特別棟の四階。奉仕部の部室では雪ノ下雪乃が部室の最奥で平素と変わらぬ様子で座っている。
いつもと違うのは文庫本ではなく、ファッション雑誌を読んでいる点だろう。珍しい。
他に変わったところといえば、制服が夏服に変わったことくらいか。
雪ノ下はブレザーではなく、学校指定のサマーベストを着ていた。学校指定といえばダサいことの代名詞みたいなものだが、雪ノ下が着ると清涼感が漂い、不思議と様になっている。
からりと戸を開け、部室に入ると雪ノ下は雑誌から顔を上げ、俺を見て微笑む。
「あら、比企谷くん。こんにちは」
「ー」
頭を下げて、いつも通り雪ノ下の正面に座った。そして鞄からラノベを取り出し読み始める。
それから十数分間、部室は静かだった。ただ俺たちがページを繰る音だけが部屋の中を支配する。
ピロリン。
しかし、唐突にそれは破られた。雪ノ下が携帯を取り出してカチカチと操作する。
「由比ヶ浜さん、今日は来ないそうよ」
ああ、由比ヶ浜からのメールだったのか。そういえば騒がしくないと思ったら。
ふとこの前の職場見学の出来事が脳裏によぎる。そして改めて由比ヶ浜と友人になったことを思い出し、少し嬉しくなった。普通の高校生に近づけた気がして。いつも明るい彼女を傷つけることをなかったことに再度安堵して。
そんな俺を見て、くすりと雪ノ下は笑う。
「何か、いいことでもあったのかしら?」
『ああいや、最近友人が一人増えてな』
俺がそう言うと、雪ノ下は少し考えるようなそぶりを見せて、すぐに思い当たった!という顔をした。
「もしかして、由比ヶ浜さん?」
「………」
やっぱりこいつにはお見通しか。昔からそう言うことには敏感だったしな。
こくりと頷き肯定する。雪ノ下は「そう、よかったわね」と微笑んだ。
「んんっ、仲睦まじくしているところ悪いが、いいかね?」
俺たちが和やかな雰囲気でいると、扉の方から声をかけられる。見ると、いつも通り白衣を着た平塚先生が戸に寄りかかりこちらを見ていた。
「平塚先生、こんにちは」
「こんにちは、雪ノ下。……ふむ、今日は由比ヶ浜は不参加か。まぁ、いいだろう。今日は例の『勝負』の件について連絡をしにきた」
勝負、と言われてまた職場見学を思い出す。確かルールについて一部仕様の変更をする、っていうやつか。
平塚先生は仁王立ちになり、尋常でない雰囲気を醸し出す。俺と雪ノ下は若干姿勢を低くして聞く体勢に入った。
俺たちを交互に見つめ、平塚先生は十分なタメを作る。そのゆっくりとした挙動が逆に緊張感を掻き立てた。ごくっと自分の喉が鳴ったのを意識してしまうほどの静寂。
流れていた沈黙を破壊するように、平塚先生は厳かに口を開いた。
「これからはバトルロワイアルルールを適用する。今ここにはいないが由比ヶ浜と三人で勝負を続けたまえ。もちろん共闘もありだ」
「なるほど…了解しました」
俺も頷く。すると平塚先生は満足そうな顔をして出て行った。
バトルロワイアル形式か…俺vs.雪ノ下&由比ヶ浜とかにならないといいな。
平塚先生が部室に来てから二十分後、俺は駐輪場でぼーっとしていた。これからバトルロワイアル形式だと言われたが、一体どうなるのやら。
そんなことを考えながら自転車の鍵を外していると、不意に声をかけられた。
「比企谷くん?あ、やっぱり比企谷くんだ」
振り返ると、きらきらとした夕日に照らされて戸塚彩加がはにかんでいる。そうしてただ立っているだけで様になっている。
一瞬呆気にとられるも、すぐに気を引き締めて右手を挙げる。すると戸塚もよっ、と右手を挙げた。少し恥ずかしかったのか、戸塚は照れ笑いを浮かべる。なにこの可愛い生き物。
「比企谷くんも今帰るとこ?」
『まあな。戸塚こそ、テニス部は終わったのか?』
携帯を取り出して俺が聞くと、制服姿の戸塚は大きなバックを背負い直しながら首を振った。
「まだ終わってないんだけど、夜はスクールがあるから……ちょっと先に抜けたんだ」
へえ、スクールも行ってんのか。相当好きなんだな、テニス。
ふむふむと俺が頷いていると、戸塚がいきなりもじもじとし始める。どうした?
(うう〜、男の子を遊びに誘うの、恥ずかしい……で、でも相手が比企谷くんなんだから、頑張れぼく!)
「あ、あの……それでね。スクール、夜からなんだけど、だから始まるまでちょっと時間あって……駅の近くなんだけど…歩いてすぐのところで……じゃ、じゃなくて。少し、遊びに行かない?暇ならでいいんだけど……」
上目遣いをしながら戸塚はそう言う。多分、こんなふうにお願いされたら断れる奴なんていないだろう。俺なら多少予定をずらしてでも一緒に行く自信がある。
普段ならこういう誘いはまず周囲を確認し、罰ゲームではないか確かめることから始めて、もしその場合はやんわりと断るのだが…まあ、戸塚に限ってそういうことはないだろうな。
いいぞ、という意味を込めて頷く。すると戸塚は花が咲いたような笑みを浮かべた。
「そっか、良かった……じゃ、じゃあ駅まで行こっか」
『後ろ乗るか?』
ボタンを押しながら、荷台を軽く叩いて聞く。ここは小町の特等席だが、こんな時くらいはいいだろう。
だが、戸塚はふるふると首を振った。
「い、いいよ。ぼく、重いし……」
どこからどう見てもそこらの女子より軽いと思うけどな。というか、普通こういう時は逆に体重を聞かれるのを嫌がるものではないのか、女子って。
「向こうの駅までちょっと遠いけど、一緒に歩こうよ」
戸塚は照れたように微笑み、俺に一歩先んじるように歩き出した。俺も自転車を押しながら後に続く。あ、小町に少し帰るの遅れるってメールしとこう。ていうかこれ、俗に言う放課後デートじゃね?
道すがら、時折ちらっと俺の表情を窺うように振り仰いでくる。五歩歩いてはちらっ、八歩歩いてはちらっ。……いや、そんな心配しなくてもちゃんと付いて行ってるから。
お互い無言のままサイゼ横の公園の角を曲がり、歩道橋へと続く道を進む。
国道をまたぐ歩道橋は二段構造になっていて、上が自動車、下が歩行者という具合に分けられている。吹き抜ける風は排ガスを蹴散らしながら、日陰へと涼しい風を運んでいた。
「気持ちいいね、比企谷くん」
それをきっかけにしたかのように、戸塚は五段上の階段から振り返る。その爽やかな笑顔は心を潤わせる効果でもあるかのように俺を微笑ませた。
『そうだな。これくらいだと昼寝するのにちょうどいい』
「比企谷くん、休み時間あんなに寝てるのにまだ寝足りないの?」
微笑みながら戸塚はそういうが、そうじゃねえんだ……部室ではともかく、普段は話す相手なんかいないから暇なだけなんだ……
自分で思いながら若干落ち込んでいると、戸塚は不思議そうに首をかしげる。それに対して俺は気にするなと手を振った。
歩道橋を登り終えると駅までもうすぐである。まっすぐの道を相変わらずのスピードで俺たちは進んでいく。
視界に駅を捉えたあたりで少しだけ戸塚の歩調が緩んだ。どの方向へ行こうか悩んでいるようだ。
『どこに行くんだ?』
「うん……どこか短い時間で楽しめるところ……」
ふむ。それならカラオケ…はダメだ。俺ができない。ならショッピング…俺はそんな柄じゃねえ。
むう…何かいいものはないか。
あ。ゲーセンなんていいんじゃね?いろんなものがあるし、格ゲーとかはプロが張り付いているから無理だが、クイズゲームとか他にも楽しめるものはいっぱいある。
『とりあえず、ムー大行くか』
あそこだったらカラオケ、ゲーセンはもちろんボウリングにビリヤード、居酒屋まで完備している。注意点といえば盛り場なだけあっていろんな人がいるので、行く際にはしっかりとした自衛策を講じておくことか。
「うん……それならムー大にしよっか」
促されるまま、俺は自転車を押し駅のロータリーを抜けてムー大の駐輪場に自転車を止める。
エレベーターで上へ上がり、ゲーセンを見て歩くことにした。
ホールに足を踏み入れると音の洪水に巻き込まれたみたいに一瞬にして違う世界が広がっている。煌めく電飾、立ち上る紫煙、大音響に負けない笑い声。
手前の方にあるのはクレーンゲームコーナー。カップルがきゃいきゃい騒ぎながらクレーンを操作している。
カップルの男のほうはクレーンゲームに苦戦しているのか、店員に交渉してぬいぐるみを移動してもらっている。最近じゃ、店員が代わりにとってくれるなんてサービスもあるらしい。ここまでゆとり化が進んでいるとは……
その横をすり抜けて俺たちはビデオゲームコーナーへと向かった。
「わぁ、すごいね……」
戸塚が思わず声を漏らす。
俺には見慣れた光景だが、戸塚には新鮮に映るらしい。
手前に格ゲー、奥にパズルや麻雀といったテーブルゲーム系、間に挟まれてシューティング。右脇にはカードゲーム筐体。この中では特にカードを使ったアーケードが一番盛況のようだ。格ゲーと麻雀はそこそこ、あとはクイズに人がちらほらといった具合だ。油断ならないのがシューティングやパズルだ。ときどき、アホみたいなハイスコアをひたすら叩き出す幽鬼のような人がいて、その人のプレイには遠巻きにギャラリーができていたりする。
「比企谷くんはいつも何やってるの?」
『クイズとか上海かな』
二人で遊ぶのならクイズが無難だろう。俺が時々やっているマジアカは格ゲー島の脇にある。
周囲の音が大きいので手でジェスチャーして、戸塚について来いと伝える。すると戸塚は俺のシャツの裾を摘んできた。えっと…まぁ、いいや。始めてだから迷わないとも限らないしな。
と、格ゲー島の横を通り過ぎようとした時、見覚えのあるコート姿を見かけた。偉そうに組んだ手には指ぬきグローブをはめ、くっくっくっとわざとらしく笑うたびに、後ろで結わえた灰髪が揺れている。
そいつは対戦格闘ゲームをプレイしている人の後ろに数人で連れ立ち、時折何事か囁き合っては談笑していた。
「あれ、比企谷くん……あれって材も」
『別人だ』
あれー?と言う顔で聞いてきた戸塚の声をアプリが遮った。いや、正確にはアプリじゃなくて俺でしたね。
確かに見覚えはある。だが今はどうでもいい。絡むと面倒くさいから無視無視。
「そうかなぁ……材木座くんだと思うけどなぁ……」
あ、おい。名前呼んだら……
「ふむぅ。我を呼ぶ声がする……ややっ!八幡ではないかっ!」
ほら、やっぱり来た。
材木座はコートをはためかせながらこちらに近寄ってくる。イケメンだから妙に様になってて苛立つ。
「まさかこんなところで会うとはな。なぜここにいる?……ここは戦場だぞ。戦う覚悟のある者だけが来ていい場所だ」
『戸塚に誘われて遊びに来ただけだよ』
材木座の面倒臭い小芝居には付き合わずに流す。すると、材木座は俺をバカを見るような目で見てきた。なんだよ。
「八幡……お主、そんなに雪ノ下嬢やあの人に殺されたいのか?もし見られたらおしまいだぞ」
怖えこと言うなよ。考えないようにしてたのに。ていうか、本当に殺されないよね?や、俺の場合雪ノ下に嫌われた時点で死んだも同然だけどさ。
「ふむ……しばし待て」
じーっと戸塚を見ていた材木座はそう言って小走りで去っていく。どうやらさっきまで話していた人たちに別れの挨拶をしに行ったらしい。
一分もたたないうちに材木座は戻って来た。
「さて、では参ろうか。三人ならば勘違いされることもあるまいて」
余計なお世話だ、と言いたいところだが…もう充電使うのすら勿体無い。
「むぅ……」
得意げな顔の材木座と若干不機嫌そうな戸塚を連れてゲーセンの中を進んでいく。
「して八幡。お主たちはここへ遊びに来たのだろう。ここは我のホーム故、案内してしんぜよう。何かやりたいものはあるか?」
「あ、ぼく、プリクラ撮ってみたい」
材木座が案内役を買って出ると、戸塚がはるか左後方のプリクラコーナーを指差していた。
「ひ、比企谷くん。プリクラ、一緒に撮らない?」
「………」
これは、どうすればいいのだろうか。プリクラコーナーは女子、もしくはカップル限定で入場できると書いてある。つまり戸塚と一緒に入ったらそういうことになるわけで…
『戸塚。一緒にやるってことはそういうことになるが、いいのか?』
念のためにアプリで聞く。戸塚は若干顔を赤くしながらもこくりと頷いた。俺も頷き返して、プリクラコーナーに向かっていく。
「あ、カップルっすね。いいっすよ通って」
入り口にいた店員の軽いお兄さんにそう言われ、中に入る。
コーナーの中には多種多様な機種がある。正直、どれもこれもキラキラデコデコしていて美だの華だの麗だのとなんだか新宿歌舞伎町みたいな雰囲気を醸し出していた。
しかも、サンプル画像なのだろうか。モデルっぽい人が撮ったプリクラがカーテンやら筐体やらにプリントされているが、全員同じ顔をしていて微妙に怖い。
「うーん、これにしよっかなぁ。比企谷くん、これでいい?」
正直、なんでもいい。どれも同じに見えるし。
筐体の中に入ると、戸塚は説明書きを一生懸命読み始める。
「うんっ、と。背景を選んで……、うん、これでいいみたい」
言って俺の手を引き数歩下がった。お、なんだ?始まんのか?どうすりゃいうおっ!まぶしっ!
いきなりフラッシュが焚かれた。なんだよ、太陽拳って天◯飯だけの技じゃねえのかよ。悟◯もプリクラも使えんの?
『もういっかいいくよ〜』
間の抜けた合成音声の後、フラッシュが数回焚かれる。
『しゅ〜りょ〜!そとにでてらくがきしてね!』
「落書きかぁ……どんなの書けばいいのかなぁ」
カーテンをめくって今度は落書き用のブースへ移動する。画面には落書き可能時間がカウントダウンされていた。
「写真を確認してっと、う、うわぁ!」
画面を開いた戸塚が驚きの余り俺の腕をぐっと掴んだ。おお、び、びっくりしたー。
高まった鼓動を抑えながら写真をよく見てみると、俺たちの後ろでメガネをかけたイケメンがかっこよくポーズをキメていた。
というか材木座だった。
後ろを見ると、材木座が満足げな顔で佇んでいる。こいつ、気配消してついて来ていやがったな。
「あ、なんだ。材木座くんか……びっくりした」
「我一人プリクラコーナーの前で待っているなど無理だったのでな。仲間はずれなのも嫌なので混ざった次第だ」
全く…
とかなんとかやっているうちに落書き時間が過ぎてしまい、プリントされていた。補正すげえなこれ。
「肌、白いね……」
「うむ。というか、これだけキラキラしているのに八幡の目だけが濁っているとは…」
俺の目はともかく、あんだけフラッシュ焚けば白く飛ぶのは当たり前だろと言わんばかりの出来栄えだった。後ろにいる材木座にも美白効果が出ている。戸塚に至ってはそこらの美少女とは比べ物にならないくらいの美少女っぷりを発揮していた。
「じゃあ、はい。これ比企谷くんの分」
手際よく三つに切り分けてくれた戸塚がプリクラを手渡してきた。
「それと、材木座くんのも」
「お、おお?わ、我も貰って良いのか?」
「え?うん」
プリクラ以上にキラキラした笑顔を浮かべる戸塚。対して材木座は照れ臭そうにしている。
「ふ、ふむ。で、では頂いておこうか」
材木座は大事そうに受け取って、心なしか嬉しそうに眺める。
俺も同じように手の中にあるプリクラに目をやる。
落書きタイムにぎりぎり間に合ったのか、三枚だけ文字が入っていた。
うち一枚には戸塚のちょっと丸っこい字で「友達」と書かれている。あ、これ何気に嬉しい。もう一枚には「なかよし!」だ。
俺と材木座はプリクラをしっかり財布にしまう。
「それにしても、二枚しか書けなかったのは口惜しい。もっといろいろ書きたかった…」
ん?二枚?
振り向くと、戸塚が「しーっ」と口元に指を当てている。手の中だけでそっと開き、落書きされた残りの一枚には「はちまん さいか」と書かれていてかなり恥ずかしい。やばい、名前で呼ばれたこと雪ノ下以外にはあんまりないから絶対にやけてる。
「あ、もうこんな時間だ。そろそろ……」
スクールの時間か。そういえば、時間を潰すために来てたんだったな。
「じゃあ、ぼくそろそろ行くね」
そう言って戸塚は一足先にゲーセンの中を出口に向かって去っていく。
が、出る寸前のところで振り返り、こちらに手を振りながら口を開いた。
「また学校でね!……は、八幡くんっ」
「!」
いきなりの名前呼びに俺が呆気にとられている内に、いつの間にか戸塚はいなくなっていた。
唐突に、ポンと肩に手を置かれる。振り返ってみれば、材木座が神妙な表情をしていた。
「八幡、これで雪ノ下嬢もしくはあの人に刺される可能性が高くなったな」
……こいつ一発殴っていいだろうか。ザマアミロって顔してるのも余計に腹立つ。
材木座の手を払いのけながら、いつまでもここにいてはまずいのでプリクラコーナーから出る。
途中で材木座とは別れ、俺は自転車の鍵を外しながら財布の中のものに少し笑みをこぼすのだった。
感想をいただけると嬉しいです。
矛盾点や要望があればお願いします。