ともあれ、バレンタイン編最終話。
楽しんでいただけると嬉しいです。
注意:この短編には本編では公開していない設定、キャラクターが登場します。ご注意ください。
バレンタインデー当日。
奉仕部の部室には、カリカリと文字を書く音が響いていた。
音は四つ、当然使い手も四人。こうして言うと何かの異能の持ち主っぽいな。いや人外だけど。
頭の隅でそんなくだらないことを考えつつ、手を動かし続ける。仕事も宿題も、やらなきゃ終わらんのだ。
そう考えると、去年の文化祭はマジでおかしかった。雪乃と付き合えたことしかいい思い出がない。
「あれ、これどうやるんだっけ……」
あの日のことを思い出していると、ふと由比ヶ浜の手が止まった。
連鎖的に俺たちの手も止まり、うんうんと唸る由比ヶ浜を見る。
「どこで詰まったのかしら」
「えっと、ここなんだけどさ……」
由比ヶ浜がノートを机の上でスライドさせ、雪乃へ見せた。
こっちから見ると逆さまな文字列を見た我が彼女は、少しの間美しい眉を寄せると黙考した。
すぐに問題点を見つけたのか、すっとルーズリーフからシャーペンを動かし、その場所を指し示す。
「接続詞が間違っているわ。この場合は過去形にするのよ」
「あ、そうだった!ありがとゆきのん!」
疑問が氷解した由比ヶ浜は礼を言い、早速問題に取り掛かった。
が、ものの数分でまた難しい顔に変わる。かと思えばパッと笑い、また訝しげな顔に逆戻りする。
相変わらずの百面相だ。その感情表現のわかりやすさが、由比ヶ浜の美点でもあるのだが。
「…………」
『ん?』
ふと隣を見ると、案の定椅子二つ分くらい間隔を空けて座った八兎はフリーズしてた。
ノートと参考書を見比べて悪戦苦闘する由比ヶ浜を見つめ、完全に手が止まっている。
顔が同じなぶん、なんだか無性に残念な気持ちになって咳払いをした。途端に我に帰り、こちらを見る八兎。
『由比ヶ浜を観察してる暇があったら、さっさと勉強しろ』
「へっ!?」
「あ、そ、そうだよね。ごめん兄さん」
『……おう』
やや間をおいて返事をする。未だに小町以外に兄と呼ばれるのは慣れないな。
そもそも本物の兄弟でもない上に、正確には同一人物のようなもんだ。奇妙な気持ちになるのは仕方ない。
とまあ、それはともかく……八兎は勉強に戻ったものの、今度は由比ヶ浜がチラチラ見だした。
30秒に一回くらい見てはノートに目を落とすの繰り返し、時折八兎と目が合っては互いにそらしている。
……お前らは付き合いたてのカップルか。
『あー、なんだ』
これ以上はどっちも集中できなさそうだったので、少し大きめの音量で首輪を使う。
先ほどのように全員の手が止まり、今度は俺を見た。
『そろそろ一時間くらい経つし、休憩しないか。ほら、あんまり根を詰めるのもあれだし』
意識が向いたところで、シャーペンを置いて提案する。
ふむと雪乃がつぶやき、互いのことをチラ見している由比ヶ浜たちを見てから少し考え込む。
「……そうね、少し休みましょうか」
数分して、部長のお許しが出た。
「やっと休憩だ〜」
途端に由比ヶ浜がペンを投げ出し、だらしない姿勢で椅子に背中を預ける。
雪乃と八兎が苦笑し、それを皮切りに部室の空気が弛緩していく。
「紅茶を淹れるわね」
『手伝うわ』
二人揃って立ち上がり、四人分の紅茶を用意する。
と言っても、せいぜいマグカップに注がれたものを持っていくだけだ。俺が淹れるより断然美味いし。
なんならこの世で一番美味いまである。毎朝飲んでる俺が言うんだから間違いない。
「どうぞ」
「ありがと!」
「ありがとうございます」
由比ヶ浜と八兎の前にマグカップが置かれ、俺と雪乃も自分の分を持って席に戻った。
皆で紅茶をすすり、ほうと一息つく。
ああ、二月の冷気で冷えた体に暖かさが染み渡っていく。この一杯があるからここはいい。
「いやぁ、やっぱ家でやるよりここでやったほうがいいな〜。ゆきのんたちもいるし、お茶飲めるし」
『一人でやってると、どうしても誘惑があるしな』
ちゃんと集中していても、視界の端っこに漫画が映っただけで一気に興味が逸れるとかあるある。
なんならそのまま読み始めて、一時間浪費するまでがワンセット。受験生にとってはまさに悪魔の誘惑だ。
「だからこそ、こうしてわざわざ登校して勉強会を開いているのでしょう」
『そもそも、俺たちは学校来る意味ないしな』
三年生の二月ともなれば、だいたい二つのグループに分かれる。
受験勉強のために部屋に篭りきりか、AO入試、あるいは俺たちのように推薦で決まっているか。
そんな中でわざわざここに居るのは、由比ヶ浜と八兎だけではさっきのようなことが起きて集中できないためである。
ちなみに、俺と雪乃は同じ国公立の文系大学に行った。
「ううー、頭いいの羨ましい」
「あら、不断の努力の賜物よ」
『頭いいと言うよりかは、記憶力がよすぎるだけなんだが』
数学も国語も、要はパターンを覚えさえすればあとはパズルみたいなもんだ。知ってるものに当てはめればいい。
無論相応の努力はしているつもりだが、やはり脳が強化されていることも大きな理由の一つだろう。
数少ない、自分の異常性に感謝をするポイントである。
「とにかく、二人とも助っ人に来てくれてるわけですし。頑張りましょう、結衣さん」
「そうだね。よーし、頑張るぞー!」
元気よく手を振り上げる由比ヶ浜。どうやらやる気を取り戻したようだ。
紅茶を飲み終えたらぼちぼち再開か、などと想いマグカップを傾けていると、ふと視線を感じた。
目線を合わせると、雪乃が何やら真剣な様子でこちらを見ている。
『どうした?』
「……八幡くん。今日がなんの日か、知っているかしら」
んぐっ、と息が詰まり、危うく紅茶を噴いてしまう寸前でどうにか飲み下す。
それでも少量気管に入ってしまい、少し咽せた。いきなりだったので、全く予想してなかったのだ。
「ちょ、ヒッキー大丈夫?」
『ああ』
マグカップを置いて、咳払いすると向き直る。
『で。今日がなんの日か、だったか』
無論、分かっている。
健全な男だったら、誰もが意識するだろう。むしろ気にかけてないのは三次元から解脱した奴とかだ。
バレンタインデー。
それはリア充にとっては幾つチョコをもらったかで競い合い、非リア充にとってはもらえるかどうかを賭ける日。
そいつの交友関係次第で天国にも地獄にも突き落とされるこの日を、もちろん俺も意識していた。
なんなら朝起きた時から気にしてたレベル。もし実家にいれば小町に挙動不審過ぎて気味悪がられてた。
それでも今日一日、雪乃の前ではポーカーフェイスを保ったことを褒めて欲しい。
小町、お義兄ちゃんは頑張ったぞ。
「…………」
どうやら八兎が気付いたようで、由比ヶ浜を見てソワソワし始めた。
かくいう由比ヶ浜も、数秒前まで突然のアプローチに狼狽えていたものの、今や顔を真っ赤にしている。
「その顔は分かっているようね。ほら、由比ヶ浜さん」
「う、うん」
二人揃って鞄の中に手を入れる。その一挙一動を、固唾を呑んで見守った。
「はい、八幡くん。こういう時はハッピーバレンタイン、と言うのかしら」
「は、はい!八兎くん、あげる!」
程なくして差し出されたのは、綺麗にラッピングされた長方形の箱。
内心飛び跳ねるほどの寒気を覚えながらも、どうにか抑え込んで恭しく受け取った。
『ありがとう雪乃』
「ええ。もちろん本命よ?」
『言われなくても分かってるっての』
むしろここで義理ですなんて言われたら、冗談でも窓から飛び降りて全力で記憶を消すまである。
「あ、ありがとう……」
「あのっ、わ、わたしも……ぎ、義理じゃないからっ!」
「う、うん!」
あっちもどうやら受け取れたようだ。自分と同じ顔が真っ赤になっているのを見ると、なんとも不思議な気持ちになる。
「ヒッキーにも。友チョコあげる」
『おう、サンキュ』
八兎に渡したものより、ひと回り小さな物を渡された。
別に市販品でもよかったんだが、わざわざこっちも手作りしている辺りが由比ヶ浜らしい。
ともあれ、念願の雪乃からのチョコを手に入れた。ついでに由比ヶ浜からも。
今の俺は世界一幸せな男だと断言できる。いや、恥ずかしいからしないけどね。
安堵と喜びを覚えつつ中を覗くと、入っていたのはガトーショコラだった。見たところ手作りっぽい。
「甘さは控えめにしたから、紅茶とも合うはずよ」
『だから今渡したのか』
確かに、また勉強しだしたら意識が集中して渡す雰囲気ではなくなるだろうな。
もしかして最初から狙っていたのだろうか。少なくとも紅茶を淹れた時点で、想定はされていたと見ていい。
「ねえ、兄さん」
『なんだ?』
八兎を見ると、照れ臭そうな、それでいて嬉しさを隠し切れない曖昧な表情で笑う。
「もう少し、休憩を長くしていいかな?」
……まあ、せっかく貰ったしな。
あっちは元からそのつもりで渡してきたようだし、今この場で食べてしまってもいいだろう。
いいか?と目線で聞くと、二人は笑顔で頷く。
『そういうことなら……雪乃、もう一杯紅茶を貰ってもいいか』
「ええ、もちろんよ」
それから俺たちは、紅茶とガトーショコラを味わいながら存分に休憩時間を堪能した。
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