声を失った少年【完結】   作:熊0803

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十四話です。戸塚登場。


14.声を無くした少年は、ボクっ娘と出会う。

  義父さんが珍しく家にいた翌朝、横では小町がジャムを塗ったくったトースト片手に熱心にファッション雑誌を読んでいる。

 

 それを覗きながら、俺は朝のブラックコーヒーを飲んでいた。

 

  『ラブ活』だの『激モテ』だのやたらムカつく言葉が羅列された記事は頭の悪さが咲き乱れていて、うえーっとコーヒーが口の端から流れ出そうになる。

 

  おいマジかよ日本大丈夫かよ。この記事、偏差値換算で25くらいにしか見えねぇぞ。しかも義妹うんうん頷いちゃってるし。どこに共感してんの。

 

  この『ヘブンティーン』たら言う雑誌は、なんでも女子中学生の間で今一番熱いファッション誌で、みんなが読んでいるどころか読んでなかったらむしろいじめられるレベルなんだとか。

 

  小町は「へぇ〜っ」とか感心しつつ、誌面にひとしきりパン屑を落としていた。お前は一人ヘンゼルとグレーテルかよ。

 

 

 時刻は七時四十五分。

 

 

  つんつんと肩を叩き、夢中になって雑誌を読んでいる小町の視線を壁に掛けられている時計に促す。

 

すると、はっとした表情で雑誌をパタンッと閉じて立ち上がる。

 

「うっわやばぁ!」

 

  おいおい待て待て、お前口ジャムだらけだから。

 

  くるっと肩を掴んで振り向かせる。ジャムで真っ赤な口をティッシュで丁寧に全部拭き取ってやった。

 

「ありがとお義兄ちゃん!」

 

  お礼を言うと俺のことなんか気にせず、慌ただしく制服に着替え始めた。パジャマを脱ぐと、なめらかな白い肌と白いスポーツブラと白いパンツが姿をあらわす。

 

 ここで脱ぐなここで。

 

  妹という存在は不思議なもので、たとえ義理であろうと可愛いというだけで特に何も感じない。下着なんてただの布としか思わない。そもそも恩人の娘に手を出すほど、俺は恥知らずでないのだ。

 

  むぅと小町が唸った気がしたが、最近悩み事でもあるのだろうか。

 

  野暮ったい制服に身を包み、その膝丈くらいまであるスカートからパンツを覗かせながら三つ折りソックスを履いているのを横目に、俺は砂糖と牛乳を引き寄せた。

 

  小町は乳強化月間にでも入ったのか最近は牛乳をよく飲むようになった。どうでもいい。

 

  だが、「義妹の飲んだ牛乳」と意味ありげに「」で括ってみるとなんか背徳じみたエロさがあるな。さらに義妹というところでもっとエロくなる。

 

 超どうでもいい。

 

  別に俺が砂糖と牛乳を引き寄せた理由は「義妹の飲んだ牛乳」だからではなく、単純にコーヒーに入れるためだ。

 

  白米代わりにMAXコーヒーが主食とも言われている(言われてない)生粋の千葉好きの俺はコーヒーは甘くなければいけないのだ。練乳ならなおグッド。

 

 いやほらブラックでも飲めるんだけどね。

 

  人生は苦いから、コーヒーくらいは甘くてもいいと思うんだ。

 

「お義兄ちゃん!準備できた!」

 

  義兄がまだコーヒー飲んでるでしょうが……。

 

  俺は再放送で見た「北の国から」の似てないモノマネを心の中でするが、当然小町が気付くはずもなく「ちっこく♪ちっこく♪」と楽しそうに歌っている。

 

遅刻したいのかしたくないのか判断に悩むところだ。

 

  かれこれ一年も前のことだが、一度小町が全力で寝坊して遅刻をかましそうになったとき、自転車の後ろに乗っけて中学まで送ってやったことがある。

 

  それ以来、やたら俺が乗っけていく回数が増えていた。本人曰くお義兄ちゃんの温かさが感じられて落ち着くのだとか。そんなこと言われたら逆らえないだろうが。

 

「ほらほら、お義兄ちゃんはやくはやく!」

 

 はいはい、ちょっと待てって。

 

  甘ったるいコーヒーを一気に喉に流し込むと、コップをシンクの中に放り込み玄関を出る。

 

  車庫から自転車を出し跨ると、後ろの荷台に小町が腰を下ろした。ぐいっと俺の体に腕を回してしっかりと抱きついてくる。

 

「レッツゴー!」

 まったく……。

 

  自転車の二人乗りは道路交通法で禁止されているが、小町はお世辞にも精神年齢が高いとは言えないので大丈夫だろう。

 

 軽快に走り出すと、小町が話しかけてきた。

 

「事故ったりしないようにね。あのとき本当に心配したんだから」

 

 へいへい、安全運転を心がけますよ。

 

 

 

  俺は高校入学初日、交通事故に遭っている。

 

 

 

 入学式、新しい生活に少なからずわくわくしてしまい、一時間も早く家を出てしまったのだ。

 

  七時ごろだっただろうか。高校付近で犬の散歩をしていた女の子の手からリードが離れ、そこへ折悪しく金持ってそうなリムジンが来た。

 

  気がついた時には走り出し、小脇に犬を抱えると裏拳でリムジンを殴り飛ばした。

 

  いくら俺が人外の肉体を持っていようと、乗用車一台分の衝撃を受けた左腕は粉砕骨折。速攻病院行きに。

 

  入学ぼっちが確定した瞬間である。あいつにも後でこっぴどく叱られた。

 

  事故の結果、ぴかぴかのリムジンはエンジンルームが大破。投げ飛ばした新品の自転車も全壊とはいかずもぼろぼろになった。

 

  常人の十数倍の自然治癒力を持っていたのが救いだ。

 

  救いがなかったのは、俺のお見舞いに大量の仕事仲間がなだれ込んで来たことである。あれ後で俺が怒られたんだぞ。

 

「でもさ、お兄ちゃんの体がトチ狂ってて良かったよね。ぼろぼろだった腕がみるみる治ったんだから」

 

 いや、トチ狂ってたってお前な……。

 

  自覚していても、第三者に言われるとやはり応えるものがある。

 

 なので、とりあえずチョップしてやった。

 

  小町がぶーぶー文句を言うが、無視して自転車をこぐ。

 

「そういえば、あの事故の後、あのわんちゃんの飼い主さん。うちにお礼に来たよ」

 

 え、そうなの?知らなかったな。

 

「お兄ちゃん寝てたから、小町が代わりに出たんだよ。で、お菓子もらった。おいしかった」

 

  ねぇ、それ確実に俺食べてないよね?なんでお義兄ちゃんに黙って全部食べちゃうの?

 

 俺が顔だけ振り返ってギロリと睨むと、小町は「てへへっ☆」みたいな照れ笑いを浮かべた。あざとい。けど可愛い。

 

「あ、でも、同じ学校だったから会ったんじゃないの?学校でお礼言うって言ってたよ?」

 

 キキッと思わずブレーキをかけてしまった。

 

  あうっ!と悲鳴をあげながら小町が俺の背中に顔をうずめる。

 

「いきなりなにー?」

 

  いや、なんでそう言うのもっと早く教えないんだよ。名前とか聞いてないの?

 

  口パクでなまえと言うとなんとか伝わったようで、考え始める小町。

 

「……『お菓子の人』?もしくは『おっぱいがおっきい人』?だったかな?』

 

  お中元かよ。『ハムの人』みたいに言うな。それに身体的特徴だけじゃわからんわ。

 

「んー、忘れちゃった。あ、もう学校じゃん。小町行くね」

 

  そう言うや否や、小町はひらりと自転車から飛び降りて、校門めがけて駆け出していく。あのガキ逃げやがったな……。

 

  遠ざかる背中にジト目を送っていると、校舎へ消える直前、小町はぴしっと敬礼してくる。

 

「言ってくるであります!お義兄ちゃん、ありがとー!」

 

  そう言って笑顔で手を振られてしまうと、少し可愛いげを感じる。俺が手を振り返すと、小町はそれを確認してから「車に気をつけるんだよー」と付け足してきた。

 

  俺はやれやれとばかりに軽くため息をつくと、自転車を旋回させて高校へと向かう。

 

 例の飼い主がいると思われる高校へ。

 

  別に会ってどうこうってわけじゃない。ただちょっと興味があっただけだ。

 

  けれど、入学して一年以上経つのに出会わないということは向こうにその気はないんだろう。……まぁ、そんなもんさ。たかだか犬を助けて骨折した程度のもんだ。家にまでお礼にくりゃ充分だろう。

 

  ふと、自転車の前カゴに視線を落とすと、そこには俺のじゃない通学鞄があった。

 

 ……あのアホ。

 

  すぐさま自転車を方向転換させて走り出すと、向こうから小町が涙目で走ってくるのが見えた。

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 

 

 

 月が替わると、体育の種類も変わる。

 

  我が学校の体育は三クラス合同で、男子総勢六十名を二つの種目に分けて行う。

 

 加えて言うならばうちの学校は高校生にもなって男女合同で体育をやるかなり珍しい学校なので、女子も同様だ。

 

  この前までやっていたのはバレーボールと陸上。今月からはテニスとサッカーだ。

 

  俺も材木座もチームプレーより個人技に重きを置くファンタジスタ的存在なので、体育のサッカーではむしろチームに迷惑をかけるだろうと判断し、テニスを選んだ。

 

  だが、今年はテニス希望者が多かったらしく、壮絶なじゃんけんの末、俺はテニス側に生き残り、材木座は敗北の末サッカー側へと振り分けられてしまった。

 

「ふぅ、八幡。我の『魔球』を披露してやれないのが残念でならん。お前がいないと我は一体誰とパス練習をすればいいのだ?」

 

  お前絶対手加減しろよ。下手したら常人じゃ目で追えないスピードになるから。

 

 テニスの授業が始まる。

 

  適当に準備運動をこなした後、体育教師の厚木から一通りのレクチャーを受けた。

 

「うし、じゃあお前ら打ってみろや。二人一組で端と端に散れ」

 

  そう厚木が言うと、みんなが三々五々めいめいにペアを組んでコートの端と端へと移動した。

 

  俺は厚木に近寄り、その肩をとんとんと叩く。

 

「ん?どうした?」

 

  自分の喉を指し示す。すると俺が誰だかわかったのか、神妙な顔をして頷いた。

 

  頷き返すと、移動して壁打ち用のスペースでぽこすかとやり始める。

 

  何でも教師全員に俺のことは伝わっているらしく、今のようにペアでやることは全部免除されている。その代わり俺は一人の時間を得ると言うわけだ。

 

  お陰でより集中して色々とできるので、中途半端に得意なものが結構あったりする。

 

  打球を打ってただ正確に打ち返すだけの作業を繰り返す。きっと他の奴が見れば球が三つに見えていることだろう。

 

  当然だ、一分間に三十回くらい打ち返しているのだから。残像くらい残るだろう。前に暇すぎてやっていたら、なんかできるようになった。

 

  クラスの女子の数人がこちらをチラチラと見ている気がするが、あまり気にしない。

 

  周囲では派手な打ち合いできゃっきゃと騒ぐ男子の歓声が聞こえてきた。

 

「うらぁっ!おおっ!?今のよくね?やばくね?」

「今のやーばいわー、絶対取れないわー、激アツだわー」

 

  絶叫しながら、実に楽しそうなラリー練習をしている。

 

  うっせーなこの野郎と思いながら顔だけ振り返ると、そこには葉山の姿もあった。

 

  葉山はペア、と言うより4人組カルテットを形成している。クラスでもよくつるんでいる金髪のチャラ男と後の二人は誰だろう。見覚えがないからたぶんC組かI組の人間なのだろうが。

 

  何れにせよ、オシャレオーラを振りまきながらそこだけとても華やかな雰囲気だった。

 

  葉山の打球を打ち損ねた金髪が突然「うおーっ!」と叫んだ。誰しもが何事かとそちらを向く。

 

「やっべー葉山くん今の球、マジやべーって。曲がった?曲ったくね?今の」

「いや、打球が偶然スライスしただけだよ。悪い、ミスった」

 

  片手をあげてそう謝る葉山の声をかき消すように金髪はオーバーアクションで返す。

 

「マッジかよ!スライスとか『魔球』じゃん。マジぱないわ。葉山くん超ぱないわ」

「やっぱそうかー」

 

  調子を合わせるようにして楽しげに笑う葉山。すると、葉山たちの横で打っていた二人組が声をかけていた。

 

「葉山くん、テニスもうまいじゃん。さっきのスライス?あれ俺にも教えてよ」

 

  そう言って近づくのは、髪こそ茶髪だが顔立ちは大人しめの男子。たぶん同じクラスのはずだ。名前は知らないが、俺が名前を知らない時点で大した存在ではないだろう。

 

  瞬く間に6人組セクステットになる葉山グループ。つられてテニスを取っていた女子たちがキャーキャー騒ぎ始める。数人は呆れた視線を向けて打ち合いを続けていたが。

 

 今やこの体育の授業における最大与党だ。それにしてもセクステットってセクロイドに似てるよねはいはいエロいエロい。お、四十回に上がった。

 

  俺の手元はともかく、こうしてテニスの授業は葉山王国となった。葉山グループに非ずんば体育するべからず的な雰囲気である。

 

 残った数人は真面目なやつなのだろうか、葉山たち以外は静かになる。言論弾圧反対。ていうか葉山死ね。

 

  葉山グループは騒いでいる印象が強いが、葉山自身が積極的に声を出しているのではなく、周りの連中がうるさい。というか、大臣役を買って出ているあの金髪がうるさい。

 

「スラーイスッ!」

 

 ほら、うるさい。

 

  金髪の放った打球は全くスライスすることなく、葉山から外れてコートの片隅、つまり俺のところに飛んでくる。

 

  俺は振り返ることもせずに飛んできたボールをキャッチすると、手首のスナップだけで返した。

 

 それは寸分違わず葉山の鳩尾に飛んでいく。

 

「っつ!」

  ちっ、取られたか。ささやかな嫌がらせのつもりだったのだが。

 

  そんなことを考えながら、そろそろ五十回もいけるかな?何て間抜けなことを試し始める俺であった。

 

 

 

 

ところでなんでさっき俺をチラ見していた女子たちはキャーキャー騒いでいるのだろう。

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 

 

 

 昼休み。

 

  いつもの俺の昼食スポットで飯を食う。特別棟の一階。保健室横、購買の斜め後ろが俺の定位置だ。位置関係でいえばちょうどテニスコートを眺める形になる。

 

  自宅で作ってきた弁当の中身をもぐもぐと食べる。

 

 安らぐ。

 

  ポンポンと一定の間隔で打たれる鼓のような音が俺の眠気を誘っていた。

 

  昼休みの間は女テニの子が自主練習をしているようで、いつも壁に向かい、打っては返ってくる球をかいがいしく追い、また打ち返している。

 

  その動きを目で追いながら本日の昼食を八割型食べ終える。もうじき昼休みも終わるだろう。ズズーッとパックのレモンティーを啜っていると、ひゅうっと風が吹いた。

 

 風向きが変わったのだ。

 

  その日の天候にもよるが、臨海部に位置するこの学校はお昼を境に風の方向が変わる。

 

 朝方は海から吹き付ける潮風が、まるでもといた場所へ帰るように陸側から吹く。

 

  その風を肌で感じながら一人で過ごす時間が俺は嫌いじゃない。

 

「あれー?ヒッキーじゃん」

 

  その風に乗って聞き覚えのある声がした。 見れば、また吹き付けてくる風にスカートを押さえた由比ヶ浜が立っている。

 

「なんでこんなとこにいんの?」

 

  弁当箱を持ち上げて、卵焼きをぱくっと口に入れた。

 

「へー、いつもここで食べてるの?教室で食べればよくない?」

 

  心底不思議という顔をしながら聞いてきた由比ヶ浜に、俺は思わず沈黙を返してしまった。それができたらここで飯なんか食ってないっつうの。

 

 話題を変えよう。携帯を取り出す。

 

『それよかなんでお前ここにいんの?』

「それそれっ!じつはね、ゆきのんとのゲームでジャン負けしてー、罰ゲームってやつ?」

『俺と話すことが?』

 

  なにそれひどすぎる。あいつに嫌われるようなことしたっけ。

 

「ち、違う違う!負けた人がジュース買ってくるってだけだよー」

 

  由比ヶ浜は慌ててぶんぶんと手を振り否定した。なんだーよかったーうっかり引きこもっちゃうところだったわー。

 

  ほっと胸を撫で下ろすと、由比ヶ浜は隣にちょこんと座ってきた。

 

「ゆきのん、最初は『糧くらい自分で手に入れるわ。そんな行為でささやかな征服欲を満たしてなにが嬉しいの?』とか言って渋ってたんだけどね」

 

 うわー、あいつ言いそう。

 

 思ったことをそのまま文字にする。

 

『あいつらしいな』

「うん、けど『自信ないんだ?』って言ったら乗ってきた」

 

 ……あいつらしいな。

 

  あいつはやたらにクールに振る舞っているが、勝負事に関しては極度の負けず嫌いだった。先だっての平塚先生の挑発にも乗ってたし。

 

「でさ、ゆきのん勝った瞬間、無言で小さくガッツポーズしてて……、もうなんかすっごい可愛かった……」

 

 なにそれ見てみたい。

 

  ふぅと、由比ヶ浜は満足げなため息をついた。

 

「なんか、この罰ゲーム初めて楽しいって思った」

『前にもやってたのか?』

 

 俺が問うと、由比ヶ浜はこくっと頷く。

 

「前にちょっと、ね」

 

  言われてふと思い出す。そういや、昼休みの終わりぐらいに教室の一角でじゃんけんしちゃぎゃあぎゃあ喚いてた頭の悪そうな集団がいたな。

 

『内輪ノリってやつか。ふん』

 

  『リア充(笑)会話用』フォルダから文章を選び出す。

 

「なによ、その反応。感じ悪。そういうの嫌いなわけ?」

『内輪ノリとか内輪ウケとか嫌いに決まってんだろ。あ、内輪揉めは好きだ。なぜなら俺は内輪にはいないからなっ!』

「理由が悲しい上に性格が下衆だっ!?」

 

 ほっとけ。

 

  由比ヶ浜は吹き抜ける風に髪を押さえながら笑う。その表情は教室で三浦たちといた時とはまた違っていた。

 

  ああ、そうか、たぶん、だが、メイクが前ほどきつくない。よりナチュラルなものに変わっていた。

 

 もしかしたらもっと前から変わっていたのかもしれない。けどまぁ、女子の顔をじろじろ眺めるなんてないからな。わかんねーよ。

 

けれど、これも彼女が変わったことの証なのだろう。些細な変化だけれども。

 

  素顔に近い由比ヶ浜の顔は、笑うと目が垂れて童顔がさらに幼気なものになる。

 

「ていうか、ヒッキーだって内輪ノリ多いじゃん。部活でゲームしてる時とか楽しそうだし。 あー、私は入れないなーとか思うときあるし」

 

  言いながら、由比ヶ浜は自分の膝を抱え込むようにして顔をうずめ、こちらを伺うように上目遣いで見てくる。

 

「あたしももっと話したいなー、とか。……べ、別に変な意味じゃなくて!ゆ、ゆきのんも一緒にってことだよ!?ちゃんとその辺わかってる!?」

『安心しろ、お前相手に勘違いすることは絶対にないから』

「どういう意味だっ!?」

 

 がばっと顔をあげて、ぷんすか怒る由比ヶ浜。殴りかかろうとするのをどうどう待て落ち着けと手で制しつつ、俺は文字を連ねる。

 

『ま、お前はともかく雪ノ下は別、かな』

「なんでっ!?」

『これ以上は喋らん』

「ヒッキーだけに贔屓だっ!?」

 

  うるさいなー、という顔をしながら憤慨する由比ヶ浜を受け流す。つーか、今のギャグ寒っ。

 

  一通り騒ぐと落ち着いたのか、由比ヶ浜は微笑を浮かべながらテニスコートを見た。

 

 つられて俺もそちらへと顔を向ける。

 

  ちょうど先ほど自主練していた女テニの子が汗を拭いながら戻ってくるところだった。

 

「おーい!さいちゃーん!」

 

  由比ヶ浜が手を振って声をかける。知り合いだったらしい。

 

  その子は由比ヶ浜に気づくと、とててっとこちらに向かって走り寄ってくる。

 

「やっはろー。練習?」

「うん。うちの部、すっごい弱いからお昼も練習しないと……。お昼も使わせてくださいってずっとお願いしてたら、やっと最近OK出たんだ。由比ヶ浜さんと比企谷くんはここで何してるの?」

「やー別になにもー?」

 

  そう言って由比ヶ浜はだよね?と俺を振り返る。いや俺は飯食ってたし、お前はお使いの途中なんじゃないの?鳥かよ、すぐ忘れんなよ。

 

  そうなんだ、とさいちゃんたらいう生徒はくすくす笑った。

 

「さいちゃん、授業でもテニスやってるのに昼練もしてるんだ。大変だねー」

「ううん、好きでやってることだし。あ、そういえば比企谷くん、テニスうまいよね」

 

  予想外に俺に話が振られて当然のごとく驚いてしまう。なんで俺のこと知ってんの。

 

  聞こうと思ったことはいくらでもあるのだが、それより先に由比ヶ浜がへーっと感心するような吐息を漏らした。

 

「そーなん?」

「うん、フォームがとっても綺麗なんだよ」

 

 

 いやー照れるなーはっはっは。

『で、誰?』

 

  ボタンは押さず直接由比ヶ浜に携帯を見せる。しかし、さいちゃんとやらに見えないようにしたのに、このアホはそれをぶち壊しにした。

 

「っはあぁっ!?同じクラスじゃん!なんで名前覚えてないの!?信じらんない!」

 

ばっかこの野郎!俺の気遣いを無駄にしやがって!つーか俺がクラスメイトの名前覚えてるわけねぇだろ!この子不機嫌にさせてたらどうしてくれんの!?

 

  そう思ってさいちゃんのほうを見ると、さいちゃんは瞳をうるうるっとさせてた。この瞳はやばい。犬で言えばチワワ級、猫で言えばマンチカン並みの可愛いいじましさを感じさせる。

 

「あ、あはは。やっぱりぼくの名前覚えてないよね……。同じクラスの戸塚彩加です」

『すまん。クラス替えからあんま時間経ってないから、つい、こう、な』

 

 慌てて文字を打ち直す。

 

「一年の時も同じクラスだったんだよ……。えへへ、ぼく影薄いから……」

 

  へえ、一人称がぼくってことは男なのか?こんな見た目で男子とか、神は性別を間違えている。

 

『いや、そんなこともないだろう。ほら、あれだ。俺あんまりクラスに関心がないからな。お前男にしちゃ可愛いし、普通放っておかないだろ』

 

  数分かけてそう答える。

 

「かわっ!?」

 

  あ、やべ、まずった。男子に可愛いは禁句だ。

 

 案の定戸塚は赤面して俯いてしまう。

 

「むー、ずるい!あたしには可愛いなんて言わないくせに!」

『はいはい可愛いねー』

 

『小町受け流し用』フォルダ起動。

 

「ちょーテキトーだっ!?」

「…由比ヶ浜さんとは仲良いんだね」

 

  戸塚はぽそっと言ってから、俺に向き直った。

 

「ぼく、普通に女の子なんだけどなぁ……。で、でも、可愛いって言ってもらえたのは、初めてかも」

 

 え。

 

  ピタッと俺の動きと思考が停止した。それからばっと由比ヶ浜のほうを見る。マジで?と視線で問うと、由比ヶ浜は先ほどの怒りも冷めやらぬのか、頰を朱に染めたままでうんうんと頷く。

 

 戸塚はボクっ娘でした。

 

  えー、まじでー?嘘だー。やらかしちゃったじゃん俺。

 

  弁当を横に片付けると、ぴしっと正座をする。そして深く頭を下げた。いわゆるドゲザである。ほんっとうにすんませんした!

 

「え、ひ、ヒッキー!?」

「比企谷くん!?」

 

  頭を下げ続ける。二人があわあわしているのがありありと脳裏に浮かんだ。

 

「だ、大丈夫だから!頭上げて!お願い!目立ってる、目立ってるから!」

 

 む、そこまで言うなら……。

 

  頭を上げて座り直すと、ふぅと安堵した表情を浮かべた。

 

『とにかく、だ。悪かったな。知らなかったとはいえ、やな思いさせて』

 

 男扱いされて嬉しそうにする女の子はいないだろう。他人と関わりのない俺でもわかる。

 

  俺がそう書くと、戸塚は瞳にたまった涙をぶんぶんと振り払ってからにっこりと笑う。

 

「ううん、別にいいよ」

「それにしてもさいちゃん、よくヒッキーのこと知ってたね?」

「え、あ、うん。だって比企谷くん、目立つもん」

 

  戸塚の言葉を聞いて由比ヶ浜があー、とうなる。なんだよ。

 

「確かにあれは目立つよねー」

「うんうん」

 

 だから何が?

 

  俺がはてなマークを頭上に浮かべていると、二人は苦笑いした。

 

「だって三球同時に壁打ちするとか、普通の人はできないよ?」

「途中からいつの間にか四球に増えてたしねー」

 

  や、正確には一つの球を毎分四十回打ち返してるだけなんですが……。

 

  そんなことをわいわいと話していると、昼休み終了を告げるチャイムが鳴った。

 

「戻ろっか」

 

  戸塚が言って、由比ヶ浜も後に続く。俺はそれを見て慌てて残りの弁当をかっこんだ。

 

「ヒッキー?なにしてんのー?」

 

 振り返った由比ヶ浜が怪訝な顔をしている。戸塚も立ち止まってこちらを向いた。

 

  お茶で弁当を胃の中に流し込むと、ふと一つのことを思い出した。

 

 携帯に文字を打ち込んで、由比ヶ浜に向かってボタンを押す。

 

『お前、ジュースのパシリは?』

「はぁ?ーーーあっ!」

 

 

 

 おい。

 




戸塚をヒロインにしたいがために常識と世界の理を捻じ曲げました。
後悔はしていません。
長くてすみません。矛盾点や要望があればお願いします。

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