オクタでさえも敗北した津西博士に、八幡はいったいどうするのか。
楽しんでいただけると嬉しいです。
『………………うっ』
ここは……どこだ。
体が重い。パワーアシストが切れて、スーツの重さが直接のしかかっている。
左腕の感覚もない。肩口から体の中に異物が入り込んでいる。何より、仮面が半分無くなっている。
……ああ、なるほど。オクタは負けたのか。仮面が破壊されて催眠機能が停止したのだろう。
「おや、まだ生きているとは。流石我が作品、実に素ン晴らしい生命力です」
『つ、にし……』
奴の声が聞こえる。
ひどい倦怠感と、時間が巻き戻るように傷が再生していく違和感を押しのけて、無理やり体を動かす。
なんとかうつ伏せになって、残った右腕でわずかに上半身を持ち上げると、奴の忌々しい顔を睨め上げる。
「しかし便利ですねぇ。この武器、我々の再生力を下げるような毒物がコーティングされている。姉の考案によるものでしょうが、よく作ったものだ」
……どうりで再生が遅いと思ったよ。
腕ごと抑制装置がなくなった今、俺の中のウィルスをコントロールするものは何もない。
だというのに、治るのはわずかな切り傷ばかりで、腕が生える様子も、肩からブレードが抜ける気配もない。
またそれは、抑制剤によって抑えられていた、ウィルスの中に眠る鬼の本能が目覚めるということでもある。
痛みへの怒り、憎しみ、破壊衝動、人間の血肉への飢餓感。
ありとあらゆる激情が頭の中で暴れまわり、今にも割れてしまいそうだ。
『クソッ、黙れ……!』
それを自分の理性一つで抑え込むことの困難さといったら、今にも投げ出してしまいたいほどだ。
さっきまでの戦いで相当深いダメージを負ったのか、オクタも全く目覚める気配がないのだ。
あいつがいなければ、俺は自分の体さえどうすることもできないというのに。
「理解に苦しみますねぇ。どうして自らの欲望を押さえ込んでまで人間などでいようとするのです。もはや我らは究極の存在、あのような数が多いだけの醜い群体生物に執着する意味がわかりません」
『テメェみたいな、頭のネジ全部外れたイカレ野郎と一緒にするな……!』
この手綱を手放したが最後、俺は自分がどうなるのかまるで見当がつかない。
壊れない自我である以上、俺という意識は残るだろう。最悪なのは、その状態で体だけが暴走することだ。
それでこいつを殺せるのならまだしも、あそこで寝こけてる八兎や、また陽乃さんたちに襲いかかるわけにはいかない。
「全く、その強固な自我だけは失敗と言わざるを得ませんね。そのおかげで真の不死性を獲得しているのだから皮肉なものですが」
『ああ、俺はそう簡単にはくたばらないぞ。少なくとも、お前をぶち殺すまではな……!』
かろうじて握られていたブレードを支えに、満身創痍の体を引きずるように立ち上がらせる。
そして津西に切っ先を向けて構えるが……正直言って、それだけで俺には精一杯だった。
いつもは丸投げしている衝動の制御に、重要器官を損傷したことによる戦闘力の低下。
今ほど体を自由に扱えないことを悔やんだことはない。
「立っているだけで精一杯とは、また滑稽ですね……ちょうどいい機会です、あなたとも少し歓談といきましょう」
『……なに?』
この状況でおしゃべりとか、どこまでもこっちをコケにしやがって。
だが、その油断はありがたい。
俺の意識は眠っていたが、こいつの恐ろしさは体が覚えている。
オクタが万全の状態で挑んでも負けたのだ、ろくに力を発揮できない俺が、この状態で勝ちの目はない。
それに……一つ、気になることがあるしな。
「さて、では私の質問ですが。あなたはどうして、その力を存分に振るわないのです?」
『どういう意味だ?』
「そのままの意味ですよ。あなたの性能は私が誰よりも知っている。その力さえあれば、人間の世界などいくらでも蹂躙し、好きにできる。いわばあなたは、多くを自由に支配できる力を持っているのです」
『……生憎と、そんな子供じみた理論が通るほど人間社会は甘くないんでな。そんなことしても何の得にもならねえし』
だいたい、そんなことをすれば即〝組織〟のエージェントがやってきてこの首をチョンパされるだろう。
そのまま体は燃やされ、首は再生しないように箱詰めにされて収容所の最重要区画行きである。
この世界は、力を持っている誰もが思うがままに行使できるほど、自由には作られていないのだ。
「馬鹿馬鹿しい。そんな道理など破壊してしまえばいいのです。なのにあなたは、あんな脆弱で利用価値の欠片もない生物を守護する側に立った。開発者としては落胆もいいところです。そこの試作品も含めてね」
『勝手に俺の人生の方針を決めつけんな。お前には何をどうする権利もねえよ』
「いえいえ、ありますとも。力があり、才能があり、賢しいものが勝利を手にして時代を築く。そうして人間という生物はこの惑星を支配してきました。であれば、人間を超越した私にその権利がないなどあり得ないッ!!!」
……今更だが、こいつマジで頭イってるな。今時映画の悪役でも中々言わないような実力至上主義かましてやがる。
恍惚した表情とかもう完全に薬やっちゃってるやつのそれだ。
ああいや、薬よりもっとヤバいもん使ってるか。うっすらとさっきの会話の記憶がある。
『……まあ、人じゃないって点には賛成してやる。だからこそ、俺は守らなくてはいけない』
「それはあなたが6年前に処分した私の部下と実験台への贖罪ですか?」
核心をついたその質問に、俺は目を見開く。
ブレードの突き刺さった心臓が、いよいよ止まってしまったのかという錯覚を覚えた。
「たかだか数百人程度、何を気に病むことがあるのです。革命には犠牲がつきもの、であればあれは必要な犠牲でしょう?」
『……いいや、断じて違う。あいつらは決して失われていい命じゃなかった』
あの日、俺がこの手で殺めた数多くの被害者たち。
人間の子供も、人外の子供も、俺より幼い奴もいれば、年上のやつだっていた。
彼ら彼女らは皆、生まれてからずっと母さん以外の全てを憎んだ俺と違って、自分の願いがあった。
家族の元へ帰りたい、好きなことをしたい、誰かに会いたい……あるいは、ただ生きていたい。
物心がついた時からこの世への失意と諦観に満ちていた俺などにはない、綺麗なものを持っていた。
それは俺には理解できないもの。生きることを諦めていた俺には抱くことすらおこがましいもの。
だから、俺一人が生き残るより、彼らが生きていた方がずっと価値があったはずなのに。
『確かにこの世界は唾棄すべきものは沢山ある。壊したいと思った理不尽も、反吐がでるような欺瞞も薄っぺらい感情も、嫌という程知ったさ。こんな世界クソ喰らえだ』
そして、そんな吐き気のする世界の中で他の人間と同じように他者を忌み嫌い、憎んでいた俺もクソ喰らえだ。
雪乃の、小町の、結衣の、大切な誰かに触れるたびに、その嫌悪が心の中から溢れ出す。
お前に幸福を享受する権利はないと、多くを貪り、犯したお前に贖罪などできるはずがないと。
いくら悪人を、平和を脅かす人外を粛清したって──この世で一番罪深い化け物だけは、殺せない。
「であれば、私とともに来なさい」
「………………」
それまでとは違う、どこか優しい声音で奴はそんなことを言い出す。
「我らの力を、才能を、思想を認めない低俗な世界など壊してしまえばいいのです」
ゆっくりと俺に歩み寄り、奴が俺に向けて異形の手を差し出す。
「我々の力であれば、それができる。あなたを受け入れ、敬い、ひれ伏す世界を作りましょう」
「……………………」
「そうすればあなたのお仲間も助けます。いい取引でしょう?」
その言葉に奴の手を見下ろして、僅かにブレードを握る手が緩んだ。
……差し伸べられたこれを取れば、あるいは何もかも楽になるのかもしれない。
どっちにしろ負けるのは目に見えてるんだ。俺では八兎も、自分のことも助けられない。
それなら、ここで剣を置けばもう苦悩する必要もないのかもな。
『──お断りだ、クソ野郎』
だからこそ、俺はその手を切り捨てた。
無論、オクタの力の何割もない俺の斬撃など、手のひらであっさりと受け止められる。
それでも俺は、ウィルスが侵食して紫に染まり始めた視界で奴を睨みつけた。
『俺はな、約束したんだ。あの人に、それでも人間を見捨てないって』
「はぁ?」
あの時。
死にゆく彼女の首筋に食らいつき、その血肉を啜った時。
あの人は、俺の頭を優しく撫でて言ったんだ。
〝憎しみを捨てなくていい…………怒りを忘れなくていい…………それでもね……どうか、一人だけでもいいから………………誰かを、愛してね〟
『まだ、あの人に救ってもらった恩を返せてない』
あの人の命を奪ってまで生き延びた自分が許せない。
『まだ、この世界の全てを見限るほど絶望しちゃいない』
こんな血濡れた手でも握ってくれた、雪乃の元へ帰りたい。
『だから俺は、たとえお前がどれだけ強かろうが、賢かろうが──絶対に、認めない』
義憤?正義感?そんな薄っぺらくて多数の意見で裏返るような心理など、俺は求めちゃいない。
もっとおぞましくて、気持ち悪くて、それでも欲しいもの……俺自身が望んだ、俺の『酸っぱい葡萄』。
届かないと分かっているそれを手に入れるために、俺はこれまで戦ってきたのだ。
……ああそうか、ようやくわかった。
こいつはまるで、昔の俺だ。まだ誰とも出会っていない、全てから目を逸らして見限っていた俺のようだ。
結果的に俺は自らの世界を閉ざし、こいつは自ら以外の世界を破壊することを選んだ。たった、それだけの違い。
つまり俺は、憎しみや怒り以上に──この男を、同族嫌悪しているのだ。
「…………はぁ。何を言うかと思えば、興ざめですね」
『がっ!?』
真正面から顔面パンチを食らい、後ろに吹っ飛ぶ。
砕け散った仮面の破片が顔を切り裂き、床に体を打ち付けるたびに治りかけた傷口が開く。
ようやく止まった時には、俺の体は壁にめり込んだままピクリとも動かなかった。
「所詮、兵器は兵器。道具に思想を理解しろということそれ自体が失敗でしたか。私自身の作品ならばあるいはと思っていましたが、自惚れでしたね」
『………………一つ、質問だ』
踵を返しかけていた奴は、それまでの笑顔は何処へやら、心底面倒そうな顔で振り返る。
「なんです?もはや利用価値のないあなたと問答することなど、一つとしてありませんが」
『お前……
そう聞けば、奴は初めて驚いたように目を見開いた。
そして、次第に笑顔に戻ると肩を震わせ始める。
「……く、くひっ。くひゃははははははははははははははははははは!!!!!これは驚いた!失敗作だと思いかけていましたが、そこまで目ざといとは!」
『……少し考えればわかることだ。死にかけの俺を殺さず、わざわざ話をする理由なんて、時間稼ぎくらいだろうが』
「ええ、まさにその通り。賞賛の拍手を送っておきましょう」
パチパチ、と嫌がらせに拍手をしてくる津西。
もはや俺には、ケッと声にならない悪態をつくことしかできない。完全に負け犬そのものだった。
「私は考えたのです。私の才能を満足に振るえない、そして理解できないとなれば狂っているとその一言で片付けようとする世界を、どうすれば変えられるのか」
奴が、ポケットからリモコンのようなものを取り出す。
黒い血で薄汚れた視界の中でそれを見ると、奴がリモコンのボタンを押した瞬間実験室が揺れ始めた。
激しい振動に傷が刺激され、麻痺して鈍くなっていた痛みが再び襲いかかってきて歯を食いしばる。
痛みに耐えながら前を見ると、実験室の床の半分以上が変形して、そこから巨大な物体がせり出した。
おおよそ六メートルほどの、卵形のそれは、まるで……
『……爆弾、だと?』
「コレこそが我が研究の集大成!私の体内に流れる新しいウィルスに改造を加えた、変革の《種子》です!」
『種子、とは……また大きく出たもんだな。さしずめ、お前は新しい世界とやらの神だとでも言いたいのか?』
「いえいえ、そんな大層なものではありません」
元の調子に戻った奴は、異形の姿のまま眼鏡をかけるとご高説を垂れ始めた。
「この《種子》の中には感染力を高め、致死性を低くしたウィルスが濃縮され、大量に装填されています」
種子は種子でも、滅びの種ってわけか。
「これを地上に落とせば、瞬く間に空気を媒介にしてウィルスが広がり……」
『……そして、世界中の人間は死に絶え、その何割かは俺たちと同じものに生まれ変わる、って寸法か』
「イグザクトリー!これは世界を私が思うままに作り変える、革命の種子なのですッ!」
……なんともまた、映画の悪役が考えそうなことをするもんだ。
だが、それを現実で実行できる。それこそにこいつの恐ろしさはある。
もしあんなものが落とされれば、大惨事が起こるだろう。人も人外も死に絶え、怪物が闊歩する惑星に早変わりだ。
そして、こいつが以前送りつけてきたボイスレコーダーによれば……おそらく、落とされるのは千葉。
そんなことをしたら最後、間違いなく、爆心地の人間は死に絶えるだろう。
俺の家族も、恋人も、友人も……一人残らず、全てな。
「この革命にはなんの選別も、選定も、差別も区別もない。全員平等に、この惑星に生きるもの全てが恩恵を受けられる!もはや人間も人外も、下らぬ倫理から解き放たれ、真に平等な世界が実現するのです!実に素ン晴らしいとは思いませんか!」
『……ああ、素晴らしすぎて反吐がでるよ』
「わかってくれて何よりです……あなた方とおしゃべりを楽しんでいるうちに、発射準備は整いました」
再びの振動。こちとら今にも痛みで意識が途切れそうなんだ、いい加減にしろ。
瞬く間に床下へ消えていった《種子》の代わりに、俺にも見えるほど巨大なモニターが現れる。
そこには、いかにもな機械に装填される《種子》の映像が写り込んでいた。
この研究所そのものが発射台なのだろう、先ほどとは比べ物にならない地震と轟音が響き渡る。
《発射準備完了。全システムオールグリーン。最終シークエンスを実行してください》
「今ッ!素ン晴らしき私の才能が、歴史に刻まれるのです!」
高らかに叫び、奴はリモコンの赤いボタンへ大きく掲げた人差し指を振り下ろした。
俺にはそれを、見ていることしかできない。
「う、ぉぉおおおおお!!!」
そんな俺の代わりとでも言うように、突然立ち上がった八兎が奴にタックルをかました。
そして、奴の手の中からリモコンを弾き飛ばす。
「させない!まだ多く学ぶべきあの世界を、あなたなんかに壊させはしない!」
「ええい、邪魔をするな試作品!使い捨ての道具の分際で生意気です!」
しかしあっさりと抑えつけられ、膝をみぞおちに入れられてうずくまる。
「端で寝てなさい!」
「ガッ……」
思い切り振り下ろされた奴の足は、八兎の頭を踏み潰し、ゴギャッと嫌な音を響かせた。
床に頭がめり込み、血の海が広がる。
動かなくなった八兎に、奴は忌々しそうに鼻を鳴らした。
「まったく、端役の分際で私を煩わせるとは烏滸がましい。引き立て役は引き立て役らしく退場しておけばいいのです」
リモコンを拾い上げ、今度こそ奴の指がボタンを押し込んだ。
モニターの中で、地上に向けて種子が発射されるまでの刹那の瞬間を、俺はスローモーションになった視界で見つめる。
万全の、オクタの状態であれば押す前にリモコンを破壊できただろうが……もう一歩も動けねぇ。
それが悔しい。諦めの早い俺だが、こんなどうしよもない状況で打開策を望んでしまう。
動け、といくら命令しても、この馬鹿げた体はこんな時に限ってエンジンを切らしている。
『くそ……もう、万事休すか』
せめて、最後に……雪乃の笑顔をもう一度、見たかったな。
『──諦めるのはまだ早いですよ、先輩?』
──その時、聞こえるはずのない後輩の声が聞こえた。
読んでいただき、ありがとうございます。
次回、決着。
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