声を失った少年【完結】   作:熊0803

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久しぶりに再開です。
これを投稿するのは1ヶ月以上ぶりなので、変な箇所があるかも知れませんがご了承ください。
楽しんでいただければ幸いです。


【第三章】〜過ぎてゆく時間〜
41.声を無くした少年と、存在しない男


 ……こんにちは。休憩は済んだかしら?

 ふふ、どうやら続きが聞きたくて仕方のないようね。

 それじゃあ、再開しましょうか。

 

 声を無くした少年の物語、第3章を。

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

  奉仕部の夏の活動としていった千葉村でのボランティア。様々なことがあったその日から数日が経過していた。

 

  千葉に帰ってきた()は彼が少し休養して雪ノ下()()のことに心の整理をつけると、早速仕事に入った。

 

  いつもは基本、戦うのは僕で書類関係は彼と分担している。別に僕でもできるけれど、あまり僕が外に出るのはよろしくないのだ。

 

  何せ、僕は本来存在しないもの。そんなものが規定、あるいは許可された以上の時間、表に出てしまったら彼の方にどんな影響が出るか分かったものじゃない。

 

  まあ、最初は全部やろうとしたんだけど。ぼくの存在定義を思い出してみれば、彼にはできる限りこちら側ではなく明るい場所にいて欲しいから。

 

  既に人間ではない、他人の助けがなければ安全に人間性を保つことすらできない、そんな不確かで危険な存在。それが僕たちだ。

 

  僕はそれでいい。あの時僕はそうあるべくして生まれたのだから。彼をあれから守り、汚い泥は全てかぶる。僕はそれを嫌悪したことはないし、むしろ誇りに思っている。

 

  でも、彼はダメだ。心のあり方が人間とは逸脱した僕とは正反対に、彼は立派な人間なのだから。まあ、ちょっと理屈っぽいところがあるけどね。

 

  雪ノ下さん……異性に恋をして、大好きな家族の恥にならないよう精一杯頑張って生きている。その努力を偽物だと否定するのは、僕が許さない。

 

  確かにこの手は血塗られている。その事実は意識が僕から彼に変わったとしても変わることはないだろう。

 

  でも、壊すことしかできない僕と違って彼はその手で誰かの手を掴める。それはとても素晴らしいことで、羨ましいことだ。ああ、勿論嫉妬なんて感情は元から存在してない。

 

  だから、僕は黒に。彼から汚れを無理矢理にでも剥ぎ取り、限りなく白にする。それが僕の存在意義。最初に生まれた時から微塵も疑ったことはない。

 

  だからこそ、千葉村での彼の行動には非常に驚かされた。まさか彼が抑制装置を一時的に解除するなんて。必要なこととはいえ、内側から必死に押し留めるのには苦労した。

 

  でもその結果留美さんの環境は良い方向へ変化したし、彼も雪ノ下さんと距離が縮まったみたいだし……まあ、結果的には成功かな。

 

  それでもあまり無茶はやめて欲しい。仕事とプライベートを彼と僕に綺麗に分割しているけれど、どうしても心配になってしまう。

 

  しかしよくもまあ、僕もこうやってペラペラと誰が聞いているわけでもないのに喋るものだ。まあ、彼の意識が眠ってるから暇なだけなんだけどね。

 

  さて、無駄話が過ぎた。そろそろ本題に戻ろう。僕は度の入っていない眼鏡の先にいる人物に視線を向けた。

 

  ちなみにこの眼鏡は普段彼が任務の時に僕の意識を呼び起こすのに使っている仮面の簡易版で、時間制限付きで僕に意識を切り替えられる。

 

  そう。今日は月に一度、僕が日中に体を使うことを許可された日、というわけだ。その場所に彼がいっても僕がいっても変わらないのだが、とある理由で彼はここに来るのは避けている。

 

  それはともかく。間違いなく高級な調度品や柔らかそうなソファが対面して並ぶ執務室。その奥にある質素かつ何処か気品の漂う机の前に僕は立っていた。

 

  そこには着物を着た色気漂う美しい女性が座っており、その前にある机の上には羽ペンや印鑑、書類の山などが載っている。この部屋の持ち主が彼女であることは明確である。

 

  その机の中央、女性が現在進行形で目を通している書類は僕のもの……というより、彼のまとめた報告書だ。

 

  そこに書かれているのは今月の〝仕事〟の成果。無事に遂行した任務の中で上げた(くび)の数や消耗した装備の申告、スーツの定期点検の結果などなど。

 

  僕に意識が切り替わった時点でこの報告書を見たのだが、非常に整理整頓された代物だ。先ほど僕にもできるといったが、こう綺麗にはまとめられない。事務能力なら彼に軍配があがるだろう。

 

  どうやらそれは女性の方も同じようで、ホッチキス止めされた報告書を閉じて満足げに頷くと表紙の空欄に印鑑を押す。思わずほっ、と息が漏れた。

 

 オーケーサインを出された報告書は机の端に置かれた機械に入れられるとシュンッと小さな音を立てた。これで報告書は本部に送られることだろう。

 

「確かに受け取りました。では給金と人数分のボーナスは口座に振り込んでおきますね」

 

  二児の母とは思えぬ若々しい美貌に微笑を浮かべそういう女性……〝雪ノ下秋乃〟さんに、僕もまたにこりと笑い頭を下げる。

 

  頭を上げて顔を見合わせるとせっかくですから昼食でもいかがですか?と誘われたので、僕は頷いてご馳走になることにする。

 

  秋乃さんと共に執務室を出ると、絨毯の敷かれた厳かな雰囲気の廊下に出る。そこを僕たちは歩いていった。秋乃さんの作る料理は美味しいから、楽しみだ。

 

  今更だが紹介しよう。ここは雪ノ下建設を始めとした財閥、雪ノ下グループを取りまとめる雪ノ下一族の住まう屋敷だ。

 

  そして僕はオクタ。ノスフェラトゥナンバーズ〝2〟のオクタ、それが僕に与えられた唯一の名前だ。

 

 

 

 

 

  僕は本来なら存在しない……するはずのなかった、比企谷八幡の中にあるもう一つの人格である。

 

 

 ーーー

 

 

  仕事を終え、執務室を出た僕はちょっとした大きさの部屋に通された。そこは座敷であり、開けられた障子の先には見事な日本庭園がある。

 

  和洋折衷を体現しているこの屋敷には大きな食堂もあるらしいが、僕が昼食を取らせてもらう時は必ずこの部屋だ。

 

  カコン、というししおどしが水を落とす澄んだ音が耳に響く中で、僕は秋乃さんと机を挟んで対面し昼食を取っていた。メニューは日本食である。

 

  バランスよく並べられた料理のうち、程よく炙られた焼き魚の身を箸で一口分裂き、口に運ぶ。すると魚の脂と絶妙な塩味が口内に広がる。相変わらず美味しい。

 

  年に数回のみ許された夜の闇ではなく、陽の光の下で歩ける日。この日に限って、秋乃さんの作る料理を僕は口にすることができる。

 

  僕にはいくつかのもの以外はほとんどの感情というものがない。そもそも厳密に言えば僕は人格ではないのだから、感情が芽生えるのもおかしな話だ。

 

  そして食事という行為は、その数少ないうちの一つだ。こうして間接的ではなく自分で食事をするというのはなかなかに楽しいものである。

 

  この二人きりの食事会は、月に一度こうやって報告書の提出のために雪ノ下邸を訪れる時に必ず開かれるものだ。

 

  気まぐれか、はたまた別の理由があるのか。本人に直接聞いたことはないけれど、その料理の出来は〝表〟の仕事に加え、〝組織〟の幹部としての仕事をこなしているとは思えないクオリティを保っている。

 

  それは母として二人の娘を育ててきたゆえの腕前か、それとも彼女の正体からしていつもこなしている仕事は負担にすらなり得ないのか。

 

  それは僕にはわからないけど、美味しいご飯を食べれるという事実が変わることはないのであまり深くは突っ込まない。

 

  しかし、よく考えてみるとこの喜びすら正常な感情に基づくものではなく、この体に埋め込まれたモノからくる原始的な欲だと考えると少し複雑にもなる。

 

  ……いや、それは少し違うな。これは嫌悪だ。僕にしては珍しい、明確な嫌悪。それはそのモノと僕が本質的には同じであるということへの同族嫌悪なのかもしれない。

 

「ふふ、どうですか?」

『相変わらず美味しいですね』

「それは良かったです」

 

  そんなことを考えながらも、外面的には秋乃さんとの談笑に首にはまった機械を使って応える。

 

  僕が笑って美味しいと言えば、秋乃さんは口元を手で隠して上品に笑った。これももはや慣れたやり取りだ。

 

  そうしてたわいもない話に花を咲かせながら、口に料理を運んでいると、不意に秋乃さんが少し真面目な顔をする。

 

「しかし、いつも思いますがあなた達の力は飛び抜けていますね。他の地区のメンバーに比べて遥かに上げた星の数が多い」

『僕一人ではできませんよ。材木座君達や秋乃さん達の力あってこそです』

「あら、その割には統計の半分以上は貴方が処理しており、装備の方も使い捨ての装備以外はほとんどメンテナンス不要だと開発部長が嘆いていましたが?」

『それこそ、サポートしてくれる貴方方がいるから僕は全力でやっているにすぎませんよ。いつも感謝しています』

「うふふ、そうかしら?」

 

  心底可笑しそうにくすくすと笑う秋乃さん。それに付き合うように僕も笑みを浮かべながらゆっくりと頷く。

 

  恐ろしいとさえ感じる美しい笑顔をその若々しい美貌に浮かべていた秋乃さんは不意にはぁ、とため息を吐いた。

 

  普通なら何かしてしまったのだろうかと案ずるだろう。しかし僕はあ、これはまた始まるなと思い心の準備をした。

 

  程なくして、秋乃さんはちらりとこちらに目を向けて、僕でさえドキリと心臓が震えるような妖艶な笑顔を浮かべ問いかけてくる。

 

「ところで……まだあの子は、()()()は顔を見せにきてくれないのかしら?」

 

  いつもの笑顔で放たれたいつもの質問に、僕は苦笑する。彼女との食事で唯一困ることといえば、この質問だ。

 

  彼女のタチの悪いところは、答えがわかっている上でこの質問をしてくることだ。僕が答えられる解をわかった上で答えを求める。それは割と面倒なもので。

 

  彼女は全てを知っている。ノスフェラトゥ幹部の座に座るに値するその力で、普段の彼の行動を把握しているのだ。そしてとある子により、その心の内に秘めている葛藤さえも知っているときた。

 

  もしそうでないとしても、彼女の夫である人物は表向きは一議員だが、実質的に千葉の政界の支配者、彼女自身も絶対的な支配力を有している。少し動けばあっという間に筒抜けである。

 

  まさに丸裸の状態である訳だが、それでも本人から聞かなくては意味がないと言わんばかりのこの問いかけ。もうそろそろ慣れてしまった。

 

  しかし、その問いの根底にある秋乃さんの娘を思う気持ちを考えると無碍にもできないと思いながらも、僕は首を横に振った。

 

『どうやら、まだ無理みたいですね。おそらく彼女とのことをしっかりとケジメをつけてから、と考えているんでしょう』

「あら、そうなの。でも、そんな回りくどいことをしなくても私はあの子のことを認めてるのに」

『彼は頑固ですから、自分で自分を認められるようになるまでは無理だと思いますよ』

「ええ、そうね。まったく、そんなところまで雪乃ちゃんにそっくり……ふふ、お似合いだわぁ」

 

  その眼に浮かぶのは狂気とすら感じる娘への愛情、そして彼への期待。狂おしいほどに、彼女はとあることを期待している。

 

  恍惚の表情を浮かべる秋乃さんは、これが普段は娘達の成長のため、あの手この手で色々とやっている人物とは到底思えなかった。

 

  それでも家族仲がそこまで悪くないのは不思議なものだ。まあ、雪ノ下さんはお姉さんとちょっと仲悪いみたいだけどね。

 

  しかし、この姿を見慣れてしまった僕にはどうということもないのだが。物事は慣れれば大体のことは平気になるものだ。

 

  むしろその親バカと言えるほどの愛情をさらけ出せる相手になれるのなら好都合だろう。僕の目的も果たしやすくなる。

 

『でも……』

「?」

『最近、よく彼と彼女の距離が縮まっていることが多いですよ。ここにいるのが僕ではなく彼になるのも、時間の問題かもしれません』

「あら、そう。その時はたっぷりおもてなししなくてはね」

『お手柔らかにお願いしますね』

 

  僕の言葉に答えることなくふふふ、と不透明な笑いを漏らす秋乃さん。まったくこの人は、底が知れないな。

 

  けど、彼女も大概だが僕も僕だろう。何せ彼が眠っているのをいいことに、この時間を最大限に有効活用して彼のことを話し外堀を埋めているのだから。

 

「ああ、それでね?雪乃ちゃんったら、私が話しかけようとしたら恥ずかしそうにそっぽ向いちゃってね?」

『あはは、この年頃は色々と多感でしょうから』

 

  そうして秋乃さんの話を聞きながら、僕は笑って箸を進めていった。

 

 

 ーーー

 

 

  月に一度の楽しみである美味しいご飯をいただいた僕は綺麗に平らげると秋乃さんにお礼を言い、そのまま執務室に戻るという彼女と別れた。

 

  書類がなくなってほんの少し軽くなったバッグを片手に持ち、廊下の中を歩く。いつ来ても広い屋敷だなぁ、ここは。

 

  何度来ても次回は次の月になるので毎回新鮮さを感じる。僕の時の記憶は彼にとっては夢のように曖昧なものだからよく覚えていないというのもある。

 

  この屋敷は洋風と和風の部分が綺麗に分かれており、洋風の部分は秋乃さんの執務室もある仕事用、和風のほうは家としての意味合いを持つ。

 

  それに照らし合わせれば、接待用の食堂ではなく家の方の部屋で食べさせてもらっている僕はある程度の信頼を持たれているのだろう。

 

  洋風と和風どちらのほうにも出口があるのだが、僕は屋敷の中をわざと遠回りして日本風の内装を楽しみながら出口に向かっていた。

 

「……あ」

 

 ん?

 

  夏らしい強い日差しと虫の鳴き声がこだまする渡り廊下を歩いていると、進行方向から声が聞こえてきた。反射的に庭園から前に視線を戻す。

 

  すると、そこにいたのは若い女性……それも誰もが息を呑むような絶世の美女だった。普段は快活であろうその面持ちは、僕を見て気まずそうなものに変わる。

 

  雪ノ下陽乃さん。彼の想い人……雪ノ下雪乃さんの姉であり、僕と同じ組織のメンバーだ。といっても、彼女は普段は事務の方だけど。

 

  だがその実、彼女は下手をすれば全力の僕と同等、あるいはそれ以上に強い。組織から彼女に課せられた使命のために強くあらねばならないのだ。

 

  そしてその使命の対象は……僕。それに対して思うところがないわけじゃないけど、理由が理由なだけになんとも言えない。

 

  でも、僕がいるうちはその使命が果たされることはないだろう。彼女が力を振るうとき……それは僕達の、比企谷八幡の消滅を意味するのだから。

 

  そう考えながら、僕はスタスタと渡り廊下を歩いていく。彼女はびくっと肩を震わせるものの、口を結んで同じようにこちらに歩いてきた。

 

  段々と近づいていき、そして廊下の中央で顔を見合わせる。最初に口を開いたのは陽乃さんだった。

 

「……こんにちは」

『こんにちは、陽乃さん。お元気そうですね』

「ええ、お陰様でね。今日はいつも通りかな?」

『そんな感じです』

「ふうん……それじゃあね」

 

  最低限の会話を交わすと、陽乃さんは僕の横を通り過ぎてそのまま行ってしまった。遠ざかっていく彼女の気配に、僕は内心苦笑する。

 

  やっぱり僕と話すのは嫌、か。それは仕方のないことだ。だって彼女は、その肩に乗せられた使命を拒絶したいのだから。だから彼にも僕にも、極力関わりたくない。

 

  そこにはかつて僕たちを殺したことへの負い目もあるんだろう。でも、ああすることでしか彼は止まらなかった。仕方のないことだったんだ。

 

  一生かかっても普通に話すのに苦労しそうだ、と思いながら僕は再び足を進める。玄関まであと少しだ。

 

  新鮮ながらも慣れた道のりを進んでいき、そして最期の曲がり角を曲がろうとしたそのとき。

 

「きゃっ…」

 

 おっと。

 

  不意に角の向こう側から現れた誰かとぶつかりそうになり、とっさに避けると驚いた声を上げた人物は尻餅をついた。声からして女の子だろうか。

 

『ごめんね、大丈夫かい?』

 

  そう声をかけて手を差し出して……その女の子の顔を見て、僕は驚いた。なぜならそこにいるのは普段はいない子だったからだ。

 

  流れるような美しい黒髪。色白の人形のように整った美貌とスレンダーな体。そして……どこか冷めた印象を受ける切れ長の瞳。

 

  そこにいたのは紛れもなく、彼の想い人の雪ノ下雪乃さんだった。そういえば長期休暇には帰省するんだったな。

 

  彼女が目をつぶっている間に首輪の電源を切り、バッグを置いて代わりにポケットから携帯を取り出してあらかじめ音声発生アプリを立ち上げておく。

 

  メガネの縁に埋め込まれたスイッチを押す。すると顔を何かが覆っていく感触を覚えた。これでいいだろう。

 

「ええ、大丈夫よ。こちらこそごめんなさい……って、貴方は」

『やあ。春休みの時ぶりかな?』

 

  携帯から発せられた声にええ、そうねと言いながら僕の手を取って立ち上がる雪ノ下さん。そこには既知の相手への態度が見て取れた。

 

  そう。僕は雪ノ下さんと知り合いである。知り合ったのは去年で、話したのも数回だけなので友人と言うほどでもない、本当に知己という程度だ。

 

  さっきも言った通り、雪ノ下さんは長期休暇には実家に帰ってくる。いや、帰らされているという方が正しいかな?まあどっちでもいいけど。

 

  雪ノ下さんは普段は一人暮らしをしてるから、こうして長期休暇でこの家にいるときに時たま顔を合わせる間柄、というわけだ。

 

『元気そうだね。最近良いことはあったかい?』

「……まあ、色々とあったわ。友人ができたり、ボランティアにいったり」

 

  僕に最近のことを話し始める雪ノ下さん。それはまるで親戚に近況報告をするようで、警戒心の強い普段の彼女からは考えられない姿だ。

 

  でも事実、彼女と僕は割と話せる。それは僕が彼だってわかってるわけじゃなくて、いつも話せない僕と記憶の中の八幡君を重ねているだけだ。

 

  もう少しわかりやすくいうと、彼の記憶からして彼女が彼のことを思い出したのはつい最近。つまり、朧げながらにしか覚えていない彼と僕を重ねていただけに過ぎない。

 

  まあ重ねてるっていうか、使ってる体は同じなんだから話せないのは当たり前なんだけどね。

 

  でも改めて考えてみると、話せないという共通点だけで赤の他人である僕と話せるようになるのは、それだけ八幡君の存在が彼女の深層心理に根付いてるってことだ。

 

  それは彼女が無意識レベルで彼のことを求めているとも取れる。ものによっては依存となるそれは、普段の彼との様子からして純粋な愛情に他ならない。

 

  それを彼が知れば、きっと喜んで、でも恥ずかしくてそれを否定するんだろう。彼が眠っているのが残念でならない。

 

  しかしそれは一転して同じ顔をしているのだからバレるのではないかという疑念があるが、それはあり得ない。

 

  二年前から使っているこの眼鏡には意識の切り替えの他に、中に仕込まれたナノマシンで顔を覆って別の顔に見せるという機能もある。

 

  つまり雪ノ下さんの知っているオクタ(ぼく)の顔は彼のものじゃなくて、ナノマシンで作られた偽物の顔だ。だから顔でバレることはない。

 

  加えてそのナノマシン製の顔と設定したアプリの声は女のもので、着痩せするタイプなため少し体格の良い女性にしか見えない。性別の違う相手を彼とは思うまい。

 

  とまあ、それはともかく。思考をやめて雪ノ下さんの話に耳を傾ける。すると段々と彼の話になってきていることに気づいた。

 

「それで、その部員の彼がゲームに負けそうになるとちょっと目を細めて……」

『へえ、そうなんだね』

 

  名前こそ出さないものの、それはそれは楽しそうで、それでいて嬉しそうに彼の話をする雪ノ下さん。自覚していないのか、その顔のままどんどん饒舌になっていく。

 

  彼女の言葉の端々から滲み出る彼への想いに、思わずニヤリとしてしまいそうになるのを堪えていると、ふと声が途切れた。

 

  不思議に思い彼女を見ると、何か思い悩むような表情をしている。一体どうしたのだろうか。

 

  しばらくそのままでいた雪ノ下さんは、区切りがついたのかよしっ、と頷き、おずおずと僕を見て言葉を放つ。

 

「……ねえ、一つアドバイスを貰いたいのだけれど」

『なんだい?』

「その…実は、彼の顔を見たいのだけれど、きっかけが見つからなくて」

 

  おやおや、今度は直球できたか。いよいよもって口元を隠さなければ本当に笑ってしまいそうだ。

 

  内心で笑いをこらえながら、僕は悩むふりをしながら携帯でインターネットを開いてなにか良いものがないか探す。

 

  雰囲気を作りやすい条件の良いものを探していると、ふと一つの記事に目が止まった。それは、この近くでの〝夏祭り〟開催のお知らせ。これだ。

 

『それなら、これはどうかな?なかなか楽しめると思うけど』

 

  ネットを閉じて再度アプリを起動、音声を発してからもう一度サイトを開いて彼女に見せる。すると雪ノ下さんはふむふむと頷いた。

 

「夏祭り……確かに、いいかも知れないわね。ありがとう、参考にしてみるわ。いつも相談に乗ってくれて感謝するわ」

『いやいや、もう慣れたものだよ。それじゃあ、意中の彼と距離を詰められるよう頑張ってね』

 

  どうやらお気に召したらしい雪ノ下さんにバッグを持ちながらそう答えると、僕はええ、それじゃあと挨拶をする彼女の横を通り抜けて今度こそ出口に向かう。

 

  そうして雪ノ下さんを背に玄関へと歩いていき、外に出ると僕は誰も見ていないのをいいことに笑いを浮かべた。

 

  ああ、今日はいい日だ。秋乃さんのご飯は食べれるし、彼の恋路の手助けもできた。やっぱりこの月一の日は楽しい。

 

 

 

 

 

  満足げな笑顔を浮かべながら、僕は雪ノ下邸を後にするのだったーー。

 




やっぱりオリジナルだとかなりやり辛いですね…拙い文章ですみません。
こんな感じでスタートしました第3章。乞うご期待を。
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