を敵と認識していないことが第一の条件。

 自身の体重より十キロ上回らないことが二つ目の条件。

 そして目にはっきりと見えていることが最後の条件。

 はっきり――つまり今回の小石くらいの大きさは最低でも必要だ。

 夢深は空中に跳ねた小石を見る。しっかり目視し、能力を発動。

 次の瞬間、夢深は楼の隣に移動した。

 

「えっ!?」

 

 前にいた夢深が消えた。突然のことに反応ができるわけもなく、楼は驚きの声とともに足を止める。そして周囲を確認しようと顔を動かす。

 その前に夢深は彼女の背後に回り込み、彼女の背中を力いっぱい蹴りつけた。

 「あぅ゛!?」などと間抜けな声を上げ、子供が転ぶように手を挙げた体勢で楼が顔から地面に突っ込む。

 授業以外では他人を傷つけたことはなかったが、自分の手で誰かが傷つくというのは心が痛い。夢深は顔を歪め、追撃を加えようと片足を上げる。

 が、右足を振り上げ、地面に付くのが左足一本となったところで綺麗に払われた。

 うつ伏せに倒れていたと思っていた楼が、地面に手を付いて身体を押し、足から身体ごとスライディングするように足払いを仕掛けたのだ。

 身体が宙に浮き、すぐ目の前に楼の顔が見えた。いつの間に身体の上下を入れ替えたというのか、既に仰向けになっている。

 格闘系統の能力ならば接近戦は分が悪い。

 ましてや絞め技でもかけられたら、『位置交換』でも逃げられなくなる。

 彼女の上に落ちるのは危険だと察知し、夢深はベンチに座る少女を見た。

 名前は扇。少し生意気で我儘なところがあるが、根は優しい人物である。彼女ならば敵と認識していないし、はっきり見える。体重も問題ないだろう。

 能力の発動を念じる。

 一瞬の目眩を感じ、次の瞬間夢見はベンチに横になりながら着地。

 扇は楼の腹部に少し上から落下し、座った。楼が踏まれた蛙のようなうめき声を上げる。流石に女子の体重といえど、高さがつくと重たいらしい。

 

「くっ……」

 

 まさかギャラリーを利用するとは思っていなかったのだろう。驚く反対者達の視線を感じつつ、夢深は立ち上がると再度『位置交換』を念じる。

 この能力は発動した際の体勢そのままで、取り替える対象の位置までテレポートする。つまり一時離脱し体勢を整えれば、相手が攻撃できないほどの素早い攻撃が可能になるのだ。

 能力が発動し、扇と夢深の位置が入れ換わる。

 夢見は楼の腹に立ち、扇はベンチに戻った。

 両足で思い切り踏みつける。そのための隙を作り出そうと、夢深は足を踏み込んで跳躍。

 楼が呻く。しかしその表情に今は驚きが少しもない。

 彼女は表情をキッと引き締めると、痛みに怯むことなく身体を横へと転がす。

 紙一重のところで夢深の攻撃は命中することなく、地面へ突き刺さった。その隙を、素早く立ち上がった楼が狙う。

 夢深の側面をとった楼。彼女は拳を大きく振りかぶった。まるで命中することを確信したかのような大振りの攻撃だ。

 しかしそれは恐らく能力の補整を受けている。大振りにしては素早く、無駄がない。

 確実に回避するべく、夢深はまたギャラリーの方を見るのだが……気づいた。

 ベンチに座るギャラリーが見えない。

 ――いや、正確には全体が見えない。

 大きく振りかぶったように見えた楼。彼女は拳を上げたわけではなく、道を塞ぐように手を大きく広げていた。そう。ちょうど、ギャラリーと夢深の間に立って。

 ――まさか『位置交換』の条件を!?

 そういえば、と夢深は思い返す。

 三度目の発動をし、彼女の上に乗った際。楼は全く驚いていなかった。その時にはもうからくりを理解していたのかもしれない。

 戦慄を覚える夢深。それから、楼がそのまま近づいてくることを遅れて認識する。

 視界内には楼しか見えない。そして彼女は敵。

 細かな石と砂はあるが、能力に使えそうな物はない。

 最初に持っていた小石も校庭以外の場所から持ち込んだものだ。それも今ははっきり見えない位置にいる。

 夢深は覚悟を決め――笑みを浮かべる。

 まだ、終わっていない。

 楼が目を見開く。

 夢深の行動に。その視線の先に。

 夢深はそれを空中に投げ、上を見上げた。

 ぼんやりとした視界には眼鏡が舞っている。少しはっきりとは言えないものの、能力を使用するには十分だろう。

 能力を発動。彼女は呆然とする楼の頭上に現れ――その頭を踏みつけた。

 

 

 

 ○

 

 

 

 いや、参った。

 テレポートの条件が対象を視界に映すことだと分かったまではいい。

 それから視界を塞ぎながら近づく。これも許そう。

 しかしそれで勝ちを確信してしまっては駄目だろう。

 眼鏡を投げてから蹴られるまで僅か数秒。されど数秒なのだ。その間ずっとぼんやりしてやられてたら、これから先が不安すぎる。

 

「……姉さん。負けてどうするのよ?」

 

 夢深に見事敗北した私は、ベンチの上で正座をさせられていた。

 私の前には仁王立ちの妹と、苦笑を浮かべる反対者の面々。そして夢深。

 脳内で反省会をしていたのだが、現実も反省会……というよりも、謝罪会見の方が正しいかもしれない。

 夢深奪還時の失態に加え、さらにこの始末。私自身、土下座も辞さない申し訳ない気持ちで一杯である。

 

「夢深は戦闘能力百なんて嘘で、本当はもっと弱いって言ってるのに」

 

 妹が情けないと言わんばかりに続けて私を責め立てる。

 そう。何のいじめだか分からないけど、夢深は能力を全然持っていない、私達サイドの人間だったらしい。なんでも全力の私と戦いたいから、嘘をついてしまったのだとか。

 普通なら私が勝っている展開である。それも結構余裕に。

 それで負けてしまうのだから、私の雑魚っぷりがよく分かるだろう。

 でも夢深の発想もすごい。まさかあそこで眼鏡の存在を思い出し、落ち着いて逃げることを考えずに頭上へと投げて攻撃。敵ながらあっぱれといったところだ。

 戦いってなにが起こるか分からないね!

 

「なに爽やかな笑顔浮かべてるのよ?」

 

「す、すみません……」

 

 ちょっとぐらいお茶目してもいいじゃない。

 かつてのリーダーさんみたいに縮こまりつつ、頭を軽く下げる。

 今回も悪いのは私だ。負けたのだから。

 

「えっと……その」

 

 さぁ、いよいよ土下座だ。

 そう思ったタイミングで、おずおずと夢深が手を挙げる。妹の怒気に怯えているようで、いつの間にか私の知るおどおどした彼女に戻っていた。

 ちなみに彼女の眼鏡は思い切り土埃が付着しており、汚かった。

 

「なに? 今姉さんを一人にしてストリップさせようとしてたんだけど?」

 

「土下座じゃないの!?」

 

 土下座よりもすごいんじゃないかな、それ。

 大声でツッコミする私を、冗談よと軽く流し、妹は夢深へ発言を促す。

 

「戦いたかっただけですので、仲間になれと言われれば仲間になりますよ」

 

「なって! なってください!」

 

 苦笑を浮かべながら言う夢深へ、私は即座に返答した。夜の校庭で一人ストリップは勘弁である。マニアックすぎる。

 

「はい。短い間ですが、よろしくお願いします」

 

 良かった。

 頭を深々と下げる夢深に安心する。これで妙な罰ゲームは逃れられる筈だ。

 私は正座したまま蹲ろうとして、地面に頭から落下した。 

 

 

 

 ○

 

 

 

 作戦は明日メールで通達。

 とりあえず今日は家の人も心配するだろうし、解散。

 という、いかにも真面目な高校生らしい理由で、私達は今日の活動を終えた。

 

「昨日と密度が違い過ぎる……」

 

 拠点から荷物を回収し、校門を出て小さく呟く。

 誘拐された生徒を救い、それから戦闘。今日は肉体的なだけでなく、精神的にも限界を越えた気がする。

 鞄を手に、私は街を目指して歩き始める。

 妹は解散と同時にどこかへ行ってしまった。

 一人で歩くのはやはり心細い。

 物騒になった今日この頃。返り討ちにされる可能性も高いので不審者は少なくなったものの、寂しさだけはどうにもならない。

 早く帰って、華蓮のご飯を食べるとしよう。

 私は考えて、歩くペースを上げようとする。その瞬間、肩を軽く叩かれた。

 

「楼さん」

 

 なにかと思って振り向いてみれば……夢深である。

 地味な彼女が暗い中、私の間近に迫っているのをいきなり視界に入れるのは、なんだかホラーじみていた。思わず悲鳴を上げそうになってしまった。

 

「なんだ、夢深か。一緒に帰る?」

 

「はい。えと、あと、少しお時間もらってもいいですか? お話したいことが」

 

「話?」

 

 はて、なんだろうか。戦闘のことに関してかな。それとも明日のこと?

 なんにせよ断る理由はないだろう。華蓮の泣く時間が伸びるだろうけど、偶には少しくらい帰宅が遅れてもいいはずだ。むしろ仲間といたとか言えば、泣いて喜ぶかも……だめだ。どちらにせよ彼女が泣くビジョンしか見えない。

 まぁ、どうせ今帰っても結果は同じ。夢深の話を聞いてもいい筈だ。

 

「いいけど、何を話すの?」

 

「少し、昔のお話です」

 

 夢深はそう言って、表情を暗くさせた。

 昔。それが何年前のことなのか分からない。けれど、それを私が聞いて何になるのだろうか。彼女とは数日前に会ったばかりだし、とても力になれるとは思えないんだけど。

 疑問を感じるも、言わないでおく。

 単に話を聞いてほしいだけかもしれないし、気の弱い彼女のことだ。追求すれば『まさか話するのが嫌なんですか?』とかなる可能性が高い。

 それから私達は世間話をしながら、駅前の公園まで歩いていった。

 この前と違って公園は暗く、ライトに照らされたベンチくらいしか見えない。

 なんだかロマンチックにも見えるそこへ私達は座る。木製のベンチは堅くてお尻が痛むが、それでも立っているよりははるかに楽である。

 

「さて。何から話しましょうか」

 

 夢深は暗い表情のまま、典型的な語り始めの台詞を口にする。

 昔話。果たしてそれに、私はどれくらい係わっているのだろうか。

 私は夜空を見上げ、息を吐く。

 都会の空は暗闇のように真っ暗だ。それでも、綺麗だと思えた。

 

 



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回想

「ふあぁ……」

 

 どこまでも続くかと思えてしまうほど長い廊下に、モップをかける。

 それはとてつもなく退屈で、途方もない作業だった。

 欠伸をもらし、目に浮かんできた涙を拭う。

 延々と続いていく廊下。そして真っ白な壁。

 味気ない風景は、その終わりを一向に見せることがない。

 彼女――夢深は若干うんざり気味で廊下を上下に動き、少しずつ奥へと進んでいった。

 退屈。今の時代にこれほど似合わない言葉はないだろう。

 己の心情に自虐的な笑みを浮かべる。

 両親に連れられ、『組織』という名の組織の本拠地を訪れてから一週間が経とうとしていた。

 あれから今日まで、様々なことを教えられた。

 現在の状況。能力の使用方法。これからの計画……組織が今を生き抜くために必要だと判断したことを、夢深は徹底的に叩きこまれた。

 その結果、自分はとんでもないことに巻き込まれていたのだと驚くことになる。

 突然目覚めた力による全世界の混乱、及び崩壊。

 現実味もないファンタジーな出来事が起きている。今でも信じられないが……自分自身、身に覚えのない知識を習得しているので、信じるしかない。

 今だって、一週間前はやったこともないモップがけを、すいすいと大人以上のペースでこなしている。思考に頭を働かせながらも、隅々まで綺麗に。実際身体を動かすと異常であることが如実に分かる。

 

「夢深。お昼ご飯だって」

 

 無数にある廊下の角の一つから、一人が顔を出した。

 『組織』が作成した白いセーラー服を身につけている彼女は、森永 結花(もりがな ゆか)。高校生らしいのだが見た目は幼く、背もかなり低いので夢深より年下に見える。

 組織の仲間に可愛がられるのが悩みだとか言っていた。

 

「え? いいんですか? まだ掃除終わってないですけど」

 

「いいのいいの。本当なら掃除なんて一週間に一回で多いくらいなんだから。それよりご飯だよご飯」

 

 銀髪のポニーテールを揺らし、首を振る結花。

 一週間に一回はどうなのだろう。と夢深は思ったのだが、腹が鳴り、空腹を訴える。

 

「ぷふふ。真面目もいいけど、少しくらい素直に生きていいんじゃない?」

 

「ご、ご飯くらいで大袈裟です」

 

 恥ずかしいものを聞かれてしまった。

 顔を赤くしながら、モップを壁に立てかけておく。多分ここにモップを置いたくらいで文句は言われないだろう。

 

「今行きます。ちょっと待っててください」

 

 了解、と結花が頷く。未だからかうように笑う彼女へ苦笑を返し、夢深は歩いていく。

 結花のいる曲がり角を曲がると、メインホールへの扉が見えた。

 

「みんな待ってるよ。早く早く」

 

 夢深の背後に回り、結花が背中を押す。

 慌てて扉を開き、夢深はメインホールへ入った。

 

「えぇ? みんなもう食堂にいるんですか?」

 

「うん。お昼ご飯にしよう、ってなる三十分前にはいたかな」

 

「みんな仕事あるんですよね」

 

 いくら毎日同じ仕事をしているからと言って、それは暇を持て余し過ぎじゃないだろうか。

 引きつった笑みを浮かべる夢深。

 真っ白なメインホールには今日も多くの人がいる。

 外に出てきたであろう、隊の人間。雑談を楽しむ老人達。おもちゃで遊ぶ子供ら。賑やかで、現在の状況を忘れてしまうほど楽しげだ。

 仲良く歩いていく夢深と結花は彼らへと挨拶をし、食堂のドアを開く。

 長いテーブルが複数並べられ、奥には厨房が見えるそこには、既に数人の少年少女達がいた。

 

「遅れちゃったねー。やー、すまんすまん」

 

「えと、遅れてすみません?」

 

 一応結花に習って頭を下げる。

 するとその中の一人がため息を吐いた。

 

「遅れたもなにもないでしょ。ごめんね、夢深。いきなり連れてきちゃって」

 

「え、あ、うん」

 

「なにこの扱いの差っ。相変わらずみんな夢深に甘いんだからなー」

 

 結花がぶーぶー文句を言いながら席に座る。

 夢深は苦笑いを浮かべると厨房へと入っていった。

 彼女の仕事は掃除だけではない。チームの食事を作るのも立派な仕事の一つだ。

 メンバーらが外で食材や物資を集め、夢深が彼らをサポートする。それが彼らチームの役割分担である。

 夢深は冷蔵庫を開いて中身を確認する。

 農家の跡地でも漁って来たのだろうか。『組織』の全食料が入った大きな冷蔵庫には野菜やよく分からない肉、卵が入っていた。

 これらを使えばいつもよりかなり豪勢な食事が作れることだろう。

 ――でも贅沢は駄目かな。

 今日から平和になるまで何日かかるか分からない。そんな状態で贅沢はするべきじゃない。

 夢深は堅実に考え……しかし肉は食べたく、鶏肉を焼くことに決めた。必要な量だけを取り出し、まな板に置く。

 

「ねぇ、夢深は聞いたことある?」

 

 メンバーの一人、神原 雪枝(かんばら ゆきえ)はカウンターのテーブル越しに声をかけてきた。

 茶と緑の左右で異なった色の瞳を持つ彼女はチームのリーダーであり、戦闘能力も『組織』の隊では随一。頼れるチームのリーダーだ。

 なにやらわけありで男と女二つの人格が宿っているのだが、今は男の人格らしかった。名前の呼び方や口調でなんとなく区別がつく。

 

「なにをですか?」

 

 まな板から顔を上げ、返事をする。

 テーブルにぐたっと身体を乗せていた彼女はにっこりと笑う。彼女もまた高校生で、夢深の年上なのだが、その表情はいたずら好きの少年を思わせた。 

 

「『はじまり』。人類の能力を目覚めさせた張本人のこと」

 

 初めて聞く名前だ。

 夢深は苦笑いを浮かべ、答える。

 

「聞いたことないですね。けどそれ、本当の話なんですか?」

 

「やっぱり怪しいよね」

 

 夢深の疑うような言葉に、結花が同調した。

 『はじまり』。張本人と言うからには人間なのだろう。そんな人物がいたらならば……何故、人々を混乱に陥れるようなことをしたのだろうか。そして何故、今なのだろうか。

 魔法やら錬金術やらを人間が容易く使う現代、有り得ないことでもないが、やはり噂だとしか思えない。

 

「リーダー、しっかりしてよ? 男の子だからそういう話題好きなのは分かるけど」

 

「分かってるって、結花。でも僕、それを探してる怪しい組織に会ったんだけどなぁ」

 

 呆れたような反応を示す一行に、雪枝は至って真面目に返す。

 とても嘘を言っている様子ではない。

 だが夢深はその話を信じることはできなかった。これだけの混乱だ。おかしなことを創作しているような連中がいてもおかしくない。

 

「『世界(ワールド)』とかって言ってたけど……やっぱり頭悪い連中だったのかな」

 

 ぽつりと呟かれた言葉。

 その重大さをメンバー達が知るのは、後の話である。

 

 

 

 ○

 

 

 

 それから三カ月が経過した頃。

 

「あー……相変わらず暇です」

 

 新規加入者が増え、夢深の担当は組織の中でも重要な場所の清掃となっていた。

 退屈なのは変わりないが、それでもやりがいはある。

 次々と手柄を上げるチームの仲間、彼らを支えることができるのだから。

 それに家族全員で平和に過ごせる環境を提供してもらっているのだ。感謝はすれど、文句を言うのは恩知らずというもの。

 素直な心情は口から出るものの、彼女が手を止めることはなかった。

 

「たまには早めにご飯用意したりしようかな」

 

 ボソッとらしくないことを呟き、夢深は足を止める。

 何か音が遠くから聞こえた気がした。

 これも能力なのだろうか。直感的に嫌な予感がした。

 夢深はモップをその場に置くと走る。会議室から飛び出し、廊下へ。するとまた何かの音が響いた。

 

「……近く?」

 

 それは廊下に出ると、比較的近くから聞こえることが分かった。

 何も考えず、彼女はそこに向かって駆けていく。

 普段は誰もいない廊下だが、今日は特に静かに思えた。

 静寂の中、自分だけの足音が響く。何が起きているかは分からない。だからこそ夢深は恐怖を感じた。

 家にいたときは考えもしなかったことだ。

 両親から言われたことに従い、静かな家の中で待つ。それと今は何が違うのだろうか。

 ――多分、知ったからだ。

 街が崩壊した理由。両親が自分を外に出さなかった理由。そして瓦礫の中に見えた僅かに見えたモノの正体。

 自分が置かれた状況を理解したとき、夢深は心から『組織』の目的に共感した。そのために活動する両親を応援することができた。

 だから、怖くなる。不安になる。

 自分達はとんでもないものに立ち向かっているのだ。今でこそ何も起きていないが、もし誰かに目をつけられたら……。

 

「あれ?」

 

 夢深は開きっぱなしになったドアを見つけ、足を止める。

 部屋の名前を示すプレートはない。しかし重要な部屋の掃除を任され、長い間それをこなしてきた夢深にはそこが何の部屋なのか分かる。

 『監視室』。仲間が増えてきた本拠地内の様子を、監視する目的で最近作られた部屋だ。

 各所に取り付けられたカメラの映像をモニタリングし、侵入者や問題が起きていないかを確認する場所、と認識している。

 ――そんな場所が何故、ドアを開けっ放しに?

 逃げ出したくなる気持ちを抑え、夢深は歩く。もし何も異常がなければドアを閉めてそれで終わりだ。後で誰かに開いていたと言っておけばいい。

 自分に言い聞かせ、動悸を鎮めようと胸を押さえる。

 やがて視界に入ったのは幾つものモニター。そして、頭から血を流して倒れている男性だった。

 

「あ……」

 

 外は危険であり、時折死体が供養のため拠点に運ばれることもあった。

 だからそれなりに慣れているだろうと思っていたが……凝視することができない。

 中を覗き込むと同時に見えた光景に、夢深は一気に血の気が引くのを感じた。

 顔を引っ込め、深呼吸をしようとし、臭いが鼻に入って咳き込む。

 涙目になりながら、三分かけてなんとか呼吸を整えるという有様だった。

 それでも、かつての自分よりは相当マシになっただろう。初めて焼け焦げた死体を見たときは嘔吐しかけたし、食事もしばらく喉を通らなかった。

 それが今はたった一言の呻き声と、微小な精神的ダメージだけで済んでいる。

 顔見知りが死んでいたにも係わらずだ。

 果たして良い成長なのかは分からないが――夢深にもう一度、監視室を見る勇気を与えたのは確かだった。

 せめて見間違いだったら、と夢深は中へ視線を向ける。

 しかしその願いはすぐに砕かれ、夢深は口を押さえる。

 銃……だろうか。綺麗に額を丸型の穴が貫通しており、そこから血が流れている。椅子の横に倒れている彼は、床に小さな血の海を作っていた。

 未だそれが広がっているのを考えると、彼が殺害されたのはごく最近かもしれない。

 そうなると、部屋の中で聞いた音や、廊下に出たときに聞こえた音は、彼が殺された際のものだという可能性が高い。

 おそらく、侵入者。

 いくらそういった環境にいたとはいえ、一度も直接係わったことのない自分が、これほど冷静に考えられることは意外だった。いつもはもっとおどおどしているのだが。

 自分の変化に内心驚きつつ、誰かに報告するべく踵を返そうとし、彼女はある一点に目を止めた。

 幾つもあるモニター、そのメインホールを移す数台に多くの人間が映っている。

 それらから分かるのは、『組織』の人間達がメインホールの奥に集められていること。

 そして、彼らに武器を向ける怪しげな集団がいることだった。

 集団はまるで軍隊のような制服を身にまとい、等間隔で並び組織の仲間達を包囲している。

 夢深の頭の中で、映画で見たワンシーンがフラッシュバックする。

 人質にとられているか、脅されているのか。どちらにせよ危機的状況であった。

 

「なんで、こんな……」

 

「――夢深!? 良かった、捕まっていないんだね」

 

 背中からかかった声に、夢深は勢いよく振り向く。そこにいたのは彼女の父親だった。

 いつもの優しげな表情は余裕がなく、苦しげに歪まれていたが、それでも夢深の顔を見ると嬉しそうに笑みを浮かべる。

 

「お父さん! 今、なにが起こってるの!?」

 

「分からない。けどここにいては危険だ。早く逃げたほうがいい」

 

 誤魔化すことはできないと思ったのか父親は正直に言い、廊下の先を指差した。

 遠くに見えるドア。それは緊急用のワープが設置されている部屋へと続くものだ。

 夢深は信じられない思いで父親を見た。

 

「み、みんなを見捨てて逃げろって言うの?」

 

「違う――ああ、そうだ。夢深のチームには言ってある。他の子供も、あの場で見つかった者以外は避難している。お前だけじゃない」

 

 だから罪悪感を抱く必要はない。

 そう言っているかのような父親の言葉に、夢深は何故か苛立った。

 自分になにができるか分からない。けれど、暗になにもできないと言われているようで、悔しかった。

 夢深は何か反論しようとするが、ぐるぐると自分の中で渦巻く気持ちをうまく表せず、口を開閉させる。

 すると近くからドアが閉まる音がし、足音が近づいてくる。

 

「他に人はいなかったわ――夢深!」

 

 曲がり角から小走りでやって来たのは、夢深の母親だった。

 銃を背負い、身体にはアーマーのような物を着込んでいる。外へ出る隊のような格好だった。

 彼女は夢深を発見すると大きな声で名前を呼び、駆けてくる。その表情は幸せをかき集めたかのような明るい笑顔だ。涙すら浮かべそうに見えた。

 

「良かった。無事だったのね」

 

「お母さん……お母さんも私に逃げろって言うの?」

 

 両親が無事だったのは嬉しい。

 しかし再会を喜ぶのも不謹慎な気がし、夢深は視線をモニターへ向ける。

 そこには絶望的な光景が変わらず広がっていた。いつ死人が出てもおかしくはない。

 これを見て見ぬフリをして逃げるのは、自分にはできない。死ぬかもしれないと考えても、そう断言できた。気が小さいからこそ、逃げた事実を受け入れる覚悟がなかった。

 

「……夢深を連れて逃げろ」

 

 不意に聞こえた言葉。

 え? と、声をもらすと夢深は手を引っ張られた。

 

「お、お母さん!? お父さん!?」

 

 見れば母親が夢深の手を引き、父親はどこかへと歩いていくではないか。

 引きずられるようにして速足で歩く夢深は、慌てて母親を見た。

 

「何してるの!? みんなはどうするの!」

 

「私達には何もできないことよ、夢深。あそこにいても死ぬだけ」

 

 前を見据えながら言われ、夢深は言葉に詰まった。

 こういうとき、助かった、ラッキーだ、などと思えたらどれだけいいことか。

 確かに自分には何もできない。出ていってもあの中の一人になるか、撃ち殺されるかのどちらかだ。

 結局、自分は何も変わっていない。

 夢深は歯噛みした。変わろうとしていなかったのも事実だが、半年にも近い時期が経過したのだ。少しくらいの成長はしていると思っていた。

 見慣れた景色が過ぎ去る。夢深はここに連れてこられたときのように、親に手を引かれて連れられていく。

 気づけばワープを使用し、もう外へ出ていた。

 あれから何ヶ月も経っているが、外の景色は変わらない。倒壊した建物が並び、瓦礫が地面に敷き詰められ、奇妙な臭いが漂っている。

 とてもファンタジーな世界だとは思えなかった。

 有り余る力がもたらした崩壊。皮肉にもそれは、能力が出現する以前よりも現実味を帯びていた。

 

「ごめんなさい」

 

 外に出ると母親は歩くペースをゆるめ、一言謝罪した。

 本拠地にいても命を無駄にするだけ。そう分かっていても、夢深が罪悪感を抱くことは人間として当然のこと。

 そのことについて謝っているのだろうか。

 と夢深は思うのだが、どうもそれだけではないようだ。

 表情を暗くさせた母親は様々な感情をめちゃくちゃに混ぜたような、複雑な顔をしている。とても何を考えているのかなんて分からなかった。

 

「私は……」

 

 どんな言葉をかけるべきか。

 夢深は目を伏せて考える。『気にしてない』でも、『ありがとう』でもない。もっと言うべきことがあるように思え――彼女は自然と口から出てきた想いを口にする。

 

「私は、『組織』に来てよかったと思う。『組織』の目的には共感できたし、お父さんやお母さんが頑張ってる姿は生き生きしてて、世界の為に頑張ってるのを見て私もああなりたいと思ったよ」

 

 言って、自分はなんて綺麗事を口にしているのだと自己嫌悪した。

 よかったと思ったのは、何も選べなかったから他を知らなかっただけだ。拠点で死ぬようなことになっていたら、きっと真逆のことを言うだろう。

 ああなりたいと思ったのは事実だ。しかし自分は思っただけで何もしてこなかった。

 掃除や家事を自分の役割だと信じ戦うことをせずに、いざ力が必要になると自分の無力を嘆いた。

 なんて……矛盾しているのだろう。

 

「夢深……」

 

 自己嫌悪に陥る夢深の前。

 歩みを止めた母親は、彼女を驚いた様子で見ていた。しかしふっと口元をゆるめ、夢深を抱きしめる。

 

「ありがとう。お父さんにも聞かせたかったわ」

 

 久しぶりの抱擁。

 夢深は嬉しくなると同時に、不穏な空気を感じた。

 父親が死ぬ。そう言っているような台詞に。

 

「……それだけで、救われる」

 

「お母さん?」

 

 夢深は異変を感じ、顔を上げて母親の顔を見る。

 彼女は涙を流していた。

 夢深が素直に口にした綺麗事で。

 

「なんで泣いてるの……?」

 

 理由はなんとなく分かっていた。

 それでも、夢深は認めたくなかった。何故ならそれは、大事なものの崩壊を表していたから。

 母親は何も答えない。

 が、彼女の問いに答えるようなタイミングで近くから音がする。

 瓦礫を踏みしめ、それが崩れる音。誰かが近づいているようだった。

 

「あは、あははははっ!」

 

 狂ったような笑い声が響く。

 夢深は見た。高く積み上がった瓦礫の山、その上に一人の少女が現れた(・・・)のを。

 白いワンピース。青く短い髪。裸足の少女はその全身を赤で濡らしており、口を大きく開いてけたけたと笑っている。

 背筋が冷えた。とても同じ人間とは思えない不気味さがそいつにはあった。

 

「あははっ、散歩してたらいいものを見つけた……!」

 

 逃げよう。

 そう思ったときにはもう遅い。

 少女が手を軽く振るうと、夢深の視界は赤く染まった。

 

 

 

 ○

 

 

 

 なんともない。

 手が、足が、頭が動くのを感じ、夢深は目を開こうとする。

 すると、目に何かが入る。

 水だ。いつ顔についたのだろうか。手で拭い、夢深はそれがぬめっとしていることに気づいた。

 拭っても拭っても、いつまでもとれることがない。服の袖で拭くも、結果は同じだった。

 痛みを覚悟し、夢深は目を開く。

 真っ赤だった。辺り一面に赤い液体――血が飛び散っており、彼女の前には一人の人間だったものが横たわっている。

 それは頭を失った母親の身体だった。

 

「ひっ……」

 

 恐怖は感じない。何故こうなったのか、その疑問のみが頭をよぎる。

 

「あ、こんにちは」

 

 そして、目の前に立つ少女を見つけたとき、夢深は恐怖で目を見開いた。

 白いワンピースの少女。彼女は誰かの頭を手で軽く繰り返し上に投げ、にっこりと夢深に笑いかける。

 

「いやぁ、可哀想だね。『組織』は話し合いをしようって言ってるのに、あいつらはあんな手段でくるんだから」

 

 親しげに夢深へ言い、彼女は頭を放り投げる。

 血しぶきが少女の顔を濡らし、頭が落下する。ちょうど、夢深の前に。

 変わり果てた母親の姿に思わず声を出しそうになるも、夢深はそれから目を逸らし、少女を睨む。だが、それだけだ。

 いつ殺されるか分からない状況に、夢深は悲しみや怒り以上に恐怖していた。

 精一杯の反抗をする夢深に、少女は笑みを深める。

 

「あはは! いいね、いい顔だよ。そんなに私が怖い? けど私を睨むのはちょっと見当違いかな。恨むなら自分か君の前にいる人の弱さを恨んだ方がいいよ。そういう時代だしね」

 

 饒舌に語る少女。

 殺人を行ったことを悪いなんて思っていないのだろう。血のついた瓦礫に座り、彼女は肩を竦める。

 

「でもちょっとだけ私も悪いかな。幸せそうな人を見るとついつい壊したくなっちゃうんだから」

 

 言われ、夢深は視線を鋭くさせた。

 

「そんな怒らなくてもいいじゃない。実際幸せじゃなかったでしょ? お母さんの反応に戸惑ったり、自分のことすら分かってなかったじゃん」

 

 夢深は何も答えない。ただ視線を少女へ向け、成り行きを見守る。

 自分が幸せか否か。あのときの気持ちはよく思い出せない。

 だが今それはどうでもいいことだ。どうせ口にしても馬鹿にされるだけ。

 今この場面をどうやり過ごすか。それを考えるべきだ。

 

「うむ……今度はつまんない反応だね。あ、そうだ。『組織』で何が起こってるかヒントあげよっか?」

 

「――えっ?」

 

「あはは、反応した。興味ある? 興味あるんだね?」

 

 座っていた瓦礫の山から降り、少女は三日月のような笑みを浮かべる。

 

「簡単なことだよ。『武蔵 楼』。世界の命運を握った女の子。『組織』を襲った人達は彼女が欲しいだけ。だからああして人質をとって要求を無理矢理通そうとしてる」

 

「人質……?」

 

「うん。だけど『組織』は渡すつもりないから、全員殺されるのが妥当かな」

 

 さらっと恐ろしいことを口にする少女。

 嘘だと言いたくなるが……本当かもしれないと考えてしまう夢深がいた。

 父親と母親。両親の態度を顧みると、そうとしか思えない。

 

「可哀想だよねぇ。一人のために何人死ぬんだ、って話だよねぇ。何人も殺してる私が言えたものじゃないんだけどね! あはははっ!」

 

 血で濡れた見た目通り、彼女は既に何人も殺めているらしい。

 楽しげに笑う少女は、夢深も笑うと思っているかのように、彼女を見つめて笑みを浮かべる。

 

「あ、そうだ。まだ名乗ってなかったね。私は『はじまり』。夢深の友達の雪枝ちゃんのこともよく知ってるよ」

 

 はじまり。雪枝。

 続いて飛び出したワードに、夢深は身体を震わせる。

 人類の能力を目覚めさせた張本人。

 それがこんなにも邪悪な人物だとは。

 そう思う反面、納得することもあった。

 

「――うん。夢深も生かしてあげようかな。また会ったら戦おうね。その時は私を殺せるくらい強くなってくれてると嬉しいな」

 

 友達に別れの挨拶をするように言って、手を振る少女が消える。

 後に残されたのは夢深と、母親の亡骸のみ。

 はじまりがああも邪悪ならば、この理不尽な現実にも納得できる。

 呆然とする夢深は頭を亡くした母親の身体に触れ、そのとき初めて涙を流した。

 

 



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九章

 語られた話に、私は驚愕を隠せなかった。

 『世界』、『組織』の存在。『はじまり』。そして……私が狙われていた、ということ。その全てが初耳であり、国の機関や学校では教えられなかったことである。これは国家機密とかに当たるのではないのだろうか。

 

「これで、昔話はおしまいです」

 

 夢深はこちらを向かずに、正面を見ながら言った。

 私はまだ頭が混乱しており、何を言えばいいのか分からなかった。とても信じられない。私はただ記憶を失っただけの筈だ。それがそんなことに係わっていたなんて、質が悪い作り話にしか聞こえなかった。

 

「嘘、だよね? だって、私が『世界』に狙われてたなら、なんで今狙われてないの?」

 

「それはよく分かりませんが、『世界』が人質をとった後、『組織』と『世界』は両者壊滅したと聞きました」

 

 壊滅したのだろうか。『世界』は大々的に絶対評価制を発表したし、『組織』は妹の所属している組織がそうなのか分からないけど、もしそうならば存在している。

 どちらも健在だ。なのに二年間、私にそんな話がくることはなかった。これはどういうことなのだろうか。

 何分、記憶を失くしたから分からない。『混沌』のことすら私は詳しくないのだ。機関にいた友人や先輩方は半年引きこもりというのが多かったし。

 

「信じるか信じないかは楼さん次第です」

 

 何も言わない私を見て夢深が言う。

 私は息を大きく吐いた。そして大きく吸う。

 

「……信じるよ。わざわざあんな話を作る方が大変だからね」

 

 わざわざ呼び出して嘘話をするほど、夢深は悪い人じゃない。話を信じられないにせよ、分からないことが多いにしろ、ここは夢深という人物を信用することにしよう。

 私は苦笑いを浮かべ、答えた。あとで妹に訊いておこう。何も教えてくれないかもしれないけども。

 

「ありがとうございます」

 

「こっちこそありがとう。記憶を少し取り戻せたよ」

 

 不安になったけど、何も知らないよりはマシだ。

 

「楼さん。ちょっと訊いていいですか?」

 

 夢深が顔をこちらに向ける。先程までの暗い表情と違い、不安げな顔だ。普段の臆病な感じとは違う。理由は分からないけど、そう思えた。

 

「いいよ。いろんなこと聞いたしね」

 

 私が答えると、彼女は視線を泳がす。

 何かを考えているのか、苦しげに胸の前へ手をやり、やげて絞り出すように問うた。

 

「楼さんは自分に三百人分の価値があると思いますか?」

 

 何を訊かれているのか理解できなかったが――話を思い返して合点がいく。人質と私。話によると『組織』は仲間よりも、私を選んだ。そのことについて訊いているのだろう。

 

「ないよ。少なくとも私はそう思う。けど、『組織』がそう選択したなら、それなりの理由があるんだと思う。そうじゃないと納得できない」

 

「そう……ですよね。良かったです」

 

 夢深はそう言い、胸を撫で下ろした。それは胸のつっかえが取れたように見える。きっと、このことを誰にも言ってなかったのだろう。

 それもそうだ。『世界』は現在、支持者が多い有名な組織。それが悪だと語れば、白い目で見られることは避けられない。

 私は黙って相槌代わりに頷く。

 『良かった』という言い方が気になったけど、多分犠牲になった人達のことを考えて口にしたのだろう。父親含めた『組織』の仲間が無駄死にした。そう言われては深く傷つくかもしれない。

 それにしても、三百人分の命か……。重いなぁ。とても女子高生が背負うものではない。実感ないのがせめてもの救いか。

 

「楼さんは戦いに意味はあると思いますか?」

 

 夢深は再び視線を逸らしてから尋ねる。

 確か前もそんなことを言っていた。扇と戦った後のことだ。私の戦いには意味がある、とか言ってたかな。

 答えようと私が口を開く。しかしまだ続きがあったようで、彼女は続けた。

 

「私は意味がないと思ってます。『混沌』で自己防衛のために戦っても、結局、相手の代わりに自分が生き残るだけ。そんなものは無意味だと思ってました」

 

 『はじまり』に会った後の話だろうか。顔に影を落とす彼女を見て、私は考える。

 

「それに私はどうしても許せないんです。あんなことをした『世界』が大きな顔をして、何も言われていないことが。そんな怒りが強いからこそ……私が私のために戦うことは、自分勝手な彼らと同じなんじゃないかって気がして、どうしても戦いに意味が見い出せないんです」

 

 気持ちが落ち込んでいるせいか、言っていることが繋がっているか微妙なところだけど……伝えたいことは分かった。彼女が黙ったタイミングを見計らい、私は口を開く。

 

「同じじゃないよ」

 

 生き残るための行動。それと虐殺を一緒にしては困る。私ははっきりと口にする。

 

「夢深は考えて、人を傷つけないように回避しようとしている。だから悩んでる。それはきっと、『世界』の人達と決定的に違うよ」

 

 同じにしてしまえば、殆どの人類が『世界』側の人間に属してしまう。私は彼女の手を握り、違うと言い切った。『世界』の事情を知らないので断言はちょっと悪い気がしたけど、やったことは極悪だ。これくらい言ってもいいだろう。

 

「で、ですが、私は……」

 

「それから、多分人間ってそれほど戦う理由なんて考えてないんじゃないかな。負けたくない、勝ちたい、死にたくない――そう思うから戦う。それだって立派な理由だよ。大事なのはそれが悪いことじゃないか判断すること、かな」

 

 最後子供っぽくなってしまったけど、私が言いたいことは言えたと思う。自分に正直に、悪いと思う戦いはやらない。多分これで彼女のような人間ならば問題なく日常を過ごせる筈だろう。私より優しいし、頭よさそうだし。

 優姫傷つけたりしたくせにどの口が言う、とか言われそうなんだけども。しかしあれは評価を守るためにとった手法なので仕方ない。

 

「私はいつもそうやって決めてるよ。自分勝手とか、適当に見えるかもしれないけど、これでもそれなりに考えて行動してるんだから」

 

 そう言って苦笑いするのだが、夢深の表情は芳しくない。まだ悩んでいるように見えた。

 

「そうだね……じゃあ、夢深はなんで私と戦ったの?」

 

 彼女が戦いを無意味だと思うなら、私と戦おうなんて思わなかった筈。なのに何故そんなことをしたのだろうか。私が尋ねると、彼女は戸惑った様子で視線を泳がせた。

 

「あれは、『はじまり』が楼さんのことを言っていたので、本当にそんなことがあるのかと確かめただけです。結果は散々でしたが……それでも、なんとなく分かった気がします」

 

 散々ですか。まぁ負けたし正論だ。

 

「それも立派な戦う理由だよ。言い方を変えれば自分勝手なのかもしれないけど、少なくとも悪いことではないと思う。やってて楽しかったし」

 

「そう……ですね。私も楽しかったかもしれません」

 

 私達は微笑み合う。

 夢深は最後まで諦めずに戦っていた。それは彼女がそうするだけの理由があったということ。それは痛いのは嫌だとか、そういう理由からかもしれない。それでも、十分だと思うのだ。戦う理由を考察するなんて、生きる理由を考えるようなものなのだから。

 

「気楽に考えて――それでも戦いの意味に不安要素があるなら、誰かに聞くのもいいかもしれないね」

 

「誰かに、ですか?」

 

 夢深が目を瞬かせる。私は頷いた。

 

「うん。例えば友達とかさ。きっと友達なら君が間違ってることをしていたら、間違ってるって言ってくれると思うんだ。私友達いないから説得力ないけど、そういう人がいることは知ってるからさ」

 

 夢深の手を離し、私は前を見る。これから口にする――否、現在進行形で口にしている言葉の恥ずかしさから逃れるために。

 

「夢深。私は君が間違ってることをしてると思ったら言うよ。それで喧嘩するかもしれない。けど思ったことを正直に告げて、時には喧嘩しても道を正そうとしてあげる。それが友達だと思うんだ。だから、さ。明日は君の友達を必ず止めよう」

 

 友達のためにしていることだが、あれは間違いなく悪だ。明日止められるなら、未遂の内に終わらせるべきだろう。

 顔が熱くなるのを感じる。やはり恥ずかしい。自分から友達だと言って、更にそこからくさい台詞のコンボ。とても常人に耐えられる恥ずかしさではない。これしか思いつかなかったからって、こんな台詞口にするべきじゃなかった。

 

「そうですね。彼女はいい人ですから、きっと最後には分かってくれます」

 

 クスッと隣から笑い声。馬鹿なやつとでも思われただろうか。私は穴があったら入りたい気持ちで、夢深を横目で見る。彼女は口に手を当て、楽しげに笑っていた。

 恥かいた甲斐はあったかな。やっぱり、人間に似合うのは笑顔だと思うのだ。作り笑顔でも苦笑でもない、自然な笑顔を見て、私は微笑んだ。

 

 

 

 ○

 

 

 

 翌朝。教室で紀理と話していると、私の携帯に一通のメールが届いた。

 

「ん?」

 

 ポケットで揺れる携帯電話を取り出し、私は画面を確認する。差出人は妹。律儀に改行された見易い文章で綴られているのは、今朝の部長の動きと、今日の計画のことだった。

 何故妹から、と思ったのだが、いつの間にか妹は優等生の幹部とアドレスを交換したらしい。最後に書いてあった。

 

「誰からのメール? まさかあの泥棒猫っ?」

 

 添付の写真をダウンロードしておき、騒ぎ始めた紀理を見る。泥棒猫……妹のことかな。別に盗んでないだろうに。私は嘆息し、あえて正直に答えた。

 

「そうだよ。ただ内容は下らないけどね」

 

「やっぱりそうか! くそうぅ。楼ちゃん、あたしには教えてくれなかったのに!」

 

「あれ? そうだっけ」

 

 言われ、きょとんとする。というかアドレス教えてなんて言われてたかな。まずい。一ヶ月間のことなのに全然記憶にないや。紀理の言うことは結構聞き流しちゃってるからなぁ。特に朝は。

 

「そうだよ! 一回聞いたらあからさまに聞き流されて、二回目に聞いたときは眠そうに住所書いたじゃん!」

 

 相当なレベルで聞き流してるな、私。アドレスと聞いて住所を書くって。

 

「朝は苦手だからなぁ。それに私、生意気キャラだからあんまりクラスメイトとメールするっていうのも」

 

「自分で言うの? それ」

 

 うっさいやい。紀理にはとっくに素で接しちゃってるから仕方ないじゃないか。

 

「……まぁいいや。評価は底辺だし、ちょっとくらい普通なところをアピールするかな。アドレス交換してくれる?」

 

「おうっ。早くやろうぜ」

 

 はしゃいだ様子で紀理が携帯電話を取り出す。可愛い動物型マスコットのストラップが大量に付いたそれは、確か最新機種だった。羨ましいこことで。

 

「ちょっと待って。まだメールが……」

 

 もうとっくにダウンロードは済んでいるだろう。見るからに嬉しそうな紀理に苦笑して言いつつ、私は携帯電話の画面を見る。そして私の時が止まった。

 写真には少女が映っていた。一人は夢深。幸せそうに笑っている彼女は、もう一人の少女と手を繋いで横に並び、ピースしていた。そのもう一人というのが――

 

「冬花……?」

 

 そう。冬花だったのである。何日か前に私へ挑んできて、優姫に成敗された少女だ。

 驚愕のあまり固まってしまったが、そういえば通信機から聞こえてきた声がそれとなく似ていたような。口調も素のときの彼女と一致している。弱いという点も同じだ。偶然冬花に似ているというわけでもなさそうだ。

 

「ろーうー? まだー?」

 

 気づけば、紀理が机に頭を乗せてダラダラしていた。私はメールの画面を閉じて、赤外線を選択する。

 その途端におあずけされていた犬みたく携帯を操作する紀理を眺めつつ、私は考える。

 彼女が夢深の友人にして、『優等生』の部長。戦う力はそれほど強くないけど、今日は果たしてどうなるだろうか。私の能力は一回戦っただけでも対策が立てられるほどシンプルなものなのだ。なるべく、彼女と戦わない方がいいかもしれない。やはり村上辺りを戦わせるのが妥当だろうか。

 相手が弱くても気を抜かぬよう気をつけなくては。

 

「あーっ!? なんで住所を赤外線で送ってくるのさ!?」

 

 ……気をつけなくては。

 

 

 

 ○

 

 

 

 『放課後、第六会議室で集合。それから夢深、楼、私、村上が突入。後のメンバーは校内を見回り』。

 それがメールに書かれていた作戦だ。なんだかお粗末にも思えるけど、戦力を部長に集中させ、尚且つ二段構えという点でこの作戦が一番安全かもしれない。

 メールを確認していた私はそれをポケットにしまう。顔を上げると、階段の終わりが近づいていた。第六会議室がある階が見える。

 鞄を持ち直し、私は息を吐く。

 

「片がつくといいけど」

 

 今日決着がつかなかったら……と、考えるだけで不安になる。夢深にああもかっこつけたことを言ってしまった手前、弱気なことを口にするのは憚れるが、やはり先が見通せないのは落ち着かないものだ。

 

「姉さん」

 

 階段を上がり終えると、後ろから声がかかる。振り向くとそこには妹がいた。

 

「こんばんは。体調はどう? 昨日ちゃんと寝たかしら?」

 

「子供の遠足じゃないんだから……」

 

 緊張感の欠片もない妹に感心しつつ返事をする。こいつの度胸はどこから来ているのだろうか。

 

「分かってるわよ。さ、友達を助けに行くわよ」

 

 楽しげな笑みを浮かべた妹はウインクしながら言った。ふざけているようにも思えるが、その台詞はとても頼もしく――ってあれ? どっかで聞いたような言葉だぞ? 私がきょとんとすると、妹は耐え切れなくなったように笑いだした。

 

「夢深から聞いたわよ。恥ずかしいことを言うのは変わってないのね、姉さん」

 

「夢深から? 恥ずかしい? ……あっ!?」

 

 そういうことか! メールだな!?

 再び穴が欲しくなる思いに駆られ、私は顔を両手で覆う。あの台詞を妹に知られるなんて……絶対からかわれると分かっていただろうに、何故夢深は彼女に伝えてしまったのだろう。

 

「なに恥ずかしがってるの。夢深は喜んでたし、もっと堂々としてなさい。ほらほら」

 

 階段を上がりきった彼女はそう言って、私の身体を会議室方面へ向けて背中を押す。意外にもからかうようなことは言わず、むしろ褒めていた。彼女も人の気持ちは少しくらい分かるようだ。

 

「う、うん。ありがとう」

 

「堂々としてなさい――ぷくく」

 

「からかいたいならからかってもいいんだよ?」

 

 前言撤回。こいつきらい。

 

「からかわないわよ。すごく面白いけど、同時に嬉しいし」

 

 面白がってるのか。恨めしげな視線を向けると、妹はクスクスと笑う。

 

「姉さんは記憶を失っても少しも変わらない。それがすごく嬉しいわ」

 

「……」

 

 変わってないのか。少し気になったけど、妹は私の過去について話してくれないことを思い出し、黙る。

 

「今日は頑張りましょう。姉さんのためなら、私も助力を惜しまないから」

 

 彼女は一体なんなのだろうか。とりあえず敵ではないのは確かだけど、それ以外がちっとも分からない。時間があれば昨日の話も含めて色々訊いてやろうと思っているのだが、肝心の時間がないし。

 私は頷いて返す。それからほどなくして会議室の前に到着した。ドアを開けて中に入ると、既に他のメンバーは集結していた。ホームルームが終わってから真っ先に来たというのに、この人達はどうやってこの速度で来たというのだろうか。

 驚きながら部屋を見回すと、緊張した面持ちで立つ夢深を見つけた。彼女は私と目が合うと微笑む。照れくさいけど、悪い気はしなかった。隣で妹がにやにやしてなければ、私も笑顔を浮かべていたことだろう。

 

「来ましたね。でははじめましょう」

 

 村上がそう言い、全員が頷く。

 『教育』が、『優等生』の将来がかかっている戦い。その決着がこれからはじまるというのもあり、皆緊張感を漂わせている。室内の空気がピンと張りつめ、私は唾を呑みこむ。

 

「目標は部長に会い、説得。駄目ならば正体を明かすと脅して条件付きの決闘を申し込む。それでいいですね?」

 

「はい。それでお願いします」

 

 確認された夢深が頷く。

 脅すのは少し悪いことかもしれない。しかしこれも生徒のため。それにやろうと思えば、この時点で部長の正体を明かすことも可能なのだ。それをせずに内密に事を終わらせようとしている。それだけでも十分に優しいだろう。

 

「それじゃあ、作戦開始です。皆さん、危ないと思ったらすぐ連絡をするように」

 

 作戦開始の声に、皆は動きはじめる。室内に残された私達突入組は何気なく会議室の中心に集まると、頷き合った。言葉はない。けども意味は伝わった。きっとみんな、私と同じ気持ちなのだろう。一心同体とはこのことだ。

 村上はいつもの笑顔を浮かべる。

 

「じゃあ行きますか。友達を助けに」

 

 私は羞恥で蹲った。メールというものの消滅を願ったのは、これが初めてかもしれない。

 

 

 

 ○

 

 

 

 一度冬花と戦ったときのことを話し、私達一向は校舎の外を目指す。

 

「代々部長に与えられた部屋があるんです」

 

 校舎を出て歩きながら夢深は言った。

 まだ少し顔が熱いことを感じつつ、私は周囲を見る。校庭では学園の危機を知らずに野球部などの運動部が健全に活動していた。青春を謳歌する彼らの横で『優等生』の部長を止めるべく歩いている。どこで道を間違えたのだろうかと、思わざるを得ない。

 自嘲し、私は前に視線を戻す。そこには横に並んだ夢深と村上、妹がいる。

 

「部長に? なんだか『優等生』ってすごいのね、色々と」

 

「まぁ異次元空間、魔法とか言わないだけ可愛らしいですよ」

 

 夢深の言葉に妹と村上が返事をする。さっきまで真剣だったのに、すっかり遠足モードである。

 

「そこに部長はいる筈です。けどおそらく、警備も配置されてますから気をつけて下さい。一筋縄ではいきません」

 

 真面目な空気を保った夢深が警告するように言う。歩みを遅らせ、彼女は校舎の裏を覗き込んだ。

 

「やはりいます」

 

 声を抑え、顔を引っ込めた夢深が報告。私達もそれに続いて、ばれないようこっそり様子を窺う。薄暗い校舎裏には三人の生徒がいた。会話などをしている様子はなく、黙って突っ立っている。口をへの字にしており、その様子はどこか不満げであった。何故自分がこんな場所に、とでも思ってそうだ。

 部長に与えられるという部屋のことを知らないのだろう。意味があるのか疑っているようだ。確かにこんな何もない場所の警備を命じられたら、私も嫌になるかもしれない。

 

「なんかそのまま素通りできるんじゃないかな」

 

「それは流石にないと思うけど、士気は低そうね」

 

 こちらには村上がいる。突破くらいなら困難ではないだろう。だが、

 

「数がやけに少ないですね。何故でしょうか」

 

 村上が呟く。

 そう。警備にしては数が少なすぎるのだ。昨日村上一人に何人もやられていたくせに、無警戒すぎる。身長で臆病な部長がとるような体勢ではないだろう。何か理由がある筈だ。

 

「やっぱり『強行策』かしら」

 

 妹が考えを口にする。強行のために人員を割く。それも十分に考えられることだ。しかしこれはいくらなんでもアンバランスすぎやしないだろうか。正常な判断だとは思えない。

 言った妹もそう思ったのか、全員が再び思考し黙り込む。暫しそうして考えていたが、筋が通った理由は見つからなかった。いつ強行が起きるか分からない今、少しの時間も勿体ないというのに。

 ――仕方ない。私は校舎裏に近づく。

 

「私があいつらの気を引くから、その隙に三人は部長のいる場所に向かって」

 

 夢深は部長のいる場所に行くため、説得のために連れていく必要がある。妹や村上は私より強い。となればここは、私が囮になるべきだ。

 

「いいんですか、楼さん?」

 

 村上が尋ねてくる。その隣では夢深が不安そうな顔をして私を見ていた。妹はもう特に気にしていないようでツインテールをいじっている。薄情だ。

 

「それが一番でしょ? 早く行ったほうがいいよ」

 

「友達を助けに?」

 

「恥ずかしいからそれやめてっ」

 

 興味ない素振りを見せながら、ここぞとばかりに会話に入ってくる妹へ小さな声でつっこむ。本当、厄介な妹だ。

 

「分かりました。夢深さん、それでいいですね」

 

「はい。……楼さん」

 

 夢深が私に近づいて、手を握る。温かな手のぬくもりが伝わってくる。彼女は私の目をまっすぐに見て微笑んだ。

 

「私、信じてますから。楼さんが後から来てくれるって」

 

 なんだろう。物凄く死亡フラグに聞こえる。

 

「うん。すぐ片づけて行くから、安心して」

 

 そしてそれに典型的な死亡フラグで返してしまう自分は間違いなく馬鹿なのだろう。言った直後に後悔した。

 

「仲良きことは美しきかな、ですね」

 

「よし。それじゃあ行ってきなさい、姉さん」

 

 にこにこ笑う村上、不機嫌な妹に後押しされ、私は校舎裏に出る。するとすぐに発見され、三人の訝しげな視線が向けられた。囮になるのはいいけど、どう気を引いたらいいものか。とりあえずはこの三人が本当に賛成者の仲間なのかを確かめるとしよう。

 ゆっくり歩いて距離を少しずつ詰めながら、私は不敵に笑った。

 

「反対者の皆さんかな?」

 

 三人が身構える。やはり彼らは反対者のようだ。

 ロン毛の男、ヘアバンドを付けた女、槍を持った女……この三人はそれなりに強そうだ。顔がよく、それぞれウケがよさそうな容姿をしている。多対一だ。まず間違いなく負けるだろう。ターゲットを選びつつ、私は拳を握る。少しでも時間を稼いで、その上で可能な限り多く撃破、というのが理想形だ。

 よし。まずはヘアバンドを狙うとしよう。武器を持っていないし、魔法か格闘を使うタイプな筈だ。ロン毛が私とヘアバンドの間にいるのが問題だけど、そこは気合いでカバーだ。

 

「戦う気? 私はまだ誰だとか名乗ったつもりはないんだけど」

 

「事情を知っていて、俺達が知らない顔。それなら、敵しかいないだろ」

 

 ふむ、尤もだ。

 私が苦笑すると、槍を持った女が走り出す。彼女はどう見ても前衛。しかし位置的に私から一番遠く、ヘアバンドの後ろにいる。彼女を相手して後ろから魔法を飛ばされては厄介だ。私は少し遅れて前へ走る。

 

「いくぞ、サポートしろ!」

 

「分かってる! 命令しないで!」

 

 ロン毛とヘアバンドが大層仲良さそうに叫び合い、それぞれ構える。そして小声で何かを呟きはじめた。魔法だ。まだ発動していないから『格闘』の補整は落ちない。しかし一撃で倒される可能性もあるので警戒しなくては。

 

「『火炎』!」

 

 先に詠唱を終えたのはロン毛だった。

 早い。たった数秒で唱えきってみせた。火炎と口にされ、魔法が出るまでの間に私はスライディングをする。狙いはロン毛の足元だ。

 補整が切れる前にスライディングをすることで、正確さは失われるが、速度はそのまま攻撃に移ることができる。これなら仮に火炎とやらを受けても、ロン毛にダメージを与えられるだろう。

 ロン毛の手から燃え盛る炎が放たれた。ぼうぼうと燃える炎が私の目の前に広がり、私は恐怖を覚えるのだが、既に攻撃を放った後。止まることはできない。ただ目を閉じて顔を手でガードし、進むのみ。

 しかしそれが幸いした。炎の噴出口であるロン毛の手。その地点を下からくぐり抜ければ、もう炎は私に襲ってこない。

 熱いと少し感じた程度で、それほどダメージはなかった。私のスライディングがロン毛の足を払い、彼はバランスを崩す。

 その状態で魔法を継続させるのは危険だと察知したのだろう。ロン毛は素晴らしい反応速度で、自爆を避けるべく魔法を解除させる。それが仇となるとも知らずに。

 身体が軽くなったのを感じ、私は即座に立ち上がった。まだ立っていないロン毛の背中を踏みつけ、ヘアバンドへ肉薄する。

 

「させません!」

 

 そこへ、私の前に来た槍の女が、手にしている得物で突きを繰り出す。前を向いた途端の攻撃に不意を突かれるが、身体は自然と動いた。

 上体を横へずらし、刃を回避。そのまま歩みを止めることなく前進し、女の顔へすれ違いざまに攻撃を加える。

 槍の女が怯んだ隙に、私はヘアバンドへ近づこうとする。が、タイミングが悪かった。

 詠唱を終えたらしいヘアバンドの前方には、大きな氷柱のような氷が幾つも浮いている。いつでも発射可能といった感じで、前方を見据えていた。

 まずい。そう思ったのだが、どうすればこの場をやりきれるかが思い浮かばなかった。手詰まりとはこのことを言うのだろう。

 私はヘアバンドが手を前方にかかげるのを見る。発射の合図だろう。能力の補整がない今、それはとても素早い動きに思えた。

 けれど、単調だ。

 鋭利な先端を私に向けている氷柱は、数こそ多いものの軌道が容易に予想できた。全てが全て私に向かってくる。つまり私を焦点にするが如く、一点に収束しながら進むのだろう。

 となれば、被害をできるだけ少なくする方法は発射の後にできるだけ前に出ること。

 下手に回避をしようとして失敗してしまえば大惨事となる。これが最善な筈。

 魔法が発射される。私は考えた通りに走り続けようとする。が、思ったよりも氷柱の進むスピードは速かった。

 

「がっ、ぁ……」

 

 氷柱が肩を、脇腹を突き刺す。それでも加減はされているようで、頭などの急所を狙った氷柱はなかった。私は痛みに呻きながらなんとか衝撃に耐え、氷柱を身体から引き抜く。脇腹、肩と抜いていき、その度に痛みから身体を震わせる。

 氷柱は地面に落ちると消えていった。

 また制服が駄目になってしまったなどと暢気なことを考え、私は前を見る。まだ立っていることを不思議に思っているのだろうか、ヘアバンドは目を見開いていた。

 ふっと笑い、私は足を進めようとする。

 しかし――すぐに倒れてしまった。

 流石に氷柱が刺さって何事もないように歩けるほど、私は人間を止めていない。身体から抜いた時点で限界だ。傷から伝わる痛みで身体をまともに動かせなかった。

 命の心配はない。足止めも成功しただろう。だがここまでやって負けるなんて、中途半端なことこの上ない。

 私は立ち上がろうともがく。けれども地面についた手は滑り、上手く立ち上がることができない。意識があることがもどかしかった。

 

「すばしっこい奴だったな。こいつ、どうする?」

 

「とりあえず保健室じゃない? 怪我してるし」

 

 ロン毛とヘアバンドが私を見ながらホッとした様子を見せる。反対と賛成。敵対する仲だというのに、結構優しい。自分の保身を考えての言動かもしれないけど。

 二人の手が私の身体へと伸びる。

 もう駄目か。私が思ったその時、どこからか派手な音がし誰かが倒れた。

 

「な、なんだ!?」

 

「増援!?」

 

 うろたえるロン毛とヘアバンド。

 霞む目を凝らしてそちらを見てみると、槍の女が地面に倒れている。その背後に立っているのは――私の知っている人物だった。

 

「音がしたから来てみれば……苦戦してるみたいですね」

 

 勝ち誇るように胸を張った少女……扇は私へ笑いかける。

 私はハッとした。『苦戦』。そして彼女の挑発するような視線。

 そうだ。私はまだ負けてはいない。立ち上がりさえすれば、戦える。

 そしてなにより、彼女は私が負けていないと考えている。

 命の心配はなく、目的は果たした。けれどまだ、私には戦う理由があった。

 勝ちたい。ライバルの前で寝ているわけにはいかない。

 目を閉じる。息を止め、そして開いた。傷は痛むものの、さっきの私までとは違う。痛みに耐える意味、覚悟がある。私は手を付き、時間をかけてゆっくりと立ち上がった。敵が扇に意識を向けていたのが助かった。

 深呼吸。震える呼吸をなんとか整えようとするが、それは叶わなかった。根性で立ったけど思ったより酷い状況らしい。

 

「扇か……邪魔をするならばお前も排除するぜ」

 

「あら。是非やってほしいものですね。できるのならの話ですけど」

 

 ロン毛の言葉に返し、私を見てくる扇。彼女の目線が語る。自分はロン毛をやる、と。どこからそんな自信がくるのかは分からないが、私は素直にヘアバンドを狙うことにする。

 もう立てないと踏んでいるのだろう。私に背中を向けているヘアバンドは無防備だ。

 私は軽く飛び、彼女の頭へ回し蹴りを放つ。いつもならまずかわされるであろう隙の大きい攻撃。それはいとも簡単に彼女の頭部を打ち抜き、私の足に強い衝撃が走る。同時に傷からの鋭い痛みが全身に伝わった。

 呻きながら私は着地。片膝を地面に付いてしゃがむ。ヘアバンドは飛ばされ、地に倒れた。

 

「なっ!? こいつ、どこにそんな力が――っ!?」

 

 続いて、私の方を向いたロン毛が横ざまに倒れる。

 戦い慣れていないようだ。目の前の敵から目を逸らして、一点に意識を向けるとは。そのせいで扇の魔法に死角からやられてしまった。

 

「……なるほどね。私を囮に使うつもりだったんだ」

 

 私は苦笑した。勝算もなしに助けに来るような人間じゃないとは分かってたけど、中々にしたたかだ。

 けど、悪い気はしない。だって私が立つと信じてくれていた、ということになるから。

 

「うっさいです。ほら、傷を見せて」

 

 ムスッとした表情を浮かべ、扇が近づいてくる。私は肩と腹の傷が見えるように背を伸ばそうとした直後、地面に仰向けとなった。

 

「あ、あはは……もうだめ」

 

 限界だ。息切れしたように呼吸は荒く、弱々しい。痛みは絶えず傷口から訴えられ、私の本能が警鐘を鳴らす。思わず笑ってしまうほど、身体にガタがきていた。

 

「……これでよく立ちましたね」

 

「立たないと、いけない……場面だったでしょ?」

 

 台詞までおかしくなってきた。私はにやけながら言うのだが、激痛で途切れ途切れだ。扇はそんな私を見て、額を軽く突いてから回復の魔法を使用した。もう喋るな、と言いたいらしい。

 緑色の優しい光が私の身体を包み、痛みが和らぐ。

 範囲が広い。中級レベルはあるんじゃないんだろうか。それなりに強い魔法だ。

 

「期待に応えてくれる人は嫌いではありません」

 

 変わらない。私は苦笑した。

 高飛車で、常識もあまりない。けれどどこか憎めない。

 

「私も、扇のことは苦手だけど嫌いじゃないよ」

 

「同じですね。私も苦手です」

 

 私達は同じタイミングで笑い合った。

 なんだろう、この気持ちは。戦いとか傷でハイになったりしてるのかな。扇の憎まれ口が可愛いように思える。

 不思議な感情に戸惑いながら、私は彼女の治療を受けた。

 

 

 

 ○

 

 

 

 魔法はやはり偉大なのだと思う。攻撃に使えるし、回復もできる、サポートと戦闘に関することだけではなく、日常生活にもその用途は及ぶ。現在は開発中だと聞くが、国をはじめる数々の機関や組織、会社は魔法を使った何かを開発しようとしているとか。

 原理を理解していないのに、よくもまぁそんな気に……とは思う。しかし便利なものは利用しないと勿体ない、というのが大多数の意見だ。

 だからこそ『絶対評価制』は受け入れられたのだろう。

 私は絶対評価制に反対なのだけど――こうしてその恩恵を受けるとその世論に反論し辛くなってしまう。

 

「ありがとう、扇。いいタイミングだったよ」

 

 傷を完治し、すっかり健康になった私は扇に礼を告げる。彼女はフンと鼻を鳴らし、横を見た。そこには先程倒した三人の生徒が倒れている。

 

「どうしましょう。一応保健室の先生を呼んでおきますか?」

 

 お礼スルーですか。らしいといえばらしいけど。肩を落としつつ、私は返事をする。

 

「そうだね。私の心配もしてくれてたし」

 

 彼らは私を保健室に連れていこうとしていた。それで放置していては人としての義理が通らないだろう。扇は了解したようで、こちらに一度目を向けると歩き出した。

 

「あれ? 扇が呼びに行くの?」

 

「私は見回りが仕事ですから。ついでに保健室に寄ればいい話です。楼さん、あなたは突入が仕事でしょう?」

 

「いやまぁ、そうなんだけどさ」

 

 ここは弱い私が連絡に行くべきなんじゃないかな。あまりにはっきりと言う扇に、私は困ってしまう。しかし扇はそれを気にせず校舎裏から去っていった。

 なんていうか、要らんところで律儀なやつである。戦力ではなく、命令を遵守するなんて。

 信頼されている。そう思うことにしよう。うん。私は嘆息し、周囲を見回す。妹達の気配はない。

 これだけ派手に暴れたのだ。部長のいる場所へ向かう時間は十分にできたはず。もう到着して倒している辺りだろうか。

 のんびり考えつつ視線を巡らせること数分。私はようやく人が通ったらしき形跡を発見する。

 校舎裏の大きな木。綺麗な緑色の葉をつけたそれの後ろに、金網の穴があったのだ。人がしゃがめば通れるくらいの大きさで、そこに生えている雑草は踏まれ、獣道のようなものができていた。先は草が生い茂っており見えない。が、どこかに続いているのは間違いなさそうだった。

 ここが部長のいる部屋への道? 部屋というよりはダンジョンに続きそうなんだけど、どうなんだろう。

 色々と考えた後に私はしゃがむ。

 

「ままよ、ってことで行こうかな」

 

 成り行き任せって楽ちんだよね。

 他に何も見つからないし、突っ立ってるよりマシだろう。本当に考えたのか疑わしい結論を導き出し、私は前へ。草が生い茂る中を進んでいく。記憶が正しければ、校舎の裏には何か建物があったような。しかし高校とは何も関係がない場所だった筈だ。

 となると、どこに繋がっているんだろうか。

 前を向きながら再び思考の世界に旅立つ刹那、私は身体が前に傾くのを感じた。

 

「――えっ?」

 

 間抜けな声が口から出た。

 足が地面がある筈の場所より下にいき、前のめりになる。私の直感は足を踏み外したのだと告げるのだが、どうにも理解できなかった。さっきまで平坦な道が広がっていたのに、なんでいきなりそんなことになるのだ。

 異常を感じた私は下を見る。地面は変わらず、同じ高さにあった。

 ……ただ、私の足はその地面に深く刺さっている。地面が存在しないように。

 状況を理解できないまま、私はバランスを崩す。膝が、身体が地面に入っていき、最後には全身がその向こうへと落ちていった。

 

 

 

 ○

 

 

 

 落下は二秒もない短時間で終わった。地面を通りすぎ、私はコンクリートの床に手から着地する。勢いあまってそのまま背中を打ちながら前転。『格闘』の能力で受け身もとれるはずなのだが、不意をつかれたために使用することができなかった。

 仰向けに倒れ、咳き込みながら私は身体を起こす。

 私が落下した場所は、地下室のようだった。一つの電灯のみで照らされたそこは決して暗くないのだが、一面に広がる黒いコンクリートのせいで明度が下がって見えた。ここは入り口みたいで、奥に見える扉以外は何もない。

 

「学校にこんな場所作るなんて……何考えてるんだか」

 

 少し寂しくなった私はぽつりと呟く。返答は無論ない。

 溜息。ここにいても進展はない。私は立ち上がり、奥の扉へと向かうことにした。

 無機質な、屋上の扉を思わせるドアのノブを捻る。一応ゆっくり力を込めて押すと、手入れされているのか、このドアは音を立てることなく開いた。

 人一人通れるスペースだけを開けて、私は中を覗き込む。

 

「あら。遅かったわね」

 

 中にいたのは、部屋の奥で悠然と立つ『優等生』の部長、冬花。入り口近くで座り込んだ夢深。そして――

 

「な――妹!? 村上!」

 

 ――倒れている妹、村上だった。

 

 



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十章

 この世界では強さとは評価であり、その逆も然りだ。能力の質や方向性により戦闘力は若干左右されるものの、基本的に評価の高い人間が戦いに勝利する。それは子供でも大人でもあまり関係ない。だからこそ人々は評価を得ることに必死になり、「優等生』のような組織が出てくるのだ。

 しかし、これはなんだ?

 妹はともかく、学園でも強者で名を馳せている村上が、私に負けるような人間に敗北してしまうのだろうか。否。それは有り得ない。理由が予想できない。冬花がそれほどの実力者ならば、私など瞬殺されているはずだ。優姫と戦ったときのように。

 

「もう勝負は着いたわよ。幹部のくせに弱かったわ」

 

 冬花は部屋に入って呆然としている私へ、得意げに笑った。私は彼女へと視線を向ける。どうしても村上や妹が負けたということが信じられなかった。冬花の息は上がっていない。少しも疲れた様子がなく、彼女の制服に汚れの類いは見つからない。傷なんて皆無だ。ダメージを受けずに二人を倒したと思われる。冬花の言葉通りだ。

 

「夢深。本当に二人は負けたの?」

 

 私が尋ねると、夢深は小さく頷いた。

 

「は、はい。けどあっという間で……何がなんだか」

 

 この場にいた彼女ですらも、敗北の理由が分かっていないようできょとんとしていた。説明もそれだけで終わってしまい、口を閉ざしてしまう。

 友人である夢深がこの反応。隠していた能力か、それとも新しい能力を手にいれたのか……いずれにせよ、二人が負けたのは事実なようだ。勝利とばかり考えていた頭に、深い絶望が広がる。冬花が今日何回戦ったのかは分からない。けれども、二人で勝てないのなら、私が戦っても負けるのはあまりに明確だった。

 

「……それじゃあ、止められなかったんだね」

 

「そうよ。これで『強行』が行われる。問題児は全て排除されるのよ」

 

 冬花は不敵な笑みを浮かべる。数日前に戦った彼女とはどこか違う。自信のようなものが表情から見て取れた。

 まさか冬花がここまで強いなんて。私がいてなんとかなることでもないが、胸を襲う悔しさに拳を握り締める。これで強行を止めることができなくなってしまった。約束を果たすことも——

 

「姉、さん」

 

 聞こえた声にハッとして顔を向ける。さっきまで倒れていた妹が顔だけを少し上げてこちらを見ていた。表情は苦しげで、今にも気を失ってしまいそうだ。

 

「まだあいつは……条件を提示してないわ。だから、まだチャンスは……」

 

 それを聞いた冬花が反応を示す。冬花が条件を提示していない。つまりは、まだ夢深を利用して決闘を挑むことも可能なのだ。

 だが、どういうことだ? こちらが条件を提示した以上、相手も何か条件を出すのが当たり前なのだけど、忘れていたのだろうか。慎重な冬花が忘れるなんて考えられない。

 ……何か、いまいちピンとこない。

 冬花が予想より強かった。これはいい。能力は自分以外には不透明なため、私の知らない能力があったとしても説明がつく。

 三回決闘を消費せずに、私達の決闘を受けた。若干の疑問を抱くものの、それもまだ納得できる。朝は時間がないし、休み時間や昼休みなんて戦おうとする人間がいない。放課後は『強行』の準備があるから何もできないだろう。決闘を消費できないのも分かる。しかしそれ以外の不可解な点もある。

 薄い警備、条件を出していないこと、そして——前兆のなさ。

 明日だと言う割に、『賛成者』は教育を行う素振りがない。今も反対者のメンバーを見回りに回しているが、教育の前兆を見かけたなどの連絡は一つもない。問題児を攫う必要があるにも係らずだ。

 ——そういうことか?

 あれこれと頭を巡らせ、私は一つの仮説を導く。私の視点から考えられることはこれくらいしかなかった。

 

「姉さん。姉さんなら、倒せるから……」

 

 もしそうなら、私は勝たなければならない。チャンスを生かさなければならない。冬花と話をするためにも。

 私は妹の頭を撫でて、微笑んだ。

 

「うん、任せて。勝つから」

 

 冬花が村上のような強者ですら倒せる能力を身につけたのならば、私は相手にならない。けど、おそらくはそんな能力ではないはず。どんな能力にも、つけ込める欠点はあるものだ。村上はその欠点を突かれたと考えるのが妥当だ。

 私が言い切ると、妹は目を閉じて弱々しく鼻で笑った。

 

「負けたら、今度は土下座、だからね」

 

「いいよ。私の前に妹と村上からだけど」

 

 私が彼女の頭から手を離す。すると妹は意識を失ったのか、返事をせずに沈黙した。私は彼女の顔を少し眺めてから立ち上がる。冬花は少々焦った様子で私を見つめていた。分かり易い。さっきの自信に満ちあふれた様子もそうだが、今も彼女が何を考えているか大体理解できた。私との戦いを避けている。私に負けるかもしれないと考えている。妹や村上に勝った人物が。

 

「というわけだから、戦おうか」

 

 私は首を回しながら言った。

 

「条件は私が勝ったら、教育、それに似た行為を今後一切行わないこと。それだけでいいや」

 

「……私が勝ったら、夢深、あんた達が私の正体を明かすことを禁止するわ」

 

 今更な条件を悔しそうな表情で提示する冬花。私はその条件に快く頷いた。この勝負、勝っても負けても敗北者は冬花、数少ない賛成者達だ。条件自体どうでもいいという気すらしてくるけど――一応だ。もし私の推測が間違っていたら大変なことになるし。ここは真面目に戦って勝利しておくとしよう。

 

「それじゃ、はじめよう」

 

 私は構える。前に立つ冬花も剣と鞘を手にした。初めて戦ったあの日から持っているものに変わりない。……となるとやはり、私との相性は良さそうだ。むしろ私だからこそ勝てるのかもしれない。相手が準備したのを確認し、私は駆け出した。身を低くさせ、能力の補正を以て全力で肉薄する。私が考えている通りなら、彼女の戦い方は前回と変わらない筈だ。それならば彼女の攻撃をかわして攻撃をすること、攻撃される前に圧倒することもできる。

 あっさりと私の接近を許す冬花。彼女が何かをする前に私は拳を振りかぶり、渾身の力を込めた拳を突き出す。

 

「うぐ……」

 

 それは容易く彼女の鎖骨の辺りに命中した。堅い手応えが伝わり、冬花は軽くよろける。やっぱり防御関係の能力があるようでダメージは少ない。歯を食いしばり、攻撃後の隙を突くタイミングで冬花は剣を振ってくる――が、それくらい想定済みだ。私は振られた剣を空いている片手で叩き落とし、返す刀で冬花の顔を狙って裏拳を飛ばす。防御の能力があるなら容赦はしない。踏み込み、体重、身体の捻りを利用し拳を叩きこむ。今度は流石に耐えられず、冬花の身体が傾いた。そこで更に追撃。私は裏拳の勢いを殺さずに回転し、間髪入れずに蹴りを放つ。これも当たる。よろけた冬花は勢いよく床を転がった。

 

「……冬花。もう止めた方がいいと思うよ」 

 

 床に倒れ、呻きながら立ち上がろうとする冬花に私は声をかける。彼女はまだ諦めていない。それが自分のためか、それとも友人のためなのか分からない。けれどこれ以上見ているのも、叩きのめすのも辛かった。私は構えたまま続ける。

 

「もう賛成者はそれほどいないんだよね? だから君は焦ってる」

 

 床に手を付いている冬花の手が微かに反応を示した。やはり間違ってはいないらしい。

 賛成者の薄い警備、そして『教育』を行う前兆が見当たらない現状。そこから予想できることは冬花の見方をする賛成者がいなくなったこと。夢深の誘拐などと不可解なことを行ってきた会長に不信感を抱いてしまったのだろう。そして幹部の数人が村上の一人に圧倒されたのも大きい。本当に自分達が正しいのかと疑問を抱いた時に、勝利の見込みが少ないと分かったら、離れたくなるのは道理である。正しさはなく、強さもなく、ただ雑魚のように敗北する。それはとても惨めだ。

 

「うるさい。私はあいつらを許すことはできないのよ」

 

「あいつら?」

 

「いじめなんて下らないことをする奴らのことよ。あいつらは自分が正しいとも考えずに、ただ楽しいからなんて理由で人を苦しめる。それでいて今は『決闘』なんてふざけたルールがあるからいじめ行為はエスカレートしてる。『教育』はただ、みんなの前で決闘をして馬鹿を叩きのめすだけ。それの何が悪いの?」

 

 『教育』の具体的な内容が語られる。問題児を生徒達の前で叩きのめす。謂わば公開処刑だ。偽善がはびこっている今、そんなことをすれば彼らは絶対的な悪となる。そうなればイメージアップを狙う人間にターゲットされるだろうし、いじめを行える暇なんてなくなるだろう。

 一見正当だとも思える。いじめを行っている当事者を正確に連れてこられるなら、当然の報いだと言う人物もいるだろう。学校の示した決闘のルールにも背いていない。けれど――

 

「それはいじめと変わらないよ、冬花」

 

 相手が抵抗すらできない大きな力で長期間抑えつける。それだけでいじめだと言えるだろう。そこに楽しもうとする感情の有無は関係ない。それを行っている理由が『相手がやったから』なんて、やり返しなら尚更だ。

 

「そんなことしなくてもいいと思う。必要がないことだよ。分からない?」

 

「――うるさい! 何も知らない奴がそんなこと言う権利はない!」

 

 立ち上がった冬花が私へ向かってくる。二刀流のように剣と鞘をバラバラの軌道で、一度に振るう。私はそれを構わずに受け、彼女の顔面を殴り飛ばした。剣と鞘をまともに受けた身体が痛むが――それほど傷は深くない。

 

「――っ。確かに分からないよ。いじめをする奴が許せないって言っているのに、自分が『許せない』奴になるんだから。……ねぇ、それは自分のため? それとも夢深の……」

 

「……」

 

 尻餅をついた冬香は黙り込む。多分、そんなこと考えてもないのだろう。許せない。その気持ちが先行するばかりで。

 私は溜息を吐いた。

 

「ちょっとしか戦力がいないのにそれでもまだ戦おうとするんだから、いじめにも耐えられそうだけど」

 

 そうした理由が他人のためなら、尚更だ。

 

「私に仲間はいないわ。私は一人よ」

 

 冬花はぽつりと呟く。その表情は悲しげで、さっきまでの激昂していた様子は窺うことができない。私は彼女から目を逸らし、夢深を見る。私が来てからも呆然としていた彼女は、冬花の話を聞いて少し怒っているようだった。やはり、間違っているのは冬花らしい。

 

「一つ、教えてあげる」

 

 話をぶった切り、私は冬花に視線を向けて言った。

 

「本当の仲間、友達は仲良くしてるだけじゃない。喧嘩もするものなんだよ」

 

 創作物上の話だけど――彼女にはその本当の仲間がいるんだから、間違ってないだろう。

 

「冬花は一人じゃない。間違ってると思ったら意見してくれる友達、仲間がいる。裏切りや仲違いを怖がる前に、その人の言葉をしっかり聞いてもいいんじゃないかな」

 

 冬花が目を夢深に向ける。そして何か言おうとし口を開閉させた。やや長い沈黙。それを断ち切ったのはこれまで静観していた夢深だった。

 

「ごめんなさい。私は自分のことばかりでした。『教育』の話を聞いて誘われても、その場から逃げるだけで、いつか思い直してくれるだろうと言い訳して……。時間がかかったけど考えて、言われて、ようやく気付きました。冬花に言わないといけないことがある、って」

 

 立ち上がり、夢深は冬花へ近づいていく。もう冬花に戦意はなかった。近づいてくる夢深を見て、苦しげな顔をするばかりだ。

 

「私は許せません。冬花が仕返しなんてことをして、あいつらと同じになることが。それは立ち向かってなんかいません。ただ逃げているだけです」

 

「だけど、何もしないと夢深はずっと――」

 

「大丈夫です。私には仲間がいますから。冬花にもです」

 

 冬花の言葉を遮るようにして、夢深が彼女を抱きしめた。驚く表情を浮かべる彼女へ夢深は優しく、そして力強く続ける。

 

「仲間と一緒に戦いましょう。数でもなく、力でもない。強くなるんです。私達が」

 

「夢深……」

 

 いじめられぬほど強くなる。

 結局、相手側がどんなに悪だとしても、規則上正しいのならそれしかないのだろう。冬花のように加害者を責めたりせず、その答えを受け入れることがどれほど難しいことか。私には到底理解することはできなかった。

 

「ごめん。私、勝手に突っ走って、夢深のことも疑って」

 

「いいんです。これだけで仲が悪くなるなんて本気で思ってないですし」

 

 けど、一つだけ分かったことがあった。

 彼女達ならば強くなれるのだろう。力で抑えられ、それでも力で返そうとせずに強くなろうとする彼女達なら、きっと。

 



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終章:優等生

 優等生の部長。その選出は毎年、前部長が行う。基準は優等生でないこと。現在の制度――『絶対評価制』に反感を抱いていること。リーダーシップがあること。

 部長は『絶対評価制』を支持していない者に代々任されてきた。それは簡単な理由だ。『優等生』は組織の目的上、制度の支持者が集まりやすい。しかし幹部全員が同じ思想では危険な組織になりかねない。

 支持者側に影響されていない状況で反対側の意見を伝える。そのことに大きな意義があるのだと思う。

 そしてなにより――トップが組織の考えと正反対の人間なんてかなり面白い。

 

「……というのが、我が『組織』の調べた結果だ」

 

 零の読み上げた報告書の内容を聞き、私は納得するやら呆れるやらで複雑な気持ちになった。筋が通っているのに通っていないというか……なんだか分かり難い。それでいて分かり易くもあり、もの凄く混乱させられる。きっと『優等生』を創った人物は色々な意味で強者なのだろう。組織のトップは得てして曲者がなるものだ。

 冬花ら賛成者と戦い、『教育』を止めてから一時間後くらい。反対者のみんなと別れ、私と妹は喫茶店に来ていた。畳の敷き詰められた和室には今日、四人のメンバーがいる。姉妹以外には零と麻緒さん。私が知る組織のメンバーが揃っていた。

 

「本当、面白い組織よね。それで全国の学校に広まってるんだから不思議というか」

 

 抹茶色をしたケーキをフォークで切りながら、私の隣で妹は皮肉のように言った。彼女の表情からは呆れが見て取れる。私の下僕は一人もできないで、馬鹿のもとに大勢の人間が集まるなんて、世界は終わりね……とか考えているんだろう。多分。

 

「そうだね。僕らが本気で調べても部長選出について、創始者の名前くらいしか分からなかった。不思議な組織だよ」

 

「へぇ、『組織』の『諜報部』を使ってもそうなんですか……あれ? 創始者の名前?」

 

 私の向かいに座る麻緒さんが、零の台詞に反応した。あまりにさらっと零が言ったため、そのリアクションがなければ私は聞き逃していた筈だ。『優等生』の創始者。夢深も話してくれなかったことだ。おそらく彼女も知らない極秘事項なのだろう。

 

「流石高い金でこそこそ情報収集するだけの連中ね。学校の情報屋とは大違いだわ」

 

「仕事だったらそこまで言わなくても……それで、名前はなんて言うの?」

 

 妹をなだめ、私が尋ねる。『優等生』の騒動があった今、彼らの創始者が誰なのかということに興味を引かれた。名前を聞いても誰だか分からないかもしれなけど、無性に知りたい。単なる知的好奇心で私は尋ねたのだが、零から放たれた言葉に驚くことになる。

 

「神原雪枝」

 

 予想に反し、その名前には聞き覚えがあった。神原雪枝。記憶が正しければ、夢深の話に登場した人物だ。彼らのチームをまとめるリーダーだったと聞く。

 ……そっか。夢深以外にも逃げた人がいたんだ。夢深のお父さんは嘘を言ってなかったんだね。私は嬉しくなると同時に、少し悲しい気持ちになった。

 

「……それってもしかして共鳴者(ダブル)?」

 

 黄昏れていた私は妹の問いかけで我に帰った。隣を見てみれば、私以上に驚いた様子の妹がいる。彼女もまた雪枝の名を聞いて驚愕したようだが、私とは驚きの方向性が違うようだ。

 

「ああ。そのようだ。重要度が高い情報だし、おそらく『組織』の上部は知っていたことだろうね」

 

「——そう。ったく、これだから組織の下っ端は嫌なのよね。諜報部を動かせないし、他の部署を動かすにはお金がかかるし……。リーダー。もう少し頑張りなさい」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 何故だか麻緒さんが謝る流れとなっていた。台詞から判断するに、下っ端なせいで知っている筈の情報が回ってこなかった——だからリーダーの頑張りが足りない。といったところだろうか。彼女らの属する『組織』も中々世知辛いらしい。

 私は苦笑いを浮かべ、思い出す。そういえば訊きたいことがあったのだ。

 

「ちょっと訊いていい? 夢深から『混沌』の時の『組織』について話を聞いたんだけど、妹達が所属してる組織っていうのはもしかして……」

 

「ええ、その『組織』よ」

 

 妹がすんなりと肯定する。夢深の話に出てきた『組織』と、妹らの所属する組織が同一のもの。なんだかそれが信じられず、私は追及した。

 

「組織の名前が『組織』なんだよ?」

 

「ええ。私達の組織も『組織』よ。他にそんなややこしい名前付けるところなんてあると思う?」

 

 そう言われると納得できるから不思議だ。実際『組織』という名称は喋っていて不便でしかない。現に私は妹達が言う『組織』という言葉を、組織の名称ではないと認識していたわけだし。こうして考えているだけでも意味がさっぱりだ。

 

「困りますよね、この名前。まぁ、カモフラージュになることもあるんですけど」

 

「僕は合理的でいいと思うが」

 

 ま、所属している本人達がこんなんなのだから、大した問題ではないのだろう。名称なんてどうでもいいのかもしれない。『組織』は恥ずかしい名前ってわけでもないし。

 

「……それで、『教育』はどうなったんですか?」

 

 生じた沈黙を利用し、話を区切るようにして麻緒さんが切り出した。真面目な顔をしており、のほほんとした様子は影を潜める。リーダーのモードだ。

 

「きっちり廃止よ。部長はこれから健全な活動をするって約束したわ。組織が危惧するような要素はなくなって、学校の部活に戻ったわ。多分」

 

 妹が適当な報告をし、ケーキを頬張る。仕方なく私はその補足をした。今日一日に至るまでを細かく話し、その結果がどうなったのかを報告する。話がきちんと繋がっているか、分かり易かったか不安だったけれど、麻緒さんと零はそれで納得してくれたようだ。何も文句を言ってこなかった。

 

「ちょっといいですか?」

 

 と思っていた矢先、麻緒さんがすっと手を挙げた。真剣な目で見据えられ、私は少し緊張する。妹とまた違う鋭い雰囲気だ。

 

「あ、うん。なに? 何かおかしかった?」

 

「いえ、そういうことではありません。少し気になったことがありまして」

 

 良かった。反射的に安堵をするものの、疑問を抱く。彼女は何を訊きたいのだろう。

 

「先程、夢深さんから『組織』について話を聞いたと言ってましたけど、何を聞いたんですか?」

 

 ああ、そういうことか。確かにそれは所属している人間からしては興味が引かれる話かもしれない。

 

「それは私も気になるわね」

 

「『混沌』時の組織……興味深い」

 

 やっぱりみんな気になるらしい。話していいか少々迷ったものの、彼女らは『組織』に所属しているのだ。聞くくらいの権利は持ち合わせているだろう。ひょっとしたら、私が語ることで何か新しい情報を得られるかもしれない。

 などと希望を抱きつつ、私は語った。『はじまり』という少女が私の名を口にしたこと以外を。

 

『……』

 

 が、数分後。返ってくるのは沈黙ばかり。三者とも難しい顔をし、何かを考え込んでいる。

 

「ええと、みんな知ってる話だった……とか?」

 

 不安に駆られた私が訊くと、麻緒さんが苦笑いを浮かべた。

 

「いえ、そんなことは。新参の私はむしろ知らない話だったので、ちょっと驚きました」

 

 新参なんだ……リーダーなのに。私もびっくりした。

 

「妹達はこのことについて知ってるの?」

 

「そうね……私は知ってるわよ。その場にいたわけじゃないけど」

 

「『混沌』からのメンバーは知っている話だね。昔話さ」

 

 肩を竦める妹と、どこか懐かしげに答える零。零は目を細めて小さな声で続けた。

 

「あれは『世界』による虐殺だった。『組織』がほぼ全滅した残酷な事件さ」

 

 ――虐殺。組織の人間が大勢死んだのだから間違っていないのだろう。しかしその言葉の中に、人質が撮られたようなニュアンスは存在しなかった。『組織』は事件のことを知っているけど、なんでそうなったかを理解してなかったのだろうか。ますます私の名前を出すわけにはいかなくなった。

 ……そもそも、『組織』と『世界』は何故敵対していたのだ? その理由が分からない。

 

「しかしその事件についてはっきりしたことは分かっていない。当時の無名メンバーの行方も把握できていない上、死人が多すぎる。もし生き残りがいても、夢深のようにわけも分からず逃がされた者が殆どだろう」

 

 話を聞いていると数々の疑問点が浮かんでくる。きっとそれは簡単に解明できることではないのだろう。こうして『組織』がその事件を知っているということ自体が奇跡のようなものだし。

 

「……暗い話はともかく、『はじまり』って奴が気になるわね、私は」

 

「ただのヒャッハーな人じゃないですか? あの時は強い力におぼれてた人が大勢いましたし」

 

 麻緒さんがお茶をすすりながら暢気な調子で言う。

 夢深と母親が逃げているところへ、高笑いする少女が現れて母親を殺害。夢深だけを残して去っていった。そんな私の説明では、そう思うのも仕方ないことだった。完全に『はじまり』は頭がおかしい人間にされていた。いや、まぁ、改変しなくとも十分おかしいんだけど。

 

「名前もセンスないしね。多分そんな感じじゃないのかな」

 

 ボロが出る前に私は話題を変えようと麻緒さんに同調する。妹は納得していない様子だったけど、それ以上なにも言わなくなった。

 

「零ちゃん」

 

 麻緒さんが零を見る。彼女は輝いた目を零に向けた。

 

「楼ちゃんの加入は許されるのかしら?」

 

 うん? 加入?

 なんのことかとも思ったけど、私は思い出した。麻緒さんに初めて会ったあの時に妹が私を仲間にだとか言っていたり、零のメールには私の試験は問題に対する貢献度で計るだとか書いてあった。予想するに、『組織』へ加入するための試験が行われていたのだろう。『教育』の問題を利用して。

 すっかりその話を忘れていた。妹がくれるというヒントの方ばかりに頭がいっていたせいだ。

 

「うむ。試験の結果から考えれば、充分に許可できるだろう。だが問題は本人に入る意志があるか否かだ」

 

「あれぇ!? 妹ちゃん楼ちゃんは希望してるとか言ってませんでした?」

 

「嘘よ。第一『組織』のことも忘れてるやつが入りたがる筈ないでしょ」

 

 妹は本当にいい性格をしている。真顔で嘘を暴露するとは。ショックを受けて固まる麻緒さんを一瞥し、妹は私を見た。

 

「けど姉さん次第で真実にもなるわ。どう? 姉さん。『絶対評価制』、嫌じゃない? 歪んだ世界から人々を守りたくない?」

 

 私が『組織』に参加する。それはきっと、私が望んでいたことを実現するための一番の近道になるだろう。絶対評価制を廃止し、世界を本来の姿に戻す。『組織』の目標は私の夢だ。

 その上、『組織』と私は関係が深そうだ。自分のことを知るならば、『組織』に参加するべきだと思う。

 迷う必要はない。私は短く考え、口を開く。

 

「参加させて。私も『組織』に入るよ」

 

 私はもう知ってしまった。望んでいた答えとはあまりにかけ離れているけど――引き返すことはしたくない。妹が、『はじまり』が言うように私が鍵を握っているというなら、私は舞台から降りるべきではないのだ。

 私は知ろうと思う。

 それが私のすべきことなのだから。

 

 

 

 ○

 

 

 

 評価が絶対の世界だと思っていた。魔法のような力を得ても世界はどこまでも現実的で、人々は浅ましい。それが当たり前だと思っていた。けれど、それは違う。 

 私は思うのだ。世界が変わったのではない。『混沌』を体験した自分が変わったのだ。残酷で理不尽な出来事を目の前にして、分かった気でいた。自分を、そして他人を。

 私は怖かった。自分が得たものを理不尽に奪われることが。だからきっと意味を言い訳にして逃げていたのだろう。

 それが間違いなのだと、今ならば言える。あの人に教えられた今なら。

 

「ふ、冬花。謝罪文なんだから、もう少しちゃんとした文章がいいですよ」

 

「えー、面倒なんだけど……仕方ないわね。本貸して」

 

 子供のようにむくれる冬花に、私は本を手渡した。

 部長に与えられる秘密の部屋。昨日戦いが行われたそこで、私と冬花は机を挟んで座っていた。机の上には白い紙が何枚も並べられており、文章のマナーを記した本、ペンがその脇に置かれている。それらを使って冬花は謝罪文を書いていた。部長は原則、部員に顔を見せることはできない。それでもせめて誠意は見せようと二人で考えたことだ。

 『教育』の提案、『優等生』の幹部に多大な迷惑をかけてしまった点、それらについて正式な文章で謝罪しようと試みている――のだが、いかんせんこういったものは初体験なため、朝と昼休みを利用しても終わらず、こうして放課後も消費している。

 それでもこれでいいと思う。あれだけ迷惑をかけたのだ。謝罪文をちょちょいと書いてしまうのは何か違う気がする。それよりもこうして思考錯誤の末に完成させる方がよっぽどいい。

 本当は顔を見せて頭を下げたほうがいいんでしょうけど。部長の決まりも難儀なものである。

 

「……冬花」

 

 冬花に渡した物とは別の本を読んでいると、彼女は私へ声をかけてきた。視線は紙面から離さず、集中した顔つきで。

 

「なんですか?」

 

「強くなるにはどうしたらいいと思う?」

 

 真面目な問いかけに、私は何故だか笑ってしまった。進路がどうとしか言っていなかった彼女から、そんな言葉が出たのが面白かったのかもしれない。

 

「ちょっ! 夢深が言ったことでしょ! なんで笑うの!」

 

「す、すみません。そうですね……」

 

 顔を赤くさせてこちらを非難する冬花から目を逸らし、私は考える。

 強くなる。今の時代、それは評価を得ることと直結する。しかし――

 

「他人のために戦えること、ですかね」

 

 ふと思いついたことを私は口にした。冬花は溜息を吐く。

 

「それってあの部外者のことでしょ。ほんと、よく懐いたものね」

 

「はは……合ってますけど、ちょっと違います。ですが、そういう人がいれば少しは楽になると思うんです」

 

 他人のために戦える人物を、私は楼さん以外に知っている。その人がいたからこそ、私は二年間いじめなんてないように思えた。ちょっと先走りやすくて我儘なのが瑕ですが、その理由に他人を使わないところが好印象です。

 呆れた表情を浮かべる冬花へ、私は語る。

 

「絶対に友達、仲間でいてくれる人がいるだけで、強くなれると思うんです。だから私は断言しますよ。冬花も私も強くなれるって」

 

 根拠のない理論。それを聞いた冬花はふっと笑った。しかし馬鹿にした様子はなく、どこか優しい笑い方だった。

 

「面白いこと言うわね。けど、そうね。確かにそうかもしれないわね」

 

 『混沌』のときも、両親がいなくなっても、私は一人じゃなかった。けれど一人の時間があったからこそ分かる。きっと人間は孤独になによりも弱いのだと。だからこそ、人は生きるのだ。

 

「……できた」

 

 それから少し時間をかけて、冬花は謝罪文を完成させた。本を読みながら丁寧に記したそれは、結構な自信作らしく彼女の表情は明るい。私は早速それを確認するのだが——その瞬間、背後から大きな音が聞こえた。悲鳴のようなものも聞こえた気がする。

 

「な、なんだろう?」

 

 私が怯えながら尋ねると、冬花は肩を竦めた。誰かが入ってきたかもしれないというのに、呆れた表情を浮かべている。

 

「なな、なんでそんな余裕ですかっ」

 

「入ってくるやつなんて限られてるからよ」

 

 と言われてもぴんとこない。入ってくる人は……あ、そういうこと。落ち着いて考えてみると、ここへ入ってくるのは数人しかいない。もしや、と私が後ろに視線をやれば、ちょうどいいタイミングで扉が開いた。

 

「やぁ、二人とも。元気にしてる?」

 

 入ってきたのは楼さん。目つきが鋭く態度が悪いと評判の彼女は、そんなことを感じさせない親しげな笑顔を浮かべている。一度素で接したからだろうか。私達の前では表情が柔らかく、言葉もごく普通。一般的な生徒だ。いつもこれなら、彼女はもっと評価が高くなっているだろうけど……どうして不良扱いされているんだろう。不思議なことだ。

 

「監視に来たわよ。感謝しなさい」

 

 楼さんの隣には妹さんがいる。この人も楼さんと同じく不思議な人で、自分のことを妹だとしか言わない。携帯のプロフィールすら『妹』という名前なのだから徹底しているというか。何か事情があるかもしれないし、私は妹さんって呼んでいるけど本名がすごく気になる。

 部長の部屋に入ってきたのはこの二人だった。私達の様子を見に来てくれたらしい。

 彼女らは机に近づき、その上に並べられた物を見て笑った。

 

「『よくわかる謝罪文』ね。冬花頑張ったんだ」

 

「反省してるみたいで嬉しいわ」

 

「うっさいわ、ツインテ娘。こうしないと後が面倒でしょ」

 

 腕を組み、顔を逸らす冬花。からかいながらも冬花がしっかり反省していることを分かっているのだろう。妹さんは楽しそうに笑っていた。

 

「二人が頑張ってると思って、差し入れ持ってきたんだ。はいこれ」

 

 楼さんが肩に提げていた鞄からビニール袋を取り出して机に置く。冬花がそれをすぐに漁るのを見て、私も笑ってしまった。

 

「仲直りできたみたいで安心したよ。村上に聞いたら『優等生』もいつも通り活動してるみたいだし」

 

「わざわざありがとうございます。お陰さまで何も問題ありませんよ」

 

 元々『優等生』の上部しか関係していない問題だ。全体に変化を与えるには及ばない。しかし、僅かに影響はあった。

 

「むしろみんな正直に話し合いするようになりましたね。上部の人達が遠慮なくなって、意見をまとめるのが忙しいです」

 

 一度対立し、部長が好き勝手したからだろうか。賛成者も反対者も上部は積極的に意見するようになった。組織をまとめる者達ならばそれは良い傾向だろう。私が笑顔で語ると、楼さんは一瞬嬉しそうにするが、何故か複雑そうな顔になる。

 

「学習したんじゃないかしら。偉い人が好き勝手やって、それについてってくだけじゃ後悔しかしないって。反対者も賛成者を見て分かったでしょ」

 

 妹さんが肩を竦めながら語る言葉に、グッと冬花が呻いた。楼さんが複雑そうな顔をする理由が分かった。教訓、反面教師となるような出来事を引き起こした人物が近くにいたら……ちょっと気まずいかもしれない。妹さんは気持ちいいくらい気にしてないけど。

 

「まぁまぁ。それが人のためなんだから少しくらいマシなはずだよ」

 

 楼さん、フォローの割にはザックリです。

 

「あんたも何気にはっきり言うわね……。むかつくけど事実だから仕方ないわ。で、様子見だけでここに来たの?」

 

 精神的ダメージに呻く冬花は楼さんと妹さんを順番に見た。あれで怒らなくなったのを見ると、彼女はやはり何らかの成長を遂げたらしい。親友として嬉しいことだ。

 冬花の問いに楼さんが首を横に振る。

 

「いや。ちょっと話がしたくてね」

 

 彼女はそこで口を閉じ、私を見つめた。その表情は真剣で、いつか私を助けてくれたあの目に似ていて――私は少し緊張してしまう。真っ直ぐで、それでいて優しい眼差し。女性らしくもあり、男性のような頼もしさを意識してしまう。

 顔が熱くなるのを感じると同時に、私と楼さんの間に妹さんがひょっこりと顔を出した。

 

「なによ。口説くの?」

 

「くどっ!? そ、そうなんですか!?」

 

「違う! 真剣な話なの!」 

 

 妹さんの頭へチョップが炸裂する。威力はないようで、頭を叩かれても妹さんは楽しそうに笑っていた。

 

「真剣な話? そういうのは親友を通してもらわないと駄目よ」

 

「冬花……分かってていってるよね。」

 

 度重なるボケに楼さんが辟易した様子で肩を落とす。どうやら話というのはシリアスな話らしい。それを私としたいとなると……多分、過去の話だろう。

 

「分かりました。じゃあ話しましょうか」

 

 苦笑を浮かべ、私は椅子から降りる。

 扉を一個抜ければ、部長の部屋の入り口前に着く。話をするならそこで大丈夫だろう。楼さんもその意図を汲み取ったのか、私についてきた。

 

「というわけで、二人でゆっくりしててください」

 

「そっちも真剣な話、ゆっくりしてきなさい」

 

 手を振る冬花。こちらを見て微笑すると、彼女は本へと視線を向けた。

 少しかっこよかったけど……本が逆さまなのはいただけない。そんなに私と楼さんが話すことが心配なのかな。

 

「姉さん、女の子同士でも手出したら犯罪よ」

 

「分かっとるわ!」

 

 こっちはこっちで相変わらずだし。

 

 

 

 ○

 

 

 

 天井に空いた穴。穴の上へと上がる梯子。そこだけやけに汚れている、地上からの落下点。部長の部屋の入り口前は色彩というものが皆無に近く、コンクリートの灰色が広がるばかりだ。ただただ退屈な場所。だが、今は何故か新鮮にすら思える。多分それは私の隣にいる人物のせいなのだろう。

 

「ええと、わざわざごめんね。けど訊きたいことがあるんだ」

 

 私は隣へ身体を向ける。私を真っ直ぐ見つめる彼女は若干の申し訳なさを表情に滲ませた。分かりやすい人だ。表情から、何を考えているのかすら理解できそうだった。

 

「はい。なんでも訊いてください。答えますから」

 

「そう? それじゃ、訊きたいんだけど」

 

 今度はパアッと顔を輝かせて、楼さんが続ける。

 

「『優等生』が神原雪枝の創ったものだってことは知ってた?」

 

 完全に意表を突かれ、私は言葉に詰まった。知らなかったわけではない。だが、楼さんがそのことを知っていることが意外だった。

 

「は、はい。知ってますけど……」

 

「そうなんだ。誰から聞いたの?」

 

 今度は楼さんが驚いているようだった。目を大きく開いて、再度質問を投げかけてくる。

 

「本人からです。『混沌』が終わった後に一度だけ会いました」

 

「……なるほど、ね」

 

 私の答えに、楼さんが小さく頷く。表情に驚きはなくなり、なにかに納得しているようだった。

 

「ん? あ、いや、前に言ってたよね? 『よく分かりませんが、『世界』が人質をとった後、『組織』と『世界』は両者壊滅したと聞きました』って。普通の人ならそんな情報は知らない。『組織』はともかく、絶対評価制を発表した『世界』が壊滅した、なんて一般人が考える筈がないしね。そうなると、雪枝に会ったのも納得だと思って」

 

 そういえば私はそんなことを言っていた。しかし……その時は雪枝のことを何も言っていなかったのに、よく覚えているものだ。楼さんはさらっと語ったけど、何気にすごいことだと思う。

 

「じゃあ夢深は雪枝から『優等生』のことを聞いて副部長に?」

 

「いえ、それは違います」

 

 首を横に振る。『優等生』の性質上、それは有り得ない。

 

「『優等生』の部長は、前部長が決めます。そして副部長は部長が信頼できる人物に任せる――つまり、話を聞いたからといって副部長になれるわけではありません」

 

「そっか。それじゃあ、単なる偶然?」

 

「そうですね。それも奇跡に近い確率の」

 

 そう。本当に単なる偶然なのだ。私が『組織』のメンバーだった人間で、冬花と知り合って、それから冬花が部長に選ばれて、私も『優等生』に入ることになって……全部、偶然だ。運命と呼びたくなるくらい数奇な道だ。

 

『僕は創るよ。この世界で誰も犠牲にならない、共存できる組織を』

 

 雪枝は言っていた。あんな事件に巻き込まれたというのに、私のように下を向かず前を向いていた。

 あのときはその言葉に価値を見い出せなかった。共存することは不可能だと思っていた。

 『優等生』に入るときだってそうだ。私はその部活動の存在理由すら理解できなかった。ただ冬花がいるから。それだけで活動していた。

 けど、今は違う。『優等生』の活動は私の導いた答えなのだと分かる。

 

「……『優等生』の活動目的、知ってます?」

 

 長い沈黙を破り、私は口を開いた。

 

「全員を平等に優等生にし、争いを失くすこと……って、雪枝は言ってました」

 

 皆が評価を得、同じ活動をすることで仲を深め、そうすることで争いを少しでも減らす。絶対評価制に適応する。それが雪枝の語った活動目的だった。

 

「私はそれが間違っていると思いました。上辺だけの偽善で評価を獲得する『優等生』なんて無意味だと思ってました」

 

「うん。その気持ちは私も少しだけ分かるよ」

 

 楼さんが相槌を打つ。優しい笑みを浮かべ、それ以外には何も言わずに待っていてくれる。何気ないことだけど、それが有り難かった。

 

「けど今回のことで分かりました。『優等生』は無意味なんかじゃない。私達が何もしないから無意味になるるんだ、って。本気で人のためを考えれば、絶対的な評価も手に入るんです」

 

 私は思い出す。戦いの意味を尋ねたときの答えを。

 かつての私は戦いに意味を見つけることができなかった。けどそれは、自分で何もしなかったから見つからなかったのだ。

 

「だから私は……この学校の生徒全員がそんな絶対的な評価を得て、平和に暮らせるように戦おうと思います」

 

 まだ不安が残る決意。緊張から顔が強張っているのが自分でも分かる。

 私はまだ間違っているのかもしれない。そんな不安をどうしても拭えない。拳を強く握り締める。すると私の頭の上に手が置かれた。

 

「そっか。いいことだと思う。応援するよ」

 

 私の友人はにっこりと笑い、多分――いや、絶対、思ったことを正直に告げてくれた。

 



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第二話:情報屋とスキャンダル
一章


 それは私の中に残った、一番古い記憶。

 近くには人の気配がし、遠くからは雨音が聞こえる。どこかも分からない場所、そこで寝ている私へ、一人の少女が言うのだ。

 

『約束だよ』

 

 薄れていく意識の中で、微かに聞こえる少女の温かな声。二年経った今、その声すらもおぼろげになっている。目を閉じていたせいで姿も覚えていない。それでも約束の内容ははっきり覚えている。

 二年前。『混沌』の最中に私と彼女は二つの約束を交わした。それは――

 

『必ず絶対評価制を廃止して』

 

 少女の泣きそうな声。

 私は彼女を慰めたくてなんとか声を出そうとするのだが、口が動かない。人間として当たり前のこともできないほど、私は人間らしさを失っていた。自分でも――否、自分だからこそはっきり分かる。私はこれから間もなく死ぬのだろう。それほどの怪我を負っている筈だった。

 しかし少女はそんな私へ約束を結ばせようとする。小さな手で私の手を握り、懸命に声をかける。

 

『そしていつか私を――』

 

 二つ目の約束は覚えていない。

 何故なら私の意識はそこで途絶えたからだ。

 

 

 

 ○

 

 

 

 最悪といえば最悪の目覚めだった。

 私はあまり最悪という言葉は使いたくないのだが、この夢に関してはそうとしか言えない。少女との約束が嫌だというわけではない。この夢はとてつもなくリアルなのだ。身体は痛いし冷たいし、かつて死にかけた感覚までもが再現され、夢が終わる度に死を覚悟する。そんな夢を見て、ひゃっほうなんて浮かれられるものか。

 古い記憶を呼び起こした私の脳を恨めしく思いながら、身体を起こす。壁にかけられている時計へ自然と目線をやり、現在の時刻が八時であることを確認。と同時に肝を冷やす――が、思い出した。

 

「そういえば休みだったっけ……」

 

 『優等生』の一件が終わり、数日が経過。あれから何事もなく現在は楽しい週末。土曜日である。遅刻などとは無縁の日だ。

 明日は休みの日だと、わくわくしながら昨夜は寝た筈なのだが……。すっかりあそこでの生活が身に付いていることを痛感する。規則正しい生活も困ったものだ。

 

「……あら? 楼さん、もう起床でして?」

 

 欠伸をもらす。すると私の隣に寝ていた華蓮が目を覚ました。眠そうに目を擦り、彼女は時計を見やる。そして時刻を目視した後、枕に顔を突っ伏した。

 

「まだこんな時間なのに、早起きですわね……おやすみなさい」

 

 彼女は私と違って身体をエンジョイ休日にシフトできる人間らしい。数秒も経たないうちに再び寝息を立てはじめた。仕事のある日は老人並みに早寝早起きなんだけど、相変わらずである。

 

「さてと」

 

 私も睡眠は嫌いではない。しかし目が覚めてしまったし、このまま眠るのも勿体ないだろう。早起きは三文の得だとも言うし、できた時間で何かしようか。などと考えつつベッドから降りる。できるだけ華蓮を起こさないよう、静かに。

 リビングと同じく、ベッドに天蓋が付いていたりとやたら豪華な寝室。しかし間取りは馬鹿でかいリビングと比べ随分と常識的で、ダブルベッドと机の間に人二人くらい通れる道がある程度である。

 小さな電球とカーテンから漏れる光に照らされた室内の道を、私はゆっくりと歩いていく。休日は私の方が早く目覚めることも多いため、静かに歩くのには慣れっこだった。

 私と華蓮は毎日同じ寝室で眠っている。それは二年前からの習慣のようなもので、特に深い意味があるわけでもない。ただ単にこうして眠らないと落ち着かないというだけだ。

 

「……勉強、は悲しいよね。とりあえず朝ごはんかな」

 

 寝室から脱出。廊下に出ると独り言を呟き、私はリビングの方へ向かおうとする。しかしそのタイミングで家のインターホンが鳴った。来訪者である。

 

「休日に人?」

 

 誰だろうか。考えてみるも、特にこれといった候補は挙がらなかった。華蓮は用事事を顔を合わせて済ます派だし、私は一般的な学生だ。通販などを利用した覚えもないし、休日の朝から家に来る人なんていないだろう。

 そう思うも、実際インターホンが鳴っているのだから出ないわけにはいかない。私は早足で歩いてインターホンのマイクに話しかける。

 

「はい、なんでしょうか?」

 

『おはよう、姉さん。今暇?』

 

 少しの申し訳なさも滲ませずにそう言ったのは、妹の声であった。ここ最近毎日会っているからスピーカー越しでもすぐ分かる。私は溜息を吐くとスイッチを操作する。

 

「妹か……暇だよ。ちょっと待って」

 

 華蓮は寝ているけど、妹ならばまぁいいだろう。私も妹もギャーギャー騒ぐタイプではないし。約一名ツッコミはするかもしれないけども。

 

 

 

 

 ○

 

 

 

「やー、いいところに住んでるのね、姉さんは。羨ましいわ」

 

 数分後。服を着替えてから妹を家へ入れ、リビング。大きなテーブルを挟んで私と妹はお茶を口にしていた。

 温かな緑茶を飲み、私は妹を見る。今日の彼女は休日だということもあり、水色のワンピースとカーディガンという装いだ。制服と同じく、至って普通なのだが……やはり金髪ツインテールが常識から超越しているためおかしく見える。

 まぁ、私が黒髪長髪でパーカーにジーパンなんておしゃれさの欠片もない格好をしてるからそう思えるのかもしれないけど。

 

「居候だけどね。……で、何の用?」

 

 こいつの場合、『姉さんに会いにきた』とか可愛らしいいことは言わないだろう。何か目的がある筈。訝しむ私が問うと、妹は笑顔を浮かべた。

 

「暇だから世間話に」

 

 まったくストーリー性のない目的であった。

 

「ええと、こういうときはお前なぁ……とか言うのかな。ん? そういえば、どうしてここが分かったの?」

 

「そこは組織の調査でちょちょいと」

 

 茶目っ気たっぷりにウインクする妹。プライバシーがちょちょいとなくなるんだからこの世界は恐ろしいというか。

 

「私に聞けばいいのに……」

 

「まぁまぁ。細かいことは言わずに、私と話しなさい」

 

「……なに話すの?」

 

 ちょうど暇をしていたところだ。話にのるくらいならば構わない。

 

「私のあげるヒントについて」

 

 どんな下らない話題が、なんて頭の思考は吹っ飛んだ。『ヒント』。そうだ。妹は私が手伝ったらヒントをくれると言っていた。手伝うことに夢中ですっかり忘れていた。

 

「思い出した? 聞きに来ないし、自分から向かった次第よ」

 

 なにやってるんだかなぁ、私。間抜けな自分が恥ずかしい。

 

「無視しても良かったんだけどね。そこはほら、私は優しいから」

 

「はいはい。感謝してるよ。それで、ヒントは?」

 

 私のこなれた対応に、妹は気分を害したようだった。ぶー、と口で丁寧に言い唇を尖らせる。

 

「そんな態度だと教えてあげないわよ」

 

「自分の態度を改めてから言うんだね、そういうことは」

 

 いきなり現れて妹宣言し、そして私を『組織』という名前の組織の活動に巻き込んだ張本人、妹。彼女はまさに傍若無人というべき性格をしており、基本他人に害しかなさない。それでいて他人が妹に対して抱いた不満を、その眼力で押さえこんでしまうのだから厄介である。現に私も強気なことを言っているが、妹の鋭い視線に怯え中だ。彼女への態度を改める必要はない。そう確信していても揺らいでしまうだけのなにかがある。単に私の心が弱いのだとか、そういった話ではない。

 やや沈黙が続く。その結果折れたのは妹らしく、視線を逸らして大きな嘆息をつく。

 

「まぁいいわ。約束だから。守らないとね」

 

 『約束』。その言葉が私の耳にやけに強調されて入る。夢を見たせいか、過剰に反応してしまう自分がいた。

 

「どうしたの?」

 

「あ、なんでもない。ちょっと寝惚けただけ」

 

 首を横に振る。妹は大して気にしていない様子で話を続けた。

 

「そ。じゃあヒントね。絶対評価制の仕組み。それを作ったのが『原初』よ」

 

 さらっと言われたそれは、よく意味が理解できなかった。絶対評価制の仕組みというのもちんぷんかんぷんだし、『原初』というのも初めて聞いた。

 

「そのリアクションだと本当に覚えてなさそうね……」

 

「だからそう言ってるでしょ。『混沌』前の常識くらいしか覚えてないって」

 

 呆れ顔の妹に憮然として返す。記憶のことを私に言うのは筋違いというものだろう。というか、普通しないだろう、空気を読むなら。

 

「それならそれでもいいわ。覚えといて損はない筈よ。『原初』」

 

「うーん……どうせその言葉の意味も教えてくれないんでしょ?」

 

 単語を覚えていても意味を理解していなければ無意味である。私が恨めしげに妹を見ると、彼女は微笑を浮かべる。

 

「そうよ。と言いたいところだけど、今回は特別に話してあげようかしら。なにも思い出さないで死んだら空しいし」

 

 相変わらず恐ろしいことを当たり前のように言う奴である。近々私が死ぬ可能性があるような言い方だ。文句の一つも言ってやりたいが夢深の話を聞いた今、それを否定できないことが辛い。

 

「そもそも、絶対評価制が何か、姉さんは知ってる?」

 

 妹は腕を組むと偉そうな口調で問いかけた。絶対評価制。それは現在の世界では日常と化している非日常。地球に生きる人間ならば全員が知っているものだ。私は首肯する。

 

「知ってるよ。他人からの評価で自分の中にある能力が開放、封印されていくシステムだよね?」

 

「それがどうやって実現してると思う?」

 

「それは……知らない」

 

 おそらく殆どの人間がそう答えるだろう。この制度はうまくできている。しかしそれでいて実態が掴みきれない。肝心の仕組みだって公開されていない。示されているのはルールだけ。それに従うか抗うかはその人次第。しかし従わなければ弱者になることは目に見えている。

 ……だから、私はこの制度が嫌いなのだ。

 

「そう。それが常識。そんなのが何故まかり通っているか……それはまた別の話で、評価で人の力を開放、そんなシステムを作るためには何が必要だと思う?」

 

 別の話にしちゃうんだ……かなり興味あったのに。自分で思い出せということだろうか。

 絶対評価制を作るために必要なもの。それは前々から気になっていたことだ。全世界の人間に施行する――いや、一部の人間に絶対評価制を施行するだけでも驚きだ。技術だけでなく、魔法を使えたりするのだから科学の枠を大きく超えている。となれば。

 

「……魔法?」

 

 自分で口にして可笑しく思う答えに、妹は大真面目に頷いた。

 

「正解。んー、若者はいいわよね、発想が柔軟で。そう、魔法なのよ」

 

 本人がどういうつもりで言っているか分からないけど、何故だか馬鹿にされた気がした。

 

「本気で言ってるの? 魔法だよ?」

 

 魔法は絶対評価制が施行された今でこそ当たり前のものだが、それが絶対評価制を作ったのならば矛盾している。だから私は可笑しいと思ったのだ。

 

「本気よ。絶対評価制に関係なく魔法が使える人間、それが『原初』なんだから」

 

 しかし妹は呆れる私を嘲笑し、薄い胸を張る。『原初』は魔法を使える。つまり『原初』はその魔法で以て絶対評価制を作ったのだ。それならば科学を超越した制度も納得できよう。魔法の存在が本当のことならばの話だが。

 

「今日のヒントはここまでよ。あとは姉さんの活躍に期待するわ」

 

 ヒントを聞いたお陰で余計に頭がもやもやした気がする。少なくとも私は『原初』についてなにも知らなそうだ。『約束』という言葉を耳にした時の方が反応していた。話を切り上げ、室内を見回す妹から視線を逸らし私は考える。

 

「……そういえば」

 

 その過程で、不意にあることを思い出す。目の前にいるこの人物。彼女について気になることがあった。

 

「妹って名前なんていうの?」

 

 妹は露骨に面倒そうな顔をした。なんで今更、という顔である。

 

「クラスの子に聞けば分かるわよ、名前なんて」

 

「つまり『妹』は自称と?」

 

「当たり前でしょ、馬鹿?」

 

 自分でも馬鹿だと思ったから、そんな直球で言わなくていいのに。

 しかし本名でも、本当の家族でもないのか……どんなことがあって私の妹を自称するようになったのだろう。疑問である。

 

「ああ、そうだ。あと一つ話しておくことが――」

 

「おはようございます、楼さん」

 

 妹が私を見てなにかを言おうとする――が、その台詞は何者かによって遮られた。リビングのドアを開いてのんびりとした挨拶とともに中へ入ってきたのは、華蓮である。何を張り切っていいるのだか分からないが、きちんとした外行き用の服を着ている。白いブラウスと、紺のロングスカート……きっちりした彼女が決して家の中で着ない服だ。見れば髪も寝起きとは思えないほどきっちり整えられており、彼女の気合いが窺える。肝心の狙いがまったく見えないのが辛いところだが。

 

「あら? お客様でして?」

 

 唖然とする私の前、若干の棒読みで座っている妹を見る華蓮。突然の乱入者に妹も戸惑っているようなので、私が答えることにする。

 

「あ、うん……学校の知り合い」

 

「あらあら! お友達ですの!?」

 

 誰も友達とは言ってない! とツッコミたいけれど、華蓮が本気で嬉しそうなのでそんなことは言える筈がない。

 大体分かってきた。私に家に遊びに来るような友達ができて歓喜してるんだ、多分。学校へ通う前に相当私のことを心配していたからなぁ……。おそらく評価を気にせず突っ張るような発言をしたのも原因だろう。そんな生き方をしていては友人ができるかも危ういし。

 

「少し待っててください。お茶淹れてきますわ」

 

 太陽のような眩しい笑顔を浮かべ、高いテンションのまま華蓮はキッチンへと歩いていった。

 多分、妹が来てからずっと身支度してたんだろう。そんなに喜んでくれると、こっちまで嬉しいというか。

 

「なにあの人? 姉さんのお母さん?」

 

「いや、私の友達かな? この家に私を居候させてくれてる人」

 

 私が説明すると、妹は合点がいったように頷いた。

 

「いい人そうね」

 

 きついことを言うと思いきや、意外にも妹が口にしたのは称賛だった。それに何故だろう。一瞬彼女がすごく優しい顔をした気がする。気のせいだろうか。

 

「ま、それはともかく。あの人も来たことだし手短に話すわ」

 

 妹はキッチンをちらっと見て声を僅かにひそめた。重要な話なのだろう。表情は真剣だ。

 

「『組織』のことなんだけど、当面の活動目標は仲間を増やすことだから、姉さんも誰か使えそうな人を探しておいて」

 

 割とまともだ。『組織』の大それた目的を実現するにはもっと人が必要なのではと思っていたところである。そもそも、何をすれば絶対評価性を廃止することができるか分からないし、人数を増やしておいて損はないはずだ。『組織』が廃止の方法を考えていた場合でも仲間は必要だろう。

 それに反対する理由はないのだが。

 

「どうやって探すの? 『組織』は秘密裏に活動してるんでしょ?」

 

 私の所属している『組織』はおそらくデリケートな組織。人々を支配している『世界』に反旗をひるがえしているので、そうそう姿を現さない方がいい筈。そう考えると、リスクの少ない効率のいい探し方が分からなかった。どんな人を探せばいいのかも分からないし。

 私の問いに妹は少し考え込む素振りを見せた。かすかに唸り、一言。

 

「なら、今狙ってる人がいるから二人でその人を勧誘する?」

 

「狙ってる人?」

 

 妹は頷く。満面の笑みを浮かべ誇らしげに言った。

 

「そう。その人は——情報屋よ」

 

 情報屋。またもや飛び出した学園生活に縁のない単語。キッチンから戻ってくる華蓮を視界の端に捉えつつ、私はため息を吐いた。

 私の学校だけなのかな、こんなおかしいのは……。

 



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