声を失った少年【完結】   作:熊0803

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まず、謝罪申し上げます。この作品の更新を楽しみにしてくださっている方、誠に申し訳ありませんでした!
まさか3ヶ月も更新しないとは自分でも思いませんでした。
代わりに今回は長いので、楽しんでいただけると嬉しいです。


39.声を無くした少年は、一人で苦しむ。

  ここは先ほどまで肝試しの行われていた森の麓だ。広場になっているこの場所には今、俺以外は誰もいない。

 

  俺は目を瞑って腕組みをし、肝試しのコースである山道の対面の木にもたれかかり、ボランティア組が降りてくるのを待っている。

 

  そんな俺の足元には大きな一つの袋があった。それはうちがから赤いシミが浮き出ており、一見するとヤバイものに見える。

 

  ……まあ、ある意味ヤバイっちゃヤバイんだけどな。ぶっちゃけ夜の森程度よりもこれの方が怖いと思う。

 

  そんなことを考えながら待ち続けること十数分。ようやく十数人ほどの気配と足音が山道から聞こえてきた。

 

  ザッ、ザッ、という足元とともに、山道から広場に大人数の集団が入ってくる。まず最初に小町、次に雪ノ下、由比ヶ浜、戸塚。あとはいつもの葉山グループだ。

 

  一団は広場に入ると立ち止まり、キョロキョロと何かを探し始める。おそらく、俺のことを探しているのだろう。

 

  そうしているうちに、まず最初に小町が俺のことを見つけた。次に雪ノ下たちが見つけて声を出し、残りの奴らも気がつく。

 

「お兄ちゃん!」

「比企谷君!」

「ヒッキー!」

「八幡くん!」

『……おう、お前らお疲れさん』

 

  首の機械に言葉を送って声を出し、こちらに走り寄ってきて各々の呼び名を呼んだ四人に答える。

 

  その四人を皮切りに、他のメンバーも走って近寄ってきて俺の前に立った。一見すると集団に追い詰められてリンチされそうになってるようにも見えるな、これ。

 

  …まあ、そんな冗談はともかく。俺の目の前で、彼ら彼女らは皆一様に何かを口に出すのをためらっていた。

 

  それぞれがチラチラと誰かに目線を向け、お前が聞けと言外に言う。こういう時自分が話して、他の人間からの視線の的になるのが嫌なのだ。

 

  そんな中、唯一小町と雪ノ下だけは黙ってじっとこちらを見ていた。その沈黙は俺の秘密を知っているからこそか。

 

  ……聞きたいことはわかる。先ほどの山の上でのことだろう。あんな摩訶不思議なものを見て流せるほど達観していないはずだ。

 

  俺あのことについて、任せろと言った以上聞かれれば答える気はある。だから黙って待っているのだ。

 

  しかし、いつまで経っても誰も話しかけてはこない。むしろ早く誰か聞けよとギスギスしてるまである。これは流石にまずいな。

 

  ……仕方がないな。自分からネタバラシをするしかないか。そうじゃなきゃ言い争いが始まりそうである。

 

  …いや、それは少し違うな。これから俺がするのは、俺のための嘘のネタバラシだ。

 

  というわけで早速、俺は足元に置いていた袋を持ち上げて中身を漁り始めた。それを不思議そうに見る面々。

 

  そして俺が袋から〝あるもの〟たちを取り出すと一斉に顔をひきつらせる。まあ、ものがものだから無理もない。

 

  俺が取り出したもの…それは人の皮、生首、長髪のウィッグ、ゴムのマスク、血糊の瓶……エトセトラエトセトラ。

 

「ひ、ヒッキー、それ……」

『これ、よくできてるだろ? 全部素材を手に入れて作るの苦労したわ』

「……ほへ?」

 

  俺の首輪から出た言葉にアホな声を出す由比ヶ浜に思わず苦笑した。他の奴らも拍子抜けしたような顔をしている。

 

「……それ、全部作り物なの?」

『ああ……この人の皮は肌色の布を切り抜いて血糊をつけてぶら下げてただけ、生首は丸太を彫って色つけしただけ、んであの姿はウィッグつけたりマスクつけたりでコスプレしただけだ』

「いや、あれはもはや特殊メイクだと思うんだけどなぁ……」

 

  苦笑する戸塚。最初に聞いてきた由比ヶ浜はずっとぽかんとしたままだ。アホ面全開である。

 

  「それじゃあ声は?」と聞くのは三浦。俺は首の機械に手を伸ばし、パネルをぽちぽちと操作する。

 

  そうして声を出すと、先ほど上で出したような悍ましい声が出てきた。まだ恐怖が残っているのか、ちょっとビクッとする。

 

『……つーわけだ。せっかくだから手の込んだことをしてみたくてな。それに孤立の件も解決したし、結果的には大成功だろ?』

 

  そう、あれは全て留美のためだ。彼女に自分を気にかけてくれる存在がいるという証明、そして自覚を促すためのお芝居。

 

  別にこいつらと一緒にやる方法だってあった。だがこいつらに協力してもらって、先生や小学生からの印象を悪くする必要はない。

 

  葉山に関しては別に全く心は痛まないが、他の奴ら……特に雪ノ下や戸塚には絶対に悪役などやらせたくなかったのだ。由比ヶ浜?そもそもアホだから無理だろ。

 

  だから俺は最後は一人でやった。俺らしく最も手っ取り早くて、なおかつ俺一人だけが恐れられるやり方をもって。

 

  結果として、トラウマになったかもしれないが少女たちは留美を守ろうとし、また留美も手助けをしたとはいえ勇気を振り絞って行動を起こした。

 

  あの後追いかけた先でこっそりと様子を見たが、留美は感謝して褒め称える少女たちにオロオロとしながらもどこか嬉しそうだった。

 

  だから、結果だけ見れば大成功だ。事前に言っておいたとはいえ、俺の印象は最悪になっただろうがな。

 

「なーんだ、そういうことだったんだね! もう、本当にビビったよ!」

「うん、怪談話の時の話を思い出して、僕腰が抜けちゃったよ」

「ヒキオ、今度から事前に言えし」

「比企谷くんまじパネーっしょ!」

「はは……」

 

  あれが全てただの作り物だったとわかって、口々に俺に文句を言うメンバー達。だがどこか和やかな雰囲気であった。

 

  …だが、そんな他の奴らに対して三人、別の反応をしている奴らがいる。小町、雪ノ下……そして海老名さんの三人は、他の面々とは全く違う反応をしていた。

 

  小町は何か言いたげな、しかしどこか悲しげな表情を。雪ノ下はどこか怒っているような、剣呑な目を、海老名さんは…どこか含みを感じる微笑みを浮かべている。

 

  ……いつ突っ込まれるかわからないし、ここら辺でバックれとくか。せっかく丸く収まっている今がチャンスだ。

 

  それに…()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

  機械に意思を送って声を出す。その瞬間、また全身に煮えたぎるような熱が走った。我慢しているが、酷くなってきたな。

 

『…じゃあ俺は川で布とかを洗ってくるから、先に戻っといてくれ』

「うん、わかった!ヒッキーも早く来てね!」

『……おう』

 

  由比ヶ浜への返答もそこそこに、俺は袋の中に出したものを全てたたき込むと足早にその場を離れていった。

 

  「あっ!」と小さく声をあげた小町と雪ノ下が手を伸ばす気配がするが、今は彼女たちのためにも離れなくてはいけない。

 

  楽しげに話し声をあげる彼ら彼女らを背に、俺はただ一人そこから離れていくのだった。

 

 

 ーーー

 

 

  森の中へと入り、草木を避けて昼に留美のいた小川へと向かう。その間にもどんどん頭の中の熱が増していった。

 

  その熱に反応するように、二の腕に装着された腕輪が赤く輝き、警告音を鳴らしている。その腕輪から肌の上下に、黒く血管が浮き出ていた。

 

  自然と足を動かす速度が早くなり、やがて小走りに、最後には袋を投げ捨て、俺のできる全力疾走で川へと向かっていく。

 

  早く、早く、早く……! 少しでも早く、あいつらから、人間から離れなくてはいけない。そうしなくては、俺は…。

 

  やがて、川のせせらぎが耳に響いて来た。俺はその方向を振り返り、即座に方向転換して夜の森を走り抜ける。

 

  そしてパッ!と視界が一気に開けた。目の前には岩場と目当ての小川があり、月明かりに照らされてすんだ輝きを放っている。

 

  俺は飛びつくように小川に走り寄り、腕輪のついた腕を肩口まで一気に突っ込んだ。すらとそれまで抑制されていた腕輪の熱が一気に解放され、ボコボコと水面が蒸発する。

 

 

 ドクンッ……!

 

 

  だが水による強制的な冷却でも制御が追いつかず、黒い血管が脈打ってボコリと腕が脈動した。

 

 

 キュィィィン……!

 

 

「ッッ……!!!」

 

  それを制御しようとギチギチと締め上げる腕輪に、俺は声帯があれば絶叫しそうになるほどの激痛を堪える。

 

  おそらく今の俺は凄まじい形相になっていることだろう。歯を食いしばり、額に血管を浮き上がらせあぶら汗を大量にかいている。

 

  柄じゃないが、こんな姿あいつらには見せたくはない。小町や雪ノ下はもちろんのこと、由比ヶ浜やあいつや…かつて俺を救ってくれた義父さんにでさえも。

 

  ダメだ、抑えきれない、おい、オクタ!オクタ!……くそ、ダメか。やっぱり内面から食い止めているのに精一杯で、返事は返ってこない。

 

  そのままオクタの助けもなく、俺一人で黒い脈動と格闘すること体感で十数分。ようやく腕輪が正常に戻っていく。

 

  小川の水面に浮かんでいた泡が少しずつなくなっていき、体の内側からくる熱より水の冷たさが勝ってきた。

 

  ゆっくりと小川から腕を引き抜く。それにつられてこぼれ落ちる水に濡れた俺の腕は、手首の先まで黒い血管が侵食していた。

 

  だがそれも、赤から青にランプが戻った腕輪の抑制装置によって少しずつ引いていき、やがて最後には完全に元どおりになった。

 

  ……危なかった。あと少しで抑えきれなくなるところだった。やはり、俺単独での()()の制御は不可能か。

 

  そうホッと息を吐いたのも束の間、胸の奥から何かがせり上がってきて急激に苦しくなった。

 

  胸をかきむしり、ドンドンと殴って苦しみの元を少しでも上へ押し上げようとする。すると苦しみが吐き気に変わった。

 

「ゲボッ……!」

 

 

 

  ゴバァッ!

 

 

 

  声にならない苦悶の声とともに、俺は口から()()()()()()()()()()()()()

 

  一度吐き出すと止まることなく断続的に吐血が続き、小さな血塊をいくつも吐き出しながら黒い血をえづく。

 

「ゲボッ……ゴホッ、ゴホッ………」

 

  一際大きな血塊を吐き出すとようやく吐き気が収まった。ハァ、ハァ、と荒い息を吐く。

 

  最後まで吐き出し終えた頃には、通常の人間なら致死量を超えている量を吐き出したためか猛烈な倦怠感に襲われていた。

 

  その倦怠感に抗えず、ぐらりと体が崩れ落ちる。倒れる俺の体が向かう先は……小川。このままだと顔面から水に飛び込むことになるだろう。

 

  この体である以上溺死などしない…いや、できないが、やはり気絶するまでの苦しさはある。そんなものは勘弁してもらいたい。

 

  しかし、そんなことを言ってももう止めようがない。体に力が入らないのにどうやって回避するというのだ。

 

  助けてくれるような奴もいない。なぜなら……俺は独りなのだから。

 

  妙な孤独感に苛まれながら、抗う暇もなく川の中に倒れる、その瞬間ーー

 

 

 

「八幡君っ!」

 

 

 

 ……え?

 

  美しいソプラノの声が耳に響くのと同時に、ふわり、と俺は甘く清涼感のある香りに包まれた。

 

  抱きとめられる感覚がする。俺の体に細く小さい手……まるで女のような手が、誰もいないはずのこの場所で崩れる俺を引き止めた。

 

  だが俺をし得たその誰かの力では脱力して重くなった俺の体重は支えられなかったのかバランスを崩しかけている。

 

  こいつに負担をかけさせてはいけない。本能的にそう悟り、最後の力を振り絞って身をよじる。するとそれが功を奏したのか、そのまま地面に一緒に転がった。

 

「はぁ…はぁ……八幡君!」

 

  俺の名前を呼んで、そいつは俺の体を必死に揺さぶる。その声で遠のきかけていた意識がほんの少し元に戻ってきた。

 

  すると俺の体は肉体のダメージを再生するために強制的に眠らせることは不可能だと判断したのか、そのまま活性化しはじめる。

 

  それがうまく働いて、ほぼ休眠状態に入っていた五感が復活した。とはいえ体は動かず、音と感触、未だぼんやりとしたままの視界だけが機能する。

 

  復活した感覚から判断できる外界の情報を必死に処理して、今自分がどういう状態かを把握しようとした。

 

  …どうやら俺は今地面に寝かされて、ずっと俺の名前を呼んでいるそいつに心臓マッサージをされているらしい。

 

  だがその行動は無意味だ。すでに肉体は自主的に再生を開始している。俺の細胞に埋め込まれた力が発揮され、どんどん足りない分の血液が生成されていった。

 

  みるみるうちに体の感覚が正常に戻っていき、カッと目を見開いた俺はまだ喉の中に残っていた血を吐き出して上半身を持ち上げた。

 

「きゃっ……は、八幡君!」

 

  驚いて飛び退いたそいつは、口元についた血を拭う俺に素っ頓狂な声をあげた。どうやらかなり驚いているようだ。

 

  血をぬぐい終えると、助けてくれたそいつに礼を言おうと振り向く。そして至近距離で視界に移ったそいつの顔に……思わず瞠目した。

 

 

 

『……雪ノ下?』

「八幡君……」

 

 

 

  そう。そこにいたのは奉仕部部長であり、幼馴染のようなものであり、俺の好きな女である雪ノ下雪乃だったのだ。

 

  雪ノ下は無意識に首輪から声を出すとようやく俺が生きていると実感できたようで、ぺたんと尻餅をついて「よかった…」と呟きながら胸をなでおろす。

 

  ……なんでこいつがここに。いや、別におかしくもないか。俺の秘密を知っているなら、こうなることはわかっていたはずだ。

 

  それに、あんな逃げるようにも見える別れ方をすれば嫌でも気になるだろう。それでもこいつがここがわかったのは驚いたが。

 

  いや、それは嘘だ。最初に抱きとめられた時、いつも部室で聞いているあの声と匂いを感じた瞬間もしかしたらと期待していた。

 

  そうして今俺の目の前にいる彼女に、どこか堪えようのない嬉しさを感じた。俺を見つけてくれたという事実が歓喜の感情に変わる。

 

  そんなことを考えていると、落ち着いた雪ノ下がギロリとこちらを睨んできた。その眼光に思わず怯んでしまう。

 

「……布を洗いに行ったのではなかったのかしら? 見た所、むしろ貴方が汚れているように見えるのだけれど」

『…それは』

「言い訳は聞きたくないわ」

 

  ポスッ…

 

  有無を言わさぬ口調でそう言った雪ノ下が、俺の胸に体を預けてきた。離れようとするが、ギュと服を握られて逃げれない。

 

  結局どうしていいかわからずに不自然な形で空中で手をわたわたとしているだけだった。雪ノ下に触れたら壊してしまいそうで触れない。

 

  当たり前である。だって俺だぞ?雪ノ下じゃなかてめ、女子に触るなんてできるはずがない……自分で言ってて悲しくなってきた。

 

「……しないって…したじゃない」

 

  どうしたらいいのか悩んでいると、不意に何か雪ノ下が呟いた。聞き取れずに首を傾げてしまう。

 

「……?」

「無茶しないって……約束したじゃない…!」

「………」

 

  悲痛そうな声音で言う雪ノ下に、俺は虚空をさまよっていた手を無意識に彼女の背中に回していた。

 

  驚いて顔を上げる雪ノ下。俺自身が一番驚いている。まさかこんなことを俺がするなんて。

 

  きっと俺は本能的に…あるいは直感的に悟ったのだ。雪ノ下雪乃を泣かせること……それは人間比企谷八幡のアイデンティティの崩壊を意味すると。

 

  しかし雪ノ下は離れることなく、むしろ俺の胸に顔を押し付けて肩を震わせた。シャツが湿っていく感触がする。

 

  ……彼女は今、泣いているのか。くそ、何をやっているのだ俺は。誓ったんじゃないのか、彼女を悪意から守り、二度と悲しい涙を流させないと。

 

『……雪ノ下』

「……嫌」

「…?」

「お願い……今だけでいい、昔みたいに〝雪乃〟と呼んで頂戴……〝八幡君〟」

「……!!」

 

 ……こいつ。

 

  …思い返せば、彼女は先程から俺のことを名前で呼んでいた。俺も彼女もわかっていながら、あえて目をそらしていたというのに。

 

  お互いの気持ちの整理がついて、決心がついたらかつての約束を果たす。言葉に出さずとも、俺たちの間で交わされた新しい約束だ。

 

  …だとするならば、これは罰だ。昔のことから目を逸らしているくせに、彼女を心配させ、泣かせた未熟な俺への罰。

 

  それならば、俺はそれを甘んじて受けよう。そうすることで彼女が満足するなら、それは俺が比企谷八幡として存在することへの許しとなる。

 

『……雪乃』

「……ん、それでいいわ」

 

  言われた通りに名前で呼べば、上目遣いをしていた彼女は満足そうな様子で頷いた。そしてまた俺の胸に顔を埋める。

 

  ……忘れよう。今この瞬間だけは、過去(むかし)のことへの苦悶も、現実(いま)の心地よさも、俺の秘密のことも何もかも。

 

  ただ今は……かつて守り続けた、強くか弱い、儚い愛する少女の温もりだけを感じるのも、いいのかもしれない。

 

 

 

  そうして俺は……彼女自身が気の済むまで、雪ノ下雪乃の温もりに溺れた。

 

 

 ーーー

 

 

  肝試しというキャンプの醍醐味であるイベントのあった夜から一夜明け、翌日。

 

  俺たちボランティア組は小学生たちが学校へと帰るバスに乗り込んでいくのを見送っていた。彼らが出発したら俺たちも帰宅だ。

 

  彼ら彼女らは皆一様にキャンプでの思い出を語り、楽しげに騒いでいた。純粋にあったことを話して笑いあえるのは、あの年頃の特権だ。

 

  まあ、そんなことを言ってる俺もまだ高校生だが。俺もまだまだ青春真っ只中だし?ワイワイ騒げるし?…いや、それは無理か。声出ないし。

 

  そんなアホなことを考えながら木陰に突っ立っていると、不意に騒ぎ立てるグループの一つ……全員女子で構成されたそのグループを見つけた。

 

  その四人組は全員見覚えがある。俺の知り合いである鶴見留美……そして、俺に話しかけてきたあの女子三人だった。

 

  彼女たちは留美を中心として非常に和やかな雰囲気で、普段表情に乏しい留美も柔らかな笑顔を浮かべていた。

 

  ……幸い、昨日の件は俺たちからのサプライズということで問題にはなっていない。随分と危ない橋を渡ったと平塚先生には苦笑されてしまった。

 

  それでも、彼女たちのあの笑顔を見ただけで……俺が苦しんだ分の成果はあったかと少し達成感を覚えた。全く、らしくもない。

 

「あ……」

「ねえ、あの人……」

「う、うん……」

 

 …ん?

 

  ふと、留美に話しかけていた三人が俺に気がついた。そして互いに小声で何事か話し合う。なに、悪口でも言ってるのん?

 

  やっぱりトラウマになったかと思いげんなりしていると、突然こちらに向けてぺこりと三人はお辞儀をした。思わず瞠目する。

 

  それは留美も同じで、三人がお辞儀をしている方向を見て……俺を見つけ、さらに驚いた顔をした。

 

  だが、それは一瞬だった。ふっと留美は柔らかい笑みを浮かべ、首にかけたデジカメを撫でながらこちらを見る。そして口元を動かした。

 

  『あ り が と う』。俺の勘違いでなければ、彼女はそう言った気がした。真相は神ならぬ留美のみぞ知るといったところか。

 

  そのまま、ひらひらと手を振った留美は三人を伴いバスの中に消えていった。彼女たちが最後だったので、窓から葉山たちの方に手を振る小学生を乗せたバスは発進した。

 

  完全にバスの尻が見えなくなるまで見送ると、木陰から出て他のメンバーのいる方に歩いていく。すると、小町と由比ヶ浜がこちらを見ているのに気付いた。

 

  何故か微笑んでいる小町と由比ヶ浜の前に立ち、機械に声を送る。

 

『……なんだよ』

「ううん、なんでもないよ。でも……」

「よかったね、お義兄ちゃん」

『…見てたのか』

 

  なんだか無性に恥ずかしくなって、ぽりぽりと頭を掻きながらそっぽを向く。二人はそんな俺を可笑しそうに笑っていた。

 

  しかし、その笑いは俺の思考に残らず右から左へと流れていった。なぜなら、そっぽを向いた先には…

 

「あ……」

 

 …雪ノ下が、いたのだから。

 

  ピタリ、と自分の視線が固定されるのがわかる。脳裏に昨夜のことがフラッシュバックして、頬に血が集まって熱くなってきた。

 

  それは雪ノ下も同じなのか、恥ずかしそうに片腕で体を抱いて視線を忙しなく右往左往させていた。普段の彼女からは考えられない。

 

  ……あの後、俺と雪ノ下はかなりの時間あのままだった。キャンプファイヤーなどもやったようだが、戻った頃には小学生たちはすでにペンションに行っていた。

 

  あのひと時の時間は、誰にも知られていない。俺と雪ノ下だけの、二人だけの秘密の時間。それが最も正確な言い方だろう。

 

「おーい、そろそろ出発するぞー!」

 

  今更柔らかい肌の感覚や良い匂いを思い返していると、平塚先生の声で俺と雪ノ下はハッと我に返った。どうやら荷物の積み込みが終わったようだ。

 

  迎えが来ている葉山グループと別れ、平塚先生のバンに俺たちは乗り込む。案の定と言うべきか、行きと同じ配置であった。

 

  全員が乗り込んだのを確認し、平塚先生がバンを発進させる。そうして、俺たちは数日を過ごした千葉村を後にしたのだった。

 

  帰りの車内は、ある意味予想通りの展開だった。後部座席は十分で撃沈、車での旅行にありがちな状況である。

 

  対する俺は特に眠気もないので、窓の外の空いた高速道路をぼーっと眺めている。平日だからか、走る車はそう多くはなかった。

 

  少し考えればわかるが、俺たち学生は夏休みだがお盆前であるこの時期、社会人は仕事なのだからそう混んでいるはずはない。これなら二、三時間で着くだろう。

 

  解散は学校ということになっている。流石に平塚先生に一人一人家まで送らせるわけにはいかないしな。

 

  ……帰れば、俺にも〝仕事〟が待っている。今朝起きた時に連絡が来た。が、今回は実戦の方ではなく、千葉支部の責任者への報告書の提出だ。

 

  まあ、行くのは俺ではなくオクタなので特に気負うこともない。日中にオクタが出てくる数少ない機会だな。

 

「……雪ノ下と何か進展があったかね?」

 

  帰った後の家事のことを考えていると、突然平塚先生がそんなことを聞いていた。頬杖をついついた体制からガクッと滑り落ちる。

 

  平塚先生のほうをみれば、こちらをちらりと見て意地の悪そうな笑みを浮かべた。まったく、人の悪い教師だ。

 

『…なぜいきなりそんなことを?』

「ふん、普段のお前たちの様子を見ていればすぐにわかるさ。で、何かあったか?」

『……特に何も』

 

 嘘です、色々とありました。

 

「ふむ……そうか。まあそれならそれでもいいだろう。まだまだ時間はあるしな」

『はぁ…』

「時に、例の勝負の件だが。今回は雪ノ下と由比ヶ浜には一ポイント、特別貢献した比企谷には二ポイントだ。一ポイントリードだな」

 

 ……そういえば、そんなこともあったな。

 

  平塚先生の言葉に適当に了承の意を返しながら、俺はまた窓の外を見る。すると丁度トンネルに入り、俺の顔が窓に映り込んだ。

 

  その顔は、自分が思っているよりも赤かった。

 

 

 ーーー

 

 

  車で揺られること、三時間弱。そろそろウツラウツラとしていたところで、車が止まる衝撃で目がさめる。

 

  窓の外を見てみると、見慣れた総武高校の校舎が周囲の風景に一体化して広がっていた。どうやら到着したようだ。

 

  携帯を取り出して確認すると、時刻はだいたいお昼過ぎかそこら。時間としては丁度いい頃合いだ。

 

  シートベルトを外して車外に出ると、むわっとした真夏の外気が肌にまとわりついた。海にほど近いこの地域特有の空気だ。

 

  その空気に無性に懐かしさを感じていると、後部座席の扉が開いて残りのメンバーが出て来て各々道路で伸びをしたり、ふぁと欠伸を漏らしている。

 

  俺も一度伸びをすると、一足先に降りていた平塚先生の手伝いをして後ろから荷物を下ろすのを手伝う。

 

  のろのろとした動きで近寄ってくる面々にそれぞれの荷物を手渡し、最後に自分と小町の分のバックを掴むと忘れ物がないかチェックする。

 

  それを確認し終えると、なんとなく全員で整列した。平塚先生はそれを見て満足げに頷く。

 

「諸君、ご苦労だった。家に帰るまでが合宿なので、気をつけて帰るように。では解散」

 

  平塚先生の号令とともに、それぞれの家路につくためにガヤガヤと相談しだす。俺と小町は京葉線に乗ってからバスで帰宅だ。

 

  由比ヶ浜と戸塚が「それじゃあまた」と言うとバスに乗るためにバス停に向かう、後には俺から受け取ったバッグを背負い直している小町と俺、そして……雪ノ下が残った。

 

  ……そういや、こいつも京葉線だって前雑談で聞いたっけ。なら帰り道は途中まで一緒か。どうしよう、誘ってみようか。

 

  一緒に帰るか聞こうと雪ノ下に話しかけようとした時だった。

 

 

 スー……

 

 

  低く静かな駆動音を伴い、黒塗りのハイヤーが目の前に横付けされた。明らかにグレードの高い高級車だ。

 

  左ハンドルのハイヤーの運転席にいるのは年齢不詳の美男。制帽からは艶やかな黒髪がのぞいている。後部座席はスモークが貼られていて外からは見えないようになっていた。

 

  ……このハイヤー、見覚えがある。左拳が一瞬熱くなった気がした。もしかしたら、この体がこれを殴り飛ばした時の感触を覚えているのかもしれない。

 

  運転手はちらりと俺を見た後、車降りて俺の前に立つ。そして優雅な所作で軽くお辞儀をした。

 

「こんにちは、比企谷様」

『…こんにちは、都築さん』

 

  都築さん。それがこの運転手……いや、雪ノ下家の執事の名前。そしてかつて〝組織〟が創設された時から在籍する初代ナンバーズの一人。

 

  都築さんは俺ににこやかに微笑むと、俊敏な動きでスモークで窓が隠された後部座席のドアを開けた。

 

  中から出てきたのは……予想通りの人物。白いサマードレスを着るその姿は真夏であるのに小春日和のような涼やかな雰囲気を纏っている。

 

「……こんにちは、比企谷くん」

「姉さん……」

 

  少し暗い表情で俺に挨拶する女性……陽乃さん。雪ノ下が驚いたような声をあげた。その雰囲気に似合わない沈んだ表情は、いっそ悲痛さすら感じる。

 

  この人は、いつも俺と話すときだけいつもの食えない仮面を外してこのような調子になる。まるで怒られるのを恐れるような子供のようだ。

 

  いつだって、雪ノ下陽乃は俺に対してどこか申し訳なさそうな様子だ。その理由は果たして、俺の秘密への同情か、彼女に与えられた役割から生じる気遣いか。

 

  はたまた……()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「こんなところにいるなんて珍しいな、陽乃」

「あ、静ちゃん」

 

  どう話しかけたらいいのか困っていると、平塚先生が陽乃さんに話しかけた。陽乃がようやく話すと、平塚先生はため息をつく。

 

「いくら元教え子だからと、その呼び名はやめたまえ」

「あはは、ごめんねー」

「ふむ……それで今日はどうしたんだ?」

「今日は雪乃ちゃんを迎えにきたんだけど……」

 

  ちらり、と陽乃さんは雪ノ下の方を見る。つられて雪ノ下の方を見ると、彼女はぐっと唇を結んでいた。

 

  その佇まいからは行きたくない、という意思がひしひしと伝わってくるようである。まあ実家は少しアレだろうからな。

 

  しかし、聡明な彼女は行かなければいけないことがわかっているのだろう。やがて諦めたようにふっと表情が抜け落ちた。

 

  そのままこちらへと歩いてくる。俺と陽乃さん……いや、その場の全員が黙ってその様子を見ていた。

 

  やがて、雪ノ下がかなり近くまで来た。彼女は一度ちらりとこちらを見て、またすぐに恥ずかしそうに目をそらすとそのまま通り過ぎていく…ように思われた。

 

 

 …ダキッ。

 

 

  が、次の瞬間、背中に何か暖かさのある柔らかいものが押し当てられる感触がした。同時に、するりと首に手が回される。

 

  えっ、と心の中で呟きながら俺は硬直した。少し周りを見れば、小町はバッグを取り落とし、平塚先生と陽乃さんは唖然としている。

 

  一体何が起こっているのか。それを確認する前に、耳に背後にいるもののかすかな吐息がかかって思わずビクッとした。

 

 

 

「……あまり待たせないでね。じゃないと、私からいくわ」

 

 

 

  俺の耳元に口を寄せた背後にいるもの……後ろから俺に抱きついた雪ノ下はそれだけ言うと、ぱっと体を離した。

 

  反射的に我ながら凄まじい速度で振り返れば、彼女はどこか儚げな、しかし悪戯げな微笑みを浮かべていた。

 

「それじゃあ、また」

 

  端的に別れの言葉を残して、俺たちに手を振って雪ノ下はさっさと車に乗り込んでしまった。

 

  そこでようやく陽乃さんが困惑から立ち直り、まだ少し慌てた様子で俺たちに挨拶すると雪ノ下を追いかけるように車に乗り込む。

 

  二人が乗ったのを確認した都築さんはドアを閉め、今一度俺にお辞儀をすると運転席に乗ってエンジンをかけた。

 

  発進した車は、あっと言う間に道路の方へその車体を向けると離れていった。後ろのガラスから、雪ノ下と陽乃さんの後ろ姿が見える。

 

  窓の奥に見える雪ノ下の背中は、やはり凛としてまっすぐで、けれど細くてどこか弱々しくも見えた。

 

  結局、俺は車が見えなくなるまでずっとその場で固まったままだった。平塚先生に肩を叩かれてようやく、我にかえる。

 

「……まあ色々あったが、お疲れさん」

 

  それだけ言うと、平塚先生はそれじゃあと言ってバンに乗り込み、学校の敷地へと消えていった。

 

  それを見送った俺は、一つため息を吐いて地面に置いてあったバッグを拾った。そして何故か俯いている小町の頭に手を置いて『行くぞ』と言う。

 

  小町は無言で駅に向かい歩き始めた。その後を追い、俺も歩き始める。じわじわとした暑さが体の表面を覆った。

 

  ふと後ろの道路を振り返る。けれど当然、そこにはもう雪ノ下を乗せたハイヤーは影も形もない。

 

  ……夏の暑さ以外に温かい感触の残る首筋を触って、俺はまた前を見て歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

  こうして、俺の夏のひと時は終わりを迎えた。愛する少女との距離が少しだけ縮まった、そんな夏の物語。

 

  これは、俺の間違っていないはずの青春ラブコメの、一ページだ。

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ……はい、これで2章はおしまい。

  どう、楽しめた? もし楽しめたなら、私も話したかいがあったわ。

  これはまだ、ほんの序盤。これからも続いていくあの子の物語の、穏やかな日常の一片。

  続きを見たい?ええ、いいわよ……でもほんの少し、休みましょう。まだまだ先は長いのだから。

 

 この物語の続きは、またその後で。

 

 

 

 

 

 声を失った少年

 第二章 穏やかな日常 終

 




すごく久しぶりなので変ですね。ご容赦ください。
次回は恒例の人物紹介です。
感想をいただけると嬉しいです。

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