声を失った少年【完結】   作:熊0803

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この短編は基本短めにお送りさせていただきます。中編はゆきのんたちの話です。
楽しんでいただけると嬉しいです。

注意:この短編には本編で公開していない設定、キャラクターが登場します。ご注意ください。


番外編 声を無くした少年たちのバレンタイン 中編

 時刻は夕方まで遡り、総武高校の家庭科室。

 

 二月の冷気がひんやりと立ち込め、窓から差し込む斜陽が緩和するその部屋には三人の少女がいた。

 

「それじゃあ早速、チョコレート作りを始めましょう♪」

「おー!」

「ええ」

 

 溌剌とした表情で片手を振り上げるのは由比ヶ浜結衣。その隣で澄まして頷くのが、雪ノ下雪乃。

 

 対照的な二人。しかし、作業のためにコンタクトを外しているいろはにとってはどちらも同じ恋情の昂りが透けて見える。

 

 それを表に出しているか出していないか、ただそれだけの違いだ。

 

(まあ、わざわざ指摘する必要もないんですけどね)

 

 丸見えの感情は心の中にしまい込み、机の上に置いていたレシピを取って早速取り掛かる。

 

「今回作るのはガトーショコラです。事前に渡したこのレシピ通りにちゃんと、ちゃんと作りましょう」

「そうよ由比ヶ浜さん。先に言っておくけれど、桃缶は必要ないから」

「始める前から集中攻撃!?」

 

 二人からの突然の口撃にショックを受ける結衣。

 

 しかし、二人からすればこれは何よりも……ともすれば、チョコレートの完成度以上に重要な確認なのだ。

 

 二人には言葉を交わさずとも、ある一つの共通認識があった。

 

 

 

 それすなわち、「結衣に一人で料理をさせてはいけない」である。

 

 

 

 片や最初の依頼でクッキーの形をした化学兵器を口にし、片や嫁度対決の一件で審査員をして地獄を見た。

 

 それ以降、雪乃といろはの間に一種の結束が生まれ。また同時に、結衣の料理の腕の向上も決意した。

 

 それから月日は流れ、とうとうやってきた二度目のバレンタインデー。

 

 雪乃にとっては、八幡と再会する以前までその存在すら記憶の中で朧げだったイベントである。

 

 いろはにとっては、想いを寄せながらも翻弄し続けてきた材木座に素直に思いを伝えるチャンスである。

 

 そして結衣にとっては、新たな意中の相手である平塚八兎(やと)にアタックする絶好の機会である。

 

 それぞれの決意を胸に今日この場に集まった、恋する乙女三人。

 

 しかしながら、それとは別に雪乃たちにはもう一つ目的があった。

 

「それでは始めましょう。由比ヶ浜さん、決して私の見ていないところで進めないように」

「私も監視しつつ指示出しするので、普通に作りましょうね〜」

「うう、ひどいけど前科があるからなんも言えない……」

 

 さめざめと泣きながら、指示通りに包丁を握る結衣。

 

 板チョコをまな板に乗せる彼女を見て、雪乃たちは目配せをすると表情を引き締め頷き合った。

 

 彼女らの目的は、言うまでもなく結衣にまともなチョコレートを作らせること。

 

 もしも放置しようものなら、友チョコを送られるだろう八幡の胃が確実にまずいことになる。

 

 本命の八兎にしても、いかに彼が八幡のクローンで同じ体質を持っていようと、やはりまずいものは渡させたくはない。

 

 友人として結衣のプライドを守るために、そして大切な男のために。

 

 ここに、信念を掛けた二人の戦いが始まった。

 

「まずはチョコレートを刻んでください。硬いので、手を滑らせないように気をつけてくださいね」

「由比ヶ浜さん、肩から力を抜きなさい。反対の手は猫の手よ」

「そんくらいわかってるよ!?」

 

 全く信用されていないことに頬を膨らませながら、結衣は雪乃たちとともに作業を進めていった。

 

 チョコレートを細かく刻んだら、バターと一緒にボウルに入れる。

 

 それを先んじて温めておいた熱湯で湯煎し、その間に卵を卵黄、卵白に分けた。

 

 卵白は冷蔵庫に入れて冷やしておき、薄力粉を振るう。

 

 次に型用に用意したバターを室温に戻して柔らかくし、型に薄く塗って薄力粉をまぶした。

 

「あ、薄力粉は余分な粉は払ってください。あとでまずいことになるので」

「うん、わかったよいろはちゃん」

 

 素直に頷き、慎重に薄力粉をかける結衣。ほどなくして三人は下準備を終える。

 

 とりあえず、ここまでは問題なく進んだ。雪乃たちの心に安堵が広がる。

 

「一色さん、オーブンの余熱は終わっているかしら」

「もう少しですね。さあ、パパッと生地を作っちゃいましょう。由比ヶ浜先輩は……」

「いちいち言わなくてもちゃんと指示聞くよっ!」

 

 ならいいですけど、と呟きつつ、いろはは記事を作るための指示出しを始めた。

 

 ボウルに先ほど分けた卵黄とグラニュー糖を35g入れ、泡立て機でよく混ぜる。

 

 十分にかき混ぜたら60℃程度のお湯で湯煎にかけながら泡立てて、人肌程度に温めたくらいでお湯から上げた。

 

 そこからまた、生地に粘着性が出てくるまで泡立てる。自分の腕力との勝負だ。

 

「待ちなさい由比ヶ浜さん」

「ふぇ?」

 

 と、ここで雪乃からストップが入った。

 

「へ、変なもの入れてないよ?」

「そうではなくて、自分の手元をよく見なさい」

 

 首を傾げつつも、言われた通りに自分の腕を見下ろす結衣。

 

 すると、袖がずり落ちてボウルにくっつき、縁についた生地が付着していた。

 

「うわわっ、ベトベトだ!」

「袖はちゃんとまくっておきなさいと言ったはずよ。ただ上げるのでは、すぐに落ちてきてしまうわ」

「はぁ。もう、仕方ないですね」

 

 レシピを見ながら作業していたため、こまめに手を洗っていたいろはが近づく。

 

 そしてボウルから袖を離し、タオルで拭いて二、三回折りたたんでまくった。

 

「はい、これで簡単には落ちないはずです」

「ありがとーいろはちゃん」

「いえいえ〜」

 

 ハプニングもそこそこに、作業を再開する。

 

 十分に生地が出来上がったら、湯煎して溶けたチョコとバターをもう一度加え、また混ぜた。

 

 充分に混ぜたら冷蔵庫から卵白を取り出して別のボウルに入れ、残りのグラニュー糖を3回に分けて加える。

 

 ハンドミキサーでツノが経つまで泡立てて、メレンゲを作りあげた。

 

 そうするとチョコレート生地にメレンゲの三分の一を投入し、軽く混ぜ合わせてからふるった薄力粉を追加。

 

「泡が消えないように用心してください。薄力粉とメレンゲがちゃんと混ざったタイミングで残りも入れて、さくっと混ぜましょう」

「はーい♪」

「ふぅ……」

 

 元気よく答える結衣に対し、雪乃は少し疲れの浮かんだ顔で息を吐いた。

 

 元来天才肌で継続という概念をあまり持たない彼女は、体力が平均よりも少ない。

 

 そのため、運動神経が関係のない、長時間の腕の酷使はダイレクトに効いていた。

 

「ゆきのん大丈夫?」

「ええ、このくらいは。それに、八幡くんにあげるものだもの。一切の妥協はできないわ」

「ふふ、雪ノ下先輩は先輩のこと大好きですね♪」

 

 からかい半分に言ういろはに、雪乃は頬をわずかに朱に染め、誤魔化すようにボウルに視線を落とした。

 

 わかりやすい反応に今度は結衣といろはが笑い合い、楽しげな雰囲気の中作業は続いていく。

 

 しばらくして完成した生地を型に流し入れ、型を2~3cmの高さから落として中の空気を抜いた。

 

 それを温めておいた180℃のオーブンに入れれば、後は待つだけだ。

 

「あと45分したら焼き上がりです。お二人とも、ここまでお疲れ様でした!」

「んぁー、疲れたー!腕があがんない!」

 

 率直に心境を述べる結衣。無理もあるまい、手作りチョコとは相応の労力をもって作り上げるものなのだ。

 

「確かに疲れたけれど……これが努力の代償というのなら、そうね」

 

 顎に指を当て、少し考えた後に雪乃は結衣たちを見る。

 

「そう悪い気はしないわ」

「ふふ、これも恋する乙女の特権ってやつですね♪」

「うんうん」

 

 和やかに笑い合う三人の顔には、疲れ以上に達成感がにじみ出ていたのだった。

 

 どうせなら焼き上がるまでの暇潰しに、ということで雪乃が部室から持ってきたケトルで紅茶を淹れた。

 

 ショコラの生地のあまりで作っていたクッキーも添え、即席のティータイムとなる。

 

「んー、美味しい」

「雪ノ下先輩の紅茶はいつも良いですねぇ」

「そう言ってくれて嬉しいわ」

 

 ささやかな喜びを感じながらも、さも当然という風を装って紅茶に口をつける雪乃。

 

 家庭科室に、穏やかな時間が流れていく。

 

 もとより大切だったそれは、一年前の事件からより一層彼女たちにとってかけがえのないもになっていた。

 

「それで、お二人は最近どうなんですか?」

 

 それに一石投じたのは、いろはの言葉。

 

 和やかな気分で紅茶を楽しんでいた二人は、動きを止める。

 

「やー、あはは。なんていうか、その……」

「…………」

 

 そのあとの二人の反応は対照的だった。

 

 結衣は照れ臭そうに頬をかき、雪乃も表情こそ変わらないものの頬に朱が差している。

 

(わー、すごい感情の高ぶり方してますね。ほんとこの人たち見てて面白い)

 

 無論のこと、いろはには羞恥や驚きの入り混じった心が透けて見えているので、内心笑っていた。

 

「どう、とは何のことを指しているのかしら。具体的な主語を伴っていない質問には答えられないわ」

「またまた、わかってるくせに。先輩とのあれこれですよ。あ、れ、こ、れ♪」

「……別に、これと言って変わりはないのだけれど」

 

 ぷいと外方を向く雪乃。自らの何かを必要以上に主張しない彼女には、彼氏自慢などという芸当ができるはずもない。

 

「私もかなー、なんて」

「いやいや、雪ノ下先輩は変わらず相思相愛なのでわかりますけど、由比ヶ浜先輩は何もないってことはないでしょう」

「ほ、本当に何もないよ?いつも通りだしっ!」

「あら、それはおかしいわね。ついこの間も部室で……」

「ゆきのんっ!?」

 

 何かを暴露しようとする雪乃を慌てて止めようとする結衣。

 

 何とか雪乃の口を塞いだものの、結衣は失念していた。いくら言葉を封じようと、いろはには通じないことを。

 

「へぇ、デートの約束したんですね。どっちも奥手なのに、案外進展してるじゃないですか〜」

「あ、あうぅ……」

 

 ニヤニヤとそれは楽しそうな表情のいろはに結衣は狼狽え、原因となった雪乃を恨めしげに見る。

 

 早々に矛先が外れた雪乃は、すまし顔で紅茶を啜った。さすがは雪ノ下家次女、したたかである。

 

 しかし、被害を被れば反撃しようとするのが人間だ。故に結衣は、特大の爆弾を投下した。

 

「そ、そんなこと言ったらゆきのんだって、この前私が遅れて行った時ヒッキーとチューしてたじゃん!」

「ぶっ!?」

 

 器官に紅茶が入り、思わずむせる。途轍もないものが公にされ、一気に雪乃の余裕は崩れ去った。

 

「ほうほう、あの学校では鉄壁の雪ノ下先輩がそんな大胆なことを?これは後で先輩にも問い詰めなければいけませんね」

「……由比ヶ浜さん、恨むわよ」

「先にやったのゆきのんじゃん!」

「いいえ、私は口に出してはいないわ。勝手に一色さんが心を読んだだけよ」

「むー……あ、そうだ。いろはちゃんは厨二とどうなの?」

「へっ?」

 

 突然の矛先の逆転に、いろはは間抜けな声を漏らした。

 

「そうね、私たちばかり辱めて自分は無傷、なんて許されないわ。一色さん、あなたのことも聞かせなさい」

「いやそれはその、えーっと……」

 

 狼狽えるいろは。

 

 この展開を予想していなかったかと言われれば嘘になるが、しかし心を覗けたからと言って何でも止められるわけではない。

 

 特にその社交性ゆえか、すぐにころころと思っていることが移り変わる結衣の行動は読みづらいものだった。

 

「お、乙女の秘密ってことで♪」

「そんな言葉が通じるとでも思っているのかしら。由比ヶ浜さん」

「うん!」

 

 一瞬で結衣が背後に回り、いろはの脇に腕を入れて固定する。

 

 意識が日常モードになっていたいろはは対応できず、なされるがままその場で磔になってしまう。

 

「え、ちょ!?」

「さあ一色さん、根掘り葉掘り聞かせてもらうわよ」

「逃がさないからね!」

「くっ……!」

 

 

 

 それからガトーショコラが焼き上がるまで、いろはは二人に絞られるのだった。




読んでいただき、ありがとうございます。
次回は当日の話。
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