インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 今話はタイトル通り、義姉リーファと義弟キリトのやり取りがメイン。実はここ最近リーファ&シノンの心情描写が無いのってこの時の為に取っておいたっていうのがあるんダゼ。

 とは言え今話の視点はオールシノン。

 文字数は約二万。

 ではどうぞ。



 ――――以前、鬼神リーファは爆誕しないと言ったな? アレは嘘になった(汗)





第七十四章 ~義姉の心、義弟知らず~

 

 

 ――――現在、【ホロウ・エリア管理区】と言うらしいこの不思議な空間に来ているキリトの事を受け容れている――まだ一部は微妙だが――《攻略組》幹部の面々の眼前には、此処に来るまで全く予想していなかった光景が広がっていた。

 

 それは別に、場所がおかしいという訳では無い。

 勿論《ソードアート・オンライン》という中世ファンタジーをコンセプトとして世界観から考えて、どう見てもこの管理区の様相は異様と言える。まず無数の文字列が流れ続けている光景など完全に世界観が台無しだ。システムに何かしら関わりがあると自白しているような場所など、ファンタジーのファの字もあるとは言えない。そもそもシステムにアクセスする為のものらしいコンソールがある時点でお察しである。

 この《ホロウ・エリア》と呼ばれる、浮遊城《アインクラッド》というSAOの舞台とは違うエリアへキリトは偶然にも来てしまった。外周部から復帰出来ない状況であった事を考えれば正に僥倖、奇跡とも言えるものだ。

 その彼は、以前彼の目の前で【カーディナル・システム】によって消滅させられたというMHCPというAIのユイちゃん、そしてユウキやレイン達と同じように《ホロウ・エリア》へ来てしまい、不運にも何者かと交戦する事になってオレンジカーソルになってしまったルクスという女性と一緒に居た。

 此処へ来た《攻略組》は様々な意図を持っている。

 例えば、第七十六層からいきなり群れるようになったモンスター達への対応法やノウハウの教授を頼むため。彼を出来るだけ攻略から遠ざけ休めたいと思っているだろうユイちゃんも、流石に教えるくらいなら許容してくれるだろうと思っての事だ。というか流石にこればかりは許容してくれなければ攻略が進まない。

 次に挙げるとすれば、やはり彼の顔を見る為だろう。

 いがみ合い、殺し合う事になったとは言え、リズベットの話を聞く限り実の兄を殺した事を引き摺っているのは明白だ。それをユイちゃんが見逃す筈も無いけれど、やはり直に話しておきたいという想いは強い。特にユウキや私のように、彼に想いを寄せている面子はかなりその傾向がある。サチも過去の事があって案じているようだし、アスナやランも似たような感じだ。

 リズベットとシリカはそこまではないが、“ともだち”というキリトにとって特別な間柄という事もあるせいか、少し焦りを見せていた。

 その中で唯一、リーファだけが常に沈黙を保っていた。流石にユウキが引き籠っていた自分達に話を出した時や、食事のついでに話を教えてもらった時は幾らか反応を見せたが、リズや他のメンバーの話を聞いて以降、ずっと彼女は口を噤んでいた。それもかなり険しい面持ちで。

 当初、その顔を見た時、私は自分達を犯してきた男達やキバオウの他、キリトの心を追い詰めた者――つまりは神童やあの男に加担したオレンジ達――へ怒りを覚えているものかと思っていた。

 第七十五層で第二レイドを全滅させたオレンジ達はともかく、神童やキバオウとその配下の者達に怒り、それを超えた殺意を抱く事は何ら不自然では無い。何しろ神童は想いを寄せるキリト――リーファにとっては更に大切な義弟だ――を貶めた諸悪の根源だし、キバオウ達に至っては――キバオウはしていないが――私達を犯してきたのだ。

 抵抗出来ずに組み伏せられ、犯されたあの時の屈辱、恥辱、そして恐怖と憎悪は未だ一片たりとも薄れていない。いや、むしろキリトを死なせてしまった原因でもあるのだから、私がキバオウ達への憎悪をより深いものにしたし、自分自身の無力さへの憎悪もより深くなった。

 キリトへ師事を請うたのは、過去に打ち克てるくらい私が強くなる為。

 けれど彼の現状を知ってからは、せめてキリトの足手纏いにはなりたくないと思っていた。出来る事なら少しでも支えたいとすら思ったのだ。だから彼が身代わりになった事を私は許せなかった。無論、自分自身を。

 この三日間ずっとその心境で過ごしていた。リーファもきっと同じものだろうと、むしろ義理の姉としてある意味私よりもずっと深く心に傷を負い、そして根深い怒りを持っているだろうと予想していた。

 ある意味では、その予想は的を射ていたと言える。

 

 ――――しかし、リーファが抱いていた怒りの矛先は、予想外な事にもキリトだった。

 

 ユウキと手を繋いだ二人だけが一緒に行ける事が判明したので、彼女が往復を繰り返す事で私達は《ホロウ・エリア》へ到達出来た。

 そこで待っていたのは、どうやら今後の事を考えて鍛錬を行っていたらしい三人の姿。今まで経験した事が無い程のハードさにルクスは勿論、何故か大人の姿に代わっていて――《メタモルポーション》の事を知っていたのでそれを使った事はすぐに分かった――黒尽くめのフーデッドコートや手袋、ブーツ姿のユイちゃんも、肩で荒く呼吸を繰り返しながら休憩を取っていた。キリトはその傍らで、何やら理科の実験で使いそうな器具を幾つも並べ、何かを調合していた。

 ユウキから聞いていた通り、キリトの眼には、以前はあった光が無かった。地獄のような現状の中でも宝石のように輝いていたあの瞳が完全に闇に閉ざされていた事に、これは相当思い詰めていると分かった。私は知らないが、どうやら数ヶ月前のクリスマス時期にあった騒動――恐らくサチと蘇生アイテム関連の話――の時と同等か、あるいはそれ以上に酷いらしい事に、当時を知っている者達は誰もが一瞬息を呑んでいた。

 

『皆……何で、此処に……』

 

 そんな私達を見て、あまりにも調合作業に集中していた為か往復の転移にも気付いていなかったらしいキリトは、先頭だったヒースクリフが声を掛けた事で漸く気付いたらしかった。

 彼が居た時に発足した新生組織《攻略組》の幹部とも言える面々だけでなく、顔馴染みがほぼ全員揃い踏みしていて、少しばかり動揺しているようだった。問い掛ける彼は僅かに怯えとも取れる様子を見せ、けれど表情は全く変わらないまま、そう問うて来た。

 その問いに対し、ヒースクリフやディアベル、クライン、ユウキといった第一層の頃から既に顔見知りだった面子が理由を話していく。

 その内容をキリトは全て黙って聞いていた。調合作業も中断していた事からどれだけこちらが切羽詰まっているか、自分の知識が求められているかを、ほぼ直感的に把握していたからかもしれない。

 

『そうか……とうとう群れるようになったんだな』

『その口振りからするに、キリト君は予想していたのかね』

『攻略が進むにつれて難易度が上がっていくなら、あって然るべきだと思っていたよ。むしろ最初から設定されていた訳では無い事に驚きだ』

 

 ヒースクリフの問い掛けにアッサリと返した内容からするに、どうやらキリトはモンスターが群れる事すらも予見していたらしい。《攻略組》発足当時は《圏内》での対処で手一杯だった事もあって流石に伝えきれなかったようだ。

 その先見の明に、やはりそれくらいでなければソロは貫けないのだなと感心を抱いた。

 

『それで、出来ればそのノウハウを教えて欲しいんだ。頼めるかな』

『分かった……ああ、《攻略組》全員に伝わるようにするなら、アルゴに文書として纏めて渡した方が良いかな』

『そうダナ。どっちかと言うとそっちの方がオレッちも助かル』

『なら早速取り掛か――――』

 

 

 

『――――ちょっと、待ってくれる?』

 

 

 

 ディアベルやアルゴ達と会話を進め、口で説明するより文書として簡潔に纏めた方が良いと決まり、早速彼が調合器具を全て仕舞って書き込むメモだろうウィンドウを開いた時、リーファが待ったを掛けた。

 その声音は恐ろしく冷たく、低く、怒気が滲み出ていた。

 自然と彼女の近くにいたシリカはひっ、と怯えて一歩距離を開けたし、私も怯えとまではいかないものの驚いて目を向ける。当然クライン達も驚き、訝しむ表情でリーファを見た。ここまで怒りを顕わにしているのも珍しいし、この場でそれを出す理由が分からなかった。

 何より――――今まで丁寧語を使い続けていた彼女が、それをかなぐり捨てて割って入る程の怒りなど、今まで無かった。

 だからキリトと話していたアルゴも、ディアベルやヒースクリフも、有無を言わせないその怒気に気圧されて、彼から一旦離れた。リーファの視線も怒気も全てがキリトに向けられていたから。

 

『リー、姉……?』

 

 その怒気を向けられたキリトは、以前よりも凄まじく小さいながらも、僅かに、けれど確かに怯えていた。恐怖故か表情は引き攣っているし、どこか不安げにも見えるその相貌。身長差故に見下ろされている彼は誰がどう見ても怯えていた。

 その様を、リーファは僅か数歩の間を空けて、黙って見続ける。静かな怒気はドンドンそのボルテージを上げていっているように見えて、正直今まで見て来た誰よりも今はリーファが恐ろしいと私は感じた。

 

『あ、あの……? えっと……っ?』

 

 その印象をキリトも抱いたのだろう。恐らく未だかつてない程に怒りを見せている義理の姉の姿に怯え、じっと黙ったまま見続けられる事に居心地の悪さを覚えたらしい彼は、しどろもどろになりながらどうにかしようと慌て始める。

 その姿は、叱られる事に恐れを抱いている子供そのもの。

 

『……ねぇ、キリト』

『ひゃ、ひゃい?!』

 

 そこで、やはり低い声音でゆったりと――――だからこそ恐ろしさを覚える声で、リーファが名前を呼んだ。

 当然、慌て、怯えているキリトは唐突に名前を呼ばれた事に驚き、肩を跳ね上げながら直立不動の姿勢でリーファを見上げた。表情に乏しいながらも既に昏い双眸には涙が滲んでいて、傍から見ているだけでも可哀想に思えてしまう。実際はまだリーファは名前を呼んだだけなのに、だ。

 一体何が彼女の逆鱗に触れているのか、私には分からなかった。勿論ユウキ達も分からないので首を傾げるばかり。

 

『あたしが凄く……そうね、今までに無いくらい凄く怒っているのがどうしてか、分かる?』

『え、ええと……わ……分かりません……』

『ええ、そうね、そうでしょうね。分からないわよね――――『分かっている』なんて言われたら、あなたの事を軽蔑しないといけなかった』

『ッ……?!』

 

 今までにないくらい冷めた声音で伝えられた事に、キリトは愕然とした。今までずっと彼の事を案じ、愛していた彼女のあまりの変貌に思考が追い付いていないらしかった。

 無論、私達もその言葉には愕然とさせられた。何故そんな事を今言うのか、と。今キリトは凄く傷付いているというのに。

 

『ねぇ、キリト。あなたはどうして、そんな眼をしているの?』

『え……?』

 

 大切な義理の姉に、ともすれば軽蔑されていたかもしれない――――されてしまうくらいの事をしてしまったのかと愕然とし、絶望を抱きかけて、焦りを抱いている彼にリーファは問う。

 その問いの意図を掴めず、あるいはどう答えればいいか、そもそも何の核心に触れようとしているか分からない彼は困惑の声を洩らす。

 

『これはあたしの勝手な推測だけど。リズさんの話を聞いた限りだと、どうにもアキトを殺した事を悔やんでいるように思える……あるいは、アキトを殺した事が正しかったのか、かしら』

『ッ……』

 

 言葉としての答えは聞いていないのか、リーファはキリトが何かしら言う前に更に言葉を重ねた。リズベットの話によれば彼が泣きじゃくるくらい打ちのめされる、恐らくはトラウマに匹敵する内容を、一切容赦なく。

 問われた彼は息を呑み、何も言いはしなかったが、当たっていたのか表情を歪めて頷いた。

 

『もう……もう、何が正しいのか分からない……』

 

 ポロポロと大粒の涙を零し、時折しゃくり上げながら、キリトは語った。

 アキトがした事は到底許される事では無い。何の根拠があったかは知らないが、ヒースクリフが茅場晶彦と知った彼は彼がラスボスで死ねばゲームクリアになると判断し、第二レイドおよそ五十人近い戦士の命をオレンジ達の手を使って奪った。

 攻略組の第二レイドを壊滅させ、この先の攻略を妨害したオレンジ達や彼らを率いる神童アキト。今まで直接的に、あるいは間接的にどんな手を使ってでも護り育ててきた彼らを一気に奪い、ベータ時代からの付き合いであり何かと世話を焼いてくれたアルゴを殺された事に、今後の事への脅威も含めてアキトを殺す決断をした。

 けれどそれが本当に正しかったのか。そも、兄を殺す原因は分かり合おうとしなかった自分にあるのではないか。そう考えたらしい。

 それは自身が目指している世界最強の実姉《織斑千冬》に拒絶される要因になり得た。殺し合いの最中、自身を殺せば彼女が一人になるという事を言われて刃を止めた彼には、それが気掛かりだったのだ。残っている弟すらも奪われ一人になった彼女が自分を恨み殺しに来るのではという恐怖を抱くほどには。何しろ、親が蒸発した当時学生だった彼女が、弟二人の為に忙しく東奔西走していた事をいやという程に知っていたから。

 過去に死ぬ事を理解していながら嗤って自分を捨てたとは言え、約十一年という年月の内八年も共に過ごした実の兄を殺した事への罪の意識は、そこまで思考を飛躍させていた。

 それから追い打ちのように発生する原因不明のシステム障害。戦力が大幅に削られて前途多難な中、更に装備やスキルがバグで性能低下、あるいは消失し、下層へ戻る事も出来ないという不測の事態が発生。それに対処したものの、あまりにも大き過ぎるどうしようもない問題は、既に疲弊していた彼の精神を思い切り追い詰める。

 更に今までずっと気を張り詰めさせていたから維持出来た《ビーター》としての顔も、呼び名はともかく希望の象徴として見られるよう誘導して付けられた【黒の剣士】に籠められた重い期待も、ほんの僅かなシアワセを知ってしまった自身にとっては、どちらも荷が重過ぎると感じてしまった。第七十五層へ到達した翌日に初めて取り、それからは今までと違って四六時中迷宮区に籠って攻略をするのではなく、日帰りで朝行って晩に私達が待つホームへ帰るという生活に多少慣れてしまったから辛いと感じるようになっていた。

 そして音信不通の義理の姉リーファと弟子の私。

 何度メールを送っても、居場所や返信の有無を確認しても暖簾に腕押しな現状は、リズベットとシリカが攫われた事態やアキトとキバオウの関係を思い出せば不安を呼び起こすのに十分だった。

 アキトに対して悪いのは自分だったのではと、どうすれば良かったのか、そもそもアキトを殺すという選択が正しかったかもわからなくなった彼は、遂には義理の姉リーからも見捨てられると考えたらしかった。家族殺しを受け容れる筈が無い、と。

 家族殺しをした自分は受け容れられない。よしんば許されても、もうこれまでのようには生きられない。

 《ビーター》としても、【黒の剣士】としても疲れ切り、辛いと感じてしまっているキリトは、もう戦う事も嫌だと感じていた。

 《世界最強》の姉の姿を、背中を呪いのように追い求めて今まで戦って来た彼が、戦う事を拒否し始めた。

 それは彼にとって、もう生きる事を投げ出す事と同義だった。何しろ強くなければ誰かに殺される。結果を出さなければまた見捨てられると思い込んでいたのだから。実際最前線は人格面も見るが、実力が無ければ意味が無い。強さが無ければ死ぬのに戦いたくないと、戦う事を放棄する道を求めた結果――――彼は、自分がもう生きたくないのだと悟ったらしい。

 けれど、自分で自分を殺す事は許されない、と彼は思いこんでいた。《ビーター》は、誰かに殺されなければならないと。憎まれ役が誰かに殺される、あるいは【黒の剣士】が最前線での戦いの果てに道半ばに倒れるという過程を経る事で、自分が抜けても大丈夫なようにしていたからだった。

 

 戦いたくない。けれど背負っているものがそれを邪魔をする。途中で自分から投げ出す事は許されない。

 

 でも、求められる信頼を裏切ろうとしている自分を見捨てて欲しい。

 

 もう誰も自分を求めないで欲しい。

 

 けれど自分から死ぬ事は出来ない。それは今まで築き上げて来た、苦しみの果てに此処まで来た全ての苦労を水泡へ帰すものだから。

 

 

 

 ――――なら、誰かに殺されればいいのだ。

 

 

 

 キリトは、その結論に至った。

 

 

 

 ――――誰か、自分を殺して(早く、強くなって)

 

 

 

 彼は、そう願った。

 そして、タイミング良く――あるいは悪く――届いたあのメール。キバオウ配下のオレンジがリーファの手を操作して送り付けたメールを読んで、私達が攫われ、更に犯された事を知ったキリトは一瞬で怒り心頭。けれど、どこか冷めた思考のまま、これで死ねると思ったという。

 私達は、自身と関わったから襲われた。

 なら自分が死ねば、もう問題無いのだ。

 流石に外周部から放り投げられた事は予想外だったから慌てに慌てたものの、転移結晶を幸いにも二個常備していたから、私達二人を助けられた。オレンジになっていた自分はどの道第八層以下だと助からない事が分かっていたから、既に諦めていた。

 罵倒される事も分かっていた。拒絶されるだろうとも思った。軽蔑されてもおかしくないとも。

 それでも、もう誰にも自分が原因で傷付いて欲しくなくて、死んで欲しくなくて――――自ら、死ぬ事を選んだのだという。

 システム障害によって第七十六層から下へ降りられなくなって、かつてデスゲームが始まった時のように新たな始まりと言える今に、旧体制の嫌われ役は要らないと判断して。

 

『……それが、あの日のあなたの行動の理由なのね』

 

 私達を転移で生還させたところまで語って黙った事で話が終わったのだと判断したらしいリーファが、そう確認した。キリトは小さく頷いた。

 この場に居る誰もが、絶句していた。

 確かに神童を殺した事に苦悩しているのだろうと思っていたが――――ここまでとは、正直思わなかったのだ。悔やんでいるのでは、私達が攫われた原因になった事を責めているのではと思っていたけど、それを幾つも飛び越えて死を求めてすらいた事に、私は何も言えなかった。言葉なんて浮かばない。

 キリトはずっと泣きじゃくり続ける。

 死のうとしたのに、死ねなかった事への絶望。まだ生きなければならない絶望。ともすれば、また戦わなくてはならない――確実にそうなるだろう――未来への絶望。未来なんて無い事をよく理解しているからこそ選んでしまった、求めてしまった死。

 そんな彼に、どう声を掛ければ良いのか分かる筈が無い。私もそれなりの過去を背負っているけれど、彼ほど酷い訳では無いのだ。

 人殺し? ああ、確かに私は人殺しだろう。母を護る為と、ある意味不可抗力と言えど一人の人間の命を奪った事は事実だ。その罰なら甘んじて受けよう。理解無き罵倒は流しはするものの受け容れよう。

 

 ――――けれど、この少年が一体何をしたという。

 

 実の兄を殺した?

 あちらの方が殺しに来た上に、今までの努力を全て無駄にするような行いをしたのだ。むしろ私は殺されて当然だとも思う。

 実姉が一人になる?

 それもある意味その女性の自業自得だろう。下の弟が虐げられている事に喪うまで気付かず、それも上の弟が率先して行っている事に気付かなかったのだ。互いがいがみ合い、殺し合う事になったのも実の兄の言動が原因。そも、彼は自ら殺そうとはしていなかった、あくまで正当防衛の範囲内ではあるのだ。この場に居ない人間がどう言おうが、そもそも家族を見ていなかった者の言葉なんて聞く意味も無いと思う。

 責めるのはそれこそお門違いというもの。確かに家族の命を奪うという事はただ他者を殺す事よりも重く感じられるが、キリトの場合は事情が事情、同情や労りこそすれ軽蔑などする筈が無い。むしろ苦しいだろうによくやったといたわりたいくらいだ。

 虐げられる事、勝手な期待を背負う事が辛くなった?

 むしろキリトは今まで耐えて来た方だ。誰にも真似出来ないだろうその忍耐は称賛されるべきだし、辛いと思う方が当然、むしろ今まで投げ出そうとしなかった事が異常とすら思えてしまう。だからそう思う事は別におかしい訳では無い。

 期待を裏切ってしまう?

 勝手な事を言って頼られているのだから、それがどうしたと開き直れば良いと思う。《ビーター》として、【黒の剣士】としての役目を考えればそれもどうかという話だが、彼はそもそも働き過ぎだ。少ししか知らないが一人で担う仕事量や重責ではない。

 だから、彼が死を求めてしまうのも、よくよく考えればある意味当然なのだ。何しろ生きている限りその苦しみがずっと続くのだから。だから彼は死にたくなった。もう楽になりたかったから。

 

『そう……』

 

 あまりにも重過ぎる、私達の考えがどれほど甘く軽いものだったか理解させられるその内容に対し、リーファは一言洩らす。

 どこか呆れたように、溜息交じりで。

 

『……あなたにとって、あたしはその程度の存在だった訳ね』

 

 どこか失望したような声音で、そう続けた。

 

『え……』

 

 彼女の唐突な言葉は全く予想していなかった内容だったようで、キリトは力なく、呆然と義姉を見上げた。

 そんな彼に、リーファは軽蔑の視線を返していた。

 

『何を呆けているの。だってそうでしょう? あたしは、ただの一言もキ……いえ、《キリガヤカズト》という大切な弟を見限るだなんて言っていない。それなのに何、『家族殺しをしたから受け容れられる筈が無い』? ――――ふざけるな』

『ひ……ッ?!』

 

 一瞬間を置いての一言は、この場の空気を一気に重くした。その重圧、更に濃くなった怒気に、キリトは怯えの声を洩らしながら半歩後ろに下がる。

 キリトが半歩でも、怯えや恐怖で後退するのを私は初めて見た。

 その様に苛立ちが更に募り出したのか、金髪の妖精は踏み込んでキリトに近付き始める。

 

『そもそも、『家族殺し』って何。死ぬ事を分かっていながらあの男はあなたを見捨てて、更にはこの世界であなたを二度も殺そうとしていたのよ。それなのに、あなたはまだあの男を『家族』だなんて言うの。もう縁なんて切れたも同然の、血の繋がりしか無い赤の他人に等しいあの男を、まだあなたは《兄》と思っている訳。《織斑一夏》から《キリガヤカズト》へと名を変えたのに』

『ぁ、ぅ……あ……ッ!』

 

 キリトは完全に怯え切っていて、ボロボロと涙を零して震えていた。既に床にへたりこみ、少しずつ近付いて来るリーファから少しでも離れようと後退を続けている。

 けれど、リーファの鋭い双眸と殺気とすら思える程の絶大な怒気が、それらを阻む。

 体の震えとしゃくりあげが酷くなったキリトは、とうとうリーファに追い詰められた。

 

『――――ねぇ、あたしはそんなに姉としてダメなの。あなたはそんなにも《織斑》に戻りたいの』

 

 床にへたり込んで涙を零して怯えるキリトに視線を合わせるように膝を折ったリーファが、決して逃がさないとでも言うように肩をがっしと掴み、真っ直ぐキリトに問いを投げた。

 

『確かに、あたしは一人っ子だし、カズトに較べて家事も出来ないし、《織斑千冬》に較べて文武は劣ってると思う。でも、それを補うくらいあたしはカズトの事を愛して来たつもりだし、武道や勉強も出来るだけ見て来た。今までが酷かった分、せめてと思ってカズトを目一杯家族として愛してきたの。あたしも、父さんも母さんも……』

 

 そこで、彼女は僅かに顔を俯けた。肩を掴んでいる手に僅かに力が込められたのが離れている私からも見て取れた。

 

『……これを告げるのは、本当はもっと後にするつもりだったのだけどね』

 

 数秒の間を置いて、彼女はぼそりとそう言った。

 

『――――ねぇ、あなたは《織斑一夏》と《キリガヤカズト》のどっちを選ぶの』

『……え』

『あなたは《キリガヤカズト》から《キリト》という名前を作り出した。でも、あなたの話を聞いているとこの世界での立ち位置や《ビーター》の振る舞い、意識は《織斑一夏》の方が強いと感じる。アキトを殺した事を『家族殺し』と言う事からもね……キバオウの事もあるから《ビーター》に関しては多少不可抗力もあるのだろうけど、だからと言っても流石にこれは徹底し過ぎよ。まるで《織斑一夏》である事を捨てられない、あるいは望んでいるとすら思えてしまう』

『……』

 

 リーファの推測に、キリトはその思考が今まで無かったのか目を見開いて黙り込む。その表情は愕然という表現が似合うもの。

 

『あなたが《織斑千冬》の背中を追っている事は理解してた。リアルで武道を教えている時も、新しい技を使えるようになったり、あたしが掛ける技に対処出来るようになったりしても、本心では喜んでなかった事くらい分かってた……この世界で生きるにあたって強くなる必要があったのは分かるけど、リアルでも同じ背中を追い求めていた時点で、本当は強くなる理由は別にあったのでしょう?』

『……』

 

 彼女の問いに、キリトは答えない。ただくしゃりと表情を歪めるだけ。

 けれど――――その沈黙こそが、何よりも答えを示していた。

 以前リーファは、《織斑千冬》の背中を追っている事を、呪いと称した。それを私はこの世界で生きるにあたって世界最強でなければならないという強迫観念、あるいは《織斑一夏》だった為に『なって当然』と思われているからだと考えていた。

 けれど彼女の解釈は別。リアルの頃からそうだったのだから、本当は生きる為では無く、別の理由があると気付いていた。

 強くなる理由に、自分が生きる為だとか、誰かを助ける為だとかは付属品。本当の最初の最初は、もっと別のものがあったのだろうと。

 

『……本当は、《織斑一夏》として認められて、《織斑一夏》として《織斑千冬》に褒められたかったのでしょう』

『ッ……!!!』

 

 端的に、確信があると分かるそのハッキリとした問いに、キリトは無音の悲鳴を上げる。

 《織斑一夏》として認められたい。それはつまり、かつての家族の下に帰りたいという願望がある事を意味する。

 そう考えれば、キリトが実の兄を殺した事で気に病む事も、自分が分かり合おうとしなかったと考える事も、実の姉に寂しい思いをさせて家族殺しを理由に殺しに来るかもという考えを抱く事も、全て合点がいく。

 どうやらさっき語った話の中で、そこだけは避けていたらしい。

 けれどリアルの頃から彼の武道と勉強を見ていたリーファには丸わかりだったようだ。それはそうだろう、SAOからしか知らなければ分からない事なのだから。強くなろうと直向きなのは、生きる為や誰かの助けになるため、そして《織斑千冬》の背中を求めているからだと普通思う。でもリアルの頃からそうだったのなら、そもそも前提が狂うのだ。

 確信を持っていたのだろうけど、それでも信じたくなかったらしいリーファは答えを知って、重苦しい溜息を吐いた。彼女にとってすれば義理の姉として接し愛して来た今までの全てを否定されたに等しいのだから、それも仕方ない。キリトの境遇には流石に同情を禁じ得ないけれど、こればかりは彼が悪い。

 

『この世界で再会した日、あたしにあなたはこう言ったわ。『《キリガヤカズト》として生きていたい』と……それに《圏内事件》が収束したあの夜、あなたはあたしを、あんな醜い想いを抱いていたあたしを『受け入れる』と言ってくれたし、同じようにあたしも言った。それなのに…………それなのに……』

 

 リーファの肩が震える。その震えは哀しみ故か、それとも怒り故か。

 

『かつてあなたは生きたいと言った。けれどあなたは今死を求めている。《キリガヤカズト》として生きたいと言った。けれどあなたの思考は全て《オリムライチカ》としてのものになっている……――――ねぇ、あなたは、どうしたいの。あなたの名前は何なの』

『俺の、名前……俺の、オレ、おれ、は……ぅ、あぅ……あぁ……ッ』

『……』

 

 キリトは完璧に錯乱していた。

 今まで抱えていた――恐らくは無意識に目を逸らしていた――矛盾を逃げられない形で、恐らく最も言って欲しくない人物に言及された事に、彼の精神は既に悲鳴を上げていた。感情が乏しくなるという防衛反応が働いていたのに、そこに来てのこのダメ押しだ、むしろ泣き喚いていない彼の精神力を褒めるべきかもしれない。

 その彼を、リーファは厳しい目で見つめる。嘘や誤魔化しは絶対許さないと、嘘を吐けば軽蔑するというその固い意志を、その翡翠色の瞳から感じられた。

 

『……それにね、あたしが怒っている理由は、まだあるのよ』

 

 このままでは埒が明かないと思ったのか、それともいっそ全て一気にぶちまけた方が良いと考えたのか、リーファはキリトの様子を見続けながら更に言葉を重ねた。

 

『ユイちゃんが消滅した日の夜、あなたは言った。『親しい皆が生還して幸せになって欲しい』という願いを口にした。強くなりたいという自分の願いをも超えるそれをあたしに言った。それは覚えてるわよね』

『う、ん……』

『あなたにとってあたし達の生存が一番大事なんだろうけど……それであなたが死んだら元も子もないの。そも、あなたが身代わりに死んで、それで生き残ったあたし達が幸せになれると本気で考えてるの?』

 

 リーファのその意見に関しては全く同じだった。助けてくれた事はとても感謝しているけれど、でも自分を犠牲にするというのはとても苦しくなった。この三日間、マトモに食事が喉を通ったのはさっきの夕食くらいだったのだ。

 生き残った事よりも、キリトを身代わりとして死なせてしまった事の方に意識が傾いていて、とても苦しかった。

 

『さっきの話を聞いた限り全部自分が悪いと考えているようだけど……切っ掛けは確かにキリトかもしれない。でもあの行動を取ったのも考えたのもキバオウ達で、キリトがけしかけた訳じゃ無い。あたし達が攫われたのも直接的には油断とレベルが低かった事が原因。それすらもキリトは、自分が悪いって抱え込むの? ――――ねェ……神様にでもなったつもり?』

 

 ぎり、と肩に置く手が締められる。痛覚があるキリトはそれに僅かに苦しそうにするが、それすらも許さないとでも言うように――――あるいは、この程度で痛がるなと責めるように、リーファは更に力を籠めていく。

 

『あなたは人間。まだ十歳の子供、本当は護られているべき年齢の子。今まで色々あって最前線を生き抜いて来て、きっと誰よりもこの世界では強くなっているのは分かる……でも、だからって何もかも自分のせいって言われると、流石に腹が立つのよ。あたしとシノンさんが攫われたのは油断と低レベル、もっとレベルが高ければ、あるいはもっと警戒して街や村に逃げていれば助かっただろうに、油断が原因で捕まった。狙われた遠因はキリトにあったとしても、ね。この場合、きっと誰が見ても悪いのはキバオウと言う。それなのに『自分のせいだ?』――――思い上がりも甚だしい』

 

 更に低くなった声音。鋭く、重く、濃くなったリーファの怒気。

 それを向けられていないというのに、離れている私やユウキ達は完全に彼女の怒気に呑まれ、気圧され、何も言えない。前半はともかく、後半に関しても大体言いたい事は同じだけど、流石に今の彼にそこまでキツく言うのは酷過ぎやしないかと思うけど、言えない。

 それだけリーファはキリトの事を理解している。大切に想っている。そして、彼がどれだけ矮小で、出来る事が限られている人間かを知っている。

 だからこそ、何でもかんでも背負い込んで、人の願いを叶える神様のような振る舞いをする彼の事が許せなくなっている。今までは同情の気持ちが大きかったけど、今回の身代わりに犠牲になる行動は相当頭に来たらしい。私より比較的立ち直りが早くてユウキ達と会話出来ていたのは、私のようにほぼ哀しみに暮れていたからでは無く、逆に沸々とした怒りを覚えていたからだったのだ。怒りを抱く気持ちも分からないでも無い。

 流石にここまで厳しい物言いになるとは普段の柔らかい物腰からは想像もつかなかったので、意外性とその威圧感に気圧されてしまっているけど。

 

『人を殺した選択が正しかったか悩み、殺した事を悔やみ、自分の行動すらも否定し、あまつさえ死に逃げる? 何もかもが中途半端過ぎるだなんてどれだけ性根を腐らせたのよ。なまじ力を持ってしまった分余計にタチが悪い』

『ちょっ、り、リーファさん、流石にそれは……!』

 

 流石にその物言いは酷過ぎると思ったのかディアベルが止めに入ろうとした。その胆力は流石は二千人以上の所属数を誇る《アインクラッド解放軍》のリーダーで、キリト曰く二大カリスマ騎士の片割れと言うべきだろう。

 けれどリーファは彼が止めに入ろうとしたのを、視線を向けるだけで中断させた。その眼が、こちらの予想を遥かに超えるくらい鋭く、ともすれば殺気すら籠っていたから。

 

『止めないで下さい。今言っておかないといけない事なんですよ』

『し、しかし……流石に言い過ぎじゃないか……?』

 

 リーファの殺気と怒気が混じった視線と共に放たれた言葉に、萎縮しつつもディアベルは意見を述べた。

 その胆力、私は本気で尊敬したい。というかする。あれを浴びていながらまだ意見を口に出来るとか最早勇者と言いたい。

 その彼の凄まじい胆力で発せられた意見は、リーファにとっては話にもならなかったのか、はっ、と鼻で笑った。

 

『むしろ言い足りませんね。どうも理解出来ていないみたいですから教えますけど……この子がした『死を求める決断』は、今まで彼が奪って来た命全てを侮辱する行いです。更には、本人も言いましたけどディアベルさん達の信頼はおろか、これまで攻略で喪われた命、掛けられた期待、時間、努力の全てを不意にするものです。話にだけ聞いた呪詛を残したというリーダーの死すらも踏み躙る、ある意味でアキトよりも最低な行いですよ』

 

 ディアベル含め、リーファに対し言い過ぎだと思っていた面々に、何故彼女がここまで怒るか理由の一端を説明された。

 確かにそうだけど……でも、それでも言い過ぎだと思う。キリトはそれを自覚していたのか黙ったまま受け容れている。あるいは、最早反論する気すらも失せたのか。自身を信じていた義理の姉を完全に裏切っていた事に対する罪悪感からか既に半ば自失していた。

 

『勘違いされると困るから言っておくけど、あたしはあなたの選択や行動、思考の全てを否定している訳では無いわよ。キリトの行動で救われた人は確かに居る。直接的にはレインさんやあたしとシノンさん、シリカさんが該当するし、間接的にはもっと多く居る。辛い道であろうとも進もうとするその意欲自体には尊崇の念を抱いているのは確かなの』

『じゃあ、何が……過去を顧みる事は、迷う事は、ダメな事なのか……?』

『……そんな事を問うだなんて、本格的にあたしの教えも忘れているようね』

 

 頭が痛いと言わんばかりに顔を顰めて頭を振る。

 

『別に、過去を顧みる事も迷う事もダメという訳では無いわよ。選択を迷うのは別に構わない、迷ってこそ人間、試行錯誤の積み重ねで成長するのだから。反省する事も構わない、自分の過ちを見返す事で改善点を見出し、成長していくのだから。必要な事なのよ、どちらも……』

 

 視線を半ば自失したままリーファに顔を向けているキリトに視線を戻した彼女は、そう言葉を続ける。

 それから、でもね、と続け、眦を釣り上げた。それこそが最も怒っている事だとでも言うように。

 

『後悔だけは絶対にしてはいけない。現実では死んでいないけれど、あなたの行動は人の命を奪うという重大な罪である事を重々承知している筈。それなのに後悔? なら、あなたのその後悔した行動で命を刈り取られた人達はどうなるの? ――――莫迦を見ただけじゃない』

 

 そこまで彼女が言ったことで、私はリーファが何故そこまで厳しい物言いでキリトに対し怒りを見せているかの理由を察した。

 彼女はキリトの行動や決断を責めているが、何よりも責めているのは、今まで彼がしてきた行動と決断で摘み取られた命を侮辱する事なのだ。もっと先があっただろうに何らかの理由で刈り取られた命達を捨てる行為だったから、彼女はそこまで怒っているのだ。

 

『現実で武道を教える時にあたしは言った。『選択を迷ってもいい、過去の反省も構わない――――けれど、言動の後悔だけはするな』と。あたしがしてきた剣道だってね、勝敗がキッチリ決まった厳しい世界。ハッキリ言って敗者の言い分なんて通らない、勝者だけが正義の世界。その世界で試合をする人間は勝ったなら負けた人の目標となれるように堂々と、負けたなら勝った人を超えられるよう敗北を糧に鍛錬を積んでいく。それなのに勝った人に『ごめん』なんて言われたら、負けた人は惨めなだけでしょう……それを痛いくらい知っているから、あたしはその教えを伝えたのよ。決して傲慢で卑劣な事が出来るようにと教えを説いてきた訳じゃない』

 

 僅かも収まりを見せないリーファの怒気は、ここで最高潮を見せた。

 

『今までしてきた行動・決断が『正しかったのか』と迷いを抱いた。どの行動を取るかではなく、()()()()()()に迷いを抱いた。もっと良い手があったのではと反省するだけに飽き足らず、それを否定した、己の行動は間違っていたと……ねぇ、あなたは何様になったつもりなの。人の命どうこう、人の先の良し悪しを勝手に決め付けて、悪かったら自分のせいと言うだなんて、あなたは神様にでもなったつもり? その思考が、行為が、どれだけの人の意志を傲慢にも無視したものか、今まで自分が奪って来た人達の命を無意味にするどれだけ愚かな事かも理解しないなんて』

 

 『何様のつもりか』という、これで幾度目になるかと思うその言葉。傍から聞いているだけでも心にグサリと突き刺さるそれを、良かれと思ってこれまで思考し、行動して来たキリトはどう思って受け止めているのか。相当苦しく響いているのは想像に難くない。

 それを理解しているだろうリーファは、それでも怒り冷めやらぬのか、口をまだ閉じない。

 

『死に意味を持たせている事もそう。そんな戯言で自分の死を――――生への諦観を正当化するな。そして自分の死に、他者を巻き込むな。生を諦めを他者の為と謳って誤魔化し、死を正当化し、逃げようとしているだなんて、卑怯者の誹りを受けても擁護出来ないわよ』

『ッ……』

 

 ビクリと、鋭い舌鋒に涙目でキリトは肩を震わせた。自分の後ろめたい思考を完璧に読まれている事への恐怖、目の前で義姉が怒り心頭な様に怯えを抱き、何時になく縮こまって震えていた。

 その姿を見ても、やはり彼女は止まらない。

 

『そもそもね、数学みたいに絶対に正しい答えなんて無いのよ。アキトを殺した事も、アキトからすれば間違っていると見えたでしょうけど……なら、《攻略組》はどう思ったかしらね。アキトを殺した事について誰か一言でも責めてきたりした? 眼で『お前が悪い』と伝えて来た人が一人でも居た?』

『い……いや、してなぃ……』

『でしょう? つまりそれは誰がどう見ても、現場を見ていないあたしやシノンさん、シリカさん達ですら人から聞いただけでもアキトは《悪》で、キリトは《善》と認められる事だったという事。なのに勝手に『あれは正しくなかったんだ』と、『受け容れられない』と思い込んで、あまつさえ死を求めるなんて……――――今後の事を始める前に、一度清算する必要がありそうね』

 

 そう言い終えたリーファは、徐にキリトの肩を掴んでいた手を離し、片膝立ちで視線を合わせていたのも辞めて立ち上がる。その際、呆けているキリトの手を取って引っ張り上げ、半ば無理矢理に立ち上がらせた。

 一体何をしようと言うのか、キリトは全く分かっていない様子だった。

 そんな彼を置いて、彼女は唐突にディアベル以外ずっと黙っていた私達に顔を向け、壁際へ寄るよう指示した。何を意図してか分からないが僅かに剣呑な様子に気圧され、私達は一人の例外も無く、一塊になって透明な壁際へと寄る。その後、横一列になって二人を見守り始める。

 

『キリト、構えなさい。』

『……え。な、何で……?』

『初心に戻るのよ。今のあなたは、謂わば『間違った方法・手順で出来上がった積木細工』、穴だらけな上にどこか歪なまま作り上げられた。だから何を言っても、もう矯正が効かない。だって下手に正したら全部崩れるから……――――なら、一度基盤から敷き直す』

 

 そう言いながら、彼女はキリトからおよそ十メートルほど距離を取った。

 その後、右手を振り払いながら振り返り、怒気から純粋な闘気へと置き換わった真剣な面持ちでキリトを見据える。その様は回避と素早さを重視した身軽さを感じさせる構えだった。

 今までの経験か、条件反射的にキリトも素手で臨戦態勢を取る。こちらもリーファに近いが、癖なのか一刀の時の構えにどこか近い。違うとすれば僅かに右腕が体に寄り、腰もそこまで深くは落としていない点。すぐ動けるよう上げ気味にしているのだろう。

 

『確かにあなたのレベルやステータスはあたしより圧倒的に高い。でも、そんなちぐはぐさで、あたしを倒せるとは思わない事ね。選択にではなく済んだ事への迷い、反省ではなく後悔を抱き、更には殺すと決めた覚悟すらも貫けないその有様……ええ、いっそ無様とすら言える。そんな体たらくな様の雑魚に負けるほど、あたしの覚悟は弱くないのよ』

『――――ッ!』

 

 リーファの侮蔑紛いの挑発を受けてか、ザワリとキリトの様子が揺らいだ。闘志はどちらかと言えば殺気にすら近い。自身を想ってくれている義姉に向けるものでは無いが、それだけキリトは今激情に駆られているようだった。普段の彼なら決して乗らないであろう挑発に乗るくらいの逆鱗らしい。

 自分を弱く見て貶める言葉を今まで無数に投げかけられていただろうが、その時と違う反応を見せているのはリーファにだけは言われたくなかったという事。彼女の言葉を認めたくなくて、否定させたくて激情に駆られている。

 その彼を見て、それよ、とリーファが言った。

 

『自分に自信が無いから、こんなレベルの低い挑発にすら乗ってしまう。いえ、自制が効かない、何故なら反対しなければ自分を保てないから。恐らく自覚しているのよ、今のあなたがどれだけ矛盾に満ちているかを。《織斑一夏》と《キリガヤカズト》の間でどれだけ揺らぎ、矛盾を抱え、それで戦おうとして苦しむのかを』

 

 確かに、《ビーター》の事は《織斑一夏》とセットにされるけれど、【黒の剣士】は違う。それでも役割の対比から考えて、やはり【黒の剣士】のどこかにも《織斑一夏》の要素はあるのだろう。あるいは、この世界に生きている間全ての行動がそれなのかもしれない。

 けれどプレイヤー名から察するに今の名前《キリガヤカズト》という方が元なのだから、本来の意識としてはそちらの比重が高い筈なのだ。

 

『それを自覚しているのに直さないのは、偏に今までの実績や強さが原因ね』

 

 幸せな現実と苦しい現状の矛盾。それをずっと続けて来て、それで実績を積み重ね、SAO最強へと至ってしまった。だから引くに引けず、今更崩す事が出来ず、ズルズルとここまで来た。矛盾を理解していても壊せない。壊したら、今まで得た強さがリセットされてしまう、そんな恐怖を覚えたから。

 それを見抜いたリーファは、端的にそう言った。キリトはさっきまで泣きじゃくっていたのが嘘のように、今までリーファに向けたのを見た事ないくらい鋭く険しい、苛立ちと怒りの面持ちになっている。

 まぁ、命掛けの戦いを延々と繰り返し、積み重ねて来たその実績の全てを根底から引っ繰り返されようとしているのだから、そうなるのも当然か。

 けれど、キリトはこれを受け容れなければならない。その矛盾を抱えたままでは、今度こそ本当に手遅れになってしまうから。

 

『なら、あたしがそれを根底からぶち壊す。弟子の不始末は師が付けるもの、弟が道を踏み外したなら正すのが姉というもの。今の性根の腐った織斑一夏(Kirito)には師であり姉でもある者として引導を渡します。流石のあなたも、こんな低レベルプレイヤーに完膚なきまでにやられたら嫌でも理解するでしょう?』

 

 

 

 ――――今まで積み上げて来たものが、どれだけ矛盾と無駄、傲慢さに満ちたものだったのか。

 

 

 

『だ、ま、レ……ッ!!!』

 

 ニィ、と悪辣な人間性なのかと勘違いしてしまう程に寒気を覚える口の歪め方をしたリーファの言葉に、キリトがとうとうキレた。

 今まで多く苦しみ、嘆き、それに耐えて生きて戦って来た。それを矛盾、無駄、傲慢さに満ちたものだったと、今まで自身が考えに考え抜いた行動の全てをそう評価されて――――特に、大好きな義理の姉からそう言われたのが、凄く堪えたのだ。

 生と死の境を彷徨い、多くの人をその手に掛け、少しでも多くの人達の為を思って行動した全てが無にされる事を、キリトは嫌がった。そうしようとするリーファを、この時彼は、《敵》と認識したのだ。犬歯を剥き出す程に凄絶な表情を浮かべ、殺意で縮んだ黒い瞳孔が目の前の女性に向けられる。

 その様子に、リーファは満足そうに不敵な笑みと共に頷く。

 

『そう、あたしは今この時を以て、あなたの《敵》となる。織斑一夏(Kirito)の全てを否定されたくないなら、あたしを完全に、完膚なきまでに屈服させ、心を折り、二度と逆らえないよう平伏させなさい。もう二度とこんな口が利けないよう徹底的に』

 

 謳うように、まるで今から組み手――――という名の殺し合いにも等しい果し合いをする事が心底嬉しいようにすら思える軽やかな言葉を、リーファは口ずさむ。キリトはそれに怒りを募らせ眉根を寄せ、険しい面持ちになっていくけれど、反対にリーファはどんどん笑みを明るく深くしていく。

 まるで、キリトのその様子が目的だったと言わんばかりに。

 傍目から見れば、今の彼女は魔女に見えるかもしれない。幼子が苦しむ様を見て喜悦に浸る外道の魔女に。

 その実、義弟を想う姉なのだけど、きっと今の彼には自身が慕う姉がそう見えている。

 

『けど油断は禁物、慢心は厳禁、決め付けもご法度。これからあなたが挑むのは確かに低レベルというこの世界の法に照らせば取るに足らない雑魚だけど――――技術面だけを見るならば、あたしは正真正銘日本最強の使い手よ。剣道、剣術、柔道、柔術、空手、拳法、古武術、その他諸々を修めているあたしに勝つならば、決死の覚悟で挑んで来なさい』

 

 構えも姿も軽くはあるが、けれど言葉と共にその重圧は増していく。

 レベルは確かに低いだろう。この場にいる誰よりも、私と並んで彼女は低い。

 けれど、リーファは技術面だけは特別高い。

 何しろここに集っているデスゲームを生き抜くために技術を磨き上げてきた誰もが全て独学。型なんて無いし、理合や法則、効率なんてものもほぼ度外視。求めているのは生きる術唯一つ。

 けれどリーファは違う。物心がついた頃から祖父から学んだ教えと技術がある。基盤が整っているのだ。その上でしっかり地道に鍛えて来たから何もかもが整然と整っている。生きる事だけを考えるなら非効率的でも、戦闘という側面だけ切り取れば圧倒的に彼女が上だ。現に私と同時に彼に指導を受けた彼女は、ソードスキル発動の事以外で指導が全く要らなかった。この世界特有の戦闘方法以外は整っていた、つまり戦闘の技術は高いという事を意味する。

 それはきっとキリトも理解している。いや、彼女から教えを受けたからこそ理解しているだろう、誰よりも。

 

『あたしに屈すれば、今まで戦って来た織斑一夏(Kirito)はここで死に、あたしが屈すれば今後も生きる。至極単純なこの戦い、制する気なら死力を尽くせ。一瞬でも気を抜けば――――終わるわよ』

 

 その一言を最後に、彼女は目を狙い澄ます鷹の如く眇め、一気に身構えた。向けられている訳でも無いのに叩き付けられる闘気は、私が感じた事のあるキリトのものより遥かに濃密且つ重苦しい。戦いの九割は威圧で勝つと言うが、正に剣道の世界で日本最強まで上り詰めた彼女はそれを実践しているのだ。

 だからこそ、気を抜けば終わると言った。それが事実だから。

 きっと、だから彼女は敢えてキリトを挑発した。さっきまでの怯え竦み泣きじゃくるキリトでは耐えられないから、戦えるよう奮起させた。それなら今の最強を作り上げている《Kirito》が戦えるから。彼を屈服させられたら、今までずっと責め続けたリーファの真意というものが成就するから。

 

 ――――それが、この管理区で異様に闘志を漲らせながら対峙し、無手で構えている光景の経緯だ。

 

 デュエルをしようとする素振りが見られない以上、恐らくリアルで行っていた組み手方式を取るのだろう。何が勝敗を決めるかは分からないが、どちらかが動けなくなるか、本当の戦闘なら確実に命を取られている一撃を寸止めで入れるかのどちらか、あるいは床に叩き付ける事なのかもしれない。

 片や不敵に口の端を歪めながら隙無く構え、片や険しい面持ちで力を籠めて構えている。

 この勝負、能力自体はリーファが絶対的に劣っているから、ユウキのように拮抗する事は無い。

 けれどユウキとてパワーの面では絶対的に負けていたし、スピードもレベルの開きのせいでほぼ負けている状態だった。彼女が引き分けに持ち込めたのは技量と意地があったから。つまりリーファが粘れば勝てる可能性は少なからずある。何しろHPで決めるのではないのだから。

 シン、と静まり返る管理区。誰も声を発さず、誰もが息を呑んで視線の先の二人の勝負を見守る。

 応援は当然――――今後の為を思っている、リーファ。当初こそ彼を見限るつもりかと冷や冷やさせられたけど、今ではもう義弟の事を想って逆に厳しく接していた事が分かる。あの否定は、今まで事情があったからと看過していた事だったのだ。アレを、もっと言えばあの考えを持つに至る根幹をどうにかしなければならないと判断したから、彼女は本当にそうするつもりであそこまでキツく言い募り、責め、そして挑発して怒らせた。

 怒りは、本心だ。本心でなければ膨大なエネルギーを消費する怒りなど見せないだろうし、そもそも核心を突かなければその感情すら沸き立たない。だから今のキリトは本当の本心なのだ。今までずっと耐えに耐えて来た苦しみを否定されて、今までの行動を自分で肯定するべく、キリトは抗うべく怒っている。

 それをリーファは狙った。本心――――すなわち、もう後が無いという状態の彼を叩き潰さなければならないから。そうでなければ底が尽きないから。

 

 ――――リーファ……お願い、勝って。

 

 胸中で、最大のライバルの一人にして仲間である彼女の勝利を、私は願った。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 ええ、以前鬼神リーファはキリトに対しては出ないと書きましたが……今話でバリバリ出ましたね。書いてたら何でか出た。

 これも全部お姉ちゃん力天元突破してるリーファの魅力のせいなんだ……

 ちなみにコンセプトは《姉弟喧嘩》と《師弟喧嘩》だったりする。原因は弟(弟子)にあって、それを危ういと思った姉(師匠)が矯正する為に動いて……結果的にキリトの根幹がSAO最強という《強さ》に根付いている為にレベル差を覆す実力で捻じ伏せようというのが大筋。

 『たった一人の人間に出来る事は限られている、結果に納得せず後悔し続けるのは傲慢、そしてその程度の実力で何でも救えると思い上がるな』っていうのが今話の総括。

 一言で纏めるなら『思い上がるな』ですね。

 ちなみに今話のリーファの行動を理解ある母親と知人に話したところ、メッチャ主人公してるって言われました。本作って、女性が主人公して、キリトがヒロインする話が多いよね……年齢的に仕方ない部分もあるけどサ(白目)

 さて、今話では《圏内事件》勃発時に夢に出た白に指摘された矛盾点をそのままにしていた事が仇になって、それをリーファは見抜いた為に今回の荒療治に踏み出しました。無論、叱らなければ気が収まらない部分もありましたが。

 一応注釈をつけるなら、リーファは別に他者への手助けを否定してはいません。あくまで自分を蔑ろにして、何もかも背負おうとしている事に対して否定を出しているのです。

 仮に誰かを助けられる程の力も無いなら、それこそ某世界最強サンの如く力尽くで止めるか、あるいは関われないようにしているでしょう。それをしない時点でアシュレイ服飾店での話で語っていたように既にある程度認めているんですよね、リーファ。それがこれまでのスタンス。自分を蔑ろにする行動が度を過ぎていた(リスクを払うどころの話では無かった)から口を出した訳で。

 キリトの心情描写で、矢鱈とアキトの肩を持つようになっていたり甘さを出したりした点は、根底で《織斑として受け容れられたい》という願いが燻っていたから。それを振り切れなかったからアキト斬殺を後悔。芋づる式に今までの行いを悔いて――――それがリーファの逆鱗に触れた、という訳です。

 ちなみに剣道の話に関しては、実際厳しい世界なのでその辺についても厳しいよなぁと思っての描写。負かした相手に謝罪とか、勝利の裏の敗北者や犠牲者の存在を忘れるとかは間違いなくガチギレ案件だと思うの。そこを意識しているか否かが人間関係とか成長に関係してると思ってます。

 更に更に、『あんた何様』は多分ずっと人の為と言って戦って来たキリトの根底を抉り返すどころか何もかもひっくり返すも同然のセリフだと思ったので多用。『あの行動は正しかったのか』とか延々と悩んでいるキャラには一番効くんじゃないでしょうかね、このセリフ。

 決断した先の事を考えて悩むなら、まぁ立場と状況によってはまだ理解出来ますが、終わった事でもっと良い方法があった筈と思い続けるのは、ね、程度にもよりますが極論傲慢と言えると思います。優しさと甘さの境界線を理解していたらアレなんでしょうがね(つまり本作キリトはまだ理解出来てない)

 正直自分で書いてて『うわぁ……』と自分にダメージが。主人公の葛藤シーンを好んでいるだけに、自分で書いてて……うん。

 ……そういえばガチ泣きするのはトラウマではあったけど、特定個人に叱られてっていうのはキリトは初めてかな。(露骨な話題転換) そもそもここまで想われながら怒鳴られた事自体が初めて……サチ辺りに叱られてるけど、あれはどちらかと言うと慰めに近い。

 叱られるのが初めてって……(うん、もう何も言わない……)

 では、次話にてお会いしましょう。



 ――――暫く鬼神お義姉ちゃん師匠無双回(他キャラは空気! More DEBAN!!)



 活動報告にて、今回リーファが説教をする事になった理由について掲載しました。良ければご参考下さい。


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