ハイスクール・フリート-No one knows the cluster amaryllis- (Virgil)
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Chapter-XX ムサシハココニアリ

はじめまして。Virgilと申します。
普段は艦これ小説を書いているのですが、ひょんな機会からはいふりを見始めました。

突発的な武蔵小説ですが、宜しければお付き合いくださいませ。

それでは、どうぞ。


 あぁ。きっとこれは罰なのだろう。光の元で生きよう――などと身の丈に合わない願いに対する裁きだ。手の平から零れ落ちていくのは、仲間の命。それら全てを磨り潰して、私は此処にいる。

 

 叛乱艦として。それでも、横須賀に帰る事だけを胸に武蔵は戦ってきた。例え報われないものだったとしても。誰が為すら分からなくとも必死に生きてきた。

 

「まっさか、本当に撃ってくると思いませんよ」

「人魚様も余裕がないのかね、これは」

 

 最後の航海。死にもの狂いの逃避行の締めは、苦虫を噛み潰した砲術長と呆れの混じった航海長の呟きから始まった。

 

 今までの長旅に比べれば、横須賀を目前にして残されたのは僅かな距離。あと少しでこの航海も終わりだ。しかし乗員たちは、それに浮足立つこともなく己の持ち場を守っている。

 

「雷跡、七、八。直撃コースです。副砲長っ!」

《左舷対潜よーい。機銃掃射で、どうにかなれば良いんですけどね》

「取り舵一杯ッ、機関全速!」

 

 武蔵後部の射撃指揮所からは、こんな非常時であっても軽口が返ってくる。そんな様に自然と笑みが零れるが、絶望的な状況には変わりがない。

 

 自動化された25mm三連装機銃。副砲管制員の操る40口径連装高角砲が一斉に砲弾を吐き出し、迫りくる青い牙を叩き伏さんと海を裂く。しかしコンピュータで計算し尽くされた迎撃スクリプトとはいえ、一つでも魚雷に当たれば幸運な方だ。

 

 迎撃したもの、急加速と転進によって艦尾をすり抜けたものを除いて、四発の直撃。幸先の悪いスタートなのは否めない。

 

「左舷に被雷っ、航行はまだいけます! ですが速度がっ」

「右舷注排水区画に注水開始。傾いたら終わりですわっ」

 

 乗員からの報告に、大型直接教育艦「武蔵」の艦長である知名もえか三等航洋士は唇を噛む。手数、速度、火力。最初から分かってはいたが、一対多の戦況を覆せる奇跡など万が一にもありはしない。

 

 勝利条件はただ一つ。入手した■■■■に対するサンプルデータを本土に持ち帰り、身の潔白を証明する事。乗員の誰かを横須賀港に下ろすだけなのだが、口にすれば簡単な筈の所業が無数の壁に阻まれる。

 

「相手から先に撃たせたから問題ありませんね。眉墨砲術長っ」

「巡洋艦の足だけ止めれば良いんでしょう!? また、副長は無茶をおっしゃる」

 

 大和型の最大射程。水平線の向こうまで狙い撃てるアドバンテージを捨ててまで投降の意志を示してきた。その答えがこれか。通信は一切なく、砲雨だけが降り注ぐ。流石にここ一ヶ月間どんな苦境であっても、自分の背を押し続けた眉墨砲術長の頬も引き攣っている。

 

「副砲長、管制員から主砲のコントロールをこちらに」

《了解。終わらせたら、とっとと艦長のサポートに入って下さいよ? 眉墨二士》

「分かってる。航海長、進路を北へ向けてくれっ。これじゃ射角がとれねぇ」

「了解。おも――かーじ」

 

 船体を軋む様に、急速に転舵。四隻からなるブルーマーメイドの艦隊に対し、同航戦に持ち込む。

 

「セオリーガン無視ですと、ここまで無茶が出来ますか。完全に詰めろ(・・・)ですけれど、眉墨砲術長の判断は?」

「同意ですね。今までどおりに難癖つけて、砲を撃つだけでしょう。村野副長」

 

 船体前後に装備された46cm砲三連装計三基九門。敵艦の後部を狙っての砲撃が、一斉に放たれる。結果として一隻の艦尾を抉りとるが、歓声を上げる余裕も彼女らにはない。

 

「弱装弾とはいえ、この威力……惚れ惚れするねぇ、武蔵ちゃんにはっ!」

「『チャンスは一回、撃ったら逃げろ』。教官の薫陶を受け過ぎです、砲術長」

「逆に火薬の量減らしてなかったら、本当に沈めてますからね? 砲術長」

「お前ら、俺を何だと思ってるんだよ!?」

 

 電探が故障している今、頼れるのは己の目と腕だけを信用する他はない。的確に指示を出し初発から当てる砲術長には感嘆するが、それだけでこのワンサイドゲームな戦況が覆るものでもない。

 

 被弾から免れた三隻は、逃げおおせようとする武蔵に未だに追いすがってくる。後部甲板から飛び立つ緋色の物体。風船のようななりをした飛行体は、速度を上げて一直線にこちらに向かってくる。

 

「村野副長っ! 何ですかアレ!?」

「飛行船よろしく、人が降下してくる可能性も捨てきれないわ。知名艦長の判断は?」

「単体による攻撃の意志がない場合には、飛行体には発砲を厳禁。警戒だけは怠らないでっ」

「艦長…………意志もなにも、言ってるそばから艦橋の目の前を陣取りそうですけど!?」

 

 舵を握る航海長は目の前の光景に対して、ホールドアップかのようにヤレヤレと手を振る。航海艦橋一杯に広がる緋色の船体。正直に言わずとも、邪魔の一言で片づけたい存在感である。

 

 貴奴から撃ち放たれたのは、色素を含んだ煙幕。只でさえ機器の故障を誤魔化してきた武蔵にとっては、肉眼での目視を防がれただけで敵の捕捉が困難になる。

 

 限られた視界から敵艦を見据えると、砲撃が続行されているのは分かる。着弾によって揺れる艦内。爆音とともに、上部甲板から火の手が立ち昇る。

 

《四番副砲に被弾ッ。艦長、このままでは危険ですっ。せめて飛行船の撃墜許可をっ!》

「知名三士っ! 撃たれるだけで良いんですかっ! いくら武蔵の装甲でも、これ以上の直撃はっ……」

「武蔵乗員に厳命っ、この状況で飛行船をこちらから撃つ訳にはいきません! 武蔵叛乱のニュースを世間にしらしめたいなら、撃たせるのが目的の筈です!」

 

 私達は、無意識に敵を作り過ぎた。それが■■■■国の差し金であったり、ブルーマーメイドや海上安全整備局の派閥争いに端を発したとしてもだ。

 

 クルーに責任はない。私一人が腹を切れば良い話だ。だからこそ、生贄として晒し首になる必要がある。アームレストを握りしめる。もうこれ以上、私の仲間を傷つけないでと。

 

「第四船速! 邪魔になるなら振り切るしかないっ。進路は北東を維持、何とか港まで持たせて! 煙の外に出る!」

 

 毅然と声を張る知名に対して。航海艦橋にいる面々は、呆れと共に諦めの表情でもあった。

 

「甘い、甘いって考えもあるでしょうけれど。帰った後のリスクヘッジを考えれば当然ですかね」

「横須賀を出港した時はどうなるかと思ってましたけど、肝が据わりましたねぇ。知名三士も」

「違いありません。幸か不幸か、戦闘に事欠きませんでしたからね、この船は」

「……航海長。副長も聞こえてます」

 

 被弾の度に轟音の鳴り響く航海艦橋で、近場の手すりに掴まり衝撃に耐える。申し訳程度の防弾ガラスの先には、こちらに砲を向ける敵艦の姿が見える。

 

 そんな軽口を叩いた彼女らには申し訳がない。しかし武蔵を預かる者として、彼女らに人殺しをさせたくないのは本心であった。と言っても撃ちたくない撃たせたくないの議論は、既に分水嶺を越えて議論の余地などないのだが。

 

 そんな自分の甘さに反発し、それでも受け入れてくれた乗員には感謝以外の言葉はない。しかし、そんな追憶をも戦況は許してくれなかった。

 

「この状況で飛行船……そんな行動で、飽和攻撃を仕掛ける以外のメリット。煙幕展開で役割は果たした筈だ。あんなクソ値が張る備品は、何で動かねぇ? あの型番はどこかの資料で………………ッ!?」

 

 知名の判断に仕方がない――と視線を外に向けていた眉墨砲術長。彼女の悲痛な叫びが、艦橋に響き渡る。

 

「速度を落としてこないっ! 瞳子ッ、艦長を連れて戦闘指揮所にッ…………早くッ!」

「砲術長? 何を……」

 

 振り向いたその目が、驚愕に見開かれているのが知名にも映る。どんな最悪の事態にも、事前に手を打ってきた眉墨二士の怯えと、強迫観念に染まった――――その絶望的な表情が脳裏に焼き付く。

 

 緋色の飛行船――――その正体に一早く気付いてしまった砲術長が、武蔵を敗北させまいと、声を張る。色煙の中を突っ切って現れたのは、そのまさかだった。

 

 幼年学校からの付き合いであったという村野副長の下の名前を、瞬間的に叫んでまで伝えたかった警告。その異常性に察した副長が知名の手を掴んで身を翻したのと、航海艦橋の前方に閃光が煌めいたのはほぼ同時だった。

 

 武蔵の航海艦橋目がけて、緋色の飛行体がのめり込むように突入したのとほぼ同時だった。構造物を削るように、打ちつけた飛行船が内部の火薬と共に爆砕する。鼓膜を破りかねない轟音。艦橋に通じる階段から吹き飛ばされながら。壁面にあちらこちらを打ちつけながら、二人は転がっていく。

 

「…………ご無事ですか……知名三士」

「一体何が…………副長っ!? 村野副長!」

 

 知名自身は軽度の打ち身程度で済んだのだろう。しかし抱えた状態で(・・・・・・)吹き飛ばされた、副長が無事で済むはずがない。

 

 制服が赤く染まり、痛みによる呻き声を堪えるのに精一杯である彼女。肩を貸そうとするが、ありったけの力で跳ね退けられる。

 

「汎用輸送艇に信管を作動させての突撃……こんな初歩的な手段に気付くの……が遅れるだなんて……少し考えれば分かる事でした……ね」

 

 とんだ落ち度だと彼女は嗤う。違う。只でさえ貴重な飛行船を、搭載した水素燃料ごと着火して爆破するなど予想の範疇を超えている。

 

「……お恥ずかしい限りです。これでは、貴女を護るに足りえない」

「こんな時にそんな話を持ち出さなくても……私たちは仲間でしょう!? それだけで、良いじゃないっ!」

「……それじゃあ……駄目なんです、知名三士。幼年学校(あそこ)で叩き込まれたことの全ては、勝利する為に……今は、艦長をお護りする事だけに皆が命を捧げるんで……す」

 

 力を振り絞り、壁に身を預ける村野副長。血糊に濡れた彼女の手が、知名の頬に触れる。

 

「此処でッ…………貴女に死なれる訳にはいきませんっ…………指揮を……私達を踏み越えて、成すべき事を……」

 

 彼女はその言葉を最後に、糸が切れたように動かなくなる。差し伸べられた手は、ただただ床に落ちる。

 

「今のは……!? 艦長っ、副長も!? 何が起きたんですかっ!?」

 

 幸運な事に階下の戦闘指揮所まで、転がり込んでいたらしい。知名の背後から、上ずった乗員の声がかけられる。

 

「知名艦長っ、航海艦橋がっ」

 

 次々と泣き叫ぶような、声が叩きつけられる。振り向いた先にいる戦闘指揮所の乗員たち。顔は緊張の連続で憔悴し、それでも希望を捨てずについてきてくれた。そんな部下を鼓舞し、ここまで助けてきてくれた彼女(ふくちょう)たちはもういない。

 

 だからこそ、もう。頼らない、頼れない――――違う。もう一度だけ力を貸してくれませんか。愚かな私を慮って、最後の願いを聞き届けてくれませんか? 村野副長。

 

 さぁ行け。力なく崩れた彼女の躰が仰向けになる。弛緩した筈の口角は僅かに吊り上がっていた。

 

 うん、行ってきます。最後の言葉にならないよう。別れの祈りにならないよう、もう振り返らない。

 

「全員、持ち場へ。射撃指揮所はどうっ!?」

《こちら副砲長。悪運はさすがに立派ですね、知名三士》

「艦長っ、ご命令をッ! 乗員一同、最後までお供しますッ!」

 

 ここまでくると、いつも軽々しかった副砲長の悪態も笑い飛ばせるようになる。さぁ、撃って来い。私達は此処にいるぞ、人である事を捨てた化け物よ(ブルーマーメイド)

 

「副砲長っ、砲撃管制を一任します。航海艦橋の喪失により、これより戦闘指揮所が指揮を代行します!」

《了解です、知名三士》

 

 もしも私の判断の甘さが彼女たちを殺したのなら、その罪を償おう。託されたものは大きいが、それでも胸を張って武蔵は戦ったと言えるだけの自分に。

 

「機関最大! 何としてでも、横須賀に帰ります!」

 

 この際。なぜ武蔵が叛乱艦として扱われるのかなぞ、さしたる問題ではないのだ。

 

 私達は横須賀に帰りたい。奴らが邪魔する理由は、一兵卒には預かり知らぬ話だ。だが結果として攻撃され、クルーは死んだ。ならば、それ相応の覚悟で戦わねばなるまい。

 

「副砲長、装薬の使用量を適正通りに。敵艦の足を奪います」

《艦長が殺る気とは珍しい。徹甲弾の使用は?》

「許可します。ただし、砲撃する箇所はブリーフィング通りでお願いします」

《どこぞの射撃馬鹿(ほうじゅつちょう)と一緒にしないでください……でも、やりますよ》

 

 難癖を付けられると思いきや、意外にも良い反応を返してくる。小言の一つを言われるかもしれないと思ったが、斜に構える副砲長なりにも仇討ちには賛成らしい。

 

「艦長! ながら型巡洋艦の艦艇図との砲撃リンク、構築完了しましたっ。射撃指揮所に共有開始します!」

《砲術長の置き土産か。味な真似をしますね、あの人も》

「全砲門、開けっ! 目標、敵の先頭艦。攻撃始めッ!」

《了解、撃ちィかたぁー始めッ!》

 

 視界の端に、戦列に加わらず航行を続ける艦艇を見やる。航洋直接教育艦「晴風」その艦橋にいるであろう、少女を思い浮かべ。慌てて脳裏から追い出す。

 

 決して晴風が――――ミケちゃんが助けてくれる筈がない。

 

「ごめんね、ミケちゃん。さようなら」

 

 だからこそ、私は戦う。



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Chapter-01 ソノナヲモトムルカ

 暗闇の中、あるのは剣山のみ。四方は血の海で染まり、蛇が首をもたげる。汗ばむ手には、似つかわしくない……いや。不釣り合いと言うべきか、自分が憧れた形見が黒光りする。部屋に飾り続けた拳銃は私の感情を後押しするかのように不気味に蠢いた。

 

 私の母は、遺品がこんな形で使われるとは夢にも思ってもいなかっただろう。まさか、実の娘が父親を殺す為に引き金を引こうなどとは。

 

 夢の中にいるような感覚。走馬灯のように流れていく景色は、自分の思い出したくないものばかりを描き出していく。今見えるモノは、確かあの日の大雪だっただろうか。自分の感覚だけが追想する。

 

 閉じ込められていた部屋から、あるだけの布を手繰り寄せる。外套には似つかない、不恰好な様で窓から飛び降りる。

 

 用心深い父親が仲間共に酒を呑む時だけが、有一の脱出するチャンスだ。文字通り口を封じない代わりに知名もえかの存在そのものを隠蔽することで、彼らは己の罪を隠している。交代の見張りなどご苦労な事だが、今までやってきたものと比べれば神経質になる理由も分かる。

 

 だからこそ私はこの家から脱出することが有一の目的であり、この世に生を繋ぐ僅かな願いだったのだから。

 

 鳥籠の中の自由。そして恭順を示した自分の行動を対価に、ある程度の道具はかき集めている。窓枠の格子はかなりの時間をかけ腐食させ、部分的であれば自分のひ弱な腕でもひしゃげさせられる。

 

 首の皮一枚で繋がっている部分をプラスドライバーを捻り、取り外した鉄格子を階下の雪原に放り投げる。この荒天だ。多少の物音を立てたとて、近所の住民からも屋根からの落雪だと勘違いされるだろう。といっても、父親たちにはバレた前提で行動するにこした事はないが。

 

 事前に裂いたシーツは、既に縄の様に繋げ補強してある。括りつける先があの(・・)忌々しいベッドであることに、笑いを禁じ得ない。文字通りこの家に縛ってきた枷でしかない家具が、自分の脱走を手伝おうなどとは。

 

 ビニール袋に詰め込んだ武器(・・)をシーツのもう端に結び付けて、重石とする。手早く垂れさげたシーツに手をかけ、窓から身を躍らせた。自分の全体重を両腕だけで支えるのは、なんとも酷な話か。せめて小学校の昇り棒であればと思うが、背に腹は代えられない。

 

 見込みが甘く、長さが足りない分を飛び下りる。先程よりも大きな音が響いたのは言うまでもない。そもそも三階相当の家なのだ、軽い打ち身で済んだだけ遥かにマシだ。

 

 足裏が凍傷にならないよう、先に落としたスリッパを足にガムテープで巻きつける。そもそも自分の下足など、この家に来た時点であったかどうかも疑わしい。

 

 母が死んでから、狂ったように人柄が変わった父親。これは罰なのだと。叫びながらの所業に怯える日々であったが、死んでたまるかと言う根性だけが私の全てだった。

 

 雪駄もなく、ありあわせの装備で雪原を走る。裏口を越え、あとは門から出るだけ。その気の緩みが、自分の甘さなのだったと再認識する。

 

「アレ……もえかちゃんじゃん。先輩もこの娘を逃がしたらヤバイことくらい分かってんのに、なぁにサボってんすかね」

「っ!?」

 

 父親が良く連れてきた後輩と呼ばれた男。父親の言う罰に加担した者の一人であるし、私としても恨むべき相手の一人だ。

 

 しかし思いがあろうとなかろうと、ひ弱な少女でしかない自分が大の大人に勝てる訳がない。駆け抜けようとした矢先に片腕で担ぎ上げられ、もう片方の手が玄関先のチャイムに伸びる。

 

「あー、先輩? 約束通りに迎えに来たンすけど。ちょうど、もえちゃんが家出しようとしてるのを取っ捕まえましたぜ…………あぁん? 逃がしたのはそっちの不手際でしょう!? というか、この娘逃がしたらココにある荷物(・・)がバレるでしょっ。 こんなカワイイ娘は殺しちゃ勿体無いんだから、またお部屋に飾っとk」

 

 両腕で抱えるように押し付けて、遺品の引き金を引いた。手で保持しきれずに明後日の方向に飛んで行ったが、男の肩を抉るには十分だったようだ。最初は何が起こったのか分からなかった男が、顔を顰めて知名の体を取り落とす。

 

「……痛ぇ、痛ぇ、イテェ、イテェよ。この餓鬼っ、俺を殺そうとしやがったっ」

 

 銃声を聞きつけたのか、家の中からゾロゾロと仲間達が出てくる。倒れた男に駆け寄る者。残りは知名を逃がすまいと、怒りの形相でこちらを取り囲む。

 

「コイツっ、コイツだけは殺すっ! 先輩の娘だからって容赦しねぇ。生きていられたのが俺らの気まぐれってのが分からねェのか馬鹿がァ! 外でヤる(・・)のがお望みなら、お前をこの場で裂いてやろうかァッ!? あの時みたいによォ!」

 

 のたうちまわる男が断末魔のように叫ぶ。それを諌めながらも、他の仲間は何としてでも事態を収束させようと知名ににじり寄る。

 

 髪の毛を掴まれ、頭をブロック塀に叩きつけられる。痛みにはもう慣れっこだ。この程度で気を失えるなら、今までどれ程幸せだったのだろうか。

 

「誰か………………助けて」

「助けなんか来る訳がない。ここに拠点を構えたのだって、一帯を口利き出来る奴がいるからだ」

「誰か、助けてっ!」

 

 助けが来ない? 意味がない? そんなものは知るか。助けを呼びたくて何が悪い。

 

 締め落とす様に、首元が掴まれる。酸素を求めて脳味噌が警告をだすが、もがく様に腕が空を斬るだけだ。

 

――――ダレカ…………タスケテ

 

 この言葉が誰かに届いたのかは、今なお分からない。

 

 

 

 

 

――――ダレカ…………タスケテ

 

 その思考が中断したのは、後頭部に叩きつけたような痛みが広がったからだ。

 

 閉じた目を開く。仰向けの姿勢で、青空が見える。

 

 現状を整理しよう。横須賀女子海洋学校の入学式に向けて歩いていたのはいい。前日に緊張しすぎて結局眠れなかったのも原因だ。気を抜いた直後に、ふと世界が暗転したのも覚えている。階段を上る最中で転んだのか。

 

 体を支えようと、両腕を突っ張ったところで違和感。地面はこんなにも軟らかかっただろうか。

 

「ッ!? 悪ぃ、御嬢さんっ。 起きようって気も分かるんだが、俺の体を触るのは勘弁してくれ……」

「…………っ!? すみませんっ!」

 

 首を傾けると、自分の体は誰かをクッションに倒れ込んでいるようだ。捻るように転がると、潰されていた人物も起き上がり暗緑色のジャケットを叩き埃を払った。

 

 一目で判断すれば、近寄りがたい人相。目つきが悪いのかこちらを睨むように一瞥したが、目を合わせた頃合いに、相手の灼けたような髪が第三者に叩かれた。

 

「明女っ、初対面の相手に眼付けてどうするのっ!? 自分から転がってくる女の子に突っ込んでいった結果が、何て様なのよ」

「うるせぇ、瞳子。無意識で煉瓦に当たるのと、痛み覚悟で下敷きになるなら後者の方が軽微だ」

 

 叩いた青みがかった黒髪の少女の指摘に対して、赤みを帯びた茶髪の子からは心地の良いアルトで返す。そのやり取りを見られたのが気恥ずかしかったのか、少女が気まずそうに頬を掻く。

 

「えっと。助けて頂いてありがとうございます……でしょうか?」

「まぁ、お互いに大事でなけりゃ万々歳だ。かすり傷なんて、唾付けときゃ直る」

 

 意に介したような素振りもなく、照れ隠しに似たぶっきらぼうな口調で返ってくる。

 

「これから入学式ですか? でも、ここの近隣なら横須賀女子海洋学校しかありませんけれど」

「あり…………やっぱり、俺って男に見える?」

「明女の言動が男勝りなだけですよ。もう少しお洒落に気を使うべきですね」

「やめろよ……化粧なんて専門外なんだ」

 

 勝気な振舞と、オブラートに包めばスッピンな茶髪の少女は盛大に肩を落とした。よくよく思い返す、身を起こす際に残っていた感触。うん、あれは確かに女性独自の軟らかさであった。

 

 それでも身の丈にあわない暗緑色の軍用ジャケットを羽織っている様は、背伸びをして軍人を目指すような様で何だか微笑ましい。

 

 私に視線に気付いたのか、明女と呼ばれた灼け茶色の髪を揺らして振り返る。

 

「ともあれだ、これも何かの縁だな。横須賀女子海洋学校第二十一期生、砲雷科の眉墨明女だ。これから宜しく」

「同じく二十一期生、村野瞳子です。海洋中学では水雷科専攻でした」

「知名もえか……です。私は航海科だけど、よろしくお願いします」

 

 男勝りな方に対して、村野と名乗った少女は仰々しく礼をする。差し出した手を握り返すと、二人も笑って返した。

 

「航海科か……カリキュラムが違うのが残念だな。一緒ならレポートの処理だって楽だったろうに、学年主席殿とのコネは大事だよなぁ」

「その『書類から逃げる癖』はいい加減にしたらどうです? 初等部でも加藤二士に泣きついてただけじゃないですか」

「全部が全部書類社会な、日本の海洋防衛組織の根幹に問題があると思いまーす。村野二士。なぁ、知名主席もそう思うだろ?」

 

 海洋実習を除けば座学は学科別であるから、彼女の言い分も間違っていない。しかし適性と学力別によって、搭乗艦がクラス(・・・)として分けられる海洋学校の特異な例を鑑みれば、こういったところで親交を深めるのは悪い話ではないはずだ。

 

「偶然とはいえ、ご挨拶遅れました。知名艦長。この度はご入学おめでとうございます。武蔵クルー一同。全力でお供させ頂きます」

 

そう仰々しく頭を垂れる村野さん。そういえば、むらのとうこ(・・・・・・)を漢字で起こせば見覚えがあった。

 

今朝渡されたクラス名簿の中に、確かにいた筈だ。順位は次席。つまりは私が勝った相手であり、その地位に甘んじなければひっくり返されない成績でいる生徒という事だ。

 

あぁ。これは微妙に気まずい。友好的かどうかの判断はどこですべきか。齢が二十にも満たない私にとって、その経験はまず欠けていると言ってもよい。

 

 何か逸らす話題はないかと思いを巡らせたところで、誰かの端末に着信音。慌てて取り出したのは、眉墨さんだった。

 

《眉墨ぃ! お前、第三ヤードの前で集合って件を忘れてないか!?》

「すまん加藤っ。瞳子とすぐ行くから3分待って! 悪ぃ、主席殿。話はまた後でなっ」

《さんざん横須賀の教官に迷惑かけるなって言ってるだろっ! いい加げn……》

 

 通話先の怒声を断ち切るかのように、端末を閉じる彼女。そして何事もなかったかのように、一礼と共に眉墨は村野の手を引いて風の様に去っていく。

 

「じゃなっ! 知名艦長! またホームルームでなー」

「…………忙しい人達だったね。あれ?」

 

 ちょうど、階段下の部分。朝日を照り返し、鈍く輝く光沢が見える。拾い上げるとペンダントの様に吊り下げるチェーンが切れているが、それ以外の部分も多くの傷がついていること分かる。

 

「懐中時計……かな。それも、結構古いものだし」

 

 ちゃんと時は刻んでいるようだし、大事に扱われているのは伝わってくる――――問題は誰のであって、なぜコレがここにあるのかだが。

 

「これって、彼女達の……だよね」

 

 風のように去っていった二人組のもので間違いはなかろう。大人しく学校の事務部に届けるべきか。それとも名前と顔と学科は知っているのだから、直接届ける方が早いのか。

 

 その択を考えとして移す前に、思考を断ち切るチャイムが鳴り響く。

 

 このままでは、不味い。入学式。そして登校初日に遅刻する訳にはいかない。

 

「ミケちゃんもいるかもしれないし、急がないとっ!」

 

 握った銀時計を鞄に押し込み、赤レンガへ向けて走り出す。



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Chapter-02 コトバハタガタメニ

資格試験三昧で、期間が大分空いてしまいましたが投稿です。

ファンブックに武蔵クルーの詳細が書かれてて困惑中ではございますが、邁進していこうと思います。

さて、はいふり小説を追いかけている方なら読者も多いと存じますが、キュムラス先生(の中の人)から承諾いただきまして
ハイスクール・フリート・プラスワン・アンド・アザー
https://novel.syosetu.org/86154/
の世界観構築に、時折お邪魔させて頂いております。

パプアニューギニアにおける紛争の行方はいかに。風呂敷はしっかりこちらで畳ませて頂きます!

それでは、どうぞ。


『――――ニューギニア共同炭鉱崩落事故を受けて、慰霊訪問中だったパプア皇国フランシス国王陛下が、何者かによって狙撃されて二日が経とうとしています。現地メディアのパプア通信は、国王陛下の容体は未だ不安定であり、安全のために搬入先は答えられないとの情報から続報はありません。現場はメラネシア=ブーゲンビル侯国との国境沿いにあることから、昨年パプア・ドイツ両国間で結ばれた中立条約に反発する一派の犯行とみられています。しかし――――』

 

 携帯端末から流れる情報は逐一チェックしている。いついかなる時にも、知っていただけで得をするという場面を多く経験しているからだ。今日だって、入学者の主席として海洋実習でのスピーチを任されたというのだから仕方がない。教員との世間話にしかり、何かしらのネタがなければ話すのは苦手だというのも、自分が自分自身のことを良く知っている。

 

 知名もえかという少女は、自己評価の低い人間であり。そしてまた誰にも増して努力を惜しまない人間であった。

 

 寝ぼけ頭に対して、唇を噛み切る勢いで刺激を与える。それでも霧のかかったようなこの意識が覚醒するなど難しい。先程だって、階段から転倒する始末だ。これでは、この先どうなるかもたまったものじゃない。

 

 そんな中、文字通り白みかけた視界を裂いたのは、旧友ともいえる少女の笑顔だった。

 

 岬明乃。私自身が彼女に親友と思われるかが不安だが、私にとっては太陽のような存在。どんな場面であっても、決して陰ることのない光。破顔した彼女が茶色いツインテールを揺らしてこちらを覗き見る。

 

 イヤホン外して――というジェスチャー。入学式直後に服が汚れるのに構わず草っ原で寝そべっていた訳だが、彼女はこんな僻地でも見つけてくれたらしい。埃を叩いて起き上がると、同じ目線まで腰を下ろしてくる。

 

「勉強熱心だね、もかちゃんは。試験で一位っていうのが分かったんだし、肩の力を抜いても良いんじゃない?」

「……そんなことないよ。こんなのじゃダメ。満点をとれなかった以上、まだ伸び代がある。足りない何かのために勉強するんだから」

「私は、受かっちゃえば良いと思うけどなぁ。だって、知識を活かせるかは実際に船に乗らなきゃ分からないもん」

「そうね。でも、雑学だって役に立つよ。何を他人に聞かれるか分からないから」

「もかちゃんは警戒心の塊みたいだねー。誰も食べたりなんてしないよ」

 

 ガオーと怪獣の真似をする。でも、もかちゃんは可愛いから危ないかも――――そう言って笑う彼女。

 

 私にとっては眩しすぎる。表情は巧く誤魔化せているだろうか。観察眼の鋭い彼女のことだ。せめて彼女の前だけでは、あの頃の知名もえかでありたいものだが。

 

「それは無理してるって顔だよ、もかちゃん。何か嫌な事でもあった?」

 

 早速ばれている。自分から勝手に引け目だと感じているだけだが、それでも彼女には釣り合わないと思ってしまうのが自分の性なのだが。

 

「寝不足なだけだよ。入学式もあって緊張してたし」

 

 言葉自体は嘘ではない。安眠できる日なんてそうそうにないし、勉強している方がマシだったりする。だが、こう答えれば彼女はこれ以上追及しないだろう。離れていたとはいえ、長い付き合いだ。他人の不快感も読み取れるからこそ、引き際は心得ているのだから。

 

「そういえば気になってたんだけど、それどうしたの? 鞄に括りつけてある銀時計」

 

 目をキラキラさせて聞いてくる。そんなに珍しいものかと問うと、彼女の輝きが一層増した。

 

「表面の細工は、江田島海洋学校のロゴだよ。えーっと、刻み文字でXIII……13!? もかちゃんっ! これどこで拾ったの!? レプリカとかファッション!?」

「み……ミケちゃん落ち着いて。一体どうしたの?」

 

 眠気が吹き飛ぶように肩を揺さぶられる。脳味噌がシェイクする勢いで気持ちが悪い。謝意もあって、落ち着くまでに数瞬を要したが。本当に何事なのだろう。

 

「江田島海洋学校は知ってるよね? 呉女子海洋学校じゃなくて」

「勿論知ってるけど……安全整備補助学校の一つで、たしか……第七管区の直轄じゃなかったっけ?」

「惜しいけど、ちょっと違うかな。あそこだけは補助学校でも独立してる学校なんだけど、特別ってくらいに伝説が多いところなの!」

 

 夢見る乙女のような表情をされても、こちらとしては困るのだが。興奮を抑えきれないような表情。彼女は畳みかけるように言の葉を続ける。

 

「その中でも13期生は有名だよ。5年くらい前にあった”暁の日輪事件”。もかちゃんも覚えてない?」

「そっちは分かる……かな。日本の教科書だと、台湾沖海戦のことを指すのが多いけど」

「そう! 呉、佐世保から30隻が参加した台湾沖海戦。その中で遠洋航海から帰投中だった教育艦があったのっ。それに参加したのが」

「その13期生って訳なんだ」

 

 彼女の言葉を遮るように、舌先から思考が飛び出す。

 

 教育艦が実戦。記憶を辿れば確かにあった。中国や朝鮮出身のアジア系海洋民族による国家独立宣言。台湾を制圧したテログループの名前が”暁の日輪”だったはずだ。

 

 独立宣言ならまだしも。日本とユーラシア大陸との間を検閲と言う名目で、略奪を繰り返した立派な海賊である。

 

 日本ブルーマーメイドをはじめ、各国海軍が集中包囲したなかで自称国家様は、何十隻もの艦艇や民間船を屠ってきた。たしか業を煮やした討伐作戦でも、10隻を越える艦艇を喪失したはずだ。

 

 思い出した。遠洋航海から帰投中に、不運にも戦闘に遭遇した民間の輸送船団を守るために戦った教育艦がいたことを。勇敢な少女たちによって救われた命――――などと、メディアがこぞってお涙頂戴と報道していたあの事件は。

 

「それでね。海上安全整備局が提携してる人魚日誌の……えーと、あった。消される前にサルベージしといて良かったって、覚えてたんだ」

 

 ミケちゃんが取り出した端末には、当時掲載された電子新聞の記事。海上安全整備局側が、委託していた業者に圧力をかけたのではないかというブランクナンバー。その中には『西戎討伐ス! 奇跡ノ海戦!』などと、文章が羅列されている。

 

 そういえば、そんな事件があったかもしれない……だなんて解釈は当然だ。内容の真偽はともかくとして、海上安全整備局がこの事件を隠蔽に走った方がマスコミに叩かれていたのだから。

 

 不沈艦雪風。その名だけが独り歩きしているのは有名だ。今では横須賀に係留されているはずだが、永久欠番のようにその後の目撃情報は皆無という幽霊船(・・・)。英雄の凱旋と誤魔化したが、実際には喪失した噂もあるはずだ。

 

「話が逸れちゃったかな。それでね。江田島海洋学校の初等科では、各科主席の卒業生に懐中時計を贈る風習があるんだ。小学生のエリートだねっ。だから13期生のってよりも、銀時計があるって方が重要なんだけど……どこかで拾ったの?」

「あーっ、えーとね。入学式の前にちょっと転んじゃってっ! 助けてくれた子の落とし物で、本物かは分からないかな」

「そうなのっ!? じゃあ、本物なら私達と一緒の学校だねっ! そっかぁ、年が一緒だったんだぁ」

 

 彼女をそこまで夢中にさせるのは何なのだろう。戦果を上げた同級生に対する憧れか……いや違う。彼女は真偽はともかくとして、自らを省みず戦った英雄。その人が隣にいるだけで、嬉しいものなのか。

 

 夢にまで見た、ブルーマーメイドの登竜門――横須賀女子海洋学校。そこに生ける伝説がいるだけで、自分が同じ土俵に立てることが重要なのだろう。

 

 そんな彼女の熱意とは対照的に、知名は今朝の邂逅を思い出す。

 

 銀時計の持ち主の燃えるような髪色。背に不釣り合いな上着を羽織る姿。対照的に、背の高い少女の冷たい視線。それでも穏やかな表情を崩さないあたり、あの子は普通の高校生ではないのは事実だろう。明らかに場慣れているれしている雰囲気であった。

 

 ミケちゃんの願望かもしれないが、本当に彼女達がその英雄だったとしたら? それでも、私は対応を変えないだろう。拾ったものは渡さねばならない。それだけに尽きる。もちろん、助けてくれた礼を重ねたいものではあるが。

 

「そう……雪風のクルーなんだ。あの子」

「……もかちゃん?」

「ううん、何でもない。行こっか、ミケちゃん」

 

 入学式前に渡された、クラス名簿を見据える。

 

 村野瞳子、眉墨明女。あと確か、加藤、加藤――あった、加藤占菜。他のクラス名簿にも加藤の名はないから、電話先の相手が彼女だろう。

 

 偶然の産物か、三人とも武蔵の名簿に名を連ねている。もしミケちゃんの言うとおりに英才教育の塊であるのなら、彼女達は本当に雪風のクルーなのかもしれない。

 

 だが、それだけだ。

 

 渡された成績表に記された、超大型直接教育艦武蔵 艦長知名もえか の文字。組織に組み込まれた人間は、その組織の長に従わねばならない。受験勉強にすら出る問題を履き違えるほど、彼女らは愚かではないだろう。

 

 少なくとも、ファーストコンタクトは良好だった。彼女らとなら、良い上司部下として過ごしていけるだろう。

 

 ミケちゃんに手を引かれ、港内を見渡せる場所まで出る。

 

 遠目に、接舷された艦艇が見える。一際目を引くのは、あのとき見た大和の姉妹艦である武蔵。これから私の家とも言えるべき場所だ。これからの航海に備えて物資の搬入がされる様が、海洋実習に備えて身震いするような獣に見えたのは、私の寝不足に違いない。

 

 イヤホンジャックを引き抜くと、先程の特集でコメンテーターの解説が終わっていたらしい。締めくくるような解説が終わったのが流れてくる。

 

 聞き逃してしまったと後悔しつつ、端末をスリープさせる。しかしその最後の言葉が、なぜか耳から離れなかった。

 

『――――事件に際して、訪日中だったパプア皇国のフランセス=チャーチル第一皇女は「誠に遺憾であり、オランダ領インドネシア政府に抗議する。皇国の人間としてではなく、ニューギニアの民として、事件の解明を願う」と述べられました』

 

 この時のニュースを見ていれば、少しは結果が変わったのかもしれない。

 

 歪んだ歯車が回り始めたことに、私はまだ気付かなかった。



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Chapter-03 ギヨクセキヲアツメ

「知名かんちょー。搬入作業はほぼほぼ予定通りなのですよー。ヒトゴー・マルマルには、各自持ち場につけそうです!」

「分かったわ、月詠さん。こっちも手続きを済ませたら合流すると、村野副長に伝えてくれる? 多分、航海艦橋で出港準備を進めてくれるはずだから」

「まっかせなさい! 電測でも雑用でも、もっと頼ってくれていいんだから!」

 

 港湾付近の屋舎。そこで事務手続きを済ませていた知名たちに対して、外から声を張り上げられた。窓から階下を覗くと、似姿が近しい茶色の髪を持つ双子が、両手に段ボールを抱えてこちらを見上げている。

 

 予定表通りであれば武蔵のクルーはそれぞれ備品や私物の搬入を済ませている筈だが、わざわざ戻らない私達を探しに来てくれたらしい。

 

 報告をそこそこに駆け出していく二人を見て、隣にいた眉墨明女砲術長がその様を見て叫ぶ。出会った時と違い眼鏡をかけ、焦点を合わせるように目を細めていたのが驚愕の色に変わっている。

 

「コラっ、月詠姉妹! 前向け前ッ! 港とはいえ、そう歩行スペースに余裕がある訳じゃねぇんだから……って、聞いちゃいねぇ」

「えーと。元気があるのは良いんじゃないかなって……」

「だと良いんだがな……月詠姉妹の妹、あーポニーテールの方ね。月詠雪花(ゆきか)二士の方は、だいぶドジッ子でなぁ。って言わんこっちゃない!?」

 

 遠目で見ると、他艦のクルーと衝突しかけたのか箱の中身を散らかしてしまっている。慌てて、ショートカットに赤い髪留めが映える少女――――姉の月詠風花(かざはな)二士が助け起こしている。

 

 姉妹の仲が睦まじいなと眺めていた知名に対して、隣に立つ眉墨は呆れ顔だ。どうも彼女たちとの付き合いも長いらしく、こうしてすれ違う武蔵のクルーに関して教えてくれるのがありがたい。何せ、これから皆を引っ張っていかねばならない。そのためにも、同輩に関しての情報は欲しかったところだ。

 

 そんな折に職員用の部屋での要件を終えたのか、廊下で待つ知名たちに近づいてくる者がいた。銀にも見えるような白髪。それを粗暴に右後方に束ねた彼女から、事務連絡の様に簡潔に報告が述べられた。

 

「主計科も、概ね予定通りです。ご確認ください、知名三士」

「衛生用品、食料品その他。はい……確認しました。えーと……加藤さん?」

「……覚えて頂き、恐縮です。加藤占菜と申します。そこの馬鹿(ほうじゅつちょう)との会話は冗談半分くらいに流すのが身の為ですよ。知名艦長」

「馬鹿って何だよ馬鹿って!?」

「中等部で被った被害その他を今ここで論じるなら結構。むしろ当然の事と自覚して下さい。放っておいてそれでは武蔵に戻りましょう、艦長」

 

 船を支える縁の下の力持ち。主計科を束ねるのが、目の前にいる加藤占菜二士だ。艦長の知名が手が回らないところをフォローしてくれた辺り、非常にありがたい。この場にいるのも、指示で出ずっぱりだった自分の代わりに奔走してくれた彼女に追いつくためだった。

 

 プイと顔を背けるように振り向いた加藤に対して、眉墨が追いすがるように続く。慌てて知名も屋舎を飛び出し、船に戻ろうとする二人に並ぶ。

 

 帳面を見て呟く加藤二士に対して、先程の気まずい件もあるため声をかける。

 

「さっきはごめんなさい。一つ訊いて良いかしら。機嫌を損ねていたのであれば、謝ろうと思ったから……」

「恐縮です。元から、笑うのが苦手なもので。決して怒っている訳ではありません」

「加藤主計長の顔はシベリア級だからなぁー」

 

 要らぬ発言をした所為で、盛大にヘッドロックを仕掛けられた眉墨砲術長。触らぬ神に何とやらだ。

 

 そんなに表情が硬かったですか? と言わんばかりの視線。反応を見る限り、特に触れられたくない話題ではないらしい。感情の機微にだけは敏感でありたいと思うが、申告通りに彼女は怒ってはいないようだ。

 

 ようやく首締めから解放した彼女が何かを思い出したかのように、知名へ向き直る。

 

「そういえば、言伝を頼まれていました。武蔵の専属教官である、北条教務主任補が急用でお暇を頂いているようです。カリキュラムの都合上で出港を遅らせる訳にはいかないので、武蔵はこのまま時間通りに予備生のみで航行せよとのこと」

「えっ、ちょい待ち。学生だけで行って来いって!?」

「その台詞は北条教官他、教鞭を執る方に言ってください。あらかた身内にご不幸があったりでしょう。仕方がありません。とはいえ、武蔵の教導を引き継がれるのは古庄教官です。ご愁傷様です、知名三士。教務主任が直々にご指導くださるそうですよ」

「教務主任。古庄教官かぁ……穏和そうだったんだけどなぁ」

 

 入学式で並んでいた際にも、目に入ったので覚えている。正直、恐れ多いと言うのが率直な感想だ。

 

 戦場が主計科な自分には、関係ありませんが。そう言わんばかりの加藤二士。確かに教官が変わろうが、艦橋と違って接点は少ないだろう。

 

「あー、俺も後部の射撃指揮所に籠っちゃダメ? あの人苦手なんだよなぁ」

「眉墨さんは、古庄教官の事を知ってるの?」

「何度か、中等部で世話になったことがある。救難支援部門のエキスパート。宗谷校長の引っこ抜きがなかったら、今でも現役で名を馳せていたんだってレベルでチート。叙勲式何回出てたっけあの人」

「そっか。お手柔らかにして欲しいかな……」

「お陰様で難破船の救助やらはお手の物よ? 俺達。何回スクランブルで実戦経験を積まされたことか……」

「思い出したくもない……」

 

 サイズの合わない暗緑色の上着を捲りつつ、腕っぷしを見せる眉墨。対して、視線を漁っての方に向け現実逃避をしようとする加藤。そんな二人の様を見て、口元が綻ぶ。

 

「二人は、中学でも仲が良かったんですか?」

「腐れ縁ですよ。腐れ縁。村野副長がいなかったら、いくつ命があっても足りません」

「そんな言い方ないだろっ! いつ俺がそんなことしたよ!?」

「たとえば、初等部六年の海洋実習の話をしようか? 知名艦長、対潜水艦模擬戦闘の話なんですけどね。眉墨二士は爆雷が足りないからって、模擬弾の炸薬をドラム缶に詰めて重石と一緒に沈めました。ところが発火装置つけ忘れたのを投下してから気付いて、慌てて対潜砲弾で爆砕してますから。フォローにまわった艦長は、大笑いしてましたけどね」

「アレは機関長が悪乗りしたからだぞ!? 第一、俺が元凶っていうのは納得がいかない!」

 

 眉墨砲術長は、かなりアグレッシブな子だと再認識。勝手をやらせるとマズイ事は分かった。

 

「まぁ、二人とも。せっかく一緒に武蔵に乗ることになったんだから、仲良くしましょう……ね」

「一癖も二癖もあるような連中とつるまなきゃならないなんて、幸か不幸かどちらでしょうかね」

「俺は、加藤の手腕とレポートの支援はアテにしてるぞ?」

「前言撤回です。馬鹿と天災(・・)は紙一重だ」

 

 赤茶けた髪色の眉墨の呟きに唸る白髪の加藤から、怒気と言うか湯気が立ち上るのは錯覚と信じたい。そんな風に歩くうちに埠頭へ辿り着く。

 

 要塞の様にそびえ立つ戦艦武蔵。戦闘行動が情報化された現在では、艦艇の乗員は計器を眺めるだけになりつつある。しかし長年の航行に関するノウハウは絶えさせてはならぬと、私たち横須賀女子海洋学校の生徒はいる。自動化された事によって、通常航行は両手の指で足りるくらいにまで効率化されている。それでもこの黒鉄(くろがね)の城を動かすのは、ヒトに他ならない。

 

 タラップを駆けあがり、甲板に出る。乗員が目まぐるしく駆け巡り、出港準備を整えていた。持ち場へと移動する加藤主計長と別れ、ラッタルを昇り砲術長と一緒に航海艦橋へ。そこには教室で顔合わせしたメンバーがずらりと並び、知名たちの到着を待っていた。

 

「艦長、お疲れ様です!」

「主役は遅れて登場。おー出ましってね」

 

 真面目な声もあれば、軽口のようなラフな言葉も飛び出る。それぞれが座学や実技両面に優れた精鋭たち。同時に一癖も二癖もあるに違いない。そう言う自分も、言わんことではないが。

 

「悪い、待ってたか? 村野」

「主役は貴方じゃくて艦長よ。とっとと持ち場につきなさい、眉墨」

 

 軽く手を上げて艦橋に入った眉墨に対して、村野副長から呆れを含んだ嗤いが返る。知名の姿を認めた副長が、礼を返す。

 

「これで、全員揃いましたね。村野副長、状況は?」

「では、口頭で失礼します。乗員30名。体調不良等、報告はなし。教導艦さるしまからの連絡通りに、同乗予定だった北条教官を待たずに出港する準備を整えました。現在は古庄教務主任の権限で管理されています。万が一にですが、戦術統合システムの再起動には三士のIDでは不可能です。ご注意ください」

 

 自分たち航洋士は、民間船舶を操る準公務員だ。もちろん、入学当初には備品である艦艇は動かしてはならない。だからこそ教官から委託される形で操艦を行うのだが、出港処理だけ済ませて後は放免とは。いささか管理が甘いのではないかと思う。

 

「眉墨砲術長。模擬弾や、各種艤装に関しての報告を」

「短期間ですが、火器管制員に出港前のチェックをかけさせました。艤装コントロールも良好。おおむね問題はねぇぜ」

「機関運転室。缶の調子は?」

《はっ。問題ありません、直ちに出港できます!》

 

 整備を担当する各科に感謝。出航シークエンスを進めつつ、各員に確認をとる。

 

「航海長。海洋実習用の航海データの同期はどうですか?」

「問題ありません。西ノ島新島行きは、各艦ごとにルートが違うので注意してください。既に集合するまでや、それ以降の航路は登録されています。また、マリアナやマーシャル近海のデータが含まれてます。教導艦から合流後に、追って詳細が知らされるかと」

 

 4月7日までは、各艦が訓練の為に別々の航路が設定されている。武蔵は比較的大回りなルートをとるため、遅れがちになりそうなのが気にかかる。おまけに遭難しようものなら、目も当てられない。

 

「後部射撃指揮所、火器管制員はどうか?」

《はいはーい。こちら、後部射撃指揮所。主砲、副砲管制員。全員が壮健ですよーっと》

「次、主計科は集合を済ませてる?」

《こちら主計科詰所、加藤です。艦長、炊事係が『夕ご飯は何がいいですか?』だそうです》

「そうね。せっかくの門出だし、腕を振るって欲しいと伝えて」

《了解! お任せですっ!》

 

 知名からの回答と朗らかに割って入った声に、航海艦橋はクスリと控えめの笑い声が木霊する。

 

 アイスブレイク。これくらいの会話は、真面目であっても許されるだろう。

 

「舵中央。両舷微速。教育艦武蔵、出航!」

 

 軽快に武蔵の船体が進み出す。後方には、比叡をはじめとした横須賀女子海洋学校所属艦艇が、団子の様に連なってくる。

 

《こちら横須賀女子海洋学校所属、教育艦武蔵。武蔵より、横須賀海上交通センターへ。航路の安全を確認したい。航路ナンバー118は空いているか》

《こちら横須賀海上交通センター。航路ナンバーを照合する…………118に船舶、移動フロートなし。良い旅を、リトルマーメイド》

《感謝する…………横須賀航路118クリアー》

「リトルマーメイドだってさ。艦長?」

 

 対応していた電信員の通信に対して、航海長が振り返りウインク。それに対して、知名も笑みで返す。

 

 幼き人魚であるならば、それも良しとしよう。願わくば、悲劇として祀り上げられる姫にはなりたくないものだが。

 

「面舵45度、進路を145度へ」

「了解。面舵45度、進路を145度へ」

 

 武蔵が西ノ島に向けて、海洋を滑り出す。



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航海日誌:副長村野瞳子は眠れない

 陽光というには、視界に入る光源が薄暗い。知名が寝ぼけた頭で首を左右に巡らすと、慣れ親しんだ孤児院の土壁ではなく、無機質な光沢を照り返す剥き身の鋼鉄だと知る。

 

 そうか。私は今、教育艦で航海中なんだっけ。時計を見れば、マルゴー・マルマルを回ろうと言うところ。

 

 起床のラッパには少し早いだろうか……いや、待て。次のラッパ手を誰に任せたか覚えていない。脳内が明滅するように、昨晩までの光景をフラッシュバックさせる。記憶が辿れる限りは、疲労困憊になりながら艦橋で必死に日報のなどを処理していたはずなのだが。

 

 そして、この時間に自分が寝ている方が異常ではないか? 確か本来であれば夜間当直で、朝食を含めたミーティングを済ませた後に仮眠を摂る予定ではなかったろうか。

 

 寝過ごした。寝落ちした。嫌な汗が知名の全身を伝う。現実から逃避しようと、手近なものを掴んだ時に違和感。これはなんだ(・・・・・・)

 

 抱き込んだ腕の中に、自分の身の丈以上の女生徒がいることに気付く。当人は硬直した知名が起きたことに気付くと、するりと抜けだした。固まった筋肉を解す様に一伸びをし、腕を大出に振る。

 

 彼女が知名に向き直ったところで一声。薄明かりに照らされた正体――――武蔵の副長。村野瞳子二士が口を開く。

 

「ようやくお目覚めですか、艦長?」

「……村野副長っ! どうしてここに!?」

「どうしてって……知名艦長。昨晩何があったか覚えておいででしょうか。いや、完全に寝落ちしてましたっけ。説明は後です、早く服装を整えてください」

 

 大きめのワイシャツをクローゼットから放り投げられる。不格好な大きさだが、おそらく村野のものだろう。自分の制服はハンガーにかけられ、着ていたものは洗濯にでも出されたのだろうか。

 

 いや、待って欲しい。改めて自分の様子を見る。ここで悲鳴を上げなかった自分を褒めたい。何せ昨晩までの記憶がさらさらにないのだから。

 

 さすがに一糸纏わぬと言う姿ではなかったが。自分に丈の合わないような長袖のジャージを羽織らされて、下衣はストッキング姿と言う殿方にとってそそる(・・・)服装だったのには違いない。その葛藤を知ってか知らずか、村野は淡々と事実だけを告げる。

 

「覚えてらっしゃいません? 当直の時間に気を失われたので、こちらも冷や冷やしました。まさか、お姫様抱っこで私の部屋に運んだら、去り際に後ろ抱きで一晩中ホールドされるとは思いませんでしたけど」

「艦長室でも良かったんじゃない!?」

「セキュリティ上、私の権限では原則的に入れませんので。入室記録に副長のIDを残してまで届けるメリットがありません」

 

 さも当然の様に、お持ち帰り宣言。状況を確認するが、内装は艦長室のものではない。知名自身の私物がないのは元より、おそらく村野副長の部屋だろう。

 

「だったら、昨日話をした通りに……例えば、戦術統合システムに村野二士の権限で再起動したらどうなるの? そうすれば、私の部屋に入れたじゃない!」

「我々がその判断を仰ぐ艦長が潰れてたら、どうしようもないでしょうに。それにそうでもしたら、艦長室が私の部屋になりますがよろしいか? 乗組員の長は知名艦長になりますが、武蔵の管理権限は私の扱いになりますので。とはいえ、そんな有事など起こらないのを祈るばかりですが」

 

 下着を履き替え、ソックスを引き上げる。袖に腕を通しスカーフを締める彼女に続き、知名もまた身支度を整える。そんな様子を見て『新婚みたいだな』と言う村野の冗談に、知名は不意討ちを喰らい吹き出す。

 

「まぁ、昨晩はお楽しみでしたね……と言うつもりではありませんけれど、知名艦長は随分と積極的ですね。上と下はどちらがお好みですか?」

「さりげなく情事だと分かってしまう自分が憎い……。それに、私は同性を抱く趣味はないですっ!」

「あら残念。寝落ちしても、決して女の子を手放さないって噂が立ちそうだったのに」

 

 クスクスと嗤う村野には、馬鹿にしているのかと膨れっ面で返す。そんな様子を見て更に笑みを深くするのだが、村野の目覚まし時計がアラームを鳴らした所で空気が断ち切られる。

 

「起床時間まで余裕がありますが、少し付き合って頂けます?」

 

 壁にかけられた長物を手に取ると、村野は悪戯っ子のように微笑むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 武蔵が教育艦として就役についた際には、大量の余剰スペースをどうするかで設計図を引き直したそうだ。艦艇そのものの技術的な電子化により、操舵や砲管制は半自動化する訳だから実質10人程度で艦が回せるといっても過言ではない。

 

 いま二人が向かっている訓練室も、使い道を考えていた際の副産物らしい。流石にトレーニングジムとまではいかないが、艦が傾斜しても転倒しない程度の備品は備えている。女生徒で筋肉をわざわざ鍛えるかという声も多いが、それはそれこれはこれ。国民を守る矛としての意識が高い子はこぞって、こういう施設には憧れるらしい。だが、知名にとっては勿論なびかないのだが。

 

 仮に目が覚めてしまったとしても、惰眠を貪りたい頃合い。そんな時間だ。誘われた知名はともかく、朝練だと向かうのは村野副長くらいかと思ったがどうやら先客がいたらしい。

 

 一人は外国の血も入っているのだろうか、銀糸のような髪色を持つ少女。翡翠を讃えたような瞳も合わせて、輝く海原のようなイメージを想起させる。

 

 若干のウェーブをかけた様はまさしく波のようではあるが、サイドや後ろ髪も伸ばしている。欧米では髪の長さで美を競うという風潮もあることから、その風貌とのアンバランスさに目を惹かれた。何処から持ち込んだのか、事務机に資料を広げレポートを纏めているようだ。

 

 もう一人は、サンドバッグ相手に拳や蹴りを豪快に決める小柄な少女。ダークブラウンのショートボブに、同色の瞳。鎖骨くらいまでもみあげを伸ばしているが、それすら振り回すような動きを魅せる。

 

 休憩がてら相方にドリンクとタオルを放り投げられて所を、片手と口でそれぞれ器用にキャッチ。もはや犬とも言えなくない。そんな様子を眺めるのを認めたのか、あちらから声をかけてくる。

 

「知名かんちょーに村野ふくちょー。朝から訓練室に来るなんて、精が出るねぇ」

「起床前に自主練してたからって、その発言は誤魔化しにも何にもなってないからね。深井?」

「べっつーに、良いじゃん。昼間業務に支障が出なきゃ問題ないでしょ。工藤もそう思うでしょ?」

「アンタと違って、航海長はこれでも忙しいの。操舵に、気象観測。船務長がいないから、電測や通信もやんなきゃいけないの。第二分隊長を舐めるんじゃないわよ」

「へいへい。仕事熱心な航海長サマサマですよ」

 

 不貞腐れるように、口を窄めるのは深井俊衣副砲長。先程までの打ち込みが嘘の様に、息を整えて屈伸をする。対して溜息をつくのは、工藤計葉航海長だった。意に介せず、持ち込んだ荷物を下ろすと、人目を気にせず運動着に着替える村野。何事もないように、ジャージをチャックを引き上げる。

 

「邪魔をするよ。普段から素振りが日課なんだ」

「どうぞー、ご勝手に。訓練室は、皆で楽しく使いましょー」

 

 子供っぽく、わざとらしいトーンに変えて返す深井。その様子に口の端を結ぶと、村野はロッカーから木刀を取り出して、定期的に振り下ろしを始める。

 

 柔よりも剛を体現するかのような、力強い一振。そこから斬り上げ。薙ぎ、突きと続かせる。腰元に刀身を支え、立ち居合。振り抜かずに寸でに止め、斬り返し。その様子に知名は感嘆するが、人によってはそうは見えないらしい。

 

「見世物のつもりはないけれど、不服そうね深井二士?」

「べっつにー。でも射水派神道無念流ねぇ。見たのは久しぶりだけど、そんな邪道な太刀筋って本家に失礼じゃないかって思ってたんだよね」

「見て射水派まで区別するだけで、十分に貴方は観察眼をお持ちの様だ。力の剣だけじゃ勝てないと、射水派の師範は重々承知だった。だからこそ使える物は使い、止めの一撃が一太刀の流派なのさ」

「へぇ、じゃ私とやってみる? 専門は拳闘術だけどさ。」

 

 一伸びをすると、緩衝用マットの上に足を踏み入れる深井。持ち込んでいたポーチから、鈍い色に光る金属を手で掴む。攻撃的な外見ではないが、人を殴る事に特化した武器である事は私にも分かる。

 

「深井二士は沖縄出身でしたっけ。鉄甲の琉球古武道(ナックルダスター)とか、かなりマイナーじゃないですか?」

「メリケンサックって言えば分かるじゃない。第一、体術の延長でいけるから馬鹿な私でもやりやすい」

「天下の横須賀女子海洋学校に、大和型戦艦へ配属された時点で馬鹿で済む訳ないでしょう」

「じゃ、紙一重に天災(・・)の自覚はないから大馬鹿野郎ってことで」

 

 手元で金属の甲をクルクルと器用に回す深井二士。村野もまた、立てかけておいた長物を、藍色の布から取り出す。装飾もないような白鞘の一振り。

 

 腰元に携えると、後方へ一結び。ずり落ちないような微妙な按配で固定される。臨戦態勢の村野に対して、反対側で深井もまた嗤う。

 

「まったく、この子は……。村野副長。一応聞いておきますけど、深井の相手は面倒ですよ。どうやってケリを付けます?」

「副砲長が満足いけば十分だろう?」

「何それ、私だけが餓鬼みたいじゃん!」

「それ、否定できる弁明を私は持ち合わせていないわ。異種格闘戦。それでは、両者位置について………………始めッ!」

 

 工藤航海長が腕を振り下ろしたと同時に、両者は動く。深井は開幕と同時に、姿勢を低く突入してくる。その速攻に対して、村野が鞘から中途半端に抜刀して受け止める。否、むき身には至らず間に合っていない。胴元で鍔競り合い、体勢を崩しきっている村野が無理矢理に右脚を薙ぐ。

 

 さすがに演習で生身に鉄を打ち据えるのを良しとしないのか、深井はわざわざ左上腕で受け一旦は距離をとる。村野が鞘に刀身を戻した際に、鍔が当たる音が響く。

 

「流派で考えれば、やっぱり胴体が手薄なんだね。飛び込んでみて分かった、アンタらどんだけ面が好きなのさ。それに、刀を抜ききらないとかどんな舐めプです?」

「そんな暇を与えるつもりなんかない癖に。怪我させるのが嫌で、わざわざ腕で受けなくても良いでしょうに」

「そっちの小手狙いが染みついてるせいじゃない? それに私闘でアンタが怪我でもして業務に支障がでたら、私にツケが回る可能性を考えただけだよ」

 

 深井が良い終わるが早いか、村野は鞘から剣閃を奔らせる。逆袈裟で切り付けるが、予期していたのか、金属音が鳴るだけに終わる。

 

 模造刀の振り終わりに隙が生じるのを、深井副砲長も見逃さない。逆の手でカウンターを狙うが、予想の範疇なのか村野が左手で掴み取り引く抜く様に放り投げる。深井もまた空中で綺麗に弧を描き、四足獣の様に着地する。

 

「その俊敏性を形容するなら、まるで野生児ですよね」

「せめて、ワンちゃんとか猫ちゃんとか言って欲しいなぁ。そりゃこの髪型だって、クセ毛で耳じゃないけど……さッ!」

 

 地を蹴るように加速。首筋を狙った深井の一撃は、虚を突かれた村野が刀身を盾にしたことで凌がれる。刀の背に左手を添えた瞬間に、空いた深井の左手が武器自体を掴みとる。

 

 もちろん模造刀なのだから、斬れる心配などしなくて良い。しかし己が勝利を確信した深井の表情を変えたのは、村野の反撃に対してだった。刀を掴まれた時には……いや攻撃を耐えた瞬間には、その両手が既に離されている(・・・・・・・・)。少なくとも知名にはそう見えた。

 

 身を低くして、無を取るような構えを見せる。右半身を前に出し、視線は相手から逸らさない。一息に左腰から抜き放った白鞘が、深井の右肘に直撃する。

 

「いったいなぁっ! 鞘で殴るとか、本当に武士の風上にも置けないんじゃない!?」

「不意討ちにプロテクターを合わせる方が、運動神経が狂ってますよ」

「こちとら穏便にやろうとしてんのにさぁ」

 

 とはいえ訓練場に転がったのは、村野の模造刀と深井の鉄甲が片側。ファイティングポーズをとる深井に対して、村野もまた右手で鞘を構える。金属器による強打を恐れずに済むと判断したのか、先程とうって変わり村野が攻勢に出る。

 

 鈍器を使っての撫で斬りとは言葉づかいが可笑しいが、文字通りに深井を掠めるように剣戟が飛ぶ。躱し、身を逸らし。あるいは、残った右手の鉄甲と防具で受け流す。上段からの振り下ろしを軸にした攻撃は、まさに力の剣技とそのものであった。

 

 それでも攻め手が足りないといった村野が距離を置くと、その緩みを深井は見逃さない。左手を軸にしての、回し蹴りを二連。身を引き損ねた村野の鼻先を通過し、あるいは鞘で受け流される。左足が着地した体勢から、今度は立ち蹴り。先程よりも体重が乗った一撃は村野の右腕に直撃する。

 

 鞘を叩き落とした所で、その成果とは裏腹に深井は顔を顰める。交差際には村野もまた、左手で胴へ掌底を放っていた。呼吸のリズムを乱されたのか、深井は肩で息をする。

 

「むぅ。叩いてるはずのこっちばっか痛いのは嫌だなぁ、もう」

「何を言ってるんですか。こちらだって、当てられた所は青痣ですよ。鉄甲の格闘術かと思えば、今度はカポエイラですか。とんだバトルジャンキーだ」

 

 村野もまた蹴られた部分を擦り、鼻頭を拭う。赤い線が、その頬まで大きく伸びる。

 

「前言を撤回したらどうです? 粉うことなく貴方の俊敏性は天才の域だ」

「言ってくれるよねぇ。武器有りじゃ埒が明かないから、徒手でやるってのはどうよ」

「単純な力と力の殴り合いって訳? 雌雄を決するには、乗っても構わないわ」

「………………面倒になったわねぇ」

 

 その様子を見ていた人物が一人で溜息。その攻防に手に汗を握る私との、態度の寒暖差がある工藤航海長。審判係はどこへやら、いつのまにか机に広げていた書類を片付け終わっている。

 

 この御仁は、何を呑気に煙草を吸っているのだろう。ヒートアップして周りが見えてない二人に対しては、割って入ってでも止めたい。それに対して、アレ止めたらこっちが死ぬと言う視線を寄越す工藤二士。ポケットから紙箱を取り出すと、上面を小突く。飛び出した紙筒に火を付け、口に含むと紫煙を吐き出す。

 

「何よ、別に問題ないでしょ。あっ、艦長も吸います?」

「未成年者喫煙禁止法が改訂されたとはいえ、一服するなら喫煙所でお願いします。というか工藤航海長、アレ止めなくて良いんですか!?」

「タイムリミットよ。艦長も時計見なさいよ、それが分からないほど二人は馬鹿じゃないってこと。ほら行くよ、深井」

 

 ワイシャツの内側から、チェーンに吊るされた銀色の懐中時計を見る工藤。その仕草に釣られて、知名もまた腕時計を見ると察する。

 

 静寂を裂く様に、ラッパの音色が艦内を吹き抜ける。マルロク・マルマル。ただちに起床し、ベッドメイキングをせよ。

 

 私は武蔵に於いて、乗員の朝礼や体操は指示していない。しかし各分隊長及び補佐にはブレックファーストミーティングと言っているから、少なくとも取っ組み合う二人は参加する手筈となっているはずなのだが。

 

 そんな二人はしこたま殴り合いを続ける――――と言ってもお互いに避けるのだから、演武の様に見える。そんな一進一退の中でもさすがは海上警察志望者。隊内という集団行動重視の思考には、やはり理解があるらしい。起床ラッパの鳴り終わりに合わせて、双方が腕を下ろす。

 

 タオルで汗を拭いつつ、両者は引き上げの準備を始める。さも満足そうな深井の様子を見るに、ただ単に遊び相手が欲しかっただけらしい。

 

「んじゃ作戦会議と行きますかぁ、副長。お風呂入りたいから、機関長と加藤主計長を説得しに行きません?」

「目下の問題は、それだなぁ。朝のシャワーぐらい許して欲しいものですね」

「まったく……。艦長も、こんな二人を野放しにすると後で苦労しますよ?」

「うん、肝に銘じとこうかな……」

 

 航海三日目にして、既に雲行きが怪しいのは胸に留めておく。この乗員たちは何かが可笑しい。それも頭のネジが数本抜けているくらいにはだ。そう私は固く誓った。



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Chapter-04 ヤミヘトマヨウフネ

皆さまお久しぶりです。現実逃避してたら、こんなにも間が空いてしまいました。

本編にも登場したアリスこと小林亜依子と吉田親子の登場です。彼女達にもスポットを当てられたらと思います。

それではどうぞ。


『ヒトキュウ・ゴーマル。立直は持ち場へ。繰り返す、立直は持ち場へ』

 

 艦内放送に慌てて動く者。あるいは、次のシフトに向けて仮眠を摂りに自室へ戻る者。先程まで談笑に湧いていた食堂が、別の意味での喧騒に包まれる。

 

 食事用のトレーを返却口へ置きに行くと、給養員である小林亜依子三士がカウンターから身を乗り出してくる。

 

「知名艦長。この前に話した緊急時の食糧貯蔵の話ですけれど、艦橋塔と後部射撃指揮所にも追加搬入したいんですけど」

「分かったわ。けど、加藤主計長の許可は取れたの?」

 

 鉄面皮と言うか、ポーカーフェイスと言うか。少なくとも生真面目という印象の強い彼女が、果たして小林三士の提案を呑んだのだろうか。その辺は抜かりがないと、彼女はロングヘアーの髪を揺らして胸を張る。

 

「凄く嫌ぁな顔してましたよ。大方、艦橋組が夜食を引き出す食糧庫にするんじゃないかって」

「……彼女も勘が鋭いよね。実際に言われたんでしょう?」

「夜間シフトの多い眉墨砲術長からの陳情……という形で済ませましたんで、あとは上手いことやってください。知名艦長」

 

 こういう時に、無関係でも引っ張り出される砲術長の仁徳に合掌する。褒めるべき取り柄なのだろうが、いささかとばっちりが多いというのが感想であるが。

 

 要件は終わりですよーと、再びシンクに食器を戻す作業に入る。片づけに奔走し始めた小林を尻目に、知名は環境へと歩みを進める。廊下への扉を前に、航海科である吉田親子三士が待ち構えている。これからの当直に向けて、わざわざ待っていてくれたらしい。

 

「お疲れ様です、知名艦長。艦橋までご一緒しても?」

「えぇ。疲れているところ悪いけど、今夜は宜しくお願い」

 

 紫がかった髪を揺らして、彼女は笑う。くだらない談笑をしながら、夜間警備のため、詰所への階段を上る。

 

「さすがに溜めこむ癖が酷いと思いません? アリス(あいこ)の事ですけど」

「アイコ? 小林三士のこと?」

「そうです。リス(・・)みたいに食糧を漁る()依子ちゃんで、アリス。」

 

 こつこつと靴底で叩く様に、床を踏み鳴らす吉田三士。食堂を任せられる料理スキルと、その愛嬌は可愛らしいものだ。彼女に対するリスという例えが言い得て妙だと思いつつ、同意するように笑みを返す。

 

 最小限の明かりが灯された部屋で、海図を広げる。壁面にかけられた紙媒体のカレンダーは、4月6日を示す様に日付が塗り潰されている。この調子なら、時間通りに西ノ島新島へ辿り着けそうだ。六分儀を手で支えていた吉田も、同じように思っていたらしい。

 

「明日は、他のクラスと合流ですね」

「航海艦橋へ連絡。 左60度 10000に貨物船。注意して」

「了解しました」

 

 吉田三士が無電機を回している間に、知名は窓外の影を見やる。こんな所で他の船舶に合うとは思わなかった。もちろん、国内外へ行き来する手段は船舶が主である。どんな用事で航海しているのだろうと思ってしまうのは、人魚を母に持つ血の性だろうか。

 

 しかしそんな想いを断ち切るように、焔が踊る。何事かと知名が目を凝らした瞬間には、ほぼ同時に爆音が響く。ビリビリと窓が震え終わる頃には、身を竦ませた吉田三士の受話器を奪い取るように叫ぶ。

 

「総員戦闘用意! 教練ではない! 繰り返す! 教練ではない!」

 

 部屋を飛び出し、航海艦橋へ上がる。幸いな事に就寝前だったことか、主要メンバーは一分以内に集合できた。

 

 艦橋を見回した村野副長の一声で、各部署からの報告が始まる。一通りを聞き終わった彼女から、口火が切られる。

 

「艦橋要員含め、全員持ち場へ揃いました。知名艦長」

「何でもいい。状況を知らせて、村野副長」

「はっ、まとめます。フタマル・マルマルに左舷前方、現在の距離およそ9000。大型タンカーと思われる船影を確認。またほぼ同時刻に、複数回の爆発音を見張員が観測。現在、対象に向け国際VHFにて呼びかけています」

「えっと。月詠……お姉さんの方、風花二士。海上安全整備局のデータリストと照合できている?」

《艦紋照合終了。データベースに該当あったわ。英国船籍、パシフィック・ピンテール号みたいね》

「原子力輸送船だぁ!? 何でこんなとこにいるんだよ!」

 

 眉墨砲術長の驚嘆に対して、黙れとばかりに村野副長の舌打ちが飛ぶ。しかし、指摘はもっともだ。使用済燃料運搬船。その輸送に当たり、護衛が一隻もなしに航行するなどありえない。いくら武装貨物船といえど、機関砲による自衛程度のものだ。もちろん警備員が配備されるとはいえ、機密を抱えた艦船がおいそれと単独航行して良いものではない。

 

「無線室。呼びかけに反応はありましたか?」

《こちら無線室。電信員が取り込み中のため、小官が代わります。ch16にて呼びかけを継続。相手船舶から回答有り。相互に感度良好、今ch6に切り替えました。回線、艦橋に共有します!》

 

 ノイズの後に、艦橋内のスピーカーから音声通話が流れ出す。こちらの電信員と、切羽詰まったあちらの担当者の声が響く。

 

こちら横須賀女子海洋学校所属艦艇、(This is Musashi in Japan coast guard academy)教育艦武蔵。(of Yokosuka.)貴艦に異常はないか?(Do you have any trouble?)

こちらPNTLtd.の(This is Pacific Pintail.)パシフィック・ピンテールだ。(Pacific Nuclear Transport Ltd.)被雷し、艦に損傷を受けている。(Attacked by torpedo. )

 

「ただの爆発なら分かるが、何で被雷と断定できる? 俺は胡散臭いと思う」

「口を慎め、眉墨砲術長。状況確認はともかくとして、只の船舶事故であれば船を寄せるべきです。知名艦長、どうします?」

「無線室、私が回答します。艦橋に直接繋いでください」

《了解です。繋ぎます、どうぞ》

 

 差し出された受話器を取り、咳払い。英語に自信がある訳ではないが、ここでやるしかない。

 

こちらを確認できるか?(Have you located me?) 同意の元、(If you agree,)貴艦を最寄りの港に誘導する用意がある。(We will escort you to the nearest port.)

既にこちらは、敵の射程内にある。(The enemy's already got me within firing range.)直ちに、本海域より離脱せよ(Get out of there, now)

 

 マイクをミュートにした上で、知名は艦橋内を見回す。

 

「敵……そんな船はどこにも……。電探室、他の艦船は確認できる?」

《電探室、水上レーダーに疑わしき艦影はないわ》

「次、水測室。月詠の妹さん。ソナーに反応は?」

《水測室、雪花なのです! ウェーキ音が邪魔なので、ソノブイの投下を進言しますっ》

「次から、月詠姉妹は名前で名乗らせた方が良さそうだな……」

 

 目の前の状況に歯噛みする。打つ手はない。相手の()という言葉を信じるか。あるいは、勘違いとして救助を開始するか。

 

 知名が出した答えは、敵と仮定した者のアクションを窺う待ち(・・)しか選択肢がないことだった。だとしても、これ以上の被害の拡大は何としてでも避けたい。どの道、明かりは悪手だ。それを通信相手に伝える。

 

まず電気を消してください、(Kill the lights,)それで狙ってきます。(They'll spot you.)こちらで相手を食い止めます。( I'll take care of them.)全力で離脱してください!(Please get away maximum speed!)

無謀だ、馬鹿にも程がある!(This is insane, just stupid decision!) だが、その蛮勇に感謝する。(But, thanks your guts.)了解だ、信じようじゃないか。(Roger, we trust you.) 以降、ch16に戻すが……(Back to channel one six…) おい、部屋に戻りたまえ。(Hey, hey, get back in your room.)通信室への立ち入りは……(Don't enter the...hey.) おい、何をする!(Hey, what're you doing!)

パシフィック・ピンテール号?(Pacific Pintail?) どうされました!?(Hey! You there!?)

 

 銃声。そして悲鳴。無線機を引っ手繰るような音とともに、ブツリと通信が切られた。あまりの事態に沈黙を保った艦橋。そんな空気を裂き口を開いたのは、我は関せずといった表情の村野副長だった。

 

「で、実際のところどうします? こちらは実戦経験皆無で、夜目が効かない新兵揃い。電探にも反応はなく、推進音でソナーは役に立たない。あまりに情報不足です」

「……村野副長。ピンテール号のさっきの様子。シージャックと私は判断しますが。貴女の見解は?」

「パシフィック・ピンテール号からの報告が事実であり、第三者が現海域に居座る理由があるならばに限ります。水上艦艇が確認できない状況でそれが可能なのは、潜水艦以外は難しいかと」

「狙われる理由なんて、いくらでもあるでしょ。原子力以外にもヤバいもの積んでるんじゃない?」

 

 銀糸の様な髪を掻き上げて、工藤航海長は嗤う。彼女の指摘も最もだ。只の船ならば、わざわざ武装した警備兵のいる原子力輸送船を狙うメリットはない。人質が欲しいだけなら普通の民間船を狙うなど、もっとリスクを回避できたはずだ。

 

「理由はともかく……ですね。では、艦橋を含め何者かによって制圧されたと仮定します。眉墨砲術長。本艦が対潜水艦戦闘を行った場合に、勝機はありますか?」

「仮に潜水艦だとしたら、有効兵器なんか皆無だな。そして、武蔵の弾薬は潤沢じゃねェ。主砲なら、砲身の寿命の関係で100発が限界。今回の遠洋航海で搭載しているのは、実弾30発、模擬弾30発。演習用に模擬爆雷は積んでるが、実戦に耐えうる装備とは言えないが……」

 

 勝気の性格からとは思えない渋い顔をする眉墨砲術長。それを横目に工藤三士が発言許可を求める。

 

「航海長としては、とっととズラかる事を提案しますが。いくら日本近海と言えど、撃沈されたら冗談じゃありません。この時期の水温なら、めでたく水死体が30人分でしょうね」

「助けに行くかは別として……だ。このままでもピンテールの乗員が何人生き残るやらだな」

 

 辛辣な村野副長の一声が飛び、艦橋が一気に騒がしくなる。正義感に駆られ、救助を進言する者。我が身の可愛さに躊躇する者。反応はそれぞれだが、艦の統制が崩れたのは事実だった。そんな折に、凛とした声が伝声菅から響く。沈黙を保っていたらしい加藤主計長が、喧騒を裂くように声を張り上げた。

 

《艦長はどうしたいんです? 誰が何をしたいと言い出そうが、この武蔵(ふね)は貴女の物だ》

「私? ……私は。困っている人がいるなら、助けたい」

 

 海の守護者と在るべきブルーマーメイド。亡き母が進んだ道こそ、今の知名にとっての有一の生きる道標であった。憧れた背中に辿り着くまでは、死ねないという覚悟。それを幼き日とはいえ、墓標に誓ったのは他でもない自分だったではないか。

 

 何としてでも(・・・・・・)海の守護者(さきもり)でなければならない。どんな手段を用いてでも、目の前の命を見捨てない。投げ出さない。

 

 例え。この場の全員から反対されてでも、自分は救助を命じるだろう。だからこそ、場を制するように声を張る。

 

「模擬爆雷。そうだ……眉墨砲術長! たしか遠洋航海で、爆雷投射の経験はあったよね。ソノブイを放り投げられる(・・・・・・・・・・・・)?」

「武蔵の投射機なら、できなくはないですね……って、へぇ。なかなか乙なことを考えるじゃねェか、知名艦長」

 

 搭載されているパッシブソナーは、周囲の音を拾うものだ。もちろん。戦闘海域に多く散布し、そのデータを統合して敵の位置を算出する。基本的にこのご時世では、回収を目途にワイヤーで牽引するのが一般的だ。しかし作業時間もさることながら、単隻による()の展開には現実的でない。

 

 だからこそ、提案する。後部甲板上の爆雷投射機で、船外左右へ投擲。三角測量によって、魚雷の発射元を特定すると言う手段を。もちろん、潜水艦を叩く為だけではない。しかし、少なくとも敵が何処にいるかは分かるはずだ。

 

 砲術長の村野が各部署に指示を出し始める。砲管制をやる必要がないからと、艦橋からの退出を進言された段階で知名が頷いた頃だった。悲鳴のような声が、伝声菅から放たれる。

 

《聴音機が突破音を探知! 推定、本艦より10時の方向! 推進音、2、5、8! 左舷に魚雷が来るのです!》

「右舷半速、左舷全速! 面舵一杯!」

 

 雪花二士からの報告が飛ぶ。知名の号令で、工藤航海長が舵輪を回し始めた頃だった。彼女の驚嘆した声が響く。

 

「こちら航海艦橋! 機関科委員へ! 舵輪に障害発生! 以下、操舵を舵取機室へ! 面舵一杯ッ!」

《了解! 機関科、操舵を代行しますッ!》

「間に合わん! 総員、衝撃に備えッ!」

 

 いち早く異常事態を察知した村野副長が対ショックを警告する。世界を揺るがすような破裂音とともに、武蔵全体が軋む様に揺れる。



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Chapter-05 キヨムミスエウガツ

リアルやら艦これのイベやらで、筆が離れてましたが投稿です。

それでは、どうぞ。


 脳味噌がシェイクされるように、跳ね飛ばされる。かろうじて手すりに掴まっていた者は、体勢を崩す位で済んだだろう。残念ながら私は、盛大に背中を壁面に打ちつけたが。ジェットコースター紛いの状態で、村野副長の指示が続く。

 

「各員、被害報告ッ! さっきの操舵は何だ、工藤航海長。舵輪の故障か!?」

「村野副長、舵が完全にロックされてます。スクリューの制御もおそらく不可能かと」

『………………こちら応急員詰所、無電が使えません。以降報告は伝声菅から行います!』

『隔壁装置が機能していません。左舷区画を手動で閉鎖します。傾斜復元まで時間を下さい!』

 

 伝声菅からの声とともに、艦橋も騒がしくなる。コンソールを叩いていた記録員が、電子式指揮系統の全滅を報告する。

 

「状況報告。一瞬ですが、武蔵の制御システムに割り込みが入ってます。操舵、火器管制がロックされている模様! 教導艦権限の行使、発生源は……パシフィック・ピンテール号からです!」

『こちら電機管制室。安全のため、自沈処理プラグラムをマニュアルで破棄します!』

「クラッキングかよ……野郎っ! 輸送船だけじゃなく、俺らまでターゲットかよ!?」

 

 タイミング的には、出入り口の前で盛大にバウンドした眉墨砲術長。痛む箇所を抑えながら立ち上がり、怒りの籠った声を吐く。そんな状況でも、まったく動揺しない村野。思考するように顎に手を添えて、暫くしての呟きが響く。

 

「汚染区画を強制隔離(パージ)、艦内制御を最優先。残りは破棄してでも構わん。雪花二士。先程本艦に向けて発射された魚雷は、八発で間違いないか?」

『少なくとも拾った発信源は八つです。艦首にそこまで搭載可能な潜水艦は、かなり数が限られます』

「村野副長。それはどういう……」

「……知名艦長。わざわざ八発も撃つ方が異常なんです。本艦に位置を知られていない潜水艦が、その最大火力を不意討ちするには絶好の機会です。しかし、リスクも高い。轟沈できると確信できなければ、隠密性を重視されるべき筈の潜水艦にとって数少ないの情報源になるからです」

 

 意味が分からない。武蔵を撃沈するには、最大のチャンスなのは間違いない。だが、情報になるというのは。考えろ、彼女(ふくちょう)だけに頼るな。艦を率いる者として同じ土俵にくらい立てるだろう、知名もえか。

 

「……魚雷の同時発射。そのスペックを、私達に誇示してしまったという事?」

Exactly.(そのとおりだ。) そして武蔵の装甲を熟知し、最大火力を当てねば沈められないとまで判断したのだろう。聞こえているな、風花二士。これだけ情報があれば十分だろう?」

『時間がかかってごめんなさい。でも、きっと役立つわ。少なくとも、艦紋照合に反応なし。魚雷を同時に八発が運用可能な潜水艦は、日本ならば巡潜丙型の八隻か伊四〇〇型だけ。ドック入りや退役済みも含めて、この海域に急行可能なのは伊四〇一だけ。それも航海ログは、セイロン島沖合同軍事演習が最後に終わってる。日数を逆算しても、この海域にいるためには二日以上は時間が足りない』

「だとすれば、一体どこの船だと言うの……」

 

 海外の潜水艦は艦尾魚雷発射管の運用まで考慮するから、同時発射に期待していない。そもそも、只でさえスペースの限られた潜水艦に魚雷を積むのだ。虎の子を撃ち出す馬鹿は、そうそういないだろう。だが日本の艦艇ならと思ったが、それ以上に絞れない。

 

 そんな推理ゲームで詰まった時に、口を開いたのは眉墨砲術長だった。御伽噺の様な最強の潜水艦なぞ、話に持ち出すとは艦橋の誰もが思わなかったのだろうが。

 

やとがみ(・・・・)型……データベースで艦紋照合できないなら、有沢造船の特殊潜航艇の可能性もあるんじゃないか? 有沢(あそこ)は今でも、海上安全整備局への情報提供を断ってる企業だ。引っかからなくて当然だ。最高速力35ノットで、艦首魚雷発射管は八門。補給の関係で、極東しか展開できない特別急行潜水隊(とくせんたい)の三隻なら、ここにいても可笑しくない」

 

 日本は海軍が解体されたとはいえ、海洋国家の態は衰えていない。むしろ国土の大半が水没した今でこそ、その技術力は造船業に向けられたと言っても過言ではない。そのうちの一社である有沢造船。海軍時代のシェアの大半を占めていた月岡コンツェルンや飯田インダストリーに比べれば小規模であるが、それでも民間船舶(・・・・)としての技術は引けをとらないはずだ。もちろん海上安全整備局との不和から、協調できているとは言い難いだけに煙たがられている話もあるが。

 

『んー。ちょっと待っててね。ブルマーのラインに載らないから、探すのは面倒なんだけどっと……あった。わだつみ(・・・・)すみのえ(・・・・)は、先月の半島有事で日本海へ展開中のはずね。やとがみは二日前に、マーカスでの補給報告が上がってるわ』

「決まりだな。相手はやとがみか。企業機密の宝庫とガチ殴りですけど、覚悟はあります? 知名艦長」

 

 その目が問うてくる。武蔵の全員と、輸送船の乗員を助けられるのかと。可能なのかじゃない、私が助けたいのだ。

 

 しかし、艦のシステムはどうする? 電子機器がダウン。これでは、先のソノブイ投射も現実的ではない。操舵も不可能。だとすれば、再起動しか手段がない。この場には教官もいない。権限を持ち合わせる人なんて、そう都合よく…………。

 

『だったら、昨日話をした通りに……例えば、戦術統合システムに村野二士の権限で再起動したらどうなるの? そうすれば、私の部屋に入れたじゃない!』

『我々がその判断を仰ぐ艦長が潰れてたら、どうしようもないでしょうに。それにそうでもしたら、艦長室が私の部屋になりますがよろしいか? 乗組員の長は知名艦長になりますが、武蔵の管理権限は私の扱いになりますので。とはいえ、そんな有事など起こらないのを祈るばかりですが』

 

 今こそ、自分の失態に感謝したい。そんな知名の反応を試していたのだろうか。向かい合った村野が嗤う。

 

「村野副長……出港前のブリーフィングについて確認します。二等航洋士のIDならば、武蔵を復旧させられますか?」

「可能です。しかし。当該戦術リンクからの離脱は、本艦が海洋学校に対して叛旗を翻すことになりますが。そして、相手は民間企業とはいえ、やとがみ型潜水艦だ。現在のブルーマーメイドだけでなく、海運省相手に大きなパイプ持つ有沢造船にすら喧嘩を売るつもりか?」

「私は、人命救助が第一と考えます。武蔵は海域に留まり、所属不明艦の制圧。または撃退します」

 

 まさしく冷笑といった言葉が正しい。目の前の副長は、あくまで法規を元に現実を語る。感情論を押し通すには、まだ手が足りない。どう納得させてくれるのかと、二の句を待っているに違いない。

 

「武蔵の副長として申し上げる、貴女の判断は正常でない。横須賀女子海洋学校は、いわばブルーマーメイドの登竜門です。将来の展望のために、腕を競う者の集まりです。中でも、ここ武蔵は成績優秀者の集団。我々の経歴に泥を塗り、日本に背けと仰るか。知名艦長。私は副長として、クラスを護る義務がある」 

 

 呼吸を一拍。彼女は私を否定していない。ただ訊ねているだけだ。知名もえかという存在が、命を預けるに足りるかどうかを。

 

「……ではこうしましょう、村野副長。私の指示に従いなさい(・・・・・・・・・・)

 

 支給されている拳銃が知名の懐から取り出され、その照準はピタリと村野の眉間へと向けられている。撃ち方は知っている。そして何回も撃っている。殺している。これがパフォーマンスと受け止められるだろうが、今の私にこれ以上の脅す手段は持ち得ていない。

 

 それに対して、村の副長は顔色一つ変えずに苦笑い。

 

「何をお考えですか? 艦長。本来であれば見習い扱いの准士官である貴女は、公務中においての銃の携帯は認められていない」

「この際どうでもいいでしょう? 武蔵の艦長として命じます。二士のIDを用いて、本艦の全てを貴女が掌握しなさい。これが、武蔵も。そしてピンテール号の全員を助ける最良の手段です」

 

 只のエゴだ。独裁だ。それでも、これが私の執りうる最良の手段だ。銃口から目を逸らさずに、村野は淡々と語る。

 

「自分が指揮してる船を、部下に奪えってことですか。副長に対する責任転嫁とも取れますが?」

「村野副長こそ自覚してますよね? 武装も操舵も奪われた鉄の棺桶が、敵の魚雷を待つだけの状況だってことは」

「もちろん分かってます。それを回避する為に、手段までシミュレートしています。これが貴女の答えですか(・・・・・・・・・・・)

 

 全員動くなよ――――そう村野が呟くと、改めて知名に向き直る。生き残るためには、その手段が最善だと言うのも分かっている。誰しもが、現状を打破したいという気概を持ち合わせたいのも分かる。だからこそ、私は演じ続ける。

 

「なら、私がこの船を乗っ取ったってことでどうでしょう? 海洋学校所属の知名もえかは死亡し、無銘のテロリストからの指示ならば」

「ならば、私も腹を括りましょう……命は惜しいですからね。()らせて頂きます、テロリスト」

 

 振りかぶりながら銃弾が放たれ、知名の艦長帽を吹き飛ばす。艦橋内に悲鳴が響く。当然だ、緊迫した状況下で発砲したのだ。誰かが撃たれたのではないかと錯覚するだろう。

 

 硝煙が、相対していた村野の手に握られた拳銃から立ち上る。腰のホルスターから弾かれるように得物を引き抜いたのは、注視していた知名ですら追えない早さだった。

 

 その様を見て、知名はにこりと笑う。その代わりに村野は溜息を一つ。そして苦虫を噛み潰したような顔で、言葉を続ける。

 

「剣術だけでなく、銃の扱いまで得意なんですね」

「……名誉の負傷です、知名艦長。ご希望の通りに、フェードアウトさせましたが」

「本当に期待以上の動きをしてくれて何よりです、村野艦長代理?」

 

 厄介なものを押しつけられた。そう言いたげに不服そうな顔をするが、村野は愉悦に浸るように口角を釣り上げる。電子機器の一切が掌握されているため、伝声菅を使って村野が声を張り上げた。

 

「各員に通達。艦長が負傷につき、副長である村野が全権を代行する。本艦にテロリストが侵入した。要求は、本艦の船籍を海洋学校から離脱させること。そして、前方を航行中の輸送船の人名救助である。艦長代理として武蔵搭乗員はこの要求を全面的に承服する。また今回の行動は、海上安全整備局特時法第十七条による村野瞳子二士の独断である。他の搭乗員は、その命に従うこととする。各種報告書には、そのように記述するように。以上」

 

 これで十分かと、鼻を鳴らす村野。さすがに頭の回転が早い。中身のない神輿を造った挙句、その音頭まで完全に理解している。

 

 唐突に伝声菅から、猫が伸びをするような声が響く。今朝、訓練室で合った深井副砲長のものだ。イントネーションを聞き分ければ、試すような口調で問うてくる。

 

『村野艦長代理、ここは私と加藤主計長に任せてくれない?』

「どういうことだ? 深井副砲長」

『私と工藤なら、乗り込んで制圧してきますって話だよー。とはいえ、対潜水艦に腕の良い狙撃手が一人必要ですけどね』

「……それは、俺に対して喧嘩売ってんのか? 深井」

 

 光学航海図を展開し、思う所があるのか海域をマークしていた眉墨砲術長が振り返る。

 

『やだなー。別に眉墨砲術長なんて一言も言ってないじゃないですか。私は海上公試で、中等部のくせにメンバー入りさせられる腕利きさんに言ってるんです』

「そんな情報、一体どこで仕入れてくるんだか。その程度の挑発なら受けてやらぁ」

 

 海上公試の試験官? 中等部の話で? 知名が頭の中を整理しているうちに、関節を鳴らす様に眉墨砲術長は指を組む。そして引き出し式の椅子に腰掛け、主砲管制用のコンソールを起動する。

 

「電機管制室、疑似狙撃装置(Visual para Role)が使いたい。あと月詠姉妹との視覚情報のリンクを最優先で繋いでくれ。操舵は任せて良いんだよな? 工藤」

「えぇ。あとは、貴女が狙撃するために深井が調整してくれるわ」

『こちら電機管制室。VR-Sの為に非常用電源からリソースを割くためには、艦内の照明を落としてギリギリです。艦橋は支障が出ませんか?』

「どの道、潜水艦からは良い的だ。やってくれ」

『了解です。艦長代理』

 

 目まぐるしく変化する状況で、私はアームレストを握りしめる。何も出来ない自分が腹立たしい。神輿の上に立つだけであっても、その先を見据える眼を私は欲していると言うのに。

 

 苛立ちを悟られたのだろうか、渦中の村野副長が知名に向かって振り返る。

 

「さて。パシフィック・ピンテール号の発信装置を止めない限り、権限の書替はいたちごっこです。IDを管理している私は、武蔵から動けません。艦長は深井副砲長と加藤主計長、それと工藤航海長を連れて臨検を行ってください。この状況なら、前線指揮は貴女が適任だ」

「遊ばせられる人手がないってこと?」

 

 聞き返した知名に対して、肯定の意味で彼女は頷く。

 

「拳銃の扱い方をまともに知ってるのが、この武蔵に何人いるとお思いです? 少なくとも、貴女を頭数に入れなければなりません。それに駆逐艦と違って、マニュアルへの復旧作業には人手が足りません。危険ですが、貴女にも一仕事して頂かないと」

「言い出しっぺだもの。覚悟はあるから」

「そうですか、ならこの武蔵(ふね)は預かります。総員傾注。本艦はこれより、敵潜水艦の撃退。そして、シージャックされたと思わるパシフィック・ピンテール号の掌握を行う。今より半舷警戒態勢に移行、フタマル・フタゴーに対潜水艦戦闘を開始する。その間に乙種戦闘訓練修了者は、タクティカルスーツを着用のこと。対象の無力化後に、追って指示を出す。かかれっ!」

 

 非情灯以外は落とされ、暗黒に緑色の無気味な光だけが浮く艦橋と化す。そんな緊迫した中で、相変わらず間延びしたような深井副砲長の声が続く。

 

『あっ、艦長。言い忘れてた。武蔵が結構壊れるかもしれないけど、怒らないでね!』

「待て、深井。貴様、何をするつもりだ!?」

『じゃ、深井はちょっとセッティングで抜けますので。よろしくー』

 

 村野の制止を振り切って、おそらく射撃指揮所を出たのだろう。頭を抱える彼女を一瞥し、知名は闇夜の先に光るパシフィック・ピンテール号を見据える。

 

「さて。原子力輸送艦を光源(エサ)にした、イカ釣り漁でも始めますかね」

「銛を撃つのは、砲術長ですからね」

「へいへい。撃ち方始めと行きますか」

 

 不敵に嗤う眉墨砲術長の笑顔は、この暗闇の中でも輝いて見えた。



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Chapter-06 メクラデハシワタレ

皆様、お久しぶりでございます。

劇場版はいふりにやられて、お恥ずかしながら二年ぶりに再び筆を執りました。同人小説とは違う、WEB連載のLIVE感。なるべく早く取り戻したいと思います。

それではどうぞ。


「それじゃー、早速レク行ってみようかぁ!」

 

 追い込まれた状況に不釣り合いで、快活な声を張る深井副砲長。この場にいる全員が実技演習用に持ち込まれたタクティカルスーツに身を包んでいる。それは何かが起きた時にでも、命を護る助けになる――つまりは、危険と隣り合わせという訳で。

 

「しっかし。武蔵は輸送艇を任されただけあって、変なものばかり転がってるわね」

「管理する主計科は大変なんです。遠洋航海に参加するクラス各艦の備品を預かってる訳ですから」

 

 そう口を交わすのは、工藤航海長と加藤主計長。苦労人の二人らしい台詞を返してくる。武蔵は今回の航海実習に当たり、その艦内面積の広さから貨物船よろしく装備を積みに積み込んでいるという事だ。

 

「でも、今回の非常時に対して幸運ね。制圧用のパルスグレネードや、パラライザーまである。防弾チョッキやスタンバトン……って、一体どういう演習をやろうとしたのかしら? 教官達は」

 

 そう言われて木箱を覗くと、やたらと重厚感のある品ばかり。果たして使う機会が本当にあるのだろうか、分からないものばかりだ。

 

「ありがたいねぇ。そして艦長(テロリスト)さんは、これ全部使って止めろって言うんでしょ? あのフネ」

 

 指摘した深井副砲長が嗤う。その目は貪欲で、獲物を前に嬉々とした肉食獣のソレだった。試すように彼女は挑発してくる。

 

 恥ずかしさで沸騰しそうだ。行き当たりばったりの発言が、たまたま上手くいっただけだ。自分だって思い出したくない。しかし売り言葉に買い言葉。責任は持とう。

 

「仮に船員が人質にとられた場合には、何かしらの要求があるはずです。パシフィック・ピンテール号からの通信は?」

 

 そう伝声菅に問いかけると、艦長代行の村野副長からは剣呑な言葉が返ってくる。

 

『特筆事項なしですね。むしろ艦内のダメージコントロールからの報告ばかりひっきりなしで、こちらは休まる時がありません』

「ご苦労様。何かあった時の判断は村野副長に一任します。最悪、突入部隊を置き去りにしても構いません。こちらで最善を尽くします」

『相変わらず無茶をおっしゃる、知名三士は』

 

 そんな会話をしているとニヤニヤと嗤う面々が、後ろから私を見る。

 

「置き去りにして構わないってさ。この艦長やっぱ鬼だねー」

「肝の据わり方は褒めるべきだけど、乗員の安全は第二に考えてね。艦長(テロリスト)さん」

「そこは第一というべきって所じゃない?」

 

 好き放題言ってくれる。そう不服に口を尖らせると、彼女らは遠い目をした。

 

「第一は要救助者の安全確保です。身内は後(・・・・)なんです、知名艦長」

 

 そう拳を軽く握った工藤航海長の表情が、私の脳裏に貼り付いて離れない。再び顔を上げた彼女にはもう負の色は消えていた。

 

「さぁ、特等席でうちの砲術馬鹿の力を見るとしましょうか?」

 

 信用しているのか、しないのか。何かを揶揄するような声色につられて、私達は更衣室を後にする。

 

 

 

 

 

「おー。来たか、お前ら」

 

 後部主砲射撃指揮所に籠っていた眉墨は、いつもの暗緑色の外套を翻して席にどかりと座った。そして、全身のベルトにくまなくカラビナを回してハーネスを固定する。

 

「一体、何を始めるのよまったく。っていうか、アンタ一人? 他の子達はどうしたの」

 

 そう工藤航海長の台詞に口角を上げる砲術長。コンソールを指先で叩きながら、不敵に嗤う。

 

「皆には爆雷投射機……じゃねぁな、即席のソノブイ投擲装置について貰ってる。チャンスは一瞬だ。原子力船に接近する直前に、仰角をめい一杯で放り投げるんだ。やとがみ型は武蔵の機動力が落ちる一瞬を狙って、再装填が終わった魚雷を全部ぶち込んでくる筈だ。その間に推進音を拾って月詠姉妹が解析。三点で居場所を割り出して主砲で狙撃。なぁ、完璧だろ?」

 

 待て。主砲で狙撃といったか、この砲術長は。訝しげに首を捻る私達と、至極当然のツッコミを入れる工藤航海長。

 

「主砲……って、アンタ武蔵の46cm砲の最大俯角を知ってる筈でしょうが!」

 

 航洋艦の小回りが利く対潜砲弾じゃあるまいし、とても武蔵の図体じゃ狙えない。それを何処吹く風で流す眉墨砲術長。

 

「策はあるさ。何せ、知名艦長のご要望だ。仕上げるぜ、俺は」

 

 そうウインクをする男前な彼女。それにどう反応を返したらよいか分からず、愛想笑いで流す私。いつもこうなってしまう。私が何かを率いる度に、周りに迷惑をかけてしまう。そんな人でなしは、艦長になんか相応しくないと……。

 

 その思考を断ち斬るように、眉墨は笑った。

 

「顔に出てるぜ、艦長。心配しなさんな。皆、生きて帰れるさ」

 

 拳を突き出した砲術長に、私も右手を重ねると女性のものと思えない鍛えられた甲に触れた。力強い、頼もしい。それだけを形容する不可思議な迫力が感じられたのだ。

 

「時間だぜ。歯ぁ喰い縛れよ、舌を噛む」

 

 艦橋にいる村野副長が進路を変えたのだろう。波をサーフボードのように斬り分ける船体と、先程の魚雷のダメージなのか軋む鋼鉄の音。

 

 目指すは原子力貨物船。ありえない航路を採りながら、武蔵は進む。急激な取り舵。左へ頭を大きく振った巨体は、激突寸前に艦首の向きを変えた。

 

「ソノブイ撃て、アンカー射出ッ! 応急長ッ、右舷隔壁注水!」

『あぁ、もう! どうなっても知らんでぇッ!』

 

 悲鳴のような応急長の声が返ってくる。そして武蔵の左右上甲板に備え付けられている岸壁係留用の錨が、爆薬の力を利用して文字通りに飛んだ。

 

 その矛先は、まさかのピンテール号。船体へ刺さったのを確認して、ワイヤーが巻き取られる。ついで、高く円弧を描いて着水する聴音機器。

 

「月詠ィ! 魚雷から辿れるだろお前なら!」

『…………算出ッ、ポイント送るのです!』

 

 ただでさえ武蔵がのたうち回っている最中なのだ。その精度はいかほどでもなかろう。しかし、彼女は見事に聴き分けたらしい。

 

 砲術長の目の前のディスプレイに三次元ホログラムが形成され、潜水艦がいると思しきエリアにマッピングされる。それも、同時に三ケ所だ。雑多な情報では絞り切れないにも関わらず、月詠姉妹はここまで割り出した。

 

「眉墨ッ! アンタどれ狙うっての!?」

 

 急な旋回とアンカーで激しく胴体を傾かせた艦内で、手近なポールに掴まった工藤航海長の罵声が飛ぶ。それに意を介さず、眉墨砲術長の目は全部(・・)を見据えて言った。

 

「どれもだぜ、お前ら。魚雷が当たったらラストフェイズだ!」

 

 そして衝撃。おそらく潜水艦から放たれていた魚雷が、位置情報と引き換えにこちらへ迫っていたのだ。爆音と共に船体が更に揺れる。

 

 右に大きく傾いた武蔵が、弾け飛ぶ勢いでつんのめる。

 

「ちょちょッ! ぶつかっちゃうでしょこの距離ぃッ!」

「応急長ッ! 右舷排水急げ!」

『ホンマ無茶言い張る、この人ぉ!』

 

 隣にいる深井副砲長の表情が怯えに染まる。文字通りに転覆寸前にまで振られたのだ。前方の艦橋はこのコースなら辛うじて逃れるだろうが、メキメキと後部の鉄塔やらが接触する。上部構造物の一切が――それもここ後部射撃指揮所も含めてだ。

 

 目の前にピンテール号の胴体が迫る。ギリギリの所で止まった状態で、今度は振り子のように左へと図体を戻す武蔵。

 

 その時の眉墨砲術長の眼は、獲物を捕らえた狩人のソレだった。

 

 スクリーンに映し出された三次元狙撃装置に、ターゲットマーカーが飛ぶ。目標までの距離と座標。武蔵の傾斜と各砲塔の向き。そして三門全てが予測されたポイントに向けて、砲口が寸分違わぬようにピタリと収まったのを示していた。時間差で予測ポイントに着弾せんと、眉墨砲術長はトリガーを引き絞った。

 

「ぶっ放せッ!」

 

 一、二の三。3基9門の一斉射。

 

 傾斜復元中の武蔵が、砲弾を排出して大きく揺れる。爆風を反動に図体を戻した巨艦は、何事も無いように再装填を開始する。遅れて海水が巻き上げられて、雨のようなカーテンが降り注いだ。

 

 嵐にうねる大洋に、眉墨砲術長の声が高らかに響いた。そして、手近なポールに体を固定し唖然とする私達。

 

『こちら上部見張室。恨みますからね砲術長ッ!』

「わぁーってるよ。それで、首尾はどうだって?」

『着弾した模様! ソナーに突破音! やとがみ型、浮上します!』

 

 水測員の雪花二士から報告。私達が呆気に取られている間に、本当に直撃させたらしい。

 

「本当に当てたの砲術長!?」

「いやぁ。むしろ当てちまっただよ、工藤航海長。威嚇のつもりだったんだが……」

 

 なぜと目で問えば、眉墨砲術長は頬を爪で掻いた。

 

「初発で偶然(・・)、戦艦に砲撃されたんだ。こんだけのスペック見せつけちまったって事になる。それに武蔵は完全に手負いだ。さっきの反撃を対価に魚雷も更に貰ってる。まだ沈む程じゃないが……」

「これ以上は打つ手なしって事?」

「水上艦なら何とかなる。喫水線の上からは健在だ。耐えきって砲弾打ち込んで黙らせればいい」

 

 だからやっと本番だ。彼女が胸の前で両手を組んで骨を鳴らす。

 

 回復したモニターには、金剛型戦艦級の黒光りする物体が映し出されている。

 

「だから、ここからはお前らの仕事だぜ。艦長」

「私!?」

「決まってんだろう。こっちが牽制している間に、原子力輸送船に潜伏するテロリストをお抑え込む。あとのドンパチは俺と副長に任せろ」

 

 気付けば、後ろにいる皆はタクティカルスーツのホルスターにパラライザーをセットしている。

 

「アンカーを渡りきったら、船体を切り離す。次に会う時は、全てが終わってからよ。艦長」

 

 工藤航海長が私の肩を叩く。せめて不安にさせまいと、いつの間にか彼女の額がこつりとぶつけられていた。

 

「横須賀に帰る時は皆が一緒よ。私達に任せて」

「……では、お願いします。工藤さん」

 

さん(・・)付けをすると、彼女は困ったように笑う。

 

「副長。突撃班、人質救出に動きます」

『了解した。ええい、こうもシステムに介入してくるか。保ってあと30分だ。それまでにウイルスをばら撒いている奴を締め出せ!』

 

 艦橋でアクセス権限と格闘している村野副長の焦った声。それを背景に、私達は甲板に歩みを向ける。

 

 振り向けば、無残にひしゃげた上部構造物。修理には一体、いくらかかる事やら。だが、まずはこの場を切り抜ける他はない。反省はその後でだ。

 

 何やらL字型の金属を、錨の鎖に渡している。これを使ってスキー場のリフト宜しく下れという事か。

 

「体重が近い順になるかしら。加藤。アンタ艦長と先に行きなさい。最悪フォローするから」

「こういう役回りは慣れていますから。私が良いというまで、しっかり掴んでいて下さいね。艦長」

 

 さぁ、お手を。まるで舞踏会でリードするかのように差し伸べてくれる。案内されるがままに取手を掴むと、せーのの掛け声と共に心の準備が出来ていない私を差し置いて、深井副砲長がドンと私達の背中を押した。

 

 なされるままでいた私を少し時間を巻き戻して殴りたい。そのまま滑り台を下るように重力に任せて鎖を辿っていく。思考を置き去りにする速度でピンテール号が迫る。

 

 ぶつかる。そう恐怖に竦んで腕の力が抜けた。もちろん私の身体は慣性に従って前方に飛ぶが、高さが足りない。

 

 あぁ、このまま冷たい海に放り投げられて一生を終えるのだろうか。そんな自嘲ぎみに振り返ると、禄でもない生活だったように思う。化け物とまで恐れられた母親のように、孤独に死ぬのだろうか。

 

 嫌だ。嫌だ。ただただ藻掻く。空を切る腕。それでもだ。だとしてもだ。無駄だと分かっていても生きたいと願う。ヒトとしての本能には抗えない。思考を御している私だって、恐怖心だけは残っている。

 

 がしりと握られる手。ついで体重全部を支える腕に激痛が奔る。咄嗟に閉じた瞼をこじ開けると、暗闇に必死な顔で叫ぶ加藤主計長が映る。

 

「そのまま壁にはっついて下さい! 靴底の磁石で立てますから」

 

 立てますから。その言葉に従うまま勢いをつけて、ターザンの恰好で船壁に衝突する。ビリビリと各部位が悲鳴を上げるが、何とか持ち堪えているらしい。

 

 こうなる事態まで想定していたのだろうか。加藤の腰には命綱。それだけを信じて身を放り投げたらしい。

 

「船体に挟まれでもしない限り死にませんから、安心して下さい知名艦長」

 

 そう息を整えて、同じ高さまで降りてくる。二人してクライマーのように宙吊りになると、上からロープが垂れてきた。どうやら、予定通りに後から渡り切った航海長が手助けしてくれるらしい。

 

 必死に這い上がった頃には、まるで海水に浸かったかのように汗だくになっていた。息を整える私に対して航海長が迫る。どやされるだろうか。そうビクリと身を竦ませると、彼女はポンと頭に手を乗せてきた。

 

「世話は焼くものよ、艦長。部下を頼りなさい。全力で応えるから」

「失敗するって分かって放り出すって、本当に工藤は鬼ぃいいいいい痛い痛いッ!」

 

 近づいてきた深井副砲長を拳で梅干しをする。ギブギブと手で叩く彼女を差し置いて、状況は進む。充分に離れた私達を見越してか、ボルトが爆砕する。

 

 鎖が切り離された武蔵が、翻すように離れていく。潜水艦とは思えない口径の砲弾を浴びながらも果敢に反撃する。その行く末を見送りながら、物陰から艦内との昇降口を伺った。

 

 見張りはいない。しかし、こちらが闇雲に突入しては返り討ちだろう。

 

「原子力潜水艦なんて、そうそうデータは転がってる訳ないよなぁ」

「下手すれば国家レベルの機密ですよ。ましてや公開なんてしてくれる訳ないでしょう」

 

 月詠風花二士の洗ってくれた情報によれば、排水量と建蔽率。全長と喫水がどこら辺になりそうかくらいだ。

 

 そんな状態で、テロリストと鉢合わせるリスクを背負いながら侵入しなければならない。途方もない労力に頭を抱えながら防水タブレットを睨むと、深井副砲長はニヤリと嗤った。

 

「こーいう時は常識に囚われちゃ駄目なんだよ。おねーさんに任せなさい」

 

 そう彼女は平たい胸を張る。その自信は何処から来るのかと問えば、すんすんと鼻呼吸をする。

 

「皆、犬やら猫やら言うけどさ。こういう時に野生のカンってのは大事なんだよ」

 



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Chapter-07 カネナルハナゾノヨ

 鼻が利く。その言葉に嘘はなかろう。しかし、不確かなセンスを当てにしていいものか。とはいえ、それ以外に手段がないのだから実行する他はないが。

 

 ドアノブにはロックがかかっていない。そのまま捻り暫く様子を見る。異変に気付いてこちらに首を出す輩はいない。という事は、本当に誰もいないか。それとも待ち構えているかだろうか。

 

「誰もいないよ。大丈夫」

 

 そう断じる深井副砲長の勘を信じて滑り込む。常夜灯のみ点された廊下はもちろん薄暗い。彼女らが使い慣れているというハンドサインを教えて貰い、先を急ぐ。

 

 気がかりなのは、艦橋か操舵室と思しき所との通信中にあった発砲音。武装している可能性と、話をしていた彼の無事だ。

 

 いや。そもそも、なぜこんな日本近海を航行していたかの方が重要だ。いくら日本が東アジア随一の海洋国家とはいえ、交通の要所を抑える関門である事に変わりはない。

 

 だからこそ、ホワイトドルフィン。ブルーマーメイド。分野の異なる二つの組織によって西太平洋を支配下に置いているのだ。

 

 各国からの反発が強い地域もあるが、少なくともパシフィック・ピンテール号を所有する英国といえば親日国家である。しかしいくら何でも、不可思議だ。使用済核燃料とはいえ報告なしで航行など、滅多に考えられない。そんな危険物を隠密に動かすなど。

 

 であれば、何者かが手引きしておびき出した。原子力輸送船に搭載された何かを狙って? 確かに発電装置やタービンを流用されれば、たちまち兵器に様変わりする。

 

『上に行くよ、艦長』

 

 思考を断ち切る深井副砲長の指示。そう案内されてはしょうがない。跳躍して天井裏に飛び乗った彼女が伸ばす手に引き寄せられ、残りの面々も埃だらけの隙間に滑り込む。数秒後には誰かの足音。小柄な覆面の人物が通り過ぎる。手に持つ銃器は本物に違いない。ごくりと唾を飲む間に、影が遠ざかる。

 

 一息を吐いた所で、声を潜めて解説が入る。

 

「このフロアだけ階段が長かった。なのに、廊下から見た天井の高さは同じだった」

「という事は、換気用のダクトがあると。それも人が入っても大丈夫なくらいの」

「そうそう。しばらく潜って様子を見たいんだけど、時間がないんだよねぇ。人質も何処にいるか分からないし」

 

 村野副長が指定したリミットまで余裕はない。何としてでも攻略したいが、攻め手に欠ける。コツコツと蟀谷を叩いていると、思いついたように話を振ってくる。

 

「ちなみにこういう状況で、一番人質が集められる可能性が高い場所はどこでしょー。はい、知名艦長」

「え……私? 食堂……かなぁ。見渡せるし、最低限の人員で監視できるから」

「この船にどれだけ乗員がいるか分からないけれど、合理性を考えれば妥当だよね」

 

 だから二手に分かれようと思う。そう深井副砲長は指を立てた。

 

「陽動は艦橋に仕掛けるよ。これは加藤主計長と知名艦長にやって貰うから。私らがソッコーで乗員探してくる」

「陽動……って、私じゃ足手纏いになるだけじゃない?」

 

 そう聞き返すと、何処吹く風の彼女。ちょっかいを出して逃げかえればいいと豪語する。

 

「こういう場面には、弁が立つ人間が強いよ。それに私や工藤航海長はスクランブルに慣れてる。要人の脱出やらはお茶の子さいさいだって」

 

 そう言って、拳を突き出してくる。合わせるように重ねるとガツンと当たる音。ニカっと相手は笑みを見せる。

 

「では、ご武運を艦長!」

 

 言うが早いか、ダクトをずらして飛び降りる深井。なぜそのタイミングかと問いただす前に駆け出して、遠くにいたらしい巡回していた武装兵を無効化したようだ。

 

 さぁ行けという手振り。加藤に引き離されないように足音を殺して進む。

 

 遠くの曲がり角の先から発砲音。薄暗い廊下にマズルフラッシュの明滅が目に入る。乗り込む前に遠目で確認したマストの位置だけを頼りに、艦首に向けて駆け抜ける。

 

 影から飛び掛かった加藤が、両腕で持って覆面の首を絞める。銃を取り落として必死に抵抗するも空しく、だらりと両腕を落とした。

 

 制圧戦に手慣れているのだろうか。しかし、只の高校生がそんな事に親しんでいてどうするか。臨検に危険が伴う事も知っている。しかし、今この場でとなると話は別だ。

 

 生き死にに隣りあわせなどと。その覚悟なくして、私はこの場に流されているだけだというのに。

 

「まだ若い……というより、どこかの海洋学校。この柄は舞鶴の生徒でしょうか?」

 

 武器を隠し持っていないかジャケットの下を漁りながらだが、私が驚いたのは幼い容姿の顔が覆面から出てきたからだ。年かさは私とさして変わらないだろう。

 

 仰向けにして、気絶した相手の瞳孔を覗き込む。死んではいないようだと、外傷を確認しながらも加藤は汗を拭う。

 

 あまりにすんなり進むものだから、彼女の手腕に感嘆したくらいだ。ここまでの無事は全部片づけてくれているおかげ。全てが用意されたレールの上を走っているみたいだ。

 

 しかし、奇妙な光景に直面する事になる。

 

 私達が何もしていないのに、他にも倒れているテロリストがいくばくか。それも、深井達の向かった先と反対方向のはず。考えればありえない区画にだ。不審に思った加藤が脈を採ろうと動く。

 

「武装解除された……というよりは、奪われましたね」

 

 そう加藤が口を開く。何事かと言えば、ホルスターがあるのに丸腰だと指を指す。

 

 何が何だか分からない。まるで、私達と同じようにこの船に乗り込んで成すべき事がある人間がいるかのように。

 

 厳重な隔壁のノブを回しながら先に進む。鍵はかかっていない。しかし、所々がショットガンで打ち抜かれたような跡が残っている。

 

 力技で犯行グループは押し通ったのだろうか。その疑問を払拭せんと、丁寧に。そして迅速に歩みを止めない。

 

 鳴り響いた銃声に咄嗟に身を伏せる。同様に壁際へと寄った加藤主計長が待て(・・)の指示を出す。どうやら目当ての艦橋らしい。伺うように覗き込むと、制服を着た背が高めの女性と、見事な金髪を靡かせる少女とが向かい合っている。

 

 言葉だけでも清く滑らかな英語が、こちらにも聞こえてくる。

 

さぁて、いい加減に教えてくれないと(The show must go on.)困るんだよねぇ。こっちもさ(Don't trouble me with trifles.)

貴女に話したところで、(If I say with you,)我々には何もメリットがないでしょう (we won’t in trouble!)

 

 軍用ジャケットで武装した金髪の少女が、左手で大男の首を抱き込みながら後ろへとにじり寄る。目指しているのは艦橋裏の外階段か。

 

 見た事もない制服姿で拳銃を持つ女性と、照星越しに睨み合っている。

 

 気絶している男性が人質か。目で合図する。アレをどうにかできないか? 加藤主計長は首を横に振る。このままではこちらの身も危ない。様子を一旦みろ(ステイ)とサインを出した。

 

とんだ御転婆なご令嬢だ。(You are romping girl.)こんな所くんだりまで来て、(How dare you knock)サバイバルゲームをやっているとはね(about Japan.)

外野が口を挟まないで。(Hold your tongue!)自己責任だって自覚はあるのだから(It's all my responsibility.)

 

 制服姿の女性が発砲。右手の肉を削がれた金髪の少女が拳銃を取り落とす。

 

痛ったっ(Shit!)…………本当に良い腕をしてるわね。貴女、(You are skillful.)こっち側に欲しいくらいよ(We want it too.)

御託は結構、時間稼ぎは十分かしら?(You are good at complimenting.)早くその男を引き渡してくれないかしら。(You must hand over)こちらも時間がないの(hurry up.)

 

 進退窮まった少女が人質の手を離した所だ。悔しそうに後ずさる彼女を見て、満足したように男性の懐に手を伸ばす制服の女性。

 

 主計長のハンドサイン。タイミングはここしかない。舌っ足らずな英語を叩きつける。

 

海上安全整備局の者だ。(We are Japan coast guard.)武器を捨て大人しく投降しろ!(Lay down your weapons!)

 

 何事かと目を向いた少女。それが驚愕に変わり、慌てたように腰元からナイフを剥いて切っ先を向ける。その左手を、支持棒代わりに突き出して吠えた。

 

違うわジャップッ!(Watch out!) 乗り込んできたのはアイツよっ!(No! She is thief!)

「知名艦長ッ!」

 

 その言葉に虚を突かれた時には遅かった。

 

 数発の銃声。呆けた私の頭部に放たれたであろう凶器を、身を挺して加藤主計長が庇った。三点バースト。ドスという刺さる音が続いて聞こえた後に、押し倒された私に熱を帯びた体温が伝わってくる。

 

「一体、何が……」

言わんこっちゃないッ!(I told you to stop it!) あったまきた!(Hey you!) 一体この船に何の用があるの!(What do you want!)

 

 加藤主計長を襲った本人は、高らかに英語で続ける。その様が仰々しくて、猶更に神経を逆撫でしてくる。

 

変革の為さ。(For the revolution!)こんな糞ったれた世界に、(We’ll cause a stir)風穴を明ける為のね(in the stupid world.)

 

 そうして、男性から取り出したキーカードを悠々と手に取って挑発する。鼻歌を鳴らしながら、コンソールに手を伸ばす。

 

 部屋が警告灯で真っ赤に染まった。アナウンスは危険を示す言葉だらけだ。その全てを聞き取る余裕はないが、操舵に関して命令を下したらしい。

 

アイグレーと言ったわね。(Are you Aegle?)こんな事をしでかして、(We cannot stand quiet)英国は黙ってないわよ!(and mount a counterattack.)

貴女方の宗主国が手を出す事は(British has nothing)ないでしょう。(to do with.)全てが我々の織り込み済みだ(It’s taking something into consideration.)

 

 その言葉にギリリと奥歯を鳴らす少女。しかし打つ手がないのを分かっているのか、ふらつきながらも苦し気にナイフを掲げて態勢を整えた。

 

 それすら目もくれずに、制服の女性はこちらを見た……正確に言えば、私を視点に据えた。

 

「さて、教育艦武蔵の諸君。遠い日本本土からご苦労だ。とはいえ、ここで会う予定ではなかったのだがね」

 

 突然の日本語に、脳が言葉を受け付けなくなる。武蔵。その台詞に硬直した。

 

 いくら外洋でドンパチをするからといって、闇夜で船体を目視できるかは怪しい。という事は、無線に割って入った侵入者は彼女だという事か。

 

「一体誰なんです!? 貴女は」

 

 私の当然の質問を、首に手を添えて考える姿を見せる。しばし思考するそぶりをして、彼女は口角を上げた。

 

「ふむ。名乗るに値するかは知らないが、今後の計画の為にも値札(マーク)をつけられるのは悪くない。私はメッセンジャーだ……黄金の林檎と言えば、君らにも知識が明るいだろう。数多の園から禁断の実を卸す者。仲間内ではアイグレー(・・・・・)と名乗っている」

 

 ヘーラクレースの十二の功業の一つ。ヘスペリデスの園に使える姉妹の一人であったか? その名をわざとらしく名乗る彼女は、膠着した状況に一石を投じるようにコンソールを叩いた。

 

「貴女は随分と頭がきれるそうね。全部分かっている癖に、周りにはひけらかさない。あの人にそっくりよ」

目標地点を北緯35.20、(35 degrees 20 minutes north latitude,)東経139.75に設定。(139 degrees 75 minutes east longitude.)以下、自動航行に移行します(Moved to automatic navigation system.)

 

 余裕の表情から、どこか苦々しげに吐き捨てる女性。私は彼女の示した座標を、脳内で変換する。まさしく横須賀観音崎の南、浦賀水道の要所だ。

 

「この位置にコントロール喪った核燃料輸送船を向ければどうなるか、聡明な貴女なら分かるわよね?」

 

 今は水没した旧東京都と洋上都市を繋ぐ結び目。そこに制御が利かない暴走船舶を放り込めば、火を見るより明らかだ。

 

「君らはこのフネに何か勘違いをしているらしい。此処は原子力発電所そのものだ。遠征先で大量に必要とされる電力を一手に引き受けられる。濾過した海水で蒸気を起こして回すタービンもあって、それこそ電磁砲すら搭載している移動要塞だよ。こんなの兵器と何ら変わらないじゃないか。口ばかりが民間船というが、立派な戦争の引き金になるさ」

 

 そうアイグレーと名乗る女性は嗤う。カツカツとリノリウムの床を鳴らしながら、荒い息を整えていた金髪の少女に詰め寄って蹴りを入れる。元々頭を揺すられていたのか、意識が混濁しているらしい。いとも簡単にナイフが滑り転がっていく。

 

ここで私が聞きたかったのは、どうして(Why Pacific Pintail leave Japan,)このフネが日本を離れたかだ(I wanting to ask?)

知る訳ないでしょう……こんのッ!(I don’t know that!)

 

 アイグレーは少女の回答に、英語で何か罵詈雑言をまくし立てた。その後に襟口を掴んで床に叩きつける。組み伏せられて、傷口をヒールで抉る。その様と絶叫に目も当てられなくなって、私はつい顔を逸らした。

 

「その戦力になりうる兵器を、貴女は日本に向けるんですか?」

 

 居ても立ってもいられなくなった苦し紛れの呟きを、相対する女性は鼻を鳴らして応える。

 

「公的組織で運用されている筈の船が、日本の港口で事故を起こしたら? 石橋のように堅いと言われる日英同盟にヒビが入りかねないという事よ」

 

 勝ち誇ったように嗤う女性に対して、最後の足掻きのように傷ついた右手を庇う少女。背中から撃たれた加藤主計長は、外傷によるものか未だに目を覚まさない。

 

 改めて金髪の少女に向けて女性は微笑んだ。痛めつけるのが済んだのか、今度は顎を片手でなぞり銃口を眉間に当てた。

 

『君の立場に肖れば、今の状況はロンドン橋が相応しい。(Looks like London Bridge.)

木や粘土で凝り固めても駄目。(Wood and clay will wash away,)煉瓦や鋼鉄で以てしても崩落する。(Bricks and mortar will not stay,)次に彼らは何を用いたと思う?(Iron and steel will bend and bow,)

金銀財宝とでも言うつもり?(You say, ) 良い趣味してるわねッ(Build it up with silver and gold,)

そうさ。(That’s right.) 私達は金の生る木を探している。(We look for concentrate our wisdom.)日本という国を救う特効薬をね(Anyone expected deliverer for Japan.)

 

 未だに敵意の炎を消さない少女。それに飽きたのか、アイグレーの指がトリガーに触れて引き絞ろうと……。

 

君は尊い橋を支える犠牲になると良い(You will be a human sacrifice.)

 

 その瞬間だった。何かが弾ける音。反射的に振りかぶったアイグレーは、発信源に音を向けると発砲。目の端で捉えた私は、拳大の球形だと悟った。閃光と共に、鼻を突き刺す臭いが充満する。

 

 催涙薬入りのスタングレネード。俯いていた加藤主計長が、意識を取り戻して放ったらしい。自軍への被害をものともしない賭け。それに免じてなのか、他の理由があるのか。アイグレーは攻撃を辞めて、煙が充満し始めた艦橋で天を仰いだ。

 

中々愉しませてくれるじゃないか。(It’s so delightful!)今回のショーは嗜好品(タバコ)だ。極東に位置する黄金の国。(The Jokisen tea that awakens one from a peaceful sleep.)その橋桁の守り人たる監視役(With only four cups,)を叩き起こす麻薬なのさ(the night is sleepless)

とんだジョークね、(Yeah, you’re so funny.) 反吐が出るわ(I'm sick of it!)

 

 壁に背を預けて、金髪の少女が苦しそうに咳き込む。それを満足そうに見届けてアイグレーは続ける。腰から下げられた懐中時計が揺れた。

 

「お喋りはここまでだ、どうやらタイムリミットだ。やとがみを上手く誘導してみたけど、このウイルスは使い勝手が悪いね」

「ウイルス?」

 

 ともすれば艦の機能を全停止させる代物の事か。であれば、村野副長の指揮系統に介入している相手でもある。

 

「それじゃあ、武蔵のコントロール奪ったのも貴女!?」

「武蔵の管制掌握とは違うよ。あれは横須賀女子海洋学校の教官IDに細工をしただけさ。私が言っているのは、細菌とかの類だね」

 

 RaTtウイルス。それが君達が追うべきトロイの木馬(・・・・・・)という訳だ――そう彼女の唇が紡いだ。

 

「ちょこっとヒトの神経を狂わせるのに便利な代物だ。電波障害を引き起こすから、この場には持ち込んでいないけれど」

 

 何かのバイオテロを画策しているとでもいうのか。感染症の類? これ以上は一句も吐き出さないと、アイグレーは踵を返した。

 

「少し喋り過ぎたかな。それでは、諸君。我が蛮行を許せないのならば、ぜひ私を捕まえてみたまえ。裁けるかは別の問題だがね」

 

 悠々とドアに歩み寄り、その先へと続く甲板へと踏み出した。

 

さらばだ、愚かな姫君よ。(Goodbye foolish lady,)もう会う事はないだろうがね(You have no chance.)

 

 私は威嚇にもならないパラライザーを向けるだけ。去り行く彼女は嘲るように、こちらを横目で流していった。

 



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