声を失った少年【完結】   作:熊0803

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かなり久々の更新です。楽しんでいただければ幸いです。


32.声を無くした少年は、課外活動へと向かう。

 朝から蝉の鳴き声がうるさい。

 

  付けっ放しのテレビからはこの夏一番の猛暑だとかなんだとか。お前らそれ毎日言ってねぇか。なぜか毎年現れる十年に一人の逸材かっつーの。

  俺は暑さにイラっとしながらテレビをぶつっと切る。そしてリビングにある机に行き、組織への先月分の任務報告書をまとめる作業に戻った。あと何枚だろ…げ、八枚もある。そもそも、テレビを見て現実逃避をしても書類の数が変わるわけがないか。

 あぁ、めんどくさいけどやっちまおう。

 

 

  夏休みが始まって二週間足らず。とっくの昔に学校からの課題は終わらせ、自室で受験勉強している小町に負担をかけないために〝仕事〟以外は家にいて家事をするかぐうたらしていた。

  俺の生活に例年の夏休みとなんら変わらない。ただ一つだけ変わったことといえば、夏休みに入り、犯罪の発生率も急上昇する。警官が取り締まるような小さい犯罪から、〝ノスフェラトゥ〟が管轄する大きな犯罪まで。そのため、普段より〝仕事〟の量が格段に多くなるのだ。この馬鹿げた体じゃなけりゃとっくに倒れてるレベルで。

  せめて夏休みくらい休ませてくれませんかねぇ?休みの意味果たしてないんだけど。むしろめっちゃ働いてるんだけど。犯罪起こしてる暇あったら真っ当なことして人生楽しめよとでも言ってやりたい。あ、俺喋れませんでした。てへっ☆

 …うん、キモいからやめよう。

 

  そんなことを考えながら手を動かし続け、一時間ほど経った頃ようやく全て書き終えた。

  ペンを置いてぐぐっと伸びをし、そろそろ昼食でも作るかと立ち上がる。するとタイミングを見計らったように傍に置いていた携帯が鳴った。組織からの何かの連絡かな?いや、鳴っているのは普段用の携帯か。

  そう思いながら画面を見ていると、メールが二通。

  一つは差出人が平塚先生。もう一つは組織の直接の上司である鶴見さんからだった。

 一応鶴見さんのほうから開けて見る。

 

 差出人:鶴見さん

 題名「比企谷くん、元気にしてる?」

 本文「比企谷くん、こんにちは。せっかくの夏休みなのにいきなり連絡してごめんなさい。元気にしてるかな?義妹さんも元気?しっかり体調管理してね。

  それで本題なんだけど、また〝仕事〟が沢山入りそうだから、暇があったら娘と遊んでくれないかな?

 毎回ごめんね」

 

「……」

 

  俺は返信ボタンを押し、ぽちぽちと文字を打ち込む。そして了承の旨を伝えた。

 

 Re:「比企谷くん、元気にしてる?」

 差出人:比企谷 八幡

 本文「了解しました。鶴見さんも体に気をつけてください」

 

  ふぅ、これでよしと。

  ただのナンバーズで実戦任務のみをこなせばいい俺と違って、同じナンバーズでも普通の会社で言えば中間管理職的な立ち位置にいる鶴見さんはそれはもう忙しいのだろう。加えて学校の仕事もある。

  けどあの人は仕事より家族の人だからな。なるべく娘を一人にして不安にさせたくないんだろう。同じように家族を大切に思う身としてはその気持ちは理解できるので、鶴見さんがいない間の面倒を見るくらいはおやすい御用だ。

 

 続けて、平塚先生のメールを読む。

 

 差出人:平塚

 題名「平塚です、メール確認したら連絡ください」

 本文「比企谷くん、夏休み中の奉仕部の活動について至急連絡を取りたいです。折り返し連絡をください」

 

「…!」

 

  なん、だと…奉仕部に、夏休み中の活動がある?

  こう言っちゃなんだが、お悩み相談所が特殊な形式になっただけの部活だからないと思っていたが、まさかあるとは…

  待て待て、問題はそこじゃない。もっと注視するべき点があるだろう俺。

  奉仕部の活動がある。つまり、夏休みも雪ノ下に会えるってことだ…何だそれ、最高じゃねえかよおい。てっきり夏休みはあいつと遊びに行くとか、家で家事するとかで終わるかと思ってたわ。

 

  こうしちゃいられん、すぐ返信しなければ。

 

 Re:「平塚です、メール確認したら連絡ください」

 差出人:比企谷 八幡

 本文「わかりました。それで、長期休暇中の活動の予定はどうなっているでしょうか?」

 

 

 ーーー

 

 

  俺は今、平塚先生に早速ボランティア活動への参加を言い渡され、あの二人が参加するかどうかをしっかり確認した上で千葉駅に来ていた。ただし、乗るのは電車ではない。

 

  動きやすい格好ということで俺の服装はTシャツにジーパン、上に羽織るシャツ。くるぶしの少し下までの靴下と運動用のシューズ。眼鏡もかけている。荷物は二泊三日だというので少し余分に用意してきた。あと平塚先生に確認を取ったところ行き先に水場があるということなので、一応水着も。

 

 あともう一つ、お荷物ではないが…

 

「あ、義兄ちゃんあれじゃない?」

 

  そう言って、小町はバスロータリーの方向を指差す。

  今回のボランティア活動に、小町もくっついてきた。連絡を取り合っているのを見られ、ボランティア活動ではあるが無料で旅行に行けるようなものだと嬉々として参加を申し出たのだ。平塚先生に指示を仰ぐと人数は多ければ多いほどいいということで、あっさりと了承された。学校の部活の合宿にしては、随分と自由だな。

 

  まあそれはともかく。俺の目の前には一台のワンボックスカーが止まっていた。

  運転席のドアの前には、一つの人影。そのめりはりの効いたボディラインから女性であることが容易にわかった。たくしあげられ裾を結んだ黒いTシャツにデニムのホットパンツ、足元は登山靴みたいなスニーカー。長い黒髪はポニーテールに纏められ、カーキ色のキャップを被っている。目元のサングラスのせいで表情はうかがい知れない。だが、俺たちを見つけると口元に不敵な笑みが浮かんだ。

「やあ比企谷兄妹、来たな」

  サングラスをすちゃっと外し、俺に鋭い眼光を向けてきたのはいうまでもなく平塚先生だった。

「初めまして、比企谷小町です!今日から二泊三日、よろしくお願いします!」

「うむ、よろしく頼む。比企谷、礼儀正しい義妹を持っているな」

『それほどでも』

  俺は少し時間が空いたのちに携帯を取り出さずに(・・・・・・・・・)音声を発し、そのまま肩を竦める。平塚先生は不思議そうにしたが、どこかで操作しているのだろうと気にしないことにしたようだった。

「あ、ヒッキーだ」

  ふと背後から聞こえた声に振り返ると、友人である由比ヶ浜がパンパンに膨れ上がったコンピに袋を片手にこちらに歩いてきた。やたらピンク色なサンバイザー、それ生地足りてんのか?と思うような裾が短いTシャツにホットパンツと、まさに夏!といった格好だ。

  よっ、と荷物を持ってないほうの腕を上げて挨拶すると、彼女は朗らかに笑いながらひらひらと手を振り返してくる。

「って、あれ?ゆきのん何で隠れてるの?」

  由比ヶ浜が不思議そうな顔をしながら体を傾けると、その影から雪ノ下が姿を現した。立ち襟のシャツに、雪ノ下にしては珍しいジーンズ姿。肌の露出は少ないのに、そのきりっとした感じから清涼感が出ている。これもこれで可愛いな。

  雪ノ下はいきなり由比ヶ浜の後ろから外に出されて「あっ…」と声を上げるが、俺と目が合うと恥ずかしそうな素振りをして目をそらす。お、おい、何でそんな反応なんだよ。こっちも恥ずかしくなってくるだろうが。

(まさか夏休みにまで八幡くんに会えるなんて…とても嬉しいけれど、なぜか気恥ずかしさもあるわ。けれども、いつまでも黙っているのも失礼でしょう)

  雪ノ下はしばらく目線を彷徨わせていたが、やがてこちらをむいて微笑みを浮かべながら口を開く。

「その…こんにちは、比企谷くん」

『…おう』

  また少しのラグがあったのち、俺は携帯を操作せずにどこからか声を発した。いつも携帯を使っているのが見慣れているのか、二人は不思議そうに首をかしげる。

「あれ、ヒッキー今どうやって携帯使ったの?」

  小町と挨拶を交わしていた由比ヶ浜の問いに対して俺は少し顔を上げ、自分の喉元を指差した。そこには、何かが表示されている電子パネルのような六角形のものがついた、バンド型の少しごつい見た目の白い首輪のようなものがはめられている。

「何それ?」

『脳から送られる信号を感知して、思ったことを音声に変換する機械だ』

  こんなふうにな、と六角形の部分…音声発声装置から声を発しながらちょんちょんと突く。由比ヶ浜はほへー、と間の抜けた声を出した。

 

  この機械は以前、ある日の夜に義父さんが言っていたものだ。夏休みに入ってすぐに渡された。〝ノスフェラトゥ〟の開発研究部が俺のために特注で長い時間をかけて作ってくれたものらしい。今しがた言った通りの機能があり、防水や衝撃にも強い優れものだ。これのおかげで多少のタイムラグがあるものの、いちいち文字を打ち込むよりはスムーズに会話ができるようになった。最初に使った時、小町がぽかーんとしていたのは記憶に新しい。

  だが欠点がないかと言えばそうでもなく、伝えることが多ければ多いほど変換には時間がかかるし、脳に負担がかかって頭痛がしてくる。使いすぎても頭痛がしてくる。だからあまり使い勝手がいいとは言えない。あくまでいつも使っているアプリの補助、と言ったところだろう。まあ、会話がしやすくなったのは事実だけどな。

 

  それを伝えると雪ノ下たちはへぇ、と頷く。そして装置をマジマジと見つめ始めた。少し恥ずかしくなり、思わず顔を背ける。

「んんっ、挨拶は済んだかな?」

  咳払いをしながら平塚先生が聞いてきたので、俺はこくりと頷き自分と小町の荷物を車に積み込んだ。

「…おっ、ちょうど最後の一人も来たようだな」

  すると平塚先生は俺の後方、駅の方向を見てそう言う。つられて振り向いてみれば、階段を降りてこちらに向かってくる人影があった。

  きょろきょろと周りを見渡すその人物に対して無意識に手を上げると、それを発見した彼女は駆け寄ってくる。

「八幡くんっ!」

  少女…戸塚は息を切らせながらも、にこにことした朗らかな笑顔を向けてくる。その表情に少しドキッとしながらも、機械を使って挨拶をする。

「あれ?八幡くん、今声出してた?」

  本日二度目となる質問をしてきたので、雪ノ下たちにしたものと同じ説明をするとなるほど!と戸塚は頷いた。なにこの生き物、めっちゃ可愛い。

「戸塚さん、やっはろーです!」

  俺がそんなことを考えていると、横にいた小町がぴょいっと歩み出して元気よく挨拶をする。

「うん、やっはろー小町ちゃん。あ、由比ヶ浜さんと雪ノ下さんも!」

「うん、さいちゃんやっはろー」

「やっは………こんにちは、戸塚さん」

  雪ノ下が三人につられて言いかけたが、ぎりぎりで我に帰って挨拶を返した。惜しい。まあでも、真っ赤で恥ずかしげな顔を見れたからよしとしよう。これはこれで可愛い。

 それはともかく。

『戸塚も呼ばれてたのか』

「うん、人手が足りないからって。でも……ぼく、行っていいのかな?」

  度重なる説明で少し頭痛がしてきたので携帯を取り出して聞くと、戸塚はどこか不安そうな様子で俺を見る。俺はそんな彼女に対して安心させるように頷いた。

  しかし、雪ノ下に戸塚…俺の心の中の癒しが二人も揃ってるとは、平塚先生もなかなかやってくれる。グッジョブ。

 これで全員揃って…あれ?全員?

 俺はきょろきょろと周りを見渡す。

『材木座は?』

「彼にも声はかけたが、激闘がどうのコミケがどうの締切がどうのと断られた」

  平塚先生がふむと頷きながら答えてくれる。おお、あいつマジか。今頃ゲーセン仲間と楽しく遊んでもいるのかな。…それにしても、作家志望なのに締切が最後にくるのはどうなんだ。

「では、そろそろ行こうか」

  ぱんぱんと手を叩いた平塚先生に言われ、俺たちはワンボックスカーへと乗り込もうとする。ドアを開けてみると、ワンボックスカーは七人乗りだった。

 運転席、助手席、最後部に三席、間に二席。

「ゆきのん、お菓子食べようお菓子」

「それは向こうへ着いてから食べるものではなかったの?」

  どうやら由比ヶ浜と雪ノ下は一緒に座るつもりならしい。ということは…

  なるほど。つまり、戸塚と小町のサンドイッチですね。約束された勝利の剣ですねこれは。

  意気揚々と一番後ろに乗り込もうとすると、襟をぐいっと引かれる。

「比企谷は助手席だ」

「ーーっ!?」

 え、ちょ、なんで!?

  ずるずる引きずられながら俺が目と表情で訴えると、平塚先生は真っ赤になった顔を片手で隠すような仕草をした。

「か、勘違いするなよ!?べ、別に君と並んで座りたいわけじゃないぞ!?」

  ツンデレかよ。つか、年上でも割と可愛いな。

「長時間のドライブの間、都合よく楽しい話し相手になりそうなのが君だっただけなんだから!」

  要するに暇つぶし要員じゃねえか!ふざけんな!

  そう思うも、いつまでも暴れていては出発できないので観念して助手席に乗り込む。平塚先生は満足げに頷いた。

  全員車に乗り込んだのを確認すると、先生と俺がシートベルトを締める。そして先生はイグニッションキーを回し、アクセルを踏んだ。

  見慣れた地元の駅を離れ、ワンボックスカーは進み始める。そのまま車はインターチェンジの方向へ進んでいった。カーナビは高速道路を指し示している。

「そういえば、まだ詳しく場所の説明はしていなかったな。今回行くのは千葉村だ」

  かくして、奉仕部夏のボランティア活動がスタートした。

 

 ーーー

 

 視界に山の稜線が飛び込んできた。

『おお、すげぇ。山だ』

「ほんと。山ね」

「ふむ。山だな」

  機械からこぼれた言葉に、雪ノ下と平塚先生がおうむ返しに頷いた。

  日々、広大な関東平野に抱かれて暮らす千葉人にとって山は珍しいものだ。

  よく晴れた日には海岸線沿いに富士山が見えたりもするが、それ以外の山、特にこういう緑深い山々を見る機会はあまりない。それゆえ、ちょっとした山を見ただけでもテンションが上がる。普段冷静な態度を貫いている雪ノ下ですら、感嘆のため息を漏らすほどだ。

  俺?俺は〝仕事〟でときどき山の中の工場やアジトを潰しに行ってるからあまり感慨深くはない。

  しかし、だからと言って感動しないわけではなかった。俺は窓の外の光景をぼーっと見つめる。

  ちらりと後部座席に目線を移すと、由比ヶ浜は雪ノ下の肩に頭を乗せてくぅくぅと寝息を立てている。首をさらに巡らせれば最後列の小町と戸塚も眠っていた。出発してはじめの方はトランプやらウノやらやって騒いでいたが、いつのまにか飽きて寝てしまったらしい。俺なんてその間、ひたすら平塚先生の話し相手をしてたぞ…なんでお互いの好きなアニメ作品を紹介し合わなきゃいかんのか。

  けど、こういう光景はなんだか懐かしい。まるで修学旅行や林間学校の帰りのバスみたいである。はしゃぎ疲れたクラスメイトたちは元気を使い果たして静かになっているのだが、多少あいつに振り回されはしたけれど持ち前の異常な体力で乗り切った俺は一人じっと窓の外の景色を眺めていたものだ。

  高速道路の高い塀と、それを圧迫するようにそびえ立つ山並み。ぽっかりと闇の口を開けたトンネルに煌々と光るオレンジ色。

  …あ、そういえば中学の時に一度、自然教室で千葉村行ったことあったっけか。

  そんなことを考えている間にちらほら渋滞にはまったり、その間平塚先生と話したりしていると、やがて目的地が見えてきた。

 

 ーーー

 

  車を降りると、濃密な草の匂いがした。心なしか酸素が多そうである。緑深い森がそう感じさせるのだろう。

  やや開けた場所にはバスが数台止まっている。千葉村の駐輪場だ。平塚先生はそこに車を止めた。

「んーっ!きっもちいいーっ!」

  由比ヶ浜は車から降りると思いっきり伸びをする。

「……まあ、あれだけ寝ていればそれは気持ちいいでしょうね」

「う…ご、ごめん」

  由比ヶ浜が両手を合わせて謝ると、雪ノ下は冗談よ、と言ってくすくすと笑った。

「わぁ……本当に山だなぁ」

  戸塚は一歩遅れて感動している。平地で暮らすが故に山に憧れを抱くあたり、やはり千葉人である。小町は「小町は去年も来ましたけどねー」と言いながらも深呼吸していたり、それなりに気分を高揚させているようだ。

  しかしまぁ、由比ヶ浜ほどじゃないが心地よい木漏れ日と高原の涼しい風は確かに気持ちがいい。目を瞑って深呼吸すると、不思議と気持ちが落ち着いた。

「ここからは歩いて移動する。各自荷物を下ろしたまえ」

  いつの間にやら煙草を吸っていた平塚先生の指示に従い、車から荷物を下ろしていると、もう一台ワンボックスカーがやってきた。おぉ、なんかキャンプ場もあるみたいだし、一般の客も来るんかね。公共の施設だから利用料も安いらしいし、案外隠れた穴場なのかもな。

  人を降ろすと、車はそのままもと来た道を引き返していく。どうやらただの送迎だったようだ。

 車から降りて来たのは若い男女四人組。

  いかにも真夏の果実かじってそうな男女四人恋物語風である。ああいう連中が川の中洲でバーベーキューとかしてワイワイやるんだろうな。

  そんなことを考えながらぼーっと四人組を見ていると、ふとその一人と目が合う。そしてそいつの顔をよく見た瞬間、一気に俺の気分は落ち込んだ。

「や、やあ、比企谷」

  若干声をうわずらせながらこちらに軽く手を振って挨拶して来たのは、葉山だった。いや、葉山だけではない。よくよく見れば葉山グループが揃って来ている。三浦、金髪お調子者の戸部、強キャラ腐女子の海老名さん…あれ、大岡はいないな。

『…何やってんだ、お前ら。バーベーキュー?』

「いや、バーベキューじゃないよ。それならわざわざここまで親に車出してもらわないさ」

  葉山が苦笑する。なんだ、違うのか。じゃあ何しに来たんだと聞こうとすると、平塚先生が煙草をもみ消して口を開いた。

「ふむ。全員揃ったようだな」

  全員…ということは、もしや葉山たちも最初からメンバーに入れられていたのか?

「さて、今回君たちを呼んだ理由はわかっているな?」

 問われて俺たちは互いに顔を見合わせる。

「泊りがけのボランティア活動だと伺っていますが」

「うん、お手伝い、だよね?」

  雪ノ下の言葉に戸塚が頷いた。その横で由比ヶ浜がきょとんとした顔になる。

「え?合宿じゃないの?」

「小町はただお義兄ちゃんにくっついて来ただけなので、そういえば詳しいことはまだ…」

「奉仕活動で内申点加点してもらえるって俺は聞いたんだけどな…」

  全員バラバラじゃねえか。どれが本当かわかりゃしない。

「え、なんかタダでキャンプできるっつーから来たんですけど?」

「だべ?いやータダとかやばいっしょー」

  三浦がくるくる髪をみょんみょん引っ張り、戸部が長い襟足を掻きあげる。

「わたしは葉山くんと戸部くんがキャンプすると聞いてhshs」

  海老名さんはスルーの方向で。もはや最後なんて言ってんのかわけわかんねえよ。

  平塚先生は軽く頭を抱えてため息をついた。

「…まぁ、おおむね合ってるしよかろう。君たちにはしばらくボランティア活動をしてもらう」

「あの、だからその活動内容は…」

「なぜかわたしが校長から地域の奉仕活動の監督を申しつけられてな……そこで君たちを連れてきたわけだ。君たちには小学生の林間学校サポートスタッフとして働いてもらう。千葉村の職員、および教師陣、児童のサポート。簡単にいうと雑用ということだな。……さらに端的にいうと奴隷だ」

  言い方悪りぃなぁ…ブラック企業だって最初はもうちょっとオブラートに包んでるもんだぜ。いや、逆に包み隠してるからこそのブラックなんだけど。

「奉仕部の合宿も兼ねているし、葉山の言うように働き如何では内申点に加点することもやぶさかではない。自由時間は遊んでもらって結構」

  ほうほう、なるほど。みんなそれなりには理解してたわけか。ただ、自分にとって興味あるところだけを抜き出してた感じだけど。

「では、早速行こうか。本館に荷物を置き次第仕事だ」

  そう言って平塚先生が先導する。俺たちはそれに付き従って歩き始めた。

  とは言っても、そこまでまとまってはいない。平塚先生のすぐ後ろに俺と雪ノ下、その後ろに小町と戸塚、由比ヶ浜と続き、さらに後ろの方に葉山たちがダラダラと続いていた。ちょうど由比ヶ浜が中心になっているから、なんとなく一つの集団として成立しているように見える。

  駐車場から本館まではアスファルトで舗装されている。道中、雪ノ下が少し陰鬱な表情で口を開いた。

「あの……なぜ葉山くんたちまでいるんでしょうか」

「ん?ああ、人手が足らなさそうだったから学校の掲示板で募集をかけていたのだよ。君たちは見ていないだろうがな。もっとも、そんなもの応募してくる人間がいるとは思わなかったが……」

  歩きながら振り返って平塚先生は説明してくれる。それに雪ノ下は怪訝そうな表情を浮かべた。

「それなのにわざわざ募集を?」

「形式上の問題だな。わたしがあまり君たちだけに構っているように見られても面白くあるまい。体面的にそうした手段をとったまでだ。わたしだってああいうイケイケリアリアな生徒を相手にするのはあまり得意じゃないんだ。むしろ、見ていて心が痛む」

  その言葉に逆に俺の心が痛んだ。頼む、本当に誰かもらってやれ。じゃないとそのうち葉山たちを呪い始めるかもしれんぞ…あ、いや、それなら別にいいや。

「だが、それでも教師だからな。可能な限り公平に扱わないとならない」

  なるほどな。それも社会の中でうまくやっていく処世術の一つ、ってわけか。贔屓だ特別扱いだって叩かれたらたまったもんじゃないからな。

  普通、組織に身を置くということは組織の負の側面も担わなければならない。上司に下げたくもない頭を下げたり、行きたくもない飲み会に行ったりなど、そこらへんをうまく立ち回ることが大切だ。…まぁうちの〝組織〟はそもそも存在自体が常人からすれば負そのもの以外の何者でもないので、少し複雑なのだが。

  俺が考え込んでいると、平塚先生は俺と雪ノ下両方にふっと微笑む。

「まあ、これもいい機会だろう。君たちは別のコミュニティとうまくやる術を身につけたまえ」

  …決して仲良くはできないが、上手くやるくらいなら頑張ってみるか。

  何も難しいことではない。話題を振り、話を合わせ、そいつの答えにそれとなく共感してみせる。そうした過程の中で相手のストライクゾーンを絞り、また自分の守備範囲をやんわりと教える。

  踏み込まず、かと言って離れすぎもせず、しっかりと相手との距離を見極める。そうして虚偽と嘘でうまくやり過ごす。それは最も簡単なことであり、しかして最もはじめた頃は難しい事だ。

 

 何にしても、それなりにやってみよう。

 

 

  本館に荷物を置くと、今度は「集いの広場」とかいうところへ向かう。そこで待っていたのは100人近い小学生の群れだった。

  みな小学六年生なのだろうが、体格にもばらつきが結構あり、雑然としていた。制服姿の高校生やスーツ姿のサラリーマンであれば大量にいても統一性を見出すことができるのでカオスさはない。しかし、皆が思い思いの服装をしている小学生の集団はそのカラフルさも相まってかなり混沌としていた。

  それより何より、ほぼ全員が同時にしゃべっているからやかましい事この上ない。耳がキンキンする。きゃいきゃいすっげーうるさかった。その騒々しさに他のメンバーも圧倒されてしまっている。

  高校生ともなると、小学生の集団を間近で見るなんてことはほとんどない。故にそのパワフルさ(綺麗な言い方)に驚かされた。言い方は悪いが、動物園並みのうるささだなおい。

  隣を見れば由比ヶ浜はどん引きしていて、雪ノ下はちょっと顔が青ざめていた。

  生徒たちの真ん中に教師が突っ立っているのに、何も始まる気配がない。ただ腕時計をじっと見つめていた。

  数分が経過する頃には生徒たちもその異変に気付いたのか、静まり返る。擬音にすればざわざわ……ざわ……しーん……みたいな。

「はい、みんなが静かになるまでに三分かかりました」

  …おお。まさか全校集会や学級会などでお説教の前振りに使われる伝説の言葉をこの歳になってまた聞くことになろうとは…

  俺の予想通り、その教師はまずお説教から入った。林間学校で浮かれている児童たちにいっちょかましてまず最初に気を引き締めさせる常套手段なのだろう。俺も小学生の頃やられた覚えがある。

  お説教の後は、これからの予定が発表される。

  1日目最初の行事はオリエンテーションだそうだ。ウォークラリーとも言うかもしれない。みんな「林間学校のしおり」を開きながらその説明を聞いている。

「では最後に、皆さんの手伝いをしてくれるお兄さんお姉さんを紹介します。まずは挨拶をしましょう。よろしくお願いします」

「「「よろしくおねがいしまーす」」」

  給食の時に全員揃って言わされる「いーたーだーきーまーす」みたいな間延びした挨拶の多重演奏が押し寄せて来る。小学生たちの好奇の視線が一斉に注がれた。

 すると、葉山がすっと一歩前に出る。

「これから三日間、みんなのお手伝いをします。何かあったらいつでも僕たちに言ってください。この林間学校で素敵な思い出をたくさん作ってくださいね。よろしくお願いします」

  拍手が巻き起こった。女子たちなんてきゃーきゃー言ってる。教師陣も熱烈な拍手を送っていた。

  まあ、こういうのは『うまく合わせる』のが得意な葉山に任せて置くとしよう。俺はそもそも長く喋れんし、雪ノ下は人前に立つのは好きではないだろうし。

「では、オリエンテーリング。スタート!」

  教師のかけ声で生徒たちが五、六人のグループになる。事前に決めてあったのだろう、スムーズに班分けされていた。おそらくこの林間学校の間、その班で行動することになるのだろう。

  小学生くらいだと班わけで暗い気持ちになることは多くないのかもしれない。どの子も一様に明るい表情をしている。

  まだスクールカーストという概念が具現化していないのだろう。これが中学、高校と年齢が上がっていくにつれ複雑にこじれていく。そう考えると、小学生は一番幸せな時期かもしれないな。

  一方俺たち高校生組は手持ち無沙汰でなんとなく一つに固まっていた。小学生の一団を眺めていると、近づいてきた平塚先生から指示が出される。なんでも、ゴール地点に小学生たちより早く到着し、そこで昼食の弁当と飲み物の配膳をするらしい。それ自体は平塚先生が車で運ぶそうだ。ちなみに、俺たちが乗るようなスペースはないから徒歩とのことで。

 

  それを聞き終えると、俺たちは頷いて出発し始めた。いくらか急がなきゃな。もう結構な数の生徒たちが出発してるし。

 

 

 

 




今回は到着したところまでです。
八幡がつけてる機械ですが、五百文字程度喋ると気を失うレベルの頭痛がするので、あまり使い勝手はよくないです。それに、タイトル詐欺になりますし(笑)。
感想をいただけると嬉しいです。

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