インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 今話は骨肉の争い中編。アキトとの死闘も中盤に差し掛かります。

 今話の視点はユウキ、キリト、ユウキの順です。相変わらずユウキが多いのはご容赦下さい、書きやすいんです。

 左腕を斬り落とされたキリトと、五体満足のアキトが睨み合ってるところから始まります。

 文字数は約一万八千。

 ではどうぞ。



第五十七章 ~死闘:骨肉の争い中編~

 HPが七割ほど残っているキリトは左腕を落とされた状態で、対する神童は五体満足ではあるもののHPは一割強しか残っていない。ステータス差では神童が不利だが、左腕が無い事を考えるとキリトにも不利がある。

 この死闘がどちらの勝利になるか、正直ボクでも自信を持って答えを出す事は出来そうになかった。以前と違って神童の剣速が普通な事を考えるとキリトが勝つとは思うのだが……

 

「まずは腕一本……そのまま四肢を斬って達磨にした後、首を落として、終わりにしてやる」

「……やってみろ」

 

 多少仕返し出来たからか強気に笑みを浮かべて言う神童に、キリトは不快げに表情を歪めつつ、言葉を返した。

 それに応じるように彼の背後の空間には、数メートルの高さに至るまで蒼い光と共に様々な武器が出現する。現状キリトだけが持つとされる武器《ⅩⅢ》だ。

 話には聞いていても《圏内》に入れない原則から闘技場で見た事も無い筈のオレンジ達は、蒼い光と共に出現した浮遊している無数の武器を見て、そこかしこで小さなどよめきを発した。SAOの常識をぶち壊すそれに動揺する気持ちは分からないでもない。

 しかし妙なのは、神童の反応だった。忌々しそうに見る訳でも、動揺する訳でも無く、ただ不敵な笑みを浮かべるだけ。しかも勝利を見ている強気な笑みだ。

 

「……何が可笑しい」

「可笑しいさ、可笑しくない訳がない……お前、相手を間違えてるんじゃないか?」

「何?」

 

 神童の言葉に、何? とボクはキリトと全く同じタイミングで同じ疑問の声を、胸中で上げていた。完全にキリトを目の敵にして、彼を殺そうとしていた筈の男の言葉ではない。だからボクは混乱した。

 いや、恐らく神童の相手はキリト、そしてヒースクリフこと茅場晶彦とボク達攻略組だ。この認識は正しい。

 だからキリトはそれを阻止する為に戦っているのだ……

 

「まさか……!」

 

 そこまで思考して、ふと、視界の多くを埋めている自分のとは異なるカーソルを持った者達に注意が移った。

 彼らのカーソルはオレンジ。彼らがここに居るのは攻略組を殲滅する為……しかしそれは結果的にであり、本来の目的は別にあった。

 彼らがここに居る理由。

 それは、神童が率いたからに尽きる。

 他にも彼らなりの打算が含まれているだろうが、ボス戦で疲労していると言ってもSAOプレイヤーの中でもトップランクの攻略組を殺せると踏んでの行動には、必ず神童が関わっている。そうでなければ遥か以前に一度は同じ事があった筈だ、キリトが抑え込んでいたとしても流石に限度があるのだから。

 

「お前の相手は俺だけじゃなくて……」

 

 

 

「キリト、後ろッ!!!」

 

 

 

 神童が全てを言い終える前にボクは、召喚した全ての武器の切っ先と殺意を神童に向けている彼の背後へと、気付かれないようハイディングしながら近付いている数人のオレンジに気付いた。

 その瞬間声を張り上げる。

 

「シャアアアッ!!!」

「死ね、屑がァッ!!!」

「おらおらァッ!!!」

「く……ッ?!」

 

 背後に忍び寄っていたオレンジ達へと彼が振り返って剣を振るったのと、気付かれたオレンジがすぐに斬り掛かって、一本の黒い刃と粗末ながらランクは高めだと分かる三本の片手剣の刃が交わったのは、ボクの声が響いた直後の出来事だった。

 大の大人に近い三人が全力で振り下ろした一撃と、振り返りざまに右薙ぎに振るったキリトの一撃は、やはり圧倒的なレベル差でキリトの方に軍配が上がり、三人を纏めて弾き飛ばした。吹っ飛んだ三人は後続のオレンジ達を巻き込んでいく。

 

「「「「「おおおおおおおおおおおッ!!!」」」」」

 

 それでも数に物を言わせて、今まで静観を決め込んでいたオレンジ達が雪崩のようにキリトへと迫る。

 当然彼はそれに対処しなければならない。

 

「殺し合いに卑怯も何も無いんだよなぁッ?!」

「あきにィ……ッ!」

 

 しかし、神童がオレンジへ全力で対応させる事を阻む。かと言って神童に注力しようとすればオレンジが邪魔をする。

 厄介なのは神童の異常な反応速度と素のポテンシャルだ。

 キリトくらいレベルが絶対的なら範囲ソードスキルを放っていれば良い、仰け反らせられるし、レベル差補正が掛かって大ダメージは必至だからだ。

 しかし神童はソードスキルの圧倒的な剣速をものともしない剣劇を放てるし、容易に見切ってしまうから、逆に死に体を晒してしまう事になる。だからキリトはソードスキルを放てない。放てばそれは、すなわち死を意味するからだ。

 では《ⅩⅢ》を使えばいいのではとも思ったが、よくよく考えればそれは無理だった。

 アレは彼の強固なイメージによって自在に動かされる代物だ。応用はかなりの幅で利くものの、それを活かす為には、彼が極限まで集中しなければならない。激戦や乱戦ではまともに使えないのである。

 特に今は彼の思考や冷静さを掻き乱す神童が居るから尚更《ⅩⅢ》を使い辛い。最初から使っていれば変わったかもしれないが、神童のあのポテンシャルでは恐らく逆に追い詰められていただろう、HPをギリギリになるまで減らしたからこそ物量作戦に出ようとしたのだ。

 逆にそのタイミングで、オレンジ達による物量作戦に出られてしまった訳だが。

 神童はそれを狙っていたのか、オレンジ達がキリトの邪魔をしたところで翡翠色の液体が詰められた小瓶を取り出して口に含み、HPを七割程まで回復させていた。《グランポーション》を使用したのだろう。

 

「キリトッ!」

 

 さっきは異様な状態で追い詰めていたと言えど、少しでも要素が変われば追い詰められるのはキリトの方。オレンジが加わった現状だと彼の戦死は必至だ。

 

「おっと、お前らの相手は俺達だッ!」

「くっ、このタイミングで……ッ!」

 

 だから加勢に向かおうとしたのだが、そのタイミングでキリトに襲い掛かれるオレンジ以外の面々が攻略組の前に立ち塞がった。恐らく神童と他十人ほどがキリトに集中し、その他は攻略組の足止め、最悪疑心から寝返った攻略組と共に茅場晶彦こと《Heathcliff》を討とうと考えていたのだ。

 駆け出そうとしたところで出鼻を挫かれたので、思わず歯を食い縛ってしまう。

 一瞬、一人ずつ殺すか、と物騒な思考が頭を擡げたものの理性でそれを押し殺す。別に殺人はダメだとか、そういう倫理的な思考によるものじゃない、単純にまともに相手する事そのものが悪手でありオレンジ達の思う壺だと判断したからだ。

 オレンジ達の役目は、キリトへの援護を妨げる事。だからここでもたついている暇なんて無い。

 

「なら強行突破あるのみ……喰ら、え……ぇぇぇぇぇえええええええええええええええええええッ!!!!!!」

 

 憎たらしい程までにこちらの状態を想定した上で張り巡らされた知略に嫌悪感が再燃し、口悪く怒鳴りながら、こちらに駆けてくるオレンジ達へ特攻を仕掛ける。

 レベル差からオレンジ達以上の速度で駆け出した自分に驚いている者も居たが、それらを無視して、剣を振りかぶる。愛剣である細身ながら肉厚の黒剣ルナティークを左腰に擬すように構える。

 その構えは《スネークバイト》のそれに酷似しているが、アレは地に足を着け、腰を深く落とした上で構える事で発動するので、突進中の今は発動しない。

 移動中にこの構えを取る事で発動するソードスキルは、また別にあるからだ。

 それを狙った自分の愛剣から、見慣れた蒼い光が迸る。直後、見えない手に動かされるように剣を起点として自分の体もそれに追従し始める。

 一気に前へ加速しながら時計回りに回転しつつ、左側に居たオレンジ三人を纏めて斬り裂く。剣を振るい終えた後、すぐさま真左へと回転しながら直角に曲がって、周囲のプレイヤー達へ右薙ぎを放つ。また左に曲がって右薙ぎを放つ。

 そして、最初の突進と同一の方向に向きながらの右薙ぎを放って、攻撃は終了した。

 加速が付いた事で一辺五メートルの正方形を描くような軌道で移動しつつ回転斬りを連続で行い、囲いの内側に居る敵を纏めて斬り裂くこれは、移動中にのみ発動可能なタイプの《ホリゾンタル・スクエア》。

 普段キリトが《剣技連繋》に挟んでいるタイプは、その場で袈裟、右斬り上げ、左斬り上げ、逆袈裟を間断無く叩き込む普遍的な四連撃ソードスキル。

 反面こちらのタイプは高速移動しながらなので慣れが必要ではあるものの、移動しながら斬り裂くので、発動中無防備になるというデメリットが削がれている。

 勿論人によっては使い辛いし、実際使える場面もごく限られたものだが、広い場所且つ複数の敵が纏まっている場合に限ってコレはとても有用だ。

 ボスに対してキリトが使わないのは、五メートルの移動距離で囲える程度でなければならない上、この技の一撃は通常のタイプと異なってノックバック効果が若干小さいからである。

 更に正方形の内側だけでなく、移動中は回転斬りを放っているも同然なので外側の敵にも纏めて攻撃が可能。だから密集していたオレンジ達の多くは大ダメージを受け、外側に居た者も一撃だけとは言えそれなりにHPを減らしていた。

 

「どけぇッ!!!」

「な……ッ?!」

 

 恐らくあと一撃、持って二撃程度しかHPを残していないオレンジに対し、躊躇なく愛剣を振るう。何故か相手は驚きに目を剥きつつ刃を防いだ。

 このまま鍔迫り合いで押し切る事は可能だが、勢いを失った今それをすると周囲を囲まれ、袋叩きにされる可能性が高いため一旦距離を取って仕切り直す。それでもオレンジの肉壁を突破するのは諦めていないので、改めて突貫する為の姿勢を取った。

 それは、オレンジプレイヤーを殺す事も厭わない決意の顕れ。

 それを見て、先のソードスキルによって一撃で、あるいは四撃で限界まで命を減らされて驚きに囚われていたオレンジ達が、困惑と動揺で身を固める。続けて自分に対し、恐怖の色を宿した瞳を、信じられないという面持ちと共に向けて来た。

 

「何だよ、話が違うじゃないか……攻略組は、俺達を殺さない筈だろ、完全に殺す気で来てるぞ……?!」

 

 こちらと相対していた最前のオレンジプレイヤーが、震える声音でそう洩らす。

 人垣の向こうから秒間何戟ともつかぬ生死の応酬の音だけが響くボス部屋でも、その声は確かに、こちらの耳朶を打った。

 瞬間、自分は知らず、ぎり、と奥歯を軋ませた。自覚しない内に愛剣の柄を握る右手に籠められる力がより強くなり、自分の双眸がより鋭く、物騒な気配を放つようになったのを自覚する。

 それを受けたオレンジ達が一様に、半歩下がった。

 

「……確かに、《攻略組》ならね。けどキミ達は大きな勘違いをしてる」

「勘違い……?」

 

 怯え、恐怖を滲ませながらオウム返しに問うてきた男に、自分は黒剣ルナティークを持ち上げ、その鋭い黒曜石の如き切っ先をオレンジ達へ向けた。明確な《殺意》を顕す為に、伝える為に。

 お前達に情けは掛けないと、言外に宣言する為に。

 

「今のボクは、《攻略組》の剣士でも、《スリーピング・ナイツ》の【絶剣】でも無い、ただのユウキだ。今のボクは、ただ自分自身の心の赴くままに動く。元々人を斬る覚悟は固めてた……だから、ボクは必要であれば躊躇い無く人を殺せる。ボクを止めるなら殺される覚悟をしてもらおうか」

 

 今の自分は何のしがらみも無い――無視する――、後先の事を考えていない愚かなただの人間で、けれど、だからこそ本当の気持ちのままに行動出来る。

 人を斬り殺す事に何も感じないと言えば嘘になる。後の事を考えると怖くて仕方がない、姉に嫌われたらどうしようと既に考え始めてもいる。

 けれど、この覚悟と選択に、後悔は微塵も無い。

 自分は彼を護る剣となるとそう誓った。その誓いを果たす時は、きっと今なのだと、そう確信を抱いている。

 だから自分のこの行動を恥じるつもりは無い。たとえ悪だと言われようと、最低だと詰られようとも、今までずっと有形無形無数の手助けをしてくれた彼を助ける為の結果なら、ボクはそれを甘んじて、むしろ堂々として受け容れよう。

 傍観して、目の前で助けられず悔やむ偽善に較べれば、誓いを果たす為に行動する悪なる偽善の方が、遥かに誇りある行動だと思うから。

 その末に疎まれようとボクは後悔しない。それがボクにとっての誇りであり正義の在り方だから、後悔なんてする訳にはいかない。

 ボクの決意は、覚悟は、その程度では無い。

 キリトを助ける為なら、汚名を被る事も、悪罵を投げられる事も、罪を背負う事も構わない。

 自分よりも遥かに幼い少年が、ずっとそうしてボク達を救い、導いてくれたのだから。愛する少年の為ならせめて同じ事をする覚悟くらいは固めなければ並び立つ事はおろか、きっと告白する事も許されないだろう。たとえキリトが許したとしても、ボク自身が許さない。

 

「寄らば斬る、阻めば斬る、死にたい人だけ掛かって来るといい――――死にたくないなら、そこをどけぇぇぇぇぇえええええええええええええええええええええええッ!!!!!!」

 

 心を決意と誇りで昂らせ、けれど思考と感情は冷静且つ冷徹に、そして覇気溢れる怒号を張り上げながら、強く引き絞って愛剣に深紅の光を灯らせる。直後、間髪を入れず外燃機関めいた轟音と共に、剣を突き出しながら突進突きを放つ。

 放つ際に地面を強く蹴って前進していたので、それも含めて突進速度と距離が伸びた《ヴォーパル・ストライク》は空気を突き破りながら直進。

 オレンジ達はこちらの怒声と殺気に恐怖を覚えたからか、それとも本能的にか、慌てて意外にも素早く左右に分かれて突進軌道の直上から移動した。そのため突進突きに当たる者は誰一人としておらず、空気を突き破る程の突進の余波で吹き飛ぶ者が居ただけだった。

 突進の余波とは言え、それはただの衝撃波という名のエフェクトや風圧だけなので、リアルと違ってこれに当たってもダメージは無い。なのであるとしてもちょっとした落下ダメージ程だろうし、それがあっても高所落下による死亡へと繋がる大ダメージには至らない。アレは通常二十メートル以上から直下した時にのみ起こるからだ。

 そのため、直線状に誰も居なくなった時点でプレイヤーを殺す可能性はほぼ無くなったので、心の中で安堵の息を吐く。

 だがまだ安心は出来ない。オレンジ達から戦意を奪わない限り、何れは誰かのHPを全損させる事になる可能性は無くならないのだから。

 一度抱いた安堵を抑え込むように胸中で呟いた後、ボクは周りを見渡した。

 

「くそ、このッ……! 本当に、何で俺の速さに、付いて来られる……ッ?!」

 

 発動直前で前進していた分が功を奏したか、気付けば自分はオレンジの人垣を抜けていた。

 アスナやディアベル、どうにか再起したらしい茅場晶彦ことヒースクリフが全力で戦い、危険域ギリギリの所まで減らしていたお陰か、あるいはボクが容赦なく全損させる光景を見て竦んだのか、キリトに斬り掛かっていたオレンジは居なくなっていた。その間に隙を晒したオレンジ達を次々と攻略組は拘束していく。

 そのため、必然的に黒と白の剣士はまた一騎討ちをしていた。オレンジ達が自分の身を護る事を優先した事でキリトに掛かった負担はまだ少なかったらしく、神童と未だ刃を交えられる程の余裕があるようだった。

 ただ異なるのは、さっきまでキリトは二刀であったのに対し、左腕を手刀で切断された為に右手一本の一刀である事。

 そして最大の違いは、恐らく以前のデュエルで見せた四倍速の剣を振るっているのだろう神童に対し、一刀でも彼は対抗出来ている事だった。デュエルの時は刀身に手を添えて動かしやすくして防戦一方だったのに、今のキリトは神童の四倍速と張り合っていた。

 周囲のオレンジを警戒しながらも、今まであったプレイヤー対プレイヤーの常識を超えた戦いに目を奪われてしまう。それは攻略組もオレンジも同じで、そこまで激しい戦いになっておらず、誰もが兄弟の死闘に目を向けていた。

 攻略組であろうとなかろうと、オレンジであろうとなかろうと、この製品版《ソードアート・オンライン》にログインしたプレイヤーの大半はゲーマーで、こんな危険な場所まで来られる程の強さを持っている者には大なり小なり強さへの欲求がある。その欲求が刺激されたせいで誰もが目を奪われているのだろう。

 強さへの渇望が人一倍強いと自負しているボクがそう思うのだから、きっと間違いない筈だ。

 

「チィ……ッ!」

 

 ボス部屋にいる大勢の者の視線が集まる中、腕が煙る程の速度で剣戟を交わしていた二人の動きが、瞬間的に止まった。神童がキリトの右薙ぎを流すのではなく受け止め、更に真下へと押さえ込みながら落とし無理矢理動きを阻害したのだ。

 当然キリトは剣をかち上げようとするが、神童の剣に押さえ込まれているので叶わない。後ろに引いた瞬間斬られるし、押し切ろうとしても流されれば隙を晒す事から、一時的な膠着状態に陥った。

 しかしそれも一瞬の事。

 拮抗したと思った直後には、神童が鍔迫り合いながら前進し、右半身を前にしていたキリトの右脚を、自身の右脚で軽く横から蹴った。見た目は軽かったが、実際はそれに反して重かったのか、ただの蹴り一発でキリトは軽く体勢を崩してしまう。

 それは大きな隙だった。

 

「死ねェ……ッ!」

 

 体勢を崩されて後ろに軽く倒れ込むように後退するキリトの剣を押し返し、神童は白剣を素早く突き出した。

 その一撃をキリトは首を左に大きく曲げ、紙一重で躱す。同時に近付いて来た神童の腹に右脚の中段蹴りを叩き込んだ。

 

「ふ……ッ!」

 

 それから彼は後退する慣性に逆らう事無くバク転をして距離を取った。その際、右手に握っているエリュシデータを、刺突を放って僅かな隙を見せていた神童へ向けて大振りに投擲する。

 真っ直ぐ突き出すような投擲だったならともかく、高速回転しながら迫る剣は時計の針の如く回っていたから、実際に回避するとなると至難の業だ。

 少し無理をして放った刺突を躱され、隙を見せていた神童は、慌てて躱そうとしたものの剣が迫る方が圧倒的に速く、脇腹に深い斬閃を刻まれた。八割まで回復していたHPはその一撃で五割をギリギリ下回り、緑色だったゲージの色が黄色へと変わる。

 

「くそ、片脚貰うつもりだったんだがな……ッ!」

 

 その結果を見てキリトは悪態を吐いた。どうやら片脚を奪って機動力を削ぎ、決着を付けようと考えていたらしい。

 神童を斬り付けた黒剣エリュシデータは、ボス部屋の入り口近くの床に突き立って止まったものの、すぐに青黒い稲妻を迸らせながら粒子となって消え、キリトの右手へと戻る。

 ボクがしたらメイン武器を喪う事になるが、キリトの場合《ⅩⅢ》に登録さえしていれば何時でも呼び出せるし出し入れも可能だから、あんな事が出来てしまう。

 投剣やピックなど投擲武器は耐久値はおろか攻撃力も低いので牽制も難しいのだが、メインを張れる武器の投擲ともなればその威力は恐ろしいものがある。《ⅩⅢ》による物量作戦が凄まじいのも、武器が有する攻撃力故だ。勿論装備しているキリトのステータスによるところも大きい。

 先の戦いを見る限り、キリトは剣を交わしている間に《ⅩⅢ》を攻撃に使うのは難しい。距離を取れば回収には使える。

 つまり彼の手札は正に自身の経験と実力、勝負勘だけとなる。

 対する神童は、未だに全ての手札が分かっていないから不気味な部分がある。何しろ以前キリトが回収した筈の白剣ホロウ・エリュシデータをまた持っているからだ。リズからレプリカや模造品の線は一応教えてもらっていたが、最大強化状態でも力不足が否めなくなっている第五十層LAの模造品ともなると尚更この層で通用するとも思えず、何とも言えない引っ掛かりが気分を悪くさせる。

 その出所が分からない以上、まだ神童は手札を残しているのではないかと思えてならない。

 実のところ、自分がキリトに加勢して神童に斬り掛からないのもそこが引っ掛かっているからだ。

 通常の剣速を四倍にした剣戟を捌けないと考えているからでもあるが、あまりの情報の無さ、神童の不透明さにどうしても対応出来るビジョンが浮かばない。あまりにも次元が違い過ぎる。

 確かに自分は神童を殺すべく剣を抜いたが、だからと言って目的を履き違える程愚かでは無い。あくまで自分が誓った事はキリトを護る事であり、神童を殺す事では無い、意志に過ぎる誓いより殺意を優先するつもりなど自分には無い。

 下手に加勢して、もしもキリトの足を引っ張って殺されそうになった時、さっきのクラインの時のように庇われ、それが原因でキリトを死なせてしまったら。そう考えると、憤怒と殺意に焦がしていた身が固まり、竦んでしまうのだ。

 何か、何か手は無いかと、思考を回転させた。

 

「出来損ないがァッ!」

 

 内心で焦りながら思考している間も、当然事態は進む。

 距離を取って仕切り直してから最初に動いたのは神童。

 神童は両手に二本の翡翠剣を、虚空から出現させた。《ⅩⅢ》を神童も有しているとしか思えない行動に周囲は目を瞠った。自分の懸念は正に当たっていたのだ、下手に突っ込んでいれば、それこそキリトがボクを庇って万策尽きる展開になっていただろう。

 神童は手に持った二振りの翡翠剣をキリトへ向けて投擲した。それらは直線的では無く、緩く湾曲して遠回りする軌道を描きながら、左右から挟み込むように飛んでいく。

 

「時間差の挟撃……ならッ!」

 

 それを見たキリトは、間髪を入れず神童との距離を詰めるように前進を選んだ。

 恐らくあの二振りは左右から挟み込むようにキリトに襲い掛かる。それの対応は前進か後退、あるいは上に跳ぶかしゃがむかだが、後ろ二つは隙が大き過ぎるので、必然的に前後にしか動けない。

 そして後退すれば神童が持っているだろう《ⅩⅢ》の良い的になってしまうから、キリトには前進しか残されていなかったのだ。

 前進すれば必然的に神童と斬り結ぶ事となり、そちらに集中し過ぎたら左右から剣が襲い掛かって来る、現実ではあり得ないが《ⅩⅢ》に登録されている武器は使用者のイメージ通りに動かされるから軌道修正も可能だからだ。

 その間に神童はもう一度両手に剣――次はハンドガードが付いた黒と白の片刃片手剣――を出現させ、同じように投擲する。二段構えの時間差攻撃だ。

 翡翠と黒白、合計四本の剣を投擲した神童は、白剣エリュシデータを右手に握り、左手に禍々しい曲剣エンゼルイーターを握って前進する。左右から迫る四本の剣による時間差攻撃とタイミングをずらし、その前後で隙を突こうという腹だろう。

 それを見て、ここだ、と自分は直感的に思った。自分が介入するならきっとここしかないと。

 自分が二人の戦いに割り込むのを躊躇っていたのは、加勢した自分をキリトが庇う未来に恐怖しているから。自分の力では神童の剣を超えられないと悟っているからこそその危険性が高い事を理解していたからだ。

 だが投擲された剣は、一応本質的には未だ神童の意識で動かされると言えど半ば意識の外に置かれていると言ってもいい。

 つまり思わぬ外的要因の横槍が入れば容易に瓦解する程度でしかない筈なのだ。

 そう判断したボクは、緩く湾曲しながら遠回りする軌道を描く四本の剣の内、白の片刃片手剣と翡翠色の剣の――神童から見て右側、キリトから見て左側を飛んでいる――二本を叩き落す為に、ぐっと膝を曲げる。

 

「ハッ!!!」

「何ィッ?!」

「ッ……?!」

 

 けれどボクが地を蹴る事は無かった。

 何故なら、叩き落そうと狙いを定めていた二本の剣が、キリトの手によって落とされたからだ。

 時間差で攻撃するとは言えキリトを狙っている訳だから下手に動くよりは冷静に構えていれば、それらの対処も容易と言えば容易だろう。

 だがそれは前方から敵が迫っていなければの話。

 その上でキリトはそれら全てに対処してみせた。

 今の彼は左腕が未だに回復していないので一刀の状態のまま。両手にそれぞれ《片手剣》を持つという条件を満たしていないのだから、《二刀流》にある全方位に攻撃する《エンド・リボルバー》は使えない。

 しかし《片手剣》にも全方位を攻撃するスキルはある。厳密に言えば工夫をすれば全方位に攻撃出来るだけで、本来は前方にだけ攻撃する技。

 それこそが《片手剣》スキルの中でも初期に習得するソードスキルの内の一つ《ホリゾンタル》。

 《スネークバイト》と違って腰だめに構えるのではなく、振り抜く構えを取る事で発動するこのソードスキルは、剣を振るう向きと同じ方向に身体の回転を入れる事で、疑似的な回転斬りに発展させる事が可能だ。その発展形が先ほど自分がオレンジ達に対して放った《ホリゾンタル・スクエア》。

 一応この攻撃動作もシステム外スキルの一つ《剣技増幅》の範疇である。

 キリトは左右から迫る四本の剣を回転斬りへと発展させた《ホリゾンタル》で纏めて迎撃し、叩き落した。

 それだけでなく、技後硬直という致命的な隙を生む事を覚悟で放ったであろうソードスキルは、距離を詰めて来ていた神童に対する牽制となっていた。

 HPが五割辺りにある神童は当たり所が悪ければステータス差で一撃死もあり得るため、投擲した四剣が叩き落された時点で制動を掛ける。

 結果的に神童は蒼光の帯を引く横薙ぎ一閃を躱す事に成功。

 しかし全力で前進していたところで無理に制動を掛けたせいで慣性を殺し切れず、攻撃を躱せはしたものの、大きな隙を晒す。ここまで接近していては下手に《ⅩⅢ》を使おうものなら自分を誤って攻撃しかねないためか、神童も碌な行動を取れないようだった。

 

「今度こそ……ッ!!!」

「くそ……や、やめろ、一夏ッ!」

 

 絶好の好機に、キリトはその美麗な顔を狂気に歪めた。限界を突破している憤怒と憎悪に囚われている彼は、長年封じ込めていたであろう復讐が成就する事に喜びを覚えているのだ。

 収縮し切った瞳孔、狂喜に歪められた口元、そして殺気に溢れる表情を浮かべるキリトは右に振り抜いた黒剣を、技後硬直が課される前に肩に担ぐように構えた。

 まるで焼き直しであるかの如く、また神童が懇願の声を上げるが、さっきと違って今度はキリトも手を止めない。

 

「これで……ッ!!!」

 

 構えた剣を強く後ろへ引き絞った直後、蒼光の残滓が残っていた黒剣の刃が血を想起させる深紅の輝きを纏う。それから一瞬にしてバチバチと激しい稲妻を剣身から迸らせ、甲高い響きを上げ、旋風を巻き起こす。

 その様は暴虐の嵐の形容が相応しいだろう。狂気と殺意に満ち、全てが込められているその輝きは、いっそ正反対の闇とも言える禍々しさがある。

 その禍々しい輝きに、自分は畏怖と畏敬の念を抱いた。決してシステムに規定されている訳ではないだろうエフェクトで、少年が心の奥底に封じ込めていた――あるいは蟠っていた――象徴とも言えるだろうその闇は、何人たりとも侵せない輝きがあるように思えた。

 恐らく本能的に察していたのだ。その闇は、真に彼の真意であり、本音であり、《オリムライチカ》としての魂の慟哭なのだと。

 その輝きが神童には死の鎌に見えているのだろう。青年はほんの少し前に見せた不敵且つ傲慢な表情を一変させ、恐怖と焦燥に頬を引き攣らせていた。 その顔は先ほど人を斬る事を躊躇わない自分に対してオレンジ達が見せた表情と殆ど変わらず、あの青年も他の者と大して差はないと思った。

 

「トドメ――――」

 

 

 

「俺を殺したら、冬姉は一人になって哀しんじまうぞ?!」

 

 

 

「――――ッ?!」

 

 ――――人間は死を近く感じると、途端に普段は押し隠している、あるいは無意識の内に抑えている本性を曝け出すと以前聞いた事がある。

 仲間を売って自分だけは助かろうとする者。

 その死を跳ね除けようと最後まで足掻く者。

 敵を金品で懐柔して生き延びようとする者。

 そして、相手の弱味を突いて付け入る隙を作り、刃を鈍らせる者。

 色んな人の本性を自分は見て来た。そこまで数は多いとは言えないが、シリカの時のようにオレンジを捕縛する為に動く事は稀と言えどあったし、《笑う棺桶》掃討戦の時はこちらを殺しに来る者達に対して刃を向けて対峙している。

 無論、生存本能の活動があるから、それがその人の人格なのだとは断言しないが、しかし人格の一部である事を示すのは事実。

 神童が死の間際に見せた本性、そして言葉は、これまで見て来た中でも最低最悪と言えるものだと、ボクは今後ずっと思い続けると思う。何しろキリトにとってトラウマであり、タブーでもある《オリムラ》と《孤独》、そして《姉》の三つが揃っているのだから。

 その言葉が神童から放たれた途端、キリトは瞠目し、驚愕の表情を浮かべて動きを止めた。《ヴォーパル・ストライク》を発動する寸前でいきなり不自然な形で止めた為に、彼は技後硬直を課される。

 

「――――掛かったな、馬鹿がッ!!!」

 

 それが神童の狙いだった。

 技後硬直を課されて動けなくなったキリトを前に、神童は体勢を立て直し、すぐさま白剣を袈裟掛けに振るった。その一撃でキリトの右肩からすぐ下が断ち切られ、部位欠損する。

 七割強あったHPは、部位欠損分の倍率ダメージもあって六割弱まで――およそ一割半――減った。

 

「ぐぎ……っ?!」

 

 地面の上に腕と剣が落ちる音と、突如襲って来た痛みに上がった呻きは同時だった。

 先ほど偶然ながら口にした《家族》の事で動きを止めたため、決定的な隙を生むためにまた利用したのだろう。キリトの言葉を借りるなら殺し合いに卑怯も何もないのだが、それでも卑怯と思ってしまう。

 両腕を喪い、痛みに呻いて軽くよろけたキリトは、次の瞬間剣を粒子へと変えた事で空いた左手で神童に首を掴まれた。

 

「え、ぐ……ッ! ア、ァ……ッ!!!」

 

 首を掴まれ、苦し気な呻きを上げるキリトは、それから宙吊りにされた。自分の体重を掴まれた首の部分だけで支える事になるため苦しいのは明白だ。

 そんな少年の姿を見て、首を掴んで宙吊りにした張本人は口の端を歪めた。

 

「一夏のクセに調子に乗りやがって……でもまぁ、これで俺の勝ちだな。さっき言った通り達磨にして、首を落として殺してやるよ……!」

 

 そう言って、残っている左右の足を斬り落とそうと神童は白剣を持つ手に力を籠めたのが分かった。

 そこで漸く、キリトの殺気に呑まれて傍観していた大勢の中からボクは脱した。

 

「させない……ッ!!!」

 

 ふと我に返った後、そう言ってボクは全力で駆け出した。スピードタイプな上にレベルも全プレイヤー中トップランクに位置しているから、敏捷補正が掛かった状態のダッシュは凄まじい速さを誇っている。

 それでも、どう考えても神童が剣を振るう方が速い。

 仮に《ソニックリープ》といった突進系の技を併用したとしても到底間に合わないし、ソードスキルは発動後の気道の修正は不可能なため、誤ってキリトを斬り付けてしまったら目も当てられない。

 キリトも最初こそ残っている両足でどうにかして抜け出そうとしていたが、今は意識が朦朧としているのか、僅かに痙攣するのみだ。アレはかなりヤバい状態まで陥っている。

 よくよく見れば彼のHPもゲージが僅かずつ目減りしていた。喉を絞められているから、隠れステータスである酸素ゲージが減少し、それが反映されているのだろう。あと物理的に急所に筋力値全開の力が込められているからか。

 どう考えてもキリトの自力脱出は到底望めないし、だからと言ってボクがどれだけ急いでも両足が斬り落とされるのを阻止するのは無理だ。

 

「姉ちゃん、サチ! 手伝って!!!」

「わ、分かったわ!」

「う、うん!」

 

 であれば、次善策を打つのが無難。

 この場合はボクが横から邪魔に入ってキリトを解放し、神童を抑え込み、その間に呼び掛けた二人でキリトを安全な場所まで運んでもらう。実力差を考えればこれが一番打倒だと思う。

 さっき本人に言ったが、少なくとも今のボクでは神童に間違っても勝てはしない。剣速からして明らかに差があるのだから余程の奇跡が起こらないと掠りもしないだろう。

 だが、勝つ事は無くとも、負けさえしなければこちらの勝ちだ。今ではもうオレンジの殆どが捕まっていて、攻略組のメンバーにも余裕が出てきている。その人達に手伝ってもらえば神童の捕縛はまだ実現可能だ。

 問題は《ⅩⅢ》を使われないかだが、こればかりはボクが頑張って喰らい付き、明確にイメージする暇を与えないようにするしかない。

 

 

 

 その思考を持って駆け出したボクは、しかしさっき――キリトが飛来する四剣を一撃で叩き落した時――と同じくまた足を止める事となった。

 

 

 

 ***

 

 気が付いたら、真っ暗で、けれど真っ白と分かる荒野に居た。

 片方の地平線には血の色をした太陽が顔を覗かせ、反対側の地平線には真っ黒な新月が顔を見せていて、何かが燃え尽きたと思しき灰色の大地と真っ黒な曇天から降り注ぐ黒い雪ばかりが目に付く荒野にあるのは、一人分の荒れ果てた人骨とボロボロになっている墓標、そして錆び切った鎖で雁字搦めにされている一つの大きな棺桶。

 何で棺桶があるのに、人骨が散らばってるのかな、と何とはなしに思った。

 

「……前にもあったな、似たような事が」

 

 アキ兄と殺し合っていた筈なのに、何時の間にか場所が移って全く関係無いところに一人だけいるこの状況に、少し前に体験した事が被ったような気がして、呟く。

 確か以前は《圏内事件》の日の夜、レインにおぶられて教会に泊まった時にこんな状況に酷似した夢を見た。あの時は俺の全てを反転させたもう一人の『俺』と初めて出会ったんだったか。そして戦う理由について再度考えさせられた。

 思えば、あれからあまり時間は経っていないのだなと気付く。

 白と初めて会ってから。

 そして、ユイ姉と別れてから。

 

「……感傷に浸るのは、後にしよう」

 

 現状を未だに完全に把握している訳では無い俺は、急いであの場所――――第七十五層フロアボスの部屋へと戻らなければならない。俺が戦わないとアキ兄は確実に茅場晶彦だったヒースクリフを殺すに違いないし、それを防ごうと立ちはだかるアスナ達をも殺してしまうのは容易に想像が付く。

 それは絶対に防がなければならない。

 護ると決めたのだ、誓ったのだ。現実世界へ還して幸せになってもらいたいと思ったのだ。

 それを閉ざす事を容認出来る筈が無い、例え相手がアキ兄だとしても。

 ――――とは言え、どうしたものか。

 周囲の荒野を見回して、嘆息しながら胸中で途方に暮れる。

 空を見れば、今まで見た事が無いくらい真っ黒な雲に覆われていて、そこから真っ黒な雪が降って来る。その雪は白く乾いて罅が入っている大地に降り積もっていた。地平線の先まで平地で、草原も山も全く無いし、生物が生きている気配すら全く無い。

 以前はうらぶれたネオン街という風情だったが、何だかこちらは全てが滅んだ跡のような光景だ。

 

「……ひょっとして……此処は、地獄……?」

 

 戦いの最中に来た感覚なので、俺に死んだ覚えは無い。

 けれどそれは、単純に死ぬ瞬間を覚えていないだけの可能性もある。本当は死んでいるかもしれないのだ。

 もしもそうだとしたら地獄に堕ちるのは分からないでもないのだが、首を絞められた時のHPは僅かに減り続けてはいたものの一気に減る程では無かった。意識もまだ鮮明ではあった。それなのに記憶に残らないで、知らぬ間に死んでいたという事があり得るのだろうか。

 ……実際に現実で人を殺している経験がある身としては、無いとは言えなかった。人間含め、全ての命ある生物は殺そうと思えば容易に殺せるから、気付かない間に首を刎ねられて即死した可能性は十分あり得る。首を絞められて苦しくなっている状態で、アキ兄最速の剣を見切れるかと言われると正直微妙だし。

 そう考えると、自分はあの戦いで死んだという結論の方が信憑性が高い気がした。

 

「俺は……敗けて、死んだのか」

 

 俺が死んだ事を事実と仮定するなら、そういう事になるだろう。

 そう思い至った途端、乾いた大地と降り積もった黒い雪を踏み締めていた両足からふっと力が抜けて、膝立ちになった。そのまま体からも力が抜け、ぽさっと横に倒れる。

 黒い雪は見た目の禍々しさとは裏腹に、現実や仮想世界で体感した雪と変わらない触感をしていた。

 それらを右手で一掬いする。

 勿論、掬った雪は冷たかった。色は完全に逆転した黒色でも冷たかった。

 

「当たり前か……雪だから、冷たいのなんて当然だよな……」

 

 空気中に舞う塵が水分と共に凝結して雲から降って来るもの。雨やあられ、みぞれ、そして雪。それらが冷たいのなんて『凝結』という発生過程が絡む時点で自明の理だ。むしろ冷たくない雪なんてあるのだろうかとすら思える。

 何故黒いのかは分からないけど、この世界には、沢山の『当然』があるのだ。雪が冷たいのもその一つ。

 

「……俺が負けたのも……その、一つだったのかもな……」

 

 

 

 ――――出来損ない

 

 

 

 脳裏で、アキ兄の罵倒の声が蘇る。

 許せないと思った。許さないと思った。絶対に倒す――――殺すと、心に決めて戦った。

 けれど俺は、冬姉の事を言われて瞬間的に、反射的に、無意識の内に刃を止めてしまっていた。現実に帰ったらお見舞いに来てくれた事でお礼を言うつもりなのだから生きて還らないといけないのに、冬姉を一人にしてしまうというその事実を、哀しませるという未来を一瞬で考えてしまって、俺はアキ兄を殺す刃を止めてしまった。

 独りである哀しさと寂しさをよく知っていて、冬姉が家族を養うために東奔西走して忙しかったのもよく知っているからこそ、俺はアキ兄を殺せなかった。

 その結果がこの様だ。

 もっと固く心に誓うべきだった。冬姉の事すらも度外視してアキ兄を殺すと、そう決めるべきだったのだ。そうすればあそこで隙を晒す事無く勝負は決していた筈だ。

 

「そうか…………俺は、死んだんだな……」

 

 両腕を喪っていてはあの拘束から逃げられる筈も無いし、そのまま首を斬り落とされて死んだのだろう。ユウキ達とは二、三十メートルの距離があったから、如何にスピードタイプの剣士であるアスナやユウキの全速力でも、アキ兄が俺の首を刎ねる方が速いのは明白だ。

 言葉に惑わされなければ……いや、激情に駆られる事無く、オレンジ達を牢獄に入れたりHPを消し飛ばす時のように、《ビーター》として動いていれば動揺して隙を晒す事は防げただろうに。

 まぁ、もう終わった事だから、今更何を言ったところで意味なんて無いけど。

 

「ごめんなさい……」

 

 もう終わった。死んだ。

 頭で理解するに連れて、ここに来てから半ば平坦だった感情の方にも変化が表れ始めた。その第一声は、謝罪だった。

 相手は勿論――――

 

「すぐねぇ……ゆいねぇ……」

 

 二人いる、義理の姉。片方はもう居ないけど、もう片方は俺の帰りを待ってくれている大切な人。こんな俺ですら弟として受け容れてくれて、家族として愛情を沢山注いでくれて、迷惑も掛けたけど許して、色々教えてくれた人。

 生きると言ったのに。一緒に帰ると約束したのに。

 確かに現実に帰ったところで、もう俺の未来に光なんて無いも同然なのは分かっているけど、それでも生きるのと死ぬのとでは可能性が違って来る。生きていたら、もしかしたら桐ヶ谷家に拾われたように思わぬ幸せに逢うかもしれない。

 でも死んだらそれすらない。不幸は無いけど、幸せも無い、何も無い状態になってしまう。

 以前は死んでも良いと思っていた。死んだ方がマシだとすら思っていた事もある。皆のお陰でその考えは改め、辛うじて死のうとはしなくなった。もう直姉や父さん、母さんに会えないと思うと怖くなった。

 それなのに、その矢先に死ぬなんて……

 

「分不相応、だったのか……」

 

 どれだけ努力しても、時間を費やしても、生まれながら才能を持っている天才には敵わないという事なのだろうか。怒りに身を任せていなくとも、そもそも挑む事すら烏滸がましかったのだろうか。

 だとしたら俺にはもう、道は一つしか無かったんじゃないか。

 どれだけ頑張って生き延びても、どれだけ頑張って退けても。

 何れは、アキ兄に殺される定めだったという事か。

 

「……嗚呼……」

 

 そう思い至って、また悲嘆に暮れる。

 自惚れでなければ、クラインやユウキは俺が死んだ事に激昂してアキ兄に斬り掛かると思う。でもあの二人だと多分手を組んだとしてもアキ兄には――少なくとも現状の実力では――まず勝てない。

 黙っていれば死ななかったかもしれないのに、俺の死に激昂して挑んだとすれば、それは俺の責任ではないだろうか。

 あの二人と関わったせいで。親しくなったせいで。

 

 

 

 ――――関わる資格なんて、無かったんだ

 

 

 

 かつて、目の前で飛び降り自殺をした《月夜の黒猫団》のリーダーの青年の呪詛が脳裏で唐突に蘇った。

 

「ああっ……あああぁぁぁあぁぁ……ッ!!!」

 

 関わったから。俺が関わったから、関わったせいで、関わらなかったら死ななかった筈なのに。

 視界が滲んで、喉の奥がつっかえたようにまともに呼吸も出来なくなって、脳裏では今まで死に際に呟かれて来た無数の呪詛が蘇り始める。

 それらは全て俺が殺してきた人達のもので、俺を『出来損ない』と言っていた人達のもの。

 終いには、実際に死に際を見た訳ではない人達の声すらも聞こえ始めた。それは俺が敗北したから離れていった人達のものだった。

 

 

 

 ――――あははっ、何でボク、護るなんて馬鹿な事言ってたんだろうね。自分で自分が分からないや

 

 

 

 ――――お前ェの事を心配してた俺が馬鹿だったぜ

 

 

 

 ――――あんたの剣、もう研がないから。“ともだち”も辞めさせてもらうわ

 

 

 

 ――――ピナの蘇生に協力してくれたのは感謝してるけど……もう、金輪際関わらないで。さよなら

 

 

 

 ――――オレッち、言ってたよな、二度目は無いッテ。有言実行ダ。じゃあな、二度と顔を見せないでくれヨ――――キリト

 

 

 

「あああぅっ、あああああああああああああッ?!」

 

 敗けた。

 死んだ。

 無価値。

 無意味。

 離れていく親しい人達。信頼と信用に満ちていた目は、打って変わって侮蔑と失望に満ちた昏い目になっていた。声音も暖かなものから一変して冷たくて、侮蔑と失望、そして嫌悪感に満ちたもの。

 かつて《織斑一夏》に期待して、けれど応えられなかったから徐々に変化していった感情と目になっていく、親しかった人達。

 狂おしい程に求めた温かみが遠くなっていく。

 

 

 

 ――――失望しましたよ、キー……いえ、キリト。あなたのお姉さん役は、今日限りでやめさせて頂きますね

 

 

 

 ――――織斑千冬ももしかしたらこう思っていたのかもね……あなたの姉は、酷く疲れるわ

 

 

 

 そして、二人の義姉からの、侮蔑と失望に満ちた声も聞こえた。

 

「ア、アァ……ッ」

 

 受けたくなかった、絶対に拒絶されたくなかった人達からの侮蔑と失望の声は、目は、俺に酷いダメージを負わせてきた。ショックが大き過ぎて、叫ぶどころか呼吸の仕方を忘れてしまう程。

 胸の奥が苦しくて、頭の中がぐちゃぐちゃで、痛くて、もうどうすればいいのか分からない。

 

 

 

 ――――誰か……助け、て……ッ

 

 

 

 ぐらぐらと意識が揺れる中、言葉にならない叫びをあげて。

 

 

 

 ――――誰も助けてなんてくれねェよ

 

 

 

 ――――みんな、自分がかわいくて仕方ねェんだから

 

 

 

 ――――誰もオレ達の事なんて理解してねェんだから

 

 

 

 ――――それが分かってるから一人で力を付けて来たんだろう、王よ

 

 

 

 俺では無い、けれど俺の憐れみに満ちた声が、聞こえた。

 

 

 

 ――――だから、周囲の人間に代わって、『織斑一夏』(オレ)『桐ヶ谷和人』()を助けてやるよ

 

 

 

 ――――王に死なれたら、オレも困るって言ったからな

 

 

 

 ――――有言実行だ

 

 

 

 続く、優しさを感じる声音の言葉が聞こえて、俺の意識は途絶えた。

 

 

 

 ***

 

 まず最初に貫手で斬り落とされたキリトの左腕の部位欠損が回復し、元に戻った。

 恐らく痛みが消えた事でそれが分かったのだろうキリトは、左腕を軽く持ち上げた。するとその手には出刃包丁を大きくしたような大刀が出現する。黒い柄と柄先から少しだけ伸びる鎖、峰の部分が黒く刃の部分は純白なのが特徴的な大刀だ。

 

「ッ……らァッ!!!」

「あぐっ?!」

 

 それの大刀の柄頭を、キリトは神童の額へと思い切りぶち当てた。そんな反撃を受けると思っていなかった神童は当然仰け反り、五割あったHPを僅かに減らす。

 更にキリトも解放された。仮想の空気を求めてか、あるいは喉の痛み故か、僅かに前傾姿勢になって肩を上下させている。

 

「この、死にぞこないが……ッ! とっとと死ねェッ!!!」

 

 絶好の機会を逃した事で更に頭に来たのか、口汚く罵りながら神童は大振りに白剣を唐竹に振り下ろす。その斬撃はキリトの頭を真っ二つにする軌道を描いていた。

 

「キリト、躱してッ!!!」

 

 今のキリトは肩を荒く上下させる程に消耗している。顔を俯けているので斬撃の軌道が見える筈も無いし、それだけ消耗しているという事は周囲への警戒も普段に較べて疎かになっている筈だ。何時もなら予測で回避出来るだろうけど、今の彼にそれが出来るとは思えなかった。

 だから焦って、せめてと思って、間に合わないのも承知で駆け出しながらボクは声を張り上げた。

 

 

 

「――――クハッ……!」

 

 

 

 そのボクの視線の先で、今正に想い人の命を奪おうと振り下ろされた白い刃が、大刀を手放したキリトの左手によってはっしと掴まれ、止まった。

 

 

 




 はい、如何だったでしょうか。

 キリト視点の描写が凄い難しかった……ッ! 原作十八巻の冒頭を少し参考にしてどうにか書き上げました。

 敗北=死=無価値=捨てられるという恐怖の式で考えているキリトの思考が少しでも描写出来ていればと思います。リーファやユウキ達は心の支えですが、だからこそ捨てられたくないという恐怖心が大きい、と受け取ってもらえれば。

 次にユウキなんですが、今話で最も悩んだのは彼女です。

 二次小説でも原作の流れを沿う事を至高と断ずる方からすると、本作のユウキは現時点でかなり原作から乖離してるので賛否両論ありそうです。特に《人を殺す事も厭わない覚悟》の部分はユウキの場合、かなりのグレーゾーンだと思ってます。

 実際ユウキにPKをさせるか否か物凄く悩みました。

 結果、キリト以外のPK事案は避けるべきかと思い、回避と相成りました。

 実は最初に書いた時、原作第七巻でアスナが《フラッシング・ペネトレイター》でギルドを壊滅させた時のアレを参考に、ユウキは《ヴォーパル・ストライク》での突貫でオレンジを十人ほど纏めて殺ってました。《ホリゾンタル・スクエア》でも何人か殺って、結果的に二十人近く殺害という……

 流石にこれはマズいかと思ったので修正しました、後々の事を考えるとPK歴があったらユウキが暗黒面に堕ちるのが確定になるんで。誅殺隊抹殺に動き出す。

 ちなみに、少し前の話でユウキがブチ切れた際の地の文で語られている通り、ユウキはランやキリト達の為なら人を斬る覚悟も固めてはいるので、現時点でも必要であれば斬る事そのものは躊躇いません。罪悪感はしっかりあるのでぶっ飛びはしません。一応避ける方針だけど、極限までいっての最終手段として執行する覚悟はある、そんな感じです。

 何故原作だと明るいユウキがここまでなってるかと言えば、SAOデスゲーム化でかなり修羅ってるのと、原作より精神的に成長している事、姉のランやキリト達を護ると決意してる事が差異になってるから。

 あと私自身、躊躇って結局助けられずに後で懺悔する、というのはちょっとなーと思ってる。全力で助けようとして、その果てに助けられなかった事に懺悔するならまだしも、それは流石にエゴが過ぎないかと。

 第七十四層のコーバッツの死亡タイミングがバリバリキリト介入後になってるのも、この考えによるものです(原作だと《月夜の黒猫団》を思い返しつつコーバッツ死亡まで軍対ボス戦を傍観してます)

 そういう点ではアリシゼーション編異界戦争時のキリト達って常に全力なんですよね……アレはいい(小並感)

 そして最後に出て来た《アナザーキリト》=白。

 実は白を出す為だけに二話分延長したんですよね(実は最初一話でアキト戦は終わってました(笑))

 《通常キリト》の一人称は『俺』、《アナザーキリト=白》の一人称は『オレ』です。時折出てる平仮名の『おれ』ですが変換忘れではありません。

 さて、次話にて兄弟の仮想世界での殺し合いに決着が着きます。白がどんな風に暴れるか、お楽しみにして頂ければ幸いです。

 では。

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