楽しんでいただけると嬉しいです。
中途半端な時間に起きてしまった。
昨日は門限で戸塚が先に帰り、なんだかんだで材木座とかなり遅くまで遊んでた。
ゲーセン行って、アカウントが作れる格闘ゲームのミッションクリア手伝ったりとか、ダンスゲーム対決とか。
材木座絶対許さん。あいつ真面目なポーズからの変顔かましてきやがって。次あったらケツ蹴り飛ばしてやる。
それはさておき、だ。
さらに夜に急に任務が入ったので、家に帰って寝たのは三時。夏休み意識もあって、そらはもうぐっすり眠った。
ということで、起きたらすでに十一時と半分を過ぎたところ。朝飯を食うには遅すぎ、昼飯には少し早い。
というわけで、今日も今日とて一人なので適当にラーメンでも食べに行くことにした。
ラーメン。
それは男子高校生にとって至高の食べ物である。もうあらゆる食べ物の中で最強と断言してもいい。
腹は膨れるし、色々なところにあるし、何よりお手頃価格だ。飯に困ったらまずラーメンが出てくる。
放課後、深夜の小腹が空いた時、ちょっとした買い物の帰り。あらゆる場面で答えてくれるラーメンはもはや正義。
ただしカップルでラーメン屋にくるやつ、食い終わったらさっさとスタバでもいけ。あとがつっかえるんだよ。
そんなことを考えながら、財布と携帯、家の鍵だけを持って外へと繰り出した。
千葉はラーメン激戦区だ。
松戸や千葉、津田沼、本八幡などなど駅単位でそれが存在し、最近じゃそこにB級グルメ的なのも加わっている。
そんな中で俺が向かったのは、海浜幕張。学校帰りに時折ふらりとくるここら辺に、一つ目星をつけていた店がある。
リンゴーン、リンゴーン……
相変わらずクソ暑い日差しに、組織の研究開発部の吸血鬼の方々の苦労を忍んでいると、そんな音が聞こえた。
うだるような暑さを吹き飛ばすような清涼な鐘の音色に、足を止める。隣を見れば、そこは教会だった。
ああ、結婚式か。この付近はお高いホテルが立ち並んでいるし、それに比例するように教会も多い。
「くたばっちまえ、ア〜メン……」
絵に描いたような幸せに少し仕事のやりがいを感じていると、そんな声が。
通常の人間の何倍も鋭敏な聴覚は、その怨嗟のこもった声をはっきりと聞いた。それもわりかし聞き覚えのある声。
いやーな予感がしながら、ちょっと式場をのぞく。するとどうだ、幸せ空間の中で一点だけ黒いではないか。
いや、正確には黒いドレスに身を包んだその人が負のオーラを撒き散らしている。今はその黒が周囲の光すら吸収しそうだ。
「ふひひ、リア充撲滅、破滅、壊滅……」
…………ああもう、知ってる人だよあれ。
「あんたも早く結婚してくれるといいんだけどねえ」
「次は静ちゃんの番ね!」
「静ちゃん、おばさん、またいい人見つけたのよー。今度はうまくいくと思うから会ってみない?」
「静。父さんな、孫のために貯金始めたんだ……」
しかし、そんな言葉を投げかけられるたびに、黒い染みみたいなその人はビクンと揺れた。霊圧が、消えた……?
とりあえず、観てはいけないものだということはよく理解できた。今のうちに、ここを離れてしまおう。
「ひ、比企谷!」
……oh。
名前を呼ばれ、すげえ嫌な予感がしつつ振り返る。すると、その人に話しかけてた初老のご夫婦と目があった。
とりあえず、会釈をしておく。あちらも会釈を返してきた。なんなのこれ、ご挨拶とかそういうやつなのん?
「ちょ、ちょっと問題児がそこに!そ、そういうことだからっ!仕事だから!そ、それじゃっ!」
見てるこっちが悲しくなるくらい必死に黒い染みさんはご夫婦に言い訳すると、こっちに走り寄ってくる。
近寄ってみると、なるほど。やはり黒いドレスを纏う美人のお姉さんだった。ちょっと普段とは違う雰囲気がある。
「比企谷!ちょうどよかった!たすかった!」
かかかっとヒールを鳴らして近づいてきた彼女は、そんなことを言って俺の手首を取ると早足に歩き出す。
思わず嘆息しながら、車道側に自分の体を移動させてついていく。まったく、どうしてこうなった……
そのまま歩くことしばらく。角の公園に入ったところで立ち止まる。
「ふう、なんとか離れられたか……」
俺の手首を離したお姉さんは、そう言って安堵の息を吐く。そんなその人を改めて見やる。
ブラックのパーティードレスは体のラインにあわせ流麗に弧を描き、白いうなじを首元のファーが飾り立てる。
アップにしている髪はドレスにあしらったかのように艶やかな漆黒。膝につく手は黒の手袋に包まれていた。
『あの』
「ん?ああ、悪いな。急に」
お姉さんはにこやかに微笑むと、ベンチに歩いていく。俺も後を追いかけた。
ベンチに腰掛けた彼女は手に持っていたバッグからタバコを取り出し、トントンと葉を詰める。
いかにもおっさんくさい仕草をして、百円ライターで火をつける。シュボ、という音ともに先端が赤く染まった。
「ふぅ……ああ、やっと一息つける」
これまた疲れ切った声音で肘を太腿におくお姉さん。
……ここまで見ればもう、疑いようもあるまい。紛れもなく、我が奉仕部の顧問たる平塚先生だ。
『抜けてきて良かったんですか?』
「かまわんさ、祝儀は置いてきた」
それでいいんだろうか。いや、多分この人の中ではいいんだろう。それよりあそこにいる方が辛かろう。
休日に馴染みの先生と会ったからか、柄にもなく少し面白く思った俺は、からかいの言葉を首輪に話させる。
『いい出会いがあるかもしれないのに。二次会とか』
「……従妹の結婚式でな。私のような行き遅れはお呼びじゃないのさ」
ヘッとひねくれた笑みを浮かべる先生。あ、これわりかし真面目に落ち込んでるやつだわ。
「だいたい私は乗り気じゃなかったんだ。従兄弟は年下で気を使われるし、親戚のおばちゃんたちに結婚の話ばかりされるし、両親もうるさいし……だいたい祝儀を払って親戚から小言を言われるなんて割りに合わん……」
煙を吹き出しながら、そんなことを呟く先生。
すみません、すげえ反応しづらいです。
「比企谷は?」
『中途半端な時間に目が覚めたので、ラーメンでも食いにいこうかと』
素早くレスポンスを返す。度重なるアップデートで、この首輪も受信してからの再生がかなり早くなった。
「ラーメン、か。そういうのもあるのか」
平塚先生は突然張り切った声音になる。一秒前の死んだ目は何処へやら、キラキラと輝いて見えるほどだ。
「そういえば私も受付やなんやらですっかり食いっぱぐれていたな……ちょうどいい、私も一緒に行っていいか?」
『はあ。まあ構いませんよ』
ならすぐに行こう、とタバコの火をもみ消して立ち上がる平塚先生。うん、俺の知る先生だ。
『とりあえず、これ着てください。その格好だとすごく目立つんで』
「おお、わざわざ悪いな」
隣をこんな派手なドレスで歩かれたらたまらんので、上着を貸した。これで少しはマシになったはずだ。
こっちです、と手招きする。公園の灰皿にタバコを捨てた先生は大人しくついてきたので、先導する。
それにしても、連日学校の知り合いに会うとか、なかなか奇妙な気分である。いや、今回は偶然だが。
チラリと後ろを見れば、上着を着せてなお普段はありもしない色気を振りまく先生は注目を集めている。
「……比企谷、今失礼なことを考えただろう」
『なんのことだか』
やべえ、ファーストブリットが飛んでくるところだった。いや、今の先生の拳など効きはしないか……?
背中に気をつけながら歩くことしばらく、海岸沿いのその店に到着する。が、案外混んでいて並ぶことになった。
くっちゃべる男女や、ゲーム機を弄る男、各々のやり方で時間を潰して列をなす人間たちをぼうっと見る。
「意外だな、君はこういう混雑は苦手かと思ったが」
『まあ、あまり人でごった返しているとこはアレですね。ここはちゃんと秩序があるので』
列に並ぶのは嫌いじゃない。バラバラに大量の人が存在しているのではなく、待っていればいずれは順番がやってくる。
無秩序的と秩序的、どちらを好むかと言われれば、後者を選ぶのは当然の帰結である。それに、待つのに退屈する性格じゃない。
「成績は優秀なのに、生活態度がよろしくなかった君が言うととてもちぐはぐに思えるな」
『素直に変だって言ってくれていいですよ』
成績を高くキープしていたのは、両親の恥にならないため。後は卒業できれば、高校生活なんてどうでもよかった。
ただ、今はそこに一輪の……いいや、多くの彩りがある。一年前の俺ならば、決して想像できなかった色が。
まるで、凍りついた道を花の雨で埋めるように。俺の景色は、つまらないモノクロから変わった。
「しかし秩序、か。君は存外潔癖な思考の持ち主だな」
『単に大人数で騒がしいのが嫌いなのもありますよ』
クラスや街中で、集団で無駄に〝楽しげ〟に騒いでいる奴らを見るたびに思う。お前らは、いったい誰にアピールしてるんだ?と。
そんな必死に楽しいですと声を張り上げて、居丈高に胸を張って、虚しくはないのかと時折思う。
一人で楽しみを見いだせるものにとって、集団でなければ楽しいと思えないなど、所詮偽物でしかない。
なのに彼らは、そういうものを見下し、自分達の方が偉いと錯覚する。声の数も、人数の多さも、何を証明してくれるわけでもないのに。
きっと彼らは、無意識に嫉妬しているのだろう。心のどこかで「本当に楽しい?」と問いかける自分がいるのだろう。
「しかしそうなると、君はポートタワーの花火大会には行かないのか?」
『ああ、今年は由比ヶ浜に誘われたんで』
「そうか……ふっ、教え子さえこんなに青春しているというのに、私は……」
…………これ以上は由比ヶ浜と、という部分には触れないでおこう。
そちらは?と目線で問い掛ければ、なんだかこういう地元のお祭り限定の見回りに駆り出されるらしい。
その時若手連中が、という部分をやけに強調していた。俺はグッと溢れ出そうになる涙を堪えた。
「生徒がハメを外しても困るからな。自治体のイベントでお偉方も来るから、学校のイメージというのもある」
『お偉方、ですか』
きっとそこには、雪ノ下家も含まれているのだろう。あの家はここに根付いて長い。むしろ筆頭まである。
そういう意味では、確か義父さんの会社も出資者だったはずだ。義父さん、ああ見えて祭りとか好きだったよな、確か。
『そういえば、陽乃さんは総武の卒業生でしたっけ』
「ああ、君たちと入れ違いでね。よく印象に残っている。優秀だったが、優等生ではなかった」
だろうな。
制服を着崩し、授業中に教師に絡んではクラスを笑わせ、イベントごとには必ず首を突っ込む、そんな感じなんだろう。
他の組織のメンバーに聞けば、普段は凄まじいまでの自由奔放さだという。まあ、俺にだけ素に近いのは仕方があるまい。
むしろ少しでも話せていること自体が奇跡に近い。何気に責任感の強い陽乃さんだからこそともいえるか。
「だが、それは陽乃の魅力でもある。私はこれからも伸ばしてほしいと思うよ。陽乃にも、君たちにも」
『俺たちにも、ですか』
そうだな。その意見には同意したい。雪ノ下雪乃には、いつまでも正しく、まっすぐでいてほしい。
そのための障害は、ことごとく排除しよう。それが人間比企谷八幡の、最大の存在理由に等しいのだから。
「おっ、どうやら空いたようだ」
そんなこんなでわりと時間をつぶせて、前のお客さんが出て中に入れた。
らっしゃっせーという店員の挨拶をBGMに、平塚先生が財布を片手に発券機の前に立つ。
そして迷いなくとんこつを押した。この人マジで男らしいな。うっかり惚れちゃいそう。惚れないけど。
「君は何がいい?」
平塚先生はその場を退かずに、振り返って聞いてきた。何、奢ってくれる気だったの?
『いいですよ、俺も一応は働いてる社会人ですし』
「だが、同時に子供であり、私の生徒だ。甘えておけ」
……真剣に、なぜこんなことをサラリといえるかっこいい人がいまだに結婚できないのか不思議に思い始めた。
じゃあ今度飲み物でも奢るということで、とんこつを頼む。二人でカウンターに移動して、店員に食券を手渡した。
「コナオトシで」
『ハリガネで』
それぞれ麺の固さを頼むと、少し沈黙が舞い降りる。
やはり、平塚先生はこの場において少々浮いていた。ドレスに着飾ったパリッとした感じの美人がラーメン屋にいたら、それは当然だ。
が、本人はそんなのお構いなしに胡椒や白胡麻、高菜に紅生姜まで準備している。この女、ガチのガチだ。
麺の湯で時間が短いゆえか、そんな平塚先生を見ているうちにラーメンがやってきた。
割り箸を取り、平塚先生とほぼ同じタイミングで両手を合わせる。
「『いただきます』」
まずはスープから手をつけた。表面に張ったやわらかく、かつクリーミーな油膜を香味野菜と豚骨の香りと共に飲む。
次に麺。濃厚なスープに合わせるようにストレートな細麺を、野菜と一緒に頬張り咀嚼する。程よい硬さがちょうどいい。
うん、美味い。これは普通に当たりだろう。今度またこよう。
「そういえば、さっきの話だがな」
しばらくキクラゲやネギのシャッキリポンとした食感を楽しんでいると、不意に平塚先生が語り出す。
しっかりと口の中のものを咀嚼し、飲み込んでから隣を振り返る。先生は行儀いいな、と笑った後に続きを言った。
「最近の君は、その潔癖を保った上で幅を広げているように思える。それは君にとっていいことか?」
『……少なくとも、悪いことではない、のでしょうね』
かつての俺ならば、家族と雪ノ下、それ以外の全てに関わろうとすらしなかった。
人間は興味もないものには価値を見出せない。だって俺にとって真に大切にすべきものは、もう決まっていたから。
だがどうだ。気がつけば、随分と騒がしくなった。由比ヶ浜に始まり、折本や戸塚……思いの外、俺の周りには人がいる。
それもいいと思わせてくれたのは、そう思い始めた分岐点は……やはり、雪ノ下雪乃との再会なのだろう。
あいつがいるならば。共に笑い合えるのなら。騒がしいのは嫌いだが、賑やかなのは、まあ少しは悪くない。
そうやって、あいつがいることで俺の世界は少し面白くなる。まったく、奇妙なことだ。
『ありがとうございます、先生』
「ん、何がだ?」
『いえ、なんでも』
あの日、あの時間、俺をあの陽の満ちる部屋に連れて行ってくれて。
そんな言葉を首輪に送る前に揉み消して、俺は引き続きラーメンを啜った。
「ふう、ごちそうさま」
『ご馳走様』
十五分後、ラーメンを食べ終えると速やかに店を後にした。俺たちは無駄に居座るカップルじゃないのだ。
「美味かったな。学生時代に千葉のラーメン屋はほとんど制覇したが、いい味だった」
『すごいですね、先生』
主に花の女子高生が圏内のラーメン制覇するところが。
「そうだ、君が卒業したら私のオススメの店に連れて行ってあげよう。なあに心配するな、味はお墨付きだ」
『楽しみにしています』
それじゃあ、と先生と別れる。きっとこれから会場に戻って、また親戚の方々のお小言を聞くのだろう。
その黒い背中に頑張ってくださいと心の中でエールを送り、俺は踵を返して雑踏の中へと踏み込んだ。
読んでいただき、ありがとうございます。