声を失った少年【完結】   作:熊0803

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すみません、更新が長引きました。
今回はかなり文字数が多くなりました。ご了承ください。
楽しんでいただけると嬉しいです。


【第四章】〜最後の日常〜
51.声を無くした少年は、文化祭実行委員になる。


 俺は、白い部屋にいた。

 

 

 

 右を見ても、左を見ても、どこも真っ白なその部屋は、どこか不気味だ。

 

 この部屋にはトイレと、俺が今座っているベッドしかない。そのどちらも白色で、俺の着る服も白だ。

 

 ただ、そんなまっくろくろすけならぬ真っ白しろすけな中で、一つだけ違ったのは……()()()()()()()()()()()()()()

 

 重く、分厚い金属製の首輪と足輪は赤いランプが点滅しており、常に俺をここに縛り付けている。

 

 もっとも、無駄に反抗する気力もなければ、どうにかしようという気も全くと言っていいほど起こらない。

 

 当たり前だ、()()()()もこんなところにいたら、どんなに血気盛んなやつでも気が滅入ってしまう。

 

 聞けば、右隣の部屋のやつと、三つ隣の部屋のやつは、つい昨日発狂して()()されたらしい。

 

 ああ、それがどれだけいいことか。俺は自分の無駄に強靭な、化け物のような鋼の精神を呪った。

 

 

 プシュッ

 

 

 突然、継ぎ目の一つもない壁の一面に長方形の亀裂が入って、横にスライドする。

 

 ほうら、今日もやってきた。

 

「サンプルNo.88。仕事の時間だ」

 

 入ってきたのは、もう見飽きた白い防護服とガスマスクをつけた研究員たち。先頭にいたやつが、抑揚のない声で命令してくる。

 

「……わかった」

 

 俺は()()()()()()()()()()、立ち上がると研究員達に近づいていく。

 

 研究員は頷き、うち二人が俺の首輪にぶっといケーブルを接続した。まるでリードだ。

 

 部屋を出ると、扉が閉まる。そこには大きく『No.88』と、部屋番号のように赤い文字で書かれていた。

 

「今日は第四実験室だ。せいぜい壊れないことだな」

 

 どこか嘲るような研究員の言葉に答える暇のなく、指定された研究室の方に向かって移動が始まる。

 

 廊下は、部屋の中と違って鈍色だった。そこかしこの壁にガラスがはめ込まれ、部屋の中では研究員達が様々な実験をしている。

 

 実験室のうちの一つの前に差し掛かり、中を見て……実験台の上に乗せられた、半分解剖された女の子と目が合った。

 

 右隣の部屋の住人だったやつだ。きっと()()された後、研究のためにここで使()()()()()()んだろう。

 

 ここを出られたら、バレエをするのだと他の子供に話していた顔見知りの光を失った瞳から、俺は目を逸らして前を向いた。

 

「なあ、こいつの実験が終わったら飯食いに行こうぜ」

「ああ、いいな。何食べる?」

「そりゃ、新メニューだろ。この間()()()()()()の畜産体制が整ったってよ」

「あー、あれか」

 

 ……おぞましい話すんなよ。こいつら血も涙も無いな。知ってたけど。

 

 今更な話だ。こいつらにとって俺たちは使い捨ての研究材料か、家畜程度の存在でしかないのだから。

 

 時々すれ違う、新しい研究材料と思われる同い年ほどの子供達。これから頑張れ、きっと真っ暗な未来が待ってるぞ。

 

 そんな風に哀れんでいるうちに、研究室にたどり着く。研究員が壁のパネルを操作して、扉を開ける。

 

 開いた扉の向こうでは、同じ格好をした研究員数人と……白衣の男が何かをしていた。

 

「あらあら、もう死んでしまったのですかぁ?困りましたねえ……今日はあと、七つほどサンプルのデータを取りたかったのですが」

 

 研究室の中央の実験台。その上に乗せられた何かで、白衣の男が実験を行なっている。

 

「………………」

 

 そいつの背中を見た瞬間、それまで凍り付いていた俺の心に一気に憎しみの炎が灯った。

 

 しかし、動くことはしない。

 

 本当なら、この一年以上の間受けた残虐非道な数々の実験の恨みを晴らしてやりたいが……そんな気概も残ってない。

 

「〝博士〟、被験体を連れてきました」

「ん?ああ、これの代わりの補充ですか。早かったですねぇ」

 

 男は、研究員の声でこちらに振り返った。その瞬間、研究員に突き飛ばされるように背中を押される。

 

 無抵抗のまま前に出ると、男は俺を見た途端気色の悪い満面の笑みを浮かべて、メガネの位置を直した。

 

「おお、彼を連れて来たのですね! あなたも私のことをわかってきたと見える!」

「こいつは博士の()()()()()ですからね」

 

 男は大げさな動きで叫ぶと、手に持っていた注射器を投げ捨ててズカズカと歩み寄ってきた。

 

「私の夢への箱舟よ、調子はどうです!私は絶好調ですよ、なぜなら今日も君と()()()()()()のですから!」

 

 そして俺の肩に手を置くと、勢いよくまくし立てる。爛々と輝く目は、はっきり言ってすごく気持ち悪い。

 

 ちらりと、男の後ろにある実験台を見る。

 

「あ……が…………ぎ……ぇ……」

 

 すると、つい昨日入ってきたばかりのやつだった。こいつに何か薬を打たれたのか、ビクビクと震えている。

 

 多分、こいつの作った新薬の実験台か何かに使われたんだろう。一瞬で象をも殺せる猛毒か、あるいは()()()()か。

 

 ……何度見ても、胸糞悪い。

 

 一言も話さなかったし、そもそも人間なんて大嫌いだ。

 

 でも、気分が悪いものは悪い。

 

 だから、男に向き直り、せめてもの抵抗として悪態をついた。

 

「……朝っぱらからテメェの顔見て、最悪だよ」

 

 そう答えた瞬間、バチッ!と首輪から電流が走った。

 

「ぐっ!?」

 

 全身を痺れさせるのに十分な威力のそれに、俺は脱力する。が、あのクソ野郎に受け止められた。

 

 離せ、ともがこうとするが、体が痺れて動かない。あいつはニコリと笑ってきて、研究員の方を見た。

 

「乱暴に扱うものではありませんよ。大事な研究材料なのですから」

「はっ、申し訳ありません」

「さて、私はこれからこの子と最高にエキサイティングでエクセレントな時間を過ごします。さっさとその台の上の()()を片付けてください」

「了解しました」

 

 俺が動けないでいる間に、研究員達が台の上から用済みになった被験体を連れて出て行く。

 

 扉が閉まる頃には、痺れも取れてきた。あいつの腕を振り払い、自分で立つ。

 

「おっと、もう平気なのですか?無理をしてはいけませんよ?」

「……これから散々いじめるくせに、何言ってんだよ」

「おや、虐めるとは心外な。私はただ、私の素ン晴らしい才能の限界を知りたいだけっ!そしてあなたはその悲願成就のための大事な道具なのです!」

 

 両手を振り上げ、叫ぶそいつ。

 

 もう何十回、何百回と聞いた言葉だ。まるで呪いのように耳の奥にこびりついている。

 

 こいつは、元は薬学か何かの天才だったらしい。三年くらい前、テレビで何かの賞をもらったのを見た。

 

 それが今は、俺や他の被験体を使って麻薬とか、()()()()を作っている。自分の才能の限界とやらのために。

 

「さあ、楽しいお話はこれくらいにして。早速今日の仕事と参りましょう」

「……勝手にしろ」

 

 俺の手首を掴み、鼻歌交じりに実験台に向けて歩き出すそいつ。俺は俯いて、引かれるままについていく。

 

「……誰か、終わらせてくれ」

「ん? 何か言いましたか?」

「……なんでもねえよ。こっち見んな、吐き気がする」

「おやおや、これは手厳しいですねぇ」

 

 おどけるような仕草をするそいつに、俺はハッと鼻で笑う。

 

 

 

 

 

 ああ……やっぱり、人間なんて大嫌いだ。

 

 

 

 

 

 そう心の中で吐き捨てて、俺はまた俯くのだった。

 

 

 

 ──ー

 

 

 

 そこで、目が覚めた。

 

「──ッ!!」

「わわっ」

 

 勢いよく飛び起き、息も荒く周りを見渡す。すると、薄緑色のカーテンに囲まれた場所にいた。

 

 しばらく呆然として、息が整ってきたところで学校の保健室にいると思い出す。見れば、寝ていたのはベッドの上だ。

 

 ……そうだ。6時間目が自習になって、あまりに眠すぎて、教室で寝るわけにもいかないから保健室に来たんだ。

 

 〝あそこ〟じゃないとわかって、安堵の息を吐く。

 

 そういやなんか、誰かの声が聞こえたような……

 

「先輩、大丈夫ですかー?」

『……いろは?』

「はい。あなたの可愛い後輩、一色いろはですよ」

 

 隣を見ると、そこにいたのは唯一の親しい後輩。ピシッと敬礼ポーズをとり、非常にあざとい返事をする。

 

『どうしてお前がここに』

「えっとぉ、授業が終わって、移動をしてたら前の教室に忘れ物をしたのを思い出したんですよ。それで保健室の前を通りかかったら、中からすごい負の感情が漏れてたんで」

『そういうことか。迷惑かけたな』

「いえいえ〜」

 

 見れば、いろははコンタクトを外していない。つまり、阻害効果を突破するほどの感情が漏れていたということだ。

 

「先輩、すごくうなされてましたよ?」

『……ちょっと、あの夢を見てな』

 

 俺の忌まわしい過去。他のどんなに恥ずかしい記憶や、悲しい記憶よりも忘れ去りたい、心の奥に根付いた恐怖の源。

 

 ここ一年くらい見ていなかったせいか、前に見た時より、ずっと恐ろしく感じた。今も手が震えている。

 

「それは……すみません」

 

 急に沈み込んだ表情で俯くいろは。おいおい、いきなりなんだってんだ。

 

『なんでお前が謝るんだよ』

「だって、私が深層意識に干渉していれば、もっと早く目覚めていたかもしれないのに……」

 

 そういえば、そんなこともできたっけな。こいつの()()()の能力も大したもんだ。

 

 こいつはあざとい態度と自由奔放さ、あとあの謎の集団のせいで分かりにくいが、本当は優しい女の子だ。

 

 だからこそ信頼して、俺の過去を打ち明けた数少ない人物でもある。あと知っているのは、材木座と……雪ノ下だけ。

 

『そんなこと言っても、来たのは今の今だろ。お前が気にすることなんて一つもねえよ』

 

 そんなやつに、いらない気を遣わせた自分が恥ずかしい。だから気にしていないという風に、肩を叩く。

 

「……クスッ。先輩、手がまだ震えてますよ」

『うっせ。それより、移動教室ってことはもう授業終わったんだろ?早く忘れ物とって自分の教室戻れ』

「はいはい、分かりましたよ。それじゃあ先輩、お大事にです」

 

 いろはは傍らの椅子に置いていた教材を取ると、カーテンの継ぎ目をすり抜けて出て行った。

 

 後には俺だけが残る。スマホを見ると、あと十分でホームルームが始まるようだ。早く教室に戻らなくては。

 

 

 ──もう平気なのかい?

 

 

 ……なんだ、また起きてたのか。

 

 お前最近昼間に起きてること多くない?なに、いよいよ俺の体乗っ取るの?

 

 

 ──まさか。ただ君、僕が無理やり体を動かさなくちゃあまりにフラフラで、見ていられなかったから。

 

 

 ……そういうことか。すまん、頭がいっぱいで気付かなかった。迷惑かけたな。

 

 

 ──そういう時は、お礼を聞きたいんだけどな。

 

 

 ったく、それならそうと最初から言えよ……ありがとな、オクタ。

 

 

 ──うん。それじゃあもう平気そうだし、僕は眠るよ。おやすみ、八幡。

 

 

 おう、おやすみ。

 

 自分の意識の中の、一部分がすっと平らになる。オクタが寝たのを確認して、俺は布団から這い出た。

 

 靴を履き、二つ外していた胸元のボタンをつけるとカーテンを取り払う。すると、ツンと薬品の匂いが鼻をついた。

 

『……別の場所なのに、妙に落ち着かねえ』

 

 苦い顔をしつつ、机に置かれていた紙の『退室』の欄にチェックをして部屋を出る。

 

 廊下に出ると、むわっと熱気が広がった。

 

 季節は九月、長いようで短い夏休みも終わり、学校が始まる。そんな中、八月の暑さが校内にまで残っていた。

 

 そこまで時間がないので、足早にホームルーム教室に向かう。ただし、走ると生活指導の教師がうるさいので早歩きで。

 

 最後の授業が終わったせいか、結構な生徒が廊下をたむろしてた。担任らしき教師が教室に入るよう促している。

 

『ギリギリセーフ、と』

 

 わりかし離れている保健室から教室に到着したのは、HRの始まるギリギリだった。

 

 少し注目を浴びるだろうことにげんなりとしつつ、扉を開けると、ちょうど人が出てくる。

 

「わわっ!」

『っと、すまん』

「あ、ううん、だいじょぶ。こっちこそごめ……」

 

 鉢合わせたのは、奉仕部の仲間にしてこの前一緒に花火大会に行った由比ヶ浜だった。

 

 あの夜の微笑がよぎり、頬に熱が宿る。由比ヶ浜も同じなのか、赤面して口元をあわあわとさせた。

 

「え、えっとね!平塚先生にヒッキーを呼んで来いって言われて、それで今行こうとして!だ、だからほら!早くヒッキーも教室入って!」

『お、おう』

 

 怒涛の勢いでまくし立てる由比ヶ浜に手を引かれて、教室に入る。

 

 すると、思い思いに談笑していたクラスメイトがこちらを見た。大半はすぐに興味をなくして目をそらす。

 

 だが、一部の下世話な連中はニヤニヤとした顔をした。

 

 その中には、つい先日会った相模もいた。三人の取り巻きの中心で、あの日と同じ下卑た笑いを見せている。

 

 悪夢のせいか、なんとなくイラついて軽く目を細めると、すぐにビビって目をそらした。なにあいつよっわ。

 

(今こっち見たよ!腐った鋭い目がかっこいい!)

(ちょっと、声大きい!南はメンバーじゃないから!)

(あ、そっか!ごめん。でも、あの時チンピラから助けてくれた時と似てる目だよね!)

(たしかに!)

 

 ……なんか取り巻き連中のうち二人がヒソヒソ話してる。陰口でも言ってるのん?

 

「そ、それじゃあまた後で!」

 

 その視線に耐えられなくなったのか、由比ヶ浜は手を放して離れていく。

 

 そのまま三浦の胸に突撃するみたいに突っ込んだ。受け止めたあーしさんはなんかニヤニヤしてる。

 

「ちょっと結衣ー、どしたの?なに、ヒキオとなんかあったん?」

「ううー!なんでもない!」

「いや絶対何かあったっしょ、ほら、話してみ?」

「言わないっ!」

「えー、つまんないしー」

 

 なんか騒いでるあーしさんと由比ヶ浜はほっといて、自分の席に座る。

 

 椅子に腰を降ろしたのと同時にチャイムがなり、こっちになぜか人を殺せそうな目線を送っていた平塚繊細が手を叩いた。

 

「それじゃあ、今日は例の話し合いの続きをするぞ。まず、文化祭実行委員は男子は比企谷で決定として、女子は……」

『はぁっ!?』

 

 その言葉に、思わず立ち上がって首輪から声を荒げる。座ってからたった十秒後のことだった。

 

『俺が文化祭実行委員って、どういうことですか?』

「なんだ、聞いてなかったのか?そういえば寝ていたな」

 

 あの時……そうか、あの午前中の休み時間の時か!そういやあの時も眠気に勝てずに熟睡してたわ!

 

「お前が寝ている間に今度の文化祭のことについて話し合いをして、グダグダと話し合っていたら次の授業が始まってしまったのでな。私の独断と偏見で決めた」

『そんな横暴な……』

「ちなみに、ほとんど反対意見は出なかったぞ。よかったな、成績優秀者くん」

 

 頷くクラスメイトども。くそっ、義父さんたちの名誉のために高成績をとっておいたのが裏目に出たか!

 

 なんかもう、今更説得して断るのも面倒くさいので、ガックリとうなだれて座る。「よし」と先生は頷いた。

 

 

 

 そうして、文化祭実行委員、他クラス展示などの役職決めが始まった。

 

 

 

 ──ー

 

 

 

 

 話し合いが始まって、はや十五分。

 

 クラスの空気は騒然としていた。なにせ文化祭の各係を決めるのだ、各々のつきたい役職を得ようとしている。

 

 くっ、俺も判断力さえ鈍ってなけりゃ無難な係に入ってたのに。いや、悪夢を見たせいか、今も回復できたかは怪しいが。

 

「はい、じゃあ一回確認とります」

 

 俺が未だ眠気の残る瞼を擦っていると、メガネのルーム長が頼りなさげな声を張り上げる。

 

 彼は実にかわいそうである。名前は覚えてないが、このカオスな空間の信仰を一任されているのだ。

 

 これで女子だったら委員長キャラも立ったろうに、残念ながら男だ。なのでみんなルーム長呼ばわりしている。

 

「じゃあ、女子の実行委員やりたい人。挙手してください」

 

 そう、目下の最優先決定事項はそれだ。

 

 一番重要な係が決まれば、自分になるかもというプレッシャーがなくなる。結果、気持ちが楽になり後はするする決まる。

 

 ところがどっこい、誰も手を上げない。さっきまでの喧騒はどうしたと言わんばかりに静まり返る。

 

 ……まあ、いくら成績が良くても、首輪で話す腐った目のやつと一緒は嫌だわな。泣いてない、別に泣いてないぞ。

 

(僕はやりたいけど……うう、でも部活のこととかもあるしなぁ)

(直接関わるのは、リーダーに怒られるからダメだね)

(くっ、惜しい!)

 

「このまま決まらないようなら、じゃんけんでも……」

「はぁ?」

 

 ルーム長が解決策を出すも、女王三浦の威圧と言う名の一言によってんがぐぐと言葉を詰まらせてしまう。

 

 さすがクイーン、「破ァ!」だけで黙らせてしまった。世が世なら彼女の機嫌を損ねた時点で即打ち首だったろう。

 

 それからも散発的な会話があちこちで起きた。そのたびにルーム長が「どう?」と尋ねるが、黙り込むと言うループに陥る。

 

 夢見が最悪だったせいか、そんなことに無意味にイラつく。トントンと机を叩きだした自分の指を、とっさに止めた。

 

「……それって大変なの?」

 

 そんな悪循環を断ち切ったのは、由比ヶ浜だった。途端にルーム長はあからさまにホッとする。

 

「普通にやれば問題ないと思う。ちゃんと協力できれば、だけど……」

 

 ちらりとこっちを見るルーム長。すみませんね、合わせずらいぼっちで。

 

「ふーん……」

 

 そう答えながら、悩ましげな顔をする由比ヶ浜。それを迷いと取ったか、ルーム長のメガネがキラリと光る。

 

「由比ヶ浜さんがやってくれると助かるなぁ。人望あるし、クラスをちゃんとまとめてくれると思うし、それにほら、割と彼と話してるしさ」

 

 またこっちをチラ見するルーム長。まあ話してるつっても、部室に一緒に行こうと誘われるくらいなんだが。

 

「いや、あたしは別にそういうんじゃ……」

 

 てれりこてれりこしながら由比ヶ浜が答えようとしていると、ひどく不躾な冷たい声が聞こえた。

 

「えー。結衣ちゃん、やるんだー?」

「え?」

「でもそういうのいいよね!仲良い人同士でイベントごととか、盛り上がりそうでー」

 

 畳み掛けるようにいうのは、またしても相模だ。

 

 相模はさっきの取り巻きたちと、廊下側のやや後方、サイドバックの位置に陣取っている。ちょうど三浦グループと対極だ。

 

 相模の言葉に、取り巻きの一人がクスクスと冷笑を浮かべると、残りの二人も何か微妙な顔でそれに合わせる。

 

「んー、そういうのでもないんだけどな」

 

 由比ヶ浜は曖昧な笑みで、そのくせしてさっきみたいな赤い顔で返す。

 

 いやお前、その顔とさっきの反応しといて、それは無理があるだろ……

 

「えー、そうかなぁ」

 

 そう思ったのは相模も同じようで、意味ありげに俺を見る。そのニヤリとした笑い方が、ひどく醜悪。

 

 それが孕む意味がなんであるのか、想像に難くない。あの日、花火大会の時に向けたのと全く同じもの。

 

 

 

『せいぜい、役に立ってくださいねぇ?』

 

 

 

 ──突然、奴の顔が脳裏によぎった。

 

 こちらを楽しむための道具か何かにしか思っていない目。嘲り、いかにも見下していると言わんばかりの歪んだ笑い方。

 

 それが、相模のあの顔と重なる。

 

 わかっている。こんなのは間違いだ。相模と奴は違う。性別も、顔も、何もかも一致しているはずがない。

 

 だが、悪意だけは同じだ。それが、二軍女子故のトップカーストへの妬みからくるものかは知らないが。

 

 

 

 だが──無性に、怒りが込み上げた。

 

 

 

「ひっ!?」

 

 教室に、短い悲鳴がこだまする。次いで、ガタッという大きな音。

 

 それは相模が怯え、椅子ごと後ずさった音だ。相模は俺のこの目を見て、恐怖に顔を歪めている。

 

「…………………………」

 

 後から思えば、寝不足と悪夢のダブルコンボで、普段なら考えられないほど不機嫌だったのだろう。

 

 だから、相模を()()()()()()睨めつけた。

 

 その理由が、あいつの勝手な物差しで俺と由比ヶ浜の関係を見下されたせいかは定かではないが。

 

 なんだ、この程度か。我ながら酷くこんがらがった思考で相模の惰弱さに鼻を鳴らし、目線を逸らす。

 

「……っ!」

 

 きっと相模は、屈辱的な顔をしているだろう。しかし、もう俺の興味は相模にはない。

 

 一瞬のことで相模が何に声をあげたのかわからないクラスメイトたちは、首を傾げている。いい薬だ。

 

「っ……」

「……?」

 

 途中で、葉山と目が合う。あの時のことを思い出したのか、あいつの目には若干だが怯えが混じっていた。

 

 ……別に、お前には何もしねえよ。あん時のことは派手な演出が必要だったのと、俺の稚拙な感情の爆発の結果だ。

 

「それで。由比ヶ浜さん、どう?」

「えー、えっと……」

 

 ルーム長が再度、由比ヶ浜に問いかける。彼女はチラチラこっちを見ながら答えに困った。

 

「いや、結衣は無理っしょ」

 

 そこに助け舟を出したのは、意外にも三浦だった。クラス中の目線が女王に向かう。

 

「だって結衣は、あーしと一緒にクラス展示の呼び込みする係だし」

「そ、そーそー、あたしそっちの係……っていつの間にか呼び込みメンバーに決まってたんだ!?」

「今決めたし」

「今!?」

 

 大袈裟に驚く由比ヶ浜。三浦らしいというか、最初から由比ヶ浜に選択肢や決定権など存在していなかったようだ。

 

 それでいいよね?とまだ腰の引けてる相模に目で言う三浦。女王の言うことに逆らえるはずもなく、相模は弱々しく頷いた。

 

 かくして、会議は振り出しに戻った。正直、次に相模が何かしたらキレそうなので早く終わってほしい。

 

「つまり、だ」

 

 俺の機嫌の悪さを感じたか、あるいはあいつも飽きてきているのか、葉山が立ち上がって声を上げた。

 

「リーダーシップがあってみんなを纏められる人にやってほしい、そういうことでいいよね?」

 

 葉山の意見は至極真っ当だった。同時に微妙に俺にリーダーシップがないと言ってくれている。

 

 いや、ないんですけどね。普段から書類仕事をしてるから、事務能力に関してはある程度自信はあるが。

 

 それはともかく……葉山がそう言ったことにより、ある考えが生まれたことだろう。

 

 トップカーストである由比ヶ浜たちは、先の三浦の宣言によってやらないことがわかった。

 

 なら、次にお鉢が回ってくるのは二軍のやつだ。

 

「したっけ、相模さんじゃね?」

 

 葉山の示唆を的確に読み取り、戸部が声を上げる。したっけって、お前は北海道の人か。

 

「ほら、相模さんなら責任感もありそうだし」

「ああ、いいな。相模さん、お願いできる?」

 

 自分から誘導しておいて、いかにも言われて気づきましたという風体で相模の方を振り返る葉山。

 

「え、えー?私?いや、私は別にいいよー」

 

 おいおい、さっきまでの強気はどうしたんだよ。つーかその手を振る仕草、本気で嫌がってない奴のやる行動だからな。

 

 本気で嫌がる時は、絶対零度の目線で「いや、そういうのいいから」の一言だけで終わる。ソースは中学の時の折本。

 

 あの時の折本は恐ろしかった。クラスメイトのやつに俺とつるんでるのをとやかく言われて、静かにキレたのだ。

 

 思えば、あの時だろう。俺が折本かおりという人間を本当の友人として認識したのは。

 

「そこをなんとか、お願いできないかな?」

「……葉山くんがそう言うなら、やろうかな」

 

 葉山のダメ押しに、ついに相模が折れた。それにより、ようやく長い長い会議は終わる。

 

 相模もそう悪い気はしないだろう。なにせ「葉山に頼られた女の子」というブランドを手に入れられたのだから。

 

 それに、たかが学校の文化祭だ。専門用語だらけの組織の書類……あと開発部の強引な試作品の感想レポート……に比べれば、楽なはず。

 

「じゃあ、そういうことで」

 

 ぐったりした様子で、ルーム長がそう締めくくった。お疲れさん。




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