王道と邪道   作:ふぁるねる

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投稿ペースが遅いため、毎話、前書きに何ループ目なのか、これまで何が起きていたのかをあらすじ書こうかと思うのですが、いかがでしょうか。

これだけの返信は感想規約に触れるので、作品感想と共に反応いただけると幸いです。


食客と従者と騎士②

 

「なあ、フェリスはなんで男装してるんだ?」

「口を慎めよ、ゴミ」

 

 スバルの首根っこを掴み、壁に押し付けるフェリスの瞳は、とてつもない怒りに溢れていた。

 

「ちょ、ちょ、ギブ! ギブ!」

 

 首元を掴む腕の力はどんどんと強まり、スバルの首を締め上げる。

 呼吸も困難になりかけたところで、腕をパンパンと叩くと、ふっとフェリスの力が和らぐ。

 しかしそれは、怒りに我を忘れていただとかそういうものではなく、殺すことはいけないという極めて冷静な自制心によるものであることが、いまだに満ちている怒りが告げている。

 吊り上げられた姿勢から、途端に離されたものだから思わず尻餅をついてしまった。

 

 この三日間を繰り返すうちに、疑惑や疑念の目を向けられることには慣れた。殺意だって向けられた。看守長がヴィルヘルムに向ける積年の恨みも目の当たりにした。

 しかし、純粋な怒りをまっすぐ向けられることはなかった。

 それは熱した包丁を心臓に刺されるような痛みを招き、スバルを恐怖させた。

 

「本当に、今すぐ、死ねば、いいのに」

 

 語気は穏やかだが、細かく、念を押すように、一言も聞き漏らすなと言うようにフェリスは呟く。

 期待しなくとも三日後には死ぬだろうけど、などと言い返すことはできず、スバルは怯えた目でフェリスを見上げるばかりだ。

 

「………………」

「…………な、なんだよ。ちょ、ちょっと気になったから聞いただけだろ? そんなに怒ることかよ」

「……………………」

 

 相手の気分を害したなら素直に謝る。

 そんな基本ができないのが、スバルをスバルたらしめる所以であることをスバル自身はまだ気が付かなかった。

 

「……僕は、クルシュ様の騎士だ」

 

 それだけぽつりと告げ、フェリスは青白いマントを翻して背中を向けて歩き出す。

 

 今までもフェリスがスバルに怒りを向けることはあったが、これまでとは明らかに違った雰囲気の怒りにスバルは面食らって呆けてしまう。

 なぜ怒ったのか、怒られなければいけないのかスバルには分からない。いやスバル自身が否定されたということを認められないプライドの高さのせいだろう。故に、人の地雷を踏み抜くというレベルではなく、地雷原でタップダンスしてしまうレベルの無神経さにつながるのだ。

 

「なんだよ……騎士って……剣持って戦うだけだろ……」

 

 もしその言葉もフェリスの耳に入っていたのなら、おそらくスバルの意識はこの場にない。

 ゆえに、最小限の小声でそう呟いたことは、スバルの異世界生活史上唯一のファインプレーだっただろう。

 

 騎士、というものの持つ意味はよく分からないが、それを軽んじることはフェリスの逆鱗に触れるらしい。

 

 スバルが知る騎士は、かつてのヴィルヘルムのみだ。

 本人から話に聞いただけのこと。それにヴィルヘルムが叙勲した『騎士』とは、現代におけるそれとはまた違うのだろう。

 青少年でも戦場に狩り出される時代だ。剣を握る手はあればあるだけ良いのだろう。だからといって誰でもからでも騎士として祭り上げられるわけではない。ただただ剣の腕で評価された実績。剣に愛されし剣聖をも超越したそれがあってこその騎士だ。

 戦の無いだろうこの時代に、フェリスが口にする『騎士』は、それとは違う気がした。

 

(少なくともあいつの前じゃ騎士ってワードはNGだな……。ちっ、どいつもこいつもめんどくせえな)

 

 最も面倒な性格をしている自覚はないスバルは、少し距離を空けて気乗りしないながらも主人の命に背くわけにはいかないので、フェリスの後を追うことにした。

 

 

 ────────────────────

 

 

「腸狩りぃ!?」

「ちょ、おま、うるっせぇよ」

 

 フェリスの高い声が広い庭園に響いた。

 

 スバルとフェリスの間に微妙な空気が流れたまま屋敷を出て開口一番、「さて、心当たりはあるのか」と言われたので、「そういえば『腸狩りのエルザ』とかいう奴も絡んでくると思うんだけどよ」と言った返答がこれである。

 

「なぜそういう大事なことを言わない!?」

「なぜっ……って、まだ時間はあるし、そもそも氷の巨獣はそんな奴どうでもよくなるぐらいやべえんだわ」

「情報共有は基本だろ……ッ! これだから嫌いなんだ君みたいなのは……!」

 

 言わなかったのは悪いかもしれないが、じゃあ最初に全部語れと言われてもどの範囲まで言っていいのか、あまりにも詳細を語りすぎてしまうと変に勘繰られないか、スバルとしても事情があるのだ。

 

「殺人鬼はヴィルヘルムさんの領分だろ? どうせ俺らには関係ない話だ。要らない心配したって意味がねえよ」

「それはそうだが、爺さんも老体だ。そう易々と誰にでも勝てるなんて楽観視するなよ」

 

「知ってる」とは言えない。

 実際のところ、前回のループでヴィルヘルムはエルザに負けている。

 首を落とされている以上、完敗と言って差し支えないだろう。

 恐らく何度ループを繰り返しても、剣鬼が腸狩りに勝利を上げることは難しいはずだ。

 それには追加戦力が必要になってくる。

 

 今回の調査の目的は、氷の巨獣の正体探しの他に、その戦力の模索もある。

 

 高望みするのならば噂に聞く剣聖、またはそれに準ずる戦力が欲しいところだ。

 スバル1人では難しいかもしれないが、カルステンという後ろ楯と伝手が使えるのであれば繋がりを持つことはできるかもしれない。

 

「てかよ、先代剣聖ってのはヴィルヘルムさんの奥さんだったわけだろ? じゃあ今の剣聖はヴィルヘルムさんの息子さんとかなのか?」

「ちっ。なんで君にそんなことを話す必要がある?」

「おいおい、情報共有は基本なんだろ?」

「君が言うな……! 今代の剣聖は爺さんの息子じゃない、孫だ」

 

 終始苛立ちながらも、フェリスはスバルの疑問に答えてくれた。

 

「なあなあ、そいつはどんな奴なんだ? お前知り合い?」

「ラインハルト・ヴァン・アストレア。もちろん知っているとも。彼は僕と同じルグニカ王国の騎士団所属……だった」

「だった……? 今は違うのか?」

「ああ」

 

 若干だがフェリスの表情が翳る。

 何か思い詰めるような顔をするが、それも一瞬で鳴りを顰めた。

 

「ダメ元だけどよ、そいつに会えないか? もしもの時のことを話しておきたい」

「……王都にはいる、と思う。僕が正式に申し入れれば話すことも可能だろうが、あまり推奨はできない」

「なんでだよ?」

「それは彼がカラ……」

 

 ボゴオオオオオン!!!! 

 

 フェリスがそこまで言いかけたその時、爆発音のような大きな音が街中から聞こえてきた。

 

 二人同時に音の方へ目を向け、顔を見合わせるのも一瞬で即座に走り出す。

 

(ったく! 次から次へとトラブルが起きやがるな。方向からして、ヴィルヘルムさんと看守長の争いの余波ではないっぽい……。ラムか? エルザか?)

 

 冷や汗がたらりと落ちる。

 これまでのループで、この王都にはあらゆるトラブルの種がいることが分かっている。

 氷の巨獣はもちろんのこと、魔女教徒、人を汚物呼ばわりする可憐なメイド少女、美人な内臓観察中毒者まで、よりどりみどりだ。

 

 どうせこの騒ぎの種もろくでもない奴が絡んでるに決まっている。

 それでも集められる情報は集めたいので、スバルは足早に現場へと向かった。

 

 音のした方へを向かうにつれて、人の密集度が増していく。

 群衆はどうやら何かを取り囲むように集まっているようだった。

 

「す、すまん、通してくれ」

 

 フェリスと2人でむぎゅむぎゅと人の間を突き進み、なんとか円の先頭へと顔を出す。

 

「ありがとう。えーっと、ラインハルト、よね?」

 

 そこには、絶世の美少女がいた。

 絹のように艶のある伸ばした銀髪、雪のように白い肌、宝石のような紫の瞳、薄く結んだ唇、儚く、すぐに消えてしまう妖精のような印象を齎す彼女は、しかしそこに実在しているのだと証明するだけの圧倒的な美しさと可憐さを備えていた。

 

「はい。エミリア様にお怪我がなくて安心しました」

 

 その声でようやく美少女の隣で膝を付いた男に気が付く。

 

 こちらは燃え盛るような赤髪に、作りの良い顔立ち。仕立ての良い白の騎士服、威容のある騎士剣など、その声音・容貌からだけでも全てが完璧であると言えるほどの美青年であった。

 

 どうやら美少女の方はエミリア、美青年の方はラインハルトと言うらしい。

 はて、どちらも聞いた覚えがあるような名前だが……。

 

「して、この輩は?」

 

 ラインハルトの言葉で、ようやくスバルは現場にはもう一人いることに気がついた。

 下敷きにしている男は2人とは違い、容姿も服装もみすぼらしいものであった。

 

「分からないの。突然襲ってきて……」

「なるほど……。どうしたものか。僕はもう騎士団所属ではないし……」

 

 そこでラインハルトは顔を上げてキョロキョロと辺りを見渡し、こちらを見ると何かに気が付いたような顔をして、すぐに笑顔になって手を上げた。

 

「え、おれ?」

「そんなわけあるか。ラインハルト!」

 

 どうやらラインハルトが見付けたのはスバルではなく、隣に立っていたフェリスだった模様。

 イケメンに笑顔を振りまかれてドギマギしてしまった分、なんか損だ。

 

 ボロ雑巾になった男を引き摺りながら、ラインハルトとエミリアがこちらに歩み寄ってきて、「やあ」と声をかけてきた。

 

「フェリス、久しぶり。元気にしてたかい?」

「もちろん。君は西での生活はもう慣れた?」

「そうだね。ルグニカとは毛色が違うけど、とても楽しいよ」

「良かったよ。……エミリア様、フェリスでございます。ご機嫌よう」

「あ、ご、ご機嫌よぅ……。あの、あなたはクルシュさんの……?」

「その通りです。して、この騒ぎは一体?」

「あー!!!!」

 

 フェリス、ラインハルト、エミリアが挨拶を交わしているところに、ようやくピンときたスバルは大声を出して人差し指で一際目立つ美少女を指差した。

 

「エミリアって王選候補者の1人だろ!? そういえばラムが言ってたな! あー、あんたがそうなのか!」

 

 ピンク髪の殺人美少女メイドことラム。

 彼女が口にしていた主人がエミリアという名前だった。

 点と点が繋がったような納得感が得られてスバルは満足げな表情になる。

 

「えーっと、彼は?」

「……カルステン家の食客です。名は」

「俺の名前はナツキ・スバル! 東の果て、日出る国よりやってきた正体不明、奇々怪々にして泰然自若の高校生だぜ!」

「……です」

 

 フェリスの紹介を受け、満を持して自己紹介をする。

 実のところ三人で話し込んでいると疎外感を感じてしまって、どこかで話に入れないかと機会をうかがっていたのだ。

 

「クルシュ様が食客に招くほどとは相当な手練れなのだろうね、フェリス?」

「さあね。さて、エミリア様。王選候補者に襲い掛かったということは、理由に関わらずこの男は犯罪者です。王国騎士団で引き取らせていただきますね。エミリア様には後日聴取などあるかもしれません」

「ええ、お願いします。私もラインハルトもそれで困っていたところだったの」

 

 小汚い犯罪者は弱々しい声で何かを主張していたが、フェリスが手を当てただけで気を失ってしまった。スバル自身も元犯罪者だ。同情しておこう。

 

「ナツキ・スバル! 君はここで待っていてくれ。僕はこいつを衛兵の詰所に連行する。くれぐれも勝手に動くなよ」

「あいよ~」

 

 強い口調でスバルにくぎを刺し、フェリスは男を引きづって解散しつつある人ごみの中を抜けていった。

 残された三人は顔を見合わせ、さてどうするかと考えていると、「それでは僕はこれで」とラインハルトが去ろうとした。

 

「あ! ちょっと待ってくれよラインハルトさん!」

「ん? なんだい、スバル?」

「距離の詰め方えぐいなイケメンめ……。っと、そんなことよりだ。あんたもしかして剣聖ってやつか?」

「ああ、そんな呼び方もされていたね」

 

 思わず呼び止めてしまい、あまりにも陽属性なその対応に身じろいでしまうがスバルも負けじと本題に入る。

 ちょうどフェリスと『剣聖』の力が借りられないかの相談をしていたところだったのだ。

 フェリスは何か言っていたが、こうして遭遇できたのも何かの縁。この偶然を利用しない手はなった。

 

「そうか! それなら手伝ってほしいことがあるんだ。二日後、この王都をバケモンが襲ってくる。今、俺とフェリスはその脅威を未然に防ぐために動いてんだ。ラインハルトも手伝ってくれないか?」

「もちろん、と言いたいところだけど難しい話だ。僕にも仕事があって、君たちにつきっきりというわけにはいかない。主人の許可さえあればそれも可能だけどね」

 

 む。

 爽やかな雰囲気から二つ返事で承諾されるような流れもあると踏んでいたが、断られてしまった。

 仕事がある。当然のことだ。仕事も学校もろくに行かなかったスバルには馴染みのないことではあるが。

 どうしようかと考えていると、「おーい」という言葉と共にこちらにパタパタと走ってくるこれまた紫髪の美少女が現れた。

 

「まるで美少女のバーゲンセールだな!」

「ちょっともう早すぎるわ、ラインハルト。そんで人助けはできたん?」

「申し訳ございません、アナスタシア様。はい、この通りエミリア様は無事です」

「うおおおおお、関西弁やん! ええやん!」

 

 にわかに出現した関西弁美少女に色めき立つスバルを横目に、ラインハルトはアナスタシアと呼ぶ美少女に片膝をついた。

 

「あら、エミリアはん。お久しぶりやね。怪我はなかったん?」

「え、ええ。アナスタシアさん、ありがとう。ラインハルトのおかげで助かったわ」

「美少女と美少女の絡みって良いよなぁ」

「……ま、今回はラインハルトの独断やしね」

「?」

 

 今度はエミリアとアナスタシアの挨拶を見て、茶々を入れる。

 意味深な言葉を残した後、アナスタシアはようやくスバルの方に向き直った。

 

「そんで、さっきからうるさいこっちの子は?」

「彼はナツキ・スバル。クルシュ様の食客のようです。先ほどまでフェリスと共にいました」

「ナツキ・スバルだ! よろしくな!」

「ふうん。クルシュさんとこのねえ。ウチはアナスタシア・ホーシン。よろしゅうなあ、ナツキ君」

 

 どこか値踏みするような目線を感じつつも、手を差し出して握手する。

 感じは悪くないし、はんなりと笑う様子からは柔和なイメージを受ける。

 初対面からイメージ最悪なことが多いスバルにとっては、それだけでかなり好感触だ。

 

「ところでさ、アナスタシアさんはラインハルトの主人なのか?」

「そやよ。それがどうしたん?」

 

 ビンゴだ。

 まあ先ほどのやり取りから彼らの関係をお推測するのはそれほど難しいものではない。

 スバルの協力取り付けに対して、ラインハルトは「主人の許可さえあれば可能」と言っていた。

 その主人が目の前にいるのだ。ラインハルトと会えたことがそもそもの幸運。その主人までそろったとあれば僥倖である。この機会を逃す手はない。

 

「頼みがあるんだ。ラインハルトを数日貸してくれないか?」

 

 内心では厳しいと思いつつも、スバルは思い切って切り出した。

 

「うん。クルシュさんとこならええよ」

「あ、まじ?」

 

 拍子抜けするほどあっさり、スバルの歎願は叶えられた。

 ラインハルト本人に断られた以上難しいと考えていたが、まさかの逆転ホームランである。

 

「……スバル、念のためクル」

「悪いんやけど書面には残させてもらうわ」

「ん? おう、了解だ」

 

 確かにこういうことは書面でやりとりしないとだめだよな、意外としっかりしているのだなと思ってると、アナスタシアは近くの露天のベンチに腰掛け、懐から羊皮紙とペンを取り出して書き込み始めた。

 

「ナツキ君はいつからクルシュさんとこおるん?」

「昨日からだよ。まだまだ新米だ」

「へえ、そうなん。でもこんなこと任されてるなんて、よっぽど信頼されてるんやね」

「まあな。フェリスやヴィルヘルムさんに次ぐ勢いだと思ってるぜ」

「あの青と剣鬼に次ぐ? かなりのやり手なんやなぁ。襲われでもしたら怖いわあ」

「あんたには剣聖がついてるんだろ? 俺なんて目じゃねえよ」

「そやなあ。ラインハルトはかなーり頼りになるんよ。期待しとき。……ん、これでええわ」

 

 雑談を交えながらもアナスタシアは書面を完成させて、こちらに差し出してきたので受け取る。

 一応眺めては見るが、やはりこちらの世界の文字は日本語とは別物で読めたものではなかった。

 

 羊皮紙を持ったままでいると、アナスタシアが横から覗いてきた。

 

「ここに魔力流してくれたら完了やで」

「魔力ってどう流すんだ?」

「手を当てて、普通に魔力流すんよ」

「ごめんだけど、俺はその魔力とやらの流し方が分からねぇんだ」

 

 どうやら署名代わりに使われるということは魔法や魔力は特別な力ではなく、誰でも使用できるもののようだ。

 それはつまり、スバルもいつかは魔法が使えるようになる可能性もあるということ。密かに胸を踊らされる情報であった。

 

「不思議な子やね。そんなら血でもええよ。ちょっと書式変えるわ」

 

 そう言ってアナスタシアに羊皮紙を返すと、チョロチョロッと上書きを重ねてスバルへ返してきた。

 

「ここに血ぃ垂らしてくれたらそれでええよ。えーっと、ラインハルト、ナイフある?」

「はい、どうぞ」

「おおきに。はい、ナツキくん」

 

 ラインハルトが懐から小さなナイフを取り出して、アナスタシア経由でスバルに渡される。

 今まで何度も流血どころか死亡してきたスバルであるが、あまり自分で出血させるという自傷行為をしたことは無かったので密かな恐怖心に耐えながら、左手親指の腹にサクッと刃を突き立てた。

 

「いてて、これでいいのか? ……おお、こりゃすげえな」

 

 羊皮紙に血が垂れると、用紙全体が一瞬幻想的に淡く光った。

 おそらくこれがラインハルトを借りることの証明になるのだろう。

 アナスタシアの方を見ると、彼女はニンマリと満足そうな笑みを浮かべていた。

 

「ラインハルト、ナツキ君の言うことに従うように」

「……はっ」

 

 アナスタシアとは対照的に、ラインハルトは少し思うところがあるような返事だったが、それほど主人と離れるのは寂しいのだろう。意外と可愛いやつである。

 

「さてそれじゃ、ウチは用があるからこの辺で失礼するわ」

「アナスタシア様っ、お一人では危ないので鉄の牙の者を呼んでからがいいかと」

「大丈夫やよ、ラインハルト。ウチが自分の身は自分で護れるの知っとるやろ」

「……承知しました」

「またな、ナツキくん。近い内にまた会うことになると思うけど、ラインハルトのことよろしゅうな」

「おう、ありがとな」

 

 ゆっくりと去っていくアナスタシアの背中を眺めていると、この異世界において、初めて他人と友好な関係を築けた実感がスバルの内に湧いてくる。それだけでなんだか物事が一歩進んだような気さえしてきた。

 

「さぁーて、ラインハルト」

「あ、あの、私は」

「ああ、あんた、ラムが探してたぜ。じゃあな!」

「あっ」

 

 迷子のエミリアが声をかけてきたが時間が惜しい。

 こちらはラインハルトと共に行動し、少しでも情報を集めたいのだ。

 

「よし、それじゃあ行こうぜ。ラインハルト」

 

 そう言うと、流石にエミリアという少女を野放しにはできないのか、二、三会話をした後にラインハルトはスバルについてきた。

 

「スバル、フェリスのことは待たなくていいのかい?」

「ああん? いいんだよ。あいつ、俺のこと嫌いだしな」

「そうか……。分かった。友人同士が仲違いしているのは悲しいね」

「友人ってまだ会ってまだ数十分だぞ、陽キャ怖えな。っと、そういえばラインハルトは元々騎士団にいたのか?」

 

 ラインハルトのことはまだよく分からない。

 剣聖ということ。どうやらヴァルヘルムの孫であること。アナスタシアに仕えていること。そのくらいか。

 何ができるのか、何の役に立ってもらえるのか、それを知るためにも彼自身のことは聞けるだけ聞いておおくべきだろう。

 

「ああ、フェリスは騎士団時代の同僚にあたる、今も親しい友人の一人さ」

「へえ、もう騎士団の団員ではないのか?」

「僕はもう騎士団からは脱退してアナスタシア様に仕えているよ」

「そうか、まあ色々あるよな」

「はは。スバルは面白いね」

「そうか。まあ、そうだな」

 

 騎士団がどうだとか、アナスタシアがどうだとかはよくわからない。

 どうやら騎士団を抜けてアナスタシアに仕えていることは、かなり珍しいことのようだが、分からないことはスルーするしかないし、どうやらそれがラインハルトにとっては好都合だったようだ。

 

「ラインハルトは貧民街に詳しかったりするか?」

「残念だけど、騎士団時代に訪れることが無くてね。力になれず、すまない」

 

 気品溢れる雰囲気の彼にその部分で期待しているわけではない。

 しかしこれから起こること……は明確すぎるので、これから起こり得ることをそれとなく伝え、貧民街へと共に向かう。

 

「なるほど。貧民街については明るくないが、その代わり、おかしなことが無いか精霊たちに聞いてみよう」

「えっ、そんなことできんの?」

「ああ。正確には準精霊だけどね」

 

 ラインハルトが右手を挙げると、その指先にどこからともなくいくつもの朧げな光の玉が集まってきた。

 その一つ一つには意思があるようで、ラインハルトの手元で楽しげに揺れているのがなんとなくスバルにも分かった。

 そうか、これが精霊なのかと、いくつも登場する異世界的な要素にいまさら驚きは持たずに納得する。

 

「どうやら異変はないみたいだね。怪しい人物……ことさら怪しい人物はいないみたいだ」

「まあここにいる奴はデフォで怪しいからな」

 

 その後も小一時間ほど貧民街を回ったが、結局その日は収穫が無かった。

 

「ありがとうラインハルト。明日もよろしく頼む」

「……そうだね、明日も会えるといいね」

 

 では明日の待ち合わせを、と切り出そうとすると「それは大丈夫だよ」とラインハルトに遮られる。

 聞くところによれば、ラインハルトは待ち合わせの約束をせずとも互いに会いたいと思えば偶然会えるような加護を持っているらしい。というより、ラインハルトは大量の加護をその身に宿しているようで、その中の一つに過ぎないとのこと。

 クルシュもチートじみた加護を持っていたし、「加護」という存在は存外カジュアルなものなのかもしれない。

 

 挨拶もそこそこにラインハルトと別れたスバル(道がおぼつかないので貴族街まで送ってもらった)は、クルシュの屋敷へと戻った。

 しかし問題はここからだった。

 

「あ、おい、帰ってきたぞ!」

「おい! 早くこっちへ来い! クルシュ様がお待ちだ!」

 

 クルシュの屋敷の玄関が見えてくると、遠くから二人組の守衛がスバルのことを指差し、大仰な仕草でスバルのことを呼んでいた。

 

「なんだなんだぁ?」

 

 どうやらクルシュがスバルのことをお呼びとのこと。

 思えばクルシュとは三日間毎日顔を突き合わせるループもあったほどだ。剣聖の協力まで取り付けた有能手駒がなかなか帰ってこなくて寂しくなっちゃったのか? と少し考えればありえないことまで頭に浮かびながらクルシュの書斎までスキップしながら向かうことにした。

 

「やってくれたなナツキ・スバル」

「はあ?」

 

 スバルの予想とは裏腹に、出迎えたクルシュの表情と声音はひどく硬いものであった。

 両隣に立つフェリスとヴィルヘルムも厳しい表情をし、とりわけフェリスは鬼のような形相を見せていた。

 

「ナツキ殿、軽率な言動は慎まれるべきかと」

「今すぐに死ね……と言いたい」

 

 二人からも厳しい叱責が飛んでくる。

 殺意とはまた別だが、こうして理由もわからず怒りの感情をただ受けることは不快を通り越して苦痛である。

 

「だから……なんなんだよ。そんなこと言われる筋合いはねえぞ」

「貴様、アナスタシア・ホーシンと契約したな?」

 

 クルシュの鋭い眼差しがスバルの虚栄の瞳に突き刺さる。

 それと同時に(ああ、今、()()()()()()()()())ということを実感させられた。

 

「契約? ああ、したけど。そういや聞いてくれよ。それでラインハルトを借りられたんだぜ! あの、剣聖って……やつを……なんだよ」

 

 無難に正直に答えて、かつ自分の功績をひけらかそうとしたが、言葉が進むごとに目の前の三人から発せられる負の感情がますます増えていくだけであることに気がつく。

 

「はあ……。それは彼女がカララギ随一の大商人であることや血の契約が制約力の高いものと知ってのことか?」

「い、いや……なんだよ、それ」

「アナスタシア・ホーシンが、王選候補者であると分かったものでの行動であるのかと聞いているんだ」

 

 もちろん、それは知っている。

 本人から聞いた。だがそれがなんだと言うのだ。

 

「ナツキ殿、ラインハルト・ヴァン・アストレアは【剣聖】です。彼を数日借り受けるということの対価が想像できますか?」

 

 ヴィルヘルムが口を開く。

 何を言っているのかわからず、スバルは混乱のなかで口を閉ざしたままだ。

 

「私の一生を何度重ねても届きえないほどの価値です」

 

 それはかつて【剣聖】と肩を並べた者による真実だ。

 

「アナスタシア様が作成した契約書には、ラインハルトを借り受ける対価の条件としてこう書いてあるんだよ」

 

 ずい、とフェリスが前に出てきて、羊皮紙をこちらに向けた。

 それには……見覚えがある。数時間前、アナスタシアが作り、スバルが血を垂らした羊皮紙だ。

 

 

 

 

「『クルシュ・カルステンが王選から辞退すること』」

 

 

 

 

 

 

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