「……ごめんなさい由比ヶ浜さん。もう一度言ってくれるかしら」
「だ、だからっ!今度の誕生日、八兎っちに告白してもらいたいの!」
……聞き直しても変わらなかったわ。
手に持っていたカップをソーサーの上に戻し、こめかみの辺りを指で抑える。昔からこうすると思考がクリアになる。
一旦状況を整理してみましょう。ここは私と八幡くんの部屋、そして目の間にいるのは由比ヶ浜さん。
突然電話がかかってきて、会いたいと言うので家へ招いてちょっとしたお茶会を開いた。
そして今、私はとてつもなく難しいことを頼まれたのではないかしら。
「……それで。告白されたいと言うことだけれど、由比ヶ浜さんからでは駄目なのかしら?」
「だってゆきのん、高校の文化祭の時ヒッキーに告白されたでしょ?だったらその……わかるじゃん?」
「あれは……まあ、結果だけを見ればそういうことになるのだけれど」
あの時のことを思い出し、曖昧に答えると由比ヶ浜さんはさらに懇願するような顔になってしまう。
以前、知らないうちに話してしまったのは失敗だったわ。私にお酒を飲ませた姉さんは絶対に許さない。
そもそも飲酒をしていいのは二十歳からであって、たとえ身内だけとはいえあれは立派な強要……
「その……さ。あたしたち、もう大学生じゃん? 高校生の時はまだ大学があるから、って思えたけどさ、卒業したらもう会えなくなるかもしれないわけだし……」
「まだ一年目の時点でそれを言うのは早すぎると思うけれど……でも、そうね。必ずしも関係が続くとは限らないわ」
人の関係は移ろうもの。たとえそれが良い意味でも悪い意味でも、いずれ変化は訪れてしまう。
私に嫉妬して嫌がらせをしてきた輩は正面から叩き潰せば畏怖するようになり、以降手を出さなくなった。
そんな変化とは裏腹に、ずっと恋をしていた八幡くんと恋人になれた。全くの他人だった由比ヶ浜さんと友人になれた。
関係は、変わる。それは何も心理的なものばかりでなく、身分の変化によっても起こりえてしまうもの。
由比ヶ浜さんは、それを危惧しているのだ。彼との関係が絶たれてしまう事を。
「私にとって、変えたくないと思う関係は少ないけれど……由比ヶ浜さんの気持ち、わかるわ」
「ゆきのん……!」
「でもそれならば、やはりあなたから告白した方が確実ではなくて?」
「違うの!そこは八兎っちから来てほしいの!こう、わっと!」
「わっと」
「それでぎゅっと!」
「ぎゅっと」
ね!?ね!?と言わんばかりに詰め寄ってくる由比ヶ浜さんを押し返しながら、思わずため息をつく。
「由比ヶ浜さん、貴女いくらなんでも理想を見過ぎではないかしら。彼、元は八幡くんの遺伝子から生まれたのよ?」
「そうだけど……あれ?地味にヒッキーディスってない?」
「ディスってないわ、あんなヘタレ男のことなんて」
「ストレートに罵倒したっ!?」
いいえ、ヘタレよ。初体験が付き合ってから一年以上後なんて、弱気にもほどがあるでしょう。
確かに彼の体液は危険だけれど、そこは問題ないと判断されたのだし……こちらにもそういう気があるのを理解してほしいものだわ。
「……こほん。それはともかく、相手から告白されるのを狙うというのは至難の業よ。そういう心理に持っていくには技術が必要だもの」
「でもゆきのんは、ヒッキーから告白させたんでしょ?」
「あれは状況が揃っていて、私が先手を打ったからできたのよ。たとえば由比ヶ浜さん、貴女に劇を演じきって、その後突然キスをすることはできる?」
「キス……」
途端に顔を赤くする由比ヶ浜さん。この様子だと、まだしたことがないのね。あれだけ頻繁に出かけているのに。
「つまり、そういうことよ。貴女は貴女らしく、正面から向き合って気持ちを伝えた方がよっぽど成功するでしょう」
「んー、でもなぁ……やっぱりちょっと怖いや」
へへ、と誤魔化すように笑う彼女に、私は一つ失念していたことに気がついた。
同じ文化祭の日、彼女は自分から告白して八幡くんに振られているのだ。
彼女である私が思うと嫌味のようになるけれど、それは辛い記憶のはず。今でこそ友人だけれど、二人とも当時の話をあまりしない。
ましてや平塚くんは顔の作りは八幡くんと同じ。それでもし振られたら……きっと彼女は、とても悲しい思いをする。
「そう、ね。でも、あまり気にする心配もないと思うわ。だって貴女たちは……」
励ましの言葉をかけようとしたその時、テーブルに置いていたスマホが震える。
「ごめんなさい由比ヶ浜さん、いいかしら」
「あ、うん」
一言断ってからスマホを取り、履歴を確認すると八幡くんからのメッセージだった。
「……これは」
「? どしたのゆきのん?」
「由比ヶ浜さん。どうやら心配はしなくていいようよ」
「??」
首をかしげる由比ヶ浜さんに、私はふっと笑ってそのメッセージをもう一度見た。
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