声を失った少年【完結】   作:熊0803

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十二話です。材木座くん登場。


12.声を無くした少年は、残念イケメンな友人の依頼を聞く。

  今さらではあるが、この奉仕部という部活は要するに生徒のお願いを聞き、その手助けをする部活である。

 

  と、こうして確認をしておかないと、本当に何をしているのかわからなくなる。だって、俺と雪ノ下はさっきからオセロを挟んでにらめっこしてるだけだし、由比ヶ浜なんて携帯いじってる。

『っつーか、お前なんでいんの?』

  盤面から目線は動かさず、左手でアプリを使って聞く。

  あまりにも自然にここにいるせいで、当たり前のように対応してしまったが、由比ヶ浜は別に奉仕部の部員ではない。それを言ったら俺だって入部届けを出した覚えはないが。

「え?あーほら、あたし今日暇じゃん?」

『じゃん?とか言われても知らん。広島弁かよ』

「はぁ?広島?あたし千葉生まれだけど」

  や、実際広島の方言は「〜じゃん?」とつくので、「いえ、初めて聞きました」みたいな反応をしてしまうことがよくある。男の広島弁は怖いイメージがあるが、女性の本場の広島弁はそれはもう大層可愛らしく、俺の選んだ可愛い方言十傑にランクインするくらいなのだ。

  手元を操作し、またボタンを押す。

『かっ。千葉に生まれた程度で千葉生まれを名乗られてたまるか』

「ねえ、比企谷くん。あなたが何を考えてるのか全然わからないのだけど…」

  雪ノ下が頭が痛いとでもいう風にこめかみを抑える。が、気にしない。

  少しだけ目線を携帯にずらし、アプリのメニューを開く。そして『保存済単語、文章』という項目をタップした。

  いくつかのカテゴリーに分類されたファイルの中から、『小町と暇つぶし用クイズ』を選出し、羅列されている文章をタップした。

『第一問、打ち身でできてしまう内出血のことをなんという?』

 ジャジャン!という効果音を発して、携帯からやたら渋い男の声が流れる。

「青なじみ!」

 くっ、正解だ。まさか千葉の方言まで押さえているとはな……。

 次の問題をタップする。

『第二問、給食のお供と言えば?』

「みそピー!」

 ほう、どうやら本当に千葉生まれのようだな。

「……ねぇ、いきなり何なの?今のやり取りに意味はあるの?」

 無論意味なんてない。

『ただの千葉横断ウルトラクイズだ。具体的には松戸ー銚子間を横断する』

「距離みじかっ!」

 なんだよ、文句あるのか。

『じゃあ佐原ー館山間にすればいいか?』

「縦断してるじゃない……」

 ……お前ら、今の地名だけでわかるとかどんだけ千葉好きだよ。

 ま、いいや。クイズを続けよう。

『第三問。外房線に乗って土気方面に行くとなぜかいきなり現れるちょっと珍しい動物といえば?』

「んー……ダチョウ?」

  少し考えた後、由比ヶ浜はそう答える。マジか、これ小町にやったら3分でオーバーヒートしたぞ。

 通常の打ち込み画面に戻り、短く文を書いてタップする。

『正解。すげえな』

  いやー、電車乗ってるといきなり窓の外にダチョウが現れるからもう驚くっていうかむしろ感動だよな。

「………」

 雪ノ下がむすっとした顔でこちらを見ている。え、もしかしてダチョウ嫌いだった?

「ゆきのんどうしたのー?」

「……別に。何でもないわ」

 変なやつ。

 

 ーーー

 

  翌日。部室へ向かうと、珍しいことに雪ノ下と由比ヶ浜が扉の前で立ち尽くしていた。何してんのこいつらと思って見ていると、どうやら扉をちょっとだけ開けて中を覗いているらしい。

「「ひゃうっ!」」

  ぽんっと二人の肩を叩くと、可愛らしい悲鳴と同時に、びくびくびくぅっ!と体が跳ねる。

「はち……比企谷くん……。び、びっくりした……」

  驚いたのは俺の方だわ。夜中、帰ってきた俺を見たときのうちの猫かよ。

「事前に声をかけてもらえるかしら?」

 や、無理だから。俺喋れませんから。

  不機嫌そうな顔をする雪ノ下にちょいちょいと自分の喉を指して見せると、はっとして目を逸らす。わかってもらえたようで何より。

『で、何してんの?』

  俺が携帯を取り出して聞くと、由比ヶ浜は先ほどと同じく部室の扉をわずかばかり開いて、中をそうっと覗き込みながら答えた。

「部室に不審人物がいんの」

 不審人物はお前らだ。

  ジトッとした視線を向けると、雪ノ下がいいから確認してこいという顔をした。

  渋々頷き、慎重に扉を開いて中に入る。

 

 ヒュウゥー………

 

  俺たちを待っていたのは、一陣の風だった。

  扉を開いた瞬間に、吹き抜ける潮風。この海辺に立つ学校特有の風向きで教室内にプリントを撒き散らす。

  それは、ちょうど手品で使われるシルクハットから幾羽もの白い鳩が飛び交う様子に似ていた。その白い世界に一人、佇む男がいる。

「クククッ。まさかこんなところで出会うとは驚いたな。ーー待ちわびたぞ、比企谷八幡」

「……………」

  無言でスタスタと部室に入って行くと、とりあえずその土手っ腹に一発食らわせてやった。

「ぶげらっ!?」

  床に崩れ落ちたやつのことを見下ろす。

  いや、知らない知らない。材木座義輝なんて奴は俺の知り合いにはいない。

  それを言ったらこの学校にいる知り合いなんて一割にも満たないけどな。

  その知り合いじゃない大多数の方の中でもダントツにお近づきになりたくない人間だった。もうすぐ初夏だというのに、茶色いコート羽織って指抜きグローブはめてるし。

「比企谷君、何もいきなり殴ることも………」

  雪ノ下が俺の背中に隠れながらも、少し引いた顔で俺とあちらさんとを見比べる。その不躾な視線に復活した男は一瞬ひるんだが、すぐさま俺に視線を向け、腕を組み直してクックックッと低く笑う。

 奴はハッと大げさに肩を竦めて見せ、ゆっくりもったいつけて首を振った。

「挨拶もなしにいきなり殴りかかるとは……それでこそ我が相棒だ、八幡」

 こいつもう一発殴ったろか。

「相棒って言ってるけど……」

  由比ヶ浜が俺を冷ややかな視線で見る。「クズはもろとも死ね」という目だ。

「そうだ相棒。貴様も覚えているだろう、あの地獄のような時間を共に駆け抜けた日々を……」

  朝のジョキングと訓練付き合ってやっただけじゃねえか。あと体育のペア。

  侮蔑の視線を向けると俺の言いたいことがわかったのか、苦々しげな視線を返してくる。

「ふん。あのような悪しき風習、地獄以外の何物でもなかろう。好きな奴と組めだと?クックックッ、我はいつ果つるともわからぬ身、好ましく思う者など、作らぬっ!……あの身を引き裂かれるような別れなど二度は要らぬ。あれが愛なら、愛など要らぬ!」

  その男は窓の外を眺めて遠い目をしていた。虚空にはきっと愛しき姫の姿でも浮かんでいるんだろう。というかみんな北斗好きすぎるだろ。

  まぁここまでくればどんなに鈍い奴だって気づくだろう。この男はだいぶアレだ。

 諦めて、指を動かす。

『何の用だ、材木座』

「むっ、我が魂に刻まれし名を綴ったか。いかにも我が剣豪将軍・材木座義輝だ」

  ばさっとコートを強く靡かせて、 端正な顔にきりりっとやたら男前な表情を浮かべて、こちらを振り返る材木座。自分の作った剣豪将軍という設定に完全に入り込んでいた。

  頭、というよりは心が痛い。それ以上に、雪ノ下と由比ヶ浜の視線が痛かった。

「ねぇ……、ソレ何なの?」

  不機嫌、と言うより不快感を露わにして由比ヶ浜が俺を睨み付ける。だからなんで俺を睨むんデスカ。

『こいつは材木座義輝。体育の時間、俺とペア組んでる奴だよ』

  それと同時に俺の仕事仲間でもあるのだが、正直言って普段はウザいので近寄りたくない。……ま、あの地獄のような時間を平和に過ごすための相棒という言はあながち間違いではない。

  ほんとにもー、好きな人とペア作るって地獄だよね。

  材木座もその痛さゆえにあの瞬間の辛さを味わっている。

  俺と材木座は最初の体育の時間、孤立した者同士で組まされて以来、ずっとペアだ。正直、この中二病ど真ん中男をどこかにトレードに出したいのだが、キョドッて加減を間違えると下手したら組まされた相手が大怪我をするので、諦めている。この残念高スペックイケメンめ。

  雪ノ下に所々ぼかしながら説明すると、俺と材木座を見比べる。それから納得したように頷いた。

「なるほど、大変なのね」

  おい、やめろその哀れんだ目。一番効くから。

『ま、苦労しているのは否定しないがな。けど俺にもあいつにも友達いないし』

「左様、我に友などこやつ以外におらぬ……クラス違うから普段はマジでぼっち、フヒ」

  材木座が悲しげに自嘲した。おい、素に戻ってんぞ。

「なんでもいいのだけれど、そのお友達、あなたに用があるんじゃないの?」

「ムハハハ、とんと失念しておった。時に八幡よ。奉仕部とはここでいいのか?」

  キャラに戻った材木座が、奇怪な笑い声をあげながら俺を見る。

 何その笑い方。相変わらずウゼェ。

「ええ、ここが奉仕部よ」

  俺の代わりに雪ノ下が答えた。すると、材木座は一瞬雪ノ下のほうを見てからまたすぐさま俺の方に視線を戻す。だからなんでこっち見んだよ。

「……そ、そうであったか。平塚教諭に助言頂いたとおりならば八幡、お主は我の願いを叶える義務があるわけだな?」

「別に奉仕部はあなたのお願いを叶えるわけではないわ。ただそのお手伝いをするだけよ」

「……。ふ、ふむ。八幡よ、では手を貸せ。ふふふ、思えば我とお主は対等な関係、かつてのように共に天下を握らんとしようではないか」

  バカなことをのたまう友人(仮)に、呆れながらも文字を打つ。

『手を貸すのは構わんが、天下は握らん。お前の夢の中で一人でやってろ』

「そのような悲しいことを言うでない。お主がいなければ我は誰を頼ればいいのだ!」

 いや、知らんがな。

  カテゴリーから『対材木座用罵詈雑言』ファイルを選出し、一番上の項目をタップする。

『要件を言わないならこの部屋から今すぐ消えろ』

「ククク、我が魂は不滅なり!たとえこの身滅びようとも、幾度でも蘇ってやるわ!」

  材木座が高々と高く腕を掲げるとばさばさばさっとコートがはためく。

  さすがに同じぼっちなだけはあるな。罵詈雑言への耐性は高い。

  言い方がアレなのがもう終わってるが。

「うわぁ……」

  由比ヶ浜がリアルに引いていた。心なしか、顔が青ざめているようにも見える。

「比企谷くん、ちょっと……」

  そう言って雪ノ下は俺の袖を引くと耳打ちする。ちょっとドキッとしたのは内緒だ。

「なんなの?あの剣豪将軍って」

  すごく近い場所にやたら可愛い顔があっていい匂いがするのに、雪ノ下の話す言葉は全く色気のないものだった。

  それに対する答えをするのも面倒なので、インターネットで中二病を検索してウィキペディアを見せる。

  俺が手渡した携帯を横にいる由比ヶ浜と二人で覗き合っている。

「んー…よくわかんない」

  数分すると、由比ヶ浜がそうこぼす。対して雪ノ下はふんふんと納得した顔をしていた。

「つまり、自分で作った設定に基づいてお芝居をしているようなものね」

『だいたい合ってる。あいつの場合、室町幕府の十三代目将軍・足利義輝を下敷きにしてるみたいだな。名前が一緒だからベースにしやすかったんだろ』

 少し時間をかけて、そう答える。

「あなたを相棒とみなしているのはなんで?」

『八幡っつー名前から八幡大菩薩を引っ張ってきてるんじゃないか。清和源氏が武神として厚く信奉してたんだ。鶴岡八幡宮とか知ってんだろ?』

  また数分かけて俺が答えを返すと、雪ノ下が急に黙り込んだ。何だよ?と視線で問うと、雪ノ下は大きな瞳を丸くしてこちらを見ていた。

「驚いた。詳しいのね」

 ……まぁな。

  嫌な思い出がよぎりそうだったので、つい顔を逸らしてしまった。ついでに話題も逸らす。

『材木座はいちいち史実の引用がウザいが、あいつの場合はむしろ過去の歴史をベースにしているぶんまだマシだな』

  それを聞いて、雪ノ下は材木座を一瞥すると、心底嫌そうな顔をして尋ねてきた。

「……アレよりもっとひどいのがいるの?」

『いる』

「参考までに聞くけど、どんなものなの?」

  ちょちょっと二次創作、中二病で検索し、また雪ノ下に手渡す。数度視線が右往左往した後、かなり白けた顔をした。

  隣にいる由比ヶ浜に手渡す。数十秒すると由比ヶ浜も気持ち悪いという顔をする。

  見るのも嫌なのか、ぱっと携帯がパスされた。それを危なげなく受け取る。

「だいたいわかったわ。あなたの依頼はその心の病気を治すってことでいいのかしら?」

「……。八幡よ。余は汝との契約のもと、朕の願いを叶えんがためにこの場に馳せ参じた。それは実に崇高なる気高き欲望にしてただ一つの希望だ」

  雪ノ下から顔を背けて、材木座が俺を見る。一人称も二人称もぶれぶれだ。どんだけ混乱してんだよ。

  そこであることに気づいた。こいつ……、雪ノ下に話しかけられると必ず俺を見やがる。

  まぁ、気持ちはわかるよ。俺だって声が出るなら恥ずかしくてキョドりまくってるだろうし。

  しかし雪ノ下はそういう男の純情を介するような感覚が疎い。

「話しているのは私なのだけれど。人が話しているときはその人のほうを向きなさい」

  冷たい声音でそう言って雪ノ下が材木座の襟首を掴み、無理矢理顔を正面に向けさせた。

  そう、雪ノ下は礼儀作法にやたらと厳しい。おかげで幼少期色々なところを矯正された。

  雪ノ下が材木座の襟首から手を離すと、材木座はゲホゲホと本気で咳き込んだ。さすがにキャラを作っている場合ではなかったらしい。

「……。モ、モハ、モハハハハ。これはしたり」

「その喋り方もやめて」

 あれもダメ、これもダメ。

  それから数分後、散々全身を指摘され終えた後には、完全に黙り込んでしまった。

  すると、その様を哀れに思ったのか、雪ノ下は先ほどとは打って変わった優しげな表情を浮かべる。

「とにかく、その病気を治すってことでいいのよね?」

「……あ、別に病気じゃない、ですけど」

  材木座は雪ノ下から目を逸らしてすんごい小声で言った。困った顔をしながらちらちらと俺に視線を送る。

 もう完全に素だ。

  雪ノ下のまっすぐでキラキラとした視線を向けられてキャラを作っていられるほど材木座のキャパシティは大きくなかったらしい。

  うん、さすがにかわいそうだ。何か助け舟を出してやるか。

  とにかく雪ノ下と材木座を引き離そうと一歩進むと、足元でかさりと何かが音を立てた。

  それは、部室の中で舞っていた紙吹雪の正体だった。

  拾い上げると、やたらめったら難しい漢字がびっしりと羅列されていて、この黒さに目を奪われる。

 これは……。

  俺はその紙から目をあげると部室中を見渡す。四十二文字×三十四行で印字されたそれは室内に散らばっていた。一枚一枚拾い上げて通し番号順に並べ替えていく。

「ふむ、言わずともわかるとはさすがだな。伊達にあの地獄の時間を共に過ごしていない、ということか」

  感慨深げに呟く材木座を完全に無視して、由比ヶ浜は俺の手の中にあるものに視線をやる。

「それ何?」

  紙束を手渡すと由比ヶ浜はペラペラとめくり中身を改めている。頭に「??」と疑問符を浮かべながら読み進めようとしていたが、はぁと深いため息をつくと俺に戻してきた。

「これ何?」

『小説の原稿、だと思う』

 俺たちに対して材木座は仕切り直すように咳を一つした。

「ご賢察痛み入る。如何にもそれはライトノベルの原稿だ。とある新人賞に応募しようと思っているが、友達がいないので感想が聞けぬ。読んでくれ」

「何か今、とても悲しいことをさらりと言われた気がするわ……」

  中二病を患ったものがラノベ作家を目指すようになるのは当然の帰結といえる。憧れ続けたものを形にしたいと思うのは実に正当な感情だ。加えて、妄想癖のある自分なら書けるっ!と考えたっておかしなことは何一つない。

  さらに言うなら、好きなことして食っていけるならそれはやはり幸せなことだからだろう。

  だから材木座がラノベ作家を志すことに不思議はない。

  不思議なのは、わざわざ俺たちに見せようとすることだ。

  投稿サイトとか投稿スレを検索して見せてやると、材木座は首を横に降る。

「それは無理だ。彼奴らは容赦がないからな。酷評されたら多分死ぬぞ、我」

 ……心弱ぇー。

  でも、確かに顔の見えないネット越しの相手なら斟酌せずに言いたいことを言うだろうし、友達なら気を使って優しくテキトーなことを言ってくれるだろう。

  一般的に考えれば、ちょっと微妙な距離の人間関係なら厳しい意見は出にくい。さすがに面と向かって厳しい意見を出すのは憚られるものだ。どうしたってオブラートに包んだ形での物言いにはなるだろう。あくまで一般的に考えれば、な。

 でもなぁ……。

  俺はため息交じりにちらりと横を見た。目が合うと雪ノ下はきょとんとしている。

  こいつは容赦ないぞ。なんたって小学生時代告白してきた男子のラブレターを赤字で間違いを指摘しまくって返したからな。赤ペン先生も真っ青な血みどろ先生だ。

 

 ーーー

 

  俺と雪ノ下、そして由比ヶ浜は材木座から預かった原稿をそれぞれ持ち帰り、一晩かけて読むことにした。

 

  材木座の書いた小説はジャンルで言うなら、学園異能バトルものだった。日本のとある地方都市を舞台にし、夜の闇の中で秘密組織や前世の記憶を持った能力者たちが暗躍し、それをどこにでもいる普通の少年だった主人公が秘められた力に目覚めて、ばったばったとなぎ倒していく一大スペクタルである。

 

  ベッドで読んでいる俺の横では、肩に頭を置いて小町が爆睡していた。

  部屋に遊びにきて俺が読んでいるのを目撃し、興味があったのか布団に潜り込んできたのだが、すぐに寝てしまった。

  俺自身もこれを読み終える頃には空が白んでいた。

  おかげで今日の授業は半分寝ながら過ごす羽目になってしまった。それでもなんとか気だるい六限目を過ごし、SHRを切り抜け部室に向かうことする。

「ちょー!待つ待つっ!」

  特別棟に入ったあたりで、俺の背中に声がかかった。振り返れば、由比ヶ浜が薄っぺらい鞄を肩に引っ掛けながら追いかけてくる。

  やけに元気がよく、そのまま俺の横に並んで歩く。

「ヒッキー、元気なくない?どしたー?」

  いやいやいや、あんなの読んでたらそりゃあ眠くもなるだろ。むしろ何であれ読んでお前が元気なのか知りたいわ。

『材木座の小説、読まなかったのか?』

  携帯を見ると、由比ヶ浜が気まずげに視線を逸らした。

「だ、だよねー。や、私もマジ眠いから」

 お前、絶対読んでないだろ……。

  俺のジト目から逃れるように、由比ヶ浜は窓の外を眺めながら鼻歌なんぞ口ずさみだす。素知らぬふりをしているのに、頰やらうなじやらにだらだら冷や汗かいてるし……。誤魔化し方下手か。

 

 ーーー

 

  俺が部室の戸を開くと、雪ノ下は珍しくうつらうつらしていた。

  俺がいつもの正面席に座っても、雪ノ下は穏やかな寝顔のまますうすうと寝息を立てていた。

  その微笑むような表情は、普段の隙のない表情とはまったく違っていて、そのギャップに鼓動が高まる。

  ずっと雪ノ下の柔らかな寝顔を見ていたい気分になる。さらりと揺れる黒い髪も、白く透き通るようなきめの細かい肌も、潤んだ大きな瞳も、形のいい桜色の唇も。

 不意に、その唇がわずかに動いた。

「はちまん、くん……」

「!?」

  その寝言に思わず腰を浮かす。もしかして覚えているのか?いや、無意識だろう、きっと。

  ゆさゆさと肩を揺すると、うっすらと目を開け、ふあと欠伸をして伸びをする。一度目をこすると、目の前に俺がいることに気がついた。

「……あら、比企谷くん。こんにちは」

 うす、と会釈をする。

『その様子じゃ相当苦戦したみたいだな』

「ええ、徹夜なんて久しぶりにしたわ。私この手のものあまり読んだことないし。……あまり得意ではないわ」

「あー。私も絶対無理」

 お前は読んでねーだろ。今から読め。

  じろっと睨むと、由比ヶ浜はむぅっと唸って鞄から例の原稿を取り出す。

  折り目の一つも付いていない綺麗な保存状態だ。由比ヶ浜はそれらをペラペラと異様に早いスピードでめくる。

  ほんっとつまんなそーに読むなこいつ。その様子を小脇で眺めつつ、俺はまた文字を打ち込む。

『別に材木座の原稿がライトノベルの全てじゃない。面白いのはいくらでもある』

  材木座へのフォローにはなってないことを重々承知でそう言うと、雪ノ下が首を傾げつつ聞いてくる。

「あなたがこの前読んでいたような?」

『ああ。面白いぞ。俺のオススメはガガ◯文庫だ』

「……そう。なら、今度書店で見てみましょうか」

  意外にいい雪ノ下の食いつきに感心していると、部室の戸が荒々しく叩かれる。

「頼もう」

  材木座が古風な呼ばわりとともに入ってきた。

「さて、では感想を聞かせてもらうとするか」

  材木座は椅子にドカッと座り、偉そうに腕組みをしている。顔にはどこかしら優越感じみたものがある。自信に満ち溢れた表情だ。

  対して、正面に座る雪ノ下は珍しいことに申し訳なさそうな顔をしていた。

「ごめんなさい。私にはこういうの、よくわからないのだけど……」

  そう前置きすると、それを聞いた材木座は鷹揚に応える。

「構わぬ。凡俗の意見も聞きたいところだったのでな。好きに言ってくれたまえ」

  そう、と短く返事をすると、雪ノ下は小さく息を吸って意を決した。

「つまらなかった。読むのが苦痛ですらあったわ。想像を絶するつまらなさ」

「げふぅっ!」

 一刀のもとに切り捨てやがった……。

  がたがたがたっと椅子を鳴らしながら材木座がのけ反るが、どうにか体勢を立て直す。

「ふ、ふむ…。さ、参考までにどの辺がつまらなかったのかご教示願えるかな」

「まず、文法が滅茶苦茶ね。なぜいつも倒置法なの?『てにをは』の使い方知ってる?小学校で習わなかった?」

「ぬぅぐ……そ、それは平易な文体でより読者に親しみを……」

「そう言うことは最低限まともな日本語を書けるようになってから考えることではないの?それと、このルビだけど誤用が多すぎるわ。『能力』に『ちから』なんで読み方はないのだけれど。だいたい、『幻紅刃閃』と書いてなんでブラッディナイトメアスラッシャーになるの?ナイトメアはどこから来たの?」

「ひぎぃっ!し、しかしそう言う要素がないと売れぬという……展開は、その……」

「そして地の文が長いしつこい字が多い読みづらい。というか、完結していない物語を人に読ませないでくれるかしら。文才の前に常識を身につけたほうがいいわ」

「ぴゃあっ!」

  材木座が四肢を投げ出して悲鳴を上げた。肩がびくんびくんと痙攣している。目なんか天井向いたまんま白目になってるし。

  オーバーリアクションがうざいし、ここらへんで止めたほうがいいだろう。

『その辺でやめとけ。あんまりいっぺんに言ってもあれだし』

「まだまだ言い足りないけれど……。まぁ、いいわ。じゃあ、次は由比ヶ浜さんかしら」

「え!?あ、あたし!?」

  驚きとともに返事をした由比ヶ浜に向かって、材木座がすがるような視線を送る。その瞳には涙が滲んでいた。

  それを見てさすがに哀れと思ったのか、由比ヶ浜はどうにか褒める部分を探そうと虚空を見つめて言葉をひねり出す。

「え、えーっと……。む、難しい言葉をたくさん知ってるね!」

「ひでぶっ!」

 とどめ刺してんじゃねえよ……。

  作家志望にとって、その言葉はほとんど禁句である。

  だってさ、褒めるところがそれしかないってことなんだぜ?えてして、ラノベを読み慣れてない人が感想を求められた時によく使われる言葉だ。これを言われたらその小説は「面白くない」と言われているにも等しい。

「じゃ、じゃあ、ヒッキーどうぞ」

  由比ヶ浜が逃げるように席を立ち、雪ノ下の陰にちょこんと隠れる。

  どうやら、既に燃え尽きて白くなってしまった材木座を直視するのに耐えられなくなったようだ。

「ぐ、ぐぬぅ。は、八幡。お前なら理解できるな?我のいた世界、ライトノベルの地平がお前にならわかるな?愚物どもでは誰一人理解することができぬ深遠なる物語が」

 ああ、わかってるさ。

  俺は材木座を安心させるように頷いて見せる。材木座の目が「お前を信じている」とそう告げていた。

  なら、答えてやらねば男がすたる。俺は優しく微笑むと、今新しく作った保存済文章のボタンを押した。

『で、あれってなんのパクリ?』

「ぎゃふっ!?ぎ、ぎひ……ぎひひ」

  材木座はごろごろと床をのたうち回り、壁に激突すると動きを止めて、そのままの姿勢でピクリともしない。虚ろな目で天井を見上げ、頰を一筋の涙が伝う。もう死んじゃおっかなーみたいな雰囲気がばしばし出ている。

  びっくりした。思わず携帯取り落としちまったじゃねえか。

  それとすまんな、材木座。俺はたとえ仕事仲間だろうと容赦はしない。

「………あなた、容赦ないわね。私よりよほど酷薄じゃない」

 床に転がった携帯を拾い上げ、ファイルの題名を見たであろう雪ノ下がものすごい勢いで引いていた。

「……ちょっと」

 由比ヶ浜がとんと俺の脇腹をつつく。

  何か他に言うことあるでしょ、と言うことらしい。何を言ってやればいいのだろうか……。少し考えてから、多分一番根本的な部分について言い忘れていたことを思い出した。

  雪ノ下から携帯を返してもらうと、

 つらつらと文章を打ち込み、未だ動かない材木座に向かってボタンを押す。

『まぁ、大事なのはイラストだから。中身なんてあんまり気にすんな』

 

 ーーー

 

  材木座はしばしの間、ひ、ひ、ふぅーと自らの心を落ち着かせるようにラマーズ法を繰り返してから、生まれたての子鹿のように手足をぷるぷる震わせながら立ち上がった。

  そして、パンパンと体についた埃を払うとまっすぐに俺を見る。

「………また、読んでくれるか」

  思わず耳を疑った。何を言っているのかよく理解できず俺が呆けていると、再び同じことを聞いてきた。今度はさっきよりもはっきりと力強い声で。

「また読んでくれるか」

  熱い眼差しを俺と雪ノ下に向けてくる。お前………。

「ドMなの?」

  由比ヶ浜が俺の陰に隠れて材木座に嫌悪の視線を向けていた。変態は死ねと言わんばかりだ。いやそうじゃねぇよ。

『お前、あんだけ言われてまだやるのかよ』

「無論だ。確かに酷評されはした。もう死んじゃおっかなーどうせ生きててもモテないし友達いないし、とも思った。むしろ、我以外みんな死ねと思った」

  いや、お前はその顔だったら中二病直せば絶対モテるけどな。

『そりゃそうだろうな。俺でもあれだけ言われたら結構へこむ』

  しかし、材木座はそれらの言葉を飲み下して、それでも言うのだ。

「だが、それでも嬉しかったのだ。自分が好きで書いたものを誰かに読んでもらえて、感想を言ってもらえると言うのはいいものだな。この想いになんと名前を付ければいいのか判然とせぬのだが。……読んでもらえると、やっぱり嬉しいよ」

 

 そう言って、材木座は笑った。

 それは剣豪将軍の笑顔ではなく、時々見る材木座義輝の笑顔。

 ーーーああ、なるほど。

  こいつは中二病ってだけじゃない。もう立派な作家病に罹っているのだ。

  書きたいことが、誰かに伝えたいことがあるから書きたい。そして、誰かの心を動かせたならとても嬉しい。だから、何度だって書きたくなる。たとえそれが認められなくても、書き続ける。その状態を作家病と言うのだろう。

  なんというか、眩しいな。何度も何度も全て握り潰されて、絶望してしまった俺にはこの純粋な笑顔は、少し眩しい。

 それでも、俺の答えは決まっていた。

『ああ、読むよ』

  読まないわけがない。だって、これは中二病を突き詰めた結果、こいつがたどり着いた境地だから。病気扱いされても白眼視されても無視されても笑い者にされても、それでも決して曲げることなく諦めることなく妄想を形にしようと足掻いた証だから。

 

 ーーーもし、その貫き通す意思がこの手にあったのなら。俺の人生はもう少し楽だったのだろうか。拒否されるだけの醜悪な理性の怪物にならずにすんだのだろうか。

 

  この手に入ってくるものは、全部全部壊れてしまう。人も。物も、何もかも。

 羨ましいな。

「また新作が書けたら持ってくる」

  そう言い残して、材木座は俺たちに背中を向けると、堂々とした足取りで部室を後にした。

 閉じられた扉がいやに眩しく見えた。

  歪んでても幼くても間違っていても、それでも貫けるならそれはきっと正しい。誰かに否定されたくらいで変えてしまう程度なら、そんなものは夢でもなければ自分でもない。だから、材木座は変わらなくていい。それが材木座義輝という人間なのだから。

  少し、妬ましい。俺が唯一無くすことがなかったのは、無くせなかったのは俺という存在だけなのに。

「ヒッキー、なんで泣いてるの………?」

 え?

  そっと自分の頰に手を触れさせれば、一筋の涙が伝っていた。

  まったく、俺もまだまだなようだ。これくらいで泣いてちゃ、情けないな。

(八幡くん……)

  その時雪ノ下がどんな顔をしていたのかを、俺は知らなかった。

 




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