声を失った少年【完結】   作:熊0803

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どうも、作者です。
今回は相模の依頼を受ける話です。オリジナル展開あり。
楽しんでいただけると嬉しいです。


53.声を無くした少年は、少女を支えることにする。

 文化祭まで一ヶ月を切り、クラスの様相も変わってきた。

 

 というのも、文化祭準備のために居残り作業が解禁されたのである。そのため、どの教室からも騒がしい声が聞こえる。

 

 我ら二年F組も例外ではなく、何日か前の話し合いで決まったミュージカル公演のための準備をしていた。

 

「…………」

 

 俺はといえば、自分の席に座って、家から持ってきた自前のパソコンで作業をしている。

 

 文化祭実行委員会が始まってから数日、その中であることを思いついた俺は、パワポを使ってある資料を作っていた。

 

「じゃあ、スタッフと各役のキャストを決めていこうか。脚本は姫菜として、あとは……」

 

 教壇には葉山が立ち、企画書を片手に指揮を取っている。俺もちらりと、一応机においたコピーに目をやった。

 

 

 監督 海老名姫菜

 演出 海老名姫菜

 脚本 海老名姫菜

 

 

 とても素敵なスタッフィングだった。3列に並んだ海老名さんの名前から()のオーラがにじみ出ている気がする。

 

 で、肝心の内容なんだが……まあ、なんだ。『星の王子様』をBLちっくにしたもので、ある意味予想通りだ。

 

 もうね、文字に起こすとしたら絶対に遠慮するレベル。王子様を毒牙(意味深)にかける蛇ってなに、純粋に怖いわ。

 

 

 

 制作進行 由比ヶ浜結衣

 宣伝広報 三浦優美子

 

 

 幸いなのは、他の係は由比ヶ浜たちが担当することである。もしそこも海老名さんだったら、腐女子の集会になる。

 

 

 他にも不安はある。

 

 

 それは、役者だ。演劇ということは当然役者が必要なわけで、やるのは当然ながらこのクラスのメンバー。

 

 そこで問題になるのが……海老名さんの趣味とこのプロットを見る限り、おそらく役者は全員男子がやることになるということ。

 

『なあ、これ女子の方は実演の方に組み込まれてんのか?』

 

 一度作業の手を止めて、海老名さんに呼びかけてみる。

 

「え、なんで女子がいるの?」

 

 おうふ、一応聞いたら案の定の答えが返ってきやがった。

 

 いや、確かに『星の王子様』に人間の女性は登場しない。けど「薔薇」とか、やりようはありますよね?

 

 そもそも聞く意味がわからないと言わんばかりにキョトンとした顔の海老名さんに、引きつった表情で葉山を見る。

 

「えっと、これから役者を決めるけど。ここに書かれてるキャラの説明文は気にしなくていいからな?そういう描写はあからさまにしないから」

 

 流石にむさい男ばっかでウホッ!な演劇は奴も嫌だったのか、微妙な空気の男子たちに呼びかける。

 

「えー、これはこれで面白そうっしょ」

 

 戸部、お前は黙っとれ。

 

「それで、どうする?」

 

 葉山が各役の希望を募るも、当然のように進んで挙手する人間は一人もいない。誰が好き好んで腐海に沈みたがるのか。

 

 一度ついたイメージは払拭されず、しばらくしても配役は決まらない。さて、どうしたもんかね。

 

「仕方ない……」

 

 その時、静かに呟いた海老名さんの眼鏡がキランと()敵に輝いた。

 

 このとき、普段は一匹狼である俺でさえもクラスの男子全員と心が一つになった。

 

 すなわち、「あ、これヤバイ」と。

 

「はいはーい、それじゃあ私が決めるよー」

 

 教壇に立った海老名さんはキャスティングボードを握り、そう宣言をかます。これから行われるのが、公開処刑だと誰もが理解した。

 

 ざわめくクラスメイト(主に男子)をシカトし、役名を書き出して、その下に名を連ねる生贄を選出し始めた。

 

 まずは薔薇や王様、うぬぼれ屋など、脇役あから埋まっていく。すぐさま男子たちの絶叫が轟いた。

 

「嫌だぁ!」

「地理学者だけはやめてくれぇ!」

「俺のマッターホルンが!」

 

 ……南無三、あんまり仲良くないクラスメイトたち。君たちの社会的な意味の学校生活が終わらないことを祈る。

 

 断末魔と、それを聞いて起こる女子の爆笑を聞いていると、ふと主役は誰になるのかともう一度前を向いた。

 

 

 王子様:葉山

 

 

 ……まあ、そんな気はしてたよ。このクラスでルックス、カースとともにナンバーワンのあいつこそ主役にふさわしい。

 

 青白い顔で硬直している葉山に内心ザマァとか言いながら、隣に書かれたもう一人の主役に目を移して……

 

 

 ぼく:比企谷

 

 

『なんでやねん』

 

 思わず首輪から関西弁が飛び出した。いやいや、それだけは絶対に無理だから。

 

 俺が葉山と仲良く演劇の主役をやる?BL風味の演劇で?想像しただけで葉山の喉を締め上げたくなるんですが。

 

 俺が修羅のような顔になれば、耳ざとく聞いていた海老名さんはこちらを驚愕の表情で振り返った。

 

「でもでも、葉山×ヒキタニは薄い本ならマストバイだよ!?ていうかマストゲイだよ!」

「『それだけはねえよ!』」

 

 俺と葉山の言葉がシンクロした。クラスメイトたちはびっくりして、俺……と、大半は突然大声を出した葉山を見る。

 

 驚いたのは俺たちも同じであり、一瞬合っていた目をそらす。そうすると葉山はいつもの笑顔でごまかした。

 

「はは、なんでもないよ」

「むう、やさぐれた感じの飛行士を王子様が純真無垢な温かい言葉で巧みに落とす、それがこの作品の魅力だと思うんだけどなぁ」

 

 ちげえよ……フランス人激怒するぞ……

 

「でも姫菜、ヒキタニくんは文実だから無理じゃないかな?演劇だと稽古とかも必要になるし、そんな時間ないと思うんだ」

 

 絶対に俺とだけはこの演劇をやりたくないという、断固たる意志を感じた。珍しく心の底から大賛成である。

 

 よし葉山、そのまま押し切れ。なんなら押し倒せ。いや待て、それはダメだ。女王の手でこの教室が血の海になる。

 

「そっかぁ、残念。じゃあ少し考え直すかなぁ」

 

 くだらないことを考えてるうちに、海老名さんも大義名分があるためか諦めた。主役の所が消され、ひとまず安心した。

 

「少しと言わず、じっくり考えよう」

『そうだな。この際せっかくだから大幅に修正して、女子も入れたらいいんじゃないか?例えばぼくが葉山で、王子様が男装した女子とか』

 

 普段なら絶対にしないが、葉山をフォローしてやる。互いの目的のために、俺たちの思考は一致していた。

 

 葉山と一緒に主役をする、という俺の言葉に反応した女子たちは、それまでとは打って変わって自己主張を始める。

 

「えー、でも、うーん……」

 

 最初はそう渋っていた海老名さん。

 

 だが、クラス展示という共同作業で最初に押し付けたことを思っているのか、最後には折れて女子も入ることになった。

 

 均等に割り振るということで、一旦全部キャスティングが消された。配役されてた男子が一斉に安堵のため息を吐く。

 

(((これからヒキタニのこと、心の中で神って呼ぼう)))

 

 なんだかおぞましい気配を感じつつ、資料を作りながら再キャスティングを見守った。

 

 

 

 ────

 

 

 

 王子様:戸塚

 ぼく:葉山

 

 

 数分の協議の結果、主役はこうなった。後の脇役も、半分くらいが女子になっている。

 

「結局、俺は出なきゃいけないんだな……」

「お、そのやさぐれた感じ。いいね〜」

 

 苦笑する葉山だが、まあさっきのよりは億倍マシだろう。絶対。

 

 葉山はもうどうでもいいとして、戸塚が王子様役は適任だと思う。『星の王子様』のイメージにもあっている。

 

 何より、戸塚はどちらかというと中性的な見た目の美少女である。最初に知り合った時に勘違いしたのは、そのためでもあった。

 

「これ、すごく難しそうだけど……僕でいいの?」

「戸塚ちゃんなら大丈夫だよ〜!」

「小道具は任せてね!」

((他クラスのメンバー情報による、比企谷君と雪ノ下さんのラブコメのためにも!))

 

 まあ、これで問題ないだろう。さっきの時点で俺は出演しないことが確定してるし。

 

「八幡くん、僕大丈夫かな?」

 

 資料作成に意識を戻そうとした瞬間、歩み寄ってきた戸塚がそういった。

 

 見ると、不安そうな表情だ。一度書類を途中保存して、パソコンを閉じて体ごと向き直る。

 

「あ、ごめんね?何か文実のことやってたのかな?」

『いや、気にするな。そんな重要なもんでもないし』

「そう?ならいいんだけど……」

 

 ちょっと申し訳なさそうに言う戸塚。どちらかといえば、教室内にいるのに作業してた俺が悪いのだが。

 

『まあ、戸塚なら平気だろ。不安なら原作の本貸すぞ?』

「いいの?」

『ああ。ていうか、むしろそっちを読んだほうが早い。あのプロットは曲解しまくってるからな』

 

 真面目な姿勢は戸塚の美徳なところであると思うが、世の中知らなくていいことがたくさんあるのだ。

 

 戸塚が腐女子になって「ぐふふ……」とか言い出した日には、首くくって死ぬまである。死ねないけどね。

 

「じゃあ行ってくるね、八幡くん」

『おう、頑張ってこい』

 

 送り出した戸塚が女子のところに行ってから、クラスを見渡す。

 

 早速、キャストの打ち合わせや衣装の打ち合わせ、宣伝プランの話し合いなど、各所で話し合いが始まっていた。

 

 俺はそれを尻目に、パソコンをやや軽い鞄の中に押し込むと席を立った。そのまま教室ウィ後にする。

 

 教室二つ分くらい歩いたところで、パタパタと後ろから騒がしい足音が追いかけてきた。誰だかは察しがつく。

 

 ヒョイと、鞄を肩に固定しているのとは反対の手を後ろに差し出した。すると程なくして、ぱしっと叩かれる。

 

「へへ、ゴール」

『おう』

 

 隣に並んだ由比ヶ浜は、はにかみ笑いを浮かべる。何日か経って、ようやくまともに顔を見れるようになった。

 

「ヒッキー、部室行くの?」

『ああ、委員会までまだ時間あるしな』

 

 由比ヶ浜に合わせて歩調をゆるめながら、受け答えをする。

 

『それに、これから忙しくなってくると部室には顔を出せそうにないからな。あそこで仕事するのもアレだし』

「そっか、そだね……あたしも行く」

『そっちの仕事はいいのか?』

「うん、あたしが忙しくなるのって、実際に動き出してからだと思うから」

 

 そうか、と首輪に短い返事をさせて、揃って部室までの廊下をひたすら歩く。

 

「そういやさっき、さいちゃんとイチャイチャしてたでしょ」

 

 ……突然何を言い出してんだろうか、こいつは。

 

『してねえよ。ただ普通に話してただけだろ?』

「むぅー、ほんと?」

『嘘をつく理由がねえよ』

「ならいいけど……こ、恋する乙女の嫉妬はすごいんだからね!」

『自分でそれ言いますかね……』

 

 まさかの私ヤキモチ焼いてますアピールだった。いろはがやってたらあざといの一言で終わるが、こいつがやると可愛げがある。

 

 それ以降は会話もなく、教室の中から聞こえる有志参加らしきバンドの練習を聴きながら、歩き続ける。

 

 騒がしく慌しい雰囲気は、本館や新館から特別棟に映った瞬間一切消えた。

 

 建物の位置が日陰なためか、気温が本館より一度か二度ほど低く感じる廊下を進み、部室へ行く。

 

 部屋の鍵は、既に開いていた。それは彼女が既にいることを表しており、俺は引き戸に手をかける。

 

『うーっす』

「やっはろー」

 

 ここ数ヶ月でお決まりになった挨拶とともに扉を開ければ、雪ノ下はゆっくりと顔を上げて微笑んだ。

 

「こんにちは、比企谷くん。由比ヶ浜さん」

『おう』

「ゆきのん、もう来てたんだね」

「ええ、まあ」

 

 いつも通りのやり取りをして、俺たちは席に着く。

 

 窓際側に座る雪ノ下の対面に俺。そして由比ヶ浜は雪ノ下の隣に……ではなく。

 

「えへへ」

 

 由比ヶ浜は、長机の先端……つまりは俺と雪ノ下の、ある意味間に場所を移していた。

 

 なぜ、彼女の座る位置が変わったのか。具体的には、俺により近い場所に来ようと思い立ったのか。

 

 その心境の変化の理由は、あのことを思い出せば想像に難くない。

 

「それで、姫菜がまた暴走してねー」

「あら、そうなの」

 

 雪ノ下は分かっているのか、それとも分かっていないのか……まあ分かってんだろうが、何も言わない。

 

 その分、文実の時にまあ色々と……やめよう。むやみに思い出すのは、俺の精神衛生上あまりよろしくない。

 

 頭の奥に押し込んでおこうと、鞄からパソコンを取り出し、パワポを起動させて書類作成を再開した。

 

「あ、そういえばさ。具体的にやることが決まって、クラスの方の話し合いにでないといけなくて。部活に来れなくなっちゃうかもなんだけど……」

 

 十分くらいした頃だろうか。クラス展示の話をしていた由比ヶ浜が、そう切り出す。

 

「そうなの……」

 

 雪ノ下は文庫本を閉じて、少しの間考え込む。

 

「実は私も、今日その話をしようと思っていたわ。どれほどのペースで準備が終わるか不透明だから、とりあえず文化祭が終わるまでは部活を中止しようと思うの」

『まあ、妥当なところだな』

 

 実際、委員会中に聞いた話じゃもう休部している部活はちらほらあるようだ。

 

「あなたもそうでしょう?」

『ああ、まあそんなとこだ』

「? はっきりとしない受け答えね」

『ちょっとな』

 

 今作っているこれを完成させて通れば、目処も立ちそうだが……

 

「じゃあ、今日はもう終わりにする?」

「そうしましょう。比企谷くん、出れるかしら?」

『ちょっと待ってくれ』

 

 一言断って、いいところまで終わらせるとまた途中保存。パソコンを閉じる。

 

『よし、もういいぞ』

「それでは、今日はこれで終わり──」

 

 

 コンコン

 

 

 そう、雪ノ下が終わりを告げようとした時。扉がノックされた。

 

 

 

 ────

 

 

 

 二人と顔を見合わせる。

 

 この文化祭で忙しい時期に、訪問者が現れようとは。ていうか前に依頼者が来たのっていつでしたっけ?

 

 どうする?と雪ノ下にアイコンタクトする。今しがた部活を停止させると話したばかりだ、部長に指示を仰ぐ。

 

 雪ノ下は軽くため息を吐いたあとに頷いた。

 

「どうぞ」

 

 雪ノ下が、少し大きな声で扉の向こうへと呼びかける。それを聞いたのか、からりと戸が開けられた。

 

「失礼しまーす」

 

 入ってきたのは、俺も知っている人物だった。

 

 相模南。同じ二年F組のクラスメイト、文化祭実行委員、そしてその委員長。後ろにはいつものお仲間もいる。

 

 相模は室内を見渡し、俺たちを見て目を見張った。

 

「って、雪ノ下さんと結衣ちゃんじゃん」

 

 おう、俺はナチュラルにスルーか。あの時の屈辱がまだ晴れてないんだろうか、俺の方はなんとも思ってないのだが。

 

 なんにせよ、面倒な客であることには違いない。この部活に来たということは、平塚先生にでも聞いたのか?

 

「さがみん?どしたの?」

「へえ〜、奉仕部って雪ノ下さんたちの部活なんだぁ」

 

 不思議そうに問う由比ヶ浜の質問に答えず、またぐるりと部室を見回す相模。

 

「何か用かしら?依頼があるのなら早くしてちょうだい」

 

 いつものことながら、赤の他人に対する雪ノ下の対応は、心を許した相手との差が非常に顕著だった。

 

「あ……急にごめん、なさい」

 

 相模は急にしおらしい態度になり、身じろぎした。わかるぞその気落ち、こいつの絶対零度の視線はそれは恐ろしい。

 

《いてつくはどう》を放っていそうな雪ノ下とは目線を合わせず、相模は隣の仲間たちと目配せして話し出す。

 

「ちょっと、相談があってきたんだけど」

「それは分かっているわ。で、本題は?」

「あ、うん……うち、実行委員長をやることになったけどさ、正直自信がないっていうか……だから、助けてほしんだ」

 

 なるほど、依頼内容は実行委員長の仕事のサポート、ね。

 

 その心境はわかる。慣れない、しかも責任重大な仕事となれば尻込みをしてしまうのは当然だ。

 

 そういえば、昨日の実行委員会の後に相模が平塚先生と話していたのをそこで思い出す。おそらく、そこで相談したのだろう。

 

 しかし、果たして相模はわざわざ奉仕部として依頼を受けるべき相手なのか。

 

「……この文化祭を通しての自らの成長、というあなたが掲げた目的とは少々外れているように思うけれど」

 

 少し考えた雪ノ下は、冷静沈着に痛いところをつく。  

 

 その場のノリといえど、相模は自分で立候補し、苦労を忍ばず自分のステップアップのために努力すると宣言した。

 

 ならば、まだ委員会が指導して一週間程度の時点で外部の部活動に頼るのは、果たしていかがなものだろうか。

 

 おそらくは同じ疑念を以って、雪ノ下と一緒にじっと見る。相模を息を詰まらせるが、すぐに薄ら笑いを浮かべた。

 

「そうなんだけどー、やっぱりみんなに迷惑かけるのが一番心苦しいっていうか、失敗したくないじゃない?それに、誰かと協力して完成させるのも一つの成長だと思うしさ」

 

 よくもまあ、次から次へと理由を思いつくものである。おそるべし、カースト上位の女子。いや悪い意味じゃなくて。

 

「ほら、クラスのこともあるしさー。やっぱり一因な以上、そっちにも参加したいっていうか?全然できないっていうのも申し訳ないし、ねぇ?」

 

 そう言って、相模は俺……はすぐに目をそらして、由比ヶ浜を見る。そんなに嫌いか。

 

「……うん、そだね。実行委員も大事だけど、クラスの方も大事だと思う」

 

 僅かに考えるような間をとって、由比ヶ浜は答えた。「そうでしょー?」と相模は同調する。

 

「ん……」

 

 しかし、由比ヶ浜は花火大会の時のようなごまかし笑いでなく、少し渋い顔をした。

 

 その気持ちもまた、よく理解できる。

 

 要するに相模は、自分の調子乗って座った椅子がキャパを超えたから、雪ノ下に尻ぬぐいさせようってんだ。

 

 最近では鶴見さんの助手と化している俺から言わせれば、組織運営というのは並大抵のものではない。

 

 あらゆるスケジュールの管理、部下の能力の把握、すべて書類の細部までの記憶、上司との連携、エトセトラエトセトラ。

 

 それら全てをこなすだけの素質と能力がないのなら、そもそもその椅子に座ってはならないのである。

 

 相模は失格もいいとこだ。それ以前に、こいつが求めているのは経験と成長ではなく、「実行委員長」という肩書きだろう。

 

 真に責任ある立場を請け負い、長となるなら、頼るべきはまず内部の人間だ。安易に外に頼ればひどい結果にもなりうる。

 

 なんなら、相模は一度痛い目を見るべきだろう。調子にのるとろくなことにならないと学ぶのも立派な成長だ。

 

「それで、どう、かな……?」

 

 伏し目がちに、相模は雪ノ下を見る。つられて、俺と由比ヶ浜も雪ノ下の方を向いた。

 

「──」

 

 どうする?と雪ノ下に目線で聞く。

 

 俺としては相模の依頼は断ったほうがいいが、最終的に判断を下すのは部長である彼女なのだから。

 

「そうね……」

 

 雪ノ下はいつものように指を顎に当て、机に目線を落として考え始めた。

 

 少しの間、沈黙が部室を支配する。由比ヶ浜と相模たちが、居心地悪そうに体を揺らしていた。

 

 そんな中、俺はじっと雪ノ下を見ていると……ちら、と彼女の目線がこちらに向いた。

 

「……!」

 

 俺を見たのは一瞬、すぐに机に目線は戻る。しかし、その中に()()を感じた俺は、頭を動かし始めた。

 

 雪ノ下が俺を見た理由を考えて、それから今の状況と当てはめる。すると、ある考えが浮かんできた。

 

『相模』

「……な、なによ」

 

 おっと、名前を読んだだけで睨まれたぞ。気にせず首輪にメッセージを送る。

 

『依頼を受けるにあたって、一つ条件がある』

「はあ?別に、あんたには頼んでないんだけど……」

 

 まあ、そうだろう。相模があてにしているのは雪ノ下の力。目立たない、しかも苦手な俺などアウトオブ眼中だ。

 

 雪ノ下は目を見開き、俺を見る。しかしすぐに不敵に笑うと、相模へと視線を移した。

 

「そうね。私も条件をつけようとしていたわ」

「え?」

「あら。頼んでいる立場なのだから、一つくらい条件があってもいいでしょう?」

「いや、それは……」

 

 相模の目を射抜くように見る雪ノ下。うっとたじろいだ相模は、ガックリと肩を落とした。

 

「……まあ、雪ノ下さんがそう言うなら」

「ありがとう……それで、条件なのだけど」

 

 そこから先を、俺は自分の顔を指差して続けた。

 

『俺を、雪ノ下の補佐にすることだ』

「…………は?」

 

 呆気に取られた顔をする相模。事実、彼女にとってこの提案は予想外以外の何者でもなかっただろう。

 

 呆けて相模の判断能力が鈍っているうちに、俺は首輪にフルでメッセージを送って畳み掛ける。

 

『仮だが、俺はある会社で働いてる。つまり社会人で、上司の補佐で運営のイロハも多少はわかる。お前が文化祭を成功させたいと言うなら、俺の経験が役に立つと思うぞ』

「へ、へー、ヒキタニくん、働いてるんだー」

「ええ。それに、彼は校内成績も学年三位よ」

 

 またも驚きの表情をこちらに向ける相模。俺の成績の学年順位なんか知らなかったんだろう。

 

 そりゃ、葉山みたいなイケメンリア充でもなけりゃ意識してないわな。俺も上位五人くらいしか知らんし。

 

 しかし、それがむしろ好都合だ。

 

 雪ノ下に加えて、これまで知らなかった優秀な人間を使えるとなれば、相模も悪い気はしないだろう。

 

『どうだ、悪い話じゃないと思うが』

 

 どうする、と見れば、相模はかなり苦々しい顔をした。

 

「ちょ、ちょっと話してくるね」

 

 しばらくその表情で固まって、お仲間の二人と部屋の隅に行くとコソコソ話し始める。

 

 のんびりと待っていると、五分くらいで相模たちは戻ってきた。

 

「じゃ、じゃあ、お願いしようかな?」

「決まりね。それでは、今日の委員会までに平塚先生に伝えておいてくれるかしら?」

「う、うん。あ、それじゃあそろそろ、私たち行くね」

 

 相模は最後まで引きつった顔のまま、ともなっていた友人たちと一緒に部屋を後にした。

 

 俺たち三人だけになり、静寂が戻ってくる。けれどそれは、すぐに打ち破られることになった。

 

「ふふっ。相模さんの顔、凄いことになっていたわね」

『ああ、ずいぶん度肝を抜いてやったみたいだな』

「あ、あはは、いいのかなぁ」

 

 雪ノ下はくすくすと笑い、俺は声にならないクツクツという音を喉から出す。由比ヶ浜は苦笑い気味だ。

 

「でも、大丈夫なの?部活中止にするって言ったばかりなのに……」

「ええ、平気よ。自分の仕事に支障のない程度にするつもりだし、それに……」

 

 そこで雪ノ下は、俺の方を見て。

 

「彼がついているから」

 

 そう言われたときの、由比ヶ浜の表情は少し曇っていた。

 

 彼女の気持ちを知っているからか、なぜか心がわずかに痛む。

 

「……そっか。なら平気だね!ヒッキーは頼れるし!」

 

 だが、由比ヶ浜はすぐにいつも通りの笑顔になるとそう言った。ほっとしてしまう自分が、少し嫌になる。

 

『そうか?』

「うん、そうだよ。ヒッキーはすごいんだから」

「そうね。なんだかんだで頼りになるわ」

 

 由比ヶ浜は、少し無理をして出したような明るい声で。雪ノ下は微笑みとともにそう言ってくる。

 

『……そうかよ』

 

 俺は気恥ずかしくなって、そっぽを向いて頬をかく。二人の笑う声が聞こえた。

 

 ……こいつらになら、少しは頼りにされてもいいかもしれない。

 

 

 

 そう、思った。

 

 




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