「メールが送られ始めたのはいつからかしら?」
「先週末からだよ。な、結衣」
葉山が答えると、由比ヶ浜も頷く。……ていうか、今自然に名前で呼んでたな。なんというか、リア充ってのは簡単に女子の名前呼ぶ。俺だったらたとえ文章でも女子の名前なんか書けない。そんなことをさらっとやってのける葉山にほんのちょっと尊敬しつつもイラっとする。……今度家で雪ノ下のこと名前で呼んでみようか。いや、やめとこう。小町に変な目で見られる。
「先週末から突然始まったわけね。由比ヶ浜さん、葉山くん、先週末クラスで何かあったの?」
「特に、なかったと思うけどな」
「うん……いつも通り、だったね」
由比ヶ浜と葉山は互いに顔を見合わせる。
「比企谷くん、あなたは?」
雪ノ下は俺にも振ってくる。ふむ、俺はこの二人とは一歩どころかかなり引いた場所で見てるから、気づく部分がある、か。
……先週末か。つまり最近あったこと……あ、一つだけ思い浮かんだ。
『昨日、職場見学のグループ分けの話があった』
俺の回答を聞くと、由比ヶ浜ははっと何かに気づいた。
「……うわ、それだ。グループ分けのせいだ」
「え?そんなことでか?」
葉山が不思議そうな声を上げる。由比ヶ浜はたはーと笑いながら答えた。
「いやー、こういうイベントごとのグループ分けはその後の関係性に関わるからね。ナイーブになる人も、いるんだよ……」
少しばかり陰鬱な表情になる由比ヶ浜を葉山と雪ノ下は不思議そうに見る。
葉山はいつも人の中心にいるから縁がないだろうし、雪ノ下はそもそも興味がないからわからないだろうが、俺には理解できる。中学のときにあいつのそういった相談を少し受けたことがあるからな。
人の顔色を窺い、複雑怪奇な人間事情を生き抜いてきた由比ヶ浜の言葉は、十分信用に足る。
雪ノ下が仕切り直すように咳払いをした。
「葉山くん、書かれているのはあなたの友達、と言ったわね。あなたのグループは?」
「あ、ああ……。そういえばまだ決めてなかったな。とりあえずはその三人の誰かと行くことになると思うけど」
「犯人、わかっちゃったかも……」
由比ヶ浜がずいぶんげんなりした表情で言った。
「説明してもらえるかしら?」
「うん、それってさ、つまりいつも一緒にいる人たちから一人ハブになるってことだよね?四人の中から一人だけ仲間外れができちゃうじゃん。それで外れた人、かなりきついよ」
実感のこもった声に雪ノ下と葉山が黙り込んだ。
犯人を特定するにはまず、動機から考えてみるのがいい。その行為をすることによってメリットが生まれる人間を見つければおのずと特定できる。
この場合で考えるなら、ハブられないことだろう。
葉山はクラス内で男子四人グループを形成している。従って、三人組を作る場合には誰かがあぶれることになる。
そうなりたくなかったら、誰かを蹴落とすしかない。犯人はそう思ったのだろう。
「……では、その三人の中に犯人がいるとみてまず間違いないわね」
雪ノ下がそう結論を出すと、珍しく葉山の仮面が崩れる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!俺はあいつらの中に犯人がいるなんて思いたくない。それに、三人それぞれを悪く言うメールなんだぜ?あいつらは違うんじゃないか」
ハァー…
思わずため息が漏れた。
こいつはどれだけおめでたい頭をしている。そんなの、自分に疑いがかからないように全員分を用意したに決まってんだろうが。
俺が屑を見るような視線とともに思ったことを伝えると、葉山は悔しそうに唇を噛んだ。想像もしていなかったんだろう。自分のすぐそばに悪意があることを。仲良く話している笑顔の下に暗い感情が渦巻いていることを。
「とりあえず、その人たちのことを教えてくれるかしら?」
雪ノ下が情報の提示を求める。
すると、葉山は意を決したように顔を上げた。その瞳には信念が宿っているように見える。おそらくは、友人の疑いを晴らそうという崇高な信念が。
「戸部は、俺と同じサッカー部だ。金髪で見た目は悪そうに見えるけど、一番ノリのいいムードメーカーだな。文化祭とか体育祭とかでも積極的に動いてくれる。いい奴だよ」
「騒ぐだけしか能が無いお調子者、ということね」
「…………」
雪ノ下の一言に葉山が絶句していた。超辛辣っすね。
「? どうしたの?続けて」
急に黙り込んだ葉山に不思議そうな顔を向ける雪ノ下。
葉山は気を取り直して次の人物評に移る。
「大和はラグビー部。冷静で人の話をよく聞いてくれる。ゆったりとしたマイペースさとその静かさが人を安心させるっていうのかな。寡黙で慎重な性格なんだ。いい奴だよ」
「反応が鈍い上に優柔不断……と」
「……………」
葉山は何とも言えない、苦々しい顔で沈黙したが、諦めたようにため息をついて続ける。
「大岡は野球部だ。人懐っこくていつも誰かの味方をしてくれる気のいい性格だ。上下関係にも気を配って礼儀正しいし、いい奴だよ」
「人の顔色を伺う風見鶏、ね」
「……………」
いつの間にか沈黙は葉山だけのものではなくなっていた。由比ヶ浜もぽけっと口を開けて一言も口にしない。
雪ノ下さん、ぱねぇ。相変わらず鋭すぎる評価の仕方だ。
だが、こう言っちゃ悪いが俺も同じような印象を受けた。結局、人の印象など見る者の視点でいくらでも変わるのだ。葉山はあくまでも好意的に見ているからそのぶんバイアスがかかっている。対して俺たちはそういう感情を全て排して見ているから辛辣になる。
雪ノ下ら自分が取ったメモを眺めながらうむむと唸る。
「どの人が犯人でもおかしくないわね……」
それを聞いた葉山は怒っていいやら嘆いていいやら困ったような微妙な顔をしていた。
ぶっちゃけて言うと、葉山の情報は上っ面だけの、ゴミ情報だ。チェーンメールが出回るということは、それなりの原因というものがある。雪ノ下の評価は確かにキツいかもしれないが、肯定的な目線だけで見ていてはいつまでたっても犯人は見つけられない。
まあ、普通は友人の裏の顔なんて考えて接してないけどな。
「葉山くんの話だとあまり参考にならないわね……。由比ヶ浜さん、比企谷くん。あなたたちは彼らのことどう思う?」
「え、ど、どう思うって言われても……」
『そもそも、俺はそいつらのことをよく知らん』
というか、この学校の生徒は8割がた知らない。
「じゃあ、調べてもらっていいかしら?グループを決めるのは明後日、よね?それまで一日猶予があるわ」
「……ん、うん」
雪ノ下に言われて、由比ヶ浜はちょっと戸惑いの表情を浮かべる。まぁ、クラスで仲良くやろうとしている由比ヶ浜からすればあまり気がすすまない行為なのだろう。
人の粗探しをすることは同時に自分の粗を探すことでもある。コミュニティ内では結構リスキーな行為だ。
それは雪ノ下も理解しているのか、そっと目を伏せる。
「……ごめんなさい、あまり気持ちのいいものではなかったわね。忘れてもらっていいわ」
となれば、誰がやるかだが。まぁ、そんなものは決まってる。
『俺がやる。別にクラスの人間にどう思われようと構わないし』
そう書いてボタンを押すと、雪ノ下はちらっと俺を見た。そして、くすりと微笑む。
「……そうね、ならお願い」
葉山が目を見開く。雪ノ下が素直に他人を頼ったことが意外だったのだろう。
「や、やっぱりあたしもやる!ヒッキー一人だと不安だし!」
由比ヶ浜は顔を赤くして語尾をもにょらせながらも、次の瞬間には拳をぎゅっと握った。
「それに、せっかくゆきのんが頼ってくれたんだしね!」
「……そう」
先ほどまでの微笑みはどうしたのか、答えたきり雪ノ下はぷいと横を向く。照れているのか、その頰には朱が差している。可愛い。
そんな俺たちの様子を見て、葉山はどこか羨ましそうに笑っていた。
ーーー
そんなこんなで、翌日の教室。由比ヶ浜は燃えていた。
昼休み、いつも通り弁当を頬張っていると、由比ヶ浜がやって来て入念な打ち合わせが始まる。
「とりあえず、あたしがいろいろ聞いてみるから任せて!」
それは助かる。俺にあいつらの中に入っていくような度胸はないからな。しかし…
『やけにやる気だな?』
そう書くと、由比ヶ浜はやる気に満ちた笑顔を見せた。
「ゆきのんにお願いされたんだもん、頑張るよ!」
『そうか』
…少し、笑みが漏れる。
きっとこいつは、本当に雪ノ下に頼まれたからやる気を出してるんだろう。それが自分のことのように嬉しい。昔、由比ヶ浜みたいなやつが雪ノ下の近くにいてくれれば、きっとあいつはもっと笑えたはずだ。
おっと、話が逸れたな。
『で、具体的にどうするんだ?』
「んー、女子から話聞いて見る。クラスの人間関係とかなら女子の方が詳しいし。それに、共通の嫌な奴の話とかすると、結構盛り上がっていろいろ話してくれるし」
おい、ガールズトーク怖えな。敵の敵は味方ってやつかよ。
それは置いておくとして。由比ヶ浜はクラスでの立ち位置も良好だし、人当たりもいい。俺にはない会話スキルが役に立つだろう。
むしろ俺が近づいたら警戒心を抱かれるまである。…今もこっち見てるいつもの女子たちだったらそうでもなさそうだが。
「じゃあ、行ってくるね」
そう言って、由比ヶ浜は葉山グループと仲の良い女子たち、三浦グループへと切り込んでいった。
「お待たせー」
「あ、ユイー。おっそいからー」
三浦をはじめとするグループの女子たちは気だるげに返す。
「てかさー、とべっちとか大岡くんとか大和くんとか最近微妙だよねー。なんかこうあれな感じ?っていうか」
んぐっ!
漏れ聞こえてくる由比ヶ浜の声に、危うく咀嚼していたハンバーグが喉に詰まりかけた。
直球すぎだろ!それも160キロメートルのジャイロボール!パワプロなら余裕でランクSいくぞ。ただしコントロールはF。
「え……ユイってそういうこと言う子だったっけ……」
そう言って一歩引いたのは海老名さん?だったけ。たぶん。
そして、三浦がきらっと目を輝かせて、ここぞとばかりに攻勢に回る。
「あんさー、ユイ。そういうのってあんまよくなくない?トモダチのことそう言うのってやっぱまずいっしょー」
素敵な言葉によって圧倒的優位に立った三浦。
逆に、由比ヶ浜がハブられるピンチが到来していた。何やっとるんだあいつは。
しかし、由比ヶ浜も全力で誤魔化しにかかる。
「ちがっ!ちがくてっ!その、気になる、というか」
「なに?あいつらの誰か好きなん?」
「全っ然違う!気になる人はいるけど、それはまだちょっと……はっ!?」
しまった!という表情を見せるのと、三浦がにたぁっと笑うのはほぼ同時だった。
「え、ユイ……、誰か好きな人できたん?言ってみ?ほれほれ、協力するからー」
「だ、だから!そうじゃなくてっ!気になるのはあの三人の関係性?っていうの?なんか最近微妙だなーって思うの!」
「んだ、それか。つまんねー」
あらかさまに興味を失う三浦。携帯を開いてかちかちやりだす。
だが、海老名さんが食いついた。
「わかる……。ユイも気になってたんだ……実は、あたしも」
「そうそう!なんかぎくしゃくしてるっていうかさ!」
「わたし、思うんだけど」
海老名さんは深刻そうな表情でため息を一つつく。
「わたし的に絶対とべっちうけだとおもうの!で、大和くんの強気攻め。あ、大岡くんは誘い受けね。あの三角関係絶対なんかあるよ!」
「あー、わかるわか……ぅえ?」
「でもね、でもね!絶対三人とも葉山くん狙いなんだよ!くぅ〜、友達のためにみんな一歩引いてる感じ、キマしたわぁ〜!!」
おい、マジかよ海老名さん腐女子だったのかよ。鼻血出てるし。
由比ヶ浜が「あうあう……」とどうしていいか戸惑っていると、三浦が慣れた様子でため息をついた。
「出った、海老名の病気。おめ、黙ってれば可愛いんだからちゃんと擬態しろし鼻血拭けし」
「あ、あはは」
由比ヶ浜は海老名さんに圧倒されて笑って誤魔化してる。俺が見ていることに気づくと、そっと手をあげて「ごめん!失敗!」とサインを送ってくる。
……まぁ、スタートからいろいろダメだったしな。あの切り出し方じゃどのみちうまくいかなかっただろう。
となれば、俺がやるしかないか。
しかし、そうは言っても俺がクラスの連中に聞き回るのは不可能だ…あっちからきらきらした目が向けられている気がするが、気のせいだと思いたい。
では、何をもって人の情報を集めるのか。
簡単だ、ただひたすらに見るだけ。会話ができないなら、いや会話ができないからこそそれ以外のところから情報を集める。
元来、人間のコミュニケーションは言語によって行われているのは三割程度だという。残りの七割は目の動きやちょっとしたしぐさから情報を集めているのだ。目は口ほどに物を言う、という言葉は非言語コミュニケーションの重要性から来ている。
さらに、三割のほうが欠落している俺にとっては非言語コミュニケーションが十割なので、より多くのことを見ることができるはずだ。
「………」
弁当と水筒を脇に寄せると、俺は椅子の背もたれに寄りかかり腕組みをし、そして携帯に繋げたイヤホンを耳にねじ込んでいかにも何か考え込んでいますよというポーズを取った。
(カシャッ)
(取れた?)
(ばっちりだよ!)
ぼーっとしているように見せかけて、視覚と聴覚のみに感覚を研ぎ澄ましていく。するとおのずといらない感覚全てが排され、情報が入ってくる。
先ほどから、葉山グループは窓際の席に陣取っていた。壁際に葉山、それを囲むようにして三人の男子がいる。
そこから推測されることは明快単純。その四人の中で上位に位置するのが葉山ということだ。壁という絶対の背もたれを持つ場所こそがリーダーにふさわしい。おそらく本人たちにそんな自覚はあるまい。だが、自覚がないからこそ、それは本能的、本質的な行動であることを示している。
三人の役割はそれぞれ決まっているように見えた。
「で、さ。うちのコーチがラグビー部のほうにノック打ち始めて!やばかったわー。硬球なのによー」
「……あれはうちの顧問もキレてた」
「マッジウケんだけど!っつーか、ラグ部とかまだいいわ。俺らサッカー部やべーから。いやーやばいでしょ、外野フライ飛んでくるとかやばいでしょ!熱いわ激アツだわ」
それぞれの外見と昨日聞いた特徴を合わせてみる。
大岡が話を振り、大和がそれを受ける。そして、戸部が盛り上げる。よくできた演劇のようなものだ。「人生は舞台だ」とシェイクスピアは言ったが、まさしく人は与えられた役をこなしているだけだと言っていいだろう。
そして、この舞台の監督が、観客が葉山だ。葉山は時に笑い、時に話題を提供し、時に一緒になってはしゃぐ。
彼らを見ているとさまざまなことに気づく。
あ、あいつ今、見えないように小さく舌打ちした。
あいつは隣のやつが会話を始めると急に黙るな……。
つまらなそうに携帯をいじってる。この話題には興味がないのだろう。
他にも小さな動作を、くまなく探す。徹底的に。あいつが仕事中にそうしているように。読め、目を、表情筋の動き方を。
そうして観察しているうちに、葉山がトイレに立った。
その途端、三人とも先ほどまでの笑顔をしぼませ、携帯をいじりだす。別にお互いに携帯を見せ合って和気藹々としているわけじゃない。つまらなそうに、互いに関心がないように。
不意に、ちらっと一瞬大岡が他の二人に視線を向けた。そしてその目に、黒い何かを覗かせる。
「……!」
…なるほど、そういうことか。
謎は全て解けた。後は部室で、葉山にどう伝えるかな。
ーーー
放課後、部室にいるのは俺と雪ノ下、由比ヶ浜、葉山の四人だ。
「どうだったかしら?」
雪ノ下が俺と由比ヶ浜に調査報告を求める。
由比ヶ浜はたははーと笑ってから、
「ごめん!一応女子に聞いたんだけど全っ然わかんなかった!」
素直に謝った。
いや、でもあれはしょうがない。あれからも海老名さんはちょくちょく受けだの攻めだの掛け算だのと由比ヶ浜に余計なことを吹き込んでいて、聞き取り調査どころではなくなっていた。
頭を下げてからそーっと雪ノ下の顔を見る由比ヶ浜。だが、雪ノ下は別段怒った様子もない。
「そう、それならそれで構わないわ」
「え、いいの?」
「逆に言ってしまえば女子たちは今回のことにさして興味を持っていない、関わっていない、ということでしょう。そうなると葉山くんのグループの男子の問題ということになるわ。由比ヶ浜さん、ご苦労様」
「ゆ、ゆきのん……」
由比ヶ浜が感動でうるうるっと瞳に涙を滲ませていた。そのまま雪ノ下抱きつく。
面倒臭そうな顔をしながら、雪ノ下は俺を見る。
「で、あなたのほうは?」
『犯人、わかったぞ』
「…本当?」
目を見開く雪ノ下。由比ヶ浜も葉山も、どういうことだと身を乗り出してくる。それぞれの視線を受けながら、一つ咳払いをした。
『まず始めに、あのグループは葉山のグループだということを理解しといてくれ』
「…えっと、どういうこと?」
由比ヶ浜が疑問の声を上げる。
『つまり、葉山のためだけのグループってことだ』
「??」
さらに首をかしげる由比ヶ浜と葉山。少し言い方が悪かったか。
『葉山、お前は自分がいない時の三人を見たことはあるか?』
俺がそう書くと、葉山は首を横に振る。当然だ、いないのに知っているわけがない。
「そんな当然のことがどうかしたの?」
『つまりだな、あいつらは葉山がいるからこそグループとして形を保っているだけで、三人の時は欠片も仲良くない。三人にとって、お互いは『友達である葉山の友達』ってことだ』
少し時間をかけて自らの推理を伝えると、由比ヶ浜はあー、それね、といった顔をする。
「会話してる中心の人がいなくなると気まずいよね。何話していいかわかんなくて携帯いじったりしちゃうんだよ……」
何か思い当たることでもよぎったのか由比ヶ浜はかくっとうなだれる。その由比ヶ浜の袖を引きながら、雪ノ下が小声で尋ねた。
「………そ、そういうものなの?」
耳打ちにうんうんと腕を組んで頷く由比ヶ浜。雪ノ下には友達がいなかった。したがって、友達の友達もいなかったのだろう。
「比企谷くんの推理が当たっているとして、それは三人の犯行動機の補強にしかならならい。そのうちの誰がやっているか、目星はついているとさっきあなたは言ったわね?」
こくりと頷き、今のは前置きだと伝える。そして、本番を開始した。
『次に、犯人は大岡だ』
「なっ」
息を呑んだ葉山が慌てて反論しようとするが、目線でそれを止める。最後まで人の話は聞け。
俺が見た限りでは、いつも最初に話を振るのは大岡だった。そして話を振っている相手は友達である葉山。しかし、それに反応するのは友達の友達である大和と戸部だ。それが悪いとは言わない。一つの発言から様々な人間の意見が飛び出し、そこから広がっていくのが会話というものなのだから。
だが、大岡はそうは思っていないのだろう。「俺が話しているのは葉山くんだ、なんでお前らが反応するんだよ」とでも思っていたんじゃねえか?しかも、かたや必要以上に騒ぎ立ててノリすぎてウザいし、かたや時々相槌を返すだけで反応が悪い。きっと大岡はイラついていたはずだ。
そして、そんな二人を鬱陶しく思っていた大岡は明確に一人だけがあぶれる今回の職場見学で、『葉山くん』に追随して付いてくる二人のどちらかをここで蹴落とそうと考えた。もし成功すれば、面倒が一つ減るのだから。
無論、このめちゃくちゃで強引な理論は俺の想像だ、妄想だ、押し付けだ。いくらなんでも、そこまでやるか?と誰もが鼻で笑うだろう。
だが、世の中にはいるんだ。そんなめちゃくちゃで、理不尽で、過剰な思考を持つ人間が。
俺はあの目を見た瞬間すぐにわかった。あれは、人間の目だ。幼稚で傲慢で我儘な。何度も何度も人を潰して、その死に際の目を見てきた俺にはわかる。
あれは、どうしようもなく、あらゆる人間が抱える『悪意』の目だ。
一部ぼかした俺の推理を聞き終わると、雪ノ下は悲しげに、由比ヶ浜は訝しげに、葉山は理解し難いとでも言いたげな目で見てくる。
まだ足りないか。なら、もう一つ証拠を見せるとしよう。
『由比ヶ浜、ちょっと携帯貸せ』
「え?あ、うん」
差し出された携帯のメール帳を開いて、捨てアドで送られてきたチェーンメールを俺に転送する。そしてそのまま材木座に横流しした。「このアドレスを使ってメールを発信した携帯を割り出せ」というメッセージとともに。
十数分後、俺の携帯にメールが届いた。
Re:完了した
この携帯だ、相棒よ。ついでに本アドも載せておいた。感謝するがいい。
最後の余計な一言にちょっとイラっときたが、すぐに思考を切り替えてメールに添付されたアドレスを葉山に見せる。
すると葉山はひどく悔しげな顔をしながら、自分の携帯を開いて操作し、俺に見せてきた。そこには、全く同じアドレスが。
証拠は揃った。
『葉山、お前に二つの選択肢をやる』
うなだれている葉山に、俺はアプリで問いかける。
『一つ、大岡を潰してチェーンメールをやめさせる』
「それはっ…」
『二つ』
この時、俺はどんな表情をしていただろうか。きっと、ひどく歪な笑顔を浮かべていたことだろう。雪ノ下と由比ヶ浜が本気で顔を青ざめさせるくらいには。
『この方法を取れば、おそらくチェーンメールは止む。そして、あの三人が仲良くなる可能性もある』
俺の言葉に、葉山は希望が見つかったかのような顔で頭を上げた。
無論、この方法は大岡が暴走する可能性も大いにある。むしろ、お前たちのせいでと怒り出すかもしれない。
さあ、葉山隼人お前はどうする。壊すか、逃げるか。どちらを選ぶ?
俺は、悪魔の取引を持ちかけた。
ーーー
葉山が選択をした翌日。
教室の黒板には、クラスメイトの名前が羅列されていた。それぞれ三名ずつ一塊になって書かれたそれらは職場見学のグループを表している。
前から言い交わしていたのか、隣にいた女子三名がきゃっきゃっと微笑みあって黒板の前まで行き、自分たちの名前を書き始めた。
俺はといえば、いつも通りその様子を静かに眺めている。
既に一人は戸塚で決まっているし、あと一人も残ったやつが渋々入ってくるだろうから、特段焦ることもない。他の奴らが書き終わって黒板の前が空いたら書きに行くつもりだ。
早くあの人の波が消えないかと考えてぼーっとしていると、不意に肩を優しく揺すられた。振り返ると、そこにはこの前の再現のように、笑顔の戸塚が。天使だ、天使がおる。
『どうした?』
俺が尋ねると、戸塚はスカートの裾(珍しく、今日は制服のようだ。可愛い)を弄りながら、はにかんだような笑みで隣の席に座った。
「書きに行かないの?」
『あれが落ち着いたらな』
そっか、と呟いて、ふと戸塚は黒板を見る。釣られて、俺も目線を向けた。
すると、見覚えのある三人組の名前が飛び込んでくる。
「戸部」
「大和」
「大岡」
その三人組はお互いの顔を見つめてちょっと照れ臭そうに笑う。大岡もだ。
彼らの様子を眺めていると、不意に声をかけられた。
「ここ、いいか?」
そいつは俺が頷く前に、戸塚の前の席に座る。いきなり現れた思わぬ来訪者に戸塚は慌てふためきながら俺を見た。可愛い。
「その、ありがとな」
少しだけ瞠目する。まさかこいつが俺に礼を言うとは。
「おかげで丸く収まった」
まぁ、紙一重の結果だったけどな。
俺の提示した選択肢の二番、葉山が選んだ方法は、「自分を除外する」というものだ。
そもそも葉山が原因で揉めているならば、葉山自身を取り除いてしまえばいい。
結果として大岡はそれを受け入れ、他の二人と和解した。ついでに葉山はぼっちの道へ引きずり降ろされた。
正直言って今回の解決の仕方が最善かと言われれば、疑問を覚える。葉山が奉仕部に来たのはグループを「みんな仲良く」する方法だ。なのに俺がしたのは、葉山を排除すること。あまりいい手だったとは思っていない。だがまあ、時間的なことを考えれば最善でなくても最高だったということで、そこはおあいこにしてほしい。ダメか、ダメだな。
一人で自嘲げに笑っていると、葉山は少し戸惑いながら口を開く。
「それでだな。俺、グループ決まってないんだ。だから、入れてもらえないかな?」
そう言って、葉山は右手を差し出す。…まあ、こいつを一人にしたのは俺だし、責任くらいは取ろう。嫌だけど。嫌だけど(大事なことなので二回)。
ぱしっと軽く手を叩いて、俺は答えた。苦笑いする葉山と戸塚。何だよ。
そのまま葉山は立ち上がると、名前を書いてくると言って黒板に向かっていった。
「葉山」「戸塚」「比企谷」と名前が書かれる。ほう、間違えなかったか。
続いて、昨日渋々ながらも伝えた俺の「行きたい職場」を書き始める。
すると、
「あ、あーし、隼人と同じとこにするわ」
「うそ、葉山くんそこいくの?あ、うちも変える変えるぅ!」
「隼人ぱないわ。超隼人ぱないわ」
クラスの連中が一斉に葉山の周りに集まる。そしてあれよあれよと言う間に皆が黒板の名前の場所を俺たちのところに書き換え出した。
ええぇ…どうすんだよこれ。こいつら全員義父さんの会社来るの?どうやって言い訳すりゃいいんだよ…
せっかく問題が解決したのに、俺はまた頭を抱えるのだった。
(比企谷くん、あそこいくんだって!)
(うそっ、なら私たちも!)
(そして見学中の比企谷くんの姿を…)
(((ぐふふふ…)))
そして、邪悪な笑顔を浮かべている三人の女子がいたことには気がつかなかった。
無理矢理感半端ないですね、はい。
矛盾点や要望があればお願いします。