声を失った少年【完結】   作:熊0803

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44.声を無くした少年は、プールへ行く 午後

「ばいばい、お兄ちゃんたちー!」

 

  20分ほど会話すると、香織ちゃんは満足したのかペコペコとする母親に連れられて離れていった。

 

  ひらひらと手を振っていると、同い年くらいの髪の長い幼女が走り寄ってくる。そして香織ちゃんを抱きしめていた。

 

「かおり、どっかいったらダメでしょ!」

「ご、ごめんねしずくちゃん……」

「まったくもう……」

 

  ほんわかした笑顔を浮かべる香織ちゃんと、呆れながらも安堵の表情を浮かべる雫ちゃんと呼ばれた幼女。あれならもう平気だな。

 

  その後少し様子を伺っていると、やかましそうな少年と大人しそうな少年、将来ネットアイドルでもやってそうな幼女に雫ちゃんが頭を下げ、無事に事は終わった。

 

  というか雫ちゃん、こっちにも頭を下げていった。なんか香織ちゃんの第二のお母さん……いやオカン?三浦かよ。

 

「いやー、いい子だったね」

「そうですねー」

「さて、それじゃあ私たちも……」

 

 

 グウ〜

 

 

  そんな間抜けな音が、俺たちの耳に届いた。発生源は仲町さんのお腹からであり、かーっと赤面する。

 

  思わず苦笑し、時計を見るとちょうど良い時間だったので昼飯を食うことにした。なのでフードコートの方に移動する。

 

  が、フードコートはすでに人で混んでおり、とてもではないが何かを注文できるような状態ではなかった。

 

「あっれー、すごい人。これじゃあ昼ごはん食べれないじゃん」

「どうする?」

「ふっふっふっ、実はこういうこともあろうかと小町とお義兄ちゃんでお弁当を作ってきました!」

「な、なんだってー!」

『そういやそんなのあったな』

 

  とりあえず三人には場所取りを頼み、ロッカーの中の弁当を取りに行く。ついでに飲み物も頼まれた。パシリまっしぐらである。

 

  軽く走っただけですぐに入口の方にたどり着き、ロッカーに入る。俺のロッカーは……おっ、あったあった。

 

  鍵を開けてカバンを漁り、風呂敷に包まれた弁当を取り出すと扉を閉める。するとその時、同時に隣で扉を閉めた音がした。

 

  ふと反射的にちらりとそちらを見やると……意外にも、それは見覚えのある顔だった。あちらも少し驚いている。

 

「……お前か」

『…ご無沙汰しています、ケーブルさん』

 

  隣に佇む、白人の中年男性のコードネームを呼ぶ。この人は〝組織〟の人間であり、本名は俺も知らない。

 

  ケーブルさんは鍛え上げられた肉体に似合う迷彩柄の海水パンツを履いていた。どうやら俺たち同様、プールに来たらしい。

 

  この人水に入って大丈夫だったっけ?確か()()()()()体の一部がサイボーグだったけど。

 

『奧さんと娘さんとですか?』

「まあ、そんなところだ。お前は?」

『友達と義妹と』

「そうか……それではな」

 

  俺同様口数が多いわけでもないケーブルさんは、多分娘さんのであろうファンシーな浮き輪を持つと更衣室を出ていった。

 

  俺もあまり小町たちを放っておくわけにはいかんので、さっさとプールの方に戻る。ナンパとかされてなきゃいいが。

 

  自販機で飲み物を買ってから急ぎ足でプール内に戻ると、三人を探す。幸い、売店のところにあるテーブルに座っていたのですぐに見つかった。

 

「あ、比企谷やっと来た!もうお腹ぺこぺこだよ!」

『はいはい。これ飲み物な』

 

  全員にペットボトルの飲み物を渡して、弁当をテーブルの真ん中に置いて開ける。すると色とりどりのおかずが姿を現した。

 

  割り箸を渡していただきます、というと食事を始める。お、これは小町が作った方の卵焼きか。甘くて美味え。

 

「そういや比企谷さー、最近学校どうなん?」

 

  しばらく口と箸を動かしていると、不意に折本が聞いてくる。そういやこいつに最近会ったこと話してねえな。話す必要がなかったってのもあるが。

 

『まあぼちぼちだ』

「ぼちぼちとかウケる!なになに、なんか面白いことでもあった?」

『面白いことっつーか、まあ部活に入ったな』

「ごほっ!」

 

  食べ物を飲み込み損ねて咳き込む折本。慌てて仲町さんが飲み物を飲ませる。なに、そんなに驚くことなの?

 

  ジト目を向けていると、復活した折本は今度はケラケラと笑い始めた。そんなにおかしいことだろうか?

 

「比企谷が部活とか、超ウケる!あんなに人避けてたのに!」

「あー、確かにねー……」

「義兄が中学の時の話ですね」

 

  ……そういえばそうだったな。こいつらと出会う前の中学時代、俺は徹底的にクラスメイト……というより人間そのものを避けていた。

 

  それはあることで人の悪意を知り尽くしていたからというのもあるが、俺の異常性がいつ暴走するかわからないからだった。

 

  それなのにこの二人と仲良くなったのは、ぶっちゃけ折本がしつこく絡んできて面倒臭くなって諦めたからである。押してダメなら諦めるのが俺のモットーだからな。

 

  それでも当初はそう長くは続かないと思っていたのだが、案外こうやって今の今まで仲良くしている。不思議なもんだ、人間てのは。

 

『……ま、ある意味お前のおかげかもな』

「え、何が?」

『なんでもねえよ。それよりそのウィンナーいただき』

「あーっ!私が狙ってたウィンナー!」

 

  叫ぶ折本の前で甘辛ウィンナーを食べてやる。ぐぬぬといった顔をする折本は、代わりに俺の狙ってた卵焼きを取っていった。

 

  それに苦笑しながら、俺は奉仕部のことを適当に話しながら昼食を続けるのだった。

 

 

 ーーー

 

 

  昼食後、俺たちは様々なプールやウォータースライダーを楽しみ、風が冷たくなってきたところで帰ることにした。

 

「んー!遊んだ遊んだ!」

「楽しかったねー」

 

  着替えて外に出ると、折本がぐぐっと伸びをする。それに仲町さんがニコニコと笑っていた。

 

「これからどうする?」

 

  時刻は4時半、夏とはいえ少しだけ日も傾いてきた。あと一、二時間で解散しなくてはいけないだろう。

 

  それに確か、今日は〝仕事〟があったはずだ。休眠を必要としないものの、帰って体を休めるに越したことはない。

 

  とすると、体を動かさないものに限定されるな。確か、稲毛駅まで戻ればカラオケがいくつかあったはずだ。俺歌わないけど。

 

『駅まで戻ってカラオケに行くか』

「おおーいいね!……って比企谷歌えないじゃんっ!」

「お義兄ちゃん、前に結衣さんの誕生日行った時もひたすら手拍子してたよね……」

 

 強制的に聞き専な俺である。

 

  とりあえずバスに乗り、駅まで引き返す。そして駅近にちらほらと点在しているカラオケのうち一つに入った。

 

「四名様でよろしいですか?」

「はい、2時間でお願いします」

「かしこまりました、他にご注文はございますか?」

「あっ、それじゃあドリンクバーと……」

 

  プールで泳いだ分減った腹の足しになるものを仲町さんがいくつか頼むと、マイクを受け取って部屋に向かう。

 

  エレベーターを使って二階に上がり、一番突き当たりの部屋に俺たちは入った。荷物を置いて、機械のスイッチを入れる。

 

「比企谷、私カルピスー」

「じゃあ小町はオレンジジュースで」

「それじゃあ、私は烏龍茶お願いね」

 

  君たちナチュラルに人のことパシらせますね。いや、別にいいけど。

 

  小町はちょっと例外だが、男である俺より体力が少なくて疲れているだろうと退室してドリンクバーのコーナーに行く。

 

  自分のも含めてコップを四つとトレイを取ると、仰せつかったドリンクを入れていく。最近のって結構勢い強いんだよな。

 

「あ、すみません次いいですか」

『あ、はい』

 

 って、あれ?

 

  烏龍茶を組んでいると背後から聞こえた声にそう返したところで、聞き覚えのある声に振り返る。

 

  するとそこには、いつしかスカラシップの件で弟が奉仕部に依頼にやってきた、クラスメイトの川崎沙希がいた。今日はよく知り合いに会うな。

 

「あんた、比企谷?」

『川崎か。むしろこんな目の腐った奴はそうそういないと思うが』

「ああ、確かに」

 

 納得しちゃうのかよ。自分で言ったけどさ。

 

「こんなところで何してるの?」

『見ての通り、友達とカラオケに来てドリンクをパシられてるところだ。そういうお前は?』

「あたしはまあ……一人カラオケってやつ?たまに息抜きに来るんだよ」

 

  へえ。まあ少し前まで深夜までバイトしてたしな、ストレス発散の手段が欲しくもなるだろう。

 

『そうか。それじゃあ存分に息抜きしろよ』

「待って」

 

  それじゃあ俺はこれで、と部屋に戻ろうとすると、不意に呼び止められた。気だるげに川崎に振り返る。

 

『なんだよ』

「その……改めてだけど、あの時はありがとう。あんた達のおかげで助かった」

『……そうか。ま、気にすんな。こっちも依頼だったからな』

 

  人間切羽詰まってると視野が狭くなるもんだ。俺たちはただそれを少し和らげただけ。なんてことない、誰にだってできることだ。

 

  だから、そう何度も感謝されるほどのことでもない。だがまあ、送られたのなら大人しく受け取っておこう。

 

「比企谷、遅い!もう千佳が歌い始めちゃったよ!」

 

  部屋に戻ると開口一番、折本がそう言ってきた。遅いって言われてもほんの数分でしょうが。

 

『すまん、ちょっと知り合いがいたから話してた』

「ふーん、まあいいや。それより飲み物ちょうだい」

 

  やれやれ、と思いながらも飲み物を渡す。そうすると席に座って仲町さんが歌うのに耳を傾ける。

 

  仲町さんの歌っている曲は、確か最近出たばかりのラブソングだった。由比ヶ浜にこれいいよ!って聞かされたから知ってる。

 

  ふとなぜラブソングが人気なのか、と思った。いつの時代もこういう曲は一定の共感を覚えさせ、人を惹きつける。

 

  酸っぱい失恋を歌った曲もあれば、口の中に砂糖がにじみ出てきそうな甘ったるい曲もある。中には、片思いの曲も。

 

  きっとそのいずれかに、人々は自分の体験を重ね合わせるのだろう。そして魅了され、その曲に熱狂する。

 

  もし、そうだとしたら。俺と雪ノ下の約束に重なる歌も、どこかにあるのだろうか?あの屋上での、二人だけの約束が。

 

 

 

 ーーあまり待たせないでね?

 

 

  ……やめだやめだ、何を恥ずかしいことを考えてんだ。あの囁きを聞いてから、やけにこういうことを考えるようになっちまった。

 

「〜♪……ふう、結構合ってたかも」

「千佳、よかったよ!」

「相変わらずの歌声ですね!」

 

  そんなことを考えているうちに、仲町さんが歌い終わっていた。折本と小町がパチパチと拍手している。

 

「比企谷くん、私どうだったかな?」

『え、ああ。まあ、よかったんじゃねえの』

「もー、聴いてなかったでしょー」

「ちょっと比企谷、それはウケないよー」

 

  すまん、と謝っておく。いかんいかん、今はこっちに集中しなくては。

 

「それじゃあ次は小町がいきまーす!」

「「おおー!」」

 

  高らかにマイクを掲げた小町に、折本と仲町さんが声を上げる。テレビの画面に映像が映り、イントロが流れ始めた。

 

  スッと小町はマイクを口元に持っていく。そして目を瞑り、イントロが終わった瞬間……カッ!と見開いた。

 

  そして、怒涛の勢いで流れる激しい音楽に合わせて歌い始める。普段の朗らかさは何処へやら、マジ顔で言葉を吐き出していた。

 

「……うーん、いつ見ても妹ちゃんのはすごいねー」

「そうだねー」

『あの顔でヘビメタだもんなぁ』

 

  圧倒されながら、乾いた笑顔で話し合う俺たち。別にストレスが溜まってるわけでもなく、純粋に好きならしい。

 

  数分に渡る熱唱を終えると、「いやー気分爽快です!」と小町は額の汗を拭った。それはそれは良い笑顔だった。

 

「じゃあ次私ね!」

 

  最後は私!と立ち上がって主張する折本。程なくして流れ始めたポップな音楽に、ノリノリで歌う。

 

  そうして仲町さん、小町、折本という順で歌い続け、俺はそれを手拍子しながら聴いていたのだった。

 

 

 ーーー

 

 

  楽しい時間はあっという間に過ぎるとはよく言ったもので、気がつけばもう2時間経ってしまった。

 

  名残惜しさを覚えながらも荷物と何度か注文したつまみの名前が羅列された伝票を持ち、部屋を後にする。

 

「だから、そういうのいいですって……」

「そう言わずにさ……」

『……ん?』

 

  1階に降りると、受付からなにやら注文ではない話し声が聞こえた。

 

  近づいてみると、そこではなんと川崎が軽薄そうな男に絡まれ、迷惑そうな顔をしているところだった。最初に入った時の店員がいるが、あわあわとしてて止める気配はない。

 

「いいじゃん、このあと遊ぼうよ」

「しつこいね、いかないっていってるでしょ!」

 

  ……ははーん、見たところあの男が川崎に一目惚れでもして誘ってるわけか。で、川崎はそんな気は全くなくて断ってるがなかなか諦めないと。

 

  客観的に見て、川崎沙希という少女のルックスは世の女性の中でも上位に入るものだと思う。そういう輩がいてもおかしくはない。

 

  はあ、と思わずため息が出た。流石に目の前で顔見知りが困っているのを見て見ぬふりはできない。

 

『三人とも、少し待っててくれ』

 

  後ろにいた小町たちにそういうと、受付に近づいていく。髪をかきあげ、目を鋭くし、首輪の声を低く設定し直して。

 

『おい』

「あ?なんだよ……ひっ!?」

 

  川崎に対しての対応は何処へやら、低い声でこちらを振り返った男は俺を見た途端悲鳴をあげた。

 

  俺の身長は180弱で、男は170前後くらい。体格も着痩せするとはいえ、ヒョロヒョロのこいつより断然太い。

 

  そんな体格差とオールバック気味の髪型で腐った鋭い目を向ければ、大体のやつはビビる。つか前に見せたら義父さんと義母さんにもヤクザって言われた。

 

『俺の知り合いに何か用か?』

「な、なんでもないっす!し、失礼しました!」

 

  なぜか敬語になって、受付のカウンターに五千円を叩きつけるように置くと逃げていく男。ったく、今時あんなのいるのかよ。

 

  時代遅れなナンパ男に呆れながら、首輪を操作して声を普段のものに戻す。そして川崎の方を見た。

 

  すると、川崎はなにやら赤い顔でぽーっと俺のことを見てた。やべえ、キモいうえに出しゃばりすぎたか?

 

『川崎?』

「……え、あ、ああ。いや、大丈夫だよ。ありがとう比企谷、また助けられちゃったね」

『気にすんな。それよりまた絡まれたら敵わんから、俺たちと一緒に駅まで行くか?』

「ふふ、そうさせてもらうよヤクザさん」

 

  気にしてんだからいうなよ、と言っていると、三人が近づいてきた。なんか折本が呆れたような顔してる。小町にいたってはため息をついていた。

 

『どうしたお前ら』

「べっつにー」

「なんでもー」

「あはは……」

 

  訳がわからん。当たり前のことしただけなのにこの反応、俺のピュアハートがブロークンしちゃうよ……キモいな。

 

  とにかく、会計して五人で店を後にする。すかさず我が家のコミュ力おばけ小町が川崎に話しかけ、そこに仲町さんが参加してワイワイと話していた。

 

「ねー、比企谷さ」

 

  それを見ていると、不意に隣で歩いていた折本に名前を呼ばれた。そちらに振り向くと、彼女は次の言葉を言う。

 

「昼ごはんの時に言ってた、雪ノ下さん?に告白とかするの?」

「ゴフッ!?」

 

  思いっきり咽せた。声にならない声で咳き込む俺に、まさかそこまで驚くとは思わなかったのか折本は慌てて背中をさすってくる。

 

『い、いきなりなに聞いてきてんだ』

「あーいやさ、女友達としては聞きたくなるっていうか……あんまうかうかしてられないっていうか……」

 

  後半がモニュモニュと言っていて聞き取れなかったが、そんなに気になることか。なるな、俺みたいなやつが好きなやつがいるとなれば。

 

  ……雪ノ下に告白、か。現状それができるように努力している真っ最中だが、すぐにどうこうする予定はない。

 

『……今の所、そのつもりはねえよ』

「そ、そっか!まあチキンの比企谷だもんね!」

『おいコラ、誰がチキンだ』

「その顔ウケる!」

 

  ケラケラと笑う折本。そこに先ほどまでの呆れたような様子はどこにもなく、いつもの折本のような気がした。

 

でも、それなら私にもまだチャンスあるよね

『さっきからなにブツブツ言ってんだ?』

「なんでもない!あ、ほら駅見えてきたよ!」

 

  折本が指差す方に顔を向ければ、確かにもうすぐそこに稲毛駅が迫っていた。徒歩二、三分だしすぐだったな。

 

「それじゃあ私達、路線こっちだから」

「比企谷くん、小町ちゃんまたねー」

「わたしもお暇するよ。今日は本当にありがとう」

 

  改札をくぐり、それぞれの家に向かう路線のホームへと散っていく三人。それを見送ると小町と顔を見合わせ、俺たちも帰りの電車に乗るためにホームに向かった。

 

 

  そうして、俺の夏休みの一日は終わりを迎えた。




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