インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

49 / 446


 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 今話は待ちに待った人もいるであろう、アスナ回です。話の展開は原作のラグーラビット回に近いですね。

 アスナの性格や口調を再現出来ていればいいなと思います。

 今話はオールアスナ視点、文字数は何時もより少なめの約一万七千文字。キリが良かったから切ったら短めになりました。

 お察しだったでしょうが、やはりデュエル回に行かなかった……書けば出る出る、アスナのお話。

 まぁ、色々とカオスってます、主に和気藹々からドシリアスモードへの転換が。書いた後に思ったんですが、ヤバいくらいカオスった。

 ではどうぞ。




第四十六章 ~黒の煌めき~

 

 

「……ん?」

 

 団長室の前の廊下で待っていると、話が終わったのかキリト君が団長室から出て来た。

 扉を開けて私を見た彼は、私がここにまだ居たと思わなかったのか少し虚を突かれたように素の表情で見上げて来た。

 

「……アスナか。もしかしてヒースクリフに伝える要件が残っていたのか?」

 

 後ろ手で扉を閉めたキリト君は、まず真っ先に私がまだ残っていた事を問い質してきた。口にした予想は、まぁ、私が《血盟騎士団》の副団長だからかもしれない。

 ただその予想は外れていたので、私は苦笑しながら首を横に振った。

 

「用があるのは団長じゃなくて、キリト君の方だよ」

「俺? ……何か怒られるような事をした覚えは無いんだけど」

 

 自分に用があると言われて更に疑問を覚えたらしいキリト君は、続けて見当違いな予想を口にした。何故そう自分が悪いという思考をするのだろうかと思った。

 

「違うって。今日の事でお礼をしたくて待ってたの……あ、言っておくけど、もうお礼はもらった、なんて言うのは無しだからね?」

「む……先手を取られた」

「ふふっ」

 

 言いそうな事を先に封じてみれば、正にそう言おうとしていたらしいキリト君は少し憮然としたような面持ちになり、若干いじけたように唇を尖らせ見上げて来た。

 その顔を見て、してやったり、と思わず笑みを浮かべてしまう。

 それはともかく、彼も忙しい身だから出来るだけ早く話を切り上げた方が良いだろう。どこで誰が聞き耳を立てているか知れないのだから。私と親しい仲だと知られたら色々と面倒な事にもなるし。

 

「ねぇ、この後、少し時間ある? お礼にならないと思うけど、キリト君にご飯を御馳走したいなと思ってて……」

「残念ながら、帰りを待ってる人達が居るからな、《料理》スキルを取ってるのは俺だけだから作りに帰らないと」

「あ……そっか……そう、だよね」

 

 お礼の一つとしてご飯を作ってあげたいなと思っていたのだが、よくよく思い出せば、以前私がお泊りをした彼のホームには現在リーファちゃん、シノのん、ストレアさんの三人が居候しているのだ。

 ストレアさんは経歴不詳なので知らないが、恐らく他の二人含めて《料理》スキルは取っていないだろう。であれば家主であるキリト君が必然的にご飯を作らなければならないという事になる。

 ALOという別のVRMMOをしていたリーファちゃんなら《料理》スキルを取っていたとしてもおかしくなさそうだが……

 

「なら仕方ないね。また別の機会にするよ」

「悪いな。早い内に……」

 

 キリト君が言葉を続けようとしたところで、ぴろん、と軽やかな電子音が鳴った。

 この音はフレンドメッセージが届いた事を知らせる電子音で、オプション設定から他プレイヤーにも音が聞こえるようにするかの設定が可能だ。他人に知らせたくないのならオフ設定をするだろうが、大抵のプレイヤーはこれをオンにする。だから私にも聞こえたのだ。

 悪い、と軽く断りを入れてから視界右端に表示されているだろうメッセージ受信アイコンをタップした――私からは虚空に指を伸ばしているように見える――キリト君は、直後表示されたウィンドウに目をやった。

 このウィンドウも、基本的に他人には不可視設定であるため真っ白にしか見えない。可視設定にすれば私にもウィンドウに表示されているだろうメールの文面を読む事が出来る。

 

「誰からだった?」

「ストレアからだ。今日は外食にするって……どうやら今日の事後処理で話が長引くと思ったかららしいな」

「あー……」

 

 どうやら送信者はストレアさんで、今日の夕飯を外食で済ませる事でキリト君への負担を和らげようと考えたらしい。

 まぁ、団長と一緒に迷宮区へ入っていて、出る時も一緒だったから多少は事情を知っていたのなら、そう考えてもおかしくはない。キリト君は何だかんだで攻略組に最も貢献しているプレイヤーだし、殺伐としている裏にも関わっている人物だから、オレンジ関連の事後処理に携わるとは普通に考えるだろう。

 実際はクラディールを即行で監獄に叩き込んだ後、少し話しただけなのだが……というかメインは彼が見つけ出したポーション類についてだったから若干外れている。

 とは言え、と胸中で呟きながら視界右上の時計を見る。現在時刻は午後七時を少し回っていた。

 クラディールに襲われ、キリト君が割り込んで捕らえたのが午後三時半、迷宮区を出たのが六時半手前だった。そこから監獄へ行き、事後処理を行っていたと考えると余裕で午後八時、九時を回ってもおかしくは無い。

 実際はもう終わってしまったのであるが。

 ひょっとしたら、ストレアさんは気を利かせてくれたのだろうか。私がキリト君に何らかのお礼をするとしてその時間を作ってくれたのではないか。そうとも考えられる。

 ……少し酷い考え方だが、あの奔放な性格からだとちょっと考え難い。偶然タイミングが重なったのが妥当な線だ。

 真実はどうあれ、キリト君に時間が出来たというのは事実だ。これを逃す手は無い。この機を逃せば次は何時になるか分からないのだ。

 そもそもあまり時間を置いたらキリト君が時効と言って受け取ってくれなくなりそうだし。

 

「じゃあ時間が空いたって事だよね?」

「……帰って研究と製作に時間を使いたかったんだが……まぁ、そうだな。ならお言葉に甘えて、御相伴に与らせてもらおうかな」

 

 少しの溜め息を吐いた後、微笑みと共にキリト君はそう言ってきた。

 その言葉遣いが似合ってなくて思わず苦笑してしまう。

 

「……あんまり難しい言葉を使ってると舐められてるって思われかねないから、やめた方が良いよ。あと、君の見た目とあんまり合ってないし」

「む……」

 

 苦笑と共に思った事を、あまり気に障らないよう言葉を選びながら言うと、キリト君はまた少しむっとしたような表情になった。どうやら今は《ビーター》の仮面を被っているものの少しだけ素も出している状態らしい。

 クラディールや彼に敵愾心を向ける者達に見せる不遜な態度も格好いいと思わないでも無いが、やはりキリト君には素の状態が似合っていると思う。予想以上に純粋な様はその可憐な容貌にとても合っているから。

 心の中でそう思いつつ、少しむっとしたまま黙るキリト君に笑みを浮かべてしまいながら、彼を私のホームへと案内する。

 《血盟騎士団》の本部から出るタイミング、第六十一層《セルムブルグ》へ転移するタイミングをそれぞれずらさなければならない面倒さはあるが、その面倒さを呑み込んででも彼をホームに招く価値はあった。

 観光地としても有名で、夜は街灯が街を照らす幻想的な夜景を歩く事数分の後、私が購入しているホームへと辿り着いた。一階は別の人が購入しているので二階が私のホームになるそれは、壁の横からせり出している階段を上る事で入れる構造だ。

 

「はい、ここが私のホームだよ」

「……お邪魔します」

 

 扉を開けてそう言えば、ハイディングで私の後を追ってきていたキリト君がそれを解いてから入って来た。

 姿が見えるようになってもパッと見では《ビーター》だと分からないよう、少し前にユウキ達から贈られたという紫のシャツにジーパン、更には髪を後ろ頭で一つに結い上げた格好だ。どこから見ても少女にしか見えない。

 彼が入ったのを確認してから扉を閉め、キリト君へ向き直ると、招かれた客である彼はキョロキョロと物珍しそうに彼のホームに比べれば圧倒的に小さい部屋の内装を見回していた。

 そのあどけなさを感じさせる仕草に、ちょっと微笑ましくなる。

 

「ふふ、どう? キリト君には敵わないけど、これでもホームだけで三百万コルなんだよ。内装含めれば四百万ちょっとかなー」

「内装に百万以上……かなりの額だな」

「家具は引っ越しても流用出来るしね」

 

 ホーム購入額はまちまちだが、百万コル以上が普通。三百万ともなれば最高級となる。

 ただしそれはホームの使用目的によって額が左右される。私の場合は通常の家としての機能しか求めていないので、そういう意味で三百万コルは最高級と言える。

 リズのように、職人向けの工房施設が付随している物件ともなれば三百万は中庸といったところになる。彼女のホームは水車小屋という形で鍛冶師向けの中規模物件なためそれくらいで抑えられている。

 エギルさんの物件は小さくはあるが二階建てなので二百万コル。これはカウンターでの商談を目的とした物件だからとされている。

 ギルドホームの場合、《スリーピング・ナイツ》や《月夜の黒猫団》を始めとした小規模のギルド向けであれば住宅本位のものと大して変わり無いが、《血盟騎士団》のように大規模ともなれば、大人数でコルを出し合える事から二、三千万は普通に到達する。

 そういう意味ではキリト君のホームの額がどれだけ異常かは分かるだろう。確かにあのホームは良いものだが、何故あそこまで高額なのかは未だに謎だ。

 

「そういうキリト君は内装に拘らないんだね?」

「そもそも帰る目的で購入した訳じゃ無いからな。《調薬》や《鍛冶》、《裁縫》といった生産スキルの素材を大量に保存するのに必要だったから購入したんだ……リーファ達が来なかったら、今だって基本は迷宮区で寝泊まりしてただろうな」

「あー……キリト君、迷宮区がホームだ、なんて言われてるもんねぇ……」

 

 たった二、三日でマッピングを終えてしまう彼は私や他の多くの攻略組と違って、迷宮区で寝泊まりし続けていた。睡眠時間はそれなりに、食事時間もキチンと取ってはいるようだが、行き来の時間を抑えられるだけでもかなりの効率を叩き出すだろう。

 ……それを考えれば、よくもまぁ、昨日と今日で今までと同じ八割のペースを保てたものである。行き来の時間でかなり費やしていると思うのだが。

 

「今までも移動の多くは走ってたからな。マッピングだけに集中すれば、むしろ走る方が効率は良い。そうでなければたった二、三日でマッピングデータを完成させる事は不可能だ」

「なるほど」

 

 その疑問をぶつけてみれば、至極単純な答えが返って来た。

 確かにキリト君はソロだからパーティーメンバーと足並みを揃える必要が無い、だからダッシュし続けていればマッピングもその分だけ早くなる。

 どうやらペースを保つためにそうしていたようだ。

 そう胸中で納得を抱きつつ、私はメニューウィンドウを操作し、鎧や剣を格納し、代わりにインナーとしていた服の上から黄緑色のエプロンを着る。

 後ろ手で紐を縛ってからキリト君に顔を向けた。

 

「さて、と……そろそろご飯の支度をするけど、何が食べたい? キリト君にレシピを貰ってから更に頑張って修行したからね、無茶なものじゃなかったら大抵のものは作れるよ!」

「食べたいものか……」

 

 年下の男の子に料理の腕で完全に負けたというのはとてもプライドに罅が入り、調味料に飽き足らず先日のお米を再現された事で完璧に粉砕された訳だが、それで努力するのを放り出す私ではない。

 あれから短い時間ではあったが、彼に譲ってもらったレシピ通りに作ったお米の他に、様々な調味料を用いてレパートリーを増やしたのだ。

 その気になれば子供が好きな定番のオムライス、カレーライスの他にも外国の料理だって幾らでも作れる。どこのフルコースだと思う程に凝った料理をリアルで十年以上食べて来たのだ、その際に現実のレシピを教わったのだから、時間さえあればそれも再現可能である。その気になれば和食、中華、洋食、何でもござれだ。

 だから余程無茶なメニューでさえなければキリト君の要望に応えられる。

 そう意気込んで、私はキリト君にどんな要望を出すのかと期待の視線を送った。

 私の問いを受けて少し難しそうに考え込むキリト君は、それから数秒してから私を見上げて来た。その顔には僅かな苦笑が浮かべられている。

 ビミョーに嫌な予感を覚えた。嫌悪感や寒気を覚える意味での嫌な、ではなく、ビミョーに期待が外れそうな予感である。

 

「具体的な料理名が思い付かないから、アスナが得意な料理が良いな」

「む……」

 

 これは……試されている、と考えても良いのだろうか? 仮想世界とは言え、《料理》スキルを完全習得した料理人である私の腕を確かめてやる、という意味だろうか。

 まぁ、多分本当に思い付かないから安全牌を切る形でそう言ってきたのだろうが……いやはや、中々に難しい注文をしてくれる。

 出来れば料理を指定してくれれば嬉しかったのだが、私のオススメ、と言って来なかっただけマシだろう。流石に何でもいい的な意味になるそれを言われたら、何を出せばいいか悩まなければならないから困る。今回はお礼という意味が大部分を占めるのだから、何か言ってと強要する事も出来ないし。

 予感通りビミョーに期待が外れていたのには苦笑せざるを得ないが、それは胸中に留めておこう。

 

「そうきたかー……私の得意料理かぁ……んー、それだとオムライスになるんだけど、いい?」

 

 私の得意料理は、リアルもこの世界も、両方ともオムライスだ。

 理由は単純、私の家で料理を作ってくれる人に初めて教わり、それを家族に振る舞い、美味しいと褒めてもらった事がある料理だからだ。私にとって特別な思い出がある料理だからこそ何十回と練習を繰り返してきたのである。

 まぁ、本当の意味で初めて作ったのは小学校四年生の調理実習だったのだが、それで料理に嵌ったため料理練習が始まった。これがきっかけで教わって、家族に振る舞ったという訳である。

 懐かしいなぁと、小学校時代と家族の顔を思い出して、あまり現実の事を考えない様にしていたため久し振りに訪れたホームシック気分を味わいながらキリト君に意識を戻すと、彼はキョトンとした顔で見上げて来ていた。

 

「……おむらいす?」

「……ん? あれ? もしかしてキリト君、オムライスを知らない?」

「ああ、知らない。それって給食で出たりする?」

「え? えっと……」

 

 オムライスが給食で出たか、と問われれば私の場合はノーだ。

 給食はご飯かパン、汁物、おかずに肉やオムレツ、白身魚のフライなど、サラダとして海鮮サラダやボイルキャベツなど、そして牛乳という組み合わせだ。

 オムライスはこのご飯とおかずが組み合わさったものと言えるし、これ一つで済んでしまうため給食では基本的に出ないと言える。オムレツなら出るだろう。少なくとも私が通った小学校の給食で出た覚えは無い。

 

「多分だけど、給食では出ないかな? オムライスってファミリーレストランとか、稀に喫茶店なんかで出るくらいだと思うし」

 

 まぁ、喫茶店は近代化が進むにつれて多くなってきた軽いもので、シックな感じの、本気度合いを感じられる場所では出ないだろう。

 いや、そもそも喫茶店って子供が入ったりするのだろうか。

 

「あー……じゃあ知らないよ。俺が作る料理の基本は給食献立表と、束博士の母親の篠ノ之忽那さんから教わった料理くらいだし。オムレツなら作れるけど、オムライスはどんなものかも知らない」

「そ、そうなの……?」

「ああ」

 

 な、何だろうか……今、無意識に踏んではならない地雷を踏んでしまった気がする。

 まさかかなりの料理上手な彼がオムライスを知らないとは思わなかった……

 

「……そっか……キリト君がオムライスを見るのも食べるのも今日が初めてになるって事だね。それなら腕によりをかけて、とびっきり美味しいの作ってあげるよ!」

「ん、楽しみに待ってる」

 

 思わず表情が崩れてしまいそうになるのを堪えつつ笑みを浮かべて言うと、キリト君は屈託なく笑みを浮かべて頷いた。

 その顔を見て、思わず表情を崩してしまいそうになるのを必死に我慢して、座って待ってて、と言って私は部屋に備え付けられているキッチンに移動する。

 

「……ッ!!!」

 

 そして、キリト君が腰掛けたソファから完全に見えない死角に入ったところで、口元に手を当てて蹲ってしまう。思わず涙が浮かんでしまう程で、ともすれば嗚咽すら漏れてしまいそうになる。

 よくよく考えれば、彼があそこまで料理上手なのはおかしい話なのだ。

 ずっと虐げられていた彼がどうしてリアルで料理上手になれるというのか。姉は仕事、兄はそもそも虐げる張本人、父母は居ないという家庭環境の中で、どうすれば腕が上がると言う。

 彼の来歴からして、私のような調理実習をしていたとも考え難い、そもそもそれを行えるようになるのは基本的に分別が付く小学校四年になってから、つまりは十歳だ。

 だがキリト君は現状十歳で、織斑家に捨てられた時点で八歳。小学校二年生の時分では流石に危険過ぎて調理実習はさせてもらえない。

 それでも彼は、捨てられる以前から織斑家の家事を取り仕切っていたらしい、つまりその時点で料理は既に出来ていたということ。

 それを教えたのは誰か。それは先ほど言っていた、束博士の母親という人だろう。

 ではレパートリーを増やしたのは?

 その答えが料理本、ではなく給食献立表。料理本であればオムライスなんて普通に載っているだろう、アレは結構簡単、子供でもその気になれば作れるものだ。

 それなのに知らないと言った。参考にしていたのが献立表だなんて想像もしていなかった。

 料理本ならレシピと言う名の作る手順があるが、献立表には五大栄養素の配分と使われた食材があるだけで、それ以外には何もない。あるとすれば料理名くらいなものだろう。

 もしかしたら、彼はそこから料理本などで作り方を調べたのかもしれない。

 だが彼に料理本を買うためのお金が与えられていただろうか。よしんば与えられたとして、それを買いに行く道中で何事も無かったとは考え難い。過去彼がされていた事をあまり知っている訳では無いが、今の彼がされている事から多少類推する事は可能だ。

 そもそも、初心者向けの料理本にはまず記されているだろうオムライスを知らないという事は、買った事も無いという事だろう。

 ひょっとしたら、献立表の材料と出来上がった料理からどんな手順で出来るかを分かるくらい、彼にとってはもう当たり前になるくらい料理をしてきたのか。

 普通なら彼ほど年端も行かない子供に料理をさせたりしないのに、それを看過していただろう姉と恐らく強要していただろう兄の神経を疑う。

 これを訴えかけても、恐らく聞き入られるとは思えないが、キリト君に迷惑が掛からない状況下で直接対面した時にぶつけたいと思う程だ。

 

「……作ろう。とびっきりの、美味しいオムライス」

 

 私が料理好きになった原点の料理を知らない彼に、私が『普通』と思って享受していた幸せを教えてあげよう。

 そして、彼が知らないだろう料理を、状況が許してくれるのであれば、教えてあげよう。

 私はそう固く決意して、涙を腕で拭って立ち上がり、彼に私の最上の得意料理を振る舞うべく食材の厳選を始めた。

 ただのポリゴンデータだろうが、関係無かった。

 

 *

 

 食材を厳選し、調理法を入念に確認してから調理を始めて数分後、家の中にはチキンライスの香ばしい香りと卵の焼けたいい匂いが漂っていた。

 それの発信源である料理を西洋風の底が浅く広い二枚の皿にそれぞれ乗せる。仕上げとばかりに、赤色のソースをふわふわな黄色のカンバスに掛けていく。

 私の方にはギルドマークでもある十字架を、キリト君にはトレードマークである二振りの剣が交差したものを描いた。

 キリト君の方は、ただ私のを斜めにしただけだろうと思わないでもないが、そこはそれ、気にしてはいけない。一応エリュシデータとダークリパルサーの特徴は再現しているので問題は無い筈だ。

 

「よし……」

 

 それを見て、会心の出来だとばかりに笑みを浮かべる。実際これまで作って来た料理の中で、特別な食材こそ使っていないが、一番の出来だと言える自信がある。

 このSAOでの《料理》システムはリアルのそれと異なり、時間短縮の為に色々と工程が省かれている。例えば汁物で現実なら出汁を取るだろう部分が省略されているなどだ。

 それでは物足りない事から、出汁に近いものの味を加える調味料をキリト君は作り出していて、そのレシピを貰っている私もそれを使う事で一味加える事が出来る。料理はその一工夫があるかないかも結構重要だ。

 とは言え、オムライスの場合加える工夫というものは殆ど無い。あるとすれば気持ちの問題くらいだろう。

 だが、その少ない工夫だからこそ、全力を傾ける事で結果が変わるのだ。

 

「キリト君、お待たせ! 出来たよ!」

「……」

「…………あれ?」

 

 声を掛けても返事が無いので、少し妙だなと思いつつ両手にお皿を以て食卓があるリビングに出れば、キリト君はソファの前にあるテーブルに様々な器具を並べて何やら作業をしていた。

 どうやらそれに没頭して聞こえなかったらしい、余程集中しているようだ。

 キリト君の目の前には乳白色をしたすり鉢と、その中に草を磨り潰す乳棒があった。

 彼の左には理科の実験で使う三脚とバーナーのように焔を噴き上げる何かが澄んだエメラルド色の液体を沸騰させており、右には水を入れているらしい小瓶が数本並び、更にその隣には翡翠色の液体が詰まった小瓶が並んでいた。

 キリト君の膝の上には水を操る力を持つランベントライトに酷似した形状の細剣があるから、小瓶の水はそれで出しているらしい。多分何かの製作に必要なのだろうが、水が必要な場合は細剣を用いれば汲みに行かなくても良いという辺り、とても便利だなと思う。

 それを見ていた私の目の前で、キリト君は左手に翠色の粉末を入れた小さな器を持ち、それを傾け右手に持つ水が入った小瓶に流し込んだ。

 すると小瓶の中で水と粉末が混ざり合い、一瞬発光したと思えば、液体は透明な水から微かに明滅を繰り返す翡翠色の液体へと変貌した。

 どうやら《調薬》スキルで要りようとなるであろう強化ポーション類を作製していたところらしい。

 多分今作ったのは粉末にした《エメラルドゼリー》と《グランポーション》で作られた《エリクサー》だろう。

 素材が手に入ったから早速時間を有効活用して作ったのだ、誘った時にそれっぽい事を言っていたし。

 

「キリト君、出来たよー?」

「ん……もう出来たのか。もう少し掛かるかと思ってた」

 

 今度の呼び掛けは気付いたらしく、私の方に顔を向けて言った後、左手側で翡翠色の液体を沸騰させている器具の稼働を止めてから立ち上がって食卓に近寄って来た。

 それを見た私は両手に持ったままだったアツアツのオムライスをテーブルの上に置いて笑う。

 

「この世界の料理って色々と簡略化されてるからねー。早く出来る分には良いけど、料理好きとしてはちょっと物足りないかな」

「ああ。本当ならここで一工夫加えるのに……って思った時にはもう出来てたりするからな」

「そうそう! ホント物足りない時があるんだよね! このSAOの料理システムを構築した人は絶対料理しない人だよ!」

 

 時間短縮の為にと分かってはいるのだが、やはり料理をするものとしては物足りないから手を加えたいと思う時がある。それなのにシステムは即座にその手順を完了させてしまうから、下手に手を加える事が出来なくなってしまうのだ。

 とは言え、その作業をする前なら手を加える事は可能なので、現実なら調理中にする事も、こちらでは調理前にする事でほぼ同じ結果を導き出す事が出来る。

 それをしたのが今回のオムライスだ。

 

「さて……料理談義をもっとしたいところだけど、まずはご飯にしよっか。冷めたら美味しくなくなっちゃうからね」

「そうだな…………で、これが『おむらいす』っていう料理なのか……」

 

 一つ頷いた後、キリト君は自分の前に置かれている料理に訝しそうに、けれど料理人の性なのか、あるいは子供として美味しそうに見えるからか、とても興味津々そうに目をキラキラさせながら見る。

 オムライスすら知らなかったというのは哀しい事だが、今はその様子がちょっと微笑ましくて、私は少し不謹慎な気もしつつ笑みを浮かべた。

 

「そうだよ。キリト君に分かるように言えば、オムレツの中に沢山の具とライスを入れた料理かな? 正確には平たくした卵焼きを被せてるの。人によってはライスをチキンライスにしたり、ソースの種類を変えたり、具を変えたり色んなバリエーションがあるね。私の場合はケチャップを再現したソースを絡めたチキンライスをベースにしてるから、割とオーソドックスな方だとは思うよ。色も大体再現出来てるからね」

「へぇ……凄く美味しそう。それにこのソースの模様、よく俺の剣を再現出来てるな……」

「ふふん、頑張りました」

 

 どうやら彼にも分かってもらえたらしい。

 エリュシデータのギア型の鍔やダークリパルサーの切っ先の膨らみを再現するのはとても骨が折れたが、褒めてもらったから頑張った甲斐があったというものである。

 

「さ、食べよう?」

「そうだな……いただきます」

「はい、召し上がれ」

 

 綺麗に手を合わせてから言った後、キリト君はスプーンを手に取って早速とオムライスにそれを刺し込んだ。卵焼きの皮が破け、同時にほわっ、と白い湯気を上げながら中から赤茶け色のチキンライスやグリーンピース、小刻みにした肉が姿を見せる。

 そして一気に広がる芳香にひくひく鼻をひくつかせた彼は、それらを掬って口に運んだ。パクリと閉じてから匙を出し、吟味するように音も無く咀嚼する。

 それから数秒後、ごくん、と飲み下した

 

「……おいしい」

 

 それからどこか感慨深く、そう言葉を洩らす。その声は小さく、どこか万感の思いが込められているようにも感じられた。

 

「そう……よかったよ」

 

 ポツリと呟かれた感想を聞いて、私は小さく息を吐いた。

 マズいと言われない味だと思っていたし、彼の性格的にもそれは言わないだろうと思っていたが……それでも、美味しいという感想がどういう風に言うか気になっていたのだ。

 今の声音は、本当に美味しいと思ってくれた事が分かるそれだった。

 ……少しばかり、彼の心境に思う事が無い訳では無いが、彼の過去について何か口を挟む資格なんて私には無い。

 それなら、幸せを教えてあげたいと思う。

 今まで知らなかった悲しみを超える、新たな事を知った喜びを。私が享受してきた『普通』という幸せを。

 

「俺の為に作ってくれた手料理を食べるのは、これで二度目だな……」

「……そう、なの?」

 

 感慨深そうに洩らされた言葉に、思わず反応を示してしまう。

 しまった、と思ってしまった時はもう遅かったが、彼の事について知りたいと思う気持ちもあったからこれで良いとも思った。

 キリト君は過去を追想し、その場面を見るかのように虚空を見上げた。

 

「ああ。初めて食べさせてもらったのは……俺が、今の家に引き取られた日の夕飯だった。直姉が作ってくれたポトフが初めてだったな……具こそ俺が過去作ったものより歪だったけど、とても美味しくて……すごく、あたたかかった」

 

 リーファちゃんの事を、私の前なのに『すぐねぇ』と言っているという事は、それだけ過去をとても大切に思っているからか。その光景を幻視しているからか。今だけはアバターネームで呼ぶのを彼が拒否しているからか。私が居る事を今だけ忘れているのか。

 どれかは分からないが、彼にとって、その過去がとても大切な想い出なのだろう事はよく分かった。どれほど彼にとって大きな救いだったのかも分からないが……初めて自分の為だけに作ってもらえた事が彼にとって救いであった事も。

 私がキリト君の為にと作ったオムライスから過去のポトフの想い出を思い出したからか、キリト君は何時に無く子供らしく弱気で、静かながら饒舌に、彼が大切だと思う想い出を話してくれた。

 リーファちゃんと遊んだ話、かつて陰ながら支えてくれた人達と邂逅するのを手伝ってくれた話、勉強を教えてくれた話、一緒に料理をした話、武道の師をしてくれた話、剣道で優勝した日にごちそうを作って喜んでもらえた話……どれもこれも、リーファちゃんとの想い出ばかりだった。

 その話から、本当に彼女はキリト君の事を大切に想っているのだなと伝わって来た。同時に、キリト君もまた、彼女の事が大切で、心の拠り所なのだなとも。

 

「そっか……本当に良いお義姉さんだね、リーファちゃん」

 

 丁度オムライスを食べ終えたのを契機とするように話が終わって、私は新たな話を聞く度に強く思っていた事を口にした。

 それに、キリト君はどこか儚げに微笑みながらスプーンをお皿の上に置き、力無く頷く。

 

「ああ……迷惑を掛けないよう、頼らないようにしようと、思ってるんだけど……凄く優しいから、甘えてしまう……」

「良いんじゃない? キリト君は、まだ甘えていいし、もっと誰かに頼ったっていいんだよ」

 

 ただでさえ、本当なら一人で背負いきれない程の重責を常に背負っているのだから、少しは私達に分けてくれたっていいのだ。

 《調薬》スキル持ちでしか強化ポーションを作れないなら素材集めは任せてくれていい。マッピングデータ作成が一人では辛いなら、私達に頼んだって良いのだ。彼がしてきてくれた事に較べれば些少でしか無いが、些少でもフォローは出来るのだから。

 だからもっと頼れと遠回しに言うが、彼は力無く微笑んで、首を横に振った。

 

「もうダメだ。アキ兄がこの世界に来て、攻略組に入る以上、アキ兄と同じように一人でやらないといけないんだ……」

 

 どこか追い詰められた感のある様子で言うキリト君に引っ掛かりを覚えつつ、私は疑問に思った事を問う事にした。流石に看過し切れない言葉が聞こえた。

 

「アキ兄……実の兄の事よね。来たとは聞いてたけど、攻略組に入る……?」

「……明日の午前九時、第二十二層主街区で攻略組に入りたいと申し入れをしたらしいアキ兄にテストをする事になってると、ヒースクリフと二人きりの時に聞いた。第一試験は攻略組の誰かとデュエル、第二試験はパーティーでの戦闘を見るらしくてな。俺はデュエルの立会人に呼ばれた……」

「嘘……ッ?!」

 

 そんなの初耳だ。

 団長がキリト君に教えたのは心構えをしてもらうためなのだと分かるし、試験をするというのも納得はいく。

 だが、リズの店で剣を買った時に推測立てたレベルではまだ攻略組に入るのは難しいと思われたのだ、幾ら何でも強くなるのが早過ぎる。

 そもそも元ALOプレイヤーであるならリーファちゃんと同じように30台の筈なのに、七十層台でも通用する剣を持てた時点でかなりおかしい。

 確かにキバオウと繋がっている話は本当に極一部の者しか知られていないから、その申し入れを受け入れて試験を行われるのも分からなくもないが……キバオウを煽動した人物が攻略組に入るなど、自ら獅子身中の虫を抱え込むのと同じではないか。

 それこそクラディールが狙っていたように攻略組の内部崩壊を招きかねない。

 攻略組のように進むでもなく、第一層で止まっている者達のように後ろを見るでもなく、ただ停滞による無為の永遠を望むオレンジやレッド達のように、進む者達を蹂躙し貪ろうとするつもりではと思ってしまう。

 いや、それも問題だが、一番の問題はキリト君だ。

 彼は織斑の下の弟、《出来損ない》と呼ばれているのだ、そんな状況下に《神童》が割り込んでしまえば……容易に想像がついてしまう。誅殺隊は勢いづき、ここぞとばかりに彼の命を狙いに動くだろう。

 それこそ、《神童》が《ビーター》以上の功績を上げるか、そうでなくとも《ビーター》より優秀な何かを持っていると分かれば、即座に。

 ここ数日で【白の剣士】アキトというプレイヤーの事は耳にしていたし、多少気を付けていたものの、まさか攻略組に入れるくらい一気に実力を付けていたとは……

 

「ッ……」

 

 そう思考したところで、まさか、と私はある事に思い至った。

 さっきキリト君が饒舌だったのは、リーファちゃんとの大切な想い出を曝け出すように語っていたのは……まさか、これを最後に想い出さないという決意だったのか、と。

 元々彼が一人を貫いているのは、理解者であり彼を支えようとしている私達が仲間だと判断されて巻き込まれないための措置だ。それを前提にしているからこそ、私達も陰ながら情報や精神面でフォローをし続けている。私達が居るのだ、と言外に行動で示しているのだ。

 だが、それは今まで実兄が居なかったからこそ、誰もが虚構の《神童》を崇めていたから出来た事で、本物が現れてしまえば。情け容赦のない、本当に血が繋がっている家族の所業かと思う程の事をしていた実兄がすぐ近くに居るとすれば。

 これまでの比ではない迫害が、彼を襲う。

 その近くに私達がいれば巻き込まれるのは想像に難くない。

 それを予期しているからこそ、彼は本当の独りになろうとしているのではないか。十中八九自身が選ばれるだろう明日のデュエルで、もしも負けたら……そう考えているのではないか。

 

 

 

 ずっとソロで戦い続けていた彼を、短期間で《神童》が超えたとなれば……

 

 

 

 その恐怖は、どれほどのものなのか。一人から独りにさせられる、繰り返される恐怖なんて、私には想像もつかない。

 

「キリト君……明日のデュエルで、負けると思ってる……?」

「……」

 

 私の掠れた声の問い掛けに、応えは無かった。頷く事も、頭を振る事も無い。

 ただ、小刻みに震える全身が、答えを出していた。

 

「負けるつもりは、無い。勝つ為に幾つも手は考えてる……でも、それらが通用するとは、どうしても思えない。どれだけレベルが高くても、どれだけ装備のグレードに差があっても、どれだけ俺が戦い慣れていても……全部、『才能』だけで覆されそうで……俺よりレベルが低いユウキとのデュエルが引き分けになったんだ。たとえ俺の方がレベルが高くても、剣道で全国優勝を果たしてるアキ兄に勝てるとは、到底思えない……」

「キリト君……」

 

 ユウキからは、リアルでは特に武道関連の事はしていなかったと聞いている。それでもあれだけの反応速度を持っているのは、偏に持って生まれた才能であろう、とキリト君と団長は語った。

 そのユウキと、幾らかハンデを負っていたと言えど片手剣使いとして全力を出した結果、ドローに終わったと聞いている。

 その結果は、どちらも朗らかに笑って流したと聞いていたが……彼の中では、相当なしこりになっていたのだ。

 だが考えてみれば分かる。

 彼が目指すのは、虚構の世界最強《織斑千冬》だ、あの女性なら出来ると思い込んでこれまで死に物狂いで自己強化に励み続けて来た。

 それなのに、自身よりレベルが低いユウキに負けてはいないが勝てなかったとなれば、それはこれまでの彼自身の全てを否定するに等しいのだ。彼にとって……いや、《オリムラ》の血に縛られている彼は、勝利という結果を出さなければ意味は無いとされていたのだから。

 まだ上に誰かが居れば、誰かが並び立っていては、彼は無価値とされていたのだ。

 そして明日、恐らく戦う事になるであろう相手、短期間で一気に実力を上げたと思われる実兄は、幼い頃より《神童》と持て囃された『才能』の塊。彼からすればユウキより上の『才能』を持っている存在な上に、絶対的強者の位置付けにあるだろう存在。

 更にはリーファちゃんと同じく、全国の剣道大会優勝者なため、経験もある。

 自らが師と仰いでいるリーファちゃんと同じ土俵に立っている存在だから、キリト君はこれほど弱気になっているのか。トラウマの象徴だからでもあるだろう。

 カタカタと、体を震わせて辿るだろう未来に怯える様は、見ていてとても痛々しかった。

 これ以上傷付く必要などないのに、それなのに受けなければならない未来があるなど、惨すぎる。

 

「……」

 

 どうするべきか、迷った。

 以前サチさんがしたように抱き締めて落ち着かせるか、慰めの言葉を掛けるか、応援するか、叱咤するか……どれも違う気がした。

 それらをして、きっと勝てるなんて無責任な言葉を言って負けたが最後、彼の心は折れるかもしれない。

 

 

 

 ――――私が取るべき行動は……取れる手は……

 

 

 

 体を小さく震わせるキリト君を見ながら頭を高速回転させながら黙考する事数秒の後、私が取れるだろう一つの行動を導き出した。それが正解と言えるかは分からないが、これが私にとっての最適解だと信じて疑わなかった。

 決まってから私は椅子から立ち上がり、テーブルを回り込んで、彼の横で中腰になって抱き締めた。

 抱き締める事で彼の震えが伝わって来て、それだけ恐怖を抱いているのだと分かって、少し悲しくなる。

 

「アスナ……?」

 

 腕の中で、何を、と目で問うてくるキリト君に、私は微笑むでもなく、ただ真剣な眼差しを向けた。彼の水晶を思わせる黒い瞳には、私の顔が映っていた。

 

「本当なら、励ましたいけど……そんな無責任な事はしたくない。だから、別の事を言わせてもらうわ」

「……何……」

 

 励ましでも、慰めでも無いと知ったキリト君は眉根を寄せ、想像もつかないその先を更に目線で促してきた。

 それを受け、私は早鐘のように鳴る拍動を自覚しながら、ハッキリと落ち着いて言うべく、一度深呼吸を挟む。

 それから口を開いた。

 

「たとえ……たとえ、明日負けたとしても、たとえ貴方が今まで以上に虐げられるとしても……私は絶対に、貴方から離れない。たとえ、一緒にいる事で殺される事になろうとも、私は貴方から決して離れない。それを恥じる事はおろか、悔いる事もしない」

「な、ん……ッ?!」

 

 私の毅然とした宣言に、彼は慄然とし、愕然で言葉を発せなくなって固まった。腕の中でがちっ、と一際大きく動いた彼は信じられない表情で私を見上げて来た。

 その顔はなるだろうと予想していたもので……とても、腹立たしさを感じるものでもあった。

 その腹立たしい気持ちは、キリト君にではなく、この表情をさせる原因へ向けられていた。こんな幼い子に、こんな顔をさせるなどふざけるなと思った。

 

「一度負ければ、二度挑めばいい、二度負ければ三度挑めばいい。諦めたらそこで終わるけど、諦めなければ終わらない。貴方が諦めない限り、私は、貴方が挑む道を切り拓く。貴方が帰る為の道を護る。貴方は私達が生きるための道を切り拓いてくれた……なら、せめて私達にも、貴方が生きる為の道を切り拓かせて」

「……」

 

 愕然。それも、完全な予想外と分かるその感情を表情に出している様は、見ていてとても痛ましく、けれどしてやったりと思いもした。

 ずっと思っていた事を、朧気ながらに浮かべていたこの想いを、こうして明確に言の葉として伝えられたのだ。

 『私達』と、複数形なのはちょっと思うところがあるが、キリト君の為であるならそれも許せる。彼を支えるのが一人だけなんて、そんなのは寂し過ぎる。

 彼の周囲には、彼を想い笑える者が沢山いた方が、きっと幸せだろうから。

 

「キリト君は今まで沢山背負ってくれた、本当に沢山。それに較べればちょっとしか返せないけど、貴方が生きられる為に私は動く、貴方が挑める道を私は切り拓く。私一人じゃ少しですら無理だろうけど……でも、きっと大丈夫。貴方の近くにいるのは、私一人じゃないから」

 

 そう、私だけでは無い。この世界には彼の義姉リーファちゃんの他にもシノのんやストレアさん、団長やクラインさん、ディアベルさん、リズ達も居るのだ。キリト君が生きる為なら、死までは分からないが、それでも精一杯の協力をしてくれる筈だ。

 皆、キリト君のお陰で今を生きている事を理解していて、背負い過ぎなのも分かっていて、何とかしたいと思っているのだから。

 

「だから、仮に明日負けたとしても、その後殺されるような事には絶対しない……そもそも、後から来た人なんかに、この世界で戦い続けて来た私達の全てを無茶苦茶になんて絶対させない」

 

 力を貸してくれるのであれば、それは歓迎する。リーファちゃんは純粋にキリト君の力になろうと頑張っている、シノのんも、ストレアさんも。

 けれどあの《神童》は恐らく真逆、キリト君を排除しようと裏で画策しているだろう。そんな輩の好きにさせてたまるか。

 この世界を、たった一人で必死に生き抜いて来たキリト君を殺させるなんて、許してたまるか。

 

「だから……キリト君は、後の事は気にしないで全力で戦って。勝っても、負けても、どちらになっても私達に任せて欲しい、貴方を死なせる結果になんて絶対させない。《血盟騎士団》副団長としても……そして、私個人としても、決して」

 

 一人で戦う彼の横に並び立ちたいという想いは、確かにある。

 だが彼にどうしようもない事を私が出来るのなら、私はそれに専念し、彼の命を護ろう。私達を護り続けてくれたように、今度は私達が、彼を護る番なのだから。

 

「アスナ……」

 

 どうしようもなくなって、縋るように名前を呼んでくるキリト君は、何時もの強さなんて全く無いただの子供にしか見えなかった。

 こんな子供が全てを、一万人近い人々の命と期待を背負って戦ってきたなんて、何も知らない人から見れば考え付かないだろう。

 それほどの弱さと儚さを感じさせる。小さく、細く、華奢な体は、今にも手折れてしまいそうな程に弱弱しい。

 キリト君を護りたい、彼を護りたい、この子を護りたい。

 脳裏で同じ言葉が、願望が繰り返し響く。共に戦ってきた間もずっと響いていたその言葉は何時に無く強いフレーズとして脳裏に響く。とくん、と胸の奥で暖かな熾火が上がり、猛火となって一気に広がる。

 その炎は……きっと、美しいもの。

 炎が全身に行き渡ったかのように一気に体が熱くなる。抱き締めている黒の少年の事を意識すれば、尚更それは強まる。猛火は業火となり、胸中に蟠る暗い感情を薪としてくべ、劫火となる。

 今ならきっと、何時に無い剣の冴えを見せると思える程だ。

 ああ、これを抱けば女は変わると聞いた事はあるが、真実なのかもしれない。

 現実に居た頃はそんなものと、いっそ侮蔑すらしていた程だったが、今となってはもう笑えなさそうだ。

 

「ッ……」

 

 そこで、チラ、と現実で待っているであろう未来を思い浮かべてしまった。猫かぶりで、いけ好かない、私が嫌悪感を抱く――と言っても一番は《神童》だが――男の嫌な顔が、白いタキシードを着ているであろう未来。

 この世界では力ある攻略組の細剣使い【閃光】でも、リアルに戻れば力なんて持たないただの子供。現実に戻った後は、きっとキリト君の力になりたくとも、ならせてはもらえない。

 私は、ただの傀儡なのだから。

 だから私がキリト君の力になれるのは、この世界に居る間の事。

 それも、今までの攻略速度を考えればきっとあと半年程……その間だけでも、ここまで生かせてくれた恩返しをしていこう。

 

「アスナ……?」

「……何でも無いよ……」

「ん……」

 

 僅かな翳りを抱いた事を、相変わらず鋭く察したらしいキリト君を安心させるように言い、少し強く抱き締める。彼は僅かに身じろぎしたものの、抵抗はせず、私の抱擁を甘んじて受け続けた。

 自覚した想いに反して儘ならぬ状況に対し、哀しい心持ちで内心で毒づきながら、私は愛しい少年を抱き締め続けた。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 サブタイトルの意味は、キリトに寄り添うアスナ、という意味でした。

 キリトの為なら命すら懸ける程の覚悟で支える決意を今話は描きました。

 そんな訳で……



 アスナが堕ちた!



 と言っても、本格堕ちはまだです。アスナ堕ちを期待した方が居れば申し訳ない。どうしても現実問題をスルーして告白……というのはマズいんで。歳も離れ過ぎてるからアスナの外聞も悪いし。

 アスナの場合も、ユウキやシノンと同様これまた厄介。以前アスナはまだ堕とさない発言をしましたが、理由が最後のアレ。アスナの許嫁問題&家族問題が解決してないのでアスナ自身がセーブするんですね。

 てか、まだ誰かとくっ付かせる訳にもいかんので、セーブさせる。

 前述したように、原作アスナや本作ユウキと違って告白しなかったのは、キリトとアスナの立場が年齢的に近くないから。

 本作アスナにとって今の本作キリトは庇護対象なので、自身の問題を考えて庇護する事に専念します。

 原作アスナの場合、キリト次第で多少どうにか出来ちゃうからゴールインを果たすんですが(この理由は予想です)、本作キリトはリアルに帰ってからも生き残りが吹聴する事から必然的に《織斑一夏》を引き摺る事になるんで、キャリア重視のアスナ母が認める筈が無い。そもそも恋人になってないからアスナがどうこう言えないし、キリトも巻き込まないようするので踏ん張らないし。

 まぁ、何れ堕としたいなと思っております……襲いに来た妖精王返り討ちすればある程度は問題解決するので。本格解決はまだまだ先です。

 話は変わって、ユウキのキャリア問題やシノンの銃殺歴問題みたく、最後の最後が問題なんですよね、今のヒロインズって……リーファとユイくらいですかね、速攻でゴールインしそうなの。

 ユイも世界的にちょっと問題ありそうですが、まぁ、アンダーワールドに移り住んだら無問題だしなぁ……束がリアルに素体を作ったら尚更無問題だし。素体無人機IS、感覚をVR技術で何とかしちゃったら、原作アリスの機体以上のものが出来る気がする。AIという立場がアレですが、茅場と束とセブンが協力したら何とかなりそうな気もする。

 リーファは義姉の立場が若干邪魔をする。すぐにそれを乗り越えてゴールイン出来そうな辺りが流石最強の義姉です、住んでる家も同じだからチャンスは多いし。

 うーむ……こう考えると、結構厄介な問題を抱えている辺り、何だか報われない感のヒロインになる気がしてきたぞ、アスナ。まぁ、原作のユウキ程厄介ではないんですが……そもそも原作ユウキが誰かに恋する事自体が考え難い。立場だけでなく、イメージ的にも。

 ともかく、原作でイチャコラしてるから本作では控え目にしよう。現在ハグってますがね。

 ……よくキリトを落ち着かせるのに抱擁使ってるけど、これってイチャコラになるんだろうか? 素朴な疑問。キスしてないからユイよりマシだと思うのだが。

 二人きりで手料理を食べている辺りがイチャコラ言われたら何も言えない(笑)

 長々と失礼。

 では、次話にてお会いしましょう。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。