それはともかく、楽しんでいただければ幸いです。
由比ヶ浜の天然加減を思い知った後、カレーの下ごしらえや米とぎをやった。
これで俺たち高校生組の分はしっかりと準備が整った。
まあ、時間短縮のために俺が具材を空中同時解体したり何種類も調味料をぽいぽいと入れていく様を見たメンバーたちは見慣れている小町以外の全員、顔が引き攣っていたが。そんなおかしいかねぇ。
……いや、確実におかしかったわ。普通のやつは食べ物を空中同時解体なんてしねえよ。
飯盒をセットして、鍋の方では肉と野菜、そして俺特製のルーを煮込む。
途中、海老名さんが「野菜ってやおいに似てる……卑猥」とか言ってたが、三浦に頭をはたかれていた。
他の誰も突っ込まないし俺もどう反応すればいいのかわからなかったので、正直助かった。実は三浦っていいやつ?
そんなことを考えながら鍋の中身をかき混ぜて、具材にルーがちゃんと染み渡るようにする。
ある程度かき混ぜたら、あとはじっくりことこと煮込むだけだ。
さすがに中高生、俺の他にも日常的に料理をする奴がいるのでかなりスムーズに進み、案外早く準備を終えることができた。
ふと周囲を見渡せば、鍋から立ち上る煙がちらほらと視界に映る。
小学生たちにとっては初めての野外炊飯なようで、苦戦しているグループもいくつか見受けられた。
「暇なら、見回って手伝いでもするかね?」
俺の料理の仕方を見て唖然としていた平塚先生が気を取り直し、言外に自分はごめんだがというニュアンスを感じさせることを言う。
俺も割と同意だ。さすがにちょっと休憩したい。
それにしても、なんでリア充はあんな交流するのに積極的なんだろうな。そのうち電池でも繋げるくらいになるんじゃないの。
「まあ小学生と話す機会なんてそうそうないしな」
例に漏れず葉山は結構乗り気なようで、そんなことをのたまった。俺はため息をつきながら鍋を指差す。
「ああ、そうだな。鍋も火にかけてるし、近いところを1か所くらいって感じだな」
そう言う意味じゃねえよ。
俺別に賛成意見出したわけじゃないから。ただ単に鍋に火をかけてるから行けないよな?って意味だよ。
なんで俺がアドバイスした的な感じになってんだ。
『俺、鍋みてるわ』
機械に声を送り、早々に離脱宣言をする。そして鍋に視線を落とし、不動の姿勢を貫こうとしたのもつかの間。
「気にするな比企谷。私が見ていてやろう」
ニヤニヤと笑いながら、平塚先生が俺の前に仁王立ちになって立ちふさがる。
……なるほどな。これも「うまくやる」ための訓練の一環、というわけか。
俺がそう考えている間に葉山が先陣切って一番近くのグループを訪ねる。
超どうでもいいが、側から見るとあいつが俺たち全員のリーダーっぽかった。え、なにそれすごい嫌だ。
小学生たちは高校生の登場をちょっとしたイベントのように捉えているのか、えらい歓迎のされようだった。
自分たちのカレーがいかに特殊かを語り、まだ完成してもいないのに食べてけ食べてけと田舎のばーちゃんの如く迫っている。
まぁ、誰が作っても一定レベル以上の味になるのが日本のカレーだ。そこまでおかしなものは出ないだろう…出ないよね?
葉山たちは小学生に囲まれて和気藹々としている。さすがリア充の王様(笑)と賞賛してやりたいところだが、実際のところそれだけが理由ではない。
小学生というのが、最も年上や大人を舐めているのだ。大人の大人たる所以を知らず、チョロい相手だとそう思っている。
ソースは小学生時代のクラスメイトだったやつら。
金銭の価値も、勉学の意義も、愛の意味も明確には知らない。与えられるのが当然だと思っていて、それの源泉を理解していない。
そして当然、その裏にある世の中の秩序というやつを守るために血みどろになりながら、悪逆非道な命を血の沼に沈めているものたちの存在なんて、もちろん知っているはずがないのだ。
しかし、彼ら彼女らもやがて成長すれば挫折や後悔、絶望を知り、この世界が実は酷く生きにくいものだと理解できるようになる。
あるいは、聡い子であればすでにそれに勘付いているのだろうか。
例えば、ただ一人椅子に腰掛けて明らかに小学生が読むには難解そうな本に目を落とし、同い年の女子たちから話しかけ辛そうな目を向けられては逸らされ続けているあの少女とか。
他の小学生たちにとって、彼女が一人でいることはもう日常的な光景なのだろう。事実、先の女子たち以外誰一人として少女…留美に関心を持っているものはいない。
けれど、彼女に向けられる感情が嘲笑や見下すものではなく、ただの複雑さなのが唯一の救い、なのだろうか。
「………」
そんな彼女の様子に俺がため息をついていると、留美は唐突に本から目を挙げ、栞を挟んでグループとは少し離れた場所へと移動する。そしてそこでまた本を読み始めてしまった。
俺はこれ幸いと、留美に近づく。
孤独なものに接するときは、あくまで秘密裏に、密やかに。それができる今、俺が彼女に近付かない理由はない。
幸い、他の小学生の相手をしていて葉山が話しかけるという最悪の展開は起こらなさそうだ。
もしそうなった場合、留美の立場はもっと苦しいものになってしまうであろう。
が、葉山は一瞬こちらを後ろ目に見ていたので、俺が留美に近づくとわかってわざとなにも反応しなかったのだろう。
主に昔のことによる俺への恐怖と、単純に小学生たちの相手が大変だからだと思われる。
木陰に座っていた彼女の隣にすとん、と腰を下ろすと、一度留美は胡乱げな瞳でこちらを睨め付けた。
「……八幡?」
『おう』
俺だとわかると、途端にぱっと表情を明るくした。
そんな留美に少し苦笑しながら、頭の中で言葉を思い浮かべて機械へと声を送る。
『なに読んでるんだ?』
「……ん」
小さく声を漏らし、留美は俺に本の表紙を見せてくる。
見れば、それは本来高校で勉強するはずの世界史の資料集だった。
俺に資料集を見せながらきらきらとした瞳を向けてくる留美に顔が少し引き攣る。やばい、これ本格的に孤立してるの俺のせいかもしれん。
「これ、八幡が言った通り面白い」
そう。読むと面白いぞと言って以前、この本を留美にあげたのは俺なのだ。
まさか、こんなところにまで持ってきているとは思わなんだ。今までの様子からして周囲の同級生など視界にあらず、明らかに留美の興味はこの本にしか向いていなかった。
あれ、どうしよう。本格的に罪悪感が湧いてきたぞ?
いや、あげたものを楽しんでくれるのは素直に嬉しいのだが、それで留美が孤立してる理由の要因になるのなら話が別になってくる。
やべえ、本当にやべえ。
『ところで、カレー作らないのか?』
俺の心を切り替えるために話題を振ると、留美は一瞬前までの目は何処へやら、気まずそうに目線をそらす。そしてそのまま押し黙ってしまった。
ふと後ろを見れば、俺と話している留美を見てまたあの女子たちは気まずそうな顔をしていた。しかし俺に見られたことに気がつくと、慌てて目をそらす。
その後に流れるのは気まずい空気。しかしてその中には何も存在せず、ただ虚しい居心地の悪さだけがあった。
「じゃあ、せっかくだし隠し味入れるか、隠し味!何か入れたいものある人ー?」
と、そこで葉山が小学生たちに向けてそういった。
聞いたものを引きつけ、自分へと注目を向けさせるような明るい声でだ。おかげで、あちらの女子たちの意識はそっちに向き、残すは俺と留美の間の微妙な空気だけとなる。
幸いと言うべきか、それとももっと辛くなったと言うべきか。
そんな俺たちをよそに小学生たちは、はいっはいっ!と挙手してはコーヒーだの唐辛子だのチョコレートだのとあれやこれやアイデアを披露する。
中にはそれ入れたら確実に不味くなるだろ、といったものもあり、少し苦笑が漏れた。
「はいっ!あたし、フルーツがいいと思う!桃とか!」
……若干一名、その体に反して精神が小学生っぽいやつがいた。今度は本当の意味の苦笑で顔を引き攣らせる。
そんな俺を見て、留美は不思議そうに首をかしげた。
ていうかあれ、由比ヶ浜じゃねえか。何参加してんの?ほら、さしもの葉山も表情を強張らせちゃってるよ?
それどころか、小学生と同レベルにとどまらず料理スキルが一番低そうな発言をしてるし。
しかし葉山はすぐに穏やかな顔に戻すと、何事か由比ヶ浜に言う。
すると彼女は肩を落としてとぼとぼと歩いてきた。どうやら柔かーい感じに邪魔者扱いされたらしい。
『アホか、あいつは……』
「クスッ」
思わず機械から思ったことが漏れ出た。
それに、留美がおかしそうに笑いをこぼす。
そんなにおかしかったのか?と目を向ければ、留美はあわあわと慌てた様子で手と顔で違うことを示した。
もしやと思い、別に怒っていないと肩をすくめてジェスチャーをすれば、彼女はその小さな胸をなでおろした。
そして、また微笑を浮かべてこちらに話しかけてくる。
「えっとね、なんか珍しいなって思って」
珍しい?
「八幡、普段そこまで笑わない…よね?だけど、さっきあの人のことをアホって言った時、少しだけど笑ってたから」
『え、そうなのか?』
数秒かけて問い返せば、彼女はこくこくと頷く。俺は少しだけ記憶を探り、確かに無意識に機械に声を送っていた時僅かに口角を上げた感覚があったのを思い出した。
……そうか。俺は、いつの間にか雪ノ下や小町以外にも自然な笑みを向けられるようになったのか。
なぜか、そのことを少し嬉しく感じたが、それを表に出すのは恥ずかしいのでわしゃわしゃと留美の頭を乱暴に撫でる。
「わわっ!?」
『……俺のことなんざ見てないで、頃合いを見てあっちに参加しろよ』
俺のいきなりの行動に驚く留美に少し時間をかけて機械で言うと、立ち上がって鍋の方へ戻った。
すると、つい先程からこちらを優しげな目で見ていた雪ノ下と顔を合わせる。
「あの子、どうだったかしら?」
『ああ。ま、大丈夫だと思うぞ』
そう、と雪ノ下は機械から出た俺の言葉に短く返事をすると、微笑みをたたえた表情をこちらに見せてきた。
それが少しむず痒く、思わず目線をそらしてしまう。
……しかし。
雪ノ下に大丈夫とは言ったものの、留美の問題はある程度の期間までに解決しなくてはならないだろう。このままでは彼女の中学時代は雪ノ下と出会う前の俺と同じになってしまう危険性がある。
誰とも関わらず、関われず、ただ一人孤独に生きる。
それは時には大切だが、しかしずっと続けば生まれるのはあの時以前の俺のような理性でできた怪物だろう。そ
こから孤立無援で奮闘をすることが相当に難しく、なおかつとても辛いことを俺はよく理解している。
だからこそ、昔から知っている子がそんなことになるのは絶対に許容できない。
そもそも、俺が彼女の今の状態の原因である可能性があるしな。それを放って置くほど厚顔無恥じゃねえし。
だがまあ、上手くやれば彼女は間違いなく普通になれるだろう。
何故ならば、俺のように拒絶されるのではなく、彼女には彼女を気にかける存在がいるのだから。
この決定的な違いを、活かさない手はない。
そんなことを考えてふと顔をあげれば、空はようやく日が落ちて、薄墨を流しかけたような藍色に染まっていた。
その中に点々と星が瞬き、見ていると自然と心が落ち着く。
そうして平静となった心で、俺は彼女の問題を解決することをひっそりと決意した。
ーーー
かちゃかちゃと食器とスプーンの立てる音がする。
少ししょぼくれた様子の由比ヶ浜と合流し、仲良くとは行かないまでも留美が自分の班と合流できたのを確認してから俺たちも自分のベースキャンプへと戻ってきていた。
平塚先生が番をしてくれていた俺特製カレーはいい感じに煮込まれており、飯盒の方もなかなかの炊き上がりである。
炊事場の近くには木製のテーブルと、一対のベンチがある。それぞれがカレーを皿に盛り付けると、座る場所の探りあいが始まった。
最初に座ったのは俺だ。迷わずにベンチの端っこをゲットした。
続いたのは小町……ではなく、滑り込むように雪ノ下。
「……?」
「あら?どうかしたの比企谷くん?」
反対側に座るだろうと言う予想を覆されて困惑する俺に、雪ノ下はにっこりと見惚れるような笑顔を放ってきた。
心臓にクリティカルアタックが決まり、俺は何も言えなくなる。そんな俺を見て満足したように、雪ノ下は小さく「よし」と呟いた。
……可愛いなチクショウ。
で、雪ノ下の隣には何故か般若の如き顔の小町、さらに隣には由比ヶ浜。そして由比ヶ浜に続き、なんと海老名さんが座った。
ちらりを目線が引っかかると、彼女は陽気な仕草でこちらに手を振る。一応振り返しておいた。
反対側には当然残ったメンバーが座り、端っこ……つまり俺の正面に三浦が座る。てっきりど真ん中かと思ったが。
三浦の隣には葉山、次に戸部、その次はこちらも何故か少し悔しそうな顔の戸塚、最後に平塚先生で終わりだ。
「さて、ではいただくとしようか」
平塚先生の言葉で全員軽く手のひらを合わせ、「いただきます」と言う。それと同時に各々がスプーンをとって食事を開始した。
思えば、こんな大人数で一堂に会して食事をするのは割と久しぶりな気がする。一番新しい記憶は……俺の誕生日会か。いつもながら盛大だったのが印象に残っている。
『『『……………』』』
誕生日会の騒がしい光景を思い出していると、ふと周りが静かなことに気がついた。
一体どうしたんだと意識を向ければ、全員スプーンを口に含んだ体制のまま固まっている。しかも目を見開いているおまけ付きで。
……あれ?もしかして俺の作ったカレー、マズかったか?
「お……」
「?」
そう考えていた途端、由比ヶ浜が何事か呟く。
ほんの一瞬だったので聞き取りきれず、耳に意識を集中した瞬間ーー
「すんごくおいしいっ!?」
「!?」
由比ヶ浜がいきなり絶叫した。やべ、鼓膜がキーンってなった!耳の中超痛え!
「はふはふっ……手が、止まらない…!」
悶絶している俺をよそに、由比ヶ浜はもきゅもきゅとカレーを口に詰め込んでいく。
それに感化されたのか一人、また一人と復活していき、やがて全員が一心不乱にカレーをかっこみ始めた。
「確かに、由比ヶ浜さんが叫ぶだけのことはあるわ……すごい美味しい」
「ん〜!やっぱりいつ食べてもお義兄ちゃんの料理は最高!」
「うわー…これ毎日でも食べれちゃうくらいやばいね。虜になっちゃいそう」
「ちょ、これ超美味いんだけど!あーし今までこんな美味いカレー食べたことない!」
「やっべー!超やっべーわ!」
「くっ…!悔しいけど、美味い…!」
「あぁ…ここに来てよかった。最初は面倒臭かったが、もうこの食事だけで私は満足してしまったぞ…!」
小町や三浦はテンション高めに、戸部はやかましく、雪ノ下や海老名さん、平塚先生は他よりは落ち着いているものの目を見開きながら俺のカレーを食べていた。
葉山に至っては泣きながら食うなんてわけのわからないことをしている。正直気持ち悪いが、それだけ全員が全員喜んでくれると不思議と嬉しい気持ちになった。
「それにしても、給食みたいだよね」
「メニューもカレーですしね」
しばらくするとみんな落ち着いて、ちらほらと食べながら雑談を交えている。
由比ヶ浜の意見には俺も同感である。男子にとって給食の定番といえばカレーなのだ。
「男子ってカレー好きだよね。献立がカレーの日って男子めっちゃ騒ぐし」
懐かしむような口調で由比ヶ浜は言う。
給食、カレー、男子うるさいはどこの小中学校でも共通の事柄のようだ。俺の中学も確かにそうだった。小学校?雪ノ下との記憶以外にほとんど覚えてないわ。
「そうそう。で、給食当番がカレーの鍋ごとひっくり返して、すっげえ非難浴びたりするんだよな」
葉山が笑う。それに同意するように、カレーをかきこみながら戸部が笑った。
「あったわー、それマジあったわー」
『……で、その給食当番がクラス中に責められて、仕方なく他のクラスに分けてもらいにいくってのがオチか』
時間をかけて機械に伝達しそう言えば、それあったあった!なんて由比ヶ浜が大げさなそぶりで返してくる。
それを皮切りに、カレー談義的なものが始まっていた。
……ふむ。たしか中学校時代の林間学校で一度そのようなことがあり、他の班から分けてもらったカレーをあいつにせがまれて仕方がなく俺が味付けし直したら、班全員ひっくり返ってたっけ。
あとであいつに聞いたら、うますぎてマジウケるわー!とか言ってたっけな。懐かしい思い出である。
あ、あとあれだ。麦芽ゼリーがデザートの日もかなりうるさかった。独特の味わいでなかなか美味しかったのを覚えている。
あれって給食で出るの千葉だけらしいね。
今回はちょい短めです。
感想をいただけると嬉しいです。