虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:範馬勇太郎

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第五十五景『赤縄(あかなわ)

 

 エリス・グレイラットはこの時の自分の感情をどう表現して良いのか分からなかった。

 

「ルーデウス……」

 

 薄暗い部屋の中、ベッドの縁に腰をかける一人の青年。

 結わえ整えていた髪は乱雑に伸ばされ、滲む無精髭とよれた衣服は彼が大事にしていたはずの清潔感を全く感じさせない。そして、表情に生気は無く、ただ虚空を見つめるようにして茫と座していた。

 一瞬、エリスは目の前の廃人ともいえる男が、自身が恋い焦がれた存在と同一であるのか疑わしい気持ちとなる。名を呼ばれても無反応のままのルーデウスは、ただ虚空を見つめ続けていた。

 

「ルディ、エリスちゃんが来てくれたぞ」

 

 傍らに立つパウロがそう言った。閉じられていた窓布を開け陽の光を部屋に入れる。そうするとルーデウスと呼ばれた男の現在の容姿が能く見えるようになった。

 あの頃自身と冒険を繰り広げた快活な姿。

 そして自身を守り慈しみ、そして愛し愛されたその姿。

 それらと目の前の男の姿は、年輪を重ね成長した姿とはいえ、エリスが知るルーデウスとはかけ離れていた。

 

「ほら、エリスちゃんとは久々に会うんだろ? 挨拶しろよ」

「……」

 

 変わらず無心の息子の隣へ座り、その肩を優しく抱くパウロ。陽の光に照らされ、よりルーデウスの状況が能く見える。たパウロの表情も精彩を欠いていた。生活に疲れた男の容貌は、実年齢よりも十以上は老けて見えた。

 出会った時からパウロへ好感情を抱いてはいないエリス。ミシリオンでルーデウスへ行った仕打ちを、赤髪の乙女は決して忘れたつもりはない。

 しかし、目の前の光景を見て、エリスはパウロへ幾ばくかの同情心を抱いていた。

 

 同情、同情ですって。

 

 乙女は想起した感情に戸惑い、そして多大な努力を以て否定しようとした。

 同情を向けた先が、パウロの隣で屍のように座るルーデウスにも向けられていた事に気付いてしまったからだ。

 

 かれはそんな薄っぺらい同情を向けるような男じゃない。少なくとも、わたしが知っているルーデウスは、そんな弱い男じゃない。

 

 そう想うも、目の前の慈しく残酷な光景は、乙女の思考に切ない矛盾を与え続けていた。

 

「エリスちゃん、ごめんな。ルディは、もう少し時間がかかりそうだ」

「……」

 

 息子の代弁者と成った父は、そう申し訳無さそうにエリスへ言った。

 エリスは無言のままだった。

 

 

 

「そうか」

 

 応接間にてグレイラット家に起こった悲劇を聞き、剣王ギレーヌ・デドルディアは泰然とした態度でただ一言そう言った。

 説明したリーリャは剣王の素っ気ない態度を見て眉根を寄せるも、すぐに常の表情に戻した。

 かの剣王は元からこのようなセンシティブな話に何か気の利いた事を言える人間ではない。それに、彼女の尻尾が力なく下げられているのを見て、リーリャはギレーヌの心情を大凡察していた。

 そして、その隣で沈鬱した様子で俯く赤髪の乙女。姉弟子が不得手な感情表現を、まるで自身が代わりに担うと言わんばかりに気落ちしていた。

 

「それで、どうするんだ」

「どうするって」

 

 主語がないギレーヌの問いに、リーリャは数瞬の沈黙後に応えた。

 

「御快復を待つしかないと思います。心という器は、ひとたび()()が入れば」

 

 そう言って言葉を詰まらせるリーリャ。それ以上言えば、彼女が目を背けて続けている現実を否応なく認識してしまうから。

 リーリャもまた疲れていたのだ。いや、この家で元気なのは乳飲み子であるルーシーだけで、心神喪失状態のゼニスは無論、最近はアイシャも空元気すら見せなくなっていた。魔法大学の寮で暮らすノルンは言うまでもない。

 

「ウィリアムはどうする」

「ウィルはギースが追っている。あいつならその内居場所を知らせてくれるだろう。アスラへ向かったとだけしかまだ分からねえけど」

 

 ギレーヌはグレイラット家の次男について尋ねると、今度はパウロがそう応えた。

 

「アスラか」

 

 ギレーヌはそう言って沈黙した。何か考えているようで、何も考えていないような。しかし、纏う空気は、彼女が何かを決意した様子を見せていた。

 

「……」

 

 それから、隣に座るエリスを見る。

 思いつめた表情の乙女。その心中はギレーヌですら察して余りある。

 エリスの心の中ではどれほどの辛さ、哀しみ、失望が渦を巻いているのだろう。

 一方通行とはいえ、将来を誓い約束した男が既に所帯を持っていた事実は、実のところエリスにとってそれほど問題ではなかった。いや、ルーデウスが二人も妻を持っていた事実は相応にショックではあったが、それ以上にルーデウスの現状に衝撃を受けていた。

 ()れはしなかった。ただひたすら()がれ続け、そして苛酷な修練に耐え続けていた。

 その結果がこれとは。

 エリスには妹のような感情を持っていたギレーヌ。彼女が嘗めた辛酸を能く知っていただけに、この結末はあまりにも不憫だった。

 

「お前さん達はどうするんだ?」

 

 しばらく沈黙が漂う中、パウロがふとそう言った。エリス達がここへ来た理由はギレーヌによって既に述べられている。修行が終わり、ルーデウスと共にかの龍神へ意趣返しを果たし、そしてルーデウスと共に生きる為にシャリーアヘ来たと。

 

「パウロ」

 

 ギレーヌは唐突に立ち上がり、パウロへ目配せした。

 黒狼の牙時代に培った無言の連携は今も尚有効だった。

 パウロは頷くと、そのままエリスらを残しギレーヌと共に屋外へ出ていった。

 

「……」

 

 応接間を出る時、ギレーヌは無言で座るゼニスへ視線を向けた。

 僅かに瞳が動き、グレイラットの母親はどこか縋るような視線を剣王へ向けた。

 それだけでギレーヌとゼニスの会話は終わっていた。それだけで十分だった。喪失(うしな)ったとはいえ、ゼニスもまた黒狼の牙のメンバーだったからだ。

 

 

「何かお召し上がりになりますか?」

 

 残されたエリスへそう言ったリーリャ。急ぎ旅をしてきた彼女は疲労も溜まっているし腹も減っているだろう。

 例えどれほど疲れようが、如才無きメイドであるリーリャは、その程度の気遣いを忘れたつもりはなかった。

 

「……」

 

 対し、エリスは無言のまま。常の彼女を知る者が見れば驚愕を隠せぬほど気落ちし続けており。

 そのような彼女へ、リーリャは黙って厨房へ向かった。簡単な軽食を用意し、新しい茶を淹れに行った。エリスの前に置いてあるカップからは、もう湯気は立っていなかった。

 

「あー」

「あ、ダメだよルーシー」

 

 依然として気落ちしたままのエリス。すると、ルーシーが彼女の元へよちよちと近付いた。

 同席するも一言も発していなかったアイシャは、慌ててこの幼い姪を制止しようとする。アイシャもまたエリスとはシーローン王国での一件以来久方ぶりの再会であったが、旧交を温める空気ではなく。気落ちするエリスへどう声を掛けてよいのか分からないまま、まんじりとした時間を過ごしていた。

 とはいえ、アイシャはこの赤髪の乙女が激しい気性の持ち主であるのことも知っており。流石に乳児へは手を上げないだろうが、恋敵の娘ともいえるルーシーへエリスが良い感情を持たぬのは明白であった。

 

「あう」

「……」

 

 しかし、アイシャの懸念とは裏腹に、エリスはルーシーを見つめると、おずおずと抱き上げた。「あ、あの、エリスさん」と戸惑うアイシャ。エリスは明らかに乳児を抱き慣れておらず、傍目から見て危なっかしい手つきでルーシーを抱いていた。

 

「かわいい……」

 

 ぽつりと呟かれた言葉。エリスはルーシーのぷくっとした頬を指先でつついた。きゃいきゃいと嬉しそうに笑うルーシー。

 幼子の小さな指が乙女の指先を掴むと、胸中に暖かな気持ちが広がる。

 

「……」

 

 ふと、乙女の脳裏に現実では起こらなかった情景が浮かんだ。

 小さな子供を抱く自分。ルーシーではない。男の子だろうか。自身と同じ、赤い髪の男の子。

 その隣には、ルーデウスがいる。

 毎日、剣の稽古に付き合ってくれるルーデウス。

 魔術無しなら自分の方が余程強い。でも、ルーデウスの強さはこんなものじゃないわ。そう思いながら、容赦なく良人を叩きのめす。

 それでも、ルーデウスはいつものように笑いながら降参の声を上げていた。

 結局、どこにいるとも分からない龍神へのリターンマッチは果たされなかった。二人っきりで旅をしていく内に、龍神への復讐心は鳴りを潜めていった。

 自然とどこか小さな町に腰を落ち着ける事になった。

 それから決められた事を守るように、二人は結婚していた。

 二人の生活には、大きな屋敷も、豪勢な食事も必要なかった。

 たまに町の冒険者ギルドに顔を出して、依頼を受けたり、素材を売りさばいたりして生計を立てていく。

 

 そうして、授かった子供。

 この子が大きくなったら剣士にするわ! 

 そう言って、エリスはルーデウスとの間に授かった我が子を抱いていた。

 ルーデウスは苦笑しながら「ほどほどにね」と、エリスを後ろから抱きしめた。

 エリスは愛する夫に頬をこすりつけながら、「大丈夫よ」と言った。

 だって、わたしとルーデウスの子供なんだから。

 

「あ……」

 

 突然、幸せな生活は消え去った。

 妄想した彼女の子はどこにもいない。己を見つめる無垢な笑顔は、愛する男の(むすめ)。だが、自身の(むすこ)ではない。

 その事実が、エリスを様々な感情で苛んでいた。

 

「可愛いわ……本当に……」

 

 五年前。あの時、ルーデウスが龍神の手にかかり、命を落としかけた時。

 それ以来決して流さぬと決めていた涙を、エリスは流していた。

 

 

 

「エリスを……お嬢様を頼む」

 

 庭に出た後、ギレーヌからそう言われたパウロ。彼女は無言のまま、深く頭を下げていた。

 パウロはそれを見て小さく息を吐く。

 

「お前はどうするんだ」

 

 応接間で言った問いを、もう一度口にする。

 ギレーヌはすぐに答えた。

 

「アスラへ行く」

「ウィルを探してくれるのか?」

「いや……ウィリアムは関係ない」

 

 ウィリアム、という名前を言った瞬間、ギレーヌは僅かに切なげな表情を浮かべた。

 

「じゃあなんで」

 

 パウロはその表情の変化に気付いた様子も無く聞き返した。

 

「……けじめだ。アタシの」

 

 ギレーヌは少し間を置いて、そう言った。

 

「……そうか」

 

 パウロはそれ以上聞く事はなかった。

 気心知れたとは言い難い関係だったが、それでも彼女の今の心情は察することができた。何かを決意した戦士を押し止める無粋は出来ない。

 出来る事といえば、戦士が抱える後顧の憂いをいくらか軽減してやるのみ。

 

「分かった。エリスちゃんはウチで面倒みるよ」

「すまない。ありがとう」

 

 そして、ギレーヌはそのまま立ち去ろうとする。

 

「お、おいギレーヌ。エリスちゃんへ別れの言葉くらいはかけてやれよ」

 

 慌てるパウロ。別れの言葉すら無いのはいくらなんでもあんまりだろう。

 しかし、ギレーヌは首を振る。

 

「いいんだ……じゃあな」

「ギレーヌ!」

 

 ギレーヌは背中越しに手を振りながら、グレイラット邸を後にした。

 剣王ギレーヌ・デドルディアの人生。この時、彼女の人生では二つの使命があった。

 一つは、エリスを立派に鍛えた後、想い人の元へ送り届け、その後の人生を幸せに暮らしてもらうこと。

 これについては果たして幸せに暮らせるか疑問があったが、それでもエリスなら何とかするだろう。ギレーヌは妹の心の強さを信じていた。

 そして、もうひとつの使命。

 

 復讐だ。

 自分を暖かく迎え、慈しんでくれたボレアス家。その家族を殺した憎き仇を見つけ出し、殺す。

 フィリップとヒルダの復讐は果たした。

 残るは、当主サウロスの仇のみ。

 ウィリアムは、ギレーヌにとって色々と無視できぬ存在だった。色恋めいたものとは違う、何か焦がれるような想いを抱いていた。

 しかし剣王の復讐心の前ではそのような感情など些細なものだった。

 サウロス様は処刑に追い込まれていた。だから、処刑に追い込んだヤツを必ず殺す。たとえどれだけ高貴な人間であっても。

 

 シャリーアの街道を歩むギレーヌ。

 覚悟を完了せしめたギレーヌの足取りは、重たく切なかった。

 

「ギレーヌ……」

 

 小さくなっていく背中を見つめ、そう呟いたパウロ。

 かつて肉体関係を持っていただけに、彼の心中は複雑であった。

 その多難な前途を想うと、どうしてもため息が出てしまう。

 

 しかし、この時のパウロも、そしてギレーヌも予想していなかった。

 彼女が仇と見定めた相手。

 その相手を守るように立ちはだかる剣鬼。

 これより二年後、ウィリアム・アダムスとギレーヌ・デドルディアは生死をかけた斬り合いを演じる事となる。

 

 


 

 エリスがグレイラット家の居候となってから一月ほどが経過していた。

 ルーデウスが気鬱の病を得た衝撃に追い打ちをかけるように、姉とも慕ったギレーヌが自身をおいてどこかへ行ってしまった事実。

 流石のエリスも数日は立ち直れなかった。

 すぐにギレーヌを追いかけたい気持ちもあった。でも、このような状態のルーデウスを放ってはおけない。

 葛藤に苛まれたエリス。しかし、彼女は強かった。剣の聖地にて培った精神的なタフネスは尋常ではなく、タフという言葉は彼女の為にあるといっても過言ではなかった。

 やがて立ち直ったエリス。それからグレイラット家に溶け込む努力を始めた。どうするにせよ、行く宛もない以上、しばらくはここで厄介になる他なかったからだ。

 

 とはいえ、彼女の努力は尽く空転する事となる。

 料理を手伝おうとしたが自身は料理のりの字も知らない。ならば皿を洗おうとすれば力加減を間違えて食器を割り、掃除をしようとすれば箒で家具を破壊し、洗濯をすれば衣服を引き裂く。

 つまるところ、エリスは家事が壊滅的にできなかった。

 もっとも、彼女のこれまでの人生に於いて家事スキルは全く必要なかったのだから、これは仕方ないとも言える。

 ボレアス家での生活は貴人であるが故に家事は全て使用人任せ剣の聖地では文字通り剣の修行しかしていなかった。

 

 しかし、良い事もある。

 

「エリスさんは座ってて!」

 

 アイシャは手のかかる子供が一人増えた事で純粋に活力を取り戻していた。流石に以前程の快活さを見せているわけではないが、それでも一時の彼女に比べて随分と元気になったように見える。

 

「はい……」

 

 そのようなアイシャに、エリスは意外にも素直に従っていた。反発するような真似はせず、大人しくアイシャに世話を焼かれる日々。

 ともかくアイシャが凄まじいのは、乳飲み子と生活破綻乙女の世話を同時並行して行っている点であった。

 繁忙というのは、時として人に瑞々しい活力を与えてくれる。

 そして、その活力は周囲へ波及していくものである。鬱々とした空気を漂わせていたグレイラット家は、徐々にではあるが以前の明るさを取り戻していった。

 

 しかし、それはあくまでルーデウスを除く家族たちの話である。

 エリスという新しい家族(パウロは縁戚であるエリスを快く迎え入れていた)が加わったという変化があっても、ルーデウスは相変わらず塞ぎ込んでいた。

 エリスは時折ルーデウスの元へ向かうも、その顔はいつも暗く、そして無反応だった。それは日を追うごとに酷くなり、最近は食事すらまともに取れなくなっていた。

 そのような痛ましいルーデウスを見るだけで、エリスの胸は締め付けられるような感覚に襲われる。

 

 いっそのこと見限った方が楽になれるのに。

 

 だが、乙女は愛する人の側を離れられない。

 理由などない。

 ただそうするべきだと思ったからだ。

 ルーデウスの隣に立つ。しかし、ルーデウスは折れてしまった。

 ならば、再び立ち上がるまで待つ。立ち上がれるように支えてやる。

 それだけが、エリスのただひとつの想いだった。

 

 そして。

 

 結果からいえば、エリスはルーデウスの精神が深い場所で狂気に苛まれていることを勘案するべきだった。

 尊崇の域にまで達した盲目的な愛情に少しばかりの疑問を持つべきだった。

 パウロが所用で出かけており、リーリャもゼニスを伴い街の薬師の元へ向かっていたこと、それからアイシャもジローに跨りルーシーとお散歩に出かけていることを気付いていなければならなかった。

 しかしエリスはそうした全てを無視していた。気付きもしなかった。

 小胆な者が狂を発した際、余人の気配にひどく敏感であり、そして色情を危険な程に滾らせていたことも、気付いていなければならなかった。

 

 ルーデウスの部屋へ入り、いつも以上に鬱々げにしている彼の隣へと腰掛けたエリス。

 それからの結果は見えていた。

 

 わけの分からぬ叫びを上げながら伸し掛かるルーデウスに、エリスは抵抗しなかった。

 痩せ細ったルーデウスを跳ね除けることは乙女にとって容易きことであったが、そうはしなかった。

 子供のように泣きながら始めた行為。エリスにとって二度目の神聖な行為はひどく倒錯したものと成り果てていた。

 しかし、エリスの肉体は不思議とそれを素直に受け入れていた。

 そっと彼の頭を撫でた。

 優しく、慈しみを込めて。

 

 行為自体は短い時間で終わった。

 ベッドの上に脱ぎ散らかされた衣服。身に何も纏わずに、乙女はルーデウスを抱きしめ続けていた。

 

「エリス……ごめん……」

 

 ふと、乙女の乳房に顔を埋めたルーデウスがそう呟いた。久しぶりに聞く愛しい男の声。

 

「……あの時以来ね」

 

 熱情の余韻が冷めやらぬ乙女は、何となしにそう返していた。

 特に意味はない。

 ただ、お互いの初めてを捧げ合った夜を思い出しただけだ。

 ルーデウスは何も言わず、乙女もまたそれ以上何かを言うことはなかった。

 乙女が理想としていた光景ではない。しかし、乙女が求めてやまない状況でもあった。

 

 ルーデウスは弱っている。

 自分が守らねばならない。

 それが使命だ。

 ルーデウスを守る。

 そのために自分はいる。

 そのためなら何でもする。

 なんでもできる。

 だって、わたしは、ルーデウスのことが──

 

「ルーデウス……」

 

 エリスは粘ついた愛情を持ってルーデウスの目を見つめた。

 

「……?」

 

 そして、エリスはルーデウスの眼に光が宿っていることに気付いた。

 エリスは最初、それが折れた心が蘇った証なのかと。

 そう誤認していた。

 

「あの頃」

「ルーデウス?」

 

 そう呟いたルーデウス。それから、彼はエリスが理解できない言語にてぶつぶつと呟き続ける。

 眼に宿った光は、爛々と輝いてはいる。

 その光は、ある種の狂気を宿した薄暗い光であった。

 

 そうだよ。ここはファンタジーの世界じゃないか。剣と魔法の異世界じゃないか。それで、ゲームや漫画、アニメでお約束の魔法も沢山ある。

 攻撃魔法。回復魔法。重力操作。未来予知。瞬間移動。死者蘇生。

 この世界にはそういう便利な魔法が沢山存在する。存在するに違いない。

 だから、絶対にあるよ。あるはずだよ。

 過去に遡れる魔法。

 時間を操る魔法が。

 俺はその魔法を知らない。知らないなら、知ればいい。使えないなら、使えるようにすればいい。

 それで、過去に戻れたら。

 もう一度、やり直すんだ。

 

「ルーデウス……?」

 

 異世界の言語──日本語を知らぬエリスは、ルーデウスの言っていることがよくわからなかった。

 その死狂いなる狂気にただ圧倒されていた。

 

「エリス」

 

 それから、ルーデウスはこの世界の言葉でエリスの名を呼んだ。

 その声は震えていた。歓喜と狂気に打ち震えていた。

 奇怪な笑みを顔に張り付かせていたルーデウスは、エリスの肩を掴みこう続けた。

 

「エリス、ありがとう。エリスのおかげで、俺はやるべき事が見つかったよ。本気を出して、やるべき事が」

 

 だから、俺を手伝ってほしい。

 ルーデウスの瞳は狂気に濁りながらも、真っ直ぐにエリスを見据えていた。

 彼が宿している火。

 それは不滅であれど本物の火ではない。

 限られた生の中で何かを祈り、そして誰かと繋がろうとする人の火ではない。

 

 エリスは理解した。

 彼がいびつな火を宿し、掴み取ろうとしている未来を。

 そこに自分の姿がない事も。

 

 でも、それでも。

 エリスはルーデウスを愛していた。盲目的な愛に身を委ね、それを甘んじて受け入れ続けていた。

 それだけが、彼女の使命。

 

 ルーデウスの新たな旅路。

 たとえそれがどのような結末を迎えようとも。

 最後のその時まで。

 エリスは、ルーデウスの傍らにて、その手をしかと握ってやらなければならない。

 それが、彼女の最後の使命だった。

 まるで赤い縄。

 ルーデウスと己の(はらわた)に繋がった、赤い縄に引かれるように。

 

 

 エリスはもう一度ルーデウスを見つめた。

 その眼をはっきりと見つめ、ただ一度だけ応えた。

 

「わかったわ」

 

 

 これより長き時を経て、ルーデウスは時間遡行魔法を成功させる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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