戸塚の依頼から少し経った。
俺たちの試合を見て何か思うことがあったのか、次の日の昼休みから戸塚はめちゃくちゃやる気をみなぎらせていた。結果、全体的な能力の向上が見込めた。依頼は成功と言えるだろう。
で、こうして今教室で寂しく一人語りをしているわけだが、ここ最近の回想をしているのは何も自分の人生を振り返っているわけではない。平塚先生にダメ出しされた課題の再提出用紙に書く内容を考えているのだ。
「高校生活を振り返って」
青春。
この二文字を見て、様々な人間がそれぞれ別のことを感じさせるだろう。
既に社会に出て働いているものたちには懐かしさを、うら若き乙女には永久の憧れを、クラス内で談笑している派手めなグループには限りある思い出の作り場を、そして、俺のような人間には強い負の感情を。
俺の学生生活は、昔から決して楽なものではなかった。いくつかの時を除いて、ただ白と黒に埋め尽くされたモノクロームの世界だった。
静かに時が過ぎるのを待ち、気がつけば交通事故から始まった高校生活は既に一年という長い時間を減らしていた。
黙々と学業をこなし、休日には図書館へ訪れ、およそ青春を謳歌しているとは決して言えない生活であった。
だが、それが悪いとは言わない。むしろ、それに感謝している節さえある。
その時間は、自らに何があっても動じない心と新しい知識、成長するための考える時間をもたらした。
この一年があったからこそ、今の自分がいる。
それを踏まえた上で、強く宣言しよう。今の自分には、成したいことがある。一つの部活に入り、一つの出会いを得た。なればこそ、昔から抱え続けたこの願いとともに足を踏み出し、高校生活という名の青春を謳歌する。
この課題の問いに答えよう。
高校生活を振り返って。その問いに対して、俺はこう答える。
と、そこまで書いてから筆が止まる。
最後の一言がどうしても浮かばず、気がつけばホームルームが終わってから三十分ほどが経っていた。
続きは部室で書くか……。
そう考えて原稿用紙と筆記用具を手早く鞄に放り込むと、誰もいない教室を後にした。
特別棟へと続く廊下にも誰もおらず、運動部の張り上げる声が反響している。
今日も雪ノ下は部室で本を読んでいるのだろうか。あいつとの空間なら、落ち着いて作文の続きができる。
それに、あの部活にほとんど人は来ないしな。
たまーにおかしなやつらが来るが、大方の生徒は悩みなど自己解決するか、親しい友人に話して消化していく。
本来ならばそれが正しい姿で、望まれる姿勢だ。それができないからこそ、俺や雪ノ下、材木座はどうしても周りとはズレる。
友情、恋愛、夢、そんなもろもろのことは多くの人間にとっては素敵なもので、それに対して悩んでいることすら輝いているんだろう。
しかし、それを綺麗なもので終わらせず、本気で悩んで、がむしゃらに走って、その先にあるものこそが、青春というルールの中で定められたゴールなのではないか。そんなことを、ふと思った。
ーーー
俺が部室のドアを開けると、雪ノ下はいつもと同じ場所で、平素と変わらぬ姿勢で本を読んでいた。
戸の軋む音に気づくと、顔を上げる。
「あら。遅かったわね、比企谷くん」
そう言って雪ノ下は文庫本に栞を挟み込む。相変わらず律儀に挨拶を返してくれる。
ひらひらと手を振るといつもの雪ノ下の正面席、長机の左端の対面に座る。鞄から原稿用紙を取り出して広げた。それをしげしげと眺めながら、雪ノ下は不思議そうな声を上げる。
「それは何かしら?」
『レポートの再提出だ』
携帯を取り出してそう答えると、雪ノ下はああ、と漏らした。
「そういえば、そのようなことも言っていたわね」
こくりと頷く。
それきり会話は途絶え、静かな部室の中を秒針の音が支配する。それによって、一つ違和感があることに気がついた。
『由比ヶ浜は?』
「今日は三浦さんたちと遊びに行くのだそうよ」
へぇ…あの後、葉山グループの少し空気が微妙だったが、何とか持ち直したのか。三浦もしおらしかったしな。教室で由比ヶ浜もよく話しかけてたし、色々あったんだろう。
「比企谷くんは、今日は相棒さんを連れていないのね」
…ああ、材木座か。
『「今日は修羅場でな……。すまぬが締め切りを優先させてもらう」とか言って帰ったぞ』
携帯から無駄に感情のこもった機械音声が流れる。思わずぷっと吹き出しながら、雪ノ下は呆れたような顔をした。
「ふふっ、口ぶりだけは売れっ子作家ね」
いや、あれを読まされる身にもなってほしい。本文書きもしないのに、イラスト設定とかプロットだけ持ってくるんだぜ?この前とか某主人公がゴム人間の海賊漫画のパクリみたいなのをぎゃあぎゃあと騒いでたし。
はぁ、と思わずため息をつくと、雪ノ下は楽しそうにくすくすと笑った。最初に部室に入った時の印象はどこに行ったのか、最近は昔のこいつを連想させる表情をすることがあるので、いちいち顔を隠すのにも苦労する。本当に覚えてないのかどうかわからなくなってきた。
「邪魔するぞ」
突然、がらっと戸が開く。
「………チッ」
え、ちょっと待って。今こいつ舌打ちしなかった?
俺の疑問などそっちのけで、雪ノ下は入ってきた平塚先生に冷たい視線を向けた。
「平塚先生、入るときはノックを、と何度も言ったはずですが」
「おぉ、すまんすまん」
全く反省してなさそうな仕草でそう言い、手近な椅子を引いて平塚先生は座る。
「それで、何かご用ですか?」
「…雪ノ下、何かあったのか?」
「別に、何も」
つんとそっぽをむきながら雪ノ下がそういう。可愛い。ってそうじゃなくて、話を聞いてくれよ。
目線で伝えると嫌そうな顔をしながらも、雪ノ下は口を開いた。
「平塚先生、要件を言ってください。可及的速やかに」
「なぜ喧嘩腰なのかわからんが…あの勝負の中間発表をしてやろうと思ってな」
ああ、あれ…すっかり忘れてたわ。
「現在の戦績は互いに二勝ずつだ。今の所引き分けということだな。うむ、接戦はバトルマンガの華だ」
バトルマンガうんたらはどうでもいいが、由比ヶ浜、材木座、戸塚の三人しか相談は来てなくないか?何、この人算数できないの?
「私のカウントではしっかり四人いるのだよ。独断と偏見、と言っただろうが」
顔に出ていたのか、平塚先生はそう答える。ジャ◯アンかよ。
「平塚先生、その勝利の基準を教えていただけますか?」
「ふむ、そうだな……」
しばし考えてから、平塚先生は口を開く。
「相談という言葉の相という文字は相対する、という単語にも使われている。つまり、必ずしも向き合って口から出た一つだけが悩みだとは限らないということだよ」
な、なんか無理矢理なこじつけな気がするが…
「つまり、知らぬうちに他にもいずれかの相談者の悩みを解決していた、ということでしょうか」
「そういうことだ」
鷹揚に平塚先生は頷く。それを見て、あのレポートの最後の一文が思いついた。
シャーペンを握り、すらすらとそれを書く。
ーーーこれまでの時間は前座、今までの全てを以って、これからの二年間を様々な手で楽しもう。俺の高校生活は、ここからだ。
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…どうかしら。楽しめた?これは、ほんの始まり。世界から全ての血の繋がりが消えた孤独な彼と、逆に自ら家族との繋がりを嫌っている孤独な彼女。この二人の物語は、ようやくプロローグを終えたわ。
続きは、またいつかあなたたちがここを覗いたときに話しましょう。
かつて誰よりも彼を…いえ、息子を大切に思っていたこの私が、ね。
声を失った少年
第一章 物語は動き出す 終
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