インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 今話はサブタイトル通り、期待している(?)方も多いだろう、熾烈な兄弟対決です。

 兄の口調がブレッブレな気もしますが、まぁ、そこはオリキャラなのでご容赦頂ければと思います。テンションで変わるという事で納得しといて下されば幸いです。

 今話は驚異の三万三千文字。最初三千文字はキリト、続けて初の白、ヒースクリフ、ランという順で視点が変わります。デュエル場面はランの視点ですね。

 白の部分で、白の存在理由っぽいのが一部明かされます。今後含めて物凄く重要だったり。

 ではどうぞ。




第四十七章 ~死闘:怒る黒対嗤う白~

 

 

 アスナに手料理を振る舞ってもらい、予想外の覚悟を伝えられた後、俺は早々に暇を告げて帰途に就いた。あまり長居しては悪いし、何より居心地が悪かったからだ。

 とは言え、俺は第二十二層のホームへは帰っていない。

 その理由は、アキ兄が本当に攻略組に参入する程の力があるのか測る試験が第二十二層で予定されているから。同じ階層にあっては流石にそこへ戻ると面倒な事になりかねない。転移門から現れたならともかく、街の外から現れては潜伏しているのかと思われては少々マズい事態になる。

 そのため俺はホームには戻らず、別の階層の宿を取って夜を越した。リー姉達にもメールで事の経緯を説明し納得してもらっているので、これに関して問題になる事は無い。一応アスナ含め他の面々にも案じられていると思うからメールで伝えている。

 

「はぁ……」

 

 俺は適当に取った宿の一室に鎮座している簡素なベッドに、軽く溜め息を吐きながら身を横たえた。

 現在時刻は既に午前八時を回ろうとしている。試験が予定されている時間は午前九時だから、もうそろそろ宿を引き払って第二十二層の主街区へ赴く準備をしなければならない。

 まぁ、もうとっくに朝食は済ませている。あとするべき事と言えば入念な装備やスキルの確認、それとイメージトレーニングくらいなのだが……

 

『不安そうだなァ、王よ』

「白……」

 

 溜息を吐き、ベッドで横になって天井を眺めている俺の脳裏に響く二重の狂った声。俺の中に棲む、俺と色を反転させた存在、白だ。

 

『昨日、あの副団長がアレだけ発破掛けてたじゃねェか、勝っても負けても後の事は気にするなってよ。それでもまだ不安なのかァ?』

 

 白は俺の様子をどう思っているのか、どこか挑発的な声音で語り掛けて来た。

 

「……不安じゃない訳、無いだろう。相手はあのアキ兄だぞ」

 

 才能は圧倒的に俺よりあるし、リー姉と同じく全国の中学剣道大会男子の部の優勝者。そして、たった二日しか通っていない俺でも知っている程の、篠ノ之道場最強の門下生。

 この最強の意味は文字通り、篠ノ之道場の門下生の中で最も強いという意味だ。

 それはつまり、世界最強の織斑千冬よりも強いという事。

 何故、どうして、どうやってブリュンヒルデよりも強い剣の腕を持ったのかは知らないし、どのようにしてそう言われるようになったかも知らないが、全国大会の優勝者であるという事は、少なくともかなりの実力者である事は明白なのだ。

 今からおよそ二年前。俺がこの《ソードアート・オンライン》に囚われた年にあった夏の大会、そのテレビ中継で俺はアキ兄の試合を幾度も見た。

 その勝負結果は、全てアキ兄の二本先取の勝利。相手にただの一本も取らせず、全て先を取っての勝利だった。

 その剣筋は一切見えなかった。ただ、気付いた時には終わっていた、一瞬だけの瞬きの内にアキ兄は相手との距離をゼロに詰めて一撃を放っていたのだ。面、胴、あるいは籠手の何れかに一撃入れて、数泊置いて審判が決を下す程の早業に、会場は湧き、俺は戦慄に呑まれる事になった。

 見えなかった理由が何なのか、俺は今でも分かっていない。ただテレビ画像が追い付いていなかったのか、それとも、俺の意識が外れた一瞬の間に全て決まっていたからか。

 だがテレビ画像は、すぐ後にスロー再生が入っていたからキチンと映っていたのは分かったし、後者に関しても一度や二度ならともかく毎回というのはかなり妙だと思う。

 つまり、俺がアキ兄の剣を見る事が敵わなかったのは、俺の動体視力や反応速度がアキ兄の剣を捉えられる程の域に達していなかったという事だ。

 俺だってあの頃に較べれば命懸けの死地を幾度も潜り抜けて経験も積んだし、反応速度もかなり上がったと自負しているが……たとえ死んでも死なないゲームをしていたと言えど、こんな短期間で攻略組に参入を申し入れる程に実力を上げたアキ兄を相手に、果たしてマトモな勝負が出来るのか、不安しか無い。

 アキ兄は、基本的に完璧主義者だ。と言うより、完璧を求めるというよりは、完璧である事が当然であると思っている節がある。家事も俺が出来るようになる前は普通に自分でしていた、俺がそれを覚えてからは全て丸投げだっただけで、やろうと思えばアキ兄は基本的に何でも出来るのだ。

 勉強も、家事も、武道も。

 初めてやる事の筈なのに、まるで知っていたかのように、経験した事があるかのように、アキ兄は全てを短期間で熟達していってしまう。俺が何時間も、何日も、何週間も掛けてやっと出来る事を、アキ兄は数分、十数分、長くても数十分程度で熟練させてしまう。

 そんな人物が一つの事を何年も続けていれば、どれほどの域に達しているのだろうか。

 俺にとって未知の存在と言えるアキ兄がどれだけ強いのか、どれほどの実力を持っているのか、俺には全く見当も付かない。俺の想定は全て足りない、そう思ってしまう。

 

「だから不安なんだよ……」

 

 それらを脳裏で言えば、白はアー……と納得したような声を返してきた。

 

『なるほどなァ……まァ、未知ってのは確かに怖いっちゃ怖いだろうが…………そこまで過剰にビビる事は無いと思うぜ?』

「……何故、そう言えるんだ」

『アー……っと……』

 

 俺より攻撃的だからか、それとも強いからか余裕そうな発言をする白に疑問を抱いて質問すれば、何故か白はどう言えばいいか分からないかのように言いあぐねる反応を返してきた。

 困惑という訳では無いのは分かるが……言葉を選ぶという事は、それだけ伝え辛い事なのだろうか……

 

『アー……これを言って良いのか分からねェンだが……』

「……白?」

『いいか、王よ。奴は確かに未知だから怖いだろうが、テメェに限ってそこまでビビる必要は無ェ。『天は二物を与えず』……って言葉を聞いた事はあるよな? 確かに奴の場合は二物どころか三つ四つと幾つも与えられてるだろうがよ、テメェはそれ以上のモンを与えられてる。いや、奴が与えられる分だけ、テメェにも与えられるンだ』

「……どういう意味だ?」

 

 白の言葉は、酷く不可解だった。《神童》と謳われているアキ兄が天に恵まれているというのは納得がいく、天の恵みが二つどころか三つ以上与えられているという比喩にも、全面的に同意だ。

 だが、アキ兄に与えられる分だけ俺にも与えられるというのが分からない。なら何故俺には才能が無いのだ。

 

「むー……」

 

 その疑問が浮かんだ俺は、思わず眉根を寄せて唸ってしまう。

 

『ハハッ、そう腐るな。要は、テメェが全力を出せば一方的に負ける相手じゃねェって事だ。だからと言って必ずしも勝てるって訳でもねェがな』

「むぅ……何だか、はぐらかされた気がする……」

『気にすンな。とにかく今は目の前に迫る敵にだけ集中しろ。元々別の事を幾つも並行してやれる程に器用じゃねェンだ、だったら一つの事に集中して、それを極めやがれ。他の事にはその後から着手すりゃいいンだよ。戦うなら戦う、考えるなら考える……今までも王はそうやってきただろ』

「む……」

 

 未だに訊きたい事はあるものの、白の言う事も確かに正論だった。今は目前まで迫っているアキ兄とのデュエルに集中するべきだ。勝てるかどうか分からないのなら、他の事に気を払っている余裕など無いのだから、集中するべきだろう。

 まだ何か大事な部分を隠されている気はするが、今は白の言う事に従っておこう。白の事を認識したのはここ最近だが今までずっと俺の事を見ていたからか色々と俺の事に詳しい白は、少なくとも言う事は基本的に間違ってないのだから。

 何れ話して欲しいとは思うものの、白が話す気になる時まで待つとしよう。

 その時が、もう手遅れになった時じゃなければいいのだが……

 

『それよりホラ、いい加減最後の支度を始めねェとギリギリに着いちまうぞ』

「分かってる」

 

 チラ、と視界右上に表示されている時計の時刻を見て、確かにいい加減最終確認に入らなければと同意する。

 それから俺は白に半ば急かされるように装備とスキルの構成をチェックし、脳内でどのような時にどのスキルを使うかのイメージトレーニングを始めた。

 

 ***

 

『さて……どうなる事かねェ』

 

 真剣な面持ちで、カラカラと軽い音と共にメニューをスクロールさせては脳裏で様々な戦況を想定し、イメージし続けている王の様子を、閉じた瞼の裏で俯瞰していたオレはそう呟いた。

 オレが居る場所は、王の中、厳密に言えば王の在り様を示す世界。平たく言えば深層心理世界と言うべきか。

 灰色になるまで燃え尽きた燃えカスの大地が広がるこの世界には、色褪せた墓標や腐敗し切った家屋の残骸、ボロボロになってくすんだ一人分の人骨が散乱している。

 天には陽の光なんて拝めないくらい淀んだ暗雲が立ち込め、暗黒そのものとすら思えるくらい黒ずんだ雲から降る真っ黒な雪。地平線の端には、血の色にしか見えない毒々しい赤の太陽と月蝕状態にしか見えない黒い満月が、東西対面して存在している。

 これが、王の精神世界。オレが発生/誕生してから一度たりとも変化が訪れない死の世界、それが王の在り様を示す世界だ。

 未来なんて無いと悟っている王は、たとえどれだけ嬉しそうにしていようが、幸せそうに笑っていようが……ただ『そうに』しているだけで、本当の意味で喜んでいる訳では無い。

 だから王の世界に変化は無い。ずっと死して止まったままの世界が広がるだけなのだ。

 そんな王の感情には一つだけ欠落しているものがある。

 それが喜怒哀楽の内、怒りを示す『怒』。他者に向ける怒り、憤怒。あるいは絶望の慟哭、他者を憎む怨念、憎悪。一言にまとめるなら『負の怒り』。

 それらを王は、長きに渡って虐げられる状況を覆せないと悟った瞬間、喪った。反抗しても、外敵に敵意を向けても意味が無いと悟り、抱いたそれらがあまりにも強大過ぎて自身を破滅させると断じたからこそ、王はその感情を己から切り離した。

 

『あまり取りたくねェ手段だが……やるしかねェ事態も想定しておく必要があるだろうな』

 

 そう呟いて、王の心象風景の一角に存在するモノを見る。

 燃えカスとなった灰色の大地に鎮座し、黒い雪が分厚く積もり、黒い鎖で雁字搦めに封がされている一つの存在。大体直径三メートル、横幅七十センチ、高さ五十センチ程の漆黒の棺桶。

 その棺桶に入っている……いや、入れられているモノこそ、王が切り離した感情『怒り』。

 かつて、愚兄が王を見捨てたあの瞬間に切り離された感情。あまりにも大きすぎる絶望を、あまりにもそれまでの王の生き方と在り様、精神性に反する感情を抱き過ぎたせいで、半ば自己防衛的に隔離されたモノ。あるいは、王自身が無意識にでも、『これを抱いてはならない』と戒めたが故に切り離したモノ。

 勘違いしてはならないのは、王が切り離した『怒り』は負に分類される極一部の感情だけだ。仮に全てを切り離していれば、王はユイに抱いたような苛立ちなんて覚えず、機械的なやり取りを多く取るようにしていただろう。

 まァ、他にも感情があるから、本当の機械よりもよほど人間染みてはいるだろうが……

 それはともかく、王が無意識に切り離した『怒り』は、俗に言う『殺意』や『憤怒』、『絶望』といった負の想念の塊としか言えない極めて危険なモノだ。

 王は敵対者に敵意を向ける事は出来るが、憤怒や殺意といったモノを向ける事は出来ない。厳密に言えば本来のそれらを向ける事が出来ない、何故なら向けるモノが無いからだ。

 疑似的なモノは人間の自己学習によってある程度補われているから、本当によく見ている人間であれば王が怒りを覚えない人間である事くらいは見抜くだろうが、基本的に他人から見てもそこまで違和感は覚えない程度に補われている。

 実際王はキバオウやリンドに怒りを伴った殺意を向けた事が無く、ただ威圧をしていただけだが、それを連中は殺意と勘違いし続けている。王が纏う雰囲気や言動に圧倒され、錯覚してしまっているから敵対者は気付かない。気付くとすれば王の内側に踏み込めた義姉達くらいなものだろう。

 この疑似的な怒りも、本当なら補われる事すら無かった。

 それが補われる切っ掛け、決め手となったのは、体に埋め込まれたISコアが遠因の一つだ。

 王は、その感情を切り離してから間を置かずにモルモットとして体を弄られた。それまで共にあった感情を切り離してすぐの事で半ば心が動いていなかったから精神死こそしなかったが、アウトプットが上手く行えていなかっただけで、インプットはされ続けていた。

 度重なる死に至ってもおかしくない苦痛を無数に繰り返された末に、王はISコアを埋め込まれた。

 これが取り返しのつかない決め手の一つとなる。

 埋め込まれ、肉体と適合したその瞬間、ISコアに宿っていた意思が王の壊れかけた精神を賦活させた。正確に言えばホルモン系統を刺激し精神を安定させようとした。それだけでなく、コアの意思が王の深層心理に干渉し、精神との適合の第一歩である同調を試みた。

 この同調というのは、ISの声が聞こえた気がするというような事例の根底にあるもの、二次移行をする為に必要なISコアとの同調率の事である。つまりコアが操縦者を認めてようとしている事が同調、同調率はどれだけ認められているかを示す数値だ。

 それを試みた瞬間、ISコアは王が与えられ続けた苦痛に対して浮かべていた負の想念を一気に受け取り、抑える事も出来ず、一瞬で暴走。互いに手を取り合って理解し合う関係の同調は、王が溜め込んでいた『負の怒り』によって支配へと変えられた。

 その結果があの白い化け物となった姿である。埋め込まれたISコアにインストールされていたデータに沿う形でありながら、本来の形から破壊へと傾いた姿。

 ISコアには一般世間に流布している常識的な二次移行の正の進化と、王のように負の想念によって別の発現をする負の進化が存在する。この進化は一次移行や二次移行などの事を基本的に意味している。

 これら正の進化は操縦者を尊重する主従の従の方になる。操縦者というのはそういう意味だ。

 負の進化ではその逆、操縦者の負の想念を糧としてISコアの方が主の方に落ち着く。操縦者を取り込んで傀儡としてしまうのだ。

 王の場合、ISコアの意思が処理し切れない程に莫大な負の想念を、それも全体のほんの少ししか触れさせていない程度の量を流しただけで一気に意思を押し流し、主導権を握った。

 だが前述の通り、本来の負の進化はISコアが主に収まる。それでも無理矢理主導権を奪ったせいで歪な形で定着してしまった。その末に王は白い異形と化してしまう。

 その暴走は負の想念……つまりは『殺意』や『憤怒』、『絶望』を体現しているかのように破壊と殺戮を行った。自身を苦しめていた存在全てに復讐するかの如く暴れ狂い、近くにいた存在全てを滅殺した。

 本来であれば、王はそのまま死ぬまで、溜め込んでいた憎悪が尽きるまで破壊行動を続ける筈だった。その心を支配し滾らせる黒い感情が尽きる時、あるいは肉体が限界を迎えて崩壊し命を落とすその瞬間まで、王は本来であれば破壊と殺戮の本能に従う獣に成り下がり続ける筈だった。

 しかし、恐らく無意識だろう、そこで王は破壊衝動や殺戮衝動を自我から切り離し暴走を疑似的に抑え込んだ。

 王が暴走状態の記憶を微妙に持っていたのは、それを抑えたのも王自身だったからだ。自覚が無かったが故にオレはあの出来事を無意識で行われた事なのだと判断している。

 その結果、生まれたのがオレ……つまり王は攻守の守を示す守護的な人格だが、オレは王がかつて切り離した攻守の攻、破壊や殺戮衝動を本能として持つ人格なのだ。

 過去から他者に対して排他的になっていないのは、王の元々の人間性が他者を守護する方の人格だからである。それでも攻撃的な部分も無い訳では無く、その部分の殆どをオレが持ったという訳だ。

 守護の王、破壊のオレ、そして暫定的に憎悪を体現する最後の存在。これらが全て合わさった存在が本来の《織斑一夏》。以前王と会った際に、『オレはテメェでもある』と言ったが、それはこういう意味である。

 闘技場で気絶した王と入れ替わって大暴れしたオレの事を知っている副団長達は、恐らく王は二重人格なのだろうと予想しているだろうが、厳密に言えば違う。

 二重人格とは、元となった人格はそのままに、全く別の人間性を持つ人格が存在し、表に別々に現れる状態の事だ。互いに認識し合っているかはケースバイケースだが、基本的に元となった人格に異常は無い。

 だがオレ達の場合、大本の《織斑一夏》という人間性をそれぞれ骨子の人格、殺戮衝動、負の想念の三分割されて存在している。多重人格という分類になるかもしれないが、大本の人格を分割しているのだから、常識的なそれには当て嵌まらない。普通そんな事例にはならないのだ。

 そんな三分割状態のオレ達だが、分かたれた切っ掛けが研究所での出来事であっただけで、大本の原因は愚兄の織斑秋十にある。

 そもそも分裂してもほぼ異常なしと見える程の精神性を保てているのも、あまりにも絶大且つ膨大な感情を王が抱いてたが故。器から溢れ出そうになっていたモノが零れないよう、同じ大きさの器を三つ分用意した存在、それがオレ達だ。

 その感情を向ける根幹となっている愚兄に対してだけは、三つの人格はそれぞれ顕著な反応を示す。

 まず《織斑一夏》の骨子と言える第一人格の王は、過去に対してトラウマを一番抱え込んでいる、負の想念に該当する怒りの感情を第三人格として切り離しているから恐怖を真っ先に感じる。一番穏やかで攻撃性を喪っているからこそ、憎悪という『負の怒り』の一部を喪っているからこそ王は恐怖しか覚えられない。

 第二人格のオレの場合は殺戮衝動を持っている。

 と言っても、元が元なだけに正直オレは王が生きていればそれでいいと思っている。王がやりたいようにやればいい。王が護りたい奴を護る為なら、ユイの時みたいに手を貸すのだって吝かではない、少なくとも今の王が抱いている覚悟には力を貸そうと思える。

 死なれたら困るし、今の立場が敗北イコール死と変わりないから負けそうになる度に横槍を入れさせてもらうが、それ以外では基本的に口出しはしない。【絶剣】との勝負の際に手出しをしなかったのは、あの場に王を虐げる輩が居なかった事と、それがあまりにも無粋である事を理解していたからだ。

 まァ、諸悪の根源である愚兄に対してはどうしても攻撃的にならざるを得ない。そもそも戦闘になったら破壊と殺戮衝動のせいでかなり攻撃的になる。それでも多少は理性を残しているから善悪の分別は付くし、王がマズい立場になるのは回避出来る、だから真っ先に殺しに掛かる事は無い。オレと対峙した時には大いに鬱憤を晴らせてもらうが。

 だが、憎悪や殺意といった負の想念の塊としか言えない第三人格だけは、野に放ってはマズい。それを無意識に王も、恐らくは今は沈黙を保っているコアの意思もそう考えていたのだろう、厳重に雁字搦めで封をしてある。

 これまでは愚兄に直接対面し、『負の怒り』を覚えるトリガーが引かれなかったからまだよかった。

 だがここ最近になって第三人格が解放された場合に近い事はあった。

 第七十四層ボス戦でのコーバッツが最期に吐いた呪詛、アレが切っ掛けになって暴走した王の状態は、第三人格の影響を諸に受けていた。自身に対して浮かんだ怒りと、コーバッツから向けられた理不尽な責めに対する怒りがトリガーとなって、第三人格が目覚めかけたのだ。

 あの時は王の理性を保たせる程度に第三人格を抑え込むのがオレもやっとだった。

 元々怒りを抱かない人間性だったからこそ、そして長年に渡って理不尽に虐げられてきたからこそ、王が切り離した『負の怒り』、『負の想念』は途方もない濃度と量になっている。『普段怒らない者ほど怒らせれば怖い』と言うが、正に王はその典型例だ。

 故に、愚兄が王……厳密に言えば大切な存在を愚兄が傷付けた時など第三人格を目覚めさせる事をした時、コレは目覚める。大切な存在へ向ける思いやりの『正の怒り』はともかく、敵対者へ向ける『負の怒り』はマズいのだ。

 

『何も妙な事が無ければいいンだがな……』

 

 厳密に言えば王は第一試験であるデュエルの立会人として呼ばれただけだから、必ずしも勝負になる訳では無いのだが、愚兄の方から接触してくるだろう事は想像に難くない。十中八九、そのまま勝負に流れるだろう。

 王と愚兄の勝負。

 王が勝てば、敗者となった愚兄がどう動くかで今後が変わる。

 別ゲームにいた愚兄がどうしてこの世界に来て、何故王を殺そうとするかの動機が明らかになれば今後の行動も容易く予想が付くのだが、簡単にそれが分かれば世話は無い。暫くはまだ謎のままになるだろう。それでも王を殺しに裏で暗躍するのは間違いない。

 対して、王が負けた場合も、愚兄がどう動くかで状況は変わる。

 最悪なのは王が殺された場合だ。そんな事にならないよう副団長や王の義姉達が全力で阻止に動くとは思うが、王の立場と今後を考えればそれはあまり好ましくない。同時に王は庇われる事を本当の意味では望んでいない。

 王は、自らの未来に光など無いと悟っているからこそ、誰かの為に犠牲になる事を良しとしている。あるいはそれでしか『生まれた意味』や『生きる意義』を見出せていないと言うべきか。

 基本的に王の意思を尊重するオレだが、流石のオレも死にたくはないので、場合によっては勝負の途中で割り込まなければならないと考えている。

 元々王は守護的な人格、戦う事そのものには向いていない、相手を倒す事には第二人格であるオレの方が向いているのだ。【絶剣】とのデュエルは先の理由を含め王が望まれていたからオレも一切手を出さなかったが、愚兄に対してだけは別、何が何でも王が勝ったという結果を出さなければならない。

 少なくとも王が敗北したという結果になれば、第三人格が目覚める危険性は一気に高まる。

 あんな腐った奴でも血の繋がりがある兄だ。だからこそ王も、かつて捨てられた身と言えど未だによりを戻せないかと無意識でも根底では悩んでいる。殺される未来を幻視し、恐怖していても、諸悪の根源である愚兄を殺そうと考えないのはその悩みを抱いているからだ。

 

『たっく……本当、王はお優しいな……』

 

 黒い鎖で雁字搦めに封じられる棺桶を見ながら苦笑と共に言うが、王の意向に沿うよう、愚兄を殺さないようにしつつ王が死なない道を考えているオレも大概だ。元が同じなだけに根底は変わらないらしい。

 

『まァ、オレには殺戮衝動があるだけだからな……』

 

 その衝動も元が元なだけにそこまで強いという訳では無い。謂わばオレは暴走を抑える為だけに生じた存在、暴走から根幹が抜けた残り滓。

 第三人格はともかく、王が全力を出すには残り滓ながら攻撃性の殆どを有しているオレと一つにならなければならない。ISに積載されているものと同一である《ⅩⅢ》の扱いはオレの方が上手いのも、オレに大部分移っている攻撃性が理由。

 王は誰かを護る為に戦う時に一番実力を発揮する。オレは誰かを害する事に重きを置いた戦いに一番実力を発揮する。

 第三人格だけ、愚兄を殺す事に一番全力が発揮される。

 第三人格は骨子である王の精神状態がダイレクトに伝わる。何かマズい事態になると感じた時は、無理矢理にでもオレが表に出なければならない。

 

『マジで面倒な事はしてくれるなよ……』

 

 《ソードアート・オンライン》から生還する為には、少なくともまだ王の異常性を克明にする訳にはいかない。愚兄を殺すためだけに暴れ狂うような事が知れ渡ったが最後オレ達に待つのは死だけだ。

 その末路を迎えたが最後、王を受け容れた義姉や副団長達がどうなるかなど想像に難くない。この世界の末路の同様だ。

 この世界は、ただのうのうと生きて来た愚兄が戦い抜ける程甘くない。愚兄の行動一つでこの世界に生きる全プレイヤーの行く末が決まるなど悪い夢だ。

 胸中でそう呟いたオレは、目の前の棺桶を一目見た後、瞼の裏に映る王の行動に注意を向ける事にした。

 王は粗方準備を終え、いよいよ試験会場となる第二十二層へ移動を開始したところだった。

 

 ***

 

 第二十二層の南南西に位置する主街区《ペルカ》。木製の家屋が立ち並び、第一層の転移門前にある鐘楼が噴水へと置き換わっているここは、街と言うよりは朴訥とした村という風情の穏やかな風景があった。

 その村に、攻略組でも名立たるプレイヤーが揃い踏みしていた。

 《血盟騎士団》団長である私ヒースクリフ、副団長【閃光】のアスナ君、ゴドフリー君を始めとした幹部の四人。

 《アインクラッド解放軍》のリーダーである攻略部門【穹の騎士】ディアベル君、サブリーダーである情報部門のシンカー君とその補佐である戦鞭使いのユリエール君。

 《聖竜連合》のリーダーである曲刀使いリンド君とその近衛三人。

 《風林火山》のリーダークライン君と仲間の五人。

 《スリーピング・ナイツ》のリーダーである細剣使い【舞姫】のラン君、【絶剣】ユウキ君、攻略組きっての槍使いサチ君。

 主だった攻略ギルドに属していないながらこれまで常に単独で最前線を踏破してきた少年、《ビーター》の忌み名で蔑まれ、同時に【黒の剣士】の二つ名で希望を向けられているマルチユニークスキルホルダーのキリト君。

 他にも《アインクラッド》随一の情報屋【鼠】のアルゴ君、攻略組一番の古参商人である両手斧使いエギル君、攻略組御用達の武具店を営む鍛冶師リズベット君、最近ポーション類を委託販売して有名になっているビーストテイマーのシリカ君、新進気鋭の両手剣使いストレア君。

 アスナ君に招待されたという形で来ている、未だ名は知られていないものの将来性が見込める女性プレイヤーのリーファ君とシノン君。

 今日も攻略があるから主だったメンバーだけではあるものの、総勢で三十人にも上る攻略組の要となるプレイヤーの殆どがここに集結していた。

 それも、最近有名になって来ている一人のプレイヤーが本当に攻略組に参入するか相応しいかを見る為。リズベット君、シリカ君、リーファ君、シノン君の四人は別だが、それ以外は全員が第一試験となるデュエルの相手であると同時に立会人、審判を下す者でもある。

 ちなみに、第二試験は申し入れを受けた《血盟騎士団》が一時的にパーティーを組んで、その協調性とパーティープレイのレベルを見定める事になっている。

 

「ふむ……来たようだね」

 

 午前八時四十五分。指定した時間の十五分前に試験官でもあり立会人でもある我々は全員揃った訳であるが、少し早かった感は否めない。

 だが、試験される者であるプレイヤーも少し早めに行動してくれたようだ。指定時間の十五分前になった時、誰もが視線を向けていた転移門から蒼い光と共に白尽くめの恰好をしたプレイヤーが姿を現すのを見て、件の人物であると分かった私は、そう胸中で呟いた。

 時間をキッチリ守り、少し早めに行動するという面は素直に評価出来る。まぁ、律儀に守ろうという気で来たならともかく、私達より早く来る事で己の優位性を証明したいと考えていたならアレだが、それを読み取る事など出来ないので流す事にする。

 

「……遅れたつもりは、無いんだが」

「うむ、時間の十五分前だから遅れてなどいない。我々が少し早く集まっていただけだ」

 

 既に揃っていた私達を見て若干気圧されたように言う【白の剣士】に、代表者である私はそう応じた。

 

「さて……まずは自己紹介といこう。知っているかもしれないが、私は《血盟騎士団》の団長ヒースクリフ、便宜上攻略組を率いるリーダーのようなものを担っている者だ。またユニークスキル《神聖剣》を用いた防御を得意とするタンクでもある」

 

 私が自己紹介するのを皮切りに、各ギルドのリーダーとサブリーダー、攻略組が最も利用する情報屋のアルゴ君、故買屋のエギル君、鍛冶屋のリズベット君、ポーション屋紛いのシリカ君、そして最前線のデータを最も提供しているキリト君が次々に自己紹介をした。

 

「それで、改めて君の名を聞こうか」

「俺の名前はアキト。そっちの金髪のプレイヤーと同じくこの世界に何故か迷い込む事になった、そこの出来損ないの兄だよ」

「「「「「ッ?!」」」」」

「「「「「……」」」」」

 

 自らの名乗りと共に、とんでもない情報をいきなり暴露する《神童》のアキトに、その事実を知らなかったリンド君を筆頭とする面々が驚愕し、対してその事実を既にリーファ君や以前の遭遇騒動で知っている面々は眉根を寄せた。特に名指しと共に存在まで明かされたリーファ君は眼つきを鋭くしている。

 私が抱いたものは、考え無しにも程がある、という事。

 リーファ君の素性をキリト君が明かさないと断じたのは、現実の状況があまりにも不明確過ぎるが故だ。言っても普通は信じられない事だし、あまりにも不謹慎に過ぎるその内容は混乱を招く先しか見えない、未だ全損者すら死亡していない事実を知って安堵感を抱いてもらっては困るのだ。

 キリト君もそれを予想し、私と共に相談して明かさない事に決めていたのだが……よもやここでそれを暴露するなど正気かと思った。リアルバレに関しては何れすぐに分かる事だから、思う事はあるものの防げる事でも無いから既に諦めている、だがリアルの状況を話すのは流石に考え無し過ぎる。

 

「お、おい、どういう事だ?! まさか本当に後から来たのか?!」

「ああ、大体三週間前に俺はこの世界に迷い込んだよ。《アルヴヘイム・オンライン》っていう妖精になりきって空を飛べる北欧神話を基にしたファンタジックなVRMMORPGをしていたら、気付けばここだよ」

 

 リンド君が焦ったように問い詰め、アキトは落ち着いた風に語った。自らがどのようにしてこの世界に来たのか、そしてこれまで何をしていたのかを。

 どのように迷い込んできたかはリーファ君とほぼ同様で、プレイ中に気付けばというものだった。それが真実かは分からないが、仮にこれが不幸な事故であるなら真実なのだろう、彼がこの世界をデスゲームにした者と繋がっていないのであれば。

 これまで何をしていたのかという部分は、やはりキバオウ君と繋がっている事は話さず、耳を隠すようにフーデッドローブを着たままレベリングに勤しんでいたのだという。

 本当なら後から来たなど信じられる筈も無いが、アキトのリアルは《織斑秋十》、つまりはキリト君を虐げる根幹を為す《神童》本人だ。流石に本人がこれまで動きを見せなかったというのはあり得ないし、リーファ君にもリンド君が問い詰めた結果同じ話が聞けた事からも信憑性ありとなって、ここに居る面々はアキトの話を真実だと認める事となった。

 それはつまり、リアルの話も真実だと認めたという事である。

 

「HPが全損してもまだ死んでない……という事は、本当は死なないんじゃないのか……?」

 

 誰かが……恐らくはリンド君の近衛の一人がそう呟いたのが聞こえた。

 

「無いな」

 

 それを否定する言葉を言おうと口を開いた時、一瞬早く声を発した人物が居た。

 それは如何にも頭が痛いとばかりに顔を顰めているキリト君だった。否定の言葉を向けられた近衛の男性が、キリト君を忌々しそうにここぞとばかりに睨め付ける。

 

「何故そう言える」

「何故も何も、事実として《ナーヴギア》を外された者は死んでいる、つまり人を殺せる機構とスペックを兼ね備えているハードを俺達は全員被っている事になる。それだけ相手も本気であるという事なんだ、死なないという事は考えられない」

 

 まぁ、そこにアキトとリーファ君は入らないのだが、重量の三割を占めるバッテリーセルを取り外した事で殺人的スペックを出せない構造になっているという《アミュスフィア》であろうと、必ずしも死なないとは限らない。脳を破壊するコードそのものは恐らく適用されるだろうから、死には至らなくとも後遺症を残す程度にダメージを与えて来る可能性は十分考えられる。

 こう言っては不謹慎だが、一息で死ぬよりも、死ぬまで後遺症を負う生の方が私は苦しいと思う。死しか未来が無い者や既に死んでしまった者達には申し訳ない考えだが。

 この現状はデスゲーム化を見抜けなかった自身にも責任があると考えている私がそう思考する中、キリト君は言葉を止めず、それに、と続けた。

 

「あの赤ローブの言葉を思い出せ。奴は、現実でも死ぬ条件についてとこの世界から生還するための条件は確かに言っていた……だが、死ぬ条件は口にしても、それが何時履行されるかまでは明確にしていない。全損してすぐ死ぬ事を肯定していないし、クリアと同時に死ぬ事も否定していない。リアルの事を知れたのは僥倖の至りだろうが楽観視が一切許されない状況にある事は未だ変わりないんだよ」

 

 確かに、あのGMにだけ許された赤ローブを操る存在は、現実での死はこの世界でHPを全損する事としか言っていない。逆に言えば、何時《ナーヴギア》で脳を焼き切るかまでは言及していないのだ。

 全損してすぐ死んでいないのなら、クリアと同時に死ぬという可能性もある。何時死ぬか分からない以上は一切気を抜けない状況である事に変わりない。

 それなのに安直に少しでも楽観的な思考を持った男に対して苛立っているのか、キリト君は鋭い舌鋒を止めない。

 

「楽観的な思考をするのはアンタの勝手だがな、それで『死んでも大丈夫』なんて考えを、必死に生きている者達にまで感染させるな。今までの攻略は全て薄氷の橋を渡るに等しい生死の狭間と変わりないものだったんだ。それなのにそんな安易な思考で踏ん張れなくなってみろ、一気に瓦解する。第二十五層と第六十七層の悪夢を忘れたのか。あの戦いで出た死者とその先に得た勝利がどういうものだったか、知らない訳ではないだろう」

 

 キリト君が口にした二つの階層は、《神聖剣》による圧倒的防御力ボーナスを有している私と共に、たった二人で戦線が回復するまでの十数分を耐え抜いた階層だ。

 特に第二十五層の多腕の巨像ボスを相手にする時は本当に二人だけだったため酷く苦戦した覚えがある。あれはタンクとして一番の防御力と《神聖剣》スキルを持つ私と、一番的確に敵の攻撃を捌く剣腕を持つキリト君でなければ凌げなかった。

 そして数多の死者と逃走者を出した階層の戦いは、死ねば終わりという観念から来る意地でどうにか潰走だけは踏み止まり、あと一息というところで踏ん張って戦い抜いた末に得た勝利。死んでも大丈夫という考えがあっては決して得られなかった勝利なのは間違いない。

 その事実を口にしたキリト君は、しかも、と言葉を更に連ねた。

 

「次のボスは第三クォーター。モンスターのアルゴリズムにも変化が見られるようになってきた事も含め、軽い気持ちで挑める相手でない事は重々承知の筈だ」

「ぐっ……出来損ないのくせに……!」

「……」

 

 それが正論であると理解はしているらしい近衛の男が悔し紛れとばかりに悪罵を向けるが、対する黒の少年は仄かに苦笑を湛えながら静かに瞑目し、沈黙を返した。

 

「……そろそろ試験をしようと思うのだが、構わないかね?」

「なっ……だが《神聖剣》殿、この出来損ないの言う事が事実とは分からないでしょう!」

 

 あくまでキリト君の言い分を論破したいのか、先まで言い合っていた近衛の男が食い下がって来た。それに思わず左手で盾を持っている為に空いている右手を額に当てて溜息を吐いてしまう。

 

「はぁ……そもそも、現状ではその話の真偽を測る事など不可能だろう。事実として未だ死んでいないだけで、クリアと同時に死ぬのか、あるいは全損者も生還するかはこの世界の頂きに到達せねば分からない。であれば、推論は可能だが確定させる事は現状不可能という事になる……《ビーター》の推論は勿論、君の推論もだ。故に今ここでそれを論じる意義は無い。そもそもここに集まった本来の目的を忘れた訳ではないだろう?」

「ぐっ……くそっ……」

「……」

 

 私の言葉通り、現状ではどちらも分からないのだから議論しても埒が明かないのだ。近衛の男の話は捕らぬ狸の皮算用、キリト君の話はして然るべきな警戒でこそあるが真実だと断定出来ない以上はただの注意を促すものであってそれ以上になり得ない。

 故に無駄だと言えば、余程キリト君を言い負かしたかったらしい近衛の男は毒づきながら引き下がる。それでも彼に鋭い視線を向ける事だけはやめず、彼もそれを向けられているのに気付いていながら、言うべき事は言ったからか腕を組んで沈黙を保った。

 それを見て、この口論も終わりだと判断した私は口を開いた。

 

「へぇ。あれだけ不出来だったお前が、よくもまぁ、そこまで偉そうに言えるようになったな」

 

 口は開いたが、言葉を発するのは再び遮られてしまった。

 その事と、挑発的な言葉を発した人物が誰なのかを理解した事で、思わず眉根を寄せてしまう。

 言葉を発したのはキリト君の実の兄、彼を見捨てた張本人である実兄だった。漸く口論が終わったのにまた起こす気かと思うが、眼を付けられたらマズいと以前遭遇した際に色々とキリト君から聞いたらしいユウキ君から口を酸っぱくしてメッセージで忠告されているため、一旦様子見をする事にした。

 声を掛けられたキリト君は、閉じていた瞼を持ち上げ、水晶を思わせる黒い瞳を自身の兄へと向ける。その瞳に、感情の色は見えない。眼つきは普段通りで……却ってそれが、私の何かをざわつかせた。

 誰もが、仮想世界にて実現した兄弟の対峙に固唾を飲む。

 兄は蔑みの視線を、弟は感情を乗せていない視線を互いに交え、沈黙を保つことおよそ十秒の後、先に口を開いたのはキリト君だった。

 

「……この世界はレベル制のMMORPGだ。レベルが高く、レア度の高い装備を持っている事実があるほど強者であると宣言出来る。第一層の頃からボス戦に参加し続け、LAも取り続けて来た者として、そしてこの世界に最初から居る者として、少なくともさっきの事を言うだけの資格はあると思うが」

 

 至極真っ当な事を彼は言うが、対する【白の剣士】はそれを鼻で嘲笑った。

 

「はっ、たかがゲームで強くなったつもりか。思い上がりもここまでくると滑稽だな」

「……たかがゲーム、か……」

 

 兄の嘲弄の言葉に、【黒の剣士】は一つの単語だけを復唱した。その声音には、さっきまでは乗っていなかった感情が含まれていた。

 彼の表情は、僅かに俯けられ前髪で隠れているため、見えない。だが怒りを覚えている事は分かった。

 

「たかがゲーム…………ああ、そうだろう。のうのうと、現実世界で平穏を享受していた者からすれば、このデスゲームも当事者でないからこそ、たかがゲームと言えるだろう、たかが遊びだと宣えるだろう……」

「何が言いたいんだ? 言いたい事はハッキリと言えよ、出来損ないの愚弟」

「ならば言ってやろう、神童の秋十」

 

 蔑称を平然と口にした瞬間、何人かがぴくりと肩を震わせたが、それはキリト君の挙動で抑えられた。

 彼は顔を上げ、真っ向から自らの兄と視線を交えた。

 その顔には彼には似つかわしくない怒りが浮かべられていた。純粋な怒りではなく、どこか昏いものも見え隠れする不純の憤怒。今まで一度たりとも彼が見せた事が無かった顔だ。

 

 

 

「この世界に閉じ込められた俺達にとって《ソードアート・オンライン》は、キャッチコピー通り、最早ゲームであっても遊びじゃない。この世界で死んだ人達も、まだ生きている人達も、この世界の全てが仮想であっても現実だ。死んだ人達だって必死に生きようとしていた、今を生きる人達も死なないよう必死に毎日を生きている……それを、のうのうと生きていた貴様が嗤うなよッ!!!」

 

 

 

 今まで聞いた中で、恐らくキリト君が初めて敵愾心を剥き出しにして怒声が発せられる。その怒りを目の当たりにする私達は、思わず驚愕に固まってしまった。

 

「最初はデュエルを見届けるだけに留めるつもりだったし、挑まれた時だけにしようと考えていたが気が変わった。ヒースクリフ、このデュエルの相手は、この《ビーター》が引き受けさせてもらうぞ」

「なっ……」

 

 ここに来るまでの道中で、昨夜手料理を振る舞った際のキリト君の様子をアスナ君から聞き知っていたから、まさか自らの意思で兄に挑みかかるとは予想していなかった。これは予想だにしない展開だ。

 アスナ君達も、敵愾心を燃やすリンド君達も、さしものキリト君に深い理解を示しているリーファ君も、キリト君のこの行動は予想していなかったようで唖然としていた。

 

「いいな?」

「う、うむ……元々、彼が望む相手にするつもりだったからな……」

 

 予想だにしていなかったため驚きに固まる私に、キリト君は有無を言わさぬ口調で再度問い掛けて来た。それに私は何とか言葉を返す。

 本当なら私が相手をしようと考えていたのだが……キリト君がここまで怒りを露わにしているのも珍しいし、ここで横槍を入れれば後で何を言われるか分からない。

 

「はっ、出来損ない風情が、調子に乗るなよ」

 

 それに、相手に指名された本人があそこまでやる気では止めようにも止められないだろう。アスナ君達から凄まじい抗議の視線を向けられているから後が面倒な事になるのは変わりないが、ここは何とか呑むしかあるまい。

 本来なら挑む側なのは【白の剣士】の方なのだが、話の流れと彼自身が己が下だと思い込んでいるからか、【黒の剣士】の方がデュエルの申請を行った。

 

「本当なら全損決着にしたいところだが、死んだらマズいからモードは半減決着。アイテムもユニークスキルも何でもアリ、時間は無制限だ……異論は無いな」

「別に俺は全損モードでもいいぞ? 負ける筈が無いからな」

「チッ……」

 

 兄の挑発紛いのセリフに、忌々しそうに舌打ちをした彼はそのまま操作を続け、半減決着でデュエルシステムが起動。

 私から見て左側から《Akito VS Kirito》と表示されたパネルの下に、残り待機時間を示すタイマーが表示される。それは《60》から刻一刻と減少を始めた。

 それを見てからアキトは背中に背負っていた白い片手剣を抜き払い、右足を引いて左半身を前にし、右手に持つ剣を切っ先が地面に擦れる程まで後ろ手に下げて構えた。その構えはキリト君が一刀の時に見せていた全力の構えと全く同じ。

 

「……どういう事だ……?」

 

 しかし、最も気になったのは構えではなくアキトが手にする白に染め上げられた剣。《アルジェントブレード》の見た目や基本スペックに関しては情報屋の武器名鑑で一応確認していたが、思った通りそれと異なっていたのだ。

 アキトが手にしている剣は、一言で言えば真っ白なエリュシデータだろう。形状の全てがエリュシデータの特徴を持った代物だったのだ。

 ゲームに於いてLA、つまりユニークな一点物が貴重であるのは見た目のグラフィックも然る事ながら、一番重要視されるのはそのスペックだ。極論見た目だけ似ているが贋作と言えるものは普通にある。現実で言うレプリカというものだ。

 他のゲームでも似た形状、あるいは同一の見た目でありながら性能は劣る武具は散見されたので、スペックこそオリジナルに届かないものの見た目は有名な一点物に近いものは幾らか用意していた。エリュシデータのレプリカだってキチンと設定した覚えがある。オリジナルはキリト君が愛用品として使っているのだから、アキトが持っているのは確率で製作されるレプリカ品だ。

 だがおかしい。エリュシデータは第五十層LA、流石に第三クォーターともなるとスペック不足感が微妙に否めなくなってきているのに、そのオリジナルより劣るスペックしか持たないレプリカが最前線で通用する筈も無いのだ。下手すれば《アルジェントブレード》よりスペックで劣る。

 それなのに、自らが最前線に参入出来る千載一遇の機会を棒に振るような事をする筈が無い。

 ……それを可能にする手は考えられなくも無いが、その手はこの本製品版では出来ない筈なのだ。

 私やキリト君が持つ計十一種類のユニークスキルは、全部で十五種類存在している。キリト君が持っていない細剣、短剣、片手斧、弓限定のユニークスキルを含めれば十五種類だ。

 それらは全て戦闘系スキルに特化した代物、つまりはソードスキルを放つ事が出来るものばかりだ。攻略組が持てば戦力強化は間違いなく、現にキリト君の単騎で有する戦闘能力は大幅に増強されている。

 なのでユニークスキルは戦闘系以外、つまり生産系や副次系はこの正式サービス版に存在しない。そもそも実装していないからだ。

 それらはこのゲームの製作段階で一応完成はしていたものの、あまりのスペックと不平等さからそれらは封印した。つまり製作だけはされていたのだ。

 私が懸念したのは、それらの封印が解かれた可能性。

 アレらは消すには惜しいとデータだけは残していた。しようと思えばすぐ実装出来るようプログラムも製品版SAOのフォーマットに合わせていた。

 それが災いし、私が設定した覚えのない事が増えて来たこのSAO製品版に知らない間に追加されていたとなれば。あるいはあの【白の剣士】が自らの手で封印を解いて手に入れたとなれば。

 最前線でも十分通用するスペックでありながら、一点物と同一の見た目の武器を製作する事も、不可能では無い。

 それこそ生産系ユニークスキルの一つ、《鍛冶》スキルを極めた者にのみ与えられる《鍛鉄》。

 《鍛冶》にて製作される武器は、スペックも見た目も全てシステムに規定されているものからランダムに選ばれる。なので同じ見た目でもスペックが違ったりするのはままあるし、名称が同じでもやはり同じ事は十分起こる。

 だが《鍛鉄》の場合、スペックは鍛冶師のスキル値や使用するハンマー、使用する炉、鉱石のレア度、鉱石のタイプという五つの要素に左右されるものの、見た目を自由に変える事が可能だ。更には装備する事でステータスがアップするようなステータス加算効果、キリト君の《狂戦士の腕輪》のようにバフを付与する事も可能である。

 それらを封印したのは当然、それを個人で作れるとあってはフェアネスではないから。

 全て平等なシステム任せであれば機会こそ不平等ではあるが苦労した報酬という事で納得いくだろうと思い、故に私は《鍛鉄》を始め、生産や副次系のユニークスキルを全て封印し実装しないという苦渋の決断を下したのだ。

 しかし今目の前で、それの存在が懸念される事象が確認されている。

 本来であれば即座に問い質したい所なのだが、今の私は《リアル不詳のヒースクリフ》であるため、自らこの事件の黒幕と考えられている《茅場晶彦》と名乗るのに等しい行動を取る訳にはいかない。

 先の話で、私も囚われているという部分は意図してか意図せずなのか語られていないため、今でも私が犯人と信じて疑われていないのだ。

 とは言え、引っ掛かる事が無い訳でも無い。《鍛鉄》を持っているのなら何故リズベット君の店へ態々赴き、剣を購入したのか。インゴットを手に入れた方が安価で済むというのに。

 キリト君が言っていたような、過去の人々のように自分側へ引き込む為の行動なのか、あるいは攻略組御用達である鍛冶屋が売る剣のインゴットは質が高いと推測しての行動か、それは分からない。

 開発側である私だからこそこうしてある程度予想は出来ているが、プレイヤー側としてそれを一切知らない――筈だが偶に本気で開発側かと思う程の洞察力を見せる――キリト君は、流石に看過出来ないようで眉を顰め、兄が構える白いエリュシデータに視線を送った。

 残り時間は五十秒。

 

「エリュシデータと同じ形状だと……どういう事だ」

「お前に話してやる義理なんて無いな」

 

 キリト君の問いに、アキトはにべも無く応じた。その表情は、それすらも分からないのか、とでも言うかのような嘲弄のそれ。

 それを受け、彼は忌々しげに表情を歪めたものの、それも一瞬だけ息を止めすぐに吐き出した事で改められた。

 その後、彼は眼前の敵を睨め付けながら薄く哂う。

 残り時間は、四十秒。

 

「そうだな、わざわざ問うまでも無かった。たかだか三週間程度しかこの世界に居ないアキトが持つ剣に、この世界が始まってからずっと共にいる愛剣が負ける筈も無い。愚問だったよ」

「……どういう意味だ? お前、第一層の頃からエリュシデータを持ってたのか」

 

 言葉を額面通りに読み取ればそう考えるのも無理ないが、それは完全な誤りだ。

 キリト君の剣には、あの始まりの日の深夜に手にしたアニールブレード、道半ばで折れた剣と共に手にした剣の魂が宿っている。この一年半もの間、戦いに赴く時には必ずそれを片時も手放さず、愛用し続けていた。

 謂わば、彼の半身も同じなのだ。

 それを理解していない――彼の事を知らなければ理解出来る筈も無い――アキトの言葉に、キリト君は口の端を歪め、哂った。

 残り時間は、三十秒。

 

「まさか。エリュシデータは第五十層のLA……第一層で手にしたアニールブレードをインゴットに変え、それからも鍛え続け、今はこの剣に融合強化という形であの剣の魂が宿っている。たかだか三週間程度の積み重ねしかない剣に劣るほど、この剣も軟じゃない」

「……調子に乗るなよ、出来損ないが」

「その言葉、このデュエルが終わってからも余裕をもって吐く事が果たして出来るかな」

 

 忌々しげに歯を食いしばり、眉根を寄せながら睨む兄に対し、弟は背中から愛剣である黒剣エリュシデータを抜き、兄と対であるかのように同一の構えを取りつつ、余裕をもって応えた。

 残り時間は、二十秒。

 

「これから貴様が挑むのは、貴様が見下し踏み躙って来た《織斑一夏》がこの死の世界で生き抜いた姿」

 

 残り時間は、十秒。

 

「そして心しろッ!!! 死を幾度も垣間見て尚生き抜いた俺を、俺の剣を、《ビーター》を、【黒の剣士】を、貴様が見下してきた《織斑一夏》を、これまでのように容易く踏み躙れると思わない事だッ!!!」

 

 そして、零になったその瞬間、世界を引き裂くような不協和音が響き渡った。

 それは相容れぬ兄弟が刃を交える戦いの開始を知らせる響き。

 

 

 

「調子に乗るなと、何度も言わせるなよ出来損ないがああああああああああああああああああッ!!!!!!」

 

 

 

「その言葉、そっくりそのまま返させてもらうからなああああああああああああああああああッ!!!!!!」

 

 

 

 そして、見下し続ける【白の剣士】と、叛逆の狼煙を上げた【黒の剣士】は、共に最速を以て互いに刃を届かせんと地を蹴った。

 

 ***

 

 大気を斬り裂く鋭い音の中に、光芒を引きながら発せられる甲高い音が混じる。

 翡翠色の光の帯を引きながら袈裟掛けに振るわれた黒と白の剣は真っ向から交錯し、互いを食い破らんと鎬を削る。小さく火花を上げ続けた末に爆雷を想起させる轟音と閃光を発し、黒の少年と白の青年は互いに距離を取った。

 

「嘘……キリトと、互角……?!」

 

 デュエル開始直後に交えられた《ソニックリープ》の打ち合いの結果に、以前のデュエルで全く同じことが引き起こされた経験を持つユウキが、愕然と言葉を洩らした。

 その思いは私も持っていた。リーファさんとこの世界に迷い込んだ経緯が同じであるなら、レベルは30から大差ない筈。一気に強くなったそれも不可解なのに、ましてやレベル90だったユウキがギリギリ互角に持ち込めた結果を、まず間違いなくユウキよりもレベルが低い筈の神童が引き起こせるとは思えない。

 ソードスキルの有効時間が切れた事によるものとも考えられない。それ以前に、絶対的なレベル差で神童はキリト君に押し負ける筈なのだ。ユウキはギリギリで持ち堪えたらしいが、それも本当にギリギリ、何か一つでも狂っていれば押し負けていたと彼女自身が語った。そもそも互角に持ち込めた事そのものがシステムに反する事だから不可解だとも語ったのだ。

 そんな偶然、あるいは奇跡とも思える事があんな男に起こせるとは、私には思えなかった。

 キリト君が敏捷値寄りの振り方で、神童が筋力値極振りのステータスであったならまだ分からなくも無いが、それだと神童のあの速度に説明が付かない。そもそもキリト君は筋力値七と敏捷値三の割合でステータスボーナスを振っているから、この前提は成立しない。

 それにキリト君の腕輪防具のバフで、ただでさえ超高レベルで高い全ステータスが上昇しているのだ、誰も打ち勝てる筈が無い。

 だというのに互角の結果を叩き出した事は、不可解過ぎた。

 

「ッ……予想通り、打ち合いは互角か……!」

「ふん、本当なら勝つつもりだったんだがな……やっぱりレベル差を簡単に覆す事は出来ないか」

 

 しかし、やはり元と言えども家族だったためか神童の事を理解しているらしいキリト君は、この結果もある程度予想していたらしく、苦々しそうではあるものの驚愕はしていなかった。

 神童の方はレベル差を覆せなかった為に互角の結果になった事を不満そうにしている。

 これは、レベル差を覆す程のステータスボーナスが付く装備やスキルがあると考えてもいいのだろうか。今も未確認のエクストラスキルやユニークスキルの恩恵で、圧倒的にレベルが高いキリト君と伍しているとしか後は考えられない。

 だとすれば、今よりもっとレベルが上がれば脅威だ。

 全プレイヤーで最強のキリト君にスキルや装備の効果でステータス面は互角となれば、勝負を決めるのは互いの技量。最強の剣と最強の盾、剣は盾を通すのか、盾は剣を通さないのかという矛盾はあり得ないのだから、後を決めるのは使い手次第なのだ。

 

「「……」」

 

 それを理解している為か、キリト君も神童も、どちらも黙って真剣な面持ちで互いを見据え合った。

 

「お……ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」

 

 見据え合い始めてから数瞬の後、痺れを切らしたか神童の方が先に特攻を仕掛けた。右手に持つ白いエリュシデータを振り上げ、唐竹に振り下ろされる……

 

 

 

 その筈が、唐突に白い刃が掻き消えた。

 

 

 

「な……ッ?!」

 

 軌道を読んで黒いエリュシデータを翳していたキリト君が驚愕の声を発しながら、素早く後ろに下がる。

 その彼の胸を斬り裂くように、気付けば神童の剣は、左薙ぎに振るわれていた。私がそれに気付いたのは神童の動きが止まった後、左薙ぎに振り抜いた後の事だ。

 

「ユウキ、今の、見えた……?」

 

 小声で隣にいる、誰よりも反応速度が常時速いユウキに問うが、彼女は信じられないと瞠目したまま微かに首を横に振った。ユウキですら見えなかったのだ。

 であるなら、ユウキより反応速度で劣るキリト君が避けられたのは、恐らく経験から来る直感か何かだろう。

 

「……」

「どうしたんだ? ほら、来いよ。俺の間合いに入ったその瞬間、三枚に下ろしてやるよ」

 

 白い剣を肩に担ぎ、空いた左手の指を曲げる事で挑発する神童に、キリト君は険しくなった面持ちと視線を返した。彼もさっき躱せたのが半ば奇跡であると理解し、剣筋が見えなかったからこそ最大級の警戒をしているのだ。

 恐らく神童の剣速は、ユウキやキリト君はおろか、敏捷振りの私やアスナさんよりも上だ。

 

「来ないなら……こっちから、行くぜェッ!!!」

 

 強気のセリフと共に軽く前傾姿勢になっていく神童は、最後の言葉を一際強く放つと同時に地を蹴り、砲弾のように飛び出した。

 

「シ……ッ!!!」

 

 対するキリト君も、受けに回っては分が悪いと判断してか神童に迫る、あるいは遥かに超える超神速で駆け出し、互いの距離をゼロへと一瞬で縮めた。

 直後振るわれた白い刃に、彼の黒い刃はさっきと違って見事交錯し、最初の競り合いと同じように押し勝とうと鎬を削り始める。

 その最中神童は、カテゴリで言えば《片手剣》なので両手で持つとソードスキルは発動しないがその制約を無視して、空いていた左手も柄に添えて一際強く押し出した。

 

「そこだ……ッ!」

 

 ユウキが小さく、拳を握りながら言う。

 それと同時、まるでその声が聞こえていたかのようにキリト君は神童の右側へ体を滑り込ませ、あるいは神童を自身の右へ流しながら移動し、鍔迫り合いを流した。

 押し出した瞬間だったため、神童は無様にも無防備な背中を晒す。

 

「はっ!!!」

 

 その隙を逃さず、彼は裂帛の呼気を発し、即座に振るえるよう左手に持ち直したエリュシデータで逆袈裟に斬り掛かる。

 

 

 

「甘ェッ!!!」

 

 

 

「「「「「な……ッ?!」」」」」

 

 だが、あろうことか神童は途轍もない速度で時計回りに回転し、キリト君がの逆袈裟の一撃を遠心力を乗せた白い剣の右薙ぎで防ぎ、弾いてしまった。この一撃は決まると思っていただけにキリト派の私達は当然、神童派のリンド達も、流石に唖然と息を呑んで固まる。

 

「ははっ、残念ッ!」

 

 一つ嘲笑を放った神童は、すぐに姿勢を整えて距離を取り、何時斬り掛かられてもいいよう後ろ手に剣を下げ、左半身を前にして構える。

 その構えを見て、自分の方が上手いんだと言っているかのように思えてしまって、思わず苛立ちを覚えてしまう。今まで死に物狂いで磨き上げて来たキリト君を莫迦にされていると思えてしまった。

 

「……なるほど、そういう事か」

 

 自分の事じゃ無いのに、まるで我が事のように私が苛立ちを覚えている最中、キリト君が唐突に構えを解いて納得の声を発した。隙だらけに見えるそれだが私には何時斬り掛かっても反撃されるようにしか見えなくて、実際神童もそのように見えているのか、斬り掛かったりはしなかった。

 あるいは、彼の口振りに覚えた疑問を解消する事を優先したのか。

 

「ん? どういう意味だ?」

 

 キリト君と違って構えを解かず、何時でも斬り掛かれるようにしながらも神童は、先の言葉の真意を問い質し始めた。デュエルの最中の会話であるため緊迫感はある、ともすれば斬り合っていた時よりも尋常ではないそれは、数十メートルも離れている私の仮想の肌をピリピリと刺激していた。

 

「さっきの攻撃、今の防御、どう考えても速度がおかしい。けれど、少なくとも血盟の副団長達ほどの高レベルでないと考えられる以上、敏捷極振りであるとも考え難い。そもそも今の動きは二年ほど前の全国剣道大会のテレビ中継でも見たから仮想世界限定のものとも思えない。なら考えられるのは一つ、アバターを動かす本人の素養、すなわち反応速度だけだ」

「……へぇ。それで?」

 

 どうやら神童も止めるつもりは無くなったらしく、同じように構えを解き、互いに対峙した。

 面白がるような表情の兄を前に、弟は毅然とした面持ちで語る。

 

「人間に備わった反射や反応は、知覚し、脳で処理し、それから最適な行動へと移す三つの工程で構成される。その速度は一般的にコンマ三秒、鍛えればコンマ一秒レベルと聞いた事がある」

「……」

「俺がどれほどの速さなのかは知らないが、俺は血盟の副団長を始めとした速度に特化した剣士の技は全て見えるから、少なくともコンマ二秒未満だとは思う。その俺でも見切れない速さとなれば、俺が知覚出来る範囲の数倍の速度で動いている理屈になる」

 

 そこまで語ったキリト君は、そして、と言葉を区切った。

 

「俺の剣に触れる寸前に軌道が変わったあの攻撃。アレは『一度振る』、『戻す』、『再度振るう』の三つの工程が入っている。一つ目は俺も同じ速度で行動を取っていたが、二つ目の時、俺は一切反応出来なかった、反応出来たのは三つ目からだ。つまり俺が一つ行動する間にそっちは二、三回の行動を起こせるし、俺の行動を見てから余裕をもって動く事が出来る……違うか?」

 

 一度目の引き分け、二度目の異常な速度によって軌道が変わった剣戟、三度目の異常な速度による防御。その内、二つ目と三つ目だけでこれだけの事を導き出してみせた彼に驚くと共に、神童の異常さを改めて思い知る事になった。

 キリト君の予想が真実なら、彼の動きを全て後出しで対処出来る事になるのだ。しかもその速さはユウキですら見切れない程の速度を有していて、さっきの彼のようにほぼ直感で避けるしかない。そんな相手を前にどのように戦えと言うのか。

 質が悪いのが、それが真実であるとわざわざ残酷な形で突き付ける神童だ。神童は、キリト君の予想が終わると同時にニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべたのだ。

 

「乱撃の後ならともかくたった三合でよく気付いたな。出来損ないにしてはやるじゃないか、流石に予想外だった、予想では最後まで気付かずに死ぬと思ってたんだがな」

「これくらい短時間で気付けないととっくに死んでたんだよ……そう言うって事は、当たりか」

 

 苦い顔で問うた彼に、神童は絶望を見せるかのように更に笑みを酷薄に深めた。

 

「ああ、大当たりだ。生まれつき持ったモノでな、俺は《超反応》って呼んでる……あと言っておくが、さっきのが俺の最高速じゃないぞ? 俺の最速は一瞬八閃の絶技、ソードスキルなんて目じゃない速度の技だ」

 

 一瞬八閃。それはつまり、一瞬の間に八回もの攻撃を行えるという事、私達が一度行動する間に神童は八回分の行動が可能と言う事を意味する。

 そんな存在に攻撃が届くのだろうか。

 

「まぁ、どうせソードスキルに頼り切りのお前に、俺の本気を見せる事なんて万に一つもあり得ないだろうが……それでもたった三合で気付いた褒美として少しずつギアを上げてやるよ。さっきまでは限定的な二倍速だったが、今度は常に二倍、持ち堪えるなら更に倍で行くぜ」

 

 精々持ち堪えろよ、と軽い口調で言った直後、神童は姿が掻き消える程の速度で飛び出した。

 すぐに構えたキリト君の眼前に移動した神童は、一瞬で二回もの刺突を放つ。

 

「く……ッ!」

 

 何とか見えたその二発は、キリト君にも見えたようで、剣の腹に左手を添えて翳す事で二発とも彼は逸らしてみせる。

 

「へぇ、やるな、キッチリ防いだか……じゃあ遊んでやるよ。ほら行くぞッ! どこまで付いて来られるか見物だなァッ!!!」

 

 酷薄な笑みを凄惨で嗜虐的なものへと変えた神童は、まるで嬲るように高速で剣を突き出し始める。突き出す、戻す、突き出す、戻す、その工程を一瞬の間で繰り返すための一瞬二閃の攻撃を、キリト君は黒いエリュシデータを同速で縦横無尽に動かし、可能な限り捌き続ける。

 《戦闘時自動回復》スキルと装備の効果で多大なリジェネバフが掛かり、会話の最中に全回復していた彼のHPは、それでも端から僅かに削れる。削っては戻り、削っては戻りを繰り返し、一向に九割を下回る事は無い。

 遊んでいるのだ、文字通り。どちらかのHPが半分を下回らない限り決して終わらないデュエルで、神童は、叛逆の牙を剥いた弟が二度と再起しないよう丹念に嬲り、心を折ろうとしている。圧倒的な力を、絶対的な生まれついての差を見せる事で。

 ギャギャギャギャギャギャギャギャッ! と硝子を引っ掻いたような音が断続的に響き始め、熾烈な攻防が展開される。それは神童の兄がお遊びで攻め、弟が必死に防ぐという、勝負になっていない有様。

 これで未だに兄の方は余力を残しているのだから、最早絶望的だ。

 

「よく防ぐなッ! なら俺の最高速の一つ手前、四倍速だァッ!!!」

 

 更なる絶望とばかりに、攻防が始まってから二十秒と経たず神童が更にギアを上げた。一瞬の内に二回放たれていた刺突は、残像しか残らない程の速度を以て、神童の言葉通りなら一瞬の内に四回も放たれ始める。

 二回までなら《スネークバイト》など似たような速度を持つ神速のソードスキルを見切れる彼だからまだしも、一瞬四閃ともなれば対応し切れなくなり、彼の腕や肩、脇腹、腰などに次々と白い剣が突き立てられる。

 

「オラオラどうしたぁッ!!! 鈍ってきてるぞォッ?!」

 

 容貌こそ異なれどその装備の意匠は全て同一のもの。色を反転させたとしか思えない装備の神童は、まるで彼の頑張りを、全てを否定し、自分の方が上であると証明するかのように哄笑を上げながら、彼の必死さを嘲笑いながら、平然と刃を突き立てる。

 防ごうとする彼の刃を躱し、軽やかに、だが残酷に刃を突き立て続ける。

 それでもまだ彼が倒れていないのは、神童が加減してHPの回復と相殺する程度に末端を掠る攻撃を多めに挟んでいるから。まだ遊ぶ気でいるのだ。

 その様は、まるで家族とは思えなかった。

 

 

 

「ううううううううううううううううううがああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!! あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!」

 

 

 

 意味のある言葉では無く、ただただ本能のままに、理知による余計な装飾の一切を剥ぎ取ったかのような凄絶な絶叫が響き渡り。

 

 

 

「遅ェ遅ェッ!!! まったくもって遅過ぎるぞ出来損ないィッ!!!!!! もっと本気出さないとマジで死んじまうぞォッ?! アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!!!」

 

 

 

 それを上塗りするかのように、大気の震えである声の存在すら許さないかのように、神童の嘲る哄笑が覆い被さって木霊する。

 これが神童、これが持って生まれた才能で崇められた存在。ずっとずっと彼を苦しめた兄の本性。

 醜過ぎて、酷過ぎて、本当に血の繋がりがある肉親なのかと思う程に、実弟を人と見ず玩具とすら思っているかのような様は邪悪だった。

 私もただの人間、聖人ほど清廉潔白では無いから人の事をとやかく言えるほど偉くは無いが、それでも……神童は、邪悪過ぎた。これまでこの世界で見てきた彼を殺そうとする輩、誅殺隊がしてきた数々の所業が可愛く思る程に惨い光景が、目の前にあった。

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!! アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」

 

 獣のように吼え、聞くに堪えない慟哭の咆哮を轟かせるキリト君は、必死に突き出される刃を防ぎ、躱し、あるいは流しながら、それでも次々と刃を突き立てられるという絶望的な状況でも引こうとせず、戦い続ける。

 悔しさか、それとも絶望的な差にか、彼は喉が裂けるかと思う程の獣の如き咆哮を響かせながら、光が失せた瞳から涙を流していた。

 きっと彼の中に降伏も降参も無い。ただ目の前の怨敵を超えるまで、あるいは殺すまで、きっと止まらない。

 たとえそれが、自らの死を招く結果になろうとも。それでも彼は愚直に、己の全てを以て自身の上に立ち続ける存在を超えようと挑み続ける。

 その様はとても美しいとも思うが、それ以上に、絶対的に哀しいとも思った。報われなさ過ぎる

 このまま戦わせては、キリト君は死ぬ。

 だがこの戦いを止めるのはきっと不可能だ。よしんば可能だとしても、キリト君の心が恐らく中止を容認しない、死も覚悟の上で神童の兄へと挑む。たとえその果てに果てるとしても、散るとしても、今の彼にとって何よりも優先すべき事が、ただ見下す神童の兄に見返すが為。

 それはつまり、『認められたい』という願いの為。

 実の家族にはただの一度も認められなかったからこそ、死ぬ前に果たしたいという想いだけで今の彼はきっと動いている。

 彼にもきっと憎悪や怨念はあるだろう……だがきっと、キリト君の根底には、認められたいという想いがあるのだと思う。そうでなければ即座に勝負がつく方法である《ⅩⅢ》を使わず、絶対的有利な相手の土俵の上で真っ向から戦おうとしない筈だ。

 

「ガーガーガーガーいい加減うるせェなッ!!!」

 

 その彼の想いに、覚悟に理解を示さずただ遊んでいた神童は、彼の慟哭を五月蠅いと一蹴し、左の拳を振るった。その拳は、突きの防御で反応が遅れた彼の顔へと突き刺さり、ステータス補正で何メートルも吹っ飛ぶ、何度も何度もバウンドしながら。

 彼が漸く止まったのは、三十メートル程も距離が空いた辺りだった。HPも六割を下回ったところ、本当にギリギリのところで踏み止まっていた。

 

「はぁ……はぁ……いい加減、こっちも疲れて来たからな……さっきは本気を出さないって言ったが前言撤回だ。俺の本気で、最期を迎えさせてやる。有難く思えよ」

「う、ぅが……ッ!!!」

 

 あまりの激しさに脳の処理が追い付かなくなったマトモな言語を発せていないキリト君は、それでも何とか立ち上がり、青眼に剣を構えた。両手で握った黒いエリュシデータは、既に彼が限界を迎えている事を如実に表すかのようにガタガタと大きく震えている。

 その姿は酷く、キリト君と親しい面々は今にも泣きそうな面持ちになり、さしものリンド達も普段の不遜な様から一転して酷い有様になっている彼の様子に絶句していた。喜ぶ暇も無いらしい。

 

「チッ、まともな受け答えも出来なくなってやがる、獣かよ……だったら獣らしく、精々無様に死に体を晒すんだなァッ!!!」

 

 その様を見て、神童はそう吐き捨て、右手一本で持った剣を払い、前傾姿勢で変わらぬ構えを取った。

 

「行くぞッ! 俺が持つ技の中で最強に位置する一瞬八閃の絶技、我流――――八岐大蛇ッ!!! 冥土の土産に持って行きやがれぇぇぇぇぇえええええええええええええええええええッ!!!!!!」

 

 完全に殺す気で放つつもりらしい神童は、その叫びと共に地を蹴り、目の前にいる実弟へと襲い掛かった。

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」

 

 それに応じるように、同時に獣同然の咆哮を轟かせながらキリト君も青眼に構えた剣を振りかぶって、地を蹴って斬り掛かった。

 黒と白の外套がはためき、黒と白の剣が残像を引いて振るわれる。

 その応酬は一瞬の内に交わされ、そして終わる。気付けばキリト君は黒剣を両手持ちで振り落とした前傾姿勢で、神童は右に手を振り抜いた前傾姿勢で、互いに背中を向けて固まっていた。

 数瞬後、ヒュンヒュンヒュンと空気を斬り裂く音と共に高速で回転する何かが、離れた所で観戦していた私達の近くに突き立った。びくぅっ、と体を震わせた私だが、よく見てみれば、その剣は神童のものだった。

 あの自慢の技を放った際、キリト君の剣圧に耐えられず手から弾き飛ばされたらしい。

 そして始まる、HPゲージの減少。

 それはどちらも始まる……事は無く、神童の方だけ減少した。神童は胸の中央、リアルなら心臓があるであろうクリティカルポイントを正確に突かれていた。それによってフル状態だった緑色のHPは一定の速度で左へと減っていき、五割の黄色を過ぎ、三割と少しを残した所で止まる。

 キリト君のHPゲージは依然変わり無く、リジェネの効果もあって七割を少し上回った辺りを維持していた。

 その結果、両者背中合わせの空間に表示される一つの《Akito VS Kirito》と書かれた一つのウィンドウ、その名前の下には順に《Looser》、《Winner》と表示されていた。

 

 

 

 つまり神童の負け、キリト君の勝ちという事。

 

 

 

「かはっ……」

「な、んだと……ッ?!」

 

 デュエルが決着したのを見た私達は、二人の元へすぐさま駆け寄った。

 

「何で、何で俺が負けてんだッ?! おい一夏、お前さっき何をしやがった?! どうしてHPが減ってないんだッ! 斬った手応えは確かにあったぞッ!!!」

 

 その結果に一瞬呆然とし、すぐ受け入れられないとばかりにキリト君へと詰め寄る神童。

 膝を突き、剣を杖代わりに倒れるのを拒否していたキリト君は、横目で騒ぎ立てる実の兄を見る。その横顔には僅かな笑みが浮かべられる。

 

「はっ……残念だったな。斬った手応えは、こっちの剣とぶつかった時のものだ」

「な……八回全部か?! あり得ないッ! さっきまでお前、四倍速の攻撃すらマトモに防げてなかったぞッ!」

「防ぐのと、攻撃として放つのは違うって事だ……そもそも闘技場《個人戦》でも同じように一瞬八閃の技を持つボスが居たからな、アレを真っ向から破った経験があったから一瞬九閃の攻撃までなら放てるんだよ」

 

 確かに、よくよく思い出せば《個人戦》に出て来た黒い片翼を生やしている長刀使いが放つ超速突進は、一瞬の間に八回もの斬撃を放つという途轍もないものだったが、彼は開幕直後に放たれたそれを真っ向から破って見せたのだ。

 更に、二回目放たれた時には八回を超えた九回の攻撃を一瞬で放つ事で、相殺するだけで無く反撃まで叩き込んでいる。

 それを考えれば、ただ防ぐならともかく攻撃による相殺、攻撃回数を超えての反撃は出来たとしてもおかしくない。

 恐らく刺突の時に全く抵抗出来ていなかったのは、斬撃に較べてあまりにも速いからだ。だが先ほど神童が放った《八岐大蛇》と言うらしい我流の技は推測するに軌道は全て斬撃、故にキリト君も対応が出来たのだろう。

 まぁ、あそこまで理性を失っているように見えた状態で対応出来た事は、傍から見ていた私も驚かされたが。

 そしてその驚き、驚愕は、絶対の自信を置いていた技を破られた神童の方が余程大きかったようで、白の青年は体をわなつかせていた。

 

「何だよそれ……何だよそれッ?! ふざけるなよッ?! お前なんかが俺よりも上だと?! 冗談も休み休み言えッ! 何かチートでもしたんじゃないのかッ!」

「《ビーター》の語源は確かにチート紛いのベータテスターというものだが、流石に本当のチートは不可能だ。普通のゲームじゃなくてこの世界はMMORPG、しかもハッキングとか出来ない状態なんだぞ、何しろこの世界を動かしているシステムはメインとサブのコアが互いにエラーを修正し合うという完全自律モデルだからな、ハッキングなんてしてもすぐ弾かれる代物だってインタビュー記事に載ってたぞ。それも知らないのか?」

「黙れ、黙れ黙れ黙れッ! 出来損ないの一夏が、俺に偉そうに講釈を垂れるなァッ!!!」

 

 未だに敗北の事実を、自らの技が劣っていた事実を認められないのか、叫びながら右手を振った神童は即座にストレージから一本のダガーを取り出した。

 そのダガーは雷の如く左右に曲がりながら伸びる刀身を持っていて、決して実用的ではないものだった。刃はあるものの殆ど突き刺す事に特化しているような代物だ。

 確か第六十層台のどこかで店売りされている《クリスダガー》という短剣だった筈。耐久値が見た目通り恐ろしく低いながら、攻撃力値とクリティカルダメージを出した時の値が非常に高い事で、攻撃を躱して突き刺す戦法に特化するならそこそこ使えるだろう代物だ。

 まぁ、碌に使えた武器では無いのだが。

 それを取り出し、両手で柄を握った神童が、未だ疲労と脱力感から脱し切れていないキリト君を刺そうと突進する……

 

「やめなさいッ!!!」

 

 そこで、細剣エルトゥリーネンを抜き打ち一発、神童の横合いから鋭い一撃を短剣の鍔に叩き込む。下手に壊して弁償代どうこうと騒がれては堪らないので、壊さないよう配慮した末に鍔を攻撃する事で、意図的にファンブルを引き起こした。

 速度が乗った一撃で短剣を手から弾き飛ばされた神童は忌々しげに私を見下ろしてきた。二十センチ程も背丈に差はあるが、今のこの男はただ認められず癇癪を起こしている子供そのもの。さっきの邪悪な姿は流れに乗った時にだけ見せるもので、それ以外になれば、このような小物も同然の対応しか取れないのだろう。

 恐らくこの男は、これまで自分の意のままにしてきた分、敵対者が現れた時の対処法を知らないのだ。故に思い通りに事が運ばないと癇癪を起す。

 そのような男に臆すだなんて、情けない。

 そう、私は自分を恥じる気持ちが胸中に湧き上がっていた。

 それを抱きつつ、私は真っ向から男の黒い眼を見返す。黒い髪と眼だけはキリト君と似ているが、その瞳に宿る光は似ても似つかぬ淀んだ色、彼のような水晶を思わせる煌めきなど無い汚泥の色だ。

 

「邪魔すんじゃねェよ! これは躾だッ!」

「あなたのそれは躾では無く、ただの八つ当たり、暴行でしょう! それにデュエルはもうとっくに終わっている! 自らの敗北は認めるべきです!」

「うるせェ、俺に指図すんなッ!!!」

 

 私の言葉に激昂したらしい神童は、拳を握って殴り掛かって来た。それを受け止めるべく、私は空いていた左手を開いて持ち上げ、翳す。

 

「オイオイ、それ以上は見過ごせないぜ」

「たっく、面倒事を増やすんじゃねェよ」

 

 だが、私の左手に拳が届くよりも前に割り込んだ大きな褐色の手があった。次いで殴り掛かろうとしていた神童の両脇に腕を通して羽交い絞めにする赤いバンダナを巻いた和装の男。

 斧使いのエギルさんと《風林火山》のリーダークラインさんだ。

 

「なっ、邪魔するなッ!」

「するっての。無駄に時間を使わせんじゃねェよ……んじゃデュエルが終わった事だし、コイツが攻略組に相応しいかの決議に入ろうじゃねェか」

「おい、無視するなッ! てか離せッ!」

 

 クラインさんが素知らぬ顔で神童の抗議をスルーし、決議を取り始めた。

 神童が攻略組に参入する事が許可されるのは今回の場合、三つの条件の何れかを満たした場合だ。

 一つ目は、各ギルドのリーダー――この場合は五人――が全員参入に賛成する事。

 二つ目は、各ギルドのリーダー以外の攻略組全員が――この場合攻略組でないリーファさん達は除外――参入に賛成する事。

 三つ目は、その場で三分の二以上――今回の場合は二十人以上――の人数が参入に賛成する事。

 この三つの何れかを満たせば神童は晴れて攻略組に参入するための第二試験に進めるのだが……

 

「……賛成者ゼロ。てな訳だ、残念な結果だが決議は決議、性根を叩き直してから出直して来いや」

「ゼロッ?! 何でだよッ?!」

 

 結果は惨憺たる有様……いや、重畳の至りか?

 とにかく、神童が攻略組に入る事を良しとする者は誰一人としていなかった。《聖竜連合》辺りは賛成するかもと思っていただけにちょっと予想外ではあったが、この結果に私はとても満足である。

 まぁ、これは当然の結果だろう。

 攻略組にとって、デュエルというものは一対一の全力を掛けた決闘のため、中世の騎士程では無いにせよ割と神聖視されている部分がある。その決闘で実力の差を以て相手を倒すのは勿論、勝敗が決まった後も良い勝負だったと互いに認め合うのが理想とされているし、禍根を残す可能性がある場合はそもそも行われないのが常なのだ。

 その辺を考えるとキバオウやリンド達は色々とアレではあるが、彼らは《出来損ない》や《ビーター》の事で色々と絡んでいるものの、デュエルの勝敗を何時までも引き摺ったりはしない。負けは負けと割り切っているからだ。

 キリト君も卑怯な手は使わず、基本的に真っ向から叩き潰しに掛かっているのもあると思う。攻略でそれらを引き摺った事は、あのキバオウでも無かった。

 まぁ、キバオウは色々と別の事でアレだったのだが……

 だが神童がさっきしようとしていた事は誇りとも言えるものを貶す行いだ。勝利を夢見るのはまだ良いが、結果を受け容れず癇癪を起こすような輩を受け容れるのは、流石のリンドも容認出来なかったらしい。キリト君に対しては色々と酷いものの攻略とは基本的に分けて考えているからこそ、一ギルドのリーダーである意識がある故の結論だろう。

 この辺が、攻略には真摯というのを評価されていた所以である。

 

「アキト君。今回のデュエルで色々と君の人間性を見させてもらったが……正直、今のままでは攻略組への参入は決して容認出来ない。君の言動は我々攻略組の不和を招く」

「な……だが、俺には才能がある! そこの出来損ないなんか足元にも及ばない程の才能だぞ! さっきの見てただろ!」

「だが君は、君自身が出来損ないと見下す彼に敗北を喫した。仮に勝利していたとしても我々は君を受け容れられなかっただろうがね。君も、彼の兄であると言うのなら、彼の上に立つ者と豪語するのなら、相応の礼儀と振る舞いを心掛けたまえ。今の君では、たとえどれだけ強力な能力を持っていようと攻略組に入れる事は許可出来ない」

「偉そうに……ッ!」

 

 ヒースクリフさんの静かな断言に、敗北した手前反論する余地が無いからか、神童は憎々しげに辛うじて小さく言葉を発した。

 

「……はっ、分かったよ、今回は引いてやる。だが、今日ここで俺を否定した事、何れ心底後悔させてやるからな……」

 

 それから気を取り直したように息を吐いた神童は、変わらず憎たらしい口調でそう言ってきた。

 その後、それから、と言葉を続けて漸く疲労から復帰したキリト君に鋭い視線を向ける。視線で人を殺せるなら、呪えるなら幾度していただろうかと思えるくらいに、その眼は暗く、昏く、濁っていた。

 

「一夏、今回はお前の勝ちだ、それは認めてやる……だからこそ、お前は、何時か絶望を見せてから殺してやる、必ずだ。兄に勝る弟なんて存在しない事を教えてやるよ。お前は俺の足元で這い蹲って、死ぬまで俺の言う事をただ聞いて動き続けていればよかったんだ」

「……今の俺の名前は、一夏じゃない。この世界での名前はキリトだ……そこを間違えるな」

「ハッ、キリト、ねぇ……知ってか知らずか、お前もとんでもない名前を選んだモンだな。何時か後悔するんじゃないのか?」

 

 そこまで言った神童は、ああ……と何かに思い至ったような声を上げながら、キリト君から視線を離す。転移門へ歩き、門に入った所で、肩越しに振り返って視線を向ける。

 その先には、私の左隣にいる、サチさん。

 

 

 

「もうとっくにしてるか。黒い猫とかで」

 

 

 

「え……ッ?!」

「な……待て、何故それを知ってるッ?!」

 

 確信めいた口調で、この世界に居なかったなら知らない筈の事を知っている事にサチさんは驚きの声を洩らし、キリト君はすぐ詰問を投げる。

 

「ククッ……転移、《ミーシェン》」

「待てッ!!!」

 

 転移先の街の名前を聞いた瞬間、キリト君は焦燥を露わにして叫ぶ。だが嘲るように嗤う【白の剣士】は蒼い光に包まれて姿を消した。

 後には、嫌な空気に包まれる中で転移門を睨み付けて固まるキリト君と、動揺するサチさん、そして沈黙を保つしかない私達だけが残された。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 今話では白が存在する理由の一部が明かされました。《織斑一夏》の骨子が現キリト、殺戮や破壊衝動が白、憎悪や殺意といった『負の想念』が第三人格です。

 封じた筈の感情を再度抱くキリトの様子と、それを嗤う神童の人間の悪さが上手く描写出来ていたら幸いです。

 基本的に怒りを抱くキリトは精神がかなり危険な状態に陥ってると捉えて下さい。理由は白の視点で語られてるように、そもそもの人間性が怒りに向いていないから。あと抱くそれが大きすぎるせい。

 そんな訳で本作のキリト、守護に特化している反面、三つに分割された人格の中でも一番戦闘に向いていない人格だったりする……これで現状SAO最強ですよ、白は闘技場の最後で見せたようにキリトよりぶっちゃけ強い。

 第三人格は闘技場のホロウみたくガチで見境無い設定なので、BLEACHでいうところの完全虚化一護、Fateでいう所のバーサーカーかアヴェンジャーかビースト。

 つまり、そもそも目覚めさせちゃいけない存在。

 ぶっちゃけるとこの三つの人格設定、Fateの世界観がある時は白が《アヴェンジャー》のアンリマユか並行世界のキリトの成れの果てというエミヤ的存在、第三人格が《ビーストⅢ》の設定だったんですがねー……一定の条件が満たされた瞬間、秋十絶対殺すビーストになって、下手すりゃ人類滅ぶから目覚めさせるな的な展開を考えてました。それなのに神童が刺激するからリーファやアスナ達が冷や汗ものという。

 でもFateの世界観は抜けた状態なんで、第三人格の意義も、一つに戻った場合も当然変わります。

 一つに戻った場合にどうなるかは今後のお楽しみにしてください。戻る予定、物凄く後ですがね。そもそもキリト自身がまだそれに気付いてないし。

 あと、実は途中、表の人格が一部入れ替わってたりするんだなー……分かりやすいですかね(笑)

 次にデュエルについて……



 アキトの敗因は、慢心王の如く一気に勝負を着けにいかなかった事。



 これに尽きますね。同時にキリトの場合、《ⅩⅢ》を開幕直後全力で使ってたら勝ってました、地面を焦土にして燃焼ダメージを与えるアレを使えば速攻で。

 つまりどっちもどっち。変なところだけ似てる兄弟になりましたな……いや、キリトは慢心してないんですが。

 それと今回のデュエル、途中書いてて物凄く胸糞悪くなった。この神童ある意味原作の須郷よりも酷くないですかね?(・・;) 色々と救いが無い存在になっちゃいました。

 デュエルの過程は《落第騎士の英雄譚》に登場する蛇腹剣の使い手をモチーフにしてますね、気付いた方は多い筈、何せほぼ全部同じだから。

 会話部分は幾らか変えてはいますが展開そのものに差異はほぼ無かったりする。

 でも最後は違う。八連撃対一撃が原作ですが、本作では八連撃対九連撃&武器弾きですから。るろうな剣客のアレと言ってはいけない、確かに八刀一閃に勝てる技の参考としてアレを採用してますが。

 あの原作の展開を参考にしていた事、既に一瞬八閃は経験していた事が決め手となって、キリト勝利としました。途中捌けなかったのは斬撃でなく、素早い点攻撃の刺突だったからという事で。

 デュエル部分の文字数はユウキより短い気もしますが、実は文字数的にほぼ同じというミラクル。視点が戦ってる人か観戦してる人かで感じる長さって変わるんですよね。

 ユウキの視点の時、現実時間に置換すればぶっちゃけほとんどが一分以内の出来事ですし。死神の時も同じく。

 最初はキリト敗北にしようと考えてたんですが、それはマズいと思ってドロー、にしようと思ったもののユウキでやったしなぁという事で勝利に。それもギリギリですが、途中までのモヤモヤがスカッとした気がする。

 ちなみに、ランが割り込んだ部分と文句を言い捨てて去る部分は、原作のクラディールとのデュエルの辺りを再現しています。気付いた方は多分居る。

 という訳で、神童は攻略組入りしません。てかさせません、したらキリト(の第三人格)が覚醒して暴走、破滅の道を一直線に突き進むから。

 それでも最後に特大の爆弾を落として行きやがったけどね!

 ミーシェンは第十九層の名称、第十九層には《月夜の黒猫団》が使おうとしていたギルドホームがある……本来なら知らない筈の神童が何故知っているかは、(作品内時間的に)遠からず分かりますので、お待ち下さい。

 長々と失礼。

 では、次話にてお会いしましょう。

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