声を失った少年【完結】   作:熊0803

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二十二話です。


22.声を無くした少年は、天敵の依頼を聞く。

  中間試験二週間前。予定通り俺たちはファミレスで勉強会をしているが、由比ヶ浜はなんでか不機嫌そうな顔をしている。

『どうしたんだ?』

「あのさ…どうして二人とも音楽聴いてるわけ!?」

  そう言って由比ヶ浜は、俺たちの耳につけられたイヤホンとヘッドホンを指差す。いや、どうしてって言われても…

『音楽聴いてやると、周りの雑音が消えるからだよ』

  それに、頭に音楽流し込むといつも茶化してくるあいつが静かになるしな。

「そうね。そして音楽も聞こえなくなると、集中しているいい証拠になりモチベーションが上がるのよ」

「そうじゃないよ!勉強会ってこうじゃないよ!」

  ばんばんとテーブルを叩いて由比ヶ浜は抗議する。すると、雪ノ下は顎に手をやり、考え込むような仕草をした。

「……じゃあ、どんなのが勉強会なの?」

「えっと、出題範囲確認したり、わからないとこ質問したり、……まぁ、休憩も挟んで、あとは相談したり、それから、情報交換もしたり。たまには……雑談もするかなぁ?」

  ただ喋ってるだけじゃねえか。あいつに連れてかれた勉強会と何も変わらん。

「そもそも勉強というもの自体が一人でやるようにできているのよね」

  雪ノ下が何か悟ったように言った。まあ、普通はそうだよな。俺とか特に。

  最初こそ納得のいかない表情を浮かべていた由比ヶ浜だったが、俺と雪ノ下がひたすら無言で勉強していると、諦めたのかため息をついて雪ノ下に出された問題をやり始めた。

  そのまま十分、二十分と時間は過ぎていく。

  ふと二人を見てみると、由比ヶ浜は小難しそうな顔で手を止めており、雪ノ下は逆にすらすらと数学の問題集を解いていた。

  あまりの集中度合いに声をかけるのが躊躇われたのか、由比ヶ浜は俺に視線を向けた。

「あ、あのさ……この問題なんだけど……」

  おずおずと差し出された問題を見て、簡単なヒントのみを端に書く。由比ヶ浜はふむふむと頷き、また集中し始めた。

  おバカだが真面目に勉強できるところは美点だな、と思いながらアイスティーを口に運ぼうとすると、妙にグラスが軽いことに気がついた。目線を落とせば、そこには空になったグラスが。

  おかわりを持ってこようと立ち上がると、その拍子にレジが視界に入った。

  レジでは、見覚えのあるセーラー服に身を包んだ小柄な少女と、学ランを着た男子が楽しそうに笑っている。あれって、もしかして小町か?

  俺の視線に疑問を覚えたのか、由比ヶ浜の目がレジに向き、そして小さく息を漏らした。

「あ……」

  どうしてここにいるか聞こうと思い、近づこうとするがその前に小町と男子は店から出ていってしまった。諦めた俺はさっさとアイスティーを入れると席に戻る。

「あー、えっと、今の妹さん?」

『ああ』

  一緒にいたあの男子は、もしや彼氏とかだろうか。ま、誠実で小町を大切にしてくれるやつなら文句は言わない。義父さんは血反吐吐くだろうが。

「放課後デート、とかかな?」

『清いお付き合いをしてるなら何でもいいさ』

  俺がそう書くと、由比ヶ浜はほへーと感心したような声を上げる。

「文句とか言わないんだ」

  そりゃあどんなに大切でも、妹の恋愛事情に口を出すほど俺は子供じゃない。小町なら悪い男に引っかかる心配はあんまりないしな。

「小町ちゃんはもう彼氏がいるのかー。…私も頑張らないと」

 ? 最後の部分がよく聞き取れなかった。

  小さい頃は「お義兄ちゃんのお嫁さんになる!」とか言ってた小町が成長したなぁ、なんて考えながら、俺は勉強を再開するのだった。

 

 ーーー

 

 翌日、授業が終わった後の休み時間。

  教室はざわざわと喧噪に満ちていた。授業から解放されたクラスメイトたちは、親しげに友人と話している。

  普段もわりと騒がしいが、今日は一段と騒がしい。恐らく、昨日帰りのHRで担任が言った「職場見学」のグループ分けの件が原因だろう。グループと見学場所を決めるのは明後日のLHRなのにな。

  「どこ行く?」という会話はあっても、「誰と行く?」という会話にならないあたり、このクラスではほとんどの人間が特定のグループを形成しているということなのだろう。

  まあ、別におかしいことではない。人間であれば群れるのは当然だ。悪いのは、そこから生まれるいじめやスクールカーストと呼ばれる差別だろう。人類皆兄弟なんて多分俺が世界で一番信じてないが、やはり気分は悪くなるものだ。

  そんなことを考えながら机に頬杖をつき、うとうととしていると、ひょいひょいと小さな手が眼前で振られた。

  なんだ?と顔を上げると、前の席には戸塚彩加が座っている。

「おはよ」

  くすっと微笑むようにして放たれた言葉に一瞬ドキッとしながら、ひらひらと手を振る。

  戸塚はテニスの一件以来、クラスでも話しかけてくるようになった。雪ノ下に加えて普段も癒しが増えて嬉しいです。

「比企谷くんはもう職場見学の場所決めたの?」

  こくりと頷き、携帯に父親の会社と書く。

「そうなんだ…誰と行くとか、もう決めてたりするの、かな?」

  少しためらいがちに、戸塚はそう聞いてくる。

『いや、別に』

「な、なら、僕が一緒に行っても、いいかな?」

  …ふむ。どうするか。まあ、別に大丈夫だろう。むしろ一人で見学に行ったら職員の方々に同情されちゃう。

『いいぞ。それじゃ、一緒の班組むか』

「うん!」

  戸塚は花が咲いたような笑みを浮かべ、元気よく頷いた。やっぱり天使じゃね?

  心底嬉しそうな戸塚の顔を見ながら、そんなバカなことを考えるのだった。

 

 ーーー

 

  放課後。

  いつも通り奉仕部は暇である。雪ノ下は本を読み、俺は勉強をし、由比ヶ浜はぽちぽちと携帯をいじっていた。

「……暇」

  由比ヶ浜が携帯から顔を上げ、ぽつりと呟く。

「むしろ暇な方がいいのよ。それだけ深刻な悩みを抱える人間がいないということなのだから」

  それもそうだ。むしろ、行列が並ぶくらいいたら逆に怖いわ。

「そういえばさー、二人は職場見学どこに行くの?」

『父親の会社だ。そういうお前は?』

「んー、一番近いところかな」

 何その適当感極まりない回答…

「ゆきのんは?」

「私は……、どこかシンクタンクか、研究開発職かしら。これから選ぶわ」

  ふむ、研究開発職か……あれ?これ義父さんの会社ぴったりじゃね?

 ど、どうしよう。誘ってみようか。

  そんなことを考えていると、ちょいちょいとブレザーの裾が引かれる。なんだよ妖怪袖引き小僧かよと思って振り返ると、由比ヶ浜だった。

「し、しんくたんくって何?タンクの会社?」

  耳元に顔を寄せ、由比ヶ浜は声を出す。吐息が耳に当たって少しむず痒い。

「由比ヶ浜さん、シンクタンクというのはねーー」

  俺に代わって、雪ノ下が説明を始める。さりげなくお勉強タイムが始まっていた。

 

 

  それから十五分ほどだっただろうか、雪ノ下がシンクタンクとその周辺のことについて由比ヶ浜に説明し終えると、すでに夕日が海に近づいていた。遠く、海面がきらきらと輝きを放つのが四階の部室からはよく見える。下を見下ろせば、野球部はグラウンドにトンボをかけ、サッカー部はゴールを運び、陸上部はハードルやらマットやらを片付けていた。

  そろそろ部活も終わりの時間のようだ。俺が問題集を閉じるのと、雪ノ下が本を閉じるのは同時だった。少し目が合い、今日もシンクロしたことにお互い苦笑いする。

  いつからか、このシンクロが部活終了の合図になっていた。さくさくと由比ヶ浜も帰る準備を始める。

 結局、今日も誰も相談者は来なかったな…

  帰ってから出てくるであろう小町の夕飯に期待しながら帰り支度をしていると、タンタンっと小気味よくリズミカルに扉を叩く音がした。ちっ、こんな時間に…

  帰る時間が延長されたことに若干イラつきながら、雪ノ下にどうする?と視線で問う。

「どうぞ」

  雪ノ下がそう言うと、扉が開く。ったく、誰だよこんな終わり間近にきた奴は。

「お邪魔しま…す…」

 バキャッ

  そして入ってきた男ーー葉山隼人の顔を見た瞬間、まだ手に持っていたシャーペンを握り潰した。

「ひっ…」

  由比ヶ浜が小さく悲鳴を上げる。おっと、思わず憎悪が溢れ出るところだった。今回はシャーペン一つ逝くだけで済んだか。

  葉山は一瞬顔を青ざめさせるが、すぐに爽やかな笑顔の仮面を被り直して由比ヶ浜の近くの椅子に座る。手早く壊れたシャーペンを片付けて俺も座り直した。通路側に由比ヶ浜と葉山、窓側に俺と雪ノ下という図だ。

「えっと、奉仕部ってここで良いのかな?平塚先生に聞いて来たんだけど」

「ええ、そうよ。…それで、何の用かしら?葉山隼人くん」

  雪ノ下が冷たい声音を出す。どれくらい冷たいかっていうと、雪ノ下の周りの空気だけで冷蔵庫代わりになるくらい。

「実は…」

  葉山はおもむろに携帯電話を取り出し、カチカチと素早くボタンを操作するとメール画面に移行し、それをこちらに見せてくる。

  横から雪ノ下と由比ヶ浜も覗き込む。ちょ、近い近い。

  少し体を引いて二人に場所を譲ると、由比ヶ浜が「あ…」と小さく声を上げた。

  どうした?と目線で問う。すると由比ヶ浜は自分の携帯を取り出して、俺に見せてきた。そこにはさっき会ったメールと同じ文面が。

  それは怪文書とも呼ぶべきメールだ。しかも、それ一つ切りだけでなく、由比ヶ浜の指先が動く度にいくつもいくつも似たような、見るだけで腸の煮え繰り返る文面がスクロールしていく。

  どれも捨てアカウントなのだろう、いくつものアドレスから個人を誹謗中傷するメールばかりだ。

  『戸部は稲毛のカラーギャングの仲間でゲーセンで西高狩をしていた』、『大和は三股かけている最低の屑野郎』、エトセトラエトセトラ。

  要約するとそんな感じの、嘘だか本当だかわからないメール群。そして、大本の捨てアド以外の、クラスメイトらしき人物から転送されているものもちらほらある。これは…

  俺の表情を見てわかったのか、由比ヶ浜は無言で頷く。

「昨日、言ったでしょ?うちのクラスで回ってるやつ……」

「チェーンメール、ね」

  雪ノ下がぽつりと呟く。

  チェーンメール。その名の通り、鎖のように回り回っていく類のメールだ。だいたい末尾に「五人に回してください」とか指定がついている。一昔前のものに例えるならば、「不幸の手紙」のメール版だと思えばいい。

  そのメールを改めて見ながら、葉山は微苦笑を浮かべた。

「これが出回ってから、なんかクラスの雰囲気が悪くてさ。それに友達のこと悪く書かれてば腹も立つし」

  そう言う葉山の表情は先だっての由比ヶ浜のように、正体のわからない悪意にうんざりした顔だった。

  このタイプの悪意は俺が二番目に嫌うものだ。中学の時俺も何度かやられたことがあるが、顔が見えない悪意というのはなかなかに恐ろしい。相手を見つけるのも面倒だし、そのあと『処理』するのにも手間がかかる。

「止めたいんだよね。こういうのってやっぱりあんまり気持ちがいいもんじゃないからさ」

 そう言ってから葉山は、明るく付け足した。

「あ、でも犯人捜しがしたいんじゃないんだ。丸く収める方法を知りたくて…ひっ」

「………」

 甘い。

  相変わらずこいつは甘すぎる。そういうことをする奴は一度完全に潰さなければ、どこかで同じことをする。つまり、自分だけでなく知らない奴にも被害が及ぶのだ。直接関係がなくても、不愉快極まりない。

「チェーンメール……あれは人の尊厳を踏みにじる最低の行為よ。自分の名前も顔も出さず、ただ傷つけるためだけに誹謗中傷の限りを尽くす。悪意を分散させるのが悪意とは限らないのがまたタチが悪いのよ。好奇心や時には善意で、悪意を周囲に拡大し続ける……止めるのならその大本を根絶やしにする必要があるわ。そうでしょう、比企谷くん?」

  よっぽど顔に出ていたらしく、雪ノ下が俺に振ってくる。どうやら同じことを考えていたらしい。

  それにしても、人を貶める行為をして何が楽しいのか。いちいち心を折る手間をかけるこっちの身にもなって欲しい。

「目には目を、歯には歯を、敵意には敵意をもってのスタンスで臨みましょう」

 雪ノ下はきっぱりと言い切る。

  おそらく、雪ノ下は俺以上に苦しんだことだろう。そこにいるだけでも目立つくらいの美貌なのだから。勝手な妄想だが、その時隣にいれなかったことが悔しい。

「ともかく、私たちは犯人を捜すわ。一言言うだけでぱったり止むと思う。その後どうするかはあなたの裁量に任せるわ」

「わ、わかったよ」

  よし、すぐに行動し始めるか。どうするかな。材木座に頼んで犯人の携帯を特定でもしてもらうか。

 

 




切り方、少し変でしょうか。
これから三日もしくは四日おきくらいのペースで投稿できるよう頑張ります。

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