光雲(ラッキー)と読みます。
全然短編サイズじゃないですが、カテゴリがそれしか無いので仕方ないのです。
読んでくれたら嬉しいです。
一言で言うならば、地獄だった。
見てくれない。聞いてくれない。触れない。人と生きる上で、絶対に必要な三つ。
こちらからは全て見えるし、聞こえる。それなのに、気付いてもらえない。
そして行く所が無ければ、死ぬ事もできない。この地獄を延々と耐えなければならない。
もう、独りの方が楽なのに。誰もいなければいいのに。そう思った事もあり、実際にそうなった時もあった。
そこで待っていたのは、静寂という新たな地獄。行き場のない日々を、ただただ過ごした。
また一人、やって来た。若い。つまり、ここに居座る時間も長かろう。微かな希望に心を躍らせつつ、同時に辟易する。またあの地獄が始まるのかと。
――誰か、一緒に。――誰も、来ないで。誰か、誰も、誰か、誰も――――
――助けて。
三月二十五日。
場所は羽田空港国内ターミナル。
時刻は午前十一時。そろそろ胃袋がエネルギーを求める時間帯だ。
そんな時間に、俺、九十八(にたらず)明星(きら)は神奈川の地に降り立った。
那覇から羽田へ。二時間半弱に及ぶ初めての空の旅は、楽しくもあり、同時に不安もあった。……だって飛行機だぞ? 墜落したらどうするんだ。
――という不安は杞憂に終わり、こうして無事に大地を踏み締めているワケだが。
「…………」
俺は辺りを見渡し、賑わう土産店を眺める。
俺が住んでいた沖縄の実家は、田舎も田舎。やっと電気が通っているような小さな島で、当然、こんな大きな建物は無い。
仮にも十六歳。もちろん全てが初めてではないが、そんな田舎者な俺からしたら、この場所はまるで異世界のようだ。
「――あ、着いたら連絡するよう言われてたっけ」
俺はケータイを取り出し、とある宛先へコール。する前に後ろから肩を叩かれた。
この場でそんな事をしてくる人間は一人しかいない。俺は振り向き、そこにいる人物を捉える。
「やあ。久しぶり」
「ああ、久しぶりだな」
そこに立っていたのは、我が幼なじみ。
百八十近い身長と、サラリと流れる前髪。人の良さそうな顔立ちは整っており、彫りも深い。
――イケメン。
百人中九十九人がそう答えるであろう容姿を持つそいつの名前は、小鳥遊(たかなし)疾風(はやて)。小学五年まで、同じ学校に通っていた。その後、疾風が神奈川の学校に転校。連絡は取っていたが、会うのは実に五年振りだ。
「みんなは元気?」
「ああ、元気だぞ。いつも通り今まで通り」
「それは何より。いつか会いたいね」
「……ホントに思ってんのか?」
「もちろんだよ。心外だなぁ」
「ならいいけどさ……」
コイツ、クールというか、感情の振れ幅が小さいんだよな……。あの頃と変わらない。それがこの容姿にマッチしている分、ちょっとムカつく。
「――明星は、こっちに来るのは二回目だよね?」
「ん? ああ、そうだな。飛行機は初だが」
「前回はフェリーだったもんね」
以前のあの日は試験日だった。
「明星も、災難だよね」
「……言うな。もう色々と諦めた」
――簡単に経緯を説明しておこう。
事の始まりは、中二の春休み。俺の両親は、沖縄で観光会社を経営する社長とその秘書なんだが、その事業が東京に進出する事となった。その取り引きのため、数年間移住しなければならない両親。それに合わせて、俺の進学先と一人いる妹の転校先も東京の学校になる。ハズだった。だがその事を、たまたま電話で疾風に話した所、
「東京じゃないけど、僕が進学する高校はどうかな? 良さそうな学校だよ」
という提案が来た。
そこで予定を急遽変更。神奈川に住居を用意し、俺は疾風と同じ高校に願書を提出した。そして俺が猛勉強し、妹の転校手続きを始めようとしていた初冬、両親がとんでもない事を言い放った。
「ごめーん! “TOKYO”じゃなくて、“KYOTO”だった!」
と。
俺はあの日ほど、自分の耳を疑った時はなかった。聞いた話によると、ローマ字表記の会社名を読み間違えたとか。会社の行く末が非常に心配になるが、そこは類い稀なる経営の才能がカバーしているとかなんとか。
そんなこんなで、両親の移住先は京都。だが俺の進学先は変更が間に合わないし、神奈川の住居も手配済みだった。
――そして高校に無事合格してしまったその結果、
「少し明星が羨ましいよ」
「逆の立場なら俺もそう言う」
俺は今日から一人暮らしだ。
「……まあ、暇な時に遊びに来てくれよ」
「そうするよ。――それにしても明星、標準語上手だね。全然違和感無いよ?」
「こっちに住むって分かってから、練習したんだ。元々、学校じゃ標準語話すヤツも多かったしな」
「ふぅん……。方言が宇宙語みたいに聞こえて、孤立する明星も見てみたかったけどね」
「……冗談だよな?」
「さあ? どうだろうね?」
怖い事言いやがる……。
「さて、僕は一旦帰らせてもらうかな。また後でお邪魔するよ」
「あ、おう。案内サンキュ」
疾風と別れ、改めて新居を見上げる。
ベランダも無ければ庭も無い、少々こぢんまりとした一軒家だが、一人で暮らすには勿体無い大きさだ。
駅から徒歩十五分。入学する高校までは徒歩二十分。立地条件としてはかなりのモノだ。何故かここだけ空き家で、値段がいやに安かったそうだが……何だろうな。
「まあいいや」
考えるだけ無駄だし、諦めて鍵を開け中に入る。引っ越しのトラックは明日来る予定だから、家の中は何も無い。
「閑散としてんなぁ……」
玄関から短い廊下を抜けた先がリビング兼キッチン。その手前右側に、二階への階段がある。
「何にせよ、一人暮らしだもんな。テンション上がってきた!」
そう呟きながらリビングに入ると、
「――む?」
女の子が立っていた。
「…………」
もう一度言おう。
女の子だ。正体不明の女の子が、我が家の中にいる。百三十にも届かないであろう、むしろ幼女が。
一応、ポケットを探ってみる。……うん、確かに俺が鍵を開けた。
改めて前を向くと、
「……?」
黒曜石のような瞳と、バッチリ目が合った。
「――えっと……どちら様?」
そう訊く以外無かった。
「ふむ? わしはじゃ」
女の子は、不思議な口調に反して甘々なロリボイスを発した。
「はあ雲さんね……。って何だそれ」
「名に決まっておろう」
偉そうだな……。
「そうじゃなくて、何でここにいるの? てかどうやって入ったの?」
まさか泥棒? 引っ越し初日からとんでもない事件だぞそれ……。――でもなぁ……。
俺は改めて、雲と名乗った少女の外見を観察する。
身長から判断すると年齢は十歳過ぎといった所だが、大人びた顔付きが年齢を上乗せさせる。何より目を引くのが、その髪だ。漆黒の髪の毛は、フローリングに届くかどうかという超ロングヘア。服装は現代では珍しい和服。だが、庶民感溢れるモノで華やかさは皆無。
「わしは初めからここにおったわ」
そして謎の返答。
「いや鍵掛かってたよね? どうやったか知らないけど、不法進入だよ?」
「何を言うか。侵入者はそちであろうに」
あろう事か、俺を曲者扱いしてきやがった。
「…………」
頭が痛くなってきたぞ……。
「……とりあえず、順を追って整理していこう。――まず、君は誰?」
「雲じゃ」
「それは聞いた!」
「そちが言うたのじゃろう!」
「逆ギレ!? じゃなくて、何でここにいるかって意味!」
「わしはずっとここにおる!」
「いや意味分からんから!」
「そう言うそちこそ何者じゃ!」
「俺は今日からここに住む――」
「制圧とな!?」
「違う! 最後まで言わせろ!」
「ならばここにおる!」
「それ俺のセリフ!」
もはや警戒心なんて彼方へ。そこまで言い合ってから、
「……ホント、君何者? それだけ教えて」
服装といい口調といい、ここにいる事自体、普通じゃない。
「ふむ……わしも全てを把握しておる訳ではないが……」
雲なる少女は考える素振りを見せ、同時に俺は、ここの物件の理由を悟る。
「――幽霊……いや、座敷童、かの? わしを見た者がそう驚くのでな」
原因コイツだ。
「――じゃあ改めて訊くぞ。お前誰?」
もう距離を置く必要もないだろう。何となくだけど。
「恐らく、座敷童じゃな。名は雲」
「座敷童って……つまり? さっき幽霊とか言ってなかったか?」
「幽霊というのはわしが持っとった考えじゃ。わしは一度死んでおるからな」
「…………は?」
「じゃが何故か身体が戻っての。その後わしを見た誰かが、座敷童と言うておったんじゃ」
「い、いや、ちょっ……」
「数を数えるのは得意ではないが、およそ百を三回といった所じゃな。わしがここにおるのは」
「ちょっとストップ。詳しく説明してくれ。死んだって……三百年って何だ?」
「そのまま、言うた通りの意味じゃ。わしは百を三つの前に死に、それから今まで、ここにおる」
淡々と答える雲。
「お前……」
くだらない嘘だと笑い飛ばす事もできたハズだ。だが、俺にはできなかった。ありえない場所に現れ、明らかに場違いな風貌。妙にリアリティのこもった話。
「座敷童、か……」
気が付けば俺は、雲の言葉を受け入れていた。
「お前が座敷童だとして、これからどうすんだ?」
「ここに住むに決まっておろう」
コイツバカだな、みたいな顔された。
「……随分堂々とした居候宣言だな」
コイツの上から目線はデフォルトだと考えていいかもしれない。
「控えめに言うた方が良かったかえ? ――ここに住む故、宜しく頼むぞい」
「根本の解決になってねぇなそれ!」
口調投げやりだし!
「ならばどうすれば良いのじゃ!」
「唐突な逆ギレ!? 態度に問題が――」
そこまで言って、
ピンポーン、と間延びした電子音に阻まれた。
「何じゃ?」
それは、インターホンの音。
「っ!」
トラックが明日来る以上、ここ神奈川で我が家を訪問する存在は一人だけだ。
どうしようか……。十分前ならそのまま対応したが、今は変な幼女がいる。座敷童なんて、普通は言って信じてくれるとは思えないな……。
とか考えていると、
「誰じゃー?」
雲が玄関に出向いて声を掛けた。
「はっ!?」
慌てて追いかけるが、時すでに遅し。
「明星、暇だったから遊びに来た――って誰……? 明星の声じゃないよね?」
ドア越しの疾風はバッチリ怪しむ。
「女装に目覚めたなら話は別だけど……」
「そんなワケあるか!」
「あ、やっぱり違うんだね。じゃあ誰……?」
「あー…………」
俺がどうしようか悩んでいると、
「とりあえず、説明よろしくね。お邪魔します」
疾風は何の躊躇いもなくドアを開けて入ってきた。
「――この子は何者だい?」
そして正面に立つ雲を捉える。
……もう、言い逃れはできないよな。
俺は笑われる覚悟を決めて、口を開く。
「実はだな……「誘拐と監禁は未成年でも立派な犯罪だよ」聞けよ! てか言わせろよ!」
笑われるとかの次元じゃなかった。そもそも聞いてもらえていない。
「でも明星、状況を確認してみてよ」
「状況……?」
他に誰もいない室内。幼女が、謎の格好で立っている。
「……説得材料が無い、だと……!?」
「じゃあ明星、お巡りさん呼ぶね」
「いやいやいやちょっと待て! 説明はさせろ!」
本気でケータイを取り出した疾風の腕を掴む。
「まあ、話くらいなら聞いてもいいかな。どうぞ」
「コイツは雲」
「僕には人間にしか見えないけど」
「……話進まないから、止めないでくれよ。コイツの名前だ」
「へぇ。分かった」
「結論から言えば、座敷童だそうだ」
「……?」
恐らく俺も、十分前には同じ顔をしていたのだろう。疾風の怪訝な表情に親近感が湧く。
――とにかく、分かった事全てを説明する。
「ふむ……座敷童か……。何とも信じがたい話だけど、ここにこうして存在する以上、本当なんだろうね……。雲ちゃん本人もそう言ってるわけだし」
物分かりのいい幼なじみで助かった。むしろ、俺より理解が早いかもしれない。
「雲ちゃんが生きていたのは、三百年前なんだよね?」
「そうじゃな」
「西暦で言えば、一七〇〇年と少し。十八世紀前半……江戸時代。ちょうど徳川吉宗の時代だね」
「完全に歴史の中じゃんか……」
話について行けず、キョトンとしている雲を見やる。現代とはかけ離れた外見。確かに、教科書から飛び出してきたような錯覚に陥る。座敷童、か……。
「じゃあ明星、また明日。荷ほどき、手伝いに来るよ」
「ああ、よろしく頼む」
うちにいても何もする事は無いし、雲という話し相手もできた事で、疾風は帰宅。
「本当にいいのかい?」
「んーまあ、またの機会にしておく」
本来は一人で、現在食料も何も無い我が家だ。小鳥遊家に泊まるという話も出ていたのだが、今は雲がいる。ここに一人残すのも色々と不安だし、かと言って連れて行って事情を説明するのも面倒だ。
じゃあ、と疾風はドアを閉め、
「そうだ雲ちゃん」
なかった。
「何じゃ?」
「これから明星と一緒に住むんだろうけど、くれぐれも気を付けてね。明星は割と小心者だから何も無いと思うけど、もし何かあったらすぐに言ってね」
「はよ帰れ!」
「うむ、心得た」
「お前も真に受けるな!」
疾風と別れた後、リビングに戻る。
「きら、この後は何をするのじゃ?」
「んー……特に何も無いんだよな……」
元々疾風の家に行くつもりだったし、本当に今の我が家には何も無い。
「とりあえず晩飯買って……あとは寝るだけだよなぁ」
弁当買えばいいよな……。自炊はしようと思うが、色々疲れたし初日は勘弁して欲しい。
「雲、何か食べたいものあるか?」
「むう……何があるのかのう? 分からぬ」
それもそうだ。江戸時代出身だったら、現代の料理なんか知らないだろう。
「じゃあ何となくの特徴教えてくれ」
「説明は難しいのう……」
「うーん、じゃあ適当に買ってきていいか?」
「わしを連れて行くという選択肢は無いのかえ!?」
「うおびっくりした。急に叫ぶなよ」
「きらが悪い!」
「ちょ、分かったから落ち着け」
ご立腹の座敷童をなだめ、それから考える。
連れて行くのが嫌なワケじゃないんだが、格好が……ねえ?
和服ってだけでも目を引くのに、それがあちこちほつれ、しかも裾が破けて酷い有様だ。そんなヤツと街を歩いたら……最悪、職務質問もあり得る。
「そもそもお前、座敷童なのに外に出られるのか?」
「おお、それは分からぬの。試してみるぞい」
「いやちょっと待て! その格好で出るのは勘弁して下さい!」
スタスタと玄関へ向かう雲を、掴んで引き止める。
「って触れる?」
「言うたじゃろう? わしの存在は自分でも把握できておらんと。肉体があるのじゃ。触れないはずがなかろう」
「そこで自信満々になる理由が分からないんだが……。――とにかく、その格好で外に出るのはナシ!」
まだ顔も知らぬご近所に何言われるか分かったモンじゃない。
「むう、しかしきら、わしはこれ以外の衣服を持っておらん」
「マジか……って靴も無いよな」
玄関には何も無かったし、今の雲は裸足だ。
「草履なぞ、贅沢言いおって」
「あ、そういうレベルなの!? お前の生前の暮らしが気になるんだが」
「言うかえ?」
「……やめておく」
雲のせいではないだろうが、気分悪くなりそうだ。
「……となると、だ」
雲が出歩くための服が必要になる。
「きら?」
「よし雲。ちょっと落ち着いてそこに立ってろ」
「立っておる」
飼い犬にする“待て”のようなジェスチャーで、俺はリビングから出る。
「すぐ戻る!」
「きら!?」
そして玄関から外へ飛び出した。
――およそ三十分後、
「も、戻ったぞ……」
一キロほど離れたショッピングモールへ往復。体力には自信あったが、かなり全力ダッシュを敢行したせいでかなり疲弊。しかもドアを開けると、
「どこへ行っておった!」
座敷童、ご立腹。……見上げられる仁王立ちって、初めて見た。
「いや、すまん。そんな格好のお前を外に出すワケにはいかないからな。――ほれ」
噛み付いてきそうな雲に、持っていた紙袋を差し出す。
「む? 何じゃ、これは?」
「見れば分かるって」
「言うてもいいじゃろて……」
若干不満の残る顔で、雲は紙袋から中身を取り出す。
――丁寧に包まれた紙包み。
「きらはわしに何をさせたい!」
「そこでキレる!? いいから確認しろよ!」
かなりの不満な顔で、雲は包みをビリビリと破く(掃除が必要だなぁ……)。
「これは……?」
畳まれていたせいで、すぐには正体に気付けなかった雲だが、持ち上げるとパラッと崩れる。
「好みとか分からんから、適当に選んだ。とりあえずそれで我慢しろ――ってうおぁ!?」
我ながら割と理不尽なセリフは、飛びついてきた雲によって遮られた。
「きらは人となりができておる!」
キラキラキラァッ、と瞳を輝かせ笑顔な雲の右手には、水色に白い花柄のワンピース。
「わしにこれを? 素晴らしい! 素晴らしいぞいきら!」
ようやく離れた雲は、ワンピースを抱いてクルクル回る。
「あ、ああ……。喜んでくれたなら何よりだ」
予想以上の歓喜ぶりに困惑しつつ、抱きつかれた拍子にドアにぶつけた後頭部を押さえつつ、急接近した幼いながらも美少女の顔に動揺しつつ、もう一つの包みを差し出す。
「こっち、サンダルな」
「! (キラキラキラァッ)」
「抱きつくのは勘弁してくれ!」
今さっき往復したばかりのショッピングモールへ、再び。
「はぁー……」
深々とため息。
「きら、元気が無いのう」
「まあな……誰かさんのせいでな」
「?」
「お前だよ……」
原因は、プレゼントの一分後に起こった。
「――喜ぶのはもういいから、早く着替えてこい」
喜び続ける雲は見ていて飽きないが、このままここで謎の踊りを続けられても困る。俺はリビングへのドアを示して言った。言ったのだが、
「む、それもそうじゃな」
雲はその場で、帯代わりだった腰の紐を解き始めた。
「いや何でだ!」
俺が大声を上げると、雲はビクゥッ! と震え、ストン、と着ていた和服が床に落ちた。
「うえぇっ!?」
そしてさらなる驚き。
雲は下着類を一切身に付けていなかった。結果、目の前には幼女の一糸纏わぬ姿が。
慌てて後ろを向き、一言告げる。
「ここで脱ぐな! 何か着ろ!」
あ、二言だった。
「き、きら、何故怒っておる……?」
急に弱々しくなった甘々ボイスに、思わず振り返る。そこには、ショボン、と俯く雲の姿が。――全裸の。
「ぶっ!」
もう一度後ろを向く。学習しろよ俺!
「きら?」
いくら背が低かろうと、大人びて整った顔立ちが見た目齢を中学生ほどに引き上げる。そんな年代の女の子の裸、凝視できるワケがなかろう。変態確定だ。
「きら、こちらを向いてくれんかの?」
「それは厳しいぞ……」
「しかしこのままでは、わしはこれを着る事ができぬ」
「は?」
予想外のセリフに、振り返る――と三の舞になるからそのまま訊いてみる。
「もしかして、洋服着るの初めてか?」
「うむ。そのような機会も無かった故な」
確かに江戸時代に、洋服は無いもんな。
「じゃあ教えてやるからよく聞けよ。まず下から袖に手を入れて――」
俺が後ろを向いたまま説明を始めると、
「分からぬ。きらがやるのじゃ」
回り込んでワンピースを差し出してきた。
「お前なあ!」
「お、怒らんでくれい……。言い方が悪かったのかう……?」
う、急に弱々しくなるのはやめてくれ……。
「はぁ……、分かった。分かったから両手を上げろ」
「こうかの?」
「それじゃ銃で脅されたみたいだろ。バンザイしろって」
「おお、こうかえ?」
雲がバンザイした瞬間、
「そいっ」
バスケのダンクシュートのようにワンピースを被せる。だが勢いが強すぎたのか、
「ぶはっ!? きら、何をする! 息ができんではないか!」
「ちょ、おい、暴れんな!」
「きらが悪い! 丁寧にやれい!」
「もう自分でやれよお前ぇぇぇぇぇっ!」
割と本気の絶叫が我が家に響いた。
――そんなこんなで、人生一疲弊した数分を経験した玄関のやり取りを経て、ショッピングモールへ戻ってきたワケだが、
「何をしようか……」
大規模なフードコートもあるみたいだから、そこで晩飯にして……それなら近所のコンビニでよかったような。
「雲、何か行きたい場所とかあるか?」
「知らぬ」
「…………」
これだもんね。
「どうすっかな……」
大きい施設に来ると、何もしないで帰るのは勿体無い気がするのは田舎者の貧乏性なのか。
「わちきは機嫌が良いからの。きらの提案に乗ろうではないか」
スキップをしそうなほど上機嫌の雲。残念ながらスキップ自体はできないらしく、謎のステップを踏みながら飛び跳ねている。
「…………ちょっと落ち着け」
玄関でのやり取りの通り、雲は下着類を身に付けていなかった。つまり現在ノーパン。あんまり激しく動くと見えそうで怖い――
「――あ、そうか」
「む?」
「目的、てか買う物見つけた。一緒に来い」
「む、了解した」
わざわざこっちに来てよかった。ちょっと恥ずかしいけど……そうも言ってられないよな。
「何じゃ、ここは」
「お前のためだよ」
「ほう?」
やって来たのは、モール内の店舗の一つ、女性用下着専門店の前。確か……ランジェリーショップとか言うんだっけ。店の外からでも色とりどりの下着が目に入り、ここにいるだけでもかなり気まずい。
「ほら、買ってやるから何枚か選べ」
「きらは太っ腹じゃな。嬉しい限りじゃ」
いつまでもこの場所にいたくないんだよ。
お金を渡し、突撃する雲を見送る。
「――きら、どれが良いのか分からぬ」
そしてUターンする座敷童。
「何となく予想してたけどさ! 裏切らないなお前!」
「い、いきなり叫ぶでないぞい! わしはただ何を選ぶべきか分からぬだけじゃ!」
「それが問題なんだよ! あの空気に男が突っ込めるか!」
「教えろい!」
「偉そうだな!」
「ならば付き添えい!」
「いや同じだからな!?」
そんな事を叫んでいると、俺の意思がようやく伝わったのか頬を膨らませながらも雲は折れた。
「むう……それならばより有能な者に訊く他あるまいか……」
「俺が無能みたいな言い方すんなよ」
あと他の人に訊くってのも不安なんだが。主に口調と態度。
「――そち、少しよろしいかの?」
「は、はい!?」
そう言って雲は、近くを通りかかった女性に声をかけた。
って通行人はダメだろ。店員さんとかいるんだしそっちにしろよ。
だがありがたい事に、その女性――見た感じ、歳は俺と同じくらい。女の子って表現の方がいいか――は立ち止まって話を聞いてくれた。
「わしの下着を選んでくれんかの?」
「は、はい?」
「偉そう! 頼む立場考えろ! あと誤解される!」
俺は雲の頭を強引に下げさせる。それから、男がランジェリーショップに入る度胸は無く難航していたという情けない内容を伝えた。
「この不甲斐ないきらに代わり、わしに知識を与えてくれんかの?」
「ちょいちょい下に見るのやめてくんない? ――あ、忙しいなら気にせずに。無理にとは言わないんで」
どうやら思考が追いついていない女の子に、そう告げる。
「えっと……よく分かりませんけど、この子に服を選んであげればいいんですか?」
「まあ、そうですけど……」
服というか、パンツを。
「それなら任せて下さい。私でよければ!」
「え? いいんですか?」
言っちゃなんだが、我ながら無茶苦茶な頼みだと思うぞ? それを快諾するとは……何ていい人なんだ。流石は都会。
「じゃあ、行こっか」
「うむ、よろしく頼むぞい」
女の子と雲は、仲良さそうにランジェリーショップに入って行った。
……あ、俺手持ち無沙汰だ。
二十分ほどすると、二人はランジェリーショップから出てきた。
「素晴らしいのう……」
雲は物凄く満足そうな顔をしている。まあ、パンツを持っていなかったと考えれば当然か。
「…………」
対照的に、女の子は表情が暗い。どうしたんだ? まさか雲が何かしたんじゃ……。
「ついつい楽しくて似合うもの選んじゃったけど、よく考えたら私のお金じゃなかった……。どうしよう……」
あ、そういう事か……。いい子すぎるだろ……。頼んだのこっちなのに……。
「きら、買えたぞい」
「おう、よかったな。ちゃんとお礼言えよ」
「む、そうじゃな。――礼を申す。感謝しておるぞい」
「俺からも。わざわざありがとうございました」
雲の言い方にツッコむと話が進まないから、ここはスルーだ。
「い、いえ……お礼を言われるような事は何も……。こちらこそ、調子に乗って余計なお金を使っちゃったかもだし……」
そう言って申し訳なさそうにする女の子。あ、これエンドレスなヤツだ。
「本当にありがとうございました」
若干良心が咎めるが、ここで切る。
「――きら、腹が減った」
「…………」
空気読めよお前。
「腹が減った」
「分かったからちょっと黙れ!」
「む、そうじゃ。礼を兼ねて、そちも一緒にどうじゃ?」
「話聞いてます!? って……は?」
「へ?」
「色々と世話になった故な。そのくらいの礼はして然るべしじゃろて」
何やら勝手に自己完結してらっしゃる!?
「そういう訳じゃ。食事でもどうじゃ?」
雲が女の子を見、俺もつられて視線を向ける。
まあ確かにいきなり呼び止めて迷惑かけちゃったし、何かお礼はしたいんだよな……。それが食事って、何かナンパみたいだけど。
「金銭なら心配いらん。多少なりと懐は温かいからの」
俺のな。
「そんな、申し訳ないですよ!」
まあそうだよな。いきなり知らないヤツに“奢ってやる”なんて言われても戸惑うもんな。
「むう……」
その断りっぷりに押されたのか、それ以上は強引に誘おうとしなかった雲。
「そちがそこまで言うのであれば、それも良かろ。――そちはこの付近に暮らしておるのかの?」
「え? はい、まあ……」
すると雲はニコッと笑うと、不敵な表情を見せる。
「ならばまた会う機会もあるじゃろて。楽しみは次にとっておくとするぞい」
「は、はあ……」
対してこちらは戸惑いの色。……俺も同じだ。雲、何となくいい事言った、みたいなドヤ顔してっけど、正直意味分からんぞ。
結局お礼を言っただけで女の子と別れ、俺と雲はフードコートへ向かった。――パンツは穿かせた。
「さて、何にすっかな……」
田舎暮らしだった俺にとって、こんな風に外食する事自体が稀だ。ハンバーガー、チキン、たこ焼き、ラーメン、そばうどん、大抵は揃っているから驚きだ。
……まあそんな俺よりも、
「な、何じゃここは……。芳しい匂いに溢れておるぞ……!」
この座敷童の興奮がヤバい。キラキラキラァッ、と瞳がイルミネーションだ。
「きら!」
輝く表情で振り向く雲。
「ああうん、好きなの食べればいいんじゃないか? そんな高くないし」
「! 恩にきる!」
そう言って近くのたい焼き屋に突撃する雲。
「いや、それ食後にしろよ!」
「いただくのじゃ!」
「……いただきます」
周りの視線が痛い。
俺たちが座るテーブルには、俺が注文したかき揚げうどん。雲が注文したハンバーガーポテトフライドチキンサンドイッチホットドッグたこ焼き温そば。もう何人前か分からない。
「お前……それ本当に全部食べるんだよな?」
「無論じゃ! 何を言う!」
ちょっと怒られた。
「……まあそれならいいや」
いやちっともよくない。出費が痛すぎる。
俺が若干遠い目をする前で、
「! 美味い! 何と美味い食べ物なのか……。三百年ぶりの食事がこんな晩餐になるとは……。死んでおるが、生きてきて良かった……」
この上なく幸せそうに食事をする雲。……ここまで喜んでもらえるなら、多少痛くても我慢するか。
「――ふむ、次は甘味じゃな!」
「まだ食べるのかよ!」
「――楽しい食事だったの」
帰宅後、雲は床に寝転がった。
「本当に存分に食べやがって……」
あの後、たい焼きやら団子やらアイスやら、デザートも雲はあらかた食べ尽くした。何かあっても平気なように、と多めに持っていた所持金が、悲しいくらいにスッカラカン。
今後は自重してくれるかなぁ……。というかしてくれないと、家計が火の車を通り越して大炎上。
「ったく……大食いなら先に言えよ」
「きらが良いと言うた故じゃろ?」
「そうだけどさ……」
これからは迂闊に変な事言わない方がよさそうだ。
「また行きたいのう」
寝転がったまま、こちらを見上げる雲。
「……そんな頻繁に行けねーよ。特別な日だけだ」
「ほう? ならば今日は“特別な日”だったのじゃな?」
「それは……」
「よもや、わしとの出会い、などと言わぬかえ?」
なん……変な事言いやがって……。
「答えぬ、という事は図星かの? くくくっ」
こ、コイツに手玉に取られるのは悔しすぎるぞ……!
「……まあ、引っ越し初日だからな。少しくらい贅沢してもバチは当たらんだろ」
俺の苦し紛れの理由は、
「素直に言えば良かろ。つまらん事をしよる」
雲を不機嫌にしてしまった。ムスッと頬を膨らませ、拗ねたようにこちらを見上げる。……怖くないし、むしろ可愛い。
「はは、じゃあそういう事にしておくか」
「むう……何故じゃ。負けた気になってしもうた……」
この座敷童、案外チョロいかもしれない。
「んじゃ、電気消すぞー」
「うむ」
あれから何だかんだあったが、特にする事も無いので布団を敷いて就寝準備。テレビすら無いからな。明日には来る予定だが。
ちなみに場所はリビング。俺の部屋(になる予定の場所)でもよかったんだが……というか一人ならそうしていただろう。今は雲もいるし、どうせなら一番広いリビングで、ってな。
パチッ、と電気をオフにすると、暗闇に慣れない目では僅かな輪郭しか判断できない。
「――むぎゃ! きら、何をする!」
「あ、すまん」
どうやら雲を踏んづけてしまったらしい。軽く謝ってから、布団に潜る。――布団と言っても、タオルケットに近い。かさばるから手荷物には入れられないからな。
「やれやれ……」
こうして横になると、ドッと疲れが押し寄せて来る。初日から非日常すぎるんだよなぁ……。
「――のう、きら」
隣で、俺の敷布団だったハズのタオルケットに丸まる雲が口を開いた。
「きらには、わしが見えておるのじゃろう?」
「は? 何言ってんだ? 当たり前だろ」
自分でも見えない相手と会話するとか、怪しすぎるぞ。
「確かに今更な問いかもしれぬが……以前までの家主は、わしが見えておらんようじゃった」
「え、そうなのか?」
そう聞くと、ホントに幽霊みたいだな。
「わしの目の前を素通りし、話し掛けても反応せず、何故か実体も持てず触れる事すらできんかった」
「それは……つらいな」
そこにいるのに、反応すらしてもらえない。無視されるよりつらいだろう。
「同情してくれるのかえ?」
「……まあ、それは……」
「ふふ、嬉しいのう」
「――ん? でも俺は見えたし触れたぞ? 何でだ?」
俺だけじゃない。疾風も、ランジェリーショップでお世話になった女の子も。キチンと雲を認識していた。
「わしにも分からぬ。以前までの家主も、何となく気配は察しておったようじゃが」
そのせいで気味悪がられたのじゃがな、と雲は続ける。
「……そっか」
「きらには分からぬか?」
「分からねーから訊いたんだろ」
俺としても、原因は解明したい。まだ半日一緒にいただけだが、やっぱり目の前からいきなり消えるなんて嫌だからな。
「家主であるというのに」
「都合よく家主にすんな。まったく敬意が感じられないんだが」
「ふ、ならば“対等な家主”じゃな」
「変な名前付けんな」
まあ、今さら敬語使われても戸惑うだろうけどな。コイツがそういう性格してないってのは、よく分かった。
「きらは優しいのう。――ひょっとすれば、この優しさが理由なのかもしれぬな。わしを受け入れてくれた優しさが」
「……へーへー、そりゃどうも」
「照れておるかえ?」
「うっせ」
「ふふふ、礼を言うぞい、きら」
そう言って雲は、モゾモゾとこちらの布団に潜り込んできた。
「……何やってんだ?」
「見て分からぬか? わしもこっちで寝る」
「じゃあ俺は隣に――」
「それでは意味無かろう!」
「グベッ!?」
脇腹にエルボーが入った。
「何すんだ!」
「きらが悪い! 気持ちを察せよ!」
そんな逆ギレされてもなぁ……。まあいいけどさ。
「誰かと一緒に過ごすのは久方ぶりでの。寂しい気持ちもあるのじゃ」
すぐ目の前の、少し困った笑顔。
「……あーはいはい。好きにしてくれ」
そういう顔は反則だろ。
「ふふ……」
雲は微笑むと、身体をくっつけてきた。
「ちょ――」
いきなりそういう事するのは――
「……温かい。これが、誰かの温もりなのじゃな……」
「…………」
その独り言に込められた感情を推し量るには、俺の人生経験は足りなすぎる。
「――のう、きら」
「ん?」
「きらには、わしが見える。それはる嬉しかった。やっと、わしを認めてくれる存在が現れた……。じゃが、きらはいつまでわしの隣にいてくれる?」
「いつまでって……」
「約してくれぬか? わしの居場所はこの場所だと……」
不安、なのだろう。本当に三百年間独りだったとしたら、俺はどのような存在になるのか。
「ああ。お前の居場所はこの場所、この家だ。もし何かに迷うような事があったら、ここに戻って来い。俺はいつでも受け止めてやる」
「くふふ……嬉しい事を言うてくれる。こそばゆくないかの?」
「お、お前のためだろうが!」
何で俺がダメージ受けなくちゃならんのだ。
「恩に着るぞい、きら」
きっと、コイツには勝てないんだろうな。
俺は大人しく、雲が立てる安らかな寝息を聞いていた。
次の日、午前九時頃に引っ越しのトラックはやってきた。
ベッドや冷蔵庫などの重い家具は所定位置まで運んでもらい、その他ダンボールに入った衣類などの小物はリビングに置いてもらい自分で荷ほどきする。
「お疲れ様でしたー」
引っ越し屋さんに以上になります、と告げられ、お礼を言ってトラックを見送る。
それに合わせて、
「やあ、明星。手伝いに来たよ」
疾風がやって来る。
「よ、サンキュー」
「これ、母さんからの差し入れ。ケーキ」
そう言って疾風は紙箱を差し出す。
「おう……マジか。今度お礼言わないとな」
俺はそれを受け取り、
「……雲の分、あるか?」
アイツの食欲は痛感したばかりだ。ちなみに今は、運ばれた俺のベッドでトランポリンしている。
俺の質問に、疾風は少し驚いた顔をする。
「やっぱり雲ちゃん、いるんだね。迷子で保護者が引き取りに来た、とかもなく」
「ああ。あれから色々話したけど、やっぱ嘘を言ってるようには見えなかった。あれが全部演技だってんなら、アイツは天才子役間違いなしだ」
「そっか……。座敷童、か……。信じがたいけど、本当に存在するんだね」
「実際に目の前にいるんだし、信じるしかないんだよなぁ」
「――ちょっと調べてみたんだ」
そう言って疾風は、一枚の紙を取り出した。どうやら年表のコピーらしい。
「一七三一年に、享保の大飢饉が始まってるんだ。数年間で百万人近い人が餓死してる。雲ちゃんが亡くなったのも三百年前みたいだし、時期が重なるんだ。もちろん、全然関係ない可能性もあるけどね。関東の被害は少なかったらしいし――明星?」
「……アイツ、スゲー美味そうに飯食うんだ」
「……そっか」
おれが黙ると、疾風も黙ってしまった。お互い、あまり触れたくないと感じたのだろう。俺たちには、雲の苦しみを理解できない。アイツがどんな壮絶な人生を送ってきたのか、想像もつかない。きっとあの性格も、自分なりの過去を乗り越えた結果なのだろう。
「――おおきら! 何なのじゃこれは! こんなに跳ねる布団は初めてじゃ!」
こうして、マットレスでトランポリンして目を輝かせていても。……うん、多分。
その後、疾風を交えて引っ越しの荷ほどき開始。雲にも手伝わせる。雲の過去がどうであれ、我が家の家計は別問題。ついでにニートにはさせない。……江戸時代出身のニートって……。
「明星、この服は?」
「あー、その辺はまとめてタンスだから、置いといてくれ」
「このカゴは、洗面所?」
「そうそう。洗濯機の横に置いてくれ」
「この缶詰は床下収納で平気?」
「おう、それで頼む」
「じゃあこのトースターは? お風呂場?」
「何も機能しないだろ! てか漏電して死ぬわ! いらんツッコミさせるな!」
「凄いキレだね。芸人目指せるかもよ? ――でもコンセントが無いから、漏電どころかそもそも電気発生しないよね」
「感想そこ!? しかもダメ出しされた!」
「きら、これは何じゃ?」
「お前も何か面倒ごとを……って、これ入学案内じゃん」
「警戒し過ぎだよ、明星」
「誰のせいだ!」
雲が持っていたのは、一週間後に入学式を控えた、俺たちが通う高校の案内パンフレットだった。こんなの持ってきちゃったのか……。合格したんだから、いらないじゃん。
「ほう、これがきらの寺子屋かえ」
表紙の校舎の写真を眺めながら、雲が呟く。
「うんまあ、そうなるな」
寺子屋という当時の表現が正しいかは若干謎だけど。
「――ほう、この場所、わしは知っておるぞ」
裏に記載された地図を見た雲が、そう言った。
「え? マジか?」
三百年前とは道も建物も違うハズだが。
「うむ。このきらの家をわしの家だったと仮定するならば、この学び舎はここらの地主様の土地じゃな」
「地主様って……」
何か通いづらくなったわ。
「ちなみに雲ちゃん、その地主様って、どのくらい偉かったの?」
「そうじゃな。当然じゃがわしらは年貢を納めねばならんかったし、武士の家系故逆らえば打ち首じゃった」
怖いな……。納税できないだけで死刑か。知識として知ってはいたが、やっぱりそういう社会だったんだな。
「打ちこわしによって瓦解しておったがの。さして手強くなかったと聞いておる。わしは参加せんかった故、詳しくは知らんが」
あ、大した事なかった。気にせず遠慮なく通おう。
「ははは。それにしても、やっぱり雲ちゃんの話はリアリティがあるね」
「まあ、その現実を生きてたんだし、当然っちゃ当然だよな」
「り、りありてい? とは何じゃ?」
そこかい。
「本物っぽいって意味だよ。嘘くささが無い、とも言うかな」
「ふむ、わしは真の事を言うておるだけじゃしな」
疾風の説明に、ペッタンコな胸を張る雲。
「流石、本物は違うね。――ねえ雲ちゃん」
「む?」
「もしよかったら、当時の状況とか環境とか、差し支えない程度に教えてもらえないかな?」
「疾風?」
いきなり何を言い出すんだ? コイツ、そんなに歴史好きだっけ?
「特別歴史が好きな訳じゃないけど、文献でしか分からなかった出来事が、当事者の口から聞けるんだよ? このチャンスは逃せないと思うんだ」
そう言われればそうかもしれないが……雲だってつらい経験を経ているだろうし、あまり根掘り葉掘り聞くのは気が引けるんだよな……。
そんな俺の思いに反し、雲はアッサリと頷く。
「構わんぞい。わしの人生が未来の文献に乗るとは思うとらんが、連想くらいにはなるじゃろて」
「ありがとう、雲ちゃん」
「他ならぬ、はやての頼みじゃからな。断る故も無かろう」
え? どういう事?
「それもそうだよね」
「お前も同調すんな!」
――その後、三人でケーキを食べながら雲の話を聞いた。現代では考えられない生活に目を丸くしたりもしたが、
「こんな素晴らしい食べ物が、現代にはあるのかえ!?」
こっちを見ている方が楽しかった。
神奈川にやって来て、二週間が経った。
本日四月八日は、新学期初日。つまり入学式だ。
神奈川での生活にも大分慣れ、疾風に案内してもらいこの辺りの地理も大体把握できた。
……まあもちろん、
「おはようじゃ、きら」
座敷童は健在。コイツも中々元気だ。居候のレベル超えてるだろ。
別にもう一人暮らしなんて求めていないが、少し――いやかなり困る事態に見舞われた。
「今朝も美味そうじゃ」
「その前にする事あるだろ!」
「む?」
食卓についた雲に、大声でツッコミを入れる。
「何度も言ってるだろ! 前とめろ!」
和服を着ていた影響なのか知らないが、雲はパジャマのボタンをとめない。しかも俺のパジャマを貸しているせいで、“羽織る”に近い。
服やらパンツやらで手痛い出費が続いた結果、所持金がややピンチになってしまった。そのせいで雲のパジャマまでお金が回らなかったのだが……サイズが大きいせいか、ズボンは穿かずパンツだけときた。
無防備なんだよなぁ、全く隠そうとしないし。ヘソとか丸見えだし、ペッタンコといえど胸部もチラチラ。目のやり場に困る事この上ない。
「着替えるか、せめて隠すかしろよ!」
「何故じゃ?」
「お前二週間、毎日素で返すよな!? 恥じらいを――」
「腹が減った」
「話聞いてます!?」
俺が騒いでも雲は動じないので、諦めて朝食。ようは見なければいいのだ。
――それから制服に着替えて、持ち物をチェックする。……と言っても、今日は入学式だし、筆記用具と上履きがあればそれでいいらしい。
制服に身を包んだ自分を見下ろしてみるが、着慣れていないせいか違和感が凄い。割とオシャレなデザインだし。
一通り準備を終えた所で、ピンポーン、とインターホンが鳴った。
『明星、準備はできた?』
疾風だ。
「バッチリだ。今行く」
玄関に向かいつつ、雲に声をかける。
「んじゃ雲、学校行ってくる。昼頃には帰ってくると思うけど、もし出かけるならちゃんとドアの鍵を閉めて行くんだぞ。――あと、その時は必ず買ってやった服に着替えるように! これ絶対な!」
「……分かっておる。わしとて、肌着で外を歩こうとは思わん」
ホントかよ。
ムスッとした雲に、疑わしい視線を向ける。
「……まあよい。わしもすべき事がある故な。また後で会おうぞ」
「すべき事?」
内容が気になったが、疾風を待たせるのも悪いし、どうせ大した用事じゃないだろうからスルー。この二週間、雲はちょいちょい一人で散歩に出かけていた。地形の違いを知りたかったらしい。だから、きっと今回もそうだろう。……服の騒動はあったけどな! だから不安なんだよ。
「悪い、待たせた」
「大丈夫だよ。何やら楽しそうだったしね」
楽しくねーよ。
「――おや、雲ちゃんはお留守番?」
「散歩か何かに行くらしいけどな」
玄関で見送る雲を見て、疾風が意外そうな顔をする。
「今日は入学式なんだし、一緒に来てもいいんじゃないのかな?」
「構わぬ。わしは残る」
何だろ、元地主の土地には行きなくないのかな?
「ふーん、そっか。じゃあ雲ちゃん、行ってくるね」
「出かけるなら、戸締まりはシッカリな」
「うむ。をっけーじゃ」
「あはは。雲ちゃん、無理してそんな言葉使わなくても。雲ちゃんの独特の言葉遣い、僕は好きだよ」
「きらがよく使う故な。わしも使ってみたくなったのじゃ。現代語とやらを」
英語だけどな。
俺と疾風が入学する高校は、『私立徳巡(とくめぐり)学園』。我が家から徒歩で二十分ほどの位置にある、住宅街と商店街の両方に面した学校だ。
実は、去年まで“女”学園であり、その名の通り女子校だったのだ。今年から共学に変更され、自宅から近いからと疾風に誘われるまま受験した。
元々、進学校のような高偏差値な学校じゃないし気楽な高校生活を送れると思っていたのだが……
「……どうしてこうなったし」
「僕に訊かれても」
校舎に入ってすぐの場所にあったクラス分けの掲示板を確認すると、衝撃の事実。
「男子は固めるって言ってた……よな?」
「うん、入学要項に書いてあった」
俺たちは一年一組。ざっと確認してみたが、二人以外に男らしき名前が無い。
もちろん先輩方に男子生徒がいるハズないし、女性っぽい名前の男子という可能性もなくはないが、男女比率まさかの二対八百という可能性。
入学式の前から気まずさで若干憂鬱になりながらも、とりあえず教室へ向かう。一年生は二階らしい。
割とギリギリの時間だったせいか、教室内の席は大体埋まっていた。――男子ゼロ。
「……うわ」
「諦めなよ、明星」
疾風にポンと肩を叩かれ、覚悟を決めて入室。――瞬間、多くの目がこちらに向いた。か、帰りたい……。
反転してダッシュしたい衝動に駆られたが、疾風は気にせず自分の席に座る。そして早速囲まれる。これだからイケメンは……!
あの多くの視線は、俺ではなく疾風に向いていたんだな……。
色々疲れた俺も、自分の席に座る。ちなみに一番後ろだった。おっしゃーやったぜー。
てか、お隣とその一番前が空席なんだが、大丈夫か? 初日から遅刻はよろしくないような……。
と思っていたら、教室の後ろのドアを開けて人影が飛び込んできた。それと同時に鳴り出すチャイム。
「はぁ……はぁ……はぁ……。ま、間に合った……」
遅刻ギリギリの(当然だが)女子生徒は、俺の隣に腰を下ろす。
それから彼女は横を向き、俺と目が合った。
「――へっ?」
「うん……?」
お互い、変な反応をした。
「前に、どこかで会ったような……?」
俺が呟くと、
「! もしかして、この前ショッピングモールにいた!」
「ああ!」
思い出した。二週間前に雲のパンツ買った時、代わりに選んでくれた親切な人だ。近い歳だと思っていたが、まさか同じ学校で、まさか隣の席だとは……。世界って狭いな。
「あの時はいきなりだったのに、本当にありがとう」
「あ、えっと……ううん、私なんかで役に立てたなら、よかった」
うーん、優しいなぁ。
「でも……それだけじゃないような……」
女の子の呟きに、もう一度考える。
温和そうな顔つきに、ボブカットの髪と長めの前髪をモミジという珍しい髪留めで留めた――モミジの髪留め?
特徴のあるその髪留めが、二ヶ月前の記憶を引っ張り出す。
「! もしかして、試験の日に後ろにいた――」
「あっ! やっぱり!」
役が逆転した。
――少し説明しよう。――二ヶ月前の試験の日、彼女は俺の後ろの席だった。どうやら筆記用具を忘れたらしく、涙目でオロオロしていた。受付本部に行けば貸してくれただろうが、それに気付ける余裕も無く、正直見ていられなかった。俺は、一応予備に、と持っていた鉛筆(先が丸まった。短い)を貸してあげたのだ。
……いや、貸した瞬間から申し訳ない気はしていたのだ。もっとマトモなヤツ渡せと。だが、彼女に今度は嬉しさのあまり涙目で何度も頭を下げられ、俺は何も言えなくなってしまった。試験終了後、すぐに姿が見えなくなった彼女は、わざわざ職員室で鉛筆を綺麗に削ってきてくれた。……もはや、罪悪感しか湧かなかった。
まあここにいるって事は、合格したんだろう。よかったよかった。
「あ、あの……久しぶり、かな? ――えっと、試験の日は、本当にありがとう」
「いや、別にいいよ。俺の方こそ、あんな鉛筆渡して、失礼だったよな」
その言葉に、彼女はフルフルと首を横に振る。
「そんな事ないよ。あの鉛筆が無かったら、きっと私はここにはいないもん」
そうなのかなぁ……?
「私、東風(はるかぜ)日和(ひより)っていいます。東の風で、“はるかぜ”」
「俺は九十八明星。漢数字の九十八に、明るい星で“きら”」
「九十八って、珍しい名前だね……」
「百から二つ少ないから、って事らしい。まあよく言われるけど、お互い様じゃないかなぁ」
「確かにそうかも」
東風さんはクスクスと笑う。……あ、結構可愛いかも。
――とここで、担任の先生が入ってきた。俺と東風さんは会話を中断して、前に向き直る。……相変わらず、一番前の空席が気になるな。
「――はい、皆さん初めまして。おはようございます。担任の福田武雄です」
担任の先生は、よれっとしたスーツを着た四十代に見えるオジサンだった。ほのぼのとした優しそうな人だ。……名前負け感半端ないな。
「えー早速ですが、編入生を紹介します」
早速すぎるだろ。今日、入学式だぞ? そんな事あるのか。
東風さんの列の一番前が空席だから、恐らくそこに座る人物なのだろう。
「えーでは入って下さい」
福田先生の声で、教室のドアが開く。破天荒な事するのは一体何者かとそちらを見やると、
「雲と申す! みな、よろしく頼むぞい!」
「はあああああああ!?」
座敷童。
隣の東風さんがビクッとしたが、そこに構う余裕は無い。
「えー九十八君、静かにして下さい」
「あ、すいません……」
いや、無理です。何で? 何故アイツがここにいる!?
「えー彼女は九十八雲さんです。九十八君の双子の妹さんですが、事情により生徒としての登録が遅れてしまいました。皆さん、仲良くしてあげて下さいね」
小学校か。
「えー彼女の席はそこの一番前です」
まあそれは予想通り……ってそんなの吹っ飛んだわ。シッカリと制服を着て、何食わぬ顔で着席する雲。
「えー徳巡学園は自由を重んじる学校です。四月末にある遠足でも、細かい企画は皆さんに一任します」
先生の説明を半分聞き流しながら、俺は一番前のちっこい背中を軽く睨みつける。
……おい雲、後でたっぷりと話聞かせてもらうからな?.
「えーそれでは自己紹介でもしてもらいましょうか。――では一番の人」
「あ、はい。私は――」
自己紹介が順調に進み、ほどなく疾風の番が回ってくる。
「小鳥遊疾風といいます。見ての通り、数少ない男子生徒ですが皆さん仲良くしてくれると嬉しいです。一年間よろしくお願いします」
疾風の悠々とした自己紹介に、ほう、と教室のあっちこっちから声が漏れる。……ちょっと悔しい。
「はいはいアタシは――」
次の人も自己紹介を終え、巡って俺の番。
「九十八明星です。えっと……疾風共々、よろしくお願いします」
疾風が笑いをこらえているのが分かった。あの野郎……。
……さて、次は雲の番か。
「先刻述べた、雲と申す。みな、よろしく頼むぞい」
口調はアレだが、まあ二回目だし教室内の反応も薄い。……好奇心旺盛そうな女子が何人かウズウズしているが……気にしないでおこう。
「えっと……東風日和です。よ、よろしく、お願いします……」
俺と話している時と比べて、声が小さい。ひょっとして人前に立つのは苦手なのかな? 何となくそんな印象あるもんな。
「えー入学式の入場時間は九時半です。あと三十分ほど、教室で待機して下さい」
福田先生がそう言い残して教室から出ると、しばらく自由時間だ。
早速雲に話を訊く為そちらを見やると、
「ちっちゃ〜い!」「何コレ超可愛い!」「喋り方も古風だし、不思議ちゃん?」「お持ち帰りしたい!」
囲まれていた。もはや雲本人が見えない。
「…………」
諦めて座り直すと、
「妹さん、大人気だね」
東風さんが話しかけてきた。
「ああうん……何か複雑だ」
この言葉は、同じように囲まれている疾風へも含まれる。
「そういえば九十八君は、どうしてこの学校にしたの? 肩身狭い思いするような気がするのに……。逆の立場だったら、私絶対無理だよ」
いや、俺だってここまでだとは思わなかったさ……。
とりあえず俺は、東風さんに入学までの経緯を説明する。
「沖縄から? 凄いね」
「いやまあ、どうなんだろうな。確かに遠いけど……」
「いいなぁ、沖縄。一度行ってみたい」
「俺が住んでた島は、平和でいい所だよ。……本当に何も無いけど」
「でもそれって、自然豊かって事でしょ? 憧れるなぁ」
思いの外会話が盛り上がっていると、
「――ひよー」
謎の声と共に、一人の女子生徒がやって来た。ポニーテールに楽しそうな笑みを携えた、見るからに明るそうな女の子。“ひよ”ってのは東風さんの事か?
「ってひよが男子と話してる……? そんなバカな」
そして失礼だな。
「あ、キミ九十八明星君でしょ? きらっちって呼ぶね!」
「何故に!? てかいきなりだな!」
「よろしくきらっち!」
話聞いてないし!
「アタシの名前、ちゃんと聞いてた?」
「うわ凄まじいスルースキル……ってごめん。疾風の後ってのは分かるんだけど、覚えきれてないや」
「まーしょうがないよね。レアキャラのきらっちからしたら、アタシなんて数多いるモブの一人なんだしー」
嫌な言い方だな! この場に限っては間違いではないけど。本気で言っているワケでもなさそうだし。
「――彼女は千倉(ちくら)歌鳴(かな)さんだよ、明星」
声のした方を向くと、どうにか包囲網を突破したらしい疾風。コイツは人のあしらい方も上手だからな。
「むー、人のセリフ取らないでよね!」
「それはごめんね」
「イケメンだから許す! というワケでよろしくきらっち!」
「ああ、よろしく、千倉さ――」
「ちょい待ち!」
いきなり掌を顔面に突き出された。……割とビビった。
「カタイなぁ! カナでいいって!」
「いや、初対面の女子をいきなり呼び捨ては……」
「“さん”付けは許す!」
「そういう問題か……?」
気恥ずかしいんだけど――
「じゃあアタシもきららちゃんって呼ぶ――」
「カナさんこれからよろしく!」
「よろしい!」
グッ、と立てられた親指を見ながら、軽く脱力する。こんな明るい脅迫、初めてだよ……。
「カナはこういう性格だから、あまり深く気にしない方がいいよ……」
隣で東風さんが囁く。……うんまったくその通りだよ。
約三十分後、入学式入場の時間になり出席番号順に並ぶと俺の隣は、ようやく解放された雲になる。
「おい雲――」
「きらの言いたい事など分かっておる」
そこでドヤ顔されてもなぁ……。機嫌を損ねると話してくれなくなりそうだし、ちょっと黙っておく。
「簡単な事じゃ。ここに出向いて、きらと共にいたいと言うただけじゃ」
「え、それだけで何とかなるの?」
「ここの長が、わしの話にいたく感激しての。“きゃんせるのあなうめ”とか言うておったが、詳しい事はわしにも分からぬ」
「……充分、分かったよ」
このキャラが学園長に気に入られて、進学を取り止めた生徒がいて、その代わりなんだろ。……裏口入学じゃん。いいのか徳巡学園。
「てか、人の名字使うなよ」
「わしには性が無い故な。不本意じゃが、拝借させてもらうた」
「不本意とか言うなや! 俺のご先祖に謝れ!」
でもそうか。江戸時代の平民には、名字が無いんだっけ。フルネームを名乗れて、嬉しそうに見えるのは気のせいじゃないだろう。
「お前がクラスメイトになったのは分かった。けど、年齢誤植はマズいだろ。三百歳抜きにしても、中学生くら――」
「わしは十七じゃ」
「いにしか見えな――って、はあっ!?」
思わず大声を上げてしまった。
「えー九十八君、静かに」
「あ、すいません……。――え、お前十七歳だったの? 年上だったの?」
「ふむ? きらは十六と言うておったな」
このミニマム座敷童が俺より年上? 信じられねぇ……。何だこの敗北感。
「敬語とか使った方がいいのか?」
「気持ち悪い事言うでない」
「辛辣だな! 冗談だから素の本音を返すな!」
まあ無理だろうな、コイツに敬語は。使うのも、使われるのも。もうそんな距離感でもないし。
『これより、本校第二十五年度、入学式を開式致します』
教頭だという初老の男性が壇上で告げる。
俺たちは一年一組だから、席は講堂の一番前だ。
横にいる座敷童、床に届かない脚をプラプラと揺らし、早速退屈モード。
『――それではこれより、生徒の出席確認を行います。新入生の皆さんは、名前を呼ばれたら起立して下さい』
お、これだな? 福田先生が言ってた“点呼”は。……点呼って、意味違うよな?
一組の生徒が福田先生によって順に呼ばれていき、
『ん……? ことり遊び……――ああ、失礼しました。小鳥遊疾風』
「……はい」
流石の疾風も若干苦笑いだ。
『千倉歌鳴』
「はいはーい!」
……カナさん、緊張とか目立つとか、考えないんだろうか。
『九十八みょうせ――きら』
しっかり名前確認して下さい先生。教室ではちゃんと呼んでいたのに……。
『九十八雲』
「うむっ!」
お前ももう少し現代っぽい返事はできないのか。
『ひがしかぜ、びより……?』
……もう出直して来いよ先生。
入学式終了後、今日はこれで放課後。
「いやー、面白い先生だったね!」
“点呼”を思い出したのか、吹き出すカナさん。
カナさんは間違えられなかったからいいけど、俺たち散々だぞ?
「明星、この後どうするんだい?」
「どうするって、帰るだけだろ? 腹減ったし」
「そういえば、おばさん達は? 久しぶりに挨拶したいんだけど」
「あー、入学式には来てたみたいだけど、スケジュール厳しいって本社に帰ったぞ」
「うーんそっか。残念だね」
傍で話を聞いていた東風さんが、少し目を丸くする。
「九十八君のご両親って、もしかして会社の偉い人なの?」
「まあ一応、社長とその秘書」
「す、凄い……」
「いや、と言っても、地方の中小企業だしこっちじゃ誰も知らないような会社だぞ」
“TOKYO”ではなく“KYOTO”の大手企業と契約成立したみたいだから、少しは有名になってくれたら嬉しいけど。
「――きら、わしは腹が減った」
「分かったからちょっと待て」
会話の流れ考えような? 今話してるじゃん。
「へいへいそこのモクっち!」
ああ、ここにもいたよ大変な人……。
「モクっち……とな?」
「そそ! 雲ってモクモクしてるでしょ? だからモクっち!」
「む、むう? 良く分からぬが……みなが納得しておるなら、それで構わぬ」
「はい決定! これからよろしくねモクっち! ハイタッチ、イエイ!」
「い、いえい……?」
雲を丸め込むとは……そのスキル、素直に欲しい。
「あとはそこのイケメンだけど……」
カナさんが振り返って疾風を見やる。
「“はやて”ってアレンジ難しいよね……。その速そうな感じから――かまいたっちとかどう? カマイタチから」
「ぶふっ!」
吹き出してしまった。可愛らしい名前だな。
「できれば、他の名前で。――それと明星、あとでちょっと話がある」
口調が怖いんですけど……。
「む〜……じゃあとりあえず、かぜっちで!」
「それならいいかな」
いいのかよ。
「――てか、思い付かないなら無理にアレンジする必要ないんじゃないのか?」
「何言ってんの! アレンジしないあだ名とか、意味ないじゃん!」
え、俺は?
「――あ、あのところで、雲さんの喋り方、凄く独特だけど……何か理由があるのかな」
ずっと気になっていたのだろう。東風さんが申し訳なさそうに割り込んできた。
「あ、そうだよねー。アタシも気になってた。モクっちの喋り方、キャラ付けにしてはガチっぽすぎるし」
そりゃ気になるよな。俺も疾風も、出会いがあんなだっただけにスルーできたが、普通は無理だよなぁ。雲、変な事言っても多分信じてもらえない――
「わしは三百年を生きる座敷童じゃからな」
ノータイムで応答しやがった! 絶対変な目で見られるぞ!
「――ぷふっ! あはははっ! いいね! モクっちいいよ! 超面白い!」
……あれ?
「その成り切りっぷりは拍手モノだよ! ブラボー!」
「きら、かなの様子がおかしいぞい……」
これは……冗談だと思われてるのか?
見ると、東風さんもクスクス笑っている。
「――んで、実際は?」
「あー……」
誤魔化し切れなかったか……。ヤバい。何も考えてなかった。だってそれが本当なんだもん。
「――雲ちゃんは時代劇とかが好きでね。小さい頃から真似していた影響で、口癖になっちゃったんだよ」
すると、横から疾風がフォローしてくれた。疾風のポーカーフェイスでいけしゃあしゃあと言われれば、
「ほーん、なるほどね」
まあ信じるしかないよな。
「悪い疾風、助かった」
「信じてもらえないのも、当然だろうからね。でも安心しきるとボロが出るかもしれないから、注意してね」
「ああ」
疾風との密談を終えると、
「何々? 何の相談?」
ワクワク顔のカナさん。
「ちょっとな」
「秘密だよ」
嘘をつくのは若干心が痛むけど、共犯者がいる分気持ちは楽かな。
「ほほ〜ん。女子には言えない内容、というワケですな!」
ニヤニヤ顔のカナさん。……絶対誤解されたけど、もうそれでいいや。
「――きら、腹が減った」
「だから空気読もうな!」
「きらが無駄話をする故じゃろう!」
「原因お前なんだよ!」
「へーい兄妹喧嘩はそこまで!」
ヒートアップしかけた瞬間、カナさんが割り込んだ。
「モクっちが特殊なのはよ〜く分かった! アタシもお腹減ってるんだから、無駄話しないの!」
ええ〜? カナさんがそれ言う……?
「……きらっち、何その顔」
「いや何でも……」
「まあそれはさて置き。――みんな、もしこの後予定が無いなら、お昼一緒しない?」
「んん?」
一緒に、と言われても俺たちは弁当なんて持ってきていない。入学式の日に学食が使えるのかは怪しい所だが。
「カナさん、僕たちお弁当じゃないんだ。明星の家で食べようと思ってたから、何も準備してないよ?」
オイ、それ初耳なんだが。
「ふっふっふ……その言葉は予想してた!」
カナさんは右手を突き上げ笑顔。ハイテンションだなぁ……。疲れそうなのに。
「アタシの行きつけのお店があるんだよね! 安くて美味しい! 最高のお店だよ!」
「私もよく行くの。いい所なのは保証するよ」
東風さんまでそう言うなら、その情報は正しいのだろう。
「じゃあ、同行しようかな。九十八兄妹は?」
九十八兄妹言うな。
「んーまあ、特に予定も無いしな。いいよ。――雲は?」
「きらについて行くぞい」
だと思った。
「よし決まり! じゃあレッツゴー!」
カナさんに連れて行かれたのは、学園から十分ほど歩いた住宅街にある『ミラクルエイジ』という喫茶店のようなお店だった。
「ここ! ささ、入ろ入ろ!」
カナさんがドアを開けると、取り付けられたベルが、チリン、と可愛らしい音を鳴らした。
「こんにちは〜!」
「あら、カナちゃん。いらっしゃい」
出迎えてくれたのは、店の制服であろう、スカートに『M・A』とプリントされたエプロンドレスを着た二十代後半に見える若い女性だった。他には誰もいない。
「ご飯いただきに来ましたー!」
「今日は入学式よね? 徳巡学園入学、おめでとう」
「ありがとうございまーす!」
そこでカナさんはこちらに向き直り、
「この人は店長の羅良さん! アタシ達は親しみを込めて、ララさんって呼んでる!」
「それは……何が違うんだ?」
「漢字かカタカナか」
「それは分からない……」
「まあ優しくて料理が凄く上手な、いい人だよ!」
「紹介ありがとう、カナちゃん。――ララです。遠慮せず名前で呼んで下さいね」
ララさんは、ニコニコ笑顔で穏やかそうな、一言で言うなら“ふわふわした人”だった。
「あら、後ろにいるのは日和ちゃん? 久しぶりねぇ」
「こ、こんにちは」
「あらあら、男の子まで。もしかして、徳巡の生徒?」
「はい。僕は小鳥遊疾風。こっちは、九十八明星と――その妹の雲ちゃん」
「徳巡の男の子は少ないって聞いたけれど、もう友達になったのね。流石はカナちゃん」
「いや〜、それほどでも〜」
何だかララさん、母親みたいだな。
「今日は、とりあえず入学祝いって事で来ました!」
「あらあらそうだったのね。じゃあ好きな席に座ってちょうだい。注文が決まったら呼んでね」
「はーい!」
カナさんは元気よく返事すると、近くのテーブルにつく。
「ほらほら、みんな早く!」
俺たちも座ると、置いてあったメニューを開く。
お店の雰囲気から察していたが、洋風の料理が多い。あ、でもおにぎりとかもあるのか。それに、値段がかなり安い。財布にも優しいお店だな。
「きら、何を頼めば良いのじゃ?」
「あー……何でもいいんじゃね? カナさんが言うには美味しいらしいし」
「おうよ! ララさんの料理を超える味を、アタシは知らないね」
へー、そこまでなのか。ちょっと楽しみだな。
「みんな決まった? ――ララさーん!」
カナさんがララさんを呼び、それぞれ注文をする。
「はい。じゃあすぐに作るから、待っててね」
にっこり笑顔で、ララさんは厨房へと姿を消した。
「そういえばさ、きらっち達はどうして徳巡にしたの? やっぱり目指せハーレム?」
「いやいやいや」
「残念ながら、単純に近いって理由なんだよね。徳巡以外は電車使わないといけないから。ここまで男女比が凄いとは思わなかったけど。――ああでも、明星の場合は少し特殊か」
「どゆこと?」
この中で事情知らないの、カナさんだけなのか。さっき東風さんに話したばかりだし、
「面倒だから、話さなくてもいい?」
「怒るよ」
「……はい」
ですよねー。
俺がカナさんに両親の仕事云々を伝えると、
「ぶふーっ! TOKYOとKYOTOって……!」
ツボってしまった。お腹を押さえて、小刻みに震えている。そこまで面白いかなぁ?
「いやー、もう最っ高! きらっち、芸人として生きていけるよ!」
「俺が!? 完全に被害者なのに!?」
カナさんはひとしきり笑った後、
「それで徳巡を受験したんだね〜。納得!」
「カナさんは? 何で受験したんだ?」
「アタシ? やっぱり近かったからってのと、ひよがここを受けるって言ってたから」
「東風さんが?」
「よく分かんないけど、徳巡学園に憧れてたらしいよ? ――ね」
カナさんが視線を送ると、東風さんが楽しそうに口を開く。
「うん。小さい頃から徳巡学園のお姉さん達を見ていて、凄くキラキラしていて……憧れだったの。大きくなったら絶対ここに行くんだ、ってずっと思ってたの」
へえ。何だかいい話だな。
「じゃあ、念願叶ってよかったな」
「うんっ」
なるほど。そこまで思い入れがある学校だったから、試験の日にあそこまで過剰な反応をしていたのか。
「ひよが入学できたのは、きらっちのおかげでもあるんだよね〜。聞いたよ? 鉛筆貸してくれたんだって? ひよがお世話になりました!」
「そんな大した事じゃないけど、合格の手助けができたならよかったよ」
「九十八君……ありがとう」
ほわん、と笑う東風さん。気付いてないみたいだけど、いい感動エピソードも聞けたしな。
「――ねえそういえばさ、モクっち、訊きたい事があるんだけど」
「む?」
ずっと暇していた雲に、カナさんが問いかける。
「何やら事情あっての入学らしいけど、年齢誤植はマズいっしょ」
「きらも言うておったな。わしは十七じゃが、ここでは問題があるのかえ?」
「は? 十七? ウソでしょ!?」
あ、デジャブ。
「雲さん……十七歳なの?」
「ひよりまで言うか。馬鹿にするでないぞ」
「別に馬鹿にしてるわけじゃないよ……。凄く驚いただけで……あ、でもそうすると、私たちより年上なんだね」
「だねー。それなら、偉そうなのも納得!」
いや、カナさん、コイツの態度は元からだと思うぞ? 目上の人がいる時は、注意しておこう。
「――あらあら、賑やかね」
そこにララさんが、料理を運んできた。
「ほう! らら、美味そうな匂いがするのう!」
って言ったそばから……。
「モクっち敬語!」
「ふふっ、構わないわよ、カナちゃん。何故だか雲ちゃんには、敬語を使われる方が調子狂っちゃいそうだもの」
おおぅ……なんて寛大な人なんだ……。優しすぎる。
「それじゃあ、オムライスの人」
誰も応えない。
「あら? 私、オーダーミスしちゃったかしら……」
「……雲、お前じゃなかったか? オムライス」
「む? そうだったかの? ――らら、わしのようじゃ」
「よかったわぁ。勿体無いものね」
「食物を捨てるなど、言語道断じゃ。わしが許さぬ」
「あら、嬉しい事言ってくれるのね。雲ちゃん、たくさん食べてね」
「うむ! いただくのじゃ!」
コイツが言うと説得力が違うな……。しかも何かララさんに気に入られてるし。
「カルボナーラは、誰だったかしら?」
「ああ、僕ですね。いただきます」
「カレーは、カナちゃんだったかしら?」
「はいはーい! アタシです!」
「甘めにしておいたわ」
「おお! ありがとうございます!」
カナさん、カレーは甘口なんだな。何か子供っぽ「きらっち、余計な事考えたらフォークで刺すよ?」……理不尽だ。
「日和ちゃんと明星君も、ちょっと待っててね」
もう完成していたのだろう。トレーを片手に厨房へ戻るララさん。すぐに持ってきてくれた。
「はい、サンドイッチよ。召し上がれ」
俺と東風さんは同じサンドイッチ。結構ボリュームあるな……。俺は平気だけど、東風さんは大丈夫か?
すでに食べ始めていた雲を除いて、四人揃って手を合わせて『いただきます』。
パスタを一口食べた疾風の、動きが止まった。……どうしたんだ?
「これは…………美味しい」
「きら……そちが作っておったのは何だったのじゃ?」
そんなに凄いのか。食べるのが楽しみだ。
俺もサンドイッチを口に運ぶ。
ふんわりとしたパン生地に、シャキシャキとしたレタスと柔らかいハムカツのバランスが絶妙である。そこに適量塗られたバターが、口当たりを滑らかにしてくれている。
……文句なしに美味かった。悔しいが、雲の言う事も納得せざるを得ない。俺が作るモノと根本から何かが違う。
俺がほとんど手を止めずにサンドイッチを完食する頃、
「…………」
その横で東風さんが表情を曇らせていた。見ると、サンドイッチが三分の一ほど残っている。
「ひよ、大丈夫?」
「うん……ちょっとお腹いっぱい」
やっぱり、女の子には厳しい分量だったか。……メニューに書いてあったんだけどな。『ボリュームたっぷり!』って。
「無理して合わせるからだよ〜?」
合わせる? 何に?
「カナ!」
「にしし〜。ま、自業自得って事で、頼むなら自分で頼んでね〜」
「う……うん。――九十八君、その……残り、食べてくれないかな……。残すのは、ララさんに申し訳ないし……」
「ああ、別にいいよ」
「ホントに!?」
俺が東風さんのサンドイッチを咀嚼すると、彼女は驚いたような嬉しいような表情を作った。
ちょっと反応が過激すぎやしないか……? こんなの大した事じゃ――
「――はい、キス成立☆」
「ゲホッ!」
「九十八君!? ――あ、これお水!」
「ゲホッ……おお、サンキュー……」
東風さんが差し出してきたお冷を飲み干し、ようやく一息つく。
「ふぅ……。……カナさん、いきなり変な事言わないでくれよ……」
「えー? だってきらっち無自覚だったんだもん。ひよ傷ついちゃうよ?」
「カナ!」
……何となく、むず痒い。東風さんの顔も、若干赤い。
「……あー、ほら、東風さん、俺、そこまで気にしないからさ。あんまり気に病む必要もないと思うぞ?」
「気にしない……そっか」
あれ? 落ち込んだ?
「――区切りがついた所申し訳ないけど、」
先ほどからやり取りを見ていた疾風が、笑いをこらえるように俺が飲み干したグラスを指差す。
「そのお冷、東風のだよ?」
…………。
「………………はぅ」
完全に真っ赤じゃんか。俺まで恥ずかしくなってきたぞ……。
「――それでは皆さん、また来て下さいね」
ララさんは、わざわざ外まで見送りにきてくれた。
「ごちそうさまでした」
東風さんの熱も、大分冷却できたらしい。
「今日も美味しかったです! また来ますね!」
「カナちゃんは、明日シフトよ?」
「分かってま〜す!」
「カナさんはここでバイトしてたのか? 随分早いな」
「そだよ〜。バイトできるようになった日からね!」
「カナ、中学生の頃からずっとここで働きたいって言ってたから」
「皆さんも、是非どうぞ。お待ちしているわ」
「ちなみに時給はいくらですか?」
「いや疾風、そういうのはいきなり訊く事じゃ――」
「九五〇円です」
「高っ! 高校生でですか!?」
「はい。その代わり、保険とかの対偶は無いですけれど」
それにしても、だ。一人で切り盛りするのは、何かと大変だろう。凄い人だ。
「らら、少しいいかの?」
「はい雲ちゃん、何かしら」
「素晴らしい味じゃったが、ららはずっと一人で――」
「独り……身?」
あ、ヤバい何か変なスイッチ入ったっぽい。
「わーわーわー! 空耳ですよララさん! モクっちは何も言ってません! だよねモクっち? 頷け!」
「う、うむ……?」
それに被せるように、カナさんが声を上げる。
「だそうです!」
「そうでしょうか……?」
「はい!」
カナさんの額を汗が伝ったのは、暑いからではないだろう。まだ四月だし。
ミラクルエイジから少し離れた所で、カナさんが雲の肩を掴んだ。
「いいかモクっち! ララさんの前で“独り”とか“独身”とかタブーだから! ミラクルエイジの闇だから! 分かった!?」
「む、むう……?」
「分かれ!」
「こ、心得た」
メチャクチャ強引じゃん……。ララさんの過去に何があったんだよ。
無理矢理雲を頷かせたカナさんは、
「んじゃアタシ買うモノあるから!」
と曲がり角で立ち止まった。
「カナ?」
「やーほら、ノートとかペンとか、買わないといけないじゃん?」
それ、もっと早く用意するべきじゃないか……?
「というワケだから、今日はここで! ――付き合えかぜっち!」
そして疾風をご指名。
「……ふむ?」
疾風は思案顔で俺、雲、東風さんを順に見やると、
「…………」
もう一回東風さんを見る。
「了解したよ」
それから若干楽しそうな顔で快諾した。
「また明日ね〜!」
「明星、明日も迎えに行くよ。――寝坊しないでよ?」
「するか!」
そう言って二人は商店街へ向かってしまった。
取り残された俺たちは、
「……帰るか」
「……そうだね」
「うむ」
それ以外に無かった。
三人で帰路につきながら、
「…………」
「…………」
か、会話が弾まない……。
俺は疾風と違って女性慣れしてないから、こういう時どうしていいか分からない。雲は周りを見るのに忙しい様子。
「……東風さんの家も、こっちの方なのか?」
結局出てきたのは、そんなありきたりなセリフ。
「うん。も、もしかしたら、近所だったり……」
「いやあどうだろう。こっち側はずっと住宅街だし、そんな事ないんじゃないか?」
「そ、そうだよね。ちょっと言ってみただけだから、深い意味は無いよ?」
「分かってるって」
「はぁ……」
あれ? ちょっと落ち込んだ?
「ひより、そちはかなと仲が良いようじゃな」
うお、いきなり話すなよ。身長差があるから、地面が話したのかと思っただろ。
「うん。ほら私、こんな性格だから。これでも、カナの明るさには助けられてるの。――こうして、二人とも仲良くなれた……し……」
急に言葉がすぼんだ。
どうしたんだ?
「ひより……よもや、『仲良いと思っておるのは自分だけ』と考えておるのではないか?」
え、そうなのか?
「雲さん……!」
「ふむ、その反応、真のようじゃな」
雲は満足そうに頷くと、それから呆れたように首を振った。
「何を心配しておるのじゃ……。わしと話せてつまらんと感じる人間など、おらんというのに……」
すっげー自信だなそれ。ポジティブの次元通り越してるだろ。
「きらはどうか知らんがの」
「俺だって同じだわ!」
「九十八君……!」
あ、今凄い事口走った気がする。
下を向くと、ニヤニヤこちらを見上げる雲。
ぐ、コイツ、初めからこのつもりで……!
「……あー…………、俺は不器用だからさ、嫌いなヤツと一緒にいるってできないんだ。顔に出るっていうか、口調に出るっていうか。だから、東風さんと仲良くなれて、俺も嬉しい……うん、嬉しい」
「煮え切らんのう。――これぞ、はやての言う“へたれ”かの」
「いらん言葉教わるな!」
だが俺の曖昧な言葉でも、東風さんには伝わったらしい。
「そっか……私だけじゃなかったんだね。よかった……」
心から安堵したような微笑みを見せる。
「九十八君は、優しいね」
「……そんな事ないと思うぞ」
ちょっと恥ずかしい。
入学式の翌日、
「ふむ……」
「よしこれ被ってろ」
起床してきた雲に、バスタオルをぶん投げる。
こうすれば上裸のコイツを見なくて済む。俺だって学習するん「……いらぬ。邪魔じゃ」ポイされた! この座敷童には、俺ごときの知恵は通用しないというのか……!
「……にしても、いきなりすぎるよなぁ……」
俺はケータイの画面を一瞥する。
そこには、『モクっちの髪、見たらすぐ分かるんだからね!』というカナさんからのメール。
――昨日、ミラクルエイジでの出来事。
「モクっちさあ、その髪の毛なんだけど」
「む?」
オムライスを頬張っていた雲に、カナさんがスプーンを向けた。
雲の長すぎる髪の毛は現在、無造作に垂らされているだけだ。海に浮かぶ海藻みたいだな。
「アタシの見立てによれば、その髪の毛、相当質いいと思うんだよね」
「ふむ? 髪とな? 気を向けた事は無いのう」
「えーもったいない! それはもったいない! 絶対もったいない!」
カナさんが騒ぐと、
「ねえ雲さん……ちょっと、触らせてもらってもいい?」
雲の隣に座っていた東風さんが、若干怪しい挙動で手を伸ばした。
「構わぬぞ。好きにせい」
許可が貰えた東風さんは、雲の漆黒の髪の毛を一房、手に取った。
「ふわぁ……凄い……。どんなケアをすれば、こんなしっとりしたツヤツヤの髪になるの……?」
感動にすら聞こえる東風さんの声に、カナさんは予想通りとニヤリと笑う。
そこまで凄いのか。一緒にいたけど、全然気付かなかったな。
「女の子は、細かい所にも敏感なんだよ」
疾風がニコニコしながらこっちを見る。
「ちょいかぜっち! 細かいとは何だ!」
もちろんいい意味さ。僕たちには無い世界を見る目。羨ましいよ」
「え、いや〜、流石にそれは恥ずかしいよかぜっち〜」
……コイツ、詐欺師とか向いてるんじゃないか?
「不名誉な事考えてる顔だね、明星」
「!?」
「というワケできらっち、モクっちの髪手入れして結ってあげてね!」
「俺ぇ!?」
「だって同棲してるんだから、他にいないっしょ? まさか学校来てからアタシにやらせるつもり?」
変な圧力かけてくるなぁ……。確かにその通りなんだけどさ。流れるように話振られたから、反応できなかったよ。
「その羨ましい髪質を目の前にして放置するなんて、アタシにはできない! だから頑張ってね。基本的な知識は教えるから」
「自信ないんだけど……」
「そもそもきらっちに拒否権なんか無いんだから、覚えた覚えた!」
「…………」
この後かなり色々な知識を教わったのだが、それはまたの機会に。
朝食を食べ終わった後、無理矢理雲に制服を着せると、洗面台の前に立たせる。
「何じゃ、一体。わしはこの鏡とやらが苦手なのじゃが……」
「昨日カナさんが言ってただろ。髪の手入れだ」
江戸時代の庶民には珍しい代物だったのか、雲は鏡に写る自分が苦手らしい。それに高級品だったとして、引け目を感じているとか。
教わった通り、まずは櫛で梳く。朝一はクセを直したり大変らしいのだが、雲の髪はこの長さなのにほぼ整っている。俺にも寝グセが酷い時はあるし、それが大変なのもよく知っている。なるほど確かに、この髪質は羨ましいかもしれない。
ひとまず簡単だと言われる、カナさんと同じポニーテールにしてみる。毛先が床ギリギリから足首になっただけだが、少し可愛らしい印象を持つ。
ふーむなるほど。束ねただけで印象が変わるなら、アレンジしてみるのも面白いかもな。
インターホンが鳴り、準備を終えて外に出る。
「やあ」
待っていた疾風が手を上げる。
「よっ」
「おやひより、おはようじゃな」
……はあ?
「何言ってんだお前? どう見ても疾風じゃねーか」
「これだから頭の堅い明星は……」
「え、何でお前が参加すんの?」
だが疾風は笑顔でスルー。殴りたいこの笑顔。
「ひよりはあそこじゃ」
雲が曲がり角の電柱を指差すと、
「バレちゃった……。雲さん凄いなぁ」
気まずそうに東風さんが姿を見せた。
「あんな所で何やってたんだ?」
「そ、それは……」
「――ふむ。運よく明星の自宅を特定できたし、偶然を装って一緒に登校しようと思った。しかし明星の自宅の前には僕がいて、出るに出られない状況になってしまった……とこんな感じかな?」
「小鳥遊君!?」
「あれ、的外れだったかな? ごめんよ」
「ま、間違っては、ないけど……」
……さっきから何の話をしてるんだ?
「さて、あまりのんびりしていると遅刻しそうだ。話は歩きながらでもできる」
もう話す事はないとばかりに会話を打ち切った疾風は、さっさと歩き出す。凄く気になるのだが、東風さんのプライバシーにも関わるしガマンしよう。誰にでも知られたくない秘密くらいあるだろう。
昨日の曲がり角まで向かうと、
「お? 何さ何さ〜。アタシをのけ者にして盛り上がっちゃって!」
朝からハイテンションなカナさん。
「……ひよが一緒にいる事について小一時間ほど問い詰めたいけど、」
「あぅ……」
「先にモクっちの髪だね! やるじゃんきらっち!」
グッ、と親指を立てるカナさん。
「これでよかったのか? あんまり自信ないんだけど」
「まあ最初だしこんなモンでしょ。ひよはどう思う?」
「へ? 私?」
「モクっちの髪を羨ましがってた一人として、さ!」
「そ、そう言われても……」
「東風はここまで夢見心地だったから、雲ちゃんまで注意が向かなかったんじゃないかな?」
「小鳥遊君!」
五人で登校し、校門をくぐる。
昨日は色々余裕が無くて気付かなかったが、ここの桜並木綺麗だな。頭上は抜けているのに、せり出した枝でアーチ状のような錯覚に陥る。桜吹雪もいい感じ。
「桜……。ほう、気付かなんだが、現代は何とも綺麗な色をしておる」
雲が立ち止まり、掌を差し出す。そこに、狙ったかのように花びらが一枚舞い乗った。そして風が吹き抜け、雲の長い黒髪が流れる。
儚げに見える雲の姿は、現実世界から切り取られたかのようだ。俺もみんなも、無意識に足を止めて口を閉じた。
時間にすれば、ほんの数秒だったのだろう。
「すまぬの。感傷に浸ってしもうた」
雲はこちらに向き直ると、ニコッと微笑む。
……ああ、コイツはやっぱり、生きてきた時代が違うんだな。
教室で朝のホームルームを終えると、俺たちは体操服に着替える。
今日の日程は午前中に身体測定。午後に体力測定だ。
徳巡学園に男子更衣室なんてモノは元々存在せず、空き教室に“男子更衣室”という申し訳程度の張り紙をしただけの悲しい待遇である。
「そんじゃね〜。お二人さん、覗きに来たらダメだよ〜?」
「行かないから!」
更衣室の前でカナさん他女子と別れ、ドアを開ける。……うん、廃材とか置いてあるんですが。
「ほら明星、気にしてもどうしようもないよ」
疾風に肩を叩かれる。
「お前はポジティブだな……」
「超少人数なんだから、こうなる事は予想できたじゃないか」
「実はネガティブだった……」
文句を言いつつ着替えるしかないので、さっさと着替える。
「そんで測定場所は……」
女子は体育館、男子は――保健室。
「「…………」」
流石に疾風も言葉が出ないらしい。
「女の子にはプライバシーとかあるだろうし、多少はね?」
「充分多大だろコレ」
疾風のフォローなのか分からない一言にツッコミつつ、保健室のドアを開ける。無人だった。
「…………せめて先生一人くらいはつけてくれよ……」
「同感。これはもう、早く終わらせて教室でのんびりするしかないかな」
「あ、それいいなー」
測るのは身長、体重、座高の三つだ。八〇〇人いる女子は時間がかかりそうだが、あいにく男子は二人だ。五分もかからなかった。
「……さて、教室戻るか」
この先の暇つぶしの仕方を考えながらドアを開け、
「きゃっ!?」
誰かとぶつかった。
「っと、ごめんなさい」
「…………」
うん? 反応が無い。
頭半個分視線を下げると、
「すぅ……いい匂い……」
何かを呟くモミジの髪留め。……モミジの髪留め?
「東風さん?」
「!? ひゃい!? ごめんなさい!」
名前を呼んだだけなのに、飛び退かれて謝られた。そんな威圧的だったかなぁ……?
「にしし〜、変にトリップとかするからだよ〜?」
「きらとはやてはおったかえ?」
さらにその後ろから、カナさんと雲が顔を覗かせた。
「どうしたんだ?」
いくらなんでも、終わるの早すぎないか? 女子側の混雑は相当だろう。
「混んでたから、こっち来ちゃった!」
「人が多すぎての。身動き取れんかった……」
「……まあ雲さんの場合、先輩たちに囲まれちゃったからね……」
マスコットかよ。まあ黙ってりゃ美幼女だからな。生意気な口調が無けりゃ、リアル日本人形だもんな。
「二人は測り終わったのん?」
「ああ、二人だからな」
「明星、卑屈になるのはよくないよ」
「ほっとけ。――東風さんたちはここで測るのか?」
「そのつもり〜」
「じゃあ俺たちは教室で待ってるから」
そう言って歩き出そうとした俺の肩を、ガシィッ、とカナさんが掴んだ。……ちょっと痛い。
「ちょい待ち。アタシらはコッソリここに来てるの。先生にバレたら面倒でしょ?」
「……つまり?」
「見張ってて! ごめんね!」
まったく悪びれた様子の無い笑顔。
「断るのは難しそうだね」
「かぜっち分かってるぅ〜」
何で嬉しそうなんだよ……。
「反論も――」
「無意味!」
断言されてしまった。
「じゃ、よろしく〜」
強引に押し切ったカナさんは、保健室のドアを閉めた。
取り残された俺たちは、仕方なく言われた通り見張りを「じゃあ明星、よろしく」はあぁぁぁ!?
疾風が片手を上げ、スタスタと歩き出した。
「二人並んで立ってるのもマヌケだし、逆に怪しい。見張りなんて一人で充分だろう?」
「いや、裏切るなよお前!」
「先に教室戻ってるね。――後でジュース奢ってあげるから」
俺の抗議を華麗に受け流すと、疾風は本当に戻って行ってしまった。
「…………」
呆然としつつ、見張りは継続。俺まで戻ったら、カナさんに何言われるか分からない。
ボンヤリとドアに背中を預けていると、
「――お待たせ!」
スパーン、とドアが開かれた。
「うおっ!?」
体重をかけていた俺は、重力に逆らえずそのまま後ろへ。
「うわ、きらっち危な!」
とか言いつつチャッカリ横に逸れたカナさんを視界の端に捉えつつ、
「きゃっ!」
その背後にいた東風さんを巻き込んでしまう。
「ひより!」
咄嗟に雲が支えたらしく、転倒という事態は避けられた。――のだが、
――ふにっ。
「ん……?」
何だ、背中に伝わるこの柔らかな感触は……。
「――――――っ!」
俺と雲に挟まれた東風さんが、声にならない悲鳴を上げている。
まさか……。
ふと前を見ると、
「参考までに言っておくと、――ひよ、隠れ巨乳説!」
おぃぃぃぃっ!
全てを悟った俺は、慌てて体を戻す。
「ご、ごめん東風さん!」
振り返り、真っ赤な東風さんに謝罪。
「う、うん、大丈夫……。びっくりしただけだから……」
消え入りそうな声。全然大丈夫じゃないな。申し訳ない事したなぁ……。う、俺まで暑くなってきた……。
「……もしきらっちさえよければ、さっきついでに測ったひよのスリーサイズとか、教えちゃうよ? 特にバ・ス・ト☆」
ススス、と近寄ってきたカナさんが、耳元で囁く。
「…………」
布越しであれだけハッキリした感触だ。高校生の平均値を軽く上回るのは間違いな……
「カナ!」
俺の妄想を断ち切るかのように、さらに紅く染まった東風さんが叫んだ。
「ジョーダンだって。ごめんごめんひよ。――というワケだきらっち。残念だったね〜」
ニヤニヤこちらを見るカナさんに、
「何も言ってねーし!」
九割図星の俺はそう吠えるしかなかった。
教室に戻ると、
「おや、思ったより遅かったね」
疾風が缶コーヒーを飲んでいた。
「明星、約束の奢り」
そして脇に置いてあった別の缶コーヒーを俺に放ってきた。
「――って熱っ! お前バカだろ!」
何でこの時期にホットを飲まなくちゃならんのだ。
「それよりかぜっち聞いて! ひよって巨――」
「カナダメぇ!」
東風さんの制止は何とか間に合ったみたいだ。
「巨?」
「な、何でもないの。気にしないで」
誤魔化すように笑う東風さん。
「……ふむ」
だがこのイケメン、余計な思考を始める。
「バストサイズでも測ったのかな?」
「はぅ……」
コイツはまた恥ずかしげもなく……。東風さん可哀想だろ。
「バレちゃったなら仕方ない! そっちの情報も暴露してもらおうか!」
抵抗する間もなく、記録用紙がひったくられた。俺や疾風は、見られて困るものでもないからいいんだけどさ。
「ならばきら、わしのを見るかえ?」
その代わりなのか、雲が紙を差し出してきた。
「お、ちょうど気になってたんだよな」
コイツの身長とか、実際はいくつなのかとかを。
目を通すと、身長百四十六センチ……うん? 体重……あれ?
ふと欄外の数字三つに視線を向け――「そ、それ私の!」た瞬間に東風さんに持って行かれた。
「おお、すまんかった、ひより」
「お前、わざとやってないよな……?」
「無論じゃ。何を言う」
何でちょっと怒ってんだよ。むしろ東風さんに怒られろよ。
「に、九十八君、見た……?」
「み、見てない」
「言い訳は見苦しいよ、明星」
「お前は黙ってろ!」
優雅に缶コーヒーを飲む疾風にツッコむ。イケメンは何やっても板につくからムカつく。
「わしのはこっちじゃな」
改めて雲が差し出した用紙を受け取る。
身長、百十八センチ。
「低っ!」
体重、二十一キロ。
「軽っ!」
ちっこいとは思っていたが、これは予想外……。欄外のスリーサイズは……うん、ウエスト以外は悲しみだな。
「モクっちの体重は、反則っぽいよねー」
結局自分のは見せてくれないカナさんが、珍しくネガティブに呟く。
「うん、羨ましいとか、そういう次元じゃないよね……」
うお、東風さんが異様に暗い。体重にコンプレックスでもあるんだろうか。とりあえずフォローを。
「大丈夫だと思うぞ? 東風さん、そんな体重なかったし」
「え?」
「ん?」
「む?」
……あれ?
「やっぱり見られてたぁぁぁぁぁ……」
……しまった。自爆してしまった。
「ドンマイひよ。きらっちはお世辞じゃないと思うよ?」
落ち込む東風さんを慰めるカナさんが、視線をこっちに向ける。――『やっちまったな』と。……放っといてくれ。
ま、まあ一応付け足しておくと、東風さんの胸囲は凄かった。うん。
本人には絶対に言えないけどな……。
――それから五人でおしゃべりをしながら時間を潰していると、チラホラと他の女子たちも戻ってきた。
そうしてやってくるのは、お昼の時間。
俺と雲は弁当を持ってきていないので、学食へ向かう。
「明星、自炊はしているんだろう?」
「そりゃまあしてるけど、特別料理が上手いワケでもないし、ぶっちゃけそこまで気力が湧かない」
我が家の座敷童の食べっぷりは、その辺のやる気を根こそぎ奪っていく。中学までは弁当なんて作った事すらなかったのに、いきなりコイツの満足する弁当が作れる気がしないのだ。
「きらの腕は、わしも一目置いておるのだがのう。怠け癖があるようで、困っておるのじゃ」
「お前が異常に食うからだろ!」
「ららは、喜んでおったがの?」
「ララさんと一緒にしないでくれ……」
あの人は、別次元だろう。腕前も取り組み方も意識も。
「おお、やっぱり安いな」
学食の券売機を見ると、かなりリーズナブル。とりあえず今日はうどん。俺はかき揚げで、雲は月見。
おばちゃんに食券を渡すと、少し驚いたように俺の顔を見た。……しばらくは、こういう珍獣の扱いになるんだろうな。
「あら、もしかして噂の新入生? すごーくカッコいい子が入ったって聞いたわよ〜?」
「あ、それはあっちですね」
俺は即答して後ろを示す。俺は『カッコいい』なんて、お世辞でも言われた事ないからな。
「あらヤダ、あなたも充分カッコいいわよ? 自信持って!」
「はあ……どうも」
人生初『カッコいい』がこの超お世辞って、少し複雑。
「きらの容姿などどうでも良いが、わしは腹が減った」
お前ホント空気読めよ。雰囲気が険悪になったらどうすんだ。
だがこのおばちゃん、メンタルも相当強いらしい。視線を下げて雲を見つけると、
「おや、これまた随分と可愛らしい子だね。お人形さんかと思ったよ」
明るく笑って雲の頭を撫でた。
「撫でるでない!」
おばちゃんはおっとっと、と手を振ると、お椀を二つ置いた。
「お二人さん、中々面白そうだね。これからもごひいきにしてくれるんなら、サービスしてやるよ!」
見ると、本来一つのかき揚げが二つ。月見うどんにはエビフライ。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、後ろでうどんを作ってくれた別のおばちゃんが呆れ顔を向けた。
「学食長……またロス出て怒られますよ?」
え、この人学食長だったの? 偉い人じゃん。
「いーのいーの! 若い子はたくさん食べなきゃ! 近頃はダイエットとか流行ってるらしいけど、お腹いっぱい食べる方が幸せだよ!」
その言葉は、俺や雲には深く刺さる。雲の過去を知るハズはないだろうが、こういう考えは、立派だと思う。
「本当に、ありがとうございます」
「うむ、礼を申す」
うどんを持って、三人が待つテーブルにつく。
「何やら気に入られてたみたいだね」
「ああ、気さくな人でよかったぞ」
さて、せっかくサービスしてもらったんだ。美味しくいただこう。
……うん、美味しい。これなら満足だな。……ああもう絶対に弁当作らないな、これ。
「ほう、ひよりの弁当は美味そうじゃな」
食べ終わったお椀を脇に寄せ、雲が東風さんの弁当箱を覗き込んだ。……いや、食べるの早すぎだろ。俺なんて、まだ半分も食ってないぞ?
「そ、そうかな?」
つられて見ると、いかにも女の子らしいピンクの小さい弁当箱には、焦げ目の全くない玉子焼きや串に刺さったミートボールなど、食欲をそそりそうなおかずが並んでいる。
「ひよは料理上手だもんね〜」
そしてその横から、当然のようにおかずをつまみ食いするカナさん。
「え、まさか自作?」
「うん、一応……」
マジかよ。お店に並んでても遜色ないレベルだぞ。
「よかったら、食べる?」
「いいのか? じゃあ遠慮なく……」
玉子焼きを一つ、口に放り込む……うん、メチャクチャ美味い。
「僕も一ついいかな?」
「うん、どうぞ」
結局、全員でおかずを拝借。
ミラクルエイジに行った時も思ったが、本当に美味しい食事って、自然と無言になるんだな。
「えっと……九十八君は、自分でお弁当作ったりはしないの?」
「今の所、その予定は無いかなぁ。毎日は面倒だし」
「え、えっと……じゃあ、迷惑でなければ……私が、作ってこようかな、なんて……」
「? ごめん、よく聞こえなかった。もう一回言ってもらえる?」
「なななな何でもない!」
凄い勢いで首を振られた。何を言おうとしたのだろうか……気になる。
「にしし〜、残念だったねひよ。きっとまたチャンスあるよ」
「そうだといいなぁ……」
ランチを終えた後は、昼休みだ。俺たちは食べ始めた時間が早かったのか、一時間以上ある。
東風さんやカナさんの女子陣は、ただ話すだけでも一時間は余裕らしい。……のだが、俺には無理だ。というワケで、腹ごなしも兼ねてグラウンドに出た。どうせ午後は運動するんだしな。
今日一日解放されているらしい体育倉庫から、カナさんがサッカーボールを持ってきた。
「へーいきらっちパス!」
「ちょ――!」
勢いがシュート並みなんですが!?
横を抜けようとしたボールを、咄嗟に手で弾く。
「きらっち、ハンド」
「無茶言わないでくれ……」
テンテンと転がったボールを、雲が拾った。
「きら、これは蹴鞠かえ?」
「あー、うん。間違ってはないな」
むしろ現代の蹴鞠だよな、サッカーボールって。
「……ふむ」
おもむろにリフティングを始める雲。ポーンと真上に上がったボールは、頂点に到達すると重力に従い落下。
「雲ちゃん、それを明星に向かって思い切り」
「何言ってんのお前!?」
「心得た!」
「ノリノリだな!」
落ちてきたボールを、雲はこちらに向かってダイレクトシュート。蹴鞠にそんな遊び方無いよね!?
だが蹴りどころが悪かったのか、ボールは俺の遥か頭上を越え百メートルほど離れた所に転がった。
「…………」
「…………」
「…………」
雲、疾風、カナさんが揃って俺を見る。え、何その『取って来いよ』的な視線は。
「取って来なよ、明星」
「言っちゃったし!」
ちくしょう、何で俺が。完全にとばっちりじゃねーか。
トボトボ歩いてサッカーボールを拾うと、
「九十八君、大丈夫?」
東風さんが声をかけてきた。ついてきてくれたのか? 優しい……。
「あー平気平気。疾風の性格は昔からだし、雲の横暴も今に始まった事じゃないから」
いや、結構最近か……? 我ながら、メンタル強くなっている気がする。
「でもカナは……」
申し訳なさそうな表情をする東風さん。……んん? 友達として、あの暴走を気にしているのだろうか。
「カナさんだって、面白がってるだけで悪気は無いからな。迷惑とかには感じないぞ」
「九十八君……。九十八君は、優しいね」
「……東風さんには負けるよ」
「わ、私は人見知りなだけだよ。あまり人と話さないから、暗いだけだと思う。それに、断る勇気も無いから……」
「そんな事ないって。そこは自信持って言える」
「そ、そうかな……」
「おう、断言する」
「……やっぱり、九十八君は優しいね」
ぐ、結局最後はカウンターされてしまった……。やっぱり日和さんには勝てないな……。
「――お、なーんかいい雰囲気?」
「明星は単純だから、思った事そのまま口にしちゃうからね。東風みたいに純情な人は、コロッといっちゃう可能性があるね」
「ひよの場合、それが本望だけどね〜」
「東風の好意は、見て明らかなのに、それに気付かない明星は……どんな神経してるんだろうね」
「ま、いいんじゃない? アタシらは、ちょっかい出しつつ見守る感じで」
「そうだね。明星はともかく、東風には幸せになってもらいたい」
「おっ、じゃあ色々頑張っちゃおう!」
「ははは、よろしく」
適当にボールを蹴ったり立ち話したりで昼休みを終えると、一度グラウンドに集合させられた。
体育教師から簡単な説明を受け、解散となる。
体力テストは基本ペアか三人で回り、屋外では、五十メートル走、ハンドボール投げ、持久走(男子千五〇〇メートル・女子千〇〇〇メートル)。屋内の体育館では、反復横跳び、握力、長座体前屈。順番は自由だそうだ。
せっかくグラウンドにいるんだし、という理由で外種目から回る事にした。
まずは五十メートル。女子三人がスタートラインに向かい、俺たちは計測係。
「――モクっち、勝負しない?」
「む?」
「負けた方がジュース奢り! どう?」
「ふむ、面白そうじゃな。乗った」
「よし決まり!」
……そのジュース代、払うの俺なんだけどなぁ……。
「ひよりはせんのかえ?」
「あーダメダメ。ひよは勝負になんないから」
「うぅ……。そうだけど……。カナは運動得意だし」
東風さんは運動苦手そうだもんなぁ。
「じゃあお二人さん、計測よろしくね~」
そう言ってカナさんと雲は、スタートラインに立つ。東風さんは次。
「よーい……ドン!」
それを合図に飛び出す雲とカナさん。……いや、雲のスタートダッシュが異常だ。長い黒髪が水平になるほどの速度で、決して遅くはないカナさんをぶっちぎってゴール。
「これで良かったのかの、きら」
「あ、ああ……うん」
そしてカナさんもゴール。
「モクっち速ぁ!」
疾風がタイムを告げるより先に、驚きを爆発させる。
「こんなに速いなんて知らなかっ……」
そこで言葉を切ったカナさん。何故かこっちを向いた。
「……きらっち~?」
「俺も知らなかったんだよ!人のせいにするなって!」
雲って運動できたんだな……。こんなちっこい身体で、どんな運動神経だよ。
「むう……。まあ負けは負けだもんな~。しゃーない! 後でコーラでも奢ってやろう!」
「ありがたく頂戴するぞい」
「次は東風さんだな。――行くぞー!」
俺が声をかけると、スタートラインで東風さんが手を挙げて応えた。
「よーいドン!」
掛け声に合わせて、スタートダッシュ。……したように見えた。実際は、かなりめちゃくちゃなフォームでバタバタとした走り。
「ん~、相変わらずひよ遅いね~」
確かに東風さんのタイムは芳しくなかった。だが、
「はぁ……はぁ……はぁ……去年より、速かった……!」
一所懸命なら、それが一番だろ?
女子陣にストップウォッチを渡し、続いて俺たち男子。
「いっくよー! よーい、ドン!」
声を聞いた瞬間に、全力で飛び出す。横の疾風が後ろに流れ、そのままゴール。
「わお、きらっち速っ!」
「まあな」
運動は昔から得意だ。運動会のリレーでは、いつも代表だった。
「ふう……相変わらず明星は速いね。まるで原始人のようだよ」
「お前それ、絶対褒めてないだろ……」
ちなみに疾風のタイムは平均以下。コイツ、顔と性格以外は割と並みなんだよなぁ。
次のハンドボール投げでも、
「モクっち、勝負だ! 今度は負けないからね!」
「受けて立つぞい」
「あ、でも今回は奢り無しね」
「わしはどちらでも構わんが」
「よく考えたら、モクっち負けてもリスク無いもんね。きらっちに被害及ぶのは面白いかもしれないけど」
オイ。
――結果的に、雲は疾風より飛ばした。
「ぐぬぬ……モクっち強し……」
カナさん敗北は、言うまでもない。
グラウンド最後は、持久走。
「男子先にやってよ。長いんだし。アタシらは休憩してるね~」
とカナさんに言われ、何故か男子二人が先に走る。
「明星の隣で持久走って、何のイジメなんだろうね」
「知らねーよ。二人しかいないんだから仕方ねーだろ。てか、応援されるだけありがたいと思えよ」
疾風の持久走が始まるとなって、グラウンドにいた女子達が足を止めて黄色い声援を送っている。「小鳥遊く~ん、頑張って~!」とか「疾風く~ん、ファイト~!」とか。俺への声援全然無いんですが。
「容姿だけで判断した、周囲に合わせた評価は、あまり嬉しくないかな。明星だって、心から応援してもらった方が嬉しいだろう?」
「……それがいないから言ってんだろ」
「雲ちゃんは?」
「アイツは心から応援なんてしないだろ」
「声に出すだけが応援とは限らないんじゃないかな。――もう一人、も」
「は? 誰だよそれ」
「さあ? 明星が自分で気付くしかないね」
「……からかってるんじゃないだろうな」
「おっと、スタートみたいだね」
上手くはぐらかされた気がするが、今はいいか。覚えていたら、後で訊こう。
「よーいドン!」
早速疾風を置いていきながらも、実は俺は、長距離走はあまり好きではない。
というのも、暇なのだ。走っている間が。意識が飛ぶほどの全力は出したくないし、徒歩と違ってペース配分なども考慮する必要がある。そうなると、あまり雑念に思考を割く余裕も無くなる。結果、ボンヤリした時間になってしまうのだ。
「――はい、九十八君あと一周!」
まあ、千五〇〇メートルなら五分弱で終わるから、そこまで苦痛じゃないけどな。
九割ほどの力でゴールし、タイムを聞くと疾風が終わるのを待つ。……アイツも大概マイペースだな。
「――いやあ、明星は速いね。二人で走ってたはずなのに、お互い孤独走じゃないか」
完走直後だというのに爽やかな笑みを浮かべる疾風。どうやったら身につくんだそのスキル。
「……褒めるか皮肉るかどっちかにしろよ」
「じゃあ皮肉で」
「ってオイ」
「――へいきらっち、お疲れの所悪いけど、今度はアタシ達が走るから測定ヨロシク」
「ん、了解」
カナさんからストップウォッチを受け取ると、スタートラインに立つ三人に手を振る。
「行くぞー。――よーいドン!」
飛び出すのはもちろん雲。全力疾走じゃないから、一応ペース配分を考えてはいるんだろうが……凄いハイペースだな。持つのだろうか。
二番手はマイペースカナさん。さすがに勝負はしないらしい。
そして三番手は、
「ん~、東風は時間がかかりそうだね」
ダントツでビリの東風さん。……俺、早歩きでも抜けそうだな。
「はっ……はっ……はっ……はっ……!」
でもあれだけ真剣な表情だと、順位やタイムを度外視して応援したくなる。
「頑張れ東風さん。あと二周!」
前を通り過ぎた彼女に、思わず声を掛けていた。生のスポーツ観戦って、こんな感じなのかな。
「はっ……! はっ……! ――うん……っ!」
東風さんも、声援に応えるように若干ペースが上がった。
「うんうん。愛の力だね」
コイツは何を言っているのやら……。
「――おや、曇ってきたね。夕立来るかもね」
不意に、疾風が空を見上げて呟いた。釣られて上を向くと、確かに空が鉛色に覆われていく。
それと同時に、雲がゴール。
「きら、わしのたいむとやらはどうじゃ?」
「ああ、文句なしの異常値だ」
「明星、日本語おかしい」
「プラスの意味でだよ」
だって男子の平均タイムより速いんだもん。雲といい疾風といい、何でそんな爽やかな顔してんだよ。仮にも運動直後だろ。
「――あー! モクっち速すぎー!」
悔しさ全開のカナさんもゴール。
「スタートした瞬間に負けを確信したね!」
ちょっと嬉しそうなのは何でだ? 圧倒的すぎて気持ちが一周したのか?
「じゃあ明星、僕達は先に避難してるよ。東風が終わったら、急いで来てね」
「ひよの事、ヨロシク~」
「濡れては敵わんからの」
測定する俺と走る東風さんを見捨てて、三人は体育館へ行ってしまった。……まあ、いいか。本当に雨が降るとも限らないし。
「――と、東風さん、ラスト一周!」
「うん……っ!」
苦しそうな表情だったが、力強く頷いた。あれだけ一所懸命だと、こっちも力が入る。頑張って欲しい。
「――ん、降ってきたか」
ポツリポツリと、雨粒が降ってきた。雨脚が強まる前に、体育館に向かいたい所だ。
そして東風さんゴール。拍手したい。
「お疲れ東風さん」
「うん……っ。九十八君がっ……応援してくれたから……、頑張れた気がするよ……っ」
「落ち着いてからでいいよ。あと、雨降ってきたし早めに体育館行った方がよさそうだ」
「ご、ごめんね……。もう、ちょっとっ……待って……」
肩で息をする東風さん。この状態で今すぐ移動しろは、確かに酷だ。
「ゆっくりでいいから――」
と言いかけた直後、
――ドザァッ、と。いきなり本降りになった。いや、というより土砂降りだ。
「こ、これは無理だな……。ごめん東風さん、行こう」
「へっ?」
東風さんの手を掴んで立ち上がらせると、ひとまず目の前にあった体育倉庫へ向かった。
東風さんの手を引いて体育倉庫に入ると、空を見上げる。
まさしくバケツをひっくり返したような雨に、水煙が立ち込める。十数秒打たれただけなのに、すでに全身グッショリである。
「にわか雨だと思うからすぐやむと思うけど、しばらくは動けな……東風さん?」
振り返ると、
「て、手が……手を……手、握っちゃった……」
怪しく呟く東風さん。
「ごめん、もしかして痛かったか?」
「へっ? ううん! 違うの!」
「……何が?」
「……何でもないの」
慌てた理由が分からない。何か気に触る事したかなぁ?
「そ、それよりも、雨……やみそう?」
「うーん、ちょっと今すぐにはやまないかなぁ?」
ここから体育館までは百メートルほどだが、そこまでに屋根は無い。小降りならともかく、こう本降りだと厳しい。
「早くやむといいね……」
隣に立った東風さんが、倉庫の外と俺の顔を交互に覗き込む。
「……あー、うん。そうだな……」
「? どうしたの?」
明後日の方向を向いた俺に、東風さんがキョトンとする。
……いやね、東風さんもかなり濡れちゃっているんだよ。ピッタリ張り付いてブラとか丸見えなんだよ目に毒なんだよ!
「――へくちっ」
と、東風さんがくしゃみをした。
「寒いの?」
「うん……少し……」
半袖だし、まだ四月だ。ずぶ濡れだし、そりゃ寒いよな。
とは言っても、運動するからとジャージは教室に置いてきてしまった。
「体育倉庫だし、タオルくらいないのか……?」
このままだと風邪を引きかねない。せめて体を拭かないと――と倉庫を物色。
だがサッカー、ハンド、ソフトなどのボールは大量に置いてあるが、タオルは無い。
「うーん、そりゃそうか……」
よく考えたら湿気ありそうだし、カビ生えそうだもんな。
「見つかった?」
後ろから声をかけてきた東風さんに、首を横に振る。
「いや、多分無さそう――」
そう言いながらグローブが詰まった段ボールを動かすと、――“黒いヤツ”が姿を見せた。中々のサイズだ。
「うおっ」と、さすがに驚いて声を上げ――られなかった。
「ひぅ………………っ!?」
それよりも先に、東風さんが抱きついてきたのだ。
ラリアットをかけられたかのように後ろから腕を絡められ、そのまま倒れてしまった。
「――いだっ!」
倒れた拍子に後頭部を床に打ち付け――って前にもこんな事無かったっけ。
ガタガタ震える東風さん。さすがに怯えすぎじゃないか……?
「ちょ……東風さん、落ち着いて」
体育倉庫で重なって倒れ込み、抱きつかれる図。誤解を招くどころの話じゃないぞコレ。……あと、体勢的によろしくない。豊かすぎる弾力が、ムニュムニュっと。濡れているせいかほぼダイレクトに伝わってくる。……柔らかいなぁ……――じゃなくて!
「そ、そろそろ離れてくれると……」
「む、無理! あんな大きなのがいたら、もう動けない……!」
と、さらに腕に力を込められる。か、顔近い……! 怯えた顔も可愛いが、これ以上こうしているワケにもいかない。窒息する。
「ほ、ほら東風さん! 外! 雨弱くなってる!」
やはり通り雨だったのか、すでに雨は小降りになっていた。た、助かった……。
「雲たち待ってるだろうし、早く行こ――ぉう!?」
言葉の途中で東風さんは急に立ち上がると、俺の手を引っ張って倉庫から飛び出した。
そ、そんなに怖かったのか……。
決死の表情で走る東風さんを見ながら、そういえばさっきと立場逆だなぁ、とボンヤリ考えた。
「お、ひよときらっち来た。雨大丈夫だった〜?」
体育館に着くと、入り口で待っていてくれたカナさん達が手を振った。
「見た感じ、あまり大丈夫じゃなさそうだね」
「濡れておるな。冷えんかえ?」
だがGの恐怖のままに逃げてきた東風さんは、
「カナ……!」
カナさんへと飛び込んだ。
「おおっとぉ? どしたのひよ」
強くハグする東風さんに、
「ん〜よく分かんないけど、よしよし」
カナさんはその頭を撫でる。
「んできらっち、ひよに何したの?」
「俺が悪人前提!?」
「だってきらっちから逃げてきたんでしょ?」
「違う違う! ちょっとGが出てな……」
「G? ――ああ。ひよ、虫苦手だもんね〜」
楽しげに、しかし優しく笑ったカナさんは、もう一度東風さんの頭を撫でる。
「てかひよ、ビッショリじゃん。風邪引くよ? よく見なくてもきらっちも」
よく見ないのかよ。
「カナさん、ジャージ貸してくれないか?」
五人で唯一ジャージを着ているカナさんにそう訊くと、
「えっ……? きらっちに……?」
自分を抱くように腕を交差すると、嫌そうな顔をした。
「違うから! 東風さんにだよ!」
「あ、なーんだ。ひよにか。まあ知ってたけど」
「…………」
「でもひよ、濡れた服の上から着たら、気持ち悪いんじゃない?」
「うーん確かに……。かと言って、そのままいるワケにもいかないしな……」
「わ、私は別に……。九十八君も、同じだし……」
「俺は身体丈夫だから、平気」
「――ならば脱げば良かろう」
悩む俺たちを呆れたように一瞥した雲が、東風さんの体育着の裾を引っ張り上げた。
「くくくくく雲さん!?」
身長差的に脱がすまでには至らなかったが、真っ白いお腹がこんにちは。
「何やってんだお前は!」
慌てて後ろから抱き上げ、引き剥がす。コイツ軽いな。
「む、何をするかきら。降ろさんか」
「お前が何してんだよ!」
「濡れたままが気持ち悪いと言うておった故、脱がすしかなかろう」
「だからっていきなり実践するなよ!」
ホントごめん東風さん。中途半端に腕を上げたまま、固まっている。
「でも、確かにモクっちの言う通りだよね。……脱ぐしかないよねぇひよ」
「か、カナ……」
うわ、ここにも楽しそうな人が……。
「まあアタシも鬼じゃないからね。この場で脱げとは言わないよん」
それは悪ノリの域を超えてるな。友情を疑うレベルだぞ……。
「ちょうどよくあそこに用具室があるから、あそこで着替えてきなよ」
カナさんが指差した先には、マットやボールがしまってある用具室。確かにあそこなら、扉閉めれば人目にはつかないが……、
「倉、庫……」
東風さん、若干のトラウマ。
「じゃあきらっち、付き添い」
「いやいや! 男の俺が付き添っても意味ないだろ!」
「カナ……」
「んも〜、しょーがないなぁ。ひよは世話が焼けるんだからまったく〜」
「ご、ごめんね。ありがとう」
並んで歩く二人を見ていると、やっぱり仲良しなんだなと感じる。カナさんは暴走半端ないけど、それでも面倒見がいいのだろう。
「――ええっ!?」
……という東風さんの、絶対に何かあった声は聞かなかった事にしよう。
数分後、半袖のカナさんと『千倉』と書かれたジャージを着た東風さんが出てきた。濡れているにも関わらず、丁寧に畳まれた体育着を抱いている。
「いやーごめんごめん。ひよを説得してたら遅くなっちゃった」
「説得? 着替えるだけなのに、何の説得が必要なんだ?」
「すぐに分かるよん♪」
……まあいいか。考えるのも怖い。
「じゃあ気を取り直して、体育館種目の計測も始めようか。握力が空いてるみたいだから、そこからでいいかい?」
「オッケー。行こう!」
というワケで握力へ。
東風さんが握力計を握ると、
「んっ…………っ!」
顔を真っ赤にして力を込める。
「――っはあ!」
物凄くやり切った表情で見せられた数値は、――九キロ。
「いくらなんでも非力すぎでしょひよ!」
「一桁だとは思わなかった……」
まあ、逆に凄いよな。全力で九キロって。――ちなみに九キロの平均年齢は八歳らしい。
続いては長座体前屈。
「きら、背中を押してくれんかえ?」
「……すでにペッタリ折れているのに、そこからどうしろと?」
「家主の力の見せ所じゃな」
「どんだけ家主万能なんだよ!」
「きらっち〜、ひよもお願い」
「……ていうか、背中押すのってルール違反だよな」
「細かい事は気にしちゃダメだって! 後できらっちも押してあげるから!」
「へいへい……」
「九十八君、お願いします」
「いいけど……東風さんも柔らかいじゃん」
「でも、私はここで稼がないと……」
「東風さんはホント頑張るよなあ。真面目だよ……っと」
「んん〜……っ」
「じゃあ、残るは明星だけだね」
「……ああ」
「ありゃ? きらっちテンション低くない?」
「その理由はすぐに分かるよ、カナさん」
「じゃあ、押すね、九十八君」
「お手柔らかに……」
「――そんなひよの後ろからドーン!」
「あがぁ! 腰がぁ!」
「だ、大丈夫九十八君!?」
「ってきらっち、身体固っ!」
「……柔軟だけは、苦手なんだよ……」
「やー、ごめんごめん。てっきり百八十度いくものかと」
「それ、もう人間やめてるぞ……」
それと気付かないフリをしたが、相変わらずフニフニだった。東風さんの胸部、よりダイレクトな感触だったような……気のせいか。
その後立ち幅跳びを済ませると、最後の反復横跳び。
俺たちは奇数なので、誰かが二人分を数えるか一人が自分で数えるかどちらかなのだが、
「アタシそんなマジでやらないし、自分で数えられるからいーよ」
それでいいのかという意見はさて置き、まずは俺と疾風。
「ん〜相変わらずきらっちは俊敏だね〜。カニみたい」
「さっきから褒められてる気がしないんだけど……」
「褒めてないもん」
えっ……?
「アタシが言ってたのは、純粋な感想だよ?」
「……嬉しくない真実をどうもありがとう」
運動量以上に疲弊して女子陣とチェンジ。
「よーいハイ!」
掛け声と同時に、人間離れした速度で動き出す雲。……あれ、俺より速いかもしれないな。カナさんはマイペースに、恐らく疲れない程度にヒョイヒョイと動く。
……だがそれより何より、
「はっ……はっ……はっ……!」
真剣にステップを刻む東風さん。本人は気付いていないようだが、胸部の揺れが凄い事になっている。さっきの背中の感触から、まさかとは思ったが……。見ちゃいけないのだろうが、どうしても視線が吸い寄せられてしまう。ごめん、東風さん。
「ふ〜……」
軽くかいた汗を拭いつつ戻ってきた東風さん。
「お疲れ東風さん――」
俺が記録を伝えようと近付くと、彼女の背後から、ススス、とカナさんが接近。
「サービスシーン! イエイ☆」
と、東風さんが着るジャージのジッパーを一気に引き下ろした。
ジィィィィィィィッ、と。反応すらできなかった東風さんの真っ白い柔肌が露わになっていく。
同じくフリーズしていた俺の目の前で、ジッパーは一番下まで下ろされる、
「あっ……!?」
その直前に、東風さんが我に返った。
ジャージの裾を押さえ、今日一番の速度でターンすると一言。
「カナ!」
「どうどう。――せっかくのシチュエーションなんだし、アピールしない手は無いでしょ?」
「だからっていきなりはビックリしちゃうよ!」
「でも同意の上で脱いだんでしょ?」
「そ、それは……」
「“その凶器みたいな胸、使わないワケにはいかない!”って言ったじゃん。濡れちゃったし一石二鳥だったし」
「うう〜……でもぉ……」
二人の会話が端々に聞こえながら、俺は暴れる心臓を抑えていた。
東風さん、まさかとは思ったがジャージの下に何も着ていないようだ。確かに濡れた下着を着ていたら、乾いたジャージもあまり意味を成さないだろうが……ホントにやるモンなんだな。実行しちゃう東風さんが凄いのか考えたカナさんが凄いのか。
「明星だって、眼福だったし悪い気はしてないでしょ?」
「流れるように思考に割り込むな! 何も言ってねーだろ!」
「目は口ほどに物を言う。――ニヤけてたよ?」
「うそだろ……!?」
俺は不可効力で喜ぶ変態だというのか……!?
「カナぁ……絶対九十八君に、変な人だと思われちゃったよぉ……」
「あーはいはい落ち着け。まったくこの二人は……」
「似た者同士、とはよく言ったものだね」
それから教室に戻った後、カナさんがコーラの缶を雲に手渡した。
「ハイモクっち」
「これは……何じゃ?」
「何って、約束のコーラ。アタシは約束は守るからね~」
おそらく雲が訊いたのは、コーラそのものの方だと思うが……分からないよな。
「ありがたく頂戴する」
と雲は缶を受け取るが、
「……空かぬ」
プルタブに苦戦。結果、ギブアップしてこちらによこした。ま、そんな気がしたよ。
「ほらよ」
プシュッと気持ちいい音がして缶を空けると、雲に手渡す。
「うむ。恩に着る」
受け取った雲は、そのまま傾けて一気飲み。――っていやいや!?
「――むぐぅっ!?」
案の定むせた雲は、吐き出す事だけは堪えてゆっくりと嚥下した。
「ゲホゲホゲホッ! な、何じゃこの劇物は!?」
コーラを毒薬みたいに言うなよ。
「あー、モクっちって炭酸苦手な人?」
「苦手というか、普段飲まないからな」
江戸時代にコーラは無いだろうし。
「で、できれば、他の吸い物にしてもらえんかの……」
「はいはーい。じゃあこのコーラはアタシがもらうね」
ゴクゴクとコーラを飲むカナさんを見て、
「なんと……かな、恐ろしいのう……」
今までで一番の戦慄を見せた座敷童だった。
――この日から、雲の嫌いなモノにコーラが追加された。
徳巡学園に入学して一週間が経った。授業も随時開始され、難しそうな内容に頭を痛める日々を送っていた。
そんなある日のLHR。今日で二回目だが、毎回この時間って何をするのか分からない。言い換えると『学級活動』になるらしいが。
「えーそれでは各自班を作って下さい」
「班? 何の?」
福田先生の言葉に、俺は首を傾げる。すると隣の東風さんがクスクス笑った。
「四月末にある、自由遠足の班だよ。入学式の日に先生言ってたよ? 九十八君、もしかして話を聞くの苦手?」
「まあ得意ではないな……」
入学式の日か……。あの時は雲が乱入してきたせいで、他の事に構っている余裕無かったからな……。
「にしても、自由ってどこまで自由なんだ? 色々と漠然としすぎなんだが……」
「基本的に全部自由だよ、明星」
こちらの席に近寄ってきた疾風が微笑む。
「メンバーも場所も自由! 自分達で計画するんだよ!」
同じくやってきたカナさんが楽しそうに俺の机を叩く。
「と言っても、学校で点呼を取ってからの出発だから、あまり遠くには行けないけどね」
「じゃあ、まずは班のメンバーからか……」
「あれーきらっち、今からメンバー探すのん?」
「いや、メンバーは自分で組むって言ったじゃん……」
早くしないと、ぼっちになる可能性もあるぞコレ。
するとカナさんはチッチと指を振る。
「ここにいるじゃないの! きらっちの目は節穴かっ!」
自分を示し、ドーンと割と平坦な胸を張るカナさん。テンション高いなぁ……。遠足絡みだからかな?
「と、いうわけだよ明星。よかったね、メンバー探しに奔走しなくて済んだよ」
何だか見透かされたようでいい気分じゃないな……。
それで遠足のメンバーだが、俺と、
「――アタシとひよはいつでもセットだかんね!」
「わわっ、カナ……」
カナさんと東風さん、
「僕も」
疾風と、
「きらがいるならわしもじゃな」
爆睡魔、座敷童。コイツ、日本史の授業以外は基本寝ている。一週間しか経っていないのに、先生も諦める豪胆っぷりだ。全くもって、何故入学できたか謎である。一度話してみたいぜ学園長。
「じゃあこの五人でいいのかな?」
疾風の声に賛同したいのは山々だが、こちらをチラチラと見る姿がいくつも。中には積極的にコンタクトを取ろうとする女子もいて、
「ね、ねえ小鳥遊君、もしよかったら、私たちと一緒に……」
と寄ってくる。
「ごめんね、この五人で決めちゃったから、また今度ね」
だが疾風はアッサリと断る。
「に、九十八君も一緒に是非」
俺のオマケ感が凄い。
「俺もこのメンバーで行くよ」
気心知れた面子の方が、気が楽だ。人見知りというほどではないが、カナさんのようにフレンドリーではないからな。
「ごめんね!」
最後にカナさんがそう言うと、彼女たちは引き下がった。カナさんは、俺たち以外にも付き合いが多い。恐らく、もうクラスの全員と仲良くなっているだろう。気が付けば俺たちと一緒にいるのに、一体いつ交友を深めたのだろうか……。
「……みんな、凄いなぁ。人気者で、リーダーシップ取れて、堂々としてる」
何となく肩身狭い思いをしている東風さん。自分が場違いとでも思っているのだろう。考えすぎだって……。
「俺は東風さんといて楽しいし、東風さんといたい」
ボソッとフォローすると、
「!? 〜〜〜〜〜〜っ!」
顔を真っ赤にして、口をパクパクさせた。そしてそのまま下を向いて縮こまってしまった。反応が面白いが、ちょっとキザだったかな……。
「ほほーん、ムッツリヘタレだと思ってたけど、きらっちも意外と言うじゃん!」
「そんな認識だったのか……」
ちょっとショックだ。
「時にきら、“えんそく”とは何じゃ?」
雲のセリフ。どうでもいいが雲、現代でその質問はアホ丸出しだぞ。
「みんなでお出かけだ」
「ほう! それは楽しそうじゃ!」
いきなり駈け出す座敷童。
「待てい! 話聞いてたかお前! 遠足は今日じゃないぞ!」
「ならばいつじゃ!」
「それは……いつだっけ?」
「明星、話聞いてたのかい?」
ぐぬぬ……このイケメンめ……!
「ひよが言ってたでしょ? 四月末だって」
そういえばそうだった。
「正確には、四月の三十日だね」
「自分達でプラン考えるんだっけか……。そもそもどこに行くんだ?」
するとカナさんが、得意げに笑みをこぼす。
「ふっふっふ……。その辺はお任せあれ。もう目的地は考えてあるんだ〜」
「お、どこだ?」
神奈川や首都圏は全然詳しくないから、知っている場所なんて無いだろうが。
「ズバリ……横浜!」
「――まあ、横浜へ?」
放課後、ミラクルエイジへ。
注文を受けたララさんに遠足の事を話してみた。
「ララさんは、横浜行った事あるんですか?」
「ええ。横浜はお洒落で美味しいお店がたくさんあるので、お休みの日によく行くのよ」
「へー。オススメの場所とかありますか?」
「それを決めるのは皆よ? せっかくの遠足なんだもの。計画も楽しみの一つだと思わないかしら?」
む……それもそうか。こういう計画した事ないから、慣れないな。
「コラきらっち。ララさん忙しいんだから、引き止めちゃダメでしょーが!」
「そ、そうか。すみません」
確かに店内には、他にも何組かお客がいる。バイトが何人かいるとは言え、基本ララさんが調理するみたいだし、無駄話で引き止めたらお店が回らなくなってしまうだろう。
「ふふふっ。まだそこまで忙しくないから、大丈夫よ」
いつも通りのニッコリ笑顔で一礼すると、ララさんは厨房へ引っ込んだ。
「さーてララさんに言われた通り、計画するよ計画!」
そう言うカナさんだが、俺は横浜なんて空港からの通り道で車窓から眺めたくらいだ。“現在の”に限るが雲も当然。なので、計画も立てようがない。
カナさんは知り尽くしているような口ぶりだが、疾風や東風さんはどうなのだろうか。
「僕は何回かあるよ。案内できるほど詳しくはないけどね」
「私も同じ……かな」
「となると、頼みはカナさんだけか……」
「アタシも詳しくないよ? 横浜とか遠いし」
「……え?」
さも当然のように言い放たれた言葉に、俺は絶句した。
「む、何さきらっち。その反応は」
「いや、だって迷う事なく横浜とか言うから、てっきり詳しいのかと……」
「用事も無しに、横浜まで行くワケないでしょーが! 交通費いくらだと思ってんの!」
「えぇぇ〜……?」
何で俺、怒られたんだ……。
カナさんはドヤッと胸を張ると、
「知らない場所に行くからこそ、楽しみがあるんじゃない!」
「…………」
この無計画っぷり、急に不安になってきた……。
不安を覚える遠足の企画は、
「大丈夫! お任せあれ☆」
という不安だらけのカナさんに任せる事に決定し、ケーキをいただいてミラクルエイジをあとにする。……結局、何も計画できていないな。
その帰り道、誰かのケータイがポップなメロディを奏でた。
「な、何じゃ!?」
ケータイをよく知らない雲が、慌てふためく。俺の背後に隠れ、辺りを見回す。……いや、動けないように両手でガッチリ固定しているし、身代わりにする気だなコレ。
ともかく着信音は俺ではなく、雲はそもそも持っていない。となると、
「ご、ごめんね。マナーモードにするの忘れちゃってた……」
「もー、どんくさいなぁひよ。授業中鳴ったら大変だったよ?」
「うん、気をつけるね……」
ケータイを取り出した東風さんは、少し離れて耳に当てた。電話らしい。
「もしもし? ――うん、元気だよ。今は友達と一緒。――うん。カナと、知り合った人たち」
ご家族かな?
「どうかしたの? ――えっ? それじゃあ……」
何かあったのか、少し慌てた様子の東風さん。
「うん、うん、分かった。――大丈夫! 何とかするから」
そう言って電話を切った東風さんは、こちらに向き直る。
「パパさんママさん?」
「うん……」
事情を知っているらしいカナさんの言葉に、東風さんは頷く。
「実は……私のお父さん、今北海道に単身赴任中なんだけど、風邪引いちゃったみたいでお母さんが面倒見に行ってるの。もうすぐ飛行機で帰ってくる……はずだったんだけど……」
尻すぼみになる言葉。すると疾風がケータイを取り出し、ニュースを検索。
「あらら、“強風で新千歳空港、機能停止”だそうだよ」
「そうみたいなの……」
「って事は東風さんのお母さん、帰ってこられないのか?」
東風さんは一人っ子だと聞いた。つまり今夜は、誰もいない夜を過ごさないといけないのか……。
「どうする? またうち来る?」
初めてではないのだろう。カナさんの申し出に、しかし東風さんは首を横に振る。
「春休みにお世話になったばかりだし、申し訳ないよ」
「ひよは変なトコ真面目だよねー。別に気にしないのに。――まあ本人が引け目感じたらくつろげないし、しょーがないか」
ごめんね、ありがとう、と笑った東風さんに、雲が心配そうな目を向ける。
「ひより……独りなのかえ?」
「大丈夫! そこそこ料理だってできるし、明日には帰ってくると思うから!」
グッと両手を握って、さらに紡ぐ。
「たった一日の辛抱だよ!」
その一言で、無理している事がハッキリと分かった。
「ひより……」
「だ、大丈夫だってば雲さん!」
だが雲は納得できない表情。コイツは『独り』に敏感だからな。放っておけないのだろう。
「ん〜つまりひよは、前にお世話になってるからアタシの家には来たくないんだよね?」
「そこまでは言わないけど……頻繁にお邪魔したら申し訳ないから」
「だから気にしなくていいのに……」
「親しき仲にも礼儀あり、だよっ」
「……ま、それはいいや。――それなら、まだお世話になってない家なら問題ないってコトだよね!」
「へ? うん……。そうなるけど……」
東風さんも俺も、カナさんの意図が分からない。付き合い短いけど、経験からあまりいい予感はしない。
カナさんが楽しそうな顔の時は、特に。
「なら簡単じゃん! つまり――」
帰宅後、俺は慌ただしくリビングを片付けていた。
「今更何をしておるのじゃ、きらは」
雲は座布団の上に正座し、ズズズ、と湯のみに入ったオレンジジュースをすすった。別に和まないぞ……。あの座布団だって、雲がどうしてもと言うから購入したモノだ。我が家にはテーブルがあるのに。
「お前も少しは手伝えよ!」
「断る」
「何で否定したし!?」
「気を使う仲でもあるまいて。普段通りの振る舞いで良かろう?」
そうもいかないだろ。彼女の言葉じゃないが、『親しき仲にも礼儀あり』だ。
ピンポーン、と。間延びしたインターホンの音。
「っ!?」
「む、来よったな」
俺とは対照に、明るく顔を上げる雲。
「……はい」
恐る恐るモニターを確認すると、
『やあ明星。さっきぶり』
疾風だった。
「…………」
『ちょっと明星、カギ閉められたら、お邪魔できないじゃないか』
不法侵入やめろ、という言葉も出てこない。
「はやてかえー?」
モニターまで背が届かない雲が、その下から声をかける。
『やあ雲ちゃん。ドアのカギを開けてくれないかな』
「心得た」
色々フリーズしている俺の代わりに、雲が玄関まで出向く。
「お邪魔します。雲ちゃん、はいお土産。アイス」
「あいす! 知っておるぞ! 色鮮やかな、雪の甘露じゃな!」
「へえ、そんな表現もあるんだね。面白い。――明星は?」
「あそこで放心しておる」
「ああ本当だ。明星、お邪魔したよ」
「……よう」
リビングにやってきた疾風に、軽く手を上げる。
「そんな間抜けな顔もできたんだね。羨ましい」
「何言ってんだお前……」
「ツッコミのキレが皆無……。明星、大丈夫? 慣れない神奈川で疲れちゃった?」
「判断基準がツッコミっておかしいだろ……」
「明星の心情はよく分からないけど、そんなに嫌なのかい? だったら断れば――」
「嫌なんて言ってないだろ」
「じゃあ?」
「……緊張してるだけだ」
「やれやれ。明星もだねえ」
疾風が肩をすくめた時、ピンポーン、と。二度目のインターホン。
「ほら、今度は出てあげなよ」
「……分かったよ」
俺は玄関に行き、ドアを開ける。
「――あ、あのっ、これ、差し入れで……。ほほほ本日は不束者ですがよろしくお願いします!」
そこにいたのは、九十度腰を折り、何かが入ったタッパーを差し出す東風さん。
「ま、どっちもどっちだね。――あと東風、それは婚約の挨拶だよ」
「…………はぅっ」
コイツはまた余計な事を……。東風さん真っ赤だぞ。
「ま、まあとにかく上がってよ」
「う、うん。お邪魔します」
一度帰宅し、私服に着替えた東風さん。見るのは二度目だが、あの時はまだ“他人”だったし実質初めてか……。膝丈の、花柄のワンピース。シンプルだが、よく似合っていて可愛い。
「差し入れありがとな。――お、肉じゃがか」
「うん、大したものじゃないけど……」
「いやいや、ありがたいよ」
「そう、それならよかった」
そういえばカナさんは、と言おうとした瞬間、
「――バッサー!」
突如、東風さんのスカートが豪快にめくれ上がった。
「へ?」
反応できなかった俺の目の前で、ピンクの布地がこんにちは。
「あっ…………!?」
ようやく東風さんがスカートを抑えたのは、すでに自由落下を始めた頃。簡潔に言って、手遅れでした。
「人を無視して立ち話とは何事だ!」
当然犯人は、このご立腹ポニーテールであり……。
「だからって、いきなりスカートめくりはどうなんだよ……」
「嬉しくなかったのん?」
「…………」
「九十八君……? 見ちゃったよね……?」
「ヘイヘイきらっち〜?」
答えてなるものか……!
一時間ほど前にカナさんが出した提案は、『九十八家に泊まればいい』だった。一度も訪れた事がなく、両親不在で気心知れた二人だけなので落ち着ける。アタシ天才じゃん! と。
筋は通っているが、理にかなっていない……。
だが東風さんもやはり独りは嫌なのか、迷った末に頷いた。雲は大賛成だったし、俺もまあ……反対する理由も無いからな。こうして、東風さんのお泊まりが決まったのだった。
――で、何故カナさんや疾風が我が家にいるのかと言えば、
「どーせひよがご飯作っちゃうんだし、食べないともったいないでしょ!」
と、
「面白そうだから」
という二つの理由によるものである。
元々は東風さんが寂しくないようにと始まった企画だ。賑やかな方が彼女も喜ぶだろう。
全員が揃うと、早速調理開始。
当たり前のように持参したエプロンを装着する東風さんを、一応止めてみる。
「客人なんだし、ゆっくりしてていいんだぞ?」
しかし案の定、東風さんは否定。
「お世話になるのに、座ってるだけなんてできないよ。手伝わせて下さい」
「……了解」
まあこうなるよな。真面目な性格だし。
「メニューは決まってるの?」
「ああ、カレーにしようと思う」
簡単だし、大人数にピッタリだ。一応得意料理だし。
神奈川に来てからは作っていないから、雲も初めてなんじゃないだろうか。
「ルー使うの?」
「えっ……そうだけど……」
何その『普段は使わないよ』的な発言は……。発想が次元一つ違う気がする。得意料理の概念が崩れてしまった。
「じゃあ私は、食材のカットをしようかな」
「よ、よろしく」
ちなみにカナさん達は、リビングでテレビを見ている。どうやら手伝ってはくれないようだ。
「ん? どしたのきらっち。手伝って欲しかったの?」
「ああまあ、できれば人手は多い方が助かるし」
「もー仕方ないなあ。言っとくけどアタシ、家事できないからね?」
ドヤッ、と放たれた言葉。
「何故今の流れでそのセリフになるんだ……」
「あ、九十八君、カナは本当に家事……特に料理は苦手だから……」
冷蔵庫から食材を出した東風さんが、苦笑いで教えてくれる。
「じゃあやっぱいいや。座ってて」
「むむ……。ちょっと悔しい」
とか言いつつ、リビングへ戻るカナさん。……カナさんの気まぐれっぷりは凄まじいな。
「……さて」
俺も始めないとな。まずは鍋で水を沸騰させないと。東風さんがカットを終える前に、準備を済ませないと――
「一通り終わったよ。次は何をすればいい?」
「早っ!」
振り返ると、ニンジンタマネギジャガイモ。均一にカットが終わっていた。
え、もう!? こっちはまだ鍋を掴んだ段階なんですが!
「あ、じゃあ切ったの炒めるね」
「お願いします……」
これ、もう俺いらないんじゃないか?
鍋に水を入れながら、食材に火を通す東風さんの後ろ姿を眺める。手際がいいのは勿論だが、
「〜♪」
何より楽しそうだ。半ば致し方なく自炊を始めた俺と違い、料理そのものを楽しんでいる様子が伝わってくる。ララさんに東風さん。本気で上手くなるためには、まずは楽しむ心が必要なのかもしれないな。
……とか何とかカッコいい言ってみたが、慣れないキッチンでの東風さんの動きが素晴らしすぎて、もはや俺は役立たずだった。
「――いっただっきまーす!」
八割が東風さん作のカレーと差し入れの肉じゃがを食卓に並べ、俺たちは手を合わせる。
……俺? 煮込んだよ。あとサラダ作った。絶品オリジナルドレッシングを作られたけど。
「……うん! やっぱりひよのカレーは美味しいね!」
「ありがとう、カナ。……でも、市販のルーだったからあまり目標の味はできなかったな……。またリベンジするね」
ぐぅ……。これで満足できないとは……。次の機会までに、スパイスくらいは揃えておこう……。
「ひより、おかわりじゃ」
相変わらずの早さと言うべきか、雲が空になったお皿を差し出した。
「こんな時くらい、自分で行ってこい、雲」
「わしの背丈では届かんのじゃ!」
「あ……何かごめん」
ワナワナと炊飯器の台を睨む雲。結構低身長を気にしているらしい。
「大丈夫だよ、任せて」
快く引き受けてくれた東風さんは、お皿を受け取り立ち上がる。
「あ、ひよついでにアタシのもお願〜い」
すると、同じく颯爽と食べ終えたカナさんがお皿を持ち上げた。
「カナは自分で届くでしょ……」
「いいじゃん、ついでだよ」
ニシシ、と笑うカナさんに、
「もう……」
東風さんも反論は無意味と悟ったのだろう。大人しくお皿を受け取った。
そこで俺は、残りのカレーをかき込んで立ち上がった。
「俺もおかわり。一緒に行くよ」
「九十八君……? ――ありがとう」
さり気ないつもりが、一瞬で理解された。俺も疾風みたいなポーカーフェイスがあればな……。もっと自然にフォローできるのに。
おかわりをよそって、食卓に戻る。さっきはかき込んでしまったが、今度は味わって食べる。
……うん、美味しい。東風さんが言った通り、市販のルーだから誰でも同じ味ができるはずなのに何かが違う。まろやか……? 特別な事をしていた様子は無かったが、何故か箸……じゃなかったスプーンが止まらない。隠し味……? いや、ここまで変わるものか?
俺が悩んでいると、向かいからカナさんがケラケラ笑った。
「きらっち、考えてるね〜。ムダだよ? ひよの味は、アタシ個人七不思議の一つだからね〜」
随分狭い七不思議だ事で。
「ちなみに残りは?」
「ひよの優しさ成分の出処。ひよの怖くないお説教。ひよの運動音痴のくせに掃除が機敏。ひよの――」
「か、カナ……」
東風さんばっかりじゃん。
「あとは、ひよの謎巨乳!」
それは俺も気になる。ってじゃなくて!
「結局、分からないんだな」
「だったら本人に訊いてみればいいじゃん。反応が予想できるけど」
む、それもそうだ。あれこれ考えるより、訊いた方が早い。
「どうなんだ? 東風さん」
上手い事美味しさの秘密が聞き出せれば、俺でも再現できるかもしれん。そうすれば、きっと雲も満足してくれるだろう。
と思っていたら、
「えっと……私にもよく分からないの……。特別何かを入れたわけでもないし……隠し味とかも……」
残念ながら返事は芳しくなかった。
「ほーらね。アタシも前に同じ質問した事あるもん」
「あ、強いて言うなら……」
「言うなら?」
「お、美味しくなれって気持ちと愛情を込めてる……よ?」
おおぅ……。それは反則だわ……。
「ま、だから言ったじゃん? 七不思議だって」
全くもって、その通りだ。
その後、皆で食後のデザートでアイスを食べ終わると、
「――んじゃ、邪魔者は退散するかね〜」
「お邪魔したよ」
カナさんと疾風は帰宅、
「あ、一つ忠告」
「ああそうだ東風」
しなかった。揃ってわざわざ向き直り、東風さんを見る。
「きらっち襲ったら、ダメだかんね?」
「明星のチキンハートっぷりは理解してるけど、我慢するんだよ?」
「大丈夫だよ! 何もしないから!」
からかわれただけだと分かってはいるだろうが、反応しない訳にはいかなかった東風さん。ったく……変に意識させやがって……。
「「良い夜を」」
ハモった。絶対楽しんでやがる……。
ドアの向こうに消えた背中二つを脱力しながら見送り、リビングに戻る。
「カナったら……」
東風さん、若干顔が赤い気がする。う、これは気にしたら負けだな……。
「しかし……かなもはやても、わしらに何もさせようというのじゃ? 夜など眠るだけではないか」
夜がメチャクチャ早い座敷童は首を傾げる。
「お前は寝るのが早すぎるんだよ。いつも道連れで連れて行きやがって……」
「わしは風呂に入る」
「もういいよお前……」
相手するのも疲れたわ……。
「ひより、共に入ろうぞ」
「うん、いいよ」
快く頷いた東風さんはしかし、キッチンに視線を向けた。そこには、食べ終わった食器が水に浸けられて放置されている。
「先に洗い物片付けてからでもいい?」
「ダメだ」
「えっ?」
東風さんの案を、俺は即座に却下する。
「洗い物は俺がやる。東風さんは、ゆっくりしてくれ」
「でも……」
「東風さんは客人なんだからさ。少しくらいもてなさせてくれよ」
「九十八君……ありがとう」
東風さんは働きすぎなんだよな……。気持ちは分かるが、こっちが申し訳なくなってしまう。逆の意味で遠慮をして欲しい。
「じゃあ……お先にいただきます」
そう言って一礼すると、着替えとバスタオルを抱えて脱衣所に消えた。もちろん雲も一緒だ。閉まったドアの向こうで、おかしな会話が繰り広げられる。
「あれ雲さん、着替えは?」
「きらが持っておる」
「持ってるって……?」
これはマズい。あらぬ誤解を招く。
「おい雲。着替えはタンスに入ってるって言っただろ。自分で取って来い」
ドア越しに呆れ声を飛ばす。すると、
「む、心得た。今宵の寝間着は、わしが選ぶとしよう」
「あっ……雲さん――」
勢いよく開かれる脱衣所のドア。そこに立つは、パンツのみの座敷童。
「せめて脱ぐ前に開けてくれませんかねぇ!?」
「きらのたいみんぐが悪い故じゃぞ」
ぐぬ、否定できない……。
とりあえず凝視して変態だと思われたくないので、視線を前にそらす。
「…………」
「…………」
東風さんと目が合った。中途半端に右腕を伸ばした、下着姿の。ブラは水色かー。
「…………ふえ?」
「すんませんしたっ!」
東風さんが何か反応する前に、即行で頭を下げてドアを閉めた。もしこんな住宅街で悲鳴なんか上げられたら、明日から近所を歩けなくなってしまう。……それにほら、不可抗力だったし?
「扉に向こうて謝るとは。きらは奇行が目立つの」
「お前に奇行とか言われたくないぞ……。てか、こっち来ちゃったのかよ」
パンツ一丁の雲は、俺の横で呆れ顔を見せた。相変わらず、隠そうとは一切しない。
「寝間着と言うたのは、きらでないか。わしは悪うないぞ」
「あーはいはい。そうだなそうだな」
「むう……」
頬をプクーっと膨らませてこちらを睨む雲。どうやらご機嫌斜めみたいだが、むしろ微笑ましいな。
「九十八君……? 雲さん……? どうしたの?」
脱いでしまったがために、ドアを開ける事もできない東風さんが困惑気味な声を飛ばす。
おっとそうだった。コイツのパジャマを取ってこないと。
「東風さん、すぐ戻るから先に入ってていいよ。多分一分で雲も行くから。――あとさっきはホントごめん」
「う、うん。私も気にしてないから……。――分かった。じゃあここで待ってるね」
頷きかけて気付く。会話繋がってないぞ。これは急がねば。
急いで二階の雲の部屋――と言っても、寝る時は俺の部屋に来るし洋服は一人で着られないので、実質物置――に入ると、タンスから適当なパジャマを物色する。どうせ寝るだけだし、明日は土曜日だから何でもいいんだよな。
ボタンだと東風さんが苦労するだろうと思い、俺のTシャツを掴んで立ち上がった。
脱衣所の前まで行くと、
「ふむ、おおよそ三十びょーじゃな」
腕組みでお出迎え。
「何でそんなに偉そうなんだよ」
倍以上の疲労感を感じながら、パジャマを手渡すと入ってこいと促す。
「うむ、ひより、待たせたの!」
完全に油断していた。再び勢いよく開けられたドアの向こうで、
「…………へ?」
ぼんやり立っていた東風さんの下着姿を、バッチリ拝見してしまった。
「み、見ちゃダメ!」
今度は謝罪する暇もなく、東風さんは反射的に近くにあったタオルか何かをぶん投げた。
「ごめんなさぶっ……」
それを頭から被り、俺は視界真っ暗なままドアを閉めた。
「……てか何だこれ?」
タオルじゃなくて、……服? 花柄のワンピースだ。――って、これ、
「――それ返して!」
よほど慌てていたのか、ドアを開けてワンピースを回収する東風さん。三度目の下着姿。
「お、お風呂いただくね!」
耳まで真っ赤な彼女は、無理矢理作った笑顔でそう告げた。それからドアを閉めた。
「…………」
素晴らしいモノを三度も見てしまった俺は、しばらくフリーズ。
「……皿洗おう」
この記憶を留めておくのは申し訳なさすぎる。無心になって、消去しようそうしよう。
皿洗いを済ませ、ノンビリテレビを観ていると、
「今宵も良い湯じゃった」
雲が出てきた。お、ちゃんと服着てる。まだ乾いていない長すぎる髪も、措置として結い上げられている。流石は東風さん。
「って、東風さんは?」
「すぐ来るぞい」
そう言って雲は冷蔵庫へ向かってしまった。だが、一分ほどしても東風さんは出てこない。
「東風さん? 大丈夫か?」
ちょっと心配になって、ドアに声をかける。
「あ……九十八君……」
返ってきたのは、酷く弱々しい声。
「ど、どうしたんだ? 開けて平気か?」
「うん……平気」
許可も貰えたので、慌ててドアを開ける。そこにいたのは、
「雲さんって、江戸っ子だね……」
全身から湯気でも出そうな状態で壁にもたれかかる東風さんだった。
「あー……」
そういえば、雲は熱風呂好きなんだった。“江戸っ子”という表現も、的を射すぎていて怖くなる。
「動けるか?」
「な、何とか……」
フラフラと立ち上がった東風さん。リビングに向かうと、そのままイスに崩れ落ちた。
とりあえず濡らしたタオルと、氷水を持っていく。
「あ……ありがとう……」
こんなになるまで入らなくてもよかったのに……。長風呂する雲に付き合ったのだろう。お人好しな性格だよホント……。
東風さんのパジャマは、ボタンでとめるタイプのモノだ。火照った身体を冷ますための無意識だろうが、胸元がはだけていて、目のやり場に困る。それなら今すぐ風呂に入ればいいのだが、こんな状態の東風さんを雲だけに任せるのは少し不安だ。煩悩に負けたワケじゃないぞ決して。
その後俺も入浴を済ませ、時刻は九時過ぎだが他にする事も無いので就寝準備。
「ふわぁ〜むにゅ……」
すでに睡魔に屈しつつある座敷童と、ようやく湯あたりから回復した東風さんと二階に上がる。
「東風さんの布団はここに敷いたから」
と、俺は雲の部屋を示す。
そもそもが仮住居みたいな我が家は、客人用の布団なんて常備していない。雲のために買った布団が、二枚セットで本当に良かった。
「ありがとう、九十八君」
東風さんが、深々と頭を下げる。これは恐らく、今までをまとめたお礼なのだろう。流すのは簡単だしその方が楽ではあるが、彼女の気持ちを考えると軽くあしらうのは申し訳ない。
「友達同士、持ちつ持たれつって事でさ。また困ったら、いつでも頼ってよ」
「――うんっ。ありがとう」
嬉しそうな返事。どうやらこちらの真意も伝わったようだ。
「じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
最後に挨拶を交わすと、俺は自室へ向かった。
「――ん?」
のだが、ふと服に抵抗を感じた。見ると、
「何処へ行くというのじゃ、きら……」
寝ぼけたように、俺の服を掴む雲。
「いや、自分の部屋だよ。もう寝るんだから」
「何を言う……。ここに布団があるではないか」
何か不機嫌になった。いやいやちょっと待て。
「今日は東風さんと寝ろ。一人じゃないしいいだろ?」
「“今日は”って……?」
「ごめん東風さん。そこはスルーしてくれ」
そこまで対応できない。この辺の言い訳は、後々疾風にでも考えてもらおう。
「わしは眠い。そこに布団がある。ならば寝る。良かろう?」
「いや何だよその三段活用! 全然理由になってないし!」
「……寝る」
「うおぃ! 引っ張るな!」
九割夢の世界へ旅立ってしまった雲は、俺の抗議などどこ吹く風。俺の裾を掴んだまま、部屋の中の布団へ一直線。
大体、布団は二つしかないんだぞ!? 三人は無理だろ! それに東風さんが許諾するハズが……。
「く、雲さんはもう寝ちゃってるようなものだし、これはもう仕方ないんじゃないかな? 今だけの特別で、私も眠いし不可効力で最善策だよ!」
ちょっと乗り気!? しかも言動が不安定すぎるぞ!?
「おやすみじゃ……」
「お、おおおおおおやすみ九十八君!」
二つの布団をくっつけ、雲と東風さんは横になってしまった。
「…………」
退避しようにも、雲は未だに裾を掴んだままだ。この手を離すのは簡単だが、ここまで握り締めるのは行くなという意思表示だろう。
「やれやれ……」
なので、俺も諦めて雲の隣、布団の端に横たわった。できるだけ距離を空けたが、せいぜい十五センチ程度だ。まさか川の字になって寝る事になるとは……。
こんな状態で寝られるか分からんが、とにかく寝よう。目を閉じるだけでも、違うだろうから。
一時間半ほど経過しただろうか。
「…………」
やはり寝られなかった。
雲は即行で熟睡。気持ち良さそうな寝息が聞こえている。東風さんも、どうやら寝付けたみたいだ。寝たフリの可能性も否定できないが、人間は就寝中、呼吸がゆっくりになると聞いた事がある。東風さんの呼吸も、それだ。
「……ま、いいか」
東風さんが休めているなら、それで御の字だ。俺は最悪、一日くらい徹夜しても問題ない。
「良かった良かった――ごふぅっ!?」
突如、腹部を謎の衝撃が襲った。
割と冗談抜きで身体がくの字に折れ曲がり、カレーが逆流するかと思った。
何事かと視線を下ろすと、
「ふみゅ……」
座敷童の踵がめり込んでいた。さらに、
「みゅふふ……」
ゴロリと寝返りをうって器用に俺の上に乗っかってきた。
どんな楽しい夢を見ているのやら、幸せそうな寝顔が目の前にある。大変微笑ましいが、流石に人一人分は重い。不安定だし、髪の毛がくすぐったい。あと微妙に色々柔らかい。
と思っていたら、乗り越えて反対側に転がった。ちゃっかり俺の掛け布団を巻き込んで持っていく辺り、実は起きているんじゃないかコイツ。
「まったく……」
ちっとも良くないが、踵落としの被害者が東風さんじゃなくて俺で良かった。
転がった拍子に布団から出てしまった雲を、少し持ち上げて俺が寝ていた場所にズラす。こういう時、コイツ軽いから楽だな。
雲が転がったので、入れ替わって俺が真ん中に。踵落としで微かな眠気も吹き飛んでしまったが、東風さんを起こしてしまいそうで迂闊に動けない。
そういえば、今のゴタゴタで東風さんは起きてないかと彼女を見やると、
「…………」
反対側を向いているが、呼吸に乱れは無い。
「東風さんは結構眠り深いんだな」
――と思ったのもつかの間。
いきなり東風さんが寝返りをうった。顔を見ると、半開きではあるが目が開いている。
「ごめん東風さん、起こしちゃったか? ちょっと雲の寝相が悪くて――東風さん?」
そこまで謝ってから、彼女の様子がおかしい事に気付く。
「…………」
目は開いているのに、正面の俺を見ているワケではないようだ。それに、妙に据わっている。少し怖い。
「…………」
むくりと身体を起こした東風さんは、どう対応していいか分からない俺に視線を向ける。
「……ねえ」
「は、はい」
思わず敬語になってしまった。
「きらくんはぁ、私の事どう思ってるのぉ?」
「は、はい?」
ペタッと座ったまま、若干怪しい呂律で喋ってくる。
「大して可愛くもないし、ドン臭いし、ノロマな私がぁ、どーしてきらくんなんかといられるのー?」
いきなりどうしたんだ? 東風さんって、こんな事訊いてくる性格だったか?
「どう、って……。友……達?」
「カナと一緒にいるだけでー、私には何の取り柄も無いのにぃ」
「いや、俺だって環境がアレなだけで、どこにでもいる高校生だぞ?」
「友達も少ないし、雲さんみたいに人気者でもないしー」
――と、ようやく分かった。……これ、東風さんの寝言だ。どうりで会話が成立しないと思った。
つまり、これが東風さんの本音という事か。
「私の武器なんてぇ、この胸くらいだしぃ……」
唐突に、パジャマのボタンを外し始める東風さん。
へいストップ。話が変な方向に向かい出したよー?
「ちょちょちょい! 何してんの!?」
幸いにもボタンは二つ目で止まったのだが、それでも真っ白い豊満な柔肌と少しだけ露出したピンクの下着が、暗闇の中で存在感を放っている。
「カナのゆー通り、自分の武器はゆーこー活用しないとぉ」
「いやちょっと落ち着けって! 東風さんの武器は他にもあるから!」
「……例えば?」
「えーっと、料理がマジで上手い!」
「お弁当くらいしか生かせないもぉん……」
それじゃ満足できないのだろうか。
「んふふ〜……逃がさないよぉ、きらくぅん……」
四つん這いのまま、ジリジリと距離を詰めてくる東風さん。後ずさりしかけた俺だが、すぐ背後には気持ち良さそうな座敷童が。
退路を断たれた俺へ、
「えいっ」
東風さんは飛び付いてきた。
「んゅふふふ〜……」
ひいぃぃぃぃぃっ!
抱き付かれた拍子に揃って倒れ込み、俺は抱き枕状態。その首筋に艶やかな微笑み声をぶつけられ、俺の中の何かが削られていく感覚が。
雲では考えられないフニフニ具合と、女の子特有の優しい香り、全身に伝わる体温の温もりというトリプルコンボが俺を襲う。
「ちょ、東風さん離れて――」
「ずっと、きらくんの隣に…………すぅ」
「…………」
俺は東風さんを引き剥がすのを諦め、寝ながらハンズアップ。
東風さんの心配は、正直杞憂だ。少なくとも俺は、東風さんをおまけのように扱っているつもりは全くない。だが俺たちがいくら口でそう言っても、心に生まれた不安は簡単には消えないモノだ。真面目で優しい性格だと、なおさら。
「一緒に……いたいな」
聞きようによっては、不安げにも取れる寝言。今後俺がする事は、今まで以上に仲良くして、距離を縮める事だ。そんな不安なんて、吹っ飛んでしまうくらいに。そのために……何から始めようか。
……ところで東風さん、寝言含め寝相メチャクチャ悪いんだな……。
こっちとしては東風さんの本心が聞けて収穫だったが、当の本人は絶対に聞かれたくない部分だろう。
願わくば、彼女が今の出来事を覚えていませんように。
翌日、鼻っ面に衝撃を受けて目が覚めた。……数時間前にも同じような体験した気がするんだが、気のせいか?
目を開けなくても分かる。どうせ雲だ。
裏拳された細い腕をどかし、それから寝てしまった事に気付く。やれやれ。やはり人間、睡眠欲には勝てないようだ。
……で、未だに俺は抱き枕なワケですか。安らかな寝顔。変な体勢で、疲れたりしないのかな……。
「――ん……」
と思っていたら、目覚めたようだ。
「…………へ?」
「……お、おはよう」
至近距離で、バッチリ目が合った。
シュバッ、と離れた彼女は、
「な、ななななな何で隣に九十八君が!?」
朝一番で顔真っ赤。
「あー……覚えてない感じ?」
「覚えてないって……何が? ――もしかして私、物凄く失礼な事をしたんじゃ……!」
「覚えてないならいいんだ。気にしないで」
「えええ? 気になるよぉ……」
教えてどういう反応をするのか見たい気もするが、可哀想だしやめておこう。ユデダコ待ったなしだ。
俺は立ち上がり、ドアを開ける。
「さ、ご飯にしよう。――日和さん」
「う、うん。――あれ? い、今、名前で……?」
一階に降りて、朝食の準備をする。カレーが余っているから、それと目玉焼きにしよう。
「ね、ねえ、九十八君?」
「何だ? 日和さん」
「! やっぱり……。どうして、急に名前で呼んでくれるの?」
「あー……嫌だった?」
「そ、そんな! 私としては、むしろ嬉しいくらいだけど……。いきなりだったから、ちょっとビックリしちゃった……」
これは、彼女との距離を縮める作戦の一つだ。少し恥ずかしいしまだ慣れないが、ナイスアイデアではないかと思っている。
……とは本人には言えないので、
「ほら、お泊まりするほどの間柄なんだしさ。もう少し友達らしい事をしてもいいんじゃないか、とさ」
これは昨晩から考えていた言い訳だ。中々それっぽいだろう? 夢の中では、名前で呼んでるっぽいし。
「九十八君……」
「だからその……日和さんも、苗字じゃなくてもいいんだぞ? いや無理にとは言わないけど!」
案の定、日和さんは首を横に振る。
「ううん……嬉しい。――えっと…………き、きりゃ君っ」
噛んだ。
「……あぅ……」
ま、彼女らしいな。
「と、ところで明星君、雲さんは? 起こさなくてよかったの?」
「ああ、雲なら心配いらない」
俺は目玉焼きを皿に移し、そう答える。それからカレーを温めなおした所で、
「良い匂いじゃの……」
匂いに釣られて座敷童起床。
「……な?」
「あはは……」
コイツの行動パターンは大体把握した。……まあ、残りの把握できていない部分で、騒動を引き起こすんだけどな。
「いただきます」
全員寝巻きのまま、食卓で手を合わせる。
俺や雲はいつも通りだが、日和さんはどうなのだろう。何となく、ピシッと着替えてから食べていそうな印象がある。
「うーんでも、お弁当作ったりするから、あんまり時間無くて。冷めちゃうし……」
なるほど。結果が同じでも、理由が違うのか。俺たちの“着替えるのが面倒だから”という理由とは違うんだな……。
「んむ? ひより、それは何じゃ?」
雲が指さしたのは、日和さんが目玉焼きにかけている、
「ソースだよ?」
「それを何故、えーぐに乗せておる?」
「え、えーぐ?」
「“エッグ”な。目玉焼きの事だよ」
「な、なるほど……」
ためになる雑学を知った時のような、神妙な表情で頷く日和さん。まあ慣れないと、雲の外来語解読は大変なんだよな。
「“どうして”って言われても、私はソース派だから……」
「何じゃと!? 醤油こそ至高の調味料じゃて!」
変な所に食いつく雲。でも気持ちは分かる。同感はできないが共感はできる。
「おい雲。目玉焼きといったら塩胡椒だろ。何にでも合う万能調味料だぞ?」
「ソースだって美味しいよ? 濃いめの味に程よい酸味。淡白な卵にはピッタリだよ」
珍しく日和さんも譲らない。
三人がそれぞれ睨みを利かせていると、
「…………ふっ。下らんのう」
雲が小さく吹き出した。
「ふふっ、ホントだね。凄く、どうでもいい」
「……だな」
三人揃って笑いを漏らしながら、俺は日和さんを見やる。ほら、杞憂だ。だって今、こんなにも楽しいのだから。
「ところで、今日はどうするの?」
朝食を終え、今度は一緒に皿洗いをしている日和さんが訊いてきた。
「ん〜……どうしよっか。――ご両親は?」
「夕方には帰ってくるみたいだけど……」
となると、日中は空くという事か。
今日は土曜日。学校は無いし、部活が無ければ特に予定も無いのが高校生だ。
「カナさんは?」
「今日はミラクルエイジでバイトだって」
「そっかー。疾風も何か用事があるとか言ってたな」
二人はいない。とは言っても、このまま家に篭っているのも勿体無い。天気もいいし。どうせだからミラクルエイジに冷やかしに行ってもいいが……迂闊な事言ったら、カナさんにフォークとか投げられそう。
「あ、じゃあ……買い物とか、どう……? あんまりお金無いから、ウインドウショッピングになっちゃうかもだけど……」
ふむ買い物か。どうしても買いたいモノは無いが、雲の服とか雑貨とか、できれば欲しいモノはある。
「いいんじゃないか? そうしよう」
「ホント? やったっ!」
嬉しそうな日和さん。休日の過ごし方が買い物って、やっぱり女の子っぽいな。
「聞いたか雲。買い物行くから、着替えとか準備しとけよ」
リビングで悠々とヨーグルトを食す雲に声をかける。この野郎……洗い物増やすなよ。
「今はひよりがいる故な。焦らんでも良かろ」
「変に日和さん頼るのやめろよな……。客人なんだから、負担増やすなよ」
「あ、私なら大丈夫だよ。雲さん面白いし、むしろ明星君の負担を減らさないと」
こんな事を言ってくれるのは日和さんだけだ……。優しさが心に染み渡る。
日和さんに気を取られていたせいで、
「……ふん。途端に名呼びとは、仲良いのう」
雲が一瞬不機嫌になった事に、俺は気付かなかった。
雲の着替えを日和さんに任せ、俺も自室で寝巻きから着替える。まあ脱いで着るだけだから、そこまで苦労はしない。
一階に下りると、
「わあ……やっぱり凄いね……」
パジャマのまま、雲の髪を梳かす日和さんが。
「サラサラでクセも無いし、こんなに長いのに枝毛も無いなんて……。羨ましすぎるよ……」
じゃあそれ、梳かす必要ないんじゃ……?
「きら……ひよりが離してくれんのじゃ……」
拘束されていたのかお前。
「日和さーん、ほどほどにな?」
「大丈夫! 今この瞬間で、充分堪能するから!」
いや、そのセリフ……怪しすぎるぞ。
「きらぁ……」
こちらに助けを求めるように視線を送る雲に、肩をすくめてみせる。
「ま、たまにはいいだろ。日和さん楽しそうだし、仲良くやれよ」
夕方まで、時間はあるんだからな。
「か、髪質が真っ直ぐすぎて三つ編みにできない……。こんな事があるなんて……。ここは素直にツインテールに……いや、思い切ってお団子にしてもいいかも……」
ブツブツと呟く日和さんは、若干怖い。雲が怯えるのも少し分かる。
「――よしっ!」
結局、一度束ねた毛先を後頭部で結い上げるという髪型に落ち着いた。
「むう……頭の後ろが軽いのう。落ち着かん」
「でも可愛いよ! 似合ってる!」
「おお、何か新鮮だな」
うなじが見える雲は、かなり大人っぽく感じる。
「いいなぁ。私も髪、伸ばしてみようかな……」
日和さんは自分の髪を撫でる。日和さんの髪は、肩に触れる程度。ヘアアレンジは難しいだろうな。
「まあ日和さんの場合、あの髪留めがかなりのアクセントになってると思うけどな」
「あ、あれは、カナがプレゼントしてくれた物なの。小学校の卒業記念、って言って。だから、外に出掛ける時は必ず着けるようにしてるの」
へえ。プレゼントするカナさんも、それを使い続ける日和さんも、お互いの友情があるからできるんだよな。俺と疾風はそこまでやったりしないから、正直羨ましい。だからあんな事されても、許せ……るのかな?
「さ、じゃあ着替えて来なよ」
友情こもったいい話だったが、このままじゃ出発できない。俺が二人を促すと、キョトンとした顔を返された。
「着替える……? ――あっ。……私、パジャマだった……」
オイオイ、気付いてなかったのか。おっちょこちょいだなぁ。
「雲さん、着替えてこよ?」
「何処に行くというのじゃ?」
雲はそのまま、パジャマを脱ぎ捨てた。髪を結い上げてあるから、脱ぎやすいのだろう。上裸の座敷童、爆誕。
「――ってじゃなくて!」
今日は大丈夫だと思ったら、ここで来たか……!
「雲さん!? ここで着替えちゃダメでしょ!」
「何故じゃ?」
「なにゆえって……明星君の前だよ!?」
「じゃからどうした。家主に遠慮なんぞ、無用じゃて」
「いや必要だろ!」
主に食費とか羞恥とか恩義とか!
「最低限の遠慮はしないとダメなの! いくら兄妹で、雲さんが小さいからって――」
「小さいじゃと? ――この乳持ちに言われとうないわっ」
「あぅっ……」
何の逆鱗に触れたのか、雲が日和さんの胸をパンチ。……ポヨンポヨン揺れるなぁ……。
「ごめん雲さん、怒らないで……。――とにかく、雲さんも女の子である以上、明星君や小鳥遊君の前で服を脱いだらダメだよっ」
日和さんの説得が響いたのか、
「むう……ひよりがそこまで言うのであれば、わしは従うとするかの……。以後、気を付けるぞい」
雲は不満ながらも、頷いた。
「うん、よろしいっ。――じゃあ私も、早く着替えないと……」
そして何故か、その場でパジャマのボタンを外し始める日和さん。――え、何してんの!?
「ひより……そちは何をしておる」
「へ? 何って、着替えを……はっ」
日和さんは俺の存在を思い出したのか、
「き、ききききき明星君は出てって――――っ!」
俺は物凄い勢いでリビングの外に押し出された。……解せぬ。
二人が着替え終わった後、お互いに謝罪をしてから外に出た。
時刻は十時前だ。高く昇り始めた太陽が眩しい。
とりあえず、行くべきはショッピングモール。この周辺では、大体のモノはそこで揃う。下手にコンビニ行くより、色々お得だったりする。コンビニは値段高いし。
「雲さんのそのワンピース、可愛いね」
雲が着ているのは、俺が初日に買ってやった水色に花柄のワンピース。現在は他にも何着か持っているのだが、
「これが、わしの外行きの衣装じゃからの。きらが恵んでくれた、大切な衣装じゃ。後生大事にすると決めておる」
どうやらお気に入りらしい。恥ずかしい事言ってくれるぜ……。
「ふふっ、やっぱり好かれてるね、明星君」
「……だといいけどな」
「きらは照れておるだけじゃからの。真に受ける事も無かろうて」
「いや、何でお前が言うんだよ」
「きらがゆーじゅーふだんじゃからじゃ」
「それ、使い方違うからな! 教えたのは疾風か!?」
「かなじゃ」
「カナさんかい!」
敵が増えたわ……。
「あははっ。やっぱり仲良しだなぁ。……羨ましい」
ショッピングモールに到着した俺たちは、まずは服屋が立ち並ぶエリアへ。
誰が提案したワケでもないが、雲のパジャマや普段着肌着を増やしておきたいし、やはり女の子といえば服だろう。
ブランド品が揃う高級ショップは手が出せないので、リーズナブルな方へ。家族向けのお店へ入る。
手持ち金に関しては、そこまで心配していない。この前、雲の事を伏せつつ『高校の友達と遊びに行くから、臨時の小遣いが欲しい』と嘘ではない内容を両親に伝えた所、「高校の友達? それってつまり女の子でしょ? 素晴らしい大快挙! いくら欲しいの? 五万? 十万? 振り込んでおくから!」という返事を貰った。
結果、俺の銀行口座には新たに二十万が振り込まれていた。多すぎるわ。
「いらっしゃいませー」
店員さんが挨拶をしてくれる。その際、少しだけ怪訝な表情を見せた。
まあ明らかな未成年者の二人に、小学生に見える女の子。夫婦には見えないだろうし、カップルにしても不思議な構成。しかもお店がお店だ。
「も、もしかして私たち、友達に見えてないんじゃ……」
日和さんが呟きたくなる気持ちも、分かる。周りには新婚夫婦か、子連れ夫婦しかいない。こんな高校生なんて、いないのだ。
だが雲の服を買うなら、ここの品揃えが一番だ。恥ずかしがっている場合ではない。
「雲、気に入った服とかあるか?」
「これじゃ」
と着ているワンピースを示す。
「……うんいや、それは分かってるんだけど、違うだろ。この店の売り物の中で、だよ」
「ふむぅ……そうじゃな」
雲は意外にも真剣に物色し、店内を徘徊する。
てっきり「知らん」とか言われると思っていた俺は、若干面食らいながら小さな後ろ姿を追いかける。
「――これじゃ」
雲が振り向いたのは、お店の隅。まだ時期的には早いせいか値段も低い、
「……浴衣?」
夏祭り用の、浴衣だった。
「これ……か?」
「うむ」
予想外だった。洋服に憧れがあるようだったし、てっきり店頭や目立つ位置でマネキンを着飾っているフリフリスカート等を選ぶと思っていたのに。
「確かに西洋の衣装は動きやすいし、可愛らしい物が多い。わしには勿体無い程にな」
雲は、浴衣の一つをそっと撫でる。
「じゃがわしは、やはりこういった元来の服への情を捨てきれんのじゃ。わしが生きた姿が、思い起こされるようで」
「雲……」
「……わしの考え、現代では間違っておるかのう?」
そう訊ねる雲の顔は、困ったような笑み。まるで、否定される事を恐れているかのような。
「……いや、間違ってない。お前がそう思うんなら、それが正解なんだ。胸を張って、言いたい事を言え」
「きら……。――うむ! わしはこれが欲しい!」
「よし買ってやる! 好きなの選べ!」
「全部!」
「それは無理!」
「何故じゃ!?」
雲が欲しがった浴衣を部屋着用と外出用で二着ずつ買い、それでもやはり憧れがあるのだろう。チラチラと視線を送っていたシャツやらスカートやらを加え、
「ありがとうございましたー」
店を出た。
さて、目的を優先してあのお店に行ってしまったが、そもそも買い物を提案したのは日和さんなのだ。次は彼女の希望を尊重して――
「あ、もし他にも用事があるなら、そっち優先でいいよ」
「……いいのか?」
「うん、私はあまり買う予定は無いし、――明星君じゃなくて雲さんのため、なんでしょ?」
見透かされてるんだな……。
「じゃあ、もう一つだけ行きたい所があるんだ」
「どこ?」
「言いにくいし行きにくいんだけど……」
つい十数分前に、恥はかき捨て的な格好いい事を思った俺だが、
「ごめん日和さん、お願いします」
これだけは無理だ。
「わ、分かった。これは私の出番だね」
むしろ、日和さんがいる今だからこそできる事だ。この――下着調達は。
俺たちが立っているのは、いつぞやのランジェリーショップの前。
「そういえば、雲さんと初めて会ったのもここだったよね」
「うむ、あの時は世話になったのう」
「あの時“も”な」
もはや世話になりすぎて、罪悪感が募るレベルだ。ああ、本格的に何かお返しを考えないとなぁ……。
「これで、足りるかな」
俺は日和さんに一万円札を三枚渡す。
「さん……まんえん……。ど、どのくらい買えばいいの?」
「うーん……五枚くらい?」
実際、女性の下着がいくらするのかよく知らないのだ。
「ご、五枚……。五枚って事はつまり一枚六千円でそんな高い下着は私も持ってないしそもそもあるか分からないけどこれ明星君のお金だから無駄にはできないしでも雲さんのためにできる限り似合うものを選んであげたいしそのためにはむしろ私が払った方がいいのかもしれないああでも私そんなにお金持ってないしよく考えたら買うのはパンツだけじゃなくてブラジャーもだろうしというか前回も考えなしに限界まで使っちゃったしどうすれば――」
日和さんが凄い早口で何かを呟いている。
「あー……日和さん? 雲が欲しいって言ったヤツを買えばいいんじゃないか? あと、雲のサイズは小学生だしブラはいらないぞ」
「そ、そっか。それならみんな納得だよね!」
「お、おう?」
納得って……何が?
「それで予算オーバーなら、その分を私が出せばいいわけだし!」
「いやそこは断って下さいお願いします!」
三十分ほどすると、二人が手を繋いで出てきた。うーん、姉妹にしか見えないな。
「はい、お釣り」
「ホントに助かったよ。ありがとう日和さん」
俺ではあの中に入る勇気が無く、雲の下着は入学前に日和さんが選んでくれた下着を洗濯ローテーションで間に合わせていたのだ。これで余裕ができる。
「お礼と言ってはなんだけど、このお釣り貰っていいよ」
「む、ムリ!」
突っ返された。やはりお金みたいに分かりやすい形はダメか。もっとさりげなく、かつ日和さんの気持ちに応えられるようなお返しを考えなければ。
「――さて、俺たちの目的は果たせたぞ。日和さん、どうする」
「あ、じゃあ……私に、付き合ってもらっても、いい……?」
「無論じゃ」
「ああ」
おずおずと申し訳なさそうな上目遣いの日和さんだが、その表情はどこか嬉しそうだ。やはり買い物が楽しみなのだろう。
俺と雲は、足取り軽い日和さんに先導されるままエスカレーターで一つ上へ。
その階はレディースファッションのエリアで、いくつもの服屋が並んでいた。
今まで意識しなかったが、改めてこうやって見ると壮観だな。十以上の服屋が並んでいるなんて、競争率はどうなっているのだろうか。
「それでも利益が出るくらい、沢山のお客さんが来るからだよ」
確かに、土曜日という事もあってかどのお店もお客で溢れている。一日の来客数がどのくらいなのか、少し気になる。
「日和さんがよく行くお店はあるのか?」
「あまりこだわりは無いけど……カナと一緒に行くお店があるの」
友達と買い物か……。俺は長らくしていないな。
「男の子には、面白くない場所かもしれないけど……」
「まあ、その時はその時だな。微力ながら、コメントができるかもしれないし」
「うん、よろしくね。――あれ? よく考えたら、明星君の前でオシャレを決めないといけないの……? 物凄くハードル上がった気がする……」
「ん? 日和さん、何か言ったか?」
「いいいいいいや何にも!」
「そっか? ならいいけど……」
そこまで敏感に反応しなくても。もしかして、コメントされるのは嫌なのか……?
「さ、ここだよっ」
疑問は残ったが、もし嫌なら少なからず表情に出るだろう。その時は、当たり障りない感想で逃げるとするか……。
「わぁ、新しい服出てる。この前来た時は無かったのに……。――あ、こっちのも可愛いっ。――これもいいけど……まだ半袖は寒いかなぁ」
入店した瞬間から、日和さんは物色に忙しい。すっかり没頭する彼女に、俺も雲もただ後ろからついて行くだけだ。
「ひより……楽しそうじゃのう」
「ああ。何つーか、生き生きしてるよな」
俺はファッションなんてからっきしだし、服だってこだわりなくサイズが合ったモノを適当に買うだけだ。試着すらしない事も多い。だから、日和さんが新鮮に見えるし、こっちまで楽しくなってきてしまう。
周りを同じ気持ちにさせてしまう。これって、彼女の最大の長所ではないだろうか。
「は〜、新商品が沢山のあって、色々悩んじゃったよ」
ホクホクとした顔で、何着かの洋服を両手に持つ日和さん。
「それ、買うのか?」
「……ちょっと、お金足りないかな……あはは……」
むう、確かにそうか。今の俺でも、それ全部買うとなったら少し躊躇う。
「でも、試着はできるだろ? してみれば?」
「いいの? ここまで、結構時間掛かっちゃってるのに……」
時計を見ると、もう正午を回っている。これはそろそろ、我が家の座敷童が空腹を訴え始める頃「きら、わしは腹が減った」……期待を裏切らないなお前。
「もうちょっとガマンしなさい。日和さんがまだ買い物してるんだから」
「ごめんね雲さん、もうちょっとだけ……いいかな」
「ふむ、ひよりの頼みじゃ。待ってやろうでないか」
何でお前、日和さんのお願いは素直に聞けるんだよ。
「あ、持つよ」
日和さんの両手には、ハンガーのフックが沢山。疲れるだろう。
「あ、ありがとう……」
「いいっていいって」
試着室の前まで移動し、服を日和さんに渡し返す。
「じゃあ、ちょっと待っててね」
日和さんがカーテンを閉めると、ガサゴソと中で音が。……な、何も聞こえてないからな……!
「売り物にも関わらず、こうして着る事が許されるのじゃな」
「まあ試着っていって、貰えるワケじゃないけどな。試しに着るだけだ」
「それでも、現代は何かと太っ腹じゃのう。そのまま着て、逃げる事も可能じゃろうて」
「……物騒な事言うなよ」
「わしが生きた時代の話じゃ。ま、ひよりがするとは思わんがの――ひっ!?」
「当たり前だろ――ってどうした?」
雲が途中で変な声を上げ、
「――うおわっ!?」
俺は謎の衝撃で前方に弾き飛ばされた。
「ぐふぅ……!」
何かにぶつかったおかげか、倒れずには済んだが、……何で壁が柔らかいんだ?
「き、明星君……?」
『きらが消えおったぞ!? きら!?』
すぐ耳元で、日和さんの声。少し離れた所から、くぐもった雲の声。……いやまさかね?
視線を上げると、
「どうしてここに……?」
混乱しつつも顔真っ赤な、上半身下着な日和さん。しかも右手が、豊満な胸をブラ越しにわし摑み。……柔らかすぎな。
――ってやっぱここ、更衣室の中か!
「ごめんホントごめん! わざとじゃないんだ! 俺にも分からないけどわざとじゃないんだ!」
若干怪しい日本語で弁解すると、そのまま外に出ようとする。
「――待って!」
「はい!?」
だが何故か、日和さんが俺の腕を掴んで引き止めた。まさかそこまで怒ってらっしゃる!?
ビンタの一つは覚悟した俺だったが、
「……今は出ない方がいいかも」
出てきたのは予想外の一言。
「……?」
「ほら、外で……」
俺が閉まったままのカーテンの向こうに耳を傾けると、
『――お嬢ちゃん、どうしたの? 迷子?』
『きらが消えおった!』
『きらっていうのは……パパかママの名前?』
どうやら、店員さんが雲が迷子になったと思って話しかけてきたみたいだ。
「今明星君がここから出たら、変な目で見られちゃうよ……」
「日和さん……」
着替え中に突撃した俺に怒りもせず、さらに名誉まで守ろうとするなんて……。泣けるレベルでいい人すぎる。俺はせめてもの気持ちで、目を閉じた。
相変わらず外からは、雲と店員さんの微妙に噛み合わない会話が聞こえてくる。
『――何を言うておる? きらはきらじゃ』
『えっと……その“きら”さんはどこに行ったの?』
『知らぬから困っておるのじゃ!』
『えーっと……じゃあ、お店の中で良かったら、一緒に探してあげよっか?』
『いや、わしはここを動きとうない。きらは必ず、戻ってきてくれると信じておるからの』
『そ、そっか。でももし困ったら、すぐに言ってね?』
そう言った店員さんが、離れていく気配がする。
「……もう平気かな?」
日和さんが手を離した瞬間、自己最速の動きで更衣室から出る。
「――きら!」
その直後に、雲が顔を輝かせて飛びついてきた。その衝撃でバランスが後ろに傾き――これ以上罪を増やしてたまるか!
何とか堪えると、雲を下ろした。
「きら、何処に行っておった!」
「あー……ちょっと天国に」
「はあ?」
「いや何でもない」
「すまんかったの。わしが佇むこやつに驚いて、きらを突き飛ばしてしまったせいで」
雲の後ろには、背の高いマネキンが。……なるほどね。真横に立つこれの存在に驚いて、思わず俺を突き飛ばしたって事か。
「よもや、きらを昇天させてもうたとは思わなんで……」
「いや、俺死んでないから!」
――それから試着を終えた日和さんに、もう一度謝罪。……最近、こんなんばっかりだな。
「もういいってば……。雲さんがビックリしてやっちゃった事なんだし、私も気にしないから。お互い忘れよ……?」
物凄い優しさ。だが、流石に俺の中の罪悪感が消えない。
「――ところで日和さん、一番気に入った服とかあった?」
「え? うーん……これかな」
そう言って日和さんが持ち上げたフリルシャツとスカートを掴むと、俺はレジに向かう。
「き、明星君!?」
慌てて追いかけてくる気配がしたが、今回ばかりは無視。
「――これ下さい」
「こちらですね〜? 七千八百円になりま〜す」
「ななせ……!?」
後ろで日和さんが何か息を飲んだが、気にせず一万円札を置く。
「お買い上げありがとうございま〜す!」
紙袋に入れてもらったそれを、立ち尽くす日和さんに差し出す。
「迷惑かけたお詫びと……雲に付き合ってくれたお礼。これで許してくれとは言わないけど……一応俺からの気持ちって事で」
「そんな……貰っちゃっていいの? 私なんかが……」
「そのために買ったんだからさ。喜んでくれると俺も嬉しい」
「うん……っ! 嬉しい……っ! 人生で一番嬉しいかもしれない! 本当にありがとう!」
泣き出しそうな笑顔で、紙袋を抱き締める日和さん。大げさだなぁ。これまでの行いを振り返ったら、むしろ足りないくらいじゃないかと思うけど……。
買い物を済ませた俺たちは、遅めの昼食としてミラクルエイジに向かった。
「いらっしゃいま――お、ひよにモクっち! ときらっち!」
何というついで扱い。
ちょっと傷ついたので、お返しにからかってみる。
「カナさんのバイト姿がどんなか、冷やかしに来――」
「アタシがフォークを投げるから、きらっちは的ね」
「すみません冗談です」
分かればよろしい、とカナさんは取り出したフォークを置いた。……まさか本当にフォーク投げようとするとは思わなかった。
「ララさんは?」
「さっきまで忙しかったから、今はアラウンド中。ホールには出られないと思うよ?」
うーんそっか。挨拶したかったんだけどな……。こうして外出の予定が無ければ、あまり立ち寄る機会も多くない。せっかく顔と名前を覚えてもらったんだ。色々訊いてみたい事はあったが、今回は諦めるか。
「さっきのお礼で、ここは私が奢るね」
いきなり日和さんが、とんでもない事を言い出した。
「いやいや! あれはこれまでのお詫びって意味なんだから、ここで奢られたら意味無いって!」
「でも今日、私全くお金使ってないもん。明星君に払わせるのは申し訳ないよ」
「――ん?」
「いやだったら割り勘でいいじゃん。日和さんが全額負担する必要は無いって」
「――んん?」
「でも――」
「ヘイちょっといい?」
並行する説得合戦に、カナさんが割り込んだ。
「二人共、いつから名前呼びになったの?」
「「……あ」」
「何何何何? え? どういう事かな〜? きらっちが買ってあげたって何を? ひよの持ってる紙袋それ何? お姉さん、詳しく聞きたいな〜」
超絶楽しそうな笑顔を浮かべて、カナさんがにじり寄る。
「い、いや、ちょっと色々あって……」
「ははーん……。もしや、一線超えちゃった?」
「「超えてない!」」
「にゃはは〜、息ピッタリ!」
カナさん、絶対からかってるな……。これからしばらくは、このネタでいじられる覚悟をした方が良さそうだ……。
「――ありがとね、きらっち」
唐突に、カナさんが俺だけに聞こえる声で言ってきた。
「ネガティブになったひよを、励まそうとしたんでしょ? ひよ、全然自分に自信持てないから……ナイスアイデアだと思うよ? だから、ありがと」
「お、おう……」
なんだ、カナさんには全部お見通しって事か。もしかしたら、同じような心配をしていたのかもしれないな。
「ま、今日はひよ達がお客さんだからね。アタシは仕事をしまーす。――あとひよ、キリないから支払いは割り勘にしなさい」
「うう……分かった」
カナさんは一つ咳払いをすると、
「はい、三名様ご案内〜」「メニュー決まったら呼んでね!」「お冷置くね。おかわり欲しかったら、遠慮なく言ってね〜」「そんじゃ、ごゆっくり〜」
……いや、普段通りすぎるだろ。あの咳払い何だったんだ。
「ところでもしかして、今日は三人でデートでしたかな?」
「ぶっ!?」
「カナ!?」
歩み去ったと思ったカナさんが不意打ちでそんな事を訊いてきた。
「お〜その反応、まさかホントに?」
「ちち違うよ! そんなじゃないし……」
「はいはいその反応、変わんないね〜。――時にモクっち」
「何じゃ? わしはおむらいすが良い」
「はいオムライスね〜。――それと、モクっち的にはどうなの? 兄妹って言っても歳の近い男女なんだし、意識しちゃう事あったりしないの〜?」
世間話大好きなおばちゃんか! あと、実際は全然歳近くないけどな。俺の方が年下なんだよなぁ。
「きらはきらじゃ。わしには恋愛は分からんが、きらは好いておる。――いつか子作りできたら良いのう」
お前いきなり何言っちゃってんの!?
「雲さん!? 子作りっていきなりすぎるよ!?」
「そこまで驚く事かのう? 仲の良い男女が互いに求め合う。その末にあるのは子作りであろう? きらとひよりは違うのかえ?」
「違うだろ!」
「ち、ちが……違いますっ!」
「ひよ、一瞬迷った?」
「ま、迷ってなんかないもん!」
「まーモクっちの考えは、少子化の現代日本には必要かもね〜。誰が実行するかはともかく」
一瞬、カナさんがこちらを見た気がした。
雲が生きてきた時代は、どういった恋愛だったのだろうか。きっと今のように、一目惚れで付き合ったり些細なケンカで別れるような事は無かったのだろう。雲に感化されたワケではないが、俺もそういう恋愛がしたい。結婚――とまでは行かなくても、それに匹敵するくらい、強い絆の恋愛を。
「――ささ、二人も早くオーダー決めちゃってよ! こう見えてアタシ、忙しいんだから!」
「じゃあ立ち話とかしてる場合じゃ……」
「あん? きらっち何か言った?」
「……何でもないです」
昼食とデザートのケーキを食べ終え、ミラクルエイジをあとにして自宅へ戻る。
「――雲さんが実は大胆だったなんて、知らなかった……」
「何がじゃ?」
帰り道、先ほどの会話を思い出したのか日和さんが頬を染めながら呟いた。
「だって、いきなり子作りとか言い出すんだもん……」
「わしは器用ではない故な、思っておる事をそのまま言うてしまうのじゃ。本心を、じゃ」
「じゃあ雲さんは、明星君と子供を作りたいの……?」
言い方が生々しいな。
「今は、と言うておらんじゃろ。わしは、きらと共におられればそれで良い」
「そっか……」
日和さんには分かるハズもないだろうが、雲のその言葉にはそれ以上の意味が込められている。俺は三百年孤独を耐えた雲が、やっと見つけた存在なのだ。
「きらがおるだけで、わしは救われておるからの」
恥ずかしい。が、受け止めなければならない。
「――ふむ、しかしわしも、きらとの確かな繋がりが欲しいのう」
「は?」
いきなり、座敷童が変な事を言い出した。
「どうしたんだよいきなり」
「明確に、心に残せる繋がりが欲しいのじゃ」
何だそりゃ。そんな事、今さら気にするようやヤツじゃないだろお前。
「で、どうしたいんだよ」
「鈍いのう。――ほれ、ちと耳を貸さんか」
雲が手招きするので、疑問を持ちつつしゃがんで耳を寄せる。
「――んっ」
「あ……」
だが聞こえてきたのは、日和さんの小さな漏れ声。と頬の湿った感触。
――コイツまさか!
バッと雲を見やると、
「くふ、今はこれで我慢するぞい。――唇は、きらが全てを受け入れた時、かの……?」
悪戯っぽく笑う雲も、心なしか顔が赤い。ぐ……まさかコイツが、こんな事をしてくるとは……。
「照れておるかえ?」
「照れてない!」
「くふ、くふふっ……」
「笑うなよ! お前のせいだろ!」
「安心したぞい。きらはまだ、わしを見てくれておる」
「何だよそれ……」
“まだ”って何だ? お前、心に何を抱えている?
「――さて、帰ろうぞ。ひよりの母君も、待っておろうしな」
さっき雲は、本心しか話せないと言った。それは間違いないだろう。そういう性格だから。――だが、本心が必ずしも、“思っている事”とは限らない。本人でも気付けない、いやあえて気付かない想いも、あるのかもしれない。
本日四月三十日月曜日は、平日だが授業は無い。
何故なら今日は、
「きら! 行くぞいよこはま!」
「何でお前起きてんの!?」
自由遠足の日なのだ。
いつもより早めに設定した目覚ましを止めて一階に下りると、雲がワンピースを着て立っていた。そんなバカな……。いつもは朝食の匂いに釣られて起きてくるコイツが、俺より早く起きるなんて……。どんだけ楽しみなんだよ。
「早う飯じゃ」
「でも偉そうなのは変わらないのな……」
朝一番で脱力して、朝食の準備を始める。
日和さんに教わって少しレパートリーを増やしたが、毎日が自炊だとまだ足りない。何とかアレンジとローテーションで保たせたい所だ。
――朝食を食べ終わると、私服に着替える。
雲がワンピース姿の通り、今日は私服で構わないそうだ。まあ、学校で授業受けるワケじゃないからな。
準備を終えてノンビリまったりしていると、
ピンポーン、と電子音。
俺たちはモニターを確認せずに玄関に向かう。誰だか分かっているからな。
「――おはよう、明星君、雲さん」
「おう、おはよう日和さん」
「おはようじゃ」
扉の向こうにいたのは、日和さん。いつしか我が家へ迎えに来るのは、疾風から日和さんへ移り変わっていた。「楽しくなりそうでよかったね、明星」という疾風の意味深な微笑みが、妙にイラっときたのは秘密だ。
日和さんの私服は、以前お泊まりした次の日に買ってあげたフリルが付いた長袖シャツと膝丈のプリーツスカート。
「せっかく買ってくれたから、着てきちゃった……。どう、かな……?」
はにかみながら上目遣いで訊いてくる日和さんは、それだけで破壊力抜群だ。自覚は無いだろうが、全ての嘘を封じ込めるような力を感じた。なので、正直に答える。
「凄く似合ってるよ。本当にお世辞抜きで」
「……嬉しい」
今度は視線を下げて、頬を染めた。……これはヤバいな。
「――いつまで話しておる。かなが怒るぞい」
玄関を出た雲が、若干冷めた目でこちらを眺めた。
「それは困る。すぐ行こう」
「カナが怒ると、変に暴走するもんね……」
いやぁ、カナさんの存在って凄いな……。あと怖い。
いつも別れる十字路に到着すると、すでにカナさんと疾風が立っていた。
「遅い!」
怒られた。
「罰として揉んで欲しいのか? ああん?」
「ごめんカナ……。お弁当作ってきたから許して」
「許す!」
早いな! まあ、本気で怒っていたワケではなかったのだろう。腕組みをして満足そうに頷くカナさん。
「じゃあ行こうか。一回学校に寄らないといけないしね」
疾風が言う通り、一度学校へ行って点呼を取ってもらわないといけないのだ。一応出席確認という事で。
徳巡学園の正門で福田先生を見つけると、それぞれ名前を告げる。
「えーはい。五人確認しました。それでは行ってらっしゃい」
ものの十数秒で終わると、福田先生は他の生徒の点呼に移った。
「……これ、このまま帰ってもバレないよな……?」
「きらっち、そーゆー事言わない」
「サボろうと思えば、遠足なんていくらでもサボれるからね。それを含めて、楽しむのが遠足じゃないかい?」
地味にいい事言いやがる。何もツッコめなかった。
――学校を出て最寄りの駅へ向かいながら、ふと思った。
……雲って、電車見た事あるのかな。少なくとも俺は、一緒に電車に乗ったりはしていない。
「な、何じゃこれは!? 何故このような巨大な箱が動いておる!?」
うわあテンプレ反応。
「……モクっち、電車見るの初めてなの?」
「うむ……これが“でんしゃ”とやらか……にわかには信じがたいのう。こんな物が軽々と動くとは」
「……ふーん」
怪しんでいるなぁ。ここからどう弁解したモノか……。
「――元々、沖縄には電車が無いからね」
上手い言い訳が思い付かないでいると、疾風がそんな事を言い出した。
「どゆ事? かぜっち」
「正確には、モノレールが一本走ってるだけなんだよ。雲ちゃんは移動中寝てばっかりだったから、電車を知らなくても無理はないんじゃないかな」
「へー。それならまあ分からなくもないか。――きらっちはどう? 電車ビビった?」
「……いや、俺は今日が初めてじゃないし」
「ぶー、つまんなーい。そこは腰抜かすくらいのリアクションしてくれないと〜」
「カナさんは俺に、何を求めてるんだ……」
「芸人魂?」
「答えなくていいから! てかそんなの求めてたの!?」
それから電車に乗り、運良く全員並んで座れた直後、
「ほほう……景色が流れていきよる……」
座敷童が窓から離れない。まあ、そうなるよな。行動が子供のそれそのものだ。
「雲さん、外を見る時は靴を脱がないと。誰か通る時に、当たっちゃうよ」
そしてこっちはもう母親そのものだ。俺としては、負担が減るのでありがたい。雲も、日和さんの言う事は素直に聞いてくれるからな。
「…………」
横浜まではおよそ一時間。どんな遠足になるのか、今から楽しみだ。
『次は〜横浜、横浜でございます』
車内のアナウンスが流れ、俺たち以外にも、降りる準備をする人が目立つ。
「やっと着いたか〜」
普段電車に乗ったりしないので、妙に身体が凝ってしまった。
適当にほぐしながら駅の出口へ向かおうとすると、
「きらっち、どこ行くの?」
「どこって……横浜着いたじゃん」
まさか別の出口か? 大きい駅には、出口が複数あると聞いた事があるし。
だがカナさんが放った言葉は、そんな予想を遥かに超えてきた。
「まだ電車乗るよ?」
「……は?」
カナさんの話では、目的地は横浜駅の最寄りではなくその隣、桜木町という駅らしい。というより、観光名所の多くは横浜駅の近くに無いらしい。……意味が分からん。
という事で、改めて桜木町駅に到着。今度こそ駅を出て、ロータリーに立つ。
「……広っ」
まず驚いたのが、その広さだ。何かイベントを行うのかという必要以上の広さ。
「はいはい、そういう田舎者反応いいから。置いてくよ?」
カナさんが冷たい。いいじゃないか、新鮮な反応しても。
「まずはランドマークタワーね。なるべく朝の天気がいい内に見ておきたいんだから!」
さっさと歩き出してしまったカナさんに、土地勘ゼロの俺はついて行くしかない。
エスカレーターを登った先には、空港でよく見る歩く歩道が。
「ランドマークタワーはこの先だからね〜」
カナさんに続いて歩道に乗るが、……凄くフワフワした、変な感じだ。
「きらっち、上見てみ?」
カナさんが人差し指を上に向けたので釣られて見上げると、
「……うわ」
ガラス張りの屋根越しにそびえ立つ、恐ろしく高いビルが視界に飛び込んできた。
「たっけぇ……。何階建てなんだコレ……」
横を見ると、日和さんも雲も同じように見上げ口をポカンと開けていた。……俺含め、何だか間抜けな光景だな。
「――と、歩道終わったぞ二人共」
俺たちが見上げている間にも、当然歩道は動き続けていたので、気が付けば終点だ。危うくコケそうになりながら雲と日和さんに告げると、
「__むわっ!?」
「__わわっ!?」
残念ながらこっちはコケた。
「ちょっ――」
バランスを崩した日和さんを慌てた支えると、同じく崩した雲を空いた右腕で受け止める。
「おお、きらっち凄い。――でもそこは邪魔だからこっちに来てね」
褒めつつ、俺をズルズル引っ張って道の脇へ移動させる。ふ、服が伸びる……。
「あ、ありがとう明星君……」
「あー、気にしなくていいよ」
久しぶりのフニフニを味わってしまったのだ。顔を見るのも恥ずかしい。
「……何故わしは腕なのじゃ」
片手間みたくなったのが不満だったのか、雲が頬を膨らませた。
「だってお前、軽いじゃん」
「うっ……」
しまった。つい思った事を言ってしまったがために、隣の心を折ってしまった。
「……決めた。私、ダイエットする! 明星君に片手で受け止めてもらえるくらいに!」
何やら決意を固めたようだが、
「……ふぅ〜ん」
どうやら俺と同じ事を思ったらしいカナさんが近寄る。
「決意表明したトコ申し訳ないけどさぁ、――こーんな胸持ってるくせにダイエットとか、ぶっちゃけ意味ないよ?」
恐らく女性としての憎しみ込みなのだろう。日和さんの胸をツンツンつつく。
「あぅ、か、カナ……くすぐったいってば……。そ、それにこれは私が何かしたわけじゃないし……」
「だから憎いのだ! 何か裏技があるなら試すのに!」
「だ、誰か助けて……」
カナさんも、やっぱり心は乙女なんだな。胸を大きくするために試行錯誤するカナさん……。申し訳ないが、想像したら笑えてきた。
「ま、アタシがこれを揉みしだける特権を持ってるワケだし、それでガマンするか!」
「そんな特権ありませんっ!」
日和さんも大変だなぁ……。
ランドマークタワー展望フロア行きへのエレベーターがあるドアをくぐり階段を下りると、券売機が。やはりタダでは乗せてくれないらしい。
「高校生は――八◯◯円……って高っ」
エレベーターに乗るだけでこの値段か……。ぼったくりじゃないだろうな。
「明星、今から乗るエレベーターには、そこらのエレベーターとは比べ物にならない技術が結集して作られた代物なんだよ? お金を払うのは当然だよ」
そうは言ってもな……。エレベーターはエレベーターだろう。
「乗れば分かるよ」
そう言って疾風は、発券されたチケットを受付の女性に持って行った。ここで納得できないのが、地方勢の性なのだろう。
エレベーターに案内され、扉が閉まる。
「このエレベーターは、最高速度分速七五◯メートル。時速にして四五キロという速度で地上二階と六十九階、およそ二七◯メートルを約四十秒で結ぶエレベーターです」
係員の人がそんな説明。
いやいやいや、速すぎだろ。ロケットか。
見上げると、本来階下表示がされる場所に、スピードメーターがある。その数値が、あっという間に最高速度へ達する。そしてすぐに減速。
そんな説明を受けている間に、エレベーターは停止し扉が開く。
本当に一分足らずで着いてしまった……。
「ぃやっはー絶景!」
「ここは初めて来たけど、これは凄いね。お金払った価値あるよ」
カナさんと疾風は、早速目の前の窓に張り付いた。
「ほう……なんという高さか……。人がここまで空に近付けるとはのう……」
雲は雲で、表情が無くなるほどに感動している。江戸時代出身からしたら、まさに天変地異だもんな。
……で、問題なのはこの人。
「…………」
顔面蒼白な日和さん。エレベーターから出た位置から微動だにしない。
「日和さん、もしかして……高所恐怖症?」
「う、うん……。高い所はホントにダメで……」
実際に景色を見たワケでもないのに、この状態だ。これは相当に重症だな……。
「私の事は気にせず、明星君も景色を楽しんで来てよ……。私はここにいるから……」
確かに絶景を堪能したい気持ちもあるが、それ以上にせっかく来たのに待ちぼうけは可哀想だ。
「日和さん、ちょっとだけでも見てみないか? お金払って来たんだし、勿体ないだろ?」
「でも……」
「……まあ、無理にとは言わないけどさ」
「……じゃあ、手を繋いでいてくれる……? それなら、少しはガマンできそう」
「う、分かった」
差し出された手を、そっと握る。まさかいきなり、手を握る事になるとは思わなかった。……それ以上のハプニングを巻き起こしている事は秘密。
ゆっくり、一歩一歩窓ガラスへ近付く日和さん。まるで断頭台に上がる死刑囚みたいな表情をしている。俺、余計な事言ったかもなぁ……。
ようやくガラスの目の前に到達した日和さんは、一度目を閉じて大きく息を吸い込む。それから目を開けた。
「――わあ……」
眼前に広がる大パノラマには、言葉にできない迫力と感動がある。日和さんも、高所恐怖症を忘れて見入っている。……と思ったが、握った手は指先が白くなるほど力がこもり、視線は絶対に真下を見ないように必死に堪えている。
……何かごめんよ日和さん。
真下に見える、米粒より小さい人やミニチュアみたいな車は中々面白いのだが、彼女にそれを勧めるのは酷すぎる。こうして景色を見ていられるというだけでも、日和さん的には御の字なのだろう。
「――あれ? ひよが外見てる!? 高所恐怖症じゃなかったっけ?」
グルリと一周したらしいカナさんが、疾風と雲を従えて戻ってきた。
「あ、カナ……。――そうだけど、一人じゃないし、少しでも克服できればと思って……」
「ほーん。きらっちパワーのおかげか!」
何それ強そう。
「じゃあその力を信じて、ステップアップだ! ――ひよ、あそこに赤レンガ倉庫あるでしょ?」
高所は全く平気らしいカナさんが、右側に見える赤レンガ倉庫を指差す。
「次はあそこに行く予定なんだけど、そこに通じる道を辿ってみ?」
「?」
疑問符を浮かべたまま、日和さんはカナさんの指先を追う。ついでに俺も。
「そしたら自然にほら……真下が見られるのだ!」
どうでもよかった! 凄いドヤ顔するから何があるのかと思ったが、全然大した事なかった。
そう俺がツッコもうとした直前、
「…………」
日和さんが音も無く膝から崩れ落ちた。
「おわっ!?」
手を繋いだままの俺は肩が抜けそうになり、
「ちょ……ひよ!?」
流石のカナさんも慌てて日和さんを支えた。
「ひより、した!?」
「東風、大丈夫かい?」
雲と疾風も心配して覗き込んだ。
「……うん。大丈夫」
放心状態の日和さんがそう応えるが、心がこもっていない。感情ゼロなのが怖い。――そしてその目から、涙が一筋。
「日和さーん!?」
「ひよ!?」
「ひより!?」
俺たちが三者同様に驚き慌て、
「あらら……。とりあえず、降りようか」
日和さんを支えてエレベーターへ向かったのだった。
――ランドマークタワーのエレベーターから出ると、そこはランドマークプラザという隣の建物。出口は別の場所なんだな。
心配そうな係員さんの視線で見送られた俺たちは、ひとまず近くのベンチに日和さんを座らせた。
「――ひよ、ホントごめん! 調子乗った!」
すぐに、カナさんが両手を合わせて頭を下げた。
ようやく回復した日和さんは、優しく首を横に振った。
「大丈夫だよ。――カナの暴走は今に始まった事じゃないし」
「うっ……」
……実は少しだけ根に持っているのかも?
「ちょっとビックリしちゃっただけだから、もう平気! 心配してくれてありがとう」
「ホントにごめんね?」
「もう……気にしないでってば。これで雰囲気が悪くなる方が、私は嫌だよ?」
そう言って日和さんは、カナさんを優しくハグした。
「ひよ……。心の友よ!」
ハグ返し。
「ふふっ、カナ、苦しいってば」
ハグする二人を見て、俺も安心する。
――気をとり直して、ランドマークタワーをあとにする。
次に向かうのは、さっきカナさんが言った、赤レンガ倉庫らしい。歴史的に有名、というくらいしか知らない俺は、どんな所なのかも何をする所なのかも分からない。
試しに疾風に訊いてみたが、
「それを自分で理解するのも、醍醐味の一つだろう?」
と言われた。……便利だなその言葉。
みなとみらい大通りを歩き、左手に日本丸という船が見えた頃、
「――ごめんね、明星君」
隣を歩く日和さんが突然口を開いた。
「何が?」
「私のせいで、結局全然景色見てないでしょ……? せっかく上ったのに……」
言われてみれば、確かにそうだ。反対側からは富士山とか見えたらしいが、俺は見ていない。
「――本音を言えば、確かに残念だった」
「そうだよね……」
「でもそれ以上に、日和さんが景色を少しでも楽しんでくれたなら、俺はそっちの方が嬉しかった」
「明星君……?」
「日和さんを見捨てて景色を見る事もできたっちゃあできたけど、それじゃ意味ないだろ? 遠足は皆で楽しむ。これが鉄則だと思うからさ」
「……ありがとう。スッキリした」
それなら良かった、と前を見ると、
「言う時は言うねぇ、明星」
「名言いただきました!」
疾風とカナさんが楽しそうな笑顔でこちらを見ていた。
「……忘れてくれよ?」
「いやいや、こんな素晴らしい言葉を忘れるなんて僕にはできないなぁ」
「右に同じ!」
この二人は……!
「むむむ……。――決めた!」
突然、カナさんが俺を指差した。
「今のきらっちの名言を、“スーパーきらっちスペル”と命名する!」
「絶対に嫌だ!」
「賛成」
「お前も乗っかるな!」
不名誉な必殺技みたいな命名を受けた所で、俺たちはみなとみらい大通りを外れて汽車道という板張りの道を進む。
文明開化で初めて汽車が走った道らしい。なるほど板に埋め込まれた線路が、その名残なのだろう。
「風が気持ちいいね〜」
「こうして海を見られる日が来るとはの。かな、感謝するぞい」
「いやぁ〜、どういたしまして! どうよ、横浜の海は? 沖縄と違う?」
「ふむ……良く分からんが、思ったより透き通っておるの」
「へー。アタシそんなに関係ないけど、神奈川県民としてありがとう!」
凄ぇ。奇跡的に会話が噛み合った。
だが実際、思ったより水は綺麗だ。大都市の側で港の中だから、少なからず濁っているかと思っていたのだが、たまに魚を発見できるほどに透き通っている。神奈川を甘く見ていた。
ふと振り返ると、そこには相変わらずの存在感を放つランドマークタワーがそびえ立っている。あそこから見た時はジオラマ程度の大きさだったのに、こうして歩くとやはり距離がある。人間ってやっぱり凄いな。
「――イェーイ! モクっち号発車だー!」
「心得た!」
……で、あれは何をやっているんだ?
雲とカナさんが、線路の中心を走っては戻るを繰り返している。
「“せっかく線路があるんだから、普段できないしやらない電車ごっこをノリでやるべきだ”って始めたみたいだね。雲ちゃんはよく分かってなさそうだけど」
……何だそりゃ。
「カナさんのハイテンションはいつも通りだけど、今日は遠足補正がかかってるのかもね」
「何だよ遠足補正って」
「遠足補正とは、普段行かないような場所に仲良しグループで行く事によって起こる心身の上昇を指し――」
「それっぽい解説せんでいい!」
「人が親切に教えてあげようとしているのに、不親切だなぁ、明星は」
殴るぞお前。
「カナさんもなぁ、遠足だからってはしゃいで、まるで子供みた――」
「お詫びのジュースをスローイン!」
いきなり振り向いたカナさんが、小さめのペットボトルをぶん投げてきた。
「――いっで! カナさん何すんの!?」
咄嗟に差し出した右手で何とかキャッチできたが、衝撃でジンジン響く。
「ちっ……ナイスキャッチ!」
「今舌打ちしなかった!?」
「それはひよのだからね! さっきのお詫びに買ったんだから!」
……じゃあ何で俺に投げたし。普通に本人に渡してくれよ。
不満を持ちつつ、日和さんにペットボトルを手渡す。
「ありがとう、カナ。――ごめんね、明星君……大丈夫?」
「マジ天使なひよは許してくれたけど、やっぱし自分が許せないからね! それ一本で許せとは言わないケド」
「ううん。気にしてくれたの、凄く嬉しい。カナ、大好き」
日和さんはペットボトルを胸に抱くと、慈愛に溢れた微笑みを浮かべた。
「…………。……気にすんなっ」
あ、カナさん照れた。
「さあさあ赤レンガ倉庫に到着到着! アタシの話はどうでもいいでしょ!」
照れたカナさんはレアだし、もうちょっとからかってみたい気もするが、気の毒だし海に突き落とされそうだからやめておこう。
赤レンガ倉庫は倒壊した一部を除いて、最低限の補填だけをした明治当時の建物をそのまま使用しているらしい。
なので資料館か歴史館を予想していたのだが、入ってビックリ。雑貨屋さんが並んでいた。
流石に狭い室内では、両サイドにお店が連なり奥には飲食店もあるようだ。
「…………」
「きらっち、面白い顔してる」
すっかり元通りのカナさんが、ケータイで俺の顔を撮影。
「よし、保存」
「いや消してくれよ!?」
「このアタシが、わざわざ遠足で勉強を組み込むと思ったかね?」
「いや全然」
「……即答されると、ちょっと蹴っ飛ばしたくなるけどそれはいいや」
ちっとも良くないぞ。
「“皆で楽しく!”がアタシのモットーだからね。――ここでご飯食べるんだから、混む前に席取っちゃうよ! ほらほらレッツゴー!」
「わっ……引っ張らないでよカナ」
「ひよは迷子にならないように、アタシがエスコートしてあげるよん」
「大丈夫だってば……」
カナさんのあの切り替え方は、立派な長所だよな。過去は過去と割り切って接してくれると、こちらとしてもありがたい事が多い。特にカナさんは、このグループのムードメーカーでありエンジンでもあるからな。……あとトラブルメーカー。その辺は割り切らずに改善して欲しい。
運良く丸テーブルを確保できた俺たちは、そこで日和さんのお弁当を開く。
飲食店が並ぶ中で持参のお弁当を食べるのはルール違反ぽいが、
「ここのお店は各々がしのぎを削り合ってる。その味よりも、東風の料理が上だって考えればいいんじゃないかな?」
なるほど。そう考えれば周囲の視線も痛くないな。
「五人いるから、そこまで沢山無いけど……召し上がれ」
相変わらず色とりどりで美味しそうだ。色合いで食欲をそそるのも、俺にはできない技術だな。
少しだけでも料理するようになった今なら分かる。鮮やかさも勿論意識したのだろうが、それ以上に野菜多めに適度の肉類。栄養バランスがシッカリと考えられている。
栄養が偏らないようレシピから考え、美味しい味付けに仕上げ、それから綺麗に盛り付ける。……料理って、ただ作るだけじゃないんだな。奥深いし、ララさんや日和さんが『楽しい』という気持ちも分かる気がする。
「いただきま〜す!」
手を合わせたカナさんは、容赦なく数が多くない唐揚げを頬張る。
「む……わしもいただく!」
その横で雲も、負けじと箸を掴んだ。
ってオイ、この二人が本気出したら、絶対に等分しないよな……?
「く、負けてられるか!」
こうして日和さんの料理を食べる機会は少ないんだ。充分に堪能したいじゃないか。
「……これは、僕らの分は残らないかもね?」
「あはは……」
弁当箱を蹂躙する三膳の箸に、疾風が肩をすくめた。控えめな日和さんも、作った側として苦笑いするだけだ。
「――日和さんも食べろよ?」
俺は箸をひっくり返すと、弁当箱のフタに適当におかずを取り分ける。
「わ、ありがとう……」
「むぐむぐ……きらっち紳士じゃん!」
いや、だって本当に無くなりそうなんだもん。
「明星、僕には盛ってくれないの?」
「お前は何だかんだで、ちょいちょい食ってるだろ!」
疾風はちゃっかり、競争率が低い、それでも美味しいサラダを咀嚼している。
「僕は明星みたいにがっつけないから、お腹いっぱいになるか不安なんだ」
「ケンカ売ってんのかお前!」
「まさか。明星が暴力振るわないのは知ってるし、これでも評価してるんだよ? 幼馴染の戯れだと思って流してよ」
「…………」
俺は乗り出しかけた身体を戻した。このタイミングでそんな事を言われては、怒りも引っ込んでしまう。
「――さてライバルが減った所で、僕も食べようかな」
「かぜっちナイス! 今の内だモクっち!」
「うむ! 分かっておる!」
ってしまった! 作戦通りかあの野郎!
「――ごちそうさまでした!」
嵐のような昼食が終わり、
「好評だったみたいで良かった。でも、凄い勢いだったね……」
弁当箱を片付ける日和さんは、終始喜びと驚きを交互に見せていた。
「まーでも、ちょっと物足りないかな〜。もうちょっと食べたい」
カナさんが言う事はもっともだ。
日和さんのお弁当はかなりの分量があったが、それはあくまで平均的な話だ。俺、雲、カナさんという面子が揃っているこの五人では、分量不足は否めない。
「まあ、そのための飲食店だからね」
そう言って疾風は、周りを目で示す。……食事のついで扱いとか、お店が可哀想だな。間違っていないが。
「さっきあっちに、美味しそうなアイスがあったんだよね〜。ぜひとも食べたいしきらっちヨロシク」
「流れるようなパシリ!?」
「文句ある?」
「いやあるよ! あるけど……もういいや」
こうなったカナさんが動く気ないのは、もう分かっている。
「アタシはバニラね〜」
「僕はミント」
「わしはきらと共に――」
「あ、明星君、私も一緒に行くよ」
「日和さん? いや、一人でも大丈夫だぞ」
「五個持つのは大変でしょ? 私は向こうで決めたいし、ちょうどいいよ」
「うーんそっか……。なら、お願い」
「うんっ」
やっぱり日和さんは優しいな。こうしているだけで、負担が減るからありがたい。――俺が離れた後、あんな会話が繰り広げられたとは知らずに。
「よしよし……作戦通り。きらっちをパシリに出せば、ひよは必ずついて行く。こうすれば自然に、二人の距離は縮まっていくのだ!」
「カナさん、意外と策士だね」
「これなら同時に、きらっちの反応も楽しめるしね!」
「……わしも、きらと共に決めたかったのじゃがな」
「まあまあいいじゃん! モクっちはずっと一緒だったんだからさ、たまにはひよに譲ってあげなよ!」
「……“ずっと一緒”ではないのじゃがな」
「ん? モクっち何か言った?」
「何も言うとらんぞい」
デザートを食べた後は、赤レンガ倉庫を出てすぐの海辺で休憩。波も穏やかで、平和な空気だ。
「――おー、でっかい船が停まってんな」
少し離れた停泊場に、とてつもなく巨大な客船が停泊していた。近くを進む漁船が可愛く見える大きさだ。
「おや……あれは有名な豪華客船だよ」
珍しく疾風が、驚いたように声を上げた。
「え、かぜっちマジ?」
「うん、日本の会社が所有する船だけど、世界一周料理したりする船だよ。旅行プランにもよるけど、最低でも百万はする気がしたよ」
「最低百万って凄いな……」
誰が乗るんだよ、そんな船。
見れば、近くにいる人達も高級そうな服をまとっている気がする。……きっと俺たちには、永遠に縁が無い世界なんだろうな。
「――のう、はやて」
「何だい、雲ちゃん」
「あの船は、外へ向かうのかえ?」
「外……? ――ああ、そうだよ。多分だけど、あれは外国へ向かう」
「ほう……。わしもいつかは、赴いてみたいものじゃ。どんな世界が広がっているのか、心が躍る」
そういえば江戸時代は、鎖国だったんだっけ。海外に行く、なんて考える事すら無かったんだろうな。考えそのものが異端扱いだったらしいし。
そんな雲が、海外に興味を持った。もう、コイツは単なる“江戸時代出身の座敷童”じゃないのかもな。
腹ごなしの休憩をした後は、
「次に行くのは中華街!」
へ移動。
『サークルウォーク』という珍しい円形の歩道橋を渡り、みなとみらい線馬車道駅へ向かう。
「さっきは汽車道で、今度は馬車道駅か。……紛らわしいな」
「実際には似て非なる物だけどね」
疾風に言われなくても分かっている。ちょっと思っただけだ。
「“きしゃ”は知らんが、馬車は知っておるぞ。馬が重い荷を運ぶのじゃろ?」
「それ荷車……」
「ぶふっ……! モクっち面白すぎ!」
「……わし、何か間違った事言ったかのう……」
「ま、間違ってないよ。カナがいきなり笑うのがいけないんだから」
「えっ? 私が悪いの?」
「雲さんは真剣だったんだから! それを笑っちゃダメっ」
「……はーい」
……何だこの光景。
「――明星」
突然、疾風が顔を寄せてきた。
「何だよ」
「分かってるだろう? 天然な雲ちゃんに口止めをしてない現状、かなり怪しまれてるよ」
「……どうしろってんだよ。入学式で本当の事話したんだぞ?」
「あれから一ヶ月経った。もう一度話してもいいんじゃないかな?」
「受け入れてもらえなかった時、雲を孤立させたくない。――分かってくれ」
「……それが、明星の答えなんだね?」
「ああ」
「分かった。じゃあ僕も、雲ちゃんのためにできるだけ協力するよ」
「……助かる」
駅に到着した俺は、みなとみらい線が地下鉄だと知った。
事実として知ってはいたが、本当に地下を電車が走るんだな……。
「崩れたらどうするんだ……」
思わず漏れた独り言を、
「それ、建物が倒れるのと同じ心配だよ? 普段学校で、そんな心配する?」
逃さず拾うカナさん。
「しないけど、地下って逃げ場ないじゃん」
「建物が崩れても、落ちて助からないよ?」
「……オーケー分かった。俺の負けだ」
どうやら俺の不安は、カナさんにとっては常識のようだ。疾風や日和さんからも同意が無いという事は、つまり神奈川での常識なのだろう。初めて現代に放り込まれた雲の気持ちが分かった気がする。
みなとみらい線に乗り込み、目的地である終点、元町・中華街駅で降りる。平日の午後だが、観光客らしき人がかなり多い。
駅を出て少し歩くと、『街華中』と黄金色の文字で書かれた門が見えてきた。“朱雀門”というらしい。
「ほほう、何とも絢爛な門と通りじゃな。美味そうじゃ」
「前後の発言おかしいからな!?」
だがまだ入り口であるにも関わらず、溢れる肉汁を彷彿とさせる匂いが漂ってくる。座敷童の意識が食べ物に持って行かれたのも分かる。
「ここは中国の街並みをモチーフにしてるんだよ。――雲ちゃんには、清国って言えば伝わるかな?」
「清国! 聞いた事があるぞい。我が国の隣で栄える、文明大国じゃな?」
「そうそう。ここは、その未来の姿だと思えばいいよ」
「うむ、心得た。どうりで美味い匂いがすると思うた」
「だから話繋がってないから!」
ダメだ。この座敷童、すでに目が肉になっている。
「きら! 金をよこせ!」
「そのセリフ、完全にカツアゲだぞお前!」
輝く笑顔で手を差し出す雲に、
「ぶっふっ……! ぷくっ……! モクっち面白すぎ……!」
カナさんはツボり、
「く、雲さん、皆で一緒に食べようね……?」
日和さんは周囲の視線を感じてアワアワしている。
「ひよりが言うのであれば仕方あるまい……。――ならば早う向かうぞい!」
「く、雲さん引っ張らないで……」
早速近くのお店に突撃する雲と、引きずられる日和さん。立場的にどっちが姉か悩ましいが、相変わらずこの二人は姉妹みたいで微笑ましいな。
「これは美味そうじゃな!」
「えっと……これ二つ下さい」
「――明星、眺めてる所申し訳ないけど、東風がお金払っちゃうよ?」
「なっ――それを早く言え!」
疾風の言葉で我に返り、日和さんが財布を取り出したタイミングで、
「俺が払いますハイ千円!」
店員さんに千円札を手渡した。
「え、はい……お預かりします……」
若干店員さんに引かれたが、日和さんに奢らせるよりはいい。
「明星君……? 別にこのくらい良かったのに……」
「そうもいかないだろ。日和さんはお弁当も作って、それをご馳走になったんだ。これ以上は、俺自身が許せない」
「明星君……やっぱり優しいね」
「……日和さんには負けるよ」
「私は……ただ弱いだけだよ。明星君みたいに強くないもん」
「強さは関係ないだろ。ぶっちゃけ、日和さんの優しさに甘えてる部分もあるからな……。――お前にも言ってるんだからな、雲。……雲?」
いやに静かな座敷童を見下ろすと、
「――うむ、美味かった」
注文した小籠包二つを、頬張り飲み込んだ所だった。
「ってそれ、一個は日和さんのだぞ!」
「ううん、お金払ったの明星君なんだから、明星君のだよ」
「もうよいわ。決まらん内に冷めては勿体無かろう。故にわしが頂いたのじゃ」
「「…………ぷっ」」
何という無茶苦茶な自論。だがそのせいか、お互い謙虚に言い合っているのが馬鹿らしくなってしまった。
「……ここは、自分の分は自分で買うって事でいいか? 雲の分は俺が払う」
「……うん、そうだね。そうしよっか」
改めて中華街を歩く。キチンとした飲食店も多いが、さっきのように食べ歩きできるよう出店販売もまた多い。
それと同時に見かけるのが、
「手相占い、盛んなんだな」
中国事情は詳しくないが、至る所に手相占いのお店が点在する。手軽でかつ明確に分かるから、やりやすいのかもな。
「手相かぁ……ちょっと見てもらいたいかも……」
俺はこういった迷信的なモノは一切信じないが、やはり女の子としては気になるのだろうか。日和さんが自分の手を見つめる。……右手だけど。手相って左手だろ。
「やへときはよ、ひよ。ひほは運ないんはし、落ひ込むはけだって」
……何て?
小籠包を頬張るカナさんが、モグモグ喋る。
「でも、せっかくの機会だし……」
え、通じたの!?
「ほっちへもいいけど、オフフヘはひないほ〜。――ングッ……美味しかった。――どーせ、きらっちとの相性とか結婚線とかが気になっ「わーわーわーっ!」」
うわビックリした。日和さんがいきなり大声出すなんて、どうしたんだ?
日和さんはカナさんの肩を掴むと、目をグルグルさせながら軽く揺さぶる。
「カナ!? 余計な事言わないで!」
「ありゃ〜、図星だとは思わなかった」
「ウソだよね? 絶対分かってたよね!?」
「まあ絶対に脈なしってワケじゃないんだし、あとは自分の努力次第なんじゃない? 占ってもらうほどの関係でもないっしょ」
「それは……そうだと嬉しいけど……」
「ハイおしまい。――きらっち」
カナさんが、日和さんの肩越しに俺を見た。
「ドジで鈍臭いけど、アタシの親友をよろしくね」
「カナ!」
「お、おう? よく分からんが、分かった」
仲良くしてくれって意味だよな? 何で今さら?
「だってさひよ。良かったね」
「もうカナ……私が悪かったてばぁ……」
「ハイよろしい」
……今の勝負だったのか? 女子ってよく分からんな。
そしてあと一人の女子はというと、
「ならばわしを占ってもらうかの」
占い師のおばちゃんの前に座った。
「おい雲――」
止めようかと思ったが、やめた。
「明星、これは見ものだね」
隣の疾風も、いつものポーカーフェイスの端々に楽しさが滲み出ている。
知っての通り、雲は江戸時代の座敷童だ。ここまで一緒に過ごして、それはとっくに確信へ変わっている。つまり、占いにおいて雲ほど特殊な相手はいないのだ。加えて、何にも動じないマイペース。面白くなりそうだ。
「これは不思議なお嬢さんだね。じゃあ左手を出して」
雲が差し出した左手を、占い師のおばちゃんはそっと手に取る。
「お……おおお? 何だいこれは……」
おばちゃんはかなり驚いた声を上げると、雲の顔を見た。
「お嬢さん……何者だい? この手相から、普通じゃない何かが感じ取れたよ。とてつもない、壮絶な過去を経験してないかい?」
「ふむ……無いとも言い切れんのう」
俺は言葉を失っていた。あるだろう、お前には。『死』という誰もが経験する、しかし語る事は不可能な過去が。
「わたしは今まで何人もの手相を見てきたけど、お嬢さんみたいな……ハッキリ言うと、得体の知れない存在は初めてだよ」
「褒めておるのかえ?」
「褒めてはないね。わたしは占い師だし嘘がつけないから、正直に言わせてもらっただけさ。――過去は触れられたくもないだろう。これからを話すよ」
ここまで来ると、続きが気になる。俺も耳を傾ける。
「――必死で自分をアピールしな。お嬢さんの生命線、一度途切れてるのさ。年齢的には、二十歳前って所かね。誰かに必要とされるような、そんな人間になる事だね。誰か一人でもいい。自分がここにいると、その想いを届かせるようにね」
「うむ、忠告、痛み入る」
「お嬢さん、気に入ったよ。是非また、顔を見せておくれ」
「心得た。心に約したぞい」
「お代はいらないよ。今後の人生、目一杯生きるんだね」
流石は占い師なのか、明確な事は何も話してくれなかった。だが、このおばちゃんは本物だろう。手相でそこまで分かるのかよ。
「ふむう、難しい話は苦手じゃ……」
――雲のこれから。何が起きても、冷静でいられる覚悟を持つべきかもしれない。
翌日、雲の起床時間はいつも通りに戻った。く……やはり遠足補正がかかっただけだったか。毎日あれだけ準備を完璧にしてくれたら、どんなに楽か。
「ふあ……良い匂いがするのう……」
雲のパジャマは浴衣に変わった。流石に着慣れているだけあってか、帯紐はキチンと結ばれてはだける事もない。
これなら、毎朝慌てる事なく用意ができる。
「頂くのじゃ」
「いただきます」
朝食を終えた直後に、俺は雲の制服を持って背後にスタンバイ。羞恥の薄さは相変わらずなので、着替えの時は所構わず脱ぐ。特に朝は、コイツのマイペースっぷりに磨きがかかるのだ。
雲が浴衣を脱いだ瞬間に、制服のシャツを着せる。こうすれば、スッポンポンの雲を見る時間が少ない上に着せやすい……って、スッポンポン?
「お前パンツはどうした!?」
「昨晩は気分が乗らなかった故、脱いだ」
「気分でノーパンとかやめてくれます!?」
「最近暑くなってきおったし、脱いだ方が、涼しかろう?」
「……まあ、確かに」
――って納得するなよ俺!
「パンツは履け! 日和さんも同じ事言うぞ!」
「……むう」
日和さんの名前を出した瞬間、雲は大人しくなった。ありがとう、日和さん。そして勝手に名前使ってごめん。
「……きらは、良うひよりの名前を呼ぶのう」
「ん、そうか? それは、日和さんが優しくて優秀だからだろ」
「……わしよりもか?」
「何を比べるかにもよるだろうが、生活力なら日和さんが圧倒的に上だな」
勿論、俺よりも。
「……わしとひよりなら、どちらを取る?」
「は? そんなモン選べるかよ。大体お前が座敷童ってんで、一緒に住んでるんだろ」
「わしが座敷童でなければ……共にはおらんと?」
「そこは何とも言えない。だって、お前は一度死んでるんだからな。――まあもし幽霊みたいな登場されたら、お祓いしてたかもしれん」
「……それは冗談にもならんぞい」
「悪かったって。お前は今、こうして一緒に暮らしてるんだ。それでいいだろ?」
「……うむ」
最近、雲はこうして日和さんの名前を出すと拗ねる時がある。ケンカでもしたのだろうか。今日、訊いてみようかな。
ところがいつまで経っても、日和さんが迎えに来ない。電話してみたが、繋がらない。
「……どうしたんだ?」
そろそろ遅刻のデッドラインだ。
「来ないのであれば仕方なかろ。寺子屋で待つとしようぞ」
雲の言う通りだ。寝坊かもしれないが、もしそれで俺たちが遅刻したら彼女がどんな顔をするか……簡単に想像できてしまう。
諦めて家を出て、いつもの集合場所へ向かう。
当然疾風とカナさんは来ていて、
「遅い! 遅刻ギリギリになっちゃうでしょ――ってひよは?」
「うちに来なかった。電話にも出なかったし……カナさんにも連絡きてないのか?」
「うん」
「疾風は何か知らないか?」
「どうして明星やカナさんに連絡しないで、僕に連絡が来るんだい?」
……それもそっか。
「まあひよの事だし、疲れて寝坊とかでしょ! 先に行っちゃおう!」
付き合い長いカナさんがこう考えるんだし、きっとそうなのだろう。何だかんだで、昨日は結構歩いたからな。
やはりギリギリの時間に教室へ到着すると、すぐにHRが始まった。俺の隣は、空席。
「せんせー、ひよ――東風さんはどうしたんですかー?」
HRが終わった後、カナさんが手を挙げて訊ねると、
「えー東風さんは風邪でお休みです」
という返事が来た。
「ひよ、風邪だってさ」
「うん、聞いた」
先生が出て行ってすぐに、四人で集まる。
「もしかしたら、昨日の疲れが出たのかもね」
「だよねー。体力ゼロのひよには、ちょっと厳しいプランだったかなー」
やはり原因があるとしたら、昨日の遠足だろう。カナさんの予想が、悪い方に外れてしまったのか。
「ひより、おらんのかえ?」
「ああ。すぐに治るようならいいんだけどな……」
あまり身体が丈夫そうには見えなかったし、長引かないか心配だ。
「――お見舞いに行こう!」
暗いムードが漂う中、カナさんが声を上げた。
「うん、それはいいアイデアだね。風邪を引くと余計人恋しくなるし、きっと喜ぶんじゃないかな」
「だよね! アタシらの元気を分けてあげれば、すぐに良くなるハズだよ!」
うわぁ、超精神論……。
「……きらっち、何さその目は。嫌なら行かなくていいけど?」
「いや行く。俺も心配だし」
「うん、そう言うと思った。きらっちパワーで、風邪なんかパパッと退治しちゃってよ!」
カナさんの、風邪に対する考え方が凄い。本気で考えてそう。
「しかし……この人数で押しかけては、迷惑ではなかろうか?」
突然、雲がらしからぬ事を言い出した。
「……どうしたんだ? 何か変なモンでも食ったか?」
「わしはきらと同じ物しか食っておらん」
「例えだよ……真面目に返すな」
「病に伏しているのであれば、あまり騒ぐのも良くなかろうて。最も仲の良い、かなだけ向かえば良いと思うがの」
「ん〜平気じゃない? 単なる風邪みたいだし、そんな悪化する事ないでしょ」
俺も同意見だ。いきなりそんな事を考慮するとは、一体どうしたんだ?
「お前、日和さん心配じゃねーの?」
「……心配しておるに決まっておろう! じゃから、ひよりの為に……。ひよりの……為?」
激昂から一転。何かを思案する雲。
「――やはり、皆で向かうが良いじゃろう」
「だよねモクっち!」
コイツは今、何を考えたんだ? らしくない事を口にする座敷童に、そこはかとない違和感を覚えた。
「……わしは、何を思うた……? ――いや、しかしひよりにそれは……」
放課後、一度スーパーへ寄ってリンゴを幾つか購入。それから日和さんの自宅へ向かった。
毎朝我が家へ迎えに来てくれる日和さんだが、逆に俺は日和さんの家を知らなかった。カナさんに案内されて着いた場所は、距離的には我が家と学校の間。つまり、日和さんは一度反対へ向かってから登校するという事になる。……申し訳ないな。
日和さんの家は、ベランダ付きの一軒家だった。ただ、うちと違って花壇があり、色とりどりの花が咲き誇っていた。……ベランダがあるのは羨ましいな。洗濯物干すの大変なんだ。
「きらっち、準備はいい?」
「……何の?」
「どーせきらっちは、クラスメイトの女の子の自宅にお邪魔する機会なんて無いと思うから。心の準備」
「……そんな事は、ないぞ」
「あ、ウソだ」
「ウソじゃねーし!」
「はいはい、余計な見栄は張らなくていいからね〜」
ぐ、ぬ……。
一通りからかったカナさんは、インターホンを押す。
『……はい』
しばらくして出たのは、少し元気の無さそうな日和さんの声。
「宅急便でーす!」
いやウソつくなし!
『ちょっと、待ってて下さい』
ああホラ、日和さん信じちゃったじゃん。
「お見舞いは、サプライズ!」
「それっぽい言葉でドヤ顔しない! 相手は病人なんだから!」
「――はい、お待たせしました……」
そこで出てきたパジャマ姿の日和さんへ、
「皆の元気を、お届けに参りましたー!」
「ひゃああああ!?」
カナさんは大声で挨拶。
「か、カナ……? それに明星君に皆も……」
「お見舞いに来たよん」
「え? あ、ありがとう……」
いまいち状況が飲み込めていない様子の日和さん。……カナさんが悪いな。
「えっと……とりあえず、上がって……?」
「お邪魔しまーす」
カナさんに流される日和さんに促され、中に入れてもらう。
「日和さん、ご両親は?」
って父親は確か単身赴任中だっけか。
「お父さんは、北海道だし……。お母さんも、パートがあるから出掛けちゃった」
「ひより……独りだったのかえ?」
「うん、よくある事だから」
そう答える日和さんは、無理をしているようにも見える。
「でも、来てくれてありがとう。やっぱり一人で、寂しかったから……」
「うんうん、そうじゃないかと思ったんだ!」
日和さん――というよりはカナさんが先行し部屋の前へ。
「ここがひよの部屋でーす!」
うんまあ、『ひより』という可愛らしいネームプレートが掛かっているし、誰でも分かる。
「えっと、どうぞ」
日和さんがドアを開け、中が少しだけ見える。うーん、ファンシーさが漂ってくる。
「…………」
何となくでここまで来てしまったが、日和さんの部屋か……。緊張するな……。
「ホレ、変な所でチキンハート発動させてないで、入った入った! 後ろつかえてるんだから!」
そんな俺の背中をカナさんが押し、倒れるように入室。
黄色いカーペットに、ピンクのカーテン。棚にはファンシーなぬいぐるみが何体か鎮座し、中心の丸テーブルにも可愛らしい装飾が施されている。
まさに、『女の子の部屋』だ。
「おや、東風らしい部屋だね」
「ほー、何とも面妖じゃな」
ここに立っているだけで、メルヘンな気分になりそう。
「あ、あんまり見ないで……」
カナさんに「病人は寝る!」とベッドに寝かされた日和さんが、恥ずかしそうに目で抗議してきた。
「日和さん、熱は?」
適当に腰を下ろし、気になっていた事を訊く。
「もうほとんど引いたから、明日には学校行けると思うよ」
一度は寝かされたものの、身体を起こした日和さんはほぼいつもの声だ。
「やっぱり、昨日の遠足?」
「うーんどうだろう。お医者さんには、疲れが溜まったせいで免疫力が落ちたからって言われたけど」
それは間違いなく、遠足が原因だろう。……俺が巻き起こしたハプニングが原因じゃないよね?
「もうちょっと電車使うプランにすれば良かったよねー。ごめんひよ」
責任を感じているのか、ペコリと頭を下げるカナさん。
「ううん、多分遠足だけが原因じゃないから。自分で体調管理をしなかったせいだと思う」
「ひよならそう言うと思ったけどさー。アタシは謝ったからね。ひよはもっと、周りを頼ってもいいんじゃない?」
カナさんは俺を親指で示すと、
「あそこには最高のパシリがいるんだし」
「パシリじゃねーし!」
「じゃあひよに何かを頼まれたら?」
「……引き受ける」
「ハイパシリ確定」
な、何故か論破された……。
「ところでひよ、電話したのに何で出なかったの?」
「電話?」
日和さんはキョトンとすると、枕元にあったケータイを手に取った。
「……あ、電池切れてる……」
オイオイ。
「なーにやってんの!」
「い、今充電するね」
「いやいや、今から充電しても遅いでしょ! アタシらここにいるんだから!」
「た、確かに……」
それでも一応充電する日和さん。――というか、カナさんがツッコむとは……。レアなモノ見た気がする。
「まったく、心配したんだからね!」
「あ、ホントだ。不在着信が十三件……一つは明星君だけど、残りは……」
日和さんはチラリとカナさんを見やる。
「……心配したんだから!」
そっぽを向くカナさん。
「ふふっ、ふふふっ……ありがとね、カナ」
「美しい友情だね」
「だーもう! あんまり言うと怒るからね!」
カナさんの顔は、隠せないほど赤い。今日はずっと一緒にいたハズなのに、いつの間に電話したのだろうか。もしかしてケータイいじっているように見えたの、あれがそうなのか?
「きらっち、それ以上考えたらパンツ投げるからね!」
そう言ったカナさんは、タンスの前にスタンバイ。一番上の棚に手をかけた。何でパンツ!?
「そ、それ私のだよ!」
「知ってる。ひよじゃあるまし、この場で脱いで投げるワケにもいかないっしょ?」
「私だってそんな事しないもん!」
「でも去年くらいに、寝ながら暑い暑いとか言いながらパジャマ脱いだじゃん。あれはビビったよ?」
「そ、それは……私覚えてないし、寝てたからノーカウント!」
カウントの問題か……? それに日和さんの寝相、あの日限定じゃなかったんだな……。
「東風、意外と大胆なんだね。奥手と鈍感で希望なしかと思ってたけど、ひょっとしたらチャンスあるかもね」
「ほ、ホントに? ――って小鳥遊君! 余計な事言わないで!」
「いや、僕は夜の東風がどれほどなのか詳しくは知らないけど、それを日中でも生かせればいい武器になると思うよ」
「そ、そうかな……?」
「むしろそれが使えないと、かなり苦労しそうだよ?」
「さっきからお前は何を言ってんだ! ――日和さん、できればあれは表に出さない方がいいぞ?」
「お? “あれは”って事は、きらっちも体験済み?」
「……え?」
しまった。ツッコミのついでに余計な事を……。
「わ、私、明星君に何しちゃったの……?」
日和さんは、不安と羞恥と好奇心がない交ぜになったような表情だ。
「アタシも聞きたいね〜。――ちなみにアタシの時は、パジャマを脱ぎ捨てて無駄に巨乳をアピールしてきたからちょっとムカついた」
「カナ!」
後半感想じゃん。
「明星、これで答えないのは卑怯者だよ?」
お前……! 被害ないからって楽しみやがって……!
「あー…………」
抱き枕にされましたと白状するのは簡単だが、どう考えてもそこから根掘り葉掘り訊かれる未来しか見えない。――それに、せっかくの機会だ。言っておきたい事もある。
「……どうして、一緒にいてくれるのかって言われた」
「え……?」
「大した取り柄も無いのに、カナさんのおまけみたいな自分とどうして一緒にいてくれるのか、みたいな事を言われた」
少し記憶が曖昧だが、大方間違ってはいないだろう。
「それ……ひよが言ったの?」
「寝言だと思うけどな」
それはつまり、本音だという事だ。何も防御しない、心の奥の声。
「……っ!」
カナさんは突然立ち上がり、日和さんを睨みつけた。
「ひよ……そんな事考えてたの? 自分はおまけだって、そんな事を?」
「それは……」
否定しきれないのか。いや、嘘をつきたくなかったんだろうな。『そんな事ない』と笑えば済む話を、そうしない。どこまでも優しい彼女らしいけどな。
「そんなワケないでしょうが! アタシは誰よりも、ひよを大切に思ってる! ずっと一緒に過ごしてきたひよは、一番の友達だもん!」
「カナ……」
「アタシはそう思ってる! ――でももしひよが違うんなら、今ここで言って! 正直に、隠さず、全部!」
感情を爆発させたカナさんは、
「……以上!」
もう一度腰を下ろした。
「――一応言っておくけど、僕もカナさんと同じ意見だよ。付き合いは短いけど、東風は自分が考えてるような低い存在じゃないよ。それは断言できる」
「俺もだ。前にも言ったと思うけど、俺は日和さんといたいしその方が楽しい。気の合わないヤツと、上手くやるほど器用でもないから」
「ひよが控えめなのは知ってるけど、ネガティブシンキングはナシ!」
しばらく黙っていた日和さんは、
「私……不安だっただけなの。皆いい人だから、どう思われてるのか気になって……。――でも違うんだね。不安だから一歩退くんじゃない。前に歩いて、自分で乗り越えないといけないんだね」
日和さんは一度目を閉じると、
「――私、皆が友達で良かった!」
今までで最高の笑顔を見せた。それは、他のどんな表情よりも魅力的に見えた。
「一件落着、だな」
「うん。――ねえ明星君」
「ん?」
「ありがとう。私、自分の弱さに逃げずに向き合えた。明星君の、おかげで」
「俺は何もしてないよ」
元々、話を振ったのはカナさん。立ち向かったのは日和さん自身だ。
「でも、ありがとう」
「……どういたしまして」
俺は気恥ずかしくなり、お見舞い品のリンゴが入ったビニール袋を手に取った。
「リンゴ剥くよ。台所と包丁借りていいか?」
「うん、どうぞ」
優しい微笑みと視線を背後に感じながら、俺は部屋を出た。
――この時、どうして気付かなかったのか。恐ろしいほどの、あの違和感に。
俺が台所でリンゴをカットしていると、
「せっかくだし、ウサギの形にしてみるか。……不恰好にならないといいけど」
「――明星」
名前を呼ばれて振り返ると、疾風が立っていた。無表情で、顔が少し青白い。……珍しいな。コイツがここまでポーカーフェイスを乱すなんて。
「どうしたんだ? つまみ食いなら勘弁してく――」
「雲ちゃんは、どこだい?」
「は?」
「明星が出ていった後すぐ気付いたんだ。……雲ちゃんは、どこに行った?」
「…………」
そういえば、途中から雲の声を聞いた記憶が無い。部屋に入った時、確かにいたのは、覚えているのだが。
「トイレとかじゃないか? アイツは空気なんか読まないし、もしくは勝手に他の部屋に――」
「調べたよ! トイレも他の部屋も全部、名前呼んで回った!」
疾風の奥から、カナさんが血相変えて口を開いた。
「雲さん、どこにもいないの……」
「じゃあどこに……」
いくらなんでも、この家から出るとは考えにくいが……。
「明星」
疾風の表情は、今までになく真剣だ。
「雲ちゃんは普通の女の子じゃない。三百年間で見えたのは、明星だけなんだろう? それならその逆も、もしかしたらあるんじゃないかい?」
「……いやいや、まさか……」
「事実、雲ちゃんはどこにもいない。そうとしか考えられないだろう?」
疾風は小さく首を横に振る。
「――雲ちゃんは、僕らの前から消えたんだよ」
「っ……! ふざけんな! そんな事あるか!」
反射的にそう叫びながら、俺は外に飛び出していた。
「ちょ……きらっち!?」
「雲さんが消えたって……どういう事なの、小鳥遊君!」
「…………ふぅ。もう隠しておく意味もないか。――二人共、よく聞いて欲しい」
――日和さんの家を出た俺は、まず近くを無作為に走り回った。
「雲……どこ行きやがった……!」
突然いなくなった事に動揺しながら、俺は同時にゾッとしていた。
疾風に言われるまで、俺は雲の存在に気付かなかったのだ。いつも隣にいたハズの、“当たり前”に。
「――明星君!」
曲がり角で、別方向から来た日和さんに呼び止められた。
「雲さん、いた?」
「……いや」
「そっか……。――小鳥遊君から全部聞いた。座敷童だって事も、……三百年前に、一度死んじゃったって事も」
「…………」
「本当……なんだよね?」
「真実は分からないけど、確信はある。アイツがウソを貫き通せるとは思えない」
「うん、私も、そう思う」
日和さんは一度目を伏せて、
「今、皆で手分けして探してるの。私は、病み上がりだし遠くに行くなってカナに言われたけど……――何か心当たりは無いの? 雲さんが行きそうな所とか……雲さんがいなくなっちゃった理由とか!」
「分からない……」
そもそも俺は、雲について詳しい事は何も知らないのだ。生意気。大食い。礼儀知らず。理解した気になっても、出てくるのはそんな特徴ばかりだ。それが今、何の役に立つというのだ。
「とにかく、私はもっとこの辺りを探してみるね」
「ああ。俺は雲と行った場所を、しらみ潰しに探してみる。もし見つかったら、電話してくれ」
「うん、分かった」
「でも、無理だけはしないでくれよ? これで日和さんが倒れたら、雲も自分を責めるかもしれない」
「明星君も……無茶しないでね」
「約束だな」
「うん、約束」
俺は日和さんと別れ、再び駆け出す。
まずは……学校だ。
徳巡学園に到着すると、すっかり葉桜になってしまった桜並木が出迎える。あの桜吹雪の一瞬が、幻だったかのような錯覚に陥る。
そんな暗い思考を振り払うと、正門の脇に控えている守衛さんに声をかける。
「……あの、ちょっといいですか……?」
「ん……?」
この学校に男子が、と一瞬警戒の色を見せた守衛さんだが、俺が制服を着ているのを見て納得したようだ。
「ああ! 何だキミか。どうかした?」
流石に二人なら、記憶に残るらしい。
「あの個性的な妹さんは元気?」
ありがたい事に、雲の事も覚えていて向こうから話を振ってくれた。
「あ、あの、実はその事で質問なんですけど……。アイツ、学校に来ませんでしたか?」
すると守衛さんはしばらく記憶を遡る仕草をした後、
「うーんいや……見てないね。校内へ入るにはここを通るしかないし、いたらすぐに気付いたと思う」
「そうですか……ありがとうございます」
俺は頭を下げると、踵を返した。
「あ、ちょっとキミ! 妹さん……どうかしたの?」
「いえ、何でもないです。――もし見かけたら、保護してくれますか? お願いします」
そう告げると、地面を蹴る。持ち場を離れられない守衛さんは、見送るしかないだろう。
……さて、次に向かうのはあそこだな。雲、お前はどこに行っちまったんだ?
――ドアを開けると、ベルがチリン、と音を立てた。
「あら明星くん、いらっしゃい。一人?」
出迎えてくれたララさんが、ニコッと笑顔を見せる。――ミラクルエイジだ。
「閉店時間ギリギリねぇ。間に合って良かったわ。――ここで食べるの? それともお持ち帰り?」
ミラクルエイジでテイクアウトができる事を初めて知ったが、今はそれどころではない。
「いや、今日はお客じゃなくて……雲、見ませんでしたか?」
「雲ちゃん? いいえ……うちには来てないわね」
「そうですか……」
ここにもいない、か……。
「待って。……何かあったのね?」
ララさんは、真っ直ぐ俺を見てくる。自分も協力すると、目が訴えている。
「……雲が、迷子なんです」
俺は座敷童云々は伏せて、雲がいなくなった旨を伝えた。
「そう……。もしかしたら、商店街の路地かもしれないわ。あそこは入り組んでいて複雑だから……」
「じゃあ今すぐそこに――」
ララさんは優しく首を横に振ると、
「そこには私が行くわ。道を把握していないと、明星くんも迷子になっちゃうかもしれないもの」
「……分かりました。すみません、ご迷惑をおかけして……」
「いいのよ。雲ちゃんは常連さんだし、これからもお店の売り上げに貢献してもらいたいの。――着替えたらすぐに行くから、明星くんは人目に付きやすい場所をお願いできるかしら。……何か心当たりがあるんでしょう?」
微笑むララさんに一礼すると、俺はミラクルエイジを出る。
心当たりは、無いワケではなかった。何の根拠もない閃きのカンだが、今の俺はそれに頼るしかない。
――やってきたのは、ショッピングモールだ。雲と、日和さんと、買い物をした場所だ。
まずは一番近くのフードコートを覗いてみるが、雲の姿は無い。店員さんに訊いてみたが、首を横に振られただけだった。
俺はエスカレーターを上ると、雲の浴衣を買った家族向けの服屋に入る。
そこまで広くない店内に、やはり雲の姿は無い。店の奥には、今朝雲が着ていた浴衣と全く同じ商品がハンガーに吊るされていた。
「ここでもない……!」
俺は店のブースを出ると、斜め向かいにあるランジェリーショップに向かった。
あれほど抵抗があったカラフルな世界に躊躇なく足を踏み入れると、疑問と警戒の視線を感じながらレジで雲について訊ねる。
「いいえ……。見てませんね」
だが、ここでの返事も芳しくなかった。
「迷子センターに連絡しましょうか?」
ありがたい申し出だが、いるかも分からない相手を呼び出すのはどうかと思うし、その間ジッと待っている事なんてできない。
「もう少し探して見つからなかったら、そうします」
俺はそう言ってお礼を告げると、次の場所へ向かった。
「――あとはここか……」
やって来たのは、日和さんの服を買ってあげたお店。
ここにいなければ、正直お手上げ。ここが最後なのだ。――俺と雲が同じ時間を過ごした場所は。思い出を共有した場所は。
「髪の長い女の子……?」
「見れば分かる長さです。小学生くらいの背で、話したなら変な言葉使うヤツなんです」
「いや……見てないですね」
「そう……ですか……」
ここでも、ない……。じゃあ、本当に雲は誰にも見えなくなってしまったというのか……。
俺が絶望しかけた時、
「そういえば、しばらく前にもいましたね。そんな女の子」
店員さんが不意に口を開いた。
「一人でいたので迷子かと思って話し掛けたら、『◯◯じゃ』とか珍しい口癖の女の子が」
「それです! その子です! どこにいましたか!?」
「す、すいません、見たのは今日じゃないんです……。二週間くらい前に、そこの更衣室の前で……」
と指差された更衣室は、いつぞやに俺が突撃してしまった更衣室だ。確かにあの時、雲は外で店員さんと話していた。保護しようとした店員さんを断り、変な事を言って――
「……あ」
突如、脳内に雲のセリフがフラッシュバックする。
『わしはここを動きとうない。きらは必ず、戻ってきてくれると信じておるからの』
そして、俺自身の言葉も。
『お前の居場所はこの場所、この家だ。もし何かに迷うような事があったら、ここに戻って来い。俺はいつでも受け止めてやる』
「……ああ」
そうか。そうだったのか。思い浮かんでいたカンや考えが、まとまってカチリとはまった。
――あるじゃないか。もう一ヶ所、まだ行っていない場所が。
「すみません、居場所、分かりました」
「え? あ、それは良かったです……?」
一人合点で置いてけぼりにしてしまったようだが、もうどうでもいい。
俺は再びダッシュでショッピングモールをあとにした。
「――よう、一時間ぶりだな」
「…………」
俺は佇む座敷童に、皮肉を込めてそう言葉を贈った。
――場所は、我が家のリビングだ。
夕陽の差し込むリビングで、俺と雲は対峙していた。まるで、初めてこの家に来た時と同じように。
「お前、今までどこに行ってたんだよ。探したんだぞ?」
「…………ふん、ぬかしよる」
雲の表情も口調も、冷たい。何かを押し殺しているかのようだ。
「突然いなくなったら、驚くだろうが」
「…………それが、どうした」
「どうしたってお前……、そんな言い方はないだろ。カナさん達も、心配して一緒に探してくれてるん――」
「誰がそのような偽善行為をせよと言うた!」
「な、ん……」
突然響いた雲の叫び声に、俺は言葉を失った。
「探す? 心配? 今更取り繕いおって……それで誰が救われるという! 姿を消した途端慌ておって。そもそもそちは、わしが消えた事に気付かんかったろうが!」
「それ、は……」
「所詮わしは、現代に生きる存在ではない! この口調も! 知識も! ……わしが劣っておろう?」
「それは、関係ないだろ。誰もそんな事、言ってないぞ?」
「言わんでも、感じ取れるわ。そんな世辞は聞きとうない」
「お前……! じゃあ、日和さんが言っても本心じゃないって思うのか――」
「――その名を出すでない!」
絶叫。耳を塞ぎ、雲は叫んだ。
「その名を聞くだけで、わしはおかしくなりそうなんじゃ……!」
「どうしたんだよ……。あれだけ慕ってたのに……。何があったら、そんな風に嫌えるんだよ……」
「違う……。ひよりが嫌いなのではない……。それは違う……」
違う、違う、と繰り返す雲。――もしかしたら、日和さんが、雲が見えなくなった理由と何か関係があるのかもしれない。
「違う……。ひよりは悪うない……。わしが……わしが……。所詮死人の分際で……」
ブツブツと呟く雲。
「…………!?」
なんと、突然その姿がユラユラと陽炎のように揺れるではないか。
まさか、これが消える合図……!?
「――雲!」
その直後、俺は雲を抱き締めていた。何の考えも無い、反射的だった。
「きら……」
触れる。まだ、雲はここにいる。
「雲、話してくれ。俺は、お前に消えて欲しくない。……もしウソだと思うんなら、それでもいい。――でも、何も分からないまま見えなくなるのは嫌なんだ!」
強く、抱き締める。絶対に、この温もりを逃してなるものかと想いを込めて。
「わしは……わしとて……きらと別れとうない!」
雲も、俺の背中に手を回して力を込めた。――やっと、雲の本音に出会えた気がする。
雲は、この場所に戻ってきたのだ。俺と出会って、俺がいるこの場所に。そう、約束したではないか。
「わしが……わしが悪いのじゃ! ――きらの前には、いつもひよりがおる。当然であろうな、あれだけ人となりができておれば。――いつからであろうか。わしの心に、えも言われぬ塊が生まれた。それは消える事なく、大きさを増していった。――わしはそれを無い物として、日々を過ごしておった」
雲が、突然俺のシャツを強く握り締める。
「じゃが……先ほど気付いてしもうたのじゃ。あの塊が……これが、ひよりを邪魔だと思う心じゃと! ――唐突に、二人は名で呼び合い始めた……。その程度で、わしは思ってしまう……。――きらは、ひよりを見ておる。それが憎いと、わしは思ってしまう……。――それに、気付いてしもうたのじゃ。大好きなひよりが、消えてしまえば良いと……」
段々と、雲の声が震え始める。
「わしは……一度死んでおる。こうして肉体がある故も、未だ分からぬ。――わしには! ……きらしかおらぬ。わしを認めてくれたのは、きらだけなんじゃ」
俺の肩が、濡れていくのが分かる。――雲が……泣いている。
「そんなきらがわしに背を向けたら……わしはどうすればいい? もう、ここに生きる意味も無くなってしまわぬか……?」
不安に押し潰されてしまいそうな、か弱い声。
「助けてくれぬか……きら」
それは、三百年生きたとか、座敷童とか、そんな事は関係ない。一人の少女の、心の底からの懇願だった。
「…………」
言葉で伝えても、恐らく心の奥深くまでは届かないだろう。それだけこの闇は、深い。
――それなら、だ。
俺は雲の肩を掴んで抱擁を解くと、その顔を見つめる。
初めて見る、雲の涙。全ての感情が溢れ出した、心から溢れた涙。……この顔を作ったのは誰だ? 誰の不甲斐なさが原因なんだ?
――男なら、責任を取らなければなるまい。
「…………雲」
「――んっ……!?」
俺は自分の唇を、雲の唇に重ねた。
――時間にすれば、ほんの一秒程度。だが永遠にも感じるキスを終えると、
「きら……?」
「前に……お前言ったよな。唇は、俺が全てを受け入れた時だって――つまり、これは……そういう事だ。俺の想いだよ。言ったろ? 受け止めてやるって」
早打ちし続ける心臓の鼓動を抑えるように、俺はぶっきらぼうに口を開く。
半ば放心の雲は、自分の唇をそっと触ると、
「これが、きらの答え……。――ああ……。救われた……。救われたぞい……。わしが生きる意味を、ようやく見つけられた……」
日和さんに負けじ劣らず、最高の微笑みを見せた。
――同時に俺は、雲の中で何かが弾け消え去ったのを感じた。
日和さんに対する……いや、もしかしたら誰からも認識されなかった頃から成長を続けたきた、雲の負の感情。
嫉妬――よりも遥かに重い、孤独への恐怖。雲の存在を支配していたそれが、確かに消滅したのを感じた。
「ずっと、一緒だ。俺は、絶対にお前を独りにはしない。人生を懸けて、約束する」
俺は、右手を真っ直ぐ差し出す。
「……うむ、約束じゃ。わしも、そちに何処までもついて行く」
雲も、右手を伸ばして指を絡める。
この確かな温もりが、俺と雲の絆だ。いつまでも、温もり続く限り。
「――雲さん!」
突然、リビングのドアを開けて日和さんが飛び込んできた。
「明星君が走って行くのが見えて、もしかしたらと思って来てみたの! 良かった……。また会えて良かったよぉ……」
雲にダイブして泣きじゃくる日和さんに、雲も戸惑う。
「ひより……。すまんかった」
「ううん。また会えたからいいの。もう、勝手にいなくなったりしないでね……?」
雲の謝罪には存在そのものの意味が込められているのだが、日和さんには伝わるハズもなく。涙を拭いてもう一度ハグ。
抱きつかれたまま倒れ伏す雲は、ゆっくり笑顔になる。
「まったく……わしは幸せ者じゃな」
「当たり前だろ、お前は幸せを運ぶ座敷童なんだ。お前がいるだけで、皆が幸せなんだよ」
「ふふ、そうじゃな。――のう、きら」
「ん?」
「これからも、変わらず宜しく頼むぞい」
「ああ、勿論だ」
笑い声が、部屋に漏れる。
俺たちの毎日は、幸せと幸運に溢れているのだ。それを胸に、今日を生きていく。
ひとしきりハグを終えた日和さんは、ケータイでカナさんと疾風に連絡した。ついでに、カナさんからララさんに見つかったと連絡してくれるようお願いする。
――五分ほどすると、
「モクっち!」
「雲ちゃん、見つかったんだって?」
カナさんと疾風がやって来た。
二人共息が上がっている。必死で探してくれたのだろう。
「かなにはやて……迷惑をかけた」
そして雲は土下座待機。……流石は江戸時代出身。違和感が無い。
「ちょちょ……そこまでしなくていいってば! ――ん? 待てよ?」
カナさんは一瞬慌てた後、何かを考える。それから、
「を上げい!」
何やら偉そうに口を開いた。
「……?」
つい反射的に顔を上げた雲の脳天に、
「――どぉっせいっ!」
チョップを振り下ろした。
「むぎゃ!?」
ベシャッと潰れる雲へ、
「今のでチャラ! 座敷童だか何だか知らないけど、早くいつものモクっちに戻らないと怒るからね!」
ビシッと指差した。
「か、かな……?」
「つまり、雲ちゃんはいつも通り、今まで通りに過ごして欲しいって事だよ」
疾風は疾風で、小さくデコピンする。
「元気出そう。難しい事情は、明星が解決してくれたみたいだしね」
「うんうん、モクっち顔が明るくなった! やるじゃんきらっち!」
「そりゃどうも」
どうやったとか訊かれる前に、話題を逸らそう。
「――皆、走り回って疲れただろ? お菓子出すから、ゆっくりしていってくれよ」
お菓子で思い出した。……ララさんはどうしたのだろう。連絡ついたのか?
「ララさんなら、ミラクルエイジに戻るってさ〜。またいつでも来てね、って言ってた」
そっか……。今度改めて、お礼に行かないとな……。
「――あっ。アタシ用事あるから、おやつはパス」
そして相変わらず、いきなりなカナさん。
「用事って何だ?」
「えっ……? きらっち、それ訊いちゃうの? もー、きらっちのえっち」
「俺が悪うございました!」
自分の身体を抱く仕草でこちらを見るカナさん。うんこれは深く踏み込んだらダメなヤツだな!
すると、疾風まで変な事を言い出した。
「僕もおいとまするよ。ついさっき、ララさんに呼ばれたからね」
ララさんに……?
「何でお前がララさんに呼ばれるんだよ」
「せっかくだから、閉店時のアラウンドを教えたいそうだよ」
「かぜっちは、ミラクルエイジでバイト始めたからね!」
オイ、初耳なんだが。
「……いつからだ?」
「一番最初は、四月の十日だったかな?」
「入学すぐじゃねーか!」
いつの間に……! 全然知らなかったぞ……。
「だからアタシも、そのフォローに行くのだ!」
……あれ? 疾風のフォローなの? さっきの恥じらい何だったの?
「細かい事は気にするな、以上! ――じゃね! ひよは体調に気を付ける事!」
「それじゃあお邪魔しました。――雲ちゃん、これからもよろしくね」
カナさんと疾風が帰ってしまったので、三人でお茶にする。
俺と日和さんは紅茶で、雲は緑茶だ。お茶受けは、物理的に雲が届かない場所に保管しておいた高そうなクッキー。両親が送ってきたモノだが、今日なら食べてもいいだろう。
ポリポリクッキーを食べながら、ノンビリとお茶をすする。ついさっきまで険悪な雰囲気だったのがウソのようだ。
「そういえば……雲さんが見えなくなった後、明星君はどうやって元に戻したの?」
そんなファンタジーな表現じゃないんだけどなぁ。さっき無理矢理話逸らしたのに。
「あーいや……それは……」
単なる好奇心なのだろうが、それを説明するのは……ねえ? 今思い出しても、どうしてあんな事ができたのか我ながら不思議だ。
「――接吻じゃ」
「お前はどうして正直に言っちゃうかなあ!?」
これだと、俺がただ勿体ぶっただけみたいじゃん!
「せ、せせせせせ接吻って何!? キスしたって事!?」
案の定身を乗り出した日和さんは、
「――あちゅっ!」
盛大にお茶をこぼした。
多少冷めていたから火傷はしないだろうが、それを首元から被ってしまえば少なからず熱いだろう。
「教えて明星君!」
って怯まないだと!?
日和さんはテーブルを乗り越える勢いで俺に迫ると、ジッと見つめてくる。
ち、近い……。それに、お茶がこぼれたせいで胸元が……。シャツに着替えただけの日和さんは、透け透けである。……黄色かぁ。
「騒がしいのう」
横で緑茶をすする雲。お前がこの原因だろうが。何で呑気にお茶飲んでんだ。
「ってかクッキー食いすぎ!」
恐ろしい勢いで、百枚以上あったクッキーを半分も減らした雲。
「三等分って知ってる!?」
「言うたじゃろ? これからも変わらず、と」
「あれってそういう意味だったの!?」
言葉通りすぎるだろ! もっと深い意味じゃなかったのかよ!
「雲さんがよく食べるのは、今に始まった事じゃないでしょ! それに、クッキーだったら私がいくらでも作ってあげるから!」
お、それは嬉しい。……じゃなくて!
「と、とりあえず離れてくれない……? 言いにくいけど、下着透けてる……」
「ふぇっ!?」
ああ、ようやく気付いてくれた……。これで少しは落ち着いてくれ――
「おおおおお教えてくれるまではこのままだもんっ!」
何で!?
「ひよりが、少々怖いのう……」
「じゃあクッキー食ってないで日和さん止めてくれ!」
「断る。これは美味い」
「人生懸けた約束がクッキーに負けただと!?」
「人生懸けた!? 明星君、雲さんと何したの!? それは高校生で許される内容なの!?」
「いや、ちょ、落ち着いて……。病み上がりなんだし……」
「風邪と交換なら安いものだよ!」
ダメだ……聞く耳持ってくれない。
俺は、遠い目で天井を眺める。
「はは……このよく分からん苦労も、幸せの内なのかね……。はぁ……」
【終】