インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 や、数日空いてしまい申し訳ありませんでした。構想は浮かんでたんですが、視点を誰にするかで悩みまくっていて遅くなりました。

 何時もは午後六時投稿なのに、午後九時投稿にしたのはお待たせした為です。あんまり一定のペースを乱したくないのですが、目安として三時間刻みとしていますし、浮かんだネタは速攻で書いておきたかったので。

 結局オールリーファ視点に収まったんですがね。実はラン、ヒースクリフ、クライン、ディアベル、シリカ、アスナ、ユウキの順で書いて行って、最終的に義理の姉に収まりました、一番違和感無かったので。お蔭で時間を食ってしまった……

 そんな訳で、今話は《SAO事件》リアル方面の回想と、姉弟の再会からのお話です。途中はほのぼのですが、それ以外マジでドシリアス直行ですのでお覚悟を。文字数も何と二万に到達。

 ではどうぞ。今話も作中の時間そのものはあまり進みません。




第十四章 ~想い合い~

 

 

 桐ヶ谷和人。

 それは今からおよそ二年半前、新たにあたしが住む桐ヶ谷家に増えた家族の名前、血の繋がりは無いけれどとても大切な、唯一の義弟の名だ。

 《平和な人生を過ごせますように》というありふれていながら切実な願いを籠められた名を付けられた弟は、あたしにとっても父さんや母さんにとっても、とても大切な家族である。

 二年半前、彼は十一月という冬の入りの頃に家の近くで行き倒れていた。《織斑》という世界でその名を知らない者は居ない一家の次男、三番目の子供として生まれた彼は、その家族から見捨てられていたのだ。

 《織斑一夏》という名前は、今や世間では誰よりも格下の存在として、今でも刻まれている。

 その名前が和人の元の名前だった。

 擦り傷だらけで意識を失っている子供が弟として家族になると知り、それに対して抱いた思いは、護らなきゃ、だった。

 新たに名前を得て、あたし達が家族となった彼の心は疲弊し切っていて、まともに応答する事すら難しいくらい、ほんの少しでも反応を貰えれば良い方だった。

 そこまで自分を追い詰めているようになった原因は彼を見捨てた家族、そしてその周囲の人間であると知って、どうしてこんな事が出来るのかと心底疑問に思った。

 《織斑一夏》が落ちこぼれであるというのは、そういう話に興味を持たず剣道に打ち込んでいたあたしでも小耳に挟んだ事くらいはある……けれどそれは上辺だけで、もっと深い部分については知らなかった。

 和人が家族になってから、最初は病院暮らしだった彼の事についてネットという手段であたしはあらゆる事を調べた。

 とにかく彼にまつわる事を、家族になる彼の事を理解していなければ姉を名乗る資格は無いと思ったからだった……

 

 

 

 それが、今の姉として振る舞うあたしを築くきっかけになったのだと思う。

 

 

 

 検索ワードの所に《織斑一夏》と打てば、もう山ほど彼にまつわる事は出て来た。

 そしてその全てが彼に、あの小さくて幼い少年に対する罵詈雑言の嵐で埋め尽くされていて、思わずあたしは絶句したものである。

 あたしは土日を利用して、初めて剣道の練習を丸々休んで《織斑一夏》に関する事を不慣れなパソコンを駆使して調べ尽した。彼のプロフィールに始まり、家族構成、周囲の評価など、悪意あるものだろうが片っ端から検索していった。

 彼の悪評……いや、不当な評価が書かれたのは、2018年が最初だった。

 2018年は第一回《モンド・グロッソ》が開催され、同時に《織斑千冬》が世界の覇者として有名になり、《織斑》が注目され始めた年だ。

 誕生日は《桐ヶ谷和人》の名を付けてもらった日にち11月7日に変わったと言えど、基本的に同じ年内――元は9月27日――だし元の誕生日より後にずれているから、肉体年齢にほぼズレは無い。拾った当時は誕生日を迎えての八歳だったので、彼の生まれた日は逆算すれば2013年という事になる。

 つまりあの子が周囲の人間や家族と比べられ始めたのは、五歳になる年からとなる。

 五歳という事は、幼稚園年中か保育園児の頃だ。そんな子供が四つも年上の小学三年生にあたる兄や中学・高校生辺りだったらしい姉と較べられて劣るなど、むしろ当然の事だ。

 逆にどうして優秀でなければならないのか、あたしにはそれが今でも疑問だ。

 その第一回《モンド・グロッソ》の年から始まっていたネットのスレッドは、既に規定数のコメントが来た為に終了していたが、飽く事無く別のスレッドが立てられては次々に《織斑一夏》を扱き下ろしていく……そんな事が延々と繰り返されていた。終いには『屑に生きる価値など無い』や『千冬様の血族として相応しくない』、『千冬様が可哀想だ』などと書き込まれていた。流石に老若は分からなかったが、少なくとも女尊男卑の風潮が広まっていた当時から今に渡ってもこれに関しては男女の別が無いようだった。

 子は、自分が生まれる家や家族を選べない。当然ながらそれは親も同義だ。

 だが織斑家には親が無く……少なくともあたしが調べられた範囲内では一夏が生まれた頃に失踪したらしい。その失踪した理由すら、彼が出来損ないだからだという事になっていた、当然ながら真実は和人も知らないし伝えられていないので今現在も闇の中だ。

 不当過ぎで、同時に理不尽過ぎた。生まれた子供の才能などで親が失踪するものか、そもそも失踪したとしても子そのものに責任は無いとあたしは思った。

 だが周囲の人間にとっては真実なんてどうでも良くて、ただ幼い子供を虐げられればそれで良いようだった。

 調べていく内に地元の人間の書き込みらしきものも見つけて、その日はどう《オチコボレ》を痛めつけたか、どうだったかを詳細に語ったスレッドも読んだ。中には日記形式として丸一日の様子を書き留め、後を付けて回っては妨害したり、暴行を振るったりしたと思しきものも散見された。

 信じられなかった事は、それが学校でも平然と行われている事だった。

 いや、ある意味で当然なのかも知れない。世界の覇者となった姉、神童と呼ばれた兄に対して出来ない事が多い弟に対する迫害は、その兄が率先して行っていたらしいのだから。身内が行っているのだからと傘に取って好き放題していたのだろうと思う。

 彼の体の傷を見る限り、少なくともパッと見て分かるような場所を避けて暴行を加えているようだった。

 傷の種類は果てしなかった。カッターか何かで斬られたと思しき切り傷、ライターを押し付けられたと思しき火傷の痕なんて当たり前で、何かに縛られたか締め付けられた痕、裂傷、何かで貫かれた傷跡、打撲、内出血も普通にあった。彼が連れていかれ、そして脱走した研究所で受けた実験の痕もあったし、ISコアを身体に埋め込まれた時の手術痕も流石に多少処置されてはいたようだがしっかり痕として見られた。

 世間から向けられる無限の悪意、彼自身に付けられた傷跡……双方を知ったあたしは、何が何でも小さな弟を護り、そして元の家族以上に愛すると誓った。

 あの子を拾った日の翌日と翌々日の土日を調べ物で終え、決意を新たにしたあたしは、その日から毎日病院へお見舞いに行った。夕方の分だった剣道の練習は朝で全て済ませるか、お見舞いの後にするように配分し、学校の後だろうが大会の後だろうが疲れていようとも欠かさず顔を見せに行った。

 流石にお見舞いの品や花などを毎日持って行く事は出来なかったし、低栄養状態だった彼に下手な食べ物を持って行く事は許されなかったが、一番の薬は触れ合いであると朧気ながらに悟っていたのだと思う、必ず顔を見せに行って一日に一度は会話をした。

 弱っていたとは言えそれは栄養が足りなかった事、また不眠不休による過労だった事からなので、しっかり休息を取って食事も時間は掛かるものの完食していた彼は、およそ三週間で退院し、桐ヶ谷家に住まうようになった。

 その頃にはあたしの毎日欠かさなかったお見舞いが効いたようで、幾らかのコミュニケーションが図れるようになっていた。

 

『はい、和人、ごはんよ』

『……ごはん? 作ってくれたの……?』

『他に何があるの? 父さんはアメリカに出張だし、母さんはデザイナーの仕事で普段は家に居ないって言ってなかったっけ?』

『聞いてたけど……俺が作るつもりだった……』

『あのねぇ……今日家に来たばかりの子に料理させるほど鬼じゃないわよ。というか和人、あなた料理出来るんだ?』

『一応……一通りなら』

『へぇ……その歳で出来るなんて凄いわね……』

 

 父と母が家にほとんどいない事から必然的に多少の調理が出来るようになっていたあたしは、その苦労を知っているが故に、たった八歳の身でも一通り料理が出来るという和人を素直に凄いと思った。聞けばサラダは勿論、肉料理から鍋料理まで一通り可能だというのだから尚更だ。

 だから素直に褒めれば、和人はキョトンとした顔で見上げて来た。

 

『……俺が……凄い……?』

『ええ、凄いわよ? たった八歳なのに一通りの食事を作れるなんて、他に居るとは思えないわね。居たとしても少ないでしょうし。あたしも去年から始めて、ここ最近漸くまともに出来るようになったくらいだし……』

 

 しかも出来るのはかなり大雑把なものばかりで、手の込んだものは作れないし、更にはレパートリー自体もあんまり無いから自慢も出来ない。

 だからあたしは苦笑で気恥ずかしさを誤魔化しつつ、少し具材が不格好な熱々のポトフが入っている手鍋を鍋敷きの上に置いた。

 そこでお玉を使って底の深い皿にポトフをよそい、テーブルの席に座る和人に差し出した。

 

『…………食べて、良いの……?』

 

 それを見た和人は不安そうに、本当に良いのかと眉根を寄せて訊いて来た。

 

『もちろん。むしろ食べてもらわないと困るよ、これは和人の為に作ったんだから』

『……俺のため……』

『そうよ……初めて家に来た記念として、ね。夕食だからあたしも食べるけど、メインは和人だから……さ、召し上がれ』

 

 何故か困惑の表情で見て来る和人に右手を向けて食べるよう促すと、おずおずとゆっくりとした動きでスプーンを持った彼は、恐る恐るポトフに匙を入れた。

 そしてニンジンと汁をすくった後、口に運んで咀嚼し……

 ぽろ、と大粒の涙を零した。

 

『……和人……?』

『……おぃ、し……ぃ……っ』

 

 ぽろぽろと、一口咀嚼しただけで涙を浮かべては流す和人を見て、あたしは少しばかり面食らい……これほどなのかと胸中で哀しくなった。

 たった一口、たったこれだけで涙を流して喜んでしまう程に、料理を差し出されて困惑する程に、今までの彼は一人ぼっちで虐げられてきた事を理解してしまった。

 病院食ではならなかったから……彼は、誰かの手料理を食べた覚えが無いのだと分かった。誰かが自分の為に、自分の為だけに食事を作ってくれた事が無いから、彼は困惑したし、涙を流しているのだ。

 逆に言えば、織斑家の食卓は彼が取り仕切っていた事にもなる。たった八歳の子供が他人に食事を作ってもらった覚えが無く、また一通り料理が出来るともなれば、そうとしか考えられなかった。

 

「うぅ……ふぅぅ……!」

 

 大粒の涙を流し、溢し、嗚咽を堪えながら和人はあたしが作った雑なポトフを食べ切った。あたしも確かに食べたが……間違いなくあたしよりも食べていた。『あたたかい』、『おいしい』、そして『ありがとう』の言葉が、延々と繰り返された。

 これもまた、あたしがこの子を護ろうという決意を固くした要素の一つである。

 とかく和人は涙脆い……いや、今まで流せなかった分だけ涙を流す。求め続けた果てに得られなかった《家族》という幸福を、血の繋がりこそ無いが得られたから、和人はそれに感謝し続けた。

 だが桐ヶ谷家に移り住んでから約一ヵ月が過ぎたクリスマスの日、朝から和人の様子がおかしい事があった。最初こそ様子見に留めていたが、あたし達に対する態度がよそよそしい事に疑問を抱き、母とアメリカから帰省していた父と共に問えば、彼は涙ながらに語った。『どうして桐ヶ谷家の子供として生まれなかったのか』、そして『自分のせいで皆が傷付く夢を見た』と。

 幸せを得たからこその切実な望みと恐怖が襲って来ていたのだ。まだ彼の心には、『織斑一夏に対する悪意』が根深く棲み付いていて、あたし達をまだ完全な家族と認識出来ていなかった。いや、自分程度の人間が家族になって本当に良いのかと、答えの見つからない無限回廊の悩みに陥っていたのだ。

 それを聞いた両親はそれぞれ頬を叩き、あたしは彼の額にデコピンを喰らわせ、そして三人一緒に小さな体を抱き締めた。家族とは血の繋がりだけでなく心の繋がりも言うのだと、もう和人は家族なのだと、そう訴えた。

 それを聞いた和人は大泣きし……以降、その夢は見なくなったという。

 和人にとって《家族》とは全てであり、自分の価値を決める存在。だから《家族》の為に働く事だけが存在意義であったらしい、そういう風に教えられていたからだった。

 何も見返りを求めず、何もかもを与えてくれる事に不安を覚えていたのが、不安の原因だった。無償の愛を知らなかったのだ。

 それにあたしは憤慨し、両親以上に心の中で激怒した。

 だから絶対にこの子を護ると決めていた。

 

『皆さん、絶対に《ナーヴギア》を外してはなりません! 世界初のVRMMORPG《ソードアート・オンライン》は、史上最悪のデスゲームとなってしまいました!!!』

 

 決めていた……しかし、それはあたし自身が破る事になった。

 《ソードアート・オンライン》。今や世界中で知られる世界初のVRMMORPGにしてデスゲームになっている、《SAO事件》のタイトルだ。

 母が奇跡的に後出して送った応募はがきで当選したSAOロットは、あたしがゲームを苦手としていた事もあって、年齢レーティングに満たない和人がプレイする事になった。

 あの時、レーティングに従って和人を止めていれば、あるいはあたしがプレイすると言っていれば、また辛い目に遭わせずとも済んだ……あたしは《ナーヴギア》を被って眠る和人の横で、一晩中懺悔し続けた。一時期は剣道部の顧問からも参加を反対され、真っ先に家路に就かされたくらいだ。

 途中で和人の体内に埋め込まれているISコアの調整、身体への影響の調査を行っている篠ノ之束博士が家に訪れたが、幾ら大天災とまで称される彼女でもノーリスクで《ナーヴギア》の取り外しは不可能だった。万が一を考えれば、その手段は取れなかったのだ。

 それでも諦めずにどうにか助け出す糸口を探ると言っていた。

 それからの生活は、学校生活と日々の剣道、そして毎日の和人の見舞いに終始した。和人が囚われた最初の年度は特に酷く精彩を欠き、よくクラスメイト達に心配されたものである。体育でも何度か倒れたくらいで、酷い時は食事が喉を通らない程だった。

 そんなあたしに転機を齎したのは、和人の部屋を掃除している時に目に入った、とある情報雑誌だった。

 

『これは……全部、SAOの……』

 

 ありとあらゆる情報雑誌に掲載されている内容は、全て憎きVRMMO……《SAO》と《ナーヴギア》についてのもの、そして茅場晶彦へのインタビュー記事だった。

 特に茅場晶彦の写真が表紙に載っている雑誌は何度も読み返されているようで、雑誌がベラベラだった。

 

『……そういえば、和人はSAO、楽しみにしてたものね……』

 

 普段なら手にする事も無かっただろうし、仮に目に留まって手にしても中を見ようとはしなかった。

 しかしその時のあたしは気でも狂っていたか……あるいは和人の軌跡を辿りたかったからか、気付けば掃除機を置き、彼が使っていたベッドに腰掛け、遮光カーテンから漏れ入る陽光を明かりに情報雑誌の中を読み始めていた。

 十数冊にも上る雑誌を、最初から最後まで全ページを読んでいて、読み終わる頃には日が傾いて茜色に外が染まっていた。

 読み終わった後、あたしは複雑な気分に陥っていた。

 僅かな情報しか載っていない最初に比べ、雑誌の冊数が進むにつれて少しずつ明かされていく物足りなさと欲求感。雑誌を編集している人物の文章力によるものなのか克明に脳裏で描かれる、真剣を構えて戦う自分の姿。この世には存在しない異形の存在が雑誌には描かれていて、それだけでなく様々な武具も載っていて、まるで北欧神話を読んでいる時のようなわくわく感が胸中で沸き起こっていた。

 確かにSAOは、VRMMOは大切な弟をデスゲームに閉じ込めた憎き技術だ。

 しかしそれは、彼を否定し迫害するきっかけとなったISを憎む事と同義ではないかと思い至り、思考が止まった。

 和人が姉や兄と較べられる要因となった事にISは確実に関わるが、それは間接的であって直接的では無い。

 和人は言っていた、ISとは篠ノ之博士の妹が純粋に宇宙へ行きたいという願いから作り出された夢の結晶なのだと、だからISを憎みはしないと。だから彼も、ISと聞いて気絶する頃があったのに、割とすぐに持ち直していたのだ。悪いのは人の心だと、幼さに反する理解力で悟っていた。

 その和人の弁に倣うならば、あたしが本当に憎むべきなのはVRMMOという技術やジャンルでは無く、デスゲームを敢行した人物であった。

 SAOがデスゲーム化して以降、茅場晶彦はすぐに捜索され、そして呆気なく見つかった。何て事は無い、茅場晶彦もダイブしていたためだ、アーガス本社の社長室で発見されたらしい。

 だが主犯である当人が何故かログアウトしないため警察も碌に手出し出来ず、念のため警察病院にて厳重な警戒態勢の下でその身は維持されていると聞いた。

 デスゲームを敢行した人物が行方を晦まさないというのも妙な話ではあったが、ともかくあたしは和人の言を思い出して以降、VRMMOそのものを忌避するのはやめる事にした。あの技術は悪用されただけであり、あたしが軽く聞いただけでも医療方面で活躍する可能性があるという話が浮上していた為、技術も使い様であるというのは確かだった。IS技術だって医療に応用されているから尚更だ。

 そしてあたしの二つ目の転機。

 あたしが通っていた中学校はそこそこ成績は良く、かと言って進学校とまでは言えない中堅所だった。なのでがり勉で成績が良い人も居れば程良くゲームで遊ぶ人、遊び呆けて低成績を取る人など多種多様だった。

 そんな中、あたしのクラスメイトには一人、重度のゲーム好きの男子がいた。眼鏡を掛けており、女子のあたしよりも少し背が低い気弱そうな男子は、成績は上の中で余裕があったからかゲームに相当嵌っていたらしかった。

 しかも最近の流行りなのか、プレイしていたのはVRMMOでも最高の人気を誇るものだった。

 《SAO事件》以降、《ナーヴギア》は危険物指定を受けたためそれを持っている者達から国は回収した。

 しかしVRMMOは今も凄まじい人気を誇っている。

 本来ならVRMMOというジャンルの存在も危ぶまれたのだが、医療方面での活躍が期待される事は事実であるため一時保留となり、様子見をする事となった。

 それを好機と見たか、とある電気企業メーカーが《アミュスフィア》という後継機を開発し、売りに出した。これが現在でもVRMMOをプレイする者が居る理由である。

 《ナーヴギア》がコンセントを外しても殺人的な出力を出せる理由は、重量の三割を占めるバッテリーセルによるものだ。そのバッテリーセルは本来、解像度やレスポンス速度の向上を目指して取り付けられた代物だという。

 それを取り外し、かつ延髄部分での電気信号をインタラプトする割合を百パーセントから九十九パーセントへ落とす事で、外刺激に反応してログアウト出来るようにもされた。百パーセントだと脳が激痛を認知しないため危険だかららしい。

 そんな安全機構となって発売されたVRハードが《アミュスフィア》。

 それを購入し、あたしがプレイし始めたのが、件の男子から聞き出して薦めてもらった大人気VRMMO……《アルヴヘイム・オンライン》、通称ALOと呼ばれるゲームだった。

 名前に反し、それはおよそゲームに関する知識が浅いあたしでもハードだと思える内容だった。

 九つある種族ごとに《グランドクエスト》をどこが最も速くクリアする事が出来るかを競う内容で、別種族に対してならPKを推奨していて、更にはリアルの運動神経が直接反映されるという仕様だったからだ。薦めてくれた男子曰く、ゲーマーは基本インドアだから運動部の方が有利になりがちだという、つまりあたしは偶然ながらも有利な立ち位置にあった訳だ。

 あたしはそのゲームにのめり込んだ。

 理由は二つあり、まず一つ目はその妖精郷が美しかったからだ。現実には無い、仮想世界だからこそ見られる美しさは、たとえデータによって形作られた偽物であろうとも本物の感動を呼び寄せるものだった。

 もう一つは、その世界では妖精種族であるため飛べるという事だった。無論、高度制限や飛行時間制限は設けられているので無限に飛び続ける事は出来ないのだが、それでも風を肌で感じられる飛翔はとても快感だった。ISは水泳の水着のようなシルエットでかなり肌の露出が見られるため、飛行時に風の抵抗は感じるらしいが、恐らくそれ以上だと思えるものだ。

 自由に空を飛べるという快感はあたしをALO、もっと言えばVRMMOというジャンルの虜にした。

 和人がSAOに囚われた、彼の新たな誕生日だったあの日に言っていた言葉を、あたしはその時に初めて理解出来た。確かに言葉に言い表せられないくらいの感動だった。

 彼が見た世界をあたしも知れたと思うと、堪らなく嬉しく思えた。

 その当人は病院で眠り続け、しかしその魂は過酷なデスゲームの世界で生き続けていた。常に危険な最前線を一人で。

 あたしがそれを知っているのは、それを教えてくれた人がいたからだ。

 その人は、《SAO事件》が勃発してすぐに国が主導となって設立された、SAOに囚われた者達を各病院に搬送し、その後の維持を担っている機関《SAO事件対策本部》のリーダーを務めていると名乗ったメガネの役人である。

 あたしがその人と顔を合わせたのは、和人のお見舞いに行った時だった。待ち伏せされたかのようなタイミングで接触を図って来たので、恐らく定期的に赴いているのを事前に知っていたのだと思う。

 そして役人は、彼は最大の希望だと語った。

 SAOサーバーのハッキングは危険性が高いため控えられているが、それでもアカウントのログデータを閲覧する事は出来たらしく、SAO全プレイヤーの中でもぶっちぎりで幼い和人が最高レベルを叩き出している、同時に殆どの時間を他にプレイヤー反応が無い場所で過ごしていると伝えられた時、あたしは何とも言えない気持ちに囚われた。

 最高レベルを叩き出しているというのは素直に凄いと思ったし、誇らしいとも思った。これでもあの子には本人が望む限りで剣道や柔道などを教えていたから、それを駆使して必死に戦っているのだと分かった。

 けれど他にプレイヤー反応が無い場所で過ごす、つまりは一人で殆どを過ごしているという辺りで、何とも哀しくなってしまった。あの子を一人にしてしまったのは母さんとあたしではないかと思ったからだった。

 《SAO》に関する事を耳にする度に幾度も繰り返される、事件勃発のあの日の光景。屈託なく笑う和人の笑顔、そして眼前で忌々しいヘッドギアを被って眠っていた幼い義弟の顔を見て、胸が締め付けられる。

 そんな日々を過ごして一年半が経過したある日の事だった。ALOに存在する深い樹海にて一人で回復アイテムの素材を採取している時、唐突にあたしは自身の周囲の光景がグニャリと歪曲し、気付けば陽光が漏れ落ちる明るい杉林の中で立っている事に気付き、それが異常事態である事を朧気ながらに悟った。

 メニューウィンドウを呼び出す為に慣れた動作で左手の人差し指と中指を立てて下ろす動作をしても、聞き慣れた鈴の音と共に出て来る気配が一切無い事から、明らかにおかしいと判断した。

 

「え……妖精、か……?」

「ッ……?!」

 

 直後、背後から男の声が聞こえた。

 チラリと横目で振り返れば、何と耳の尖っていないリアルでありそうな顔の男性があたしを見て唖然としていて、これは拙いと直感で悟って走り出した。背後で驚いた後に呼び止める声も聞こえたが、何処かも分かっていない現状でまともな会話も出来る筈が無いと思い、あたしは一時身を隠す事にしたのだ。

 その日は周囲を警戒しながら夜を明かしたのだが、翌日からかなり参った。何と妖精を探しに大勢の人間が押し寄せて来たのだ。耳が尖っていないし空も飛んでいない事から人間アバターであると判断したあたしは、ここがALOでは無いと悟り、一先ず落ち着くまで身を隠す事にした。

 それから幾度も夜を明かし、朝を迎えを繰り返し続け……女子の談笑の中に覚えのある声を耳にして、《隠蔽》スキルで隠れていたあたしは杉林から顔を出した。

 

「あ……」

 

 そして、見つけた。見知らぬ私服姿の紫紺色の少女二人と青色の女性が居たが、その三人に同伴される形で共に歩いていた、小さな子供……和人と瓜二つの少年を。

 名前を呼べば、あたしを《すぐねぇ》と呼んでくれて、彼が和人なのだと確信した。

 そしてあたしは悟った。あたしが此処にいるのはSAO……愛する義弟が必死に生きる、命を懸けたデスゲームの中なのだと。

 予想していたよりもずっと明るく、そして人と一緒に居るという事実に感極まったあたしは、一年半ぶりに小さな体を抱き締めた。嗚咽を漏らしながらも笑ってくれたその子は、正しくあたしが護ると決めた義弟そのものだった。

 こうしてあたしは、予期せぬ形で再会を果たしたのだった。

 

 *

 

 予期しない形ではあったが再会を喜び合ったあたしは、和人を一旦離してから、優しく微笑みを浮かべている女子三人に向き直った。

 

「お恥ずかしい所を申し訳ありません……あたしは、プレイヤーネームではリーファと言います。この子の、義理の姉です」

 

 あたしは和人がこの世界で元織斑一夏と名乗っているか知らないし、彼女達に事情を話しているかも知らないので、一応当たり障りの無い程度で頭を下げながら自己紹介をした。

 すると三人は我に返って、会釈を返してくれる。

 

「えっと、初めまして……私はラン、ギルド《スリーピング・ナイツ》のリーダーを務めている者です。こちらの二人はメンバーで、紫色の方が私の双子の妹でユウキ、もう片方がサチさんです。キリト君には色々とお世話になっています」

「そうですか……《キリト》、というのがプレイヤーネームなのね?」

「うん」

「そう……良い名前ね」

「ん……」

 

 恐らく苗字と名前、それぞれから取って繋げたのだろう。和人にとって新たな名前は特別な意味を持つため、恐らく安直ながらも仮想現実世界で名乗る名前として使いたかったのだと思う。まぁ、単純に他に思い付かなかったという事もあり得るから、その辺は分からない。プレイヤーネームの付け方を深読みしても仕方が無いからだ。

 それでも良い名前であるというのは本心で、微笑みながらそう言って褒め、頭を撫でてあげれば、彼は少し誇らしそうに笑みを浮かべてくれた。

 一年半前と何ら変わらない笑みに少しばかり安堵を抱くと同時、何となく胸がざわついた。

 

「……えっと、リーファさん、立ち話というのも何なので私達のギルドホームに場所を移しませんか? それに二週間前後も彷徨い続けていたのなら空腹でしょうし……」

 

 ランさんがおずおずと提案してきたが、それはとても嬉しい申し出だった。仮想世界だから別に食事を必ず摂らなければならないという訳でも無いが、それでも空腹感は食事を摂らなければ延々と続き、中々に辛いのである。

 事実あたしはこの二週間、偶然ストレージに突っ込んでいたプレゼントされてそのままだったクッキーやら何やらしか口にしていなかったので、腹ペコであった。

 

「でも姉ちゃん、今丁度食材アイテム切らしてるんだけど……」

「え、それ、本当?」

「うん。今朝のご飯で丁度切れたから、後で買い出しに行こうと思ってたんだよね」

「あ、なら俺のホームはどうかな。この人数でも全然入るし、食材アイテムは豊富にあるから料理出せるよ。それにリー姉がこっちで過ごす場所も確保しなきゃだし……俺のホーム、広いから丁度良いんじゃないかな」

「え? キリト、あなたホームを持ってるの?」

「うん」

 

 ホームというのは中々値が張るからあまり手を出せない代物なのだが、それを得たプレイヤーはそこを拠点として活動出来るためALOでは重宝されていた。

 ストレージに入りきらないアイテムをホームストレージに入れられるし、ログアウト場所として宿屋を態々利用しなくても良くなる、何よりプライベート空間として好きに出来るというのが人気だったのだ。

 その分だけ値が張っていて、あたしは別にそこまで入れ込んでいなかったので、あたしは買っていなかったのだが。

 しかしキリトが購入していて、更には複数人が住む余裕すらあると知って驚いた。二、三人が暮らせるアパート程度かと思いきや、詳しく話を聞けば何と何人も暮らせる一軒家、しかもそれなりに大きい建物らしいため本当に幾らしたのだろうかと思った。何でも十数人はリビングに入るくらい大きいらしいので、リビングだけでもリアルの家の道場に近い広さである事は確実である。

 ちなみに掛かった額は、コルという単位で三千万コル。

 《スリーピング・ナイツ》の方は好条件な立地から三百万コルだったらしい、それでも少し高めなのだとか。その十倍の値を一人で出したのだからとんでもない。

 

「それ、どうやって稼いだの?」

「…………色々と、その……やってたから……」

「色々って……」

 

 具体的にその内容を知りたい所だったが、キリトは少しだけ表情を硬くして口を噤んだのでそれ以上は無理だなと判断し、素直に彼の後を付いて行った。

 暫く杉林を歩いた先にはかなり大きい木造建築があって、曰くそこがキリトの家だと知って唖然と驚愕を抱いて固まってしまった。簡単に言えば、その家はリアルの桐ヶ谷家に近い構造だったのである、大きさはこちらの方が上だったが。

 まず一階だが、西洋風なためか靴を脱ぐ場所は無くて、玄関からほぼすぐリビングに続いていた。そのリビングはやはり思った通りかなり広く、学校の教室より二回りは大きいと目測で思った。

 そのリビングの奥にはキッチンがあり、脇には二階に上がる為の階段があった。二階は六畳の間取りの部屋が合計で五つあって、うち一つをキリトが使っている状態だった。

 キリトから他の四つのうちの一つを好きにしていいと許可を貰ったので、彼が手早くご飯を作っている間に決めた。

 二階はリビングから階段を上って、左側に杉林が見渡せる窓が並んでおり、右側に部屋が三つ、突き当りに部屋が二つ並んでいる状態だった。

 キリトの部屋は階段を上ってすぐ右の部屋だったので、あたしはその隣、手前から二つ目の部屋を使う事にした。

 中に入り、必要な家具は後から購入しに向かうと言われていたのでガランとしている内装でどの辺に何を置くか検討を付けてから、あたしは一階に降りた。

 

「あ、リー姉、出来たよ」

「速ッ?!」

 

 そして、数分も要さない内に料理を完成させてしまったその手早さに驚愕してしまった。聞けば、少なくともSAOの料理はかなり手間が省かれているらしく、本来なら一、二時間は要するものも数分で完成してしまうのが殆どらしい。

 ただし食材には全てD~Sランクの階級が存在しており、ランクが上になっていくにつれて要求される《料理》スキルの熟練度が高くなり、比例して調理時間も長く複雑化するという。それでもリアルでの料理に較べれば短い上に簡略化されているらしいが。

 ちなみに久々の昼食は何かの肉がふんだんに使われ、しっかり野菜系も挟まれたサンドイッチだった、ただしその量は手頃どころでは無かったが。

 そのうちの一つを手に取って口に含めば、アッサリとした野菜のシャキシャキ感だけで無くジュワッと肉汁が溢れ出てきて、それらを挟み込んでいるパン生地に肉汁が浸透して柔らかくなるという途轍もないハーモニーが楽しめた。しかも味までしっかり隠し味、調味料の類で整えられているからそこらの店売りの物より断然美味しい。

 ALOでもデザートならともかく、主食系はここまで美味しくないので、目を見開いてしまった。

 

「凄い……キリト、あなた本当に料理上手ね。ALOですらここまで美味しいものは無いのに……」

「そうなの?」

「うん。スイーツ系なら物凄く美味しいんだけど、主食系でここまでのものにあたしは出会った事無いかな」

 

 まぁ、そもそもあんまり美味しくないものを頼むというのもアレなので、店で注文した絶対数そのものが少ないという事もあるが……いや、キリトが作ったサンドイッチは本当に美味しかった。ランさん達も頬が蕩けてしまいそうとでも言いたげに満足げな顔で食べているし、それを見てキリトも満足しているようだった。

 昔からキリトは家事を担当していたから出来るようになったと聞いたが、まさか必要性に駆られたそれがここでも活きるとは……《料理》スキルを取っているかららしいが、その家事に対する執念と言うか、熱意にはあたしでは敵いそうも無い。

 一応姉として、女子として頑張ってはいるのだが、如何せん《料理》の才能というものはこの子の方が上らしくて中々超えられない。

 それでも一年半前に較べてそれなりに上がったつもりだけど……そこまで美味しくない仮想世界で絶品料理を出せる程に腕を鍛えているとなると、これはまだまだ壁が高いという風に捉えておいた方が良いかなと思いつつ、あたしは大量のサンドイッチを食べ尽した。

 

「ご馳走様でした……」

「はい、お粗末様でした……よもやあの量を完食するとは予想外だった。二、三割は残すかなって思ってたんだけど……」

「あ、あははー……二週間くらい殆ど何も口にしてないと、ね……」

 

 満面の笑みで相の手を入れてくれたキリトは、その表情を微苦笑に変えて感想を口にして来た。

 あたしも完食出来るとは思っていなかったからその気持ちはよく分かるし、女子にあるまじき大食いを見せてしまった事もあって、顔が赤くなるのを自覚しながら目線を逸らして言い訳紛いの事を口にした。

 

「……ん? あ、メールだ」

「私にもですね」

「私もだ」

「え? 俺には来てないぞ」

 

 食後に淹れてくれたレモンティー風味の紅茶――色は黄色だった――を飲みながら談笑していれば、違う椅子に座っていた《スリーピング・ナイツ》の三人が揃ってメールが来た事を告げた。

 しかしキリトには来ていないらしく、首を傾げている。

 

「ああ、キリト君に来ていないのはメールの差出人がヒースクリフさんのようだからかと。恐らく攻略関連の事でしょう……というか、今内容を確認しましたが攻略に関わってました」

「ふぅん……どういった内容なんだ?」

「えっと、第七十五層の迷宮区に挑むには、どうやら闘技場で誰かが優勝しないといけないらしいって……だから攻略組でレイドを組んで、闘技場制覇を目指すので、《スリーピング・ナイツ》のメンバーは至急集結されたし、と。午後二時に会議を始めるって来たよ」

 

 キリトの問いにユウキさんが丁寧に答えた。どうやら第七十五層という所には闘技場があるらしい。

 それだけでは分からなかったので更にキリトが詳細を尋ねると、どうやらその闘技場には三つ挑戦する項目があり、それらを全て誰かしらが優勝し、制覇する必要があるらしかった。

 その三つとは《個人戦》、《パーティー戦》、《レイド戦》の事。レイド戦は今まで戦ってきたボスが五体出て来る仕様らしい。ちなみに自由に闘技場を利用する――コルというお金を払って何度でも挑戦出来る――ようにする為には、その項目を制覇しなければならないようだった。

 現在、パーティー戦は既に制覇してその迷宮区とやらに挑む為の物は手に入ったようで、残るは《個人戦》と《レイド戦》だけだという。

 それでまずは《レイド戦》から片付ける事が決まったので、負けても死者が出ないから実地で情報収集をするという事で、彼女達に招集が掛かったという。

 キリトが省かれているのは、今の彼が休暇中だかららしい。

 何でもこの一年半の間、ずっと戦い続けてきて、今日が初めて丸一日休む事にした日なのだという……

 

「…………キリト……あなた、無理し過ぎよ……」

「……ごめんなさい……」

 

 少し眉根を寄せて言えば、彼はしゅん、と肩を落として素直に謝罪してきた。どうやら彼自身、無理をし過ぎて来た自覚はあるらしく、それを反省しているらしい。

 それなら、今までの彼を殆ど知らないあたしがとやかく言うべきでは無いだろうと思い、それ以上その事で責めはしなかった。

 《スリーピング・ナイツ》の三人を見送った後、キリトのホームの中にはあたしと家主のキリトだけが残された。

 

「…………リー姉……」

 

 リビングに備え付けられているソファに座っていると、食器類を片付けて来た――手伝いは申し出たのだが場所はキリトしか知らないのでやんわり断られた――キリトが、おずおずと近寄って来た。

 

「……今は二人だけだから、出来れば名前で呼んで欲しいかな、和人」

「……うん……分かった、直姉」

「ふふ……はい、何かしら?」

「……隣、座って良い……?」

 

 お願いすれば、一瞬淀んだもののすぐに笑みを浮かべて受け入れ、名前で呼んでくれた。

 それにまた嬉しくなって返事を返せば、また態々訊くまでも無い事を律儀に尋ねてきた。別にあたしに対しては訊かなくてもいいのになぁと思いながら、あたしは笑みを浮かべ、横の空いているスペースを手でポンポン叩く。

 和人は喜色を現して、すぐに近寄って来て、ぽすんと座った。

 あたしはこの一年半でリアルも成長したし、アバターの方も作成当時に較べて少し大人に近かったからアバターの身長は160センチほど、つまり今の和人より40センチも高い事になるので、彼を見る時は見下ろさなければならない。逆に彼はあたしを見るには見上げなければならない。

 SAOのアバターは現実の容姿そのものを再現していると、ここまでの道中で教えてもらった、つまり今のこの子の容姿は一年半前……九歳になったばかりの時と同一であるという事になる。

 止まった時、止められている体の時……たとえ仮想世界だとしても、出られない世界で生きている以上は現実と相違ないのだから、ずっと成長しない事に対してこの子は多少なりとも複雑な思いを抱いていると思う。だって周りに同い年の子が居る訳も無いのだから、一番幼い彼のは物凄く目立ってしまう。

 成長を如実に感じられる時にそれが分からないというのも残酷な話だった。

 

「直姉?」

 

 あたしがじっと見ていた事に疑問を覚えたのか、こてん、と首を傾げて名前を口にしてきた。そのあどけない仕草は、正に一年半前そのもの……

 多分精神や経験的に成長はしているのだろうけれど、あたしはまだ触れ合っている時間が短いせいか、その成長している部分をまだ見ていない。もしかすると成長していないのではないかと不安に思ってしまって……気付かない内にあたしは、隣に座る小さな子供を抱き締めていた。

 

「……すぐ、ねぇ……?」

 

 肩に顎を乗せてきた和人が、たどたどしく訊いてくる、いきなり抱き締めてきてどうしたのかと……けれどあたしはそれに答えなかった。というか、明確な感情や答えを持っての行動では無いから答えられなかった、と言うべきだろう。

 それでも分かる感情はある……こうしないと、目の前から居なくなってしまいそうな程に、この子の存在感が希薄だったからだ。

 一体どれだけの苦痛を覚え、そしてそれに耐えて来たのだろうかと思う。

 そこについてあたしはまだ触れていないし、ランさん達からも聞いていないが、あたしとこの子が再会の抱擁を交わしている時の様子から和人があまり良くない環境に身を置いている事は朧気ながらに察している。

 それに役人の話では、殆どを一人で過ごしているとも聞いている。レベルが突出して高いという事は、逆に言えばある意味で最も死に易い場所に居るという事でもある。

 怖かった。目の前に居る筈なのに、アッサリと居なくなってしまいそうなくらい存在感が希薄だなんて、そんな矛盾を抱えている和人を放っておきたくなかった。

 

「和人……っ」

 

 気付けばあたしは涙を浮かべ、嗚咽交じりに名前を繰り返し呟き始めていた。ずっとずっと現実側で我慢していた反動なのか、思わぬ形ではあったがしっかり再会出来た為に気が緩んでしまったようだった。

 特に、誰も入って来られなくて、あたしと和人以外には誰も居ないこの状況が、あたしの想いを溢れ返らせる。

 何時死ぬかも分からなかったこの子に対する、暖かな愛情と慕情……それらが一気に決壊し、奔流となって胸中で荒れ狂う。

 

「元気そうで……無事で、良かった…………本当に……っ!」

「……心配、してくれてんだ……」

「当たり前じゃない、あなたはあたしの……義理でも、血が繋がってなくても、掛け替えのない家族なんだから……!」

「……」

 

 涙を浮かべ、和人の顔を見ながらそう言えば、彼はくしゃりと表情を歪めて押し黙った……それがどこか寂しそうな顔にも見えてしまう。

 そんな印象を抱いた事に内心で、そんな訳無いと否定していると、ふと彼は身じろぎしてあたしから身を離した。

 何故だか、今にも嬉しさからでは無く哀しさで泣きそうな顔で。

 

「和人……どうしたの……?」

「…………直姉……逢えて、嬉しい……でも……だけど…………俺は……本当に、直姉の家族でいて……《桐ヶ谷和人》で、良いのかな……?」

「……」

 

 泣きそうな顔で投げ掛けられた問いに、あたしは黙り込んだ。その疑問の意図をハッキリ理解出来ていない以上、安易に返す訳にもいかなかったからだ。

 あたしが質問の内容を勘違いした状態のまままるで見当違いな答えを出してしまって、それがもしも取り返しの付かない事に繋がってしまったら、あたしは死んでも死にきれない後悔に苛まれるし、何よりこの子が一番苦しい思いをするからだった。

 

「……どうして、そう思ったの?」

 

 だからあたしは、そう思った経緯を知る為に、質問を質問で返す事は良くないと知りつつ問い返した。

 彼もそれは予想していたようで、恐らく元々話す気でいたのかそれで気分を害したようでは無かった。

 

「……俺、この世界で……バレちゃって…………SAOプレイヤーはリアルと顔が一緒だから……このまま生きて帰っても、名前が変わってても見られたらすぐに分かるから……直姉や母さん達の迷惑になりそうで……いっぱい恩があるのに、仇で返しそうで……」

「ッ……」

 

 そして、彼が返してきた内容を聞いて、理解してしまった。

 あたしはどうやらALOのシルフアバターがそのまま使われているようだが、彼の話を聞く限りではSAOプレイヤーはリアルと同じ姿らしい。

 多分ずっとログアウト出来ないイコール生死を賭した仮想世界が現実となる事だから、より死を身近なものとして認識させられるよう配慮されているのだろう。それに命を掛けているのだから、リアルが分かっていればPKなどもし辛いと、あたしでもすぐに思い付いたから、そういう事も考えられているのだと思う。あとは性別詐称でプレイしている人達の事もあるだろう。

 彼が《織斑一夏》であった頃に彼の顔を見知った者が居れば、たとえ名前を変えていようとも無駄である事は分かり切った事だった。一家全員、そして彼を治療してくれた主治医もそこを懸念していたが、それがSAOというデスゲームで現実のものとなってしまったのである。

 まだ現実だったなら、彼が生まれ育った地に近付かないとか、人がよく集まる都会はなるべく避けるだとか対策出来ただろうし、実際にそうしていた。

 だがこのSAOは閉鎖的な空間で、更にはたった一万本のロットとは言えゲーマーであれば喉が手が出る程に欲しがったものだから、長蛇の列に並ぶ羽目になったとしても購入しようとするのは不思議でも何でもない。

 だからこそ、《キリト》という子供が《織斑一夏》であるとバレてしまうのも、無理からぬ話ではあった。

 この世界でバレてしまったという事は、日本のどこかで死んだとされていた《織斑一夏》が生きているという事を明かしてしまった事にもなる。

 故にこの子は危惧し、迷っているのだ。このまま生き残った後、リアルに帰ってから《織斑一夏》を拾って育てた一家としてあたし達が何かしらされるのではないかと。そして自分こそそんな事になる原因でもあるのだから、《桐ヶ谷和人》という人間としてそのまま過ごして良いのかと、そう考えたのだ。

 そこまで理解して、息を詰まらせてしまった。

 それは、もしもそうなったら彼を追い出すつもりだったからでは勿論無く、逆にそんな事を考えてしまう程までに今のこの世界での彼の立場が非常に悪い事を理解したから。現実に生還した後にも尾を引く可能性を秘めている事に対する驚愕、《織斑一夏》だから見下し、侮辱し、虐げる者が居る事への怒りを覚えたから。

 まだ幼い彼がそんな事を不安がらなければならない事に対する、絶対的な哀しみを覚えたから。

 

「俺、取り返しの付かない事をしちゃった……ッ!」

「取り返しの付かない事……?」

 

 そう言った彼に詳しく話を聞けば、取り返しの付かない事とは、《織斑一夏》の悪評を利用及び増長して全プレイヤーのストレスとヘイトを自身へ向けさせた事……つまりは現実に居た頃には無かった悪評を追加した事。

 ここまで生きられると思っておらず、ただ他の人を生かしたいが為に、同じベータテスターと分かっていた情報屋の為に生還した後の事を考慮せずに行動してしまったのだ。

 あたし自身、まさか全プレイヤー中最高のレベルに至るとは思っていなかったから、早期に死亡してしまうだろうと最初期に予想した事は責められなかったので追及はしなかった。彼が取ったヘイトを集める言動も、嗚咽交じりに彼が語る事を詳しく、聞き漏らしの無いように聞いて行けば、彼が悪いとは言えなかった。

 むしろ悪いのは、彼にそんな事をさせた《キバオウ》という男と、その男に同調した多くのプレイヤー達だ。

 そもそもそんな悩みを抱く要因はこの子には無い、《織斑一夏》を虐げる事を良しとしている者達が悪いのである。

 

「ごめん、なさ……い……っ!」

「……謝らないで」

「でも……」

「謝らなくていいッ!!!」

「ッ……?!」

 

 先行きが不安で、自分が過去にしでかした事を晒して謝罪してくる和人を見て、酷く腹立たしくなって怒鳴ってしまった。

 それにびくっ、と震え、眉根を寄せて見上げて来る和人を、あたしは力強く抱き締めた。絶対に逃がさない、そして絶対に拒絶しないと、言外に伝えるように。

 

「当時の事をあなたからしか聞いてないからあまり言及はしない……でも和人がした事は、した決断は、多分必要不可欠な事だったんだと思う……和人は、悪くないのよ……むしろ凄く幼いのに、まだ全然子供なのに、大人でも恐ろしくて出来ない役目をずっとこなしてきた…………それのどこに謝らなければならない要素があるの? あたしは、そんな和人を、むしろ誇りに思う」

「誇りに……?」

「元ベータテスター、そしてビギナーの間にあった確執を取り除く為に、和人はわざと《ビーター》という悪名を背負って生きて来た……そんな茨の道、あたしには恐ろしくて選べない道よ……ずっと一人で戦ってきたあなたは、本当に凄いのよ。心の底から尊敬出来る」

 

 本当に、あたしは彼の話を聞いて尊敬の念を抱いた、憧憬すらした。本当にどうしてあんな過去があるのに、辛い目に遭って来たのに、人のためと言って自分を犠牲に出来るのか分からない。

 自己犠牲の一点に関しては怒りも覚えるが……裏を返せば、彼は心優しい子でもあるという証左だから、怒るに怒れない。

 もしも神がいるのであれば、その存在をあたしがするのは筋違いと知りつつも心底恨む、どうしてこんな子が虐げられるのだと。

 人の為に動き続けているのにほぼ報われないだなんて、そんなのおかしいではないか。そしてそれを諦めと共に受け入れなければならないだなんておかしいではないか。

 

「和人、その不安は確かに抱いてもおかしくは無いと思う……でも、少なくともあたしはあなたを拒絶しないし、あなたはあたしの家族には変わりないわ。たとえ血の繋がりが無くても、義理でも家族には変わりない……ずっとよ。他の誰が何と言おうと、あなたがあたし達を拒絶しない限り、それは不変の事実よ」

 

 だからこそ、あたしはあなたに問いたい。

 

「和人……あなたは、あたしと、お母さんと、お父さんの……桐ヶ谷家の家族であるのは、嫌……?」

「ッ……!!!」

 

 率直に投げた問いは、最初に投げ掛けて来た和人の問いの答えでもあった。

 あたしは言外に認めているのだ、和人はそのままあたし達《桐ヶ谷》の家族で良いのだと、あたしの弟のままで良いのだと認めたのだ。

 そして言外に、離れても良いという風に言っている……和人が望むのであれば。

 そんな事、本当は絶対に認めたくない、容認出来ない。

 でも和人が心の底から離れなければと、離れたいと思ってしまったら、あたしは彼を縛り付ける事など出来はしない……それをしてしまえば、あたしは《桐ヶ谷和人》でもあり《織斑一夏》でもある彼を、人形としてしまうから。

 そんな事、絶対にしたくなかった。

 だから言外に認めていると伝えた。

 その問いに、果たして、彼は……

 

 

 

「いや、だ……離れたく……なんて、ない、《桐ヶ谷和人》として……生きていたい……ッ!!!」

 

 

 

 下唇を噛んで、ぼろぼろと大粒の涙を零しながら彼が出した答えは、《和人でありたい》だった。その答えにどれだけの感情を、想いを込めているのか、それはあたし程度では到底測り知れない。

 答えた和人は、あたしとの間にある僅かな隙間を埋めるように、離れたくないと言うように抱き付いて来た。あたしも彼を受け容れ、優しく、しかし力強く両腕を背中に回してまた抱き締める。

 さっきに較べて、和人の体は小刻みに震えていた。それはすなわち、拒絶される事を恐れていた事に他ならない……彼も離れたくなかったのだ、だからこそあの不安を抱いた。

 その答えを出してくれた事に、悲しみの他に喜びと安堵を覚えながら、あたしは嗚咽を漏らす和人の頭をゆっくりと撫でた。

 

「すぐねぇ…………すぐねぇ……ッ!」

「あたしはあなたが望む限り傍に居る、居なくなんてならない……ありがとう、和人。あたし達の事を案じてくれて……心配してくれて…………不安にさせて、ごめんね……」

「う、ぁう……ぁあ…………ッ」

 

 一年半ぶりの再会……《スリーピング・ナイツ》の三人のように恐らく他にも多少の理解者は居るのだろうけれど、この生死を賭した別世界をずっと一人で生きて来ていた和人は、もう限界をとうに迎えていた。ずっと《桐ヶ谷和人》としての自分を抑え込んで《織斑一夏》として生きていたから、辛い道を一人で歩み続けて来たから。

 先を見て不安になって、現状を鑑みても辛くて……現実の事も絡むから滅多に話す事も出来なくて、ずっと溜め込んできたものがここで爆発したのだろう。まるで当たり散らすかのように、抱えてた不安を掻き消そうとするように和人はあたしを呼び続け、キツく抱き締めて来た。

 涙を流す原因は全然子供らしくないが、けれど泣き散らすその姿は、本当に年相応で、可愛らしかった。

 この世界で彼が誰かを頼りに涙を流した事があるか、それは分からない。もしかしたらこれが初めてなのかと不安を抱きつつ、それを悟られないように彼を強く抱き締め返し、大丈夫と耳元で囁いて、あたしは愛する義弟をあやし続けた。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 何だか第七十四層ボス戦辺りからキリトを泣かせ過ぎな気がしていますが、抜かせない話を続けてしまってこうなってますので、ご容赦頂きたい。

 今話ではキリトが《ビーター》を名乗った際、自身が《織斑一夏》であると認めてしまっている事の影響を示唆しました。送られてきた感想で予想されていますが、実は滅茶苦茶尾を引くんですね、これ。生き残るのなら当然か。

 で、最初はアルゴやクラインが言っていた通り、元ベータテスターとビギナーの確執を取り除く為の行動だったんですが、その後の事を完璧に度外視した結果、こうなってます。更には《桐ヶ谷和人》としての自分を一度捨て、《織斑一夏》として振る舞い続けているので反動が来たという感じです。

 多分こうなるんじゃないかなぁと思って書いているドシリアスは、大抵キリトが報われない道か大泣きする場面になるんですよね……許せ、キリト。

 ちなみに、キリトが今話で明かした不安は家族であるリーファにしか解決出来ないものです、リーファ視点になった理由はこれです。

 何時になるか分かりませんが、次話にてお会いしましょう。

 では!


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